刑法 事例演習教材2 D子は見ていた


1.財布の占有について
(1)Aの占有
占有の存否が領得行為段階の事実であることを重視すれば、領得した時点の事実を重視!

+判例(H16.8.25)
理由
弁護人滝谷滉の上告趣意は、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、本件における窃盗罪の成否につき、職権で判断する。
1 原判決の認定及び記録によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) 被害者は、本件当日午後3時30分ころから、大阪府内の私鉄駅近くの公園において、ベンチに座り、傍らに自身のポシェット(以下「本件ポシェット」という。)を置いて、友人と話をするなどしていた。
(2) 被告人は、前刑出所後いわゆるホームレス生活をし、置き引きで金を得るなどしていたものであるが、午後5時40分ころ、上記公園のベンチに座った際に、隣のベンチで被害者らが本件ポシェットをベンチ上に置いたまま話し込んでいるのを見掛け、もし置き忘れたら持ち去ろうと考えて、本を読むふりをしながら様子をうかがっていた
(3) 被害者は、午後6時20分ころ、本件ポシェットをベンチ上に置き忘れたまま、友人を駅の改札口まで送るため、友人と共にその場を離れた。被告人は、被害者らがもう少し離れたら本件ポシェットを取ろうと思って注視していたところ、被害者らは、置き忘れに全く気付かないまま、駅の方向に向かって歩いて行った。
(4) 被告人は、被害者らが、公園出口にある横断歩道橋を上り、上記ベンチから約27mの距離にあるその階段踊り場まで行ったのを見たとき、自身の周りに人もいなかったことから、今だと思って本件ポシェットを取り上げ、それを持ってその場を離れ、公園内の公衆トイレ内に入り、本件ポシェットを開けて中から現金を抜き取った
(5) 他方、被害者は、上記歩道橋を渡り、約200m離れた私鉄駅の改札口付近まで2分ほど歩いたところで、本件ポシェットを置き忘れたことに気付き、上記ベンチの所まで走って戻ったものの、既に本件ポシェットは無くなっていた。
(6) 午後6時24分ころ、被害者の跡を追って公園に戻ってきた友人が、機転を利かせて自身の携帯電話で本件ポシェットの中にあるはずの被害者の携帯電話に架電したため、トイレ内で携帯電話が鳴り始め、被告人は、慌ててトイレから出たが、被害者に問い詰められて犯行を認め、通報により駆けつけた警察官に引き渡された。

2 以上のとおり、被告人が本件ポシェットを領得したのは、被害者がこれを置き忘れてベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係の下では、その時点において、被害者が本件ポシェットのことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても、被害者の本件ポシェットに対する占有はなお失われておらず、被告人の本件領得行為は窃盗罪に当たるというべきであるから、原判断は結論において正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項ただし書、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 濱田邦夫 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖)

++解説
《解  説》
1 本件は,被害者が公園のベンチ上に置き忘れたポシェット(以下「被害品」という。)をその立ち去った直後に領得した被告人の行為が,窃盗罪に当たるか占有離脱物横領罪にとどまるかという,窃盗罪の要件たる被害者の占有継続の有無が問題となった事案である。

2 本決定は,窃盗罪の成立を認めた原判決の結論を是認したものであるが,その理由付けが原判決と異なっていることも,併せて注目されると思われる。すなわち,原判決は,被害者が,被害品をベンチ上に置き忘れた後,2分位歩いて,約200m位離れた駅改札口付近まで来た際に置き忘れに気付き,公園まで走って戻ったことや,それから被害品を取り戻し,被告人を犯人として警察官に引き渡すまでの事実経過を詳しく摘示した上,①被害者が被害品の現実的握持から離れた距離及び時間は,極めて短かった,②この間,公園内はそれほど人通りがなかった,③被害者は置き忘れた場所を明確に認識していた,④持ち去った者についての心当たりを有していた,⑤実際にも,すぐさま携帯電話を使って所在を探り出す工夫をするなどして,まもなく被害品を被告人から取り戻すことができている,といった事実を挙げた上,被告人が被害品を不法に領得した際,被害者の被害品に対する実力支配は失われていなかったとして,被害者の占有継続を認めた。
これに対し,本決定は,「被告人が被害品を領得したのは,被害者がベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であった」という,原決定が判示していない事実を記録により認定した上,原判決が挙げた上記①~⑤の点には格別言及せず,そのような事実関係の下では,その時点において,被害者が被害品のことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても,被害者の被害品に対する占有はなお失われていなかったとして,窃盗罪の成立を認めている。つまり,原判決は,被害者が被害品を取り戻すまでの事情を検討しているのに対し,本決定は,端的に被告人が被害品を領得した時点の事情を問題としていると理解されるのである。

3 被害者の現実的握持から離れた財物を犯人が領得した行為が窃盗罪に当たるかどうかが問題となるケースには,被害者が意識して特定の場所に置いた場合と,本件のように公衆が自由に出入りする場所に置き忘れた場合等とあるが,後者では前者に比して被害者の占有継続が認められる範囲が限定される傾向にあると指摘される(前田雅英・刑法各論講義〔第3版〕169頁,池田耕平・研修527号25頁等)。後者に属する最高裁判例には,バス待ちの行列に並んでいた被害者が,近くの台の上に写真機を置き忘れたまま行列の移動に伴って離れ,置き忘れに気づいて引き返すまでの間に,犯人がそれを持ち去ったという事案に係る(1)最二小判昭32.11.8刑集11巻12号3061頁がある。この判決は,刑法上の占有は人が物を実力的に支配する関係であるが,必ずしも物の現実の所持又は監視を必要とするものではなく,社会通念上物が占有者の支配内にあるといえれば足りる旨を判示した上,当該事案では,「行列が動き始めてから引き返すまでの時間」が約5分にすぎず,「置き忘れた場所と引き返した地点との距離」が20m弱にすぎなかったことなどを指摘し,写真機はなお被害者の実力的支配のうちにあったとして,窃盗罪の成立を認めたものである。
このような置き忘れの事例に係る下級審裁判例には,被害者の占有継続を肯定したものとして,(2)東京高判昭35.7.15東高刑時報11巻7号191頁(ただし故意を否定),(3)東京高判昭35.7.26東高刑時報11巻7号202頁,判タ107号53頁,(4)東京高判昭54.4.12判時938号133頁,否定したものとして,(5)東京高判平3.4.1判時1400号128頁等がある。これら裁判例も,前記(1)の最判と同様,時間や場所の近接性等を検討して,被害品がなお被害者の実力的支配のうちにあったといえるかどうかを判断していると見られるが,被害者が置き忘れてからいつの時点までの近接性を問題にするのか(被告人の領得行為時までか,被害者が置き忘れに気付いた時点までか,被害品を取り戻した時点までか等)については,判文上は必ずしも軌を一にしていないことが指摘できるところであった。
学説においては,近時は前記(1)の最判の結論を支持する立場が一般的であるといってよいと思われる(反対説として,小暮得雄・刑法判例百選Ⅱ133頁等)が,その理由付けにおいては,時間的・場所的近接性を重視する立場(前田・前掲,山口厚・刑法各論177頁,田中利幸「刑法における『占有』の概念」刑法理論の現代的展開・各論192頁等)と,同事案では行列が続いていることから他人の事実的支配の継続を推認させる状況があったことを重要な根拠とする立場(西田典之・刑法各論143頁,大谷實・刑法各論202頁)とに分かれている。そして,後者の立場からは,「被害者が駅の窓口に財布を置き忘れ,1~2分後,15~16mのところで引き返した」という前記(4)の事案では,占有の継続は認められないと主張されている(もっとも,同事案では,「被告人は,被害者が窓口に財布を置き忘れて立ち去る一部始終を5~6m離れた地点で見ていて,被害者がその場を離れるや直ちに窓口に近付き財布を手中に収めた」という事実も判決中に認定されているのであるが,この点に意識的に言及した学説は見当たらないようである。)。

4 このような中で出された本決定の第1の意義は,本件のような事案において占有継続の有無の判断に当たり考慮されるべきものは,被害者が置き忘れてから被告人の領得行為の時点までの時間的・場所的近接性であることを明確にしている点にあるといえよう。確かに,窃盗罪の成立には,領得行為時に被害者の占有の侵害が認められるのであればそれで必要十分であって,被害者がそのまま立ち去ったことから,たとえ当該領得行為がなかったとしても,いずれ被害者は占有を喪失したはずであったと考えられるとしても,いったん成立した窃盗罪が消滅するはずはないであろう。逆に,領得行為より以前に被害者の占有が失われていたのであれば,窃盗罪が成立しないことは当然であって,その後たまたま被害者が犯人から被害品を取り返して占有を回復したとしても,占有離脱物横領罪が窃盗罪に格上げされるわけはないであろう。これに対し,前記(1)の最判の事案では,被告人が犯行を否認していたこと等のために領得行為の時点を特定できなかったことから,疑わしきは被告人の利益にとの立場で,被害者の供述を基にして想定される最大限の時間的・場所的間隔を前提として,占有継続の有無を判断しているため,「被害者が離れてから引き返すまでの時間」や「置き忘れた場所と引き返した地点との距離」を判断要素としたように読めるものとなっていると理解されよう!!!!!。ナルホド!!!!!このように考えてみると,この点はあまり異論がないところではないかと思われるが,従来の下級審裁判例の一部に混乱があったことは否定できないし,学説も,上記最判の判文上の表現をそのまま受け入れて論ずるものが一般であったようであるから,本決定の意義は小さくないものと思われる。

5 さらに,本決定が被害者の占有継続を肯定した点自体にも事例的な意義があると思われる。本件では,領得行為は,被害者が友人を駅まで送るため歩き出して約27m離れた場所に達した時点で行われたというのであり,時間的にも置き忘れてからせいぜい数十秒が経過した程度であったと考えられるから,時間的・場所的近接性に着目する限り,前記(1)~(5)等の従来の裁判例の一般的傾向に照らしても,被害者の占有継続を肯定することは可能であるように思われる。また,学説がいう,「気が付いて探せば容易に発見し得る状態」にあったかどうか(昭32最判解説(刑)578頁(寺尾正二),木村静子・判例刑法研究6巻29頁等)や,「眼の届く範囲内でのごく短時間の握持・監視の喪失」にとどまるかどうか(田中・前掲190頁)といった考え方を当てはめても,本件では占有継続を肯定する結論に至るのではないかと考えられる(なお,本決定では,「被告人が約27m先に被害者の姿を見たとき,今だと思って被害品を取り上げた」ことが認定されているから,逆に言えば,仮に被害者がその時点で振り返れば,被告人の姿や被害品を目にすることもできたと思われることなども,本件で占有継続を肯定する方向の事情として指摘できるであろう。)。これに対し,前記(1)の最判の事案では行列が続いていたからこそ占有継続が肯定されたとする前記学説によれば,そのような事情がない本件では占有を否定するという結論もあり得ないではないが,本決定はこのような考え方を採らなかったものと思われる(鈴木左斗志「刑法における『占有』概念の再構成」学習院大学法学会雑誌34巻2号153頁等参照)。

6 本決定は,刑法の基本的かつ古典的な論点に係るものであるが,事例判断としての意義に加え,従来必ずしも明確でなかったこの種事案に関する判断の枠組みを示した意義も有している。この種事件の審理,ひいて立件・捜査に当たっては,領得行為の時点をできる限り明らかにし,その時点における被害者の占有継続の有無に焦点を当てた事案の解明を尽くすべきであることを改めて明確にしたものとして,刑事実務にとって注目すべき決定であると思われる。

(2)D子の占有
どの程度の管理状態までを保護すべきかという価値判断。
単に注視しているだけでは、保護に値する実質的が利益にかける!

(3)スーパーマーケットBの占有
誰でも立ち入りやすい場所に放置されていたか、それとも何らかの管理措置が取られていたかという区別。

(4)甲の故意

2.クレジットカードの不正使用
たとえ名義人の許諾がある場合でも、加盟店を被害者とする一行詐欺罪が成立する!
損害について→加盟店の本人確認義務違反を理由として、信販会社から加盟店に対する立て替え払いが行われない可能性があるから、加盟店にも損害が発生し得る!
私文書偽造・同行使罪とは牽連犯の関係。

+判例(H16.2.9)
理由
弁護人渡邉靖子の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。
なお、所論にかんがみ、詐欺罪の成否について、職権をもって判断する。
1 原判決及びその是認する第1審判決並びに記録によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) Aは、友人のBから、同人名義の本件クレジットカードを預かって使用を許され、その利用代金については、Bに交付したり、所定の預金口座に振り込んだりしていた
その後、本件クレジットカードを被告人が入手した。その入手の経緯はつまびらかではないが、当時、Aは、バカラ賭博の店に客として出入りしており、暴力団関係者である被告人も、同店を拠点に賭金の貸付けなどをしていたものであって、両者が接点を有していたことなどの状況から、本件クレジットカードは、Aが自発的に被告人を含む第三者に対し交付したものである可能性も排除できない。なお、被告人とBとの間に面識はなく、BはA以外の第三者が本件クレジットカードを使用することを許諾したことはなかった
(2) 被告人は、本件クレジットカードを入手した直後、加盟店であるガソリンスタンドにおいて、本件クレジットカードを示し、名義人のBに成り済まして自動車への給油を申し込み、被告人がB本人であると従業員を誤信させてガソリンの給油を受けた上記ガソリンスタンドでは、名義人以外の者によるクレジットカードの利用行為には応じないこととなっていた
(3) 本件クレジットカードの会員規約上、クレジットカードは、会員である名義人のみが利用でき、他人に同カードを譲渡、貸与、質入れ等することが禁じられている。また、加盟店規約上、加盟店は、クレジットカードの利用者が会員本人であることを善良な管理者の注意義務をもって確認することなどが定められている。
2 以上の事実関係の下では、被告人は、本件クレジットカードの名義人本人に成り済まし、同カードの正当な利用権限がないのにこれがあるように装い、その旨従業員を誤信させてガソリンの交付を受けたことが認められるから、被告人の行為は詐欺罪を構成する。仮に、被告人が、本件クレジットカードの名義人から同カードの使用を許されており、かつ、自らの使用に係る同カードの利用代金が会員規約に従い名義人において決済されるものと誤信していたという事情があったとしても、本件詐欺罪の成立は左右されない。したがって、被告人に対し本件詐欺罪の成立を認めた原判断は、正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 滝井繁男)

++解説
《解  説》
1 本件起訴状記載の詐欺の訴因の要旨は,「被告人は,不正に入手した他人名義Aのクレジットカードを使用し,加盟店であるガソリンスタンドの従業員に対し,A本人に成り済まし,同カードの正当な利用権限がなく,かつ,同カード会員規約に従いカードの利用代金を支払う意思及び能力がないのにこれがあるように装い,同カードを提示して給油を申し込み,店員らをしてその旨誤信させてガソリンの給油を受け,もって人を欺いて財物の交付を受けた。」というものである。
上記詐欺は,1審における検察官の主張によると,Bが本件クレジットカードの名義人Aから同カードの使用を許されてこれを所持していたところ,市中で強盗の被害に遭って同カードを奪われ,その直後,被告人がこれを不正に入手して本件利用行為に及んだという事実関係を前提とするものであり,①被告人が名義人A本人に成り済まして名義を偽ったこと,②利用代金の支払意思・能力を偽ったことの2点をとらえ,2重の欺もう行為による詐欺として訴因が構成されている。

2 ところが,審理において,Bが強盗に遭ったというのは実は狂言であって,Bは,賭博場で金を借りるため自発的に被告人を含む第三者に対し本件クレジットカードを交付したのではないかとの合理的な疑いが生じ,その結果,被告人は,名義人Aから同カードの使用を許されており,名義人Aにおいて利用代金が決済されるものと誤信して同カードを使用した可能性も排除できないこととなった。
そこで,1審判決は,上記詐欺の訴因のうち,②の「利用代金の支払意思・能力を偽った」点の欺もう行為を認定から落とし,①の「名義の偽り」の点のみの欺もう行為による詐欺罪の成立を認めた。
これに対し,被告人が控訴し,弁護人は,「クレジットカードの名義人本人から使用を許され,名義人が利用代金の決済を引き受けている場合には,利用者が名義を偽っても,決済が円滑に行なわれ,関係者に財産的損害は生じないから,詐欺罪は成立しない。したがって,被告人が,名義人から使用を許されていたなどと誤信していた以上,詐欺の故意は認められない。」として法令解釈の誤りを主張したが,原判決は,その主張をしりぞけた。
被告人が上告し,上告趣意においても,上記と同旨の主張がされたが,本決定は,本件の事実関係を摘示した上で,その事実関係の下では,「被告人は,本件クレジットカードの名義人本人に成り済まし,同カードの正当な利用権限がないのにこれがあるように装い,その旨従業員を誤信させてガソリンの交付を受けたことが認められるから,被告人の行為は詐欺罪を構成する。仮に,被告人が,本件クレジットカードの名義人から同カードの使用を許されており,かつ,自らの使用に係る同カードの利用代金が会員規約に従い名義人において決済されるものと誤信していたという事情があったとしても,本件詐欺罪の成立は左右されない。」と判示し,上告を棄却した。

3 本件の論点は,クレジットカードの名義人から使用を許され,かつ,自らの使用に係る同カードの利用代金が会員規約に従い名義人において決済されるものと誤信していた場合において,被告人が名義人本人に成り済ましてクレジットカードを使用する行為が詐欺罪に当たるか否かという点である。
通常,名義人がクレジットカードの使用を許している場合は,本人と偽っても,決済が円滑にされて問題が顕在化しないため,「名義の偽り」のみの欺もう行為による詐欺で起訴されることは実際上ほとんどないと思われる。しかし,不正にクレジットカードを入手してこれを使用したとして起訴された詐欺事案において,本件のような弁解がされることはまま見られるところであり,その場合,弁解を排斥できないときに本件の論点が法的問題として顕在化することになる。
下級審の裁判例をみると,本件と同様にクレジットカードの名義人の許諾を得ていた旨の弁解が通った事案において,詐欺罪の成立を否定した裁判例として,東京地八王子支判平8.2.26刑裁資料273号130頁があり,「クレジットカード・システムが私的な経済取引のためのシステムに過ぎず,それ自体強度の公的利益を含まない以上,名義の偽りのみの詐欺の成立を肯定してシステムを保護する必要はない。また,実質的な財産的法益侵害が発生していないのに財産犯として処罰するのは行き過ぎである。」旨を判示している。he—-なお,名義人の許諾を得てクレジットカードを使用したが名義人自身に代金決済の意思がなく,その旨被告人も認識していた事案について,詐欺の成立を肯定した裁判例として,大阪地判平9.9.22判タ997号293頁がある。
これに対し,事案は異なるが,一般論として,クレジットカード・システム上,「名義の偽り」自体が欺もう行為を構成することを肯定した裁判例として,東京高判昭60.5.9刑月17巻5・6号519頁,東京高判平3.12.26判タ787号272頁がある。
このうち,上記東京高判平3.12.26は,他人名義の既存のクレジットカードを不正に入手して使用した事案において,「クレジットカード制度は,カード名義人本人に対する個別的な信用を供与することが根幹となっているのであるから,カード使用者がカードを利用する正当な権限を有するカード名義人本人であるかどうかがクレジットカード制度の極めて重要な要素であることは明らかで,カード名義人を偽り自己がカード使用の正当な権限を有するかのように装う行為はまさに欺もう行為そのものというべきである」旨を説示し,1審判決が,「カード名義人であるかの如く装った点や,代金決済の能力を装った点は,代金決済意思の有無という要証事実を検討するための重要な間接事実にすぎない」とし,これらの点をことさら欺もう行為として判示しなかったことについて,クレジットカードの不正使用に関する欺もう行為の解釈について誤りを冒すものであるとしている。

4 学説あるいは実務家の見解をみると,①クレジットカード・システムでは名義人自身による利用行為のみが予定されているとして,名義の偽りのみで詐欺罪が成立するとする積極説(和田正隆「クレジットカードシステムと犯罪(4)」月間消費者金融1983年12月号86頁,片岡聡「クレジットカードと犯罪」捜査研究34巻9号11頁),②「名義の偽り」それ自体は欺もう行為には当たらず,「クレジットカード・システムにより最終的に代金が決済される状況がないにも関わらずこれがあるかのように装ったこと」が欺もう行為となるとする消極説(石井芳光「クレジットカードの不正利用と法律問題」手研160号54頁,山中敬一「他人名義のクレジットカードの不正使用と詐欺の成否」法セ455号127頁等),③その中間的な見解として,名義人がごく近い近親者であって名義人本人と同視し得る者については詐欺が成立しないが,それ以外の者が名義を偽った場合には詐欺が成立するという説(平井義丸「消費者信用をめぐる犯罪の実態と法律上の問題点について」法務研究74集1号56頁)とに分かれている。

5 クレジットカード・システムは,カード名義人の個別的な信用に基づいて担保的措置をも講ずることなく一定限度内の信用を供与することが根幹となっている。
規約上,名義人本人以外の利用は許さず,加盟店に本人確認義務を負わせていることなどからすると,加盟店は,名義人本人が使用を許諾している等の事情が確認できたとしても,名義人本人でない者の利用を許してはならないというのが制度の建前といえる。取引の実態として,仮に,名義人本人以外の者の利用を許す不正規な運用があるとしても,それはあくまで加盟店の判断で行う事実上の措置とみるべきであると思われる。
このようなクレジットカード・システムについての理解を前提とするならば,利用者と名義人の同一性はカード利用の極めて重要な要素であり,この点を偽ることは,名義人の許諾の有無にかかわらず,加盟店に対する欺もう行為を構成するという積極説が支持されよう。
本決定は,基本的にはこのような考え方から詐欺罪の成立を肯定したものといえるが,一方で,③の中間説が述べるように,名義人の近親者がその許諾の下に利用するようなごく例外的な場合においては,実質的違法性がない等の理由により詐欺罪の成立が否定される余地もないではないことから,本件の事案に即した判示がされたのではないかと推察される。

6 本決定は,学説上,積極,消極と見解が分かれており,消極説に立った下級審裁判例も存した法解釈上の論点について,最高裁として初めて判断を示したものである。事例判例にとどまるが,実質的には一般法理を含むものであり,先例として重要な意義があり,実務に与える影響も少なくないと思われる。

追加でネタ判例。
+判例(高判H3.4.1)
理由
本件控訴の趣意は、弁護人瀬戸和宏作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官八峠剛一作成名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用するが、弁護人の所論は、次に記載する控訴趣意第一のほか、同第二として量刑不当を主張するものである。
控訴趣意第一(事実誤認の主張)について
所論は、要するに、本件被害品である本件札入れは、被害者が原判示「イトーヨーカドー」六階のベンチの上に置き忘れたものであって、しかも被害者は六階から地下一階に移動し、時間にして一〇分以上も右ベンチ上に放置されていたのであるから、本件札入れは何人の占有下にもない占有離脱物であり、かつ、被告人は、これを忘れ物(遺失物)と認識し、何人かの占有下にある物とは認識していなかったのであるから、被告人には窃盗の故意がなく、被告人の本件所為は遺失物横領に該当するにとどまるのに、窃盗に当たるとして刑法二三五条を適用した原判決は、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤ったものであって、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
所論にかんがみ、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決には、所論指摘のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、原判決はこの点で破棄を免れない。

これを所論に即して説示すると、以下のとおりである。すなわち、関係証拠によると、
<1> 本件当日の午後、原判示「イトーヨーカドー」(鉄骨鉄筋地上七階・地下一階建)に家族とともに買い物に来た被害者は、六階エスカレーター脇の通路に置かれたベンチでアイスクリームを食べたが、午後三時五〇分ころ、その場を立ち去る際に、他の手荷物などは持ったものの、本件札入れ(縦約一〇センチメートル、横約二三センチメートル、革製のからし色のもの)を右ベンチの上に置き忘れて立ち去ってしまったこと
<2> 被害者は、六階からエスカレーターで地下一階の食料品売場に行き(六階から地下一階までのエスカレーターによる所要時間は約二分二〇秒である。)、売場の様子などを見渡してから買物をするため、札入れを取り出そうとして、これがないことに気付き、すぐに本件札入れを右六階のベンチに置き忘れてきたことを思い出し、直ちに六階の右ベンチまで引き返したが、その時には既に被告人が本件札入れを持ち去ってしまっており、本件札入れは見当たらなかったこと
<3> 被告人は、同日午後四時前ころ、「イトーヨーカドー」六階のゲームセンターへ行こうとした際に誰もいないベンチの上に、手荷物らしき物もなく、本件札入れだけがあるのを目にとめ、付近に人が居なかったことから、誰かが置き忘れたか置放しにしているものと思い、持ち主が戻って来ないうちにこれを領得しようと考えて右ベンチに近づいたところ、斜め前方に数メートル離れた先の別のベンチに居たA子が本件札入れを注視しているのに気付いたこと
<4> そこで、被告人は、本件札入れのあった右ベンチに座って暫く様子を窺っていたが、なおもA子が被告人を監視するようにして見ていたことから、A子に本件札入れが右ベンチにある事情を尋ね、誰かが置き忘れていったものであることを確めたうえで、これを落とし物として警備員に届けるふりを装うこととし、同日午後四時ころ、A子に「財布を警備員室に届けてやる。」旨伝えて本件札入れを持ってその場を離れたこと
<5> その後、被告人は三階のトイレで本件札入れの中身を確認したうえ、これを持って店外へ出たこと
以上の事実が認められる。
右認定の事実に徴すると、被害者は、開店中であって公衆が客などとして自由に立ち入ることのできるスーパーマーケットの六階のベンチの上に本件札入れを置き忘れたままその場を立ち去って、同一の建物内であったとはいえ、エスカレーターを利用しても片道で約二分二〇秒を要する地下一階まで移動してしまい、約一〇分余り経過した後に本件札入れを置き忘れたことに気付き引き返して来たが、その間に被告人が右ベンチの上にあった本件札入れを不法に領得したというのである。
このような本件における具体的な状況、とくに、被害者が公衆の自由に出入りできる開店中のスーパーマーケットの六階のベンチの上に本件札入れを置き忘れたままその場を立ち去って地下一階に移動してしまい、付近には手荷物らしき物もなく、本件札入れだけが約一〇分間も右ベンチ上に放置された状態にあったことなどにかんがみると、被害者が本件札入れを置き忘れた場所を明確に記憶していたことや、右ベンチの近くに居あわせたA子が本件札入れの存在に気付いており、持ち主が取りに戻るのを予期してこれを注視していたことなどを考慮しても、社会通念上、被告人が本件札入れを不法に領得した時点において、客観的にみて、被害者の本件札入れに対する支配力が及んでいたとはたやすく断じ得ないものといわざるを得ない。
そうすると、被告人が本件札入れを不法に領得した時点では、本件札入れは被害者の占有下にあったものとは認め難く、結局のところ、本件札入れは刑法二五四条にいう遺失物であって、「占有ヲ離レタル他人ノ物」に当たるものと認めるのが相当である。
右の次第であるから、本件札入れを不法に領得した被告人の所為を窃盗に当たると認定した原判決には、事実の誤認があり、右の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、所論のその余の主張について判断するまでもなく、原判決はこの点で破棄を免れない。論旨は理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、平成二年一〇月一日午後四時ころ、新潟県長岡市城内町二丁目三番地一二所在の株式会社丸大イトーヨーカドー丸大長岡駅前店六階エスカレーター脇付近において、B子が同所のベンチに置き忘れた遺失物である現金三万八七七五円在中の札入れ一個(時価約一万円相当)を発見し、これを自分のものにするつもりで拾い取って横領したものである
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二五四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五月に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小泉祐康 裁判官 秋山規雄 川原誠)


刑法論文 ボンネット上の酔っ払い


1.暴行の故意について
車を走らせればBにぶつかるかもしれないと一瞬思っているが、結局ぶつからないだろうと考えたのであるから、車がBにぶつかるとの認識はない。また、Bが怪我をすることも認識していない。したがって、甲はBに傷害を負わせる故意は有していなかったといえる。
しかし、甲はBの体の近くを車を通過させることは認識していたのであるから、これがBの体に対する有形力の行使として暴行にあたると解するのであれば、甲に暴行罪の故意を認めることができる。そして、傷害罪を暴行罪の結果的加重犯と解するなら、体のすぐ近くに車が向かってきて被害者があわててこれを避けようとして転倒して怪我をすることは相当な因果経過と解することができるから、甲に傷害罪の構成要件該当性を認められる!

2.殺意について
殺人罪の実行行為性=Aの死亡結果が発生する現実的危険性を認めることができるか?
生命に対する高度の危険性を認定。
客観的に死の危険性の高い行為を認識→未必の故意を認定していく。

3.正当防衛の成否
(1)手拳で殴打した行為について
(2)Bの体のすぐそばを車を通過させた行為
(3)車を発進させてAを振り落した行為
Aの侵害行為が甲の第1行為から誘発されているのであるが、第1行為に正当防衛の成立を認めるのであれば自招侵害ということはできない。
第1行為を過剰防衛と考えた場合にも、AがBの加勢を得て甲を追尾してくることまでは通常予想しえないこと、Aの側にも落ち度があることなどを考慮すると、急迫性ないし防衛行為性は否定されない(判例H20参照)

防衛行為の相当性について!!!
行為の結果ではなく、行為の態様により防衛行為の相当性を判断すべき!!!!!!

+判例(H20.5.20)
所論にかんがみ、本件における正当防衛の成否について、職権で判断する。
1 原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) 本件の被害者であるA(当時51歳)は、本件当日午後7時30分ころ、自転車にまたがったまま、歩道上に設置されたごみ集積所にごみを捨てていたところ、帰宅途中に徒歩で通り掛かった被告人(当時41歳)が、その姿を不審と感じて声を掛けるなどしたことから、両名は言い争いとなった。
(2) 被告人は、いきなりAの左ほおを手けんで1回殴打し、直後に走って立ち去った
(3) Aは、「待て。」などと言いながら、自転車で被告人を追い掛け、上記殴打現場から約26.5m先を左折して約60m進んだ歩道上で被告人に追い付き、自転車に乗ったまま、水平に伸ばした右腕で、後方から被告人の背中の上部又は首付近を強く殴打した。
(4) 被告人は、上記Aの攻撃によって前方に倒れたが、起き上がり、護身用に携帯していた特殊警棒を衣服から取り出し、Aに対し、その顔面や防御しようとした左手を数回殴打する暴行を加え、よって、同人に加療約3週間を要する顔面挫創、左手小指中節骨骨折の傷害を負わせた。

2 本件の公訴事実は、被告人の前記1(4)の行為を傷害罪に問うものであるが、所論は、Aの前記1(3)の攻撃に侵害の急迫性がないとした原判断は誤りであり、被告人の本件傷害行為については正当防衛が成立する旨主張する。しかしながら、前記の事実関係によれば、被告人は、Aから攻撃されるに先立ち、Aに対して暴行を加えているのであって、Aの攻撃は、被告人の暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから、Aの攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の本件傷害行為は、被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえないというべきである。そうすると、正当防衛の成立を否定した原判断は、結論において正当である。

++解説
1 本件は,正当防衛の成否が問題となった事案であり,事実経過は,決定理由中に記載されているが,要点は,次のとおりである。すなわち,道路上において,自転車にまたがっていた被害者と,たまたま徒歩で通り掛かった被告人とが,言い争いとなり,被告人は,いきなり被害者の左ほおを手けんで1回殴打し,直後に走って立ち去った。被害者は,自転車で被告人を追い掛け,上記殴打現場から90m弱先の歩道上で追い付き,自転車に乗ったまま,水平に伸ばした右腕で,プロレスのラリアットのような形で被告人を強く殴打した。被告人は,前方に倒れたが,起き上がり,携帯していた特殊警棒で被害者の顔面を数回殴打し,傷害を負わせたというものである。
被告人は,公判で正当防衛を主張したが,1・2審判決ともに,被告人の主張を退けた。2審判決は,その理由として,被告人は,初めに被害者を手けんで殴打する暴行を加えた際にはもちろん,走り去る途中でも,被害者が被告人の挑発を受けて報復に出ることを十分予期していたと推認でき,被害者の攻撃は,被告人の当初の暴行によって招いたものといわざるを得ないなどとした上で,結論として,被害者による攻撃は「不正な侵害であるとしても,これが被告人にとって急迫性のある侵害と認めることはできない」と判示した。
本決定は,上告趣意を不適法として上告を棄却しつつ,職権で,正当防衛の成否について,「相手方から攻撃された被告人がその反撃として傷害行為に及んだが,被告人は,相手方の攻撃に先立ち,相手方に対して暴行を加えているのであって,相手方の攻撃は,被告人の暴行に触発された,その直後における近接した場所での一連,一体の事態ということができ,被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから,相手方の攻撃が被告人の上記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては,被告人の上記傷害行為は,被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない。」旨判示した。

2 被告人の本件傷害行為に先立つ被害者の攻撃は,そこだけをみれば,急迫不正の侵害の外観を呈しているともいえる。しかし,この侵害行為は,更にこれに先立つ被告人の暴行に触発されたものであるところ,このような事案については,これまで最高裁における適切な判例はなかったものの,下級審の判例・裁判例あるいは学説においては,正当防衛が否定されるとするものが多かった。もっとも,その理論的根拠や判断基準については,必ずしもまとまっていたとはいえない。
そもそも現行刑法36条には自招侵害に関する文言はないが,旧刑法では,各則である314条において,「身体生命ヲ正当ニ防衛シ已ムコトヲ得サルニ出テ暴行人ヲ殺傷シタル者ハ自己ノ為メニシ他人ノ為メニスルヲ分タス其罪ヲ論セス但不正ノ所為ニ因リ自ラ暴行ヲ招キタル者ハ此限ニ在ラス」とし,自招侵害の事例を正当防衛による不論罪の対象外としていた。現行刑法においては,正当防衛は総則に置かれるとともに,自招侵害に関する例外がなくなったが,その理由は,必ずしも明らかでない面はあるものの,明治40年の刑法改正政府提出案理由書によれば,「現行法ハ防衛ス可キ侵害ノ状態ニ付キテハ其規定頗ル不十分ニシテ唯第三百十四條但書ニ於テ不正ノ行為ニ依リ自ラ招キタル暴行ニ非サルコトヲ示スノミナルヲ以テ本案ハ更ニ此點ヲ明確ニシ侵害ノ急迫ニシテ不正ナルヲ要スルコトヲ規定シタリ」とされており(倉富勇三郎ほか監『刑法沿革総覧〔増補〕』2141頁),旧刑法314条ただし書に対応する規定が存在しないことは,同規定の趣旨を積極的に否定するものではなかったと解されるところである(橋爪隆『正当防衛論の基礎』223頁参照)。
そして,正当防衛を否定する根拠としては,これまで,防衛の意思がない,急迫性がない,侵害が不正でない,防衛のための行為といえない,防衛行為としての相当性がない,権利の濫用である,社会的相当性に欠ける,原因において違法な行為であるなど様々な説が唱えられていた(学説について,大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法〔第2版〕(2)』359頁以下〔堀籠幸男=中山隆夫〕,的場純男=川本清厳「自招侵害と正当防衛」大塚仁=佐藤文哉編『新実例刑法』109頁,栃木力「正当防衛(1)急迫性」小林充=植村立郎編『刑事事実認定重要判決50選〔補訂版〕(上)』53頁等参照。この問題に関する総合的研究として橋爪・前掲がある。)。
下級審の判例等においても,上記の要件の一つないし複数を根拠として挙げるものがあったが(積極的加害意思論に沿う形で急迫性を否定するものとして東京高判昭60.6.20判時1162号168頁,急迫性否定と防衛行為性否定をともに挙げるものとして福岡高判昭60.7.8刑月17巻7=8号635頁,判タ566号317頁,東京高判平8.2.7判時1568号145頁,仙台地判平18.10.23判タ1230号348頁,侵害の不正性を否定するものとして東京地判昭63.4.5判タ668号223頁,検察官の急迫性を欠くとの主張に対して,急迫性を欠くとはいえないとしたものとして東京地判平8.3.12判時1599号149頁があり,被告人が挑発後に立ち去った事例において,被告人が当初反撃を予期したとしても,被告人が立ち去ろうとした際においては予期は認められず,その可能性もなかったとして,侵害の急迫性は肯定できるが,こうした事情は相当性判断に影響するとしたものとして大阪高判平12.6.22判タ1067号276頁がある。),最一小決昭52.7.21刑集31巻4号747頁,判タ354号310頁が,積極的加害意思がある場合は急迫性が否定されるとの理論を採用していることもあって,本件のようないわゆる自招侵害の事案についても,急迫性を否定することにより説明しようとする考え方が実務的には比較的有力であったように思われる。本件の原判決も急迫性否定説の立場に立つものであった。

3 自招侵害といわれる事例においては,前記のような正当防衛の各要件のうちの特定の要件(一つないし複数)が欠ける場合があると考えられるが,事案によって,そのポイントとなる点は必ずしも同じとはいえず,特定の一つの要件で説明しようとすることは必ずしも実際的でないように思われる。そして,有力とされる急迫性否定説についてみても,侵害行為の程度がそれに先立つ自招行為によって通常想定される程度を大きく超えていなければ急迫性がないのに,大きく超えている場合は侵害自体があることは予期していたとしても急迫性があると説明し,急迫性を量的な概念のように用いることとなるなど,やや技巧的な面がないとはいえない。・・・マアタシカニネ・・・また,侵害行為に急迫性がないというためには,被告人において侵害行為を予期していたことが重要な意味を有すると考えられるが(この点に関し,橋爪・前掲322頁以下も参照。),予期といっても,時点によってその程度は異なり得るものであるし,本件事案についてもいえるように,情況を総合しての評価的な認定にならざるを得ない場合も多いと考えられる。このようなことからすれば,本件のような事案においては,急迫性の要件は,判断の基準として必ずしも有効なものとはいえないようにも思われる。

4 本決定は,正当防衛の各要件のうちのいずれかが欠けるとの理由付けをせず,具体的な事実関係を判示した上で,本件の事実関係の下においては,「被告人の本件傷害行為は,被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない」との端的な判示をしており,上記のようなことをも考慮した上で,より実際的な判断の枠組みを提示したものと推察される。本決定は,正当防衛状況が否定される理由として,①相手方の侵害行為が,「被告人の暴行に触発された,その直後における近接した場所での一連,一体の事態ということができ,被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから」ということを挙げており,さらに,②相手方の「攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件事実関係の下においては」としているから,①のような前提があれば,特段の事情がない限り正当防衛が認められる状況にはないのであり,さらに,そのような場合であっても,②にあるように相手方の攻撃が被告人の暴行の程度を大きく超えるようなときは,その特段の事情があるものとして正当防衛を認める余地があるとしているものと思われる。確かに①のような事情があれば,正対不正の関係ともいうべき正当防衛を基礎付ける前提が基本的に欠けているといえるから,このような思考方法は,正当防衛の規定の趣旨に沿ったものであるといえるように思われる。

5 いわゆる自招侵害が問題となる事案は,比較的頻繁に生じるものと考えられるが,前述のように,これまで最高裁の判例はなく,下級審判例・学説等においては一定の蓄積があるにもかかわらず,その考え方,判断方法等については必ずしもまとまっていなかった。また,正当防衛の要件に関する理論が難解であるということはしばしば指摘されていたところである。本決定は,このような状況下で,自招侵害の事案における実際的な判断の枠組みを提示したものということができ,重要な意義を有するものと思われる。

+++未必の故意
未必の故意とは、罪を犯す意志たる故意の一態様であり、犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、それを認容している場合を意味する。故意は、刑法において「犯罪を犯す意志」(刑法38条1項)をいい、過失犯として法律に特別に規定のある場合を除き、犯罪の成立に必要とされる。
故意の具体的内容は、犯罪の客観的な構成要件を認識・認容されていることをいうとされる。未必の故意は、犯罪の実現自体は不確実という認識を犯罪行為者が有しているものの、実現される可能性を認識しながら、それを認容している点で「罪を犯す意志」として十分であるとされている。これと異なり、犯罪の認識はあるが、認容を欠く場合には過失(認識ある過失)となり、故意は認められないことになる。
未必の故意の具体例としては、人を包丁で刺す際に、この行為により相手が死ぬかもしれないが死んでも構わないと思っていた場合があげられる。

++判例(H15.12.5)上記判例の1審?
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成13年12月12日午前零時25分ころ,京都市××区【以下省略】○○橋上において,自己が運転していた普通乗用自動車の進路をA運転の普通乗用自動車によって塞がれたため停止した後,発進しようとしたところ,上記A運転車両から降りてきたB(当時36歳)が,進路に立ち塞がり,さらに被告人運転車両の前部ボンネット上に飛び乗ってきたため,この場から直ちに去らなければ,上記BおよびAから暴行を加えられるなどと考えて,身の危険を感じ,自己の身体を防衛するため,上記Bをボンネット上に乗せたまま自車を発進させ,防衛の程度を超えて,走行中の同車の前部ボンネット上から同人を路上に転落させれば,同人が死に至るかもしれないことを認識しながら,あえて,時速約60キロメートルで疾走しつつ,同車を蛇行させるなどしながら,約2.5キロメートルにわたって同車を運転して走行し,同日午前零時30分ころ,同区【以下省略】先路上において,同車のボンネット上から同人を振り落として路上に転落させ,よって,同人に加療約2週間を要する頭部外傷,顔面裂創,両肘両膝打撲擦過傷の傷害を負わせたが,同人を殺害するに至らなかった
第2 同日,同区【以下省略】駐車場に駐車した普通乗用自動車内において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩を含有する結晶粉末合計約0.295グラムを溶かした水溶液合計約0.45ミリグラムおよび同様の結晶粉末約0.065グラムをみだりに所持した
ものである。

(法令の適用)
被告人の判示第1の所為は刑法203条,199条に,判示第2の所為は覚せい剤取締法41条の2第1項にそれぞれ該当するところ,判示第1の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し,上記の前科があるので刑法59条,56条1項,57条により判示各罪の刑についてそれぞれ3犯の加重をし(判示第1の罪の刑については同法14条の制限に従う),以上の各罪と上記確定裁判があった罪とは同法45条後段により併合罪の関係にあるから,同法50条によりまだ確定裁判を経ていない判示各罪について更に処断することとし,なお,判示各罪もまた同法45条前段により併合罪の関係にあるから,同法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑に同法14条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年6月に処し,主文掲記の覚せい剤結晶2包および結晶粉末1包は,判示第2の罪に係る覚せい剤で被告人の所有するものであるから,覚せい剤取締法41条の8第1項本文によりこれを没収し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)
1 弁護人は,判示第1の事実について,①被告人は,確定的にも未必的にも,殺意を有していなかった,②被告人は,普通乗用自動車を運転中,Aが運転する自動車に進路を塞がれて停止したところ,A運転車両から降りてきたBおよびAが,棒切れ様の物を手にして立ちはだかったので,危険を感じ発進しようとしたところ,Bがボンネット上に乗ってきたため,同人らから暴行されるのを避けるために,自車を発進させ,停車すれば,Bおよび自動車を運転して追尾してくるAから,危害を加えられるおそれがあったから,やむを得ず自車を走行し続けたものであって,被告人の行為は正当防衛であり,被告人は無罪である旨主張している。
  そこで,以下検討する。
2 本件に至る経緯や前後の状況等について,BおよびAは,それぞれ公判廷で証人として以下のように供述している。
(1) Bの供述
① 私は,平成13年12月11日,仕事を終えてから午後11時ころまで,勤務先の同僚であるAと飲酒しながら食事をした後,同人と別れ,帰宅するため京都駅に行った。ところが,最終電車が既に出た後であったため,Aに連絡を取って,同人の家に泊めてもらうこととし,タクシーで国道△△号線の**交番の手前まで行き,Aが迎えに来てくれるのを待った。私が,その辺りの路上に大の字になって寝ていたというようなことはない。
② 私がAを待っていると,20歳くらいの男性が,何こっち見てんねんという感じで因縁をつけてきた。そして,別の男性がもう1人,何やねんという感じで近づいてきて,その男性から,いきなり顔面を手拳で殴られ,押し倒されて尻餅をついた。その殴りかかってきた男性が,被告人であったかどうかは記憶にない。その男性1人に殴られたのか,最初に因縁をつけてきた男性からも殴られたのかについても,はっきり覚えていない。
③ その後,私が,立ち上がり,呆然としていると,私を殴った男性が運転する白いセダンタイプの車(以下「白い車」という)が,国道△△号線を北西方向に走り去るのが見えた。私は,なぜ殴られたのかも分からず,その理由を聞きたいと思っていたところ,折しもそこに,Aが,普通乗用自動車を運転して迎えに来たので,その助手席に乗り,同人に事情を説明し,そのまま同人の運転で,先に走り去った白い車を追い掛けることにした。
④ ○○橋上で白い車が止まっているのを見つけた。白い車を止めるために,A運転車両が,白い車の前に出て覆い被さるようにしたり,止まれと言ったりしたかについては,記憶が定かでない。A運転車両は,白い車の後方に停止し,私は,車から降りて,白い車の前方に回り,運転していた男性に対し,降りてくるように手招きをしたか,声を掛けるなどしたが,そのどちらであったかは,はっきり覚えていない。そのとき,私は,車から1人で降り,手ぶらで白い車の所まで行っており,木刀や竹刀その他棒切れの様な物を持っていたということはない。
  ⑤ 白い車から男性が降りてこないので,同車に更に近づいたところ,同車が動き始めたため,私は,そのボンネットに飛び乗ってしがみついた。飛び乗るときの体勢は覚えていない。白い車の窓が開いていたので,左手で運転席側の,右手で助手席側の各窓枠の一番上辺りをつかんだ。私の顔は,フロントガラスの真ん中辺りに位置したと思う。私は,先刻一方的に殴られたことに納得がいかず,とりあえず私を殴った男性と話をしたいと考えており,そのようにしてボンネットに飛び乗れば,白い車は停止し,男性が,降りてきて話合いに応じると思っていたが,白い車は,そのまま急発進し,国道△△号線を北向きに走り始めた。
  ⑥ 白い車は,蛇行したり,急ブレーキをかけたりしながら走行し,私は,振り落とされないよう必死にしがみついた。速度は,時速80キロメートルくらい出ていたと思う。走行中,運転している男が何か叫んでいたが,聞き取れなかった。私は,何も言わなかった。途中で,窓を閉められて手を挟まれ,痛いのを我慢してしがみついていたが,歩道に当たったような衝撃で右手が外れ,急ブレーキをかけられて振り落とされた。落ちたのは,白い車の右前辺りであったと思う。
(2) Aの供述
  ① 私は,Bと飲食し,別れて帰宅したところ,同人から,終電に乗りそびれたとの連絡を受け,同人を私方に泊めることにした。午前零時を回ったころ,Bから,近くのコンビニエンスストアに着いたので迎えに来てほしいとの電話があり,私は,自動車を運転して**の□□ストアに向かった。その電話の際のBの口調は,特に呂律が回らないということもなく普通であったが,電話口で何かもめているような感じの声が聞こえた。
  ② **の□□ストアの辺りへ着くと,Bは,尻もちをついて地面に座っていた。私が,どうしたのかと声を掛けると,Bは,殴られたと言った。Bの顔は,少し腫れていたようだった。
  ③ Bから事情を聞くと,同人を殴った犯人は,白い車で逃げたとのことであり,国道△△号線を北西方向に走っていく白い車が見えたので,同人に「あの車か」と尋ねると,そうだという答えであったので,私の車の助手席に同人を乗せて,その白い車を追い掛けることにした。
  ④ 追い掛けていくと,白い車が○○橋の上で止まったので,私もその後方に停車した。私が,白い車の前に自車を出して覆い被さるように停止したことはないし,止まれなどと言ったこともない。なぜ白い車がそこで止まったのかは分からない。Bは,車から降りて,白い車の方へ歩いていき,少し遅れて私も車から降りた。私やBが,木刀や竹刀等棒切れの様な物を持って降りたということはない。
⑤ Bは,白い車の運転者と,運転席側の窓越しに何か話していたようであったが,私が近づいて行くと,Bが,白い車のボンネットに乗ってしがみつき,そのままの状態で白い車が発進した。Bは,腕を広げてフロントガラスの両端の枠を掴んでいたと思うが,そのとき白い車の窓が開いていたかどうか,開いていたとしてその両側が開いていたかどうかなどは,よく分からない。後で,Bから,窓を閉められたなどと聞いているので,おそらく開いていたのだと思う。
  ⑥ 私は,Bのことが心配で,自分の車に乗って国道△△号線を北上する白い車を追い掛けた。白い車は,一番速いときで時速80キロメートルくらいの速度が出ており,急ブレーキをかけたり,蛇行するなどしながら走行していた。しばらく走ったところで,白い車が左側の歩道の縁石に当たり,その拍子にBの片手がフロントガラスから離れ,間もなく,その姿が白い車のボンネット上から見えなくなった。

3 他方,被告人は,捜査公判を通じて,以下のとおり供述している。
(1) 私が,本件当日,普通乗用自動車を運転して,国道△△号線を京都市内に向かい北進していると,Bが,車道に大の字になって寝ころんでいた。私は,そのままでは事故になるかも知れないからBを起こそうと思い,同人の手前に車を止めてクラクションを3回鳴らした。Bは,起き上がり,「なんや,こら,やかましいのう」などと言って,私の車の運転席側に歩いてきたので,私が「酔っ払い,はよ,どっか行かんかい」などと言うと,Bは,車の窓から手を入れてきて,私の胸ぐらを掴もうとした。私は,その手を払いのけて,車を発進させた。
(2) 10メートルくらい進んで,バックミラーを見ると,Bが,私の後続車両に乗っていた男性に絡んで,同人を車から引きずり出すなどしていた。私は,Bを起こした自分に責任があると思い,車を止めて降り,Bらがいる□□ストアの辺りへ行った。そして,Bに,「関係ない人間に,何いちゃもんつけとんねん,ええ加減にせぇよ」などと言うと,同人が,「おまえらが通る道だけと違うんやぞ」などと反論してきたため,かっとなり,同人の頭か顔を1回手で殴ったところ,同人は,ふらついて倒れたので,そのまま自分の車に戻って北に向けて車を発進させた。
(3) その後,○○橋の中央付近を走っていると,後方からすごいスピードで車が追い掛けてきて,私の車の前方に斜めに覆い被さるようにして止まったので,私も急停車したところ,追い掛けてきた車の助手席から,Bが,棒切れの様な物を持って降りてきた。その棒切れは,80センチメートルから1メートルくらいの長さで,太さは普通の木刀程度であり,色は,茶色の少し焦げたような感じのものだった。Bは,その棒切れを振りかざして,「こいつや,こいつや」などと言っていた。追い掛けてきた車の運転者も,遅れて降りてきて,私の車の前に来た。その男性も,ぶら下げるよう
な感じで,棒切れの様な物を持っていた。私は,その時,棒切れでどつかれるか,車をぼこぼこにされるか,何かされるだろうと思ったので,ユーターンして立ち去ろうと考えた。しかし,後ろから別の車が来ていたためユーターンすることができず,Bらの乗ってきた車の横をすり抜けて北に向かうことにして,車を発進させた。
(4) 私が,Bらが乗ってきた車の右側を通り過ぎようとすると,Bが,両手を左右に大きく広げて私の車の前に立ちはだかった。私は,車を止めて,「おい,どけ,こら」などと言ったところ,Bは,何も言わず,私の車のボンネットに乗ってきた。私は,更に「どけ,降りぃ,降りんかったらこのまま走ってまうぞ」と言ったところ,Bから「おう,走れるものなら走ってみぃ」などと言われて,かっとなり,関わりたくないので,その場から早く立ち去りたいとも思い,そのまま車を発進させた。
(5) Bは,ボンネットの根元のワイパーが取り付けられているところに,左右の手を入れてしがみついていた。私の車の窓は,運転席側が少しだけ開いており,助手席側は閉まっていた。私は,車を走らせながら,「頼むから降りてくれ」とBに何度も言ったが,同人は,「振り落とせるものなら,振り落としてみい」などと言っていた。私の車の速度は,せいぜい時速40キロメートルくらいで,時速70キロメートルも出ていたようなことはない。
(6) 私は,Bをどうにかして振り落とそうと思い,蛇行運転をしたり,急ブレーキをかけたりした。Bは,ボンネットの上で振り子のように左右に揺れていた。約2.5キロメートル走ったところで,私が,左に急ハンドルを切って車を横に振ると,Bは,力尽きた様に左側へ落ちた。落ちたのは歩道側ではあったが,歩道に落ちたのかどうかは分からない。私は,やっと逃げられると思い,安心して走り去った。
(7) Bは,ボンネットに乗ったとき棒切れを持っていなかったが,同人と一緒にいたAが,車で私の車を追い掛けてきていたし,私が車を止めれば,BやAが,棒切れを持って殴りかかってくるかもしれないと思い,身の危険を感じていた。今考えれば,Bをボンネット上から振り落とせば,負傷させたり,他の車両に轢かれて命を落とすような危険があったとは思うけれども,その時は,自分の身を守ることに精一杯で無我夢中だったので,Bの身の安全に対する配慮などしている余裕は全くなかった。

4 以上のとおり,BとAは,大筋において符合する供述をしているのに対し,被告人は,これと食い違う供述をしている。そこで,まずBおよびAの各供述について,その信用性を検討する。
(1) Bは,本件のそもそもの発端となる経緯について,Aが迎えに来るのを待っていた際,被告人と思われる男性らから因縁をつけられ,いきなり殴られたなどと供述し,被告人が述べているように,自分が車道上に大の字になって寝ており,それを被告人に注意されるような出来事はなかった旨供述している。
しかし,被告人が,見ず知らずのBに対し,わざわざ車を停止させて,何の理由もなく因縁をつけ,いきなり殴りかかるなどというのは,まことに不自然であり不合理でもある。反面,被告人が述べるように,このときBが車道上に大の字に寝ていたことが,事の発端であるとすれば,それは同人の落ち度に他ならない。そうすると,Bが,そのことを意図的に隠すような供述をしたとしても不思議ではない。
(2) BおよびAは,いずれも,Aの運転する車にBが同乗して被告人車両を追跡したところ,○○橋の上で被告人の車が突然停止したなどと供述し,被告人が述べるように,A運転車両が,被告人の車の前に出て覆い被さるようにして,被告人の車を停止させたようなことはなかった旨述べている。
しかし,○○橋上の当時の交通量や状況等に照らせば,被告人が,何の理由もないのに,あえて同所に車を停止させるとは考え難い。被告人が,後続車に追走されていることに気付いていたとしても,追いつかれないよう速度を上げるなどの対応をとることなく,特にやむを得ない事情もないのに,わざわざ同所を選んで,自らの意思で停車するというのは,やはり不自然であるとの感を否めない。
(3) Bは,被告人車両の運転席と助手席の窓枠の上部にしがみついていた旨述べ,Aもこれに沿う供述をしている。
しかし,被告人車両のボンネット上には,フロントガラスから約84センチメートルの位置に金属の様な固い物で左右に擦られてできたと認められる傷がついているところ,当時のBの着衣にかんがみると,上記傷は,同人着用のズボンのベルトのバックルによってついたと認定するのが最も妥当である。そして,Bの身長,体格等に照らすと,Bらの供述する体勢では,ボンネット上のもっとフロントガラス寄りに傷がついた筈であって,上記の位置に傷がつくとは考えられず,同人らの供述とボンネット上の傷との整合性には疑問があり,むしろ,被告人の供述のとおり,Bが,ボンネットの取付部に左右の手を入れてしがみついていたと認定する方が,傷の位置と整合するというべきである。
また,Bが,左右の窓枠に手をかけた状態でボンネット上に乗っていたとすれば,同人の顔面や上半身がフロントガラスの中央付近を覆う筈であるから,そのような状態で,なぜ,被告人車両が曲がりなりにも不都合なく走行できたのか,疑問なしとしない。
そもそも,本件が,12月中旬ころの深夜の出来事であることからすると,被告人が,本件当時運転席側の窓は僅かしか開いておらず,助手席側の窓は閉まっていたから,Bが,その窓枠をつかむことはできなかった筈である旨述べているのは,もっともな面があるというべきである。Bは,途中で窓が閉められ,それでも窓枠から手を離さずにしがみついていたなどとも述べているのであるが,仮にそのような状況があったとすれば,同人が,窓に挟まれた指の痛みに果たして耐えることができたのか疑問であり,また,手指に特段の負傷を負った形跡がないのも不自然である。
そうすると,被告人車両の窓枠に手を掛けてしがみついていたなどするBらの供述は,客観的な証拠との整合性もなく,不自然というほかない。
(4) 以上のほか,Bは,覚えていない,記憶がないなどと述べたり,曖昧な供述をしたりすることが多く,同人が,本件当時酒に酔っていたことや,同人の供述は,本件から約1年7か月も経過した後のものであることを考慮すれば,Bの記憶の正確性は低いというべきである。
 また,Aの供述内容にも全体として曖昧な点が多く,B同様当時酒に酔っていたことなどに照らせば,その依拠する記憶の正確性には疑問がある。そして,Aは,Bと親しい間柄にあり,同人を庇うために,同人の落ち度となる部分を隠そうとする意図が,その供述内容に少なからず影響を与えていることも否定できない。
なお,BとAの各供述は,被告人車両が,先に○○橋上で停止していたこと,BとAは棒切れなどを持っていなかったこと,Bが被告人車両の窓枠に手を掛けてしがみついていたことなどの諸点について一致しているけれども,両者が親しい関係にあり,Aが,Bから聞いた話に基づいて供述することも十分あり得ることや,実際に,Aは,Bから聞いた話に基づく記憶であるとして述べている部分もあることにかんがみると,両者の供述内容が一致していることによって,必ずしもその供述の信用性を相互に高めるものでないことは明らかである。
(5) 以上からすると,BおよびAの各供述は,その内容に不自然不合理な点も少なからず認められ,いずれもこれを全面的に信用することは躊躇せざるを得ない。

5 次に,被告人の供述の信用性について検討するに,被告人は,Bを殴った経緯やボンネットに乗せて走ることとなった経緯,犯行状況等について,当時の心境を交えて迫真的に供述しており,その供述する一連の内容は,大筋において捜査段階から一貫している上,後述の点を除き,概ね合理的なものと認められる。
もっとも,被告人が,Bらが棒切れの様な物を持って車を降り,これを振りかざすなどしながら被告人の方に迫ってきた旨述べている点については,本件が偶発的に起こった出来事であることにかんがみると,Bらが,棒切れの様な物を事前に準備し,あるいは,このとき都合良くそのような棒切れが車中にあって,これを持ち出したものであるとは考え難い。この点,被告人は,判示第2の覚せい剤取締法違反の被疑事実により逮捕され,当初その取調べを受けていた際には,これにまつわる一連の状況の概要を述べていながら,Bらが棒切れの様な物を持っていたことについて供述した形跡は窺われず,その後,時を追うに連れ,その供述が詳細の度合いを増してきているとの印象を受けることも否めない。
また,被告人は,被告人車両の走行速度について,捜査段階においては,時速60キロメートルないし70キロメートルくらいであった旨述べていたものの,公判廷においては,前述のとおり,時速30キロメートルか40キロメートルであったなどと供述している。しかし,○○橋北詰からBがボンネットから転落した地点に至るまでの被告人車両が走行した道路は,片側二車線の国道であり,本件当時は,深夜で交通量も閑散としていたことなどの客観的な状況に加え,被告人は,自己を身の危険から守るため,ボンネット上に乗ったBを振り落とそうと必死であり,同人の身の安全に配慮する余裕すらなく,しかも,後方から追尾してくるA運転車両から懸命に逃れようとしていたことなども認められるのであるから,当時,被告人が,公判廷で供述する程度の速度で走行していたとは,およそ考え難い。この点に関する被告人の捜査段階における供述にも,特に捜査官の誘導等が働いたとみるべき事情は窺われない。
そして,これらの点については,総じて,被告人が,自己弁護をすべく,Bらの行動を殊更誇張して供述したり,自らの行動を控えめに供述することも,十分考えられるところである。
そうすると,被告人の供述にも,少なくとも以上に指摘した2点において,にわかには信用し難い面があることは否定できない。
しかし,BおよびAの各供述は,前述のとおり信用できず,他方で,被告人の供述は,上記の2点を除く事件の一連の経過については,概ね合理的で首肯できるものというべきであるから,上記の2点を除くその余の事実経過については,被告人の供述に沿って認定するほかない。

6 以上の検討から認められる事実関係をもとに,殺意の有無を検討する。
被告人車両は,Bが,ボンネット上に,その根元のワイパー取付部に手を入れてしがみついた状態で,少なくとも時速約60キロメートルで,約2分50秒の間,約2.5キロメートルの距離を走行したものである。走行していた道路は,舗装された片側二車線の国道で,深夜のため交通量が少なかったとはいえ,全く車の通行がなかったわけではない。被告人は,Bを振り落とそうとして,蛇行運転をしたり,急ブレーキをかけるなどしていたもので,同人が怪我をしないようになどと,運転方法に気を配るなどの配慮をしたことはない。
このような走行速度,走行時間,運転態様,Bの体勢等に照らせば,同人が,当時36歳の男性で,比較的体力があると考えられることや,現場の交通量の少なさ等を考慮しても,被告人の一連の運転行為は,これにより,Bが,ボンネット上から転落して相当の衝撃を受けることはもとより,被告人車両または後続車両や対向車両により轢過されるという事態に至り得ることも容易に予想されるところであって,Bの死亡という結果を招く危険性の極めて高い行為であったと認められる。被告人自身も,当時は無我夢中であったけれども,今から考えれば,危険な行為だと思うと述べており,これらの事実を認識しながら,敢えてBを振り落とそうとして,急ブレーキをかけたり蛇行運転をするなどしながら,約2.5キロメートルも走行したものであるから,同人を死亡させることについて,少なくとも未必の故意を有していたことは優に認められる。

7 次に,本件の運転行為が正当防衛である旨の弁護人の主張について検討する。
(1) 本件運転行為に至るまでのBらの言動の経過等については,①Bは,車道上に大の字に寝ころがっていたところ,被告人からクラクションを鳴らされて起こされた際,被告人車両の運転席側の窓から手を入れて,被告人の胸ぐらを掴もうとするなどしたこと,②その後,Bは,被告人の後続車両に乗っていた男性を車両から引きずり出すなどし,被告人に咎められて顔ないし頭を殴られるなどしたため,走り去った被告人車両をA運転車両に乗って追尾し,○○橋上の中央付近で,被告人車両の前にA運転車両を割り込ませて,無理やり被告人車両を停止させたこと,③Bは,車から降りて,「こいつや,こいつや」などと言いながら,被告人車両の方に向かい,Aもこれに続いたこと,④被告人が,一旦車をバックさせた上,前進してその場から逃げようとしたところ,Bは,被告人車両の前に立ちはだかって,その進行を妨げたこと,⑤更に,Bは,被告人車両のボンネット上に飛び乗り,降りるよう言う被告人に対し,「走れるものなら走ってみぃ」などと言って,ボンネット上から降りようとはしなかったこと,⑥Aは,被告人車両がボンネット上にBを乗せて走り出すや,自己の車を運転して終始被告人車両を追尾していたことなどの各事実が認められる。
(2) Bが,執拗にもA運転車両で被告人車両を追尾し,これを無理矢理停止させた上,Aと共に車を降りて,「こいつや,こいつや」などと言いながら被告人車両に近づき,その後,現場から走り去ろうとする被告人車両の進行を頑なに妨げるなどした一連の行為は,それに先だって車道上に寝ていたところを被告人に注意され,更に後続車両の運転者らに因縁をつけるなどしていたところを咎められ,殴られるなどしたことへの報復を意図した行動であることは,客観的にも明らかであったというべきであり,被告人が,身の危険を感じた旨述べているのは,まことに無理からぬところである。Bらが,被告人車両に近づく際,棒切れの様な物を持っていたか否かについては,Bらの供述と被告人の供述とが齟齬しており,この点,これを持っていたとする被告人の供述が,にわかには信用し難いものであることは既に述べたとおりであるけれども,このとき,Bらが素手の状態であったことを前提としても,Bは,Aの加勢を得て終始2人で行動しており,被告人車両に追いついて,これを停止させる際の強引なやり方や,その後のBの挑発的な言動等にも照らせば,Bらが,被告人に対する暴行等何らかの報復行為に及ぶ危険性は,既に相当程度顕在化した状況にあったというべきであり,客観主観の両面において,被告人の身にはそれ相応の危険が迫っていたものと認めるのが相当である。
そして,被告人車両が,ボンネット上にBを乗せたまま走行を開始して以降も,その後方から,終始,A運転車両に追尾されていたのであるから,被告人が,仮に途中で停車すれば,BおよびAから暴行を受けるなどの恐れも,なお十分に継続していたものと認められる。
そうすると,被告人が本件の運転行為を開始するまでのBの一連の行動は,被告人に対する急迫不正の侵害に当たると認めるのが相当であり,被告人の本件運転行為は,それから逃れるため,自己の身体等の安全を守ろうとの意図に出た防衛行為にほかならないというべきである。
なお,被告人がBらに追われることとなったそもそもの発端は,被告人が,Bを殴打するなどしたことにあると認められるものの,そのような殴打に至った経緯自体,B自身の非による部分も少なくないと認められる上,この殴打の時点においては,その後,Bが,Aの加勢を得て,被告人を追尾してくるなどとは到底予測し得べくもなかったのであるから,このような事情は,何ら上記の認定を左右しない。また,被告人は,本件運転行為に及ぶに際し,一面では,Bに対する憤りから痛い思いをさせてやろうなどとの積極的な意図を有していたことも否定できないものの,上記経緯等に照らし,そのような意図があるからといって,自己の身を守るためBらから逃れようとの意思が払拭されるものとは考えられない以上,この点も上記の認定を左右しない。
(3) しかしながら,上記急迫不正の侵害は,Bらが,被告人に対し暴行を加えるなどして一定の報復行為に及ぶことをその内容とするものであると認められるのに対し,被告人は,これから逃れるため,Bをボンネット上に乗せたまま本件運転行為を開始し,同人の身の安全を全く省みることなく,むしろ,振り落とすべく,高速で蛇行運転し,急ブレーキをかけるなどしていたものであるところ,このような運転態様が,Bの生命の安全に対する危険を多分に含むものであることは既に述べたとおりであって,かかる被告人の運転行為が,Bから受ける可能性のあった侵害の程度と著
しく均衡を失し,度を超したものであることは明らかである。また,被告人としては,より低速で走行し,車道上にBが転落することがないよう,急ブレーキや蛇行運転を控え,より安全な場所に走行して他人に助けを求めるなど,Bの生命身体等の安全にいささかでも配慮した行動が可能であったと認められることなどにも照らせば,被告人の本件運転行為は,自己の身体の安全を守るための防衛行為としては,やむを得ない程度を越えたものであったといわざるを得ない。
(4) そうすると,被告人の本件運転行為は,Bによる急迫不正の侵害に対する防衛行為であったと認められるものの,それは防衛行為としての相当性を逸脱した過剰なものであったというべきである。
したがって,被告人の本件運転行為に正当防衛は成立せず,刑法36条2項にいう「防衛の程度を越えた行為」としていわゆる過剰防衛に該当するものと認めるのが相当である。

(量刑の理由)
本件は,被告人が,運転する普通乗用自動車のボンネット上に男性を乗せて走行し,同人を死に至らしめるかも知れないことを認識しながら,蛇行運転するなどし,同人を路上に転落させて傷害を負わせ(判示第1),その直後,覚せい剤をみだりに所持した(判示第2)という事案である。
判示第1の犯行は,ボンネット上の被害者の安否を気遣うこともなく,高速で自動車を走行させ,しかも,被害者を振り落とすべく,急ブレーキをかけたり,蛇行運転をしたりしたもので,その態様は,まことに危険で悪質である。被害者を振り落とせば,被告人車両または後続車等に轢かれる可能性等があることは容易に想像できることで,被害者の生命への危険性は大きい。走行中,被害者が相当の恐怖を味わったであろうことは想像に難くない。
判示第2の犯行は,覚せい剤を自ら使用する目的で所持していたものであるところ,被告人は,14歳のころから覚せい剤を使用し始めて以来,断続的にしろ使用を継続し,本件当時は,1日に3回くらい使用することもあったというのであり,覚せい剤取締法違反の前科が3犯あったことも併せ考えれば,被告人が,覚せい剤を常習的に使用していたことは明らかで,覚せい剤への依存性親和性も顕著である。
以上からすれば,被告人の責任は重い。
しかし,判示第1の犯行は,犯行に至る経緯にかんがみると,被害者の落ち度も大きく,被告人が本件犯行に及んだのは,被害者の行為に恐怖を感じて逃げようとしたことにあり,その意味では無理からぬ面があったことも否めない。被告人は,殺意を争うなどしているものの,被害者に対する謝罪の気持ちを述べるなど,反省の態度を示し,また,今後は覚せい剤をやめる旨述べて,更生の意思を示している。また,被告人は,本件各犯行後に犯した覚せい剤自己使用の罪で懲役刑に処せられ,現在受刑中であり,本件各犯行は,確定裁判に係る罪と併合罪の関係にある。
そこで,これらを総合考慮して,主文のとおり量刑した。