民法 事例で考える民法演習2 29 必要費と留置権~転用物訴権との関連(その2)


1。小問2について
(1)196条と留置権(195条1項)

+(占有者による費用の償還請求)
第百九十六条  占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する。
2  占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り、回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。ただし、悪意の占有者に対しては、裁判所は、回復者の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる

+(留置権の内容)
第二百九十五条  他人の物の占有者は、その物に関して生じた債権を有するときは、その債権の弁済を受けるまで、その物を留置することができる。ただし、その債権が弁済期にないときは、この限りでない。
2  前項の規定は、占有が不法行為によって始まった場合には、適用しない。

・196条は248条が準用する不当利得法の特則とされているから、結局196条が優先される!

(2)CのBに対する請負代金債権と留置権
・295条1項本文の「他人」を債務者に限るかどうか。
通説は債務者の限られない。

(3)まとめ

2.小問3について(基礎編)
(1)Cが本件機械を既にBに返還していた場合

・使用貸借
+(借用物の費用の負担)
第五百九十五条  借主は、借用物の通常の必要費を負担する。
2  第五百八十三条第二項の規定は、前項の通常の必要費以外の費用について準用する。

使用貸借の場合は法律上の原因は存在。

(2)Cが本件機械をまだ占有している場合

3.小問3について(応用編)

+判例(H7.9.19)
理由
上告代理人桑嶋一、同前田進の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係及び記録によって明らかな本件訴訟の経緯等は、次のとおりである。
1 上告人は、本件建物の賃借人であったAとの間で、昭和五七年一一月四日、本件建物の改修、改装工事を代金合計五一八〇万円で施工する旨の請負契約を締結し、大部分の工事を下請業者を使用して施工し、同年一二月初旬、右工事を完成してAに引き渡した。
2 被上告人は、本件建物の所有者であるが、Aに対し、昭和五七年二月一日、賃料月額五〇万円、期間三年の約で本件建物を賃貸した。Aは、改修、改装工事を施して本件建物をレストラン、ブティック等の営業施設を有するビルにすることを計画しており、被上告人とAは、本件賃貸借契約において、Aが権利金を支払わないことの代償として、本件建物に対してする修繕、造作の新設・変更等の工事はすべてAの負担とし、Aは本件建物返還時に金銭的請求を一切しないとの特約を結んだ。
3 Aが被上告人の承諾を受けずに本件建物中の店舗を転貸したため、被上告人は、Aに対し、昭和五七年一二月二四日、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした上、本件建物の明渡し及び同月二五日から本件建物の明渡し済みまで月額五〇万円の賃料相当損害金の支払を求める訴訟を提起し、昭和五九年五月二八日、勝訴判決を得、右判決はそのころ確定した。
4 Aは、上告人に対し、本件工事代金中二四三〇万円を支払ったが、残代金二七五〇万円を支払っていないところ、昭和五八年三月ころ以来所在不明であり、同人の財産も判明せず、右残代金は回収不能の状態にある。また、上告人は、昭和五七年一二月末ころ、事実上倒産した。
5 そこで、本件工事は上告人にこれに要した財産及び労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他方、被上告人に右に相当する利益を生ぜしめたとして、上告人は、被上告人に対し、昭和五九年三月、不当利得返還請求権に基づき、右残代金相当額と遅延損害金の支払を求めて本件訴訟を提起した。

二 甲が建物賃借人乙との間の請負契約に基づき右建物の修繕工事をしたところ、その後乙が無資力になったため、甲の乙に対する請負代金債権の全部又は一部が無価値である場合において、右建物の所有者丙が法律上の原因なくして右修繕工事に要した財産及び労務の提供に相当する利益を受けたということができるのは、丙と乙との間の賃貸借契約を全体としてみて、丙が対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解するのが相当である。けだし、丙が乙との間の賃貸借契約において何らかの形で右利益に相応する出捐ないし負担をしたときは、丙の受けた右利益は法律上の原因に基づくものというべきであり、甲が丙に対して右利益につき不当利得としてその返還を請求することができるとするのは、丙に二重の負担を強いる結果となるからである。
前記一の2によれば、本件建物の所有者である被上告人が上告人のした本件工事により受けた利益は、本件建物を営業用建物として賃貸するに際し通常であれば賃借人であるAから得ることができた権利金の支払を免除したという負担に相応するものというべきであって、法律上の原因なくして受けたものということはできず、これは、前記一の3のように本件賃貸借契約がAの債務不履行を理由に解除されたことによっても異なるものではない
そうすると、上告人に損失が発生したことを認めるに足りないとした原審の判断は相当ではないが、上告人の不当利得返還請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
《解  説》
 一 契約上の給付が契約の相手方以外の第三者の利益になった場合に、右給付をした契約当事者が第三者に対してその利益の返還を請求することがあるが、そのような請求権は一般に「転用物訴権」と呼ばれる。本判決は、極めて限定された場合においてのみ転用物訴権の成立を認めることを明らかにしたものであって、最一小判昭45・7・16民集二四巻七号九〇九頁(ブルドーザー事件判決)以後活発に議論されてきた問題について一応の決着をつけたものであり、影響するところの大きい判例である。本判決の評釈として、加藤雅信「転用物訴権の成立範囲」法教一八四号九八頁がある。
 二 本件事実は、次のようなものである。Yは、本件建物(営業用建物)の所有者であり、Aに対してこれを賃貸したが、その際、Aが権利金を支払わないことの代償として、本件建物の修繕、造作の新設・変更等の工事はすべてAの負担とし、Aは本件建物返還時に金銭的請求を一切しないとの特約を結んだ。Xは、Aとの間で本件建物の改修、改装工事を代金五一八〇万円で施工する旨の請負契約を締結し、大部分の工事を下請業者を使用して施工し、工事を完成してAに引き渡した。Aが本件建物中の店舗を無断転貸したため、Yは、Aに対し、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をして、本件建物の明渡しと質料相当損害金の支払を求める訴訟を提起し、その後Y勝訴の判決が確定した。AがXに対して本件工事代金中の二七五〇万円を支払わないまま所在不明になったため、右残代金は回収不能の状態にある。そこで、Xは、Yに対し、不当利得返還請求権に基づき、右残代金相当額と遅延損害金の支払を求めて本件訴えを提起した。
 一審は、Xの請求を一部認容する判決をしたが、控訴審は、Xに財産と労務の出捐による損失が発生したというためには、本件工事中下請業者を使用した部分については、Xが現実に下請工事代金を支払ったことを要するところ、Xが下請工事代金を完済したとは認めるに足りず、一部支払ったとしてもその金額を確定することはできず、また、自ら施工した工事部分を確定することもできないから、Xの不当利得返還請求は理由がないとして、一審判決を取り消し、Xの請求を棄却した。
 三 Xの上告に対し、最高裁は、冒頭掲記の判決要旨のとおり判示して、Yの受けた利益に法律上の原因がないものということができるのは、YとAとの賃貸借契約を全体としてみて、Yが対価関係なしに右利益を受けたときに限られることを明らかにした上、YがAのした本件工事により受けた利益は、本件建物を営業用建物として賃貸するに際し通常であればAから得ることができた権利金の支払を免除したことに相応するものであって、法律上の原因なくして受けたものということはできないとして(すなわち、Xに損失の発生が認められないという原判決の理由から、Yの受けた利益に法律上の原因がないとはいえないとの理由に、理由を差し換えて)、本件上告を棄却した。
 四 我が国において転用物訴権を認めた判例と一般に解されているのが前掲最一小判昭45・7・16(ブルドーザー事件判決)である。Xは、Y所有のブルドーザーの賃借人Aの依頼により修理をしてこれを引き渡したが、Aが倒産し修理代金の回収が事実上不能となったため、Y(Aからブルドーザーを引き揚げ他に売却)に対して右代金相当額の不当利得の返還を求めたという事件において、最高裁は、「本件ブルドーザーの修理は、一面において、Xにこれに要した財産およぴ労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他面において、Yに右に相当する利得を生ぜしめたもので、Xの損失とYの利得との間に直接の因果関係ありとすることができる」と判示して、因果関係なしとした控訴審判決の判断を誤りであるとした。さらに、「ただ、右の修理はAの依頼によるものであり、したがって、XはAに対して修理代金債権を取得するから、右修理により受ける利得はいちおうAの財産に由来することとなり、XはYに対し右利得の返還請求権を有しないのを原則とするが、Aの無資力のため、右修理代金の全部又は一部が無価値であるときは、その限度において、Yの受けた利得はXの財産および労務に由来したものということができ、Xは、右修理(損失)によりYの受けた利得を、Aに対する代金債権が無価値である限度において、不当利得として、Yに返還を請求することができるものと解するのが相当である(修理費用をAにおいて負担する旨の特約がAとYとの間に存したとしても、XからYに対する不当利得返還請求の妨げとなるものではない)。」と説示した。
 ブルドーザー事件判決以後、どのような要件の下に転用物訴権の成立を認めるべきであるかなどについて議論がされたが、学説においては、全面的否定説(四宮和夫・事務管理・不当利得・不法行為上巻二四二頁、北川善太郎・債権各論二一四頁など)、又は限定的承認説(加藤雅信・財産法の体系と不当利得法の構造七一三頁、鈴木祿弥・債権法講義〔二訂版〕六八一頁など)が多数説となっている。
 加藤雅信教授は、関係当事者の利益状況を、まず、AがYの利得保有に対応する反対債権を有する場合(Ⅰ)と有しない場合とに分類し、さらに、有しない場合を、Yの利得保有がAY間の関係全体から有償とみることができる場合(Ⅱ)と無償とみるべき場合(Ⅲ)とに分類した。そして、(1) Ⅰの場合に転用物訴権の成立を認めると、Aが無資力の場合にXにAの他の一般債権者に優先する立場を認めることになるが、その合理的根拠に乏しい、(2) Ⅱの場合に転用物訴権の成立を認めると、Yは修理費に関して二重の経済的負担を被ることになり合理的でない、(3) Ⅲの場合には、XとYの利益考量が基本的問題であるが、無償行為については保護の程度が弱くなるのはやむを得ないから、無償で利得を保有するYよりもXを保護すべきであるとされ、結局、Ⅲの場合についてのみ転用物訴権の成立を認めるべきであるとされた。
 五 本判決は、「損失と利得との間の因果関係」についてはブルドーザー事件判決の判断を前提とした上で、「法律上の原因なくして」の要件について限定的承認説(加藤説)を採用したものとみることができる。本判決によれば、法律上の原因の有無はYA間における「対価関係」の有無にかかることになるが、その対価関係は、経済的にみて厳密に等価であることを要するものではないであろう。本判決中の「YがAとの間の賃貸借契約において何らかの形で右利益に相応する出捐ないし負担をしたときは、Yの受けた右利益は法律上の原因に基づくものというべきであ(る)」との判示は、この点をいうものと考えることができる。
 また、本件一審判決は、Aの無断転貸を理由に本件賃貸借契約が解除され、Aの支出した修繕費用に見合う収益を回収するだけの期間賃貸借契約が継続しないで終了したことをもって、Yは無償で本件建物の価値の増加という利益を得たものと判断したが、本判決は、本件賃貸借契約がAの債務不履行を理由に解除されたことによって本件賃貸借契約の成立時に形成された対価関係が覆滅されることはない旨を判示している。
+判例(S45.7.16)
理由 
 上告代理人竹中一太郎の上告理由について。 
 記録によれば、上告人が本訴において請求原因として主張したところは、次のような事実関係であると認められる。上告人は、昭和三八年一二月三日、訴外有限会社立花重機よりブルドーザーの修理の依頼を受け、その主クラツチ、オーバーホールほか合計五一万四〇〇〇円相当の修理をして、同月一〇日これを訴外会社に引き渡したが、右ブルドーザーは被上告人の所有であり、上告人の修理により右代金相当の価値の増大をきたしたものであるから、被上告人は上告人の財産および労務により右相当の利得を受け、上告人は右相当の損失を受けたものである。もつとも、上告人は訴外会社に対し修理代金債権を有したが、同会社は修理後二カ月余にして倒産し、現在無資産であるから、回収の見込みは皆無である。右ブルドーザーは、同年一一月二〇日頃訴外会社において被上告人より賃借したものであるが、昭和三九年二月中旬より下旬にかけて被上告人がこれを訴外会社より引き揚げたうえ、同年五月、代金一七〇万円(金利を含み一九〇万円余)で他に売却したもので、上告人の修理により被上告人の受けた利得は、売却代金の一部としてなお現存している。よつて、上告人は被上告人に対し、五一万四〇〇〇円およびこれに対する遅延損害金の支払を求める、というのである。 
 右請求原因の大要は、一審における訴状陳述以来、上告人の主張するところであつて、前記修理代金債権の回収不能により上告人に損失を生じたとする主張は、本件記録中に発見しえないところである。 
 しかるに、原判決の引用する一審判決事実摘示が、あたかも右回収不能により上告人に損失を生じたとするごとくいうのは、上告人の訴旨の誤解に出たものというべきである(もつとも、その記載は必ずしも明確でなく、原審口頭弁論における上告人の陳述が一審判決事実摘示のとおりなされたとしても、これにより上告人の従前の主張が改められたものとするのは相当でない)。 
 そこで、右のごとき上告人の本訴請求の当否につき按ずるに、原判決引用の一審判決の認定するところによれば、上告人のした修理は本件ブルドーザーの自然損耗に対するもので、被上告人はその所有者として右修理により利得を受けており、また、右修理は訴外会社の依頼によるもので、上告人は同会社に対し五一万四〇〇〇円の修理代金債権を取得したが、同会社は修理後間もなく倒産して、右債権の回収はきわめて困難な状態となつたというのである。 
 これによると、本件ブルドーザーの修理は、一面において、上告人にこれに要した財産および労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他面において、被上告人に右に相当する利得を生ぜしめたもので、上告人の損失と被上告人の利得との間に直接の因果関係ありとすることができるのであつて、本件において、上告人のした給付(修理)を受領した者が被上告人でなく訴外会社であることは、右の損失および利得の間に直接の因果関係を認めることの妨げとなるものではない。ただ、右の修理は訴外会社の依頼によるものであり、したがつて、上告人は訴外会社に対して修理代金債権を取得するから、右修理により被上告人の受ける利得はいちおう訴外会社の財産に由来することとなり、上告人は被上告人に対し右利得の返還請求権を有しないのを原則とする(自然損耗に対する修理の場合を含めて、その代金を訴外会社において負担する旨の特約があるときは、同会社も被上告人に対して不当利得返還請求権を有しない)が、訴外会社の無資力のため、右修理代金債権の全部または一部が無価値であるときは、その限度において、被上告人の受けた利得は上告人の財産および労務に由来したものということができ、上告人は、右修理(損失)により被上告人の受けた利得を、訴外会社に対する代金債権が無価値である限度において、不当利得として、被上告人に返還を請求することができるものと解するのが相当である(修理費用を訴外会社において負担する旨の特約が同会社と被上告人との間に存したとしても、上告人から被上告人に対する不当利得返還請求の妨げとなるものではない)。 
 しかるに原判決は、上告人の右の訴旨を誤解し、また右の法理の適用を誤つたもので、審理不尽、理由不備の違法を免れず、論旨は理由あるに帰し、原判決を破棄すべきであるが、本件において上告人の訴外会社に対する債権が実質的にいかなる限度で価値を有するか、原審の確定しないところであるので、この点につきさらに審理させるため、本件を原審に差し戻すべきものとする。 
 よつて、民訴法四〇七条一項により、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 大隅健一郎) 


憲法 日本国憲法の論じ方 Q18 職業の自由


Q 職業の自由にはどのような意味があるのか?
(1)職業の意味

+第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

+第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

職業
=生計を維持するための経済活動

(2)職業遂行の自由と営業の自由

営業
=職業選択・遂行活動のうち自己の剣さんに基づいて行われる営利追求を目的として行われる活動

Q 経済的自由権の憲法的位置づけはどのように変化していったか?
(1)市民革命期の考え方
(2)現代の憲法の考え方

Q 職業選択の自由を規制目的によって二分する考え方は妥当か?
(1)職業選択が人間にとって持つ意味
(2)距離制限規定をめぐる判例

・積極目的規制
+判例(S47.11.22)小売業
理由
弁護人坂井尚美の上告趣意一ないし五について。
所論は、要するに、小売商業調整特別措置法(以下「本法」という。)三条一項、同法施行令一条、二条は、小売市場の開設経営を都道府県知事の許可にかからしめ、営業の自由を不当に制限するものであるから、憲法二二条一項に違反するというのである。
本法三条一項は、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ、小売市場(一の建物であつて、十以上の小売商-その全部又は一部が政令で定める物品を販売する場合に限る。-の店舗の用に供されるものをいう。)とするため、その建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け、又は譲り渡してはならないと定め、これを受けて、同法施行令一条および別表一は、「政令で指定する市」を定め、同法施行令二条および別表二は、「政令で定める物品」として、野菜、生鮮魚介類を指定している。そして、本法五条は、右許可申請のあつた場合の許可基準として、一号ないし五号の不許可事由を列記し、本法二二条一号は、本法三条一項の規定に違反した者につき罰則を設けている。このように、本法所定の市の区域内で、本法所定の形態の小売市場を開設経営しようとする者は、本法所定の許可を受けることを要するものとし、かつ、本法五条各号に掲げる事由がある場合には、右許可をしない建前になつているから、これらの規定が小売市場の開設経営をしょうとする者の自由を規制し、そ営業の自由を制限するものであることは、所論のとおりである。
そこで、右の営業の自由に対する制限が憲法二二条一項に牴触するかどうかについて考察することとする。
憲法二二条一項は、国民の基本的人権の一つとして、職業選択の自由を保障しており、そこで職業選択の自由を保障するというなかには、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含しているものと解すべきであり、ひいては、憲法が、個人の自由な経済活動を基調とする経済体制を一応予定しているものということができるしかし、憲法は、個人の経済活動につき、その絶対かつ無制限の自由を保障する趣旨ではなく、各人は、「公共の福祉に反しない限り」において、その自由を享有することができるにとどまり、公共の福祉の要請に基づき、その自由に制限が加えられることのあることは、右条項自体の明示するところである。
おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはいうまでもない。のみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なつて、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もつて社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであつて、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである。もつとも、個人の経済活動に対する法的規制は、決して無制限に許されるべきものではなく、その規制の対象、手段、態様等においても、自ら一定の限界が存するものと解するのが相当である。
ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、本法は、立法当時における中小企業保護政策の一環として成立したものであり、本法所定の小売市場を許可規制の対象としているのは、小売商が国民のなかに占める数と国民経済にける役割とに鑑み、本法一条の立法目的が示すとおり、経済的基盤の弱い小売商の事業活動の機会を適正に確保し、かつ、小売商の正常な秩序を阻害する要因を除去する必要があるとの判断のもとに、その一方策として、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである。しかも、本法は、その所定形態の小売市場のみを規制の対象としているにすぎないのであつて、小売市場内の店舗のなかに政令で指定する野菜、生鮮魚介類を販売する店舗が含まれない場合とか、所定の小売市場の形態をとらないで右政令指定物品を販売する店舗の貸与等をする場合には、これを本法の規制対象から除外するなど、過当競争による弊害が特に顕著と認められる場合についてのみ、これを規制する趣旨であることが窺われる。これらの諸点からみると、本法所定の小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図するという観点から中小企業保護政策の一方策としてとつた措置ということができ、その目的において、一応の合理性を認めることができないわけではなく、また、その規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない。そうすると、本法三条一項、同法施行令一条、二条所定の小売市場の許可規制が憲法二二条一項に違反するものとすることができないことは明らかであつて、結局、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、論旨は理由がない。
なお、所論は、本法五条一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(一)も憲法二二条一項に違反すると主張するが、右内規は、それ自体、法的拘束力を有するものではなく、単に本法三条一項に基づく許可申請にかかる許可行政の運用基準を定めたものにすぎず、その当否は、具体的な不許可処分の適否を通じて争えば足り、しかも、記録上、被告人らが右許可申請をした形跡は窺えないのであるから、被告人らが本件で右内規の一般的合憲性を争うことは許されず、この点に関する違憲の主張は、上告適法の理由にあたらない。
同上告趣意六について。
所論は、本法三条一項、同法施行令一条が指定都市の小売市場のみを規制の対象としているのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法三条一項、同法施行令一条および別表一がその指定する都市の小売市場を規制の対象としたのは、小売市場の当該地域社会において果たす役割、当該地域における小売市場乱設の傾向等を勘案し、本法の上記目的を達するために必要な限度で規制対象都市を限定したものであつて、その判断が著しく合理性を欠くことが明白であるとはいえないから、その結果として、小売市場を開設しようとする者の間に、地域によつて規制を受ける者と受けない者との差異が生じたとしても、そのことを理由として憲法一四条に違反するものとすることはできない。論旨は理由がない。
次に、所論は、本法三条一項が十店舗未満の小売市場およびスーパーマーケツトを規制の対象としていないのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法所定の小売市場以外の小売市場を規制の対象とするかどうか、スーパーマーケツトを規制の対象とするかどうかは、いずれも立法政策の問題であつて、これらを規制の対象としないからといつて、そのために本法の規制が憲法一四条に違反することになるわけではない。論旨は理由がない。
同上告趣意七について。
所論は、本法所定の小売市場の許可規制が憲法二五条一項に違反すると主張する。
しかし、右許可規制のために国民の健康で文化的な最低限度の生活に具体的に特段の影響を及ぼしたという事実は、本件記録上もこれを認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)

・消極目的規制
+判例(S50.4.30)
理由
上告代理人・原隆一の上告理由二について。
所論は、要するに、本件許可申請につき、昭和三八年法律第一三五号による改正後の薬事法の規定によつて処理すべきものとした原審の判断は、憲法三一条、三九条、民法一条二項に違反し、薬事法六条一項の適用を誤つたものであるというのである。
しかし、行政処分は原則として処分時の法令に準拠してされるべきものであり、このことは許可処分においても同様であつて、法令に特段の定めのないかぎり、許可申請時の法令によつて許否を決定すべきのではなく、許可申請者は、申請によつて申請時の法令により許可を受ける具体的な権利を取得するものではないから、右のように解したからといつて法律不遡及の原則に反することとなるものではない。また、原審の適法に確定するところによれば、本件許可申請は所論の改正法施行の日の前日に受理されたというのであり、被上告人が改正法に基づく許可条件に関する基準を定める条例の施行をまつて右申請に対する処理をしたからといつて、これを違法とすべき理由はない。所論の点に関する原審の判断は、結局、正当というべきであり、違憲の主張は、所論の違法があることを前提とするもので、失当である。論旨は、採用することができない。
同上告理由一について。
所論は、要するに、薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)及びこれに基づく広島県条例「薬局等の配置の基準を定める条例」(昭和三八年広島県条例第二九号。以下「県条例」という。)を合憲とした原判決には、憲法二二条、一三条の解釈、適用を誤つた違法があるというのである。

一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制
(一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
(二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
(三) 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。そして、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求されるのであつて、許可制の採用自体が是認される場合であつても、個々の許可条件については、更に個別的に右の要件に照らしてその適否を判断しなければならないのである。

二 薬事法における許可制について。
(一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。
(二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条(この規定は薬局の開設に関するものであるが、同法二六条二項において本件で問題となる医薬品の一般販売業に準用されている。)は、一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする。
三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。
(一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。
これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。
(二) 次に、前記(一)の目的のために適正配置上の観点からする薬局の開設等の不許可の道を開くことの必要性及び合理性につき、被上告人の指摘、主張するところは、要約すれば、次の諸点である。
(1) 薬局等の偏在はかねてから問題とされていたところであり、無薬局地域又は過少薬局地域の解消のために適正配置計画に基づく行政指導が行われていたが、昭和三二年頃から一部大都市における薬局等の偏在による過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となるに至つた。これらの弊害の対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、なんらかの立法措置が要望されるに至つたこと。
(2) 前記過当競争や乱売の弊害としては、そのために一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵その他の管理がおろそかとなつて、良質な医薬品の供給に不安が生じ、また、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際における必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となつたことが指摘されるが、これを解消するためには薬局等の経営の安定をはかることが必要と考えられること。
(3) 医薬品の品質の良否は、専門家のみが判定しうるところで、一般消費者にはその能力がないため、不良医薬品の供給の防止は一般消費者側からの抑制に期待することができず、供給者側の自発的な法規遵守によるか又は法規違反に対する行政上の常時監視によるほかはないところ、後者の監視体制は、その対象の数がぼう大であることに照らしてとうてい完全を期待することができず、これによつては不良医薬品の供給を防止することが不可能であること。

四 適正配置規制の合憲性について。
(一) 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところにあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。
(二) 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。
(1) 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。
(2) 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。そこで検討するのに、
(イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。
(ロ) ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。
(ハ) 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある。この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである。
(ニ) 被上告人は、また、医薬品の販売の際における必要な注意、指導がおろそかになる危険があると主張しているが、薬局等の経営の不安定のためにこのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、これをもつて本件規制措置を正当化する根拠と認めるには足りない。
(ホ) 被上告人は、更に、医薬品の乱売によつて一般消費者による不必要な医薬品の使用が助長されると指摘する。確かにこのような弊害が生じうろことは否定できないが、医薬品の乱売やその乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大な広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はむしろその従たる原因にすぎず、特に右競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少にすぎないと考えるのが、合理的である。のみならず、右のような弊害に対する対策としては、薬事法六六条による誇大広告の規制のほか、一般消費者に対する啓蒙の強化の方法も存するのであつて、薬局等の設置場所の地域的制限によつて対処することには、その合理性を認めがたいのである。
(ヘ) 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。
(3) 被上告人は、また、医薬品の供給の適正化のためには薬局等の適正分布が必要であり、一部地域への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進されて、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致することはさきにも述べたとおりであり、薬局等の偏在防止のためにする設置場所の制限が間接的に被上告人の主張するような機能を何程かは果たしうろことを否定することはできないが、しかし、そのような効果をどこまで期待できるかは大いに疑問であり、むしろその実効性に乏しく、無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない
本件適正配置規制は、右の目的と前記(2)で論じた国民の保健上の危険防止の目的との、二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定しうるにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない

五 結論
以上のとおり、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である。
ところで、本件は、上告人の医薬品の一般販売業の許可申請に対し、被上告人が昭和三九年一月二七日付でした不許可処分の取消を求める事案であるが、原判決の適法に確定するところによれば、右不許可処分の理由は、右許可申請が薬事法二六条二項の準用する同法六条二項、四項及び県条例三条の薬局等の配置の基準に適合しないというのである。したがつて、右法令が憲法二二条一項に違反しないとして本件不許可処分の効力を維持すべきものとした原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、その余の判断をするまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右処分が取り消されるべきものであることは明らかであるから、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決の結論は正当であつて、被上告人の控訴は棄却されるべきものである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光)

(3)消極目的・積極目的二分論の問題点

+判例(S30.1.26)
理由
弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について。
論旨は、公衆浴場法二条二項後段は、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠くと認められる場合には、都道府県知事は公衆浴場の経営を許可しないことができる旨定めており、また昭和二五年福岡県条例五四号三条は、公衆浴場の設置場所の配置の基準等を定めているが、公衆浴場の経営に対するかような制限は、公共の福祉に反する場合でないのに職業選択の自由を違法に制限することになるから、右公衆浴場法及び福岡県条例の規定は、共に憲法二二条に違反するものであると主張するのである。
しかし、公衆浴場は、多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である。そして、若しその設立を業者の自由に委せて、何等その偏在及び濫立を防止する等その配置の適正を保つために必要な措置が講ぜられないときは、その偏在により、多数の国民が日常容易に公衆浴場を利用しようとする場合に不便を来たすおそれなきを保し難く、また、その濫立により、浴場経営に無用の競争を生じその経営を経済的に不合理ならしめ、ひいて浴場の衛生設備の低下等好ましからざる影響を来たすおそれなきを保し難い。このようなことは、上記公衆浴場の性質に鑑み、国民保健及び環境衛生の上から、出来る限り防止することが望ましいことであり、従つて、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠き、その偏在乃至濫立を来たすに至るがごときことは、公共の福祉に反するものであつて、この理由により公衆浴場の経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、憲法二二条に違反するものとは認められない。なお、論旨は、公衆浴場の配置が適正を欠くことを理由としてその経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、公共の福祉に反する場合でないに拘らず、職業選択の自由を制限することになつて違憲であるとの主張を前提として、昭和二五年福岡県条例五四号第三条が、憲法二二条違反であるというが、右前提の採用すべからざることは、既に説示したとおりである。そして所論条例の規定は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項の設置の場所の配置の基準を定めたものであるから、これが所論のような理由で違憲となるものとは認められない。それ故所論は採用できない。
同第二点後段について。
論旨は、公衆浴場法が公衆浴場の経営について許可を原則とし、不許可を例外とする建前をとつているに拘わらず、昭和二五年福岡県条例五四号は不許可を原則とし、許可を例外とする建前をとつており、右条例は公衆浴場法にくらべて、より多く職業選択の自由を制限しているので、憲法の精神に反するのみならず、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定できるという憲法九四条に違反していると主張する。しかし、右条例は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項で定めている公衆浴場の経営の許可を与えない場合についての基準を具体的に定めたものであつて、右条例三条、四条がそれであり、同五条は右三条、四条の基準によらないで許可を与えることができる旨の緩和規定を設けたものである。即ち右条例は、法律が例外として不許可とする場合の細則を具体的に定めたもので、法律が許可を原則としている建前を、不許可を原則とする建前に変更したものではなく、従つて右条例には、所論のような法律の範囲を逸脱した違法は認められない。それ故所論は採用できない。
被告人本人の上告趣意について。
論旨の中違憲をいう点は、上記弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について判示したところと同様の理由によつて、採用できない。その他の論旨は、単なる法令違反の主張乃至事情の説明を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて同四〇八条により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克)

+判例(H1.1.20)
理由
弁護人林弘ほか二名の上告趣意は、公衆浴場法二条二項による公衆浴場の適正配置規制及び同条三項に基づく大阪府公衆浴場法施行条例二条の距離制限は憲法二二条一項に違反し無効であると主張するが、その理由のないことは、当裁判所大法廷判例(昭和二八年(あ)第四七八二号同三〇年一月二六日判決・刑集九巻一号八九頁)に徴し明らかである。
すなわち、公衆浴場法に公衆浴場の適正配置規制の規定が追加されたのは昭和二五年法律第一八七号の同法改正法によるのであるが、公衆浴場が住民の日常生活において欠くことのできない公共的施設であり、これに依存している住民の需要に応えるため、その維持、確保を図る必要のあることは、立法当時も今日も変わりはない。むしろ、公衆浴場の経営が困難な状況にある今日においては、一層その重要性が増している。そうすると、公衆浴場業者が経営の困難から廃業や転業をすることを防止し、健全で安定した経営を行えるように種々の立法上の手段をとり、国民の保健福祉を維持することは、まさに公共の福祉に適合するところであり、右の適正配置規制及び距離制限も、その手段として十分の必要性と合理性を有していると認められる。もともと、このような積極的、社会経済政策的な規制目的に出た立法については、立法府のとつた手段がその裁量権を逸脱し、著しく不合理であることの明白な場合に限り、これを違憲とすべきであるところ(最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁参照)、右の適正配置規制及び距離制限がその場合に当たらないことは、多言を要しない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)

+判例(H1.3.7)
理由 
 上告代理人林弘、同中野建、同松岡隆雄の上告理由について 
 公衆浴場法(以下「法」という。)二条二項の規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(昭和二八年(あ)第四七八二号同三〇年一月二六日大法廷判決・刑集九巻一号八九頁。なお、同三〇年(あ)第二四二九号同三二年六月二五日第三小法廷判決・刑集一一巻六号一七三二頁、同三四年(あ)第一四二二号同三五年二月一一日第一小法廷判決・刑集一四巻二号一一九頁、同三三年(オ)第七一〇号同三七年一月一九日第二小法廷判決・民集一六巻一号五七頁、同四〇年(あ)第二一六一号、第二一六二号同四一年六月一六日第一小法廷判決・刑集二〇巻五号四七一頁、同四三年(行ツ)第七九号同四七年五月一九日第二小法廷判決・民集二六巻四号六九八頁参照)。 
 おもうに、法二条二項による適正配置規制の目的は、国民保健及び環境、生の確保にあるとともに、公衆浴場が自家風呂を持たない国民にとって日常生活上必要不可欠な厚生施設であり、入浴料金が物価統制令により低額に統制されていること、利用者の範囲が地域的に限定されているため企業としての弾力性に乏しいこと、自家風呂の普及に伴い公衆浴場業の経営が困難になっていることなどにかんがみ、既存公衆浴場業者の経営の安定を図ることにより、自家風呂を持たない国民にとって必要不可欠な厚生施設である公衆浴場自体を確保しようとすることも、その目的としているものと解されるのであり、前記適正配置規制は右目的を達成するための必要かつ合理的な範囲内の手段と考えられるので、前記大法廷判例に従い法二条二項及び大阪府公衆浴場法施行条例二条の規定は憲法二二条一項に違反しないと解すべきである。論旨は、採用することができない。 
 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官安岡滿彦 裁判官伊藤正己 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己) 
・二分論に対する疑問
+判例(S62.4.22)森林法
理由 
 上告代理人藤本猛の上告理由について 
 所論は、要するに、森林法一八六条を合憲とした原判決には憲法二九条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。 
 一 憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し、私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障するとともに、社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至つたため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。 
 二 財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。 
 三 森林法一八六条は、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者(持分価額の合計が二分の一以下の複数の共有者を含む。以下同じ。)に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定している。 
 そこでまず、民法二五六条の立法の趣旨・目的について考察することとする。共有とは、複数の者が目的物を共同して所有することをいい、共有者は各自、それ自体所有権の性質をもつ持分権を有しているにとどまり、共有関係にあるというだけでは、それ以上に相互に特定の目的の下に結合されているとはいえないものである。そして、共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となるので、同条は、かかる弊害を除去し、共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため、各共有者はいつでも共有物の分割を請求することができるものとし、しかも共有者の締結する共有物の不分割契約について期間の制限を設け、不分割契約は右制限を超えては効力を有しないとして、共有者に共有物の分割請求権を保障しているのである。このように、共有物分割請求権は、各共有者に近代市民社会における原則的所有形態である単独所有への移行を可能ならしめ、右のような公益的目的をも果たすものとして発展した権利であり、共有の本質的属性として、持分権の処分の自由とともに、民法において認められるに至つたものである。 
 したがつて、当該共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当し、かかる制限を設ける立法は、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを要するものと解すべきところ、共有森林はその性質上分割することのできないものに該当しないから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定している森林法一八六条は、公共の福祉に適合するものといえないときは、違憲の規定として、その効力を有しないものというべきである。 
 四 1 森林法一八六条は、森林法(明治四〇年法律第四三号)(以下「明治四〇年法」という。)六条の「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」との規定を受け継いだものである。明治四〇年法六条の立法目的は、その立法の過程における政府委員の説明が、長年を期して営むことを要する事業である森林経営の安定を図るために持分価格二分の一以下の共有者の分割請求を禁ずることとしたものである旨の説明に尽きていたことに照らすと、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図ることにあつたものというべきであり、当該森林の水資源かん養、国土保全及び保健保全等のいわゆる公益的機能の維持又は増進等は同条の直接の立法目的に含まれていたとはいい難い。昭和二六年に制定された現行の森林法は、明治四〇年法六条の内容を実質的に変更することなく、その字句に修正を加え、規定の位置を第七章雑則に移し、一八六条として規定したにとどまるから、同条の立法目的は、明治四〇年法六条のそれと異なつたものとされたとはいえないが、森林法が一条として規定するに至つた同法の目的をも考慮すると、結局、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。 
 同法一八六条の立法目的は、以上のように解される限り、公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。 
 2 したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定していることが、同条の立法目的達成のための手段として合理性又は必要性に欠けることが明らかであるといえない限り、同条は憲法二九条二項に違反するものとはいえない。以下、この点につき検討を加える。 
 (一) 森林が共有となることによつて、当然に、その共有者間に森林経営のための目的的団体が形成されることになるわけではなく、また、共有者が当該森林の経営につき相互に協力すべき権利義務を負うに至るものではないから、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない。したがつて、共有森林の共有者間の権利義務についての規制は、森林経営の安定を直接的目的とする前示の森林法一八六条の立法目的と関連性が全くないとはいえないまでも、合理的関連性があるとはいえない。 
 森林法は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者からの分割請求を許さないとの限度で民法第三章第三節共有の規定の適用を排除しているが、そのほかは右共有の規定に従うものとしていることが明らかであるところ、共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐつて意見の対立、紛争が生ずるに至つたときは、各共有者は、共有森林につき、同法二五二条但し書に基づき保存行為をなしうるにとどまり、管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来することとなる。同法二五六条一項は、かかる事態を解決するために設けられた規定であることは前示のとおりであるが、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法の右規定の適用を排除した結果は、右のような事態の永続化を招くだけであつて、当該森林の経営の安定化に資することにはならず、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性のないことは、これを見ても明らかであるというべきである。 
 (二) (1) 森林法は森林の分割を絶対的に禁止しているわけではなく、わが国の森林面積の大半を占める単独所有に係る森林の所有者が、これを細分化し、分割後の各森林を第三者に譲渡することは許容されていると解されるし、共有森林についても、共有者の協議による現物分割及び持分価額が過半数の共有者(持分価額の合計が二分の一を超える複数の共有者を含む。)の分割請求権に基づく分割並びに民法九〇七条に基づく遺産分割は許容されているのであり、許されていないのは、持分価額二分の一以下の共有者の同法二五六条一項に基づく分割請求のみである。共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を認めた場合に、これに基づいてされる分割の結果は、右に述べた譲渡、分割が許容されている場合においてされる分割等の結果に比し、当該共有森林が常により細分化されることになるとはいえないから、森林法が分割を許さないとする場合と分割等を許容する場合との区別の基準を遺産に属しない共有森林の持分価額の二分の一を超えるか否かに求めていることの合理性には疑問があるが、この点はさておいても、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者からの民法二五六条一項に基づく分割請求の場合に限つて、他の場合に比し、当該森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図らなければならない社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠は、これを見出だすことができないにもかかわらず、森林法一八六条が分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなつているといわざるをえない。 
 まず、森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、当該森林の地域的位置、気候、植栽竹木の種類等によつて差異はあつても、これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるものというべきである。 
 また、当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。 
 (2) 更に、民法二五八条による共有物分割の方法について考えるのに、現物分割をするに当たつては、当該共有物の性質・形状・位置又は分割後の管理・利用の便等を考慮すべきであるから、持分の価格に応じた分割をするとしても、なお共有者の取得する現物の価格に過不足を来す事態の生じることは避け難いところであり、このような場合には、持分の価格以上の現物を取得する共有者に当該超過分の対価を支払わせ、過不足の調整をすることも現物分割の一態様として許されるものというべきであり、また、分割の対象となる共有物が多数の不動産である場合には、これらの不動産が外形上一団とみられるときはもとより、数か所に分かれて存在するときでも、右不動産を一括して分割の対象とし、分割後のそれぞれの部分を各共有者の単独所有とすることも、現物分割の方法として許されるものというべきところ、かかる場合においても、前示のような事態の生じるときは、右の過不足の調整をすることが許されるものと解すべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁、昭和四一年(オ)第六四八号同四五年一一月六日第二小法廷判決・民集二四巻一一一号一八〇三頁は、右と抵触する限度において、これを改める。)。また、共有者が多数である場合、その中のただ一人でも分割請求をするときは、直ちにその全部の共有関係が解消されるものと解すべきではなく、当該請求者に対してのみ持分の限度で現物を分割し、その余は他の者の共有として残すことも許されるものと解すべきである。 
 以上のように、現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである。したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。 
 五 以上のとおり、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであつて、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがつて、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効というべきであるから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者についても民法二五六条一項本文の適用があるものというべきである。 
 六 本件について、原判決は、森林法一八六条は憲法二九条二項に違反するものではなく、森林法一八六条に従うと、本件森林につき二分の一の持分価額を有するにとどまる上告人には分割請求権はないとして、本件分割請求を排斥しているが、右判断は憲法二九条二項の解釈適用を誤つたものというべきであるから、この点の違憲をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、上告人の分割請求に基づき民法二五八条に従い本件森林を分割すべきものであるから、本件を原審に差し戻すこととする。 
 よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官坂上壽夫、同林藤之輔の補足意見、裁判官髙島益郎、同大内恒夫の意見、裁判官香川保一の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
+補足意見
 裁判官坂上壽夫の補足意見は、次のとおりである。 
 香川裁判官の反対意見に鑑み、わが国における森林所有の実態を踏まえて、一言しておきたい。 
 香川裁判官の説かれるところは、森林の共同経営という観点から共有森林についての分割制限の合理性を指摘されるもので、たしかに、森林の共同経営に当たつて、途中での分割を許すことは、経営的には不都合を来す場合があると考えられ、共同経営を目的とした共有を考える限りにおいて、まことに傾聴すべき見解であると思われるが、「森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことである」とされるのは、森林共有者の中に、相続による共有者を除いては、自らの意思によらずして森林を共有することになつた者の存在は考えなくてもよいということであろうか。また、自らの意思により森林を共有するといつても、共有するについてはいろんな場合が考えられ、森林を共同経営する意思を有しない者もいると思われるのに、そのことを抜きにして論じてよいものであろうか。なお、共同経営に不都合を来さないためという観点からは、持分二分の一以下の権利者の分割請求のみを許さないとすることの説明が、多数決原理を云々されるだけでは肯けないものがある(のちに述べるように、分割されて困るとすれば、それはむしろ持分二分の一以下の少数権利者の側であろう。)。 
 ところで、森林経営という面についてであるが、香川裁判官が、「森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである……そして、それに連なる共有森林は……」と説かれるところは、多人数の共同経営の難しさ、煩わしさということを別にすれば、理論としては正にそのとおりであろうが、残念ながら、わが国の森林所有の実態に即しない憾みがあるように思われる。以下、議論を正確にするため、統計数字については、林野庁監修「林業統計要覧」一九八六年版所載の各表によることとするが、その「一九八〇年世界農林業センサス結果」によると、わが国での共同所有者による森林保有は、統計に表れない〇・一へクタール未満の森林を除き、〇・一ヘクタール以上のものに限れば、一六万六一四五事業体で合計六〇万一六七三ヘクタールに過ぎず(この数字には、相続により生じた共有体を含むものと思われるが、その内訳は不詳である。)、面積比にすると、二五〇〇万ヘクタール余とされるわが国の全森林の二・四%、一四七〇万ヘクタールに及ぶ私有森林全体の約四%を占めるのみである。しかも、そのうち〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)しか保有しない事業体(農林水産省統計情報部「林家経済調査報告」によると、昭和五九年度において、九・三ヘクタールを保有する林家の林業粗収入額は、薪炭生産やきのこ生産等による収入をも含めて二九万五〇〇〇円であり、これに対する経費総額は一二万七〇〇〇円であつて、林業所得額は一六万八〇〇〇円(平均値)であるから、一ヘクタール当たりにすると、僅かに一万八〇〇〇円に過ぎない。〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)という森林がいかに零細なものであるかがわかろう。)は九万六二八〇事業体に達し、全共同事業体の約五八%に当たり、これに一ないし五ヘクタール(未満)しか保有しない事業体を併せると、一四万四九九六事業体(全共同事業体の八七%強)にも達するのである。他方、香川裁判官が望ましいとされる「相当広大な面積」をかりに一〇〇ヘクタール以上(本件上告人、被上告人の共有森林は、全地区を合計するとこの範囲に入ることになる。)と低く抑えたとしても、その条件に達するものは僅かに五五七事業体(全共同事業体の〇・三%強)に過ぎない。共有にかかる森林の殆どは、共同所有ではあつても、共同経営という名に値しないものである。 
 とすれば、森林経営の観点から共有を論じても余り意味はなく、森林法一八六条は、ほんの一握りの森林共有体の経営の便宜のために、すべての森林共有体の、しかもそのうちの持分二分の一以下の共有者についてのみ、その分割請求権を奪うという不合理を敢えてしていると結論せざるを得ない。 
 もとより、森林経営というほどのものでない小面積の共有森林でも、否、小面積の森林なるが故に、分割しては著しく採算に影響するという場合もないではないであろうし(例えば、トラックの通行可能な道路までの伐採木の搬出距離が長いため、搬出のための架線等の設置に多大の経費を要するというような場合等)、極端な場合には、分割しては森林の全売上をもつてしても全経費を賄うに足りないという事態もありうるであろう(多数意見のいう森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積を割る場合ということになろう。)。香川裁判官の説かれる共同経営論は、このようなことも配慮されてのことであると理解できるが、分割した場合につねに生ずるということではない。なお、蛇足を加えると、例えば、持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があつて、四分の三の持分権者の請求によつて分割が行われた場合があつたとしよう。四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になつたとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきでないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らないのではなかろうか。いずれにしても、経営採算ということを考えると、共同経営にかかる森林の分割はこれを許さないとすることに相応の理由があることを否定しないが、森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たつて必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであつて、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではないと思われる。 
 更にいえば、分割請求権の行使を認めないことによつて、森林の細分化を防止し、それによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することが公共の福祉に合致するとの立場をとるならば、前述のように、わが国の森林面積の二・四%、そのうちの私有森林のみの面積と対比してもその約四%を占めるに過ぎない共同所有森林(相続による共有分を除けば、その割合はもつと小さい筈)の、そのまた少数持分権者のみに、その制限を課するのは何故であろうか。 
 森林法一八六条による共有森林の分割請求権の制限は、到底首肯するに足る理由を見出だすことができないのである。 
+補足意見
 裁判官林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。 
 私は、多数意見に示された結論とその理由に同調するものであるが、共有物の分割方法に関して私の考えるところを補足しておきたい。 
 多数意見は、民法二五八条二項にいう現物をもつてする分割の一態様として、共有者の一部が持分以上の現物を取得する代わりに当該超過分の対価を他の共有者に支払わせる旨のいわゆる価格賠償による分割を命ずることも許されるから、共有者の一部に分割を認めても必ずしも森林の細分化をもたらすものではないとし、最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁は、これと異なる限度で改めるとしているのであり、私も多数意見の右の説示に賛同する。右の小法廷判決は、昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法のもとにおける遺産相続により共有となつた遺産の分割につき、右改正法の附則三二条により改正後の民法九〇六条が準用されることとなる事案に関するものであるが、「遺産の共有及び分割に関しては、共有に関する民法二五六条以下の規定が第一次的に適用せられ、遺産の分割は現物分割を原則とし、分割によつて著しくその価格を損する虞があるときは、その競売を命じて価格分割を行うことになるのであつて、民法九〇六条は、その場合にとるべき方針を明らかにしたものに外ならない」と判示している。しかし、家庭裁判所での遺産分割審判の実務においては、右判例にかかわらず、遺産分割につき家事審判規則一〇九条を適用して、特別の事由があるときは、共同相続人の一部にその相続分以上の現物を取得させる代わりに、他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物をもつてする分割に代えることが広く行われてきており、しかも、右にいう特別の事由はかなり緩やかに解されているのであるが、この債務を負担させることによる分割の実態は、多数意見にいう価格賠償にほかならないのである。 
 ところで、遺産分割については、民法が特に分割の基準について九〇六条の規定を設けているほか、手続上も、家庭裁判所に非訟事件である遺産分割の審判の申立をすることができるものとされているのに対し、通常の共有物の分割にあつては、民事訴訟法上の訴えの手続によるべきものとされている。しかし、この共有物分割の訴えも、いわゆる形式的形成訴訟に属し、当事者は単に共有物の分割を求める旨を申し立てれば足り、裁判所は、当事者が現物分割を申し立てているだけであつても、これに拘束されず、競売による代金分割を命ずることもできるのであつて(最高裁昭和五三年(オ)第九二七号、第九二八号同五七年三月九日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号三一三頁)、その本質は非訟事件であり、その点では、典型的な非訟事件である家事審判と異なるところはない。それにもかかわらず通常の共有物分割と遺産分割との間で右のように取扱いが異なるのは、右のような法律上の規定の仕方の違いもさることながら、遺産分割は、被相続人に属していた一切の財産が分割の対象とされ、不動産、動産、債権のほか、これらの権利が結合して構成される商店、病院等の営業というようなさまざまな遺産を一括して共同相続人に配分するものであり、しかも、先祖代々の土地建物、農地、家業というべき営業のように、相続人のうちの誰か適当な者が承継して人手には渡したくないとする一般的な意識や、分割に適しない性質を想定しうる財産も含まれているのに対し、通常の共有については、これまで一個の物の分割が典型例として考えられ、分割が個々の共有物について各共有者の持分権をその価格の割合に応じて単独所有権化するものという角度から捉えられ勝ちであつたためではないかと思われる。しかし、通常の共有の場合であつても、多数意見の指摘するように、同一共有者間において同時に多数の、性質等の異なつた共有物について分割が行われることもあり、また、遺産分割の結果共同相続人のうちの数名の共有とされた財産が再分割されるときのように遺産分割に近い実質をもつこともあるのであつて、そのようなときにまで、現物を持分に応じて分割することができないか又はそれができても著しく価格を損する場合には、直ちに現物分割によることができないものとし、価格賠償による調整をかたくなに否定することは、現物分割の途をいたずらに狭めるものであり、実状に合うものとはいい難い。建物の分割においても、持分に応じた分割が可能なのは、たとえ分割の対象となつている建物が多数あるときでもそのそれぞれがたまたま持分に相当する価格の建物である場合とか、一棟の建物ではあるが持分に相当する価格の区分所有建物とすることが可能である場合のようなむしろ例外的場合に限られることになり、土地についても、地形や道路との関係、さらには地上建物との関係などから持分に応じた分割をすることには無理が伴つたり、著しく価格を損することがむしろ多いといえよう。 
 共有物の分割にあつては、共有者間の公平が最も重視されなければならない。そして、価格賠償によるときは、価格が裁判所の認定にかかることになつて、観念的には競売による方がより公正な価格によることになるといえるかも知れない。しかし、現実には、競売価額が時価とはかけ離れた低額のものである場合も多々みられるところである。民法二五八条二項は、現物分割により著しくその価格を損する虞があるときは競売による代金分割によるべきこととしているが、競売によるときは、現物分割を避けることにより社会的にはその物自体が有する価格の減少を防ぐことができても、共有者が分配を受け得る利益からみれば著しく価格を損する結果となる虜なしとしないのである。現物分割の一態様として価格賠償の併用を認めると、必ずしも現物を持分に応じて分割しなくてもよいことになり、現物分割により得る場合はかなり増えるものと考えられ、当事者の利益からいつても、ことに当事者が希望しているような場合にまで、裁判所が鑑定等に基づいて認定する金額による価格賠償を否定すべき実質的な根拠はないと思われるのである。 
 以上のような見地から、私は、民法二五八条による共有物の分割につき価格賠償により過不足を調整することも許されるとする多数意見に賛成するものであるが、更にすすんで、共有者の数が非常に多数の場合に、その中のごく少数の者のみが分割請求をしたというようなときは、事情によつては―多数意見が規制の必要あることを認める共有森林の伐採期あるいは計画植林完了時の前になされた分割請求の如きはその適例であるが―共有物を残りの者だけの共有とし、分割請求者は持分相当額の対価の支払を受けるという方法によることも、右のごく少数の分割請求者からみれば対価を受け取るにすぎないにせよ、これを全体としてみるときはなお現物分割の一態様とみることを妨げないものというべきであり、このように共有物を共有者のうちの一人又は数名の者の単独所有又は共有とし、これらの者から他の者に価格賠償をさせることによる分割も、かかる方法によらざるをえない特段の事情がある場合には、なお現物分割の一態様として許されないわけのものではないと考えるのである。 
+意見
 裁判官大内恒夫の意見は、次のとおりである。 
 私は、本件について、原判決を破棄し、原審に差し戻すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その理由を異にし、共有森林の分割請求権の制限を定める森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額が二分の一の共有者からの分割請求(本件はこの場合に当たる)をも禁じている点において、憲法の右条項に違反するにすぎないと考えるので、以下意見を述べることとする。 
 一 森林法一八六条と財産権の制約 
 森林法一八六条は、共有森林の分割につき、「各共有者の持分の価額に従いその過半数をもつて分割の請求をすること」のみを認め、その以外の持分価額が二分の一以下の共有者がなす分割請求を禁じているが、これは、民法が共有者の基本的権利としている分割請求権を持分価額が二分の一以下の共有者から奪うものであるから、かかる規制は、憲法上、経済的自由の一つである財産権の制約に当たり、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを必要とする。ところで、経済的自由の規制立法には、精神的自由の規制の場合と異なり、合憲性の推定が働くと考えられ、財産権の規制立法についても、その合憲性の司法審査に当たつては、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、これを尊重すべきものである。そして、同じく経済的自由の規制であつても、それが経済的・社会的政策実施のためのものである場合(積極的規制)は、事の性質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広く認めるべきであるから、右積極的規制を内容とする立法については、当該規制措置が規制の目的を達成するための手段として著しく不合理で裁量権を逸脱したことが明白な場合でなければ、憲法二九条二項に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。以下、この見地に立つて、森林法一八六条が憲法の右条項に違反するかどうかについて判断する。 
 二 森林法一八六条の立法目的 
 森林法の右規定は、これと同旨の旧森林法(明治四〇年法律第四三号)六条の規定を踏襲したものであるが、もともと旧森林法が同規定を設けた立法目的は、当時の議会における政府委員の説明及び審議経過に徴すると、共有森林に係る林業経営の特殊性にかんがみ、共有者の分割請求権を制限し、林業経営の安定を図つたものであると解される。すなわち、森林は植林から伐採に至るまで長年月の期間を要し、資本投下も森林の維持・管理も長期的な計画に従つてなされるから、林業経営にあつては経営の基礎を安定したものとする必要が極めて大きいというべきところ、共有森林について民法二五六条一項がそのまま適用されるとするときは、共有者のうち一人が分割請求をする場合でも、何時にても、分割(原則として現物分割又は競売による代金分割)が行われざるをえず、林業経営の基礎は不安定であることを免れないことになる。そこで、旧森林法は前記の規定を設け、共有森林について分割請求権を制限することとしたのであつて、同規定は林業経営の安定を図ることを目的としたものであるというべきである。そして、森林法一八六条が旧森林法六条の規定をそのまま受け継いだこと、及び森林法が一条に新たに同法の目的規定を設けたことを考慮すると、同法一八六条の立法目的は、林業経営の安定を図るとともに、これを通じて森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国土の保全と国民経済の発展に資するにあると解すべく、右立法目的が公共の福祉に適合することは明らかである(なお、同条は、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとし、その限度で共有森林の分割請求を制約するのみで、持分価額が二分の一を超える共有者からの分割請求は勿論、共有者間の協議による分割も同条の禁ずるところでないから、森林の細分化防止をもつて同条の直接の立法目的であるとすることはできないと考える。)。 
 三 森林法一八六条の規制内容 
 森林法一八六条は、右の立法目的を達成するため、共有森林について、持分価額が二分の一を超える共有者(以下「過半数持分権者」という。)からの分割請求は認めるが、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとしている。ところで、右は前記経済的自由についての積極的規制に当たり、前示基準に従つてその憲法適合性が判断されることになるが、持分価額が二分の一以下という中には、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるので、場合を分かつて検討する。 
 1 持分価額が二分の一未満の共有者の分割請求の禁止 
 これは他方に過半数持分権者が存在する場合であるが、この場合、同条が持分価額が二分の一未満の共有者(以下「二分の一未満持分権者」という。)の分割請求権を否定したのは、下記のとおり理由があると認められ、同条のこの規制内容が、その立法目的との関係において、明らかに合理性と必要性を欠くものであるということはできないと考える。 
 (一) 旧森林法制定の際の議会における審議経過に徴すると、同法六条の政府原案は、「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス」とのみ定め、共有森林についてはすべて分割請求を禁止するものであつたが、右原案に対し、貴族院において、共有者の分割請求権を絶対的に禁じてしまうのは酷であり、少なくとも共有者の過半数以上の者が分割を請求する場合は、許してよいのではないか、との修正意見が出され、これを受けて、右原案に、「但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」とのただし書が追加され、立法がなされたものである。右の立法経緯によると、旧森林法の立法においては、林業経営の安定を図るという目的から、林業経営にとつて不安定要因であると目される民法二五六条の分割請求権に手が加えられたが、その際右分割請求権を全面的に否定するという方法はとらず、これを一部制約するにとどめたこと、及びいかなる者に分割請求権を認め、いかなる者にこれを認めないかについては、多数持分権者の意思の尊重の見地から、「持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数」である者(過半数持分権者)にのみ分割請求を許すことにしたことが認められるのであつて、旧森林法の右規定及びこれを受け継いだ森林法一八六条は、林業経営の安定と共有者の基本的権利(分割請求権)との調和を図つたものということができる。このように見て来ると、同条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有するものといわなければならず、また、過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できるというべきである。 
 (二) 次に、二分の一未満持分権者の権利制限の程度について見ると、同持分権者も、過半数持分権者との間で協議による分割を行うこと、及び過半数持分権者が分割自体に同意する場合、具体的な分割の方法・内容の裁判上の確定を求めて、分割の訴えを提起することは、いずれも森林法一八六条の禁ずるところではないと解されるので、結局、右二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも、右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとつて不当な権利制限であるということはできない。 
 してみると、同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではないというべきである。 
 2 持分価額が二分の一の共有者の分割請求の禁止 
 持分価額が二分の一の共有者(以下「二分の一持分権者」という。)が分割請求をする場合は、分割請求の相手方も二分の一持分権者であつて、右1の場合と異なり、過半数持分権者が存在しないが、森林法一八六条はこの場合も分割請求を禁じている。しかし、右の最も典型的な場合は、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合であるが、この場合共有者の一人である甲が同条によつて分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであつて、前記1の場合のごとく、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由に基づくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、共有者の他の一人である乙も同様であつて、甲、乙互いに対等の地位にあるにかかわらず、いずれも相手に対して分割請求をすることを禁じられるのである。その結果は、甲、乙両名(すなわち共有者全員)が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなるが、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎであるといわなければならない。思うに、森林法一八六条は林業経営の安定等の目的から共有者の分割請求権を制約するものであるが、全面的にこれを禁止しようとするものではない。したがつて、二分の一持分権者の共有関係の解消について生ずる右のような結果は、同条の所期するところでないとも考えられ、結局、同条のうち二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。よつて、同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効であるというべきである。 
 四 本件事案は、上告人及び被上告人が同人らの父から本件森林の贈与を受け、これを共有しているが、その持分は平等で各二分の一である、というのであり、前項2の場合に該当するから、上記の理由により上告人の分割請求は認容されるべきである。したがつて、上告人の論旨は理由があるから、本件については、原判決(上告人敗訴部分)を破棄し、原審に差し戻すべきものと考える。 
 裁判官髙島益郎は、裁判官大内恒夫の意見に同調する。 
+反対意見
 裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。 
 私は、森林法一八六条が憲法二九条二項に違反するものとする多数意見に賛成し難い。その理由は次のとおりである。 
 民法の共有に関する規定は、原則的には、共有関係からの離脱及びその解消を容易ならしめるため、各共有者の共有持分の譲渡について何らの制限を設けないのみならず、共有者全員の協議による共有物の分割のほか、各共有者は何時にても無条件で共有物分割の請求(訴求)をすることができるものとしているが(同法二五六条一項本文、二五八条一項)、その反面、共有物の不分割契約を期間を五年以内に制限しながらも更新を許容してこれを認めている(同法二五六条一項ただし書、同条二項、なお、同法二五四条により不分割契約は特定承継人をも拘束するのである。)。その趣旨は、所有権の型態として単独所有が共有よりもより好ましいものとして共有物の分割を認めながらも、共有関係の生じた経緯、目的、意図、共有物の多種、多様な性質ないし機能等に応じて、何時にても共有関係を解消し得る共有から一定期間共有関係を解消しない共有までの合目的な法律関係を形成し得る途を開いているものということができる。さらに、同法二五四条により、共有物の使用、収益等に関する共有者間の特約による権利義務関係が共有者の特定承継人をも拘束するものとして、共有関係の目的、意図等に対応し得る方途について配慮しているのである。因みに、各人の出資により共同事業を営む共同目的の組合契約による組合財産は、すべて総組合員の共有に属するが(同法六六八条)、清算前には組合財産の同法二五六条一項本文の規定による共有物分割の請求を禁止するなど(同法六七六条)しているのも、共同事業の遂行が共有物分割の請求により阻害されることを防止するための必要によるものに外ならない。そして、同法二五六条一項本文は、共有の目的物を特定していないが、目的物を限定して右の分割請求を考察した場合、その目的物の種類、性質、機能等によつては、同項本文について何らかの修正を施すべき必要があることは容易に考え得るところである。 
 以上の考え方からいえば、共有物分割の請求をいかなる要件、方法、態様等により認めるべきかあるいは制限すべきかの立法は、経済的自由の規制に属する経済的政策目的による規制であつて、憲法二九条二項により公共の福祉に適合することを要するが、その規制措置は、共有物の種類、性質、機能、関係人の利害得失等相互に関連する諸要素についての比較考量による判断に基づく政策立法であつて、立法府の広範な裁量事項に属するものというべきである。したがつて、その立法措置は、甚だしく不合理であつて、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものでなければ、これを違憲と断ずべきではない。 
 そこで、森林法一八六条について考えるに、同条は、民法二五六条一項本文と異なり、共有持分の価額に従い過半数を以てのみ共有森林の分割請求をすることができるものと規定している。森林法における森林とは、(一) 木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹、(二) 木竹の集団的な生育に供される土地を指称するのであるが(同法二条一項)、かかる「森林」は、その性質上木竹の植栽、育生、伐採、すなわち森林経営に供されることをその本来の機能とするものであり、このような供用による使用収益をその本質とする財産権である。さればこそ、同法は、かかる森林の所有者について、一般的に森林経営を行う者であることを前提として所要の規定を設けており(同法八条、一〇条の五、一〇条の一〇、一一条、一四条等)、この森林所有者には森林の共有者も含まれることはいうまでもない。そして、森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである(同法一八条、森林組合法一条、同法第三章生産森林組合等参照)。そして、それに連なる共有森林は、森林経営に供されるものである以上、民法二五六条一項本文の規定により、何時にても、しかも無条件に、共有者の一人からでもなされ得る共有物分割の請求によつて、森林の細分化ないしは森林経営の小規模化を招くおそれがあるのみならず、それ以上に、前記の長期的計画に基づく交互的、周期的な森林の施業が著しく阻害され、他の共有者に不測の損害を与え、ひいては森林経営の安定化、活発化による国民経済の健全な発達を阻害し、自然環境の保全等に欠けるおそれがあるので、森林法一八六条は、かかる公共の福祉の見地から、右の共有物分割の請求を制限することとし、ただ、森林経営についても私有財産制の下における営業であり、私的自治の原則が尊重されるべきものであることにかんがみ、謙抑的に、共有物分割の請求の全面的禁止を採らず、共有者の合理的配慮を期待して、いわゆる多数決原理に則り、森林経営により多く利害関係を有する持分価額の過半数以上を以てしなければ共有森林の分割請求をすることができないものとしているのである。そして、共有物分割の請求は、本来非訟的なものであるにもかかわらず、訴訟によることから自づと判断資料が限定され、森林経営に則した合理的な分割の裁判は、決して容易なものではなく、審理が長期化せざるを得ない性質のものであつて、その間における森林経営の停滞、森林の荒廃という避けるべくもないデメリットも当然予想されるであろうから、分割請求を持分価額の過半数をもつて決することとすることにより、右のデメリットをも考慮して分割請求の可否、利害得失をも含め分割請求に関する合理的、妥当な共有者間の意思決定がされることを期待しているものといえるであろう。 
 以上のとおり、森林法一八六条は、その立法目的において公共の福祉に適合するものであることは明らかであり、その規制内容において必要性を欠く甚だしく不合理な、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとは到底解することができないから、憲法二九条二項に違背するものとは断じ得ない。 
 これに対し、多数意見は、判決理由四の2の(一)において、「森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない」から、森林法一八六条はその立法目的(森林経営の安定)とその規制内容において合理的関連性かないものとし、森林共有者(特に持分が同等で二名の共有の場合)間において共有物の管理又は変更について意見が対立した場合、森林の荒廃を招くにかかわらず、かかる事態を解決するための手段である民法二五六条一項本文の規定の適用を排除している結果、森林の荒廃を永続化させ、森林経営の安定化に資することにならず、立法目的とその手段方法との間に合理的関連性がないことが明らかであるとしている。 
 しかし、前記のように、森林は、その性質、機能からいつて森林経営に供されるものというべきであり、かかる森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことであり、森林法一八六条も亦かかる前提に立つてはじめて理解し得るものである。この点において多数意見は私の見解と根本的に異なるのであるが、多数意見の右の指摘する点についていえば、共有物の管理について過半数によつて決することができない場合に管理ができなくなることは、民法二五二条もこれを予想し、それ自体止むを得ないこととして、その場合の不都合を若干でも除去し、少なくとも共有物の現状維持を図るために、同条ただし書において保存行為を各共有者がなし得るものとしているのであつて、既存の樹木の育生に必要な行為は右保存行為に該当するから、必ずしも森林の荒廃を防ぎ得ないものではない。また、共有者間において管理又は変更について決することができない場合の森林の荒廃という事態を解決するための手段として同法二五六条一項本文の規定があるものとすること自体甚だ疑問であるし、むしろ共有森林の分割請求が森林経営を阻害し、保存行為も充分になし得ず(分割請求により自己の取得する部分が不明である以上、各共有者に保存行為を期待することは無理であろう。)、反つて森林の荒廃を招くおそれがあるのではなかろうか。共有森林の管理について共有者間の意見が一致しない場合、共有関係の継続を欲しない者がその持分を譲渡して共有関係から離脱することも必ずしも困難を強いるものではない。 
 次に、多数意見は、判決理由四の2の(二)において、協議による分割、持分価額の過半数による分割請求及び遺産分割を禁止しないで、ただ持分価額の二分の一以下による分割請求を禁止しているが、右の分割の許される場合に比し、分割請求の禁止される場合が森林の細分化を防止する社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠はないし、しかも森林の安定的経営のための必要最小限度の面積をも法定せず、分割請求の制限される森林の範囲及び期間の限定もないまま、特に当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割請求を制限することは、立法目的の達成に必要な限度を超えた不必要なものであるという。さらに分割請求の場合の現物分割としても、調整的な価格賠償により分割後の管理、利用の便等を考慮して合理的な現物分割がされるし、多数共有者の一人による分割請求の場合に、請求者に持分の限度で現物を与え、その余を他の共有者の共有とする分割も許されるし、さらに代金分割のための一括競売がされるときも、いずれも共有森林の細分化をきたさないから、右の分割請求の禁止は、必要な限度を超えた不必要な規制であるという。しかし、森林法が共有者全員の協議による分割を禁止していないのは、私有財産制の尊重からかかる分割まで禁止することの適否は疑問であり、森林の共同経営を前提とする以上、分割の可否及び可とする場合の分割について共有者全員の合理的な協議を期待してのことであつて、かかる期待も立法態度として肯認されるものであろう。次に、遺産分割を禁止していないのは、遺産分割が遺産の全部を対象とするものであるのに、その一部である森林のみについて異なる扱いをすることは円滑な遺産分割を阻害するおそれがあるし、もともと森林又はその共有持分の共同相続人は自らの意思により共有関係に入つた者ではなく、森林の共同経営の意思を有するものとは必ずしもいえないからである。これらの分割を制限していないことには、右のような相当の理由があるものというべく、ただ、共有者の一人からでも何時にてもなされる分割請求は、多数の意思に反して森林経営のための円滑な施業を阻害するから、これを制限しているのである。次に、分割請求の制限される森林の範囲及び期間を限定せず、特に伐採期、計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割を制限している点については、森林経営に必要な最小限度の土地の面積を法定することは、実際問題として立法技術上も困難であるし、さらに伐採、植林の時期が地区別に交互周期的に到来するのが通常であろうから、分割制限の期間及び時期の限定は、難きを強いるものではなかろうか。最後に、分割請求の制限をしなくても、合理的な現物分割がされるというが、現物の細分化の防止からのみいえば現物分割の結果がなお森林経営上合理的な規模となる場合もあり得ようが、分割の裁判が相当長期間を要することから、分割請求そのものによる森林経営のための円滑な施業の阻害は避けられないであろう。さらに代金分割については、一括競売される限りにおいては当該森林の細分化は防止できるであろうけれども、一括競売は共有物分割の止むを得ない最後の方法であり、共有森林の細分化の防止の観点から、必ずしも時価売却の実現を保し難い競売による代金分割を常に探ることができるかどうか甚だ疑問であつて、以上のような分割の方法があることをもつて、森林法一八六条の分割請求の制限が必要な限度を超えた不必要なものであると果たしていえるであろうか。
 以上のように、多数意見が森林法一八六条の違憲の論拠とする点は、これを総合しても、同条が甚だしく不合理で、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとする理由としては、到底首肯し得ないところである。 
 したがつて、上告人の論旨は理由がないから、本件上告は棄却すべきものと考える。 
 (裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 高島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 林藤之輔 裁判官谷口正孝は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 矢口洪一) 
+判例(H4.12.15)
理由 
 一 上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5について 
  1 所論は、酒類販売業について免許制を定めた酒税法九条、一〇条一〇号の規定を合憲とした原判決には、憲法二二条一項の解釈適用を誤った違法があるというのである。 
  2(一) 憲法二二条一項は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきであるが、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請が強く、憲法の右規定も、特に公共の福祉に反しない限り、という留保を付しているしかし、職業の自由に対する規制措置は事情に応じて各種各様の形をとるため、その憲法二二条一項適合性を一律に論ずることはできず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによって制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量した上で慎重に決定されなければならない。そして、その合憲性の司法審査に当たっては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及び必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、立法政策上の問題としてこれを尊重すべきであるが、右合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭があり得る。ところで、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するものというべきである(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。 
   (二) また、憲法は、租税の納税義務者、課税標準、賦課徴収の方法等については、すべて法律又は法律の定める条件によることを必要とすることのみを定め、その具体的内容は、法律の定めるところにゆだねている(三〇条、八四条)。租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)。 
   (三) 以上のことからすると、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項の規定に違反するものということはできない。 
  3(一) 酒税法は、酒類には酒税を課するものとし(一条)、酒類製造者を納税義務者と規定し(六条一項)、酒類等の製造及び酒類の販売業について免許制を採用している(七条ないし一〇条)。これは、酒類の消費を担税力の表れであると認め、酒類についていわゆる間接消費税である酒税を課することとするとともに、その賦課徴収に関しては、いわゆる庫出税方式によって酒類製造者にその納税義務を課し、酒類販売業者を介しての代金の回収を通じてその税負担を最終的な担税者である消費者に転嫁するという仕組みによることとし、これに伴い、酒類の製造及び販売業について免許制を採用したものである。酒税法は、酒税の確実な徴収とその税負担の消費者への円滑な転嫁を確保する必要から、このような制度を採用したものと解される。 
 酒税が、沿革的に見て、国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であるとともに、酒類の販売代金に占める割合も高率であったことにかんがみると、酒税法が昭和一三年法律第四八号による改正により、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のために、このような制度を採用したことは、当初は、その必要性と合理性があったというべきであり、酒税の納税義務者とされた酒類製造者のため、酒類の販売代金の回収を確実にさせることによって消費者への酒税の負担の円滑な転嫁を実現する目的で、これを阻害するおそれのある酒類販売業者を免許制によって酒類の流通過程から排除することとしたのも、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという重要な公共の利益のために採られた合理的な措置であったということができる。その後の社会状況の変化と租税法体系の変遷に伴い、酒税の国税全体に占める割合等が相対的に低下するに至った本件処分当時の時点においてもなお、酒類販売業について免許制度を存置しておくことの必要性及び合理性については、議論の余地があることは否定できないとしても、前記のような酒税の賦課徴収に関する仕組みがいまだ合理性を失うに至っているとはいえないと考えられることに加えて、酒税は、本来、消費者にその負担が転嫁されるべき性質の税目であること、酒類の販売業免許制度によって規制されるのが、そもそも、致酔性を有する嗜好品である性質上、販売秩序維持等の観点からもその販売について何らかの規制が行われてもやむを得ないと考えられる商品である酒類の販売の自由にとどまることをも考慮すると、当時においてなお酒類販売業免許制度を存置すべきものとした立法府の判断が、前記のような政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理であるとまでは断定し難い。 
   (二) もっとも、右のような職業選択の自由に対する規制措置については、当該免許制度の下における具体的な免許基準との関係においても、その必要性と合理性が認められるものでなければならないことはいうまでもないところである。 
 そこで、本件処分の理由とされた酒税法一〇条一〇号の免許基準について検討するのに、同号は、免許の申請者が破産者で復権を得ていない場合その他その経営の基礎が薄弱であると認められる場合に、酒類販売業の免許を与えないことができる旨を定めるものであって、酒類製造者において酒類販売代金の回収に困難を来すおそれがあると考えられる最も典型的な場合を規定したものということができ、右基準は、酒類の販売免許制度を採用した前記のような立法目的からして合理的なものということができる。また、同号の規定が不明確で行政庁のし意的判断を許すようなものであるとも認め難い。そうすると、酒税法九条、一〇条一〇号の規定が、立法府の裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理であるということはできず、右規定が憲法二二条一項に違反するものということはできない。 
   (三) 以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三一年(あ)第一〇七一号同三七年二月二八日判決・刑集一六巻二号二一二頁、同昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日判決・刑集二六巻九号五八六頁、前掲昭和五〇年四月三〇日判決、同昭和六〇年三月二七日判決)の趣旨に徴して明らかなところというべきである。 
  4 以上によれば、この点に関する原審の判断は、結論において正当である。論旨は採用することができない。 
 また、論旨は、酒税法一〇条一〇号以外の免許基準に関する規定が憲法二二条一項に違反することをも主張するが、本件処分の適否とはかかわりのない右各号の規定の違憲をいう右主張は、原判決の結論に影響を及ぼさない点をとらえてその違法をいうものにすぎない。論旨は採用することができない。 
 二 上告代理人水田耕一の上告理由第二点について 
 酒類販売業の免許を受けた者の法的地位は、譲渡可能なものではないから、同免許を有する酒類販売業者からその営業を譲り受けてこれを継続しようとする者も、酒類販売業の免許の申請について特別の法的地位を有するものではなく、酒税法九条に基づき新規に免許の申請をしなければならないのであって、右免許の申請があった場合において、税務署長は、酒税法一〇条各号に規定する要件に該当するときは、免許を与えないことができる。所論は、右酒類販売の営業の譲受者が酒類販売業の免許の申請について特別の法的地位を有するものであることを前提として本件処分の憲法二九条一項違反をいうものであって、失当たるを免れない。論旨は採用することができない。 
 三 上告人の上告理由三の6について 
 所論は、本件処分は、専ら既存の酒類販売業者の利益を保護するため、酒類のいわゆる安売り業者である上告人の新規参入を阻止しようとしてされたものであって、違憲、違法であるというが、右は原審の認定に沿わない事実を前提とするものであって、失当である。論旨は採用することができない。 
 四 上告代理人杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第三及び上告人の上告理由四、五について 
 所論は、本件処分に違法な点はないとした原判決には、違法性判断の基準時に関する法令の解釈適用を誤り、また、酒税法一〇条一〇号に規定する要件の存否についての判断を誤った違法があるというのである。 
 しかし、酒類販売業の免許の申請があった場合に税務署長が免許の許可の処分を行うに当たっては、処分時における事実状態に基づいて免許要件の存否を判断してすべきものであり、所論の主張するように許可申請時ないしその時から二、三か月を経た時点における事実状態に基づいてこれを判断すべきものとする理由はない。また、行政処分の取消しの訴えにおいて、裁判所は、当該処分の違法性の有無を事後的に審査するものであるから、右免許申請に対する拒否処分の違法性の有無の判断は、処分時を基準としてすべきものと解される。 
 原審が、これと同旨の見解に立ち、その適法に確定した事実関係の下において、本件処分当時、上告人には酒税法一〇条一〇号に規定する事由があったとしてされた本件処分に違法はないと判断したのは、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを論難するものであって、採用することができない。 
 五 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見、裁判官坂上壽夫の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
+補足意見
 上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5についての裁判官園部逸夫の補足意見は次のとおりである。 
 私は、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべきところが多く、とりわけ、具体的な税目の設定及びその徴収確保のための法的手段等について、裁判所としては、基本的には、立法府の裁量的判断を尊重せざるを得ないと考えており、このことを基調として、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見に同調するものである。ただ、本件の場合、多数意見の説示が、酒税の国税としての重要性を再確認し、現行の酒税法の法的構造とその機能の現状を将来にわたって積極的に支持したものと理解されるようなことがあれば、それは私の本意とは異なるので、以下、その点について、私の意見を述べておきたい。 
 沿革的に見て、酒税の国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であったことは、多数意見の説示するとおりであるが、現在もなお、酒税が国税において右のような地位を占める税目であるかどうか、議論があることは否定できない。また、仮に酒税が国税として重要な税目であるとしても、酒類販売業を現行の免許制(許可制)の下に置くことによってその徴収を確保しなければならないほどに緊要な税目であるかもまた、議論のあるところである。私は、酒類販売業の許可制について、大蔵省の管轄の下に財政目的の見地からこれを維持するには、酒税の国税としての重要性が極めて高いこと及び酒税の確実な徴収の方法として酒類販売業の許可制が必要かつ合理的な規制であることが前提とされなければならないと考える(私は、財政目的による規制は、いわゆる警察的・消極的規制ともその性格を異にする面があり、また、いわゆる社会政策・経済政策的な積極的規制とも異なると考える。一般論として、経済的規制に対する司法審査の範囲は、規制の目的よりもそれぞれの規制を支える立法事実の確実な把握の可能性によって左右されることが多いと思っている。)。そして、そのような酒税の重要性の判断及び合理的な規制の選択については、立法政策に関与する大蔵省及び立法府の良識ある専門技術的裁量が行使されるべきであると考える。 
 他方、酒類販売業の許可制が、許可を受けて実際に酒類の販売に当たっている既存の業者の権益を事実上擁護する役割を果たしていることに対する非難がある。酒税法上の酒類販売業の許可制により、右販売業を税務署長の監督の下に置くという制度は、酒税の徴収確保という財政目的の見地から設けられたものであることは、酒税法の関係規定に照らし明らかであり、右許可制における規制の手段・態様も、その立法目的との関係において、その必要性と合理性を有するものであったことは、多数意見の説示するとおりである。酒税法上の酒類販売業の許可制は、専ら財政目的の見地から維持されるべきものであって、特定の業種の育成保護が消費者ひいては国民の利益の保護にかかわる場合に設けられる、経済上の積極的な公益目的による営業許可制とはその立法目的を異にする。したがって、酒類販売業の許可制に関する規定の運用の過程において、財政目的を右のような経済上の積極的な公益目的と同一視することにより、既存の酒類販売業者の権益の保護という機能をみだりに重視するような行政庁の裁量を容易に許す可能性があるとすれば、それは、酒類販売業の許可制を財政目的以外の目的のために利用するものにほかならず、酒税法の立法目的を明らかに逸脱し、ひいては、職業選択の自由の規制に関する適正な公益目的を欠き、かつ、最小限度の必要性の原則にも反することとなり、憲法二二条一項に照らし、違憲のそしりを免れないことになるものといわなければならない。しかしながら、本件は、許可申請者の経済的要件に関する酒税法一〇条一〇号の規定の適用が争われている事件であるところ、原審の確定した事実関係から判断する限り、右のような見地に立った裁量権の行使によって本件免許拒否処分がされたと認めることはできないのである。 
 もっとも、昭和一三年法律第四八号による酒税法の改正当初において酒類販売業の許可制を定めるに至った酒税の徴収確保の必要制という立法目的の正当性及び右立法目的を達成するための手段の合理性の双方を支えた立法事実が今日においてもそのまま存続しているかどうかが争われている状況の下で、上告人及び上告代理人らの主張するところによれば、右許可制について本来の立法趣旨に沿わない運用がされているというのである。しかし、記録に現れた資料からは、上告人及び上告代理人らの主張に係る酒税行政の現状が現行の許可制自体の欠陥に由来するものであるとして、右許可制に関する規定の全体を直ちに違憲と判断すべきものとするには足りないといわざるを得ないのである。 
 酒類販売業の許可制一般の問題は、酒税及びその徴収の確保の重要性の有無と酒類販売業における自由競争の原理との経済的な相関関係によって決定されるべきものである。致酔飲料としての酒類の販売には、警察的な見地からの規制が必要であることはいうまでもないが、これは、酒税法による規制の直接かかわる事項ではないことを、付言しておきたい。 
 上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5についての裁判官坂上壽夫の反対意見は、次のとおりである。 
 私は、酒税法九条が憲法二二条一項に違反するということはできないとする多数意見に賛成することができない。 
 私は、許可制による職業の規制は、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、それが重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するというべきであり、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための許可制による職業の規制についても、その必要性と合理性についての立法府の判断は、合理的裁量の範囲にとどまることを要し、立法府の判断が政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するものでないかどうかで、裁判所は、その合憲性を判断すべきものと考える。そして、私は、右の合理的裁量の範囲については、多数意見が引用する職業の自由についての大法廷判決が説示するとおり、「事の性質上おのずから広狭がありうるのであって、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきもの」であって、国家の財政目的のためであるとはいっても、許可制による職業の規制については、事の軽重、緊要性、それによって得られる効果等を勘案して、その必要性と合理性を判断すべきものと考える。 
 酒税法は、第一章において、酒類には酒税を課することを定め(一条)、その納税義務者を酒類の製造者又は酒類を保税地域から引き取る者(後者の酒類引取者は例外的な場合であるので、以下には酒類製造者のみについて論を進める。)と定めている(六条)。そして、第二章以下において、酒類の製造免許及び酒類の販売業免許等についての規定を置いている。酒税法の右のような構成をみると、酒税の賦課、徴収について直接かかわりがあるのは第一章の規定であって、酒類の製造や酒類販売業を免許制にしている第二章の各規定は、主として酒税の確保に万全を期するための制度的な支えを手当てしたものと解される。 
 酒類製造者に対して、いわゆる庫出税方式による納税義務を課するという酒税法の課税方式は、正に立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべき領域であるというべきであろうし、かかる課税方式の下においては、酒類製造者を免許制の下に置くことは、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置ということができよう。しかし、酒税の確保を図るため、酒類製造者がその販売した商品の代金を円滑に回収し得るように、酒類販売業までを免許制にしなければならない理由は、それほど強くないように思われる。販売代金の回収は、本来酒類製造者が自己の責任において、取引先の選択や、取引条件、特に代金の決済条件を工夫することによって対処すべきものである。また、わが国においても、昭和一三年にこの制度が導入されるまでは、免許制は酒類製造についてのみ採られていたものであり、揮発油税等の他の間接税の場合に、販売業について免許制を採った例を知らないのである。 
 もっとも、この制度が導入された当時においては、酒税が国税全体に占める割合が高く、また酒類の販売代金に占める酒税の割合も大きかったことは、多数意見の説示するとおりであるし、当時の厳しい財政事情の下に、税収確保の見地からこのような制度を採用したことは、それなりの必要性と合理性があったということもできよう。しかし、その後四〇年近くを経過し、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下するに至ったという事情があり、社会経済状態にも大きな変動があった本件処分時において(今日においては、立法時との状況のかい離はより大きくなっている。)、税収確保上は多少の効果があるとしても、このような制度をなお維持すべき必要性と合理性が存したといえるであろうか。むしろ、酒類販売業の免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことからすれば、私には、憲法二二条一項の職業選択の自由を制約してまで酒類販売業の免許(許可)制を維持することが必要であるとも、合理的であるとも思われない。そして、職業選択の自由を尊重して酒類販売業の免許(許可)制を廃することが、酒類製造者、酒類消費者のいずれに対しても、取引先選択の機会の拡大にみちを開くものであり、特に、意欲的な新規参入者が酒類販売に加わることによって、酒類消費者が享受し得る利便、経済的利益は甚だ大きいものであろうことに思いを致すと、酒類販売業を免許(許可)制にしていることの弊害は看過できないものであるといわねばならない。 
 本件のような規制措置の合憲性の判断に際しては、立法府の政策的、技術的な裁量を尊重すべきであるのは裁判所の持すべき態度であるが、そのことを基本としつつも、酒類販売業を免許(許可)制にしている立法府の判断は合理的裁量の範囲を逸脱していると結論せざるを得ないのであり、私は、酒税法九条は、憲法二二条一項に違背するものと考える。各上告論旨は、この点において理由がある。よって、本件免許拒否処分を取り消した第一審判決は、結論において維持すべきものであるから、酒税法九条を合憲とする前提に立ち第一審判決を取り消して上告人の請求を棄却した原判決は、これを破棄し、被上告人の控訴を棄却すべきである。 
 (裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)
RQ
+判例(S38.12.4)白タク
理由 
 弁護人椎原国隆の上告趣意第一点について。 
 所論は、道路運送法一〇一条一項が憲法二二条一項に違反する旨主張する。 
 しかし、憲法二二条一項にいわゆる職業選択の自由は無制限に認められるものではなく、公共の福祉の要請がある限りその自由の制限されることは、同条項の明示するところである。道路運送法は道路運送事業の適正な運営及び公正な競争を確保するとともに、道路運送に関する秩序を確立することにより道路運送の総合的な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とするものである。そして同法が自動車運送事業の経営を各人の自由になしうるところとしないで免許制をとり、一定の免許基準の下にこれを免許することにしているのは、わが国の交通及び道路運送の実情に照らしてみて、同法の目的とするところに副うものと認められる。ところで、自家用自動車の有償運送行為は無免許営業に発展する危険性の多いものてあるから、これを放任するときは無免許営業に対する取締の実効を期し難く、免許制度は崩れ去るおそれがある。それ故に同法一〇一条一項が自家用自動車を有償運送の用に供することを禁止しているのもまた公共の福祉の確保のために必要な制限と解される。されば同条項は憲法二二条一項に違反するものでなく、これを合憲と解した原判決は相当であつて、論旨は理由がない。 
 同第二点について。 
 所論は、道路運送法一〇一条一項が憲法二二条一項に違反するとの主張を前提として、原判決の憲法三一条違反をいうものであるが、右道路運送法の規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは第一点について説明したとおりであるから、所論はその前提において失当であつて採用できない。 
 また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。 
 よつて刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外) 
+判例(H2.2.6)西陣ネクタイ事件
 理  由 
 上告代理人前田進、同桑嶋一、同市木重夫、同置田文夫の上告理由第一について 
 国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらずあえて当該立法を行うというように、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものでないことは、当裁判所の判例とするところであり(昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁)、また、積極的な社会経済政策の実施の一手段として、個人の経済活動に対し一定の合理的規制措置を講ずることは、憲法が予定し、かつ、許容するところであるから、裁判所は、立法府がその裁量権を逸脱し、当該規制措置が著しく不合理であることの明白な場合に限って、これを違憲としてその効力を否定することができるというのが、当裁判所の判例とするところである(昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁)。そして、昭和五一年法律第一五号による改正後の繭糸価格安定法一二条の一三の二及び一二条の一三の三は、原則として、当分の間、当時の日本蚕糸事業団等でなければ生糸を輸入することができないとするいわゆる生糸の一元輸入措置の実施、及び所定の輸入生糸を同事業団が売り渡す際の売渡方法、売渡価格等の規制について規定しており、営業の自由に対し制限を加えるものではあるが、以上の判例の趣旨に照らしてみれば、右各法条の立法行為が国家賠償法一条一項の適用上例外的に違法の評価を受けるものではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。所論は、違憲をも主張するが、その実質は原判決の右判断における法令違背の主張にすぎない。論旨は、採用することができない。 
 同第二について 
 所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らして是認するに足り、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。 
 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判官 坂上壽夫 安岡満彦 貞家克己 園部逸夫) 


会社法 事例で考える会社法 事例14 公開会社の株式・新株予約権の不公正発行(その2)新株予約権の無償割り当ての差止め


Ⅳ 新株予約権の無償割り当ての差止め
1.本件無償割当てがXにとって有する意味

+(新株予約権無償割当て)
第二百七十七条  株式会社は、株主(種類株式発行会社にあっては、ある種類の種類株主)に対して新たに払込みをさせないで当該株式会社の新株予約権の割当て(以下この節において「新株予約権無償割当て」という。)をすることができる。

(新株予約権無償割当てに関する事項の決定)
第二百七十八条  株式会社は、新株予約権無償割当てをしようとするときは、その都度、次に掲げる事項を定めなければならない。
一  株主に割り当てる新株予約権の内容及び数又はその算定方法
二  前号の新株予約権が新株予約権付社債に付されたものであるときは、当該新株予約権付社債についての社債の種類及び各社債の金額の合計額又はその算定方法
三  当該新株予約権無償割当てがその効力を生ずる日
四  株式会社が種類株式発行会社である場合には、当該新株予約権無償割当てを受ける株主の有する株式の種類
2  前項第一号及び第二号に掲げる事項についての定めは、当該株式会社以外の株主(種類株式発行会社にあっては、同項第四号の種類の種類株主)の有する株式(種類株式発行会社にあっては、同項第四号の種類の株式)の数に応じて同項第一号の新株予約権及び同項第二号の社債を割り当てることを内容とするものでなければならない。
3  第一項各号に掲げる事項の決定は、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議によらなければならないただし、定款に別段の定めがある場合は、この限りでない

2.新株予約権無償割てと会社法247条

+第二百四十七条  次に掲げる場合において、株主が不利益を受けるおそれがあるときは、株主は、株式会社に対し、第二百三十八条第一項の募集に係る新株予約権の発行をやめることを請求することができる。
一  当該新株予約権の発行が法令又は定款に違反する場合
二  当該新株予約権の発行が著しく不公正な方法により行われる場合

・無償割当ての場合は類推適用。

+判例(H19.8.7)ブルドックソース事件
理由
抗告代理人赤上博人ほかの抗告理由について
1 本件は、相手方の株主である抗告人が、相手方に対し、相手方のする株主に対する新株予約権の無償割当ては、株主平等の原則に反し、著しく不公正な方法によるものであるから、会社法(以下「法」という。)247条1号及び2号に該当すると主張して、これを仮に差し止めることを求める事案である。
2 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
(1) 相手方は、ソースその他調味料の製造及び販売等を主たる事業とする株式会社であり、その発行する株式を株式会社東京証券取引所市場第二部に上場している。平成19年6月8日(以下、月日のみ記載するときは、すべて平成19年である。)時点における相手方の発行可能株式総数は7813万1000株、発行済株式総数は1901万8565株である。
(2) 抗告人は、日本企業への投資を目的とする投資ファンドであり、5月18日時点において、関連法人と併せ、相手方の発行済株式総数の約10.25%を保有している。また、A(以下「A」という。)は、アメリカ合衆国デラウェア州法に基づき、抗告人のために株式等の買付けを行うことを目的として設立された有限責任会社であり、抗告人がそのすべての持分を有している。
(3) Aは、5月18日、相手方の発行済株式のすべてを取得することを目的として、相手方の株式の公開買付け(以下「本件公開買付け」という。)を行う旨の公告をし、公開買付開始届出書を関東財務局長に提出した。当初、本件公開買付けの買付期間は同日から6月28日まで、買付価格は1株1584円とされていたが、6月15日、買付期間は8月10日までに変更され、買付価格も1株1700円に引き上げられた。なお、上記の当初の買付価格は、相手方株式の本件公開買付け開始前の複数の期間における各平均市場価格に抗告人において適切と考える約12.82%から約18.56%までのプレミアムを加算したものとなっている。
(4) 相手方は、5月25日、Aに対する質問事項を記載した意見表明報告書を関東財務局長に提出し、これを受けて、Aは、6月1日、対質問回答報告書(以下「本件回答報告書」という。)を同財務局長に提出した。
(5) 本件回答報告書には、〈1〉抗告人は日本において会社を経営したことはなく、現在その予定もないこと、〈2〉抗告人が現在のところ相手方を自ら経営するつもりはないこと、〈3〉相手方の企業価値を向上させることができる提案等を、どのようにして経営陣に提供できるかということについて想定しているものはないこと、〈4〉抗告人は相手方の支配権を取得した場合における事業計画や経営計画を現在のところ有していないこと、〈5〉相手方の日常的な業務を自ら運営する意図を有していないため、相手方の行う製造販売事業に係る質問について回答する必要はないことなどが記載され、投下資本の回収方針については具体的な記載がなかった
このため、相手方取締役会は、6月7日、本件公開買付けは、相手方の企業価値をき損し、相手方の利益ひいては株主の共同の利益を害するものと判断し、本件公開買付けに反対することを決議した。また、相手方取締役会は、同日、本件公開買付けに対する対応策として、〈1〉一定の新株予約権無償割当てに関する事項を株主総会の特別決議事項とすること等を内容とする定款変更議案(以下「本件定款変更議案」という。)及び〈2〉これが可決されることを条件として、新株予約権無償割当てを行うことを内容とする議案(以下「本件議案」という。)を、6月24日に開催予定の定時株主総会(以下「本件総会」という。)に付議することを決定した。本件定款変更議案のうち、新株予約権無償割当てに関する部分の概要は、「相手方は、その企業価値及び株主の共同の利益の確保・向上のためにされる、新株予約権者のうち一定の者はその行使又は取得に当たり他の新株予約権者とは異なる取扱いを受ける旨の条件を付した新株予約権無償割当てに関する事項については、取締役会の決議によるほか、株主総会の決議又は株主総会の決議による委任に基づく取締役会の決議により決定する。この株主総会の決議は特別決議をもって行う。」というものである。
(6) 本件総会において、抗告人は、本件公開買付けに対する対応策の内容、その実施に要する費用の総額、当該対応策が実施された場合における課税上の負担の有無、本件公開買付けが撤回された後に新たな株式の公開買付けが行われる場合の相手方の対応等について質問するにとどまった。そして、本件定款変更議案及び本件議案は、いずれも出席した株主の議決権の約88.7%、議決権総数の約83.4%の賛成により可決された。なお、本件総会において可決された新株予約権の無償割当て(以下、当該新株予約権を「本件新株予約権」といい、その無償割当てを「本件新株予約権無償割当て」という。)の概要は、次のとおりである。
ア 新株予約権無償割当ての方法により、基準日である7月10日の最終の株主名簿及び実質株主名簿に記載又は記録された株主に対し、その有する相手方株式1株につき3個の割合で本件新株予約権を割り当てる。
イ 本件新株予約権無償割当てが効力を生ずる日は、7月11日とする。
ウ 本件新株予約権1個の行使により相手方が交付する普通株式の数(割当株式数)は、1株とする。
エ 本件新株予約権の行使により相手方が普通株式を交付する場合における払込金額は、株式1株当たり1円とする。
オ 本件新株予約権の行使可能期間は、9月1日から同月30日までとする。
カ 抗告人及びAを含む抗告人の関係者(以下、併せて「抗告人関係者」という。)は、非適格者として本件新株予約権を行使することができない(以下「本件行使条件」という。)。
キ 相手方は、その取締役会が定める日(行使可能期間の初日より前の日)をもって、抗告人関係者の有するものを除く本件新株予約権を取得し、その対価として、本件新株予約権1個につき当該取得日時点における割当株式数の普通株式を交付することができる。相手方は、その取締役会が定める日(行使可能期間の初日より前の日)をもって、抗告人関係者の有する本件新株予約権を取得し、その対価として、本件新株予約権1個につき396円を交付することができる(以下、これらの条項を「本件取得条項」という。)。なお、上記金額は、本件公開買付けにおける当初の買付価格の4分の1に相当するものである。
ク 譲渡による本件新株予約権の取得については、相手方取締役会の承認を要する。
(7) 相手方取締役会は、6月24日、本件議案の可決を受けて、本件新株予約権無償割当ての要項を決議するとともに、税務当局に対する確認の結果、株主に対する課税上の問題から、非適格者である抗告人関係者から本件取得条項に基づき本件新株予約権の取得を行うことができないと判断される場合であっても、抗告人関係者の有する本件新株予約権の全部を、相手方として抗告人関係者に何らの負担・義務を課すことなく1個につき396円の支払と引換えに譲り受ける旨決議した(以下、この決議を「本件支払決議」という。)。

3(1) 抗告人は、本件総会に先立つ6月13日、本件新株予約権無償割当てには、法247条の規定が適用又は類推適用されるところ、これは株主平等の原則に反して法令及び定款(以下「法令等」という。)に違反し、かつ、著しく不公正な方法によるものであるなどと主張して、原々審に対し、本件新株予約権無償割当ての差止めを求める仮処分命令の申立て(以下「本件仮処分命令の申立て」という。)をした。
(2) 原々審は、6月28日、株主に対して新株予約権の無償割当てをする場合においても、当該無償割当てが株主の地位に実質的変動を及ぼすときには、法247条の規定が類推適用され、株主平等の原則の趣旨が及ぶとした上で、本件新株予約権無償割当ては、株主平等の原則の趣旨に反して法令等に違反するものではなく、著しく不公正な方法によるものともいえないとして、本件仮処分命令の申立てを却下する旨の決定をした。
(3) 抗告人は、原審に抗告したが、原審は、7月9日、本件新株予約権無償割当てが相手方の企業価値のき損を防止するために必要かつ相当で合理的なものであり、また、抗告人関係者がいわゆる濫用的買収者であることを考慮すると、これは株主平等の原則に反して法令等に違反するものではなく、著しく不公正な方法によるものともいえないとして、抗告を棄却した。

4 本件抗告の理由は、原決定が、本件新株予約権無償割当ては株主平等の原則に反して法令等に違反するものではないとし、著しく不公正な方法によるものともいえないとしたことを論難するものである。
(1) 株主平等の原則に反するとの主張について
ア 法109条1項は、株式会社(以下「会社」という。)は株主をその有する株式の内容及び数に応じて平等に取り扱わなければならないとして、株主平等の原則を定めている
新株予約権無償割当てが新株予約権者の差別的な取扱いを内容とするものであっても、これは株式の内容等に直接関係するものではないから、直ちに株主平等の原則に反するということはできないしかし、株主は、株主としての資格に基づいて新株予約権の割当てを受けるところ、法278条2項は、株主に割り当てる新株予約権の内容及び数又はその算定方法についての定めは、株主の有する株式の数に応じて新株予約権を割り当てることを内容とするものでなければならないと規定するなど、株主に割り当てる新株予約権の内容が同一であることを前提としているものと解されるのであって、法109条1項に定める株主平等の原則の趣旨は、新株予約権無償割当ての場合についても及ぶというべきである。
そして、本件新株予約権無償割当ては、割り当てられる新株予約権の内容につき、抗告人関係者とそれ以外の株主との間で前記のような差別的な行使条件及び取得条項が定められているため、抗告人関係者以外の株主が新株予約権を全部行使した場合、又は、相手方が本件取得条項に基づき抗告人関係者以外の株主の新株予約権を全部取得し、その対価として株式が交付された場合には、抗告人関係者は、その持株比率が大幅に低下するという不利益を受けることとなる。
イ 株主平等の原則は、個々の株主の利益を保護するため、会社に対し、株主をその有する株式の内容及び数に応じて平等に取り扱うことを義務付けるものであるが、個々の株主の利益は、一般的には、会社の存立、発展なしには考えられないものであるから、特定の株主による経営支配権の取得に伴い、会社の存立、発展が阻害されるおそれが生ずるなど、会社の企業価値がき損され、会社の利益ひいては株主の共同の利益が害されることになるような場合には、その防止のために当該株主を差別的に取り扱ったとしても、当該取扱いが衡平の理念に反し、相当性を欠くものでない限り、これを直ちに同原則の趣旨に反するものということはできない。そして、特定の株主による経営支配権の取得に伴い、会社の企業価値がき損され、会社の利益ひいては株主の共同の利益が害されることになるか否かについては、最終的には、会社の利益の帰属主体である株主自身により判断されるべきものであるところ、株主総会の手続が適正を欠くものであったとか、判断の前提とされた事実が実際には存在しなかったり、虚偽であったなど、判断の正当性を失わせるような重大な瑕疵が存在しない限り、当該判断が尊重されるべきである。
ウ 本件総会において、本件議案は、議決権総数の約83.4%の賛成を得て可決されたのであるから、抗告人関係者以外のほとんどの既存株主が、抗告人による経営支配権の取得が相手方の企業価値をき損し、相手方の利益ひいては株主の共同の利益を害することになると判断したものということができる。そして、本件総会の手続に適正を欠く点があったとはいえず、また、上記判断は、抗告人関係者において、発行済株式のすべてを取得することを目的としているにもかかわらず、相手方の経営を行う予定はないとして経営支配権取得後の経営方針を明示せず、投下資本の回収方針についても明らかにしなかったことなどによるものであることがうかがわれるのであるから、当該判断に、その正当性を失わせるような重大な瑕疵は認められない
エ そこで、抗告人による経営支配権の取得が相手方の企業価値をき損し、相手方の利益ひいては株主の共同の利益を害することになるという本件総会における株主の判断を前提にして、本件新株予約権無償割当てが衡平の理念に反し、相当性を欠くものであるか否かを検討する。
抗告人関係者は、本件新株予約権に本件行使条件及び本件取得条項が付されていることにより、当該予約権を行使することも、取得の対価として株式の交付を受けることもできず、その持株比率が大幅に低下することにはなる。しかし、本件新株予約権無償割当ては、抗告人関係者も意見を述べる機会のあった本件総会における議論を経て、抗告人関係者以外のほとんどの既存株主が、抗告人による経営支配権の取得に伴う相手方の企業価値のき損を防ぐために必要な措置として是認したものである。さらに、抗告人関係者は、本件取得条項に基づき抗告人関係者の有する本件新株予約権の取得が実行されることにより、その対価として金員の交付を受けることができ、また、これが実行されない場合においても、相手方取締役会の本件支払決議によれば、抗告人関係者は、その有する本件新株予約権の譲渡を相手方に申し入れることにより、対価として金員の支払を受けられることになるところ、上記対価は、抗告人関係者が自ら決定した本件公開買付けの買付価格に基づき算定されたもので、本件新株予約権の価値に見合うものということができる。これらの事実にかんがみると、抗告人関係者が受ける上記の影響を考慮しても、本件新株予約権無償割当てが、衡平の理念に反し、相当性を欠くものとは認められない。なお、相手方が本件取得条項に基づき抗告人関係者の有する本件新株予約権を取得する場合に、相手方は抗告人関係者に対して多額の金員を交付することになり、それ自体、相手方の企業価値をき損し、株主の共同の利益を害するおそれのあるものということもできないわけではないが、上記のとおり、抗告人関係者以外のほとんどの既存株主は、抗告人による経営支配権の取得に伴う相手方の企業価値のき損を防ぐためには、上記金員の交付もやむを得ないと判断したものといえ、この判断も尊重されるべきである。
オ したがって、抗告人関係者が原審のいう濫用的買収者に当たるといえるか否かにかかわらず、これまで説示した理由により、本件新株予約権無償割当ては、株主平等の原則の趣旨に反するものではなく、法令等に違反しないというべきである。

(2) 著しく不公正な方法によるものとの主張について
本件新株予約権無償割当てが、株主平等の原則から見て著しく不公正な方法によるものといえないことは、これまで説示したことから明らかである。また、相手方が、経営支配権を取得しようとする行為に対し、本件のような対応策を採用することをあらかじめ定めていなかった点や当該対応策を採用した目的の点から見ても、これを著しく不公正な方法によるものということはできない。その理由は、次のとおりである。
すなわち、本件新株予約権無償割当ては、本件公開買付けに対応するために、相手方の定款を変更して急きょ行われたもので、経営支配権を取得しようとする行為に対する対応策の内容等が事前に定められ、それが示されていたわけではない。確かに、会社の経営支配権の取得を目的とする買収が行われる場合に備えて、対応策を講ずるか否か、講ずるとしてどのような対応策を採用するかについては、そのような事態が生ずるより前の段階で、あらかじめ定めておくことが、株主、投資家、買収をしようとする者等の関係者の予見可能性を高めることになり、現にそのような定めをする事例が増加していることがうかがわれる。しかし、事前の定めがされていないからといって、そのことだけで、経営支配権の取得を目的とする買収が開始された時点において対応策を講ずることが許容されないものではない本件新株予約権無償割当ては、突然本件公開買付けが実行され、抗告人による相手方の経営支配権の取得の可能性が現に生じたため、株主総会において相手方の企業価値のき損を防ぎ、相手方の利益ひいては株主の共同の利益の侵害を防ぐためには多額の支出をしてもこれを採用する必要があると判断されて行われたものであり、緊急の事態に対処するための措置であること、前記のとおり、抗告人関係者に割り当てられた本件新株予約権に対してはその価値に見合う対価が支払われることも考慮すれば、対応策が事前に定められ、それが示されていなかったからといって、本件新株予約権無償割当てを著しく不公正な方法によるものということはできない。また、株主に割り当てられる新株予約権の内容に差別のある新株予約権無償割当てが、会社の企業価値ひいては株主の共同の利益を維持するためではなく、専ら経営を担当している取締役等又はこれを支持する特定の株主の経営支配権を維持するためのものである場合には、その新株予約権無償割当ては原則として著しく不公正な方法によるものと解すべきであるが、本件新株予約権無償割当てが、そのような場合に該当しないことも、これまで説示したところにより明らかである。
(3) したがって、本件新株予約権無償割当てを、株主平等の原則の趣旨に反して法令等に違反するものということはできず、また、著しく不公正な方法によるものということもできない。
5 以上のとおりであるから、論旨は理由がなく、本件仮処分命令の申立てを却下すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 津野修 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀)

++解説
《解  説》
1 本件は,Y(東証二部上場)の株主であるXが,Yに対し,Yによる新株予約権の無償割当て(会社法277条)を仮に差し止めることを求める仮処分事件であり,問題となるのは,YがXによる株式公開買付けに対応するために新株予約権の無償割当てをすることが,株主平等の原則等に反し法令等に違反するか否か,著しく不公正な方法により行われる場合に該当するか否かである。
2 事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) Xは,関連法人と併せて発行済株式総数の約10.25%を保有するYの筆頭株主である。Xがそのすべての持分を有する有限責任会社Aは,平成19年5月18日(以下,すべて平成19年である。),Yの発行済株式のすべてを取得することを目的として,証券取引法所定の株式公開買付け(以下「本件公開買付け」という。)を開始した(当初の買付価格は,Yの株式の平均市場価格に約12.82~18.56%程度のプレミアムを加算した1株1584円であったが,Yが買収防衛策の導入を株主総会に付議したことに伴い,同買付価格は1株1700円に引き上げられた。)。
(2) Yは,5月25日,Aに対する質問事項を記載した意見表明報告書を関東財務局長に提出し,これを受けて,Aは,6月1日,対質問回答報告書を同財務局長に提出した。
(3) Y取締役会は,Aの対質問回答報告書に,経営支配権取得後の経営計画や投下資本の回収方針に係る具体的な記載がなかったことから,6月7日,本件公開買付けに反対する旨決議するとともに,本件公開買付けに対する対応策として,①新株予約権の無償割当てに関する事項を株主総会の特別決議事項とする旨の定款変更議案,②この議案の可決を条件として,新株予約権の無償割当て(以下,これを「本件新株予約権無償割当て」という。)を行う旨の議案を,6月24日開催の定時株主総会(以下「本件総会」という。)に付議することを決定し,これらの議案は,本件総会において,出席株主の議決権の約88.7%,議決権総数の約83.4%の賛成を得て可決された。
(4) ちなみに,本件新株予約権無償割当ては,株主に対し,その有する株式1株につき3個の割合で新株予約権を割り当てるというものであるが,これにはX及びその関係者(以下,併せて「Xら」という。)以外の株主は割り当てられた新株予約権を行使するなどして株式の交付を受けることができるが,Xらは,割り当てられた新株予約権を行使することができない旨の差別的行使条件や,Yは金員を交付することによってXらの新株予約権を取得することができる旨の差別的取得条項が付されている。
3 Xは,本件総会に先立つ6月13日,会社法247条に基づき本件新株予約権無償割当ての差止めを求めて本件仮処分命令の申立てをした。原々審(東京地決平19.6.28金判1270号12頁)は,株主に対する新株予約権の無償割当てをする場合においても,当該無償割当てが株主の地位に実質的変動を及ぼすときには,会社法247条の規定が類推適用され,株主平等の原則の趣旨が及ぶとした上,本件新株予約権無償割当ては,株主平等の原則の趣旨に反するものではなく,著しく不公正な方法によるものともいえないとして,Xの申立てを却下した。また,原審(東京高決平19.7.9金判1271号17頁)も,本件新株予約権無償割当ては企業価値の毀損防止のために必要かつ合理的なものである,Xらはいわゆる濫用的買収者であり,Yのする本件新株予約権無償割当てを株主平等の原則に反するとも,著しく不公正な方法によるものともいえないとして,Xの抗告を棄却した。
4 本決定は,①法109条1項に定める株主平等の原則の趣旨は,新株予約権の無償割当ての場合についても及ぶ,②株主の共同の利益等が害されることになるような場合に,これを防止するために特定の株主を差別的に取り扱うことは,衡平の理念に反し,相当性を欠くものでない限り,株主平等の原則の趣旨に反しない,③株主の共同の利益等が害されることになるか否かの判断は最終的には株主自身により判断されるべきもので,判断の正当性を失わせるような重大な瑕疵が存在しない限り,当該判断が尊重されるべきであるとした上で,Xら以外のほとんどの株主がXによる経営支配権の取得が株主の共同の利益を害することになると判断したこと,当該判断にその正当性を失わせるような重大な瑕疵はないこと,本件新株予約権無償割当てが衡平の理念に反し,相当性を欠くものではないことなどから,Xらの濫用的買収者該当性について判断することなく,本件新株予約権無償割当ては株主平等の原則の趣旨に反せず,法令等に違反しないとし,また,本件新株予約権無償割当てが株主平等の原則の趣旨に反するものではないこと,本件新株予約権無償割当てが本件総会における判断により行われた緊急の事態に対処するための措置で,Xらには割り当てられた新株予約権の価値に見合う対価が支払われること,本件新株予約権無償割当てが取締役等の経営支配権の維持を目的とするものではないことから,これは著しく不公正な方法により行われる場合に該当しないと判示して,Xの抗告を棄却した。
5 会社法109条1項は,株式会社は,株主を,その有する株式の内容及び数に応じて,平等に取り扱わなければならないとして,いわゆる株主平等の原則を定めている。この原則は,株主は株主たる資格において会社から平等の待遇を与えられなければならない(機会の均等,比例的平等)というものであるから,新株予約権者間で差別的な取扱いをすることを内容とする新株予約権が発行されたからといって,直ちに株主平等の原則との抵触が問題となるわけではない。しかし,新株予約権の無償割当ての場合,株主は株主としての資格に基づきその割当てを受けるのであるし,会社法も株主に割り当てる新株予約権の内容が同一であることを当然の前提としているものと考えられるのであって(例えば会社法278条2項。なお,新株予約権の無償割当てについては,同法247条に相当する規定が設けられていないが,これは,新株予約権の無償割当ての場合,原則として株主の有する株式数に応じて割当てが行われるため,株主において不利益を受けることはないと考えられたことによるようである。),株主平等の原則の趣旨は,新株予約権の無償割当ての場合にも及ぶというべきであろう。【決定要旨1】は,この点に係るものである。
6 ところで,株主平等の原則の適用範囲については,①当事者が任意に株主平等の原則の例外を定め得るのは法が特に規定する場合に限られる(鈴木竹雄「株主平等の原則」法協48巻3号15頁等),②株主平等の原則を貫くことが会社自体の利益を害するような場合には,これに反することができ,同原則は会社の合理的必要性や利益の前には譲歩する(大隅健一郎=今井宏『会社法論(上)〔第3版〕』337頁等),③株主平等の原則の適用は明文の規定がある場合に限られ,それ以外は法の一般原則の適用を受ける(松本烝治『商法解釈の諸問題』217頁等)などと議論の存するところである。しかし,株主平等の原則が保護の対象とする個々の株主の利益は,一般的には会社の存立,発展なしには考えられないことからすると,会社の企業価値がき損され,株主の共同の利益が害されるような場合にまで,厳格に株主平等の原則を貫くことは適当ではないと思われる。一般原則である衡平の理念(株主平等の原則自体,この衡平の理念に基づくものである。)に反したり,相当性を欠くような差別的取扱いが許されないことは当然としても,そうでない限り,株主の共同の利益が害されるような場合にこれを防止するためにする差別的取扱いは,株主平等の原則(の趣旨)に反しないというべきであろう。【決定要旨2】は,この点に係るものである。
もっとも,中長期的視点において,経営支配権の取得が当該会社の企業価値をき損し,株主の共同の利益を害することになるか否かを誰がどのように判断すべきかは,それ自体困難な問題である。この点につき,本決定は,特定の株主による経営支配権の取得に伴い,会社の企業価値がき損され,株主の共同の利益が害されることになるか否かについては,最終的には,会社の利益の帰属主体である株主自身により判断されるべきものと判示するが,同時に,それは判断の正当性を失わせるような重大な瑕疵が存在しない場合に限られるとして,一定の留保を付している。これは,株主の判断を尊重する場合においても,少なくとも当該判断の形成過程の適否については司法審査が及ぶことを明らかにしたものといえよう。
7 本決定は,以上を前提に本件新株予約権無償割当てについて検討し,これは株主平等の原則の趣旨に反せず法令等に違反しないとし,また,株主平等の原則の趣旨に反しないこと,緊急の事態に対処するために行われた措置で,Xらに新株予約権に見合う対価が支払われることなどから,著しく不公正な方法による場合に該当しないと判示した(従前,下級審裁判例〔東京高決平17.3.23判タ1173号125頁,東京高決平17.6.15判タ1186号254頁等多数〕は,「著しく不公正な方法により行われる場合」に該当するか否かを,「会社の経営支配権をめぐる争いがあるときに,取締役が議決権の過半数を維持,獲得することを主要な目的として新株を発行することは著しく不公正な方法により行われる場合に該当する」といういわゆる主要目的ルールに基づき判断してきたものということができる。しかし,本件は,防衛策の導入,発動の是非を株主総会の決議にゆだねるものであり,主要目的ルールによって当然に結論が導き出すことはできない。)。
8 近時,多数の上場企業において,敵対的買収に対する防衛策が現に導入され,あるいはその導入が検討されているようである。ただし,その防衛策の導入手続,内容,発動要件は種々であり,中には裁判手続による差止めのリスクを抱えるものも少なからずあるようである。このような状況にかんがみ,法務省,経済産業省は,平成17年5月27日,企業価値研究会の「企業価値報告書~公正な企業社会のルール形成に向けた提案~」に基づき「企業価値・株主共同の利益の確保又は向上のための買収防衛策に関する指針」を公表するなど,適正な防衛策の基準の明確化に努めている。
本決定は,Xらの本件公開買付に対応するため急きょ防衛策を講ずることになり,しかも,この防衛策につき定時株主総会において株主の圧倒的な多数の賛成が得られ,更にはXらに多額の対価が支払われるというやや特殊な事例について,当該防衛策の是非を判示するものである。本決定は,防衛策の導入,発動に係る株主総会決議(普通決議,特別決議)の要否,防衛策により不利益を被る買収者に対する経済的補償の要否,程度等について具体的,一般的な基準を示すものではなく,これらの問題点については事例の集積を待つほかないが,株主平等の原則の適用範囲,その審理判断方法のみならず,いわゆる買収防衛策の是非について,初めて最高裁の判断を示したものであり,実務に与える影響は大きいものと思われる。

3.本件無償割当てが株主平等原則の趣旨に反するか
(1)会社法247条の要件
(2)本件無償割当ての法令違反
+(株主の平等)
第百九条  株式会社は、株主を、その有する株式の内容及び数に応じて、平等に取り扱わなければならない。
2  前項の規定にかかわらず、公開会社でない株式会社は、第百五条第一項各号に掲げる権利に関する事項について、株主ごとに異なる取扱いを行う旨を定款で定めることができる。
3  前項の規定による定款の定めがある場合には、同項の株主が有する株式を同項の権利に関する事項について内容の異なる種類の株式とみなして、この編及び第五編の規定を適用する。

(3)新株予約権無償割当てと株主平等原則の趣旨

(4)本件無償割当てが株主平等原則の趣旨に反するか

(5)Xの不利益

4.本件無償割当てが著しく不公正な方法によるものといえるか
(1)著しく不公正な方法による新株予約権無償割当て
(2)本件無償割当てが著しく不公正な方法によるものか
(3)Xの不利益

Ⅴ 新株予約権を用いた買収防衛策と株主総会決議
1.ニッポン放送事件

+判例(H17.3.23)
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は、本件における新株予約権が商法280条ノ39第4項、280条ノ10に規定する「著シク不公正ナル方法」によるものであり、これを事前に差し止める必要があると認めるべきであるから、本件仮処分命令申立てには被保全権利及び保全の必要性が存するとして、これを認容した原審仮処分決定は正当であり、したがってこれに対する異議申立事件において原審仮処分決定を認可した原審異議決定も正当であると判断する。その理由は、以下のとおりである。

2 本件新株予約権の発行の適否について
(1) 商法は授権資本制度を採用し(166条1項3号)、授権資本枠内の新株等の発行を、原則として取締役会の決議事項としている(280条ノ2第1項、280条ノ20第2項)。そして、公開会社においては、株主に新株等の引受権は保障されていないから(280条ノ5ノ2、280条ノ27参照)、取締役会決議により第三者に対する新株等の発行が行われ、既存株主の持株比率が低下する場合があること自体は、商法も許容しているということができる
しかしながら、一方で、商法280条ノ39第4項、280条ノ10が株主に新株等の発行を差し止める権能を付与しているのは、取締役会が上記権限を濫用するおそれがあることを認め、新株等の発行を株主総会の決議事項としない代わりに、会社の取締役会が株主の利益を毀損しないよう牽制する権能を株主に直接的に与えたものである
取締役会の上記権限は、具体化している事業計画の実施のための資金調達、他企業との業務提携に伴う対価の提供あるいは業務上の信頼関係を維持するための株式の持ち合い、従業員等に対する勤務貢献等に対する報賞の付与(いわゆる職務貢献のインセンティブとしてのストック・オプションの付与)や従業員の職務発明に係る特許権の譲受けの対価を支払う方法としての付与などというような事柄は、本来取締役会の一般的な経営権限にゆだねている。これらの事項について、実際にこれらの事業経営上の必要性と合理性があると判断され、そのような経営判断に基づいて第三者に対する新株等の発行が行われた場合には、結果として既存株主の持株比率が低下することがあっても許容されるが、会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において、取締役会が、支配権を争う特定の株主の持株比率を低下させ、現経営者又はこれを支持して事実上の影響力を及ぼしている特定の株主の経営支配権を維持・確保することを主要な目的として新株等を発行することまで、これを取締役会の一般的権限である経営判断事項として無制限に認めているものではないと解すべきである。
商法上、取締役の選任・解任は株主総会の専決事項であり(254条1項、257条1項)、取締役は株主の資本多数決によって選任される執行機関といわざるを得ないから、被選任者たる取締役に、選任者たる株主構成の変更を主要な目的とする新株等の発行をすることを一般的に許容することは、商法が機関権限の分配を定めた法意に明らかに反するものであるこの理は、現経営者が、自己あるいはこれを支持して事実上の影響力を及ぼしている特定の第三者の経営方針が敵対的買収者の経営方針より合理的であると信じた場合であっても同様に妥当するものであり、誰を経営者としてどのような事業構成の方針で会社を経営させるかは、株主総会における取締役選任を通じて株主が資本多数決によって決すべき問題というべきであるしたがって、現経営者が自己の信じる事業構成の方針を維持するために、株主構成を変更すること自体を主要な目的として新株等を発行することは原則として許されないというべきである
一般論としても、取締役自身の地位の変動がかかわる支配権争奪の局面において、果たして取締役がどこまで公平な判断をすることができるのか疑問であるし、会社の利益に沿うか否かの判断自体は、短期的判断のみならず、経済、社会、文化、技術の変化や発展を踏まえた中長期的展望の下に判断しなければならない場合も多く、結局、株主や株式市場の事業経営上の判断や評価にゆだねるべき筋合いのものである。
そして、仮に好ましくない者が株主となることを阻止する必要があるというのであれば、定款に株式譲渡制限を設けることによってこれを達成することができるのであり、このような制限を設けずに公開会社として株式市場から資本を調達しておきながら、多額の資本を投下して大量の株式を取得した株主が現れるやいなや、取締役会が事後的に、支配権の維持・確保は会社の利益のためであって正当な目的があるなどとして新株予約権を発行し、当該買収者の持株比率を一方的に低下させることは、投資家の予測可能性といった観点からも許されないというべきである。
これに対して、債務者は、会社の機関等の権限分配を根拠とするのであれば事前の対抗策も全部否定されることになって明らかに不当であるし、原審異議決定が機関の権限分配を根拠としながら事前の対抗策の余地を残したのは矛盾していると主張する。しかし、上記の機関権限の分配を前提としても、今後の立法によって、事前の対抗策を可能とする規定を設けることまで否定されるわけではない。また、後記のとおり、機関権限の分配も、株主全体の利益保護の観点からの対抗策をすべて否定するものではないから、新たな立法がない場合であっても、事前の対抗策としての新株予約権発行が決定されたときの具体的状況・新株予約権の内容(株主割当か否か、消却条項が付いているか否か)・発行手続(株主総会による承認決議があるか否か)等といった個別事情によって、適法性が肯定される余地もある。このように、機関権限の分配を根拠としたからといって、事前の対抗策が論理必然的に否定されることになるわけではないから、債務者の上記主張は失当である。
(2) 以上のとおり、会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において、株式の敵対的買収によって経営支配権を争う特定の株主の持株比率を低下させ、現経営者又はこれを支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主の経営支配権を維持・確保することを主要な目的として新株予約権の発行がされた場合には、原則として、商法280条ノ39第4項が準用する280条ノ10にいう「著シク不公正ナル方法」による新株予約権の発行に該当するものと解するのが相当である。
もっとも、経営支配権の維持・確保を主要な目的とする新株予約権発行が許されないのは、取締役は会社の所有者たる株主の信認に基礎を置くものであるから、株主全体の利益の保護という観点から新株予約権の発行を正当化する特段の事情がある場合には、例外的に、経営支配権の維持・確保を主要な目的とする発行も不公正発行に該当しないと解すべきである。
例えば、株式の敵対的買収者が、〈1〉真に会社経営に参加する意思がないにもかかわらず、ただ株価をつり上げて高値で株式を会社関係者に引き取らせる目的で株式の買収を行っている場合(いわゆるグリーンメイラーである場合)、〈2〉会社経営を一時的に支配して当該会社の事業経営上必要な知的財産権、ノウハウ、企業秘密情報、主要取引先や顧客等を当該買収者やそのグループ会社等に移譲させるなど、いわゆる焦土化経営を行う目的で株式の買収を行っている場合、〈3〉会社経営を支配した後に、当該会社の資産を当該買収者やそのグループ会社等の債務の担保や弁済原資として流用する予定で株式の買収を行っている場合、〈4〉会社経営を一時的に支配して当該会社の事業に当面関係していない不動産、有価証券など高額資産等を売却等処分させ、その処分利益をもって一時的な高配当をさせるかあるいは一時的高配当による株価の急上昇の機会を狙って株式の高価売り抜けをする目的で株式買収を行っている場合など、当該会社を食い物にしようとしている場合には、濫用目的をもって株式を取得した当該敵対的買収者は株主として保護するに値しないし、当該敵対的買収者を放置すれば他の株主の利益が損なわれることが明らかであるから、取締役会は、対抗手段として必要性や相当性が認められる限り、経営支配権の維持・確保を主要な目的とする新株予約権の発行を行うことが正当なものとして許されると解すべきである。そして、株式の買収者が敵対的存在であるという一事のみをもって、これに対抗する手段として新株予約権を発行することは、上記の必要性や相当性を充足するものと認められない。
したがって、現に経営支配権争いが生じている場面において、経営支配権の維持・確保を目的とした新株予約権の発行がされた場合には、原則として、不公正な発行として差止請求が認められるべきであるが、株主全体の利益保護の観点から当該新株予約権発行を正当化する特段の事情があること、具体的には、敵対的買収者が真摯に合理的な経営を目指すものではなく、敵対的買収者による支配権取得が会社に回復し難い損害をもたらす事情があることを会社が疎明、立証した場合には、会社の経営支配権の帰属に影響を及ぼすような新株予約権の発行を差し止めることはできない

3 本件新株発行予約権の発行の目的について
(1) 債務者は、本件新株予約権の発行の目的は、Aの子会社となり債務者の企業価値を維持・向上させる点にあり、現経営陣の経営支配権の維持が主な目的であるとはいえないと主張する。
そこで検討すると、甲14、15、37の1及び2、乙62、93、121、122によれば、債務者取締役会は、債権者等が債務者の株式を大量に取得する以前から、債務者をAの完全子会社化して株式の上場廃止も意図し、Aによる公開買付けに賛同することを決議していたものであり、社外取締役4名が本件新株予約権の発行に賛成していることが認められ、これらの事実からみて、本件新株予約権の発行が債務者の現取締役個人の保身を目的として決定されたとは認められない。また、Bに属する経営陣の個人的利益を図る目的で本件新株予約権の発行が決定されたことをうかがわせる資料もない。
しかしながら、甲4、23及び審尋の全趣旨によれば、本件新株予約権の発行は、債権者等が債務者の発行済株式総数の約29.6%に相当する株式を買い付けた後にこれに対する対抗措置として決定されたものであり、かつ、その予約権すべてが行使された場合には、現在の発行済株式総数の約1.44倍にも当たる膨大な株式が発行され、債権者等による持株比率は約42%から約17%となり、Aの持株比率は新株予約権を行使した場合に取得する株式数だけで約59%になることが認められる。
そうすると、債務者は企業価値の維持・向上が目的であると主張しているものの、その実体をみる限り、会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において、株式の敵対的買収を行って経営支配権を争う債権者等の持株比率を低下させ、現経営者を支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主であるAによる債務者の経営支配権確保を主要な目的とするものであることは明白である。
(2) また、債務者は、本件新株予約権の発行の目的は、Aと共同で計画しているOプロジェクトへの整備資金を調達することにあるとも主張する。
甲18、25、26の1及び2、乙42、43、61によれば、上記プロジェクトの整備資金のうち債務者が負担する分は、当初債務者の保有しているA株をAに売却することで調達されることが予定されていたのであり、その後それでは資金不足のおそれがあることが判明したとの理由で本件新株予約権の発行による手取金約158億円でもって調達することに計画を一部変更したことが認められる。しかしながら、本件新株予約権の発行及びその行使に基づく新株発行によって債務者が調達する資金は上記金額をはるかに上回るものであり、その後にもAは本件新株予約権の全部を取得しても債務者の株式の過半数を取得する限りでしか権利行使しないことを表明しているから(乙168)、本件新株予約権の発行の主要な目的が上記プロジェクトへの整備資金にあるというのは、本件紛争になって言い出した口実である疑いが強く、にわかに信用し難い。かえって、債権者等による株式の敵対的買収対抗策としてAによる債務者の経営支配権の確保を主要な目的としていることが認められる。
(3) 以上によれば、本件新株予約権の発行は、債務者の取締役が自己又は第三者の個人的利益を図るために行ったものでないとはいえるものの、会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において、株式の敵対的買収を行って経営支配権を争う債権者等の持株比率を低下させ、現経営者を支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主であるAによる債務者の経営支配権を確保することを主要な目的として行われたものであるから、上記2のとおりのこれを正当化する特段の事情がない限り、原則として著しく不公正な方法によるもので、株主一般の利益を害するものというべきである。

4 本件新株予約権の発行を正当化する特段の事情について
債務者は、債権者がマネーゲーム本位で債務者のラジオ放送事業を解体し、資産を切り売りしようとしていると主張する。
しかしながら、債権者が上記のような債務者の事業や資産を食い物にするような目的で株式の敵対的買収を行っていることを認めるに足りる確たる資料はない。

5 債権者による債務者の経営支配による企業価値の毀損のおそれとBに属して債務者を経営支配することの企業価値との対比について
(1) 債務者は、債権者が債務者の親会社となり経営支配権を取得した場合、債務者及びその子会社に回復し難い損害が生ずるのは極めて明らかであり、債務者がBにとどまり、Aの子会社となって経営されることがより企業価値を高めることから、そのための企業防衛目的の新株予約権の発行であると主張する。
しかしながら、債務者が債権者の経営支配下あるいはその企業グループとして経営された場合の企業価値とAの子会社としてBの企業として経営された場合の企業価値との比較検討は、事業経営の当否の問題であり、経営支配の変化した直後の短期的事情による判断評価のみでこと足りず、経済事情、社会的・文化的な国民意識の変化、事業内容にかかわる技術革新の状況の発展などを見据えた中長期的展望の下に判断しなければならない場合が多く、結局、株主や株式取引市場の事業経営上の判断や評価にゆだねざるを得ない事柄である。そうすると、それらの判断要素は、事業経営の判断に関するものであるから、経営判断の法理にかんがみ司法手続の中で裁判所が判断するのに適しないものであり、上記のような事業経営判断にかかわる要素を、本件新株予約権の発行の適否の判断において取り込むことは相当でない。
したがって、債務者の上記主張は主張自体失当といわざるを得ない。
(2) なお、上記(1)の点は原審以来事実上争点とされ、原審仮処分決定も原審異議決定もこれに言及しているので、当裁判所も念のため、以下のとおり判断を付加しておく。
ア 債務者の企業価値毀損の防止策について
(ア) 債務者は、本件新株予約権の発行は、債務者の当初からの事業戦略(Bとの連携強化)を妨害している債権者を排除することにより、債務者の企業価値の毀損を防ぎ、企業価値を維持・向上させるために行ったものであり、本件新株予約権の発行は正当なものであると主張する。
そして、債務者は、債権者の子会社になりBから離脱すると企業価値が毀損するおそれがあることの根拠として、〈1〉放送事業のうち看板放送である野球放送について契約を打ち切られ、番組作成についてグループからの協力が得られず聴取率が低下してスポンサーを失い、グループ各社との共催によって実施していたイベントができなくなって収入が激減する、〈2〉債務者の子会社らもB各社との取引を中止されることにより収入が激減する、〈3〉債務者の従業員は債権者の経営参画に反対する旨の声明を出しており、債務者が債権者の子会社となると、債務者の人的資産が流出する、〈4〉Bとしての債務者のブランド価値も失われる、〈5〉既に債権者が債務者の経営支配をするなら債務者との出演契約を見合わせることなども表明する芸能人、タレント、パーソナリティなどがいることなどを挙げる。
(イ) しかしながら、新株予約権の発行差止めは、新株予約権の違法又は不公正な発行によって株主が不利益を被ることを防ぐために株主に認められた権利であり、その抗弁事由として位置づけられる特段の事情が株主全体の利益保護の観点から認められるものであることに照らすと、特段の事情の有無は、基本的には買収者による支配権の獲得が株主全体の利益を回復し難いほどに害するものであるか否かによって判断すべきである。
そうすると、債務者の主張する企業価値毀損の防止策のうち、債務者が債権者の子会社となった場合に、債務者がBから離脱することにより債務者やその子会社の売上げ及び粗利益が債務者が主張するとおり減少し、債権者による支配権取得が債務者に回復し難い損害をもたらすかどうかは、一応特段の事情として引き直す余地もある。これに対し、買収者による支配権の獲得についての従業員の意向等の事情は、経営者が代わった段階での労使間の処理問題であり、株式の取引等の次元で制約要因として法的に論ずるのが相当な事柄にならないというべきである。
以下、個別の論点ごとに順に検討する。
(ウ) 債務者は、債権者がインターネットにおいてアダルトサイトを運営したり、Sの粉飾決算にかかわったり、架空取引を行うなど問題のある会社であることや、債権者代表者の言動等からすると、債務者が債権者の子会社となり、Bから離脱した場合に、債務者の取引先やB各社から取引を打ち切られるのは当然であり、そのような取引の打切りは独占禁止法違反に当たらないと主張する。
しかしながら、債務者は、債権者が債務者の経営支配権を手中にした場合には、A等から債務者やその子会社が取引を打ち切られ多大な損失を被ることを主張しており、このことは有力な取引先であるA等は取引の相手方である債務者及びその子会社が自己以外に容易に新たな取引先を見い出せないような事情にあることを認識しつつ、取引の相手方の事業活動を困難に陥らせること以外の格別の理由もないのに、あえて取引を拒絶するような場合に該当することを自認していると同じようなものである。そうであれば、これらの行為は、独占禁止法及び不公正な取引方法の一般指定第2項に違反する不公正な取引行為に該当するおそれもある。
そして、債務者が債権者の子会社となった場合に、AやB各社が取引停止を示唆したことが独占禁止法違反に該当するか否かについては、個々の取引関係を詳細に検討して判断すべきであり、B各社の取引打切りの当否について、現段階で断定的に論ずることはできず、独占禁止法違反に当たらず当然に適法に行うことができるものともいい難い。
そもそも、Aが株式の公開買付けの期間中に、公開買付けがその所期の目的を達することができず、敵対的買収者に株式買収競争において敗れそうな状況にあるとき、公開買付価格を上回っている株式時価を引き下げるような債務者の企業価値についてのマイナス情報を流して、公開買付けに有利な株式市場の価格状況を作り出すことは、証券取引法159条に違反するとまでいわないとしても、公開買付けを実行する者として公正を疑われるような行動といわなければならない。
また、B各社以外の取引先との取引についても、それらの取引先の取引打切りが許されるかどうかは、個々の取引関係を詳細に検討して判断すべきものである。
そうすると、債務者の上記主張は、その前提とする事実がいまだ不確実であるから、このような不確実な前提事実を基に算出した企業価値毀損の数値の信用性も疑義があるといわざるを得ない。
この点をおき、債務者の主張する企業価値毀損に関する資料についても念のため検討しておく。
株式会社Hなどの債務者の子会社には、その事業につきBとの取引に大きく依存しているものが少なくなく、債務者が債権者の子会社になったことにより同グループから取引を打ち切られた場合には、少なからぬ影響を受けることは否定できない(乙15の1から4まで、乙48、68)。また、B各社以外の取引先も、債務者がBの一員であるために取引を継続しており、債務者が同グループを離脱した場合には取引継続を再考する場合もあることも否定できない(乙67、124から130まで、184、185)。
しかし、債務者の放送事業のうち野球放送の契約が打ち切られる点については、球団との契約の中に債務者の主張する解除条項が従前の契約にはなかった平成17年2月22日になって加えられていることは認められるが(乙12の1及び2、乙13)、本件係争を債務者が有利に展開することを狙って意図的に合意した疑いが強く、債務者が債権者の子会社になった場合に球団側が放送権料の収入を放棄してまで解除権を行使するのか否かは、現段階では明確ではないといわざるを得ない。
さらに、番組に出演する芸能人、タレント、パーソナリティの人材の確保ができなくなるとの点についても、それらの人材には代替性がないわけでもないことなどをも考慮すると、将来継続するか、代替の人員で行うのか、多様な展開が予想されるのであって、現段階でそれらの人材の確保ができなくなることまでを認めるに足りる的確な資料があるとはいえない。また、番組コンテンツの提供を受けることができなくなるとの点についても、上記人材の確保の点と同様である。
これに加え、債務者とB各社との取引は、平成16年3月期の売上高の実績で13億4000万円、同期の債務者の単体の売上高が308億円以上であることを考慮すると、B各社との取引中止が債務者の単体の業績に及ぼす影響は必ずしも甚大ということはできない。
以上によると、債務者の単体に対する売上等の低下が債務者の試算するほどの金額に上ることの確たる資料はない。
(エ) 債務者は、Bの一員として大きなブランド力を有しており、それによって強い営業力を維持しているとし、債権者の子会社となってBを離れれば、ブランド力は大きく毀損されると主張する。
しかしながら、債務者はもともとAMラジオ業界における売上高1位のラジオ局であり、高い知名度を有すること等からみて、債務者の事業がBのブランド力にどれほど依存しているかは必ずしも明らかとはいえず、債務者がBから離脱することによってブランドイメージが毀損され、中長期的にも回復し難いほどに著しく営業力が損なわれるとまで認めるに足りる確たる資料はない。
逆に、債務者がBのグループ内取引に拘束されないという営業上の利点が生ずる可能性もある。
(オ) 放送事業者において、人的ネットワークや各種特殊技能を用いて番組の企画制作や営業に当たる従業員は、極めて重要な役割を担う利害関係者であるところ、債務者の従業員らは、債権者が支配株主となることに反対を表明している(乙56から58まで)。
しかし、債権者が債務者の従業員らに対し、これまで自らの事業計画を説明したことはなく、債務者の従業員らが反対しているのは債権者代表者の発言をとらえてのことであることなどを考慮すると、債務者が債権者の子会社になった場合に、債権者が信認した新しい経営者が従業員らと十分な協議を行うとともに、真摯な経営努力を続ける可能性がないわけでなく、債務者の従業員らの大量流出が生ずるとまでは認めるに足りない。
イ 債権者の真摯な合理的経営意思の有無について
(ア) 債務者は、債権者は真摯に債務者との事業提携、債務者の合理的経営を目指すものでないと主張し、その根拠として、〈1〉債権者は、債務者の株式の大量取得に先立ち、債務者と業務提携を行うことを前提とした詳細な事業計画を一切検討していない、〈2〉債権者作成の事業計画書の試算は極めていいかげんであり、提案内容は実現困難なものである、〈3〉債権者の事業は主に金融子会社の収益によって成り立っており、ポータルサイト運営事業の基盤は極めて脆弱である、〈4〉債権者の真の意図は、債務者との事業提携でなく、Aを支配することであることを挙げる。
(イ) しかしながら、債権者が債務者の経営支配権を確立していない段階で債務者の上記主張のような事柄を明らかにすることは無理であり、企業秘密上得策でないこともあるから、その一事をもって債権者に債務者を合理的に経営する意思も能力もないと断定するわけにはいかない。
ウ まとめ
以上のとおりであるから、債権者が債務者の支配株主となった場合に、債務者に回復し難い損害が生ずることを認めるに足りる資料はなく、また、債権者が真摯に合理的経営を目指すものでないとまでいうことはできない。
6 株式買収者の株式買収手段の証券取引法上の適否と現経営者による対抗手段としての新株予約権発行との関係について
(1) 債務者は、債権者等が本件ToSTNeT取引により平成17年2月8日に発行済株式総数の約30%に当たる債務者株式を買い付け、その結果、発行済株式総数の約35%の債務者株式を保有することとなったのは、証券取引法27条の2に違反するものであり、仮にこれが証券取引法違反ではないとしても、公開買付規制の趣旨に反した不当な株式買占行為であるとし、このような買収者の違法性は「著シク不公正ナル方法」に該当するかどうかの判断において当然に勘案すべきであり、これに対する対抗措置として本件新株予約権の発行を行うことは不公正発行に該当しないと主張する。
(2) 債務者の上記主張は、まず、本件ToSTNeT取引につき、〈1〉ToSTNeT取引によって抗告人の発行済株式総数の3分の1超を取得した点、〈2〉売主との事前合意に基づくものである点において、証券取引法27条の2に違反するというものである。
しかしながら、上記〈1〉の点につき、証券取引法は、その規制対象の明確化を図るため、その2条において定義規定を置き、「取引所有価証券市場」は「証券取引所の開設する有価証券市場」と定義しているところ(2条17項)、ToSTNeT-1は、東京証券取引所が立会外取引を執行するためのシステムとして多数の投資家に対し有価証券の売買等をするための場として設けているものであるから、取引所有価証券市場に当たる。そうすると、本件ToSTNeT取引は、東京証券取引所が開設する、証券取引法上の取引所有価証券市場における取引であるから、取引所有価証券市場外における買付け等には該当せず、取引所有価証券市場外における買付け等の規制である証券取引法27条の2に違反するとはいえない。
また、上記〈2〉の点につき、乙101、103、193によれば、売主に対する事前の勧誘や事前の交渉があったことが推認されるものの、それ自体は証券取引法上違法視できるものでなく、売主との事前売買合意に基づくものであることを認めるに足りる資料はないから、この点の証券取引法違反をいう主張は、その前提において失当である。
(3) ところで、ToSTNeT-1は競争売買の市場ではないから、そこにおいて投資者に対して十分な情報開示がされないまま、会社の経営支配権の変動を伴うような大量の株式取得がされるおそれがあることは否定できない。これに対し、公開買付制度は、支配権の変動を伴うような株式の大量取得について、株主が十分に投資判断をなし得る情報開示を担保し、会社の支配価値の平等分配に与る機会を与えることを制度的に保障するものである。公開買付制度の上記趣旨に照らすと、債権者等が、Aによる債務者の株式の公開買付期間中に、本件ToSTNeT取引によって発行済株式総数の約30%にも上る債務者の株式の買付けを行ったことは、それによって市場の一般投資家が会社の支配価値の平等分配に与る機会を失う結果となって相当でなく、その程度の大規模の株式を買い付けるのであれば、公開買付制度を利用すべきであったとの批判もあり得るところである。
しかしながら、本件ToSTNeT取引が取引所有価証券市場外における買付け等の規制である証券取引法27条の2に違反するものでないことは前示のとおりであるから、上記問題があるとしても、それは証券取引運営上の当不当の問題にとどまり、証券取引法上の処分や措置をもって対処すべき事柄であって、それ故に債権者の本件株式の取得を無効視したり、債務者に対抗的な新株予約権の発行を許容して証券取引法の不当を是正すべく制裁的処置をさせる権能を付与する根拠にはならない。
そうすると、債権者等が本件ToSTNeT取引によって債務者の株式を大量に買い付けたことが、証券取引法27条の2以下の公開買付制度の趣旨・目的に照らし相当性を欠くとみる余地があるとの一事をもって、主要な目的が経営支配権確保にある本件新株予約権の発行を正当化する特段の事情があるということはできない。
(4) したがって、債務者の上記主張は採用することができない。
7 株主としての不利益が存在しないとの主張について
(1) 債務者は、商法280条ノ39第4項、280条ノ10にいう不利益を受けるおそれがある株主とは、当然株主であることを会社に対抗できる株主のことをいうから、名義書換を完了していない分も含めて債権者の不利益性を判断するのは同法206条に違反すると主張する。
(2) 債権者等への実質株主名簿の書換えがされていない現時点では、債権者は3万1420株を超える株主であることを、株式会社Kは1062万7410株(平成17年3月7日現在)の株主であることを、債務者に対抗することができない。
しかしながら、本件のように、債務者も債権者等が大量の株式を有することを自認しており(甲11、16)、名義書換請求を拒絶し得る正当な理由も特になく、間もなく実質株主名簿が書き換えられることが確実であるにもかかわらず、保管振替機関からの実質株主名簿書換えのための通知が9月末日と3月末日に限られている制度上の制約ゆえに、名義書換未了の株式数を不利益性判断の基礎から除外するのは明らかに不合理というべきである。上記のような事実関係の下においては、平成17年3月31日以降に債務者に対抗できることになる株式数も含めて不利益性を判断すべきである。
したがって、債務者の上記主張は採用することができない。
(3) 平成17年3月24日に発行され、翌25日から行使請求期間となる本件新株予約権がすべて行使された場合、債権者等による債権者株式の保有割合は約42%から約17%に減少することからすると、債権者が本件新株予約権の発行によって著しい不利益ないし損害を被るおそれがあることが明らかである。
8 保全の必要性について
債務者の本件新株予約権の発行によって債権者が著しい損害を被るおそれがあることは、前記7に判示したとおりであるから、保全の必要性も認めることができる。
9 結論
以上述べたとおりであって、債務者による本件新株予約権の発行は、その内容及び発行の経緯に照らしても、債権者等による債務者の経営支配を排除し、現在債務者の経営に事実上の影響力を及ぼす関係にある特定の株主であるAによる債務者に対する経営支配権を確保するために行われたことが明らかである。そして、本件に現れた事実関係の下では、債権者による株式の敵対的買収に対抗する手段として採用した本件新株予約権の大量発行の措置は、既に論じたとおり、債務者の取締役会に与えられている権限を濫用したもので、著しく不公正な新株予約権の発行と認めざるを得ない。
したがって、債権者の本件仮処分命令申立ては理由があるから、これを認容した原審仮処分決定及びこれを認可した原審異議決定は正当である。
よって、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。
第16民事部
(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 福岡右武 裁判官 畠山稔)

+(公開会社における募集株式の割当て等の特則)
第二百六条の二  公開会社は、募集株式の引受人について、第一号に掲げる数の第二号に掲げる数に対する割合が二分の一を超える場合には、第百九十九条第一項第四号の期日(同号の期間を定めた場合にあっては、その期間の初日)の二週間前までに、株主に対し、当該引受人(以下この項及び第四項において「特定引受人」という。)の氏名又は名称及び住所、当該特定引受人についての第一号に掲げる数その他の法務省令で定める事項を通知しなければならない。ただし、当該特定引受人が当該公開会社の親会社等である場合又は第二百二条の規定により株主に株式の割当てを受ける権利を与えた場合は、この限りでない。
一  当該引受人(その子会社等を含む。)がその引き受けた募集株式の株主となった場合に有することとなる議決権の数
二  当該募集株式の引受人の全員がその引き受けた募集株式の株主となった場合における総株主の議決権の数
2  前項の規定による通知は、公告をもってこれに代えることができる。
3  第一項の規定にかかわらず、株式会社が同項の事項について同項に規定する期日の二週間前までに金融商品取引法第四条第一項 から第三項 までの届出をしている場合その他の株主の保護に欠けるおそれがないものとして法務省令で定める場合には、第一項の規定による通知は、することを要しない。
4  総株主(この項の株主総会において議決権を行使することができない株主を除く。)の議決権の十分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)以上の議決権を有する株主が第一項の規定による通知又は第二項の公告の日(前項の場合にあっては、法務省令で定める日)から二週間以内に特定引受人(その子会社等を含む。以下この項において同じ。)による募集株式の引受けに反対する旨を公開会社に対し通知したときは、当該公開会社は、第一項に規定する期日の前日までに、株主総会の決議によって、当該特定引受人に対する募集株式の割当て又は当該特定引受人との間の第二百五条第一項の契約の承認を受けなければならない。ただし、当該公開会社の財産の状況が著しく悪化している場合において、当該公開会社の事業の継続のため緊急の必要があるときは、この限りでない。
5  第三百九条第一項の規定にかかわらず、前項の株主総会の決議は、議決権を行使することができる株主の議決権の過半数(三分の一以上の割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の過半数(これを上回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)をもって行わなければならない。

++解説
《解  説》
1 事案の概要
本件は,仮処分申立て当時すでに債務者の発行済株式総数の約35パーセントの割合を保有する株主であった債権者が,ラジオ放送事業を行う株式会社であり,その発行する普通株式を東京証券取引所第2部に上場している債務者に対して,そのすべてが行使されると従来の発行済株式総数の1.44倍にあたる数量の普通株式が発行されることとなる数量の新株予約権を発行して,これをテレビ放送事業を行う株式会社である第三者に割り当てるとする内容の債務者の新株予約権発行が,商法280条ノ39第4項,280条ノ10の「著シク不公正ナル方法」による新株予約権の発行に当たるとして,その発行差止めを求めた仮処分申立ての事案である。
抗告審の決定に至るまでの債務者株式の保有状況等に関する簡単な事実経過は以下のとおりである。
第三者であるテレビ局は,以前より債務者の発行済株式総数の約12パーセントの割合を保有していたが,平成17年1月17日(以下の日付の記載は全て平成17年の日付である),債務者の全ての発行済株式の取得を目指して,証券取引法に定める公開買付けを開始することを決定し(買付価格1株5950円,当初の買付株式数の下限は発行済株式総数の50パーセントと設定),これを公表した。債務者は,同日,この公開買付けに賛同する旨を公表した。
債権者は,以前より債務者の発行済株式総数の約5パーセントの株主であったが,2月8日,東京証券取引所のToSTNeT-1を利用した取引により,子会社を通じて債務者の発行済株式総数の約30パーセントを買い付けて,約35パーセントの株主となった。
債務者の取締役会は,2月23日,割当先を当該テレビ局として,発行価額を1株当たり336円,払込期日を3月24日,当初行使価格を5950円,行使請求期間を3月25日以降とする内容の新株予約権を発行する旨の決議をした。なお,同決議の前日における債務者株式の東京証券取引所での終値は6750円であった。
この新株予約権発行の発表を受けて,債権者は,東京地方裁判所に,①「特ニ有利ナル条件」による発行であるのに株主総会の特別決議を経ていないという法令違反があること,②「著シク不公正ナル方法」による発行であることを理由として,新株予約権発行差止め仮処分の本件申立てを行った。
当該テレビ局の公開買付けは3月7日に終了し,当該テレビ局は,これにより新たに債務者株式を取得して,債務者の発行済株式総数の約37パーセントを保有する株主になった。他方,債権者は,さらに市場で債務者株式を買い進め,3月7日時点で,発行済株式総数の約42パーセントを有する株主となった。
本件申立ての原審である東京地方裁判所は,3月11日,本件新株予約権の発行は「特ニ有利ナル条件」による発行とは認められないが,「著シク不公正ナル方法」による発行にあたるとして,5億円の担保を立てることを条件に本件新株予約権の発行差止めを認める旨の仮処分決定をした。
債務者はこの仮処分決定に対して直ちに異議を申し立てた。これに対して,東京地方裁判所は,3月16日,やはり本件新株予約権発行を「著シク不公正ナル方法」であると認めて,上記仮処分決定を認可する旨の決定をした。
債務者はこの異議決定を不服として直ちに抗告した。これに対して,抗告審である東京高等裁判所は,3月23日,原審仮処分決定及び原審異議決定と同じく本件新株予約権発行を「著シク不公正ナル方法」であると認め,抗告を棄却した(なお,抗告審において,債権者は本件新株予約権発行が「特ニ有利ナル条件」による新株予約権の発行である旨の主張を撤回した。)。
2 抗告審決定の内容
抗告審の決定(本決定)は,本件新株予約権の発行は「著シク不公正ナル方法」にあたるとする原審仮処分決定及び原審異議決定をいずれも正当と判断し,その理由について概要以下のとおり述べた。
まず,会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において,株式の敵対的買収によって経営支配権を争う特定の株主の持株比率を低下させ,現経営者またはこれを支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主の経営支配権を維持・確保することを主要な目的として新株予約権の発行がされた場合には,原則として,商法280条ノ39第4項,280条ノ10の「著シク不公正ナル方法」による新株予約権の発行に該当するとする法解釈論を述べ,そのような解釈をすべき理由について,商法が機関権限の分配を定めた法意,支配権争奪の局面では取締役による公平な判断が難しいこと,投資家の予測可能性などの点を指摘した。その上で,株主全体の利益の保護という観点から新株予約権の発行を正当化する特段の事情がある場合には,例外的に経営支配権の維持・確保を主要な目的とする発行であっても不公正発行に該当しないと述べた。そして,敵対的買収者が会社を食い物にしようとしている場合には,濫用目的をもって株式を取得した当該敵対的買収者は株主として保護するに値しないし,当該敵対的買収者を放置すれば他の株主の利益が損なわれることが明らかであるから,取締役会は,対抗手段として必要性や相当性が認められる限り,経営支配権の維持・確保を主要な目的とする新株予約権の発行を行うことが正当なものとして許されるとして,上記特段の事情を認めることができる敵対的買収者が会社を食い物にしている場合として,敵対的買収者がグリーンメイラー(会社関係者に株式を高値で引き取らせることを目的とする者)である場合などの4つの類型を指摘した。そして,これらの特段の事情があることについては会社側に立証責任があるとした。
次に,以上の規範を前提とし,本件新株予約権発行の概要及び本件新株予約権発行前後における債務者株式の保有や売買を巡る状況等についての一連の事実経過を前提として,本件新株予約権の発行の目的が当該テレビ局の子会社となり債務者の企業価値を維持・向上させる点にあり,現経営陣の経営支配権の維持が主な目的ではないなどとする債務者の主張に対して,会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において,株式の敵対的買収を行って経営支配を争う債権者等の持株比率を低下させ,現経営者を支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主である当該テレビ局による債務者の経営支配権確保を主要な目的とするものであることは明白であるとし,他方で,そのような本件新株予約権の発行を正当化する特段の事情を認める確たる資料はない旨判示した。
さらに,債権者が債務者の親会社となる場合には債務者に回復し難い損害が生じるのは明らかであり,債務者が当該テレビ局の親会社となる場合には企業価値が高まるとする債務者の主張について,そのような企業価値の比較検討は事業経営の当否の問題であり,そうした問題は経営判断の法理にかんがみ司法手続の中で裁判所が判断するのに適しないものであるから,債務者の主張は主張自体失当であるとして,これを退け(もっとも,この点については念のために判断するものであるとして,債務者の主張するような企業価値に関する事実について検討を加えた上で,そのような事実を認めるに足りない旨を指摘している。),また,債権者が行った証券取引法違反となるToSTNeT取引の対抗措置として債務者が本件新株予約権の発行を行うことは不公正発行に該当しないとの債務者の主張については,債権者のToSTNeT取引は証券取引法違反にあたらないとし,仮に問題があるとしても証券取引法上の運営の当不当の問題に止まり,債務者に対抗的な新株予約権の発行を許容する根拠にはならず,これにより本件新株予約権の発行を正当化する特段の事情があるとはいえないとした。
3 説明
新株の発行差止めの要件である「著シク不公正ナル方法」とは,不当な目的を達成する手段として新株発行が利用される場合であり,会社支配の帰属をめぐる争いがあるときに,取締役会が自派で議決権の過半数を維持・争奪する目的のため新株発行を行う場合などはこれにあたると解されている。これまでの下級裁判例も新株発行差止めの仮処分事件において基本的にそのような考え方に沿った判断をしている(東京地決平1.7.25判タ704号84頁等)。会社の経営支配権に現に争いが生じている場面において,株式の敵対的買収によって経営支配権を争う特定の株主の持株比率を低下させ,現経営者またはこれを支持し事実上の影響力を及ぼしている特定の株主の経営支配権を維持・確保することを主要な目的として新株予約権の発行がされた場合には,原則として,「著シク不公正ナル方法」にあたると述べる本決定の判示部分は,そのような従来からの新株発行をめぐる不公正発行の考え方と基本的にはほぼ同じものであると考えてよいと思われる。
次に,本決定は,特定の株主の経営支配権を維持・確保することを主要な目的として新株予約権の発行がされた場合であっても,「株主全体の利益の保護という観点から新株予約権の発行を正当化する特段の事情」がある場合には不公正発行にあたらないと述べている。すなわち,これまでそのような特段の事情について言及した裁判例はなく,支配権維持目的であっても正当化される場合があることを明らかにした点に意義があるといえよう。一口に敵対的買収者といってもそれは支配的株主になることを現経営陣に拒絶されているものというだけであって,それ自体では何ら会社から排除されるべき理由はないのであるが,本決定は,どのような敵対的買収者であれば取締役会の判断により新株予約権発行等の相当な手段でこれを排除することが許されるのかについて,敵対的買収者が会社を食い物にしようとしている場合であるとして,4つの具体例を上げてその内容を明らかにしている。これらの具体例は,現行法においても敵対的買収者への対抗措置として新株予約権を発行することが許容されると本決定が考えているものであり,現行法上における一応の規範として参考になろう。
これまで不公正な新株発行について判断した多くの下級裁判例では,新株発行が複数の目的をもって行われる場合にはそのうち主要な目的が何かにより新株発行の公正性を判断することとし,すなわち,種々の目的ないし動機のうち,会社の支配関係上の争いに介入するという不当な目的が資金調達目的等の他の正当な目的よりも優越し,それが新株発行の主要な目的と認められる場合に,不公正発行であるとする考え方(いわゆる主要目的ルール)が採用されてきた(東京地決平1.9.5判タ711号256頁,大阪地決平2.7.12判時1364号100頁,東京地決平16.7.30,東京高決平16.8.4)。ところが,本件において債務者は本件新株予約権の発行には企業価値毀損防止という正当な目的がある旨主張したものの,本決定においては,新株予約権発行の目的が並列的に存在することを前提として,それらのうち不当な目的が優越するものかどうかという判断の過程を経てはいない。これは,例えば新株発行差止め事件の場合における資金調達目的を問題とするのであれば,そうした目的はその性質上,常に特定の株主の支配権の確保・維持を通じて達成されることを必然とするものではないことから,そこでは目的の並存というものが観念できるのに対して(新株とは異なり,新株予約権が資金調達目的で発行されること自体あまり考えられないが,当然ながら新株予約権の発行においても,ストックオプションを付与する目的など,支配権維持目的と性質の異なる発行目的は存在する。),債務者がいうところの目的は,結局のところ債権者を排除して特定の株主の支配権の確保・維持をする方法によらなけば達成されることのないものであることから,そこではもはや目的が並存している状況がない(いわば,実質的に同じ目的について,別の言い方をするものに過ぎない。)と本決定が考えたことによるものと思われる。そうした考え方によれば,本件については目的の並存を前提としてその優越を比較する主要目的ルールの枠組みは問題にならないことになる。
ところで,本決定に関する一連の事実の報道を契機として,巷ではいわゆるポイズンピル導入の議論が立法レベルないし現行法を前提とした運用レベルでなされているようである。本決定は,会社の経営支配権に現に争いが生じている場面における取締役会による株主構成変更目的の新株等の発行を原則として不公正発行としたものであるが,敵対的買収者に対する事前の対抗策に関しては,株主全体の利益保護の観点から個別事情に応じてその適法性が肯定される余地があると述べている。もっとも,会社の機関権限の分配秩序を重視する本決定の考え方からすれば,基本的には現行法のままでは事前の対抗策としてであっても取締役会が意図的に会社の株主構成を決定することについては一定の限界があるものと解すべきであろう。そして,今後,取締役会に会社の株主構成の決定権を付与する方向での立法を行うのであれば,公開会社の場合には会社が何らかの事前の対抗策を導入しているか否かは株式の市場価格に明らかに影響を与えるものであろうから,本決定も指摘しているように投資家の予測可能性の観点からの手当てをも配慮する必要があると思われる。
なお,原審異議決定及び原審仮処分決定とも,「著シク不公正ナル方法」にあたるかの判断については,その判断基準と判断枠組み,そして,本件におけるあてはめとその結論は,いずれも抗告審決定のそれとほぼ同じ内容のものとなっている。その詳細については各決定文を参照されたい。また,原審仮処分決定では,本件新株予約権発行が「特ニ有利ナル条件」による発行であるかについての判断もなされているところ,本件の新株予約権の発行数量が巨大であることなどもあり特殊な事例であると思われるが,新株予約権の発行に関してこの論点が争われた裁判例が公刊物に見当たらないこともあり,実務上の参考になると思われる。

2.株主総会決議の有する意味

Ⅵ 募集株式・募集新株予約権の発行の差止めの仮処分
1.募集株式の発行の差止めの仮処分

+民事保全法
(仮処分命令の必要性等)
第二十三条  係争物に関する仮処分命令は、その現状の変更により、債権者が権利を実行することができなくなるおそれがあるとき、又は権利を実行するのに著しい困難を生ずるおそれがあるときに発することができる。
2  仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる
3  第二十条第二項の規定は、仮処分命令について準用する。
4  第二項の仮処分命令は、口頭弁論又は債務者が立ち会うことができる審尋の期日を経なければ、これを発することができない。ただし、その期日を経ることにより仮処分命令の申立ての目的を達することができない事情があるときは、この限りでない。

+(申立て及び疎明)
第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。

・仮処分命令を無視した場合
+判例(H5.12.16)
理由
一 上告代理人小林昭、同大戸英樹、同南出喜久治の上告理由二、三について
1 本件記録及び原審の適法に確定したところによると、訴えの変更に関する事実関係の概要は次のとおりである。
(一) 上告人は、昭和三三年に設立されたタクシー事業及び貸切バス事業等を営む株式会社であり、昭和五九年八月当時の資本の額は三五〇〇万円、会社が発行する株式の総数は一〇万株、発行済株式の総数は七万株(一株の額面金額は五〇〇円)であったところ、同年八月二三日開催の取締役会において、発行株式の種類及び数を記名式普通額面株式一万株、発行価額を一株につき三九〇七円、申込期日を同年九月一三日、払込期日を同月一四日、募集の方法を第三者割当、割当てを受ける者を株式会社明星観光サービスとする新株発行を決議した。
(二) 上告人の株主である被上告人Aは、本件新株発行に対して、京都地方裁判所に商法二八〇条ノ一〇に基づく新株発行差止請求訴訟を本案とする新株発行差止めの仮処分の申立てをし、昭和五九年九月一二日、仮処分命令(以下「本件仮処分命令」という。)を得た。その上で、上告人の株主である被上告人ら(被上告人B、同Cを除く。)及びD(以下「被上告人ら」という。)は、同月二〇日、新株発行差止請求の訴えを提起した。右訴えの理由とするところは、本件新株発行は、現在の取締役会の方針に反対する株主の持株比率を減少させ、上告人会社の支配確立を目的としたもので、商法二八〇条ノ二第二項に違反し、かつ、著しく不公正な方法によるものであって、株主である被上告人らが不利益を受けるおそれがあるというものであった。
(三) 上告人は、昭和五九年九月一三日、本件仮処分命令に対して異議を申し立てたが、本件新株発行はそのまま実施することにし、前記明星観光サービスから払込期日に新株払込金の支払を受けた。
(四) 本件新株発行に対する差止請求訴訟は、昭和五九年一〇月二三日に第一審の第一回口頭弁論期日が開かれて以来審理が続けられたが、昭和六〇年一〇月三一日の第一審第八回口頭弁論期日において、上告人から本件新株発行は既に実施されているから新株発行差止請求は訴えの利益がなくなったとの主張がされた。
(五) そのため、被上告人らは、昭和六〇年一二月二日に第一審に提出した同日付け準備書面で、本件仮処分命令に違反する新株発行は効力を生じないが、仮に効力を有するとすれば、予備的に、右新株発行差止請求の訴えを商法二八〇条ノ一五に基づく新株発行無効の訴えに変更する旨の申立てをした。右新株発行無効の訴えで主張する無効事由は、仮処分命令違反が付加された以外は、それまで差止事由として主張してきたものと同一であった。

2 右事実関係に照らすと、本件新株発行に対する差止請求の訴えと右訴えを本案とする本件仮処分命令に違反してされた新株発行に対する無効の訴えとは、事前と事後の違いはあるが、ともに本件新株発行により不利益を受けるとする被上告人ら株主がその新株発行を阻止し、若しくはその効力を否定しようとするものであって、同一の経済的利益を追求するものということができる上、新株発行差止請求の訴えの訴訟資料、証拠資料を新株発行無効の訴えの審理に利用することが期待できる関係にあるということができるから、旧訴である新株発行差止請求の訴えと新訴である新株発行無効の訴えとの間には請求の基礎に同一性があるものというべきである。
3 ところで、訴えの変更は、変更後の新請求については新たな訴えの提起にほかならないから、変更後の訴えにつき出訴期間の制限がある場合には、出訴期間の遵守の有無は、原則として、訴えの変更の時を基準としてこれを決すべきであるが、変更前後の請求の間に存する関係から、変更後の新請求に係る訴えを当初の訴えの提起時に提起されたものと同視することができる特段の事情があるときは、出訴期間が遵守されたものとして取り扱うのが相当である(最高裁昭和五九年(行ツ)第七〇号同六一年二月二四日第二小法廷判決・民集四〇巻一号六九頁参照)。
これを本件についてみるに、前示事実関係によれば、本件新株発行に対する差止請求の訴えは、被上告人Aが本件仮処分命令を得た後、新株発行がされることにより持株比率の減少等の不利益を受けるとする被上告人らによって、本件新株発行を阻止する目的の下に提起されたものであって、被上告人らは、右訴えの提起により、万一右仮処分命令に違反して新株が発行された場合には右新株発行の効力を争い、仮処分命令違反をその理由とする意思をも表明していると認められるから、本件で変更された新株発行無効の訴えについては、新株発行差止請求の訴え提起の時に提起されたものと同視することができる特段の事情が存するものというべきである。
4 以上の次第であるから、新株発行無効の訴えへの変更を認め、無効原因として本件仮処分命令違反の主張をすることは許されるとした原審の判断は、その結論において是認することができる。論旨はいずれも採用することができない。

二 同四について
商法二八〇条ノ一〇に基づく新株発行差止請求訴訟を本案とする新株発行差止めの仮処分命令があるにもかかわらず、あえて右仮処分命令に違反して新株発行がされた場合には、右仮処分命令違反は、同法二八〇条ノ一五に規定する新株発行無効の訴えの無効原因となるものと解するのが相当である。けだし、同法二八〇条ノ一〇に規定する新株発行差止請求の制度は、会社が法令若しくは定款に違反し、又は著しく不公正な方法によって新株を発行することにより従来の株主が不利益を受けるおそれがある場合に、右新株の発行を差し止めることによって、株主の利益の保護を図る趣旨で設けられたものであり、同法二八〇条ノ三ノ二は、新株発行差止請求の制度の実効性を担保するため、払込期日の二週間前に新株の発行に関する事項を公告し、又は株主に通知することを会社に義務付け、もって株主に新株発行差止めの仮処分命令を得る機会を与えていると解されるのであるから、この仮処分命令に違反したことが新株発行の効力に影響がないとすれば、差止請求権を株主の権利として特に認め、しかも仮処分命令を得る機会を株主に与えることによって差止請求権の実効性を担保しようとした法の趣旨が没却されてしまうことになるからである。
右と同旨の見解に立ち、本件仮処分命令に違反して行われた本件新株発行を無効とした原審の判断は正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
三 その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
四 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官味村治、同大白勝の補足意見、裁判官大堀誠一、同三好達の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官味村治の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に同調するものであるが、三好裁判官らの反対意見にかんがみ、そこで指摘されているいくつかの問題点について、私の考えを補足しておきたい。
一1 反対意見は、多数意見のように、本件新株発行無効の訴えは本件新株発行差止請求の訴え提起の時に提起されたものと同視できるとするには、新株発行差止請求の訴えは新株発行無効の訴えのいわば前駆的訴訟で、両者は制度的に同一の目的を有する関連した訴えとしてとらえ得ることが一つの前提となるとし、新株発行差止請求権及び新株発行無効の訴えは相関連する制度として創設されたものではなく、新株発行差止請求の訴えと新株発行無効の訴えは、訴えの性質、原告適格、請求原因、判決の効力等を異にするから、右の前提を肯定することはできないという。
2 しかし、新株発行差止請求権は、会社が法令若しくは定款に違反し、又は著しく不公正な方法によって株式を発行し、株主がこれにより不利益を受けるおそれのある場合に事前に発行を阻止することにより会社に対する監督是正を行う株主の共益権であり、株主の新株発行無効の訴え提起権は、会社が法令定款等に違反して新株を発行した場合に事後に新株発行を無効とすることにより、会社に対する監督是正を行う株主の共益権である。新株発行差止請求の事由となる法令定款違反等の中には、新株発行の無効原因とならないものがあるが、これは、新株発行を事後に無効とするについては取引の安全を考慮する必要があるが、新株発行を事前に差し止めるについてはそのような必要がないことによるもので、株主の新株発行差止請求権と株主の新株発行無効の訴え提起権は、いずれも新株発行について会社に対する監督是正を行うという目的のため株主に認められた共益権である。本件新株発行無効の訴えは本件新株発行差止請求の訴え提起の時に提起されたものと同視できるとするための制度的前提としては、以上述べたところで十分であると考える。
二1 反対意見は、新株発行差止請求権に係る訴えを本案とする差止めの仮処分命令は、会社に当該株主に対する不作為義務を課するにとどまり、会社の新株発行権限に影響を与えないから、新株発行無効の訴えにおける無効原因となり得ないという。
2 しかし、商法は、新株発行無効の訴えにおける無効原因を法定していないから、新株発行に法令定款違反等の瑕疵がある場合にその瑕疵を無効原因と解するか否かは、当該法令定款の趣旨等によって判断することとなる。そして、多数意見は、商法二八○条ノ一〇及び二八〇条ノ三ノ二の趣旨により、右の仮処分命令に違反した新株発行に無効原因があると解するものである。
なお、反対意見は、多数意見によると、仮処分債権者以外の株主で新株発行により不利益を受けるおそれのない者、取締役又は監査役が新株発行無効の訴えを提起した場合にも、右仮処分命令違反が無効原因となるものと解せざるを得ないことになるとして、多数意見を論難する。しかし、右の株主が右仮処分命令違反を理由として新株発行無効の訴えを提起することは、株主は他の株主に対する招集通知の瑕疵を理由として株主総会決議取り消しの訴えを提起することができると解されている(最高裁昭和四一年(オ)第六六四号同四二年九月二八日第一小法廷判決・民集二一巻七号一九七〇頁参照)ことに徴しても、不当ということはできない。また、取締役又は監査役が右仮処分命令違反を理由として新株発行無効の訴えを提起することは、その職務上当然のことというべきである。
裁判官大白勝は、裁判官味村治の補足意見に同調する。

+反対意見
裁判官三好達の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見と異なり、原判決中本件新株発行無効の訴えに係る部分を破棄し、右訴えを却下すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。
一 多数意見は、本件新株発行無効の訴えは、出訴期間の遵守に欠けるところはないとするが、その理由とするところは、本件新株発行差止請求の訴えは、被上告人Aが本件仮処分命令を得た上で提起したものであり・被上告人らは、右訴えの提起により、万一右仮処分命令に違反して新株が発行された場合には右新株発行の効力を争い、仮処分命令違反をその理由とする意思をも表明していると認められるから、その後予備的に提起した本件新株発行無効の訴えは、本件新株発行差止請求の訴え提起の時に提起されたものと同視できる、というのである。また、多数意見中には、本件新株発行差止請求の訴えと本件仮処分命令に違反してされた新株発行に対する無効の訴えとは、事前と事後の違いはあるが、ともに本件新株発行により不利益を受けるとする被上告人らがその新株発行を阻止し、若しくはその効力を否定しようとするものであって、同一の経済的利益を追求するものということができる、との説示も見られる。これらによれば、出訴期間の遵守に欠けるところがないとする多数意見は、本件新株発行差止請求の訴えは本件新株発行無効の訴えのいわば前駆的訴訟であって、両者は制度的に同一の目的を有する関連した訴えとしてとらえ得ること、及び、新株発行差止請求権に係る訴えを本案とする仮処分命令違反が新株発行無効の訴えにおける無効原因となるべきことを前提としているものと解せるれる。けだし、そうでなければ、被上告人らの主観的意図はともかく、法的には、前記のような意思の表明を認める余地はなく、原審の適法に確定した本件事実関係の下においても、本件新株発行差止請求の訴えを提起した時点で、本件新株発行無効の訴えが提起されたと同視することは到底できないからである。多数意見の引用する最高裁昭和五九年(行ツ)第七〇号同六一年二月二四日第二小法廷判決・民集四〇巻一号六九頁の判示は、土地改良事業において一時利用地が従前地に照応していないことを理由とする一時利用地指定処分の取消しの訴えをその一時利用地をそのまま換地として指定した換地処分の取消しの訴えに変更した場合に係るものであって、変更前の訴えも変更後の訴えも、いずれも同一の土地改良事業の手続において関連してされた行政処分の取消しの訴えであり、いずれの訴えにおいても取消事由となり得る共通した瑕疵が取消事由として主張されている場合に係るものなのである。そこでまず、出訴期間遵守の有無の検討に先立ち、これらの点を検討することとする。
二 新株発行差止請求権に係る訴えと新株発行無効の訴えの制度的関連の有無
商法二八〇条ノ一〇は、「会社ガ法令若ハ定款ニ違反シ又ハ著シク不公正ナル方法ニ依リテ株式ヲ発行シ之ニ因リ株主ガ不利益ヲ受クル虞アル場合ニ於テハ其ノ株主ハ会社ニ対シ其ノ発行ヲ止ムベキコトヲ請求スルコトヲ得」と規定しているが、この差止請求権は、「株主ガ不利益ヲ受クル虞アル場合ニ於テハ其ノ株主ハ」との規定からして、その発行により不利益を受けるおそれのある個々の株主の個人的権利としての会社に対する請求権であることが明らかであり、右請求権は、それだけでは新株発行の無効原因とはなり得ない程度の瑕疵があるのにすぎない場合にも、その発行により不利益を受けるおそれのある個々の株主がその差止めを求めることができる権利として創設されたものである。そして、右請求権は訴えによってのみ行使すべきことを定めた規定や訴訟上行使して得た勝訴判決が第三者に対しても効力を有することをうかがわせる規定は見当たらないから、株主は訴訟外でもこれを行使することができるものというべきであるし、株主がこの請求権を訴訟によって行使し、勝訴判決を得たとしても、その判決は、会社の当該新株発行の権限を対世的に制約する法律状態を形成するものではないというべきである。それゆえ、会社が当該新株を発行しても、右請求権を行使した株主に対し損害賠償の義務を負うは格別、発行自体が無効とされることはないといわなければならない。
これに対し、同法二八〇条ノ一五所定の新株発行無効の訴えは、新株発行の全体を通じてその効力に影響を及ぼすような法令又は定款の違反がある場合に、その無効を一体として画一的に確定するための会社組織法上の訴えとして創設されたものであって、新株発行の無効はこの訴えによってのみ主張することができ(同条一項)、これを無効とする判決は第三者に対しても効力を有する(同法二八〇条ノ一六、一〇九条)。原告適格についても、株主、取締役又は監査役がその資格においてその者自身が不利益を受けるおそれの有無にかかわらず提起することができ、株主が提起する場合は、共益権の一つとしての監督是正権の行使に当たるとされている。
してみれば、新株発行差止請求権と新株発行無効の訴えとは、相関連する制度として創設されたものではなく、右請求権の行使として提起される差止請求の訴えと新株発行無効の訴えは、訴えの性質、原告適格、請求原因、判決の効力等を異にすることが明らかであるから、新株発行差止請求の訴えを新株発行無効の訴えのいわば前駆的訴訟であるとしたり、両者を制度的に同一の目的を有する関連した訴えとしてとらえたりすることはできないのといわなければならない。
三 新株発行差止仮処分命令違反と新株発行無効の訴えの無効原因
1 新株発行差止請求権に係る訴えを本案とする差止仮処分に関しては、商法その他の法令に特段の規定は存在しないから、その仮処分命令の効力は、もっぱら仮処分の一般原則によるほかはない。そして、二に述べたように、株主がこの差止請求権を行使しても、その効力は個々の株主と会社との間の債権債務を形成するにとどまり、仮に株主が勝訴判決を得たとしても、同様であることからすれば、右請求権に係る訴えを本案とする仮処分命令の効力もまた、会社に当該株王に対する不作為義務を課するにとどまるものといわなければならず、それ以上の効力を有するとすることは、理にもとることが明らかである。してみれば、右仮処分命令は、会社の新株発行権限にいかなる影響をも与え得るものではない。このことは、新株発行差止仮処分命令については、登記等の公示方法によってこれを公示する規定がないことによっても裏付けられるというべきで、このような公示を欠きながら、仮処分命令がその手続の当事者以外にまで効力を持つとするならば、第三者の権利保護について配慮を欠くとのそしりを免れない。
このように、会社の有する新株発行権限は、新株発行差止請求権に係る訴えを本案とする差止仮処分命令によっていかなる制約をも受けることはないから、会社が右命令に違反しても、それが新株発行無効の訴えにおける無効原因となり得ないことは明らかである。
2 多数意見は、新株発行差止仮処分命令違反がその発行の効力に影響がないとすれば、差止請求権を株主の権利として特に認め、しかも仮処分命令を得る機会を株主に与えることによって差止請求権の実効性を担保しようとした法の趣旨が没却されてしまうこととなるという。
しかしながら、本来仮処分命令は、疎明によって発せられる暫定的裁判であり、そのような裁判につき多数意見の説示するような強力な効力を認めることは、そのように解するに足る明確な法令の定めをまって、はじめてなし得るところ、多数意見の拳示する商法二八○条ノ一○及び二八〇条ノ三ノ二を新株発行差止仮処分命令の効力にまで言及した規定ということができないことは、その文言から明らかである。
そればかりではない。二に述べたように、もともと新株発行差止請求権は、それだけでは新株発行の無効原因とはなり得ない程度の瑕疵があるのにすぎない場合にも、その発行により不利益を受けるおそれのある個々の株主がその差止めを求めることができる権利として創設されたものであって、当該株主が自己の権利保全のために仮処分命令を得ているからといって、それに違反してされた新株発行を全体として無効としてしまうことは、一般に新株発行無効の訴えにおける無効原因が取引の安全保護の見地から制限的に解されてきている傾向に背馳し、本来無効原因とはならない瑕疵をも無効原因としてしまうのと同様の結果となり、かえって、不当な結果をもたらすというべきであろう。更にいえば、仮に新株発行差止仮処分命令違反が新株発行無効の訴えにおける無効原因となるとするならば、その仮処分債権者以外の株主であって新株発行により不利益を受けるおそれのない者、取締役又は監査役が新株発行無効の訴えを提起した場合においても、右仮処分命令違反が無効原因となるものと解さざるを得ないであろう。現に本件でも、仮処分債権者は被上告人Aのみであるのにかかわらず、多数意見は、その余の被上告人らも右仮処分命令違反を無効原因として主張できるとの前提にたって、その余の被上告人らの請求を認容すべきものとしており、かくては、本来は新株発行無効の訴えにおける無効原因とはなり得ず、個々の株主の利益を擁護すべき差止原因にとどまるべき事実が、株主の一人が自己の個別的権利保全のための暫定的裁判である差止仮処分命令を得ているとの一事によって、他の株主、取締役又は監査役の提起する新株発行無効の訴えにおいて第三者に対する関係においても新株発行を無効とする原因となってしまうのである。ちなみに、本件は、被上告人らにおいて、新株引受権を株主以外の者に付与することについて株主総会の特別決議を経ないで新株発行がされ、かつ、著しく不公正な方法により新株発行がされたことを差止請求の事由として主張し、変更後の無効の訴えにおいて、これらに付加して差止仮処分命令違反をも無効原因として主張した事案であるが、右特別決議の欠缺は新株発行無効の訴えにおける無効原因とはなり得ないとされており(最高裁昭和三九年(オ)第一〇六二号同四〇年一〇月八日第二小法廷判決・民集一九巻七号一七四五頁参照)、原審も、被上告人ら主張の無効原因のうち差止仮処分命令違反以外は、無効原因とはならないとして、これを排斥しているのである。
付言するに、一般的にいって、単純な不作為のみを命ずる仮処分命令は、その実質において、当該当事者間における債務者の不作為義務を確認する意味を有するにとどまり、それを無視する債務者に対してはその実効性を確保することは困難なのである。それは仮処分命令によって形成された不作為義務の強制的実現のための方策が現行法上不十分であることによる共通の結果であって、新株発行差止仮処分命令についてのみ、その実効性が確保されていないわけではない。そのような方策に係る立法がない以上、会社が右仮処分命令を無視したとしても、債権者である株主の救済は、会社に対する損害賠償の請求その他当該株主と会社ないし取締役との間の個別的関係において図られるほかはないというべきである。
四 出訴期間の遵守の有無
二に述べたように、新株発行差止請求権と新株発行無効の訴えとは、相関連する制度として創設されたものではなく、右請求権の行使として提起される差止請求の訴えと新株発行無効の訴えは、訴えの性質、原告適格、請求原因、判決の効力等を異にすることが明らかであるから、新株発行差止請求の訴えを新株発行無効の訴えのいわば前駆的訴訟であるとしたり、両者を制度的に同一の目的を有する関連した訴えとしてとらえたりすることはできないこと、三に述べたように、新株発行差止仮処分命令違反は、新株発行無効の訴えにおける無効原因とはなり得ないものであることからすれば、原審の適法に確定した本件事実関係の下においても、本件新株発行差止請求の訴えを提起した時に本件新株発行無効の訴えが提起されたと同視することができる特段の事情があるとする余地はなく、本件新株発行無効の訴えは、出訴期間を徒過して提起された不適法な訴えといわざるを得ない。
裁判官大堀誠一は、裁判官三好達の反対意見に同調する。
(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 大白勝)

++解説
《解  説》
一 本件事案の概要
タクシー事業及び貸切バス事業等を営むY会社は、現在の取締役会を支持する株主とこれに反対する株主の対立が続いていたところ、Y会社の取締役会は、昭和五九年八月二三日、割当てを受ける者をA(Yの関連会社)とする新株三万株の発行を決議した。当時のY会社の発行する株式の総数は一〇万株で、発行済株式の総数は七万株であった。これに対してY会社の株主Xは、裁判所に対して、商法二八〇条ノ一〇に基づく新株発行差止請求訴訟を本案とする新株発行差止めの仮処分の申立てをし、同月一二日、仮処分命令を得た。その上で、Xは、他の株主らとともに同月二〇日、新株発行差止請求訴訟を提起した。Xらの主張は、本件の新株発行は、現在の取締役会の方針に反対する株主の持株比率を減少させ、Y会社の支配確立を目的としたものであり、商法二八〇条ノ二第二項に違反し、かつ、著しく不公正な方法によるもので、Xら株主が不利益を受けるおそれがあるというものであった。Y会社は、同月一三日、仮処分命令に対して異議の申立てをしたが、新株発行はそのまま実施することにし、Aから払込期日である九月一四日に新株払込金の支払を受けた。本件の新株発行差止請求訴訟は、その後審理が続けられたが、昭和六〇年一〇月三一日になって、Yは、既に新株発行は実施されているから、差止請求は訴えの利益がなくなったと主張したため、右主張により初めて新株発行の事実を知ったXらは、予備的追加的に差止請求を新株発行無効の訴えに変更する旨の申立てを行った。その無効原因として主張するものは、仮処分命令違反を追加したほかは従前の差止請求で主張していたものと同一であった。
新株発行無効の訴えは、新株発行の日から六か月以内に提起しなければならないところ(商二八〇条ノ一五第一項)、本件では訴えの変更がされた時点では発行の日より一年余り経過していたため、変更後の新株発行無効の訴えは適法か否か、適法とした場合には差止仮処分の違反は無効の訴えの無効原因となるかが争われた。一、二審とも変更後の新株発行無効の訴えについて出訴期間の遵守に欠けるところはないとしたが、一審は、仮処分の命令違反は新株発行の無効原因とならないとしたのに対して、二審(本誌六九一号二二〇頁)は、仮処分命令違反は無効原因となるとして、Xらの請求を認容したため、Yが上告した。本判決は、判文のとおりの理由により二審の結論を維持したものであるが、裁判官二名の反対意見が付されている。
二 新株発行無効の訴えの出訴期間
本件においては新株発行無効の訴えに変更された時点では、新株の発行がされた日(払込期日の翌日)から既に六か月以上経過していた。したがって、形式的にいえば、出訴期間経過後の変更申立てであるから、変更後の新株発行無効の訴えは却下を免れない(民訴二三五条)。しかし、変更前後の請求の間に存する関係から、変更後の新請求に係る訴えを当初の訴えの提起の時に提起されたものと同視し、出訴期間の遵守において欠けるところがないと解すべき特段の事情があるときは、出訴期間の関係では適法なものとして取り扱うことができると解される(最二小判昭61・2・24民集四〇巻一号六九頁、本誌五九一号四七頁)。
本件判決の多数意見は、当該新株発行により持株比率の減少等の不利益を受けるとする株主によって、新株発行差止めの仮処分を得た上でされた新株発行差止請求訴訟の提起には、万一右仮処分命令に違反して新株が発行された場合には右仮処分命令違反をも理由にして新株発行の効力を争う意思も表明されていると認められるとして、変更後の新株発行無効の訴えについても当初の発行差止請求の訴え提起の時に提起されたものと同視し得る特段の事情があるとした。あくまで事例的な判断ではあるが、補足意見や反対意見にも指摘されているように、新株発行差止請求の訴えと新株発行無効の訴えとの関係をどのように考えるか、仮処分命令違反を無効の訴えの無効原因と考えるか否かによって、結論を異にする面が多分にあるものと思われる。
三 新株発行無効の訴えの無効原因
商法二八〇条ノ一五の新株発行無効の訴えについては、法はその無効原因を何ら規定していない。したがって、何が無効原因となるかは解釈によって決するしかないが、発行された株式が不特定多数人の間を流通するという性格を有することから、発行された以上はできるだけ無効にしないように解するのが相当とされる。実務上問題とされているのは、(一) 発行手続に必要な株主総会や取締役会の決議を欠く発行、(二) 発行事項の公告、通知(商二八〇条ノ三ノ二)を欠く発行、(三) 著しく不公正な方法による発行、(四) 差止仮処分に違反した発行などであるが、本件で問題とされたのは右(四)の差止仮処分に違反してされた新株発行の効力である。
差止仮処分に違反した新株発行については、学説は大きく有効説(石井照久・商法I(二)五五四頁、河本一郎・現代会社法新訂五版二五一頁など)、無効説(鈴木竹雄=竹内昭夫・会社法三二七頁、松田二郎・会社法概論二八六頁、田中誠二・再全訂会社法詳論下九六四頁など)とに分かれるほか、原則無効だが会社が差止原因がないことを立証したときには無効とならないとする見解(大隅健一郎=今井宏・会社法論中(三版)六五七頁注(9))、取引の安全との兼ね合いから善意の第三者に譲渡されるまでは無効とする見解(山口和男・実務法律体系8仮差押仮処分五三三頁、飯塚重男・注解民事執行法(7)三二頁)などがある。しかし、実際に仮処分命令に違反して新株発行が強行されることは少ないようで、裁判例としては無効説に立つ横浜地判昭50・3・25判時七九〇号一〇六頁がある程度である。
新株発行差止請求の制度は、昭和二五年の商法改正により創設されたものである。右改正前の商法は、会社の資本の総額を定款に掲げ、これを均等の額面株式に分割し、資本の総額に当たる株式の引受があることを要求していた。そのため、会社が新株を発行するには、必ず株主総会の特別決議によって定款を変更し、資本の総額を増加する必要があったが、昭和二五年の改正商法は、いわゆる授権資本制度を採用し、定款には、資本の総額の代わりに会社が発行する株式の総数を掲げるものとし、その四分の一の発行があれば足り、会社が発行する株式の総数から発行済株式総数を控除した残部については、取締役会の決議によって発行できるようにした。そのため、原則として、株主は新株発行に関与できなくなったが、株主にとって不利益、不公正な新株発行がされるのを事前に防止するために新設されたのが新株発行差止請求の制度である。そしてこの差止請求は、裁判外でもなしうるが、これに会社が応じるとは考えられないから、通常は、差止請求訴訟の提起あるいは差止仮処分の申請という形でされる。しかし、差止請求は、あくまで発行前にされることが必要であり、差止請求訴訟を提起しても、新株発行が行われてしまえば、差止請求は目的を失い、訴えの利益はなくなると解され(通説)、通常の訴訟で新株発行手続が終了する前に判決が確定することはほとんど不可能であるから、差止請求を実効あらしめようとすれば仮処分手続によるほかはないことになる。昭和四一年の商法改正により、会社は、払込期日の二週間前までに発行事項を公告、通知することが義務付けられたが(商二八〇条ノ三ノ二)、この規定は、従前株主が不知の間に違法な又は不公正な新株発行を行うことが可能であった点を改め、事前に新株発行の内容を知らしめ、新株発行の差止請求をする機会を株主に与えることにより、新株発行が公正に行われることを担保しようとする趣旨の下に新設されたものであり、二週間という期間は、仮処分の申請のための準備に要する期間と申請後仮処分がされるまでの期間を考慮したものとされている(味村治・改正株式会社法一八〇頁)。
不作為を命じた仮処分命令に違反する法律行為の効力という点から直ちに無効という結論を導き出すのは難しいであろうが、本判決(多数意見)は、差止仮処分命令を無視してされた新株発行を有効とするときは、右のような差止請求を特に権利として認めた立法の趣旨に沿わない結果となるとしており、商法二八〇条ノ一五などの実体法の規定の解釈として、無効説を採ったものと思われる。
四 まとめ
本判決には、二名の裁判官の反対意見が付されたが、今まで学説が対立していた差止仮処分と新株発行無効の訴えとの関係につき最高裁が初めて判断を示したものであり、また、新株発行をめぐっては近時仮処分で争われる事例が増えていることから、実務に与える影響には大きいものがあると思われる。

2.差止めの仮処分が認められるための要件

3.募集新株予約権の発行・新株予約権無償割当ての差止めの仮処分

Ⅶ おわりに


会社法 事例で考える会社法 事例14 公開会社の株式・新株予約権の不公正発行(その1)募集株式の差止め


Ⅰ はじめに

Ⅱ 募集株式の発行の無効と差止め

+第二百十条  次に掲げる場合において、株主が不利益を受けるおそれがあるときは、株主は、株式会社に対し、第百九十九条第一項の募集に係る株式の発行又は自己株式の処分をやめることを請求することができる。
一  当該株式の発行又は自己株式の処分が法令又は定款に違反する場合
二  当該株式の発行又は自己株式の処分が著しく不公正な方法により行われる場合

+(不公正な払込金額で株式を引き受けた者等の責任)
第二百十二条  募集株式の引受人は、次の各号に掲げる場合には、株式会社に対し、当該各号に定める額を支払う義務を負う。
一  取締役(指名委員会等設置会社にあっては、取締役又は執行役)と通じて著しく不公正な払込金額で募集株式を引き受けた場合 当該払込金額と当該募集株式の公正な価額との差額に相当する金額
二  第二百九条第一項の規定により募集株式の株主となった時におけるその給付した現物出資財産の価額がこれについて定められた第百九十九条第一項第三号の価額に著しく不足する場合 当該不足額
2  前項第二号に掲げる場合において、現物出資財産を給付した募集株式の引受人が当該現物出資財産の価額がこれについて定められた第百九十九条第一項第三号の価額に著しく不足することにつき善意でかつ重大な過失がないときは、募集株式の引受けの申込み又は第二百五条第一項の契約に係る意思表示を取り消すことができる。

+(会社の組織に関する行為の無効の訴え)
第八百二十八条  次の各号に掲げる行為の無効は、当該各号に定める期間に、訴えをもってのみ主張することができる。
一  会社の設立 会社の成立の日から二年以内
二  株式会社の成立後における株式の発行 株式の発行の効力が生じた日から六箇月以内(公開会社でない株式会社にあっては、株式の発行の効力が生じた日から一年以内)
三  自己株式の処分 自己株式の処分の効力が生じた日から六箇月以内(公開会社でない株式会社にあっては、自己株式の処分の効力が生じた日から一年以内)
四  新株予約権(当該新株予約権が新株予約権付社債に付されたものである場合にあっては、当該新株予約権付社債についての社債を含む。以下この章において同じ。)の発行 新株予約権の発行の効力が生じた日から六箇月以内(公開会社でない株式会社にあっては、新株予約権の発行の効力が生じた日から一年以内)
五  株式会社における資本金の額の減少 資本金の額の減少の効力が生じた日から六箇月以内
六  会社の組織変更 組織変更の効力が生じた日から六箇月以内
七  会社の吸収合併 吸収合併の効力が生じた日から六箇月以内
八  会社の新設合併 新設合併の効力が生じた日から六箇月以内
九  会社の吸収分割 吸収分割の効力が生じた日から六箇月以内
十  会社の新設分割 新設分割の効力が生じた日から六箇月以内
十一  株式会社の株式交換 株式交換の効力が生じた日から六箇月以内
十二  株式会社の株式移転 株式移転の効力が生じた日から六箇月以内
2  次の各号に掲げる行為の無効の訴えは、当該各号に定める者に限り、提起することができる。
一  前項第一号に掲げる行為 設立する株式会社の株主等(株主、取締役又は清算人(監査役設置会社にあっては株主、取締役、監査役又は清算人、指名委員会等設置会社にあっては株主、取締役、執行役又は清算人)をいう。以下この節において同じ。)又は設立する持分会社の社員等(社員又は清算人をいう。以下この項において同じ。)
二  前項第二号に掲げる行為 当該株式会社の株主等
三  前項第三号に掲げる行為 当該株式会社の株主等
四  前項第四号に掲げる行為 当該株式会社の株主等又は新株予約権者
五  前項第五号に掲げる行為 当該株式会社の株主等、破産管財人又は資本金の額の減少について承認をしなかった債権者
六  前項第六号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において組織変更をする会社の株主等若しくは社員等であった者又は組織変更後の会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは組織変更について承認をしなかった債権者
七  前項第七号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において吸収合併をする会社の株主等若しくは社員等であった者又は吸収合併後存続する会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは吸収合併について承認をしなかった債権者
八  前項第八号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において新設合併をする会社の株主等若しくは社員等であった者又は新設合併により設立する会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは新設合併について承認をしなかった債権者
九  前項第九号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において吸収分割契約をした会社の株主等若しくは社員等であった者又は吸収分割契約をした会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは吸収分割について承認をしなかった債権者
十  前項第十号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において新設分割をする会社の株主等若しくは社員等であった者又は新設分割をする会社若しくは新設分割により設立する会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは新設分割について承認をしなかった債権者
十一  前項第十一号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において株式交換契約をした会社の株主等若しくは社員等であった者又は株式交換契約をした会社の株主等、社員等、破産管財人若しくは株式交換について承認をしなかった債権者
十二  前項第十二号に掲げる行為 当該行為の効力が生じた日において株式移転をする株式会社の株主等であった者又は株式移転により設立する株式会社の株主等、破産管財人若しくは株式移転について承認をしなかった債権者

・公開会社において無効原因とならない場合
+判例(S36.3.31)
理由
上告代理人大久保兤の上告理由第一、二点について。
原判決が本件に関し、昭和二五年法律第一六七号によつて改正された商法の解釈として、株式会社の新株発行に関し、いやしくも対外的に会社を代表する権限のある取締役が新株を発行した以上、たとえ右新株の発行について有効な取締役会の決議がなくとも、右新株の発行は有効なものと解すべきであるとした判示は、すべて正当である。そして原判決が右判断の理由として、改正商法(株式会社法)はいわゆる授権資本制を採用し、会社成立后の株式の発行を定款変更の一場合とせず、その発行権限を取締役会に委ねており、新株発行の効力発生のためには、発行決定株式総数の引受及び払込を必要とせず、払込期日までに引受及び払込のあつた部分だけで有効に新株の発行をなし得るものとしている(第二八〇条の九)等の点から考えると、改正法にあつては、新株の発行は株式会社の組織に関することとはいえ、むしろこれを会社の業務執行に準ずるものとして取扱つているものと解するのが相当であることをあげていることもすべて首肯し得るところである。なお、取締役会の決議は会社内部の意思決定であつて、株式申込人には右決議の存否は容易に知り得べからざるものであることも、又右判断を支持すべき一事由としてあげることができる。論旨は右と反対の見地に立つて原判決を非難するものであるが、論旨の見解は当裁判所の採らないところである。よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条を適用して裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

+判例(S46.7.16)
理由 
 上告人の上告理由について。 
 株式会社の代表取締役が新株を発行した場合には、右新株が、株主総会の特別決議を経ることなく、株主以外の者に対して特に有利な発行価額をもつて発行されたものであつても、その瑕疵は、新株発行無効の原因とはならないものと解すべきである。このことは当裁判所の判例(最高裁判所昭和三九年(オ)第一〇六二号、同四〇年一〇月八日第二小法廷判決、民集一九巻七号一七四五頁参照)の趣旨に徴して明らかである。そうであれば、特別決議のないことをもつて本件新株発行の無効をいう上告人の本訴請求は、失当であつて、棄却を免れず、これを排斥した原審の判断は結論として相当であり、本件上告は、上告理由について判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(村上朝一 色川幸太郎 岡原昌男 小川信雄) 
+判例(H6.7.14)
理由 
 上告代理人吉田朝彦の上告理由一について 
 一 被上告人の本訴請求は、(一) 昭和六一年一一月一四日開催の上告人会社の取締役会は、その招集通知が当時の代表取締役である被上告人に対してされておらず同人も出席していないので不適法であり、右のような瑕疵のある取締役会における新株発行決議に基づく本件新株発行は無効である、(二) 本件新株発行は、藤井捷之助(以下「捷之助」という。)がこれを全部自ら引き受け、自己の株式持分比率を高めて実質上自らが上告人会社を支配できるようにする目的の下にしたものであり、著しく不公正な方法によりされたものであるから無効である旨を主張して、本件新株発行の無効を求めるものである。 
 二 原審は、右(二)の主張について、1の事実を認定した上、2の判断を示し、被上告人の請求を認容した第一審判決を是認して、上告人の控訴を棄却した。 
  1 上告人会社の取締役であった捷之助は、創業以来の代表取締役で発行済株式の過半数を有する被上告人と不仲となり、その信頼を失ったことから、被上告人が株主総会を招集して上告人会社を解散する決議をしたり又は捷之助を解任する決議をすることを恐れるに至った。そこで、捷之助は、これを阻止する目的をもって、専ら、被上告人から上告人会社の支配権を奪い取り、自己及び自己の側に立つ者が過半数の株式を有するようにするために、昭和六一年九月一六日に取締役会を開催して自らの代表取締役選任決議を経て代表取締役に就任し、同年一一月一四日に当時入院中であった被上告人に招集通知をしないで取締役会を開催し、本件新株発行の決議を得て、被上告人に秘したまま右新株を発行し、右決議において新株の募集の方法は公募によるものとされていたが、その全部を自らが引き受けて払い込み、現在これを保有している。 
  2 右の経緯によれば、本件新株発行は著しく不公正な方法によりされたものであるというべきである。そして、著しく不公正な方法による新株発行は特別の事情がある場合に限って無効となると解すべきところ、本件においては、新株はすべてその発行を計画した捷之助によって引き受けられ、保有されているのであるから、取引の安全のために新株発行を無効とすることを特に制限する事情はなく、上告人会社が小規模で閉鎖的な会社で、本件新株発行が前記の目的でされたことを併せ考えると、右の特別事情がある場合に当たるというべきである。したがって、本件新株発行は無効である。 
 三 しかしながら、原審の右2の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 新株発行は、株式会社の組織に関するものであるとはいえ、会社の業務執行に準じて取り扱われるものであるから、右会社を代表する権限のある取締役が新株を発行した以上、たとい、新株発行に関する有効な取締役会の決議がなくても、右新株の発行が有効であることは、当裁判所の判例(最高裁昭和三二年(オ)第七九号同三六年三月三一日第二小法廷判決・民集一五巻三号六四五頁)の示すところであるこの理は、新株が著しく不公正な方法により発行された場合であっても、異なるところがないものというべきである。また、発行された新株がその会社の取締役の地位にある者によって引き受けられ、その者が現に保有していること、あるいは新株を発行した会社が小規模で閉鎖的な会社であることなど、原判示の事情は、右の結論に影響を及ぼすものではないけだし、新株の発行が会社と取引関係に立つ第三者を含めて広い範囲の法律関係に影響を及ぼす可能性があることにかんがみれば、その効力を画一的に判断する必要があり、右のような事情の有無によってこれを個々の事案ごとに判断することは相当でないからである。そうすると、本件新株発行を無効と判断した原判決には、商法二八〇条ノ一五の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由がある。 
 四 以上の説示によれば、前記一の(一)及び(二)のいずれもその主張自体理由がなく、本訴請求は失当であるから、原判決を破棄し、第一審判決中主文第一項を取り消した上、被上告人の本訴請求を棄却すべきである。 
 よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官大白勝 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官三好達 裁判官高橋久子) 
・公開会社において無効原因となる場合
定款所定の発行可能㈱総数(37条)を超過
定款に定めのない種類株式を発行(108条2項)
募集事項の公示を欠く
+判例(H9.1.28)
理由 
 上告代理人奥村回の上告理由について 
 原審の適法に確定したところによれば、上告会社の昭和六三年六月の新株発行については、(一) 新株発行に関する事項について商法二八〇条ノ三ノ二に定める公告又は通知がされておらず、(二) 新株発行を決議した取締役会について、取締役Aに招集の通知(同法二五九条ノ二)がされておらず、(三) 代表取締役Bが来る株主総会における自己の支配権を確立するためにしたものであると認められ、(四) 新株を引き受けた者が真実の出資をしたとはいえず、資本の実質的な充実を欠いているというのである。 
 原判決は、このうち(三)及び(四)の点を理由として右新株発行を無効としたが、原審のこの判断は是認することができない。けだし、会社を代表する権限のある取締役によって行われた新株発行は、それが著しく不公正な方法によってされたものであっても有効であるから(最高裁平成二年(オ)第三九一号同六年七月一四日第一小法廷判決・裁判集民事一七二号七七一頁参照)、右(三)の点は新株発行の無効原因とならず、また、いわゆる見せ金による払込みがされた場合など新株の引受けがあったとはいえない場合であっても、取締役が共同してこれを引き受けたものとみなされるから(同法二八〇条ノ一三第一項)、新株発行が無効となるものではなく(最高裁昭和二七年(オ)第七九七号同三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五一一頁参照)、右(四)の点も新株発行の無効原因とならないからである。 
 しかしながら、新株発行に関する事項の公示(同法二八〇条ノ三ノ二に定める公告又は通知)は、株主が新株発行差止請求権(同法二八〇条ノ一〇)を行使する機会を保障することを目的として会社に義務付けられたものであるから(最高裁平成元年(オ)第六六六号同五年一二月一六日第一小法廷判決・民集四七巻一〇号五四二三頁参照)、新株発行に関する事項の公示を欠くことは、新株発行差止請求をしたとしても差止めの事由がないためにこれが許容されないと認められる場合でない限り、新株発行の無効原因となると解するのが相当であり、右(三)及び(四)の点に照らせば、本件において新株発行差止請求の事由がないとはいえないから、結局、本件の新株発行には、右(一)の点で無効原因があるといわなければならない。 
 したがって、本件の新株発行を無効とすべきものとした原判決は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうものにすぎず、採用することができない。 
 よって、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信) 
・非公開会社の場合
+判例(H24.4.24)
理 由
 上告補助参加人Aの代理人源光信及び上告補助参加人B,同Cの代理人内田智,同石岡修の各上告受理申立て理由について
 1 本件は,上告人の監査役である被上告人が,上告人の取締役であった上告補助参加人(以下,単に「補助参加人」という。)らによる新株予約権の行使は,行使条件を変更する取締役会決議が無効であるにもかかわらずそれに従ってされたものであって,当初定められた行使条件に反するものであるから,上記新株予約権の行使による株式の発行は無効であると主張して,主位的に会社法828条1項2号に基づいて上記株式の発行を無効とすることを求め,予備的に上記株式の発行は当然に無効であるとしてその確認を求める事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 (1) 上告人は,信用保証業務等を目的として昭和56年に設立された株式会社であり,発行する株式の全部について,譲渡により取得するためには取締役会の承認を受けなければならない旨の定款の定めを設けている。
 (2) 上告人は,経営陣の意欲や士気の高揚を目的として,ストックオプションを付与することとし,平成15年6月24日,その株主総会において,以下のとおり,平成17年法律第87号による改正前の商法(以下「旧商法」という。)280条ノ20,280条ノ21及び280条ノ27の規定により,新株予約権(以下「本件新株予約権」という。)を発行する旨の特別決議(以下「本件総会決議」という。)がされた。
 ア 新株予約権の目的である株式の種類及び数 普通株式6万株
 イ 発行する新株予約権の総数 6万個
 ウ 新株予約権の割当てを受ける者
 平成15年6月25日及び新株予約権の発行日の各時点において上告人の取締役である者
 エ 新株予約権の発行価額 無償
 オ 新株予約権の発行日 平成15年8月25日
 カ 新株予約権の行使に際して払込みをすべき額
 新株予約権1個当たり750円
 キ 新株予約権の行使期間
 平成16年6月19日から平成25年6月24日まで
 ク 新株予約権の行使条件
 (ア) 新株予約権の行使時に上告人の取締役であること
 (イ) その他の行使条件は,取締役会の決議に基づき,上告人と割当てを受ける取締役との間で締結する新株予約権の割当てに係る契約で定めるところによる(以下,本件総会決議による上記の委任を「本件委任」という。)。
 (3) 上告人の取締役会において,平成15年8月11日,補助参加人Aに対し4万個,同Cに対し1万個,同Bに対し1万個の本件新株予約権を割り当てる旨の決議がされた。そして,同月,上告人と補助参加人らは,上記決議に基づき,本件新株予約権の行使条件として,上告人の株式が店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録された後又は日本国内の証券取引所に上場された後6箇月が経過するまで本件新株予約権を行使することができないとの条件(以下「上場条件」という。)を定めるなどして,新株予約権の割当てに係る各契約を締結し,上告人は,本件新株予約権を発行した。
 (4) 上告人は,平成17年10月頃から補助参加人Aが収受したリベート等をめぐって税務調査を受けるようになり,税務当局から重加算税を賦課する可能性があることを指摘され,株式を公開することが困難な状況となった。
 (5) 上告人の取締役会において,平成18年6月19日,本件新株予約権の行使条件としての上場条件を撤廃するなどの決議(以下「本件変更決議」という。)がされ,同日,上告人と補助参加人らは,上記各契約の内容を本件変更決議に沿って変更する旨の各契約を締結した。
 (6) 補助参加人らは,平成18年6月から同年8月までの間に,本件新株予約権を行使し,上告人は,これに応じて,補助参加人らに対し,合計2万6000株の普通株式を発行した(以下,この発行を「本件株式発行」という。)。
 (7) 上告人の株式は,店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録されたことはなく,また,日本国内の証券取引所に上場されたこともない。
 3 原審は,上記事実関係の下において,取締役会には,所定の手続を経て新株予約権が発行された後において,行使条件を新たに設定し,又は変更する権限はないから,本件変更決議に上場条件を撤廃するなどの効力はなく,本件変更決議による行使条件の変更を前提とする本件株式発行は無効であるとして,被上告人の主位的請求を認容すべきものと判断した。
 4 所論は,本件総会決議による本件委任は,本件新株予約権の発行後に上場条件を取締役会決議によって撤廃することも委任の範囲内のこととして許容するものであるから,本件変更決議は有効であり,本件株式発行に無効原因はないというのである。
 5(1) そこでまず,本件変更決議の効力について検討する。
 旧商法280条ノ21第1項は,株主以外の者に対し特に有利な条件をもって新株予約権を発行する場合には,同項所定の事項につき株主総会の特別決議を要する旨を定めるが,同項に基づく特別決議によって新株予約権の行使条件の定めを取締役会に委任することは許容されると解されるところ,株主総会は,当該会社の経営状態や社会経済状況等の株主総会当時の諸事情を踏まえて新株予約権の発行を決議するのであるから,行使条件の定めについての委任も,別途明示の委任がない限り,株主総会当時の諸事情の下における適切な行使条件を定めることを委任する趣旨のものであり,一旦定められた行使条件を新株予約権の発行後に適宜実質的に変更することまで委任する趣旨のものであるとは解されないまた,上記委任に基づき定められた行使条件を付して新株予約権が発行された後に,取締役会の決議によって行使条件を変更し,これに沿って新株予約権を割り当てる契約の内容を変更することは,その変更が新株予約権の内容の実質的な変更に至らない行使条件の細目的な変更にとどまるものでない限り,新たに新株予約権を発行したものというに等しく,それは新株予約権を発行するにはその都度株主総会の決議を要するものとした旧商法280条ノ21第1項の趣旨にも反するものというべきである。そうであれば,取締役会が旧商法280条ノ21第1項に基づく株主総会決議による委任を受けて新株予約権の行使条件を定めた場合に,新株予約権の発行後に上記行使条件を変更することができる旨の明示の委任がされているのであれば格別,そのような委任がないときは,当該新株予約権の発行後に上記行使条件を取締役会決議によって変更することは原則として許されず,これを変更する取締役会決議は,上記株主総会決議による委任に基づき定められた新株予約権の行使条件の細目的な変更をするにとどまるものであるときを除き,無効と解するのが相当である。
 これを本件についてみると,前記事実関係によれば,本件総会決議による本件委任を受けた取締役会決議に基づき,上場条件をその行使条件と定めて本件新株予約権が発行されたものとみるべきところ,本件総会決議において,取締役会決議により一旦定められた行使条件を変更することができる旨の明示的な委任がされたことはうかがわれない。そして,上場条件の撤廃が行使条件の細目的な変更に当たるとみる余地はないから,本件変更決議のうち上場条件を撤廃する部分は無効というべきである。
 (2) 以上のように,本件変更決議のうちの上場条件を撤廃する部分が無効である以上,本件変更決議に従い上場条件が撤廃されたものとしてされた補助参加人らによる本件新株予約権の行使は,当初定められた行使条件に反するものである。そこで,行使条件に反した新株予約権の行使による株式発行の効力について検討する。
 会社法上,公開会社(同法2条5号所定の公開会社をいう。以下同じ。)については,募集株式の発行は資金調達の一環として取締役会による業務執行に準ずるものとして位置付けられ,発行可能株式総数の範囲内で,原則として取締役会において募集事項を決定して募集株式が発行される(同法201条1項,199条)のに対し,公開会社でない株式会社(以下「非公開会社」という。)については,募集事項の決定は取締役会の権限とはされず,株主割当て以外の方法により募集株式を発行するためには,取締役(取締役会設置会社にあっては,取締役会)に委任した場合を除き,株主総会の特別決議によって募集事項を決定することを要し(同法199条),また,株式発行無効の訴えの提訴期間も,公開会社の場合は6箇月であるのに対し,非公開会社の場合には1年とされている(同法828条1項2号)
これらの点に鑑みれば,非公開会社については,その性質上,会社の支配権に関わる持株比率の維持に係る既存株主の利益の保護を重視し,その意思に反する株式の発行は株式発行無効の訴えにより救済するというのが会社法の趣旨と解されるのであり,非公開会社において,株主総会の特別決議を経ないまま株主割当て以外の方法による募集株式の発行がされた場合,その発行手続には重大な法令違反があり,この瑕疵は上記株式発行の無効原因になると解するのが相当である。所論引用の判例(最高裁昭和32年(オ)第79号同36年3月31日第二小法廷判決・民集15巻3号645頁,最高裁平成2年(オ)第391号同6年7月14日第一小法廷判決・裁判集民事172号771頁)は,事案を異にし,本件に適切でない。
 そして,非公開会社が株主割当て以外の方法により発行した新株予約権に株主総会によって行使条件が付された場合に,この行使条件が当該新株予約権を発行した趣旨に照らして当該新株予約権の重要な内容を構成しているときは,上記行使条件に反した新株予約権の行使による株式の発行は,これにより既存株主の持株比率がその意思に反して影響を受けることになる点において,株主総会の特別決議を経ないまま株主割当て以外の方法による募集株式の発行がされた場合と異なるところはないから,上記の新株予約権の行使による株式の発行には,無効原因があると解するのが相当である。
 これを本件についてみると,本件総会決議の意味するところは,本件総会決議の趣旨に沿うものである限り,取締役会決議に基づき定められる行使条件をもって,本件総会決議に基づくものとして本件新株予約権の内容を具体的に確定させることにあると解されるところ,上場条件は,本件総会決議による委任を受けた取締役会の決議に基づき本件総会決議の趣旨に沿って定められた行使条件であるから,株主総会によって付された行使条件であるとみることができる。また,本件新株予約権が経営陣の意欲や士気の高揚を目的として発行されたことからすると,上場条件はその目的を実現するための動機付けとなるものとして,本件新株予約権の重要な内容を構成していることも明らかである。したがって,上場条件に反する本件新株予約権の行使による本件株式発行には,無効原因がある。
 6 以上によれば,会社法828条1項2号に基づき本件株式発行を無効とした原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官大谷剛彦,同寺田逸郎の各補足意見がある。
Ⅲ 募集株式発行の差止め
1.本件株式発行が有利発行といえるか
(1)会社法210条の要件
+第二百十条  次に掲げる場合において、株主が不利益を受けるおそれがあるときは、株主は、株式会社に対し、第百九十九条第一項の募集に係る株式の発行又は自己株式の処分をやめることを請求することができる。
一  当該株式の発行又は自己株式の処分が法令又は定款に違反する場合
二  当該株式の発行又は自己株式の処分が著しく不公正な方法により行われる場合
・法令定款違反=募集株式の発行に際して遵守すべき具体的な法令又は定款の規定に違反する場合をいい、取締役の善管注意義務に違反する場合を含まない!!!
(2)本件株式発行の法令違反
+(公開会社における募集事項の決定の特則)
第二百一条  第百九十九条第三項に規定する場合を除き、公開会社における同条第二項の規定の適用については、同項中「株主総会」とあるのは、「取締役会」とする。この場合においては、前条の規定は、適用しない。
2  前項の規定により読み替えて適用する第百九十九条第二項の取締役会の決議によって募集事項を定める場合において、市場価格のある株式を引き受ける者の募集をするときは、同条第一項第二号に掲げる事項に代えて、公正な価額による払込みを実現するために適当な払込金額の決定の方法を定めることができる。
3  公開会社は、第一項の規定により読み替えて適用する第百九十九条第二項の取締役会の決議によって募集事項を定めたときは、同条第一項第四号の期日(同号の期間を定めた場合にあっては、その期間の初日)の二週間前までに、株主に対し、当該募集事項(前項の規定により払込金額の決定の方法を定めた場合にあっては、その方法を含む。以下この節において同じ。)を通知しなければならない
4  前項の規定による通知は、公告をもってこれに代えることができる
5  第三項の規定は、株式会社が募集事項について同項に規定する期日の二週間前までに金融商品取引法第四条第一項 から第三項 までの届出をしている場合その他の株主の保護に欠けるおそれがないものとして法務省令で定める場合には、適用しない
・改正による追加
+(公開会社における募集株式の割当て等の特則)
第二百六条の二  公開会社は、募集株式の引受人について、第一号に掲げる数の第二号に掲げる数に対する割合が二分の一を超える場合には、第百九十九条第一項第四号の期日(同号の期間を定めた場合にあっては、その期間の初日)の二週間前までに、株主に対し、当該引受人(以下この項及び第四項において「特定引受人」という。)の氏名又は名称及び住所、当該特定引受人についての第一号に掲げる数その他の法務省令で定める事項を通知しなければならない。ただし、当該特定引受人が当該公開会社の親会社等である場合又は第二百二条の規定により株主に株式の割当てを受ける権利を与えた場合は、この限りでない。
一  当該引受人(その子会社等を含む。)がその引き受けた募集株式の株主となった場合に有することとなる議決権の数
二  当該募集株式の引受人の全員がその引き受けた募集株式の株主となった場合における総株主の議決権の数
2  前項の規定による通知は、公告をもってこれに代えることができる。
3  第一項の規定にかかわらず、株式会社が同項の事項について同項に規定する期日の二週間前までに金融商品取引法第四条第一項 から第三項 までの届出をしている場合その他の株主の保護に欠けるおそれがないものとして法務省令で定める場合には、第一項の規定による通知は、することを要しない
4  総株主(この項の株主総会において議決権を行使することができない株主を除く。)の議決権の十分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)以上の議決権を有する株主が第一項の規定による通知又は第二項の公告の日(前項の場合にあっては、法務省令で定める日)から二週間以内に特定引受人(その子会社等を含む。以下この項において同じ。)による募集株式の引受けに反対する旨を公開会社に対し通知したときは、当該公開会社は、第一項に規定する期日の前日までに、株主総会の決議によって、当該特定引受人に対する募集株式の割当て又は当該特定引受人との間の第二百五条第一項の契約の承認を受けなければならない。ただし、当該公開会社の財産の状況が著しく悪化している場合において、当該公開会社の事業の継続のため緊急の必要があるときは、この限りでない。
5  第三百九条第一項の規定にかかわらず、前項の株主総会の決議は、議決権を行使することができる株主の議決権の過半数(三分の一以上の割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)を有する株主が出席し、出席した当該株主の議決権の過半数(これを上回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合以上)をもって行わなければならない。
(3)本件株式発行が有利発行といえるか
・時価を出発点としてよいのか。
+判例(東京高判S48.7.27)
 〔抄 録〕 
 新株の発行価額は、その決定時(すなわち、特段の定めのない限り、取締役会において新株の発行事項を決定する決議のなされた日)における、発行会社の株式の市場価格、企業の資産状態及び収益力(なお、これらは、通例、配当の状況によって端的に示される。)、株式市況の見透し等を総合したうえ、更に株式申込時までの株価変動の危険及び新株式発行により生ずる株式の需給関係の状況等をも考慮して決定さるべきものであって、発行価額がこのようにして決定された時、その価額は発行会社の有する企業の客観的価値を反映した公正かつ適正なものということができる。 
 そうして、発行会社の株式が上場されている場合には、株式市場で形成される価格、すなわち株価は、通常は、前記公正な発行価額を決定する諸要素のうちの中心をなす、企業の資産状況及び収益力等を反映しその客観的価値を示すものであるから、右資産状況及び収益力等のほか前記のような諸要素をも考慮に加えて決定される新株式の発行価額は、多くの場合価額決定当時の株価の一五パーセント減以内の価額となるべきものとし、この見地から、このような価額を以て公正ないし適正な発行価額と観念することは、理由のないことではないしかし、株式市場も一の競争市場である以上、ここで形成される株価が常に企業の客観的価値のみに基づくとは限らず、時としては、企業の客観的価値以外の投機的思惑その他の人為的な要素によって、株価が企業の客観的価値を反映することなく異常に騰落することもあるのであるから、上場会社の新株の発行価額の決定に当たって、常に市場における株価だけを絶対視することは、ことの本質を見誤るものといわなければならない控訴人は、本件において新株の価額決定の日の前日における株価をいわば絶対視し、その五ないし一五パーセント減の範囲内において定められた価額だけが公正、適正な価額であり、それ以外のものはすべて商法第二八〇条ノ一一にいう「著しく不公正な発行価額」である旨を強調し、この主張にそう資料として、当審において、さらに≪証拠≫を提出しているけれども、既に述べたとおり、新株の公正、適正な発行価額は、冒頭に挙げた諸要素を総合的に勘案のうえ決定されるべきものであることからすると、公正な発行価額を控訴人のように固定的に考えるべき理由はないものというべきであって、前掲甲号各証も控訴人の主張を肯認するに足るものではない。 
 (白石 川上 間中)
+判例(東京地決H1.7.25)
第二、当裁判所の判断 
一、当事者間に争いのない事実並びに一件記録及び当事者各審尋の結果によって認められる事実は次のとおりである。 
 1. 被申請人は、資本の額が一二五億五九八二万四六九四円、発行済株式総数が九〇二九万二四七六株(額面金五〇円)で、東京証券取引所一部上場の株式会社であり、申請人は、被申請人の株式三〇一一万一〇〇〇株を有する株主である。 
 2. 被申請人の東京証券取引所における株価は、昭和六二年一二月ころまでは九〇〇円ないし一二〇〇円前後で推移していたが、昭和六三年一月以降急騰し、同年二月から同年五月ころまでには四〇〇〇円前後となり、その後さらに上昇して、同年八月にはいったん八〇〇〇円をつけたものの、その後は概ね四八〇〇円ないし六〇〇〇円程度の価格で推移し、本件仮処分申請時まで、被申請人の株価が、昭和六三年二月以降は三〇〇〇円を、同年七月以降は四〇〇〇円を、同年一〇月以降は四六〇〇円をそれぞれ下まわったことはない。 
 3. 申請人は、昭和六二年一〇月ころから、被申請人の株式を大量に取得し始めたが、その後現在までの東京証券取引所における被申請人の株式の取引高総数に占める申請人の取得株式数の割合は約四分の一に過ぎない。 
 4. 申請人は、昭和六三年六月から一〇月にかけて、被申請人と会談し、被申請人の株式を二七〇〇万株ないし二八〇〇万株取得したことを明らかにしたうえで、被申請人、いなげやと株式会社ライフストア(以下「ライフストア」という。)の三社合併を提案し、それにともなう人事についても申請人の構想を述べたが、被申請人及びいなげやは右の提案を拒否した。 
 5. 被申請人といなげやは、昭和六三年一二月に本件業務提携の交渉を開始し、業務提携をすることについては直ちに合意した後、その具体的方法について交渉を継続し、平成元年二月以降、野村企業情報株式会社にその方法についての情報の提供を依頼した。両社間の業務提携の機運は従来からあったが、右両社間でそれを真剣に話し合ったことは昭和六三年一二月まではなく、本件業務提携は、被申請人、いなげやとライフストアの合併を申請人から提案されたことに誘発され、申請人の要求に対抗し、これを拒否するため、一気に具体化したものである。 
 6. 申請人は、平成元年七月七日に三〇〇九万株の、同月一〇日に二万一〇〇〇株の、被申請人株式の各名義書換手続をし、その名義人となった。 
 7. 被申請人は、平成元年七月八日、いなげやとの間で、各会社の取締役会の承認決議を停止条件として、本件業務提携及び資本提携をすることを合意し、同月一〇日両社の取締役会において、それぞれの承認決議をするとともに、次のとおり本件新株発行をすることを決議し、その発行価額の決定にあたっては、市場価格が極めて高騰していたことを理由に、これを基礎とすることなく、他の株式価格算定方式を用いて被申請人としてあるべき株式価格を算定し、これを基準にした価格を発行価額とした。 
 (一) 発行新株数 記名式額面普通株式 
   二二〇〇万株 
 (二) 割当方法 発行する株式全部をいなげやに割り当てる。 
 (三) 発行価額 一株につき 
   金一一二〇円 
 (四) 払込期日 平成元年七月二六日 
 また、申請人といなげやは、同日、業務提携のためのプロジェクト・チームを発足させ、その後、業務提携のための具体的作業を進行中である。 
 8. 本件新株発行は、被申請人といなげやとの本件業務提携にともない、同時期に相互に新株を発行して資本提携をする目的でされるものであり、相互に相手方会社の発行済株式総数の一九・五パーセントの株式を保有することとしている。そして、被申請人のいなげやに対して発行する新株二二〇〇万株の発行価額総額は二四六億四〇〇〇万円、いなげやの被申請人に対して発行する新株一二四〇万株の発行価額総額は一九五億九二〇〇万円である。両社は、いずれもインパクト・ローンによって右資金を調達し、払込期日の直後に相手会社からの新株払込金をもってその返済にあてるが、右発行価額総額の差額である約五〇億円についても、被申請人においてこれを特定の業務上の資金として使用する具体的な目的のもとに本件新株発行がされたわけではなく、いなげやにおいては金融機関からの長期借入金としてこれを処理することとしている。 
 9. 本件新株発行にあたっては、商法二八〇条の二第二項所定の被申請人の株主総会決議はされていない。 
 10. 本件新株発行が実行されると、被申請人の発行済株式総数に対する申請人の持株比率は、三三・三四パーセントから二六・八一パーセントに低下するうえ、東京証券取引所における被申請人の株価が一挙に低下する蓋燃性が極めて高い。 
二、そこで、まず、本件新株発行の発行価額が商法二八〇条の二第二項所定の「特ニ有利ナル発行価額」に該当するか否かについて判断する。 
 ところで、新株の公正な発行価額とは、取締役会が新株発行を決議した当時において、発行会社の株式を取得させるにはどれだけの金額を払い込ませることが新旧株主の間において公平であるかという観点から算定されるべきものである。本件のように、発行会社が上場会社の場合には、会社資産の内容、収益力および将来の事業の見通し等を考慮した企業の客観的価値が市場価格に反映されてこれが形成されるものであるから、一般投資家が売買をできる株式市場において形成された株価が新株の公正な発行価額を算定するにあたっての基準になるというべきである。そして、株式が株式市場で投機の対象となり、株価が著しく高騰した場合にも、市場価格を基礎とし、それを修正して公正な発行価額を算定しなければならないなぜなら、株式市場での株価の形成には、株式を公開市場における取引の対象としている制度からみて、投機的要素を無視することはできないため、株式が投機の対象とされ、それによって株価が形成され高騰したからといって、市場価格を、新株発行における公正な発行価額の算定基礎から排除することはできないからである。もっとも、株式が市場においてきわめて異常な程度にまで投機の対象とされ、その市場価格が企業の客観的価値よりはるかに高騰し、しかも、それが株式市場における一時的現象に止まるような場合に限っては、市場価格を、新株発行における公正な発行価額の算定基礎から排除することができるというべきである。 
 これを本件についてみるに、被申請人の東京証券取引市場における株価の推移は前記一2に認定のとおりであって、三〇〇〇円以上の状態が一年五か月間、四〇〇〇円以上の状態が一年間と相当長期間にわたって続いており、しかもこのような株価の高騰は、申請人が被申請人の株式を大量に取得したことにその原因の一があるとともに、被申請人の株式が投機の対象となっていることは否定できないところであると考えられる。しかし、本件においては、被申請人の株価の推移、特に一定額以上の株価が相当長期間にわたって維持されていることに照らすと、その価格を新株発行にあたっての公正な発行価額の算定基礎から排除することは相当ではないしたがって、本件新株発行において市場価格を無視してこれを基準とすることなく算定され決定された一一二〇円という発行価額は、当時の市場価格からはるかに乖離したものであることからみて、商法二八〇条の二第二項所定の「特ニ有利ナル発行価額」に該当するというべきである。よって、それにもかかわらず同条項所定の株主総会決議を経ていない本件新株発行は、その手続に法令違反があるといわなければならない。 
三、次に、本件新株発行が不公正発行に該当するか否かについて判断する。 
 商法は、株主の新株引受権を排除し、割当自由の原則を認めているから、新株発行の目的に照らし第三者割当を必要とする場合には、授権資本制度のもとで取締役に認められた経営権限の行使として、取締役の判断のもとに第三者割当をすることが許され、その結果、従来の株主の持株比率が低下しても、それをもってただちに不公正発行ということはできないしかし、株式会社においてその支配権につき争いがある場合に、従来の株主の持株比率に重大な影響を及ぼすような数の新株が発行され、それが第三者に割り当てられる場合、その新株発行が特定の株主の持株比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的としてされたものであるときは、その新株発行は不公正発行にあたるというべきであり、また、新株発行の主要な目的が右のところにあるとはいえない場合であっても、その新株発行により特定の株主の持株比率が著しく低下されることを認識しつつ新株発行がされた場合は、その新株発行を正当化させるだけの合理的な理由がない限り、その新株発行もまた不公正発行にあたるというべきである。 
 これを本件新株発行についてみるに、前記認定事実によると、被申請人といなげやとの業務提携の機運は従来からまったくなかったわけではないものの、右両者間でそれが真剣に話し合われたことはなく、本件業務提携は、被申請人、いなげや、ライフストアの三社合併を申請人から提案されたことにより、被申請人といなげやが、申請人の要求を拒否し、対抗するため具体化したものであるところ、本件業務提携にあたり被申請人がいなげやに対し従来の発行済株式総数の一九・五パーセントもの多量の株式を割り当てることが業務提携上必要不可欠であると認めることのできる十分な疎明はなく、しかも、本件新株発行によって調達された資金の大半は、実質的には、いなげやが発行する新株の払込金にあてられるものであって、差額として被申請人のもとに留保される約五〇億円についても、特定の業務上の資金としてこれを使用するために本件新株発行がされたわけではないこと、また、申請人が被申請人の経営に参加することが被申請人の業務にただちに重大な不利益をもたらすことの疎明もないことからみると、被申請人がした本件新株発行は、申請人の持株比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的とするものであり、又は少なくともこれにより申請人の持株比率が著しく低下されることを認識しつつされたものであるのに、本件のような多量の新株発行を正当化させるだけの合理的な理由があったとは認められないから、本件新株発行は著しく不公正な方法による新株発行にあたるというべきである。 
四、本件新株発行により申請人が損害を被ることは前記認定のとおりであって、それは容易に回復することのできない損害というべきであり、他方、本件新株発行を差し止めることによって被申請人が重大な不利益を被ることの疎明はない。そして、本件新株発行の払込期日が間近に迫っており、その期日が到来して引受人が払込みを済ませ本件新株発行の効力が生じた後は差止請求自体が無意味となることも明らかであるから、本件仮処分申請については保全の必要性もあるというべきである。 
五、よって、本件仮処分申請は理由があるから、申請人に担保を立てさせることなくこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。 
民事第8部 
 (裁判長裁判官 山口和男 裁判官 佐賀義史 垣内正) 
・会社が有利な資金調達を実現するという利益と、既存株主の利益
+判例(S50.4.8)
理由
上告代理人渡辺忠雄の上告理由一、二について。
控訴審がその判決の理由を記載するにあたつては一審判決の理由を引用することができる(民訴法三九一条)のであるから、原審のした一審判決の引用に違法はなく、また、所論指摘の主張は、ひつきよう、事実認定又は法律解釈についての主張であつて、原審がこれにつき逐一判断を示さなければならないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同一、三ないし六について。
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができる。
ところで、普通株式を発行し、その株式が証券取引所に上場されている株式会社が、額面普通株式を株主以外の第三者に対していわゆる時価発行をして有利な資本調達を企図する場合に、その発行価額をいかに定めるべきかは、本来は、新株主に旧株主と同等の資本的寄与を求めるべきものであり、この見地からする発行価額は旧株の時価と等しくなければならないのであつて、このようにすれば旧株主の利益を害することはないが、新株を消化し資本調達の目的を達成することの見地からは、原則として発行価額を右より多少引き下げる必要があり、この要請を全く無視することもできないそこで、この場合における公正発行価額は、発行価額決定前の当該会社の株式価格、右株価の騰落習性、売買出来高の実績、会社の資産状態、収益状態、配当状況、発行ずみ株式数、新たに発行される株式数、株式市況の動向、これらから予測される新株の消化可能性等の諸事情を総合し、旧株主の利益と会社が有利な資本調達を実現するという利益との調和の中に求められるべきものである。
本件についてみるに、原審認定の前記事実によれば、株式会社横河電機製作所(以下「横河電機」という。)発行にかかる本件新株(記名式額面普通株式、一株の金額五〇円)の発行価額は、本件新株を買取引受の方式によつて引受けた証券業者である被上告人らが昭和三六年一月七日に横河電機に対して具申した意見に基づき、同月九日の取締役会において右意見どおり決定されたものであるところ、右意見は、具申の前日である同月六日の終値三六五円、前一週間(昭和三五年一二月二六日から昭和三六年一月六日まで)の終値平均三五九円一七銭、前一か月(昭和三五年一二月七日から昭和三六年一月六日まで)の終値平均三五〇円二七銭の三者の単純平均三五八円一五銭から、新株の払込期日が期中であつたので、配当差二円四一銭を差引いた三五五円七四銭を基準とし、横河電機の株式の価格動向としては人気化していたため急落する可能性が強く、過去六年間における一か月以内の下落率の大勢は一〇ないし一四パーセントに集中していたこと、その売買出来高が昭和三五年九月から同年一二月まで一日平均一九万三〇〇〇株であるのに比べると本件公募株数は一五〇万株の大量であること、その他、当時における株式市況の見通し等を勘案すれば、本件新株を売出期間中に消化するためには前記基準額を最低一〇パーセント値引する必要がある等の事由による減額修正をして、発行価額としては一株あたり三二〇円をもつて相当とするというのである。このように、右の意見が出されるにあたつては、客観的な資料に基づいて前記考慮要因が斟酌されているとみることができ、そこにおいてとられている算定方法は前記公正発行価額の趣旨に照らし一応合理的であるというを妨げず、かつ、その意見に従い取締役会において決定された右価額は、決定直前の株価に近接しているということができる。このような場合、右の価額は、特別の事情がないかぎり、商法二八〇条ノ一一に定める「著シク不公正ナル発行価額」にあたるものではないと解するのを相当とすべく、右価額が当該新株をいわゆる買取引受方式によつて引受ける証券業者が具申した意見に基づきその意見どおり決定されたとの前記事実も、右の意見の合理性が肯定できる以上、それだけで右の判断を異にすべき理由にはならない。そして、本件新株の発行後横河電機の株価が値上りしたことは原審の確定するところであるが、本件発行価額決定時点においてそのことが確実であることを保証する事実が顕著であつたとはいえないとする原審確定の事実関係のもとにおいては、右値上りの事実をもつて特別の事情と認めるには足りず、他に特別の事情を認めるに足る事実関係のない本件においては、本件発行価額が「著シク不公正ナル発行価額」であるということはできないのである。これと同旨の原審判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 江里口清雄 裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 髙辻正己)

(4)日本証券業協会の自主ルールの位置づけ

+判例(東京地決H16.6.1)
第三 当裁判所の判断
一 被保全権利について
(1) 商法二八〇条ノ二第二項にいう「特ニ有利ナル発行価額」とは、公正な発行価額よりも特に低い価額をいうところ、株式会社が普通株式を発行し、当該株式が証券取引所に上場され証券市場において流通している場合において、新株の公正な発行価額は、旧株主の利益を保護する観点から本来は旧株の時価と等しくなければならないが、新株を消化し資本調達の目的を達成する見地からは、原則として発行価額を時価より多少引き下げる必要もある。そこで、この場合における公正な発行価額は、発行価額決定前の当該会社の株式価格、上記株価の騰落習性、売買出来高の実績、会社の資産状態、収益状態、配当状況、発行済株式数、新たに発行される株式数、株式市況の動向、これらから予測される新株の消化可能性等の諸事情を総合し、旧株主の利益と会社が有利な資本調達を実現するという利益との調和の中に求められるべきものである。もっとも、上記の公正な発行価額の趣旨に照らすと、公正な発行価額というには、その価額が、原則として、発行価額決定直前の株価に近接していることが必要であると解すべきである(最高裁判所昭和五〇年四月八日第三小法廷判決・民集二九巻四号三五〇頁参照)。
(2) これを本件についてみると、本件発行価額三九三円は、平成一六年五月一七日時点の証券市場における一株あたりの株価一〇一〇円と比較して約三九パーセントにすぎない。また、前記自主ルールは、旧株主の利益と会社が有利な資本調達を実現するという利益との調和の観点から日本証券業協会における取扱いを定めたものとして一応の合理性を認めることができるところ、本件発行価額は、本件新株発行決議の直前日の価額に〇・九を乗じた九〇九円と比較して約四三パーセント、本件新株発行決議の日の前日から六か月前までの平均の価額に〇・九を乗じた六五〇円と比較しても約六〇パーセントにすぎない。
本件発行価額は、本件鑑定に基づいて決定されたものであるが、上記のとおり、本件新株発行決議の直前日の株価と著しく乖離しており、本件鑑定を精査しても、こうした乖離が生じた理由が客観的な資料に基づいて前記考慮要因を斟酌した結果であると認めることはできず、その算定方法が前記公正発行価額の趣旨に照らし合理的であるということはできない
(3) これに対し、債務者は、債務者の株価は本年一月以降に急激に上昇しており、平成一六年五月一七日時点における債務者株式の市場価格一株当たり一〇一〇円の数値は、株価の操縦、投機を目的とした債権者らによる違法な買占めを原因とするものであり、債務者の企業価値を正確に反映したものではないので、本年一月以降の市場価格は公正な発行価額算定基礎から排除すべきであると主張する。
なるほど、前記第二の三のとおり、債務者の一株当たりの株価は、平成一五年八月ころは概ね二〇〇円台で推移していたところ、同年九月ころから上昇し、平成一六年一月に入り概ね五〇〇円台に上昇し、同年二月には概ね六〇〇円台から七〇〇円台で推移し、同年三月には八〇〇円台を超えて九〇〇円台ないし一〇〇〇円台に上昇し、同年四月には九〇〇円台から一〇〇〇円台で推移し、同年五月には概ね一〇〇〇円台で推移していることが認められ、本件各《証拠省略》によれば、債権者らによる大量の株式取得が、債務者株式の証券市場における株価に影響を与えていることは否定できない。しかし、本件各《証拠省略》によれば、債権者らは債務者への経営参加や技術提携の要望を有しており、債務者に対する企業買収を目的として長期的に保有するために株式を取得したものであることが窺われ、本件全証拠を精査しても、債権者らが不当な肩代わりや投機的な取引を目的として株式を取得したものと認めるに足りる資料はない。また、本件各《証拠省略》によれば、債務者の業績も改善していること、証券業界(会社四季報)における債務者の業績の評価も向上していること、債務者と同様にバルブ事業を営む企業においても、昨年後半から今年にかけて株価が二倍ないし四倍に高騰している事例があることの各事実が認められ、これらの事実に加え、前記のとおり債務者の一株当たりの株価が今年に入って五〇〇円以上で推移している事実に照らせば、債務者株式の株価の上昇が一時的な現象に止まると認めることはできない
そうすると、本件において、公正な発行価額を決定するに当たって、本件新株発行決議の直前日である平成一六年五月一七日の株価、又は本件新株発行決議以前の相当期間内における株価を排除すべき理由は見出しがたい
(4) 以上によれば、本件発行価額三九三円は、公正な発行価額より特に低い価額すなわち「特ニ有利ナル発行価額」といわざるを得ず、商法三四三条の特別決議を経ないで行われた本件新株発行は、商法二八〇条ノ二第二項に違反するというべきである。
そして、本件新株発行が行われた場合、既存株主が株価下落による不利益を被ることは明らかであり、債権者らは、債務者に対して商法二八〇条ノ一〇に基づく本件新株発行の差止請求権を有する。

二 保全の必要性
本件新株発行決定時の株価と本件発行価額との差額の程度及び従前の発行済株式総数一六三〇万株に対し本件新株発行に係る発行予定総数が七七〇万株であるというその数量にかんがみると、既存株主の被る不利益は極めて重大なものであるから、著しい損害を被るおそれを認めることができる
そして、本件新株発行の払込期日は、平成一六年六月三日と定められていて間近に迫っているところ、その期日が到来し、引受人が払込みをして本件新株発行の効力が生じた場合、その後は商法二八〇条ノ一〇に基づく差止請求権それ自体が無意味なものとなるだけでなく、商法三四三条所定の特別決議を経ないで株主以外の者に特に有利なる発行価額をもって新株を発行したことは、新株発行無効の訴え(商法二八〇条ノ一五)における無効原因とならないと解されるから、本件新株発行の手続を差し止めるについての保全の必要性も認めることができる
三 結論
以上によれば、債権者の申立ては、その余の点を判断するまでもなく理由があると認められるから、債権者らに代わり債権者代理人弁護士新保克芳に、債権者らの共同の担保として金一〇〇〇万円の担保を立てさせたうえでこれを認容することとし、申立費用につき民事保全法七条、民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 鹿子木康 裁判官 佐々木宗啓 名島亨卓)

+判例(横浜地決H19.6.4)

・非公開会社の場合
+判例(H27.2.19)
理 由
上告代理人加々美博久ほかの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 本件は,上告補助参加人(以下「参加人」という。)の株主である被上告人が,参加人の取締役であった上告人らに対し,平成16年3月の新株発行(以下「本件新株発行」という。)における発行価額は商法(平成17年法律第87号による改正前のもの。以下同じ。)280条ノ2第2項の「特ニ有利ナル発行価額」に当たるのに,上告人らは同項後段の理由の開示を怠ったから,同法266条1項5号の責任を負うなどと主張して,同法267条に基づき,連帯して22億5171万5618円及びこれに対する遅延損害金を参加人に支払うことを求める株主代表訴訟である。
上告人らは,本件新株発行における発行価額は「特ニ有利ナル発行価額」に当たらないなどと主張して,これを争っている。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 参加人は,平成16年3月当時,非上場会社であり,株式の譲渡につき取締役会の承認を要する旨の定款の定めがあった。本件新株発行前における参加人の発行済株式の総数は40万株であり,これらは役員,幹部従業員等によって保有されていた。
(2) 参加人は,株式の上場を計画し,平成12年5月,新株引受権の権利行使価額を1株1万円とする新株引受権付社債を発行した。
しかしながら,その後,参加人では,主力商品の展開に失敗して売上げの減少が続いた上,不動産について巨額の含み損を抱えるに至り,有利子負債の額も増大した。参加人は,取引銀行に対して返済停止や追加融資を要請したが,いずれも断られたり,難色を示されたりした。そこで,参加人は,役員報酬及び従業員給与の削減,定期昇給の凍結,広告費の削減等を断行したほか,不動産を順次売却した。
参加人では,平成10年度から平成12年度までの3事業年度(4月1日から翌年の3月31日までをいう。以下同じ。)には1株当たり150円の配当がされていたが,平成13年度及び平成14年度には配当がされなかった。
(3) 参加人では,平成13年頃から,参加人の株式を保有する役員,幹部従業員等の退職が相次いだ。代表取締役の上告人Y1その他の役員等は,退職者からその保有する株式の買取りを求められ,その都度,1株1500円でこれらを買い取った。
参加人は,平成14年7月から同年10月までの間,上告人Y1から上記株式の一部を1株1500円で購入し,自己株式とした。もっとも,参加人は,取引銀行からの要請等を踏まえ,平成15年11月,上告人Y1に対してこれらの自己株式を1株1500円で売却した。
なお,上告人Y1は,平成14年12月,幹部従業員約40名に対し,上告人Y1の引き続き保有する株式を1株1500円で購入するよう希望者を募ったが,希望者はほとんど現れなかった。また,上記(2)の新株引受権付社債については,平成15年6月,参加人の株主総会において,新株引受権の権利行使価額を1株1500円に変更する旨の特別決議がされた。
(4) 参加人は,平成15年11月に行われた自己株式の処分に先立ち,B公認会計士(以下「B会計士」という。)に参加人の株価の算定を依頼した。
B会計士は,平成15年10月頃,参加人から,①平成12年度から平成14年度までの決算書(貸借対照表,損益計算書及び利益処分計算書),営業報告書及び附属明細書,②平成14年度の法人税確定申告書及び勘定科目内訳書,③参加人の過去の株式売買実績例及び株式移動表並びに株主名簿,④相続税路線価による参加人保有土地の評価資料,ゴルフ場等の含み損益に関する資料及び債権の貸倒引当金の明細等の提出を受けた。また,B会計士は,参加人の担当部長と面談し,建物及び子会社株式にも含み損があることや,株価算定の基礎資料となる事業計画は存在しないことなどを確認した。その上で,B会計士は,平成15年10月31日,次のアからウまでの理由により,参加人の同年6月26日以降の株価を1株1500円と算定し,その旨参加人に報告した。
ア 参加人の株式は,一時的に無配であるものの,それ以前は継続して配当が行われてきたことや,一定期間,利益配当に係る期待値によって評価された価格により株式売買が行われてきたことを考慮すると,配当還元法により算定するのが適切と考えられる。
イ 参加人では,従前は1株当たり150円の配当がされており,直近の過去2事業年度は経営体質の強化を目的として一時的に無配としたものにすぎず,今後,利益配当を復活させることを予定しているのであって,直近の取引事例にも照らすと,株価の算定に当たっては,1株当たりの配当金額を150円とするのが相当である。そして,これを財産評価基本通達の配当還元法の算式で用いられている資本還元率で還元すると,1株当たりの評価額は1500円と算定される。
ウ 参加人の時価純資産に巨額のマイナスが生じていることや,株価算定の基礎資料となる事業計画はないこと,売上げも減少傾向にあることなどからすれば,簿価純資産法,時価純資産法,収益還元法,DCF法及び類似会社比準法は採用しない。
(5)ア 参加人は,店舗改修等の設備投資資金及び運転資金を調達するとともに,役員や幹部従業員に株式を保有させて経営への参画意識を高めることを目的として,本件新株発行を行うことにした。もっとも,これは上記(3)の自己株式の処分と同一事業年度内での新株発行であり,B会計士の算定結果の報告から4箇月程度しか経過していなかったため,改めて専門家の意見を聴取することはなかった。
イ まず,平成16年2月19日,参加人の取締役会において,次のとおり本件新株発行を行う旨の決議がされた。
新株の種類及び数 普通株式4万株
発行価額 1株1500円
払込期日 同年3月24日
割当先 上告人Y12万3000株,上告人Y25000株,上告人Y31000株,C6000株,D2000株,E2000株,F1000株
ウ これを踏まえ,上告人Y1は,株主らに対し,本件新株発行における新株の種類及び数,発行価額,払込期日,割当先等を記載した株主総会招集通知を送付した。そして,平成16年3月8日,参加人の株主総会において,本件新株発行を行う旨の特別決議がされた。その際,上告人らは,「特ニ有利ナル発行価額」をもって株主以外の者に対し新株を発行することを必要とする理由の説明はしなかった。
(6) 参加人の平成15年度の決算は増収増益となり,有利子負債の額も減少に転じ,1株100円の配当が行われた。また,平成16年度には広告宣伝の効果もあって新商品の売上げが伸び,増収増益となり,有利子負債の額も大きく減少し,1株150円の配当がされた。平成17年度には,新商品の相次ぐ投入や,店舗の刷新等の設備投資の結果,商品の売行きは好調となった。
参加人は,株式の上場を再び視野に入れるようになり,平成18年2月には1株を10株にする株式分割を行い,同年3月には新株22万株を1株900円で発行した。

3 原審は,次のとおり判断して,被上告人の請求を一部認容すべきものとした。
参加人の株式は,平成12年5月時点で1株1万円程度,平成18年3月時点で1株(株式分割前)9000円程度の価値を有していたというべきところ,DCF法によれば平成16年3月時点の価値は1株7897円と算定されるのであって,これに諸般の事情も併せ考慮すると,本件新株発行における公正な価額は少なくとも1株7000円を下らないというべきであるから,本件新株発行の発行価額(1株1500円)は「特ニ有利ナル発行価額」に当たる。なお,B会計士の採用した配当還元法は,主として少数株主の株式評価において,安定した配当が継続的に行われている場合に用いられる評価手法であって,本件においては相当性を欠く。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 非上場会社の株価の算定については,簿価純資産法,時価純資産法,配当還元法,収益還元法,DCF法,類似会社比準法など様々な評価手法が存在しているのであって,どのような場合にどの評価手法を用いるべきかについて明確な判断基準が確立されているというわけではない。また,個々の評価手法においても,将来の収益,フリーキャッシュフロー等の予測値や,還元率,割引率等の数値,類似会社の範囲など,ある程度の幅のある判断要素が含まれていることが少なくない
株価の算定に関する上記のような状況に鑑みると,取締役会が,新株発行当時,客観的資料に基づく一応合理的な算定方法によって発行価額を決定していたにもかかわらず,裁判所が,事後的に,他の評価手法を用いたり,異なる予測値等を採用したりするなどして,改めて株価の算定を行った上,その算定結果と現実の発行価額とを比較して「特ニ有利ナル発行価額」に当たるか否かを判断するのは,取締役らの予測可能性を害することともなり,相当ではないというべきである。
したがって,非上場会社が株主以外の者に新株を発行するに際し,客観的資料に基づく一応合理的な算定方法によって発行価額が決定されていたといえる場合には,その発行価額は,特別の事情のない限り,「特ニ有利ナル発行価額」には当たらないと解するのが相当である。
(2) これを本件についてみると,B会計士は決算書を初めとする各種の資料等を踏まえて株価を算定したものであって,B会計士の算定は客観的資料に基づいていたということができる。
B会計士は,参加人の財務状況等から配当還元法を採用し,従前の配当例や直近の取引事例などから1株当たりの配当金額を150円とするなどして株価を算定したものであって,本件のような場合に配当還元法が適さないとは一概にはいい難く,また,B会計士の算定結果の報告から本件新株発行に係る取締役会決議までに4箇月程度が経過しているが,その間,参加人の株価を著しく変動させるような事情が生じていたことはうかがわれないから,同算定結果を用いたことが不合理であるとはいえない。これに加え,本件新株発行の当時,上告人Y1その他の役員等による買取価格,参加人による買取価格,上告人Y1が提案した購入価格,株主総会決議で変更された新株引受権の権利行使価額及び自己株式の処分価格がいずれも1株1500円であったことを併せ考慮すると,本件においては一応合理的な算定方法によって発行価額が決定されていたということができる。
そして,参加人の業績は,平成12年5月以降は下向きとなり,しばらく低迷した後に上向きに転じ,平成18年3月には再度良好となっていたものであって,平成16年3月の本件新株発行における発行価額と,平成12年5月及び平成18年3月当時の株式の価値とを単純に比較することは相当でなく,他に上記特別の事情に当たるような事実もうかがわれない。
したがって,本件新株発行における発行価額は「特ニ有利ナル発行価額」には当たらないというべきである。

5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中上告人ら敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上記部分に関する被上告人の請求はいずれも理由がないから,同部分につき第1審判決を取り消し,同部分に関する請求をいずれも棄却すべきである。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山浦善樹 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官白木 勇)

(5)Xの不利益

2.本件株式発行が不公正発行といえるか
(1)支配権維持を目的とする募集株式の発行
機関権限の分配秩序に反する・・・。

(2)主要目的ルール

+判例(東京高決H24.7.12)
要旨
会社の支配権について争いが存在
争いに影響、当該発行が現経営陣の支配維持を主要な目的としてされたものである
会社側からの事業計画等としてなされたという反論

(3)会社支配権についての争い・本件株式発行の影響

+判例(東京高決H16.8.4)
第2 当裁判所の判断
1 前提事実
原決定の「理由」中の第3、1記載のとおりであるから、これを引用する。
2 被保全権利の有無
(1)ア まず、抗告人は、抗告の趣旨に係る株式発行(以下「本件新株発行」という。)が、相手方には1030億円もの資金需要は存在しないにもかかわらず、相手方の現経営陣の一部がその支配権を維持し、抗告人の支配権を侵奪することを唯一の目的として行われているものであり、商法280条ノ10所定の「著シク不公正ナル方法」による株式発行に当たる旨主張する。
イ 確かに、前記前提事実のとおり、平成16年の初めころから、抗告人代表者は相手方代表者に対して相手方の経営戦略の見直しをするよう再三にわたって迫り、同年6月に入ると相手方の経営に直接抗告人が関与するべく、相手方の取締役の過半数を抗告人側の関係者とするように提案を行ったが、相手方代表者はこれらの提案に直ちに応じず、相手方の経営方針や役員構成を巡って両者の間で対立が生じていた。
また、新株発行の検討開始から取締役会決議に至る経緯をみても、相手方代表者は、抗告人から次期定時株主総会において相手方の取締役の変更を求める議案提案を受けた後になってはじめて、相手方取締役のCらに対して新株発行の検討を指示したものであり、その指示に当たっても、事業の内容の検討に先立ち、あらかじめ増資の規模が示されており、相手方が本件新株発行に係る増資の資金使途としている本件業務提携に係る事業計画(以下「本件事業計画」という。)の検討が開始されたのはその後であった。しかも、本件事業計画が相手方の将来の方向性を左右するような大きな案件であり、本件新株発行に係る増資は相手方のそれまでの総資産の約2倍に当たる1000億円を超す巨額なものであるにもかかわらず、その検討期間は1か月にも満たないものであって、発行を決議した本件取締役会より前に取締役会で審議が行われたことは一度もなく、また、相手方側から相手方の社外取締役でもある抗告人代表者に対して本件新株発行について事前の説明は全くなく、むしろ社外取締役である抗告人代表者から取締役会の議題である「重要事業計画」について事前説明を求められたにもかかわらず、相手方は何らの回答も行わなかった。
さらに、相手方は、本件新株発行の払込期日の翌日に基準日を設定し、同年8月末に予定している第23回定時株主総会において、本件新株発行により新たに株主になったNPIに議決権の行使を認める旨の公告をしている。
そして、本件新株発行は、相手方のそれまでの発行済株式総数以上の数の新株を発行するものであり、本件新株発行により抗告人の相手方株式の保有割合が約39.2パーセントから約19.0パーセントへと著しく低下し、他方で、新株を引き受けたNPIの保有割合が約51.5パーセントと過半数に達することとなって、抗告人は相手方の筆頭株主の地位を失うことになる。
以上の各事実を総合すれば、本件新株発行において、相手方代表者をはじめとする相手方の現経営陣の一部が、抗告人の持株比率を低下させて、自らの支配権を維持する意図を有していたとの疑いは容易に否定することができない。
ウ しかしながら、本件事業計画に関する前記認定事実及び本件記録によれば、以下の事実が認められる。
まず、本件事業計画はSBBから提案されたものであり、平成16年7月1日にSBBから書面(乙10)による具体的な計画が提案されて以降、相手方とSBBとの間で本格的な交渉が開始され、交渉は、双方の会社関係者、双方の代理人である弁護士、SBBのアドバイザーであるゴールドマン・サックス証券、新株を引き受ける日興プリンシパルインベストメンツ等多数の関係者を交えて行われ、この交渉の結果、例えば当初のSBBの提案では投資規模が約2000億円であったものが自己資金分も含めて1280億円まで圧縮され、インバウンド業務の独占的業務委託に関して最低保障ブース数が設定されるなど、相手方の利益の確保につながる修正も行われた上、基本合意書(乙6)の調印に至っている。
この過程で、日興プリンシパルインベストメンツは新株引受の最終決定を行うに際して本件事業計画の詳細な分析を行っているところ(乙15、16の1)、それによると、本件事業計画の実施により相手方はソフトバンクグループのクレジットリスクに曝されることになるが、総合的にみれば許容すべきリスクであり、その他既存顧客との取引が喪失するリスク等諸リスクを考慮しても、連結ベースでの一株当たり利益は向上し、投資収益が確保されることから、全体として経済合理性に適う計画であると判断されている。さらに、相手方から依頼を受けた公認会計士は、詳細な分析に基づき、SBBから相手方が譲り受けるBCCの株式の譲受価格が、相手方の株主にとって財務的な観点から妥当である旨判断している(乙21の1・2)。そして、相手方の本件事業計画における収益予測では、5年間の営業利益として984億円を見込み、既存の通信情報サービス事業者との業務環境の変化による逸失営業利益を想定した場合でも5年間で880億円(連結ベース)の営業利益増を見込んでおり、その結果、相手方の一株当たりの純利益(EPS)は5年間に2倍近く向上し、株主資本利益率(ROE)も概ね維持されると見込んでいる(乙3、22)。
その他、証券アナリストの評価においても本件業務提携を積極的に評価する見方も少なからずある。
以上の各事実に加え、本件事業計画の内容に関して相手方が提出した各資料(乙3、4、14、23の1・2、24の1から4まで、25、26、34、39、40、41、42の1から21まで)を総合すれば、相手方には本件事業計画のために本件新株発行による資金調達を実行する必要があり、かつ、競業他社その他当該業界の事情等にかんがみれば、本件業務提携を必要とする経営判断として許されないものではなく、本件事業計画自体にも合理性があると判断することができ、抗告人の指摘する各点及び抗告人の提出に係る全資料を考慮してもこの判断を覆すには足りない。
エ このように、本件事業計画のために本件新株発行による資金調達の必要性があり、本件事業計画にも合理性が認められる本件においては、仮に、本件新株発行に際し相手方代表者をはじめとする相手方の現経営陣の一部において、抗告人の持株比率を低下させて、もって自らの支配権を維持する意図を有していたとしても、また、前記イ記載の各事実を考慮しても、支配権の維持が本件新株発行の唯一の動機であったとは認め難い上、その意図するところが会社の発展や業績の向上という正当な意図に優越するものであったとまでも認めることは難しく、結局、本件新株発行が商法280条ノ10所定の「著シク不公正ナル方法」による株式発行に当たるものということはできない
オ(ア) これに対し、抗告人は、<1>本件新株発行に係る発行価額が約1030億円と甚だしく高額であるなど本件新株発行の内容自体が異常であること、<2>本件新株発行が抗告人から平成16年8月末の定時株主総会への株主提案が出された後に急遽検討を開始され、十分な審議や手続をとらないまま取締役会において決議されたこと、<3>違法な基準日の公告を行ってまで、本件新株発行により株主となる者に定時株主総会での議決権を付与しようとしていること、<4>本件新株発行による約1030億円の調達資金の大部分は相手方の定款で定めた事業目的の範囲外の行為であるリース事業のために使う予定とされていること、<5>調達資金の使途とされる本件業務提携自体、ソフトバンク・グループに巨額の資金を融資するためのスキームであり、相手方にとっては極めて不合理な内容であることからしても、本件新株発行は、相手方の現経営陣の一部の支配権維持及び抗告人の支配権侵奪を唯一の目的とすることが明らかである旨主張する。
しかし、発行価額が約1030億円と高額であることは抗告人指摘のとおりであるが、相手方は、かつて買収資金が800億円にも上る企業買収を計画したこともあったのであり(乙32)、そのような先例に比較しても、本件新株発行に係る発行価額が異常なほどに高額であるとまではいえず、その発行規模も本件新株発行が現経営陣の一部の支配権維持等を唯一の目的として行われたものであることを基礎付けるものではなく、他に本件新株発行の内容において、控訴人主張を基礎付けるような異常性は認められない
また、本件新株発行に係る取締役会決議までの検討期間がその事業規模に比較して短期間であることは否定できないが、その事柄の性質上、その検討が隠密裡に遂行される必要があるものと考えられる上、前示のとおり、平成16年7月1日にSBBから具体的な計画が提案されて以降連日深夜に及ぶ交渉が続けられる中で本件業務提携の内容が討議、決定されていったものであり、検討期間が短期間であること自体が直ちにその検討の不十分さを裏付けるものではなく、ましてや本件新株発行の目的の不当性を推認させるものでもない。また、本件新株発行の決議に際しては、取締役会は1度開催されただけで、そこでの審議が短時間であったとしても、そのことが上記主張を基礎付けるものでもない
さらに、本件新株発行の払込期日の翌日に基準日を設定することについて、それを違法とする事情もうかがえず、さらにこの事実をもって直ちに本件新株発行の目的を不当であるとの主張が基礎付けられるものではなく、前記エの判断を左右するものでもない
なるほど、本件事業計画の中には、相手方の100パーセント子会社となることが予定されているBBCが日本テレコムに対しブースシステムや通信機器をリースするリース契約の締結が含まれている。しかし、リース事業は本件業務提携の中で他の業務に関連するものとしてその一部を構成するものであって、しかも、控訴人の定款の目的(2条)中には、「情報機器、システムを媒介とする業務代行サービス」、「情報管理処理サービス」、「通信機器のシステム設計および販売」、「工業所有権、著作権などの知的所有権の取得、譲渡、貸与および管理」のほか、「前各号に付帯する一切の業務」が掲げられているところ(甲3の3)、上記リース業も少なくともいずれかの目的を遂行する上で直接又は間接に必要なものということができ、直ちに目的の範囲内の行為に当たらないとはいえない(最高裁昭和45年6月24日判決・民集24巻6号625頁)。したがって、上記リース業が定款の目的の範囲外の行為であることを前提とする控訴人の主張は、その前提を欠き、採用することができない。
その他、本件業務提携や本件事業計画の内容が、抗告人主張のように、相手方にとって極めて不合理な内容のものであるとは認められないことは、前示のとおりである。
以上のとおり、抗告人の頭書の主張は直ちに採用することができない。
(イ) また、抗告人は、本件事業計画に係る事業の大半を占めるリース業は相手方の定款に定められた事業目的の範囲外の行為であるにもかかわらず、定款変更手続はとられておらず、同手続もとらないまま、当該リース事業を開始するために約984億円という相手方の総資産の2倍にも上る巨額の投資を実行しようとする本件事業計画には合理性がない旨主張する。
しかし、上記リース業が定款の目的の範囲内の行為に当たらないとはいえないことは前示のとおりであり、抗告人の主張は、その前提を欠き、採用することができない。
(ウ) そして、抗告人は、NPIの報告書(乙15)は、本件事業計画の合理性ではなく、相手方に投資することについての合理性を検証したものであって、相手方にとっての本件事業計画の合理性を裏付ける資料とはならないほか、公認会計士の意見書(乙21の1・2)も、その作成者はKPMGグループの監査法人ではなく、ファイナンシャルアドバイザーにすぎず、しかも、同意見書が前提とした情報は基本合意書だけであり、そもそも、基本合意書どおりにSBBが履行するかどうかが問題となる本件においては、その履行可能性を吟味することにこそ意味があるにもかかわらず、その吟味は一切行われていないから、本件事業計画の合理性を判断するための資料としては実質的に無意味なものである旨主張する。
しかし、投資会社が、投資先企業への投資の合理性を検証する上では、当該投資先企業の事業の内容を検証することは当然であり、本件事業計画に係る事業が相手方の将来の事業において極めて重要な部分を占める本件においては、投資会社であるNPIが相手方の事業、特に本件事業計画の合理性を検証しないものとは考え難く、現に上記報告書中でも、本件事業計画に係る事業による売上高や営業利益の予測を含め、多方面から相手方の将来の新規事業の合理性が検証されているのであって、同報告書が、本件事業計画の合理性を裏付ける証拠とならないとの抗告人の主張は到底採用することができない。また、上記意見書も、その作成者が監査法人ではなく、ファイナンシャルアドバイザーであることが直ちにその内容の信用性を否定することにつながるものではない上、仮に、同意見書において、SBBによる履行可能性が吟味されていなかったとしても、そのことが直ちに本件事業計画の合理性を判断する上での資料としての価値を否定することにつながるものではなく、抗告人の上記主張は採用することができない。
(エ) さらに、抗告人は、Cの手帳(甲35)中の「D教授」や「8/20までにTOB」といった記載から、相手方の役員が平成16年7月1日以前から基準日変更を意図して同年8月末に予定された定時株主総会の議決権操作を考えていたことが裏付けられる旨主張するが、その指摘の事実をもってしても未だ抗告人の主張する事実を裏付けるものということはできず、仮に、その主張どおりの事実が認められるとしても、前記エの判断を左右するものとはいえない。
(オ) その他、抗告人は、抗告理由において、種々主張するが、いずれも独自の見解に基づくものか、証拠の裏付けのない事実を基礎にするものであって、直ちに採用することができない。
(2) また、抗告人は、相手方代表者や取締役のEが、本件新株発行の決議において、定款違反の事業を始めようとする意思決定を行ったものであり、しかも、その判断の前提事実に関する情報収集作業を一切行わず、判断する上で必要となる情報を一切開示せずに取締役会を開催し、その取締役会では非常勤取締役のAの質問にほとんど答えないまま、賛成3名、反対2名の僅差で本件新株発行につき決議しているのであり、本件新株発行の手続には代表取締役や取締役の善管注意義務違反があるから、本件新株発行は、商法280条の10所定の「法令ニ違反シ」て新株を発行する場合に当たる旨主張する。
しかし、定款違反を前提とする主張は、前示のとおり失当であり、その余の点も賛成3名、反対2名の僅差で本件新株発行につき決議された点を除き、これを認めるに足りる疎明はなく、むしろ、取締役会においては、本件業務提携の内容等について一定の情報が開示され、Aの質問にも一応の回答がされているのであり(甲22、30)、そもそも、同条の法令違反には、善管注意義務違反(商法254条3項、民法644条)や忠実義務違反(同法254条の3)は含まれるとするには疑義がないではない。したがって、抗告人の上記主張は、採用することができない。
3 以上のとおり、本件では被保全権利の存在についての疎明があったということはできず、抗告人の申立てを棄却した原決定は相当であるので、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 門口正人 裁判官 髙橋勝男 西田隆裕) 

(4)Y会社の主張の説得性
+判例(東京地決H1.7.25)
第二、当裁判所の判断 
一、当事者間に争いのない事実並びに一件記録及び当事者各審尋の結果によって認められる事実は次のとおりである。 
 1. 被申請人は、資本の額が一二五億五九八二万四六九四円、発行済株式総数が九〇二九万二四七六株(額面金五〇円)で、東京証券取引所一部上場の株式会社であり、申請人は、被申請人の株式三〇一一万一〇〇〇株を有する株主である。 
 2. 被申請人の東京証券取引所における株価は、昭和六二年一二月ころまでは九〇〇円ないし一二〇〇円前後で推移していたが、昭和六三年一月以降急騰し、同年二月から同年五月ころまでには四〇〇〇円前後となり、その後さらに上昇して、同年八月にはいったん八〇〇〇円をつけたものの、その後は概ね四八〇〇円ないし六〇〇〇円程度の価格で推移し、本件仮処分申請時まで、被申請人の株価が、昭和六三年二月以降は三〇〇〇円を、同年七月以降は四〇〇〇円を、同年一〇月以降は四六〇〇円をそれぞれ下まわったことはない。 
 3. 申請人は、昭和六二年一〇月ころから、被申請人の株式を大量に取得し始めたが、その後現在までの東京証券取引所における被申請人の株式の取引高総数に占める申請人の取得株式数の割合は約四分の一に過ぎない。 
 4. 申請人は、昭和六三年六月から一〇月にかけて、被申請人と会談し、被申請人の株式を二七〇〇万株ないし二八〇〇万株取得したことを明らかにしたうえで、被申請人、いなげやと株式会社ライフストア(以下「ライフストア」という。)の三社合併を提案し、それにともなう人事についても申請人の構想を述べたが、被申請人及びいなげやは右の提案を拒否した。 
 5. 被申請人といなげやは、昭和六三年一二月に本件業務提携の交渉を開始し、業務提携をすることについては直ちに合意した後、その具体的方法について交渉を継続し、平成元年二月以降、野村企業情報株式会社にその方法についての情報の提供を依頼した。両社間の業務提携の機運は従来からあったが、右両社間でそれを真剣に話し合ったことは昭和六三年一二月まではなく、本件業務提携は、被申請人、いなげやとライフストアの合併を申請人から提案されたことに誘発され、申請人の要求に対抗し、これを拒否するため、一気に具体化したものである。 
 6. 申請人は、平成元年七月七日に三〇〇九万株の、同月一〇日に二万一〇〇〇株の、被申請人株式の各名義書換手続をし、その名義人となった。 
 7. 被申請人は、平成元年七月八日、いなげやとの間で、各会社の取締役会の承認決議を停止条件として、本件業務提携及び資本提携をすることを合意し、同月一〇日両社の取締役会において、それぞれの承認決議をするとともに、次のとおり本件新株発行をすることを決議し、その発行価額の決定にあたっては、市場価格が極めて高騰していたことを理由に、これを基礎とすることなく、他の株式価格算定方式を用いて被申請人としてあるべき株式価格を算定し、これを基準にした価格を発行価額とした。 
 (一) 発行新株数 記名式額面普通株式 
   二二〇〇万株 
 (二) 割当方法 発行する株式全部をいなげやに割り当てる。 
 (三) 発行価額 一株につき 
   金一一二〇円 
 (四) 払込期日 平成元年七月二六日 
 また、申請人といなげやは、同日、業務提携のためのプロジェクト・チームを発足させ、その後、業務提携のための具体的作業を進行中である。 
 8. 本件新株発行は、被申請人といなげやとの本件業務提携にともない、同時期に相互に新株を発行して資本提携をする目的でされるものであり、相互に相手方会社の発行済株式総数の一九・五パーセントの株式を保有することとしている。そして、被申請人のいなげやに対して発行する新株二二〇〇万株の発行価額総額は二四六億四〇〇〇万円、いなげやの被申請人に対して発行する新株一二四〇万株の発行価額総額は一九五億九二〇〇万円である。両社は、いずれもインパクト・ローンによって右資金を調達し、払込期日の直後に相手会社からの新株払込金をもってその返済にあてるが、右発行価額総額の差額である約五〇億円についても、被申請人においてこれを特定の業務上の資金として使用する具体的な目的のもとに本件新株発行がされたわけではなく、いなげやにおいては金融機関からの長期借入金としてこれを処理することとしている。 
 9. 本件新株発行にあたっては、商法二八〇条の二第二項所定の被申請人の株主総会決議はされていない。 
 10. 本件新株発行が実行されると、被申請人の発行済株式総数に対する申請人の持株比率は、三三・三四パーセントから二六・八一パーセントに低下するうえ、東京証券取引所における被申請人の株価が一挙に低下する蓋燃性が極めて高い。 
二、そこで、まず、本件新株発行の発行価額が商法二八〇条の二第二項所定の「特ニ有利ナル発行価額」に該当するか否かについて判断する。 
 ところで、新株の公正な発行価額とは、取締役会が新株発行を決議した当時において、発行会社の株式を取得させるにはどれだけの金額を払い込ませることが新旧株主の間において公平であるかという観点から算定されるべきものである。本件のように、発行会社が上場会社の場合には、会社資産の内容、収益力および将来の事業の見通し等を考慮した企業の客観的価値が市場価格に反映されてこれが形成されるものであるから、一般投資家が売買をできる株式市場において形成された株価が新株の公正な発行価額を算定するにあたっての基準になるというべきである。そして、株式が株式市場で投機の対象となり、株価が著しく高騰した場合にも、市場価格を基礎とし、それを修正して公正な発行価額を算定しなければならない。なぜなら、株式市場での株価の形成には、株式を公開市場における取引の対象としている制度からみて、投機的要素を無視することはできないため、株式が投機の対象とされ、それによって株価が形成され高騰したからといって、市場価格を、新株発行における公正な発行価額の算定基礎から排除することはできないからである。もっとも、株式が市場においてきわめて異常な程度にまで投機の対象とされ、その市場価格が企業の客観的価値よりはるかに高騰し、しかも、それが株式市場における一時的現象に止まるような場合に限っては、市場価格を、新株発行における公正な発行価額の算定基礎から排除することができるというべきである。 
 これを本件についてみるに、被申請人の東京証券取引市場における株価の推移は前記一2に認定のとおりであって、三〇〇〇円以上の状態が一年五か月間、四〇〇〇円以上の状態が一年間と相当長期間にわたって続いており、しかもこのような株価の高騰は、申請人が被申請人の株式を大量に取得したことにその原因の一があるとともに、被申請人の株式が投機の対象となっていることは否定できないところであると考えられる。しかし、本件においては、被申請人の株価の推移、特に一定額以上の株価が相当長期間にわたって維持されていることに照らすと、その価格を新株発行にあたっての公正な発行価額の算定基礎から排除することは相当ではない。したがって、本件新株発行において市場価格を無視してこれを基準とすることなく算定され決定された一一二〇円という発行価額は、当時の市場価格からはるかに乖離したものであることからみて、商法二八〇条の二第二項所定の「特ニ有利ナル発行価額」に該当するというべきである。よって、それにもかかわらず同条項所定の株主総会決議を経ていない本件新株発行は、その手続に法令違反があるといわなければならない。 
三、次に、本件新株発行が不公正発行に該当するか否かについて判断する。 
 商法は、株主の新株引受権を排除し、割当自由の原則を認めているから、新株発行の目的に照らし第三者割当を必要とする場合には、授権資本制度のもとで取締役に認められた経営権限の行使として、取締役の判断のもとに第三者割当をすることが許され、その結果、従来の株主の持株比率が低下しても、それをもってただちに不公正発行ということはできないしかし、株式会社においてその支配権につき争いがある場合に、従来の株主の持株比率に重大な影響を及ぼすような数の新株が発行され、それが第三者に割り当てられる場合、その新株発行が特定の株主の持株比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的としてされたものであるときは、その新株発行は不公正発行にあたるというべきであり、また、新株発行の主要な目的が右のところにあるとはいえない場合であっても、その新株発行により特定の株主の持株比率が著しく低下されることを認識しつつ新株発行がされた場合は、その新株発行を正当化させるだけの合理的な理由がない限り、その新株発行もまた不公正発行にあたるというべきである。 
 これを本件新株発行についてみるに、前記認定事実によると、被申請人といなげやとの業務提携の機運は従来からまったくなかったわけではないものの、右両者間でそれが真剣に話し合われたことはなく、本件業務提携は、被申請人、いなげや、ライフストアの三社合併を申請人から提案されたことにより、被申請人といなげやが、申請人の要求を拒否し、対抗するため具体化したものであるところ、本件業務提携にあたり被申請人がいなげやに対し従来の発行済株式総数の一九・五パーセントもの多量の株式を割り当てることが業務提携上必要不可欠であると認めることのできる十分な疎明はなく、しかも、本件新株発行によって調達された資金の大半は、実質的には、いなげやが発行する新株の払込金にあてられるものであって、差額として被申請人のもとに留保される約五〇億円についても、特定の業務上の資金としてこれを使用するために本件新株発行がされたわけではないこと、また、申請人が被申請人の経営に参加することが被申請人の業務にただちに重大な不利益をもたらすことの疎明もないことからみると、被申請人がした本件新株発行は、申請人の持株比率を低下させ現経営者の支配権を維持することを主要な目的とするものであり、又は少なくともこれにより申請人の持株比率が著しく低下されることを認識しつつされたものであるのに、本件のような多量の新株発行を正当化させるだけの合理的な理由があったとは認められないから、本件新株発行は著しく不公正な方法による新株発行にあたるというべきである。 
四、本件新株発行により申請人が損害を被ることは前記認定のとおりであって、それは容易に回復することのできない損害というべきであり、他方、本件新株発行を差し止めることによって被申請人が重大な不利益を被ることの疎明はない。そして、本件新株発行の払込期日が間近に迫っており、その期日が到来して引受人が払込みを済ませ本件新株発行の効力が生じた後は差止請求自体が無意味となることも明らかであるから、本件仮処分申請については保全の必要性もあるというべきである。 
五、よって、本件仮処分申請は理由があるから、申請人に担保を立てさせることなくこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。 
民事第8部 
 (裁判長裁判官 山口和男 裁判官 佐賀義史 垣内正) 
(5)Xの不利益


民法 事例で考える民法演習2 28 必要費と留置権~転用物訴権との関連(その1)


1.小問1について(基礎編)
(1)Bの代理行為の効果帰属の有無

+(事務管理)
第六百九十七条  義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。
2  管理者は、本人の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理をしなければならない。

(2)Cによる、BのAに対する権利の代理行使

+(賃借人による費用の償還請求)
第六百八条  賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる
2  賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に、第百九十六条第二項の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、裁判所は、賃貸人の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(管理者による費用の償還請求等)
第七百二条  管理者は、本人のために有益な費用を支出したときは、本人に対し、その償還を請求することができる。
2  第六百五十条第二項の規定は、管理者が本人のために有益な債務を負担した場合について準用する。
3  管理者が本人の意思に反して事務管理をしたときは、本人が現に利益を受けている限度においてのみ、前二項の規定を適用する。

+(受任者による費用等の償還請求等)
第六百五十条  受任者は、委任事務を処理するのに必要と認められる費用を支出したときは、委任者に対し、その費用及び支出の日以後におけるその利息の償還を請求することができる。
2  受任者は、委任事務を処理するのに必要と認められる債務を負担したときは、委任者に対し、自己に代わってその弁済をすることを請求することができる。この場合において、その債務が弁済期にないときは、委任者に対し、相当の担保を供させることができる。
3  受任者は、委任事務を処理するため自己に過失なく損害を受けたときは、委任者に対し、その賠償を請求することができる。

・事務管理に基づく代理権の発生は否定!

(3)CのAに対する不当利得返還請求権

2.小問1について(応用編)

+(動産の先取特権)
第三百十一条  次に掲げる原因によって生じた債権を有する者は、債務者の特定の動産について先取特権を有する。
一  不動産の賃貸借
二  旅館の宿泊
三  旅客又は荷物の運輸
四  動産の保存
五  動産の売買
六  種苗又は肥料(蚕種又は蚕の飼養に供した桑葉を含む。以下同じ。)の供給
七  農業の労務
八  工業の労務

+(動産保存の先取特権)
第三百二十条  動産の保存の先取特権は、動産の保存のために要した費用又は動産に関する権利の保存、承認若しくは実行のために要した費用に関し、その動産について存在する。

+(即時取得の規定の準用)
第三百十九条  第百九十二条から第百九十五条までの規定は、第三百十二条から前条までの規定による先取特権について準用する。
=動産保存の先取特権では即時取得は認められない。

・第弁済請求権と債権の相殺を否定。
+判例(S47.12.22)
理由
上告代理人伊藤哲郎の上告理由第一点について。
上告人が個人として被上告人に対して本件手形の割引を依頼したとの第一審における裁判上の自白が、真実に反するものとは認められない旨の原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の認定判断は、原審で取り調べた証拠関係およびその説示に徴して首肯することができ、原判決に所論の違法は認められない。諭旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するにすぎず、採用することができない。
同第二点について。
論旨は、要するに、受任者の委任者に対する民法六五〇条二項に基づく代弁済請求権は、受任者が委任者に対し一定金額を第三者に給付すべきことを請求する権利ではあるが、委任者は、当該金額を第三者に対してではなく、直接受任者に委任事務処理に要する費用として給付しても、受任者と委任者との関係はこれによつて全く決済されるのであつて、このことは、この代弁済請求権が、委任者受任者間の関係においては、受任者の自己自身に給付せしめるべき請求権以上の効力を有するものではないことを意味するのであり、したがつて、上告人の被上告人に対する所論の損害賠償請求権をもつて相殺することはなんら妨げられないはずであるなどの理由を挙げて、原判決には、同法五〇五条一項、六五〇 条二項の解釈適用を誤つた違法があるというのである。
思うに委任者は、受任者が同法六五〇条二項前段の規定に基づき委任者をして受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめうる権利を受働債権とし、委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として相殺することはできないと解するのが相当であり、大審院の判例(大正一四年(オ)第六〇三号同年九月八日判決・民集四巻四五八頁)の結論は、今なお、これを変更する必要はない。なんとなれば、委任契約は、通常、委任者のために締結されるものであるから、委任者は受任者に対しなんらの経済的負担をかけず、また損失を被らせることのないようにはかる義務を負うものであるところ、同条項は、受任者が自己の名で委任事務を処理するため第三者に対して直接金銭債務を負担した場合には、委任者は、受任者の請求があるときは、受任者の負う債務を免れさせるため、受任者に代わつて第三者に対してその債務を弁済する義務を負うことを定めているのであり、受任者の有するこの代弁済請求権は、通常の金銭債権とは異なる目的を有するものであつて、委任者が受任者に対して有する金銭債権と同種の目的を有する権利ということはできないしたがつて、委任者が受任者に対する既存の債権をもつて受任者の代弁済請求権と相殺することは、同法五〇五条一項の相殺の要件を欠くものとして許されないからである。なるほど、委任者が、第三者に弁済すべき一定金額を第三者に対してではなく、受任者に現実に給付することによつても、受任者と委任者との関係は、これによつて決済されることは、所論のとおりであるが、この場合には、受任者は、費用の前払を受けることによつて、第三者に対する債務弁済資金を取得することになるから、自己資金を調達する必要はなく、受任者の第三者に対する債務の免脱の目的にそうものといいうるのであるが、前記相殺が許されるものとすれば、受任者は、第三者に対する債務の弁済のための資金の調達を要することとなり、かかる相殺によつては、受任者の債務免脱の目的はなんら果されないわけであるまた、受任者が第三者に対し、自己の資金をもつて債務を支払つたときは、それは委任者との関係では委任者のため費用を立て替えて支払つたことになり、同法六五〇条一項による費用償還請求権を取得するわけであるが、受任者は、特約のないかぎり、委任者との関係では自己資金をもつて委任事務処理に要する費用をみずから立替払をする義務を負うものではない。むしろ、同法六四九条が委任者に対する費用の前払を請求しうることを、また、同法六五〇条二項前段が委任者に対し受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめうることを定めているのは、受任者に立替払の義務のないことを前提とするものであり、委任者が受任者の請求に応じないときは、受任者は、委任事務の履行を拒むこともできるものと解すべきである。しかるに、前述のような相殺を許すとすれば、受任者に自己資金をもつてする費用の立替払を強要する結果となり、右各法条を設けた趣旨が完うされないことになる。さらに、同条一項の費用償還請求権と委任者の受任者に対する金銭債権とは互いに相殺することができることは疑いを容れないが、かりに、既存債権と代弁済請求権との相殺を許すとすれば、それは、既存債権を自働債権とし、未だ発生しない将来の費用償還請求権を受働債権とする相殺を許すのと同一の結果を認めることになり、相殺が双方の債務の対立とその弁済期の到来を要件とする趣旨に反するものといわなければならない。これらのことは、要するに、同条二項前段の代弁済請求権は、通常の金銭債権とはその目的を異にしているがためにほかならないからである。なお、委任者が、自己の債務者にある事務を委任するような場合には、受任者がその委任事務に要する費用の立替払の義務を負担し、立替により発生すべき償還請求権と、委任者の受任者に対する債権とを対当額において相殺する旨の特約の存することも考えられるが、この場合は、特約の効果として相殺が許されるのであつて、このことは叙上の判断を左右するものではない。
それゆえ、上告人の相殺の抗弁を排斥した原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、上告理由第二点について、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+反対意見
上告理由第二点についての裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。
多数意見は、委任者は、受任者が民法六五〇条二項前段の規定に基づき委任者をして受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめうる権利を受働債権とし、委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として相殺することはできないというのであるが、私は、この考え方には賛成することができない。
もともと、相殺制度の存在理由は、当事者双方が、相対立する同種の内容の債権を有する場合に、債権債務の簡易にして便宜な決済の途を与え、かつ、当事者の資力、信用に厚薄を生じたときにおいてもその間の公平を保持せんとするにあるから、相対立する同種の内容の債権を有する当事者間においては、法規または合意により相殺が禁止されているかあるいは債権の性質がこれを許さない場合を除き、第三者に不測の損害を与えることのないかぎり、相殺は当然認められるものと解さなければならない。代弁済請求権は、受任者が委任者に対し受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめる権利ではあるが、内容的には金銭債権であり、単に給付すべき相手方が第三者であるというにすぎず、相殺を禁止すべき事由にはあたらないと信ずる。その理由の詳細は以下述べるとおりである。
まず、代弁済請求権は、民法六五〇条二項の規定するところであるが、同項は、同条一項との関連において考察する要があると考える。けだし、同条一項は、受任者が委任事務を処理するに必要と認むべき費用を支出したときの費用償還請求権について定めたものであるのに対し、同条二項は、それを補完するものなのである。すなわち、受任者が第三者に対し、委任事務を処理するに必要と認むべき債務を負担したが、未だその支払をしていない時期においては、受任者が、委任者からその費用の前払を受けて第三者に支払うことはもとより可能であるが(六四九条)、六五〇条二項は、その煩労をはぶき、受任者が、委任者に対して、直接第三者に債務の弁済をするよう請求できるという便宜な方法を設けたものであり、要するに六四九条及び六五〇条一項のいわばバイパスたるに止まるのである。代弁済請求権は、形式こそ特殊であるが、費用償還請求権や費用前払請求権と別異の目的・機能を有するものではない。委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として費用償還請求権と相殺しうるのはいうまでもないし、さらにまた、費用前払請求権とも相殺できると解せられているのであるから、これらの権利と実質的に異なるところのない代弁済請求権と前示自働債権との間の相殺を許さないとする合理的埋由はとうていこれを見出し難いのである。
右の二つの債権がそれぞれ同額だと仮定して考えてみたい。その場合、もし相殺が許されないとするならば、受任者に対する既存の債権を取立てて、それを第三者に代弁済するか、あるいはまた、さきに第三者に対する代弁済を了して、しかるのちに受任者から債権の回収を図ることになるであろうが、かかる迂遠な路を辿ることは、委任者にとつて何の益もないことはもちろん、受任者にも煩わしさを強いるだけで、格別の利益を与えるものでないことは、多言を要しないであろう。さらにまた、委任者が受任者の求めに応じて第三者に代弁済をした後にいたり、受任者が支払不能の状態に陥つたときはどうであろうか。相殺制度は、正に以上のような事態に処して、便宜、簡易な決済をなさしめ、かつまた当事者間に公平妥当な解決をもたらさんとするものなのである。
つぎに、多数意見は、委任者は受任者に対しなんらの経済的負担をかけず、また損失を被らせることのないようにはかる義務を負うことを根拠として、受任者に対して自己資金による立替払を強要するような相殺は許されないという。なるほど、民法は、前示の法条をもつて、受任者に費用等の経済的負担をかけないよう配慮をしていることは事実であるが、そのことからただちに、相殺までも許されないとするのは、論理の飛躍であろう。委任の法律関係における受任者の保護が、多数意見の主張するが如き程度のものでなければならないとする理由を、多数意見は一体どこに求めようとするのであろうか。賃金債権や不法行為債権における相殺禁止には十分な合理的理由があるのであるが、それらに比較したとき、委任者と受任者は全く対等の契約関係にあり、その間には労使関係に見られるような力の強弱の格差があるわけのものではないし、また受任者が不法行為の被害者のごとく特に保護されなければならぬ筋合は見出し得ないのである。受任者に自己資金を調達せしめた場合、もしそれによつて委任事務が円滑を欠くことありとするならば、その不利益は相殺の挙に出た委任者の正に甘受すべきところであつて、法が敢てこれに介入するには及ばないのではあるまいか。なお、相殺を認めるとなると、第三者が不測の損害を受けるという反論があるかも知れない。しかし、第三者は本来受任者を相手方として取引をしたのであるから、受任者が無資力となつたために債権の回収ができなくなつたとしても、けだしやむを得ないものがあるというべきであろう。
さらに、多数意見は、既存債権と代弁済請求権との相殺を許すとすれば、それは、既存債権を自働債権とし、未だ発生しない将来の費用償還請求権を受動債権とする相殺を許すのと同一の結果を認めることになるという。しかし、金額が未定ならば格別、そうではないのであるから、委任者がみずから自己の利益を放棄して相殺することはもとより可能ではないか。しかもこれは実質上、費用前払請求権との相殺とも見ることができるのである。いずれにもせよ、右の理由づけをもつて相殺を許さずとなす根拠たらしめんとするのは、失当であるといわなければなるまい。
以上の次第で、私は、多数意見に賛成することができないのである。したがつて、上告人の相殺の抗弁を排斥した原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があるから、原判決は破棄を免れず、上告人の主張する金銭債権の有無についてさらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきものと考える。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 色川幸太郎 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄)

・+判例(S45.7.16)
理由
上告代理人竹中一太郎の上告理由について。
記録によれば、上告人が本訴において請求原因として主張したところは、次のような事実関係であると認められる。上告人は、昭和三八年一二月三日、訴外有限会社立花重機よりブルドーザーの修理の依頼を受け、その主クラツチ、オーバーホールほか合計五一万四〇〇〇円相当の修理をして、同月一〇日これを訴外会社に引き渡したが、右ブルドーザーは被上告人の所有であり、上告人の修理により右代金相当の価値の増大をきたしたものであるから、被上告人は上告人の財産および労務により右相当の利得を受け、上告人は右相当の損失を受けたものである。もつとも、上告人は訴外会社に対し修理代金債権を有したが、同会社は修理後二カ月余にして倒産し、現在無資産であるから、回収の見込みは皆無である。右ブルドーザーは、同年一一月二〇日頃訴外会社において被上告人より賃借したものであるが、昭和三九年二月中旬より下旬にかけて被上告人がこれを訴外会社より引き揚げたうえ、同年五月、代金一七〇万円(金利を含み一九〇万円余)で他に売却したもので、上告人の修理により被上告人の受けた利得は、売却代金の一部としてなお現存している。よつて、上告人は被上告人に対し、五一万四〇〇〇円およびこれに対する遅延損害金の支払を求める、というのである。
右請求原因の大要は、一審における訴状陳述以来、上告人の主張するところであつて、前記修理代金債権の回収不能により上告人に損失を生じたとする主張は、本件記録中に発見しえないところである。
しかるに、原判決の引用する一審判決事実摘示が、あたかも右回収不能により上告人に損失を生じたとするごとくいうのは、上告人の訴旨の誤解に出たものというべきである(もつとも、その記載は必ずしも明確でなく、原審口頭弁論における上告人の陳述が一審判決事実摘示のとおりなされたとしても、これにより上告人の従前の主張が改められたものとするのは相当でない)。
そこで、右のごとき上告人の本訴請求の当否につき按ずるに、原判決引用の一審判決の認定するところによれば、上告人のした修理は本件ブルドーザーの自然損耗に対するもので、被上告人はその所有者として右修理により利得を受けており、また、右修理は訴外会社の依頼によるもので、上告人は同会社に対し五一万四〇〇〇円の修理代金債権を取得したが、同会社は修理後間もなく倒産して、右債権の回収はきわめて困難な状態となつたというのである。
これによると、本件ブルドーザーの修理は、一面において、上告人にこれに要した財産および労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他面において、被上告人に右に相当する利得を生ぜしめたもので、上告人の損失と被上告人の利得との間に直接の因果関係ありとすることができるのであつて、本件において、上告人のした給付(修理)を受領した者が被上告人でなく訴外会社であることは、右の損失および利得の間に直接の因果関係を認めることの妨げとなるものではないただ、右の修理は訴外会社の依頼によるものであり、したがつて、上告人は訴外会社に対して修理代金債権を取得するから、右修理により被上告人の受ける利得はいちおう訴外会社の財産に由来することとなり、上告人は被上告人に対し右利得の返還請求権を有しないのを原則とする(自然損耗に対する修理の場合を含めて、その代金を訴外会社において負担する旨の特約があるときは、同会社も被上告人に対して不当利得返還請求権を有しない)が、訴外会社の無資力のため、右修理代金債権の全部または一部が無価値であるときは、その限度において、被上告人の受けた利得は上告人の財産および労務に由来したものということができ、上告人は、右修理(損失)により被上告人の受けた利得を、訴外会社に対する代金債権が無価値である限度において、不当利得として、被上告人に返還を請求することができるものと解するのが相当である(修理費用を訴外会社において負担する旨の特約が同会社と被上告人との間に存したとしても、上告人から被上告人に対する不当利得返還請求の妨げとなるものではない)。
しかるに原判決は、上告人の右の訴旨を誤解し、また右の法理の適用を誤つたもので、審理不尽、理由不備の違法を免れず、論旨は理由あるに帰し、原判決を破棄すべきであるが、本件において上告人の訴外会社に対する債権が実質的にいかなる限度で価値を有するか、原審の確定しないところであるので、この点につきさらに審理させるため、本件を原審に差し戻すべきものとする。
よつて、民訴法四〇七条一項により、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 大隅健一郎)

+判例(H7.9.19)
理由
上告代理人桑嶋一、同前田進の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係及び記録によって明らかな本件訴訟の経緯等は、次のとおりである。
1 上告人は、本件建物の賃借人であったAとの間で、昭和五七年一一月四日、本件建物の改修、改装工事を代金合計五一八〇万円で施工する旨の請負契約を締結し、大部分の工事を下請業者を使用して施工し、同年一二月初旬、右工事を完成してAに引き渡した。
2 被上告人は、本件建物の所有者であるが、Aに対し、昭和五七年二月一日、賃料月額五〇万円、期間三年の約で本件建物を賃貸した。Aは、改修、改装工事を施して本件建物をレストラン、ブティック等の営業施設を有するビルにすることを計画しており、被上告人とAは、本件賃貸借契約において、Aが権利金を支払わないことの代償として、本件建物に対してする修繕、造作の新設・変更等の工事はすべてAの負担とし、Aは本件建物返還時に金銭的請求を一切しないとの特約を結んだ。
3 Aが被上告人の承諾を受けずに本件建物中の店舗を転貸したため、被上告人は、Aに対し、昭和五七年一二月二四日、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした上、本件建物の明渡し及び同月二五日から本件建物の明渡し済みまで月額五〇万円の賃料相当損害金の支払を求める訴訟を提起し、昭和五九年五月二八日、勝訴判決を得、右判決はそのころ確定した。
4 Aは、上告人に対し、本件工事代金中二四三〇万円を支払ったが、残代金二七五〇万円を支払っていないところ、昭和五八年三月ころ以来所在不明であり、同人の財産も判明せず、右残代金は回収不能の状態にある。また、上告人は、昭和五七年一二月末ころ、事実上倒産した。
5 そこで、本件工事は上告人にこれに要した財産及び労務の提供に相当する損失を生ぜしめ、他方、被上告人に右に相当する利益を生ぜしめたとして、上告人は、被上告人に対し、昭和五九年三月、不当利得返還請求権に基づき、右残代金相当額と遅延損害金の支払を求めて本件訴訟を提起した。

二 甲が建物賃借人乙との間の請負契約に基づき右建物の修繕工事をしたところ、その後乙が無資力になったため、甲の乙に対する請負代金債権の全部又は一部が無価値である場合において、右建物の所有者丙が法律上の原因なくして右修繕工事に要した財産及び労務の提供に相当する利益を受けたということができるのは、丙と乙との間の賃貸借契約を全体としてみて、丙が対価関係なしに右利益を受けたときに限られるものと解するのが相当である。けだし、丙が乙との間の賃貸借契約において何らかの形で右利益に相応する出捐ないし負担をしたときは、丙の受けた右利益は法律上の原因に基づくものというべきであり、甲が丙に対して右利益につき不当利得としてその返還を請求することができるとするのは、丙に二重の負担を強いる結果となるからである。
前記一の2によれば、本件建物の所有者である被上告人が上告人のした本件工事により受けた利益は、本件建物を営業用建物として賃貸するに際し通常であれば賃借人であるAから得ることができた権利金の支払を免除したという負担に相応するものというべきであって、法律上の原因なくして受けたものということはできず、これは、前記一の3のように本件賃貸借契約がAの債務不履行を理由に解除されたことによっても異なるものではない
そうすると、上告人に損失が発生したことを認めるに足りないとした原審の判断は相当ではないが、上告人の不当利得返還請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)


民法 基本で考える民法演習2 27 買戻しと物上代位~抵当権の帰趨と追及効


1.小問1について

+(買戻しの特約)
第五百七十九条  不動産の売主は、売買契約と同時にした買戻しの特約により、買主が支払った代金及び契約の費用を返還して、売買の解除をすることができる。この場合において、当事者が別段の意思を表示しなかったときは、不動産の果実と代金の利息とは相殺したものとみなす。

・買戻しが解除であることについて
+判例(S35.4.26)
理由
上告代理人真田重二の上告理由第一、二点及び同海野普吉、坂上寿夫、内田博の上告理由について。
不動産の買戻権は、わが民法上一種の契約解除権の性質を有するものと解すべきである。ただ、民法は、右不動産買戻権の行使により目的不動産の所有権を取得できる結果に着眼し、これが登記の途を開いて或る程度物権に準ずる取扱をしているので(同法五八一条一項参照)、買戻の特約につき登記がなされた場合には、買戻権の譲渡もまた物権の譲渡と同様に譲渡当事者間の意思表示のみによつて有効にこれをなし得べく、右当事者以外の第三者に譲渡を以て対抗するには譲渡による移転登記を要し且つこれを以て足りると解するのが相当とされるにすぎない。(大審院昭和八年(オ)一二二五号同年九月一二日言渡判決、大審院民事判例集二一五一頁参照。)
それ故、買戻の特約を登記しなかつた場合における不動産買戻権の譲渡は、契約解除権たる本質にかんがみ、売主の地位と共にのみこれをなし得べく、右譲渡を以て買主に対抗するには、民法一二九条四六七条に従い買主に対する通知又はその承諾を要し且つこれを以て足りるものと解すべきである。
然るに、原審が、売主たる訴外Aにおいて本件不動産に対する原判示抵当権設定登記を抹消したときに売買残代金八万五五〇〇円の支払を受くべき旨合意の成立した事実を認定しながら、右抹消をすることが売主の債務として残存するや否やを審究することなくしてたやすく同訴外人から上告人に対する本件買戻権の譲渡を有効と認め、また、右譲渡を以て買主たる被上告人に対抗するにはその旨移転登記を経ることを要する旨判示したのは、いずれも法令の解釈適用を誤つた違法があり、他の上告論旨につき判断するまでもなく、原判決は全部破棄を免れない。
よつて、民訴四〇七条一項に従い、全裁判官一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔 裁判官 石坂修一)

+(解除の効果)
第五百四十五条  当事者の一方がその解除権を行使したときは、各当事者は、その相手方を原状に復させる義務を負う。ただし、第三者の権利を害することはできない。
2  前項本文の場合において、金銭を返還するときは、その受領の時から利息を付さなければならない。
3  解除権の行使は、損害賠償の請求を妨げない。

+(買戻しの特約の対抗力)
第五百八十一条  売買契約と同時に買戻しの特約を登記したときは、買戻しは、第三者に対しても、その効力を生ずる。
2  登記をした賃借人の権利は、その残存期間中一年を超えない期間に限り、売主に対抗することができる。ただし、売主を害する目的で賃貸借をしたときは、この限りでない。

・解除の遡及効
+判例(S34.9.22)
理由
上告代理人森信一の上告理由は末尾記載のとおりである。原審が、本件催告に示された残代金額は金三七五〇〇〇円であり、真の残代金債務金三二五〇〇〇円を超過すること五〇〇〇〇円なる旨認定していることは所論のとおりである。しかし、この一事によつて、被上告人は催告金額に満たない提供があつてもこれを受領する意思がないものとは推定し難く、その他かかる意思がないと推認するに足りる事情は原審の認定しないところであるから、本件催告は、たとえ前記の如く真の債務額を多少超過していても、契約解除の前提たる催告としての効力を失わないものと解すべきである。
次に、原判決の確定するところによると、被上告人は、本件売買契約から約二週間後に支払を受ける約であつた本件残代金につき、履行期到来後再三上告人に支払を求めたが応じないので、遂に履行期から四ケ月余をを経て改めて本件催告に及んだというのである。このような事実関係のもとでは、たとえ三十万円をこえる金員の支払につき定めた催告期間が三日にすぎなくても、必ずしも不相当とはいい難い
更に、特定物の売買により買主に移転した所有権は、解除によつて当然遡及的に売に復帰すると解すべきであるから、その間買主が所有者としてその物を使用収益した利益は、これを売主に償還すべきものであること疑いない(大審院昭一)一・五・一一言渡判決、民集一五卷一〇号八〇八頁参照)。そして、右償還の義務の法律的性質は、いわゆる原状回復義務に基く一種の不当利得返還義務にほかならないのであつて、不法占有に基く損害賠償義務と解すべきではない。ところで、被上告人の本訴における事実上及法律上の陳述中には、不法占拠若しくは損害金というような語が用いられているけれども、その求めるところは前記使用収益による利益の償還にほかならない部分のあることが明らかであるから、その部分の訴旨を一種の不当利得返還請求と解することは何ら違法ではない。けだし、被上告人は、不当利得返還請求権と損害賠償請求権の競合して成立すべき場合に後者を主張したわけではなく、本来不当利得返還請求権のみが成立すべき場合に、該権利を主張しながら、その法律的評価ないし表現を誤つたにすぎないからである
されば、以上の諸点に関する原審の判断はすべて正当なるに帰し、これらの点に関する所論はすべて理由がない。その他の論旨は、原審の適法な事実認定を争うのでなければ、原判示にそわない事実又は原審において主張立証しなかつた事実を前提として原判決を非難し、或は、独自の見解に立脚して原審の正当な判断を攻撃するものであつて、採用のかぎりでない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 島保 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔 裁判官 石坂修一)

・買戻しと物上代位
+判例(H11.11.30)
理由 
 上告代理人大江洋一の上告受理申立て理由について 
 本件は、土地の買戻特約付売買において買戻権が行使されたことにより買主が取得した買戻代金債権について、買主から右土地につき根抵当権の設定を受け、その旨の登記を経由した被上告人が物上代位権の行使としてした差押えと買主の債権者である上告人が右登記の後にした差押えとが競合し、供託された買戻代金の配当手続において、被上告人による差押えが優先するとして配当表が作成されたため、上告人が、被上告人に対し、買戻しにより右根抵当権が消滅したことを理由に買戻代金債権に対する物上代位権の行使は許されないと主張して、右配当表の変更を求めている事案であり、右物上代位権の行使の可否が争点となっている。 
 【要旨】買戻特約付売買の買主から目的不動産につき抵当権の設定を受けた者は、抵当権に基づく物上代位権の行使として、買戻権の行使により買主が取得した買戻代金債権を差し押さえることができると解するのが相当であるけだし、買戻特約の登記に後れて目的不動産に設定された抵当権は、買戻しによる目的不動産の所有権の買戻権者への復帰に伴って消滅するが、抵当権設定者である買主やその債権者等との関係においては、買戻権行使時まで抵当権が有効に存在していたことによって生じた法的効果までが買戻しによって覆滅されることはないと解すべきでありまた、買戻代金は、実質的には買戻権の行使による目的不動産の所有権の復帰についての対価と見ることができ、目的不動産の価値変形物として、民法三七二条により準用される三〇四条にいう目的物の売却又は滅失によって債務者が受けるべき金銭に当たるといって差し支えないからである。 
 以上と同旨に帰する原審の判断は是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道) 
++解説
《解  説》
 一 本件は、買戻特約付売買の目的不動産に設定された抵当権に基づいて、買戻権の行使により買主が取得した買戻代金債権につき物上代位権を行使することができるかが問題となった事案である。
 二 本件の事実関係及び訴訟経過の概要は、次のとおりである。
 1 Aは、昭和六二年六月、Bに対し、A所有の本件土地を代金六億三三六〇万円、期間を五年とする買戻特約付きで売り渡し、その旨の所有権移転登記及び買戻特約登記を経由した。
 2 Yは、平成元年七月、Bから本件土地につき本件根抵当権(極度額一八億円)の設定を受けて、その旨の登記を経由した。
 3 Aは、平成四年三月、Bに対し買戻権を行使した。
 4 Xは、平成六年一二月、Bに対する保証債務履行請求権に基づいて、BのAに対する本件買戻代金債権につき仮差押えをした後、Bに対して右保証債務の履行を求める訴訟を提起して勝訴し、平成八年三月、右債務名義に基づいて、本件買戻代金債権を差し押さえた。
 5 Yは、平成八年四月、本件根抵当権に基づく物上代位権の行使として、本件買戻代金債権を差し押さえた。
 6 本件買戻代金債権について、X、Y及び他の債権者らによる差押えが競合したため、Aは、平成八年九月、買戻代金六億三三六〇万円を供託した。
 7 執行裁判所(神戸地裁尼崎支部)は、平成八年一一月に開かれた右買戻代金の配当期日において、Yによる本件根抵当権に基づく物上代位権に基づく差押えが、一般債権者であるXによる差押えに優先するとして、配当表を作成したが、Xは、右配当期日においてYに対する配当の額につき異議の申出をし、本件配当異議訴訟を提起した。
 8 Xは、本件配当異議訴訟において、Aの買戻権の行使によって本件売買契約が遡及的に消滅し、これに伴って本件根抵当権も消滅したから、本件根抵当権に基づく物上代位権の行使としてされたYによる本件買戻代金債権の差押えは無効であると主張しており、第一審は、Xの右主張を容れて、本件配当表を変更すべきものとしたが、原審は、買戻権の行使による目的不動産上の担保物権の消滅は買戻権者との関係で相対的に生ずるとして、第一審判決を取り消してXの本訴請求を棄却したため、Xから上告及び上告受理申立てがされたところ、最高裁は、上告受理申立てを容れて、上告審として事件を受理した上、買戻特約付売買の目的不動産に設定された抵当権に基づく買戻代金債権に対する物上代位権行使を認めた原審の判断を維持して、Xの上告を棄却した。
 三 買戻特約とは、不動産について売買契約を締結する際に、売主が一定期間内に売買代金と契約費用を返還すれば、目的物を取り戻すことができる旨を約することであり、解除権の留保として構成されているが(民法五七九条)、買戻特約が売買契約と同時に登記(買主に対する所有権移転登記の付記登記の形式による)されたときは、買戻しは第三者に対してもその効力を生ずるものとされている(民法五八一条)買戻権の法的性質については、民法五七九条の文言に忠実にこれを解除権であるとするのが判例(大判昭8・9・12民集一二巻二一五一頁、最三小判昭35・4・26民集一四巻六号一〇七一頁)及び通説(我妻榮・債権各論中巻Ⅰ三二五頁、柚木=高木・新版注釈民法(14)四四五頁)の立場である。そして、解除の法的構成ないし効果につき通説判例の採る直接効果説の立場に従えば、留保解除権たる買戻権の行使によって契約ないし契約自体から生じた法律効果は遡及的に消滅するから、目的不動産の所有権は当然に売主(買戻権者)に復帰し、買戻特約が登記された場合には買戻しは第三者に対してもその効力を生ずるから、買主が目的不動産上に設定した担保権や用益権も消滅することになり(民法五八一条二項はその例外)、買戻権者は、売買契約が解除されて所有権が買主に移転しなかったのと同一の効果(遡及的効果)において目的不動産の所有権を取得すると一般に説かれている。もっとも、買戻特約付売買契約は、買戻しまでの買主による用益を許容しており(民法五七九条ただし書)、買戻期間中に目的不動産が転売されてその旨の登記が経由された場合には、買戻権者は、最終の転得者に対して買戻権を行使すべきであり(大判明39・7・4民録一二輯一〇六六頁、最三小判昭36・5・30民集一五巻五号一四五九頁)、その結果転得者からの移転登記により所有権の遡及的復帰を得るものとされており(不動産登記法五九条の二第二項)、用益と所有権移転という領域において直接効果説の例外が認められている
 買戻代金債権に対する物上代位の可否をめぐっては、(一) 買戻権の行使により売買契約は遡及的に消滅し、買戻特約の登記後にされた処分はすべて効力を失うのであって、買主により設定された抵当権もまたはじめからなかったことになるところ、抵当権に基づく物上代位は抵当権の存在を前提とするものであるから、買戻権の行使により抵当権が遡及的に消滅する以上、物上代位を生ずる余地はないとする物上代位否定説(新田宗吉「物上代位に関する一考察(四)」明治学院論叢三五〇号六七頁)、(二) 買戻権の行使により売買契約に基づく所有権の移転とそれに続く抵当権設定が遡及的に消滅する以上、抵当権の存在を前提とする物上代位の生ずる余地はないが、抵当権設定を買主による転売と同視して、買戻しによる買戻代金債権につき抵当権者に法律上当然優先弁済受領権が生ずるから、売主は、抵当権の被担保債権の限度において代金を抵当権者に優先的に返還しなければならないとする物上代位否定・優先弁済権肯定説(三宅正男・契約法各論上巻五一七頁、同・判評二六二号二七頁)、(三) 買戻権の行使による売買契約に基づく所有権移転とこれに伴う抵当権の遡及的消滅は、買戻権者に完全な不動産所有権を回復するために認められたものであるところ、買戻特約付売買の目的不動産につき有効に設定された抵当権に基づく買戻代金債権への物上代位の可否は、買主の債権者間の利害調整の問題であり、買戻しの効果とは別個の問題であって、これを肯定することは買戻権者の右利益に何ら抵触するものではなく、かえって買主の債権者間の利害調整として妥当である上、目的不動産の担保利用を容易にするものであるから、これを肯定すべきであるとする物上代位肯定説(佐久間弘道・金法一五五一号一〇頁、斎藤和夫・平一〇リマークス下四二頁、角紀代恵・金法一四九二号六三頁、栗田隆・判評四七〇号四三頁、秦光昭・金法一四九六号五頁)がある。この点について明示的判断を示した最高裁判例は見当たらないが、物上代位否定説に立つ下級審裁判例として、東京高判昭54・8・8本誌三九八号一四四頁、判時九四三号六一頁、仙台高決昭55・4・18判時九六六号五八頁があり、物上代位肯定説に立つものとして、本件の原審のほか、千葉地判昭53・9・22判時九一八号一〇二頁(前掲東京高判の原審)がある。
 四 本判決は、買戻特約付売買の買主から目的不動産につき抵当権の設定を受けた者は、抵当権に基づく物上代位権の行使として、買戻権の行使により買主が取得した買戻代金債権を差し押さえることができる旨判示して、この問題について物上代位肯定説に立つことを明言した。その理由として、買戻特約の登記に後れて目的不動産に設定された抵当権は、買戻しによる目的不動産の所有権の買戻権者への復帰に伴って消滅するが、抵当権設定者である買主やその債権者等との関係においては、買戻権行使時まで抵当権が有効に存在していたことによって生じた法的効果までが買戻しによって覆滅されることはないと解すべきであり、また、買戻代金は、実質的には買戻権の行使による目的不動産の所有権の復帰についての対価と見ることができ、目的不動産の価値変形物として、民法三七二条により準用される三〇四条にいう目的物の売却又は滅失によって債務者が受けるべき金銭に当たるといって差し支えないからであると判示している。
 五1 買戻権は約定解除権であり、その効果は、損害賠償義務が生じない点を除いて法定解除のそれと基本的に同じであり、民法五八一条一項は、買戻権者に目的不動産につき売買契約がされる前と同一の権利を取得させるために、解除前の第三者に対する解除の遡及効の制限を定めた民法五四五条一項ただし書に対する例外を規定したものであるところ、解除の効果に関する直接効果説を前提とする限り、物上代位否定説の方が理論的一貫性を有するとの指摘もあるが(新田前掲六七頁)、買戻しの遡及効があらゆる関係で無制限に貫徹されなければならないわけではない。民法五八一条は、買戻特約後の物権変動を予定し、買戻権者と第三者との対抗問題として買戻特約の物権的効力を明定しているのであり、また、前記のとおり、買戻特約付売買の目的不動産が買戻期間内に転々譲渡された場合における買戻権の行使の相手方は最終の転得者であるとされ、所有権の復帰は当該転得者からの移転登記によるものとされているところ、買戻権行使の物権的遡及効を徹底させると、買戻しの意思表示の相手方としての転得者の地位(転得者の買戻しの意思表示の受領資格)自体が遡及的に覆滅されてしまうことになりかねず、中間果実の買主への帰属は、買戻しまでの買主による所有者としての用益を許容し、買戻権行使における登記の取扱いも買戻しまでに行われた所有権移転の効力を前提としているのである。逆にいえば、転得者に対する買戻権の行使、買戻権行使による所有権の移転登記を認める通説判例及び不動産登記法の規定は、買戻しによる用益及び所有権移転という主要な領域について買戻権行使の効果としての物権的遡及効に既に例外を設けているということができよう。そうすると、買戻権行使の効果として買主が目的不動産上に設定した用益権や担保権がすべて消滅するとはいっても、その意味は、買戻権者が、買戻特約の登記に後れる抵当権者らに買戻しの効果を対抗することができ、抵当権の付着しない所有権を取得するという法律効果を説明するものであり、かつ、実質的にも右の効果がもたらされれば必要かつ十分なはずであろう。直接効果説自身本来は解除の効果として法文上明定されている原状回復義務を導出するための法律構成であって、そこで説かれる契約の遡及的消滅自体に解除の本質的意義を求めようとすることは問題であるし、買戻権行使の効果としての物権的遡及効にも実質的には既に例外が認められていることなどからすれば、端的に、買主とその債権者や抵当権者等の関係では、買戻しまでは有効に抵当権が存在していたことを前提にして、右の者らの法律関係を考えれば足りるとする説明も、十分妥当性を有するものといえよう(原審のように、買戻しによる目的不動産上の担保権の消滅が買戻権者との関係において相対的に生じると解さなければならない必然性はないであろう。)。
 実質論のレベルでみても、買主が目的不動産に抵当権を設定した時点で、目的不動産の交換価値は抵当権によって把握されているのであるから、目的不動産が代金請求権に変換した場合には、これに抵当権の効力が及ぶとするのが抵当権者の合理的期待であり、他方買主としてもこれを甘受すべきものとされてもやむを得ないところであって、買戻権の行使によって買主が右負担を当然に免れるとするのは疑問であるし、買主の一般債権者等との関係でも、抵当権設定登記が経由されており、抵当権の存在が公示されているのであるから、抵当権者に優先されてもやむを得ないといえよう。このように解する方が、買戻し前の段階では有効に存在し、仮に買戻権が行使されなければそのまま目的不動産の交換価値を把握し続けていたであろう抵当権者と買主の一般債権者の間の利害調整としては妥当であろうし、買戻特約付売買の目的不動産の担保利用を容易にするというメリットもある。
 2 買戻代金債権は、約定解除権たる買戻権の行使による原状回復義務という原因から発生するもので、厳密な意味では、売買代金のように目的不動産の交換価値を直接具体化したものとはいえないかもしれないが、もともと目的不動産の売買代金として売主に交付された金銭につき、契約の解除による取引関係の清算ないし巻き戻しとして買主への返還が命じられるもので、実質的には目的不動産の返還(所有権の復帰)についての対価であって、広い意味での抵当権の目的物の価値変形物といって差し支えない。そうすると、買戻代金については、民法三〇四条にいう「目的物ノ売却ニ因リテ債務者カ受クベキ金銭」に準ずるものと見ることができるであろうし、目的不動産の所有権の移転(復帰)に伴って抵当権が消滅するという事態を抵当権者の側から見れば、目的不動産が法律上の原因で消滅(滅失)したのと同様であるともいえようから、買戻代金については、民法三〇四条にいう「目的物ノ滅失ニ因リテ債務者カ受クベキ金銭」に当たるとすることも可能であろう。
 六 本判決は、買戻特約付売買の売主が買戻権を行使した場合に、買主から目的不動産上に設定を受けた抵当権に基づいて買戻代金債権に対する物上代位権の行使が認められるかどうかという、学説上議論が分かれている問題につき、物上代位肯定説を採ることを明示した初めての最高裁判例であり、実務に与える影響も大きいと思われるので、紹介する。
+(留置権等の規定の準用)
第三百七十二条  第二百九十六条、第三百四条及び第三百五十一条の規定は、抵当権について準用する。
+(物上代位)
第三百四条  先取特権は、その目的物の売却、賃貸、滅失又は損傷によって債務者が受けるべき金銭その他の物に対しても、行使することができる。ただし、先取特権者は、その払渡し又は引渡しの前に差押えをしなければならない。
2  債務者が先取特権の目的物につき設定した物権の対価についても、前項と同様とする。
2.小問2について(基礎編)
3.小問2について(応用編)
+(売買の一方の予約)
第五百五十六条  売買の一方の予約は、相手方が売買を完結する意思を表示した時から、売買の効力を生ずる。
2  前項の意思表示について期間を定めなかったときは、予約者は、相手方に対し、相当の期間を定めて、その期間内に売買を完結するかどうかを確答すべき旨の催告をすることができる。この場合において、相手方がその期間内に確答をしないときは、売買の一方の予約は、その効力を失う。
・追及効を利用する場合と物上代位で行く場合・・・。
4.小問3


民法 基本事例で考える民法演習2 26 表見代理と占有の効力~賃借権の時効取得


1.小問1について
+(代理権授与の表示による表見代理)
第百九条  第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。

(権限外の行為の表見代理)
第百十条  前条本文の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。

+(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

・代理権の濫用事例との権衡
+判例(S42.4.20)
理由
上告代理人福田力之助、同佐藤正三の上告理由第一点について。
上告会社の支配人Aが、被上告会社の製菓原料店主任Bらの権限濫用の事実を知りながら、本件売買取引をなしたものである旨の原審の認定は、原判決挙示の証拠関係から是認できないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原審の裁量に委ねられた証拠の取捨判断および事実の認定を非難するものであつて、採用することができない。
同第二点について。
代理人が自己または第三者の利益をはかるため権限内の行為をしたときは、相手方が代理人の右意図を知りまたは知ることをうべかりし場合に限り、民法九三条但書の規定を類推して、本人はその行為につき責に任じないと解するを相当とするから(株式会社の代表取締役の行為につき同趣旨の最高裁判所昭和三五年(オ)第一三八八号、同三八年九月五日第一小法廷判決、民集一七巻八号九〇九頁参照)、原判決が確定した前記事実関係のもとにおいては、被上告会社に本件売買取引による代金支払の義務がないとした原判示は、正当として是認すべきである。したがつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の法律的見解を前提とするか、もしくは、原審認定の事実と相容れない事実関係を主張して、原判示を非難するものであつて、採用することができない。
同第三点について。
民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務の執行行為そのものには属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲内の行為に属するものと見られる場合をも包含するものと解すべきであることは、当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和三五年(オ)第九〇七号、同三七年一一月八日第一小法廷判決、民集一六巻一一号二二五五頁、同昭和三九年(オ)第一一一三号、同四〇年一一月三〇日第三小法廷判決、民集一九巻八号二〇四九頁、なお大審院大正一五年一〇月一三日民刑連合部判決、民集五巻七八五頁参照)。したがつて、被用者がその権限を濫用して自己または他人の利益をはかつたような場合においても、その被用者の行為は業務の執行につきなされたものと認められ、使用者はこれにより第三者の蒙つた損害につき賠償の責を免れることをえないわけであるが、しかし、その行為の相手方たる第三者が当該行為が被用者の権限濫用に出るものであることを知つていた場合には、使用者は右の責任を負わないものと解しなければならないけだし、いわゆる「事業ノ執行ニ付キ」という意味を上述のように解する趣旨は、取引行為に関するかぎり、行為の外形に対する第三者の信頼を保護しようとするところに存するのであつて、たとえ被用者の行為が、その外形から観察して、その者の職務の範囲内に属するものと見られるからといつて、それが被用者の権限濫用行為であることを知つていた第三者に対してまでも使用者の責任を認めることは、右の趣旨を逸脱するものというほかないからである。したがつて、このような場合には、当該被用者の行為は事業の執行につきなされた行為には当たらないものと解すべきである。
本件につき原審の確定した事実によれば、前述のように、被上告会社製菓原料店主任Bは、同人らの利益をはかる目的をもつて、その主任としての権限を濫用し、被上告会社製菓原料店名義を用いて上告会社と取引をしたものであるが、上告会社支配人Aは、Bが右のようにその職務の執行としてなすものでないことを知りながら、あえてこれに応じて本件売買契約を締結したというのである。そうすれば、被上告会社が右契約により上告会社の蒙つた損害につき民法七一五条により使用者としての責任を負わないものと解すべきことは、前段の説示に照らして明らかである。すなわち、本件売買取引による損害は、Bが被上告会社の事業の執行につき加えた損害に当たらないと解すべきであり、これと同趣旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法は認められない。なお、所論のように右AがBの背任行為に加担したという事実は原審の認定しないところであるから、所論引用の判例は本件と事案を異にして適切でない。論旨は、独自の法律的見解に立脚するか、もしくは、原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するに帰し、採ることができない。
よつて民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+意見
裁判官大隅健一郎の意見は、つぎのとおりである。
上告理由第二点に関する多数意見の結論には異論はないが、その理由については賛成することができない。
被上告会社の製菓原料店主任Bは商法四三条にいわゆる番頭、手代に当たり、同条により、右製菓原料店における原料の仕入に関して一切の裁判外の行為をなす権限を有するものと認められる。そして、ある行為がその権限の範囲内に属するかどうかは、客観的にその行為の性質によつて定まるのであつて、行為者Bの内心の意図のごとき具体的事情によつて左右されるものではない。このことは、商法が番頭、手代の代理権の範囲を法定するのは、これと取引する第三者が、取引に当り、一々具体的事情を探求して、その行為が相手方の代理権の範囲内に属するかどうかを調査する必要をなくする趣旨に出ていることに徴して、窺うにかたくない。そうであるとすれば、本件売買契約は、前記Bが何人の利益をはかる目的をもつて締結したかを問わず、その権限内の行為であつて、これにより被上告会社が責任を負うのは当然といわなければならない。この場合に、相手方たる上告会社の支配人Aが右契約がBの権限濫用行為であることを知つていても、それがBの権限内の行為であることには変りはない。しかし、このような場合に、悪意の相手方がそのことを主張して契約上の権利を行使することは、法の保護の目的を逸脱した権利濫用ないし信義則違反の行為として許されないものと解すべきである。その意味において、多数意見の結論は支持さるべきものと考える。
多数意見は、この場合に心裡留保に関する民法九三条但書の規定を類推適用しているが、いうまでもなく、心裡留保は表示上の効果意思と内心的効果意思とが一致しない場合において認められる。しかるに、代理行為が成立するために必要な代理意思としては、直接本人について行為の効果を生じさせようとする意思が存在すれば足り、本人の利益のためにする意思の存することは必要でない。したがつて、代理人が自己または第三者の利益をはかることを心裡に留保したとしても、その代理行為が心裡留保になるとすることはできない。おそらく多数意見も、代理人の権限濫用行為が心裡留保になると解するのではなくして、相手方が代理人の権限濫用の意図を「知りまたは知ることをうべかりしときは、その代理行為は無効である、」という一般理論を民法九三条但書に仮託しようとするにとどまるのであろう。すでにして一般理論にその論拠を求めるのであるならば、前述のように、権利濫用の理論または信義則にこれを求めるのが適当ではないかと考える。しかも、この両者は必ずしもその結論において全く同一に帰するものでないことを注意しなければならない。すなわち、多数意見によれば、相手方が代理人の権限濫用の意図を知らなかつたが、これを知ることをうべかりし場合には、本人についてその効力を生じないことは明らかであるが、私のような見解によれば、むしろこの場合にも本人についてその効力を生ずるものと解せられる。そして、代理人の権限濫用が問題となるのは、実際上多くは法人の代表者や商業使用人についてであることを考えると、後の見解の方がいつそう取引の安全に資することとなつて適当ではないかと思う。
(裁判長裁判官 大隅健郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)

2.小問2(1)について(基礎編)
(1)AのCに対する請求
+(善意の占有者による果実の取得等)
第百八十九条  善意の占有者は、占有物から生ずる果実を取得する。
2  善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは、その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなす。

・履行補助者の過失
+判例(S4.3.30)
要旨
1.債務者が債務履行のため他人を使用する場合においては、債務者はその履行について被用者の不注意によつて生じた結果に対して債務の履行に関する一切の責任を回避することができない。

+判例(S4.6.19)

+(占有者による損害賠償)
第百九十一条  占有物が占有者の責めに帰すべき事由によって滅失し、又は損傷したときは、その回復者に対し、悪意の占有者はその損害の全部の賠償をする義務を負い、善意の占有者はその滅失又は損傷によって現に利益を受けている限度において賠償をする義務を負う。ただし、所有の意思のない占有者は、善意であるときであっても、全部の賠償をしなければならない。

(2)AのDに対する請求
・110条の第三者は代理行為の直接の相手方。
+判例(S36.12.12)
理由
上告代理人鍜治利一名義、同増岡正三郎の上告理由について。
論旨は要するに、上告人は、本件約束手形が正当の権限の下に振出されたものであると信ずべき正当の理由を有して居つたので、受取人よりその裏書譲渡を受けたものであるに拘らず、原審は、上告人の善意による取得を否定する判断をしたが、これに経験則違反、採証法則違反、審理不尽、民法一一〇条の解釈適用の誤りがあり、ひいては原判決に理由不備の違法を招いたものである旨主張するにある。
しかしながら、約束手形が代理人によりその権限を踰越して振出された場合、民法一一〇条によりこれを有効とするには、受取人が右代理人に振出の権限あるものと信ずべき正当の理由あるときに限るものであつて、かゝる事由のないときは、縦令、その後の手形所持人が、右代理人にかゝる権限あるものと信ずべき正当の理由を有して居つたものとしても、同条を適用して、右所持人に対し振出人をして手形上の責任を負担せしめ得ないものであることは、大審院判例(大審院大正一三年(オ)第六〇一号、同一四年三月一二日判決、同院民集四巻一二〇頁)の示す所であつて、いま、これを改める要はない。
而して原判決によれば、原審は、被上告寺の経理部長Aの代理人であつた訴外Bがその権限外であるにも拘らず、右経理部長の記名印章を冒用して本件約束手形を振出し、その受取人である訴外Cが、本件約束手形の交付を受けた当時、右Bにおいて何等正当の権限なくしてこれを作成交付したものであることを十分察知して居つたものであるとの事実を認定して居る。
されば右判例の趣旨よりすれば、右認定の事実関係の下においては、本件約束手形の被裏書人である上告人が、仮に所論の如く、右Bに、本件約束手形振出を代理する権限あるものと信ずべき正当の理由を有して居つたとしても、被上告寺は、上告人に対し本件約束手形上の責任を負担しないものとなすべきである。原判決は結局これと同趣旨に出て居るのであるから正当であつて、何等所論の違法はない。
論旨は、すべて理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石坂修一 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔 裁判官 五鬼上堅磐)

+(善意の占有者による果実の取得等)
第百八十九条  善意の占有者は、占有物から生ずる果実を取得する。
2  善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは、その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなす。

3.小問2(1)について(応用編)

+(権利を失うおそれがある場合の買主による代金の支払の拒絶)
第五百七十六条  売買の目的について権利を主張する者があるために買主がその買い受けた権利の全部又は一部を失うおそれがあるときは、買主は、その危険の限度に応じて、代金の全部又は一部の支払を拒むことができる。ただし、売主が相当の担保を供したときは、この限りでない。

+(有償契約への準用)
第五百五十九条  この節の規定は、売買以外の有償契約について準用する。ただし、その有償契約の性質がこれを許さないときは、この限りでない。

+判例(S50.4.25)
理由
上告代理人寺口真夫、同村井瑛子の上告理由第一点について。
所有権ないし賃貸権限を有しない者から不動産を貸借した者は、その不動産につき権利を有する者から右権利を主張され不動産の明渡を求められた場合には、貸借不動産を使用収益する権原を主張することができなくなるおそれが生じたものとして、民法五五九条で準用する同法五七六条により、右明渡請求を受けた以後は、賃貸人に対する賃料の支払を拒絶することができるものと解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人Aが、同法五七六条の趣旨に従い、被上告人Bから本件店舗の明渡請求を受けたのちは、上告人に対する賃料の支払を拒絶することができるとした原審の判断は、右説示したところに照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
同第二点について。
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人Bの上告人に対する所論の解除権行使が信義則に反し又は権利の濫用にあたるものとは認められない。原判決に所論の違法はなく、所論引用の最高裁判例は、事案を異にし、本件に適切とはいえない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川信雄 裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

4.小問2(2)について(基礎編)
+(所有権の取得時効)
第百六十二条  二十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。
2  十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。
(所有権以外の財産権の取得時効)
第百六十三条  所有権以外の財産権を、自己のためにする意思をもって、平穏に、かつ、公然と行使する者は、前条の区別に従い二十年又は十年を経過した後、その権利を取得する。
・土地の賃借権について
+判例(S43.10.8)
理由 
 上告代理人高野篤信、同平野保、同宇津呂公子の上告理由について。 
 原審が原判決添付第一号目録(二)記載の土地(以下たんに第一(二)土地という。その他これに準ずる。)について賃貸借の成立を否定した認定・判断は、その挙示する証拠関係によつて是認しえないものではなく、この点に関する論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰し、採用できない。 
 次に、所論土地賃借権の時効取得については、土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、それが賃借の意思に基づくことが客観的に表現されているときは、民法一六三条に従い土地賃借権の時効取得が可能であると解するのが相当である。 
 しかるに、記録によれば、上告人が原審において、第一(一)(二)土地、第二土地、第三土地について仮定的に賃借権の時効取得を主張したこと、これに対し原審は第一(一)土地について賃貸借の成立を認め、第二、第三土地について時効取得を否定したが、第一(二)土地については賃貸借の成立を否定しながら、時効取得の主張に対してなんら判断を加えていないことが明らかである。論旨はこの点において理由があり、原判決は第一(二)土地について判断遺脱の違法あることを免れない。 
 また、原審は、第二土地について賃借権の時効取得を否定し、その判決理由一の(三)において「第一審原告(上告人)が第二土地については昭和二二年四月頃以降現在までこれを占有していることは、さきに、みたとおりで……あるが、前認定の事実関係に徴すると、未だ、第一審原告はその主張の如き賃借権を享受する意思を以て右……土地を占有していたとは認め難い」云々と判示するが、これに先だつ原判決理由中のどこにも、原判決が「さきにみた」といい、また「前認定」という、その判示に照応する事実の認定説示を発見することができない。しかも、占有開始の時期については、被上告人において、上告人が第一(二)土地および第二土地の一部の占有を始めたのは、昭和二五年一二月以降のことであると争つているところであり、また、第三土地はともかくとして、第二土地は、原審の認定によつても、賃貸借の成立した第一(一)土地と同時に占有を開始して現在に至り、また、上告人が土地使用の対価として被上告人に賃料を支払つて来たことは(土地の範囲は別として)争いがないというのであるから、原判示のように、上告人において賃借権享受の意思がなかつたとするには、当然なんらかの説明を要するところである。しかるに、原判決理由が「さきにみた」とする「前認定」事実の説示を欠くことは、前述のとおりであつて、原判決は第二土地につき賃借権の時効取得を否定した点において、審理不尽、理由不備の違法あることを免れず、論旨は、けつきよく、この点においても理由あるものといわなければならない。 
 なお、上告人は第三土地に関する請求が排斥されたことをも不服として上告するが、上告状および上告理由書中に、この点に関する上告理由として認めるに足りる記載がなく、排斥を免れない。 
 以上、原判決には第一(二)土地について賃借権の時効取得の主張に対する判断遺脱の違法、第二土地について賃借権の時効取得の主張を排斥するにつき審理不尽、理由不備の違法があり、これらの点において破棄を免れないが、その余の点については上告を失当として棄却すべきであり、右破棄部分については、さらに審理を尽くさせるため原審に差し戻すべきである。 
 よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致により、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)
+判例(S52.9.20)
 理  由 
 上告代理人長島兼吉の上告理由第一点について 
 他人の土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、その用益が賃借の意思に基づくものであることが客観的に表現されているときには、民法一六三条により、土地の賃借権を時効取得するものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところであり(昭和四二年(オ)第九五四号同四三年一〇月八日第三小法廷判決・民集二二巻一〇号二一四五頁、同五一年(オ)第九九六号同五二年九月二九日第一小法廷判決・裁判集民事一二一号三〇一頁)、他人の土地の所有者と称する者との間で締結された賃貸借契約に基づいて、賃借人が、平穏公然に土地の継続的な用益をし、かつ、賃料の支払を継続しているときには、前記の要件を満たすものとして、賃借人は、民法一六三条所定の時効期間の経過により、土地の所有者に対する関係において右土地の賃借権を時効取得するに至るものと解するのが相当である。 
 これを本件についてみるに、原審は、(1) 本件土地を含む分筆前の原判示一七八番四の土地は、もと上告人らの祖父磯野泉蔵の所有であつたところ、上告人らは、泉蔵の死亡に伴い相続により右土地の所有権を取得した磯野與右エ門ほか九名からそれぞれ三分の一の割合による共有持分の贈与を受け、昭和四三年四月八日、その旨の共有持分移転登記を経由した、(2) 平野定次は、昭和三年の新潟県両津町の大火の後間もなく、泉蔵から分筆前の前記土地の提供を受け、その一部である本件土地上に本件建物を建築し、これを所有してきたが、その後、定次の隠居に伴い平野次郎助が、次いで同人の死亡に伴い平野善徳が、それぞれ家督相続により本件建物の所有権を承継取得した、(3) 磯田佐吉は、昭和二五年五月一二日、善徳から本件建物を買受けると同時に、その敷地である本件土地を建物所有の目的、賃料一年一六〇〇円の約定で賃借し、同月二五日本件建物につき右売買を原因とする所有権移転登記を経由したものであるが、その際、善徳は、佐吉に対し、本件土地を含む分筆前の前記土地は、定次が泉蔵から買受けてその所有権を取得したものではあるが、なお問題があり、佐吉に不利益が及ぶようなことがあれば、善徳において責任を持つ旨を約した、(4) 佐吉は本件建物に居住し、その敷地として本件土地を使用する一方、その賃料は善徳の姉を通じて善徳に支払つてきた、(5) 佐吉は昭和四六年八月三一日に死亡し、被上告人らが相続によつて同人の地位を承継したものであるところ、同人の死亡後は、被上告人磯田忠男が、本件建物に居住し、前同様の方法で昭和五五年分まで賃料の支払いを続けてきた、(6) 佐吉及び被上告人らは、以上の期間中、上告人らや本件土地の前所有者から本件土地の明渡を求められることはなかつた、(7) 被上告人らは、昭和五八年八月四日の本訴第一審口頭弁論期日において、佐吉は本件土地について用益を開始した昭和二五年五月一二日から二〇年を経た昭和四五年五月一二日の経過とともに本件土地の所有者に対抗することができる賃借権を時効により取得したとして、右時効を援用する旨の意思表示をした、との事実を確定している。以上の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。そして、右の事実関係のもとにおいては、佐吉の本件土地の継続的な用益が賃借の意思に基づくものであることが客観的に表現されているものと認めるのが相当であるから、同人は、民法一六三条所定の二〇年の時効期間を経た昭和四五年五月一二日の経過により、本件土地の所有者である上告人らに対する関係において本件土地の賃借権を時効取得したものであり、被上告人らは、佐吉の死亡に伴い、相続により右賃借権を承継取得したものということができる。これと同旨の原審の判断は相当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。 
 同第二点について 
 所論の主張は、賃借権の取得時効を中断する事由の主張として十分なものとはいえないから、原判決にこれについての判断を欠いた違法があるとしても、右違法は判決の結論に影響を及ぼすものではないというべきである。したがつて、論旨は採用することができない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一 裁判官 林 藤之輔) 
・賃料の支払先
+判例(S49.3.10)
5.小問2(2)について(応用編)
+(時効の援用)
第百四十五条  時効は、当事者が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない。
当事者=直接時効の利益を受ける者


憲法 日本国憲法の論じ方 Q17 生存権


Q 生存権はどのような背景のもとで登場したのか?
(1)近代立憲主義の想定する人間像
(2)現代的意味の憲法のメルクマール

Q 生存権はどのような法的効果を持つか?
(1)25条の法的効力をめぐる諸説
(2)法的効力の様々な局面
法規範性=違憲という結論を導き出しうる規範か
裁判規範性=裁判所が適用できる規範か

・制度なのか権利なのか

(3)25条は法的拘束力を持つか
+判例(S42.5.24)朝日訴訟上告審
理由
本件上告理由は、別紙記載のとおりである。
職権をもつて調査するに、上告人は、昭和三八年一一月二〇日本件上告の申立をしたが、昭和三九年二月一四日死亡するにいたつたこと、記録上明らかである。
上告人は、十数年前から国立岡山療養所に単身の肺結核患者として入所し、厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額たる月六〇〇円の日用品費の生活扶助と現物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。ところが、同人が実兄Cから扶養料として毎月一、五〇〇円の送金を受けるようになつたために、津山市社会福祉事務所長は、月額六〇〇円の生活扶助を打ち切り、右送金額から日用品費を控除した残額九〇〇円を医療費の一部として上告人に負担させる旨の保護変更決定をした。同決定が岡山県知事に対する不服の申立および厚生大臣に対する不服の申立においても是認されるにいたつたので、上告人は、厚生大臣を被告として、右六〇〇円の基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するにたりない違法のものであると主張して、同大臣の不服申立却下裁決の取消を求める旨の本件訴を提起した。
おもうに、生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものと解すべきである。しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし(五九条参照)、相続の対象ともなり得ないというべきである。また、被保護者の生存中の扶助ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利についても、医療扶助の場合はもちろんのこと、金銭給付を内容とする生活扶助の場合でも、それは当該被保護者の最低限度の生活の需要を満たすことを目的とするものであつて、法の予定する目的以外に流用することを許さないものであるから、当該被保護者の死亡によつて当然消滅し、相続の対象となり得ない、と解するのが相当である。また、所論不当利得返還請求権は、保護受給権を前提としてはじめて成立するものであり、その保護受給権が右に述べたように一身専属の権利である以上、相続の対象となり得ないと解するのが相当である。
されば、本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、同人の相続人A、同Bの両名においてこれを承継し得る余地はないもの、といわなければならない
(なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。
一、憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはないただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない
原判決は、保護基準設定行為を行政処分たる覊束裁量行為であると解し、なにが健康で文化的な最低限度の生活であるかは、厚生大臣の専門技術的裁量に委されていると判示し、その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題にすぎないものであるとした。覊束裁量行為といつても行政庁に全然裁量の余地が認められていないわけではないので、原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と解しながら、そこに厚生大臣の専門技術的裁量の余地を認めたこと自体は、理由齟齬の違法をおかしたものではない。また、原判決が本件生活保護基準の適否を判断するにあたつて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、当時の国民所得ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準、都市と農村における生活の格差、低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口において占める割合、生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの一部の国民感情および予算配分の事情である。以上のような諸要素を考慮することは、保護基準の設定について厚生大臣の裁量のうちに属することであつて、その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題を生ずるにすぎないのであつて、違法の題題を生ずることはない。

二、本件生活扶助基準そのものについて見るに、この基準は、昭和二八年七月設定されたものであり、また、その月額六〇〇円算出の根拠となつた費目、数量および単価は、第一審判決別表記載のとおりである。
生活保護法によつて保障される最低限度の生活とは、健康で文化的な生活水準を維持することができるものであることを必要とし(三条参照)、保護の内容も、要保護老個人またはその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならないが(九条参照)、同時に、それは最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないこととなつている(八条二項参照)。本件のような入院入所中の保護患者については、生活保護法による保護の程度に関して、長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約があることに留意しなければならない。この場合に、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、その額の不足は、病人に対し看過し難い影響を及ぼすことのあるのは、否定し得ないところである。しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、法は、その需要に即応するとともに、保護実施の適正を期する目的から、保護の種類および範囲を定めて、これを単給または併給することとし、入院入所中の保護患者については、生活扶助のほかに給食を含む医療扶助の制度を設けているが、両制度の間にはおのずから性質上および運用上の区別があり、また、これらとは別に生業扶助の制度が存するのであるから、単に、治療効果を促進しあるいは現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、退院退所後の生活を容易にするために必要であるとかいうようなことから、それに要する費用をもつて日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用が計上されていないという理由で、同基準の違法を攻撃することは、許されないものといわなければならない。
さらに、本件生活扶助基準という患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が具体的に妥当なものであるかどうかを検討ずるにあたつては、日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費目が異なり、特定の患者にとつてはある程度相互流用の可能性が考えられるので、単に本件基準の各費目、数量、単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握すべきである。また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要とするものと臨時例外的に必要とするものとの区別があり、臨時例外的なものを一般基準に組み入れるか、特攻基準ないしは一時支給、貸与の制度に譲るかは、厚生大臣の裁量で定め得るところである。
以上のことを念頭に入れて検討すれば、原判決の確定した事実関係の下においては、本件生活扶助基準が入院入所患者の最低限度の日用品費を支弁するにたりるとした厚生大臣の認定判断は、与えられた裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用した違法があるものとはとうてい断定することができない。)
よつて、民訴法九五条、八九条に従い、裁判官奥野健一の補足意見および裁判官草鹿浅之介、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、全裁判官一致の意見により、主文のと判り判決する。

+補足意見
裁判官奥野健一の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見のごとく、いわゆる保護受給権が生活に困窮する要保護者又は被保護者に対し、その者の最低限度の生活の需要を満すことを目的として与えられたものであることにかんがみ、保護受給権それ自体はもとより、被保護者の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にある分の給付を求める権利も、その性質上、一身専属の権利であつて他にこれを譲渡したり相続することが許されないという理由で、本件訴訟の承継を否定するものである。
そもそも、訴訟承継の制度は、訴訟係属中に当事者の死亡、資格の喪失、訴訟物の譲渡等があつても、訴訟物に関する争いが客観的には落着していないのに訴訟は終了したものとして新訴の提起を要請することが訴訟経済に反するところがら、右の事由が生じてもなお訴訟は同一性を維持するものと擬制し、承継人をして在来の当事者に代わつて訴訟を追行せしめんとする制度であつて、この訴訟の承継が認められるのは、訴訟の対称たる権利又は法律関係の承継がある場合か、訴訟の対象たる権利又は法律関係の承継人でなくても特に法令により訴訟追行権を与えられている場合でなければならない。そして、この理は、行政訴訟においても異なるところはない。しかるに、本件訴訟は、津山市社会福祉事務所長の保護変更決定を是認した厚生大巨の不服申立却下裁決の取消を求める訴であつて、特定の保護金品の給付を求める訴ではなく、上告人の相続人たるA、同Bの両名は、上告人に与えられた保護受給権の承継人でないのはもとより、特に法令により右却下裁決の取消しにつき訴訟追行権を与えられている者でもない。従つて、本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、その相続人らにおいてこれを承継する余地がない、といわざるを得ない。
右の結論は、所論のように上告人の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にある分の給付を求める権利が相続の対象となり得ると解するとしても、この権利が本件訴訟の対象となつていない以上、そのことによつて左右されるものではない。
反対意見の裁判官は、不当利得返還請求権を論拠として、本件訴訟の承継を肯認すべきであるとされる。しかし、そのいわゆる不当利得返還請求権なるものは、保護変更決定により、医療費の一部自己負担金に繰り入れられた月額九〇〇円を限度として、そのうち、本件生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分について成立するものと考うべきであるところ、これは本件却下裁決が取り消されることを前提としてはじめて成立するものであるが、裁決の取消を求める権利自体、保護決定を受けた者のみに専属する権利であつて、相続人による相続が許されないものである。従つて、前記両名は、不当利得返還請求権を論拠として本件訴訟を承継することもできない。
されば、当裁判所としては、本件訴訟は上告人が昭和三九年二月一四日死亡したことによりすでに終了したものとして、訴訟終了の宜言をなすべきである。
私は、以上のごとく、本件訴訟はすでに終了したものと解する以上、最早事件は裁判所に係属していないのであるから、本件生活扶助基準の適否について論ずることは、余り意味のないことであると考えている。しかし、多数意見が念のために付加した意見や田中裁判官の反対意見の中で示された保護受給権の性質に関する見解には賛同することができず、この点が本件訴訟における本案の基本問題であり、また、前記訴訟承継の問題とも関連するところがあるので、敢えて、それについての私の考え方を述べておくこととする。
憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この憲法の規定は、直接個々の国民に対し生存権を具体的・現実的な権利として賦与したものではなく、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国の責務として宜言したものと解されている(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。そしてまた、「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、固定的な概念ではなくして、当該社会の実態に即応して確定されるべきものであり、その具体的内容も算数的正確さをもつて適正に把握し難いものであることはいうまでもない。しかしながら、右の規定が生存権を、単なる自由権として、すなわち、国が国民の生存を不当に侵害するのを防止し、または、国に対して不当な侵害からの保護を求め得るという消極的な権利としてではなく、前叙のごとく、積極的に、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るような施策を講ずべきことを国の責務として要請する権利として捉えているところに新憲法の近代的憲法としての特色があるものといわなければならない。このことに思いをいたせば、憲法は、右の権利を、時の政府の施政方針によつて左右されることのない客観的な最低限度の生活水準なるものを想定して、国に前記責務を賦課したものとみるのが妥当であると思う。従つてまた、憲法二五条一項の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法が、生活に困窮する要保護者又は被保護者に対し具体的な権利として賦与した保護受給権も、右の適正な保護基準による保護を受け得る権利であると解するのが相当であつて、これを単に厚生大臣が最低限度の生活を維持するに足りると認めて設定した保護基準による保護を受け得る権利にすぎないと解する見解には、私は承服することができないのである。そして、保護受給権を上記のように解する以上、厚生大臣の保護基準設定行為は、客観的に存在する最低限度の生活水準の内容を合理的に探求してこれを金額に具現する法の執行行為であつて、その判断を誤れば違法となつて裁判所の審査に服すべきこととなる。
しかしながら、以上のように、厚生大臣の定める保護基準は客観的に存在する最低限度の生活水準に合致した適正なものでなければならないからといつて、適正に設定された保護基準の内容がその後のある時点において右の基準線に完全に合致しないというだけの理由で、直ちに当該基準を違法と認めるべきことにはならない、といわなければならない。何となれば、生活保護法は、保護実施担当官の主観を排し、要保護者の生活困窮の程度に応じた必要な保護が行なわれることを企図して、保護の実施は厚生大臣の定める保護基準によらしめることとしているのであるが、そもそも、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、前叙のごとく、固定的な概念でなく、その具体的内容は、当該社会の実態を勘案し、要保護者の経済的需要の種類、態様並びに年令別、性別、世帯構成別、所在地域別その他の事情を調査して決定しなければならないため、厚生大臣が保護基準を設定するためには相当長期の日時を必要とする。しかも、右の内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて同上するものであるから、或る時点において設定した保護基準をその後における諸般の情勢の変化に絶えず即応せしめるがごときことは、いうべくして行ない得ないからである。そこで、適正に設定された保護基準の内容が、その後の情勢の変化により生活の実態を正確に反映しないことになつたとしても、基準の改訂に要する相当の期間内であれば、当該時点における基準と生活の実態との乖離が憲法及び生活保護法の趣旨・目的を著しく逸脱するぼどのものではないと認められる限り、それは、保護基準という制度を設けたことによるやむを得ない結果として法の容認するところであつて、まだもつて違法と断ずることは許されないといわざるを得ない。原判決の確定した事実によれば、本件生活扶助基準は、昭和二八年七月いわゆるマーケツト・バスケツト方式なる理論生計費算定方法に従つて一般の生活扶助基準を作成し、これに入院入所患者の生活という特殊の事情を加味して設定されたものであるというのであつて、それは、当時のわが国の経済状態、文化の発達、一般国民生活の状態等に照らして、一応当時における客観的な最低限度の生活水準に副つたものと認められる。また、原判決の確定した事実によれば、わが国の国民経済は、右昭和二八年七月から翌二九年末まではさほど顕著な変動を示さなかつたが、昭和三〇年度において急激に発展し、昭和三一年度、殊にその下半期にいたり、一般の予想を上廻る成長を遂げ、これに伴い、国税の自然増収もにわかに増加し、消費生活の向上、物価の騰貴をきたし、前示変更決定の行なわれた昭和三一年八月当時、すでに、本件生活扶助基準の内容は、景気の上昇により、いわゆる補食費を除いても、入院入所三か月以上に及ぶ長期療養患者の健康で文化的な最低限度の生活の需要を満たすに十分なものではなく、早晩改訂されるべき段階にあつた、ところで、右景気変動の結果は、翌年度にならなければ適確に把握しがたかつた、というのである。されば、右の事実関係の下においては、本件生活扶助基準で定められた月額六〇〇円なる金額は低きに失するきらいはあるが、まだもつて違法とは認められないとした原審の判断は、前段説示の理由により、これを首肯し得ないわけではない。

+反対意見
裁判官田中二郎の反対意見は、次のとおりである。
一 多数意見は、「本件訴訟は、上告人の死亡と同時に終了し、同人の相続人A、同Bの両名においてこれを承継し得る余地はない」として、上告理由とは無関係に、前提問題で、訴訟終了の判決を下したが、私は、この考え方には賛成しがたい。
なるほど、本件訴訟の承継が肯認されるべきかどうかは、疑問の余地のある問題である。しかし、行政事件訴訟における訴訟要件は、これをできるだけゆるやかに解釈し、裁判上の救済の門戸を拡げていこうというのが、近時、諸外国におけるほぼ共通の傾向であり、それは、行政権に対する人民の救済制度である行政事件訴訟、殊に抗告訴訟の性質に照らし十分の理由があることにかんがみ、わが国においても、理論上可能な限り、いわゆる門前払いの裁判をすることを避け、事案の実体に立ち入つて判断を加えることが、国民のための裁判所として採るべき基本的な態度ではないかと、私は考える。
右のような見地から翻つて本件をみると、本件訴訟の承継は、理論上もこれを肯認し得ないわけではなく、そうである以上、本案の内容に立ち入つて、、上告理由で主張する諸論点について、裁判所の判断を明らかにするのが妥当な態度ではなかつたかと考えるのである。
右のような考え方に立つ以上、私としては、多数意見に反し、本件訴訟の承継が肯認されるべき理由を明らかにするとともに、さらに進んで、上告人の主張する上告理由について、私の意見を述べておきたいが、多数意見によつて、本件訴訟はすでに終了したものとされた以上、上告理由のいちいちについて、逐次、詳細に答えることは、あまり意味のないことであるから、私としては、ただ、憲法二五条の生存権の保障をめぐつて国民の重大な関心を集めている本件訴訟の主要な問題点について、上告理由を手がかりとしながら、基本的な考え方を示すだけに止めておくこととしたい。
二 私が多数意見に反して本件訴訟の承継を肯認すべきものとする理由は、次のとおりである。
多数意見は、生活保護法の規定に基づき要保護者又は被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的な利益ではなく、法的権利であつて、保護受給権とも称すべきものであるとし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属的左権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし、相続の対象ともなり得ないものとしている。この基本的な考え方は、正当であつて、異論のないところである。ただ、多数意見は、被保護者の保護受給権はもとよりのこと、被保護者の生存中の扶助ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利も、すべて被保護者の最低限度の生活の需要を満たすことを目的とするものであることを理由として、当該被保護者の死亡によつて当然に消滅し、相続の対象とはなり得ず、また、後に述べる不当利得返還請求権も、保護受給権を前提としてはじめて成立するものであり、その保護受給権が一身専属の権利である以上、相続の対象とはなり得ないものとし、従つて、本件訴訟の承継の余地がないと断じている。しかし、多数意見のいうように被保護者の生存中の生活扶助料ですでに遅滞にあるものの給付を求める権利が保護受給権そのものと同様に使用目的の制限に服すべきものであるかどうかについては、全く疑問の余地がないというわけではない。仮りに、右の点について、多数意見のとおりに考えるべきものとしても、ただそれだけで、本件訴訟の承継を否定する根拠とはなし得ないと、私は考える。というのは、もともと本件訴訟は、厚生大臣の定めた生活扶助基準が違法に低額であると主張して、Dが同人の実兄Cから送金された月額一、五〇〇円(後に六〇〇円に減り、次いで全く跡絶えてしまつた。)より、保護の補足性に関する規定に基づき右基準に定める日用品費六〇〇円を控除し、残額九〇〇円を医療費の一部自己負担金とする旨の保護変更決定を是認した裁決の取消を求めるものであるから、本件で訴訟の承継の成否を決する契機として捉えるべきものは、生活保護法に基づく保護受給権そのものでないことはもちろん、すでに遅滞にあるものの給付の請求でもなく、本件保護変更決定によつて、医療費の一部自己負担金に繰り入れられた月額九〇〇円を限度として、そのうち右厚生大臣の定めた生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分に対する不当利得返還請求権であると解すべきであるからである。
右の点を本件事案に即してもう少し具体的に述べると、津山市社会福祉事務所長のした本件保護決定前に、Dは、生活扶助として毎月六〇〇円の支給を受ける権利と、医療扶助として無償で現物給付を受ける権利とを有していたところ、右所長の本件保護変更決定によつて、生活扶助月額六〇〇円の支給は打ち切られ、新たに医療扶助についても一部自己負担金として月額九〇〇円の支払義務が課せられるに至つた(もつとも、後に四〇〇円の軽費の措置がとられた。)。従つて、若し、本件裁決が取り消されることになれば、国は、生活扶助月額六〇〇円の支払を不当に免れ、また、医療費の一部自己負担金とされた月額九〇〇円を限度として、そのうち右厚生大臣の定めた生活扶助基準金額と適正な生活扶助基準金額との差額に相当する部分を法律上の原因なくして不当に利得したこととなる。もとより被保護者たるDが適正な生活扶助基準による保護そのものを直ちに請求する権利を有するものといえないことは後に述べるとおりであるが、本件裁決が取り消された場合には、厚生大臣は、憲法及び生活保護法の規定の趣旨に従つた適正な生活扶助基準を設定すべき拘束を受けることとなるのであるから、国は、同人に対して右の限度においてその利得を返還しなければならず、これをDの側からいえば、同人は、右の限度で不当利得返還請求権を有するものといわなければならないのである(もつとも、原判決の確定した事実関係のもとでは、右月額九〇〇円の全部が岡山療養所に現実に納入されて国庫の収入に帰属したかどうかは明らかでないが、若し納入されていない分があるとしても、Dは、その分につき納付債務の不存在確認を訴求し得たはずであるから、不当利得返還請求権の認められる場合とその理を異にするものではない。)。この国に対する不当利得返還請求権は、保護受給権そのものの主張でないことはもちろん、すでに遅滞にある生活保護の給付の請求そのものでもなく、元来、Dの自由に使用処分し得た金銭の返還請求権ともいうべきものであつて、このような権利についてまで、その譲渡性や相続性を否定すべき合理的根拠は見出しがたいのではないかと思う。
そして、若し、右のような意味での不当利得返還請求権が認められるべきものとすれば、この請求権を行使するためには、本件で取消訴訟の対象になつている裁決の取消がされることを当然の前提条件とするのであつて、右の権利を相続したA・同Bの両名は、本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益を有するものと解するのが相当である。
もつとも、本件訴訟は、元来、右の不当利得返還請求を訴訟物とするものではなく、前記裁決の取消を求めるものであるが、一般に処分又は裁決の取消訴訟の目的は、処分又は裁決によつて相手方に生じた違法な侵害状態の排除によつて、その処分又は裁決のなされなかつたもとの状態を回復することにあると考えるべきであつて、行政事件訴訟法九条に、処分又は裁決の取消の訴の原告適格を定めるに当つて、「処分又は裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなく右つた後においてもなお処分又は裁決の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する者を含む。」ことを明記したのも、本件のような事案について、原告適格を肯認する趣旨を明らかにしたものと解すべきである。当裁判所の大法廷判決(昭和三七年(オ)第五一五号、同四〇年四月二八日大法廷判決、民集一九巻三号七二一頁)も、従来の判例を変更し、処分の取消によつて回復し得べき法律上の利益がある場合には、原告適格のあることを判示しているのである。
そして、訴訟の承継という制度を認める狙いは、本来、訴訟係属中に当事者の死亡、資格の喪失、訴訟物たる権利又は法律関係の譲渡等によつて当事者が訴訟追行権を失つた場合には、当該訴訟はその成立要件を欠くものとして却下を免れないわけであるが、訴訟物に関する争いそのものが客観的に落着していない場合において、その承継人より又は承継人に対しあらためて訴を提起させることは訴訟経済上妥当でないために、訴訟の実質的同一性を肯認し、その承継人をして在来の当事者に代つて訴訟を追行させようとするものである。従つて、本件におけるように、当該権利又は法律関係が在来の訴訟の訴訟物となつていない場合でも、相続人において将来その相続にかかる権利又は法律関係を訴求するために訴訟を継続していく利益が残存していると認められるときは、相続人をしてすでに形成された訴訟法律状態を承継させるべきものと解するのが相当である。
以上のような理由によつて、私は、本件訴訟はDの死亡と同時に、A・Bの両名によつて適法に承継されたものとみるべきであると考える。
三 右に述べたように、本件訴訟の承継を肯認すべきものと考えるので、次に、本案の内容について、判断を加えておくこととする。
まず、結論を述べると、私は、結局、本件上告は棄却を免れないと考える。その理由の概略を述べると、次のとおりである。
(1) 上告代理人海野普吉外一四名の上告理由第一点及び第二点(上告代理人海野普吉外一七名名義の補充上告理由第一点を含む。)について。
おもうに、生活に困窮する要保護者又は被保護者が国から健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りる保護を受けるのは、もはや、かつてのように国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う単なる反射的利益に止まるものではなく、法律上の権利であり、保護受給権ともいうべきものであつて、そのことが現行の生活保護法の画期的な特色をなしていることは、さきに説示したとおりである。問題は、この権利が何に由来し、どのような内容を有するものとみるべきかにある。
憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。しかし、この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運用すべきことを国の責務として宣言したものであつて、個々の国民に対して直接具体的な請求権としての権利を付与したものでないことは、つとに当裁判所の判例とするところである(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁)。従つて、具体的な権利は、右の憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつてはじめて与えられるものと考えるべきである。ところで、生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができる旨を規定し(二条)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているのである(八条一項)から、同法は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するに足りると認めて設定した保護基準による保護を受ける権利を保障したものであつて、生活保護法以前に客観的に確定し得べき最低生活水準の存在を前提し、これを維持するに足りるものを権利として保障したものではないと解すべきである。もつとも、厚生大臣の設定する保護基準は、法八条二項の定める事項を遵守したものであることを要し、結局は、憲法二五条一項の趣旨に適合した健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活といつても、それは、元来、確定的・不変的な概念ではなく、抽象的な相対的概念であつて、その具体的な内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて絶えず向上発展すべきものであり、多数の不確定的要素を総合考量してはじめて決定し得るのであつて、ある特定の時点における内容も算数的正確さをもつて適正に把握し決定するということは到底期待できない性質のものである。従つて、客観的・一義的に確定し得べき最低生活水準の存在を前提し、これを維持するに足りる権利を保障するというようなことは、憲法自体としてももともと予定するところではないというべきであるから、生活保護法が右のような水準を維持するに足りる適確な内容の権利を与えなかつたからといつて、直ちに憲法違反となるわけではないと、私は考える。
かような見地からいえば、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、法の定める範囲内において、厚生大臣の合目的的かつ専門技術的な裁量に委ねられているとみるべきであつて、その判断の誤りは、当不当の問題として、政府の政治責任の問題が生ずることはあつても、直ちに違憲・違法の問題が生ずることのないのが通例である。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど、憲法及び生活保護法の趣旨・目的に違背し、法律によつて与えられた裁量権の限界を踰越し又は裁量権を濫用したような場合にはじめて違法な措置として司法審査の対象となることがあるにすぎないと解すべきである。生活保護法が不服申立の対象を「保護の決定及び実施に関する処分」に限定し(六五条一項)、保護基準設定行為そのものについて触れていないのも、右の事情を示したものということができる。
もつとも、生活保護法八条二項には、「前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。」と規定されているから、厚生大臣は、保護基準を設定するに当り、合理的な理論生計費算定方式を採用するなど、右の要請に応ずるように努めなければならないし、また、理論生計費算定方式を採用するに当つては、その基礎となるべき生活資料を確定しなければならないが、そもそも、健康で文化的な最低限度の生活という概念が、さきに述べたように、抽象的な相対的概念であつて、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて絶えず向上発展するものであり、多数の不確定的要素を総合考量してはじめて決定し得るものである以上、どのような内容・程度のものを健康で文化的な最低限度の生活費の算定資料とすべきかについては、所論のいわゆる生活外的要素をもあわせ勘案するのでなければ確定しがたいのであつて、保護基準の設定に当り、かような要素を勘案することをもつて直ちに違法と論難するのは当らない。
原判決は、保護基準設定行為は覊束裁量行為であるとしながら、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかは厚生大臣の専門技術的な裁量に委されているといい、従つて、その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しない限り、当不当の問題にすぎないと判示している。従来の一般の考え方によれば、覊束裁量行為については、その判断の誤りは、単に当不当の問題に止まらず、適法違法の法律判断の問題として、司法審査に服すべきものと解されている。こういう普通の見解からいえば、原判決の用語は、必ずしも妥当とはいえない。しかし、原判決の真意は、生活保護法に保護基準に関する定めがあつても、それは決して行政庁に全然裁量の余地を認めない趣旨ではなく、厚生大臣の専門技術的な裁量の余地を認める趣旨であることを判示するにあるものと解し得るのであつて、その限りにおいて、原判決の結論は是認されるべきものである。また、原判決が本件保護基準の適否を判断するに当つて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、当時の国民所得ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準及び都市と農村における生活の格差、低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口中に占める割合、生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの国民感情の存在及び予算配分の事情などである(殊に、原判決は、予算については、厚生大臣が、社会保障費として一定の必要額を認めながら、予算不足の故をもつてことさら必要以下に低減したというのではなく、社会保障費と他の各種財政支出との均衡を保たせる限度において予算上の措置を配慮したのは相当であるとしているにすぎない。)。このような諸要素の考慮は、保護基準の設定に当り、厚生大臣の裁量に委されているとみるべきであつて、その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しない限り、違法の問題を生ずることはないと解すべきである。原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と説示しながら、以上の諸要素を本件保護基準の適否制定の資料としたことは、表現の不適切の嫌いはあつても、かような瑕疵は、判決の結果に影響を及ぼすものではないといわなければならない。従つて、論旨は、結局、理由がないこととなり、排斥を免れない。
(2) 同第三点及び第五点(同補充上告理由第二点を含む。)について。
厚生大臣が本件生活扶助基準金額算定の方式としていわゆるマーケツト・バスケツト方式を採用したのは合理的でなかつたとはいえないとした原審の判断は、原判決挙示の証拠に照らし、首肯し得ないわけではなく、また、原判決は、この方式による本件生活扶助基準額算定の過程及びその金額の当否について、必要な限度で、判断を加えているものということができるのであつて、原判決には、所論の法令違背の違法はなく、論旨は、これと相容れない見解に立脚するか、原判示にそわない事実に基づいてその違法をいうものであり、違憲の主張も、その実質は、原判決の法令違背の主張にすぎず、採るを得ない。
次に、本件生活扶助基準額は直ちに違法といい得るほど低額とはいえないとした原審の判断の違法・違憲をいう点について、本件事案に即しつつ、やや具体的に私の考えを述べておきたい。
本件生活扶助基準は、昭和二八年七月に設定されたものであり、本件保護変更決定が行なわれた昭和三一年八月頃には、物価謄貴等によつて、かなり事情が変つてきていたこと、従つてその八ヶ月後の三二年四月には右基準の改訂が行なわれていることに思いを致すと、三一年八月には、その扶助基準額が低きにすぎるものであつたことは卒直にこれを認めざるを得ない。しかし、そのことだけで、直ちに生活扶助基準の違法・違憲を根拠づけるものとはいい得ないのではないかと、私は考える。
そもそも、生活保護法によつて保障される最低限度の生活というのは、人間としての生存を維持するに足りる最低の生活ではなく、健康で文化的な生活水準を維持するに足りるものであることを必要とし(三条参照)、保護の内容、要保護者個人又はその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならない(九条参照)が、同時にそれは、最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないという制約を受けている(八条二項)。従つて、生活保護法によつて保障される保護の程度は、社会生活において近隣の者に対し見劣りや引け目を感じさせない程度の生活を営み得るまでに潤沢なものではあり得ず、殊に本件のような入院入所中の保護患者については、長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約のあることにも留意しなければならない。この場合、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、その額の不足は、たとえ僅少であつても、患者に対し看過しがたい影響を及ぼす場合のあることも否定し得ない。しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、生活保護法は、その需要に即応するとともに保護実施の適正を期する見地から、保護の種類及び範囲を定めて、これを単給又は併給することとし、入院入所中の保護患者については、生活扶助のほかに、給食を含む医療扶助の制度を設けており、また、別に生業扶助の制度も設けているのである。従つて、単に治療効果を促進し、現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、退院退所後の生活を容易にするために必要であるという理由で、それに要する費用まで日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用を計上していないからといつて、直ちにこれを違法ということはできない。また、いわゆる補食費についても、保護患者に対する給食が治療の一環として行なわれる建前になつている以上、それは、生活扶助(日用品費)の問題ではなく、医療扶助の問題であつて、いわゆる補食費を金銭的給付という形で生活扶助基準に計上すべきであるとの所論も、にわかに承服しがたい。
また、本件生活扶助基準にいう患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が具体的に妥当なものであるかどうかについては、日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費用が異なり、特定の患者にとつては、ある程度に相互流用の可能性のあることも考えられるので、単に本件基準の各費目・数量・単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握する必要がある。また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要なものと臨時例外的に必要なものとの別があり、臨時例外的に必要なものを一般基準に組み入れるか、特別基準ないしは一時支給又は貸与の制度に譲るかは、厚生大臣の定めるところに委ねるほかはなく、たとえ、一時支給の制度が完全・円滑に実施されがたい実情にあるとしても、それは、当該制度の運用上の当不当の問題にすぎないのであつて、それだけを理由として、臨時例外的に必要な費目を一般基準に計上すべき理由とはなしがたい。従つて、一般基準たる本件生活扶助基準の当否は、特別基準等に組み入れるべき日用品を除外し、専ら経常的な日用品のみを対象として決定するほかはないというべきである。
以上のことを念頭において検討すれば、原判決の確定した事実関係のもとにおいては、本件生活扶助基準がその設定当時入院入所中の患者の最低限度の日用品費を支弁するに足りるとした厚生大臣の認定判断に、その裁量権の限界を踰越したとか、その裁量権を濫用した違法があるものとは断定することができない。もつとも、さきに指摘したように、右基準は、本件保護変更決定の行なわれた昭和三一年八月から僅か八ヶ月を出ない昭和三二年四月に改訂されたこと、同改訂による新生活扶助基準と本件生活扶助基準とを比較対照すれば、新基準に新たな費目のとりいれられたものがあり、また、両基準に共通な費目であつても、数量の増加、単価の引上げの認められたもののあることが明らかである。しかし、保護基準は、さきにも指摘したように、文化の発達、国民経済の進展等に伴い、絶えず向上発展すべきものであるから、右の新生活扶助基準の内容を論拠として、それより三年余も前に設定された本件生活扶助基準が厚生大臣の恣意に基づくものと断定するのは相当でない。
ところで、原判決の確定した事実によれば、わが国の国民経済は、本件生活扶助基準が設定された昭和二八年七月から翌二九年末までは、さほど顕著な変動を示さなかつたが、昭和三〇年度において急激に発展し、昭和三一年度、特にその下半期においては、一般の予想を上廻る成長を遂げ、これに伴い、国税の自然増収もにわかに増加し、また、消費生活の向上、物価の謄貴をきたしたというのである。従つて、本件生活扶助基準額は、昭和三一年八月当時、すでに右景気の上昇に伴い、最低生活の実態に即さないものとなつていて、早晩改訂されるべき段階にあつたものと推認される。しかし、その実態に即さない程度が、入院入所中の患者に対する生活保護の実をあげ得ないほどでなかつたことは、原判決の正当に確定するところである。しかも、このような基準の改訂には、その調査研究等のために相当の日時を必要とし、また、景気変動の結果も、翌年度にならなければ適確には把握しがたいよう事情にあること等にかんがみると、ある時点において設定した保護基準をその後における生活の実態に絶えず即応せしめるということは、実際には至難の業であつて、右に指摘した程度における基準と生活の実態との乖離は、およそ基準の設定ということが合理的な措置として承認されるべきである以上、避けがたい必要悪として、法自身の認容するところといわなければならないであろう。
以上説示したように、本件生活扶助基準の設定そのものは、いちおうマーケット・バスケット方式という理論生計費算定方式に従つた、不合理とはいえないものであり、また、右基準と生活の実態との乖離が前述のような程度のものである以上、マーケット・バスケット方式そのものに必ずしも欠陥がないとはいえないことや、日用品費の不足がたとえ僅少であつても、患者に対し看過しがたい影響を及ぼす場合のあること等を考慮に入れてもなお、本件生活扶助基準で定められた月額六〇〇円という経常的な日用品費の金額は低きに失する嫌いがあるとはいえ、それは、行政措置によつて是正されるべき不当の問題であるに止まり、司法救済に値いする違法があるものと断ずるに足りないとした原判決の結論は、是認するほかはない。従つて、原判決に所論憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があるものとはいいがたく、その判断の過程にも、所論法令違背の違法を見出しがたい。論旨は、結局、右と相容れない見解に立脚して原判決の違法をいうか、原審の専権に属する証拠の取捨選択、事実の認定を非難するものであつて、採用できない。
(3) 同第四点について。
原判決は、本件生活扶助基準が中・軽症患者の需要を主眼として設定されたものであるが、重症患者の補食を除くその他の特殊の需要をまかない得ないものではなかつたこと、Dについても、同人は本件保護変更決定の行なわれた昭和三一年八月当時、両側混合性肺結核におかされた安静度二度の重症患者である、栄養不足に陥つていて、発汗のため着換え用衣類を余分に必要とし、特に寝巻には不自由をし、日用品一般についても、かなり窮屈を忍ばなければならない状態にあつたが、寝巻については、一時支給ないし貸与の制度があり、現に貸与を受けていた病衣が厚地のため寝巻としては必ずしも適当なものとはいえなかつたとしても、病床で着用できないほどのものではなかつたこと、その他の臨時例外的な日用品についても、昭和三〇年六月から昭和三三年五月までの間、同人には特別支出の見るべきものがなかつたことを認定している。そして、原審の右事実認定は、その挙示の証拠に照合すれば首肯できないわけではなく、その判断の過程にも所論の違法があるものとは認められない。また、重症患者に対する補食費に関する所論は、さきに説示した理由により採用しがたいといわなければならない。
なお、原判決は、岡山療養所においては本件保護変更決定後Dに対しその医療費一部自己負担金九〇〇円のうち四〇〇円の限度で日用品費及び嗜好品費の必要を理由として療養費軽費の措置をとつたこと、同人の昭和三〇年七月から昭和三三年五月までの三年間における日用品費の支出額は、右軽費の措置や臨時の収入があつたために平均月額一、〇四〇円四八銭に及んでいたこと、また、同人は本件保護変更決定に対する不服申立の事由として、重症に陥つているため嗜好品的栄養の補食費として月額四〇〇円を日用品費の追加分として認めてほしい旨のみを主張し、日用品費自体については格別不足を訴えていなかつたことを認定し、これら認定事実を判断の資料に加えていることは判文上明らかである。所論は、この点の違法をも攻撃しているが、軽費の措置に関する原判示は、傍論の域を出ず、右不服申立の事由も単なる事情にすぎないものであつて、原判決の判断を左右し得るものではない。原判決の結論は相当であつて、所論憲法及び法令の違反はなく、論旨は採用できない。
四 以上述べてきたように、本件生活扶助基準や本件保護変更決定を直ちに違憲又は違法とし、これを無効又は違法と断ずることはできず、結局、上告は排斥を免れない。法律論としては、右のように解するほかはないし、生活保護法による扶助の制度がきわめて多数の要保護者や被保護者を対象とする以上、一定の「生活扶助基準」を設定し、これによつて扶助をしていくほかはなく、この「生活扶助基準」の改訂に当つては、その調査研究のために相当の日時を要することも否めないのであるが、憲法二五条の精神を徹底する趣旨からいえば、政府当局としては、常時右の調査研究を怠ることなく、もつと適切かつ迅速に、生活の実態に即するようになお一段の配慮を加えるべきであるし、また、生活扶助基準の制度が必要避けることのできない制度であるとしても、具体的な事情に即応して、生活の実態との間に乖離をきたさないために、一層適切妥当な措置を迅速に講じ得るような裁量の余地を認めるものであることが望ましい。生活保護の制度は、単に恩恵的な制度でなく、権利として、これを保障したものであることはさきに述べたとおりであるが、権利であるということから、却つて、この制度の現実の運用に当る者の暖い思いやりが失われるに至るようなことがあつては、制度の本来の趣旨・目的が達せられないこととなるであろう。本件においては、結局、原告の敗訴を免れないが、いちおう、勝訴した国側も、その措置が妥当であつたとして支持されたわけではなく、ただ、その措置が違憲・違法とまではいえないと判断されたにすぎない点に深く思いを致し、この事件を契機として、生活保護制度のより適切な運用について、政府当局並びに関係者のすべてが、真剣に反省し、国民の強い要請に応え得るような対策を考慮するよう希望してやまない。

+反対意見
裁判官松田二郎、同岩田誠の本件訴訟承継の点に関する反対意見は、次のとおりである。
生活保護法の規定に基づき要保護者又は被保護者が国から生活保護を受けるのは、単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益でなく、保護受給権ともいうべき権利であること、およびその権利が譲渡、相続し得ない一身専属権であることは、多数意見のいうとおりである。しかし、右保護受給権が一身専属的であるということは、本件訴訟において承継を否定する根拠となるものではない。
本件において津山市社会福祉事務所長のした保護変更決定前、Dは、生活扶助として毎月六〇〇円の支給を受ける権利と医療扶助として無償にて現物給付を受ける権利を有していたところ、右所長の変更決定によつて生活扶助月額六〇〇円の支給は廃され、また新たに医療扶助については自己負担金として毎月九〇〇円の支払を課せられるに至つたのである。従つて、若し本件裁決が取り消されることがあれば、保護受給権が右に述べたごとく権利である以上、国は本来義務として負担すべき医療扶助の給付をしないため、同人をして支払うことを要しない自己負担金を支払わしめるに至つたのであるから、右変更決定以降同人が自己負担金として国に支払つた限度において、国はこれによつて法律上の原因なくして不当に利得したこととなる。すなわち、国は同人に対して、右の限度においてその利得を返還することを要することとなるのである。これを、Dの側よりいえば、同人は本件裁決の取消を条件とする不当利得返還請求権を国に対して有し得ることとなる。従つて、この条件付権利は、不当利得返還請求を内容とするものである以上、同人の有する保護受給権とは別個のものであつて、すなわちその性質はこれと異り一身専属的のものではなく、相続性を有するものというべきである。このように考えてくると、Dの死亡によりこの条件付権利は、A、Bの二人の相続人によつて相続されたものというべきであるから、Dは既に死亡し、また本件訴訟は不当利得返還請求を訴訟物とするものではないが、A、Bの両名は「本件裁決の取消によつて回復すべき法律上の利益」(行政事件訴訟法九条参照)を有するものと解するのを相当とする。けだし、もしこれを否定するときは、右両名は将来国に対して不当利得返還請求をなし得べき途を全く鎖されてしまうからである。
要するに、私たちは叙上の理由により、本件訴訟の承継を認めるものであり、承継を否定する多数意見に反対するものである。(多数意見が本件訴訟は上告人Dの死亡によつて終了したものと認めた以上、多数意見即ち当裁判所の判断としては、本件訴訟は既に終了したものとされたのである。このことは当裁判所としては、本案の上告理由にまで立入つて判断しないことを表明したものに外ならない。そしておよそ評議の対象となつている論点について評決がなされるまでは、それに関与した各裁判官はその信ずるところに従つてその意見を述べ得、また意見を述べなければならないけれども、一旦評決がなされたときは、すべての裁判官はこの評決の結果に服すべきことは当然である。従つて、上告人の死亡による本件訴訟終了の点につき、反対意見を有した私たちも、本件訴訟が既に終了したものと認めざるを得ない以上、その訴訟が未だ終了していないことを前提として本案の上告理由にまで立入つて意見を述べるということはなすべきことでないのである。そしてたとえ上告理由について意見を述べたとしても、本件訴訟が既に終了したとされた以上、その意見なるものは、法律的には意味を有し得ないものである。私たちが敢て本件の上告理由について意見を述べないのは、このために外ならない。)
裁判官草鹿浅之介は、裁判官松田二郎、同岩田誠の右反対意見に同調する。
(裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判長裁判官横田喜三郎、裁判官五鬼上堅磐は、退官のため署名押印することができない。裁判官 入江俊郎)

+判例(S57.7.7)堀木訴訟
理由
上告代理人井藤誉志雄、同藤原精吾、同前哲夫、同佐伯雄三、同宮崎定邦、同堀田貢、同前田修、同木村治子、同高橋敬、同吉井正明、同田中秀雄、同持田穣、同野田底吾、同原田豊、同中村良三、同羽柴修、同山崎満幾美、同野沢涓、同小牧英夫、同山内康雄、同宮後恵喜、同大音師建三、同田中唯文、同伊東香保、同前田貢、同山平一彦、同古本英二、同前田貞夫、同川西譲、同木下元二、同垣添誠雄、同上原邦彦、同足立昌昭、同木村祐司郎、同竹内信一名義、同岩崎豊慶、同橋本敦、同西元信夫、同松本晶行、同新井章、同大森典子、同高野範城、同渡辺良夫、同四位直毅、同池田真規、同金住典子、同田中峯子、同門井節夫、同金井清吉の上告理由について
一 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。
上告人は、国民年金法別表記載の一級一号に該当する視力障害者で、同法に基づく障害福祉年金を受給しているものであるところ、同人は内縁の夫との間の男子A(昭和三〇年五月一二日生)を右夫との離別後独力で養育してきた。上告人は、昭和四五年二月二三日、被上告人に対し、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当の受給資格について認定の請求をしたところ、被上告人は、同年三月二三日付で右請求を却下する旨の処分をし、上告人が同年五月一八日付で、被上告人に異議申立てをしたのに対し、被上告人は、同年六月九日付で、右異議申立てを棄却する旨の決定をした。その決定の理由は、上告人が障害福祉年金を受給しているので、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法四条三項三号(以下「本件併給調整条項」という。)に該当し受給資格を欠くというものであつた。

二 そこで、まず、本件併給調整条項が憲法二五条に違反するものでないとした原判決が同条の解釈適用を誤つたものであるかどうかについて検討する。
憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、この規定が、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであること、また、同条二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しているが、この規定が、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであること、そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきことは、すでに当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日大法廷判決・刑集二巻一〇号一二三五頁)。
このように、憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。しかも、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものであるしたがつて、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない
そこで、本件において問題とされている併給調整条項の設定について考えるのに、上告人がすでに受給している国民年金法上の障害福祉年金といい、また、上告人がその受給資格について認定の請求をした児童扶養手当といい、いずれも憲法二五条の規定の趣旨を実現する目的をもつて設定された社会保障法上の制度であり、それぞれ所定の事由に該当する者に対して年金又は手当という形で一定額の金員を支給することをその内容とするものである。ところで、児童扶養手当がいわゆる児童手当の制度を理念とし将来における右理念の実現の期待のもとに、いわばその萌芽として創設されたものであることは、立法の経過に照らし、一概に否定することのできないところではあるが、国民年金法一条、二条、五六条、六一条、児童扶養手当法一条、二条、四条の諸規定に示された障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当の各制度の趣旨・目的及び支給要件の定めを通覧し、かつ、国民年金法六二条、六三条、六六条三項、同法施行令五条の四第三項及び児童扶養手当法五条、九条、同法施行令二条の二各所定の支給金額及び支給方法を比較対照した結果等をも参酌して判断すると、児童扶養手当は、もともと国民年金法六一条所定の母子福祉年金を補完する制度として設けられたものと見るのを相当とするのであり、児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障であることが明らかな児童手当法所定の児童手当とはその性格を異にし、受給者に対する所得保障である点において、前記母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般、したがつてその一種である障害福祉年金と基本的に同一の性格を有するもの、と見るのがむしろ自然である。そして、一般に、社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなるべき、いわゆる複数事故において、そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであつても、事故が二以上重なつたからといつて稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するといえないことは明らかである。このような場合について、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、さきに述べたところにより、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。また、この種の立法における給付額の決定も、立法政策上の裁量事項であり、それが低額であるからといつて当然に憲法二五条違反に結びつくものということはできない
以上の次第であるから、本件併給調整条項が憲法二五条に違反して無効であるとする上告人の主張を排斥した原判決は、結局において正当というべきである。(なお、児童扶養手当法は、その後の改正により右障害福祉年金と老齢福祉年金の二種類の福祉年金について児童扶養手当との併給を認めるに至ったが、これは前記立法政策上の裁量の範囲における改定措置と見るべきであり、このことによつて前記判断が左右されるわけのものではない。)

三 次に、本件併給調整条項が上告人のような地位にある者に対してその受給する障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じたことが憲法一四条及び一三条に違反するかどうかについて見るのに、憲法二五条の規定の要請にこたえて制定された法令において、受給者の範囲、支給要件、支給金額等につきなんら合理的理由のない不当な差別的取扱をしたり、あるいは個人の尊厳を毀損するような内容の定めを設けているときは、別に所論指摘の憲法一四条及び一三条違反の問題を生じうることは否定しえないところであるしかしながら、本件併給調整条項の適用により、上告人のように障害福祉年金を受けることができる地位にある者とそのような地位にない者との間に児童扶養手当の受給に関して差別を生ずることになるとしても、さきに説示したところに加えて原判決の指摘した諸点、とりわけ身体障害者、母子に対する諸施策及び生活保護制度の存在などに照らして総合的に判断すると、右差別がなんら合理的理由のない不当なものであるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。また、本件併給調整条項が児童の個人としての尊厳を害し、憲法一三条に違反する恣意的かつ不合理な立法であるといえないことも、上来説示したところに徴して明らかであるから、この点に関する上告人の主張も理由がない。
以上の次第であるから、論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 服部髙顯 裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗 裁判官 横井大三 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 伊藤正己 裁判官 宮﨑梧一 裁判官 寺田治郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 大橋進 裁判官栗本一夫は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 服部髙顯)

(4)25条は権利を保障する規定か

Q 生存権が争われたときどのような基準で司法審査をすべきか?
(1)行政裁量論の違憲審査への借用現象

(2)あるべき違憲審査基準
生存権が人間生活の根幹をなし、「自由権と不即不離の関係を保ちつつ現代国家の人権カタログにもっとも貴重な法価値として座を占めているという立場」からすると・・・。

RQ
・義務教育の無償性
+判例(S39.2.26)
理由
上告人の上告理由について。
憲法二六条は、すべての国民に対して教育を受ける機会均等の権利を保障すると共に子女の保護者に対し子女をして最少限度の普通教育を受けさせる義務教育の制度と義務教育の無償制度を定めているしかし、普通教育の義務制ということが、必然的にそのための子女就学に要する一切の費用を無償としなければならないものと速断することは許されないけだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のため必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき責務を完うせしめんとする趣旨に出たものでもあるから、義務教育に要する一切の費用は、当然に国がこれを負担しなければならないものとはいえないからである。
憲法二六条二項後段の「義務教育は、これを無償とする。」という意義は、国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。そして、かく解することは、従来一般に国または公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料として来た沿革にも合致するものである。また、教育基本法四条二項および学校教育法六条但書において、義務教育については授業料はこれを徴収しない旨規定している所以も、右の憲法の趣旨を確認したものであると解することができるそれ故、憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない
もとより、憲法はすべての国民に対しその保護する子女をして普通教育を受けさせることを義務として強制しているのであるから、国が保護者の教科書等の費用の負担についても、これをできるだけ軽減するよう配慮、努力することは望ましいところであるが、それは、国の財政等の事情を考慮て立法政策の問題として解決すべき事柄であつて、憲法の前記法条の規定するところではないというべきである。
叙上と同趣旨に出でた原判決の判断は相当であり、論旨は、独自の見解というべく、採るを得ない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六)

・29条について
+判例(S43.11.27)河川附近地制限令事件
理由
弁護人高橋勝夫の上告趣意第一点について。
所論は、河州附近地制限令四条二号、一〇条は、次の理由により、憲法二九条三項に違反する違憲無効の規定であるという。すなわち、同令四条二号の制限は、特定の人に対し、特別に財産上の犠牲を強いるものであり、したがつて、この制限に対しては正当な補償をすべきであるのにかかわらず、その損失を補償すべき何らの規定もなく、かえつて、同令一〇条によつて、右制限の違反者に対する罰則のみを定めているのは、憲法二九条三項に違反して無効であり、これを違憲でないとした原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるというのである。
よつて按ずるに、河川附近地制限令四条二号の定める制限は、河川管理上支障のある事態の発生を事前に防止するため、単に所定の行為をしょうとする場合には知事の許可を受けることが必要である旨を定めているにすぎず、この種の制限は、公共の福祉のためにする一般的な制限であり、原則的には、何人もこれを受忍すべきものである。このように、同令四条二号の定め自体としては、特定の人に対し、特別に財産上の犠牲を強いるものとはいえないから、右の程度の制限を課するには損失補償を要件とするものではなく、したがつて、補償に関する規定のない同令四条二号の規定が所論のように憲法二九条三項に違反し無効であるとはいえない。これと同趣旨に出た原判決の判断説示は、叙上の見地からいつて、憲法の解釈を誤つたものとはいい得ず、同令四条二号、一〇条の各規定の違憲無効を主張する論旨は、採用しがたい。
もつとも、本件記録に現われたところによれば、被告人は、名取川の堤外民有地の各所有者に対し賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、従来から同所の砂利を採取してきたところ、昭和三四年一二月一一日宮城県告示第六四三号により、右地域が河川附近地に指定されたため、河川附近地制限令により、知事の許可を受けることなくしては砂利を採取することができなくなり、従来、賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、相当の資本を投入して営んできた事業が営み得なくなるために相当の損失を被る筋合であるというのである。そうだとすれば、その財産上の犠牲は、公共のために必要な制限によるものとはいえ、単に一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲をこえ特別の犠牲を課したものとみる余地が全くないわけではなく、憲法二九条三項の趣旨に照らし、さらに河川附近地制限令一条ないし三条および五条による規制について同令七条の定めるところにより損失補償をすべきものとしていることとの均衡からいつて、本件被告人の被つた現実の損失については、その補償を請求することができるものと解する余地がある。したがつて、仮りに被告人に損失があつたとしても補償することを要しないとした原判決の説示は妥当とはいえない。しかし、同令四条二号による制限について同条に損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、単に一般的な場合について、当然に受忍すべきものとされる制限を定めた同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない
したがつて、右各規定の違憲無効を口実にして、同令四条二号の制限を無視し、所定の許可を受けることなく砂利を採取した被告人に、同令一〇条の定める刑責を肯定した原判決の結論は、正当としてこれを支持することができる。
同第二点について。
所論は、昭和三四年一二月一一日宮城県告示第六四三号による宮城県知事の告示は、憲法二九条三項に違反する違憲無効の告示であるという。
しかし、所論中、河川附近地の指定はその理由と必要性とを示し、かつ、最少限度の土地に限られるべきものであつて、右告示は、知事の自由裁量の範囲を逸脱しているものであることを主張する点は、右指定が「河川の公利を増進し、又は公害を除去若は軽減する必要のため」に行なわれるものであるという指定そのものの性質にかんがみ、どういう範囲にその指定を行なうべきかは、知事の裁量の範囲に属するものと解すべきであつて、本件指定が右裁量の範囲を著しく逸脱したものとまでは断定することができず、論旨は理由がない。また、所論中、本件告示により砂利等の採取行為を禁ぜられた被告人に多額の損失が生じたことを理由として、右告示の憲法二九条三項違反をいう点は、本件上告趣意第一点について説示した理由と同じ理由により、採用することができない。
同第三点について。
所論は、河川附近地制限令四条二号、一〇条は、憲法七三条六号、九八条一項に違反する違憲無効の規定であるという。
しかし、河川附近地制限令四条の規定は、同令の制定当時施行されていた昭和三三年法律第一七三号による改正前の河川法五八条にいう「此ノ法律ニ規定シタル私人ノ義務」に関する制限を定めたものとみるべきてあるが、右改正により、新たに同法四七条の規定を設け、このような制限の根拠を一層明確にするに至つたもので、その後は、河川附近地制限令四条の定めは、右四七条に基づく有効な定めとみるべきである。また、同令一〇条の定める罰則は、所論のように明治二三年法律第八四号「命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件」に基づくものではなく、前記改正前の河川法五八条の委任に基づき適法に定められたものとみるべきであるが、右改正にあたり、この点についても、その根拠規定の疑義を避けるため、改正法五八条の五を加えるに至つたもので、その後は、同令一〇条の定めは、右五八条の五に基づく有効な定めとみるべきである。右と異なる論旨は、排斥を免れず、違憲の論旨は、その前提において採ることができない。
以上、論旨は、すべて理由がなく、いずれも採用することができない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官奥野健一は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 横田正俊)


会社法 事例で考える会社法 事例13 紛争の効果的解決


Ⅰ 出題の趣旨

Ⅱ 訴えの選択
1.瑕疵の特定

+(株主総会等の決議の不存在又は無効の確認の訴え)
第八百三十条  株主総会若しくは種類株主総会又は創立総会若しくは種類創立総会(以下この節及び第九百三十七条第一項第一号トにおいて「株主総会等」という。)の決議については、決議が存在しないことの確認を、訴えをもって請求することができる
2  株主総会等の決議については、決議の内容が法令に違反することを理由として、決議が無効であることの確認を、訴えをもって請求することができる。

(株主総会等の決議の取消しの訴え)
第八百三十一条  次の各号に掲げる場合には、株主等(当該各号の株主総会等が創立総会又は種類創立総会である場合にあっては、株主等、設立時株主、設立時取締役又は設立時監査役)は、株主総会等の決議の日から三箇月以内に、訴えをもって当該決議の取消しを請求することができる。当該決議の取消しにより株主(当該決議が創立総会の決議である場合にあっては、設立時株主)又は取締役(監査等委員会設置会社にあっては、監査等委員である取締役又はそれ以外の取締役。以下この項において同じ。)、監査役若しくは清算人(当該決議が株主総会又は種類株主総会の決議である場合にあっては第三百四十六条第一項(第四百七十九条第四項において準用する場合を含む。)の規定により取締役、監査役又は清算人としての権利義務を有する者を含み、当該決議が創立総会又は種類創立総会の決議である場合にあっては設立時取締役(設立しようとする株式会社が監査等委員会設置会社である場合にあっては、設立時監査等委員である設立時取締役又はそれ以外の設立時取締役)又は設立時監査役を含む。)となる者も、同様とする。
一  株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令若しくは定款に違反し、又は著しく不公正なとき。
二  株主総会等の決議の内容が定款に違反するとき。
三  株主総会等の決議について特別の利害関係を有する者が議決権を行使したことによって、著しく不当な決議がされたとき。
2  前項の訴えの提起があった場合において、株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令又は定款に違反するときであっても、裁判所は、その違反する事実が重大でなく、かつ、決議に影響を及ぼさないものであると認めるときは、同項の規定による請求を棄却することができる。

+(株主に対する通知等)
第百二十六条  株式会社が株主に対してする通知又は催告は、株主名簿に記載し、又は記録した当該株主の住所(当該株主が別に通知又は催告を受ける場所又は連絡先を当該株式会社に通知した場合にあっては、その場所又は連絡先)にあてて発すれば足りる
2  前項の通知又は催告は、その通知又は催告が通常到達すべきであった時に、到達したものとみなす。
3  株式が二以上の者の共有に属するときは、共有者は、株式会社が株主に対してする通知又は催告を受領する者一人を定め、当該株式会社に対し、その者の氏名又は名称を通知しなければならない。この場合においては、その者を株主とみなして、前二項の規定を適用する。
4  前項の規定による共有者の通知がない場合には、株式会社が株式の共有者に対してする通知又は催告は、そのうちの一人に対してすれば足りる。
5  前各項の規定は、第二百九十九条第一項(第三百二十五条において準用する場合を含む。)の通知に際して株主に書面を交付し、又は当該書面に記載すべき事項を電磁的方法により提供する場合について準用する。この場合において、第二項中「到達したもの」とあるのは、「当該書面の交付又は当該事項の電磁的方法による提供があったもの」と読み替えるものとする。

2.訴えの選択

・「不存在」=およそ物理的に決議が存在しない場合のみならず、手続き的瑕疵が著しく、これを不存在として評価すべき場合も含む。

3.具体的な主張

Ⅲ 被告側の反論と結論
1.被告の反論
・全員出席総会
+判例(S60.12.20)
理由
上告人の上告理由について
商法が、二三一条以下の規定により、株主総会を招集するためには招集権者による招集の手続を経ることが必要であるとしている趣旨は、全株主に対し、会議体としての機関である株主総会の開催と会議の目的たる事項を知らせることによつて、これに対する出席の機会を与えるとともにその議事及び議決に参加するための準備の機会を与えることを目的とするものであるから、招集権者による株主総会の招集の手続を欠く場合であつても、株主全員がその開催に同意して出席したいわゆる全員出席総会において、株主総会の権限に属する事項につき決議をしたときには、右決議は有効に成立するものというべきであり(最高裁昭和四三年(オ)第八二六号同四六年六月二四日第一小法廷判決・民集二五巻四号五九六頁参照)、また、株主の作成にかかる委任状に基づいて選任された代理人が出席することにより株主全員が出席したこととなる右総会において決議がされたときには、右株主が会議の目的たる事項を了知して委任状を作成したものであり、かつ、当該決議が右会議の目的たる事項の範囲内のものである限り、右決議は、有効に成立するものと解すべきである。
本件において、原審の適法に確定したところによれば、(一)被上告会社は、昭和四七年二月三日設立され、上告人が代表取締役に、訴外A外四名が取締役にそれぞれ就任した、(二)昭和四八年二月三日、右取締役六名の任期が満了したが、定款所定の取締役及び代表取締役の員数を欠くに至り、後任者が就職するまで上告人が代表取締役の権利義務を、A外四名が取締役の権利義務をそれぞれ有することとなつた、(三)被上告会社は、昭和五〇年六月、上告人から本件土地建物を賃借し、上告人に対し敷金八〇万円(以下「本件敷金」という。)を交付した、(四)Aは、被上告会社の代表権を有しないにもかかわらず、被上告会社を代表して、昭和五一年六月一日、上告人との間で右賃貸借契約を合意解約(以下「本件合意解約」という。)したうえ、上告人に対し本件土地建物を明け渡し、同年七月二六日ころ上告人に到達の書面をもつて本件敷金を返還すべき旨の催告をした、(五)被上告会社の昭和五六年五月三一日開催の株主総会(以下「本件株主総会」という。)は、これを招集する権限を有しないAが役員選任決議等を会議の目的たる事項と定めて招集したものであるが、右会議の目的たる事項を了知して委任状を作成しこれに基づいて選任された代理人を出席させた株主も含め、被上告会社の株主一〇名全員がその開催に同意して出席し会議が開かれた、(六)本件株主総会において、Aらを取締役に選任する旨の決議がされ、そのころ、右決議によつて選任された取締役により構成された取締役会において、Aを代表取締役に選任する旨の決議がされた、(七)同じく右取締役により構成された昭和五八年三月一九日開催の取締役会において、Aのした本件合意解約及び本件敷金返還の催告を追認する旨の決議がされ、同月二二日被上告会社が上告人に対し右追認の意思表示をした、というのである。
右事実関係のもとにおいては、Aらを取締役に選任する旨の本件株主総会における決議を有効と解すべきものであることは、前記の説示に照らして明らかであり、したがつて、右取締役により構成された取締役会のしたAを代表取締役に選任する旨の決議並びに本件合意解約及び本件敷金返還の催告を追認する旨の決議は、いずれも有効というべきであるから、本件合意解約及び本件敷金返還の催告は、その効力を生ずるに至つたとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)

2.訴訟の帰趨

・不存在事由
+判例(S45.8.20)
理由
上告代理人人見利夫、同加藤公敏の上告理由第一点について。
原審の認定するところによれば、被上告会社は親類縁者一〇名をもつて昭和二七年三月設立されたいわゆる同族会社であるが、代表取締役土谷剛治が昭和三四年三月三日死亡したので、取締役であつた土谷太郎(当時の取締役は以上二名の外、河合浩がいた。)が急遽その後任人事を決定するため、同月一五日、電話又は口頭をもつて株主ら(ただし河石鶴子を除く)に通知して臨時総会を招集し、その結果沢英堅(六〇〇株)、西亀耕二(三〇〇株)、河石九二夫(三〇〇株)、土谷太郎(六〇株)、土谷民(六〇株)の各株主のほか、剛治(九〇〇株)(以上かつこ内は各人の持株数)の相続人の資格において、民(上告人)、太郎、崇、章子(ただし相続人のうち二郎は欠席)が出席し、その総会において、取締役として土谷太郎、沢英堅、土谷民、監査役として西亀耕二をそれぞれ選任する旨の決議がなされたというのである。そして右原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして、首肯することができる。
ところで、株主総会の招集は、原則として、代表取締役が取締役会の決議に基づいて行なわなければならないものであるところ、前記総会が被上告会社の代表取締役以外の取締役である土谷太郎によつて招集されたものであることは前述のとおりであり、しかも、前記認定の事実によれば、右総会は取締役会の決議を経ることなしに同取締役の専断によつて招集されたものと推認される。してみれば、右総会は招集権限のない者により招集されたものであつて、法律上の意義における株主総会ということはできず、そこで決議がなされたとしても、株主総会の決議があつたものと解することはできない。したがつて、右決議の無効確認を求める上告人の本訴請求は理由があるというべきであり、論旨は理由がある。原判決は破棄を免れない。
よつて、上告理由中その余の点にいつての判断を省略し、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官松田二郎の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官松田二郎の意見は次のとおりである。
私は本件の多数意見の結論に賛成であるが、これに関しては、当裁判所昭和四一年(オ)第八二号、同四五年七月九日第一小法廷判決における私の反対意見を引用する。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠)

+判例(H2.4.17)
理由 
 一 上告代理人斎藤勉の上告理由第一点及び第二点について 
 1 原審が確定した事実関係は、次のとおりである。 
 (一) 上告人の発行済株式総数は四〇〇〇株であり、これを被上告人とAが各二〇〇〇株保有している。 
 (二) 昭和四九年六月三〇日当時、上告人の取締役には被上告人、A、B及びCの四名が、代表取締役には被上告人が、それぞれ就任していた。 
 (三) 被上告人が昭和四九年七月一日取締役を辞任した旨の辞任届及び上告人の同日付け臨時株主総会においてDをその後任取締役に選任する旨の決議がされ、上告人の同日付け取締役会においてAを代表取締役に選任する旨の決議がされたとする各議事録が存し、同月五日、上告人の商業登記簿に「同月一日付けをもって、被上告人が取締役及び代表取締役を辞任し、Dが取締役に就任し、Aが代表取締役に就任した」旨の登記がされているが、実際には、被上告人が取締役を辞任した事実はなく、また、右株主総会及び取締役会は開催されておらず、右各決議が存在するものということはできない。 
 (四) 上告人の商業登記簿には、昭和五九年一月三一日A、C及びDの三名が取締役に就任し、Aが代表取締役に就任した旨の登記がされている。 
 (五) A及びCは、被上告人が昭和四九年七月一日に上告人の取締役を辞任した事実はなく、同日付けの臨時株主総会及び取締役会における前記各決議も存在しないとする被上告人の主張が本件訴訟において認められた場合に備え、同年六月三〇日当時上告人の取締役に選任されていた者により改めて取締役会を開催した上、被上告人を代表取締役から解任して新たに代表取締役を選任すべく、これを議題とする取締役会の招集を被上告人に請求したところ、被上告人は、これに応じ、昭和六〇年一月二四日A及びCに対し取締役会招集通知を発した。 
 (六) 右通知に基づき、同月三〇日、A、C及び被上告人が参集して上告人の取締役会が開催され、被上告人を上告人の代表取締役から解任し、Aを代表取締役に選任する旨の決議がされた
。 
 2 上告人は、被上告人が上告人の取締役を辞任した事実がなく、前記昭和四九年七月一日付けの各決議が存在しないとしても、昭和六〇年一月三〇日に開催された取締役会において、被上告人を代表取締役から解任し、Aを代表取締役に選任する旨の決議がされたから、被上告人の本件請求のうち、被上告人が上告人の代表取締役の地位にあることの確認及びAが上告人の代表取締役の地位にないことの確認を求める請求は理由がないと主張した。 
 3 原審は、前記事実関係のもとにおいて、昭和六〇年一月三〇日当時における上告人の取締役は、商業登記簿に記載されたA、C及びDの三名であることを理由に、同日に開催されたとする上告人主張の取締役会は、上告人の取締役会ということはできず、右取締役会の決議は存在しないと解すべきであると判断して、上告人の右主張を排斥し、被上告人の右請求を認容した。 
 4 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 すなわち、記録中の上告人の定款によると、上告人の取締役の任期は二年、員数は五人以内と定められていることが、また、同じくその商業登記簿によると、昭和四九年六月三〇日当時上告人の取締役又は代表取締役に就任していた者は、いずれも、昭和四七年一二月二五日に選任(重任)されたものであることが窺われるところ、前記事実関係によれば、被上告人が上告人の取締役を辞任した事実はないというのであるから、被上告人はその任期が満了する昭和四九年一二月二五日まで上告人の取締役たる地位を有していたものというべきところ、同日の経過をもって、被上告人のみならず、A、B及びCの三名の任期も満了するから、上告人は商法二五五条に定める取締役の員数を欠くことになり、したがって、同法二五八条一項に基づき、右四名は、新たに選任された取締役が就職するまで、引き続き上告人の取締役としての権利義務を有するものといわなければならず、また、同法二六一条三項、二五八条一項に基づき、被上告人は、同様に、引き続き代表取締役としての権利義務を有するものといわなければならない。 
 もっとも、上告人の商業登記簿上は、昭和五九年一月三一日に新たにA、C及びDの三名が取締役に選任された旨の登記がされていることは原審が確定したところであり、また、記録中の上告人の商業登記簿によると、その前の昭和五三年五月二五日、昭和五六年一月三一日にも新たに取締役が選任された旨の登記がされていることが窺われる。しかし、昭和四九年七月一日付けの株主総会におけるDを取締役に選任する旨の決議が存在するものとはいえないことは前記のとおりであるところ、このように取締役を選任する旨の株主総会の決議が存在するものとはいえない場合においては、当該取締役によって構成される取締役会は正当な取締役会とはいえず、かつ、その取締役会で選任された代表取締役も正当に選任されたものではなく(ちなみに、本件においては、Aを代表取締役に選任する旨の昭和四九年七月一日付けの上告人の取締役会の決議自体存在しないことは、原審が確定しているところである。)、株主総会召集権限を有しないから、このような取締役会の招集決定に基づき、このような代表取締役が招集した株主総会において新たに取締役を選任する旨の決議がされたとしても、その決議は、いわゆる全員出席総会においてされたなど特段の事情がない限り(最高裁昭和五八年の第一五六七号同六〇年一二月二〇日第二小法廷判決・民集三九巻八号一八六九頁参照)、法律上存在しないものといわざるを得ないしたがって、この瑕疵が継続する限り、以後の株主総会において新たに取締役を選任することはできないものと解される。そして、本件においては、このような特段の事情についての主張立証はない。 
 してみると、昭和六〇年一月三〇日当時、被上告人、A、C及びBの四名は、商法二五八条一項に基づき、上告人の取締役としての権利義務を有していたものであり、このうち被上告人、A及びCの三名によって同日開催された取締役会における、被上告人を上告人の代表取締役から解任し、Aを代表取締役に選任する旨の前記決議は、招集通知を欠いたBが出席してもなお決議の結果に影響を及ぼさないと認めるべき特段の事情がある場合には有効と解すべきものである(最高裁昭和四三年(オ)第一一四四号同四四年一二月二日第三小法廷判決・民集二三巻一二号二三九六頁参照)から、この場合にあっては、被上告人は、上告人の取締役としての権利義務は依然として有するものの、代表取締役としての権利義務は消滅し、Aが代表取締役たる地位を取得したものといわなければならないしたがって、昭和六〇年一月三〇日の時点においては被上告人、A、B及びCの四名が上告人の取締役であるとはいえないことを理由に、同日開催された取締役会における前記決議は存在しないものと解し、被上告人が上告人の代表取締役の地位にあることの確認及びAが上告人の代表取締役の地位にないことの確認を求める被上告人の請求を認容すべきものとした原判決には、法令の解釈適用を誤り、ひいては審理不尽の違法があるものというべきであり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は、以上の趣旨をいうものとして理由があり、原判決中右請求に係る部分は、破棄を免れない。そして、右部分については、昭和六〇年一月三〇日開催の取締役会の決議の効力につき更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すべきである。 
 二 同第三点について 
 被上告人は、商法二五八条一項に基づき、任期満了後も引き続き取締役としての権利義務を有するものと解されることは、前示のとおりである。しかして、記録によれば、被上告人は、右任期満了後に、被上告人が上告人の取締役の地位にあることの確認請求を含む本件訴訟を提起したものであることは明らかであるところ、このような場合には、右請求は、同項に基づく取締役の権利義務を有する者としての地位の確認を求める趣旨のものと解するのが相当であるから、被上告人が任期満了により取締役を退任したものであるか否かについて釈明を求めなかった原審の措置に違法はない。論旨は、採用することができない。 
 三 なお、上告人は、原判決中その余の請求に係る部分については、上告理由を記載した書面を提出しない。 
 四 よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、三九九条、三九九条の三、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫 裁判官 園部逸夫) 
+判例(S33.10.3)
理由 
 上告代理人の上告理由第一点について。 
 所論は要するに被上告人らは上告会社の株主でなく原審は商法二〇四条二項の解釈を誤つたと主張する。しかし、所論の如き株式の譲渡がなされた旨の上告人の主張については、原審が証拠上これを排斥していることは判文上明白であるから原審の商法二〇四条二項の判示は結局無用の説示に帰しこの点を攻撃する所論は採用し難い。 
 同第二点について。 
 所論は要するに本件株主総会決議は有効に成立したもので、たとえ手続に暇疵ありとするもそれは決議取消の事由たるに過ぎず、これを決議不存在と解するのは誤りである旨主張する。 
 しかし原審は所論総会当時における上告会社の株主は原判示の如く被上告人、A、B、C、D、E、上告会社代表取締役F、G、Hの九名(総株式数五千株)であること、しかるに右総会については被上告人以下六名(その持株二千百株)に対しては招集の通知が全然なされなかつたこと、G及びHに対したとえ招集の通知があつたとしても、それは単なる口頭の招集にすぎず、しかも右G及びHの両名はいずれもFの実子であることを認定し、所論株主総会の決議は、なんら法律所定の手続によらず単に親子三名によつてなされたことが明白であるから、これをもつて株主総会が成立し、その決議があつたものといえない旨判示しているのであつて、原審のこの判断は相当である。 
 よつて所論は採用し難い。 
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)
Ⅵ おわりに


民法 事例で考える民法演習2 25 債権の譲受人と「第三者」~金銭騙取による不当利得と第三者のためにする契約


1.小問1について(基礎編)
+(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

+(取消しの効果)
第百二十一条  取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。ただし、制限行為能力者は、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う。

+(指名債権の譲渡における債務者の抗弁)
第四百六十八条  債務者が異議をとどめないで前条の承諾をしたときは、譲渡人に対抗することができた事由があっても、これをもって譲受人に対抗することができない。この場合において、債務者がその債務を消滅させるために譲渡人に払い渡したものがあるときはこれを取り戻し、譲渡人に対して負担した債務があるときはこれを成立しないものとみなすことができる。
2  譲渡人が譲渡の通知をしたにとどまるときは、債務者は、その通知を受けるまでに譲渡人に対して生じた事由をもって譲受人に対抗することができる。

・債権は同一性を保ったまま移転し、瑕疵や抗弁も引き継がれる。

2.小問1について(応用編)
+(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

・通謀虚偽表示の場合、債権を譲り受けた丙は「第三者」(94条2項)にあたる!
・売買契約の解除の場合、債権を譲り受けたZは「第三者」(545条1項ただし書き)に当たらない!!
債権譲渡ではなく転売の場合には「第三者」にあたる。

・不当利得の損失について
+判例(H16.10.26)
理由
上告代理人脇山弘の上告受理申立て理由1,2について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) Aは,第1審判決別紙預金目録記載の各金融機関(以下「本件各金融機関」という。)に対し,同目録記載の各預金債権(原審が訂正した後のもの。以下,これらの預金債権を「本件各預金債権」といい,これらの預金を「本件各預金」という。)を有していた。
(2) Aは,平成3年4月30日,死亡した。上告人及び被上告人は,Aの子であり,本件各預金債権を各2分の1の割合で法定相続した。
(3) 上告人は,第1審判決別紙預金目録記載の各払戻年月日に,本件各金融機関から本件各預金の払戻しを受けたが,その際,本件各預金のうち被上告人の法定相続分である2分の1に当たる金員(以下「被上告人相続分の預金」という。)については,何らの受領権限もないのに,その払戻しを受けたものである。
2 本件は,被上告人が,上告人は被上告人相続分の預金を無権限で払戻しを受けて取得し,これにより被上告人は被上告人相続分の預金相当額の損失を被ったなどと主張して,上告人に対し,不当利得返還請求権に基づき,被上告人相続分の預金相当額等の支払を求める事案である。
これに対し,上告人は,本件各金融機関は被上告人相続分の預金の払戻しについて過失があるから,上記払戻しは民法478条の弁済として有効であるとはいえず,したがって,被上告人が本件各金融機関に対して被上告人相続分の預金債権を有していることに変わりはないから,被上告人には不当利得返還請求権の成立要件である「損失」が発生していないなどと主張して,被上告人の上記請求を争っている
3 そこで検討すると,(1) 上告人は,本件各金融機関から被上告人相続分の預金について自ら受領権限があるものとして払戻しを受けておきながら,被上告人から提起された本件訴訟において,一転して,本件各金融機関に過失があるとして,自らが受けた上記払戻しが無効であるなどと主張するに至ったものであること,(2) 仮に,上告人が,本件各金融機関がした上記払戻しの民法478条の弁済としての有効性を争って,被上告人の本訴請求の棄却を求めることができるとすると,被上告人は,本件各金融機関が上記払戻しをするに当たり善意無過失であったか否かという,自らが関与していない問題についての判断をした上で訴訟の相手方を選択しなければならないということになるが,何ら非のない被上告人が上告人との関係でこのような訴訟上の負担を受忍しなければならない理由はないことなどの諸点にかんがみると,上告人が上記のような主張をして被上告人の本訴請求を争うことは,信義誠実の原則に反し許されないものというべきである。
4 以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。所論引用の判例は事案を異にし本件に適切ではない。論旨は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 金谷利廣 裁判官 濱田邦夫 裁判官 藤田宙靖)

++解説
《解  説》
1 本件は,共同相続人間において,相続人の一人が遺産である預金全額の払戻しを受けたことに関し,不当利得の成否が争われた事案である。
Aは,甲信用金庫及び乙,丙銀行(以下「本件各金融機関」という。)に対し,普通預金等(以下「本件各預金」という。)を有していたところ,平成3年4月30日に死亡した。Aの相続人は,子であるXとYの2名であり,本件各預金債権を各2分の1の割合で法定相続した。Yは,平成3年5月から同年7月にかけて,本件各預金を全額払い戻した。
Xは,Yは本件各預金のうちX相続分の預金を無権限で払戻しを受けて取得し,これによりXはX相続分の預金相当額の損失を被ったなどと主張して,Yに対し,不当利得返還請求権に基づき,X相続分の預金相当額等の支払を求めた。これに対し,Yは,本件各金融機関は,X相続分の預金の払戻しについて過失があるから,上記払戻しは民法478条の弁済として有効であるとはいえず,したがって,Xが本件各金融機関に対してX相続分の預金債権を有していることに変わりはないから,Xには不当利得返還請求権の成立要件である「損失」が発生していないなどと主張して,Xの上記請求を争った。
2 1審は,Yの上記主張をおおむね認め,Xの請求の大半を棄却した(乙銀行によるX相続分の預金の払戻しは善意無過失でされたものであり,同預金債権は消滅したとして,Yに対し,同預金に相当する約2000円の支払等のみを命じた。)。これに対し,原審は,Yが,Xからの不当利得返還請求に対し,本件各金融機関の払戻しは民法478条の弁済として有効であるとはいえないから,本件各金融機関から弁済を受けるべきであると主張して,自らの責任を免れることは信義則上許されないとして,1審判決を変更し,Xの請求をすべて認容した。
第三小法廷は,Yの上告受理の申立てを受理した上で,原審の判断を正当とし,Yの上告を棄却した。

3 本件はいわゆる三者不当利得(多当事者間の不当利得)の事案であるところ,本件のようなケースにおける不当利得の成否に関する大方の理解は次のとおりであると思われる(我妻榮・債権各論下巻1(民法講義Ⅳ)1036頁以下,四宮和夫・事務管理・不当利得・不法行為上巻(現代法律学全集)199頁以下,松坂佐一・事務管理・不当利得〔新版〕(法律学全集)165頁以下等参照)。すなわち,①債務者Aが債権の準占有者Yに対して善意無過失で弁済をした場合(弁済が有効な場合)には,Yの金員受領という「受益(利得)」と債権者Xの債権喪失という「損失」が発生するから,Xは,Yに対し,受領した金員につき不当利得返還請求をすることができる。これに対し,②債務者Aが債権の準占有者Yに対して悪意あるいは善意有過失で弁済をし(弁済が無効な場合),かつ債権者Xが追認もしないときには,債務者Aが債権の準占有者Yに対して不当利得返還請求をしていくことになる。
このような理解に立つと,債務者Aの債権の準占有者Yに対する弁済が有効とならない場合には,債権者XのAに対する債権は消滅しておらず,Xは,Aに対し,無効な弁済を追認しない限り,依然として債権の弁済を求めることができるから,Xには,不当利得返還請求権の成立要件としての「損失」が発生していないということになりそうである(この場合,三者間で「損失」を被ったのは無権限者であるYに弁済をしたAであり,「受益」があるのはYであるから,AがYに対し,不当利得返還請求をしていくことになろう。)。
そして,不当利得返還請求権の成立要件である「損失」の発生については,原告側でこれを主張,立証すべき責任があることについてはおおむね異論をみないところ,この点に上記理解を形式的にあてはめた場合,原告である債権者Xが,債務者Aの債権の準占有者Yに対する弁済は善意無過失でされたものであり,有効であること,あるいは,弁済が無効であるとしてもXがAに対して追認をしたこと,したがって,XのAに対する債権は消滅し,Xに「損失」が発生したことを主張,立証すべき責任があるととらえる余地が生じてくる。

4 しかし,本件において,①Yは,本件各金融機関からX相続分の預金について自ら受領権限があるものとして払戻しを受けておきながら,Xから提起された本件訴訟において,一転して,自らが受けた上記払戻しが無効であるなどと主張するに至ったものであること,②仮に,Yが,本件各金融機関がした上記払戻しの民法478条の弁済としての有効性を争って,Xの本訴請求の棄却を求めることができるとすると,Xは,本件各金融機関が上記払戻しをするに当たり善意無過失であったか否かという,自らが関与していない問題についての判断をした上で,訴訟の相手方を選択しなければならなくなるが,何ら非のないXがYとの関係でこのような訴訟上の負担を受忍しなければならない理由はないことなどの諸点にかんがみると,信義則上,本件各金融機関のYに対するX相続分の預金の払戻しが民法478条の弁済として有効であり(あるいは無効であるとしてもXがAに対して追認をし),Xの本件各金融機関に対する債権が消滅したことまでXに主張,立証責任を負わせることは相当ではなく,Xとしては,X相続分の預金相当額の「損失」が発生したことを主張すれば足り,Yが,この主張を否認した上,上記のような積極主張をして本訴請求を争うことは許されないものと考えられる。
なお,信義則上の配慮等から「受益」についての主張,立証責任の分配の原則を一部変更したものとして最三小判平10.5.26民集52巻4号985頁,判タ976号138頁(平10最判解説(民)(上)532頁)がある。本件とは,考え方として共通するものが含まれているといえよう。
5 本件は,事例判例にすぎないが,不当利得の成否と信義則が交錯する場面において参考となる説示が含まれていることから紹介する次第である。

・不法行為の「損害」について
+判例(H23.2.18)
理 由
上告代理人鈴木堯博の上告受理申立て理由について
1 本件は,上告人が,自己が保険金受取人である簡易生命保険契約につき,被上告人Y1及び同Y2が上告人に無断で保険金及び契約者配当金(以下「保険金等」という。)の支払請求手続を執り,郵便局員である被上告人Y3が上告人の意思確認を怠り支払手続を進めるなどした結果,被上告人Y1及び同Y2に保険金等が支払われ,保険金等相当額の損害を被ったなどとして,被上告人らに対し,不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) Aは,平成7年9月29日ころ,国との間で,保険金受取人をA,被保険者を上告人,保険金額を500万円,保険期間の終期を平成17年9月28日とする簡易生命保険(普通養老保険)契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(2) Aは,平成9年▲月▲日に死亡した。その子であるBは,本件保険契約の保険契約者の地位を承継し,保険金受取人をBに変更した。
(3) 日本郵政公社は,平成15年4月1日,本件保険契約上の国の権利義務を承継した。
(4) Bは,平成17年▲月▲日に死亡した。その夫である被上告人Y1は,本件保険契約の保険契約者の地位を承継したが,保険金受取人を新たに指定することのないまま,保険期間の終期が経過した。
(5) 本件保険契約に基づく保険金等の支払請求権(以下,上記保険金等を「本件保険金等」といい,その支払請求権を「本件保険金等請求権」という。)は,簡易生命保険法55条1項1号により,被保険者である上告人に帰属する。
(6) 郵便局員である被上告人Y3は,平成17年10月3日ころ,被上告人Y1及び同Y2に対し,本件保険金等請求権が上告人に帰属する旨説明をした。
(7) 被上告人Y1及び同Y2は,上告人に無断で,上告人名義の委任状(以下「本件委任状」という。)等を作成した上で,平成17年11月28日,被上告人Y3に対し,本件委任状等を提出して,本件保険金等の支払を請求した。本件委任状には,これに記載された上告人の生年月日が本件保険契約の保険証書の記載と明らかに異なっているという不審な点があったが,被上告人Y3は,本件委任状と上記保険証書とを対照せず,これに気付かなかった。もっとも,上記保険証書の被保険者は「甲野花子」となっていたのに対し,本件委任状は「甲田花子」名義で作成されていたことから,被上告人Y3は,被上告人Y2に対し,その旨指摘した上,「甲田花子」と「甲野花子」とが同一人物であることを証する書類が必要である旨申し向けた。ところが,被上告人Y2は,上告人から委任を受けていることは確かであるから,そのまま手続を進めてほしい旨懇願した。そこで,被上告人Y3は,上告人が自ら本件保険金等の支払請求手続を執ったものとして手続を進めることとし,被上告人Y2に,「甲野花子」名義の支払請求書兼受領証を作成するよう指示してこれを作成させた上,実際には確認をしていないのに,上告人名義の国民健康保険被保険者証により本人確認をしたものとして,虚偽の内容を記載した本人確認記録票等を作成し,支払手続を進めた。
(8) 被上告人Y1及び同Y2は,平成17年12月12日,上告人の代理人と称して,本件保険金等合計501万7644円の支払を受けた。
(9) 上告人は,日本郵政公社に対し,本件保険金等の支払を請求したが,日本郵政公社は,被上告人Y1及び同Y2に対する上記(8)の支払は有効な弁済であるとして,これを拒絶した。
(10) そこで,上告人は,本件訴えを提起した。本件訴訟において,被上告人Y3は,上記(8)の支払が有効な弁済とならない場合には上告人は依然として本件保険金等請求権を有していると主張して,上告人に損害が発生したことを否認し,被上告人Y1及び同Y2も,これを否認している。

3 原審は,被上告人らによる前記の行為は上告人に対する共同不法行為に当たるとしたが,次のとおり判断して,上告人の被上告人らに対する請求を棄却した。
本件保険金等の支払については,担当者である被上告人Y3に過失があり,これが有効な弁済とはならない以上,上告人は,依然として本件保険金等請求権を有しているから,本件保険金等相当額の損害が発生したと認めることはできない。

4 しかしながら,原審の上記判断のうち,上告人に損害が発生したと認めることができないとする部分は,是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 前記事実関係によれば,被上告人Y1及び同Y2は,被上告人Y3から本件保険金等請求権が上告人に帰属する旨の説明を受けていながら,上告人に無断で,本件委任状を作成した上,本件保険金等請求権の支払請求手続を執り,被上告人Y3から本件委任状の不備を指摘されると,上告人から委任を受けていることは確かであるとして,支払手続を進めるよう懇願し,被上告人Y3の指示を受けて「甲野花子」名義の支払請求書兼受領証を作成するなどして,本件保険金等の支払を受けたものである。その後,上告人は,日本郵政公社に本件保険金等の支払を請求したものの拒絶され,その損害を回復するために本件訴えの提起を余儀なくされた。他方,被上告人Y1及び同Y2が,依然として本件保険金等請求権は消滅していないことを理由に損害賠償義務を免れることとなれば,上告人は,同被上告人らに対する本件保険金等の支払が有効な弁済であったか否かという,自らが関与していない問題についての判断をした上で,請求の内容及び訴訟の相手方を選択し,攻撃防御を尽くさなければならないということになる本件保険金等請求権が本来上告人に帰属するものであった以上は,被上告人Y1及び同Y2は上告人との関係で本件保険金等を保有する理由がないことは明らかであるのに,何ら非のない上告人がこのような訴訟上の負担を受忍しなければならないと解することは相当ではない。以上の事情に照らすと,上記支払が有効な弁済とはならず,上告人が依然として本件保険金等請求権を有しているとしても,被上告人Y1及び同Y2が,上告人に損害が発生したことを否認して本件請求を争うことは,信義誠実の原則に反し許されないものというべきである(最高裁平成16年(受)第458号同年10月26日第三小法廷判決・裁判集民事215号473頁参照)。
(2) また,前記事実関係によれば,被上告人Y3は,被上告人Y1及び同Y2による本件保険金等の支払請求手続に不審な点があったにもかかわらず,上告人の意思を何ら確認せず,それどころか被上告人Y2の懇願を受け,上告人が自ら手続を執ったかのような外形を整えるために,被上告人Y2に「甲野花子」名義の支払請求書兼受領証の作成を指示してこれを作成させ,自らも内容虚偽の本人確認記録票を作成してまで支払手続を進めたのであるから,被上告人Y3においても,共同不法行為責任を負う被上告人Y1及び同Y2と同様に,上告人に損害が発生したことを否認して本件請求を争うことは,信義誠実の原則に反し許されないものというべきである。
5 これと異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中,上告人の被上告人らに対する請求に関する部分は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,上記部分に関する上告人の請求は理由があり,これを認容した第1審判決は正当であるから,上記部分に係る被上告人らの控訴を棄却すべきである。よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 須藤正彦 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官千葉勝美)

3.小問2について(基礎編)
+(不当利得の返還義務)
第七百三条  法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。
(悪意の受益者の返還義務等)
第七百四条  悪意の受益者は、その受けた利益に利息を付して返還しなければならない。この場合において、なお損害があるときは、その賠償の責任を負う。

・因果関係について
無資力

・法律上の原因
+判例(S49.9.26)
理由
上告代理人小林健治の上告理由第一点及び第二点について。
原審は、(一)被上告人の農林省農林経済局農業保険課団体班事務費係の農林事務官Aは、かねて職務上知合いであつた上告人連合会経理課長B、同職員Cらと結託し、金券詐取の方法により、昭和二九年六月二日ころから同三一年三月九日ころまでの間に前後十数回にわたり、国庫より各農業共済団体に対して交付すべきいわゆる国庫負担金に充てるべき国庫金のうちから合計七八九五万一八二二円を詐取したため、国庫金に不足をきたし、同三一年四月に入るも、同三〇年度の予算をもつて埼玉県農共組連に割当てられた国庫負担金二〇七八万九四一六円及び兵庫県農共組連に割当てられた国庫負担金一二八〇万六四三四円がいずれも未交付のまま放置され、そのためAの直属上司たる農業保険課長のもとに右両県農共組連から国庫負担金交付の催促がされるに至つたこと、(二)そこで、右犯行の発覚をおそれたAは、当面を糊塗して犯行を隠蔽するため、昭和三一年四月下旬ころ、上告人連合会経理課長Bに対し、「農林省の予算操作上の手違いにより、埼玉、兵庫両県農共組連に交付すべき昭和三〇年度の国庫負担金に不足を来たしたので、新年度予算をもつて一か月以内に返済するから、とりあえず上告人において取引銀行から三五〇〇万円程度の金員を借入れたうえこれを一時農林省に融通してもらいたい。」と申込んだが、その際、Bとしては、右国庫負担金不足の原因が前記の不正な国庫金支出に由来するものであり、かつ、Aの右金員融通申込の意図が、前記国庫金詐取によりあけられていた国庫の会計上の穴を秘かに埋めて、犯行の発覚を未然に防止するにあることを察知することができたこと、しかし、Aから右金員の調達ができなければ前記犯行が発覚するのみならず、不正支出に基づく国庫金によりなされた上告人の簿外会計の赤字補填等の事実も露見し、容易ならぬ事態に立至る旨を説得されるに及んで、結局、Bは自己の一存で上告人名義をもつて銀行から右融通申込金を借受け、これをAに交付することを承諾し、上告人連合会の経理課長の地位にあることを奇貨として、上司の決裁を受けることなく、ほしいままに上告人連合会会長の職印を使用して上告人振出名義の金額一九四六万円及び金額一五〇〇万円の約束手形二通を作成したこと、(三)そして、Bは、まず右約束手形の一通を用いて同年四月二七日三菱銀行水戸支店から、独断で、上告人名義をもつて一九四六万円を借受けたうえ、同日右借入金を資金として同銀行同支店から同銀行本店を支払人とする金額一九三五万七八三三円の小切手一通の振出を受け、即日これを持参して農林省に赴き、Aの指示により同人立会のうえ、上告人の受給国庫負担金のうち手続上の過誤に基づき過払勘定になつていた金員を返納するとの名目のもとに、右小切手をAの上司で情を知らない事務費係長Dに手交したところ、Dが翌二八日右小切手を三菱銀行本店に振込み、同銀行をして右小切手金額に相当する金員を日本銀行国庫の当該口座に振替入金させ、かくして、右金員は同年五月一日他の金員と合わせて二〇七八万九四一六円とされたうえ、埼玉県農共組連に対し昭和三〇年度分の割当国庫負担金として交付されたこと、(四)次いで、Bは、前記約束手形の残りの一通を用いて、同年四月三〇日日本勧業銀行水戸支店から、前同様独断で、上告人名義をもつて一五〇〇万円を借受けたうえ、同日同銀行同支店から右借入金を資金として同銀行本店を支払人とする金額一二八〇万六四三四円の小切手一通の振出を受け、即日これをAに手交したこと、(五)ところで、Bが上司の決裁を受けることなく、ほしいままに上告人会長の職印を使用して上告人振出名義の約束手形二通を作成し、これを用いて、独断で、上告人名義をもつて昭和三一年四月二七日三菱銀行水戸支店から一九四六万円を、同年同月三〇日日本勧業銀行水戸支店から一五〇〇万円をそれぞれ借受けたことは、Bが上告人の経理課長として従前より上告人会長の職印を使用して上告人名義の約束手形を振出す権限を与えられていた等諸般の事情に鑑みるとき、右各銀行支店員において、従来の取引例に照らし、Bに右各金員の借入につき上告人を代理する正当の権限があると信じるのはもつともであつて、上告人は、民法一一〇条の表見代理の法理により、Bのした右各金員借入れにつき責任を負い、各銀行に対し借受金を返還すべき債務を負担するに至つたところ、Bが前記の経緯により三菱銀行水戸支店からの借受金より一九三五万七八三三円をDに、日本勧業銀行水戸支店からの借受金より一二八〇万六四三四円をAに、それぞれ交付したのであるから、上告人に右各交付金額相当の損失が発生したこと、(六)また、叙上の事実によれば、BがAの指示により同人の上司たる農林省農林経済局農業保険課団体事務費係長Dに対し小切手化された一九三五万七八三三円(以下本件(1)の金員と略称する。)を手交し、Dがこれを日本銀行の当該口座に振替入金したことにより、被上告人には右入金額相当の利得が生じたこと、(七)しかし、Bが、本件(1)の金員をD係長に交付したのは、同人がCとともに共同加功したAの国庫金詐取によつて埼玉、兵庫両農共組連に対し交付すべき国庫負担金が不足をきたしたため、右共同犯行の発覚を未然に防止するため、Aの依頼により同人に代わつて、同人の被上告人に対する国庫金詐取に基づく損害賠償債務の一部弁済としてなされたものであつて、上告人の主張するような過払金返納の趣旨でなされたものではなく、かつ、本件(1)の金員調達の経緯につきD係長は善意であつたから、これによつて生じた被上告人の利得には法律上の原因を伴うものであること、を認定判示しており、右認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係とその説示に照らして、首肯しえないものではなく、その過程に所論の違法は認められない。なお、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。それゆえ、本件(1)の金員に関する論旨は、採用することができない。

同第一点及び第三点について。
原審は、(1)Aは、昭和三一年四月三〇日、Bから小切手化された一二八〇万六四三四円(以下本件(2)の金員と略称する。)を受領したが、これを一時自己の事業資金として流用することを企図し、(1)同年五月一五日まず右金員を東京都民銀行池袋支店に開設していた自己の当座預金口座に振込預金し(右振込前の預金残金は五万五三四七円)、(2)同月八日、当日の預金残から一〇〇〇万円を払戻して、直ちに同銀行同支店に同額の定期預金をし、(3)同月一〇日右定期預金を担保に同銀行から一〇〇〇万円を借受け、これから前払利息を差引いた手取金九九九万一五〇〇円を再び前記当座預金口座に預入れ、(4)同月一一日同口座から九八〇万円を払戻して、そのうち八三〇万円を同月一四日東京相互銀行銀座支店の当座預金口座に預入れ(右預入れ直前の同口座預金残高は七八七四円)、(5)同月一八日、東京都民銀行池袋支店から、自己所有の湯島天神町所在の家屋一棟を担保に三〇〇万円を借受け、内金二九〇万円に、別途工面した現金二四〇万円を加えた合計五三〇万円を、同日東京相互銀行銀座支店の当座預金口座に預入れ、この結果同口座の預金残額が一二九八万七〇〇〇円となつたので、即日これを資金として同銀行振出の金額一二八〇万六四三四円の小切手を得て、これを農林省官房会計課長の名義を冒用し兵庫県農共組連に宛て昭和三〇年度分の割当国庫負担金として直接送金したが、このような預金操作の間においてAは右各銀行の預金口座から頻繁に払戻しをして自己の事業資金に流用し、その額が五〇〇万円を超えたこと、(二)一方、Aから送金を受けた同農共組連は、右送金が国庫金交付の正規の手続を履践していないものとしてその正式受領を留保し、農林省に右金員の処理方について指示を仰いだ結果、昭和三一年七月一〇日ころに至り、農林省、A及び右農共組連の三者間において覚書を作成したうえ、同農共組連は右金員をいつたんAに返還し、Aは右返還を受けた金員を同人が前記国庫金詐取により被上告人国に被らせた損害の一部弁償として国に支払い、農林省より改めて右金員を同農共組連に対し昭和三〇年度分の割当国庫負担金として交付する旨の合意がなされ、次いで右国庫負担金の過年度支出を法律上可能にするため特別の政令(いわゆるA政令)が発せられ、同年一〇月四日右合意がその内容のとおり処理履行されたこと、を認定したうえ、以上認定した事実によれば、Aが兵庫県農共組連に送付した金員と本件(2)の金員との間にはもはや同一性を肯認することができないから、その後、前記の経緯により同年一〇月四日被上告人がAの損害賠償金として受領した一二八〇万六四三四円をもつて社会通念上本件(2)の金員に由来するものとみることはできず、結局、Bが本件(2)の金員をAに交付したことにより、上告人に右交付金額に相当する損失が生じたものということはできるが、右損失と被上告人の同年一〇月四日のAからの金員受領による利得との間には因果関係を認めることができないから、被上告人は上告人の財産によつて利得し、これによつて上告人に損失を被らせたものではないと判示し、被上告人が本件(2)の金員を受領したことによる不当利得の返還を求める上告人の請求部分を棄却した一審判決を是認している。
しかしながら、右の原審の判断はにわかに首肯することができない。
およそ不当利得の制度は、ある人の財産的利得が法律上の原因ないし正当な理由を欠く場合に、法律が、公平の観念に基づいて、利得者にその利得の返還義務を負担させるものであるが、いま甲が、乙から金銭を騙取又は横領して、その金銭で自己の債権者丙に対する債務を弁済した場合に、乙の丙に対する不当利得返還請求が認められるかどうかについて考えるに、騙取又は横領された金銭の所有権が丙に移転するまでの間そのまま乙の手中にとどまる場合にだけ、乙の損失と丙の利得との間に因果関係があるとなすべきではなく、甲が騙取又は横領した金銭をそのまま丙の利益に使用しようと、あるいはこれを自己の金銭と混同させ又は両替し、あるいは銀行に預入れ、あるいはその一部を他の目的のため費消した後その費消した分を別途工面した金銭によつて補填する等してから、丙のために使用しようと、社会通念上乙の金銭で丙の利益をはかつたと認められるだけの連結がある場合には、なお不当利得の成立に必要な因果関係があるものと解すべきであり、また、丙が甲から右の金銭を受領するにつき悪意又は重大な過失がある場合には、丙の右金銭の取得は、被騙取者又は被横領者たる乙に対する関係においては、法律上の原因がなく、不当利得となるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の確定した前記の事実関係のもとにおいては、本件(2)の金員について、Aの預金口座への預入れ、払戻し、A個人の事業資金への流用、兵庫県農共組連に送金するため別途工面した金銭による補填等の事実があつたからといつて、そのことから直ちにAが右農共組連に送付した金員と本件(2)の金員との間に社会観念上同一性を欠くものと解することはできないのであつて、その後、原審認定の経緯により昭和三一年一〇月四日被上告人がAの損害賠償金として受領した一二八〇万六三四三円は、社会観念上はなお本件(2)の金員に由来するものというべきである。そして、原審の確定した事実関係によれば、本件(2)の金員は、Aが上告人の経理課長Bを教唆し又は同人と共謀し同人をして上告人から横領せしめたものであるか、あるいはBが横領した金銭を同人から騙取したものと解する余地がある。そうすると、被上告人においてAから右損害賠償金を受領するにつき悪意又は重大な過失があつたと認められる場合には、被上告人の利得には法律上の原因がなく、不当利得の成立する余地が存するのである。
しかるに、原審はこれらの諸点を顧慮することなく、AがBから受領した本件(2)の金員とAが兵庫県農共組連に送付した金員との間には同一性がなく、したがつてまた、Bが本件(2)の金員をAに交付することにより上告人が被つた右金額に相当する損失と、被上告人の同年一〇月四日のAからの金員受領による利得との間には因果関係を認めることができないとして、上告人の被上告人に対する本件(2)の金員の不当利得返還請求を排斥した原判決には、不当利得に関する法理の解釈適用を誤つたか又は審理不尽、理由不備の違法があるというべく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は結局理由がある。
よつて、原判決中、上告人の被上告人に対する本件(2)の金員の不当利得返還請求に関する控訴を棄却した部分を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻し、上告人のその余の上告は理由がないのでこれを棄却することとし、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官岩田誠は退官につき評議に関与しない。
(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一)

・詐害行為取消権について
+判例(S39.11.17)
要旨
債務の弁済について詐害行為取消権が認められるのは、弁済を受けた受益者が悪意、しかも、弁済をした債務者との間に通謀が認められる場合だけ。

4.小問2について(応用編)

5.小問3について
+(第三者のためにする契約)
第五百三十七条  契約により当事者の一方が第三者に対してある給付をすることを約したときは、その第三者は、債務者に対して直接にその給付を請求する権利を有する。
2  前項の場合において、第三者の権利は、その第三者が債務者に対して同項の契約の利益を享受する意思を表示した時に発生する。
(第三者の権利の確定)
第五百三十八条  前条の規定により第三者の権利が発生した後は、当事者は、これを変更し、又は消滅させることができない。
(債務者の抗弁)
第五百三十九条  債務者は、第五百三十七条第一項の契約に基づく抗弁をもって、その契約の利益を受ける第三者に対抗することができる

・受益者Cに96条3項の保護は与えられない。
96条3項を類推という方法はあるかも。