民事訴訟法 基礎演習 自由心証・証明度 


1.自由心証主義

+(自由心証主義)
第247条
裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。

+(釈明処分)
第151条
1項 裁判所は、訴訟関係を明瞭にするため、次に掲げる処分をすることができる。
一  当事者本人又はその法定代理人に対し、口頭弁論の期日に出頭することを命ずること。
二  口頭弁論の期日において、当事者のため事務を処理し、又は補助する者で裁判所が相当と認めるものに陳述をさせること。
三  訴訟書類又は訴訟において引用した文書その他の物件で当事者の所持するものを提出させること。
四  当事者又は第三者の提出した文書その他の物件を裁判所に留め置くこと。
五  検証をし、又は鑑定を命ずること。
六  調査を嘱託すること。
2項 前項に規定する検証、鑑定及び調査の嘱託については、証拠調べに関する規定を準用する。

+(弁論準備手続における訴訟行為等)
第170条
1項 裁判所は、当事者に準備書面を提出させることができる。
2項 裁判所は、弁論準備手続の期日において、証拠の申出に関する裁判その他の口頭弁論の期日外においてすることができる裁判及び文書(第231条に規定する物件を含む。)の証拠調べをすることができる。
3項 裁判所は、当事者が遠隔の地に居住しているときその他相当と認めるときは、当事者の意見を聴いて、最高裁判所規則で定めるところにより、裁判所及び当事者双方が音声の送受信により同時に通話をすることができる方法によって、弁論準備手続の期日における手続を行うことができる。ただし、当事者の一方がその期日に出頭した場合に限る。
4項 前項の期日に出頭しないで同項の手続に関与した当事者は、その期日に出頭したものとみなす。
5項 第148条から第151条まで、第152条第1項、第153条から第159条まで、第162条、第165条及び第166条の規定は、弁論準備手続について準用する。

・事実認定の際に裁判所が経験則の採否や適用を誤った場合には、法令違反(247条違反)を理由として上告受理申立てができると解される(318条1項・4項)。
+(上告受理の申立て)
第318条
1項 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
2項 前項の申立て(以下「上告受理の申立て」という。)においては、第三百十二条第一項及び第二項に規定する事由を理由とすることができない。
3項 第一項の場合において、最高裁判所は、上告受理の申立ての理由中に重要でないと認めるものがあるときは、これを排除することができる。
4項 第一項の決定があった場合には、上告があったものとみなす。この場合においては、第三百二十条の規定の適用については、上告受理の申立ての理由中前項の規定により排除されたもの以外のものを上告の理由とみなす。
5項 第三百十三条から第三百十五条まで及び第三百十六条第一項の規定は、上告受理の申立てについて準用する。

・証明責任
415条「責めに帰すべき事由」の不存在の証明責任は債務者にある。
+判例(S34.9.17)
理由
一、被上告人Aに対する上告について。
原判決は、被上告人Aは、原判示売買契約の当事者ではたなく、売主たる被上告人Bの代理人として上告人と契約締結の衝に当つたにすぎないことを認定したものであつて、原判決挙示の証拠によれば、右事実はこれを肯認できなくはない。論旨第一点は、原審がその裁量権の範囲内で適法になした事実の認定ないし証拠の取捨を争うものに帰し、また、論旨第三点は、原審の事実認定に副わない事実を前提とする主張であつて、いずれも採るをえない。

二、被上告人Bに対する上告について。
原判決は、被上告人Bは、かねてから原判示家屋の一部をCから賃借し、これを店鋪として食堂コロンビヤを経営していたが、昭和二八年三月中上告人との間に右食堂の営業権、家屋賃借権、営業用什器等の売買契約を締結し、同被上告人の代理人Aにおいて売買代金の支払をうけたこと、Bは家屋賃借権の譲渡につき賃貸人の承諾をえないまま、同月下旬頃上告人に店舗及び営業用什器類を引き渡したが、賃貸人Cは結局右賃借権の譲渡を承諾するにいたらず同人の妻Dは同年一〇月頃ついに右店舗を含む本件家屋全部を取りこわしてしまい、店舗の使用は不能となつたことをそれぞれ確定したものである。ところで賃借権の譲渡人は、特別の事情のないかぎり、その譲受人に対し、譲渡につき遅滞なく賃貸人の承諾をえる義務を負うものと解すべきであり、前記事実関係によれば、被上告人Bは賃借権の譲渡につき賃貸人Cの承諾をえる義務があるにかかわらず、これをえることができないでいるうちに、本件家屋は取りこわされてしまつたのであるから、本件売買契約のうち家屋賃借権の譲渡に関する部分についての同被上告人の債務は履行不能となつたものというべく、少くとも右部分に関する限り、債務看者である被上告人Bとしては、右履行不能が債務者の責に帰すべからざる事由によつて生じたことを証明するのでなければ、債務不履行の責を免れることはできないと解さなくてはならない(大審院大正一三年(オ)第五六九号、同一四年二月二七日判決、民集四巻九七頁参照)。しかるに、原審は、「履行不能となつたことが債務者であるBの責に帰すべき事由によることについては主張も立証もない」旨判示し、かかる主張及び立証の責任を債権者たる上告人に負わしめ、同人の売買代金返還の請求を排斥したものであつて、この違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨第二点は、結局その理由があるというべきである。
よつて、被上告人Aに対する上告は、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、これを棄却し、被上告人Bに対する上告については、民訴四〇七条一項により、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻すべきものとし、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

・保険事故の偶発性についての証明責任をどちらが負うのか?
・請求者説

+判例(H13.4.20)
理由
上告代理人山本隆夫、同根岸隆、同久利雅宣、同増田英男の上告受理申立て理由第一について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 上告人会社は、被上告人らとの間で、第1審判決別紙第一事件保険契約及び同第二事件保険契約記載のとおり被保険者をいずれもA、保険金受取人を同上告人あるいは被保険者の法定相続人(上告人B、同C、同D及び同E)とする普通傷害保険契約(以下「本件各保険契約」という。)をそれぞれ締結した。
(2) 本件各保険契約に適用される各保険約款(以下「本件各約款」という。)には、いずれも被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して約款に従い保険金(死亡保険金を含む。)を支払うこと及び被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないことがそれぞれ定められている
(3) 本件各保険契約の被保険者であるAは、平成7年10月31日午後2時30分ころ埼玉県北足立郡a町所在の5階建て建物の屋上から転落し、脊髄損傷等により死亡した(以下、これを「本件転落」という。)。

2 上記事実関係に基づいて検討する。
本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張、立証すべき責任を負うものと解するのが相当である。
けだし、本件各約款中の死亡保険金の支払事由は、急激かつ偶然な外来の事故とされているのであるから、発生した事故が偶然な事故であることが保険金請求権の成立要件であるというべきであるのみならず、そのように解さなければ、保険金の不正請求が容易となるおそれが増大する結果、保険制度の健全性を阻害し、ひいては誠実な保険加入者の利益を損なうおそれがあるからである本件各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の定めは、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を保険者に負わせたものではないと解すべきである。

3 以上によれば、本件転落が偶然な事故であると認めることができず、したがって上告人らの本件各保険契約に基づく各保険金請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。上記判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官亀山継夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官亀山継夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、法廷意見に賛成するものであるが、次のことを付言しておきたい。
本件各約款の合理的解釈としては、法廷意見のいうとおり、保険金請求者の側において偶然な事故であることの主張立証責任を負うべきものと解するのが相当である。しかしながら、本件各約款が、保険契約と保険事故一般に関する知識と経験において圧倒的に優位に立つ保険者側において一方的に作成された上、保険契約者側に提供される性質のものであることを考えると、約款の解釈に疑義がある場合には、作成者の責任を重視して解釈する方が当事者間の衡平に資するとの考えもあり得よう。そして、かねてから本件のように被保険者の死亡が自殺によるものか否かが不明な場合の主張立証責任の所在について判例学説上解釈が分かれ、そのため紛争を生じていることは、保険者側は十分認識していたはずであり、保険者側において、疑義のないような条項を作成し、保険契約者側に提供することは決して困難なこととは考えられないのであるから、一般人の誤解を招きやすい約款規定をそのまま放置してきた点は問題であるというべきである。もちろん、このような約款がこれまで使用されてきた背景には、解釈上の疑義が明確に解消されないため、かえって改正が困難であったという事情があるのかもしれないが、本判決によって疑義が解消された後もなおこのような状況が改善されないとすれば、法廷意見の法理を適用することが信義則ないし当事者間の衡平の理念に照らして適切を欠くと判断すべき場合も出てくると考えるものである。
(裁判長裁判官 梶谷玄 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫)

++解説
《解  説》
 一 はじめに
 最高裁第二小法廷は、本年四月二〇日に傷害保険契約における偶然性(偶発性)の主張立証責任が争点とされた事件について二件の判決(本件と平成一〇(オ)第八九七号)を言い渡した。本件は、そのうちの一件であり、普通傷害保険契約に関するものである。
 二 事案の概要等
 本件は、X1会社とY各保険会社との間で、X1ないしX5を受取人とする普通傷害保険契約がそれぞれ締結されていたところ、平成一〇(オ)第八九七号事件と同一の事故を原因として、X1ないしX5がY各保険会社に対し、死亡保険金の支払を請求した事案である。
 本件各普通傷害保険契約に適用される約款(以下、「本件各約款」という)によれば、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して死亡保険金を支払うこととされ、他方において被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないとされている。このように本件各約款も、一見すると、一方では故意等によらないことが権利根拠規定とされ、他方では故意等によることが権利障害規定とされているようにもみえる。そこで、生命保険契約に付加される災害割増特約等の災害関係特約と同様に、被保険者の死亡が自殺によるものかどうかが不明であるときは、保険金請求者において発生した事故が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うのか、それとも保険者において発生した事故が被保険者の故意等によることについての主張立証責任を負うのかという問題が生じていたのである。
 本件においても、上記主張立証責任の所在の点が争点とされたが、原判決は保険金請求者において本件転落が偶然の事故であることについて主張立証責任を負うとした上、上記転落は偶然な事故であると認めることはできないとして、X1ないしX5の保険金請求を棄却した一審判決に対する控訴を棄却した(なお、一審判決は本件転落を自殺によるものと推認していた)。
 三 本判決
 本判決は、本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張立証責任を負うとし、その上で、上記各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の規定は、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、保険者に被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を負わせたものではないなどと判断して、X1ないしX5の上告を棄却した。
 四 解説
 1 本件論点に関しても、学説上、保険金請求者が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うとする保険金請求者負担説と保険者が被保険者の故意等による傷害であることについての主張立証責任を負うとする保険者負担説とが対立していることは、生命保険契約の災害関係特約のケースと同様である。
 また、下級審判例も保険金請求者負担説によるもの(東京地判平12・5・10金判一〇九九号四二頁、東京地判平10・1・26本誌九八二号二六三頁、福井地武生支判平5・1・22本誌八二二号二六一頁など)と保険者負担説によるもの(大阪高判平11・3・18判時一六九一号一四三頁、東京地判平11・9・30本誌一〇二五号二六八頁、神戸地判平8・8・26本誌九三四号二七五頁など)に分かれていた。
 2 なお、本判決も立証の程度の問題については何ら触れるものではないが、保険金請求者側が偶然な事故であることを立証することについては困難を伴うことが否定できないことからすれば、保険金請求者側において外形的類型的にみて事故であるということが立証できれば、偶然な事故であることを事実上推定するという考え方も十分に検討に値しよう
 本判決についても、立証の程度の問題については別途の配慮が必要であるとする余地を残しているという見方もできるものと思われる。
 3 本判決にも亀山裁判官の補足意見が付されている。保険会社としては、補足意見の趣旨を十分に酌み取った上、今後の対応を検討する必要があろう。
+同日に似たような保険の判例もあったりするよ(笑)
+判例(大阪高判21.9.17)

・保険者説
+判例(H16.12.13)
理由
上告代理人細川喜子雄の上告受理申立て理由第2について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、大阪市住吉区所在の自己所有地上に第1審判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、本件建物において、長男及び長女と共に居住し、本件建物を店舗、倉庫等として使用していた。
(2) 被上告人は、平成11年12月2日、上告人との間で、〈1〉保険の目的を本件建物、家財一式及び商品・製品等一式、〈2〉保険金額を建物2億円、家財一式7000万円、商品・製品等一式2億円、〈3〉保険料を48万6300円、〈4〉保険期間を同日午後4時から平成12年12月2日午後4時までとする店舗総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、保険料48万6300円を支払った
本件保険契約に適用される保険約款(以下「本件約款」という。)1条1項には、保険金を支払う場合として、火災によって保険の目的について生じた損害に対して損害保険金を支払う旨が規定され、また、同2条1項(1)には、保険金を支払わない場合として、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害に対しては保険金を支払わない旨が規定されている。
(3) 平成11年12月7日午前11時ころ、本件建物内で火災が発生し、本件建物4階の居室20㎡を焼損し、他の階の各室にも消火活動による水損等の被害が生じたほか、本件建物内に保管されていた被上告人及びその家族の所有する家財、被上告人の経営する店舗の商品等についても、一部に焼損又は水損等の被害が発生した(以下、この火災を「本件火災」という。)。

2 本件は、被上告人が上告人に対し、本件火災により損害を被ったと主張して、本件保険契約に基づき、火災保険金及びその遅延損害金の支払を求めるものである。

3 商法は、火災によって生じた損害はその火災の原因いかんを問わず保険者がてん補する責任を負い、保険契約者又は被保険者の悪意又は重大な過失によって生じた損害は保険者がてん補責任を負わない旨を定めており(商法665条、641条)火災発生の偶然性いかんを問わず火災の発生によって損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とするとともに、保険契約者又は被保険者の故意又は重大な過失によって損害が生じたことを免責事由としたものと解される火災保険契約は、火災によって被保険者の被る損害が甚大なものとなり、時に生活の基盤すら失われることがあるため、速やかに損害がてん補される必要があることから締結されるものである。さらに、一般に、火災によって保険の目的とされた財産を失った被保険者が火災の原因を証明することは困難でもある商法は、これらの点にかんがみて、保険金の請求者(被保険者)が火災の発生によって損害を被ったことさえ立証すれば、火災発生が偶然のものであることを立証しなくても、保険金の支払を受けられることとする趣旨のものと解される。このような法の趣旨及び前記1(2)記載の本件約款の規定に照らせば、本件約款は、火災の発生により損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とし、同損害が保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意又は重大な過失によるものであることを免責事由としたものと解するのが相当である。
したがって、本件約款に基づき保険者に対して火災保険金の支払を請求する者は、火災発生が偶然のものであることを主張、立証すべき責任を負わないものと解すべきである。これと結論において同旨をいう原審の判断は正当である。所論引用の最高裁平成10年(オ)第897号同13年4月20日第二小法廷判決・民集55巻3号682頁、最高裁平成12年(受)第458号同13年4月20日第二小法廷判決・裁判集民事202号161頁は、いずれも本件と事案を異にし、本件に適切でない。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷玄 裁判官 津野修)

++解説

+判例(H18.6.1)

++解説

2.証明の程度
(1)証明度
判決の基礎となる事実の認定に関しては、当該事実の存在につき高度の蓋然性を証明することが必要であり、通常人が疑いをさしはさまない程度に真実性の確信を持ちうることを要し、かつ、それで足りる!
+判例(S50.10.24)ルンバール
理由
上告代理人萩沢清彦、同内藤義憲の上告理由第一点及び第三点について
一 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

二 これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実は次のとおりである。
1 上告人(当時三才)は、化膿性髄膜炎のため昭和三〇年九月六日被上告人の経営する東京大学医学部附属病院小児科へ入院し、医師A、同Bの治療を受け、次第に重篤状態を脱し、一貫して軽快しつつあつたが、同月一七日午後零時三〇分から一時頃までの間にB医師によりルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入、以下「本件ルンバール」という。)の施術を受けたところ、その一五分ないし二〇分後突然に嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、右半身けいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同年一一月二日退院し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等がある。

2 本件ルンバール直前における上告人の髄膜炎の症状は、前記のごとく一貫して軽快しつつあつたが、右施術直後、B医師は、試験管に採取した髄液を透して見て「ちつともにごりがない。すつかりよくなりましたね。」と述べ、また、病状検査のため本件発作後の同年九月一九日に実施されたルンバールによる髄液所見でも、髄液中の細胞数が本件ルンバール施術前より減少して病状の好転を示していた。

3 一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、上告人の昼食後二〇分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当のB医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。そして、右施術は、嫌がつて泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ、B医師によつて実施されたが、一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約三〇分間を要した
4 もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められた上告人に対し右情況のもとで本件ルンバールを実施したことにより脳出血を惹起した可能性がある。
5 本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁ではじまり、右半身に強いけいれんと不全麻痺を生じたことに対する臨床医的所見と、全般的な律動不全と左前頭及び左側頭部の限局性異常波(棘波)の脳波所見とを総合して観察すると、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断される。
6 上告人の本件発作後少なくとも退院まで、主治医のA医師は、その原因を脳出血によるものと判断し治療を行つてきた。
7 化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められなかつた。

三 原判決は、以上の事実を確定しながら、なお、本件訴訟にあらわれた証拠によつては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難いとし、また、本件発作とその後の病変の原因が本件ルンバールの実施にあることを断定し難いとして上告人の請求を棄却した。

四 しかしながら、(1)原判決挙示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)及び原審証人Aの第二回証言は、上告人の本件発作後少なくとも退院まで、本件発作とその後の病変が脳出血によるものとして治療が行われたとする前記の原審認定事実に符合するものであり、また、鑑定人Cは、本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によると、右発作の原因として脳出血が一番可能性があるとしていること、(2)脳波研究の専門家である鑑定人Dは、結論において断定することを避けながらも、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としていること、(3)前記の原審確定の事実、殊に、本件発作は、上告人の病状が一貫して軽快しつつある段階において、本件ルンバール実施後一五分ないし二〇分を経て突然に発生したものであり、他方、化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別の事情も認められなかつたこと、以上の事実関係を、因果関係に関する前記一に説示した見地にたつて総合検討すると、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに困つて発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。
原判決の挙示する証人E、同Fの各証言鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、右結論の妨げとなるものではない。

五 したがつて、原判示の理由のみで本件発作とその後の病変が本件ルンバールに困るものとは断定し難いとして、上告人の本件請求を棄却すべきものとした原判決は、因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかであるから、論旨はこの点で理由があり、原判決は、その余の上告理由についてふれるまでもなく破棄を免れない。そして、担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官大塚喜一郎の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。
多数意見は「原判決の挙示する証人E、同Fの各証言、鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、いずれも右結論の妨げとなるものではない。」としているが、この点に関する検討結果を要約すると、次のとおりである。
(1) 鑑定人Cの鑑定書によれば、本件発作の原因として脳出血が一番考えられるとし、その根拠として、発症が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によるとし、むしろ、本件発作及びその後の病変と脳出血との因果関係を肯定している。
(2) 鑑定人Gの鑑定書によれば、本件発作は、広義の化膿性髄膜炎の再燃によるとも考えることができるとしながらも、他方で、「脳出血によるとの考え方も、本患児は病初より皮下出血が見られ、出血性傾向があつたと思われること、発作が突然おこつたものであること等からも、一応その可能性は考えられる。」とし、ついで、現在の後遺症につき、「広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし又脳出血の後遺症とも考えられる。若し脳出血があつたとすればそれは感染症の経過中に多くみられる脳白質全般の小出血、小血栓等に基づくものであろう」とし、「本件の場合、この出血性脳症そのものとも考えられるし、又経過中に紫斑の認められた所から出血性素因があつたと思われるから丁度ルムバールを行つた時、これによつて出血性傾向を増す何らかの要因が加わつたかも知れない。」とし、結論的には想定しうる原因のいずれであるかを断定していないが、少なくとも本件発作と脳出血との因果関係の可能性を肯定している。
(3) 鑑定人Dの鑑定書によれば、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき、「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としながらも、「これらの事項を参考にして脳波所見を改めて解読すると臨床症状である右片麻痺と局在性痙れんをうらづけるものは上記の左側の限局性棘波であり、また第一回の脳波記録前に髄膜炎の経過をもつていると考えられるので、二回目以降の脳波所見は、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる。尚この脳波所見からは、合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」とし、脳波研究専門家である同鑑定人は、脳波所見の限界として、病巣部ないしは異常部位が脳実質の左部にあることのみでは疾患の原因が何であるかを診断することは、特殊の場合を除いて困難であり、さらに、被検者の臨床像やレントゲン所見、脊髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして総合的に考察しなければならないとしている。したがつて、前記の「合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」という所見は、右の総合的考察を必要とする結論を導き出すための思考過程の所見であつて、それ以上の意味をもつものではない。
(4) 右D鑑定書の結論に照らして、臨床医師の所見を検討すると、証人Aの第一審における第二回証言によれば、錐体外路症状、知能障害、性格障害など広範囲の後遺症が残つたから、単に脳実質左側部の脳出血とは考えられなくなり、化膿性髄膜炎の後遺症と考えるようになつたとし、また、証人Hの証言によれば、脳波所見により全誘導的棘波の場合、症状が脳全体に広がり、後遺症も全般的なものとなるので、これは髄膜脳炎とみられるし、脳出血の場合は限局的異常波であるとし、鑑定人Fの鑑定書第四項にも同旨の記述がある。しかしながら、右各証拠は、多数意見四説示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)、原審証人Aの第二回証言、鑑定人C、同Dの各所見と対比すると、本件発作とその後の病変の原因が脳出血であることを否定する資料とすることはできない。
(5) 鑑定人Fの鑑定書によれば、本件発作の原因として、脳炎を伴う化膿性脳膜炎の再燃に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われるとしており、同人の証言によると、右鑑定は甲第三号証の脳波所見に有力な根拠を求めていることが窺われる。しかし、同人は脳波の専門家ではないから、同鑑定書中の脳波所見よりは専門家であるD鑑定書の前記所見を信用すべきである。
(6) 証人Eは、小児の脳波を取扱う医師であるが、脳波記録のみからけいれんの原因を判断することは、非常に困難であると述べながらも、甲第三号証の所見については、癲癇性けいれんであり、化膿性髄膜炎の後遺症であると述べているが、右証言は十分な根拠を示していないから説得力に乏しく、措信し難い。
(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 岡原昌男 裁判官 吉田豊 裁判官小川信雄は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 大塚喜一郎)

・判例実務は高度の蓋然性説を維持しているが実際には証明の難易度や実体法の趣旨に鑑みて証明度を緩和している例がみられる!
+判例(H12.7.18)
理由
上告代理人細川清、同富田善範 同髙野伸、同久留島群一、同中村和博、同田川直之、同星野敏、同林田雅隆、同木村政之、同小宮山健彦、同宮田智、同佐藤敏信、同岡田文夫、同宮田清美、同内山博之、同黒木弘雅の上告理由について
一 本件は、長崎に投下された原子爆弾の被爆者である被上告人が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項に基づき、被上告人の右半身不全片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定の申請をしたのに対し、昭和六二年九月二四日、上告人がこれを却下したため、右却下処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求める事件である。

二 法七条一項は「厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と、法八条一項は「前条第一項の規定により医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」と規定している。これらの規定によれば、法八条一項に基づく認定をするには、被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか、現に医療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか、又は右負傷又は疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため右状態にあること(放射線起因性)を要すると解される。原審は、右認定は放射線起因性を具備していることの証明があった場合に初めてされるものであるが、原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、法の目的、性格等を考慮すると、認定要件のうち放射線起因性の証明の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、被爆者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を参酌し、被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因することについての「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきであると判断した。
しかしながら行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきであるから、法八条一項の認定の要件とされている放射線起因性についても、要証事実につき「相当程度の蓋然性」さえ立証すれば足りるとすることはできない。なお、放射線に起因するものでない負傷又は疾病については、その者の治ゆ能力が放射線の影響を受けているために医療を要する状態にあることを要するところ、右の「影響」を受けていることについても高度の蓋然性を証明することが必要であることは、いうまでもない。そうすると、原審の前記判断は、訴訟法上の問題である因果関係の立証の程度につき、実体法の目的等を根拠として右の原則と異なる判断をしたものであるとするなら、法及び民訴法の解釈を誤るものといわざるを得ない。
もっとも実体性が要証事実自体を因果関係の厳格な存在を必要としないものと定めていることがある。例えば、原審が右判断の過程において検討対象としている原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年法律第五三号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「特措法」という。)五条一項が健康管理手当の支給の要件として定めているのは、被爆者のかかっている造血機能障害等が「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかでないこと」というものであるから、この規定は、放射線と造血機能障害等との間に因果関係があることを要件とするのではなく、右因果関係が明らかにないとはいえないことを要件として定めたものと解される。原審の前記判断も、特措法の関連法規である法八条一項の放射線起因性の要件についても同様の解釈をすべきであるという趣旨に解されないではない。しかし、特措法は各給付ごとに支給要件を書き分けていることが明らかであり、同法五条一項が健康管理手当について右の程度の弱い因果の関係でよいと明文で規定しているのと対比すれば、同法二条の医療特別手当の支給については、このような弱い因果の関係では足りず、通常の因果関係を要するものとされていると解するほかはない。そして、これらの特措法の規定と対比すれば、むしろ、法七条一項は、放射線と負傷又は疾病ないしは治ゆ能力低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきである。このことは、法や特措法の根底に国家補償法的配慮があるとしても、異なるものではない。そうすると、原審の前記判断は、実体要件に係るものであるとしても、法の解釈を誤るものと言わなければならない。

三 ところで、原審は、本件全証拠を総合検討し、被上告人が現に医療を要する状態にあり、かつ、放射線起因性が認められると認定判断し、本件処分を違法としているので、右の放射線起因性を肯定した原審の認定判断について、以下検討する。
1 原審が、右認定判断の前提として適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(一) 長崎に原子爆弾が投下された昭和二〇年八月九日午前一一時二分、被上告人(当時三歳五箇月)は、爆心地から約2.45キロメートル離れた長崎市稲佐町〈番地略〉(現同市旭町〈番地略〉)の自宅の縁側付近において、爆風により飛来した屋根がわらにより左頭頂部を直撃され、左頭頂部頭蓋骨陥没骨折、一部欠損の重傷を負った。被上告人は、右傷害により一時意識不明、上下肢運動機能喪失等に陥ったが、マーキュロクロムを塗布する治療を受けたのみであった。その後数日間、被上告人は、自宅にとどまっていたが、下痢症状があり、頭髪が少しずつ抜け始めた。
(二) 同月一六日、被上告人は、両親と共に、自宅から徒歩で、爆心地から約1.7キロメートルの地点を経て長崎駅に至り、列車で爆心地の直近を通過して、長崎県南高来郡愛野町に避難し、一〇日間ほどを過ごした後帰宅した。避難先では、被上告人は、寝たきりであり、治療を受けることはなかったところ、頭部の傷口は化のうし、うみが出ていた。
(三) 同年一〇月上旬ころ、被上告人は、両親と共に、同県南松浦郡富江町に疎開した。同所でも、被上告人は、寝たきりであり、頭髪は一層薄くなった。頭部の傷口は、ふさがらず、水が噴き出すように腐臭の強いうみないし分泌物が流出し続け、医師からいったん短期間で治る旨の診断を受け、治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると、今度は別の部分からうみ等が出始めるという状況の繰返しで、治療は効を奏せず、一応の治ゆをみたのは、被爆後二年半ほどたってからであった。このような症状の経過、治ゆの遷延は、治療の不十分、不適切さだけでは十分に説明することができないものであった。同町での治療期間中に、被上告人の頭部の傷口からかわらの破片が出てきた。
(四) 同年一二月三一日から翌二一年一月一日にかけて、被上告人は、失神を伴う継続的な重度のけいれん発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返した。同様の発作の回数は次第に減少していったが、その後の学校時代を通じて、年に一、二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、同四二年ころまで続いた。同三四年ころには、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時としては明確に感染症とは判定することができず、原因は明らかにならなかった。
(五) 被上告人は、本件処分時においても、現在においても、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痩、右肘関節屈曲拘縮等の障害を有する。被上告人の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があって、骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、この欠損と側脳室が交通していて、脳孔症と診断されるほか、様々な不定愁訴を有している。これらの根本的治療は困難であるが、症状を緩和させるための薬物療法、理学療法等が現に必要である。
(六) 高速度で飛んできた小物体による頭部外傷の場合には、脳実質への影響は、受傷した局所では高度であるが、局限性で脳全体に与える影響は少ないのが通常であるのに、被上告人の場合は、脳実質にこれを超える広範な損傷がある。このように広範な脳孔症は、頭部外傷の合併症というだけでは説明することができないようなまれな状態であり、このことは、かわらの打撃以外の要因も加味していることを強く推認させる。
(七) 昭和二〇年に日米合同調査団が行った調査結果によれば、長崎においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一八パーセント、二キロメートルの地点で約一〇パーセントの者に、広島においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一九パーセント、二キロメートルの地点で約7.5パーセントの者に、それぞれ脱毛が生じており、いずれにおいても爆心地からの距離が遠くなるに従って脱毛の発症頻度が減少していたなどとされている。また、昭和四〇年に厚生省が行った調査によれば、被爆地点が二キロメートルを超える場合も、相当多数の者に脱毛等の急性症状があり、四キロメートルを超える場合も、早期入市者で一一パーセント、それ以外の者で3.1パーセントに脱毛が生じたとされている。さらに、昭和六〇年に厚生省が行った調査によれば、爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが、長崎においては3.2パーセント、広島においては5.4パーセントであったとされている。
また、長崎市内の爆心地から約2.9キロメートルの、被上告人の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆した甲野春子は、倒壊した工場の鉄骨製のはりの下敷きとなってせき椎を骨折したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後一年間無月経であった。外傷部は、容易に治ゆせず、腐食して悪臭を発した。同人は、昭和三四年六月二九日付けで、法八条一項の認定を受けた。
長崎市内の爆心地から約2.4キロメートルの地点で被爆した楠本光則は、被爆の約一箇月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。
長崎市内の爆心地から約2.5キロメートルの地点で被爆した梶原昌子は、被爆直後から発熱し、約一箇月後に脱毛が認められ、約二箇月後に鼻血、おう吐、下痢があった。
2 その一方で、原審は、右事実関係のほかにも、次の事実を適法に確定している。
(一) 放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と確定的影響とがあり、がんの誘発と遺伝的影響のみが前者に属し、それ以外はすべて後者に属するから、本件で問題となるのは確定的影響であるところ、確定的影響には一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があるとされ、各症状についてのしきい値としては、脳神経細胞の損傷が一〇〇〇ラド、白血球減少が五〇ラド、脱毛が三〇〇ないし五〇〇ラド、リンパ球の障害による免疫能の低下は一〇ラド強などとされている。
(二) 原子爆弾による放射線の線量評価システムであるDS八六は、線量評価に関し設置された日米合同の委員会が一九八六年(昭和六一年)三月に承認し、世界中において優良性を備えた体系的線量評価システムとして取り扱われてきたものであり、DS八六によれば、長崎におけるガンマ線と中性子線の空気中線量を合計した放射線量は、爆心地から2.4キロメートルの地点で2.963ラド、2.5キロメートルの地点で2.092ラドであり、残留放射線等による放射線量は、評価するに足りず、右線量についての不確定性の推定値は空気中線量で一三パーセントであり、臓器線量では二五ないし三五パーセントになるなどとされている。
3 確かに、右に記載したしきい値理論とDS八六とを機械的に適用する限り、被上告人の現症状は放射線の影響によるものではないということになり、本件において放射線起因性があるとの認定を導くことに相当の疑問が残ることは否定し難いところである。
しかしながら、DS八六もなお未解明な部分を含む推定値であり、現在も見直しが続けられていることも、原審の適法に確定するところであり、DS八六としきい値理論とを機械的に適用することによっては前記三1(七)の事実を必ずしも十分に説明することができないものと思われる。例えば、放射線による急性症状の一つの典型である脱毛について、DS八六としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射線以外の原因によるものと断ずることには、ちゅうちょを覚えざるを得ない。このことを考慮しつつ、前記三1の事実関係、なかんずく物理的打撃のみでは説明しきれないほどの被上告人の脳損傷の拡大の事実や被上告人に生じた脱毛の事実などを基に考えると、被上告人の脳損傷は、直接的には原子爆弾の爆風によって飛来したかわらの打撃により生じたものではあるが、原子爆弾の放射線を相当程度浴びたために重篤化し、又は右放射線により治ゆ能力が低下したため重篤化した結果、現に医療を要する状態にある、すなわち放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって、それが経験則上許されないものとまで断ずることはできない。
四 そうであるとするならば、本件において放射線起因性が認められるとする原審の認定判断は、是認し得ないものではないから、原審の訴訟上の立証の程度に関する前記法令違反は、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。したがって、結局、論旨は採用することができない。
よって裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 裁判官 奥田昌道)

++解説
《解  説》
一 本件は、長崎の原子爆弾の被爆者であるXが、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項の認定の申請をしたのに対し、Y(厚生大臣)がこれを却下する処分(以下「本件処分」という。)をしたため、その取消しを求めた事件である。
Xは、長崎市内の爆心地から約二・四五キロメートルの地点で被爆し、爆風により飛んできたかわらが頭部に当たって、頭蓋骨陥没骨折等の傷害を受けた。その後、満足な治療も受けられない状態で、頭髪が抜け、傷口が化のうし、約二年半かかってようやく一応の治ゆをみたが、脳に大きな空洞ができ、右半身不全麻痺等の症状が残り、現在でも不定愁訴等の症状緩和のための治療が必要である。
法七条一項は、被爆者に対する医療の給付について規定しているところ、法八条一項は、被爆者が医療給付を受けるためには厚生大臣の認定を受けなければならないものとしている。同項の文言上は、法七条一項本文の要件についての認定のようにみえるが、その趣旨に照らせば、同項ただし書によって排除されないことも認定の要件となっていると解される。右各規定は、法の廃止とともに施行された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律一〇条、一一条にそのまま引き継がれている。
原子爆弾の傷害作用による負傷又は疾病には、その放射線(条文には「放射能」とあるが、放射線が正しい。)に起因するものと、爆風、熱線等それ以外の作用に起因するものとがあり、法七条一項によれば、給付の対象となるのは、①放射線に起因する傷害又は疾病について現に必要な医療、②放射線以外の作用に起因する傷害又は疾病についての医療ではあるが、治ゆ能力が放射線の影響を受けている(すなわち、放射線の影響により治ゆ能力が低下している)ために現に必要となっているもの、のいずれかに当たる必要がある。
Xの負傷及び疾病が少なくとも原子爆弾の爆風に起因するものであること及びXが現に医療を要する状態にある(法七条一項本文の要件を充足している)ことは肯定することができるが、右の状態が右①、②のいずれかの意味において原子爆弾の放射線に起因し又はその影響を受けているものと認められるか否か(換言すれば、「原子爆弾の放射線」と「現に医療を要する状態」との間の直接的又は間接的因果関係の有無。以下「放射線起因性」という。)が、本件の争点である。そして、この争点の判断に関連して、その立証責任、立証の程度等が争いとなった。
二 Xは、法の目的等に照らせば、放射線起因性については、これがないことの立証責任がYにあると解するか、Xにあるとしても「相当程度の蓋然性」の立証で足りると解すべきであり、Xの傷病が放射線に起因する可能性を否定することができない以上、法八条一項の認定がされるべきであると主張した。
これに対し、Yは、因果関係の立証は「高度の蓋然性」を証明することを要するのであり、これを軽減すべき根拠はないから、放射線起因性に限って立証責任を転換したり立証の程度を弱めたりすることはできず、Xの受けたと認められる放射線量からすれば、Xの傷害又は疾病が放射線に起因するものとは到底認められないと主張した。
一、二審は、Xの請求を認容すべきものとしたが、原審の判断の概要は、次のとおりである。
1 法八条一項の認定は放射線起因性の証明があった場合に初めてされるのであり、立証責任を転換すべき根拠はない。しかし、放射線起因性の立証の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきである。
2 放射線の人体に及ぼす確定的影響には、一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があり、放射線量評価システムとして世界中で認められているDS八六によりXの受けた初期放射線量を評価すると、これらを機械的に適用する限り、Xの現症状は放射線の影響によるものではないということになる。
3 しかし、DS八六には問題点が残されており、DS八六としきい値理論をそのまま適用すれば発症しないはずの放射線急性障害の調査結果があるなど、本件においてDS八六を絶対的尺度とすることをちゅうちょさせる要因がある。そして、Xの頭部外傷の程度、Xに生じた脱毛や下痢、症状の経過、治癒の遷延等によれば、Xの現症状には放射線の影響があったと相当程度の蓋然性をもって推認することができる。
三 Yが上告し、放射線起因性については「高度の蓋然性」の証明を要すると解すべきであるから、原審が「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りるとしたことは法令の解釈適用を誤るものであり、本件においては高度の蓋然性の証明があったとはいえず、原判決の右違法は判決に影響を及ぼすものであると主張した。
本判決は、要旨のとおり判断して、原審の判断には違法があるとしたが、原審の確定した事実関係に基づけば、放射線起因性が認められるとした原審の認定判断は是認し得ないものではないとして、上告を棄却した。
原審が「相当程度の蓋然性」の証明で足りるとした趣旨は、因果関係についての訴訟上の証明の程度につき、高度の蓋然性の程度にまで証明することを要しないとするのか、それとも、法八条一項の認定の実体要件の内容として、因果関係があることを要せず、因果関係がありそうだという程度で足りるというのか、判文上は必ずしも明らかでないところがある。本判決は、そのいずれであるとしても、右判断には誤りがあるとしたものである。なお、本判決は、放射線起因性の立証責任がXにあることを前提としていると解される。
本判決の右判断は、オーソドックスな当然の判断ともいい得るが、放射線起因性の証明に関する訴訟法上の問題と実体法上の問題について、下級審裁判例がこれまで示してきた判断と異なるものであり、最高裁の初判断であって、同種事件に及ぼす影響は大きいと思われる。
なお、本判決の放射線起因性の有無に関する事例判断は、原審の認定判断を是認し得ないものではないとしたものであり、高度の蓋然性があったと断ずるにはなお問題が残されていることがうかがわれる。しかし、結論として本件事案について認定申請却下処分の取消しが確定したことの持つ意味は決して小さくはなく、本判決の説示するところに従えば、国の認定行政には再検討を要する点があることになろう。

(2)解明度

3.証明責任による事実認定の問題点と対応
法律上の推定=推定が実定法に定められている場合
事実上の推定=事実上一定の推定測が働く場合

(3)一応の推定
証明責任を負う者が間接事実の主張立証をした場合には一定の強い推定則を媒介にして蓋然的に過失の存在を認め、相手方当事者にその不存在についてその不存在について証明責任を負わせるような法技術!!

(4)裁判所による損害額の認定
(損害額の認定)
第248条
損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる。

+判例(H11.8.31)