労働法 雇用平等


第1節 概説:雇用平等法の全体像

1.憲法との関係
・14条には私人間効力はない!!!!
+判例(S48.12.12)三菱樹脂本採用拒否事件
理由
上告代理人鎌田英次、中島一郎の上告理由について。
第一、本件の問題点
一、本件は、被上告人が、東北大学在学中昭和三七年上告人の実施した大学卒業者の社員採用試験に合格し、翌年同大学卒業と同時に上告人に三か月の試用期間を設けて採用されたが、右試用期間の満了直前に、上告人から右期間の満了とともに本採用を拒否する旨の告知を受け、その効力を争つている事案である。被上告人に対する右本採用拒否の理由として上告人の主張するところによれば、被上告人は、上告人が採用試験の際に提出を求めた身上書の所定の記載欄に虚偽の記載をし、または記載すべき事項を秘匿し、面接試験における質問に対しても虚偽の回答をしたが、被上告人のこのような行為は、民法九六条にいう詐欺に該当し、また被上告人の管理職要員としての適格性を否定するものであるから、本採用を拒否するというのであり、さらに、被上告人が秘匿ないし虚偽の申告(以下、秘匿等という。)をしたとされる事実の具体的内容は、(1)被上告人は、東北大学に在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位にあり、昭和三五年前・後期および同三六年前期において右自治会委員長らが採用した運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を推進し、昭和三五年五月から同三七年九月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これらの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはなく、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をした、(2)被上告人は、上記大学生活部員として同部から手当を受けていた事実がないのに月四、〇〇〇円を得ていた旨虚偽の記載をし、また、純然たる学外団体である生活協同組合において昭和三四年七月理事に選任されて、同三八年六月まで在任し、かつ、その組織部長の要職にあつたにもかかわらず、これを記載しなかつた、というのである。

二、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)は、上告人と被上告人との間に締結された試用期間を三か月とする雇傭契約の性質につき、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの理由で雇傭を解約しうるという解約権留保の特約のある雇傭契約と認定し、右留保解約権の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、上告人が被上告人の解雇理由として主張する上記秘匿等にかかる事実は、いずれも被上告人の政治的思想、信条に関係のある事実であることは明らかであるとし、企業者が労働者を雇傭する場合のように一方が他方より優越する地位にある場合には、その一方が他方の有する憲法一九条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに侵すことは許されず、また、通常の会社においては、労働者の思想、信条のいかんによつて事業の遂行に支障をきたすとは考えられないから、これによつて雇傭関係上差別をすることは憲法一四条、労働基準法三条に違反するものであり、したがつて、労働者の採用試験に際してその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めることは、公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をしたとしても、これによる不利益をその者に課することはできないものと解すべきであるとし、それゆえ、被上告人に上告人主張のような秘匿等の行為があつたとしても、民法九六条の詐欺にも該当せず、また、上告人において、あらかじめ応募者に対し、申告を求める事項につき虚偽の申告をした場合には採用を取り消す旨告知していたとしても、これを理由に雇傭契約を解約することもできないとして、本件本採用の拒否を無効としたものである。

三、上告論旨は、要するに、憲法一九条、一四条の規定は、国家対個人の関係において個人の自由または平等を保障したものであつて、私人間の関係を直接規律するものではなく、また、これらの規定の内容は、当然にそのまま民法九〇条にいう公序良俗の内容をなすものでもないのに、これと反対の見解をとり、かつ、上告人が被上告人に申告を求めた事項は、被上告人の過去の具体的行動に関するものであつて、なんらその思想、信条に関するものでないのに、そうであると速断し、右のような申告を求め、これに対する秘匿等を理由として雇傭関係上の不利益を課することは、上記憲法等の各規定に違反して違法、無効であるとした原判決には、これらの法令の解釈、適用の誤りまたは理由不備もしくは理由齟齬の違法があり、また、上告人との間にいまだ正式の雇傭契約の締結がなく、単に試用されているにすぎない被上告人の地位を雇傭関係に立つものと解し、これに対する本採用の拒否を解雇と同視して、労働基準法三条に違反するとした原判決には、法律の解釈、適用の誤りまたは理由齟齬の違法がある、というのである。

第二、当裁判所の見解
一、まず、本件本採用拒否の理由とされた被上告人の秘匿等に関する上記第一の一の(1)の事実につき、これが被上告人の思想、信条に関係のある事実といいうるかどうかを考えるに、労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その者の在学中における右のような団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告を求めることは、上告人も主張するように、その者の従業員としての適格性の判断資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思想、信条そのものの開示を求めるものではないがさればといつて、その事実がその者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない。元来、人の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件において問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信条とのつながりをもつていることを否定することができないのである。企業者が労働者について過去における学生運動参加の有無を調査するのは、その者の過去の行動から推して雇入れ後における行動、態度を予測し、その者を採用することが企業の運営上適当かどうかを判断する資料とするためであるが、このような予測自体が、当該労働者の過去の行動から推測されるその者の気質、性格、道徳観念等のほか、社会的、政治的思想傾向に基づいてされる場合もあるといわざるをえない。本件において上告人が被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の有無についてした上記調査も、そのような意味では、必ずしも上告人の主張するように被上告人の政治的思想、信条に全く関係のないものということはできないしかし、そうであるとしても、上告人が被上告人ら入社希望者に対して、これらの事実につき申告を求めることが許されないかどうかは、おのずから別個に論定されるべき問題である。

二、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法一九条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲法一四条、労働基準法三条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許されないとしている。
(一) しかしながら憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではないこのことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。
(二) もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いがそのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。
(三) ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない
右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。
右の次第で、原判決が、上告人において、被上告人の採用のための調査にあたり、その思想、信条に関係のある事項について被上告人から申告を求めたことは法律上許されない違法な行為であるとしたのは、法令の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

三、(一) 右に述べたように、企業者は、労働者の雇入れそのものについては、広い範囲の自由を有するけれども、いつたん労働者を雇い入れ、その者に雇傭関係上の一定の地位を与えた後においては、その地位を一方的に奪うことにつき、肩入れの場合のような広い範囲の自由を有するものではない労働基準法三条は、前記のように、労働者の労働条件について信条による差別取扱を禁じているが、特定の信条を有することを解雇の理由として定めることも、右にいう労働条件に関する差別取扱として、右規定に違反するものと解される
このことは、法が、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、前者については企業者の自由を広く認める反面、後者については、当該労働者の既得の地位と利益を重視して、その保護のために、一定の限度で企業者の解雇の自由に制約を課すべきであるとする態度をとつていることを示すものといえる。
(二) 本件においては、上告人と被上告人との間に三か月の試用期間を付した雇傭契約が締結され、右の期間の満了直前に上告人が被上告人に対して本採用の拒否を告知したものである。原判決は、冒頭記述のとおり、右の雇傭契約を解約権留保付の雇傭契約と認め、右の本採用拒否は雇入れ後における解雇にあたるとし、これに対して、上告人は、上告人の見習試用取扱規則の上からも試用契約と本採用の際の雇傭契約とは明らかにそれぞれ別個のものとされているから、原判決の上記認定、解釈には、右規則をほしいままにまげて解釈した違法があり、また、規則内容との関連においてその判断に理由齟齬の違法があると主張する。
思うに、試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定の文言のみならず、当該企業内において試用契約の下に雇傭された者に対する処遇の実情、とくに本採用との関係における取扱についての事実上の慣行のいかんをも重視すべきものであるところ、原判決は、上告人の就業規則である見習試用取扱規則の各規定のほか、上告人において、大学卒業の新規採用者を試用期間終了後に本採用しなかつた事例はかつてなく、雇入れについて別段契約書の作成をすることもなく、ただ、本採用にあたり当人の氏名、職名、配属部署を記載した辞令を交付するにとどめていたこと等の過去における慣行的実態に関して適法に確定した事実に基づいて、本件試用契約につき上記のような判断をしたものであつて、右の判断は是認しえないものではない。それゆえ、この点に関する上告人の主張は、採用することができないところである。したがつて、被上告人に対する本件本採用の拒否は、留保解約権の行使、すなわち雇入れ後における解雇にあたり、これを通常の雇入れの拒否の場合と同視することはできない
(三) ところで、本件雇傭契約においては、右のように、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特約上の解約権が留保されているのであるが、このような解約権の留保は、大学卒業者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他上告人のいわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行ない、適切な判定資料を十分に蒐集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるものと解されるのであつて、今日における雇傭の実情にかんがみるときは、一定の合理的期間の限定の下にこのような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯定することができるというべきである。それゆえ、右の留保解約権に基づく解雇は、これを通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、前者については、後者の場合よりも広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきものといわなければならない。
しかしながら、前記のように法が企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階とで区別を設けている趣旨にかんがみ、また、雇傭契約の締結に際しては企業者が一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあることを考え、かつまた、本採用後の雇傭関係におけるよりも弱い地位であるにせよ、いつたん特定企業との間に一定の試用期間を付した雇傭関係に入つた者は、本採用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前記留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当である。換言すれば、企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することはできないと解すべきである。
(四) 本件において、上告人が被上告人の本採用を拒否した理由として主張するところは、冒頭記述のとおり、被上告人が入社試験に際して一定の事実につき秘匿等をしたこと、なかんずく、被上告人が東北大学在学中に違法、過激な学生運動に関与した事実があるのにこれを秘匿したということであり、上告人は、このような被上告人の秘匿等の行為に照らすときは、信頼関係をとくに重視すべき上告人の管理職要員である社員としての適格性を欠くものとするに十分であると主張するのである。
思うに、企業者が、労働者の採用にあたつて適当な者を選択するのに必要な資料の蒐集の一方法として、労働者から必要事項について申告を求めることができることは、さきに述べたとおりであり、そうである以上、相手方に対して事実の開示を期待し、秘匿等の所為のあつた者について、信頼に値しない者であるとの人物評価を加えることは当然であるが、右の秘匿等の所為がかような人物評価に及ぼす影響の程度は、秘匿等にかかる事実の内容、秘匿等の程度およびその動機、理由のいかんによつて区々であり、それがその者の管理職要員としての適格性を否定する客観的に合理的な理由となるかどうかも、いちがいにこれを論ずることはできない。また、秘匿等にかかる事実のいかんによつては、秘匿等の有無にかかわらずそれ自体で右の適格性を否定するに足りる場合もありうるのである。してみると、本件において被上告人の解雇理由として主要な問題とされている被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の秘匿等についても、それが上告人において上記留保解約権に基づき被上告人を解雇しうる客観的に合理的な理由となるかどうかを判断するためには、まず被上告人に秘匿等の事実があつたかどうか、秘匿等にかかる団体加入や学生運動参加の内容、態様および程度、とくに違法にわたる行為があつたかどうか、ならびに秘匿等の動機、理由等に関する事実関係を明らかにし、これらの事実関係に照らして、被上告人の秘匿等の行為および秘匿等にかかる事実が同人の入社後における行動、態度の予測やその人物評価等に及ぼす影響を検討し、それが企業者の採否決定につき有する意義と重要性を勘案し、これらを総合して上記の合理的理由の有無を判断しなければならないのである。

第三、結論
以上説示のとおり、所論本件本採用拒否の効力に関する原審の判断には、法令の解釈、適用を誤り、その結果審理を尽さなかつた違法があり、その違法が判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、本件は、さらに審理する必要があるので、原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条にしたがい、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 大隅健一郎 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊)

・民法90条を媒介にして。
+判例(S56.3.24)
理由
上告代理人小倉隆志の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二点ないし第七点について
上告会社の就業規則は男子の定年年齢を六〇歳、女子の定年年齢を五五歳と規定しているところ、右の男女別定年制に合理性があるか否かにつき、原審は上告会社における女子従業員の担当職種、男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討したうえ、上告会社においては、女子従業員の担当職務は相当広範囲にわたつていて、従業員の努力と上告会社の活用策いかんによつては貢献度を上げうる職種が数多く含まれており、女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体を上告会社に対する貢献度の上がらない従業員と断定する根拠はないこと、しかも、女子従業員について労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認めるべき根拠はないこと、少なくとも六〇歳前後までは、男女とも通常の職務であれば企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱がされるのは格別、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないことなど、上告会社の企業経営上の観点から定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由は認められない旨認定判断したものであり、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、上告会社の就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法一四条一項、民法一条ノ二参照)。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。所論引用の判例は事案を異にし、本件には適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

・憲法14条は例示列挙
+判例(S48.4.4)
理由
弁護人大貫大八の上告趣意中違憲をいう点について
所論は、刑法二〇〇条は憲法一四条に違反して無効であるから、被告人の本件所為に対し刑法二〇〇条を適用した原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるというのである。
よつて案ずるに、憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日・民集一八巻四号六七六頁)の示すとおりである。そして、刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(最高裁昭和三〇年(あ)第三二六三号同三一年五月二四日第一小法廷判決・刑集一〇巻五号七三四頁)、このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである。
当裁判所は、昭和二五年一〇月以来、刑法二〇〇条が憲法一三条、一四条一項、二四条二項等に違反するという主張に対し、その然らざる旨の判断を示している。もつとも、最初に刑法二〇〇条が憲法一四条に違反しないと判示した大法廷判決(昭和二四年(れ)第二一〇五号同二五年一〇月二五日・刑集四巻一〇号二一二六頁)も、法定刑が厳に過ぎる憾みがないではない旨を括弧書において判示していたほか、情状特に憫諒すべきものがあつたと推測される事案において、合憲性に触れることなく別の理由で同条の適用を排除した事例も存しないわけではない(最高裁昭和二八年(あ)第一一二六号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八二四頁、同三六年(あ)第二四八六号同三八年一二月二四日第三小法廷判決・刑集一七巻一二号二五三七頁)。また、現行刑法は、明治四〇年、大日本帝国憲法のもとで、第二三回帝国議会の協賛により制定されたものであつて、昭和二二年、日本国憲法のもとにおける第一回国会において、憲法の理念に適合するようにその一部が改正された際にも、刑法二〇〇条はその改正から除外され、以来今日まで同条に関し格別の立法上の措置は講ぜられていないのであるが、そもそも同条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制にも見られる尊属殺重罰の思想が存在すると解されるほか、特に同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有していたものと認められるのである。さらに、諸外国の立法例を見るに、右の中国古法制のほかローマ古法制などにも親殺し厳罰の思想があつたもののごとくであるが、近代にいたつてかかる思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を当初から有しない国も少なくない。そして、かつて尊属殺重罰規定を有した諸国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあり、また、単に尊属殺のみを重く罰することをせず、卑属、配偶者等の殺害とあわせて近親殺なる加重要件をもつ犯罪類型として規定する方策の講ぜられている例も少なからず見受けられる現状である。最近発表されたわが国における「改正刑法草案」にも、尊属殺重罰の規定はおかれていない。
このような点にかんがみ、当裁判所は、所論刑法二〇〇条の憲法適合性につきあらためて検討することとし、まず同条の立法目的につき、これが憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かを判断すると、次のように考えられる。
刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される。ところで、およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる。
このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する。
さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない
この観点から刑法二〇〇条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみであり、普通殺人罪に関する同法一九九条の法定刑が、死刑、無期懲役刑のほか三年以上の有期懲役刑となつているのと比較して、刑種選択の範囲が極めて重い刑に限られていることは明らかである。もつとも、現行刑法にはいくつかの減軽規定が存し、これによつて法定刑を修正しうるのであるが、現行法上許される二回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。
もとより、卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規定の適用によつてその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属でありながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる。
量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせるものである。
このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。
以上のしだいで、刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する。
そこで、これと見解を異にし、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして、被告人の本件所為に同条を適用している原判決は、憲法の解釈を誤つたものにほかならず、かつ、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、所論は結局理由がある。
その余の上告趣意について
所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇五条一号後段、四一〇条一項本文により原判決を破棄し、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決することとする。
原判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人の所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱の状態における行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、なお、被告人は少女のころに実父から破倫の行為を受け、以後本件にいたるまで一〇余年間これと夫婦同様の生活を強いられ、その間数人の子までできるという悲惨な境遇にあつたにもかかわらず、本件以外になんらの非行も見られないこと、本件発生の直前、たまたま正常な結婚の機会にめぐりあつたのに、実父がこれを嫌い、あくまでも被告人を自己の支配下に置き醜行を継続しようとしたのが本件の縁由であること、このため実父から旬日余にわたつて脅迫虐待を受け、懊悩煩悶の極にあつたところ、いわれのない実父の暴言に触発され、忌まわしい境遇から逃れようとしてついに本件にいたつたこと、犯行後ただちに自首したほか再犯のおそれが考えられないことなど、諸般の情状にかんがみ、同法二五条一項一号によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、第一審および原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととして主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官岡原昌男の補足意見、裁判官田中二郎、同下村三郎、同色川幸太郎、同大隅健一郎、同小川信雄、同坂本吉勝の各意見および裁判官下田武三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

補足意見以下は省略。

2.男女平等取扱い法理

+(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。

4条の射程外の部分
・賃金以外の労働条件
+判例(東京地判S41.12.20)住友セメント事件
理   由
一、雇傭関係及び結婚退職制
原告主張一及び三の事実は当事者間に争がない。
成立に争のない乙第二号証(念書の様式)及び<証拠>によれば、被告が昭和三三年四月会社の方針として爾後の女子職員の採用処遇につき被告主張の結婚退職制を定め、これに基き女子労働者を採用したことが認められ、この認定を左右すべき確証はない。原告が、本採用される前である昭和三五年八月一〇日「結婚したときは退職する。」旨の念書を差入れたことは当事者間に争がない。これによれば、被告は原告が結婚したときこれを解雇し得る旨の労働契約が成立したというべきである。右は労働者の退職に関する事項であるから、労基法にいう労働条件に該当する。

二、結婚退職制と公序との関係
被告の主張によれば、結婚退職制は、慣行であつて、組合の承認により労働協約と同等の効力を有し、しからずとするも、労働者の規範意識に支持されて就業規則と同等の効力を有するから、被告はこれに基き原告と右契約をなしたというにある。
(一) 結婚退職制の法的内容
このような労働協約又は就業規則と同等の効力を有する規範準則が存在するとしても、その内容は性別による差別待遇と結婚の自由に対する制限とを含むものである。
1 (性別による差別待遇)結婚退職制によると、結婚は男子労働者の解雇事由でなく、女子労働者のみの解雇事由であるから、右は労働条件につき性別による差別待遇をしたことに帰着する。
2 (結婚の自由の制限)結婚退職制によれば、女子労働者は雇傭関係継続中結婚しない旨を約したことに帰着するのであり、換言すれば、結婚に際しなお雇傭関係の継続を望んでいる女子労働者に対しても使用者からその終了を求め得るのである。右は女子労働者の結婚の自由を制限するものというべきである。その理由は次のとおりである。
結婚後も主婦として活動するだけではなく、なお賃金労働者として職場にとどまり労働を継続する意思を有する女子労働者が多く存することは顕著な事実である。統計をみると、成立に争のない乙第七号証の二(労働省婦人少年局発行「婦人労働の実情・一九六二年」三八、三九頁)によれば、女子労働者の中に占める有夫者の割合は逐年上昇し昭和三七年において二一・七%を占め、なお昭和三六年一月から昭和三七年九月までの単純平均によれば非農林業就業者中雇傭者であつて配偶者のある女子は二一九万人に及ぶことが明らかである。かように多数の既婚女子労働者がなおその労働を継続する主たる理由が、自己の才能を生かし社会人としての経験を積み社会に貢献するにあると、生活費を得るにあるとを問わず、その労働を継続しようとする意思は尊重されるべきである。
我国の現状にあつては、男子労働者の労働賃金のみによつてその妻子等の通常の生活の資をまかなえないことが屡々あるから、この場合この男子労働者と結婚した女子労働者はなお労働を継続する経済的必要がある。女子労働者はこの場合結婚退職制により解雇されても直ちに生活の資を求めて再就職せざるを得ない。ところが、前示乙第七号証の二(五八頁から六三頁まで)によると、既婚、したがつて学校新卒者に比し高年である女子労働者の就職の機会は狭められる一方、賃金額の決定についても、当該企業における勤続期間が重要な要素をなす年功賃金制の下では、仮に再就職の機会が得られたとしても、その労働条件は従前に比し著しく低下することが明らかである。したがつて、女子労働者は結婚に際しこの事実を予想すべきものといわなければならない。以上のような次第で女子労働者は結婚退職制の下では、結婚によりその意に反して労働賃金収入を全部失うか又は運がよくてもその相当部分を失うものである。かくして、結婚を退職事由と定めることは、女子労働者に対し結婚するか、又は自己の才能を生かしつつ社会に貢献し生活の資を確保するために従前の職に止まるかの選択を迫る結果に帰着し、かかる精神的、経済的理由により配偶者の選択、結婚の時期等につき結婚の自由を著しく制約するものと断ずべきである。
近年若年労働力の需給関係が変化し全国的にみて求人数が求職数を大幅に上廻り、中学、高校新卒の女子もその例に洩れないことは顕著な事実である。しかし、この事実から推してかかる女子は結婚退職制を採用する企業とそうでない企業とを選択する自由があるとして前示結論を左右することはできない。すなわち、若年女子の労働力の需給関係は、地域及び企業により差があり、求職者はその意思に関係なく適性その他の精神的肉体的諸条件、住宅。家庭事情等により、求職の範囲を自ら制限されるのである。また、成立に争のない乙第六号証の二(労働省婦人少年局発行「女子事務職員実態調査報告。一九六一年五月」二六頁)によれば、女子の結婚退職規定を有する事業所は総数の八%(内訳。製造業は七・三%、金融保険業は二〇・二%)に及ぶことが明らかである。かような要因を考えるとき、女子求職者が前示のような選択の自由を有するとは到底いえない。また使用者が女子労働者の雇入に際し結婚退職制を明示した場合もこの結論を左右しない。
(二) 公の秩序
1 (性別による差別待遇の禁止)両性の本質的平等を実現すべく、国家と国民との関係のみならず、国民相互の関係においても性別を理由とする合理性なき差別待遇を禁止することは、法の根本原理である。憲法一四条は国家と国民との関係において、民法一条の二は国民相互の関係においてこれを直接明示する労基法三条は国籍、信条又は社会的身分を理由とする。差別を禁止し、同法四条は性別を理由とする賃金の差別を禁止する。ところで、労基法上性別を理由として賃金以外の労働条件の差別を禁止する規定はなく、却つて、同法一九条、六一条ないし六八条等は女子の保護のため男子と異なる労働条件を定めている。したがつて、労基法は性別を理由とする労働条件の合理的差別を許容する一方、前示の根本原理に鑑み、性別を理由とする合理性を欠く差別を禁止するものと解せられる。以上述べたことから明らかなとおり、この禁止は労働法の公の秩序を構成し、労働条件に関する性別を理由とする合理性を欠く差別待遇を定める労働協約、就業規則、労働契約は、いずれも民法九〇条に違反しその効力を生じないというべきである。
2 (結婚の自由の保障)家庭は、国家社会の重要な一単位であり、法秩序の重要な一部である。適時に適当な配遇者を選択し家庭を建設し、正義衡平に従つた労働条件のもとに労働しつつ人たるに値する家族生活を維持発展させることは人間の幸福の一つであるかような法秩序の形成並びに幸福追求を妨げる政治的経済的社会的要因のうち合理性を欠くものを除去することも、また法の根本原理であつて、憲法一三条、二四条、二五条、二七条はこれを示す。したがつて、配偶者の選択に関する自由、結婚の時期に関する自由等結婚の自由は重要な法秩序の形成に関連しかつ基本的人権の一つとして尊重されるべく、これを合理的理由なく制限することは、国民相互の法律関係にあつても、法律上禁止されるものと解すべきである。以上の理由により、この禁止は公の秩序を構成し、これに反する労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法九〇条に違反し効力を生じないというべきである。

(三) 合理的理由による差別又は制限
1 (非能率)被告主張のように、男子職員と女子職員との職種を截然区別し女子職員を被告主張のような補助的事務のみに従事させることが合理的差別といえるか否かはしばらくおく。本件において被告の主張の前提として、既婚女子労働の非能率の責を一般的に女子のみに帰せしめるには、女子は結婚後労働能率が結婚前に比し一般に低下すること、その低下の程度は同一の条件の下における男子よりも甚しいこと、その原因は少くとも使用者側及び国家社会の側に存せず、専ら女子労働者の結婚という事実のみに存することを立証すべきである。この認定に当り、労基法四条の立法趣旨により、女子労働者は一般的平均的に低能率であるとの社会的偏見の排除が要請されること、同法六五条、六六条により既婚女子労働者は出産育児に関し休業請求権を有し、その限度での労務の不提供すなわち、使用者側からみれば非能率が許されていることは充分に尊重されなければならない。しかるとき、本件にあつては、<証拠>によるも右各事実を肯認するに足らず、その他この事実を認めるに足る証拠がない。しかも、前示の補助的事務の内容に徴すると、これに従事する女子労働者が結婚したからとて労働能率が当然に低下するとは推認できない。
もし、既婚女子労働者の一部に労働能率の低下した者が生ずれば、監督者その他被告側において遅滞なくこれを発見確認できるものと推認される。この場合、被告は能率低下の原因を探究し、その責が被告に存せず、もつぱら当該女子労働者に存するときは、かかる者に対して労働協約又は、就業規則等に定める所要の処置を個別的にとれば足りるものと解される。
したがつて、既婚女子労働者の非能率を理由に、勤務成績の優劣を問わず一律にこれを企業から排除することは合理性がない。
2 (賃金)結婚退職制の根拠として被告の主張する事実、すなわち被告において男女同一賃金制に徹しているので、補助的事務に従事する長期勤続の既婚、高年の女子職員に対し、より責任の重い事務に従事する男子職員と比較して不相当に高額の賃金を支払つているとの事実につき判断する。結婚退職制採用後である昭和三五年以降被告主張の年令別最低基本給及び中途採用者初任給につき約三割の男女の賃金格差が設けられたことは被告の自陳するところである。右の格差が勤務時間又は労務内容等の差に基く合理的なものであることの立証はない。したがつて、この点についての被告の主張は事実関係について前提を欠くものというべきである。しかも、仮に、被告主張のように長期勤続既婚女子職員がより責任の重い男子職員に比し高額の賃金を得、しかもこれにつき男子職員からその是正を求められるとの事態が存するとしても、右は主として勤続年数により機械的な昇給を伴う年功賃金制のもたらした結果であるから、むしろその是止のためには、男女を問わず各職員の職務ないし労働の価値に応じた合理的な賃金体系を制定することが適当であるといわなければならない。労基法三条の趣旨は、女子労働者が一般的平均的に低能率であること等過去の社会的偏見によつて不利益待遇をすることを禁止するけれども、性別によらず、職務、技能、能率等の差に応じた賃金格差を否定するものではない。かかる措置をとらないで、年功賃金制の有する若干の短所を理由として女子労働者を結婚と同時に一律に企業から排除し、もつて前示差別待遇を行ない、結婚の自由を制限することは、なんら合理性がない。
3 (その他の合理性)前示補助的事務の内容自体に徴しても、特定宗教における聖職者、巫女等と異なり、これに従事する者を独身者に限定しなければならない理由はない。その他結婚退職制に合理性を認めるに足りる資料はない。
(四) 結婚退職制は公の秩序に反する。
以上述べたとおり、女子労働者のみにつき結婚を退職事由とすることは、性別を理由とする差別をなし、かつ、結婚の自由を制限するものであつて、しかもその合理的根拠を見出し得ないから、労働協約、就業規則、労働契約中かかる部分は、公の秩序に違反しその効力を否定されるべきものといわなければならない。
結婚退職制につき、組合がこれを承認し多数の女子労働者がこれに賛同して退職し、原告もまたこれを熟知して雇傭されたとの被告の主張はそれ自体理由がない。けだし、民法九〇条は公の秩序等に反する一切の法律行為の効力を否定するものであつて、関係当事者がこれに同意したか否かを問わないからである。(法例二条参照)。
三、解雇の意思表示の効力
原告に対する本件解雇の意思表示が結婚退職制を根拠とし、あるいはその実効をおさめるための措置であることは被告の自認するところであるから、たとえ、それが就業規則にいう業務上の都合に該当するものであつても、右制度が公の秩序に反する以上、本件解雇の意思表示は無効といわなければならない。
四、結論
よつて、原告はなお被告に対し雇傭契約上の権利を有するところ、被告これはを争うものである。そして、被告における賃金支払の方法及び原告の賃金月額は原告主張二のとおりであることは当事者間に争がない。
したがつて、雇傭契約上の地位の確認及び昭和三九年三月二一日以降の賃金として主文第2項記載の金員の支払を求める原告の請求はすべて理由があるから、これを認容すべきである。訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(沖野威 高山晨 田中康久)

・昇格差別
+判例(東京地判H2.7.4)社会保険診療報酬支払基金事件
理由
一 はじめに、不法行為に基づく損害賠償請求について判断する。
1 憲法一四条は、法の下の平等の基本原理を定め、これを受けて労働基準法三条は国籍、信条又は社会的身分を理由とする労働条件についての差別的取扱いを禁止し、同法四条は女子であることを理由として賃金について男子と差別的取扱いをしてはならないとしている。これら労働基準法の規定の文言の上からは、女子であることを理由として、賃金以外の労働条件について差別的取扱いをすることは直接禁止の対象とされていないが、右規定の趣旨は、賃金以外の労働条件についても、性別を理由とする合理的理由のない差別的取扱いを許容するものではないと解され、労働条件に関する合理的理由のない男女差別の禁止は、民法九〇条にいう公の秩序として確立しているものというべきである。したがって、本件で問題とされている昇格についても、合理的理由なしに男女を差別的に取り扱った場合には、公の秩序に反する行為として違法であるとの評価を免れない。そして、男女が平等に取り扱われるという期待ないし利益は、不法行為における被侵害利益として法的保護に値すると解すべきであるから、右のような昇格における差別につき被告に故意又は過失があったときは、不法行為が成立する

2 そこで、このような見地から、本件において不法行為が成立するか否かを検討するに、まず、次の事実は、当事者間に争いがない。
(一) 被告は、原告らの主張1のとおり社会保険等の診療報酬の審査、支払を行う機関であり、原告らは、その主張のとおり、それぞれ被告支部に入所して就労し、昭和五三年一月一日現在五等級に在級してその後はそれぞれ主張のとおりの等級・号となっている。被告には全基労と基金労組の二つの労働組合があり、原告らは全基労に所属している。
(二) 被告の職員は、原告らの主張2に記載するような業務に従事しているが、右業務は毎月定められた日程に沿って処理され、これに従事する職員に男女の区別はない。そして、毎年の職員採用試験は男女同一に扱っており、支部における採用は男性に比べ女性が多く、昭和五三年六月から昭和五四年五月までの採用者数は男性八六名、女性二一一名となっている。
(三) 原告らの主張3に記載のとおり、被告においては、職務が一等級から七等級に区分され、この職務の等級に対応して給料表も一等級から七等級まで定められ、各等級の職務が規定されている。そして、下位等級から上位等級へ格上げすることを昇格というが、昇格に伴って給料が上がる仕組みとなっている。昇格の要件については、職員給与規定付属の基準に「必要経験年数又は必要在級年数を良好な成績で勤務したものでなければならない。」と定められている。
次に、当事者間に争いのない事実と、成立に争いのない甲第三号証の一ないし八、第四号証の一ないし三、第二二号証の一、第八号証、乙第一号証、第九五ないし第一〇二号証、第一〇八号しょう、原本の存在及び成立ともに争いのない甲第二二号証の二、乙第五ないし八号証、第三九号証、証人n、同o(第一、二回)、同p、同q、同rの各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 昭和二三年に被告が設立されてまもなく、東京都支部に職員組合が結成され、その後、逐次支部単位に職員組合が結成され、昭和二五年には右各職員組合を支部とする全国単一組織の全国社会保険診療報酬支払基金職員組合が発足し、昭和三一年に全国社会保険診療報酬支払基金労働組合(全基労)と改称した。
ところが、昭和三九年ころ全基労からの脱退者が全国的に続出し、右脱退者により基金支部ごとに労働組合が結成され、同年五月には右組合を支部として被告の本部及び支部の全事務所にわたる全国単一組織の社会保険診療報酬支払基金労働組合(基金労組)が発足した。
(二) 右組合分裂以降、組合間において組合員獲得活動が活発化していたところ、昭和五〇年七月ころ、被告岡山支部において基金労組所属の女子職員が基金労組を脱退して全基労に加入したことに端を発して部落差別問題に発展し、組合間に紛争が拡大した。これを契機に岡山においては昭和五一年六月に、兵庫では同年一〇月にそれぞれ人権侵害反対共闘会議が結成され、両共闘会議と右部落差別問題に関する管理責任を追及されていた被告の岡山県基金支部及び兵庫県基金支部との間に会合が持たれた。そして、岡山県における同年九月二二日開催の会合において、被告理事長は支払基金人権侵害反対共闘会議及び全基労に対し、労働組合別にその所属によって人事、賃金、昇格及び昇任差別、その他の職場八分をすみやかに改め、そのために全基労中央及び各支部と協議し、早急に解決することを約束する旨の確認文書(以下「九・二二確認」という。)を作成、交付した。
(三) ところで、被告の職員給与規程上は、職員の昇格について男女の性別によってその適用基準を別にしているわけではないが、昭和二三年に被告が発足して以来、昇格につき男女間に格差が生じていた。そこで、全基労は、右九・二二確認以降、各支部において、基金労組所属の男子職員の昇格実績を基準にして、全基労所属の男子職員のそれとの格差の是正を求めると同時に、女子職員についても格差を一挙に是正するよう要求した。
(四) 他方、九・二二確認を契機として、中労委の仲介による和解交渉が、昭和五一年一〇月二五日から開始された。その交渉項目は労使双方で持ち寄ったが、双方に相当の差があったため、結局、全基労が同年一一月一〇日付けをもって中労委会長宛に提出した要請書に記載された一〇〇項目を交渉項目とし、うち四〇項目を中労委関与事項、残る六〇項目を労使間の自主交渉事項とした。これにより、男子職員の組合間差別問題は中労委関与事項、男女格差の解消問題は自主交渉事項となった。
そして、全基労は、組合間差別の問題については、組合分裂があった昭和三九年から被告の差別により不利益を被ってきたことを理由に、男子職員の三等級及び四等級への昇格人事において、基金労組との差別の是正、回復措置として、全基労所属の男子職員について、基金労組の男子職員の平均経験年数を基準として選考抜き一律昇格の措置を取ることを求め、また、男女差の解消問題については、全基労と協議の上、基準を定めて遅くとも昭和五二年一二月末までに是正することを要求した。これに対し、被告は全基労の要求には応じられないとの姿勢であったため、労使間の交渉は難航した。中労委関与の和解交渉は昭和五三年一月二五日まで続けられ、被告は、中労委の強い勧告により同日一・二五協定を締結するに至った。
(五) 一・二五協定の内容は多岐にわたったが、組合間差別の回復措置としては、当時四等級又は五等級であった全基労組合員kほか四九名の男子職員につき、三等級又は四等級への選考抜き一律昇格の措置を取ることが主であった。右選考抜き一律昇格の具体的内容は、次のとおりであった。
(1) 三等級への昇格
基金労組の男子職員で昭和四二年八月から昭和五二年三月までの間に三等級に昇格した者の昇格時における経験年数(前歴加算等により修正したもの)の全国平均値である二一年一月を超えることを昇格の要件とする。この要件を満たす者のうち、当時四等級であった五名中二名については昭和五三年一月一日付けで、残りの三名については同年七月一日付けでそれぞれ三等級に発令し、できる限り早期に係長にするよう努力する(係長発令までは調査員とする。)。右要件を満たす者のうち、当時五等級であった一五名については、同日付けで四等級にした上、同年七月一日付けで三等級に発令し、できる限り多くの者を係長にするよう努力する(係長発令までは調査員とする。)。
(2) 四等級への昇格
基金労組の男子職員で昭和四二年八月から昭和五二年三月までの間に四等級に昇格した者の昇格時における経験年数の各支部別平均値(別表「四等級昇格の支部別平均勤続年数表」記載のとおりである。)を超えることを昇格の要件とする。この要件を満たす者(三等級の要件を満たす者を除く。)三〇名を昭和五三年一月一日付けで四等級に発令し、同年四月一日までに班長とする。
(3) 必要在級年数の起算日
いずれの昇格についても、上位等級への昇格に当たっての必要在級年数の起算日は、各平均勤続年数に達した日の翌月一日(「達した日」が月の初日の場合はその日)とする。
一・二五協定の差別是正措置としては、右昇格のほか、男女を問わないで給料の号の格差を調整する措置があったが、五等級在級者についての調整に当たっては、男子職員は経験年数が一三年で五等級に昇給した者を基準とし、女子職員については経験年数一八年の者を基準とした。
これらの措置等を定める以外に、一・二五協定では、前記昭和五二年一一月一〇日付け要請書に掲げた事項のうち右協定で合意されなかった事項をすべて継続交渉事項としたが、男女差の解消問題は、その一つであった。
なお、原告j、同hを除く当時全基労に所属していた一六名の原告は、いずれも五等級に在級し、三等級又は四等級への昇格の要件を満たしていた。また、原告a、同b、同c、同d、同e、同i及び同fは、給料の号の調整を受けた上、被告に対し、一・二五協定における自己に関する協定内容に同意する旨の同意書を差し入れた。
(六) 右のとおり、一・二五協定において、基金労組の男子職員の平均経験年数を昇格の要件とする選考抜き一律昇格の措置を取ったため、当然のことながら、基金労組所属の男子職員で、その経験年数において右要件を満たしながら三等級又は四等級へ昇格していない者が出てきた。そこで、基金労組は、これを逆差別であるとして、被告に対して直ちにその是正を求めたため、被告は、基金労組との間において、基金労組所属の四等級又は五等級の男子職員について、全基労所属の男子職員に対する選考抜き一律昇格と同様の昇格措置をすることを約した二・二八確認を締結した。
右二・二八確認の昇格措置の基準は、ほぼ一・二五協定と同一であったが、三等級昇格対象者の発令時期の点で一・二五協定では問題とならなかった要件が定められた。すなわち、経験年数二一年一月以上の三等級昇格対象者の発令時期につき、〈1〉経験年数二四年六月以上であること、〈2〉昭和五三年一二月三一日現在四等級であり、四等級の職務についていたこと、〈3〉同日現在四等級昇格後六月を経過していたこと、以上の三つの要件を設け、三要件とも満たす者を昭和五三年一月一日付け、〈1〉と〈3〉を満たすが、〈2〉の要件を欠く者を同年四月一日付け、その余の者を同年七月一日付けとした。
女子職員の処遇については、二・二八確認においても男女格差の解消問題を含め継続交渉事項とされた。
なお、二・二八確認においても、給料の号の格差の調整がなされ、当時基金労組に所属していた原告jは、五等級に在級し、三等級への昇格要件を満たしていたが、自己にかかわる給与調整等の措置に同意し、今後一切異議を申し立てない旨の同意書を差し入れた。
(七) さらに、被告は、同年三月一六日、全基労及び基金労組のいずれにも属しない非組織労働者について右措置をしないことは、非組織労働者であることを理由として差別的取扱いをしたことになり、しかも、右差別的取扱いをすることにつき格別の合理的理由はないとして、全基労の要求に従い、右非組織労働者四名について、二・二八確認と同一の基準で選考抜き一律昇格措置を取る旨の三・一六確認を締結した。
(八) その後、被告は、昭和五四年一二月二七日に基金労組との間において、二・二八確認により基金労組所属の男子職員についてなされた選考抜き一律昇格を同労組所属の女子職員については措置しないことを当然の前提として、給料の号の調整をすることとし、二・二八確認の際継続交渉事項とされた女子組合員の処遇に関し、基金労組において今後異議申立てを行わず、他に一切の請求をしない旨の一二・二七確認を締結した。そして、当時も基金労組組合員であった原告jは、給料の号の調整を受け、被告に対し、右確認内容につき同意すると共に、今後一切異議申立てをしない旨の同意書を差し入れた。

3 右事実によれば、被告の職員は男女が同一の採用試験で採用され、その後各人が従事する業務内容も、男女の区別なく同一であったところ、被告は、全基労との間において一・二五協定を締結して、全基労所属の男子職員で四等級及び五等級在級者について、勤務成績や能力に基づく選考をすることなく、勤続年数という基準に準拠して一律に昇格させる措置を講じ、続いて基金労組との間において二・二八確認を締結して、基金労組所属の男子職員で四等級及び五等級在級者について、同様に選考をしないで、同様の基準に準拠して一律に昇格させ(昇格発令時期に関する一・二五協定との相違については、暫く措く。)、さらに、全基労との間において三・一六確認を締結して、非組織労働者であったため、右基準に該当しながら右の昇格措置が取られなかった男子職員について、同様の昇格措置を講じた。これにより被告は、四等級及び五等級在級のすべての男子職員について、勤続年数を基準とした選考抜き一律昇格の措置をしたことになる。ところが、被告は、女子職員については、右昇格措置が取られた男子職員と同一の等級に在級し、右の昇格基準に該当する者があったにもかかわらず、原告らを含むこれら右基準に該当する女子職員に対し、なんらの昇格措置も講じなかったものである。
そうすると、原告ら女子職員は、昇格に関して、右協定及び二つの確認により差別的取扱いを受けたものといわざるを得ず、被告は、右取扱いをすることにより、同じ昇格要件を満たす男子職員と女子職員との間の昇格に格差が生じる結果になることを認識していたものということができる。したがって、この格差の発生につき合理的な理由がない限り、女子職員につき昇格措置を講じなかった被告の不作為は、前述のとおり公の秩序に反するものとして不法作為を構成し、被告は、その責任を負わなければならない。被告は、客観的に違法とされる事実の発生の認識がなかったから故意がないと主張するが、同一の昇格要件を満たす男女に格差が生じること自体の認識があったことは明らかであるから、その結果が客観的に違法であるとの認識が被告になかったとしても、不法行為の要件である故意の存在を否定することはできない。

4 そこで、女子職員について本件昇格措置を講じなかったことにつき、合理的理由があり、違法性がない旨の被告の主張について、検討する。
(一) 被告は、全基労との間の一・二五協定において男女差の解消を段階的に是正する基準を定める旨の労働協約を締結したが、右労働協約が解約されていないのであるから、女子職員について男子職員と同一の昇格措置を取らなくとも違法でないと主張する。
前記認定事実によると、昭和二三年の被告設立以来、昇格制度運用の実績上、男女間に格差が生じていたので、全基労は、各支部において、基金労組所属の男子職員の昇格実績を基準にして、全基労所属の男子職員のそれとの格差のみならず、女子職員との格差をも解消すべく要求をしていた。そして、中労委の仲介による和解交渉において、昭和五一年一一月一〇日に中労委に対し要請書を提出し、女子職員について男女差の解消を図るために、被告に対し、全基労と協議の上基準を定めて遅くとも昭和五二年一二月末までに是正することを要求した。この要求が、一・二五協定において、今後継続して交渉する事項とされたものである。右の事実経過からみると、一・二五協定における男女差の解消という継続交渉事項の内容は、被告と全基労の協議により、基準を定めて男女格差を是正する措置を講じることであり、その際の基準としては段階的ないしは漸進的に男女格差を解消する基準も考慮されていたものと認められる。
しかしながら、本件昇格措置が前記のとおり勤続年数のみを基準とする選考抜き一律昇格という性格のもので、極めて明確な昇格要件を定めて男子職員を一挙に昇格させたにもかかわらず、同一の要件を満たす女子職員については段階的にしか昇格させないというのは、それ自体女性差別であり、その趣旨で労働協約が締結されたとすれば、その協約の効力はそのまま認めることはできない。そうだとすれば、仮に原告らの所属する全基労が、本件昇格差別がされることを認識した上で被告主張の趣旨の労働協約を締結したとしても、原告らとの関係において、右協約締結により本件昇格措置を講じないという被告の取扱いが正当化されるものではない。さらに付け加えるならば、前記の事実経過に照らすと、全基労は、右協定の締結時においては、本件昇格措置が男子職員全員について行われることを予測していたとは認められず、女子職員が新たに差別的取扱いを受けることを考えに入れた上で、右の男女差の解消につき継続交渉とする旨の条項が締結されたものではないということができる。したがって、被告主張の事情は、被告が女子職員について選考抜き一律昇格措置を取らないことの合理的理由となるものではないことは明らかである。したがって、被告の右主張は、理由がない。
(二) 次に、被告は、本件協定及び確認における男子職員のみについての選考抜き一律昇格措置は男子職員間に生じた組合間差別ないしは逆差別の是正のためになされたものであるが、女子職員についてはそもそも組合間差別が存在しないのであるから、右措置を講じないという被告の取扱いには合理的理由があると主張する。前記認定事実によると、全基労は、組合分裂があった昭和三九年から被告の組合間差別により不利益を被ってきたので、昭和五一年ころから男子職員の三等級及び四等級への昇格人事において、その差別の是正、回復措置として、被告に対し、基金労組の男子職員の平均経験年数を基準とする選考抜き一律昇格を全基労所属の男子職員について措置すべきことを求めた。これに対し、被告は、中労委の強い勧告により一・二五協定を締結して、組合間差別の回復措置として、全基労の五〇名の男子職員につき、その要求どおりの経験年数要件による選考抜き一律昇格を措置することとなった。ところが、この措置を知った基金労組は、それが基金労組所属の男子職員でその経験年数において右経験年数要件と同一の基準にある者に対していわゆる逆差別による不利益取扱いをもたらすとして、直ちに右逆差別の是正を求めたため、被告は、基金労組との間において、選考抜き一律昇格を措置した全基労所属の男性職員と同一基準に該当する基金労組所属の男性職員について同様の措置をすることを約した二・二八確認を締結した。さらに、被告は、非組織労働者に対する差別的取扱いを避ける趣旨から、全基労の要求に従い、三・一六確認を締結したものである。
右によれば、確かに、三・一六確認によって男子職員全員に対する実施が完了した選考抜き一律昇格措置は、被告主張のとおり男子職員間に生じた組合間差別の是正に端を発し、男子職員間における平等を実現するという趣旨で行われたものということができる。そして、弁論の全趣旨によれば、女子職員については、男子職員との格差はともかく、組合間の差別は存在せず、その是正の要求はなかったものと認められる。そうすると、男子職員については組合間に格差があり、それに対する是正措置として本件昇格措置を講じる必要があったが、女子職員についてはもともと組合間差別がなく、なんらの措置も必要でなかったものであり、被告の措置は男女別にそれぞれ同性の職員間の平等化を図る目的のためにされたのであるから、それなりに合理性があるという考え方もできそうである。
しかしながら、本件昇格措置が男子職員のみに講じられた結果、右措置が取られる前には同じ五等級に在級して同一の業務に従事していた男子職員と女子職員との間に格差が生じ、前者は一定の経験年数を超えていることを理由に三等級又は四等級に昇格し、後者は同一の経験年数に達していても五等級に据え置かれることになったもので、この昇格については勤務成績等を問題としていないのであるから、右措置による男女間の昇格上の格差自体について合理的な説明を加えることは困難である。そうすると、本件昇格措置の結果として生じた男女間の格差は、結局のところ性別を理由とする差別となんら異なるところはなく、本件昇格措置を講じた意図ないし動機がいかに正当であっても、右の格差の存在につき合理的理由があるとすることはできない。被告は、このような原告らの考え方を、ひたすら理念的男女平等観に駆られて結果の平等だけを追及するものと非難するが、被告の主張は、男女を区別してそれぞれ同性の職員同士でのみ平等を考え、男女相互間の平等を顧みない点で問題があるといわざるを得ないのであって、男女間に格差が生じたこと自体に合理的理由がない以上、原告らが男女平等の理念の実現のために結果の平等を追及するのは当然である。
したがって、被告の右主張は、理由がない。
(三) さらに、被告は、本件昇格措置に関する男女別の取扱いは、公序に反するものではないと主張するが、労働基準法三条及び四条に関する主張については、前記1に述べたとおりであるから、被告が女子職員について本件昇格措置をしない理由として主張する点について検討する。
被告は、まず、本件昇格措置は被告の規定に反する違法な人事処遇であるから、性別を問わず繰り返すことはできないと主張する。確かに前記認定事実によれば、本件では、昇格の時点においては等級と結びついた係長又は班長の空きの有無を問わずに、その意味では職務の定数を無視して、勤務成績等による選考をしないで一律に昇格させたのであるから、被告の職員給与規程等に反して異常ともいえる昇格措置であるが、それだからといってその効力がないというものではなく、女性差別の是正のために再度女子職員について実施することが許されないものでないことは明らかである。したがって、右の主張は被告の取扱いにつき合理性を認める根拠とはなり得ない。
次に、被告は、本件昇格措置を男子職員についてのみ講じ、女子職員については段階的是正を図ることとしたのは、全基労及び基金労組の要求に応じたものであり、差別的取扱いの決定的主体は右労働組合であって、被告には責めはなく、被告の取扱いは原告らが女性であることを理由に差別したものではないと主張する。しかし、いかに労働組合の要求に応じたものであるからといって、その結果としての差別につき他に合理的理由がなく、女性であること以外に原因がなければ、女性差別にほかならず、被告はその責任を免れないのであって、被告主張のような事情があるからといって、本件昇格に関する差別が女性を理由としたものでなく、公序に反しないなどという立論は成り立たない。
被告はさらに、全基労との間で男女差の解消について継続交渉事項とする旨の労働協約が成立したのであるから、全基労所属の原告らについて本件昇格措置を取ることは、労働協約に抵触するから許されないし、基金労組との間でも女子職員については本件昇格措置を取らないこととしたのであるから、当時基金労組に所属していた原告二名につきその後脱退したからといって昇格させるのは、基金労組所属の女子職員を不当に差別することになり許されない、と主張する。しかし、右労働協約は女性差別の結果が発生することを認識した上で締結されたものでないことは、前述のとおりであり、その趣旨が本件昇格差別の発生後において女子職員に昇格措置を取らないこととしたものでないことは明らかである。また、被告が基金労組を脱退した原告二名のみについて昇格措置を講じるとすれば、他の基金労組所属の女子職員に対し不当に差別することになるが、それは一部の職員に対してのみ昇格措置を講じるという新たな差別を行うからに過ぎず、被告の主張事実は、原告らについて本件昇格措置を講じることが許されない理由には到底なり得ない。
以上によれば、本件男女別の取扱いが公序に反しないという被告の主張は、理由がない。
(四) 被告は、原告らが本件昇格措置を要求することは、信義則に反すると主張するので、これにつき判断する。
まず、原告七名について、給料の号の調整を受けた上で、男女差を段階的に是正する基準を定立することを含む一・二五協定に異議なく同意したから、その格差を一挙になくすことを請求するのは信義則に反すると主張し、確かに右原告らは前記認定のとおり同意書を提出しているが、もともと右の協定の締結に当たっては、前述のとおり本件昇格差別の存在を前提としていたものではないから、右差別の存在が明らかになった時点でその是正を求めることに問題はなく、それが男女格差を一挙になくそうとするものであっても、信義に反するとはいえない。
次に、被告は、原告jは女子職員について本件昇格措置を取らないことを前提として、一二・二七確認に基づく給料の号の調整に異議を留めることなく同意したのであるから、基金労組を脱退したからといって右昇格措置を求めるのは、信義則違反であると主張する。前記認定事実によれば、被告の主張するとおり、原告jは男子職員について取られた本件昇格措置を女子職員には講じないことを前提とする一二・二七確認の内容に同意したものであるが、公序に反する行為である男女差別について、その是正を段階的かつ漸進的方法によることに同意したからといって、その後差別を一挙に是正するよう訴求することを許さないというような効力を認めるべきではなく、右同意の存在も信義則違反の根拠となるものではない。
被告はさらに、本件昇格措置当時存在した男女格差は、長年の実績が累績してできたもので、その是正も長期間を要するのは当然であったため、原告らはそれぞれその所属する労働組合を通じて選考抜き一律昇格の代替措置を被告に要求して、これを講じることとした協定の締結に同意したのに、今更選考抜き一律昇格を求めるのは信義に反する、と主張する。しかしながら、本件昇格措置が取られる以前に存在した男女格差が長年の実績の累積であるとしても、本件において問題とされている男女格差は、一・二五協定、二・二五確認及び三・一六確認によって行われた選考抜き一律昇格に基づいて、同一等級にいた男女が同一の要件を満たすにもかかわらず、一方のみが昇格することによって新たに生じた格差である。したがって、以前から存在した男女格差が勤務成績等に基づく正当なものであって、本件昇格措置が取られた男子職員のみが不当に差別されていた事実が認められるのであればともかく、そのような事実が立証されない以上、本件昇格措置により新たに生じた格差の是正が長年の格差を一挙に解消する結果をもたらすことになるとしても、その是正措置を求めることが信義則に反するというのは相当でない。もっとも、被告の主張するように、昇格は職務の変更を意味するから、本来は職務等級の定数に空きがないと措置できないものであるが、そもそも男子職員について実施された選考抜き一律昇格においても、前述のとおり昇格措置を講じる時点では定数を無視していたのであるから、女子職員についてのみ定数の空きを待って段階的に長期間をかけて昇格させる方策を取るしかないということはできない。そして、原告らが選考抜き一律昇格の代替措置を求め、これを講じることとした協定に同意したからといって、本来の是正を求める請求が妨げられるものでないことは、先に述べたとおりである。そうすると、被告の右主張も、信義則違反を構成するものではない。
右によれば、被告の信義則に反する旨の主張は、理由がない。
(五) 以上のとおりであるから、本件昇格措置に関する男女別の取扱いが違法ではない旨の主張は、いずれも失当であり、被告の不作為は不法行為に該当するといわなければならない。

5 次に、原告jの請求にかかる不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の主張について検討する。
原告らは、右主張が時機に後れているから、却下されるべきであると主張するが、本件訴訟の完結を遅延させるものとは認められないから、原告らの右主張は採用できない。
そこで、消滅時効の主張の当否につき判断するに、前述のとおり、二・二八確認においては、本件昇格措置により生じたものを含めて、男女格差の解消が継続交渉事項とされ、当時基金労組組合員であった原告jもこれに同意していたところ、昭和五四年一二月二七日の一二・二七確認に至るまで交渉の進展はなく、同確認によって初めてその交渉の結果が現れ、給料の号の調整等の措置が取られたものである。したがって、原告jとしては、本件昇格措置による女性差別の事実を認識したとしても、その是正を右継続交渉に委ねるのは自然な成行きであって、これによる是正に期待できなくなったときに損害回復のための権利行使が現実化すると考えるのが相当であり、その意味で同原告が損害の発生を認識したのは右一二・二七確認のときであると解すべきである。そして、原告jが訴えを提起したのは昭和五六年一二月二五日であることは記録上明らかであるから、消滅時効は成立しないことになる。そればかりでなく、前記判断のとおり、本件男女差別は昭和五三年三月一六日の三・一六確認によって完成されたものであるから、右確認の内容を知らなければ損害賠償請求権の消滅時効が進行しないところ、同原告は三・一六確認当時も基金労組組合員であり、右確認は被告と全基労との間の確認であることからすると、右確認締結後まもない期間内にその内容を把握したとも思われないし、原告jが訴えを提起した日から遡って三年以上前に右事実を知ったという的確な証拠も存在しない。したがって、被告の消滅時効の主張は理由がない。

6 そこで、原告らの損害について判断する。
(一) 差額賃金相当損害金
原告らの昭和五一年一〇月一日現在の勤続年数は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告らについて二・二八確認による選考抜き一律昇格の措置が適用されて昇格し、その後慣行どおりの定期昇格をした場合、原告らの昭和五三年一月一日からのあるべき等級・号及び賃金額が、別紙差額賃金計算表「是正さるべき賃金」欄中の「等級・号」欄及び「賃金月額」欄に記載のとおりとなること、ただし、原告d、同h、同jについては昭和五三年一月から六月までは別紙差額賃金計算表の二のとおりとなることを認めることができる。そして、原告らの昭和五三年一月一日からの現実の等級・号及び賃金額が、差額賃金計算表「現行賃金」欄中の「等級・号」欄及び「賃金月額」欄に記載のとおりであること、賃金及び期末手当の支払日が原告ら主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
そうすると、原告らは、被告の不法行為により、別紙差額賃金計算表「差額賃金計」欄記載のとおり(ただし、原告d、同h、同jについては同表の二により修正)の金額すなわち別紙認容額一覧表(一)「金額」欄記載の金額の差額賃金に相当する損害を被ったことになる(ただし、原告mの認容額一覧表(一)の昭和五三年一月分の金額は、損害額から請求控除額一万五八四〇円を差し引いた金額である。)。そして、原告a、同b、同c、同d、同e、同f、同g、同hについては、本件口頭弁論終結後においても、別紙差額賃金計算表の平成元年九月の「差額賃金月額」欄記載のとおりの金額すなわち別紙認容額一覧表(二)記載の金額の差額賃金に相当する損害が毎月発生することになる(この金額は原告らの定期昇給等により減少していくことが予測される。)。
なお、原告らは、一・二五協定において勤続二四年六月以上の者は昭和五三年一月一日付けで三等級に発令することとされた旨主張するが、右協定の内容は前述のとおりであり、原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、原告d、同h、同jの発令時期については、二・二八確認における要件を適用すべきである。
(二) 差額退職金相当損害金
原告j及び同iが、原告ら主張の日に退職したことは当事者間に争いがなく、右原告らに本件昇格が適用された場合の退職金が別紙認容額一覧表(三)「是正賃金による退職金」欄記載のとおりであり、現実に支給を受けた退職金が同表「支給退職金」欄記載のとおりであることは、弁論の全趣旨により認められる。したがって、右原告らは、被告の不法行為により、同表「退職金差額」欄記載のとおりの退職金に相当する損害を被ったことになる。
(三) 慰藉料
原告らは、女性であるがために選考抜き一律昇格措置を受けられなかったもので、これにより精神的苦痛を被ったことを推認することができる。そこで、慰籍料額につき検討するに、本件不法行為は、男子職員の一部に一回限り実施した本件昇格措置を原告らに対しては取っていないという不作為であること、本件昇格措置は、労働組合の要求に応じて組合間差別を是正する意図で行われたものであること、男女差の解消につき継続して交渉することとされ、それに同意した原告らもいたことなどの前記認定事実、その他諸般の事情を考慮すると、原告一人当たり一〇万円をもって相当とする。
(四) 弁護士費用
原告らが本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人弁護士に依頼し、その報酬を支払う旨約したことは、弁論の全趣旨により認められるところ、本件訴訟の内容、経過及び認容額その他諸般の事情を勘案すると、本件と相当因果関係のある損害として、各原告について別紙認容額一覧表(四)「弁護士費用」欄記載の各金額を認めるのが相当である。
7 以上のとおりであるから、原告の不法行為に基づく損害賠償請求は、6で判断した損害額の賠償を求める限度で理由があることになる。ただし、本件口頭弁論終結後の差額賃金相当額の損害については、将来における事情の変動により減少することが予測されることを勘案し、予め請求する必要があるのは本判決確定までと解するのが相当であり、そうすると、その後の損害の請求に係る訴えは訴訟要件を欠くことになる。
なお、原告らの金員請求については、他の根拠に基づく請求で右理由のある限度額を超えるものはない(債務不履行に基づく慰籍料及び弁護士費用は、仮に認められるとしても不法行為に基づく額を超えることはないし、将来の請求についても判断が異なることはない。)から、これ以上の判断を必要としない。

二 次に、原告らの昇格等の確認請求の当否について判断する。
1 原告らは、労働基準法四条、一三条を根拠に、男子職員に対する選考抜き一律昇格措置が女子職員である原告らにも講じられ、現実に昇格したことになるとして、昇格等の確認請求をする。しかしながら、当裁判所は、右規定を根拠とする確認請求は、次に述べるとおり理由がないものと考える。
被告における昇格とは、前記のとおり、職務の複雑、困難性及び責任の度合いに基づいて区分された職務の等級を下位から上位へ格上げすることであり、前掲乙第六号証によると、被告における職員の職務の等級の決定は、理事長が行うことになっている。したがって、被告の職員に対する昇格は、原則として職務と一体になった等級を被告の人事上の裁量によって変更するものであり、あくまで被告の裁量権の行使であるといわざるを得ない。もっとも、本件においては、前述のとおり職務と直接に結び付かないにもかかわらず等級の変更を認めているから、その意味では本件昇格は、例外的に単なる賃金の引上げという性格のものであるとみられそうでもある。しかし、本件昇格措置における五等級から四等級への昇格についてみると、前述のとおり昭和五三年一月一日に四等級に発令して同年四月一日までに班長とするというもので、職務と等級の分離は三か月程度の暫定的な措置に過ぎず、また、三等級への昇格については、前述のように係長発令まで調査員とすることにより、一応両者が結びついたものとしている。したがって、両者の関連性は、本件においてもなお失われていないということができる。本件昇格措置が右のような性格である以上、これを男子職員についてのみ講じたことが男女差別であっても、女子職員については被告の決定がなければ本件昇格措置が取られたことにならないのが原則であり、この決定がないにもかかわらず昇格したものと扱うには、明確な根拠が必要なはずである。
原告らは、その根拠として労働基準法四条、一三条を挙げるが、本件は昇格における男女差別であって、同法四条違反を構成する賃金差別とは別個の問題であるから、同条は根拠となり得ない。また、本件における差別は昇格措置を取らないという不作為をその内容とするから、同法に定める基準に達しない労働条件を無効とし、無効となった部分につき同法に定める基準による旨を規定している同法一三条の文言に照らすと、同条の適用があると解することには問題があるばかりでなく、仮に同条を適用することができ、その結果女子職員について本件昇格をさせないという労働条件が無効となると解したところで、無効となった部分を補充すべき基準を同法の中に見出すことはできない。原告らは、労働基準法三条及び四条の趣旨は性別による労働条件の差別も禁止しているのであるから、この趣旨が基準となって労働条件の空白をうめる効果が生じ、男子職員についての労働条件が女子職員にも適用されると説明するのかも知れないが、そのような法解釈には相当が無理があり、解釈の域を超えていると評さざるを得ない。さらに、男女雇用機会均等法も、昇格を含む昇進については均等な取扱いをするように努めなければならないとし、努力義務を定めるにとどまっている。
これらの点を考慮すると、被告の昇格決定がない以上、原告らの主張する根拠によっては、本件昇格措置により原告らも昇格したものと扱うことはできないというべきである。したがって、原告らの右主張は、理由がない。
2 原告らは、確認請求の根拠として、債務不履行も主張するが、仮に被告が使用者として労働契約に基づき原告ら労働者を平等に取り扱う義務を負うとしても、その債務の不履行により損害賠償請求権が発生することは格別、原告らが昇格したものと取り扱われるという効果を生じるいわれはない。したがって、債務不履行を根拠とする確認請求も、理由がない。
三 以上によれば、原告らの本件請求は、差額賃金相当損害金、差額退職金相当損害金、慰籍料及び弁護士費用の請求については、一で判断した限度で理由があり、差額賃金相当損害金及び差額退職金相当損害金に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の請求も理由があるが、昇格等の確認請求は理由がない。また、将来の差額賃金相当損害金の請求のうち本判決の確定後のものに係る訴えは、訴訟要件を欠いている。
よって、原告らの請求を右理由のある限度で認容し、訴訟要件を欠く部分に係る訴えを却下し、その余は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行とその免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
民事第19部
(裁判官 相良朋紀 裁判官 酒井正史 裁判官 阿部正幸)

3.均等法制定とその後の改正
(1)均等法の制定
(2)1997年改正・2006年改正

・格差の放置
+判例(東京地判H14.2.20)野村証券男女差別事件

++解説
《解  説》
一 Xら一三名は、昭和三二年から昭和四〇年にかけて大手証券会社(旧Y)に入社した高卒女性社員である(中途採用を含む。うち二名は弁論終結時に既に退職)が、同社が賃金、昇格において違法な男女差別をしているとして、同社を相手に、①総合職掌「指導職一級」の職位にあるものとして取り扱われる労働契約上の地位にあることの確認、②入社後一三年次に課長代理に昇格した総合職掌として退職慰労金規程及び退職年金規程の適用を受ける労働契約上の地位にあることの確認、③同期同学歴入社男性従業員との差額賃金及び差額退職一時金(ないし同額の損害賠償金)、慰謝料、弁護士費用(総額約六億七〇〇〇万円)、④退職した者について、退職年金額が同期同学歴入社男性従業員と同一であることの確認、を求めた。本訴係属中、Yは、吸収分割により旧Yの営業を承継し、本件訴訟を引き受けたため、旧Yは脱退した(以下、旧Y、Yを併せて「会社」という。)。
なお、会社は、原告らの入社当時、職位は男性社員にのみ適用し、女性社員については、待遇扱いとしていたが、昭和六一年にコース別人事制度を導入し、基幹的業務を行う社員を「総合職」と、定型的・補助的業務を行う社員を「一般職」と位置づけ、男性社員は総合職に女性社員は一般職に属するものとし、昭和六二年には一般職から総合職への転換を可能とする職種転換制度を導入した。その後平成六年には、それまでの総合職を「総合職掌」と、「一般職」を「一般職掌」と変更し、総合職掌を、会社の基幹的業務に従事する者で一種外務員資格を有し転勤がある者とし、一般職掌を、補助的・定型的業務に従事する者で原則として転居を伴う異動はない者とした。
この間、昭和六〇年に「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女性労働者の福祉の増進に関する法律」(以下「旧均等法」という。)が制定されたが、同法では、募集、採用、配置、昇進等雇用における男女差別の規制は事業主の努力義務とされている。その後平成九年六月に「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」(以下「均等法」という。)が成立したが(平成一一年四月一日から施行)、同法は、「事業主は、労働者の配置、昇進及び教育訓練については、労働者が女性であることを理由として、男性と差別的取扱いをしてはならない。」(六条)などとし、差別禁止を法的義務とした。
二(一) Xらの主張の要旨は、以下のとおりである。
会社においては、高卒入社の男性社員は、入社後一三年次に課長代理に自動的に昇格しているが、女性社員はこれから排除されており、この昇格格差が賃金格差に影響している。Xらは、同期同学歴の男性社員と同一の労働条件で会社に雇用されたにもかかわらず、このような格差が生じているのは男女差別であり、憲法一四条、労働基準法三条、四条、均等法六条、民法九〇条に違反する。
Xらが同期同学歴の男性社員と同様入社後一三年次に課長代理に昇格していれば、Xは総合職掌「指導職一級」(従前の課長代理に相当する。)であり、会社の退職金規程及び退職年金規程上もそのように扱われるべきであり、退職した者の年金額も同期同学歴の男性社員と同額であるから、それぞれその地位又は額の確認を求める。また、Xらは、同期同学歴の男性社員との差額賃金、差額退職金又はこれと同額の損害賠償請求権を有するし、さらに慰謝料、弁護士費用の請求権も有する。
(二) これに対し、会社は、Xらは給付訴訟を提起することにより紛争の抜本的解決を図ることができるから確認の訴えについては確認の利益がないし、Xらを定型的・補助的業務に従事する事務職として採用したもので、基幹的業務に従事する者として採用した者と異なる処遇をするのは当然であり、男女差別はないなどと主張した。

三 本判決は、以下のとおり判断して、Xらの慰謝料請求、弁護士費用請求を一部認容した(均等法施行前に退職した者の請求は棄却)。
(一) 確認請求について
Xらの総合職掌「指導職一級」の地位にあることの確認請求は、その地位が賃金等の基本たる法律関係であるから、その地位についての危険・不安定を除去するために確認を求めることができ、確認の利益がある。しかし、課長代理に昇格した総合職掌として会社の退職慰労金及び退職年金規程の適用を受ける地位にあることの確認請求は、その地位は退職した時点のものであるところ、Xらは現在会社に在職しているから、その地位は現存する法律関係とはいえず、確認の利益がないし、退職したXらがする退職年金額の確認請求も、給付訴訟が提起できるし、年金額それ自体は数額の問題であり基本たる権利又は法律関係とはいえないから、確認の利益がない

(二) 男女差別について
(1) 会社においては、高卒男性社員は、入社後一三年次にその大半が課長代理に昇格しているのに対し、高卒女性社員はそのように昇格していないから、男女間に格差がある。
(2) 会社の行う証券業務は多種多様であり、これを基幹的業務と定型的・補助的業務とに明確かつ截然と区別することは困難で、その差異は、処理の困難度の高いものから低いものまで様々あるという相対的なものである。
会社は、高卒社員につき、男女の性の違いを前提に男女をコース別に採用し、そのコースに従い男性社員については主に処理の困難度の高い業務に従事させ、勤務地も限定しないものとして処遇し、女性社員については、主に処理の困難度の低い業務に従事させ、勤務地を限定するとしたもので、この男女コース別の処遇に伴い、昇格、賃金について格差が生じたものである。
(3) このような男女のコース別の採用、処遇は、性による差別を禁止した憲法一四条の趣旨に反するが、憲法一四条は、民法九〇条のような私的自治に対する一般的制限規定の適用を介して間接的に適用があるにとどまるから、その差別が民法九〇条の公序に反するかどうかを検討すべきである。
社員の募集、採用に関する条件は労基法三条の定める労働条件ではなく、労基法四条は性による賃金の差別を禁止しているにとどまるから、男女のコース別の採用、処遇による賃金の違いによる賃金の格差がこれらに直接違反するとはいえない
Xらが入社した当時は、旧均等法のような規定もなく、企業に採用の自由があること、女性について全国的な異動を行うことは考え難かったことなどからすれば、会社の男女のコース別の採用、処遇が不合理とはいえない
会社の昭和六一年度の人事制度、平成六年の人事制度は、男女のコース別の処遇を維持するためのものであり、これにより男女のコース別処遇が改められたとはいえない。
(4) 会社は、平成九年に均等法が制定され、平成一一年四月一日から施行されているのであるから、この時点以降も男女のコース別の処遇を位置することは、配置における差別を禁止した均等法六条に違反するとともに民法九〇条の公序に反する
職種転換制度は、一般職ないし一般職掌から総合職ないし総合職掌への転換のみを認めるもので互換性がないこと、上司の推薦と試験への合格を必要とすることからして、女性に特別の条件を課すもので、同制度により配置における男女の差別を正当化することはできない
(5) Xらの総合職掌「指導職一級」の職位にあるものとして取り扱われる労働契約上の地位確認請求は、高卒入社後一三年次で課長代理に昇格させるとの昇格基準が労働契約の内容となっていたとはいえないし、会社にそのような義務があるともいえず、また,社員の昇格についての会社の総合裁量的判断は尊重されるべきであること等からして、労基法一三条に基づく昇格請求権があるともいえないから,理由がない。
(6) Xらの差額賃金等の請求権は均等法が施行された平成一一年四月一日以降のものが問題となるが、労基法四条から差額賃金等請求権が直接発生するとはいえないし、Xら入社当時の男女のコース別の採用、処遇が公序に反するといえないこと等からすれば労基法一三条に基づく差額賃金等請求権があるともいえない
(7) 会社は、均等法施行以後も男女のコース別の処遇を維持していたから、過失があり、Xらの被った損害を賠償する義務があるが、それまでの違法とはいえない男女のコース別の処遇により男性社員と女性社員では知識、経験を異にしているから、男性社員と女性社員との賃金等の格差がそのままXらの損害であるとはいえず、その具体的な損害額を確定するのは困難であり、慰謝料の算定に当たって考慮する
Xらの慰謝料としては、会社のした男女差別の態様、期間、男性社員との賃金等の格差の額、Xらの有する外務員資格の種別等を考慮すると、一人当たり四九〇万円から三五〇万円が相当であり、弁護士費用はその一割が相当である(認容額の合計は約五六〇〇万円)。
なお、均等法施行前に退職した者は、差額賃金等請求権も損害賠償請求権もない。

四 コース別雇用管理を行っている企業は少なくないが、実態は男女別の雇用管理となっているのではないかとの指摘もあり(菅野「雇用機会均等法の一年」ジュリ八八一号四四頁)、厚生労働省は、コース別雇用管理についての留意事項を発表している(村木「コース等で区分した雇用管理についての留意事項及び改正均等法の運用状況」経営法曹研究会報三三号二三頁)。
男女のコース別雇用管理について、東京地判昭61・12・4本誌六二五号一一三頁(日本鉄鋼連盟事件。評釈として、松田・ジュリ八八一号五四頁、坂本・判評三四〇号五五頁等)は、これを違法とはいえないとしたが、当時は旧均等法の時代であり、同判決は,旧均等法では配置等についての男女均等取扱いは事業主の努力義務にとどめられていたことを考慮したものであった。
本判決は、これを一歩進め、男女平等取扱いが事業主の法的義務とされた均等法下では、男女のコース別管理を維持することは均等法六条に違反し、公序に反するとしたものであり、企業のコース別雇用管理の在り方に一石を投じたものといえよう。
なお、女子社員が違法な男女差別があるとしてその是正等を求めた大阪地判平12・7・31本誌一〇八〇号一二六頁(住友電気工業事件。同判決への意見書として、西谷・労旬一五〇九号五九頁、山田・同号六八頁がある。)は、男女のコース雇用管理について、高卒男子は将来の幹部候補要員とする趣旨で全社採用を、高卒女子は定型的補助的業務に従事させることを予定して事業所採用をしたケースについて、原告らが採用された昭和四〇年代ころの社会意識や女子の勤務年数等からして女子をこのように位置づけたことが公序に反するとはいえず、その後の是正義務があるともいえないとして棄却している。
男女差別に関する裁判例は多数に上るが、これらについては、前掲大阪地判本誌一〇八〇号一二六頁のコメントを参照されたい。本件は、双方から控訴された由であり、上級審の判断を注目したい。

+判例(東京高判H20.1.31)兼松男女差別事件

++解説
《解  説》
1 本件は,被控訴人に対し,控訴人らが,①控訴人らと同期の一般職の男性社員との間に賃金格差があるのは,違法な男女差別によるものである,②被控訴人は,平成元年8月から定年を57歳から60歳に延長するのと併せて55歳に達した事務職を専任職に転換させその賃金を引き下げたが,これは違法な年齢及び男女差別である(対象者はX1),③被控訴人は,平成9年4月から55歳に達した社員の調整給及び付加給を引き下げたが,これは違法な年齢及び男女差別である(対象者は控訴人X2ないしX4),と主張して,(1)一般職の男性社員に適用されている一般職標準本俸表の適用を受ける地位にあることの確認(その後退職したX1,X6は取り下げた。),(2)ア 控訴人らと同年齢の一般職の標準本俸(月例賃金,一時金)及び退職金と控訴人らが現に受領した本俸(月例賃金,一時金)との差額及び退職金との差額の支払(本俸の差額請求者は控訴人ら全員。退職金の差額請求者は,X1,X6),イ 定年延長に伴う55歳からの月例賃金引き下げについて引き下げ前との差額の支払(請求者はX1),ウ 55歳からの調整給及び付加給引き下げについて,引き下げ前との差額の支払(請求者はX2ないしX4),(3)慰謝料及び弁護士費用の支払(請求者は控訴人ら全員),(4)付帯請求として遅延損害金の支払をそれぞれ求めた事案である(差額分は賃金又は不法行為〔民法709条〕もしくは債務不履行〔民法415条〕に基づく賃金相当額の損害賠償金として請求)。
原審(東京地判平15.11.5労判867号19頁)は,控訴人らの請求をいずれも棄却した。そこで,控訴人らはこれを不服として控訴した。
当審において,X2,X3はいずれも定年退職を迎えたため,上記の請求を取り下げ,上記(2)アのうち退職金の差額請求を追加し,更に,X1,X6を除く4名の控訴人らは,平成15年8月から平成19年2月までの本俸(月例賃金及び一時金)の差額の請求(ただし,X2は,退職した平成15年9月までの請求)を拡張し,X2ないしX4は,55歳からの調整給及び付加給引き下げについて引き下げ前との差額の請求を拡張した。

2 本判決は,前記の請求についての訴えの確認の利益について,被控訴人が,平成9年4月から新人事制度を導入し,職掌を再編するとともに各職掌ごとに職務等級を設定したから,「被控訴人の給与規定に基づく一般職標準本俸表」は現在既に存在せず,既に存在しない地位について雇用関係上の地位にあることの確認を求める訴えは,確認の利益を欠くもので,不適法であるとして,原判決中,この訴えについて本案判断をして請求を棄却した部分を取り消し,この請求に関する訴えを却下した。
次に,(2)アの請求については,男女差別の有無及び違法性について,概略次のとおり判断した。
勤続期間が近似すると推認される同年齢の男女の社員間,あるいは,職務内容や困難度に同質性があり,一方の職務を他方が引き継ぐことが相互に繰り返し行われる男女の社員間において賃金について相当な格差がある場合には,その格差が生じたことについて合理的な理由が認められない限り,性の違いによって生じたものと推認することができると解される本件において,事務職社員と一般職社員との間に賃金に相当の格差があり,事務職の女性は定年まで勤務しても,育成途中にあると見られる27歳の一般職の賃金に達することはない。控訴人らが損害賠償を請求する期間の始期とする平成4年4月1日の時点において,入社以来34年11月勤続していたX1(55歳),27年勤続していたX3(45歳),26年勤続していたX4(44歳)の関係では,同控訴人らの職務内容に照らし,同人らと職務内容や困難度を截然と区別できないという意味で同質性があると推認される当時の一般1級中の若年者である30歳程度の男性の一般職との間にすら賃金についての相当な格差があったことに合理的な理由が認められず,性の違いによって生じたものと推認され,X5の関係では,同人が勤続15年を経た平成7年4月1日の時点において,同様であったと認められる。
男女の差によって賃金を差別するこのような状態を形成,維持した被控訴人の措置は,労働基準法4条,不法行為の違法性の基準とすべき雇用関係についての私法秩序に反する違法な行為であり,被控訴人の措置は,違法な行為と評価することができ,その後違法行為が継続しているというべきである。
上記の期間の一般職の給与体系及び事務職の給与体系は,職掌別人事制度導入前の男女のコース別のA体系(男性)及びB体系(女性)が基本的に維持されたものであり,相当な賃金格差は,A体系,B体系の賃金格差をそのまま引き継いだものであるところ,一部成約業務を担当していた長期勤続の女性社員や履行業務であっても経験を積んで専門知識や一定程度の交渉力,語学力により重要な仕事を行っている女性社員については,旧一般1級の男子社員と同じ職務,同等の困難度の職務を行うことがあったものと推認され,上記4名もその中に含まれていたものである。そうすると,女性社員の勤続年数が一般的に極端に短く,処理の困難度の低い定型的,補助的な業務を中心として担当しており,男性社員の職務と截然とした差異があったことに対応するA体系とB体系をそのまま引き継いだ一般職の給与体系と事務職の給与体系の間の格差の合理性を基礎付ける事実は平成4年4月1日の時点で上記年齢の旧一般1級との関係では既に失われていたものである。
X2については,平成4年4月1日以降,専門性が必要な職務を担当していないことなどから,前記のような給与の格差を違法ということはできない。X6は,平成4年4月1日の時点において10年勤続(30歳)で,退職した平成8年7月10日の時点において約14年3月勤続(34歳)であり,同人の上記勤続年数,この間の同人の担当職務の内容に照らし,給与の格差を違法ということはできない。
次に,新人事制度が導入された平成9年4月1日の時点において,入社以来32年勤続のX3(50歳),31年勤続のX4(49歳),17年勤続の控訴人X5(39歳)の関係では,同控訴人らの職務内容に照らし,同人らの賃金と同年齢の男性新一般1級の賃金との間にすら大きな格差があったことに合理的な理由は認められず,性の違いによって生じたものと推認され,上記3名の控訴人らについて男女の性の違いによって賃金を差別するこのような状態を形成,維持した被控訴人の措置は,労働基準法4条,不法行為の違法性判断の基準とすべき雇用関係についての私法秩序に反する違法な行為であり,被控訴人には少なくとも過失があるものというべきであり,その後違法行為が継続しているというべきである。
なお,職掌別人事制度の導入と併せて旧転換制度が設けられたが,その運用の実情は転換の要件が厳しく,転換後の格付けも低いもので,給与の格差を実質的に是正するものとは認められず,また,新人事制度に,新転換制度が伴っていること,特に事務職掌から一般職掌への転換制度があることも,同様であり,違法性の判断に影響を与えるものではない
次に,専任職賃金カット(被控訴人の従業員の定年は57歳であったが,60歳定年制を定める「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」が平成元年10月1日施行されることとなり,60歳定年制の導入を行う必要が生じたことなどから,被控訴人は,同年7月11日,組合との間で「定年延長並びに人事制度に関する覚書」を締結し,定年延長並びに人事制度の改定について合意し,就業規則等を改定して,これを同年8月1日から実施した。その内容の1つとして,一般職・管理職・事務職・特務職の社員で満55歳の誕生日を迎えた者は翌月より専任職に転換する。専任職の給与〔月俸〕は,専任職に転換する直前の〔本俸+調整手当+資格手当〕の額の80パーセントとした。この給与減額措置を専任職賃金カットという。)の違法性,付加給・調整給カット(新人事制度の一環として,新人事制度での当該社員の基本給が従前の制度で決定された月例給〔本俸,調整手当,資格手当,住宅手当,家族手当の合計額〕よりも下回る場合,その差額を付加給,調整給として支給するが,調整給の支給対象者は,55歳未満の社員とされたことから,55歳に達すると,付加給,調整給が支給されなくなった。これを,付加給・調整給カットという。)の違法性についての判断は,原判決のとおりであり,控訴人らの主張は採用できない。

3 その上で,上記(2)アの請求にかかる差額賃金相当の損害(退職金の差額相当分以外)については,控訴人X1,X3,X4との関係では平成4年4月1日以降,X5との関係では平成7年4月1日以降,民事訴訟法248条の精神に鑑み,各控訴人につき,月例賃金及び夏冬の一時金を併せて1か月10万円(年額120万円)の限度の損害額を認定するのが相当であると判断し,更に,X1,X3について,退職金減少分の損害(32万7000円と85万0200円)を肯定し,更に上記5名について,慰謝料(120万円から180万円),弁護士費用の損害を肯定した。

4 本件はいわゆるコース別人事制度の違法性が争われた事案である。被控訴人において,昭和60年1月までは,男女で賃金体系(A体系とB体系)を異にしていた。昭和60年1月,社員を職掌により一般職と事務職に区分する職掌別人事制度という新人事制度を導入した。一般職には一部女性も採用されたが,事務職は全員が女性であり,職掌転換制度(旧転換制度)を導入したものの,一般職の給与体系はそれまでのA体系で,事務職の給与体系はそれまでのB体系が引き継がれたものであった。更に,平成9年4月新人事制度を導入し,職掌を再編成し,転換制度を改定した(新転換制度)が,29歳ころまでは昇給率に男女で格段の差があった男女のコース別のA体系とB体系を,職掌別人事制度における一般職の給与体系と事務職の給与体系を介して,概ね引き継いだものであった。
本判決は,被控訴人において,控訴人ら女性事務職が現に担当していた仕事の内容を個別的に認定し,男性一般職の職務との比較,男女間の給与格差の程度,転換制度の内容及び実情,法律の改正状況等を考慮した上,平成4年4月1日以降,相当な格差があったことに合理的な理由が認められず,性の違いによって生じたものと推認され,男女の差によって賃金を差別するこのような状態を形成,維持した被控訴人の措置は,労働基準法4条,不法行為の違法性の基準とすべき雇用関係についての私法秩序に反する違法な行為であり,少なくとも過失が認められると判断した。
コース別人事制度に関する主な裁判例としては,東京地判昭61.12.4判タ625号113頁,判時1215号3頁〔日本鉄鉱連盟事件〕,大阪地判平12.11.20判タ1069号109頁,労判797号15頁〔商工組合中央金庫事件〕,大阪地判平12.7.31判タ1080号126頁,労判792号48頁〔住友電気工業事件〕,大阪地判平13.3.28判タ1101号121頁,労判807号10頁〔住友化学工業事件〕,東京地判平14.2.20判タ1089号78頁,判時1781号34頁〔野村証券事件〕,大阪地判平17.3.28判タ1189号98頁,労判898号40頁〔住友金属工業事件〕などがある。
このうち,日本鉄鉱連盟事件に関する上記判決は,もっとも早い時期になされた裁判例であるが,男女別コース制が憲法14条の趣旨には合致しないこと,昭和44年ないしは49年当時においては民法90条に反しているとまでは言えないこと,基本給の引き上げ及び一時金の支給係数について男女に差を設けた協定が民法90条に違反して無効であることなどを判示した。野村証券事件に関する上記判決は,男女別コース制の違法性を肯定した上,差額賃金請求権の請求は否定し,慰謝料の額の算定にあたってそれを考慮した。
参考文献としては,家田愛子・法時77巻6号127頁(本件の第1審判決の評釈),菅野和夫『労働法〔第7版補正版〕』146頁,渡辺昭=小野寺規夫編『裁判実務大系(5)労働訴訟法』43頁〔原啓一郎〕,宗宮英俊=萩尾保繁編『現代裁判法大系(21)労働基準・労働災害』14頁〔飯塚宏〕,西谷敏・季労193号103頁,片岡昇先生還暦記念『労働法学の理論と課題』382頁〔浜田冨士郎〕,石田眞・判時1797号210頁,中窪裕也・ジュリ1258号195頁,山田省三・ジュリ1246号202頁,川田知子・労判827号15頁,伊藤由紀子・判タ1136号49頁,中島通子・ジュリ1237号89頁,井上幸夫・季労204号115頁などがある。
本判決は,実務上参考となる裁判例と考えられるので,紹介する。

第2節 均等待遇の原則

1.労働条件

+(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

労働条件とは雇入れ後における労働条件のことである!!!!

2.差別の理由

・理由の競合の場合
+判例(千葉地判H6.5.23)東京電力千葉事件

++解説
《解  説》
一 Xら一三名は、いずれもY(東京電力株式会社)の従業員である(但し、一名は訴訟中に死亡したため、相続人が承継した。)。本件は、Xらが、日本共産党員または同党支持者であることを理由に、Yから、仕事上及び私生活上の種々の差別ないし人権侵害を受けてきたと主張して、Yに対し、主として不法行為に基づいて、昭和四八年一〇月分から平成五年三月分までの財産的損害(同期入社同学歴従業員の平均的賃金との差額相当額と主張している金額)の賠償並びに精神的苦痛に対する慰謝料の支払い、名誉の回復処分及び弁護士費用の支払い等を請求した事案である。
二 Xらの主張の要旨は次のとおりである。
①Xらは、遅くとも昭和四四年以前から、Yにより、職級、職位、資格の点で著しく低位に置かれ、また定期昇給額及び賞与の補正における査定で低位に査定され、その結果著しく低額の賃金を支給されている。②Yは、反共労務政策を有し、共産党またはその支持者を嫌悪しているが、右の賃金関係処遇格差は、右反共労務政策の一環として、Xらが共産党員または同党支持者であることを唯一の理由として他の従業員と差別している結果である。③このような理由による差別は、Xらの能力及び実績に応じて公平に処遇され差別的取扱いを受けないことを期待する法的利益を侵害する行為であり、憲法一四条、一九条、二一条、労働基準法三条、民法九〇条に違反し、不法行為であるとともに、雇用契約上の債務不履行でもある。④その結果、Xらは、差別がなければ受け得べきであった賃金と現実の賃金額との差額相当の損害を被ったが、同期同学歴入社者中の中位者が受けている賃金額が本来受け得べきであった賃金額に該当する。⑤仮に右の差額の一部はYの正当な裁量により生じたものとすれば、中位者との差額を基準として、Yの違法な差別意思と正当な裁量の寄与割合に応じて損害額が定められるべきである。⑥Yは、①の差別のほか、Xらに対し、転向強要、社宅入居差別、研修からの排除、仕事の取上げ、職場八分、私生活への干渉等の人権侵害行為をしているが、これも②の理由による違法な差別である。⑦よって、Xらは、財産的損害である昭和四八年一〇月支給分以降の前記中位者との賃金額の差額の支払い並びに慰謝料の支払い、名誉回復のための謝罪広告、弁護士費用の支払い等を請求する。

三 Yの主張の要旨は、次のとおりである。
①Yの賃金体系は年功序列給ではなく職務給制度であるから、同期入社者間でも賃金額に格差が生ずるのは当然であり、中位者との比較をして格差の実情を見ることには意味がない。②そして、Yには反共労務政策といわれるものはなく、Xらに対する処遇は、Xらの資質業績が著しく劣悪であったことを正当に考課査定した結果であり、違法な点はない。③仮に、差別意思がありこれがXらの処遇に影響を及ぼしたとしても、統計上の中位者との格差のすべてが差別意思に基づくものであることにはならないのであり、格差のうちどの部分が差別による格差であるかは確定できないのであるから、財産的損害は立証されていないというべきである。④Xらの主張するそのほかの各種人権侵害行為については、そのような事実はない。⑤不法行為に基づく損害賠償等の請求中、本件訴え提起の日(昭和五一年一〇月一三日)より三年以上前の被告の行為を原因とする請求権については、民法七二四条の短期消滅時効が完成している。なお、⑥訴えの変更に異議があり、また、Xらの請求原因は特定されていない。

四 本判決は、大要、以下のように認定判示して、Xらの財産的損害及び慰謝料の各請求を一部認容し、弁護士費用の請求を全額認容し、謝罪広告請求は棄却した。
1 賃金格差の存在について
Xらの賃金額と同期同学歴のYの従業員の平均的賃金の間には著しい格差が存在し、Xらは職級、資格及び職位においても本件の係争期間中それぞれの同期同学歴従業員のうちで最低というべき処遇を受けている。
2 反共労務政策について
Yは、公益的事業で基幹電力事業を担うYの企業防衛の見地から、共産党員または同党支持者であると認定した従業員に対しては、職級、資格、役職位及び定期昇給、賞与における査定をことさら低位に置くこと等の差別的取扱いをして、一方ではこのような不利益を免れるための転向を促すとともに、他方で他の従業員が共産党員または同党支持者になることを抑制することを労務政策の一つとして来た
3 Xらが反共労務政策の対象であることについて
Yは、早くからXらを共産党員または同党支持者と認定していた。
4 反共労務政策と賃金関係処遇格差の因果関係について
右の1ないし3と、Xらがそろって最低というべき処遇を受けているという事態は通常の考課査定の結果としての処遇格差とは到底考えにくいものであること等に照すと、Yは、Xらに対し、Xらが共産党員または同党支持者であることを理由の一つとして、他の従業員よりも賃金関係の処遇面で低い処遇を行ってきたものと推認するのが相当である。
5 Yの②の主張について
Xらには、それぞれある程度消極的評価の理由となり得る出来事があったことを認めることができ、また、上司から見て強調性、柔軟性、融和性等の点で水準に至らないと評価されていた面があり、これらが考課査定上の消極的要素となっていたものとうかがわれる。しかし、前者はいずれも特段重大視するほどのものとはいえないし、後者も、その程度が著しいほどのものであったとは到底認められないから、Xらの勤務ぶりに関するYの立証によっても、右4のように推認することを覆すことはできない。
6 賃金関係処遇差別の違法性等について
労働基準法三条及びYと東電労組との間の労働協約六条により、Xらは、政治的思想だけによっては職級、職位、資格及び査定の面でほかの従業員と差別的処遇を受けることがないという期待的利益を有するのであり、右期待的利益は法律上の保護に値する利益であるということができる。ところが、Yは、Xら主張の期間、継続的に、Xらに対し、右法律及び労働協約の各規定に違反し、Xらの右期待的利益を侵害する行為をしたといわざるを得ないから、右行為は違法であり、これによりXらが被った損害がある場合には、これを賠償する義務がある。
7 消滅時効の抗弁について
消滅時効の抗弁は、右6の損害のうち財産上の損害の賠償請求権については、採用することができない。なぜなら、賃金差別による財産上の損害は、差別行為があった時に将来分まで確定的な逸失利益として一時に発生するのではなく、毎回の賃金支払期に具体的、確定的に発生すると解するべきであるからである。もっとも、そのほかの各種人権侵害行為を請求原因とする慰謝料等の請求等については、本件訴え提起の日から三年前である昭和四八年一〇月一三日より前になされたという人権侵害行為による慰謝料請求権等は、仮にそのような人権侵害があったとしても、本件訴え提起の時までに消滅時効が完成しているというべきである。
8 そのほかの各種人権侵害行為による慰謝料請求等について
前記7の消滅時効との関係で、昭和四八年一〇月一三日以降の出来事について見ると、Xらの主張は、いずれも独立の不法行為を構成する事実があったとまで立証されていないが、前記6の賃金関係の違法な処遇による慰謝料の請求につきその額を定めるについて斟酌すべき出来事があったことは認めることができる。
9 財産的損害について
①Yの従業員に対する職級、資格及び役職位の各任用並びに査定の関係の処遇は、Yの賃金体系によれば、Xらに支給される賃金額に直接消極的に反映するのであるから、その結果、Xらは、右差別的処遇がなかったと仮定した場合に支給されたであろう想定的賃金の額より低額の賃金を支給され続けてきたということができる。従って、Xらは、これにより、右想定的賃金と実際に支払われた賃金との差額に相当する財産上の損害を被ったことが明らかである。②この財産的損害は、右の想定的賃金に条件付けられるものであるから、その数額を高度の確実性のある程度に認定することは必ずしも容易ではないが、本件では、①のように財産的損害が発生していること自体は明らかであるから、本件の証拠上認められる諸般の実情を基礎として、社会通念及び経験則に基づき可能な限り合理性のある損害額を認定して損害の公平な分担を図ることが要請される事案であり、この場合、相当程度確実性のあるものとして損害額を認定するためには、この点について立証責任を負担するXらにとって相当控え目な認定をせざるを得ない場合もある。③この場合、統計上認められる平均的賃金は、損害額を認定するための基礎として採用に値するものというべきである。④ところで、本件においては、Yは従業員の賃金関係処遇資料を開示していないから、前記のような平均的処遇を受けている具体的な従業員は事実上特定不可能であり、従って、Xらが右平均的処遇を受けている特定の従業員と具体的に同等の能力を有し、業績を挙げてきたことあるいは挙げ得たことは立証されていない。次に、Xらの能力及び業績は、Y主張のように劣悪であったとまでは到底認めることができないが、Xらが統計上の平均的処遇を受ける蓋然性のある程度の能力業績の状況にあったことについては、立証が足りない。⑤結局、Xらについてはいずれも平均的賃金の支払いを受ける蓋然性があったことまでを認定することはできないのであり、右平均的賃金と比較した場合のXらに対する係争期間における賃金関係の低い処遇は、その全部が違法な差別による結果生じたものではなく、Xらの能力、業績、資質に対する正当な考課査定の結果として生じた部分を含みその両者が混在した結果であると考えられる。⑥そして、双方の影響割合を確実に認定するに足りる証拠はなく、どちらの影響が優越しているともいうことはできないが、証拠に照して検討すると、前記のように平均的賃金を基準とし、他方でXらに対する処遇が現実には同期同学歴従業員中最低というべきものに該当することに鑑みると、違法差別により生じた部分は、相当控え目に見ても、係争期間を通じて、右平均的賃金とXらの実際賃金(すなわち最低というべき賃金)の間の格差の少なくとも三割程度は存在すると認めるのが相当である。
10 精神的損害について
慰謝料の請求は、いずれも一五〇万円(但し、死亡者一名は一〇〇万円)の程度で理由がある。
11 謝罪広告等について
本件の場合、謝罪広告等を命ずる必要性はないものと認めることができる。
12 弁護士費用について
Xらの請求する弁護士費用は、本件の不法行為と相当因果関係のある損害に当たると認めることができる。

五 本判決は、東京電力訴訟といわれる訴訟のうち、前橋地裁判決(平5・8・24本誌八二九号六八頁)、甲府地裁判決(平5・12・22本誌八四九号八七頁)及び長野地裁判決(平6・3・31本誌八六三号七九頁)に次ぐ四件目の判決であり、このほかに東京地裁、横浜地裁に同種事件が係属中であり、いわゆる二次訴訟も係属している。これらの事件では、Xら主張のような反共労務政策の有無及びこれが各事件の原告らに対するマイナスの処遇に反映しているかどうかが前提の争点とされ、更にこれが肯定される場合の財産上の損害(逸失利益)の有無数額が主要な争点を構成しているが、前記の三件の判決では、右の前提は積極に認定されており、この点では本判決も同様の結論に到達している。そして、後者の争点については、各事件の原告らはいずれも同期同学歴従業員の平均的賃金と各原告の実際の賃金額との差額が逸失利益に該当すると主張しているが、前橋地裁判決及び長野地裁判決では、原告らの賃金額と平均的賃金額との差額には違法な差別により生じた部分と正当な査定により生じた部分が含まれているところその割合を特定区別することができないから、結局損害額の立証が足りず、逸失利益の請求は認められないとされたのに対して、甲府地裁判決では、被告において各原告の業務実績または職務遂行能力が標準者に対する処遇の年功序列的運用からはずれる程度に劣悪であることを立証しない限り平均的賃金との差額そのものを逸失利益として認めることができるとされ、実際に大部分の原告らに対し平均的賃金額との差額そのものが逸失利益の損害として認容された。本判決は、前記のように判示して、右の平均的賃金額との差額のうち控え目に見ても三割は違法差別により生じたものであると認定し、この限度で逸失利益の請求を認容したものであるが、この点が本判決の主要な特徴である。オールオアナッシングというのでなく、このような手法による解決の可能性は、別の事件に関する本誌の解説中でも言及されていたところであり(本誌八〇〇号一一四頁)、理論的には種々の観点から説明され得るところであろうが(小倉顕・最判解説昭和六三年度一七五頁及びそこに引用されている文献参照。比較的最近のものとしては、最判平4・6・25民集四六巻四号四〇〇頁に関する本井巽・私法判例リマークス一九九三〈下〉五六頁に簡潔に要約されている。)、実際には交通事故等の損害賠償請求訴訟においてしばしば問題とされている方法である。本判決は、本件のようなやや特殊な損害賠償請求訴訟にこれを応用し、損害の上限と下限を押さえた上、その範囲内の一部を認容した事例として注目されるところであるが、その判示に照らすと、前橋地裁判決及び長野地裁判決で立証が足りないとされた差別意思により生じた低賃金部分の特定区別について、事実的因果関係認定の問題として、控え目に見れば少なくとも三割の限度でこれを特定区別することができると認定されたものと理解することができるであろう(本判決によれば、違法な差別と正当な考課査定の影響がどちらが優越しているともいえないとされているから、五割という線も思い浮かぶように思われるが、控え目にという要請のほかに、本判決の指摘する統計上の問題点(平均的処遇への集中傾向は極めて顕著であるとまではいえない)及び原告らに対する考課査定事項上の留意点(一般管理職の下位から上位に任用され得る時期であるため一般的職務遂行能力以外の適性が斟酌される時期である)等が右割合の認定に際して考慮されたものであろう。)。なお、「民事訴訟手続に関する改正要綱試案」では、「損害の生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、すべての事情を評価して、相当と認める損害額を定めることができるもとする。」ことが提案されており、現在までのところ強い反対意見はないようである。本件の損害の問題は、前記のように係属中の同種事件及び二次訴訟もあり、右改正提案の帰すうとの関係でも注目されるところである。
そのほかの争点については、個々の人権侵害行為の有無の事実認定の点は別として、おおむね右の三判決と同旨の認定判示がなされている。これらの点については、前記本誌の判例紹介の解説中の参考文献のほか、前橋地裁判決に対する判例評釈である中山和久・判例評論四二四号二二二頁を、また継続的不法行為による慰謝料請求権の消滅時効に関する最判平6・1・20裁時一一一五号一頁を参照されたい。

3.差別に対する救済と立証責任

立証責任は原告が負うのが民事訴訟法上の原則となるが、差別意思の立証が現実には困難であることに鑑み、裁判所は立証責任の一部を被告会社側に転換している!
信条を理由とする賃金差別の事案では、労働者側が使用者の差別意思を大量観察的にある程度立証できれば賃金差別が信条を理由とするものであると一応推定し、使用者側は信条以外の理由の存在を具体的に立証してその推定を覆す!!

+判例(名古屋地判H8.3.13)中部電力事件

+判例()

+判例()

第3節 性差別~男女平等法

1.男女同一賃金の原則

+(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。

(1)「賃金」
+第十一条  この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。

+判例(東京高判H12.12.22)芝信用金庫事件
要旨
事案概要  信用金庫Yで勤続二八年から四〇年である女性社員Xら一三名(一名は提訴後定年退職、三名は一審判決後定年退職)が、副参事(新人事制度では課長職)への昇格と課長への昇進についてはXらと同期同給与年齢の男性社員の間のみならず、男性社員と女性社員との間で著しい格差があり、男性社員は昇格試験制度の枠外で昇格を認める例外的措置がとられて副参事に昇格していたこと、女性は単純反復な職務に配置され、その結果、男女間で研修に差が生じ、管理職に必要な職務ローテーションが男性社員だけに実施されていたこと等から、女性であることのみを理由として昇格及び昇進その他の処遇において差別的取扱いを受けたとして、(1)同期同給与年齢の男性社員のうち最も遅く課長職に昇格・昇進した者と同時期に昇格・昇進したものとして、課長職の資格と職位にあることの確認及び差額賃金の支払(主位的請求)を、(2)女性であることを理由とする職務配置等の差別的処遇に対して不法行為に基づく損害賠償(予備的請求)を請求したケースの控訴審で、(1)については、請求を一部認容した原審が支持されて、Xらのうち既に退職した四名及び最も若年の一名を除く者について、労働契約の本質及び労働基準法一三条の規定の類推適用により課長職の資格を有することの確認請求及び差額賃金の支払請求、また退職した四名についても昇格を前提として退職金額と実際に支払を受けた金額との差額について請求についてXらの控訴が一部認容された事例。なお、(2)については、一審では請求が棄却されていたが、Yは使用する職員を介してXらに対し、故意若しくは過失により年功加味的運用について差別をしたものと認められることから、民法七一五条一項に基づく慰謝料等の請求について、Xらの控訴が一部認容された。

判決理由 〔労基法の基本原則-均等待遇-男女別コ-ス制・配置・昇格等差別〕
一審被告は、男性職員に対しては、管理者となるために必修ともいうべき職務ローテーションを実施していたのに対し、女性職員に対しては、これの対象外としていたのであるから、男性職員と女性職員との間における差別的取扱いをしていたとの疑念を生じさせ、このことは、とりもなおさず、一審被告には女性職員を管理者に登用する意思がなかったことを推認させるものである。〔中略〕
〔労基法の基本原則-均等待遇-男女別コ-ス制・配置・昇格等差別〕
一審原告らの主張のうち、(1)基幹的業務からの排除(職務配置差別)については、一審被告においては、女性職員に基幹的業務ともいうべき得意先係や融資受付のような業務を殆ど担当させて来(ママ)なかったところ、融資受付及び得意先業務は常時顧客を相手にした業務であるから、顧客との関わりのなかで業務を遂行しなければならず、内勤業務とは異なった外勤業務としての特質及び高度の業務知識を兼ね備えていなければならないことや、女性職員の勤務期間・勤務場所、女性労働及び主婦としての役割分担等に関する考え方の時代的背景の下で考慮判断されるべき問題を含んでいるので、一審原告ら女性職員を融資受付及び得意先係に配置するか否かは、一審被告の高度な人事政策に属するものというべきであり、男性職員を右のような職務に配置しながら一審原告らをそのような職務に配置しなかったからといって、直ちに一審被告が女性であることを理由とした差別的職務配置をしてきたものとまで断ずることはできないこと、(2)研修差別については、男女雇用機会均等法施行前においては、新入職員に対する研修を男性職員と女性職員とに分けて実施しており、その内容も、男性職員のそれは一審被告の業務のほぼ全般に及んでいたのに対し、女性職員のそれは、配属される職務を反映して、比較的定型的、課長職に昇格しておらず、諸般の事情に照らしても、昇格を妨げるべき事情の認められない場合には、当該一審原告らについては、昇格試験において、男性職員が受けた人事考課に関する優遇を受けられないなどの差別を受けたため、そうでなければ昇格することができたと認められる時期に昇格することができなかったものと推認するのが相当であり(年功加味的運用差別)、一審原告らと同期同給与年齢の男性職員の実際の昇格状況、一審原告らにおける昇格を妨げるべき事情の有無等について、一審原告らごとに個別具体的に検討し、昇格の成否について判断を加えることになる。
〔労働契約-労働契約の期間〕
人事考課に代えて昇格試験制度が導入された昭和五三年一〇月以後は、原則として昇格試験に合格することが昇格するための必要な要件とされたところ、合格者については昇格により給与の増額が伴うため予算措置が当然必要となり、一審被告にとって恒常的に人件費の増大に繋がることや、業務の効率かつ適切な遂行のために求められる人員数とその配置、将来の経営見通し等とも密接に関連し、一審被告の経営基盤を大きく左右するものであるから、合否の基準すなわち合格点をどこに設定するかについては、右の諸事情を総合的に考慮してすべきものであり、昇格に関する判断については、一審被告の経営判断に基づく裁量を最大限に尊重しなければならないことはいうまでもない。
しかし一審被告が採用している職能資格制度においては、資格と職位とが峻別され、資格は職務能力とそれに対応した賃金の問題であるのに対して、昇進は職務能力とそれに応じた役職(職位)への配置の問題であり、給与面に関しては、後者は役職手当(責任加給)の有無に関連するのみであるのに対し、前者は本人給の問題であって性格を異にしている特に、前述した一審被告における処遇、給与体系の下では、定例給与のうちの本給は、新人事政策が導入されるまでは、各年度ごとに各資格別に定められた「普通職員本人給表」によって支給される本人給と、昇格基準に基づいて取得した職能資格等級に対し支給される資格給とによって構成されており、また、新人事制度導入以降は、満五年の移行措置期間が存したものの、基本給と資格給とによって構成されているのであるから、資格と定例給与とは対応関係にあるということができる。資格付けの目的は、職位(役職)付与の基準としての性格をも有するものであるが、いかなる職員にいかなる給与額を支給するかという職能給与制の機能をも有しており、新旧人事制度のいずれにおいても、昇格するか否かは定例給与に直接影響を及ぼすものである。このように、昇格の有無は、賃金の多寡を直接左右するものであるから、職員について、女性であるが故に昇格について不利益に差別することは、女性であることを理由として、賃金について不利益な差別的取扱いを行っているという側面を有するとみることができる。〔中略〕
一審被告においては、副参事の受験資格者である男子職員の一部に対しては、副参事昇格試験等における人事考課において優遇し、優遇を受けた男子職員が昇格試験導入前においては人事考課のみの評価により昇格し、昇格試験導入後はその試験に合格して副参事(新人事制度における課長職)に昇格を果たしているのであるから、女性職員である一審原告らに対しても同様な措置を講じられたことにより、一審原告らも同期同給与年齢の男性職員と同様な時期に副参事昇格試験に合格していると認められる事情にあるときには、一審原告らが副参事試験を受験しながら不合格となり、従前の主事資格に据え置かれるというその後の行為は、労働基準法一三条の規定に反し無効となり、当該一審原告らは、労働契約の本質及び労働基準法一三条の規定の類推適用により、副参事の地位に昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有するものというべきである。
(三) 前記に説示したとおりであるとすれば、差別された労働者は、将来における差額賃金や退職金額に関する紛争及び給付される年金額に関する問題について抜本的な解決を図るため昇格後の資格を有することの確認を求める訴えの利益があるものというべきである。〔中略〕
〔労働契約-労働契約の期間〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
一審被告の女子職員に対する人事考課における差別により、一審原告ら(ただし、この項においては、一審原告Xを除く。)は、本来昇格すべきである時期に昇格できなかったのであるから、昇格していたことを前提にして支給される本人給及び資格給と実際に支給を受けた賃金等の差額について、労働契約に基づき差額賃金(未払賃金)として、また、退職した一審原告らは、さらに昇格を前提とした退職金額と実際に支給を受けた金額との差額について、差額退職金としてそれぞれ請求することができる。

+判例(東京高判H19.6.28)昭和シェル石油賃金差別事件

(2)差別の理由
・差別意思
+判例(東京地判H4.8.27)日ソ図書館事件
要旨
事案概要  女子社員と入社時期および入社年齢が比較的近接している男子社員四名との賃金格差につき、年齢・勤続年数を同じくする男女間の賃金格差が合理的理由となりうるのは、その提供する労働の質および量に差がある場合に限られるとし、本件については女子であることのみを理由とするもので労基法四条に違反するとされ、不法行為による損害賠償の支払いが命ぜられた事例
判決理由 〔労基法の基本原則-男女同一賃金〕
以上によれば、被告は、遅くとも昭和四七年一月頃以降、原告の基本給を本件男子社員四名の平均基本給までに是正すべきであったにもかかわらず、これを放置して適切な是正措置を講じなかったもので、その結果として、原告の基本給と本件男子社員四名の基本給との間に格差が生じたことが認められるから、原告が主張する昭和五七年度以降の本件賃金格差は、原告が女子であることのみを理由としたものか又は原告が共稼ぎであって家計の主たる維持者でないことを理由としたもので、一か月当たりの賃金格差の金額も決して少なくないことを加味すれば、労働基準法四条に違反する違法な賃金差別というほかはなく、しかも、適切な是正措置を講じなかったことについて被告に過失のあることは免れないから、不法行為に当たると解するのが相当であり、したがって、原告は、被告に対して、右賃金差別と相当因果関係に立つ損害の賠償を請求し得るものというべきである。

←差額について賃金請求権を有するものではない点に注意!!!!!!!
・10年以上の経過という価格是正のために必要な期間の経過後から認めた点も。

・家族手当について常に夫を世帯主とみなすという制度運用!
+判例(仙台高判H4.1.10)岩手銀行事件
理由
(争いのないこと)
一 控訴人銀行の本件当時における給与規程三六条、三七条、三九条の二として別紙添付(別表四)のような規程条項があること、請求の原因1、3、4の(一)、5の(一)(二)、被控訴人の夫aが昭和五四年一二月の市議会議員選挙により当選し、昭和五五年一月以降一関市議会議員として議員報酬を受け、所得税法上の扶養控除対象限度額を超える所得があるようになったこと、控訴人銀行が本件規程三六条二項本文後段により、男子行員に対しては、妻に所得税法上の扶養控除対象限度額を超える所得があるかどうかにかかわらず、家族手当、世帯手当等を支給してきたが、被控訴人のような共働きの女子行員に対しては実際に子を扶養するなどしていても夫に右限度額を超える所得があると右手当等の支給をしていないこと、以上は当事者間に争いがない。

(規程三六条一項の世帯主とは生計維持者であること)
二 いずれも成立に争いのない乙第一一号証、同第三七、同第三八号証によれば、住民登録法、住民基本台帳法等には、世帯及び世帯主について格別の概念規定は見当たらず、社会通念による事実認定にまかされ、住民登録法下では「世帯主とは世帯の主宰者であり、当該世帯の生計を維持する責任者である。戸主とか戸籍の筆頭者が当然に世帯主となるのではない。父や夫が当然に世帯主となるのでもない。妻や子が世帯の生計の維持について責任を負うものであるときは、夫や父ではなく、妻または子がそれぞれ当該世帯の世帯主である。」などとされ、生計維持者が世帯主として扱われていた(「生計維持者説」と仮称する)が、住民基本台帳法下になってからは、例えば自治省行政局長等から各都道府県知事あて昭和四二年一〇月四日付通知のうちの住民基本台帳事務処理要領では、住民票上の世帯主を決めるにつき「世帯とは、居住と生計をともにする社会生活上の単位である。世帯を構成する者のうちで、その世帯を主宰する者が世帯主である。」「その世帯を主宰する者とは、主として世帯の生計を維持する者であって、その世帯を代表する者として社会通念上妥当とみとめられる者と解する。」旨解説されていて、この解説の限りでは、住民基本台帳下の本件当時における住民票上の世帯主の認定については、「主として世帯の生計を維持する者」であることと同時に、「世帯を代表する者」であることが社会通念上認められなければならない(「併存説」と仮称する)ということが一般的行政解釈のようである。しかし同時に戸籍の筆頭者または祭具等の承継者であるからといって必ず世帯主となるものではないとされていること、また昭和四三年三月二六日付自治振興課長から各都道府県総務部長宛通知などは、世帯主の認定の基準について「世帯主の認定に当たっては、当該世帯の実態に即し、次の具体例を参照のうえ認定されたい」として、いくつかの具体例を挙示しているが、それらの例の中には併存説というよりも「主として生計の維持をしている」ことに重点を置いていると解されるもの、特に「夫が不具廃疾等のため無収入で、妻が主として世帯の生計を維持している場合は、妻が世帯主」であるとされている事例などがあり、これらは生計維持者という経済的側面に重点を置く立場(生計維持者説)によっていると解されること、そうかと思うと、外国人と日本人との混合世帯にお
いては、事実上外国人が世帯主であるときでも、住民票上、外国人を世帯主とせず、日本人の世帯員のうちで世帯主にもっとも近い地位にある者を世帯主としてまず表示する扱いになっていて、この場合は対外的形式的な面をより重視する正に「代表者説」によっているといえること、以上のようなことが認定される。巷間「世帯持だから大変だ。」、「所帯を持つことになれば苦労が多い。」「大所帯を抱えているから大変だ。」とか「一家を構えている身だから大変だ。」などという場合は「主たる生計維持者」である世帯主なるが故に経済的負担が重く、大変であるというような意味合いであって、「世帯を代表する者」であるということとはほとんど関係がない。このように「世帯主」概念は一義的に明確なものであるという訳ではない。世帯主であるかどうかということを社会通念に従って認定するといっても、その概念は生計維持者としての立場を重視する場合と世帯の代表者としての立場を重視する場合とで相違し、その用いられる場面によって異なるものであると解される。そして、本件手当等が法的に賃金性をもつものであると共に経済的には生活扶助給付の性質をもつものであること後記のとおりである。だがしかし、生活扶助給付といっても、生活保護法による生活扶助給付については、同法三一条三項が原則として「世帯単位に計算し、世帯主又はこれに準ずる者に対して交付する。」旨規定しているところ、ここにいう交付の相手(給付の対象は世帯)なる世帯主とは世帯の代表者(又は準代表者)であることに重点を置いていることは明らかである。これは緊急でかつ国民多数の要保護世帯に対する扶助事務を画一迅速に処理する必要からくる当然の帰結である。しかしながら、本件のような私企業の雇傭契約ないし労務契約における家族手当等については、事務処理の規模も遥かに小型で受給者の緊急性(困窮の程度)も格段に低いといわなければならないので、右の場合とは大いに相違する。したがって、本件規程三六条一項にいう「世帯主」は、事務処理の画一、迅速性という便宜によらずに、世帯の生計という経済面にもっぱら関係する家族手当及び世帯手当等の支給対象者の認定という場面において捉えなければならず、当然に世帯の代表者というよりも生計の維持者であるかどうかという点に重点が置かれるべきである。
以上、本件規程三六条一項の「世帯主たる行員」とは「主として生計を維持する者である行員」を指称するものであると認めることが社会通念に最もよく適する。それ故に同条二項本文前段の「世帯主たる行員とは、自己の収入をもって、一家の生計を維持する者をいい」とあるのは、一項の「世帯主たる行員」の概念を生計維持者説により把握すべきことの説明としての条項であり、代表者説または併存説によらないものであると認めるを相当とする。したがって、同条項をして、夫婦と子で構成され、夫婦の一方のみに収入がある世帯の具体例であるとするものではない。もっとも、控訴人銀行は「本件規程三六条一項の家族手当支給対象者の「世帯主」の範囲は、自治省等の前記住民基本台帳事務処理要領(併存説)に依拠して規定され、同条二項本文前段は夫婦と子で構成され、夫婦の一方だけが稼働しているという一般的世帯の場合の例示であり、夫婦共働きの世帯には適用されない。このことは労組も従組も共に同意し、従業員もその旨承知している」旨主張し、証人eの証言は右主張に添うものであるけれども、前示乙第一一号証、証人f、同gの各証言及び弁論の全趣旨に照らし措信できない。他に右認定を覆して控訴人銀行の右主張を認めるに足りる証拠はない。

(被控訴人は「生計維持者」で子の扶養者であること)
三 そこで、被控訴人世帯の場合をみてみるに、いずれも成立に争いのない甲第四五号証、同第五三ないし第五九号証、同第六二号証、乙第一三号証、同第一六号証の一ないし一〇、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第六〇、第六一号証、被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、本件当時、dは住民票上世帯主(死亡するまで)とされていたが、一関東映に勤め、その収入は月額約五万円、aは昭和五六年一月以降は市議会議員の報酬として昭和五五年度は二七九万一五〇〇円(控除対象配偶者無し、扶養親族なし、社会保険料等の金額二一万三〇〇〇円、源泉徴収税額三五万九一六〇円)、昭和五七年度は三一七万六五〇〇円(控除対象配偶者無し、扶養親族なし、社会保険料等の金額二四万六〇〇〇円、源泉徴収税額五二万八四〇〇円)の各支払を受けており、昭和五八年九月二一日支給の報酬(給料)は二〇万五〇〇〇円で、所得税三万四一〇〇円、社会保険料二万一〇〇〇円、預金二万円、慶弔会費等三〇〇〇円の控除があり、差引支給額は一二万六九〇〇円であること、被控訴人の昭和五五年一二月の給与の支給額は合計三〇万八一一九円(税込み、家族手当八〇〇〇円、世帯手当一万〇一〇〇円を含む。)で、年間支払を受けた給与額は昭和五五年度は五七七万二四〇三円(源泉徴収税額三九万六二〇〇円、控除対象配偶者無し、老人扶養親族一(母c)、その他の扶養親族一(b)、社会保険料等控除分の金額二六万九八一九円、生命保険料控除額五万円)、昭和五六年度は五七三万六三八三円(源泉徴収税額三八万〇八〇〇円、社会保険料等控除分三一万七九九八円、生命保険料控除額五万円、本件手当等を含まない。その他は前年度と同様)、昭和五七年度は六二三万一二五二円(源泉徴収税額四六万四七〇〇円、社会保険料等控除分三一万四七七四円、生命保険料控除額五万円、その他は前年度と同様)であること、その後の年度においてもa及び被控訴人の各収入は昭和五七年度におけるような比較差において推移しているであろうこと、他に被控訴人世帯においては収入のある者はいないこと、消費による支出については、通常の世帯に比べてaの政治活動に関連するものが特別必要であるという以外は格別問題視すべきことは見当たらない(bは生育盛りの女子で教育費、食費等がかかることも通常家庭と別段変りはないであろう)こと、d死亡後は住民票の世帯主は変更の届出によりaがなっていること、以上のことが認められ、これによると、本件当時、被控訴人方世帯の代表者としての世帯主は、d生存中は同人であり、同人死亡後はaであるが、主たる生計維持者は被控訴人であり、bは主として被控訴人によって扶養されていると認めるのが相当である。したがって、被控訴人は本件規程三六条二項本文前段の「自己の収入をもって、一家の生計を維持する者」に該当し、同規程三九条の二(廃止前)による子を扶養して世帯を構成している行員に当たると認めることができる。

(妻たる行員に支給制限があること)
四 控訴人銀行は仮定的に「被控訴人が自己の収入をもって、一家の生計を維持する者」であるとしても、本件規程三六条二項本文後段の規定により(世帯手当にも類推適用)妻たる行員である被控訴人に対しては世帯手当等の支給はできない」旨抗争し、被控訴人方世帯が共働きで夫aは市議会議員としての報酬を受け、昭和五五年一月一日以降所得税法に規定される扶養控除対象限度額を超える所得があることになったことは争いのないこと前示のとおりであるから、被控訴人は右規定により、同日以降は前叙認定のところにもかかわらず、本件家族手当等の支給を受けられないことになる。

労基法上の賃金であること)
五 本件手当等が配偶者や子など扶養親族を有する世帯主たる行員に限られ支給されるものであること及び成立に争いのない乙第三九号証から窺知される家族手当等の果している社会経済における一般的役割に徴すると、本件手当等が行員の具体的労働に対する対価(報酬)という性格を離れ、控訴人銀行の行員に対する生活扶助給付、生計補助給付であるという経済的性格をもつものであることは明らかであるしかしながら、これら手当等は、支給条件、基準等について控訴人銀行の裁量に任せられているものではなく、就業規則(給与規程)により規定され、労働協約によって決められていて、控訴人銀行は、これら規定により所定の要件を具備する者に対しては法的に一律の支払義務を負担し、一方該当行員はこれら手当等の受給権(支払請求権)を取得すると解することができる。このことからすると、本件手当等は労基法一一条にいう「労働の対償」に当たる賃金であると認めるを相当とする。

労基法四条違反であること)
六 本件手当等が労基法一一条の賃金であることは右のとおりであるから、これらは同法四条による直接規制を受けるものといわなければならない。
労基法四条は、憲法一四条一項の理念に基づきこれを私企業等の労使関係における賃金について具体的に規律具現した条文であり、かつまたこれに違反したときは労基法一一九条一号による刑事罰の対象となるなど、いずれにしても、明らかに強行規定であり、公序に関する規定であると解される。したがって、一般的に、労基法四条に違反する就業規則及びこれによる労働契約の賃金条項は民法九〇条(一条ノ二)により無効であるといわなければならない。
控訴人銀行は本件規程三六条二項本文後段を根拠にして、男子行員に対しては、妻に収入(所得税法上の扶養控除対象限度額を超える所得)があっても、本件手当等を支給してきたが、被控訴人のような共働きの女子行員に対しては、生計維持者であるかどうかにかかわらず、実際に子を扶養するなどしていても夫に収入(右限度額を超える所得)があると本件手当等の支給をしていないというのだから、このような取扱いは男女の性別のみによる賃金の差別扱いであると認めざるを得ない。控訴人銀行は本件規程三六条二項本文後段及びこれによる本件手当等対象者認定上の取扱いは社会通念に則った規定であり、社会的許容性の範囲内にあるから、民法九〇条の公序良俗に反するものではない旨その合理性を主張する。
社会通念、社会的許容性とか公序良俗という概念は、もともと不確定概念で、宗教、民族の違いなどのほか、国内でも時(代)と地域(都市、地方など)により認識や理解に相違のあることは否定できない。しかしながら、これら概念は不確定なるが故に発展的動態において捉えねばならない。そうでないと、旧態は旧態のままで社会の進歩発展は望み得ないことになるからであるそれは私的自治の支配する私企業の労使関係における賃金等労働条件を規律する法的基準としても同様である。そして、たとえ控訴人銀行の本店のある岩手県盛岡市をはじめ東北地方の平均的住民の観念が、本件規程三六条二項本文後段の定めまたはその趣旨を、その制定当時、さらにはその以前から現在に至るも当り前のこととして容認し、これに依拠した取扱いを許容しているとしても、日本国憲法一四条一項(法の下の平等)は、性別により政治的、経済的または社会的関係において差別されない旨定め、男女不二たるべく、男女平等の理念を示している。労基法四条男女同一賃金の原則は右憲法の理念に基づく具体的規律規定である。そして、それは理念ではあっても達成可能な理念であるから、この理念達成という趣旨に悖るような観念は、「社会通念」「社会的許容性」「公の秩序善良の風俗」として、前記規程条項及びこれによる取扱いの法的評価の基準とすることはできないものといわなければならない
したがって、本件規程三六条二項本文後段の取扱いをめぐり、これまで労使間で異議が挟まれることもなく過ごされて来たし、労働基準監督署などからも違法の指摘を受けることなく過ぎてきたとしても、同条項本文後段による右のような取扱いを、社会通念に則り、社会的許容性の範囲内であり、公序良俗に反しないなどという訳にはいかない。また、同条項本文後段の規定が自治省の「住民基本台帳事務処理要領」及び「世帯主の認定の基準」で示された「夫が不具廃疾等のため無収入で妻が主として世帯の生計を維持している場合は、妻が世帯主」であるという事例に比較して妻が世帯主である場合を「夫に収入があっても所得税法上の扶養控除対象限度額以下であれば妻が世帯主である」というまでに緩和しているから、社会通念に合致し、社会的許容限度内であるなどとも結論づけられない。夫婦のどちらが生計維持者であるかを具体的に認定するとなると、家庭のプライバシーにわたることに立ち入って調査しなければならなくなるため、予め画一的に規定しておく必要があるといっても、これまた、調査対象行員において、右認定に必要な程度の家庭内情況の開示を拒絶するものとはとうてい思案できないし、また必要な限度ならばやむを得ないことでもある。
その他本件規程三六条二項本文後段の規定及びこれによる本件手当等の男女差別扱いをして、合理性があるとするような特別な事情も見当たらないので、結局右条項及びこれによる控訴人銀行と被控訴人間の労働契約の本件手当等の給付関係条項は強行規定である労基法四条に違反し、民法九〇条(一条ノ二)により無効であるといわなければならない。

(結論)
七 よって、控訴人銀行は被控訴人に対し、給与規程及び労働協約に基づき別紙添付の別表一ないし三記載の家族手当、世帯手当、賞与及びこれらに対する年六分の割合による各遅延損害金の支払義務があるところ、被控訴人の当審における附帯控訴により請求拡張した部分を除く請求を認容した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないので棄却し、右拡張部分の請求は理由があるので、さらにこれを認容することとし、同附帯控訴に基づき原判決をその限度で変更し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九六条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三井喜彦 裁判官 武藤冬士己 裁判官 小野貞夫)

・実際に一家の家計の主たる担い手である者を手当の支給対象とする運用がなされていれば本城違反とはならない!!
+判例(東京地判H1.1.26)日産自動車家族手当事件

・世帯主でない労働者の賃金を頭打ちに。
+判例(東京地判H6.6.16)三陽物産事件

(3)差別に対する救済と立証責任
①差別がなかった場合支給されるべき賃金額が客観的に明らかな場合
→男性の賃金額が労働契約の内容になる!
+(この法律違反の契約)
第十三条  この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による。

②使用者の査定が介在し、算定基準が明確でない場合
→不法行為に基づく損害賠償請求

2.男女雇用機会均等法

+(性別を理由とする差別の禁止)
第五条  事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。
第六条  事業主は、次に掲げる事項について、労働者の性別を理由として、差別的取扱いをしてはならない。
一  労働者の配置(業務の配分及び権限の付与を含む。)、昇進、降格及び教育訓練
二  住宅資金の貸付けその他これに準ずる福利厚生の措置であつて厚生労働省令で定めるもの
三  労働者の職種及び雇用形態の変更
四  退職の勧奨、定年及び解雇並びに労働契約の更新

(1)性別による差別の禁止
a)募集・採用
b)配置・昇進・教育訓練・定年・解雇・雇止め
c)間接差別

(2)女性労働者に関する規定
a)妊娠出産等による差別の禁止
+(婚姻、妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等)
第九条  事業主は、女性労働者が婚姻し、妊娠し、又は出産したことを退職理由として予定する定めをしてはならない。
2  事業主は、女性労働者が婚姻したことを理由として、解雇してはならない。
3  事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)第六十五条第一項 の規定による休業を請求し、又は同項 若しくは同条第二項 の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であつて厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
4  妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。

b)婚姻による差別の禁止
c)母体健康管理措置

(3)ポジティブ・アクション
+(女性労働者に係る措置に関する特例)
第八条  前三条の規定は、事業主が、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保の支障となつている事情を改善することを目的として女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない。

(4)セクシュアルハラスメント

(5)均等法違反の効果
・私法上違法無効とされる他にも

+(報告の徴収並びに助言、指導及び勧告)
第二十九条  厚生労働大臣は、この法律の施行に関し必要があると認めるときは、事業主に対して、報告を求め、又は助言、指導若しくは勧告をすることができる。
2  前項に定める厚生労働大臣の権限は、厚生労働省令で定めるところにより、その一部を都道府県労働局長に委任することができる。
(公表)
第三十条  厚生労働大臣は、第五条から第七条まで、第九条第一項から第三項まで、第十一条第一項、第十二条及び第十三条第一項の規定に違反している事業主に対し、前条第一項の規定による勧告をした場合において、その勧告を受けた者がこれに従わなかつたときは、その旨を公表することができる。

第4節 その他の雇用平等法理

1.年齢差別
2.障害者差別
3.雇用形態に基づく差別
(1)同一労働同一賃金の原則

・同一労働同一賃金の原則が直接的に控除を形成することは否定しつつ!その原則の根底にある「均等待遇の理念」により、同一労働でありながら著しい賃金格差があることは公序違反となりうる!!!
+判例(長野地上田支判H8.3.15)丸子警報事件
第三 当裁判所の判断
一1 原告らは、本件において、被告が行う男女差別行為の内実として、臨時従業員制度自体が名目的なものであって、男女差別行為が臨時従業員制度の名のもとに行われていると主張するのに対し、被告は、体質的に受注産業性が強く雇用調整の必要性が高いことなどから現在の被告における臨時従業員制度には合理的存在理由がある旨主張するので、まず、この点につき判断する。
2 原告らにおいて、臨時従業員制度が形骸化していることを示す事情として主張する事実のうち、
(一) 原告らを含む女性臨時社員は、雇用契約における雇用期間が二か月と定められているが、これまで、臨時社員の側の意思で自ら退社する場合を除くと、これが反復・継続する形で更新され、被告会社の側の都合で更新拒絶をしたことはないこと 
(二) 右のような形での雇用期間は、短い者もいるが、原告らのように数年から二五年を越える者まで存在すること
(三) 女性臨時社員の多くは、少なくとも現在では、女性正社員と同じ組立ラインに配属され、同様の仕事に従事していること 
は当事者間に争いがない。
また、証拠(原告永井喜ぬ代、同田村慶子、証人高野守行、甲四〇から五六、六二から七二)によれば、
(四) 原告ら女性臨時社員の採用の際には、被告の担当者から正社員と臨時社員の地位の違いなどの細かい説明はなされず、むしろ、雇用期間については二か月が前提ではあってもその更新が当然予定され、希望すれば長期間勤務できるような話がなされており、少なくとも事情のよくわからない新規採用の臨時女性社員にとっては自己の身分について明確な認識を持ち難い状況にあったこと
(五) その後の二か月ごとの契約更新も、雇用契約書が作成されて原告らに交付されはするものの、その作成は被告側に預けた印鑑を用いて形式的に繰り返されてきたこと
の各事実を認めることができる。
そうすると、このような状況では、雇用された臨時社員側からみれば、同じラインにいる女性正社員との差を感じず、臨時社員という地位が名目的であると感じるのは無理からぬところである。
3 しかし、前記前提事実に加え、証拠(証人高野守行、同櫻井誠、同宮沢博、甲八三、乙四〇から四三、乙九〇)によれば、臨時従業員制度につき以下の事実も認めることができる。
(一) 被告の主たる業務は自動車用ホーン・リレーその他の部品製造であるが、これは自動車メーカーの下請的仕事であって景気変動による受注の変化は避けられず、また、同種の製品を製造する会社は他にも存在するため、その下請会社間での競争に勝ち残るため機械による自動化などによる合理化の必要性もあること
(二) そもそも、被告が昭和四二年ころから女性臨時社員を大量に採用したのは、当時被告会社が自動車の普及に伴う受注増に応じて製造ラインを増やしたため人員増加の必要が生じたものの、若年層の求人が難しかったことから、比較的年齢の高い家庭の主婦をその担い手として採用したためであること
(三) 当初から予定されていたかどうかは明らかでないが、右の経過により採用された臨時社員が、雇用期間の長期化に伴い、それまで女性正社員の担当していたラインの仕事を何ら劣ることなく遂行するようになり、そのため、被告会社は、遅くとも昭和五〇年以降、ラインに従事する女性正社員の新規採用をやめ、ライン要員はすべて女性臨時社員として採用することとしたこと
(四) 昭和四七年以降、男性臨時社員は、七名採用されているが、うち三名は入社時六〇歳以上であり、他の者も四二歳以上であって、これらの者は、いずれも正社員になっておらず、雇用期間も一年前後以下の者が四名で、最長約八年六月であること
4 前項の事実によれば、被告会社において雇用調整の必要性があることは肯認することができ、その雇用調整の最も問題となるのが組立ライン要員であることは容易に推認できるところである。そして、被告は、臨時従業員制度を、基本的には女性臨時社員による製造ライン要員の採用形態として、景気による雇用需要の変動へも対応し易いものとして捉えてきたものと言うことができ、この点で臨時従業員制度の存在意義を認めることができるから、これを単なる名目的なものと判断することはできない
5 原告らは、被告が臨時社員に対しこれまで現実に被告の都合による更新拒絶をしたことがないという点を指摘するが、被告の業種自体が景気変動の影響を受け易いものであること、これまでも確実に従業員数が減ってきていることからすれば、将来において自然退職との兼合いで従業員削減による合理化の必要が生じ得ることは容易に予想されるところであるから、この点は右判断に影響を及ぼすものではない(これまでに更新拒絶がなかったことも、その必要がまったくなかったのか、必要性は生じたものの、更新拒絶によって発生する問題等との比較考慮から、自然退職による人員減少を期待してとりあえず更新拒絶を避けて切り抜けてきただけなのかも問題である。)。
また、雇用期間の更新が相当期間繰り返されることにより、その雇用契約が期間の定めのない契約と実質的に異ならないと認められ、雇い止めによる更新拒絶が解雇権の濫用にあたるとして許されない場合があるとしても、その濫用の評価において、例えば整理解雇を必要とするような場合には、臨時社員に対しては正社員と異なった基準が考えられるし、そもそも、そのような状態になっていない臨時社員の雇用期間を更新しないことで人員削減もできるのであるから、臨時従業員制度自体が無意味ということにはならない。
6 さらに、原告らは、被告の臨時従業員制度が労働組合弱体化のための不当労働行為として用いられてきたのであり、その意味で名目的であるとの主張もするようである。
しかしながら、被告における労働組合がその実体を備えて活動を始めたのは、すでにかなりの数の臨時社員が採用された後である昭和四八年のことであると認められる上(証人内田純一、甲七八)、経営者側としては、組立ライン要員として同様の仕事ができる以上正社員よりも賃金が低い臨時社員を雇いたいという要求は通常考えられることであり、逆に、労働組合側とすれば、当時の組織状況や運動論を別にすると、臨時社員を組合員に取り込めば組合員の確保に問題もない(現に平成二年からは臨時社員にも組合員資格を与えている。証人内田純一、甲七五)のであるから、この臨時従業員制度ないし臨時社員の採用自体が不当労働行為であると推認すべき事情は見当たらず、原告らの主張は採用できない。
7 なお、原告らは、臨時社員と正社員の業務が同一ないし同価値であることも原告らが名目的な臨時社員であることの理由としているが、右のとおり、雇用期間の点で「臨時」にする意義が認められる以上、ここではこの点をさらに問題にする必要はない。

二 被告における臨時従業員制度が名目的なものと言えないことは前記のとおりであるが、原告らは、被告の原告らに対する違法な差別行為が臨時従業員制度の名のもとに行われていると主張し、その違法性を(1)男女差別、(2)身分による差別、(3)同一(価値)労働同一賃金原則違反の三つの観点から指摘しているので、以下順次検討する。

三 男女差別について
1 まず、被告の臨時従業員制度においては正社員と臨時社員の賃金体系が異なり、臨時社員の賃金が同時期に採用された正社員に比して低いことは前記前提事実記載のとおりであるので、被告がこの臨時従業員制度の運用において労働基準法四条等で禁止される男女差別を行なっているかどうかについて検討する。
この場合、原告らを二つに分けて考慮する必要がある。すなわち、昭和五〇年ころ以降は、もはや組立ライン要員としての正社員の採用はなく、被告は、臨時従業員制度を、基本的には女性臨時社員による組立ライン要員の採用形態として捉え、その他の業務について正社員を採用するという体制が確立していると見られるのに対し、それ以前の原告荻原よし子、同永井喜ぬ代及び同今井かつ子が採用された昭和四三年当時は、組立ライン要員として女性正社員が採用されており、女性臨時社員はその補佐的、準備的要員として採用されていたのであって、この両者では臨時従業員制度の持つ意味自体変化しているとも考えられるからである。
2 昭和五〇年ころ以降採用された原告らについて
(一) 昭和五〇年ころ以降、被告が、臨時従業員制度を主として組立ライン要員の採用形態として捉え、これに原告らを含む既婚女性を採用し、正社員については採用自体少ないものの、主として男性ないし未婚女性を採用していることは前記前提事実記載のとおりである。そして、このような採用形態とした理由として、被告は、(1)ラインの組立作業は単純な繰返し作業であるが、このような作業については女性の方が適している、(2)中高年の家庭の主婦を対象とした採用が容易である、との理由を主張している。しかし、前者の適性があるか否かは本来個人的問題であり、性による適正の有無が科学的に正当であるか否かも疑問である上、仮にこれが統計的には認められるとしても、そのことを理由に個人の適性を無視して性を区別基準とすることはまさに不当な男女差別をもたらす原因となるものであって妥当ではない。また、後者の採用の容易性は、募集の結果そのような人々が集まったという結果としては考えられることであっても、そもそもそのような人しか採用しないことを正当化する理由になるものではない。これらの点では、臨時社員に中高年の主婦のみを採用し、男性又は未婚女性を採用しないことには合理的理由がないということにはなる。
しかしながら、これはライン要員たる臨時社員として男性又は未婚女性を採用しないことが不合理であるということにとどまり、臨時社員たる原告らの差別の問題にはならない。原告らが違法に差別されているというためには、まさに原告らが採用される際に、女性であることを理由に男性とは異なる不利益な扱いを受け、これが法規範に違反していると認められることが必要なのであるところが、本件においては、前記のとおり、昭和五〇年ころ以降は、臨時社員はライン要員、正社員はその他の業務というように予定される職種が異なり、その募集・採用方法も異なっていたほか、正社員の採用が極めて少なくなっていたという事情が存在するところ、原告らはライン要員としての募集に対して採用されたのであるから、そもそも原告らが採用される際に、男女差別がなければ正社員として採用されたというような状況ではない。したがって、原告らが男性であったとすれば、むしろ被告における採用の対象にならなかったと考えられるのであり、原告らが主張するように、正社員として採用されたはずであるのに、女性であるが故に不利益な取扱いを受けたとは認めることはできない
(二) 右のとおり採用時における差別は認められないとしても、さらに、その後の待遇における男女差別の問題は生じ得るところである。そして、原告らは、臨時社員として採用された男性は正社員となったのに対し、女性臨時社員については正社員となる制度がないとして、男性臨時社員との差別を主張する。しかし、被告において男性臨時社員については一定期間で正社員に採用するというような制度も慣例も認められないこと、そもそも昭和四七年以降採用された男性臨時社員は七名(このうち嘱託ではない臨時社員は一部)であるところ、これらの者は誰も正社員となっていないこと、昭和四三、四年に合計三名の男性臨時社員が正社員になっているが、それぞれ個別に正社員として採用する事情が存在している(甲八三、乙九〇)のに対し、原告らにおいてはいずれもそのような個別の事情が主張されていないことからすると、臨時社員内部における男女差別があったものと認めることはできない
また、原告らにおいて男女を問わず正社員との待遇差別を主張する部分は、臨時従業員制度の存在意義が認められる以上、正社員と臨時社員とでは前提となる雇用契約が異なるのであるから、臨時従業員制度において正社員と臨時社員に賃金格差を設けることが違法かどうかの問題であって、男女差別の問題ではないと言うべきである。
3 昭和四三年に採用された原告らについて
この当時、被告は既婚女性を臨時社員として採用していたのであり、このことに必ずしも合理性がないことは前記のとおりである上、当時はライン要員として正社員も採用していたのであるから、原告らが正社員として採用される余地が全くなかったという状況でもないと考えられる。したがって、原告らが正社員ではなく臨時社員として採用されたことが、労働基準法三条、四条で禁止する差別的取扱いに該当するとすれば、違法な差別となり得ることになる。
しかしながら、ここでもこれを違法な差別ということはできない。
すなわち、労働基準法三条及び四条は、いずれも雇入れ後の労働条件についての差別を禁止するものであり、雇い入れの自由を制限するものではないと解するのが相当である。この点、「同一価値労働に対する男女労働者同一賃金に関する条約」が昭和二六年にILOで採択され、昭和四二年に日本も批准するなど、これを初めとする男女差別をなくそうとする動きは国際的な流れであることは公知の事実であり、最近ではいわゆる男女雇用機会均等法が立法化されるなど、男女平等については雇入れについても法的な規制をすることが要請されつつあると見られるが、募集・採用については未だ事業主の努力義務を定めたに留まるものと理解され、これに反することが直ちに違法であると言うことはできないのであり、未だ社会的な情勢も現在と異なる昭和四三年当時であれば、なおさら雇入れにおける男女平等が公序良俗として要請されていたとは言い難い
そして、本件においては、被告において景気の変動等に対応するため臨時社員を採用することに合理性が認められることは前記のとおりであり、その際臨時社員を組立ライン要員たる正社員の補佐的、準備的業務に充てるということも当然被告の決定し得る事柄であるから、採用時の区別は、結局のところ、正社員として誰を採用するか、臨時社員として誰を採用するかといった採用自体の問題であると言わざるを得ない。したがって、この被告の行為を違法であると評価することはできない。
この点、女性臨時社員も女性正社員もいずれも被告の従業員であることに変わりはないから、単純な採用差別ではなく、採用することを前提としたその後の待遇の差別であると見る余地がありそうにも考えられる。しかし、採用手続が全く同じであって、同時に同じ手続で入社しながら自己の意思にかかわらず振り分けられたなどの特段の事情があれば格別、異なった採用手続で個別に雇用契約を結んでいる以上契約締結の自由の範囲内であると言わざるを得ない。

四 身分による差別について
1 原告らは、「臨時者という名目的な地位」が差別的取扱いを禁止する労働基準法三条に定める「社会的身分」にあたる旨主張する。しかし、臨時社員が名目的とは言えないことは前記のとおりであるから、結局は「正社員」「臨時社員」といった区別が身分による差別にあたるかどうかという問題である。
そうすると、労働基準法三条に定める社会的身分とは、生来的なものにせよ、後天的なものにせよ、自己の意思によって逃れることのできない社会的な分類を指すものであり、「正社員」「臨時社員」の区別は、雇用契約の内容の差異から生じる契約上の地位であるから、同条に定める身分には該当しないと言わざるを得ない。何らかの理由で区別して採用し、その地位に留めているとすれば、その採用ないし地位に留めることの区別理由自体が問題とされるべきであり、その結果として生じた地位に基づく差別と評価されるものではない。
2 原告らは、「既婚」「未婚」の区別が「社会的身分」による差別であるとも主張するが、これが社会的身分ないしそれに準ずるものであるとしても、結局は男女差別とほぼ同じ主張であるから(原告ら自身、女性についてのみ既婚・未婚の区別をすることはまさに男女差別であると主張している。)、前記男女差別の項で述べたところと同様の理由で、違法な差別とは認められないこととなる。

五 同一(価値)労働同一賃金原則違反について
1 原告らは、原告ら臨時社員と正社員の労働ないし労働価値が同一であるから、被告が原告らに正社員と異なった低い賃金を支払うことは同一(価値)労働同一賃金の原則に反して違法であると主張する。これは、臨時従業員制度において正社員と臨時社員の賃金格差を設ける行為自体が違法であるかどうかの問題であり、原告らの主張する同一(価値)労働同一賃金の原則が、法規範として存在しているかどうかの問題である。
2 しかしながら、同一(価値)労働同一賃金の原則が、労働関係を規律する一般的な法規範として存在していると認めることはできない
すなわち、使用者が雇用契約においてどのように賃金を定めるかは、基本的には契約自由の原則が支配する領域であり、労働者と使用者との力関係の差に着目して労働者保護のために立法化された各種労働法規上の規制を見ても、労働基準法三条、四条のような差別禁止規定や賃金の最低限を保障する最低賃金法は存在するものの、同一(価値)労働同一賃金の原則についてこれを明言する実定法の規定は未だ存在しないそれでは、明文の法規はなくとも「公の秩序」としてこの原則が存在すると考えるべきかと言うと、これについても否定せざるを得ない。それは、これまでのわが国の多くの企業においては、年功序列による賃金体系を基本とし、さらに職歴による賃金の加算や、扶養家族手当の支給などさまざまな制度を設けてきたのであって、同一(価値)労働に単純に同一賃金を支給してきたわけではないし、昨今の企業においては、従来の年功序列ではない給与体系を採用しようという動きも見られるが、そこでも同一(価値)労働同一賃金といった基準が単純に適用されているとは必ずしも言えない状況であるからである。しかも、同一価値の労働には同一の賃金を支払うべきであると言っても、特に職種が異なる労働を比べるような場合、その労働価値が同一であるか否かを客観性をもって評価判定することは、人の労働というものの性質上著しい困難を伴うことは明らかである。本件においても、原告ら臨時社員とその他の作業に従事する男性正社員との業務内容の差異について、原告らはその価値に差はない旨主張し、被告は質的に男性正社員の業務が高度であるとして激しく争っているところであるが、証拠(原告永井喜ぬ代、同田村慶子、証人宮沢博、検証の結果(第一回)、甲九一、一一二から一一八、乙七二から七五)によれば、原告らの組立ラインにおける作業は、繰返しの作業ではあるものの、短時間に多数の工程をこなす必要があるものでかなりの熟練を要すること、そもそもホーン等の製品製造を主たる業務とする被告において、ライン作業は基幹的部分とも言える重要性をもっていることは明らかであり、他の種々の業務に携わっている男性正社員に比べて一概に労働価値が低いなどと言えるものではないと考えられるが、これをまったく同一の価値と評価すべきか、何パーセントは男性正社員の労働の価値が高いと評価すべきかということは極めて困難な問題である。要するに、この同一(価値)労働同一賃金の原則は、後述するように不合理な賃金格差を是正するための一個の指導理念とはなり得ても、これに反する賃金格差が直ちに違法となるという意味での公序とみなすことはできないと言わなければならない。
3 このように、同一(価値)労働同一賃金の原則は、労働関係を一般的に規律する法規範として存在すると考えることはできないけれども、賃金格差が現に存在しその違法性が争われているときは、その違法性の判断にあたり、この原則の理念が考慮されないで良いというわけでは決してない。 
けだし、労働基準法三条、四条のような差別禁止規定は、直接的には社会的身分や性による差別を禁止しているものではあるが、その根底には、およそ人はその労働に対し等しく報われなければならないという均等待遇の理念が存在していると解される。それは言わば、人格の価値を平等と見る市民法の不偏的な原則と考えるべきものである前記のような年齢給、生活給制度との整合性や労働の価値の判断の困難性から、労働基準法における明文の規定こそ見送られたものの、その草案の段階では、右の如き理念に基づき同一(価値)労働同一賃金の原則が掲げられていたことも想起されなければならない。 
したがって、同一(価値)労働同一賃金の原則の基礎にある均等待遇の理念は、賃金格差の違法性判断において、ひとつの重要な判断要素として考慮されるべきものであって、その理念に反する賃金格差は、使用者に許された裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗違反の違法を招来する場合があると言うべきである。 

 六 右の観点から、本件における原告ら女性臨時社員と正社員との賃金格差について検討する。
これまで述べた本件における状況、すなわち、原告らライン作業に従事する臨時社員と、同じライン作業に従事する女性正社員の業務とを比べると、従事する職種、作業の内容、勤務時間及び日数並びにいわゆるQCサークル活動への関与などすべてが同様であること、臨時社員の勤務年数も長い者では二五年を超えており、長年働き続けるつもりで勤務しているという点でも女性正社員と何ら変わりがないこと、女性臨時社員の採用の際にも、その後の契約更新においても、少なくとも採用される原告らの側においては、自己の身分について明確な認識を持ち難い状況であったことなどにかんがみれば、原告ら臨時社員の提供する労働内容は、その外形面においても、被告への帰属意識という内面においても、被告会社の女性正社員と全く同一であると言える。したがって、正社員の賃金が前提事実記載のとおり年功序列によって上昇するのであれば、臨時社員においても正社員と同様ないしこれに準じた年功序列的な賃金の上昇を期待し、勤務年数を重ねるに従ってその期待からの不満を増大させるのも無理からぬところである。
このような場合、使用者たる被告においては、一定年月以上勤務した臨時社員には正社員となる途を用意するか、あるいは臨時社員の地位はそのままとしても、同一労働に従事させる以上は正社員に準じた年功序列制の賃金体系を設ける必要があったと言うべきである。しかるに、原告らを臨時社員として採用したままこれを固定化し、二か月ごとの雇用期間の更新を形式的に繰り返すことにより、女性正社員との顕著な賃金格差を維持拡大しつつ長期間の雇用を継続したことは、前述した同一(価値)労働同一賃金の原則の根底にある均等待遇の理念に違反する格差であり、単に妥当性を欠くというにとどまらず公序良俗違反として違法となるものと言うべきである(なお、前提事実記載のとおり、臨時社員にもその勤続年数に応じその基本給ABCの三段階の区分が設けられていたが、その額の差はわずかで、かつ勤続一〇年以上は一律であることから、正社員の年功序列制に準ずるものとは到底言えない。)。
もっとも、均等待遇の理念も抽象的なものであって、均等に扱うための前提となる諸要素の判断に幅がある以上は、その幅の範囲内における待遇の差に使用者側の裁量も認めざるを得ないところである。したがって、本件においても、原告ら臨時社員と女性正社員の賃金格差がすべて違法となるというものではない。前提要素として最も重要な労働内容が同一であること、一定期間以上勤務した臨時社員については年功という要素も正社員と同様に考慮すべきであること、その他本件に現れた一切の事情に加え、被告において同一(価値)労働同一賃金の原則が公序ではないということのほか賃金格差を正当化する事情を何ら主張立証していないことも考慮すれば、原告らの賃金が、同じ勤続年数の女性正社員の八割以下となるときは、許容される賃金格差の範囲を明らかに越え、その限度において被告の裁量が公序良俗違反として違法となると判断すべきである。

七 損害額の算定
1 原告ら臨時社員の賃金
(一) 各年における臨時社員の基本給の日額、これに特別手当を加算した日額、出勤日数がそれぞれ別紙四「賃金計算基本数値一覧」の各該当欄記載のとおりであること、また、一時金が「基本給日額×月間出勤日数×倍率+評価額」の計算式で定められ、その各項目の数字(評価額は最低値)が各年ごとに同別紙の「臨時社員一時金計算式」部分に記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
(二) 右数値をもとに、原告らが受け取った日給合計及び一時金を併せた各年の賃金額を計算すれば、別紙五から七「臨時社員の賃金計算表(平成二年から平成七年まで)」に記載のとおりとなる。ただし、残業手当については原告らは請求しておらず、また、原告らの個別の欠勤、遅刻等については被告が主張しないので、これらにより生じる変動は無視する。
また、原告直井和子が平成七年五月三一日に退職し、同年四月から退職日までの出勤日数が四二日であること、原告深井八重子が平成六年三月二八日に退職したこと、また、原告直井和子の日額が平成六年四月以降昇給しなかったことは当事者間に争いがないので、同原告らにおいては、その数字を前提とする。
2 女性正社員の賃金
(一) 女性正社員のうち別紙八から十「正社員の賃金計算表(平成2年から平成7年)」の「氏名」欄記載の女性正社員の基準内賃金月額が同各表の「月額」欄記載のとおりであること、正社員の一時金が「基準内賃金×倍率+評価額」の計算式で定められ、その各項目の数字(評価額は最低値)が各年ごとに別紙四「賃金計算基本数値一覧」の「正社員一時金計算式」部分に記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
また、弁論の全趣旨によれば、被告が支払いを予定していた各年の初任給月額が別紙八から十「正社員の賃金計算表(平成2年から平成7年)」の各表「月額」欄最下段の額であると認め、あるいは想定することができる。
(二) 女性正社員の賃金が年功序列であることは前記前提事実記載のとおりであるが、現実に毎年女性正社員が採用されているわけではないので、各年における正社員の賃金は現実には存在しない。しかしながら、損害計算の前提としては、現実に判明する勤続年数が最も短い正社員の月額賃金と、初任給月額とを勤続年数で均等に案分した額であると考えるのが相当である(原告らは、基準内賃金が一〇〇円単位であるとして割り振っているが、概念上の数値であるから、一〇〇円未満の端数があっても均等に割り振るのが妥当である。)。
(三) 右数値をもとに、女性正社員が受け取ったであろう各年の賃金額(ただし、残業手当等による増減を無視)を計算すれば、別紙八から十「正社員の賃金計算表(平成2年から平成7年)」の各表「合計」欄記載のとおりとなる。
3 原告直井和子及び同深井八重子の退職金
同原告らが受け取った退職金が、それぞれ二五万一〇〇〇円及び一八万七〇〇〇円であること、
原告直井 17,000×14.75=251,000
原告深井 17,000×11=187,000
及び、勤続が同じ正社員が退職したときに受け取るであろう退職金がそれぞれ一五二万六〇〇〇円及び一〇三万五〇〇〇円であること
178,000×1/2×14.75×1.1=1,526,000
171,000×1/2×11×1.1=1,035,000は当事者間に争いがない。
4 差額
右1項で計算した各原告の賃金額と、2項で計算した女性正社員の各年の賃金の八割(別紙八から十「正社員の賃金計算表(平成2年から平成7年まで)」の「8割」欄記載の額)との差額は、各年ごとに計算すると別紙一「損害額一覧表」の平成2年から平成7年の各欄記載のとおりであり(途中退職者はその期間に応じて計算する。)、また、原告直井和子及び同深井八重子の右3項記載の退職金について、同様の方法により計算すると、同別紙「退職金」欄記載のとおりである。それぞれの合計は同別紙「認容額」欄記載のとおりであって、これが被告の違法行為により各原告に生じた賃金格差相当の損害額となる。
5 慰謝料
原告らは、被告の違法行為により精神的損害を被ったとして慰謝料を請求しているが、その違法行為の内容は賃金格差を設けることによって経済的損害を生じさせたものであるから、その経済的損害が補填されれば他に慰謝料請求権は発生しないと解するのが相当である。
6 弁護士費用
原告らの本件請求は不法行為に基づく損害賠償であるが、実質は差額賃金の請求であって賃金差額以上の弁護士費用が被告の行為に基づく相当因果関係のある損害と認めることはできない。
八 結論
以上によれば、別紙当事者目録番号1から26の各原告の請求は、別紙一「損害額一覧表」の「認容額」欄記載の各金員及びこれに対する遅延損害金を請求する限度で理由があり、同目録番号27及び28の各原告の請求はいずれも全部理由がない。
(裁判長裁判官北澤貞男 裁判官林正宏 裁判官鹿野伸二)

++解説
《解  説》
Xら二八名は自動車部品製造会社Yに二か月の雇用契約により採用され、更新を続けた女子臨時社員であるが(最古参者は昭和四三年一月採用)、労働内容が正社員と同様であるのに、賃金の額において違法に差別を受けたと主張し、不法行為に基づき、平成二年一〇月以降の差額賃金相当の損害金、慰謝料及び弁護士費用の賠償を求めて出訴した。
本訴においてXらは、Yが男性は既婚・未婚を問わず正社員とし、女性に対してのみ未婚者は正社員、既婚者は臨時社員として採用するのは労基法四条で禁止される性差別であり、既婚・未婚で差別するのは同法三条で禁止される社会的身分による差別である、正社員と臨時社員が同一(価値)労働に従事しているのに、臨時社員に低い賃金を支払うのは同一(価値)労働同一賃金の原則という公序良俗に反すると主張した。
これに対しYは、雇用量の調整手段として臨時雇用という形態での短期的な労働契約は是認されるが、中高年の家庭の主婦は、一般的に勤続年数が短期であり、雇用調整の必要が生じた場合の対応が容易であること、組立ラインの仕事は単純な繰返し作業で、忍耐強い女性の方が適性があること、Yは採用において男女差別をしておらず、その後の賃金格差は、労働の内容・質のほか、雇用期間・人事異動の有無等で違いがあり、合理的なものであることなどの反論をした。
本判決は、Yが自動車会社の下請的仕事をしており、景気変動による受注の変化が避けられず、雇用調整の必要性があることは肯認できるから、臨時従業員制度の存在意義を認めることはできると述べたうえ、Yにおいて採用の際の男女差別、臨時社員内部における男女差別ともあったとはいえないとした。そして、正社員、臨時社員の区別は、雇用契約の内容の差異から生じる契約上の地位であるから、労基法三条の「社会的身分」に当たらず、既婚・未婚の区別は、結局は男女差別と同じ問題であるとしてXらの主張を排斥した。Xらの主張する同一(価値)労働同一賃金原則については、労働関係を一般的に規律する法規範として存在すると考えることはできないが、賃金格差が存在しその違法性が争われている場合、違法性の判断に当たり、この原則の理念が考慮されないで良いというわけではないと述べた。そして本件において、Xらの賃金が同じ勤続年数の女性正社員の八割以下となるときは、Yの裁量が公序良俗違反として違法になると判断し、Xらの賃金格差による損害として正社員の八割を下回った分を認め(Xらのうち二名を除く)、慰謝料及び弁護士費用の各請求は棄却した。
最近、男女間の賃金格差を違法として争う事案が増え、これを認める裁判例が現れている(東京地判平2・7・4本誌七三一号六一頁、仙台高判平4・1・10本誌七七七号八七頁、東京地判平4・8・27本誌七六五号六一頁、東京地判平6・6・15本誌八四六号一一一頁等)。本件も、賃金の男女差別を理由に提訴された事案であるところ、本判決は、Yにおける男女差別の存在は否定した。しかし、女性正社員と女性臨時社員との間の賃金格差が後者が前者の八割を下回る分について差別を違法としたものであり、この点に本判決の特色が見られる。なお、八割を基準とした点についての説明は見られないので、今後、同種の事案において、どのような基準が形成されていくかが注目される点である。男女間の賃金格差については、松田保彦「女子の賃金差別」労働法の争点〔新版〕二七〇頁、最高裁事務総局・労働関係民事裁判例概観上巻一一四頁を参照されたい。

(2)パートタイム労働法による規制
・「フルタイムパート」についてもパートタイム労働法の「趣旨が考慮されるべき」

a)差別的取り扱いの禁止
b)賃金の決定
c)教育訓練・福利厚生施設
d)通常の労働者への転換

(3)労働者派遣法による規制

(4)有期契約に関する労働契約法上の規制

労働契約法
(期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)
第二十条  有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。


労働法 労働者の人権保障


第1節 労働憲章

1.強制労働の禁止
+(強制労働の禁止)
労働基準法第五条  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

+第百十七条  第五条の規定に違反した者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。

2.中間搾取の禁止
+(中間搾取の排除)
第六条  何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。

3.公民権行使の保障

(公民権行使の保障)
第七条  使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。但し、権利の行使又は公の職務の執行に妨げがない限り、請求された時刻を変更することができる。

+判例(S38.6.21)十和田観光電鉄事件
理由
上告代理人小山内績の上告理由について。
論旨は、要するに、原判決が被上告人の十和田市議会議員就任が上告人会社の業務逐行を著しく阻害する虞れがあるかどうかについて、何等審理判断を加わえることなく、被上告人の懲戒解雇を無効と判断したことは、労働基準法七条の解釈適用を誤まり、審理不尽の違法に陥つたものであるという。
原判決(およびその引用する第一審判決)の確定した事実によれば、被上告人は昭和二九年四月一〇日上告人会社に雇い入れられたものであるが、昭和三四年四月三〇日施行の十和田市議会議員選挙に当選し、上告人会社の承認を得ないで、同市議会議員に就任したところ、上告人会社は、右は従業員が会社の承認を得ないで公職に就任したときは懲戒解雇する旨の就業規則(一六条二号、八五条一三号、八四条六号)に該当するとして、同年五月一日付で被上告人を懲戒解雇に附した、というのである。
おもうに懲戒解雇なるものは、普通解雇と異なり、譴責、減給、降職、出勤停止等とともに、企業秩序の違反に対し、使用者によつて課せられる一種の制裁罰であると解するのが相当である。ところで、本件就業規則の前記条項は、従業員が単に公職に就任したために懲戒解雇するというのではなくして、使用者の承認を得ないで公職に就任したために懲戒解雇するという規定ではあるが、それは、公職の就任を、会社に対する届出事項とするにとどまらず、使用者の承認にかからしめ、しかもそれに違反した者に対しては制裁罰としての懲戒解雇を課するものである。しかし、労働基準法七条が、特に、労働者に対し労働時間中における公民としての権利の行使および公の職務の執行を保障していることにかんがみるときは、公職の就任を使用者の承認にかからしめ、その承認を得ずして公職に就任した者を懲戒解雇に附する旨の前記条項は、右労働基準法の規定の趣旨に反し、無効のものと解すべきである。従つて、所論のごとく公職に就任することが会社業務の逐行を著しく阻害する虞れのある場合においても、普通解雇に附するは格別、同条項を適用して従業員を懲戒解雇に附することは、許されないものといわなければならない
されば、本件就業規則の右条項に基づく被上告人の懲戒解雇を無効とした原判決の結論は正当であつて、所論の違法はない。
論旨は、その理由なきに帰し、排斥を免かれない。よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。裁判官池田克は退官につき評議に関与しない。
(裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判長裁判官河村大助は退官につき署名押印することができない。裁判官 奥野健一)

第2節 労働契約に関する規制

1.契約期間の制限
(1)原則

+(契約期間等)
第十四条  労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、三年(次の各号のいずれかに該当する労働契約にあつては、五年)を超える期間について締結してはならない
一  専門的な知識、技術又は経験(以下この号において「専門的知識等」という。)であつて高度のものとして厚生労働大臣が定める基準に該当する専門的知識等を有する労働者(当該高度の専門的知識等を必要とする業務に就く者に限る。)との間に締結される労働契約
二  満六十歳以上の労働者との間に締結される労働契約(前号に掲げる労働契約を除く。)
○2  厚生労働大臣は、期間の定めのある労働契約の締結時及び当該労働契約の期間の満了時において労働者と使用者との間に紛争が生ずることを未然に防止するため、使用者が講ずべき労働契約の期間の満了に係る通知に関する事項その他必要な事項についての基準を定めることができる。
○3  行政官庁は、前項の基準に関し、期間の定めのある労働契約を締結する使用者に対し、必要な助言及び指導を行うことができる。

+(やむを得ない事由による雇用の解除)
民法第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

(2)例外

+(期間の定めのある雇用の解除)
民法第六百二十六条  雇用の期間が五年を超え、又は雇用が当事者の一方若しくは第三者の終身の間継続すべきときは、当事者の一方は、五年を経過した後、いつでも契約の解除をすることができる。ただし、この期間は、商工業の見習を目的とする雇用については、十年とする。
2  前項の規定により契約の解除をしようとするときは、三箇月前にその予告をしなければならない。

2.賠償予定の禁止

+(賠償予定の禁止)
第十六条  使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

+判例(浦和地判S61.5.30)サロン・ド・リリー事件
理由
一 本件契約の成立
1 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、まず、本件契約の成否について判断するに、いずれも成立に争いのない甲第二、第三号証、原本の存在、成立とも争いのない乙第二、第三号証と原告会社代表者及び被告の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、原告会社の準社員であつた被告は、昭和五九年六月八日原告会社南浦和西口店のプライベートルームで、原告会社代表者から、「誓約書」なる書面を示されて、美容技術を教えてもらいながら突然やめられたら困るし、右書面を作成しないと皆が教わつていることを自分だけ教えてもらえないという技術面でのマイナスがあるなどという趣旨の説明を受けたうえ、右書面に署名押印するよう求められたこと、右書面には、「万一、私が会社からの色々な指導を自分の都合でお願いしているにもかかわらず勝手わがままな言動で会社側に迷惑をおかけした場合には、下記のことをお約束します。記、1、指導訓練に必要な、諸経費として入社月にさかのぼり一か月につき金四万円也の講習手数料を御支払いいたします。2、上記講習手数料は、会社より請求があつた日より一週間以内に御支払いいたします。3、それ以後は、金利(月利三パーセント)を加算することとします。但し、私の態度によつて、会社側より講習手数料を、請求されない時は支払義務なしとさせて頂きます。」等の記載があつたこと、被告は原告会社代表者の右説明を聞いたうえ、右書面に目を通し、その内容を理解したうえ、これに署名、押印したこと、また、右書面上は「勝手わがままな言動で会社側に迷惑をかけた場合」の内容が必ずしも明らかではないが、右当時、原告会社代表者と被告との間では、原告会社の美容指導を受けたにもかかわらず原告会社の意向に反して退職した場合をさすものとの了解がなされていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。以上によれば、昭和五九年六月八日に原告会社と被告との間で、右了解の内容となつている退職を停止条件として、入社時に遡及して月額四万円の講習手数料を支払う旨の契約が成立したことが認められる。

二 本件契約の効力
1 被告は、本件契約が労働基準法第一六条に違反するから無効であると主張するので、この点につき判断することとする。
2 ところで、労働基準法第一六条が使用者に対し、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償を予定する契約をすることを禁じている趣旨は、右のような契約を許容するとすれば労働者は、違約金又は賠償予定額を支払わされることを虞れ、その自由意思に反して労働関係を継続することを強制されることになりかねないので、右のような契約を禁じこのような事態が生ずることを予め防止するところにあると解されるところ、当該契約がその規定上右違約金又は損害賠償の予定を定めていることが、一見して必ずしも明白でないような場合にあつても、右立法趣旨に実質的に違反するものと認められる場合においては、右契約は同条により無効となるものと解される。そして、当該契約が同条に違反するか否かを判断するにあたつては、当該契約の内容及びその実情、使用者の意図、右契約が労働者の心理に及ぼす影響、基本となる労働契約の内容及びこれとの関連性などの観点から総合的に検討する必要がある。
そこで、本件についてみるに、いずれも成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二、第三号証、第七ないし第一一号証の各一、二、原本の存在、成立とも争いのない甲第四号証、乙第二、第三号証と原告会社代表者及び被告本人の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
本件契約の内容は、前記一2で認定したように、被告が原告会社から、美容指導を受けたにもかかわらず、その意向に反して退職した場合に被告の入社時に遡及して月額四万円の講習手数料を支払う、右講習手数料の支払期限は、原告会社より請求のあつた日より一週間以内とされ、それ以降は、月利三パーセントの遅延損害金を支払うというものであること、また本件契約にいう指導は、技術訓練(集合トレーニング、店舗内訓練、早朝練習、営業終了後練習)、ヘルプ作業をするための数多くのアドバイス、スタイリストになるための指導、接客による実地訓練、常識ある社会人への指導等をその内容としていること、原告会社代表者は、美容指導を受けた従業員が、突然退職しては会社にとつて不都合であるとの配慮から本件契約条項を案出し、本件契約を締結する際にも右意図を被告に説明していること、本件契約条項を読んだ被告は、金銭に縛られて働くことはいやだという気持ちを抱いたが、当時は、原告会社に続けて稼働したいとの希望があり、また、原告会社代表者から、美容技術に関し、他の従業員皆が教わつていることを教えてもらえない旨言われたため、本件契約締結に応じたこと、右講習の実情は、毎週金曜日に一度午後七時から午後九時までの勤務時間外に、指導対象者を営業店舗内に集合させて、原告会社の管理者兼任の指導員が、洗髪、カツト、カール、パーマ、セツトなどの指導を行なう集合トレーニングと、希望者が自ら要望した時に随時右と同様の指導を受ける方式がとられていたこと、また、右講習の対象者は、原告会社との間で講習手数料契約を締結した者に限らず、アルバイトの者を含め、右契約を締結をしない一般の従業員をも含むものであつたこと、さらに、右指導のために原告会社が負担する費用は、指導員の人件費が主であり、その他に設備費や光熱費もあるが、原告会社は、右指導員らに対して給料とは別個の名目で指導料などの支給は行なつていないこと、他方、原告会社との労働契約にもとづき被告が行つてきた業務は、主として客に対するブロー、シヤンプー、ワインデイング等カツトを除いた美容一般の作業であつて、本件契約にもとづく指導内容と極めて近似したものであること、しかも、原告会社と被告間の本件契約の締結は、右当事者間の準社員労働契約締結の二日後であること、加えて、右労働契約における被告の給与額は、月額八万九〇〇〇円ないし九万円とされているのに対し、本件契約にもとづく講習手数料は月額四万円とされ、前者に対する後者の比率がかなり高いうえ、当然のことながら、従業員が講習手数料を支払う場合には、原告会社に在職する期間が長い者ほど支払うべき講習手数料が累積する関係にあることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
以上に認定した本件契約の目的、内容、従業員に及ぼす効果、指導の実態、労働契約との関係等の事実関係に照らすと、仮令原告が主張するようにいわゆる一人前の美容師を養成するために多くの時間や費用を要するとしても、本件契約における従業員に対する指導の実態は、いわゆる一般の新入社員教育とさしたる逕庭はなく、右のような負担は、使用者として当然なすべき性質のものであるから、労働契約と離れて本件のような契約をなす合理性は認め難く、しかも、本件契約が講習手数料の支払義務を従業員に課することにより、その自由意思を拘束して退職の自由を奪う性格を有することが明らかであるから、結局、本件契約は、労働基準法第一六条に違反する無効なものであるという他はない
三 結論
以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく原告の請求は理由がない。
よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
民事第5部
(裁判官 小笠原昭夫 裁判官 野崎惟子 裁判官 樋口裕晃)

+判例(東京地判H14.4.16)野村証券留学費返還請求事件
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(留学費用返還に関する合意の成否)について
被告が署名押印した本件誓約書には「派遣要綱第18条(1),(2),(3)号に該当するに至ったときは,即時留学費用の全部を返済いたします。」と明記され,一定の場合に被告が多額に上ると予想される留学費用の全額を返済する意思が明確に表示されるとともに,派遣要綱の条項が具体的に引用されており,このような場合には同条項の存在及びその内容を了知した上で署名捺印するのが通常であること,派遣要綱は海外人事課に常備されていて,担当者から内容の説明をすることになっていたこと(〈証拠・人証略〉)からすると,被告も同条項の存在及びその内容を了知した上で署名捺印したと推認される。
これに対し,被告はそのような認識がなく合意が成立していないと主張する。しかし,被告は,当初派遣要綱の存在はもとより留学費用の返還について全く意識をしていなかったと主張したにもかかわらず,その後陳述書(〈証拠略〉)では,派遣要綱の存在及び返還の必要があるかについて明確な認識がなく,本件誓約書が形式的なものという程度にしか思っていなかったなどとあいまいな内容を述べ,さらに,本人尋問では留学を終え帰任後,一定期間を超えて脱退原告において勤務を継続した場合は留学費用の全部について返済が免除されるが,そうでなければ返済しなければならないものであること(派遣要綱第18条(1))の認識があったことを事実上自認するに至っている。したがって,上記推認に反する被告の主張及び供述等は採用できない。
また,本件誓約書には「ELFE大学へ留学するにあたっては」と記載されているが,同記載は渡航後最初に入学する学校を記載する扱いであったことによるもので,最終の留学先までの全体が対象となると認識されていたのであり(〈人証略〉),本件でも海外留学の最終目的がビジネス・スクール等の大学院の入学及び卒業にあり,外国人向けの語学学校であるELFE(Ecole de Langue Francaise pour Etrangers)で語学学習をすることが最終目的ではないことは明らかであり,したがって,本件誓約書でいう留学費用の全額とは海外留学の受験及び渡航準備費用はもちろん,その後入学したINSEADの費用にも及ぶ趣旨である。この点に関する被告の主張は採用できない。
以上のとおり,脱退原告と被告との間には,本件留学の派遣要綱8条所定の費用全額につき,被告が留学を終え帰任後5年間脱退原告において就業した場合には債務を免除するが,そうでない場合は返還する旨の合意が成立した。

2 争点(2)(返還合意の性質と労働基準法16条違反の有無)について
(1) 会社が負担した海外留学費用を労働者の退社時に返還を求めるとすることが労働基準法16条違反となるか否かは,それが労働契約の不履行に関する違約金ないし損害賠償額の予定であるのか,それとも費用の負担が会社から労働者に対する貸付であり,本来労働契約とは独立して返済すべきもので,一定期間労働した場合に返還義務を免除する特約を付したものかの問題である。そして,本件合意では,一定期間内に自己都合退職した場合に留学費用の支払義務が発生するという記載方法を取っているものの,弁済又は返却という文言を使用しているのであるから,後者の趣旨であると解するのが相当である。被告は,新要綱では支給される費用と貸与される費用とが区別して規定され,貸与される費用だけが返還の対象とされていることを指摘するが,新要綱は貸付金額を制限するのに伴って表現を整備したにすぎないものと解され,上記判断に影響するものではない。その他被告の主張は採用できない。
しかし,具体的事案が上記のいずれであるのかは,単に契約条項の定め方だけではなく,労働基準法16条の趣旨を踏まえて当該海外留学の実態等を考慮し,当該海外留学が業務性を有しその費用を会社が負担すべきものか,当該合意が労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものかを判断すべきである。
ところで,勤続年数が短いにもかかわらず将来を嘱望される人材に業務とは直接の関連性がなく労働者個人の一般的な能力を高め個人の利益となる性質を有する長期の海外留学をさせるという場合には,多額の経費を支出することになるにもかかわらず労働者が海外留学の経験やそれによって取得した資格,構築した人脈などをもとにして転職する可能性があることを考慮せざるを得ず,したがって,例外的な事象として早期に自己都合退社した場合には損害の賠償を求めるという趣旨ではなく,退職の可能性があることを当然の前提として,仮に勤務が一定年数継続されれば費用の返還を免除するが,そうでない場合には返還を求めるとする必要があり,仮にこのような方法が許されないとすれば企業としては多額の経費を支出することになる海外留学には消極的にならざるを得ない。また,上記のような海外留学は人材育成策という点で広い意味では業務に関連するとしても,労働者個人の利益となる部分が大きいのであるから,その費用も必ずしも企業が負担しなければならないものではなく,むしろ労働者が負担すべきものと考えられる。他方,労働者としても一定の場合に費用の返還を求められることを認識した上で海外留学するか否かを任意に決定するのであれば,その際に一定期間勤務を継続することと費用を返還した上で転職することとの利害得失を総合的に考慮して判断することができるから,そのような意味では費用返還の合意が労働者の自由意思を不当に拘束するものとはいいがたい。仮に,合意成立時に予想しないような特別の事情が発生して退職を余儀なくされたり,予想の範囲を超える多額の費用を要したのであれば,自己都合の解釈や権利濫用の法理によって妥当な解決を図ることができる。よって,上記場(ママ)合には,費用返還の合意は会社から労働者に対する貸付たる実質を有し,労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものではなく,労働基準法16条に違反しないといえる
(2) 認定事実
前記争いのない事実等,証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
ア 被告は,平成2年1月付けの自己申告書の研修の希望に関する欄及び会社への要望欄に「是非海外留学をして人間の幅を広げたい。」旨記載し提出した(〈証拠略〉)。脱退原告の海外留学制度では,全国の部長・支店長から留学を希望し派遣要綱1条の目的に照らしてふさわしい社員を推薦してもらい,人事部で語学試験の成績,勤務成績,人事部インタビュー等の評価を考慮して面接対象者を決め,複数回の面談を通じて本人の留学希望,上記目的にふさわしい人格,見識,潜在能力,語学力を有するかを考慮して決定する。被告についても,留学希望を確認したところ,外国人の思考方法を知りたいというような理由で留学を強く希望した。
イ 脱退原告は被告に対し留学地域としてフランス語圏を指定したが,それは脱退原告の海外留学制度の目的から多様な地域に留学させ,多様な経験を有する人材を育成するという方針があり,被告の選考時点での英語力が相対的に劣るため他の者を米英に割り当て,被告を著名なビジネス・スクールのあるフランス語圏に指定したものである。ただし,フランス語圏は欧州において,ベルギー,スイスを含め広い範囲を占め,重要な地域であること,中長期的に基幹的な地位に配置することのできる人材を養成するという意味もあった。フランスで勤務する者の中にはフランス留学経験者が複数存するが,そうではない者もいる。
ウ また,脱退原告は被告に対し,フランス語圏にあるINSEAD,IMDを含めた5,6校の留学先の受験を勧め,その中の合格したところに留学するよう指導したが,INSEAD又はIMDに留学するよう指定したことはない。また,鈴木は平成3年秋ころINSEADの副学長が来日した際被告を引き合わせたことがあり,被告自身同校のことを調べて良い学校であると知り,その入学を希望するようになった。語学学校の選択については実績を考慮して脱退原告が数校を指定することはあっても最終的な選択は被告が行った。そして,被告は平成4年4月29日付けでINSEADから,語学力を高めた上で平成5年9月入学の,同年5月4日付けでIMDから平成5年1月入学の各合格通知を得たが,被告はその希望に従ってINSEADに対し入学する旨の連絡をし,脱退原告に対しその間の語学学習の費用を負担するように求め,脱退原告はこれに応じた。この間,脱退原告は被告に対しINSEADに入学するまでの間にロンドンで仕事をしながら語学の勉強をすることを提案したが,被告は平成4年5月13日ころそれは業務命令ではないとして断った。
(〈証拠・人証略〉)
エ 平成4年1月健康診断の結果,被告には健康状態に問題があると指摘されたが,被告は留学したいとの気持ちが強いため留学を断念せず(被告本人12回),内容の説明を受けた7ないし10日後,本件誓約書を脱退原告に提出した(〈証拠略〉)。脱退原告において,留学候補生が希望する留学先に合格しなかったなどの理由で留学を辞退した例があるが,人事制度上特段の不利益を被ったことはない。
オ 留学中は,月に一度月例報告書を提出するが,その趣旨及び内容は留学先での近況や今後の予定である(〈証拠略〉)。留学中は,留学生から脱退原告に相談があれば助言や援助をするが,留学生に現地法人や支店への出頭を命じるなど,命令や義務を課することはなく,留学先での科目の選択も留学生の判断に委ねられており,脱退原告が干渉することはない。ましてや脱退原告の業務を行わせることはない。被告についてもそうであった。(〈証拠・人証略〉)
カ ワッサースタイン・ペレラ社は脱退原告と資本業務提携をしている米国法人であり,主としてM&A業務を行っている。被告は同社に出向中の平成8年1月ないし2月にボストンコンサルティング・グループにコンサルタントとして転職することのオファーを受けてこれに応じ,その後,ゴールドマン・サックス社に転職したが,これら転職にIN-SEADのMBAを持っていることが役立っており,被告にとって大きな財産となっている。(被告12回)
以上の事実が認められ,被告の供述(本人及び〈証拠略〉)のうちこれに反する部分は,被告本人の供述が全体として不利な内容の質問に対しては記憶がないとして供述を回避したり,あいまいな供述をしたり,など信用性が低いから採用できない。なお,被告は,損失補填等の証券スキャンダルが転職の動機であるとの趣旨を述べるが,これが発覚したのは本件誓約書作成前の平成3年であること,退職当時はワッサースタイン・ペレラ社に出向中であったことから,採用できない。
(3) 判断
そこで,上記認定事実及び前記争いのない事実等に基づいて判断する。
本件留学は勤続年数が短いにもかかわらず将来を嘱望される人材に多額の費用をかけて長期の海外留学をさせるという場合に該当する。
本件海外留学決定の経緯を見るに,被告は人間の幅を広げたいといった個人的な目的で海外留学を強く希望していたこと,派遣要綱上も留学を志望し選考に応募することが前提とされていること,面談でも本人に留学希望を確認していること,被告には健康状態の問題など,本件合意の時点で留学を断念する選択肢もあったのに,被告は留学したいとの気持ちが強く本件留学を決定したこと,INSEAD入学及びその入学までの語学学習の方法は被告の強い意向によること,が認められる。これによれば,仮に本件留学が形式的には業務命令の形であったとしても,その実態としては被告個人の意向による部分が大きく,最終的に被告が自身の健康状態,本件誓約書の内容,将来の見通しを勘案して留学を決定したものと推認できる。
また,留学先での科目の選択や留学中の生活については,被告の自由に任せられ,脱退原告が干渉することはなかったのであるから,その間の行動に関しては全て被告自身が個人として利益を享受する関係にある。実際にも被告は獲得した経験や資格によりその後の転職が容易になるという形で現実に利益を得ている。
他方,脱退原告の留学生選定においては勤務成績も考慮すること,脱退原告は被告に対し留学地域としてフランス語圏を指定し,ビジネス・スクールを中心として受験を勧め,それにはフランス語圏が重要な地域であること等,中長期的に基幹的な部署に配置することのできる人材を養成するという会社の方針があることが認められる。しかし,これらは派遣要綱1条の目的に従ったものと見ることができ,あくまでも将来の人材育成という範囲を出ず,そうであれば業務との関連性は抽象的,間接的なものに止まるといえる。したがって,本件留学は業務とは直接の関連性がなく労働者個人の一般的な能力を高め個人の利益となる性質を有するものといえる。
その他,費用債務免除までの期間などを考慮すると,本件合意は脱退原告から被告に対する貸付たる実質を有し,被告の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものではなく,労働基準法16条に違反しないといえる。
なお,新要綱では費用の一部の貸与に止まること,米国留学に比べてフランス留学が費用がかさむことは認められるが,それによって本件合意が全体として違法なものとなるとは解することはできず,本訴請求の範囲では正当なものというべきである。その他,被告の主張はいずれも採用できない。
第4 結論
以上のとおりであるから,原告引受承継人の請求は正当として認容すべきである。
(裁判官 多見谷寿郎)

+判例(東京地判H10.9.25)新日本証券事件

3.前借金相殺の禁止
+(前借金相殺の禁止)
第十七条  使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。

4.強制貯金の禁止
+(強制貯金)
第十八条  使用者は、労働契約に附随して貯蓄の契約をさせ、又は貯蓄金を管理する契約をしてはならない
○2  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理しようとする場合においては、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出なければならない
○3  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合においては、貯蓄金の管理に関する規程を定め、これを労働者に周知させるため作業場に備え付ける等の措置をとらなければならない。
○4  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、貯蓄金の管理が労働者の預金の受入であるときは、利子をつけなければならない。この場合において、その利子が、金融機関の受け入れる預金の利率を考慮して厚生労働省令で定める利率による利子を下るときは、その厚生労働省令で定める利率による利子をつけたものとみなす。
○5  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、労働者がその返還を請求したときは、遅滞なく、これを返還しなければならない。
○6  使用者が前項の規定に違反した場合において、当該貯蓄金の管理を継続することが労働者の利益を著しく害すると認められるときは、行政官庁は、使用者に対して、その必要な限度の範囲内で、当該貯蓄金の管理を中止すべきことを命ずることができる。
○7  前項の規定により貯蓄金の管理を中止すべきことを命ぜられた使用者は、遅滞なく、その管理に係る貯蓄金を労働者に返還しなければならない。

第3節 プライバシーと人格権

1.労働者のプライバシー
(1)健康情報
a)採用時における調査

+判例(東京地判H15.6.20)B金融公庫B型肝炎ウイルス感染検査事件
・調べておく。
事件概要
金融機関であるYに雇用されるため採用選考に応募したXが、Yに対し、〔1〕B型肝炎ウイルスに感染していることのみを理由としてXを不採用としたこと、ならびに、〔2〕Xに無断でウイルス感染を判定する検査及び精密検査を受けさせたことがいずれも不法行為であるとして損害賠償を求めた事案で、裁判所は、〔1〕XとYとの間で始期付解除権留保付雇用契約は成立しておらず、また仮に、当事者が雇用契約の成立が確実であると相互に期待すべき段階に至っている場合は、合理的な理由なくこの期待を裏切ることは信義則違反になるとしたが、そのような状態には至っていなかったとして、不採用による不法行為を否定する一方で、〔2〕B型肝炎についての最初の検査、ならびに再検査それぞれについて、調査の目的や必要性についてXに対して何らの説明もなく、Xの同意を得ることもなく、B型肝炎についての検査を受検させたYの行為は、いずれもXのプライバシーを侵害する不法行為であるとし、Yに対し、損害賠償を認めた事例。

判決理由
〔労働契約-採用内定〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
始期付解除権留保付雇用契約が成立(採用内定)したとはいえない場合であっても、当事者が前記雇用契約の成立(採用内定)は確実であると期待すべき段階に至った場合において、合理的な理由なくこの期待を裏切ることは、契約締結過程の当事者を規律する信義則に反するというべきであるから、当事者が雇用契約の成立(採用内定)が確実であると相互に期待すべき段階において、企業が合理的な理由なく内定通知をしない場合には、不法行為を構成するというべきである。〔中略〕
〔労働契約-採用内定〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
6月2日以降においても、被告は、原告に肝臓の数値が高い等と告げて、再検査(6月18日)、再々検査(6月30日)、精密検査(7月9日)を受検させており、雇用契約の成立(採用内定)の期待が高まったとは評価できないから、6月2日以降においても、雇用契約の成立が確実であると相互に期待すべき段階に至ったということはできない。
したがって、被告が、7月29日、原告に不採用を告げ、9月30日にもその旨告げたこと(本件不採用)は、不採用の理由やその合理性について検討するまでもなく、不法行為には該当しないというべきである。

〔労働契約-労働契約上の権利義務-社員のプライバシー権〕
平成9年当時、B型肝炎ウイルスの感染経路や労働能力との関係について、社会的な誤解や偏見が存在し、特に求職や就労の機会に感染者に対する誤った対応が行われることがあったことが認められるところ、このような状況下では、B型肝炎ウイルスが血液中に常在するキャリアであることは、他人にみだりに知られたくない情報であるというべきであるから、本人の同意なしにその情報を取得されない権利は、プライバシー権として保護されるべきであるということができる。
他方、企業には、経済活動の自由の一環として、その営業のために労働者を雇用する採用の自由が保障されているから、採否の判断の資料を得るために、応募者に対する調査を行う自由が保障されているといえる。そして、労働契約は労働者に対し一定の労務提供を求めるものであるから、企業が、採用にあたり、労務提供を行い得る一定の身体的条件、能力を有するかを確認する目的で、応募者に対する健康診断を行うことは、予定される労務提供の内容に応じて、その必要性を肯定できるというべきである。ただし、労働安全衛生法66条、労働安全衛生規則第43条の定める雇入時の健康診断義務は、使用者が、常時使用する労働者を雇い入れた際における適正配置、入職後の健康管理に役立てるために実施するものであって、採用選考時に実施することを義務づけたものではなく、また、応募者の採否を決定するために実施するものではないから、この義務を理由に採用時の健康診断を行うことはできないというべきである(第2の1(3)の労働省通知参照)。
イ アで検討したB型肝炎ウイルス感染についての情報保護の要請と、企業の採用選考における調査の自由を、前記1(11)で認定したB型肝炎ウイルスの感染経路及び労働能力との関係に照らし考察すると、特段の事情がない限り、企業が、採用にあたり応募者の能力や適性を判断する目的で、B型肝炎ウイルス感染について調査する必要性は、認められないというべきである。また、調査の必要性が認められる場合であっても、求職や就労の機会に感染者に対する誤った対応が行われてきたこと、医療者が患者、妊婦の健康状態を把握する目的で検査を行う場合等とは異なり、感染や増悪を防止するための高度の必要性があるとはいえないことに照らすと、企業が採用選考において前記調査を行うことができるのは、応募者本人に対し、その目的や必要性について事前に告知し、同意を得た場合に限られるというべきである。
ウ 以上をまとめると、企業は、特段の事情がない限り、採用に当たり、応募者に対し、B型肝炎ウイルス感染の血液検査を実施して感染の有無についての情報を取得するための調査を行ってはならず、調査の必要性が存在する場合でも、応募者本人に対し、その目的や必要性について告知し、同意を得た場合でなければ、B型肝炎ウイルス感染についての情報を取得することは、できないというべきである。〔中略〕
金融機関たる被告の業務に照らすと、被告が、採用にあたり、応募者の能力や適性を判断するために、B型肝炎ウイルス感染の有無を検査する必要性は乏しく、B型肝炎ウイルスについて調査すべき特段の事情は認められないといえる。そして、仮に、その必要性が肯定できるとしても、前記1(6)のとおり、本件ウイルス検査は、HBs抗体検査を行う目的や必要性について何ら説明することなく、原告の同意を得ないで行われたものであるから、原告のプライバシー権を侵害するものとして、違法の評価を免れないというべきである。

+判例(東京地判H15.5.28)東京都警察学校警察病院HIV検査事件
第3 争点に対する判断
1 認定した事実(前提となる事実及び末尾記載の証拠により認定できる。)
(1) 警察官の採用及び警察学校における教養・訓練等(平成10年当時)
ア 採用手続及び採用時研修
警視庁職員には、警察官とそれ以外の職員(一般職員)があり、警察官は、原則としてI類ないしIII類の各区分による競争試験(採用試験)を受験して合格し、採用候補者名簿に登載された者の中から、警視庁巡査(階級)として採用される。
採用された者は、警察学校において、全寮制の下、一般教養、警察官として必要かつ基礎的な法学、捜査・交通などの警察実務並びに柔道・剣道の内1種目、逮捕術、けん銃射撃などの術科について研修を受け(初任教養研修)、初任教養研修修了後は、基本的な実務能力を身につけるため、警察署に配属され、実際の諸勤務、取扱いを中心とした実習を行い(職場実習)、職場実習修了後は、再び警察学校で総合的な研修を受ける(初任総合教養)。採用時に行われるこの研修の期間は、採用区分により異なり、I類採用者の場合は、初任教養6か月、職場実習7か月、初任総合教養2か月である。警視庁職員任用規程では、この初任教養期間は条件付採用期間とされ、この期間中の職員が職務の適格性を欠くとき、心身に故障があるとき等で、引き続き任用しておくことが適当でないと認められる場合には、免職することができるとされている。
原告が受験した平成9年度警視庁警察官採用試験においては、身体的に、一定以上の身長、体重、視力を有するほか、色覚・聴力が正常で、職務遂行に支障のない健全な身体であることが受験資格とされており、第1次試験において、身長・視力・色覚・聴力の検査が行われ、第1次試験通過者に対し実施された第2次試験では、体重測定、胸部疾患、伝染病疾患、その他について医師の診察、レントゲン検査が行われ、四肢関節等諸機能についても検査が行われた。これら検査が実施されることは、受験案内にも明示されていた。また、警察学校入校に先立ち、原告ら同期入校者に対し、医療機関での血液検査の結果証明及び赤痢菌検査証明を提出することが求められた。
(甲1、3、乙14)
イ 警察学校における組織等
警察学校入校者は、採用区分及び採用時期(警察学校入校時期)により期が付される。同期入校者は、担当教官の名字を付した教場というグループ(クラス)に分けられ、警部補である教官と巡査部長である助教各1名が各教場の指導を担当する。原告は第1155期であり、同期の約160名は4グループに分けられ、原告は、教官がH警部補、助教がG巡査部長(以下「G巡査部長」という。)のH教場に配属された。
警察学校には、校長、副校長、部長、教授(5名)、係長の下に、教官及び助教その他の職員が配置されており、生徒の指導・教育等に主に関与するのは、第一教養部長、同教授、各教場の教官及び助教である。本件当時、1155期生を担当する第一教養部の教授は2名おり、その1人がE警視であった。
また、学校内には診療所があり、校医(嘱託医)が警察学校職員及び生徒に対し日常的な診療や健康管理等を行っている。本件当時の校医は、C医師であった。
(乙17、証人H、同E)
ウ 健康管理本部
警視庁健康管理本部は、警視庁職員(警察学校の職員生徒も含まれる。)の健康管理、健康相談、健康診断、診療、公務傷病の診断等を担当しており、同本部長は、医師の資格を有している。
A本部長は、昭和56年9月警視庁に入庁し、平成7年2月健康管理本部長兼警視庁診療所長となり、本件当時もその地位にあった。
(乙16、証人A)
(2) 警察官の勤務、職務等
警視庁の各警察署には、警務課、交通課、警備課、地域課、刑事課、生活安全課があり、地域課には交番、駐在所が所属する。
警察官の勤務は、毎日勤務と交代制勤務とがあり、平成10年当時、いずれの場合も週40時間勤務である。毎日勤務は原則として午前8時15分から午後5時15分まで、交代制勤務は職種により異なるが、警察署での交番勤務は4部制で、夜間勤務のある当番目が4日ごとに1日ある。当番目の出勤時間は午後2時30分(午前8時30分の早出当番が月1回)である。完全週休2日制で、祝日休、年末年始休、年次休暇20日などがある。
警察では、その責務を果たすため、24時間警戒態勢を確保しており、全国の警察官の概ね4割は交代制勤務に従事し、交代制勤務以外でも、警察署に勤務する警察官の多くは1週間に1度の割合で夜間勤務に従事している。また、犯罪捜査をはじめ、事件、事故、災害への対応のため、勤務時間以外に長時間にわたり困難な業務に当たることが多い。このような警察職員の勤務の特殊性に鑑み、勤務環境、勤務制度の改善、年次休暇の計画的取得の促進等、職員の待遇改善が積極的に推進する方針がとられている。
(甲1、乙12、13)
(3) HIV感染症
ア 概念
HIVとは、ヒト免疫不全ウイルスの略称をいい、エイズ(AIDS)とは、HIVに感染し、CD4陽性リンパ球数が低下することにより生じた免疫不全状態に、日和見感染症を併発した状態をいうが、実際には、CD4が数的な低下をきたす前に機能的な低下を併発するため、種々の免疫異常が生じる病気である。(乙8)
イ 検査
HIVに感染すると、ウィルスと抗体が共存し、終生この状態が持続する。日本で一般的に実施されている検査法には、HIV抗体を検出する方法、HIV抗原を検出する方法、ウィルスを分離培養する方法、プロウィルスDNAを検出する方法がある。このうち、HIV抗体のスクリーニング検査は、簡便であり、偽陰性がほとんど出現しないため、まずこの検査方法が用いられるのが通常である。ただし、感染直後の採血による検査の場合は、実際に感染しているのに陰性反応を示すことがある。また、スクリーニング検査では、約0.3パーセントの偽陽性が出るため、より精度の高い確認法で確認する必要がある。スクリーニング検査では、陰性か陽性かの判定のみで、被検者の免疫状態は分からない。(甲16、18、乙8)
ウ 感染後の経過
HIVに感染すると、多くの場合、1~2か月以内に急性感染症状がみられるが、その後は症状が消失し、数年から10年以上にわたり、無症候性キャリア期とよばれる無症状で経過する時期が続く。同期間中は、外見からは特別の症状はみられないが、実際には感染直後から正常な免疫応答は損なわれていると考えられる。また、無治療の場合、症状の有無にかかわらず免疫不全は徐々に進行すると考えられている。
HIV感染症が進行し、免疫状態が弱まると、重度の免疫不全を呈するようになり、明らかな感染症を併発しないまでも、原因不明の発熱、下痢、体重減少、全身倦怠感などを呈するほか、さまざまな日和見感染症をおこすようになり、AIDS発症となる。HIV感染症の死亡原因のほとんどは、この合併日和見感染症である。日和見感染症の多くは治療できる疾患であり、早期に適切な治療を受けることで、職場復帰が可能とされている。
エ 治療
HIV感染者に対する治療は、外来での抗HIV薬を用いた併用療法であり、月1回程度の通院と規則的な服薬により行われる。治療薬には副作用が出現することがあり、薬剤によっては、副作用軽減のため、水分を多く摂取する必要がある。
HIV感染者に対する治療をいつ開始するかについては議論があり、ウィルスや免疫を考え、早期治療開始の利点を認める一方で、治療薬の耐性や長期の副作用、今後の治療薬の進歩の可能性を考慮して、治療開始時期は慎重に検討すべきとする見解もある。日本では、平成10年9月に発表された「HIV感染者に係る雇用問題に関する研究会報告書」(以下「報告書」という。)において、免疫不全があまり進行していない早期からの治療が推奨されており、一般にCD4陽性リンパ球数が500/μl(以下「CD4が500」というようにいう。)以下となったころから、外来での抗HIV薬を用いた併用療法が開始されるとしているが、米国では、2グループがHIV感染症治療のガイドラインを出しており、平成12年1月時点においては、〈1〉エイズや説明できない発熱など症状があるものについて治療を推奨し、CD4が500以下又はHIV-RNAが2万以上の場合治療を提案するとするガイドラインと、〈2〉CD4が350以下又はHIV-RNAが3万以上もしくはCD4が350~500でかつHIV-RNAが5000~3万の場合に治療を推奨するとするガイドラインがある。なお、〈1〉のガイドラインは、平成13年2月に改訂され、上記症状のあるものに加え、CD4が200以下の場合に治療を推奨するとしている。
HIV感染症に対する治療は、平成8、9年ころから急速に進歩し、そのころ以降、HIV治療薬の投与によりウィルス量を抑制すると、多くの場合、いったん低下した免疫力が回復することが明らかとなっており、本件当時においても、HIV感染症の専門医の間では、HIVに感染した場合でも、免疫が著しく低下しない限り治療の必要はなく、日和見感染症が発症しない限り患者の活動を制限する必要はないとするのが一般的見解であり、通常は、スポーツ、激務または仕事ゆえに免疫が低下するということはなく、良好なCD4陽性リンパ球数を保っている患者に運動や就業の制限を指導することはない。
専門医の間では、HIV感染症は、現在では既に共存可能な慢性疾患ととらえられ、免疫が著しく低下しない限り、HIV陰性者と同様の活動をすることに何ら支障はないと考えられている。また、HIV感染症患者の中には、長期未発症者(治療に関係なく免疫低下をきたさない患者)が存在することから、いつ、どのような活動を差し控えるべきかという問題は、免疫が著しく低下してしまった場合に、日和見感染症の危険を考慮しつつ、主治医のアドバイスに基づいて、患者本人が決めるべきことであるとされている。
(甲8、甲16、19、証人F)
(4) 職場におけるエイズ問題に関するガイドライン等(甲8、12)
ア 労働省保険医療局エイズ結核感染症課(当時。以下同じ。)は、HIV検査の実施において本人の同意なく実施していた事例がみられたことから、平成5年7月13日、各都道府県・各指定都市衛生主管部(局)長あてに課長名で、「HIV検査の実施について」と題する通知を発した。
同通知は、以下の事項等につき管下関係機関の指導を要請するものである。
(ア) HIV抗体検査実施にあたっては、人権保護の観点から、本人の同意を得て検査を行うこと。検査結果の取扱いについてはプライバシー保護に十分注意すること。
(イ) 医療機関において、HIV検査を実施する際には、〈1〉患者本人の同意をとること、〈2〉検査前及び検査後の保健指導あるいはカウンセリングがなされること、〈3〉結果についてプライバシーが守られること、〈4〉HIVに感染していることが判明した患者・感染者に対し、検査を実施した医療機関において適切な医療を提供するか、やむを得ず対処できない場合には、他の適切な医療機関へ確実に紹介すること
(ウ) HIVは、日常生活においては感染しないことから、就学時、就職時のHIV検査は実施しないこと
イ 労働省の労働基準局長及び職業安定局長は、平成7年2月20日、各都道府県労働基準局長及び各都道府県知事あてに「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」と題する通達(以下「ガイドライン」という。)を発した。
同通達は、職場におけるエイズ問題に関する方針を作成する上で参考とすべき基本的考えを示したもので、以下の内容が含まれている。
(ア) 職場におけるHIV検査は、労働衛生管理上の必要性に乏しく、またエイズに対する理解が一般には未だ不十分である現状を踏まえると職場に不安を招くおそれのあることから、事業者は労働者に対してHIV検査を行わないこと。
(イ) 事業者は、労働者の採用選考を行うに当たって、HIV検査を行わないこと。
(ウ) 事業者は職場において、HIVに感染していても健康状態が良好である労働者については、その処遇において他の健康な労働者と同様に扱うこと。また、エイズを含むエイズ関連症候群に罹患している労働者についても、それ以外の病気を有する労働者の場合と同様に扱うこと。
(エ) HIVに感染していることそれ自体によって、労働安全衛生法68条の就業禁止に該当することはないこと。
また、同通達と一体となるガイドラインの解説は、上記(ア)について、〈1〉日常の職場生活ではHIVに感染することはないことから業務上のHIV感染の危険性のない職場においてHIV検査を実施する労働衛生管理上の必要性に乏しい、〈2〉社会一般のHIV及びエイズに対する理解が未だ不十分であり、職場におけるHIV検査の結果、職場に不安を招くといった問題が懸念される、〈3〉HIV感染の有無に関するプライバシー保護について、特別の配慮を要し、本人の同意のないHIV検査を行った場合にはプライバシーの侵害となり、また、本人の同意を得て行う場合であっても、真に自発的な同意を得られるかの問題がある、以上のように説明し、また、(イ)について、HIV感染の有無それ自体は、応募者の能力及び適性とは一般的には無関係であることから、採用選考を目的としたHIV検査は原則として実施されるべきではない、と説明している。
(5) 警視庁等におけるHIV検査の実施状況
ア 警視庁においては、平成の初めころから、警察官として採用された者に対し、警察学校入校時の血液検査においてHIV抗体検査を実施するようになった。血液検査の結果は、検査対象者に通知していたが、HIV検査の項目は記載されておらず、HIV抗体検査の結果が陰性の場合、別途通知することもなかった。(証人A)
イ 警視庁では、毎年、警察官を含む職員に対し定期健康診断を実施しているが、これにはHIV抗体検査は含まれていない。(甲7、証人A)
ウ 警視庁以外の各道府県警察においては、警察官採用にあたってHIV抗体検査を実施していない。(甲9、10)
(6) 本件の経過
ア 第1回及び第2回の血液検査
(ア) 警察学校は、7月28日、入校受付後完了後、原告を含む1155期の入校者約160人を対象として、入校オリエンテーションを実施した。このオリエンテーションにおいて、G巡査部長は、入校生全員に対し、精密身体検査を実施することを伝え、血液検査を含む各検査項目、手順について5分程度説明を行ったが、血液検査において何を検査するかの具体的項目までは説明せず、検査を受けることについて同意又は拒否の確認はしなかった。また、G巡査部長の説明に対し、入校者から質問などはなされなかった。
精密身体検査は、多数の入校生に対して効率よく機械的に実施され、検査を担当した医師、看護婦及び検査技師らから、血液採取の目的について説明がなされることもなかった。
(甲14、乙17)
(イ) A本部長は、警察病院に対し、原告ら入校者から採取した血液についてHIV抗体スクリーニング検査等の実施を依頼した。検査の結果、原告の血液について、HIV抗体及びワッセルマン反応がそれぞれ陽性であったため、警察病院検査部の医師は、7月30日、A本部長にその旨電話で連絡し、併せて、人違い等の可能性もあるので、確認のため再検査する必要があることを伝えた。
A本部長は、これを受けて、同日、警察学校診療所のC医師に電話で相談の上、警察病院で原告に再検査を受けさせること、原告に対しては過激な運動を控えるよう連絡するよう電話で指示した。
C医師は、原告を診療所に呼び、原告に再検査の必要があること及び検査結果が判明するまで運動を控えるべきことを伝え、その際海外旅行の経験の有無を尋ねた。原告はあると答えた。
7月31日又は8月1日、原告は、D巡査部長に同行して警察病院に赴き、血液検査のため採血を受けた。警察病院は、再度のHIV抗体スクリーニング検査を実施し、陽性であることが確認されたため、A本部長に対し、検査結果を報告した上で、原告がHIVに感染している可能性が高いので、一刻も早く専門医による確認検査を受けさせた方がよいと伝えた。
以上の経緯において、警察病院は、HIV検査の実施について、入校者の同意の有無の確認(第1回検査)、検査目的の説明及び原告の意思確認(第2回検査)等を一切行っていない
(乙16、証人A)
イ 原告の生活状況等
(ア) H警部補は、入校日(7月28日)以降、原告らH教場の生徒に対し、8月4日に予定されている入校式に向けて、体力を増進させるため、マラソン、腕立て伏せ、腹筋などの運動を指示した。これらの運動は、厳しいものであったが、原告は遅れることなくついていくことができた。
(イ) 原告は、7月30日、前記のとおり、C医師に呼ばれ、再検査の必要があることを告げられたが、その際、C医師から、血液検査の結果に異常があり、何らかの感染症にかかっている可能性があること、今後体力運動は控えたほうがよいことを告げられ、また海外旅行の経験の有無を尋ねられたことと、その際のC医師の態度から、他の病気とともに、エイズの病名も念頭に浮かんだ。なお、原告は、大学時代、エイズ問題に関心を持ち、卒業論文では、日米の各企業におけるHIV感染者に対する対応の比較を通じ、HIV感染やエイズに対する日米の認識の相違を研究することをテーマに選び、自らも数回にわたってHIV抗体検査を受けたことがあり、医学的な専門知識はともかく、HIV感染やエイズに対する一応の知識を有していた。ただし、卒業後進学した大学院修士課程では、HIV感染やエイズに関連する研究は行っていない。
原告が大学時代に受けたHIV抗体検査の結果は、いずれも陰性であった。
(ウ) 原告は、C医師から再検査を告げられた後、HIVに感染しているのではないかという不安感と、再検査の結果に異常がないことを願う気持とが交錯し、当初は強いて通常どおり訓練に参加していたが、8月1日に行われた個人面談で、H警部補から、今回の就職は万が一ということも考えておいてほしい、何かの病気かも知れない旨伝えられた後は、一層不安が募り、訓練に参加せずにいたこともあった。また、不安感から、再検査の前後に母親に電話をした。
(甲14、原告本人)
ウ A本部長との面談
(ア) A本部長は、警察病院から2回目のスクリーニング検査の結果が陽性であるとの報告を受け、C医師に対し、検査結果を伝えた上、A本部長自身が原告に対し説明を行うので、原告及び親には、8月3日午後1時30分に健康管理本部に出向くよう連絡することを指示した。(乙16、証人A)
(イ) H警部補は、8月3日午前中、原告に対し昼食後に服を着替えて教官室に出頭するよう伝え、出頭した原告に対し、健康管理本部に行くことを伝えた。また、H警部補は、同日の午前中、原告の自宅に電話をし、原告の母親に対し、前記時刻に警視庁本部へ来るよう伝え、その際印鑑を持参するよう指示した。(甲14、15、乙17、証人H、同B(以下「証人B」という。)、原告本人。なお、証人Hは、母親に対し印鑑の持参を指示したことを否定する供述をするが、後述するとおり、現実に母親が印鑑を持参している事実及び証人Bの反対供述に照らし、採用できない。)
(ウ) H警部補と原告は、同日午後1時ころ、警視庁本部で原告の母親と落ち合い、健康管理本部へ向かった。到着を知らされたA本部長は、原告のみを本部長室に入室させ、H警部補と母親はホールで待機させた。
A本部長は、原告に対し、しばらく警察学校での生活や原告の学生時代の話を尋ねるなどした後、「君は免疫が落ちる病気を知っているか」と尋ねた。原告が「エイズですね」と答えると、A本部長は「君の健康状態は実のところあまり良くなく、君の免疫力は相当低下している。」、「このまま仕事を継続することは困難だろうし、万が一ということも起こり得る。」、「警察学校は共同生活でもあるし、柔道や剣道もある。」、「今回の就職は諦めて欲しい。」というような趣旨のことを述べた。
原告は、表面上A本部長の話を冷静に聞き、これをそのまま受け容れる様子を示していたが、内心では、最悪の結果に動揺し、いわば思考が停止した状態であった。
また、A本部長は、原告に対し、母親には原告から伝えるか、A本部長から伝えるかを尋ねたところ、原告は、自分から伝える旨答えた。原告がA本部長と面談していた時間は、15分ないし20分であった。
(甲14、15、証人B、原告本人。なお、証人Aは、原告に対し免疫が低下している旨を告げ、就職を断念するよう述べたことを否定するが、原告本人の供述に照らし採用することができない。)
(エ) 原告は、本部長室を辞した後、職員に案内された部屋で、母親に対し、今回の就職が駄目になった、「エイズ」であった旨を告げた。エイズについて、直ぐにでも死亡するような重大な病気であると理解していた母親は、これを聞いて泣き崩れた。原告は、また、H警部補に対し、「エイズでした。」と告げ、警察学校での生活を続けられないことを伝えた。
H警部補は、原告と母親を伴って車で警察学校に戻ったが、車内では会話は全くなされなかった。
(甲14、15、乙15、証人H、同B、原告本人)
エ 入校辞退願の作成
原告と母親は、警察学校内に戻った後、応接室に案内され、H警部補も同席の下で、E警視と面談した。E警視は、原告と母親に対し、「(このような結果になって)残念だ」、「警察学校は団体生活だから」などと話しかけたが、原告は、平静な様子を保つのに精一杯な状態であり、母親も、原告がエイズであり、死ぬかもしれないとの考えにとらわれ、話の内容が十分頭に入らない状態であった。
E警視は、原告に対し入校辞退願を、母親に対し入校辞退同意書を作成するよう求め、入校辞退の場合は、本人と家族にこの書面を作成してもらうのが通常の手続である旨説明した。そして、母親が、参考となるものを見せて欲しいと述べたことから、E警視の指示により、B警部補が別室で各書面の文案を鉛筆書きで作成し、これらを原告と母親に示したので、原告は、この文案どおり、一身上の都合で就職を辞退する旨記載して署名するとともに、警察学校に提出していた自己の印鑑を用いて捺印した。母親も、一刻も早くこの場を逃れたいとの気持から、示された文案どおりに入校辞退同意書を作成し、H警部補の指示により持参していた印鑑を押捺した。
原告と母親は、同日午後4時30分ころ、警察学校を退出した。なお、原告は、警察学校に戻った後から退出するまでの間に、寮の自室に戻り、荷物をまとめ、同室の者に置き手紙をしている。
(甲14、15、証人E、同H、同B、原告本人)
(7) その後の事情
原告は、その後数日間は、仕事という目的を失い、何をする気力も湧かず、自宅の自室に閉じこもり、自殺を考えたりもし、また、同居する両親との関係も悪化した。
その後、原告は、インターネットでHIV感染症の拠点病院を調べた上、8月10日、都立駒込病院感染症課でHIV抗体検査を受けた。検査の結果は、前提となる事実に記載のとおりである。
また、原告の母親も、原告を診察したF医師から、HIV感染症について詳しい説明を受け、原告が直ちにも死亡するような状態にはなく、通常の日常生活を送ることができると知らされ、安堵した。
(甲7、14、15、証人F)
以上の認定事実に基づき、以下、本件の各争点について判断する。

2 争点(1)(警視庁が行った本件HIV検査の違法性)について 
(1) HIV感染症に関しては、ガイドラインが作成された当時の平成7年当時以降も、現在に至るまで、1(3)において認定したような病態や感染の経路等について社会一般の理解が十分であるとはいえず、誤った理解に基づくHIV感染者に対する偏見がなお根強く残っていることは、いわば公知の事実に属する
そのような状況下において、個人がHIVに感染しているという事実は、一般人の感受性を基準として、他者に知られたくない私的事柄に属するものといえ、人権保護の見地から、本人の意思に反してその情報を取得することは、原則として、個人のプライバシーを侵害する違法な行為というべきである。 
他方、労働安全衛生法66条は、使用者に対し、雇入れ時の健康診断を義務づけ、これに違反したときの罰則を定め、併せて事業者に対し、労働者の健康保持増進対策を講じるべき努力義務を課している。同法66条の上記定めは、健康診断の結果を労働者の適正配置及び健康管理の基礎資料とし、もって、使用者をして雇入れ後の労働者の健康維持に留意させる趣旨のものと解される。 
また、これとは別に、雇用契約は労働者に一定の労務提供を求めるものであるから、使用者が、採用にあたって、労働者がその求める労務を実現し得る一定の身体的条件を具備することを確認する目的で、健康診断を行うことも、その職種及び労働者が従事する具体的業務の内容如何によっては許容され得る。 
以上の観点からすると、採用時におけるHIV抗体検査は、その目的ないし必要性という観点から、これを実施することに客観的かつ合理的な必要性が認められ、かつ検査を受ける者本人の承諾がある場合に限り、正当な行為として違法性が阻却されるというべきである
以下、この観点から、本件HIV抗体検査の違法性について検討する。
(2) 本件HIV抗体検査実施について原告の承諾があったといえるか
ア 第1回血液検査について
被告東京都は、入校時、原告ら入校者に対し、その目的を述べた上で、血液検査を含む精密検査を実施することを説明し、これを拒否する者がいなかったことをもって、無断検査ではないと主張する。
原告に送付された入校案内において、入校受付後に精密身体検査を実施すること、その際、呼吸器の疾患、循環器疾患、内臓疾患、腰椎及び四肢関節の障害、痔疾、ヘルニア等があると入校延期・取消となることがあることが記載されていた(前提となる事実)が、これにはHIV抗体検査を実施することは記載されていない。また、警察学校では、7月28日の入校当日、原告ら入校者に対し、精密身体検査を行うこと及び血液検査を含む検査項目の説明はしたが、採取した血液によりHIV抗体検査を実施することを明示に説明していない(前提となる事実及び前記1(6)ア)。
上記のような説明により、原告ら入校者が精密身体検査においてHIV抗体検査が実施されることを当然に理解していたとは到底いえないから、検査実施を拒否しなかったからといって、HIV抗体検査実施の同意があったということはできない。この点、警察学校の訓練に耐え得る健康状態であるかを確認するため等、精密検査実施の目的が説明されていたとしても、結論において変わりはない(証人Hは、HIV抗体検査が行われることは当然の認識であるように供述するが、一般常識に照らし採用できない。)。
また、採用試験において伝染病疾患の有無の検査が行われていること、警察学校の教育・訓練が全寮制の下で行われることなどから、伝染病疾患の有無が精密健康診断の対象に含まれることは想定できたといえるが、伝染病疾患の中にはHIV感染症が当然含まれるという一般的理解が存するとはいえないから、上記により、入校者がHIV抗体検査の実施を認識していたともいえない(HIVは日常生活では感染しないものであるから、これに感染していることが集団生活に支障を生じる事由であるともいえない。)。
イ 第2回血液検査
第2回血液検査を実施するにあたっても、A本部長の指示を受けたC医師は、原告に対し、HIV抗体検査を実施することを告げずに、再検査を受けるよう指示した(前記1(6)によれば、C医師が再検査の内容を知っていたことは明らかである。)。したがって、第2回の検査も、原告の承諾なく行われたというべきである。
もっとも、原告は、C医師から第1回血液検査の結果異常が認められたため再検査の必要がある旨告げられた際、HIV感染をも想定した上で再検査に応じているが、HIV抗体検査が行われることを明確に説明された上で再検査に応じたわけではなく、また、上記のようにして再検査の必要を告げられた場合に、最悪の事態は否定したい心情が働くのが通常人の心理ともいえるから(原告の場合もそうであったことは本人の供述により認めることができる。)、HIV検査の可能性をも想定した上で再検査に応じたからといって、HIV抗体検査に同意又は承諾したということはできない
ウ 以上要するに、被告東京都は、HIV抗体検査を行うことの承諾を得ずに、原告に対し2回にわたるHIV抗体検査を実施したものにほかならず、被告東京都の前記主張は採用できない。

(3) 本件HIV抗体検査実施の必要性について
ア 検査目的
被告東京都は、本件において、警察学校入校者(ただし警察官に限られる。)に対するHIV抗体検査の実施は、警察官の職務に必要とされる健康状態を有しているか否かを確認するために必要なものであり、また警察学校における厳しい教育訓練に耐えうる身体状況にあるかを確認するため必要なものであると強く主張している。この主張態度をみると、警視庁は、HIV感染者はその事実のみで警察官の職には不適であるとの認識の下に、感染者を判別し警察官の職から排除する目的をもって、警察学校入校者に対するHIV抗体検査を実施しているものと認めざるを得ない。同検査が実施されるようになってから10年前後が経過した本件当時でも、上記検査の結果陽性反応を示した者に対し、確認検査の受検や健康状態の把握など、事後にとるべき措置の道筋が明確には定まっていなかったこと(A証人の供述により認められる。)や、被告東京都が警察学校入校者のHIV抗体検査を実施しながら、現職の警察官に対する定期健康診断では同検査を実施していないという事実も、上記目的を裏付けるものといえる。
これと異なり、警視庁が労働安全衛生法の意図する労働者(警察官)の適正配置や健康管理の基礎資料収集という目的のために上記検査を実施していることを窺わせる証拠は存しない
そこで、上記のような目的の下にHIV抗体検査を実施することの必要性について検討する。
イ 検査実施の必要性
被告東京都は、その職務の特殊性から、HIV感染者にとって警察官の職務は不適である旨主張する。
1(2)において認定したとおり、警察官の職務は、24時間警戒態勢を確保するため、交番勤務をはじめ交代制勤務に従事する者の割合が高く、交番勤務の場合は4日に1回の夜間勤務があり、それ以外の勤務でも多くは週1回程度の夜間勤務に従事している。また、その職務の性質上、突発的な事件が発生した場合などは予定外の勤務を強いられることも避けられず、職責上、精神的緊張を強いられる場面が少なからずあることは、容易に想定しうるところである。その意味において、警察官の職務は、相対的にストレスの高い職務であるということができる。
しかしながら、一般に、身体的、精神的に過度のストレスは生体の免疫力を一時的に低下させるが、その後十分な休息を取ることにより、低下した免疫力は回復する。これはHIV感染の有無を問わない(証人F)。また、HIV感染者であっても、免疫状態が良好であれば、特段の活動制限の必要はなく、激しいスポーツや訓練を行うことには何ら支障がないことは、前記1(3)エのとおりである。
そうであれば、相対的にストレスの高い警察官の職務であろうと、また警察学校における厳しい身体的訓練であろうと、それが過度・長期にわたってストレスを蓄積させるものでない限りは、HIV感染者にとって、当然に不適であるということはできず、その適・不適の判断は、その者の実際の免疫状態によって行われるべきである。そして、前記1(2)のとおり、警察官といえども、週休2日制、週40時間労働、年間20日の有給休暇等が原則として保障されているのであり、不規則な勤務や一時的な長時間勤務を強いられることがあるとしても、それによる疲労やストレスを回復するだけの休息・休日は本来確保し得るはずである。
そうすると、HIV感染の事実から当然に、警察官の職務(警察学校における訓練を含む。)に適しないとはいえない。被告東京都以外の道府県において、警察官採用にあたりHIV抗体検査を実施していないという事実(前記1(5)ウ)は、この見解に沿うものである。また、障害者雇用促進法により国又は地方公共団体が一定の比率で身体障害者(一定の認定基準に該当するHIV感染者は身体障害者と認定される。)又は知的障害者を採用すべき職員から警察官が除外されているという事実は、上記の判断を左右するものとはいえない。
したがって、先に述べた目的の下に、HIV抗体検査を実施することの必要性は、これを認めることができない(労働安全衛生法の趣旨に照らせば、その解釈上も上記検査の正当性を認めることができない。)。
(4) 以上によれば、警察学校が原告に対し2回にわたって実施した本件HIV抗体検査は、本人の同意なしに行われたというにとどまらず、その合理的必要性も認められないのであって、原告のプライバシーを侵害する違法な行為といわざるを得ない。被告東京都は、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を免れない。

3 争点(2)(原告の辞職に際して警視庁職員に違法行為があったか)について
1において認定した事実によれば、A本部長は、8月3日、原告の血液についてHIV抗体スクリーニング検査で陽性反応が出たという事実が確認されただけであり、確認検査も経ず、またCD4陽性リンパ球数やウィルス数の検査も実施されていないのに、原告に対し、HIVに感染している事実を告げた上、あたかも原告の免疫力が相当程度低下しており、警察学校での教育訓練に耐えられず、警察官としての職務を継続することが不可能であるかのように述べ、原告の健康状態及び就労能力について不正確な情報を伝えた上で、退職は不可避であるかのように誘導し、この告知により精神的に動揺し冷静な判断ができない状態にある原告に対し、自主的な退職を勧奨したと認められる。
そして、H警部補及びE警視もまた、HIV感染者が警察官としての適格を欠くのは当然であるとの認識の下に、A本部長による上記告知と退職勧奨に引き続き、感染の事実を受け止めることで精一杯の原告及び母親に対し、事態の正確な把握と今後の対応について十分に考慮する時間的余裕を与えないまま、原告らに入校辞退願及び入校辞退同意書を作成させたと認められるところ、前述した検査実施の目的、結果告知の際に母親を警視庁本部に呼び寄せ、その際印鑑の持参を求めたことを併せ勘案すると、E警視らは、A本部長と一体となって、HIV抗体検査で陽性反応を示した原告を警察学校から排除する意図の下に、原告の自由な意思を抑制して辞職に導いたと評価することができる。
上記A本部長らの原告に対する辞職勧奨行為は、そもそも原告に対し行われたHIV抗体検査が違法であることと相まって、違法な公権力の行使というべきであり、被告東京都は、国家賠償法1条1項に基づく責任を免れない。

4 争点(3)(被告自警会の不法行為責任の有無)について
前述したとおり、HIV感染に関する個人情報は保護されるべきものであって、事業者が労働者に対して行うHIV検査は、本人の同意があり、かつ実施について合理的必要性がある場合に限り許されるというべきである。
そして、1(4)で認定したとおり、平成5年には、労働省保健医療局エイズ結核感染症課が各都道府県・各指定都市衛生主管部(局)長あてに通知を発し、その中で、医療機関においてHIV検査を実施する際には、患者本人の同意をとり、検査前及び検査後の保健指導あるいはカウンセリングを行い、結果についてプライバシーを守り、感染が判明した患者・感染者に対し適切な医療を提供するか他の適切な医療機関へ確実に紹介すべきことを周知させるよう指示している事実をも併せ考慮すると、およそ警察病院のように、相当程度の規模を有する総合的医療機関としては、HIV抗体検査を実施するにあたり、医療機関に求められる上記のような諸点に配慮すべきは当然のことである。このことは、警視庁から委託を受けて上記検査を実施する場合であっても同様であり、自らこれを行うのでなければ、依頼者の警視庁においてこれが適切に行われるか否かを確認すべきである。
にもかかわらず、警察病院は、本件HIV抗体検査を行うにあたり、実施及び結果通知に関し、本人の同意の有無の確認等を一切行わず、上記医療機関に求められるべき留意事項に顧慮することもなく、警視庁から依頼されるまま、漫然と検査を実施し、その結果を伝えたものであるから、この警察病院職員の行為は、故意または少なくとも重大な過失により、原告のプライバシーを侵害する違法な行為として、不法行為に該当するというべきである。
5 争点(4)(原告の損害)について
被告らの各違法行為により原告が多大な精神的苦痛を被ったことは容易に想像することができる。とりわけ、被告東京都においては、原告らの採用にあたってHIV抗体検査を行う客観的かつ合理的な必要性も存しないのに、かつ本人の同意も得ずに検査を実施し、原告のプライバシー権を侵害したうえ、原告に退職を余儀なくさせたという点でその責任は重大であり、原告の損害を填補する慰謝料の額としては、被告東京都について300万円、被告自警会について100万円をもって相当と考える。
また、弁護士費用については、それぞれ上記慰謝料額の1割相当額、すなわち、被告東京都につき30万円、被告自警会につき10万円をもって、相当因果関係のある原告の損害と認める。
第4 結論
以上によれば、原告の請求は、被告東京都に対し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として330万円、被告自警会に対し不法行為に基づく損害賠償として110万円及び上記各金員に対する違法行為後の平成10年8月3日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三代川三千代 裁判官 龍見昇 裁判官 鈴木昭洋)

++解説
《解  説》
一 Xは、警視庁警察官採用試験Ⅰ類に合格し、大学院修士課程の終了後、警察学校への入校手続を完了して、警視庁警察官に任用された。警察学校は、Xに精密身体検査の一環として血液検査を行った。採取した血液により、HIV抗体検査も実施したが、このことは明示的には説明されなかった。警察学校は、Y2の運営する東京警察病院にこの検査を依頼した。XのHIV抗体検査の結果は陽性であり、辞職を勧奨されたため、辞職するに至った。
そこで、Xは、Y1(東京都)に対し、①警視庁がHIV抗体検査を行ったことが違法である、②警視庁職員がXの辞職に際しての対応に違法があるとして、国賠法一条一項又は不法行為に基づき損害賠償(慰謝料一〇〇〇万円、弁護士費用一七七万円)を請求した。同じく、Y2に対して、③Xの意思を確認せずにHIV抗体検査を行い、その結果を警視庁に通知する際にXの同意を確認せず、Xに対し検査結果を知らせず、エイズに関するカウンセリングをしなかったことが違法であるとして、不法行為に基づき同額の損害賠償請求をした。
争点は、Xが主張するYらの①ないし③の行為の違法性の有無及び損害額であった。
二 本判決は、次のとおり判示して、Xの請求を一部認容した(Y1につき慰謝料三〇〇万円、弁護士費用三〇万円、Y2につき慰謝料一〇〇万円、弁護士費用一〇万円)。
すなわち、本判決は、(1)警察官の採用手続、警察学校における採用時研修、警察学校における組織、警視庁健康管理本部、警察官の勤務・職務実態のほか、HIV感染症、職場におけるエイズ問題に関するガイドライン、警視庁等におけるHIV検査の実施状況に加えて、本件の経過について、第一回、第二回の血液検査、Xの生活状況等、警視庁職員とXとの面談、入校辞退願の作成、その後の事情等について詳細に事実認定をした上、(2)個人がHIVに感染している事実は他人に知られたくない私的事柄であり、本人の意思に反してその情報を取得することは個人のプライバシーを侵害する違法な行為であるが、使用者が労働者を雇い入れる時には健康診断が義務づけられる(労働安全衛生法六六条)から、採用時におけるHIV抗体検査は、実施に客観的・合理的必要性があり、本人の承諾がある場合に限り違法性が阻却されるところ、本件においては、Xの同意はなく、その合理的必要性も認められず、違法である、(3)警視庁職員のXの辞職に際しての対応についても、Xの健康状態や就労能力について不正確な情報を伝え、退職は不可避であるかのように誘導する等して、Xの自由な意思を抑制して辞職に導いたもので、違法であり、Y1は国賠法一条一項に基づく損害賠償責任がある、(4)Y2は、HIV抗体検査を行うに当たり、実施及び結果通知に関してXの同意の有無の確認等を一切行わず、医療機関に求められるべき留意事項に顧慮することなく、漫然と検査を実施し、その結果を警視庁に伝えたものであるから、Xのプライバシーを侵害する不法行為に当たる旨判示したのである。
三 本判決は、次のような意義がある。
第一に、本件は、労働者の採用時におけるHIV抗体検査はプライバシー侵害に当たるが、検査の実施に客観的・合理的必要性があり、本人の承諾がある場合に限り違法性が阻却されるとしたケースである。HIV感染に関する情報は、もっともセンシティブな情報であり、プライバシーの典型といえよう。本判決は、そのプライバシー保護と労働安全衛生法六六条の趣旨とを調整したという意味で、規範的意義がある。
第二に、本件は、警視庁警察官に採用された者が採用時に同意なくして、合理的必要性もないHIV抗体検査を受けさせられたこと、陽性との結果を示されて辞職を勧奨され辞職に至ったことは、違法な公権力の行使であるとして国家賠償責任が認められたケースであり、事例的意義がある。とりわけ、警察官の職務は相対的にストレスが高いし、警察学校では厳しい身体的訓練があるとしても、HIV感染者が当然に不適とはいえないとして、この検査の必要性を否定していることは注目してよいであろう。
第三に、本件は、医療機関がHIV抗体検査を行うに当たり、被検者に実施及び結果通知についての同意の有無を確認せず、漫然と検査を実施し、その結果を依頼者に伝えることはプライバシーを侵害する不法行為に当たるとしたケースである。これも、事例的意義があるといえる。
本判決は、その内容から社会的耳目を引き、新聞等にも報道されたが、以上のとおり、規範的観点からも、事例としても、注目されるものとして、紹介したい。

b)雇入れ後の調査

+判例(東京地判H7.3.30)HIV感染者解雇事件

+判例(千葉地判H12.6.12)T工業HIV解雇事件
要旨
事件概要
日本での在留資格を有する日系ブラジル人で期間を一年とする雇用契約の下で工場に勤務していた労働者X(既に退職)が、会社の定期健康診断(年二回)を受けた際に、会社は従前からの取扱いと同様に、新採用のブラジル人従業員に限り、本人に知らせず、その同意も得ることなく、Y経営の病院に依頼してHIV抗体検査を行い、病院から交付された検査結果からXが陽性であることが判明したため、Xになぜ事実を最初から言わなかったかを責め、ブラジルに帰国することを勧め、Xの「クビか?」の質問を肯定し、Xが新聞、領事館等に行く旨の発言によりいったん右発言等を撤回したものの、その約二〇日後、不景気等を理由に解雇する旨を告げ、Xはそれ以降欠勤せざるをえなかったため、会社に対しては、(1)HIV検査を無断で医療機関に依頼し、検査結果表を受け取り、感染を理由とする解雇について不法行為責任に基づく慰謝料賠償を、(2)HIV感染を理由に不当解雇され、違法な更新拒絶であるとして、雇用契約上の地位確認及び賃金支払を、Yに対しては、(3)無断でのHIV抗体検査の実施及び会社への結果表交付行為について不法行為責任に基づく慰謝料請求をしたケースで、(1)については、会社の検査に関する一連の行為はプライバシーの侵害に当たり違法、また解雇も正当な理由を欠くもので解雇権の濫用として無効であるとして請求が一部認容され、(2)については雇用期間満了によって当然に雇用契約は終了するが、期間満了までの会社による不当な解雇によって就労しえなかった期間については賃金請求が認容され、(3)については、秘密保持義務等に違反し、プライバシーの侵害する違法な行為であるとして請求が一部認容された事例。

判決理由
〔解雇-解雇事由-病気〕
原告の健康状態に関しても、原告の平成九年一〇月二二日から二八日までの入院については、肺炎による旨の診断書が提出されており、(〈証拠略〉)、同年一二月六日から一四日までの欠勤についても、事故により受傷した旨の診断書が提出されているのであるから(〈証拠略〉)、それ以上にその健康状態を疑う理由はなく、ましてHIV感染の有無について検査をする必要性があったものとは到底認められない。
このように、被告会社によるブラジル人従業員に対するHIV抗体検査の実施について、格別合理的な理由が認められず、しかもそれが当該従業員本人に秘して行われてきたことや、陽性の結果が出た場合の就労を前提とした対応策について何ら検討がなされていないことなどからすれば、被告会社では、ブラジル人にはHIV感染者の比率が高いといった認識のもとに(証人A)、新規に雇用したブラジル人従業員についてのみ検査を実施して、陽性であった場合にはこれを会社から事実上排除しようとする意図の下にHIV抗体検査を行っていたものと推認できるのである。〔中略〕
〔解雇-解雇事由-病気〕
右の事実によれば、被告会社は、従前から続けてきたのと同様に、日系ブラジル人で新規に雇用した原告につき、定期健康診断として本人に秘したままHIV抗体検査を無断実施し、その結果、原告のHIV感染の事実が判明したことから、それを理由に原告の退職を図って、当初は、感染事実の判明を契機にブラジルへの帰国を促したが、原告が応じなかったため、不景気によるリストラを表面的な理由として原告を解雇したものと認めるのが相当である。〔中略〕
〔解雇-解雇事由-病気〕
〔解雇-解雇権の濫用〕
被告会社が、合理的かつ客観的な必要性もなく、かえって前述のような不当な意図の下に、原告にHIV抗体検査を行うことを知らせず、当然その同意を得ることもなく、B病院に右検査を依頼し、その結果の記載された検査結果票を受けとった行為は、従業員についてのHIV感染に関する個人情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならないという義務に違反し、原告のプライバシーを不当に侵害するものであるとともに、原告のHIV感染を実質的な理由としてなされた解雇も、正当な理由を欠くものであって、解雇権の濫用として無効というべきである。
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
被告会社の行為によって、原告はそのプライバシーを侵害され、また不当に解雇されたものであり、これによって原告が多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、HIV感染の事実そのものはすでに原告は知っていたものであることを考慮すると、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料としては二〇〇万円が相当と認められる。〔中略〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
前述したとおり、個人のHIV感染に関する情報が保護されるべきものであること、事業主にその従業員についてHIV感染の有無を知る必要性は通常認められず、必要性が認められる場合であっても本人の同意が必要と解されることからすれば、HIV抗体検査を実施する医療機関においては、たとえ事業主からの依頼があったとしても、本人の意思を確認した上でなければHIV抗体検査を行ってはならず、また、検査結果についても秘密を保持すべき義務を負っているものというべきであり、これに反して、本人の承諾を得ないままHIV抗体検査を行ったり、本人以外の者にその検査結果を知らせたりすることは、当該本人のプライバシーを侵害する違法な行為であると解すべきである。
(二) しかるに、前述のとおり、被告Yの経営するB病院では、被告会社の依頼に基づき、原告にHIV抗体検査をすることを告げず、原告の意思を確認することなく、原告から右検査のための血液を採取して、保健科学研究所にHIV抗体検査を依頼し、同研究所から送付を受けた検査結果票を被告会社に交付したものであって、その行為は医療機関として負っている前記義務に違反し、原告のプライバシーを侵害する違法な行為であると認められる。
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
被告Yの右行為により、原告はそのプライバシーを侵害され、これがもとで被告会社からの不当解雇等の問題が派生するなど、多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、前同様、HIV感染の事実は原告も知っていたことを考慮すると、右精神的苦痛に対する慰藉料としては一五〇万円が相当と認められる。
〔解雇-短期労働契約の更新拒否(雇止め)〕
1 前述したとおり、本件雇用契約は、契約期間を、契約締結日から一年間とし、右期間は、契約期間終了後、一年毎に更新することができるが、更新を希望しないときは、相手方に二か月前までに通知する旨の定めがある。
そして、右契約条項や、原告の場合は平成九年九月一七日に雇用契約を締結したばかりであって、まだ一度も契約は更新されていないこと、原告が従事していた作業の内容は、製品の梱包作業や巻き直し作業、清掃作業等の比較的軽易なものが主体で、長期間の継続した就労による技術の修得等を要するようなものではなかったこと(証人A、弁論の全趣旨)、原告以外の雇用契約が更新された従業員についても、その更新ごとに改めて雇用期間を一年間とする雇用契約書が取り交わされていること(〈証拠略〉)などからすれば、原告と被告会社間の本件雇用契約は、その内容のとおりに一年間を雇用期間と定め、更新されない限りはその期間の満了によって終了する性質のものであると認められるのである。
原告は、そうであっても、本件雇用契約には、期間満了後の更新を期待させる合理的な事情が存在したとして、原告は就労ビザを取得して長期就労の意思を有していたことや、旅費の負担、宿舎の用意等に関する主張をしているのであるが、そのような事情があるからといって、雇用契約の更新が当然に予定され期待できたものということはできず、また証拠(〈証拠略〉)によれば、被告会社において平成八年度以降採用した日系ブラジル人一六名のうち、現在も在職している者は僅か三名で、一年以上更新した者は右三名を含めて七名しかいないことが認められるのであって、このような雇用状況からしても、雇用期間満了後の更新が合理的に期待できたものとはいえず、他に雇用契約の更新を期待させる合理的な事情の存在は認められない
2 被告会社は、平成一〇年七月一二日、原告に対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨通知しており、したがって同年九月一六日をもって被告会社と原告との間の本件雇用契約は終了したことが認められる。

c)医師選択の自由
法定健康診断については認められている(労安衛66条5項)
法定外健康診断については、就業期s区に根拠があり、内容と方法が合理的であれば、使用者は指定した病院での健康診断受診を業務命令として労働者に義務付けられる!
+判例(S61.3.13)電電公社帯広局事件
理  由
上告代理人藤井俊彦、同上野至、同長島裕、同田中一泰、同幸良秋夫、同畑瀬信行、同片桐春一、同山崎久照、同渡辺信行、同川越修一、同小出寛治、同鎌田哲博、同山元毅の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1(一) 上告人日本電信電話公社(昭和五九年法律第八五号日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前の日本電信電話公社法に基づき設立されたもの。以下「公社」という。)は、本件当時、疾病の予防、罹患者の早期発見、早期回復、保健指導、衛生環境の整備等職員の健康管理を適正に実施し、もつて業務の円滑な運営に資することを目的として健康管理規程を定めていたが、右規程は、職員の健康管理にあたつて職員の疾病状況に対応した有効な施策を講ずること(二条一項)を規定する一方、職員は常に自己の健康の保持増進に努め(二条二項)、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない(四条)として職員の遵守すべき義務を明らかにしている。そして、職員の疾病の予防、保健指導を行うとともに罹患者の早期発見等を行うため配置された健康管理医が検診の結果等により必要と認めたときは、当該職員に精密検診を受けさせなければならないこととし(二四条)、また、検診の結果等に基づき、健康管理医は、管理が必要であると認められる個々の職員(以下「要管理者」という。)につき、病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定し(二六条)、右決定のあつた当該職員を右指導区分に従い個別に管理することとしている。また、右要管理者については、日本電信電話公社就業規則(以下「公社就業規則」という。)一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条において、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。更に、公社は、高度な医療技術のもとに、疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理のために疾病の早期発見、早期治療を行う医療機関として、札幌逓信病院を設置している。
(二) 公社は、従前から頸肩腕症候群罹患者の発生に対処するため、専門医を中心にプロジエクトチームを編成し、その原因の究明に努めるとともに、諸施策を実施してその予防及び早期解決に努力してきた結果、罹患者数は年々減少するに至つたものの、発症後三年以上を経過しても治癒しない長期罹患者の割合が大きいことから、この長期罹患者についての対策を全国的規模で検討するに至つた。公社北海道局においても、頸肩腕症候群罹患者数が昭和五〇年の約二二〇名から昭和五三年の約一五〇名に減少したものの、三年以上の長期罹患者の割合が七五パーセントを占めていたため、これについての対策が検討されたが、管内健康管理医の打合せ会では、頸肩腕症候群の疾病要因がまだ医学的に十分解明されていない現状において、その早期回復を図るためには、単に整形外科のみならず、内科、精神神経科等各科の検診を含む総合的な精密検診を実施する必要がある旨の意見が強く出された。そして、全国電気通信労働組合北海道地方本部(以下「全電通道地本」という。)からも右と同趣旨の要望がされたため、昭和五三年七月一四日、公社北海道局と全電通道地本との間において、右長期罹患者を対象として、その疾病要因を追究してその診断により治療及び療養の指導をして早期に健康回復を図ることを目的とする総合精密検診を実施する旨の労働協約が締結されたが、右協約によつて決定された検診方法は、発症後三年以上経過しているのに症状が軽快していない者その他健康管理医が必要と認めた者を被検者として札幌逓信病院に入院させ、整形外科を中心に内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科及び耳鼻咽喉科のほか、必要に応じて他科の検診を含む総合精密検診を行うものであり、検診のための入院期間は二週間程度、参加人員は一回四名程度とし、被検者の具体的人選は健康管理医が行うというものであつた。
(三) 被上告人は、当時公社帯広電報電話局(以下「帯広局」という。)に勤務し電話交換の作業に従事する公社職員であつたが、昭和四九年七月五日、川上整形外科医院において頸肩腕症候群と診断される一方、健康管理規程に定める指導区分の「療養」にあたることとされ、その後、休養加療を行つた結果、症状が軽快し、同年九月五日から右指導区分の「要注意」にあたるものとして職場に復帰したが、同年九月一六日からは「勤務軽減」(六時間勤務)となり、同年一一月五日からは再び「療養」にあたることとされて休養し、同年一二月五日「勤務軽減」(四時間勤務)の指導区分により職場に復帰し、昭和五〇年二月一六日に「要注意」となるといつた右指導区分の変遷を繰り返し、本件当時の被上告人の担当職務は、電話番号簿の番号訂正等の事務であつて、本来の職務である電話交換の作業には従事していなかつた。
公社は、昭和四九年九月五日、被上告人の健康状態を考慮し、従来の電話交換作業から軽易な机上作業に担務替えを行うとともに、同年九月二八日、被上告人から提出された右疾病の業務災害認定申請に対して、札幌逓信病院において、整形外科の精密検診を行い、その結果等に基づき、昭和五〇年九月三日付で右疾病が「業務上」である旨の認定をし、各種補償を行つている。
被上告人は、川上整形外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、昭和五二年四月から帯広市内の吉田治療院において月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善はみられなかつた。
(四) 公社は、昭和五三年九月一二日、前記労働協約所定の頸肩腕症候群総合精密検診の第四回目を同年一〇月五日から一八日までに行うこととし、釧路健康管理所の健康管理医の意見に基づき、帯広局所属の被上告人外一名を被検者と決定し、同年九月一三日、被上告人に対し、帯広局岩渕運用部長を介して口頭で受診を指示するとともに、実施期間・場所・検診科名及び入院にあたつての注意事項等を記載した書面を手交し、その後も、受診に消極的な態度を示す被上告人に対して受診するよう説得に努め、同年一〇月三日には、被上告人に対し、右運用部長を介して右受診方の業務命令を発したが、被上告人がこれを拒否したため、更に検診日を一か月後に再設定することとし、同月二七日、右運用部長を介し、一一月九日から同月二二日まで検診を受けるよう業務命令を発したが、被上告人は、同年一〇月三〇日、「札幌逓信病院は信頼できない。」として右の業務命令をも拒否した。
(五) これより先、全電通道地本はかねて広報紙等を通じて前記労働協約で決定された総合精密検診実施の必要等を組合員に周知させていたが、同年八月二一日、公社から全電通道地本帯広分会に対して検診の対象者として帯広局の被上告人外一名が選定される予定である旨の通知を受けるや、右分会村上書記長は、即日右両名にその旨を伝達した。また、右分会は、被上告人が同年一〇月三日に発せられた総合精密検診の業務命令を拒否したことを重視し、全電通道地本に対して役員の派遣を要請した。これに応じて、全電通道地本は、一〇月一一日から一三日まで執行委員長ら執行部を帯広局に派遣し、被上告人に対して、総合精密検診の趣旨説明をするとともに、その受診方を説得したが、被上告人は、「札幌逓信病院は信頼できない」「業務災害認定解除のおそれがある」等の理由で受診に反対である旨を表明し、結局、全電通道地本執行部の説得を受け容れなかつた。
2 全電通道地本帯広分会執行部は、本件総合精密検診が労使確認事項であるとしながらも、被上告人が受診拒否の意向を有しており、業務命令発出という形にまで発展したことを重視し、同年一〇月九日午後三時から、帯広局局舎三階の会議室において、公社と団体交渉を行つた。団体交渉は非公開で行われたが、開始後間もなく、被上告人を含む一二名の女子職員が傍聴のため会場の会議室に立ち入り、右分会役員の退去指示にも従わず、一部の者が公開を要求して騒然となり、更に、同室前で分会長らと公開、非公開をめぐり問答し、結局、いつたん中断された団体交渉は再開されなかつた。被上告人は、この間、午後三時一五分ころから約一〇分間にわたり職場を離脱した。
3 公社は、同年一一月一四日、被上告人に対し、1の(四)の受診拒否は、公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」)に該当し、2の職場離脱は、同五九条一八号所定の懲戒事由(「第五条の規定に違反したとき」)に該当するとして、日本電信電話公社法(前記日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前のもの。)三三条に基づき、懲戒戒告処分(以下「本件戒告処分」という。)をした。

二 原審は、前記の事実関係に基づき、(一) 医療行為については、原則として、これを受ける者に、自己の信任する医師を選択する自由があるとともに、あらかじめその医療行為の内容につき説明を受けたうえで、これを受診するか否かを選択する自由があり、かつ、このことは、その医療行為が診察を目的とするものか、治療を目的とするものかにより、決定的な差異はない、(二) 公社がその健康配慮義務を尽すために行う施策が、職員に対して疾病につき診察、治療の医療行為を受けさせることをその内容とする場合には、その内容が当該職員の前記自由権の尊重につき考慮を払つたものでない限り、あるいは他にその自由権を制約するについて合理的な理由のない限りは、職員に対し、その施策の受容を承諾なくして強制することは許されないものというべきである、(三) 本件総合精密検診の被検者は、検診期間中における私的生活がかなり制限されるほか、必ずしも自己の信任しない医師により検診に必要な限度において、身体的侵襲を受けるとともに個人の秘密が知られることにもなるから、このような前記自由権に対する重大な制約を伴う検診については、他に合理的な理由のない限りは、被検者たる当該職員にその受診義務を課することはできないというべきである、(四) 一般に労働協約がその協約当事者以外の組合員たる個個の職員に対して直接に義務を負わせる効力を有することはあり得るとしても、それは組合が組合員たる職員のため処分権能を有する範囲あるいは組合員たる職員に対しその統制権能を及ぼし得る範囲に限られると解されるところ、医療行為につき組合員たる個個の職員の有する前記自由権は、本来その個人的領域に属し、組合といえどもこれを処分、制限することのできない事項であるというべきであるから、仮に公社と全電通道地本との間に締結された前記労働協約が、組合員たる個個の職員で長期罹患者等に該当する者に対し、直接に本件総合精密検診を受診すべき義務を課する趣旨を含むものとするならば、かかる労働協約はその部分につき無効というほかなく、したがつて、前記労働協約締結の事実をもつて、本件総合精密検診の受診義務を肯定するうえでの前記合理的理由があるとすることはできず、他に被上告人について前記合理的理由に該当する事実を認めるに足る証拠はない、(五) したがつて、本件総合精密検診は、法的義務の履行としてこれを強制することはできないものというべきであるから、被上告人にその受診を命ずる本件業務命令は無効であり、被上告人がこれを拒否したことをもつて公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当するということはできない、(六) 一〇分間の本件職場離脱という事由のみによつて、被上告人に対し、昇給時に昇給額の減額の効果をともなう本件戒告処分をすることは、その原因となつた行為と対比して著しく均衡を失し、社会通念上客観的妥当性を欠いているから、懲戒についての裁量の範囲を逸脱した違法があつて無効である、と判断した。

三 論旨は、要するに、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診を命ずる本件業務命令は無効であり、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたらないとした原審の判断には法令違背がある、というものであり、以下この点について検討する。
1(一) 一般に業務命令とは、使用者が業務遂行のために労働者に対して行う指示又は命令であり、使用者がその雇用する労働者に対して業務命令をもつて指示、命令することができる根拠は、労働者がその労働力の処分を使用者に委ねることを約する労働契約にあると解すべきである。すなわち、労働者は、使用者に対して一定の範囲での労働力の自由な処分を許諾して労働契約を締結するものであるから、その一定の範囲での労働力の処分に関する使用者の指示、命令としての業務命令に従う義務があるというべきであり、したがつて、使用者が業務命令をもつて指示、命令することのできる事項であるかどうかは、労働者が当該労働契約によつてその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによつて定まるものであつて、この点は結局のところ当該具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものということができる。
ところで、労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、その定めが合理的なものであるかぎり、個別的労働契約における労働条件の決定は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、法的規範としての性質を認められるに至つており、当該事業場の労働者は、就業規則の存在及び内容を現実に知つていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然にその適用を受けるというべきであるから(最高裁昭和四〇年(オ)第一四五号同昭和四三年一二月二五日大法廷判決・民集二二巻一三号三四五九頁)、使用者が当該具体的労働契約上いかなる事項について業務命令を発することができるかという点についても、関連する就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいてそれが当該労働契約の内容となつているということを前提として検討すべきこととなる。換言すれば、就業規則が労働者に対し、一定の事項につき使用者の業務命令に服従すべき旨を定めているときは、そのような就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいて当該具体的労働契約の内容をなしているものということができる。
そして、公社と公社職員との間の労働関係は、その事業のもつ社会性及び公益性から、一般私企業と若干異なる規制を受けることは否定できないが、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係とその本質を異にするものではなく、私法上のものということができ、また、公社就業規則の目的及び性質も私企業におけるそれと異なるところはないというべきであるから(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)、前述した業務命令の根拠及びその範囲に関する考え方は、公社と公社職員との関係においてもあてはまると解すべきである。
(二) 本件業務命令は、被上告人の罹患した頸肩腕症候群の早期回復を図ることを目的として総合精密検診の受診を命ずるものであり、安全及び衛生に関する業務命令ということができるが、前記の事実関係によれば、公社においては、職員の安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則で定めるほか、健康管理規程を設けている。労働基準法八九条二項によれば、安全及び衛生に関する事項については、特に細かい規定となりやすいため、就業規則とは別個に規則を定めることができるとされているところ、公社における右の健康管理規程は、右八九条二項所定の規則にあたるというべきである。そして、同条項所定の規則といえども、就業規則の一部であることは変わりはないのであるから、右の健康管理規程も就業規則としての性質を有しているものということができる。
2(一) 以上によれば、安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則及び健康管理規程の定めている事項がその内容において合理的なものであるかぎりにおいて公社と被上告人との間の具体的労働契約の内容となつているものということができる
以上の見地に立つて本件をみるに、前記のとおり、公社の健康管理規程は、二条二項において、一般的に職員の健康保持義務を定めるとともに、四条において、職員は、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない旨を規定し、更に、二四条において、検診の結果等により健康管理医が必要と認めたときは当該職員に精密検診を受けさせなければならないとするとともに、二六条において、健康管理医は、検診の結果等に基づき、要管理者につき、その病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定したうえ、当該職員を右指導区分に従い個別に健康管理指導を行うこととしていること、また、要管理者については、公社就業規則一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条においても、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。
以上の公社就業規則及び健康管理規程によれば、公社においては、職員は常に健康の保持増進に努める義務があるとともに、健康管理上必要な事項に関する健康管理従事者の指示を誠実に遵守する義務があるばかりか、要管理者は、健康回復に努める義務があり、その健康回復を目的とする健康管理従事者の指示に従う義務があることとされているのであるが、以上公社就業規則及び健康管理規程の内容は、公社職員が労働契約上その労働力の処分を公社に委ねている趣旨に照らし、いずれも合理的なものというべきであるから、右の職員の健康管理上の義務は、公社と公社職員との間の労働契約の内容となつているものというべきである。
(二) もつとも、右の要管理者がその健康回復のために従うべきものとされている健康管理従事者による指示の具体的内容については、特に公社就業規則ないし健康管理規程上の定めは存しないが、要管理者の健康の早期回復という目的に照らし合理性ないし相当性を肯定し得る内容の指示であることを要することはいうまでもない。しかしながら、右の合理性ないし相当性が肯定できる以上、健康管理従事者の指示できる事項を特に限定的に考える必要はなく、例えば、精密検診を行う病院ないし担当医師の指定、その検診実施の時期等についても指示することができるものというべきである。換言すれば、要管理者は、労働契約上、その内容の合理性ないし相当性が肯定できる限度において、健康回復を目的とする精密検診を受診すべき旨の健康管理従事者の指示に従うとともに、病院ないし担当医師の指定及び検診実施の時期に関する指示に従う義務を負担しているものというべきである。もつとも、具体的な労働契約上の義務の存否ということとは別個に考えると、一般的に個人が診療を受けることの自由及び医師選択の自由を有することは当然であるが、公社職員が公社との間の労働契約において、自らの自由意思に基づき、右の自由に対し合理的な制限を加え、公社の指示に従うべき旨を約することが可能であることはいうまでもなく(最高裁昭和二五年(オ)第七号同二七年二月二二日第二小法廷判決・民集六巻二号二五八頁)、また、前記のような内容の公社就業規則及び健康管理規程の規定に照らすと、要管理者が労働契約上負担していると認められる前記精密検診の受診義務は、具体的な治療の方法についてまで健康管理従事者の指示に従うべき義務を課するものでないことは明らかであるのみならず、要管理者が別途自ら選択した医師によつて診療を受けることを制限するものでもないから、健康管理従事者の指示する精密検診の内容・方法に合理性ないし相当性が認められる以上、要管理者に右指示に従う義務があることを肯定したとしても、要管理者が本来個人として有している診療を受けることの自由及び医師選択の自由を侵害することにはならないというべきである。
(三) 前記の事実関係によれば、被上告人は、昭和四九年七月、頸肩腕症候群に罹患している旨の診断がされ、同時に健康管理規程二六条所定の指導区分の「療養」にあたる要管理者として管理指導を受けることとなり、その後も、その症状の推移に従い、「勤務軽減」、「療養」、「要注意」等の指導区分にあたる者として管理指導を受けるとともに、昭和五〇年九月には右疾病につき業務上災害の認定を受けて災害補償を受けていたところ、被上告人の右疾病については、外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」の治療を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられず、本件当時も、担当職務について労務軽減の措置を受けたまま、電話番号簿の番号訂正等の軽易な机上事務に従事するのみで、本来の電話交換作業に従事できないでいた、というのである。
右の事情に照らすと、被上告人は、当時頸肩腕症候群に罹患したことを理由に健康管理規程二六条所定の指導区分の決定がされた要管理者であつたのであるから、前述したところによれば、被上告人には、公社との間の労働契約上、健康回復に努める義務があるのみならず、右健康回復に関する健康管理従事者の指示に従う義務があり、したがつて、公社が被上告人の右疾病の治癒回復のため、頸肩腕症候群に関する総合精密検診を受けるようにとの指示をした場合、被上告人としては、右検診について被上告人の右疾病の治癒回復という目的との関係で合理性ないし相当性が肯定し得るかぎり、労働契約上右の指示に従う義務を負つているものというべきである。
そして、原審の確定した前記事実関係によれば、公社が公社職員を対象として実施することとした頸肩腕症候群総合精密検診は、発症後三年以上を経過しても治癒しない頸肩腕症候群の疾病要因を追究して、その早期回復を図るための具体的方策を見出すことを目的とするものであるところ、右の疾病要因については、まだ医学的に十分な解明がされていないというのであるから、その疾病要因を究明するための右総合精密検診が、整形外科のみならず、内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門医による検診を実施したうえ、その各所見を総合的に検討することとしていること、及び右検診のために二週間程度の入院を必要としていることの合理性は否定し難いものというべきである。また、右総合精密検診の実施機関とされる札幌逓信病院は、公社が高度な医療技術により疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理に適した疾病の早期発見、早期治療を行う病院として設置した医療機関であつて、多岐にわたる検診科及び検診項目についての各専門科医の所見を総合して行うべき右総合精密検診を実施するために必要な人的及び物的条件を具備しているとみられるばかりか、同病院が公社内部の医療機関であつて、日頃から公社職員の健康管理に関与していることからすると、他の総合病院におけるよりも、検診を担当する各専門科医に公社職員の頸肩腕症候群の実態及び実施すべき総合精密検診の趣旨を伝達してその周知徹底を期することが比較的容易に行われ得るということも否定できないところである。そして、右のような方法による総合精密検診の実施については、公社と全電通道地本との間で協議がされ、全電通道地本においても右検診方法の合理性を承認したうえで前記労働協約を締結していることが窺われること等の事情をも併せ考慮すると、被上告人ら公社職員を対象とする右総合精密検診の内容・方法の合理性ないし相当性は十分これを肯定することができるものというべきである。
(四) なお、前記の事実関係によれば、被上告人は、本件当時、健康管理医等の管理のもとに、要管理者として健康管理規程所定の方法により健康回復のための指導を受ける一方、一か月あたり相当回数に上る継続的通院治療を受けていたというのであるが、このことから直ちに、被上告人が公社就業規則一六五条及び健康管理規程三一条所定の健康回復に関する努力義務を履行していたものと断定することはできず、かえつて、被上告人は、右のような継続的な治療を受けていたにもかかわらず、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられなかつたため、本件当時においても、労務軽減の措置を受けたまま、前記の軽易な机上作業に従事するのみで、本来の電話交換作業に復帰できないでいたというのであるから、当時被上告人には、なお、自己の健康回復に努め、本来の自己の職務に復帰できるように努力する義務が存続しており、また、この義務の履行としては、公社がより高度の医学的方策によるべきことを指示する限りは、その指示に従うべきであるというべきである。本件の総合精密検診は、総合病院の各専門科医による検診結果を総合して被上告人の疾病の原因及びその治療方法を究明し、その疾病の早期回復を企図するものであるというのであるから、単に従前の治療行為を繰り返すにとどまる場合と比較して、右総合精密検診の実施が被上告人の健康回復により資するものであるということも否定し難く、以上の事情にかんがみると、被上告人としては、公社就業規則及び健康管理規程上、公社の指示に従い、本件総合精密検診を受診することにより、その健康回復に努める義務が存したものというべきである。
(五) 以上の次第によれば、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診方を命ずる本件業務命令については、その効力を肯定することができ、これを拒否した被上告人の行為は公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたるというべきである。

四 そうすると、原判決が本件業務命令の効力を否定したうえ、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当しないとしたのは、法律の解釈適用を誤つたものであるといわざるを得ず、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがつて、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記の職場離脱が同条一八号の懲戒事由にあたることはいうまでなく、以上の本件における二個の懲戒事由及び前記の事実関係にかんがみると、原審が説示するように公社における戒告処分が翌年の定期昇給における昇給額の四分一減額という効果を伴うものであること(公社就業規則七六条四項三号)を考慮に入れても、公社が被上告人に対してした本件戒告処分が、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え、これを濫用してされた違法なものであるとすることはできないというべきである。したがつて、本件戒告処分は適法ということができ、その無効確認を求める被上告人の本件請求は理由がないというべきであるから、被上告人の請求を認容した第一審判決はこれを取り消したうえ、その請求を棄却すべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口正孝 角田禮次郎 高島益郎 大内恒夫)

(2)服装・身だしなみの自由

+判例(大阪高判H22.10.27)
要旨
争点
「伸ばした髭、長髪」をマイナス評価として賃金をカットし、担当職務を差別したこと、また、上司らが職員に髭を剃るよう執拗に迫った行為が違法か否か。
事案概要
(1) 郵便事業者Yの従業員Xは、伸ばした髭と長髪という外貌を理由に人事評価でマイナスに評価し、賃金をカットされるとともに担当職務を差別されたこと、また、上司らがXに、髭を剃るよう執拗に求められたことがいずれも違法行為であるとして、Yに、国家賠償法1条1項に該当する行為又は人事権を濫用した不法行為に基づき、損害賠償金等の支払を求め提訴した。
(2) 神戸地裁は、人事評価は裁量権を逸脱した違法なものと認め、上司らから髭を剃り、髪を切るよう繰り返し求められたことも、一定程度の精神的損害を受けたものとした。東京高裁もこれを維持した。
判決理由
〔賃金(民事)/賃金請求権と考課査定・昇給昇格・降格・賃金の減額〕
〔労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/業務命令〕
争点(1)(被控訴人のひげ・髪型が、身だしなみ基準に違反するか否か)について
Yにおける灘局基準1・2及び公社基準2が男性職員の髪型及びひげについて過度の制限を課するものというべきで、合理的な制限であるとは認められず、「顧客に不快感を与えるようなひげ及び長髪は不可とする」との内容に限定して適用されるべきものであること、Xの長髪及びひげが、これらの基準で禁止される長髪及びひげには該当しない。

争点(2)(担当業務を限定したことの違法性)について
Yが、平成18年4月以降、Xに「特殊」業務の「夜勤」のみに限定して担務指定した理由が、公社身だしなみ基準及び灘局身だしなみ基準に違反してひげを生やしたため窓口業務を担当することはできないとのYの判断に基づくものであると認められること、そのような判断に基づいて、Xに「特殊」業務の「夜勤」のみの担当を指定したことは、Yの裁量権を逸脱し、違法である。

争点(3)(本件各人事評価の違法性)について Yは、人事評価は懲戒処分と比べて使用者により広い裁量が認められているから、身だしなみ基準違反を理由に人事評価でマイナス評価をしたとしても、懲戒処分と異なって違法とはならないと主張する。しかしながら(中略)、長髪とひげを全面的に禁止することに合理性は認められず、他方で、長髪とひげは基本的に個人的自由に属する事柄である上、これに対する制約が勤務時間を超えて個人の私生活にも影響を及ぼすものであることに鑑みれば、裁量の範囲を逸脱していると評価せざるを得ない
争点(4)(被控訴人の上司らが、ひげをそるよう求めたことの違法性)について
A課長及びB課長ら灘局における被控訴人の上司による指導が違法である。
争点(5)(被控訴人に生じた損害及びその額)について 上司らからひげをそり、髪を切るよう繰り返し求められたことにより、一定程度の精神的損害を受けたと認められる。

+判例(福岡地小倉支決H9.12.25)東谷山家事件

+判例(東京地判S55.12.15)イースタン・エアポートモータース事件

(3)所持品検査等

+判例(H7.9.5)関西電力事件
理由
上告代理人松本正一、同野嶋董、同山田忠史、同竹林節治、同橋本勝の上告理由第一点の一ないし三及び五について
所論の各文書は、その元となる文書に代わる写しとしてではなく、それ自体が原本として提出されたものであり、記録によれば、その元となる文書の存在及び成立並びに右各文書がその写しとして作成された過程についての立証がされたという原審の認定も是認し得るところであるから、右各文書を証拠として採用した点に所論の違法はなく、その他右各文書の取調べの適否に関する原審の判断は、いずれも正当として是認することができる。したがって、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は、右と異なる見解に立って原判決を論難するか、又は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するものであって、採用することができない。

同第一点の四について
原審の認定するところによれば、所論の各文書又はその元となった文書が、窃取されたものとすることは困難であるし、仮に窃取されたものであるとしても誰が窃取したかは不明であるというのであり、右認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認するに足りる。そうであれば、上告人においてこれらの文書を保管中に紛失し、その不知の間に相手方挙証者である被上告人らの入手するところとなったというだけでは、右各文書の証拠能力は否定されないとした原審の判断は正当であって、原判決に所論の違法はない。証拠能力に関する立証責任についての所論を含め、論旨は、原審の認定しない事実をまじえ、独自の見解に基づいて原判決を論難するものであって、採用することができない。

同第二点及び第三点について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認するに足りるところ、これらを含む原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人は、被上告人らにおいて現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、被上告人らが共産党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外で被上告人らを継続的に監視する態勢を採った上、被上告人らが極左分子であるとか、上告人の経営方針に非協力的な者であるなどとその思想を非難して、被上告人らとの接触、交際をしないよう他の従業員に働き掛け、種々の方法を用いて被上告人らを職場で孤立させるなどしたというのであり、更にその過程の中で、被上告人水谷及び同三木谷については、退社後同人らを尾行したりし、特に被上告人三木谷については、ロッカーを無断で開けて私物である「民青手帳」を写真に撮影したりしたというのである。そうであれば、これらの行為は、被上告人らの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものであり、また、被上告人三木谷らに対する行為はそのプライバシーを侵害するものでもあって、同人らの人格的利益を侵害するものというべく、これら一連の行為が上告人の会社としての方針に基づいて行われたというのであるから、それらは、それぞれ上告人の各被上告人らに対する不法行為を構成するものといわざるを得ない。原審の判断は、これと同旨をいうものとして是認することができる。また、原判決が上告人による行為として認定判示するところは、右に説示した限りにおいて、不法行為としての違法性評価が可能な程度に各行為の態様を示しており、その特定に欠けるものではない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、前記説示と異なる見解に立ち若しくは原判決を正解せずにこれを非難するか、又は原判決の結論に影響しない説示部分を論難するものであって、採用することができない。

同第四点について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人らが本件損害及び加害者を知ったのは、労務管理懇談会の報告書を見た昭和四六年のことであって、本訴請求権は時効によって消滅していないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解せず、又は右と異なる見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)

++解説
《解  説》
一 本件は、上告人会社が七〇年(昭和四五年)安保改定期に予想される破壊活動からの企業防衛を標ぼうして、共産党員及びその同調者の孤立化・排除のために実施した労務対策につき、それが思想の自由及びプライバシーの侵害等に当たり不法行為を構成するとして、右対策の対象とされた被上告人ら四名が、上告人会社に対し各自二八七万一〇〇〇円の損害賠償及び謝罪文の掲示を求めた事案である。一審(神戸地判昭59・5・18労民三五巻三=四号三〇一頁)、原審(大阪高判平3・9・24労民四二巻五号七五二頁)とも、不法行為の成立を認め、損害賠償として、各自に対する九〇万円(慰謝料八〇万円、弁護士費用一〇万円)の支払を命ずる限度で請求を認容した(それを超える損害賠償及び謝罪文の掲示は棄却)。
原判決は、被上告人らが上告人会社の企業秩序を破壊びん乱するなどのおそれを認めさせる証拠は何もなく、同人らが共産党員ないしその同調者であるという理由のみで右のおそれと関連づけることはできないとした上で、上告人会社が、職制を通じて、職場の内外で監視態勢を継続し、尾行、外部からの電話の相手方の調査、ロッカーの無断開扉等を行い、また、他の従業員との接触や交際をしゃ断して職場で孤立させ、職場八分を実現しようとしたことなどを認め、これらは、労務対策の方針に基づいてされた一連の行為であって間接的に転向を強要するものであり、また、使用者の従業員に対する監督権の行使として許される限度を超え、従業員らの思想信条の自由及びプライバシーを侵害し、職場における自由な人間関係の形成を阻害するとともに、その名誉を毀損し、人格的評価を低下させたものである旨判示していた。
本判決は、原審の認定事実を基に判決要旨に掲げた事実を抽出し、この事実関係の下においては、一連の行為は、「職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであって、人格的利益を侵害する不法行為に当たる」と判示した。

二 三菱樹脂事件に関する最大判昭48・12・12民集二七巻一一号一五三六頁、本誌三〇二号一一二頁は、憲法一四条、一九条等の私人間適用を否定しつつ、私人間の関係における社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護する方途として、不法行為に関する規定等の適切な運用を挙げている。労働基準法三条は、労働者の信条を理由とする労働条件についての差別的取扱いを禁止しており、最二小判昭63・2・5労判五一二号一二頁は、企業内においても、労働者の思想、信条等の精神的自由は十分尊重されるべきであると判示している。また、労使関係においてもプライバシーが尊重、保護されるべきものであることも、異論はないであろう。
他方、企業は、企業秩序を維持確保するため、これに必要な規制、指示、命令、調査、懲戒処分等をすることができる(最一小判昭49・2・28民集二八巻一号六六頁、本誌三〇七号一八二頁、最三小判昭52・12・13民集三一巻七号一〇三七頁、最三小判昭54・10・30民集三三巻六号六四七頁、本誌四〇〇号一三八頁)。また、使用者は、人事管理、労務管理、諸手当の算定、福祉制度の実施等のため、労働者の個人情報を把握する必要があり、右の企業秩序維持の観点から労働者の動静を把握する必要を生ずる場合があることも否定できない。しかし、企業秩序維持の権限はその本質に伴う限界があり、労働者は企業の一般的支配に服するものということはできない(前記最三小昭和五二判)。労働者の人格や自由に対する制約となるような使用者の行為は、企業の円滑な運営上必要かつ合理的な目的によって行われる必要があり、しかも、その場合であっても、具体的行為の内容につき、その必要性、合理性、手段方法としての相当性を欠くときは、違法と評価されるものというべきであろう(菅野和夫・労働法三版三三一頁、山田省三「職場における労働者のプライバシー保護」日本労働法学会誌七八号四〇頁。なお、最二小判昭43・8・2民集二二巻八号一六〇三頁参照)。本判決は、一般論を説示してはいないが、一審、原審と同様、こうした観点から不法行為の成否を判断したものとみられる。

三 いわゆる村八分のような共同絶交行為は、人の社会的自由に不当な干渉を加えると同時に、人の精神的自由ないし精神的安定の侵害を伴うのを通例とし、名誉の侵害にもなるとされる(幾代通著=徳本伸一補訂・不法行為法八五頁、大判大10・6・28民録二七輯一二六〇頁。なお、大阪地判昭55・3・26労判三三九号二七頁参照)。本件での孤立化は、当人たちにその旨を告知してされたものではなく、それが本人に分かるような形で実行されたものでもないため、直接精神的安定を侵害したとはいえない。しかし、本判決は、職場において自由な人間関係を形成する自由を侵害するとともに、名誉を毀損するものと評価している。なお、右のように会社の行為がその当時当人たちに対して明らかではなかった本件事案につき、「間接的に転向を強要するものである」という理由をもって、思想信条の自由を侵害するとした原判決の説示は、そのままでは採用し難いためか、本判決は、このような説示は避けている。
本判決は、事例判断ではあるが、①労使間におけるプライバシー、思想信条の自由その他の自由の保護と企業の労務指揮権、監督権、企業秩序維持権能との関係、②職場八分的行為による被侵害法益等の問題を踏まえたものであり、注目すべき判断を示したものといえよう。

+判例(S43.8.2)西日本鉄道事件
理由
上告代理人諌山博の上告理由第一点ないし第四点について。
論旨は、要するに、被上告会社の就業規則(以下たんに就業規則という)八条所定の所持品検査には靴の中の検査が含まれるとして、上告人が所持品検査にあたり脱靴を拒否したことが就業規則の右条項に違反し、五七条、五八条の懲戒解雇違由に該当するとした原審の判断が、これら就業規則条項の解釈適用を誤り、憲法一一条ないし一三条、三一条、三五条に違反するものである、という。
おもうに使用者がその企業の従業員に対して金品の不正隠匿の摘発・防止のために行なう、いわゆる所持品検査は、被検査者の基本的人権に関する問題であつて、その性質上つねに人権侵害のおそれを伴うものであるから、たとえ、それが企業の経営・維持にとつて必要かつ効果的な措置であり、他の同種の企業において多く行なわれるところであるとしても、また、それが労働基準法所定の手続を経て作成・変更された就業規則の条項に基づいて行なわれ、これについて従業員組合または当該職場従業員の過半数の同意があるとしても、そのことの故をもつて、当然に適法視されうるものではない問題は、その検査の方法ないし程度であつて、所持品検査は、これを必要とする合理的理由に基づいて一般的に妥当を方法と程度で、しかも制度として、職場従業員に対して画一的に実施されるものでなければならない。そして、このようなものとしての所持品検査が、就業規則その他、明示の根拠に基づいて行なわれるときは、他にそれに代わるべき措置をとりうる余地が絶無でないとしても、従業員は、個別的な場合にその方法や程度が妥当を欠く等、特段の事情がないかぎり、検査を受忍すべき義務があり、かく解しても所論憲法の条項に反するものでないことは、昭和二六年四月四日大法廷決定(民衆五巻五号二一四頁)の趣旨に徴して明らかである。
いま、これを本件についてみるのに、被上告会社は、電車、バス等による陸上運輸業を営むものであり、かねてから、乗務員による乗車賃の不正隠匿を摘発、防止する目的をもつて、就業規則に八条として、「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」との規定を設け、右の「所持品」とは身に着けている物のすべてをいうとの見解のもとに、乗務員の鞄等の携帯品や着衣、帽子および靴の内部にわたつて検査を行ない、相当の成果を納め、隠匿箇所も、着衣、鞄、靴の中が目立つて多かつた。ところが、昭和三三年八月頃、所持品検査の際における一検査員の態度が問題となつたところから、被上告会社と上告人の所属する西日本鉄道株式会社労働組合北九州地区支部との間において、同年九月下旬から一〇月下旬頃までの間三回にわたり話合いが行なわれ、その席上、右支部組合によつて所持品検査の際には脱靴すべきものとの従来の方針があらためて確認され、続いて昭和三五年三月四日、被上告会社から右支部組合に対し、従来靴の中の検査は必ずしも画一的に実施されてきたわけではないが、以後検査場の施設を改善することによつて規定どおり励行するから協力されたい旨を申し入れ、組合側もこれを了承し、なお、両者間において、右の旨を組合員に周知させる猶予期間を置くため実施は同月七日以降とすること、検査にあたつては乗務員の人権を尊重し、感情に走ることがないよう、会社側において監督者の教育を十分に行なうこと、人権問題が生じたときは労使協議会で話し合うこと等の申合せがなされ、組合側は、同月四日付けの機関紙にこれらの事項を掲載し、上告人を含む全組合員にその旨を周知徹底させた。そして、上告人の勤務する到津電車営業所においては、とりあえず、検査場に当てられている補導室のコンクリート床上に踏板を敷き並べ、入口の部分を除いて同室を板張りのようにして、検査員から指示がなくても自然に脱靴せざるを得ないような仕組みに改め、会社側提案の前記方法による所持品検査が、まず同月七日約四〇名の乗務員に対し、次いで同月一一日上告人ら四六名の乗務員に対して実施された。上告人は、被上告会社の電車運転士であつて、同日午後一一時二〇分頃の乗車勤務終了直後、同営業所乗客係Aより所持品検査を受けるよう指示を受け、補導室に赴いたが、靴は所持品ではない、本人の承諾なしに靴の検査はできない筈だといつて、上司たる検査員Bの指示があつたにもかかわらず、踏板の上に帽子とポケツト内の携帯品を差し出しただけで、ついに脱靴には応じなかつた。なお、右Bは検査の直前、その上司から靴の中の検査も実施するよう指示されると同時に、行き過ぎや被検査者に対する感情の刺激のないよう、とくに注意され、右検査の際も上告人の感情を刺激しないように努めたもので、上告人のほか、所持品検査において脱靴を拒否した者はいなかつた。被上告会社は、上告人の脱靴の拒否が就業規則八条に違反し、五八条三号の「職務上の指示に不当に反抗し……職場の秩序を紊したとき」に該当するとして、同年七月二一日付けで上告人を懲戒解雇処分に付した。以上の事実は、原判決およびその引用する第一審判決の適法に確定するところである。
そして、脱靴を伴う靴の中の検査は、所論のごとく、ほんらい身体検査の範疇に属すべきものであるとしても、右の事実関係のもとにおいては、就業規則八条所定の所持品検査には、このような脱靴を伴う靴の中の検査も含まれるものと解して妨げなく、上告人が検査を受けた本件の具体的場合において、その方法や程度が妥当を欠いたとすべき事情の認められないこと前述のとおりである以上、上告人がこれを拒否したことは、右条項に違反するものというほかはない。また就業規則五八条三号にいう「職務上の指示」について、所論のごとく脱靴を伴う所持品検査を受けるべき旨の指示をとくに除外する合理的な根拠は見出し難い。そして、懲戒解雇処分にいたるまでの経緯、情状等に関する原審確定の事実に徴すれば、上告人の脱靴の拒否が就業規則五八条三号所定の懲戒解雇事由に該当するとした原審の判断も、所論の違法をおかしたものとは認めえない。 
原判決には叙上と理由を異にする点はあるが、その結論は正当であり、論旨は、排斥を免れない。

同第五点について。
論旨は、本件懲戒解雇は解雇権を濫用したもので無効であるという。
しかし、原判決およびその引用する第一審判決の確定した事実関係のもとにおいて、解雇権の濫用は認められないとした原審の判断は是認することができ、論旨は採用できない。
なお、上告人提出の上告理由書の記載は民事訴訟規則所定の方式を備えないので、判断を加えない。よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

+判例(浦和地判H3.11.22)日立物流事件

(4)職場のIT化とプライバシー

・メールが職務専念義務違反になるか?
←社会通念上相当か。
+判例(東京地判H15.9.22)グレイワールドワイド事件
要旨
争点 会社のパソコンを使った私用メールや競合会社への転職あっせん行為などが解雇の合理的な理由に当たるかが争われた事案
事案概要 会社のパソコン等を利用して私用メールを送受信することが、職務専念義務に違反するか否か、取引先や友人宛てて上司を批判し、会社の対外的信用を害しかねない行為を繰り返すことは、誠実義務に反するか否かが争われた事案。  

判決理由 〔労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/服務規律〕
(中略)イ 就業時間中の私用メール
(中略)(イ) 労働者は、労働契約上の義務として就業時間中は職務に専念すべき義務を負っているが、労働者といえども個人として社会生活を送っている以上、就業時間中に外部と連絡をとることが一切許されないわけではなく、就業規則等に特段の定めがない限り、職務遂行の支障とならず、使用者に過度の経済的負担をかけないなど社会通念上相当と認められる限度で使用者のパソコン等を利用して私用メールを送受信しても上記職務専念義務に違反するものではないと考えられる。
(中略)被告においては就業時間中の私用メールが明確には禁じられていなかった上、就業時間中に原告が送受信したメールは1日あたり2通程度であり、それによって原告が職務遂行に支障を来したとか被告に過度の経済的負担をかけたとは認められず、社会通念上相当な範囲内にとどまるというべきであるから、上記(ア)のような私用メールの送受信行為自体をとらえて原告が職務専念義務に違反したということはできない
以上を前提に本件解雇が解雇権の濫用にあたるか否かを検討するに、被告の主張する解雇事由のうち、就業規則上の解雇事由(就業規則35条1項5号)に該当するといえるのは、私用メールによる上司への誹謗中傷行為(上記(1)ウ)及び他の従業員の転職あっせん行為(同カ)のみであり、後者については前記のとおり背信性の程度が低いこと、原告が、本件解雇時まで約22年間にわたり被告のもとで勤務し、その間、特段の非違行為もなく、むしろ良好な勤務実績を挙げて被告に貢献してきたことを併せ考慮すると、本件解雇が客観的合理性及び社会的相当性を備えているとは評価し難い。 
したがって、本件解雇は解雇権の濫用にあたり無効である。
〔解雇/解雇事由/会社批判〕
ウ 上記イの私用メールにおける上司の誹謗中傷
(ア) 証拠(〈証拠略〉、証人C)によれば、原告が就業時間中に被告の取引先や競合会社の従業員を含む友人らに送信した私用メールの中には、被告が行った人事についての不満や、「アホバカCEO」、「気違いに刃物(権力)」など上司に対する批判が含まれていることが認められる
(イ) 私用メールの送受信行為自体が直ちに職務専念義務違反にはならないとしても、その中で上記のような被告に対する対外的信用を害しかねない批判を繰り返す行為は、労働者としての使用者に対する誠実義務の観点からして不適切といわざるを得ず、就業規則35条1項5号に該当する。 
〔解雇/解雇事由/守秘義務違反〕
(ア) 証拠(〈証拠略〉、証人C、原告本人)によれば、平成13年5月30日、原告が、同月28日に実施された被告の従業員の昇格人事の一覧(個人名及びその新しい肩書が併記されたもの)を被告の元社員2名にメールで送信したこと、原告が被告から入手した同一覧の末尾には「この文書とそれが送信されたファイルは機密であり、同文書に記載されている個人及び組織の使用目的のものです。」という意味の英文が付されていたこと、同英文は被告からのメール送信に際して自動的に付される処理がなされていたことが認められる。
(イ) 上記(ア)の事実関係からすると、被告の送信するメールに機密文書であることを示す英文が付されているからといって、その内容が常に被告にとって実質的な営業上の機密にあたるものとは断定できず、むしろ、上記(ア)の昇格人事については、原告のメール送信以前に既に実施されており、外部に対しても早晩明らかになるべき事項であると考えられるから、被告にとって実質的な営業上の機密にはあたらないというべきである(中略)
したがって、原告の上記行為は秘密漏洩行為にはあたらない。
(中略) (イ) 労働者が上司を批判することについては、これが一切許されないというわけではなく、その動機、内容、態様等において社会通念上著しく不相当と評価される場合にのみ解雇事由となり得るものと解される
本件では、B自身が、原告の文書送付以前に、被告の従業員に対して上記(ア)のような発言をしていたものであり、同人が真意から忌憚のない意見具申を期待していたかどうかはともかく、これを聞いた原告が同発言中の「会社に関して日本のマネージメントに言えないようなこと」には被告または被告の経営陣に対する批判にあたる事項が含まれると考えたとしてもやむを得ないし、1回目の文書送付(平成12年10月10日付け書面)から3回目の文書送付(平成13年5月付け書面)までに約7か月も経っているのに、その間、Bや被告における原告の上司が原告に対してこの件につき何ら注意や処分を行った形跡はないこと、これらの文書の中に客観的事実と異なる部分があるとしても、原告が各文書送付当時の自己の認識に照らし明らかに虚偽の事実を記載して被告の経営陣を陥れようとしたとまでは認められないこと、また、この種の文書は作成者の主観が多分に混入しがちであるところ、読み手であるBは、被告の経営陣から直接事情を聴くなどしてその内容を検証し得る立場にあること等の諸事情を考慮すると、これらの文書送付が就業規則35条1項4号、5号に該当するということはできない。
カ 他の従業員の転職あっせん
(中略) (イ) 労働者が、他の従業員の競合他社への転職をあっせんする行為は、使用者が必要とする従業員数を減少させて、その企業活動を妨げるとともに、競合他社の企業活動を支援するものであるから、使用者に対する背信行為と評価すべきであり、原告の上記(ア)の行為も広い意味ではそのような背信行為として就業規則35条1項5号に該当する。
もっとも、原告は、既に被告を退職することを決めていたDからの依頼に応じて同人を競合他社に勤める知人に紹介したにとどまり、それ以上の関与はしていないことや、結果としてDは退職後に同社への就職はしなかったことを考慮すると、その背信性の程度は低いというべきである。
(中略)以上を前提に本件解雇が解雇権の濫用にあたるか否かを検討するに、被告の主張する解雇事由のうち、就業規則上の解雇事由(就業規則35条1項5号)に該当するといえるのは、私用メールによる上司への誹謗中傷行為(上記(1)ウ)及び他の従業員の転職あっせん行為(同カ)のみであり、後者については前記のとおり背信性の程度が低いこと、原告が、本件解雇時まで約22年間にわたり被告のもとで勤務し、その間、特段の非違行為もなく、むしろ良好な勤務実績を挙げて被告に貢献してきたことを併せ考慮すると、本件解雇が客観的合理性及び社会的相当性を備えているとは評価し難い。 
したがって、本件解雇は解雇権の濫用にあたり無効である。
〔賃金(民事)/賃金請求権の発生/賃金請求権の発生時期・根拠〕
(中略)(1) 原告の月額賃金のうち、通勤手当2万1160円(〈証拠略〉)については、就労のために要した実費を補償する趣旨で支給されるものであると解され、現実に就労しなかった解雇期間中はその支給の前提を欠くから、原告が被告に請求し得る月額賃金は同手当を除いた52万3900円である。(中略)
(3) 将来請求
原告は、口頭弁論終結後に支払期日が到来する賃金についても請求しているが、本件のように労働契約上の権利を有する地位の確認と未払賃金を併せて請求している場合には、本判決確定後に支払期日が到来する賃金については予め請求する必要性があるとはいえず、同部分に係る訴えは却下することとする。
(4) したがって、被告は、原告に対し、〈1〉本件解雇後である平成13年10月から本訴提起日であることが記録上明らかである平成14年6月14日までの未払賃金合計628万6800円(523,900×8+1,257,360+838,240=6,286,800)及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである同年7月2日から支払済みまで商事法定利率である年6分の割合による金員、〈2〉同年6月25日から本判決確定に至るまで毎月25日限り各52万3900円、毎年6月10日限り83万8240円、毎年12月10日限り125万7360円及び各支払期日の翌日から支払済みまで商事法定利率である年6分の割合による金員の各支払義務がある。

・モニタリング

+判例(東京地判H14.2.26)日経クイック情報電子メール事件
第3 当裁判所の判断
1 不法行為〈1〉について
まずもって,使用者の行う企業秩序違反事件の調査に対する労働者の協力義務については次のように解される。すなわち,企業秩序は,企業の存立と事業の円滑な運営の維持のために必要不可欠なものであるから,企業は企業秩序を定立し維持する権限を有する。他方,労働者は労働契約の締結によって当然に企業秩序の遵守義務を負う。したがって,企業は,具体的な規則を定めるまでもなく当然のこととして,企業秩序を維持確保するため,具体的に労働者に指示,命令することができ,また,企業秩序に違反する行為があった場合には,その違反行為の内容,態様,程度等を明らかにして,乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示,命令を発し,又は違反者に対し制裁として懲戒処分を行うため,事実関係の調査をすることができる
しかしながら,上記調査や命令も,それが企業の円滑な運営上必要かつ合理的なものであること,その方法態様が労働者の人格や自由に対する行きすぎた支配や拘束ではないことを要し,調査等の必要性を欠いたり,調査の態様等が社会的に許容しうる限界を超えていると認められる場合には労働者の精神的自由を侵害した違法な行為として不法行為を構成することがある
そこで,以下検討する。
(一) 誹謗中傷メール事件の調査の必要性と原告との結びつきについて
(1) 前記争いのない事実等(四)(1)に,証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を併せれば,次の事実が認められ,これを覆すに足りる適切な証拠はない。
被告会社は,前記争いのない事実等(四)(1)(ア)の苦情を受けて,被告丁嶋らをして,まず,誹謗中傷メールの内容とともに,メールサーバーに保管されているメールの送受信ログ(送受信者と送信端末が記録されているファイル)を分析させ,その結果,次の事実が判明した。
〈1〉 誹謗中傷メールの内容は,川城と谷山とが接近することを阻害する趣旨で谷山に対し,同人の言動により川城を始め多くの者が不快感・嫌悪感を持っている,苦情が出ている,同人が仕事をせず,任務懈怠行為や業務妨害を行っている,異常である,このままだと重大な結果を招く,最終局面を迎えるなどとして,同人を非難するなどのものであり(〈証拠略〉),誹謗中傷メールの送信は何者かが悪意に基づいて谷山に対し不快感等を与える意図で行った行為である。
〈2〉 その中で,川城とのやり取りをはじめ谷山の言動を詳しく指摘している。
〈3〉 その中で,谷山のメールの内容等を引用しているところ,原告は谷山が以前使用していたパソコンを預かったことがある。また,原告は川城と親しい間柄であった。
〈4〉 誹謗中傷メールの発信者は,誹謗中傷メールを共有端末から,フリーメールサービスの電子メールアドレス(インターネット上の無料メールアドレス)である「xyza@geocities.co.jp」を使って谷山の社内の電子メールアドレスである「aaaa@ijk.co.jp」に対して送信した。
〈5〉 誹謗中傷メールとほぼ同時期に,共有端末を使用して,「xyza@geocities.co.jp」から原告の社内の電子メールアドレスである「efgh@ijk.co.jp」に対して6通の電子メールが送信されている。
〈6〉 誹謗中傷メールとほぼ同時期に,同共有端末を使用して,xyza@geocities.co.jpから原告の個人の電子メールアドレスであるabcd@geocities.co.jpへのメール2通が送信されている。
〈7〉 共有端末を使用して電子メールを送信した記録は,〈4〉ないし〈6〉しか存在しなかった。
〈8〉 誹謗中傷メールとほぼ同時期に,原告の机の上の端末を使用して,「efgh@ijk.co.jp」から「xyza@geocities.co.jp」に対して電子メール1通が送信されている。
〈9〉 被告会社の調査では,社内でジオシティの電子メールアドレスで交信しているのは,原告と川城と田上好子の3名であった。
(2) これらの事実から,誹謗中傷メールの送信者が,谷山及び川城にごく近い立場の被告会社の社員であることは明らかであり,その内容が谷山の言動を事細かに指摘し,非難し,皆から嫌われているとするなど,その送信は違法性を有すると考えられ,谷山の申出で(ママ)に応じて発信者を特定して防止措置を講じることはもちろん必要であり,のみならず,それは企業秩序を乱す行為であり,就業規則(3条のほか,29条の1,2,10項,55条の1,5,8,12項)に照らして懲戒処分の対象となる可能性があるから,その観点からいっても速やかに調査の必要がある。そして,メールの送受信記録,原告と川城の関係,原告が谷山のパソコンを預かったことからすると,原告が誹謗中傷メールの送信者であると疑う合理的理由があったから,原告に対し事情聴取その他の調査を行う業務上の必要があったということができる。
これに対し,原告は,原告よりむしろ,川城自身,山井,田上好子,これらの者に近い者,谷山に近い営業第2部の者,被告丁嶋,訴外神内などが誹謗中傷メールの送信者であると疑うべき理由があり,これらの者を調査することなく原告を調査する合理的理由はない旨種々主張するが,採用できない。また,(証拠略)によると,誹謗中傷メールが送信された11月29日に原告が会社から外出した事実が認められるが,送信した時間帯には在社した可能性があることまでは否定されない(〈証拠略〉。なお,乙3の3頁の11月29日午前9時45分送信の誹謗中傷メールには「これから外出するので意見がある場合はメールでください。」と記載されているのであり,かえって原告の行動と一致する。)(ママ)
なお,この時点で被告らがファイルサーバー等を調査して私用メールと思われるメールの内容を入手したことはない(被告丁嶋24ないし47項,被告乙島4ないし11頁。原告の8月6日尋問調書7頁はこれを覆すに足りるものではない。)。
(二) 第1回事情聴取(平成11年12月17日)の状況について
(1) 前記争いのない事実等(四)(2)に,証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を併せれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる適切な証拠はない。
(ア) この際,主に被告乙島が原告に対する質問をし,同丙崎,同戊木はさしたる発言はしなかった。同被告らは被告乙島をたしなめるなど原告を擁護することもなかった。
(イ) 被告戊木は,原告が誹謗中傷メールの送信者であるとすると原告の上司としてその監督責任を問われる立場にあった。
(ウ) 被告乙島は,もともと声が大きくぶっきらぼうな話し方であるが,この際も大きな声で発言していた。原告も入室時点から身構えた様子で,質問に対し円滑に回答するという状況ではなかった。
(エ) やり取りの内容には次のようなものがあった。
〈1〉 被告乙島が,まず,誹謗中傷メール事件の概要を説明した。その中で発信者のメールアドレスがジオシティであることを指摘し,誹謗中傷メールの送信者のメールアドレスと原告のメールアドレスとの間に交信があることを告知した,(ママ)しかし,詳細な内容や客観的な証拠を示すことはなかった。
〈2〉 その後,原告に対し,ジオシティのメールアドレスを有しているか,田上と川城のジオシティのメールアドレスを作成してやったかを質問し,原告は肯定した。
〈3〉 さらに3人以外にジオシティのメールアドレスを保有する者が社内にいるか質問し,原告は知らないと答えた。
〈4〉 誹謗中傷メールの送信者のメールアドレスと原告のメールアドレスとの間の交信の内容を質問したが,原告は,交信の事実は忘れた,内容は知らないなどと述べて話が進展しなかった。
〈5〉 原告は,自分の机の上のパソコンをのぞけば,誰でも原告のメールアドレスを知ることができ,他人がそれを使って誹謗中傷メールを発信できるなどと反論し,最後まで誹謗中傷メールの発信者であることを否定した。その他,原告は自分が疑われる合理的な根拠がないと認識し,十分に反論するなどしており,意に反して事実関係を認めさせられたようなことはなかった。
〈6〉 原告が被告乙島に対し技術的な観点から反論し,同被告はこれに十分対応できなかったため,質問を終了した。
(オ) 同被告らは質問の結果,原告が誹謗中傷メールの発信者であると判断はできなかったが,その疑いを解いたわけでもなかった。
(カ) 質問時間は約30分間であった。
(2) 原告は前記(一)(1)(ア)のとおり主張し,(証拠略)にはこれに副う部分がある。しかし,このうち,同被告らが「原告が実行者と思われる。」「お前がやったんだ。」など,原告が犯人であるとして激しい口調で事実を認めるようにと追及したとの点については,上記やり取りの経過,特に,被告乙島は客観的な証拠を示すことなく質問し,原告から技術的な観点からの反論に十分対応できなかったため,質問を終了したことに照らすと,これを否定する同被告らの供述に比べて直ちに採用できない。他に,原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
(三) 不法行為該当性について
そこで上記認定事実に基づいて検討するに,本件は,社内における誹謗中傷メールの送信という企業秩序違反事件の調査を目的とするもので,かつ,原告にはその送信者であると合理的に疑われる事情が存するのであるから,原告から事情聴取をする必要性と合理性は強く認められる。また,その態様を見ると,質問の声が大きく,また,仮に同じ質問が繰り返してなされたとしても,他方,事情聴取の時間は30分程度であること,原告が送信者であればその監督責任を追及されるべき立場の被告戊木が同席していること,冒頭に事情聴取の趣旨を説明した上で開始していること,質問内容等も特に不適切なものではなく,強制にわたるものとまでは認めがたいことからすると,第1回事情聴取は社会的に許容しうる限界を超えて原告の精神的自由を侵害した違法な行為であるとはいえない。なお,誹謗中傷メールの詳細な内容等を明らかにせずに行ったことも,原告が送信者と疑われる以上,手の内を示すことによる今後の調査への影響を考慮せざるを得ず,不当なこととはいえない。

2 不法行為〈2〉(「私用メール関係」)について
(一) 認定事実
前記争いのない事実等(四)(3),(4)に,証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨を併せれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる適切な証拠はない。
(1) 第1回事情聴取後,被告会社は,誹謗中傷メール事件の犯人が原告であることの裏付け資料を入手するため,被告乙島と同丙崎が被告丁嶋らに指示して,平成11年12月下旬ころ,被告会社が所有し管理するファイルサーバーの「個人使用」の領域の内,原告が使用していた部分を調査したが,誹謗中傷メール事件と原告の結びつきを示す有力な資料は見あたらなかった(〈証拠略〉)。
そこで,上記ファイルサーバーの12月上旬に取得されたバックアップテープを調査したところ,原告が使用していた「個人使用」の領域から,原告のメールの送受信ファイル,業務と関係のないパリ留学用の経歴書,社員の画像ファイルにいたずら書きしたものなどが,多数見つかった(〈証拠略〉)。
これらは,主に原告が平成11年4月から12月にかけて社内において「efgh@ijk.co.jp」のメールアドレスを使って川城(「lmno@geocities.co.jp」及び川城の電子メールアドレスである「m-mn@a3.mnx.ne.jp」)に対し送信していた多数の私用メールや,自宅から「abcd@geocities.co.jp」から「efgh@ijk.co.jp」宛てに送信している電子メールで,業務に関連するものが混在した状態で発見された。その一部で,勤務時間中に送信されたと思われる私用メールがある程度固まった状態になっていた部分を取り出したのが,乙7(そのリストは乙5の1)であるが,その中の,ジオシティのメールアドレスで送受信されたものの中にも,その題名及び内容から業務に関連する部分を含んでいることが窺えるものが相当数ある(原告準備書面(二)7頁,最終準備書面1,2頁参照)。例えば,(証拠略)の1の1枚目8行目及び18行目,2枚目3行目及び15行目,3枚目4行目及び13行目,11枚目14行目,13枚目8行目及び9行目などである。また,自宅から転送したものの中にも業務に関連するものがある(原告準備書面(二)9,10頁参照)。
被告会社は,この調査に際して原告所有ないし専用パソコン機器又は原告所有のフロッピイディスクを調査したことはない(〈証拠・人証略〉)。
(2) 上記調査結果の報告を受けて,被告乙島及び同丙崎は,被告丁嶋及び神内に内容を確認しやすいように印刷するよう指示し,被告丁嶋らは乙7を作成した。その結果,被告乙島らは,まず,誹謗中傷メール事件については,原告が川城と親しい間柄であることが確認でき,原告には誹謗中傷メールを送信する動機があるものの,確実な証拠が見あたらなかったので,この件で原告を処分することは無理であると考えたが,再度の事情聴取は必要であると判断した(〈証拠・人証略〉)。
(3) その後,12月末及び翌12年1月7日の被告会社の経営戦略会議において,調査状況が報告され,被告会社社長ら常勤の取締役も乙7を閲覧した。会議の結果,誹謗中傷メール事件については,原告が否認している状況であり,処分は予定しないこと,私用メール事件については,過度に私用メールを行っている社員が発見された以上,原告に事情聴取の上,譴責程度の処分をすることが相当であるとの結論となった(〈証拠略〉)。
(4) 乙7を閲覧したのは,調査ないし処分の決定に関与した被告ら4名及び神内,被告会社社長ら常勤の取締役だけである(〈証拠略〉)。
(5) 原告は,退職前に被告戊木らに,私用メールのデータを削除等するよう求めたが,被告会社は,これに応じず,現在も乙7のものを含め本件データなどを保有している。なお,被告会社は,これらのデータをバックアップテープから一旦,ファイルサーバーのハードディスクに移動したが,調査終了後これを消去したため,現在はバックアップテープ上にのみ存在する。バックアップテープ上の一部の情報のみを消去することは技術的に不可能であるが,データをバックアップテープから一旦,ファイルサーバー上のハードディスクに移動し,特定のデータだけを消去した後に,残りのデータをバックアップテープに書き込むことにより一部の情報のみを消去することは可能である(〈証拠略〉)。
(6) 本訴請求にかかるメールファイルその他のデータは,少なくともその一部は別途原告が所持し,又は原告においてデータを具体的に利用する予定はないものである(〈証拠略〉)。
(7) 被告会社は,ハードディスク自体二重化され,テープでバックアップを取っていたから,故障や誤消去に対応できるため,業務上のデータはできるだけ被告会社が管理するファイルサーバーに保存するように指導していた。被告会社は,ファイルサーバーのハードディスクに,「共用」と「個人使用」の2種類の領域を設けていたが,「共用」が文書ファイルの回覧や受け渡しの手間を省くために複数の社員がひとつの文書ファイルを共有できるように設定したのに対し,「個人使用」はそのような必要がない各社員用の業務文書を保管するために設定したもので,社員の私用のファイルを保存するための領域ではない。(〈証拠略〉)
(8) 平成11年12月初めころ,原告が個人用のパソコンを修理に出す際に,被告丁嶋が業務に関する情報を入れたままではなく,消去した上で修理に出すように述べたことがあるが,私用のファイルまでファイルサーバーに移動させてよいと述べたことはない(〈証拠略〉)。
(9) 被告会社は,本件を契機にインターネットの利用等に関する規定を設けて私用メールを規制し,同種事件の再発防止を図っている。
以上の事実が認められる。(証拠略)には本件データがファイルサーバーのハードディスク上に存在していたとの記載があるが,平成11年12月上旬ころまでは同所に存在していたという意味では誤りではなく,上記(1)の認定を左右するものではない。また,原告は,被告会社がこの調査に際して原告所有ないし専用パソコン機器又は原告所有のフロッピイディスクを調査したと主張し証拠を提出するが(〈証拠略〉),結局は何をどこに保存していたかという記憶を根拠とするものであり,原告の個人用パソコンに保存したデータはこれを修理に出す際にそのデータを全てファイルサーバーに移動させたと考えられること,フロッピイディスクについても会社に持ち込んだ以上は何らかの理由で個人用パソコンに保存したと考えるのがむしろ自然であるから,上記調査はしていないとする証拠(〈証拠・人証略〉)に比べて直ちに採用できない。
この他,被告会社が原告のメールの交信を継続して傍受していたなど,原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。この点,原告は願書等の作成時期を問題とする〔〈証拠略〉〕が,願書等は,原告が自宅において一太郎7で作成し,平成11年7月29日ころ会社に持ち込みワードで読み込み,更新し印刷し,その後ファイルサーバーのハードディスクに保存したものと解される(〈証拠略〉。一太郎7で以前に作成した文書をワードで読み込めば,ワード文書としてその時点が作成日付になるが,これをファイルサーバーのハードディスクに保存した場合も,その作成日付は変わらず,ワードで読み込んだ日になる。ワードで読み込まずに,一太郎7のままファイルサーバーのハードディスクに保存した場合は,自宅で作成した日が作成日となる。)。
(二) 原告の私用メール調査の必要性
被告会社としては,まず,誹謗中傷メール事件について,原告にはその送信者であると合理的に疑われる事情が存したことから,原告から事情聴取したが,その結果,原告が送信者であることを否定する一方,その疑いをぬぐい去ることができなかったのであるから,さらに調査をする必要があり,事件が社内でメールを使用して行われたことからすると,その犯人の特定につながる情報が原告のメールファイルに書かれている可能性があり,その内容を点検する必要があった
また,私用メール事件についても,私用メールは,送信者が文書を考え作成し送信することにより,送信者がその間職務専念義務に違反し,かつ,私用で会社の施設を使用するという企業秩序違反行為を行うことになることはもちろん,受信者に私用メールを読ませることにより受信者の就労を阻害することにもなる。また,本件ではこれに止まらず,証拠(〈証拠略〉)によると,受信者に返事を求める内容のもの,これに応じて現に返信として私用メールが送信されたものが相当数存在する。これは,自分が職務専念義務等に違反するだけではなく,受信者に返事の文書を考え作成し送信させることにより,送信者にその間職務専念義務に違反し,私用で会社の施設を使用させるという企業秩序違反行為を行わせるものである。このような行為は,被告会社の就業規則(〈証拠略〉)55条4,5,8,12号,29条2,3号に該当し,懲戒処分の対象となりうる行為である。そして,原告の私用メールの量は,証拠(〈証拠略〉)によると,平成11年9月から誹謗中傷メールの調査が始まる直前の12月2日までの間は,無視できないものであり,日によっては,頻繁に私用メールのやり取りがなされ,仕事の合間に行ったという程度ではないのであるから,このように多量の業務外の私用メールの存在が明らかになった以上,新たにこれについて原告に関して調査する必要が生じた。そして,業務外の私用メールであるか否かは,その題名だけから的確に判断することはできず,その内容から判断する必要がある
なお,被告会社が本件程度の量の私用メールの交信を黙認していたと評価されるような事実を認めるに足りる証拠はない。
(三) 調査の相当性
被告会社が行った調査は,業務に必要な情報を保存する目的で被告会社が所有し管理するファイルサーバー上のデータの調査であり,かつ,このような場所は,会社に持ち込まれた私物を保管させるために貸与されるロッカー等のスペースとは異なり,業務に何らかの関連を有する情報が保存されていると判断されるから,上記のとおりファイルの内容を含めて調査の必要が存する以上,その調査が社会的に許容しうる限界を超えて原告の精神的自由を侵害した違法な行為であるとはいえない。 
原告が指摘する点についてみるに,まず,原告に調査することを事前に告知しなかったことは,事前の継続的な監視とは異なり,既に送受信されたメールを特定の目的で事後に調査するものであること,原告が誹謗中傷メールと私用メールという秩序違反行為を行ったと疑われる状況があり,事前の告知による調査への影響を考慮せざるを得ないことからすると,不当なこととはいえない。
また,他の社員に対し同時に私用メールの調査を行わなかったことについては,原告には,誹謗中傷メール事件の調査としてファイルの内容を含めて調査の必要が存していたし,私用メール事件としても,原告について,過度の私用メールが発覚した以上,原告についてのみ調査を行うことが,他の社員との関係で公平を欠いたり,原告への調査が違法となることはない。なお,川城については,(証拠略)によれば,4月1日から15日までは専ら原告が川城に送信し,この間に川城のためにジオシティのメールアドレスを取得させ,その後も7月末まではほぼ一方的に原告が送信しているなど量的にも積極性の点でも原告と比べれば軽微であり,原告と川城とでは,原告が正社員で社内システム委員であり,川城が契約社員の立場であること,被告(ママ)が川城にジオシティのメールアドレスを作ってやったことを考慮すると,川城について調査なり処分なりをしなかったことが公平を欠くとは言い難い。
さらに,上記調査目的に照らして,結果としては誹謗中傷メール事件にも,私用メール事件にも関係を有しない私的なファイルまで調査される結果となったとしても,真にやむを得ないことで,そのような情報を入手してしまったからといって調査自体が違法となるとはいえない。
(四) 乙7を閲覧した行為について
処分を相当とする事案に関して,調査ないし処分の決定に必要な範囲で関係者がその対象となる行為の内容を知ることは当然であり,それが私用メールであっても違法な行為ではない。被告らが不必要な者にまで乙7などを広く閲覧させたことはない。
(五) 私用メール等の本件データを保存し返還しない行為について
保存する行為については,処分事案に関する調査記録は当該事案に関連する紛争に備えて,あるいは同種事件への対応の参考資料として相当期間保管の必要があり,上記のとおり違法に入手したものではない以上,これを削除する義務はなく,それをしないことが違法となることはない。また,直接処分の理由とされたもの以外についても,被告会社が業務目的で所有し管理する機器等を個人目的に利用したという点で(なお,〈証拠略〉参照),私用メール事件の情状に関するものということができるから,これらについても同様である。なお,被告乙島が本件データを削除すると発言したこと,被告戊木がこれを返還してはどうかと考えたことについては,上記判断を左右しない。
返還しない行為については,原告において,それらを具体的に必要とする事情が存し,かつ,原告がそれらを保有していないのであれば格別,そのような事実が認められない本件においては,被告にはこれらを返還する義務はなく,それをしないことが違法となることはない。
また,所有権侵害の主張については,被告が所有し管理する機器上に存するデータについて,原告が所有権を有するとはいえない。

3 不法行為〈3〉(「第2回事情聴取関係」)について
(一) 認定事実
争いのない事実等(四)(5),証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる適切な証拠はない。
(1) 第2回事情聴取は主に私用メール事件について原告の処分を決定するための情報を得る目的で行われた。
(2) 被告乙島ら及び記録係の田辺は,原告をコの字形に取り囲む形で着席していた。ただし,被告丁嶋は後に参加した。主に被告乙島が原告に対する質問をし,同戊木はさしたる発言はしなかった。
(3) やり取りの内容は,まず,被告乙島が,誹謗中傷メールについて再度確認するとして聴取した。その際,誹謗中傷メールのコピーを示し,そのメールアドレスを明らかにして,原告のメールアドレスや原告の使用するパソコンとの間に通信記録があることなどについて,順次聴取した。その際に,被告丁嶋が呼ばれ,被告乙島の指示で上記通信記録の内容等を説明した。しかし,原告は逐次反論し否定した。その際,原告は原告のパソコンを被告丁嶋か神内が使用してメールを送信したなどと述べた。その後,被告乙島は,私用メールについて,就業規則違反ではないかということで確認したいとして,具体的に期間,頻度等を含め事実関係を聴取し,原告は,私用メールの回数が多いこと,今は申し訳ないと思っていることなどを述べ,その事実は素直に認めた。最後に,被告乙島は,私用メールを社内で行わないこと,メールの濫用として就業規則違反になることを告知した。(〈証拠・人証略〉)
(4) その際,被告乙島が大声を出す場面があった(〈人証略〉)。被告丙崎は,当日の事情聴取を査問と表現している(〈証拠略〉)。
(5) 質問時間は約1時間であった。
以上の事実が認められる。
原告は,さらに被告らが原告を誹謗中傷メールの犯人と決めつけ大声で怒鳴るなどしたと主張し,証拠(〈証拠・人証略〉)を提出する。しかし,誹謗中傷メールを示して「他人の名前を使って人を誹謗中傷する行為は犯罪であり,男がやるような行為ではない。」との発言をしたとの点は,経緯から見て,直接には誹謗中傷メールの発信者を非難したと解するのが自然であり,また,特に繰り返して質問し,嘘だなどと発言したとする部分も,誹謗中傷メールと原告のメールアドレスや原告の使用するパソコンとの間に通信記録があることに関するもので(〈証拠・人証略〉),この点は原告と中誹謗傷メールの発信者を結びつける核心部分であり十分に質問する必要があることから,時間をかけて質問したにすぎないと解され,その他,原告を犯人と決めつけたとする具体的な発言内容があいまいであり,また,私用メールについては原告が事実関係を認めて謝罪していることなど,上記認定及び証拠に照らして,上記認定以上の不適切な発言行為があったとは認められない。
(二) そこで上記認定事実に基づいて検討するに,本件は,社内における誹謗中傷メールの送信及び過度の私用メールという企業秩序違反事件の調査を目的とするもので,かつ,原告は誹謗中傷メールの送信者であると合理的に疑われる事情が存するにもかかわらず,第1回事情聴取では,原告からの技術的な反論のため十分な聴取ができなかったのであるから,再度事実関係を確認する必要があり,私用メールについても,処分の前提として,原告から事情聴取をする必要性と合理性は強く認められる。また,その態様を見ると,質問の声が大きく,また,同じ質問が繰り返してなされたとしても,他方,事情聴取の時間は1時間程度であるところ,質問内容からして不当に長いとはいえないこと,原告の監督責任を追及されるべき立場の被告戊木が同席していること,冒頭に事情聴取の趣旨を説明した上で開始していること,質問内容等も特に不適切なものではなく,強制にわたるものとまでは認められないことからすると,第2回事情聴取が社会的に許容しうる限界を超えて原告の精神的自由を侵害した違法な行為であるとはいえない。
4 不法行為〈4〉(「被告乙島,同戊木による早期退職・出勤停止の強要と脅迫関係」)について
(一) 認定事実
争いのない事実等(四)(6)ないし(8),証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる適切な証拠はない。
(1) 1月14日の被告会社経営戦略会議において,原告が同日朝辞職を申し出たことが報告され,原告によるデータ破壊などの危険性を危倶して直ちに出社を差し止める措置が取れないか検討することとされた(〈証拠略〉)。
(2) 原告は,1月20日までに引継資料を作成し引継をした。
(3) 1月21日の被告会社経営戦略会議において,争いのない事実等(四)(6)の事実,1月20日の業務引継後,翌日から出社に及ばないことを通告し,実質的に当日で退社としたこと,ただし,社員の地位は3月1日まで残ることが報告された(〈証拠略〉)。
(4) 1月20日午後4時ころの面談では,被告乙島は,原告に対し,会社が引継ぎは終了したという以上最早原告の仕事はないとして,まず,1月末日で事実上退職するが,2月末までの賃金を支払うことを打診し,これに対し,原告は「仕事の引継ぎは何も終わっていない。退職願の退職日は3月1日である。」として抗議した。これに対し,被告乙島は,「1月の時点で既に仕事をしないのに,3月1日付け退職となると3月まで在籍したことになってしまう。そのようなことはできない。」などとして押し問答が続いた。その中で,被告乙島は「基本的には,前歴照会があるんだから,会社に」と発言した。この間,当初被告乙島が原告を平静に説得し始め,その後双方が要求を繰り返すようになったが,被告乙島は3月1日付退社はあり得ないとしながらも,合意を前提とする会社の要求であるとの趣旨を述べるなど,双方冷静に対応していた。その後,事務引継の方法について,原告が台帳等を個人使用の領域に保管していると述べたことから,被告乙島が,やや強い調子で注意した場面があるが,全体としては被告乙島が一方的に大声で強要する状況ではなかった。その後も押し問答が続いたが,結局,被告乙島が「3月1日付け退職はまず駄目だが,社長と相談してくる。」として,返事を留保した。
(5) 被告乙島は,その直後,被告会社社長に相談の上,3月1日付け退職を認める代わりに,翌日からの出勤はせず,有給休暇として処理することにした(〈証拠略〉)。
(6) 同日午後6時ころの2回目の面談では,まず,被告乙島は,原告に対し平静に社長の判断として上記(5)を伝え,社員証等は返してもらうが,手続のため2月25日ころに一回出社してもらいたいと述べたが,原告は検討して翌日返事をしたいと述べた。これに対し,被告乙島は,社長の寛大な措置に対して即答しないなら,提案を撤回すると述べ,原告は,さらに検討して翌日返事をしたいとして押し問答になった。そのようなやり取りの中で,被告乙島は原告に対し,「今(返事を)もらいたいんだよ。名刺や社員証を置いていってもらいたいんだよ。」「だから(提案を)やめるぞって,だから,もうイエスしかないだろう。」「何を躊躇しているんだ君は。」「何を考えているんだ。」「無礼だぞ。お前。」などと興奮して大声で発言した。しかし,被告乙島は短時間で平静を取り戻し,原告はこの間当初と余り変わらない様子で冷静に対応していた。
以上の事実が認められ,原告主張のうち被告乙島が前歴照会に言及したことに関する点を含め上記認定以上の発言行為があったとする部分を認めるに足りる証拠はない。
(二) ところで,不法行為〈4〉は,退職日付けをめぐって紛争となったものであるが,原告の労働契約の終了事由が原告側からの解約申入れである以上,被告会社としては退職日付けを申出の日以前に遡らせることができるという法的根拠は存しない。したがって,被告会社の提案は合意退職の申入れ行為にすぎず,社会的相当性を逸脱した態様での,強制にわたる執拗な要求行為は不法行為を構成することがあり得る。
しかし,本件の経過からすると被告会社が原告に対し上記(1)のような不信感を持つことはやむを得ない面があり,退職が決まり特段なすべき仕事がなくなったという前提の下に原告に対し出勤しないように求めることが必ずしも不当とも言い難い。また,原則として労働者に就労請求権(使用者に労働受領義務)はないというべきであり,そうである以上,被告が賃金を支払う以上は早期退職の要求というより就労義務の免除にすぎない。なお,懲戒処分たる出勤停止はその間の賃金が支払われないのであって,就労義務の免除とは異なる(就業規則56条3項)。
そこで上記認定事実に基づいて検討するに,まず,4時ころのやり取りについては,退職日の点で1日早期退職を求める行為であり,しかも被告乙島は早期退職を求める法的根拠がないにもかかわらず,3月1日の退職は認められないと繰り返したのであるが,全体の経過としては双方が合意の成立を目指してねばり強い交渉を続けたという程度に止まり,結局被告会社側が再検討の上譲歩したことを考慮すると,社会的に許容しうる限界を超えて原告の精神的自由を侵害した違法な行為であるとはいえない。なお,被告乙島が前歴照会に言及した点については原告主張のような内容ないし趣旨のものであると認めるに足りる証拠はない。
また,6時ころのやり取りについては,被告乙島の発言には,一部ではあるが穏当を欠いて不適切な部分がある。しかし,同部分は,被告会社としては,社長の判断で大幅に譲歩したと認識しこれ以上譲歩の余地はない状況下で,原告が当日限りで出社しないことを前提条件として3月1日付け退職を認める提案をしたにもかかわらず,原告が,検討して翌日回答するとして,同前提条件を承諾せず翌日回答に固執し,そうであれば提案を撤回するとの発言にも同様の応答であったことからなされたもので,双方が容易に譲歩しない状況でのねばり強い交渉の中での発言であること,短時間のことであること,これに対して原告は冷静に対応していることを考慮すると,社会的に許容しうる限界を超えて原告の精神的自由を侵害した違法な行為であるとはいえない。
また,被告戊木について違法な言動があったと認めるに足りる証拠はない。
5 以上のとおりであるから,不法行為〈1〉ないし〈4〉の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
6 本件データの返還請求等
前記のとおり被告会社には違法なプライバシー権の侵害はなく,原告には所有権も認められないから,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
第4 結論
以上のとおりであるから,原告の本訴請求は理由がないからいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 多見谷寿郎)

+判例(東京地判H13.12.3)F社Z事業部電子メール事件
第3 当裁判所の判断
1 認定した事実
当事者間に争いのない事実に、証拠(後掲)及び弁論の全趣旨を総合して当裁判所が認定する事実は、概ね以下のとおりである。
(1) ア 原告Aは、平成9年10月からフィッシャー社の社員となり、ゾーモックス事業部において、同事業部の営業部長D(以下「D」という。)の直属のアシスタントとして勤務していた。
イ Dは、昭和49年にゾーモックス事業部の前身であるゾーモックス株式会社が設立された直後から同事業部に勤務し、2年目から営業部長職に就き、平成7年に同事業部がフィッシャー社の傘下となった後も引き続いて同事業部の営業部長の地位にあった。(甲28)
ウ 被告は、平成11年4月に三菱商事株式会社を退社した後、フィッシャー社に入社し、同年5月上旬ころ、ゾーモックス事業部の事業部長として着任した。当時、営業部長であるDは、同事業部内において、被告に次ぐような地位にあった。
(2)  平成11年5月14日午後6時ころから、新横浜プリンスホテルにおいて被告の歓迎会が催され、原告A、被告、Dの他ゾーモックス事業部の数名、工場配置の者数名、大阪・九州の営業担当者ら若干名が参加した。(乙71)
(3)  平成11年12月3日午後6時半ころから、居酒屋「地魚屋」において、ゾーモックス事業部の忘年会が催された。この忘年会には、原告A、被告、Dの他、ゾーモックス事業部に所属するE、F、契約社員のGら、さらに多摩川工場の工場勤務者7名らの合計20名が参加した。
忘年会前半、原告A、G及び被告がいわゆる「一気飲み」を始め、その際、原告Aは、高さ7~8cm程度のグラスで日本酒を7、8杯飲み、被告も日本酒で何度か応じていた。宴会の半ばころには、Gは、目上の者に対してまで悪ふざけをしたり、他の者にビールをかけるような仕草をするなど、かなり酔っていた。原告Aは、酒には強い方であったが、宴会の後半はかなり酔っていた。(乙91、乙99、乙101、原告A本人、被告本人)
(4)  平成12年1月ころ、被告は、東日本営業担当社員のEの勤務態度に大きな問題点を発見し、調査の結果、同年2月18日ころには、Eに退職を求める方針を決め、Eの担当していた営業案件について、被告自ら処理をし始めた。同月24日ころ、被告がEを外してEの営業先に赴いたことを巡り、同じく東日本営業担当のアシスタントであったFが、被告に不満げな態度を示したことについて被告が立腹するといったことがあり、このことについて、被告は、同月29日まで複数回にわたり、Fに対し電子メールで釈明を求めた。
Dは、Fから相談を受け、Fが被告に送る電子メールの文案を添削するなどの援助をしたが、この一件により、被告について、問題を簡単には終わらせない性格の人という認識を持った。(甲20、証人D、被告本人)
(5)  平成12年1月中旬ころ、原告Aは、被告から、退職するGの送別会の設定を示唆されたが、その日程調整について、被告が協力的でないと感じ、そのことを不満に思っていた。
Gの送別会を設定した後、新たに他の女性社員の退職が決まったことから、同年2月29日の昼休みに、職場の女性社員らで送別会代わりに昼食を共にすることになったが、その際、女性社員の一人が、昼食を準備していることを理由に参加しなかった。被告は、その女性社員が一人残されているのを見て、同日午後0時ころ、原告A宛に、「(その女性社員は)何故、呼ばれなかったのですか?」と問い質すような文面を含む電子メールを送った。同日夕刻、原告Aは、被告に対し、事情を説明する電子メールを送ったが、被告の対応について、「女性同士の人間関係にまで口を出す上司」という強い反感を持つに至った。(乙2、乙3、原告A本人、被告本人)
(6) ア 被告は、平成12年2月中旬ころ、原告Aに対し、仕事や上司の話などを聞きたいからという言い方で飲食等の誘いをしていたところ、前記(5) の原告Aからの説明の電子メールを受けて、同日午後6時42分ころ、原告Aに対し、「黒岩さん、ご説明ありがとうございました。了解しました。先日も話しましたが一度時間を割いて戴き黒岩さんから見た当事業部の問題点等を教えて戴きたいと思っていますので宜しく。」という電子メール(以下便宜のため「勧誘メール」という。)を送信した。
イ 原告Aは、前記(5) の不満もあって、被告からの飲食の誘いについて消極的に感じていたところ、同年3月1日朝、勧誘メールを読み、仕事にかこつけての誘いであるという強い反感を持ち、同日午後2時ころ、被告からの勧誘メールを引用したうえで、「夫へ 日頃のストレスは新事業部長にある。細かい上に女性同士の人間関係にまで口を出す。いかに関わらずして仕事をするかが今後の課題。まったく、単なる呑みの誘いじゃんかねー。胸の痛い嫁」という内容の電子メールを原告Bに対して送信しようとしたが、操作を誤り、被告宛に送信してしまった(以下、被告宛の電子メールを「誤送信メール」といい、この一件を「誤送信メール事件」という。)。
ウ 原告Aは、同日午後4時ころ、電子メールを誤送信したことに気付き、FとDに対し、勧誘メールと誤送信メールのプリントアウトを見せて相談した。原告Aは、最初、被告に謝って辞表を出すと言っていたが、DとFに止められた。その際、原告Aからは、被告にセクシャルハラスメント行為を受けているといった話は全くでなかった。その後、原告Aは、原告Bに対して勧誘メールと誤送信メールを引用したうえで「会社辞めるかもしれない」という内容の電子メールを送信したが、原告Bは、同日午後4時16分ころ、「これはセクハラである」「辞める必要はない」という内容の電子メールを返信した。(以上、甲28、乙4ないし乙7、証人D、原告A本人)
(7)  被告は、平成12年3月1日午後3時前ころ、誤送信メールを読み、原告Aの電子メールの使用を監視し始めた。社内では、各自の電子メールアドレスが公開されており、パスワードも各自の氏名で構成されていたことから、アクセスは容易であり、同年2月29日以降にサーバー内に残されていた電子メールを読むことができた。被告は、原告Aがやり取りした電子メールの内容から、原告Aが誤送信メール事件についてFに相談していることを知り、Fの電子メールも監視した。被告は、その中で、原告Aが、電子メールを誤送信したことに気付いていない段階で、被告に対する激しい反感をもって「スキャンダルでも探して何とかしましょうよ。このままじゃ許せん。絶対!!」という電子メールをFに送っていたこと、誤送信に気付いた直後には被告に謝って退職しようと考えていた原告Aが、その後、被告をセクシャルハラスメント行為で告発しようとする方向に動いていることを知り、警戒感を強めた。3月6日ころ、原告Aがパスワードを変更したことから、被告において電子メールを監視することができなくなった。被告は、会社のIT部に対し、原告A及びF宛の電子メールを被告宛に自動転送するよう依頼し、その後はこの方法により原告A宛に着信する電子メールを監視した。(乙1ないし乙88、乙124、被告本人)
(8)  同年3月2日夜までの間に、原告Bは、被告が原告Aに対し、〈1〉「ホテルの一室を取ったから」等の誘いをかけた、〈2〉宴会の場で酔いながら後ろから抱きついた、〈3〉たびたび飲食の誘いをかけた、という3点を指摘して、被告の今後の対応によっては被告をセクシャルハラスメント行為で告発することも辞さないとする内容の被告宛の電子メール(以下「警告メールの原案」という。乙9)を起案した。原告Aは、翌3日、DやFに、警告メールの原案を見せて原告Bがかんかんに怒っていることなどを伝え、警告メールを送信すべきかどうかなどについて相談した。Dは、警告メールの送信に関して消極的な助言はしなかった。
また、原告Aは、このころから、複数の知人に対し、本件について言及した電子メールを送信した。特に、出版の仕事をしているHに対しては、警告メールの原案を含め、定期的に電子メールで情況を伝え、3月30日ころには、「記事としてもとても面白くなりそうです。」「SPA!でカンタンに紹介してもらおうとおもっておりましたが、これはやっぱりFLASHネタまで昇格させる価値がありますね。」といった返信をもらうまでに至っていたが、実際に本件が雑誌等に取り上げられることはなかった。(乙10、乙73ないし乙88、乙126ないし乙131)
(9)  被告は、3月3日の朝、原告らが警告メールの原案を準備し、送信するか否かを検討していることを知り、同日午後0時33分ころ、原告Aに対し、勧誘メールは個人的な付き合いを意図した飲食の誘いではないこと、誤送信メールについては見なかったことにしたいと考えていることを内容とする電子メール(乙11)を送信した。原告Aは、そのことを原告Bに電子メールで知らせた。原告Bは、被告が、自らのセクシャルハラスメント行為を意識し、事実を隠蔽する方向で事態の収拾を図っていると解釈した。(乙12)
(10) 同日午後、被告とDは、取引先に向かう車の中で、誤送信メールのことを話題にした。その際、Dは、被告に対しては、原告Aに謝りなさいと指示したと述べたが、実際には、見せられた警告メールの原案に対して特に批判的なことも言っておらず、むしろ前記(4) のFの一件もあり、警告メールを送信した方がよいと判断していた。他方、被告も、Dの言葉を信用しておらず、警告メールの原案の作成にはDも関与していると考えていた。
帰社後、Dは、原告Aに対し、警告メールを送信しておいた方がよいと助言したが、被告も、原告Aの電子メールを監視していたことから、そのことに気付いていた。被告は、これ以上事が大きくならないように、原告Aに一言声をかけておいた方がよいのではないか、そうすれば、警告メールが実際に送信されるような事態までには至らないのではないかと考え、同日夕刻ころ、原告に対し、口頭で、誤送信メールのことを言っているのがわかるように、「(「夫へ」とあったことを指して)いつ結婚したっけ。黒岩さん、水臭いな。嫌なら嫌と断ってくれたらいいのに。」などと声を掛け、誤送信メールのことは見なかったことにしようというような趣旨の話をした。原告Aは何も答えなかったが、被告が原告Aに送信していた前記の同趣旨の電子メール(乙11)に対しては、「了解しました。」という返信のメールを送信した。
原告Bは、原告Aからこの話を聞いて被告が事実の隠蔽を図っていると決めつけるに至り、警告メールの発信を強く主張したが、原告Aは、「本当にこれがベストなやり方なのかどうかも悩んでいる。」としてこれを止めた。(甲28、乙13、乙15、乙124、乙132、証人D、被告本人)
(11) 被告は、翌4日の土曜日、自宅から、原告Aに対し、事業部をより良くしていくため、問題点・改善案を知らせて欲しいという内容の電子メールを送信したが、他方では、警告メールの原案に、宴会での抱きつき行為については「目撃者が多数あり明確な立証可能」とあったことから、原告らが、D、E、Fらを目撃者として証拠固めをしようとしているかもしれないとも考え、これを阻止するつもりで、週末に薄型のポケットレコーダーを準備し、週の明けた6日の朝から、原告A、D、F及びEを順次呼び出して1人ずつ面談し、証拠作りのつもりでその会話を録音しながら、これらの者に対し、警告メールの原案にある「宴会での抱きつき行為」について探りを入れるような質問をした。
被告は、これらの者が一致して被告の抱きつき行為を見たと言うのではないかと考えていたが、原告Aは、自分は酔っていてよく覚えていないが、工場の人2、3人らから、忘年会で被告が原告Aに後ろから抱きついていたが皆の前であのような行為はまずいのではないかと指摘されたというような趣旨の答えをしたに止まり、続いてDが、「なんか肩なんか抱いてたのは見ましたよ。」などという言い方で、被告が原告Aに抱きついている姿を見たと答えたものの、FとEは、そのようなことは見ていないと答えた。そこで、被告は、忘年会に出席していた大阪事務所の営業部員や工場の従業員数人に対し、電話でそのような行為を見たかと確かめたが、見たと答える者はいなかった。(乙16の1、乙91ないし乙92、乙124、乙138の2、乙139の2、被告本人)
(12) 3月7日の午後10時41分ころ、原告Bは、被告に対し、警告メールの原案のうち、抱きつき行為の目撃者を「多数」から「複数」に改めるなどの若干の変更を加えたうえ、委任している弁護士として原告代理人名を明示した警告メール(乙16の2)を送信し、翌8日の朝、被告はこれを読んだ。(乙124、被告本人)
(13)ア 3月9日、被告は、Dを呼び出し、Dが協力して原告らに警告メールを送信させたと決めつけ、刑法の条文を示してDの行為は名誉毀損罪や脅迫罪にあたると主張し、「家族もいるんでしょう。」などの言辞を用いるなどしながら語気鋭く謝罪を迫った。Dは、警告メールの作成に関わったことは否定したが、被告はそれを認めず、被告のセクシャルハラスメント行為として挙げられている前記(8) の〈1〉から〈3〉についてDを詰問した。
Dは、〈1〉(ホテルの部屋を取ったといって誘ったこと)については、即座に、そんなこと知るわけがないという趣旨の答えをしたが、抱きつき行為の目撃については3月6日の話を変えず、見たものは見たと答えていた。しかし、被告から、さらに、他の者は誰も見ていない、見た者がいるというなら直接確かめるから名前を挙げよ、人を陥れるのはよせ、などと強く責められたのに対して、宴会だからみんな見ているはずだが誰と言われてもわからない、などとして返答に窮した。最後には、被告から、被告が予め用意していた抱きつき行為などなかったという趣旨の文書に署名することを強く求められ、結局、これに署名した。
翌10日午前、被告とDは再度この件について話をしたが、Dは、その際には、被告に対し、警告メールについては自分は関与していない、抱きつき行為については、忘年会でGが酔っぱらって被告に抱きつくなどしていたことから、忘年会の直後に、Dが原告Aに対して、「あんたは抱きつかれたんじゃないの」というような話をしたことがあり、原告らは、そのことを警告メールに記載したのではないかと思うという趣旨の話をした。(乙93、乙94、証人D)
イ その間、Dは、9日の夜、原告A及び原告Bと会い、本件について相談をした。また、10日午後1時過ぎころ、原告Aと原告Bは、電子メールで、Dが、被告に呼び出されて本件について詰問される事態になったことについて原告Bに抗議をするという文面の架空の電子メールを作成することを相談し、「なんちゃってメール」と題して起案した。
被告は、これらの状況を、原告Aの電子メールを監視することにより把握していた。(乙23ないし乙25、被告本人)
(14) 平成12年3月21日、被告は、同年4月1日付けでゾーモックス事業部の組織改編を実施することとし、その旨を文書で告知した。この改編は、被告の意図によるものであり、この改編の結果、Dは、「事業部長補佐営業部員営業活動指導(営業部長)」「特定重要顧客グループリーダー(営業部長)」という肩書きを与えられ、給与等の待遇面での降格はなかったものの、従前の、東日本・西日本・九州の各営業を直接統括する地位からは外されて実質的に営業部長の任を解かれ、営業の統轄は事業部長である被告が直轄することとなった。(乙123の1ないし3、乙124)
(15) 平成12年3月22日の昼ころ、被告は、Dと東日本の営業のリーダーであるIに対し、原告Aを多摩川工場の事務要員に配置転換することを検討している旨を話したが、これに対し、Dは、当惑した様子を示した。Dが、その直後に、そのことを原告A本人に知らせたことから、原告Aは、同日午後1時10分ころ、すぐに原告代理人に連絡を取ってほしい旨を添えて電子メールで原告Bに知らせた。被告は、原告Aの電子メールを監視してこのことを知り、Dが未決定の人事問題を直接本人に伝えたことに強い不信感を持った。同年4月7日、原告代理人は、被告に対し、被告が原告Aにセクシャルハラスメント行為を行っているとし、書面で返答を求める趣旨の内容証明郵便を送り、同月17日には、被告が反論の内容証明郵便を返した。原告Aに対して、実際に配置転換が命じられることはなかった。(甲5、甲6、乙51、乙124、証人D、被告本人)
(16) 平成12年5月初めころ、被告は、原告Aが就業時間中に席を空けていることが日立つという理由で原告Aの残業時間の承認を留保し、Dに調査を命じた。その後、原告Aから総務部に不服の申入れがあり、被告は、総務部から説明を求められた。被告は、総務部に対して調査中であることを伝え、Dに対して調査結果の報告を求めたが、Dから、自分が常に見ているわけではないのでそのような調査は不可能であるとの趣旨の回答を受け、原告Aの残業時間を承認した。(乙124)
(17) 平成12年5月12日、Dは、本件について調査するため来日したゾーモックス事業部アジア総括責任者であるシュレットに対し、自分は被告のセクシャルハラスメント行為を目撃したと述べたが、シュレットからは、Dが事業部のためにならない行動を繰り返していると非難された。Dは、シュレットに対し、抱きつき行為を目撃したのは自分だけではなく、他に正社員でない者1人が見ている、4月に行われた組織改編は被告の報復であると述べ、この件については正確を期するため後日書簡を送ると申し出て了承された。
Dは、同月23日付けで、シュレットに対し、前記(8) の〈1〉ないし〈3〉は全て事実であり、〈1〉(ホテルの部屋を取ったといって誘ったこと)については、原告Aが非常にショックを受けて自分にそのことを話した旨、〈2〉の抱きつき行為については、被告が原告Aを後ろから掴み、被告の顔を原告Aの顔に擦りつけ、体を強く押しつけて、しばらくの間抱きついていたのを自分がはっきりと目撃した旨、〈3〉の飲食の誘いについては、被告から何度も飲食に誘われているという相談を受けている旨を記載した書簡を提出したが、シュレットは、これによりかえってDに対する否定的な見解を強くした。(乙117、乙120、乙124)
(18) 平成12年6月14日、本訴が提起された。
(19) Dは、同年7月、前月に支給された賞与の額について、被告に対し、異議申立てをしたが、認められなかった。また、被告が異動した後の同年12月27日、営業部長職を解かれる降格処分を受け、これに対しては代理人をたてて異議申立てをしたが、会社が処分の撤回に応じず、結局、処分を受け入れた。(乙124、証人D)

2 本訴請求に対する判断
(1)  セクシャルハラスメント行為の存否について
証拠により当裁判所が認定した事実は前記第3の1のとおりであり、原告の主張する前記第2の2の(2) のアの(ア)ないし(キ)に列記した事実のうち、(ア)ないし(オ)の各事実は、いずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、(カ)の事実については認められるものの、これが被告によるセクシャルハラスメント行為であるとは認められず、(キ)の事実についても、証拠により認められるのは前記認定の事実であって、その範囲では、未だ被告による嫌がらせ行為がなされたとは認められない。
結局、本件において取り調べた全証拠によっても、原告Aが、被告からセクシャルハラスメント行為を受けて精神的な苦痛を感じていたという事実についての証明がないことに帰着するから、被告のセクシャルハラスメント行為を理由とする原告の請求には理由がない。
以下、そのように判断した理由について、詳述する。
ア 証人Dの供述の信用性について
原告らの主張する事実に沿う証拠は、原告A本人の供述を除くと、ほとんど証人Dの供述(陳述書を含む)のみである。しかしながら、同証人の供述には、以下のような問題があり、直ちに採用できない。
(ア) Dの当事者的立場
前記認定のとおり、Dは、本件に関し、中立的第三者の地位にあるというよりは、むしろ、紛争の渦中に巻き込まれた当事者というべき情況にある。例えば、前記のとおり、Dは、3月3日の時点で、原告らに対し、警告メールの送信を促しているが、証人Dの供述によると、Dは、原告Aから前日に詳しい話をきいて初めてセクシャルハラスメント行為であるという認識を持ったばかりであるのに、その翌日に、直属の上司として、このような内容の電子メールの送信を促す助言をするなどということは、客観的にみて異常な判断と言わざるを得ず、前記第3の1の(4) のFの問題もからんで、既にこの時点で、Dは被告に対して強い不信感を持っていたと推認せざるを得ない。
(イ) 供述の変遷や曖昧さ
前記認定のとおり、Dは、相手やその場の情況などにより、しばしばその供述内容を変遷させている。個々の変遷については、その場の情況等から変遷の理由を十分説明できるものもあるが、必ずしも説明できない変遷もあり(例えば、当初、被告から詰問された際には、抱きつき行為については見たとはっきり主張していながら、歓迎会の件については知らない旨即答している。)、結局、現に変遷を繰り返している供述の信用性が低いことに変わりはない。また、変遷とまではいえないとしても、最も肝心な抱きつき行為の態様の詳細について一貫した供述ができているとは言い難いうえ、他の目撃者の有無についても、被告に対してはEの名を挙げ、シュレットに対してはGを目撃者として申告(ただし、Gの氏名は明示はしていない。)しているが、証人尋問の結果によると、D自身は、Eに対してもGに対しても、忘年会における抱きつき行為と特定して目撃の有無をはっきり確認したことはないことが認められ、結局のところは、宴会の場であるから、他にも見ている者がいるはずだということだけである。
法廷における証言も、核心部分が全て誘導尋問により語られており、十分な信用性を認めることができない(証人Dが尋問に不慣れであったことがその理由であったとしても、証拠価値が補完されるものではない。)。
(ウ) 供述自体の不自然さ
証人Dは、要旨、〈1〉歓迎会の件は、質の悪い冗談だと思った、〈2〉12月3日の忘年会の抱きつき行為を見たときには、セクシャルハラスメント行為だという認識はなかった、〈3〉忘年会の次の出勤日に、原告Aに、「抱きつかれたね」と聞いたら「そうなんです」という相づちみたいな形で話があったが、そのときの原告Aの様子は普通で、自分もそんなに細かい記憶がない、その時点でもセクシャルハラスメント行為という認識はなかった、〈4〉忘年会以後、原告Aから、被告に飲みに誘われているという話は何度か聞いていた、12月中旬ころ、原告Aから、被告から飲みに行こうと誘われ、ガスの支払があるなどの口実で逃げたという話を聞いたが、そのとき原告Aは非常に不愉快という感じであった、しかし、そのときも、セクシャルハラスメント行為だという認識は全くなかった、〈5〉誤送信メール後の3月2日に、原告Aから、実はかなりしつこく誘われている、期限付きで来週までにいつ飲みに行けるか返事をくれというふうに言われていると聞いて、セクシャルハラスメント行為としてかなり悪質だなと認識した、などと供述している。
しかしながら、歓迎会は、被告が着任して10日も経たない時期に行われているところ、そのような席で、いきなり「ホテルに部屋を取ってあるからこい」などと誘うというのは、一般論として余りに唐突でありにわかには信じ難い話である。もしそのような著しく常識はずれの行為が真実行われたのであれば、そのような人間が事業部長に着任したことについて、原告Aとその場で報告を受けたというDとの間で極めて重大な問題と認識されたはずであり、これを直ちに社内で問題にするのか、仮に問題にしないという方針を選択するのであれば、その代わり、今後、どのようなスタンスで被告と接するのか、さらに同じようなことが行われた場合にはどうするのかについて、何らかの協議が行われるのが自然である。
ところが、証人Dの証言によると、Dは、原告Aから事の報告を受けた直属の上司でありながら、単に質の悪い冗談とは思ったのみで、特段セクシャルハラスメント行為だとも思わず、何の対処もしなかったというのであり、それ自体、不自然である。この点、歓迎会事件のみであれば、余りに唐突であったために対処も考えられなかったということもあり得なくはないが、前記のように、忘年会で被告による抱きつき行為を直接目撃し、その後にまた、被告から飲みに誘われたが口実を作って逃げたなどという話を聞いていながら、なおかつ、セクシャルハラスメント行為という認識がないというのも不自然である。特に、証人Dは、本件審理においては、被告の抱きつき行為の態様について、原告らの主張に相当程度沿う供述をし、また、シュレット宛の書簡において、ほとんど原告らの主張するとおりの態様を目撃したと述べているが、このような態様の抱きつき行為を目撃し、かつ、その後にまた誘われて口実を作って逃げたという話を聞いてながら、これをセクシャルハラスメント行為と感じないという感性は極めて理解困難である(Dが3月6日に被告に直接話していたような態様であれば、肯けない話ではない。)。
もっとも、これだけなら、証人Dがこの種の行為について極めて寛大な考え方を持っているのだと理解することもできないではない。しかし、証人Dは、他方では、誤送信メール事件後になって、原告Aから、被告の原告Aに対する誘いが、いつなら飲みに行けるか来週までに返事をくれという期限付きで回答を求めるものだったと聞いたということから、これはかなり悪質なセクシャルハラスメント行為だという認識に至ったなどと供述しており、この供述を額面どおりに受け取るならば、証人Dのセクシャルハラスメント行為に対する考え方はあまりにも一貫性を欠く不自然なもので、少なくとも当裁判所には理解し難いものであるといわざるを得ない。むしろ、証人Dの一連の証言の中に誇張や歪曲があるため、結果として整合性が取れていないと理解するほうが合理的である。
イ 原告A本人の供述の信用性について
原告Aは、前記第2の2の(2) のアの(ア)ないし(キ)の事実に沿う供述をしているが、証人Dの供述を除き、他に原告Aの供述の裏付けとなる証拠は存在しないところ、仮に、原告Aが、誤送信メール事件よりも以前から、被告のセクシャルハラスメント行為に深く悩まされていたという前提を維持した場合、原告Aの供述には、以下のとおり、理解しにくい点が多々存在するといわざるを得ず、直ちに採用できない。
(ア) 糾弾行為の唐突さについて
原告Aは、誤送信メールを発信した直後は、被告に謝罪して退職しようと考えたが、その後、セクシャルハラスメント行為を行った被告の側にそもそもの原因があるのに、何故自分が責められるべき立場に置かれなければならないのかという憤りを覚えるに至り、被告を弾劾する立場に転換したものである旨主張し、供述している。
しかし、誤送信メールを送信した後、それに気付いた原告Aが、まずは会社を辞めようと考え、その後、方針を転換し、原告らが協議のうえ被告をセクシャルハラスメント行為で糾弾する方針を固めるまでの間、被告は、誤送信メールについて沈黙しており、原告Aに対して、何らの叱責も糾弾もしていない。原告Aが方針を転換するまでの間に生じた事情といえば、原告Bが被告に「セクシャルハラスメント行為」があると決めつけ、被告を告発することを繰り返し主張しているということくらいである。(これに対し、被告は、誤送信メールの件はなかったことにして済ませようと原告Aに伝えている。)
(イ) 誤送信メール事件以前の原告Aの態度等について
a 原告Aが平成12年1月以前の段階で何らかの重大な悩みを抱えていたことを示すような証拠は全く存在しない。かえって、忘年会においても、原告Aは、Gとともに被告と一気飲みをするなどして陽気に振る舞っていることが認められる。
原告Aが被告から飲食の誘いを受けていたことは聞いていたとか、抱きつき行為を見たと供述するDでさえ、平成12年2月末ころまでは、特段、異常を感じていない。そして、この時期は、客観的にみる限り本件における原告らの主張の事実のうち最も露骨で重大なセクシャルハラスメント行為であるはずの「抱きつき行為」からは3か月近くも後であり、前記第3の1の(5) で認定したように、原告Aが、職場での昼食会の件などを通じて、被告に対し、「女性同士の人間関係にまで口を出す」細かい上司という強い不満を抱いた時期と一致する。この際に、原告Aが被告に発したメール(乙3)の内容や文面からも、原告Aが被告のセクシャルハラスメント行為に深く悩まされているという情況は全く窺えない。
b 続いて、原告Aは、誤送信メールを発信する直前、Fに対し、「スキャンダルでも探して何とかしましょうよ。」という電子メール(乙5)を発信しているが、このことは、誤送信メールの発信以前から被告によるセクシャルハラスメント行為に悩まされていたという主張とは明らかに整合的でない。
この点、原告らは、原告Aは被告のセクシャルハラスメント行為を念頭に置いていたものの、未だ第三者に打ち明けていない段階であったことから敢えてこのように書いたという趣旨の主張をしているが、そうであれば、「スキャンダルでも『探して』」という言葉遣いは明らかに不自然である。なぜなら、正式な告発行動以前の段階で第三者に対してこのような言葉を遣っていたのでは、後に、本件における被告の主張のように、「捏造」との疑惑を招くことは余りにも明らかだからである。このような誤解を招くおそれがない場合というのは、F自身が被告のセクシャルハラスメント行為を認識している場合であろうが、そのような事実は証拠上認められないし、何より、Fが被告のセクシャルハラスメント行為を認識している者であれば、そのような者に宛てて「スキャンダルでも『探して』」という文面のメールを出す理由が説明できない。
c 原告Aは、誤送信メールを送ったことに気付いた直後、原告Bに対し、「昨日までは仕事のストレス」と言い切るメールを送信している。
この点、妻が夫に対し、自己に対するセクシャルハラスメント行為を明言しにくいとか、夫をあまり刺激してはいけないといった配慮から、敢えてこういう書き方をするということは、一般経験則上は十分あり得ることであるから、これをもって、原告Aがセクシャルハラスメント行為を受けていなかったと断定することは妥当でないであろうが、前記a及びbの事情と証拠(乙3・乙5・乙6他多数の電子メール、特に乙6の「21」のメールの原告A自身による記載、乙91)及び弁論の全趣旨から認められる原告Aの性格や人となりを総合して考慮すると、原告Aが以前から被告によるセクシャルハラスメント行為に悩まされていたという事実に対する有力な反対証拠のひとつであることは否定できない。
d 原告Aは、誤送信メール事件以降は、社内社外を問わず、友人知人に対して、電子メールを用いて本件を知らせていることが認められるところ、このような手段として電子メールを多用している原告Aが、誤送信メール事件以前にこれらの知人に対し、被告のセクシャルハラスメント行為を示唆するような何らの訴えもしていないというのは不自然といわざるを得ない。
(ウ) 誤送信メール事件以後の原告Aの態度等について
a 前記第3の1の(11)で認定した3月6日の原告Aと被告との面談のテープ録音の全情況を総合的に観察しても、原告Aが、被告の着任以来、被告から誘いを受け続けることに困惑し、忘年会の抱きつき行為により大変な衝撃を受け、なおかつ、2月中旬以降、明確なセクシャルハラスメント行為を受け続けて我慢の限界にあるという意識を持つ者であるという事実を、わずかでも窺わせるような部分は全く存在しない。
b 原告Aが、前記第3の1の(13)のイに認定したような画策的な行動をしていることは、それ自体仮に本気ではなかったとしても、供述全体の信用性を減じさせる事実である。
(2)  電子メールの閲読行為について
ア 証拠(乙110、乙124)によると、被告が原告らの電子メールを閲読した当時、フィッシャー社の米国本部には、会社のネットワークシステムを用いた電子メールの私的使用の禁止等を定めたガイドラインがあったものの、日本国内のゾーモックス事業部においてはこれが周知されたことはなく、社員による電子メールの私的使用の禁止が徹底されたこともなく、社員の電子メールの私的使用に対する会社の調査等に関する基準や指針、会社による私的電子メールの閲読の可能性等が社員に告知されたこともないことが認められる。
イ 前記アのような事実関係の下では、会社のネットワークシステムを用いた電子メールの私的使用に関する問題は、通常の電話装置におけるいわゆる私用電話の制限の問題とほぼ同様に考えることができる。すなわち、勤労者として社会生活を送る以上、日常の社会生活を営む上で通常必要な外部との連絡の着信先として会社の電話装置を用いることが許容されるのはもちろんのこと、さらに、会社における職務の遂行の妨げとならず、会社の経済的負担も極めて軽微なものである場合には、これらの外部からの連絡に適宜即応するために必要かつ合理的な限度の範囲内において、会社の電話装置を発信に用いることも社会通念上許容されていると解するべきであり、このことは、会社のネットワークシステムを用いた私的電子メールの送受信に関しても基本的に妥当するというべきである。
ウ 社員の電子メールの私的使用が前記イの範囲に止まるものである限り、その使用について社員に一切のプライバシー権がないとはいえない。
しかしながら、その保守点検が原則として法的な守秘義務を負う電気通信事業者によって行われ、事前に特別な措置を講じない限り会話の内容そのものは即時に失われる通常の電話装置と異なり、社内ネットワークシステムを用いた電子メールの送受信については、一定の範囲でその通信内容等が社内ネットワークシステムのサーバーコンピューターや端末内に記録されるものであること、社内ネットワークシステムには当該会社の管理者が存在し、ネットワーク全体を適宜監視しながら保守を行っているのが通常であることに照らすと、利用者において、通常の電話装置の場合と全く同程度のプライバシー保護を期待することはできず、当該システムの具体的情況に応じた合理的な範囲での保護を期待し得るに止まるものというべきである。
エ 証拠(乙124、被告本人)及び弁論の全趣旨によると、フィッシャー社では、会社の職務の遂行のため、従業員各人に電子メールのドメインネームとパスワードを割り当てており、このアドレスは社内で公開され、パスワードは各人の氏名をそのまま用いていたこと、実際に社内における従業員相互の連絡手段として電子メールシステムが多用され、必要な場合にはCC(カーボンコピー)と呼ばれる同時に複数の従業員に対して同一内容の電子メールを発信する方法なども用いられていたことが認められる。
このような情況のもとで、従業員が社内ネットワークシステムを用いて電子メールを私的に使用する場合に期待し得るプライバシーの保護の範囲は、通常の電話装置における場合よりも相当程度低減されることを甘受すべきであり、職務上従業員の電子メールの私的使用を監視するような責任ある立場にない者が監視した場合、あるいは、責任ある立場にある者でも、これを監視する職務上の合理的必要性が全くないのに専ら個人的な好奇心等から監視した場合あるいは社内の管理部署その他の社内の第三者に対して監視の事実を秘匿したまま個人の恣意に基づく手段方法により監視した場合など、監視の目的、手段及びその態様等を総合考慮し、監視される側に生じた不利益とを比較衡量の上、社会通念上相当な範囲を逸脱した監視がなされた場合に限り、プライバシー権の侵害となると解するのが相当である。
オ 本件において、被告が原告らの電子メールを監視し始めた経緯、監視の目的及び手段は、前記第3の1の(7) 以下に認定したとおりである。
これを前記の基準に照らして検討すると、被告の地位及び監視の必要性については、一応これを認めることができる。もっとも、本件においては、セクシャルハラスメント行為の疑惑を受けているのが被告本人であることから、事後の評価としては、被告による監視行為は必ずしも適当ではなく、第三者によるのが妥当であったとはいえよう。しかしながら、被告がゾーモックス事業部の最高責任者であったことは確かであり、かつ、他に適当な者があったと認めるに足りる証拠もないから、被告による監視であることの一時をもって社会通念上相当でないと断じることはできない。また、被告が当初、独自に自己の端末から原告A及びFの電子メールを閲読したその方法は相当とはいえないが、3月6日以降は、担当部署に依頼して監視を続けており、全く個人的に監視行為を続けたわけでもない。
これに対し、原告らによる社内ネットワークを用いた電子メールの私的使用の程度は、前記イの限度を超えているといわざるを得ず、被告による電子メールの監視という事態を招いたことについての原告A側の責任、結果として監視された電子メールの内容及び既に判示した本件における全ての事実経過を総合考慮すると、被告による監視行為が社会通念上相当な範囲を逸脱したものであったとまではいえず、原告らが法的保護(損害賠償)に値する重大なプライバシー侵害を受けたとはいえないというべきである。

3 反訴請求に対する判断
(1)  原告らの主張が、事実無根の捏造であるか否かについて
ア 原告らの主張する被告のセクシャルハラスメント行為については、これを認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりである。しかし、そのことと、これらの事実が全て事実無根であり、原告らによって「捏造」されたものであることが、被告による損害賠償請求が認容される程度にまで証明されたかどうかということとは、別個の問題である。
イ 確かに、証人Dの供述には前記のとおり、不自然な点があり、事実を誇張したり歪曲している疑いがある。しかしながら、前記認定の事実経過に照らすと、原告らとDが当初から共謀のうえ、事実無根のセクシャルハラスメント行為を捏造する意図であったと断定することにも疑念が残る。その理由は、以下のとおりである。
(ア) そもそも、事実無根の行為を捏造するのであれば、事業部員ほか20名が現に参加している「忘年会」という場での抱きつき行為を主張するというのは、些か理解し難いところであり、初めから第三者が目撃したり証人になったりする余地のない事実を作出するのが自然であろう。
実際、抱きつき行為について、原告Bは、3月2日の警告メールの原案の段階において、早々に「(尚、幸い目撃者が多数ある明確な立証可能)」と記載しているが、事が「捏造」であっては、このような立証ができるわけがなく、当初から捏造する意図の者の書いた文章としては不自然である。被告は、原告らがDやFと打ち合わせていたことを強調するが、3月2日の段階で、DやFを巻き込んでセクシャルハラスメント行為を「捏造」する謀議が早々に整ったとも考えにくく、むしろ、原告Bとしては、「忘年会の場で抱きつき行為があった」と聞いて、そのような場なら多数の者が見ているに違いないと楽観したと推認する方が自然である。
(イ) 証人Dの供述については、確かに変遷があるが、忘年会における抱きつき行為については、その細かい態様を除けば、3月9日の被告に対する供述を除くと、一貫して「見たものは見た」と話している。
被告は、3月9日にDが目撃供述を撤回したことを強調するが、同日の被告のDに対する詰問態度は、当事者特有の興奮や過剰で攻撃的な表現を伴うもので、このような態度で詰問すれば、被告とDとの社内での地位的関係に照らすと、事の真相とは別に、供述の撤回に至るという流れになることも、経験則上十分考えられることである。
実際、被告は、Dに対して、警告メールは「脅迫」にあたると指摘しながら、自らもそれと全く同じ手法でDに供述の撤回を迫っているということについて自覚が足りない(ここで謝ればそれで終わるが、認めないならば、警察に言うなどして徹底的に争う、というのは警告メールと全く同じ論法であるし、他の者は誰も見ていないと言っている、と言って供述の変更を迫るのも、警告メールが、一方的に「目撃者が複数あり」と決めつけているやり方と同じである。)。
その結果、Dは、要するに、自分が抱きつき行為を目撃したと明言している唯一の人間であることから、その自分に、見ていないと言わせようというのが被告の意図であると「理解」し、供述を撤回する書面に署名したという推認も十分可能なのであり、このような推認が経験則に反するとも言い切れない。
また、被告は、比較的冷静に話している3月10日の会話においても、この会話が録音されていることを自覚しているにもかかわらず、Dに対して自分の推察を執拗に認めさせようとしたり、Dの言葉尻を捉えて返答不能な質問を繰り返したり(「鵜呑み発言」のこと)、一方的な決めつけをしたりしており、紛争の当事者にありがちな、配慮の足りない、真実解明の妨げになる会話を繰り返している。
(ウ) また、被告は、3月6日の被告とE及びFとの会話の記録や、その他の従業員の陳述書などを提出し、抱きつき行為が原告らの捏造であることがこれらの証拠から明らかであると主張する。
しかしながら、そもそも、訴訟における最も重要かつ基本的な争点に関する直接証拠としては、反対尋問を経ない供述に十分な証拠価値を認めることはできないうえ、本件のような事案における事実の解明に関し、当事者以外の第三者に対して事実を確認する作業を行う場合には、その担当者、手続、実施の手順、事前の被調査者に対する調査の趣旨の説明などの点について、十分な注意を払う必要があり、これを欠くと、徒に供述を混乱させ、事実の解明に役立たないどころか、かえって有害な結果となることがある。このようなことは、日頃から、このような作業に従事する者においては顕著な事実である。
このような観点からすると、3月6日という早期の段階で、紛争の一方の当事者で、しかも上司である被告によって、第三者に対する聴き取りが行われたことは、事実の解明という観点からは、かなり問題がある。聴き取りを受ける者に対し、自己の提供する情報がどの範囲の者に認識され、誰により分析・判断され、どのような目的で用いられるのかが正しく説明されていなければ、聴き取りを受ける者は安心して真実を述べることなどできないし、また、これらの者のした回答の趣旨を正しく理解することもできない。本件で提出されている陳述書自体は、後に被告代理人弁護士の関与により作成されたものであるとしても、第三者ではなくあくまで被告の訴訟代理人弁護士の関与であること、これに先立つ時期に、一部にせよ被告自身による聴き取りが行われていること、被告自身が陳述書の提出を促すような発言をしていることなどに照らすと、大きな証拠価値を認めることは困難である。
結局、被告とE及びFとの会話や、後に提出された第三者の陳述書は、「抱きつき行為の存在を疑わせる証拠」のひとつには成り得ても、「抱きつき行為の不存在を証明する証拠」としては、決して価値の高いものではない。
(エ) 被告は、忘年会においては終始記憶もはっきりしており、抱きつき行為は事実無根であると供述している。しかしながら、被告も忘年会の前半に日本酒の一気飲みをしており、かなり酔っていた可能性がある。また、3月6日の原告AやDとの会話における被告の言動や、この段階で、自ら工場の従業員らに対してまで抱きつき行為を見たか否かを確認するという対応などは、始終記憶もはっきりしていて抱きつき行為と受け取られるような行為はおよそ行っていないことについて盤石の自信を持っている者の行動としては、些か冷静さに欠けるという印象も払拭できない。
ウ 以上によると、本件については、被告によるセクシャルハラスメント行為の存在を認めるに足りる証拠はないが、逆に、原告らが事実無根のセクシャルハラスメント行為を意図的に捏造したと認定するに足りるだけの証拠もないというべきである。
(2)  原告らの行為が名誉毀損行為にあたるか否かについて
ア Hに対する電子メールの送信について
原告AのHに対する電子メールの送信は、未だ私信の範囲を超えておらず、この段階で公然事実を摘示したとはいえない。Hが実際に雑誌に掲載するなどすれば、名誉毀損行為に当たる可能性があることは言うまでもないが、Hは、出版等の業務に携わる者として、自らに寄せられる多種多様な情報を自らの判断で取捨選択し、自らの責任で発表する者である。仮に、Hの行為による名誉毀損行為が発生したとしても、それはHによる名誉毀損行為であって、原告らによる名誉毀損行為であるとはいえない。したがって、Hによって発表される可能性があったというだけで、Hに対する電子メールの送信が被告に対する名誉毀損行為を構成するとはいえない。
イ フィッシャー社のゾーモックス事業部以外の部署の者に本件の内容が知られるに至ったことについて
(ア) 被告は、原告らが、社内のFやJに対して、被告によるセクシャルハラスメント行為が行われたと告げたことや、総務部に対して本件訴訟を提起したことを告げたことなどによって、ゾーモックス事業部以外の部署の者に本件の内容が広く知られることとなり、被告の名誉が毀損されたと主張する。
しかしながら、そもそも、本件のような紛争になれば、会社内の相当程度の範囲に噂が広がるのは避けがたいことである。また、このような結果に対して名誉毀損の不法行為の成立を認めることは、一般論として、この種の問題(セクシャルハラスメント問題)の調査に対する過大な萎縮効果を招来するおそれがあるから慎重でなければならず、特に、セクシャルハラスメント行為を受けたと主張する者が、社内の同僚や、総務部の者に対してその旨を告げることが名誉毀損行為となるのは、明確な加害意図のもとに故意に虚偽の事実を捏造し、かつ、当該担当部署に通常の方法で申告するだけでなく、それ以外の不特定多数の者に広く了知されるような方法で殊更に告知されたような場合に限定されるべきである。
(イ) 本件においては、前記認定のとおり、原告らが、明確な加害意図のもとに故意に虚偽の事実を捏造したと認めるに足りる証拠はない。また、被告提出の乙111及び118号証を前提としても、原告らが、フィッシャー社内において、ことさらな風説流布行為を行ったとまでは認められない。さらに、被告自身が、3月6日という早い時点から、F、E、さらには工場の従業員らに対してまで、忘年会での抱きつき行為を見たかどうかの聴き取りをしているところ、被告のこのような行為から社内に噂が広がることも十分考えられるから、原告らの行為によって会社の他の部署に広まったと断定することはできない。
被告は、被告が聴き取りをした者らは、誰も抱きつき行為など見ていないのだから、被告の聴き取り行為によって噂が広がることはないと主張する。しかしながら、聴き取りを受ける側やこのような聴き取りが行われたことを知った第三者の一般的な心理としては、被告自身が確かな記憶のもとに、抱きつき行為及びそれと誤解されるような行為を一切行っていないという確信を持っているのであれば、わざわざそのような聴き取りを行う必要はないのではないか、などと考え易く、上司である被告が自らこのような聴き取りを実施することにより、第三者らの間に、被告自身が何かしら身に覚えがあるのではないか、そうでなくとも酔っていたために十分な記憶がないのではないか、などの憶測を生むことも十分考えられる。被告の地位に照らすと、被告の行った聴き取り行為は、一般の従業員らにとって衝撃的なことであった可能性が多分にあり、被告の主張は採用できない。
4 結論
以上のとおりであるから、本件については、本訴請求及び反訴請求のいずれについても、これを認めるに足りる証拠がないことに帰着する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 綱島公彦)

(5)業務命令と思想信条の自由

+判例(H23.5.30)東京都都教委事件

+判例(H23.6.14)同じ!?
理 由
 第1 上告代理人飯田美弥子ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反を
いう部分について
1 本件は,東京都八王子市又は町田市の市立中学校の教諭であった上告人らが,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立して斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,事情聴取をされ,戒告処分を受け,服務事故再発防止研修を受講させられるとともに,東京都人事委員会から,上記戒告処分の取消しを求める審査請求を棄却する旨の裁決を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上記事情聴取,戒告処分,服務事故再発防止研修及び裁決は違法であるなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分及び裁決の各取消し並びに国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)38条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)54条の2の規定に基づく中学校学習指導要領(平成10年文部省告示第176号。平成20年文部科学省告示第99号による特例の適用前のもの。以下「中学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを
「国旗国歌条項」という。)。
(2) 八王子市教育委員会の教育長は,平成15年9月22日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」(以下「本件八王子市通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台正面中央に国旗を掲揚し,全員が起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
町田市教育委員会の教育長は,同年10月29日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「入学式,卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件町田市通達」といい,本件八王子市通達と併せて「本件各通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,上記①及び②と同様の事項(ただし,所定の実施指針には,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することも含まれていた。)等を通達するものであった。
(3) X1は,平成16年3月当時,町田市立A中学校に勤務する教諭であったところ,同月15日,同校の校長から,本件町田市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を,同校長の命を受けた教頭から文書で受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった
X2は,平成15年9月ないし同16年3月当時,八王子市立B中学校に勤務する教諭であったところ,同15年9月3日,同16年1月14日及び同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった
X3は,平成16年3月ないし同年4月当時,同市立C中学校に勤務する教諭であったところ,同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成16年度入学式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた(以下,上告人らに対するこれらの職務命令を併せて「本件各職務命令」という。)。しかし,X3は,同上告人に対する上記職務命令に従わず,同年4月7日に行われた同校の入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった
(4) X1は,平成16年3月24日に約20分間,X2は,同月25日に約1時間,X3は,同年4月16日に約10分間,それぞれ都教委から上記不起立行為に関する事情聴取を受けた。
(5) 都教委は,上記不起立行為がそれぞれ職務命令違反に当たり,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,平成16年4月6日,X1及びX2に対し,同年5月25日,X3に対し,それぞれ戒告処分をした。また,都教委は,同年8月,上記戒告処分を受けたことを理由として,上告人らにそれぞれ服務事故再発防止研修を受講させた。
(6) X1及びX2は,平成16年5月31日,X3は,同年7月22日,それぞれ東京都人事委員会に対し,上記戒告処分の取消しを求めて審査請求をしたが,同19年4月26日,同人事委員会から,いずれもこれを棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受けた

3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,天皇主権と統帥権が暴威を振るい,侵略戦争と植民地支配によって内外に多大な惨禍をもたらした歴史的事実から,「君が代」や「日の丸」に対し,戦前の軍国主義と天皇主義を象徴するという否定的評価を有しているので,「君が代」や「日の丸」に対する尊崇,敬意の念の表明にほかならない国歌斉唱の際の起立斉唱行為をすることはできない旨主張する。
上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や国家体制等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
イ しかしながら本件各職務命令当時,公立中学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
ウ また,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえない
エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
(2) もっとも卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
イ これを本件についてみるに,本件職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,中学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法36条1号,18条2号),同法38条及び学校教育法施行規則54条の2の規定に基づき中学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた中学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立中学校の教諭である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,中学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件各通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立中学校の教諭である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,中学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
(4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。

第2 その余の上告理由について
論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
なお,上告人らは本件上告のうち本件裁決の取消請求に関する部分について上告理由を記載した書面を提出しないから,本件上告のうち同部分を却下することとする。
よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

2.ハラスメント・いじめからの保護
(1)セクシュアル・ハラスメント
a)対価型と環境型

+判例(東京地判H15.7.7)東京セクハラ(破産出版会社D社)事件

+判例(福岡地判H4.4.16)福岡セクシャル・ハラスメント事件
理由
一 当事者間に争いのない事実
請求原因1の事実(当事者)、並びに、原告が昭和六〇年一二月初めに被告会社の雑誌「B誌」の表紙のデザイナーをしていたAの紹介で被告丙の面接を受け当初三か月はアルバイトで月額九万円支給、正社員になれば月額一〇万円の賃金支給との条件で入社したこと、原告は昭和六一年一月には正社員となったこと、原告の入社当時、編集は被告丙が、営業はEが、制作はFが担当していたが、他には社員はおらず、学生アルバイト多数を用いて雑誌作成を行っていたこと、原告は入社後間もなく編集業務等に関与するようになり、その仕事量は次第に増加して、被告会社における立場の重要性も増していったこと、原告の給与は昭和六二年五月ころ月額一一万円に昇給されたこと、同年八月二〇日にL専務が被告会社に入社し、被告会社の事実上の最高責任者として被告会社の経営の建て直しに当たり、その一環として指揮系統がL専務と被告丙間に明確化されたこと、原告が被告会社の取引先である旅行代理店支店長と男女のいわゆる不倫関係にあったこと、被告会社と同代理店との取引が同年六月ころ終了したこと、原告と被告丙とは同年一二月末ころ協議の機会を待ち、その際、原告が当時「Y社」からいわゆる「引き抜き」の話を受けていたのに対し、被告丙が転職を勧めたこと、被告丙は、昭和六二年三月一〇日、原告に対して原告が取引先の複数の男性と交際していることを話して退職の勧告をしたこと、L専務は同月ころ原告及び被告丙から両者間の関係について相談を受けたこと、原告は同月に月額一三万円に昇給したこと、原告は同月二四日にL専務と協議の機会を持ち、その結果被告会社を退職したこと、その際に被告丙も三日間の自宅謹慎及び減俸の処分を受けたこと、原告は退職に際して被告会社から二一万二一九〇円の支給を受けたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二 本件の経緯の概要
右争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人L、同M、同I、被告丙本人、原告本人)によれば、次の事実が認められる(なお、原告は、証人Iの証言及び同人の陳述書(〈書証番号略〉)について、本件のようないわゆるセクシャル・ハラスメントの有無が争われている訴訟において事案と何ら関連性がない原告の私生活に関する虚偽の点さえ含む事実を証拠として開示することを許すと、それ自体が新たなセクシャル・ハラスメントとなり、原告のプライバシーが更に回復不能に侵害されるから、証拠から排除されるべきであると主張するが、前掲証拠の内容はいずれも本件で問題された事項と直接に又はこれらと密接に関連するものであること、原告の懸念する虚偽内容の証言等の開示の点は裁判所において適切に証拠評価することによって補えることに鑑み、原告の右主張は採用しない。)。
1 昭和六〇年六月二〇日に被告会社に入社し、同年八月二一日からは同社の編集長の地位にあった被告丙は、同年一一月ころ、編集事務等を担当していた女性社員が退職したので、その欠員を補うために編集のできる人材を探していたところ、当時「B誌」の表紙のデザインを担当していたAが、原告を紹介してきた。
そして、原告は、被告丙の面接を受け、当初三か月はアルバイト待遇で試用期間とし、アルバイト期間中は月額九万円支給、正社員になれば月額一〇万円支給との条件の呈示を受け、原告は右条件を了承して被告会社に入社した。その後、原告は、被告会社の忘年会での司会振りを被告代表者ら役員に認められて、入社一か月後の昭和六一年一月から被告会社の正社員となった。
入社当時、被告会社の業務は、学生向けの情報雑誌である「B誌」の発行が中心であり、編集長の被告丙、営業担当のE及び制作担当のC社から派遣の同社社員Fの三人の社員と、特派員と呼ばれていた三〇名前後のアルバイト学生ら(所属大学の学内情報に関する記事の執筆等を担当)によって遂行されていた。「B誌」は、当時一部一〇〇円で一般に販売もされていたが、その主たる収入源は同誌に掲載される広告の広告料によるものであり、被告会社の経営は赤字状態にあった。
2 原告は、入社直後の昭和六一年一月、大学の外国語学科で英語を専攻していたことから、被告丙の指示で「B誌」同年一月号の英語関係の特集記事の執筆を初めて担当した。その後も、原告は、過去に雑誌編集の経験があった上、執筆、編集等の仕事を行うだけの能力を有していることが明らかになったため、徐々に取材、執筆、編集等の仕事を任せられるようになり、「B誌」の特集記事等や、被告会社が経営状態改善のために同年四月からC社から作成を請け負うようになったアルバイト情報雑誌「日刊D」の記事の執筆を度々担当することとなった。
特に、同年九月にEが退社して被告丙が営業に労力の多くを注ぐ必要が生じた結果、被告会社の発行する雑誌の編集等における原告の役割は大きくなっていった。
一方、取材等で原告が外部へ出る機会が増えるにつれて、取引先との付き合いから宴席等に加わる機会も多くなっていった。そうするうち、原告は、同年五月ころ、被告丙の友人で被告会社の広告主でもある旅行代理店の支店長と交際を開始するようになった。
3 ところで、被告丙は、やや内向的で家庭的であり、派手さはなく、私生活では生真面目な方で、女性の在り方や役割等についての女性観は旧来のいわゆる常識的な考えの持ち主である。
その仕事振りについては、被告丙が取引先との打合せに遅れ原告が取引先からの苦情に対応するといったことが何度もあったことや、原告らが残業しているのに被告丙は終電車に間に合わないからとの理由で自分だけ帰宅してしまうことがあったことなどから、被告丙の仕事振りに不満を抱くようになった原告から、昭和六二年の春ころ及び秋ころに、「出かけるときは、出先をはっきりして、二時間おきに連絡をして下さい。」旨言われることもあった。
4 Iは、被告丙の高校時代以来の友人で、同じ新聞部に所属していたし、しかも、同新聞部同窓会事務局が被告会社内にあった上、被告会社のアルバイト学生も同新聞部の出身者が中心であった関係もあって、昭和六一年ころから、被告会社の経営の建て直しにつき被告丙の相談に乗るなどのために被告会社に頻繁に出入りし始め、同社の経営についてまでも深く関与するようになり、時には編集会議を主催することすらあった。
5 原告は、昭和六一年一一月二〇日ころ、卵巣腫瘍により入院して手術を受けることが必要との診断を受けたので、被告丙に仕事上その旨報告した。
ところが、同月二四日、被告丙が突然一二指腸潰瘍で先に入院したため、原告は自分の入院を延期した。被告丙は、結局同年末まで入院を続け、原告は、被告丙が退院して被告会社に復帰した後の昭和六二年一月一七日から約三週間入院した。
被告丙が入院している間被告会社の業務が滞らないように、昭和六一年一二月、C社からP係長が被告会社に出向してきた。同係長は、直接には経理担当とされていたが、実質上は被告会社の業務全般にわたっての責任者としての立場を有していた。P係長が出向して来てからは、Iは被告会社に出入りしないようになり、被告会社の経営を含めた業務の方針は、同係長と原告との間で決まることが多くなった。また、昭和六二年五月ころ、原告は、同年七月分からの給与を月額一一万四〇〇〇円とする二万円余りの昇給措置を受けた。
このような状況において、被告丙は、編集長ではあったが、被告会社の業務の重要部分に関われない疎外感を持つようになっていった。
加えて、被告丙は、同年五月の決算期に被告会社の役員から被告会社の業績不振について責任を問われたり、被告会社の業績のばん回策として考えた「B誌」を無料誌化するとの案も採用されなかったことなどから、被告会社を辞めようかと思い悩むようになった。
6 なお、原告は、昭和六二年一月ころ前記旅行代理店支店長との交際を一応終了し、同年五月ころ同人との関係を最終的に清算したが、同人の勤める旅行代理店の広告の掲載は、昭和六一年一月から昭和六二年四月まで継続した後、同年七月号に掲載されたことをもって終了した。
7 L専務は、大手の広告代理店での勤務経歴を持っていたところ、昭和六二年に被告会社の経営建て直しを依頼されていたが、同年二、三月ころから約半年間被告会社の業務内容等の様子を見た結果、再建が見込めると判断して、同年八月二〇日、専務との役職名の下に、代表権を必要とする業務以外の通常業務すべてを統括する事実上の最高責任者として被告会社に入社した。なお、これと相前後して、P係長はC社に戻った。
L専務は、被告会社の経営建て直しのために、当時の被告会社の業務遂行の指揮系統がはっきりしていなかったので自己の意思が編集長である被告丙を通じて原告ら他の社員に伝わるようにして秩序立った業務運営ができる体制を作ったり、「B誌」を無料化するとの被告丙の案を採用したりした。
右により、一時は疎外感を持ち被告会社を退社しようかと悩んでいた被告丙も、被告会社で編集長として仕事を続けていける自身を取り戻した。
また、仕事の分担についても、被告会社の主たる業務である「B誌」の発行は被告丙が、C社からの請負業務である「日刊D」の作成は原告が、各担当することと大まかに分けられた。
このような経緯から、その後は、被告会社の運営は、L専務と被告丙とを中心に行われるようになった。
8 しかしながら、昭和六二年一二月になっても、被告会社は、その経営状態が改善されず、年内に原告にボーナスが出せるかどうか不確実という状態にあった。
このこともあって、被告丙は、同年一二月二七、八日ころ、原告を呼び出し、原告と協議する機会を持ったが、その際、当時原告に「Y社」から来ていたいわゆる引き抜きの件に話が及び、被告丙は、「Y社」が被告会社よりもかなり高い給与を支給する予定であると聞いたこともあって、原告に引き抜きの話を受けて転職することを勧めた。原告は、この引き抜きの話はいまだ確定的なものではないので、とりあえず年明けに結果を報告する旨答え、話を終えた。
このことがあった後、原告は、被告丙が原告を被告会社から辞めさせたがっているものとの意識を持つようになり、同被告の自分に対する言動に神経を使うようになった。
9 その後、原告は、被告丙に対して事務的な会話以外はあまり話をしないようになった。
この結果、被告丙は、仕事が円滑に回らなくなり職場の雰囲気も次第に悪くなったと感じ、このままでは被告会社の業務にも支障を来すことにもなりかねないと考えるようになり、原告に対し、被告会社を辞めて欲しいと思うようになった。
10 被告丙は、昭和六三年二月ころから、L専務に対して被告会社の社内の雰囲気について報告をしていたが、同年三月九日、L専務に対し、原告に被告会社を辞めて欲しいと考えている旨を告げた。これに対して、L専務は、被告丙には人事権はないとの指摘を行った上で、原告に自分の考えを示して十分に話し合うよう述べるとともに、自らは、その翌日の一〇日、被告会社の社員であるMから事情を聴取した。
一方、被告丙は、同一〇日、原告を呼び出し、原告と前記旅行代理店支店長との関係を聞き知っていることや、その関係が終了したことにより同代理店からの広告依頼が被告会社に来なくなったと理解していたことのほか、被告会社と関係のあるスポーツ新聞の記者SやフリーライターTなどの個人名を挙げて、原告がこれらとも交際があり、更には昭和六二年九月ころから被告会社に掛かって来ていた無言電話も原告の男性との交際に絡むものと思われる等述べた上、このままでは被告会社の業務に差支えが生ずるとして、原告に退職を求めた。
しかし、原告は、右のような原告の交遊関係についての噂を流したのは被告丙自身であり、それを理由に辞めさせるなどは筋が違うと反論して、逆に、被告丙に関係者への謝罪を要求した。
さらに、原告は、同月一一日、直接L専務に対しても、被告丙が関係者に謝るように指示してほしい旨訴えたが、L専務は、噂の出所が不明である段階においては、被告丙に謝罪を強いることはできず、二人でよく話合って誤解を解くしかないとの返事をした。なお、L専務は、右のころ、被告丙からも同月一〇日の原告との協議の結果について報告を受けた。
また、原告は、同月一七日ころ、被告代表者にも前同様の救済を求めたが、同人は原告に事態を余り深刻に考えないように述べるに止まった。
なお、原告は、その前後ころ、同月一〇日に被告丙から言われたこと等を、当時の被告会社の社員MやN等のほか、レコード会社社員のX等に相談したところ、被告丙が昭和六二年末ころXの出席した宴席上でスポーツ新聞の記者と男女のいわゆる不倫関係にあると話していたことや、同被告が昭和六三年一月ころ当時被告会社に入社したばかりのNに対して、原告の私生活について否定的評価を行ったことを聞き及んだ。そして、原告の相談を受けた者の中には、このような被告丙の言動に対して否定的な評価を有する者もあった。
11 L専務は、右のころから、被告会社の運営上原告と被告丙との対立を解消させることを特に重視するようになった。そして、同年三月二二日ころ、L専務は、被告代表者を含む被告会社の役員と協議した結果、被告丙に対し、原告と十分話合いをするよう重ねて言った。また、L専務は、原告に諸々の不満があるのは原告の給与が他の会社に比較してかなり低いことにも遠因があると考えて、原告の給与を従来よりも月額二万円上げたりもした。
しかし、原告と被告丙の仲は一向に改善されず、被告会社内では必要事項以外は一切口をきかず、また、調査の結果被告会社に掛かって来ていた無言電話は原告の交際相手の関係者からではないことが判明した等として、原告が被告丙に面談や電話で謝罪を要求する状態であった。
そして、同年四月に入ると、原告と被告丙との対立の結果、「B誌」の編集、発行等にも支障が生じていると直接L専務に訴えるアルバイト学生も出るに至った。L専務及び被告丙は、これらのことから、原告がアルバイト学生等に働きかけて被告会社内部での原告への同調者を募っていると考えるようになった。
以上の結果、L専務は、同月中旬のころには、原告と被告丙とはもはや両立させることが困難ではないかと考えるに至っていた。
12 昭和六三年四月二六日ころ、L専務は、被告代表者に右のような被告会社内の状況について報告した上で今後の対処方法について相談し、同年五月の連休明けまで冷却期間をおいて原告と被告丙とで話し合うよう被告丙に指示したが、両者の関係にはやはり改善が見られなかった。
連休明けの同年五月六日、L専務が被告会社の役員らと相談した際、同役員らから、原告について再度昇給することで解決できないかとの助言もあった。しかし、L専務は、原告だけを同年三月に昇給させたばかりであること等を考慮の上で、昇給はできないと判断し、この助言を採用しなかった。
また、同年五月中旬ころ、被告丙がアルバイト学生を集めて開いた懇親会の費用について、学生からL専務に対し、被告丙が学生から費用を徴収しながら、店から領収書をもらい二重取りしているのではないかとの疑念が出されるということもあった。
さらに、同月二一日には、アルバイト学生からL専務に対し、重ねて、原告と被告丙との対立の結果被告会社の業務運営に支障が生じており、いったん雑誌を廃刊して体制を建て直すことも必要ではないかとの意見が告げられた。
13 L専務は、昭和六三年五月二四日の午前中、被告代表者を含む被告会社役員にそれまでの経過を報告して解決の方策につき意見を求めたが、結局、L専務が原告及び被告丙とそれぞれ会って話し合い、場合によってはいずれかに退職してもらうほかに手段がないという結論になり、被告代表者は、L専務に対し、そうするよう指示した。
そこで、L専務は、その日の午後、双方の話を聞くこととして、まず、原告を呼び、被告丙と妥協する余地はないかとの申入れをしてみたが、原告は、前同様に被告丙の謝罪要求に固執し、同専務に情報提供した被告会社の他の関係者に電話で事情を確認することも要求する状況であった。
このため、L専務は、話し合いがつかないことになれば被告会社を退職してもらうことになる旨述べたところ、原告は、退職する意思を表明した。L専務は、原告が右のような意思表明をしたので、原告との話を打ち切った。そして、次に面談すべく待機させていた被告丙に対し、原告が自ら辞めると言ったことを伝えた上で、これは喧嘩であり両方に責任があるとして、三日間の自宅謹慎を命じ、その後、被告代表者とも相談して、賞与を減俸する処分をした。
14 なお、その後、被告会社は、原告に対し、三か月間の平均給与額で算出した一か月分(但し、昭和六三年五月二一日ないし同月二五日分を日割計算した分を含む。)の給与に功労金の名目で五万円を加えた二一万二一九〇円を支払った。

三 原告の指摘する被告丙の行為の存否について
前項に認定した事実関係を前提にして、以下検討する。
1 第一の事実(被告丙が昭和六一年六月ころアルバイト学生らに原告の異性との交遊関係が派手である旨述べたこと)について
先に認定したとおり、昭和六一年六月当時原告は取引先との付き合いから宴席に加わる機会が多くなっていたところ、被告丙はその供述中で各種の雑談の機会に原告がよく酒を飲みに行くと話したことがあると述べ、また、被告丙としては原告の右態度を必ずしも是認していなかったことも窺われるし、前述の同被告の性向、女性観や、後に認定する第七、第一〇及び第一四の各事実、すなわち、同被告が被告会社女子社員M、N或いはアルバイト学生に対して原告に関し本件事実と同様の女性としてのマイナスの人物評価を行っている事実に照らしても、本件事実程度の発言を行ったであろうことは推測するに難くなく、この点に関する原告の供述は信用できる。
もっとも、アルバイト学生らに伝わった同事実に関する噂の出所が同被告のみであったとも断定はできない。
2 第二の事実(被告丙が昭和六一年八月ころIらに原告とAとの間の異性関係を示唆する発言をしたこと)について
右に認定のとおり、原告はAの紹介で被告会社に入社したのであり、また、証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、Aと原告とが以前同じアパートにそれぞれの住居を有していたことや、Aは昭和六一年当時被告会社にしばしば出入りしていたこと、そのため被告丙が原告に「最近Aがよく来るね。原告に気があるのでは。」と話していたことが認められ、これに、被告丙が、後に認定する第六、第八、第九、第一二及び第一五の各事実にも現れているとおり、原告の男女関係について度々言及しており、そのような性向を持っていることや、Iと親しい間柄であったことなどを考えれば、この点に関する原告の供述は信用でき、本件事実、つまり、同被告が原告とAとの関係についての噂を流布したことを推認することができる。
3 第三の事実(被告丙が昭和六一年八月末ころ体調が悪く被告会社のソファーで休んでいた原告に対して「昨夜も遊んだのか。」と言ったこと)について
証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、昭和六一年八、九月ころ、原告が通勤中に貧血症状が出て被告会社のソファーで横になって休んでいたことがあったことは認められるが、原告供述以外には、その際に被告丙が第三の事実のような発言をしたことを裏付ける証拠はないから、直ちにこれを認めるのは困難である。
4 第四の事実(被告丙が昭和六一年一一月二〇日ころ被告会社の外部の者との電話での会話で原告が卵巣腫瘍になったことに触れ、その原因が異性関係にあるかのように言ったこと)について
先に認定したとおり、原告は昭和六一年一一月二〇日ころ卵巣腫瘍との診断を受けたが、この点に関連して被告丙が第四の事実のようなことを発言したことを直接裏付ける証拠は原告供述以外にないから、直ちにこれを認めるのには若干躊躇を覚える。
5 第五の事実(被告丙が昭和六二年三月ころ被告会社の取引先の人々に原告がパーテイーの後異性とホテル等へ行ったと述べたこと)について
証拠(原告本人、被告丙本人)によれば、昭和六二年三月ころに原告を含む被告会社関係者が同社の広告主が開店した飲食店の披露パーティーに参加したことは認められるが、この点に関連しても、被告丙が第五の事実のような発言をしたことを裏付ける証拠は原告供述以外にないから、右供述のみで直ちにこれを認めるのは困難である。
6 第六の事実(被告丙が昭和六二年五月ころIやEに対して原告がP係長と特別に親密な関係にあるかのように窺わせる発言をしたこと)について
先に認定したとおり、昭和六二年五月ころには、被告会社の業務の運営がP係長と原告とを中心として行われる状況であったため、被告丙は、疎外感を持っていたし、また、同じころ、仕事に関して自信を喪失し被告会社を辞めようかと思い悩んでいたこと、被告丙自身、その供述中で、原告とP係長とが仕事の上で非常に仲がいいと感じ、右疎外感や悩みから、Iらに対して、「二人はえらい仲がいい。仕事も二人でしている。」との趣旨の愚痴を言ったことがある旨述べていること、原告供述によれば、本件類似の話をアルバイト学生の一人も同被告に聞かされて信じていたと認められることのほかに、認定可能な第二、第八、第九、第一三及び第一五の各事実に現れた被告丙の原告の男女関係に関する発言傾向を考えると、その言葉の一言一句は別として、被告丙が、原告とP係長とが職場の関係以上の関係にある趣旨の発言をしたであろうことが推測され、これに反する被告丙の供述やI証言は信用しない。
7 第七の事実(被告丙が昭和六二年八月七日に新入女子社員に対して原告の異性との交遊関係や日常生活が派手で被告会社よりもむしろいわゆる水商売に向いていると述べたこと)について
被告丙は、その供述中で、当時被告会社に入社したばかりのMに対し、昭和六二年八月七日ころの会社帰りに、原告は酒が好きで取引先との付き合いでよく酒を飲みに行くがMはそのようにする必要はない旨言ったことを自認しており、少なくとも被告丙が右のように自認する範囲で原告の私生活面について批判を行ったことは認められ、また、被告丙は、その供述中の別の部分で、当時から原告の取引先の男性との関係について問題視していた旨を述べていることに照らすと、その発言が原告の異性関係に対する評価にもわたるものであったことは十分に推認できる。
なお、証拠(〈書証番号略〉、証人M、原告本人、被告丙本人)によれば、Mは昭和六二年初めころからアルバイトとして被告会社に出入りし、同社の雰囲気は既に十分に把握していた上、Mの被告会社社内における担当業務は雑誌の体裁を整理する制作事務で、対外的な付き合いは予定されていなかったことが認められるから、被告丙が当時Mに対して右のような発言を行う必要性は特に存しなかったというべきであり、先に認定のとおりの当時の原告と被告丙との関係を考慮すると、被告丙の右発言は原告の評価を下落させる性格のものであったと認めるのが相当である。
8 第八の事実(被告丙が昭和六二年秋ころL専務に対して同年六月以降旅行代理店の広告依頼が途絶えたのは同社支店長と原告との異性関係が終了したことが原因であると報告したこと)について
被告丙は、その供述中で、L専務に対して第八の事実のような報告をしたことを認めている。
ところで、先に認定のとおり、原告と右支店長とは昭和六一年五月から昭和六二年一月まで交際し、その関係は同年五月ころ最終的に解消されたのであり、一方、同旅行代理店の広告は昭和六一年一月から昭和六二年四月までは毎月掲載されたが、その後は同年六月の発注をもって終了している。
被告丙は、その供述中で、昭和六二年秋ころIから原告の右交際について聞かされ、その終了時期が同旅行代理店の広告の終了時期と符号していたため、両事実間に因果関係があるものと考えた旨述べているところ、なるほど右のような推論も成り立たないではないが、かと言って被告丙がL専務に報告したように右事実間に関連が存するものと断言するだけの根拠も十分ではなく、被告丙がこの点を客観的に明らかにしようとした形跡も窺われない。
してみると、被告丙は、専ら推測に立脚してL専務に前述のような報告をしたというべきであるが、これは、被告丙が被告会社においていわゆる管理職にあり、そのような立場の者として部下の取引先との交遊関係についてある程度の注意を払い、適宜上司にも報告することが社会活動として通常みられることを考慮しても、軽率な行動であったとの評価を免れない。
9 第九の事実(被告丙が昭和六二年秋ころL専務に対して原告がスポーツ新聞の記者に対する原稿料の支払やフリーライターからの原稿受領等に関して問題となる行動があったと報告したこと)について
被告丙は、その供述中で、L専務に対して職務遂行上の問題事例として第九の事実のような報告をしたことを認めている。
ところで、原告が実際にスポーツ新聞の記者やフリーライターに対して被告丙が問題視したような行動をとったことを認めるに足りる証拠はなく(かえって、問題の相手とされたスポーツ新聞記者が作成した陳述書である〈書証番号略〉には、この点を明確に否定する部分が存する。)、被告丙自身がその供述中でL専務に報告するに当たり事実関係について調査を行っていないことを述べているのであり、被告丙の報告は専ら自己の主観的判断に基づくものというべきであるが、右報告の内容は事柄の性質上報告を受けた者に原告の異性関係の在り方について否定的な印象を与えるものであること、現にL専務の証言中にも被告丙の報告を右のような印象をもって受け止めた旨述べる部分が存することに照らすと、被告丙の右報告は軽率なものであったとの評価を免れがたい。
10 第一〇の事実(被告丙が昭和六二年夏から秋にかけてのころ被告会社のアルバイト学生に対して原告の異性関係が乱れており、そのために卵巣腫瘍になったと言ったこと)について
原告の主張に添う証拠としては、〈書証番号略〉(当時被告会社のアルバイト学生であったOの陳述書)が存するし、右8及び9に見たとおり、被告丙が右当時原告の異性関係について否定的な評価を有していたことにも照らすと、右証拠は信用することができ、右事実は認められる。
11 第一一(被告丙が昭和六二年夏から秋にかけてのころ原告に対し「遊び好きのくせに。」等の嫌がらせを繰り返し言ったこと)及び第一二(被告丙が昭和六二年一〇月ころL専務らに対して原告の創作した小説について実体験を踏まえたポルノ小説だろうと述べたこと)の各事実について
証拠(〈書証番号略〉、証人M、原告本人)によれば、右各事実を認めるに十分である。
12 第一二の事実(被告丙が昭和六二年末に被告会社の取引先のレコード会社社員に対して原告がいわゆる不倫を行っていると言ったこと)について
被告丙は、その供述中で、昭和六二年の年末に行われた広告主であるレコード会社の社員Xらの出席した宴席で話題がいわゆる男女関係に及んだ際に、被告丙の知り合いにも妻子ある男性といわゆる不倫の関係を持った経験者がいるとの趣旨の話をしたことは自認しているところ、被告丙は、右の際に話題の対象とされた人物については特に明言せず、それが原告と分からないように話をしたと述べるが、前認定のとおり、被告丙は右のころまでに原告の右男女関係を聞き知っていたほか、他の男性との交遊関係についても問題視していたのであり、右事実によれば、被告丙は右の際に聞いている者をして話題の対象とされた人物が原告であると推知し得るような言い方で話をしたことが推認でき、第一三の事実は認められる。
13 第一四の事実(被告丙が昭和六三年一月に新たに被告会社に出向して来た女子社員に対していわゆる異性関係を含む原告の私生活について否定的評価をする発言をしたこと)について
先に認定のとおり、原告は昭和六三年三月ころNから右事実について聞き及んだのであるが、被告丙が右発言をしたとされる同年一月ころには、被告丙が既に原告に対して転職を勧めたこともあって、両者の仲は事務的なこと以外は口をきかないほど悪化し、被告丙はやがて原告の退職を積極的に強く希望するほどの心境になっていたのであり、また、被告丙は昭和六二年八月ころMに対しても類似のことを言っていること(第七の事実)にも照らせば、第一四の事実は認められる。
14 第一五の事実(被告丙が昭和六三年三月一〇日に原告のいわゆる異性関係に言及しつつ被告会社からの退職を求めたこと)について
先に認定のとおり、被告丙は、原告と旅行代理店支店長とのいわゆる不倫関係を聞き知っていたことや、その関係が終了したことにより同旅行代理店からの広告依頼が被告会社に来なくなったと理解していたし、また、原告がスポーツ新聞の記者と男女関係があったと思い込んでいたこと、同被告は本件の前日の同月九日にL専務に対して原告にはいわゆる引き抜きの話があるし自分との仕事関係もうまく行っていないので一言言ってみると話し、L専務も原告と話をするよう指示したこと(この事実から、同被告は、当初から退職を勧める心づもりで同月一〇日に原告と協議したことが窺われる。)、そこで、同被告は、原告に対し、原告がスポーツ新聞の記者やフリーライターとも交際があり、更には当時被告会社に掛かって来ていた無言電話も原告の異性関係に絡むものと思われると述べた上、このままでは被告会社の業務に差支えが生ずる旨言って、原告に退職を求めたことから、第一五の事実も概ね認められる。

四 被告丙の不法行為責任について
1 被告丙が、被告会社の職場又は被告会社の社外ではあるが職務に関連する場において、原告又は職場の関係者に対し、原告の個人的な性生活や性向を窺わせる事項について発言を行い、その結果、原告を職場に居づらくさせる状況を作り出し、しかも、右状況の出現について意図していたか、又は少なくとも予見していた場合には、それは、原告の人格を損なってその感情を害し、原告にとって働きやすい職場環境のなかで働く利益を害するものであるから、同被告は原告に対して民法七〇九条の不法行為責任を負うものと解するべきことはもとよりである。
2 右二及び三に認定したところによれば、被告丙は、原告が編集その他の被告会社の業務にその能力を顕し、また、関係取引先からも声が掛かることが多くなった昭和六一年六月ころから、被告会社の内外の関係者らに原告の男女関係や被告会社外での私生活を窺わせその評価を落とすような発言をし(第一及び第二の各事実)、また、同被告が入院してP係長が被告会社に出向してきた同年一二月以降は、一応被告会社の編集長という立場にあるものの、実際の業務の運営はP係長と原告とのラインで方針が決定されることが多くなって疎外感を持ち、加えて自らは被告会社の幹部から業績不振の責任を問われる状況の中で、P係長と原告とが職場関係以上の関係にあるかのような悪評を被告会社関係者に述べたり(第六の事実)、新たに被告会社の社員となったMに対して原告の異性との交遊関係や日常生活について評価を下落させるような発言をするなどし(第七の事実)、その後、P係長に代わってL専務が被告会社に入社して被告丙を業務運営の中心に据えた結果、同専務と被告丙との業務ラインが形成された後は、事実関係を十分に確認することなく、同専務に対し、原告の異性関係に伴って被告会社の収入基礎に影響が生じたこと(第八の事実)や、原告の取引先の男性との職務上の問題行動を報告することによって原告の異性関係を否定的に印象付ける言動をとったりし(第九の事実)、また、被告会社のアルバイト学生らに対して原告の異性関係等について否定的評価を行う発言をし(第一〇の事実)、被告会社の取引先の社員にも原告の異性との交遊関係を明らかにする発言をし(第一三の事実)、原告自身に対してもその異性との交遊関係をやゆするような発言をした(第一一及び第一二の各事実)ものであり、さらに、昭和六二年一二月ころに原告にいわゆる引き抜きの話があると知って転職を勧めたのを契機に原告との関係が悪化した後も、被告会社の新入社員に対して異性関係を含む原告の私生活について否定的評価をする発言をし(第一四の事実)、昭和六三年三月一〇日には原告の異性関係が被告会社の運営に支障を生じさせるとして退職を求めるに至っている(第一五の事実)のである。そして、被告丙が右退職要求の根拠として挙げた事情が、客観的裏付けを欠くことも、既に認定説示したところから明らかである。
右のような被告丙の一連の行動は、まとめてみると、一つは、被告会社の社内の関係者に原告の私生活ことに異性関係に言及してそれが乱脈であるかのようにその性向を非難する発言をして働く女性としての評価を低下させた行為(第一、第七、第一〇、第一二ないし第一四の各事実)、二つは、原告の異性関係者の個人名を具体的に挙げて(特に、それらの者はすべて被告会社の関係者であった。)、被告会社の内外の関係者に噂するなどし、原告に対する評価を低下させた行為(第二、第六、第八及び第九の各事実)であって、直接原告に対してその私生活の在り方をやゆする行為(第一一の事実)と併せて、いずれも異性関係等の原告の個人的性生活をめぐるもので、働く女性としての原告の評価を低下させる行為であり、しかも、これらを上司であるL専務に真実であるかのように報告することによって、最終的には原告を被告会社から退職せしめる結果にまで及んでいるこれらが、原告の意思に反し、その名誉感情その他の人格権を害するものであることは言うまでもない。また、被告丙が原告に対して昭和六三年三月にした退職要求の後原告と被告丙との対立が激化してアルバイト学生からもL専務に職場環境が悪いとの指摘が出されるほどになった等からも明らかなように、右の一連の行為は、原告の職場環境を悪化させる原因を構成するものともなったのである。そして、被告丙としては、前記の一連の行為により右のような結果を招くであろうことは、十分に予見し得たものと言うべきである。
もっとも、原告の職場環境の悪化の原因となったのは、必ずしも被告丙の右一連の言動のみによるものではなく、自己の能力や同被告の無責任さを意識して同被告をライバル視し、被告会社の内外関係者を影響下に入れてその業務の中心となることを目論んだとも窺われる原告の姿勢、言動、気性(証人I、同L、原告本人、被告丙本人)なども寄与して生じた原告と同被告との対立関係にも大いに起因するものであり、本件について判断するに際しては、このような事情も十分考慮に入れるべきである。そして、このような状況の中では、相互に多少の中傷や誹謗が行われることはやむを得ないこととも考えられなくはない。しかしながら、現代社会の中における働く女性の地位や職場管理層を占める男性の間での女性観等に鑑みれば、本件においては、原告の異性関係を中心とした私生活に関する非難等が対立関係の解決や相手方放逐の手段ないしは方途として用いられたことに、その不法行為性を認めざるを得ない。
3 してみると、被告丙は、前記一連の行為について、原告に対し、不法行為責任を負うことを免れ難い。

五 被告会社の責任について
1 被告丙の行為についての使用者責任
前記四に認定したとおり、被告丙の原告に対する一連の行為は原告の職場の上司としての立場からの職務の一環又はこれに関連するものとしてされたもので、その対象者も、原告本人のほかは、同被告の上司、部下に該たる社員やアルバイト学生又は被告会社の取引先の社員であるから、右一連の行為は、被告会社の「事業の執行に付き」行われたものと認められ、被告会社は被告丙の使用者として不法行為責任を負うことを免れない

2 L専務らの行為についての使用者責任
原告は、L専務らの行為について被告丙との共同不法行為が成立し、被告会社はこの点についても使用者責任を負うと主張するので、以下に検討する。
(一) 使用者は、被用者との関係において社会通念上伴う義務として、被用者が労務に服する過程で生命及び健康を害しないよう職場環境等につき配慮すべき注意義務を負うが、そのほかにも、労務遂行に関連して被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が発生することを防ぎ、又はこれに適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務もあると解されるところ、被用者を選任監督する立場にある者が右注意義務を怠った場合には、右の立場にある者に被用者に対する不法行為が成立することがあり、使用者も民法七一五条により不法行為責任を負うことがあると解すべきである。
(二) 先に認定のとおり、L専務は、代表権はないものの被告会社の実質上の最高責任者の地位にあったし、被告代表者は、文字どおり代表取締役であるから、いずれも原告の上司として、その職場環境を良好に調整すべき義務を負う立場にあったものといえる。
ところで、先に認定のように、L専務は、昭和六二年八月に被告会社に入社後間もなく被告丙から原告の異性関係などについて報告を受け(第八及び第九の各事実)、また、同年一二月に被告丙が原告に転職を勧めたのを契機に原告と被告丙との関係が悪化して来たことについて昭和六三年二月ころには被告丙から報告を受けていた。さらに、同年三月一〇日に被告丙が原告に退職を要求した際(第一五の事実)には、その前日に被告丙からそうする意向を伝えられ、事後にもそうした旨の報告を受けたほか、そのころ自らも被告会社社員のMから事情を聞いており、その後原告本人からも被告丙の行為について問題を訴えられていたのである。
そして、被告代表者も、L専務から問題の報告を受けていたほか、直接原告からも問題を訴えられていたのである。
このように、L専務らは、原告と被告丙との間の確執の存在を十分に認識し、これが職場環境に悪影響を及ぼしていることを熟知していながら、これをあくまで個人間の問題として把え、同年三月に原告について昇給措置を行った以外は、両者の話合いによる解決を指示するに止まった。そして、被告会社の役員らは、両者間の任意の調整が成立する見込みがないと判断すると、最終的には右両者のいずれかを退職させる方針で臨み、被告代表者の指示に従って、L専務が、同年五月二四日、まず原告と面談して被告丙との話合いがつかなければ退職してもらうしかない旨話したところ、原告はこれを受けて退職する意思を表明したというのである。
(三) 以上の経過によれば、L専務らに被告会社の職場環境を調整しようとの姿勢は一応見られ、その対処もあながち不当とまでは断言できないけれども、原告と被告丙との対立の主たる原因となったのが、前記のような原告の異性関係等に関する被告丙の一方的な理解及びこれに基づく同被告の原告に対する退職要求等であった点については、正しく認識していたとは言い難い。そして、問題を専ら原告と被告丙との個人的な対立と見て、両者の話合いを促すことを対処の中心とし、これが不調に終わると、いずれかを被告会社から退職させることもやむを得ないとの方針を予め定めた上で、L専務により両者の妥協の最後の余地を探ったものである。このように、L専務らは、早期に事実関係を確認する等して問題の性質に見合った他の適切な職場環境調整の方途を探り、いずれかの退職という最悪の事態の発生を極力回避する方向で努力することに十分でないところがあったということができる。また、L専務が昭和六三年五月二四日に原告と面談した際にも、当初から判然と意識的に原告のみを退職させて問題を解決しようとの心づもりであったとまでは断定し難いが、L専務は、双方面談の予定をまず先に原告から面談し、その話合いの経緯から退職以外には被告丙との対立関係の解消方法がない状況となって原告がやむなく退職を口にするや、これを引き止めるでもなく直ちに話合いを打ち切り、次に面談する予定で待機させていた被告丙に対しては、解決策については特段の話合いは何もせず、原告が退職することを告げた上で三日間の自宅謹慎を命じたに止まったというのであり、このようなL専務の処理の経過や結果から見るとき、同専務らは、原告の退職をもってよしとし、これによって問題の解決を図る心情を持ってことの処理に臨んだものと推察されてもやむを得ないものと思われる(このことは、右に前後して、L専務が原告に対して「被告丙を一人前の男に仕立て上げねばならない。」、「原告が有能であることは分かっているが、男を立てることもしなければならない。」趣旨の発言をしていることからも窺われる。)。
そして、L専務らは、原告と被告丙との関係悪化が現れた早期の段階から、主として被告丙を通じて事情を認識しており、その行為について同被告の行為との関連性も認められる。
(四) 以上のとおり、L専務らの行為についても、職場環境を調整するよう配慮する義務を怠り、また、憲法や関係法令上雇用関係において男女を平等に取り扱うべきであるにもかかわらず、主として女性である原告の譲歩、犠牲において職場関係を調整しようとした点において不法行為性が認められるから、被告会社は、右不法行為についても、使用者責任を負うものというべきである。
六 原告の受けた損害
1 前記認定の経緯、ことに、原告は、被告丙の原告の異性関係等私生活についての一方的理解や他の者への原告の異性関係等に関する噂の流布などから、同被告と職場内で対立し、その上で被告会社からの退職を求められ、これが原因となって結局被告会社を退職するに至ったこと、働く女性にとって異性関係や性的関係をめぐる私生活上の性向についての噂や悪評を流布されることは、その職場において異端視され、精神的負担となり、心情の不安定ひいては勤労意欲の低下をもたらし、果ては職を失うに至るという結果を招来させるものであって、本件もこれに似た経緯にあり、原告は生きがいを感じて打ち込んでいた職場を失ったこと、本件の被侵害利益が女性としての尊厳や性的平等につながる人格権に関わるものであることなどに鑑みると、その違法性の程度は軽視し得るものではなく、原告が被告らの行為により被った精神的苦痛は相当なものであったと窺われる。
しかし、他方、原告も、被告丙から退職要求を受けた後、立腹して、被告丙等に原告及び原告との交際があるとされた関係者に謝罪することを強く求め、また、ことごとに対決姿勢を堅持し、被告丙と冷静に協議していく姿勢に欠けるところがあったこと、さらには、相互の能力をかれこれ対比して、被告会社内における編集業務における主導的地位をめぐって係争する姿勢を保持するなど、被告丙に対するライバル意識を強く持ち、アルバイト学生や被告会社関係者を巻き込むなどして自ら派閥的な行動をとり、時には逆に被告丙に対して攻撃的な行動に出るに及んだことなどが、両者の対立を激化させる一端となったことも認められ、また、原告の異性関係についてその一部は原告自ら他人に話したことも認められる。
これらの事情や、その他前認定に現れた諸般の事情を考慮すれば、原告の精神的損害に対する慰謝料の額は、一五〇万円をもって相当と認める。
2 前記不法行為と相当因果関係のある損害として認められる弁護士費用は、事案の難易、請求額、認容額その諸事情を斟酌すれと、一五万円をもって相当と認める。
七 結論
よって、原告の請求は、被告丙及び被告株式会社乙に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯して、損害賠償金一六五万円及びうち慰謝料に相当する一五〇万円に対する本件の最終の不法行為の日(原告とL専務とが最終的な協議をした日)の翌日である昭和六三年五月二五日から、うち弁護士費用に相当する一五万円に対する各被告に本件訴状が送達された日の翌日である平成元年八月一三日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項ただし書を、仮執行の宣言及びその免脱の宣言について同法一九六条一項及び三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官川本隆 裁判官八木一洋 裁判官佐々木信俊は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官川本隆)

++解説

《解  説》
一 本件は、いわゆるセクシャル・ハラスメントの法理につき初の本格的な司法判断が示された事例として、注目を集めたものである。
二 裁判所の認定した事実関係の概要は、以下のとおりである。
原告は、昭和六〇年一二月に、学生向けの情報雑誌の発行等を業務としていた被告会社乙に入社し、その後同社の編集長である被告丙の下で、雑誌の作成等に携わっていた独身女性であった。原告は、入社後間もない時期から、雑誌の編集等の事務において重要な役割を果たすようになっていたが、被告丙は、女性である原告が宴会に出席するなど仕事上の対外関係で積極的に活動することを必ずしも快く考えていなかった。原告が入社して一年ほど経ったころには、原告が編集等の事務において中心的な役割を担うようになり、一方、被告丙は、被告会社の幹部から業績不振の責任を問われたりして、退職すら考える状況になっていた。このような中で、被告丙は、被告会社のアルバイト学生等に対し、原告の異性との交遊関係が派手であるといった、原告の社会的評価にとっては不利益な発言を繰り返していた。
ところで、昭和六二年八月に、被告会社の経営建て直しのためにL専務が被告会社に入社し、その方策の一環として被告丙を業務運営の中心に据えることとした結果、被告丙は仕事上の自信を取り戻したが、被告丙は、L専務に対し、同年六月ころ被告会社の取引の一つが途絶えたのは原告がその取引先の担当者と結んでいた男女関係のもつれが原因であるといった報告を、事実関係を充分確認することなく行ったりした。
このような中で、被告丙は、同年暮れ、原告に他社からいわゆる引き抜きの話が来ていると聞いて、原告に転職を勧めたが、これを契機に、原告と被告丙との関係は悪化していった。そして、被告丙は、このままでは被告会社の業務にも支障が生じかねないと考えて、予めL専務にも相談の上、昭和六三年三月、原告に対し、原告と取引先の男性との関係に問題が見られるといった指摘をして、原告に退職するよう求めた。原告は、被告丙の発言を不服とし、L専務や被告会社の代表者に対して被告丙に謝罪させるよう求めたりしたが、L専務らは、原告と被告丙とでよく話し合うようにとの対応を行った。
この間、原告と被告丙との関係は極めて悪化し、被告会社のアルバイト学生からL専務に対して両者の対立の結果被告会社の業務にも支障が生じているとの指摘が行われるほどとなった。このため、L専務は、予め被告会社の幹部と相談し、最悪の場合には原告か被告丙かに退職してもらうしかないとの方針を定めた上で、同年五月、原告と面談し、原告と被告丙との妥協の余地を探る最後の調整を行った。しかしながら、原告が依然として被告丙の謝罪を強く求めたため、L専務が、話合いがつかないことになると被告会社を退職してもらうことになると述べたところ、原告は、退職する意思を表明した。そこで、L専務は、原告との協議を終了し、続いて面談すべく待機させていた被告丙には、電話で三日間の自宅謹慎を命じたが、面談は行わなかった。
以上のような経緯を経て、原告は、同月、被告会社を退職した。
三 裁判所は、以下のような理由により、被告丙及び被告会社の不法行為責任を求めた。
まず、被告丙については、被告会社内外の関係者に対し、原告の私生活、ことに異性との交遊関係に関してそれが乱脈であるかのように原告の性向を非難する発言をしたり、個人名を挙げて原告の異性との交遊関係に関する噂を流したりして原告の働く女性としての評価を下げさせ、原告をめぐる職場環境を悪化させて、最終的には原告が被告会社から退職するという結果を生じさせたとして、民法七〇九条に基づく不法行為責任を認めた。なお、この判断を示すに当たり、裁判所は、原告の職場環境を悪化させた原因として、原告側にも被告会社の業務上の主導権を得ようとして対立関係を増大させたとの事情が存することを指摘し、このような状況下では相互に多少の中傷等が行われることはやむを得ないとも考えられるとしつつも、現代社会における働く女性の地位や職場管理層を占める男性の間での女性観等に言及して、被告丙が原告との対立関係に対処するに当たり原告の異性との交遊関係を中心とした私生活に関する非難等を手段ないしは方途として用いたことを重視している。
次に、被告会社については、被告丙の行為の被告会社の業務との関連性を肯定して、これについての民法七一五条による使用者責任を認めるとともに、L専務ら被告会社のいわゆる管理職の対応についても、使用者には、被用者の労務遂行に関連して、被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が生ずることがないように、職場が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務が存するとの一般論を展開した上で、L専務らには、職場環境を調整しようとした姿勢は一応見られるものの、原告と被告丙との対立の主因が被告丙の原告の私生活等に対する一方的な理解等に存することを正しく認識していたとはいえず、両者の話合いを促すことを対処の中心とし、結局は主として女性である原告の譲歩、犠牲において職場関係を調整しようとしたのであり、早期に事実関係を確認する等して問題の性質に見合った適切な職場環境調整の方途を探り、退職という最悪の事態の発生を極力回避する方向で努力することに十分でないところがあったとして、やはり使用者責任を認めている。
もっとも、具体的慰謝料額の算定に当たっては、原告側の行動にも問題が見られたことを指摘して、請求額(弁護士費用を除き三〇〇万円)の約半額のみ認めている。
四 いわゆるセクシャル・ハラスメントの法理は、アメリカ公民権法第七編の適用上発達した法概念であり、同国においては既に相当多数の判例が見られ、これらに立脚して雇用機会均等委員会(EEOC)によるガイドラインの作成も行われているが(奥山「アメリカに見る労働環境と性差別―性的いやがらせと公民権法第七編」本誌五二三号一八頁、同「セクシャル・ハラスメントと違法性判断の基準―アメリカにおける最近の状況を中心に」ジュリ九五六号五一頁等参照)、我が国においても最近関心が高まっており、議論が深まりつつある(労旬一二二八号、ジュリ九五六号の特集記事等参照)。
本件において、原告は、アメリカ公民権法上発達した法理を基礎に、これを我が国の不法行為法等に適用した主張を展開し、セクシャル・ハラスメントの意味について、職場で行われる相手方の意思に反する性的言動であって、労働環境や労働条件に悪影響を与えるような行為をいうとした上で、これには、代償型(対価型)(上司が部下の女性に対して労働条件を盾にとって性的行為を要求するような行為)と、環境型(一見明白には被害者の経済的不利益を伴わないが、ある種の発言や動作を繰り返すことにより職場環境を悪化させ、被害者にその職場に居づらくさせるような行為)とがあり、いずれも性的自己決定の自由等のプライバシーを含む人格権を侵害すると同時に、働く権利を侵害し、ひいては生存権をも脅かすものであるとし、被告丙の行為は環境型のセクシャル・ハラスメントに該当すると主張した。また、雇用者(使用者)に関しても、被用者のセクシャル・ハラスメントを受けずに職場で働く権利の保障のためにあらゆる措置を採る職場環境調整義務を負うと主張した。
本判決は、その説示において、セクシャル・ハラスメントの語は用いておらず、原告の主張に見られるような一般論も展開していないが、事案の事実関係に則しつつ、その実質的な内容においては原告の主張する考え方に近い判断を示している。
いわゆるセクシャル・ハラスメントの法理に関連しては、本件に先立ってその考え方を採り入れた判決も一件紹介されているが(静岡地沼津支判平2・12・20本誌七四五号二三八頁。ただし、具体的事案においては、被告側の不出頭によりいわゆる欠席判決として処理された。)、この判決に現れた事例が直接の加害者を相手方とするいわゆる代償型(対価型)のセクシャル・ハラスメントに関するものであったのに対し、本判決は、いわゆる環境型のセクシャル・ハラスメントに関するもので、しかも、使用者の責任についてまで踏み込んでいる点で、注目に値しよう。
もっとも、本判決は、あくまで事案の具体的な事実関係に則して判断するとの論理展開を示しており、今後本判決の示した考え方が受け入れられるとしても、個々の場面における注意義務のあり方の詳細については、一層の議論の積み重ねが必要とされよう。
五 なお、原告は、本件訴訟手続で尋問された証人の証言等について、その内容は事案とは何ら関連性がない原告の私生活に関するものであり、本件のようないわゆるセクシャル・ハラスメントが問題とされている訴訟においては、証拠調べを通じての右のような事実の開示自体が新たなセクシャル・ハラスメントともなりかねず、原告のプライバシーが更に回復不能に侵害されるとして、証拠からの排除を求めたが、裁判所は、問題とされた証拠の事案との関連性を肯定し、虚偽が混入するかもしれないとの点については裁判所の適切な証拠評価により補えるとして、証拠から排除することはしなかった。
原告の主張は、アメリカにおけるセクシャル・ハラスメント訴訟において被害者の私生活に関する事実がいたずらに暴露されることを防止するための証拠制限に関する訴訟手続法理が形成されていること(このような例として、カリフォルニア民事訴訟法二〇一七条及び同証拠法一一〇六条の存在が知られている。)を反映したものである。本判決は、結論としては原告の主張を採用しなかったが、一般論としても原告主張のような考え方は成り立たないとまで判断しているわけではなく、いわゆるセクシャル・ハラスメントの法理に関する議論の一論点として、今後の研究の進展が期待される。

b)民事上の救済

・業務関連性が必要!

・+判例(京都地判H9.4.17)京都セクシャル・ハラスメント呉服販売会社事件

+判例(静岡沼津支判H11.2.26)沼津セクハラ(F鉄道土木工業事件)

+判例(津地判H9.11.5)三重セクシャル・ハラスメント(厚生農協連合会)事件
要旨
被告Y2(原告Xらの男性上司・副主任)は日勤中に、原告X1、X2(女性・看護師、准看護師)らとすれ違う際、Xらの尻を撫でるように触り性的発言を行った。またY2は、夜勤中の休憩室でも、Xらに対して同様の行為を行っていたが、その際XらはY2の手を払いのけるなどして詰所に逃げていた。
これら行為の数日後、X2はA主任に対し、Y2との深夜勤はやりたくないと申し入れたが、Aは何も答えず、その理由も聞かなかった。その後もY2はX2に対して同様の行為を繰り返したため、X2は再びAに対し、深夜勤の際のY2の行動を何とかして欲しいと訴えたが、AはX2の話になかなか耳を傾けず、最終的には何とかすると答えたものの、AはB師長に報告しなかった。
そこでX2は後日、Aに対してY2への対処を申し入れたが、Aは今日一日だけ待ってくれと回答するに止まった。X2はさらにBに対して、Y2の行為について訴えたところ、B、C院長、D事務長らは、Y2や他の看護師らから事情聴取を行い、Xらが所属する病棟に勤務する者も交えて話し合いの場を持った。
この事件のE病院は、経営主体である被告厚生農協連合会Y1に話し合いの結果を報告し、Y1はY2を就業規則に基づいて懲戒処分に処すると共に、副主任の任を解いた。Y2はY1に対して反省の誓約書を提出し、Y1はX1に対して、事務長・師長連名の謝罪書を提出した。なお、以上の経緯においては、勤務表を変更してXらを夜勤から外し、その後はXらとY2が夜勤で一緒に組むことのないように勤務表を作成している。
以上の事実に基づき、XらはY2に対しては違法行為、Y1に対しては違法行為及び契約違反を理由に損害賠償(330万円)の支払いを求めて訴えを起こした。

被告Y2の行為は違法な環境型セクシュアル・ハラスメント(以下、S.H.)行為に当たる。会社は従業員に対して労働契約の義務の一つとして、労働者にとり働きやすい職場環境を保つよう配慮すべき義務を負っている。Y2には従前から、日常勤務中、特に卑猥な言動が認められたが、Y1はY2に対して何も注意をしなかったAはX2からY2と夜勤をやりたくないと聞きながらも、その理由すら尋ねず何ら対応策を取らなかったAはX2から休憩室でのY2の行為を聞いたにも拘わらず、直ちにB師長らに伝えようとせず、Y2に注意することもしなかった。これらの結果、夜勤中、Y2のX1に対する休憩室での行為が行われた。したがってY1は、Xらに対して負っている働きやすい職場環境を保つよう配慮すべき義務を怠り、その結果Y2の休憩室での行為を招いたと認められるから、Xらに対して労働契約に基づく義務違反の法的責任を負う。

←これは債務不履行責任で攻めてる。

c)均等法上の取扱い

d)業務災害の認定

(2)職場でのいじめ、ハラスメント

+判例(広島高松江支判H21.5.22)三洋電気コンシューマエレクトロニクス事件

+判例(東京地八王子支判H2.2.1)東芝府中工場事件

+判例(名古屋地判H17.4.27)U福祉会事件

+判例(東京高判H15.3.25)川崎市水道局いじめ自殺事件

+判例(東京地判H19.10.15)国・静岡労基署長日研化学事件
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前記争いのない事実等に加え,証拠(それぞれの項目の括弧内に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)F係長について(〈証拠略〉,証人K,同N,原告本人)
ア 経歴
F係長は,昭和49年2月に本件会社に入社し,以来,MRとして,大阪支店,名古屋支店勤務を経て,平成8年4月に東京支店立川営業所2係長になり,部下のMRの上司としての立場に就いた。その後,名古屋支店医専課1係長を経て,平成14年4月に静岡営業所静岡2係長になった。その異動を命じられた際,F係長は,M支店長から,営業成績のよくない静岡2係の体質改善のために行ってもらう旨言われた。
イ 他者から見たF係長の印象等
F係長は,上司からも部下からも,その性格に関する評価は一致している。単純で一途な性格であり,相手の言うことを最後まで聞かず,大きな声で一方的に,しかも相手の性格や言い方等に気を配ることなく上司にも部下にも傍若無人にしゃべることから,癖が強いという印象を持たれ,損をしている。仕事でも一生懸命であり,営業職としての業績は順調であるが,一つのことにのめり込んでしまう傾向もある。ただし,害意をもって,人をいじめたりするような性格ではない。
部下との間では,ものの言い方から口論になる等,衝突することが多かった。言い返すような性格の部下であればともかく,そうでない者にとっては,きつく感じ,傷つく可能性がある。また,前後を考えないで決めつけたようなものの言い方をし,個人攻撃にわたることもあった。自分の仕事はよくできるものの,部下に対する指導の面において,どうすれば解決できるかという建設的な方向性ではなく,直截なものの言い方で単に状況だけをとらえて否定的な発言をするとも受け取られる面があるため,相談を持ちかけにくく,部下や若い人からは,人気がなかった。
F係長は,太郎死亡後の告別式で,太郎の遺族に対し,太郎のふけや喫煙による口臭がひどく,太郎に対し,肩にフケがベターと付いていて,お前病気と違うかと言ったことがある旨告げたほか,営業先で医師等と意思疎通をしようとしないし,できなかったことを指摘した。また,F係長は,太郎の死後,静岡営業所の従業員の前で,太郎のことを,仕事ができない,していないと言った上で,ふけのことを取り上げて悪く言ったことがあった。
(2)静岡2係の勤務形態(争いのない事実等,〈証拠略〉)
静岡2係は,F係長,太郎及びIの3名のMRで構成されていた。この係のMRは,自宅と営業先(静岡県東部における大規模病院等)との間を直行直帰するのが基本的な業務形態であった。同係のMRは,その席が静岡営業所にあり,毎週月曜日の午前中に,MR活動報告書の提出と営業に関する打合せを行い,月に1回程度,静岡営業所での営業会議に出席するほかは,週に1~2回程度,不定期にファミリーレストラン等に集合して打合せを行ったり,依頼して営業先に同行してもらう等,必要に応じて顔を合わせる以外に日常的な接点はなかった。
(3)F係長と太郎との関係(〈証拠略〉)
ア F係長は,平成14年4月に静岡2係長として着任後約半年間は,前任の係長から引き継いだMR業務の担当地域について把握することを最優先とし,部下の業務に関しては,口を出さないようにしていた。
イ F係長は,太郎に接する機会に,営業担当者でありながら,背広に汗がにじんでいるのに替えないこと,背広にふけが付いていること,喫煙による口臭がすることを見かねて注意したことがある。これらの点につき太郎が何度注意しても改めないため,家の者がなぜ気が付かないのかと言ったこともあった。また,太郎が毎日同じ靴しか履いていないこと,季節に関わりなく1年中ほぼ同じ背広を着続け,夏などズボンに汗がにじんでもそのままにしていることも注意した。
平成14年11月ころから,従前静岡2係のMRは同じ自動車で静岡営業所に行っていたのを改めて,別々に行くことになった。
ウ 太郎の担当地域で新製品の採用が不振であることについて,太郎は,担当の病院の薬局長や医師に難しい人が多いと言うことが多かった。F係長は,平成14年9月,太郎の求めにより,初めて太郎が担当する病院への訪問に同行したが,その際,F係長は,太郎が病院の医師の顔や名前を知らないことを不審に感じた。また,F係長は,同行して様子を見たいと考え,同年12月3日,太郎がB市立病院を訪問するのに同行した。この際,F係長は,太郎から難しい人だと聞かされていた薬局長が至極普通の人物に見えたこと,太郎が既に5年以上の訪問実績があるのに,出会った大勢の医師の中に知った者がいなかったことに驚いた。F係長は,この機会に本件会社の新製品の説明をして回り,同月16日に病院内で新製品の説明会を開催する予定を立てることができた。F係長は,帰りがけに,営業の仕方について指導するとともに,医師らに説明会に参加してもらうため挨拶して回るよう指示した。また,新入社員でもないのに医師と情報交換ができないのかとの思いから,「お前,対人恐怖症やろ。」と述べた。F係長は,同月9日,月曜日の静岡営業所での打合せで,太郎に対し,その後B市立病院に行ったかどうかを尋ねたところ,太郎はその後同病院に行っていないと答え,もう一回同行することを求めてきたので,情けないという思いを持った。
エ 平成14年12月9日の夜,静岡営業所の忘年会において,F係長は,太郎に対し,長い間B市立病院を担当していたはずなのに,医師の顔もわからないという状況を変えよう,自分が時間をやりくりして同行して,やり方を一から教えているのに,教えられたとおり実践する気持ちがないのでは話にならないという考えから,酒の勢いもあって,病院の訪問をせずに給料を取るのは給料泥棒だ,病院を回っていないならばガソリンが無駄だといった言い方で叱責した。それに対して,太郎は,病院の回り方がわからなくなった旨の反応をしたので,F係長は,太郎の逃避的な態度に立腹し,「病院の回り方がわからないのか,何年回っているんだ,そんなことまで言わなければならないのか,勘弁してよ。」等の発言をした。
同席していた静岡1係のOは,太郎とF係長とのやり取りの様子を目にして,太郎が辛そうにしているとの印象を抱いた。
(4)太郎のF係長に関する発言等(〈証拠略〉,原告本人)
ア 太郎は,F係長が着任した平成14年4月ころ,原告からその人柄を尋ねられ,他人に厳しい人であることを話した。また,Oに対し,同年6,7月ころ,F係長の下が厳しいと話し,同年夏ころには,F係長は話を聞いてくれず,人間的に合わないと話していた。
また,同年秋ころ,太郎は,母と電話で会話した際,ちょっと上司が難しく,やりにくい旨話した。
イ 太郎は,平成14年12月15日,Gに対し,「今年は私が転勤しそうです。私がいたらないのがいけないんでしょうが,Fさんと合わないんで飛ばされそうです。」との内容のメールを送信した。また,Gは,個人的に太郎との間でメールのやりとりをした際,太郎が,F係長から「ガソリンの無駄だからあまり動くな。」とか「給料泥棒。」と言われ,辛い思いをしているという内容のメールを受け取ったことがある。
ウ 太郎は,平成15年2月18日,19日の名古屋支店での研修に参加した際,名古屋支店の同僚であるPから,F係長とうまくいってないのではないかと尋ねられ,肯定する答えをした。
(5)太郎による遺書の作成とその内容(〈証拠略〉)
太郎は,自殺をした際,8通の遺書を残した。名宛人は,K所長,I,F係長,原告,長男,二男,太郎の両親と妹及び原告の両親であった。太郎が遺書の作成に着手したのは,上司と同僚を名宛人とするものは平成15年1月13日,家族を名宛人とするものは同月17日であった。そして,文書ファイルの最終更新日時は,原告の両親宛のものが同月17日,長男宛のものが同年2月26日であるほかは,いずれも太郎の自殺直前の同年3月7日未明であった。
これらの遺書の内容は,全体として極めて自罰的な語調であり,仕事の面において,自分が能力が足りず,欠点だらけであることを嘆き,転職をするだけの気力が失われ,自殺するほかはないという内容のものである。そして,その文中には,「もう頑張れなくなりました。」「疲れました。」といった文言や,「申し訳ありません。」「すみません。」「ごめんなさい。」等の謝罪の文言が繰り返され,自分について「欠点だらけ」の「腐った欠陥品」と表現する等極度の自虐的な表現も複数認められる等,抑うつ気分,易疲労性,悲観的思考,自信の喪失,罪責感と無価値感が表れた内容,表現がある。
K所長に宛てた遺書の中には,自分の先輩達が築いた財産をつぶしてすみませんでしたという記述がある。また,F係長に宛てた遺書中には,F係長から受けた発言が多数挙げられ,その際に指摘,批判された点や本件第1~第3トラブルについて,自分の努力不足による結果であるとして受け入れる内容となっている。F係長から受けた発言として同人宛の遺書に記載されているものとしては,上記認定事実に顕れている発言のほか,次のようなものがある。
「存在が目障りだ,居るだけでみんなが迷惑している。おまえのカミさんも気がしれん,お願いだから消えてくれ。」
「何処へ飛ばされようと俺は甲野は仕事しない奴だと言いふらしたる。」
(上記(3)エの忘年会の席において)「甲野は誰かがやってくれるだろうと思っているから,何にも堪えていないし,顔色ひとつ変わってない。」
なお,これらの発言については,太郎の遺書中の記載以外に根拠付ける証拠はないが,上記のとおり,これらの発言が,いずれも自罰的な傾向が顕著に顕れている太郎の遺書に,F係長による太郎に対する発言として記載されていることからすれば,当該記載内容の信用性は高く,これらの発言があったと認定することができる。
(6)太郎の顧客トラブル(前記争いのない事実等,〈証拠略〉,証人K)
ア 本件第1トラブル
太郎は,J医師からの紹介を断ったのは,当日にM支店長とともにT研究所の院長を訪問する予定が入っていたためであった。この行動は,みすみす商機を失うという本件会社にとって惜しい結果をもたらす行動であり,営業担当者の行動として合理的なものとはいえなかった。K所長は,F係長から事の顛末を電話で知らされた際,惜しいことであったという感想を洩らしたものの,太郎の行動に呆れているというほどではなかった。F係長は,太郎に対して,自らの印象に基づき,所長も呆れていたと告げた。
イ 本件第2トラブル
太郎は,J医師から,新規のグロウジェクトペンの説明の依頼を断ったことに関し,K所長から,F係長とともにすぐにJ医師を訪問するよう指示され,F係長とともにJ医師の診察室を訪ねた。その際,太郎は,F係長の制止にも関わらず土下座をして謝罪し,J医師は,極めて異例な太郎の行動に驚き,太郎の精神的な異変を感じた。
平成15年2月24日に行われた新規のグロウジェクトペンの使用方法の説明においても,太郎の不手際が続いた。J医師は,同月27日,太郎に対し,不手際の指摘をするとともに,慰めのことばをかけたところ,太郎は,「そんなことを言ってくれるのは先生だけです。」と涙ぐんでいるように見えた。
J医師は,上記の土下座も含めた一連の太郎の言動に,改めて精神的な異変を感じ,同じ職場の人なら気付かないはずはないと感じた。
ウ 本件第3トラブルに関して
平成15年3月6日,太郎は,記録集が自身に配布されていないことに憤慨していたL医師に対し,K所長に伴われて謝罪に向かった。病院から出てきて駐車場に向かうL医師に対し,K所長は頭を下げて謝ったが,太郎はただ立っているだけであった。K所長は,M支店長に電話をし,L医師が担当者の交代を求めていることを報告したところ,M支店長は,他の社員から太郎の携帯の番号を聞き出して直接太郎に電話をした。
(7)太郎の様子の変化(前記争いのない事実等,〈証拠略〉,原告本人)
ア 毎週月曜日に太郎と顔を合わせていた静岡1係のOは,平成14年12月末ころから,太郎に元気がないと感じるようになった。また,太郎は,同月終わりころから,もともと暑がりだったにもかかわらず,就寝時に冷えを感じて毎朝4時か5時ころに尿意を催して目が覚めるようになった。
イ 平成15年1月,Oは,太郎の表情や口数などから疲れている感じを受けた。太郎は,同月に入ってからは,好きだった映画鑑賞やテレビゲームもしなくなり,就寝時の冷えや早朝の覚醒も持続しており,原告に対して朝まで眠れなかったと訴えることもあった。さらに,普段は食事を残すことのない太郎が,同月中旬に,原告の母が作った唐揚げを食べずに残したことがあった。
ウ 平成15年2月中旬ころから,太郎は,大好物で習慣として必ず食していた餃子について,原告が尋ねても興味を失ったような返事をするようになった。また,通常は食欲旺盛であった太郎が,夕食時にじっと下を向いて食物を口に運んでいるだけの様子を見せた。同月下旬ころ,大好物であったロールキャベツもあまり食べようとしなくなる等,食欲自体が落ちており,これについて太郎は,「もう年かな。」と言っていた。もっとも,太郎は,週末に家族と公園に遊びに行くことは続けていた。
また,同月中に,太郎は,原告に対し,「俺って気持ち悪い。」と尋ね,「俺はもう一杯一杯や。」と述べたことがある。太郎は,同月22日に,それまで原告と同じ部屋で就寝していたのに別の部屋で寝るようになり,そのころまでは普通にあった夫婦生活もなくなった。
エ Gは,平成15年3月5日に太郎と電話で会話をしたが,その際の太郎の発言に異変を感じ,相当いじめられているか投げやりになる要因があるかとも思った。同月6日の昼ころ,太郎は,久々にOに電話をしたが,その内容はとりとめのないものであった。また,同日朝,太郎は,同業他社のMRに「いい事ないわ,なんか魂死んでるわ。」とのメールを送信した。K所長は,同月6日の太郎の様子に元気がなく,口数も少なく,夕食も食べなかったことから食欲もないように感じた。
オ F係長は,時期については記憶がないが,太郎はだんだんと口数が少なくなったと感じた。Iは,食欲の点も含めて太郎の様子に特段の変化を感じなかった。
(8)同僚の原告宅訪問(〈証拠略〉,証人N,原告本人)
本件会社で太郎の同僚であったP,N等4名は,太郎の自殺後の平成15年3月29日,原告宅を訪れ,26名の名古屋支店従業員及び元従業員らの連名による文書と見舞金25万3000円を原告に手渡した。上記文書には,「この度の件につきまして,誠に申し訳ございませんでした。同じ名古屋支店に所属しながら,こういう結果を向かえてしまい,なんともお詫びのしようがございません。」(原文のまま)との記載があった。Pは,この文書を手渡す際,原告に対して,上記(4)ウの出来事を紹介し,その時にもう少し話を聞いていればよかった,自分はF係長が沼津に行ったら何かをしでかすだろうと思っていた,自分たちは今の会社の体質を改善したい,このままだとまた太郎のような犠牲者が出る旨話した。

2 争点に対する判断
以上に認定した事実関係を前提に,以下,本件の争点である太郎の自殺の業務起因性について判断することにする。
(1)業務起因性の判断基準
ア 労災保険法に基づく保険給付は,労働者の業務上の死亡等について行われるところ(同法7条1項1号),労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには,業務と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要である(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・判例時報837号34頁)。また,労災保険制度が,労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば,上記の相当因果関係を認めるためには,当該死亡等の結果が,当該業務に内在する危険が現実化したものであると評価し得ることが必要である(最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決・判例時報1557号58頁,量高裁平成8年3月5日第三小法廷判決・判例時報1564号137頁)。
イ 精神障害の発症については,環境由来のストレスと,個体側の反応性,脆弱性との関係で,精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス―脆弱性」理論が,現在広く受け入れられていると認められること(〈証拠略〉)からすれば,業務と精神障害の発症との間の相当因果関係が認められるためには,ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性を総合考慮し,業務による心理的負荷が,社会通念上,客観的にみて,精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に,業務に内在又は随伴する危険が現実化したものとして,当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。
ウ 労働者の自殺による死亡が業務上の死亡と認められるか否か,すなわち,労働者の自殺についての業務起因性が問題となる場合,通常は,当該労働者が死の結果を認識し認容したものと考えられるが,少なくとも,当該労働者が業務に起因する精神障害を発症した結果,正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に至った場合には,当該労働者が死亡という結果を認識し認容していたとしても,当該結果を意図したとまではいうことができず,労災保険法12条の2の2第1項にいう「故意」による死亡には該当しないというべきである。
ICD-10のF0~F4に分類される精神障害の患者が自殺を図ったときには,当該精神障害により正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていたと推定する取扱いが,医学的見地から妥当であると判断されていることが認められる(〈証拠略〉,弁論の全趣旨)から,業務により発症したICD-10のF0~F4に分類される精神障害に罹患していると認められる者が自殺を図った場合には,原則として,当該自殺による死亡につき業務起因性を認めるのが相当である。その一方で,自殺時点において正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていなかったと認められる場合や,業務以外のストレス要因の内容等から,自殺が業務に起因する精神障害の症状の蓋然的な結果とは認め難い場合等の特段の事情が認められる場合には,業務起因性を否定するのが相当である。

(2)太郎の精神障害発症の業務起因性についての判断
ア 精神障害の発症
(ア)前記認定事実によれば,太郎は,平成14年12月末ころから,職場の同僚の目から元気がないと映るようになり,その傾向は平成15年1月に入ってから太郎の表情や口数にも現れるようになったこと,家庭内においても,同年2月中旬ころには原告が太郎の食事中の様子に元気がないと感じたこと,太郎は平成14年12月末ころから,就寝時に冷えを感じて早朝に覚醒するようになり,この傾向は平成15年1月に入ってからも続き,一晩中眠れないこともあったこと,太郎は,同月中旬以降,家庭内において食欲の低下が明らかに認められ,同年2月中旬以降は,それまで大の好物であった食物への興味や関心すら失った上,同年1月に入ってからは,趣味である映画鑑賞やテレビゲームへの関心を失ったことが認められる。被告は,これを単なる嗜好の変化であると主張するが,前記認定事実のとおり,この変化は急激に現れており,これを嗜好の変化と評価するのは,余りに不自然であって,適切な評価とはいえない。そして,前記認定事実によれば,太郎は遅くとも同月13日には希死念慮を生じ,それが自殺した同年3月7日まで継続したものと認められる。
(イ)ICD-10によれば,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失及び③易疲労性のうち少なくとも2つに加え,(a)集中力と注意力の減退,(b)自己評価と自信の低下,(c)罪責感と無価値観,(d)将来に対する希望のない悲観的な見方,(e)自傷あるいは自殺の観念や行為,(f)睡眠障害及び(g)食欲不振の各症状のうち少なくとも2つが存在する場合(ただし,いかなる症状も著しい程度であってはならず,エピソード全体の最小の持続期間は約2週間である。)に,軽症うつ病エピソードの診断ガイドラインを満たすところ(〈証拠略〉),上記のとおり,太郎は,平成14年12月末ころ~平成15年1月中旬ころの時期に,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失を生じた上,(e)自殺の観念,(f)睡眠障害及び(g)食欲不振の各症状を呈するようになり,これらの症状は2週間以上継続したことが認められることからすれば,太郎は,平成14年12月末ころ~平成15年1月中旬ころの時期に,ICD-10のF32.0軽症うつ病エピソードの診断ガイドラインに該当する症状を呈しはじめ,遅くとも同月末ころには,少なくとも,軽症うつ病エピソードとの診断が可能になったと認めるのが相当である。
(ウ)原告は,Q医師の意見(〈証拠略〉,証人Q)基づき,太郎が平成15年2月中ごろには中等症うつ病エピソードに該当する状態になったと主張する。前記認定事実及びQ医師の意見を前提に考えれば,太郎は,同年2月以降も,上記のとおり,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,自殺の観念,睡眠障害及び食欲不振という状態が続いていたことが認められるし,太郎は,同年1月末以降,本件第1~第3トラブルという仕事上のミスを立て続けに起こしており,本件第1トラブルについては,太郎が,営業担当者としては合理性にかなり疑問のある判断をしたことに起因するものであること,本件第2トラブルに際し,太郎が土下座という非常に突飛な行動に出ていること,本件第3トラブルの際,K所長がL医師に対し頭を下げて謝罪しているのに,太郎はただ立っているだけであったこと等に照らすと,本件第1~第3トラブルは,その時点における太郎の思考力,判断力の低下を示しており,うつ病エピソードの診断基準の一つである「集中力と注意力の減退」に該当するものといえる。ICD-10によれば,中等症うつ病エピソードの診断基準として,前記(イ)の①~③の症状のうち少なくとも2つ,(a)~(g)の症状のうち少なくとも3つ(4つが望ましい。)が存在することが必要とされるところ,症状数についてみると,確かに中等症うつ病エピソードとの診断も可能であるようにも見える。
しかしながら,ICD-10によれば,中等症うつ病エピソードの場合,いくつかの症状は著しい程度にまでなる傾向を持ち,社会的,職業的又は家庭的な活動を続けていくのがかなり困難になるとされているところ(〈証拠略〉),前記認定事実によれば,太郎は,さまざまな異変が家族や職場の同僚の目に明らかになったとはいえ,問題なく出勤を続け,本件第1~第3トラブル以外に職場で特段の問題は発生していない上,睡眠障害も,全く眠れない日が続いていたとまでは認定する根拠はなく,食欲の低下についても,Iは特段の変化に気が付かなかったし,家庭内でも週末に家族と公園に遊びに行くことは続けていたことなどに見られるように,活動が困難になっていたとまでは認められないことからすると,太郎に見られた各症状は,いずれも著しい程度になるとか,全体的で広汎な症状を呈していたとか,社会的,職業的,家庭的活動を続けるのが困難になっていたとは認め難い。そうだとすると,太郎が中等症うつ病エピソードにまで至っていたとまで認めることは困難である。
(エ)他方,被告は,R医師の意見(〈証拠略〉)に基づき,太郎が発症していたのは,平成14年12月ころ,ICD-10分類の「F43.21遷延性抑うつ反応」(適応障害)であったと主張する。確かに,太郎の抑うつ状態等の症状が2週間以上持続しないうちは,うつ病エピソードとの診断を下すことはできず,当該症状が現れた当初の時点では,せいぜい適応障害という診断を下し得るに止まるといえる。しかし,上記のとおり,太郎が同月末ころから自殺に至るまでに呈した症状を子細に見れば,平成15年1月末ころには少なくとも軽症うつ病エピソードの診断基準を満たすに至ったことは否定し得ない。適応障害とは暫定的な診断カテゴリであり,適応障害との診断後も,うつ病エピソードの診断基準を満たす状態になれば,診断名を切り換えることは当然あり得ること(証人Q)からすれば,太郎が同月以降にうつ病エピソードの診断基準を満たす状態になった以上,発症した精神障害の最終的な診断を適応障害からうつ病エピソードに切り換えるのが相当だといえる。
したがって,平成15年1月以降の太郎の症状を考慮することなく,太郎の精神障害の最終診断を適応障害とするR医師の意見を前提とする被告の主張を全面的に採用することはできない。
(オ)以上の認定,判断並びにR医師及びQ医師の意見を総合考慮すると,太郎は,平成14年12月末~平成15年1月中旬の時期に精神障害を発症したと認めるのが相当である。そして,当該精神障害の診断名は,発症当初の時点においてはICD-10のF43.21遷延性抑うつ反応(適応障害)と診断し得るに止まったものの,その後も症状が継続し,遅くとも平成15年1月中には,F32.0軽症うつ病エピソードと診断し得る状態に至ったと認めるのが相当である。
イ 心理的負荷を伴う業務上の出来事の具体的内容
次に,精神障害の発症までに太郎に加わった,心理的負荷を伴う業務上の出来事がいかなるものであったかを検討する。
(ア)前記認定事実のとおり,太郎が遺書においてF係長の言動を自殺の動機として挙げていること,太郎がF係長の着任後,しばしばF係長との関係が困難な状況にあることを周囲に打ち明けていたこと,太郎の個体側要因に特段の問題は見当たらないことについて当事者間に争いがないこと(前記争いのない事実等)からして,太郎が精神障害を発症した平成14年12月末~平成15年1月の時期までに太郎に加わった業務上の心理的負荷の原因となる出来事としては,F係長の太郎に対する発言を挙げることができる。
(イ)前記認定事実に顕れているF係長による太郎に対する発言を列挙すると,以下のとおりである。
① 存在が目障りだ,居るだけでみんなが迷惑している。おまえのカミさんも気がしれん,お願いだから消えてくれ。
② 車のガソリン代がもったいない。
③ 何処へ飛ばされようと俺は甲野は仕事しない奴だと言い触らしたる。
④ お前は会社を食いものにしている,給料泥棒。
⑤ お前は対人恐怖症やろ。
⑥ 甲野は誰かがやってくれるだろうと思っているから,何にも堪えていないし,顔色ひとつ変わってない。
⑦ 病院の廻り方がわからないのか。勘弁してよ。そんなことまで言わなきゃいけないの。
⑧ 肩にフケがベターと付いている。お前病気と違うか。
(ウ)上記認定のF係長による発言の背景となるF係長と太郎との関係について検討する。
前記認定事実のとおり,F係長は,そもそも業績が低迷している静岡2係の体質改善を行うことを指示されて,太郎を含む同係のMRの上司となり,平成14年秋ころから,太郎の業績や営業手法に疑問を抱き,その営業活動のてこ入れをすることを目指して,太郎に同行して営業先に赴いたところ,自らは積極的な営業活動を行うF係長から見ると,太郎の営業活動は,医師への顔つなぎという基本的な事項自体が全くできていないことに驚くとともに,仕事をする心構えができていないと感じ,さらに,太郎が身なりに無頓着で,背広や靴を替えることなく,ふけがひどかったり,喫煙による口臭があるという基本的な生活習慣自体に問題があると考えたこと,太郎の死後も,本件会社の同僚や太郎の遺族に対し,太郎が仕事ができなかったことや身なりがだらしないことを発言していることからすれば,F係長は,太郎について,部下として指導しなければならないという任務を自覚していたと同時に(前記認定事実のとおり,F係長は,太郎の営業活動を強く援助している。),太郎に対し,強い不信感と嫌悪の感情を有していたものと認められる。
(エ)次に,太郎とF係長との関係をめぐる職場環境について検討する。
前記認定事実のとおり,本件会社における静岡2係の勤務形態は,自宅と営業先との直行直帰を原則とし,係員で集まることは,月曜日の静岡営業所での打合せのほかは,不定期に週に1,2回,必要に応じて集まるという勤務形態である。被告は,太郎はF係長と週に1,2回しか顔を合わさなかった点を強調する。しかしながら,この勤務形態によって,本件会社の中で接する社員が,F係長とIという狭い範囲に限定され,他の同僚やF係長より上位の社員との接点が日常的にはないことからすれば,F係長から厳しい発言を受けることのはけ口がなく,本件会社が人事管理面から従業員間の関係を適正に把握し難いことから,むしろ心理的負荷を高めるという側面もあることを指摘しなければならない。
ウ 上記の出来事に伴う心理的負荷の評価
以上の事実関係を前提として,上記の出来事に伴う心理的負荷が,社会通念上客観的にみて精神障害を発症させる程度に過重であると認められるかどうかを検討する。
一般に,企業等の労働者が,上司との間で意見の相違等により軋轢を生じる場合があることは,組織体である企業等において避け難いものである。そして,評価表は,精神障害の発症の原因としての業務上の出来事の一つとして,「上司とのトラブル」を挙げ,ストレス要因の平均的強度を,Ⅱ(中程度)と評価している。上司とのトラブルに伴う心理的負荷が,企業等において一般的に生じ得る程度のものである限り,社会通念上客観的にみて精神障害を発症させる程度に過重であるとは認められないものである。しかしながら,そのトラブルの内容が,上記の通常予定されるような範疇を超えるものである場合には,従業員に精神障害を発症させる程度に過重であると評価されるのは当然である。
被告は,R医師の意見(〈証拠略〉)に基づき,F係長の言動が太郎に対する指導,助言として行われたものであること,太郎とF係長とは週に1,2回の打合せの際に顔を合わせていただけであることから,太郎とF係長との関係に伴う太郎の心理的負荷は,評価表によれば「上司とのトラブル」の平均的心理的負荷の強度であるⅡに止まり,これを強度なものと修正すべき事由はない旨主張する。
しかしながら,以下の点に照らしていえば,太郎が業務上接したF係長との関係の心理的負荷は,被告の主張する平均的強度を大きく上回るものであると言わなければならない。
第1に,F係長が太郎に対して発したことば自体の内容が,過度に厳しいことである。前記認定事実のとおり,F係長のことばは,10年以上のMRとしての経験を有する太郎のキャリアを否定し,そもそもMRとして本件会社で稼働することを否定する内容であるばかりか,中には,太郎の人格,存在自体を否定するものもある。このようなことばが,企業の組織体の中で,上位で強い立場にある者から発せられることによる部下の心理的負荷は,通常の「上司とのトラブル」から想定されるものよりもさらに過重なものである。
第2に,F係長の太郎に対する態度に,太郎に対する嫌悪の感情の側面があることである。前述のとおり,F係長の太郎に対する発言は,害意によるというよりは,基本的には業務上の指導の必要性に基づいて行われたものと解されるが,上述のことば自体の内容に加え,営業活動の基本すらできておらず身なりもだらしないという太郎に対する評価,太郎の死後に同僚や太郎の親族に対してした発言内容からも,F係長が太郎に対し嫌悪の感情を有していたことが認められる。上記のような太郎のMRとしてのキャリアや人格までも否定するような発言が,仮に主観的には上司としての指導的な意図に基づいたものであるとしても,上司としての優位性を前提としたその発言を受ける側から見れば,上記の意図から出た発言であるからといって心理的負荷が軽減されるか,はなはだ疑問であるし,後述するようなF係長の性格やものの言い方も相まって考えるならば,その悪感情の側面は,太郎の心理的負荷を加重させる要因であるといえる。
第3に,F係長が,太郎に対し,極めて直截なものの言い方をしていたと認められることである。前記認定事実のとおり,衆目の一致するF係長の性格と他人に対する態度は,自分の思ったこと,感じたことを,特に相手方の立場や感情を配慮することなく,直截に表現し,しかも大きい声で傍若無人に(受ける部下の立場からすれば威圧的に)発言するというものである。上司の側から,表現の厳しさに一定の悪感情を混じえた発言を,何らの遠慮,配慮なく受けるのであるから,そこには,通常想定されるような「上司とのトラブル」を大きく超える心理的負荷があるといえる。
第4に,静岡2係の勤務形態が,上記のような上司とのトラブルを円滑に解決することが困難な環境にあることを挙げることができる。前述のとおり,本件会社における静岡2係の勤務形態からして,太郎はF係長から受ける厳しいことばを,心理的負荷のはけ口なく受け止めなければならなかった上,周囲の者や本件会社が,静岡2係の人間関係ひいては太郎の異常に気付き難い職場環境にあったものと認められ,本件の証拠関係を見ても,F係長の太郎に対する言動を本件会社の職制として探知,察知して,何らかの対処をした形跡を認めることはできない。このような勤務形態と本件会社の管理態勢の問題も相まって,本件会社は,F係長による太郎の心理的負荷を阻止,軽減することができなかったと認められる。
前記認定事実のとおり,太郎の自殺後,太郎の同僚らが原告方を訪問して弔意を表した際に,同僚が,太郎とF係長の関係に言及し,このままではまた太郎のような犠牲者が出る旨述べたという事実は,本件会社の従業員の中にも,F係長の言動は部下の自殺を引き起こし得る程度の過重な心理的負荷をもたらすと感じる者が少なからず存在したことを意味する。このことは,上記のとおり検討した太郎の受けた心理的負荷を客観的に評価すれば,同種労働者にとって,判断指針が想定している「上司とのトラブル」を大きく超えていることを根拠付けている。
以上に検討したところによれば,F係長の太郎に対する態度による太郎の心理的負荷は,人生においてまれに経験することもある程度に強度のものということができ,一般人を基準として,社会通念上,客観的にみて,精神障害を発症させる程度に過重なものと評価するのが相当である。
エ まとめ
以上に検討したとおり,太郎は,平成14年12月末~平成15年1月中に精神障害(その診断名は,発症当初の時点では適応障害,そして,同月段階では軽症うつ病エピソード。)を発症したところ,太郎は,発症に先立つ平成14年秋ころから,上司であるF係長の言動により,社会通念上,客観的にみて精神疾患を発症させる程度に過重な心理的負荷を受けており,他に業務外の心理的負荷や太郎の個体側の脆弱性も認められないことからすれば,太郎は,業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして,上記精神障害を発症したと認めるのが相当である。
(3)太郎の自殺の業務起因性についての判断
以上から,太郎の自殺について,業務起因性が認められるかを検討する。
ア 前記判断のとおり,業務に起因してICD-10のF0~F4に分類される精神障害を発症し,それに罹患していると認められる者が自殺を図った場合には,自殺時点において正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていなかったと認められるとか,業務以外のストレス要因の内容等から自殺が業務に起因する精神障害の症状の蓋然的な結果とは認め難いなどといった特段の事情が認められない限りは,原則として,当該自殺による死亡は故意のものではないとして,業務起因性を認めるのが相当である。
イ 上記検討のとおり,太郎は,業務に起因して,ICD-10のF43.21遷延性抑うつ反応(適応障害)ないしF32.0軽症うつ病エピソードという精神障害を発症したと認めることができる。そして,発症後の状況を見ても,前記認定事実のとおり,太郎は発症後,自殺直前に至るまで,抑うつ気分や食欲,興味・関心,性欲の低下といった症状が続いていること,太郎は本件第1~第3トラブルに表れているとおり思考力,判断力の低下を示していることという各事情に照らすと,太郎が発症した精神障害が自殺までの間に治癒,寛解したものとは認められない。
そして,前記認定事実のとおり,太郎が家族と職場の上司,同僚に残した遺書の中には,うつ病エピソードの診断ガイドラインに該当する症状である抑うつ気分,易疲労性,悲観的思考,自信の喪失,罪責感と無価値感が表れていたと認めることができるから,太郎の自殺時の希死念慮も精神障害の症状の一環と見るのが自然であって,太郎の自殺が,精神障害によって正常な認識,行為選択能力及び抑制力を阻害された状態で行われたという事実を認定することができる。
この点について,被告は,太郎が自殺の2か月余り前から順次遺書を作成しており,自殺後に残される者にも配慮した整然とした内容のものであること,インターネットで死に方や母子手当及び生活保護の受給方法等を調べていたことを理由に,太郎は精神障害によって正常な認識,行為選択能力が著しく阻害された状態に陥り自殺したとは認められない旨主張する。しかし,そもそも,被告の指摘する点は,太郎が心神喪失の状態に陥っていなかったことを裏付け得るとはいえても,太郎の希死念慮が精神障害による正常な認識等を阻害された状態でされたものではないことまでを裏付ける事情とは解し難い。本件に現れた事情に照らせば,この被告の主張は,上記認定,判断を左右するものではない。
さらに,被告は,太郎の抑うつ状態は軽度であったから,強い希死念慮は出現しておらず,正常な認識,行為選択能力が著しく阻害されていたとは認められないとも主張するが,上述のとおり,ICD-10のF0~F4に分類される精神障害の患者が自殺を図ったときには,当該精神障害により正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていたと推定する取扱いが,医学的見地から妥当であると判断されているのであるから,抑うつ状態が軽度であるという一点から,上記推定によらず,正常な認識を有していたとか,行為選択能力が著しく阻害されていたとは認められないという評価をすることもまた,根拠がないものと言わなければならず,結局,被告の主張には,全く理由がないという結論になる。
ウ 以上からすると,業務に起因してICD-10のF0~F4に分類される精神障害を発症した太郎は,当該精神障害に罹患したまま,正常の認識及び行為選択能力が当該精神障害により著しく阻害されている状態で自殺に及んだと推定され,この評価を覆すに足りる特段の事情は見当たらないから,太郎の自殺は,故意の自殺ではないとして,業務起因性を認めるのが相当である。

3 結論
以上によれば,太郎の自殺による死亡が業務に起因するものではないことを前提にして行われた本件処分は違法であり,その取消を求める原告らの請求は理由があるから,これを認容することとする。

第4節 女性年少者の保護
1.女性の母体保護
(1)坑内労働・危険有害業務への就業禁止
(2)産前産後機関についての保護
a)産前産後休業
b)軽易業務への転換
c)
d)
(3)育児時間
(4)
2.年少者の保護


労働法 労働基本法・労働契約法の基本構造


第1節 労働基準法

1.労基法の位置づけ、基本理念

+(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
2  労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。

・労働条件対等決定原則

2.労基法の構造

・「労働者」について一律に、労働契約の基本原則や労働条件の最低基準を強行的に定め、私法上の効力だけでなく、行政監督・刑罰法規によってその遵守を担保する。

(1)「労働者」の定義:適用範囲の画定

+(定義)
第九条  この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

+(適用除外)
第百十六条  第一条から第十一条まで、次項、第百十七条から第百十九条まで及び第百二十一条の規定を除き、この法律は、船員法 (昭和二十二年法律第百号)第一条第一項 に規定する船員については、適用しない。
2  この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

(2)労働者の基本的人権保障・封建的な労働慣行の廃除
労働憲章

+(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。

(強制労働の禁止)
第五条  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

(中間搾取の排除)
第六条  何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。

(公民権行使の保障)
第七条  使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。但し、権利の行使又は公の職務の執行に妨げがない限り、請求された時刻を変更することができる。

+(賠償予定の禁止)
第十六条  使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

(前借金相殺の禁止)
第十七条  使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。

(強制貯金)
第十八条  使用者は、労働契約に附随して貯蓄の契約をさせ、又は貯蓄金を管理する契約をしてはならない。
○2  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理しようとする場合においては、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出なければならない。
○3  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合においては、貯蓄金の管理に関する規程を定め、これを労働者に周知させるため作業場に備え付ける等の措置をとらなければならない。
○4  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、貯蓄金の管理が労働者の預金の受入であるときは、利子をつけなければならない。この場合において、その利子が、金融機関の受け入れる預金の利率を考慮して厚生労働省令で定める利率による利子を下るときは、その厚生労働省令で定める利率による利子をつけたものとみなす。
○5  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、労働者がその返還を請求したときは、遅滞なく、これを返還しなければならない。
○6  使用者が前項の規定に違反した場合において、当該貯蓄金の管理を継続することが労働者の利益を著しく害すると認められるときは、行政官庁は、使用者に対して、その必要な限度の範囲内で、当該貯蓄金の管理を中止すべきことを命ずることができる。
○7  前項の規定により貯蓄金の管理を中止すべきことを命ぜられた使用者は、遅滞なく、その管理に係る貯蓄金を労働者に返還しなければならない。

(3)労働条件の最低基準の設定

(4)就業規則の作成義務

+(作成及び届出の義務)
第八十九条  常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
一  始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
二  賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
三  退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
三の二  退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
四  臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
五  労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
六  安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
七  職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
八  災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
九  表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
十  前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

(作成の手続)
第九十条  使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。
○2  使用者は、前条の規定により届出をなすについて、前項の意見を記した書面を添付しなければならない。

+(法令等の周知義務)
第百六条  使用者は、この法律及びこれに基づく命令の要旨、就業規則、第十八条第二項、第二十四条第一項ただし書、第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第一項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、第三十八条の三第一項並びに第三十九条第四項、第六項及び第七項ただし書に規定する協定並びに第三十八条の四第一項及び第五項に規定する決議を、常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること、書面を交付することその他の厚生労働省令で定める方法によつて、労働者に周知させなければならない。
○2  使用者は、この法律及びこの法律に基いて発する命令のうち、寄宿舎に関する規定及び寄宿舎規則を、寄宿舎の見易い場所に掲示し、又は備え付ける等の方法によつて、寄宿舎に寄宿する労働者に周知させなければならない。

(5)実効性の確保

+(この法律違反の契約)
第十三条  この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による

・私法上の強行法規であると同時に公法的な取締法規としての性格を持つ。

3.労基法の効力
(1)私法上の強行法規としての効力
・強行的効力=下回る労働契約部分を無効
・直律的効力=無効となった部分を埋める形で労働契約の内容になる。

(2)付加金の支払
民事的サンクション。

+(付加金の支払)
第百十四条  裁判所は、第二十条、第二十六条若しくは第三十七条の規定に違反した使用者又は第三十九条第七項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあつた時から二年以内にしなければならない。

(3)公法的な取締法規としての効力
監督制度(97条以下)、罰金(117条以下)

+(監督機関に対する申告)
第百四条  事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
○2  使用者は、前項の申告をしたことを理由として、労働者に対して解雇その他不利益な取扱をしてはならない。

+判例(東京高判56.3.26)
要旨
労働基準監督官は申告に対して何らかの措置をとるべき法的義務(作為義務)を負うわけではない。

+第十条  この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。

+第百二十一条  この法律の違反行為をした者が、当該事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為した代理人、使用人その他の従業者である場合においては、事業主に対しても各本条の罰金刑を科する。ただし、事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者、事業主が営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者又は成年被後見人である場合においてはその法定代理人(法定代理人が法人であるときは、その代表者)を事業主とする。次項において同じ。)が違反の防止に必要な措置をした場合においては、この限りでない。
○2  事業主が違反の計画を知りその防止に必要な措置を講じなかつた場合、違反行為を知り、その是正に必要な措置を講じなかつた場合又は違反を教唆した場合においては、事業主も行為者として罰する。

(4)労使協定による規制の解除

a)労使協定により規制が解除される事項

・特に
企画業務型裁量労働制の実施について

+第三十八条の四  賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の五分の四以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者を当該事業場における第一号に掲げる業務に就かせたときは、当該労働者は、厚生労働省令で定めるところにより、第三号に掲げる時間労働したものとみなす。
一  事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務であつて、当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務(以下この条において「対象業務」という。)
二  対象業務を適切に遂行するための知識、経験等を有する労働者であつて、当該対象業務に就かせたときは当該決議で定める時間労働したものとみなされることとなるものの範囲
三  対象業務に従事する前号に掲げる労働者の範囲に属する労働者の労働時間として算定される時間
四  対象業務に従事する第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者の労働時間の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保するための措置を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
五  対象業務に従事する第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者からの苦情の処理に関する措置を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
六  使用者は、この項の規定により第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者を対象業務に就かせたときは第三号に掲げる時間労働したものとみなすことについて当該労働者の同意を得なければならないこと及び当該同意をしなかつた当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないこと。
七  前各号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項
○2  前項の委員会は、次の各号に適合するものでなければならない。
一  当該委員会の委員の半数については、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者に厚生労働省令で定めるところにより任期を定めて指名されていること。
二  当該委員会の議事について、厚生労働省令で定めるところにより、議事録が作成され、かつ、保存されるとともに、当該事業場の労働者に対する周知が図られていること。
三  前二号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める要件
○3  厚生労働大臣は、対象業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を図るために、労働政策審議会の意見を聴いて、第一項各号に掲げる事項その他同項の委員会が決議する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
○4  第一項の規定による届出をした使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、定期的に、同項第四号に規定する措置の実施状況を行政官庁に報告しなければならない。
○5  第一項の委員会においてその委員の五分の四以上の多数による議決により第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項及び第二項、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第一項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書に規定する事項について決議が行われた場合における第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項から第三項まで、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書の規定の適用については、第三十二条の二第一項中「協定」とあるのは「協定若しくは第三十八条の四第一項に規定する委員会の決議(第百六条第一項を除き、以下「決議」という。)」と、第三十二条の三、第三十二条の四第一項から第三項まで、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第二項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書中「協定」とあるのは「協定又は決議」と、第三十二条の四第二項中「同意を得て」とあるのは「同意を得て、又は決議に基づき」と、第三十六条第一項中「届け出た場合」とあるのは「届け出た場合又は決議を行政官庁に届け出た場合」と、「その協定」とあるのは「その協定又は決議」と、同条第三項中「又は労働者の過半数を代表する者」とあるのは「若しくは労働者の過半数を代表する者又は同項の決議をする委員」と、「当該協定」とあるのは「当該協定又は当該決議」と、同条第四項中「又は労働者の過半数を代表する者」とあるのは「若しくは労働者の過半数を代表する者又は同項の決議をする委員」とする。

b)労使協定の効力
免罰的効力。
他方、私法上の効力は持たない(計画年休協定は例外)
そんなときに、労働協約としての効力を併せ持った場合はある。

c)過半数代表者

・使用者に立場が近い管理監督者(41条2号)であってはならず、従業員の投票や挙手など民主的な方法により選出された者でなければならない(労基則6条の2第1項)

+(H13.6.22)(東京高判H9.11.17)トーコロ事件
要旨
1.従業員の親睦団体の代表者が自動的に労働者の過半数代表となって締結された三六協定を無効として、それを前提とする時間外労働命令を無効とした原判決に対する上告が棄却された事例。

+高判のほう
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 被控訴人の各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二 事案の概要
一 本件は、控訴人に雇用されていた被控訴人が、平成四年二月二〇日に控訴人から解雇されたことについて、解雇が無効であると主張し、控訴人に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めたほか、平成四年四月分から同年一一月分までの賃金合計一六八万円の支払及び同年一二月以降毎月二八日限り二一万円ずつの賃金の支払を求めるとともに、解雇は不法行為又は債務不履行に当たるとしてそれによる慰謝料一〇〇万円の支払を求めた事案であり、原判決は、慰謝料請求を棄却したものの、その余の被控訴人の各請求を認容したため、控訴人が控訴人敗訴の部分の取消を求めて本件控訴に及んだ。
二 争いのない事実等
原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」(原判決三頁三行目から六頁二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決五頁四行目の「当月二〇」を「当月二〇日」に改める。

三 争点とこれについての当事者の主張
1 争点は、本件解雇が有効かどうかであり、具体的には、控訴人主張の本件解雇事由が認められるかどうか、これが認められるとした場合、解雇権の濫用といえるかどうかであり、これに関する当事者の主張は、2及び3に当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「三 争点」の1及び2(原判決七頁四行目から三三頁五行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 控訴人の当審における主張
(一) 本件残業命令に対する拒否について
(1) 本件三六協定は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」であるa(以下「a」という。)との間で締結されたものである。aは、全従業員によって組織された「友の会」で民主的に選出された代表者であるところ、「友の会」は、控訴人と労働条件に関する交渉をするなどの労使慣行が存在し、労働組合の実質を備えていたものと認められるうえ、本件三六協定については、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであるから、aが「労働者の過半数を代表する者」に当たることは明らかである。したがって、本件三六協定は有効であるから、それが定める限度内の残業を命じた本件残業命令も有効であり、被控訴人はこれに従う義務があった。
(2) 仮に本件三六協定が無効であるとしても、適式に届出がなされており、その内容が法律に反したり、公序良俗に反するものではないから、無効であることが確定するまで尊重されなければならない。そして、被控訴人は、採用されるに当たり、就業規則の説明を受け、控訴人においては繁忙期があり、残業のあることを十分に認識し、これを承諾したものである。また、繁忙期が始まった平成三年一一月初めころに開催された激励会において、これに参加した被控訴人を含む従業員全員が、一致して繁忙期の残業を行うことを承諾した。したがって、適式な本件三六協定の定める限度内で残業を行うことは労働契約の内容となっていたものであるから、被控訴人には本件残業命令に従う義務があった。
(3) 被控訴人が平成四年二月四日に診断書の提出をもって訴えた「眼精疲労」は、被控訴人は電算写植機の操作作業に集中的に従事精励していたものではなく、その作業能率等も劣っていたこと、繁忙期も終わりに近づいたころの平成四年二月になって初めてその症状を訴え、眼科医でない内科・小児科医の診療を受け始めたものであり、他覚的所見もないことなどからすると、控訴人を安全配慮義務を欠如しているが如くに陥れるための工作としてなされた虚偽のものと考えられるから、本件残業命令に従う義務を免除させるものではない。
(二) その他の被控訴人の行為について
控訴人が原審において解雇事由に該当すると主張した被控訴人の行為のうち、本件残業命令に対する拒否以外のものは、被控訴人単独の争議行為又は怠業であり、正当な組合活動とは認められず、労働組合法上の保証はないのであり、したがって、控訴人の業務に対する妨害ないし雇用契約上の債務不履行に当たる。

3 控訴人の当審における主張に対する被控訴人の反論
(一) 本件残業命令に対する拒否について
(1) 「友の会」は、控訴人の役員も加入している親睦団体であり、労働組合ではない。控訴人自らの求人票に「労働組合なし」と記入していることからも明らかである。また、「友の会」が控訴人と労働条件に関する団体交渉をしてきたような事実もない。
本件三六協定は、「労働者の過半数を代表する者」である「営業部a」によって締結されているが、社内報や集会によって全従業員の意思が確認された事実はなく、aが選出された具体的な方法・手続も定かでない。
したがって、本件三六協定は無効である。
(2) 本件三六協定が無効である以上、それを前提とする本件残業命令も無効であり、被控訴人がこれに従う義務はなかった。本件三六協定が無効であるとしても、被控訴人は本件残業命令に従う義務があったとする控訴人の主張は暴論である。
(3) 被控訴人は、電算写植機のモニターに写る凝縮された小さな文字を凝視するVDT作業を昼休みを除き連続して八時間ないし九時間余り行っていたものであり、既に平成三年九月中旬か下旬ころには眼精疲労を覚え始めていた。被控訴人の眼精疲労がVDT作業に原因していることは明らかである。
二 その他の被控訴人の行為について争う。

第三 当裁判所の判断
一 当裁判所も、本件解雇は無効であり、被控訴人の請求は、慰謝料の支払を求める部分を除いて理由があるものと判断する。その理由は、以下に控訴人の当審における主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」(原判決三三頁六行目から六五頁七行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決三四頁三行目の「照会」を「紹介」に、四四頁八行目の「同年一月三日」を「同年二月三日」に、五六頁二行目の「平成四年一二月二〇日」を「平成三年一二月二〇日」に、六四頁末行の「(五点)」」を「(五点)」)」に、六五頁三行目の「(五点)」を「(五点)」)」にそれぞれ改める。

二 本件残業命令に従う義務の存否について
1 いかなる場合に使用者の残業命令に対し労働者がこれに従う義務があるかについてみるに、労働基準法三二条の労働時間を延長して労働させることに関し、使用者が、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合等と書面による協定(いわゆる三六協定)を締結し、これを所轄労働基準監督署長に届け出た場合において、使用者が当該事業場に適用される就業規則に右三六協定の範囲内で一定の義務上の事由があれば労働契約に定める労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、当該就業規則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容をなすから、右就業規則の規定の適用を受ける労働者は、その定めるところに従い、労働契約に定める労働時間を超えて労働をする義務を負うものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成三年一一月二八日判決・民集四五巻八号一二七〇頁参照)。そして、右三六協定は、実体上、使用者と、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、そのような労働組合がない場合には労働者の過半数を代表する者との間において締結されたものでなければならないことは当然である。
2 これを本件についてみるに、まず控訴人の就業規則(甲二)によると、通常の勤務時間について定められている(一七、一八条)ほか、「時間外及び休日勤務」として「1 業務の都合で必要のある場合は、時間外及び休日勤務をさせることがある。2 時間外及び休日勤務は会社の指示によるか、又は会社の承諾を得た場合に限る。3 前項の場合において、その所定労働時間に対して所定の割増賃金を支払う。」と定められ、業務上の必要がある場合に控訴人の指示により残業が命じられることになっている。
ところで、本件三六協定(甲四、乙一〇〇)は、平成三年四月六日に所轄の足立労働基監督署に届け出られたものであるが、協定の当事者は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」としての「営業部 a」であり、協定の当事者の選出方法については、「全員の話し合いによる選出」とされ、協定の内容は、原判決四頁五行目から五頁二行目までに記載のとおりであった。

3 そこで、aが「労働者の過半数を代表する者」であったか否かについて検討するに、「労働者の過半数を代表する者」は当該事業場の労働者により適法に選出されなければならないが、適法な選出といえるためには、当該事業場の労働者にとって、選出される者が労働者の過半数を代表して三六協定を締結することの適否を判断する機会が与えられ、かつ、当該事業場の過半数の労働者がその候補者を支持していると認められる民主的な手続がとられていることが必要というべきである(昭和六三年一月一日基発第一号参照)。
この点について、控訴人は、aは「友の会」の代表者であって、「友の会」が労働組合の実質を備えていたことを根拠として、aが「労働者の過半数を代表する者」であった旨主張するけれども、「友の会」は、原判決判示のとおり、役員を含めた控訴人の全従業員によって構成され(規約一条)、「会員相互の親睦と生活の向上、福利の増進を計り、融和団結の実をあげる」(規約二条)ことを目的とする親睦団体であるから、労働組合でないことは明らかであり、このことは、仮に「友の会」が親睦団体としての活動のほかに、自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を目的とする活動をすることがあることによって変わるものではなく、したがって、aが「友の会」の代表者として自動的に本件三六協定を締結したにすぎないときには、aは労働組合の代表者でもなく、「労働者の過半数を代表する者」でもないから、本件三六協定は無効というべきである。
次に、控訴人は、aが本件三六協定を締結するに当たっては、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであって、aは「労働者の過半数を代表する者」である旨主張する。しかしながら、本件三六協定の締結に際して、労働者にその事実を知らせ、締結の適否を判断させる趣旨のための社内報が配付されたり集会が開催されたりした形跡はなく、aが「労働者の過半数を代表する者」として民主的に選出されたことを認めるに足りる証拠はない
もっとも、当審証人aは、本件三六協定を締結するに当たり、まず控訴人から提示された協定案を「友の会」の役員五人で検討したうえ、五人で手分けして全従業員に諮ることとし、右協定案を添付して回覧に付し、全従業員の過半数の承認を得た旨供述し、当審に至って提出された同人の陳述書(乙六八)にも同旨の記述がみられるけれども、この点は当初から争点の一つとされていたにもかかわらず、原審で取り調べた証拠中には、わずかに同人の陳述書(乙三七)中に「友の会」内部で検討したという程度の抽象的な記述があるにとどまり、それ以外に右と同旨のものは全くないのであって、当審証人aの右供述はいささか唐突の感を免れ難いのみならず、右協定案の回覧結果についての客観的証拠が提出されていないことなどに照らすと、当審証人aの右供述等をにわかに採用することはできない。
以上によると、本件三六協定が有効であるとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、それを前提とする本件残業命令も有効であるとは認められず、被控訴人にこれに従う義務があったとはいえない。
なお、控訴人は、本件三六協定が無効であったとしても被控訴人には本件残業命令に従う義務があった旨主張するが、独自の見解であり、到底採用の限りでない。

4 仮に、本件三六協定が有効であるとしても、就業規則により、控訴人は、「業務の都合で必要がある場合」すなわち業務上の必要性がある場合に限って残業命令を出すことができることはいうまでもないが、そのような場合であっても、労働者に残業命令に従えないやむを得ない理由があるときには、労働者は残業命令に従う義務はないと解するのが相当である。
まず、平成四年一月三一日の本件残業命令における業務上の必要性についてみると、原判決の判示のとおり、その当時、被控訴人が担当していた住所録作成(組版)の作業は、ほぼ順調にノルマを達成しかかっていたが、同一の部署に属する写植(校正)係では約一〇〇〇頁(四日分)のノルマの遅れが発生しており、控訴人においては、週明けの同年二月三日からアルバイトを二名雇い、被控訴人ら他の仕事の担当者にも残業を命じることによって乗り切ることを考えており、被控訴人の上司であるb主任も、それ以前から被控訴人に対し「組版の仕事を減らして、他の校正などの手伝いでもかまわないから、もう少し残業してもらえないか。」と要請していたことなどが認められるから、控訴人に残業を命じる業務上の必要性は存したものと認められる。
もっとも、本件残業命令自体は、「来週一週間、午後九時まで残業をやりなさい。業務命令だ。」というものであり、残業をすべき仕事の特定がされていないけれども、それ以前の経過等に照らすと、写植(校正)の手伝いを命じているものであることは推認できるものであり、また、本件残業命令は、一週間午後九時までの残業を命じるなど控訴人において業務上の必要性の検討を十分にしていないことを窺わせるような命令の仕方であるけれども、そのことのみをもって残業命令が違法であるということはできない。
次に、被控訴人に本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったか否かについてみると、被控訴人は、本件残業命令に係る初日である平成四年二月三日、「ひらの亀戸ひまわり診療所」(c医師)を受診して欠勤し、「眼精疲労・全身倦怠感精査」の診断を受け、翌四日、出勤して控訴人に診断書(甲一一)を提出したが、右診断書には右病名のほかに「当分の間、時間外労働をさけて通院加療が必要である。」と記載されており、現に同月六日、同月一三日に通院加療を受けていること(甲一二)、被控訴人は、平成三年八月下旬ころから住所録の作成(組版)として電算写植機の操作(VDT作業)に従事しており、遅くとも同年一一月一九日ころ以降、d総務部長その他の上司に対し眼の疲れを訴えていたこと、それに対し、控訴人が健康診断を受けさせるなどの特別な配慮をした形跡は全くないこと、控訴人のe経理部長は、平成四年二月七日に至って、右c医師に電話をかけ、右診断書の内容について照会し、当分の間、残業を差し控えるべきである旨の回答を得たこと(甲一三、乙三九)が認められる。以上の事実を総合すると、控訴人としては、被控訴人が診断書の提出をもって訴えた眼精疲労等の症状について、これを疑うべき事情はなかったものというべきであるから、被控訴人は、眼精疲労等の状態にあることをもって本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められる。
控訴人は、るる述べて被控訴人の眼精疲労等の訴えが虚偽のものである旨主張するけれども、被控訴人の従事していた作業内容に照らし、被控訴人が眼精疲労等を訴えるのは不自然なことではなく、しかも、被控訴人が平成四年二月三日の前から上司にその旨を訴えていたことは、本件解雇後の交渉記録(甲三四)中で控訴人側がその事実を認めていることからも明らかであり、また、c医師の専門は判然としないものの、控訴人の照会結果によっても同医師はVDT作業と健康の問題に詳しいことが窺えるのであり、同医師の診断結果の信用性に格別疑問を差し挟む余地はないのであるから、被控訴人の眼精疲労等の訴えを虚偽のものであると疑うことはできず、控訴人の主張を採用することはできない。
したがって、被控訴人は、本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められるから、これに従う義務がなかったものというべきである。

5 以上によると、いずれにしても、被控訴人には本件残業命令に従う義務があったとはいえないから、被控訴人がこれを拒否して残業をしなかったからといって、就業規則所定の解雇事由があったとはいえない。

三 その他の被控訴人の行為について
その他の被控訴人の行為についての認定判断は、原判決の判示のとおりであり、人事考課の拒否の点のみは、就業規則四一条三号の「指示命令に違反し」たものといえるものの、それをもって解雇することは解雇権の濫用に当たり、それ以外の点は、いずれも解雇事由には当たらないというべきであり、もとより、被控訴人のこれらの行為をもって争議行為又は怠業とみることはできず、業務妨害又は債務不履行は認められないから、この点に関する控訴人の主張を採用することはできない。
四 結論
よって、被控訴人の雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認の請求及び賃金の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野寺規夫 小池信行 坂井満)

第2節 労働契約法
1.労働契約法制定の経緯

2.労働契約法の構造と特徴

+労働契約法
(目的)
第一条  この法律は、労働者及び使用者の自主的な交渉の下で、労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則その他労働契約に関する基本的事項を定めることにより、合理的な労働条件の決定又は変更が円滑に行われるようにすることを通じて、労働者の保護を図りつつ、個別の労働関係の安定に資することを目的とする。

(定義)
第二条  この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2  この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

(労働契約の原則)
第三条  労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。
2  労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
3  労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
4  労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。
5  労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。


労働法 労働契約


第1節
労働契約の全体像

1.労働契約の特徴

・+(労働契約の成立)
第六条  労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。

労働契約の特徴
①他人決定性、非対等性
②継続性
③人的性格
④集団性、組織性

2.労働契約上の主たる権利義務
(1)労務提供をめぐる権利義務
a)指揮命令権・業務命令権

指揮命令権=労働契約に基づき、労働契約の範囲内で労働者が提供すべき労務の具体的内容・方法・場所などを決定し支持する権利
使用者は労働契約を締結することにより、当然に指揮命令権を取得すると説明される。

・命令が権利の濫用(民法1条3項、労働契約法3条5項)になることもある。

・業務遂行に必要な事項について使用者の命令に服すべき旨が就業規則に定められている場合、それが合理的なものである限り、当該規定が労働契約の内容になる→業務命令権を有する!
+判例(S61.3.13)
理  由
上告代理人藤井俊彦、同上野至、同長島裕、同田中一泰、同幸良秋夫、同畑瀬信行、同片桐春一、同山崎久照、同渡辺信行、同川越修一、同小出寛治、同鎌田哲博、同山元毅の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1(一) 上告人日本電信電話公社(昭和五九年法律第八五号日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前の日本電信電話公社法に基づき設立されたもの。以下「公社」という。)は、本件当時、疾病の予防、罹患者の早期発見、早期回復、保健指導、衛生環境の整備等職員の健康管理を適正に実施し、もつて業務の円滑な運営に資することを目的として健康管理規程を定めていたが、右規程は、職員の健康管理にあたつて職員の疾病状況に対応した有効な施策を講ずること(二条一項)を規定する一方、職員は常に自己の健康の保持増進に努め(二条二項)、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない(四条)として職員の遵守すべき義務を明らかにしている。そして、職員の疾病の予防、保健指導を行うとともに罹患者の早期発見等を行うため配置された健康管理医が検診の結果等により必要と認めたときは、当該職員に精密検診を受けさせなければならないこととし(二四条)、また、検診の結果等に基づき、健康管理医は、管理が必要であると認められる個々の職員(以下「要管理者」という。)につき、病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定し(二六条)、右決定のあつた当該職員を右指導区分に従い個別に管理することとしている。また、右要管理者については、日本電信電話公社就業規則(以下「公社就業規則」という。)一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条において、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。更に、公社は、高度な医療技術のもとに、疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理のために疾病の早期発見、早期治療を行う医療機関として、札幌逓信病院を設置している。

(二) 公社は、従前から頸肩腕症候群罹患者の発生に対処するため、専門医を中心にプロジエクトチームを編成し、その原因の究明に努めるとともに、諸施策を実施してその予防及び早期解決に努力してきた結果、罹患者数は年々減少するに至つたものの、発症後三年以上を経過しても治癒しない長期罹患者の割合が大きいことから、この長期罹患者についての対策を全国的規模で検討するに至つた。公社北海道局においても、頸肩腕症候群罹患者数が昭和五〇年の約二二〇名から昭和五三年の約一五〇名に減少したものの、三年以上の長期罹患者の割合が七五パーセントを占めていたため、これについての対策が検討されたが、管内健康管理医の打合せ会では、頸肩腕症候群の疾病要因がまだ医学的に十分解明されていない現状において、その早期回復を図るためには、単に整形外科のみならず、内科、精神神経科等各科の検診を含む総合的な精密検診を実施する必要がある旨の意見が強く出された。そして、全国電気通信労働組合北海道地方本部(以下「全電通道地本」という。)からも右と同趣旨の要望がされたため、昭和五三年七月一四日、公社北海道局と全電通道地本との間において、右長期罹患者を対象として、その疾病要因を追究してその診断により治療及び療養の指導をして早期に健康回復を図ることを目的とする総合精密検診を実施する旨の労働協約が締結されたが、右協約によつて決定された検診方法は、発症後三年以上経過しているのに症状が軽快していない者その他健康管理医が必要と認めた者を被検者として札幌逓信病院に入院させ、整形外科を中心に内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科及び耳鼻咽喉科のほか、必要に応じて他科の検診を含む総合精密検診を行うものであり、検診のための入院期間は二週間程度、参加人員は一回四名程度とし、被検者の具体的人選は健康管理医が行うというものであつた。

(三) 被上告人は、当時公社帯広電報電話局(以下「帯広局」という。)に勤務し電話交換の作業に従事する公社職員であつたが、昭和四九年七月五日、川上整形外科医院において頸肩腕症候群と診断される一方、健康管理規程に定める指導区分の「療養」にあたることとされ、その後、休養加療を行つた結果、症状が軽快し、同年九月五日から右指導区分の「要注意」にあたるものとして職場に復帰したが、同年九月一六日からは「勤務軽減」(六時間勤務)となり、同年一一月五日からは再び「療養」にあたることとされて休養し、同年一二月五日「勤務軽減」(四時間勤務)の指導区分により職場に復帰し、昭和五〇年二月一六日に「要注意」となるといつた右指導区分の変遷を繰り返し、本件当時の被上告人の担当職務は、電話番号簿の番号訂正等の事務であつて、本来の職務である電話交換の作業には従事していなかつた。
公社は、昭和四九年九月五日、被上告人の健康状態を考慮し、従来の電話交換作業から軽易な机上作業に担務替えを行うとともに、同年九月二八日、被上告人から提出された右疾病の業務災害認定申請に対して、札幌逓信病院において、整形外科の精密検診を行い、その結果等に基づき、昭和五〇年九月三日付で右疾病が「業務上」である旨の認定をし、各種補償を行つている。
被上告人は、川上整形外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、昭和五二年四月から帯広市内の吉田治療院において月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善はみられなかつた。

(四) 公社は、昭和五三年九月一二日、前記労働協約所定の頸肩腕症候群総合精密検診の第四回目を同年一〇月五日から一八日までに行うこととし、釧路健康管理所の健康管理医の意見に基づき、帯広局所属の被上告人外一名を被検者と決定し、同年九月一三日、被上告人に対し、帯広局岩渕運用部長を介して口頭で受診を指示するとともに、実施期間・場所・検診科名及び入院にあたつての注意事項等を記載した書面を手交し、その後も、受診に消極的な態度を示す被上告人に対して受診するよう説得に努め、同年一〇月三日には、被上告人に対し、右運用部長を介して右受診方の業務命令を発したが、被上告人がこれを拒否したため、更に検診日を一か月後に再設定することとし、同月二七日、右運用部長を介し、一一月九日から同月二二日まで検診を受けるよう業務命令を発したが、被上告人は、同年一〇月三〇日、「札幌逓信病院は信頼できない。」として右の業務命令をも拒否した。
(五) これより先、全電通道地本はかねて広報紙等を通じて前記労働協約で決定された総合精密検診実施の必要等を組合員に周知させていたが、同年八月二一日、公社から全電通道地本帯広分会に対して検診の対象者として帯広局の被上告人外一名が選定される予定である旨の通知を受けるや、右分会村上書記長は、即日右両名にその旨を伝達した。また、右分会は、被上告人が同年一〇月三日に発せられた総合精密検診の業務命令を拒否したことを重視し、全電通道地本に対して役員の派遣を要請した。これに応じて、全電通道地本は、一〇月一一日から一三日まで執行委員長ら執行部を帯広局に派遣し、被上告人に対して、総合精密検診の趣旨説明をするとともに、その受診方を説得したが、被上告人は、「札幌逓信病院は信頼できない」「業務災害認定解除のおそれがある」等の理由で受診に反対である旨を表明し、結局、全電通道地本執行部の説得を受け容れなかつた。

2 全電通道地本帯広分会執行部は、本件総合精密検診が労使確認事項であるとしながらも、被上告人が受診拒否の意向を有しており、業務命令発出という形にまで発展したことを重視し、同年一〇月九日午後三時から、帯広局局舎三階の会議室において、公社と団体交渉を行つた。団体交渉は非公開で行われたが、開始後間もなく、被上告人を含む一二名の女子職員が傍聴のため会場の会議室に立ち入り、右分会役員の退去指示にも従わず、一部の者が公開を要求して騒然となり、更に、同室前で分会長らと公開、非公開をめぐり問答し、結局、いつたん中断された団体交渉は再開されなかつた。被上告人は、この間、午後三時一五分ころから約一〇分間にわたり職場を離脱した。
3 公社は、同年一一月一四日、被上告人に対し、1の(四)の受診拒否は、公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」)に該当し、2の職場離脱は、同五九条一八号所定の懲戒事由(「第五条の規定に違反したとき」)に該当するとして、日本電信電話公社法(前記日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前のもの。)三三条に基づき、懲戒戒告処分(以下「本件戒告処分」という。)をした

二 原審は、前記の事実関係に基づき、(一) 医療行為については、原則として、これを受ける者に、自己の信任する医師を選択する自由があるとともに、あらかじめその医療行為の内容につき説明を受けたうえで、これを受診するか否かを選択する自由があり、かつ、このことは、その医療行為が診察を目的とするものか、治療を目的とするものかにより、決定的な差異はない、(二) 公社がその健康配慮義務を尽すために行う施策が、職員に対して疾病につき診察、治療の医療行為を受けさせることをその内容とする場合には、その内容が当該職員の前記自由権の尊重につき考慮を払つたものでない限り、あるいは他にその自由権を制約するについて合理的な理由のない限りは、職員に対し、その施策の受容を承諾なくして強制することは許されないものというべきである、(三) 本件総合精密検診の被検者は、検診期間中における私的生活がかなり制限されるほか、必ずしも自己の信任しない医師により検診に必要な限度において、身体的侵襲を受けるとともに個人の秘密が知られることにもなるから、このような前記自由権に対する重大な制約を伴う検診については、他に合理的な理由のない限りは、被検者たる当該職員にその受診義務を課することはできないというべきである、(四) 一般に労働協約がその協約当事者以外の組合員たる個個の職員に対して直接に義務を負わせる効力を有することはあり得るとしても、それは組合が組合員たる職員のため処分権能を有する範囲あるいは組合員たる職員に対しその統制権能を及ぼし得る範囲に限られると解されるところ、医療行為につき組合員たる個個の職員の有する前記自由権は、本来その個人的領域に属し、組合といえどもこれを処分、制限することのできない事項であるというべきであるから、仮に公社と全電通道地本との間に締結された前記労働協約が、組合員たる個個の職員で長期罹患者等に該当する者に対し、直接に本件総合精密検診を受診すべき義務を課する趣旨を含むものとするならば、かかる労働協約はその部分につき無効というほかなく、したがつて、前記労働協約締結の事実をもつて、本件総合精密検診の受診義務を肯定するうえでの前記合理的理由があるとすることはできず、他に被上告人について前記合理的理由に該当する事実を認めるに足る証拠はない、(五) したがつて、本件総合精密検診は、法的義務の履行としてこれを強制することはできないものというべきであるから、被上告人にその受診を命ずる本件業務命令は無効であり、被上告人がこれを拒否したことをもつて公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当するということはできない、(六) 一〇分間の本件職場離脱という事由のみによつて、被上告人に対し、昇給時に昇給額の減額の効果をともなう本件戒告処分をすることは、その原因となつた行為と対比して著しく均衡を失し、社会通念上客観的妥当性を欠いているから、懲戒についての裁量の範囲を逸脱した違法があつて無効である、と判断した。

三 論旨は、要するに、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診を命ずる本件業務命令は無効であり、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたらないとした原審の判断には法令違背がある、というものであり、以下この点について検討する。
1(一) 一般に業務命令とは、使用者が業務遂行のために労働者に対して行う指示又は命令であり、使用者がその雇用する労働者に対して業務命令をもつて指示、命令することができる根拠は、労働者がその労働力の処分を使用者に委ねることを約する労働契約にあると解すべきである。すなわち、労働者は、使用者に対して一定の範囲での労働力の自由な処分を許諾して労働契約を締結するものであるから、その一定の範囲での労働力の処分に関する使用者の指示、命令としての業務命令に従う義務があるというべきであり、したがつて、使用者が業務命令をもつて指示、命令することのできる事項であるかどうかは、労働者が当該労働契約によつてその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによつて定まるものであつて、この点は結局のところ当該具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものということができる。
ところで、労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、その定めが合理的なものであるかぎり、個別的労働契約における労働条件の決定は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、法的規範としての性質を認められるに至つており、当該事業場の労働者は、就業規則の存在及び内容を現実に知つていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然にその適用を受けるというべきであるから(最高裁昭和四〇年(オ)第一四五号同昭和四三年一二月二五日大法廷判決・民集二二巻一三号三四五九頁)、使用者が当該具体的労働契約上いかなる事項について業務命令を発することができるかという点についても、関連する就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいてそれが当該労働契約の内容となつているということを前提として検討すべきこととなる。換言すれば、就業規則が労働者に対し、一定の事項につき使用者の業務命令に服従すべき旨を定めているときは、そのような就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいて当該具体的労働契約の内容をなしているものということができる
そして、公社と公社職員との間の労働関係は、その事業のもつ社会性及び公益性から、一般私企業と若干異なる規制を受けることは否定できないが、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係とその本質を異にするものではなく、私法上のものということができ、また、公社就業規則の目的及び性質も私企業におけるそれと異なるところはないというべきであるから(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)、前述した業務命令の根拠及びその範囲に関する考え方は、公社と公社職員との関係においてもあてはまると解すべきである。

(二) 本件業務命令は、被上告人の罹患した頸肩腕症候群の早期回復を図ることを目的として総合精密検診の受診を命ずるものであり、安全及び衛生に関する業務命令ということができるが、前記の事実関係によれば、公社においては、職員の安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則で定めるほか、健康管理規程を設けている。労働基準法八九条二項によれば、安全及び衛生に関する事項については、特に細かい規定となりやすいため、就業規則とは別個に規則を定めることができるとされているところ、公社における右の健康管理規程は、右八九条二項所定の規則にあたるというべきである。そして、同条項所定の規則といえども、就業規則の一部であることは変わりはないのであるから、右の健康管理規程も就業規則としての性質を有しているものということができる。

2(一) 以上によれば、安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則及び健康管理規程の定めている事項がその内容において合理的なものであるかぎりにおいて公社と被上告人との間の具体的労働契約の内容となつているものということができる
以上の見地に立つて本件をみるに、前記のとおり、公社の健康管理規程は、二条二項において、一般的に職員の健康保持義務を定めるとともに、四条において、職員は、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない旨を規定し、更に、二四条において、検診の結果等により健康管理医が必要と認めたときは当該職員に精密検診を受けさせなければならないとするとともに、二六条において、健康管理医は、検診の結果等に基づき、要管理者につき、その病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定したうえ、当該職員を右指導区分に従い個別に健康管理指導を行うこととしていること、また、要管理者については、公社就業規則一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条においても、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。
以上の公社就業規則及び健康管理規程によれば、公社においては、職員は常に健康の保持増進に努める義務があるとともに、健康管理上必要な事項に関する健康管理従事者の指示を誠実に遵守する義務があるばかりか、要管理者は、健康回復に努める義務があり、その健康回復を目的とする健康管理従事者の指示に従う義務があることとされているのであるが、以上公社就業規則及び健康管理規程の内容は、公社職員が労働契約上その労働力の処分を公社に委ねている趣旨に照らし、いずれも合理的なものというべきであるから、右の職員の健康管理上の義務は、公社と公社職員との間の労働契約の内容となつているものというべきである

(二) もつとも、右の要管理者がその健康回復のために従うべきものとされている健康管理従事者による指示の具体的内容については、特に公社就業規則ないし健康管理規程上の定めは存しないが、要管理者の健康の早期回復という目的に照らし合理性ないし相当性を肯定し得る内容の指示であることを要することはいうまでもない。しかしながら、右の合理性ないし相当性が肯定できる以上、健康管理従事者の指示できる事項を特に限定的に考える必要はなく、例えば、精密検診を行う病院ないし担当医師の指定、その検診実施の時期等についても指示することができるものというべきである。換言すれば、要管理者は、労働契約上、その内容の合理性ないし相当性が肯定できる限度において、健康回復を目的とする精密検診を受診すべき旨の健康管理従事者の指示に従うとともに、病院ないし担当医師の指定及び検診実施の時期に関する指示に従う義務を負担しているものというべきである。もつとも、具体的な労働契約上の義務の存否ということとは別個に考えると、一般的に個人が診療を受けることの自由及び医師選択の自由を有することは当然であるが、公社職員が公社との間の労働契約において、自らの自由意思に基づき、右の自由に対し合理的な制限を加え、公社の指示に従うべき旨を約することが可能であることはいうまでもなく(最高裁昭和二五年(オ)第七号同二七年二月二二日第二小法廷判決・民集六巻二号二五八頁)、また、前記のような内容の公社就業規則及び健康管理規程の規定に照らすと、要管理者が労働契約上負担していると認められる前記精密検診の受診義務は、具体的な治療の方法についてまで健康管理従事者の指示に従うべき義務を課するものでないことは明らかであるのみならず、要管理者が別途自ら選択した医師によつて診療を受けることを制限するものでもないから、健康管理従事者の指示する精密検診の内容・方法に合理性ないし相当性が認められる以上、要管理者に右指示に従う義務があることを肯定したとしても、要管理者が本来個人として有している診療を受けることの自由及び医師選択の自由を侵害することにはならないというべきである。
(三) 前記の事実関係によれば、被上告人は、昭和四九年七月、頸肩腕症候群に罹患している旨の診断がされ、同時に健康管理規程二六条所定の指導区分の「療養」にあたる要管理者として管理指導を受けることとなり、その後も、その症状の推移に従い、「勤務軽減」、「療養」、「要注意」等の指導区分にあたる者として管理指導を受けるとともに、昭和五〇年九月には右疾病につき業務上災害の認定を受けて災害補償を受けていたところ、被上告人の右疾病については、外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」の治療を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられず、本件当時も、担当職務について労務軽減の措置を受けたまま、電話番号簿の番号訂正等の軽易な机上事務に従事するのみで、本来の電話交換作業に従事できないでいた、というのである。
右の事情に照らすと、被上告人は、当時頸肩腕症候群に罹患したことを理由に健康管理規程二六条所定の指導区分の決定がされた要管理者であつたのであるから、前述したところによれば、被上告人には、公社との間の労働契約上、健康回復に努める義務があるのみならず、右健康回復に関する健康管理従事者の指示に従う義務があり、したがつて、公社が被上告人の右疾病の治癒回復のため、頸肩腕症候群に関する総合精密検診を受けるようにとの指示をした場合、被上告人としては、右検診について被上告人の右疾病の治癒回復という目的との関係で合理性ないし相当性が肯定し得るかぎり、労働契約上右の指示に従う義務を負つているものというべきである。
そして、原審の確定した前記事実関係によれば、公社が公社職員を対象として実施することとした頸肩腕症候群総合精密検診は、発症後三年以上を経過しても治癒しない頸肩腕症候群の疾病要因を追究して、その早期回復を図るための具体的方策を見出すことを目的とするものであるところ、右の疾病要因については、まだ医学的に十分な解明がされていないというのであるから、その疾病要因を究明するための右総合精密検診が、整形外科のみならず、内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門医による検診を実施したうえ、その各所見を総合的に検討することとしていること、及び右検診のために二週間程度の入院を必要としていることの合理性は否定し難いものというべきである。また、右総合精密検診の実施機関とされる札幌逓信病院は、公社が高度な医療技術により疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理に適した疾病の早期発見、早期治療を行う病院として設置した医療機関であつて、多岐にわたる検診科及び検診項目についての各専門科医の所見を総合して行うべき右総合精密検診を実施するために必要な人的及び物的条件を具備しているとみられるばかりか、同病院が公社内部の医療機関であつて、日頃から公社職員の健康管理に関与していることからすると、他の総合病院におけるよりも、検診を担当する各専門科医に公社職員の頸肩腕症候群の実態及び実施すべき総合精密検診の趣旨を伝達してその周知徹底を期することが比較的容易に行われ得るということも否定できないところである。そして、右のような方法による総合精密検診の実施については、公社と全電通道地本との間で協議がされ、全電通道地本においても右検診方法の合理性を承認したうえで前記労働協約を締結していることが窺われること等の事情をも併せ考慮すると、被上告人ら公社職員を対象とする右総合精密検診の内容・方法の合理性ないし相当性は十分これを肯定することができるものというべきである。

(四) なお、前記の事実関係によれば、被上告人は、本件当時、健康管理医等の管理のもとに、要管理者として健康管理規程所定の方法により健康回復のための指導を受ける一方、一か月あたり相当回数に上る継続的通院治療を受けていたというのであるが、このことから直ちに、被上告人が公社就業規則一六五条及び健康管理規程三一条所定の健康回復に関する努力義務を履行していたものと断定することはできず、かえつて、被上告人は、右のような継続的な治療を受けていたにもかかわらず、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられなかつたため、本件当時においても、労務軽減の措置を受けたまま、前記の軽易な机上作業に従事するのみで、本来の電話交換作業に復帰できないでいたというのであるから、当時被上告人には、なお、自己の健康回復に努め、本来の自己の職務に復帰できるように努力する義務が存続しており、また、この義務の履行としては、公社がより高度の医学的方策によるべきことを指示する限りは、その指示に従うべきであるというべきである。本件の総合精密検診は、総合病院の各専門科医による検診結果を総合して被上告人の疾病の原因及びその治療方法を究明し、その疾病の早期回復を企図するものであるというのであるから、単に従前の治療行為を繰り返すにとどまる場合と比較して、右総合精密検診の実施が被上告人の健康回復により資するものであるということも否定し難く、以上の事情にかんがみると、被上告人としては、公社就業規則及び健康管理規程上、公社の指示に従い、本件総合精密検診を受診することにより、その健康回復に努める義務が存したものというべきである。
(五) 以上の次第によれば、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診方を命ずる本件業務命令については、その効力を肯定することができ、これを拒否した被上告人の行為は公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたるというべきである。
四 そうすると、原判決が本件業務命令の効力を否定したうえ、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当しないとしたのは、法律の解釈適用を誤つたものであるといわざるを得ず、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがつて、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記の職場離脱が同条一八号の懲戒事由にあたることはいうまでなく、以上の本件における二個の懲戒事由及び前記の事実関係にかんがみると、原審が説示するように公社における戒告処分が翌年の定期昇給における昇給額の四分一減額という効果を伴うものであること(公社就業規則七六条四項三号)を考慮に入れても、公社が被上告人に対してした本件戒告処分が、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え、これを濫用してされた違法なものであるとすることはできないというべきである。したがつて、本件戒告処分は適法ということができ、その無効確認を求める被上告人の本件請求は理由がないというべきであるから、被上告人の請求を認容した第一審判決はこれを取り消したうえ、その請求を棄却すべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口正孝 角田禮次郎 高島益郎 大内恒夫)

・労働者に本来の職業と異なる作業を命じることも、業務上の必要性や相当性が認められるならば、適法な業務命令権の行使とされる。
+判例(H5.6.11)国鉄鹿児島自動車営業所事件
理由
上告代理人村田利雄、同有岡利夫の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人ら及び被上告人は、昭和六〇年当時、いずれも日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の職員であり、被上告人は国鉄九州総局鹿児島自動車営業所(以下「鹿児島営業所」という。)の運輸管理係、上告人竪山明(以下「上告人竪山」という。)は、同営業所長、上告人新野尾文雄(以下「上告人新野尾」という。)は同営業所首席助役であった。なお、被上告人は、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員であった。

2 当時国鉄は、長年にわたる赤字額の累積により経営上の危機にひんして再建を迫られる一方、職場規律の乱れが内外から指摘されてその是正が求められたため、これにこたえるべく、経営能率の向上、職場規律の健全化などを果たすことが、企業としての将来を決する重要な課題となっていた。
右のような状況を受けて、鹿児島営業所の上級機関である九州地方自動車部(以下「自動車部」という。)は、傘下の各営業所に対して、職場規律の確立に力を入れるよう指示し、その一つとして、職員の服装の乱れを是正すること、勤務時間中のワッペン、赤腕章等の着用を禁止すること及び職員に氏名札の着用を行わせることを指示した。中でも職場規律の乱れが全国でも最悪と指摘された鹿児島営業所の所長であった上告人竪山は、自動車部と打ち合わせて職場規律の確立に取り組むように特に指示されたため、職員に対し、勤務時間中のワッペン、赤腕章の着用を禁止するとともに、前記氏名札と着用場所が競合する国労の組合員バッジ(以下「本件バッジ」という。)の着用を禁止し、着用者に対して取外し命令を発していた。また、上告人竪山は、本件バッジの取外し命令に従わない職員に対しては当該職員の担当する本来の業務から外すよう、自動車部から指示を受けていた
なお、当時、国鉄が経営の合理化のために打ち出す種々の施策に対して、国労は反対の方針を採り、そのため国鉄の労使は恒常的に対立した状況にあった。鹿児島営業所においても、国労の組合員によるワッペン、赤腕章の着用等の行為が行われ、被上告人ら組合員は、上告人らを始めとする管理職と対立していた。このような状況の下で、本件バッジの着用は、国労の組合員であることを勤務時間中に積極的に誇示する意味と作用を有し、勤務時間中にも職場内において労使間の対立を意識させ、職場規律を乱すおそれを生じさせるものであった

3 被上告人は、前記のとおり運輸管理係の地位にあったが、管理者に準ずる地位である補助運行管理者にも指定され、昭和六〇年七月二三日、二四日、八月五日、六日、一六日、一七日、二二日、二三日、二九日及び三〇日の各日は、補助運行管理者として点呼執行業務に従事すべき日とされていた。
昭和六〇年七月二三日、被上告人が、本件バッジを着用したまま点呼執行業務を行おうとしたため、上告人竪山は、被上告人に対して本件バッジの取外し命令を発したが、被上告人は右命令に従わなかった。そこで、同上告人は、被上告人を点呼執行業務から外し、鹿児島営業所構内に降り積もった火山灰を除去する作業(以下「降灰除去作業」という。)に従事すべき旨の業務命令を発した。その後の同月二四日、八月五日、六日、一六日、一七日、二二日、二三日、二九日及び三〇日についても、上告人竪山は、前同様の経緯により、本件バッジの取外し命令に従おうとしない被上告人を点呼執行業務から外し、前記作業に従事すべき旨の業務命令を発した(右の各業務命令を、以下「本件各業務命令」という。)。

4 降灰除去作業は、桜島の噴火活動によって上空に吹き上げられ鹿児島市内に飛来して降り積もった火山灰を除去するものであり、かなりの不快感と肉体的苦痛を伴う作業であるが、鹿児島営業所の職場環境を整備して、労務の円滑化、効率化を図るために必要なものであり、従来も、職員がその必要に応じてこれを行うことがあった。
本件各業務命令は、勤務時間中に同営業所構内(広さ約一二〇〇平方メートル)の降灰除去作業に従事すべき旨を命じたものであるが、作業方法及び服装等についての特段の指示はなく、また、所定の休憩時間(正午から午後一時まで)以外の休憩の取り方についても特段の指示はなかった。被上告人は、本件各業務命令に基づき、前記の各日、それぞれ午前八時三五分ころから午後五時ころまで、同営業所構内の降灰除去作業に従事した。
5 上告人ら管理職は、被上告人が降灰除去作業に従事中、右作業状況を監視し、また、勤務中の他の職員が被上告人に清涼飲料水を渡そうとしたところ、上告人竪山がこれを制止する等のことがあった。

二 原審は、右事実関係の下において、次のとおり判断した。
1 降灰除去作業は、被上告人の労働契約上の義務の範囲内に含まれるから、本件各業務命令を労働契約に根拠のない作業を命じたものとはいえない
2 また、本件バッジの着用は、職場規律を乱し、職務専念義務に違反するものであるから、上告人竪山がした前記取外し命令及びこれに従わなかった被上告人を点呼執行業務から外した措置には、いずれも合理的な理由があり、これが違法なものとはいえない。
3 しかし、本件各業務命令は、被上告人には運輸管理係としての日常の業務があり、殊更降灰除去作業を命ずべき必然性はなかったのに、本件バッジの取外し命令に従わなかったことに対し、懲罰的に発せられたものである。このように、かなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせることは、業務命令権の濫用であって違法である。したがって、本件各業務命令は、被上告人に対する不法行為に当たり、上告人らは、これにより被上告人の被った精神的損害を賠償すべき義務がある。

三 しかしながら、原審の前項3の、本件各業務命令が違法であって被上告人に対する不法行為に当たるとする判断は、是認することができない。
前記の事実関係からすると、降灰除去作業は、鹿児島営業所の職場環境を整備して、労務の円滑化、効率化を図るために必要な作業であり、また、その作業内容、作業方法等からしても、社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず、これが被上告人の労働契約上の義務の範囲内に含まれるものであることは、原判決も判示するとおりである。しかも、本件各業務命令は、被上告人が、上告人竪山の取外し命令を無視して、本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、自動車部からの指示に従って被上告人をその本来の業務から外すこととし、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置ということができ、これが殊更に被上告人に対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない。なお、上告人ら管理職が被上告人による作業の状況を監視し、勤務中の他の職員が被上告人に清涼飲料水を渡そうとするのを制止した等の行為も、その管理職としての職責等からして、特に違法あるいは不当視すべきものとも考えられない。そうすると、本件各業務命令を違法なものとすることは、到底困難なものといわなければならない。
四 したがって、本件各業務命令が被上告人に対する不法行為に当たるとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、結局同旨をいう論旨は理由があり、原判決中上告人ら敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記のとおり、本件各業務命令は、不法行為を構成するものではないから、これが不法行為を構成することを前提とした被上告人の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がないというべきであって、第一審判決中上告人ら敗訴部分を取り消した上、その請求を棄却すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官木崎良平 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也)

++解説
《解  説》
一 本件は、旧国鉄(昭62・4・1の国鉄法の廃止とともに国鉄清算事業団に移行した。国鉄清算事業団法附則二条参照。)の職員が業務命令を違法であるとして上司個人を相手に提起した損害賠償請求訴訟についての最高裁判決である。
Xは国鉄九州総局鹿児島自動車営業所(以下「鹿児島営業所」という。)の運輸管理係の地位にあったが、営業所の管理者に準ずる地位である補助運行管理者に指定され、昭和六〇年七月及び八月のうち、連続して二日間ずつの合計一〇日間が、補助運行管理者として点呼執行業務に従事すべき日に定められていた。道路運送法(平成元年法律第八三号による改正前のもの)二三条一項は、一般旅客自動車運送事業者は事業用自動車の運行の安全の確保に関する事項を処理させるため所定の営業所ごとに運行管理者を選任すべき旨規定し、これを受けて制定された自動車運送事業等運輸規則(平成二年運輸省令第二三号による改正前のもの)三二条の二によれば、運行管理者の業務内容は、① 輸送の安全確保に支障が生ずるおそれがあるときに、乗務員に対する必要な指示その他輸送の安全のための措置をとること、② 乗務員にに対して点呼を行い、所定の事項につき報告を求め、事業用自動車の運行の安全を確保するために必要な指示等を行うこと、③ 乗務員に対し所定の指導監督を行うこと、等とされている。そして、同規則二五条の五に基づき制定された国鉄の運行管理規定によれば、補助運行管理者は、前記②の業務(点呼執行業務)を行い、点呼を行うとともに、乗務員の服装、態度等を確認し必要な指示等を行うものとされている。
本判決によれば、本件のおおよその経緯等は、次のようなものであった。Xは、補助運行管理者として右の点呼執行業務に従事すべき日とされていた前記一〇日間のいずれの日においても、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員バッジ(以下「本件バッジ」という。)を着用したまま点呼執行業務を行おうとしたため、鹿児島営業所の所長Y1がその取外し命令を発したが、Xは右命令に従わず、これに対してY1は、右各日、Xを点呼執行業務から外して鹿児島営業所構内の火山灰の除去作業(以下「降灰除去作業」という。)に従事すべき旨の業務命令(以下「本件各業務命令」という。右の火山灰というのは、桜島の噴火活動によって上空に吹き上げられ鹿児島市内に飛来して降り積もったものである。)を発し、そこで、Xは、本件各業務命令に基づき、前記の各日の勤務時間中、右の降灰除去作業に従事した。本件バッジの着用は、国労の組合員であることを勤務時間中に積極的に誇示する意味と作用を有し、勤務時間中にも職場内において労使間の対立を意識させ、職場規律を乱すおそれを生じさせるものであり、一方、降灰除去作業は同営業所内の職場環境整備等のため必要な作業であって、従来も職員がその必要に応じてこれを行うことがあった。
本件損害賠償請求訴訟は、Xが、本件各業務命令はXが本件バッジの取外し命令に従わなかったことから、労働契約に根拠がなくまたその必要もないのに懲罰的に発せられた違法なものである等と主張し、不法行為に基づき、Y1及びこれに協力した首席助役Y2各個人を相手として各自五〇万円の慰藉料の支払をすることを求めたものである。
二 Xの右損害賠償請求について、一審(本誌六九六号一三八頁)は、① 降灰除去作業は、Xの労働契約上の義務の範囲内に含まれるから、本件各業務命令を労働契約に根拠のない作業を命じたものとはいえない、② 本件バッジの着用は、職場規律を乱し職務専念義務に違反するものであるから、Y1のした前記取外し命令及びこれに従わなかったXを点呼執行業務から外した措置にはいずれも合理的な理由があり、違法なものとはいえない、③ しかし、本件各業務命令は、殊更降灰除去作業を命ずべき必然性がなかったのに、本件バッジの取外し命令に従わなかったために、懲罰的に発せられたものであって、このようにかなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせるのは、業務命令権の濫用であって違法である等として、Y1、Y2について各自一〇万円の慰藉料の支払義務を認め、Xの請求を一部認容し、二審(本誌七二五号一一五頁)もこれを維持した。これに対して、Y1、Y2が上告した。
本判決は、上告を容れ、原判決中Y1、Y2の敗訴部分を破棄し、一審判決中右部分を取り消してXの請求を棄却すべきものとしたものである。
三 最一小判昭61・3・13、労判四七〇号六頁(電電公社帯広局事件)によれば、一般に業務命令とは、使用者が業務遂行のために労働者に対して行う指示又は命令であり、使用者がその雇用する労働者に対して業務命令をもって指示、命令することのできる根拠は、労働者がその労働力の処分を使用者にゆだねることを約する労働契約にあり、したがって、使用者が業務命令をもって指示、命令することのできる事項であるかどうかは労働者が当該労働契約によってその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによって定まるものであって、この点は結局のところ当該具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものとされている。
本件についてみてみると、一、二審は、前記のとおり、降灰除去作業がXの労働契約上の義務の範囲内に含まれる等としながら、本件各業務命令は、本件バッジの取外し命令に従わなかったことに対して懲罰的に発せられたものであり、業務命令権の濫用であって違法であるとしたのに対し、本判決は、原審の確定した事実関係の下で、① 降灰除去作業は、鹿児島営業所の職場環境整備等のために必要なものであり、その作業内容、作業方法等からしても社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず、Xの労働契約上の義務の範囲内に含まれるものである、② 本件各業務命令は、Xが、Y1の取外し命令を無視して、本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、Y1が上部からの指示に従ってXをその本来の業務から外し、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置であって、これが殊更にXに対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない、として、本件各業務命令を違法なものとすることはできず、本件各業務命令は不法行為を構成するものではないと判断した。なお、本件バッジの着用行為について、本判決は、上告論旨の争点となっていないためか、「本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為」という説示をするにとどめているところ、本判決の右説示は、国鉄職員の服務の基準を定める国鉄法三二条(特に二項の職務専念義務)や国鉄の服装に関する定め等の存在を踏まえたものと思われる。
四 本判決は、管理者に準ずる地位にある職員が組合員バッジの取外し命令に従わないため、点呼執行業務から外して労働契約上の義務の範囲内には含まれるが職員の通常業務ではない職場環境整備等のため必要な作業(降灰除去作業)を命じた業務命令が職場管理上やむを得ないもので違法とはいえない、としたものであって、業務命令に関する同種事案の先例として参考になろう。

・命令が業務上の必要性に基づかない場合、嫌がらせなど不当な目的で発せられた場合、過酷な内容で労働者に肉体的・精神的な苦痛を与える場合などには、当該命令は権利の濫用に当たり無効。
+判例(H8.2.23)JR東日本本荘保線区事件
要旨
国労マーク入りのベルトを着用して就労した組合員に対し、会社が就業規則の書き写し等を命じたことが、労働者の人格権を侵害し、教育訓練に関する業務命令権の裁量の範囲を逸脱する違法なものとして、会社に損害賠償義務が認められた事例。

b)労務提供義務・職務専念義務・誠実労働義務

・職務専念義務や誠実労働義務とは、当該労働契約の趣旨に合致した態様・方法で支障なく労務提供を行う義務である。
+判例(S57.4.13)大成観光ホテルオークラ事件
理由
上告代理人馬場正夫、同田中庸夫、同西道隆の上告理由について
本件リボン闘争について原審の認定した事実の要旨は、参加人組合は、昭和四五年一〇月六日午前九時から同月八日午前七時までの間及び同月二八日午前七時から同月三〇日午後一二時までの間の二回にわたり、被上告会社の経営するホテルオークラ内において、就業時間中に組合員たる従業員が各自「要求貫徹」又はこれに添えて「ホテル労連」と記入した本件リボンを着用するというリボン闘争を実施し、各回とも当日就業した従業員の一部の者(九五〇ないし九八九名中二二八ないし二七六名)がこれに参加して本件リボンを着用したが、右の本件リボン闘争は、主として、結成後三か月の参加人組合の内部における組合員間の連帯感ないし仲間意識の昂揚、団結強化への士気の鼓舞という効果を重視し、同組合自身の体造りをすることを目的として実施されたものであるというのである。
そうすると、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、本件リボン闘争は就業時間中に行われた組合活動であつて参加人組合の正当な行為にあたらないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
上告理由第一点の所論は、要するに、本件リボン闘争は参加人組合の正当な争議行為にあたるものであるし、更に、それが争議行為にあたらないとしても、労働組合の正当な組合活動の範囲内に属するものであつて、いずれにしても、被上告人がそれを理由に就業規則に基づいて本件各懲戒処分をしたことは不当労働行為にあたる、と主張するものである。これに対して、法廷意見は、本件リボン闘争は就業時間中の組合活動であつて、参加人組合の正当な行為にあたらないと判示している。私もまたそれに同調するが、この判断は、労働組合の団体行動の正当性について重要な論点を提起するものであるから、いささか私見を補足しておきたい。
一 労働組合の争議行為とは何かを明確に定義づけることは困難であり、恐らくは、労働組合の団体行動が争議行為にあたるとすることによつてどのような法的効果を生ずるかに応じて多少とも異なる意味をもつものとして理解されるべきものと思われるが、一般的にいえば、労働組合が、その主張の示威又は貫徹のためにその団体の意思によつて労務を停止すること(怠業や残業拒否のように不完全な停止を含む)が争議行為に該当すると解される。この立場にたつても、たとえば労働組合法による民事免責等に関して、このような争議行為に随伴してされる行為(ピケ行為等)も争議行為のうちに含ましめることはありうるが、このような随伴的行為はそれ自体として争議行為とはならない。そう考えると、業務の性質によつては、リボン闘争自体が労務の停止に等しいと考えられる場合がありえないものではないから、一切のリボン闘争が争議行為にあたらないとすることはできないとしても、一般的には、リボン闘争は、類型として争議行為にあたらないというべきである。原審の適法に確定した事実によれば、本件リボン闘争は、法廷意見の示すような態様で行われたのであるから、これを争議行為としてとらえることは相当ではない。したがつて、争議行為に就業規則が適用されるかどうか、また具体的な本件リボン闘争が争議行為として正当性をもつかどうかを判断する必要はないと考えられる。

二 それでは、本件リボン闘争を労働組合の組合活動としてとらえるときに、その正当性を認めることができるか。いわゆるリボン闘争は、労務を停止することなく、就業時間中に労働組合員である労働者が組合の決定に基づき一定のリボンを着用する形態をとるものであるから、ここでは、就業時間中にこのような組合活動が許されるかどうかが問題となる。
一般に、就業時間中の組合活動は、使用者の明示又は黙示の承諾があるか又は労使の慣行上許されている場合のほかは認められないとされているが、これは、労働者の負う職務専念義務、すなわち労働契約により労働者は就業時間中その活動力をもつぱら職務の遂行に集中すべき義務を負うことに基づくものとされている。もしこの義務を厳格に解し、およそ就業時間内においては、職務の遂行に直接関連のない活動が許されないとすれば、当然に、組合活動をすることは認められず、リボン闘争は違法と判断されることとなる当裁判所は、政治的内容をもつ文言を記載したプレートの着用行為につき、すべての注意力を職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき職場の規律秩序を乱すものであると判断している(昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)。この判旨は、職務専念義務について、就業時間中には一切の肉体的精神的な活動力を職務にのみ用いるべきであるという厳格な立場をとつたものとみられるが、このプレート着用が組合の活動でなかつたこと、プレートに記載された文言が政治的な内容のものであつて、その着用が政治活動にあたること、それが法律によつて職務専念義務の規定されている公共部門の職場における活動であつたことにおいて、本件とは事案を異にするといつてよい。
労働者の職務専念義務を厳しく考えて、労働者は、肉体的であると精神的であるとを問わず、すべての活動力を職務に集中し、就業時間中職務以外のことに一切注意力を向けてはならないとすれば、労働者は、少なくとも就業時間中は使用者にいわば全人格的に従属することとなる。私は、職務専念義務といわれるものも、労働者が労働契約に基づきその職務を誠実に履行しなければならないという義務であつて、この義務と何ら支障なく両立し、使用者の業務を具体的に阻害することのない行動は、必ずしも職務専念義務に違背するものではないと解する。そして、職務専念義務に違背する行動にあたるかどうかは、使用者の業務や労働者の職務の性質・内容、当該行動の態様など諸般の事情を勘案して判断されることになる。このように解するとしても、就業時間中において組合活動の許される場合はきわめて制限されるけれども、およそ組合活動であるならば、すべて違法の行動であるとまではいえないであろう。
そこで、所論のように本件懲戒処分が不当労働行為となるためには、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、右のような見解に照らして本件リボン闘争が正当として許されるものでなければならない。この点に関しては、原審が本件リボン闘争の特別違法性として説示するところは是認することができ、したがつて、本件リボン闘争は、参加人組合の組合員たる労働者の職務を誠実に履行する義務と両立しないものであり、被上告人の経営するホテルの業務に具体的に支障を来たすものと認められるから、それは就業時間中の組合活動としてみて正当性を有するものとはいえない。 
三 なお、服装規定の違反に関する所論についても、一般にリボン闘争が使用者の定める服装規定に違反して正当性を欠くものであるかどうかはともかく、原審の適法に確定した事実関係のもとでは、本件リボン闘争が被上告人経営のホテルにおいて服装規定に違反するものであるから正当な行為たりえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。
以上の理由により、私は、原審の判断は結論において正当と認めるのであり、論旨は採用することができないと考える。
(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)

+判例(S52.12.13)目黒電報電話局事件
理由
上告指定代理人香川保一、同近藤浩武、同矢崎秀一、同長島俊雄、同玉野義雄、同外松源司、同宮坂弘、同森田義之の上告理由について
第一 本件の経過
一 原審が確定したところによれば、本件の事実関係は、おおむね次のとおりである。
(一) 被上告人は、日本電信電話公社(以下「公社」という。)目黒電報電話局(以下「目黒局」という。)施設部試験課に勤務する公社職員であるが、昭和四二年六月一六日から同月二二日まで継続して、目黒局において、作業衣左胸に、青地に白字で「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と書いたプラスチツク製のプレート(以下「本件プレート」という。)を着用して勤務した。被上告人が本件プレートを着用した動機は、ベトナム戦争に反対することが日本の平和につながるという気持をもち、立川基地がベトナム戦争の遂行に利用されていると考え、本件プレートに記載されたスローガンに共鳴同調し、その気持を職場の同僚に理解してもらいたいということにあつた。
(二) その間、目黒局の局長及び次長は、同年六月一六日午前九時ころ、被上告人に対し、「局所内でそのようなものをつけては困る。局所内で右のような主義、主張をもつた札、ビラその他を胸につけることは許可しない方針なので直ちに取りはずしてもらいたい。」旨注意を与えたが、被上告人はこれに従わず、更に、同日正午前ころ試験課長が、翌一七日午後二時前ころ試験課長、施設部長が、同月二二日正午ころ試験課長が、同日午後三時過ぎころ次長、施設部長が、それぞれプレートを取りはずすように注意を与えたが、被上告人はこれに従わなかつた。
(三) 被上告人は、本件プレートの取りはずし命令は不当であると考え、これに抗議する目的で、同月二三日休憩時間中である正午から零時一〇分ころまでの間に、局所管理責任者である庶務課長の許可を受けることなく、「職場のみなさんへの訴え」と題し、六月一六日局長室でプレート着用について注意を受けた状況及び管理者側の態度が職場の組合活動や労働者の政治的自覚を高める活動を抑えて公社の合理化計画をよりスムーズに進行させるための地ならしであるとの抗議の意見を記載し、職場の要求をワツペン、プレートにして皆の胸につけることを呼びかけた内容のビラ数十枚を、試験課、線路課など各課の休憩室及び食堂で職員に手渡し、休憩室のない一部の職場では職員の机上に置くという方法で、配布した。
(四) 公社は、同月二四日、被上告人に対し、被上告人の前記(一)のプレート着用行為は、日本電信電話公社就業規則(以下「公社就業規則」という。)五条七項(「職員は、局所内において、選挙運動その他の政治活動をしてはならない。」)に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由(「第五条の規定に違反したとき」)に該当する、(二)の行為は、同条三号所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」)に該当する、(三)のビラ配布行為は、同五条六項(「職員は、局所内において、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしようとするときは、事前に別に定めるその局所の管理責任者の許可を受けなければならない。」)に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由に該当するとして、日本電信電話公社法(以下「公社法」という。)三三条一項により懲戒戒告処分に付する旨の意思表示(以下「本件処分」という。)をした。

二 原審は、(1) 公社就業規則五条七項の「政治活動」の意義は人事院規則一四―七に規定する政治的目的をもつ政治的行為と同趣旨であると解するのが相当であるところ、本件プレートが政治上の主張の表示に用いられる記章に該当するとしても、被上告人が人事院規則一四―七にいう政治的目的をもつて本件プレートを着用したものとはとうてい認め難いところであるから、被上告人の本件プレート着用行為は公社就業規則五条七項の規定に違反せず、五九条一八号所定の懲戒事由に該当しない、(2) 本件プレート着用行為が公社就業規則の禁止規定に違反することを前提とする局長らの本件プレート取りはずし命令は、正当な根拠を欠き、被上告人に義務なきことを強制するものにほかならないから、被上告人がこれに従うことを拒否したとしても、命令不服従の責めを問うことはできず、前記一の(二)の被上告人の行為は公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当しない、(3) 公社就業規則五九条一八号、五条六項は、およそ文書の無許可配布一般を懲戒処分の対象に包摂するものではなく、許可制を採用することによつて担保ないし維持しようとした職場秩序の実質的侵害を伴うような無許可のビラ配布のみを懲戒処分の対象とする趣旨であると解すべきところ、被上告人の本件ビラ配布は、なんら職場秩序の実質的侵害を伴わないものであるから、公社就業規則五九条一八号所定の懲戒事由に該当しない、(4) したがつて、本件処分は、公社就業規則所定の懲戒事由が存在しないのにもかかわらずされたものであつて無効であり、また仮に、被上告人の本件ビラ配布行為が形式的に公社就業規則五条六項に違反し、五九条一八号の懲戒事由に該当するとしても、違反の情状は極めて軽微であるから本件処分は懲戒権の濫用というべきであつて無効である、と判断した。

三 論旨は、原審の判断は、公社就業規則五条六項及び七項並びに五九条三号及び一八号、ひいては公社法三三条の規定の解釈、適用を誤つたものであり、右の違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

第二 当裁判所の判断
一 まず、公社就業規則における政治活動禁止の意義について検討する。
上告人公社は、公衆電気通信事業の合理的かつ能率的な経営体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに電気通信による国民の利便を確保することにより公共の福祉を増進することを目的として設立された法人であつて、その設立に伴い、従来電気通信省の職員であつた者は、電気通信大臣が指名する者を除き、公社の職員となり、国家公務員法(以下「国公法」という。)及び人事院規則によつて規律されていたその服務関係は、公社法、公共企業体等労働関係法及び公社の制定する就業規則等により規律されることとなつた。ところで、一般職国家公務員については、その政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保する目的から、国公法一〇二条、人事院規則一四―七により政治的行為の制限が定められ、その違反に対しては同法一一〇条一九号により刑罰が科せられることとされている。しかしながら、公社職員については、法律自体に職員の政治的行為を禁止する規定は設けられず、専ら公社就業規則において、「職員は、局所内において、選挙運動その他の政治活動をしてはならない。」(制定当初は五条八項に定められていたが、数次の改正により本件当時は五条七項に規定されていた。)と定められているにとどまり、国公法と異なつて、局所内における政治活動だけが禁止され、しかも刑罰の裏づけを伴つていない。そうして、公社は、公衆電気通信事業という、一般公衆が直接利用関係に立ち国民生活に直接重大な影響をもつ社会性及び公益性の極めて強い事業を経営する企業体であるから、公社とその職員との労働関係が一般私企業と若干異なる規制を受けることは否定することができないが、公社はその設立目的に照らしても企業性を強く要請されており、公社と職員との関係は、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係とその本質を異にするものではなく、私法上のものであると解される。更に、一般に就業規則は使用者が企業経営の必要上従業員の労働条件を明らかにし職場の規律を確立することを目的として制定するものであつて、公社就業規則も同様の目的で公社が制定したものであるが、特に公社就業規則五条はその体裁、文言から局所内の秩序風紀の維持を目的とした規定であると解しうるところからみると、公社就業規則五条七項が局所内における政治活動を禁止した趣旨は、一般職国家公務員に関する国公法一〇二条、人事院規則一四―七における政治的行為の制限の趣旨と異なり、一般私企業において就業規則により事業所(職場)内における政治活動を禁止しているのと同様、企業秩序の維持を主眼としたものであると解するのが、相当である。すなわち、一般私企業においては、元来、職場は業務遂行のための場であつて政治活動その他従業員の私的活動のための場所ではないから、従業員は職場内において当然には政治活動をする権利を有するというわけのものでないばかりでなく、職場内における従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立ないし抗争を生じさせるおそれがあり、また、それが使用者の管理する企業施設を利用して行われるものである以上その管理を妨げるおそれがあり、しかも、それを就業時間中に行う従業員がある場合にはその労務提供業務に違反するにとどまらず他の従業員の業務遂行をも妨げるおそれがあり、また、就業時間外であつても休憩時間中に行われる場合には他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後における作業能率を低下させるおそれのあることがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いものといわなければならない。したがつて、一般私企業の使用者が、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、合理的な定めとして許されるべきであり、特に、合理的かつ能率的な経営を要請される公社においては、同様の見地から、就業規則において右のような規定を設けることは当然許されることであつて、公社就業規則五条七項の規定も、本質的には、右のような趣旨のもとに定められていると解され、右規定にいう「政治活動」の意義も、一般私企業における就業規則が禁止の対象としている政治活動、すなわち、社会通念上政治的と認められる活動をいうものと解するのが、相当である。
もつとも、公社就業規則の立案関係者の見解によれば政治活動の意義は人事院規則一四―七に規定する政治的目的をもつ政治的行為と解されていたこと及び本件第一審において上告人は右立案者の見解と同様の主張をしていたことは、原審の確定した事実及び本訴の経過に徴して明らかなところである。しかしながら、就業規則の解釈にあたり、制定当時の立案関係者の見解が重要な資料となることは否定することができないとしても、これを絶対視すべきものではなく、また、右のような就業規則の解釈に関する訴訟上の主張を改めることは何ら差し支えのないところであるから(上告人がすでに原審において主張を改めていることは、記録上明らかである。)、右のような事情の存在は、公社就業規則五条七項にいう「政治活動」の意義について前記解釈をとることについて何ら妨げとなるものではない。

二 そこで、右の見地に立つて、被上告人の前記第一の一の(一)のプレート着用行為について検討する。
被上告人が着用した本件プレートに記載された文言は、それ自体、アメリカ合衆国が行つているベトナム戦争に反対し、右戦争の遂行の拠点としての役割を果たす米軍立川基地の拡張の阻止を訴えようとしたものであるが、ベトナム戦争がアメリカ合衆国の政策として行われ、わが国が、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」に基づき、合衆国軍隊に立川基地を提供してその使用にゆだね、これを通じてアメリカ合衆国の前記政策に協力する政治的な立場をとつていた事実に照らせば、本件プレートの文言は、右のようなわが国の政治的な立場に反対するものとして社会通念上政治的な意味をもつものであつたことを否定することができない。前記第一の一の(一)の事実によれば、被上告人は右文言を記載したプレートを着用してこれを職場の同僚に訴えかけたものというべきであるから、それは社会通念上政治的な活動にあたり、しかもそれが目黒局の局所内で行われたものである以上、公社就業規則五条七項に違反することは、明らかである。もつとも、公社就業規則五条七項の規定は、前記のように局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであることにかんがみ、形式的に右規定に違反するようにみえる場合であつても、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときには、右規定の違反になるとはいえないと解するのが、相当である。ところで、公社法三四条二項は「職員は、全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない」旨を規定しているのであるが、これは職員がその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり、右規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解すべきである。本件についてこれをみれば、被上告人の勤務時間中における本件プレート着用行為は、前記のように職場の同僚に対する訴えかけという性質をもち、それ自体、公社職員としての職務の遂行に直接関係のない行動を勤務時間中に行つたものであつて、身体活動の面だけからみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかつたとしても、精神的活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかつたものと解されるから、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱すものであつたといわなければならない。同時にまた、勤務時間中に本件プレートを着用し同僚に訴えかけるという被上告人の行動は、他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よつて他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれのあるものであるから、この面からも局所内の秩序維持に反するものであつたというべきである。
すなわち、被上告人の本件プレート着用行為は、実質的にみても、局所内の秩序を乱すものであり、公社就業規則五条七項に違反し五九条一八号所定の懲戒事由に該当する。

三 したがつて、前記のように公社就業規則に違反する被上告人の本件プレート着用に対しその取りはずしを命じた上司の命令は、適法というべきであり、これに従わなかつた被上告人の前記第一の一の(二)の行為は、公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由である「上長の命令に服さないとき」に該当する。
四 次に、被上告人の前記第一の一の(三)のピラ配布行為は、許可を得ないで局所内で行われたものである以上、形式的にいえば、公社就業規則五条六項に違反するものであることが明らかである。もつとも、右規定は、局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであるから、形式的にこれに違反するようにみえる場合でも、ビラの配布が局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、右規定の違反になるとはいえないと解するのを相当とする。ところで、本件ビラの配布は、休憩時間を利用し、大部分は休憩室、食堂で平穏裡に行われたもので、その配布の態様についてはとりたてて問題にする点はなかつたとしても、上司の適法な命令に抗議する目的でされた行動であり、その内容においても、上司の適法な命令に抗議し、また、局所内の政治活動、プレートの着用等違法な行為をあおり、そそのかすことを含むものであつて、職場の規律に反し局所内の秩序を乱すおそれのあつたものであることは明らかであるから、実質的にみても、公社就業規則五条六項に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由に該当するものといわなければならない。
五 してみると、被上告人の前記第一の一の(一)ないし(三)の各行為をもつて公社就業規則所定の懲戒事由に該当しないとした原審の判断は、公社就業規則五条六項及び七項並びに五九条三号及び一八号、ひいては公社法三三条の解釈、適用を誤つた違法があるというべきであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
六 そこで更に、原審の確定した事実に基づき、被上告人の請求の当否について判断することとする。すなわち、被上告人の前記第一の一の(一)の行為は公社就業規則五条七項に違反して同五九条一八号に、第一の一の(二)の行為は同五九条三号に、また、第一の一の(三)の行為は同五条六項に違反して同五九条一八号に、該当することは、上述のとおりであるところ、
(1) まず、被上告人は、公社就業規則五条六項、七項は憲法一五条一項、一九条、二一条一項に違反して無効である、と主張する。しかしながら、公社とその職員との間の法律関係は原則として一般私企業における使用者と従業員との関係と同様私法上の関係であり、公社就業規則は公社が私企業の使用者と同一の立場に立つて、職員との関係を規律するために定めたものと解すべきであつて、右のような私法上の関係について憲法一五条一項、一九条、二一条一項の適用又は類推適用がないことは、当裁判所昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決(民集二七巻一一号一五三六頁)及びその趣旨に徴し明らかであるから、被上告人の右主張は理由がない。
(2) 次に、被上告人は、本件処分は憲法一九条、二一条一項、一四条に違反し無効である、と主張する。しかし、本件処分は、公権力の行使ではなく、公社が私企業の使用者と同一の立場に立つてした私法行為であると解すべきものであるから、右行為については、憲法一九条、二一条一項、一四条の規定は適用又は類推適用されるものではなく(前掲大法廷判決参照)、したがつて、被上告人の右主張は理由がない。
(3) 更に、被上告人は、本件処分は、上告人が被上告人を共産党員であると認識し、その思想信条を嫌い、そのため行つた差別待遇にほかならないとして、労働基準法(以下「労基法」という。)三条違反を主張する。しかしながら、原審の確定した事実によれば、本件処分は被上告人の前記違法な行為を理由として行われたものであることが明らかであるから、被上告人の右主張は理由がない。
(4) また、被上告人は、本件ビラ配布は正午の休憩時間を利用して行つたものであるのにこれを懲戒処分の対象とすることは、労基法三四条三項に違反する、と主張する。一般に、雇用契約に基づき使用者の指揮命令、監督のもとに労務を提供する従業員は、休憩時間中は、労基法三四条三項により、使用者の指揮命令権の拘束を離れ、この時間を自由に利用することができ、もとよりこの時間をビラ配り等のために利用することも自由であつて、使用者が従業員の休憩時間の自由利用を妨げれば労基法三四条三項違反の問題を生じ、休憩時間の自由利用として許される行為をとらえて懲戒処分をすることも許されないことは、当然である。しかしながら、休憩時間の自由利用といつてもそれは時間を自由に利用することが認められたものにすぎず、その時間の自由な利用が企業施設内において行われる場合には、使用者の企業施設に対する管理権の合理的な行使として是認される範囲内の適法な規制による制約を免れることはできない。また、従業員は労働契約上企業秩序を維持するための規律に従うべき義務があり、休憩中は労務提供とそれに直接附随する職場規律に基づく制約は受けないが、右以外の企業秩序維持の要請に基づく規律による制約は免れない。しかも、公社就業規則五条六項の規定は休憩時間中における行為についても適用されるものと解されるが、局所内において演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を行うことは、休憩時間中であつても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後の作業能率を低下させるおそれがあつて、その内容いかんによつては企業の運営に支障をきたし企業秩序を乱すおそれがあるのであるから、これを局所管理者の許可にかからせることは、前記のような観点に照らし、合理的な制約ということができる。本件ビラの配布は、その態様において直接施設の管理に支障を及ぼすものでなかつたとしても、前記のように、その目的及びビラの内容において上司の適法な命令に対し抗議をするものであり、また、違法な行為をあおり、そそのかすようなものであつた以上、休憩時間中であつても、企業の運営に支障を及ぼし企業秩序を乱すおそれがあり、許可を得ないでその配布をすることは公社就業規則五条六項に反し許されるべきものではないから、これをとらえて懲戒処分の対象としても、労基法三四条三項に違反するものではない。それ故、被上告人の右主張も理由がない。
(5) なお、被上告人は、本件処分は懲戒権の濫用であつて無効であると主張するが、公共企業体においても、懲戒事由に該当する事実があると認められる場合に懲戒権者がいかなる処分を選択すべきかについては裁量が認められ、当該行為との対比において甚しく均衡を失する等社会通念に照らし合理性を欠くものでないかぎり、懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することはできないのである(最高裁昭和四五年(オ)第一一九六号同四九年二月二八日第一小法廷判決・民集二八巻一号六六頁参照)。本件についてこれをみると、懲戒事由にあたる被上告人の前記第一の一の(一)ないし(三)の行為は、プレートの着用あるいはビラ配りだけの単独の行為ではなく、違法なプレート着用行為を行い、その取りはずしを命じた上司の命令に従わず、更に、右取りはずし命令に抗議し違法なプレート着用、政治活動等をあおり、そそのかすようなビラ配りをしたという一連の行動であるところ、これらの行為に対して選択された懲戒処分は最も軽い戒告であつて、これを甚しく均衡を失するものということはできず、また、他に社会通念に照らし合理性を欠く事情も認められないのであるから、本件処分をもつて裁量権の濫用と断ずることはできないものといわなければならない。
結局、本件処分は適法であり、その無効確認を求める被上告人の本訴請求は理由がない。これと異なる第一審判決は取消しを免れず、被上告人の請求は棄却されるべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条を適用し、裁判官環昌一の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+意見
裁判官環昌一の意見は、次のとおりである。
一 公社就業規則(本件当時のもの)は、職員に対する懲戒処分事由についてその五九条各号(一八号により五条各項に定める局所内における秩序風紀の維持に関する八項目が含まれ引用されている。)の規定をおき、合計二七項目にわたり詳細かつ具体的にこれを定めている。そこで、本件懲戒処分に適用された五条七項にいう「選挙運動その他の政治活動」の意義を解明するための一つの方法として、局所内におけるいわゆる「政治活動」が、右五条七項以外の五九条各号の定めを適切に運用することによつては規制することが困難であるか、あるいはそれが可能であつても特に五条七項を設けることが適当とされる、理由ないし根拠を探つてみることが、有意義であると思うので、この見地から右の理由ないし根拠として主張されるところに即して考えてみる。
(1) いわゆる政治活動が、勤務時間中に行われると、その職員については公社法三四条二項に定めるいわゆる職務専念義務に違反し、あるいは違反するおそれがあり、同時に他の職員についてはその職務遂行が妨げられ、あるいは妨げられるおそれがあるから、規制が必要であるとする主張があるが、その点は公社法違反の行為に関する公社就業規則五九条一号の規定や、他の従業員を誘つたりしてその就業を妨げる行為、ないし、これに準ずる局所内における風紀秩序を乱すような行為に関する五条二項、八項による規制で足りるものと思われる。
(2) 顧客等第三者に接する職場における政治活動の場合を特に考慮すべきであるとしてこれを規制の根拠とする主張については、そのような場合は政治活動に限るものではないのみならず、政治活動が常に第三者に接する場所で行われるものとは限らないから、前記五九条七号の「職員としての品位を傷つけ、または信用を失うような非行」、ないし、これに準ずる同条二〇号の「その他著しく不都合な行為」についての規制の範囲内にあるといえよう。
(3) 政治活動が休憩時間内に行われると、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げひいては作業能率を低下させるおそれがあるから規制の必要があるとする主張があるが、これまた前記五条二項所定の行為、ないし、同条八項に定めるこれに準ずる行為として処理しうるものであろう。
(4) 局所内における政治活動は職員間に不必要な対立、抗争を生むおそれがあることを規制の根拠とする主張は、確かに的を射たものといえると思うが、公社職員は一歩局所外にでさえすれば政治活動は自由とされていることにかんがみると、後にのべるように、なお検討の必要があると考える。
(5) 公社職員の政治的中立性保持を規制の根拠と説くものがあるが、昭和二七年公社が設立され、職員には公社法、公労法等が適用されることとなり、それらの関係法令中に当時の国公法一〇二条、人事院規則一四―七のような政治的中立性の保持に関する規定を設けるところがなかつたことで、既に決着がついているのであつて、局所内の活動に限つてみても今特にこの点を考慮すべきものとは思われない。
(6) 局所内は仕事の場であつて政治活動の場ではないことや企業施設を利用する点で使用者の管理権を妨げることを規制の根拠とする見解があるが、そのようなことは政治活動に特有なものとはいえないから、特に規制の必要性を説明する根拠になるものとも考えられない。
(7) なお、いわゆる選挙運動その他の政治活動として通常行われる行為は、公社就業規則五条六項に定める演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為にほぼ尽くされていると考えられるのに、特に政治活動について独立の項を設けた理由が尋ねられなければならないと思う。
二 このようにみてくると、上告人自身、当初第一審判決が認めるように、公社就業規則五条七項にいう「政治活動」の意義は人事院規則一四―七に定める政治的目的をもつ政治的行為と同趣旨である旨主張しながら、後にこの主張を変更して、ここにいう「政治活動」と右人事院規則にいう「政治的行為」とは同義ではなく、それよりも広い、企業の秩序を乱すおそれのある社会通念上政治的色彩を帯びているとみられる行為を指称する、と主張するにいたつた本件訴訟の経過に徴しても、公社就業規則が他の処分該当事由をほとんどもうら的といえるほど詳細に掲げながら、なお政治活動について特別の一項を設けたことの合理的理由、ひいてはそこにいう「政治的活動」の意義如何は、解釈上必ずしも明確であるとはいえないのである。私は、強いていえばこれを次のように考えるほかはないと思う。すなわち、政治に関連してされる人の言動は、党派的ないし集団(同じ政治的見解や利害をもつ者の)的なものになり易いのであり、しかも、他の、例えば信仰、趣味、スポーツ等のグループ的活動とは異つて、人の利害(その中には低俗なものもある。)あるいは生活そのものに関連した形でされる傾向が強く、ついには人間関係における好悪の感情の対立をひき起こすことにさえなりかねず、その結果として局所内における職員の協調を妨げるおそれがあり、特に局所内で行われるとその影響は直接的であると考えられることから、公社の設立によつて、その職員に政治上の行動の自由が認められるにいたつた後も、少なくとも局所内においては、その秩序保持の上でこれを自由に放任することは相当でないとの考慮に基づいて、右五条七項を特に設けたものというべきである。
三 右の見地から被上告人の本件プレート着用行為をみると、それは被上告人単独の行動であり、プレートの文言からは、それが特定の党派や集団を背景としての行動であることや、他の者に特定の集団への加入はもとより同じプレートを着用することさえも呼びかけているものでないことが認められ、文言の内容もこれを見る者の身近な政治的利害に関するものではないことが明らかである。従つて本件プレートの着用行為は、それに広い意味で政治的色彩が全くなかつたものとまではいえないにしても、被上告人が一般の国民の一人としての立場からした信条や主張の表現にとどまるものであつて、選挙運動を例示として掲げる公社就業規則五条七項にいう政治活動に該当するものとは解されない(一般国民の立場に立つと認められる限り新聞の政治批判の論説やいわゆる政治評論家による評論などを通常「政治活動」とはいわないであろう。)。そうすると、残された問題は、被上告人のプレート着用行為が前述したような公社就業規則の他の関連諸条項に定める処分事由に該当するかどうかであるが、プレートに記載された文言の内容が、それ自体少なくとも公序に反するものでなかつたことは明らかである上、本件当時の社会情勢の下では特に人の目を驚かせるような珍奇なあるいは衝撃的なものであつたとはいえず、また、プレートの大きさ、色彩等からそれが特に他人の注意をひき強い印象を与えるようなものであつたとも認められないから、被上告人によつて着用された本件プレートが、職場内で被上告人の周辺にある他の職員の目に触れ一時的に注目されることがあつたとしても、その訴えかけが長くそれら職員の脳裡にとどまつて仕事に対する注意力を散漫にさせるものとは思われないし、同様にそれが被上告人自身の注意力の集中を妨げるものとも考えられない。およそ就業規則は、当該職場における具体的な秩序維持をねらいとするものであり、右のような一時的な注意力の欠如も具体的な仕事の内容によつてはその障害となるような場合(例えば手術とか、精密な計算や工作にかかわる職場などで行われた場合)もあることが想定されるが、本件において被上告人の属する電報電話局の試験課における作業がそのような特別の事情のもとにあるものであつたことをうかがうことはできないから、観念的にのみみて注意力の集中を妨げ、被上告人の職場における作業ひいては職場秩序の保持の妨害となるおそれがあると認めるのは相当でなく、従つて本人の職務専念義務違反ないし他の職員の業務の妨害にあたるということはできない。また、利用者である一般公衆に対する関係については、被上告人の職場が一般公衆との接触のあるところであるとの事実は認定されていないので問題になる余地はないし、更に同規則五条六項の無許可の行為との関連では、本件プレートの着用行為が演説、貼紙、掲示、ビラの配布のように他の職員に積極的に訴えるものではないこと前述のところからも明らかであるから、必ずしもこれらの行為に準ずるものとは断じ難く、他に該当すべき条項も見当らない。そうすると、上告人の職場管理者が、被上告人に対して本件プレートの着用をやめるように言つたことは、単なる作業上の注意としてみれば必ずしも違法なものとまではいえないであろうが、被上告人のこれに従わなかつた事実を目して懲戒処分事由にあたるとまで解することは妥当とは思われない。私は、以上のように考えるから、本件プレート着用行為は原判決認定の事情の下では、公社就業規則の懲戒処分事由のいずれにも該当しないものと思う。
四 次に被上告人の休憩時間内におけるビラの配布について考える。私は、前述した公社就業規則五条六項のいわゆる無許可のビラの配布等に関する定めについては次のようにみるのが相当であると思う。すなわち同項に掲げられている、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為は、その性質上広く職場の管理その秩序保持と無関係なものとは考えられないから、職場の管理ないし職場秩序保持に責任と権限をもつ使用者が、事前にその内容を知る方途として許可制を定めることは一概に不合理なものということはできず、それが局所内で行われるものである限り、休憩時間中にされるものについても同様であると解せられる。そして、右の演説、ビラの配布等の行為が、許可を受ける際申し立てられた趣旨に相異したり、あるいは無許可でなされた場合には、その事実に即して更に他の条項に定める処分事由にも問擬されることになることは当然である。原判決の趣旨によると、本件ビラの配布を事由とする関係では、本件懲戒処分は、結局において被上告人が休憩時間中に局所内において本件ビラ(甲第三号証)を無許可で配布した行為に対し公社就業規則五九条、六〇条を適用してなされたものであることが明らかであるが、右ビラの内容は、前記プレートに記載されたのと同一の事項のほかに、「組合員のみなさん」に訴える趣旨として、『「仕事に見合つた人をふやせ」「いつまでも廊下で着替をさせず営業課の休憩室をつくれ」「住宅手当、家族手当を出せ」「運転手当をよこせ」「独身者は誰でも寮に入れるようにしろ」「既得労働条件を守れ」「試験宿直者を二名にしろ」「夏期手当に差別をつけるな」「任用、配転は民主的にやれ」などの職場の要求をワツペン、ネームプレートにしてみんなの胸につけ公社側のしめつけを粉砕して共に斗いましよう』との文言を含んでいる。これらの文言のある本件ビラの配布行為が、勤務時間内における組合活動をあおる行為にあたるものであることは否定しえないところであり、このような行為が違法なものであることは明らかであるから、無許可でビラの配布を行つたとの点のほか、右のあおり行為が公社就業規則五九条一九号の「故意に業務の正常な運営を妨げ、もしくは妨げることをそそのかし、またはあおつたとき」若しくはこれに準ずる同条二〇号の「その他著しく不都合な行為があつたとき」の定めにあたりその点でも懲戒処分事由を構成するものであることを否定することはできない(そしてこのように判断しても前述のところから弁論主義に反したり、原判決の認定に即しないものとはいえないと考える。)。そして、本件処分が懲戒処分としては最も軽い戒告処分であることを考慮すると、それが社会観念上著しく妥当を欠くものとするに足る特段の事情も認められないから、結局本件処分は適法というほかはなく、本件上告は理由があり原判決は破棄を免れず、被上告人の請求が棄却されるのはまことにやむをえないところであると考える。
(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己 裁判官 服部髙顯 裁判官 環昌一)

(2)賃金支払いをめぐる権利義務

・債務の本旨に従ったものでないときは、使用者はその受領を拒否して賃金の支払いを免れることができる!
+判例(S60.3.7)水道機工事件
理  由
上告代理人儀同保の上告理由について
原審の適法に確定したところによると、(1)被上告人は、昭和四八年二月五日から一四日までの間に、上告人らに対し、文書により個別に、就業すべき日、時間、場所及び業務内容を指定して出張・外勤を命ずる業務命令(以下「本件業務命令」という。)を発したが、上告人らは、いずれも、右指定された時間、被上告人会社に出勤し、その分担に応じ、書類、設計図等の作成、出張・外勤業務に付随する事務、器具の研究、工具等の保守点検等の内勤業務に従事し、本件業務命令に対応する労務を提供しなかった、(2)上告人らの所属する労働組合は、これに先立ち、同年一月三〇日、被上告人に対し、同年二月一日以降外勤・出張拒否闘争及び電話応待拒否闘争に入る旨を通告していたものであり、右闘争は、一定期間労務の提供を全面的に拒否するのではなく、組合員が通常行う業務のうち右の種類の業務についてのみ労務の提供を拒否するというものであって、上告人らが本件業務命令による出張・外勤を拒否して内勤業務に従事したのは、右通告に基づき争議行為としてしたものである、(3)被上告人会社においては、出張・外勤の必要が生じた場合、従業員が自己の担当業務の状況等を考慮し、注文主と打合せの上、あらかじめ日時を内定し、上司の許可ないし命令を得るとか、上司から出張・外勤を命ぜられた場合にも、出張日程等については上司と協議の上これを決定するなど、従業員の意思が相当に尊重されていたが、このような取扱いは、被上告人が業務命令を発する手続を円滑にするため事実上許容されていたにすぎない、というのである。
原審は、右事実関係に基づき、本件業務命令は、組合の争議行為を否定するような性質のものではないし、従来の慣行を無視したものとして信義則に反するというものでもなく、上告人らが、本件業務命令によって指定された時間、その指定された出張・外勤業務に従事せず内勤業務に従事したことは、債務の本旨に従った労務の提供をしたものとはいえず、また、被上告人は、本件業務命令を事前に発したことにより、その指定した時間については出張・外勤以外の労務の受領をあらかじめ拒絶したものと解すべきであるから、上告人らが提供した内勤業務についての労務を受領したものとはいえず、したがって、被上告人は、上告人らに対し右の時間に対応する賃金の支払義務を負うものではないと判断している。原審の右判断は、前記事実関係に照らし正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

+判例(H10.4.9)片山組事件
理由
上告代理人志村新、同上条貞夫、同小部正治、同滝沢香、同坂本修、同井上幸夫の上告理由第一について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、土木建築の設計、施工、請負等を目的とする株式会社で、肩書地に本社を、大阪市、福岡市及び札幌市にそれぞれ支店を置き、その従業員数は約一三〇名である。
2 上告人は、昭和四五年三月、被上告人に雇用され、以来、本社の工事部に配属されて、建築工事現場における現場監督業務に従事してきたものである。
3 上告人は、平成二年夏、ビル建築工事現場において現場監督業務に従事していた際、体調に異変を感じ、病院で受診したところ、バセドウ病(以下「本件疾病」という。)にり患している旨の診断を受け、以後通院して治療を受けたが、被上告人に対して本件疾病ににり患している旨の申出をすることなく、平成三年二月まで右現場監督業務を続けた。
4 上告人は、平成三年二月以降は、次の現場監督業務が生ずるまでの間の臨時的、一時的業務として、被上告人の本社内の工務監理部において図面の作成などの事務作業に従事していたが、同年八月一九日、翌二〇日から東京都府中市南町の都営住宅の工事現場(以下「本件工事現場」という。)において現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を受けた。その際、上告人は、被上告人に対して、本件疾病にり患しているため右業務のうち現場作業に従事することはできない旨の申出をし、二〇日、本件工事現場に赴任した際にも、現場責任者である工事課長に対し、本件疾病のため現場作業に従事することができず、残業は午後五時から六時までの一時間に限り可能であり、日曜及び休日の勤務は不可能である旨の申出をした。その後、上告人を執行委員長とする建築一般全日自労片山組分会(以下「組合」という。)も、被上告人に対する質問状において、上告人の労務につき、<1> 現場作業には従事することができない、<2> 就業時間は午前八時から午後五時まで、残業は午後六時までとする、<3> 日曜、祭日、隔週土曜を休日とする、との三条件を被上告人が認めるか否かの回答を求めた。

5 被上告人は、上告人に診断書の提出を求め、平成三年九月九日、上告人の主治医の作成した診断書が提出されたところ、それには「現在、内服薬にて治療中であり、今後厳重な経過観察を要する。」との記載があった。被上告人は、右の記載では病状が必ずしも判然としないため、上告人に対し、病状を補足して説明する書面の提出を求めたところ、同月二〇日、上告人自ら病状を記載した書面が提出された。これには、「疲労が激しく、心臓動悸、発汗、不眠、下痢等を伴い、抑制剤の副作用による貧血等も症状として発生しています。未だ暫く治療を要すると思われます。」とした上、組合が回答を求めた前記三条件を認めることが不可欠である旨が記載されていた。

6 そこで、被上告人は、上告人が本件工事現場の現場監督業務に従事することは不可能であり、上告人の健康面・安全面でも問題を生ずると判断して、平成三年九月三〇日付の指示書をもって、上告人に対し、翌一〇月一日から当分の間自宅で本件疾病を治療すべき旨の命令(以下「本件自宅治療命令」という。)を発した。
7 上告人は、本件自宅治療命令が発せられた後に、事務作業を行うことはできるとして、平成三年一〇月一二日付の上告人の主治医作成の診断書を提出したが、これには「現在経口剤にて治療中であり、甲状腺機能はほぼ正常に保たれている。中から重労働は控え、デスクワーク程度の労働が適切と考えられる。」と記載されていた。被上告人は、右診断書にも上告人が現場監督業務に従事し得る旨の記載がないことから、本件自宅治療命令を持続した。
8 その後、上告人から被上告人に対して賃金仮払を求める仮処分が申し立てられ、その審尋において、上告人の主治医の意見聴取が行われ、平成四年一月時点では、上告人の症状は仕事に支障がなく、スポーツも正常人と同様に行い得る状態であることなどが明らかになった。そこで、被上告人は、同年二月五日、上告人に対し、本件工事現場で現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を発し、上告人は、同日以降、右命令に従い、本件工事現場における現場監督業務に従事した。 
9 以上のとおり、上告人は、平成三年一〇月一日から平成四年二月五日までの期間(以下「本件不就労期間」という。)中、本件工事現場における現場監督業務のうち現場作業に係る労務の提供は不可能で、事務作業に係る労務の提供のみが可能であったものであり、現実に労務に服することはなかった。そのため、被上告人は、右期間中上告人を欠勤扱いとし、その間の賃金を支給せず、平成三年一二月の冬期一時金を減額支給した。

二 原審は、右事実関係に基づき、次のとおり判断した。
1 労働者が故意又は過失に基づくことなく、また、業務に起因することなくり患した病気(以下「私病」という。)のため労務の全部又は一部の履行が不能となった場合には、雇用契約、労働協約等に特段の定めがない限り、全部が不能のときは、労働者は賃金請求権を取得せず(民法五三六条一項)、一部が不能のときは、一部のみの提供は債務の本旨に従った履行の提供とはいえないから、原則として使用者は労務の受領を拒否し賃金支払義務を免れ得るが、提供不能な労務の部分が提供すべき労務の全部と対比してわずかなものであるか、又は使用者が当該労働者の配置されている部署における他の労働者の担当労務と調整するなどして、当該労働者において提供可能な労務のみに従事させることが容易にできる事情があるなど、信義則に照らし、使用者が当該労務の提供を受領するのが相当であるといえるときには、使用者はその受領をすべきであり、これを拒否したときは、労働者は賃金請求権を喪失しない(民法五三六条二項)。
2 本件疾病は私病であり、私病のため労務の提供ができない場合でも賃金を支払う旨の規定があるとの主張立証はない。そして、上告人は、本件不就労期間中、事務作業に係る労務の提供のみが可能であったところ、本件工事現場においては、現場作業がほとんどであり、事務作業は補足的でわずかなものにすぎず、信義則上事務作業を上告人に集中して担当させる措置を採ることが相当であったとはいえないし、現場勤務を命じられる前の工務監理部での事務作業は、恒常的に存在するものではなく、本件不就労期間中にこれが存在したとは認められないから、これを斟酌することはできない。また、上告人提出の病状説明書や診断書の内容につき疑念を持つべき事情があったとはいえないから、被上告人が改めて医学調査をすべきであったとはいえないし、復職命令までの間に、上告人が債務の本旨に従った労務の提供ができるようになったことを明らかにし、その受領を催告したとの主張立証はない。
3 したがって、信義則上上告人の労務の一部のみの提供を受領するのが相当というべき事情がなく、上告人の債務の履行が不能となったのであるから、上告人は、本件不就労期間中の賃金及び一時金請求権を取得しない。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。そのように解さないと、同一の企業における同様の労働契約を締結した労働者の提供し得る労務の範囲に同様の身体的原因による制約が生じた場合に、その能力、経験、地位等にかかわりなく、現に就業を命じられている業務によって、労務の提供が債務の本旨に従ったものになるか否か、また、その結果、賃金請求権を取得するか否かが左右されることになり、不合理である。
2 前記事実関係によれば、上告人は、被上告人に雇用されて以来二一年以上にわたり建築工事現場における現場監督業務に従事してきたものであるが、労働契約上その職種や業務内容が現場監督業務に限定されていたとは認定されておらず、また、上告人提出の病状説明書の記載に誇張がみられるとしても、本件自宅治療命令を受けた当時、事務作業に係る労務の提供は可能であり、かつ、その提供を申し出ていたというべきである。そうすると、右事実から直ちに上告人が債務の本旨に従った労務の提供をしなかったものと断定することはできず、上告人の能力、経験、地位、被上告人の規模、業種、被上告人における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして上告人が配置される現実的可能性があると認められる業務が他にあったかどうかを検討すべきである。そして、上告人は被上告人において現場監督業務に従事していた労働者が病気、けがなどにより当該業務に従事することができなくなったときに他の部署に配置転換された例があると主張しているが、その点についての認定判断はされていない。そうすると、これらの点について審理判断をしないまま、上告人の労務の提供が債務の本旨に従ったものではないとした原審の前記判断は、上告人と被上告人の労働契約の解釈を誤った違法があるものといわなければならない。
3 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、右の点については、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)

(3)就労請求権

+判例(S33.8.2)読売新聞社事件
理  由
抗告代理人は、「原決定中主文第三項(申請人その余の申請を却下するとある部分)を取り消す。相手方は抗告人が就労することを妨げてはならない。」との裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書記載のとおり主張した。
よつて判断するに、本件記録によると、抗告人は相手方が抗告人に対し昭和三十年九月三十日なした解雇が不当解雇であることを主張して、原裁判所に、右解雇の意思表示の効力を停止し、右解雇の意思表示の翌日以降本案判決確定に至るまで解雇当時の賃金に相当する一ケ月金一万三千三十六円の割合による金員の支払を求めるとともに、相手方は抗告人が就労することを妨げてはならないとの趣旨の仮処分の申請をなし、原裁判所は審理の結果、抗告人の右仮処分申請中、解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める部分については抗告人の主張を理由ありと認めてその旨の仮処分決定をなすとともに、就労の妨害排除を求める部分については、本案請求権の疎明がないことに帰するとして、抗告人の右仮処分申請を却下する旨の決定をしたものであることが明らかである。ところで抗告人の本件抗告理由の要旨は、労働者は使用者に対して就労請求権を有するものであるから、不当解雇であることを認めながら本案請求権の疎明がないとして抗告人の本件就労の妨害排除の仮処分申請部分を却下した原決定は違法であるというに帰する。しかし労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従つて一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。本件においては、抗告人に就労請求権があるものと認めなければならないような特段の事情はこれを肯認するに足るなんの主張も疎明もない。のみならず、裁判所が労働者の就労に対する使用者側の妨害を禁止する仮処分命令を発しうるためには、その被保全権利の存在のほかに、かかる仮処分の必要性が肯定されなければならないわけであるが、本件仮処分においては、冒頭認定のとおり、相手方のなした抗告人に対する解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める限度において抗告人の申請は認容されたものであるから、抗告人は特段の事情のない限り、それ以上進んで就労の妨害禁止まで求め労働者としての全面的な仮の地位までも保全する必要はないものといわなければならない。そして右説示のような特段の事情を認むべき何等の疎明の存しない本件においては、結局仮処分の必要性の点においても、その疎明のないことに帰するのであつて、いずれの点からしても本件仮処分申請中就労の妨害禁止を求める部分は理由なしとして排斥を免れない。従つて、右申請部分を排斥した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用は抗告人に負担させ主文のとおり決定する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 小河八十次)

+判例(名古屋地判45.9.7)レストラン・スイス事件

3.労働契約に付随する権利義務

・安全配慮義務
+(労働者の安全への配慮)
労働契約法第五条  使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。

・職場環境配慮義務
+判例(京都地判H9.4.17)京都セクシャルハラスメント{呉服販売会社}事件

・男女を能力に応じて平等に処遇する義務
+判例(東京地判H12.12.22)芝信用金庫事件
要旨
1.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、上司らの故意又は過失に基づく年功加味的運用についての差別行為は、女子職員に対する不法行為に当たるから、信用金庫は民法715条に基づき損害賠償責任を負うとされた事例。
2.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、慰謝料については昇格すべき時期として認定された日の後である損害金起算日から、弁護士費用については口頭弁論終結時から、いずれも支払済みまで民法所定の年5分の遅延損害金の支払が命じられた事例。
3.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、女子職員らが信用金庫の年功加味的人事運用の差別により、主事の資格に長期間据え置かれ、経済的・身分的に不利益を甘受しなければならなかった精神的苦痛に対する慰謝料として、本来昇格すべき時期、その他諸般の事情を考慮して、それぞれ200万円、150万円、100万円、70万円が認められた事例。
4.女性職員に対し男性職員との間で昇格についての差別的取扱いがあり、これが不法行為に当たるとして、慰謝料等とともに、訴訟の提起及び維持のために要した弁護士費用相当額の損害賠償請求を認容した事例。
5.女性であることを理由に昇格について差別的取扱いを受けた従業員は、使用者に対し、昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有するものであり、将来における差額賃金や退職金額に関する紛争等について抜本的な解決を図るため、昇格後の資格を有することの確認を求める訴えの利益を有する。
6.雇用差別訴訟につき金銭の支払を命じる仮執行宣言付判決に基づいてされた強制執行により得られた利益に対し、控訴審において請求の一部を排斥し、原状回復請求を一部認容した事例。
7.一 信用金庫の女性職員が昇格及び昇進について女性であることを理由に同期同給与年齢の男性と比較して差別を受けたとの主張に対し、昇格試験の制度自体には不公正とすべき事由は見出せないものの、評定者が男性職員に対してのみ人事考課において優遇していたものと推認せざるをえないとして、昇格に関する差別の存在を認めた事例
二 女性職員に対しても男性と同様な優遇措置が講じられれば昇格試験に合格していたと認められる事情があるときには、試験不合格により従前の資格に据え置かれるというその後の行為は労働基準法13条の規定に反して無効になり、労働契約の本質及び労働基準法13条の規定の類推適用によって、当該女性は昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有する
三 1名を除く原告女性職員について二掲記の事情があるので、旧人事制度における副参事、新人事制度における課長職に昇格しているというべきであるとして、同人らが課長職の資格にあることの確認及び賃金・退職金の差額請求を肯定し、更に不法行為による慰謝料等の支払を認めた事例。

・遠隔地配転に際して労働者が被る不利益を軽減するよう配慮する義務
+判例(東京高判H8.5.29)帝国臓器、単身赴任事件

・労働者側の付随義務
誠実義務、秘密保持義務、競業避止義務・・・。

4.労働者の損害賠償責任

危険責任・報償責任の法理

+判例(S51.7.8)茨城石炭商事事件
理由
上告代理人中井川曻一の上告理由について
使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。
原審の適法に確定したところによると、(一)上告人は、石炭、石油、プロパンガス等の輸送及び販売を業とする資本金八〇〇万円の株式会社であつて、従業員約五〇名を擁し、タンクローリー、小型貨物自動車等の業務用車両を二〇台近く保有していたが、経費節減のため、右車両につき対人賠償責任保険にのみ加人し、対物賠償責任保険及び車両保険には加入していなかつた、(二)被上告人美留町Aは、主として小型貨物自動車の運転業務に従事し、タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎず、本件事故当時、同被上告人は、重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して交通の渋滞しはじめた国道上を進行中、車間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により、急停車した先行車に追突したものである、(三)本件事故当時、被上告人Aは月額約四万五〇〇〇円の給与を支給され、その勤務成績は普通以上であつた、というのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人がその直接被つた損害及び被害者に対する損害賠償義務の履行により被つた損害のうち被上告人Aに対して賠償及び求償を請求しうる範囲は、信義則上右損害額の四分の一を限度とすべきであり、したがつてその他の被上告人らについてもこれと同額である旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解を主張して原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

+判例(名古屋地判S62.7.27)
要旨
1.プレナー等の作業に従事する従業員が深夜作業中に居眠りをして工作機械を損壊した場合につき、右事故における従業員の過失は重大であり、右従業員は債務不履行の責任を免れないが、損害賠償額を定めるに当つては雇用関係における信義則および公平の見地から事件に現れた一切の事情を斟酌して具体的にこれをなすべきところ、使用者と右従業員との経済力、賠償の負担能力の格差が大きいこと、使用者が機械保険に加入するなどの損害軽減措置を構じていないことなどに鑑み、損害額の4分の1の賠償をすべきである。

2.一 労働過程上の軽微な過失に基づく事故については、労働関係における公平の原則に照して、使用者は、労働者に対し、損害賠償請求権を行使できないと解するのが相当である。
二 プレナー等の作業に従事する従業員が深夜作業中に居眠りをして工作機械を損壊した場合につき、右事故における従業員の過失は重大であり、右従業員は、債務不履行による責任を免れないとした上、使用者も機械保険に加入する等の損害軽減措置を講じていないことなどを考慮して、右機械損壊による損害額の4分の1の限度で使用者からの右従業員に対する損害賠償請求が認められた事例

3.一 普通解雇の意思表示は就業規則、労働基準法所定の手続に従ってなされるものである限り、使用者において自由になし得るのが原則であるから、これが違法とされるのは、使用者が当該意思表示が無効であることを知りもしくは知りうべきであるのに、害意をもってあえてこれをなしたといった場合に限るのが相当である。
二 本件一次解雇の行われたのは、被用者と使用者の信頼関係が消滅したこと、職場秩序の維持、安全管理体制の保持の見地から解雇することもやむをえないことによるわけであるから、使用者に過失があったとみることは困難である。

4.被用者により解雇が不法行為になるとしてなされた損害賠償請求は肯認されなかつたが、かかる請求は不当な抗争ではないとされた事例(大隈鉄工所高価機械損傷損害賠償請求等訴訟第一審判決)。
5.一 反訴請求が本訴請求と牽連するとは、訴訟物である権利の内容又はその発生原因事実に共通するところがあることをいい反訴請求が本訴の防御方法と牽連するとは、本訴を理由なからしめる事実が、反訴を理由づける事実の全部または一部を構成する関係にあることをいう。
二 被告が作業中に居眠りをしたため、原告所有の工作機械に損傷を与えたことを理由とする損害賠償請求に対し、原告が正当な理由なく裁判所の命令に反して違法に被告を解雇したことを理由として反訴を提起することが、攻撃・防御の方法において強い関連性を有し、反訴の要件に欠けるところがないとした事例。
三 前項記載の損害賠償請求に対し、解雇を無効とした仮処分判決に対する控訴の提起が不当抗争であるとして損害賠償請求の反訴を提起することは、両請求の訴訟物、攻撃防御方法の間に法律上の関連性が認められず、許されないとした事例。
6.深夜作業中の居眠りが原因で工作機械を損壊した労働者に対する使用者の損害賠償請求が、機械保険に加入するなどの損害軽減措置を講じていなかつたことなどが考慮され、損害額の四分の一の限度で認められた事例。
7.工作機械損壊を理由に出勤停止処分を受けた労働者の右処分の取消要求に対し、解雇をもつて応じた使用者に対する損害賠償請求が、右解雇自体は無効であるが、使用者に害意は認められないとして棄却された事例。

+判例(東京地判6.9.7)丸山宝飾事件

+判例(大阪高判H13.4.11)K興業事件

第2節 労働契約内容の決定・変更システム

1.労働契約内容の決定
(1)労働法規と判例法理

(2)労働協約

+(労働協約の効力の発生)
労働組合法第十四条  労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによつてその効力を生ずる。

(基準の効力)
第十六条  労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする。

←規範的効力

(一般的拘束力)
第十七条  一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるものとする。

(地域的の一般的拘束力)
第十八条  一の地域において従業する同種の労働者の大部分が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該労働協約の当事者の双方又は一方の申立てに基づき、労働委員会の決議により、厚生労働大臣又は都道府県知事は、当該地域において従業する他の同種の労働者及びその使用者も当該労働協約(第二項の規定により修正があつたものを含む。)の適用を受けるべきことの決定をすることができる。
2  労働委員会は、前項の決議をする場合において、当該労働協約に不適当な部分があると認めたときは、これを修正することができる。
3  第一項の決定は、公告によつてする。

(3)就業規則

+(作成及び届出の義務)
労働基準法第八十九条  常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
一  始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
二  賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
三  退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
三の二  退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
四  臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
五  労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
六  安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
七  職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
八  災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
九  表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
十  前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

+(法令及び労働協約との関係)
第九十二条  就業規則は、法令又は当該事業場について適用される労働協約に反してはならない。
2  行政官庁は、法令又は労働協約に牴触する就業規則の変更を命ずることができる。

+(法令及び労働協約と就業規則との関係)
労働契約法第十三条  就業規則が法令又は労働協約に反する場合には、当該反する部分については、第七条、第十条及び前条の規定は、当該法令又は労働協約の適用を受ける労働者との間の労働契約については、適用しない

(就業規則違反の労働契約)
第十二条  就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。

第七条  労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

(4)当事者間の合意、労使慣行

+判例(H7.3.9)商大八戸ノ里ドライビングスクール事件
要旨
1.自動車教習指導員の空き時間等について能率給を支払う取扱い、及び出向者に関して親の法要のための休暇を有給の特別休暇とする取扱い等につき、法的効力を有する労使慣行の成立を否定した原判決が維持された事例。

同判例追加で。
①同種の行為が長期間反復継続され
②労使双方が明示にこれを排除せず
かつ③労使双方の規範意識に支えられている場合には、
当該慣行には事実たる慣行(92条)としての法的拘束力が認められる!

2.労働契約内容の変更

・合意の原則

・不利益な場合は慎重に。

+判例(東京高判H20.3.25)東部スポーツ宮の森カントリークラブ事件
使用者が十分な説明をせず、労働者が変更内容を把握することが困難であったとして、合意の成立を否定した。

・合意原則の例外
労働契約法第十条  使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

・労働協約による方法

・変更解約告知による方法


労働法 気になる判例 年次有給休暇と皆勤手当


+判例(H5.6.25)
理由
上告代理人福地絵子、同福地明人の上告理由について
労働基準法一三四条が、使用者は年次有給休暇を取得した労働者に対して賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないと規定していることからすれば、使用者が、従業員の出勤率の低下を防止する等の観点から、年次有給休暇の取得を何らかの経済的不利益と結び付ける措置を採ることは、その経営上の合理性を是認できる場合であつても、できるだけ避けるべきであることはいうまでもないが、右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであつて、労働者の年次有給休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。また、右のような措置は、年次有給休暇を保障した労働基準法三九条の精神に沿わない面を有することは否定できないものではあるが、その効力については、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年次有給休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、年次有給休暇を取得する権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるものでない限り、公序に反して無効となるとすることはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(オ)第六二六号同六〇年七月一六日第三小法廷判決・民集三九巻五号一〇二三頁、最高裁昭和五八年(オ)第一五四二号平成元年一二月一四日第一小法廷判決・民集四三巻一二号一八九五頁参照)。
これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) タクシー会社においては、自動車の実働率を高める必要があることから、乗務員の出勤率が低下するのを防止するため、皆勤手当の制度を採用する企業があり、被上告会社においても、昭和四〇年ころから、乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ交番表(月ごとの勤務予定表)どおり出勤した者に対しては、報奨として皆勤手当を支給することとしていた、(2) 被上告会社は、その従業員で組織する沼津交通労働組合との間で締結された昭和六三年度及び平成元年度の労働協約において、交番表に定められた労働日数及び労働時間を勤務した乗務員に対し、昭和六三年度は一か月三一〇〇円、平成元年度は一か月四一〇〇円の皆勤手当を支給することとするが、年次有給休暇を含む欠勤の場合は、欠勤が一日のときは昭和六三年度は一か月一五五〇円、平成元年度は一か月二〇五〇円を右手当から控除し、欠勤が二日以上のときは右手当を支給しないこととした、(3) 上告人は、昭和五〇年七月一六日、被上告会社に乗務員として入社したが、昭和六三年五月、八月、平成元年二月、四月、一〇月における現実の給与支給月額は、二二万円余ないし二五万円余であり、右皆勤手当の額の右現実の給与支給月額に対する割合は、最大でも一・八五パーセントにすぎなかつた、(4) 上告人は、昭和六二年八月から平成三年二月までの四三か月間に四二日の年次有給休暇を取得し、それ以外の年次有給休暇九日分については上告人の意思に基づきその不行使につき被上告会社が金銭的補償をしている(いわゆる有給休暇の買取り)、というのである。
右の事実関係の下においては、被上告会社は、タクシー業者の経営は運賃収入に依存しているため自動車を効率的に運行させる必要性が大きく、交番表が作成された後に乗務員が年次有給休暇を取得した場合には代替要員の手配が困難となり、自動車の実働率が低下するという事態が生ずることから、このような形で年次有給休暇を取得することを避ける配慮をした乗務員については皆勤手当を支給することとしたものと解されるのであって、右措置は、年次有給休暇の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないと見るのが相当であり、また、乗務員が年次有給休暇を取得したことにより控除される皆勤手当の額が相対的に大きいものではないことなどからして、この措置が乗務員の年次有給休暇の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかつたというべきである。 
以上によれば、被上告会社における年次有給休暇の取得を理由に皆勤手当を控除する措置は、同法三九条及び一三四条の趣旨からして望ましいものではないとしても、労働者の同法上の年次有給休暇取得の権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中島敏次郎 裁判官 藤島昭 裁判官 木崎良平 裁判官 大西勝也)

++解説
《解  説》
一 事案の概要は、次のとおりである。
被告タクシー会社(Y)の労働協約においては、交番表(月ごとの勤務予定表)に定められた労働日数等を勤務した乗務員に対し皆勤手当(年度により月額三一〇〇円ないし四一〇〇円)を支給することとし、ただし、年次有給休暇(以下「年休」という。)等を取得した場合は、この手当を、一回休むと半額支給し、二回休むと支給しない旨が定められていた。XはYの乗務員であったが、昭和六三年五月から平成元年一〇月までの間、合計五か月につき、年休を取得したことを理由に皆勤手当を減額されあるいは支給されなかったが、このような不利益取扱いは、労基法(以下単に「法」という。)三九条、一三四条に違反し無効であるとし、その不支給分の合計一万円余の支払を求めて本訴を提起した。
一審は、法三九条、法(附則)一三四条を根拠に、労働者が年休を取得したことを理由として不利益取扱いをすることは公序に反するとして、請求を認容したが、原審は、Xに対する皆勤手当の不支給が直ちに公序良俗に反して無効であるとすることはできない等として、一審判決を取り消し、原告の請求を棄却していた。

二 法三九条は、労働者に対し年休を取得する権利を認めている。ところで、企業においては、就業規則等で、欠勤等のなかった労働者に対し、報奨的な意味でいわゆる精皆勤手当を支払う制度を設け、右欠勤等に年休の取得を含めて処理されることがあり、これが、年休の取得を抑制する効果を有する可能性があるため、右三九条等に違反しないかが問題になる。
従前の労働省の通達(昭和五三年六月二三日基発第三五五号)は、この問題につき、このような不利益取扱いは直ちに法違反があるとは認め難いが、年休の取得を抑制する効果を持つものであり、法三九条の精神に違反するとし、また、このような不利益取扱いを定める就業規則の規定は、年休取得による賃金の減少の額の程度、年休取得の抑制の程度等のいかんにより、公序良俗に反して民事上無効と解される場合があるとしていた。

三 ところで、昭和六二年法律第九九号による改正によって追加された法(附則)一三四条は、「使用者は、第三九条第一項から第三項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない。」と規定しており、本件では、その趣旨及び効力(特に、右通達との関係)が問題になった。
学説中には、この規定は、従前の通達の内容を確認するにとどまらず、これに積極的な意味を見いだそうとし、(1) この規定自体が私法上の強行規定であるとするもの、(2) この規定が設けられたことにより、法三九条が年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止する効力を有するに至ったとするもの、(3) 従前から存した法三九条の私法的効力が、一三四条によって明示的に確認されたとするもの等がある(例えば、片岡=萬井編・労働時間論(法律文化社)三四六頁、菅野和夫・労働法(第二版補正版、弘文堂)二五二頁、下井隆史・労働基準法(有斐閣法学叢書)二一五頁ほか)。
しかしながら、このような規定が設けられた趣旨について、立法担当者は、年休の取得に伴う不利益取扱いは、法三九条の精神に反するものであるので、これを是正する指導をしてきたが、不十分であったため、法の附則に訓示規定を設けてその趣旨を法上において明確化したものであると説明している(労働省労働基準局編著・全訂改版 労働基準法上(労働法コンメンタール③)五二七頁、安西愈・改正労働時間法の法律実務(第二版)五〇一頁等)。
この説明は、法一三四条の制定の経緯、これが本文ではなく附則に置かれていること、文言が「不利益な取扱いをしてはならない」ではなく「不利益な取扱いをしないようにしなければならない」という回りくどい言い方をしていること等からも十分うなずけるところであり、この規定が設けられたことのみを根拠に、右不利益取扱いが私法上無効となる結果を招来するに至った、と見ることはできないと解すべきであろう。
本判決は、この点につき、「右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであって、労働者の年次休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。」とし、右と同趣旨を述べている。

四 法一三四条が、右のように使用者の努力義務を定めたものにすぎないとすれば、この問題については、同条の効力というよりも、法三九条等法全体の趣旨から本件不利益取扱いの適否を検討すべきであるということになり、結局、次の二つの最判が需要な先例となろう。
(1) 最三小判昭60・7・16民集三九巻五号一〇二三頁、本誌五六八号五二頁(いわゆる「エヌ・ビー・シー生理休暇事件」)
労働者が生理休暇を取得することにより精皆勤手当等の経済的利益を得られない結果となる措置と法六七条との関係が問題になった事案である。
右最判は、このような不利益措置は、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、生理休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせると認められるものでない限り、同条に違反しないとした上、当該事案につき、右措置は、法定の要件を欠く生理休暇及び自己都合欠勤を減少させて出勤率の向上を図ることを目的として設けられたものであり、手当の金額も一か月当たり五〇〇〇円であること等から、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせるとは認められないので、同条に違反しないと判示した。
(2) 最一小判平1・12・14民集四三巻一二号一八九五頁、本誌七二三号八〇頁(いわゆる「日本シェーリング事件」)
前年度の稼働率が八〇パーセント以下の従業員を翌年度のベースアップを含む賃金引上げの対象者から除外する旨の労働協約条項(いわゆる「八〇パーセント条項」)の効力が問題になった事案である。
この判決も、右昭和六〇年の最判と同様の一般論を述べた後、八〇パーセント条項に該当した者につき除外される賃金引上げにはベースアップ分も含まれており、しかも、賃金引上げ対象者から除外された不利益は、いったん生じると後続年度の賃金において残存し、退職金にも影響するので、その経済的不利益は大きなものといえるので、年休取得の権利の行使を抑制し、法が労働者に年休等の権利を保障した趣旨を失わせるもので、公序に反し無効であると判示した。

五 本判決は、Yにおける皆勤手当制度の内容・趣旨・運用の実情等の事実関係を前提にした上で、右手当についてのこの措置が乗務員の年休の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかったとし、右の措置は、結局、労働者の年休取得の権利の行使を抑制し、ひいては法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないとしている。
本件は、このように、従前の最判の判断基準を前提にするものであるが、法上有給とされる年休の取得を理由とする不利益取扱いである点で、エヌ・ビー・シー生理休暇事件とは異なり(法上生理休暇は無給である。)、少額の皆勤手当の不支給を問題にする点で日本シェーリング事件とも異なる、いわば両事件の中間的な事案であり、タクシー会社においてよくみかける処理の適否を示したものであって、参考となろう。


労働法 労働関係の当事者 使用者


1.労働契約の当事者としての「使用者」

・+(定義)
労働契約法
第二条  この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2  この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

(1)法人格否認の法理
・法人格の形骸化
子会社を一事業部門として完全に支配している場合

+判例(東京地判13.7.25)黒川建設事件
調べておく

・法人格の濫用
支配の要件+目的の要件

+判例(大阪高判H15.1.30)大阪空港事件
調べておく

+判例(大阪高判H10.10.26)佐野第一交通事件
2 争点(1)(1審被告第一交通及び1審被告御影第一の雇用契約上の責任の有無:第1事件本訴主位的請求及び第2事件)について
(1) 子会社が解散した場合の親会社の雇用契約上の責任について
ア 法人格否認の法理について
1審原告らは、佐野第一の親会社である1審被告第一交通は、佐野第一の従業員である1審原告組合員らに対し、法人格否認の法理に基づき、雇用契約上の責任を負うと主張する。
この点、子会社とその親会社は、それぞれ別個の法人格を有する社団法人であるから、子会社が解散したとしても、親会社が、解散した子会社の従業員に対して雇用契約上の責任を負うことはないのが原則である。
しかしながら、法形式上は別個の法人格を有する場合であっても、法人格が全くの形骸にすぎない場合又はそれが法律の適用を回避するために濫用される場合には、特定の法律関係につき、その法人格を否認して衡平な解決を図るべきであり(最高裁昭和43年(オ)第877号同44年2月27日第一小法廷判決・民集23巻2号511頁参照)、この法理は、本件のように親子会社における雇用契約の関係についても適用し得るものと解すべきである。

イ 法人格形骸化について
そして、法人とは名ばかりであって子会社が親会社の営業の一部門にすぎないような場合、すなわち、株式の所有関係、役員派遣、営業財産の所有関係、専属的取引関係などを通じて親会社が子会社を支配し、両者間で業務や財産が継続的に混同され、その事業が実質上同一であると評価できる場合には、子会社の法人格は完全に形骸化しているということができ、この場合における子会社の解散は、親会社の一営業部門の閉鎖にすぎないと評価することができる
したがって、子会社の法人格が完全に形骸化している場合、子会社の従業員は、解散を理由として解雇の意思表示を受けたとしても、これによって労働者としての地位を失うことはなく、直接親会社に対して、継続的、包括的な雇用契約上の権利を主張することができると解すべきである。

ウ 法人格濫用について
また、子会社の法人格が完全に形骸化しているとまではいえない場合であっても、親会社が、子会社の法人格を意のままに道具として実質的・現実的に支配し(支配の要件)その支配力を利用することによって、子会社に存する労働組合を壊滅させる等の違法、不当な目的を達するため(目的の要件)、その手段として子会社を解散したなど、法人格が違法に濫用されその濫用の程度が顕著かつ明白であると認められる場合には、子会社の従業員は、直接親会社に対して、雇用契約上の権利を主張することができるというべきである。
もっとも、資本主義経済の下で、憲法22条1項は、職業選択の自由の一環として企業廃止の自由を保障しており、企業の存続を強制することはできない。したがって、たとえ労働組合を壊滅させる等の違法、不当な目的で子会社の解散決議がされたとしても、その決議が会社事業の存続を真に断念した結果なされ、従前行われてきた子会社の事業が真に廃止されてしまう場合(真実解散)には、その解散決議は有効であるといわざるをえず、当該子会社はもはや清算目的でしか存在しないこととなり、子会社の従業員は、親会社に対し、子会社解散後の継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することはできないというべきである(もっとも、本件において、1審被告第一交通が佐野第一の真実解散を企図したことがあったことを認めるに足りる証拠は全く存しない。また、この場合、解散決議等が有効ではあっても不法行為法上は違法であるとして、不法行為による責任を追求することができることは無論である。)。
これに対し、親会社による子会社の実質的・現実的支配がなされている状況の下において、労働組合を壊滅させる等の違法・不当な目的で子会社の解散決議がなされ、かつ、子会社が真実解散されたものではなく偽装解散であると認められる場合、すなわち、子会社の解散決議後、親会社が自ら同一の事業を再開継続したり、親会社の支配する別の子会社によって同一の事業が継続されているような場合には、子会社の従業員は、親会社による法人格の濫用の程度が顕著かつ明白であるとして、親会社に対して、子会社解散後も継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することができるというべきである。
なお、上記の場合においては、不当労働行為における救済命令発令の範囲が問題となっているのではなく、私法関係における労働契約上の権利を有する地位にあることを主張することができるか否かが問題となっているのであるから、法人格否認の法理が適用されなければ、労働契約上の権利を有する地位確認の請求は許容されないことになると解される。

エ 解散決議の効力との関係について
1審被告らは、たとえ労働組合を排除するという不当な目的、動機で会社の解散決議がされたとしても、その内容に法令違反等がない限り解散決議を無効とする余地はなく、また、事業者は事業の開始及び廃止について広汎な自由を有しているから、佐野第一の解散決議は有効である。会社が解散した場合には、従業員の雇用を継続することはできず、従業員を解雇する必要性が認められるから、解雇も原則として有効であり、法人格否認の法理によって1審被告第一交通の責任を論ずる意味はないなどと主張する。
確かに、株主総会の決議の内容自体に、法令又は定款違反の瑕疵がない場合には、当該決議が当然に無効となるものではなく、本件においても佐野第一の解散決議について法令又は定款違反があると認めるに足りる証拠はないから、佐野第一の解散決議は有効であると認められる。
しかしながら、前記ウに説示したとおり、佐野第一の解散が偽装解散であると認められる場合には、それは真実の解散ではないのであるから、解雇は無効となって法人格否認の法理を適用する余地が生じ、解散決議の効力が否定されないからといって、解雇も有効であるとは限らないこととなる。すなわち、解散が偽装のもので事業が実際上は継続される場合には、整理解雇としての要件も満たすことはなく、解雇は事業廃止という実質的理由の欠如したものとして原則として無効となると考えられるのであって、さらに、法人格否認の法理が適用され得る場合には、子会社の従業員は、親会社に対して、子会社解散後も継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することができるということになる。したがって、この点に関する1審被告らの上記主張は採用できない。

(2) 本件における法人格の形骸化の主張について
ア 前記1認定の事実に証拠(〈証拠略〉、原審証人H、原審における1審被告御影第一代表者)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(ア) 1審被告第一交通と子会社との関係
a 1審被告第一交通がタクシー会社を買収する場合、合併して1審被告第一交通の営業所とする場合と、法人格を維持したまま子会社とする場合とがあり、1審被告第一交通は、後者を基本的な方針としていた。
b 1審被告第一交通は、これまで、多数の経営不振に陥ったタクシー会社を買収してきた経験から得た経営方針とノウハウに従い、子会社における給与基準その他の労働条件、資産運用方針等の基本的な部分を、1審被告第一交通において決定していた。
そして、1審被告第一交通の役員や従業員を、買収した子会社の役員ないし管理職として派遣し、1審被告第一交通が決定した上記の基本方針に従い、賃金体系の見直しや従業員の教育等の経営再建策を押し進めてきた。
c 第一交通グループにおいては、各子会社の財産と収支は、親会社である1審被告第一交通の財産や収支と混同されることなく管理されていたが、子会社の経理業務、決算業務、経費や給与の計算及び支払手続などは、1審被告第一交通が、同社のコンピューターを使って統一的に処理しており、各子会社はこれに対する経理事務委託手数料として売上の3パーセントを1審被告第一交通に支払うこととなっていた。
具体的には、1審被告第一交通が、子会社の営業収入が入金される子会社名義の預金通帳や届出印を管理し、子会社からの申告に基づき、子会社の従業員の給与や公共料金などの経費の支払を上記の口座から行っていた。そして、各子会社において資金不足が生じた場合は、被告第一交通が資金援助をしていた。また、決算書類の作成についても、1審被告第一交通において行っていた。
(イ) 1審被告第一交通と佐野第一の関係
a 株式所有
1審被告第一交通は、平成13年3月30日に南海電鉄から佐野第一の全株式を譲り受けて以降、佐野第一の全株式を保有している。
b 役員の派遣
同日、佐野南海の役員はすべて退任し、1審被告第一交通の取締役である丁原らが佐野第一の取締役に就任し、また、1審被告第一交通の従業員であるEらが佐野第一の現場管理職として佐野第一の従業員らの指導等に当たっていた。
c 労務管理
1審被告第一交通では、前記(ア)b記載のとおり、子会社における給与基準その他の労働条件、資産運用方針等の基本的な部分を、1審被告第一交通において決定していたが、佐野第一においても、タクシー乗務員の賃金について新賃金体系を導入すること、中退金や共済制度を廃止することなど、佐野第一の経営再建の基本方針を1審被告第一交通において決定していた。
d 経理業務等
佐野第一においても、佐野第一の財産と収支は、親会社である1審被告第一交通の財産及び収支と混同されることなく管理されていたが、佐野第一の営業収入が入金される預金口座(佐野第一名義)は1審被告第一交通が管理し、従業員の給与の支払、公共料金等の支払、帳簿類の作成や貸借対照表等の計算書類の作成などの事務は、1審被告第一交通において行われていた。そして、資金不足が生じた場合には、1審被告第一交通が資金援助を行っていた。
このように、佐野第一の収入や支出の管理、必要な資金の調達等が1審被告第一交通において行われていたため、EやHなど佐野第一の役員や現場責任者らは、佐野第一の財務状況等を具体的には把握していなかった。
e 資産運用等
佐野第一が所有する不動産には、大阪第一を債権者とする根抵当権や、グループ内の他の子会社を債務者とする根抵当権が設定されており、重要な資産に関する事項も、1審被告第一交通において決定されていた。
イ 以上のとおり、〈1〉 1審被告第一交通は、佐野第一の全株式を保有しており、佐野第一の業務全般を一般的に支配し得る立場にあったこと、〈2〉 佐野第一のタクシー従業員の賃金体系や福利制度等の労働条件について、1審被告第一交通において決定し、これを1審被告第一交通が派遣した役員や管理職によって実現してきたこと、〈3〉 日々の売上は、1審被告第一交通が保管する佐野第一名義の預金通帳によって管理し、給与の支払や公共料金等の日常経理業務、税務関係書類や計算書類の作成等の決算業務も、1審被告第一交通において行われていたため、佐野第一の役員は、佐野第一の財務状況を具体的に把握していなかったこと、〈4〉 重要な資産に関する事項も1審被告第一交通において行われていたことなどの事情に照らせば、1審被告第一交通は、佐野第一を実質的・現実的に支配していたと認めることができる。
ウ しかし、佐野第一は、もともとは南海電鉄グループの会社であり、1審被告第一交通とは全く別個独立の法人であったこと、買収後も、佐野第一の財産と収支は、1審被告第一交通のそれとは区別して管理され、混同されることはなかったことなどの事情に照らすと、佐野第一に対する支配の程度は実質的・現実的なものであったとはいえるものの、未だ佐野第一が1審被告第一交通の一営業部門とみられるような状態に至っていたとまでは認められず、佐野第一の法人格は完全には形骸化していないというべきである。

(3) 本件における法人格の濫用の主張について
ア 支配の要件について
前記(2)認定のとおり、佐野第一の法人格は形骸化しているとまではいえないものの、1審被告第一交通は、佐野第一を実質的・現実的に支配していたものと認められる。
イ 目的の要件について
(ア) 前記争いのない事実等、前記1認定の事実及び弁論の全趣旨によると、佐野第一の解散に至る経緯は、以下のとおりであると認められる。
a 1審被告第一交通は、佐野第一を買収後、主としてタクシー乗務員の賃金体系や福利制度を改めることにより、佐野第一の収支を改善して債務超過状態を解消することとし、1審原告組合に対し、新賃金体系の導入などを内容とする会社再建案を提示したが、1審原告組合はこれに強く反対した。
b そこで、佐野第一は、平成13年5月分の給与から新賃金体系に基づく賃金の支払を一方的に開始し、共済会制度や中退金制度も1審原告組合の同意を得ることなく廃止したが、1審原告組合員らは、岸和田支部に、旧賃金体系に基づいて算出した賃金額と実際の支給額との差額の仮払いを求める仮処分命令を申し立てたり、その本案訴訟を提起するなどしてこれを争った。そして、賃金体系に関する仮処分手続においては、1審原告組合員らの主張が認められ、本案訴訟においては、同年12月13日に佐野第一が同年5月分から同年10月分までの差額の全額を支払う内容で和解が成立した。
c この間、佐野第一は、交友会を発足させ、1審原告組合を脱退して交友会に入会した者に対して、再建協力金として15万円を支給することとした。そして、交友会に入会せず、1審原告組合にとどまった者を対象として長時間に及ぶ出庫前点呼を実施したり、一部の組合員に対して不利益な配置転換命令を行い、さらに1審原告組合の執行委員長と副委員長を解雇するなどした。
しかし、これらについても、1審原告組合員らは、岸和田支部に、仮処分命令や本訴を提起するなどして争った。
d そのため、1審被告第一交通は、1審原告組合が反対している現状では、佐野第一において新賃金体系の導入等を実現することは困難であると判断し、平成14年5月ころ、佐野第一に派遣していた役員を引き揚げて、1審原告組合との間で新賃金体系導入についての合意が成立しない場合には、佐野第一に対する資金援助を中止することとした。そして、1審原告組合の反対を受けずに新賃金体系を導入して泉州交通圏におけるタクシー事業を継続していくことを主たる目的として、また同時に、従前から構想していた第一交通グループの泉州交通圏におけるその後のタクシー事業での増車の実現をも視野に入れながら、泉州交通圏を事業区域とする新会社を設立するか、又は他のグループ会社に事業区域を拡大させる手続を継続していくこととした。
e そこで、1審被告第一交通は、平成14年5月23日に、佐野第一に派遣していた丁原、A及びBらを佐野第一の役員から退任させた上、佐野第一に対する資金援助を原則としてやめ、経営支援を大幅に縮小した。
一方で、1審被告第一交通は、同年6月28日、1審被告御影第一に、近畿陸運局に対して泉州交通圏への事業区域の拡張申請などを行わせ、同年12月19日、1審被告御影第一は近畿陸運局から泉州交通圏に事業区域を拡張することの認可を受けた。
そして、1審被告御影第一は、佐野第一から移籍してきた交友会員であるタクシー乗務員を大量に雇用して、平成15年2月16日から泉州交通圏におけるタクシー事業を開始した。
f 佐野第一は、平成15年3月25日に岸和田支部で新賃金体系の導入を無効とする判決が言い渡されたことを一つの契機として、1審原告組合を排斥して解散することを決意するに至り、1審被告御影第一の事業開始後、営業車両を減車し、同年4月3日に全従業員を解雇した上、同年5月12日に解散決議をした。
佐野第一の解散時、同社に在籍していたのはE、F、Hのほか、1審原告組合員のみであった。
(イ) 以上の事実によれば、1審被告第一交通は、平成14年5月ころ1審原告組合が存在する佐野第一で新賃金体系を導入することは困難であると判断し、1審原告組合の反対を受けずに新賃金体系を導入して泉州交通圏におけるタクシー事業を継続していくことを主たる目的として、また同時に、従前から構想していた第一交通グループの泉州交通圏におけるタクシー事業での増車を実現することも視野に入れながらこれをも一つの目的として、1審被告御影第一を泉州交通圏に進出させて、佐野第一のタクシー事業を引き継がせることとしたものであるが、平成15年3月ころになると、佐野第一に早急に新賃金体系を導入することがほとんど不可能な情勢となったことから、これを確定的に断念するに至ったもので、この段階においてなされた佐野第一の解散は、新賃金体系の導入に反対していた1審原告組合を排斥するという不当な目的を決定的な動機として行われたものであるというべきである。
(ウ)a これに対し、1審被告らは、1審被告御影第一の泉州交通圏への進出は、平成14年2月1日からの改正道路運送車両法施行に伴う規制緩和政策に対応するため、第一交通グループとしても泉州地域への増車が必要であると考えたものであり、佐野第一の解散とは関係がないなどと主張する。
しかしながら、泉州地域の増車は、神戸市域交通圏を事業区域とする1審被告御影第一をわざわざ泉州交通圏へ進出させなくとも、佐野第一で増車をすればよいことであるし、そもそも第一交通グループとして真に増車が必要であったというのであれば、1審被告御影第一泉南営業所の乗務員を募集するに当たっては、佐野第一の乗務員以外から乗務員を募集するのが当然と考えられるにもかかわらず、1審被告御影第一泉南営業所の開業時の乗務員の多くが佐野第一から移籍した乗務員であるなど、1審被告第一交通らが主張する増車政策の実現とは矛盾する結果となっている。
そして、前記1認定のとおり、平成14年5月23日及び翌24日に行われた、交友会員を対象とした説明会において、丁原が、1審被告第一交通は佐野第一から手を引き、第一交通グループとして泉南地区に新しい会社を設立する予定である、交友会員については、現在の賃率や労働条件を維持しつつ、新会社に移行させることを保障する、佐野第一は1審原告組合員らだけが働く会社となるが、早晩廃業となることは避けられない、新会社に1審原告組合員らは入れないなどと述べ、その後、Fら管理職が、1審原告組合員らに対し、新会社には1審原告組合員らは入社させないが、交友会員らは入社できると話して、組合脱退を勧誘していたことに照らしても、1審被告第一交通は、泉州交通圏に新たに設立する会社、すなわち1審被告御影第一に、新賃金体系の導入を受け入れて交友会員となった従業員のみを雇用し、これに反対をしている1審原告組合員らのみが残留する佐野第一はおおむね廃業させる方向で計画していたことは明らかである。
したがって、1審被告御影第一の泉州交通圏への進出は、佐野第一の解散とは関係がないとする1審被告らの主張は採用できない。
b また、1審被告らは、佐野第一の解散理由について、佐野第一は、単体では収支が赤字であり、平成15年3月25日には新賃金体系の導入を認めない判決が言い渡され、1審被告第一交通としては、佐野第一における経営改善が事実上不可能となったと判断せざるを得なくなったため、佐野第一を解散したものであり、1審原告組合を壊滅することが目的ではないなどと主張する。
この点、乙4の1によると、佐野第一が解散する直前である平成14年度(平成14年4月1日から平成15年3月31日)の佐野第一の営業収支は、売上が6億2059万7333円、営業損失が1923万1084円、当期損失が1431万7687円であって、同期末の累積損失は2億0423万9357円と赤字であったと認められ、佐野第一は、平成15年3月31日当時、自社単独での企業存続は不能な状態であったとする公認会計士の報告書もある(〈証拠略〉)。
しかしながら、前記1認定の事実及び証拠(〈証拠略〉)によると、佐野第一は1審被告第一交通が買収する直前の平成12年度(平成12年4月1日から平成13年3月31日)は、売上が7億1685万4081円、営業損失は7947万8689円、当期損失は1億1945万0563円であって、同期末の累積損失は4億2870万2673円に達していたが、その後、新賃金体系に基づく賃金の支払や中退金制度の廃止、共済会制度の廃止を行ったり、南海電鉄から債務の免除を受けるなどした結果、平成13年度(平成13年4月1日から平成14年3月31日)は、売上7億0851万5770円、営業損失4601万3341円、当期利益2億2778万1003円(債務免除益2億9519万5577円を含む。)となり、同期末の累積損失1億8992万1670円と減少し、上記のとおり、平成14年度は赤字を計上したものの、同年度の当期損失は1431万7687円と佐野南海時代と比較して大幅に改善していたことが認められる。
そうすると、適切に経費削減などが実現する限りにおいては、平成15年3月31日時点において、佐野第一を直ちに解散しなければならないほどその経営状況が悪化していたとは認められない。
つまり、1審被告第一交通らは、新賃金体系を導入することができれば佐野第一においても利益を上げることができると考えていたのであり、前記認定の事実経過によれば、1審被告第一交通は、当初から新賃金体系の早急な導入を実現することだけを企図し、これに反対する1審原告組合との多少時間はかかっても誠意を持った話合いによる解決を図るとか、1審原告組合との誠実な交渉を重ね適法な手続を遵守した就業規則の変更により新賃金体系の導入を実現するという本来あるべき道筋を当初から一切無視して、最も違法性の強い佐野第一を解散し1審原告組合員らを全員解雇するという極めて極端な手段を自ら選択したものというべきである。
c さらに、1審被告らは、経営危機に瀕した会社の事業の経営を引き継ぐ方法としては株式譲渡を受ける方法のほかに事業譲渡を受ける方法があり、そこにおいては、事業譲渡主体と従業員との雇用契約関係をそのまま承継せず、事業譲受主体自身が設計した内容の新規の雇用契約を締結することが広く容認されているところ、1審被告第一交通は佐野第一の再建のスポンサーであるから、1審被告第一交通が賃金の変更を企図してこれに応じない1審原告組合員らを使用した佐野第一の経営を断念したことをもって違法ということはできないはずであるし、赤字が出続ける事業を1審被告第一交通が継続しなければならない理由はないなどと主張する。
しかしながら、法治国家である日本において会社や事業を経営する以上、法律に従って適法な手段を選択して実施することが大前提とされていることはいうまでもないことであって、経済的に有利であるからという理由から違法な手段を選択することが許容されていないことは当然である。このことは、経営危機に瀕した会社の事業の経営を引き継ぐ場合でも全く同じであって、法的に許容された範囲内の経営手段を駆使して会社の再建を目指すべきものであって、これを逸脱して違法行為を行えば当該法律に基づく制裁を受けなければならないことは自明のことである。仮に、1審被告らが、適法な手段を選択したのでは1審被告第一交通らが耐え難い損失を被ると主張するのであれば、1審被告第一交通が南海電鉄から債務免除を受けた上で佐野南海の株式を1株1円で買収した際の条件設定が稚拙であったか又は買収するという判断自体の当否が問題となるのであって、自ら買収対象企業の評価を誤ったというだけのことにすぎず、利益が出ないから違法行為を行ってよいということには決してならないのであるから、同1審被告らの上記主張は採用できない。
ウ 小括
以上のとおり、1審被告第一交通は、泉州交通圏におけるタクシー事業を新賃金体系の下で早急に行っていくために、新賃金体系の導入に反対していた原告組合を排斥するという不当な目的を実現することを決定的な動機として、実質的・現実的に支配している佐野第一に対する影響力を利用して佐野第一を解散したものであると認められるから、佐野第一の解散は、1審被告第一交通が佐野第一の法人格を違法に濫用して行ったものであるというのが相当である。

(4) 本件における偽装解散の主張と1審被告第一交通の雇傭契約上の責任について
ア(ア) 前記1認定の事実によると、〈1〉 佐野第一は、泉州交通圏を事業区域とし、南海電鉄の泉佐野駅、樽井駅、尾崎駅、みさき公園駅及び関西空港駅を中心としてタクシー事業を行ってきたが、1審被告御影第一泉南営業所も、同じ泉州交通圏を事業区域とし、泉佐野駅、樽井駅、尾崎駅及びみさき公園駅に乗り入れてタクシー事業を行っていること、〈2〉 1審被告御影第一泉南営業所の開業当初のタクシー乗務員69名中、五十数名が佐野第一からの移籍者であり、無線室の従業員も全員佐野第一からの移籍者であること、〈3〉 1審被告御影第一泉南営業所は、佐野第一が従前から使用していた無線タクシー呼出番号である○○―××××番を引き継いで使用していること、〈4〉 佐野第一は、1審被告御影第一泉南営業所が開業してほどなく、営業車両の減車を始めただけでなく、1審被告御影第一の従業員募集のチラシを掲示するなどして積極的にこれに協力したことなどが認められ、以上によれば、1審被告御影第一泉南営業所は、佐野第一の事業の主要な部分を引き継ぎ、おおむね同一の事業を行っているものと認められる。
(イ)a この点、1審被告らは、1審被告御影第一は、泉南営業所を開設するに当たり、行政当局から事業認可を受け、佐野第一から移籍してきた従業員については、佐野第一を退職して1審被告御影第一で新たに採用する手続が踏まれている、また、1審被告御影第一は、新たに営業所用の土地を購入し、営業車両もすべて新車を購入しているなどとして、佐野第一と1審被告御影第一泉南営業所との間には事業の同一性はないと主張する。
しかしながら、1審被告御影第一と佐野第一は、法形式上は別個の法人として存在しているのであるから、1審被告御影第一が独自に事業認可を受けたり、従業員の移籍に当たり、佐野第一を退職して1審被告御影第一で新たに採用する手続が踏まれるのは当然のことであり、このことのみによって佐野第一と1審被告御影第一泉南営業所との間の事業の同一性が否定されるものではない。
また、タクシー事業は、乗客を目的地まで送り届けることをその主要な業務とするものであるから、地域の地理に精通したタクシー乗務員を確保することがタクシー事業を経営していく上で、非常に重要な要素といえる。加えて、無線タクシー呼出番号が地域の利用者に浸透していることも重要な要素であるといえるが、前記(ア)〈2〉、〈3〉記載のとおり、1審被告御影第一泉南営業所は、タクシー乗務員と無線タクシー呼出番号というタクシー事業を経営していく上で重要とされる要素を佐野第一から引き継いでいるのであるから、営業所用地や営業車両が佐野第一と同一でないとしても、それだけで事業の同一性を否定する理由とはならないというべきである。なお、佐野第一の各営業所の所有権又は利用権は1審被告御影第一に承継されることはなく、1審被告第一交通のグループ会社に承継されたものが多く、佐野第一の営業車両や備品類は最終的には1審被告第一交通のグループ会社に譲渡されたようである(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)。
b また、1審被告らは、1審被告御影第一が佐野第一の売上の20パーセントを占めていたサザン社との取引を引き継いでないとも主張する。
しかしながら、得意先を引き継ぐことができるか否かは、1審被告第一交通ないし1審被告御影第一泉南営業所が独自に決定し得ることではなく、それのみでは事業の同一性を否定することはできない。
(ウ) 以上のとおり、1審被告御影第一泉南営業所と佐野第一は、実質的におおむね同一の事業を営んでいると認めるのが相当である。
イ そして、結果的に、佐野第一とおおむね同一の事業を1審被告御影第一泉南営業所が継続していることに加え、前記(3)イ認定のとおり、1審被告第一交通は、佐野第一から1審原告組合だけを排斥するという目的をもって佐野第一を解散し、その事業を1審被告御影第一泉南営業所に承継させたことからすると、佐野第一の解散は偽装解散であるといわざるをえない。
そうすると、前記(1)ウに判示したように、本件においては、佐野第一の法人格が完全に形骸化しているとまではいえないけれども、親会社である1審被告第一交通による子会社である佐野第一の実質的・現実的支配がなされている状況の下において、1審原告組合を壊滅させる違法・不当な目的で子会社である佐野第一の解散決議がなされ、かつ、佐野第一が真実解散されたものではなく偽装解散であると認められる場合に該当するので、1審原告組合員である1審原告らは、親会社である1審被告第一交通による法人格の濫用の程度が顕著かつ明白であるとして、1審被告第一交通に対して、佐野第一解散後も継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することができるといわなければならない。
なお、1審被告らは、1審被告第一交通は平成16年10月ころ以降はタクシー事業を全く行っていないと主張するが、その主張によっても1審被告第一交通がタクシー事業を行わなくなったのは本件解雇後1年半も経過した後のことであるのみならず、1審被告第一交通はその傘下に1審被告御影第一も含めて全国でタクシー事業を営む完全子会社を多数擁する上場会社であることを考えると、地位確認請求を認容することに格段の理論的・現実的な問題があるとも認められず、1審被告らの上記主張は失当である。
ウ ところで、1審被告らは、第一交通グループでは希望者全員を再雇用する考えであったが、1審原告組合員らは再雇用の申入れを受け入れなかったし、平成15年11月19日付けの就労指示も拒否したのであるから、1審被告御影第一及び1審被告第一交通の従業員であると主張するのは時機に遅れた権利の主張であり、信義則違反であるなどと主張する。
(ア) この点、前記1認定の事実に証拠(〈証拠略〉、原審証人H、原審における1審原告大阪地連代表者、1審原告X14、1審被告御影第一代表者)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
a 佐野第一のEは、平成15年4月3日、1審原告組合員らに対して解雇の意思表示をした際、希望者には就職の斡旋をすると伝えたが、1審原告組合員らの中で就職の斡旋を依頼する者はいなかった。
b 同年10月29日、1審原告組合員らが1審被告第一交通を相手方として、岸和田支部に申し立てた地位保全及び賃金仮払仮処分命令申立事件(岸和田支部平成15年(ヨ)第30号)の異議審(岸和田支部同年(モ)第453号)の審尋期日において、担当裁判官から、暫定的な就労に関する和解の提案がなされた。
c そこで、同年11月6日、1審被告第一交通側と1審原告組合との間で仮就労の問題に関する第1回団体交渉が行われ、仮就労の場所、賃金体系、仮就労の対象者について話合いが行われた。
d その結果を踏まえ、1審被告第一交通側は、佐野第一の泉佐野営業所が置かれていた場所に、1審被告御影第一の泉南第二車庫を設け、同月18日に行われた第2回団体交渉において、その旨の報告を行い、この点は1審原告組合も了承をした。
しかし、1審被告第一交通側は、仮就労の期間中の賃金は新賃金体系に基づいて支給する、仮就労の対象者から1審原告X14、1審原告X21及びサザン社に出向してバス乗務員として働いていた者は除外すると主張し、1審原告組合がこれに反対したため、合意には至らなかった。
e ところが、1審被告第一交通側は、佐野第一の清算人であるH名義の同日付け就労指示書を1審原告X14及び1審原告X21らを除く43名の1審原告組合員らに郵送し、同月20日から泉南第二車庫において仮就労するようにと命じた。
これに対し、1審原告組合は、1審被告第一交通に対して抗議し、1審原告組合員らは仮就労の指示には応じなかった。そして、同年12月12日の第3回団体交渉においても、仮就労に関する話合いはまとまらなかった。
(イ) 以上のとおり、1審被告第一交通側は、同年4月3日に1審原告組合員らに対して解雇の意思表示をした際、再就職の斡旋を申し出たが、1審原告組合員らはこれに応じなかったこと、また、1審被告第一交通側は、同年11月18日付け就労指示書によって、1審原告X14らを除く43名の1審原告組合員らに対し、同月20日から1審被告御影第一の泉南第二車庫において仮就労するようにと命じたが、1審原告組合員らはこれに従わなかった事実が認められる。
しかしながら、就職の斡旋については、平成14年5月24日に行われた交友会員を対象にした説明会において、丁原が、「交友会の人は無条件で採用し、組合は採用しない。」などと発言したこと(〈証拠略〉)、前記1認定のとおり、大阪府を事業区域とする大阪第一、堺第一及び佐野第一の3社は、統一した賃金体系が定められていたことなどの事実によれば、1審被告第一交通が、第一交通グループにおいて再雇用をするのは、1審被告第一交通が提案する新賃金体系を受け入れることが条件になっているものと認められ、前記1認定の1審原告組合と佐野第一との紛争経過に照らすと、1審原告組合員らが直ちにこれを受け入れ、1審被告御影第一を含む第一交通グループに移籍することは極めて困難と考えられるところである。
また、1審原告組合員らに対する平成15年11月18日付け就労指示書は、仮就労に関する団体交渉が行われている最中に出されたものであり、仮就労の前提となる上記賃金体系等だけでなく、仮就労の対象者に1審原告組合の幹部である1審原告X14と同X21、更にサザン社に出向しているバス乗務員が含まれるか否かといったより基本的な点において対立し合意ができていなかったのであるから、これについて1審原告組合員らが仮就労を受け入れないのは、1審被告第一交通側としても当然予想された事態であったと認められる。
以上を総合すると、1審原告組合員らが就労しなかったことが、1審原告組合員らの責めに帰すべき事由であるとは到底認められないのであるから、1審被告らの上記主張は採用できない。

(5) 1審被告御影第一の雇傭契約上の責任について
ア 1審原告らは、本件のような偽装解散の事例においては、親会社である1審被告第一交通との関係とは別途に、事業を継続する別の子会社である1審被告御影第一との関係でも法人格濫用の法理の適用があると主張する。
確かに、一般的には、偽装解散した子会社とおおむね同一の事業を継続する別の子会社との間に高度の実質的同一性が認められるなど、別の子会社との関係でも支配と目的の要件を充足して法人格濫用の法理の適用が認められる等の場合には、子会社の従業員は、事業を継続する別の子会社に対しても、子会社解散後も継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することができる場合があり得ないわけではない。
しかしながら、本件においては、1審被告御影第一との関係で法人格濫用の法理を適用できないことは明らかである。その理由は次のとおりである。
〈1〉 前述したように、全株式を有する子会社である佐野第一に対して、実質的・現実的支配を及ぼしていたのは1審被告御影第一ではなく親会社である1審被告第一交通であって、1審被告御影第一が佐野第一に対して実質的・現実的支配を及ぼしていたことを認めるに足りる証拠はないだけでなく、佐野第一への支配力を利用することによって佐野第一に存する労働組合を壊滅させる等の違法、不当な目的を有していたのも、1審被告御影第一ではなく1審被告第一交通である。〈2〉 法人格否認の法理が法人の背後にある実体を捉えて、正義・衡平の観念から、背後者に対する法的責任の追求を可能にする側面を有することは否定できないところ、法人格を濫用しそれによる利益を図ろうとした直接の当事者である1審被告第一交通が、まず第一にその責任を負担すべきであると考えるのが自然である。〈3〉 両社の法人格の異別性を否認し得るかという側面から、佐野第一と1審被告御影第一の間に高度の実質的同一性が認められるか否かを検討すると、なるほど、佐野第一と1審被告御影第一泉南営業所との間にはおおむね同一の事業が引き継がれたとの評価は可能であるといえるが、佐野第一と1審被告御影第一との間においては、本社所在地、設立時期、設立経緯、営業内容、財産関係などは大きく異なっており、いずれも1審被告第一交通の完全子会社という面があることを加味しても、両社の間に高度の実質的同一性があるとは言い難い(また、佐野第一の事業の物的資源は1審被告御影第一だけでなく、1審被告第一交通グループ会社に引き継がれていった側面も否定しがたい。前記(4)ア(イ)a参照)。〈4〉 親会社である1審被告第一交通に法人格否認の法理が適用される本件において、佐野第一との関係がより希薄な1審被告御影第一にまで法人格濫用の法理を適用する必要性はないし、1審被告御影第一との関係でも法人格を否認しなければ正義・衡平の理念にもとることになるとは考えがたいところである。
したがって、1審被告御影第一に対して、法人格の濫用を理由としては、1審原告組合員である1審原告らは、佐野第一解散後の継続的、包括的な雇用契約上の責任を追及することはできないというべきである。
イ なお、1審被告第一交通が法人格否認の法理により雇用契約上の責任を負担することから、本件においては、同時に1審被告御影第一が雇用契約上の責任を負担することはありえないが、仮に1審被告第一交通が雇用契約上の責任を負担しない場合や選択的に1審被告御影第一に雇用契約上の責任を追及する場合に、1審被告御影第一が法人格の形骸化を理由として、雇用契約上の責任を負担する余地があるか否かも念のため検討しておく。
前記争いのない事実等記載のとおり、1審被告第一交通は、平成11年8月20日の買収以降、1審被告御影第一の全株式を保有しており、同日、1審被告第一交通の取締役である丁原らが1審被告御影第一の取締役として派遣され、前記(2)認定のとおり、第一交通グループにおいては、子会社の経理業務、決算業務、経費や給与の計算及び支払手続などは、1審被告第一交通が、同社のコンピュータを使って統一的に処理していて、1審被告御影第一においても、同様に、1審被告第一交通が処理していたものと認められ、加えて、前記1認定のとおり、1審被告御影第一泉南営業所の事務所建築費用を1審被告第一交通が負担していること等の事実を総合すると、1審被告第一交通は、佐野第一と同様、1審被告御影第一についても実質的・現実的に支配していたものと認められる。しかしながら、1審被告御影第一は、1審被告第一交通が買収する以前から1審被告第一交通とは別個独立の法人としてタクシー事業を営んでいたこと、1審被告御影第一の財産と収支は、1審被告第一交通の財産や収支と混同されることなく管理されていたことなどの事実に照らすと、1審被告御影第一の法人格が、形骸化しているとまでは認められない。したがって、1審被告御影第一の法人格が形骸化していれば、かえってその親会社である1審被告第一交通が雇用契約上の責任を負担することになるか否かはさて置くとして、1審原告組合員である1審原告らは、法人格の形骸化を理由として、1審被告御影第一に対して雇用契約上の責任を追及することはできないといわざるを得ない。
(6) 小括
よって、法人格否認の法理の適用により、1審原告組合員である1審原告らは、1審被告第一交通に対しては雇用契約上の責任を追及することはできるが、1審被告御影第一に対して雇用契約上の責任を追及することはできない。

(2)黙示の労働契約の成立
社外労働者と受け入れ企業との間で黙示の意思の合致により労働契約が成立しているというためには、事実上の指揮命令関係が存在することのほかに、受入企業が当該労働者の労務提供の対価として賃金を支払っていると評価できることが必要

+判例(東京高判H5.12.22)大映映像事件
調べておく

+判例(大阪高判H10.2.18)安田病院事件

+判例(H10.9.8)安田病院事件
調べておく

・労働者派遣法に違反する派遣が行われたことから直ちに派遣元企業と労働者の間の契約が無効になることはない。
ただし、これを受けて法改正あり!
派遣先が労働者に対して労働契約の申込をしたとみなす規定が導入される。

+判例(H21.12.18)パスコ事件
理由
上告代理人塚本宏明ほかの上告受理申立て理由第1点ないし第4点について
1 本件は、プラズマディスプレイパネル(以下「PDP」という。)の製造を業とする株式会社である上告人の工場で平成16年1月からPDP製造の封着工程に従事し、遅くとも同17年8月以降は上告人に直接雇用されて同月から同18年1月末まで不良PDPのリペア作業(端子に付着した異物を除去して不良PDPを再生利用可能にする作業)に従事していた被上告人が、上告人による被上告人の解雇及びリペア作業への配置転換命令は無効であると主張して、上告人に対し、雇用契約上の権利を有することの確認、賃金の支払、リペア作業に就労する義務のないことの確認、不法行為に基づく損害賠償を請求している事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、A(本件当時の商号はB)ほか1社の出資による会社であり、平成16年1月当時、その製造ラインでは、上記2社から出向してきた上告人の従業員と、上告人から業務委託を受けたC(以下「C」という。)等に雇用されていた者とが作業に従事していた。
Cは、家庭用電気機械器具の製造業務の請負等を目的としており、同社が同14年4月1日以降に上告人との間で締結していた業務委託基本契約によれば、上告人が生産1台につき定められた業務委託料をCに支払い、Cが上告人から設備、事務所等を賃借して、自社の従業員を作業に従事させるものとされていた。なお、上告人とCとの間に資本関係や人的関係があるとか、Cの取引先が上告人に限られているとか、Cによる被上告人の採用面接に上告人の従業員が立ち会ったなどの事情は認められない。
(2) 被上告人は、平成16年1月20日、Cとの間で、契約期間を2か月(更新あり)、賃金を時給1350円、就業場所を上告人茨木工場(以下「本件工場」という。)などとする雇用契約を締結した。被上告人は、同日から、本件工場において、上告人の従業員の指示を受けて、PDPの製造業務のうちデバイス部門の封着工程に従事することになった。被上告人とCとの間の契約は、2か月ごとに更新され、被上告人は、同17年7月20日までCから給与等を支給された。
本件工場にはCの正社員も常駐していたが、封着工程においては、班長と呼ばれる工程管理者とこれを補佐する現場リーダーとはいずれも上告人の従業員であって、クリーンルームから送られてきたPDPの内部に放電ガスを封じ込め、これを次の排気工程へと送る作業を、上告人及びCほか1社の各従業員が混在して共同で行っていた。被上告人は、封着工程での作業について上告人の従業員から直接指示を受け、Cの正社員による指示は受けていなかった。
被上告人は、休日出勤について、Cの正社員から指示を受けることもあったが、上告人の従業員から直接指示を受けることもあった。また、被上告人らの休憩時間は上告人の従業員が指示した。
(3) 被上告人は、平成17年4月27日、その就業状態が労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下「労働者派遣法」という。)等に違反しているとして、上告人に対し直接雇用を申し入れたが、回答が得られず、同年5月11日、D(以下「本件組合」という。)に加入した。本件組合は、同月19日付け及び同月20日付け各書面により、被上告人が上告人を派遣先とする派遣労働者として1年を超えて製造ラインの業務に従事しており、上告人に労働者派遣法40条の4に基づく直接雇用の申込み義務が発生していると主張し、上告人に対し、被上告人への直接雇用申込みを行うよう団体交渉を申し入れた。上告人は、当初、被上告人との間には雇用関係がないので団体交渉には応じないという姿勢であったが、同月24日、協議自体には応じることとし、その旨回答した。
(4) 被上告人は、平成17年5月26日、大阪労働局に対し、本件工場における勤務実態は業務請負ではなく労働者派遣であり、職業安定法44条、労働者派遣法に違反する行為である旨申告した。上告人は、同年6月1日、同局による調査を受け、同年7月4日、同局から、Cとの業務委託契約は労働者派遣契約に該当し、労働者派遣法24条の2、26条違反の事実があると認定され、上記契約を解消して労働者派遣契約に切り替えるようにとの是正指導を受けた。このため、上告人は、封着工程を含むデバイス部門における請負契約を労働者派遣契約に切り替えることを柱とする改善計画を策定した。これに伴い、Cが同月20日限りでデバイス部門から撤退する一方、上告人は、他社との間で労働者派遣契約を締結し、同月21日から派遣労働者を受け入れ、PDPの製造業務を続けることになった。
被上告人は、Cの正社員から本件工場の別の部門に移るよう打診されたが、上告人の直接雇用下でデバイス部門の作業を続けたいと考え、同月20日限りでCを退職した。
(5) 被上告人及び本件組合と上告人との間の協議は平成17年6月7日に開始された。本件組合は、上告人が被上告人を直接雇用することを申し入れた。上告人は、同年8月2日、被上告人との雇用契約の条件として、契約期間を同月から同18年1月31日まで(契約更新はしない。ただし、同年3月31日を限度としての更新はあり得る。)、業務内容を「PDPパネル製造-リペア作業及び準備作業などの諸業務」と記載した労働条件通知書を被上告人側に交付した。上告人が雇用期間を限定した理由は、上告人が専属の従業員を直接雇用する体制になっておらず、遅くとも同年3月末までには生産体制を適法な請負による作業に切り替えることができると認識していたからであり、本件組合も上告人の上記認識は承知していた。また、賃金は上記通知書では空欄であったが、上告人側が口頭で時給1400円を提示したところ、本件組合から、有期雇用としては安いので例えば1600円にならないかとの趣旨の発言があった。
被上告人と本件組合とは、被上告人がCとの契約関係を解消して収入のない状況であり、従前の交渉の経緯からもこのままでは上告人との雇用契約の締結が困難であると考えた。そこで、被上告人は、上告人に対し、代理人弁護士作成の内容証明郵便において、契約期間及び業務内容について異議をとどめて、当面は、上記通知書記載の業務に就業する旨の通知をした上で、上告人が準備した上記通知書と同旨の雇用契約書(ただし、賃金は時給1600円、雇用期間の始期は同17年8月22日とされていた。以下「本件契約書」という。)に署名押印し、同月19日、これを上告人に交付した。
(6) 被上告人は、平成17年8月22日、上告人に直接雇用された従業員として本件工場に出社し、同月23日から、本件工場内において、不良PDPのリペア作業を一人で担当した。上告人は、同14年3月ころ以降、リペア作業を実施することはなくなっており、不良PDPは廃棄されていた。リペア作業では、ガラスの表面や電極端子間をしゃもじ等で擦る作業を行う過程で静電気が発生し、集じんしやすいため、被上告人の作業場は帯電防止用シートで囲まれていた。
(7) 本件組合は、平成17年8月25日以降、書面により、上告人と被上告人との間の雇用契約を期間の定めのないものとし、被上告人の作業を従前従事していたデバイス部門の封着工程のものとすることを求めて団体交渉を申し入れていたが、上告人は、同年12月28日、同18年1月31日をもって上記雇用契約が終了する旨を通告し、その翌日以降、被上告人の就業を拒否している。なお、上告人は、同年2月以降、残っていたリペア作業について他の従業員に交代で5日間担当させてこれを終え、その後は上記作業を行っていない。
3 原審は、上記事実関係等の下において、次のとおり判断して、被上告人の上告人に対する雇用契約上の権利を有することの確認請求、賃金支払請求、リペア作業に就労する義務のないことの確認請求をいずれも認容し、損害賠償請求を一部認容した。
(1) 上告人とCとの間の契約は、Cが被上告人を上告人の指揮命令を受けて上告人のために労働に従事させる労働者供給契約であり、被上告人とCとの間の契約は、上記目的達成のための契約と認められる。しかるところ、上告人は、これらが派遣型請負又は労働者派遣として適法であることを何ら具体的に主張立証しない。また、上記各契約がされた平成16年1月時点では、特定製造業務(物の製造の業務であって厚生労働省令で定めるもの)への労働者派遣及び受入れは一律に禁止されていた。したがって、上記各契約は、脱法的な労働者供給契約として職業安定法44条等に違反し、公の秩序に反するものとしてその締結当初から無効である。
(2) 上告人がその従業員を通じて被上告人に直接指示してその労務の提供を受けていたこと等からすれば、上告人と被上告人との間には当初から事実上の使用従属関係があったものと認められ、また、被上告人がCから給与等の名目で受領する金員は、上告人がCに業務委託料として支払った金員からCの利益等を控除した額を基礎とするものであるから、被上告人が受領する金員の額を実質的に決定していたのは上告人であったといえる。そして、上記各契約が無効であるにもかかわらず継続した上告人と被上告人との間の上記実体関係を法的に根拠付け得るのは両者間の黙示の雇用契約のほかにはなく、その内容は、被上告人とCとの間の契約における労働条件と同様と認められる。また、被上告人は、上告人の従業員によりPDP製造の封着工程に従事するよう指示されてこれに応じているから、上記工程が被上告人の従事する業務として合意されたものと解すべきである。
そして、平成17年8月22日作成された本件契約書においては、上記黙示の雇用契約におけるのとは異なる労働条件が記載されているが、そのうち契約期間及び業務内容については異議がとどめられたのであるから、本件契約書どおりの期間の定め、更新方法及び業務内容の合意が成立したとはいえず、他方、期間の定めのないこととする合意や業務内容をPDP製造の封着工程に限る旨の合意があったとも認められない。
したがって、上記各部分については本件契約書作成前の黙示の雇用契約の内容が引き継がれるから、上告人が被上告人にリペア作業への従事を命じたことは配置転換命令に当たる。そして、同命令は、後記(4)のとおりの事情があるから違法無効である。
(3) 上告人と被上告人との間の雇用契約は、平成17年8月22日の本件契約書による合意以降も2か月ごとに更新されたから、上告人が同年12月28日に同18年1月31日の満了をもって被上告人との雇用契約が終了する旨通告したことは、解雇の意思表示に当たる。そして、封着工程の業務が終了したなどの事情は見当たらないから、上告人の被上告人に対する上記意思表示は、解雇権の濫用として無効であり、仮に雇止めの意思表示としても、更新拒絶権の濫用として同様に無効である。したがって、被上告人は、上告人に対し、雇用契約上の権利を有する地位にある。
(4) リペア作業は、上告人にとってその経営上の必要性には疑問があり、むしろ被上告人に従事させるためにあえて設定されたものと推認される上、封着工程での作業に比べ長時間にわたって孤独な作業を強い、相応の肉体的、精神的負担を与えることなどからみて、被上告人が大阪労働局に偽装請負の事実を申告したことに対する報復等の不当な動機によって命じられたものと推認される。したがって、上告人が被上告人に対してした解雇又は雇止めの意思表示に加えて、上告人が被上告人にリペア作業への従事を命じたことも不法行為を構成する。

4 しかしながら、原審の上記3(4)の判断は結論において是認することができるが、同(1)ないし(3)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 請負契約においては、請負人は注文者に対して仕事完成義務を負うが、請負人に雇用されている労働者に対する具体的な作業の指揮命令は専ら請負人にゆだねられている。よって、請負人による労働者に対する指揮命令がなく、注文者がその場屋内において労働者に直接具体的な指揮命令をして作業を行わせているような場合には、たとい請負人と注文者との間において請負契約という法形式が採られていたとしても、これを請負契約と評価することはできない。そして、上記の場合において、注文者と労働者との間に雇用契約が締結されていないのであれば、上記3者間の関係は、労働者派遣法2条1号にいう労働者派遣に該当すると解すべきである。そして、このような労働者派遣も、それが労働者派遣である以上は、職業安定法4条6項にいう労働者供給に該当する余地はないものというべきである。
しかるところ、前記事実関係等によれば、被上告人は、平成16年1月20日から同17年7月20日までの間、Cと雇用契約を締結し、これを前提としてCから本件工場に派遣され、上告人の従業員から具体的な指揮命令を受けて封着工程における作業に従事していたというのであるから、Cによって上告人に派遣されていた派遣労働者の地位にあったということができる。そして、上告人は、上記派遣が労働者派遣として適法であることを何ら具体的に主張立証しないというのであるから、これは労働者派遣法の規定に違反していたといわざるを得ない。しかしながら、労働者派遣法の趣旨及びその取締法規としての性質、さらには派遣労働者を保護する必要性等にかんがみれば、仮に労働者派遣法に違反する労働者派遣が行われた場合においても、特段の事情のない限り、そのことだけによっては派遣労働者と派遣元との間の雇用契約が無効になることはないと解すべきである。そして、被上告人とCとの間の雇用契約を無効と解すべき特段の事情はうかがわれないから、上記の間、両者間の雇用契約は有効に存在していたものと解すべきである。
(2) 次に、上告人と被上告人との法律関係についてみると、前記事実関係等によれば、上告人はCによる被上告人の採用に関与していたとは認められないというのであり、被上告人がCから支給を受けていた給与等の額を上告人が事実上決定していたといえるような事情もうかがわれず、かえって、Cは、被上告人に本件工場のデバイス部門から他の部門に移るよう打診するなど、配置を含む被上告人の具体的な就業態様を一定の限度で決定し得る地位にあったものと認められるのであって、前記事実関係等に現れたその他の事情を総合しても、平成17年7月20日までの間に上告人と被上告人との間において雇用契約関係が黙示的に成立していたものと評価することはできない
したがって、上告人と被上告人との間の雇用契約は、本件契約書が取り交わされた同年8月19日以降に成立したものと認めるほかはない。
(3) 前記事実関係等によれば、上記雇用契約の契約期間は原則として平成18年1月31日をもって満了するとの合意が成立していたものと認められる。
しかるところ、期間の定めのある雇用契約があたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で存在している場合、又は、労働者においてその期間満了後も雇用関係が継続されるものと期待することに合理性が認められる場合には、当該雇用契約の雇止めは、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当であると認められないときには許されない(最高裁昭和45年(オ)第1175号同49年7月22日第一小法廷判決・民集28巻5号927頁、最高裁昭和56年(オ)第225号同61年12月4日第一小法廷判決・裁判集民事149号209頁参照)。
しかしながら、前記事実関係等によれば、上告人と被上告人との間の雇用契約は一度も更新されていない上、上記契約の更新を拒絶する旨の上告人の意図はその締結前から被上告人及び本件組合に対しても客観的に明らかにされていたということができる。そうすると、上記契約はあたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で存在していたとはいえないことはもとより、被上告人においてその期間満了後も雇用関係が継続されるものと期待することに合理性が認められる場合にも当たらないものというべきである。
したがって、上告人による雇止めが許されないと解することはできず、上告人と被上告人との間の雇用契約は、平成18年1月31日をもって終了したものといわざるを得ない。
(4) もっとも、前記事実関係等によれば、上告人は平成14年3月以降は行っていなかったリペア作業をあえて被上告人のみに行わせたものであり、このことからすれば、大阪労働局への申告に対する報復等の動機によって被上告人にこれを命じたものと推認するのが相当であるとした原審の判断は正当として是認することができる。これに加えて、前記事実関係等に照らすと、被上告人の雇止めに至る上告人の行為も、上記申告以降の事態の推移を全体としてみれば上記申告に起因する不利益な取扱いと評価せざるを得ないから、上記行為が被上告人に対する不法行為に当たるとした原審の判断も、結論において是認することができる。

5 以上によれば、上告人と被上告人との間に平成17年8月22日以前からPDP製造の封着工程への従事を内容とする黙示の雇用契約が成立していたものとし、上告人による被上告人に対するリペア作業への従事を命ずる業務命令及び解雇又は雇止めをいずれも無効であるとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、原判決のうち損害賠償請求を除く被上告人の各請求を認容すべきものとした部分は破棄を免れない。この点をいう論旨は理由がある。そして、第1審判決のうち雇用契約上の権利を有することの確認請求及び賃金支払請求を棄却し、リペア作業に就業する義務のないことの確認を求める訴えを却下した部分は正当であるから、同部分につき被上告人の控訴を棄却することとする。
これに対し、上告人に対する損害賠償請求を一部認容すべきものとした原審の判断は是認することができ、この点に関する論旨は理由がないから、原判決のうち損害賠償請求を一部認容すべきものとした部分に関する上告人の上告は棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官今井功の補足意見がある。

+補足意見
裁判官今井功の補足意見は、次のとおりである。
私は、法廷意見に賛同するものであるが、被上告人をリペア作業に従事させたこと及び平成18年1月31日限りで雇止めしたことについて不法行為が成立する理由について補足して意見を述べておきたい。
被上告人は、Cと雇用契約を結び、Cと上告人との業務委託契約に基づき、Cから上告人に派遣されていたところ、被上告人及び本件組合が、被上告人の直接雇用を上告人に求めるとともに、大阪労働局へ労働者派遣法違反の事実があると申告したことから本件紛争が始まった。大阪労働局は、上告人に対し、Cとの業務委託契約は、労働者派遣に該当し、労働者派遣法に違反するから、業務委託契約を解消し、適法な労働者派遣契約に切り替えるよう是正指導した。これを受けて、上告人は、被上告人の従事していたデバイス部門の契約を他社との間の労働者派遣契約に改めることとしたが、被上告人は他社や他部門への移籍を拒否し、直接雇用を求めた。そこで、上告人は、被上告人と本件契約書記載の内容の雇用契約を締結した。被上告人と上告人との間の直接の雇用契約が締結されるに至った経過の概要について、原審の認定するところは以上のとおりである。
本件契約書による上告人と被上告人との間の雇用契約は、白紙の状態で締結されたものではなく、上記のような事実関係の中で締結されたことを考慮すべきである。そうすると、この雇用契約は、大阪労働局の上記の是正指導を実現するための措置として行われたものと解するのが相当である。そして、原審の認定するところによれば、リペア作業は、平成14年3月以降は行われていなかった作業であり、ほとんど必要のない作業であるということができるのであって、被上告人が退職した後は、事実上は行われていない作業であった上、被上告人は、他の従業員から隔離された状態でリペア作業に従事させられていたというのである。被上告人が上告人に直接雇用の要求をし、また、大阪労働局に偽装請負であるとの申告をしてから、本件契約書を作成するに至る事実関係からすると、上告人は、被上告人が、大阪労働局に偽装請負であるとの申告をしたことに対する報復として、被上告人を直接雇用することを認める代わりに、業務上必要のないリペア作業を他の従業員とは隔離した状態で行わせる旨の雇用契約を締結したと見るのが相当である。このことは、労働者派遣法49条の3の趣旨に反する不利益取扱いであるといわざるを得ない。被上告人は、本件組合や弁護士と相談の上、その自由意思に基づき本件契約書に署名したとはいうものの、Cとの契約を解消して収入のない状態であり、上告人においても被上告人が収入がなく困窮していた事実を知っていたと認められるのであり、これらの事情を総合すると、上告人が被上告人をリペア作業に従事させたことは、大阪労働局への申告に対する不利益取扱いとして、不法行為を構成するということができる。平成18年1月31日の雇止めについても、これに至る事実関係を全体として見れば、やはり上記申告に対する不利益取扱いといわざるを得ない。
(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫)

++解説
1 本件は,プラズマディスプレイパネル(PDP)の製造を業とするY社の工場で平成16年1月から封着工程に従事し,遅くとも平成17年8月からはY社に直接雇用されてリペア作業(端子に付着した異物を除去して不良PDPを再生利用可能にする作業)に従事していたXが,Y社から雇用契約が終了したものと扱われたため,①上記雇用契約は期間の定めのないものであるとの理解を前提に,Y社による解雇は無効である,②リペア作業を命じられたことが配転命令に当たるとの理解を前提に,上記配転命令は無効である,と各主張して,Y社に対し,雇用契約上の権利を有することの確認,賃金の支払,リペア作業への就労義務がないことの確認及び不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。

2 本件の事実関係の概要は,次のとおりである。
Y社の製造ラインでは,本件当時,Y社の正規従業員と,Y社から業務委託を受けたP社等に雇用されていた者とが共同で作業に従事していた。P社とY社との間の業務委託基本契約によれば,Y社は生産1台につき定められた業務委託料をP社に支払い,P社がその従業員を作業に従事させるなどとされていた。なお,Y社とP社との間に資本関係や人的関係があるとか,P社の取引先がY社に限られているとか,P社によるXの採用面接にY社の従業員が立ち会ったなどの事情は認められない。
Xは,平成16年1月,P社との間で,契約期間を2か月・更新有りなどとする雇用契約を締結した。Xは,封着工程に従事し,平成17年7月20日までP社から給与等を支給された。Xは,作業についてY社の従業員から直接指示を受け,P社の正社員による指示は受けていなかった。
しかるところ,平成17年5月,Xの加入した地域労働組合は,XがY社を派遣先とする派遣労働者として1年を超えて製造ラインの業務に従事しており,Y社に労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下「労働者派遣法」という。)40条の4に基づく直接雇用の申込み義務が発生していると主張した。さらに,Xが,大阪労働局に対し,本件工場における勤務実態は偽装請負であり,職業安定法44条等に違反する旨申告したところ,同局は,Y社に対する調査を行い,同年7月,P社との業務委託契約は労働者派遣契約に該当し,労働者派遣法24条の2,26条に違反すると認定して,上記契約を解消して労働者派遣契約に切り替えるようにとの是正指導を行った。
Xは,P社から別の部門に移るよう打診されたが,Y社の直接雇用下で従来の作業を続けたいと考え,平成17年7月20日限りでP社を退職した。X側は,Y社に対しXを直接雇用するよう求めたところ,Y社は,同年8月2日,Xとの雇用契約の条件として,契約期間を同月から平成18年1月31日まで(原則として契約更新なし),業務内容を「PDPパネル製造―リペア作業及び準備作業などの諸業務」と記載した労働条件通知書をX側に交付した。X側は,XがP社との契約関係を解消して収入のない状況であり,従前の交渉の経緯からもこのままではYとの雇用契約の締結が困難であると考え,Y社に対し内容証明郵便で契約期間及び業務内容について異議をとどめた上で,Y社が準備した雇用契約書に署名押印し,平成17年8月22日から業務に従事したが,その内容は専ら個室で行うリペア作業であった。しかも,Y社は,同年12月28日,平成18年1月31日をもって上記雇用契約が終了する旨を通告し,その翌日以降,Xの就業を拒否した。

3 ところで,請負とは,当事者の一方(請負人)がある仕事を完成することを約し,相手方(発注者)がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約する契約であって(民法632条),請負人は仕事完成義務を負うが,発注者は請負人に対して注文を行うことはできても,具体的な作業の指揮命令は請負人にゆだねるべきこととなる。他方,労働者派遣法は,「労働者派遣」とは,自己の雇用する労働者を当該雇用関係の下に,かつ,他人の指揮命令を受けて当該他人のために労働に従事させることをいい,当該他人に対し当該労働者を当該他人に雇用させることを約してするものを含まない(2条1項)としている。そこで,派遣先がその雇用下にない他社の労働者に直接具体的な指揮命令を行っているという点で実質的には労働者派遣に該当するにもかかわらず,労働者派遣法の種々の規制(派遣期間制限等)を事実上脱法するために形式的に請負の形式が採られているという偽装請負の場合に,その違法性を捉えて何らかの法的構成により派遣先と当該労働者との間に直接黙示の雇用契約関係が成立すると評価することができないかが本件における主要な争点となった。

4 原審(大阪高裁)は,Y社とP社との間の業務委託契約はP社がXをY社のために労働に従事させる脱法的な労働者供給契約であり,XとP社との間の契約は上記目的達成のための契約であるから,いずれも職業安定法44条等に違反し,公の秩序に反するものとして締結当初から無効であるとした上,①XとY社との間には当初から事実上の使用従属関係があったこと,②XがP社から給与等として受領する金員は,Y社がP社に業務委託料として支払った金員からP社の利益等を控除した額を基礎とするものであって,Xが給与等の名目で受領する金員の額を実質的に決定する立場にあったのはY社であったといえること,③無効な上記各契約にもかかわらず継続したXとY社との間の上記実体関係を法的に根拠付け得るのは黙示の労働契約のほかにはなく,その内容は,XとP社との間の契約における労働条件と同様と認めるのが相当であると判示して,Xの請求をおおむね認容した。

5 最高裁(第二小法廷)は,Y社からの上告受理申立てを受理した上,概要次のように述べて,原判決のうち損害賠償請求を除く部分を破棄し,Xの請求を棄却する旨の自判をした。
請負人による労働者に対する指揮命令がなく,注文者がその場屋内において労働者に直接具体的な指揮命令をして作業を行わせているような場合には,たとい請負人と注文者との間において請負契約という法形式が採られていたとしても,これを請負契約と評価することはできず,この場合において,注文者と労働者との間に雇用契約が締結されていないのであれば,上記3者間の関係は,労働者派遣法2条1号にいう労働者派遣に該当する。しかし,このような労働者派遣も,それが労働者派遣である以上は,職業安定法4条6項にいう労働者供給に該当する余地はない。
しかるところ,Xは,平成17年7月20日までの間,P社と雇用契約を締結し,これを前提としてP社から本件工場に派遣されていたというのであるから,P社によってY社に派遣されていた派遣労働者の地位にあったということができるが,XとP社との間の雇用契約を無効と解すべき特段の事情はうかがわれないから,上記の間,両者間の雇用契約は有効に存在していたものと解すべきである。そして,Y社はP社によるXの採用に関与していたとは認められないというのであり,XがP社から支給を受けていた給与等の額をY社が事実上決定していたといえるような事情もうかがわれず,かえって,P社は,配置を含むXの具体的な就業態様を一定の限度で決定し得る地位にあったものと認められるのであって,前記事実関係等に現れたその他の事情を総合しても,同日までの間にY社とXとの間において雇用契約関係が黙示的に成立していたものと評価することはできない

6 これまで,社外労働者(多くは労働者派遣法制定前の業務請負会社社員)と受入企業との間の黙示の労働契約の成否について判示した裁判例は少なくないが,これらの裁判例は,一般に,黙示の労働契約が成立するには,社外労働者と派遣先との間で労働契約を黙示に合意したと評価し得る事情が必要であるとして,使用従属関係の有無をはじめ,業務内容,勤務の実態,賃金,採用形態等を検討してその成否を判断している。学説も,実質的にみて社外労働者に賃金を支払う者が受入企業であり,しかも社外労働者の労務提供の相手方が受入企業であるといえる場合にのみ,社外労働者と受入企業間に労働契約関係の基本的要素が整うとし,そのためには,①社外労働者の賃金が,実際上受入企業により決定され,派遣企業を介して受入企業自身によって支払われているとみなし得ること,②受入企業が社外労働者に対し作業上の指揮命令や出退勤管理を行うのみならず,配置・懲戒・解雇等の権限を事実上保持していたり,労働者の採用に関与することなどの事情が必要である(菅野和夫『労働法〔第8版〕』93頁)などとしている。これに対し,労働者供給事業を禁止する職業安定法44条や特定製造業務への労働者派遣を禁止していた労働者派遣法の回避策として,また,平成16年2月に同法がこれを解禁した後においても同法による各種の規制を潜脱して労務管理コストを抑える方策として,偽装請負が横行している実態(例えば,有田謙司「偽装請負」法教318号2頁等参照)を憂慮する立場から,特に本件原判決を契機に,労働者とその派遣先との間に直接雇用を認めるための理論構成が種々提案されてきた。すなわち,①直接雇用の原則の例外である三者間労働者関係により第三者労働力を受け入れる者は,その適正利用義務を労働者に対して信義則上負っているとした上,受入先が上記義務に違反した偽装請負のような場合,受入先が,請負の法形式を取る以上当然の前提である「請負人による賃金支払」の事実を黙示の労働契約の成立を妨げる事情として労働者に対して主張することは許されないとする説(毛塚勝利「偽装請負・違法派遣と受入企業の雇用責任」労判966号5頁),②労働者派遣は一般法である職業安定法で禁止されている労働者供給事業の中から特別法である労働者派遣法の規制の下に行われるものに限り適法化されたのであるから,偽装請負については原則どおり職業安定法違反となるとの説(有田・前掲3頁等)等である。しかしながら,①については,仮に受入先に労働者への何らかの信義則上の義務を認めるべき余地があるとしても,請負であれ労働者派遣であれ,請負人(派遣元)が労働者に賃金を支払っていた事実自体には差異がなく,その支払の法的根拠が当該労働者との間の雇用契約であることにも変わりがない以上,法に具体的規定のない「使用者による第三者労働力の適正利用義務」を理由に上記のように解し得るかについては疑問がある。また,②についても,労働者派遣法2条1号及び職業安定法4条6項(「労働者供給」には労働者派遣法2条1号に規定する労働者派遣に該当するものを含まない,と規定する。)の文理に照らして無理がある解釈といわざるを得ないように思われる。本判決は,こうした点を勘案した上,偽装請負は労働者派遣としては違法であるとしつつ,たといそうであるとしても,派遣先と派遣労働者との間に黙示の労働契約が成立するか否かについては,基本的には旧来の判断枠組みに沿って判断すべきことを明らかにしたものと解される。

7 なお,本判決は,派遣元と派遣労働者との間の雇用契約を無効と解すべき特段の事情が存在し得ることを認めつつ,その内容としていかなるものがあるかについては具体的な説示をしているわけではないが,例えば,派遣労働者の派遣先における業務がその賃金と比較して著しく危険ないし高度な内容に変更されたとき等が上記特段の事情として想定し得ないではない。このような場合には,派遣元と派遣労働者との間の雇用契約が公序に照らして後発的に無効となり,結果として派遣先と派遣労働者との間の黙示の雇用契約関係が認められやすくなるということも考えられる(これに対し,派遣元と派遣労働者との間の雇用契約を原始的に無効であると解すべき場合には,もはや労働者派遣法にいう「労働者派遣」の定義に該当し得なくなるものと思われるが,本判決は,単に偽装請負というだけでは直ちに上記雇用契約を原始的に無効とは解し得ないことを当然の前提としている。)。しかしながら,その具体的な判断基準や当てはめについては,今後の事例の集積を待つほかないものと思われる。
8 また,今井裁判官の補足意見は,Xをリペア作業に従事させたこと及びXを平成18年1月末に雇止めしたことは,それらがXによる大阪労働局に対する偽装請負の申告に対する報復として行われたという本件の事実関係を全体としてみればY社による不法行為に該当すると解すべきであるというものである。本判決は,原判決のうち雇止めに関するY社の損害賠償責任を認めた部分を維持する理由を必ずしも明確に述べてはいないが,上記補足意見が「労働者派遣法49条の3の趣旨」に言及していることから推して,派遣元又は派遣先が労働者派遣法に違反する事実を申告した派遣労働者に対する解雇その他の不利益取扱いを禁じている同条や,さらには本件雇止めの約2か月後に施行された公益通報者保護法(その通報対象事実には労働者派遣法も含まれている。)の趣旨に照らし,本件雇止めは,直接的には有期雇用契約の期間満了によるものであったことなどから無効とまではいえない(仮に無効と解する場合には,Y社が期間の定めのない労働者としてのXの雇用を事実上強制されることになり得る。)としても,正社員としての就労を希望し,そのための手段として偽装請負の申告に踏み切ったXがP社を自ら退職したことにより経済的には窮状にあったところ,Y社がX側のそのような事情を知悉した上で期限付き雇用契約の締結を持ちかけ,表面上違法状態の解消を図ったという経緯がうかがわれる本件事実関係の下では,Y社に損害賠償責任を一定の限度(雇用継続で得られるべき利益には到底足りず,慰謝料相当額にとどまる。)で負担させるのが相当と判断したものと思われる。他にどのような場合に申告者に対する雇止めが不法行為となり得るのか,その損害額の算定基準,申告者に対する報復としての雇止めが無効とまでいえる場合があるのかやそのための要件等については,まだ施行されて間もない公益通報者保護法の下における同種裁判例の動向や学説の状況をしばらく注視する必要があろう。
9 黙示の雇用契約に関する成立要件等について判示した最高裁の判例は,原審の判断を簡潔に是認した最三小判平10.9.8労判745号7頁〔安田病院事件〕以外にめぼしいものがなかったところであるが,本判決は,事例判断とはいえ,近時急増している偽装請負の事案において,その法的な判断枠組みの一端を明らかにするとともに,単に労働者派遣法に違反する労働者派遣がされたというだけで派遣先と派遣労働者との間に当然に黙示の雇用契約関係が成立するわけではないことを前提に,当該事案に即してその成否の判断要素を示したものとして,今後の実務に与える影響が大きいものと思われる。

2.労基法の責任主体としての使用者

+第十条  この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。

・労働契約上の「使用者」の概念とは異なる!

・+第百二十一条  この法律の違反行為をした者が、当該事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為した代理人、使用人その他の従業者である場合においては、事業主に対しても各本条の罰金刑を科する。ただし、事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者、事業主が営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者又は成年被後見人である場合においてはその法定代理人(法定代理人が法人であるときは、その代表者)を事業主とする。次項において同じ。)が違反の防止に必要な措置をした場合においては、この限りでない。
2  事業主が違反の計画を知りその防止に必要な措置を講じなかつた場合、違反行為を知り、その是正に必要な措置を講じなかつた場合又は違反を教唆した場合においては、事業主も行為者として罰する。

3.労組法上の使用者

・特別の定義は置いてはいない。

+判例(H7.2.28)朝日放送事件
理由
上告代理人鈴木重信、同中津俊雄、同高橋正智、同阿部浩志の上告理由及び上告補助参加代理人豊川義明、同津留崎直美、同斎藤浩、同森信雄、同飯高輝の上告理由について
一 事実関係
原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係の概要は、次のとおりである。
1 大阪府地方労働委員会は、上告補助参加人を申立人、被上告人を被申立人とする大阪地労委昭和五一年(不)第四号不当労働行為救済申立事件について、昭和五三年五月二六日付けで、別紙(二)のとおりの命令(以下「初審命令」という。)を発した。被上告人及び上告補助参加人の再審査申立て(中労委昭和五三年(不再)第二五号、第二六号事件)に対し、上告人は、昭和六一年九月一七日付けで、別紙(三)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発した。

2 被上告人は、大阪市に本社を置いてテレビの放送事業等を営む会社であり、本件初審審問終結当時(昭和五二年五月一三日)の従業員は約八〇〇名であった。上告補助参加人は、近畿地方所在の民間放送会社等の下請事業を営む企業の従業員で組織された労働組合である。
株式会社大阪東通は、被上告人など近畿地方所在の民間放送会社からテレビ番組制作のための映像撮影、照明、フィルム撮影、音響効果等の業務を請け負う等の事業を目的とする会社であり、本件初審審問終結当時の従業員は約一六〇名であった。右従業員のうち約五〇名は、後記請負契約に基づき、被上告人の番組制作の現場においてアシスタント・ディレクター、音響効果等の業務に従事し、このうち上告補助参加人の組合員は三名であった。株式会社大東は、大阪東通のほか、近畿地方所在の民間放送会社等からの照明業務の請負の事業を目的とする会社であり、本件初審審問終結当時の従業員は約三〇名であった。右従業員のうち約一〇名は、後記請負契約に基づき、被上告人の番組制作の現場において照明業務に従事し、このうち上告補助参加人の組合員は二名であった。関東電機株式会社(以下、大阪東通、大東と併せて「請負三社」という。)は、被上告人など近畿地方所在の民間放送会社、ホール、劇場等における照明業務の請負の事業を目的とする会社であり、本件初審審問終結当時の従業員は約七〇名であった。右従業員のうち約一〇名は、後記請負契約に基づき、被上告人の番組制作の現場において照明業務に従事し、このうち上告補助参加人の組合員は二名であった。

3 被上告人は、大阪東通及び関東電機との間で、それぞれ、テレビの番組制作の業務につき請負契約を締結して、継続的に業務の提供を受け、大東は大阪東通と請負契約を締結し、これにより、大阪東通が被上告人から請け負った業務のうち照明業務の下請をしていた請負三社は、右各請負契約に基づきその従業員を被上告人の下に派遣して番組制作の業務に従事させ、右各請負契約においては、作業内容及び派遣人員により一定額の割合をもって算出される請負料を支払う旨の定めがされていた。
番組制作に当たって、被上告人は、毎月、一箇月間の番組制作の順序を示す編成日程表を作成して請負三社に交付し、右編成日程表には、日別に、制作番組名、作業時間(開始・終了時刻)、作業場所等が記載されていた。請負三社は、右編成日程表に基づいて、一週間から一〇日ごとに番組制作連絡書を作成し、これによりだれをどの番組制作業務に従事させるかを決定することとしていたが、実際には、被上告人の番組制作業務に派遣される従業員はほぼ同一の者に固定されていた。請負三社の従業員は、その担当する番組制作業務につき、右編成日程表に従うほか、被上告人が作成交付する台本及び制作進行表による作業内容、作業手順等の指示に従い、被上告人から支給ないし貸与される器材等を使用し、被上告人の作業秩序に組み込まれて、被上告人の従業員と共に番組制作業務に従事していた。請負三社の従業員の業務の遂行に当たっては、実際の作業の進行はすべて被上告人の従業員であるディレクターの指揮監督の下に行われ、ディレクターは、作業時間帯を変更したり予定時間を超えて作業をしたりする必要がある場合には、その判断で請負三社の従業員に指示をし、どの段階でどの程度の休憩時間を取るかについても、作業の進展状況に応じその判断で右従業員に指示をするなどしていた。
請負三社の従業員の被上告人における勤務の結果は当該従業員の申告により出勤簿に記載され、請負三社はこれに基づいて残業時間の計算をした上、毎月の賃金を支払っていた。
4 請負三社は、それぞれ独自の就業規則を持ち、労働組合との間で賃上げ、夏季一時金、年末一時金等について団体交渉を行い、妥結した事項について労働協約を締結していた。
5 上告補助参加人は、被上告人に対して、昭和四九年九月二四日以降、賃上げ、一時金の支給、下請会社の従業員の社員化、休憩室の設置を含む労働条件の改善等を議題として団体交渉を申し入れたが、被上告人は、使用者でないことを理由として、交渉事項のいかんにかかわらず、いずれもこれを拒否した。

二 原審の判断
右事実関係の下において、原審は、上告補助参加人の組合員である請負三社の従業員との関係では、被上告人は労働組合法七条の「使用者」に当たらず、したがって、被上告人と上告補助参加人との間では同条二号の不当労働行為が成立する余地はなく、同条三号の支配介入による不当労働行為について判断を加えるまでもないとして、本件命令を取り消すべきものとした。

三 当裁判所の判断
1 労働組合法七条にいう「使用者」の意義について検討するに、一般に使用者とは労働契約上の雇用主をいうものであるが、同条が団結権の侵害に当たる一定の行為を不当労働行為として排除、是正として正常な労使関係を回復することを目的としていることにかんがみると雇用主以外の事業主であっても、雇用主から労働者の派遣を受けて自己の業務に従事させ、その労働者の基本的な労働条件当について、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて、右事業主は同条の「使用者」に当たるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、請負三社は、被上告人とは別個独立の事業主体として、テレビの番組制作の業務につき被上告人との間の請負契約に基づき、その雇用する従業員を被上告人の下に派遣してその業務に従事させていたものであり、もとより、被上告人は右従業員に対する関係で労働契約上の雇用主に当たるものではないしかしながら、前記の事実関係によれば、被上告人は、請負三社から派遣される従業員が従事すべき業務の全般につき、編成日程表、台本及び制作進行表の作成を通じて、作業日時、作業時間、作業場所、作業内容等その細部に至るまで自ら決定していたこと、請負三社は、単に、ほぼ固定している一定の従業員のうちのだれをどの番組制作業務に従事させるかを決定していたにすぎないものであること、被上告人の下に派薄される請負三社の従業員は、このようにして決定されたことに従い、被上告人から支給ないし貸与される器材等を使用し、被上告人の作業秩序に組み込まれて被上告人の従業員と共に番組制作業務に従事していたこと、請負三社の従業員の作業の進行は、作業時間帯の変更、作業時間の延長、休憩等の点についても、すべて被上告人の従業員であるディレクターの指揮監督下に置かれていたことが明らかである。これらの事実を総合すれば、被上告人は、実質的にみて、請負三社から派遣される従業員の勤務時間の割り振り、労務提供の態様、作業環境等を決定していたのであり、右従業員の基本的な労働条件等について、雇用主である請負三社と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位にあったものというべきであるから、その限りにおいて、労働組合法七条にいう「使用者」に当たるものと解するのが相当である。
そうすると、被上告人は、自ら決定することができる勤務時間の割り振り、労務提供の態様、作業環境等に関する限り、正当な理由がなければ請負三社の従業員が組織する上告補助参加人との団体交渉を拒否することができないものというべきである。ところが、被上告人は、昭和四九年九月二四日以降、賃上げ、一時金の支給、下請会社の従業員の社員化、休憩室の設置を含む労働条件の改善等の交渉事項について団体交渉を求める上告補助参加人の要求について、使用者でないことを理由としてこれを拒否したというのであり、右交渉事項のうち、被上告人が自ら決定することのできる労働条件(本件命令中の「番組制作業務に関する勤務の割り付けなど就労に係る諸条件」はこれに含まれる。)の改善を求める部分については、被上告人が正当な理由がなく団体交渉を拒否することは許されず、これを拒否した被上告人の行為は、労働組合法七条二号の不当労働行為を構成するものというべきである。
2 以上のとおりであるから、原判決には労働組合法七条の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。原判決中、本件命令の主文第一項に関する部分については、取消請求を棄却した第一審判決は正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきであるが、本件命令主文第二項の維持した初審命令主文第二項に関する部分(別紙(一)記載の部分)については、被上告人が同条の「使用者」に当たることを前提とした上で、同条三号の不当労働行為の成否につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、四〇七条一項、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)


労働法 労働関係の当事者 労働組合


・自由設立主義

・法適合組合

(1)積極的要件

+(労働組合)
第二条  この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。但し、左の各号の一に該当するものは、この限りでない。
一  役員雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの
二  団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの。但し、労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すことを妨げるものではなく、且つ、厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与を除くものとする。
三  共済事業その他福利事業のみを目的とするもの
四  主として政治運動又は社会運動を目的とするもの

①労組法上の労働者(3条)が主体となって組織するものであること。
②労働者が自主的に組織するものであること(自主性)
③労使自治を通して労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的としていること
④複数の組合員を有し、規約と組織を持つこと(団体性)

(2)消極的要件
2条ただし書き各号。

・人事的権限を持たないスタッフ専門職
+判例(東京高判17.2.24)日本アイビーエム組合員資格事件
調べておく。

・「憲法組合」

(3)資格審査

+(労働組合として設立されたものの取扱)
第五条  労働組合は、労働委員会に証拠を提出して第二条及び第二項の規定に適合することを立証しなければ、この法律に規定する手続に参与する資格を有せず、且つ、この法律に規定する救済を与えられない。但し、第七条第一号の規定に基く個々の労働者に対する保護を否定する趣旨に解釈されるべきではない。
2  労働組合の規約には、左の各号に掲げる規定を含まなければならない。
一  名称
二  主たる事務所の所在地
三  連合団体である労働組合以外の労働組合(以下「単位労働組合」という。)の組合員は、その労働組合のすべての問題に参与する権利及び均等の取扱を受ける権利を有すること。
四  何人も、いかなる場合においても、人種、宗教、性別、門地又は身分によつて組合員たる資格を奪われないこと。
五  単位労働組合にあつては、その役員は、組合員の直接無記名投票により選挙されること、及び連合団体である労働組合又は全国的規模をもつ労働組合にあつては、その役員は、単位労働組合の組合員又はその組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票により選挙されること。
六  総会は、少くとも毎年一回開催すること。
七  すべての財源及び使途、主要な寄附者の氏名並びに現在の経理状況を示す会計報告は、組合員によつて委嘱された職業的に資格がある会計監査人による正確であることの証明書とともに、少くとも毎年一回組合員に公表されること。
八  同盟罷業は、組合員又は組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票の過半数による決定を経なければ開始しないこと。
九  単位労働組合にあつては、その規約は、組合員の直接無記名投票による過半数の支持を得なければ改正しないこと、及び連合団体である労働組合又は全国的規模をもつ労働組合にあつては、その規約は、単位労働組合の組合員又はその組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票による過半数の支持を得なければ改正しないこと。

←民主制の要件


労働法 労使関係の当事者 労働者 労働組合法上の労働者


・+(労働者)
労働組合法第3条
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう。

=賃金等を得て生活している者であればよく、賃金等にのみ依存して生活する者という意味ではない!
=経済的従属性に着目

・労組法3条は「使用されること」を「労働者」の要件としていない。
←これは、労働基準法9条が同法の設定する労働条件の最低基準により保護される者の範囲を定めているのに対して、労組法3条は労働組合を結成して使用者と団体交渉を行う権利を保障すべき者の範囲を定めたものだから。

・労組法上の労働者の判断基準の基本的判断要素

労務提供者が不可欠な労働力として事業組織に組み入れられているか
契約内容(労働条件や提供する労務の内容)を相手が一方的定型的に決定しているか
報酬が労務の対価としての性質を持つか
補充的判断要素として
④業務の依頼に対する諾否の事由があるか
⑤広い意味での指揮監督関係(一定の時間的場所的拘束)が認められているか
消極的判断要素として
⑥顕著な事業者性

+判例(H23.4.12)INAXメンテナンス
上告代理人諏訪康雄ほかの上告受理申立て理由,上告補助参加代理人村田浩治ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は,住宅設備機器の修理補修等を業とする会社である被上告人が,被上告人と業務委託契約を締結してその修理補修等の業務に従事する者(被上告人の内部においてカスタマーエンジニアと称されていた。以下「CE」という。)が加入した労働組合である上告補助参加人らからCEの労働条件の変更等を議題とする団体交渉の申入れを受け,CEは被上告人の労働者に当たらないとして上記申入れを拒絶したところ,上告補助参加人らの申立てを受けた大阪府労働委員会から被上告人が上記申入れに係る団体交渉に応じないことは不当労働行為に該当するとして上記団体交渉に応ずべきこと等を命じられ,中央労働委員会に対し再審査申立てをしたものの,これを棄却するとの命令(以下「本件命令」という。)を受けたため,その取消しを求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 被上告人は,親会社である株式会社C(以下「C」という。)が製造したトイレ,浴室,洗面台,台所等に係る住宅設備機器の修理補修等を主たる事業とする株式会社である。被上告人の従業員約200名のうち修理補修業務に従事する可能性がある者は,サービス長(平成19年当時の人員数は11名で,通常は全国に57か所あるサービスセンターの管理を行う。)及びFGと呼ばれる技術担当者(平成19年当時の人員数は16名で,難易度の高い修理やCEの研修等を担当する。)に限定されており,修理補修業務の大部分は約590名いるCEによって行われていた。
イ 上告補助参加人A一般労働組合B本部は,主に運輸業に従事する労働者によって組織された労働組合であり,上告補助参加人A一般労働組合D支部は,その下部組織である。A一般労働組合建設D支部E分会(以下,上告補助参加人らと併せて「本件各組合」と総称する。)は,CEによって組織された上告補助参加人らの下部組織である。
(2)被上告人は,CEになろうとする者との間で,「業務委託に関する覚書」と題する文書に記載した内容で業務委託契約を締結していた。上記契約等の概要は,以下のとおりである。
ア 被上告人とCEとは,それぞれ独立した事業者であることを認識した上で契約を遂行し(1条),委託業務の内容は,C製品全般のアフターサービス(修理,点検),リフレッシュサービス及び販売・取付けその他関連業務である(3条)。被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,各CEがCE認定制度に定める基準に基づく資格要件を満たしていることを確認するとともに,能力,実績,経験等を基準に級を毎年定めるCEライセンス制度を導入する(2条)。
イ 被上告人は,CEが居住する地域等を考慮の上,管轄する営業所及びサービスセンターを決定し,CEは,善良なる管理者の注意をもって業務を直ちに遂行するが,業務を遂行することができないときはその旨及び理由を直ちに被上告人に通知する(4条)。CEは,業務遂行後,遅滞なく被上告人及び関係先に経過及び完了の報告を行い(5条),毎月5日までに翌月の業務計画(発注連絡を取ることができる日時)を被上告人に通知し(ただし,業務計画については,被上告人において諸事情を勘案して一部変更することがある。11条),被上告人から無償貸与される制服を着用する(8条)。
ウ 業務委託契約は,双方に異議がないときは,1年ごとに更新される(18条)。
なお,業務委託契約には業務遂行の方法等について特段の定めは置かれていないが,同契約とは別に,被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国で一定水準以上の技術による確実な事務の遂行に資するため,CEに対し,業務マニュアル,安全マニュアル,修理マニュアル,新人研修マニュアル等,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法,CEとしての心構えや役割,接客態度等を記載した各種のマニュアルを配布し,これに基づく業務の遂行を求めていた
(3)業務委託手数料は,顧客又はCにCEがそれぞれ請求する金額に,ランキング制度において当該CEの属する級ごとに定められた一定率を乗ずる方法で支払うものとされていた。被上告人は,毎年1回,CEの能力,実績及び経験を基にCEを評価し,5段階ある級の昇格,更新及び降格の判定を行っていた。
顧客等に対する請求金額は,商品や修理内容に従って被上告人があらかじめ全国一律で決定していた。CEは,修理補修等の難易度や別のCEを補助者として使用したこと等を理由にある程度割増しして請求することも認められていたが,これは被上告人の従業員であるサービス長等が修理補修等を行った場合においても同様であった。
また,被上告人は,CEに対し,休日や委託時間帯以外の時間に業務を委託する場合には別途定める業務委託手数料を支払うとともに,移動距離に応じて出張料を支払っていた。
(4)ア 被上告人は,全国を7区分して各地域ごとに営業所を置き,その下に複数のサービスセンターを配置した。そして,CEの居住場所や過去の業務発生状況等に従って各サービスセンターの管轄区域を細分化し,CEの担当地域を決定していた(一つの地域に複数のCEを順位を付けて担当させることもあった。)。また,被上告人は,各CEと調整した上でその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日の業務についても,各CEが交替で業務を担当するよう要請していた。
イ 被上告人は,顧客からの修理補修等の発注を全国に4か所ある修理受付センターで受け付けた後,顧客の所在場所を担当地域とするCEにこれを割り振って委託業務として依頼していた。その依頼は,原則として業務日の午前8時30分から午後7時までの間に,緊急を要する場合等には修理受付センターからCEに直接電話する方法で,それ以外の通常の場合にはCEに対してあらかじめ所持することが指示されている情報端末に修理依頼データ(訪問日時,顧客の氏名・電話番号・住所,対象となる商品の商品番号及びその取付け年月日,修理依頼内容等)を送信する方法で行われていた。
依頼を受けたCEが応諾した場合には当該CEが修理補修等を遂行するが,当該CEが断った場合等には、被上告人は,順位が下位のCE又は別の担当地域のCEに依頼し,又はサービスセンターにいる被上告人の従業員にこれを遂行させていた。修理依頼データを送信する方法が採られる場合,CEが承諾拒否通知をする割合は1%弱であった。CEが承諾を拒否した理由がたとい業務の遂行とは無関係の事情によるものであったとしても,被上告人がそのことをもって業務委託契約の債務不履行であると判断することはなかった
ウ CEは,修理補修等の依頼を受けた後,直ちに顧客と連絡を取って修理補修等の日時を調整し,調整された時間に顧客先等を訪問して修理補修等の作業を行っていた。その際,CEは,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,場合によっては顧客先でC製品のリフォーム等の営業活動も行っていた。 CEは,修理依頼データを受信し,かつ,承諾拒否通知をしなかったものの業務に対応することができない場合には,被上告人にその旨を報告した上で他のCEにこれを委ねることも認められており,発注件数の約6%はこの方法によりCEの変更手続がとられていた。
エ CEは,修理補修等の業務が終了したときは,顧客に対し,被上告人所定の検査確認用紙に署名押印を求め,顧客の名前,住所,業務日,業務内容,所定の料金その他を記載したサービス報告書を被上告人に送付していた。また,CEは,顧客から代金を回収し,これを週1回程度被上告人に振込送金していた。その他,CEは,業務日ごとに行動の予定,経過,結果等を被上告人に報告することになっていた。
オ 平成16年7月当時,CEの作業時間は1件平均約70分,1日平均計3.7時間であり,被上告人からの平均依頼件数は月113件,平均休日取得日数は月5.8日であった。
(5)本件各組合は,平成16年9月6日,被上告人に対し,連名で,CEが上告補助参加人らに加入したことなどが記載された労働組合加入通知書とともに,不当労働行為を行わないこと,組合員の労働条件の変更等は本件各組合と事前協議し,合意の上で実施すること,組合員の契約内容の変更や解除は一方的に行わず,本件各組合と協議し,合意の上実施すること,組合員の手当,割増賃金及び出張費等を支払うこと,組合員の年収の保障(最低年収550万円)をすること,その貸与する機材の損傷等に関しては被上告人において負担すること,CE全員を労働者災害補償保険に加入させること等を要求する書面(これらの要求項目を以下「本件議題」という。)を提出し,同時に,本件議題について団体交渉の申入れをした。被上告人は,本件各組合に対し,同月15日,CEは独立した個人事業主であることを確認の上で業務委託契約を締結しており,労働組合法上の労働者に当たらないので,被上告人には団体交渉に応ずる義務はなく,CEの要望は各地区ごとの会議で聴取する旨記載した回答書を交付した。その後も,本件各組合は,被上告人に対し,本件議題に係る団体交渉の申入れを3回にわたって行ったが,被上告人は,その都度,同様の理由により,本件各組合との団体交渉に応ずる義務はない旨回答した。
(6)上告補助参加人らは,平成17年1月27日,大阪府労働委員会に対し,被上告人が上記(5)の各申入れに係る団体交渉に応じなかったことは不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,被上告人の対応は不当労働行為に該当するとして,被上告人に対し団体交渉に応ずべきこと等を命ずる旨の救済命令を発した。被上告人は中央労働委員会に対し再審査申立てをしたが,同委員会は,これを棄却する旨の本件命令を発した。

3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,CEは被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,上告補助参加人らによる上記各申入れに対する被上告人の対応について不当労働行為が成立する余地はないとして,本件命令を取り消すべきものとした。CEは,被上告人と業務委託契約を締結しているものであるが,個別の業務は被上告人からの発注を承諾することによって行っており,上記契約とは無関係の理由によってこれを拒絶することが認められているなど,業務の依頼に対して諾否の自由を有しており,業務を実際にいついかなる方法で行うかについては全面的にその裁量に委ねられているなど,業務の遂行に当たり時間的場所的拘束を受けず,業務の遂行について被上告人から具体的な指揮監督を受けることもなく,その報酬も,CEの裁量による請求額の増額を認めた上でその行った業務の内容に応じた出来高として支払われており,独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていた。したがって,CEの基本的性格は,被上告人の業務受託者であり,いわゆる外注先とみるのが実体に合致して相当というべきであって,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たるということはできない。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係等によれば,被上告人の従業員のうち,被上告人の主たる事業であるCの住宅設備機器に係る修理補修業務を現実に行う可能性がある者はごく一部であって,被上告人は,主として約590名いるCEをライセンス制度やランキング制度の下で管理し,全国の担当地域に配置を割り振って日常的な修理補修等の業務に対応させていたものである上,各CEと調整しつつその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日についても各CEが交替で業務を担当するよう要請していたというのであるから,CEは,被上告人の上記事業の遂行に不可欠な労働力として,その恒常的な確保のために被上告人の組織に組み入れられていたものとみるのが相当である。また,CEと被上告人との間の業務委託契約の内容は,被上告人の定めた「業務委託に関する覚書」によって規律されており,個別の修理補修等の依頼内容をCEの側で変更する余地がなかったことも明らかであるから,被上告人がCEとの間の契約内容を一方的に決定していたものというべきである。さらに,CEの報酬は,CEが被上告人による個別の業務委託に応じて修理補修等を行った場合に,被上告人が商品や修理内容に従ってあらかじめ決定した顧客等に対する請求金額に,当該CEにつき被上告人が決定した級ごとに定められた一定率を乗じ,これに時間外手当等に相当する金額を加算する方法で支払われていたのであるから,労務の提供の対価としての性質を有するものということができる。加えて,被上告人から修理補修等の依頼を受けた場合,CEは業務を直ちに遂行するものとされ,原則的な依頼方法である修理依頼データの送信を受けた場合にCEが承諾拒否通知を行う割合は1%弱であったというのであって,業務委託契約の存続期間は1年間で被上告人に異議があれば更新されないものとされていたこと,各CEの報酬額は当該CEにつき被上告人が毎年決定する級によって差が生じており,その担当地域も被上告人が決定していたこと等にも照らすと,たといCEが承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,CEは,基本的に被上告人による個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,CEは,被上告人が指定した担当地域内において,被上告人からの依頼に係る顧客先で修理補修等の業務を行うものであり,原則として業務日の午前8時半から午後7時までは被上告人から発注連絡を受けることになっていた上,顧客先に赴いて上記の業務を行う際,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,業務終了時には業務内容等に関する所定の様式のサービス報告書を被上告人に送付するものとされていたほか,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国的な技術水準の確保のため,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法に加え,CEとしての心構えや役割,接客態度等までが記載された各種のマニュアルの配布を受け,これに基づく業務の遂行を求められていたというのであるから,CEは,被上告人の指定する業務遂行方法に従い,その指揮監督の下に労務の提供を行っており,かつ,その業務について場所的にも時間的にも一定の拘束を受けていたものということができる
なお,原審は,CEは独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていたともいうが,前記事実関係等によれば,平均的なCEにとって独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかったものと推認される上,記録によっても,CEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在していなかったことがうかがわれるのであって,そのような例外的な事象を重視することは相当とはいえない。以上の諸事情を総合考慮すれば,CEは,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。

5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,前記事実関係等によれば,本件議題はいずれもCEの労働条件その他の待遇又は上告補助参加人らと被上告人との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって,かつ,被上告人が決定することができるものと解されるから,被上告人が正当な理由なく上告補助参加人らとの団体交渉を拒否することは許されず,CEが労働組合法上の労働者に当たらないとの理由でこれを拒否した被上告人の行為は,労働組合法7条2号の不当労働行為を構成するものというべきである。したがって,本件命令の取消しを求める被上告人の請求を棄却した第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴を棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。

+補足意見
裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
本件では,被上告人は,CEは独立した事業者であり,被上告人とCEとの契約関係は,被上告人が行う業務の一部の業務委託であって一般の外注契約関係と異ならないと主張し,原審は,その主張を認めてCEは労働組合法上の労働者には該たらないと認定していることに鑑み,以下のとおり補足意見を述べる。
原判決の認定によれば,被上告人は,Cブランドの住宅設備機器のアフターメンテナンスを主力事業とする会社であり,Cのブランドイメージを低下させないよう全国一律に一定水準の技術をもって確実に修理補修等を行うことを目的として,認定制度やランキング制度を伴うCE制度を導入した。
上記制度の趣旨からすれば,本来,CE制度の対象者は,CE制度の求める技術者(以下「有資格者」という。)を擁して,その制度の求める業務を提供する能力を備えているならば,法人であるか個人事業者であるかを問わず,また,その者がCEとしての業務以外に主たる業務を有していても差し支えないことになる。また,その者が有資格者を複数擁しているときは,業務委託契約書に定める管轄営業所及びサービスセンターを複数選定することもなし得ることになる。このように,CE制度の対象者がCE制度の求める業務以外に主たる業務を行っていたり,CE制度の対象者が複数の有資格者を雇傭し複数の管轄営業所やサービスセンターを担当しているような場合には,少なくとも当該事業者と被上告人との契約関係は純然たる業務委託契約であって,一般の外注契約関係と異ならないものといえよう。
ところが,本件では,記録上,被上告人のCE募集広告の一部に,「個人,法人共に可」との記載は見られるものの,被上告人と本件業務委託契約を締結しているCE中に法人が含まれるとの主張はない。また,本件で証拠として提出されている業務委託契約書(第1審判決・別紙4)の様式及びその内容は,専ら有資格者が自ら個人として直接の受託者となる場合を予定するものであり,過去においてもこれと異なる態様で本件業務委託契約が締結されたことをうかがわせる証拠は存しない。そして,法廷意見において指摘するとおり,本件業務委託契約の内容及びその委託業務履行の実態からして,CEがCEとしての業務以外に主たる業務を有していることもうかがわれない。
さらに,それに加えて,被上告人がインターネットに掲示していたCEの募集広告では,「勤務地」,「勤務時間」,「給与」,「待遇・福利厚生」,「休日・休暇」等の項目の記載があり,それらの各項目からして,その募集広告は,被上告人が行う事業に係る外注業者を募集する内容とは到底いえず,また,本件業務委託契約の内容を補充する「CEライセンス制度」の説明文中には,「福利厚生及び功労的特典」として「健康診断」,「慶弔会」,「リフレッシュ休暇手当」(契約10年目以後5年ごとに金券を支給するもの),「休業保障」(忌引き)等,独立した事業者との契約内容にそぐわない事項が定められている。また,被上告人がCEに携行させていた名刺には,氏名の肩書きに「○○サービスセンター」と記載し,氏名の下部には被上告人の会社名のみが記載されており,平成14年ころまでCEに携行させていた身分証明書には,「上記の者は,当社従業員であることを証明します」と記載して,被上告人の会社名を記載して押印したものが発行されていた(その後「上記の者は当社が製品のメンテナンス業務を委託する者であることを証明します」との証明書に変更されていると認められる)のである。
以上の事実関係からすれば,CEが労働組合法上の労働者に該当することは明らかであって,それを否定する余地はないというべきである。

+判例(H23.4.12)オペラの方 新国立劇場運営財団
平成21年(行ヒ)第226号上告代理人廣見和夫ほかの上告受理申立て理由,同上告参加代理人古川景一,同川口美貴の各上告受理申立て理由及び同第227号上告代理人古川景一,同川口美貴,同水口洋介ほかの各上告受理申立て理由について
1 本件は,年間を通して多数のオペラ公演を主催している財団法人である平成21年(行ヒ)第226号被上告人・同第227号被上告参加人X1(以下「被上告財団」という。)が,音楽家等の個人加盟による職能別労働組合である平成21年(行ヒ)第226号上告参加人・同第227号上告人X2(以下「上告組合」という。)に加入している合唱団員1名につき,毎年実施する合唱団員選抜の手続において,過去4年間は,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーの合唱団員として合格とし,その者との間で期間1年の出演基本契約を締結していたが,次期シーズンについては上記の者を不合格としたこと及びこのことに関する上告組合からの団体交渉の申入れに応じなかったことについて,東京都労働委員会において,被上告財団が上記申入れに応じなかったことは不当労働行為に該当するが上記の者を不合格としたことはこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,上告組合のその余の申立てを棄却する旨の命令を発し,中央労働委員会において,被上告財団及び上告組合の各再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発したため,被上告財団及び上告組合が,中央労働委員会の上記命令に関し,それぞれ各自の再審査申立てを棄却した部分の取消しを求める事案である。

2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 上告組合は,職業音楽家と音楽関連業務に携わる労働者の個人加盟による職能別労働組合である。
イ 被上告財団は,新国立劇場の施設において現代舞台芸術の公演等を行うとともに同施設の管理運営を行っている財団法人であり,年間を通して多数のオペラ公演を主催している。
(2)ア 被上告財団は,毎年,主催するオペラ公演に出演する新国立劇場合唱団のメンバーを試聴会を開いて選抜し,合格者との間で,8月から翌年7月までの年間シーズンの全ての公演(ただし,被上告財団が当該シーズンの開始前にあらかじめ出演を指定しないものがある。例えば,男声合唱だけの演目には女性団員は出演しないし,他の合唱団が出演する演目もある。)に出演することが可能である契約メンバーと,被上告財団がその都度指定する公演に出演することが可能である登録メンバー(契約メンバーだけでは合唱団のメンバーが足りない場合等に合唱団に加わることになる。)に分けて,出演契約を締結していた。
イ 契約メンバーは毎年40名程度であり,メンバーは毎年入れ替わりがあった。被上告財団が主催するオペラ公演は,年間10~12の公演があり,1公演につき2~8回の上演が行われていた。
(3)ア 試聴会は,次期シーズンの契約を希望する合唱団のメンバー及び公募による参加者を対象に,新国立劇場のオペラ芸術監督や合唱指揮者らがオペラ・アリア等の歌唱技能を審査するものであり,被上告財団は,試聴会の審査結果等により,契約メンバー合格者及び登録メンバー合格者を選抜した。契約メンバー合格者の方が合格に要する技能等の水準が高かった。
イ 被上告財団は,契約メンバー合格者に対して,期間を1年とする出演基本契約の締結を申し出て,面談の上,契約メンバーになることとなった者との間で,同契約を締結し,その上で,各公演ごとに個別公演出演契約を締結していた。これに対し,登録メンバー合格者(契約メンバー合格者のうち,本人の希望又は面談の結果,登録メンバーになることとなった者を含む。)は,被上告財団との間で,その出演する公演ごとに出演契約を締結した。
(4)ア 被上告財団と契約メンバーとの間で締結されていた出演基本契約の主な内容は,次のとおりである。なお,同契約の内容は,被上告財団が一方的に決定しており,各メンバーにより出演対象となる公演が異なるほかは,全ての契約メンバーに共通である。
(ア)被上告財団は,契約メンバーに対し,被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾する。
(イ)契約メンバーが出演する公演(以下「個別公演」という。)は,出演基本契約に係る契約書(以下「出演基本契約書」という。)の別紙「出演公演一覧」に記載のとおりとする(なお,同別紙には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されており,この記載は,各契約メンバーごとに異なっていた。)。
(ウ)契約メンバーは,合唱メンバーとして個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行う。
(エ)契約メンバーが個別公演に出演するに当たり,被上告財団と契約メンバーは,契約メンバーの個別公演への出演を確定し,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等を定めるため,原則として当該個別公演の稽古が開始される月の前々月の末日までに,個別公演出演契約を締結する。個別公演出演契約に係る契約書に記載されない事項については,出演基本契約に従うものとする。
(オ)被上告財団は,契約メンバーに対し,出演業務の遂行に対する報酬を,個別公演出演契約締結の上,個別公演ごとに支払う。報酬は,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価等に基づいて算定する(なお,同別紙には,報酬は公演出演料(1回当たりの金額が定められている。)及び超過稽古手当(超過時間により区分された金額が定められている。)等から成ること,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額すること等が記載されていた。)。
イ 出演基本契約書の条項には,被上告財団が契約メンバーに対して個別公演出演契約の締結を申し出た場合に契約メンバーにその締結を義務付ける旨を明示する規定や,契約メンバーが被上告財団以外の者が主催する公演に出演したり,個人公演を開いたり,個人レッスンをしたりすること等の音楽活動を禁止,制限する規定はなかった。
(5)ア 前記(4)ア(エ)に基づき締結される個別公演出演契約には,出演を確定する個別公演の公演日程等が定められたほか,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等は,同契約に係る契約書に定める特記事項を除き,全て出演基本契約のとおりとすること等が定められた。
イ 被上告財団は,個別公演の稽古等の確定した日程を,その稽古等が行われる月の前々月の末日までに決定し,契約メンバーに提示していた。歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については,合唱指揮者等の指揮があった。また,前記(4)ア(オ)のとおり,出演基本契約上,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額することが定められており,実際にも,契約メンバーは,稽古への参加状況について被上告財団の監督を受けていた。
(6)ア 実際の運用では,契約メンバーが,当該シーズンの一部の個別公演への出演を辞退し,個別公演出演契約を締結しないことがあった。もっとも,辞退の件数は,1シーズンにつき延べ数件程度とかなり少なく,また,辞退の理由の大半は,出産,育児によるものや他の公演への出演によるものであった。
イ 被上告財団は,個別公演への出演を辞退した契約メンバーに対しても,当該契約メンバー本人に特段の希望がある場合や当該契約メンバーが試聴会で不合格となった場合を除き,翌シーズンの出演基本契約の締結を申し出ており,再契約において特に不利な取扱いをしたことはなかった。契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由として被上告財団から制裁を課されたこともなかった。
ウ 契約メンバー合格者は,出演基本契約締結のための面談の際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望された。もっとも,契約メンバーとして同契約を締結するに当たって,全ての個別公演に確定的に出演することができる旨の申告や届出が要求されることはなく,1,2の個別公演には出演することができないという者でも,被上告財団の意向により契約メンバーとなる者がいた。他方,契約メンバー合格者であっても,本人の希望により登録メンバーとなる者や,出演することができる公演が限られることから被上告財団の意向により登録メンバーとなる者がいた。
(7)ア Aは,上告組合に加入している者であり,新国立劇場合唱団の契約メンバーとして,平成11年8月から同15年7月までの4シーズンにわたり,毎年,被上告財団との間で出演基本契約を締結した上,各公演ごとに個別公演出演契約を締結し,公演に出演していた。Aは,その間,被上告財団から,年間約300万円の報酬(超過稽古手当を含む。)を受けていた。
イ Aは,平成13年1月から同年3月まで文化庁在外派遣研修員としてウィーンに派遣され,その間,予定されていた公演への出演を辞退したが,翌シーズンも契約メンバーとして出演基本契約を締結した。
ウ Aが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて,約230日であった。Aは,その間,個人でリサイタルを開いたり,生徒に個人レッスンをするなどの音楽活動も行っていた。
(8)ア Aは,被上告財団から,平成15年2月20日,同年8月から始まるシーズンについて,試聴会の審査の結果,契約メンバーとしては不合格であると告知された(以下,被上告財団がAを不合格としたことを「本件不合格措置」という。)。
イ 上告組合は,平成15年3月4日,被上告財団に対し,文書により,「Aの次期シーズンの契約について」を議題とする団体交渉の申入れ(以下「本件団交申入れ」という。)を行った。これに対し,被上告財団は,同月7日,「A氏と当財団との関係が雇用関係にないので,これを前提とする団体交渉申入れは受諾出来ない」などと文書で回答した。
(9)上告組合は,平成15年5月6日,東京都労働委員会に対し,本件不合格措置及び本件団交申入れに対する被上告財団の対応が不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,本件団交申入れに対する被上告財団の対応は不当労働行為に該当するが本件不合格措置はこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,その余の申立てを棄却する旨の命令を発した。同命令に関し,被上告財団は救済を命じた部分につき,上告組合は申立棄却部分につき,中央労働委員会に対しそれぞれ再審査を申し立てたが,同委員会は,これらの再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発した。

3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,本件団交申入れに対する被上告財団の対応及び本件不合格措置について不当労働行為が成立する余地はないとして,被上告財団の請求を認容し,上告組合の請求を棄却すべきものとした。契約メンバーは,被上告財団と出演基本契約を締結しただけでは個別公演に出演する法的な義務はなく,個別公演出演契約を締結する法的な義務はないというべきであるから,契約メンバーには,労務ないし業務を提供することについて諾否の自由がないとはいえない。また,契約メンバーは,個別公演出演契約を締結しない限り,業務遂行の日時,場所,方法等について被上告財団の指揮監督を受けることはない。さらに,契約メンバーは,出演基本契約を締結しただけでは報酬の支払を受けることはなく,他方で,出演することが予定されている公演はあらかじめ決まっており,予定された公演以外に随時出演を求められることはないから,被上告財団との間の指揮命令,支配監督関係は相当に希薄というべきである。したがって,契約メンバーが被上告財団との間で出演基本契約を締結したことによって,労務ないし業務の処分について被上告財団から指揮命令,支配監督を受ける関係になっているとは認められず,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たるということはできない。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係等によれば,出演基本契約は,年間を通して多数のオペラ公演を主催する被上告財団が,試聴会の審査の結果一定水準以上の歌唱技能を有すると認めた者を,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーとして確保することにより,上記各公演を円滑かつ確実に遂行することを目的として締結されていたものであるといえるから,契約メンバーは,上記各公演の実施に不可欠な歌唱労働力として被上告財団の組織に組み入れられていたものというべきである。また,契約メンバーは,出演基本契約を締結する際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望されており,出演基本契約書には,被上告財団は契約メンバーに対し被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾すること,契約メンバーは個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行うことが記載され,出演基本契約書の別紙「出演公演一覧」には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されていたことなどに照らせば,出演基本契約書の条項に個別公演出演契約の締結を義務付ける旨を明示する規定がなく,契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由に被上告財団から再契約において不利な取扱いを受けたり制裁を課されたりしたことがなかったとしても,そのことから直ちに,契約メンバーが何らの理由もなく全く自由に公演を辞退することができたものということはできず,むしろ,契約メンバーが個別公演への出演を辞退した例は,出産,育児や他の公演への出演等を理由とする僅少なものにとどまっていたことにも鑑みると,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,契約メンバーは,基本的に被上告財団からの個別公演出演の申込みに応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,契約メンバーと被上告財団との間で締結されていた出演基本契約の内容は,被上告財団により一方的に決定され,契約メンバーがいかなる態様で歌唱の労務を提供するかについても,専ら被上告財団が,年間シーズンの公演の件数,演目,各公演の日程及び上演回数,これに要する稽古の日程,その演目の合唱団の構成等を一方的に決定していたのであり,これらの事項につき,契約メンバーの側に交渉の余地があったということはできない。そして,契約メンバーは,このようにして被上告財団により決定された公演日程等に従い、各個別公演及びその稽古につき,被上告財団の指定する日時,場所において,その指定する演目に応じて歌唱の労務を提供していたのであり,歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については被上告財団の選定する合唱指揮者等の指揮を受け,稽古への参加状況については被上告財団の監督を受けていたというのであるから,契約メンバーは,被上告財団の指揮監督の下において歌唱の労務を提供していたものというべきである。なお,公演や稽古の日時,場所等は,上記のとおり専ら被上告財団が一方的に決定しており,契約メンバーであるAが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて約230日であったというのであるから,契約メンバーは時間的にも場所的にも一定の拘束を受けていたものということができる。さらに,契約メンバーは,被上告財団の指示に従って公演及び稽古に参加し歌唱の労務を提供した場合に,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価及び計算方法に基づいて算定された報酬の支払を受けていたのであり,予定された時間を超えて稽古に参加した場合には超過時間により区分された超過稽古手当も支払われており,Aに支払われていた報酬(上記手当を含む。)の金額の合計は年間約300万円であったというのであるから,その報酬は,歌唱の労務の提供それ自体の対価であるとみるのが相当である。以上の諸事情を総合考慮すれば,契約メンバーであるAは,被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。 
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そこで,Aが被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たることを前提とした上で,被上告財団が本件不合格措置を採ったこと及び本件団交申入れに応じなかったことが不当労働行為に当たるか否かについて更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見により,主文のとおり判決する。

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+判例(H23.4.12)INAXメンテナンス
 上告代理人諏訪康雄ほかの上告受理申立て理由,上告補助参加代理人村田浩治ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は,住宅設備機器の修理補修等を業とする会社である被上告人が,被上告人と業務委託契約を締結してその修理補修等の業務に従事する者(被上告人の内部においてカスタマーエンジニアと称されていた。以下「CE」という。)が加入した労働組合である上告補助参加人らからCEの労働条件の変更等を議題とする団体交渉の申入れを受け,CEは被上告人の労働者に当たらないとして上記申入れを拒絶したところ,上告補助参加人らの申立てを受けた大阪府労働委員会から被上告人が上記申入れに係る団体交渉に応じないことは不当労働行為に該当するとして上記団体交渉に応ずべきこと等を命じられ,中央労働委員会に対し再審査申立てをしたものの,これを棄却するとの命令(以下「本件命令」という。)を受けたため,その取消しを求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 被上告人は,親会社である株式会社C(以下「C」という。)が製造したトイレ,浴室,洗面台,台所等に係る住宅設備機器の修理補修等を主たる事業とする株式会社である。被上告人の従業員約200名のうち修理補修業務に従事する可能性がある者は,サービス長(平成19年当時の人員数は11名で,通常は全国に57か所あるサービスセンターの管理を行う。)及びFGと呼ばれる技術担当者(平成19年当時の人員数は16名で,難易度の高い修理やCEの研修等を担当する。)に限定されており,修理補修業務の大部分は約590名いるCEによって行われていた。
イ 上告補助参加人A一般労働組合B本部は,主に運輸業に従事する労働者によって組織された労働組合であり,上告補助参加人A一般労働組合D支部は,その下部組織である。A一般労働組合建設D支部E分会(以下,上告補助参加人らと併せて「本件各組合」と総称する。)は,CEによって組織された上告補助参加人らの下部組織である。
(2)被上告人は,CEになろうとする者との間で,「業務委託に関する覚書」と題する文書に記載した内容で業務委託契約を締結していた。上記契約等の概要は,以下のとおりである。
ア 被上告人とCEとは,それぞれ独立した事業者であることを認識した上で契約を遂行し(1条),委託業務の内容は,C製品全般のアフターサービス(修理,点検),リフレッシュサービス及び販売・取付けその他関連業務である(3条)。被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,各CEがCE認定制度に定める基準に基づく資格要件を満たしていることを確認するとともに,能力,実績,経験等を基準に級を毎年定めるCEライセンス制度を導入する(2条)。
イ 被上告人は,CEが居住する地域等を考慮の上,管轄する営業所及びサービスセンターを決定し,CEは,善良なる管理者の注意をもって業務を直ちに遂行するが,業務を遂行することができないときはその旨及び理由を直ちに被上告人に通知する(4条)。CEは,業務遂行後,遅滞なく被上告人及び関係先に経過及び完了の報告を行い(5条),毎月5日までに翌月の業務計画(発注連絡を取ることができる日時)を被上告人に通知し(ただし,業務計画については,被上告人において諸事情を勘案して一部変更することがある。11条),被上告人から無償貸与される制服を着用する(8条)。
ウ 業務委託契約は,双方に異議がないときは,1年ごとに更新される(18条)。
 なお,業務委託契約には業務遂行の方法等について特段の定めは置かれていないが,同契約とは別に,被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国で一定水準以上の技術による確実な事務の遂行に資するため,CEに対し,業務マニュアル,安全マニュアル,修理マニュアル,新人研修マニュアル等,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法,CEとしての心構えや役割,接客態度等を記載した各種のマニュアルを配布し,これに基づく業務の遂行を求めていた。
(3)業務委託手数料は,顧客又はCにCEがそれぞれ請求する金額に,ランキング制度において当該CEの属する級ごとに定められた一定率を乗ずる方法で支払うものとされていた。被上告人は,毎年1回,CEの能力,実績及び経験を基にCEを評価し,5段階ある級の昇格,更新及び降格の判定を行っていた。
 顧客等に対する請求金額は,商品や修理内容に従って被上告人があらかじめ全国一律で決定していた。CEは,修理補修等の難易度や別のCEを補助者として使用したこと等を理由にある程度割増しして請求することも認められていたが,これは被上告人の従業員であるサービス長等が修理補修等を行った場合においても同様であった。
 また,被上告人は,CEに対し,休日や委託時間帯以外の時間に業務を委託する場合には別途定める業務委託手数料を支払うとともに,移動距離に応じて出張料を支払っていた。
(4)ア 被上告人は,全国を7区分して各地域ごとに営業所を置き,その下に複数のサービスセンターを配置した。そして,CEの居住場所や過去の業務発生状況等に従って各サービスセンターの管轄区域を細分化し,CEの担当地域を決定していた(一つの地域に複数のCEを順位を付けて担当させることもあった。)。また,被上告人は,各CEと調整した上でその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日の業務についても,各CEが交替で業務を担当するよう要請していた。
イ 被上告人は,顧客からの修理補修等の発注を全国に4か所ある修理受付センターで受け付けた後,顧客の所在場所を担当地域とするCEにこれを割り振って委託業務として依頼していた。その依頼は,原則として業務日の午前8時30分から午後7時までの間に,緊急を要する場合等には修理受付センターからCEに直接電話する方法で,それ以外の通常の場合にはCEに対してあらかじめ所持することが指示されている情報端末に修理依頼データ(訪問日時,顧客の氏名・電話番号・住所,対象となる商品の商品番号及びその取付け年月日,修理依頼内容等)を送信する方法で行われていた。
 依頼を受けたCEが応諾した場合には当該CEが修理補修等を遂行するが,当該CEが断った場合等には、被上告人は,順位が下位のCE又は別の担当地域のCEに依頼し,又はサービスセンターにいる被上告人の従業員にこれを遂行させていた。修理依頼データを送信する方法が採られる場合,CEが承諾拒否通知をする割合は1%弱であった。CEが承諾を拒否した理由がたとい業務の遂行とは無関係の事情によるものであったとしても,被上告人がそのことをもって業務委託契約の債務不履行であると判断することはなかった。
ウ CEは,修理補修等の依頼を受けた後,直ちに顧客と連絡を取って修理補修等の日時を調整し,調整された時間に顧客先等を訪問して修理補修等の作業を行っていた。その際,CEは,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,場合によっては顧客先でC製品のリフォーム等の営業活動も行っていた。 
 CEは,修理依頼データを受信し,かつ,承諾拒否通知をしなかったものの業務に対応することができない場合には,被上告人にその旨を報告した上で他のCEにこれを委ねることも認められており,発注件数の約6%はこの方法によりCEの変更手続がとられていた。
エ CEは,修理補修等の業務が終了したときは,顧客に対し,被上告人所定の検査確認用紙に署名押印を求め,顧客の名前,住所,業務日,業務内容,所定の料金その他を記載したサービス報告書を被上告人に送付していた。また,CEは,顧客から代金を回収し,これを週1回程度被上告人に振込送金していた。その他,CEは,業務日ごとに行動の予定,経過,結果等を被上告人に報告することになっていた。
オ 平成16年7月当時,CEの作業時間は1件平均約70分,1日平均計3.7時間であり,被上告人からの平均依頼件数は月113件,平均休日取得日数は月5.8日であった。
(5)本件各組合は,平成16年9月6日,被上告人に対し,連名で,CEが上告補助参加人らに加入したことなどが記載された労働組合加入通知書とともに,不当労働行為を行わないこと,組合員の労働条件の変更等は本件各組合と事前協議し,合意の上で実施すること,組合員の契約内容の変更や解除は一方的に行わず,本件各組合と協議し,合意の上実施すること,組合員の手当,割増賃金及び出張費等を支払うこと,組合員の年収の保障(最低年収550万円)をすること,その貸与する機材の損傷等に関しては被上告人において負担すること,CE全員を労働者災害補償保険に加入させること等を要求する書面(これらの要求項目を以下「本件議題」という。)を提出し,同時に,本件議題について団体交渉の申入れをした。
 被上告人は,本件各組合に対し,同月15日,CEは独立した個人事業主であることを確認の上で業務委託契約を締結しており,労働組合法上の労働者に当たらないので,被上告人には団体交渉に応ずる義務はなく,CEの要望は各地区ごとの会議で聴取する旨記載した回答書を交付した。
 その後も,本件各組合は,被上告人に対し,本件議題に係る団体交渉の申入れを3回にわたって行ったが,被上告人は,その都度,同様の理由により,本件各組合との団体交渉に応ずる義務はない旨回答した。
(6)上告補助参加人らは,平成17年1月27日,大阪府労働委員会に対し,被上告人が上記(5)の各申入れに係る団体交渉に応じなかったことは不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,被上告人の対応は不当労働行為に該当するとして,被上告人に対し団体交渉に応ずべきこと等を命ずる旨の救済命令を発した。被上告人は中央労働委員会に対し再審査申立てをしたが,同委員会は,これを棄却する旨の本件命令を発した。
3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,CEは被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,上告補助参加人らによる上記各申入れに対する被上告人の対応について不当労働行為が成立する余地はないとして,本件命令を取り消すべきものとした。
 CEは,被上告人と業務委託契約を締結しているものであるが,個別の業務は被上告人からの発注を承諾することによって行っており,上記契約とは無関係の理由によってこれを拒絶することが認められているなど,業務の依頼に対して諾否の自由を有しており,業務を実際にいついかなる方法で行うかについては全面的にその裁量に委ねられているなど,業務の遂行に当たり時間的場所的拘束を受けず,業務の遂行について被上告人から具体的な指揮監督を受けることもなく,その報酬も,CEの裁量による請求額の増額を認めた上でその行った業務の内容に応じた出来高として支払われており,独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていた。したがって,CEの基本的性格は,被上告人の業務受託者であり,いわゆる外注先とみるのが実体に合致して相当というべきであって,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たるということはできない。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記事実関係等によれば,被上告人の従業員のうち,被上告人の主たる事業であるCの住宅設備機器に係る修理補修業務を現実に行う可能性がある者はごく一部であって,被上告人は,主として約590名いるCEをライセンス制度やランキング制度の下で管理し,全国の担当地域に配置を割り振って日常的な修理補修等の業務に対応させていたものである上,各CEと調整しつつその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日についても各CEが交替で業務を担当するよう要請していたというのであるから,CEは,被上告人の上記事業の遂行に不可欠な労働力として,その恒常的な確保のために被上告人の組織に組み入れられていたものとみるのが相当である。また,CEと被上告人との間の業務委託契約の内容は,被上告人の定めた「業務委託に関する覚書」によって規律されており,個別の修理補修等の依頼内容をCEの側で変更する余地がなかったことも明らかであるから,被上告人がCEとの間の契約内容を一方的に決定していたものというべきである。さらに,CEの報酬は,CEが被上告人による個別の業務委託に応じて修理補修等を行った場合に,被上告人が商品や修理内容に従ってあらかじめ決定した顧客等に対する請求金額に,当該CEにつき被上告人が決定した級ごとに定められた一定率を乗じ,これに時間外手当等に相当する金額を加算する方法で支払われていたのであるから,労務の提供の対価としての性質を有するものということができる。加えて,被上告人から修理補修等の依頼を受けた場合,CEは業務を直ちに遂行するものとされ,原則的な依頼方法である修理依頼データの送信を受けた場合にCEが承諾拒否通知を行う割合は1%弱であったというのであって,業務委託契約の存続期間は1年間で被上告人に異議があれば更新されないものとされていたこと,各CEの報酬額は当該CEにつき被上告人が毎年決定する級によって差が生じており,その担当地域も被上告人が決定していたこと等にも照らすと,たといCEが承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,CEは,基本的に被上告人による個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,CEは,被上告人が指定した担当地域内において,被上告人からの依頼に係る顧客先で修理補修等の業務を行うものであり,原則として業務日の午前8時半から午後7時までは被上告人から発注連絡を受けることになっていた上,顧客先に赴いて上記の業務を行う際,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,業務終了時には業務内容等に関する所定の様式のサービス報告書を被上告人に送付するものとされていたほか,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国的な技術水準の確保のため,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法に加え,CEとしての心構えや役割,接客態度等までが記載された各種のマニュアルの配布を受け,これに基づく業務の遂行を求められていたというのであるから,CEは,被上告人の指定する業務遂行方法に従い,その指揮監督の下に労務の提供を行っており,かつ,その業務について場所的にも時間的にも一定の拘束を受けていたものということができる。
 なお,原審は,CEは独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていたともいうが,前記事実関係等によれば,平均的なCEにとって独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかったものと推認される上,記録によっても,CEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在していなかったことがうかがわれるのであって,そのような例外的な事象を重視することは相当とはいえない。
 以上の諸事情を総合考慮すれば,CEは,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,前記事実関係等によれば,本件議題はいずれもCEの労働条件その他の待遇又は上告補助参加人らと被上告人との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって,かつ,被上告人が決定することができるものと解されるから,被上告人が正当な理由なく上告補助参加人らとの団体交渉を拒否することは許されず,CEが労働組合法上の労働者に当たらないとの理由でこれを拒否した被上告人の行為は,労働組合法7条2号の不当労働行為を構成するものというべきである。したがって,本件命令の取消しを求める被上告人の請求を棄却した第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴を棄却することとする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。
 裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
 本件では,被上告人は,CEは独立した事業者であり,被上告人とCEとの契約関係は,被上告人が行う業務の一部の業務委託であって一般の外注契約関係と異ならないと主張し,原審は,その主張を認めてCEは労働組合法上の労働者には該たらないと認定していることに鑑み,以下のとおり補足意見を述べる。
 原判決の認定によれば,被上告人は,Cブランドの住宅設備機器のアフターメンテナンスを主力事業とする会社であり,Cのブランドイメージを低下させないよう全国一律に一定水準の技術をもって確実に修理補修等を行うことを目的として,認定制度やランキング制度を伴うCE制度を導入した。
 上記制度の趣旨からすれば,本来,CE制度の対象者は,CE制度の求める技術者(以下「有資格者」という。)を擁して,その制度の求める業務を提供する能力を備えているならば,法人であるか個人事業者であるかを問わず,また,その者がCEとしての業務以外に主たる業務を有していても差し支えないことになる。また,その者が有資格者を複数擁しているときは,業務委託契約書に定める管轄営業所及びサービスセンターを複数選定することもなし得ることになる。このように,CE制度の対象者がCE制度の求める業務以外に主たる業務を行っていたり,CE制度の対象者が複数の有資格者を雇傭し複数の管轄営業所やサービスセンターを担当しているような場合には,少なくとも当該事業者と被上告人との契約関係は純然たる業務委託契約であって,一般の外注契約関係と異ならないものといえよう。
 ところが,本件では,記録上,被上告人のCE募集広告の一部に,「個人,法人共に可」との記載は見られるものの,被上告人と本件業務委託契約を締結しているCE中に法人が含まれるとの主張はない。また,本件で証拠として提出されている業務委託契約書(第1審判決・別紙4)の様式及びその内容は,専ら有資格者が自ら個人として直接の受託者となる場合を予定するものであり,過去においてもこれと異なる態様で本件業務委託契約が締結されたことをうかがわせる証拠は存しない。そして,法廷意見において指摘するとおり,本件業務委託契約の内容及びその委託業務履行の実態からして,CEがCEとしての業務以外に主たる業務を有していることもうかがわれない。
 さらに,それに加えて,被上告人がインターネットに掲示していたCEの募集広告では,「勤務地」,「勤務時間」,「給与」,「待遇・福利厚生」,「休日・休暇」等の項目の記載があり,それらの各項目からして,その募集広告は,被上告人が行う事業に係る外注業者を募集する内容とは到底いえず,また,本件業務委託契約の内容を補充する「CEライセンス制度」の説明文中には,「福利厚生及び功労的特典」として「健康診断」,「慶弔会」,「リフレッシュ休暇手当」(契約10年目以後5年ごとに金券を支給するもの),「休業保障」(忌引き)等,独立した事業者との契約内容にそぐわない事項が定められている。また,被上告人がCEに携行させていた名刺には,氏名の肩書きに「○○サービスセンター」と記載し,氏名の下部には被上告人の会社名のみが記載されており,平成14年ころまでCEに携行させていた身分証明書には,「上記の者は,当社従業員であることを証明します」と記載して,被上告人の会社名を記載して押印したものが発行されていた(その後「上記の者は当社が製品のメンテナンス業務を委託する者であることを証明します」との証明書に変更されていると認められる)のである。
 以上の事実関係からすれば,CEが労働組合法上の労働者に該当することは明らかであって,それを否定する余地はないというべきである。

+判例(H23.4.12)オペラの方
 平成21年(行ヒ)第226号上告代理人廣見和夫ほかの上告受理申立て理由,同上告参加代理人古川景一,同川口美貴の各上告受理申立て理由及び同第227号上告代理人古川景一,同川口美貴,同水口洋介ほかの各上告受理申立て理由について
1 本件は,年間を通して多数のオペラ公演を主催している財団法人である平成21年(行ヒ)第226号被上告人・同第227号被上告参加人X1(以下「被上告財団」という。)が,音楽家等の個人加盟による職能別労働組合である平成21年(行ヒ)第226号上告参加人・同第227号上告人X2(以下「上告組合」という。)に加入している合唱団員1名につき,毎年実施する合唱団員選抜の手続において,過去4年間は,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーの合唱団員として合格とし,その者との間で期間1年の出演基本契約を締結していたが,次期シーズンについては上記の者を不合格としたこと及びこのことに関する上告組合からの団体交渉の申入れに応じなかったことについて,東京都労働委員会において,被上告財団が上記申入れに応じなかったことは不当労働行為に該当するが上記の者を不合格としたことはこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,上告組合のその余の申立てを棄却する旨の命令を発し,中央労働委員会において,被上告財団及び上告組合の各再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発したため,被上告財団及び上告組合が,中央労働委員会の上記命令に関し,それぞれ各自の再審査申立てを棄却した部分の取消しを求める事案である。
2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 上告組合は,職業音楽家と音楽関連業務に携わる労働者の個人加盟による職能別労働組合である。
イ 被上告財団は,新国立劇場の施設において現代舞台芸術の公演等を行うとともに同施設の管理運営を行っている財団法人であり,年間を通して多数のオペラ公演を主催している。
(2)ア 被上告財団は,毎年,主催するオペラ公演に出演する新国立劇場合唱団のメンバーを試聴会を開いて選抜し,合格者との間で,8月から翌年7月までの年間シーズンの全ての公演(ただし,被上告財団が当該シーズンの開始前にあらかじめ出演を指定しないものがある。例えば,男声合唱だけの演目には女性団員は出演しないし,他の合唱団が出演する演目もある。)に出演することが可能である契約メンバーと,被上告財団がその都度指定する公演に出演することが可能である登録メンバー(契約メンバーだけでは合唱団のメンバーが足りない場合等に合唱団に加わることになる。)に分けて,出演契約を締結していた。
イ 契約メンバーは毎年40名程度であり,メンバーは毎年入れ替わりがあった。被上告財団が主催するオペラ公演は,年間10~12の公演があり,1公演につき2~8回の上演が行われていた。
(3)ア 試聴会は,次期シーズンの契約を希望する合唱団のメンバー及び公募による参加者を対象に,新国立劇場のオペラ芸術監督や合唱指揮者らがオペラ・アリア等の歌唱技能を審査するものであり,被上告財団は,試聴会の審査結果等により,契約メンバー合格者及び登録メンバー合格者を選抜した。契約メンバー合格者の方が合格に要する技能等の水準が高かった。
イ 被上告財団は,契約メンバー合格者に対して,期間を1年とする出演基本契約の締結を申し出て,面談の上,契約メンバーになることとなった者との間で,同契約を締結し,その上で,各公演ごとに個別公演出演契約を締結していた。これに対し,登録メンバー合格者(契約メンバー合格者のうち,本人の希望又は面談の結果,登録メンバーになることとなった者を含む。)は,被上告財団との間で,その出演する公演ごとに出演契約を締結した。
(4)ア 被上告財団と契約メンバーとの間で締結されていた出演基本契約の主な内容は,次のとおりである。なお,同契約の内容は,被上告財団が一方的に決定しており,各メンバーにより出演対象となる公演が異なるほかは,全ての契約メンバーに共通である。
(ア)被上告財団は,契約メンバーに対し,被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾する。
(イ)契約メンバーが出演する公演(以下「個別公演」という。)は,出演基本契約に係る契約書(以下「出演基本契約書」という。)の別紙「出演公演一覧」に記載のとおりとする(なお,同別紙には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されており,この記載は,各契約メンバーごとに異なっていた。)。
(ウ)契約メンバーは,合唱メンバーとして個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行う。
(エ)契約メンバーが個別公演に出演するに当たり,被上告財団と契約メンバーは,契約メンバーの個別公演への出演を確定し,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等を定めるため,原則として当該個別公演の稽古が開始される月の前々月の末日までに,個別公演出演契約を締結する。個別公演出演契約に係る契約書に記載されない事項については,出演基本契約に従うものとする。
(オ)被上告財団は,契約メンバーに対し,出演業務の遂行に対する報酬を,個別公演出演契約締結の上,個別公演ごとに支払う。報酬は,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価等に基づいて算定する(なお,同別紙には,報酬は公演出演料(1回当たりの金額が定められている。)及び超過稽古手当(超過時間により区分された金額が定められている。)等から成ること,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額すること等が記載されていた。)。
イ 出演基本契約書の条項には,被上告財団が契約メンバーに対して個別公演出演契約の締結を申し出た場合に契約メンバーにその締結を義務付ける旨を明示する規定や,契約メンバーが被上告財団以外の者が主催する公演に出演したり,個人公演を開いたり,個人レッスンをしたりすること等の音楽活動を禁止,制限する規定はなかった。
(5)ア 前記(4)ア(エ)に基づき締結される個別公演出演契約には,出演を確定する個別公演の公演日程等が定められたほか,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等は,同契約に係る契約書に定める特記事項を除き,全て出演基本契約のとおりとすること等が定められた。
イ 被上告財団は,個別公演の稽古等の確定した日程を,その稽古等が行われる月の前々月の末日までに決定し,契約メンバーに提示していた。歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については,合唱指揮者等の指揮があった。また,前記(4)ア(オ)のとおり,出演基本契約上,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額することが定められており,実際にも,契約メンバーは,稽古への参加状況について被上告財団の監督を受けていた。
(6)ア 実際の運用では,契約メンバーが,当該シーズンの一部の個別公演への出演を辞退し,個別公演出演契約を締結しないことがあった。もっとも,辞退の件数は,1シーズンにつき延べ数件程度とかなり少なく,また,辞退の理由の大半は,出産,育児によるものや他の公演への出演によるものであった。
イ 被上告財団は,個別公演への出演を辞退した契約メンバーに対しても,当該契約メンバー本人に特段の希望がある場合や当該契約メンバーが試聴会で不合格となった場合を除き,翌シーズンの出演基本契約の締結を申し出ており,再契約において特に不利な取扱いをしたことはなかった。契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由として被上告財団から制裁を課されたこともなかった。
ウ 契約メンバー合格者は,出演基本契約締結のための面談の際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望された。もっとも,契約メンバーとして同契約を締結するに当たって,全ての個別公演に確定的に出演することができる旨の申告や届出が要求されることはなく,1,2の個別公演には出演することができないという者でも,被上告財団の意向により契約メンバーとなる者がいた。他方,契約メンバー合格者であっても,本人の希望により登録メンバーとなる者や,出演することができる公演が限られることから被上告財団の意向により登録メンバーとなる者がいた。
(7)ア Aは,上告組合に加入している者であり,新国立劇場合唱団の契約メンバーとして,平成11年8月から同15年7月までの4シーズンにわたり,毎年,被上告財団との間で出演基本契約を締結した上,各公演ごとに個別公演出演契約を締結し,公演に出演していた。Aは,その間,被上告財団から,年間約300万円の報酬(超過稽古手当を含む。)を受けていた。
イ Aは,平成13年1月から同年3月まで文化庁在外派遣研修員としてウィーンに派遣され,その間,予定されていた公演への出演を辞退したが,翌シーズンも契約メンバーとして出演基本契約を締結した。
ウ Aが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて,約230日であった。Aは,その間,個人でリサイタルを開いたり,生徒に個人レッスンをするなどの音楽活動も行っていた。
(8)ア Aは,被上告財団から,平成15年2月20日,同年8月から始まるシーズンについて,試聴会の審査の結果,契約メンバーとしては不合格であると告知された(以下,被上告財団がAを不合格としたことを「本件不合格措置」という。)。
イ 上告組合は,平成15年3月4日,被上告財団に対し,文書により,「Aの次期シーズンの契約について」を議題とする団体交渉の申入れ(以下「本件団交申入れ」という。)を行った。これに対し,被上告財団は,同月7日,「A氏と当財団との関係が雇用関係にないので,これを前提とする団体交渉申入れは受諾出来ない」などと文書で回答した。
(9)上告組合は,平成15年5月6日,東京都労働委員会に対し,本件不合格措置及び本件団交申入れに対する被上告財団の対応が不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,本件団交申入れに対する被上告財団の対応は不当労働行為に該当するが本件不合格措置はこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,その余の申立てを棄却する旨の命令を発した。同命令に関し,被上告財団は救済を命じた部分につき,上告組合は申立棄却部分につき,中央労働委員会に対しそれぞれ再審査を申し立てたが,同委員会は,これらの再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発した。
3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,本件団交申入れに対する被上告財団の対応及び本件不合格措置について不当労働行為が成立する余地はないとして,被上告財団の請求を認容し,上告組合の請求を棄却すべきものとした。
 契約メンバーは,被上告財団と出演基本契約を締結しただけでは個別公演に出演する法的な義務はなく,個別公演出演契約を締結する法的な義務はないというべきであるから,契約メンバーには,労務ないし業務を提供することについて諾否の自由がないとはいえない。また,契約メンバーは,個別公演出演契約を締結しない限り,業務遂行の日時,場所,方法等について被上告財団の指揮監督を受けることはない。さらに,契約メンバーは,出演基本契約を締結しただけでは報酬の支払を受けることはなく,他方で,出演することが予定されている公演はあらかじめ決まっており,予定された公演以外に随時出演を求められることはないから,被上告財団との間の指揮命令,支配監督関係は相当に希薄というべきである。したがって,契約メンバーが被上告財団との間で出演基本契約を締結したことによって,労務ないし業務の処分について被上告財団から指揮命令,支配監督を受ける関係になっているとは認められず,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たるということはできない。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記事実関係等によれば,出演基本契約は,年間を通して多数のオペラ公演を主催する被上告財団が,試聴会の審査の結果一定水準以上の歌唱技能を有すると認めた者を,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーとして確保することにより,上記各公演を円滑かつ確実に遂行することを目的として締結されていたものであるといえるから,契約メンバーは,上記各公演の実施に不可欠な歌唱労働力として被上告財団の組織に組み入れられていたものというべきである。また,契約メンバーは,出演基本契約を締結する際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望されており,出演基本契約書には,被上告財団は契約メンバーに対し被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾すること,契約メンバーは個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行うことが記載され,出演基本契約書の別紙「出演公演一覧」には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されていたことなどに照らせば,出演基本契約書の条項に個別公演出演契約の締結を義務付ける旨を明示する規定がなく,契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由に被上告財団から再契約において不利な取扱いを受けたり制裁を課されたりしたことがなかったとしても,そのことから直ちに,契約メンバーが何らの理由もなく全く自由に公演を辞退することができたものということはできず,むしろ,契約メンバーが個別公演への出演を辞退した例は,出産,育児や他の公演への出演等を理由とする僅少なものにとどまっていたことにも鑑みると,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,契約メンバーは,基本的に被上告財団からの個別公演出演の申込みに応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,契約メンバーと被上告財団との間で締結されていた出演基本契約の内容は,被上告財団により一方的に決定され,契約メンバーがいかなる態様で歌唱の労務を提供するかについても,専ら被上告財団が,年間シーズンの公演の件数,演目,各公演の日程及び上演回数,これに要する稽古の日程,その演目の合唱団の構成等を一方的に決定していたのであり,これらの事項につき,契約メンバーの側に交渉の余地があったということはできない。そして,契約メンバーは,このようにして被上告財団により決定された公演日程等に従い、各個別公演及びその稽古につき,被上告財団の指定する日時,場所において,その指定する演目に応じて歌唱の労務を提供していたのであり,歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については被上告財団の選定する合唱指揮者等の指揮を受け,稽古への参加状況については被上告財団の監督を受けていたというのであるから,契約メンバーは,被上告財団の指揮監督の下において歌唱の労務を提供していたものというべきである。なお,公演や稽古の日時,場所等は,上記のとおり専ら被上告財団が一方的に決定しており,契約メンバーであるAが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて約230日であったというのであるから,契約メンバーは時間的にも場所的にも一定の拘束を受けていたものということができる。さらに,契約メンバーは,被上告財団の指示に従って公演及び稽古に参加し歌唱の労務を提供した場合に,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価及び計算方法に基づいて算定された報酬の支払を受けていたのであり,予定された時間を超えて稽古に参加した場合には超過時間により区分された超過稽古手当も支払われており,Aに支払われていた報酬(上記手当を含む。)の金額の合計は年間約300万円であったというのであるから,その報酬は,歌唱の労務の提供それ自体の対価であるとみるのが相当である。
 以上の諸事情を総合考慮すれば,契約メンバーであるAは,被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。 
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そこで,Aが被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たることを前提とした上で,被上告財団が本件不合格措置を採ったこと及び本件団交申入れに応じなかったことが不当労働行為に当たるか否かについて更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見により,主文のとおり判決する。

労働法 労働法総論 労働関係の当事者 労働者 雇用関係上の労働者


1.雇用関係法上の労働者
(1)労基法の適用対象たる労働者

+(定義)
労働基準法第9条  
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

・「使用」されるとは、他人の指揮命令ないし具体的指示のもとに労働を提供すること(指揮監督下の労働)を指す

・「賃金」とは、
+労働基準法第11条  
この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。

・適用除外
+(適用除外)
労働基準法第116条
1項 第1条から第11条まで、次項、第117条から第119条まで及び第121条の規定を除き、この法律は、船員法第1条第1項に規定する船員については、適用しない。
2項 この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

・労災保険法には明文の規定はないものの、「労働者」の範囲は労基法のものと一致。

(2)労働契約の当事者たる労働者

(定義)
労働契約法第2条  
1項 この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2項 この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

・労基法上の労働者と基本的に一致!
・労働契約法では家事使用人は適用除外の対象とはされていない!

(3)労働者性の判断基準

労基法の労働者性の判断に当たって「使用従属性」という基準を用いる!
「使用従属性」=指揮監督関係+賃金支払い
契約の形式にかかわらず、客観的な就労状態に着目し、様々な要素を総合的に考慮し「使用従属性」の有無や程度を判断している!
その判断要素
仕事の依頼、業務の指示等に対する拒否の自由の有無
業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無
勤務場所・時間についての指定・管理の有無
④労務提供の代替性の有無
⑤報酬の労務対称性
⑥事業者性の有無(機械や機器の負担関係、報酬の額など)
⑦専属制の程度
⑧公租公課の負担(源泉徴収や社会保険料の控除の有無)

+判例(H8.11.28)横浜南労基署長(旭紙業)事件
理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由第一について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

その余の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。
原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人は、自己の所有するトラックを旭紙業株式会社の横浜工場に持ち込み、同社の運送係の指示に従い、同社の製品の運送業務に従事していた者であるが、(1) 同社の上告人に対する業務の遂行に関する指示は、原則として、運送物品、運送先及び納入時刻に限られ、運転経路、出発時刻、運転方法等には及ばず、また、一回の運送業務を終えて次の運送業務の指示があるまでは、運送以外の別の仕事が指示されるということはなかった、(2) 勤務時間については、同社の一般の従業員のように始業時刻及び終業時刻が定められていたわけではなく、当日の運送業務を終えた後は、翌日の最初の運送業務の指示を受け、その荷積みを終えたならば帰宅することができ、翌日は出社することなく、直接最初の運送先に対する運送業務を行うこととされていた、(3) 報酬は、トラックの積載可能量と運送距離によって定まる運賃表により出来高が支払われていた、(4) 上告人の所有するトラックの購入代金はもとより、ガソリン代、修理費、運送の際の高速道路料金等も、すべて上告人が負担していた、(5) 上告人に対する報酬の支払に当たっては、所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除はされておらず、上告人は、右報酬を事業所得として確定申告をしたというのである。
右事実関係の下においては、上告人は、業務用機材であるトラックを所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していたものである上、旭紙業は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示をしていた以外には、上告人の業務の遂行に関し、特段の指揮監督を行っていたとはいえず時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、上告人が旭紙業の指揮監督の下で労務を提供していたと評価するには足りないものといわざるを得ない。そして、報酬の支払方法、公租公課の負担等についてみても、上告人が労働基準法上の労働者に該当すると解するのを相当とする事情はない。そうであれば、上告人は、専属的に旭紙業の製品の運送業務に携わっており、同社の運送係の指示を拒否する自由はなかったこと、毎日の始業時刻及び終業時刻は、右運送係の指示内容のいかんによって事実上決定されることになること、右運賃表に定められた運賃は、トラック協会が定める運賃表による運送料よりも一割五分低い額とされていたことなど原審が適法に確定したその余の事実関係を考慮しても、上告人は、労働基準法上の労働者ということはできず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。この点に関する原審の判断は、その結論において是認することができる。
論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、原判決の結論に影響しない説示部分を論難するに帰し、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

++上告理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由
原審判決には、以下論じるように多くの誤りがあり、直ちに破棄されるべきである。
第一 原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決の破棄を求める。
一、労基法上の労働者と労災保険法上の労働者
1、労災保険法は、労基法上の使用者の災害補償責任を前提として、その迅速確実な実施を確保するために、昭和二二年(一九四七年)労基法と同時に制定された。労基法は、その八四条第一項で同一の事由に基づいて労災保険法により労基法の災害補償に相当する保険給付が行われる場合、使用者はその限度において補償の責任を免れることを明らかにしている。
制定当時、労災保険法は、このように零細事業を除く災害率の比較的高い事業を強制適用事業とし、国が保険者となって労基法の災害補償と同一内容の保険給付を行う責任保険的役割を担うものとしてスタートした。
2、しかし、戦後しばらくして始まったわが国の高度経済成長にともない産業社会の複雑化と多元化は急速に進展し、これを背景として労働力を提供する側(働く側)の労働形態・業務形態も複雑化かつ多様化を余儀なくされるようになった。このような事態は、働く側が求めてのものではなく、使用者側がその利潤の増大を図る目的で働く側に強いる形により現実化してきたものであった。上告人のような車持ち込み運転手もこのような過程で生まれてきた労働形態の一つである。
また、高度経済成長・産業社会が進む一方、この進展を支える働く側に数多くの、かつ、新しい形の労働災害が発生し、これを単にこれまでの労基法の規定の適用だけでは十分に補償出来ない事態が発生するようにもなってきた。労基法の規定の適用だけでは、保護しえない働く人々が現実に現れてきた。すなわち、労災保険法がその制定に当たってその目的としていた労基法の災害補償に対応することに限定された責任保険的役割だけでは、労災保険法が社会の進展に応えることが出来なくなったのである。
3、こうして労災保険法は、働く側の保護を全面に押し出す形で、労基法とは別に、制定後一三年ほどした昭和三五年(一九六〇年)以降、労基法の改正を伴うことなしに数度の改正を独自に行ってきた。具体的には、当初零細事業を除く形で適用されていた労災保険法が全ての事業に強制適用されるようになった他、次のような労基法にはない制度が労災保険法に導入されてきた。
(一) 給付の年金化
労基法上の障害補償は、一時金とされている。これに対して、労災保険法では、障害等級表に定める障害等級に応じて年金または一時金が支給されることになっている(同法一五条)。すなわち、障害等級表の一級から七級までの重い障害については年金が、それよりも程度の比較的軽い障害については一時金がそれぞれ支給されることになっている。
また、労基法の遺族補償は、一時金とされているが、労災保険法では年金と一時金の二種類が定められ(同法一六条)、一時金は年金の受給資格がないときに支給されるとされていることから、労災保険法では年金による支給が原則とされるようになった。
(二) 通勤途上災害に対する保険給付の実施
労基法上、通勤途上の災害は保護されるべき災害ではないとされている。しかし、都市生活の過密化やモータリゼーションの進展・通勤距離の拡大などのため、通勤途上災害は増加の一途をたどり、働く者の生活に深刻な影響を及ぼすようになった。そこで、働く者を保護する見地から、昭和四八年(一九七三年)労災保険法が改正され、同法の中に通勤災害に対する給付制度がもうけられ、業務上災害に準じた保険給付が行われることになった。
このようなことに加え、自営業者や家族従業者などの労基法非適用者の特別加入制度の新設もあり、労災保険法における労基法に対応する責任保険的役割の後退が顕著になり、労災保険法の労基法からの独立化が著しくなった。
4、ところで、労働者という概念を同じく用いている労基法と労災保険法であるが、この両者における労働者の意味するところが同一である必要は必ずしもない。むしろ、それぞれの法の目的を考え、その目的に応じた概念を与えることが必要であり、そのように概念を構築することがそれぞれの法を生かすことにも通じるのである。この点、労組法三条の労働者と労基法九条の労働者とは異なる意味を有しているが、このことは当然なことなのである。
さて、労基法は、働く者を保護することを前提としつつ、個々の働く者とその使用者との権利義務関係を規制する法律である。したがって、労基法の労働者概念を考えるに当たっては、常に働く者と使用者との対立の構図を前提にすることになる。就業規則を考えるに当たっても、賃金を考えるに当たっても、労働時間を考えるに当たっても、これは妥当する。労基法九条は、「この法律で労働者とは、職業の種類を問わず、前条の事業または事務所(以下、事業という)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と規定し、使用する者・使用される者、賃金を支払う者、賃金を支払われる者という対立構造を前提に概念を定めている。
一方これに対し、労災保険法は、働く者の災害補償について使用者の過失を要件としていないことから使用者との対立構造を考える必要はない。また、前記したように、労災保険法は姿を変えつつあり、現在ではいわゆる生存権原理に立脚した働く者の生活補償制度として機能しており、かつ制度化が進められている。このような両者間に存する違いを考えるならば、法令適用の中心概念である労働者概念の意味を考えるに当たって、労基法の労働者概念の意味をそのまま当然に適用することはむしろ誤りというべきことになる。
5、このような考えは、上告人の独自のものではなく、昭和六三年(一九八八年)に公表された労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会においても、労基法と労災保険法とは給付の体系及び水準において大きな開きが生じていること、労災に対する必要かつ十分な補償は使用者の集団による保険システムを用いるしかなく労基法が前提としている個別使用者の補償責任では対応しきれなくなっていることなどを挙げて、労基法と労災保険法との関係の根本的再検討の必要性を提言しているが、このことからもうかがえるように、社会の進展に即した必然的な潮流になっている。
二、本件における適用
1、以上のように労災保険法を生存権原理に立脚した働く者の生活保障制度と考えるならば、そこで保護の対象となるべき者(労災保険法で「労働者」とされる者)は、特定の使用者に労働力を提供し、その提供によって生活を支える必要資金を得ている個人ないしはこれと同視し得るもの(例えば、法人組織を取っていても法人格が否認できる場合など)を意味することになる。もちろん、労働という概念自体、「従属性」はその基本的なメルクマールとなる。使用者とは独立した社会的存在となって、自己の責任と計算において収入をあげ、生存している者は「従属性」という労働の基本的属性を欠き、もはや労災保険法においても労働者と見られることはなく、保護の対象とはならない。
2、原審判決は、本件において「この就労形態は、労基法上の労働者のそれとみることは困難であるから、旭紙業の車持ち込み運転手である被控訴人(上告人)は、労基法上の労働者とはいえず、したがって、労災保険法上の労働者とはいえないことになる。本件のような災害について、それを救済する必要があることを否定するものではないが、それを労災保険法によりこれを求めることは、解釈論としては無理であるといわざるを得ないのである」(原審判決二五頁)という。労災保険法の適用に当たって、あくまで労基法の労働者概念に頼ろうとしているため、労災保険法の依って立つ生活保障制度としての機能を理解しようとしないのである。労災保険法が昭和二二年(一九四七年)の制定以来、幾度となく改正を加え、労働者保護法として生存権の拡大につとめてきたのは明かである。そうした流れの中にあっては、労働者概念の内容も変化し、今や労基法を離れて生存権原理を取り入れた前記のような労働者概念の解釈を行うのは十分に可能であり、かつ、必要なことである。
上告人(原告)の労働者性を肯定した一審判決も、労働者性を否定した原審判決も、いずれも上告人の労働の従属性を認めているのは明かである。結論を分けたのは、実質的には労災保険法の労働者を考えるに当たり、労災保険法の生活保障機能を重視する立場に立ったか否かである。原審判決の解釈・判断は、上告人の労働者性を労基法の定める労働者概念そのものから判断し、否定の結論を導きだしたものであり、これまで築かれてきた労災保険法の生活保障機能からみた解釈を理解しないものであり、誤りである。
本件において、上告人は、旭紙業を唯一の労働の場とし、かつ、そこからの収入を唯一の生活の糧としてきた。そして、社会的存在という点からみても、旭紙業の一員としてしか見ることの出来ない者である。そのような者が旭紙業の業務を行うに当たり、労働災害にあい、収入の道が閉ざされたのである。上告人が労災保険法で保護されるべき労働者に含まれるのは当然であり、それが正しい労災保険法の適用である。
三、以上の通りであるから、原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決は直ちに破棄されるべきである。
第二 仮に、労災保険法の労働者が労基法の労働者と同一であると解するとしても、上告人を「労基法上の労働者とはいえず、したがって労災法上の労働者とはいえない」とした原審判決の判断には、以下のとおり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるから、直ちに破棄されるべきである。
一、自己の地位に関する車持ち込み運転手の主観的認識を、労働者性の存否を決する場合の判断基準として採用したことの違法
1、原審判決は、労基法上の労働者とは、「使用者の指揮監督の下に労務を提供し、使用者から労務に対する対価として報酬が支払われる者であって、一般に使用従属性を有する者あるいは使用従属関係にあるものと呼称されている」と説示している。そして、この使用従属性判断の存否は、業務従事の指示に対する諾否の自由、業務内容及び遂行方法についての具体的指示、勤務場所及び勤務時間の指定、代替性、報酬の労務対価性、高価な業務用器材の所有と危険負担、専属性、給与所得としての源泉徴収、労働保険、厚生年金、健康保険の適用対象となっているか否か、など「諸般の事情を総合考慮して判断されなくてはならない」とする(原審判決七、八頁)。
ところで、原審判決は、その「理由」の四の7の七行目以降で、本件において源泉徴収、労働保険、社会保険の適用を除外するシステムがとられていた点を取り上げ、このようなシステムは車持ち込み運転手が敢えて求めたものであると認定している。すなわち、
「車持ち込み運転手の側でも、将来の退職金がなく、現在の福利厚生に欠けることがあっても、少しでも多額の報酬を得ようとして敢えて従業員でない地位にあることを望み、旭紙業と運送請負契約を結んだということがあることも否定できず、このような形で働いて、社会保険(健康保険、厚生年金保険)、労働保険(雇用保険)の保険料を負担せず(国民健康保険の保険料、国民年金の掛金を負担し、場合によっては一般の生命保険に加入した)、また、報酬からこれを給与所得として源泉徴収所得税を控除されることを避けることにも利益をもとめていたものといえる。」
という認定である。そして、原審判決は二二頁で、右認定事実を根拠に、本件車持ち込み運転手には「自らも従業員ではないとの認識」があったものと推認し、運転手にこのような主観的認識があるということは、「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面」であると評価して、上告人につき「労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。」との結論を導き出している。
2、そもそも原審判決のように、本件において車持ち込み運転手に、社会保険等の適用を敢えて避け利益を得たいという積極的意図があったものと認定すること自体、相当ではない。旭紙業に、社会保険等を適用される運転手とそうでない運転手があり、車持ち込み運転者たちがそれでも社会保険等の適用を避けたというのであれば原審判決の指摘にも理由があるが、旭紙業には、会社設立当初から社会保険等の適用を受けられる運転手がいたことはなく、運転手として旭紙業において働こうとする以上、社会保険等の適用は受けられない状態にあったのである。車持ち込み運転手に社会保険等の適用について「選択の余地」は、全くなかったのである。
ところで、その点はおくとしても、上告人がここで指摘したい点は、原審判決が右の認定事実(車持ち込み運転手に、社会保険等の適用をあえて避行利益を得たいという積極的意図があったという事実認定)から「運転手側には自らも従業員ではないとの認識があった」ものと推認し、このような自らの地位に関する当事者の主観的認識を、労働者性の存否を決めるにあたっての判断基準として採用したという判断手法の点である。
上告人は、第一審段階から一貫して、当事者の認識は労働者性判断の基準とはならない、と主張してきた。本件一審判決でも、本件と類似した新潟地裁判決でも、労働者性の判断において、当事者の意思をことさら問題にしていない。これは、当該運転手の労働の実態が会社の「使用従属関係」の下における労働力の提供と評価されるかどうかという問題は、客観的な法律判断の範疇に属するものであって、この判断を、運転手自身が自らの地位についてどのような認識をもっているかといった主観的事情に委ねるべきではないからである。また、公正な労災給付を全国画一的になしていく上でも、同一の条件下に働いている者が、本人の主観的意思次第で、労働者となったり、ならなかったりするような不安定な取扱いは、できるだけ避けることが必要であり、そのためには、個別具体的な判断基準もできるだけ客観的なものにしておくことが必要だからである。
もっとも乙第三一号証には、社会保険、労働保険、源泉徴収などの適用がなされている場合に、この事実から、「使用者」がその者を自らの労働者として認識しているものと推認して、労働者性を「肯定する」判断の補強事由とした、過去の例が紹介されている。しかし、その趣旨は、上述の社会保険等の適用が、通常の正式な雇用契約において、ごく一般的に見られる法的な雇用システムの典型的要素をなすものであることから、使用者側がこのような社会保険等の制度を積極的に採用している場合は、雇用契約の形式をとっていなくても、使用者側としては雇用関係を設定する意思があったものと推認するのが自然であり、それが労働性を肯定する判断の補強事由になる、ということを補足的に指摘しているにすぎないのである。つまり、社会保険等の適用の有無は、このような側面でのみ、限定的に(使用者側の雇用意思を肯定する場合の補強事由として)考慮されることがあるにすぎないのであって、乙第三一号証も過去の判例も、このような保険適用の有無から一般的に当事者の認識を推認し、これを労働者性判定の独立した基準として機能させているわけではないのである。
ところが、原審判決の立場は、具体的就労形態において社会保険等の制度が採用されているかどうかという点から直ちに、当事者、特に車持ち込み運転手側の「労働者としての認識」の有無を強引に推認し、その上でかような主観的事情の有無を根拠に、本来客観的であるべき「労働者性」の判定をしようとするものであるから、法理論としての誤りは明らかである。そして、本件車持ち込み運転手につき、労働者性を否定した原審判決の判断は、かような違法な判断基準に従ってなされたものであるから、この違法性が判決に影響を与えることは明らかである。
二、原審判決が採用する「労働者と事業主の中間形態」に関する判断方法の違法
1、原審判決は、二二頁において、「業務に就いている者を、労基法上の労働者であるか、そうでないかという区分をすることが相当に困難な事例」に対しては、「できるだけ当事者の意図を尊重する方向で判断するのが相当である」とする。
確かに、原審判決が二二頁七行目以下で述べるとおり、産業構造、就業構造の変化等に従い、就業形態、雇用形態が複雑多様化しており、労働者的側面と、請負的側面を同時に持つ就労形態が現れてきている点は、社会現象として否定できないところであろう。しかし、特定の就労形態におけるこのような二面性は、社会的実態としての二面性であって、このような就労形態の実態を認識することと、このような就労形態の下で働いている就業者の事故について労災保険法を適用して救済すべきかどうかという判断とは別問題である。即ち、労災保険法の適用の可否の判断は、あくまでも法的な価値判断であるから、その判断において採用されるべき基本的メルクマールは、あくまで、当該就労関係の本質的、客観的な側面において「使用従属関係」が認められるかどうか、それが労災保険法の立法趣旨に照らして同法による救済を必要とする程度のものであるかどうか、という客観的な考察であるべきである。そして、このような客観的考察において「使用従属性」が認められる場合には、例え就労実態に請負的要素が混在していたとしても、労災保険法による救済を行うのが法の趣旨であって、このような場合に、当事者間で労災保険法の適用を排除する合意をしていたからといって、労災保険法による救済を否定するのは、公平ではない。
2、ところが、原審判決は、請負的要素の混在している「中間形態」の事例では、労災保険法等の適用の有無を、基本的に「当事者の意図」という主観的要素に従って判断すべしとするのである。つまり、原審判決の論理によれば、当該就労形態が「典型的な雇用関係」であれば、社会保険、労働保険等の適用は法律上当然要請されるところであるが、ひとたび「典型的な雇用関係」にあたらないと認定された場合には、それらの法制度の適用いかんは、もっぱら、「当事者の意図」という主観的事情によって決定されることになり、前述したような客観的な法的価値判断の余地はなくなるのである。しかし、このような考え方は、現実の労働実態に照らし、労働者の生存権的社会権を保証するために不可欠な制度として立法が認められるに至った労働保険、社会保険等の制度趣旨を忘れた、極めて安易な自由契約論というほかない。また、この考え方は、「当事者の意図尊重」という名目のもとに、裁判所としてなすべき法的判断の義務を放棄する方向につながるものであり、その結果として、現実の就労関係における経済的力量の優劣がそのまま反映した判決を安易に導く危険があり、かような考え方を裁判規範として採用することは到底認められない。現に、原審判決は、この論理に従って、雇主側にとっての強制的加入制度である労災保険についてさえ、本件のように「典型的な雇用関係」でない場合には、これを適用しないという「当事者の意図」がある限り、排除できるとしているのである。しかし、労災保険の保険料は全額雇主負担で、労働者側の負担はなく、労働者としては、この保険加入につき、これを希望しない理由は全くないはずである。つまり労災保険加入を排除することは、保険料支払いの回避という意味で、もっぱら雇主側の利益でしかない。従って、当事者間に「適用排除の合意」なるものがあっても、労働者にとっては、これは経済的地位の劣性から強制された外見上のものにすぎないというべきであって、かような「合意」を根拠に労災保険の適用排除の結論を導くことは、かかる意味においても、不合理である。
3、このように、本件において、原審判決は、本件就労形態を「労働者と事業主の中間形態」とした上で、かかる場合には当事者の意図に従うべしとする誤った法解釈論に従って、労災保険法による救済を拒否したのであるから、この法的判断の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第三 判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の違法〈省略〉
第四 原審判決の理由齟齬
一、報酬の性格
1、原審判決一七頁二行目以下は、(報酬は)「生活給的な面や時間給的な面はなかった」とするが、一方で、同頁七行目以下は、(旭紙業としては)「できるだけ平均的に運送業務の配分をし、報酬額も、毎月それほど大きな差異はなく、」とし、二一頁七行目以下も「報酬も業務の履行に対し払われ、毎月さほど大きな差のない額が支払われ(て)いたことなどから、労働者としての側面を有するといえる」として、「労働者」に対する「生活給的な面」があったこと、を明確に肯定しており、矛盾している。
2、原審判決は、右の「生活給的な面や時間給的な面はなかった」との認定を根拠に「報酬も出来高払いであって」とし、やはり「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面があることも否定できないのであって、労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。要するに、車持ち込み運転手は、これを率直にみる限り、労働者と事業主との中間形態にあると認めざるを得ないのである。」という結論を導き出している。この報酬に関する認定の矛盾が、判決の結論に影響を及ぼすことは明白である。
二、就労形態の利益
1、原審判決二四頁九行目以下は、(このような就労形態は)「少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえない」としているが、原審判決のどこを見ても「双方に利益」の一方、すなわち、運転手の側の利益は述べられていない。二三頁以下の記述では、「旭紙業の車持ち込み運転手は、……運送に必要な経費(ガソリン代、車両修理代、高速道路料金等)及び事故の場合の損害賠償責任を負担するものとし、」とあるが、これらは運転手にとってはむしろ不利益な事項である。また、「旭紙業の従業員とされていないために、その就業規則は適用されないし、福利厚生の措置も取られず、通常の労働者であれば被保険者とされる、労災保険、雇用保険といった労働保険、健康保険、厚生年金保険といった社会保険の被保険者とされず(国民健康保険、国民年金の被保険者とされる)」とも述べているが、これらも、運転手にとっては利益どころか不利益な事項にほかならない。
また、続いて「労働者であればその賃金から源泉徴収される、源泉徴収所得税を控除されないのであるが(報酬については、事業所得として確定申告をして納税する)」と述べており、この点があたかも労働者の利益のようにとらえているようであるが、これも所得税がどのように徴収されるかという形態の違いに過ぎず、脱税や過少申告などの事実を前提としない限り(しかも旭紙業が外注費として税務申告しているはずであるから、税務署に基本的に捕捉可能であり、そのような不正を運転手が行える現実的可能性は無い)、運転手にとってなんら利益ではない。
ところが、原審判決は、その次に「旭紙業の側でも、報酬以外の労働費用やトラックを所有したときの経費等が節約されるといったことから、」と述べており、この点は旭紙業にとっては大きな利益といえるが、労働者にとっては何の利益ではない。「旭紙業の側でも」ではなく「旭紙業の側では」とすべきである。しかも、その結果旭紙業が「報酬も従業員としての運転手を雇用した場合の給与よりは多額を支払うことができる事情にあった」とする。ところが一八頁六行以下は、「車持ち込み運転手の右報酬は、ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえなかった」としている。ということは、旭紙業は、もっと多額の報酬を「支払うことができる事情にあった」のに、現実に支払われたものは、「ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえな」いものしか支払っていなかったのであり、旭紙業のみに一方的に利益をもたらす形態だったことになる。
2、結局、原審判決が二四頁九行目で「巨視的にはともかくその時点では少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえないし、」と結論づけているのは何ら証拠に基づかず、自らの事実認定とも矛盾している。認定された事実からは、明らかに旭紙業側のみに利益があることになる。
また、そうである以上、このような労働の形態が「当事者双方の真意、殊に車持ち込み運転手の側の真意にそうものである」という根拠は消滅している。つまり、むしろもっぱら旭紙業の雇用政策上の意図にそうものであっただけである。
原審判決は、「裁判所としては、そのまま一つの就労形態として認めることとするのが相当と」し、かつ、そこで発生した事故の結果は、働く側が負担するべきである(労災保険法の保護は与えない)とする。しかし、このような労働の形態がもっぱら会社側の雇用政策上の意図から発生したものである以上、発生した事故の負担を働く側にのみ負担させることはもはや許されないものと言わざるを得ない。
原審判決は誤りである。直ちに破棄されるべきである。

・解説
《解  説》
一 Xは、自己所有トラックを持ち込んで、特定の会社の指示に従って製品等の運送業務に従事する車の持込み運転手(傭車運転手)であるが、トラックに運送品を積み込む作業をしていたところ、足を滑らせて転倒し、第五頚椎脱臼骨折、右気胸、頭部外傷等の傷害を負った。そこで、Xは、Yに対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)所定の療養補償給付及び休業補償給付の支給を請求をしたが、YがXは労災保険法上の労働者に当たらないことを理由に右各給付をしない旨の処分をしたため、その取消しを求めて本訴を提起した。本件の唯一の争点は、傭車運転手であるXの労働者性の点にある。

二 一般に、労災保険法上の労働者概念は労働基準法(以下「労基法」という。)上の労働者概念と一致すると解されているところ、労基法九条は、労働者とは、同法八条の事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいうと定めている。右規定の定めるところによれば、労働者性の有無は、(1)「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と(2)「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断されることになるとするのが下級審判例、学説の一致するところであり、この二つの基準をもって「使用従属性」と呼称することが多い。
「使用従属性」の有無を基準とする労働者性の判断は、具体的な労務の提供形態、報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素を総合的に考慮して行っていくことになるが、これまでの下級審判例、行政解釈にかんがみ、これらの諸要素の位置付けと評価の仕方を整理したものとして、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会の昭和六〇年一二月一九日付報告書(労判四六五号六九頁参照)が参考になると思われる。右報告書が労働基準法上の労働者性の判断基準について述べるところによれば、(1) 「指揮監督下の労働」に当たるか否かの具体的判断要素として、① 具体的仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無、② 業務遂行上の指揮監督の有無、③ 勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されているかどうかという拘束性の有無の三点が挙げられており、そのほか、指揮監督関係を補強する要素として、④ 本人に代わって他の者が労務を提供することが認められているかという代替性の有無が挙げられている。(2) 「報酬の労務対償性」の点は、使用従属関係の判断の補強基準として位置付けられており、そのほか、(3) 「労働者性」が問題となる限界的事例において、その判断を補強する要素として① 事業者性の有無、② 専属性の程度、③ その他、選考過程(一般従業員の選考方法との異同)、源泉徴収の有無、社会保険料の負担の有無、服務規律の適用の有無等の諸要素が挙げられている

三 傭車運転手は、その労働者性がしばしば争われる就労形態であって、下級審の裁判例も多く(傭車運転手の労働者性を肯定したものとして、① 富山地判昭49・2・22判時七三七号九九頁、② 金沢地判昭62・11・27判時一二六八号一四三頁、③ 大阪地決昭63・2・17労判五一三号二三頁、④ 大阪地決平2・5・8本誌七四四号一〇八頁、⑤ 大阪高決平4・12・21本誌八二二号二七三頁、⑥ 新潟地判平4・12・22本誌八二〇号二〇五頁があり、労働者性を否定したものとして、⑦ 大阪地判昭59・6・29労判四三四号三〇頁、⑧ 名古屋高金沢支判昭61・7・28労民三七巻四、五号三二八頁がある。)、前記報告書においても、その就労形態に即した労働者性の判断基準が具体的に述べられているところである。
本判決は、これまでの下級審裁判例や右報告書に指摘されたところを踏まえて、Xの労働者性を否定する判断を示したものであるが、その説示するところによると、本判決は、(1) Xがトラックという事業用の資産を所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していた点一定の事業者性を有することを前提として、右事業者性を減殺して、その労働者性を積極的に肯定させるような事情があるかどうかという観点から本件の検討を進め、(2) Xに製品の運送をさせていた会社の指示は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示にとどまり、それ以外には業務の遂行に関し特段の指揮監督を行っておらず、時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、その間に指揮監督関係を肯定し得るような事情がないこと、(3) 報酬がトラックの積載可能量と運送距離によって算出される出来高払いであること報酬の支払に当たって所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除がされていないなどの公租公課の負担関係からみても、Xの労働者性を肯定するに足りる事情はないこと、(4) Xが専属的に右会社の製品の運送業務に携わっており、その運送係の指示を拒否することができなかったことや報酬がトラック協会が定める運賃表による運送料より低額であったなどの事情だけでは、労働者性を肯定させるに足りないことから、Xの労働者性を否定する判断を示したものである。本判決は、事例判断であるとはいえ、傭車運転手の労働者性に関する初めての最高裁の判断であり、その判断の過程で示された諸要素とこれに対する評価は、今後のこの種事案の判断の参考になるところが大きいものと考えられる。

四 傭車運転手については、運送依頼者側では労働保険料の納付をしていないのが通例であり(これによる経費節減が傭車運転手という就労形態を採る運送依頼者側のメリットの一つでもある。)、このため、業務に起因する事故が生じてから、傭車運転手の労働者性が争われることになるケースが多い。傭車運転手は、労働者性の認められない場合であっても、労災保険法二七条三号所定のいわゆる一人親方として特別加入の申請を行い、自ら保険料を納付することによって、業務に起因する事故に対する保険給付を受けるみちが開かれているのであり、本判決の説示するところが今後の特別加入の制度の適切な活用につながるものと推測される。he–

+判例(H19.6.28)藤沢労基署長(大工負傷)事件
理由
上告代理人古川景一ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり、株式会社A(以下「A」という。)等の受注したマンションの建築工事についてB株式会社(以下「B」という。)が請け負っていた内装工事に従事していた際に負傷するという災害(以下「本件災害」という。)に遭った。
(2) 上告人は、Bからの求めに応じて上記工事に従事していたものであるが、仕事の内容について、仕上がりの画一性、均質性が求められることから、Bから寸法、仕様等につきある程度細かな指示を受けていたものの、具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく、自分の判断で工法や作業手順を選択することができた
(3) 上告人は、作業の安全確保や近隣住民に対する騒音、振動等への配慮から所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの、事前にBの現場監督に連絡すれば、工期に遅れない限り、仕事を休んだり、所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であった。
(4) 上告人は、当時、B以外の仕事をしていなかったが、これは、Bが、上告人を引きとどめておくために、優先的に実入りの良い仕事を回し、仕事がとぎれないようにするなど配慮し、上告人自身も、Bの下で長期にわたり仕事をすることを希望して、内容に多少不満があってもその仕事を受けるようにしていたことによるものであって、Bは、上告人に対し、他の工務店等の仕事をすることを禁じていたわけではなかった。また、上告人がBの仕事を始めてから本件災害までに、約8か月しか経過していなかった
(5) Bと上告人との報酬の取決めは、完全な出来高払の方式が中心とされ、日当を支払う方式は、出来高払の方式による仕事がないときに数日単位の仕事をするような場合に用いられていた。前記工事における出来高払の方式による報酬について、上告人ら内装大工はBから提示された報酬の単価につき協議し、その額に同意した者が工事に従事することとなっていた。上告人は、いずれの方式の場合も、請求書によって報酬の請求をしていた。上告人の報酬は、Bの従業員の給与よりも相当高額であった。
(6) 上告人は、一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し、これらを現場に持ち込んで使用しており、上告人がBの所有する工具を借りて使用していたのは、当該工事においてのみ使用する特殊な工具が必要な場合に限られていた
(7) 上告人は、Bの就業規則及びそれに基づく年次有給休暇や退職金制度の適用を受けず、また、上告人は、国民健康保険組合の被保険者となっており、Bを事業主とする労働保険や社会保険の被保険者となっておらず、さらに、Bは、上告人の報酬について給与所得に係る給与等として所得税の源泉徴収をする取扱いをしていなかった
(8) 上告人は、Bの依頼により、職長会議に出席してその決定事項や連絡事項を他の大工に伝達するなどの職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたが、上記業務は、Bの現場監督が不在の場合の代理として、Bから上告人ら大工に対する指示を取り次いで調整を行うことを主な内容とするものであり、大工仲間の取りまとめ役や未熟な大工への指導を行うという役割を期待して上告人に依頼されたものであった。

2 以上によれば、上告人は、前記工事に従事するに当たり、Aはもとより、Bの指揮監督の下に労務を提供していたものと評価することはできず、Bから上告人に支払われた報酬は、仕事の完成に対して支払われたものであって、労務の提供の対価として支払われたものとみることは困難であり、上告人の自己使用の道具の持込み使用状況、Bに対する専属性の程度等に照らしても、上告人は労働基準法上の労働者に該当せず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。上告人が職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたことその他所論の指摘する事実を考慮しても、上記の判断が左右されるものではない。
以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 本件は,大工であるXが,マンションの内装工事に従事していた際に,丸のこぎりの刃に右手指が触れ,右手中指,環指及び小指切断の傷害を負うという災害(以下「本件災害」という。)に遭ったことにつき,業務に起因するものであるとして,労働基準監督署長Yに対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき療養補償給付及び休業補償給付の申請をしたところ,Yから,労災保険法上の労働者でないという理由により不支給処分を受けたため,その取消しを求めた事案である。
Xは,作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり,本件災害の当時,大手工務店等の受注したマンションの建設工事について特定の会社が請け負っていた内装工事に従事しており,同社以外の仕事はしていなかった。
第1審判決(判タ1179号240頁,労判876号41頁),原審(公刊物未登載)とも,労災保険法にいう労働者の概念は労働基準法のそれと同義であるとした上で,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当せず,前記不支給処分に違法はないとして,Xの請求を棄却すべきものとした。
本判決は,第1審判決及び原判決と同様に,Xが労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当しないとして,Xの上告を棄却したものである。

2 労災保険法における「労働者」の意義は,労働基準法における「労働者」と同義であるとされるところ(菅野和夫『労働法〔第7版補正2版〕』332頁等。最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁,本判決等もこのことを前提とするものと解される。),同法9条は,同法にいう労働者について,職業の種類を問わず,同法8条の事業又は事務所に使用される者で,賃金を支払われる者をいうものと定めている。そして,同法にいう労働者に該当するというためには,「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と,「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断すべきものと解されており,これらの二つの基準は,「使用従属性」とも呼ばれている。労働者性の有無に関する判例(傭車運転手の労働者性を否定した前掲最一小判平8.11.28等)も,上記のような解釈を前提としているものと解される。
この使用従属性の有無については,これまでの裁判例等における判断基準を整理し,分析したものとして,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会(第一部会)の昭和60年12月19日付け報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労判465号70頁参照。以下「労基研報告」という。)があり,判断の参考になるものと思われる。労基研報告は,労働者性の判断基準について,(1)「使用従属性」に関する判断基準と,(2)「労働者性」の判断を補強する要素とに大別し,(1)の「使用従属性」に関する判断基準として,①「指揮監督下の労働」に関する判断基準(具体的には,仕事の依頼,業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,拘束性の有無が挙げられ,このほか,指揮監督関係の判断を補強する要素として,代替性の有無が挙げられている。),②報酬の労務対償性に関する判断基準を挙げており,また,(2)の「労働者性」の判断を補強する要素として,事業者性の有無(具体的には,機械,器具の負担関係,報酬の額等),専属性の程度等を挙げている。
ところで,建設業等においては,1人又は数人単位の下請業者が特定企業と専属下請関係をもって実際上はその従業員と同様の役割を演ずることがあり,その労働者性が問題となることがある(菅野・前掲85頁。建設業等に従事する者の労働者性を肯定した裁判例として,東京地判平6.2.25労判656号84頁等があり,否定した裁判例として,大阪地判昭49.9.6訟月20巻12号84頁,高松地判昭57.1.21労判381号45頁,横浜地判平7.7.20労判698号73頁,浦和地判平10.3.30訟月45巻3号503頁,東京地判平16.7.15労判880号100頁等がある。)。この点に関しては,平成8年3月に発表された,労働基準法研究会労働契約等法制部会労働者性検討専門部会報告「建設業手間請け従事者及び芸能関係者に関する労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労旬1381号56頁参照。以下「専門部会報告」という。)が,労働者性の問題となる事例が多く見られる建設業手間請け従事者(手間請けとは,工事の種類,坪単価,工事面積等により総労働量及び総報酬額の予定額が決められ,労務提供者に対して,労務提供の対価として,労務提供の実績に応じた割合で報酬を支払うという建設業における労務提供方式をいうものとされる。)等につき,労基研報告による労働者性の判断基準をより具体化した判断基準の在り方について検討しており,参考になるものと思われる。近時の裁判例には,専門部会報告の判断基準を踏まえて大工の労働者性の有無を判断したものもあり(前掲浦和地判平10.3.30),本件の第1審判決,原判決も,Xの労働者性について,労基研報告及び専門部会報告の判断枠組みを基本にした判断をしている。
3 本判決は,①Xは,仕事の内容について,仕上がりの画一性,均質性が求められることから,当該内装工事を請負っていた特定の会社から寸法,仕様等についてある程度細かな指示を受けていたものの,具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく,自分の判断でこれらを選択することができたこと,②Xは所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの,事前に現場監督に連絡すれば,工期に遅れない限り,仕事を休んだり,所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であったこと,③Xは,本件災害当時,同社以外の仕事をしていなかったが,他の工務店等の仕事をすることを禁じられていたわけではなかったこと,④Xと同社との報酬の取決めは,完全な出来高払の方式が中心とされ,その方式による場合,Xら内装大工は,同社から提示された報酬の単価につき協議し,その額に同意した者が工事に従事することとなっていたこと,⑤Xは,一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し,これらを現場に持ち込んで使用していたこと等の事実関係を摘示した上で,これらの事実関係の下において,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に当たらないと判断している。本判決による上記判断は,労基研報告や専門部会報告の指摘するところを踏まえつつ,本件における具体的な事情を総合考慮して,Xの労働者性を検討し,これを否定したものということができると思われる。
なお,大工,左官等の建設業に従事する者については,本件のように労働者性が認められない場合であっても,いわゆる一人親方等を対象とする特別加入制度(労災保険法33条以下)によって,自ら保険料を納付して労災保険に任意に加入するみちが開かれている

4 本判決は,最高裁が,これまで問題となることの多かった建設業に従事する者の労働者性に関して判断したものであり,事例判断ではあるが,具体的な判断要素の摘示とこれに対する検討を通じて同種事案に関する判断の在り方を示したものとして,実務上参考になるところが少なくないものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H14.7.11)新宿労基署長(映画撮影技師)事件
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、映画撮影技師(カメラマン)であるA(以下「亡A」という。)が映画撮影に従事中、宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて、その子である控訴人が、亡Aの死亡は業務に起因したものであるとして、被控訴人に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付等の支給を請求したところ、亡Aは労働基準法(以下「労基法」という。)9条に規定する「労働者」ではないとの理由で不支給処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、その取消を求めた事案である。
なお、呼称、略称等については、本判決で明記したもの以外についても、原判決の例によることとする。

2 原審裁判所は、亡Aは労基法9条に規定する「労働者」には当たらないと判断して、控訴人の請求を棄却したため、これを不服とする控訴人が控訴したものである。

3 争いのない事実、主たる争点及び当事者の主張等は、第3において、当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄第二「事案の概要」の一ないし三(原判決4頁3行目から55頁末行まで。ただし、45頁6行目に「事由」とあるのを「自由」と改める。)記載のとおりであるから、これを引用する。

第3 当審における当事者の主張
1 控訴人の主張
(1) 使用従属性について
原判決は、「労働者」に当たるか否かについて、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものとしており、これは正当と評価できるが、使用従属関係の存否の判断に際しては、芸能関係に従事するスタッフであっても、これを一律に検討するのではなく、それぞれの労働の従事の仕方に応じて個別的に判断すべきであり、一部の事例を安易に一般化することは厳に慎まねばならず、また、映画産業においては、かつては正社員として映画製作会社に雇用されていたスタッフが合理化の一環として「業務委託契約」のように請負契約化させられ、これに対してスタッフが自らの立場を守るために労働者としての権利を主張してきたという、労使の利害対立が背景となっていることを十分に認識する必要がある。
また、原判決は、亡Aの使用従属性を否定する根拠として、映画製作の性質ないし特殊性を挙げるが、業務の性質ないし特殊性によるか否かは、労務提供の履行がその契約によって特定されているか否かによって判断すべきである。すなわち、契約当事者である労務提供者が、その債務の履行(労務提供の方法)の内容を自由に決定できる場合であれば、この関係は指揮監督関係にはないが、契約の内容に労務提供の場所や時間、業務遂行方法などが特定されている場合には、契約による拘束、すなわち「業務の性質ないし特殊性」による拘束になるのである。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由について
原判決は、一方では、亡Aが具体的な個々の仕事について拒否する自由を制約されていたものと認定しながら、他方でそうした制約は主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので、使用者の指揮命令を理由とするものとは言い難いとした。
しかし、そもそも一般に、使用者の指揮命令が当該業務の性質や特殊性などと無関係になされることなどあり得ず、むしろ常に業務上の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む、業務の内容による必要性からなされるのであり、使用者ないし監督者の主観的な自由によって指揮命令がなされることの方が稀である。原判決が挙げる制約は、多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。どのような業務にもそれぞれにこの類の仕事上必要な制約はあるのであって、映画撮影に固有のものではない。原判決の論理によれば、あらゆる業務における諾否の自由の制約は、使用者の指揮命令とは直接に関係しないということになってしまうのであり、そのような論理が誤りであることは明らかである。
イ 業務遂行上の指揮監督関係について
原判決は、最終的な決定権限がB監督にあるのは、監督と撮影技師との職能ないしは業務分担の問題であって、使用者の指揮命令ではないとしたが、これは、映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係の問題とを混同するものである。その結果、原判決は、当該業務ごとに併存する「業務の内容上の特殊性」と「業務遂行上の指揮監督関係」のうち一方だけを取り出して強調し、他方を無視する誤りに陥っている。たしかに、映画製作は、専門的技術が集合したものであり、各スタッフには独立した職能があり、職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行うものではあるが、業務として作品を完成させるためには、相互の意見を調整する必要があるのであり、そのためには確固たる指揮命令、監督関係が不可欠であり、映画撮影においてはプロデューサーを除けば監督がその決定権を有するのである。このような指揮監督関係と業務の専門性の併存は、様々な分野において存在するものであり、専門性のゆえに指揮監督関係が否定されるものではない。このような監督の権限を、「職能ないしは業務分担の問題」であるとするのであれば、専門性を有する業務においては、およそ指揮監督関係は存在しなくなる。指揮命令関係の有無は、撮影技師がなした作業について、監督が指示できる権限を有していたかどうかで決すべきであり、監督は、撮影作業の結果について自己のイメージと異なるのであれば、撮り直しや方法の見直しなどを納得の行くまで繰り返し指示できるのであり、指揮監督関係があることは明らかである。撮影技師は、技術性や芸術性においては高い裁量を有しているが、これらは監督の指示から独立して発揮されるものではなく、監督の指示と違う撮影をすることは許されていないのである。
この点、原判決は、〈1〉「監督は、その仕事の細部に至るまでの指示ができる立場ではない。」、〈2〉「芸術性を追求する点では監督と撮影技師は同格であり」と判示するが、これは事実を誤認するものである。すなわち、〈1〉について、監督には撮影技術の知識がないため、細部についてまでは指示ができないことは否定できないが、それは職務権限がないことを意味するものではなく、監督は撮影技師に対し細かく指示することができる立場と権限を有しており、撮影技師は監督が納得するまで何度でも撮影を行わなければならないのである。〈2〉についても、芸術性を追求する熱意や意欲の点で同格であることは判示のとおりであるが、これが指揮命令関係がないという趣旨であれば、事実誤認にほかならない。
また、原判決は、撮影方法等についての亡Aの提案をB監督が採用したことがあったことをもって、指揮命令関係を否定する根拠とするが、このような提案を採用するか否かの決定権を監督が有していることが重要なのであり、採用されることがあったことは指揮命令関係を否定する理由とはならないというべきである。
ウ 時間的・場所的拘束性について
亡Aの受けていた場所的・時間的拘束は、原判決の認定するとおり高いものであったが、これは他の多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。使用者はそれぞれの業務の性質、特殊性に応じた「指揮命令の必要性」から労働者に対して、それぞれの時間的・場所的な指揮命令を行うのである。
映画撮影において、ロケ出発からロケ終了まで起居寝食を共にし、常に一緒に行動することが求められるのは、映画製作の業務を遂行するために必要だからであって、業務の性質ないし特殊性を超えた拘束である。
エ 労務提供の代替性について
亡Aの労務提供に代替性がなく、亡Aが指揮命令を受ける関係にあったことは原審で主張したとおりである。
オ 報酬の性格・額について
原判決は、亡Aの報酬の性格・額について労務対償性を否定し、その前提となる亡Aの報酬について、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更がないものとされていたと認定したが、同認定は事実誤認である。実際には、C社長は、亡A死亡後の昭和61年8月7日から11日までの追加撮影について、亡Aと同様のメインスタッフであり、一本契約であった照明技師Dを含むスタッフ全員に追加報酬(日当×撮影日数)を支払っているのであり、これは亡Aが追加撮影に参加した場合であっても同様である。したがって、当該労務の「日額単価×労務提供期間」で報酬が算定されるという点では、メインスタッフと撮影助手等のスタッフとの間で差異はなく、技量の差異や技師と助手の差異で単価が異なるだけなのである。この点、原判決は、「撮影の3分の2が消化したからというものであり、このことは亡Aの報酬に出来高的要素が強かったことを窺わせる。」としたが、3分の2とはまさしく撮影予定期間である50日の3分の2を消化したという意味であり、合意報酬額の120万円に3分の2を乗じて実際の報酬額を算定することは、労務提供期間を基準にしてその報酬を算定したものにほかならないのである。
また、労働者に対する賃金の支払い方法が「出来高制」であるからといって、その労務対償性が否定されるわけではないことは、労基法27条が「出来高払制、その他請負制で使用する労働者」と明定しているとおりである。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した機材、フィルム、宿泊費用などはすべて株式会社青銅プロダクション(以下「青銅プロ」という。)が負担し、中尊寺金色堂の撮影についてのみ亡Aの所有していたカメラを使用したことは原判決の認定するとおりである。中尊寺金色堂のみ亡Aのカメラを使用したことは例外的であって、これをもって労働者性を否定する根拠とすべきものではない。
キ 専属性の程度について
亡Aは、青銅プロの専属の撮影技師ではなかったことは、原判決の認定するとおりであるが、本件映画の製作についての労働契約期間中は、実際上他の映画撮影などの業務に従事することは不可能であった。また、専属性のない労働者は、臨時工、アルバイト、パート、契約労働者、フリーターなど多数存在しているのであり、専属性がないこと、又は低いことは労働者性を否定する根拠とはならないというべきである。
ク 服務規律について
亡Aに青銅プロの就業規則が適用されていないことは原判決の認定するとおりである。しかし、このことは、専門的技術及び知識を有する期間の定めのある労働者であれば通常である。労働者の種類に応じて、例えばパート用就業規則、契約社員用就業規則など、就業規則が複数ある企業は珍しくないのであって、青銅プロのような零細企業が亡Aなどのスタッフを想定した就業規則を整備していないことは労働者性を否定する根拠とはならないのである。
ケ 公租などの支払について
(ア)事業所得としての申告について
青銅プロは、「芸能人報酬に関する源泉徴収」をしている。映画製作スタッフをはじめとして、実際上は「芸能人報酬に関する源泉徴収」をするのが業界の慣行となっている。使用者がこの徴収をする以上、芸能スタッフは、給与所得者として確定申告することは制度上可能であったとしても、極めて困難である。したがって、事業所得として申告していたことをもって、労働者性を否定する根拠とすることは相当でない。
(イ)労災保険料の算定について
青銅プロは、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていた。このことは、使用者である青銅プロが、亡Aを少なくとも労災関係においては、労働者として認識していたことを示すものであって、労働者性を肯定する要素にほかならない。

2 被控訴人の主張
(1) 使用従属性について
使用従属性についての控訴人の主張はいずれも争う。控訴人の主張はいずれも独自の見解であり、原判決の判断は正当である。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由についての反論
本件映画の撮影に関しては、そもそも亡Aが、本件映画の撮影全体そのものを拒否する権限を有していたことが重要である。たしかに、亡Aは、会社が作成した予定表に従って行動しなければならず、また、B監督と行動を共にする必要があったのであるから、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由は制限されていたと認められるが、こうした制約は、日程が決まっているという映画製作の特殊性及びいったん応諾したことによって生ずるものと考えられ、そもそも重要なファクターとはいい難く、労働契約に基づく指揮監督関係を基礎づけるものとはいえない。
イ 業務遂行上の指揮監督関係についての反論
控訴人は、原判決の説示について、「映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係との問題を混同して論ずる誤りを犯している」と主張するが、両者が無関係であるという趣旨であれば、それは控訴人の独自の見解といわざるを得ない。
また、およそ一般論として職務の専門性を根拠に指揮監督関係を否定することができないとしても、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである。
また、最高裁平成8年11月28日判決・判例時報1589号136頁の判示するとおり、業務遂行上の指揮監督の有無を判断するためには、使用者から業務の内容及び遂行方法につき具体的な指示がなされていたことも重要な要素となるというべきである。この点、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない。
さらに、控訴人は、原判決の「監督がその仕事の細部に至るまでの指示ができる立場にはない」、「芸術を追求する点では監督と撮影技師は同格であり、両者は意見を出し合って議論しながら撮影を進めていくものである」との認定が事実誤認である旨主張する。しかし、監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない。最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない。少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していたことは、関係者の供述からも明らかである。
ウ 時間的・場所的拘束性についての反論
本件撮影業務においては、会社で作成された予定表に従って集団で行動し、就労場所も指定されているから、時間的・場所的拘束性が存在することは間違いないが、本件映画製作の実行から生ずる当然の制約と考えられる。しかし、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしていない。そして、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素というべきである。
エ 労務提供の代替性についての反論
亡Aの仕事そのものについて代替性がないことは原判決の説示するとおりであるが、原判決の認定する、亡AがいわゆるA一家から撮影助手、照明技師を青銅プロに推薦して採用されているという事実に照らすと、A一家から採用されなければ、亡Aは本件映画撮影を引き受けなかったであろうことが容易に推測され、こうしたことは、かかる契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる。
オ 報酬の性格・額についての反論
C社長には、亡Aを労働者として雇用するという認識は全くなかったことは、本件報酬について、「大体の期間は決めていましたけれど、多少多くなっても少なく終わっても契約金額を変えないつもりでした。」という同社長の供述からも明らかである。
また、控訴人が、事実認定の誤りと主張する、原判決の亡Aの報酬についての評価についても、報酬につき明確に出来高払とも撮影期間計算とも定めていない契約において、撮影が中途に終わった段階で支払われた金額がいずれの趣旨で支払われたとしても、金額を整合的に説明できないということを指摘したにすぎない。とすれば、報酬がどのような性格をもっていたのかは不明であったというほかはなく、これを当然に撮影期間計算であって賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである。むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものといえる。
さらに、亡Aは、カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作の撮影を担当したり、日本映画技術賞の審査員を務めたり等の経歴を有する実績のある優秀な撮影技師であり、一般の撮影技師とは別格として評価され、報酬の決定に当たっても監督に準ずる扱いを受けていたのであるから、他の撮影技師と比較することに意味はない。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係についての反論
亡Aは、本件映画撮影において、原則として青銅プロのカメラを使用したが、中尊寺金色堂の撮影について、特にきれいに撮るため、自己のカメラを使用した。これは、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素と考えられる。
キ 専属性の程度についての反論
本件契約は、昭和60年10月から昭和61年5月までの8か月間にわたるものであるが、撮影業務に従事するのは延べ50日間の予定であり、この期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった。
ク 服務規律についての反論
亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されていなかったことは前述のとおりである。
ケ 公租などの支払についての反論
(ア)事業所得としての申告についての反論
亡A自身が、フリーの撮影技師として青銅プロをはじめとする芸能プロダクションと請負類似の一本契約を締結しているからこそ、その所得については従来から事業所得として申告しているのであり、同申告は、亡Aの意向に沿った合理的なものである。
(イ)労災保険料の算定についての反論
労災保険料の受領に関しては、使用者が、労働者でない者に対して支払った報酬を誤って賃金として算定して概算申告した場合に、翌年度の概算及び確定申告において、確定保険料額が申告済み概算保険料額より少ない場合には、その差引額(充当額)を翌年度の概算保険料額に充てることとなり、それでもなお余る場合には、使用者において還付請求することができる。したがって、青銅プロが、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていたことは、青銅プロが亡Aを労働者として認識していたことを示すものとはいえない。

第4 当裁判所の判断
1 当裁判所は、亡Aは労基法9条の「労働者」に該当し、労災保険法における「労働者」に当たると判断するものであり、その理由は、以下のとおりである。
2 亡Aの労働者性の判断の前提となる事実関係は、原判決「事実及び理由」欄第三「当裁判所の判断」の一(原判決56頁2行目から77頁3行目まで)に説示するとおりであるから、これを引用する。
ただし、原判決73頁2行目から9行目までを次のとおり補正する。
「撮影技師としての亡Aが本件映画の撮影で行う仕事は、B監督が伝えるカメラのポジションや対象の撮り方などの基本的なイメージを忠実に表現することであった。撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具象化するのが仕事である。監督は、必ずしも撮影技術の詳細について知識を有するものではないから、撮影技術の細部に至るまでの指示をすることはできないとしても、撮影技師の専門性を重視し、その裁量を尊重しながら、自己の納得が行くまで撮影技師に対して撮り直し等を指示することができ、他方、撮影技師は、監督の指示の意図するところを把握してこれに沿うように撮影をすべき義務があった。もとより、芸術性を追求する点では、撮影技師も監督に劣るものではなく、両者は意見を出し合って議論をしながら撮影を進めて行くものであり、監督が撮影技師の意見を尊重することもあるが、映画製作に関する最終決定は、プロデューサーを別とすれば、監督が行うものであった。」

3 労災保険法上の「労働者」の意義について
労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義については、同法にこれを定義した規定はないが、同法が労基法第8章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたものであることにかんがみると、労災保険法上の「労働者」は、労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そして、労基法9条は、「労働者」とは、「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と規定しており、その意とするところは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払を受ける者をいうと解されるから、「労働者」に当たるか否かは、雇用、請負等の法形式にかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものであり、以上の点は原判決も説示するところである。
そして、実際の使用従属関係の有無については、業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容、支払われる報酬の性格・額、使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無、時間的及び場所的拘束性の有無・程度、労務提供の代替性の有無、業務用機材等機械・器具の負担関係、専属性の程度、使用者の服務規律の適用の有無、公租などの公的負担関係、その他諸般の事情を総合的に考慮して判断するのが相当である。

4 亡Aの労働者性について
(1) 業務遂行上の指揮監督関係について
ア 原判決の認定した事実及び前記のとおり一部補正した認定事実を総合すれば、映画製作においては、撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具体化し、監督は、映画製作に関して最終的な責任を負うというものであり、本件映画の製作においても、レンズの選択、カメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等については、いずれもB監督の指示の下で行われ、亡Aが撮影したフィルム(カットの積み重ね)の中からのカットの採否やフィルムの編集を最終的に決定するのもB監督であったことが認められ、これらを考慮すると、本件映画に関しての最終的な決定権限はB監督にあったというべきであり、亡AとB監督との間には指揮監督関係が認められるというべきである。
もっとも、本件映画の撮影に際し、亡Aの提案に従って撮影が行われた部分があること、カットの採否のためにラッシュをスタッフ全員で見て、各スタッフが自由に意見を述べ合うことが通例であったことは、いずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決73ないし75頁)、これらはいずれもB監督が最終的な意思決定をする際に、各スタッフの意見を尊重した結果にすぎないばかりか、かえって、B監督は、亡Aが独自に考えて撮影したものは採用しなかったという事実もあるのであって(原判決76頁)、上記の事実もB監督の最終的な決定権限を否定するものとはいえない。
また、映画製作は、撮影、録音、演出等さまざまな専門的技術が集合したものであり、各スタッフにはそれぞれ独立した職能があって、専門的に分かれている自己の職能以外の仕事をするようなことは考えられず、その職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行っていくものであることも原判決の認定するとおりであるが(同64、65頁)、業務としてこれを行う以上、これを統括し、調整することが不可欠であり、監督こそがその任にあるのであって、上記のような映画製作の特殊性もまた、B監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する事情とはいえない
さらに、原判決の認定するとおり、亡Aの高度な技術と芸術性をB監督も評価していたこと(同56ないし58頁)、また、亡Aは本件映画の撮影に際し、これまでの仏像撮影のパターンを打ち破ろうと考え、積極的に意見を述べるだけでなく、個々の撮影に関するポジションの決定等も指示していたこと(同74ないし75頁)からすると、亡Aが本件映画の撮影について相当程度の裁量を有していたことは認められるものの、同監督の指揮監督から独立した裁量を有していたとまでは認めることができず、このような亡A個人の特殊技能といった事実も、同監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する要素となるものではない
なお、B監督不在の間に亡Aと助監督のEのみで意見交換を行いながら撮影場所を決定して撮影を行ったこと、その際Eは亡Aの意向を尊重するようにしていたことは原判決の認定するとおりであるが(同76頁)、これはそもそもB監督が、義母の急逝により帰郷したためにとられた措置であり、その際にも、B監督が「厳しい自然」というイメージを亡A及びEに伝えていることも原判決が認定するとおりであり、これも、亡AがB監督の指示を離れた裁量を有していたことを示す事情とはいえない。
イ この点に関し、被控訴人は、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである旨主張する。しかし、映画製作の最終決定を監督が行い、撮影技師は監督の意図に沿うよう撮影すべきものであることは前判示のとおりであり、いかに技術が高いからといって、撮影技師が監督の指揮監督を離れて技術や裁量を発揮する権限までを有しているものと認めることはできないのであって、映画の撮影技師である以上、技術が高いとの理由で職務の独立性が強いとすることはできない。
また、被控訴人は、最高裁平成8年11月28日判決を援用して、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない旨主張する。しかし、B監督の指示が、具体的な指揮命令という形をとっていなかったとしても、それは亡AがB監督の意図を了解してこれに沿うように撮影したために指揮命令が顕在化しなかっただけであって、監督の指揮命令としての性質を有することを否定するものではない。被控訴人の援用する最高裁判決は本件とは事案を異にし、本件には適切でない。
さらに、被控訴人は、〈1〉監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない、〈2〉最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない、〈3〉少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していた旨主張する。
しかし、これらについては、いずれも被控訴人の主張と同旨の原判決の認定(73頁2行目から9行目まで)を改めるべきであることは前記のとおりであり、映画撮影においては、撮影技師は、あくまでも監督の下で技術性、裁量性を発揮すべきものと認められ、指揮命令関係の観点からみて、本件におけるB監督と亡Aが同格として扱われていたということはできないから、被控訴人の上記主張も採用することができない

(2) 報酬の性格・額について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬は、本件映画1本の撮影作業に対するものとして120万円とされており、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更はないものとされていたものの、青銅プロで決まっている日当と予定撮影日数を基礎として算定した額に打ち合わせへの参加等を考慮して決められたものであるから(原判決59頁、68頁)、労働者性について疑う余地のない他の撮影助手、照明技師等について支払われていた報酬と本質的な差異があるということはできない。また、亡Aは、合計33日間本件映画の撮影等に従事してその途中で死亡しているところ(同72ないし73頁)、撮影の3分の2を消化したという理由で84万円が支払われていたというのであるが(同60頁)、33日間という日数は当初の撮影予定期間である50日の約3分の2に相当し、上記のような支払がなされたこともまた、他の撮影助手等について日当を基礎に日数に応じて報酬が支払われていたことと整合性を有するものといえる。
したがって、亡Aに支払われた報酬は、原判決の説示するような出来高的な要素の強い報酬というよりは、むしろ賃金の性格の強いものであったということができる
被控訴人は、本件において、〈1〉報酬がどのような性格をもっていたのかは結局は不明であったというほかはなく、これを当然に賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである、〈2〉むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものである旨主張する。
しかし、前判示のとおり、亡Aに対しては、労務提供期間を基準としてその報酬を算定したものということができるのであって、撮影が中途で終わった場合の明確な規定がないからといって、必ずしも報酬としての性格が強く裏付けられるとはいえない。

(3) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について
原判決の認定事実によれば、亡Aには、本件映画の撮影を引き受けるかどうか、いい換えれば同撮影に関する本件契約を締結するかどうかの自由があったことは明らかであるが、いったん、契約を締結した以上、亡Aは、製作進行係(兼務助監督)EがプロデューサーであるC社長の指示の下に作成した予定表に従って行動しなければならなくなり(原判決69ないし70頁)、また、前判示のとおり、撮影技師として本件映画についてのB監督のイメージを把握してこれを映像に具象化すべき立場にあったから、本件映画の撮影に関し、亡Aが具体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる
この点に関し、原判決は、亡Aの、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の制約は、主として映画製作の特殊性によって生ずるものであり、「使用者」の指揮命令を理由とするものではない旨説示し(同80ないし81頁)、被控訴人もほぼ同旨の主張をする。
しかし、もともと使用者の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む業務の内容による必要性を通じて実現されることの方が多いのであって、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の有無という被控訴人が主張する類の制約も多くの業務に共通するものであり、映画製作のみに固有のものではない。したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

(4) 時間的・場所的拘束性について
亡Aは、本件映画の撮影に従事することによりEの作成した予定表に従って集団で行動し、就労場所もロケ及びロケハンの現場と指定されていたものであって、時間的・場所的拘束性が高いものであったといえることは原判決の説示するとおりである(原判決86頁)。
もっとも、この点に関し、原判決は、このような拘束は映画製作の性質ないし特殊性による面が大きく、「使用者」の指揮命令の必要からされているものではない旨説示し(同頁)、被控訴人も同旨の主張をする。
しかし、このような拘束について映画製作の性質ないし特殊性のみを強調することは相当ではなく、かかる時間的・場所的拘束も映画を製作しようとする使用者の業務上の必要性からなされるものとみるべきであることは前記のとおりである。したがって、被控訴人の前記主張も採用することができない。

(5) 労務提供の代替性の有無
本件映画の撮影について、青銅プロは、亡Aの撮影技師としての技術に着目したB監督の推薦があったために、亡Aとの間で本件契約を締結するに至ったことは原判決の認定するところであり(原判決58頁)、亡Aに、使用者の了解を得ずに自らの判断で他の者に労務を提供させ、あるいは補助者を使うことが認められていたとはいい難く、亡Aの仕事に代替性が認められているとはいえない。このことは、指揮監督関係を肯定する要素の1つである。
この点に関し、被控訴人は、本件における契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる旨主張するが、亡Aが、撮影助手としてF及びG並びに照明技師としてDを青銅プロに推薦したものの、同人らはいずれも青銅プロとの間で個別に契約を締結していることは原判決の認定するところであって(原判決67ないし68頁)、本件撮影業務を一括して請け負ったことを示す証拠はないから、同主張はその前提において失当である。

(6) 機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した撮影機材は、中尊寺金色堂の撮影について自己のカメラを使用したほかはすべて青銅プロのものであったものであり、この事実が亡Aの労働者性をうかがわせる要素といえることは、原判決の説示するとおりである(原判決91頁)。
被控訴人は、亡Aが上記のように中尊寺金色堂の撮影に自己のカメラを使用したことが、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素である旨主張するが、亡Aが自己のカメラを使用したのはごく例外的であったことは原判決も認定するとおりであって、上記主張は採用できない。

(7) 専属性の程度について
亡Aが経済的に青銅プロの仕事に依存していたということはできず、亡Aの青銅プロへの専属性の程度が低かったというべきであることは原判決の説示するところであり(原判決91ないし92頁)、被控訴人も、亡Aが、本件契約の期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった旨主張し、亡Aの専属性の程度が低かったことを主張しようとするものと解される。
しかし、本件において、前記のとおり指揮監督関係が認められることに照らすと、専属性の程度が低かったとしても、このことが直ちに亡Aの労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものとはいえないから、上記主張もまた採用できない。

(8) 服務規律の適用について
亡Aには、従業員の就業時間、休憩時間、休日及び服務規律等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、亡Aの報酬の支払時期も、青銅プロの従業員と異なる時期とされたことはいずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決92頁)、これらの事実も指揮監督関係が認められる本件においては、労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものではないというべきである上、原審証人Eの証言によれば、亡Aのみではなく、青銅プロの従業員であると否とを問わず、ロケの期間中は、撮影スタッフに対しては就業規則が適用されないのが通例であったことが認められるから、亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されなかったことは、必ずしも亡Aの労働者性を否定する要素とはならない。
この点に関し、被控訴人は、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしておらず、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素である旨主張するが、これらの事情も、本件において労働者性を否定する要素とはならないことは前記と同様である。

(9) 公租などの公的負担関係について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬に関しては、給与に関する源泉徴収ではなく、「芸能人報酬に関する源泉徴収」(所得税法204条1項5号参照)がされており、亡Aも本件報酬を事業所得として確定申告していることが認められる(原判決61頁)。しかし、所得税の申告形式のみを捉えて使用従属関係を否定することは相当ではない上、原審提出の甲36及び原審証人Hの証言によれば、事業所得として申告することは、労働者性の認められる他の撮影助手等の映画スタッフについてもほぼ同様であったことが認められるから、所得税の申告形式から労働者性を否定することはできない
他方、原判決が認定及び説示するとおり、青銅プロが昭和60年4月から昭和61年3月まで労災保険料の算定基礎に亡Aに対する本件報酬を含めていたことは、亡Aの労働者性を肯定する要素であり(原判決61ないし62頁及び93頁)、ただ亡A分を含めた労災保険料の納付が青銅プロの判断において行われたにすぎず、被控訴人の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから、そのことから直ちに亡Aが「労働者」であったということができないことも原判決の説示するとおりであるが、しかし、この事実が、労働者性の判断において1つの要素となることは否定できない。
この点に関し、被控訴人は、事業者において報酬を誤って賃金として支払った場合の措置について主張するが、本件では、被控訴人の主張するような措置がとられた事例であることを認めるべき証拠はないから、同主張は上記の判断を左右しない。

(10) 以上(1)ないし(9)にみたとおり、亡Aの本件映画撮影業務については、亡Aの青銅プロへの専属性は低く、青銅プロの就業規則等の服務規律が適用されていないこと、亡Aの本件報酬が所得申告上事業所得として申告され、青銅プロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること等使用従属関係を疑わせる事情もあるが、他方、映画製作は監督の指揮監督の下に行われるものであり、撮影技師は監督の指示に従う義務があること、本件映画の製作においても同様であり、高度な技術と芸術性を評価されていた亡Aといえどもその例外ではなかったこと、また、報酬も労務提供期間を基準にして算定して支払われていること、個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること、時間的・場所的拘束性が高いこと、労務提供の代替性がないこと、撮影機材はほとんどが青銅プロのものであること、青銅プロが亡Aの本件報酬を労災保険料の算定基礎としていること等を総合して考えれば、亡Aは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたものと認めるのが相当であり、したがって、労基法9条にいう「労働者」に当たり、労災保険法の「労働者」に該当するというべきである。

5 以上によれば、亡Aは、労災保険法における「労働者」に該当すべきこととなるところ、本件処分においては、亡Aの労働者性が否定されたのみで、死亡の業務起因性については未だ判断されていないから、裁判所としては、亡Aの死亡の業務起因性の有無について認定、判断を留保した上、本件処分を違法として取り消すべきものであるところ(最高裁平成5年2月16日判決・民集47巻2号473頁参照)、これと結論を異にする原判決は取消を免れない。
第5 結論
よって、原判決を取り消し、本件処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。
第21民事部

+判例(H17.6.3)関西医科大学研修医未払賃金事件
理由
上告代理人池上健治ほかの上告受理申立て理由について
1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、関西医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)を開設している学校法人である。
(2) 亡A(以下「A」という。)と被上告人X1との間の子であるB(以下「B」という。)は、平成10年4月16日に医師国家試験に合格し、同年5月20日に厚生大臣の免許を受けた医師である。Bは、同年6月1日から本件病院の耳鼻咽喉科において臨床研修を受けていたが、同年8月16日に死亡した。
(3) 本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、2年間の研修期間を2期に分け、〈1〉 第1期(1年間)は、外来診療において、病歴の聴取、症状の観察、検査及び診断の実施並びに処置及び小手術の施行を経験し、技術の習得及び能力の修得を目指すほか、入院患者の主治医を務めることを通じて、耳鼻咽喉科の診療の基本的な知識及び技術を学ぶとともに、医師としての必要な態度を修得する、〈2〉 第2期(1年間)は、関連病院において更に高いレベルの研修を行う、というものであった。
(4) 平成10年6月1日から同年8月15日までの間にBが受けていた臨床研修の概要は、次のとおりであった。
ア 午前7時30分ころから入院患者の採血を行い、午前8時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
イ 午前9時から午後1時30分ないし午後2時まで、一般外来患者の検査の予約、採血の指示を行って、診察を補助する。問診や点滴を行い、処方せんの作成を行うほか、検査等を見学する。
ウ 午後は、専門外来患者の診察を見学するとともに、一般外来の場合と同様に、診察を補助する。火曜日及び水曜日には、手術を見学することもある。
エ 午後4時30分ころから午後6時ころまで、カルテを見たり、文献を読んだりして、自己研修を行う。
オ 午後6時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
カ 午後7時以降は、入院患者に対する処置を補助することがある。指導医が不在の場合や、指導医の許可がある場合には、単独で処置を行うこともある。
キ 指導医が当直をする場合には、翌朝まで本件病院内で待機し、副直をする。
(5) Bは、本件病院の休診日等を除き、原則的に、午前7時30分から午後10時まで、本件病院内において、指導医の指示に従って、上記のような臨床研修に従事すべきこととされていた
(6) 上告人は、Bの臨床研修期間中、Bに対して奨学金として月額6万円の金員及び1回当たり1万円の副直手当(以下「奨学金等」という。)を支払っていた。上告人は、これらの金員につき所得税法28条1項所定の給与等に当たるものとして源泉徴収を行っていた。
(7) Aは、平成17年1月5日に死亡し、被上告人X1及びAと被上告人X1との間の子である被上告人X2がこれを相続した。

2 本件は、被上告人らが、Bは労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条所定の労働者であり、最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条所定の労働者に該当するのに、上告人はBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったとして、上告人に対し、最低賃金額と上告人がBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する賃金の支払を求める事案である。

3 研修医は、医師国家試験に合格し、医籍に登録されて、厚生大臣の免許を受けた医師であって(医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下同じ。)2条、5条)、医療行為を業として行う資格を有しているものである(同法17条)ところ、同法16条の2第1項は、医師は、免許を受けた後も、2年以上大学の医学部若しくは大学附置の研究所の附属施設である病院又は厚生大臣の指定する病院において、臨床研修を行うように努めるものとすると定めている。この臨床研修は、医師の資質の向上を図ることを目的とするものであり、教育的な側面を有しているが、そのプログラムに従い、臨床研修指導医の指導の下に、研修医が医療行為等に従事することを予定している。そして、研修医がこのようにして医療行為等に従事する場合には、これらの行為等は病院の開設者のための労務の遂行という側面を不可避的に有することとなるのであり、病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り、上記研修医は労働基準法9条所定の労働者に当たるものというべきである。
これを本件についてみると、前記事実関係によれば、本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、研修医が医療行為等に従事することを予定しており、Bは、本件病院の休診日等を除き、上告人が定めた時間及び場所において、指導医の指示に従って、上告人が本件病院の患者に対して提供する医療行為等に従事していたというのであり、これに加えて、上告人は、Bに対して奨学金等として金員を支払い、これらの金員につき給与等に当たるものとして源泉徴収まで行っていたというのである。
そうすると、Bは、上告人の指揮監督の下で労務の提供をしたものとして労働基準法9条所定の労働者に当たり、最低賃金法2条所定の労働者に当たるというべきであるから、上告人は、同法5条2項により、Bに対し、最低賃金と同額の賃金を支払うべき義務を負っていたものというべきである。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 Yは,関西医科大学附属病院を開設している学校法人である。X1とAとの間の子であるBは,平成10年3月に関西医科大学を卒業し,同年4月に医師国家試験に合格して,正規の医師になった者である。Bは,同年5月から関西医科大学附属病院の耳鼻咽喉科において見学生として研修を受けた後,同年6月から同病院の耳鼻咽喉科において医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの)16条の2第1項所定の臨床研修を受けていたが,同年8月,急性心筋こうそくのため死亡した。Yは,Bに対し,奨学金として月額6万円の金員及び副直手当を支払っていたが,これは最低賃金額に達しないものである。
本件は,Bの父であるAと母であるX1が,Bは最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条,労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条の労働者であったのに,YはBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったと主張して,Yに対し,最低賃金額とYがBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する未払賃金の支払を求める事案である。なお,Aは,本件が上告審に係属した後に死亡し,X1及び二男であるX2がAの地位を承継した。

2 最低賃金法5条は,使用者は最低賃金額以上の賃金を支払わなければならず,最低賃金に達しない賃金を定める労働契約は無効であって,最低賃金と同様の定めをしたものとみなす旨定めている。そして,最低賃金法2条は,同法にいう「労働者」の意義について,「この法律で『労働者』とは,労働基準法9条に規定する労働者をいう」としている。したがって,Bが労働基準法9条に規定する労働者に該当する場合には,Yは,Bに対し,最低賃金額と奨学金等との差額を支払うべき義務を負うことになる。そのため,本件においては,研修医であるBが労働基準法9条に規定する労働者に該当するか否かが最大の争点となり,Yは,a 研修医は座学等によって得た医学知識しかない者を一人前の医師に教育することを目的とする臨床研修を受けている者(被教育者)であり,労務の提供をする者ではないから,労働者ではない,b昭和57年2月19日基発第121号「商船大学等の実習生」(以下「本件通達」という。)は,商船大学等の実習生について労働者ではないものとして取り扱うこととしている,などと主張した。

3 第1審判決(判タ1087号182頁)及び控訴審判決は,労働基準法9条に規定する労働者とは,他人の指揮命令ないし具体的指示の下に労務を供給する者をいい,これに該当するか否かは,仕事の依頼,業務従事への指示等に関する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,場所的・時間的拘束性の有無等を総合的に考慮して判断すべきであると判示した上で,Bは,研修目的から来る自発的な発意の許容される部分を有しており,その意味において特殊な地位を有していたことを否定することができないが,全体としてみた場合,他人の指揮命令下に医療に関する各種業務に従事していたということができるのであり,労働基準法9条の労働者に該当すると認めることができるとして,Bの労働者性を肯定し,原告らの請求を一部認容した。

4 労働基準法9条は,労働者の意義について,事業に使用される者で,賃金を支払われる者をいう旨定めて,労働者に該当するというためには,① 使用者の指揮監督下において労務の提供をする者であること,② 労務に対する賃金を支払われる者であること,という二つの要件を充足することを要するとしており,この二つの要件は,併せて「使用従属性」の要件と呼ばれている。
この使用従属性の要件を充足するか否か,すなわち,労働者性を肯定することができるか否か,について判示した最高裁判所の先例としては,最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁(横浜南労基署長事件―傭車運転手の労働者性を否定した事例)のほか相当数のものがあるが,いずれも事例判断を示したものであり,一般論を示したものは見当たらない。この点に関する判例及び裁判例の大勢は,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会第1部会(労働契約関係)が昭和60年12月19日付けでした報告である「労働基準法の『労働者』の判断基準について」が示している判断基準と同様の枠組みを採用しているようであり,第1審判決及び控訴審判決も,この判断基準を念頭に置くものであることがうかがわれる。しかし,この判断基準は,労働者と請負人等との区別を念頭に置いたもの,つまり,労働者性の判断の対象者が「労務の提供をする者」であることを所与の前提とした上で,その労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かを判断するためのものである本件においては,労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かだけではなく,そもそも研修医が「労務の提供をする者」であるのかが問題とされているのであるから,Bがこの判断基準を充足することは,労働者に該当するというための必要条件ではあっても,十分条件ではなく,それとは別個に(又はその前提として),Bが「労務の提供をする者」であることが肯定されることを要するということになるであろう!!!。そして,Bが「労務の提供をする者」であるか否かを判断するに当たっては,本件通達のほか昭和24年6月24日基発第648号,昭和25年11月1日婦発第291号,平成9年9月25日基発第648号「看護婦養成所の生徒」,平成9年9月18日基発第636号「インターンシップにおける学生の労働者性」等の通達に示された行政解釈が,実習の目的及び内容,実習の方法及び管理等からみて,実習が教育のみを目的とし,労務の提供をするものではない実態にある場合には,労働者ではないものとして取り扱っていることが参考になるであろう。すなわち,教育を受けているか,労務の提供をしているか,というのは,択一的関係にあるわけではなく,教育を受けつつ労務の提供をしている関係というものもあり得るところであり,研修医が「労務の提供」をするものであるか否かは,当該研修医が労務の提供をしている実態にあるか否かという問題に収れんすると考えることができるのである。
本判決は,このような考え方を前提として,研修プログラムに従い臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事する医師は,病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り,「労務の提供をする者」ということができ,労働基準法9条所定の労働者に当たるとした上で,Bが行っていた臨床研修の実態にかんがみて,Bは臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事していたものと判断し,Bは労働者に当たるとしたものであろう

5 本判決は,労働法の基本問題である労働者性に関し,被教育者であるか,労務の提供をする者であるかが争われた事案について,最高裁判所の判断を示したものであって,実務上少なからぬ意義を有するものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H23.5.19)マルカキカイ事件
調べておく。