民事訴訟法 基礎演習 類似必要的共同訴訟


1.類似必要的共同訴訟の意義
(1)通常共同訴訟と必要的共同訴訟

+(共同訴訟の要件)
第38条
訴訟の目的である権利又は義務が数人について共通であるとき、又は同一の事実上及び法律上の原因に基づくときは、その数人は、共同訴訟人として訴え、又は訴えられることができる。訴訟の目的である権利又は義務が同種であって事実上及び法律上同種の原因に基づくときも、同様とする。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

(2)固有必要的共同訴訟と類似必要的共同訴訟

・固有必要的共同訴訟=関係者が全員当事者としてそろっている場合、つまり全員そろって初めて当事者適格があるとされる場合

・類似必要的共同訴訟=当事者は1人でもいい(当事者適格がある)が、複数の訴えが提起された場合には共同して訴訟手続きを進めて矛盾のない判決をする必要がある場合

2.共同訴訟とすべき実質的理由
(1)判決効拡張による従来の通説の説明
・判決効が第三者に拡張される場合、既判力が矛盾衝突する。

(2)従来の通説に対する異論
判決効の衝突は生じないが、手続きを別々にすることに合理性が乏しい。

(3)通説的立場からの再反論

3.必要的共同訴訟の手続きの進行

4.類似必要的共同訴訟と上訴
(1)従来の通説

(2)かつての判例
+判例(S58.4.1)
理由
職権をもつて調査するのに、本件訴訟のように普通地方公共団体の数人の住民が当該地方公共団体に代位して提起する地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟は、その一人に対する判決が確定すると、右判決の効力は当該地方公共団体に及び(民訴法二〇一条二項)、他の者もこれに反する主張をすることができなくなるという関係にあるのであるから、民訴法六二条一項にいう「訴訟ノ目的カ共同訴訟人ノ全員ニ付合一ニノミ確定スヘキ場合」に当たるものと解するのが相当である。そうすると、本件訴訟を提起した一五名の第一審原告らのうち本件上告人ら五名がした第一審判決に対する控訴は、その余の第一審原告らに対しても効力を生じ(民訴法六二条一項)、原審としては、第一審原告ら全員を判決の名宛人として一個の終局判決をすべきところであつて、第一審判決に対する控訴をした本件上告人らのみを控訴人としてされた原判決は、違法であることが明らかである。
したがつて、本件上告代理人らの上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、さらに審理判断を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官木下忠良の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官木下忠良の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見とは異なり、いわゆる類似必要的共同訴訟に属する訴訟であつても、住民が普通地方公共団体に代位して提起する本件のような訴訟にあつては、共同訴訟人の一部の者が上訴しても、それによつて他の者が上訴人としての地位を取得するものではなく、したがつて、本件において第一審判決に対する控訴をした一部の共同訴訟人のみを控訴人として終局判決をした原審の措置には格別の違法はないと考える
そもそも、必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すればそれによつて他の者も上訴人としての地位に就くものと一般に解されているのは、要するに、本来合一的にのみ確定されるべき性質を持つ判決が区区になることを避けるための方法としてであるにほかならない。しかしながら、右のような目的のためには、必ずしもあらゆる場合において一部の共同訴訟人が上訴すれば他の者も上訴人としての地位に就くものとする必要はないばかりか、自ら上訴をせず上訴追行の意思を有しない者にも上訴人としての地位を付与し自ら上訴した者と同様の上訴審当事者としての権利、義務を課することはかえつて不当でもあり、訴訟経済に反するところでもある
多数の住民が普通地方公共団体に代位して提起する本件のような訴訟は、当該公共団体が有する同一の請求権を多数の住民がいわば公益の代表者としての立場において行使するものである。この種の訴訟のこのような性質にかんがみるとき、私は、いわゆる類似必要的共同訴訟一般についてはともかく、少なくとも右のような訴訟にあつては、共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによつて判決は全体として確定を遮断され、請求は上訴審に移審して、それが上訴審における審判の対象とはなるが、上訴審における訴訟追行は専ら上訴した共同訴訟人によつてのみ行われるべく、自ら上訴しなかつた共同訴訟人はいわば脱退して、ただ上訴審判決の効力を受ける地位にあるにとどまるものと解するのが相当であると考える。けだし、それによつて判決の合一的確定という要請は充たすことができるし、それがこの種の訴訟における当事者の意思に最も適合するところであると考えられるからである。
(裁判長裁判官 宮﨑梧一 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次)

(3)その後の判例
・上訴しなかった者は上訴人にならないという方向で判例変更。

+判例(H9.4.2)愛媛玉串訴訟
理由
第一 上告代理人西嶋吉光、同菅原辰二、同佐伯善男、同東俊一、同草薙順一、同谷正之、同薦田伸夫、同高田義之、同今川正章、同水口晃、同井上正実、同津村健太郎、同阿河準一、同高村文敏、同三野秀富、同猪崎武典、同久保和彦、同西山司郎、同堀井茂、同渡辺光夫、同平井範明、同桑城秀樹、同臼井滿、同重哲郎、同木田一彦の上告理由について
一 事実関係及び訴訟の経過
1 原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B1が愛媛県知事の職にあった昭和五六年から同六一年にかけて、(1) 愛媛県(以下「県」という。)の東京事務所長の職あった被上人B2が、宗教法人靖國神社(以下「靖國神社」という。)の挙行した春季又は秋季の例大祭に際して奉納する玉串料として九回にわたり各五〇〇〇円(合計四万五〇〇〇円)を、(2) 同じく同被上告人が、靖國神社の挙行した七月中旬の「みたま祭」に際して奉納する献灯料として四回にわたり各七〇〇〇円又は八〇〇〇円(合計三万一〇〇〇円)を、また、(3) 県生活福祉部老人福祉課長の職にあった被上告人B3、承継前被上告人亡B4、被上告人B5、同B6及び同B7が、宗教法人愛媛県護國神社(以下「護國神社」という。)の挙行した春季又は秋季の慰霊大祭に際して愛媛県遺族会を通じて奉納する供物料として九回にわたり各一万円(合計九万円)を、それぞれ県の公金から支出した(以下、これらの支出を「本件支出」という。)というのであるところ、本件は、本件支出が憲法二〇条三項、八九条等に照らして許されない違法な財務会計上の行為に当たるかどうかが争われた地方自治法二四二条の二第一項四号に基づく損害賠償代位請求住民訴訟である。

2 第一審は、本件支出は、その目的が宗教的意義を持つことを否定することができないばかりでなく、その効果が靖國神社又は護國神社の宗教活動を援助、助長、促進することになるものであって、本件支出によって生ずる県と靖國神社及び護國神社との結び付きは、我が国の文化的・社会的諸条件に照らして考えるとき、もはや相当とされる限度を超えるものであるから、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たり、違法なものといわなければならないと判断した。
これに対して、原審は本件支出は宗教的な意義を持つが、一般人にとって神社に参拝する際に玉串料等を支出することは過大でない限り社会的儀礼として受容されるという宗教的評価がされており、知事は、遺族援護行政の一環として本件支出をしたものであって、それ以外の意図、目的や深い宗教心に基づいてこれをしたものではないし、その支出の程度は、少額で社会的な儀礼の程度にとどまっており、その行為が一般人に与える効果、影響は、靖國神社等の第二次大戦中の法的地位の復活や神道の援助、助長についての特別の関心、気風を呼び起こしたりするものではなく、これらによれば、本件支出は、神道に対する援助、助長、促進又は他の宗教に対する圧迫、干渉等になるようなものではないから、憲法二〇条三項、八九条に違反しないと判断した。

二 本件支出の違法性に関する当裁判所の判断
原審の右判断は是認することができない。その理由は以下のとおりである。
1 政教分離原則憲法二〇条三項八九条により禁止される国家等の行為
憲法は、二〇条一項後段、三項、八九条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けている。
一般に、政教分離原則とは、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされているところ、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等のこともあって、同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。憲法は、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き右のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのである。元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。
しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があるしとを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない
憲法八九条が禁止している公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のために支出すること又はその利用に供することというのも、前記の政教分離原則の意義に照らして、公金支出行為等における国家と宗教とのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものをいうものと解すべきであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、前記と同様の基準によって判断しなければならない。
以上は、当裁判所の判例の趣旨とするところでもある(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、最高裁昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁参照)。

2 本件支出の違法性
そこで、以上の見地に立って、本件支出の違法性について検討する。
(一) 原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B2らは、いずれも宗教法人であって憲法二〇条一項後段にいう宗教団体に当たることが明らかな靖國神社又は護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するため、前記回数にわたり前記金額の金員を県の公金から支出したというのである。ところで、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式にのっとって行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は、同様の儀式を行う祭祀であり、靖國神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である。そして、玉串料及び供物料は、例大祭又は慰霊大祭において右のような宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、献灯料は、これによりみたま祭において境内に奉納者の名前を記した灯明が掲げられるというものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものである。
これらのことからすれば、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである。そして、一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料等を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである。そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざる得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである。また、本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことからすれば、地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない
被上告人らは、本件支出は、遺族援護行政の一環として、戦没者の慰霊及び遺族の慰謝という世俗的な目的で行われた社会的儀礼にすぎないものであるから、憲法に違反しないと主張する。確かに、靖國神社及び護國神社に祭られている祭神の多くは第二次大戦の戦没者であって、その遺族を始めとする愛媛県民のうちの相当数の者が、県が公の立場において靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでおり、そのうちには、必ずしも戦没者を祭神として信仰の対象としているからではなく、故人をしのぶ心情からそのように望んでいる者もいることは、これを肯認することができる。そのような希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない。しかしながら、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記の憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえない。戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられるし、神社の挙行する恒例祭に際して玉串料等を奉納することが、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとも認められないことは、前記説示のとおりである。ちなみに、神社に対する玉串料等の奉納が故人の葬礼に際して香典を贈ることとの対比で論じられることがあるが、香典は、故人に対する哀悼の意と遺族に対する弔意を表するために遺族に対して贈られ、その葬礼儀式を執り行っている宗教家ないし宗教団体を援助するためのものではないと一般に理解されており、これと宗教団体の行う祭祀に際して宗教団体自体に対して玉串料等を奉納することとでは、一般人の評価において、全く異なるものがあるといわなければならない。また、被上告人らは、玉串料等の奉納は、神社仏閣を訪れた際にさい銭を投ずることと同様のものであるとも主張するが、地方公共団体の名を示して行う玉串料等の奉納と一般にはその名を表示せずに行うさい銭の奉納とでは、その社会的意味を同一に論じられないことは、おのずから明らかである。そうであれば、本件玉串料等の奉納は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない
以上の事情を総合的に考慮して判断すれば、県が本件玉串料等靖國神社又は護國神社に前記のとおり奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。そうすると、本件支出は、同項の禁止する宗教的活動を行うためにしたものとして、違法というべきである。これと異なる原審の判断は、同項の解釈適用を誤るものというほかはない。
(二) また、靖國神社及び護國神社は憲法八九条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであるところ、以上に判示したところからすると、本件玉串料等を靖國神社又は護國神社に前記のとおり奉納したことによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるのであるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきである。したがって、この点に関する原審の判断も、同条の解釈適用を誤るものといわざるを得ない。

三 被上告人らの損害賠償責任の有無
原審は、右の誤った判断に基づき、本件支出に違法はないとして、上告人らの請求をいずれも棄却すべきであるとしたが、以上のとおり、本件支出は違法であるというべきであるから、更に進んで、被上告人らの損害賠償責任の有無について検討することとする。
原審の適法に確定した事実関係によれば、本性支出の当時、本件支出の権限を法令上本来的に有していたのは、知事の職にあった被上告人B1であったところ、本件支出のうち靖國神社に対してされたものについては、県の規則により県東京事務所長に対し権限が委任され、その職にあった被上告人B2がこれを行ったのであり、また、本件支出のうち護國神社に対してされたものについては、県の規則及び訓令により県生活福祉部老人福祉課長に専決させることとされ、その職にあった被上告人B3、承継前被上告人亡B4、被上告人B5、同B6及び同B7(以下、被上告人B2を含め、これらの者を「被上告人B2ら」という。)がそれぞれこれを行ったというのである。
右のように、被上告人B1は、自己の権限に属する本件支出を補助職員である被上告人B2らに委任し、又は専決により処理させたのであるから、その指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失によりこれを阻止しなかったと認められる場合には、県に対し右違法な支出によって県が被った損害を賠償する義務を負うことになると解すべきである(最高裁平成二年(行ツ)第一三七号同三年一二月二〇日第二小法廷判決・民集四五巻九号一四五五頁、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁参照)。原審の適法に確定したところによれば、被上告人B1は、靖國神社等に対し、被上告人B2らに玉串料等を持参させるなどして、これを奉納したと認められるというのであり、本件支出には憲法に違反するという重大な違法があること、地方公共団体が特定の宗教団体に玉串料、供物料等の支出をすることについて、文部省、自治省等が、政教分離原則に照らし、慎重な対応を求める趣旨の通達、回答をしてきたことなどをも考慮すると、その指揮監督上の義務に違反したものであって、これにつき少なくとも過失があったというのが相当である。したがって、被上告人B1は、県に対し、違法な本件支出により県が被った本件支出金相当額の損害を賠償する義務を負うというべきである。
これに対し、被上告人B2らについては、地方自治法二四三条の二第一項後段により損害賠償責任の発生要件が限定されており、本件支出行為をするにつき故意又は重大な過失があった場合に限り県に対して損害賠償責任を負うものであるところ、原審の適法に確定したところによれば、被上告人B2らは、いずれも委任を受け、又は専決することを任された補助職員として知事の前記のような指揮監督の下で本件支出をしたというのであり、しかも、本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断することができたとまではいえないから、被上告人B2らがこれを憲法に違反しないと考えて行ったことは、その判断を誤ったものではあるが、著しく注意義務を怠ったものとして重大な過失があったということはできない。そうすると、被上告人B1以外の被上告人らは県に対し損害賠償責任を負わないというべきである。

四 結論
以上によれば、上告人らの被上告人B1に対する請求は、これを認容すべきであり、その余の被上告人らに対する請求は、これを棄却すべきであるところ、これと同旨の第二審判決は、結論において是認し得るから、第一審判決のうち上告人らの被上告人B1に対する請求に係る部分を取り消して同請求を棄却した原判決主文第一項は、破棄を免れず、右部分については、同被上告人の控訴を棄却すべきであり、上告人らのその余の被上告人らに対する控訴を棄却した原判決主文第二項に対する上告は、理由がないとして、これを棄却すべきである。

第二 A1の上告取下げの効力について
本件上告を申し立てた者のうちA1は、平成六年七月七日、上告を取り下げる旨の書面を当裁判所に提出した。そこで、職権により、右上告取下げの効力について判断する。
本件は、地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟である。同条は、普通地方公共団体の財務行政の適正な運営を確保して住民全体の利益を守るために、当該普通地方公共団体の構成員である住民に対し、いわば公益の代表者として同条一項各号所定の訴えを提起する権能を与えたものであり、同条四項が、同条一項の規定による訴訟が係属しているときは、当該普通地方公共団体の他の住民は、別訴をもって同一の請求をすることができないと規定しているのは、住民訴訟のこのような性質にかんがみて、複数の住民による同一の請求については、必ず共同訴訟として提訴することを義務付け、これを一体として審判し、一回的に解決しようとする趣旨に出たものと解される。そうであれば、住民訴訟の判決の効力は、当事者となった住民のみならず、当該地方公共団体の全住民に及ぶものというべきであり、複数の住民の提起した住民訴訟は、民訴法六二条一項にいう「訴訟ノ目的カ共同訴訟人ノ全員ニ付合一ニノミ確定スヘキ場合」に該当し、いわゆる類似必要的共同訴訟と解するのが相当である。
ところで、類似必要的共同訴訟については、共同訴訟人の一部の者がした訴訟行為は、全員の利益においてのみ効力を生ずるとされている(民訴法六二条一項)。上訴は、上訴審に対して原判決の敗訴部分の是正を求める行為であるから、類似必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによって原判決の確定が妨げられ、当該訴訟は全体として上訴審に移審し、上訴審の判決の効力は上訴をしなかった共同訴訟人にも及ぶものと解される。しかしながら、合一確定のためには右の限度で上訴が効力を生ずれば足りるものである上、住民訴訟の前記のような性質にかんがみると、公益の代表者となる意思を失った者に対し、その意思に反してまで上訴人の地位に就き続けることを求めることは、相当でないだけでなく、住民訴訟においては、複数の住民によって提訴された場合であっても、公益の代表者としての共同訴訟人らにより同一の違法な財務会計上の行為又は怠る事実の予防又は是正を求める公益上の請求がされているのであり、元来提訴者各人が自己の個別的な利益を有しているものではないから、提訴後に共同訴訟人の数が減少しても、その審判の範囲、審理の態様、判決の効力等には何ら影響がない。そうであれば、住民訴訟については、自ら上訴をしなかった共同訴訟人をその意に反して上訴人の地位に就かせる効力までが行政事件訴訟法七条、民訴法六二条一項によって生ずると解するのは相当でなく、自ら上訴をしなかった共同訴訟人は、上訴人にはならないものと解すべきである。この理は、いったん上訴をしたがこれを取り下げた共同訴訟人についても当てはまるから、上訴をした共同訴訟人のうちの一部の者が上訴を取り下げても、その者に対する関係において原判決が確定することにはならないが、その者は上訴人ではなくなるものと解される。最高裁昭和五七年(行ツ)第一一号同五八年四月一日第二小法廷判決・民集三七巻三号二〇一頁は、右と抵触する限度において、変更すべきものである。
したがって、A1は、上告の取下げにより上告人ではなくなったものとして、本判決をすることとする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官大野正男、同福田博の各補足意見、裁判官園部逸夫、同高橋久子、同尾崎行信の各意見、裁判官三好達、同可部恒雄の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
判示第一の二についての裁判官大野正男の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛同するものであるが、多数意見第一の二につき、私の意見を補足しておきたい。
一 本件行為の目的について
本件で重視されなければならないのは、玉串料等の奉納が、戦没者の慰霊、遺族の慰謝を目的とするものであるといっても、それはあくまで靖國神社、護國神社という特定の宗教団体の祭祀に対してされているという事実である。その点を捨象して、単に、地方公共団体が戦没者の慰霊等を行うことに宗教的的意義があるか否かとか、あるいはそれが社会的儀礼に当たるか否かとかを論ずることは、事柄の本筋を見落とすものである。
被上告人B1は、本件玉串料等の支出目的は、同人の支持団体であり同人が会長を務める県遺族会の要請にこたえ、県の行う戦没者の慰霊、遺族の慰謝という遺族援護行政の一環として行ったものであって、特段の宗教的意識を持って行ったものではない旨主張している。
しかし、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たるか否かの判断基準の一となるべき行為の目的は、当該行為者の主観的、内面的な感情の有無や濃淡によってのみ判断されるべきではなく、その行為の態様等との関連において客観的に判断されるべきものであり、とりわけ支出が宗教団体の世俗的な行為ではなくその宗教的な行為そのものに向けられているときは、世俗的目的もあるからといって、その行為の客観的目的の宗教的意義が直ちに否定されるものではない。
本件支出行為は、一面において遺族の援護という行政的な目的を有するとしても、その対象が靖國神社等の最も重要な祭祀であって本来の行政の範囲に属する世俗的行為ではないから、直接的に特定の宗教団体の宗教儀式そのものへの賛助を目的としているといわざるを得ず、その宗教的意義を否定することはできない。
二 本件行為の効果について
被上告人B1は、本件玉串料等の奉納は戦没者慰霊等のためにされた少額のもので社会的儀礼であり、宗教に対する関心を特に高めたり、その援助、助長をするようなものではないと主張している。
本件玉串料等の支出は相当年数にわたり継続して行われているとはいえ、一回の金員は五〇〇〇円ないし一万円程度のものであるから、経済的にみれば、宗教に対する援助、助長に当たるとは必ずしもいえないとの議論もあり得るかもしれない。しかしながら、政教分離原則の適用を検討するに当たっては、当該行為の外形的、経済的な側面のみにとらわれるべきでなく、社会的、歴史的条件に即してその実質をみる必要があり、社会に与える無形的なあるいは精神的な効果や影響をも考慮すべきである。そして、その観点よりすれば、以下に述べるとおり、その影響、効果は大きいといわざるを得ない。
1 多数意見の述べるとおり、我が国においては各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存しているが、戦没者、戦争犠牲者の慰霊、追悼については各種の宗教団体がそれぞれの教義、教理、祭式に基づいてこれを執り行っているのであって、その中にあって地方公共団体が靖國神社等による戦没者慰霊の祭祀にのみ賛助することは、その祭祀を他に比して優越的に選択し、その宗教的価値を重視していると一般社会からみられることは否定し難く、特定の宗教団体に重要な象徴的利益を与えるものといわざるを得ない。およそ公的機関は、すべての、いかなる宗教をも援助、助長してはならないが、中でも併存する宗教団体のうちから特定の宗教団体を選択してその宗教儀式を賛助することは、政教分離の中心をなす国家の宗教的中立に反するものである。
2 地方公共団体による靖園神社等への玉串料等の公金の支出の世俗的影響も、無視することはできない。
宗教的祭祀に起源を有する儀式等が多くの歳月を経てその宗教的意義が希薄になり、社会的儀礼や風俗として残っていることもまれではない。このような場合に公的機関がこれを行ったり参加したりしても、特定の宗教団体を支持していると受け取られることはなく、また、社会関係の円滑な維持のため役立つことはあっても、社会に対立をもたらすことは考え難い。しかし、公的機関が靖國神社等の祭祀に公金を支出してこれを賛助することについては、靖國神社に崇敬の念を持つ人々や靖國神社を戦没者慰霊の中心的施設と考える人々は、これに満足と共感を覚えるかもしれないが神道と教義を異にする宗教団体に属する人々や、靖國神社が国家神道の中枢的存在であるとしてそれへの礼拝を強制されたことを記憶する人々、あるいは靖國神社に合祀されている者は主として軍人軍属及び準軍属であって一般市民の戦争犠牲者のほとんどが含まれていないことに違和感を抱く人々は、これに不満と反感を持つかもしれない。そのような対立は、宗教的分野ばかりではなく、社会的、政治的分野においても起こり得ることである。公的機関が宗教にかかわりを持つ行為をすることによって、広く社会にこのような効果を及ぼすことは、公的機関を宗教的対立に巻き込むことになり、同時に宗教を世俗的対立に巻き込むことにもなるのであって、社会的儀礼や風俗として容認し得る範囲を超え、公的機関と宗教団体のいずれにとっても害をもたらすおそれを有するといわざるを得ない。そのようなことを避けることこそ、厳格な政教分離原則の規範を憲法が採用した趣旨に合致するものである。
三 被上告人B1は、靖國神社は我が国における戦没者慰霊の中心的存在であるから、その祭祀に地方公共団体が玉串料を奉納することは社会的儀礼であると主張する。
しかしながら、玉串料の奉納に儀礼的な意味合いがあるとしても、また、我が国近代史の一時期に靖國神社が戦没者の中心的慰霊施設として扱われたことがあるとしても、それを理由に政教分離原則の例外扱いを認めるべきものではない。
憲法二〇条三項、八九条が厳格な政教分離原則を採用しているのは、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決及び多数意見が繰り返し判示しているように、明治維新以降の我が国の社会において国家と神道が結び付き、国家神道に対して事実上国教的な地位が与えられ、その信仰が要請され、一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた歴史的経緯に基づくものであるが、このような政教の融合が生じたのも、「神社は宗教にあらず」ということを理由に、神道的祭祀や儀礼を世俗的な次元で社会的規範として取り入れ、また、臣民の義務であるとして事実上強制したからである。憲法は、第二次大戦後このような歴史的経験にかんがみて、信教の自由を国民の基本的人権として、これに強い保障を与えるとともに、国家と宗教が融合することは信教の自由に対する侵害になる危険性が高いことを認識して、その制度的保障として政教分離原則を採用し、前記規定を設けたものである。この立法の経緯及び趣旨に照らせば、右各条項は公的機関に対し強い規範性を有するものと解すべきであるから、我が国社会の中に、靖國神社に崇敬の念を持つ人々がいることは事実であり、また、それは信教の自由の保障するところでもあるが、いやしくも公的機関が特定の宗教団体である靖國神社等に対し、公金を使用して玉串料等を奉納し特別の敬意を表することは、先に述べたとおり、その目的、効果を実質的にみれば、戦没者の慰霊、追悼について公的機関が特定の宗教団体との特別のかかわり合いを示すことは明らかであって、右憲法条項の規範性に照らし到底許されないことである。そして、このことは、単に靖國神社に対してのみ許されないことではなく、あらゆる宗教団体に対しても同様であることはもちろんである。
判示第一の二についての裁判官福田博の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛成するものであるが、この機会に、我が国における信教の自由について私が考えていることを若干補足して述べておきたい。
信教の自由は、各種の人権の中でも最も基本的な自由権の一つとして、近代民主主義国家にあってその擁護が重視されているものである。多数意見に述べられているとおり、憲法に定める政教分離規定も、そのような信教の自由を一層確実なものとするための制度的保障として設けられたものである。
我が国においては、神道は年中行事や冠婚葬祭などを通じて多くの国民の生活に密接に結び付いており、そのような行事や儀式への参加が自然なこととして受け入れられている部分があることは事実である。とはいえ、神道も宗教の一つであることは、信教の自由を保障する憲法二〇条が当然の前提としているところでもある。したがって、政教分離規定を適用して国(地方公共団体を含む。以下同じ。)の宗教へのかかわりをどこまで許すかを検討する際は、政教分離の原則が目指す国の非宗教性ないし宗教的中立性の理念は、神道を含むあらゆる宗教についてひとしく当てはまる理念であることを常に念頭に置くことが、不可欠であると考える。
また、政教分離規定は、信教の自由を保障するために設けられたものであり、その適用に当たっては、国のかかわりを認めることにつき基本的に慎重な態度で臨むことが重要であると考える。なぜならば、国のかかわりを認めても差し支えないとされたことが結果的には国の信教の自由への過剰な関与(ひいては干渉ないし強制)につながることとなった事例が、諸国の歴史の中に散見されるからである。そして、このような慎重な態度を維持することは、緊密化する国際間の交流を通じ国民が様々な宗教に接する機会が増えつつある今日、我が国が信教の自由を保障し、いかなる信仰についても寛容であることを確保していく上でも、重要ではないかと考えるのである。
判示第一の二についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。
本件支出が違法な公金の支出に当たるということについては、私も多数意見と結論を同じくするものであるが、その理由(多数意見第一の二)については、見解を異にする。
我が国には、戦前から、戦没者追悼慰霊の中心的施設として、靖國神社及び護國神社が置かれているが、原審の判断及び被上告人らの主張はいずれも、これらの神社が通常の宗教施設と異なった意義を有することを強調している。しかしながら、靖國神社及び護國神社は、戦後の法制度の改革により、他の宗教団体と同等の地位にある宗教団体(宗教法人)となっており、その施設は、通常の宗教施設である。
私は、右のことを前提とした上で、本件におりる公金の支出は、公金の支出の憲法上の制限を定める憲法八九条の規定に違反するものであり、この一点において、違憲と判断すべきものと考える。
一般に、葬式・告別式等の際にお悔やみとして供される金員は、社会通念上、特定の故人の遺族を直接の対象とし社会的儀礼の範囲に属する支出とみられている。これと異なり、宗教団体の主催する恒例の宗教行事のために、当該行事の一環としてその儀式にのっとった形式で奉納される金員は、当該宗教団体を直接の対象とする支出とみるべきである。したがって、右のような金員を公金から支出した行為は、一面において、その支出の財務会計上の費目、意図された支出の目的、支出の形態、支出された金額等に照らし社会的儀礼の範囲に属するとみられるところがあったとしても、詰まるところ、当該宗教団体の使用(宗教上の使用)のため公金を支出したものと判断すべきであって、このような支出は、宗教上の団体の使用のため公金を支出することを禁じている憲法八九条の規定に違反するものといわなければならない。
これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B2らは、靖國神社又は護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するため、多数意見第一の一掲記の回数及び金額の金員を県の公金から支出したというのであるから、右の金員は、靖國神社又は護國神社の使用のため支出したものと認めるのを相当とする。したがって、右の支出は、憲法八九条の右規定に違反する違法な公金の支出というべきである。
ここで、二つのことを付言しておきたい。まず、従来の最高裁判所判例は、公金を宗教上の団体に対して支出することを制限している憲法八九条の規定の解釈についても、憲法二〇条三項の解釈に関するいわゆる目的効果基準が適用されるとしているが、私は、右基準の客観性、正確性及び実効性について、尾崎裁判官の意見と同様の疑問を抱いており、特に、本判決において、その感を深くしている。しかし、その点はきておき、本件において、憲法八九条の右規定の解釈について、右基準を適用する必要はないと考える。
次に、本件の争点である公金の支出の違憲性の判断について、当該支出が憲法八九条の右規定に違反することが明らかである以上、憲法二〇条三項に違反するかどうかを判断する必要はない。私は、およそ信教に関する問題についての公の機関の判断はできる限り謙抑であることが望ましいと考える。「為政者の全権限は、魂の救済には決して及ぶべきでなく、また及ぶことが出来ない。」(ジョン・ロック。種谷春洋『近代寛容思想と信教自由の成立』二三〇頁以下参照)

+意見
判示第一の二についての裁判官高橋久子の意見は、次のとおりである。
私は多数意見の結論には賛成するが、その結論に至る説示のうち第一の二には同調することができないので、その点に関する私の意見を明らかにしておきたい。
一 我が国憲法は、二〇条に、信教の自由は、何人に対してもこれを保障する、いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない(一項)、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない(二項)、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない(三項)と規定し、さらに、八九条に、公の財産は、宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のため、支出してはならない旨定めている。これは、大日本帝国憲法における信教の自由を保障する規定が極めて不十分で、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、それに対する信仰が強制されるとともに、一部の宗教団体に対しては厳しい迫害が加えられるなど、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条性に保障することとし、その保障を確実ならしめるため政教分離規定を設けるに至ったのである。
憲法は、信教の自由が人間の精神的自由の中核をなす基本的人権であり、我が国においては前述のような歴史的事情があったことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障するのみでなく、国家といかなる宗教との結び付きも排除するために、国家と宗教との完全な分離を理想として、国家の宗教的中立性を確保しようとしたものと解される。このことは、多数意見でも認めているところである。
しかしながら、多数意見は、「政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」とした上、「国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。」、「政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。」、「(政教分離原則は)国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」として、憲法のいう「国家と宗教との完全な分離」を「理想」として棚上げし、国家は実際上、宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないというのである。
この考え方によれば、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうもの」とされ、ある行為が宗教的活動に該当するか否かについては、「当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」ということになる。
この考え方は、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決(以下「地鎮祭判決」という。)に示され、いわゆる目的・効果基準としてその後の宗教に関する裁判に大きな影響を与えたものであって、多数意見は、これに依拠して、本判決の枠組みとしているが、私は、この目的・効果基準についていくつかの疑問を持たざるを得ない。
二 第一に、多数意見は、憲法のいう「国家と宗教との完全な分離」は理想であって、これを実現することは「不可能に近く」、これを完全に貫こうとすれば、「各方面に不合理な事態を生ずる」というが、果たしてそうであろうか。地鎮祭判決の挙げている不合理な事態の例は、特定宗教と関係のある私立学校への助成、文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のための宗教団体に対する補助、刑務所等における教誨活動等であるが、これらについては、平等の原則からいって、当該団体を他団体と同様に取り扱うことが当然要請されるものであり、特定宗教と関係があることを理由に他団体に交付される助成金や補助金などが支給されないならば、むしろ、そのことが信教の自由に反する行為であるといわなければならない。このような例は、政教分離原則を国家と宗教との完全な分離と解することによって生ずる不合理な事態とはいえず、国家と宗教との完全な分離を貫くことの妨げとなるものとは考えられないのである。
私も、「完全分離」が不可能あるいは不適当である場合が全くないと考えているわけではない。クリスマスツリーや門松のように習俗的行事化していることがだれの目にも明らかなものもないわけではなく、他にも同様の取扱いをする理由を有するケースが全くないと断定することはできない。しかし、「いかなる宗教的活動もしてはならない。」とする憲法二〇条三項の規定は、宗教とかかわり合いを持つすべての行為を原則として禁じていると解すべきであり、それに対して、当該行為を別扱いにするには、その理由を示すことが必要であると考える。すなわち、原則はあくまでも「国家はいかなる宗教的活動もしてはならない」のである。ところが、多数意見は、「国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で」と、前提条件を逆転させている。
憲法二〇条三項の規定が、我が国の過去の苦い経験を踏まえて国家と宗教との完全分離を理想としたものであることを考えると、目的・効果基準によって宗教的活動に制限を付し、その範囲を狭く限定することは、憲法の意図するところではないと考えるのである。
三 第二は、多数意見が、「(国家と宗教との)かかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さない」、さらに、「諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」と、現実の姿を判断の尺度としていることである。前述のとおり、我が国において国家神道に国教的な地位が与えられ、その結果種々の弊害を生じたことは周知の事実であり、憲法は、その反省の上に立って信教の自由を無条件で保障し、それを確実ならしめるために国家と宗教との完全な分離を理想として二〇条の規定を設けたものと考えられるが、信教の自由は、心の深奥にかかわる問題であるだけに、いまだに国家神道の残滓が完全に払拭されたとはいい難い。また、我が国においては宗教は多元的・重層的に発展してきており、国民一般の宗教に対する関心は必ずしも高くはなく、異なった宗教に対して極めて寛容である。特定の宗教に帰依するからといって他宗教を排他的に取り扱うことはなく、このことは、戦前、国家神道が各家庭の中で宗教というよりも超宗教的存在として生活の規範をなし、多くの弊害をもたらす土壌となったと思われる。宗教的感覚において寛容であるということは、それ自体として悪いとはいえないであろうが、宗教が国民一般の精神のコントロールを容易になし得る危険性をはらんでいるともいえる。その意味からも政教分離原則は厳格に遵守されるべきであって、「社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度」、「社会通念に従って、客観的に判断」というように、現実是認の尺度で判断されるべき事柄ではないと思うのである。
四 第三は、いわゆる目的・効果基準は極めてあいまいな明確性を欠く基準であるということである。多数意見は、「(国家が)宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである」というが、「社会的・文化的諸条件」とは何か、「相当とされる限度」というのはどの程度を指すのか、明らかではない。ある行為が宗教的活動に該当するか否かを判断するに当たって考慮する事情として、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」、そして、「ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」としているが、これらの事情について何をどのように評価するかは明らかではない。いわば目盛りのない物差しである。したがって、この基準によって判断された地鎮祭判決後の判決が、同じ事実を認定しながら結論を異にするものが少なくない。
殉職自衛隊員たる亡夫を山口県護國神社に合祀されたことに関し、キリスト教徒である妻からの国家賠償法に基づく損害賠償請求について、一、二審判決は、県隊友会の同神社に対する合祀申請に自衛隊職員が関与した行為が憲法二〇条三項にいき宗教的活動に当たるとしたが、多数意見引用の昭和六三年六月一日大法廷判決は、右行為は宗教的活動に当たらないとした。
箕面市が忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて忠魂碑の移設・再建をした行為、地元の戦没者遺族会に対しその敷地として右代替地を無償貸与した行為等が右の宗教的活動に該当するかどうかが争われた裁判では、一審判決は、右行為が宗教的活動に当たると判断したが、二審判決は、これを否定し、最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決も、宗教的活動には当たらないとした。
本件についても、一審判決と原判決とでは、同じ目的・効果基準によって判断しながら結論は反対であるし、本判決においても、多数意見と反対意見とでは、同じ認定事実の下にいずれも地鎮祭判決の目的・効果基準に依拠するとしつつ全く反対の結論に到達しているのであって、これをみても、地鎮祭判決の示す基準が明確な指針たり得るかどうかに疑問を禁じ得ないのである。
以上のとおり、目的・効果基準は、基準としては極めてあいまいなものといわざるを得ず、このようなあいまいな基準で国家と宗教とのかかわり合いを判断し、憲法二〇条三項の宗教的活動を限定的に解することについては、国家と宗教との結び付きを許す範囲をいつの間にか拡大させ、ひいては信教の自由もおびやかされる可能性があるとの懸念を持たざるを得ない。
五 私は、憲法二〇条の規定する政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離、すなわち、国家は宗教の介入を受けず、また、宗教に介入すべきではないという国家の非宗教性を意味するものと思うのである。信教の自由に関する保障が不十分であったことによって多くの弊害をもたらした我が国の過去を思うとき、政教分離原則は、厳格に解されるべきことはいうまでもない。
したがって、私は、完全な分離が不可能、不適当であることの理由が示されない限り、国が宗教とかかわり合いを持つことは許されないものと考える。県の公金から靖國神社の例大祭、みたま祭に玉串料、献灯料を、護國神社の慰霊大祭に供物料を奉納するため金員を支出した本件各行為は、いずれもそのような例外に当たるものとは到底いえないことが明らかであり、違憲というほかはない。

+意見
判示第一の二についての裁判官尾崎行信の意見は、次のとおりである。
私は、多数意見の結論には同調するが、多数意見のうち第一の二については賛成することができないので、その点についての私の意見を明らかにしておきたい。
一 政教分離規定の趣旨・目的と合憲性の判断基準
多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決及び多数意見も説示しているとおり、憲法は、大日本帝国憲法下において信教の自由の保障が不十分であったため種々の弊害が生じたことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障し、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けたものであり、これを設けるに当たっては、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。右大法延判決は、右の説示に続けて、国家が諸施策を実施するに当たり宗教とのかかわり合いを生ずることは免れ難く、国家と宗教との完全分離を実現することは実際上不可能に近いし、これに固執すればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとし、完全分離の理想を貫徹し得ない例として、宗教関係の私立学校への助成等を挙げている。なるほど平等権や信教の自由を否定する結果を招くような完全分離は不合理極まりないとみることができるから、こうした憲法的価値を確保することができるよう考慮を払うことには理由があり、厳格な完全分離の例外を一定限度で許し、柔軟に対応する余地を残すことは、複雑多岐な社会事象を処理するための慎重な態度というべきであろう。この範囲において、私は、右大法廷判決の説くところに同意することができる。そして、私は、右の説示の趣旨に沿って政教分離規定を解釈すれば、国家と宗教との完全分離を原則とし、完全分離が不可能であり、かつ、分離に固執すると不合理な結果を招く場合に限って、例外的に国家と宗教とのかかわり合いが憲法上許容されるとすべきものと考えるのである。
このような考え方に立てば、憲法二〇条三項が「いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているのも、国が宗教とのかかわり合いを持つ行為は、原則として禁止されるとした上で、ただ実際上国家と宗教との分離が不可能で、分離に固執すると不合理な結果を生ずる場合に限って、例外的に許容されるとするものであると解するのが相当である。したがって、国は、その施策を実施するための行為が宗教とのかかわり合いを持つものであるときには、まず禁じられた活動に当たるとしてこれを避け、宗教性のない代替手段が存しないかどうかを検討すべきである。そして、当該施策を他の手段でも実施することができるならば、国は、宗教的活動に当たると疑われる行為をすべきではない。しかし、宗教とのかかわり合いを持たない方法では、当該施策を実施することができず、これを放棄すると、社会生活上不合理な結果を生ずるときは、更に進んで、当該施策の目的や施策に含まれる法的価値、利益はいかなるものか、この価値はその行為を行うことにより信教の自由に及ぼす影響と比べて優越するものか、その程度はどれほどかなどを考慮しなければならない。施策を実施しない場合に他の重要な価値、特に憲法的価値の侵害が生ずることも、著しい社会的不合理の一場合である。こうした検証を経た上、政教分離原則の除外例として特に許容するに値する高度な法的利益が明白に認められない限り、国は、疑義ある活動に関与すべきではない。このような解釈こそが、憲法が政教分離規定を設けた前述の経緯や趣旨に最もよく合致し、文言にも忠実なものである上、合憲性の判断基準としても明確で疑義の少ないものということができる。そして、右の検討の結果、明確に例外的事情があるものと判断されない限り、その行為は禁止されると解するのが、制度の趣旨に沿うものと考える。
二 多数意見に対する疑問
これに対し、多数意見の示す政教分離規定の解釈は、前述の制定経緯やその趣旨及び文言に忠実とはいえず、また、その判断基準は、極めて多様な諸要素の総合考慮という漠然としたもので、基準としての客観性、明確性に欠けており、相当ではないというほかはなく、私は、これに賛成することができない。その理由は、次のとおりである。
1 多数意見は、憲法が政教の完全分離を理想としているとしつつ、「分離にもおのずから一定の限界がある」という。この判示のみをみれば、宗教的活動のすべてが「許されない」のが原則であるが、分離不能など特別の事情のために「許される」例外的な場合が存するとの趣旨をうかがわせる。ところが、それに続いて、「信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題」となるといい、突如「許されない」活動を限定的に定義している。完全分離を理想と考え、国が宗教とかかわり合いを持つことは原則的に許されないという立場から出発するのであれば、何が「許されない」かを問題とするのではなく、何が例外的に「許される」のかをこそ論ずべきである。私は、このような多数意見の立場は、政教分離制度の趣旨、目的にかなわず、同制度が信教の自由を確保する手段として最大限機能するよう要請されていることを忘れたものであって、望ましくないと考える。
2 法解釈の原則は、法文を通常の意味・用法に従って解釈し、それで分明でないときは、立法者の意思を探求することである。「いかなる宗教的活動」をも禁止するとの文言を素直に読めば、宗教とかかわり合いを持つ行為はすべて禁止されていると解釈すべきことは、極めて分明で、「原則禁止、例外許容」の立場を採るのが当然である。にもかかわらず、何ら限定が付されていない文言を「いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題」として、性質上の制限があると読むことは、文意を離れるものであり、これを採ることができない。
憲法二〇条三項に影響を与えた米国憲法の類似規定(修正一条)に関し、いわゆる目的効果基準を採る判例が、この規定は一定の目的、効果を持つ行為を禁ずるものであると解釈していることにならって、我が国でも同様な限定を「宗教的活動」に加える考えが生まれたとみられる。しかし、これは、両国憲法の規定の相違を無視するものである。米国憲法は、「国教の樹立を定め、又は宗教の自由な行使を禁止する法律(省略)を制定してはならない。」と規定し、国教樹立や宗教の自由行使の禁止に当たる行為のみが許されないとしているため、右の禁止に当たる範囲を定義する必要が生じ、判例は、許されない行為を決定する立場から基準を定めたのである。これに対し、我が憲法は、端的にすべての宗教的活動を禁止の対象とするとしているのであるから、およそ宗教色を帯びる行為は一義的に禁止した上、特別の場合に許容されるとの基準を設けるのが自然なこととなる。両国の条文の差異をみれば、基準の立て方が異なってこそ、それぞれ素直に条文に適するといえよう。
3 また、多数意見は、憲法二〇条三項の解釈に当たって、用語の意味内容があいまいで、その適用範囲が明確でなく、将来の指標とするには不十分と認められる。
多数意見は、「宗教的活動」とは、「国及びその機関の活動」で宗教とのかかわり合いを持つ「すべての行為」を指すものではなく、「かかわり合いをもたらす行為」の目的効果にかんがみ、そのかかわり合いが諸条件に照らし「相当とされる限度を超えるもの」のみをいい、この相当限度を超えるのは「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助…等になるような行為」であるという。この定義において、「当該行為」は、「国及びその機関」(以下「国」という。)の活動で宗教との「かかわり合いをもたらす行為」(以下「関与行為」という。)を意味している。
国と宗教とのかかわり合いをみる場合、右のように国の「かかわり合いをもたらす」国自体の関与行為とかかわり合いの対象となる宗教的とみられる行為(以下「対象行為」という。)が存在し、その両者の関係がいかなるものか検討されることとなる。なお、この両者は、国教樹立のように大きく重なることもあれば、津地鎮祭のように重なる部分が減少し、本件玉串料奉納のように重なりが更に小さくなることもあり得る。また、津地鎮祭の場合、市がその主催者となっているとはいえ、宗教行事そのものは、神職が主宰者となり独自の宗教儀式として実施されており、市はこの他者の宗教行事と参加・利用の関係に立ったのであって、ここでも関与行為と対象行為の区別は明らかである。
続いて多数意見は、「ある行為」が禁止される宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、「当該行為」の外形的側面のみにとらわれることなく、「当該行為の行われる場所」その他の要素も考慮せよという。この場合、「ある行為」や「当該行為」は、先行定義によれば、国の活動を意味する。ところが、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決は、「当該行為」の外形的側面の例示として、主宰者が宗教家か、式次第が宗教の定める方式にのっとったものかなど、を挙げており、右大法廷判決が「当該行為」なる用語を国の関与行為とは別異の、宗教行事など国がかかわり合いを持とうとする対象行為を指すものとして使用していることを推知させる。しかし、この判示を定義どおり国の関与行為の外形と解する者もあろうし、特にこの例示を欠く多数意見は、その可能性を高めている。
さらに、後続部分における「当該行為」も、多義的で意味を特定し難い。多数意見が「当該行為の行われる場所」というとき、愛媛県による玉串料などの支出が問題になっているので、県のかかわり合いをもたらす出損行為の場所と考えることもできるが、直前の「当該行為」が祭式を指すのと同様、例大祭の場所とみる方が自然である。「当該行為に対する一般人の宗教的評価」も同様で、玉串料奉納行為など関与行為に対するものか、例大祭など対象行為に対するものか、両者を含めてか、人々を迷わせる。「当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識」という場合、検討するのは関与行為(者)、対象行為(者)のいずれについてか、その双方か、やはり不分明である。津地鎮祭の場合、まず、一般人の意識においては、地鎮祭には宗教的意義を認めず、世俗的行為、慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行事と評価しているとした上で、津市長らも同一の意識を持っていたと説示した点をみれば、対象行為を主眼としているとみられる一方、本件の原判決においては、県の行為は、戦没者の慰霊が目的であったこと、遺族援護行政の一環としてされたこと、金額が小さく儀礼的とみられることが論じられているところからすれば、県の関与行為を中心に「当該行為」や「当該行為者」が理解されていたとみられる。つまり、「当該行為」、「当該行為者」という同一用語を、前記大法廷判決は対象行為について、本件原判決は関与行為について、それぞれ使用しており、この用語が必ずしも一義的には解し得ないことを示している。「当該行為の一般人に与える効果、影響」というときも、国の行為のみについて論じているのか、例大祭なども考慮の対象としているのか明らかでなく、ことの性質上、後者が除かれているとは思えない。要するに、多数意見は、その意味内容を特定し難い部分があり、真意を把握するのが困難でその適用に際し、判断を誤らせる危険があり、合憲性を左右する基準として、このような不明確さは許されるべきでない。
4 そして、私の主張する前記一の立場によれば、国の行為のうち、一応宗教的と認められるものは、すべて回避され、特に例外とすべき事由が明確に示されて初めて許容されることとなるため、検討すべき行為の量も検討すべき事項も、選別され、限定される。要するに、基準の客観的定立と適用がより容易になるといい得る。
これに対し、多数意見の立場は、「宗教的活動」が本来的に限定された意味、内容を持つことを出発点とする。そこでは、すべての宗教的活動は、例示されたような多様な考慮要素に照らし総合評価して初めて、許されない宗教的活動の範囲に属することが決定される。検討対象の量も多く、検討事項も広範に及び、特に総合評価という漠然たる判断基準に頼らざるを得ず、客観性、明確性の点で大きな不安を感じさせる。判断基準という以上、単に考慮要素を列挙するだけでは足りず、各要素の評価の仕方や軽重についても何らかの基準を示さなければ、尺度として意味をなさない。事実、これまでの裁判例において、同一の目的効果基準にのっとって同一の行為を評価しながら、反対の結論に達している例があることは、右基準が明確性を欠き、その適用が困難なことを示すものというべきである。
私は、右基準に代え、前記一に述べたところに従って新たな基準を用いることにより、将来の混乱を防止すべきものと考える。
三 結論
1 そこで、本件を前記一において述べた基準に従って見てみると、まず、県が戦没者を慰霊するという意図を実現するために、靖國神社等の祭祀に当たって玉串料等を奉納する以外には、宗教とかかわり合いを持たないでこれを行う方法はなかったのかどうかを検討しなければならない。しかし、そのような主張、立証はないのみならず、反対に、多くの宗教色のない慰霊のみちがあることは、公知の事実である。したがって、本件の県の行為は、宗教との分離が実際上不可能な場合には当たらないというほかはない。また、当然のことながら、宗教とのかかわり合いを持たないでも県の右意図は実現することができる以上、本件の県の行為がなければ社会生活上不合理な結果を招来するということはできず、この面からも、政教分離原則に反しない例外的事情があるということはできない。実際に他の都道府県の知事らが本件のような玉串料等の奉納をしなくても、特段の不合理を生じているとは認められず、この種の社会的儀礼を尊重するあまり、憲法上の重要な価値をおろそかにするのは、ことの順逆を誤っている。したがって、本件の玉串料等の奉納は、憲法二〇条三項に違反するものであり、本件支出は違法というべきである。
2 これに対し、本件の玉串料等の奉納は、その金額も回数も少なく、特定宗教の援助等に当たるとして問題とするほどのものではないと主張されており、これに加えて、今日の社会情勢では、昭和初期と異なり、もはや国家神道の復活など期待する者もなく、その点に関する不安はき憂に等しいともいわれる。
しかし、我々が自らの歴史を振り返れば、そのように考えることの危険がいかに大きいかを示す実例を容易に見ることができる。人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には一〇年を要しなかったことを想起すれば、今日この種の問題を些細なこととして放置すべきでなく、回数や金額の多少を問わず、常に発生の初期においてこれを制止し、事態の拡大を防止すべきものと信ずる。
右に類する主張として、我が国における宗教の雑居性、重層性を挙げ、国民は他者の宗教的感情に寛大であるから、本件程度の問題は寛容に受け入れられており、違憲などといってとがめ立てする必要がないとするものもある。しかし、宗教の雑居性などのために、国民は、宗教につき寛容であるだけでなく、無関心であることが多く、他者が宗教的に違和感を持つことに理解を示さず、その宗教的感情を傷付け、軽視する弊害もある。信教の自由は、本来、少数者のそれを保障するところに意義があるのであるから、多数者が無関心であることを理由に、反発を感ずる少数者を無視して、特定宗教への傾斜を示す行為を放置することを許すべきでない。さらに、初期においては些少で問題にしなくてよいと思われる事態が、既成事実となり、積み上げられ、取り返し不能な状態に達する危険があることは、歴史の教訓でもある。この面からも、現象の大小を問わず、ことの本質に関しては原則を固守することをおろそかにすべきではない。
私は、こうした点を考慮しつつ、憲法がその条文に明示した制度を求めるに至った歴史的背景を想起し、これを当然のこととして、異論なく受容した制定者始め国民の意識に思いを致せば、国は、憲法の定める制度の趣旨、目的を最大限実現するよう行動すべきであって、憲法の解釈も、これを要請し、勧奨するよう、なさるべきものと信じ、本意見を述べるものである。

+反対意見
判示第一についての裁判官三好達の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件支出は、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当せず、また、同八九条の禁止する公金の支出にも該当しないし、宗教団体が国から特権を受けることを禁止した同二〇条一項後段にも違反しないと考える。したがって、上告人らの本訴請求は棄却されるべきものであり、これを棄却した原判決は、その結論において維持せらるべく、本件上告は、理由がないものとして、これを棄却すべきものであると考える。以下、その理由を述べる。
一 憲法における政教分離原則と憲法の禁止する宗教的活動及び公金の支出
この点についての私の考えは、多数意見も引用するところの最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁及び最高裁昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁の判示するところと同一であるが、以下、その主要な点を申し述べる。
現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近く、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意義の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
そして、本件支出が、宗教上の組織又は団体に対する公金の支出として、憲法八九条によって禁止されるものに当たるか否かの判断も、右の基準によってされるべきものであり、本件支出を評価するに当たっては、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められるか否かを検討すべきであり、また、その検討に当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることがあってはならないのである。
二 靖國神社及び各県などの護國神社(私の反対意見において、護國神社とは、宗教法人愛媛県護國神社のみを指すのではなく、各県などに存在する護國神社一般を指称する。)をめぐる国民の意識等
1 祖国や父母、妻子、同胞等を守るために一命を捧げた戦没者を追悼し、慰霊することは、遺族や戦友に限らず、国民一般としての当然の行為ということができる。このような追悼、慰霊は、祖国や世界の平和を祈念し、また、配偶者や肉親を失った遺族を慰めることでもあり、宗教、宗派あるいは民族、国家を超えた人間自然の普遍的な情感であるからである。そして、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場に立つ者としても、このような追悼、慰霊を行うことは、国民多数の感情にも合致し、遺族の心情にも沿うものであるのみならず、国家に殉じた戦没者を手厚く、末長く追悼、慰霊することは、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としての当然の礼儀であり、道義の上からは義務ともいうべきものである。諸外国の実情をみても、各国の法令上の差異や、国家と宗教とのかかわり方の相違などにかかわらず、国が自ら追悼、慰霊のための行事を行い、あるいは、国を代表する者その他公的立場に立つ者が民間団体の行うこれらの行事に公的資格において参列するなど、戦没者の追悼、慰霊を公的に行う多数の例が存在する。我が国においても、この間の事情は、これら諸外国と同様に考えることができる。そして、前述のように戦没者に対する追悼、慰霊は人間自然の普遍的な情感であることからすれば、追悼、慰霊を行うべきことは、戦没者が国に殉じた当時における国としての政策が、長い歴史からみて、正であったか邪であったか、当を得ていたか否かとはかかわりのないことというべきである。
以上のような私の考えは、さきに内閣総理大臣その他の国務大臣の靖國神社参拝の在り方をめぐる問題について検討を遂げた「閣僚の靖國神社参拝問題に関する懇談会」の昭和六〇年八月九日の報告書(以下、「靖國懇報告書」という。)において述べられているところと概ね趣旨を同じくするものである。
そして、一般的にいえば、慰霊の対象である御霊というものは、宗教的意識と全く切り離された存在としては考え難いのであって、ただ留意すべきことは、追悼、慰霊に当たり、特定の宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えることによって、憲法二〇条三項等に違反してはならないということである。
2 靖國神社は、主として我が国に殉じた戦没者二四六万余を祀る神社であり、各県などにある護國神社は、主として右戦没者のうちその県などに縁故のある人々を祀る神社であって、いずれも宗教的施設にほかならない。そして、折りにふれ靖國神社や護國神社にいわゆるお参りをする遺族や戦友を始め国民の中には、祭神を信仰の対象としてお参りするという者もあるであろうが、より一般的には、そのような宗教的行為をしているという意識よりは、国に殉じた父、息子、兄弟、友人、知人、さらにはもっと広く国に殉じた同胞を偲び、追悼し、慰霊するという意識が強く、これをもっと素朴にいえば、戦没者を慰めるために、会いに行くという気持が強いといえる。
そうであってみれば、靖國神社や護國神社は、正に神道の宗教的施設であり、右各神社の側としては、お参りする者はすべて祭神を信仰の対象とする宗教的意識に基づき宗教的行為をしている者と受け取っているであろうことはいうまでもないところであるが、右に述べたような多くの国民の意識からすれば、右各神社は、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する特別の施設、追悼、慰霊の中心的施設となっているといえるのであって、国民の多くからは、特定の宗教にかかる施設というよりも、特定の宗教を超えての、国に殉じた人々の御霊を象徴する施設として、あたかも御霊を象徴する標柱、碑、名牌などのように受け取られているといってよいものと思われる。
靖國懇報告書も、国民や遺族の多くは、戦後から今日に至るまで、靖國神社を、その沿革や規模からみて、依然として我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとしている旨を指摘しているところである。
これに加えて、現実の問題として、戦没者を追悼、慰霊しようとする場合、我が国に殉じた戦没者すべての御霊を象徴するものは、靖國神社以外に存在しないし、右戦没者のうちその県などに縁故のある人々すべての御霊を象徴するものは、その県などの護國神社をおいてほかに存在しないといってよい。千鳥ヶ淵戦没者墓苑もあり、右墓苑における追悼、慰霊も怠ってはならないが、何といっても、右墓苑は、先の大戦での戦没者の遺骨のうち、氏名が判明せず、また、その遺族が不明なことから、遺族に渡すことのできない遺骨を奉安した墓苑であって、日清戦争や日露戦争での戦没者を始めとし、我が国のために殉じたすべての戦没者の御霊にかかる施設ではない。また、識者の中には、追悼、慰霊のための宗教、宗派にかかわりのない公的施設を新たに設置することを提案する意見もあり、考慮に値する意見ではあるが、国民感情や遺族の心境は、必ずしも合理的に割り切れるものではなく、このような施設が設置されたからといって、これまで靖國神社や護國神社を追悼、慰霊の中心的施設としてきている国民感情や遺族の心境に直ちに大きな変化をもたらすものとは考え難い。
3 国民の中に、靖國神社や護國神社において、国や地方公共団体などを代表する立場にある者によって戦没者の追悼、慰霊の途が講ぜられることを望む声が多く、また、いわゆる公式参拝決議をした県議会や市町村議会も多いが、それらは、このように多くの国民の意識として右各神社が戦没者の追悼、慰霊の中心的施設として意識されていることによるものである。これらのことなどから、まだ占領下であった昭和二六年一〇月一八日、戦後はじめての靖國神社の秋季例大祭に内閣総理大臣、その他の国務大臣らによる参拝が行われて以来、靖國神社の春季、秋季の例大祭や終戦記念日に同神社に参拝した内閣総理大臣その他の国務大臣は多く(一定の時期までは、内閣総理大臣のうち参拝しなかった者は、むしろ例外である。)、それらのうちには、いわゆる公式参拝であることを言明した者がかなりの数に上っているし、参拝した内閣総理大臣の中には、クリスチャンである者も含まれているとされている。靖國懇報告書も、「政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖國神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきである」と提言しているところである。
4 本件支出を評価するに当たっての社会的・文化的諸条件として、以上述べたような靖國神社や護国神社に対する多くの国民の意識等を十分に考慮しなければならない。
三 本件支出にかかる事実関係とその検討
1 靖國神社に対する供与
靖國神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の例大祭に際し、玉串料名下に一回五〇〇〇円ずつ九回、七月のみたま祭に際し、献灯料名下に一回七〇〇〇円ないし八〇〇〇円ずつ四回供与したもので、その供与は合計七万六〇〇〇円である。
右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の例大祭及びみたま祭に際してされたものであり、しかも昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。
(一) 金員の供与が靖國神社の恒例の祭祀に際してされたことが問題とされている。しかしながら、現在の靖國神社の春秋の例大祭の日は、戦後の政教分離政策の実施とともに、それぞれ春分の日及び秋分の日を基に新旧暦で換算して定めたものであり、春分の日及び秋分の日は、国民生活において、彼岸の中日として、祖先など死没者の墓参りが行われる日である。また、みたま祭は、古来我が国で祖先などの霊を祀り、慰め、供養する日とされてきたお盆(もともと民間習俗であって、仏教に由来するものではないとされている。)の日にちなんで、戦後設定したものであり、お盆に帰ってくる祖先などの霊を迎えるため提灯を掲げる習俗に合わせ、靖國神社の境内にも、献灯料によって二万を超える提灯が掲げられるのである。すなわち、いずれも特に祭神に直接かかわりのある日を卜して定められたものではなく、我が国において多数を占める国民が日常生活の上で祖先などの追悼、慰霊の日としてきた日にちなんで定められた日であって、特定の宗教への信仰を離れても、戦没者の追悼、慰霊をするにふさわしい日といえる。
春秋の例大祭及びみたま祭は、靖國神社の立場からすれば、いわゆる恒例祭として、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、靖國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、祖先などの追悼、慰霊の日にちなんだ日に行われる例大祭やみたま祭については、多くの国民や遺族は、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきであって、靖國神社の立場に立ってされるべきではない。このことは宗教的儀式の二面性ともいうべきものであって、世俗的行事とされている地鎮祭のような宗教的儀式についてもいえる。すなわち、地鎮祭も、これを主宰している神職の立場からすれば、降神の儀により大地主神及び産土神をその場所に招いて行う厳粛な神儀であり、外形的にも宗教的儀式にほかならないが、ただ建築主その他の参列者を含む国民一般は、世俗的行事と意識しているということなのである。
(二) 右各金員の供与は、いずれも靖國神社からの案内に基づき、あらかじめ愛媛県知事である被上告人B1から委任を受けていた愛媛県東京事務所長である被上告人B2が通常の封筒に金員を入れて同神社の社務所に持参し、玉串料又は献灯料として持参した旨を口頭で告げて、同神社に交付したというのである。この供与の機会あるいは例大祭やみたま祭の機会に、県知事自らが参拝した事実はないのみならず、東京事務所長その他の県職員が代理して参拝した事実もなく、通常の封筒に入れて玉串料又は献灯料と記載することもなく交付しているのであって、供与の態様は極めて事務的といえる。
例大祭に際しては、交付に当たり「玉串料」と告げているが、玉串料とは、神式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一つの名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「御玉串料」とする例も多いことは、周知のところであるし、例大祭において、県関係者による現実の玉串奉奠がされたこともない。それ故、玉串料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。ちなみに、前出最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決が世俗的行事であって憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たらないと判示した津市体育館の地鎮祭においては、神事として、津市長、同市議会議長らによって、現実に玉串奉奠が行われているし、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁がそれへの参列は宗教的活動に当たらないとした忠魂碑前での神式による慰霊祭の神事においても、市長ら参列者により現実の玉串奉奠が行われているのである。
みたま祭に際しては、交付に当たり「献灯料」と告げているが、境内に提灯が掲げられるのは、お盆に祖先を迎えるため提灯を掲げる我が国の習俗に由来すること、多くの国民は靖國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているしと前述のとおりであることからすれば、多くの国民は、みたま祭の献灯を靖國神社の祭神にかかる宗教的儀式と結び付ける意識は薄く、戦没者の追悼、慰霊のためとの意識が強いということができる。そのための献灯料の供与に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。
(三) 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであるし、愛媛県の規模、予算その他からしても、逆に靖國神社のそれらからしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよい。金員供与が毎年の例大祭ないしみたま祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、右のように、例大祭やみたま祭に際しての金員の供与が、追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが春秋ないし毎年の追悼、慰霊の機会に継続的にされたことは、あたかも死没者に対する毎年の命日ごとの追悼、慰霊のように、手厚い儀礼上の配慮がされたというべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することは当たらない。
ちなみに、靖國懇報告書をふまえて、昭和六〇年の終戦記念日に内閣総理大臣が靖國神社の本殿に昇殿して、公式に参拝をしたが、その際、「内閣総理大臣何某」の名入りの花一対を本殿に供えた。その代金として公金から支出され靖國神社に交付された金員の額は、三万円であり、一国を代表する者としての戦没者の追悼、慰霊のための支出として、当然社会的儀礼の範囲内といえる額であるが、これとの対比においても、右各供与が社会的儀礼の範囲を超えるものでないことは明らかである。
なお、判例をみると、地方公共団体が行う接待等については、一回の機会にかなりの金額を支出している場合にも、社会通念上儀礼の範囲を逸脱したものとまでは断じ難いとしており、奈良県の某町が、地元出身の大臣の祝賀式典の挙行等のために、三二六万余円の公金(同町の当時の歳出予算額の〇・一六パーセントを占める金額)を支出した事案で、「社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定することができず」と判示した(最高裁昭和六一年(行ツ)第一二一号平成元年七月四日第三小法廷判決・判例時報一三五六号七八頁)のは、その例である。戦没者の追悼、慰霊のための宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるかどうかが問題とされる場合のみ、微少な金額の支出についても、厳しく糾弾するのは、バランスを欠くとの感を否めない。
2 宗教法人愛媛県護國神社(以下、私の反対意見において、「愛媛県護國神社」という。)に対する供与愛媛県護國神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の慰霊大祭に際し、供物料名下に一回一万円ずつ九回供与したもので、その供与は合計九万円である。
右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の慰霊大祭に際してされたものであり、しかも、昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。
(一) 金員の供与は春秋の慰霊大祭の際にされており、愛媛県護國神社の恒例の大祭に際して供与されたことが問題とされる。しかしながら、春秋の大祭は、愛媛県護國神社の立場からすれば、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、護國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、慰霊大祭の名の下に行われるこの行事については、(二)に後述するようにこの行事に深く関与している財団法人愛媛県遺族会(以下、私の反対意見において、「愛媛県遺族会」という。)を始めとし、多くの国民や遺族は、慰霊大祭の名に示されるとおり、正に戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。このことは、靖國神社の例大祭及びみたま祭について述べたと同じく、宗教的儀式の二面性として把握されるべきものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきものであって、愛媛県護國神社の立場に立ってされるべきではない。
(二) 右各金員の供与は、以下のようにしてされた。すなわち、まず愛媛県遺族会ないし同会長の名義による愛媛県知事あての慰霊大祭の案内状が届き、愛媛県では、慰霊大祭の供物料として一万円を支出する手続をとり、「供物料、愛媛県」と表書したのし袋に入れ、通常は老人福祉課遺族援護係長が愛媛県遺族会の事務所に持参し、これを受領した同会は、慰霊大祭の日に、右一万円を「供物料、財団法人愛媛県遺族会会長B1」と表書したのし袋に入れ替えて、愛媛県護國神社に交付した、というのである。
このように、愛媛県からの金員供与は、直接的には、愛媛県遺族会に対してされ、同会において、同会会長名を表書した別ののし袋に入れ替えて、愛媛県護國神社に交付しているのであるから、愛媛県から愛媛県護國神社に対する金員の供与というべきであるかは著しく疑問で、むしろ、供物料を奉納するのは愛媛県遺族会であって、愛媛県は、遺族援護業務として、愛媛県遺族会に対し供物料を供与したものといえるのである。愛媛県遺族会が宗教上の組織又は団体に当たらないことはいうまでもない。仮に愛媛県から愛媛県護國神社への供与とみることができるとしても、その供与は間接的というほかはない。
表書は「供物料」となっているが、供物料とは、神式に限らず、神式又は仏式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一の名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「神饌料」(「神饌」とは、神に供する酒食の意である。)とする例もあることは、周知のところである。それ故、供物料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。
(三) 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであり、愛媛県の規模、予算その他からしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいことなどは、靖國神社に対する供与について述べたのと同様である。金員の供与が毎年春秋の慰霊大祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、靖國神社に対する供与について述べたのと同様に、金員の供与が追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが継続されたことは、手厚い儀礼上の配慮がされたと評価すべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできない。
四 本件支出の評価
戦没者に対する追悼、慰霊は、国民一般として、当然の行為であり、また、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としても、当然の礼儀であり、道義上からは義務ともいえるものであること、また、靖國神社や護國神社は、多くの国民から、日清戦争、日露戦争以来の我が国の戦没者の追悼、慰霊の中心的施設であり、戦没者の御霊のすべてを象徴する施設として意識されており、現実の問題として、そのような施設は、靖國神社や護國神社をおいてはほかに存在しないことは、二に述べたとおりである。また、本件支出にかかる靖國神社及び愛媛県護國神社への供与は、右各神社の側からすれば、重要な宗教的意義を持ち外形的にも主要な宗教的儀式である恒例祭に際してされたものであるけれども、多くの国民や遺族にとっては、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事に際してのことであること、靖國神社への供与は、その交付の態様は極めて事務的であること、愛媛県護國神社への供与とされている供与は、遺族援護業務としての愛媛県遺族会への供与ということができ、愛媛県護國神社への供与と断ずべきものか著しく疑問であるのみならず、仮にそのような供与とみることができるとしても、その供与は間接的であること、玉串料又は献灯料と告げ、あるいは供物料と表書したことに、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われること、供与の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県やその知事の名義で社会的儀礼として供与される金員として最低限度の額といえるものであり、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいこと、供与が毎年継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできないことなどは、三に述べたとおりである。
以上に加えて、我が国においては、家に神棚と仏壇が併存し、その双方にお参りをし、さらに、家の中にはそれ以外の神仏の守り札も掲げられているといった家庭が多く、場合によっては、その子女はミッション系の学園で学んでいるといったこともみられる。また、前出最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決の事案にみられるように、同一の遺族会主催の下に毎年一回行われる同一の忠魂碑の前での慰霊祭が、神式、仏式隔年交替で行われている事例もある。すなわち、我が国においては、多くの国民の宗教意識にも、その日常生活にも、異なる宗教が併存し、その併存は、調和し、違和感のないものとして、肯定されているのであって、我が国の社会においては、一般に、特定の宗教に対するこだわりの意識は希薄であり、他に対してむしろ寛容であるといってよい。このような社会の在り方は、別段批判せらるべきものではなく、一つの評価してよい在り方であり、少なくとも「宗教的意識の雑居性」というような「さげすみ」ともとれる言葉で呼ばれるべきものではない。このような社会的事情も考慮に入れるれなければならず、特定の宗教のみに深い信仰を持つ人々にも、本件のような問題につきある程度の寛容さが求められるところである。
これら諸般の事情を総合すれば、本件支出は、いずれも遺族援護業務の一環としてされたものであって、支出の意図、目的は、戦没者を追悼し、慰霊し、遺族を慰めることにあったとみるべきであり、多くの国民もそのようなものとして受け止めているということができ、国民一般に与える効果、影響等としても、戦没者を追悼、慰霊し、我が国や世界の平和を折求し、遺族を慰める気持を援助、助長、促進するという積極に評価されるべき効果、影響等はあるけれども、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に対する圧迫、干渉等となる効果、影響等があるとは到底いうことができず、これによってもたらされる愛媛県と靖國神社又は愛媛県護國神社とのかかわり合いは、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるとはいえない。本件支出は、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当せず、同八九条の禁止する公金の支出にも該当せず、また、同二〇条一項後段にも違反しないというべきである。
五 付言
1 本件支出をもって違憲ということができないことは、以上に詳述したとおりであるが、心の問題としては、わだかまるものがないではない。二に述べたとおり、公人が公人の立場で、過度に特定の宗教とかかわることのない限度で、戦没者の追悼、慰霊に尽くすことは、当然の礼儀であり、道義上は義務ともいえるのであるが、追悼、慰霊が特定の宗教とかかわりを持って行われる場合の支出は、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えないものに限られるのであるから、当然本件支出の金額程度にとどまる。そうだとすれば、心の問題としては、その程度の金員は、これを自己において支弁することに、より共感を覚える。けだし、自己において支弁する方がより心のこもった供与となり、追悼、慰霊の趣旨に一層かなうからである。しかし、このことは、本件支出が違憲かどうかにはかかわりがない。本件では、心の問題としての本件支出の相当性が問われているのではない。上述のような判断となった次第である。
2 靖國神社や護國神社と国や地方公共団体とのかかわりに関して、世上、国家神道及び軍国主義の復活を懸念する声がある。戦前の一時期及び戦時中において、事実上神社に対する礼拝が強制されたことがあり、右危惧を抱く気持は理解し得ないではない。しかしながら、昭和二〇年一二月一五日の連合国最高司令官からのいわゆる神道指令により、神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示され、さらに、昭和二二年五月三日には政教分離規定を設けた憲法が施行された。戦後現在に至る靖國神社や護園神社は、他の宗教法人と同じ地位にある宗教法人であって、戦前とはその性格を異にしている。また、政教分離規定を設けた憲法の下では、国家神道の復活はあり得ないし、平和主義をその基本原理の一つとする憲法は、軍国主義の十分な歯止めとなっている。靖國神社の社憲二条にも、神社の目的として、「…万世にゆるぎなき太平の基を開き、以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。」と定められているところである。靖國神社や護國神社と国や地方公共団体との本件程度のかかわり合いにつき、そのような危惧を抱くのは、短絡的との感を免れず、日本国民の良識を疑っているものといわざるを得ない。戦後長い間に培われた日本国民の良識をもっと信頼すべきであろう。
3 世上、靖國神社に一四人のA級戦犯も合祀されているしとを指摘する向きもある。今ここに東京裁判について論述することは、本件訴訟の争点と関係がないので、差し控えるが、A級戦犯が合祀されていることは、二四六万余にのぼる多くの戦没者につき、追悼、慰霊がされるべきであることとかかわりのないことであるし、まして本件支出が特定の宗教との相当とされる限度を超えるかかわり合いに当たるかどうかとは無関係の事柄である。靖國懇報告書にも、「合祀者の決定は、現在、靖國神社の自由になし得るところであり、また、合祀者の決定に仮に問題があるとしても、国家、社会、国民のために尊い生命を捧げた多くの人々をおろそかにして良いことにはならないであろう。」と指摘されているので、これを引用する。
4 なお、本件のような問題は、本質的には、国内問題であることはいうまでもないが、右2及び3については、常に関係諸外国の理解を得るための努力も続けられなければならないところである。

+反対意見
判示第一についての裁判官可部恒雄の反対意見は、次のとおりである。
一 本件第一審判決(松山地裁平成元年三月一七日判決)は、いわゆる津地鎮祭大法廷判決(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決)を先例として掲げて被上告人B1(元愛媛県知事)の行為を違憲とし、その控訴審である原審判決(高松高裁平成四年五月一二日判決)は、同じく右大法廷判決に従って元知事の行為を合憲とし、当審大法廷の多数意見は、同じく右大法廷判決を先例として引いて元知事の行為を違憲であるとする。私は、津地鎮祭大法廷判決の定立した基準に従い、その列挙した四つの考慮要素を勘案すれば、自然に合憲の結論に導かれるものと考えるので、多数意見の説示するところと対比しながら、以下に順次所見を述べることとしたい。
二 本件は、被上告人B1が愛媛県知事として在任中の昭和五六年から同六一年にかけて靖國神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料各五千円、みたま祭に際して奉納された献灯料各七千円又は八千円、愛媛県護國神社の春秋の慰霊大祭に際し県遺族会を通じて奉納された供物料各一万円の公金からの支出が憲法二〇条三項、八九条に違反するや否やが争われた事件であるが、多数意見は、本件支出の適否を判断するにあたり、「政教分離原則と憲法二〇条三項、八九条により禁止される国家等の行為」との標題を掲げて、次のように説示した。
1 まず、政教分離規定がいわゆる制度的保障の規定であること、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近いこと、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを挙げて、
2 国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、制度の根本目的(信教の自由の保障の確保)との関係において、そのかかわり合いの許否の限度を論ずべきであるとし、
3 このような見地から考えると、政教分離原則は、国家の宗教的中立性を要求するものではあるが、国家と宗教とのかかわり合いを全く許さないものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的・効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである、と結論づけた。
三 右にいう「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするもの」というのは、表現それ自体としては、いわば、適法とされる限度を超える場合には違法となるとするの類いで、もとよりその内容において一義的でなく、それ自体としては、当該行為の合違憲性の判断基準として明確性を欠くとの非難を免れないが、多数意見は、以上に続いて次のように述べている。
「憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである」と。いわゆる目的・効果基準であり、さきにみた「相当とされる限度を超えるもの」というおよそ一義性に欠ける説示の内容が合違憲性の判断基準として機能することが可能となるための指標が与えられたものと評することができよう。
しかしながら、具体的な憲法訴訟として提起される社会的紛争につき右の基準を適用して妥当な結論に到達するためには、更により具体的な考慮要素が示されなければならない。多数意見は、この点につき、「1」当該行為の行われる場所、「2」当該行為に対する一般人の宗教的評価、「3」当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、「4」当該行為の一般人に与える効果、影響の四つの考慮要素を挙げ、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、右の「1」ないし「4」の考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない旨を判示した。
以上、多数意見の説示するところが津地鎮祭大法廷判決の判旨に倣ったものであることは、その判文に照らして明らかである。そこで、以下に津地鎮祭大法廷判決の事案及びその判旨と対比しつつ、多数意見に賛同し得ない理由を述べることとする。
四 津地鎮祭大法廷判決が判例法理として定立した目的・効果基準とは、(1)当該行為の目的が宗教的意義を持つものであること、及び(2)その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であること、の二要件を充足する場合に、それが憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモン・テストにおいて、a目的が世俗的なものといえるか、b主要な効果が宗教を援助するものでないといえるか、c国家と宗教との間に過度のかかわり合いがないといえるか、の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう。
本件において県のしたさきの支出行為が目的(宗教的意義を持つか)効果(宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等となるか)基準の二要件を充足するか否かを、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断するためには、まず、津地鎮祭大法廷判決の事案を眺め、それと本件玉串料等支出の事案との異同を識別しなければならない。
津地鎮祭大法廷判決の事案は、次のようなものである。津市体育館の建設にあたり、その建設現場において、津市の主催による起工式[地鎮祭]が、市職員が進行係となって、神職四名の主宰のもとに、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則り、一定の祭場を設け、一定の祭具を使用して行われ、これを主宰した神職自身、宗教的信仰心に基づいて式を執行したものと考えられるが、その挙式費用(神職に対する報償費及び供物料)を市の公金から支出したことの適否が争われたというものである。
そして、右大法廷判決は、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど」当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、前述の四つの考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない、としたのである。
津市長個人を被告とする住民訴訟の形式で争われたのは、地鎮祭の挙式費用としての公金支出の適否であるが、津地鎮祭大法廷判決が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを論じたのは、いうまでもなく、津市の主催した地鎮祭(その主宰者は専門の宗教家である神職で、神社神道固有の祭祀儀式に則って行われたもの)そのものについてである。同判決は、地鎮祭の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、地鎮祭の外形的側面のみにとらわれることなく、「1」地鎮祭の行われる場所、「2」地鎮祭に対する一般人の宗教的評価、「3」地鎮祭主催者である市が地鎮祭を行うについての意図・目的、宗教的意識の有無・程度、「4」地鎮祭の一般人に与える効果・影響等、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断すべきであるとした。
以下に、津地鎮祭大法廷事件との対比において、本件において、〝当該行為〟が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを決するにあたり、検討されるべき考慮要素とは何か、についてみることとする。
五 本件において、多数意見が憲法適合性の論議の対象として取り上げるのは、前述のように、靖國神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料、みたま祭に際して奉納された献灯料、県護國神社の春秋の慰霊大祭に際して県遺族会を通じて奉納された供物料、の公金からの支出行為自体であって、それ以外にない。
さきの津地鎮祭大法廷事件において憲法適合性が論ぜられたのは津市の主催する地鎮祭であるが、本件において多数意見の言及する右の例大祭、みたま祭、慰霊大祭の主催者は、靖國神社や県護國神社であって、もとより県ではない(慰霊大祭についてはその主催者が県護國神社であるか遺族会であるかの争いがあるが、その実態からみて両者の共催であるとしても、主催者が県でないことに変わりはない)。
靖國神社についていえば、被上告人B1の委任に基づき県東京事務所長の決するところにより、同事務所の職員が、例大祭やみたま祭に際し、多くはその当日ではなく事前に、通常の封筒に入れて玉串料や献灯料を社務所に届けたものであり、知事は勿論、職員の参拝もなかった。
県護國神社についていえば、遺族会の要請により春と秋の彼岸に近接した日に行われる慰霊大祭に際し知事である被上告人B1が(老人福祉課長の専決処理により)遺族会会長である被上告人B1に対し供物料を支出した後、遺族会会長名義の供物料として奉納したものである(一審判決によれば、春秋の慰霊大祭の行事中に知事又はその代理者の参列についての記述がみられる)。
六 津地鎮祭大法廷事件と本件との事案の相違の最も顕著な点は右のとおりであるが、まず、検討すべき考慮要素の「1」「当該行為の行われる場所」についてみると果たしてどうであろうか。
この点につき多数意見は、本件公金の支出は、靖國神社又は県護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際し、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するためになされたものであるとした上、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式に則って行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は同様の儀式を行う祭祀であり、靖國神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である、とする。これらの事実が果たして公知であるか否かは暫く措くとして、多数意見は、神社神道において中心的な宗教上の活動とされる祭祀の中でも重要な意義を有するものと位置付けられ或いは最も盛大な規模で行われる春秋の例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が、各神社の境内で挙行されることを強調しているやに見受けられる(このことは、みたま祭において奉納者の名前を記した灯明が境内に掲げられる旨を特記する点にも表れている)。しかし、恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が神社の境内において挙行されるのは、あまりにも当然のことであって(灯明の掲げられる場所が境内であることについても同様である)、問題とされた本件支出行為につき、津地鎮祭大法廷判決が例示し、本件において多数意見がこれに倣う考慮要素の一としての〝当該行為の行われる場所〟としての意味を持ち得るものではない。
七 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「2」「当該行為に対する一般人の宗教的評価」についてみることとする。この点につき多数意見は、一般に、神社自体がその境内において(ここで再び「境内において」と強調されるのは、考慮要素「1」とのかかわり合いであろう)挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式[地鎮祭]の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうこということができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである、という。
元来、我が国においては、(キリスト教諸国や回教諸国と異なり)各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存して来ていることは、多数意見の述べるとおりであるが、さきの津地鎮祭大法廷判決は、この点の指摘とともに、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使い分けしてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心は必ずしも高いものとはいい難い、と述べている。地域社会の一員としては、鎮守の杜のお社の氏子として行動し、家に帰っては、それぞれの寺院に先祖代々の墳墓を設け、葬儀も供養も仏式によって行うというのは、国民の間で広く受け容れられている生活の類型である。
初詣には神社に参詣することが多いが、参詣者の大部分は仏教徒である。神社に参詣すれば通常はお賽銭を上げるが、履物を脱いで参殿し、神前に額づいて神職から格別の扱いを受ければ、玉串料を捧げることになる。七五三の行事は概ねこれによって行われる。式次第は神社神道固有の祭祀儀式に則って行われるが、それを受ける側の参詣者の多くは仏教徒その他神道信仰者以外の者であって、内心において信仰上の違和感を持たないのが通常であろう。
国民が神社に参詣し玉串料等を捧げるのは、初詣や神前の結婚式や七五三や個人的な祈願のための行事の機会の外に、神社神道においてその中心的な宗教上の活動であるとされる恒例の祭祀の機会がある。靖國神社の春秋の例大祭、みたま祭、県護國神社の春秋の慰霊大祭もその一つである。靖國神社や県護園神社は、元来、戦没者の慰霊のための場所、施設である。戦後、占領政策の一環として宗教法人としての性格付けを与えられたが、そのために戦没者の慰霊のための場所、施設としての基本的性質が失われたわけではない。靖國神社の祭神は百五単位をもって数える戦没者が主体であり、県護國神社のそれは愛媛県出身の戦没者が主体であるが、そのほかに、旧藩主、藩政に功労のあった者、産業功労者、警察官、消防団員、自衛官の公務殉職者等を含むとされる。祭神という言葉はいかめしいが、いわば神社神道固有の〝術語〟であり、神社に参詣する国民一般からすれば、今は亡きあの人この人であって、ゴッドではない。
各県における護國神社は、かつては招魂社と呼ばれた。その恒例の祭祀が招魂祭である。現に六〇歳代以上の年輩者には記憶のあることであるが、「招魂祭」とは戦没者の慰霊のための催しであるとはいえ、現在の政教分離原則の下で国家神道との関係が云々されるようないかめしいものではなく、招魂社の境内には綿菓子やのし烏賊を売る屋台が並び、それらの匂いの漂う子供心にも楽しいお祭り以外の何物でもなかった。
県護國神社についていえば、春秋二回の慰霊大祭に際し、「供物料 愛媛県」と書いたのし袋に一万円を入れて、県護國神社の境内にある県遺族会事務所に届け、県遺族会から「供物料 財団法人愛媛県遺族会会長B1」と書いたのし袋に一万円を入れて、県護國神社に奉納したものであり、靖國神社についても、県職員が多くは事前に通常の封筒に入れて玉串料(各五千円)や献灯料(七千円又は八千円)を社務所に届け、知事は勿論、職員の参列もなかったことは、前述のとおりである。金額が軽少であることが特に注目されよう。
以上のように具体的に考察してみれば、神社の恒例の祭祀に際し、招かれて或いは求められて玉串料、献灯料、供物料等を捧げることは、神社の祭祀にかかわることであり、奉納先が神社であるところから、宗教にかかわるものであることは否定できず、またその必要もないが、それが慣習化した社会的儀礼としての側面を有することは、到底否定し難いところといわなければならない。
しかるに多数意見は、地鎮祭の先例を引いて社会的儀礼にすぎないとはいえないとする。地鎮祭は、前述のとおり、津市の主催の下に、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則って、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行ったものであるのに対し、本件は靖國神社又は県護國神社の主催する例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、比較的低額の玉串料等を奉納したというのが実態であって、当該行為に対する一般人の宗教的評価いかんを判定するにあたり、前者は社会的儀礼にすぎないが、後者をもって「一般人が…社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」とするのは、著しく評価のバランスを失するものといわなければならない。
多数意見がこのように性急に論断する理由は、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである」ことにある。
しかしながら、「政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ない」ことは、多数意見の自ら述べるとおりで、「そのかかわり合いが…相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを」違憲と判断するための目的・効果基準を定立し、その具体的適用にあたり検討すべき四つの考慮要素を掲げた。その考慮要素の「2」〝当該行為に対する一般人の宗教的評価〟を論ずるにあたり、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持った」ことを理由に、当該行為が宗教的意義を持つとの一般人の評価が肯定されるというのでは、目的・効果基準を具体的に適用する上での考慮要素「2」は何ら機能していないものといわざるを得ない。
八 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「3」「当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度」についてみることとする。この点につき多数意見は、考慮要素「2」検討に該当する箇所において、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いとした上で、そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである、とした。
玉串料等の奉納は、靖國神社又は県護國神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられ、或いは最も盛大な規模で行われる祭に際し、神社あてに拠出されるものであるから、宗教にかかわり合いを持つものであることは当然で、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないことは勿論であろう。問題は、その意識の程度である。玉串料等の奉納が儀礼的な意味合いを持つことは、後に多数意見の説示自体にも現れる。曰く、「確かに、靖國神社及び護國神社に祭られている祭神の多くは第二次大戦の戦没者であって、その遺族を始めとする愛媛県民のうちの相当数の者が、県が公の立場において靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでおり、そのうちには、必ずしも戦没者を祭神として信仰の対象としているからではなく、故人をしのぶ心情からそのように望んでいる者もいることは、これを肯認することができる。そのような希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない」と。
長年にわたって比較的低額のまま維持された玉串料等の奉納が慣習化した社会的儀礼としての側面を持つことは、多数意見の右の説示をまつまでもなく、社会生活の実際において到底否定し難いところであり、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するという意識を「大なり小なり持たざるを得ない」とする説示は、あたかも、この間の消息を物語るもののようにも感ぜられる。なお、多数意見は、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できないとした上で、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえないとするが、これは既に違憲と決めつけた上での駄目押しにすぎず、この項で論じているのは、「相当とされる限度を超える」か否かの判断に資するために定立された目的・効果基準を具体的に適用するにあたり、検討すべき考慮要素の一々についてであるから、右の多数意見についてはこれ以上の言及をしない。多数意見が「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる」云々と説示する点についても同様である。
ところで、考慮要素「3」にいう、当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的についてはどうであろうか。この点につき、多数意見は「本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持つたことを否定することができない」と判示した。その表現はさりげなく、その文章は短いが、その意図するところは大きい。考慮要素「3」にいう当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的の検証をこれで一挙に完結させようとするものであるからである。
被上告人B1らの主張及びこれに副う書証・人証等によれば、靖國神社の例大祭、みたま祭や県護國神社の慰霊大祭以外にも、愛媛県は公金を支出して来た。千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭には、同墓苑の創設された昭和三四年以来ずっと公金を支出し、東京事務所長らが出席している。支出金は一万五千円(昭和六〇年)で、靖國神社や県護國神社に対する年間支出金額と大差ない。全国戦没者追悼式に際しても、毎年供花料として一万円を支出している。沖縄には愛媛県出身戦没者のための慰霊塔「愛媛の塔」(昭和三七年一〇月建立)があり、遺族会は毎年慰霊塔の前で仏式慰霊祭を行って来たが、この慰霊塔の維持管理のため、毎年公金(約二〇万円)を支出している、という。県の公金支出は宗教的目的のためではなく、目的はあくまで戦没者の慰霊や遺族の慰謝にある、というのである。千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」の前での慰霊祭を挙行しているのは、なるほど宗教団体ではない。しかし、千鳥ヶ淵も、全国追悼式も、「愛媛の塔」も、靖國神社も、県護國神社も、公金の支出はすべて戦没者の慰霊、遺族の慰謝が目的であると主張されている案件において、靖國神社と県議園神社のみが宗教団体といえるものであることを捉えて、「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれない」との理由付けで、「県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない」とするのは、判断として公正を欠くとの譏りを免れないであろう。これまで特定の宗教団体とのかかわり合いとされて来たのが、ここで俄かに「特別の」かかわり合いとされたことに注目すべきであろう。
九 最後に、多数意見の掲げる考慮要素の「4」「当該行為の一般人に与える効果、影響」についてみることとしよう。いわゆる目的・効果基準の二要件のうち、当該行為の憲法適合性を判断するための最も重要な要件に関するものである。考慮要素「4」につき多数意見の述べるところは少ない。曰く、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない」と。
多数意見が千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」前の仏式慰霊祭の例を度外視し、これら慰霊の行事の主催者が宗教団体でない点を捉えてした立論が当を得ないことはさきに指摘したとおりで、これを根拠として、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つ」ことの是非を論じたのは、その前提に誤りがあるものといわなければならない。しかも、この前提の上に立って、多数意見が考慮要素の「4」当該行為の一般人に与える効果、影響として述べるのは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるというに尽きる。
甚だ抽象的で具体性に欠け、援助、助長、促進との観念上のつながりを手探りしているかの感があるが、この点はむしろ一審判決の方が分かり易い。一審判決は次のようにいう。県が靖國神社に対して支出した金額は通常の社会的儀礼の範囲内に属するといってよい額である。しかし、一回一回の支出が少額であっても毎年繰り返されて行けば、県と神社との結び付きも無視することができなくなり、それが広く知られるときは、一般人に対しても、靖國神社は他の宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を生じさせ、或いはこれを強めたり固定したりする可能性が大きくなる。結論として、玉串料等の支出は、県と靖國神社との結び付きに関する象徴としての役割を果たしているとみることができ、玉串料等の支出は、経済的な側面からみると、靖國神社の宗教活動を援助、助長、促進するものとまではいえなくとも、精神的側面からみると、右の象徴的な役割の結果として靖國神社の宗教活動を援助、助長、促進する効果を有するものということができる、と。県護國神社への供物料についても同旨である。
一審判決は、県と靖國神社、県護國神社との間に具体的な結び付きの実体がないにもかかわらず、両者の「結び付きに関する象徴」としての役割を論じたところに無理があった。或いは結び付きの実体がないからこそ、「結び付きの象徴」として精神的側面を端的に強調したものとも考えられよう(合衆国判例における「象徴的結合」とは、事案も内容も異なる)。
津地鎮祭大法廷判決によって定立された目的・効果基準の適用にあたって、当該行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かの判定は、このような専ら精神面における印象や可能性や象徴を主要な手がかりとして決せられてはならない。このように抽象的で内容的に具体的なつかみどころのない観念が指標とされるときは、違憲審査権の行使は恣意的とならざるを得ないからである。多数意見は、一審判決のいう「結び付きに関する象徴」云々の表現を用いなかったが、その判旨の内容は実質的に異なるものではない。
一〇 以上、津地鎮祭大法廷判決の定立した判例法理に従うとして、多数意見が考慮要素の「1」ないし「4」について説示するところをみて来たが、論理に従ってその文脈を辿ることは著しく困難であるといわざるを得ない。考慮要素の「1」はそもそも本件において機能し得ず、また考慮要素の「2」ないし「4」については十分な説明も論証もないまま、多数意見は、目的・効果基準を適用して、本件支出行為と宗教とのかかわり合いが「相当と認められる限度を超えるもの」と論断した。
しかし、すでにみたように、玉串料等の奉納行為が社会的儀礼としての側面を有することは到底否定し難く、そのため右行為の持つ宗教的意義はかなりの程度に減殺されるものといわざるを得ず、援助、助長、促進に至っては、およそその実体を欠き、徒らに国家神道の影に怯えるものとの感を懐かざるを得ない。
本件玉串料等の奉納は、被上告人B1が知事に就任する以前から、通算二十数年の長きにわたり、一審判決の表現によれば「通常の社会的儀礼の範囲に属するといってよい額」を細々と長々と続けて来たものにほかならない。訴訟において関係人の陳述を指して…は何々である旨縷々陳述するが…と評することが多いが、縷々とは細く長く絶えず続くことの意味である。本件玉串料等の支出はまさしくそれに当たる。そして、この細く長く絶えず続けられた玉串料等の支出が、多数意見によって「相当とされる限度を超えるもの」とされるとき、私は今は故人となった憲法学徒の次の言葉を想起させられるのである。曰く、「民間信仰の表現としての地蔵や庚申塚が公有地の隅に存することも容認しないほど憲法は不寛容と解すべきであるのか」(小嶋和司「いわゆる『政教分離』について」ジュリスト八四八号)と。
一一 本件支出の合違憲性についての私の所見は、基本的に以上に述べたところに尽きるが、私は本件支出は違憲でないとの結論をとるので、憲法二〇条のみならず八九条についても言及する必要がある。
多数意見はこの点につき、靖國神社及び県護國神社は憲法八九条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであり、本件玉串料等を靖國神社又は県護國神社に奉納したことによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきであるとした。
憲法八九条は、行政実務上の解釈困難な問題規定の一つであり、多数意見が津地鎮祭大法廷判決の定立した目的・効果基準に従い、本件支出の憲法八九条適合性を判断した態度は是認されよう。津地鎮祭大法廷判決は、次のように述べている。
曰く、本件起工式[地鎮祭]はなんら憲法二〇条三項に違反するものではなく、また、宗教団体に特権を与えるものともいえないから、同条一項後段にも違反しないというべきである。更に、右起工式の挙式費用の支出も、本件起工式の目的、効果及び支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではなく、地方自治法二条一五項、一三八条の二にも違反するものではない、と。
津地鎮祭大法廷判決においていう「当該行為」とは津市当局の主催した地鎮祭の挙行であり、本件においては、玉串料等の奉納という支出以外に「当該行為」と目すべきものは存在しないから、右の先例の判文をそのままなぞって本件に翻訳することはできないが、要するに、玉串料等の奉納という本件支出の目的、効果、支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではない、というに帰着しよう。
一二 憲法八九条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によつて国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。
この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから…と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。
一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万円という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。
一三 悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。
憲法八九条に関連して一例を挙げれば、宗教団体の所有する不動産やその収益と目すべきものにつき、これを課税の対象から外すことは、宗教団体に対し積極的に公金を支出するのと同様の意味を持つ。これが政教分離原則との関係において合衆国判例において論ぜられて久しい。
我が国において、これらの点に関連して論ぜられるべき問題状況は果たして存在しないのであろうか。何故これらの点がまともに論ぜられることなく、かえって、細く長く絶えず続けられた本件玉串料等の支出の如きが、何故かくも大々的に論議されなければならないのであるか。これが疑問とされないのは何故であるかを疑問とせざるを得ないのである。
(裁判長裁判官 三好達 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大西勝也 裁判官 小野幹雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 根岸重治 裁判官 高橋久子 裁判官 尾崎行信 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 福田博 裁判官 藤井正雄)

++解説
《解  説》
一 本件は、「愛媛玉串料訴訟」として著名な住民訴訟事件についての最高裁大法廷の判決であり、国や地方公共団体の行為が憲法の政教分離規定に違反するという判断を示した初めての最高裁判決である。
本件の事案は、愛媛県が、昭和五六年から昭和六一年にかけて、宗教法人靖國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として九回にわたり各五〇〇〇円(合計四万五〇〇〇円)を、同みたま祭に際し献灯料として四回にわたり各七〇〇〇円又は八〇〇〇円(合計三万一〇〇〇円)を、宗教法人護國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である慰霊大祭に際し供物料として九回にわたり各一万円(合計九万円)を、それぞれ県の公金から支出して奉納したことにつき、同県の住民であるXらが、憲法二〇条三項、八九条等に違反する違法な財務会計上の行為に当たると主張して、靖國神社に対してした公金支出については当時知事の職にあったY1及び東京事務所長の職にあり知事の委任に基づき右支出を行ったY2に対し、護國神社に対してした支出についてはY1及び右期間に老人福祉課長の職を順次勤め専決権限に基づき右支出を行ったY3ら(ただし、一名は死亡により相続人らが承継)に対し、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、県に代位して、それぞれ当該支出相当額の損害賠償を求めたというものである。
憲法は、二〇条一項後段、三項、八九条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(政教分離規定)を設けている。周知のとおり、国や地方公共団体の行為が右の政教分離規定に違反するか否かについて判断を示した最高裁大法廷の判例としては、本判決の引用する最大判昭52・7・13民集三一巻四号五三三頁、本誌三五〇号二〇四頁(津地鎮祭訴訟大法廷判決)及び最大判昭63・6・1民集四二巻五号二七七頁、本誌六六九号六六頁(自衛官合祀訴訟大法廷判決)がある。これらの判例により確立された合憲性の審査基準が、一般に「目的効果基準」と呼ばれているものである。
ところが、地方公共団体が靖國神社等の恒例祭に際して公金を支出して玉串料等を奉納する行為が憲法二〇条三項、八九条に違反するかという点については、いずれも目的効果基準を援用しつつ、本件一審判決及び仙台高判平3・1・10本誌七五〇号五八頁(岩手靖國訴訟控訴審判決)が違憲の判断を示したのに対し、本件原判決及び盛岡地判昭62・3・5本誌六三〇号九〇頁(同訴訟一審判決)が逆に合憲の判断を示し、下級審段階における判断が分かれていた。このようなことから、目的効果基準に対しては、厳格性に欠けるという批判のほか、基準としての役割を果たし得ていないという批判があった。そのため、判断基準の見直しをすべきかどうかの点を含め、本件の大法廷の判断が注目されていた。
二 一審判決は、本件支出は、その目的が宗教的意義を持つことを否定することができないばかりでなく、その効果が靖國神社等の宗教活動を援助、助長、促進することになるものであって、本件支出によって生ずる県と靖國神社及び護國神社との結び付きは、我が国の文化的・社会的諸条件に照らして考えるとき、もはや相当とされる限度を超えるものであるから、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たり、違法なものといわなければならないと判断した上で、本件支出を実質的に決定したのは知事であるY1にほかならず、Y1が自ら本件支出をしたものと評価できるところ、Y1は未必的に本件支出が違法であることについての認識があったと認められるとして、Y1の県に対する損害賠償義務を肯定し、他方、Y2らについては、Y1の強固で明確な意思と異なる判断に基づく行為に出ることは期待できなかったと認められるから、職務上要求される義務の懈怠はないとして、損害賠償義務を否定して、XらのY1に対する請求を認容し、Y2らに対する請求を棄却した。
これに対して、原判決は、本件支出は宗教的な意義を持つが、一般人にとって神社に参拝する際に玉串料等を支出することは過大でない限り社会的儀礼として受容されるという宗教的評価がされており、知事は、遺族援護行政の一環として本件支出をしたものであって、それ以外の意図、目的や深い宗教心に基づいてこれをしたものではないし、支出の程度は少額で社会的な儀礼の程度にとどまっており、その行為が一般人に与える効果、影響は、靖國神社等の第二次大戦中の法的地位の復活や神道の援助、助長についての特別の関心、気風を呼び起こしたりするものではないから、本件支出は、神道に対する援助、助長、促進又は他の宗教に対する圧迫、干渉等になるようなものではなく、憲法二〇条三項、八九条に違反しないと判断して、一審判決のうちY1に対する請求を認容した部分を取り消し、Xらの請求を全部棄却する趣旨の判決をした。そこで、Xらが上告した。
なお、上告したXらのうち一名が上告を取り下げたことから、その取扱いも問題となった。
Xらの上告理由は、極めて多岐にわたるが、要するに、目的効果基準に従えば、靖國神社等の恒例祭に向けられた玉串料等の支出は、時代の推移とともに宗教的意義が次第に希薄化し、もはやそれがほとんど認められなくなった儀礼と化しているとはいえず、多数者が受け入れるような宗教活動であれば、それが世俗化していなくても国家が関与することを認めるというのでは、政教分離原則を有名無実化するし、本件支出の事実上の影響力があったことは明らかであって、本件支出が合憲とされるならば、玉串料等の公金支出が助長、拡大されることになり、靖國神社等の祭神に対しては敬意を払うことが当然であるとの気風を呼び起こすことが必然であるなど、本件支出は、その目的、効果にかんがみ、憲法二〇条三項、八九条に違反するのに、原判決は、目的効果基準に名を借りてはいるが、全くその名に値しない審査しかせずに、合憲の結論を出したものであって、憲法の解釈に誤りがあるほか、多くの理由不備、理由齟齬、法令違背があるというものである。
これに対し、Yらの上告審における答弁の要旨は、玉串料等の宗教的意義は、時代の推移とともに次第に希薄化し、現在においてはほとんど認められなくなり、その奉納は単純無因の贈与と化したものであって、一般人の意識においては、さい銭の奉納と同様、慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行為と評価されており、また、本件支出は、戦没者の慰霊及び遺族の慰謝のためにされたものであって、全国戦没者追悼式への供花料の支出等と同様、宗教的意図はないから、本件支出のみが禁止されることになれば、宗教による差別となるし、靖國神社は我が国における戦没者慰霊の中心的施設であり、同神社を戦没者の霊の存在する場所と考えている者は多く、それらの者は必ずしも戦没者を信仰の対象にしているのではないのであり、本件支出は、このような同神社の戦没者慰霊施設としての本質を重視し、儀礼的な意味においてされたものである上、右の一般人の意識やその金額等に照らし、本件支出が靖國神社等を援助、助長、促進するような効果をもたらしたりするとは、到底考えられないから、本件支出は、憲法二〇条三項、八九条に違反しないなどというものである。
三 本判決は、一五人中一〇人の多数意見により、結論において一審判決を是認する判断を示し、原判決中これと異なる部分を破棄した。
多数意見は、まず、本件支出の合憲性の審査基準については、津地鎮祭訴訟大法廷判決及び自衛官合祀訴訟大法廷判決を引用して、憲法二〇条三項、八九条は、国家の活動で宗教とかかわり合いを持つ行為又は公金支出行為等のうち、その目的及び効果にかんがみ、当該行為における国家と宗教とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものを禁止しているのであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないとして、判例理論である目的効果基準を踏襲することを明らかにした。このように、本判決の多数意見は、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当するかどうかについて津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見と同旨の判断を示したほか、憲法八九条が禁止している公金の支出等に該当するかどうかを検討するに当たっては、右の宗教的活動に該当するかどうかの判断と同様の基準によって判断しなければならないと判示し、目的効果基準が憲法八九条にも同様に当てはまる合憲性審査基準であることを明らかにしている。
本判決が目的効果基準を踏襲することを明らかにした(なお、反対意見の二裁判官も、同基準を踏襲する立場に立っているから、一五人中一二人が同基準を維持すべきものと判断したことになる。)ことにより、今後も、政教分離規定の適合性については、同基準に基づいて判断すべきことになろう。本判決の高橋裁判官や尾崎裁判官の意見においては、目的効果基準があいまいであるとの趣旨の批判がされているが、これに代わって両裁判官が提示している判断基準は、明らかに多数意見の考え方より厳格な政教分離を求めるものである。かねてより右のような批判はあっても、津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見と同様の限定的な分離を前提とする立場からの目的効果基準に代わるより明確な基準の提案がされてこなかったことも事実である。結局、限定的分離を前提とする以上、一刀両断的に合憲性を判断することは事柄の性質になじまず、個々の事案における諸般の事情を総合的に考慮し、社会通念に従って、客観的に判断するという手法を採るほかはないというのが、本判決の到達した結論ということになろう。そして、前記二つの大法廷判決と本判決とは、合憲、違憲と結論が分かれたが、それは、政教分離規定についての考え方に違いがあったためではなく、事案に違いがあったためというべきである。
そして、愛媛県が本件支出をして玉串料等を奉納したことは、一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなどという事情を総合的に考慮して判断すれば、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであって、憲法二〇条三項、八九条に違反すると判断した(以上の判断については大野裁判官、福田裁判官の補足意見があるほか、異なる理由により憲法八九条に違反するとする園部裁判官の意見、異なる理由により憲法二〇条三項に違反するとする高橋裁判官、尾崎裁判官の意見、憲法二〇条三項にも八九条にも違反しないとする三好長官、可部裁判官の反対意見がある。したがって、一五人中一三人が違憲判断をしたことになる。)。
なお、本判決の多数意見は、Yらの主張に答えて、県民のうちの相当数の者が県が靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでいることなどからすると、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることは否定できないが、憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものになるとはいえないし、戦没者の慰霊ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられるなどと説示している。また、香典やさい銭との違いについても、根拠を挙げて説明している。
本判決は、政教分離規定に違反する行為についての重要な判断事例を提供するものであり、先例としての価値は大きいものがあると思われる。ただ、判文から明らかなとおり、本判決の多数意見が判断を示したのは、本件の具体的事案における玉串料の奉納行為等の合憲性であり、一般的に国や地方公共団体の玉串料の奉納行為等の合憲性について判断したものではなく、さらには、例えば公人が靖國神社等に参拝する行為の合憲性については、何らの判断をも示したものではない。右のような問題については、本判決の判断を参考にしつつ、それぞれその事情に基づいて、目的効果基準に従って、検討されるべきものであろう。
四 本判決には、以下のとおりの個別意見がある。
まず、多数意見に加わった裁判官の補足意見としては大野裁判官が、地方公共団体が靖國神社等による祭祀にのみ賛助することは特定の宗教団体に象徴的利益を与えるものであることなどを、福田裁判官が、国の非宗教性ないし宗教的中立性の理念は神道を含むあらゆる宗教に等しく当てはまるものであることなどを、それぞれ補足して述べている。
次に、異なる理由により結論として違憲判断をした意見としては、まず、園部裁判官が、宗教団体の主催する恒例の宗教行事のために、当該行事の一環としてその儀式にのっとった形式で奉納される金員は、当該宗教団体を直接の対象とする支出とみるべきであり、憲法八九条に違反するという見解に基づいて、本件支出は、同条に違反するなどとしている。また、高橋裁判官は、政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を意味し、それが不可能、不適当であることの理由が示されない限り、国が宗教とかかわり合いを持つことは許されないとした上で、本件各行為は、そのような例外に当たらず、違憲というほかはないなどとしている。そして、尾崎裁判官は、憲法二〇条三項は国が宗教とのかかわり合いを持つ行為を原則として禁止するものであるから、政教分離原則の除外例として特に許容するに値する高度な法的利益が明白に認められない限り、国は疑義ある活動に関与すべきではないとした上で、本件においては、例外的事情はなく、本件の玉串料等の奉納は、同項に違反するなどとしている。
また、合憲判断をした反対意見としては、まず、三好長官が、多くの国民の意識では、靖國神社等は戦没者追悼等の中心的施設となっており、また、本件の各祭祀は、多くの国民や遺族からすれば、戦没者の追悼、慰霊の行事との意識が強いし、本件金員供与の態様から宗教的意図を見いだすことなどはできず、その金額等も儀礼の範囲を超えないことや、我が国では、特定の宗教に対するこだわりの意識は希薄で、他に対してむしろ寛容であるという社会的事情など、諸般の事情を総合すれば、本件支出の意図、目的は戦没者の追悼等にあったとみるべきであり、また、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に対する圧迫、干渉等となる効果、影響等があるとは到底いえないから、本件支出は憲法二〇条三項、八九条等に違反しないなどとしている。そして、可部裁判官は、恒例祭が神社の境内において挙行されるのは、当然のことであり、特段の意味を持たず、恒例祭に際し、招かれてあるいは求められて玉串料等を捧げることは社会的儀礼としての側面を有しており、県は千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭等にも公金を支出しているから、「特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持った」とするのは、判断として公正を欠くし、当該行為の効果の判定は、専ら精神面における印象等を主要な手がかりとして決せられてはならないなどとして、本件支出は憲法二〇条三項に違反しないとし、また、本件支出の目的、効果、支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、本件支出は憲法八九条にも違反しないとしている。
五 次に、本判決の多数意見は、前記の違憲判断に基づき、Yらの損害賠償責任の有無について判断を示した(この部分については、前記の意見を述べた三裁判官も同調している。)。
まず、知事であるY1については、最二小判平3・12・20民集四五巻九号一四五五頁、本誌七七八号七五頁及び最三小判平5・2・16民集四七巻三号一六八七頁、本誌八一五号九四頁を引用して、自己の権限に属する本件支出を補助職員であるY2らに委任し、又は専決により処理させたのであるから、その指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失によりこれを阻止しなかったと認められる場合には、県に対し違法な支出によって県が被った損害を賠償する義務を負うことになると解すべきであるという一般論を示した上で、Y1は、靖國神社等に対し、Y2らに玉串料等を持参させるなどして、これを奉納したと認められるというのであり、本件支出には憲法に違反するという重大な違法があること、地方公共団体が特定の宗教団体に玉串料、供物料等の支出をすることについて、文部省、自治省等が、政教分離原則に照らし、慎重な対応を求める趣旨の通達、回答をしてきたことなどをも考慮すると、その指揮監督上の義務に違反したものであって、これにつき少なくとも過失があったというのが相当であるとして、Y1の責任を肯定した。これに対し、補助職員であるY2らについては、地方自治法二四三条の二第一項後段により、本件支出行為をするにつき故意又は重大な過失があった場合に限り県に対して損害賠償責任を負うものであるという一般論を示した上、知事であるY1の右のような指揮監督の下で本件支出をしたというのであり、しかも、本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断することができたとまではいえないから、これを憲法に違反しないと考えて行ったことは、その判断を誤ったものではあるが、重大な過失があったということはできないとして、Y2らの責任を否定した。
Y1は、本件支出を直接行った者ではないが、知事であるから、本件支出につき法令上本来的に権限を有する者であり、また、Y2は知事から委任を受け、Y3らは知事から専決することを任されて、本件支出を行った者らである。これらの立場において財務会計上の行為に関係した者が、それぞれ地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に当たるかどうかについては、議論があったが、小法廷の判例により、いずれも肯定された(最二小判昭62・4・10民集四一巻三号二三九頁、本誌六四〇号八三頁、前掲最二小判平3・12・20、最二小判平3・12・20民集四五巻九号一五〇二頁、本誌七七八号八三頁及び前掲最三小判平5・2・16)。したがって、本件訴えは、同号の類型に該当する適法な訴えということができる。本判決は、このことを前提としており、明示の判断を示していないが、右小法廷の判例法理が大法廷でも確認されたということができる。
そして、このように、委任又は専決により補助職員が違法な財務会計上の行為をした場合における長及び補助職員の地方公共団体に対する損害賠償責任の内容についても、かつては説が分かれていたが、小法廷の判例によって解決されており、長は、民法に基づき責任を負うが(最一小判昭61・2・27民集四〇巻一号八八頁、本誌五九二号三二頁)、補助職員に対する指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により補助職員の行為を阻止しなかったと認められる場合に限り責任を負うのであり(最二小判平3・12・20民集四五巻九号一四五五頁、本誌七七八号七五頁及び右最三小判平5・2・16)、他方、補助職員は、地方自治法二四三条の二第一項後段に基づき責任を負う(右最一小判昭61・2・27)から、当該行為をするにつき故意又は重大な過失(現金の亡失については、故意又は過失)があった場合に限り責任を負うことになる。本判決は、右の小法廷の判例法理を確認したものである。
右の考え方に立った上で、本判決は、Y1の責任については、支出を補助職員に任せた長としての指揮監督上の義務に違反したものであり、しかも、そのことにつき少なくとも過失があったものと判断した。前記のような一般論からすると、長が実際に責任を負う場合は、自ら当該財務会計上の非違行為を行ったのと同視し得る程度の指揮監督の懈怠がある場合に限られることになるものと解されるところであるが、Y1主導ともいうべき本件支出の実態や憲法違反の公金支出を阻止せず放置し続けたということなどが、右のような判断の理由となったものと思われる。これに対して、Y2らの責任については、Y1の判断に実際上束縛されていたという実態や本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断し得たとはいえない(このことは、本判決に反対意見があることからも明らかであろう。)ことから、重過失まではないと判断し、その責任を否定したものと思われる。本判決が長の指揮監督責任を肯定した判断や補助職員の重過失を否定した判断は、事例として今後の参考になるものと思われる。
六 以上の本案についての判断が社会的には極めて重要なものであったため、マスコミ等においては、その部分のみが大きく報道されたが、本判決は、第二の職権判断部分において、Xらのうち一人が上告をしながらこれを取り下げたことについて、一五人全員一致の意見で、最二小判昭58・4・1民集三七巻三号二〇一頁を変更している点でも、注目される。
右最二小判は、複数の住民が提起する地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟は、類似必要的共同訴訟であると解した上、共同原告となった住民らの一部の者のみが上訴をした場合には、民訴法六二条一項の規定により、上訴をしなかったその余の共同原告にも上訴の効力が及び、全員が上訴人になるという判断を示していた。これによれば、上訴審としては、上訴しなかった者も上訴人として取り扱い、準備書面を送達したり、期日の呼出しをしたりする必要があるほか、判決に当事者として表示した上、その送達をしなければならない。しかし、実際には、敗訴判決を受けて上訴しなかった者は、訴訟活動を続行する意思を失っており、その者を上訴人として取り扱い続けることは実情に合わない面があることから、むしろ訴えの取下げを勧告して、訴訟関係から完全に離脱させるように促すのが、一般的な取扱いとなっていた。ところが、上訴をした共同原告らや訴訟代理人を通じて上訴をしなかった者と連絡をとることが困難であったり、両者の信頼関係が失われているため、取下げの手続を執ることが容易でない場合があり、他方、万一このことを看過すれば、判決の内容に全く問題がない場合でも、破棄差戻しの理由になってしまうという問題があった。また、右判例は、地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟についてのみ判断したものであり、類似必要的共同訴訟に当たることの理由付けにおいても四号訴訟特有の事由を援用しており、その他の類型の住民訴訟についても同様に考えるべきなのかどうかは、問題として残されていた。
類似必要的共同訴訟における共同訴訟人の一部の者がした上訴の効力についての右判決の判断は、通説にのっとったものであるが、右の問題については、右判決前に既に、上訴審の審判対象の問題と当事者地位の問題とは別個に考慮することが可能であり、上訴審の審判対象は全請求に及ぶが、上訴人たる地位は現実に上訴し上訴審手続に関与している者だけに認めれば足りるとする見解が唱えられていた(井上治典「多数当事者訴訟における一部の者のみの上訴」多数当事者訴訟の法理二〇一頁)。また、右判決において、木下裁判官の反対意見が、これと同様の考え方を示している。そして、右判決後、右の井上説や木下裁判官の反対意見を支持する学説も現れるに至っていた。
そのような中で、本判決は、まず、住民訴訟一般につき、その判決の効力は全住民に及ぶとした上、そのことを根拠に、複数の住民の提起した住民訴訟は、類似必要的共同訴訟に当たるとの判断を示した。そして、類似必要的共同訴訟においては、共同訴訟人の一部の者がした上訴の効力は、上訴をしなかった者にも及び、原判決は確定を遮断されるが、住民訴訟の性質にかんがみて、上訴をしなかった者は上訴人にはならないという新判断を示した。この考え方は、前記木下裁判官の反対意見に近いが、同意見が上訴をしなかった共同訴訟人は「いわば脱退」するという表現を採っていたのに対し、本判決はそのような表現を用いていない。
本判決のような考え方を採った場合の法律関係の詳細について、本判決は明らかにしていない。前記井上説は、上訴人となった者とならなかった者との間に選定当事者的な任意的訴訟担当の関係が成立すると説明しているが、そのように解すべき法律上の根拠や、そのように解した場合に生じてくる法律問題については、なお十分解明されたとはいえないところがあり、学説上も議論が煮詰まっているとはいえない状況にあることなどからすると、むしろ、本判決を契機に、議論が深まることが期待されるところである。
また、本判決は住民訴訟一般について判断を示したことから、四号訴訟以外の住民訴訟においても同様に解すべきことが明らかになったが、住民訴訟以外の類似必要的共同訴訟や固有必要的共同訴訟については、判断していない。本判決の理由付けは、住民訴訟の特質を強調したものであるから、その他の類似必要的共同訴訟等に当てはまるものではない。もっとも、審判の対象の問題と当事者の地位の問題とが分離不能ではないということを肯定したことになるから、他の類型についてどう考えるべきかについても、今後議論が深まることが予想される。

+判例(H12.7.7)
理由
第一 本件の概要
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 A證券株式会社(以下「A證券」という。)は、有価証券の売買、その媒介、取次ぎ及び代理、有価証券の引受け及び売出し等を目的とする我が国最大手の証券会社であり、被上告人らは、平成二年三月当時A證券の代表取締役の地位にあった者であり、上告人らは、A證券の株主である。
2 B株式会社(以下「B」という。)は、A證券の大口顧客であり、A證券は、昭和四八年三月からBと有価証券の売買等による資金運用の取引を継続し、また、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあって、多額の手数料収入を得ていた。
主幹事証券会社になると多額の引受手数料等の収入を得ることができるため、主幹事となることにつき証券会社相互間で競争があり、また、いったん主幹事から外れるとこれを取り返すことには困難が伴うため、各証券会社は、証券発行を行う事業法人との取引関係の維持、拡大に努めている。
3(一)委託者が受託者である信託銀行と締結した特定金銭信託契約に基づき、信託銀行が、証券会社にそのための口座を開設して、委託者の指図に従い有価証券の売買等を行う取引(以下「特金勘定取引」という。)のうち、委託者が投資顧問業者と投資顧問契約を締結することなく、専ら証券会社が委託者に代わって信託銀行に指図することにより運用されていたものがあり、「営業特金」と呼ばれていた。
(二)Bは、平成元年四月、C信託銀行株式会社(以下「C信託銀行」という。)との間で、Bを委託者、C信託銀行を受託者とし、期間を平成二年三月までとする特定金銭信託契約を締結して一〇億円を信託し、これに基づきC信託銀行がA證券に取引口座を開設して、有価証券の売買によるBのための資金運用が開始された。Bは右取引につき投資顧問業者との間で投資顧問契約を締結しておらず、営業特金による取引であった。
(三)Bのための特金勘定取引口座には、平成元年末ころに約二億七〇〇〇万円の損失が生じており、平成二年一月ころからの株式市況の急激な悪化によって、更に損失が拡大し、期間満了を待たずに取引を終了させた同年二月末ころには、損失額は約三億六〇〇〇万円となっていた。
4(一)D証券株式会社が大口顧客に対して約一〇〇億円に上る損失補てんをしていたなどと報道される中で、大蔵省は、平成元年一二月二六日、日本証券業協会会長あてに、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(以下「本件通達」という。)を発し、法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘はもとより、事後的な損失の補てんや特別の利益提供も厳にこれを慎むこと、特金勘定取引について、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること等について、所属証券会社に周知徹底させるべきものとした。その趣旨を徹底するために、同日付けの大蔵省証券局業務課長による各財務(支)局理財部長あての事務連絡が発せられ、証券会社に対し、既存の特金勘定取引について本件通達に沿う所要の措置を講ずべき期限は平成二年末までとし、各年三月末及び九月末に特金勘定取引の口座数、そのうち投資顧問契約のないものの口座数等を報告させるなどの指導をすべきものとされた。
(二)日本証券業協会は、平成元年一二月二六日、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」(以下「本件規則」という。)を改正し、「協会員は、損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘を行なわないことはもとより、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎む」ものとする旨の規定(同規則八条)を新設した。
(三)A證券を始めとする証券会社は、本件通達等の主眼が早急に営業特金の解消を求める点にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補てんを行うこともやむを得ないという考え方が大勢を占めるようになった。
5(一)A證券の担当者は、本件通達の直後から、Bの財務部長らと営業特金の解消について交渉したが解決に至らず、損失補てんをしなければ今後の取引関係に重大な影響が生ずると考えて、管理部門の最高責任者であった被上告人Eに対し、損失補てんの必要がある旨の報告をした。被上告人Eは、Bの営業特金については、有価証券市場が好況であった当時から損失が生じており、将来のBの証券発行に際しての主幹事証券会社の地位を失うおそれがあることも考慮して、損失補てんを実施する必要があると判断した。平成二年三月一三日、被上告人らが出席したA證券の専務会において、被上告人Eから、Bほかの顧客に生じた損失について総額約一六一億円の補てんをすることが提案され、了承された。なお、被上告人らは、右損失補てんの実施を決定するに当たり、その違法性の有無につき法律家等の専門家の意見を徴することをしなかった。
(二)A證券のBに対する損失補てん(以下「本件損失補てん」という。)の具体的な方法は、市場や一般投資者に影響が及ばないように外貨建てワラントの相対取引によることとされ、平成二年三月一四日、ルクセンブルク証券取引所に上場の大成建設ワラントをA證券がBに売却し、即日買い戻すという方法により実施された。この結果、Bは三億六〇一九万一一二七円の利益を得て、営業特金による損失が補てんされ、営業特金も解消された。
6 本件損失補てん後、A證券とBとの取引関係は維持され、Bが平成四年七月に三〇〇億円、平成五年三月に二〇〇億円の社債を発行した際、A證券は、その主幹事証券会社として一億二〇〇〇万円余の手数料を得るなど、既に相当額の収入を得ており、かつ今後も得られる見込みである。

二 本件は、A證券の株主である上告人らにおいて、本件損失補てんにつき、当時A證券の代表取締役であった被上告人らが取締役としての義務に違反して会社に損害を被らせたものであると主張して、被上告人らに対し、商法二六六条一項五号の規定(以下「本規定」という。)に基づく取締役の責任を追及する株主代表訴訟である。
原審は、(一)本件損失補てんは、平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(以下「旧証券取引法」という。)五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反しない、(二)本件損失補てんは、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)二条九項三号に基づき公正取引委員会が指定した不公正な取引方法(昭和五七年同委員会告示第一五号。以下「一般指定」という。)の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、同法一九条に違反する、(三)しかし、同条は競争者の利益を保護することを意図した規定であって、同条違反の行為により損害を被るのは当該会社ではないから、同条違反が本規定にいう法令違反に含まれると解するのは相当でないなどとして、上告人らの本訴請求を棄却すべきものと判断した。
本件上告は、原審の右(一)及び(三)の判断が違法であるとして、原判決の破棄を求めるものである。

第二 上告人兼上告人Fの代理人亀田信男、上告代理人吉武伸剛、同飯田秀人の上告理由中、旧証券取引法違反に関する点について
前記事実関係の下において、本件損失補てんが、旧証券取引法五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反するものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

第三 その余の上告理由について
一 株式会社の取締役は、取締役会の構成員として会社の業務執行を決定し、あるいは代表取締役として業務の執行に当たるなどの職務を有するものであって、商法二六六条は、その職責の重要性にかんがみ、取締役が会社に対して負うべき責任の明確化と厳格化を図るものである。本規定は、右の趣旨に基づき、法令に違反する行為をした取締役はそれによって会社の被った損害を賠償する責めに任じる旨を定めるものであるところ、【要旨1】取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定(以下、併せて「一般規定」という。)及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定が、本規定にいう「法令」に含まれることは明らかであるが、さらに、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定もこれに含まれるものと解するのが相当である。けだし、会社が法令を遵守すべきことは当然であるところ、取締役が、会社の業務執行を決定し、その執行に当たる立場にあるものであることからすれば、会社をして法令に違反させることのないようにするため、その職務遂行に際して会社を名あて人とする右の規定を遵守することもまた、取締役の会社に対する職務上の義務に属するというべきだからである。したがって、【要旨2】取締役が右義務に違反し、会社をして右の規定に違反させることとなる行為をしたときには、取締役の右行為が一般規定の定める義務に違反することになるか否かを問うまでもなく、本規定にいう法令に違反する行為をしたときに該当することになるものと解すべきである。

二 これを本件について見ると、証券会社が、一部の顧客に対し、有価証券の売買等の取引により生じた損失を補てんする行為は、証券業界における正常な商慣習に照らして不当な利益の供与というべきであるから、A證券がBとの取引関係の維持拡大を目的として同社に対し本件損失補てんを実施したことは、一般指定の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独占禁止法一九条に違反するものと解すべきである。そして、独占禁止法一九条の規定は、同法一条所定の目的達成のため、事業者に対して不公正な取引方法を用いることを禁止するものであって、事業者たる会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定にほかならないから、本規定にいう法令に含まれることが明らかである。したがって、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施した行為は、本規定にいう法令に違反する行為に当たると解すべきものである。
しかるに、原審は、独占禁止法一九条に違反する行為が当然に本規定にいう法令に違反する行為に当たると解するのは相当でないと判断しているのであって、この点において、原審は法令の解釈を誤ったものといわなければならない。

三 しかしながら、株式会社の取締役が、法令又は定款に違反する行為をしたとして、本規定に該当することを理由に損害賠償責任を負うには、右違反行為につき取締役に故意又は過失があることを要するものと解される(最高裁昭和四八年(オ)第五〇六号同五一年三月二三日第三小法廷判決・裁判集民事一一七号二三一頁参照)。
原審の適法に確定したところによれば、(一)被上告人らは、本件損失補てんが旧証券取引法あるいは本件通達に違反するものでないかどうかについては重大な関心を有していたが、それが一般の投資家に対して取引を勧誘するような性質のものではなかったことから、独占禁止法一九条に違反するか否かの問題については思い至らなかった、(二)被上告人らのみならず、関係当局においても、証券取引については所管の大蔵省によって証券取引法及びその関連法令を通じて規制が行われるべきであるとの基本的理解から、証券取引に伴う損失補てんが独占禁止法に違反するかどうかという問題は、本件損失補てんが行われた後一年半余にわたって取り上げられることがなかった、(三)公正取引委員会は、第一二一回衆議院証券及び金融問題に関する特別委員会が開催された平成三年八月三一日の時点においても、なお損失補てんが独占禁止法に違反するとの見解を採っておらず、公正取引委員会が、本件損失補てんを含む証券会社の一連の損失補てんが不公正な取引方法に該当し独占禁止法一九条に違反するとして、同法四八条二項に基づく勧告を行ったのは、同年一一月二〇日であった、というのである。
右事実関係の下においては、被上告人らが、本件損失補てんを決定し、実施した平成二年三月の時点において、その行為が独占禁止法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることもできないから、本件損失補てんが独占禁止法一九条に違反する行為であることをもって、被上告人らにつき本規定に基づく損害賠償責任を肯認することはできない。

四 以上のとおりであるから、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施したことにつき、本規定に基づく損害賠償責任を否定すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響しない事項についての違法をいうものに帰し、採用することができない。

第四 G及び株式会社H設計事務所の上告審における地位について
商法二六七条に規定する株主代表訴訟は、株主が会社に代位して、取締役の会社に対する責任を追及する訴えを提起するものであって、その判決の効力は会社に対しても及び(民訴法一一五条一項二号)、その結果他の株主もその効力を争うことができなくなるという関係にあり、複数の株主の追行する株主代表訴訟は、いわゆる類似必要的共同訴訟と解するのが相当である。
類似必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによって原判決の確定が妨げられ、当該訴訟は全体として上訴審に移審し、上訴審の判決の効力は上訴をしなかった共同訴訟人にも及ぶと解される。しかしながら、合一確定のためには右の限度で上訴が効力を生ずれば足りるものである上、取締役の会社に対する責任を追及する株主代表訴訟においては、既に訴訟を追行する意思を失った者に対し、その意思に反してまで上訴人の地位に就くことを求めることは相当でないし、複数の株主によって株主代表訴訟が追行されている場合であっても、株主各人の個別的な利益が直接問題となっているものではないから、提訴後に共同訴訟人たる株主の数が減少しても、その審判の範囲、審理の態様、判決の効力等には影響がない。そうすると、【要旨3】株主代表訴訟については、自ら上訴をしなかった共同訴訟人を上訴人の地位に就かせる効力までが民訴法四〇条一項によって生ずると解するのは相当でなく、自ら上訴をしなかった共同訴訟人たる株主は、上訴人にはならないものと解すべきである(最高裁平成四年(行ツ)第一五六号同九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁参照)。
したがって、本件において自ら上告を申し立てなかったG及び株式会社H設計事務所は上告人ではないものとして、本判決をする。
よって、裁判官河合伸一の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官河合伸一の補足意見は、次のとおりである。
法廷意見は、本規定にいう「法令」には、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社として遵守すべきすべての規定(以下「対会社規定」という。)が含まれることを明らかにした上、取締役が会社をして対会社規定に違反させることとなる行為をしたときは、一般規定の定める取締役の義務に違反するか否かを問うまでもなく、本規定に該当すると解している。すなわち、本規定に基づく取締役の責任は会社に対する債務不履行責任であるところ、本規定は、取締役が右のような行為をしたときは、当然に、民法四一五条所定の「債務ノ本旨ニ従ヒタル履行ヲ為ササル」との要件(以下「不履行要件」という。)を充足すると定めるものであって、その意味で同条に対する特則を成すと解するものである。
これに対し、対会社規定の全部又は一部について、取締役がそれらの規定に違反しても直ちに不履行要件を充足すると解すべきではなく、取締役の行為が一般規定の定める義務に違反するもの(以下「任務懈怠」という。)と評価されて初めて、これを充足することになると解する説(以下「反対説」という。)が唱えられており、原審もこれによったものと思われる。
私は、反対説には解釈論として相当の難点がある上、具体的事案の処理においても、法廷意見による場合に対比して、少なくとも右難点を無視するに足るほどの利点があるとはいえないと考えるので、以下、その概要を述べておきたい。
一 営利法人たる会社を経営する取締役の任務は、約言すれば、会社の最善の利益を図るため善良な管理者の注意をもってその職務を遂行することにある。反対説が、取締役の行為に対会社規定違反があっても、なお任務懈怠の評価を経るべきものとするのは、取締役の行為を、右違反の点をも含め、全体として観察すれば、任務懈怠とはいえない場合がある、すなわち前記の取締役の任務にかなうものと評価できる場合があるとの理解を前提とするのであろう。それは、結局、取締役が会社をして対会社規定に違反させることになる行為をしても、それが会社の利益を図るものであれば、会社に対する関係では債務不履行とはならない場合のあることを承認するものであり、換言すれば、会社の利益を図るためには、会社をして法令に違反させることになるような行為をすることもなお取締役の任務に属する場合があることを承認するものではなかろうか。しかし、私は、そのようなことを承認することには、とうてい賛成できない。
また、反対説は、商法の規定の構成や文理にも整合しないように思われる。本規定にいう「法令」に一般規定が含まれることについては、反対説の論者にも異論はない。対会社規定がこれに含まれるかは必ずしも一致していないが、もし含まれるとするのであれば、対会社規定は一般規定の下部規範でありながら、両者が同一条文中に並列的に置かれていることになるし、もし含まれていないとするのであれば、本規定は「取締役ガ其ノ任務ヲ怠リタルトキ」と定めていた昭和二五年改正前の二六六条一項とほとんど同じものとなり、右改正において、取締役の地位及び権限の強化に伴い、その責任の明確化と厳格化を図るため現行のように改められた趣旨にそぐわないことになる。商法が、監査役について、取締役に関する規定の多くを準用しながら、会社に対する責任については本規定を準用せず、「其ノ任務ヲ怠リタルトキ」と定めている(二七七条)こととも整合しない。商法二五四条ノ三にいう「法令」が対会社規定を含むことは明らかであるところ、同じく取締役の義務に関する本規定中の「法令」を別異に解することも、容易に理解し難いところである。
二 反対説には右のような難点があるが、それにもかかわらず反対説が提唱される理由には、法廷意見のように解すると取締役に対し不当に苛酷な責任を負わせることになるとの憂慮があるように思われる。
たしかに、対会社規定には多種多様なものがあり、取締役がそのすべてに通じていることは期し難いから、本件のように、取締役の行為が思いがけず対会社規定に違反する結果となる場合の生じ得ることを否定できない。その場合、取締役が当然に商法二六六条の定める責任を負うことになれば、その責任はきわめて厳格なものである。さらに、近年、本規定に基づいて取締役の責任を追及する代表訴訟が増加し、ことに商法二六七条四項の改正後は、その請求額が巨額に及ぶ例も少なくない。これらのことからすると、右の憂慮を故なきものということはできない。
ところで、取締役は、会社を取り巻く複雑かつ流動的な諸状況の下で、その任務を遂行するため、専門的な知識と経験に基づき、諸種の配慮をめぐらして経営上の判断をしなければならない。このような取締役の経営上の判断については、その性質上おのずから広い裁量が認められるべきであって、取締役のある判断が結果的に会社に損害をもたらしたとしても、それだけで直ちに取締役に任務懈怠があったとすることはできず、具体的事案における諸事情を総合勘案して評価決定すべきものとするのが、一般的理解である。反対説は、取締役が対会社規定に違反して会社に損害が生じた場合においても、右の経営判断に関する一般的理解に従い、具体的諸事情を総合勘案して任務懈怠と評価できるか否かを決することにより、取締役が前記の苛酷な責任から救済される可能性を拡大しようとするものと思われるのである。
しかし、私は、本規定に基づく取締役の責任の諸要件をより具体的に検討すれば、両説のいずれを採るかにより、結論においてそれほどの差を生じるものではないと考える。
1 まず、取締役の対会社規定に違反する行為の結果会社に損害が生じた場合において、取締役が、その行為をするに際し、それが対会社規定に違反するものであることを認識していたときには、前記の一般的理解によっても、取締役に任務懈怠なしとすることはできないであろう。取締役の裁量権には、法令に違反し、あるいは会社をして違反させることは含まれないはずであり、会社の利益を図るためには故意に法令を犯してもよいとはいえないからである。現に、反対説の論者も、多くは右の結論を認めているように思われる。
2 右の場合において、取締役が、自己の行為が対会社規定に違反することを認識していないときは、どうであろうか。
法廷意見の立場からは、債務不履行責任における帰責要件としての過失の問題となるところ、これについては一般に、債務者が取引関係上通常要求される程度の注意を欠いたがゆえに債務不履行という結果の発生を認識しなかったか否かが問われるのであって、右の場合に即していえば、当該行為をめぐる諸般の状況の下で、取締役が前記のような経営上の判断をするに際し、同様の状況にある通常の取締役に要求される程度の注意、すなわち善管注意を欠いたがゆえに、対会社規定違反となることを認識しなかったか否かが問われるのである。
反対説の立場からは、必ずしも帰責要件の問題とはされず、むしろ、あるいはまず、不履行要件の問題とされる如くであるが、いずれにしても、右の善管注意を欠いたか否かを基準として決せられることになると思われ、そうだとすれば、判断基準において法廷意見と差がないと考えられる。ただ、この立場においては、認識すべきものとされる対象が、法廷意見の立場におけるそれと異なることになるであろうが、そうであっても、その対象の中に当該行為が対会社規定に違反するという事実が含まれなければならない以上、右の差異によって結論が左右される事例は、次に述べるような場合を除き、容易に想定することができない。
3 取締役が善管注意を尽くせば対会社規定違反となることを認識し得たと判断されるけれども、この判断に供せられた事実関係に加えて、当該行為をめぐる状況を更に広く考察すれば、なお任務懈怠とは評価できないという場合はあり得るかも知れない。しかし、ここで更に考察の対象に加えられる事実関係ないしその評価とは、ほとんどの場合、通常の債務不履行の要件論において違法性阻却又は責任阻却事由として位置付けられるものではなかろうか。法廷意見の立場からも、緊急避難等の違法性阻却事由や、期待可能性等の責任阻却事由の存在が認められるときは、取締役の責任は否定されることになるのである。
4 あるいは、主張立証責任の所在については、両説のいずれを採るかにより、理論上、差異を生じるかも知れない。本規定に基づいて取締役の責任が追及される事案のほとんどはいわゆる不完全履行の類型に属するであろうが、同類型においては、不完全な履行があったこと、すなわち不履行要件の存在の主張立証責任は債権者側にあると解するのが一般である。これを前提とすると、法廷意見の立場からは、取締役が対会社規定に違反する行為をしたことが立証されれば、それだけで不履行要件を充足し、帰責事由の不存在又は違法性・責任阻却事由の存在は、すべて取締役が主張立証責任を負うことになる。これに対し、反対説の立場では、これらの事由は、ほとんどすべてが不履行要件たる任務懈怠の中に溶融され、取締役の責任を追及する側が主張立証責任を負うことになる。
もっとも、右は理論上のものに過ぎず、訴訟の実践の場においてはそれほどの差を生じないであろうが、もし右の理論のとおりに訴訟が運ばれるとすれば、反対説を採ることにより、取締役の責任が否定される場合が増えるであろう。
しかし、私は、右の理論にも、反対説によるその結果の妥当性にも、疑問を呈さざるを得ない。たとえば一定の品質を有すべき物の給付債務など、債務の内容が客観的、具体的に明確であり、それが完全に履行されたか否かを債権者が普通に知り得るものについては、その不履行要件についての主張立証責任を債権者に課すことは正当であろう。しかし、反対説がいうように、任務懈怠をもって不履行要件とするなら、そこで認定判断されるべき事柄は複雑多岐にわたり、しかもそのほとんどは取締役の関与領域内にあるから、物の給付債務などについてと同断には論じ得ないし、ことに代表訴訟の場合を考えると、原告にその主張立証責任を課すことにより取締役が勝訴するという結果は、公平でなく、妥当でもないと考えるのである。
三 本規定に基づき取締役に命じられる賠償額についても言及しておきたい。
前述のとおり、反対説が提唱される理由に、取締役に対し不当に苛酷な責任を負わせることへの憂慮があるとすれば、私も、それに共感を覚える場合がないわけではない。しかし、そのような結果を回避することは、反対説のように、不履行要件を任務懈怠として、対会社規定に違反した取締役の責任を全面的に否定する方法によってではなく、その責任を肯定した上、要賠償額の量定を妥当なものとする方法によってされる方が望ましく、現行法の下においても、その余地があると考えるからである。
1 たとえば、いわゆる損益相殺である。取締役の本規定該当の行為によって会社が損害を被ったが、同時に利益をも得ている場合、原則として、その差額をもって要賠償額とするものである。商法二六六条が会社の被った損害を取締役に賠償させる制度である以上、右のように損益相殺することは、むしろ当然のことといえる。
もっとも、取締役の行為から会社に利益が生じているにしても、その行為が刑事犯罪に該当するなど、その利益をもって損益相殺することが社会的に正当視できない場合はあろう。しかし、そのような場合は、会社に生じた損害をそのまま取締役に負わせても、不当に苛酷なものとはいえないと考える。
2 過失相殺の規定(民法四一八条)を適用し、あるいはその趣旨を類推適用することも、検討されるべきである。
取締役は会社の機関であり、対外的には一体と見るべきものであるが、会社の取締役に対する損害賠償請求権が訴求されているときには、たとえ取締役が現在もその地位にあるとしても、両者は債権者と債務者の関係にあるから、右規定が適用されることは自然である。
また、たとえば取締役の行為が本規定に該当するものではあるが、それは会社の歴代の経営者がしてきたことを継承するものであるとか、会社の組織や管理体制に牢固たる欠陥があるなど、いわば会社の体質にも起因するところがある場合には、損害賠償制度の根本理念である公平の原則、あるいは債権法を支配する信義則に照らし、右規定を類推適用することが許されてよいと考える(最高裁昭和五九年(オ)第三三号同六三年四月二一日第一小法廷判決・民集四二巻四号二四三頁、最高裁昭和六三年(オ)第一〇九四号平成四年六月二五日第一小法廷判決・民集四六巻四号四〇〇頁参照)。
もっとも、右の例のような場合、取締役は会社の体質を改善すべき義務を負うものであることも、考慮されなければならない。また、本規定に基づく責任が関与した取締役の連帯責任とされていることが、過失相殺規定の適用又は類推適用を困難にする場合もあろう。しかし、そのようなことも考慮しつつ、なおこれによって妥当な結論を導き得る場合があると考えるのである。
要賠償額を具体的事情に適合する合理的、現実的なものにするため、解釈論として用い得る調整手法は、右以外にもあり得よう。そして、このような調整をすることは、決して、商法二六六条ないし代表訴訟制度の目的に反するものではなく、その機能を減殺するものでもない。ことに、訴額に関する法改正により取締役の職務是正機能が鮮明になってきた代表訴訟制度にとっては、むしろ、これをより活性化することにつながるものである。
現行法の下では、右の合理的調整をするのに相当の困難があることは否定できない。これを適切かつ十分に行い得るようにするには、本来、法改正が必要であって、その早期の実現が待たれるところである。しかし、これが実現するまでの間にあっても、法解釈を工夫することによって不当な結果を回避し得る余地が多分にあると考える次第である。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)

++解説
《解  説》
一 本件は、大手証券会社Aが大口顧客である訴外会社Bに対して損失補填を行ったことによりAに補填相当額の損害を生じたとして、Aの株主であるXらが、その決定・実施に関わった当時のAの代表取締役であるYらに対し、商法二六六条一項五号に基づき損害賠償を求める株主代表訴訟である。
二 本件の事実関係及び訴訟経過の概要は次のとおりである(なお、詳細については判文を参照されたい。)。
1 Aは、大口顧客であるBと有価証券の売買等による資金運用取引を継続してきており、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあった。
2 Bは、訴外信託銀行との間で一〇億円の特定金銭信託契約を締結し、同銀行がAに開設した取引口座を通じて有価証券の売買を行う特金勘定取引を開始したが、実際にはAがBに代わって同銀行に取引の指図をすることによって運用されるいわゆる営業特金による取引であった。ところが、右取引により平成元年末には約二億七〇〇〇万円の損失が生じ、平成二年に入ってからの株式市況の急激な悪化により損失が更に拡大し、Bが期間満了を待たずに右取引を終了させた同年二月末には損失は約三億六〇〇〇万円に上っていた。
3 平成元年一一月ころから証券会社の大口顧客に対する損失補填が社会問題となり、大蔵省は、同年一二月二六日、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(本件通達)を発し、証券会社において法令上の禁止行為である損失保証等による勧誘に限らず、事後的な損失補填等も厳にこれを慎むとともに、特金勘定取引についても顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約を締結させるべきものとした。日本証券業協会も、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号(本件規則)を改正し、事後的な損失補填等をも厳に慎むものとする旨の定めを置いた。
Aを始めとする証券会社においては、本件通達等の主眼が営業特金の早期解消にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補填を行うこともやむを得ないとする考え方が大勢を占めていた。
4 Aでは本件通達の直後からBと営業特金の解消に向けて交渉したが解決に至らず、Bとの円満な取引関係を維持するために損失補填を実施する必要があるとして、平成二年三月、Yらが出席したAの専務会においてBに対する損失補填が決定され、AがBに売却した外貨建てワラントを即日買い戻すという相対取引により実施された(本件損失補填)。この結果、Bは三億六〇〇〇万円強の利益を得て、営業特金も解消された。その後、AとBとの取引関係は良好に維持され、AはBとの取引により相応の利益を得ている。
5 Xらは、本件損失補填が①平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(旧証取法)五〇条一項等に違反する、②昭和五七年公取委告示第一五号の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独禁法一九条に違反する、③取締役の善管注意義務・忠実義務に違反するなどとして、Yらに対し、商法二六六条一項五号に基づく損害賠償として損害金内金一億円の支払を請求している。
6 一、二審とも本件損失補填の独禁法一九条違反性のみを肯認したが、一審は、本件損失補填によりその後得られる利益を考慮すれば損害があるとはいえないとしたのに対し、原審は、独禁法一九条が競争者の利益を保護することを意図した規定であることを理由に、同条違反は商法二六六条一項五号にいう法令違反には含まれないとして、Xらの請求を棄却すべきものとした。これに対してXらのうち二名から上告がされたところ、最高裁は、商法二六六条一項五号にいう法令には、取締役を名あて人とし取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を定める規定のほか、会社を名あて人とし会社がその業務を行うに際して遵守すべき義務を定める規定も含まれるとした上で、Yらにおいて独禁法一九条違反の認識を欠いた点につき過失があったとはいえないとして、Yらの責任を否定した原審の判断を結論的に維持したものである。
二 取締役の任務は、会社の業務執行に関する意思決定に参画し、同時に他の取締役等の業務執行を監視するほか、取締役会からの委託等を受けて具体的な業務執行に携わるなど多岐に及ぶものであるところ、商法二六六条一項五号は、取締役がその任務を懈怠して会社に損害を被らせるすべての場合を包含する債務不履行責任であって、無過失責任であるとされる一ないし四号とは異なり、取締役の故意又は過失(帰責事由)を要すると解するのが通説及び判例(最三小判昭51・3・23裁判集民一一七号二三一頁)である。
そこでいう法令については、自己株式取得禁止(商法二一〇条)や競業避止義務(商法二六四条)等を定める商法中の具体的規定だけでなく、取締役の一般的な善管義務や忠実義務を定める規定(商法二五四条三項、二五四条ノ三)をも含むとするのが判例(最三小判昭47・4・25裁判集民一〇五号八四三頁)であり、従来の通説も、漠然と法令一般が含まれると考えていたようであるが、本件一審判決等を契機として、会社の財産・利益の保護を目的とする実質的意義の会社法に属する規定等に限定されるべきであるとする限定説が有力に唱えられる一方、これに対して、従来の通説とは異なる自覚的な非限定説が主張されるようになり、その中にも、法令違反行為があったからといって直ちに取締役の履行不完全と評価すべきではなく、法令違反の事実が主張立証されると、注意義務違反が事実上推定されるにとどまるとする見解や、取締役の法令遵守義務は、会社との間の委任契約に基づく善管注意義務とは別個の会社に対する義務であり、当該行為の決定に際して法令違反に当たることを知り得べき場合には、取締役に過失ありとして、損害賠償責任を負うとする見解が見受けられるなど、学説上議論が活発化していささか錯綜した状況にあって、下級審裁判例も分かれていたところである。
三 本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義について、取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定のほか、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定も含まれると解するのが相当であると判示して(判決要旨一)、前記限定説を採らないことを明らかにしている。営利法人である会社は会社ないしその所有者である株主の利益の極大化という目的を追求するものであるが、法認された社会的存在として、自然人と同様に、会社を名あて人とするあらゆる法令を遵守すべきは当然であり、取締役は、右の法令の直接の名あて人ではないが、受任者として会社に法令を遵守させるという義務を負い、その違反は取締役の責任原因となるものである。換言すれば、会社の意思決定に関与する機関たる取締役に対して、会社として法令を遵守するか否かに関して、これを否定する裁量権を認めることはできないというべきであろう。もっとも、本判決の採る立場は、前記の非限定説とも微妙に異なっており、近時の学説上の議論状況にかんがみて、漠然と法令一般が含まれるとしていた従来のいわば無自覚的な通説の見解を、明確な形で定式化し直したものと見ることもできるのではなかろうか。
取締役の会社に対する債務不履行責任は、いわゆる不完全履行の類型に属するものであるから、取締役の責任を追及する側で、問題とされている取締役の行為が取締役の受任者としての会社に対する義務に反するもの(受任者としての債務の本旨に従わざる履行)であることを主張立証しなければならない。商法二六六条一項は、各号で責任原因となるべき取締役の行為を列挙する形をとっており、五号にいう法令違反行為とは、不完全履行における履行不完全に相当する要件を規定しているものと解される。本判決は、取締役が会社をして会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定に違反させることとなる行為をしたときは、右行為が取締役の善管義務・忠実義務に違反することになるか否かを改めて問うまでもなく、商法二六六条一項五号にいう法令に違反する行為をしたときに該当する旨判示して(判決要旨二)、取締役の責任を追及する側において、取締役の行為が同号にいう法令(善管義務・忠実義務を定める規定を除く。)に違反するものであることを主張立証すれば、それにより直ちに履行不完全の要件を充足し、取締役側において、帰責事由(故意過失)の不存在又は違法性・責任阻却事由の存在を主張立証しなければならないことを明らかにした。前記非限定説の中には、商法二六六条一項五号にいう法令違反行為の主張立証がされても取締役の受任者としての義務違反を事実上推定させるにとどまるとする見解も見受けられるが、このように解するときは、取締役の個別的義務を定める規定及び会社が遵守すべき義務を定める規定が善管義務・忠実義務を定める規定の下位規範として位置付けられる結果となり、妥当でないとされたものであろう(河合裁判官の補足意見参照)。
本判決は、右の商法二六六条一項五号の解釈及び判断枠組みを前提とした上で、本件損失補填が独禁法一九条に違反するものであり、商法二六六条一項五号にいう法令違反に該当することを肯定しながら、Yらが本件当時において、その行為が独禁法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることはできないとして、Yらの損害賠償責任を否定した原審の判断を結論において是認している。具体的法令違反が問題となっている場合に法令違反の認識を欠いたことにつき過失がなかったとして取締役の賠償責任が否定された先例として、前掲最三小判昭51・3・23がある。本件では、Yらが本件損失補填の決定実施に当たって法律専門家の意見を聴くこともしていないにもかかわらず、法令違反の認識を欠いたことに過失がないとされるのは、本判決が指摘しているような本件当時の特殊な状況が存在していればこそであり、こうした形での免責が認められるのは極めて例外的なものというべきであろう。
また、本件損失補填の決定実施がYらの取締役としての善管義務・忠実義務に違反するか否かに関しては、Xらの上告理由において論旨となっていないことなどから、本判決は、この点につき明示的な理由説示をしてはいないが、右義務違反を否定した原審の判断を是認し得るものとしていることはいうまでもない。
四 最大判平9・4・2民集五一巻四号一六七三頁(玉串料大法廷判決)本誌九四〇号九八頁は、類似必要的共同訴訟である地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟においては、自ら上訴をしなかった共同訴訟人は、上訴人の地位には就かない旨判示して、類似必要的共同訴訟における上訴審での審判対象の問題と当事者の地位の問題が、従来考えられていたように分離不能なものではないことを明らかにした。
株主代表訴訟は、個々の株主が共益権に基づいて、実質的には他の株主全体を代表して、形式的には第三者の法定訴訟担当として提起追行する類似必要的共同訴訟であって、訴訟の構造ないし形式の点では住民訴訟のうちいわゆる四号訴訟に最も類似しているところ、個々の株主にとっての個別的具体的利益が直接問題となるものではなく、原告株主の数が提訴後に減少しても、審判の範囲、審理の態様、判決の効力には格別差違を生じない点や、株主全体の代表として訴訟を追行する意思を失った者に対して上訴人の地位に就き続けることを求めることが相当でないという点では、住民訴訟と基本的に変わるところはないことから、本判決は、大法廷判決の趣旨を推し及ぼして、複数の株主が共同して追行する株主代表訴訟においても、共同訴訟人である株主の一部の者のみが上訴した場合には、自ら上訴しなかった者は上訴人にはならないと判示した(判決要旨三)。本件では、自ら上告を提起したのは原審で参加した二名の株主だけであり、残りの二名は自ら上告をしていないところから、前者のみを上告人として取り扱っている。
五 取締役の責任が問題となるケースには、具体的法令違反が問題となるもの、経営判断の当否(善管注意義務)が問題となるもの、監視義務違反が問題となるものの三類型があるところ、本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義及び取締役の善管義務・忠実義務違反以外の具体的法令違反が問題となっている場合における判断枠組みに関して、最高裁として初めて明確な判断を示したものである。また、これらの点に関しては、河合裁判官の詳細な補足意見が付されており、法廷意見の採る立場を理論的に説明するとともに、取締役の責任追及の場面、とりわけ株主代表訴訟において問題とされることの多い取締役の責任の苛酷性ないし賠償金額の過大性という問題について、現行法下においても様々な工夫をこらすことによって妥当な結果を導くことが可能である旨説かれており、極めて示唆に富むものといえよう。平成五年の商法改正による貼用印紙額の固定化に伴って多数の株主代表訴訟が提起される一方で、株主代表訴訟制度をめぐる法改正への動きも活発化している昨今、裁判実務に大きな影響を有するだけでなく、会社経営陣に対しても遵法経営の必要性を強く迫るものであり、企業のコンプライアンスの観点からも注目すべき判例である。なお、本判決の評釈として、手塚裕之・商事一五七二号四頁、鳥山恭一・法セ五四九号一〇八頁等がある。

+判例(H23.2.17)
理 由
数人の提起する養子縁組無効の訴えは,いわゆる類似必要的共同訴訟と解すべきであるところ(最高裁昭和43年(オ)第723号同年12月20日第二小法廷判決・裁判集民事93号747頁),記録によれば,上告人兼申立人が本件上告を提起するとともに,本件上告受理の申立てをした時には,既に共同訴訟人であるX2が本件養子縁組無効の訴えにつき上告を提起し,上告受理の申立てをしていたことが明らかであるから,上告人の本件上告は,二重上告であり,申立人の本件上告受理の申立ては,二重上告受理の申立てであって,いずれも不適法である。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官横田尤孝 裁判官 白木 勇)

++解説
調べておく。


民事訴訟法 基礎演習 固有必要的共同訴訟


1.入会権確認の訴えの固有必要的共同訴訟性

+判例(S41.11.25)
理由
職権をもつて調査するに、入会権は権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであるから、入会権の確認を求める訴は、権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである(明治三九年二月五日大審院判決・民録一二輯一六五頁参照)。この理は、入会権が共有の性質を有するものであると、共有の性質を有しないものであるとで異なるとこるがない。したがつて、上告人らが原審において訴の変更により訴求した「本件土地につき共有の性質を有する入会権を有することを確認する。若し右請求が理由がないときは、共有の性質を有しない入会権を有することを確認する」旨の第四、五次請求は、入会権者全員によつてのみ訴求できる固有必要的共同訴訟であるというべきところ、本件右請求が入会権者と主張されている部落民全員によつて提起されたものでなく、その一部の者によつて提起されていることは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、右請求は当事者適格を欠く不適法なものである。本件土地を上告人らが総有することを請求原因として被上告人に対しその所有権取得登記の抹消を求める第二次請求もまた同断である。
さらに、上告人らの本件第三次請求は、本件土地が又重財産区の所有に属することを請求原因として、被上告人に対しその所有権取得登記の抹消を求めるものである。そうとすれば、本請求の正当な原告は又重財産区であつて、上告人らは当事者適格を有しないものというべきである。本訴もまた不適法である。
よつて、上告人ら代理人森吉義旭、同浅石大和の上告理由中前文および第一点ないし第一〇点に対する判断を省略し、本件第二ないし第五次請求について本案の判断をした第一、二審判決を破棄し、右請求を却下すべきものとする。

同第一一、一二点について。
論旨は、上告人らが時効により本件土地の共有権を取得したことを請求原因とし、被上告人に対しそれぞれ持分三三〇分の一の移転登記を求める上告人らの第一次請求を排斥した原判決の判断に、法令違背、事実誤認、判断遺脱の違法がある、という。
しかし、上告人らが時効取得の基礎として主張する占有は、又重部落民全員ないしは又重部落としての団体的占有であることもその主張自体に照して明らかであるところ、このような団体的占有によつて個人的色彩の強い民法上の共有権が時効取得されるとは認めらないから、本請求は、その主張自体失当であるというべきである。そうとすれば、論旨はすべて無用の論議に帰するから採用することができない。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官山田作之助は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 奥野健一)

・前提として判例は当事者適格について管理処分権説をとっている。
管理処分権説=当事者適格は訴訟物である権利義務その他の法律関係についての管理処分権の所在によって定まるという考え方

2.判例の展開

判例(H6.5.31)
理由
一 上告代理人高木修の上告理由第一点について
1 入会権は権利者である一定の村落住民の総有に属するものであるが(最高裁昭和三四年(オ)第六五〇号同四一年一一月二五日第二小法廷判決・民集二〇巻九号一九二一頁)、村落住民が入会団体を形成し、それが権利能力のない社団に当たる場合には、当該入会団体は、構成員全員の総有に属する不動産につき、これを争う者を被告とする総有権確認請求訴訟を追行する原告適格を有するものと解するのが相当である。
けだし、訴訟における当事者適格は、特定の訴訟物について、誰が当事者として訴訟を追行し、また、誰に対して本案判決をするのが紛争の解決のために必要で有意義であるかという観点から決せられるべき事柄であるところ、入会権は、村落住民各自が共有におけるような持分権を有するものではなく、村落において形成されてきた慣習等の規律に服する団体的色彩の濃い共同所有の権利形態であることに鑑み、入会権の帰属する村落住民が権利能力のない社団である入会団体を形成している場合には、当該入会団体が当事者として入会権の帰属に関する訴訟を追行し、本案判決を受けることを認めるのが、このような紛争を複雑化、長期化させることなく解決するために適切であるからである。
2 そして、権利能力のない社団である入会団体の代表者が構成員全員の総有に属する不動産について総有権確認請求訴訟を原告の代表者として追行するには、当該入会団体の規約等において当該不動産を処分するのに必要とされる総会の議決等の手続による授権を要するものと解するのが相当である。けだし、右の総有権確認請求訴訟についてされた確定判決の効力は構成員全員に対して及ぶものであり、入会団体が敗訴した場合には構成員全員の総有権を失わせる処分をしたのと事実上同じ結果をもたらすことになる上、入会団体の代表者の有する代表権の範囲は、団体ごとに異なり、当然に一切の裁判上又は裁判外の行為に及ぶものとは考えられないからである。
3 以上を本件についてみるのに、記録によると、上告人大畑町部落有財産管理組合は、大畑町の地域に居住する一定の資格を有する者によって構成される入会団体であって、規約により代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定しており、組織を備え、多数決の原則が行われ、構成員の変更にかかわらず存続することが認められるから、右上告人は権利能力のない社団に当たるというべきである。したがって、右上告人は、本件各土地が右上告人の構成員全員の総有に属することの確認を求める訴えの原告適格を有することになる。また、右上告人の代表者である組合長Aは、訴えの提起に先立って、本件訴訟を追行することにつき、財産処分をするのに規約上必要とされる総会における議決による承認を得たことが記録上明らかであるから、前記の授権の要件をも満たしているものということができる。前記判例は、村落住民の一部の者のみが全員の総有に属する入会権確認の訴え等を提起した場合に関するものであって、事案を異にし本件に適切でない。
そうすると、右と異なる見解に立ち、右上告人が原告適格を欠くとして本件総有権確認の訴えを却下した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、論旨は理由がある。

二 同第二点について
1 権利能力のない社団である入会団体において、規約等に定められた手続により、構成員全員の総有に属する不動産につきある構成員個人を登記名義人とすることとされた場合には、当該構成員は、入会団体の代表者でなくても、自己の名で右不動産についての登記手続請求訴訟を追行する原告適格を有するものと解するのが相当である。けだし、権利能力のない社団である入会団体において右のような措置を採ることが必要になるのは入会団体の名義をもって登記をすることができないためであるが、任期の定めのある代表者を登記名義人として表示し、その交代に伴って所有名義を変更するという手続を採ることなく、別途、当該入会団体において適切であるとされた構成員を所有者として登記簿上表示する場合であっても、そのような登記が公示の機能を果たさないとはいえないのであって、右構成員は構成員全員のために登記名義人になることができるのであり、右のような措置が採られた場合には、右構成員は、入会団体から、登記名義人になることを委ねられるとともに登記手続請求訴訟を追行する権限を授与されたものとみるのが当事者の意思にそうものと解されるからである。このように解したとしても、民訴法が訴訟代理人を原則として弁護士に限り、信託法一一条が訴訟行為をさせることを主たる目的とする信託を禁止している趣旨を潜脱するものということはできない
2 これを本件についてみるのに、記録によると、上告人Bは、訴えの提起に先立って、上告人大畑町部落有財産管理組合の総会における構成員全員一致の議決によって本件各土地の登記名義人とすることとされたことが認められるから、本件登記手続請求訴訟の原告適格を有するものというべきである。
そうすると、右と異なる見解に立ち、上告人Bが原告適格を欠くとして本件登記手続請求の訴えを却下した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、論旨は理由がある。
三 結論
以上の次第で、原判決は破棄を免れず、更に本件を審理させるためこれを原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
《解  説》
一 本判決は、(1) 入会権の権利者である村落住民が権利能力のない社団に当たる入会団体を形成している場合に、右入会団体に入会権(総有権)確認の訴えの原告適格が認められるか、(2) 入会団体の代表者が入会権(総有権)確認の訴えを原告の代表者として追行するのに特別の授権を要するか、(3) 入会権の目的である不動産につき、入会団体の代表者でない構成員が登記手続請求訴訟の原告適格を有する場合があるか、の三つについて判断を示したものである。いずれも最高裁として初めての判断であるばかりか、入会権をめぐる訴訟の入口においてしばしば問題とされ、訴訟による紛争の解決が長期化する原因にもなっていた事項についての判断を示したものであり、実務に与える影響は大きいものと思われる。

二 事案の概要は、次のとおりである。X1は、A町の地域に居住する一定の資格を有する者によって構成される入会団体であるが、最一小判昭39・10・15民集一八巻八号一六七一頁、本誌一六九号一一七頁の示した権利能力のない社団の要件を満たしている。X2は、X1の代表者でない構成員の一人であるが、本件訴訟の提起に先立ってX1の総会における構成員全員一致の議決によって本件土地(五三筆の土地)の登記名義人とすることとされた者である。
本件土地は、大正四年に当時のA部落の戸主二四名全員を共有者として所有権移転登記がされたが、そのうちの一人であるBにつき登記簿上数次の相続による持分移転登記がされ、現在Cが共有持分二四分の一の所有名義人となっている。Y1・Y2は、Cの相続人であるが、本件土地につき共有持分を有すると主張して、本件土地がX1の構成員全員の総有に属することを争っている。Y3は、登記簿上Cの持分につき権利者として抵当権設定登記等がされている者である。
X1は、Y1・Y2を相手に、本件土地がX1の構成員全員の総有に属することの確認を求め、X2は、本件土地につきY1・Y2に対して真正な登記名義の回復を原因とする共有持分全部移転登記手続を、Y3に対して抵当権設定登記等の抹消登記手続を求めた。
一審は、X1が本件総有権確認請求訴訟の原告適格を有すること、X2が本件各登記手続請求訴訟の原告適格を有することをいずれも認めた上、X1・X2の請求を認容する旨の判決をした。これに対し、二審は、入会権の確認を対外的に非権利者に対して求める総有権確認請求訴訟は、権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟であり、権利者全員が共同して提起しない限り原告適格を欠く不適法なものであるとの理由で、X1は本件総有権確認請求訴訟の原告適格を有しないとし、また、入会権の目的である不動産についての登記請求訴訟も固有必要的共同訴訟であるところ、X1の構成員によるX2に対する本件訴訟の提起遂行権限の委託は、形式的には、信託法一一条の訴訟信託の禁止に抵触するものであり、実質的には、各構成員は共有におけるような持分権を有しないのであるから元来委託すべき権限を有せず、右権限の委託はそれ自体無意味であるとの理由で、X2は本件各登記手続訴訟の原告適格を有しないとして、一審判決を取り消し、X1・X2の訴えをいずれも却下する旨の判決をした。

三 入会団体と総有権確認請求訴訟の原告適格
最二小判昭41・11・25民集二〇巻九号一九二一頁、本誌二〇〇号九五頁は、入会権が権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであることを理由に、入会権の確認を求める訴は、権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきであるとの判断を示したが、本件の二審は、この判例の趣旨を強調して、入会権の権利者が権利能力のない社団に当たる入会団体を形成している場合であっても、総有権確認を求めるには権利者全員が原告となるという形の訴訟しか認めないとしたものである。
これに対し、本判決は、判決要旨一のとおり判示して、権利能力のない社団に当たる入会団体に総有権確認請求訴訟の原告適格を認めることを明らかにした。そして、その理由として、「訴訟における当事者適格は、特定の訴訟物について、誰が当事者として訴訟を追行し、また、誰に対して本案判決をするのが紛争の解決のために必要で有意義であるかという観点から決せられるべき事柄である」との基本的立場を宣明した上、入会権が「村落において形成されてきた慣習等の規律に服する団体的色彩の濃い共同所有の権利形態であることに鑑み」、入会団体が権利能力のない社団に当たる場合には、「当該入会団体が当事者として入会権の帰属に関する訴訟を追行し、本案判決を受けることを認めるのが、このような紛争を複雑化、長期化させることなく解決するために適切であるからである。」と説示した。
右の説示の趣旨からすると、本判決は、権利能力のない社団である入会団体に入会権の帰属に関する訴訟についての被告適格をも認めるとの立場に立っているようである。
本判決の右の結論は、現在のほとんどの学説の立場とも一致するものであろう(舟橋諄一・物権法四五二頁、星野英一=五十部豊久・法協八四巻一一号一五七三、一五七八頁、福永有利・民商法五六巻六号九八三、九八七頁、小山昇・民訴講座一巻二五六頁など)。

四 入会団体の代表者に対する特別の授権の要否
権利能力のない社団である入会団体に原告適格を認めるとの立場に立つとしても、権利者である村落住民が原告となって訴えを提起する場合についての昭和四一年判例の趣旨との調和のとり方が次の問題となる(菊井=村松・全訂民事訴訟法Ⅰ三四一頁)。
舟橋諄一・物権法四五三頁が、このような訴えの提起は入会権の処分にも匹敵するとして、訴えの提起には「入会権者全員の同意を要するものと解すべきであろうか」と疑問を提起し、その後、学説及び下級審判決が一定の方向を見出せないでいる状況の中で、本判決は、判決要旨二のとおり判示して、入会団体の代表者が総有権確認請求訴訟を原告の代表者として追行するには、当該入会団体の規約等において当該不動産を処分するのに必要とされる総会の議決等の手続による特別の授権を要するものとの立場を明らかにした。
本判決は、この問題を、原告適格の問題とは区別して入会団体の代表者の訴訟追行についての権限の問題として位置付けた上、一方で、入会団体による訴訟の提起・追行に構成員全員の承認又は委任を要するとの立場(なお、この立場は、右の承認又は委任を原告適格の問題として位置付けているのか、本判決のように代表者の権限の問題として位置付けているのか必ずしも明らかではない。)を排し、他方で、入会団体の代表者として訴訟を提起・追行する者が真実の代表者であればよく、特別の授権を要しないとの立場を排したものである。
そして、本判決は、総有権確認請求訴訟についてされた確定判決の効力が入会団体の構成員全員に対して及ぶことを前提にして、右の結論を採る理由として、入会団体が敗訴した場合には構成員全員の総有権を失わせる処分をしたのと事実上同じ結果をもたらすことになること、及び入会団体の代表者の有する代表権の範囲は、団体ごとに異なり、当然に一切の裁判上又は裁判外の行為に及ぶものとは考えられないことを挙げている。
X1においては、その規約上、総会は構成員の三分の二以上の出席がなければ成立せず、財産処分についての議決は出席した構成員の三分の二以上の賛成をもってしなければならないとされているが、本訴の提起に先立って、総会における構成員全員一致の議決による承認がされている。
なお、入会団体が原告となる場合に限って特別の授権が必要である旨判示しているところからみて、本判決は、被告として応訴する場合には特別の授権を得る必要がないものと考えているものと思われる。

五 登記手続請求訴訟と原告適格
判例は、権利能力のない社団に当たる場合には、当該社団の性格等を顧慮することなく、一律にその積極財産及び消極財産は、構成員の総有に属すると解している(最一小判昭32・11・14民集一一巻一二号一九四三頁、最一小判昭39・10・15民集一八巻八号一六七一頁、最三小判昭48・10・9民集二七巻九号一一二九頁、本誌三〇二号一四三頁、最二小判昭55・2・8裁判集民一二九号一七三頁)ところ、最二小判昭47・6・2民集二六巻五号九五七頁、本誌二八二号一六四頁は、権利能力のない社団の資産である不動産につき、その代表者が個人名義で所有権の登記をすることができるにすぎないこと、及び登記簿上の所有名義人が代表者の地位を失い、新代表者が選任されたときは、新代表者は旧代表者に対し、当該不動産につき所有権移転登記手続をするよう求めることができることを判示した。
権利能力のない社団の代表者でない構成員が、当該社団の資産である不動産の登記名義人になることができる場合があるのか否か、登記手続請求訴訟の原告適格を有する場合があるのか否かについて、判例上は残された問題であり、学説においては、積極(吉野衛・判評一九九号一五三、一五七頁)、消極(長井秀典「総有的所有権に基づく登記請求権」本誌六五〇号一八、二一頁)の両説に分かれていた。
本判決は、権利能力のない社団である入会団体についてのものではあるが、代表者でない構成員が、当該社団の資産である不動産の登記名義人になることができる場合があるとし、さらに、判決要旨三のとおり判示して、規約等に定められた手続により登記名義人とすることとされた構成員は、入会団体の代表者でなくても、自己の名で右不動産についての登記手続請求訴訟を追行する原告適格を有するとの立場を明らかにした。
なお、前記の昭和四七年判例は、権利能力のない社団の資産である不動産は構成員全員のために信託的に代表者個人の所有とされることをその理由としたが、本判決は、入会団体の規約等に定められた手続により登記名義人とすることとされた構成員個人に不動産の所有権又は登記請求権が信託的に移転するというような理論構成を採っておらず、当該不動産の所有権又は登記請求権は入会団体の構成員全員の総有に属することを前提にした上で、右構成員が任意的訴訟担当として原告となるのであり、それが許容されるとの理由付けによっているものであり、注目に値する。

+判例(H20.7.17)
理由
上告代理人中尾英俊、同増田博、同蔵元淳の上告受理申立て理由について
1 本件は、上告人らが、第1審判決別紙物件目録記載1~4の各土地(以下、同目録記載の土地を、その番号に従い「本件土地1」などといい、併せて「本件各土地」という。)は鹿児島県西之表市A集落の住民を構成員とする入会集団(以下「本件入会集団」という。)の入会地であり、上告人ら及び被上告人Y2(以下「被上告会社」という。)を除く被上告人ら(以下「被上告人入会権者ら」という。)は本件入会集団の構成員であると主張して、被上告人入会権者ら及び本件各土地の登記名義人から本件各土地を買い受けた被上告会社に対し、上告人ら及び被上告人入会権者らが本件各土地につき共有の性質を有する入会権を有することの確認を求める事案である。

2 原審が確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
被上告会社は、本件土地1についてはその登記名義人である被上告人Y3及び同Y4から、本件土地2~4についてはその登記名義人である被上告人Y5及び同Y6から、それぞれ買い受け、その所有権を取得したとして、平成13年5月29日、共有持分移転登記を了した。
3 原審は、次のとおり判示して、本件訴えを却下すべきものとした。
(1) 入会権は権利者である入会集団の構成員に総有的に帰属するものであるから、入会権の確認を求める訴えは、権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟であるというべきである。
(2) 本件各土地につき共有の性質を有する入会権自体の確認を求めている本件訴えは、本件入会集団の構成員全員によって提起されたものではなく、その一部の者によって提起されたものであるため、原告適格を欠く不適法なものであるといわざるを得ない。本件のような場合において、訴訟提起に同調しない者は本来原告となるべき者であって、民訴法にはかかる者を被告にすることを前提とした規定が存しないため、同調しない者を被告として訴えの提起を認めることは訴訟手続的に困難というべきである上、入会権は入会集団の構成員全員に総有的に帰属するものであり、その管理処分については構成員全員でなければすることができないのであって、構成員の一部の者による訴訟提起を認めることは実体法と抵触することにもなるから、上告人らに当事者適格を認めることはできない。

4 しかしながら、原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
上告人らは、本件各土地について所有権を取得したと主張する被上告会社に対し、本件各土地が本件入会集団の入会地であることの確認を求めたいと考えたが、本件入会集団の内部においても本件各土地の帰属について争いがあり、被上告人入会権者らは上記確認を求める訴えを提起することについて同調しなかったので、対内的にも対外的にも本件各土地が本件入会集団の入会地であること、すなわち上告人らを含む本件入会集団の構成員全員が本件各土地について共有の性質を有する入会権を有することを合一的に確定するため、被上告会社だけでなく、被上告人入会権者らも被告として本件訴訟を提起したものと解される。
特定の土地が入会地であることの確認を求める訴えは、原審の上記3(1)の説示のとおり、入会集団の構成員全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要する固有必要的共同訴訟である。そして、入会集団の構成員のうちに入会権の確認を求める訴えを提起することに同調しない者がいる場合であっても、入会権の存否について争いのあるときは、民事訴訟を通じてこれを確定する必要があることは否定することができず、入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならない。そこで、入会集団の構成員のうちに入会権確認の訴えを提起することに同調しない者がいる場合には、入会権の存在を主張する構成員が原告となり、同訴えを提起することに同調しない者を被告に加えて、同訴えを提起することも許されるものと解するのが相当である。このような訴えの提起を認めて、判決の効力を入会集団の構成員全員に及ぼしても、構成員全員が訴訟の当事者として関与するのであるから、構成員の利益が害されることはないというべきである。
最高裁昭和34年(オ)第650号同41年11月25日第二小法廷判決・民集20巻9号1921頁は、入会権の確認を求める訴えは権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟というべきであると判示しているが、上記判示は、土地の登記名義人である村を被告として、入会集団の一部の構成員が当該土地につき入会権を有することの確認を求めて提起した訴えに関するものであり、入会集団の一部の構成員が、前記のような形式で、当該土地につき入会集団の構成員全員が入会権を有することの確認を求める訴えを提起することを許さないとするものではないと解するのが相当である。
したがって、特定の土地が入会地であるのか第三者の所有地であるのかについて争いがあり、入会集団の一部の構成員が、当該第三者を被告として、訴訟によって当該土地が入会地であることの確認を求めたいと考えた場合において、訴えの提起に同調しない構成員がいるために構成員全員で訴えを提起することができないときは、上記一部の構成員は、訴えの提起に同調しない構成員も被告に加え、構成員全員が訴訟当事者となる形式で当該土地が入会地であること、すなわち、入会集団の構成員全員が当該土地について入会権を有することの確認を求める訴えを提起することが許され、構成員全員による訴えの提起ではないことを理由に当事者適格を否定されることはないというべきである。
以上によれば、上告人らと被上告人入会権者ら以外に本件入会集団の構成員がいないのであれば、上告人らによる本件訴えの提起は許容されるべきであり、上告人らが本件入会集団の構成員の一部であることを理由に当事者適格を否定されることはない。
5 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、第1審判決を取り消した上、上告人らと被上告人入会権者ら以外の本件入会集団の構成員の有無を確認して本案につき審理を尽くさせるため、本件を第1審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴 裁判官 涌井紀夫)

++解説
《解  説》
1 本件は,原告ら26名が,1審判決別紙物件目録記載1~4の各土地は鹿児島県西之表市塰泊浦集落の住民を構成員とする入会集団(本件入会集団)の入会地であり,原告ら及び被告馬毛島開発株式会社(被告会社)を除く被告ら(以下「被告入会権者ら」という。)は本件入会集団の構成員であると主張して,被告入会権者ら41名及び本件各土地の登記名義人から本件各土地を買い受けた被告会社に対し,原告ら及び被告入会権者らが本件各土地につき共有の性質を有する入会権を有することの確認を求める事案である。
入会集団の一部の構成員が,第三者を相手方として,入会地であると考える土地について固有必要的共同訴訟たる入会権確認の訴えを提起する場合において,訴えを提起することに同調しない同じ入会集団の構成員を被告とすることができるかが争われた。

2 原審は,本件各土地につき共有の性質を有する入会権自体の確認を求めている本件訴えは,本件入会集団の構成員全員によって提起されたものではなく,その一部の者によって提起されたものであるため,原告適格を欠く不適法なものであるとして,本件訴えを却下すべきものとした。
これに対し,原告らが上告受理申立てをしたものであるが,第一小法廷は,本件を受理する決定をした上,原判決を破棄して第1審を取り消した上,本件を鹿児島地方裁判所に差し戻す旨の判断をした。

3 入会権確認の訴えが固有必要的共同訴訟であるとした判例である最二小判昭41.11.25民集20巻9号1921頁,判タ200号95頁は,「入会権は権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであるから,入会権の確認を求める訴えは,権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである」と説示している。この事案では,入会集団の構成員330名のうちの316名が,第三者を相手方としてある土地の持分移転登記,抹消登記手続を求めて訴えを提起し(ただし,その後の取下げにより1審判決を受けたのは265名,控訴審判決を受けたのは216名,上告判決を受けたのは128名であるとされている。),控訴審において,原告らが請求を拡張し,当該土地について入会権を有することの確認請求を追加したが,入会権確認請求等に係る訴えは,入会権者と主張されている部落民全員によって提起されたものでなく,その一部の者によって提起されているものであるから,当事者適格を欠く不適法なものであるとされた。この判例の基礎には,ある土地が入会地であるかどうかの確認を求める訴えは,入会権の管理処分権行使の一形態であるから,入会権者全員に総有的に帰属する権限の行使として,その全員が原告となって提起されなければならないという考え方があったものと思われる。この立論を厳格かつ形式的に解するならば,入会権確認の訴えに同調しない入会権者がいるために入会権者の一部のみが第三者に対してその訴えを提起した場合には,常に原告適格を欠くということになり,入会権者の権利行使が妨げられる事態が生じ得ることになる。そこで,本件では,このような問題点の解決と上記判例の射程が争点となったものである。
本判決は,特定の土地が入会地であるのか第三者の所有地であるのかについて争いがあり,入会集団の一部の構成員が,当該第三者を被告として当該土地が入会地であることの確認を求めようとする場合において,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となる形式で第三者に対する入会権確認の訴えを提起することができるとした。その理由として,①入会集団の構成員のうちに訴えの提起に同調しない者がいる場合であっても,民事訴訟を通じて入会権の存否を確定する必要があり,入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならないこと,②このような訴えの提起を認めて,判決の効力を入会集団の構成員全員に及ぼしても,構成員全員が訴訟の当事者として関与するのであるから,構成員の利益が害されることはないことを挙げている
また,前掲最二小判昭41.11.25が,「入会権の確認を求める訴えは,権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである」と説示している点について,本判決は,入会集団の一部の構成員が,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となる形式で,当該土地につき入会集団の構成員全員が入会権を有することの確認を求める訴えを提起することを許さないとするものではないとした。このように,本判決は,前掲最二小判昭41.11.25の判示を基本的には肯定しつつも,同最判と本件とでは,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となっているか,入会集団の構成員全員が入会権確認を求めるという請求を立てているかどうかという点で差異がある点をとらえて,上記最判の射程を画する解釈を示したものである。

4 学説上は,固有必要的共同訴訟とされる共同所有関係に関する訴訟について,共有者のうちに非同調者がいるために,他の共有者の権利行使が妨げられる事態を避けるための方策として,①非同調者以外の者は,非同調者を被告に加えて,訴えを提起することができるとする説,②非同調者以外の者のみによる訴えの提起を許容しようとする説,③非同調者に対する訴訟告知により問題を解決しようとする説などが検討されてきたとされる(佐久間邦夫・平11最判解説(民)(下)703頁参照)。 このうち,非同調者以外の者が非同調者を被告に加えて訴えを提起することができるとする考え方については,土地の共有者のうちに境界確定の訴えを提起することに同調しない者がいるという事案において,既に最三小判平11.11.9民集53巻8号1421頁,判タ1021号128頁が採用するところとなっていた。ただし,その補足意見や判例解説において言及されているとおり,この考え方は,実質的な非訟事件である境界確定訴訟の特殊性に着目して採用されたものであり,他の必要的共同訴訟一般に採用され得るものではないと解されていたため,これを直ちに本件のような場合に当てはめることはできない。
一方,共有関係確認訴訟を見てみると,実務上,固有必要的共同訴訟である遺産確認の訴えにおいては,遺産であることの確認を求めたいと考える相続人は,他の相続人の訴訟に対する態度いかんにかかわらずそれらの者を被告として訴えの提起をすることが許されており,原告適格が問題とされることはないのであって,その点では,権利関係を確定し紛争を解決する必要がある場合には,共有関係にある物の処分権に係る訴えであっても,当事者全員が原告又は被告として関与しているのであれば,常に全員が原告になることが求められているわけではない。また,本件のような事例においては,訴訟手続によって紛争を解決すべき法律上の利益を当事者が有していると認められる上,入会集団の一部の構成員が入会権確認の訴えを提起することを許さないとするのは,管理処分権行使の方法における厳格性を貫こうとする余り,その本体である入会権自体が入会集団から不正に失われてしまうおそれがある。本判決が「入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならない」としたのは,以上のような考慮から,権利保護の必要性を重視したものと考えられる。
なお,上告受理申立て理由が指摘する最二小判昭43.11.15裁判集民93号233頁,判タ232号100頁の事例を見ると,同最判は,本件で示された考え方を否定してはいないように解される。すなわち,この事案では,共有名義で登記されていた入会地の名義人3名がこれを第三者に売却し,又は抵当権を設定してしまったものであり,入会権者78名のうち75名が上記3名と移転登記,抵当権の登記を有する第三者を被告として,入会権確認と,抹消登記手続請求をしたのであるが,原告適格は全く問題とされていない。違法な行為をした者と第三者が被告となり,非同調者がいなかった事案であるので,別の考え方もできないわけではないが,本件のような考え方によっても原告適格に問題のない事例であったと説明することが可能であろう。

5 本判決は,入会権確認の訴えにおいて判示の方法による訴えの提起を許容する判断を示したものではあるが,その考え方は,少なくとも狭義の共有関係の確認を求める訴えについては同様に当てはまるものと解される。ただし,本件のような事例においては,入会集団の一部の構成員が土地の登記名義を有する第三者に対してその抹消登記手続を求める給付の訴えを提起することができるのかどうかも問題となるが,本判決は,この点についてまでは判断を示していないというべきであろう。本判決は,かねてから学説によっても論じられていた固有必要的共同訴訟における原告適格の問題点について,最高裁として初めての判断を示したものであり,民事訴訟の理論上も実務上も影響が少なくないと考えられる。

3.判例の残した問題
(1)原告は少数派でもよいか
(2)給付の訴えにも妥当するか

前提として
+判例(H11.11.9)
理由
上告代理人森脇勝、同河村吉晃、同今村隆、同植垣勝裕、同小沢満寿男、同岩松浩之、同田中泰彦、同山本了三、同麦谷卓也の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、(1) Bの相続人である被上告人らは、第一審判決別紙物件目録記載(1)の土地(以下「本件土地」という。)を持分各四分の一ずつの割合で相続した、(2) 本件土地は、その北側が上告人所有の道路敷(以下「本件道路敷」という。)に、南側が同人所有の河川敷(以下「本件河川敷」という。)に、それぞれ隣接している(以下、本件道路敷及び本件河川敷を併せて「上告人所有地」という。)、(3) 被上告人らの間においてBの遺産の分割について協議が調わず、被上告人Cを除く同Aら三名(以下「被上告人Aら」という。)が同Cを相手方として申し立てた遺産分割の審判が京都家庭裁判所に係属しているところ、本件土地と上告人所有地との境界が確定していないために右手続が進行しないでいる、(4) 被上告人Aらは、本件土地と上告人所有地との境界を確定するために、被上告人Cと共同して、上告人を被告として境界確定の訴えを提起しようとしたが、被上告人Cがこれに同調しなかったことから、同人及び上告人を被告として、本件境界確定の訴えを提起した、というものである。

二 第一審は、本件土地と本件道路敷との境界は第一審判決別紙図面記載イ、ロ、ハ、ニの各点を結ぶ直線であり、本件土地と本件河川敷との境界は同図面記載ホ、ヘ、トの各点を結ぶ直線であると確定した。上告人は、被上告人Aらを被控訴人として控訴を提起し、原審において、土地の共有者が隣接する土地との境界の確定を求める訴えは共有者全員が原告となって提起すべきものであると主張し、本件訴えの却下を求めた。原審は、本件訴えを適法なものであるとし、被上告人Cも被控訴人の地位に立つとした上で、被上告人Aらと上告人との間及び被上告人Aらと同Cとの間で、それぞれ第一審と同一の境界を確定した。

三 境界の確定を求める訴えは、隣接する土地の一方又は双方が数名の共有に属する場合には、共有者全員が共同してのみ訴え、又は訴えられることを要する固有必要的共同訴訟と解される(最高裁昭和四四年(オ)第二七九号同四六年一二月九日第一小法廷判決・民集二五巻九号一四五七頁参照)。したがって、共有者が右の訴えを提起するには、本来、その全員が原告となって訴えを提起すべきものであるということができる。しかし、【要旨】共有者のうちに右の訴えを提起することに同調しない者がいるときには、その余の共有者は、隣接する土地の所有者と共に右の訴えを提起することに同調しない者を被告にして訴えを提起することができるものと解するのが相当である。
けだし、境界確定の訴えは、所有権の目的となるべき公簿上特定の地番により表示される相隣接する土地の境界に争いがある場合に、裁判によってその境界を定めることを求める訴えであって、所有権の目的となる土地の範囲を確定するものとして共有地については共有者全員につき判決の効力を及ぼすべきものであるから、右共有者は、共通の利益を有する者として共同して訴え、又は訴えられることが必要となる。しかし、共有者のうちに右の訴えを提起することに同調しない者がいる場合であっても、隣接する土地との境界に争いがあるときにはこれを確定する必要があることを否定することはできないところ、右の訴えにおいては、裁判所は、当事者の主張に拘束されないで、自らその正当と認めるところに従って境界を定めるべきであって、当事者の主張しない境界線を確定しても民訴法二四六条の規定に違反するものではないのである(最高裁昭和三七年(オ)第九三八号同三八年一〇月一五日第三小法廷判決・民集一七巻九号一二二〇頁参照)。このような右の訴えの特質に照らせば、共有者全員が必ず共同歩調をとることを要するとまで解する必要はなく、共有者の全員が原告又は被告いずれかの立場で当事者として訴訟に関与していれば足りると解すべきであり、このように解しても訴訟手続に支障を来すこともないからである。
そして、共有者が原告と被告とに分かれることになった場合には、この共有者間には公簿上特定の地番により表示されている共有地の範囲に関する対立があるというべきであるとともに、隣地の所有者は、相隣接する土地の境界をめぐって、右共有者全員と対立関係にあるから、隣地の所有者が共有者のうちの原告となっている者のみを相手方として上訴した場合には、民訴法四七条四項を類推して、同法四〇条二項の準用により、この上訴の提起は、共有者のうちの被告となっている者に対しても効力を生じ、右の者は、被上訴人としての地位に立つものと解するのが相当である。
右に説示したところによれば、本件訴えを適法なものであるとし、被上告人Cも被控訴人の地位に立つとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の各判例のうち、最高裁昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決・民集二一巻七号一九二五頁は、本件と事案を異にし適切でなく、その余の各判例は、所論の趣旨を判示したものとはいえない。論旨は、右と異なる見解に立って原判決を非難するものであって、採用することができない。なお、原審は、主文三項の1において被上告人Aらと上告人との間で、同項の2において被上告人Aらと同Cとの間で、それぞれ本件土地と上告人所有地との境界を前記のとおり確定すると表示したが、共有者が原告と被告とに分かれることになった場合においても、境界は、右の訴えに関与した当事者全員の間で合一に確定されるものであるから、本件においては、本件土地と上告人所有地との境界を確定する旨を一つの主文で表示すれば足りるものであったというべきである。
よって、裁判官千種秀夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官千種秀夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、境界確定の訴えにおいて、共有者の一部の者が原告として訴えを提起することに同調しない場合、この者を本来の被告と共に被告として訴えを提起することができるとする法廷意見の結論に賛成するものであるが、これは、飽くまで、境界確定の訴えの特殊性に由来する便法であって、右の者に独立した被告適格を与えるものではなく、他の必要的共同訴訟に直ちに類推適用し得るものでないことを一言付言しておきたい。
すなわち、判示引用の最高裁判例の判示するとおり、土地の境界は、土地の所有権と密接な関係を有するものであり、かつ、隣接する土地の所有者全員について合一に確定すべきものであるから、境界の確定を求める訴えは、隣接する土地の一方又は双方が数名の共有に属する場合には、共有者全員が共同してのみ訴え、又は訴えられるのが原則である。したがって、共有者の一人が原告として訴えを提起することに同調しないからといって、その者が右の意味で被告となるべき者と同じ立場で訴えられるべき理由はない。もし、当事者に加える必要があれば、原告の一員として訴訟に引き込む途を考えることが筋であり、また、自ら原告となることを肯じない場合、参加人又は訴訟被告知者として、訴訟に参加し、あるいはその判決の効力を及ぼす途を検討すべきであろう。事実、共有者間に隣地との境界について見解が一致せず、あるいは隣地所有者との争いを好まぬ者が居たからといって、他の共有者らがその者のみを相手に訴えを起こし得るものではなく、その意味では、その者は、他の共有者らの提起する境界確定の訴えについては、当然には被告適格を有しないのである。したがって、仮に判示のとおり便宜その者を被告として訴訟に関与させたとしても、その者が、訴訟の過程で、原告となった他の共有者の死亡等によりその原告たる地位を承継すれば、当初被告であった者が原告の地位も承継することになるであろうし、判決の結果、双方が控訴し、当の被告がいずれにも同調しない場合、双方の被控訴人として取り扱うのかといった問題も生じないわけではない。かように、そのような非同調者は、これを被告とするといっても、隣地所有者とは立場が異なり、原審が「二次被告」と称したように特別な立場にある者として理解せざるを得ない。にもかかわらず、これを被告として取り扱うことを是とするのは、判示もいうとおり、境界確定の訴えが本質的には非訟事件であって、訴訟に関与していれば、その申立てや主張に拘らず、裁判所が判断を下しうるという訴えの性格によるものだからである。しかしながら、当事者適格は実体法上の権利関係と密接な関係を有するものであるから、本件の解釈・取扱いを他の必要的共同訴訟にどこまで類推できるのかには問題もあり、今後、立法的解決を含めて検討を要するところである。
以上、判示の結論は、この種事案に限り便法として許容されるべきものであると考える。
(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道)

(3)被告にされた原告適格者の訴訟上の地位はどうなるのか
三面訴訟関係になる・・・
→47条4項を類推適用して、40条を準用することができる

+(独立当事者参加)
第47条
1項 訴訟の結果によって権利が害されることを主張する第三者又は訴訟の目的の全部若しくは一部が自己の権利であることを主張する第三者は、その訴訟の当事者の双方又は一方を相手方として、当事者としてその訴訟に参加することができる。
2項 前項の規定による参加の申出は、書面でしなければならない。
3項 前項の書面は、当事者双方に送達しなければならない。
4項 第40条第1項から第3項までの規定は第一項の訴訟の当事者及び同項の規定によりその訴訟に参加した者について、第43条の規定は同項の規定による参加の申出について準用する。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる。
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

(4)既判力の主観的範囲はどうなるか
XY、XZとの間では生じるが、ZY間では生じない
→40条の適用との関係で問題が。
請求の擬制を・・・

(5)平成20年判決以降の判例の展開

+判例(H22.3.16)
理 由
第1 上告人Y の代理人天野茂樹及び上告人らの代理人北村明美の各上告理由について
1 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,上告人Y の代理人天野茂樹の上 2告理由は,理由の不備をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告人らの代理人北村明美の上告理由は,上告人Y の関係では,これを記 2載した書面が民訴規則194条所定の上告理由書提出期間後に提出されたことが明らかであり,上告人Y との関係では,民訴法312条1項又は2項に規定する事 1由を主張するものではないことが明らかである。

第2 職権による検討
上告人らの代理人北村明美の所論にかんがみ,職権をもって検討する。
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) Aは,平成17年12月17日に死亡した。
(2) 上告人Y ,同Y 及び被上告人は,いずれもAの子である。
(3) 上告人Y は,第1審判決別紙のとおりのA名義の遺言書を偽造した。
2 本件は,被上告人が,上告人らに対し,上告人Y が民法891条5号所定の相続欠格者に当たるとして,同Y がAの相続財産につき相続人の地位を有しないことの確認等を求める事案である(以下,上記確認請求を「本件請求」という。)。
3 第1審は,本件請求を棄却したため,被上告人がこれを不服として控訴したところ,原審は,本件請求を棄却した第1審判決を上告人Y に対する関係でのみ取り消した上,同Y に対する本件請求を認容する一方,同Y に対する被上告人の控訴を,控訴の利益を欠くものとして却下した。

4 しかしながら,原審の上記判断は,以下の(1)及び(2)の各点において,是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 被上告人の上告人Y に対する控訴の適否について本件請求に係る訴えは,共同相続人全員が当事者として関与し,その間で合一にのみ確定することを要する固有必要的共同訴訟と解するのが相当である(最高裁平成15年(受)第1153号同16年7月6日第三小法廷判決・民集58巻5号1319頁)。したがって,本件請求を棄却した第1審判決主文第2項は,被上告人の上告人Y に対する請求をも棄却するものであるというべきであって,上記3の訴訟経過に照らせば,被上告人の上告人Y に対する控訴につき,控訴の利益が認められることは明らかである。
(2) 本件請求に関する判断について
ア 本件請求に係る訴えは,固有必要的共同訴訟と解するのが相当であることは前示のとおりであるところ,原審は,本件請求を棄却した第1審判決を上告人Y2に対する関係でのみ取り消した上,同Yに対する本件請求を認容する一方,同Yに対する控訴を却下した結果,同Yに対する関係では,本件請求を棄却した第1審判決を維持したものといわざるを得ない。このような原審の判断は,固有必要的共同訴訟における合一確定の要請に反するものである。
イ そして,原告甲の被告乙及び丙に対する訴えが固有必要的共同訴訟であるにもかかわらず,甲の乙に対する請求を認容し,甲の丙に対する請求を棄却するという趣旨の判決がされた場合には,上訴審は,甲が上訴又は附帯上訴をしていないときであっても,合一確定に必要な限度で,上記判決のうち丙に関する部分を,丙に不利益に変更することができると解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第316号同48年7月20日第二小法廷判決・民集27巻7号863頁参照)。そうすると,当裁判所は,原判決のうち上告人Y に関する部分のみならず,同Yに関する部分も破棄することができるというべきである。

5 以上によれば,上記各点に係る原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は,全部破棄を免れない。そして,上記事実関係によれば,上告人Y は民法891条5号所定の相続欠格者に当たるというべきところ,記録によれば,同Y 及び同Y は,第1審及び原審を通じて共通の訴訟代理人を選任し,本件請求の当否につき,全く同一の主張立証活動をしてきたことが明らかであって,本件請求については,同Y のみならず,同Y の関係においても,既に十分な審理が尽くされているということができるから,第1審判決のうち同Y 及び同Yに対する関係で本件請求を棄却した部分を取り消した上,これらの請求を認容すべきである。なお,上告審は,上記のような理由により原判決を破棄する旨の判決をする場合には,民訴法319条並びに同法313条及び297条により上告審の訴訟手続に準用される同法140条の規定の趣旨に照らし,必ずしも口頭弁論を経ることを要しないものというべきである。よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官那須弘平 裁判官 近藤崇晴)

++解説
ほしいね。

+判例(H16.7.6)
理由
上告代理人福地絵子、同福地明人の上告受理申立て理由について
1 記録によれば、本件の概要は、次のとおりである。
(1) A(以下「A」という。)は、平成9年3月14日死亡した。その法定相続人は、妻であるB並びに子である上告人、被上告人、C及びDである。
(2) 上告人は、被上告人がAの遺言書を隠匿し、又は破棄したものであり、被上告人がした上記行為は民法891条5号所定の相続欠格事由に当たると主張し、被上告人のみを被告として、被上告人がAの遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める本件訴訟を提起した。
2 被相続人の遺産につき特定の共同相続人が相続人の地位を有するか否かの点は、遺産分割をすべき当事者の範囲、相続分及び遺留分の算定等の相続関係の処理における基本的な事項の前提となる事柄である。そして、共同相続人が、他の共同相続人に対し、その者が被相続人の遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えは、当該他の共同相続人に相続欠格事由があるか否か等を審理判断し、遺産分割前の共有関係にある当該遺産につきその者が相続人の地位を有するか否かを既判力をもって確定することにより、遺産分割審判の手続等における上記の点に関する紛議の発生を防止し、共同相続人間の紛争解決に資することを目的とするものであるこのような上記訴えの趣旨、目的にかんがみると、上記訴えは、共同相続人全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要するものというべきであり、いわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当である。
3 以上によれば、共同相続人全員を当事者としていないことを理由に本件訴えを却下した原審の判断は、正当として是認することができる。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切なものとはいえない。論旨は、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 金谷利廣 裁判官 濱田邦夫 裁判官 藤田宙靖)

++解説
《解  説》
1 本件は,共同訴訟人間における相続人の地位不存在確認の訴えが,固有必要的共同訴訟であるかどうかが問題となった事案である。
2 被相続人Aの法定相続人は,妻であるB及び子であるX,Y,C及びDの5名であった。Xは,Yが,被相続人Aの遺言書を隠匿し,又は破棄したとして,Yに民法891条5号の相続欠格事由があると主張し,相続人間の遺産分割手続では,この点が大きな争いとなったXは,Yを相手方として,Aの遺産につきYが相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えを提起した
1審は,Xの主張を認めて,Xの請求を認容した。これに対し,原審は,本件訴えは,共同相続人全員の間において合一に確定することを要する固有必要的共同訴訟であるところ,共同相続人の全員が訴訟当事者になっておらず,不適法であるとして,これを却下した。Xが上告受理の申立てをして,これが受理された。
本判決は,共同相続人が,他の共同相続人に対し,その者が被相続人の遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えは,固有必要的共同訴訟であると判示し,共同相続人全員を当事者としていないことを理由に本件訴えを却下した原審の判断は正当として是認することができるとして,上告を棄却した。

3 共同相続人間の遺産分割の前提問題としては,相続人の範囲,遺産の範囲,遺言,遺産分割協議の効力,具体的相続分等の多様な問題がある。このうち,遺産確認の訴え(最一小判昭61.3.13民集40巻2号389頁,判タ602号51頁),遺言無効確認の訴え(最三小判昭47.2.15民集26巻1号30頁)について,最高裁は確認の利益を認めている。これに対し,最一小判平12.2.24民集54巻2号523頁,判タ1025号125頁は,いわゆる具体的相続分の価額又は割合の確認を求める訴えは確認の利益を欠くものと判示している。
本件は,XがYに相続欠格事由があると主張した事案である。民法は,被相続人の子等被相続人と一定の身分関係にある者が相続人となるとした上,民法891条各号の者は相続人となることができないと規定している。上記身分関係の存否を確定するには,本来的には人事訴訟によることになるが,民法891条各号の事由の存否を人事訴訟で争うことはできない。そして,同条各号に定める事実自体の確認を求めることは困難と解されるが,相続人の地位にあるかどうかということは,現在の法律関係といえる(最大決昭41.3.2民集20巻3号360頁,判タ189号82頁参照)から,確認の対象として有効適切でないとはいえず,即時確定の利益があれば,相続人の地位の不存在を確認することは許されると解される。学説も,一般に,相続欠格事由のあることを理由に相続権ないし相続人の地位不存在確認の訴えを提起することができると解している(新版注釈民法(26)〔加藤永一〕311頁,田中恒朗・遺産分割の理論と実務39頁,山崎まさよ「相続権存否確認の訴え」判タ688号219頁等)。最高裁判例で,相続人の地位不存在確認の訴えの確認の利益について明示に判断したものは見当たらないが,最三小判平9.1.28民集51巻1号184頁,判タ933号94頁(民法891条5号の規定の解釈が問題となった事案)は,共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えについて実体判断をした原審の判断を是認しており,当該訴えにつき確認の利益があることを前提とした判断であると解される。

4 固有必要的共同訴訟とは,全員が漏れなく共同原告又は共同被告として訴え又は訴えられるのでなければ当事者適格を欠くことになるものである。共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えが固有必要的共同訴訟であるかどうかという点について判示した最高裁判例は見当たらず,下級審裁判例としても,本件の原審が最初のものであると思われる。なお,前掲最三小判平9.1.28は,共同相続人の全員が当事者となっており,いずれの説でも説明が可能な事案であった。
相続人の地位不存在確認の訴えの適法性を肯定する文献も,この点については言及していないものが多い。固有必要的共同訴訟と解することによって紛争の一回的解決を図ることができる反面,訴訟が複雑となり,手続的負担が過大となるおそれがあるといわれる。最高裁は,多数当事者間の訴訟について個別訴訟の余地を広く認めるようになっており,上記文献も,特に議論をしていないということは,通常共同訴訟であることを暗黙の前提としているようにも解される。他方,最三小判平1.3.28民集43巻3号167頁,判タ698号202頁は,共同相続人間における遺産確認の訴えは共同相続人全員が当事者として関与することを要する固有必要的共同訴訟であると判示しており,学説には,相続人の地位存否確認の訴えが固有必要的共同訴訟であると解すべきであると明言するもの(山本和彦「遺産確認の訴えと固有必要的共同訴訟」ジュリ946号53頁,杉山智紹・民訴法判例百選Ⅱ[新法対応補正版]365頁)がある。
共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えは,広い意味で遺産という共有物をめぐる訴訟といえる。遺産の共有関係を民法上の共有関係と考えて,遺産について各人の共有持分権を観念することができるとすると,共有持分権を主張する訴訟は,通常共同訴訟ではないかと考えられる。しかしながら,相続人の地位不存在確認の訴えは,被告の共有持分権の存否を問題とする訴訟ではなく,遺産について共同相続人間に共有関係が存在するかどうかという共有者たる人の範囲を確定する訴訟であるといえる。これを遺産確認の訴えとの対比でいえば,遺産確認の訴えが,共同相続人間の遺産の共有関係を特定の物の遺産帰属性という視点で確定するのに対し,相続人の地位不存在確認の訴えは,遺産の共有関係を特定の者の相続人の地位の有無という視点で確定するものである。そして,目的物件について,一定数の数人の間に共有関係が存在するかどうかについての争いは固有必要的共同訴訟と解されている(菊井維大=村松俊夫著・コンメンタール民事訴訟法Ⅰ378頁等,大判大2.7.11民録19輯662頁)。
共同訴訟人間で被相続人の遺産につき相続人の地位の不存在を確定する確認の利益が認められるのは,遺産分割手続等の前提問題として,相続人の範囲についての争いを解決する必要があることによると考えられる。ところで,共同相続人の間で,個別に相続人の地位を確定することが可能であるとすると,個別訴訟の結論が矛盾した場合に,遺産分割手続でどちらの訴訟の結論を優先させるかという理論上困難な問題が生ずることになる。実際の解決としては,遺産分割手続は,いずれも訴訟の結論にも拘束されず,独自の立場で,相続人の地位の存否を確定するということも考えられるが,このような解決は,既判力理論に照らして疑問の余地があるし,訴訟の結論が遺産分割手続を拘束しないという結論を是認するのであれば,そのような確認訴訟を認めることが紛争解決に有効適切といえるかどうか疑問となり,確認の利益があるという前提自体に疑問が生ずることとなろう。共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えの機能は,遺産帰属性を確定するか相続人の地位を確定するかという違いはあるものの,遺産確認の訴えの機能と同様であり,本件のような共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えは,その確認の利益を肯定する限りは,固有必要的共同訴訟と解するのが相当であると考えられる。このように考えると,原告となる者の負担が増えることは否定できないが,遺産分割審判手続は共同相続人の全員を当事者としていなければならないと解されていることからすると,共同相続人の全員を当事者として手続を進めなければならないことはやむを得ないと考えられるし,原告の立場に同調しない共同相続人は,被告とすればよいと解されるから,原告の訴え提起が著しく困難になるということもないと思われる。
なお,遺産分割手続では遺言の有効性も前提問題となり得るところ,一般に,遺言無効確認の訴えは,通常共同訴訟とされている(事例判例であるが,最二小判昭56.9.11民集35巻6号1013頁,判タ454号84頁)が,遺言無効確認の訴えと遺産確認の訴え・相続人の地位不存在確認の訴えとは,事案を異にすると考えられる(平1最判解説(民)113頁注18[田中壮太],山本・前掲53頁)。
5 本判決は,共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えが,共同相続人の全員が関与し,合一確定を要する固有必要的共同訴訟であることを明示した最高裁判決であり,実務上参考となろう。

+判例(H1.3.28)
理由
上告代理人丸茂忍の上告理由第二点について
遺産確認の訴えは、当該財産が現に共同相続人による遺産分割前の共有関係にあることの確認を求める訴えであり、その原告勝訴の確定判決は、当該財産が遺産分割の対象である財産であることを既判力をもつて確定し、これに続く遺産分割審判の手続及び右審判の確定後において、当該財産の遺産帰属性を争うことを許さないとすることによつて共同相続人間の紛争の解決に資することができるのであつて、この点に右訴えの適法性を肯定する実質的根拠があるのであるから(最高裁昭和五七年(オ)第一八四号同六一年三月一三日第一小法廷判決・民集四〇巻二号三八九頁参照)、右訴えは、共同相続人全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要するいわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己)


民事訴訟法 基礎演習 通常共同訴訟(同時審判申出共同訴訟・訴えの主観的予備的併合)


+(共同訴訟の要件)
第38条
訴訟の目的である権利又は義務が数人について共通であるとき、又は同一の事実上及び法律上の原因に基づくときは、その数人は、共同訴訟人として訴え、又は訴えられることができる。訴訟の目的である権利又は義務が同種であって事実上及び法律上同種の原因に基づくときも、同様とする。

+(共同訴訟人の地位)
第39条
共同訴訟人の一人の訴訟行為、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為及び共同訴訟人の一人について生じた事項は、他の共同訴訟人に影響を及ぼさない。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる。
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

+(任意の出頭による訴えの提起等)
第41条
1項 共同被告の一方に対する訴訟の目的である権利と共同被告の他方に対する訴訟の目的である権利とが法律上併存し得ない関係にある場合において、原告の申出があったときは、弁論及び裁判は、分離しないでしなければならない。
2項 前項の申出は、控訴審の口頭弁論の終結の時までにしなければならない。
3項 第1項の場合において、各共同被告に係る控訴事件が同一の控訴裁判所に各別に係属するときは、弁論及び裁判は、併合してしなければならない。

1.通常共同訴訟と共同訴訟人独立の原則

2.要件事実入門
請求原因
X→Y
①売買契約
②顕名
③先立つ代理権授与

X→Z(117条責任に基づく履行請求)
①売買契約
②顕名
(③は抗弁となる)

3.同時審判申出訴訟
一方の請求における請求原因事実が他方の請求では抗弁事実になるなど、両請求が実体法上の択一関係にある場合


無権代理の場合
民法717条関係
+(土地の工作物等の占有者及び所有者の責任)
民法第717条
1項 土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負うただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない
2項 前項の規定は、竹木の栽植又は支持に瑕疵がある場合について準用する。
3項 前二項の場合において、損害の原因について他にその責任を負う者があるときは、占有者又は所有者は、その者に対して求償権を行使することができる。

(3)効果

・両勝ちは、両負けを防止しようとする同時審判申出訴訟の制度趣旨には反しない!
・Yの自白でXY間の訴訟が判決をするのに熟したとしても、同時判決の要請から、Yに対する請求についてのみ判決することはできない!

・共同被告の一方についての中断・中止の事由が生じた場合
→停止しないのが原則だが、同時審判の要請から事実上停止。
40条3項を準用する考えも

・上訴の提起も当該当事者間の訴訟についてのみ確定遮断と維新の効果が生じる。
→原告が控訴しないと両負けの恐れが出てくる!
→念のため公訴。

4.訴えの主観的予備的併合の適否

+判例(S43.3.8)
理由
上告代理人羽生長七郎、同江幡清の上告理由第一点について。
記録によれば、所論の主張は原審においてなされていないことが明らかであるから、所論は採用することができない。
同追加上告理由一について。
記録によれば、原審は、被上告人Aが原判示の経緯により本件土地所有権を取得したと認定し、上告人の被上告人Aに対する本訴請求を棄却していることが明らかであつて、挙示の証拠によれば、原審の右認定および判断は、これを是認することができる。所論は、原判決を正解せず、独自の見解に基づき原判決を非難するものであつて、採用することができない。なお、弁済期に関する所論は、原判決の結論に影響のない主張であるから、この点に関する所論も採用のかぎりではない。
同上告理由第二点および追加上告理由二について。
訴の主観的予備的併合は不適法であつて許されないとする原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法は存しない。所論は、独自の見解に基づき原判決を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎)

予備的被告の不利益とは
Zは応訴を強いられ、たとえその防御が功を奏して代理権授与の事実が認められたとしても、主位的請求の認容により予備的請求の解除条件が成就するため、Zは勝訴判決を取得できない!
→Yの無資力などによりXの強制執行が不奏功の場合、XがZに再訴を提起すると、この再訴は実質的に前訴の蒸し返しであるにもかかわらずZは再訴を既判力により封じることができない!


民事訴訟法 基礎演習 和解


1.裁判外の和解と裁判上の和解

+(和解)
民法第695条
和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。

裁判上の和解=訴訟上の和解+訴え定期前の和解(275条)

+(訴え提起前の和解)
民事訴訟法第275条
1項 民事上の争いについては、当事者は、請求の趣旨及び原因並びに争いの実情を表示して、相手方の普通裁判籍の所在地を管轄する簡易裁判所に和解の申立てをすることができる。
2項 前項の和解が調わない場合において、和解の期日に出頭した当事者双方の申立てがあるときは、裁判所は、直ちに訴訟の弁論を命ずる。この場合においては、和解の申立てをした者は、その申立てをした時に、訴えを提起したものとみなし、和解の費用は、訴訟費用の一部とする。
3項 申立人又は相手方が第一項の和解の期日に出頭しないときは、裁判所は、和解が調わないものとみなすことができる。
4項 第1項の和解については、第264条び第265条の規定は、適用しない。

・訴訟上の和解の効力として既判力が認められるのか?

・訴訟上の和解に既判力がある。
+判例(S33.3.5)
理由
上告代理人大高三千助の上告理由について。
罹災都市借地借家臨時処理法(以下単に処理法という。)は、先般の戦争による罹災又は建物疎開のため甚大な被害を蒙つた都市における罹災者の居住の安定を図ると共に、都市の急速な復興をはかるため制定されたものであつて、罹災者の居住の保護のために、罹災建物の借主に対しその敷地につき優先的に借地権の設定又は譲渡を求める権利を与え、また、疎開跡地について旧借地人又は疎開建物の借主に優先的に借地権の設定を求める権利を与えている。すなわち、同法二条、三条(同法九条で準用する場合を含む)では、罹災建物の借主に、敷地についてその申出により優先的に借地権の設定又は譲渡を受ける権利を認め、土地所有者又は既存の借地権者は正当な事由がなければ、その申出を拒絶することができないものとし、同法一五条、一八条では、この借地権の設定又は譲渡に関する法律関係について争のあるときは、申立により裁判所が非訟事件手続法により、これを定めることができる旨を規定している。
元来私権に関する裁判の手続については現行法上民事訴訟法、人事訴訟手続法、非訟事件手続法、家事審判法等各種存するのであるが、非訟事件手続法は私権の発生、変更、消滅に裁判所が関与する場合に、これによるのを原則とする。そして、処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律関係の争を裁判するのではなく、前記の如く、土地について権利を有していなかつた罹災建物の借主らに、新に、敷地に借地権の設定を求めたり、既存の借地権の譲渡を求める申出権を認め、土地所有者又は既存の借地権者がこれを拒絶した場合に、その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものであること、および、罹災地における借地の法律関係については実情に即した迅速な処理が要請せられていた当時の実情に鑑み、これを非訟事件として、同法一六条、一七条の借地借家関係の形成の裁判と共に、非訟事件手続法によらしめたものと認められる。そして、私権に関する裁判を如何なる手続法によらしめるかは、事件の種類、性質に応じて、憲法の許す範囲内において、立法により定め得る事項であるということができる。
ところで、非訟事件手続法では、その裁判は判決の形式をとらず、決定の形式をとり、また、必要的当事者対審の方式が要求されておらず、審理は非公開を原則としており、当事者処分主義でなく、職権主義が加味されているのであるが、管轄裁判所、裁判官の除斥等の規定を設けて裁判の公正を保障し、当事者の申立、陳述、期日、期間および証拠調等について、民事訴訟法の規定が準用され、当事者に主張、弁解の機会が与えられ、裁判は職権による事実探知のほか、民事訴訟法の準用による証拠調に基いて事実を認定して、法律によりなされるのであつて、更に、その裁判に対しては抗告、特別抗告の途が拓かれており、いやしくも、裁判官の専恣による事実および法律上の判断を許さないことはいうをまたないところである。してみれば、非訟事件手続法によるかかる裁判は固より法律の定める適正な手続による裁判ということができる。それ故その裁判が憲法三二条、八二条に違反するとの非難は、当らない。
そして、処理法二五条は、同法一五条の規定による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は確定判決と同一の効力を有し(民訴二〇三条)、既判力を有するものと解すべきであり、また、特に所論の如く借地権設定の裁判に限つて既判力を否定しなければならない解釈上の根拠もなく、更に、本件の如く実質的理由によつて賃借権設定申立を却下した裁判も処理法二五条に規定する同法一五条の裁判であることに疑いなく、従つて、これについて既判力を否定すべき理由がなく、この裁判に既判力を認めたからといつて、憲法の保障する裁判所の裁判を受ける権利を奪うことにならないことは多言を要しないところである。
してみれば、原判決が本件賃借権設定および条件確定の申立は処理法一五条、一八条に従い非訟事件手続法により裁判されたものであつて同法二五条により、その裁判は裁判上の和解と同一の効力を有するのであるから実質的理由の下になされた昭和二二年(シ)六一〇号事件の申立却下の決定には既判力があり、上告人の右申立事件で主張したと同一事実を請求原因とする本訴請求は理由がないとして排斥したことは正当であつて、所論の如く憲法違反又は処理法の解釈を誤つた違法はない。論旨はすべて理由がない。
よつて民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官真野毅、同島保の意見および裁判官垂水克己、同河村大助、同下飯坂潤夫の少数意見があるほか裁判官一致の意見により主文の如く判決する。

+意見
本件に関する裁判官真野毅の意見はつぎのとおりである。
わたくしの結論は多数意見と同じであるが、理由の説明において異る。
既存の法律上の紛争については、何人も裁判所において裁判を受ける権利を有し、その訴訟手続は公開主義、口頭弁論主義にもとづき公正に行わるべきことは、憲法の要請するところである(判例集一〇巻一〇号一三六〇頁以下に述べた意見参照)。
本件では事実関係をよく見つめることが、特に大切である。そこで本件における原審の確定した事実によれば、上告人の主張は「上告人先代は本件宅地を被上告人Aから賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除去されると共に右賃借権は東京都に買収された。右命令は昭和二一年四月中解除となり、本件宅地は被上告人Aに返還され、ついで罹災都市借地借家臨時処理法の施行によつて、もとの借地人はこれに対して優先賃借の申出をすることができるようになつた。その間昭和二一年四月一六日上告人は右先代の死亡によつてその家督相続をしたので、同年一一月一〇日被上告人Aに対し本件宅地賃借の申出をした。被上告人Aは当時この申出を拒絶したけれども、その拒絶は正当の事由にもどつかないものであるから、本件宅地については右の賃借申出の後三週間を経過したとき、原告のために相当の条件を以てする賃貸借ができた。それにも拘わらず被上告人等は右賃貸借を争うから、本訴において借地権の確認等を求める」というのである。そして、上告人は先に前記処理法にもとづき被上告人Aを相手方として、東京地方裁判所に前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立をしたが、右申立は昭和二三年六月三〇日附決定をもつて却下され確定したことは本件当事者間に争いがない、と原審は確定している。さらに前記却下決定は、相手方の拒絶は正当の事由ありと認めるのが妥当であるとの実質的理由によつてなされたものであることを、原審は認定している。
この上告人の主張に関係のある法条は次のとおりである。「疎開建物が除却された当事におけるその敷地の借地権者」については、前記処理法二条が準用されるから(同法九条)、「その土地の所有者に対し……建物所有の目的で賃借の申出をすることによつて、……相当な借地条件で、その土地を賃借することができる」(同法二条一項)。そして、「土地所有者は、……正当な事由があるのでなければ、第一項の申出を拒絶することができない。」(同条三項)。さらに同法一五条は、「第二条(第九条……において準用する場合を含む)……の規定による賃借権の設定……に関する法律関係について、当事者間に、争があり、又は協議が調はないときは、申立により、裁判所は、……これを定めることができる。」と定め、同法二五は、「第十五条……の規定による裁判は、裁判上の和解と同一の効力を有する。」と定めている。
前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立事件における当事者間の主要な争は、上告人が前記処理法九条および二条一項にもとづき賃借の申出をしたが、相手方たる被上告人A(土地所有者)は、同法二条三項により正当な事由があることを主張して右上告人の申出を拒絶したのである。すなわち争点は、賃借の申出を拒絶する正当な事由があるかどうかにかかつていた。そして裁判所は、正当な事由ありとして、上告人の申立を却下する決定をしたのである。
上告人先代の有した建物は、強制疎開命令によつて除去されると共に、右賃借権は東京都に買収され消滅したのであるから、同法九条、二条一項による賃借の申出によつてその土地を賃借することができる権利は、同処理法が大平洋戦争による災害を復興ないし調整するため創設したものである。そして、正当な事由があれば土地所有者は、右賃借の申出を拒絶することができること(同法二条三項)、正当事由の有無(したがつて賃借権の設定の成否)の争は、裁判所が非訟事件手続法により決定すること(同法一五条、一八条)、その決定は裁判上の和解と同一の効力を有すること(同法二五条)は、すべて同法制定の趣旨にもとづく賃借権創設と密接不可分な有機的関連を有するものである。いわば相待つて賃借権の創設を定める条件的規定をなすものである。前記申立事件における正当な事由の有無の争のごときは、同法による賃借権創設の過程内における争に過ぎないのであつて、頭初に述べた既存の法律上の紛争ということはできない。したがつてこれを非訟事件手続で審理決定し、その決定に裁判上の和解と同一の効力を有せしめ、既判力を認めることは、憲法に違反するものということはできない。それ故、原判決は正当であり、本件、上告は棄却さるべきである。(なお、一五条の裁判では既存の法律上の紛争を最終的に決定する効力をもつことは許されない。例えば、当事者間に疎開建物が除却された当時におけるその敷地の借地権の有無につき争が存する場合には、その争こそは既存の法律上の紛争であるから、一五条の決定で、右借地権を否定し、したがつて二条一項による賃借の申出による賃借権の設定を認めず申立を却下したとしても、疎開当時の借地権の有無の判断については既判力の効力は及ばない。その有無は、結局民事訴訟手続によつて審判さるべきである
裁判官島保の意見は次のとおりである。
憲法三二条は、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定し、同八二条一項は、「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行ふ」と規定しているが、ここにいう裁判がいかなる裁判をさすかは、法文上必ずしも明らかではない。しかし、これらの法条がいずれも厳格な意味における司法権の作用としてなされる裁判を念頭に置いて規定されたものであることは、憲法が三権分立の理念に立脚して制定されたこと、右法条が憲法の司法の章下に規定されていること等に徴して疑いない。そして右の意味における裁判は、具体的法律関係の存否に関し当事者間に紛争の存する場合に、証拠によつて事実を明らかにし、これに法律を適用することによつてその紛争を解決すること、略言すれば、いわゆる非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものにつき裁判することをいうことは、司法権確立の沿革に徴し明らかなところである。されば、憲法三二条、八二条の保障するところは、何人も訴訟事件に関する限り、司法裁判所の裁判によつてその解決を受くべき権利を有し、これが審理と裁判とは、原則として公開の法廷で行われ、その手続は対審と判決とによつてなされなければならないことにあるといわざるを得ない。それゆえ、罹災都市借地借家臨時処理法一八条により非訟事件手続法の非公開、非対審、非判決の手続によつてなされる同一五条の裁判が違憲であるか否かは、その裁判の対象が訴訟事件であるか否かによつて決定されるものというべきである。ところで、罹災都市借地借家臨時処理法二条によれば、同条の要件が具備すれば直ちに賃借権が発生し、その賃借権に争があれば同一五条の裁判を受けうるもののごとくであり、この点からみれば同条による事件は、訴訟事件の観があるけれども、仔細に両条を調べてみると、当事者間に争があり協議が調わないため、いまだ真実には成立するに至つていない賃貸借関係につき、裁判所は鑑定委員会の意見を聞き同一五条所定の一切の事情を斟酌してその裁量により新たに賃借権を設定することができる趣旨を右の法条は規定したものと解するのを相当とするので、同条による裁判は、いわゆる非訟事件に関するものであり、訴訟事件について裁判するものではないから、憲法三二条、八二条等による保障は、右の場合に適用されるものではない。そして右裁判は、申立を相当と認めれば新たに賃借権を設定するものであり、既存の賃借権の存否を確認するものではないから、その意味において既判力を生ずるものではないけれども、本件の場合は同条による申立が却下され、賃借権が設定されなかつたのであるから、その理由により、上告人の請求を排斥した原判決は結局において正当であり、本件上告は棄却されるべきものである。

+少数意見
裁判官垂水克己の少数意見は次のとおりである。
私は、裁判とは何かということについての多数意見には賛成できない。処理法一五条の裁判はそれが確定しても既判力はないから、その目的物となつた権利関係について当事者は新に訴を提起して公開対審手続による権利の存否を確定する判決を受ける権利を奪われない。本訴請求に対しては実体判決をすべきであつたのに原判決がこれを斥けたのは違法であるから原判決は破棄されるべきである、と考える。
(1) 固有の意味の裁判固有の意味で裁判とは権利に関する争議について法の定める手続に従い法を適用して判定することをいう。すなわち、法上の権利の存否及びその範囲について争議があるときこれに対して法の定める手続に従いつつ法に照らして権利の存否及び範囲を確定することであつて、刑事においては、ドイツやわが国の多くの学説のいうように、或る特定の人(被告人)に対して国が刑罰請求権(刑罰の執行に服従すべきことを請求する権利)を有するかどうか、有するとすればその範囲如何を確定することである。(これを仮りに黒白裁判と呼ぼう)。また固有の意味の裁判とは権利争議の目的物となつている具体的事実(事件)に法を適用して判定を下すこと(司法)であるといつてもよい。固有の意味の裁判は、広い意味の法(条理、正義人道、衡平などと呼ばれるものを含む)に照らして、しかも場合によりかなり自由な解釈をして判定を下すものではあるが、それでも所詮客観的な憲法及び法にのみ拘束された、権利存否の法律的判定であつて、特定の事実から発生する権利義務の内容は法によつて一定し、裁判する国家機関たる裁判所がこれを増減変更することができないのを大原則とする。例えば、当該契約と法に照らせば買主は代金一〇万円を支払はねばならない場合には、裁判所は一〇万円の支払を命ずる裁判だけをしなければならない。裁判所は裁量により六万円だけの支払を命じたり、或は、支払に代えて特定物を引渡したり、売主のために働いたり、謝罪したりすることを命ずることはできない。仮りに、法律によつて、裁判所に右のような裁判をすることを許しても、それはもはや権利争議に法律的判定を下す固有の意味の裁判ではない。
憲法三二条にいわゆる「裁判を受ける権利」とはかような固有の意味の裁判を受ける権利を指すものと解すべきである。けだし、権利についての争議(法律上の争訟)が裁判所に持ち込まれた場合に、若し、裁判所が当事者の意思に反しても、かかる裁判を避け法の適用から離れて自ら衡平適正と考えるところに従い自由に権利関係の変更を命ずる裁量的措置(司法的行政処分)を命じて争訟の有権的解決を遂げ得るものとするならば、予め実体法をもつて定められた人の権利義務は裁判によつて不測の(当事者も実体法もが予測しなかつた)強権的変更を受ける虞が常に存することとなろう。例えば、或特定の売買による売主の権利義務と買主の権利義務とはその契約と民法とによつて定まる。当事者はそれぞれ自分はこれだけの権利がありこれだけの義務しかないと考えてお互いの生活関係であるこの売買を決定確約した。、しかるに一朝争が起つて裁判になると、事情は一変し、裁判所は右契約の成立と当事者一方の不履行を認めながら、当事者の意思如何に拘わらず、前例のような権利義務を変更する裁判をすることができるとすると、当事者は裁判によつてどんな目に遭うかも知れず、契約も法律も頼りにならない。かくては、権利者は法が認めそして裁判と強制執行をもつて保障しようとする権利の満足を得られなくなり、従つてこの保障が失われた権利は権利たるの実を失い、その結果、広く権利及び法の強制力、惹いて社会生活の法的安固が害される虞を生ずること明らかである。これではもはや黒白裁判でにく大岡裁判、カーデイ裁判である。かような結果の承認は三権分立制下の固有の意味の裁判の本質及び作用の否定にほかならない。されば何人も固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないものとすることは個人のためにも国家公共のためにも最も大切な、三権分立制国家組織の柱石をなす事項であり、かような裁判こそわが裁判所から奪うことのできない不可欠の権限であり、裁判所の本質的至上使命である。国民は権利を侵害されたと考える場合に原告としても、又訴を受けた被告としても、自分が欲するかぎり、固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないというのが憲法三二条の意味でなければならない。そしてこの裁判の基礎たる審理が当事者双方の対論である場合には、当事者が欲する限り一度は公開法廷でそれが行われなければならない、その裁判(判決)も公開法廷でされなければならないと憲法八二条はいうのである。
(2) 実質上行政たる性質の裁判法が固有の意味の裁判以外に実質上行政に属する行為を裁判所にさせ、これをも裁判として扱うことは、それが事柄の性質上三権分立制の本義を失わせるものでないかぎり憲法に違反するものでないと解してよい。法定の場合に裁判所がする不在者の財産管理処分、夫婦間の協力扶助に関する処分のような要するに私法上の生活関係に対する国の直接的後見行為たる非訟事件の裁判、或は、非行少年に対する保護処分裁判、又は起訴前の勾留状の発付等の強制処分の裁判等がそれである。これらの行為(司法的行政処分)を裁判所に、裁判の形で、黒白裁判に準ずる手続でさせることは裁判所が法の適用を司る独立公正な判断をするに適した裁判官と機構とを持つことに鑑み適切なことであつて、これをも広義の裁判として扱うことは適当であることが少くない。司法的行政処分も立法によつて裁判とされた以上、裁判官は独立してこの裁判をしなければならない。その場合にも何人もこの裁判を受ける権利を奪われないが、それはこの立法の効果によるのであつて憲法三二条によるのではない。だから、また、裁判所をしてこのような司法的行政処分たる性質の裁判をさせなくする立法をしても憲法三二条に違反するものとはいえないのである。
(3) 対論 権利争議について裁判するには裁判所は争議内容を認識しなければならない。当事者は裁判所に対しどんな裁判を欲するかを申し立てこれを正当とする事実及び法律上の理由を主張し、立証し、意見を述べることができるようにすることが賢明な裁判制度である。当事者双方が裁判所に対し互に或裁判を申し立て、その理由を主張し、立証し意見を述べあうことが対論である。対論は攻撃防禦であり、書面の交互提出によつてもできないことはない(例えば保釈願とこれに対する検察官の意見書とにより裁判所が保釈許否の決定をする如き)が、それよりも直接裁判官の面前で口頭でこれを行うことこそ情理をつくすことができ切実効果的であつて、裁判所が啓発され真実を探究し法(正義)を発見するのに絶好無比の方法であるから、重要な対論は口頭でなされるべきことを法律が定めることを憲法八二条は予期するのであつて、同条にいう対論とは口頭による対論すなわち口頭弁論をいうと解すべきである。権利争議の当事者が(例えば、略式命令や支払命令に服せず)口頭弁論に基いて裁判されることを欲する限りその本案裁判は公開法廷での口頭弁論を一度も経ないですることができない。そしてこの裁判は公開法廷で口頭で言い渡されなければならない。重要な本格的審理においてはもはや革命前フランスのような秘密・書面審理主義は許されない。これによつてこそ、裁判所が片言によらず当事者双方の言い分と証拠に耳を傾けて公明正大に真実と法(正義)を探究し公平な裁判をすることが保障されるのである。これが憲法の精神である。
(4) 罹災都市借地借家臨時処理法は、要するに一定の賃貸借関係につき当事者間に協議が調わずその他争があるときは、裁判所が当事者の申立次第で或は裁量により借地権を設定する裁判を、或は法を適用して権利の存否を確定する裁判を、いずれも非訟事件手続法によつてすることを規定したものと解される。当事者がこの裁判に服するなら事件は落着する。実際この裁判によつて多数事件は早期に適正に解決を見るであろう点にこの立法の価値はあろう。けれども、この裁判は非訟事件手続法により必しも公廷での口頭弁論に基き公廷で宣告されることを要しないものである以上、当事者の一方が公開の口頭弁論に基く公開判決を要求する限り、この裁判がいわゆる、「確定判決と同一の効力」を持つに至つて後も、当事者が新に訴を提起して同一事実につき公開口頭弁論により法に照らしての権利の存否を確定する公開判決を受ける権利を奪うことは憲法三二条、八二条の上から許されないことは多言を要しないであろう。多数説の論拠をもつてすれば民刑訴訟を広く非訟手続に切り換える立法をしても違憲ではないということになり甚だ危険が感ぜられる。
処理法二五条は、同法一五条による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は民訴二〇三条により確定判決と同一の効力を有するが、しかし、私は、「確定判決と同一の効力を有す」とは単に訴訟終了の効果と執行力あることを認めたに止まり必しも既判力を認めた趣旨ではないと解する説に賛成する。従つて、本件問題の右処理法の裁判の後も、同一事実について当事者が更に訴を提起して法に照らして権利の存否を確定する公開審判を受ける権利は現行法の下でも奪われていないと解するものである。
されば、原審としては、さきの処理法に基く却下決定に既判力ありとして上告人の本訴請求を排斥すべきでなくこれに対しては新に公開口頭弁論による判決手続を行うべきであつた。よつて上告理由第二点は理由があるから、原判決を破棄し本件を原審に差戻すべきものであると考える。

+少数意見
裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。
原審の確定した事実によれば、上告人の先代は被上告人から、その所有の本件係争宅地を賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除却せられ、同時に右借地権は東京都に買収された。その後昭和二一年四月右命令が解除されて、右宅地は被上告人に返還されたので、上告人は罹災都市借地借家臨時処理法九条、二条によつて、旧借地につき優先賃借の申出をなしたところ、当時被上告人はその申出を拒絶した。上告人は右被上告人の拒絶は正当の事由に基づかないものであるから、本件宅地につき、右賃借申出後三週間を経過したとき上告人のために相当の条件を以てする賃借権が成立するに至ったと主張し、これを争う被上告人等に対し右借地権の確認等を求めるというにある。これに対し原審は、上告人はさきに同一事実関係につき前記処理法に基づき東京地方裁判所に賃借権設定並びに条件確定の申立をなしたところ、同庁においては、右申立は相手方の拒絶に正当の事由があるとの理由の下に決定を以て却下し、当時右決定は確定したので、右裁判は前記処理法二五条により裁判上の和解と同一の効力を有し、従つて既判力があるから上告人はもはや被上告人に対し、同一事実を請求原因として、借地権を主張することができない旨判示して、上告人の借地権確認の本訴請求を排斥したのである。
右判決に対する上告代理人大高三千助の上告理由につき私は次のように考える。
憲法三二条は国民の裁判を受ける権利を保障し、同八二条一項は裁判の対審及び判決は公開の法廷で行うことを要求している。ところで憲法三二条は如何なる事項について国民の裁判を受ける権利を保障したのか、また同八二条一項は、如何なる裁判が対審手続によつて判決の形式でなさるべきかを明示していないが、民事裁判が本質上法律を適用することによつて当事者間の紛争を解決する司法作用であり、右憲法の保障する裁判も、非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものを対象とすることは異論のないところであろう。けだし、右憲法の法意とするところは、当事者間の権利関係についての紛争は公開の法廷において行れる対審(口頭弁論)及び判決によつて公権的な判断を下すことにより決すべき旨を定め、国民がかゝる裁判を受ける権利はこれを奪うことができいものとして保障しているということができるからである。裁判所法三条において、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判する権限あることを規定しているのも、右憲法における裁判の意義を明確ならしめたに過ぎないものというべく、従つて、憲法の保障する公開の法廷において対審判決により公権的な判断作用をなすべきところの訴訟事件の裁判を、かゝる厳格な手続によらない密行、簡易性の非訟事件手続によつて裁判することは法の許さざるところである。民事訴訟における口頭主義弁論主義もまたかゝるところに根拠を有するものというべく、かくして厳格な手続を経た訴訟事件の裁判にしてはじめて既判力を認め得るものというべきであつて、非訟事件の裁判には確定判決と同一の既判力を認むべからざる所以の根拠もここに存するのである。
ところで本件で問題の、罹災都市借地借家臨時処理法二条は、一定の要件即ち賃借の申出と擬制承諾との法律要件の具備によつて、法律上当然に借地権の発生を認めているのであつて、その成立自体に国家機関の関与を必要としない、即ち裁判によつて借地権を創設するものでないことは同条の解釈上疑いの余地がない。従つて同条による借地権の発生につき争を生じたときは、その争は純然たる訴訟事件に属し、非訟事件の性質を有するものでないことも明白である。然るに同法一五条及び一八条によれば、同法二条の借地権の設定に関する法律関係について、当事者間に争があり、又は協議が調はないときは、申立により裁判所は鑑定委員会の意見を聴き従前の賃借条件、土地又は建物の状況その他一切の事情を斟酌して、これを定めることができ、その裁判は非訟事件手続法によりこれをなすと規定されている。而して右一五条では「借地権の設定」なる文字を使用し、その行文必ずしも明確ではないが、同法二条の借地権は当事者の申立により裁判所がこれを設定する法意でないことは前に述べたとおりである。蓋し拒絶の正当事由が不存在の場合は借地権は当然成立するのに、争がある場合は裁判によつて始めて形成されるというが如き、権利発生が二途に出づるような見解は正当でないからである。元来処理法が罹災都市の復興及び住宅問題の急速処理の必要から、その解決を簡易な非訟事件裁判に求めようとした立法政策はこれを首肯することができるが、しかし、借地権の存否自体の争い即ち本来訴訟事件たる性質を有する権利関係の重大な紛争までも、非訟事件にとり入れて憲法上の裁判を受くる権利を奪う如き、応急立法をしたとは考えられない。従つて右一五条の規定は、既に二条によつて設定された借地権に関し、賃料その他の借地条件を鑑定委員会の意見を聴き具体的に定めることを目的とするものであつて、借地権自体の設定又はその存否の争いを確定することは同条審判の対象とならないものと解するを相当とする。さればたとえ非訟事件裁判所において同条による借地条件形成の裁判の前提として、借地権の存否に関する実体的要件を一応審査したとしても、それは非訟事件の裁判の対象となるものではなく、飽迄前提要件の審査に過ぎず、この判断が実体的確定力を有するものでないことは理論上当然の筋合である(その後同法と全く同様の立法の接収不動産に関する借地借家臨時処理法一七条(本法一五条に当る)は裁判の対象を賃借条件又は対価の決定のみにしている点は注目に値する)。従つて、右の前提要件を欠くものとして処理法一五条による申立を却下されたとしても、改めて借地権の存否の確定自体を通常の民事訴訟手続に求むることは、何等妨げないものというべく、されば右申立却下の裁判によつて借地権の存否についても既判力を生ずるものとなした原判決は、処理法の解釈を誤つたものというべきである。
多数意見は「処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律関係の争を裁判するものではなく」「その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものである」と説示しているが、同法二条は拒絶が正当の事由に基づくときは借地権を成立せしめず、反対に拒絶が正当の事由に基づかないときは、借地権を成立せしむることになるので、その正当事由の存否の争いは、取りも直さず借地権存否の争いに外ならないのである。そしてその争いを裁判することは、借地権の存否を確定するものであるから、既存の法律関係の争いを裁判するものであつて、明かに訴訟事件の性質を有するものである。
又多数意見はかゝる非訟事件の裁判と雖も裁判所において公正な手続により行われるものであるから法律の定める適正な手続による裁判ということができ、憲法三二条、八二条に違反するものではないとの趣旨を判示しているが、かゝる見解は立法によつて、あらゆる私権についての紛争を非訟事件手続により裁判することを定め得るに等しく、到底賛同することを得ないものである。
以上要するに、処理法一八条、二五条の規定は、憲法に違反するものというを得ないが、本件問題の申立却下の裁判は、確定判決のような既判力を有するものでなく、かつその裁判の存在は、借地権の存否の確定を求むる民事訴訟の審判を妨ぐるものでないから、原審は須らく上告人の本訴請求につき、その実体的の審理判断を行うべきであつたに拘らず、前記申立却下の裁判につき同法二五条により既判力を認め上告人の請求を排斥したのは、処理法の解釈を誤つた違法によるのであつて、上告理由二点はその理由あるに帰する。よつて原判決を破棄し本件を原審に差戻すを相当と思料する。

+少数意見
裁判官下飯坂潤夫の少数意見は次のとおりである。
私は大体において、河村(大助)裁判官の少数意見に同調する。
本論旨に対する判断は、先ず罹災都市借地借家臨時処理法第二条(第九条の場合にも関連して)の解釈を基礎とすべきものと考える。云うまでもなく、借地権は地主の所有権に対する制限であるから、地主の意思に基くことを必要とする。すなわち、地主の当該借地権の設定を欲する意思表示によつて設定されるものであること、その意思表示が遺言に基づくような特別の場合を除いて地主対借地人間の契約の形式をとるものであることは、こゝに多く弁ずるまでもあるまい、右臨時処理法特設の借地権といつても、その例外であり得るものではなく、右法律第二条はこの当然のことを、多少のニユアンスを附してうたつているに過ぎない。従つて多数意見の説くように、右法条は借地権を法律の規定によつて当然に発生するとか、或は裁判所が設定するとかいうことを規定したものではないのである。もし多数意見のようだとすれば、地主はその自由意思を無視されてその土地の使用権をはく奪されるような結果になるであろう。そうした解釈が憲法の諸条章をまつまでもなく、条理上許し得ないことは、あえて賛言を要しないところと考える。そこで、少しく右法律第二条の解釈を試みれば、同条は罹災建物が滅失した当時における建物の借主は(同法第九条所定の者についても同様であるが、)その建物の敷地又は換地に借地権のない場合でも、土地所有者に対し、この法律施行の日から二箇年以内に、建物所有の目的を以て賃借の申出をすることができ、これによつて他の者に優先して、相当な条件でその土地を賃借することができる旨規定しているが、地主において右申出を拒絶できることは、同条第二項から明瞭に窺い得るところであり、たゞ、その拒絶の章思を右申出を受けた日から三週間以内に表示しないとき、又は、三週間内に拒絶の意思を表示しても、それがいわゆる正当事由を伴わないものであるときは右申出を承諾したものと看做される(擬制承諾)というのである。すなわち、右法条全文の構成は申込、承諾の各意思表示を必要とする借地契約の成立を予定しているのであつて、たゞ、罹災土地の焦眉の急に応ずベく、その形式が一種の強制契約のかたちをとつているだけなのである。(この種の強制契約は事情に応じ法律の常用する手段である)されば、この契約については一般の契約の場合と同じように、その成否について、各種の係争の生ずるであろうことは当然に予想されるところであり、(既に訴訟の現実がそうである)それらの係争が民事裁判の対象となると云わんよりは、民事裁判においてのみ審判さるべきものであり、右第二条にいわゆる借地の条件についての争は別として、性質上非訟事件に親しまないものであることは、これまた多言を要しないところであると信ずる。(私の理解するところでは、右臨時処理法第一五条の規定はいわゆる賃貸借の条件についてのみ運用さるべきを至当と考える。)多数意見は叙上の法解釈に頬冠りをするものであつて、その正当な所以を知らない。
次に、非訟事件の裁判の既判力について一言したい。この問題は非訟事件の本質如何の問題等に密接に関連し詳論を必要とする難問であるが、こゝにはその結論だけを簡単に記すこととする。非訟事件の裁判は例外もあるが原則として既判力がないものと考える。元来裁判の既判力なるものは、その裁判が当該裁判所をき束する効力、講学上のいわゆる形式的確定力の存する乙とを前提とするものであるが、非議事件の裁絢においては、原則として当該裁判所においての取消、変更を禁じられていないが故に右の形式的効力を認むるに由がないからである。のみならず、その本質的な根拠は非訟事件の性格そのものに由来する。すなわち、民事訴訟における裁判は、相対立する二当事者間の権利又は法律関係の存否の確定を目的とするに反し、非訟事件は一定の私法関係について秩序の維持保護監督等いわば国家の後見的役割の発動を求むるものであつて、国家はこれに対し裁判の形式を以て裁量的処分を為すだけのものであり、従つてこの裁判に民事判決におけると同じ意味の既判力をもたしむることは理論不能に帰するからである。多数意見は右臨時処理法第二五条を論拠として本係争裁判の既判力を云為するが、私見は裁判上の和解が判決と同一の効力を有するものとする民事訴訟法の規定そのものが、裁判上の和解に、いわゆる判決の既判力を与えたものではなく、たゞ単に執行力を認めたものに過ぎないものと解するを正当とし且また右第二五条に規定する第一五条乃至第一七条の裁判の中には却下の裁判を包含しないものと解するが故に、(これらの点についての詳論は次の機会に譲りたい)多数意見の既判力に関する所見には賛同致しかねるのである。
卑見は以上のとおりである。よつて、これを河村裁判官の少数意見に附加させて貰い、本件は破棄差戻すを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

・訴訟上の和解について錯誤無効の主張を認めた事例
+判例(S33.6.14)
理由
上告代理人岡田実五郎、同佐々木熈の上告理由第一点について。
しかし、原判決の適法に確定したところによれば、本件和解は、本件請求金額六二万九七七七円五〇銭の支払義務あるか否かが争の目的であつて、当事者である原告(被控訴人、被上告人)、被告(控訴人、上告人)が原判示のごとく互に譲歩をして右争を止めるため仮差押にかかる本件ジャムを市場で一般に通用している特選金菊印苺ジャムであることを前提とし、これを一箱当り三千円(一罐平均六二円五〇銭相当)と見込んで控訴人から被控訴人に代物弁済として引渡すことを約したものであるところ、本件ジャムは、原判示のごとき粗悪品であつたから、本件和解に関与した被控訴会社の訴訟代理人の意思表示にはその重要な部分に錯誤があつたというのであるから、原判決には所論のごとき法令の解釈に誤りがあるとは認められない。

同第二点について。
しかし、原判決は、本件代物弁済の目的物である金菊印苺ジャムに所論のごとき暇疵があつたが故に契約の要素に錯誤を来しているとの趣旨を判示しているのであり、このような場合には、民法瑕疵担保の規定は排除されるのであるから(大正一〇年一二月一五日大審院判決、大審院民事判決録二七輯二一六〇頁以下参照)、所論は採るを得ない。
同第三点について。
しかし、原判決は、被控訴人(被上告人)主張の本訴請求原因たる事実は、すべて当事者間に争がない旨判示しているのであるから、被控訴人の本訴請求を認容するには、控訴人(上告人)の抗弁について判断すれば足り、所論の点について触れなくとも、所論の違法があるとはいえない。
同第四点について。
しかし、原判決は、本件和解は要素の錯誤により無効である旨判示しているから、所論のごとき実質的確定力を有しないこと論をまたない。それ故、所論は、その前提において採るを得ない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫)

++解説
ほしいね!

2.訴訟上の和解制度の特質と効力

・訴訟終了効について

・なぜ訴訟上の和解に限って本案判決によらず訴訟が終了するのか?

①判決代替物としての和解という考え方
②本案判決によらず訴訟を終了させる旨の両当事者の意思表示が含まれているから

3.既判力をめぐる議論

4.制限的既判力説の意義

+判例(S41.3.22)
理由
上告代理人辻丸勇次の上告理由について。
本件宅地の賃貸借契約は、本件土地が都市計画の実施により道路敷とされるとき、または、被上告人がこれを他に売却処分する必要が生ずるという事態の発生したときでない限り、一カ年毎に契約を更新する約旨であつたとの点、従前の更新はまさに右約旨に従つてなされたものであるとの点および期間を一カ年と定めたのが所論のような趣旨に出たものであるとの点は、いずれも原審の認定しないところである。所論は、原審の認定しない事実に立脚して、原判決の理由不備をいうものであつて、その前提を欠き、採用できない。

上告代理人田中実の上告理由について。
賃貸人が、土地賃貸借契約の終了を理由に、賃借人に対して地上建物の収去、土地の明渡を求める訴訟が係属中に、土地賃借人からその所有の前記建物の一部を賃借し、これに基づき、当該建物部分および建物敷地の占有を承継した者は、民訴法七四条にいう「其ノ訴訟ノ目的タル債務ヲ承継シタル」者に該当すると解するのが相当である。けだし、土地賃借人が契約の終了に基づいて土地賃貸人に対して負担する地上建物の収去義務は、右建物から立ち退く義務を包含するものであり、当該建物収去義務の存否に関する紛争のうち建物からの退去にかかる部分は、第三者が土地賃借人から係争建物の一部および建物敷地の占有を承継することによつて、第三者の土地賃貸人に対する退去義務の存否に関する紛争という型態をとつて、右両者間に移行し、第三者は当該紛争の主体たる地位を土地賃借人から承継したものと解されるからである。これを実質的に考察しても、第三者の占有の適否ないし土地賃貸人に対する退去義務の存否は、帰するところ、土地賃貸借契約が終了していないとする土地賃借人の主張とこれを支える証拠関係(訴訟資料)に依存するとともに、他面において、土地賃貸人側の反対の訴訟資料によつて否定されうる関係にあるのが通常であるから、かかる場合、土地賃貸人が、第三者を相手どつて新たに訴訟を提起する代わりに、土地賃借人との間の既存の訴訟を第三者に承継させて、従前の訴訟資料を利用し、争いの実効的な解決を計ろうとする要請は、民訴法七四条の法意に鑑み、正当なものとしてこれを是認すべきであるし、これにより第三者の利益を損うものとは考えられないのである。そして、たとえ、土地賃貸人の第三者に対する請求が土地所有権に基づく物上請求であり、土地賃借人に対する請求が債権的請求であつて、前者と後者とが権利としての性質を異にするからといつて、叙上の理は左右されないというべきである。されば、本件土地賃貸借契約の終了を理由とする建物収去土地明渡請求訴訟の係属中、土地賃借人であつた第一審被告亡小能見唯次からその所有の地上建物中の判示部分を賃借使用するにいたつた上告人富永キクエに対して被上告人がした訴訟引受の申立を許容すべきものとした原審の判断は正当であり、所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎)

和解の場合に、拘束力を承継人等の第三者に及ぼすことが正当化できるか?

5.瑕疵を主張する手続き

・旧訴訟における続行期日指定申立てによるべき
・和解無効確認の訴え
・請求意義の訴え

・期日指定の方法に対する批判
①和解の効力をめぐる争いについて三審級が保障されないこと
②条文上の根拠がない
③中立性の点で問題

6.和解手続き論


民事訴訟法 基礎演習 争点効・信義則


1.設問1
(1)相続人と既判力の主観的範囲

(2)既判力の客観的範囲と判決主文中判断限定の理由

理由
当事者が意識的に紛争の対象として審判を求めた訴訟物たる権利関係の存否の判断に既判力を認めることが、当事者の意図に沿うとともに、当面の紛争を解決するのに十分
当事者が前提問題についてある程度自由に処分できる
裁判所も実体法における論理的順序の従うことなく結論に到達しやすい理由により判決を下すことが可能になる

(3)既判力の客観的範囲による帰結

2.設問2
(1)既判力の客観的範囲の限界

(2)判例学説による判決効の客観的範囲の拡張の試み

+判例(S49.4.26)
理由
一、上告人の上告理由第一点について。
被相続人の債務につき債権者より相続人に対し給付の訴が提起され、右訴訟において該債務の存在とともに相続人の限定承認の事実も認められたときは、裁判所は、債務名義上相続人の限定責任を明らかにするため、判決主文において、相続人に対し相続財産の限度で右債務の支払を命ずべきである。
ところで、右のように相続財産の限度で支払を命じた、いわゆる留保付判決が確定した後において、債権者が、右訴訟の第二審口頭弁論終結時以前に存在した限定承認と相容れない事実(たとえば民法九二一条の法定単純承認の事実)を主張して、右債権につき無留保の判決を得るため新たに訴を提起することは許されないものと解すべきである。けだし、前訴の訴訟物は、直接には、給付請求権即ち債権(相続債務)の存在及びその範囲であるが、限定承認の存在及び効力も、これに準ずるものとして審理判断されるのみならず、限定承認が認められたときは前述のように主文においてそのことが明示されるのであるから、限定承認の存在及び効力についての前訴の判断に関しては、既判力に準ずる効力があると考えるべきであるし、また民訴法五四五条二項によると、確定判決に対する請求異議の訴は、異議を主張することを要する口頭弁論の終結後に生じた原因に基づいてのみ提起することができるとされているが、その法意は、権利関係の安定、訴訟経済及び訴訟上の信義則等の観点から、判決の基礎となる口頭弁論において主張することのできた事由に基づいて判決の効力をその確定後に左右することは許されないとするにあると解すべきであり、右趣旨に照らすと、債権者が前訴において主張することのできた前述のごとき事実を主張して、前訴の確定判決が認めた限定承認の存在及び効力を争うことも同様に許されないものと考えられるからである。
そして、右のことは、債権者の給付請求に対し相続人から限定承認の主張が提出され、これが認められて留保付判決がされた場合であると、債権者がみずから留保付で請求をし留保付判決がされた場合であるとによつて異なるところはないと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによると、本訴請求中「被上告人Aに対し金一五九万五〇〇〇円及び内金二二万三〇〇〇円に対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金、被上告人B、同Cに対し各金一〇六万三三三三円三三銭及び内金一四万八六六六円六六銭に対する前同日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金」の支払を求める部分については、先に本件上告人を原告とし亡Dの相続財産管理人Aを被告とする前訴(東京地方裁判所昭和三一年(ワ)第五八六七号、東京高等裁判所昭和三五年(ネ)第一〇八九号、最高裁判所昭和三九年(オ)第八八〇号、第八八一号)において、「相続財産の限度で……支払え」との給付判決が確定しており、Dの相続財産管理人に対する右判決の効力が相続分に応じDの相続人である右被上告人らに及ぶことは明らかである。そして、上告人が本訴で主張する法定単純承認の事由は、前訴の第二審口頭弁論終結時以前に存在していた事実であるというのであるから、上告人の右主張は前訴の確定判決に牴触し、またこれに遮断されて許されず、本訴請求中前記部分は不適法として却下を免れないといわなければならない。 以上のとおりであるから、これと結論を同じくする原判決は正当として是認し得るのであつて、論旨は採用することができない。

二、同第二点について。
訴訟記録に照らすと、本件控訴状には被控訴人として第一審被告Eの氏名、住所の記載はなく、控訴の趣旨にもEに対する請求は記載されておらず、その他記録上控訴期間経過以前において上告人がEに対しても控訴を提起する趣旨であることを窺わせるに足りるものは一切なかつたのであるから、原審が、Eに対する関係においては、適法な控訴がないまま第一審判決が確定したものとし、控訴期間経過後にされた上告人の「控訴状補正申立」を容れなかつたのは正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
三、同第三点について。
被告に対し金銭給付を求める原告の請求を一部棄却した第一審判決に対し、原告(控訴人)が右敗訴部分の取消しを求めて控訴を申し立てたが、控訴の趣旨として、右取消しのうえ被告(被控訴人)に対して右棄却された金額全額ではなく、単にその一部の支払を請求するにすぎないときは、第一審判決の請求棄却部分のうち、原告(控訴人)において右支払を求めなかつた部分については、原告(控訴人)の控訴はなく確定したものと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によると、前掲前訴の第一審において、原告(本件上告人)は被告である前記Aに対し「金四〇〇万円とこれに対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による損害金」の支払を求めたところ、第一審は「被告は原告に対し、相続財産の限度で金六六万九〇〇〇円とこれに対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求は棄却する。」との判決をし、原告は右敗訴部分の取消しを求めて控訴したが控訴の趣旨において、原告(控訴人)は被告(被控訴人)に対し第一審判決で棄却された金三三三万一〇〇〇円及びこれに対する前述のごとき損害金のうち、金三三三万一〇〇〇円のみについて支払を求め、損害金についての支払は求めなかつたというのであるから、第一審判決中右損害金を棄却した部分については、原告より控訴はなく、第一審判決が確定したというべきである。
そうすると、これと同旨の原審の判断は正当として是認すべきであり、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

+判例(S51.9.30)
理由
上告代理人南逸郎、同石田一則、同藤巻一雄の上告理由について
原審が適法に確定した事実及び本件記録によれば、(一)昭和二三年六月ごろ、上告人らの先代訴外亡Aの所有する本件各土地について自作農創設特別措置法による買収処分がされ、かつ昭和二四年七月ごろ、被上告人らの先代訴外亡Bに対する売渡処分がおこなわれたところ、右Aの死後その相続人の一人である上告人Cは、右売渡処分後の昭和三二年五月に、右Bとの間で、右上告人が本件各土地を買い受ける旨の売買契約が成立したとして、右Bの死後、その子である被上告人D、同E及び妻である訴外亡Fに対し、右各土地について右上告人のため、農地法所定の許可申請手続及び許可を条件とする所有権移転登記手続等を求める訴(以下、前訴という。)を提起し、その請求棄却の判決が最高裁判所昭和四〇年(オ)第七九一号同四一年一二月二日第二小法廷の上告棄却の判決の言渡により確定したこと、(二)ところが、翌昭和四二年四月に右Aの共同相続人である上告人らが本訴を提起し、前記買収処分の無効等を理由として、右B及び右訴訟係属中に死亡した右Fの相続人である被上告人D、同E並びに右訴訟係属中に右被上告人らから本件第三土地の売渡をうけた被上告人丸楽紙業株式会社のためにされた本件各土地についての各所有権移転登記の抹消登記手続に代る所有権移転登記手続等を請求していること、(三)ところで、上告人Cは、前訴においても前記買収処分が無効であることを主張し、買収処分が無効であるため本件各土地は当然その返還を求めうべきものであるが、これを実現する方法として、土地返還約束を内容とする、実質は和解契約の性質をもつ前記売買契約を締結し、これに基づき前訴を提起したものである旨を一貫して陳述していたこと、(四)右上告人は、本訴における主張を前訴で請求原因として主張するにつきなんら支障はなかつたことが、明らかである。右事実関係のもとにおいては、前訴と本訴は、訴訟物を異にするとはいえ、ひつきよう、右Aの相続人が、右Bの相続人及び右相続人から譲渡をうけた者に対し、本件各土地の買収処分の無効を前提としてその取戻を目的として提起したものであり、本訴は、実質的には、前訴のむし返しというべきものであり、前訴において本訴の請求をすることに支障もなかつたのにかかわらず、さらに上告人らが本訴を提起することは、本訴提起時にすでに右買収処分後約二〇年も経過しており、右買収処分に基づき本件各土地の売渡をうけた右B及びその承継人の地位を不当に長く不安定な状態におくことになることを考慮するときは、信義則に照らして許されないものと解するのが相当である。これと結論を同じくする原審の判断は、結局相当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

・信義則に反し後訴を遮断すべきかを判断する際の考慮要素
①前訴における請求あるいは主張と後訴における請求あるいは主張とが実質上同一
②後訴で提出されている請求あるいは主張を前訴で提出しえたこと
③勝訴当事者が前訴判決により紛争が解決済みであるとの信頼を抱いており、法的安定性の要求を保護する必要がある
④前訴判決の正当性を確保するほどに前訴において充実した審理が行われていること
⑤前訴において当事者が争う誘因を有していたこと

(3)あるべき判決効の客観的範囲拡張の理論構成

(4)前訴手続過程の具体的経過と1審限りの判断

3.設問3


民事訴訟法 基礎演習 既判力の主観的範囲


・+(確定判決等の効力が及ぶ者の範囲)
第115条
1項 確定判決は、次に掲げる者に対してその効力を有する。
一 当事者
二 当事者が他人のために原告又は被告となった場合のその他人
三 前二号に掲げる者の口頭弁論終結後の承継人
四 前三号に掲げる者のために請求の目的物を所持する者
2項 前項の規定は、仮執行の宣言について準用する。

1.依存関係説と適格承継説

+判例(S41.3.22)
理由
上告代理人辻丸勇次の上告理由について。
本件宅地の賃貸借契約は、本件土地が都市計画の実施により道路敷とされるとき、または、被上告人がこれを他に売却処分する必要が生ずるという事態の発生したときでない限り、一カ年毎に契約を更新する約旨であつたとの点、従前の更新はまさに右約旨に従つてなされたものであるとの点および期間を一カ年と定めたのが所論のような趣旨に出たものであるとの点は、いずれも原審の認定しないところである。所論は、原審の認定しない事実に立脚して、原判決の理由不備をいうものであつて、その前提を欠き、採用できない。

上告代理人田中実の上告理由について。
賃貸人が、土地賃貸借契約の終了を理由に、賃借人に対して地上建物の収去、土地の明渡を求める訴訟が係属中に、土地賃借人からその所有の前記建物の一部を賃借し、これに基づき、当該建物部分および建物敷地の占有を承継した者は、民訴法七四条にいう「其ノ訴訟ノ目的タル債務ヲ承継シタル」者に該当すると解するのが相当である。
けだし、土地賃借人が契約の終了に基づいて土地賃貸人に対して負担する地上建物の収去義務は、右建物から立ち退く義務を包含するものであり、当該建物収去義務の存否に関する紛争のうち建物からの退去にかかる部分は、第三者が土地賃借人から係争建物の一部および建物敷地の占有を承継することによつて、第三者の土地賃貸人に対する退去義務の存否に関する紛争という型態をとつて、右両者間に移行し、第三者は当該紛争の主体たる地位を土地賃借人から承継したものと解されるからである。これを実質的に考察しても、第三者の占有の適否ないし土地賃貸人に対する退去義務の存否は、帰するところ、土地賃貸借契約が終了していないとする土地賃借人の主張とこれを支える証拠関係(訴訟資料)に依存するとともに、他面において、土地賃貸人側の反対の訴訟資料によつて否定されうる関係にあるのが通常であるから、かかる場合、土地賃貸人が、第三者を相手どつて新たに訴訟を提起する代わりに、土地賃借人との間の既存の訴訟を第三者に承継させて、従前の訴訟資料を利用し、争いの実効的な解決を計ろうとする要請は、民訴法七四条の法意に鑑み、正当なものとしてこれを是認すべきであるし、これにより第三者の利益を損うものとは考えられないのである。そして、たとえ、土地賃貸人の第三者に対する請求が土地所有権に基づく物上請求であり、土地賃借人に対する請求が債権的請求であつて、前者と後者とが権利としての性質を異にするからといつて、叙上の理は左右されないというべきである。されば、本件土地賃貸借契約の終了を理由とする建物収去土地明渡請求訴訟の係属中、土地賃借人であつた第一審被告亡小能見唯次からその所有の地上建物中の判示部分を賃借使用するにいたつた上告人富永キクエに対して被上告人がした訴訟引受の申立を許容すべきものとした原審の判断は正当であり、所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎)

2.物権的請求権と債権的請求権で違いがあるか

3.形式説と実質説~既判力拡張の意味

ZにYに由来しない固有の抗弁が存する場合
実質説=承継人に固有の抗弁が成立する場合には、既判力が拡張されることはない!
+判例(S48.6.21)
理由
上告代理人宮崎巌雄の上告理由について。
原審の確定したところによれば、本件土地はもと訴外Aの所有名義に登記されていたが、右登記は上告人Bと右訴外人との通謀虚偽表示による無効のものであつて、本件土地は同上告人の所有に属していたのであり、同上告人の破産管財人は同訴外人に対しこのことを理由として真正な名義回復のため本件土地所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、同訴訟は名古屋地方裁判所岡崎支部昭和四二年(ワ)第二二〇六号事件として係属し、昭和四三年四月一七日口頭弁論終結のうえ、同月二六日右請求認容の判決がなされ、同判決はその頃確定したものであるところ、被上告人は、これらの事情を知らずに善意で、同訴外人に対する不動産強制競売事件において、前記訴訟の口頭弁論終結後である昭和四三年六月二七日、本件土地を競落し、同年七月二二日その旨の所有権取得登記を経由したというのである。
以上の事実関係のもとにおいては、上告人Bは、本件土地につきA名義でなされた前記所有権取得登記が、通謀虚偽表示によるもので無効であることを、善意の第三者である被上告人に対抗することはできないものであるから、被上告人は本件土地の所有権を取得するに至つたものであるというべきであるこのことは上告人Bと訴外Aとの間の前記確定判決の存在によつて左右されない。そして、被上告人は同訴外人の上告人Bに対する本件土地所有権移転登記義務を承継するものではないから、同上告人が、右確定判決につき、同訴外人の承継人として被上告人に対する承継執行文の付与を受けて執行することは許されないといわなければならない。
ところが、原審の確定したところによれば、上告人Bは右確定判決につき被上告人に対する承継執行文の付与を受けて、これに基づき、本件土地の所有名義を自己に回復するための所有権移転登記を経由したというのである。
同上告人の右行為は違法であつて、右登記の無効であることは前説示に照らし明らかである。結論において右と同趣旨に帰する原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤林益三 裁判官 大隅健一郎 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

4.反射効とはどういうものか

既判力の本質論
実体法説=既判力の内容通りに実体法関係が変更を受けるというもの
権利実在説=判決の既判力によって、はじめて当事者間の実体法関係が実在する
訴訟法説=既判力は実体法関係とは無関係に後訴裁判所への拘束力であるとする

実体法説・権利実在説からは反射効を導きやすい。

・訴訟法説で、
債権者から保証人に対する保証債務履行請求訴訟における保証人敗訴の判決が確定した後に債権者から主債務者に対する主債務履行請求訴訟における主債務者勝訴の判決が確定しても、保証人は、右の主債務者勝訴の確定判決を保証人敗訴の確定判決に対する請求異議の事由にすることはできない。

+判例(S51.10.21)
理由
上告代理人菊池嘉太義の上告理由について
被上告人は、昭和三八年一月六日亡Aに対し一五〇万円を貸与し、上告人外一名がその連帯保証をしたと主張して、Aの相続人ら及び上告人を共同被告として該債務の履行を求める訴訟(松山地裁大洲支部昭和四一年(ワ)第一八号損害賠償請求事件)を提起したところ、右相続人らは被上告人の請求原因事実を争つたが、上告人はこれを認めたので、上告人に関する弁論が分離され、昭和四一年一〇月二六日被上告人の上告人に対する請求を認容する旨の判決がされ、同判決は同年一一月一二日確定した。
他方、右相続人らに対する関係では審理の結果請求原因事実が認められず、昭和四四年一二月三日被上告人の右相続人らに対する請求を棄却する旨の判決がされ、同判決に対しては被上告人から適法な控訴の申立がされたが、控訴審の口頭弁論期日に当事者双方が欠席したことにより昭和四五年八月二六日右控訴が取り下げられたものとみなされた結果、右判決は確定するに至つた。
以上は、原審の適法に確定するところであつて、被上告人と右相続人ら間の右判決謄本である甲第一号証(同号証の成立については、当事者間に争いがないものとされている。)によると、被上告人の右相続人らに対する請求が棄却された理由は、被相続人である亡Aの被上告人に対する主債務の成立が否定されたためであることが明らかであり、原審の右認定の趣旨もここにあるものと解される。
所論は、要するに、上告人に対する前記判決は連帯保証債務の履行を命ずるものであるところ、その主債務は、右判決確定後、主債務関係の当事者である被上告人と右相続人ら間の確定判決により不存在と確定されたから、上告人は、連帯保証債務の附従性に基づき請求異議の訴により自己に対する前記判決の執行力の排除を求めることができる筋合であると主張する。そこで案ずるに一般に保証人が、債権者からの保証債務履行請求訴訟において、主債務者勝訴の確定判決を援用することにより保証人勝訴の判決を導きうると解せられるにしても、保証人がすでに保証人敗訴の確定判決を受けているときは、保証人敗訴の判決確定後に主債務者勝訴の判決が確定しても、同判決が保証人敗訴の確定判決の基礎となつた事実審口頭弁論終結の時までに生じた事実を理由としてされている以上、保証人は右主債務者勝訴の確定判決を保証人敗訴の確定判決に対する請求異議の事由にする余地はないものと解すべきである。
けだし、保証人が主債務者勝訴の確定判決を援用することが許されるにしても、これは、右確定判決の既判力が保証人に拡張されることに基づくものではないと解すべきであり、また、保証人は、保証人敗訴の確定判決の効力として、その判決の基礎となつた事実審口頭弁論終結の時までに提出できたにもかかわらず提出しなかつた事実に基づいてはもはや債権者の権利を争うことは許されないと解すべきところ、保証人敗訴判決の確定後において主債務者勝訴の確定判決があつても、その勝訴の理由が保証人敗訴判決の基礎となつた事実審口頭弁論の終結後に生じた事由に基づくものでない限り、この主債務者勝訴判決を援用して、保証人敗訴の確定判決に対する請求異議事由とするのを認めることは、実質的には前記保証人敗訴の確定判決の効力により保証人が主張することのできない事実に基づいて再び債権者の権利を争うことを容認するのとなんら異なるところがないといえるからである。
そして、原審認定の前記事実に照らせば、本件は連帯保証人である上告人において主債務者勝訴の確定判決を援用することが許されない場合であるというべきであるから、上告人の右援用を否定した原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)


民事訴訟法 基礎演習 既判力の客観的範囲・一部請求・相殺


1.既判力の客観的範囲に関するルール
(1)既判力の客観的範囲とは?

既判力=判決によって示された裁判所の判断の通用性または拘束力を意味する
既判力の客観的範囲
「客観的」=既判力の及物的対象・客体

(2)既判力の対象となる判断

(3)既判力の作用
通説
第2訴訟の本案について裁判所は審理をするが、既判力が作用することで、敗訴者は前の判決の判断に反する主張をすることができず(消極的作用)、裁判所は前の確定判決を前提にして本案判決(通常は請求棄却)をする(積極的作用)

(4)先決関係・矛盾関係と既判力の作用

(5)判決理由中の判断と既判力

・既判力が裁判所の公権的な判断に付与された強制力であることから、広い範囲に効力を及ぼすべきではなく、当事者が意識的に審判対象とした訴訟物についてのみこれを認めれば、当面の当事者間での紛争の解決のためには必要十分である(紛争の相対的解決)

・当事者は先決的法律関係について中間確認の訴え(145条)を利用して、判決理由中で判断される事項を既判力の対象に格上げする途も残されている。
+(中間確認の訴え)
第145条
1項 裁判が訴訟の進行中に争いとなっている法律関係の成立又は不成立に係るときは、当事者は、請求を拡張して、その法律関係の確認の判決を求めることができる。ただし、その確認の請求が他の裁判所の専属管轄(当事者が第十一条の規定により合意で定めたものを除く。)に属するときは、この限りでない。
2項 前項の訴訟が係属する裁判所が第六条第一項各号に定める裁判所である場合において、前項の確認の請求が同条第一項の規定により他の裁判所の専属管轄に属するときは、前項ただし書の規定は、適用しない。
3項 第143条第2項及び第3項の規定は、第一項の規定による請求の拡張について準用する。

・理由中の判断に既判力を生じさせてしまうと、当事者は慎重になってしまうし、裁判所も判断のミスを修正する機会がなくなる=迅速な解決が望めなくなる!

2.相殺の抗弁
(1)民事訴訟法114条2項の存在意義

・+(既判力の範囲)
第114条
1項 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。
2項 相殺のために主張した請求の成立又は不成立の判断は、相殺をもって対抗した額について既判力を有する。

(2)相殺の抗弁の審理方法

(3)既判力の対象となる判断

(4)既判力の範囲

訴求債権800万円
反対債権850万円
反対債権全額が不成立と判断された場合、判例通説によれば文言通り800万の限度でのみ既判力が生じるとされるが、対抗額を超える50万円についても信義則上主張できないと解することもできる。
+判例(S10.8.24)
調べておく

3.一部請求と既判力
(1)一部請求論の射程
(2)残部請求の可否:判例の状況

ア 明示的一部請求と黙示的一部請求

+判例(S32.6.7)
理由
被上告人等先代Aが本訴の請求原因として主張する事実の要旨は、左記(一)ないし(四)のとおりである。
(一) 被上告人等先代は、さきに上告人及びB(本件第一、二審における上告人の共同当事者であつたが、原判決中同人に関する部分は上告申立がなくすでに確定した)の両名(以下上告人等という)を被告として、京都地方裁判所に対し、左記請求原因事実に基き四五万円の支払を求める訴を提起した。すなわち、被上告人等先代は、昭和二三年九月二六日上告人等に対しダイヤモンド入帯留一個を四五万円で売却方を委任し、同日右帯留を上告人等に引き渡したが、同年一〇月五日右委任を合意解除し、上告人等は被上告人等先代に対し同月一一日限り右帯留を返還するか又は損害金四五万円を支払うべく、もし右期限にその何れの債務をも履行しないときは、被上告人等先代において右の何れかの債権を選択行使しうることとする旨の契約を締結したところ、上告人等は右期限に帯留を返還せず金員の支払をもしなかつたので、被上告人等先代は約旨に基き選択権を行使し上告人等両名に対し四五万円の支払を求める、というのである。そして右訴訟は京都地方裁判所昭和二三年(ワ)七七八号事件として係属したところ、同裁判所は、審理の結果、被上告人等先代の右請求を理由があると認め、「被告等(上告人等)は原告(被上告人等先代)に対し四五万円を支払え」との判決をなし、これに対し上告人等から大阪高等裁判所に控訴を申し立てたが(同庁昭和二四年(ネ)四四七号)、控訴が棄却され、よつて前記判決は確定した。
(二) 被上告人等先代は、その後右四五万円の債権の中二二万五千円の支払を受けた。
(三) けれども、前記契約当時上告人等はいずれも骨董商で右契約は同人等のため商行為たる行為であつたから、上告人等は右契約に基く四五万円を連帯して支払う義務を負担したものである。 
(四) そして、被上告人等先代は右(一)の訴訟(以下前訴といい、これに対して本件訴訟を本訴という)において右四五万円の連帯債務中の二分の一に当る二二万五千円についてのみ支払を求めたのであるから、本訴において更に残余の二二万五千円を連帯して支払うべきことを求める。―ちなみに、原判決は、被上告人等先代が本訴の請求趣旨として「被控訴人等(上告人等)は控訴人(被上告人等先代)に対し四五方円を支払え」との申立をした旨摘示するが、記録によれば、被上告人等先代がかかる申立をした事実を認めることはできない。被上告人等先代は本訴の第一審において「被告等(上告人等)は連帯して原告(被上告人等先代)に対し二二万五千円を支払え」との請求趣旨を申し立て、その後何ら右申立を変更しなかつたものであることは、記録上疑の余地がなく、原判決の右摘示は誤りである。
以上(一)ないし(三)の事実に基く被上告人等先代の本訴請求に対し、原審は、証拠に基き、右(一)の確定判決のあることおよび(三)の事実を確定した上(ただし、(三)の主張事実中上告人等の営業は、上告人は古物商、Bは小間物商及び貴金属商と認定した)、前訴の確定判決は、上告人等が本件契約に基き負担した四五万円の連帯債務の二分の一すなわち各自二二万五千円の債務を負担する部分につきなされたもので、その既判力は右の範囲に止まるから、残余の二分の一に当る各自二二万五千円ずつの債務の履行を求める本訴請求は理由があるとし、「被控訴人等(上告人等)は控訴人(被上告人等先代)に対し四五万円を支払え」との判決をした(この判決が被上告人等先代の申立を誤解してなされたものであることは前記により明らかである)。
思うに、本来可分給付の性質を有する金銭債務の債務者が数人ある場合、その債務が分割債務かまたは連帯債務かは、もとより二者択一の関係にあるが、債権者が数人の債務者に対して金銭債務の履行を訴求する場合、連帯債務たる事実関係を何ら主張しないときは、これを分割債務の主張と解すべきである。そして、債権者が分割債務を主張して一旦確定判決をえたときは、更に別訴をもつて同一債権関係につきこれを連帯債務である旨主張することは、前訴判決の既判力に牴触し、許されないところとしなければならない
これを本件についてみるに、被上告人等先代は、前訴において、上告人等に対し四五万円の債権を有する旨を主張しその履行を求めたが、その連帯債務なることについては何ら主張しなかつたので、裁判所はこれを分割債務の主張と解し、その請求どおり、上告人において四五万円(すなわち各自二二万五千円)の支払をなすべき旨の判決をし、右判決は確定するに至つたこと、上告人の前記(一)の主張自体および一件記録に徴し明瞭である。しかるに被上告人等先代は、本訴において、右四五万円の債権は連帯債務であつて前訴はその一部請求に外ならないから、残余の請求として、上告人等に対し連帯して二二万五千円の支払を求めるというのである。そして上告人等が四五万円の連帯債務を負担した事実は原判決の確定するところであるから、前訴判決が確定した各自二二万五千円の債務は、その金額のみに着目すれば、あたかも四五万円の債務の一部にすぎないかの観もないではない。しかしながら、被上告人等先代は、前訴において、分割債務たる四五万円の債権を主張し、上告人等に対し各自二二万五千円の支払を求めたのであつて、連帯債務たる四五万円の債権を主張してその内の二二万五千円の部分(連帯債務)につき履行を求めたものでないことは疑がないから、前訴請求をもつて本訴の訴訟物たる四五万円の連帯債務の一部請求と解することはできないのみならず、記録中の乙三号証(請求の趣旨拡張の申立と題する書面)によれば、被上告人等先代は、前訴において、上告人等に対する前記四五万円の請求を訴訟物の全部として訴求したものであることをうかがうに難くないから、その請求の全部につき勝訴の確定判決をえた後において、今さら右請求が訴訟物の一部の請求にすぎなかつた旨を主張することは、とうてい許されないものと解すべきである。
されば、本訴請求が前訴の確定判決の既判力に牴触して認容するに由なきものであること冒頭説示に照らし明らかであるから、これを認容した原判決は違法であつて、論旨は理由があり、原判決中上告人に関する部分はこれを破棄し、被上告人等の控訴を棄却すべきである。
よつて、民訴四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条および八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

+判例(S37.8.10)
理由
上告代理人信正義雄の上告理由について。
一個の債権の数量的な一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴が提起された場合は、訴訟物となるのは右債権の一部の存否のみであつて、全部の存否ではなく、従つて右一部の請求についての確定判決の既判力は残部の請求に及ばないと解するのが相当である。
右と同趣旨の原判決の判断は正当であつて、所論は採用するをえない。よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)

イ 明示的一部請求を棄却する判決確定後の処理

+判例(H10.6.12)
理由
上告代理人川尻治雄、同大江忠の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実及び記録によれば、本件の事実関係の概要は次のとおりである。
1 被上告人は、不動産売買等を目的とする会社であり、上告人から福岡県宗像市所在の約一〇万坪の土地(以下「本件土地」という。)を買収すること及び右土地が市街化区域に編入されるよう行政当局に働きかけを行うこと等の業務の委託を受けた。
2 上告人と被上告人は、昭和五七年一〇月二八日、前項の業務委託契約(以下「本件業務委託契約」という。)の報酬の一部として、上告人が本件土地を宅地造成して販売するときには造成された宅地の一割を被上告人に販売又は斡旋させる旨合意した(以下「本件合意」という。)。
3 上告人は、本件土地の宅地造成を行わず、平成三年三月五日、宗像市開発公社に本件土地を売却した。
4 上告人は、平成三年一二月五日、被上告人の債務不履行を理由として本件業務委託契約を解除した。
5 上告人と被上告人との間の前訴において、被上告人は、(1)本件業務委託契約に基づいて本件土地の買収等の業務を行い、商法五一二条により一二億円の報酬請求権を取得したと主張して、うち一億円の支払を求め(主位的請求)、(2)上告人が本件土地を売却したことにより本件合意の条件の成就を故意に妨害したから、民法一三〇条により、本件合意に基づく一二億円の報酬請求権を取得したと主張して、うち一億円の支払を求めた(予備的請求)が、右各請求を棄却する旨の判決が平成七年一〇月一三日に確定した。
6 被上告人は、前訴の判決確定後である平成八年一月一一日、本訴を提起し、(1)主位的請求として、本件合意に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額が二億九八三〇万円であると主張してその支払を求め、(2)予備的請求の一として、商法五一二条に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額が二億九八三〇万円であると主張してその支払を求め、(3)予備的請求の二として、本件業務委託契約の解除により報酬請求権を失うという被上告人の損失において、上告人が本件土地の交換価値の増加という利益を得たと主張し、不当利得返還請求権に基づいて報酬相当額二億六七三〇万円の支払を求めた。

二 原審は、(一)本訴の主位的請求及び予備的請求の一は、前訴の各請求とは同一の債権の一部請求・残部請求の関係にあるが、本訴が前訴の蒸し返しであり、被上告人による本訴の提起が信義則に反するとの特段の事情を認めるに足りる的確な証拠はない、(二)予備的請求の二は、前訴とは訴訟物を異にするものであり、前訴の蒸し返しとはいえない、と判断して、被上告人の本件各訴えを却下した一審判決を取り消し、一審に差し戻す旨の判決をした。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 一個の金銭債権の数量的一部請求は、当該債権が存在しその額は一定額を下回らないことを主張して右額の限度でこれを請求するものであり、債権の特定の一部を請求するものではないから、このような請求の当否を判断するためには、おのずから債権の全部について審理判断することが必要になる。すなわち、裁判所は、当該債権の全部について当事者の主張する発生、消滅の原因事実の存否を判断し、債権の一部の消滅が認められるときは債権の総額からこれを控除して口頭弁論終結時における債権の現存額を確定し(最高裁平成二年(オ)第一一四六号同六年一一月二二日第三小法廷判決・民集四八巻七号一三五五頁参照)、現存額が一部請求の額以上であるときは右請求を認容し、現存額が請求額に満たないときは現存額の限度でこれを認容し、債権が全く現存しないときは右請求を棄却するのであって、当事者双方の主張立証の範囲、程度も、通常は債権の全部が請求されている場合と変わるところはない数量的一部請求を全部又は一部棄却する旨の判決は、このように債権の全部について行われた審理の結果に基づいて、当該債権が全く現存しないか又は一部として請求された額に満たない額しか現存しないとの判断を示すものであって、言い換えれば、後に残部として請求し得る部分が存在しないとの判断を示すものにほかならない。したがって、右判決が確定した後に原告が残部請求の訴えを提起することは、実質的には前訴で認められなかった請求及び主張を蒸し返すものであり、前訴の確定判決によって当該債権の全部について紛争が解決されたとの被告の合理的期待に反し、被告に二重の応訴の負担を強いるものというべきである。以上の点に照らすと、金銭債権の数量的一部請求訴訟で敗訴した原告が残部請求の訴えを提起することは特段の事情がない限り、信義則に反して許されないと解するのが相当である。
これを本件についてみると、被上告人の主位的請求及び予備的請求の一は、前訴で数量的一部を請求して棄却判決を受けた各報酬請求権につき、その残部を請求するものであり、特段の事情の認められない本件においては、右各請求に係る訴えの提起は、訴訟上の信義則に反して許されず、したがって、右各訴えを不適法として却下すべきである。

2 予備的請求の二は、不当利得返還請求であり、前訴の各請求及び本訴の主位的請求・予備的請求の一とは、訴訟物を異にするものの、上告人に対して本件業務委託契約に基づく報酬請求権を有することを前提として報酬相当額の金員の支払を求める点において変わりはなく、報酬請求権の発生原因として主張する事実関係はほぼ同一であって、前訴及び本訴の訴訟経過に照らすと、主位的請求及び予備的請求の一と同様、実質的には敗訴に終わった前訴の請求及び主張の蒸し返しに当たることが明らかである。したがって、予備的請求の二に係る訴えの提起も信義則に反して許されないものというべきであり、右訴えを不適法として却下すべきである。

四 以上によれば、被上告人の本件各訴えはいずれも不適法として却下すべきであり、右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、右各訴えを却下した一審判決を正当として、被上告人の控訴を棄却すべきである。よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

++解説
《解  説》
一 Yは、大規模な宅地開発を計画し、土地買収等の業務をXに委託した。XとYは、右業務委託の報酬に関し、報酬の一部として、買収した土地をYが宅地造成して販売する際にその一割をXに販売又は斡旋させる旨の合意(本件合意)をした。
しかし、Yは、その後宅地開発を断念したため、Xとの間で業務委託の報酬に関する紛争が生じた
XY間の前訴において、Xは、主位的請求として商法五一二条に基づく報酬請求権を、予備的請求として本件合意に基づく報酬請求権を主張し、それぞれ、一二億円の報酬請求権のうち一億円の支払を求めた。前訴判決は、Xの請求をいずれも棄却し、右判決が確定した。
Xは、前訴判決確定の直後に本件訴訟を提起し、(1) 主位的請求として、本件合意に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額二億九八三〇万円、(2) 予備的請求の一として、商法五一二条に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額二億九八三〇万円、(3) 予備的請求の二として、不当利得返還請求権に基づいて二億六七三〇万円の支払をそれぞれ求めた。
第一審判決は、Xの各訴えを却下したが、原判決は、右各訴えが前訴の蒸し返しであるとはいえないとして、第一審判決を取り消し、第一審に差し戻す旨の判決をした。
Yの上告に対し、本判決は、Xの各訴えの提起がいずれも信義則に反するとして、原判決を破棄し、第一審判決に対するXの控訴を棄却した。

二 金銭債権の数量的な一部請求(以下、単に「一部請求」という。)については、このような請求が許されるか、訴訟物は何か、既判力はどの範囲について生じるか、一部請求についての判決確定後の残部請求が許されるかなどの問題があり、一部請求の「可否」という形で肯定説(斎藤ほか・第二版注解民事訴訟法(5)六八頁(斎藤・渡部・小室)、菊井=村松・全訂民事訴訟法Ⅰ(補訂版)一二七九頁など)と否定説(兼子一「確定判決後の残部請求」民事法研究Ⅰ三九一頁、五十部豊久「一部請求と残額請求」実務民事訴訟講座Ⅰ七五頁、新堂・民事訴訟法二二七頁など)との間で活発な議論が展開されてきたところである。
従来の議論に対しては、肯定、否定の両見解ともそれぞれ問題点のあることが指摘されている(従来の議論を整理し、その問題点を指摘したものとして、井上正三「「一部請求」の許否をめぐる利益考量と理論構成」法学教室第二期八号七九頁)。そして、一部請求の問題は、結局のところ、残部請求の可否であることが指摘され、近年この問題を論じたものは、残部請求、特に棄却判決確定後の残部請求を否定する見解を採っている。(1) 松浦ほか・条解民事訴訟法六一一頁(竹下守夫)は、一部請求の訴訟物、既判力については一部請求肯定説と同様の見解をとりつつ、一部請求を棄却する判決(一部棄却を含む)がされた場合において、当該一部を残部と切り離して審理の対象としえないときは、債権全額が存在しないとの裁判所の判断によって紛争が解決するとの被告の期待的利益を保護する合理的必要があり、他方、原告に対しては債権全体について手続権が保障されたといえるから、右裁判所の判断に拘束力を認め、原告は残額の存在を主張して再訴することができないとする。(2) 中野貞一郎「一部請求論について」民事手続の現在問題八五頁は、やはり一部請求の訴訟物、既判力について一部請求肯定説の見解を前提としつつ、信義則の発現形態としての禁反言の法理の適用により残部請求が制限される場合があるとし、一部請求訴訟において、債権の全体として存否が争われ、原告の訴訟追行に基づき被告が紛争は前訴判決により全面的に決着をみたものと信じ、原告に残部請求を認めて被告に応訴を強いることが不当に原告を利すると認められるときは、残部請求の後訴を却下すべきであるとする。(3) 高橋宏志「一部請求について」法教一八五号九八頁は、一部請求の可否(その実質は、残部請求の可否)に関する見解を①一部請求全面肯定説、②一部請求の明示の有無により区別する説、③一部請求で敗訴した場合に残部請求を否定する説、④一部請求全面否定説に分けて検討し、結論としては、何度も応訴を強いられる被告の煩わしさや重複審理を余儀なくされる裁判所の不経済、非効率に着目して、原告側の利益の保護のためには訴え提起段階での一部請求を許容すれば足り、原告はその後の訴訟の経過に応じて請求の拡張を行うべきであるとして、一部請求全面否定説を採る。

三 最二小判昭37・8・10民集一六巻八号一七二〇頁は、前訴で三〇万円の損害賠償請求権のうち一〇万円を請求し、八万円の限度で認容判決を受けた原告が、残額二〇万円の請求をした事案につき、一部請求である旨を明示した場合には、訴訟物は当該一部であり、判決の既判力は残部の請求に及ばないとして、残部請求を適法とした原審の判断を是認した。他方、最二小判昭32・6・7民集一一巻六号九四八頁は、Xが前訴でY1、Y2の両名に対して四五万円の契約上の債務の履行を求め、分割債務として二二万五〇〇〇円ずつの全部勝訴判決を得た後、被告らの債務は連帯債務であったとして、Y1に対して残額二二万五〇〇〇円を請求した事案につき、訴訟物の全部としてある金額を請求して勝訴の確定判決を得た後に、右請求を一部であると主張して残部を請求することは許されないと判示した。このように、原告が一部請求である旨を明示したか否かによって区別し、明示した場合には、既判力は訴訟物とされた当該一部のみについて生じ、原告は残部請求をすることができるが、明示のない場合には、既判力は債権全体について生じ、原告が後に前訴が一部請求であった旨を主張して残部請求することは許されないとする判例の立場に対しては、一部である旨の明示の有無が訴訟物になるわけではないのに、それによって既判力の範囲を異別に解釈する点において理論的に難点があるが、おおむね妥当な適用結果を導くとして評価され(中野・前掲九六頁)、学説においても判例の立場を支持する見解も多い。
他方、一部請求訴訟の審理、判決の方法につき、最一小判昭48・4・5民集二七巻三号四一九頁は、不法行為による損害賠償請求権の一部請求訴訟において、過失相殺をするに当たっては、損害の全額から過失割合による減額をし、その残額が請求額をこえないときは右残額を認容し、残額が請求額をこえるときは請求全額を認容することができる旨判示した。一部請求訴訟における過失相殺の適用については、外側説、内側説、按分説の対立があったところ、右判決は、一部請求をする原告の通常の意思にもそうことを理由に挙げて、実務で採用されていた外側説の見解を採ることを明らかにしたものであり、最三小判平6・11・22民集四八巻七号一三五五頁は、金銭債権の一部請求について相殺の抗弁が主張された場合の審理判決の方法につき、過失相殺の場合と同様の処理をすべき旨判示した。過失相殺や相殺の処理に関する右判例の立場は、理論的には一部請求否定説の立場に近いとされ、過失相殺に関する前掲昭和四八年判決は、昭和三七年判決と実質的な抵触がある(住吉博・昭和四八年判決評釈・民商六九巻六号一一〇頁)、外側説の採用により一部請求肯定説は苦しい立場に立たされた(前田達明・同・判評一八四号二八頁)との指摘もある。

四 本判決は、数量的一部請求訴訟で敗訴した原告による残部請求が原則として許されないとの判断を示した。本判決がその理由として挙げるところは、(1) 一部請求の当否を判断するためには、おのずから債権の全部について審理判断する必要があり、当事者の主張立証の範囲、程度も通常は全部請求の場合と変わらないこと、(2) 一部請求を全部又は一部棄却する判決は、後に請求し得る部分が存在しないとの判断を示すものであること、(3) 棄却判決確定後に原告が残部請求の訴えを提起することは、実質的には前訴で認められなかった請求及び主張の蒸し返しであり、前訴によって紛争が解決されたとの被告の合理的期待に反し、被告に二重の応訴の負担をし得るものであること、以上の各点であり、信義則を根拠として残部請求を制限する近時の有力説の見解と共通する点が多い。
なお、本判決は、一部請求訴訟の訴訟物や既判力については言及しておらず、これらの点について昭和三七年判決との抵触が直ちに問題となることはないが、同判決が一部請求訴訟で一部敗訴した原告の残部請求を許容している点では、本判決との関係が問題となる。しかし、昭和三七年判決の前訴の確定判決は、三〇万円のうち一〇万円の支払を求めたXの請求を、過失相殺を理由として八万円の限度で認容したものであるところ、その事案及び請求額、認容額からみると、請求額を基準として過失相殺(二割)を適用した可能性が高いと考えられる。そうであるとすると、前訴判決は、一部請求訴訟における過失相殺の適用につき前掲昭和四八年判決と異なった処理をしたものであり、また、前訴判決の内容自体が残部請求の余地を認めているのであって、本判決が前提とする一部請求訴訟の審理、判決の内容や本判決の事案とは、その内容を異にするということができよう。フムフム
五 本判決は、一部請求論の中心的論点である敗訴原告による残部請求の許否について最高裁が明確な判断を示した点において意義があり、一部請求をめぐるその他の議論にも影響を与えるものと思われる。

+(条件の成就の妨害)
民法第130条
条件が成就することによって不利益を受ける当事者が故意にその条件の成就を妨げたときは、相手方は、その条件が成就したものとみなすことができる。

ウ 明示的一部請求を認容する判決確定後の処理
+判例(S37.8.10)

・消滅時効について
+判例(S45.7.24)
理由
上告代理人佐野正秋、同香川文雄の上告理由一、二について。
上告人Aによる加害自動車の運転状況と被害者たる被上告人の行動および現場の交通事情等、本件事故発生当時における事実関係について原審(第一審判決引用部分を含む。以下同じ。)の認定するところは、挙示の証拠関係に照らし、首肯することができ、右事実関係によるときは、本件事故は同上告人が自動車運転者としての注意義務を守らなかつた過失に基因するものというべく、被上告人にも歩行者としての注意義務違反があるにせよ、いわゆる信頼の原則を適用して同上告人に過失の責がないということはできないとした原審の判断は、正当であつて、右認定判断に関し、原判決に、所論のような理由不備、審理不尽等の違法は認められない。論旨は、その実質において、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものか、その認定にそわない事実を前提として原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。

同三について。
被上告人が本件事故による負傷のためたばこ小売業を廃業するのやむなきに至り、右営業上得べかりし利益を喪失したことによつて被つた損害額を算定するにあたつて、営業収益に対して課せられるべき所得税その他の租税額を控除すべきではないとした原審の判断は正当であり、税法上損害賠償金が非課税所得とされているからといつて、損害額の算定にあたり租税額を控除すべきものと解するのは相当でない。したがつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同四について。
一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明らかにして訴を提起した場合、訴提起による消滅時効中断の効力は、その一部についてのみ生じ、残部には及ばないが、右趣旨が明示されていないときは、請求額を訴訟物たる債権の全部として訴求したものと解すべく、この場合には、訴の提起により、右債権の同一性の範囲内において、その全部につき時効中断の効力を生ずるものと解するのが相当である。これを本件訴状の記載について見るに、被上告人の本訴損害賠償請求をもつて、本件事故によつて被つた損害のうちの一部についてのみ判決を求める趣旨であることを明示したものとはなしがたいから、所論の治療費金五万〇一九八円の支出額相当分は、当初の請求にかかる損害額算定根拠とされた治療費中には包含されておらず、昭和四一年一〇月五日の第一審口頭弁論期日においてされた請求の拡張によつてはじめて具体的に損害額算定の根拠とされたものであるとはいえ、本訴提起による時効中断の効力は、右損害部分をも含めて生じているものというべきである。
したがつて、これと同旨の見解に立つて、上告人らの時効の抗弁を排斥すべきものとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)

4.一部請求と相殺・既判力
(1)相殺の抗弁の審理方法

+判例(H6.11.22)
理由
上告代理人田中利美の上告理由一、三について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

同二について
特定の金銭債権のうちの一部が訴訟上請求されているいわゆる一部請求の事件において、被告から相殺の抗弁が提出されてそれが理由がある場合には、まず、当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額を算定した上、原告の請求に係る一部請求の額が残存額の範囲内であるときはそのまま認容し、残存額を超えるときはその残存額の限度でこれを認容すべきである
けだし、一部請求は、特定の金銭債権について、その数量的な一部を少なくともその範囲においては請求権が現存するとして請求するものであるので、右債権の総額が何らかの理由で減少している場合に、債権の総額からではなく、一部請求の額から減少額の全額又は債権総額に対する一部請求の額の割合で案分した額を控除して認容額を決することは、一部請求を認める趣旨に反するからである。
そして、一部請求において、確定判決の既判力は、当該債権の訴訟上請求されなかった残部の存否には及ばないとすること判例であり(最高裁昭和三五年(オ)第三五九号同三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二〇頁)、相殺の抗弁により自働債権の存否について既判力が生ずるのは、請求の範囲に対して「相殺ヲ以テ対抗シタル額」に限られるから、当該債権の総額から自働債権の額を控除した結果残存額が一部請求の額を超えるときは、一部請求の額を超える範囲の自働債権の存否については既判力を生じない。したがって、一部請求を認容した第一審判決に対し、被告のみが控訴し、控訴審において新たに主張された相殺の抗弁が理由がある場合に、控訴審において、まず当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額が第一審で認容された一部請求の額を超えるとして控訴を棄却しても、不利益変更禁止の原則に反するものではない
そうすると、原審の適法に確定した事実関係の下において、被上告人の請求債権の総額を第一審の認定額を超えて確定し、その上で上告人が原審において新たに主張した相殺の自働債権の額を請求債権の総額から控除し、その残存額が第一審判決の認容額を超えるとして上告人の控訴を棄却した原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
調べておく!

・過失相殺の場合
+判例(S48.4.5)
理由
上告代理人中村健太郎、同中村健の上告理由第一点について。
訴外Aは、被上告人Bの運転する自動車が道路の中央線をこえて進行してくるのを約八五メートル前方に発見しながら、その動向を注視せず、漫然中央線寄りをそのまま進行したものである旨の事実を認めて、Aに本件事故発生についての過失があるものとし、他方、被上告人Bにも過失があると認めて、原判示の割合による過失相殺をした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当として肯認することができないものではなく、右認定判断の過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断および事実の認定を非難し、さらに、原審の認定にそわない事実関係を前提にして右過失に関する原審の判断の違法をいうものであつて、採用することができない。

同第二点について。
記録によれば、本件の経過は、次のとおりである。すなわち、
被上告人Bは、第一審において、療養費二九万六二六六円も逸失利益一一二八万三六五一円、慰藉料二〇〇万円の各損害の発生を主張し、療養費、慰藉料の各全額と逸失利益の内金一五〇万円との支払を求めるものであるとして、合計三七九万六二六六円の支払を請求したところ、第一審判決は療養費、慰藉料については右主張の全額、逸失利益については九一六万〇六一四円の各損害の発生を認定し、合計一一四五万六八八〇円につき過失相殺により三割を減じ、さらに支払済の保険金一〇万円を差し引いて、上告人の支払うべき債務総額を七九一万九八一六円と認め、その金額の範囲内である同被上告人の請求の全額を認定した。上告人の控訴に対し、原審において、被上告人Bは、第一審判決の右認定のとおり、逸失利益の額を九一六万〇六一四円、損害額の総計を一一四五万六八八〇円と主張をあらためたうえ、みずから過失相殺として三割を減じて、上告人の賠償すべき額を八〇一万九八一六円と主張し、附帯控訴により請求を拡張して、第一審の認容額との差額四二二万三五五〇円の支払を新たに請求した(弁護士費用の賠償請求を除く。以下同じ。)ところ、これに対し、上告人は右請求拡張部分につき消滅時効の抗弁を提出した。原判決は療養費および逸失利益の損害額を右主張のとおり認定したうえ、その合計九四五万六八八〇円から過失相殺により七割を減じた二八三万七〇六四円について上告人が支払の責を負うべきものであるとし、また、慰藉料の額は被上告人Bの過失をも斟酌したうえ七〇万円を相当とするとし、支払済の保険金一〇万円を控除して、結局上告人の支払うべき債務総額を三四三万七〇六四円と認め、第一審判決を変更して、右金額の支払を命じ、その余の請求を棄却し、さらに、附帯控訴にかかる請求拡張部分は、右損害額をこえるものであるから、右消滅時効の抗弁について判断するまでもなく失当であるとして、その部分の請求を全部棄却したものである。
右の経過において、第一審判決がその認定した損害の各項目につき同一の割合で過失相殺をしたものだとすると、その認定額のうち慰藉料を除き財産上の損害(療養費および逸失利益。以下同じ。)の部分は、(保険金をいずれから差し引いたかはしばらく措くとして。)少なくとも二三九万六二六六円であつて、被上告人Bの当初の請求中財産上の損害として示された金額をこえるものであり、また、原判決が認容した金額のうち財産上の損害に関する部分は、少なくとも(保険金について右と同じ。)二七三万七〇六四円であつて、右のいずれの額をもこえていることが明らかである。しかし、本件のような同一事故により生じた同一の身体傷害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、原因事実および被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償の請求権は一個であり、その両者の賠償を訴訟上あわせて請求する場合にも、訴訟物は一個であると解すべきである。したがつて、第一審判決は、被上告人Bの一個の請求のうちでその求める全額を認容したものであつて、同被上告人の申し立てない事項について判決をしたものではなく、また、原判決も、右請求のうち、第一審判決の審判および上告人の控訴の対象となつた範囲内において、その一部を認容したものというべきである。そして、原審における請求拡張部分に対して主張された消滅時効の抗弁については、判断を要しなかつたことも、明らかである。
次に、一個の損害賠償請求権のうちの一部が訴訟上請求されている場合に、過失相殺をするにあたつては、損害の全額から過失割合による減額をし、その残額が請求額をこえないときは右残額を認容し、残額が請求額をこえるときは請求の全額を認容することができるものと解すべきである。このように解することが一部請求をする当事者の通常の意思にもそうものというべきであつて、所論のように、請求額を基礎とし、これから過失割合による減額をした残額のみを認容すべきものと解するのは、相当でない。したがつて、右と同趣旨において前示のような過失相殺をし、被上告人Bの第一審における請求の範囲内において前示金額の請求を認容した原審の判断は、正当として是認することができる。
以上の点に関する原審の判断の過程に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下田武三 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

+++外側説の解説
問題集における見解は、200万円のうちの100万円の一部請求に対して、150万円の反対債権で相殺の抗弁を提出した場合、外側説により一部請求の範囲と対抗するのは、100万円を越えた部分、50万円であることから、その部分の不存在に既判力が生じるという見解と思われます。
すなわち、仮に150万円全額の反対債権の存在が裁判所により認められた場合、50万円の一部認容判決が出され、反対債権については、内側で対抗した50万円の反対債権の不存在に既判力が生じます。それと同様に、反対債権が50万円と認定された場合も、内側で対抗しようとしたけれども、存在が認められなかった、内側で対抗しようとした50万円の部分についての不存在に既判力が生じるという見解ですね。
つまり、仮にこの事案で、裁判所が反対債権の存在は0円であると認定した場合においても、既判力は反対債権50万円の不存在に生じることになります。
いずれの説をとるかは、質問者さんの好みになりますね。

+++外側説の解説


民事訴訟法 基礎演習 基準時後の形成権の行使


1.既判力の遮断効

・+(債務名義)
民事執行法第22条
1項 強制執行は、次に掲げるもの(以下「債務名義」という。)により行う
一  確定判決
二  仮執行の宣言を付した判決
三  抗告によらなければ不服を申し立てることができない裁判(確定しなければその効力を生じない裁判にあつては、確定したものに限る。)
四  仮執行の宣言を付した支払督促
四の二  訴訟費用若しくは和解の費用の負担の額を定める裁判所書記官の処分又は第42条第4項に規定する執行費用及び返還すべき金銭の額を定める裁判所書記官の処分(後者の処分にあつては、確定したものに限る。)
五  金銭の一定の額の支払又はその他の代替物若しくは有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について公証人が作成した公正証書で、債務者が直ちに強制執行に服する旨の陳述が記載されているもの(以下「執行証書」という。)
六  確定した執行判決のある外国裁判所の判決
六の二  確定した執行決定のある仲裁判断
七  確定判決と同一の効力を有するもの(第三号に掲げる裁判を除く。)

+(請求異議の訴え)
第35条
1項 債務名義(第22条第二号、第三号の二又は第四号に掲げる債務名義で確定前のものを除く。以下この項において同じ。)に係る請求権の存在又は内容について異議のある債務者は、その債務名義による強制執行の不許を求めるために、請求異議の訴えを提起することができる。裁判以外の債務名義の成立について異議のある債務者も、同様とする。
2項 確定判決についての異議の事由は、口頭弁論の終結後に生じたものに限る
3項 第33条第2項及び前条第2項の規定は、第1項の訴えについて準用する。

2.形成権の遮断
・基準時前に発生していた形成権を基準時後に行使して生じた実体的な権利変動(債務の消滅など)を後訴で提出することができるか?

+判例(S36.12.12)
理由
上告代理人平尾廉平の上告理由について。
書面によらない贈与(死因贈与を含む)を請求原因とする訴訟が係属した場合に当事者が民法五五〇条によるその取消権を行使することなくして事実審の口頭弁論が終結した結果、右贈与による権利の移転を認める判決があり同判決が確定したときは、訴訟法上既判力の効果として最早取消権を行使して贈与による権利の存否を争うことは許されなくなるものと解するを相当とする。
原判決の事実認定によれば、本件上告人を控訴人とし本件被上告人Aを被控訴人とする原判示津地方裁判所昭和三一年(レ)二三号不動産所有権保存登記抹消登記等請求控訴事件において本件物件が上告人の被相続人である訴外亡Bから被上告人Aに死因贈与せられたことが判決で認められ該判決は確定したところ上告人は、右死因贈与を書面によらないものとして、右確定判決後である昭和三三年八月一三日これを取消したというのである。してみれば、原判示のとおり訴外Bの死亡により相続人となつた上告人が右確定判決で認められた死因贈与を書面によらないものであることを理由としてなした右取消はその効力を生じないものといわねばならない。さすれば、判示確定判決によつて贈与の事実を認められた以上上告人に取消権を認めるべきでないとした原判示は結局相当である。
論旨後段は、判断遺脱等の違法をいうが、右のような贈与を認めた判決が確定した後は判決確定の一事をもつて贈与を取消すことはてきなくなると解すべきであるから、他に贈与の履行終了の如き取消しえない事由があるか否かは重ねて判示する必要はない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 河村又介 裁判官 高橋潔 裁判官 石坂修一 裁判官 五鬼上堅磐)

+判例(55.10.23)
■27000164
最高裁判所第一小法廷
昭和55年(オ)第589号
昭和55年10月23日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人大矢和徳の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らし、正当として是認することができる。論旨は違憲をいうが、その実質は、独自の見解に基づき前訴確定判決の既判力に関する原判決の解釈の不当をいうものにすぎず、また、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でなく、採用することができない。

同第二点について
売買契約による所有権の移転を請求原因とする所有権確認訴訟が係属した場合に、当事者が右売買契約の詐欺による取消権を行使することができたのにこれを行使しないで事実審の口頭弁論が終結され、右売買契約による所有権の移転を認める請求認容の判決があり同判決が確定したときは、もはやその後の訴訟において右取消権を行使して右売買契約により移転した所有権の存否を争うことは許されなくなるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審が適法に確定したところによれば、本件被上告人を原告とし本件上告人を被告とする原判示津簡易裁判所昭和四五年(ハ)第一五号事件において被上告人が上告人から本件売買契約により本件土地の所有権を取得したことを認めて被上告人の所有権確認請求を認容する判決があり、右判決が確定したにもかかわらず、上告人は、右売買契約は詐欺によるものであるとして、右判決確定後である昭和四九年八月二四日これを取り消した旨主張するが、前訴において上告人は、右取消権を行使し、その効果を主張することができたのにこれをしなかつたのであるから、本訴における上告人の上記主張は、前訴確定判決の既判力に抵触し許されないものといわざるをえない。したがつて、これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について
記録にあらわれた本件訴訟の経過に照らせば、原判決に所論審理不尽の違法があるとは認められない。論旨は、採用することができない。
同第四点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本山亨 裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

+理由
形成原因が訴えの目的である請求権じたいに付着する瑕疵であること
取消権については取消しよりも重大な瑕疵である無効事由の遮断との権衡がとれないこと

3.各種の形成権
(1)取消権
(2)解除権
+判例(大阪高判52.3.30)

(3)相殺権
遮断効否定
←相殺権は訴求債権に付着する瑕疵ではなく、訴求債権とは別個の債権を防御方法として主張し、併せて審判の対象とするものであるから、相殺権の行使については他の形成権以上に被告の決断の自由を尊重すべき!

+判例(S40.4.20)
理由
上告代理人下川好孝の上告理由第一点について。
所論は、原判決の条理、社会通念無視、採証法則違反、理由不備、審理不尽等の違法を縷説するが、記録に当つて検討しても、所論のような違法は原審に存しない。
所論(二)に掲げる当裁判所の判例は事案に適切でないし、所論(三)において指摘する原審の履行不能の判断は正当であり、この点に理由不備をいう所論は独自の見解として採用できない。
その余の所論は、ひつきょう原審の専権たる証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰着し、すべて採用できない。

同第二点の(一)について。
所論指摘の原審判断は正当であつて、この点に関し、相殺は当事者双方の債務が相殺適状に達した時において当然その効力を生ずるものではなくて、その一方が相手方に対し相殺の意思表示をすることによつてその効力を生ずるものであるから、当該債務名義たる判決の口頭弁論終結前には相殺適状にあるにすぎない場合、口頭弁論の終結後に至つてはじめて相殺の意思表示がなされたことにより債務消滅を原因として異議を主張するのは民訴法五四五条二項の適用上許されるとする大審院民事連合部明治四三年一一月二六日判決(民録一六輯七六四頁)の判旨は、当裁判所もこれを改める必要を認めない。
従つて、右連合部判決によつて変更される以前の大審院判例を掲げて原判決の違法をいう所論は採用できない。
また、所論(4)掲記の当裁判所の判例は、事案が本件に適切でないから、同判例違反をいう論旨も採用できない。

同第二点の(二)について。
所論は、原判決につき弁護士法二五条一号ないし三号および五号違反の点を云々するが、同条五号違反の事実関係の主張は、原審においてなされていないと認められるから、同号違反の論旨は採用の限りでない。
そこで、同条一号ないし三号違背の論旨について判断する。本訴において被上告人が主張し、原審が確定した事実関係は、左のとおりである。すなわち、被上告人と内縁関係にあつた訴外Aは、昭和三〇年八月頃被上告人に対し同人の旅館経営上必要な本件土地一一四坪をその所有者訴外Bから無償譲与を受けその所有権を被上告人に移転することを約諾したが、右約旨が履行されないうちに訴外Aと被上告人との内縁関係は解消されることになり、同年一二月二八日両者間に、被上告人は同訴外人に一〇〇万円を贈与することとし、うち五〇万円は即日、残金五〇万円は昭和三一年一月末日までに支払う旨を含む内縁解消に関する契約が締結され、それと同時に未だ履行されていなかつた前示約諾の趣旨を同訴外人においてすみやかに履行することの確約がなされた。被上告人は、右即日五〇万円の支払をしたが、残金五〇万円の支払を遅滞していたところ、訴外Aは、前記契約により被上告人に対して有する債権一切を昭和三三年三月一四日上告人に譲渡し、その頃被上告人に対しその旨の通知をした。その後、上告人は、被上告人を相手どつて右譲受の贈与金債権残額五〇万円の請求訴訟を提起し、同訴訟は上告人の勝訴に確定した。その確定判決が被上告人の本件請求異議訴訟の対象たる債務名義であり、被上告人は、訴外Aがその責に帰すべき事由により本件土地一一四坪の被上告人に対する前示約定の給付義務を履行不能にしたことによる損害賠償債権をもつて相殺を主張し、これを請求異議の原因としているのである。
これに対し、上告人は、訴外Aと被上告人との間の内縁解消に関する前示契約は同訴外人が弁護士Cに調停申立を依頼し該調停によつて成立したものであり、これに関する契約証書も同弁護士の手によつて作成されたものであるから、同弁護士が被上告人の依頼を受けてその訴訟代理人として本訴提起および第一審の訴訟行為をしたことは、弁護士法二五条の前各号の規定に違反し無効である旨を主張するのである。しかし、右述のとおり、本件請求異議は被上告人の上告人に対する訴として提起されているものであり、一方上告人の主張自体から明らかなように、C弁護士が前示調停に関する依頼を受けたのは上告人からではなく訴外Aからであり、その作成にたずさわつた前記契約証書も同訴外人と被上告人間のものであつて、同弁護士は、本件の相手方たる上告人から協議を受けた事実も、協議を受けて賛助し若しくは依頼を受諾した事実もないから、同法条一、二号に触れる余地はなく、また、訴外Aから受任した右調停事件はすでに終了し、現に受任している事件にはあたらないから、その相手方たる被上告人より本件の依頼を受けて訴訟行為をしたからといつて、同条三号に牴触するいわれはない。従つて、右C弁護士の所論訴訟行為を有効とした原審判断の違法をいう論旨は、ひつきょう判決に影響を及ぼさないことをいうに帰着し採用できない。

同第二点の(三)について。
所論指摘の点につき、一般に債権譲渡の通知前に譲渡人に対し反対債権を有し、かつそれが相殺適状にある限りは、右譲渡通知後においても、債務者は右債権を自動債権として、債権を譲り受けた新債権者に対し相殺をもつて対抗することができるとした原審の判断は、正当であり、この点の原審判断に理由不備その他の違法があるとする所論は、独自の見解として採用できない。
同第二点の(四)について。
所論は、民法五五〇条但書に「履行ノ終ハリタル」とは不動産贈与の場合には対抗要件たる所有権移転登記手続をも了することであると主張するが、不動産の贈与にあつてはその引渡により履行が終つたというべきで登記手続を経なければ履行が終つたといえないものでないとした原審の判断は、正当であり(当裁判所昭和二七年(オ)第四八〇号同二九年七月六日第三小判決、裁判集民事一五号三九頁、昭和二九年(オ)第一九五号同三一年一月二七日第二小判決、民集一〇巻一号一頁参照)、この点の法令解釈の誤りをいう所論は、独自の見解であつて採用できない。

同第二点の(五)について。
所論は、原審が弁論更新の手続を怠り、民訴法一八七条二項に違反するというが、記録を検するに、所論裁判官交代後の第七回口頭弁論期日において当事者によつて従前の口頭弁論の結果の陳述がなされていることが同期日の調書の記載上明白であるから、同所論は採用の限りでない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

(4)建物買取請求権

+(建物買取請求権)
第13条
1項 借地権の存続期間が満了した場合において、契約の更新がないときは、借地権者は、借地権設定者に対し、建物その他借地権者が権原により土地に附属させた物を時価で買い取るべきことを請求することができる。
2項 前項の場合において、建物が借地権の存続期間が満了する前に借地権設定者の承諾を得ないで残存期間を超えて存続すべきものとして新たに築造されたものであるときは、裁判所は、借地権設定者の請求により、代金の全部又は一部の支払につき相当の期限を許与することができる。
3項 前二項の規定は、借地権の存続期間が満了した場合における転借地権者と借地権設定者との間について準用する。

・遮断効を否定
建物買取請求権は建物収去土地明渡請求権に付着した瑕疵ではなく、別個独立した権利であり、行使を認めることで借地人さらには建物の保護にもなるし、被告が原告主張の借地権不存在又は消滅を争う時に予備的抗弁として建物買取請求権の行使を要求することは負担になることを理由とする

+判例(H7.12.15)
理由
上告代理人林正明の上告理由一について
借地上に建物を所有する土地の賃借人が、賃貸人から提起された建物収去土地明渡請求訴訟の事実審口頭弁論終結時までに借地法四条二頃所定の建物買取請求権を行使しないまま、賃貸人の右請求を認容する判決がされ、同判決が確定した場合であっても、賃借人は、その後に建物買取請求権を行使した上、賃貸人に対して右確定判決による強制執行の不許を求める請求異議の訴えを提起し、建物買取請求権行使の効果を異議の事由として主張することができるものと解するのが相当である。
けだし、(1)建物買買請求権は、前訴確定判決によって確定された賃貸人の建物収去土地明渡請求権の発生原因に内在する瑕疵に基づく権利とは異なり、これとは別個の制度目的及び原因に基づいて発生する権利であって、賃借人がこれを行使することにより建物の所有権が法律上当然に賃貸人に移転し、その結果として賃借人の建物収去義務が消滅するに至るのである、(2)したがって、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上、その事実は同権利の消滅事由に当たるものではなく(最高裁昭和五二年(オ)第二六八号同五二年六月二〇日第二小法廷判決・裁判集民事一二一号六三頁)、訴訟法上も、前訴確定判決の既判力によって同権利の主張が遮断されることはないと解すべきものである、(3)そうすると、賃借人が前訴の事実訴口頭弁論終結時以後に建物買取請求権を行使したときは、それによって前訴確定判決により確定された賃借人の建物収去義務が消滅し、前訴確定判決はその限度で執行力を失うから、建物買取請求権行使の効果は、民事執行法三五条二項所定の口頭弁論の終結後に生じた異議の事由に該当するものというべきであるからである。これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない
同二について
原審の適法に確定した事実関係の下において、被上告会社が本件各建物買取請求権を放棄したものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

++解説
《解  説》
一 本件は、建物収去土地明渡請求訴訟(前訴)の事実審口頭弁論終結後に建物買取請求権を行使して、その効果を前訴の請求を認容した確定判決に対する請求異議の事由として主張することができるかという問題すなわち確定判決の既判力の遮断効と基準時後の形成権行使の効果という法律問題が争われた事案である。具体的には、期間満了による賃貸借契約の終了を理由として、土地の賃貸人の賃借人に対する建物収去土地明渡請求(前訴)を認容する判決が確定した後に、賃借人が、借地法四条二項の規定に基づく建物買取請求権を行使して、その効果を右の確定判決に対する請求異議の事由として主張した場合に、これが民執法三五条二項にいう「口頭弁論の終結後に生じた異議の事由」となるか、という点が争われたものである。
建物買取請求権が行使されると、法律上当然に建物の売買契約が成立して建物は賃貸人の所有となり、賃貸人は建物の売買代金を支払う義務が生じ、建物収去土地明渡を命じた確定判決の執行力は、建物退去土地明渡を超える限度において失効するものと解されている。そこで、建物買取請求権行使の効果が請求異議の事由となることを認める肯定説に立つと、請求異議訴訟において、賃借人が建物代金の支払と建物退去土地明渡執行との同時履行を主張し、かつ、民事執行法三六条による執行停止の申立てをした場合には、これがいずれも認められる可能性が高いため、賃貸人は直ちには建物退去土地明渡の執行に着手することができない事態の発生が予想される。これに対し、否定説に立つと、建物買取請求権行使の効果を請求異議の事由として主張すること自体が主張自体失当ということになり、賃貸人は直ちに執行に着手することができるため、肯定説と否定説のいずれを採用するかは、賃貸人と賃借人の利害に大きくかかわる問題ということになる。

二 本件の一審及び原審とも、肯定説を採用した上、建物及び土地の明渡しが既に完了している本件においては、前訴の確定判決の執行力は、建物収去土地明渡を命じた部分において失効し、賃料相当損害金の支払を命じた部分の一部のみが残存していると判断して、原告らの請求を一部認容した。そこで、被告である賃貸人が上告を提起した。
本判決も、要旨次のとおり判示して、肯定説に立つことを明らかにし、原判決を維持して、賃貸人からの上告を棄却した。
建物買取請求権は、前訴確定判決によって確定された賃貸人の建物収去土地明渡請求権の発生原因に内在する瑕疵に基づく権利とは異なり、これとは別個の制度目的及び原因に基づいて発生する権利であって、賃借人がこれを行使することにより建物の所有権が法律上当然に賃貸人に移転し、その結果として賃借人の建物収去義務が消滅するに至る。したがって、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上、その事実は同権利の消滅事由に当たるものではなく、訴訟法上も、前訴確定判決の既判力によって同権利の主張が遮断されることはない。そうすると、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時以後に建物買取請求権を行使したときは、それによって前訴確定判決により確定された賃借人の建物収去義務が消滅し、前訴確定判決はその限度で執行力を失うから、建物買取請求権行使の効果は、民事執行法三五条二項所定の口頭弁論の終結後に生じた異議の事由に該当するものというべきである。」

三 賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったときは、確定判決の既判力の遮断効により、建物買取請求権自体が消滅するのか否かという実体法上の問題については、本判決が引用する最二小判昭52・6・20裁判集民一二一号六三頁が、前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上建物買取請求権は消滅しない旨を判示している。しかしながら、右判例の射程距離はその範囲に止まるものであり、本件の争点である執行法上の問題についてまでは、その射程距離が及ぶものではない。
そこで、建物買取請求権が実体法上は消滅しないとしても、基準時後に建物買取請求権を行使したことを請求異議の事由(民執法三五条二項にいう「口頭弁論の終結後に生じた事由」)として主張し、強制執行の不許を求めることができるかという執行法上の問題については、下級審裁判例及び学説において、肯定説と否定説との見解の対立があり、最高裁判決による解決が待たれていたところである。
取消権のように前訴の訴訟物である請求権自体に内在付着する瑕疵に係る権利については、前訴確定判決によって請求権の存在が確定した以上、既判力の遮断効により、後日その取消権を行使して請求権の存否を争うことは許されないと解するのが相当であり、最一小判昭55・10・23民集三四巻五号七四七頁、本誌四二七号七七頁が、「売買を請求原因とする所有権確認の判決が確定したのちは、後訴において詐欺を理由に右売買を取り消して所有権の存否を争うことは許されない。」旨を判示して、取消権行使の効果を請求異議の事由とすることはできないものとしている。これに対し、相殺権は、前訴の訴訟物である請求権自体に内在付着する瑕疵に係る権利とはいえず、自己の別個独立の債権の消滅という不利益を伴うものであって、これを行使するか否かは債権者の自由であり、前訴において当然なすべき防御方法とはいえないことなどから、取消権とは異なり、請求異議の事由となることを肯定するのが相当であって、最二小判昭40・4・2民集一九巻三号五三九頁、本誌一七八号一〇一頁は、「債務名義たる判決の基礎となる口頭弁論の終結前に相殺適状にあったとしても、右弁論終結後になされた相殺の意思表示により債務が消滅した場合には、右債務の消滅は、請求異議の原因となりうる。」旨を判示して、相殺権行使の効果が請求異議の事由となることを肯定している。
本件で問題となった建物買取請求権は、取消権や相殺権と同じ形成権ではあるが、前訴の確定判決で確定された土地明渡請求権とは別個の独立した権利であって、建物の所有権を賃貸人に移転するという犠牲を伴うものであることなどに照らすと、相殺権に近い性質を有するものと考えられる。本判決も、右のような点にかんがみて、建物買取請求権について相殺権と同様の処理をしたものと考えられる。
本判決は、取消権と相殺権の間のグレイゾーンにある建物買取請求権行使の効果が請求異議事由となることを肯定した初めての最高裁判決であり、実務に与える影響は大きいものと思われる。

(5)白地手形補充権
・既判力により遮断される
+判例(S57.3.30)

■27000093
最高裁判所第三小法廷
昭和54年(オ)第110号
昭和57年03月30日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人宮川典夫、同新井宏明の上告理由について
手形の所持人が、手形要件の一部を欠いたいわゆる白地手形に基づいて手形金請求の訴え(以下「前訴」という。)を提起したところ、右手形要件の欠缺を理由として請求棄却の判決を受け、右判決が確定するに至つたのち、その者が右白地部分を補充した手形に基づいて再度前訴の被告に対し手形金請求の訴え(以下「後訴」という。)を提起した場合においては、前訴と後訴とはその目的である権利または法律関係の存否を異にするものではないといわなければならない。そして、手形の所持人において、前訴の事実審の最終の口頭弁論期日以前既に白地補充権を有しており、これを行使したうえ手形金の請求をすることができたにもかかわらず右期日までにこれを行使しなかつた場合には、右期日ののちに該手形の白地部分を補充しこれに基づき後訴を提起して手形上の権利の存在を主張することは、特段の事情の存在が認められない限り前訴判決の既判力によつて遮断され、許されないものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、原審が適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、本件被上告人を被告として本訴請求にかかる約束手形の振出日欄白地のまま手形上の権利の存在を主張して手形金請求の訴え(手形訴訟)を提起し、該訴訟(前訴)は横浜地方裁判所昭和四九年(手ワ)第二二五号事件として係属した、(2) 同裁判所は、昭和五〇年一月二一日、該約束手形の振出日欄は白地であるから、上告人が右手形によつて手形上の権利を行使することはできないとして、上告人の請求を棄却する旨の判決を言渡した、(3) 上告人は右手形判決に対し異議を申し立てたが、右異議審においても白地部分を補充しないまま昭和五〇年三月一三日同人の訴訟代理人弁護士が右異議を取り下げ、同年四月一四日被上告人がこれに同意して右手形判決は確定した、(4) 上告人は、右判決確定後に前記白地部分を補充した本件手形に基づき昭和五一年七月一七日本訴(後訴)を提起した、(5) 上告人において右前訴の最終の口頭弁論期日までに白地部分を補充したうえで判決を求めることができなかつたような特段の事情の存在は認められない、というのである。右事実関係のもとでは、上告人が、本訴において該手形につき手形上の権利の存在を主張することは、前訴確定判決の既判力により遮断され、もはや許されないものといわざるをえない。したがつて、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に照らせば、原判決に所論釈明権不行使、審理不尽の違法があるとは認められない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)


民事訴訟法 基礎演習 文書提出命令


1.はじめに

・+(書証の申出)
第219条
書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。

・+(文書提出義務)
第220条  
次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
一  当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
二  挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
三  文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
四  前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
イ 文書の所持者又は文書の所持者と第196条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
ロ 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
ハ 第197条第1項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
ニ 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書

+第197条  
1項 次に掲げる場合には、証人は、証言を拒むことができる。
一  第191条第1項の場合
二  医師、歯科医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、弁護人、公証人、宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が職務上知り得た事実で黙秘すべきものについて尋問を受ける場合
三  技術又は職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合
2項 前項の規定は、証人が黙秘の義務を免除された場合には、適用しない。

・証拠申出の採否は裁判所の訴訟指揮の1つとして、裁判所の裁量にゆだねられる事項であり、その裁判について独立の不服申立ては認められないのが判例通説である。
文書提出命令の申立ての決定については、即時抗告による不服申立てが認められているが(223条7項)、証拠調べの必要性ののみを理由とする即時抗告は認められない!

+判例(H12.3.10)
理由
抗告代理人井上俊治、同松葉知幸、同小野範夫、同水間頼孝の抗告理由第一について
【要旨一】証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立てを却下する決定に対しては、右必要性があることを理由として独立に不服の申立てをすることはできないと解するのが相当である。論旨は採用することができない。
同第二について
一 記録によれば、主文第一項の文書に係る本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案の請求は、大阪地方裁判所平成四年(ワ)第八一七八号事件判決別紙電話機目録記載の電話機器類(以下「本件機器」という。)を購入し利用している抗告人らが、本件機器にしばしば通話不能になる瑕疵があるなどと主張して、相手方に対し、不法行為等に基づく損害賠償を請求するものである。
2 本件は、抗告人らが、本件機器の瑕疵を立証するためであるとして、本件機器の回路図及び信号流れ図(以下「本件文書」という。)につき文書提出命令の申立てをした事件であり、相手方は、本件文書は民訴法二二〇条四号ロ所定の「第百九十七条第一項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書」及び同号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるとして、本件文書につき文書提出の義務を負わないと主張した。

二 原審は、本件文書は、本件機器を製造したメーカーが持つノウハウなどの技術上の情報が記載されたものであって、これが明らかにされると右メーカーが著しく不利益を受けることが予想されるから、民訴法二二〇条四号ロ所定の文書に当たり、また、本件文書は、本件機器のメーカーがこれを製造するために作成し、外部の者に見せることは全く予定せず専ら当該メーカー、相手方及びその関連会社の利用に供するための文書であるから、同号ハ所定の文書にも当たり、相手方は本件文書を提出すべき義務を負わないとして、本件文書提出命令の申立てを却下した。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 【要旨二】民訴法一九七条一項三号所定の「技術又は職業の秘密」とは、その事項が公開されると、当該技術の有する社会的価値が下落しこれによる活動が困難になるもの又は当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいうと解するのが相当である。
本件において、相手方は、本件文書が公表されると本件機器のメーカーが著しい不利益を受けると主張するが、本件文書に本件機器のメーカーが有する技術上の情報が記載されているとしても、相手方は、情報の種類、性質及び開示することによる不利益の具体的内容を主張しておらず、原決定も、これらを具体的に認定していない。したがって、本件文書に右技術上の情報が記載されていることから直ちにこれが「技術又は職業の秘密」を記載した文書に当たるということはできない
2 ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるということは、当審の判例とするところである(平成一一年(許)第二号同年一一月一二日第二小法廷決定・民集五三巻八号登載予定)。
これを本件についてみると、原決定は、本件文書が外部の者に見せることを全く予定せずに作成されたものであることから直ちにこれが民訴法二二〇条四号ハ所定の文書に当たると判断しており、その具体的内容に照らし、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生じるおそれがあるかどうかについて具体的に判断していない。
四 以上によれば、本件文書に関する原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は裁判の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原決定中、本件文書に係る部分は破棄を免れない。そして、右に説示したところに従い更に審理を尽くさせるため、右部分について本件を原審に差し戻すのが相当である。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

++解説
《解  説》
一 本件の本案訴訟は、親子電話装置(本件機器)を購入し利用している原告らが、本件機器にしばしば通話不能になる瑕疵があるなどと主張して、被告に対し、債務不履行等に基づく損害賠償を請求する事案である。被告は、本件機器の売主は被告ではない、本件機器に瑕疵はないなどと主張する。一審判決は、被告の主張をいれ、原告らの請求を棄却した。原告らが控訴し、控訴審において、原告らが本件文書提出命令の申立てをした。

二 本件文書提出命令の申立ての対象である文書は、被告とその取次店との取次店契約書、本件機器の回路図及び信号流れ図(本件文書)などである。原審は、右取次店契約書は証拠調べの必要性を欠き、本件文書は民訴法二二〇条四号ロ及びハの文書に当たるから被告に文書提出義務がないなどとして、本件文書提出命令の申立てを却下した。原告から抗告許可申立てがあり、抗告が許可された。抗告許可申立ての理由は、右取次店契約書は本件機器の売主が被告であることを立証するために必要な文書であって証拠調べの必要性がある、本件文書は公表されることにより本件機器のメーカーが不利益を受けることはなく四号ロ及びハの文書に当たらない、というものである。

三 本決定は、右取次店契約書については、証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立てを却下する決定に対しては右必要性があることを理由として独立に不服の申立てをすることはできないとして、抗告を却下した。また、本件文書については、民訴法一九七条一項三号所定の「技術又は職業の秘密」とは「その事項が公開されると、当該技術の有する社会的価値が下落しこれによる活動が困難になるもの又は当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいう」と判示した上、原決定には本件文書が提出されることにより被告が被る不利益の具体的内容を認定していない違法があるとした。民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の意義については、最高裁判例(平成一一年(許)第二号・最二小決平11・11・12民集五三巻八号登載予定)を引用し、原決定には、本件文書の開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生じるおそれがあるかどうかについて具体的に判断していない違法があるとした。そして、本決定は、原決定中本件文書に係る部分を破棄し原審に差し戻した。

四 文書提出義務がないことを理由とする文書提出命令の却下決定に対しては、民訴法二二三条四項により即時抗告をすることができるが、証拠調べの必要性がないことを理由とする却下決定に対しては、右のような規定はない。一般に、証拠の採否は受訴裁判所の専権に属するものであって、民訴法二二三条四項は「文書提出義務の有無」に限り即時抗告を認めたものと解されるから、証拠調べの必要性がないことを理由に文書提出命令の申立てを却下した決定に対しては、原則に戻り、独立の不服申立てはできないとする解釈がこれまでの通説及び下級審裁判例の大勢であった。許可抗告制度のない旧民訴法の下においては、この法理を示した最高裁判例はなく、本決定は、最高裁がこの法理を初めて判示したものである。

五 民訴法二二〇条四号ロは、同法一九七条一項二号に規定する事実又は同項三号に規定する事項で黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書は同号所定の文書提出義務から除外される旨を規定する。今回の民訴法改正において、一九六条以下の証言拒絶権に関する規定も一部改正されたが、本件で問題となる「技術又は職業の秘密」については、旧民訴法二八一条一項三号をそのまま平仮名化したもので、その解釈について旧法と現行法との間に連続性がある。旧民訴法二八一条一項三号に規定する「技術又ハ職業ノ秘密」の意義について、通説は、単に秘密保持者が主観的に秘密扱いしているというだけでは足りず、「技術の秘密」とは、これが公開されると技術の有する社会的価値が下落し当該技術に依存する活動が不可能あるいは困難になるものをいい、「職業ノ秘密」とは、これが公開されると当該職業に深刻な影響を与え以後の職業の維持遂行が不可能あるいは困難になるものをいうと解しており、下級審の裁判例もほぼ同様に解していた。旧民訴法二八一条一項三号についての右解釈は、これと連続性を有する現行民訴法一九七条一項三号における「技術又は職業の秘密」についても妥当するということができ、本決定は、この点について最高裁判所が従来の学説裁判例と基本的に同様の理解に立つことを初めて判示したものである。本決定は、右法理を示した上、文書提出義務の有無を判断する裁判所が、文書の提出により所持者等が被る不利益を具体的に審理判断すべきことを判示し、原決定の審理判断は不十分であるとしてこれを破棄したものであって、文書提出命令の許否に関して下級審が審理すべき内容につきその指針を示すものである。

六 民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の意義については、近時、本判決の引用する最高裁判例により最高裁の判断が示されている。本決定は、四号ハの文書に当たるかどうかについても、原審の審理判断が不十分であるとしており、示唆に富むものである。
七 本決定は、最高裁が文書提出命令に関する基本的法理を初めて判示したものであり、実務に与える影響も大きいといえよう。

2.文書提出命令の概要

(書証の申出)
第219条
書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。

(文書提出義務)
第220条
次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
一  当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
二  挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
三  文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき
四  前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
イ 文書の所持者又は文書の所持者と第百九十六条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
ロ 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
ハ 第百九十七条第一項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
ニ 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書

(文書提出命令の申立て)
第221条
1項 文書提出命令の申立ては、次に掲げる事項を明らかにしてしなければならない。
一  文書の表示
二  文書の趣旨
三  文書の所持者
四  証明すべき事実
五  文書の提出義務の原因
2項 前条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立ては、書証の申出を文書提出命令の申立てによってする必要がある場合でなければ、することができない。

(文書の特定のための手続)
第222条
1項 文書提出命令の申立てをする場合において、前条第一項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることが著しく困難であるときは、その申立ての時においては、これらの事項に代えて、文書の所持者がその申立てに係る文書を識別することができる事項を明らかにすれば足りる。この場合においては、裁判所に対し、文書の所持者に当該文書についての同項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることを求めるよう申し出なければならない。
2項 前項の規定による申出があったときは、裁判所は、文書提出命令の申立てに理由がないことが明らかな場合を除き、文書の所持者に対し、同項後段の事項を明らかにすることを求めることができる。

(文書提出命令等)
第223条
1項 裁判所は、文書提出命令の申立てを理由があると認めるときは、決定で、文書の所持者に対し、その提出を命ずる。この場合において、文書に取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分があるときは、その部分を除いて、提出を命ずることができる。
2項 裁判所は、第三者に対して文書の提出を命じようとする場合には、その第三者を審尋しなければならない。
3項 裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について第二百二十条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないことが明らかなときを除き、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、当該監督官庁(衆議院又は参議院の議員の職務上の秘密に関する文書についてはその院、内閣総理大臣その他の国務大臣の職務上の秘密に関する文書については内閣。以下この条において同じ。)の意見を聴かなければならない。この場合において、当該監督官庁は、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を示さなければならない。
4項 前項の場合において、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命ずることができる。
一 国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ
二 犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ
5  第三項前段の場合において、当該監督官庁は、当該文書の所持者以外の第三者の技術又は職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について意見を述べようとするときは、第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べようとするときを除き、あらかじめ、当該第三者の意見を聴くものとする。
6  裁判所は、文書提出命令の申立てに係る文書が第二百二十条第四号イからニまでに掲げる文書のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができる。この場合においては、何人も、その提示された文書の開示を求めることができない。
7  文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる

(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第224条
1項 当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる
2  当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3  前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる。

3.社内文書に関する自己使用文書性をめぐる判例法理

+判例(H11.11.12)
理由
抗告代理人海老原元彦、同広田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之、同谷健太郎、同田路至弘の抗告理由について
一 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案訴訟(東京高等裁判所平成九年(ネ)第五九九八号損害賠償請求事件)は、亡Bが抗告人から六億五〇〇〇万円の融資を受け、右資金で大和証券株式会社を通じて株式等の有価証券取引を行ったところ、多額の損害を被ったとして、Bの承継人である相手方が、抗告人の九段坂上支店長は、Bの経済状態からすれば貸付金の利息は有価証券取引から生ずる利益から支払う以外にないことを知りながら、過剰な融資を実行したもので、これは金融機関が顧客に対して負っている安全配慮義務に違反する行為であると主張して、抗告人に対し、損害賠償を求めるものである
2 本件は、相手方が、有価証券取引によって貸付金の利息を上回る利益を上げることができるとの前提で抗告人の貸出しの稟議が行われたこと等を証明するためであるとして、抗告人が所持する原決定別紙文書目録記載の貸出稟議書及び本部認可書(以下、これらを一括して「本件文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件であり、相手方は、本件文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当し、また、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。

二 本件申立てにつき、原審は、銀行の貸出業務に関して作成される稟議書や認可書は、民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらず、その他、同号に基づく文書提出義務を否定すべき事由は認められないから、その余の点について判断するまでもなく、本件申立てには理由があるとして、抗告人に対し、本件文書の提出を命じた。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 【要旨第一】ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するのが相当である。

2 これを本件についてみるに、記録によれば、銀行の貸出稟議書とは、支店長等の決裁限度を超える規模、内容の融資案件について、本部の決裁を求めるために作成されるものであって、通常は、融資の相手方、融資金額、資金使途、担保・保証、返済方法といった融資の内容に加え、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見などが記載され、それを受けて審査を行った本部の担当者、次長、部長など所定の決裁権者が当該貸出しを認めるか否かについて表明した意見が記載される文書であること、本件文書は、貸出稟議書及びこれと一体を成す本部認可書であって、いずれも抗告人がBに対する融資を決定する意思を形成する過程で、右のような点を確認、検討、審査するために作成されたものであることが明らかである。

3 右に述べた文書作成の目的や記載内容等からすると、銀行の貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されているものである。したがって、【要旨第二】貸出稟議書は、専ら銀行内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると銀行内部における自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものとして、特段の事情がない限り、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきである。そして、本件文書は、前記のとおり、右のような貸出稟議書及びこれと一体を成す本部認可書であり、本件において特段の事情の存在はうかがわれないから、いずれも「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるというべきであり、本件文書につき、抗告人に対し民訴法二二〇条四号に基づく提出義務を認めることはできない。

四 また、本件文書が、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解される以上、民訴法二二〇条三号後段の文書に該当しないことはいうまでもないところである。
五 以上によれば、原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が裁判の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、相手方の本件申立ては理由がないので、これを却下することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 福田博 裁判官 河合伸一 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)

++解説
《解  説》
一 本決定は、新民事訴訟法施行後、許可抗告制度の下で文書提出命令につき最高裁が判断を示した初めての決定であるとともに、学説、下級審の決定例が分かれていた銀行の貸出稟議書の提出義務について判断が示された決定である。
二 事案の概要
基本事件は、Y銀行から融資を受けて証券取引に投資をした結果、多額の損失を被ったXが、顧客に対する安全配慮義務違反があったとして、Yに対して損害賠償を求める事件であり(Xは証券会社に対しても損害賠償請求をしている。)、Xは、貸出稟議の内容を立証するためであるとして、Yの貸出稟議書について文書提出命令を申し立てた。Xは、本件文書は民訴法二二〇条三号後段の法律関係文書に該当し、また、四号ハの文書(これを「自己利用文書」と呼ぶ。)に当たらない文書であると主張した。
原決定(金判一〇五八号三頁、金法一五三八号七二頁)は、銀行の貸出稟議書は、(a)組織体の基本的な公式文書であること、(b)銀行法に基づく内閣総理大臣の検査の対象となること、(c)銀行が証拠として提出することもあることなどの理由を挙げて、本件文書は自己利用文書に当たらないとして、二二〇条四号による提出義務を認め、申立てを認容した。
これに対して、Yが抗告許可の申立てをしたのが本件事件である。本決定は、決定要旨一、二のとおりに判示し、特段の事情の存在がうかがわれない本件では、本件文書は自己利用文書に当たるとして、四号による提出義務を否定するとともに、自己利用文書に当たる以上、三号後段の法律関係文書に該当しないとして、原決定を破棄し、申立てを却下したのである。

三 本決定が解決した問題と未解決の問題
文書提出命令の対象となる文書の拡充は、今回の民訴法改正の主要な改正事項の一つであったが、現在の条文に至った経過は単純ではない。旧民訴法三一二条は、提出義務の対象となる文書を限定列挙し、同条一号ないし三号所定の事由のある文書に限って提出義務を負うものとしていたが(限定義務)、昭和四〇年代ころから、現代型紛争事件(公害、医療、環境、製造物責任)、労働事件、行政事件など、証拠が構造的に偏在している訴訟が増加するにつれ、当事者の実質的対等を確保するために、同条三号の利益文書、法律関係文書の範囲を解釈によって拡大しようとする様々な決定例、学説が現れ、その解釈が区々に分かれていたことから、今回の民訴法の改正においてこの問題を立法的に解決することが期待されたのである。今回の改正作業は、各界に広く意見照会をしつつ行われたのであるが、文書提出義務については、(ア)文書提出義務を一般義務化する案と、(イ)列挙主義を維持しつつ提出義務の範囲を拡張しようとする案のいずれを選択するかについて各界の意見が鋭く対立し、「民事訴訟手続に関する改正要綱」の作成段階で一種の折衷案ともいうべき現行の二二〇条の基になる案が登場し、最終的にこれに一本化されたのである(周知のように、その後の国会における修正によって公務文書については改正が先送りにされた。)。このように、現行の二二〇条は一種の妥協の産物として登場したため、同条の解釈をめぐって、立法直後から学説の対立が続いている状況にある。
学説の対立点は、(1) 二二〇条四号の新設によって、一号ないし三号(特に三号)の意味内容は、旧法三一二条一号ないし三号のそれと変わるのか、変わらないのか、(2) 四号ハの自己利用文書の意義とその判断基準、(3) (2)のあてはめの問題として、銀行の貸出稟議書が自己利用文書に該当するか、(4) 一号ないし三号と四号は、補充的な関係にあるのか、選択的な関係にあるのか(判断順序の問題)などであった(論点の網羅的な摘示につき、平野哲郎「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察」本誌一〇〇四号四三頁参照)。
本決定はこれらの問題のうち、(2)と(3)について明示的に判断を示し、(4)の問題についても、明示的ではないものの回答を示したが、(1)の問題については判断を示さなかったのである。以下、各点について説明する。

四 四号ハの自己利用文書について(判示事項一について)
二二〇条四号は、文書提出義務の一般義務化を認めた規定であり、除外文書として、証言拒絶事由と同様の事由がある文書(イ、ロ)と、自己利用文書(ハ)を置いている。
自己利用文書が除外文書とされた立法趣旨につき、立法担当者は、このような文書についてまで提出義務を負うものとすると文書の作成者の自由な活動を妨げるおそれがあるし、文書の所持者が著しい不利益を受けるおそれがあるとしており(法務省民事局参事官室編・一問一答新民事訴訟法二五一頁)、学説が、(a)自然人や団体の内心領域についての沈黙の自由を確保し、内心領域の自由(意思形成過程の自由)を保護する趣旨(新堂幸司「貸出稟議書は文書提出命令の対象になるか」金法一五三八号一二頁)、(b)プライバシーの侵害を防いだり、将来提出を命じられることを慮って文書作成が不自由になることを防ぐ趣旨(原強「文書提出命令①―学者から見た文書提出義務」三宅ほか編・新民事訴訟法大系第三巻一三〇頁)、(c)個人についてはプライバシーの保護、法人については意思決定の過程なり討議の内容なりをみだりに公開されない自由を保護する趣旨(青山善充ほか「研究会 新民事訴訟法をめぐって(17)」ジュリ一一二五号一二二頁〔竹下守夫発言〕)と述べているところも、基本的に同趣旨と解されよう。
本決定はこのような立法趣旨にかんがみ、判示事項一につき、(1) ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、(2) 開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、(3) 特段の事情がない限り、当該文書は自己利用文書に当たる、との判断を示したものと思われる。
立法担当者は、自己利用文書かどうかは、「文書の記載内容や、それが作成され、現在の所持者が所持するに至った経緯・理由等の事情を総合考慮して、それがもっぱら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の関係のない者に見せることが予定されていない文書かどうかによって決まる」(法務省民事局参事官室・前掲二五二頁)と述べているところ、本決定が示した右(1)の判断はこれとほぼ同じであって、自己利用文書かどうかは、作成者の主観のみによるのではなく、文書の記載内容や作成経緯(法令上の作成義務があるかどうかも含む)等の諸事情を総合して判断するとの趣旨を示したものと思われる。
そして、本決定がこれに加えて(2)の限定を加えているところが注目される。これは、自己利用文書の範囲をさらに絞り込むことにより、文書提出義務を一般義務化し提出文書の範囲を拡大しようとした法改正の趣旨を実現することを所期したものと思われる。(2)の場合に当たるかどうかは、通常は(1)の検討を通じて類型的に判断することが可能であろうが、その判断が微妙であれば、イン・カメラ手続(二二三条三項)による審理が適当な場合もあろう。
なお、旧法下においては、いわゆる「自己使用文書」(所持者ないし作成者がもっぱら自己使用のために作成した文書)は法律関係文書に該当しないと解するのが、通説・決定例であった。「自己使用文書」はいわゆる共通文書でないものを法律関係文書から排除するために用いられる概念であるのに対し、自己利用文書は一般義務化された文書提出義務の除外事由であるから、両者は文言は類似しているが別の概念であるといわれている(伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義」法協一一四巻一二号一四五三頁ほか)。問題は両者の広狭である。旧法下において「自己使用文書」の判断基準について定説があったわけではないが、「作成者の主観によってではなく、(イ)文書作成の目的、(ロ)作成者・所持者の性格、(ハ)文書作成義務の有無、(ニ)文書の記載内容等の諸要素を勘案して客観的に認定されるべきである」との考え方が有力説であったと思われる(兼子=松浦=新堂=竹下・条解民事訴訟法一〇五九頁〔松浦馨〕ほか)。これと対比すると、本決定のいう自己利用文書は、前記(2)の「看過し難い不利益が生ずるおそれ」が意識的に求められている点において、右有力説のいう「自己使用文書」より限定的といえよう。
ところで、自己利用文書に該当するかどうかについては、所持者側の不利益の外に、訴訟における当該文書の証拠としての重要性、代替証拠の有無、当事者間の衡平、社会的見地から見た真実発見の重要性などの要素を加えた比較考量が必要であるとする説(比較考量説)が近時有力である(伊藤・前掲一四五三頁、新堂・前掲一三頁など)。本決定は、当該文書の性質と所持者側の不利益に着目しており、比較考量を基本とするものではないから、比較考量説とは一線を画していると解される。しかし、例外的に右のような要素を考慮した判断が可能かどうかは、本決定がいう「看過し難い不利益が生ずるおそれ」や「特段の事情」についての今後の解釈に委ねられた問題といえよう。いずれにしても、本決定は「特段の事情」の例を示していないので、「特段の事情」がどのような事情を指すのかは、今後の検討課題として残されたといえよう。

五 銀行の貸出稟議書について(判示事項二について)
貸出稟議書について、旧法下においては三号後段の法律関係文書に該当するかどうかが問題とされ、ほとんどの決定例は、「自己使用文書」ないし「内部文書」であって法律関係文書に当たらないとの理由でこれを否定していた。
また、立法担当者は、稟議書を自己利用文書の例として挙げ(法務省民事局参事官室・前掲二三一頁)、新法施行後も貸出稟議書について文書提出義務は生じないと考えていたものと思われる。
ところが、新法施行後、貸出稟議書は新法二二〇条三号後段の法律関係文書に当たるとして申立てを認容した上、傍論として、稟議書につき自己利用文書に該当すると解すべきでないと説示した東京高裁の決定が現れた(①東京高決平10・10・5本誌九八八号二八八頁、金法一五三〇号三九頁、金判一〇五三号三頁)。①決定が示した法律関係文書の理解は、ほとんど無限定の提出義務を認めるに等しいものであったが(新堂・前掲八頁、山本和彦「稟議書に対する文書提出命令(上)」NBL六六一号一〇頁などが批判する。)、①決定がその後の下級審実務に与えた影響は大きく、貸出稟議書につき申立てを認容した高裁決定が相次ぎ(②東京高決平10・11・24〔本件の原決定〕、③大阪高決平11・2・26金判一〇六五号三頁。③決定は、貸出稟議書は法律関係文書に当たる、そうでないとしても自己利用文書に該当しないとの理由で認容)、これらに追随する地裁の決定も見られた(札幌地決平11・6・10金判一〇七一号三頁、東京地決平11・7・5金判一〇七一号三頁)。
しかし、③決定以後に現れた高裁の決定は、いずれも貸出稟議書につき、法律関係文書に当たらず、かつ、自己利用文書に該当するとして申立てを却下するか、申立てを却下した原決定を維持している(④東京高決平11・4・16判時一六八八号一四〇頁、⑤福岡高決平11・6・23金法一五五七号七五頁、⑥東京高決平11・7・14金判一〇七二号三頁、⑦東京高決平11・8・10未公刊。ただし、⑧東京高決平11・9・8金判一〇七六号三頁〔④と同一裁判体〕は、信用金庫の会員代表訴訟〔株主代表訴訟の規定を準用した制度〕の場合は別異の判断が必要との理由で、申立てを却下した原決定を取り消してこれを原審に差し戻した。)。また、申立てを却下した地裁決定例も多く存在する(東京地決平10・6・30金法一五二六号六九頁〔①の原決定〕、福岡地決平11・3・15金法一五五七号七五頁〔⑤の原決定〕、東京地決平11・4・19金判一〇六六号一二頁、東京地決平11・6・10金判一〇六九号三頁〔⑥の原決定〕、東京地決平11・6・21金法一五五四号八六頁、東京地決平11・8・16金法一五五七号七五頁など)。これらの決定は、いずれも、法令上の作成義務がないこと、内部の意思決定のために作成されたものであることなどを理由としていたが、提出義務を肯定する決定例が挙げる理由を意識した詳細な理由を付する決定も散見された。このようにして、下級審実務は、原則として提出義務を否定する見解が大勢を占める方向へと収れんする気配を見せていたと思われる。
学説では、(1) 単に自己利用文書に該当すると述べる説(中野貞一郎・解説新民事訴訟法五三頁、高橋宏志・新民事訴訟法論考二〇五頁)、(2) 原則として自己利用文書に該当し、例外を認めるのは慎重でなければならないとする説(新堂・前掲一三頁など)、(3) 原則として自己利用文書に該当するが、他の利益との比較考量により判断され得るとする説(伊藤・前掲一四五五頁)、(4) いかなる場合であっても外部に出さないことが客観的に認定でき、かつ、それが規範的にも正当化される場合を除き、自己利用文書に該当しないとする説(山本・前掲(下)NBL六六二号三二頁)、(5) 自己利用文書に該当するとはいえないとする説(田原睦夫「文書提出義務の範囲と不提出の効果」ジュリ一〇九八号六四頁)などが存在した(学説については、並木茂「銀行の融資稟議書は文書提出命令の対象となるか(上)」金法一五六一号四四頁参照)。
このように決定・学説が分かれ、②、③決定に対する抗告が許可されたため、最高裁の判断が待たれていたところである(①決定に対する抗告は許可されなかった。)。
そして、本決定は、要旨「銀行において支店長等の決裁限度を超える規模、内容の融資案件について本部の決裁を求めるために作成され、融資の内容に加えて、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見、審査を行った決裁権者が表明した意見などが記載される文書である貸出稟議書は、特段の事情がない限り、自己利用文書に当たる。」との判断を示し、②決定を破棄したのである。本決定は、右のような貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されているものであるから、(1) 専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、(2) 開示されると銀行内部の自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがある、とその理由を述べている。
また、③の大阪高裁決定(基本事件は、変額保険に加入したことにより被った損害につき融資銀行の責任を追及する訴訟)も、最二小決平11・11・26(金判一〇八一号五四頁参照)によって、本決定と同様の理由で破棄され、文書提出命令の申立ては却下された。
本決定は、判示のような貸出稟議書は特段の事情のない限り自己利用文書に該当することを明らかにしたが、「特段の事情」がどのような事情を意味するのかについては、前述のとおり今後の検討課題であり、また、貸出稟議書以外の社内文書、株主代表訴訟における貸出稟議書などが自己利用文書に当たるといえるかどうかも、今後の問題である。ただし、本件の基本事件は銀行のいわゆる貸し手責任を追及する訴訟、③決定の基本事件は変額保険により被った損害につき銀行の責任を追及する訴訟であるところ、最高裁が各事件につき、特段の事情を簡単に否定しているところからすると、右のような類型の訴訟においては、よほどのことがない限り、特段の事情が認められる余地はないといえよう。
なお、本決定は、原決定が自己利用文書に当たらないとした個々の理由(前記二の(a)から(c))をいずれも排斥したものと思われるが、その理由は判文上は明らかにされていない。原決定の挙げる理由に対して、学説は、(a)の理由(組織体の基本的な公式文書であること)に対しては、組織内の重要な公式文書であればこそ、組織体の意思形成過程に関する沈黙の自由が尊重されるべきであるとの批判、(b)の理由(銀行法に基づく内閣総理大臣の検査の対象となること)に対しては、右検査は行政上の監督として行われるものであるし、担当官には守秘義務があり稟議書が公に開示されることはないのであるから、検査の対象となることが自己利用文書性を否定する理由にはならないとの批判、(c)の理由(銀行が稟議書を証拠として提出することもあること)に対しては、訴訟では立証の都合から個人が日記帳を証拠として提出することもあるが、だからといって日記帳に文書提出命令を発するということにはならない等の批判を寄せていたところである(鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を認めた事例」リマークス一九九九(下)一三六頁〔本件の原決定の評釈〕、新堂・前掲〔①決定の評釈〕、並木・前掲(下)金法一五六二号三六頁〔③決定の評釈〕など)。

六 一号ないし三号と四号の判断順序について
一号ないし三号と四号との関係については、(1) 一号ないし三号に該当しない場合に、はじめて四号該当性を検討すべきであるという、いわば予備的関係であるとする説(原・前掲一三一頁など)と、(2) どちらを先に検討してもかまわないという、いわば選択的関係にあるとする説(出水順「文書提出義務(二)―四号文書と証言拒絶権の関係」滝井ほか編・論点新民事訴訟法二六五頁、山下孝之「文書提出命令②―弁護士から見た文書提出義務」三宅ほか編・新民事訴訟法大系第三巻一五三頁など)があったが、本決定は、四号の判断を先行しその後三号後段の判断を行っているので、(2)説に立っていることは明らかである。本決定が(2)説を採った理由は明らかではないが、いずれの号で提出を認めるかで決定の効力に違いはないし、(2)説の方が実務的に便宜だからであろう。その場合、「前三号に掲げる場合のほか」との四号柱書きの文言は、「前三号に掲げる場合に当たらなくても」という程度に読むことになろう。

七 自己利用文書と三号後段の文書(法律関係文書)について
本決定は、「本件文書が自己利用文書に当たると解される以上、三号後段の文書に該当しないことはいうまでもない。」として、三号後段に当たるとの申立人の主張を簡単に退けているので、この記述をどのように読むかが問題になる。
前記三のとおり、二二〇条四号の新設によって、新法三号の意味内容は、旧法の三号と変わったのか、変わらないのかという問題があり、学説は、大きく分けて、(1) 旧法と同じと考える説(法務省民事局参事官室・前掲二五三頁、新堂・前掲一一頁、中野・前掲など)、(2) 旧法より狭くなり、四号イないしハのような除外事由が問題にならない文書に限られるとの説(前掲「研究会」ジュリ一一二五号一一八頁〔竹下守夫、青山善充発言〕、佐藤彰一「証拠収集」法時六八巻一一号一八、山本・前掲(上)NBL六六一号一〇頁ほか多数)に分かれる。しかし、いずれの説を採るにしても、本決定が明らかにした内容の自己利用文書に当たる文書が、新法三号後段の法律関係文書に当たることはあり得ないということができるから、本決定が、自己利用文書は三号後段の法律関係文書に当たらないとの結論を導く前提として、いずれの説を採っているのかは明らかではないといわざるを得ない。すなわち、本決定は、新法三号後段についてどのような解釈を採るのかを明らかにしたものではない。
ところで、三号と四号の判断順序は自由であり、かつ自己利用文書に該当すれば三号後段の文書に当たらないとすれば、当事者が提出義務の根拠として三号後段と四号を掲げた場合、(a) 自己利用文書に該当するとして四号該当性が否定されると、三号後段の該当性も否定されて申立ては却下され、(b) 逆に自己利用文書に該当しないとされると、他の除外事由がない限り、三号後段の該当性を問うまでもなく、申立ては認容されることになる。したがって、結果的に提出義務をめぐる判断の中心は四号に移ることになろう。

八 以上のとおり、本決定は、文書提出命令をめぐるいくつかの問題点を解決した極めて重要な決定であり、裁判実務及び金融実務に与える影響も大きいので、紹介する次第である。
なお、新法下の文書提出命令や貸出稟議書の文書提出義務について発表された論文は多数に上るが、文中の引用文献や並木・前掲(上)金法一五六一号四三頁の文献一覧表参照。その他、吉野正三郎「銀行の貸出稟議書と文書提出命令」銀法21五六九号五頁、大越徹=伊藤治「金融実務と文書提出命令制度」銀法21五六九号一三頁など。本決定に関しては、銀法21五七〇号七頁以下の加藤新太郎判事ほかによる評釈、中村直人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事一五四五号二二頁、山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九号六頁がある。

+判例(H12.12.14)
理由
抗告代理人村田光男の抗告理由について
一 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案事件(東京地方裁判所八王子支部平成八年(ワ)第二三六九号損害賠償請求事件)は、抗告人の会員である相手方が、抗告人の理事であった者らに対し、理事としての善管注意義務ないし忠実義務に違反し、十分な担保を徴しないで原々決定別紙融資目録記載の各融資(以下「本件各融資」という。)を行い、抗告人に損害を与えたと主張して、信用金庫法(以下「法」という。)三九条において準用する商法二六七条に基づき、損害賠償を求める会員代表訴訟である。
2 本件は、相手方が、理事らの善管注意義務違反ないし忠実義務違反を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録記載の本件各融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書(以下、これらを一括して「本件各文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件であり、相手方は、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当し、また、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。

二 原々審は、本件各文書が民訴法二二〇条三号後段の文書に該当せず、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるとして、本件申立てを却下したが、原審は、次のとおり判断して、原々決定を取り消し、本件を原々審に差し戻した。
信用金庫が所持する稟議書は、本来対外的利用を予定していないものであるが、事務処理の経過と理事等の責任の所在を明らかにすることがその作成目的に含まれている以上、会員代表訴訟の訴訟資料として使用されることはその属性として内在的に予定されているということができるのであり、また、信用金庫自身が理事の責任追及の訴えを提起するときにはこれを証拠として利用することに特段制約があるとは考えられないのであるから、会員の代表訴訟の提起が正当なものである限り、信用金庫が右訴訟を提起した会員に対して稟議書が内部文書である旨主張することは許されない。したがって、本件申立てに対しては、本件各文書の訴訟資料としての必要性や重要性を検討して民訴法二二〇条各号の文書といえるか否かを判断すべきところ、原々決定は、これをせずに本件各文書の提出義務を否定して申立てを却下したものであるから、取消しを免れない。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
記録によれば、本件各文書は、抗告人が本件各融資を決定する過程で作成した貸出稟議書であることが認められるところ、信用金庫の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきであり(最高裁平成一一年(許)第二号同年一一月一二日第二小法廷決定・民集五三巻八号一七八七頁参照)、右にいう特段の事情とは、文書提出命令の申立人がその対象である貸出稟議書の利用関係において所持者である信用金庫と同一視することができる立場に立つ場合をいうものと解される。信用金庫の会員は、理事に対し、定款、会員名簿、総会議事録、理事会議事録、業務報告書、貸借対照表、損益計算書、剰余金処分案、損失処理案、附属明細書及び監査報告書の閲覧又は謄写を求めることができるが(法三六条四項、三七条九項)、会計の帳簿・書類の閲覧又は謄写を求めることはできないのであり、会員に対する信用金庫の書類の開示範囲は限定されている。そして、信用金庫の会員は、所定の要件を満たし所定の手続を経たときは、会員代表訴訟を提起することができるが(法三九条、商法二六七条)、会員代表訴訟は、会員が会員としての地位に基づいて理事の信用金庫に対する責任を追及することを許容するものにすぎず、会員として閲覧、謄写することができない書類を信用金庫と同一の立場で利用する地位を付与するものではないから、会員代表訴訟を提起した会員は、信用金庫が所持する文書の利用関係において信用金庫と同一視することができる立場に立つものではない。そうすると、【要旨】会員代表訴訟において会員から信用金庫の所持する貸出稟議書につき文書提出命令の申立てがされたからといって、特段の事情があるということはできないものと解するのが相当である。したがって、本件各文書は、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるというべきであり、本件各文書につき、抗告人に対し民訴法二二〇条四号に基づく提出義務を認めることはできない。また、本件各文書が、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解される以上、民訴法二二〇条三号後段の文書に該当しないことはいうまでもないところである。

四 以上によれば、原審の前記判断には、裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるというべきである。この趣旨をいう論旨は理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、相手方の本件申立てを却下した原々決定は正当であるから、これに対する相手方の抗告を棄却することとする。よって、裁判官町田顯の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官町田顯の反対意見は、次のとおりである。
私も、金融機関の貸出稟議書は、特段の事情がない限り民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するが、本件における貸出稟議書については、右の特段の事情があり、証拠としての必要性が認められる限り、抗告人は、文書提出義務を負うと解すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。
本件の本案事件は、抗告人の会員である相手方が、抗告人の理事であった者らに対し、本件各融資につき善管注意義務違反又は忠実義務違反があったとして、抗告人のため、損害賠償を求める会員代表訴訟である。
ところで、信用金庫は、会員の出資による協同組織の非営利法人であり(法一条)、会員は、当該信用金庫の営業地域内に住居所又は事業所を有する者(一定規模以上の事業者を除く。)及びその地域内において勤労に従事する者で、定款で定めるものに限られ(法一〇条)、加入及び持分の譲渡については信用金庫の承諾を要し(法一三条、一五条)、定款で定める事由に該当する場合には総会の議決によって除名されること(法一七条三項)、信用金庫は、預金等の受信業務は会員以外の者からも受け入れることができるが、貸出業務は原則として会員に対してのみ行うことができるものとされていること(法五三条)、会員は出資口数にかかわらず平等に一箇の議決権を有すること(法一二条)など、会員による人的結合体たる性格を帯有する。
そして、会員代表訴訟は、右のような性質を持つ会員が、信用金庫のため(法三九条、商法二六七条二項)、その任務を怠った理事の責任(法三五条)を追及することを目的とするものであるから、これらを全体としてみれば、信用金庫の会員代表訴訟は、協同組織体内部の監視、監督機能の発動であると解するのが相当である。
金融機関の貸出稟議書は、当該金融機関が貸出しを行うに当たり、組織体として、意思決定の適正を担保し、その責任の所在を明らかにすることを目的として作成されるものと解されるから、貸出稟議書は、貸出しに係る意思形成過程において重要な役割を果たすとともに、当該組織体内において、後に当該貸出しの適否が問題となり、その責任が問われる場合には、それを検証する基本的資料として利用されることが予定されているものというべきである。
信用金庫における会員代表訴訟の前記の性質と貸出稟議書の右のような役割よりすれば、信用金庫の貸出稟議書は、会員代表訴訟において利用されることが当然に予定されているものというべきであり、本件のように理事の貸出行為の適否が問題とされる信用金庫の会員代表訴訟においては、当該貸出しに係る貸出稟議書は、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらないと解すべき特段の事情があって、民訴法二二〇条四号の規定により、その所持者である抗告人に対し、提出を命ずることができるものと解すべきである。
もっとも、相手方は、本件各融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書の提出を求めるものであるところ、これらは本来外部に開示されることが予定されていないものであるから、その提出を命ずるに当たっては、当該訴訟の判断のため真に必要なものに限られるべきことは当然であって、受訴裁判所としては、証拠としての必要性について慎重な判断をしなければならない。
よって、これと同旨の原決定は正当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却すべきである。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎 裁判官 町田顯 裁判官 深澤武久)

++解説
《解  説》
 一 本件の本案事件は、S信用金庫の会員であるXが、S信用金庫の理事であったYらに対し、理事としての善管注意義務ないし忠実義務に違反し、十分な担保を徴しないで融資を行い、S信用金庫に損害を与えたと主張して、信用金庫法三九条において準用する商法二六七条に基づき、損害賠償を求める会員代表訴訟である。本件は、Xが、Yらの善管注意義務違反ないし忠実義務違反を証明するためであるとして、S信用金庫が所持する右融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書(以下「本件各文書」という。)について文書提出命令を申し立てた事件である。Xは、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の法律関係文書に該当し、また、同条四号ハの文書(これを「自己利用文書」と呼ぶ。)に当たらない文書であると主張した。
 二 原々審(金判一〇七六号七頁)は、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当せず、同条四号ハ所定の自己利用文書に当たるとして、本件申立てを却下した。
 原審(金判一〇七六号三頁)は、(1)代表訴訟の提起が正当なものである限り、信用金庫が右訴訟を提起した会員に対して稟議書が内部文書であることを主張することはできないとの一般論を示した上、(2)証拠としての必要性や重要性を検討して民訴法二二〇条各号の文書に該当するかどうかを判断すべきであるとして、原々決定を取り消し、原々審に差し戻した。これに対して、S信用金庫が抗告許可の申立てをしたのが本件事件である。
 三 本決定は、最二小決平11・11・12民集五三巻八号一七八七頁を引用して「信用金庫の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民訴法二二〇条四号ハ所定の自己利用文書に当たる。」とした上、「会員代表訴訟において会員から信用金庫の所持する貸出稟議書につき文書提出命令の申立てがされたからといって、特段の事情があるということはできない。」と判示し、本件各文書は自己利用文書に当たるとして四号による提出義務を否定するとともに、自己利用文書に当たる以上、三号後段の法律関係文書に該当しないとして、原決定を破棄し、原々決定に対する抗告を棄却した。
 四 民訴法改正によって新設された二二〇条四号ハ所定の自己利用文書の意義については、周知のとおり、前掲最二小決平11・11・12が、「(1)ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、(2)開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、(3)特段の事情がない限り、当該文書は自己利用文書に当たる。」と判示し、「銀行の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、自己利用文書に当たる。」との判断を示した。そこで、右最決の後は、「特段の事情」が認められるのはどのような場合であるかという点に議論が集中している。この点については、(1)例外的な事例に備えて一種の決まり文句を置いたもの、(2)証拠としての重要性等各訴訟の個々的な事情を勘案する手掛りを残したもの、(3)株主代表訴訟等訴訟類型の差異を勘案する手掛りを残したもの等の解釈が示されている(山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九号六頁、加藤新太郎「銀行の貸出稟議書と自己使用文書」NBL六八二号七一頁、小林秀之・塩崎勤ほか「〈座談会〉稟議書を中心とした文書提出命令(上)」本誌一〇二七号四頁、小野憲一「時の判例」ジュリ一一八四号一二〇頁)。なかでも、株主代表訴訟において貸出稟議書の文書提出命令が申し立てられた場合については、(1)株主と法人とを同一視することはできず、代表訴訟においても法人の内心領域の自由(意思形成過程の自由)は保護されるべきであるとして、自己利用文書該当性を肯定する見解(中村直人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事一五四五号二六頁、河本一郎「株主代表訴訟と文書提出命令」銀法21五七三号一頁)と、(2)株主は、団体の内部者であるから、団体内部の訴訟である代表訴訟においては、会社の内心領域の自由(意思形成過程の自由)は保護されないとして、自己利用文書該当性を否定する見解(前掲山本和彦六頁、前掲小林秀之・塩崎勤ほか四頁、大村雅彦「銀行の貸出稟議書を対象とする文書提出命令の許否」ジュリ一一七九号一二三頁、塩崎勤・塚原朋一ほか「〈座談会〉新民訴法施行一年を振り返って」金法一五三八号二七頁、並木茂「銀行の融資稟議書は文書提出命令の対象となるか」金法一五六二号四四頁、鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を命じた事例」リマークス一九九九下一三六頁)とが対立している。
 五 本決定は、代表訴訟において文書提出命令の申立てがされた本件のような事案では、文書提出命令の申立人がその対象である貸出稟議書の利用関係において所持者である信用金庫と同一視することができる立場にあるのであれば「特段の事情」が認められるという前提に立った上(本決定は、本件の事案を離れて「特段の事情」の一般的な意義を定義付けたものではないと考えられる。)、(1)信用金庫法は、会員に対して限定的に書類の閲覧・謄写を認めているにすぎず(貸出稟議書は、閲覧・謄写の対象外である。)、会員を信用金庫の秘密や内心領域の自由(意思形成過程の自由)等の保護が及ばない相手とはみていないこと、(2)会員代表訴訟は、会員が会員としての地位に基づいて理事の信用金庫に対する責任を追及することを認めるものにすぎず、右のような会員の文書利用上の地位に変化をもたらすものではないこと等にかんがみて、会員代表訴訟において文書提出命令の申立てがされたことをもって、貸出稟議書が自己利用文書に当たらない特段の事情があるということはできないと判断したものと考えられる。このような本決定の判断枠組みに立てば、株主代表訴訟において株主から貸出稟議書につき文書提出命令が申し立てられた場合には、本件と同様の結論となるものと思われる。また、本決定は、「特段の事情」の判断に当たり、証拠としての重要性、必要性等の要素を考慮していないから、前述のような、証拠としての重要性等各訴訟における個々的な事情を比較考量するという立場に立つものではないといえよう。なお、本決定には、町田裁判官の反対意見が付されている。
 本決定は、かねてから注目を集めていた代表訴訟における特段の事情の有無という論点について、最高裁としての初めての判断を示したものであり、実務に与える影響は小さくないと思われるので、紹介する。
+判例(H13.12.7)
理由 
 抗告代理人田中清、同井上朗、同柏木泰英、同末永京子、同馬場康吏、同田村雅嗣、同高橋正人の抗告理由について 
 1 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。 
 (1) 本件の本案訴訟のうち、2つの事件(大阪地方裁判所平成10年(ワ)第11490号貸金等請求事件及び平成11年(ワ)第9243号貸金等請求事件)は、経営が破たんした木津信用組合(以下「木津信」という。)の営業の全部を譲り受けた抗告人が、貸金債権、求償債権等に基づき、相手方株式会社福一不動産及び相手方Aに対し金員の支払等を求めたものである。また、その余の事件(同平成10年(ワ)第11520号債権者代位請求事件、同年(ワ)第11634号債権者代位請求事件、同年(ワ)第11654号損害賠償等請求事件)は、抗告人が、相手方福一不動産又は相手方Aの所有する不動産について、相手方株式会社寿住建、相手方B又は相手方Cに対し、前記各債権を被保全債権とする債権者代位権に基づき所有権移転登記手続等を求めたものである。 
 (2) 相手方らは、前記本案訴訟において、相手方A及び相手方福一不動産が木津信に対する貸金債務、求償債務等を本件土地の売却代金によって弁済しようとしたところ、木津信は、本件土地についてされた根抵当権設定登記等を抹消することを不当に拒絶して本件土地の売却を妨害し、また、相手方A及び相手方福一不動産に対し、貸付残高を雪だるま式に増大させた上、自己の利益を図る目的で、上記相手方両名の支払利息相当分の金額を新たに融資し、これを支払利息に充当する、いわゆる「利貸し」を行ったと主張し、これらの不法行為に基づく損害賠償請求権と抗告人の前記各債権とを対当額で相殺する旨の抗弁を主張した。 
 (3) 本件は、相手方らが、前記(2)の抗弁に係る事実等を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録一ないし四記載の各稟議書及び付属書類一切(以下、これらを一括して「本件文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件である。相手方らは、本件文書は、貸出稟議書ではあるが、民事訴訟法(平成13年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)220条4号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない特段の事情があり、同号の文書に当たるなどと主張した。 
 2 原審は、本件文書は、その開示によって所持者である抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるとは認められないから、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらないと判断して、抗告人に対して本件文書の提出を命ずべきものとした。 
 3 本件文書は、木津信が相手方らへの融資を決定する過程で作成した稟議書とその付属書類であるところ、信用組合の貸出稟議書は、専ら信用組合内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると信用組合内部における自由な意見の表明に支障を来し信用組合の自由な意思形成が阻害されたりするなど看過し難い不利益を生ずるおそれがあるものとして、特段の事情がない限り、民事訴訟法220条4号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきである(最高裁平成11年(許)第2号同年11月12日第二小法廷決定・民集53巻8号1787頁参照)。 
 そこで、本件文書について、上記の特段の事情があるかどうかについて検討すると、記録により認められる事実関係等は、次のとおりである。 
 (1) 本件文書の所持者である抗告人は、預金保険法1条に定める目的を達成するために同法によって設立された預金保険機構から委託を受け、同機構に代わって、破たんした金融機関等からその資産を買い取り、その管理及び処分を行うことを主な業務とする株式会社である。 
 (2) 抗告人は、木津信の経営が破たんしたため、その営業の全部を譲り受けたことに伴い、木津信の貸付債権等に係る本件文書を所持するに至った。 
 (3) 本件文書の作成者である木津信は、営業の全部を抗告人に譲り渡し、清算中であって、将来においても、貸付業務等を自ら行うことはない。 
 (4) 抗告人は、前記のとおり、法律の規定に基づいて木津信の貸し付けた債権等の回収に当たっているものであって、本件文書の提出を命じられることにより、抗告人において、自由な意見の表明に支障を来しその自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものとは考えられない。 
【要旨】上記の事実関係等の下では、本件文書につき、上記の特段の事情があることを肯定すべきである。このような結論を採ることによって、現に営業活動をしている金融機関において、作成時には専ら内部の利用に供する目的で作成された貸出稟議書が、いったん経営が破たんして抗告人による回収が行われることになったときには、開示される可能性があることを危ぐして、その文書による自由な意見の表明を控えたり、自由な意思形成が阻害されたりするおそれがないか、という点が問題となり得る。しかし、このような危ぐに基づく影響は、上記の結論を左右するに足りる程のものとは考えられない。所論引用の判例(最高裁平成11年(許)第35号同12年12月14日第一小法廷決定・民集54巻9号2709頁)は、本件とは事案を異にするものであり、その他原決定の違法をいう論旨は採用することができない。 
 4 以上のとおりであるから、本件文書の提出を命ずべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 
 (裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)
++解説
《解  説》
 一 本件は、信用組合が作成した貸出稟議書が平成一三年法律第九六号による改正前の民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるかどうかが問題となった事案である。
 二 本件の基本事件は、木津信用組合の経営の破綻により、木津信からその営業の全部を譲り受けたX(株式会社整理回収機構)が、木津信の貸付先等であるYらに対して貸金債権等の回収のために提起した事件である。これを争うYらから、Xが木津信から譲り受けて所持している木津信作成に係る貸出稟議書の提出命令を求める本件申立てがされ、原々審、原審とも、提出命令を発すべきものとした。
 Xの許可抗告申立ての理由は、原決定は最二小決平11・11・12民集五三巻八号一七八七頁、本誌一〇一七号一〇二頁及び最一小決平12・12・14民集五四巻九号二七〇九頁、本誌一〇五三号九五頁と相反する判断をしたものであり、上記各決定にいう「特段の事情」の解釈を誤り、ひいては民訴法二二〇条四号ハに規定する「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の解釈を誤ったというものである。
 三 本決定は、まず、前掲最二小決平11・11・12を引用して、信用組合の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民事訴訟法二二〇条四号ハ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解すべきであるとした上で、決定要旨記載のような本件の事実関係等の下では、本件文書につき、この特段の事情があることを肯定すべきであるとの判断をした。
 四 民訴法二二〇条四号ハ所定の自己利用文書の意義については、前掲最二小決平11・11・12が、「ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は、民訴法二二〇条四号ハ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たる」と判示し、「銀行の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たる。」としている。
 そこで、その後は、この「特段の事情」が認められるのはどのような場合であるかということが問題となった。前掲最一小決平12・12・14は、この「特段の事情」があるとはいえないとされた事例である。
 本決定が「特段の事情」の存在を肯定するに当たって考慮した要素は次のようなものである。
 1 文書の所持者の特殊性
 本件文書の所持者であるX(株式会社整理回収機構)は、「特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法」(いわゆる住専法)の規定する債務処理会社として、平成八年九月に、預金保険機構から金融安定化拠出基金のうちの一〇〇〇億円及び日銀からの拠出金一〇〇〇億円の合計二〇〇〇億円の出資を受けて、預金保険機構の一〇〇パーセント子会社として株式会社住宅金融債権管理機構の商号で設立された会社であったが、平成一一年四月に株式会社整理回収銀行を吸収合併するとともに、株式会社整理回収機構に商号を変更したものである。その代表者は、日弁連元会長であり、破たん金融機関等から債権を買い取り、その債権回収を行うことを主な業務としている。このように法律により特殊な任務を与えられている会社であって、株式会社の形態をとってはいるが、業務の内容は、公益にかかわるものである。すなわち、我が国における金融制度の安定化のため、破たん金融機関等の有する債権を買い取ることによって破たん処理を容易にさせるとともに、買取資金が国庫等から拠出された出資金によるものであるところから、買取債権の回収を図ることによって、国庫等の負担を軽減させようとする業務である。
 2 文書の作成者の特殊事情と文書の所持者交替の特殊性
 前掲最二小決平11・11・12が貸出稟議書について特段の事情のない限り提出義務はないとしたのは、法人内部の意思形成過程を保護するという点にポイントがあったと考えられるところ、それは当該法人の営業活動が継続していくことが前提となっていたと考えられる。
 本件においては、木津信は既に清算中であって、将来とも貸付業務等をする可能性はなくなっており、貸出稟議書に関して木津信の意思形成過程を保護すべき必要性は消滅していると考えられるそして、木津信からXへの債権譲渡は、通常の健全な金融機関の間における債権譲渡とは異なり、木津信の法的な破たん処理手続の中で行われたものであり、本件文書について、X自体の意思形成過程を問題とする余地もない
 3 本決定は、以上のような諸点を総合考慮して、前掲最二小決平11・11・12にいう「特段の事情」が存在すると判断したものである。本決定は、最高裁判所として初めてこの「特段の事情」を認めた事例として意味があるほか、この問題についての基本的な考え方を再確認するものとしても意義があると考えられる。
+判例(H18.2.17)
理由 
 抗告代理人小田木毅ほかの抗告理由について 
 1 記録によれば、本件の経緯等は次のとおりである。 
 本件の本案訴訟(横浜地方裁判所平成16年(ワ)第1459号貸金等請求事件)は、銀行である抗告人が、相手方らに対し、消費貸借契約及び連帯保証契約に基づき合計11億5644万円余の支払を求めるものである。 
 相手方らは、上記本案訴訟において、(1) 抗告人と相手方らとの取引(本件取引)は融資一体型変額保険に係る融資契約に基づく債務を旧債務とする準消費貸借契約であるところ、同融資契約は錯誤により無効である、(2) 仮に本件取引が消費貸借契約であったとしても、融資一体型変額保険に係る融資契約は錯誤により無効であり、同契約に関して相手方らが抗告人に支払った金員について、相手方らは不当利得返還請求権を有するので、同請求権と抗告人の本訴請求債権とを対当額で相殺すると主張して争っている。 
 本件は、相手方らが、融資一体型変額保険の勧誘を抗告人が保険会社と一体となって行っていた事実を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録(ただし、原決定により訂正されたもの)1ないし7記載の各文書(本件各文書)につき文書提出命令を申し立てた事件である。相手方らは、本件各文書は民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。 
 2 ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するのが相当である(最高裁平成11年(許)第2号同年11月12日第二小法廷決定・民集53巻8号1787頁参照)。 
 これを本件各文書についてみると、記録によれば、本件各文書は、いずれも銀行である抗告人の営業関連部、個人金融部等の本部の担当部署から、各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって、その内容は、変額一時払終身保険に対する融資案件を推進するとの一般的な業務遂行上の指針を示し、あるいは、客観的な業務結果報告を記載したものであり、取引先の顧客の信用情報や抗告人の高度なノウハウに関する記載は含まれておらずその作成目的は、上記の業務遂行上の指針等を抗告人の各営業店長等に周知伝達することにあることが明らかである。 
 このような文書の作成目的や記載内容等からすると、本件各文書は、基本的には抗告人の内部の者の利用に供する目的で作成されたものということができるしかしながら、本件各文書は、抗告人の業務の執行に関する意思決定の内容等をその各営業店長等に周知伝達するために作成され、法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であって、抗告人の内部の意思が形成される過程で作成される文書ではなく、その開示により直ちに抗告人の自由な意思形成が阻害される性質のものではないさらに、本件各文書は、個人のプライバシーに関する情報や抗告人の営業秘密に関する事項が記載されているものでもない。そうすると、本件各文書が開示されることにより個人のプライバシーが侵害されたり抗告人の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるということはできない。 
 3 以上のとおりであるから、本件各文書は、民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」には当たらないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。論旨は採用することができない。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 
 (裁判長裁判官 今井功 裁判官 滝井繁男 裁判官 津野修 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀)
++解説
《解  説》
 1 本件は,銀行の本部の担当部署から各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって一般的な業務遂行上の指針等が記載されたものが,民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(自己利用文書)に当たらないかどうかが問題となった事案である。
 本件の基本事件は,銀行である抗告人が,相手方らに対し,消費貸借契約及び連帯保証契約に基づき合計11億円余りの貸金及び連帯保証金の返還等を求めて提訴した事件であり,相手方らは,融資一体型変額保険に係る融資契約は錯誤により無効であるなどと主張して争い融資一体型変額保険の勧誘を抗告人が保険会社と一体となって行っていた事実を証明するためであるとして,抗告人が所持する社内通達文書の提出を求める本件申立てをした。申立ての対象となった7通の文書(本件各文書)は,いずれも銀行である抗告人の営業関連部,個人金融部等の本部の担当部署から,各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって,「一時払終身保険に対する融資案件の推進について」「対策例,推進の好事例」「変額一時払終身保険の取引先紹介に関わる生保会社からのメリット吸収について」などと題するものであり,その内容は,変額一時払終身保険に対する融資案件を推進するとの一般的な業務遂行上の指針を示し,あるいは,客観的な業務結果報告を記載したものであり,取引先の顧客の信用情報や銀行の高度なノウハウに関する記載は含まれておらず,その作成目的は上記の業務遂行上の指針等を銀行の各営業店長等に周知伝達するというものであった。なお,本件各文書は,抗告人が一方当事者になっている別件訴訟において相手方当事者から書証として提出されており,相手方ら代理人は,別件訴訟の記録等により本件各文書の特定をしたものとうかがわれる。
 原々審,原審とも,文書の提出を命ずべきものとした。抗告人から許可抗告の申立てがされたが,その理由は,原決定は,最二小決平11.11.12民集53巻8号1787頁,判タ1017号102頁(銀行の貸出禀議書についてのもの,平成11年決定)と相反する判断をし,民訴法220条4号ニの解釈を誤ったものであるというものである。
 2 本決定は,まず,この平成11年決定を引用して,「ある文書が,その作成目的,記載内容,これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯,その他の事情から判断して,専ら内部の者の利用に供する目的で作成され,外部の者に開示することが予定されていない文書であって,開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど,開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には,特段の事情がない限り,当該文書は民訴法220条4号ニ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解するのが相当である。」と説示した。
 その上で,「文書の作成目的や記載内容等からすると,本件各文書は,基本的には抗告人の内部の者の利用に供する目的で作成されたものということができるが,本件各文書は,抗告人の業務の執行に関する意思決定の内容等をその各営業店長等に周知伝達するために作成され,法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であって,抗告人の内部の意思が形成される過程で作成される文書ではなく,その開示により直ちに抗告人の自由な意思形成が阻害される性質のものではないし,個人のプライバシーに関する情報や抗告人の営業秘密に関する事項が記載されているものでもないから,本件各文書が開示されることにより個人のプライバシーが侵害されたり抗告人の自由な意思形成が阻害されたりするなど,開示によって抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるということはできない。」として,民訴法220条4号ニ所定の文書には当たらず,文書の提出義務を肯定すべきものと判断した。
 3 平成11年決定は,自己利用文書に当たるというには,①専ら内部の者の利用に供する目的で作成され,外部の者に開示することが予定されていない文書であり,かつ②個人のプライバシーの侵害や個人ないし団体の自由な意思形成の阻害など,開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるという2つの要件を満たす必要があることを示したものと理解されているが,本決定は,本件各文書につき,②の要件を満たすとはいえないとして自己利用文書の該当性を否定したものである。②の要件を検討するにあたり,本決定は,本件各文書の組織の意思決定の内容等をその各営業店長等の下部組織に周知伝達するために作成され,法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であるという文書の類型的な性質のほか,個人のプライバシーに関する情報や営業秘密に関する事項の記載がないという個別の事情を考慮している。いわゆる社内通達文書といっても,多種多様な内容のものがあるが,本決定は社内通達文書についての一つの事例判断を示したものとして参考になろう。
 4 自己利用文書についての当審の先例としては,銀行の貸出禀議書についてのもの(平成11年決定,最一小決平12.12.14民集54巻9号2709頁,判タ1053号95頁,最二小決平13.12.7民集55巻7号1411頁,判タ1080号91頁),保険業法に基づいて設置された調査委員会の作成した調査報告書についてのもの(最二小決平16.11.26民集58巻8号2393頁,判タ1169号138頁),市の議会の会派に所属する議員が政務調査費を用いてした調査研究の内容及び経費の内訳を記載して当該会派に提出した調査研究報告書についてのもの(最一小決平17.11.10民集59巻9号登載予定)があるが,本決定は事例の集積の意義を有するほか,実務に与える影響も少なくないと思われる。
4.文書提出義務の判断過程におけるイン・カメラ手続の利用
+(文書提出命令等)
第223条
1項 裁判所は、文書提出命令の申立てを理由があると認めるときは、決定で、文書の所持者に対し、その提出を命ずる。この場合において、文書に取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分があるときは、その部分を除いて、提出を命ずることができる。
2項 裁判所は、第三者に対して文書の提出を命じようとする場合には、その第三者を審尋しなければならない。
3項 裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について第二百二十条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないことが明らかなときを除き、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、当該監督官庁(衆議院又は参議院の議員の職務上の秘密に関する文書についてはその院、内閣総理大臣その他の国務大臣の職務上の秘密に関する文書については内閣。以下この条において同じ。)の意見を聴かなければならない。この場合において、当該監督官庁は、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を示さなければならない。
4項 前項の場合において、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が第220条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命ずることができる。
一 国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ
二 犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ
5項 第3項前段の場合において、当該監督官庁は、当該文書の所持者以外の第三者の技術又は職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について意見を述べようとするときは、第220条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べようとするときを除き、あらかじめ、当該第三者の意見を聴くものとする。
6項 裁判所は、文書提出命令の申立てに係る文書が第二百二十条第四号イからニまでに掲げる文書のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができる。この場合においては、何人も、その提示された文書の開示を求めることができない。
7項 文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる。

5.文書提出命令不服従の効果

+(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第224条
1項 当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる
2項 当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3項 前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる

・1項の申立人の主張とは、文書の記載内容であるとして申立中に示されたものであり、主には文書の趣旨(221条1項2号)に該当する。
これに対し、証明すべき事実(221条4号)を指すわけではないことに注意!

・1項2項だけでは提出しなかったものに相対的に有利になりかねない。
→3項の出番。

6.おわりに


民事訴訟法 基礎演習 自由心証・証明度 


1.自由心証主義

+(自由心証主義)
第247条
裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。

+(釈明処分)
第151条
1項 裁判所は、訴訟関係を明瞭にするため、次に掲げる処分をすることができる。
一  当事者本人又はその法定代理人に対し、口頭弁論の期日に出頭することを命ずること。
二  口頭弁論の期日において、当事者のため事務を処理し、又は補助する者で裁判所が相当と認めるものに陳述をさせること。
三  訴訟書類又は訴訟において引用した文書その他の物件で当事者の所持するものを提出させること。
四  当事者又は第三者の提出した文書その他の物件を裁判所に留め置くこと。
五  検証をし、又は鑑定を命ずること。
六  調査を嘱託すること。
2項 前項に規定する検証、鑑定及び調査の嘱託については、証拠調べに関する規定を準用する。

+(弁論準備手続における訴訟行為等)
第170条
1項 裁判所は、当事者に準備書面を提出させることができる。
2項 裁判所は、弁論準備手続の期日において、証拠の申出に関する裁判その他の口頭弁論の期日外においてすることができる裁判及び文書(第231条に規定する物件を含む。)の証拠調べをすることができる。
3項 裁判所は、当事者が遠隔の地に居住しているときその他相当と認めるときは、当事者の意見を聴いて、最高裁判所規則で定めるところにより、裁判所及び当事者双方が音声の送受信により同時に通話をすることができる方法によって、弁論準備手続の期日における手続を行うことができる。ただし、当事者の一方がその期日に出頭した場合に限る。
4項 前項の期日に出頭しないで同項の手続に関与した当事者は、その期日に出頭したものとみなす。
5項 第148条から第151条まで、第152条第1項、第153条から第159条まで、第162条、第165条及び第166条の規定は、弁論準備手続について準用する。

・事実認定の際に裁判所が経験則の採否や適用を誤った場合には、法令違反(247条違反)を理由として上告受理申立てができると解される(318条1項・4項)。
+(上告受理の申立て)
第318条
1項 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
2項 前項の申立て(以下「上告受理の申立て」という。)においては、第三百十二条第一項及び第二項に規定する事由を理由とすることができない。
3項 第一項の場合において、最高裁判所は、上告受理の申立ての理由中に重要でないと認めるものがあるときは、これを排除することができる。
4項 第一項の決定があった場合には、上告があったものとみなす。この場合においては、第三百二十条の規定の適用については、上告受理の申立ての理由中前項の規定により排除されたもの以外のものを上告の理由とみなす。
5項 第三百十三条から第三百十五条まで及び第三百十六条第一項の規定は、上告受理の申立てについて準用する。

・証明責任
415条「責めに帰すべき事由」の不存在の証明責任は債務者にある。
+判例(S34.9.17)
理由
一、被上告人Aに対する上告について。
原判決は、被上告人Aは、原判示売買契約の当事者ではたなく、売主たる被上告人Bの代理人として上告人と契約締結の衝に当つたにすぎないことを認定したものであつて、原判決挙示の証拠によれば、右事実はこれを肯認できなくはない。論旨第一点は、原審がその裁量権の範囲内で適法になした事実の認定ないし証拠の取捨を争うものに帰し、また、論旨第三点は、原審の事実認定に副わない事実を前提とする主張であつて、いずれも採るをえない。

二、被上告人Bに対する上告について。
原判決は、被上告人Bは、かねてから原判示家屋の一部をCから賃借し、これを店鋪として食堂コロンビヤを経営していたが、昭和二八年三月中上告人との間に右食堂の営業権、家屋賃借権、営業用什器等の売買契約を締結し、同被上告人の代理人Aにおいて売買代金の支払をうけたこと、Bは家屋賃借権の譲渡につき賃貸人の承諾をえないまま、同月下旬頃上告人に店舗及び営業用什器類を引き渡したが、賃貸人Cは結局右賃借権の譲渡を承諾するにいたらず同人の妻Dは同年一〇月頃ついに右店舗を含む本件家屋全部を取りこわしてしまい、店舗の使用は不能となつたことをそれぞれ確定したものである。ところで賃借権の譲渡人は、特別の事情のないかぎり、その譲受人に対し、譲渡につき遅滞なく賃貸人の承諾をえる義務を負うものと解すべきであり、前記事実関係によれば、被上告人Bは賃借権の譲渡につき賃貸人Cの承諾をえる義務があるにかかわらず、これをえることができないでいるうちに、本件家屋は取りこわされてしまつたのであるから、本件売買契約のうち家屋賃借権の譲渡に関する部分についての同被上告人の債務は履行不能となつたものというべく、少くとも右部分に関する限り、債務看者である被上告人Bとしては、右履行不能が債務者の責に帰すべからざる事由によつて生じたことを証明するのでなければ、債務不履行の責を免れることはできないと解さなくてはならない(大審院大正一三年(オ)第五六九号、同一四年二月二七日判決、民集四巻九七頁参照)。しかるに、原審は、「履行不能となつたことが債務者であるBの責に帰すべき事由によることについては主張も立証もない」旨判示し、かかる主張及び立証の責任を債権者たる上告人に負わしめ、同人の売買代金返還の請求を排斥したものであつて、この違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨第二点は、結局その理由があるというべきである。
よつて、被上告人Aに対する上告は、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、これを棄却し、被上告人Bに対する上告については、民訴四〇七条一項により、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻すべきものとし、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

・保険事故の偶発性についての証明責任をどちらが負うのか?
・請求者説

+判例(H13.4.20)
理由
上告代理人山本隆夫、同根岸隆、同久利雅宣、同増田英男の上告受理申立て理由第一について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 上告人会社は、被上告人らとの間で、第1審判決別紙第一事件保険契約及び同第二事件保険契約記載のとおり被保険者をいずれもA、保険金受取人を同上告人あるいは被保険者の法定相続人(上告人B、同C、同D及び同E)とする普通傷害保険契約(以下「本件各保険契約」という。)をそれぞれ締結した。
(2) 本件各保険契約に適用される各保険約款(以下「本件各約款」という。)には、いずれも被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して約款に従い保険金(死亡保険金を含む。)を支払うこと及び被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないことがそれぞれ定められている
(3) 本件各保険契約の被保険者であるAは、平成7年10月31日午後2時30分ころ埼玉県北足立郡a町所在の5階建て建物の屋上から転落し、脊髄損傷等により死亡した(以下、これを「本件転落」という。)。

2 上記事実関係に基づいて検討する。
本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張、立証すべき責任を負うものと解するのが相当である。
けだし、本件各約款中の死亡保険金の支払事由は、急激かつ偶然な外来の事故とされているのであるから、発生した事故が偶然な事故であることが保険金請求権の成立要件であるというべきであるのみならず、そのように解さなければ、保険金の不正請求が容易となるおそれが増大する結果、保険制度の健全性を阻害し、ひいては誠実な保険加入者の利益を損なうおそれがあるからである本件各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の定めは、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を保険者に負わせたものではないと解すべきである。

3 以上によれば、本件転落が偶然な事故であると認めることができず、したがって上告人らの本件各保険契約に基づく各保険金請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。上記判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官亀山継夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官亀山継夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、法廷意見に賛成するものであるが、次のことを付言しておきたい。
本件各約款の合理的解釈としては、法廷意見のいうとおり、保険金請求者の側において偶然な事故であることの主張立証責任を負うべきものと解するのが相当である。しかしながら、本件各約款が、保険契約と保険事故一般に関する知識と経験において圧倒的に優位に立つ保険者側において一方的に作成された上、保険契約者側に提供される性質のものであることを考えると、約款の解釈に疑義がある場合には、作成者の責任を重視して解釈する方が当事者間の衡平に資するとの考えもあり得よう。そして、かねてから本件のように被保険者の死亡が自殺によるものか否かが不明な場合の主張立証責任の所在について判例学説上解釈が分かれ、そのため紛争を生じていることは、保険者側は十分認識していたはずであり、保険者側において、疑義のないような条項を作成し、保険契約者側に提供することは決して困難なこととは考えられないのであるから、一般人の誤解を招きやすい約款規定をそのまま放置してきた点は問題であるというべきである。もちろん、このような約款がこれまで使用されてきた背景には、解釈上の疑義が明確に解消されないため、かえって改正が困難であったという事情があるのかもしれないが、本判決によって疑義が解消された後もなおこのような状況が改善されないとすれば、法廷意見の法理を適用することが信義則ないし当事者間の衡平の理念に照らして適切を欠くと判断すべき場合も出てくると考えるものである。
(裁判長裁判官 梶谷玄 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫)

++解説
《解  説》
 一 はじめに
 最高裁第二小法廷は、本年四月二〇日に傷害保険契約における偶然性(偶発性)の主張立証責任が争点とされた事件について二件の判決(本件と平成一〇(オ)第八九七号)を言い渡した。本件は、そのうちの一件であり、普通傷害保険契約に関するものである。
 二 事案の概要等
 本件は、X1会社とY各保険会社との間で、X1ないしX5を受取人とする普通傷害保険契約がそれぞれ締結されていたところ、平成一〇(オ)第八九七号事件と同一の事故を原因として、X1ないしX5がY各保険会社に対し、死亡保険金の支払を請求した事案である。
 本件各普通傷害保険契約に適用される約款(以下、「本件各約款」という)によれば、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して死亡保険金を支払うこととされ、他方において被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないとされている。このように本件各約款も、一見すると、一方では故意等によらないことが権利根拠規定とされ、他方では故意等によることが権利障害規定とされているようにもみえる。そこで、生命保険契約に付加される災害割増特約等の災害関係特約と同様に、被保険者の死亡が自殺によるものかどうかが不明であるときは、保険金請求者において発生した事故が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うのか、それとも保険者において発生した事故が被保険者の故意等によることについての主張立証責任を負うのかという問題が生じていたのである。
 本件においても、上記主張立証責任の所在の点が争点とされたが、原判決は保険金請求者において本件転落が偶然の事故であることについて主張立証責任を負うとした上、上記転落は偶然な事故であると認めることはできないとして、X1ないしX5の保険金請求を棄却した一審判決に対する控訴を棄却した(なお、一審判決は本件転落を自殺によるものと推認していた)。
 三 本判決
 本判決は、本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張立証責任を負うとし、その上で、上記各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の規定は、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、保険者に被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を負わせたものではないなどと判断して、X1ないしX5の上告を棄却した。
 四 解説
 1 本件論点に関しても、学説上、保険金請求者が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うとする保険金請求者負担説と保険者が被保険者の故意等による傷害であることについての主張立証責任を負うとする保険者負担説とが対立していることは、生命保険契約の災害関係特約のケースと同様である。
 また、下級審判例も保険金請求者負担説によるもの(東京地判平12・5・10金判一〇九九号四二頁、東京地判平10・1・26本誌九八二号二六三頁、福井地武生支判平5・1・22本誌八二二号二六一頁など)と保険者負担説によるもの(大阪高判平11・3・18判時一六九一号一四三頁、東京地判平11・9・30本誌一〇二五号二六八頁、神戸地判平8・8・26本誌九三四号二七五頁など)に分かれていた。
 2 なお、本判決も立証の程度の問題については何ら触れるものではないが、保険金請求者側が偶然な事故であることを立証することについては困難を伴うことが否定できないことからすれば、保険金請求者側において外形的類型的にみて事故であるということが立証できれば、偶然な事故であることを事実上推定するという考え方も十分に検討に値しよう
 本判決についても、立証の程度の問題については別途の配慮が必要であるとする余地を残しているという見方もできるものと思われる。
 3 本判決にも亀山裁判官の補足意見が付されている。保険会社としては、補足意見の趣旨を十分に酌み取った上、今後の対応を検討する必要があろう。
+同日に似たような保険の判例もあったりするよ(笑)
+判例(大阪高判21.9.17)

・保険者説
+判例(H16.12.13)
理由
上告代理人細川喜子雄の上告受理申立て理由第2について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、大阪市住吉区所在の自己所有地上に第1審判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、本件建物において、長男及び長女と共に居住し、本件建物を店舗、倉庫等として使用していた。
(2) 被上告人は、平成11年12月2日、上告人との間で、〈1〉保険の目的を本件建物、家財一式及び商品・製品等一式、〈2〉保険金額を建物2億円、家財一式7000万円、商品・製品等一式2億円、〈3〉保険料を48万6300円、〈4〉保険期間を同日午後4時から平成12年12月2日午後4時までとする店舗総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、保険料48万6300円を支払った
本件保険契約に適用される保険約款(以下「本件約款」という。)1条1項には、保険金を支払う場合として、火災によって保険の目的について生じた損害に対して損害保険金を支払う旨が規定され、また、同2条1項(1)には、保険金を支払わない場合として、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害に対しては保険金を支払わない旨が規定されている。
(3) 平成11年12月7日午前11時ころ、本件建物内で火災が発生し、本件建物4階の居室20㎡を焼損し、他の階の各室にも消火活動による水損等の被害が生じたほか、本件建物内に保管されていた被上告人及びその家族の所有する家財、被上告人の経営する店舗の商品等についても、一部に焼損又は水損等の被害が発生した(以下、この火災を「本件火災」という。)。

2 本件は、被上告人が上告人に対し、本件火災により損害を被ったと主張して、本件保険契約に基づき、火災保険金及びその遅延損害金の支払を求めるものである。

3 商法は、火災によって生じた損害はその火災の原因いかんを問わず保険者がてん補する責任を負い、保険契約者又は被保険者の悪意又は重大な過失によって生じた損害は保険者がてん補責任を負わない旨を定めており(商法665条、641条)火災発生の偶然性いかんを問わず火災の発生によって損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とするとともに、保険契約者又は被保険者の故意又は重大な過失によって損害が生じたことを免責事由としたものと解される火災保険契約は、火災によって被保険者の被る損害が甚大なものとなり、時に生活の基盤すら失われることがあるため、速やかに損害がてん補される必要があることから締結されるものである。さらに、一般に、火災によって保険の目的とされた財産を失った被保険者が火災の原因を証明することは困難でもある商法は、これらの点にかんがみて、保険金の請求者(被保険者)が火災の発生によって損害を被ったことさえ立証すれば、火災発生が偶然のものであることを立証しなくても、保険金の支払を受けられることとする趣旨のものと解される。このような法の趣旨及び前記1(2)記載の本件約款の規定に照らせば、本件約款は、火災の発生により損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とし、同損害が保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意又は重大な過失によるものであることを免責事由としたものと解するのが相当である。
したがって、本件約款に基づき保険者に対して火災保険金の支払を請求する者は、火災発生が偶然のものであることを主張、立証すべき責任を負わないものと解すべきである。これと結論において同旨をいう原審の判断は正当である。所論引用の最高裁平成10年(オ)第897号同13年4月20日第二小法廷判決・民集55巻3号682頁、最高裁平成12年(受)第458号同13年4月20日第二小法廷判決・裁判集民事202号161頁は、いずれも本件と事案を異にし、本件に適切でない。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷玄 裁判官 津野修)

++解説

+判例(H18.6.1)

++解説

2.証明の程度
(1)証明度
判決の基礎となる事実の認定に関しては、当該事実の存在につき高度の蓋然性を証明することが必要であり、通常人が疑いをさしはさまない程度に真実性の確信を持ちうることを要し、かつ、それで足りる!
+判例(S50.10.24)ルンバール
理由
上告代理人萩沢清彦、同内藤義憲の上告理由第一点及び第三点について
一 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

二 これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実は次のとおりである。
1 上告人(当時三才)は、化膿性髄膜炎のため昭和三〇年九月六日被上告人の経営する東京大学医学部附属病院小児科へ入院し、医師A、同Bの治療を受け、次第に重篤状態を脱し、一貫して軽快しつつあつたが、同月一七日午後零時三〇分から一時頃までの間にB医師によりルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入、以下「本件ルンバール」という。)の施術を受けたところ、その一五分ないし二〇分後突然に嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、右半身けいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同年一一月二日退院し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等がある。

2 本件ルンバール直前における上告人の髄膜炎の症状は、前記のごとく一貫して軽快しつつあつたが、右施術直後、B医師は、試験管に採取した髄液を透して見て「ちつともにごりがない。すつかりよくなりましたね。」と述べ、また、病状検査のため本件発作後の同年九月一九日に実施されたルンバールによる髄液所見でも、髄液中の細胞数が本件ルンバール施術前より減少して病状の好転を示していた。

3 一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、上告人の昼食後二〇分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当のB医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。そして、右施術は、嫌がつて泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ、B医師によつて実施されたが、一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約三〇分間を要した
4 もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められた上告人に対し右情況のもとで本件ルンバールを実施したことにより脳出血を惹起した可能性がある。
5 本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁ではじまり、右半身に強いけいれんと不全麻痺を生じたことに対する臨床医的所見と、全般的な律動不全と左前頭及び左側頭部の限局性異常波(棘波)の脳波所見とを総合して観察すると、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断される。
6 上告人の本件発作後少なくとも退院まで、主治医のA医師は、その原因を脳出血によるものと判断し治療を行つてきた。
7 化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められなかつた。

三 原判決は、以上の事実を確定しながら、なお、本件訴訟にあらわれた証拠によつては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難いとし、また、本件発作とその後の病変の原因が本件ルンバールの実施にあることを断定し難いとして上告人の請求を棄却した。

四 しかしながら、(1)原判決挙示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)及び原審証人Aの第二回証言は、上告人の本件発作後少なくとも退院まで、本件発作とその後の病変が脳出血によるものとして治療が行われたとする前記の原審認定事実に符合するものであり、また、鑑定人Cは、本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によると、右発作の原因として脳出血が一番可能性があるとしていること、(2)脳波研究の専門家である鑑定人Dは、結論において断定することを避けながらも、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としていること、(3)前記の原審確定の事実、殊に、本件発作は、上告人の病状が一貫して軽快しつつある段階において、本件ルンバール実施後一五分ないし二〇分を経て突然に発生したものであり、他方、化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別の事情も認められなかつたこと、以上の事実関係を、因果関係に関する前記一に説示した見地にたつて総合検討すると、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに困つて発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。
原判決の挙示する証人E、同Fの各証言鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、右結論の妨げとなるものではない。

五 したがつて、原判示の理由のみで本件発作とその後の病変が本件ルンバールに困るものとは断定し難いとして、上告人の本件請求を棄却すべきものとした原判決は、因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかであるから、論旨はこの点で理由があり、原判決は、その余の上告理由についてふれるまでもなく破棄を免れない。そして、担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官大塚喜一郎の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。
多数意見は「原判決の挙示する証人E、同Fの各証言、鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、いずれも右結論の妨げとなるものではない。」としているが、この点に関する検討結果を要約すると、次のとおりである。
(1) 鑑定人Cの鑑定書によれば、本件発作の原因として脳出血が一番考えられるとし、その根拠として、発症が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によるとし、むしろ、本件発作及びその後の病変と脳出血との因果関係を肯定している。
(2) 鑑定人Gの鑑定書によれば、本件発作は、広義の化膿性髄膜炎の再燃によるとも考えることができるとしながらも、他方で、「脳出血によるとの考え方も、本患児は病初より皮下出血が見られ、出血性傾向があつたと思われること、発作が突然おこつたものであること等からも、一応その可能性は考えられる。」とし、ついで、現在の後遺症につき、「広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし又脳出血の後遺症とも考えられる。若し脳出血があつたとすればそれは感染症の経過中に多くみられる脳白質全般の小出血、小血栓等に基づくものであろう」とし、「本件の場合、この出血性脳症そのものとも考えられるし、又経過中に紫斑の認められた所から出血性素因があつたと思われるから丁度ルムバールを行つた時、これによつて出血性傾向を増す何らかの要因が加わつたかも知れない。」とし、結論的には想定しうる原因のいずれであるかを断定していないが、少なくとも本件発作と脳出血との因果関係の可能性を肯定している。
(3) 鑑定人Dの鑑定書によれば、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき、「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としながらも、「これらの事項を参考にして脳波所見を改めて解読すると臨床症状である右片麻痺と局在性痙れんをうらづけるものは上記の左側の限局性棘波であり、また第一回の脳波記録前に髄膜炎の経過をもつていると考えられるので、二回目以降の脳波所見は、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる。尚この脳波所見からは、合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」とし、脳波研究専門家である同鑑定人は、脳波所見の限界として、病巣部ないしは異常部位が脳実質の左部にあることのみでは疾患の原因が何であるかを診断することは、特殊の場合を除いて困難であり、さらに、被検者の臨床像やレントゲン所見、脊髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして総合的に考察しなければならないとしている。したがつて、前記の「合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」という所見は、右の総合的考察を必要とする結論を導き出すための思考過程の所見であつて、それ以上の意味をもつものではない。
(4) 右D鑑定書の結論に照らして、臨床医師の所見を検討すると、証人Aの第一審における第二回証言によれば、錐体外路症状、知能障害、性格障害など広範囲の後遺症が残つたから、単に脳実質左側部の脳出血とは考えられなくなり、化膿性髄膜炎の後遺症と考えるようになつたとし、また、証人Hの証言によれば、脳波所見により全誘導的棘波の場合、症状が脳全体に広がり、後遺症も全般的なものとなるので、これは髄膜脳炎とみられるし、脳出血の場合は限局的異常波であるとし、鑑定人Fの鑑定書第四項にも同旨の記述がある。しかしながら、右各証拠は、多数意見四説示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)、原審証人Aの第二回証言、鑑定人C、同Dの各所見と対比すると、本件発作とその後の病変の原因が脳出血であることを否定する資料とすることはできない。
(5) 鑑定人Fの鑑定書によれば、本件発作の原因として、脳炎を伴う化膿性脳膜炎の再燃に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われるとしており、同人の証言によると、右鑑定は甲第三号証の脳波所見に有力な根拠を求めていることが窺われる。しかし、同人は脳波の専門家ではないから、同鑑定書中の脳波所見よりは専門家であるD鑑定書の前記所見を信用すべきである。
(6) 証人Eは、小児の脳波を取扱う医師であるが、脳波記録のみからけいれんの原因を判断することは、非常に困難であると述べながらも、甲第三号証の所見については、癲癇性けいれんであり、化膿性髄膜炎の後遺症であると述べているが、右証言は十分な根拠を示していないから説得力に乏しく、措信し難い。
(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 岡原昌男 裁判官 吉田豊 裁判官小川信雄は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 大塚喜一郎)

・判例実務は高度の蓋然性説を維持しているが実際には証明の難易度や実体法の趣旨に鑑みて証明度を緩和している例がみられる!
+判例(H12.7.18)
理由
上告代理人細川清、同富田善範 同髙野伸、同久留島群一、同中村和博、同田川直之、同星野敏、同林田雅隆、同木村政之、同小宮山健彦、同宮田智、同佐藤敏信、同岡田文夫、同宮田清美、同内山博之、同黒木弘雅の上告理由について
一 本件は、長崎に投下された原子爆弾の被爆者である被上告人が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項に基づき、被上告人の右半身不全片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定の申請をしたのに対し、昭和六二年九月二四日、上告人がこれを却下したため、右却下処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求める事件である。

二 法七条一項は「厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と、法八条一項は「前条第一項の規定により医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」と規定している。これらの規定によれば、法八条一項に基づく認定をするには、被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか、現に医療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか、又は右負傷又は疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため右状態にあること(放射線起因性)を要すると解される。原審は、右認定は放射線起因性を具備していることの証明があった場合に初めてされるものであるが、原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、法の目的、性格等を考慮すると、認定要件のうち放射線起因性の証明の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、被爆者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を参酌し、被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因することについての「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきであると判断した。
しかしながら行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきであるから、法八条一項の認定の要件とされている放射線起因性についても、要証事実につき「相当程度の蓋然性」さえ立証すれば足りるとすることはできない。なお、放射線に起因するものでない負傷又は疾病については、その者の治ゆ能力が放射線の影響を受けているために医療を要する状態にあることを要するところ、右の「影響」を受けていることについても高度の蓋然性を証明することが必要であることは、いうまでもない。そうすると、原審の前記判断は、訴訟法上の問題である因果関係の立証の程度につき、実体法の目的等を根拠として右の原則と異なる判断をしたものであるとするなら、法及び民訴法の解釈を誤るものといわざるを得ない。
もっとも実体性が要証事実自体を因果関係の厳格な存在を必要としないものと定めていることがある。例えば、原審が右判断の過程において検討対象としている原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年法律第五三号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「特措法」という。)五条一項が健康管理手当の支給の要件として定めているのは、被爆者のかかっている造血機能障害等が「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかでないこと」というものであるから、この規定は、放射線と造血機能障害等との間に因果関係があることを要件とするのではなく、右因果関係が明らかにないとはいえないことを要件として定めたものと解される。原審の前記判断も、特措法の関連法規である法八条一項の放射線起因性の要件についても同様の解釈をすべきであるという趣旨に解されないではない。しかし、特措法は各給付ごとに支給要件を書き分けていることが明らかであり、同法五条一項が健康管理手当について右の程度の弱い因果の関係でよいと明文で規定しているのと対比すれば、同法二条の医療特別手当の支給については、このような弱い因果の関係では足りず、通常の因果関係を要するものとされていると解するほかはない。そして、これらの特措法の規定と対比すれば、むしろ、法七条一項は、放射線と負傷又は疾病ないしは治ゆ能力低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきである。このことは、法や特措法の根底に国家補償法的配慮があるとしても、異なるものではない。そうすると、原審の前記判断は、実体要件に係るものであるとしても、法の解釈を誤るものと言わなければならない。

三 ところで、原審は、本件全証拠を総合検討し、被上告人が現に医療を要する状態にあり、かつ、放射線起因性が認められると認定判断し、本件処分を違法としているので、右の放射線起因性を肯定した原審の認定判断について、以下検討する。
1 原審が、右認定判断の前提として適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(一) 長崎に原子爆弾が投下された昭和二〇年八月九日午前一一時二分、被上告人(当時三歳五箇月)は、爆心地から約2.45キロメートル離れた長崎市稲佐町〈番地略〉(現同市旭町〈番地略〉)の自宅の縁側付近において、爆風により飛来した屋根がわらにより左頭頂部を直撃され、左頭頂部頭蓋骨陥没骨折、一部欠損の重傷を負った。被上告人は、右傷害により一時意識不明、上下肢運動機能喪失等に陥ったが、マーキュロクロムを塗布する治療を受けたのみであった。その後数日間、被上告人は、自宅にとどまっていたが、下痢症状があり、頭髪が少しずつ抜け始めた。
(二) 同月一六日、被上告人は、両親と共に、自宅から徒歩で、爆心地から約1.7キロメートルの地点を経て長崎駅に至り、列車で爆心地の直近を通過して、長崎県南高来郡愛野町に避難し、一〇日間ほどを過ごした後帰宅した。避難先では、被上告人は、寝たきりであり、治療を受けることはなかったところ、頭部の傷口は化のうし、うみが出ていた。
(三) 同年一〇月上旬ころ、被上告人は、両親と共に、同県南松浦郡富江町に疎開した。同所でも、被上告人は、寝たきりであり、頭髪は一層薄くなった。頭部の傷口は、ふさがらず、水が噴き出すように腐臭の強いうみないし分泌物が流出し続け、医師からいったん短期間で治る旨の診断を受け、治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると、今度は別の部分からうみ等が出始めるという状況の繰返しで、治療は効を奏せず、一応の治ゆをみたのは、被爆後二年半ほどたってからであった。このような症状の経過、治ゆの遷延は、治療の不十分、不適切さだけでは十分に説明することができないものであった。同町での治療期間中に、被上告人の頭部の傷口からかわらの破片が出てきた。
(四) 同年一二月三一日から翌二一年一月一日にかけて、被上告人は、失神を伴う継続的な重度のけいれん発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返した。同様の発作の回数は次第に減少していったが、その後の学校時代を通じて、年に一、二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、同四二年ころまで続いた。同三四年ころには、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時としては明確に感染症とは判定することができず、原因は明らかにならなかった。
(五) 被上告人は、本件処分時においても、現在においても、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痩、右肘関節屈曲拘縮等の障害を有する。被上告人の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があって、骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、この欠損と側脳室が交通していて、脳孔症と診断されるほか、様々な不定愁訴を有している。これらの根本的治療は困難であるが、症状を緩和させるための薬物療法、理学療法等が現に必要である。
(六) 高速度で飛んできた小物体による頭部外傷の場合には、脳実質への影響は、受傷した局所では高度であるが、局限性で脳全体に与える影響は少ないのが通常であるのに、被上告人の場合は、脳実質にこれを超える広範な損傷がある。このように広範な脳孔症は、頭部外傷の合併症というだけでは説明することができないようなまれな状態であり、このことは、かわらの打撃以外の要因も加味していることを強く推認させる。
(七) 昭和二〇年に日米合同調査団が行った調査結果によれば、長崎においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一八パーセント、二キロメートルの地点で約一〇パーセントの者に、広島においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一九パーセント、二キロメートルの地点で約7.5パーセントの者に、それぞれ脱毛が生じており、いずれにおいても爆心地からの距離が遠くなるに従って脱毛の発症頻度が減少していたなどとされている。また、昭和四〇年に厚生省が行った調査によれば、被爆地点が二キロメートルを超える場合も、相当多数の者に脱毛等の急性症状があり、四キロメートルを超える場合も、早期入市者で一一パーセント、それ以外の者で3.1パーセントに脱毛が生じたとされている。さらに、昭和六〇年に厚生省が行った調査によれば、爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが、長崎においては3.2パーセント、広島においては5.4パーセントであったとされている。
また、長崎市内の爆心地から約2.9キロメートルの、被上告人の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆した甲野春子は、倒壊した工場の鉄骨製のはりの下敷きとなってせき椎を骨折したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後一年間無月経であった。外傷部は、容易に治ゆせず、腐食して悪臭を発した。同人は、昭和三四年六月二九日付けで、法八条一項の認定を受けた。
長崎市内の爆心地から約2.4キロメートルの地点で被爆した楠本光則は、被爆の約一箇月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。
長崎市内の爆心地から約2.5キロメートルの地点で被爆した梶原昌子は、被爆直後から発熱し、約一箇月後に脱毛が認められ、約二箇月後に鼻血、おう吐、下痢があった。
2 その一方で、原審は、右事実関係のほかにも、次の事実を適法に確定している。
(一) 放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と確定的影響とがあり、がんの誘発と遺伝的影響のみが前者に属し、それ以外はすべて後者に属するから、本件で問題となるのは確定的影響であるところ、確定的影響には一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があるとされ、各症状についてのしきい値としては、脳神経細胞の損傷が一〇〇〇ラド、白血球減少が五〇ラド、脱毛が三〇〇ないし五〇〇ラド、リンパ球の障害による免疫能の低下は一〇ラド強などとされている。
(二) 原子爆弾による放射線の線量評価システムであるDS八六は、線量評価に関し設置された日米合同の委員会が一九八六年(昭和六一年)三月に承認し、世界中において優良性を備えた体系的線量評価システムとして取り扱われてきたものであり、DS八六によれば、長崎におけるガンマ線と中性子線の空気中線量を合計した放射線量は、爆心地から2.4キロメートルの地点で2.963ラド、2.5キロメートルの地点で2.092ラドであり、残留放射線等による放射線量は、評価するに足りず、右線量についての不確定性の推定値は空気中線量で一三パーセントであり、臓器線量では二五ないし三五パーセントになるなどとされている。
3 確かに、右に記載したしきい値理論とDS八六とを機械的に適用する限り、被上告人の現症状は放射線の影響によるものではないということになり、本件において放射線起因性があるとの認定を導くことに相当の疑問が残ることは否定し難いところである。
しかしながら、DS八六もなお未解明な部分を含む推定値であり、現在も見直しが続けられていることも、原審の適法に確定するところであり、DS八六としきい値理論とを機械的に適用することによっては前記三1(七)の事実を必ずしも十分に説明することができないものと思われる。例えば、放射線による急性症状の一つの典型である脱毛について、DS八六としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射線以外の原因によるものと断ずることには、ちゅうちょを覚えざるを得ない。このことを考慮しつつ、前記三1の事実関係、なかんずく物理的打撃のみでは説明しきれないほどの被上告人の脳損傷の拡大の事実や被上告人に生じた脱毛の事実などを基に考えると、被上告人の脳損傷は、直接的には原子爆弾の爆風によって飛来したかわらの打撃により生じたものではあるが、原子爆弾の放射線を相当程度浴びたために重篤化し、又は右放射線により治ゆ能力が低下したため重篤化した結果、現に医療を要する状態にある、すなわち放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって、それが経験則上許されないものとまで断ずることはできない。
四 そうであるとするならば、本件において放射線起因性が認められるとする原審の認定判断は、是認し得ないものではないから、原審の訴訟上の立証の程度に関する前記法令違反は、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。したがって、結局、論旨は採用することができない。
よって裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 裁判官 奥田昌道)

++解説
《解  説》
一 本件は、長崎の原子爆弾の被爆者であるXが、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項の認定の申請をしたのに対し、Y(厚生大臣)がこれを却下する処分(以下「本件処分」という。)をしたため、その取消しを求めた事件である。
Xは、長崎市内の爆心地から約二・四五キロメートルの地点で被爆し、爆風により飛んできたかわらが頭部に当たって、頭蓋骨陥没骨折等の傷害を受けた。その後、満足な治療も受けられない状態で、頭髪が抜け、傷口が化のうし、約二年半かかってようやく一応の治ゆをみたが、脳に大きな空洞ができ、右半身不全麻痺等の症状が残り、現在でも不定愁訴等の症状緩和のための治療が必要である。
法七条一項は、被爆者に対する医療の給付について規定しているところ、法八条一項は、被爆者が医療給付を受けるためには厚生大臣の認定を受けなければならないものとしている。同項の文言上は、法七条一項本文の要件についての認定のようにみえるが、その趣旨に照らせば、同項ただし書によって排除されないことも認定の要件となっていると解される。右各規定は、法の廃止とともに施行された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律一〇条、一一条にそのまま引き継がれている。
原子爆弾の傷害作用による負傷又は疾病には、その放射線(条文には「放射能」とあるが、放射線が正しい。)に起因するものと、爆風、熱線等それ以外の作用に起因するものとがあり、法七条一項によれば、給付の対象となるのは、①放射線に起因する傷害又は疾病について現に必要な医療、②放射線以外の作用に起因する傷害又は疾病についての医療ではあるが、治ゆ能力が放射線の影響を受けている(すなわち、放射線の影響により治ゆ能力が低下している)ために現に必要となっているもの、のいずれかに当たる必要がある。
Xの負傷及び疾病が少なくとも原子爆弾の爆風に起因するものであること及びXが現に医療を要する状態にある(法七条一項本文の要件を充足している)ことは肯定することができるが、右の状態が右①、②のいずれかの意味において原子爆弾の放射線に起因し又はその影響を受けているものと認められるか否か(換言すれば、「原子爆弾の放射線」と「現に医療を要する状態」との間の直接的又は間接的因果関係の有無。以下「放射線起因性」という。)が、本件の争点である。そして、この争点の判断に関連して、その立証責任、立証の程度等が争いとなった。
二 Xは、法の目的等に照らせば、放射線起因性については、これがないことの立証責任がYにあると解するか、Xにあるとしても「相当程度の蓋然性」の立証で足りると解すべきであり、Xの傷病が放射線に起因する可能性を否定することができない以上、法八条一項の認定がされるべきであると主張した。
これに対し、Yは、因果関係の立証は「高度の蓋然性」を証明することを要するのであり、これを軽減すべき根拠はないから、放射線起因性に限って立証責任を転換したり立証の程度を弱めたりすることはできず、Xの受けたと認められる放射線量からすれば、Xの傷害又は疾病が放射線に起因するものとは到底認められないと主張した。
一、二審は、Xの請求を認容すべきものとしたが、原審の判断の概要は、次のとおりである。
1 法八条一項の認定は放射線起因性の証明があった場合に初めてされるのであり、立証責任を転換すべき根拠はない。しかし、放射線起因性の立証の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきである。
2 放射線の人体に及ぼす確定的影響には、一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があり、放射線量評価システムとして世界中で認められているDS八六によりXの受けた初期放射線量を評価すると、これらを機械的に適用する限り、Xの現症状は放射線の影響によるものではないということになる。
3 しかし、DS八六には問題点が残されており、DS八六としきい値理論をそのまま適用すれば発症しないはずの放射線急性障害の調査結果があるなど、本件においてDS八六を絶対的尺度とすることをちゅうちょさせる要因がある。そして、Xの頭部外傷の程度、Xに生じた脱毛や下痢、症状の経過、治癒の遷延等によれば、Xの現症状には放射線の影響があったと相当程度の蓋然性をもって推認することができる。
三 Yが上告し、放射線起因性については「高度の蓋然性」の証明を要すると解すべきであるから、原審が「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りるとしたことは法令の解釈適用を誤るものであり、本件においては高度の蓋然性の証明があったとはいえず、原判決の右違法は判決に影響を及ぼすものであると主張した。
本判決は、要旨のとおり判断して、原審の判断には違法があるとしたが、原審の確定した事実関係に基づけば、放射線起因性が認められるとした原審の認定判断は是認し得ないものではないとして、上告を棄却した。
原審が「相当程度の蓋然性」の証明で足りるとした趣旨は、因果関係についての訴訟上の証明の程度につき、高度の蓋然性の程度にまで証明することを要しないとするのか、それとも、法八条一項の認定の実体要件の内容として、因果関係があることを要せず、因果関係がありそうだという程度で足りるというのか、判文上は必ずしも明らかでないところがある。本判決は、そのいずれであるとしても、右判断には誤りがあるとしたものである。なお、本判決は、放射線起因性の立証責任がXにあることを前提としていると解される。
本判決の右判断は、オーソドックスな当然の判断ともいい得るが、放射線起因性の証明に関する訴訟法上の問題と実体法上の問題について、下級審裁判例がこれまで示してきた判断と異なるものであり、最高裁の初判断であって、同種事件に及ぼす影響は大きいと思われる。
なお、本判決の放射線起因性の有無に関する事例判断は、原審の認定判断を是認し得ないものではないとしたものであり、高度の蓋然性があったと断ずるにはなお問題が残されていることがうかがわれる。しかし、結論として本件事案について認定申請却下処分の取消しが確定したことの持つ意味は決して小さくはなく、本判決の説示するところに従えば、国の認定行政には再検討を要する点があることになろう。

(2)解明度

3.証明責任による事実認定の問題点と対応
法律上の推定=推定が実定法に定められている場合
事実上の推定=事実上一定の推定測が働く場合

(3)一応の推定
証明責任を負う者が間接事実の主張立証をした場合には一定の強い推定則を媒介にして蓋然的に過失の存在を認め、相手方当事者にその不存在についてその不存在について証明責任を負わせるような法技術!!

(4)裁判所による損害額の認定
(損害額の認定)
第248条
損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる。

+判例(H11.8.31)