民法 基本事例で考える民法演習2 22 代理の基本構造~署名代理と表見代理


1.小問1(1)について

+(代理行為の要件及び効果)
第九十九条  代理人がその権限内において本人のためにすることを示してした意思表示は、本人に対して直接にその効力を生ずる。
2  前項の規定は、第三者が代理人に対してした意思表示について準用する。

・顕名が要求されるのは、相手方から見て、効果帰属主体が本人であることをわかるようにするため。→成りすましの場合でもよい。

+(錯誤)
第九十五条  意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

2.小問1(2)について
因果関係について・・・。

3.小問2(1)について

+(本人のためにすることを示さない意思表示)
第百条  代理人が本人のためにすることを示さないでした意思表示は、自己のためにしたものとみなす。ただし、相手方が、代理人が本人のためにすることを知り、又は知ることができたときは、前条第一項の規定を準用する。

4.小問2(2)について

・100条本文末尾の「みなす」には、代理人からの錯誤無効の主張を排除する趣旨が込められている!
←代理制度の安定

5.小問3(小問1の応用編)について

+(権限外の行為の表見代理)
第百十条  前条本文の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。

・類推適用
本人の名において権限外の行為をした場合(=代理人と名乗っているわけではない!)
+判例(S44.12.19)
理由
上告人の上告理由第一点、第三点および第四点について。
代理人が本人の名において権限外の行為をした場合において、相手方がその行為を本人自身の行為と信じたときは、代理人の代理権を信じたものではないが、その信頼が取引上保護に値する点においては、代理人の代理権限を信頼した場合と異なるところはないから、本人自身の行為であると信じたことについて正当な理由がある場合にかぎり、民法一一〇条の規定を類推適用して、本人がその責に任ずるものと解するのが相当である。しかし、本件において、原審の確定するところによれば、上告人は、原判示売買契約締結の際、被上告人西原Aの代理人であるBが上告人に交付したA名義の印鑑証明書に記載された生年月日の記載にもさほど留意しないで、Bが被上告人Aの実印と印鑑証明書を所持し、本人らしい言動に出たことから、自己と同年輩の右Bを一五歳も年上の被上告人Aと誤信したというのであり、その他原審認定の事実関係のもとにおいては、右誤信は上告人の過失に基づくもので、同条所定の「正当ノ理由」がないとした原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨引用の判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない。所論は、独自の見解に立つて原判決に異見をいうものにすぎず。採用することができない。
同第二点について。
原審は、上告人はBをもつて被上告人西原A自身であると誤信したものである旨認定しているのであり、その認定は原判決挙示の証拠によつて是認できるから、上告人の、Bをもつて権限ある代理人と誤信したことを前提とする表見代理の主張はすでにその前提において排斥されたものというべきであり、原判決が明示に排斥の判断を示さなかつたからといつて、なんら所論の違法はない。論旨は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)

+判例(S51.6.25)
理由 
 上告代理人土橋忠一の上告理由四について 
 所論は、原審までに主張、判断を経ない事実を前提として原判決を論難するものにすぎず、論旨は採用することができない。 
 同一ないし三及び五について 
 原審は、(一)訴外砂田送風機株式会社(以下「訴外会社」という。)の代表取締役Aが、被上告人会社から、訴外会社の被上告人会社に対する電気製品の継続的売買取引上の債務につき連帯保証人を立てるよう要求されたこと、(二)Aは、上告人から、訴外会社が他から社員寮を賃借するについて保証人となることの承諾を得、その保証契約締結の権限を与えられて実印の貸与を受け、市役所から上告人の印鑑証明書の交付を受けたこと、(三)Aは、右の権限を越えて、訴外会社が被上告人会社に対し現在負担し又は将来負担することあるべき商取引上の一切の債務について連帯して支払う旨の本件根保証約定書(以下「本件約定書」という。)を上告人の名をもつて作成し、これに上告人の実印を押捺したうえ前記印鑑証明書を添えて被上告人会社に差し入れたこと、(四)被上告人会社においては、右印鑑証明書により本件約定書の上告人名下の印影が上告人の実印によるものであることを確認して、上告人がみずからの意思に基づいて本件約定書に記名押印をし本件根保証契約を締結するものであると信じたこと、以上の事実を適法に確定したうえ、日常の取引において、証明された実印による行為は本人の意思に基づくものと評価され、印鑑証明書が行為者の意思確認の機能を果たしていることは経験上明らかであるから、被上告人会社において本件根保証契約の締結が上告人の意思に基づくものと信じたことについては正当な理由があるとして、民法一一〇条の類推適用により、上告人は本件根保証契約につき責に任ずべきであると判断し、本件約定書には保証金額の明記がないけれども、そのことだけで右結論を左右するものではなく、また、被上告人会社は電気器具等の販売業者であつて金融機関ではないから本人の保証意思までをも確認すべき義務があると解することはできないとの説示をも附加して、被上告人会社の予備的主張を理由があるものとしている。 
 このように、代理人が本人から与えられた権限を越えていわゆる署名代理の方法により本人名義の契約書を作成したうえ、これを相手方に差し入れることにより本人のために契約を締結した場合であつても、相手方において右契約書の作成及び右契約の締結が本人の意思に基づくものであると信じたときは、代理人の代理権限を信じたものというには適切ではないが、その信頼が取引上保護に値する点においては代理人の代理権限を信じた場合と異なるところはないから、右のように信じたことについて正当な理由がある限り、民法一一〇条の規定を類推適用して、本人がその責に任ずるものと解するのが相当であるが(最高裁昭和三七年(オ)第二三二号同三九年九月一五日第三小法廷判決・民集一八巻七号一四三五頁、昭和四四年(オ)八四三号同年一二月一九日第二小法廷判決・民集二三巻一二号二五三九頁参照)、所論は、本件について右の正当理由の存在を肯認した原審の判断を争うので按ずるに、印鑑証明書が日常取引において実印による行為について行為者の意思確認の手段として重要な機能を果たしていることは否定することができず、被上告人会社としては、上告人の保証意思の確認のため印鑑証明書を徴したのである以上は、特段の事情のない限り、前記のように信じたことにつき正当理由があるというべきである。 
 しかしながら、原審は、他方において、(一)被上告人会社がAに対して本件根保証契約の締結を要求したのは、訴外会社との取引開始後日が浅いうえ、訴外会社が代金の決済条件に違約をしたため、取引の継続に不安を感ずるに至つたからであること、被上告人会社は、当初、Aに対し同人及び同人の実父(原判決挙示の証拠関係によれば、訴外会社の親会社である砂田製作所の経営者でもあることが窺われる。)に連帯保証をするよう要求したのに、Aから「父親とは喧嘩をしていて保証人になつてくれないが、自分の妻の父親が保証人になる。」との申し入れがあつて、これを了承した(なお、上告人はAの妻の父ではなく、妻の伯父にすぎない。)こと、上告人の代理人として本件根保証契約締結の衝にあたつたAは右契約によつて利益をうけることとなる訴外会社の代表取締役であることなど、被上告人会社にとつて本件根保証契約の締結におけるAの行為等について疑問を抱いて然るべき事情を認定し、(二)また、原審認定の事実によると、本件根保証契約については、保証期間も保証限度額も定められておらず、連帯保証人の責任が比較的重いことが推認されるのであるから、上告人みずからが本件約定書に記名押印をするのを現認したわけでもない被上告人会社としては、単にAが持参した上告人の印鑑証明書を徴しただけでは、本件約定書が上告人みずからの意思に基づいて作成され、ひいて本件根保証契約の締結が上告人の意思に基づくものであると信ずるには足りない特段の事情があるというべきであつて、さらに上告人本人に直接照会するなど可能な手段によつてその保証意思の存否を確認すべきであつたのであり、かような手段を講ずることなく、たやすく前記のように信じたとしても、いまだ正当理由があるということはできないといわざるをえない。 
 しかるに、原審は、被上告人会社が金融業者ではないことの故をもつて、右のような可能な調査手段を有していたかどうかにかかわらず、民法一一〇条の類推適用による正当理由を肯認できると判断しているのであるが、右の判断は同条の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるというべきで、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、正当理由の存否についてさらに審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。 
 よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 吉田豊 裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 本林讓) 
・94条2項、110条の類推
+判例(H18.2.23)
理由 
 上告代理人河野浩、同千野博之の上告受理申立て理由1について 
 1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。 
 (1) 上告人は、平成7年3月にその所有する土地を大分県土地開発公社の仲介により日本道路公団に売却した際、同公社の職員であるAと知り合った。 
 (2) 上告人は、平成8年1月11日ころ、Aの紹介により、Bから、第1審判決別紙物件目録記載1の土地及び同目録記載2の建物(以下、これらを併せて「本件不動産」という。)を代金7300万円で買い受け、同月25日、Bから上告人に対する所有権移転登記がされた。 
 (3) 上告人は、Aに対し、本件不動産を第三者に賃貸するよう取り計らってほしいと依頼し、平成8年2月、言われるままに、業者に本件不動産の管理を委託するための諸経費の名目で240万円をAに交付した。上告人は、Aの紹介により、同年7月以降、本件不動産を第三者に賃貸したが、その際の賃借人との交渉、賃貸借契約書の作成及び敷金等の授受は、すべてAを介して行われた。 
 (4) 上告人は、平成11年9月21日、Aから、上記240万円を返還する手続をするので本件不動産の登記済証を預からせてほしいと言われ、これをAに預けた。 
 また、上告人は、以前に購入し上告人への所有権移転登記がされないままになっていた大分市大字松岡字尾崎西7371番4の土地(以下「7371番4の土地」という。)についても、Aに対し、所有権移転登記手続及び隣接地との合筆登記手続を依頼していたが、Aから、7371番4の土地の登記手続に必要であると言われ、平成11年11月30日及び平成12年1月28日の2回にわたり、上告人の印鑑登録証明書各2通(合計4通)をAに交付した。 
 なお、上告人がAに本件不動産を代金4300万円で売り渡す旨の平成11年11月7日付け売買契約書(以下「本件売買契約書」という。)が存在するが、これは、時期は明らかでないが、上告人が、その内容及び使途を確認することなく、本件不動産を売却する意思がないのにAから言われるままに署名押印して作成したものである。 
 (5) 上告人は、平成12年2月1日、Aから7371番4の土地の登記手続に必要であると言われて実印を渡し、Aがその場で所持していた本件不動産の登記申請書に押印するのを漫然と見ていた。Aは、上告人から預かっていた本件不動産の登記済証及び印鑑登録証明書並びに上記登記申請書を用いて、同日、本件不動産につき、上告人からAに対する同年1月31日売買を原因とする所有権移転登記手続をした(以下、この登記を「本件登記」という。)。 
 (6) Aは、平成12年3月23日、被上告人との間で、本件不動産を代金3500万円で売り渡す旨の契約を締結し、これに基づき、同年4月5日、Aから被上告人に対する所有権移転登記がされた。被上告人は、本件登記等からAが本件不動産の所有者であると信じ、かつ、そのように信ずることについて過失がなかった。 
 2 本件は、上告人が、被上告人に対し、本件不動産の所有権に基づき、Aから被上告人に対する所有権移転登記の抹消登記手続を求める事案であり、原審は、民法110条の類推適用により、被上告人が本件不動産の所有権を取得したと判断して、上告人の請求を棄却すべきものとした。
 
 3 前記確定事実によれば、上告人は、Aに対し、本件不動産の賃貸に係る事務及び7371番4の土地についての所有権移転登記等の手続を任せていたのであるが、そのために必要であるとは考えられない本件不動産の登記済証を合理的な理由もないのにAに預けて数か月間にわたってこれを放置し、Aから7371番4の土地の登記手続に必要と言われて2回にわたって印鑑登録証明書4通をAに交付し、本件不動産を売却する意思がないのにAの言うままに本件売買契約書に署名押印するなど、Aによって本件不動産がほしいままに処分されかねない状況を生じさせていたにもかかわらず、これを顧みることなく、さらに、本件登記がされた平成12年2月1日には、Aの言うままに実印を渡し、Aが上告人の面前でこれを本件不動産の登記申請書に押捺したのに、その内容を確認したり使途を問いただしたりすることもなく漫然とこれを見ていたというのである。そうすると、Aが本件不動産の登記済証、上告人の印鑑登録証明書及び上告人を申請者とする登記申請書を用いて本件登記手続をすることができたのは、上記のような上告人の余りにも不注意な行為によるものであり、Aによって虚偽の外観(不実の登記)が作出されたことについての上告人の帰責性の程度は、自ら外観の作出に積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合と同視し得るほど重いものというべきである。そして、前記確定事実によれば、被上告人は、Aが所有者であるとの外観を信じ、また、そのように信ずることについて過失がなかったというのであるから、民法94条2項、110条の類推適用により、上告人は、Aが本件不動産の所有権を取得していないことを被上告人に対し主張することができないものと解するのが相当である。上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において正当であり、論旨は理由がない。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉德治 裁判官 才口千晴) 
++解説
《解  説》
 1 Xは,その所有する不動産(本件不動産)の賃貸に係る事務等をAに任せていたところ,Aは,Xから預かっていた登記済証,Xから交付を受けた印鑑登録証明書及びXの実印を押捺した登記申請書を利用して,Xに無断で本件不動産につきXからAに対する所有権移転登記をした上,これをYに売却してその旨の所有権移転登記(本件登記)をした。本件は,Xが,本件不動産の所有権に基づき,Yに対し,本件登記の抹消登記手続を求めた事案である。
 2 1,2審とも,Xは,Aに対し,本件不動産の賃貸に係る代理権ないし権限(民法110条の基本代理権)を授与しており,Yは,本件不動産がAの所有と信じ,そう信ずるにつき正当の理由があったから民法110条の類推適用により保護されると判断して,Xの請求を棄却した。
 3 Xからの上告受理申立てに対し,本判決は,Xが,本件不動産の賃貸等の事務に必要とは考えられない登記済証を合理的な理由なく数か月間にわたってAに預けたままにし,Aの言うままに印鑑登録証明書を交付した上,AがXの面前で本件不動産の登記申請書にXの実印を押捺したのにその内容を確認したり使途を問いただしたりすることなく漫然とこれを見ていたことなどの事情によれば,Xには,不実の所有権移転登記がされたことについて自らこれに積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合と同視し得るほど重い帰責性があり,Xは,民法94条2項,110条の類推適用により,Aから本件不動産を買い受けた善意無過失のYに対し,Aが本件不動産の所有権を取得していないことを主張することができないと判示し,原審の判断は結論において正当であるとして,Xの上告を棄却した。
 4(1) 民法94条2項と民法110条は,いずれも,真の権利者Xの関与によってAが権利者であるかのような外観が作り出されたときは,それを信頼した第三者Yは保護されるべきであり,虚偽の外観作出について帰責性のある権利者は権利を失ってもやむを得ないという権利外観法理の現れである。権利外観法理を虚偽表示の場面で具体化した規定が民法94条2項であり,代理の場面で具体化した規定が民法110条その他の表見代理の規定であると解される。
 本件では,Aは,Xの代理人又はX本人として本件不動産をYに売却したわけではなく,A名義に所有権移転登記した上,Aの所有であるとしてYに売却したものであり,Yとしても,本件不動産がAの所有であるとの外観を信じてAとの間で売買契約を締結したのであるから,本件は,まず民法94条2項の類推適用の有無を問題とすべき事案であると思われる。
 (2) 民法94条2項は,本来は,権利者が名義人と通謀して意思表示することにより故意に虚偽の外観を作出した場合に適用される規定である。しかし,権利者と名義人の間に通謀がない場合であっても,権利者が自ら虚偽の外観作出に積極的に関与したとか,権利者が虚偽の外観が作出されたことを知ってこれを承認又は放置するなど,虚偽の外観作出につき権利者に重大な帰責性がある場合には,判例は,民法94条2項の類推適用により,作出された外観(登記)を信頼して無権利者から不動産を取得した者を保護するという枠組みを形成してきた。
 民法94条2項の類推適用を認めたこれまでの判例は,学説(四宮和夫=能見善久・民法総則〔第6版〕211頁等)によって,一般的に,(1)意思外観対応-自己作出型(権利者自身が虚偽の外観を作り出した場合),(2)意思外観対応-他人作出型(他人によって虚偽の外観が作出されたが,権利者がこれを事後に承認又は放置した場合),(3)意思外観非対応型(権利者が虚偽の外観〔第1の外観〕作出について承認したが,名義人の背信行為により承認の範囲を超える外観〔第2の外観〕が作出されてしまった場合)に類型化されている。そして,上記(1)(2)の類型(意思外観対応型)については民法94条2項のみが類推適用され,第三者は善意であれば保護されるのに対し,上記(3)の類型(意思外観非対応型)については,外観作出について名義人の権限逸脱行為が介在していることから,民法94条2項に民法110条を重畳的に類推適用して,第三者に善意無過失を要求するとされる。
 これらの類型は,権利者の関与の度合いは異なるが,いずれも,権利者が事後的にせよ何らかの虚偽の外観の作出について認識(承認)していたことが前提となっている。これに対し,本件では,権利者Xが虚偽の外観の作出又は存在を認識(承認)していたとの事実は認められていない。したがって,本件は,上記のいずれの類型にもそのまま当てはまらないものである。
 しかし,上記の類型は,これまでに判例で民法94条2項の類推適用が認められた事案を整理分類したものであって,判例は,この類型に該当する場合でなければ同項の類推適用が認められないと述べているわけではない。また,民法94条2項の背後にある権利外観法理は,一定の場合には虚偽の外観を信頼した第三者を保護すべきであり,虚偽の外観作出について帰責性のある権利者が権利を失ってもやむを得ないというものであって,必ずしも虚偽の外観作出について権利者の認識(承認)を要求するものでもないと解される。このことは,同じく権利外観法理の現れである民法110条における権利者の帰責性の根拠が,虚偽の外観の作出についての認識(承認)ではなく,背信行為(権限逸脱行為)を行うような者を信頼して代理人に選んだという点に求められることからも肯定できると思われる。
 他方で,一般的な権利外観法理を基礎に民法94条2項の類推適用を余りに広く認めすぎると,結果として登記に公信力を認めたのと異ならず,静的安全を害する虞がある。不動産取引における動的安全と静的安全の調和の観点から,権利者にどの程度の帰責性があれば第三者を保護すべきかを考える必要がある。その際,これまで最高裁判例によって民法94条2項の類推適用が認められてきた事例ないしその類型が参考にされるべきであるが,権利者の帰責性の程度という観点からは,必ずしも虚偽の外観についての認識(承認)の有無が決定的な要素になるということはできないと思われる。
 (3) 本判決は,これまでの最高裁判例で,権利者が自ら虚偽の外観作出に積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合に民法94条2項の類推適用を認められてきたことを踏まえて,権利者に虚偽の外観そのものについて認識(承認)がなくとも,これに匹敵するほど重い帰責性が認められる場合には,取引関係に立つ善意無過失の第三者を保護するために権利者が権利を失ってもやむを得ないとの価値判断の下,本件事案はこのような場合に該当し,民法94条2項の類推適用が認められると判断したものである。
 本件において,Xは,Aを信頼して言われるまま合理的な理由もなく登記済証を数か月間も預けたままにして顧みることがなかったものである。印鑑登録証の交付には理由がなかったわけではなくそれ自体を落ち度ということはできないとしても,既に登記済証及び印鑑登録証をAに交付してあるという状況下で,Xの面前でAが登記申請書にXの実印を押捺しているのにその内容を確認することもしなかったというXの態度は重大な帰責性があると評価されてもやむを得ないものと思われる。Xがごくわずかな注意を払いさえすればAによる虚偽の外観作出を容易に防ぎ得たのであって,このような重大な帰責性のあるXと,過失なく外観を信頼して取引関係に入った第三者Yのいずれを保護することが妥当かという比較衡量がされた結果と思われる。
 (4) 権利者が虚偽の外観の作出につき積極的な関与をしておらず,これを知りながら放置していたとみることもできないとして民法94条2項の類推適用を否定した判例(最二小判平15.6.13裁判集民210号143頁,判タ1128号370頁)がある。同判例の事案と本件とは権利者の帰責性の度合いが異なるものであるが,いずれも,民法94条2項の類推適用の有無の限界的な事例と考えられる。
 5 本件は,事例判断ではあるが,これまで判例により民法94条2項の類推適用が認められてきた類型に当てはまらない事案について初めて類推適用を認めたものであって,実務上重要な意義を有するといえる。


憲法 日本国憲法の論じ方 Q12 法人の人権


Q 法人は憲法上の権利を享有するのか?
(1)法人と憲法上の権利
・憲法第3章に定める国民の権利及び義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべき。
+判例(S45.6.24)八幡製鉄事件
理由
上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第二点ならびに上告人の上告理由第一および第二について。
原審の確定した事実によれば、訴外八幡製鉄株式会社は、その定款において、「鉄鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業」を目的として定める会社であるが、同会社の代表取締役であつた被上告人両名は、昭和三五年三月一四日、同会社を代表して、自由民主党に政治資金三五〇万円を寄附したものであるというにあるところ、論旨は、要するに、右寄附が同会社の定款に定められた目的の範囲外の行為であるから、同会社は、右のような寄附をする権利能力を有しない、というのである
会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである(最高裁昭和二四年(オ)第六四号・同二七年二月一五日第二小法廷判決・民集六巻二号七七頁、同二七年(オ)第一〇七五号・同三〇年一一月二九日第三小法廷判決・民集九巻一二号一八八六頁参照)。
ところで、会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存することはいうまでもないところであるしかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならないそしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう会社が、その社会的役割を果たすために相当を程度のかかる出捐をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。
以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならないしたがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。上告人のその余の論旨は、すべて独自の見解というほかなく、採用することができない。要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。
原判決は、右と見解を異にする点もあるが、本件政治資金の寄附が八幡製鉄株式会社の定款の目的の範囲内の行為であるとした判断は、結局、相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。

上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第一点および上告人の上告理由第四について。
論旨は、要するに、株式会社の政治資金の寄附が、自然人である国民にのみ参政権を認めた憲法に反し、したがつて、民法九〇条に反する行為であるという。
憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によつてそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。論旨は、会社が政党に寄附をすることは国民の参政権の侵犯であるとするのであるが、政党への寄附は、事の性質上、国民個々の選挙権その他の参政権の行使そのものに直接影響を及ぼすものではないばかりでなく、政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはたまたま生ずる病理的現象に過ぎず、しかも、かかる非違行為を抑制するための制度は厳として存在するのであつて、いずれにしても政治資金の寄附が、選挙権の自由なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。会社が政治資金寄附の自由を有することは既に説示したとおりであり、それが国民の政治意思の形成に作用することがあつても、あながち異とするには足りないのである。所論は大企業による巨額の寄附は金権政治の弊を産むべく、また、もし有力株主が外国人であるときは外国による政治干渉となる危険もあり、さらに豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成するというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立法政策にまつべきことであつて、憲法上は、公共の福祉に反しないかぎり、会社といえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得ず、これをもつて国民の参政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない
以上説示したとおり、株式会社の政治資金の寄附はわが憲法に反するものではなく、したがつて、そのような寄附が憲法に反することを前提として、民法九〇条に違反するという論旨は、その前提を欠くものといわなければならない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用しがたい。

上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第三点および上告人の上告理由第三について。
論旨は、要するに、被上告人らの本件政治資金の寄附は、商法二五四条ノ二に定める取締役の忠実義務に違反するというのである。
商法二五四条ノ二の規定は、同法二五四条三項民法六四四条に定める善管義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであつて、所論のように、通常の委任関係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものとは解することができない。
ところで、もし取締役が、その職務上の地位を利用し、自己または第三者の利益のために、政治資金を寄附した場合には、いうまでもなく忠実義務に反するわけであるが、論旨は、被上告人らに、具体的にそのような利益をはかる意図があつたとするわけではなく、一般に、この種の寄附は、国民個々が各人の政治的信条に基づいてなすべきものであるという前提に立脚し、取締役が個人の立場で自ら出捐するのでなく、会社の機関として会社の資産から支出することは、結果において会社の資産を自己のために費消したのと同断だというのである。会社が政治資金の寄附をなしうることは、さきに説示したとおりであるから、そうである以上、取締役が会社の機関としてその衝にあたることは、特段の事情のないかぎり、これをもつて取締役たる地位を利用した、私益追及の行為だとすることのできないのはもちろんである。論旨はさらに、およそ政党の資金は、その一部が不正不当に、もしくは無益に、乱費されるおそれがあるにかかわらず、本件の寄附に際し、被上告人らはこの事実を知りながら敢て目をおおい使途を限定するなど防圧の対策を講じないまま、漫然寄附をしたのであり、しかも、取締役会の審議すら経ていないのであつて、明らかに忠実義務違反であるというのである。ところで、右のような忠実義務違反を主張する場合にあつても、その挙証責任がその主張者の負担に帰すべきことは、一般の義務違反の場合におけると同様であると解すべきところ、原審における上告人の主張は、一般に、政治資金の寄附は定款に違反しかつ公序を紊すものであるとなし、したがつて、その支出に任じた被上告人らは忠実義務に違反するものであるというにとどまるのであつて、被上告人らの具体的行為を云々するものではない。もとより上告人はその点につき何ら立証するところがないのである。したがつて、論旨指摘の事実は原審の認定しないところであるのみならず、所論のように、これを公知の事実と目すべきものでないことも多言を要しないから、被上告人らの忠実義務違反をいう論旨は前提を欠き、肯認することができない。いうまでもなく取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するというべきであるが、原審の確定した事実に即して判断するとき、八幡製鉄株式会社の資本金その他所論の当時における純利益、株主配当金等の額を考慮にいれても、本件寄附が、右の合理的な範囲を越えたものとすることはできないのである。
以上のとおりであるから、被上告人らがした本件寄附が商法二五四条ノ二に定める取締役の忠実義務に違反しないとした原審の判断は、結局相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨はこの点についても採用することができない。
上告人の上告理由第五について。
所論は、原判決の違法をいうものではないから、論旨は、採用のかぎりでない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同松田二郎、同岩田誠、同大隅健一郎の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+意見
裁判官松田二郎の意見は、次のとおりである。
本件は、いわゆる八幡製鉄株式会社の政治献金事件に関し、その株主である上告人の提起した株主の代位訴訟(商法二六七条)に基づく訴であり、原審は、上告人の請求を排斥した。私は、その結果をば正当と考えるものである。しかし、その理由は、必ずしも多数意見と同様ではない。ただ、本件の一審判決以来、これに関する多くの批評、論文が発表されていて、細別するときは、意見はきわめて区々であるといえよう。私の意見は、次のとおりである。
(一) 多数意見は、まず、会社の権利能力について、次のごとくいうのである。曰く「会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するを相当とする」と。これは、用語上、多少の差異あるは別として、当裁判所従来の判例のいうところと同趣旨であるといえよう。そして、多数意見は、会社による政治資金の寄附について、曰く「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果すためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げない」と。これによると、多数意見は、会社による政治献金を無制限に許容するものでなく、「会社の社会的役割を果すためになされたものと認められるかぎり」との制限の下に、これを是認するものと一応解される。
しかし、他面において、多数意見は、会社の行う政治献金が政党の健全な発展のための協力であることを強調するのである。曰く、「政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様としての政治資金の寄附についても例外ではないのである」(傍点は、私の附するところである)と。そして、多数意見がこのように、会社による政治資金の寄附の根拠を「会社の社会的実在」ということに置く以上、自然人もまた社会的実在たるからには、両者は、この点において共通の面を有することとなろう。そして、私の見るところでは、多数意見は、この面を強調して会社と自然人とをパラレルに考えるもののごとく思われるのである。多数意見はいう。「会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり……」と。かくて、多数意見は、会社による政治資金の寄附の自由を自然人の政治資金の寄附の自由と同様に解するがごとく思われる。しかして、自然人が政治資金の寄附のためその者の全財産を投入しても法的には何等とがむべきものを見ない以上、多数意見は、会社による政治資金の寄附をきわめて広く承認するもののごとくさえ解されるのである。
この点に関連して注目すべきは、政治献金についての取締役の責任について多数意見のいうところである。多数意見はいう。「取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内においてその金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するものというべきである」と。思うに、取締役が会社を代表して政治献金をするについて、多数意見のいう右の諸点を考慮すべきことは当然であろう。しかしながら、多数意見が政治資金の寄附に関し、取締役に対し対会社関係において右のごとき忠実義務に基づく厳格な制約を課するにかかわらず、会社自体のなす政治献金について何等かかる制約の存在に言及しないのは、注目すべきことであろう。そして、多数意見のいうところより判断すれば、あるいは多数意見は、会社自体のなす政治資金の寄附については、取締役に課せられた制限とは必ずしも関係なく、ただ、「定款所定の目的の範囲内」なるか否かの基準によつて、その寄附の有効無効を決するとしているものとも思われる。しかし、判例上、会社の行為が定款所定の目的の範囲外として無効とされたものを容易に見出し難い以上、多数意見によるときは、会社による政治資金の寄附は、実際上、きわめて広く肯定され、あるいは、これをほとんど無制限に近いまで肯定するに至る虞なしといえないのである。私としては、このような見解に対して疑を懐かざるを得ないのである。
思うに、会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有するとの見解は、民法四三条をその基礎とするものであるが、右法条は、わが国の民商法が立法の沿革上、大陸法系に属するうちにあつて、いわば例外的に英米法に従い、そのいわゆる「法人の目的の範囲外の行為」(ultra Vires)の法理の流を汲むものとせられている。そして、もし、略言することが許されるならば、この法理は、法人擬制説によるものであつて、法人はその目的として示されているところを越えて行動するとき、それは効なしとするものといえよう。そこでは、「定款所定の目的」と「権利能力」との間に、深い関連が認められているのである。もつとも、理論的に考察するとき、「定款所定の目的の範囲」と「権利能力の範囲」とは、本来別個の問題であるべきであるが、わが国の判例がかかる理論に泥むことなく、法人は「定款所定の目的の範囲内」において「権利能力」を有するものとし、会社についてはその目的の範囲をきわめて広く解することによつて、会社の権利能力を広範囲に認めて来たことを、私は意味深く感じ、判例のこの態度に賛するものである。判例法とは、かくのごとき形態の下に形成されて行くものであろう。そして、他の法人に比して、会社についてその権利能力の範囲を特に広く認めるに至つたのは、会社の営利性と取引の安全の要請に基づくものと解されるのである。
思うに、法律上、会社は独立の人格を有し、社員の利益とは異るところの会社自体―企業自体―の利益を有するものではあるが、営利法人である以上、会社は単に会社自体の利益を図ることだけでは足りず、その得た利益を社員に分配することを要するのである。株式会社について、株主の利益配当請求権が「固有権」とされているのは、このことを示すのである。ここに、会社の特質が存在するのであつて、いわば、会社は、本来はこのような営利目的遂行のための団体であり、そのため権利能力を付与されたものといえよう。それは本来、政治団体でもなく、慈善団体でもないのである。そして、会社が企業として活動をなすからには、その「面」において権利能力を広範囲に亘つて認めることが当然に要請される。けだし、これによつて、会社は、営利的活動を充分になし得るし、また、取引の安全を確保し得るからである。
そして、近時、英米法上においてulta viresの法理を制限しまたは廃止しようとする傾向を見、わが国において、学説上、会社につき「目的による制限」を認めないものが抬頭しているのは、叙上のことに思を致すときは、容易にこれを理解し得るのである(この点に関し、a博士が明治の末葉において夙に民法四三条が会社に適用がないと主張されたことに対し、その慧眼を思うものである。もつとも、私が「目的の範囲」による制限を認めることは、既に述べたところである)。
そして、叙上の見地に立つて、わが国の判例を見るとき、近時のもののうちにさえ、会社以外の法人、たとえば農業協同組合につき、金員貸付が「組合の目的の範囲内に属しない」としたもの(最高裁判所昭和四〇年(オ)第三四八号同四一年四月二六日判決、民集二〇巻四号八四九頁)を見るにかかわらず、会社については、たとえば、大審院明治三七年五月一〇日判決が「営業科目ハ……定款ニ定メタルモノニ外ナラサレハ取締役カ定款ニ反シ営業科目ニ属セサル行為ヲ為シタルトキハ会社ハ之ニ関シ責任ヲ有セス」(民録一〇輯六三八頁)という趣旨を判示したなど、きわめて旧時における二、三の判例を除外すれば、会社の行為をもつて定款所定の目的の範囲外としたものを大審院並びに最高裁判所の判例中に見出し難いのである。換言すれば、判例は、表面上、会社につき「定款所定の目的による制限」を掲げながら、実際問題としては、会社の行為につき、この制限を越えたものを認めなかつたことを示すものといえよう。これは、わが国の判例が会社については英米法上のultra viresの制限撤廃に近い作用を夙に行つていたのである。
しかし、会社に対してこのように広範囲の権利能力の認められるのは、前述のように、会社企業の営利的活動の自由、取引の安全の要請に基づくものである。したがつて、会社といえどもしからざる面――ことに営利性と相容れざるものともいうべき寄附――において、その権利能力の範囲を必ずしも広く認めるべき必要を見ないものといえよう。私は、アメリカ法について知るところが少ないのではあるが、そこでは、会社の寄附に関し、最初は、それが会社の利益のためになされた場合にかぎり、その効力を認め、慈善のための理由だけの寄附は認められなかつたこと、その寄附が会社事業に益し、または、従業員の健康、福祉を増進するためのものでもあればこれを認めるに至つたこと、そして、次第に慈善事業のための寄附が広く認められるに至つたとされることに興味を覚える。それは会社制度の発展に従い、会社企業の行動が社会の各方面に影響することが大となるに伴つて、会社がある種の寄附をすることが、いわば、その「社会的責任」として認められるに至つたものといい得よう。それは会社として義務を負担し得る範囲の拡大であり、この点で「権利能力」の拡大といい得るにしても、しかし、それは、会社が本来の企業としての性格に基づいて、広範囲に亘つて権利義務の主体たり得ることは、面を異にし、これとは別個の法理に従うものであり、そこには自ら制約があるものと思うのである。詳言すれば、会社の権利能力は企業としての営利的活動の面においては客観的、抽象的に決せられ、その範囲も広いのに対し、然らざる面、ことに寄附を行う面においては、会社の権利能力は個別的、具体的に決せられ、その範囲も狭小というべきであろう。そして、この後者について、会社は各個の具体的場合によつて「応分」の寄附が認められるに過ぎないのである。この点に関し、商法を企業法とし、この見地より会社法を考察したウイーラントが公共の目的や政治的プロパガンダなどのために、会社の利得を処分することは、営利会社の目的と合致しないとしてこれを否定しながら、業務上通常の範囲に属すると認められる贈与は許容されるとし、また、道義的、社会的義務の履行――たとえば、従業員や労働者のための年金や保険の基金をつくること――のため会社の利得を用いることは許される旨(Karl Wieland,Handelsrecht,Bd.II,S.219)の主張をしているのは、たとえ、彼の所説が既に旧時のものに属するにせよ、会社の営利性と会社による寄附との関係の本質に言及したものとして、意味深く覚えるのである。
私の解するところによれば、会社の行う寄附は、それが会社従業員の福祉のため、会社所在の市町村の祭典のため、社会一般に対する慈善事業のため、あるいは、政党のためなど、その対象を異にするによつて、各別に考察すべきものであり、その間に段階的にニユアンスの差があるものと考える。そして、その寄附の有効無効は、その寄附の相手方と会社との関係、その会社の規模、資産状態等諸般の事情によつて、会社の権利能力の範囲内に属するや否や決せられるものである。私は、この点につき、多数意見――先に引用したところである――が、「会社は自然人たる国民と同様国や政党の特定の政策を支持、推進または反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附も正にその自由の一環である」とし、会社と自然人の行う政治資金の寄附を同様に解するごとくいうことに対して大なる疑を持つ。けだし、自然人は、自己の有する全財産をある政党に寄附する自由があるにしても、会社についてはこれと同様に論ずべきではないからである。
もつとも、私の叙上の見解に対し、かかる見解を採るときは、会社による寄附が「応分」なるか否かを具体的場合について決すべきこととなり、寄附の効力がきわめて不安定になるとの非難があるであろう。しかし、それは、従来、「正当の事由」ということが、各場合の状況により具体的に判断されるに類するといえよう。そして、会社による寄附の効力は、新しく提起された問題であるが、やがて判例の積み重ねによつてその基準が次第に明らかになつてゆくであろう(会社関係において画一的基準が明らかでないことは、望ましいことではない。しかし、止むを得ない場合には、かかることを生じるのである。たとえば、株式の引受または株金払込の欠陥がある場合、それがいかなる程度のもののとき会社の設立無効を来すかは、具体的に決める外はないのである)。そして、その献金が会社の権利能力の範囲外の行為として無効と認められる場合でも、相手方の保護を全く欠くわけではない。何となれば、これを約した会社の代表取締役は、民法一一七条により相手方に対しその責に任ずべきものだからである。かくて、叙上に照して多数意見を見るならば、それは会社がその企業としての営利的活動の面において認められた広範囲の権利能力をば、不当に会社の行う政治献金にまで拡大したもののごとく思われる。そして、多数意見によるときは、会社の代表者が恣意的に当該会社としては不相応の巨額の政治献金をしたときでも、それが有効となり、その事により会社の経営が危殆に陥ることすら生じ得るであろう。かかることは、企業の維持の点よりしても、また、社会的観点よりしても、寒心すべきはいうまでもないのである。
(二) 会社による政治資金のための寄附の効力は、叙上のごとくである。しかし、会社の代表者として政治資金のための寄附をした取締役の会社に対する責任は、別個に考察すべき問題である。したがつて、会社の代表者として行なつたかかる寄附が無効であり、会社が既にその出捐を了したときは、その取締役は、これにつき会社に対して当然その責に任ずるが、たとえそのような寄附が会社の行為として対外的に有効のときであつても、その寄附をした取締役の対会社の責任は生じ得るのである。これは、会社の権利能力の問題と取締役の対会社関係における善管義務、忠実義務の問題とは、別個に考察されるべきものであるからである。たとえば、会社の代表取締役が自己の個人的利益のため政治資金を寄附したところ、それが会社の行為として有効と認められた場合において、かくのごときことを生じ得よう。
(三) 今、叙上論じたところに照して本件をみるに、原審認定の事実関係の下では、被上告人らが訴外八幡製鉄株式会社の代表取締役として自由民主党に対してした政治資金三五〇万円の本件寄附は、右会社の目的の範囲内の行為であり、かつ、取締役の会社に対する善管義務、忠実義務の違反ともなり得ないものと解される。したがつて、訴外会社の株主たる上告人が株主の代位訴訟に基づき被上告人らに対して提起した訴につき、上告人の請求を棄却した原審の判断は正当であり、本件上告は理由なきに帰するのである。裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同岩田誠は、裁判官松田二郎の意見に同調する。

+意見
裁判官大隅健一郎の意見は、つぎのとおりである。
私は、本判決の結論には異論はないが、多数意見が会社の権利能力について述べるところには、つぎの諸点において賛成することができない。
(一) 多数意見は、会社の権利能力についても民法四三条の規定が類推適用され、会社は定款によつて定まつた目的の範囲内においてのみ権利を有し義務を負う、とする見解をとつている。これは、会社は、自然人と異なり、一定の目的を有する人格者であるから、その目的の範囲内においてのみ権利義務の主体となりうるのが当然であるのみならず、会社の社員は、会社財産が定款所定の目的のために利用されることを期待して出資するのであるから、その社員の利益を保護するためにも、会社の権利能力を定款所定の目的の範囲内に限定する必要がある、という理由に基づくものではないかと推測される。しかしながら、会社の目的と権利能力との関係の問題は、単に会社の法人たる性質から観念的、抽象的にのみ決するのは不適当であつて、会社の活動に関連のある諸利益を比較衡量して、これをいかに調整するのが妥当であるか、の見地において決すべきものと考える。そして、このような見地において主として問題となるのは、会社財産が定款所定の目的のために使用されることを期待する社員の利益と、会社と取引関係に立つ第三者の利益である。
おもうに、会社が現代の経済を担う中核的な存在として、その活動範囲はきわめて広汎にわたり、日常頻繁に大量の取引を行なつている実情のもとにおいては、それぞれの会社の定款所定の目的は商業登記簿に登記されているとはいえ、会社と取引する第三者が、その取引に当たり、一々その取引が当該会社の定款所定の目的の範囲内に属するかどうかを確かめることは、いうべくして行ないがたいところであるのみならず、その判断も必ずしも容易ではなく、一般にはそれが会社の定款所定の目的といかなる関係にあるかを顧慮することなく取引するのが通常である。したがつて、いやしくも会社の名をもつてなされる取引行為については、それがその会社の定款所定の目的の範囲内に属すると否とを問わず、会社をして責任を負わせるのでなければ、取引の安全を確保し、経済の円滑な運営を期待することは困難であつて、いたずらに会社に責任免脱の口実を与える結果となるのを免れないであろう。事実審たる下級裁判所の判決をみると、多数意見と同様の見解をとる従来の判例の立場に立ちながらも、実際上会社の権利能力の範囲をできるだけ広く認める傾向にあり、中には判例の立場をふみ越えているものも見られるのは、上述の事情を敏感かつ端的に反映するものというほかないと思う。それゆえ、会社の権利能力は定款所定の目的によつては制限されないものと解するのが、正当であるといわざるをえない。公益法人については、公益保護の必要があり、また、その対外的取引も会社におけるように広汎かつ頻繁ではないから、民法四三条がその権利能力を定款または寄附行為によつて定まつた目的の範囲内に制限していることは、必ずしも理由がないとはいえない。しかし、商法は、公益法人に関する若干の規定を会社に準用しながら(たとえば、商法七八条二項・二六一条三項等)、とくにこの規定は準用していないのであるから、同条は公益法人にのみ関する規定と解すべきであつて、これを会社に類推適用することは、その理由がないばかりでなく、むしろ不当といわなければならない。もちろん、社員は会社財産が定款所定の目的以外に使用されないことにつき重要な利益を有し、その利益を無視することは許されないが、その保護は、株式会社についていえば、株主の有する取締役の違法行為の差止請求権(商法二七二条)・取締役の解任請求権(商法二五七条三項)、取締役の会社に対する損害賠償責任(商法二六六条)などの会社内部の制度にゆだねるべきであり、また、定款所定の目的は会社の代表機関の代表権を制限するものとして(ただし、その制限は善意の第三者には対抗できないが。)意味を有するものと解すべきであると考える。従来、会社の能力の目的による制限を認めていたアメリカにおいても、そのいわゆる能力外の法理(ultra vires doctrine)を否定する学説、立法が漸次有力になりつつあることは、この点において参考とするに足りるであろう。
以上のようにして、会社の権利能力は定款所定の目的によつては制限されないものと解すべきであるが、しかし、すべての会社に共通な営利の目的によつて制限されるものと解するのが正当ではないかと考える。法は、営利法人と公益法人とを区別して、これをそれぞれ別個の規制に服せしめているのであるから、この区別をも無視するような解釈は行きすぎといわざるをえないからである。そして、このように解しても、客観的にみて経済的取引行為と判断される行為は一般に営利の目的の範囲内に属するものと解せられるから、格別取引安全の保護に欠けるところはないであろう。
(二) 多数意見は、会社の権利能力は定款に定められた目的の範囲内に制限されると解しながら、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資金の寄附なども、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとすることにより、これを会社の権利能力の範囲内に属するものと解している。それによると、会社は「自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。」というのである。私は、この所論の内容にとくに異論を有するものではないが、しかし、このような理論をもつて、右のような行為が会社の定款所定の目的の範囲内の行為であり、したがつて、会社の権利能力の範囲内に属するとする考え方そのものに、疑問を抱かざるをえないのである。
多数意見が類推適用を認める民法四三条にいわゆる定款によつて定まつた目的とは、それぞれの会社の定款の規定によつて個別化された会社の目的たる事業をいうのであつて、これを本件訴外八幡製鉄株式会社についていえば、「鉄鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業」にほかならない。それは、すべての会社に共通な営利の目的とは異なるのである。しかるに、多数意見によれば、災害救援資金の寄附、地域社会への財産的奉仕、政治資金の寄附などは、会社が自然人とひとしく社会等の構成単位たる社会的実在であり、それとしての社会的作用を負担せざるをえないことから、会社も当然にこれをなしうるものと認められるというのである。したがつて、それが会社の企業体としての円滑な発展をはかるうえに相当の価値と効果を有するにしても、定款により個別化された会社の目的たる事業とは直接なんらのかかわりがなく、その事業が何であるかを問わず、すべての会社についてひとしく認めらるべき事柄にほかならない。しかのみならず、そのような行為が、社会通念上、社会等の構成単位たる社会的実在としての法人に期待または要請される点においては、程度の差はありうるとしても、ひとり会社のみにかぎらず、各種協同組合や相互保険会社などのようないわゆる中間法人、さらには民法上の公益法人についても異なるところがないといわざるをえない。その意味において、多数意見のように、右のような行為についての会社の権利能力の問題を会社の定款所定の目的と関連せしめて論ずることは、意味がないばかりでなく、かえつて牽強附会のそしりを免れないのではないかと思う。
多数意見のように定款所定の目的の範囲内において会社の権利能力を認めるにせよ、私のようにすべての会社に共通な営利の目的の範囲内においてそれを認めるにせよ、なおそれとは別に、法人たる会社の社会的実在たることに基づく権利能力が認めらるべきであり、さきに引用した多数意見の述べるところは、まさにかような意味における会社の権利能力を基礎づけるのに役立つものといえるのである。そして、本件政治資金の寄附が訴外八幡製鉄株式会社の権利能力の範囲内に属するかどうかも、かかる意味における会社の権利能力にかかわる問題として論ぜらるべきものと考えられるのである。
(三) 以上のように、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資金の寄附のごとき行為は会社の法人としての社会的実在であることに基づいて認められた、通常の取引行為とは次元を異にする権利能力の問題であると解する私の立場においては、その権利能力も社会通念上相当と認められる範囲内に限らるべきであつて、会社の規模、資産状態、社会的経済的地位、寄附の相手方など諸般の事情を考慮して社会的に相当ないし応分と認められる金額を越える寄附のごときは、会社の権利能力の範囲を逸脱するものと解すべきではないかと考えられる。このような見解に対しては、当然、いわゆる相当(応分)の限度を越えてなされた行為は、相手方の善意悪意を問わず、無効であるにかかわらず、その相当性の限界が不明確であるから、法的安定を妨げる、とする批判が予想される。しかし、上述のごとき行為については、通常の取引行為におけるとは異なり、取引安全の保護を強調する必要はなく、むしろ会社財産が定款所定の目的を逸脱して濫費されないことについて有する社員の利益の保護が重視さるべきものと考える。
叙上の点につき多数意見がどのように考えているかは必ずしも明らかでないが、多数意見が、「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げない。」と述べているところからみると、上述の卑見にちかい見解をとるのではないかとも臆測される。しかし、右引用の判文は、その表現がすこぶる不明確であつて、はたして、会社による政治資金の寄附は、会社の社会的役割を果たすため相当と認められる限度においてなされるかぎり、会社の定款所定の目的の範囲内、したがつて、会社の権利能力の範囲内の行為であるとする趣旨であるかどうか(このように解するには、「客観的、抽象的に観察して、」というのが妨げとなる。むしろ、「諸般の事情を考慮し具体的に観察して、」とあるべきではなかろうか。)、疑問の余地があるのを免れないのみならず、かりにその趣旨であるとしても、政治資金の寄附も、通常の取引行為とひとしく、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとしながら、前者に関してのみその権利能力につき右のような限定を加えることが理論上妥当であるかどうか、疑問なきをえないと思う。この点においても、政治資金の寄附のごとき行為を会社の定款所定の目的との関連においてとらえようとする多数意見の当否が疑われる。
いずれにせよ、私のような見解に従つても、本件の政治資金の寄附は訴外八幡製鉄株式会社の権利能力の範囲内に属するものと解せられるから、判決の結果には影響がない。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

(2)法人の本質論と憲法規範

・社会的実在論
・自然人還元論

Q 法人に内心の自由はあるのか?
(1)法人の内心
機関の地位にある自然人の内心、法人の内部的意思決定プロセス・・・。

(2)法人の内心の自由とその限界

+判例(H8.3.19)税理士会政治献金事件
理由
上告代理人馬奈木昭雄、同板井優、同浦田秀徳、同加藤修、同椛島敏雅、同田中利美、同西清次郎、同藤尾順司、同吉井秀広の上告理由第一点、第四点、第五点、上告代理人上条貞夫、同松井繁明の上告理由、上告代理人諌山博の上告理由及び上告人の上告理由について
一 右各上告理由の中には、被上告人が政治資金規正法(以下「規正法」という。)上の政治団体へ金員を寄付することが彼上告人の目的の範囲外の行為であり、そのために本件特別会費を徴収する旨の本件決議は無効であるから、これと異なり、右の寄付が被上告人の目的の範囲内であるとした上、本件特別会費の納入義務を肯認した原審の判断には、法令の解釈を誤った違法があるとの論旨が含まれる。以下、右論旨について検討する。
二 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、税理士法(昭和五五年法律第二六号による改正前のもの。以下単に「法」という。)四九条に基づき、熊本国税局の管轄する熊本県、大分県、宮崎県及び鹿児島県の税理士を構成員として設立された法人であり、日本税理士会連合会(以下「日税連」という。)の会員である(法四九条の一四第四項)。被上告人の会則には、被上告人の目的として法四九条二項と同趣旨の規定がある。
2 南九州税理士政治連盟(以下「南九税政」という。)は、昭和四四年一一月八日、税理士の社会的、経済的地位の向上を図り、納税者のための民主的税理士制度及び租税制度を確立するため必要な政治活動を行うことを目的として設立されたもので、被上告人に対応する規正法上の政治団体であり、日本税理士政治連盟の構成員である。
3 熊本県税理士政治連盟、大分県税理士政治連盟、宮崎県税理士政治連盟及び鹿児島県税理士政治連盟(以下、一括して「南九各県税政」という。)は、南九税政傘下の都道府県別の独立した税政連として、昭和五一年七、八月にそれぞれ設立されたもので、規正法上の政治団体である。
4 被上告人は、本件決議に先立ち、昭和五一年六月二三日、被上告人の第二〇回定期総会において、税理士法改正運動に要する特別資金とするため、全額を南九各県税政へ会員数を考慮して配付するものとして、会員から特別会費五〇〇〇円を徴収する旨の決議をした。被上告人は、右決議に基づいて徴収した特別会費四七〇万円のうち四四六万円を南九各県税政へ、五万円を南九税政へそれぞれ寄付した。
5 被上告人は、昭和五三年六月一六日、第二二回定期総会において、再度、税理士法改正運動に要する特別資金とするため、各会員から本件特別会費五〇〇〇円を徴収する、納期限は昭和五三年七月三一日とする、本件特別会費は特別会計をもって処理し、その使途は全額南九各県税政へ会員数を考慮して配付する、との内容の本件決議をした。
6 当時の被上告人の特別会計予算案では、本件特別会費を特別会計をもって処理し、特別会費収入を五〇〇〇円の九六九名分である四八四万五〇〇〇円とし、その全額を南九各県税政へ寄付することとされていた。
7 上告人は、昭和三七年一一月以来、被上告人の会員である税理士であるが、本件特別会費を納入しなかった。
8 被上告人の役員選任規則には、役員の選挙権及び被選挙権の欠格事由として「選挙の年の三月三一日現在において本部の会費を滞納している者」との規定がある。
9 被上告人は、右規定に基づき、本件特別会費の滞納を理由として、昭和五四年度、同五六年度、同五八年度、同六〇年度、同六二年度、平成元年度、同三年度の各役員選挙において、上告人を選挙人名簿に登載しないまま役員選挙を実施した。

三 上告人の本件請求は、南九各県税政へ被上告人が金員を寄付することはその目的の範囲外の行為であり、そのための本件特別会費を徴収する旨の本件決議は無効であるなどと主張して、被上告人との間で、上告人が本件特別会費の納入義務を負わないことの確認を求め、さらに、被上告人が本件特別会費の滞納を理由として前記のとおり各役員選挙において上告人の選挙権及び被選挙権を停止する措置を採ったのは不法行為であると主張し、被上告人に対し、これにより被った慰謝料等の一部として五〇〇万円と遅延損害金の支払を求めるものである。

四 原審は、前記二の事実関係の下において、次のとおり判断し、上告人の右各請求はいずれも理由がないと判断した。
1 法四九条の一二の規定や同趣旨の被上告人の会則のほか、被上告人の法人としての性格にかんがみると、被上告人が、税理士業務の改善進歩を図り、納税者のための民主的税理士制度及び租税制度の確立を目指し、法律の制定や改正に関し、関係団体や関係組織に働きかけるなどの活動をすることは、その目的の範囲内の行為であり、右の目的に沿った活動をする団体が被上告人とは別に存在する場合に、被上告人が右団体に右活動のための資金を寄付し、その活動を助成することは、なお被上告人の目的の範囲内の行為である。
2 南九各県税政は、規正法上の政治団体であるが、被上告人に許容された前記活動を推進することを存立の本来的目的とする団体であり、その政治活動は、税理士の社会的、経済的地位の向上、民主的税理士制度及び租税制度の確立のために必要な活動に限定されていて、右以外の何らかの政治的主義、主張を掲げて活動するものではなく、また、特定の公職の候補者の支持等を本来の目的とする団体でもない。
3 本件決議は、南九各県税政を通じて特定政党又は特定政治家へ政治献金を行うことを目的としてされたものとは認められず、また、上告人に本件特別会費の拠出義務を肯認することがその思想及び信条の自由を侵害するもので許されないとするまでの事情はなく、結局、公序良俗に反して無効であるとは認められない。本件決議の結果、上告人に要請されるのは五〇〇〇円の拠出にとどまるもので、本件決議の後においても、上告人が税理士法改正に反対の立場を保持し、その立場に多くの賛同を得るように言論活動を行うことにつき何らかの制約を受けるような状況にもないから、上告人は、本件決議の結果、社会通念上是認することができないような不利益を被るものではない。
4 上告人は、本件特別会費を滞納していたものであるから、役員選任規則に基づいて選挙人名簿に上告人を登載しないで役員選挙を実施した被上告人の措置、手続過程にも違法はない。

五 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 税理士会が政党など規正法上の政治団体に金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する政治的要求を実現するためのものであっても、法四九条二項で定められた税理士会の目的の範囲外の行為であり、右寄付をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると解すべきである。すなわち、
(一) 民法上の法人は、法令の規定に従い定款又は寄付行為で定められた目的の範囲内において権利を有し、義務を負う(民法四三条)。この理は、会社についても基本的に妥当するが、会社における目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行する上に直接又は間接に必要な行為であればすべてこれに包含され(最高裁昭和二四年(オ)第六四号同二七年二月一五日第二小法廷判決・民集六巻二号七七頁、同二七年(オ)第一〇七五号同三〇年一一月二九日第三小法廷判決・民集九巻一二号一八八六頁参照)、さらには、会社が政党に政治資金を寄付することも、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためにされたものと認められる限りにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為とするに妨げないとされる(最高裁昭和四一年(オ)第四四四号同四五年六月二四日大法廷判決・民集二四巻六号六二五頁参照)。
(二) しかしながら、税理士会は、会社とはその法的性格を異にする法人であって、その目的の範囲については会社と同一に論ずることはできない
税理士は、国税局の管轄区域ごとに一つの税理士会を設立すべきことが義務付けられ(法四九条一項)、税理士会は法人とされる(同条三項)。また、全国の税理士会は、日税連を設立しなければならず、日税連は法人とされ、各税理士会は、当然に日税連の会員となる(法四九条の一四第一、第三、四項)。
税理士会の目的は、会則の定めをまたず、あらかじめ、法において直接具体的に定められている。すなわち、法四九条二項において、税理士会は、税理士の使命及び職責にかんがみ、税理士の義務の遵守及び税理士業務の改善進歩に資するため、会員の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的とするとされ(法四九条の二第二項では税理士会の目的は会則の必要的記載事項ともされていない。)、法四九条の一二第一項においては、税理士会は、税務行政その他国税若しくは地方税又は税理士に関する制度について、権限のある官公署に建議し、又はその諮問に答申することができるとされている。
また、税理士会は、総会の決議並びに役員の就任及び退任を大蔵大臣に報告しなければならず(法四九条の一一)、大蔵大臣は、税理士会の総会の決議又は役員の行為が法令又はその税理士会の会則に違反し、その他公益を害するときは、総会の決議についてはこれを取り消すべきことを命じ、役員についてはこれを解任すべきことを命ずることができ(法四九条の一八)、税理士会の適正な運営を確保するため必要があるときは、税理士会から報告を徴し、その行う業務について勧告し、又は当該職員をして税理士会の業務の状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査させることができる(法四九条の一九第一項)とされている。
さらに、税理士会は、税理士の入会が間接的に強制されるいわゆる強制加入団体であり、法に別段の定めがある場合を除く外、税理士であって、かつ、税理士会に入会している者でなければ税理士業務を行ってはならないとされている(法五二条)。
(三) 以上のとおり、税理士会は、税理士の使命及び職責にかんがみ、税理士の義務の遵守及び税理士業務の改善進歩に資するため、会員の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的として、法が、あらかじめ、税理士にその設立を義務付け、その結果設立されたもので、その決議や役員の行為が法令や会則に反したりすることがないように、大蔵大臣の前記のような監督に服する法人である。また、税理士会は、強制加入団体であって、その会員には、実質的には脱退の自由が保障されていない(なお、前記昭和五五年法律第二六号による改正により、税理士は税理士名簿への登録を受けた時に、当然、税理士事務所の所在地を含む区域に設立されている税理士会の会員になるとされ、税理士でない者は、この法律に別段の定めがある場合を除くほか、税理士業務を行ってはならないとされたが、前記の諸点に関する法の内容には基本的に変更がない。)。
税理士会は、以上のように、会社とはその法的性格を異にする法人であり、その目的の範囲についても、これを会社のように広範なものと解するならば、法の要請する公的な目的の達成を阻害して法の趣旨を没却する結果となることが明らかである
(四) そして、税理士会が前記のとおり強制加入の団体であり、その会員である税理士に実質的には脱退の自由が保障されていないことからすると、その目的の範囲を判断するに当たっては、会員の思想・信条の自由との関係で、次のような考慮が必要である。
税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その一つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負う。しかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々の思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある
特に、政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(規正法三条等)、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。
法は、四九条の一二第一項の規定において、税理士会が、税務行政や税理士の制度等について権限のある官公署に建議し、又はその諮問に答申することができるとしているが、政党など規正法上の政治団体への金員の寄付を権限のある官公署に対する建議や答申と同視することはできない。
(五) そうすると、前記のような公的な性格を有する税理士会が、このような事柄を多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできないというべきであり(最高裁昭和四八年(オ)第四九九号同五〇年一一月二八日第三小法廷判決・民集二九巻一〇号一六九八頁参照)、税理士会がそのような活動をすることは、法の全く予定していないところである。税理士会が政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するためであっても、法四九条二項所定の税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない
2 以上の判断に照らして本件をみると、本件決議は、被上告人が規正法上の政治団体である南九各県税政へ金員を寄付するために、上告人を含む会員から特別会費として五〇〇〇円を徴収する旨の決議であり、被上告人の目的の範囲外の行為を目的とするものとして無効であると解するほかはない
原審は、南九各県税政は税理士会に許容された活動を推進することを存立の本来的目的とする団体であり、その活動が税理士会の目的に沿った活動の範囲に限定されていることを理由に、南九各県税政へ金員を寄付することも被上告人の目的の範囲内の行為であると判断しているが、規正法上の政治団体である以上、前判示のように広範囲な政治活動をすることが当然に予定されており、南九各県税政の活動の範囲が法所定の税理士会の目的に沿った活動の範囲に限られるものとはいえない。因みに、南九各県税政が、政治家の後援会等への政治資金、及び政治団体である南九税政への負担金等として相当額の金員を支出したことは、原審も認定しているとおりである。
六 したがって、原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、その余の論旨について検討するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、以上判示したところによれば、上告人の本件請求のうち、上告人が本件特別会費の納入義務を負わないことの確認を求める請求は理由があり、これを認容した第一審判決は正当であるから、この部分に関する被上告人の控訴は棄却すべきである。また、上告人の損害賠償請求については更に審理を尽くさせる必要があるから、本件のうち右部分を原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、四〇七条一項、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

Q 謝罪広告の強制は何を侵害するのか?
(1)謝罪広告と内心の自由

+判例(S31.7.4)謝罪広告強制事件
理由
上告代理人阿河準一の上告理由一(上告状記載の上告理由を含む)について。
しかし、憲法二一条は言論の自由を無制限に保障しているものではない。そして本件において、原審の認定したような他人の行為に関して無根の事実を公表し、その名誉を毀損することは言論の自由の乱用であつて、たとえ、衆議院議員選挙の際、候補者が政見発表等の機会において、かつて公職にあつた者を批判するためになしたものであつたとしても、これを以て憲法の保障する言論の自由の範囲内に属すると認めることはできない。してみれば、原審が本件上告人の行為について、名誉毀損による不法行為が成立するものとしたのは何等憲法二一条に反するものでなく、所論は理由がない。
同二について。
しかし、上告人の本件行為は、被上告人に対する面では私法関係に外ならない。だから、たとえ、それが一面において、公法たる選挙法の規律を受ける性質のものであるとしても、私法関係の面については民法の適用があることは勿論である。所論は独自の見解であつて採るに足りない。
同三について。
民法七二三条にいわゆる「他人の名誉を毀損した者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、従来学説判例の肯認するところであり、また謝罪広告を新聞紙等に掲載することは我国民生活の実際においても行われているのである。尤も謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者の意思のみに係る不代替作為として民訴七三四条に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろうけれど、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民訴七三三条の手続によることを得るものといわなければならない。そして原判決の是認した被上告人の本訴請求は、上告人が判示日時に判示放送、又は新聞紙において公表した客観的事実につき上告人名義を以て被上告人に宛て「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」なる内容のもので、結局上告人をして右公表事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する。されば少くともこの種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないし、また民法七二三条にいわゆる適当な処分というべきであるから所論は採用できない
よつて民訴四〇一条、八九条に従い主文のとおり判決する。
この判決は、上告代理人阿河準一の上告理由三について裁判官田中耕太郎、同栗山茂、同入江俊郎の各補足意見及び裁判官藤田八郎、同垂水克己の各反対意見があるほか裁判官の一致した意見によるものである。

+補足意見
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官田中耕太郎の補足意見は次のごとくである。
上告論旨は、要するに、上告人が「現在でも演説の内容は真実であり上告人の言論は国民の幸福の為に為されたものと確信を持つている」から、謝罪文を新聞紙に掲載せしめることは上告人の良心の自由の侵害として憲法一九条の規定またはその趣旨に違反するものというにある。ところで多数意見は、憲法一九条にいわゆる良心は何を意味するかについて立ち入るところがない。それはただ、謝罪広告を命ずる判決にもその内容から見て種々なものがあり、その中には強制が債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限する強制執行に適しないものもあるが、本件の原判決の内容のものなら代替行為として民訴七三三条の手続によることを得るものと認め、上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものと解せられないものとしているにとどまる。
私の見解ではそこに若干の論理の飛躍があるように思われる。
この問題については、判決の内容に関し強制執行が債務者の意思のみに係る不代替行為として間接強制によるを相当とするかまたは代替行為として処置できるものであるかというようなことは、本件の判決の内容が憲法一九条の良心の自由の規定に違反するか否かを決定するために重要ではない。かりに本件の場合に名誉回復処分が間接強制の方法によるものであつたにしてもしかりとする。謝罪広告が間接にしろ強制される以上は、謝罪広告を命ずること自体が違憲かどうかの問題が起ることにかわりがないのである。さらに遡つて考えれば、判決というものが国家の命令としてそれを受ける者において遵守しなければならない以上は、強制執行の問題と別個に考えても同じ問題が存在するのである。
私は憲法一九条の「良心」というのは、謝罪の意思表示の基礎としての道徳的の反省とか誠実さというものを含まないと解する。又それは例えばカントの道徳哲学における「良心」という概念とは同一ではない。同条の良心に該当するゲウイツセン(Gewissen)コンシアンス(Conscience)等の外国語は、憲法の自由の保障との関係においては、沿革的には宗教上の信仰と同意義に用いられてきた。しかし今日においてはこれは宗教上の信仰に限らずひろく世界観や主義や思想や主張をもつことにも推及されていると見なければならない。憲法の規定する思想、良心、信教および学問の自由は大体において重複し合つている。
要するに国家としては宗教や上述のこれと同じように取り扱うべきものについて、禁止、処罰、不利益取扱等による強制、特権、庇護を与えることによる偏頗な所遇というようなことは、各人が良心に従つて自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反するし、ある場合には憲法一四条一項の平等の原則にも違反することとなる。憲法一九条がかような趣旨に出たものであることは、これに該当する諸外国憲法の条文を見れば明瞭である。
憲法一九条が思想と良心とをならべて掲げているのは、一は保障の対照の客観的内容的方面、他はその主観的形式的方面に着眼したものと認められないことはない。
ところが本件において問題となつている謝罪広告はそんな場合ではない。もちろん国家が判決によつて当事者に対し謝罪という倫理的意味をもつ処置を要求する以上は、国家は命ぜられた当事者がこれを道徳的反省を以てすることを排斥しないのみか、これを望ましいことと考えるのである。これは法と道徳との調和の見地からして当然しかるべきである。しかし現実の場合においてはかような調和が必ずしも存在するものではなく、命じられた者がいやいやながら命令に従う場合が多い。もしかような場合に良心の自由が害されたというならば、確信犯人の処罰もできなくなるし、本来道徳に由来するすべての義務(例えば扶養の義務)はもちろんのこと、他のあらゆる債務の履行も強制できなくなる。又極端な場合には、表見主義の原則に従い法が当事者の欲したところと異る法的効果を意思表示に附した場合も、良心の自由に反し憲法違反だと結論しなければならなくなる。さらに一般に法秩序を否定する者に対し法を強制すること自体がその者の良心の自由を侵害するといわざるを得なくなる。
謝罪広告においては、法はもちろんそれに道徳性(Moralitat)が伴うことを求めるが、しかし道徳と異る法の性質から合法性(Legalitat)即ち行為が内心の状態を離れて外部的に法の命ずるところに適合することを以て一応満足するのである。内心に立ちいたつてまで要求することは法の力を以てするも不可能である。この意味での良心の侵害はあり得ない。これと同じことは国会法や地方自治法が懲罰の一種として「公開議場における陳謝」を認めていること(国会法一二二条二号、地方自治法一三五条一項二号)についてもいい得られる。
謝罪する意思が伴わない謝罪広告といえども、法の世界においては被害者にとつて意味がある。というのは名誉は対社会的の観念であり、そうしてかような謝罪広告は被害者の名誉回復のために有効な方法と常識上認められるからである。この意味で単なる取消と陳謝との間には区別がない。もし上告理由に主張するように良心を解するときには、自己の所為について確信をもつているから、その取消をさせられることも良心の自由の侵害になるのである。
附言するが謝罪の方法が加害者に屈辱的、奴隷的な義務を課するような不適当な場合には、これは個人の尊重に関する憲法一三条違反の問題として考えられるべきであり、良心の自由に関する憲法一九条とは関係がないのである。
要するに本件は憲法一九条とは無関係であり、こり理由からしてこの点の上告理由は排斥すべきである。憲法を解釈するにあたつては、大所高所からして制度や法条の精神の存するところを把握し、字句や概念の意味もこの精神からして判断しなければならない。私法その他特殊の法域の概念や理論を憲法に推及して、大局から判断をすることを忘れてはならないのである。
上告代理人阿河準一の上告理由三に対する裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。
多数意見は論旨を憲法一九条違反の主張として判断を示しているけれども、わたくしは本件は同条違反の問題を生じないと考えるので、多数意見の理由について左のとおり補足する。
論旨は憲法一九条にいう「良心の自由」を倫理的内心の自由を意味するものと誤解して、原判決の同条違反を主張している。しかし憲法一九条の「良心の自由」は英語のフリーダム・オブ・コンシャンスの邦訳であつてフリーダム・オブ・コンシャンスは信仰選択の自由(以下「信仰の自由」と訳す。)の意味であることは以下にかかげる諸外国憲法等の用例で明である。
先づアイルランド国憲法を見ると、同憲法四四条は「宗教」と題して「フリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び宗教の自由な信奉と履践とは公の秩序と道徳とに反しない限り各市民に保障される。」と規定している。次にアメリカ合衆国ではヵリフオルニャ州憲法(一条四節)は宗教の自由を保障しつつ「何人も宗教的信念に関する自己の意見のために証人若しくは陪審員となる資格がないとされることはない。しかしながらかように保障されたフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)は不道徳な行為又は当州の平和若しくは安全を害するような行為を正当ならしむるものと解してはならない。」と規定している。そしてこのフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)という辞句はキリスト教国の憲法上の用語とは限らないのであつて、インド国憲法二五条は、わざわざ「宗教の自由に対する権利」と題して「何人も平等にフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び自由に宗教を信奉し、祭祀を行い、布教する権利を有する。」と規定し、更にビルマ国憲法も「宗教に関する諸権利」と題して二〇条で「すべての人は平等のフリーダム・オブ・コンシヤンス(「信仰の自由」)の権利を有し且宗教を自由に信奉し及び履践する権利を有する云々」と規定しており、イラク国憲法一三条は同教は国の公の宗教であると宣言して同教各派の儀式の自由を保障した後に完全なフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び礼拝の自由を保障している。(ピズリー著各国憲法集二巻二一九頁。脚註に公認された英訳とある。)。英語のフリーダム・オブ・コンシヤンスは仏語のリベルテ・ド・コンシアンスであつて、フフンスでは現に宗教分離の一九〇五年の法律一条に「共和国はリベルテ・ド・コンシァンス(「信仰の自由」)を確保する。」と規定している。これは信仰選択の自由の確保であることは法律自体で明である。レオン、ヂユギはリベルテ・ド・コンシアンスを宗教に関し心の内で信じ若しくは信じない自由と説いている。(ヂュギ著憲法論五巻一九二五年版四一五頁)
以上の諸憲法等の用例によると「信仰の自由」は広義の宗教の自由の一部として規定されていることがわかる。これは日本国憲法と異つて思想の自由を規定していないからである。日本国憲法はポツダム宣言(同宣言一〇項は「言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と規定している)の条件に副うて規定しているので思想の自由に属する本来の信仰の自由を一九条において思想の自由と併せて規定し次の二〇条で信仰の自由を除いた狭義の宗教の自由を規定したと解すべきである。かように信仰の自由は思想の自由でもあり又宗教の自由でもあるので国際連合の採択した世界人権宣言(一八条)及びユネスコの人権規約案(一三条)にはそれぞれ三者を併せて「何人も思想、信仰及び宗教の自由を享有する権利を有する」と規定している。以上のように日本国憲法で「信仰の自由」が二〇条の信教の自由から離れて一九条の思想の自由と併せて規定されて、それを「良心の自由」と訳したからといつて、日本国憲法だけが突飛に倫理的内心の自由を意味するものと解すべきではないと考える。憲法九七条に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると言つているように、憲法一九条にいう「良心の自由」もその歴史的背景をもつ法律上の用語として理解すべきである。されば所論は「原判決の如き内容の謝罪文を新聞紙に掲載せしむることは上告人の良心の自由を侵害するもので憲法一九条の規定に違反するものである。」と言うけれども、それは憲法一九条の「良心の自由」を誤解した主張であつて、原判決には上告人のいう憲法一九条の「良心の自由」を侵害する問題を生じないのである。

+意見
上告代理人阿河準一の上告理由三に対する裁判官入江俊郎の意見は次のとおりである。
わたくしは、本件上告を棄却すべきことについては多数説と同じ結論であるが、右上告理由三に関しては棄却の理由を異にするので、以下所見を明らかにして、わたくしの意見を表示する。
一、上告理由三は、要するに本件判決により、上告人は強制的に本件のごとき内容の謝罪広告を新聞紙へ掲載せしめられるのであり、それは上告人の良心の自由を侵害するものであつて、憲法一九条違反であるというのである。しかしわたくしは、本件判決は、給付判決ではあるが、後に述べるような理由により、その強制執行は許されないものであると解する。しからば本件判決は上告人の任意の履行をまつ外は、その内容を実現させることのできないものであつて、従つて上告人は本件判決により強制的に謝罪広告を新聞紙へ掲載せしめられることにはならないのであるから、所論違憲の主張はその前提を欠くこととなり採るを得ない。上告理由三については、右を理由として上告を棄却すべきものであると思うのである。
二、多数説は、原判決の是認した被上告人の本訴請求は、上告人をして、上告人がさきに公表した事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すベきことを求めるに帰するとなし、また、上告人に屈辱的若しくは苦役的労務を科し又は上告人の有する意思決定の自由、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないといい、結局本件判決が民訴七三三条の代替執行の手続によつて強制執行をなしうるものであることを前提とし、しかもこれを違憲ならずと判断しているのである。しかしわたくしは、本件判決の内容は多数説のいうようなものではなく、上告人に対し、上告人のさきにした本件行為を、相手方の名誉を傷つけ相手方に迷惑をかけた非行であるとして、これについて相手方の許しを乞う旨を、上告人の自発的意思表示の形式をもつて表示すべきことを求めていると解すべきものであると思う。そして、若しこのような上告人名義の謝罪広告が新聞紙に掲載されたならば、それは、上告人の真意如何に拘わりなく、恰も上告人自身がその真意として本件自己の行為が非行であることを承認し、これについて相手方の許しを乞うているものであると一般に信ぜられるに至ることは極めて明白であつて、いいかえれば、このような謝罪広告の掲載は、そこに掲載されたところがそのまま上告人の真意であるとせられてしまう効果(表示効果)を発生せしめるものといわねばならない。自己の行為を非行なりと承認し、これにつき相手方の許しを乞うということは、まさに良心による倫理的判断でなくて何であろうか。それ故、上告人が、本件判決に従つて任意にこのような意思を表示するのであれば問題はないが、いやしくも上告人がその良心に照らしてこのような判断は承服し得ない心境に居るにも拘らず、強制執行の方法により上告人をしてその良心の内容と異なる事柄を、恰もその良心の内容であるかのごとく表示せしめるということは、まさに上告人に対し、その承服し得ない倫理的判断の形成及び表示を公権力をもつて強制することと、何らえらぶところのない結果を生ぜしめるのであつて、それは憲法一九条の良心の自由を侵害し、また憲法一三条の個人の人格を無視することとならざるを得ないのである。
三、もとより、憲法上の自由権は絶対無制限のものではなく、憲法上の要請その他公共の福祉のために必要已むを得ないと認めるに足る充分の根拠が存在する場合には、これに或程度の制約の加えられることは必ずしも違憲ではないであろう。しかし自由権に対するそのような制約も、制約を受ける個々の自由権の性質により、その態様又は程度には自ら相違がなければならぬ筈のものである。ところで古人も「三軍は帥を奪うべし。匹夫も志を奪うべからず」といつたが、良心の自由は、この奪うべからざる匹夫の志であつて、まさに民主主義社会が重視する人格尊重の根抵をなす基本的な自由権の一である。そして、たとえ国家が、個人が自己の良心であると信じているところが仮に誤つていると国家の立場において判断した場合であつても、公権力によつてなしうるところは、個人が善悪について何らかの倫理的判断を内心に抱懐していること自体の自由には関係のない限度において、国家が正当と判断した事実関係を実現してゆくことであつて、これを逸脱し、例えば本件判決を強制執行して、その者が承服しないところを、その者の良心の内容であるとして表示せしめるがごときことは、恐らくこれを是認しうべき何らの根拠も見出し得ないと思うのである。
英、米、独、仏等では、現在名誉回復の方法として本件のごとき謝罪広告を求める判決を認めていないようである。すなわち英、米では名誉毀損の回復は損害賠償を原則とし、加害者の自発的な謝罪が賠償額の緩和事由となるとせられるに止会り、また独、仏では、加害者の費用をもつて、加害者の行為が、名誉毀損の行為であるとして原告たる被害者を勝訴せしめた判決文を新聞紙上に掲載せしめ又は加害者に対し新聞紙上に取消文を掲載せしめる等の方法が認められている。わが民法七二三条の適用としても、本件のような謝罪広告を求める判決のほかに、(一)加害者の費用においてする民事の敗訴判決の新聞紙等への掲載、(二)同じく刑事の名誉毀損罪の有罪判決の新聞紙等への掲載、(三)名誉毀損記事の取消等の方法が考えうるのであるが、このような方法であれば、これを加害者に求める判決の強制執行をしたからといつて、不当に良心の自由を侵害し、または個人の人格を無視したことにはならず違憲の問題は生じないと思われる。しかし、本件のような判決は、若し強制執行が許されるものであるとすれば、それはまさに公権力をもつて上告人に倫理的の判断の形成及び表示を強制するのと同様な結果を生ぜしめるに至ることは既に述べたとおりであり、また前記のごとく民法七二三条の名誉回復の為の適当な処分としては他にも種々の方法がありうるのであるから、これらを勘案すれば、本件判決を強制執行して良心の自由又は個人の人格に対する上述のような著しい侵害を敢えてしなければ、本件名誉回復が全きを得ないものとは到底認め得ない。即ち利益の比較較量の観点からいつても、これを是認しうるに足る充分の根拠を見出し得ず、結局それは名誉回復の方法としては行きすぎであり、不当に良心の自由を侵害し個人の人格を無視することとなつて、違憲たるを免れないと思うのである。(以上述べたところは、私見によれば、取消交の掲載又は国会、地方議会における懲罰の一方法としての「公開議場における陳謝」には妥当しない。前者については、取消文の文言にもよることではあるが、それが単に一旦発表した意思表示を発表せざりし以前の状態に戻す原状回復を趣旨とするものたるに止まる限り良心の自由とは関係なく、また後者は、これを強制執行する方法が認められていないばかりでなく、特別権力関係における秩序維持の為の懲戒罰である点において、一般権力関係における本件謝罪広告を求める判決の場合とは性質を異にするというべきだからである。)
四、以上述べたとおり、わたくしは、本件判決が強制執行の許されるものであるとするならば、それは憲法一九条及び一三条に違反すると解するのであつて、従つて、多数説が、本件判決が民訴七三三条の代替執行○方法により強制執行をなしうるものであることを前提として、しかも本件判決を違憲でないとしたことには賛成できない。
けれども、わたくしは以下述べるごとく、本件判決は強制執行はすべて許されないものであると解するのである。思うに、給付判決の請求と、強制執行の請求とは一応別個の事柄であり、従つて給付判決は常に必ず強制執行に適するものと限らないことは、多数説の説示の中にも示されているとおりであつて(給付判決であつても、強制執行の全く許されないものとしては、例えば夫婦同居の義務に関する判例があつた。)、本件判決が果して強制執行に適するものであるか否かは、本件判決の内容に照らし、更に審究を要する問題であろう。ところで、給付判決の中で強制執行に適さないと解せられる場合としては、(一)債務の性質からみて、強制執行によつては債務の本旨に適つた給付を実現し得ない場合、(二)債務の内容からみて、強制執行することが、債務者の人格又は身体に対する著しい侵害であつて、現代の法的理念に照らし、憲法上又は社会通念上、正当なものとして是認し得ない場合の二であろう。(一)の場合は主として、債務の性質が強制執行をするのに適当しているかどうかの観点から判断しうるけれども、(二)の場合は、強制執行をすること自体が、現代における文化の理念に照らして是認しうるかどうかの観点から判断することが必要となつてくる。そして、本件のごとき判決を強制執行することは、既に述べたように、不当に良心の自由を侵害し、個人の人格を無視することとなり達憲たるを免れないのであるから、まさに上記(二)の場合に該当し、民訴七三三条の代替執行たると、同七三四条の間接強制たるとを問わず、すべて強制執行を許さないものと解するを相当とするのである。また本件判決は、被害者が名誉回復の方法として本件のような謝罪広告の新聞紙への掲載を加害者に請求することを利益と信じ、裁判所がこれを民法七二三条の適当な処分と認めてなされたものであるから、これについて強制執行が認められないからといつて、それは給付判決として意味のないものとはいえないと思う。
以上のべたごとく、本件判決は強制執行を許さないものであるから、違憲の問題を生ずる余地なく、所論は前提を欠き、上告棄却を免れない。
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官藤田八郎の反対意見は次のとおりである。
本件における被上告人の請求の趣意、並びにこれを容認した原判決の趣意は、上告人に対し、上告人がさきにした原判示の所為は、被上告人の名誉を傷つけ、被上告人に迷惑を及ぼした非行であるとして、これにつき被上告人に陳謝する旨の意を新聞紙上に謝罪広告を掲載する方法により表示することを命ずるにあることは極めて明らかである。しかして、本件において、上告人は、そのさきにした本件行為をもつて、被上告人の名誉を傷つける非行であるとは信ぜず、被上告人に対し陳謝する意思のごときは、毛頭もつていないことは本件弁論の全経過からみて、また、極めて明瞭である。
かかる上告人に対し、国家が裁判という権力作用をもつて、自己の行為を非行なりとする倫理上の判断を公に表現することを命じ、さらにこれにつき「謝罪」「陳謝」という道義的意思の表示を公にすることを命ずるがごときことは、憲法一九条にいわゆる「良心の自由」をおかすものといわなければならない。けだし、憲法一九条にいう「良心の自由」とは単に事物に関する是非弁別の内心的自由のみならず、かかる是非弁別の判断に関する事項を外部に表現するの自由並びに表現せざるの自由をも包含するものと解すべきであり、このことは、憲法二〇条の「信教の自由」仁ついても、憲法はただ内心的信教の自由を保障するにとどまらず、信教に関する人の観念を外部に表現し、または表現せざる自由をも保障するものであつて、往昔わが国で行われた「踏絵」のごとき、国家権力をもつて、人の信念に反して、宗教上の観念を外部に表現することを強制するごときことは、もとより憲法の許さないところであると、その軌を一にするものというべきである。従つて、本件のごとき人の本心に反して、事の是非善悪の判断を外部に表現せしめ、心にもない陳謝の念の発露を判決をもつて命ずるがごときことは、まさに憲法一九条の保障する良心の外的自由を侵犯するものであること疑を容れないからである。従前、わが国において、民法七二三条所定の名誉回復の方法として、訴訟の当事者に対し判決をもつて、謝罪広告の新聞紙への掲載を命じて来た慣例のあることは、多数説のとくとおりであるけれども、特に、明文をもつて、「良心の自由」を保障するに至つた新憲法下においてかかる弊習は、もはやその存続を許されないものと解すへきである。(そして、このことは、かかる判決が訴訟法上強制執行を許すか否かにはかかわらない。国家が権力をもつて、これを命ずること自体が良心の自由をおかすものというべきである。あたかも、婚姻予約成立の事実は認定せられても、当事者に対して、判決ををもつて、その履行―すなわち婚姻―を命ずることが、婚姻の本質上許されないと同様、強制執行の許否にかかわらず、判決自体の違法を招致するものと解すべきである)。
従つて、この点に関する論旨は理由あり、原判決が上告人に対し謝罪広告を以て、自己の行為の非行なることを認め陳謝の意を表することを命じた部分は破棄せらるべきである。

+反対意見
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官垂水克己の反対意見は次のとおりである。
私は原判決が広告中に「謝罪」「陳謝」の意思を表明すべく命じた部分は憲法一九条に違反し原判決は破棄せらるべきものと考える。
一、判決と当事者の思想裁判所が裁判をもつて訴訟当事者に対し一定の意思表示をなすべきことを命ずる場合に裁判所はその当事者が内心において如何なる思想信仰良心を持つているかは知ることもできないし、調査すべき事柄でもない。本件謝罪広告を命ずる判決をし又はこの判決を是認すべきか否かを判断するについても固より同じである。すなわち、かような判決をすべきかどうかを判断するについては上告人が、万一、場合によつてはこんな広告をすることは彼の思想信仰良心に反するとの理由からこれを欲しないかも知れないことも予想しなければならない。世の中には次のような思想の人もあり得るであろう―「今日多くの国家においては大多数の人々が労働の成果を少数者によつて搾取され、人間に値せぬ生活に苦しんでいる、これは重要生産手段の私有を認める資本主義の国家組織に原因するから、かかる組織の国家は地上からなくさなくてはならない、そのためには憲法改正の合法手段は先ず絶望であるから、手段を選ばずあらゆる合法・非合法手段、平和手段・暴力手段を用いてたたかい、かかる国家、その法律、国家機関、裁判、反対主義の敵に対しても、これを利用するのはよいが、屈服してはならない、これがわれわれの信条・道徳・良心である。」と。或は一部宗教家、無政府主義者のように、すべて人は一切他人を圧迫強制してはならない、国家、法律は圧力をもつて人を強制するものであるから、これに対しては、少くともできるだけ不服従の態度をとるべきである、という信条の人もあり借るであろう。かような人の内心の思想信仰良心の自由は法律、国権、裁判をもつてしても侵してはならないことは憲法一九条、二〇条の保障するところである。
論者或はいうかもしれない「迷信や余りに普遍的妥当性のない考は思想でも信仰でもなく憲法の保障のほかにある」と。しかし、誰が迷信と断じ普遍的妥当性なしと決めるのか。一宗一主義は他宗他主義を迷信虚妄として排斥する。けれども、種々の思想、信条の自由活溌な発露、展開、論議こそ個人と人類の精神的発達、人格完成に貢献するゆえんであるとするのが、わが自由主義憲法の基本的精神なのであつて、憲法を攻撃する思想に対してさえ発表の機会を封ずることをせず思想は思想によつて争わしめようとするところに自由主義憲法の特色を見るのである。
二、謝罪、陳謝とは上告人が、万一、前段設例のような信条の持主であると仮定するならば、本件裁判は彼の信条に反し彼の欲しない意思表明を強制することになるのではないか。この点を判断するには先ず「陳謝」ないし「謝罪」とは如何なる意味のものであるかを判定しなければならない。思うに一般に、「あやまる」、「許して下さい」、「陳謝」又は「遺憾」の意思表明とは(1)自分の行為若くは態度(作為・不作為)が宗教上、社会道徳上、風俗上若くは信条三の過誤であつた(善、正当、是、若くは直でなく悪、不当、非、若くは曲であつた、許されない規範違反であつた)ことの承認、換言すれば、自分の行為の正当性の否定である、或は(2)そのほか更に遡つて行為の原因となつた自分の考(信条を含む)が悪かつたことの承認、若くは一層進んで自分の人格上の欠陥の自認、ひいて劣等感の表明である、或は(3)なおこれに行為者が自分の考を改め将来同様の過誤をくり返さないことの言明を附加したものである。なお、記事や発言の「取消」というものがある。これには単なる訂正の意味のものもあるが、やはり前同様自己の記事や発言に瑕疵不当があつたとしてその正当性を否定する意味のものもある。
本件広告は相当の配慮をもつて被上告人の申し立てた謝罪文を修正したものではあるが、原審は単に故意又は過失による不法行為としての名誉毀損を認めたに止まり刑法上の名誉毀損罪を認めたものではないから、本件広告に罪悪たることの自認を意味するものと解し得られる「謝罪」という文言を用いることは、或は上告人がその信条からいつて欲しないかも知れない。さすれば本件判決中、広告の標題に「謝罪」の文言を冠し、末尾に「ここに陳謝の意を表します」との文言を用いた部分は本人の信条に反し、彼の欲しないかも知れない意思表明の公表を強制するものであつて、憲法一九条に違反するものであるというのほかない。けだし同条は信条上沈黙を欲する者に沈黙する自由をも保障するものだからである。
人は尋ねるかも知れない「それならば、当事者はどんな信条を持つているかも知れないから、裁判所はあらゆる当事者に対して或意思表示(例えば登記申請)をすべく命ずる裁判は一切できなくなるではないか、」と。固より左様でない。裁判所は法の世界で法律上の義務とせられるべき事項を命ずることはできるのである。しかし、行為者が自分の行為を宗教上、道徳風俗上、若くは信条上の規範違反である罪悪と自覚した上でなければできないような謝罪の意思表明の如きを判決で命ずることは、性質上法の世界外の内界の問題に立ち入ることであるから、たとえ裁判所がこれを民法七二三条による名誉回復に適当な処分と認めたとしても許されない訳なのである。
三、法と道徳について法は人の行為についての国家の公権力による強制規範であり、行為とは意思の外部的表現である。人の考が一旦外部に現われて或行為(作為若くは不作為)と観られるに至つたときは社会ないし国家は関心なきを得ないので、法は或は行為を権利行為として保護し或は放任行為として干渉せず、或は表現(をすること又はしないこと)の自由の濫用とし、或は犯罪として刑罰を科し或は不法行為、債務不履行として賠償や履行を命じたりする。その場合に、法は行為が意思に基くか、又、如何なる意思に基くかをも探究する。もちろん、道徳が憲法以下の法の基本をなす部分が相当に大きく、この基本を取り去つては「個人の尊重」、「公共の福祉」、「権利の濫用」、「信義誠実」、「公序良俗」、「正当事由」、「正当行為」などという重要な概念が立処に理解できなくなるという関係ですでにこれらの概念は法概念と化していることは私もよく肯定するものである。しかし、法がこれら内心の状態を問題にしたり行為のかような道徳に由来する法律的意味を探究する場合にも、法はあくまで外部行為の価値を判定するに必要な限度において外部行為からうかがわれ得る内心の状態を問題とするに止まる。一定の行為が法の要求する一定の意思状態においてなされたものとして観られる以上、法はそれが何かの信条からなされたものかどうかを問わない。行為者の意思が財物奪取にあつたか殺害にあつたかは問題とされるが如何なる思想からしたかは問われない。無政府主義者が税制を否定し所得申告を欲しなくても法は彼の主義如何に拘わりなく申告と納税を強制する。かようにして法は作為・不作為に対しそれに相応する法律効果を付しこれによつて或結果の発生・不発生をもたらしその行為を処理しようとするものである。
四、本件広告の内容謝罪の意思なき者に謝罪広告を命ずる裁判か合憲であるとの理由は出て来ない。けだし、謝罪は法の世界のほかなる宗教上、道徳風俗上若くは信条上の内心の善悪の判断をまつて始めてなされるものてあり、そして内心から自己の行為を悪と自覚した場合にのみ価値ある筈のものだからである。先ず、裁判所が上告人は判示所為をしたものでありその所為は不法行為たる名誉毀損に当ると認めた場合には、上告人の信条に拘わりなくこれによる義務の存在を確認させることができるのはもちろん、又、かかる所為をしたこと及びそれか名誉毀損に当ることを確認する旨の広告を上告人の意思に反してさせることもできることは疑いない。本件広告は単に「広告」と題し本文を「私は昭和二十七年十月一日施行された、云々、申訳もできないのはどうしたわけかと記載いたしましたが右放送及び記事は真実に相違して居り、貴下の久誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。」と記載してなすべく命ずることも憲法一九条に違反するところなく妨げない、(客観的に、「真実に相違しておる」ことを確認させ、被害を与えたとの法律上の意味で「御迷惑をおかけしました」と言明すべき法的義務を課してもよい。)と考える、ところが本件広告には前に述べたように「謝罪」、「陳謝の意を表します」という文言を用いた部分があつてこの点は両当事者が重要な一点として争うところなのである。が、かような謝罪意思表明の義務は上告人の本件名誉毀損行為から法概念としての「善良の風俗」からでも生ずべき性質のものといえるであろうか。又、「かような謝罪の意思表明は名誉毀損の確認に附加されたところの、本件当事者双方の名誉を尊重した紳士的な社交儀礼上の挨拶に過ぎず、そしてそれは心にもない口先だけのものであつても被害者や世人はいずれその程度のものとして受けとる性質のものであるから、上告人も同様に受けとつてよいものである。」といえるてあろうか。私は疑なきを省ない。かような挨拶が被害者の名誉回復のために役立つとの面にのみに着眼し表意者が信条に反するために謝罪を欲しないため信条に反する意思表明を強制せられる場合のあることを顧みないで事を断ずるのは失当といわざるを得ない。私は本件広告中、右「謝罪」、「陳謝の意を表します」の文言があるのに、上告人が信条土欲しない場合でもこれをなすべきことを命ずる原判決は、性質上、上告人の思想及び良心の自由を侵すところがあり憲法一九条に違反するものと考える。これにはなお一つの理由を附加したい。それは本件判決が民訴法七三三条の代替執行の方法によつて強制執行をなし得るという点である。一説は本件判決は給付判決であつても夫婦同居を命ずる判決と同じく強制執行を許されないというが、夫婦同居判決のように強制執行のてきないことが自明なものならばその通りであるが、本件判決は理山中に別段本件広告については強制執行を許さない旨をことわつてなく、判決面ではそれを許しているものと解せられるものであり、そして本件広告が新聞紙に掲載せられたような場合に、読者は概ねそれが民事判決で命ぜられて余儀なくなされたもであることを知らずに、上告人が自発的にしたものであると誤解する公算が大きい。かくては上告人の信条に反し、そのの意思に出でない上告人の名における謝罪広告が公表せられることになり、夫婦同居判決が当事者の任意服従がないかぎり実現されずに終るのと違う結果を見るのである。されば論旨ほ理由があり、原判決が主文所掲広告の標題に冠した「謝罪」という文言とその末尾の「ここに陳謝の意を表します」との文言を表示すべく命じた部分は憲法一九条に違反するから原判決は破棄すべきものである。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己)

・思想良心の意義
内心におけるおける考え方ないし味方(内心説)
世界観、人生観など個人の人格形成の革新的部分(信条説)

・反論権
+判例(S62.4.24)産経新聞事件
理由
上告代理人上田誠吉、同植木敬夫、同寺本勤、同渡辺脩、同橋本紀徳、同中田直人、同岡部保男、同斎藤鳩彦、同坂本修、同松井繁明、同青柳盛雄、同楝山博、同正森成二の上告理由第一点について
憲法二一条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は地方公共団体の統治行動に対して基本的な個人の自由と平等を保障することを目的としたものであつて、私人相互の関係については、たとえ相互の力関係の相違から一方が他方に優越し事実上後者が前者の意思に服従せざるをえないようなときであつても、適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所の判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決・民集二七巻一一号一五三六頁、昭和四二年(行ツ)五九号同四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁)とするところであり、その趣旨とするところに徴すると、私人間において、当事者の一方が情報の収集、管理、処理につき強い影響力をもつ日刊新聞紙を全国的に発行・発売する者である場合でも、憲法二一条の規定から直接に、所論のような反論文掲載の請求権が他方の当事者に生ずるものでないことは明らかというべきである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づくものであつて、採用することができない。

同第二点及び第三点について
原審における上告人の主張によれば、(一) 昭和四八年一二月二日付サンケイ新聞紙上に掲載された第一審判決別紙第一目録掲載の広告(以下「本件広告」という。)は、上告人主張のいわゆる「八要件」(第一審判決四〇頁一四行目から四二頁三行目まで)が備わつている場合には、仮に憲法二一条に基づいては上告人の反論文掲載請求権が認められないとしても、条理に基づいて上告人の反論文掲載請求権が認められるべきであり、また、(二) 上告人主張のいわゆる「三要件」(原判決八枚目裏八行目から九枚目表五行目まで)が整えば、人格権に基づいて上告人が反論文掲載請求権を取得するというのであり、いずれの場合も不法行為の成立を前提とするものではないというのである。
しかしながら、所論のような反論文掲載請求権は、これを認める法の明文の規定は存在しない民法七二三条は、名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、「被害者ノ請求ニ因リ損害賠償ニ代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分ヲ命スルコト」ができるものとしており、また、人格権としての名誉権に基づいて、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため侵害行為の差止を請求することができる場合のあることは、当裁判所の判例(昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決。民集四〇巻四号八七二頁参照)とするところであるが、右の名誉回復処分又は差止の請求権も、単に表現行為が名誉侵害を来しているというだけでは足りず、人格権としての名誉の毀損による不法行為の成立を前提としてはじめて認められるものであつて、この前提なくして条理又は人格権に基づき所論のような反論文掲載請求権を認めることは到底できないものというべきである。さらに、所論のような反論文掲載請求権は、相手方に対して自己の請求する一定の作為を求めるものであつて、単なる不作為を求めるものではなく、不作為請求を実効あらしめるために必要な限度での作為請求の範囲をも超えるものであり、民法七二三条により名誉回復処分又は差止の請求権の認められる場合があることをもつて、所論のような反論文掲載請求権を認めるべき実定法上の根拠とすることはできない。所論にいう「人格の同一性」も、法の明文の規定をまつまでもなく当然に所論のような反論文掲載請求権が認められるような法的利益であるとは到底解されない。
ところで、新聞の記事により名誉が侵害された場合でも、その記事による名誉毀損の不法行為が成立するとは限らず、これが成立しない場合には不法行為責任を問うことができないのである。新聞の記事に取り上げられた者が、その記事の掲載によつて名誉毀損の不法行為が成立するかどうかとは無関係に、自己が記事に取り上げられたというだけの理由によつて、新聞を発行・販売する者に対し、当該記事に対する自己の反論文を無修正で、しかも無料で掲載することを求めることができるものとするいわゆる反論権の制度は、記事により自己の名誉を傷つけられあるいはそのプライバシーに属する事項等について誤つた報道をされたとする者にとつては、機を失せず、同じ新聞紙上に自己の反論文の掲載を受けることができ、これによつて原記事に対する自己の主張を読者に訴える途が開かれることになるのであつて、かかる制度により名誉あるいはプライバシーの保護に資するものがあることも否定し難いところであるしかしながら、この制度が認められるときは、新聞を発行・販売する者にとつては、原記事が正しく、反論文は誤りであると確信している場合でも、あるいは反論文の内容がその編集方針によれば掲載すべきでないものであつても、その掲載を強制されることになり、また、そのために本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる等の負担を強いられるのであつて、これらの負担が、批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゆうちよさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由(前掲昭和六一年六月一一日大法廷判決参照)に対し重大な影響を及ぼすものであつて、たとえ被上告人の発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい上告人主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。なお、放送法四条は訂正放送の制度を設けているが、放送事業者は、限られた電波の使用の免許を受けた者であつて、公的な性格を有するものであり(同法四四条三項ないし五項、五一条等参照)、その訂正放送は、放送により権利の侵害があつたこと及び放送された事項が真実でないことが判明した場合に限られるのであり、また、放送事業者が同等の放送設備により相当の方法で訂正又は取消の放送をすべきものとしているにすぎないなど、その要件、内容等において、いわゆる反論権の制度ないし上告人主張の反論文掲載請求権とは著しく異なるものであつて、同法四条の規定も、所論のような反論文掲載請求権が認められる根拠とすることはできない。
上告人主張のような反論文掲載請求権を認めることはできないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができ、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

同第四点について
言論、出版等の表現行為により名誉が侵害された場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法一三条)と表現の自由の保障(同二一条)とが衝突し、その調整を要することとなるのであり、この点については被害者が個人である場合と法人ないし権利能力のない社団、財団である場合とによつて特に差異を設けるべきものではないと考えられるところ、民主制国家にあつては、表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものであることにかんがみ、当該表現行為が公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものである場合には、当該事実が真実であることの証明があれば、右行為による不法行為は成立せず、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実であると信じたことについて相当の理由があるときは、右行為には故意又は過失がないと解すべきものであつて、これによつて個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和が図られているものというべきである(前掲昭和六一年六月一一日大法廷判決)。そして、政党は、それぞれの党綱領に基づき、言論をもつて自党の主義主張を国民に訴えかけ、支持者の獲得に努めて、これを国又は地方の政治に反映させようとするものであり、そのためには互いに他党を批判しあうことも当然のことがらであつて、政党間の批判・論評は、公共性の極めて強い事項に当たり、表現の自由の濫用にわたると認められる事情のない限り、専ら公益を図る目的に出たものというべきである。 
これを本件についてみるに、本件広告は、自由民主党が上告人を批判・論評する意見広告であつて、その内容は、上告人の「日本共産党綱領」(以下「党綱領」という。)と「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」(以下「政府綱領提案」という。)における国会、自衛隊、日米安保条約、企業の国有化、天皇の各項目をそれぞれ要約して比較対照させ、その間に矛盾があり上告人の行動には疑問、不安があることを強く訴え、歪んだ福笑いを象つたイラストとあいまつて、上告人の社会的評価を低下させることを狙つたものであるが、党綱領及び政府綱領提案の要約及び比較対照の仕方において、一部には必ずしも妥当又は正確とはいえないものがあるものの、引用されている文言自体はそれぞれの原文の中の文言そのままであり、また要点を外したといえるほどのものではないなど、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、本件広告は、政党間の批判・論評として、読者である一般国民に訴えかけ、その判断をまつ性格を有するものであつて、公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものである場合に当たり、本件広告を全体として考察すると、それが上告人の社会的評価に影響を与えないものとはいえないが、未だ政党間の批判・論評の域を逸脱したものであるとまではいえず、その論評としての性格にかんがみると、前記の要約した部分は、主要な点において真実であることの証明があつたものとみて差し支えがないというべきであつて、本件広告によつて政党としての上告人の名誉が毀損され不法行為が成立するものとすることはできない。名誉毀損の成立を否定した原審の判断は、その結論において正当として是認することができる。論旨は、以上と異なる見解を前提とするか、又は結論に影響を及ぼさない判示部分について原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 林藤之輔)

(2)意思に反する表示の強制
21条の問題=沈黙の自由も問題に・・・。

RQ
+判例(S49.7.19)昭和女子大事件
理由
上告代理人雪入益見外八三名の上告理由第一章について。
論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めた被上告人大学の原判示の生活要録六の六の規定は憲法一五条、一六条、二一条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録八の一三の規定は憲法一九条、二一条、二三条、二六条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法一五条、一六条及び二六条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法一九条、二一条、二三条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。
ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならないもとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもないしかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない
そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであつて、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二章について。
論旨は、要するに、本件退学処分は、上告人らの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、憲法二三条、一九条、一四条に違反するものであり、また、かかる違憲の処分によつて上告人らの教育を受ける権利を奪うことは憲法一三条、二六条にも違反するにもかかわらず、原審が右退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、本件退学処分について憲法二三条、一九条、一四条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがつて、右違憲を前提とする憲法一三条、二六条違反の論旨も採用することができない。
また、原審の確定した上告人らの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、上告人Aが左翼的政治団体である民主青年同盟(以下、民青同という。)に加入し、上告人Bが民青同に加入の申込をし、更に、同上告人が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和三一年(あ)第二九七三号同三八年五月二二日判決・刑集一七巻四号三七〇頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分が上告人らの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第三章について。
論旨は、要するに、大学が学生に対して退学処分を行うにあたつては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審が右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法一一条、同法施行規則一三条三項、被上告人大学の学則三六条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。
もつとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則三六条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解されるこの趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号及び被上告人大学の学則三六条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。
ところで、原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。
(1) 被上告人大学では、昭和三六年一〇月下旬ごろ前記のような上告人らの生活要録違反の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、上告人らに対して民青同との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等原判示のような措置をとつたが、この間の大学当局の態度を全体として評すれば、同大学の名声のために上告人らの責任を追及することに急で、同人らの行為が校風に反することについての反省を求めて説得に努めたものとは認めがたいものがあつた。
(2) 他方、上告人らは、生活要録に違反することを知りながら民青同に加入し又は加入の申込をしたものであつて、右違反についての責任の自覚はうすく、民青同に加入することが不当であるとは考えず、これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも真実従う意思はなく(加入申込中であつた上告人Bは同年一二月に正式に加入した。)、関係教授らの説諭に対しては終始反発していた。しかし、同年一二月当時までは、大学当局としてはできるだけ穏便に事件を解決する方針であつた。
(3) ところが、昭和三七年一月下旬、某週刊誌が「良妻賢母か自由の園か」と題して本件の発端以来被上告人大学のとつた一連の措置を批判的に掲載した記事中に、上告人Aが仮名を用いて大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、次いで、都内の公会堂で開かれた各大学自治会及び民青同等主催の「戦争と教育反動化に反対する討論集会」において、上告人らがそれぞれ事件の経過を述べ、更に、同年二月九日「荒れる女の園」という題名で本件を取り上げたラジオ放送のなかで、上告人らが大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを上告人らが学外で同大学を誹謗したものと認め、ここに至つて、上告人らの一連の行動、態度が退学事由たる「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものに該当するとして、同年二月一二日付で本件退学処分をした。
以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記(2)(3)のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記(1)の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記(2)(3)のような態度、行動が主して被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、被上告人大学が上告人らに対して民青同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである
したがつて、右と結論を同じくする原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第四章について。
所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂本吉勝 裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己)

+判例(H14.4.25)群馬司法書士会事件
理由
上告代理人樋口和彦、同大谷豊、同平山知子及び同遠藤秀幸、上告人ら並びに上告補助参加人の各上告受理申立て理由について
1 本件は、司法書士法一四条に基づいて設立された司法書士会である被上告人が、阪神・淡路大震災により被災した兵庫県司法書士会に三〇〇〇万円の復興支援拠出金(以下「本件拠出金」という。)を寄付することとし、その資金は役員手当の減額等による一般会計からの繰入金と被上告人の会員から登記申請事件一件当たり五〇円の復興支援特別負担金(以下「本件負担金」という。)の徴収による収入をもって充てる旨の総会決議(以下「本件決議」という。)をしたところ、被上告人の会員である上告人らが、(1)本件拠出金を寄付することは被上告人の目的の範囲外の行為であること、(2)強制加入団体である被上告人は本件拠出金を調達するため会員に負担を強制することはできないこと等を理由に、本件決議は無効であって会員には本件負担金の支払義務がないと主張して、債務の不存在の確認を求めた事案である。

2 原審の適法に確定したところによれば、本件拠出金は、被災した兵庫県司法書士会及び同会所属の司法書士の個人的ないし物理的被害に対する直接的な金銭補てん又は見舞金という趣旨のものではなく、被災者の相談活動等を行う同司法書士会ないしこれに従事する司法書士への経済的支援を通じて司法書士の業務の円滑な遂行による公的機能の回復に資することを目的とする趣旨のものであったというのである。
司法書士会は、司法書士の品位を保持し、その業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的とするものであるが(司法書士法一四条二項)、その目的を遂行する上で直接又は間接に必要な範囲で、他の司法書士会との間で業務その他について提携、協力、援助等をすることもその活動範囲に含まれるというべきである。そして、三〇〇〇万円という本件拠出金の額については、それがやや多額にすぎるのではないかという見方があり得るとしても、阪神・淡路大震災が甚大な被害を生じさせた大災害であり、早急な支援を行う必要があったことなどの事情を考慮すると、その金額の大きさをもって直ちに本件拠出金の寄付が被上告人の目的の範囲を逸脱するものとまでいうことはできない。したがって、兵庫県司法書士会に本件拠出金を寄付することは、被上告人の権利能力の範囲内にあるというべきである。
そうすると、被上告人は、本件拠出金の調達方法についても、それが公序良俗に反するなど会員の協力義務を否定すべき特段の事情がある場合を除き、多数決原理に基づき自ら決定することができるものというべきである。これを本件についてみると、被上告入がいわゆる強制加入団体であること(同法一九条)を考慮しても、本件負担金の徴収は、会員の政治的又は宗教的立場や思想信条の自由を害するものではなく、また、本件負担金の額も、登記申請事件一件につき、その平均報酬約二万一〇〇〇円の0.2%強に当たる五〇円であり、これを三年間の範囲で徴収するというものであって、会員に社会通念上過大な負担を課するものではないのであるから、本件負担金の徴収について、公序良俗に反するなど会員の協力義務を否定すべき特段の事情があるとは認められない。したがって、本件決議の効力は被上告人の会員である上告人らに対して及ぶものというべきである。
3 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、いずれも採用することができない。
よって、裁判官深澤武久、同横尾和子の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官深澤武久の反対意見は、次のとおりである。
1 私は、本件拠出金の寄付が被上告人の目的の範囲を逸脱するものではなく、その調達方法についても、会員の協力義務を否定すべき特段の事情は認められないとし、また、被上告人が強制加入団体であることを考慮しても、本件負担金の徴収は、会員の政治的又は宗教的立場や思想信条の自由を害するものではなく、会員に社会通念上過大な負担を課するものではない、とする法廷意見に賛同することができない。
その理由は次のとおりである。
2(1) 司法書士となる資格を有する者が司法書士となるには、その者が事務所を設けようとする地を管轄する法務局又は地方法務局の管轄区域内に設立された司法書士会を経由して日本司法書士会連合会に登録をしなければならない(司法書士法六条一項、六条の二第一項)。登録をしないで司法書士の業務を行った場合は一年以下の懲役又は三〇万円以下の罰金が定められている(同法一九条一項、二五条一項)。このように被上告人は、司法書士になろうとする者に加入を強制するだけでなく、会員が司法書士の業務を継続する間は脱退の自由を有しない公的色彩の強い厳格な強制加入団体である。
(2) このことは会員の職業選択の自由、結社の自由を制限することになるが、これは司法書士法が、司法書士の業務の適正を図り、国民の権利の保全に寄与することを目的とし(同法一条)、司法書士会が業務の改善を図るため会員の指導・連絡に関する事務を行う(同法一四条二項)という公共の福祉の要請による規制として許容されているのである。このように公的な性格を有する司法書士会は、株式会社等営利を目的とする法人とは法的性格を異にし、その目的の範囲も会の目的達成のために必要な範囲内で限定的に解釈されなければならない。
(3) 被上告人も社会的組織として相応の社会的役割を果たすべきものであり、本件拠出金の寄付も相当と認められる範囲においてその権利能力の範囲内にあると考えられる。ところで、本件決議当時、被上告人の会員は二八一名で年間予算は約九〇〇〇万円であり、経常費用に充当される普通会費は一人月額九〇〇〇円でその年間収入は三〇三四万八〇〇〇円であるから、本件拠出金は、被上告人の普通会費の年間収入にほぼ匹敵する額であり、被上告人より多くの会員を擁すると考えられる東京会の五〇〇万円、広島会の一〇〇〇万円、京都会の一〇〇〇万円の寄付に比して突出したものとなっている。これに加えて被上告人は本件決議に先立ち、一般会計から二〇〇万円、会員からの募金一〇〇万円とワープロ四台を兵庫県司法書士会に寄付している。司法書士会設立の目的、法的性格、被上告人の規模、財政状況(本件記録によれば、被上告人においては、平成七年一月頃、同年度の予算編成について、会費の増額が話題になったこともうかがえる。)などを考慮すれば、本件拠出金の寄付は、その額が過大であって強制加入団体の運営として著しく慎重さを欠き、会の財政的基盤を揺るがす危険を伴うもので、被上告人の目的の範囲を超えたものである。
3(1) 被上告人は2(1)のような性格を有する強制加入団体であるから、多数決による決定に基づいて会員に要請する協力義務にも自ずから限界があるというべきである。
(2) 本件決議は、本件拠出金の調達のために特別負担金規則を改正して、従前の取扱事件数一件につき二五〇円の特別負担金に、復興支援特別負担金として五〇円を加えることとしたのであるが、決議に従わない会員に対しては、会長が随時注意を促し、注意を受けた会員が義務を履行しないときはその一〇倍相当額を会に納入することを催告するほか、会則に、ア 被上告人の定める顕彰規則による顕彰を行わない、イ 共済規則が定める傷病見舞金、休業補償金、災害見舞金、脱会一時金の共済金の給付及び共済融資を停止し、既に給付又は貸付を受けた者は直ちにその額を返還しなければならない、ウ 注意勧告を行ったときは、被上告人が備える会員名簿に注意勧告決定の年月日及び決定趣旨を登載することなどの定めがあり、また、総会決議の尊重義務を定めた会則に違反するものとして、その司法書士会の事務所の所在地を管轄する法務局又は地方法務局の長に報告し(司法書士法一五条の六、一六条)、同法務局又は地方法務局の長の行う懲戒の対象(同条一二条)にもなり得るのである。
(3) 本件拠出金の寄付は、被上告人について法が定める本来の目的(同法一四条二項)ではなく、友会の災害支援という間接的なものであるから、そのために会員に対して(2)記載のような厳しい不利益を伴う協力義務を課することは、目的との間の均衡を失し、強制加入団体が多数決によって会員に要請できる協力義務の限界を超えた無効なものである。
4 以上のとおり、本件決議は、被上告人の目的の範囲を逸脱し、かつ、本件負担金の徴収は多数決原理によって会員に協力を求め得る限界を超えた無効なものであるから、これと異なる原判決は破棄し、被上告人の控訴は理由がないものとして棄却すべきである。

+反対意見
裁判官横尾和子の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件拠出金を寄付することは被上告人の目的の範囲外の行為であると考える。その理由は、次のとおりである。
司法書士法一四条二項は、「司法書士会は、司法書士の品位を保持し、その業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的とする。」と規定している。この定めは、基本的には、当該司法書士会の会員である同司法書士を対象とするものであるが、司法書士業務の改善進歩を図るために、被災した他の司法書士会又はその会員に見舞金を寄付することも、それが社会的に相当と認められる応分の寄付の範囲内のものである限り、司法書士会の権利能力の範囲内にあるとみる余地はある。しかしながら、原審が適法に確定した事実関係によれば、<1>本件決議がされた前後の被上告人の年間予算は約九〇〇〇万円であった、<2>本件決議以前に発生した新潟地震や北海道奥尻島沖地震、長崎県雲仙普賢岳噴火災害等の災害に対し儀礼の範囲を超える義援金が送られたことはない、<3>被上告人の会員について火災等の被災の場合拠出される見舞金は五〇万円である(共済規則一八条)というのであり、このような事実を考慮すると、後記のような趣旨、性格を有する本件の三〇〇〇万円の寄付は、社会的に相当と認められる応分の寄付の範囲を大きく超えるものであるといわざるを得ず、それが被上告人の権利能力の範囲内にあるとみることはできないというべきである。
原審が適法に確定した事実関係によれば、<1>本件決議の決議案の提案理由(平成七年二月一〇日ころ臨時総会の開催通知とともに被上告人の会員に送付された。)及び本件決議の行われた臨時総会議事録によれば、本件決議案の提案理由の中には、「被災会員の復興に要する費用の詳細は(中略)、最低一人当たり数百万円から千万円を超える資金が必要になると思われる。」との記載があり、被災司法書士事務所の復興に要する費用をおよそ三五億円とみて、その半額を全国の司法書士会が拠出すると仮定して被上告人の拠出金額三〇〇〇万円を試算していること等からすると、本件拠出金の使途としては、主として被災司法書士の事務所再建の支援資金に充てられることが想定されていたとみる余地がある、<2>本件拠出金については、その後、司法書士会又は司法書士の機能の回復に資することを目的とするものであるという性格付けがされていったとしても、前記のように試算した三〇〇〇万円という金額は変更されなかった、<3>本件拠出金の具体的な使用方法は、挙げて寄付を受ける兵庫県司法書士会の判断運用に任せたものであったというのであり、このような事実等によれば、本件拠出金については、被災した司法書士の個人的ないし物理的被害に対する直接的な金銭補てんや見舞金の趣旨、性格が色濃く残っていたものと評価せざるを得ない。
よって、本件拠出金を寄付することが被上告人の権利能力の範囲内であるとして上告人らの請求を棄却した原判決はこれを破棄し、上記と同旨の第一審の判断は正当であるから、被上告人の控訴は理由がないものとして棄却すべきである。
(裁判長裁判官 深澤武久 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 町田顯 裁判官 横尾和子)


憲法 日本国憲法の論じ方 Q11 ライフステージと人権


Q 人はいつ人になり、大人になるのか?
(1)人の生涯
(2)出生前の権利
(3)大人になる時期
+第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3  公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4  すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

Q 未成年者はなぜ権利を制限され、また保護されるのか?
(1)未成年者の特別扱い
+第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3  児童は、これを酷使してはならない。

・個別制約ごとに正当化根拠を。

(2)触法少年の匿名性
少年に権利として与えられたものではない。
少年の健全育成を図るという少年法の目的を達成するという公益目的と少年の社会復帰を容易にし、特別予防の実効性を確保するという刑事政策的配慮に根拠!

+判例(H15.3.14)長良川事件
理由
上告代理人古賀正義の上告受理申立て理由第一点について
1 本件は、上告人が発行した週刊誌に掲載された記事により、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたとする被上告人が、上告人に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めている事件である。
原審が確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 被上告人(昭和50年10月生まれ)は、平成6年9月から10月にかけて、成人又は当時18歳、19歳の少年らと共謀の上、連続して犯した殺人、強盗殺人、死体遺棄等の4つの事件により起訴され、刑事裁判を受けている刑事被告人である。
上告人は、図書及び雑誌の出版等を目的とする株式会社であり、「週刊文春」と題する週刊誌を発行している。
(2) 上告人は、名古屋地方裁判所に上記各事件の刑事裁判の審理が係属していた平成9年7月31日発売の「週刊文春」誌上に、第1審判決添付の別紙二のとおり、「『少年犯』残虐」「法廷メモ独占公開」などという表題の下に、事件の被害者の両親の思いと法廷傍聴記等を中心にした記事(以下「本件記事」という。)を掲載したが、その中に、被上告人について、仮名を用いて、法廷での様子、犯行態様の一部、経歴や交友関係等を記載した部分がある。

2 原審は、次のとおり判示し、被上告人の損害賠償請求を一部認容すべきものとした。
(1) 本件記事で使用された仮名A’は、本件記事が掲載された当時の被上告人の実名Aと類似しており、社会通念上、その仮名の使用により同一性が秘匿されたと認めることは困難である上、本件記事中に、出生年月、出生地、非行歴や職歴、交友関係等被上告人の経歴と合致する事実が詳細に記載されているから、被上告人と面識を有する特定多数の読者及び被上告人が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の読者は、A’と被上告人との類似性に気付き、それが被上告人を指すことを容易に推知できるものと認めるのが相当である。
(2) 少年法61条は、少年事件情報の中の加害少年本人を推知させる事項についての報道(以下「推知報道」という。)を禁止する規定であるが、これは、憲法で保障される少年の成長発達過程において健全に成長するための権利の保護とともに、少年の名誉、プライバシーを保護することを目的とするものであり、同条に違反して実名等の報道をする者は、当該少年に対する人権侵害行為として、民法709条に基づき本人に対し不法行為責任を負うものといわなければならない。
(3) 少年法61条に違反する推知報道は、内容が真実で、それが公共の利益に関する事項に係り、かつ、専ら公益を図る目的に出た場合においても、成人の犯罪事実報道の場合と異なり、違法性を阻却されることにはならず、ただ、保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却され免責されるものと解するのが相当である。
(4) 本件記事は、少年法61条が禁止する推知報道であり、事件当時18歳であった被上告人が当該事件の本人と推知されない権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益の擁護が強く優先される特段の事情を認めるに足りる証拠は存しないから、本件記事を週刊誌に掲載した上告人は、不法行為責任を免れない。

3 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 原判決は、本件記事による被上告人の被侵害利益を、(ア) 名誉、プライバシーであるとして、上告人の不法行為責任を認めたのか、これらの権利に加えて、(イ) 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか、その判文からは必ずしも判然としない
しかし、被上告人は、原審において、本件記事による被侵害利益を、上記(ア)の権利、すなわち被上告人の名誉、プライバシーである旨を一貫して主張し、(イ)の権利を被侵害利益としては主張していないことは、記録上明らかである。
このような原審における審理の経過にかんがみると、当審としては、原審が上記(ア)の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として、審理判断をすべきものと考えられる。
(2) 被上告人は、本件記事によって、A’が被上告人であると推知し得る読者に対し、被上告人が起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたと主張しているところ、本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれも被上告人の名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくない被上告人のプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、被上告人と面識があり、又は犯人情報あるいは被上告人の履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事が被上告人に関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、被上告人についてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。
したがって、上告人の本件記事の掲載行為は、被上告人の名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は、その限りにおいて是認することができる。
なお、【要旨1】少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ、本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって、本件記事は、少年法61条の規定に違反するものではない。
(3) ところで、本件記事が被上告人の名誉を毀損し、プライバシーを侵害する内容を含むものとしても、本件記事の掲載によって上告人に不法行為が成立するか否かは、被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し、個別具体的に判断すべきものである。すなわち、名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないのであるから(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)、本件においても、これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから(最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁)、本件記事が週刊誌に掲載された当時の被上告人の年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによって被上告人のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。
(4) 【要旨2】原審は、これと異なり、本件記事が少年法61条に違反するものであることを前提とし、同条によって保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却されると解すべきであるが、本件についてはこの特段の事情を認めることはできないとして、前記(3)に指摘した個別具体的な事情を何ら審理判断することなく、上告人の不法行為責任を肯定した。この原審の判断には、審理不尽の結果、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。この趣旨をいう論旨第一点の二は理由があり、原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。
そこで、更に審理を尽くさせるため、前記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 福田博 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄 裁判官 滝井繁男)

・将来の夢を追い求める可能性をより強く保障する。
→幸福追求権で。

Q 死と同時に人権享有主体性は失われるのか?
(1)人権は相続されるか
個人主義の理念→相続されなさそう。

(2)具体的検討
個人情報保護条例←自己情報コントロール権
情報公開条例←知る権利あるいは参政権

RQ

・ギャンブルをする権利
+判例(S25.11.22)
理由
弁護人山崎一男同遊田多聞の上告趣意について。
賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのであるこれわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならないことに賭場開張図利罪は自ら財物を喪失する危険を負担することなく、専ら他人の行う賭博を開催して利を図るものであるから、単純賭博を罰しない外国の立法例においてもこれを禁止するを普通とする。されば、賭博等に関する行為の本質を反倫理性、反社会性を有するものでないとする所論は、偏に私益に関する個人的な財産上の法益のみを観察する見解であつて採ることができない
しかるに、所論は、賭場開張図利の行為は新憲法施行後においては国家の中枢機関たる政府乃至都道府県が法律に因り自ら賭場開張図利と本質的に異なることなき「競馬」「競輪」の主催者となり、賭場開張図利罪乃至富籖罪とその行為の本質を同じくする「宝籖」を発売している現状からして、国家自体がこれを公共の福祉に反しない娯楽又は違法性若しくは犯罪性なき自由行為の範囲内に属するものとして公認しているものと観察すべく、従つて、刑法一八六条二項の規定は新憲法施行後は憲法一三条、九八条に則り無効となつた旨主張する。
しかし賭博及び富籖に関する行為が風俗を害し、公共の福祉に反するものと認むべきことは前に説明したとおりであるから、所論は全く本末を顛倒した議論といわなければならない。すなわち、政府乃至都道府県が自ら賭場開張図利乃至富籖罪と本質上同一の行為を為すこと自体が適法であるか否か、これを認める立法の当否は問題となり得るが現に犯罪行為と本質上同一である或る種の行為が行われているという事実並びにこれを認めている立法があるということだけから国家自身が一般に賭場開張図利乃至富籖罪を公認したものということはできない。それ故所論は採用できない。
よつて、旧刑訴四四六条に従い主文のとおり判決する。
以上は、裁判官栗山茂を除く裁判官の一致した意見である。

+意見
裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。
本件上告は次の理由で、不適法のものとして棄却さるべきものである。
裁判所の使命とする法律の解釈というのは、法律の政治的若しくは社会的価値即ち立法の是非の判断ではなく、法律上の訴訟の解釈に必要な法的判断を与えることである。このことは違憲法令審査の場合でも同様である。この場合にも当事者から憲法一一条にいう「この憲法が保障する基本的人権」(一二条にいう「この憲法が保障する自由及び権利」である)の中でどの自由又は権利が当該法律又はその条項によつて侵されているという主張即ち法律上の争訟があつて初めて裁判所は当該法律と憲法が保障している当該自由又は権利とについてそれぞれ解釈を試み、果して当該法律が憲法の当該保障に適合しているか否かを判断するのである。ここに初めて法律解釈としての法的判断があるのである。
もとより基本的自由及び権利は「この憲法が保障する自由及び権利」(憲法一一条及び一二条)以外に存しうるのは言うをまたない。米国憲法には「本憲法中に特定の権利を列挙した事実を以つて、人民の保持する他の権利を否認し又は軽視するものと解してはならない」という修正条項第九条がある。しかし「人民が保持する他の権利」が何であるかは結局裁判所が裁判で定めるか、それとも憲法の条項に追加するかによつて定めるの外はないのである。わが国においても少くとも当裁判所が裁判によつて定めない限り「この憲法が保障する自由及び権利」は憲法第三章に列挙されているものである。憲法が定める国会、内閣及び裁判所の各権限も、その権限の行使に対して憲法が保障する自由及び権利も、すべてこの憲法の定めるところによることは、いわゆる成文憲法の原則であつて、この原則は日本国憲法も他の国の成文憲法と同様に採用しているのは明である。そして憲法一一条一二条及び一三条は「この憲法が保障する自由及び権利」の保障そのものではなく、保障は一四条以下に列挙するものである。
以上の前提の下に、本件上告論旨を見ると、論旨は賭博行為乃至賭場開張図利の行為は公共の福祉に反するものでないと主張するだけであつて、上告人が賭場開張図利罪によつて処罰されるのは、刑法の当該条項が、この憲法が保障しているどういふ自由又は権利を侵す結果であるという主張と理由とを展開していないのである。もともと法律は国会が国政(公共の福祉もその一部である)に関する政策として制定するものであるから、かような上告論旨は立法の当否、本件では公共の福祉の判断を論議する政治的批判にすぎない。これに対する多数意見の説示は賭博行為乃至賭場開張図利行為に関する刑法規定の立法理由を説明しているのと異るところがないといえる。日本国憲法実施以来本件のように憲法一三条を楯にとつた上告論旨をしばしば見るのであるが同条は公共の福祉に適合しなければ違憲な法律であるという保障を与えているものではない。憲法のどこにも左様な保障はないのである。同条は寧ろ公共の福祉のために制定せられた法律ならば、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が制限せられる旨を規定しているのである。ここに公共の福祉というのは、観念論的な公共の福祉を言うのではない。例を挙げれば憲法二五条により国民をして健康で文化的な最低限度の生活を営ましめるに欠くべからざる立法は公共の福祉のためにされるものである。従て社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に関するものの如きはその模範的なものである。一口に言えば米法にいわゆる警察権(policepower)の仮訳である。)の作用によつて生命、自由及び幸福追求に関する権利、つまり契約の自由その他行動の自由及び財産権(憲法二二条、二九条二項参照)が制限せられることを是認した条項に外ならない。米国憲法修正条項第五条、第一四条にいういわゆる「法律の適正な手続」という辞句が立法行為に対する実体上の制限の保障にまで拡充解釈されてきた歴史は周知のとおりである。かような拡充解釈の結果、裁判所が法律解釈の末に拘泥して契約の自由その他財産権の行使の自由を過度に保護した結果となつて、政府の社会立法の実施が阻止されたため、いわゆるニウ、デイル立法の際に米国最高裁判所改組案までも論議せらるゝに至つた実例もまた周知のとおりである。こういう歴史を背景として日本国憲法の立案者は前記米国憲法にいう「法律の適正手続によらなければ、生命、自由若しくは財産を奪はれない」という規定を解体して一方にわが憲法三一条に単に「何人も法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれない」として「適正手続」の辞句を改め同時に財産の文字を削除し、財産権については二九条でその不可侵を保障するけれども、「財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」旨を規定したのである。そして、それと同時に一三条の概括的規定を設けたものであろう。立案者の周到な用意がうかがわれるのである。
そもそも国会が立法するにしても、常に最上の政策として立法するとは限らないことは言うまでもない。次善の策(最上は一つであるが次善となれば一つとは限らぬものである。)ではあるが、国の財政状態とか国家の実状とかの政治的考慮の下に政策として決定して法律によつて実行に移すのである。又次善の策にしても甲の政党はAの政策を次善とし、乙の政党はBの政策を次善とするけれども投票(政策の価値判断の表示である。)によつてAの政策が採択されるのである。裁判所はかような政策の価値判断に代るべき判断をどうしてできるであろうか。憲法は最上級の政策でなければ適憲でないとは保障していないのである。極論すれば公共の福祉に反する法律が制定された場合に、どうして阻止するかという説があるかもしれない。それは主権者である国民が国会又は内閣を打倒するより外にないことであつて、裁判所が法令審査権を以てしても主権者と並んで立つものではないはずである。こう考えて見ると、憲法一三条は立法権の作用と司法権の作用とを調整することを目標とした法令審査権の限界に関する原則を定めたものと言つてよいであろう。要するに、本件論旨のように公共の福祉に反するものでないという主張は国会え申出ずべき筋合のもので、裁判所え訴え出ずべき筋合のものではないのであるから、上告不適法の論旨たるを免れないと言うのである。
検察官堀忠嗣関与
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 澤田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)

+判例(H1.11.20)
理由
上告人の上告状及び上告理由書記載の上告理由について
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない。記録によれば、本件訴訟手続に所論の違法はなく、また、所論違憲の主張はその実質において法令違背を主張するものにすぎず、論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 奧野久之)


憲法 日本国憲法の論じ方 Q10 幸福追求権


Q 13条で規定する幸福追求権の理解はどのように変わっていったか
(1)幸福追求権の補充的機能

+第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

・個人の尊厳の原理と結びついて、人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在であり続けるうえで必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利である!

(2)包括的基本権条項と理解されるようになった背景

(3)幸福追求権の由来

・プライバシーの侵害に対する法的救済
+判例(S39.9.28)宴の後事件
理   由
一、争いのない事実
(一) 請求原因一のとおり小説「宴のあと」が連載され、のち単行本として刊行されたこと、同小説は請求原因二のような梗概のものであること、小説「宴のあと」が原告および畔上輝井の経歴のうち社会的に周知の事実ならびにニユースに着想し、ストーリーを構成し、創作されたものであること、したがつて同小説に登場する「野口雄賢」および「福沢かづ」に関する描写のなかには原告および畔上輝井の経歴、職業その他社会的活動と似通つた部分があること、(請求原因三(一)関係)原告の略歴および畔上輝井が「般若苑」の経営者であり、原告と結婚し、原告の選挙に際し尽力したこと。「般若苑」を売却しようとして果さなかつたこと、原告主張の怪文書が配布されたこと。都知事選挙で原告が敗れたのち畔上輝井は原告と離婚し「般若苑」を再開したこと(請求原因三(二)関係)、他方小説「宴のあと」には別紙「連想部分の指摘表」同「侵害箇所の指摘表」に挙げられた各描写があること、
(二) 「宴のあと」が単行本として刊行発売されるに際し、請求原因三(三)の(1)ような広告が出され、また被告佐藤、同新潮社が請求原因三(三)(2)、(3)のような広告をしたこと、
(三) 原告が昭和三五年八、九月頃小説「宴のあと」を連載中の中央公論社に対し、同小説を単行本として出版しないようにと申し入れたこと、また同年一〇月末頃被告新潮社に対しても同様の申し入れを行つたが、同被告はこれを拒み、同年一一月一五日付で単行本として出版したこと(請求原因六(一)、(二)関係)、の各事実は当事者間に争いがない。

二、小説「宴のあと」が発売されるまでの経緯
証拠(省略)を総合すると、
(一) 被告平岡は昭和三一年に戯曲「鹿鳴館」を発表した頃から政治と恋愛との衝突というようなテーマを小説としても展開してみたいと考えていたところ昭和三四年の春から夏にかかる頃中央公論社から連載小説の執筆の依頼を受けた。その当時たまたま原告の都知事選挙出馬とそれをめぐる様々な話題が新聞、雑誌等に現われ、とくに原告の選挙とそれをめぐる原告夫婦の破局が同被告のあたためてきたテーマを展開するのに好個の材料であると思われたので、すでに公開されていた原告およびその妻であつた畔上輝井の手記、談話の類その他の報道記事、刊行物等を資料として集める一方、小説の構想を練り、同年秋頃漸く、胸中に小説の決定的契機ともなるべきものをとらえることができたように思えた。そこで被告平岡は中央公論社に対し「般若苑のマダムについて右のようなテーマで書きたいが、それでよいか」とただしたところ、同社は「異存はないがあまりになまなましい事件であるから少くともモデルとされる畔上輝井さんに会つてその意向をうかがつたうえで掲載の運びにしたい」との意見を述べ、被告平岡も小説の構想が女主人公を中心に立てられていたので、その必要性を認め、中央公論社の社長嶋中鵬二、同社の担当記者青柳正己と共に料亭「般若苑」で畔上輝井に会つた。被告平岡はこの当時はまだ女主人公を中心に小説を展開し、男主人公は傍系としてとどめる構想であつた。
(二) 右席上で被告平岡は畔上輝井に対し、自分の念頭にあるのは政治と恋愛との対立というような主題で、私は小説の女主人公に非常に美しいイメージをいだいており、小説では一つの理想の姿、肯定的な人間像をあなたを通して描いてみたいという趣旨の話をしただけで、その構想の具体的な内容、梗概などは話題に上らず、また中央公論社側も小説の具体的な内容については被告平岡に委ねてあり、般若苑のマダムがモデルになるという程度にしかその構想を知つていなかつたので、原告との関係で本件小説がどのように展開されるかなどの問題については格別説明しなかつた。この申し入れに対し、畔上は自分がモデルにされることの可否については即答を留保し、原告の意向もたずねてみたいとの態度であつたが、被告平岡には会談の空気から推して彼女に本当の自分の姿を書いてもらいたいという気持が動いていたように推察された。そして被告平岡ないし中央公論社と畔上との間でこの件について何度か交渉があつて漸く同女もモデルとされることについて明確な承諾を与えたので、小説「宴のあと」は雑誌中央公論の昭和三五年一月号から同年一〇月号まで一〇回にわけて執筆連載される運びになつた。
(三) 原告は小説「宴のあと」が中央公論誌上に連載される前に、畔上輝井から電話で三島由紀夫という小説家が般若苑のことを小説に書きたいと申し入れてきたがどうしたものだろうかという趣旨の簡単な問い合わせを受けたが、そのときはすでに畔上と離婚していたので「その問題については私としては諾否いずれとも返事をしない、お前がどう処置するかは私の関係するところでない」という意味のこれまた簡単な応答に終始し、原告がその作品のモデルとされる余地、その場合の問題などについてはなんらの意見の交換、打合も行われず、また被告平岡ないし中央公論社側から原告に対しこの点について原告の意向を直接打診するような措置はとられなかつた。
(四)畔上輝井は右(二)で認定したように一旦は小説のモデルにされるとを承諾したけれども、「宴のあと」が中央公論誌上に半ばほど発表された頃すなわち連載の第六回分が発表された頃、中央公論社に対し手紙で、「軽卒に承諾したがあのように自分が淫らな女として扱われている小説は全く心外であり、迷惑であるから、「宴のあと」の掲載は中止してもらいたい」旨を申し入れ、その頃から被告平岡の許にも幾度か同趣旨の申し入れがあつた。しかし被告平岡は「小説は中途では否定的な箇所も現われるけれども結論として最後に残るイメージが重要なものであり、「宴のあと」も最後まで読んでもらえば肯定的な人間像として描かれていることが判るでしようから」と答え、連載中の同小説の執筆、発表を続けた。ただ中央公論社の方では、畔上から掲載中止の要求がくり返されるので、連載についてはすでに同女の承諾を得たうえでのことではあり、作品も芸術的に秀れたものであるからこれを中止することはできないけれども、この小説にはモデルがない旨の断り書を中央公論誌上にうたうことで、一応畔上の抗議に応えることにし、同女にもその線で了解を求め、昭和三五年八月号、同一〇月号にその趣旨の断り書を附した。
(五) 原告は「宴のあと」が中央公論誌上に連載されるようになつて暫くしてこの小説の中で原告もモデルとなつていることを知つたけれども、連載のはじめの数回を読んだところでは、とくに不快な感じもいだかなかつたので、安心していたが、回が進み同年四、五月頃からは原告をモデルにしたと覚しい男主人公「野口雄賢」の取り扱いに堪え難いものを感じるようになり、とりわけ「野口雄賢」と「福沢かづ」との間の肉体的交渉が描かれている部分や「野口雄賢」が「福沢かづ」を踏んだり蹴つたりする部分などには非常な不快感と憤怒を覚え、一時は連載を中止させたいとまで思つたが、すでに同小説も結末に近く、いまさらその連載の中止を要求したところで容れられる望みはないから、むしろ人の噂も七五日という諺もあることだしそのままにして騒ぎ立てない方が賢明であると判断し、中央公論誌上での連載については敢えて抗議を申し込まないでいた。
しかしその後になつてこの連載小説が完結したあかつきには、あらためて単行本として出版されるということを耳にしたので、原告も、眠つた子を起すような行為はどうしても阻止しなければならないと決意し、連載が完結する直前頃青野秀吉その他の友人知己に「宴のあと」の発表によつて蒙つている苦痛を話し、この人々を介してまず被告平岡に単行本として出版することを思いとどまつてもらいたい旨を働きかけ、さらに、出版の件で直接同被告と会つて話をしたいと吉田健一、高木健夫を介して申し入れたが、いずれも被告平岡の容れるところとならなかつた。そこで原告は昭和三五年八、九月頃出版を予定していた中央公論社の嶋中鵬二と会つて、この小説によつて原告が蒙る精神的苦痛、不快を縷々説明し、「宴のあと」がモデル小説でないといくら断り書をつけても受け取る方ではそうは取らないこと男主人公「野口雄賢」のような経歴を持つ者は原告一人であり、当然に一般の読者は「野口雄賢」が原告を指していると解釈すること、すでに政界を引退している原告の過去の問題をいまさら小説という形で公衆の前に引きずり出されるのは甚だ迷惑であることを訴え、単行本として出版することは思いとどまつてほしい旨を申し入れた。
(六) 右の申し入れに対し中央公論社長嶋中は原告が迷惑を蒙つていることに同情の念を示し、中央公論社としては「宴のあと」が芸術的に秀れた価値をもつているので出版したいけれども、原告が蒙る迷惑は最小限度にどどめたいと思う旨を答え、原告および被告平岡との間の話合による解決の途を残しておいて、あらためて被告平岡に会い、「宴のあと」の字句の訂正や単行本の発売を適当な時期まで延ばすというような方法で、いわば芸術家として許せる範囲で妥協できないものかとその意向を打診した。しかし被告平岡は、出版社がその主たる雑誌に一旦掲載した以上は、作家の味方になつて単行本として後世に残すよう努力してくれるべき責務があるのに、原告の肩を持ち過ぎること、発売時期を遅らせるというけれども、その時期を明示しないことなどの点で、中央公論社は出版社としての責務に欠けるところがあると反論し、結局両者の話し合いは物別れになつた。
(七) 被告新潮社は昭和三五年九月末頃被告平岡から、「中央公論社では単行本出版のふんぎりがつかないようなので、自分として同社からは出版したくない、ついては新潮社で出さないか」との問い合わせを受けた。被告新潮社はすでは中央公論誌上に連載されたときから「宴のあと」の芸術的価値を認めていたので、同小説が巷間にモデル問題で論議を巻き起しつつあつたこと、同小説を一読すれば原告と畔上輝井が男女主人公のモデルであることは容易に判ることなどは充分認識していたけれども、むしろ中央公論社が連載中に同小説にはモデルがないなどと断り書を附した態度の方が曖昧であつて、第一級の文芸作品であるとの確信がある以上はモデル小説で押し通してはばかるところはない、中央公論社の態度には文学に尽す立場の者として信念が弱いのではないかという意見の下に喜んで「宴のあと」を単行本として出版することを引き受けた。その結果被告平岡は中央公論社の了解を得て、ここに単行本の出版権は連載小説として掲載した中央公論社ではなく被告新潮社が取得するという事態を生じるに至つた。
(八) 原告はこの話を聞き前述した中央公論社の場合と同様に一〇月末頃から手紙およびその秘書を介して口頭で被告新潮社に対して「宴のあと」の出版を取り止めるよう強く訴えたが、被告新潮社はすでに同小説の出版を引き受けるときに、原告からこのような抗議が来るであろうことは予想していたところであり、前記(七)のとおり中央公論社のとつた措置には賛成できないとその態度を明らかにしていたので、原告のこの申し入れによつて既定の方針を左右するようなことは全くないどころか、「宴のあと」の広告にあたつては、むしろ積極的に正面からモデル小説であることをうたい、請求原因三(三)(1)(3)のような広告を出し、被告佐藤を発行者として昭和三五年一一月末にまず初版三万部を発売し、その後一万部を増刷発売したことがそれぞれ認定でき、これを左右する証拠はない。

三、「宴のあと」のモデルについて、
(一) すでに認定したように「宴のあと」は被告平岡が胸中にあたためていたテーマが原告の東京都知事選挙への立候補とその後の夫婦関係の破局という現実に発生した事件に触発されて小説という形式で具体化されたものであるが、被告平岡公威尋問の結果によれば、被告平岡の意図したところは、政治的な理念と人間的な真実としての恋愛とが、ある局面で非常に悲劇的に衝突し、そこに人間の美しい真実が火花のようにひらめき現れるということ、別な表現でいえば全く純粋な人間の魂と魂がじかに触れ合うということは、非常に難しく、様々の外的な条件が制約となつてその触れ合いを妨げ、そこに起るギヤツプがいつも人間の悲劇を生み出すという思想に立つて、たまたまその年の春、すなわち昭和三四年四月の都知事選挙を契機として社会的にも関心を惹いた原告と畔上輝井との間の夫婦の問題を、その主題を展開させる好個の材料と判断し、このような社会的に著名な事件を素材として借りながら、小説としての構想をめぐらすにあたつては、男女の主人公にそのモチーフを展開するにふさわしい性格と肉づけを与えようと試みたこと、したがつて、「宴のあと」の描写で原告がプライバシーの侵害として指摘する部分のごときは、被告平岡が小説家として本件小説のためは創作した情景であつて、原告のいわゆる「侵害箇所の指摘表」に指摘されているような「野口雄賢」および「福沢かづ」に関する描写と同一の行為、感情が原告または畔上輝井に生起したかどうかは被告等の全く関知しないところであつたことを認めることができ、右の指摘表にあるような描写に対応する事実が現実に生起したものであること換言すれば、本件小説の描写が原告や畔上の行動を敷き写しにしたものであることを認めさせるような証拠は存在しない。
(二) このように本件小説はいわゆる暴露小説、実録小説などのように実在し、あるいは実在した特定の人物の私行を探り出しこれを公開しようとする意図の下に書かれた小説とは、その制作の動機および表現された内容において異質のものであることは否定できないところであり、本件小説の発表、刊行をもつて写真、報道記事の類もしくはいわゆる暴露小説、内幕物の類によつて他人の私生活、秘事を暴露、公開する行為と同一視することは正当ではない
しかし小説が写真や報道記事などと異り作家のフイクシヨン(創作)によつて支えられているものであるとしても、いわゆるモデル小説と呼ばれるものについて、そのモデルを探索し考証することが一つの文学的研究とさえなつていることは公知の事実であり、まして小説の一般の読者にとつてはモデルとされるものが読者の記憶に生々しければ生々しいほどその小説によせるモデル的興味(実話的興味と言い換えることもできよう)も大きくならざるを得ないのが実情であり、そうなればなるほどモデル小説といわれるものは小説としての文芸的価値以外のモデル的興味に対して読者の関心が向けられるという宿命にあることもみやすいところである。
(三) しかも「宴のあと」が発表されたのは、原告が出馬した昭和三四年四月の東京都知事選挙から僅に一年前後を経過した時であり、同選挙がいわゆる般若苑マダム物語という怪文書事件や原告と畔上輝井との離婚事件、般若苑の売却、再開問題などでとくに世人の印象に深かつたことは公知の事実であるから、このような社会的な状況の下に、原告の主要経歴、政治的地位、選挙活動および畔上輝井の職業、両者の夫婦関係の破綻といつた事実をそのまま借りて「宴のあと」の主人公である「野口雄賢」および「福沢かづ」を設定する際に利用している以上は、この小説の読者が「野口雄賢」から原告を、「福沢かづ」から畔上輝井を連想することは避けられないところであり、被告平岡公威もその尋問の結果の中でこのことを肯定している。(なおすでに指摘したとおり「野口雄賢」および「福沢かづ」の描写のうちその経歴、職業、社会的活動が原告および畔上輝井のそれに着想したもので、したがつて彼此酷似するところが多いことは被告等も認めるところである。)このように昭和三四年四月の都知事選挙をめぐる公知の事実と原告が別紙「連想部分の指摘表」に挙示した本件小説中の各描写部分(ただしB項を除く)とを対照し、これに(中略)の各証拠を総合すれば「野口雄賢」および「福沢かづ」がそれぞれ原告および畔上輝井をモデルとしたものであることと一般の読者にも察知させるに充分な内容のものであつたことが認定でき、この意味において「宴のあと」がモデル小説であることは否定できない。しかも「宴のあと」が発表、刊行された時期および社会的な状況が前述のとおりであるところ、このように世人の記憶に生々しい事件を小説の筋立に全面的に使用しているため、一般の読者が小説のモデルを察知し易いことは原告の実名を挙げた場合とそれほど大きな差異はないといつても過言ではない。以上の判断を左右する証拠はない。

四、小説のモデルとプライバシー
(一) すでに認定したとおり、原告がプライバシーの侵害として挙示する描写はいずれも原告の現実の私生活を写したものではなく、被告平岡のフイクシヨンになるものと認められ、そのかぎりでは「宴のあと」が原告の私生活を暴露、公開したとはいえない
1 しかしモデル小説の一般の読者にとつて、当該モデル小説のどの叙述がフイクシヨンであり、どの叙述が現実に生起した事象に依拠しているものであるかは必ずしも明らかではないところから、読者の脳裏にあるモデルに関する知識、印象からら推して当該小説に描写されているような主人公の行動が現実にあり得べきことと判断されるかぎり、そのあり得べきことに関する叙述が現実に生起した事象に依拠したものすなわちフイクシヨンではなく実際にもあつた事実と誤解される危険性は常に胚胎しているものとみなければならない。ましてモデル小説の執筆にあたつて作家が当該モデルに関する様々の資料を入手し、執筆の参考に供していることは読書人の常識となつている実情にあるから、モデル小説の読者の既成の知識にない事柄の叙述が出てきた場合にこれを悉く作家のフイクシヨンと受け取るとはとうてい期待できないところであり、叙述された事象が読者のモデルに関する知識イメージなどから推して信じ難いようなものであれば別であるが、あり得べきことであるかぎり一般的には読者のモデルに対する好奇心、詮索心によつて助長されてフイクシヨンと事実の判別は極めて難しくなるであろうことは明らかである。もつとも、作者がそのような叙述の内容となつた事実についてなんらの資料、知識をも有しないことが一般の読者にも明らかであれば、全くのフイクシヨンであることは読者にとつても明らかであろうけれども、本件ではそのような事情が存在したことを窺うに足る証拠はない。しかも被告平岡公威尋問の結果によつても明らかなとおり、被告平岡は「宴のあと」の構想、執筆にあたつて、小説の背景には現実感が必要であり、原告および畔上輝井をモデルとする以上は両者に関する公知の事実を小説上でわざわざ舞台を変えて設定することはかえつて不自然な感じを与えるから、小説の舞台は現実らしきものを設定して書かなければならないと考えていたことが認められるから、このような技法が一般の読者をして事実とフイクシヨンとの境界をますます判別し難くさせたであろうことは察するに難くない。(もし事実とフイクシヨンが水と油のように分離して何人にもその区別が明らかな小説があるとすれば、そのような小説ではいわゆるモデルのプライバシーの問題は起り得ないであろう。)
2 そしてモデル小説というものは必ずしも常に小説としての文芸的価値の面でのみ読者の興味を惹くとはかぎらず、モデルの知名度言葉を換えればモデルに対する社会の関心が高ければ高いだけ、モデル的興味(実話的もしくは裏話的興味)が読者の関心を唆る傾向にあることは否定できないところであり、このようなモデル小説は、味わうために読まれるばかりでなく知るために読まれる傾向が作者の意図とは別に否応なく生じるものである。これが小説の正しい読み方であるかどうかの論議は別としてこのようなモデル的興味は好奇心、詮索癖という人間の心理的な特質に由来するかぎりにわかに消滅し去るものではない。いわんや被告新潮社、同佐藤が「宴のあと」を単行本として発売するに当つて行つた広告であることに争いがない請求原因三(三)の各事実およびこれらの広告である成立に争いない甲第一ないし五号証を総合すれば被告新潮社が内心どのように「宴のあと」を評価していたかは別として、モデル的興味を惹き起すことに広告効果の重点が置かれていたものと認めざるを得ないのであり、モデル小説においては、このようなモデル的興味が潜在しているからこそ、このような広告効果を期待できるわけであり、それもモデルの知名度が高ければ高いほど大きいことは明らかである。そして作者の被告平岡自身もこのような広告がますます原告の憤満をかうであろうことが予想できた旨同被告本人尋問の結果中で供述している。被告佐藤亮一尋問の結果も右の認定を左右するに至らず他に反証はない。とくに「宴のあと」の発表、刊行は原告の都知事選挙出馬とその後の離婚といつた社会的に著名な事件の発生から僅に一年前後を経過したにすぎない時であり、当時なお原告と畔上輝井の夫婦関係の破綻は世人の記憶に生々しく、週刊誌等でも大きく取り上げられたことは成立に争いない乙第一ないし八号証の各一、二にまつまでもなく公知の事実であつたから、モデルが原告および畔上輝井(もしくは般若苑のマダム)であることの確信とそれに支えられたモデル的興味とは今日とは比較にならないほど強かつたことは想像するに余りがある。
3 このようにモデル小説におけるプライバシーは小説の主人公の私生活の描写がモデルの私生活を敷き写しにした場合に問題となるものはもちろんであるが、そればかりでなく、たとえ小説の叙述が作家のフイクシヨンであつたとしてもそれが事実すなわちモデルの私生活を写したものではないかと多くの読者をして想像をめぐらさせるところに純粋な小説としての興味以外のモデル的興味というものが発生し、モデル小説のプライバシーという問題を生むものであるといえよう。
4 これまで判断したように、「宴のあと」の中で原告がプライバシーの侵害として指摘するような私生活の各描写はいずれも被告平岡のフイクシヨンであると認めざるを得ないけれども、原告の消息に特に通じた者を除けば、一般の読者は、そのフイクシヨンと事実とを小説の叙述のうえで明確に識別することは難しく、とくに「宴のあと」にあつては読者にとつて既知の事実が極めて巧に小説の舞台に織り込まれているだけに、作者の企図した「現実感」という効果が読者に強く迫り、迫真性を帯びて来ることと、この小説がモデルおよび事件に対する世人の記憶がまだ生々しい間に発表されたという時間的要素とが相乗的に作用し、モデル的興味を唆ると同時に本来なら主人公の私生活の叙述であるにすぎないものがモデルである原告および畔上輝井の私生活を写しまたはそれに着想した描写ではないかと連想させる結果を招いていたことは否定できないところと認められ、このような受け取られ方が、モデル小説、私小説をも含めて小説本来の正しい味わい方であるかどうかは別として、主人公の私生活ないし心理の描写はすべて作者のフイクシヨンであるとか読者にとつて既知の事実でない部分はすべてフイクシヨンであると受け取られるほどには、今日のモデル小説に対する関心、興味は純化されていないと考えられ、いわばこれがモデル小説の今日おかれている社会的な環境ということができ、「宴のあと」の発表方法もその例外であることはできない。
(二) したがつて、小説「宴のあと」が発表されたため、作者の本来の意図とは別に、そこに展開されている主人公「野口雄賢」の私生活における様々の出来事の叙述の全部もしくは一部が実際に原告の身の上に起つた事実ではないかと推測する読者によつて原告は好奇心の対象となり、いわれなくこれら読者の揣摩臆測の場に引き出されてしまうのであり、これによつて原告が心の平穏を乱され、精神的な苦痛を感じたとしてもまことに無理からぬものがあるといわなければならない。そしてこのようなことによつて原告が受ける不快の念は、小説に叙述されたところが真実に合致していると否とによつてさしたる径庭はない。(むしろ虚構の事実である場合の方が臆測をたくましくされたという感じをいだく点でより不快の念を覚えることさえ考えられないではない。) 
この点については、成立に争いない甲第二八号証の一、二、および証人嶋中鵬二の証言、原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、「宴のあと」の描写のなかで原告がとくに強く不快の念をいだいた点は、(イ)妻を踏んだり蹴つたりする場面が詳細に叙述されていること(一六六頁ないし一七〇頁)、(ロ)寝室での行為、心理の描写(とくに一三五頁、一三六頁など)、(ハ)妻が料亭の再開にあたつて政敵から金銭的な援助を得たような描写の三点で、このほか「野口雄賢」と「福沢かづ」夫婦の生活のあとを叙述する部分とくに接吻などの場面についても程度の差はあるが、それが原告と畔上輝井の夫婦の間に起つた出来事として受け取られるおそれがあることを思うときは、羞恥ないし不快の念を禁じることができなかつたこと、なかんずく原告が憲法擁護国民連合に関与していたこともあつて、(イ)のように女性を足にかけるような描写にはとくに強い憤満を感じたし、また総体的にも、原告は都知事選挙を最後に政界から引退し、余生を平穏に送るべく念願していたところに、「宴のあと」が発表され、再び公衆の面前に自分の全身をさらけ出されたような気持で、堪え難い苦痛を覚えたことが窺い知られ他に反証はない。これによれば原告がとくに不快ないし羞恥、嫌悪の念を覚えたという(イ)(ロ)の部分およびこれにまつわる「野口雄賢」と「福沢かづ」の私生活の描写(とくに二二七頁ないし二二九頁)については、それがたとえ小説という形式で発表され、したがつて当然に作者のフイクシヨンないし潤色が施されていることが考えられるものであるにしても通常人の感受性を基準にしてみたときになお、原告がその公開を望まない感情は法律上も尊重されなければならないものと考える。
(三) もつとも、被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがつて法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよつて立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによつてはじめて確実なものとなるのであつて、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであつて、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法一条一項二三号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあることは明らかであり、また民法二三五条一項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法一三条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。
ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。 
(四) 右に判断したように、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法七〇九条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。
そしてここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもつて当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきであるけだし、このような公開によつても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。むしろプライバシーの侵害は多くの場合、虚実がないまぜにされ、それが真実であるかのように受け取られることによつて発生することが予想されるが、ここで重要なことは公開されたところが客観的な事実に合致するかどうか、つまり真実か否かではなく、真実らしく思われることによつて当該私人が一般の好奇心の的になり、あるいは当該私人をめぐつてさまざまな揣摩臆測が生じるであろうことを自ら意識することによつて私人が受ける精神的な不安、負担ひいては苦痛にまで至るべきものが、法の容認し難い不当なものであるか否かという点にあるものと考えられるからである。
そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによつて心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。すでに論じたようにプライバシーはこれらの法益とはその内容を異にするものだからである。
このように解せられるので、右に指摘したところに照らしても、本件「宴のあと」は少くとも前記(二)末尾で説示した範囲では原告のプライバシーを侵害したものと認めるのが相当である。(原告が掲げる侵害個所の指摘表挙示のその他の叙述については、後に判断する。)

五、違法性阻却事由について
プライバシーの保護がさきに指摘したような要件の下に認められるものとすれば、他人の私生活を公開することに法律上正当とみとめられる理由があれば違法性を欠き結局不法行為は成立しないものと解すべきことは勿論である。
(一) しかし、小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのことが当然にプライバシー侵害の違法性を阻却するものとは考えられない。それはプライバシーの価値と芸術的価値(客観的な基準が得られるとして)の基準とは全く異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである。それゆえたとえば無断で特定の女性の裸身をそれと判るような形式、方法で表現した芸術作品が、芸術的にいかに秀れていても、この場合でいえば通常の女性の感受性を基準にしてそのような形での公開を欲しないのが通常であるような社会では、やはりその公開はプライバシーの侵害であつて、違法性を否定することはできない。もつともさきに論じたとおりプライバシーの侵害といえるためには通常の感受性をもつた人がモデルの立場に立つてもなお公開されたことが精神的に堪え難いものであるか少くとも不快なものであることが必要であるから、このような不快、苦痛を起させない作品ではプライバシーの侵害が否定されるわけでありまた小説としてのフイクシヨンが豊富で、モデルの起居行動といつた生の事実から解放される度合が大きければ大きいほど特定のモデルを想起させることが少くなり、それが進めばモデルの私生活を描いているという認識をもたれなくなるから、同じく侵害が否定されるがそのような例が芸術的に昇華が十分な場合に多いであろうことは首肯できるとしても、それは芸術的価値がプライバシーに優越するからではなく、プライバシーの侵害がないからにほかならない。
(二) また被告等は言論、表現の自由の保障がプライバシーの保障に優先すべきものであると積極的主張二のとおり主張するけれども、本件についてはその主張するところは正当でない。もちろん小説を発表し、刊行する行為についても憲法二一条一項の保障があることはその主張のとおりであるが、元来、言論、表現等の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれが優先するという性質のものではなく、言論、表現等は他の法益すなわち名誉、信用などを侵害しないかぎりでその自由が保障されているものである。このことはプライバシーとの関係でも同様であるが、ただ公共の秩序、利害に直接関係のある事柄の場合とか社会的に著名な存在である場合には、ことがらの公的性格から一定の合理的な限界内で私生活の側面でも報道、論評等が許されるにとどまり、たとえ報道の対象が公人、公職の候補者であつても、無差別、無制限に私生活を公開することが許されるわけではない。このことは文芸という形での表現等の場合でも同様であり、文芸の前にはプライバシーの保障は存在し得ないかのような、また存在し得るとしても言論、表現等の自由の保障が優先さるべきであるという被告等の見解はプライバシーの保障が個人の尊厳性の認識を介して、民主主義社会の根幹を培うものであることを軽視している点でとうてい賛成できないものである。
(三) 被告等は原告が右にいう公的存在であつたことを理由に侵害行為に違法性がないと主張する。
なるほど公人ないし公職の候補者については、その公的な存在、活動に附随した範囲および公的な存在、活動に対する評価を下すに必要または有益と認められる範囲では、その私生活を報道、論評することも正当とされなければならないことは前述のとおりであるが、それにはこのような公開が許容される目的に照らして自ら一定の合理的な限界があることはもちろんであつて無差別、無制限な公開が正当化される理由はない。とくに私生活の公開が公人ないし公職の候補者に対する評価を下すための資料としてなされるものであるときはその目的の社会的正当性のゆえに公開できる範囲が広くなることが肯定されるであろうけれども、本件のように、都知事選挙から一年前後も経過し、原告がすでに公職の候補者でなくなり、公職の候補者となる意思もなくなつているときに、公職の候補者の適格性を云々する目的ではなく、もつぱら文芸的な創作意慾によつて他人のプライバシーを公開しようとするのであれば、それが違法にわたらないとして容認される範囲はおのずから先の例よりも狭くならざるを得ない道理であり、おおむねその範囲は、世間周知の事実および過去の公的活動から当然うかがい得る範囲内のことがらまたは一般人の感受性をもつてすれば、被害意識を生じない程度のことがらと解するのが妥当である。
そうであれば先に四(四)末尾で認定したような部分は、原告が被告等主張のような公的経歴を有していること(この点は争いがない)を考慮に入れてもなお原告が受忍すべき範囲を越えたものとして、そのプライバシーの侵害は違法なものと認められる。(もつとも侵害箇所の指摘表で原告が挙げるその他の部分は右に挙げた基準に照らし未だ原告のプライバシーを侵害したと認めるに充分ではない。なお、同表で侵害した部分として原告が挙げるもののうち野口雄賢に関する叙述がなく「福沢かづ」の心理、挙動を中心に描写した部分たとえば一四〇頁、一四一頁、一五九頁、二三九頁、二七五頁ないし二七七頁などについて、原告は、妻の私行や妻の肉体の描写も夫である原告のプライバシーを侵害したことになると主張するけれど、両者は別個の人格であるから、原告に関する叙述がないかぎり原告のプライバシーを侵害したとは認め難い。)これらの判断を覆すに足る証拠はない。
(四) さらに被告等は「宴のあと」の執筆について原告が承諾を与えていたと主張するけれども、これを認めるに充分な証拠はない。≪中略≫
(五) なお被告平岡は右に認定したとおり少くとも「宴のあと」を中心公論誌上に連載してからかなりの間は原告も承諾を与えてくれたものと誤信していたのであるから、直接原告に承諾を求めるとかあるいは畔上その他第三者に明確に原告の承諾を得てもらいたい旨を依頼するなどの積極的な措置を講じないまま、このように誤信した点で過失の責任は免かれないとしても、故意はなかつたものと認めるのが相当である。しかし前記二(五)で認定したところから、被告平岡は「宴のあと」の連載が完結する頃には原告が承諾を与えていなかつたことを察知できたものと認められるから、本件で問題とされる被告新潮社からの単行本としての出版については他の両被告と共に故意があつたものと認めて妨げない。
被告佐藤及び被告新潮社は「宴のあと」が中央公論社に連載された後に単行本として刊行される段階において関与するに至つたものではあるが、前認定の事情の下で原告からの出版の中止方の要請に対してこれを拒みモデル小説としての広告を敢てなした上で単行本として出版したものであるから被告平岡のなした原告のプライバシー権の侵害行為に加担したものというべく、被告平岡と共同して出版により新に原告に精神的苦痛をあたえたものといえるから被告平岡と共に原告のプライバシー権の侵害による損害賠償義務あるものと解するのが相当である。
六、請求の当否について
(一) 以上判断したとおり、被告等の主張は結局採用することができないので、被告等は「宴のあと」の発表及び単行本としての出版によつて原告が蒙つたプライバシーの侵害に対し損害を填補すべき義務があるものといわなければならない。
原告は本件損害の賠償請求として、謝罪広告および金銭による損害賠償の二つを請求するけれども、私生活(私事)がみだりに公開された場合に、それが公開されなかつた状態つまり原状に回復させるということは、不可能なことであり名誉の毀損、信用の低下を理由とするものでない以上は、民法七二三条による謝罪広告等は請求し得ないものと解するのが正当である。
(二) そこで金銭賠償の請求について判断すると、原告が本件「宴のあと」の発表及び単行本としての出版によつて蒙つた精神的な不安、苦痛は前記二(五)、四(二)、(四)で認定したとおりであること、しかしながら「宴のあと」が中央公論誌上に連載される過程では、被告平岡に署名入りの自著を贈呈したり、また連載分について承認を与えたわけではないが積極的に抗議もしなかつたというような事情があつて、被告平岡をして、原告の承諾があつたかのように誤信させると同時に、これによつて被告新潮社から単行本として発売される以前に、すでに「宴のあと」は広く発表されていたこと、他方、被告新潮社および被告佐藤は前記二(七)、(八)、四(一)、2で認定したように、出版業に従事する者としての信念に基づくとはいうものの原告の重ねての出版中止の要求を拒否し、そのうえ積極的にモデル小説であることを広告したというより、モデル的興味を喚起するのが主眼であるとしか考えられないような広告を出すことによつて、とくに世人の注意を惹き、原告のプライバシーに対する侵害を著しくしたこと、そして被告新潮社が出版した部数は合計四万部に達することその他本件で認定した諸事実を合せ考えると、「宴のあと」を執筆し発表し出版をさせた点で被告平岡の責任が最も大きいもののようにもみえるが、プライバシーの侵害という観点からみれば、被告新潮社の販売方針とみられる前示のような広告の内容が著しく影響していることは看過することができない事実である。このような点を考慮すれば、中央公論誌上に発表した点で被告平岡の行為は他の被告等よりも侵害の態様、期間において大きい(この部分については被告新潮社および被告佐藤は関与していない)けれども、その他の被告等の責任との間に結局甲乙はないものというべく被告等は連帯して原告の受けた精神的苦痛を慰藉するに要する金員として八〇万円を支払うべき義務があると認めるのが相当である。この損害額の算定を左右するに足る証拠はない。
七、結論
以上のとおり判断されるので、本訴請求のうち慰藉料の支払を求める部分は八〇万円およびこれに対する各訴状送達の後であること記録上明らかな昭和三六年三月二六日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の範囲で認容し、その余の部分および謝罪広告を命じる請求はいずれも棄却することとし、民事訴訟法九二条九三条一項但書、一九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石田哲一 裁判官滝田薫 裁判官山本和敏は転官のため署名捺印できない。)

+判例(S44.12.24)京都府学連事件
理由
被告人本人の上告趣意二のうち、および弁護人青柳孝夫の上告趣意第一点のうち、昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「本条例」という。)が、憲法二一条に違反するという主張について。
本条例が、道路その他屋外の公共の場所で、集会もしくは集団行進を行なおうとするときまたは場所のいかんを問わず集団示威運動を行なおうとするときは、公安委員会の許可を受けなければならないと定め、これらの集団行動(以下単に「集団行動」という。)を事前に規制しようとするものであることは所論のとおりである。しかしながら、本条例を検討すると、同条例は、集団行動について、公安委員会の許可を必要としているが(二条)、公安委員会は、集団行動の実施が「公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない。」と定め(六条)、許可を義務づけており、不許可の場合を厳格に制限しているのである。
そして、このような内容をもつ公安に関する条例が憲法二一条の規定に違反するものでないことは、これとほとんど同じ内容をもつ昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例についてした当裁判所の大法廷判決(昭和三五年(あ)第一一二号同年七月二〇日判決、刑集一四巻九号一二四三頁)の明らかにするところであり、これを変更する必要は認められないから、所論は理由がない。同弁護人の上告趣意第一点のうち、本条例が憲法三一条に違反するとの主張について。
所論は、本条例は、許可を与える際必要な条件をつけることができると定め(六条)、この条件に違反し、または違反しようとする場合には、警察本部長が、その主催者、指導者もしくは参加者に対し警告を発し、その行動を制止することができ(八条)、更に、条件違反の場合には、主催者、指導者等を処罰することができる旨定めている(九条)が、このように、右条件の内容の解釈および条件違反の判定をすべて警察に委ねている点で、適法手続を定めた憲法三一条に違反し、また、条件を取締当局に都合のよいように定めることを許している点でも、白地刑法を禁止した同条に違反する旨主張する。
しかし、本条例六条一項但書は、公安委員会の付しうる条件の範囲を定めており、これに基づいて具体的に条件が定められ、これが主催者または連絡責任者に通告され(六条二項、同条例施行規則五条)、この具体化された条件に違反した行為が、警告、制止および処罰の対象となるのであつて、所論のように取締当局がほしいままに条件を定めることを許しているものではなく、犯罪の構成要件が規定されていないとかまたは不明確であるとかいうことはできない。そうすると、所論違憲の主張は、その前提を欠くことになり、適法な上告理由とならない。

被告人本人の上告趣意三の(4)について。
所論は、本人の意思に反し、かつ裁判官の令状もなくされた本件警察官の写真撮影行為を適法とした原判決の判断は、肖像権すなわち承諾なしに自己の写真を撮影されない権利を保障した憲法一三条に違反し、また令状主義を規定した同法三五条にも違反すると主張する。
ところで、憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。
これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならないしかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない
そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである
これを本件についてみると、原判決およびその維持した第一審判決の認定するところによれば、昭和三七年六月二一日に行なわれた本件A連合主催の集団行進集団示威運動においては、被告人の属するB大学学生集団はその先頭集団となり、被告人はその列外最先頭に立つて行進していたが、右集団は京都市a区b町c約三〇メートルの地点において、先頭より四列ないし五列目位まで七名ないし八名位の縦隊で道路のほぼ中央あたりを行進していたこと、そして、この状況は、京都府公安委員会が付した「行進隊列は四列縦隊とする」という許可条件および京都府中立売警察署長が道路交通法七七条に基づいて付した「車道の東側端を進行する」という条件に外形的に違反する状況であつたこと、そこで、許可条件違反等の違法状況の視察、採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務の巡査Cは、この状況を現認して、許可条件違反の事実ありと判断し、違法な行進の状態および違反者を確認するため、木屋町通の東側歩道上から前記被告人の属する集団の先頭部分の行進状況を撮影したというのであり、その方法も、行進者に特別な受忍義務を負わせるようなものではなかつたというのである。
右事実によれば、C巡査の右写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものてあつて、しかも多数の者が参加し刻々と状況が変化する集団行動の性質からいつて、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであつたと認められるから、たとえそれが被告人ら集団行進者の同意もなく、その意思に反して行なわれたとしても、適法な職務執行行為であつたといわなければならない
そうすると、これを刑法九五条一項によつて保護されるべき職務行為にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決の判断には、所論のように、憲法一三条、三五条に違反する点は認められないから、論旨は理由がない。
被告人本人のその余の上告趣意は、憲法違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
同弁護人のその余の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、同条の上告理由にあたらない。
よつて、同法四〇八条、一八一条一項本文により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

Q 13条の保障する権利の考え方にどのような対立があるか
(1)対立する2つの考え方
一般行為自由説
=人間のあらゆる生活領域に関する行為
人格的利益説
=個人の人格的生存に不可欠な利益

(2)両説の前提とする人間観

Q 13条は具体的にどのような権利を保障しているのか?
(1)プライバシーの権利

+判例(S61.6.11)北方ジャーナル
理由
一 上告人の上告理由第一点(4)について
憲法二一条二項前段は、検閲の絶対的禁止を規定したものであるから(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)、他の論点に先立つて、まず、この点に関する所論につき判断する。
憲法二一条二項前段にいう検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきことは、前掲大法廷判決の判示するところである。ところで、一定の記事を掲載した雑誌その他の出版物の印刷、製本、販売、頒布等の仮処分による事前差止めは、裁判の形式によるとはいえ、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるとされているなど簡略な手続によるものであり、また、いわゆる満足的仮処分として争いのある権利関係を暫定的に規律するものであつて、非訟的な要素を有することを否定することはできないが、仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであつて、右判示にいう「検閲」には当たらないものというべきである。したがつて、本件において、札幌地方裁判所が被上告人Aの申請に基づき上告人発行の「ある権力主義者の誘惑」と題する記事(以下「本件記事」という。)を掲載した月刊雑誌「北方ジヤーナル」昭和五四年四月号の事前差止めを命ずる仮処分命令(以下「本件仮処分」という。)を発したことは「検閲」に当たらない、とした原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

二 上告人のその余の上告理由について
1 論旨は、本件仮処分は、「検閲」に当たらないとしても、表現の自由を保障する憲法二一条一項に違反する旨主張するので、以下に判断する。
(一) 所論にかんがみ、事前差止めの合憲性に関する判断に先立ち、実体法上の差止請求権の存否について考えるのに、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償(民法七一〇条)又は名誉回復のための処分(同法七二三条)を求めることができるほか、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。
(二) しかしながら、言論、出版等の表現行為により名誉侵害を来す場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法一三条)と表現の自由の保障(同二一条)とが衝突し、その調整を要することとなるので、いかなる場合に侵害行為としてその規制が許されるかについて憲法上慎重な考慮が必要である。
主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもつて自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているのであるから、表現の自由、とりわけ、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないものであり、憲法二一条一項の規定は、その核心においてかかる趣旨を含むものと解される。もとより、右の規定も、あらゆる表現の自由を無制限に保障しているものではなく、他人の名誉を害する表現は表現の自由の濫用であつて、これを規制することを妨げないが、右の趣旨にかんがみ、刑事上及び民事上の名誉毀損に当たる行為についても、当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものである場合には、当該事実が真実であることの証明があれば、右行為には違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実であると誤信したことについて相当の理由があるときは、右行為には故意又は過失がないと解すべく、これにより人格権としての個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和が図られているものであることは、当裁判所の判例とするところであり(昭和四一年(あ)第二四七二号同四四年六月二五日大法廷判決・刑集二三巻七号九七五頁、昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)、このことは、侵害行為の事前規制の許否を考察するに当たつても考慮を要するところといわなければならない。
(三) 次に、裁判所の行う出版物の頒布等の事前差止めは、いわゆる事前抑制として憲法二一条一項に違反しないか、について検討する。
(1) 表現行為に対する事前抑制は、新聞、雑誌その他の出版物や放送等の表現物がその自由市場に出る前に抑止してその内容を読者ないし聴視者の側に到達させる途を閉ざし又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるをえないこと等から事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられるのであつて、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し検閲を禁止する憲法二一条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうるものといわなければならない
出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法二一条一項の趣旨(前記(二)参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであり、このように解しても上来説示にかかる憲法の趣旨に反するものとはいえない。
(2) 表現行為の事前抑制につき以上説示するところによれば、公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その事前差止めを仮処分手続によつて求める場合に、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保するうえで、その手続的保障として十分であるとはいえず、しかもこの場合、表現行為者側の主たる防禦方法は、その目的が専ら公益を図るものであることと当該事実が真実であることとの立証にあるのである(前記(二)参照)から、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。ただ、差止めの対象が公共の利害に関する事項についての表現行為である場合においても、口頭弁論を開き又は債務者の審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、口頭弁論又は債務者の審尋を経ないで差止めの仮処分命令を発したとしても、憲法二一条の前示の趣旨に反するものということはできない
 けだし、右のような要件を具備する場合に限つて無審尋の差止めが認められるとすれば、債務者に主張立証の機会を与えないことによる実害はないといえるからであり、また、一般に満足的仮処分の決定に対しては債務者は異議の申立てをするとともに当該仮処分の執行の停止を求めることもできると解される(最高裁昭和二三年(マ)第三号同年三月三日第一小法廷決定・民集二巻三号六五頁、昭和二五年(ク)第四三号同年九月二五日大法廷決定・民集四巻九号四三五頁参照)から、表現行為者に対しても迅速な救済の途が残されているといえるのである。
2 以上の見地に立つて、本件をみると、
(一) 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人Aは、昭和三八年五月から同四九年九月までの間、旭川市長の地位にあり、その後同五〇年四月の北海道知事選挙に立候補し、更に同五四年四月施行予定の同選挙にも同年二月の時点で立候補する予定であつた。
(2) 上告人代表者は、本件記事の原稿を作成し、上告人はこれを昭和五四年二月二三日頃発売予定の本件雑誌(同年四月号、予定発行部数第一刷二万五〇〇〇部)に掲載することとし、同年二月八日校了し、印刷その他の準備をしていた。本件記事は、北海道知事たる者は聡明で責任感が強く人格が清潔で円満でなければならないと立言したうえ、被上告人Aは右適格要件を備えていないとの論旨を展開しているところ、同被上告人の人物論を述べるに当たり、同被上告人は、「嘘と、ハツタリと、カンニングの巧みな」少年であつたとか、「A(中略)のようなゴキブリ共」「言葉の魔術者であり、インチキ製品を叩き売つている(政治的な)大道ヤシ」「天性の嘘つき」「美しい仮面にひそむ、醜悪な性格」「己れの利益、己れの出世のためなら、手段を選ばないオポチユニスト」「メス犬の尻のような市長」「Aの素顔は、昼は人をたぶらかす詐欺師、夜は闇に乗ずる凶賊で、云うならばマムシの道三」などという表現をもつて同被上告人の人格を評し、その私生活につき、「クラブ(中略)のホステスをしていた新しい女(中略)を得るために、罪もない妻を卑劣な手段を用いて離別し、自殺せしめた」とか「老父と若き母の寵愛をいいことに、異母兄たちを追い払」つたことがあると記し、その行動様式は「常に保身を考え、選挙を意識し、極端な人気とり政策を無計画に進め、市民に奉仕することより、自己宣伝に力を強め、利権漁りが巧みで、特定の業者とゆ着して私腹を肥やし、汚職を蔓延せしめ」「巧みに法網をくぐり逮捕はまぬかれ」ており、知事選立候補は「知事になり権勢をほしいままにするのが目的である。」とする内容をもち、同被上告人は「北海道にとつて真に無用有害な人物であり、社会党が本当に革新の旗を振るなら、速やかに知事候補を変えるべきであろう。」と主張するものであり、また、標題にそえ、本文に先立つて「いま北海道の大地にAという名の妖怪が蠢めいている昼は蝶に、夜は毛虫に変身して赤レンガに棲みたいと啼くその毒気は人々を惑乱させる。今こそ、この化物の正体を……」との文章を記すことになつていた。 
(3) 被上告人Aの代理人弁護士菅沼文雄らは、昭和五四年二月一六日札幌地方裁判所に対し、債権者を同被上告人、債務者を上告人及び山藤印刷株式会社とし、名誉権の侵害を予防するとの理由で本件雑誌の執行官保管、その印刷、製本及び販売又は頒布の禁止等を命ずる第一審判決添付の主文目録と同旨の仮処分決定を求める仮処分申請をした。札幌地方裁判所裁判官は、同日、右仮処分申請を相当と認め、右主文目録記載のとおりの仮処分決定をした。その後、札幌地方裁判所執行官においてこれを執行した。
(二) 右確定事実によれば、本件記事は、北海道知事選挙に重ねて立候補を予定していた被上告人Aの評価という公共的事項に関するもので、原則的には差止めを許容すべきでない類型に属するものであるが、前記のような記事内容・記述方法に照らし、それが同被上告人に対することさらに下品で侮辱的な言辞による人身攻撃等を多分に含むものであつて、到底それが専ら公益を図る目的のために作成されたものということはできず、かつ、真実性に欠けるものであることが本件記事の表現内容及び疎明資料に徴し本件仮処分当時においても明らかであつたというべきところ、本件雑誌の予定発行部数(第一刷)が二万五〇〇〇部であり、北海道知事選挙を二か月足らず後に控えた立候補予定者である同被上告人としては、本件記事を掲載する本件雑誌の発行によつて事後的には回復しがたい重大な損失を受ける虞があつたということができるから、本件雑誌の印刷、製本及び販売又は頒布の事前差止めを命じた本件仮処分は、差止請求権の存否にかかわる実体面において憲法上の要請をみたしていたもの(前記1(三)(1)参照)というべきであるとともに、また、口頭弁論ないし債務者の審尋を経たものであることは原審の確定しないところであるが、手続面においても憲法上の要請に欠けるところはなかつたもの(同(2)参照)ということができ、結局、本件仮処分に所論違憲の廉はなく、右違憲を前提とする本件仮処分申請の違憲ないし違法の主張は、前提を欠く
3 更に、所論は、原審が、本件記事の内容が名誉毀損に当たるか否かにつき事実審理をせず、また、被上告人Aらの不法に入手した資料に基づいて、本件雑誌の頒布の差止めを命じた本件仮処分を是認したものであるうえ、右資料の不法入手は通信の秘密の不可侵を定めた憲法二一条二項後段に違反するともいうが、記録によれば、原審が事実審理のうえ本件記事の内容が名誉毀損に当たることが明らかである旨を認定判断していることが認められ、また、同被上告人らの資料の不法入手の点については、原審においてその事実は認められないとしており、所論は、原審の認定にそわない事実に基づく原判決の非難にすぎないというほかない。
4 したがつて、以上と同趣旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違憲、違法はないものというべきである。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己、同大橋進、同牧圭次、同長島敦の補足意見、裁判官谷口正孝の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に示された結論とその理由についてともに異論がなく、これに同調するものであるが、本件は、表現行為に対して裁判所の行う事前の規制にかかわる憲法上の重要な論点を提起するものであるから、それが憲法によつて禁止されるものであるかどうか、また憲法上許容されうるとしてもその許否を判断する基準をどこに求めるか、というこの問題の実体的側面を中心として、私の考えるところを述べて、多数意見を補足することとしたい。
一 多数意見の説示するとおり、当裁判所は、憲法二一条二項前段に定める検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物について網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解し、「検閲」を右のように古くから典型的な検閲と考えられてきたものに限定するとともに、それは憲法上絶対的に禁止されるものと判示している(昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)。この見解は、憲法の定める検閲の意味を狭く限定するものであるが、憲法によるその禁止に例外を認めることなく、およそ「検閲」に該当するとされるかぎり憲法上許容される余地がないという厳格な解釈と表裏をなすものであつて、妥当な見解であるといつてよいと思われる。
しかし、右の判示は、表現行為に対する公権力による事前の規制と考えられるもののすべてが「検閲」に当たるという理由によつて憲法上許されないと解することはできない、とするものであつて、一般に表現行為に対する事前の規制が表現の自由を侵害するおそれのきわめて大であることにかんがみると、憲法の規定する「検閲」の絶対的禁止には、憲法上事前の規制一般について消極的な評価がされているという趣旨が含まれていることはいうまでもないところであろう。そして、このような趣旨は、表現の自由を保障する憲法二一条一項の解釈のうちに、当然に生かされなければならないものと考える。もとより、これは同項による憲法上の規律の問題であつて、同条二項前段のような絶対的禁止のそれではないから、事前の抑制であるという一事をもつて直ちに違憲の烙印を押されるものではないが、それが許容されるかどうかについての判断基準の設定においては、厳格な要件が求められることとなるのである。
そもそも表現の自由の制約の合憲性を考えるにあたつては、他の人権とくに経済的な自由権の制約の場合と異なつて、厳格な基準が適用されるのであるが(最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五七六頁、昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)、同じく表現の自由を制約するものの中にあつても、とりわけ事前の規制に関する場合には、それが合憲とされるためにみたすべき基準は、事後の制裁の場合に比していつそう厳しいものとならざるをえないと解される。当裁判所は、すでに、法律の規制により表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないよう配慮する必要があるとしつつ、「事前規制的なものについては特に然りというべきである」と判示している(前記昭和五九年一二月一二日大法廷判決)。これは、表現の自由を規制する法律の規定の明確性に関連して論じたものではあるが、表現の自由の規制一般について妥当する考え方であると思われる。もとより、事前の規制といつても多様なものがあるから、これを画一的に判断する基準を設定することは困難であるし、画一的な基準はむしろ適切とはいえない。私は、この場合には、当該事前の規制の性質や機能と右に示された「検閲」のもつ性質や機能との異同の程度を図つてみることが有益であろうと考えている。
二 本件で問題とされているのは、表現行為に対する裁判所の仮処分手続による差止めである。これは、行政機関ではなく、司法裁判所によつてされるものであつて、前示のような「検閲」に当たらないことは明らかである。したがつて、それが当然に、憲法によつて禁止されるものに当たるということはできない。しかし、単に規制を行う機関が裁判所であるという一事によつて、直ちにその差止めが「検閲」から程遠いものとするのは速断にすぎるのであつて、問題の検討にあたつては、その実質を考慮する必要がある。「検閲」の大きな特徴は、一般的包括的に一定の表現を事前の規制の枠のうちにとりこみ、手続上も概して密行的に処理され、原則として処分の理由も示されず、この処分を法的に争う手段が存在しないか又はきわめて乏しいところに求められる。裁判所の仮処分は、多数意見も説示するとおり、網羅的一般的な審査を行うものではなく、当事者の申請に基づいて司法的な手続によつて審理判断がされるもので、理由を付して発せられ、さらにそれが発せられたときにも、法的な手続で争う手段が認められているのであつて、単に担当の機関を異にするというだけではなく、その実質もまた「検閲」と異なるものというべきである。
しかしながら、他面において、裁判所の仮処分による差止めが「検閲」に類似する側面を帯有していることも、否定することはできない。第一に、それは、表現行為が受け手に到達するに先立つて公権力をもつて抑止するものであつて、表現内容の同一のものの再発行のような場合を除いて、差止めをうけた表現は、思想の自由市場、すなわち、いかなる表現も制限なしにもち出され、表現には表現をもつて対抗することが予定されている場にあらわれる機会を奪われる点において、「検閲」と共通の性質をもつている。第二に、裁判所の審査は、表現の外面上の点のみならず、その思想内容そのものにも及ぶのであつて、この点では、当裁判所が、表現物を「容易に判定し得る限りにおいて審査しようとするものにすぎ」ないと判断した税関による輸入品の検査に比しても、「検閲」に近い要素をもつている。第三に、仮の地位を定める仮処分の手続は、司法手続とはいつても非訟的な要素を帯びる手続で、ある意味で行政手続に近似した性格をもつており、またその手続も簡易で、とくに不利益を受ける債務者の意見が聞かれる機会のないこともある点も注意しなければならない。
三 このように考えてくると、裁判所の仮処分による表現行為の事前の差止めは、憲法の絶対的に禁止する「検閲」に当たるものとはいえないが、それと類似するいくつかの面をそなえる事前の規制であるということができ、このような仮処分によつて仮の満足が図られることになる差止請求権の要件についても、憲法の趣旨をうけて相当に厳しい基準によつて判断されなければならないのである。多数意見は、このような考え方に基づくものということができる。私として、以下にこの基準について検討することとしたい。
1 まず考えられるのは、利益較量によつて判断する方法である。およそ人権の制約の合憲性を判断する場合に、その人権とそれに対立する利益との調整が問題となり、そこに利益較量の行われるべきことはいうまでもないところであろう(憲法制定者が制定時においてすでに利益較量を行つたうえでその結論を成文化したと考えられる場合、例えば「検閲」の禁止はそれに当たるが、かかる場合には、ある規制が「検閲」に当たるかどうかは問題となりうるとしても、それに当たるとされる以上絶対的に禁止され、もはや解釈適用の過程で利益較量を行うことは排除されることとなる。しかし、これはきわめて例外的な事例である。)。本件のように、人格権としての名誉権と表現の自由権とが対立する場合、いかに精神的自由の優位を説く立場にあつても、利益較量による調整を図らなければならないことになる。その意味で、判断の過程において利益が較量されるべきこと自体は誤りではない。しかし、利益較量を具体的事件ごとにそこでの諸事情を総合勘案して行うこととすると、それはむしろ基準を欠く判断となり、いずれの利益を優先させる結論に到達するにしても、判断者の恣意に流れるおそれがあり、表現の自由にあつては、それに対する萎縮的効果が大きい。したがつて、合理性の基準をもつて判断してよいときは別として、精神的自由権にかかわる場合には、単に事件ごとに利益較量によつて判断することで足りるとすることなく、この較量の際の指標となるべき基準を求めなければならないと思われる。
表現行為には多種多様のものがあるが、これを類型に分類してそれぞれの類型別に利益較量を行う考え方は、右に述べた事件ごとに個別的に較量を行うのに比して、較量に一定のルールを与え、規制の許される場合を明確化するものであつて、有用な見解であると思われる。本件のような名誉毀損の事案において、その被害者とされる対象の社会的地位を考慮し、例えば公的な人物に対する批判という類型に属するとき、その表現のもつ公益性を重視して判断するのはその一例であるが、この方法によれば、表現の自由と名誉権との調和について相当程度に客観的とみられる判断を確保できることになろう。大橋裁判官の補足意見はこの考え方を支持するものであつて、示唆に富む見解である。そして、このような類型を重視する利益較量を行うならば、本件においては、多数意見と同じ結論になるといえるし、多数意見も、基本的にはこの考え方に共通する立場に立つものといつてもよい。ただ、私見によれば、本件のような事案は別として、一般的に類型別の利益較量によつて判断すべきものとすれば、表現の類型をどのように分類するか、それぞれの類型についてどのような判断基準を採用するか、の点において複雑な問題を生ずるおそれがあり、また、もし類型別の基準が硬直化することになると、妥当な判断を保障しえないうらみがある。そして、何よりも、類型別の利益較量は、表現行為に対する事後の制裁の合憲性を判断する際に適切であるとしても、事前の規制の場合には、まさに、事後ではなく「事前の」規制であることそれ自体を重視すべきものと思われる。ここで表現の類型を考えることも有用ではあるが、かえつて事前の規制である点の考慮を稀薄にするのではあるまいか。� 2 つぎに、谷口裁判官の意見に示された「現実の悪意」の基準が考えられる。これは、表現の自由のもつ重要な価値に着目して、その保障を強くする理論であつて、この見解に対して深い敬意を表するものである。そして、同裁判官が本件における多数意見の結論に賛成されることでも明らかなように、この見解をとつても本件において結論は変ることはなく、あえていえば、異なる視角から同じ結論に到達するものといえなくもない。ただ私としては、たとえ公的人物を対象とする名誉毀損の場合に限るとしても、これを事前の規制に対する判断基準として用いることに若干の疑問をもつている。客観的な事実関係から現実の悪意を推認することも可能ではあるが、それが表現行為者の主観に立ち入るものであるだけに、仮処分のような迅速な処理を要する手続において用いる基準として適当でないことも少なくなく、とくに表現行為者の意見を聞くことなしにこの基準を用いることは、妥当性を欠くものと思われる。私は、この基準を、公的な人物に対する名誉毀損に関する事後の制裁を考える場合の判断の指標として、その検討を将来に保留しておきたいと思う。
3 多数意見の採用する基準は、表現の自由と名誉権との調整を図つている実定法規である刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨を参酌しながら、表現行為が公職選挙の候補者又は公務員に対する評価批判等に関するものである場合に、それに事前に規制を加えることは裁判所といえども原則として許されないとしつつ、例外的に、表現内容が真実でなく又はそれが専ら公益に関するものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれのある場合に限つて、事前の差止めを許すとするものである。このように、表現内容が明白に真実性を欠き公益目的のために作成されたものでないと判断され、しかも名誉権について事後的には回復し難い重大な損害を生ずるおそれのある場合に、裁判所が事前に差し止めることを許しても、事前の規制に伴う弊害があるということはできず、むしろ、そのような表現行為は価値において名誉権に劣るとみられてもやむをえないというべきであり、このような表現行為が裁判によつて自由市場にあらわれえないものとされることがあつても、憲法に違背するとは考えられない。そして、顕著な明白性を要求する限り、この基準は、谷口裁判官の説かれるように、不確定の要件をもつて表現行為を抑えるもので表現の自由の保障に対する歯止めとなりえない、ということはできないように思われる。
四 以上のような厳格な基準を適用することにすれば、実際上、立証方法が疎明に限定される仮処分によつて表現行為の事前の差止めが許される場合は、著しく制限されることになろう。公的な人物、とりわけ公職選挙の候補者、公務員とくに公職選挙で選ばれる公務員や政治ないし行政のあり方に影響力を行使できる公務員に対する名誉毀損は、本件のような特異な例外的場合を除いて、仮処分によつて事前に差し止めることはできないことになると思われる。私も、名誉権が重要な人権であり、また、名誉を毀損する表現行為が公にされると名誉は直ちに侵害をうけるものであるため、名誉を真に保護するために事前の差止めが必要かつ有効なものであることを否定するものではない。しかし、少なくとも公的な人物を対象とする場合には、表現の自由の価値が重視され、被害者が救済をうけることができるとしても、きわめて限られた例外を除いて、その救済は、事後の制裁を通じてされるものとするほかはないと思われる。なお、わが国において名誉毀損に対する損害賠償は、それが認容される場合においても、しばしば名目的な低額に失するとの非難を受けており、関係者の反省を要することについては、大橋裁判官の補足意見に指摘されるとおりである。またさらに、このような事後の救済手段として、現在認められているよりもいつそう有効適切なものを考える必要があるようにも考えられるが、それは本件のような仮処分による事前の規制の許否とは別個の問題である。

+補足意見
裁判官大橋進の補足意見は、次のとおりである。
一 私は、表現行為に対する差止請求権の成否の判断基準についても、多数意見に賛成するものであるが、その理由について私の考えるところを補足しておくこととしたい。
憲法二一条一項によつて保障されている表現の自由と一三条によつて保障されている個人の名誉は、互いに衝突することがあるのを免れない。しかし、真実を公表し、自己の意見を表明して世論形成に参加する自由が保障されていることは、自由な討論を通じて形成された世論に基づいて政治が行なわれる民主主義社会にとつて欠くことのできない基盤である。憲法二一条一項の規定には、このような表現行為による世論形成への参加の自由を保障する機能があるのであり、この機能がみたされるためには、公共の利害に関する事項については、表現行為をする側において知らせたい事実、表明したい意見を公表する自由が保障されているとともに、表現行為を受け取る側においても知りたい情報に自由に接することのできる機会が保障されていなければならない。また、裁判所が人格権としての名誉権に基づく表現行為の差止請求権の存否を判断して、その事前差止めを命ずることは、本案訴訟による場合はもとより、仮処分による場合であつても、多数意見のいうとおり検閲に当たらないのであるが、検閲を禁止した憲法二一条二項前段の趣旨とするところは、表現の自由との関係においても十分に考慮されなければならない性質のものであり、事前差止めは、当該表現物が公表され読者ないし聴視者がこれに接することのできる状態になる前にその公表自体を差し止めるという点において、すでに極めて重大な問題を含んでいるものといわなければならない。したがつて、たとえ個人の名誉を毀損する表現行為であつても、それが公共の利害に関する事項にかかるものであるときは、個人の名誉の保護よりも表現の自由の保障が優先すべきこととなり、また、その事前差止めは、事後制裁の場合に比較して、実体上も手続上もより厳格な要件のもとにおいてのみ許されるものというべきこととなる。
このような観点から、どのような場合に差止請求権を肯定してよいかについて考えてみると、基本的には、互いに衝突する人格権としての個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和と均衡をどのような点に求めるべきかという問題なのであるが、結局は、当該表現行為により侵害される個人の名誉の価値とその表現行為に含まれている価値とを比較衡量して、そのいずれを優先させるべきかによつて判断すべきものということができよう。そして、比較衡量にあたり考慮の対象となりうる要素としては、表現行為により批判の対象とされた人物の公的性格ないし事実の公共性、表現内容の公益性・真実性、表現行為者の意図、名誉侵害の程度、マス・メデイアの種類・性格などのさまざまな事情が考えられ、これらの諸事情を個別的な事件ごとにきめ細かく検討して利益衡量をすれば、当該事件について極めて妥当な結論を得ることができるとも考えられる。しかしながら、事前差止めにあつては、これらの諸般の事情を比較衡量するといつても、事前であるために不確定な要素も多く、また、右のような諸般の事情を考慮することになれば、その審理判断も複雑なものとなり、これに伴う判断の困難性も考えられること、更には、事前差止めの効果が直接的であり、被害者にとつては魅力的であるため濫用される虞があるとともに、表現行為者の受ける影響や不利益は大きいのに、右のようなさまざまな事情が個々の事件ごとに個別的具体的に検討され比較衡量されるのでは、その判断基準が明確であるとはいいがたく、これについて確実な予測をすることが困難となる虞があり、表現行為者に必要以上の自己規制を強いる結果ともなりかねないことなどを考慮すると、事前差止めがそれ自体前記のような重大な問題を含むものであることにかんがみ、比較衡量に当たり諸般の事情を個別的具体的に考慮して判断する考え方には左袒することができない。そして、このような個別的衡量による難点を避けるためには、名誉の価値と表現行為の価値との比較衡量を、表現行為をできるだけ類型化し、類型化された表現行為の一般的利益とこれと対立する名誉の一般的利益とを比較衡量して判断するという類型的衡量によるのが相当であると考えられる。類型的衡量によるときは、個別的衡量の場合のように個別的事件に最も適した緻密な利益衡量には達し得ないかも知れないが、その点を犠牲にしても、判断の客観性、安定性を選ぶべきものと考えるからである。
多数意見は、表現行為が公共の利害に関する事項にかかるものである場合には、原則として事前差止めが許されず、その表現内容が真実でないか、又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞のあるときに限つて例外的に差止めを求めることができるとしているのであるが、私は、以上述べるような見地に立つて、この多数意見に賛成するものである。
二 次に、多数意見の言及する手続的側面について、以下のとおり付言しておきたい。
多数意見は、右のような見地に立ちつつ、事前差止めを命ずる仮処分は、実定法の規定(民訴法七五六条、七四一条一項)にかかわらず、発令にあたり口頭弁論又は債務者審尋を経ることを原則とすべきものとし、ただ、口頭弁論を開き又は債務者審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて、その表現内容が真実でなく、又はそれが公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、債務者審尋等を経ることなく差止命令を発したとしても、憲法の趣旨に反するものとはいえない、とした。
思うに、ここに「債権者の提出した資料によつて」とは、債務者側の資料を含まないとの趣旨であつて、公知の事実又は裁判所に顕著な事実を排斥する趣旨でないことはいうまでもないところであろう。本件において差止めの対象となつたのは、北方ジヤーナル昭和五四年四月号中の記事であるが、それ以前数次にわたり被上告人Aを含む公職の候補者に関する記事について札幌地方裁判所より頒布・販売等禁止の仮処分命令を受け、特に同被上告人に関する本件類似の記事を掲載した同誌昭和五三年一一月号の販売・頒布等禁止の仮処分については、仮処分裁判所より本件上告人に対し日時の余裕を置いて書面による反論の機会を与えられている(すなわち、最も丁重な方式による債務者審尋が行われたものである)ことが、本件記録上窺われるのであつて、本件記事の表現内容並びに疎明資料及び以上のような仮処分裁判所に顕著な事実に徴し、本件において事前差止めの仮処分命令が債務者審尋等を経ることなく発せられたとしても(この点は原審の確定しないところである)、そのことの故に本件仮処分が憲法の要請に反するものでないことは明らかであるといわなければならない。
三 以上、私は、事前抑制につき厳しい態度をとる多数意見(この点は谷口裁判官意見も同様である)に全面的に賛同するものであるが、反面、「生命、身体とともに極めて重大な保護法益であ」る名誉を侵害された者に対する救済が、事後的な形によるものであるにせよ十分なものでなければ、権衡を失することとなる点が強く指摘されなければならない。わが国において名誉毀損に対する損害賠償は、それが認容される場合においても、しばしば名目的な低額に失するとの非難を受けているのが実情と考えられるのであるが、これが本来表現の自由の保障の範囲外ともいうべき言論の横行を許す結果となつているのであつて、この点は、関係者の深く思いを致すべきところと考えられるのである。
裁判官牧圭次は、裁判官大橋進の補足意見に同調する。

+補足意見
裁判官長島敦の補足意見は、次のとおりである。
刑法上の名誉毀損罪につき、その刑責を免ずるいわゆる事実証明に関する刑法二三〇条ノ二の規定が、民法上の名誉毀損の成否、ひいては名誉権の侵害に対する事前差止めの許否とどのようにかかわるかについて、私の考えるところを補足しておくこととしたい。
一1 多数意見がこの点に関して引用する二つの判例は、次のとおり判示している。昭和四一年六月二三日第一小法廷判決は、「民法上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である(このことは、刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨からも十分窺うことができる。)。」とし、ついで、同四四年六月二五日大法廷判決は、刑法の名誉毀損罪につき、「刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。」としている。これら二つの判例を総合すると、刑法二三〇条ノ二は、人格権としての個人の名誉の保護と憲法二一条による正当な言論の保障との調和を図つた規定であり、その解釈に当たつては、これらの二つの憲法上の権利の調和と均衡を考慮すべきこと、このような考慮の上に立つて解釈される刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨は、真実性についての誤信に相当の理由があるときに不法行為責任が免責される点を含めて、民法上の不法行為としての名誉毀損の成否の判断においても妥当することを明らかにしたものと解することができる。不法行為としての名誉毀損の成否を判断するこの基準を、以下「相当性の理論」とよぶこととする。
2 ところで、刑法の「名誉ニ対スル罪」の中には、名誉毀損罪(刑法二三〇条)のほか侮辱罪(同二三一条)が設けられており、同二三〇条ノ二の規定は名誉毀損罪の免責規定として置かれているが、民法上の不法行為としての名誉毀損は人格権としての名誉が違法に侵害を受ければ成立し、当該侵害行為が刑法の定める構成要件のもとで名誉毀損罪に当たるか、侮辱罪に当たるか、はその成立には直接の関係をもたないといえる。
刑法では、右の二つの罪が同じく「名誉ニ対スル罪」の章下に設けられ、かつ、両者とも公然性を要件とするところから、両者を区別する構成要件要素は、一般に、事実の摘示の有無であると解されている。又、その保護法益は、両者とも、人が社会から受ける客観的な評価としての名誉であるとされている。尤も、侮辱罪の中には、被害者の面前において、公然、一過性の罵詈雑言が加えられた場合のように、被害者の名誉感情が主たる法益であると解される事例もありうるが、多少とも永続性のある文書、録音・録画テープ等に収録された侮辱的な表現は、具体的な事実の摘示をともなわなくても、人の客観的な名誉を損なうことのあることはいうまでもない。
二 このようにして、不法行為としての名誉毀損にあつては、客観的な名誉が違法に侵害されたかどうかか重要であつて、その侵害行為たる表現行為が事実の摘示をともなうかどうかは、その成立のための要件ではないことが明らかとなつた。しかし、このことは、それが事実の摘示をともなう場合に、刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨に基づき免責を受けうることを否定するものではなく、却つて、具体的な事実の摘示がなくても客観的な名誉を毀損する場合に、やはり、その表現行為が公共の利害に関しもつぱら公益を図る目的に出た相当な行為と評価できるときは、相当性の理論のもとで免責されうることを意味するものと解することの妨げとはならない。角度を変えて論ずれば、政治、社会問題等に関する公正な論評(フエア・コメント)として許容される範囲内にある表現行為は、具体的事実の摘示の有無にかかわらず、その用語や表現が激越・辛辣、時には揶揄的から侮辱的に近いものにまでわたることがあつても、公共の利害に関し公益目的に出るものとして許容されるのが一般である。この意味での公正な論評は、既に述べて来た相当性の理論という判断基準の中に、その一つの要素として組み入れることができると考えられる(ここでは、このような論評の基づいている事実が真実でなかつたときには、一般的にいつて、真実と信ずるについて相当の理由のあつたことがやはりフエア・コメントとして許容されるための要件の一つになることを前提としている。尤も、論評それ自体の公共性、公益性が強ければ強いほど、「相当性」の判断は、それだけ、論評者に有利になされ、相当性の不存在の立証の必要性が相手方の肩に重くのしかかることとなろう。)。しかし、その内容や表現が文脈上、主題たる論評と全く無関係であつて明らかに公共の利害に関しないと認められるものや、表現行為の重点が侮辱・誹謗・軽蔑・中傷等に向けられ、仮りになんらかの事実の摘示がそこに含まれているとしても、その指摘がその事実の真実性を主張することに意味をもつのではなくて、たんに人身攻撃のための背景事情として用いられるにとどまつているような侮辱的名誉毀損行為として社会通念上到底是認し得ないものは、いずれも公正な論評に含まれず、公共性、公益性をもたない言論として、相当性の理論からも名誉毀損の成立を肯認すべきことは当然である。
三1 本件雑誌に掲載が予定されていた本件記事は、それ自体、一方では、被上告人Aの支持母体であるとされている政治団体の政治的立場、政策等をとりあげて批判を加え、それが北海道の将来にとつて有害であることを論評し、他方では、同被上告人の人物、その生い立ち、私生活、行動様式等にわたり、ことさらに下品で侮辱的な言辞による人身攻撃を加えることにより、同被上告人は北海道知事として不適格であるとの論旨を展開しようとするものと認められるところ、前者の政治問題に関する論評と後者の人物論等に関する記述との間に脈絡を欠き、後者は、政治問題の論評とは無関係に、くり返して、もつぱら人身攻撃に終始する内容表現をもつて記述されている点に、特色をもつている。分量的に本件記事の大半の部分を政治問題に関する論評が占めているという事実は、それが公正な論評に当たるかどうかを論ずるまでもなく、これと無関係に展開されている不必要に侮辱的、中傷的な記述部分について、名誉毀損の成立を認めることの妨げとならないことはいうまでもない。
2 ところで、被上告人Aは、本件雑誌の発売が予定されていた頃には、北海道知事選挙に立候補する予定になつていたが、立候補届出前であつて公職選挙の候補者たるの身分をもつていなかつたものの、立候補が確実視されていたものと認められるのであつて、その人物、生い立ち、行動様式等が広い範囲にわたつて報道され、一般の評価、批判にさらされることは、一般に、公共の利害にかかるものと解されるところであるが、原審の確定した事実関係として引用摘示されている本件記事の該当部分は、そこには引用されていない。引用することさえはばかられる「父は、旭川では有名な馬方上りの逞ましい経済人であつた。その父が晩年溺愛した若く美しい女郎がおり、二人の傑作がすなわち」同被上告人である、などという蔑視的、差別的なことばとともに、その記述自体からみて、社会通念上到底是認し得ない侮辱的、誹謗的、中傷的な、いわば典型的な侮辱的名誉毀損文書ということを妨げず、それ自体で、その作成が公益を図る目的に出たものでないことが明らかであるというべきである。それが出版され公にされたときは、過去十年余にわたり公選市長として旭川市長の地位にあり、既に一度、北海道知事選挙にも立候補した経歴をもつ同被上告人が社会から受けている客観的評価としての名誉を、著しく害されることは見易い道理である。
四 刑法二三〇条ノ二の条文を手掛りに、憲法上の言論の自由と人格権としての名誉の保護との調和と均衡を図つてみちびき出された前記の相当性の理論が、公正な論評の理論と相俟つて、名誉権の侵害の事前差止めを求める仮処分についてどのように妥当するか、が最後に論ずべき点である。
私も、多数意見の説示するとおり、出版物の頒布等の事前差止めは、事後的な刑罰制裁、損害賠償、原状回復措置の場合に比し、その許容につきより慎重であるべきであり、とりわけ、その表現が公共の利害にかかわるときは、表現の自由が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み、憲法上特に保護されるべきものであることにかんがみ、原則としてこれを許さないものと解すべきことについて、そこに示されている理由をも含めてすべて同調するものである。
しかし、前記の相当性の理論は、不法行為としての名誉毀損の成否を判断する基準として、同時に、それが名誉権そのものの存在を確認するための基準ともなりうることはいうまでもない。ただ、ここでは、表現行為が公共の利害にかかわるときに、憲法上特に優先的に保護されるべきものとされる表現の自由とこれに対抗する名誉権との間の調和と均衡が問題となつているのであるから、その間に均衡を回復するためには、その名誉権について特にこれを保護すべき特別の事由が存在していなければならないこととなる。このような観点から、まず相当性の理論によつて判断基準とされる公益目的及び事実の真実性のテストをとりあげて検討すると、当該表現行為が明らかに公益目的に出るものでないこと、又は摘示事実が明らかに真実でないことが先決問題となり、又このように名誉権の侵害が明白に認められうることにつき、事前差止めを請求する側においてその立証を果しうることが、必要な要件となると解される。これを仮処分についていえば、仮処分債権者の側でその疎明資料によつて右の証明を果しうることが必要である。裁判所が口頭弁論又は債務者の審尋を行ない、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものとする多数意見は、債権者の提出する疎明資料等によつて右の証明が果されていることが明らかなような例外的な場合を除いては、裁判所が右の証明が果されたかどうかを慎重に吟味すべきことを要求するものと解される。より重要な実質的な特別の事由としては、名誉権の侵害が一般の場合に比し特に重大なものであり、しかも、事前の差止めをしなければ、その重大な損害の回復が事後的には著しく困難であることを挙げるべきであろう。この二つは、憲法上の要請にかかる言論の自由と人格権としての名誉の保護との間に均衡と調和を保ちつつ、公共の利害にかかわる表現行為につき、事前の差止め請求を許容することができると考えられる実体的要件であつて、それが事実上、事前差止めの仮処分を許すための要件と重なり合う面があるとしても、そのことのために、これらの要件が憲法上の要請でなくなるわけではない。
これを本件についてみると、大橋裁判官の補足意見でも指摘されているとおり、本件記事については、仮処分手続で債権者の提出した資料及び裁判所に顕著な事実によつて、その表現内容が真実でなく、かつ、それが専ら公益を図るものでないことが明白に認められるのであつて、その出版による被害の特別の重大性にかんがみ、本件仮処分決定には、その実体面においても、手続面においても、違憲、違法の廉はないとする多数意見に異論はない。ただ、私は、本件記事の名誉毀損に該当するとされる部分は、それ自体において、社会通念上、到底許容し難い侮辱的名誉毀損の典型的なものと認められるから、その僅か一部に抽象的な事実の指摘ともみられるものがあるとしても、その部分の表現内容が真実であるかどうかに立ち入るまでもなく、その部分をも含めて事前差止めの仮処分をすることが許容される、と解しうるのではないかと考えていることを念のため付言しておくこととする。

+意見
裁判官谷口正孝の意見は、次のとおりである。
第一 公的問題に関する雑誌記事等の事前の差止めの要件について、私は、多数意見の説くところと些か所見を異にするので、以下この点について述べることとする。
一 憲法二一条二項、一項は、公的問題に関する討論や意思決定に必要・有益な情報の自由な流通、すなわち公権力による干渉を受けない意見の発表と情報授受の自由を保障している。そして、この自由の保障は、多数意見に示すとおり活力ある民主政治の営為にとつて必須の要素となるものであるから、憲法の定めた他の一般的諸権利の保護に対し、憲法上「優越的保障」を主張しうべき法益であるといわなければならない。この保障の趣旨・目的に合致する限り、表現の自由は人格権としての個人の名誉の保護に優先するのである。
したがつて、雑誌記事等による表現内容が公務員、公選による公職の候補者についての公的問題に関するものである場合には、これを発表し、討論し、意思決定をするに必要・有益な情報の流通を確保することの自由の保障が右公務員、公選による公職の候補者の名誉の保護に優先し、これらの者の名誉を侵害・毀損する事実を摘示することも正当とされなければならず、かかる記事を公表する行為は違法とされることなく、民事上、刑事上も名誉毀損としての責任を問われることはない。
二 そこで、進んで、人格権としての個人の名誉と表現の自由という二つの法益が抵触する場合に、公的問題に関する自由な討論や意思決定を確保するために情報の流通をどの限度まで確保することが必要・有益か、特に、真実に反する情報の流通をどこまで許容する必要があるかが問われることになる。
思うに、真実に反する情報の流通が他人の名誉を侵害・毀損する場合に、真実に反することの故をもつて直ちに名誉毀損に当たり民事上、刑事上の責任を問われるということになれば、一般の市民としては、表現内容が真実でないことが判明した場合にその法的責任を追及されることを慮り、これを危惧する結果、いきおい意見の発表ないし情報の提供を躊躇することになるであろう。そうなれば、せつかく保障された表現の自由も「自己検閲」の弊に陥り、言論は凍結する危険がある。
このような「自己検閲」を防止し、公的問題に関する討論や意思決定を可能にするためには、真実に反した言論をも許容することが必要となるのである。そして、学説も指摘するように、言論の内容が真実に反するものであり、意見の表明がこのような真実に反する事実に基づくものであつても、その提示と自由な討論は、かえつてそれと矛盾する意見にその再考と再吟味を強い、その意見が支持されるべき理由についてのより深い意見形成とその意味のより十分な認識とをもたらすであろう。このような観点に立てば、誤つた言論にも、自由な討論に有益なものとして積極的に是認しうる面があり、真実に反する言論にも、それを保護し、それを表現させる自由を保障する必要性・有益性のあることを肯定しなければならない。公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めの要件を考えるについては、先ず以上のことを念頭においてかからなければならない。(誤つた言論に対する適切な救済方法はモア・スピーチなのである。)
三 そこで、事前差止めの要件について検討する。
さて、表現の自由が優越的保障を主張しうべき理由については、先に述べたとおりである。その保障の根拠に照らして考えるならば、表現の自由といつても、そこにやはり一定の限界があることを否定し難い。表現内容が真実に反する場合、そのすべての言論を保護する必要性・有益性のないこともまた認めざるをえないのである。特に、その表現内容が真実に反するものであつて、他人の人格権としての名誉を侵害・毀損する場合においては、人格権の保護の観点からも、この点の考慮が要請されるわけである。私は、その限界は以下のところにあると考える。すなわち、表現の事前規制は、事後規制の場合に比して格段の慎重さが求められるのであり、名誉の侵害・毀損の被害者が公務員、公選による公職の候補者等の公的人物であつて、その表現内容が公的問題に関する場合には、表現にかかる事実が真実に反していてもたやすく規制の対象とすべきではない。しかし、その表現行為がいわゆる現実の悪意をもつてされた場合、換言すれば、表現にかかる事実が真実に反し虚偽であることを知りながらその行為に及んだとき又は虚偽であるか否かを無謀にも無視して表現行為に踏み切つた場合には、表現の自由の優越的保障は後退し、その保護を主張しえないものと考える。けだし、右の場合には、故意に虚偽の情報を流すか、表現内容の真実性に無関心であつたものというべく、表現の自由の優越を保障した憲法二一条の根拠に鑑み、かかる表現行為を保護する必要性・有益性はないと考えられるからである。多数意見は、表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明らかな場合には、公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めが許容されるというが、私は、この点については同調できない。思うに、多数意見も認めているように、記事内容が公務員又は公選による公職の候補者に対する評価、批判等であるときは、そのこと自体から公共の利害に関する事項であるといわなければならないわけで、このような事項については、公益目的のものであることは法律上も擬制されていると考えることもできるのである(刑法二三〇条ノ二第三項参照)。したがつて、かかる表現行為について、専ら公益を図る目的のものでないというような不確定な要件を理由として公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めを認めることは、その要件が明確な基準性をもたないものであるだけに、表現の自由の保障に対する歯止めとはならないと考えるからである。
第二 次に、裁判所が行う仮処分手続による表現行為の事前差止めの要件について考える。
多数意見がこの点について、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、憲法二一条の規定の趣旨に照らし、手続的保障において十分であるとはいえず、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、債務者の審尋を行いその意見弁解を聴取するとともに、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則としたこと、しかしながら、差止めの対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等、公共の利害に関する事項についての表現行為である場合においても、口頭弁論を開き又は債務者の審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて明白に事前差止めの要件を充すものと認められる場合には、口頭弁論又は債務者の審尋を経ないで差止めの仮処分命令を発したとしても、憲法二一条の規定の趣旨に反するものということはできないとしたことについては、私としても同意見である。もつとも、私は公的問題に関する雑誌記事等の事前の差止めについては、表現内容が真実に反することにつき表現行為をする者に現実の悪意のあることを要件とすると考えるので、この種の記事について、裁判所が事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、多数意見を多少修正する必要がある。
私としては、裁判所が事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、多数意見に示すとおり口頭弁論を開き、債務者を審尋し、主張、立証の機会を与えなければならないことは、憲法二一条二項、一項の規定の趣旨に照らし当然の要件となるものであつて、その場合、債務者に対し、表現内容にかかる事実の真実性を一応推測させる程度の相当な合理的根拠・資料があり、表現行為がそのような根拠・資料に基づいてなされたことの主張、立証の機会が与えられなければならないものと考える。そのことが、現実の悪意がなかつたことの債務者の抗弁を許し、事前の差止めを求められている裁判所に対し仮処分命令を出させないための必要不可缺の要件であるからである。なお、多数意見は、表現行為の事前差止めの要件として、名誉権の侵害・毀損の場合について、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があることを実体的要件としているが、私はこの要件は、仮処分命令を発するについて、保全の必要性についての要件として考慮すれば足りると考える。
以上、裁判所の仮処分手続による公的事実に関する差止命令を発するための手続的要件を述べたわけであるが、この手続的要件を充足しない場合、すなわち、口頭弁論ないし債務者の審尋を経ないで発した裁判所の仮処分手続による差止命令が常に必ず憲法二一条二項、一項の規定の趣旨に反するものと断じ切ることはできないと思われる。
差止めの対象が公務員又は公選による公職の候補者に対する評価、批判等、公共の利害に関する事項についての表現行為である場合においても、極めて例外的な事例について、口頭弁論を開き債務者の前記抗弁の当否の審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて、その表現内容が真実でなく、それが債務者の現実の悪意をもつてなされたものであることが表現方法、内容に照らし極めて明白であるときは、以上の手続要件を充足せず差止めの仮処分命令を発したとしても、前記憲法の趣旨に反するものとはいえないであろう。その理由については、多数意見の述べるとおりである。そして、本件仮処分命令を発した裁判所に提出された疎明資料によれば、上告人が本件雑誌記事を掲載するについて現実の悪意のあつたことは明白であつたものというべきである。
私も、上告論旨にいう憲法二一条二項違反の主張の理由のないことは多数意見に示すとおりであり、その余の違憲の主張もすでに見たとおり理由がないものと考えるので、本件上告は棄却されるべきものと思料する。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 谷口正孝 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 髙島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫)

(2)自己決定権

(3)適正な手続も保障しているか
31条で処理
+判例(H.4.7.1)成田新法事件
理由
一 被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しの訴えについて
職権をもって調査するに、上告人は、本件訴えにおいて、被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しを求めているところ、右処分は、別紙記載の建築物の所有者である上告人に対し、昭和六〇年二月六日から昭和六一年二月五日までの間右工作物を新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法(昭和五九年法律第八七号による改正前のもの。以下「本法」という。)三条一項一号又は二号の用に供することを禁止することを命ずるものであり、右処分の効力は、昭和六一年二月五日の経過により失われるに至ったから、その取消しを求める法律上の利益も消滅したものといわざるを得ない。そうすると、右処分の取消しを求める訴えはこれを却下すべきであり、右訴えに係る請求につき本案の判断をした原判決は失当であることに帰するから、原判決のうち右請求に関する部分を破棄し、右訴えを却下すべきである。
二 被上告人運輸大臣がしたその余の処分の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えについて
1 上告代理人高橋庸尚の上告理由第一点の(一)のうち、本法は制定の経緯、態様に照らして拙速を免れず、法全体として違憲無効であるという点について
本法の法案が衆議院及び参議院でそれぞれ可決されたものとされ、昭和五三年五月一三日、同年法律第四二号として公布されたものであることは公知の事実であるところ、法案の審議にどの程度の時間をかけるかは専ら各議院の判断によるものであり、その時間の長短により公布された法律の効力が左右されるものでないことはいうまでもない。論旨は、独自の見解であって、採用することができない。

2 同第一点の(二)について
現代民主主義社会においては、集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に意見や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法二一条一項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものである。
しかしながら、集会の自由といえどもあらゆる場合に無制限に保障されなければならないものではなく、公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。そして、このような自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。
原判決が本法制定の経緯として認定するところは、次のとおりである。新東京国際空港(以下「新空港」という。)の建設に反対する上告人及び上告人を支援するいわゆる過激派等による実力闘争が強力に展開されたため、右建設が予定より大幅に遅れ、ようやく新空港の供用開始日を昭和五三年三月三〇日とする告示がされたが、その直前の同月二六日に、上告人の支援者である過激派集団が新空港内に火炎車を突入させ、新空港内に火炎びんを投げるとともに、管制塔に侵入してレーダーや送受信器等の航空管制機器類を破壊する等の事件が発生したため、右供用開始日を同年五月二〇日に延期せざるを得なくなった。このような事態に対し、政府は、同年三月二八日に過激派集団の暴挙を厳しく批判し、新空港を不法な暴力から完全に防護するための抜本的対策を強力に推進する旨の声明を発表した。また、国会においても、衆議院では同年四月六日に、参議院でも同月一〇日に、全会一致又は全党一致で、過激派集団の破壊活動を許し得ざる暴挙と断じた上、政府に対し、暴力排除に断固たる処置を採るとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきこと及び新空港の平穏と安全を確保し、我が国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきことを求める決議をそれぞれ採択した。本法は、右のような過程を経て議員提案による法律として成立したものである。
本法は、新空港若しくはその機能に関連する施設の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する暴力主義的破壊活動を防止するため、その活動の用に供される工作物の使用の禁止等の措置を定め、もって新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資することを目的としている(一条)。本法において「暴力主義的破壊活動等」とは、新空港若しくは新空港における航空機の離陸若しくは着陸の安全を確保するために必要な航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるもの(以下、右の航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるものを「航空保安施設等」という。)の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する刑法九五条等に規定された一定の犯罪行為をすることをいうと定義され(二条一項)、「暴力主義的破壊活動者」とは、暴力主義的破壊活動等を行い又は行うおそれがあると認められる者をいうと定義されている(同条二項)。
ところで、本法三条一項一号は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物が多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供され又は供されるおそれがあると認めるときは、運輸大臣は、当該工作物の所有者等に対し、期限を付して当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができるとしているが、同号に基づく工作物使用禁止命令により当該工作物を多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することが禁止される結果、多数の暴力主義的破壊活動者の集会も禁止されることになり、ここに憲法二一条一項との関係が問題となるのである。
そこで検討するに、本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により保護される利益は、新空港若しくは航空保安施設等の設置、管理の安全の確保並びに新空港及びその周辺における航空機の航行の安全の確保であり、それに伴い新空港を利用する乗客等の生命、身体の安全の確保も図られるのであって、これらの安全の確保は、国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から極めて強く要請されるところのものである。他方、右工作物使用禁止命令により制限される利益は、多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物を集合の用に供する利益にすぎない。しかも、前記本法制定の経緯に照らせば、暴力主義的破壊活動等を防止し、前記新空港の設置、管理等の安全を確保することには高度かつ緊急の必要性があるというべきであるから、以上を総合して較量すれば、規制区域内において暴力主義的破壊活動者による工作物の使用を禁止する措置を採り得るとすることは、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。また、本法二条二項にいう「暴力主義的破壊活動等を行い、又は行うおそれがあると認められる者」とは、本法一条に規定する目的や本法三条一項の規定の仕方、さらには、同項の使用禁止命令を前提として、同条六項の封鎖等の措置や同条八項の除去の措置が規定されていることなどに照らし、「暴力主義的破壊活動を現に行っている者又はこれを行う蓋然性の高い者」の意味に解すべきである。そして、本法三条一項にいう「その工作物が次の各号に掲げる用に供され、又は供されるおそれがあると認めるとき」とは、「その工作物が次の各号に掲げる用に現に供され、又は供される蓋然性が高いと認めるとき」の意味に解すべきである。したがって、同項一号が過度に広範な規制を行うものとはいえず、その規定する要件も不明確なものであるとはいえない。
以上のとおりであるから、本法三条一項一号は、憲法二一条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

3 同第一点の(三)について
本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物に居住することができなくなるとしても、右工作物使用禁止命令は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づき、高度かつ緊急の必要性の下に発せられるものであるから、右工作物使用禁止命令によってもたらされる居住の制限は、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。
したがって、本法三条一項一号は、憲法二二条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、本法三条一項三号についても憲法二二条一項違反を主張しているが、右三号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

4 同第一点の(四)について
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令は、当該工作物を、(1) 多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること、(2) 暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること、又は(3) 新空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用に供することの三態様の使用を禁止するものである。そして、右三態様の使用のうち、多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することを禁止することが、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものであることは前記のとおりであり、この点は他の二態様の使用禁止についても同様であるから、右三態様の使用禁止は財産の使用に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限であるといわなければならない。また、本法三条一項一号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりであり、同項二号の規定する要件も不明確なものであるとはいえない。
したがって、本法三条一項一、二号は、憲法二九条一、二項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、同項三号についてもその規定する要件が不明確であると主張するが、同号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

5 同第一点の(五)について
憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない
しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

6 同第一点の(六)について
憲法三五条の規定は、本来、主として刑事手続における強制につき、それが司法権による事前の抑制の下に置かれるべきことを保障した趣旨のものであるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における強制の一種である立入りにすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、当該立入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるかどうか、また、強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。
本法三条三項は、運輸大臣は、同条一項の禁止命令をした場合において必要があると認めるときは、その職員をして当該工作物に立ち入らせ、又は関係者に質問させることができる旨を規定し、その際に裁判官の令状を要する旨を規定していない。しかし、右立入り等は、同条一項に基づく使用禁止命令が既に発せられている工作物についてその命令の履行を確保するために必要な限度においてのみ認められるものであり、その立入りの必要性は高いこと、右立入りには職員の身分証明書の携帯及び提示が要求されていること(同条四項)、右立入り等の権限は犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならないと規定され(同条五項)、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものではないこと、強制の程度、態様が直接的物理的なものではないこと(九条二項)を総合判断すれば、本法三条一、三項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえない。
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。
7 同第二点ないし第五点について
所論の点に関する原審の認定判断は正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論違憲の主張は、前記説示と異なる前提に立つか又は独自の見解にすぎない。論旨は、いずれも採用することができない。
8 以上のとおり、被上告人運輸大臣がした前記一の使用禁止命令以外の使用禁止命令の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えに関する上告人の上告は、すべて理由がなく、これを棄却すべきである。
三 結論
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫、同可部恒雄の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+意見
上告理由第一点の(五)についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。
私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見の結論には同調するが、その理由を異にするので、以下、私の意見を述べることとする。
私は、行政庁の処分のうち、少なくとも、不利益処分(名宛人を特定して、これに義務を課し、又はその権利利益を制限する処分)については、法律上、原則として、弁明、聴聞等何らかの適正な事前手続の規定を置くことが、必要であると考える。このように行政手続を法律上整備すること、すなわち、行政手続法ないし行政手続条項を定めることの憲法上の根拠については、従来、意見が分かれるところであるが、上告理由は、これを憲法三一条に求めている。確かに、判例及び学説の双方にわたって、憲法三一条の法意の比較法的検討をめぐる議論が、我が国の行政手続法理の発展に寄与してきたことは、高く評価すべきことである。しかしながら、我が国を含め現代における各国の行政法理論及び行政法制度の発展状況を見ると、いわゆる法治主義の原理(手続的法治国の原理)、法の適正な手続又は過程(デュー・プロセス・オヴ・ロー)の理念その他行政手続に関する法の一般原則に照らして、適正な行政手続の整備が行政法の重要な基盤であることは、もはや自明の理とされるに至っている。したがって、我が国でも、憲法上の個々の条文とはかかわりなく、既に多数の行政法令に行政手続に関する規定が置かれており、また、現在、行政手続に関する基本法の制定に向けて努力が重ねられているところである。もとより、個別の行政庁の処分の趣旨・目的に照らし、刑事上の処分に準じた手続によるべきものと解される場合において、適正な手続に関する規定の根拠を、憲法三一条又はその精神に求めることができることはいうまでもない。
ところで、一般に、行政庁の処分は、刑事上の処分と異なり、その目的、種類及び内容が多種多様であるから、不利益処分の場合でも、個別的な法令について、具体的にどのような事前手続が適正であるかを、裁判所が一義的に判断することは困難というべきであり、この点は、立法当局の合理的な立法政策上の判断にゆだねるほかはないといわざるを得ない。行政手続に関する基本法の制定により、適正な事前手続についての的確な一般的準則を明示することは、この意味においても重要なのである。
もっとも、不利益処分を定めた法令に事前手続に関する規定が全く置かれていないか、あるいは事前手続に関する何らかの規定が置かれていても、実質的には全く置かれていないのと同様な状態にある場合は、行政手続に関する基本法が制定されていない今日の状況の下では、さきに述べた行政手続に関する法の一般原則に照らして、右の法令の妥当性を判断しなければならない事態に至ることもあろう。しかし、そのような場合においても、当該法令の立法趣旨から見て、右の法令に事前手続を置いていないこと等が、右の一般原則に著しく反すると認められない場合は、立法政策上の合理的な判断によるものとしてこれを是認すべきものと考える。
これを本法三条一項について見ると、右規定の定める工作物使用禁止命令は、処分の名宛人を確知できる限りにおいて、右名宛人に対し不作為義務を課する典型的な行政上の不利益処分に当たる。したがって、本法に右命令についての事前手続に関する規定が全く置かれていないことに着目すれば、右に述べた意味において、右条項の妥当性が問題とされなければならない。しかし、この点については、右工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、当該工作物の三態様における使用であり、右のような態様の使用を禁止することは、新空港の設置・管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものである、という本判決理由の全体にわたる法廷意見の判断があり、私もこれに同調しているところである。本法三条一項の定める工作物使用禁止命令については、右命令自体の性質に着目すると、緊急やむを得ない場合の除外規定を付した上で、事前手続の規定を置くことが望ましい場合ではあるけれども、本法は、法律そのものが、高度かつ緊急の必要性という本件規制における特別の事情を考慮して制定されたものであることにかんがみれば、事前手続の規定を置かないことが直ちに前記の一般原則に著しく反するとまでは認められないのであって、右のような立法政策上の判断は合理的なものとして是認することができると考えるのである。このような見地から、私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見に対し、その結論に同調するのである。
上告理由第一点の(五)についての裁判官可部恒雄の意見は、次のとおりである。
一 憲法三一条にいう「法律に定める手続」とは、単に国会において成立した法律所定の手続を意味するにとどまらず、「適正な法律手続」を指すものであること、同条による適正手続の保障はひとり同条の明規する刑罰にとどまらず「財産権」にも及ぶものであること(昭和三〇年(あ)第二九六一号同三七年一一月二八日大法廷判決・刑集一六巻一一号一五九三頁)、また、民事上の秩序罰としての過料を科する作用は、その実質においては一種の行政処分としての性質を有するものであるが、非訟事件手続法による過料の裁判は、過料を科するについての同法の規定内容に照らして、法律の定める適正な手続によるものということができ、憲法三一条に違反するものでないこと(昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁)、また同条の法意に関連するものとして、憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあるとするのは相当でないこと(昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)は、いずれも当裁判所の判例とするところである。
二 憲法三一条による適正手続の保障は、ひとり刑事手続に限らず、行政手続にも及ぶと解されるのであるが、行政手続がそれぞれの行政目的に応じて多種多様である実情に照らせば、同条の保障が行政処分全般につき一律に妥当し、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を欠くことが直ちに違憲・無効の結論を招来する、と解するのは相当でない。多種多様な行政処分のいかなる範囲につき同条の保障を肯定すべきかは、それ自体解決困難な熟慮を要する課題であって、いわゆる行政手続法の制定が検討されていることも周知のところであるが、論点をより具体的に限定して、私人の所有権に対する重大な制限が行政処分によって課せられた事案を想定すれば、かかる場合に憲法三一条の保障が及ぶと解すべきことは、むしろ当然の事理に属し、かかる処分が一切の事前手続を経ずして課せられることは、原則として憲法の許容せざるところというべく、これが同条違反の評価を免れ得るのは、限られた例外の場合であるとしなければならない。例外の最たるものは、消防法二九条に規定する場合のごときであるが、これを極限状況にあるものとして、本件が例外の場合に当たるか否かを考察すべきであろう。
三 本法の制定をめぐる問題状況については、上告理由第一点の(二)について法廷意見の述べるとおりであるが、本件において注目されるのは、本件工作物の設置の時期、場所、特に当該工作物自体の構造である。すなわち、原判決(その引用する第一審判決を含む)の認定するところによれば、
「本件工作物は鉄骨鉄筋コンクリート地上三階、地下一階建の建物であり、東西11.47メートル、南北11.5メートル、地上部分の高さ約一〇メートルの立法体に類似した形状をしていて、七か所の小さな換気口及び明り取りのほかには窓及び出入口は存在せず、四方がコンクリートづくめの異様な外観であり、また、内部への出入りは地上から梯子をかけて屋上に昇りその開口部分から行う等の特異な構造を有し、その内部構造も、一階から二階へ、地下部分から直接二階へ、三階から屋上への各昇降口には鉄パイプ梯子がかけられており、二階から三階への昇降口には木製の踏み台が置かれているほかは各階相互間に階段等の昇降手段がない特異な構造となっていること、そして地下部分から緊急時の出入り用のトンネルが左右に掘られている」
というのであって、その構造は、右の判示にみられるように異様の一語に尽き、通常の居住用又は農作物等の格納用の建物とは著しく異なり、何びともその使用目的の何たるかを疑問とせざるを得ないであろう。
次に、本件工作物に対する行政処分の具体的内容をみるのに、そこにおいて禁止される財産権行使の態様としては、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること」及び「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること」という二態様に尽きるのである。
四 対象となる所有権の内容が、具体的には右にみるようなものであり、また、これを制限する行政処分の内容が右にみるとおりであるとすれば、本件の具体的案件を、行政処分による所有権に対する重大な制限として一般化した上で、本件処分を目して、事前の告知・聴聞を経ない限り、憲法三一条に違反するものとするのは相当でない。
すなわち、本件工作物の構造の異様さから考えられるその使用目的とこれに対する本件処分の内容とを総合勘案すれば、前記にみるような態様の財産権行使の禁止が憲法二九条によって保障される財産権に対する重大な制限に当たるか否か、疑問とせざるを得ないのみならず、これを強いて「重大な制限」に当たると観念するとしても、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を経ない限り、三一条を含む憲法の法条に反するものとはたやすく断じ難いところである。
五 これを要するに、一般に、行政処分をもってする所有権の重大な制限には憲法三一条の保障が及ぶと解されるのであり、また、かく解することが当裁判所の累次の先例の趣旨に副う所以であると考えられるが、本件工作物につき前記態様の使用の禁止を命じた本件処分につき、事前手続を欠く限り憲法三一条に違反するものとすることはできない。
論旨は理由がなく、原判決は結論において是認すべきものと考える。
(裁判長裁判官草場良八 裁判官藤島昭 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官大堀誠一 裁判官園部逸夫 裁判官橋元四郎平 裁判官中島敏次郎 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄 裁判官木崎良平 裁判官味村治 裁判官大西勝也 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)


会社法 事例で考える会社法 事例9 名前ってなに?


Ⅰ はじめに

Ⅱ 設問1について
1.はじめに
+(譲渡等の承認の決定等)
第百三十九条  株式会社が第百三十六条又は第百三十七条第一項の承認をするか否かの決定をするには、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議によらなければならない。ただし、定款に別段の定めがある場合は、この限りでない。
2  株式会社は、前項の決定をしたときは、譲渡等承認請求をした者(以下この款において「譲渡等承認請求者」という。)に対し、当該決定の内容を通知しなければならない。

2.株式譲渡承認決議
・会社にとって好ましくない者が株主になることを防止
・株主間の割合についても。

・すべての株主が賛成している場合
+判例(H9.3.27)
理由
上告代理人村田由夫、同竹本昌弘の上告理由について
原審が確定したところによれば、昭和五四年一二月三〇日における被上告人有限会社芦屋寶盛館の社員は、A、上告人及び被上告人Bの三名で、各一〇〇口の出資口数に応じた持分を有していたところ、Aは、同日、その持分の一部をC、D、E及びFに対して贈与したが、右贈与につき、被上告会社の社員総会の承認はなかったものの、右社員全員が右贈与を承認していたというのである。原審の右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない(なお、原判決一六枚目裏一行目に「昭和五五年」とあるのは、「昭和五四年」の誤記と認める。)。
有限会社法一九条二項が、社員がその持分を社員でない者に譲渡しようとする場合に社員総会の承認を要するものと規定している趣旨は、専ら会社にとって好ましくない者が社員となることを防止し、もって譲渡人以外の社員の利益を保護するところにあると解されるから、有限会社の社員がその持分を社員でない者に対して譲渡した場合において、右譲渡人以外の社員全員がこれを承認していたときは、右譲渡は「社員総会の承認がなくても、譲渡当事者以外の者に対する関係においても有効と解するのが相当である。
そうすると、前記事実関係の下において、右贈与を有効とした原審の判断は、正当として是認することができ、右判断の違法をいう所論は理由がない。
その余の所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。
以上によれば、論旨は、いずれも採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤井正雄 裁判官 小野幹雄 裁判官 高橋久子 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友)

++解説
《解  説》
一 有限会社法一九条二項は、社員がその持分を社員でない者に譲渡しようとする場合においては社員総会の承認を要するものと規定している。本件では、社員総会の承認はないが、譲渡人以外の社員全員が譲渡を承認していた場合に、当該譲渡が譲渡当事者以外の者に対する関係においても有効といえるかが問題となった。本判決は、最高裁としてこれを肯定したものである。
二 本件は、Xが、有限会社Y1及びその代表取締役Y2に対し、同社の二〇〇口の出資持分を有することの確認と、Y1に対し、同社の代表権を有する取締役であることの確認を求めた事案である。
三 以下においては、有限会社の持分に関する点を中心に事案の概要及び訴訟の経緯を紹介する。
1 Aは、書籍販売等を目的とする訴外株式会社の代表取締役かつ実質的オーナーであった。有限会社であるY1は、訴外株式会社の支店であったものが、最終的に別法人とされたものである。Y1の設立当初は、Aの長男であるXが代表取締役となった。Aには、訴外株式会社を長男Xに、Y1を長女B(Xの妹)に継がせたいとの意向があって、Bの夫にY2を迎え(その間の子がC、D、E)、Y2がY1の代表取締役となった。
2 本件訴訟では、持分に関し、(1) Y1設立当時、Xが単独で全持分三〇〇口を有していたか、(2) Aも持分を一〇〇口有していたとした場合、Aの死亡でその半分をXが相続したか、それとも、AがB、C、D、Eに対して持分の生前贈与をしたことで右相続による取得はあり得ないか、(3) XからY2への一〇〇口の持分譲渡は有効か、などが争われた。
3 一審が一〇〇口の限度でXの請求を一部認容したのに対し、控訴審(双方控訴)は、(一) Y1の設立当初、A、X、Uが各一〇〇口の出資持分を有していた(定款の記載と同じ)、(二) 昭32・3・17、Y2は、UからY1の出資持分一〇〇口を譲り受けるとともにY1の代表取締役に就任し、他方、Xは、Y1の代表取締役を辞任するとともに、Aから訴外株式会社の全株式を譲り受け、同社の代表取締役に就任した、(三) 昭54・12・30当時におけるY1の社員は、A、X、Y2の三名で各一〇〇口の持分を有していたが、Aは、その持分を、同日、昭55・12・30及び同56・7・21の三回に分けて、B、C、D、Eに対し、各合計二五口ずつ贈与したものであるところ、当時、右贈与についてY1の社員総会の承認があった事実を認めることのできる証拠はないが、Xは、右贈与を承認していたものと推認され、結局、右贈与は、Y1の社員全員の承認があり有効である、(四) 昭59・2・23、Xは、持分一〇〇口をY2に有効に譲渡し、持分のすべてを失った、などと判示して、Xの請求をすべて棄却した。
4 Xが上告し、原審の事実認定を非難するとともに、贈与の有効性に関する原審の判断が有限会社法一九条に反するなどと主張した。
5 これに対し、本判決は、事実認定に関する上告理由を排斥し、有限会社法一九条二項の趣旨につき、「専ら会社にとって好ましくない者が社員となることを防止し、もって譲渡人以外の社員の利益を保護するところにある」とした上、判決要旨のとおり判示して、Aの贈与を有効であるとした原審の判断を是認した(上告棄却。なお、本件では、有限会社法二〇条所定の対抗要件に欠けるところはない。また、最初の贈与が有効であれば、二回目以後の贈与は社員間の譲渡となって問題はない。)。
四 有限会社法一九条二項と類似の規定として、株式会社の株式譲渡につき、定款をもって取締役会の承認を要する旨を定めることができるとする商法二〇四条一項ただし書があり、最三小判平5・3・30民集四七巻四号三四三九頁、本誌八四二号一四一頁は、本判決と同様に右譲渡制限規定の趣旨を説示した上、「いわゆる一人会社の株主がその保有する株式を他に譲渡した場合には、定款所定の取締役会の承認がなくとも、その譲渡は、会社に対する関係においても有効と解するのが相当である。」と判示している。ただ、右は、譲渡人以外に株主が存在しない一人会社に関するもので、他に社員ないし株主が存在し、その全員が譲渡を承認していた場合に関しては、有限会社の事案についてではあるが、本判決が初めて最高裁としての判断を明示したことになる。
有限会社法一九条二項、商法二〇四条一項ただし書の譲渡制限規定の趣旨が譲渡人以外の社員(株主)の利益を保護するところにあると解され(上柳=鴻=竹内・新版注釈会社法(14)一四五頁〔担当神崎克郎〕など、学説でもほぼ異論はないようである)、その保護の対象となる社員(株主)全員が譲渡を承認している以上、当該譲渡の効力を否定すべき理由はないと思われる。
学説をみても、株式の譲渡制限に関する議論ではあるが、株主全員の承認があれば取締役会の承認がなくても会社に対する関係においても譲渡は有効であるとの結論においては、ほぼ異論がないように見受けられる(右平成5年判決、東京高判平2・11・29判時一三七四号一一二頁及び東京地判平1・6・27金判八三七号三五頁の評釈等である、森淳二朗・法セ四三二号一二四頁、野村直之・本誌七九〇号一六八頁、鈴木千佳子・法学研究(慶応)六九巻九号一八九頁、藤原雄三・判評四三〇号四四頁、西尾信一・手研四九九号六〇頁、坂田桂三=酒巻俊之・司法研究所紀要第三巻一四五頁、小野寺千世・ジュリ一〇四七号一二二頁、永井和之・金法一二九六号四頁、森本滋・会社法〔第二版〕一五六頁等参照。なお、反対説と解されるものとして、伊藤壽英・金判八四七号三三頁がある)。
ところで、本件のような持分譲渡を社員総会の承認がなくても有効であるとする考え方を分析すると、第一に、譲渡人以外の社員全員の承認がある以上、これらの者の利益保護を問題とする余地はないとの考え方(実質的にみて譲渡制限規定を適用する前提を欠くということになろうか)、第二に、社員全員の承認があることで社員総会の承認に代置ないし同視し得るとの考え方があり得るように思われる。他方、株式会社の場合についてみると、第一の考え方はここでも同旨の説明ができるが、第二の考え方では、株主全員の承認と取締役会の承認という構成員を異にするものの間での代置ないし同視が問題となるので、有限会社ほど説明が容易ではなく、何らかの理論的説明を要する。その結果、理論構成をめぐって更に見解が分かれている(前掲各学説参照)。
本判決では、右いずれの考え方によるかは明示的には判示されていないというべきであろうが、その説示等から推察するならば、第一の考え方のように理解し得るのではなかろうか。そうであるとすれば、株式会社において譲渡人以外の株主全員の承認がある場合についてもこれと同旨の説明が可能であろう。
五 本判決は、有限会社の社員全員の承認の下にされた持分譲渡の効力に関し、最高裁として初めての判断を示したもので、重要な判例といえよう。

・一人会社の場合
+判例(H5.3.30)
理由
上告代理人菅野孝久、同神谷光弘の上告理由第一点について
上告人が資本の額一〇〇〇万円の株式会社であって、その代表取締役にAが就任している旨の登記がされていることは、原審の適法に確定したところであり、また、本訴において、被上告人らのうちB、C及びDの三名は、いずれも自己が上告人の取締役の地位にあると主張して、その旨の地位確認とAを取締役に選任する旨の上告人の株主総会の決議が存在しないことの確認等を求めたところ、これに対し、Aは上告人の代表取締役として応訴し、右三名が上告人の取締役であることを争ったことは、記録上明らかである。
ところで、株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「商法特例法」という。)二四条一項は、資本の額が一億円以下の株式会社(以下「会社」という。)が取締役に対し、又は取締役が会社に対して訴えを提起する場合には、その訴えについては、取締役会が定める者が会社を代表する旨規定しているところ、所論は、右三名が提起した訴えについても、右規定により上告人の取締役会が定めた者が上告人を代表して応訴すべきであったもので、右訴えに関する訴状の送達から原判決の言渡しに至るまでのすべての手続は無効であるというのである。
しかしながら、商法特例法二四条一項が会社と取締役との間の訴訟について会社の代表取締役の代表権を否定したのは、代表取締役は、本来会社の利益を図るために会社を代表して訴訟を追行すべきところ、訴訟の相手方が同僚の取締役である場合には、会社の利益よりもその取締役の利益を優先させ、いわゆるなれ合い訴訟により会社の利益を害するおそれがあることから、これを防止する趣旨によるものと解される。そうすると、会社を代表する代表取締役において当該訴訟の相手方を取締役と認めていないときは、右の意味におけるなれ合いのおそれはないことが明らかであるから、会社を代表する代表取締役において取締役と認めていない者は、同項にいう取締役に当たらないものと解するのが相当である。したがって、上告人の代表取締役として応訴したAにおいて右被上告人三名が上告人の取締役であることを争っている本件にあっては、右三名は同項にいう取締役に当たらず、右三名が提起した訴えについては同項は適用されないといわなければならない。原審のこの点に関する判断には、措辞適切を欠く部分があるが、その結論は正当として是認し得る。論旨は採用することができない。

同第二点について
原審の適法に確定したところによると、上告人の全株式二万株を保有していたAは、このうち一万二〇〇〇株を被上告人Bに、三〇〇〇株を同Dに譲渡したが、右各譲渡については、上告人の定款所定の取締役会の承認はなかったというのである。
ところで、商法二〇四条一項ただし書が、株式の譲渡につき定款をもって取締役会の承認を要する旨を定めることを妨げないと規定している趣旨は、専ら会社にとって好ましくない者が株主となることを防止し、もって譲渡人以外の株主の利益を保護することにあると解される(最高裁昭和四七年(オ)第九一号同四八年六月一五日第二小法廷判決・民集二七巻六号七〇〇頁参照)から、本件のようないわゆる一人会社の株主がその保有する株式を他に譲渡した場合には、定款所定の取締役会の承認がなくとも、その譲渡は、会社に対する関係においても有効と解するのが相当である
原判決にはその説示において必ずしも適切でないところがあるが、前示の各株式譲渡は上告人に対する関係においても有効とした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。
その余の上告理由について
論旨は、原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうか、又は原審の判断と関係のない事項を挙げて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)

3.名義書換未了株主の権利行使

+(株主名簿)
第百二十一条  株式会社は、株主名簿を作成し、これに次に掲げる事項(以下「株主名簿記載事項」という。)を記載し、又は記録しなければならない。
一  株主の氏名又は名称及び住所
二  前号の株主の有する株式の数(種類株式発行会社にあっては、株式の種類及び種類ごとの数)
三  第一号の株主が株式を取得した日
四  株式会社が株券発行会社である場合には、第二号の株式(株券が発行されているものに限る。)に係る株券の番号

+判例(S30.10.20)
理由
論旨第一点について。
商法二〇六条一項(昭和二五年法律一六七号による改正前の、本件株主総会決議当時の同条項をいう。)によれば、記名株式の移転は、取得者の氏名及び住所を株主名簿に記載しなければ会社には対抗できないが、会社からは右移転のあつたことを主張することは妨げない法意と解するを相当とする。従つて、本件においては、訴外Aが訴外Bの被上告会社の株式一〇株を譲り受けたことについて、株主名簿に記載してないことは所論のとおりであるが、それは右譲渡をもつて被上告会社に対抗し得ないというに止まり、会社側においては、株主名簿の書換が何らかの都合でおくれていても、右株式の譲渡を認めて譲受人Aを株主として取り扱うことを妨げるものではない。そして仮に所論のとおり、会杜がAを株主名簿の記載により五〇〇株の株主と認めてこれに株主総会招集の通知を発したものであるとしても、原審は、証拠により、Aが昭和一八年一二月一日Bから被上告会社の株式一〇株を譲り受け、その頃被上告会社に名義書換を請求したことを認定しているのであるから、被上告会社が、Aを、その所有株数を何程と認めたかは別として、株主と認めてこれに株主総会招集の通知を発したこと及びこれに基き同人が株主総会に出頭したこと自体は、結局において違法ということはできない。それ故所論は採用できない。

同第二点について。
原審は証拠により昭和一八年一二月一日BよりAへ被上告会社の株式一〇株が譲渡されたことを認定した上、本件株主総会当時Aは少くとも一〇株の株主であつたものと認めるのを相当とすると判示しているのである。それ故原判決には所論のような違法は認められない。

同第三点、第四点について。
原審は、本件において、株主総会の決議事項について特別の利害関係を有する株主の株式を表決から除外する措置をとらなかつたこと、株主でない者に株主総会招集の通知を発したこと等の違法があつたとしても、若しそのような違法がなかつたならば決議の結果が違つたかもしれないと推測されるような事情は、乙一号証によつて認めうる本件株主総会の経過、その他の証拠から見て、存在しないと認定し、そのような場合においては、裁判所は株主総会の決議の取消請求を許容すべきでなく、そのことは、商法二五一条が昭和二五年法律一六七号商法の一部を改正する法律によつて削除されたと否とに拘らない旨を判示した。思うに、商法二五一条は、昭和二五年法律一六七号商法の一部を改正する法律によつて削除されたが、それは、従来の同条の規定が、裁判所に一切の事情の斟酌を許し、従つてその裁量権を余り広汎に認めすぎる如く解されるおそれがあつたため削除されたものであつて、商法二四七条によつて提起された株主総会の決議取消の訴訟において裁判所が合理的な判断の下に右取消請求を認容するか否かを決しうることまでも否定しようとする趣旨と解すベきではなく、たとえ株主総会招集の手続又はその決議の方法が違法であつても、株主総会における議事の経過その他から判断して、その違法が決議の結果に異動を及ぼすと推測されるような事情の存在は認められないと原審の認定した本件のような場合(原審の右認定は当審においても是認できる。)において本件請求を棄却した原判示は正当であつて、所論は理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 岩松三郎)

Ⅲ 設問2(1)について
株主名簿の確定的効力

Ⅳ 設問2(2)について
1.株式譲渡承認の擬制

+(株式取得者からの承認の請求)
第百三十七条  譲渡制限株式を取得した株式取得者は、株式会社に対し、当該譲渡制限株式を取得したことについて承認をするか否かの決定をすることを請求することができる。
2  前項の規定による請求は、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合を除き、その取得した株式の株主として株主名簿に記載され、若しくは記録された者又はその相続人その他の一般承継人と共同してしなければならない

+(株式会社が承認をしたとみなされる場合)
第百四十五条  次に掲げる場合には、株式会社は、第百三十六条又は第百三十七条第一項の承認をする旨の決定をしたものとみなす。ただし、株式会社と譲渡等承認請求者との合意により別段の定めをしたときは、この限りでない。
一  株式会社が第百三十六条又は第百三十七条第一項の規定による請求の日から二週間(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)以内に第百三十九条第二項の規定による通知をしなかった場合
二  株式会社が第百三十九条第二項の規定による通知の日から四十日(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)以内に第百四十一条第一項の規定による通知をしなかった場合(指定買取人が第百三十九条第二項の規定による通知の日から十日(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)以内に第百四十二条第一項の規定による通知をした場合を除く。)
三  前二号に掲げる場合のほか、法務省令で定める場合

2.名義書換の不当拒絶

+(株主の請求による株主名簿記載事項の記載又は記録)
第百三十三条  株式を当該株式を発行した株式会社以外の者から取得した者(当該株式会社を除く。以下この節において「株式取得者」という。)は、当該株式会社に対し、当該株式に係る株主名簿記載事項を株主名簿に記載し、又は記録することを請求することができる。
2  前項の規定による請求は、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合を除き、その取得した株式の株主として株主名簿に記載され、若しくは記録された者又はその相続人その他の一般承継人と共同してしなければならない。

第百三十四条  前条の規定は、株式取得者が取得した株式が譲渡制限株式である場合には、適用しない。ただし、次のいずれかに該当する場合は、この限りでない。
一  当該株式取得者が当該譲渡制限株式を取得することについて第百三十六条の承認を受けていること。
二  当該株式取得者が当該譲渡制限株式を取得したことについて第百三十七条第一項の承認を受けていること。
三  当該株式取得者が第百四十条第四項に規定する指定買取人であること。
四  当該株式取得者が相続その他の一般承継により譲渡制限株式を取得した者であること。

+判例(S41.7.28)
理由
上告代理人藤井滝夫の上告理由第一点について。
原判決の確定したところによれば、被上告会社は昭和三四年一二月二日取締役会において、同会社の新株式発行につき、(一)新株式は昭和三五年二月二九日午後五時現在、株主名簿に記載されている株主に対し、その所有株式一株につき新株二株の割合で割り合てる。(二)新株式の申込期間は同年四月二五日より五月一〇日までとする、(三)払込期日は同年五月二一日とする、(四)申込証拠金は一株につき金五〇円とし、払込期日に払込金に充当する旨を決議したところ、上告人は右基準日以前の同年一月二八日その有する旧株式五〇〇株を訴外Aに譲渡し、同訴外人は同年二月一六日被上告会社に株式名義書換の請求をしたけれども、被上告会社の過失により右書換は行われていなかつたので、右基準日当時も依然として上告人が五〇〇株の株主として記載されていたため、被上告会社は同年四月二五日上告人に一、〇〇〇株の新株割当の通知をなし、上告人は一、〇〇〇株の申込みをするとともに証拠金五〇、〇〇〇円の払込みをしたというのである。
思うに、正当の事由なくして株式の名義書換請求を拒絶した会社は、その書換のないことを理由としてその譲渡を否認し得ないのであり(大審院昭和三年七月六日判決、民集七巻五四六頁参照)、従つて、このような場合には、会社は株式譲受人を株主として取り扱うことを要し、株主名簿上に株主として記載されている譲渡人を株主として取り扱うことを得ない。そして、この理は会社が過失により株式譲受人から名義書換請求があつたのにかかわらず、その書換をしなかつたときにおいても、同様であると解すべきである。
今この見地に立つて本件を見るに、訴外Aは上告人から譲り受けた株式につき、前記基準日以前に適法に名義書換請求をしたのにかかわらず、被上告会社は過失によつてその書換をしなかつたというであるから、右株式について名義書換がなされていないけれども、被上告会社は右訴外人を株主として取り扱うことを要し、譲渡人たる上告人を株主として取り扱い得ないことは明らかなところであり、従つて、右基準日に株主であつたことを前提として新株式の交付を求める上告人の本訴請求を排斥した原審の判断は正当である。所論引用の判例は株式譲受人が会社に対して名義書換請求をすることを失念したいわゆる失念株に関するものであって、本件と事案を全く異にする。要するに、原判決に何等所論の違法はなく、論旨は採用に値しない。
同第二点について。
被上告会社が上告人に対してなした新株割当通知は、引受権を有しない者に対してなされたものであり、また、上告人の被上告会社に対してなした新株引受申込は引受権を有しない者によつてなされたものであつて、いずれも無効である旨の原審の判断は、正当であり、その判断の過程に所論違法はない。論旨は、独自の見解に基づき原判決を非難するものであつて採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)

・甲会社は、Bが実際に株主であるかという実質的な権利関係について調査すべきであり、Bが実質的な権利者であることが疑わしい場合には、名義書き換えに応じなくとも不当拒絶には当たらない!

Ⅴ 設問2(3)について
1.他人名義による株式の引き受け

・実際に株式を引き受けた者が株主となる!(実質説)
+判例(S42.11.17)
理由
上告代理人谷川八郎、同川合常彰の上告理由第一点について。
他人の承諾を得てその名義を用い株式を引受けた場合においては、名義人すなわち名義貸与者ではなく、実質上の引受人すなわち名義借用者がその株主となるものと解するのが相当である。ただし、商法第二〇一条は第一項において、名義のいかんを問わず実質上の引受人が株式引受人の義務を負担するという当然の事理を規定し、第二項において、特に通謀者の連帯責任を規定したものと解され、単なる名義貸与者が株主たる権利を取得する趣旨を規定したものとは解されないから、株式の引受および払込については、一般私法上の法律行為の場合と同じく、真に契約の当事者として申込をした者が引受人としての権利を取得し、義務を負担するものと解すべきであるからである。されば、右と同旨の見解に立ち上告人の本訴請求を排斥した原判決は正当であつて、原判決に所論の違法はない。所論は、右と異る見解に立つて原判決を攻撃するものであつて、採用できない。
同第二点について。
控訴人(上告人)は本件新株の引受に関し、単なる名義貸与者にすぎず、実質上の当事者でないとする原審の認定は、原判決挙示の証拠に照らして肯認することができる。したがつて、原判決に所論の違法はなく、所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨選択ないしは事実の認定を非難するに帰し、採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

2.実質説による場合

+(株式の譲渡の対抗要件)
第百三十条  株式の譲渡は、その株式を取得した者の氏名又は名称及び住所を株主名簿に記載し、又は記録しなければ、株式会社その他の第三者に対抗することができない。
2  株券発行会社における前項の規定の適用については、同項中「株式会社その他の第三者」とあるのは、「株式会社」とする。

3.形式説による場合

Ⅵ おわりに


民法 基本事例で考える民法演習2 21 他人の物の贈与とその効力~即時取得と担保責任


1.小問1(1)について

+(即時取得)
第百九十二条  取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。

・無償行為を除外していない!

2.小問1(2)について(基礎編)

+(贈与)
第五百四十九条  贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生ずる。

+(贈与者の担保責任)
第五百五十一条  贈与者は、贈与の目的である物又は権利の瑕疵又は不存在について、その責任を負わない。ただし、贈与者がその瑕疵又は不存在を知りながら受贈者に告げなかったときは、この限りでない。
2  負担付贈与については、贈与者は、その負担の限度において、売主と同じく担保の責任を負う。

・他人の物の贈与契約も有効
+判例(S44.1.31)
理由
上告代理人中川利吉の上告理由第一、二点について。
所論の点に関する原審の事実認定は、これに対応する原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足りる。そして、原審は、被上告人ら主張のように、被上告人北里の先代憲夫と訴外道本時雄とが共同買主となつて、上告人との間に、上告人が当時阿蘇郡南小国村および山田村内に所有していた土地、ならびにかつて所有していたが当時国に買収されていた土地の全部について売買契約を成立させた事実を認定したものであることを、その判文によつて窺うに足りるからこの点につき異見をいう所論はすでに前提を欠く。原判決にはなんら所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断および事実の認定を非難するにすぎないものであつて、採用することができない。

上告代理人下飯坂潤夫の上告理由について
原判決は所論第三次契約について、右契約は、被上告人北里と上告人との間に、新たに第一次契約と同一の売買物件を目的として締結された旨を認定判示しているのであつて、たんに、第一次契約を復活した旨判示するにとどまるものではないから、原判決に所論理由不備の違法があるとはいえない。そして、自作農創設特別措置法に基づいて国が買収し、すでにその所有権を取得した土地を目的とし、右土地の被買収者が第三者との間で売買契約を締結することは、民法五六〇条にいう「他人ノ権利ヲ以テ売買ノ目的ト為シタルトキ」にあたるものであつて、かかる売買契約も有効に成立するものと解すべきであり(当裁判所昭和二四年(オ)第三〇六号、同二五年一〇月二六日第一小法廷判決、民集四巻一〇号四九七頁参照)、また、他人の財産権をもつて贈与の目的とすることも可能であつて、かような場合には、贈与義務者はみずからその財産権を取得して受贈者にこれを移転する義務を負担するもので、かかる贈与契約もまた有効に成立するものと解すべきところ、原審の確定したところによれば、本件第三次契約においては、上告人は、被上告人北里に対し、本件一九二九番山林、一九二九番の一山林および一九二三番の一山林の所有権については、買収解除後、即時これを被上告人北里に移転することを承諾していたが、同被上告人は、右買収解除前に被上告人坂田由之に対して一九二五番山林および右三筆の山林を売り渡し、同被上告人は、さらにこれを被上告人坂田盛雄に贈与したというのであるから、一九二九番、同番の一および一九二三番の一の各山林の所有権は、買収が解除されて国から上告人に復帰すると同時に、被上告人北里、同坂田由之を経て同坂田盛雄に帰属したものと解すべきであつて、これと同旨の原審の判断は正当である。これと異なる見解に立つ所論は採用しえない。なお、所論は、原判決が被上告人北里を経て同坂田由之から同坂田盛雄に贈与された旨認定した土地とその後所有権移転登記手続がなされた旨認定した土地との間に喰い違いがあるというが、原判決の挙示する証拠関係に照らすと、一九二五番山林についても同時に原判示の他の二筆の山林とともに登記手続が行なわれた事実が窺われ、原判決としては、本訴において抹消登記手続請求の目的となつている右二筆の山林についてのみ登記申請が上告人の意思に基づいてなされたことを確定した趣旨と解することができるから、原判決に所論の違法はない。また、不動産の登記の申請にあたつては、所有権の登記名義人が登記義務者として登記を申請するときは、同人の印鑑証明書を提出しなければならないことは所論のとおりであるけれども(不動産登記法施行細則四二条)、右は虚偽の登記の発生を予防するために、その登記の申請が登記義務者の真意に基づくことを証明させる手段として定められたものであつて、裁判所は、登記の申請が登記権利者および義務者の意思に基づくことを確定すれば足り、必ずしも、登記義務者の印鑑証明書がその意思に基づいて提出されたことまでをも判決理由中に判示する必要はないと解すべきであるから、原判決に所論の違法はない。したがつて、論旨はすべて採用に値しない。
上告代理人宮瀬洋一の上告理由第一点の一について。
原判決が、上告人と被上告人北里との間で締結された第三次契約について、その対象とした物件のうち、当時自創法に基づいて国に買収されていた土地に関しては民法五六〇条にいう「他人ノ権利ヲ以テ売買ノ目的ト為シタル」場合にあたるものと解した趣旨であることは、その判文に照らして明らかであり、かつ、かかる契約が有効であることは、すでに上告代理人下飯坂潤夫の上告理由について述べたとおりであるから、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

同第一点の二について。
記録を精査しても、被上告人らの主張をもつて、所論のような趣旨に解しなければならないものとは認められないから、所論は前提を欠くものであつて、排斥を免れない。
同第一点の三について。
記録によれば、第三次契約の目的物件について、上告人は山田村不津原一九二五番原野ほか六筆と主張し、被上告人らは右土地ほか二二筆と主張したことは、論旨指摘のとおりである。したがつて、原判決が第一次契約および第三次契約の目的物件として、一九二九番山林、一九二九番の一山林、一九二三番の一山林が含まれていたとの点を除くほかは、契約内容についても当事者間に争がない趣旨を判示したことは不正確のそしりを免れない。しかし、原審が右売買契約の目的物件をもつて被上告人らの主張に従つた認定をした趣旨に解しうることは、すでに上告代理人中川利吉の上告理由について述べたとおりであり、かつ、本訴において争点となつているのは、右各契約の目的物件として前記各山林が含まれていたかどうかであつて、これらの点に関する原審の事実認定が是認するに足りることもすでに上告代理人中川利吉の上告理由について述べたとおりであるから、右の誤りは原判決に影響を及ぼさないものといわれなければならない。したがつて、論旨は理由がない。

同第二点について。
所論中、被上告人盛雄のなした本件一九二九番および同番の一の各山林に対する所有権取得登記が上告人の意思に基づかずにされたとする部分は、原審の裁量に属する証拠の取捨判断について異見を述べるものにすぎない。また、所論は、原判決が一九二五番山林に関する事実認定を除外しているというが、同山林は原判示第一次契約の目的物件中に含まれていたものであり、したがつて、原判決は第一次契約と同一の売買物件を目的として第三次契約を締結した旨判示することによつて、右一九二五番山林も売買の目的となつたことを判示したものであることが明らかである。そして、右一九二五番山林の売買について、所論のように現地における指示、引渡の有無等についてまで認定しなければならないものではないから、この点に関する所論も理由がない。また、不動産所有権の移転は不動産の占有を基準とすべきものではないことは明らかであるから、本件一九二三番の一山林に対する現地の占有の移転について判断を加えなかつたからといつて、原判決に所論の違法はない。なお、所論甲第一九号証は、原本の存在および成立に争のある書証であり、原判決が乙第一四号証を採用した以上その排斥の理由はおのずから明らかであるから、いちいち排斥の理由を明示する必要はない。したがつて、論旨はすべて採用するに足りない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(草鹿浅之助 城戸芳彦 石田和外 色川幸太郎 村上朝一)

・551条1項は債務不履行責任を制限する規定!

3.小問1(2)について(応用編)
動機の錯誤の一般論を超えて錯誤無効の主張を認めるべきか。

4.小問2について

+(他人の権利の売買における善意の売主の解除権)
第五百六十二条  売主が契約の時においてその売却した権利が自己に属しないことを知らなかった場合において、その権利を取得して買主に移転することができないときは、売主は、損害を賠償して、契約の解除をすることができる。
2  前項の場合において、買主が契約の時においてその買い受けた権利が売主に属しないことを知っていたときは、売主は、買主に対し、単にその売却した権利を移転することができない旨を通知して、契約の解除をすることができる。

+(有償契約への準用)
第五百五十九条  この節の規定は、売買以外の有償契約について準用する。ただし、その有償契約の性質がこれを許さないときは、この限りでない。

⇔贈与契約は無償契約だから準用されない!!
でも、売主にさえ認められているのであるから、贈与の場合にも認めてよいのでは!

・+(特定物の引渡しの場合の注意義務)
第四百条  債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。

なお受領遅滞後は軽減。

・+(特定物の現状による引渡し)
第四百八十三条  債権の目的が特定物の引渡しであるときは、弁済をする者は、その引渡しをすべき時の現状でその物を引き渡さなければならない。

+(弁済の費用)
第四百八十五条  弁済の費用について別段の意思表示がないときは、その費用は、債務者の負担とする。ただし、債権者が住所の移転その他の行為によって弁済の費用を増加させたときは、その増加額は、債権者の負担とする。

・危険負担は双務契約であることが前提とされている!!!!
片務契約である贈与契約には妥当しない!!!!


会社法 事例で考える会社法 事例8 法令違反行為と取締役の責任


Ⅰ はじめに

Ⅱ 任務懈怠責任と経営判断原則
1.任務懈怠責任
(1)要件
+(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
第四百二十三条  取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
2  取締役又は執行役が第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。以下この項において同じ。)の規定に違反して第三百五十六条第一項第一号の取引をしたときは、当該取引によって取締役、執行役又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する。
3  第三百五十六条第一項第二号又は第三号(これらの規定を第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引によって株式会社に損害が生じたときは、次に掲げる取締役又は執行役は、その任務を怠ったものと推定する。
一  第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取締役又は執行役
二  株式会社が当該取引をすることを決定した取締役又は執行役
三  当該取引に関する取締役会の承認の決議に賛成した取締役(指名委員会等設置会社においては、当該取引が指名委員会等設置会社と取締役との間の取引又は指名委員会等設置会社と取締役との利益が相反する取引である場合に限る。)
4  前項の規定は、第三百五十六条第一項第二号又は第三号に掲げる場合において、同項の取締役(監査等委員であるものを除く。)が当該取引につき監査等委員会の承認を受けたときは、適用しない。

+(取締役が自己のためにした取引に関する特則)
第四百二十八条  第三百五十六条第一項第二号(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引(自己のためにした取引に限る。)をした取締役又は執行役の第四百二十三条第一項の責任は、任務を怠ったことが当該取締役又は執行役の責めに帰することができない事由によるものであることをもって免れることができない。
2  前三条の規定は、前項の責任については、適用しない。

①任務懈怠
②会社に損害
③任務懈怠と損害に因果関係
④帰責事由(故意・過失)

(2)証明責任
責任を追及する側が①②③
役員側が④

・任務懈怠責任は債務不履行責任の性質を有する
→消滅時効は10年(民法167条1項)
遅延損害金の利率も民法所定の5分

2.任務懈怠と経営判断原則
(1)Y1Y2の任務懈怠
(2)経営判断原則
法令違反行為ではない業務執行の決定(362条2項1号・4項)・業務の執行(363条1項)についての注意義務違反

+(取締役会の権限等)
第三百六十二条  取締役会は、すべての取締役で組織する。
2  取締役会は、次に掲げる職務を行う。
一  取締役会設置会社の業務執行の決定
二  取締役の職務の執行の監督
三  代表取締役の選定及び解職
3  取締役会は、取締役の中から代表取締役を選定しなければならない。
4  取締役会は、次に掲げる事項その他の重要な業務執行の決定を取締役に委任することができない
一  重要な財産の処分及び譲受け
二  多額の借財
三  支配人その他の重要な使用人の選任及び解任
四  支店その他の重要な組織の設置、変更及び廃止
五  第六百七十六条第一号に掲げる事項その他の社債を引き受ける者の募集に関する重要な事項として法務省令で定める事項
六  取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務並びに当該株式会社及びその子会社から成る企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備
七  第四百二十六条第一項の規定による定款の定めに基づく第四百二十三条第一項の責任の免除
5  大会社である取締役会設置会社においては、取締役会は、前項第六号に掲げる事項を決定しなければならない。

(取締役会設置会社の取締役の権限)
第三百六十三条  次に掲げる取締役は、取締役会設置会社の業務を執行する。
一  代表取締役
二  代表取締役以外の取締役であって、取締役会の決議によって取締役会設置会社の業務を執行する取締役として選定されたもの
2  前項各号に掲げる取締役は、三箇月に一回以上、自己の職務の執行の状況を取締役会に報告しなければならない。

+判例(H22.7.15)
理由
上告代理人手塚裕之ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 本件は、上告補助参加人(以下「参加人」という。)の株主である被上告人が、参加人の取締役である上告人らに対し、上告人らが、A(以下「A」という。)の株式を1株当たり5万円の価格で参加人が買い取る旨の決定をしたことにつき、取締役としての善管注意義務違反があり、会社法423条1項により参加人に対する損害賠償責任を負うと主張して、同法847条に基づき、参加人に連帯して1億3004万0320円及び遅延損害金を支払うことを求める株主代表訴訟である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 参加人は、Aを含む傘下の子会社等をグループ企業として、不動産賃貸あっせんのフランチャイズ事業等を展開し、平成18年9月期時点で、連結ベースで総資産約1038億円、売上高約497億円及び経常利益約43億円の経営規模を有していた。
(2) Aは、主として、備品付きマンスリーマンション事業を行うことなどを目的として平成13年に設立された会社であり、設立時の株式の払込金額は5万円であった。Aの株式は、発行済株式の総数9940株の約66.7%に相当する6630株を参加人が保有していたが、参加人が、上記(1)の事業の遂行上重要であると考えていた上記フランチャイズ事業の加盟店等(以下「加盟店等」という。)もこれを引き受け、保有していた。
(3) 参加人は、機動的なグループ経営を図り、グループの競争力の強化を実現するため、完全子会社に主要事業を担わせ、参加人を持株会社とする事業再編計画を策定し、平成18年5月ころ、同計画に沿って、関連会社の統合、再編を進めていた。Aについては、参加人の完全子会社であるB(以下「B」という。)に合併して不動産賃貸管理業務等を含む事業を担わせることが計画された。
(4) 参加人には、社長の業務執行を補佐するための諮問機関として、役付取締役全員によって構成され、参加人及びその傘下のグループ各社の全般的な経営方針等を協議する経営会議が設置されている。平成18年5月11日に開催された経営会議には、上告人Y1が代表取締役として、上告人Y2及び同Y3が取締役として出席し、AとBとの合併に関する議題が協議された。そして、その席上、〈1〉 参加人の重要な子会社であるBは、完全子会社である必要があり、そのためには、AもBとの合併前に完全子会社とする必要があること、〈2〉 Aを完全子会社とする方法は、参加人の円滑な事業遂行を図る観点から、株式交換ではなく、可能な限り任意の合意に基づく買取りを実施すべきであること、〈3〉 その場合の買取価格は払込金額である5万円が適当であることなどが提案された。参加人から、上記提案につき助言を求められた弁護士は、基本的に経営判断の問題であり法的な問題はないこと、任意の買取りにおける価格設定は必要性とバランスの問題であり、合計金額もそれほど高額ではないから、Aの株主である重要な加盟店等との関係を良好に保つ必要性があるのであれば許容範囲である旨の意見を述べた。
協議の結果、上記提案のとおり1株当たり5万円の買取価格(以下「本件買取価格」という。)でAの株式の買取りを実施することが決定され(以下「本件決定」という。)、併せて、当時参加人との間で紛争が生じており買取りに応じないことが予想された株主については、株式交換の手続が必要となる旨の説明がされ、了承された。
(5) 参加人は、Aを完全子会社とするために実施を予定していた株式交換に備え、監査法人等2社に株式交換比率の算定を依頼した。提出された交換比率算定書の一つにおいては、Aの1株当たりの株式評価額が9709円とされ、他の一つにおいては、類似会社比較法による1株当たりの株主資本価値が6561円ないし1万9090円とされた。
(6) 参加人は、平成18年6月9日ころから同月29日までの間に、本件決定に基づき、参加人以外のAの株主のうち、買取りに応じなかった1社を除く株主から、株式3160株を1株当たり5万円、代金総額1億5800万円で買い取った(以下、これらの買取りを「本件取引」と総称する。)。
(7) その後、参加人とAとの間で株式交換契約が締結され、Aの株式1株について、参加人の株式0.192株の割合をもって割当交付するものとされた。

3 原審は、上告人らの善管注意義務違反の有無について次のとおり判断して、上告人らに対し参加人に連帯して1億2640万円及び遅延損害金の支払を命ずる限度で、被上告人の請求を認容した。
本件買取価格は、Aの株式1株当たりの払込金額が5万円であったことから、これと同額に設定されたものであり、それより低い額では買取りが円滑に進まないといえるか否かについて十分な調査、検討等がされていないこと、既にAの発行済株式の総数の3分の2以上の株式を保有していた参加人において、当時の状態を維持した場合と比較してAを完全子会社とすることが経営上どの程度有益な効果を生むかという観点から検討が十分にされていないこと、本件買取価格の設定当時のAの株式の1株当たりの価値は株式交換のために算定された評価額等から1万円であったと認めるのが相当であること等からすれば、本件買取価格の設定には合理的な根拠又は理由を見出すことはできず、上告人らは、取締役としての善管注意義務に違反して、その任務を怠ったものである。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。
前記事実関係によれば、本件取引は、AをBに合併して不動産賃貸管理等の事業を担わせるという参加人のグループの事業再編計画の一環として、Aを参加人の完全子会社とする目的で行われたものであるところ、このような事業再編計画の策定は、完全子会社とすることのメリットの評価を含め、将来予測にわたる経営上の専門的判断にゆだねられていると解される。そして、この場合における株式取得の方法や価格についても、取締役において、株式の評価額のほか、取得の必要性、参加人の財務上の負担、株式の取得を円滑に進める必要性の程度等をも総合考慮して決定することができ、その決定の過程、内容に著しく不合理な点がない限り、取締役としての善管注意義務に違反するものではないと解すべきである。
以上の見地からすると、参加人がAの株式を任意の合意に基づいて買い取ることは、円滑に株式取得を進める方法として合理性があるというべきであるし、その買取価格についても、Aの設立から5年が経過しているにすぎないことからすれば、払込金額である5万円を基準とすることには、一般的にみて相応の合理性がないわけではなく、参加人以外のAの株主には参加人が事業の遂行上重要であると考えていた加盟店等が含まれており、買取りを円満に進めてそれらの加盟店等との友好関係を維持することが今後における参加人及びその傘下のグループ企業各社の事業遂行のために有益であったことや、非上場株式であるAの株式の評価額には相当の幅があり、事業再編の効果によるAの企業価値の増加も期待できたことからすれば、株式交換に備えて算定されたAの株式の評価額や実際の交換比率が前記のようなものであったとしても、買取価格を1株当たり5万円と決定したことが著しく不合理であるとはいい難い。そして、本件決定に至る過程においては、参加人及びその傘下のグループ企業各社の全般的な経営方針等を協議する機関である経営会議において検討され、弁護士の意見も聴取されるなどの手続が履践されているのであって、その決定過程にも、何ら不合理な点は見当たらない
以上によれば、本件決定についての上告人らの判断は、参加人の取締役の判断として著しく不合理なものということはできないから、上告人らが、参加人の取締役としての善管注意義務に違反したということはできない。

5 以上と異なる見解の下に、本件決定についての上告人らの判断に参加人の取締役としての善管注意義務違反があるとして被上告人の請求を一部認容した原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決中、上告人ら敗訴部分は破棄を免れない。そして、以上説示したところによれば、同部分に関する被上告人の請求は理由がないから、同部分について被上告人の請求を棄却した第1審判決は正当であり、同部分についての被上告人の控訴は棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 白木勇 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 横田尤孝)

++解説
[解 説]
1 本件は,上告補助参加人であるA社が,その子会社であるB社の株主らから同社株式を買い取ったことに関し,A社の株主であるXが,A社の取締役であるYらに対し,Yらが,B社の株式を1株当たり5万円の価格でA社が買い取る旨の決定をしたことについて,取締役としての善管注意義務違反があり,会社法423条1項によりA社に対する損害賠償責任を負うと主張して,同法847条に基づき,連帯してA社に1億3004万0320円を支払うことを求める株主代表訴訟である。

2 前提となる事実等は次のとおりである。
(1)A社は,B社を含む傘下の子会社等をグループ企業として,不動産賃貸あっせんのフランチャイズ事業等を展開する会社である。B社は,主として,備品付きマンスリーマンション事業を行うことなどを目的として平成13年に設立された会社であり,設立時の株式の払込金額は5万円であった。B社の株式は,発行済み株式の総数の約66.7%をA社が保有していたが,A社がその事業の遂行上重要であると考えていた上記フランチャイズ事業の加盟店等もこれを引き受け,保有していた。
(2)A社は,A社を持株会社とする事業再編計画を策定し,平成18年5月ころ,同計画に沿って,関連会社の統合,再編を進めた。B社については,A社の完全子会社であるC社に合併して不動産賃貸管理業務等を含む事業を担わせることが計画された。
(3)A社には,社長の業務執行を補佐するための諮問機関として役付取締役全員によって構成され,A社及びその傘下のグループ各社の全般的な経営方針等を協議する経営会議が設置されている。平成18年5月11日に開催されたA社の経営会議において,Y1がA社の代表取締役として,Y2,Y3が取締役として出席し,その席上,B社をC社との合併前に完全子会社とすること,B社の株式の買取りは,可能な限り任意の買取りを実施すること,その場合の買取価格は払込金額である5万円が適当であることが提案され,助言を求められた弁護士も,B社の株主である重要な加盟店等との関係を良好に保つ必要性があるのであれば許容範囲である旨の意見を述べ,協議の結果,1株当たり5万円の買取価格でB社の株式の買取りを実施することが決定された(以下,この決定を「本件決定」という。)。
(4)その後,平成18年6月29日までの間に,本件決定に基づき,A社は,自己以外のB社の株主のうち,買取りに応じなかった1社を除く株主から,株式3160株を1株当たり5万円,総額1億5800万円で買い取った。
(5)なお,A社は,株式の買取りに応じない株主との間では株式交換の手続を採ることを予定していたため,それに備えて,監査法人等2社に株式交換比率の算定を依頼したところ,提出された算定書の一つにおいては,B社の株式評価額が1株9709円とされ,他の一つにおいては,類似会社比較法による1株当たりの株主資本価値が6561円ないし1万9090円とされた。その後,A社とB社との間で株式交換契約が締結され,B社の株式1株について,A社の株式0.192株の割合をもって割当交付するものとされた。

3 原審は,Yらは,A社の取締役としての善管注意義務に違反したとして,Yらに対しA社に連帯して1億2640万円及び遅延損害金の支払を命ずる限度でXの請求を認容した。原審は,買取価格が5万円より低い額では買取りが円滑に進まないといえるのか否かについて十分な調査,検討等がされていないこと,B社の発行済み株式の総数の3分の2以上の株式を保有していたA社において,B社を完全子会社化することが経営上どの程度有益な効果を生むかという観点から検討が十分にされていないこと,本件決定当時のB社の1株当たりの価値は1万円であったと認めるのが相当であることなどから,本件の買取価格の設定には合理的な根拠を見出すことはできず,Yらは,取締役としての善管注意義務に違反したものと判断した。
そこで,Yらが上告受理申立てをした。

4 本判決は,事業再編計画の一環として行われた株式取得の方法や価格の決定における取締役としての善管注意義務違反の有無の考え方を示した上で,判決要旨記載の事情などを考慮し,本件の買取価格の決定について,YらにA社の取締役としての善管注意義務に違反したということはできないと判断した。本件は,A社がその事業の遂行上重要であると考えていたフランチャイズ事業の加盟店等がB社の株主に含まれていた点に事案の特色があるということができ,B社の設立から5年が経過した状況で設立時の株式の払込金額を基準としたことも,加盟店等との友好関係を維持することの重要性を背景としてその合理性が考慮されたものと思われる。

5 本件は,事業再編計画の一環として行われる子会社の株式買取りのための価格設定における取締役の善管注意義務違反が問題となったものであり,経営判断についての善管注意義務に関する事案である。
経営判断に関する取締役の善管注意義務違反の有無について,下級審裁判例及び学説上,概ね,「判断の過程・内容が取締役として著しく不合理なものであったか否か」という判断基準が多く採用されている(主な下級審裁判例として,東京地判平5.9.16判タ827号39頁,東京地判平8.2.8資料商事144号111頁,東京地判平16.3.26判時1863号128頁,東京地決平16.6.23金判1213号61頁,東京地判平17.3.3判タ1256号179頁,東京地判平18.4.13判タ1226号192頁,大阪高判平19.3.15判タ1239号294頁等がある。)。そして,その場合の審査対象は,①経営判断の前提となる情報収集とその分析・検討における不合理さの有無,②事実認識に基づく意思決定の推論過程及び内容の著しい不合理さの有無であるといわれている(東京地方裁判所商事研究会編『類型別会社訴訟Ⅰ〔第2版〕』242頁等)。
この考え方は,アメリカの判例法理及びそれを取り込んだ制定法における経営判断の原則を参考にしたものといわれることもあるが,アメリカの経営判断の原則は,取締役の意思決定過程に不合理がないことを審査し,判断内容の合理性には一切踏み込まないなどの点で,我が国における実務及び学説とは異なっていると指摘されている(江頭憲治郎『株式会社法〔第2版〕』427頁~430頁)。我が国で議論されている経営判断の原則は,経営判断に係る善管注意義務違反の判断における審査基準をより明確化・具体化するものとして位置付けられていると考えられる。
近時,経営判断の善管注意義務違反の判断方法に関し,専門性を有する経営における判断内容に踏み込むべきではないとの価値判断を根拠に,経営判断の過程は厳重に審査すべきであるが,内容については抑制的でなければならないとして,異なる審査基準を採用すべきであるとする考え方が示されている(神崎克郎「経営判断の原則」森本滋ほか編『企業の健全性確保と取締役の責任』217頁~219頁,落合誠一「新会社法講義(10)株式会社のガバナンス(5)」法教317号35頁,江頭憲治郎=門口正人編『会社法大系(3)機関・計算等』234頁,235頁等)。経営判断の過程とその内容では,その性質上,取締役に認められる裁量の幅の程度が異なるということはできるように思われるが,その合理性の判断において有意な差異が生ずるのか否かはなお検討の余地があるとの議論もされている(齋藤毅「関連会社の救済・整理と取締役の善管注意義務・忠実義務」佐々木茂美編『民事実務研究Ⅰ』257頁,258頁)。
また,経営判断の経過や内容に関する事情をどのように総合考慮すべきかについては,いまだ議論が熟しているとはいえない状況のように思われる。
このような状況を踏まえ,本判決は,経営判断における善管注意義務違反の有無について,その判断の過程や内容に分析して検討すべきであるとの考え方を採用しつつも,判断過程や内容の合理性の審査基準に差異を設けるべきかなどの点まで示すことはしていない。本判決の意義は,経営判断における善管注意義務違反を否定する事例判断を示した点にあるということができると思われる。

・銀行の取締役
+判例(H21.11.9)
理由
被告人Aの弁護人和田丈夫ほか及び被告人Bの弁護人祖母井里重子ほかの各上告趣意のうち、原審の訴訟手続に関して判例違反をいう点は、原審は無罪判決を破棄して有罪判決をするのに必要な事実の取調べをしていると認められるから、前提を欠き、その余の各上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人Cの弁護人高橋智の上告趣意のうち、原審の訴訟手続に関して判例違反をいう点は、上記と同様の理由により前提を欠き、その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、銀行が取引先に対し不適切な融資をする際に問題となる特別背任罪における取締役の任務違背について、職権により判断する。
1 原判決の認定及び記録によれば、本件事実関係は次のとおりである。
(1) 被告人Aは平成元年4月1日から平成6年6月28日までの間、被告人Bは同月29日から平成9年11月20日までの間、それぞれ株式会社北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)の代表取締役頭取であったもの、被告人Cは、札幌市等で理美容業、不動産賃貸業等を営むD株式会社(以下「D」という。)及び同社から借り受けた土地上に総合健康レジャー施設を建設してこれを経営する株式会社E(以下「E」という。)の各代表取締役で、かつ、Dからホテル施設を借り受けて都市型高級リゾートホテルを経営する株式会社F(以下「F」という。)の実質的経営者であったものである(以下、D、E及びFの3社を併せて、「Dグループ」ということがある。)。拓銀は、昭和58年ころから、Dに対する本格的融資を開始し、拓銀の新興企業育成路線の対象企業として積極的に支援したが、拓銀と他行等との協調融資107億円により建設した上記レジャー施設(昭和63年4月開業)は当初見込みと違ってその売上げが減少し、また、建設費等266億円余のうち、その大半を拓銀1行からの融資により建設した上記ホテル(平成5年4月開業)は採算性が見込まれないものであり、売上高は当初見込みの半分程度にとどまっていた。さらに、Dは、上記レジャー施設の東側に位置する一帯の土地であるG地区約24万坪の総合開発を図るため、平成5年5月までに拓銀の系列ノンバンクである株式会社たくぎんファイナンスサービスから144億円余の融資を受けて土地の取得を進めていたが、未買収部分が点在し、開発計画の内容が定まらず、採算性にも疑問がある等、深刻な問題を抱えていた。このような状況の下、Dグループの資産状態、経営状況は悪化し、遅くとも平成5年5月ころまでには、同グループは、拓銀が赤字補てん等のための追加融資を打ち切れば直ちに倒産する実質倒産状態に陥っていた。平成6年3月期には、債務超過額は128億8600万円となり、借入金残高が696億3800万円で、そのうち拓銀グループからの借入金は629億2800万円を占めており、拓銀グループの借入金に対する保全不足額は358億8300万円に達し、Dグループ全体の事業の償却前営業利益は41億7100万円余の、償却前経常利益は75億8200万円余の赤字であった。その後、償却前営業利益、償却前経常利益の赤字幅は減少したものの、債務超過額、借入金残高は年々増加し、保全不足の状態が解消することはなかった。
(2) 被告人A及び同Bは、それぞれの頭取在任中に、Dグループがこのような資産状態、経営状況にあることを熟知しながら、赤字補てん資金等の本件各融資を決定し、実質無担保でこれを実行した。すなわち、被告人Aは、平成5年7月の経営会議でDグループが実質倒産状態に陥っていることを知ったが、経営改善や債権回収のための抜本的な方策を講じることもないまま、平成6年4月8日から同年6月30日までの間、前後10回にわたり、D及びFに対し、合計8億4000万円を貸し付け、また、被告人Bは、その路線を継承し、平成6年7月8日から平成9年10月13日までの間、前後88回にわたり、D、E及びFに対し、合計77億3150万円を貸し付けた。Dグループについては、本件各融資当時、営業改善努力によって既存の貸付金を含めその返済が期待できるような経営状況ではなかった上、貸付金の返済のために残されていたほとんど唯一の方途であったG地区の開発事業(融資額は、平成6年3月期までに162億円余に達していた。)も、同地区が市街化調整区域内にあり、その大半が農地であり、しかも、一部は農業振興地域の整備に関する法律の農用地区域に指定されていて、開発そのものが法的に厳しく制限された地域であって、許認可取得が容易でなかったこと、開発事業は対象地を地権者から漏れなく取得し、又はその同意を得ておく必要があるところ、平成5年時で約20%の、平成10年時でも約15%の未買収部分が残っていたこと、開発計画の内容が変転し、その詳細が決まらなかったことなどからその実現可能性に乏しく、仮に実現したとしてもその採算性に大きな疑問があるものであった。被告人A及び同Bは、拓銀のDグループ担当部から説明を受け、そのような状況も十分に認識していた。

2 所論は、本件融資の際の被告人A及び同Bの行為につき、両被告人が既存の貸付金の回収額をより多くして拓銀の損失を極小化し、拓銀自体に対する信用不安の発生を防止し、さらに、融資打切りによる地域社会の混乱を回避する等の様々な事情を考慮して総合的に判断することを求められていたこと、同判断が極めて高度な政策的、予測的、専門的な経営判断事項に属し、広い裁量を認めるべきものであること等を挙げて、それが著しく不当な判断でない限り尊重されるべきであるとして、任務違背がなかった旨主張する。
(1) そこで検討すると、銀行の取締役が負うべき注意義務については、一般の株式会社取締役と同様に、受任者の善管注意義務(民法644条)及び忠実義務(平成17年法律第87号による改正前の商法254条の3、会社法355条)を基本としつつも、いわゆる経営判断の原則が適用される余地があるしかし、銀行業が広く預金者から資金を集め、これを原資として企業等に融資することを本質とする免許事業であること、銀行の取締役は金融取引の専門家であり、その知識経験を活用して融資業務を行うことが期待されていること、万一銀行経営が破たんし、あるいは危機にひんした場合には預金者及び融資先を始めとして社会一般に広範かつ深刻な混乱を生じさせること等を考慮すれば、融資業務に際して要求される銀行の取締役の注意義務の程度は一般の株式会社取締役の場合に比べ高い水準のものであると解され、所論がいう経営判断の原則が適用される余地はそれだけ限定的なものにとどまるといわざるを得ない
したがって、銀行の取締役は、融資業務の実施に当たっては、元利金の回収不能という事態が生じないよう、債権保全のため、融資先の経営状況、資産状態等を調査し、その安全性を確認して貸付を決定し、原則として確実な担保を徴求する等、相当の措置をとるべき義務を有する例外的に、実質倒産状態にある企業に対する支援策として無担保又は不十分な担保で追加融資をして再建又は整理を目指すこと等があり得るにしても、これが適法とされるためには客観性を持った再建・整理計画とこれを確実に実行する銀行本体の強い経営体質を必要とするなど、その融資判断が合理性のあるものでなければならず、手続的には銀行内部での明確な計画の策定とその正式な承認を欠かせない
(2) これを本件についてみると、Dグループは、本件各融資に先立つ平成6年3月期において実質倒産状態にあり、グループ各社の経営状況が改善する見込みはなく、既存の貸付金の回収のほとんど唯一の方途と考えられていたG地区の開発事業もその実現可能性に乏しく、仮に実現したとしてもその採算性にも多大の疑問があったことから、既存の貸付金の返済は期待できないばかりか、追加融資は新たな損害を発生させる危険性のある状況にあった。被告人A及び同Bは、そのような状況を認識しつつ、抜本的な方策を講じないまま、実質無担保の本件各追加融資を決定、実行したのであって、上記のような客観性を持った再建・整理計画があったものでもなく、所論の損失極小化目的が明確な形で存在したともいえず、総体としてその融資判断は著しく合理性を欠いたものであり、銀行の取締役として融資に際し求められる債権保全に係る義務に違反したことは明らかである。そして、両被告人には、同義務違反の認識もあったと認められるから、特別背任罪における取締役としての任務違背があったというべきである。これと同旨の原判断は正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官田原睦夫の補足意見がある。

++解説
[解 説]
1 本件事案の詳細は決定に示されたとおりであるが,要するに,拓銀の代表取締役頭取が,実質倒産状態にあったAグループの各社に対し,赤字補てん資金等を実質無担保で追加融資したという事案である。なお,本件の原判決である札幌高判平18.8.31判タ1229号116頁も参照されたい。
2 刑事法上,判例,学説において,回収が困難と予想される無担保貸付や担保の不十分な貸付は一般に背任罪の任務違背となると解されている(団藤重光編『注釈刑法(6)』298頁〔内藤謙〕,大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法(13)〔第2版〕』190頁〔日比幹夫〕等参照)。本件は,実質倒産企業に対する追加融資の事案であり,回収困難が予想される実質無担保融資であるから,一般には任務違背に当たるといえる。もっとも,学説上は,「倒産に瀕している企業に対して危険を冒してさらに救済融資をなすことも,企業を再建して企業の倒産によって貸付金が完全に回収不能となるのを防ぎ,結局,当該金融機関の利益をはかるという観点からは,是認されることもあり得る。この意味においては,無担保貸付が,ただちに,債権保全の任務に反する行為だとは断定しかねるものがある。」などと説かれていた(藤木英雄『経済取引と犯罪』234頁,芝原邦爾『経済刑法研究(上)』171頁も同旨)。
3(1) ところで,特別背任罪における取締役の任務違背は,その点についての認識が必要という点を除くと,銀行の取締役の善管注意義務,忠実義務に違反することが当然の前提となるものと解される。
(2)銀行の取締役の責任に関する民事法上の議論についてみると,会社取締役の義務違反の判断に経営判断原則(経営判断に裁量を認め,判断過程,内容等が著しく不合理なものでなければ,義務違反の責任を負わないというもの)が取り入れられていることを前提とした上で,銀行の取締役の義務の程度は一般の企業経営者よりも高く,裁量の幅が狭いとされていることが指摘できる(岩原紳作「金融機関取締役の注意義務─会社法と金融監督法の交錯」落合誠一先生還暦記念『商事法への提言』216頁等)。
(3)最二小判平20.1.28裁時1452号46頁,判タ1262号69頁,判時1997号148頁,金法1838号55頁,金判1291号38頁は,拓銀が,積極的な融資の対象であったが大幅な債務超過となって破たんに直面したカブトデコムに対し,継続中の大規模リゾート開発事業が完成する予定の数か月後まで同社を延命させる目的で409億円の追加融資を実行したことについて,大幅な担保不足,リゾート事業は完成しても採算性が疑わしく,同事業からの回収が期待できたとはいえないなどの事情の下では,善管注意義務に違反するとしているが,上記融資の決定につき,「当時の状況下において,銀行の取締役に一般的に期待される水準に照らし,著しく不合理なものといわざるを得ず,……銀行の取締役としての忠実義務,善管注意義務違反があったというべきである。」と判示し,銀行の取締役に一般的に期待される水準を基準として,銀行の取締役としての経営判断の合理性を問題にし,著しく不合理なものであったとしている。
4 本件において,所論は,本件融資の際の拓銀の各代表取締役の行為につき,両名が既存の貸付金の回収額をより多くして拓銀の損失を極小化し,拓銀自体に対する信用不安の発生を防止する等の様々な事情を考慮して判断することを求められており,同判断が極めて高度な政策的,予測的,専門的な経営判断事項に属し,それが著しく不当な判断でない限り尊重されるべきであるとして,任務違背がなかった旨主張した。いわば本件に経営判断原則の適用を求めたといえる。
本決定は,これに対し,まず,「融資業務に際して要求される銀行の取締役の注意義務の程度は一般の株式会社取締役の場合に比べ高い水準のものであると解され,所論がいう経営判断の原則が適用される余地はそれだけ限定的なものにとどまる」「銀行の取締役は,融資業務の実施に当たっては,元利金の回収不能という事態が生じないよう,債権保全のため,融資先の経営状況,資産状態等を調査し,その安全性を確認して貸付を決定し,原則として確実な担保を徴求する等,相当の措置をとるべき義務を有する。」とした上で,「例外的に,実質倒産状態にある企業に対する支援策として無担保又は不十分な担保で追加融資をして再建又は整理を目指すこと等があり得るにしても,これが適法とされるためには客観性を持った再建・整理計画とこれを確実に実行する銀行本体の強い経営体質を必要とするなど,その融資判断が合理性のあるものでなければならず,手続的には銀行内部での明確な計画の策定とその正式な承認を欠かせない。」との一般論を述べている。その上で,要旨として,「銀行の代表取締役頭取が,実質倒産状態にある融資先企業グループの各社に対し,客観性を持った再建・整理計画もなく,既存の貸付金の回収額をより多くして銀行の損失を極小化する目的も明確な形で存在したとはいえない状況で,赤字補てん資金等を実質無担保で追加融資したことは,その判断において著しく合理性を欠き,銀行の取締役として融資に際し求められる債権保全に係る義務に違反し,特別背任罪における取締役としての任務違背に当たる。」との判断を示している。
5 銀行取締役が実質倒産企業に対して赤字補てん資金等を実質無担保で追加融資をする場合,客観性を持った再建・整理計画等が不可欠であり,客観性のある計画もないまま,そのような融資をすることが銀行取締役の義務違反,任務違反になることを明示した点において,銀行実務も含め,広い意味において,実務上参照価値は高いものと思われる。また,田原裁判官の詳細な補足意見が付されており,併せて参照されるべきものであろう。

・債権整理機構の場合
+判例(H20.1.28)
理由
上告代理人菊池史憲ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は、預金保険法附則7条1項所定の整理回収業務を行う上告人が、経営破たんしたA銀行(以下「A銀行」という。)の取締役であった被上告人らに対し、A銀行の株式会社B不動産(以下「B不動産」という。)に対する融資の際に被上告人らに忠実義務、善管注意義務違反があったと主張して、商法(平成17年法律第87号による改正前のもの。以下同じ。)266条1項5号に基づく損害賠償の一部請求として10億円及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求める事案である。

2 原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 当事者等
被上告人Y1は、平成元年4月から同6年6月までA銀行の代表取締役頭取の地位にあった。被上告人Y2は、平成元年4月から同5年6月までA銀行の代表取締役副頭取の地位にあった。被上告人Y3は、昭和63年4月にA銀行の代表取締役副頭取に就任し、後記の追加融資が決定された平成2年2月当時は東京に駐在して本州地区の統括業務を担当していたが、同年6月に取締役を退任した。被上告人Y4は、昭和62年12月にA銀行の常務取締役に就任し、平成2年2月当時は東京業務本部長を務めていたが、同年6月に取締役を退任した。
A銀行は、平成9年11月に経営が破たんし、同10年11月11日、株式会社整理回収銀行に対し、A銀行の役職員に対する損害賠償請求権等を含む資産を売り渡した。A銀行は、同年12月、内容証明郵便をもって、同債権譲渡の事実を被上告人らに通知した。
上告人は、その前身である株式会社住宅金融債権管理機構が、平成11年4月1日に株式会社整理回収銀行を吸収合併し、その商号を株式会社整理回収機構(現商号)に改めた会社である。
(2) 過振りの発生
ア A銀行千葉支店は、昭和63年7月ころ、Cとの間で取引を開始し、その後、Cの紹介で、B不動産とも取引を開始した。
イ Cは、平成2年1月10日(以下、月日のみを記載するときは、いずれも平成2年である。)以降、ほぼ連日、B不動産振出しの小切手をA銀行千葉支店に持ち込んだ。千葉支店の副支店長は、その都度、Cの要請に応じ、支払可能残高を超えて振り出された他行を支払銀行とする当該小切手について、これを交換に回す前に即日入金の上払い戻す処理を行った(以下、上記のような処理を「当日他券過振り」といい、B不動産振出しの小切手につき千葉支店の副支店長が行った一連の当日他券過振りを併せて「本件過振り」という。)。この払戻金の大半はB不動産の上記支払銀行の預金口座に送金され、Cがその前日に持ち込んだ同社振出しの小切手の決済資金に充てられた。このようにして過振り金額は次第に増加していき、2月21日の時点では48億4000万円に達していた。この過振り金は、実質的にはB不動産に対する与信であるが、その保全のための措置は何ら採られていなかった。当時、C及びB不動産は、D社の株式の大量売買(いわゆる仕手戦)を行っており、過振り金はこの株式売買資金等に用いられた。
被上告人Y4及び同Y3は、東京業務本部を通じて千葉支店の支店長であるE支店長(以下「E支店長」という。)から報告を受け、同日までに本件過振りについて認識した。千葉支店は、その後も同月26日までの間、B不動産振出しの小切手が資金不足により不渡りとなるのを避けるため、連日、同額の当日他券過振りを行った。
(3) 被上告人らの対応等
ア 被上告人Y4は、2月22日、B不動産の代表者であるFと面談した。Fは、過振りにつき陳謝し、A銀行に担保を提供すると述べた。被上告人Y4は、同日、不動産鑑定士であるG鑑定士(以下「G鑑定士」という。)に対し、B不動産の所有する12件の不動産(以下「本件不動産」という。)を至急鑑定するよう電話で依頼した。その際、被上告人Y4は、机上鑑定でよいから2日程度で返答してほしいこと、時間がないので地上げ途上の物件を含めすべて更地評価でよいことなどを伝えた。
イ 同月23日朝、被上告人らは、電話会議の方法で、今後の対応につき協議を行った。その際、B不動産から担保の提供を受けて過振り金相当額を同社に融資することについて異論は出なかった。
ウ 同月24日、G鑑定士から被上告人Y4に対し、電話で、本件不動産の評価額合計は約155億円であるとの鑑定結果の報告があった。
同日午後3時30分ころ、Fが千葉支店を訪れ、E支店長らに対し、資金繰りが苦しいので同月中にB不動産に20億円の追加融資をしてほしい、A銀行で融資ができないなら他社に依頼するのでA銀行には担保提供できないなどと述べて追加融資を強く要請した。
エ 同月26日午前9時ころ、被上告人らが全員参加して臨時の会議(以下「本件会議」という。)が開催された。被上告人Y4は、本件過振りの経緯を説明した上、東京業務本部の案として、B不動産から本件不動産の担保提供を受けて、本件過振り相当額の48億4000万円を同社に対して手形貸付けの方法で融資し、併せて20億円の追加融資を行うことを説明した。その際、本件不動産の担保価値について、G鑑定士による評価額が約155億円であり、B不動産自身による評価額が200億円であること、先順位担保権100億円を控除しても55億円から100億円は残ることなどが説明されたが、担保評価に関する資料の作成は間に合わず、同席上では口頭の説明のみにとどまった。また、20億円の具体的な使途や返済の見通し等について詳細な説明や資料の提供はなかった。
会議の席上では、20億円の追加融資に応じなければA銀行が担保を取得できず、48億4000万円の保全ができなくなる、B不動産は3月にも不渡りを出す可能性があるなどの意見が出された。協議の結果、B不動産から本件不動産の担保提供を受けることを条件に、同社振出しの小切手が資金不足により不渡りになることを避けるため、A銀行がB不動産に48億4000万円の手形貸付けを行うこと、併せて同社に上限20億円の追加融資を行うことが決定された。この決定に対し、被上告人らの中で異論を述べた者はいなかった。
オ 同月26日、A銀行からB不動産に対して48億4000万円の手形貸付け(以下「本件手形貸付け」という。)が行われた。これにより同社振出しの小切手は決済されて不渡りを免れ、同日以降、A銀行において同社振出しの小切手による他券過振りが行われることはなくなった。
また、A銀行は、B不動産の要請に応じ、本件会議の当日に5億円、翌27日に3億円、翌28日に3億円、3月1日に3億6000万円、翌2日に2億5000万円、同月8日に1億4000万円、同月12日に1億5000万円の合計20億円の追加融資(以下「本件追加融資」という。)を実行した。B不動産は、それ以降もA銀行に融資を要請したが、A銀行はこれに応じなかった。
(4) その後の経過等
ア 本件会議の後、東京第二支店部の次長兼審査役であったHは、本件不動産につき、時価にA銀行の評価基準による一定の掛け目を乗じた担保価格から先順位の被担保債権額を控除した価格(以下「実効担保価格」という。)を、当初は24億5000万円、次いで38億円とする担保明細表を起案したが、時価ベースで計算するようにとの被上告人Y4の指示を受け、最終的に、時価から先順位の被担保債権額を控除した担保余力を51億8700万円~78億4900万円とする担保明細表を作成して被上告人らの決裁を得た。
イ その後に実施されたA銀行内部の担保評価では、平成2年3月当時の本件不動産の実効担保価格は約25億円とされ、同年5月の時点における実効担保価格は約28億円とされたが、一部弁済を受けて本件不動産の一部につき担保を解除した後の7月には、本件不動産の実効担保価格(上記一部弁済による回収分相当額を担保を解除した不動産の実効担保価格とみて、これを残存する担保不動産の実効担保価格に加えた額)は約18億円~22億円とされた。
ウ 本件手形貸付けに係る48億4000万円はいまだ返済されていない。本件追加融資に係る20億円については、担保の実行等により一部回収されたが、貸付残高12億6816万4671円について回収が困難となっている。

3 第1審は、本件追加融資を決定した被上告人らの判断に取締役としての忠実義務、善管注意義務違反があると判断して、遅延損害金請求の一部を棄却したほか、上告人の請求を認容した。これに対し、原審は、本件追加融資につき次のとおり判断して、上告人の請求を棄却すべきものとした。
G鑑定士による本件不動産の評価内容は正確性に欠けるが、短期間のうちに全国に散在する12件の不動産の担保価値を把握する必要に迫られていたことに照らすと、そのすべてについて実地調査その他の精密な検討を加えなかったからといって、評価方法がずさんであったということはできず、その評価内容が不当に高額なものであったとは認められない。したがって、被上告人らが、G鑑定士による調査結果を基礎として本件不動産に20億円を上回る担保余力があると判断したことが取締役としての忠実義務又は善管注意義務に違反するとはいえない。また、本件不動産について、平成2年6月に実施されたA銀行の内部調査でも約35億円の担保価値が認められていたことに照らすと、同年2月当時において、被上告人らが本件追加融資額である20億円を上回る担保余力を見込んだことをもって判断を誤ったということはできない。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前記事実関係によれば、A銀行は、本件過振りの結果、B不動産に対して48億4000万円の無担保債権を有することとなり、その保全を図る目的でB不動産から本件不動産の担保提供を受けようとしたところ、担保を提供する条件としてB不動産に対する総額20億円の本件追加融資を求められたものであるが、B不動産は、本件過振りによって得た48億4000万円を株の仕手戦等に費消していて、過振りが継続されるか別途融資を受ける以外にはこれを返済する見通しがなかった上、資金繰りが悪化して近日中に不渡りを出すことが危ぶまれる状況にあったというのである。本件追加融資は、このように健全な貸付先とは到底認められない債務者に対する融資として新たな貸出リスクを生じさせるものであるから、本件過振りの事後処理に当たって債権の回収及び保全を第一義に考えるべき被上告人らにとって、原則として受け容れてはならない提案であったというべきである。それにもかかわらず、本件追加融資に応じるとの判断に合理性があるとすれば、それは、本件追加融資の担保として提供される本件不動産について、仮に本件追加融資後にその価格が下落したとしても、その下落が通常予測できないようなものでない限り、本件不動産を換価すればいつでも本件追加融資を確実に回収できるような担保余力(以下、このような担保余力を「確実な担保余力」という。)が見込まれる場合に限られるというべきである。したがって、A銀行の取締役であった被上告人らとしては、本件不動産について、総額20億円の本件追加融資の担保として確実な担保余力が見込まれるか否かを、客観的な判断資料に基づき慎重に検討する必要があったというべきである。
ところが、本件会議の席上で示された本件不動産の担保評価に関する判断資料としては、G鑑定士による評価額が約155億円であり、B不動産自身による評価額が200億円であるとの口頭の報告があったにすぎない。しかも、G鑑定士による評価額は、地上げ途上の物件も含めてすべてを更地として評価した場合の本件不動産の時価であって、およそ実態とかけ離れたものであり、また、B不動産自身による評価額についてもその根拠ないし裏付けとなる事実が示された形跡はうかがわれない。それにもかかわらず、被上告人らは、他に客観的な資料等を一切検討することなく、安易に本件不動産が本件追加融資の担保として確実な担保余力を有すると判断したものである。そして、前記認定事実によれば、本件追加融資の決定からわずか5か月後には、本件不動産の実効担保価格は約18億円~22億円程度にすぎなかったというのであり、この間、本件不動産について本件追加融資決定時には通常予測できないような価格の下落があったこともうかがわれないので、本件追加融資決定時において、本件不動産は、本件追加融資の担保として確実な担保余力を有することが見込まれる状態にはなかったというべきである。なお、原審は、平成2年6月に実施されたA銀行の内部調査でも本件不動産に約35億円の担保価値が認められていたというが、上記2(4)の経緯に照らせば、これが客観的な実効担保価格を示すものでないことは明らかである。
そうすると、B不動産に対し本件不動産を担保とすることを条件に本件追加融資を行うことを決定した被上告人らの判断は、本件過振りが判明してから短期間のうちにその対処方針及び本件追加融資に応じるか否かを決定しなければならないという時間的制約があったことを考慮しても、著しく不合理なものといわざるを得ず、被上告人らには取締役としての忠実義務、善管注意義務違反があったというべきである。したがって、被上告人らは、商法266条1項5号に基づき、本件追加融資によってA銀行に生じた損害を連帯して賠償すべき責任を負うところ、前記事実関係によれば、本件追加融資により、回収困難となっている貸付残高相当額12億6816万4671円の損害がA銀行に生じたことが明らかである。
5 以上と異なる見解の下に、本件追加融資につき被上告人らの忠実義務、善管注意義務違反を否定して上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決中被上告人らの控訴に基づいて第1審判決を変更した部分(主文第2項)は破棄を免れない。そして、以上説示したところによれば、第1審判決中上告人の請求を認容した部分は正当であり、上記部分についての被上告人らの控訴はいずれも棄却すべきである。
なお、その余の上告については、上告受理申立書及び上告受理申立て理由書に遅延損害金の起算日に関する記載がなく、理由がないから棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀)

++解説
《解  説》
1 本件は,北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)から債権譲渡を受けたX(株式会社整理回収機構)が,拓銀の元取締役であるYらに対し,融資に際し忠実義務,善管注意義務違反があったなどと主張して,平成17年法律第87号による改正前の商法266条1項5号に基づく損害賠償を請求した事案である。関連事件として,最二小判平20.1.28(平17(受)1440号)本号69頁〔カブトデコム関係〕及び最二小判平20.1.28(平18(受)1074号)本号56頁〔ミヤシタ関係〕がある。
1審は,融資に際しYらに忠実義務,善管注意義務違反があったと判断して,Xの請求を認容(ただし,遅延損害金請求については一部認容,一部棄却)した。これに対し,Yらが控訴し,Xも遅延損害金請求を一部棄却した部分に対して附帯控訴した。原審は,Yらの忠実義務,善管注意義務違反を否定して,原判決中Yらの敗訴部分を取り消した上,Xの請求を棄却するとともに,Xの附帯控訴を棄却した。これに対し,Xが上告受理申立てをしたのが本件である。
2 本件の事実経緯の概要は以下のとおりである。
(1) 拓銀千葉支店の副支店長は,平成2年1月10日以降(以下,特に断らない限り日付については平成2年である。),かねて取引関係のあったCの要請に応じ,ほぼ連日,(株)栄木不動産振出しの小切手について,当日他券過振りの処理(支払可能残高を超えて振り出された他行を支払銀行とする小切手について,これを交換に回す前に即日Cの口座に入金してこれを払い戻す処理)を行った(以下,一連の当日他券過振りを併せて「本件過振り」という。)。払戻金の大半は栄木不動産の預金口座に送金され,Cがその前日持ち込んだ小切手の決済資金に充てられたほか,C及び栄木不動産による仕手戦の株式購入資金等に用いられた。過振り金額は2月21日の時点では48億4000万円に達していた。
(2) Yらは,2月21日までに本件過振り事故の発生について認識した。栄木不動産の代表者Bは,同社が拓銀に対して48億4000万円の債務を負うことを前提に,同社の所有する12件の不動産(以下「本件不動産」という。)を担保提供すると申し出たものの,同月24日になって,同月中に栄木不動産に20億円の追加融資をするよう求め,それがなければ拓銀に担保提供することはできないなどと述べて追加融資を強く要請した。
同月26日に開催された会議において,不動産鑑定士Dによる本件不動産の評価額が約155億円であり,栄木不動産自身による評価額が200億円であることなどが口頭で説明された。Yらは,栄木不動産から本件不動産の担保提供を受けることを条件に,拓銀が栄木不動産に20億円の追加融資を行うことなどを決定した。
3 原審は,D鑑定士による本件不動産の評価内容は正確性に欠けるが,時間的制約があったことなどに照らすと,評価方法が杜撰であったということはできず,Yらが,D鑑定士による調査結果を基礎として本件不動産に20億円を上回る担保余力があると判断したことが取締役としての忠実義務,善管注意義務に違反するとはいえないなどと判示して,Yらの責任を否定した。
4 これに対し,本判決は,栄木不動産は近日中に不渡りを出すことが危ぶまれる状況にあるなど不健全な貸付先であったから,本件不動産について「確実な担保余力」(仮に追加融資後にその価格が下落したとしても,その下落が通常予測できないようなものでない限り,本件不動産を換価すればいつでも本件追加融資を確実に回収できるような担保余力)が認められる場合でない限り追加融資に応じるべきではないとの判断を前提に,Yらは,本件不動産の担保評価に際し,D鑑定士によるおよそ実態とかけ離れた評価額等のみを根拠とし,他に客観的な資料等を一切検討しなかったこと,本件追加融資決定時において,本件不動産は,本件追加融資の担保として確実な担保余力を有することが見込まれる状態にはなかったことなどから,本件追加融資を決定したYらには銀行の取締役としての忠実義務,善管注意義務違反があると判断して,原判決を一部(Yらの控訴に基づき1審判決中Yら敗訴部分を取り消してXの請求を棄却した部分)破棄し,Yらの控訴を棄却した。なお,その余の上告(原判決中Xの附帯控訴を棄却した部分に対する上告)については理由がないとして棄却された。
5(1) 融資に関し取締役の忠実義務,善管注意義務が問題となった事案としては,甲社がグループ企業の関係にある乙社を支援するために無担保貸付け等を行った場合において,甲社の取締役に忠実義務,善管注意義務違反があるとした原審の判断を是認した最一小判平12.9.28金判1105号16頁があるが,銀行の取締役の忠実義務,善管注意義務違反の有無について判断した最高裁判例はない。
銀行の取締役の忠実義務,善管注意義務については,金融機関の公共性等の観点から,一般の企業の経営者よりも要求される注意義務の水準が高く,経営判断の裁量の幅が狭いとする裁判例もあるが(札幌地判平16.3.26判タ1158号196頁),他方で,金融機関とそれ以外の企業の取締役を特に区別することなく,通常の企業人としての注意義務を基準に決定すべきものとした裁判例もある(名古屋地判平9.1.20判タ946号108頁,判時1600号144頁〔中京銀行事件〕等)。金融機関に限らず,取締役に要求される注意義務の内容,程度は,当該業種や事業目的,企業規模等によって異なり得るものであるから,抽象的な「通常の企業人」を基準とするのではなく当該会社の属する業界・規模における通常の経営者を基準とするのが相当であると思われる(神崎克郎「銀行の取締役が融資の決定をする際の善管注意義務」金法1492号76頁,小林俊明「銀行取締役の注意義務と経営判断の原則」ジュリ1314号150頁)。銀行が公共性を有することのみから直ちに銀行の取締役が通常の企業よりも一般的に高度の注意義務を負うということはできないとしても,銀行については,事業経営の安定性,健全性が強く求められるという業界の特殊性があるから,投機的ないわゆるハイリスクハイリターンの取引を行うには慎重さが求められると考えられる。また,銀行の取締役には融資の専門家としての知識経験を有することが期待されるから,融資の審査,実行という場面では,通常の企業経営者より厳しく注意義務違反の有無が問われる傾向が強くなることは否定できないであろう(岩原紳作「金融機関取締役の注意義務―会社法と金融監督法の交錯」落合誠一先生還暦記念『商事法への提言』212頁等)。
本判決は,銀行の取締役の注意義務について一般的な判示をしたものではないが,Yらの判断が拓銀の取締役として著しく合理性を欠くものであったか否かを検討しており,拓銀と同程度の規模の銀行の取締役の有すべき知見及び経験等を基準としているものと解される。
(2) 本件では,本件過振り事故により拓銀は栄木不動産に対して48億4000万円の無担保債権を有することとなっており,緊急にその保全を計る必要があったという事情がある。他方で,追加融資先である栄木不動産は近日中に手形の不渡りを出すことが危ぶまれるなど,同社の事業収益等から融資金を回収することは期待できない状況にあったから,仮に追加融資を実行した場合,その回収は担保の実行によるほかはなかったものである。本判決は,このような事情を前提に,追加融資に応じることは,拓銀にとってかえって損失を拡大させるおそれがあったから,本件不動産に「確実な担保余力」がない限りはこれに応じるべきではないとの判断をしたものである。ところが,本件不動産の担保価値の判断資料としては,およそ実態とかけ離れたD鑑定士による評価額等があったのみで,Yらは,他に客観的な資料等を一切検討することがなかったというのであるから,杜撰であったと評価されてもやむを得ないと思われる。もっとも,追加融資決定時において,本件不動産が客観的に「確実な担保余力」を有していたとすれば,本件不動産の担保提供を受けて追加融資に応じるとの判断自体は,その時点において合理性のある判断であったということができる。しかし,本判決は,原審の認定した事実等に照らし,本件不動産は客観的にも「確実な担保余力」を有していたということはできないとした。その上で,本判決は,これらの事情に照らし,追加融資に応じることを決定したYらの判断は,拓銀の取締役としての忠実義務,善管注意義務に違反すると判断したものである。
6 本判決は,事例判断ではあるが,融資の際の銀行の取締役の忠実義務,善管注意義務違反の有無について最高裁として判断を示したものであり,実務上参考になると思われる。

(3)経営判断原則が用いられる場合の当事者の主張・立証責任

(4)Y1・Y2に注意義務違反があったといえるか

3.帰責事由

4.会社の損害

5.経営判断原則が用いられない場合

Ⅲ 法令違反行為と取締役の責任(1)過失による法令違反行為
1.法令違反行為と任務懈怠
(1)Y1・Y2の任務懈怠
(2)法令違反行為の場合の任務懈怠の捉え方

+判例(H12.7.7)
理由
第一 本件の概要
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 A證券株式会社(以下「A證券」という。)は、有価証券の売買、その媒介、取次ぎ及び代理、有価証券の引受け及び売出し等を目的とする我が国最大手の証券会社であり、被上告人らは、平成二年三月当時A證券の代表取締役の地位にあった者であり、上告人らは、A證券の株主である。
2 B株式会社(以下「B」という。)は、A證券の大口顧客であり、A證券は、昭和四八年三月からBと有価証券の売買等による資金運用の取引を継続し、また、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあって、多額の手数料収入を得ていた。
主幹事証券会社になると多額の引受手数料等の収入を得ることができるため、主幹事となることにつき証券会社相互間で競争があり、また、いったん主幹事から外れるとこれを取り返すことには困難が伴うため、各証券会社は、証券発行を行う事業法人との取引関係の維持、拡大に努めている。
3(一)委託者が受託者である信託銀行と締結した特定金銭信託契約に基づき、信託銀行が、証券会社にそのための口座を開設して、委託者の指図に従い有価証券の売買等を行う取引(以下「特金勘定取引」という。)のうち、委託者が投資顧問業者と投資顧問契約を締結することなく、専ら証券会社が委託者に代わって信託銀行に指図することにより運用されていたものがあり、「営業特金」と呼ばれていた。
(二)Bは、平成元年四月、C信託銀行株式会社(以下「C信託銀行」という。)との間で、Bを委託者、C信託銀行を受託者とし、期間を平成二年三月までとする特定金銭信託契約を締結して一〇億円を信託し、これに基づきC信託銀行がA證券に取引口座を開設して、有価証券の売買によるBのための資金運用が開始された。Bは右取引につき投資顧問業者との間で投資顧問契約を締結しておらず、営業特金による取引であった。
(三)Bのための特金勘定取引口座には、平成元年末ころに約二億七〇〇〇万円の損失が生じており、平成二年一月ころからの株式市況の急激な悪化によって、更に損失が拡大し、期間満了を待たずに取引を終了させた同年二月末ころには、損失額は約三億六〇〇〇万円となっていた。
4(一)D証券株式会社が大口顧客に対して約一〇〇億円に上る損失補てんをしていたなどと報道される中で、大蔵省は、平成元年一二月二六日、日本証券業協会会長あてに、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(以下「本件通達」という。)を発し、法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘はもとより、事後的な損失の補てんや特別の利益提供も厳にこれを慎むこと、特金勘定取引について、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること等について、所属証券会社に周知徹底させるべきものとした。その趣旨を徹底するために、同日付けの大蔵省証券局業務課長による各財務(支)局理財部長あての事務連絡が発せられ、証券会社に対し、既存の特金勘定取引について本件通達に沿う所要の措置を講ずべき期限は平成二年末までとし、各年三月末及び九月末に特金勘定取引の口座数、そのうち投資顧問契約のないものの口座数等を報告させるなどの指導をすべきものとされた。
(二)日本証券業協会は、平成元年一二月二六日、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」(以下「本件規則」という。)を改正し、「協会員は、損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘を行なわないことはもとより、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎む」ものとする旨の規定(同規則八条)を新設した。
(三)A證券を始めとする証券会社は、本件通達等の主眼が早急に営業特金の解消を求める点にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補てんを行うこともやむを得ないという考え方が大勢を占めるようになった。
5(一)A證券の担当者は、本件通達の直後から、Bの財務部長らと営業特金の解消について交渉したが解決に至らず、損失補てんをしなければ今後の取引関係に重大な影響が生ずると考えて、管理部門の最高責任者であった被上告人Eに対し、損失補てんの必要がある旨の報告をした。被上告人Eは、Bの営業特金については、有価証券市場が好況であった当時から損失が生じており、将来のBの証券発行に際しての主幹事証券会社の地位を失うおそれがあることも考慮して、損失補てんを実施する必要があると判断した。平成二年三月一三日、被上告人らが出席したA證券の専務会において、被上告人Eから、Bほかの顧客に生じた損失について総額約一六一億円の補てんをすることが提案され、了承された。なお、被上告人らは、右損失補てんの実施を決定するに当たり、その違法性の有無につき法律家等の専門家の意見を徴することをしなかった。
(二)A證券のBに対する損失補てん(以下「本件損失補てん」という。)の具体的な方法は、市場や一般投資者に影響が及ばないように外貨建てワラントの相対取引によることとされ、平成二年三月一四日、ルクセンブルク証券取引所に上場の大成建設ワラントをA證券がBに売却し、即日買い戻すという方法により実施された。この結果、Bは三億六〇一九万一一二七円の利益を得て、営業特金による損失が補てんされ、営業特金も解消された。
6 本件損失補てん後、A證券とBとの取引関係は維持され、Bが平成四年七月に三〇〇億円、平成五年三月に二〇〇億円の社債を発行した際、A證券は、その主幹事証券会社として一億二〇〇〇万円余の手数料を得るなど、既に相当額の収入を得ており、かつ今後も得られる見込みである。

二 本件は、A證券の株主である上告人らにおいて、本件損失補てんにつき、当時A證券の代表取締役であった被上告人らが取締役としての義務に違反して会社に損害を被らせたものであると主張して、被上告人らに対し、商法二六六条一項五号の規定(以下「本規定」という。)に基づく取締役の責任を追及する株主代表訴訟である。
原審は、(一)本件損失補てんは、平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(以下「旧証券取引法」という。)五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反しない、(二)本件損失補てんは、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)二条九項三号に基づき公正取引委員会が指定した不公正な取引方法(昭和五七年同委員会告示第一五号。以下「一般指定」という。)の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、同法一九条に違反する、(三)しかし、同条は競争者の利益を保護することを意図した規定であって、同条違反の行為により損害を被るのは当該会社ではないから、同条違反が本規定にいう法令違反に含まれると解するのは相当でないなどとして、上告人らの本訴請求を棄却すべきものと判断した。
本件上告は、原審の右(一)及び(三)の判断が違法であるとして、原判決の破棄を求めるものである。

第二 上告人兼上告人Fの代理人亀田信男、上告代理人吉武伸剛、同飯田秀人の上告理由中、旧証券取引法違反に関する点について
前記事実関係の下において、本件損失補てんが、旧証券取引法五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反するものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

第三 その余の上告理由について
一 株式会社の取締役は、取締役会の構成員として会社の業務執行を決定し、あるいは代表取締役として業務の執行に当たるなどの職務を有するものであって、商法二六六条は、その職責の重要性にかんがみ、取締役が会社に対して負うべき責任の明確化と厳格化を図るものである。本規定は、右の趣旨に基づき、法令に違反する行為をした取締役はそれによって会社の被った損害を賠償する責めに任じる旨を定めるものであるところ、【要旨1】取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定(以下、併せて「一般規定」という。)及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定が、本規定にいう「法令」に含まれることは明らかであるが、さらに、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定もこれに含まれるものと解するのが相当である。けだし、会社が法令を遵守すべきことは当然であるところ、取締役が、会社の業務執行を決定し、その執行に当たる立場にあるものであることからすれば、会社をして法令に違反させることのないようにするため、その職務遂行に際して会社を名あて人とする右の規定を遵守することもまた、取締役の会社に対する職務上の義務に属するというべきだからである。したがって、【要旨2】取締役が右義務に違反し、会社をして右の規定に違反させることとなる行為をしたときには、取締役の右行為が一般規定の定める義務に違反することになるか否かを問うまでもなく、本規定にいう法令に違反する行為をしたときに該当することになるものと解すべきである。
二 これを本件について見ると、証券会社が、一部の顧客に対し、有価証券の売買等の取引により生じた損失を補てんする行為は、証券業界における正常な商慣習に照らして不当な利益の供与というべきであるから、A證券がBとの取引関係の維持拡大を目的として同社に対し本件損失補てんを実施したことは、一般指定の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独占禁止法一九条に違反するものと解すべきである。そして、独占禁止法一九条の規定は、同法一条所定の目的達成のため、事業者に対して不公正な取引方法を用いることを禁止するものであって、事業者たる会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定にほかならないから、本規定にいう法令に含まれることが明らかである。したがって、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施した行為は、本規定にいう法令に違反する行為に当たると解すべきものである
しかるに、原審は、独占禁止法一九条に違反する行為が当然に本規定にいう法令に違反する行為に当たると解するのは相当でないと判断しているのであって、この点において、原審は法令の解釈を誤ったものといわなければならない。

三 しかしながら、株式会社の取締役が、法令又は定款に違反する行為をしたとして、本規定に該当することを理由に損害賠償責任を負うには、右違反行為につき取締役に故意又は過失があることを要するものと解される(最高裁昭和四八年(オ)第五〇六号同五一年三月二三日第三小法廷判決・裁判集民事一一七号二三一頁参照)。
原審の適法に確定したところによれば、(一)被上告人らは、本件損失補てんが旧証券取引法あるいは本件通達に違反するものでないかどうかについては重大な関心を有していたが、それが一般の投資家に対して取引を勧誘するような性質のものではなかったことから、独占禁止法一九条に違反するか否かの問題については思い至らなかった、(二)被上告人らのみならず、関係当局においても、証券取引については所管の大蔵省によって証券取引法及びその関連法令を通じて規制が行われるべきであるとの基本的理解から、証券取引に伴う損失補てんが独占禁止法に違反するかどうかという問題は、本件損失補てんが行われた後一年半余にわたって取り上げられることがなかった、(三)公正取引委員会は、第一二一回衆議院証券及び金融問題に関する特別委員会が開催された平成三年八月三一日の時点においても、なお損失補てんが独占禁止法に違反するとの見解を採っておらず、公正取引委員会が、本件損失補てんを含む証券会社の一連の損失補てんが不公正な取引方法に該当し独占禁止法一九条に違反するとして、同法四八条二項に基づく勧告を行ったのは、同年一一月二〇日であった、というのである。
右事実関係の下においては、被上告人らが、本件損失補てんを決定し、実施した平成二年三月の時点において、その行為が独占禁止法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることもできないから、本件損失補てんが独占禁止法一九条に違反する行為であることをもって、被上告人らにつき本規定に基づく損害賠償責任を肯認することはできない
四 以上のとおりであるから、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施したことにつき、本規定に基づく損害賠償責任を否定すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響しない事項についての違法をいうものに帰し、採用することができない。
第四 G及び株式会社H設計事務所の上告審における地位について
商法二六七条に規定する株主代表訴訟は、株主が会社に代位して、取締役の会社に対する責任を追及する訴えを提起するものであって、その判決の効力は会社に対しても及び(民訴法一一五条一項二号)、その結果他の株主もその効力を争うことができなくなるという関係にあり、複数の株主の追行する株主代表訴訟は、いわゆる類似必要的共同訴訟と解するのが相当である。
類似必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによって原判決の確定が妨げられ、当該訴訟は全体として上訴審に移審し、上訴審の判決の効力は上訴をしなかった共同訴訟人にも及ぶと解される。しかしながら、合一確定のためには右の限度で上訴が効力を生ずれば足りるものである上、取締役の会社に対する責任を追及する株主代表訴訟においては、既に訴訟を追行する意思を失った者に対し、その意思に反してまで上訴人の地位に就くことを求めることは相当でないし、複数の株主によって株主代表訴訟が追行されている場合であっても、株主各人の個別的な利益が直接問題となっているものではないから、提訴後に共同訴訟人たる株主の数が減少しても、その審判の範囲、審理の態様、判決の効力等には影響がない。そうすると、【要旨3】株主代表訴訟については、自ら上訴をしなかった共同訴訟人を上訴人の地位に就かせる効力までが民訴法四〇条一項によって生ずると解するのは相当でなく、自ら上訴をしなかった共同訴訟人たる株主は、上訴人にはならないものと解すべきである(最高裁平成四年(行ツ)第一五六号同九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁参照)。
したがって、本件において自ら上告を申し立てなかったG及び株式会社H設計事務所は上告人ではないものとして、本判決をする。
よって、裁判官河合伸一の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
一 本件は、大手証券会社Aが大口顧客である訴外会社Bに対して損失補填を行ったことによりAに補填相当額の損害を生じたとして、Aの株主であるXらが、その決定・実施に関わった当時のAの代表取締役であるYらに対し、商法二六六条一項五号に基づき損害賠償を求める株主代表訴訟である。
二 本件の事実関係及び訴訟経過の概要は次のとおりである(なお、詳細については判文を参照されたい。)。
1 Aは、大口顧客であるBと有価証券の売買等による資金運用取引を継続してきており、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあった。
2 Bは、訴外信託銀行との間で一〇億円の特定金銭信託契約を締結し、同銀行がAに開設した取引口座を通じて有価証券の売買を行う特金勘定取引を開始したが、実際にはAがBに代わって同銀行に取引の指図をすることによって運用されるいわゆる営業特金による取引であった。ところが、右取引により平成元年末には約二億七〇〇〇万円の損失が生じ、平成二年に入ってからの株式市況の急激な悪化により損失が更に拡大し、Bが期間満了を待たずに右取引を終了させた同年二月末には損失は約三億六〇〇〇万円に上っていた。
3 平成元年一一月ころから証券会社の大口顧客に対する損失補填が社会問題となり、大蔵省は、同年一二月二六日、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(本件通達)を発し、証券会社において法令上の禁止行為である損失保証等による勧誘に限らず、事後的な損失補填等も厳にこれを慎むとともに、特金勘定取引についても顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約を締結させるべきものとした。日本証券業協会も、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号(本件規則)を改正し、事後的な損失補填等をも厳に慎むものとする旨の定めを置いた。
Aを始めとする証券会社においては、本件通達等の主眼が営業特金の早期解消にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補填を行うこともやむを得ないとする考え方が大勢を占めていた。
4 Aでは本件通達の直後からBと営業特金の解消に向けて交渉したが解決に至らず、Bとの円満な取引関係を維持するために損失補填を実施する必要があるとして、平成二年三月、Yらが出席したAの専務会においてBに対する損失補填が決定され、AがBに売却した外貨建てワラントを即日買い戻すという相対取引により実施された(本件損失補填)。この結果、Bは三億六〇〇〇万円強の利益を得て、営業特金も解消された。その後、AとBとの取引関係は良好に維持され、AはBとの取引により相応の利益を得ている。
5 Xらは、本件損失補填が①平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(旧証取法)五〇条一項等に違反する、②昭和五七年公取委告示第一五号の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独禁法一九条に違反する、③取締役の善管注意義務・忠実義務に違反するなどとして、Yらに対し、商法二六六条一項五号に基づく損害賠償として損害金内金一億円の支払を請求している。
6 一、二審とも本件損失補填の独禁法一九条違反性のみを肯認したが、一審は、本件損失補填によりその後得られる利益を考慮すれば損害があるとはいえないとしたのに対し、原審は、独禁法一九条が競争者の利益を保護することを意図した規定であることを理由に、同条違反は商法二六六条一項五号にいう法令違反には含まれないとして、Xらの請求を棄却すべきものとした。これに対してXらのうち二名から上告がされたところ、最高裁は、商法二六六条一項五号にいう法令には、取締役を名あて人とし取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を定める規定のほか、会社を名あて人とし会社がその業務を行うに際して遵守すべき義務を定める規定も含まれるとした上で、Yらにおいて独禁法一九条違反の認識を欠いた点につき過失があったとはいえないとして、Yらの責任を否定した原審の判断を結論的に維持したものである。
二 取締役の任務は、会社の業務執行に関する意思決定に参画し、同時に他の取締役等の業務執行を監視するほか、取締役会からの委託等を受けて具体的な業務執行に携わるなど多岐に及ぶものであるところ、商法二六六条一項五号は、取締役がその任務を懈怠して会社に損害を被らせるすべての場合を包含する債務不履行責任であって、無過失責任であるとされる一ないし四号とは異なり、取締役の故意又は過失(帰責事由)を要すると解するのが通説及び判例(最三小判昭51・3・23裁判集民一一七号二三一頁)である。
そこでいう法令については、自己株式取得禁止(商法二一〇条)や競業避止義務(商法二六四条)等を定める商法中の具体的規定だけでなく、取締役の一般的な善管義務や忠実義務を定める規定(商法二五四条三項、二五四条ノ三)をも含むとするのが判例(最三小判昭47・4・25裁判集民一〇五号八四三頁)であり、従来の通説も、漠然と法令一般が含まれると考えていたようであるが、本件一審判決等を契機として、会社の財産・利益の保護を目的とする実質的意義の会社法に属する規定等に限定されるべきであるとする限定説が有力に唱えられる一方、これに対して、従来の通説とは異なる自覚的な非限定説が主張されるようになり、その中にも、法令違反行為があったからといって直ちに取締役の履行不完全と評価すべきではなく、法令違反の事実が主張立証されると、注意義務違反が事実上推定されるにとどまるとする見解や、取締役の法令遵守義務は、会社との間の委任契約に基づく善管注意義務とは別個の会社に対する義務であり、当該行為の決定に際して法令違反に当たることを知り得べき場合には、取締役に過失ありとして、損害賠償責任を負うとする見解が見受けられるなど、学説上議論が活発化していささか錯綜した状況にあって、下級審裁判例も分かれていたところである。
三 本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義について、取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定のほか、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定も含まれると解するのが相当であると判示して(判決要旨一)、前記限定説を採らないことを明らかにしている。営利法人である会社は会社ないしその所有者である株主の利益の極大化という目的を追求するものであるが、法認された社会的存在として、自然人と同様に、会社を名あて人とするあらゆる法令を遵守すべきは当然であり、取締役は、右の法令の直接の名あて人ではないが、受任者として会社に法令を遵守させるという義務を負い、その違反は取締役の責任原因となるものである。換言すれば、会社の意思決定に関与する機関たる取締役に対して、会社として法令を遵守するか否かに関して、これを否定する裁量権を認めることはできないというべきであろう。もっとも、本判決の採る立場は、前記の非限定説とも微妙に異なっており、近時の学説上の議論状況にかんがみて、漠然と法令一般が含まれるとしていた従来のいわば無自覚的な通説の見解を、明確な形で定式化し直したものと見ることもできるのではなかろうか。
取締役の会社に対する債務不履行責任は、いわゆる不完全履行の類型に属するものであるから、取締役の責任を追及する側で、問題とされている取締役の行為が取締役の受任者としての会社に対する義務に反するもの(受任者としての債務の本旨に従わざる履行)であることを主張立証しなければならない。商法二六六条一項は、各号で責任原因となるべき取締役の行為を列挙する形をとっており、五号にいう法令違反行為とは、不完全履行における履行不完全に相当する要件を規定しているものと解される。本判決は、取締役が会社をして会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定に違反させることとなる行為をしたときは、右行為が取締役の善管義務・忠実義務に違反することになるか否かを改めて問うまでもなく、商法二六六条一項五号にいう法令に違反する行為をしたときに該当する旨判示して(判決要旨二)、取締役の責任を追及する側において、取締役の行為が同号にいう法令(善管義務・忠実義務を定める規定を除く。)に違反するものであることを主張立証すれば、それにより直ちに履行不完全の要件を充足し、取締役側において、帰責事由(故意過失)の不存在又は違法性・責任阻却事由の存在を主張立証しなければならないことを明らかにした。前記非限定説の中には、商法二六六条一項五号にいう法令違反行為の主張立証がされても取締役の受任者としての義務違反を事実上推定させるにとどまるとする見解も見受けられるが、このように解するときは、取締役の個別的義務を定める規定及び会社が遵守すべき義務を定める規定が善管義務・忠実義務を定める規定の下位規範として位置付けられる結果となり、妥当でないとされたものであろう(河合裁判官の補足意見参照)。
本判決は、右の商法二六六条一項五号の解釈及び判断枠組みを前提とした上で、本件損失補填が独禁法一九条に違反するものであり、商法二六六条一項五号にいう法令違反に該当することを肯定しながら、Yらが本件当時において、その行為が独禁法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることはできないとして、Yらの損害賠償責任を否定した原審の判断を結論において是認している。具体的法令違反が問題となっている場合に法令違反の認識を欠いたことにつき過失がなかったとして取締役の賠償責任が否定された先例として、前掲最三小判昭51・3・23がある。本件では、Yらが本件損失補填の決定実施に当たって法律専門家の意見を聴くこともしていないにもかかわらず、法令違反の認識を欠いたことに過失がないとされるのは、本判決が指摘しているような本件当時の特殊な状況が存在していればこそであり、こうした形での免責が認められるのは極めて例外的なものというべきであろう。
また、本件損失補填の決定実施がYらの取締役としての善管義務・忠実義務に違反するか否かに関しては、Xらの上告理由において論旨となっていないことなどから、本判決は、この点につき明示的な理由説示をしてはいないが、右義務違反を否定した原審の判断を是認し得るものとしていることはいうまでもない。
四 最大判平9・4・2民集五一巻四号一六七三頁(玉串料大法廷判決)本誌九四〇号九八頁は、類似必要的共同訴訟である地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟においては、自ら上訴をしなかった共同訴訟人は、上訴人の地位には就かない旨判示して、類似必要的共同訴訟における上訴審での審判対象の問題と当事者の地位の問題が、従来考えられていたように分離不能なものではないことを明らかにした。
株主代表訴訟は、個々の株主が共益権に基づいて、実質的には他の株主全体を代表して、形式的には第三者の法定訴訟担当として提起追行する類似必要的共同訴訟であって、訴訟の構造ないし形式の点では住民訴訟のうちいわゆる四号訴訟に最も類似しているところ、個々の株主にとっての個別的具体的利益が直接問題となるものではなく、原告株主の数が提訴後に減少しても、審判の範囲、審理の態様、判決の効力には格別差違を生じない点や、株主全体の代表として訴訟を追行する意思を失った者に対して上訴人の地位に就き続けることを求めることが相当でないという点では、住民訴訟と基本的に変わるところはないことから、本判決は、大法廷判決の趣旨を推し及ぼして、複数の株主が共同して追行する株主代表訴訟においても、共同訴訟人である株主の一部の者のみが上訴した場合には、自ら上訴しなかった者は上訴人にはならないと判示した(判決要旨三)。本件では、自ら上告を提起したのは原審で参加した二名の株主だけであり、残りの二名は自ら上告をしていないところから、前者のみを上告人として取り扱っている。
五 取締役の責任が問題となるケースには、具体的法令違反が問題となるもの、経営判断の当否(善管注意義務)が問題となるもの、監視義務違反が問題となるものの三類型があるところ、本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義及び取締役の善管義務・忠実義務違反以外の具体的法令違反が問題となっている場合における判断枠組みに関して、最高裁として初めて明確な判断を示したものである。また、これらの点に関しては、河合裁判官の詳細な補足意見が付されており、法廷意見の採る立場を理論的に説明するとともに、取締役の責任追及の場面、とりわけ株主代表訴訟において問題とされることの多い取締役の責任の苛酷性ないし賠償金額の過大性という問題について、現行法下においても様々な工夫をこらすことによって妥当な結果を導くことが可能である旨説かれており、極めて示唆に富むものといえよう。平成五年の商法改正による貼用印紙額の固定化に伴って多数の株主代表訴訟が提起される一方で、株主代表訴訟制度をめぐる法改正への動きも活発化している昨今、裁判実務に大きな影響を有するだけでなく、会社経営陣に対しても遵法経営の必要性を強く迫るものであり、企業のコンプライアンスの観点からも注目すべき判例である。なお、本判決の評釈として、手塚裕之・商事一五七二号四頁、鳥山恭一・法セ五四九号一〇八頁等がある。

2.法令違反の認識を欠いたことについての過失

3.甲会社の損害
支出額を損害として認定するのか。総合考慮で行くのか・・・。

Ⅳ 法令違反行為と取締役の責任(2)法令違反の可能性はあった場合
1.Y1・Y2の任務懈怠
あくまでも独禁法19条に違反することを主張!

2.Y1・Y2の過失
経営判断原則を使用して過失がなかったとかしたい。
一般に、法令違反行為については経営判断原則は使用しないが。
←ほぼ確実に法令に違反することを認識していた場合だけどね。
+判例(東京地判H8.6.20)
第三 争点に対する判断
一 争点1について
原告ら引用の最高裁昭和四四年一一月二六日判決は、取締役の任務懈怠と第三者の損害との間に相当因果関係があるかぎり、会社が損害を被った結果ひいては第三者に損害を生じた場合(いわゆる間接損害の場合)も、商法二六六条ノ三に基づく損害賠償請求を認めるが、右判例の事案における第三者は会社の債権者であって、右判示を直ちに株主にも及ぼすことは相当でない。本件において原告らが主張している株主としての損害は、取締役の行為により会社財産が減少した結果としての保有株式の価値低下である。株主は商法二六六条ノ三にいう「第三者」におよそ当たらないと解すべきかどうかは別として、右のような損害に関する限り、会社財産が回復されれば、株主の損害も回復される。また、商法二六六条ノ三の適用範囲を考えるにあたって、商法上の他の制度、原則との調和を視野に入れるべきことは当然であるが、取締役がその任務に違反して会社に損害を与えた場合は、本来、会社が取締役に対する損害賠償請求を行うべきであり、会社が取締役との癒着等により、その請求を怠っているときは、株主は代表訴訟を提起することができる。この場合も、株主は、会社への賠償を請求することができるだけであって、自己に対する給付を求めることはできない。このような場合に株主への直接賠償を認めることは、利益配当等によらず株主への会社財産の分配を認めるに等しいから、資本維持の原則に反し許されないのである(株主への直接賠償を認めた場合、これが履行されれば、二重払いを正当化する根拠は見い出し難いから、取締役は免責されざるを得ない)商法二六六条ノ三においては、取締役の責任を認める主観的要件が商法二六六条より加重されているからといって、資本維持の原則を無視してよい理由にはならないのであって、結局、会社財産の減少による株式の価値低下という間接損害については、株主は商法二六六条ノ三に基づく請求を行うことはできないと解すべきである。
よって、第一事件の主位的請求は理由がない。

二 争点2について
原告らが、債権者代位の被保全権利の一つとして主張する債権は、公共航空が和解で認めた民法四四条に基づく損害賠償請求権だというのであるが、その損害の内容が公共航空の一般財産の減少による保有株式の価値低下であることは記録上明らかであるところ、一において述べたと同様の理由によりこのような請求権は商法に照らして認め難く、右損害は民法四四条にいう「他人に加えたる損害」にあたらないと解すべきである。このように法律上認められない請求権を、原告らが完全に支配する会社に承認させる和解は、公序良俗に反し、無効というべきである。

三 争点3について
1 取締役は、株主総会で選任され、いわば株主の委託を受けて会社経営にあたっているものであるから、職務の執行に際し株主の意向を尊重すべきであることは当然であるが、取締役は総株主のために職務執行にあたるべきであり、その責任は総株主の同意がなければ免除できないのであって、いかに有力であれ一部の株主の指示・承認に基づいて行動したというだけでは、免責されない。また、会社や株主に対する責任ではなく、債権者等の外部者に対する責任は、たとえ総株主の承認があったからといって免除されるものではない。主要な債権者の指示・承認を得ていたことが、会社の他の債権者に対する免責事由にならないことはいうまでもない。
したがって、被告が、公共航空の主要な債権者であり株式の大部分を持つ銀河計画破産管財人と協議しつつ、その指示・承認に基づいて資産処分等を行っていたとしても、直ちに善管注意義務・忠実義務違反にならないとはいえない
2(一) 北九州格納庫の敷地問題
争いのない事実及び丙一六、一七、二八ないし三〇、四〇ないし四八によれば、次の事実が認められる。
公共航空は、昭和五六年三月一〇日、前川電機鋳鋼所の取締役である西龍夫との間で、同人が所有する北九州小倉格納庫の敷地について、賃料を3.3平方メートル当たり月五〇〇円、期間を同年四月一日から昭和六一年三月三一日までと定めて賃貸する旨の賃貸借契約証書を作成したが、公共航空は、その後も西龍夫に賃料を支払ったことはなく、その代わり右格納庫で前川電機鋳鋼所所有のムーニー式M二〇型航空機の整備等を無償で行っていた。
ところが、右賃貸借期間内である昭和六〇年一月三〇日、同年二月一日から昭和六一年一月三一日までの一年間、賃料一平方メートル当たり月一八〇円(総額一二万円)で右土地を、前川電機鋳鋼所が公共航空に賃貸する旨の賃貸借契約書が作成される一方、同日、契約期間を右と同一、月間料金を八万円として、右航空機の整備等に関する契約書が、前川電機鋳鋼所と公共航空との間で作成されている。しかし、前川電機鋳鋼所はその後も整備等の料金の支払いはしていない。そして、前記のように、前川電機鋳鋼所から、昭和六〇年二月から五月までの賃料不払いを理由として、賃貸借契約解除の意思表示を受けたため、被告は、取り敢えず四か月分の賃料相当額を前川電機鋳鋼所に送金し、前川電機鋳鋼所から土地明渡訴訟を提起されたが、公共航空は昭和六〇年九月北九州運航所を閉鎖し、同六一年五月二一日格納庫について強制競売開始決定がなされたのち、同年一一月二五日、土地賃貸借契約の解除を確認し、昭和六〇年六月一日以降の賃料相当損害金の支払を免除する内容の訴訟上の和解が成立している。
右の事実経過には、昭和六〇年一月三〇日付けの各契約が締結された事情等、はっきりしない点も多いが、右事実からする限り、格納庫敷地の利用契約は、形式的に賃料は定めていたものの、現実には航空機の整備等を対価とするものであったと見るのが相当であり、前記の賃料不払いが解除事由になるかどうかは疑わしい。
また、和解で敷地を明け渡したことについても、北九州運航所の閉鎖、格納庫が差押えを受けたという事情も加わっており、単純に賃料不払いによる解除を承認したものとは考え難い。したがって、右明渡しが被告の注意義務違反に当たると認めることはできない。また、損害についても、原告らは、借地権の喪失により近隣土地の公示価格の七割が損害であると主張するだけで、現実の損害額を認めるに足りる証拠はない。
よって、北九州格納庫の敷地問題について、被告の損害賠償責任を認めるに足りる証拠はない。
(二) 慶良間飛行場の敷地問題
(1) 慶良間飛行場敷地の賃貸借契約については、座間味村は賃料支払の催告をすることなく解除通知を行い、公共航空は解除通知受領後一九〇万円の賃料を座間味村に提供したが、受領を拒絶されたため、被告は直ちにこれを供託したものと認められる(被告)。
会社の賃借物件の賃料の支払が契約どおり履行されるよう管理することは、管理職間に事務分掌が存在する程度の会社であれば、何か問題が起きている場合は別として、通常は、せいぜい経理担当者レベルの事務処理事項であろう。当時、公共航空は一応の事務分掌組織をもっていたこと(甲四三)、本件は無催告解除であり、解除通知後、賃料の提供と供託を行っており、飛行場敷地という賃借物件の性質も考慮すると、解除が無効とされる可能性は高いと思われること等からして、代表取締役としての被告に善管注意義務違反が認められるかどうかは、いささか疑わしい。慶良間飛行場が公共航空の事業の核をなす重要な資産であること、座間味村の解除通知到達前にすでに北九州格納庫敷地の賃料不払い問題が発生していたことを重視し、業務管理の不適切・不十分を根拠に善管注意義務違反を認める余地はあると考えるとしても(原告渋谷逸雄から業務、経理の引継ぎがなかったとすれば、就任後直ちに業務等の把握に努めるべきであるから、引継ぎがなかったことは、被告の代表取締役としての注意義務を免除するものとはいえない)、重過失までは認められない。
(2) 次に、訴訟上の和解により、慶良間飛行場の施設を琉球エアーコミューターに一億五三〇〇万円で売却するなどしたことが、取締役としての任務違反になるかどうかであるが、当時、公共航空は、すでに銀行取引停止処分を受け、また同飛行場に関する権利を担保とする約束で二億円を借り受けていたケラマ観光飛行場株式会社からは破産申立をされ、最大の債権者である銀河計画破産管財人の債務弁済の要求に応じなければならず、その他にも労働関係債務、国税等の支払があるという状況であって、売却可能な遊休資産があったわけでもない公共航空にとって、慶良間飛行場等の資産処分による弁済原資の調達を図ることはやむを得ない状態であったと認められる(前述のように、座間味村の解除は無効の可能性が高く、豊富な弁護士スタッフを擁していた銀河計画破産管財人がそのことを考えなかったはずはないから、賃料不払いが慶良間飛行場処分を余儀なくさせたという可能性は、客観的にも主観的にも小さいものと思われる)。
(3) そして、売却するとなれば、離島の飛行場という特殊な物件であるから、買い手は限られ、売却価格についても相当のデスカウントをせざるを得なくなるのは、常識的なことであろう。原告渋谷逸雄は、慶良間飛行場の建設費は一一億円であったと述べるが、それを裏付ける資料はなく(乙一の昭和六〇年三月三一日現在の貸借対照表で、どの勘定科目が慶良間飛行場に関係するのかはっきりしないが、航空機、有価証券、長期貸付金等、明らかに飛行場施設に関係がないと認められる勘定科目を除外すると、固定資産の総額は五億円に満たないことからも、右建設費の金額には疑問がある)、また、敷地の時価が約六億三〇〇〇万円であり、借地権価額はその約七割にあたる四億四〇〇〇万円とするのも、根拠薄弱といわざるを得ない。
(4) したがって、慶良間飛行場の処分について、被告の任務違反とそれに基づく損害の発生を認めるに足りる証拠はない。また、那覇・慶良間二地点間旅客輸送事業からの撤退は、慶良間飛行場施設の琉球エアーコミューターへの譲渡に当然に伴うものであるから、この点について独自の注意義務違反を考える余地はない。
(三) 那覇運航所の閉鎖
甲五九によれば、原告らの主張する営業収益は売上に過ぎないことが明らかであり、運航所の閉鎖による損害が特定年度の売上の三倍に当たるとする根拠はないから、原告らの主張は理由がない。
(四) 航空機の処分等
(1)ア 原告ら主張のように、朝日航洋に譲渡担保に供した航空機一三機の、担保権実行の際の価格評価が不当に低かったとすれば、公共航空は清算金請求権を有していることになるから、右価格評価と相当な価格との差額が、当然に損害となるわけではない。
イ 争いのない事実及び甲八〇、丙五〇、五一によれば、公共航空は、國場組からの借入金により、朝日航洋から航空機四機(JA三七四七、JA三七七八、JA五二二五、JA五二三二)を買戻したが(原告らはその代金額が一億三〇三一万円であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない)、右借入金を返済できなかったので、航空機四機(JA三七四七、JA三七七八、JA五二三二、JA三四二八)の所有権を國場組に移したこと、平成二年一月二五日付の債務弁済公正証書によれば、公共航空の國場組に対する債務は一億四九六六万一六二七円と確認されていたが、その後公共航空の代表者が原告渋谷逸雄になってから、公共航空、原告らと國場組との間で、右航空機四機(JA三七四七、JA三七七八、JA五二三二、JA三四二八)の所有権が國場組に帰属するのを確認するとともに、債務額を一億〇八六六万一六二七円と確認し、なお原告ら及び公共航空が五〇〇万円を支払うなど和解契約上の義務を履行すれば一億〇三六六万一六二七円の債務を免除する等の和解をしたことが認められる。
右によれば、國場組への航空機の所有権移転当時の合意がどうであったかはともかく、実質的には航空機四機を四一〇〇万円と評価して債務額をその分減じたものと見られる。
ウ 原告らが、本件各航空機の相当な価格の根拠とする甲五二は、昭和六〇年一月、当時公共航空の取締役であった原告橋本洋を始め銀河計画関連の航空会社所属の者四名が集まって、航空機の使用料金を決める目的で評価した結果であるが、中古の航空機の場合、耐用証明の残存期間、重要装備品の許容使用時間といった点も価格に大きな影響があるのに(原告橋本、丙四八)、データとしては型式、製造年月日、総飛行時間程度が考慮されたに過ぎず、最高五五〇〇万円から最低一六五〇万円まで評価が分かれるものがあるなど、全ての機体について評価者による価格の差が著しく、腰だめ的な評価の感を免れないのであって、信頼できるものであるとは、とてもいえない。甲二一も甲五二を参考として作成されたものでしかない。
したがって、甲五二、二一は、各処分ないし購入時における本件各航空機の相当な価格を認定できる証拠とはならない。
エ 以上によれば、朝日航洋による譲渡担保の実行、朝日航洋からの航空機の買戻し及び國場組への航空機の所有権の移転により、公共航空に原告ら主張のような損害が生じたことを認めるに足りる証拠はないことに帰する。
(2) 航空機JA五二二五については、調査嘱託の結果、甲四二、七四ないし七六及び原告橋本によれば、同機は公共航空が所有していたが、平成二年一月二五日被告に対し売買を理由として所有権移転の登録がなされた後、平成三年一月から東邦航空株式会社に賃貸されていたところ、同年一二月に飛行中のエンジン火災により使用不能となり、平成四年一一月東京海上火災保険株式会社から二四〇五万五九〇七円の保険金が支払われていること、被告に対する所有権移転につき取締役会の承認はなく、平成四年一〇月、原告渋谷逸雄から被告に対して、右所有権移転は無償譲渡であるとし、詐害行為取消権等の行使により同機の引渡等を求める訴えを提起したところ、被告は平成五年三月一一日の口頭弁論期日において請求を認諾したことが認められる。
右事実によれば、JA五二二五は、商法二六五条に違反して被告に無償譲渡されたものであり、被告は右任務違反行為につき悪意があると認められる。被告は、同機は自己が購入し公共航空の名義にしておいたJA三四二八と交換したものである旨主張するが、裏付け証拠を欠き、採用できない。
そして、JA五二二五について支払われた保険金額は、同機の喪失により少なくとも右金額程度の損害が生じることを示すものといってよい。もとより、被告の任務違反行為時と事故時及び保険金支払時とはずれがあり、それぞれの時点で耐用証明の残存期間、重要装備品の許容使用時間がどうであったかといった点は不明であるが、任務違反行為から事故までの約二年間で機体の損耗は進んでいると思われることを考慮すれば、耐用証明の残存期間、重要装備品の許容使用時間等から任務違反行為時の方が同機の価値は低かったという反証のない本件においては、右保険金額をもって、被告の任務違反行為による損害と認めるのが相当である。
(五) 支払手数料及び寄付金
第一九期決算書に計上された支払手数料が不当な支出であったと認めるに足りる証拠はない。前期よりも支払手数料の額が多いというだけで、直ちに不当な支出があったと推認することはできない。
また、丙四九によれば、寄付金勘定に計上された一億九九六六万五六四二円は、原告らと銀河計画との昭和五九年一二月五日の株式譲渡契約において原告渋谷逸雄に無償譲渡することとされた地図事業部門の什器備品等について、本来、第一八期に寄附金処理すべきであったものが、第一九期にずれ込んで処理されたものと認められる(乙一の貸借対照表上の原材料、貯蔵品、仕掛品、機械装置、車輛運搬具、工具器具備品及び製品は地図事業部門の資産と思われるが、その合計数値と、金額的にも一致する)。
よって、この点について取締役の任務違反及び損害の発生は認められない。
(六) 破産管財人に対する債務承認
被告が銀河計画破産管財人との間で作成した公正証書に基づいて、公共航空が破産管財人に実際の借入金額以上に返済した事実を認めるに足りる証拠はないから、損害の立証がない。原告らは、右公正証書に基づき強制執行を受けたことにより公共航空が八〇〇万円の出費を余儀なくされた旨主張するようでもあるが、公正証書に過大な債務の記載がなされたことと、右出費との間に相当因果関係があることについて、主張立証がない。
3 甲七八によれば、公共航空は平成六年三月三一日現在で九一二四万三八四四円の債務超過状態にあったことが認められ、右事実及び弁論の全趣旨によれば、口頭弁論終結時においても大幅な債務超過状態にあることが推認される。したがって、第一事件の予備的請求は、原告渋谷逸雄が、公共航空に対する求償権を保全するため、航空機JA五二二五の違法処分に関し公共航空が被告に対して有する二四〇五万五九〇七円の損害賠償請求権を行使する限度で理由がある(右の点に関する限りで、商法二六六条の三に基づく請求も理由がある)。
しかし、第一事件のその余の予備的請求については、以上に述べたとおり、被告の任務違反行為、債権侵害行為あるいは損害を認めるに足りる証拠がなく、理由がない。

四 争点4について
商法二六七条に基づいて、株主が会社に対し、取締役の責任追及の訴えを提起するよう請求したのに、会社が三〇日以内に訴えを提起しない場合、一般的には、会社が訴えを提起しなかった理由の如何を問わず、株主は代表訴訟を提起することができると解すべきである。しかし、取締役の会社に対する責任の追及は、本来、会社が自ら行うべきものであって、株主代表訴訟は、会社が株主の意思に反して権利の行使を怠る場合のための制度である。また、商法二六七条四項が、訴訟の目的の価額の算定につき、株主代表訴訟を「財産権上ノ請求ニ非サル請求ニ係ル訴」と見做し、請求額の如何にかかわらず申立手数料が一律に八二〇〇円となっているのも、株主代表訴訟が株主の会社業務に対する監督是正権の行使という側面を持つ点が考慮されていると解されるのであって、取締役の責任追及一般について、申立手数料の軽減化が図られているわけではない。会社が訴えを提起する場合は、もちろん請求額に従った通常の申立手数料が必要とされるのである。したがって、会社と株主が意思を通じて、ただ申立手数料の節約を図ることを目的として株主代表訴訟を利用することは、まさに制度の濫用であり、許されないというべきである。
原告らは公共航空の株式の大部分を保有するとともに、原告ら金員が公共航空の代表取締役を始めとする役員に就任しており、原告ら以外の役員はいない。つまり、原告らが被告の責任追及を相当と認めたが、会社は不相当という見解の下に訴えを提起しなかったというようなことは考えられないのであって、弁論の全趣旨によれば、本件代表訴訟の提起は、もっぱら申立手数料の節約を図ることを目的としたものであることが認められる。
よって、本件代表訴訟の提起は訴権の濫用に当たるから、訴えを却下すべきである。
(裁判長裁判官金築誠志 裁判官棚橋哲夫 裁判官鈴木芳胤)

++解説
《解  説》
一 A会社は、航空運送事業等を目的とする株式会社であり、その株式の大部分をX1ないしX9(X1ら)が、保有するいわゆる同族会社であったが、X1らは、右株式をB会社に売り渡した。その後、B会社が代金完済前に破産したため、X1らは、株式売買契約が破産法五九条により解除されたとして、B会社破産管財人に対し、株券の引渡を請求し、また、右株式譲渡後、A会社の代表取締役となったYの行為により、会社財産が減少し、X1らが株価減少により、総額二〇億円の損害を受けたなどとして、Yに対して商法二六六条ノ三等、A会社に対して民法四四条等、B会社破産管財人に対して民法七〇九条に基づき、右二〇億円の一部である二億円の損害賠償を請求した。
B会社破産管財人に対する訴訟は、裁判上の和解(この結果、株式がX1らに復帰し、X1がA会社の代表取締役、X2~X9が取締役・監査役に就任した)、A会社に対する訴訟は、訴え取下(X1が同社の代表取締役として、取下に同意)により終了し、X1らのYに対する請求のみが残されていた。
X1らは、終結段階に至り、Yに対し、損害の残部一八億円について、株主代表訴訟を提起した。
本判決は、A会社の債権者たる地位に基づくX1の予備的請求(債権者代位・商法二六六ノ三)の一部を認容したが、株主たる地位に基づくX1らの主位的請求については、会社財産の減少による株式の価値低下という間接損害については、商法二六六条ノ三に基づく請求を行うことはできない等として、その余のX1らの請求を棄却し、株主代表訴訟については、もっぱら申立手数料の節約を図るものであり、訴権の濫用に当たるとして、訴えを却下した。
二 取締役の違法行為により会社財産が減少し、株式の減価という間接損害を被った場合、株主は、商法二六六条ノ三に基づく請求を行うことができるか。
損害と取締役の善管注意義務違反の行為との間に相当因果関係があれば、取締役は、第三者に対して同条所定の責任を負うとされており(最判昭44・11・26民集二三巻一一号二一五〇頁、本誌二四三号一〇七頁)、間接損害も商法二六六条ノ三の「損害」に含まれることは明らかである。
しかし、間接損害ではあっても、株価の減少の場合は、取締役が会社に損害を賠償すれば、株主も持分価値を回復するはずであるから、取締役が株主に対し責任を負うとする必要はないし、逆に、取締役が株主に対し責任を負うとすると、株主に賠償すれば会社に対する責任もその分だけ減少すると解さざるを得ないが、そうなると責任の免除に総株主の同意が必要なことと矛盾し、取締役に対する損害賠償債権という会社財産を株主が割取する結果となり、資本充実原則に反する。したがって、結論としては、株主に商法二六六条ノ三に基づく請求を認めないとする方が妥当ではないかと思われ、現に学説の多数を占める(大隅健一郎=今井宏・会社法論(中)〔第三版〕二七〇頁、河本一郎「商法二六六条ノ三第一項の『第三者』と株主」服部榮三先生古希記念論文・商法学における論争と省察二五八頁など)。本判決もこの多数説と同様、株主が会社の一般財産の減少により株式価値の低下という損害(間接損害)を被った場合については、株主は「第三者」に含まれないと解して右の結論を導き、X1らの主位的請求を棄却した(右の最高裁判例は、会社債権者を原告とするものであり、事案を異にする)。
三 民法一条三項は、「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」と規定し、これは、権利一般に妥当するものと解されるが、訴権も権利の一種であるから、訴えの提起が権利の濫用として許されない場合があり得る。会社法上の訴えの提起が訴権の濫用とされた例として最判昭53・7・10民集三二巻五号八八八頁が存するが、株主代表訴訟の提起に関し、本判決は、やや特殊ではあるが、一事例を加えるものといえよう。
株主の動機・目的が売名等の個人的な、それ自体は必ずしも芳しくないものであっても、会社の損害が回復されれば、客観的には株主全体の利益になるから、訴権の濫用とはいい難い。しかし、動機・目的が法制度上容認できない不法不当なものであるときは、訴権の濫用として訴えを却下すべき場合があり得るとされている。
本判決は、①取締役の責任追及は、本来、会社が自ら行うべきものであって、株主代表訴訟は、会社が株主の意思に反して権利の行使を怠る場合のための制度であること、②株主代表訴訟の申立手数料が請求額の如何にかかわらず八二〇〇円とされているのは、株主の会社業務に対する監督是正権の行使という側面を持つ点が考慮されているのであり、取締役の責任追及一般について申立手数料の軽減化が図られているわけではないことから、会社と株主が意思を通じて、ただ申立手数料の節約を図ることを目的として株主代表訴訟を利用することは、まさに制度の濫用であり、許されないと判示し、X1らが、A会社の株式の大部分を保有し、役員の全員であって、X1らがYの責任追及を担当と認めたが、A会社は不相当という見解の下に訴えを提起しなかったというようなことはあり得ない事案であったこと等から、もっぱら申立手数料の節約を図ることを目的としたものであると認定して、株主代表訴訟の訴えを却下した。

・違反するかどうか確実ではなかったような場合は経営判断原則を認めてもよいのでは!
→過失の有無について
情報収集や検討に一時利子依不合理はなかったか。そのような情報収集に基づいて取締役が当該行為を選択したことに著しい不合理がなかったか。

Ⅴ 任務懈怠責任が問題となる2つの事案

Ⅵ おわりに


民法 基本事例で考える民法演習20 危険負担と損害賠償~他人物売買の場合(その2)


1.小問2(1)について(基礎編)
(1)損害賠償責任の根拠と賠償の範囲

+(他人の権利の売買における売主の担保責任)
第五百六十一条  前条の場合において、売主がその売却した権利を取得して買主に移転することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の時においてその権利が売主に属しないことを知っていたときは、損害賠償の請求をすることができない

・無過失責任
・賠償の範囲は信頼利益

・債務不履行責任(415条)の成立について
この場合は履行利益までいける。

+判例(S41.10.8)
理由
上告代理人白上孝千代の上告理由について。
原判決の確定したところによると、上告人と被上告人との本件売買契約は、第三者たる訴外山邑酒造株式会社の所有に属する本件土地を目的とするものであつたところ、原審認定の事情によつて売主たる被上告人が右所有権を取得してこれを買主たる上告人に移転することができなくなつたため履行不能に終つたというのである。
そして、本件売買契約の当時すでに買主たる上告人が右所有権の売主に属しないことを知つていたから、上告人が民法五六一条に基づいて本件売買契約を解除しても、同条但書の適用上、売主の担保責任としての損害賠償請求を被上告人にすることはできないとした原審の判断は正当である。
しかし、他人の権利を売買の目的とした場合において、売主がその権利を取得してこれを買主に移転する義務の履行不能を生じたときにあつて、その履行不能が売主の責に帰すべき自由によるものであれば、買主は、売主の担保責任に関する民法五六一条の規定にかかわらず、なお債務不履行一般の規定(民法五四三条、四一五条)に従つて、契約を解除し損害賠償の請求をすることができるものと解するのを相当とするところ、上告人の本訴請求は、前示履行不能が売主たる被上告人の責に帰すべき自由によるものであるとして、同人に対し債務不履行による損害賠償の請求をもしていることがその主張上明らかである。しかして、原審認定判示の事実関係によれば、前示履行不能は被上告人の故意または過失によつて生じたものと認める余地が十分にあつても、未だもつて取引の通念上不可抗力によるものとは解し難いから、右履行不能が被上告人の責に帰すべき自由によるものとはみられないとした原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるといわねばならない。
従つて、この点を指摘する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく原判決は破棄を免れず、本件を原審に差し戻すのを相当とする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)

(2)具体的な賠償額
・担保責任にも416条は及ぶのか?
+(損害賠償の範囲)
第四百十六条  債務の不履行に対する損害賠償の請求は、これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする。
2  特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見し、又は予見することができたときは、債権者は、その賠償を請求することができる。
416条を契約にかかわるトラブルを合理的に解決するための規定と考える。→及ぶ。
・不法行為の場合
+判例(大正15.5.22)
416条を類推適用
2.小問2(1)について(応用編)
3.小問2(2)について
416条の問題。
・目的物が減失した事案の場合、①減失時の価格を基準としたうえ、②その後の価格の上昇は「特別の事情」として処理。
→価格上昇についての予見可能性が必要
+判例(S37.11.16)
理由 
 上告代理人守屋勝男、同名波倉四郎の上告理由第一点について。 
 控訴審において訴の変更を許すことは違法でなく、かつ憲法に違反しないことは当裁判所の判例とするところである(昭和二七年(オ)第九七二号第一〇四一号同二八年九月一一日第二小法廷判決、集七巻九号九一八頁参照)。論旨は採用できない。 
 同第二点について。 
 本件は、土地を買戻したことを理由とする所有権移転登記請求訴訟の係属中、控訴人(上告人)が当該土地を他に売却しその所有権移転登記を経由したことを理由に請求を損害賠償請求に変更したものであつて、その請求の基礎に変更がなく、かつ本件訴訟の経過に照し著しく訴訟手続を遅滞させるともいえないから、原審が右訴の変更を許容したことは適法である。論旨は採用できない。 
 同第三点について。 
 所論の点に関する原判決引用の第一審判決の判断は、その所掲の証拠に照し肯認できるから、所論は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰する。論旨は採用できない。 
 同第四点について。 
 債務の目的物を債務者が不法に処分し債務が履行不能となつたとき債権者の請求しうる損害賠償の額は、原則としてその処分当時の目的物の時価であるが、目的物の価格が騰貴しつつあるという特別の事情があり、かつ債務者が、債務を履行不能とした際その特別の事情を知つていたかまたは知りえた場合は、債権者は、その騰貴した現在の時価による損害賠償を請求しうる。けだし、債権者は、債務者の債務不履行がなかつたならば、その騰貴した価格のある目的物を現に保有し得たはずであるから、債務者は、その債務不履行によつて債権者につき生じた右価格による損害を賠償すべき義務あるものと解すべきであるからであるただし、債権者が右債格まで騰貴しない前に右目的物を他に処分したであろうと予想された場合はこの限りでなく、また、目的物の価格が一旦騰貴しさらに下落した場合に、その騰貴した価格により損害賠償を求めるためにはその騰貴した時に転売その他の方法により騰貴価格による利益を確実に取得したのであろうと予想されたことが必要であると解するとしても、目的物の価格が現在なお騰貴している場合においてもなお、恰も現在において債権者がこれを他に処分するであろうと予想されたことは必ずしも必要でないと解すべきである。原判決は、本件土地の時価が控訴人(上告人)の処分当時より現在(原審口頭弁論終結時)まで判示のように騰貴を続け、控訴人が右処分時において本件土地の時価が、このように騰貴することを知つていたか、少くともこれを予見しえたものと認定し、控訴人に対し現在の時価の範囲内で控訴人の本件土地の判示処分により被控訴人(被上告人)の受けた損害の賠償責任を認めたものであるから、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は本件に適切でない。論旨は採用できない。 
 よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 裁判官藤田八郎は、退官につき評議に関与しない。 
 (裁判長裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助) 
+判例(S47.4.20)
理由 
 上告代理人藤井瀧夫の上告理由第一点について。 
 原審は、訴外Aおよび同Bは、いずれも、弁護士である訴外Cから、被上告人丸文株式会社と上告人との間に一たん成立した本件土地および建物の売買契約がすでに有効に解除され、上告人はもはやその所有者ではない旨の説明を受けたため、これを信用して、右土地および建物を買い受けたものであると認定しているのであり、そして、原審の右認定は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係に照らして、首肯することができないわけではない。したがつて、訴外Aおよび同Bが、いずれも、上告人が本件土地および建物の所有者であることを認識しながら、これを買い受けたものであることを前提として、右AおよびBによる右土地および建物の各買受けは公序良俗に違反するものであつて無効であり、また、同人らは上告人の登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有しない背信的悪意者であるという上告人の主張は、結局、理由がない。また、訴外Cは、被上告人丸文株式会社と訴外Aとの間の本件土地および建物の売買契約については、契約締結のあつせんをしたものにすぎず、その実質上の買主となつたものではないとする原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして、首肯することができないわけではないから、右Cがその実質上の買主であることを前提として、右売買契約は弁護士法二八条に違反するという上告人の主張も、理由がない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断および事実の認定を非難するか、または、原審の認定にそわない事実関係を前提として原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。 
 同第二点について。 
 論旨は、要するに、原審が、被上告人丸文株式会社と上告人との間に成立した本件土地および建物の売買契約にもとづく右被上告人の所有権移転義務の履行不能による損害賠償額を、原審の口頭弁論終結時における右土地および建物の価値を基準として算定せず、履行不能時におけるその価格を基準として算定した点に、債務の履行不能による損害賠償額の算定の基準時に関する法令の解釈適用を誤つた違法、ないしは、審理不尽、理由不備の違法があるというにある。 
 そこで、考えるに、およそ、債務者が債務の目的物を不法に処分したために債務が履行不能となつた後、その目的物の価格が騰貴を続けているという特別の事情があり、かつ、債務者が、債務を履行不能とした際、右のような特別の事情の存在を知つていたかまたはこれを知りえた場合には、債権者は、債務者に対し、その目的物の騰貴した現在の価格を基準として算定した損害額の賠償を請求しうるものであることは、すでに当裁判所の判例とするところである(当裁判所昭和三六年(オ)第一三五号同三七年一一月一六日第二小法廷判決・民集一六巻一一号二二八〇頁参照。)。そして、この理は、本件のごとく、買主がその目的物を他に転売して利益を得るためではなくこれを自己の使用に供する目的でなした不動産の売買契約において、売主がその不動産を不法に処分したために売主の買主に対する不動産の所有権移転義務が履行不能となつた場合であつても、妥当するものと解すべきである。けだし、このような場合であつても、右不動産の買主は、右のような債務不履行がなければ、騰貴した価格のあるその不動産を現に保有しえたはずであるから、右履行不能の結果右買主の受ける損害額は、その不動産の騰貴した現在の同格を基準として算定するのが相当であるからである。 
 ところで、上告人は、原審において、上告人が被上告人丸文株式会社から買い受けた本件士地および建物の価格は、右被上告人がその所有権移転義務を履行不能とした後も、騰貴を続けているという特別の事情があり、かつ、右被上告人は、不動産業を営む者であつて、右義務を履行不能とした際、右のような特別の事情の存在することを充分に知つていたかまたはこれを知りえたものというべきであるから、上告人は、右被上告人に対し、右土地および建物の騰貴した現在の価格を基準として算定した損害額の賠償を請求することができると主張して、右履行不能後の昭和三八年一二月当時における右土地および建物の価格である金六四七万二〇〇〇円に相当する損害額の賠償を請求していたことは、原判文および本件記録に徴して、明らかである。 
 しかるに、原審は、単に、上告人は本件土地および建物を自己の住居の用に供するために買い受けたものであつてこれを他に転売する目的で買い受けたものではなかつたことが明白であるし、本件の所有権移転義務の履行不能はその履行期以後に生じたものであるから、右履行不能の結果上告人の受ける損害額は右士地および建物の履行不能時の価格を基準として算定するのが相当であるという第一審判決の判示をそのまま引用するだけで、右土地および建物の価格の騰貴について上告人の主張するような特別の事情が存在するか否か、また、そのような特別の事情が存在する場合には、被上告人丸文株式会社が、右土地および建物の所有権移転義務を履行不能とした際、その特別の事情の存在を知つていたか否か、または、これを知りえたか否かについては、何らの判断も示すことなく、上告人の右主張を排斥しているのである。 
 しかし、これでは、原審は、上告人の右主張を排斥するにあたり、債務の履行不能による損害賠償額の算定の基準時に関する法令の解釈適用を誤り、ひいては、上告人の被上告人丸文株式会社に対する右損害賠償請求に関する判断につき審理不尽、理由不備の違法をおかしたものといわざるをえないから、原判決の右違法を指摘する本論旨は、理由があるというべきである。 
 したがつて、原判決中上告人敗訴部分のうち上告人の被上告人丸文株式会社に対する右損害賠償請求、すなわちその予備的請求に関する部分は、上告理由第三点について判断するまでもなく、破棄を免れない。附帯上告人丸文株式会社の附帯上告について。 
 附帯上告は、それが上告理由と別個の理由にもとづくものであるときは、民訴規則五〇条の定める当該上告についての上告理由書提出期間内に附帯上告状を裁判所に提出してすることを要するものであり(当裁判所昭和三七年(オ)第九六三号同三八年七月三〇日第三小法廷判決・民集一七巻六号八一九頁参照。)、そして、本件附帯上告状記載の附帯上告理由が本件上告理由書記載の上告理由と別個の理由にもとづくものであることは、右両者を対比して、明らかであるところ、本件記録によれば、本件上告についての上告受理通知書が上告人の代理人藤井瀧夫に送達されたのは昭和四四年一月一三日であり、また、本件附帯上告状が当裁判所に提出されたのは昭和四六年一一月五日であることが認められるから、本件附帯上告状は本件上告についての上告理由書提出期間の経過後に提出されたものであることが明らかである。したがつて、本件附帯上告は、不適法であつて却下を免れない。 
 よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、三九九条ノ三、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三) 
・予見可能性の基準時は、債務の履行期!
←履行期に不履行による損害を予見できた以上、債務者はその責任を負うべきであるから。
・予見可能性の主体について
債務者にとって予見可能であれば十分
←416条は債務者の保護を目的とする規定だから


会社法 事例で考える会社法 事例7 株主総会の準備が大変


Ⅰ 解答に当たっての考え方
1.本問のレベル
2.紛争防止型問題

+判例(福岡地判H3.5.14)

3.その他

Ⅱ 第2会場の適法性

+判例(大阪地判H10.3.18)
第四 争点に対する判断
一 当事者間に争いのない事実及び証拠(乙一、二ないし六、八の1、2、九、検乙二、三、検証、証人松枝、同楠及び原告代表者)によれば、次の事実を認めることができる。
1(一) 被告は、平成八年五月二〇日、取締役会を開催して本件総会の招集を決定し、同月一一日、株主に対してその旨の通知を発送した。ところが、その後、銅地金取引による損失問題が明らかになったことから、被告は、同年六月一四日、損失問題を関係当局やマスコミなどに公表した。また、被告は、損失問題に伴い、一億二〇〇〇万円の取締役賞与金及び二五〇億円の株式消却積立金の計上を取り止めるとともに、新たに一五〇〇億円の特別損失積立金を計上することにし、同月一九日、取締役会を開催して、第一号議案(第一二八期利益処分案承認の件)を修正し、第三号議案(利益による株式消却のための自己株式取得の件)を撤回する旨の提案を本件総会で行うことを決定した。
被告は、株主に、右の提案を事前に知ってもらうため、個別に通知を発することを検討したが、日程や株主数などの関係から個別の通知が不可能であったため、同月二〇日、右取締役会の決定事項を朝日新聞及び日本経済新聞の全国版に掲載し、本件総会に出席した株主には、会場において、第一号議案の修正と第三号議案の撤回の趣旨を説明した資料を配付した。
(二)(1) 被告は、損失問題がマスコミを通じて報道されたことにより、例年より多数の株主が本件総会に出席すると予想したが、既に招集通知を発送し終わっていたことから、この時点で会場を変更し、そのことを株主に通知することは不可能であった。
そこで、被告は、当初予定していた会場を「第一会場」とし、その西側の隣室を「第二会場」、第一会場の東側の部屋を「第三会場」として準備し、第一会場の座席を例年よりも小さな椅子に変更するなどしてこれに備えた。そして、第二会場には、大型モニターテレビ三台を配備するとともに、第一会場株主席の後方に二台(内一台は予備)及び議長席の後方に一台それぞれビデオカメラを設置し、株主席後方のビデオカメラは広報室の職員がそのそばで操作して株主席後方から議長席側を、また、議長席後方のビデオカメラはシステム統括部の職員が事務局席の隣室に設置されたモニターテレビの映像とマイクを通した音声を見聞きしながら操作して議長席後方から株主席側を撮影し、第二会場に設置されたモニターテレビを通じて、第一会場の状況を放映するようにした。また、議長が第二会場の状況を把握するため、第二会場内にテレビカメラを設置するとともに、第一会場の議長席背後の事務局席にモニターテレビを設置し、右モニターテレビに第二会場のテレビカメラの映像を映し出し、さらに、第一会場及び第二会場の直ぐ近くの議決権集計室と議長席後方の事務局席に、直通の電話回線を設置し、第二会場内の動きなどが電話で事務局に伝わるようにした
第一会場及び第二会場などの位置関係、形状、議長席や役員席などの配置、モニターテレビやビデオカメラなどの配置状況は、別紙株主総会会場見取図のとおりである。
なお、被告は、本件総会をマスコミに公開するため、本件総会の会場と同じ建物の一〇階に一〇〇名程度収容できる部屋を用意し、第一会場の状況を映し出すため、モニターテレビを設置した。
(2) 被告は、会場の警備、警戒に当たるため、第一会場に警備員五名を配置するとともに、議場の広さから質問者にマイクを使用して発言してもらうため、議長が指名した株主にマイクを渡すために係員二名を配置し、これら二名の係員を含む案内係四名を配置した。また、第二会場には、案内係三名と警備員一名を配置し、第二会場の案内係三名は、株主に対する一般的な場内案内のほか、第二会場に質問者などがある場合に、速やかに第一会場に誘導するとともに、議長席の背後の事務局席に直通電話で連絡することになっていた。そして、これらの係員は、「株主総会事務局」と表示した名刺大のプレートを左胸に着用していた。
(三) 被告は、本件総会に先立ち、東京で二回、大阪で一回、株主総会のリハーサルを実施し、東京でのリハーサルは、被告の役員が多数であることから、出席役員を二組に分けて二回実施され、いずれのリハーサルも、想定問答に従って、被告の従業員が質問をし、議長をはじめ役員がこれに回答するという形で行われた。また、大阪でのリハーサルは、本件総会の前日の午後五時から、被告の全役員と四、五〇名の従業員株主が出席して行われ、役員の入場、議長の報告、被告の従業員による想定問答に従った質問とそれに対する議長又は役員による回答など、本件総会の手順に従って実施され、その際、議長の報告の終了や付議などの議事進行の節目で、従業員株主から一斉に「異議なし」「了解」との発言がなされていた。
被告は、全議案について株主から一括して質問を受けた後、各議案を付議するという議事進行を予定していたが、各議案を付議した段階で株主からの質問があれば、適宜受け付けることとしていた。

2 本件総会の会場は、午前八時に開場し、被告の係員は、到着した株主から順次第一会場に入場させ、第一会場が満席となった時点で第一会場の扉を閉め、その後に到着した株主を第二会場に入場させた。被告は多数の株主が出席することを予想していたが、出席した株主はすべて第一会場及び第二会場に収容され、結局、第三会場を使用するには至らなかった。そして、第一会場の前半分に、一般の株主とともに、従業員株主が四、五〇名着席していた。
原告代表者は、午前九時四〇分ころ、本件総会の会場に到着し、受付を済ませると、被告の係員から、第二会場に誘導された。この時、係員から原告代表者に、それが第二会場であることについて特に説明はなく、第二会場に入場した後も、係員からそこが第二会場であることや質問の仕方などについて特に説明はなかった。

3(一) 本件総会は、定刻の午前一〇時に開会し、まず、事務局から出席株主数及び株式数などの報告がなされ、秋山議長が、銅地金取引による損失問題に関する経過、現状及び見通しについて説明し、役員全員が起立して、株主に対し陳謝したところ、従業員株主を中心に一斉に「了解」との声があがった。
秋山議長は、第一号議案の修正及び第三号議案の撤回についての趣旨説明をし、引き続いて、監査役から監査報告がなされたが、この時点で、従業員株主を中心に一斉に「了解」との声があがった。次いで、秋山議長が、第一二八期営業報告書、貸借対照表及び損益計算書の内容について報告すると、従業員株主を中心に一斉に「了解」との声があがり、さらに、秋山議長が、損失問題についての管理体制を強化する旨を説明すると、一部の株主から「責任を取れ」という不規則発言があったものの、従業員株主を中心に一斉に「了解」との声があがった。
秋山議長は、あらかじめ株主から提出されていた質問書に対して、一括して回答するため、橋本副社長を指名し、橋本副社長は、質問書に対して回答していったが、回答の節目で、一部の株主から不規則発言はあったものの、従業員株主を中心として一斉に「了解」との声があがった。次いで、秋山議長は、松岡常任監査役を指名し、松岡常任監査役は、損失問題を発見できなかったことについて回答したところ、同様に、従業員株主を中心として一斉に「了解」との声があがった。
秋山議長は、第一号議案の修正及び第三号議案の撤回を提案したところ、株主からも会社側の提案と同旨の動議が提出され、従業員株主を中心に「異議なし」「賛成」といった声があがり、これらを議案とすることが承認された。
(二) 秋山議長は、報告書、報告事項及び修正案を含む全議案について議場に質問、意見を促し、暫時株主からの質問を待ったが、第一会場及び第二会場の株主からは質問や意見は出なかった。そこで、秋山議長は、議案の審議に入り、第一号議案の修正議案を付議したところ、従業員株主を中心として一斉に「異議なし」「賛成」との声があがったので、第一号議案を修正案どおり承認可決した。秋山議長は、第二号議案、次いで、第三号議案の撤回を付議したところ、同様に、従業員株主を中心として一斉に「異議なし」「賛成」との声があがったので、これらについて承認可決された。
(三) 原告代表者は、第二会場で、同所に設置されたモニターテレビを通じて第一会場の様子を見ていて、秋山議長が全議案について議場に質問、意見を促したときも、誰かが質問すると思い、自ら質問することを考えていなかった。しかし、秋山議長が第一号議案について付議し、これが承認可決された時も、何ら株主からの質問がなされなかったことから、自ら質問をしようと思い、第二会場を見渡したところ、第二会場にいた係員がそれを見つけた。その係員は、原告代表者に質問をするのかどうかを確認した上、原告代表者を第一会場に誘導するとともに、直通電話で、議長席の背後の事務局へ連絡した。この間、第一会場では、第一号議案の修正議案、第二号議案及び第三号議案の撤回が付議され、いずれも株主の賛成多数により承認可決されていた。
秋山議長は、第四号議案を付議したところで、第二会場に質問者がいることを知り、議事の進行を止め、原告代表者が第一会場に入ってくるのを待って、原告代表者にマイクを渡すよう係員に指示した。
(四) 原告代表者は、第一会場の議長席から見て左手後方の左端に誘導され、被告の係員が原告代表者のために補助椅子を用意した。秋山議長から原告代表者に対し、質問者の名前の確認がなされた後、原告代表者は、第四号議案について質問し、損失問題について取締役の責任を明らかにするため、取締役の退任を求めたところ、秋山議長は、原告代表者を含めた株主らに謝罪した上、会社の信用を回復することが現在の責務であると回答した。
原告代表者は、秋山議長の回答の途中から、「あなたにはできない。」とか、「新しい方が追求したらいい。」などと発言し、他の株主からも不規則発言がなされたが、別の株主から「了解」との発言があり、さらに、「議事進行」との発言もあったことから、秋山議長は、第四号議案について付議したところ、従業員株主を中心として一斉に「異議なし」「了解」との声があがり、第四号議案は承認可決された。原告代表者は、第四号議案についてさらに質問したいと考えていたが、秋山議長からの指名はなく、第四号議案が承認可決された後も、その場に腰掛けて第一会場にいた。
(五) 続いて、秋山議長は、第五号議案について議場に付議したところ、従業員株主を中心として一斉に「異議なし」「賛成」との声があがり、第五号議案は承認可決された。
原告代表者は、秋山議長が第五号議案を付議するや、右の「異議なし」「賛成」との発言とほぼ同時に、「できない、できない。」と発言し、株主票をあげて中腰の姿勢で「発言」「発言」と言って、秋山議長に発言を求めたが、この時議場は、「異議なし」「賛成」の声とともに、株主からの不規則発言もあって、やや混乱していたことから、原告代表者の発言は、秋山議長の席にまでは届いていなかった。また、秋山議長は、第五号議案を付議した後、手元の進行表を確認したが、質問者がいるかどうかを確認するため、議場を見渡すということはせず、第五号議案の付議とともに、「異議なし」「賛成」との声があったことから、第五号議案の承認可決を確認し、株主総会の閉会を宣言した。
この間、原告代表者は、前記の発言に続けて、「秋山さん、発言させてくださいよ。」と言い、さらに、近くにいた係員に「マイク、マイク」などと言って、マイクを渡すよう求めたが、係員は原告代表者にマイクを渡さなかったので、原告代表者は、「秋山さん、発言ささんか、株主に。」などと言って発言を求め、さらに、「何でそんな人らに慰労金渡すんや。」「功労がないやろが。」などと言っていた。そして、秋山議長が、株主総会の閉会を宣言し、新任の取締役の紹介をしていたときも、原告代表者は、「取締役もやめろ。」「秋山さん、あなたねぇ。株主無視するんですか。」などと発言していた。

二 争点1(一)について
1 原告は、本件総会の開催に当たり、<1>株主が会場に入場する前に、第一会場に出席して質問できることをあらかじめ文書、口頭で説明していなかった、<2>第二会場の株主から質問がなされた場合、直ちに第一会場へ誘導できるよう配慮し、その間議事を一時中断するなどして、第二会場の株主が発言できるよう両会場の一体性を確保しなかった、<3>各議案の審議に入った後も、各議案ごとに第一会場の株主のみならず、第二会場の株主にも質問がないかどうかを促し、発言の機会を与えるため相当の猶予をおかなかったとして、株主である原告の質問権を侵害したと主張する。
2(一) 右<1>の主張について
一の事実によると、被告は、本件総会において、株主が会場に入場する前に、第一会場に出席して質問できることをあらかじめ文書ないし口頭で説明していないことを認めることができる。
しかし、原告代表者を含め本件総会に出席した株主は、被告の株主総会であることを認識して出席しているのであるから、会社としては、株主から質問の要求があれば、直ちにそれに対応できるような態勢を整えておけば足りるというべきところ、一1(二)(2)の事実によると、被告は、第二会場の株主についても、質問の要求があれば、第一会場に誘導して質問ができるような態勢を整え、原告代表者もそれに従って実際に質問をしているのであるから、原告主張の説明等ないことをもって直ちに株主である原告の質問権が侵害されたということはできない。
(二) 右<2>の主張について
一の事実によると、被告は、第二会場に事務局係員であることが分かるように「株主総会事務局」と表示した名刺大のプレートを左胸に着用した係員三名を配置し、同会場の株主から質問の要求があった場合、直ちに第一会場の事務局席に直通電話でその旨を連絡するとともに、質問のある株主を同会場に誘導して質問ができるよう配慮し、原告代表者もそれに従って第一会場に案内されて質問をしたこと、秋山議長は、第二会場に質問者がいるとの連絡を受けるや直ちに議事を中断して、原告代表者が第一会場に入場するのを待って、原告代表者に質問の機会を与えたことを認めることができるから、第一会場と第二会場が分断され、質問の機会を逸するような一体性に欠けていたとまで認めることはできない。
もっとも、原告代表者が第一会場に移動する間、第一会場では、第二号議案及び第三号議案の審議が進められ終了するに至っていたが、秋山議長は、本件総会において、各議案の審議に入る前に、全議案について一括して株主に質問の機会を与えているし、原告代表者が第一会場に移動する時間もごくわずかで、第二会場の係員から議長への連絡にも多少の時間を要することも考慮すれば、この間、第一会場で議事が進行したとしても、これをもって、第一会場と第二会場の一体性が損なわれているとは到底いえない。
(三) 右<3>について
一の事実によると、本件総会において、秋山議長は、各議案の審議に入った後、各議案ごとに第一会場及び第二会場の株主に質問がないかどうかを促していないが、議案の審議に入る前に、全議案について一括して質問を受け付けることを、第一会場又は第二会場と議場を区別することなく議場に示し、暫時株主からの質問を待っていたし、議案の審議に入った後も、株主からの質問があれば、質問を受け付ける態勢をとり、現に、質問を求めた原告代表者に質問の機会を与えていることが認められるから、被告は、第一会場のみならず第二会場の株主にも質問する機会を与えたものということができる
3 したがって、被告は、本件総会において、株主の質問権に対する配慮を怠っていたとはいえず、原告の質問権を侵害したとも認め難いので、この点に関する原告の主張は理由がない。

三 争点1(二)について
1 原告は、被告が、本件総会に先立ち、従業員株主らと株主総会の議事進行について、あらかじめリハーサルをし、本件総会当日、従業員株主らを、第一会場の前半分の座席に着席させ、秋山議長と共謀の上、リハーサルどおり、秋山議長の提案に対し、瞬時に「議事進行」「異議なし」「了解」などと大きな声をあげさせて、他の株主に質問する余裕を与えないで議事を進めたとして、このような議事進行及び決議方法が著しく不公正であると主張する。
2(一) 被告が本件総会の前日に行った大阪でのリハーサルに、従業員株主も出席し、議長の報告や付議に対し、「議事進行」「異議なし」「了解」などと一斉に発言していたこと(この点について、証人松枝は、このようなことをさせていない旨の供述をしているが、右供述は、証人楠の供述に徴し採用し難い。)、本件総会の当日、従業員株主四、五〇名が第一会場の前半分に着席していたこと、本件総会において、これら従業員株主が、秋山議長らの報告や付議に対し、一斉に「賛成」「異議なし」「了解」などの声をあげていたことからすれば、このような従業員株主の発言は、被告が予定した株主総会の議事進行の一環と見ることができる。
(二) ところで、一般に、多数の株主が出席する大企業の株主総会において、円滑な議事進行が行われることは、会社ひいては株主にとって重要なことであり、特に、大企業の場合、いわゆる総会屋などによって株主総会の円滑な進行が阻害されることがあるなどの事情からすれば、会社が円滑な議事進行の確保のため、株主総会の開催に先立ってリハーサルを行うことは、会社ひいては株主の利益に合致することであり、取締役ないし取締役会に認められた業務執行権(商法二六〇条一項)の範囲内に属する行為であるということができる。
しかし、リハーサルにおいて、従業員株主ら会社側の株主を出席させ、その株主らに議長の報告や付議に対し、「異議なし」、「了解」、「議事進行」などと発言することを準備させ、これを株主総会において実行して一方的に議事を進行させた場合は、株主の提案権(商法二三二条ノ二)や取締役・監査役の説明義務(同法二三七条ノ三)などの規定を設けて、株主総会の活性化を図ろうとした法の趣旨を損ない、本来法が予定した株主総会とは異なるものになる危険性を有するばかりか、一般の株主から質問する機会を奪うことになりかねないところがあるなど、株主総会を形骸化させるおそれが大きいともいえる。
したがって、従業員株主らの協力を得て株主総会の議事を進行させる場合、一般の株主の利益について配慮することが不可欠であり、右従業員株主らの協力を得て一方的に株主総会の議事を進行させ、これにより株主の質問の機会などが全く奪われてしまうような場合には、取締役ないし取締役会に認められた業務執行権の範囲を越え、決議の方法が著しく不公正であるという場合もあり得るということができる。
(三) 前記事実によると、本件総会において、従業員株主四、五〇名が、第一会場の前半分に着席し、秋山議長の報告や付議に対して、一斉に「賛成」「異議なし」「了解」などと声をあげて、議事を進行していることが認められるが、他方、秋山議長は、各議案の審議に入る前に、全議案について一括して質問を受け付けることを議場に示し、暫時株主からの質問を待っていたのであり、また、各議案の審議に入った後も、株主からの質問があれば、質問を受け付ける態勢をとり、現に、原告代表者に質問の機会を与えたように、一般の株主に質問の機会を与えていることが認められる。
右の事実によると、本件総会の議事進行及び決議方法は、議場の雰囲気とも相まって、一般の株主の質問の機会を事実上奪うおそれがあるなど、法が本来予定した株主総会のあり方に徴し、いささか疑問のあるところもないではないものの、右認定のような質問の受け付け方等の事実からすると、本件総会における決議の方法が著しく不公正であるとはいえない
なお、原告は、従業員株主をリハーサルに参加させたことをもって、それ以外の一般株主と取扱を異にするもので不公正であると主張するが、従業員株主がリハーサルに参加したことにより株主として何らかの利益を受けたわけでもないから、株主平等の原則を損なうものではない。
よって、原告の主張はいずれにしても理由がない。

四 争点2(一)(1)について
原告は、本件決議2が被告の定款二〇条に違反することをもって、無効な決議である旨主張するが、決議の内容が、定款に違反したとしても、決議取消事由となるにすぎず(商法二四七条一項二号)、決議無効事由となるものではない。
よって、本件決議2が被告の定款に違反するかどうかについて判断するまでもなく、原告の右主張は失当である。

五 争点2(一)(2)について
1 退任取締役の退職慰労金も、それが報酬の後払いとしての性格を有する限り、商法二六九条にいう「報酬」に該当するが、退任取締役の退職慰労金について、明示もしくは黙示的にその支給に関する基準が存在し、株主総会が、右基準によって具体的な金額、支給時期、支給方法などを定めるべきものとして、その決定を取締役会に委任する決議をしても、取締役によるお手盛りの弊害は生じないから、このような株主総会決議は、商法二六九条に違反するものではない
そして、被告には、役員退職慰労金算定基準が存在し(乙七)、本件決議2は、右の基準によって退職慰労金を支給することを取締役会に一任しているから、本件決議2は何ら商法二六九条に違反しない
2 これに対し、原告は、一般個人が株式を保有する機会が増えている状況や、株式会社の所有者である株主に情報を公開すべきであるとの理念などからすると、右のような判例の見解は、時代の要請に合致しないし、また、この見解は、会社経営が安定し、従来の黙示的・明示的な支給基準を当てはめることが当期においても相当と考えられる状況を前提とし、本件総会のように、巨額の損失が発生している状況の下ではこの判例によることはできないとして、本件決議2が商法二六九条に違反すると主張する。
しかし、原告が主張するような、会社経営が安定し、従来の黙示的・明示的な支給基準を当てはめることが当期においても相当と考えられる状況を前提としているかどうかは、株主総会の決議により、退任取締役の退職慰労金の支給決定を取締役会に委任することが、商法二六九条に違反するかどうかということと関連を有するものではなく、また、一般個人が株式を保有する機会が増えている状況や、株式会社の所有者である株主に情報を公開すべきであるとの理念などによって、株主総会の右決議が影響を受けるものでもない。
よって、原告の右主張は、商法二六九条の解釈を誤った独自の見解といわざるを得ず、理由がない。

六 争点2(二)(1)について
原告は、前記二1と同様、株主の質問権が侵害されているから、本件総会決議2は、商法二四七条一項一号にいう「決議ノ方法ガ法令ニ違反スル場合」に該当する旨主張する。
しかし、右主張に理由のないことは、前記二2判示のとおりである。
よって、原告の右主張は理由がない。

七 争点2(二)(2)について
1 原告は、秋山議長が、第五号議案を付議した後、原告代表者が質問を求めていることを知りながらこれを無視し、顔を上げて、会場に質問者がいるかどうかを確認することもなく、從業員株主らがリハーサルどおり瞬時に行った「異議なし」の声に乗じて、右議案が可決されたものとみなしていること、仮に、原告代表者の声が秋山議長に聞こえていなかったとしても、それは、秋山議長が従業員株主らと共謀して、第五号議案を付議した後、瞬時に「異議なし」の大声が出されることにより、一般株主の声がかき消されることを予定しているとして、本件決議2が商法二四七条一項一号にいう「決議ノ方法ガ著シク不公正ナルトキ」に該当する旨主張する。
2(一) 前記一3(五)の事実によると、秋山議長は、第五号議案を付議した後、手元の進行表を確認していたため、視線を議場にやって、質問者がいるかどうかの確認をしていない。
この時、原告代表者は、第五号議案が付議されるや、「異議なし」「賛成」の声とほぼ同時に、「できない、できない。」と言い、株主票をあげて中腰の姿勢で「発言」「発言」と言っているが、原告代表者の発言は秋山議長にまで届いていないし(証人羽生は、原告の発言は秋山議長にまで届いていた旨供述しているが、同証人は、原告代表者のすぐ近くに着席し、秋山議長の近くに着席していたわけではないから、右供述の信用性には疑問がある。)、仮に秋山議長が原告代表者の発言を聞いたとしても、この時の原告代表者の発言内容や態度、他の株主からの発言などにより議場がやや混乱していたことからすれば、この時の原告代表者の発言は、客観的には不規則発言とみるべきもので、質問を求めていると認めることはできない。
したがって、秋山議長が、原告代表者が質問を求めていることを知りながらこれを無視したとは認めることができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) また、秋山議長が第五号議案を付議すると、従業員株主を中心として一斉に「異議なし」「賛成」の声があがり、これは、被告が予定した議事進行によるものであるが、前記判示のように、秋山議長は、各議案を付議する前に、全議案について一括して株主の質問の機会を与えていたし、被告は、本件総会をマスコミに公開していたことなど前記事実に徴すると、秋山議長が従業員株主と共謀して、一般株主の声がかき消されることを予定していたとは認めるには至らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(三) もっとも、株主に対し質問の機会を広く与えるという見地からすれば、第五号議案を付議した際、質問者がいるかどうかを確認しなかった秋山議長の議事進行は、やや問題があったことは否めないが、前記三で判示したように、本件総会の議事進行をもって、「決議ノ方法ガ著シク不公正」であるとは認めることはできず、この点に関する原告の右主張は理由がない。
八 以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官末吉幹和 裁判官小林邦夫)

Ⅲ 入場資格の確認

+(議決権の代理行使)
第三百十条  株主は、代理人によってその議決権を行使することができる。この場合においては、当該株主又は代理人は、代理権を証明する書面を株式会社に提出しなければならない
2  前項の代理権の授与は、株主総会ごとにしなければならない。
3  第一項の株主又は代理人は、代理権を証明する書面の提出に代えて、政令で定めるところにより、株式会社の承諾を得て、当該書面に記載すべき事項を電磁的方法により提供することができる。この場合において、当該株主又は代理人は、当該書面を提出したものとみなす。
4  株主が第二百九十九条第三項の承諾をした者である場合には、株式会社は、正当な理由がなければ、前項の承諾をすることを拒んではならない。
5  株式会社は、株主総会に出席することができる代理人の数を制限することができる。
6  株式会社は、株主総会の日から三箇月間、代理権を証明する書面及び第三項の電磁的方法により提供された事項が記録された電磁的記録をその本店に備え置かなければならない。
7  株主(前項の株主総会において決議をした事項の全部につき議決権を行使することができない株主を除く。次条第四項及び第三百十二条第五項において同じ。)は、株式会社の営業時間内は、いつでも、次に掲げる請求をすることができる。
一  代理権を証明する書面の閲覧又は謄写の請求
二  前項の電磁的記録に記録された事項を法務省令で定める方法により表示したものの閲覧又は謄写の請求

・本人から議決権行使書面を預かって持参しても委任状には当たらない!

Ⅳ 従業員株主の配置等

・議長整理権限という観点から。
+(議長の権限)
第三百十五条  株主総会の議長は、当該株主総会の秩序を維持し、議事を整理する。
2  株主総会の議長は、その命令に従わない者その他当該株主総会の秩序を乱す者を退場させることができる。

善管注意義務に沿って行使されなければならない!
→相当な範囲にとどまればよし。

・株主の平等という観点から

109条1項の株主平等原則の1内容と考えるのか、一般法理として考えるのか。

+(株主の平等)
第百九条  株式会社は、株主を、その有する株式の内容及び数に応じて、平等に取り扱わなければならない。
2  前項の規定にかかわらず、公開会社でない株式会社は、第百五条第一項各号に掲げる権利に関する事項について、株主ごとに異なる取扱いを行う旨を定款で定めることができる。
3  前項の規定による定款の定めがある場合には、同項の株主が有する株式を同項の権利に関する事項について内容の異なる種類の株式とみなして、この編及び第五編の規定を適用する。

+判例(H8.11.12)
理由
上告人高橋安明の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 被上告会社の株主である上告人高橋は、平成二年六月二八日、被上告会社の第六六回定時株主総会(以下「本件株主総会」という。)に出席するため、本件株主総会の会場である被上告会社本社ビルの前で、開門前の早朝から、被上告会社の原子力発電所に関する経営方針に反対する他の株主と共に列に並び、午前八時の開門と同時に本社ビルに入り、受付手続を済ませて会場に入場した。
2 被上告会社は、昭和六三年一月及び二月、原発反対派の者に本社ビルを取り囲まれたり、深夜数時間、ビルの一部を占拠されたことがあり、更に平成二年三月に結成された「未来を考える脱原発四電株主会」等の差出人から、本件株主総会の前に一〇〇〇項目を超える質問書の送付を受けていたことなどから、本件株主総会の議事進行が妨害されたり、議長席及び役員席を取り囲まれたりするといった事態が発生することをおそれ、被上告会社の株主である従業員ら(以下「従業員株主ら」という。)にあらかじめ指示し、本件株主総会当日、従業員株主らをして午前八時の受付開始時刻前に会場に入場させ株主席のうち前方部分に着席させた。
3 会場には株主席として約二三〇の椅子が並べられていたが、上告人高橋が会場に到着した時には従業員株主らが既に株主席の最前列から第五列目までのほとんど及び中央部付近の合計七八席に着席していた。上告人高橋は、前から第六列目の中央部付近に着席した。
4 上告人高橋は、本件株主総会において、議長から指名を受けた上で動議を一度提出した。

二 上告人高橋の本件請求は、本件株主総会の会場において希望する座席を確保するために被上告会社本社ビルの近くに宿泊して本件株主総会当日に早朝から入場者の列に並んだが、被上告会社から従業員株主らとの間で前記の差別的取扱いを受けたことにより、希望する席を確保することができず、これによって精神的苦痛を被り、更に宿泊料相当の財産的損害を被ったと主張して、被上告会社に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めるものである。

三 株式会社は、同じ株主総会に出席する株主に対しては合理的な理由のない限り、同一の取扱いをすべきである。本件において、被上告会社が前記一の2のとおり本件株主総会前の原発反対派の動向から本件株主総会の議事進行の妨害等の事態が発生するおそれがあると考えたことについては、やむを得ない面もあったということができるが、そのおそれのあることをもって、被上告会社が従業員株主らを他の株主よりも先に会場に入場させて株主席の前方に着席させる措置を採ることの合理的な理由に当たるものと解することはできず、被上告会社の右措置は、適切なものではなかったといわざるを得ないしかしながら、上告人高橋は、希望する席に座る機会を失ったとはいえ、本件株主総会において、会場の中央部付近に着席した上、現に議長からの指名を受けて動議を提出しているのであって、具体的に株主の権利の行使を妨げられたということはできず、被上告会社の本件株主総会に関する措置によって上告人高橋の法的利益が侵害されたということはできない。そうすると、被上告会社が不法行為の責任を負わないとした原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
上告人佐々木徹の上告について
本件記録によれば、上告人佐々木は、平成五年八月四日に上告受理通知書の送達を受けたが、右送達の日から五〇日を経過した後の同年九月二七日に上告理由書を提出したことが明らかである。したがって、上告人佐々木の上告は不適法として却下すべきである。
よって、民訴法四〇一条、三九九条ノ三、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

++解説
《解  説》
一 本件の事案の概要は次のとおりである。
電力会社であるY社は、平成二年六月開催の株主総会について、それまでの原発反対派の行動から、議事進行が妨害されたり、議長席及び役員席が取り囲まれたりする事態が発生することをおそれ、従業員株主らをして、受付開始時刻前に株主総会の会場に入場させた。そのため、他の原発反対株主とともに早朝から玄関前に並び開門と同時に会場に向かったXが会場に到着したときは、既に従業員株主が株主席の前方に着席しており、Xは、希望する席に座ることができなかった。Xは、Y社に対し、右の差別的取扱いを受けたことについて、①それによって被った精神的損害の賠償及び②総会で希望する席を確保するために近くに宿泊した宿泊料相当の損害の賠償を求めた。なお、第一審に提訴した六名のうち、控訴したのは二名であり、またそのうちの一名は、上告に際し、上告理由書の提出が期間(民訴規則五〇条)を徒過したために上告が却下された。本判決においては、X一名の上告に対して実質的な判断が示されている。
二 第一審(高松地判平4・3・16判時一四三六号一〇二頁)及び原審(高松高判平5・7・20本誌八三三号二四六頁)は、いずれもXらの請求を認めなかった。しかし、その理由は異なる。第一審は、Y社の取扱いの必要性、妥当性には疑問が残るが、これによってXらが株主権の行使に関して、具体的な不利益を受けたことを認めることができないとした。これに対し、原審は、Y社の措置は株主総会の議事運営を円滑に進行させるためのやむを得ない方策であり、合理的な理由による株主間の差別的取扱いであって、総会の会場設営に関する裁量権の濫用、逸脱はなかったことを主たる理由とし、付従的に、Xらが株主権の行使について実質的な不利益を受けていなかったことを挙げた。
三 本判決は、Y社が議事進行の妨害等の事態が発生するおそれがあると考えたことについてはやむを得ない面があったということができるが、そのおそれのあることをもって、従業員株主らを他の株主よりも先に入場させて株主席の前方に着席させる措置を採ることの合理的な理由に当たるものと解することはできず、Y社の措置は適切なものではなかったとして、原審の見解を採らないことを明らかにした。しかし、本件においては、Xが会場の中央部付近に着席した上、議長からの指名を受けて動議を提出しているのであって、具体的に株主の権利の行使を妨げられたということはできず、Y社の措置によってXの法的利益が侵害されたということはできないとして、原告の請求を棄却すべきものとした原審の判断を維持した。
四 本判決が判示した、同じ株主総会に出席する株主に対しては合理的な理由のない限り、同一の取扱いをすべきであるということは、株主平等の原則の現れといえよう。株主平等の原則は、いうまでもなく、株主としての資格に基づく法律関係については、原則としてその所有する株式の数に応じて平等の取り扱いを受けることをいい(鈴木=竹内・会社法〔第三版〕一〇六頁)、株式会社における最も重要な原則のひとつとされる。判例にも株主平等原則に反することを理由にして特定の大株主に対する金員の贈与契約を無効とした例(最三小判昭45・11・24民集二四巻一二号一九六三頁)がある。本件においては株主総会会場への入場方法、入場の時刻、着席場所に関し株主の間で差別的取扱いをすることに合理的な理由が認められないとされたわけである。
五 株主総会における株主の権利としては、①議決権の行使(商法二三九条)の外、②取締役から計算書類の提出を受け、その報告を受けること(同二八三条一項)、③取締役等に対し、説明を求めること(同二三七条ノ三第一項)等がある。本件では、右の権利行使を妨害されたとの主張はなく、会場の中央部付近に着席し、現に議長からの指名を受けた上で動議を提出しているXは、Y社の措置によって法的利益を侵害されたということはできないとされた。法的保護に値する利益の侵害が認められない以上、不法行為に基づく損害賠償請求が認められないことは、異論のないところであろう。
六 株主総会の運営等に関心が寄せられている現在、本判決が株主総会実務に与える影響は少なくないと考えられる。我が国の株主総会の実状については、商事法務一四四一号に詳細な紹介がある。なお、本判決については既に末永教授が商事法務一四四三号二頁に検討結果を発表されている。

Ⅴ 株主提案の取扱い

+第三百四条  株主は、株主総会において、株主総会の目的である事項(当該株主が議決権を行使することができる事項に限る。次条第一項において同じ。)につき議案を提出することができる。ただし、当該議案が法令若しくは定款に違反する場合又は実質的に同一の議案につき株主総会において総株主(当該議案について議決権を行使することができない株主を除く。)の議決権の十分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)以上の賛成を得られなかった日から三年を経過していない場合は、この限りでない。

・提案権行使が権利の濫用に当たるのであれば、取り上げなくてもいいかも。
でも、無難さを求めるなら・・・。

Ⅵ 採決の方法

・拍手による採決
+判例(東京地判H14.2.21)
第三 争点に対する判断
一 争点(1)
株主総会における決議については、法律に特別の規定がないから、定款に別段の定めがない限り、議案に対する賛否あるいは反対が可決ないし否決の決議の成立に必要な数に達したことが明確になったときに成立するものであり、従って、決議の方法についても、定款に別段の定めがない限り、議案の賛否について判定できる方法であれば、いかなる方法によるかは総会の円滑な運営の職責を有する議長の合理的裁量に委ねられているものと解される。
しかるところ、被告の定款に、原告主張のように賛否を集計し明示すべきことを決議方法として定める規定が置かれていること、あるいは原告主張のような決議の方法が確立した慣行として一般的に定着していることを認めるに足りる証拠はなく、他方で、既に述べたとおり、本件株主総会の議長は、総会において、各議案ごとに出席した株主に対して挙手による採決を求め、これに応じた出席株主による議決権行使の状況と議決権行使書面による賛否の集計結果とを勘案し、第一号議案ないし第六号議案については可決されたこと及び第七号議案については否決されたことが明らかであったことから、その旨を議場で報告したものである。
以上によれば、本件株主総会においては、各議案に対する決議は相当な方法で実施され、出席株主もその議決権を行使しており、各決議が有効に成立したものであることは明らかであり、他に本件における決議の方法が会議の一般原則あるいは慣行に違反し株主の議決権の行使を不当に制限したり、あるいは決議の内容に不当な影響を及ぼすような特段の事情を窺わせるに足りる証拠はない
なお、株主による同一議案の再提案権の有無をめぐる不確定な状況については、紛争が現実化した段階で別途の手続により解決が図られるべきものであり、このこと自体をもって決議取消の訴えの理由となるものではない。
以上から原告の請求は失当である。
二 争点(2)
以上のとおり、本件決議の方法は相当であり、原告の主張するような不法行為は、いずれも認めるに足りる証拠はない。
三 したがって、原告の請求にはいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永野厚郎 裁判官 河本晶子 新田和憲)

・成否が微妙な場合
+判例(東京地判H16.5.13)
第3 当裁判所の判断
前記第2のとおり、本件訴訟では、被告の株主総会でなされた別紙総会決議目録記載の本件各決議に関し、被告の取締役及び監査役が商法237条の3で規定された説明義務を尽くしたといえるか否かが争点となっている。そこで、以下では、まず、同条で要求されている取締役及び監査役の株主総会における説明義務の範囲と程度(説明義務の限界)をどのように解するかの点と、取締役及び監査役が行った説明が、同条で要求されている説明義務を尽くしたといえるか否かの具体的な判断基準について検討する。そして、その上で、本件各決議について、共通する個別審議方式の採用の問題について検討し、その後個別の争点の検討を行うこととする。

1 商法237条の3で規定された説明義務の範囲と程度について
商法237条の3第1項は、株主が総会において会議の目的たる事項に関して質問を求めた場合、取締役及び監査役は、その事項について説明すべき義務を負う旨規定する。これは、取締役及び監査役に対し、会議の目的たる事項、すなわち株主総会における報告事項及び決議事項について、株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うため、必要な説明を受け得ることを保障したものである。そこで、取締役及び監査役が負うとされる説明義務の範囲と程度の問題について検討すると、同条項ただし書では、会議の目的たる事項に関しないときは株主の質問に対する説明を拒絶することができるとしてその範囲を画しているが、定時株主総会においては、会議の目的たる事項は、報告事項であると決議事項であると問わず、その範囲に含まれることからすると、同条項ただし書を形式的に適用した限りでは、取締役及び監査役が説明を拒み得る事項は、限定されざるを得ないことになる。しかし、取締役及び監査役がこのような説明を行うのは、株主が会議の目的たる事項を合理的に理解し、判断するためのものであることは明らかであるし、一方で、商法247条1項1号が、決議の方法が法令に違反したときには、決議の取消しを請求できると定めており、取締役及び監査役の説明義務の違背が決議の取消事由とされていることからすると、ここでいう説明義務の範囲と程度には自ずから限度があり、株主が会議の目的たる事項の合理的な理解及び判断をするために客観的に必要と認められる事項(以下「実質的関連事項」という)に限定されると解すべきである。

2 説明義務を尽くしたといえるか否かの具体的判断基準等について
ところで、実際の株主総会の場面において、議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行い得る状況にあったかどうかを判断するに当たっては、会議の目的たる事項が決議事項である場合には、原則として、平均的な株主が基準とされるべきであるなぜなら、説明義務違反が「決議の方法が法令に違反」(商法247条1項1号)するとして決議取消事由とされ、裁判所の審査に服する以上、その判断基準には客観性が要求され、また株主総会が多数の株主により構成される機関であり、説明の相手方が多数人であることを考え併せると、当該質問株主や当該説明者の実際の判断を基礎とすることは妥当ではないからである。
そうであるとすれば、本件訴訟の争点である、本件各決議に関し、被告の取締役及び監査役が説明義務を尽くしたといえるか否かの問題は、本件株主総会における株主の質問に対して、取締役及び監査役が、本件各決議事項の実質的関連事項について、平均的な株主が決議事項について合理的な理解及び判断を行い得る程度の説明を本件株主総会で行ったと評価できるか否かに帰するというべきである。
そして、平均的な株主が決議事項について合理的な理解及び判断を行い得る程度の説明がなされたかどうかの判断に当たっては、質問事項が本件各決議事項の実質的関連事項に該当することを前提に、当該決議事項の内容、質問事項と当該決議事項との関連性の程度、質問がされるまでに行われた説明(事前質問状が提出された場合における一括回答など)の内容及び質問事項に対する説明の内容に加えて、質問株主が既に保有する知識ないしは判断資料の有無、内容等をも総合的に考慮して、審議全体の経過に照らし、平均的な株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行い得る状態に達しているか否かが検討されるべきである。
なお、前記のとおり、その場合に当該質問株主が平均的な株主よりも多くの知識ないしは判断資料を有していると認められるときには、そのことを前提として、説明義務の内容を判断することも許されると解すべきである。なぜなら、株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うために必要な説明を受け得ることを保障した説明義務の趣旨に照らし、既に質問株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行い得る状態に達していることが認められる場合には、それを前提に説明義務の内容を判断したとしても、前記説明義務を定めた法の趣旨に反することとはならないからである。

3 個別審議方式の採否との関係について
原告は、本件各決議についての説明義務に関し、本件株主総会においては、各議案ごとに個別審議し、審議が熟したと認められる場合に採否を行うことができる個別審議方式が採用されていたから、株主は、個別議案ごとに適宜質問し、その説明内容を受けて、質問を追加したり、質問内容を変更することができたところ、そのような質疑応答が十分になされていない以上は、被告の取締役及び監査役に説明義務違反の違法があると主張するので検討する。
この点については、前記第2の1(5)ウ(ア)で認定したとおり、本件株主総会においては、決議事項である各議案の審議に入る際に、原告の監査役で、弁護士でもあるE株主が被告の議長に対し、各議案の審議について、各議案の説明後に質問を受けるよう求め、被告の議長もこれを了承したことが認められる。そして、原告は、この議長の了承をもって被告が個別の審議方式を採用したものと主張するものである。
しかしながら、商法237条の3第1項が、株主の求めた事項についての説明を要求していることからも明らかなとおり、取締役及び監査役の説明義務は、株主から実際に具体的な質問がなされて初めて生ずるものであって、質問の意思表明がなされた時点で既に質問の内容が予測できたというような場合であれば格別、具体的な質問がなされない以上説明義務は生じないというべきであり、しかも、前記2で述べたとおり、質問に対する説明が説明義務違反を構成するか否かは、その決議に至るまでの株主総会全体での審議の経過等に照らし、平均的な株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行い得る状態に達しているかどうかの観点から決すべきものであり、株主総会の議事の運営について被告の議長が一定の方式を採用したか否か、あるいは株主が実際にどのような質問を予定していたか否かといった事情によって左右される問題とはいえないと解すべきである。そうであるとすれば、この点に関する原告の主張は採用できない。
なお、本件株主総会の議事の進行方法は、被告の議長の合理的な裁量に委ねられていたと解されるところ(議長の議事整理権限につき商法237条の4第2項参照)、前記認定の事実によれば、被告の議長はE株主の求めに応じて、各議案ごとに質問を受けることを了承したことは事実として認められる(もっとも、被告の議長は、陳述書(乙23号証)中では、一定の方式をとることを了承したものではない旨述べており、実際には、E株主の求めに対し「はい」と答えたにとどまるもので、被告の議長がその後の審議の過程でその点を意識していたかとの点では疑問が残るところである。)。しかし、被告の議長が、そのように了承したにもかかわらず、議長の議事整理権限の行使により質問を認めず、あるいは質問を制限したといった議事運営に関する問題は、商法247条1項1号でいう決議の方法が法令に違反するか否かの問題に直ちに結びつくものではないというべきであって、その方法が著しく不公正といえる場合に限って決議取消しの理由になるものというべきである。

4 争点1(本件決議1についての説明義務違反の有無)について
(1) 第4号議案の実質的関連事項について
第4号議案は、取締役の選任に関する決議事項であるから、同決議事項についての実質的関連事項は、再任取締役候補者あるいは新任取締役候補者の適格性の判断に必要な事項である。そして、具体的には、通常、商法施行規則13条1項1号所定の「候補者の氏名、生年月日、略歴、その有する会社の株式の数、他の会社の代表者であるときはその事実」等に関する事項であり、同事項に関する説明が行われなければならず(なお、これらの事項については、本件では、甲1号証の株主総会招集通知書中の「議決権行使についての参考書類および議決権の代理行使の勧誘に関する参考書類」によって、商法施行規則の定めるとおり、株主に明らかにされていたと認められる。)、また、株主が再任取締役候補者あるいは新任取締役候補者の適格性について質問をした場合には、同規則所定の事項にふえんして、それらの者の業績、再任取締役候補者の従来の職務執行の状況など、平均的な株主が議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うために必要な事項を付加的に明らかにしなければならないと解すべきである。
(2) 第4号議案に関する実際の説明の内容とその評価について
前記第2の1(5)エ(ア)によれば、G株主は、取締役選任候補者の監視義務の履行状況を確認するため、〈1〉有価証券投資に係る取締役会決議の要否の基準、〈2〉同基準に係る取締役会規程の存否、〈3〉本件投資時点における取締役会決議の要否の基準の存否及び〈4〉本件投資に関する取締役会決議の存否について質問しており、この点に関しては、実質的関連事項として代表取締役による投資判断の内容及びこれに対する各取締役による代表取締役の職務執行に対する監視状況を説明する必要があったというべきである。そして、この点については、G株主による質問がされる前に、被告の専務による一括回答として、前記第2の1(5)イのとおり、有価証券投資は総資産の一部であること、有価証券に係る損失について今後のチェック体制を一層充実させること、社外の専門家によるチェックに加えて、社内においても複数の担当者による稟申制度を採用したこと、さらに一定金額を超える投資案件について取締役会決議を要する旨定めたことを説明している。また、同第2の1(5)ウ(ア)のとおり、被告の議長は、第1号議案に入る前の一般質問の際には、被告の保有する有価証券800億円に係る損失の有無、額等を明らかにしてほしいとの質問に対し、流動資産項目の有価証券の含み損額が30億円であり、固定資産項目の投資有価証券の含み損が70億円に達することを説明し、また、含み損30億円については時間をかけてなくしていくことを説明している。さらに、前記第2の1(5)エ(ア)のとおり、被告の議長は、G株主の質問〈1〉については、10億円を超える投資案件について取締役会決議を要すること、同質問〈2〉については、現在取締役会規程が存在すること、同質問〈3〉については、当時投資案件に係る取締役会決議の要否の基準に関する取締役会規程が存在しなかったこと、同質問〈4〉については、本件投資の一部を除き取締役会の決議を経ていなかったことを説明している。
これらの事実によれば、取締役候補者の適格性の一部を構成すると考えられる本件投資に関する被告の議長を含めた取締役候補者の判断の是非や監視義務履行の状況等経営責任の有無を判断するために必要な事項の具体的な内容は明らかにされており、平均的な株主を前提とする限り、第4号議案の決議について合理的な理解及び判断をするために必要な事項の説明はされていたと評価することができるというべきである。
なお、被告の議長により質問要求が無視されたH株主については、後記5(2)ウで認定したとおり、当時原告が保有していた被告に関する情報を知りえたものと認められるから、後記8のとおり、この点に関する被告の議長の議事運営が不適切であったと認められるとはいえ、質問者との関係でも、被告の取締役及び監査役に説明義務違反はなかったと認めるべきである。
(3) H株主に対する質問打切りの点について
なお、原告は、H株主がマイカル関連債や他の劣後債の格付けや被告の投資基準等について質問した際には、他の株主が議題と関係がないと発言し、被告の議長が、H株主の質問を打ち切り、第4号議案に係る採決に移行した点について被告に説明義務違反が存すると主張する。
そこで検討すると、前記第2の1(5)エ(イ)で認定したところによれば、H株主が被告の議長に対し、マイカル関連債の取得の目的及び時期について質問し、また、前年度の株主総会において有価証券の格付けについて投資適格であるトリプルBよりも低い格付けの債券には投資しないとの説明があったにもかかわらず、マイカル関連債や他の劣後債を取得した理由について説明を求めたこと、これに対し、被告の議長は、取得された時期とH株主の指摘する格付けの時期が異なり、発行された時点での格付けはダブルAであったとの回答をしたこと、そこでH株主とI株主が異論を唱え、さらに詳細な説明を求めようとしたこと、ところが、被告の議長は、その場で他の出席株主から議事を早く進めるようにとの発言があったことをきっかけに、H株主の再三の質問要求を無視して採決を行ったことが認められる。
以上の事実によれば、被告の議長は、H株主から本件投資の適否の詳細についての質問を受けている途中で、これを一方的に打ち切ったものと認めざるを得ず、議長の議事整理権限の行使としても、必要な審議は終えたとの判断に至ったのであれば、他の出席株主から議事を早く進めるようにとの発言があったのであるから、これを審議打切りの動議ととらえ、まずは審議の打切りを総会の決議に諮り、その動議を可決したうえで審議を打ち切る等の措置をとるべきであったというべきである。そうであるとすれば、H株主の発言を途中で打ち切った被告の議長の議事進行が不適切であったことは否定できないというべきである。
しかしながら、前記(2)認定のとおり、審議の打切りの時点では、第4号議案の決議について平均的な株主が合理的な理解及び判断をするために必要な事項の説明は既になされていたというべきであるから、審議の打切りが被告の説明義務違反を構成するとの原告の主張は採用できない(なお、被告の議長の議事の進行の不適切ないし不公正さと本件各決議の取消しの問題については後に項を改めて検討する。)。
5 争点2(本件決議2についての説明義務違反の有無)について
(1) 第5号議案に関する審議の問題について
第5号議案の審議に当たっては、前記第2の1(5)オで認定したところによれば、第4号議案の採決後、F株主やE株主が被告の議長に質問を受けるように発言し、さらにH株主が質問を受けるよう繰り返し発言し、I株主やJ株主も質問があると発言していたにもかかわらず、被告の議長がこれを無視し、誰にも質問の機会を与えないまま、採決の手続をとったことが明らかである。このような被告の議長のとった措置は、前記認定のとおり、被告の議長が本件株主総会の議事の進行に関し、いったんは各議案の説明後に質問を受けることを了承していたといった事実も併せ考慮すると、株主総会の議長の議事整理権限の行使という観点からみる限りは、不適切ないし不公正なものといわざるを得ない(なお、被告の議長の議事の進行の不適切さと本件各決議の取消しの問題については後に項を改めて検討する。)。
ところで、前記3で述べたとおり、被告の議長の議事整理権限の行使の問題と取締役及び監査役の説明義務の問題は同列に論ずることはできないというべきであり、第5号議案の採決の際に被告の議長がとった措置が不適切ないしは不公正であると認めることはできるものの、第5号議案については、具体的な質問が一切なされていないことからすると、そもそも説明義務の問題自体が生じるかどうかをまず検討する必要があるというべきである。この点については、既に述べたとおり、株主から実際に質問の意思表明がなされた時点で、取締役及び監査役が質問の内容を予測できたというような場合であれば説明義務の問題が生じ得ると解すべきことからすると、第5号議案の審議に当たっては、すでに多数の株主が質問の意思を表明していたことは明らかであり、それまでの審議の経過と議案の性質上、被告の取締役及び監査役においては当該質問の内容が一応は予測できたものと認めるのが相当といえる。しかしながら、以下に述べるとおり、そのことがただちに第5号議案に関する被告の取締役及び監査役の説明義務違反を構成するとまで認めることはできないというべきである。
(2) 第5号議案に関する実質的関連事項及び実際の説明内容とその評価について
ア 第5号議案に関する実質的関連事項について
まず、第5号議案は、監査役の選任に関する決議事項であり、商法施行規則13条1項1号によれば、監査役の「候補者の氏名、生年月日、略歴、その有する会社の株式の数、他の会社の代表者であるときはその事実」等に関する事項について説明が行われなければならず(なお、これらの事項についても、本件では、甲1号証の株主総会招集通知書中の「議決権行使についての参考書類および議決権の代理行使の勧誘に関する参考書類」によって、商法施行規則の定めるとおり、株主に明らかにされていたと認められる。)、前記4(2)で認定したとおり、株主が、監査役候補者の適格性について質問をした場合、上記にふえんして、その者の業績、監査役候補者の従来の職務執行の状況など、合理的な理解及び判断を行うために必要な事項を付加的に明らかにしなければならないと解すべきである。
イ 実際の説明内容とその評価について
この点について、質問を求めていたH株主及びI株主は、証拠(甲23号証、同24号証)によれば、本件投資との関連において、監査役候補者が本件投資の当時被告の取締役であり、かつ、代表取締役(被告の議長)によるワンマン経営が継続されている被告の経営状況を考慮し監査役としての適格性に問題があり、その点を含めて質問する予定であったと述べていることが認められるが、前記4(2)で認定したとおり、少なくとも本件投資に関しては、被告の前取締役であった監査役候補者の監視義務の履行状況等を含む当時の取締役の職務執行状況等については、一応明らかにされていたと認められる。
ウ 原告の関係者の知識ないしは判断資料の保有の状態について
加えて、本件においては、質問を継続し、また質問を求めていた株主であるH株主(原告従業員)、I株主(原告従業員)及びJ株主(原告取締役副社長)は、いずれも原告の役員や従業員であるところ、前記第2の1(1)アで認定したとおり、原告は内外の有価証券等に関する投資顧問等を業とする株式会社であり、原告の役員やその従業員は、いわば投資の専門家集団であることが認められる。また、証拠(乙7号証ないし同12号証、同21号証)によれば、原告は、従来から、被告の株主として、あるいは、他の被告の株主との投資一任契約に基づく運用者として、被告に対し、取締役会議事録の閲覧、保有有価証券の開示等を請求し、それに関する情報の開示を受け、遅くとも平成15年5月19日までには、被告保有の有価証券の取得価額、種類及び内容等に加えて、被告がマイカル関連債による40億円の損失計上を行ったこと、新たにUFJ銀行出資の特別目的会社の優先株式を100億円取得したこと等を認識し、また、マイカル関連債(取得額40億円)、野村日本株戦略ファンド(取得額50億3000万円)及び住友不動産株式(取得額41億3000万円)の各取得に当たり、いずれも取締役決議を経ていないこと等の事実についても知悉していたものと認められる。
さらに、原告が本件株主総会の直前に、原告のホームページに掲載した文書によれば、原告は、第4号議案ないし第7号議案のいずれについても事前に賛成するとの立場を言明していたことが認められ(乙22号証、弁論の全趣旨)、これらのことからすると、原告においては、平均的株主が、第4号議案ないし第7号議案の各決議事項に関する判断をするために必要な情報については、いずれもこれを把握していたものと認めるべきである。そして、このような原告が保有していた情報については、当然に原告の役員あるいは従業員もまたこれを認識していたと認めるのが相当であることからすると、これらの質問株主としては、本件投資に係る監査役候補者の適格性について平均的な株主が判断するのに十分な資料を有していたものと認めるのが相当である。
なお、原告は、被告の株主で、原告、原告の役員や従業員でもある者は、いずれも独立の立場で活動しており、これを原告の関係者として一括りにするのは不当であると主張するが、議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うために必要な情報の提供を受けるという観点からは、原告の役員や従業員は、いずれも相互に原告あるいは原告の役員や従業員が保有していた被告に関する情報に接することができる立場にある以上、その限度で、原告の役員あるいは従業員である質問株主について、情報の共有化がなされているとみることは、何ら支障がないというべきである。
エ 小括
以上認定したところによれば、第5号議案で選任の対象とされた監査役候補者の適格性を判断するために必要な具体的な事項の内容は決議の時点で既に明らかにされており、平均的な株主を前提とする限りは、第5号議案の決議について合理的な理解及び判断を行うために必要な事項の説明はなされていたものと評価することができるというべきである。
したがって、被告の議長の議事運営により、第5号議案についての個別的な審議が行われなかった事実は認められるものの、そのことが被告の取締役及び監査役の説明義務違反を構成するとまでいうことはできない。
6 争点3(本件決議3についての説明義務違反の有無)について
(1) 第6号議案の実質的関連事項について
第6号議案は、退任取締役に対する退職慰労金の贈呈に関する決議事項であり、その実質的関連事項は「取締役の略歴」であるが(商法施行規則13条1項6号)、一定の基準に従い退職慰労金の額を決定することを取締役、監査役その他第三者に一任する場合においては、確定された基準の存在、基準の周知性(閲覧可能なこと)及びその内容が支給額を一意的に定め得ることも実質的関連事項となると解すべきである。なぜなら、商法施行規則13条4項によれば、一定の基準に従い退職慰労金の額を決定することを取締役、監査役その他第三者に一任する場合、その基準の内容を参考書類に記載するか、その基準を記載した書面を本店に備え置いて株主の閲覧に供していなければならないと規定されているからである(なお、「取締役の略歴」については、本件では、甲1号証の株主総会招集通知書中の「議決権行使についての参考書類および議決権の代理行使の勧誘に関する参考書類」によって、商法施行規則の定めるとおり、株主に明らかにされていたと認められる。また、証拠(乙5号証)及び弁論の全趣旨によれば、被告において、退職慰労金の支給に関する内規が存在し、従前原告がその閲覧を求めて被告が閲覧に応じた事実が認められ、これによると、上記内規を本店に備え置いて株主の閲覧に供していたと推認できる。)。
そこで、株主が退任取締役ごとの具体的金額又は支給基準に関して質問をしたときは、取締役は、支給基準について、確定された基準の存在、基準の周知性(閲覧可能なこと)及びその内容が支給額を一意的に定め得ることを説明しなければならず、また、退職慰労金の算定に関して、退任取締役の業務執行の状況等について質問があった場合には、それが退職慰労金の算定に関わる事項である以上、「取締役の略歴」にふえんして、それらの者の業績、退任取締役の従来の職務執行の状況など、平均的な株主が議決権行使を行う前提としての合理的な理解及び判断を行うため必要な事項を付加的に明らかにしなければならないと解すべきである。
(2) 第6号議案に関する実際の説明内容とその評価について
前記第2の1(5)カによれば、被告の議長が、退任取締役に対して内規に従い相当額の退職慰労金を贈呈し、その金額及び時期を取締役会に一任してほしいと説明したところ、E株主が、〈1〉本件投資についての取締役会決議の存在しないことの理由、〈2〉100億円の投資案件について取締役会決議を経た理由及び〈3〉取締役会決議の要否の基準を10億円を超える案件とした理由について質問をし、被告の議長は、〈1〉について取締役会決議を経ていないが、意見交換をしたこと、〈2〉について多額であるため取締役会決議を経たこと、〈3〉について社内外の意見を踏まえて決定したことを説明した。その後、E株主はそれ以上質問せずに、その後I株主が質問する旨発言したが、被告の議長は、I株主の発言を許可せず、そのまま第6号議案の採決に入った。
そこで、検討すると、本件投資に関する当時の取締役の職務執行(監視義務の履行)の状況については、前記4(2)で認定したとおりの説明がなされており、さらにこの点について上記のとおり付加的な事項が説明されたのであるから、本件投資に関する取締役の監視義務の履行の状況に関して、平均的な株主が退職慰労金の決議事項について議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うため必要な範囲は説明されたというべきものである。
(3) I株主の質問を受け付けなかった点について
なお、原告は、退任取締役の退職慰労金の総額、個別額及び支給基準等、さらには本件投資に関する取締役の責任による減額の問題等についての質問が予定されていたと主張し、原告の従業員であるI株主の陳述書(甲23号証)によれば、同株主がおおむねそのような内容の質問を予定していた旨の記載があることは事実である。しかしながら、I株主は原告の従業員であり、前記5(2)ウで認定したとおり、当時原告が保有していた被告に関する情報を知り得たものと認められるところ、証拠(乙5号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成13年5月の定時株主総会において、退職慰労金に関する具体的基準について説明を求め、これについて被告の議長が具体的に答えており、さらに、平成14年5月の定時株主総会の際には、あらかじめ退職慰労金規程の閲覧請求をし、これに被告が応じており、一方で、本件株主総会においては、事前の閲覧請求を行っていなかったことが認められるし、さらに前記のとおり、原告が本件株主総会の直前にそのホームページで公表した文書によれば原告は第6号議案についてもこれに賛成するとの態度を表明していたことが認められる。これらの事実に照らすと、被告の取締役及び監査役において、I株主が、実際に退任取締役の退職慰労金の総額、個別額及び支給基準等についての具体的質問を行うことが予測できたとすることは無理があるといわざるを得ない。
以上のとおりであって、本件投資に関連した事項については既に説明が行われていたものであり、実際に退職慰労金の算定根拠等に関する具体的な質問がなかったことも明らかであるから、被告の議長がI株主の質問を受け付けないまま第6号議案の採決に移行したことが、説明義務違反を構成すると認める余地はない。
7 争点4(本件決議4についての説明義務違反の有無)について
(1) 第7号議案に関する説明内容及び説明義務違反の有無について
第7号議案について説明を要する事項は、前記6(1)のとおりであるところ、この点に関して、原告は、監査役の退職慰労金に関する支給基準等について説明がなかったことから、第7号議案の採決について説明義務違反があると主張する。
しかし、前記第2の1(5)キによれば、被告の議長が、J株主の質問に対して、質問を一つだけ受ける旨述べて、同株主は、監査役に対する質問として、本件投資に関する監査役の責任等について質問し、被告の監査役は、監査役の職域の中でその責任を果たし、また、被告の当時の措置が相当であると考えていた旨説明し、J株主は、監査役の説明を受けて、監査役としての責任が果たされていない旨述べて質問を終えているものであって、本件投資に関する監査役の監視義務の履行の状況に関して、平均的な株主が退職慰労金の決議事項について議決権行使の前提としての合理的な理解及び判断を行うため必要な事項は説明されたということができる。
したがって、この点について説明義務違反があったということはできない。
(2) Lの質問を無視した点について
原告は、原告の従業員が挙手と発声により質問することを求めたにもかかわらず、被告の議長がこれを無視して採決に入っており、質問をさせなかった点について説明義務違反があったと主張する。
この点に関しては、証拠(甲6号証、同18号証)及び弁論の全趣旨によれば、J株主の質問の後、被告の議長が第7号議案の採決に移ることを諮った際に、被告の株主で原告の従業員もであるL(以下「L株主」という。)が、「質問」と述べて挙手をしたこと、一方で議場内からは「異議なし」「了解」といった声があがり、被告の議長はL株主からの質問を受けることなく、第7号議案の採決に入ったことが認められる。
そこで検討すると、被告の議長の陳述書(乙23号証)によれば、L株主の発言は認識していなかったというのであり、その点に関する被告の議長の議事運営の適否の問題はともかくとしても、第7号議案の採決に先立って、L株主からの具体的な質問がなされなかったことは明らかであるし、質問の意思表明はあったとしてもその内容を被告の取締役及び監査役が予測できたとも認められないから、説明義務違反の問題は生じないというべきである。
8 被告の議長の議事整理権限の行使が著しく不公正といえるか。
以上、前記4ないし7で認定したところによれば、第4号議案ないし第7号議案の決議に関しては、被告の取締役及び監査役について説明義務違反の事実は認められないというべきである。しかし、また一方では、前記認定のとおり、被告の議長による本件株主総会における議事運営については、第4号議案ないし第7号議案の決議に関して、いったんは個別に質問を受けることを了承しておきながら、特に第5号議案については、一切質問を受けないまま決議を行い、あるいは他の議案については質問がなされているにもかかわらずこれを一方的に打ち切るといった措置がとられていることが認められる。そして、それらの措置のなかには株主総会の議長の議事整理権限の行使としてみた場合、不適切あるいは不公正なものが含まれていることは既に述べたとおりである。
そこで、本件の中心的な争点である被告の取締役及び監査役の説明義務違反を理由とする本件各決議の取消しの問題については、これが認められないというべきであるが、株主総会の議長の議事整理権限の行使が著しく不公正な場合には、商法247条1項1号により決議の取消しを認めることができると解されるので、原告がその点を明確に主張するものではないが、前記第2の2(1)イ(ア)cや同(1)ウ(ア)c、同(1)エ(ア)cなどのとおり、議事進行の不合理性についても指摘し、決議方法の著しい不公正の点も主張しており、また、被告は、前記第2の2(1)イ(イ)cなどのとおり、議長が不規則発言による議事の混乱を回避したものであり、合理的な議事運営であったことを主張するので、念のため、以上のような被告に議長の議事運営が著しく不公正なものとまで認められるか否かについても判断することとする。
既に認定した事実と証拠(甲4号証ないし同7号証、乙1号証ないし同9号証、乙16号証ないし同23号証)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件株主総会における被告の議長の議事運営とこれに対する原告の対応に関して、次の事実が認められる。
〈1〉原告は内外の有価証券等に関する投資顧問業務を行っている会社であり、原告の役員やその従業員はいわば投資の専門家集団で、しかも、原告は以前から被告の経営内容に強い関心を持っており、本件株主総会に臨むに当たっては、被告の会社の経営内容についての十分な知識を持っていたと認められること、また、原告の役員あるいは従業員は、平成12年以降それぞれが個人の立場で被告の株式を取得しており、平成15年2月末の時点では、その数は14人に達していること、〈2〉本件株主総会に当たっては、原告はその直前にインターネット上の自らのホームページで被告の株主総会での各議案について、第2号議案と第3号議案の定款変更の件の一部についてのみ反対し、それ以外の議案には一部意見は付したものの結論的には賛成する旨の態度をあらかじめ表明していたこと、〈3〉原告は本件株主総会に先立って被告に対し被告の有価証券投資及び経営体制に関する詳細な事前質問状を送付しており、本件株主総会では、冒頭の被告の専務による質問状についての一括回答(所要時間13分余り)のなかで、原告の事前質問状に対する被告側の一般的な回答がなされていること、〈4〉第1号議案の審議に入る前の総括審議の際には、5名の株主(うち2名が原告の従業員)からの質問があり、被告の議長との間で30分にわたって質疑応答が行われ、その後第1号議案の審議・採決に入る際に原告の監査役でもあるE株主から、本件各議案ごとに質問を受け付けて欲しい旨の申入れがあり被告の議長がこれを了承したこと、〈5〉第1号議案の審議・採決の際には、採決の方法につきE株主から動議が出されたが、動議の採否につき明確な判断がなされないまま、採決が行われたこと、〈6〉その後、第2号議案と第8号議案の審議がなされ、ここでは、第8号議案の提案者であり、原告の代表者でもあるF株主の補足説明を初めとして、4名の株主(うち2名は原告の従業員)の発言があり(質疑応答時間約8分)、さらにE株主から採決に関する動議が出されたが、動議の採否につき明確な判断がなされないまま、採決が行われ、この間に40分余りを要したこと、〈7〉第3号議案については、採決が終わるまでに全体で30分以上の時間を要したが、議案に対する質問はF株主のみで、ほかはE株主が1回、F株主が4回、いずれも採決の方法と結果に対する質問を行ったこと、〈8〉第4号議案については、原告の副社長でもあるG株主からの質問がなされ、これに被告の議長が答えた後、原告の従業員でもあるH株主からの質問がなされ、さらに同じく原告の従業員であるI株主も質問があると発言したにもかかわらず、被告の議長は、これらの質問を一方的に打ち切り、採決を行ったこと、〈9〉第5号議案については、F株主及びE株主が質問を受けるよう発言し、さらにI株主や同じく原告の副社長でもあるJ株主が質問があると発言したにもかかわらず、被告の議長は、原告の代表者であるF株主に対し、同じことの繰り返しを避けるよう求める趣旨の発言をするなどした上、これらの質問を一切受けずに採決を行ったこと、〈10〉第6号議案については、E株主からの質問があり、被告の議長はこれに答えた後、I株主からの質問については、これを受けずに採決を行い、さらに第7号議案については、J株主からの質問があり、同株主からの求めに応じて被告の監査役がこれに回答し、その後、原告の従業員であるL株主の質問がなされたが、被告の議長はこれを受けずに(なお、被告の議長はL株主の質問には気づかなかったと述べている。)、採決を行ったこと、〈11〉本件株主総会は、当日午前10時5分に始まり、事前質問状に対する一括回答とこれに対する質問を経て、午前11時10分ころから個別の議題の審議に入り、第1号ないし第3号議案の審議採決の後、午後12時46分ころから第4号議案の審議に入ったが、その後、第4号議案の審議採決には11分足らず、同じく第5号議案には1分余り、第6号議案には5分余り、第7号議案には9分余りの時間を要し、午後1時13分ころに閉会したこと、以上の事実が認められる。
以上認定した事実によれば、被告の議長は、いったんはE株主の求めに応じて個別の議案ごとに質問を受け付けることを了承したにもかかわらず、第4号議案ないし第6号議案の審議の際には、各質問者の質問を受け付けないまま、審議を一方的に打ち切っていることが認められ、特に第5号議案については、多数の株主からの質問要求がなされたにもかかわらず、これを一切無視して採決を行っていることが明らかである。この点に関しては、証拠(乙1号証、同2号証、同15号証ないし同18号証)及び弁論の全趣旨によれば、当時議場内から、質問を求める発言とこれに反対して早期に採決をするよう求める複数の発言がなされ、議場内が一時的に騒然とした状況に陥っていたという事情は認められるものの、前記〈9〉で認定した第5号議案の審議の際に被告の議長によるF株主に対する発言からも窺えるとおり、被告の議長が原告の関係者の発言ということでこれらの質問を受け付けなかったものと推認できることからしても、被告の議長の議事の運営自体が不公正であったことは認めざるを得ないというべきである。
しかしながら、このような被告の議長の議事運営が、著しく不公正とまでいえるかとの観点からみると、前記〈1〉ないし〈3〉で認定したとおり、原告とその役員及び従業員は、いわば投資の専門家集団といえるところ、本件株主総会の以前から被告の経営状況について十分な知識を持っていたことが認められ、本件株主総会に臨むに当たっては、原告は、事前に、被告の有価証券投資及び経営体制に関する詳細な事前質問状を提出するとともに、一方で、本件株主総会の第4号議案ないし第7号議案については賛成する意向を表明していたものである。さらに、本件株主総会における質疑の状況をみると、前記の〈4〉ないし〈10〉で認定したとおり、第4号議案の審議に入る前までに、被告の議長に対し、議事の進行に関する意見も含め、延べ17回余りの株主からの質問ないし発言がなされているところ、5名による5回の質問を除き、その余の12回はすべて原告の役員あるいは従業員の株主の質問ないし発言であり、その後の第4号議案ないし第7号議案の審議に関してみても、もっぱら原告の役員あるいは従業員の株主が入れ代わり立ち代わり質問ないし発言を繰り返している状況にあったものである。また、被告の議長がE株主に個別の議案ごとに質問を受けることを了承したという点についても、当時の審議状況に照らす限り、被告の議長がその後の審議の際にそのことを明確に意識していたかどうかは多分に疑問が残るところである。
以上のような事情を総合して考慮すると、被告の経営状況について既に十分な知識、情報を得ており、第4号議案ないし第7号議案に関する決議についても十分な情報を持っていると認められ、しかも事前に賛成の意向まで表明している原告の関係者からの質問が繰り返しなされた結果、被告の議長としては、一時的な混乱状態のもとで、既に原告の関係者に対しては必要な説明はなされていると即断して、前記のように原告の関係者からなされた質問を打ち切りあるいは無視するといった措置をとるに至ったものと認めるのが相当である。そうであるとすれば、原告の事前質問状に対しては、被告の側から一応の回答がなされており、しかも、第4号ないし第7号議案についての実質的関連事項の説明はそれぞれの決議の際には既になされているものと認められることをも併せ考慮すると、被告の議長の議事運営方法が不公正であり適切さを欠いていたとの点は否定できないにしても、本件各決議に際しての被告の議長の議事運営方法が、決議の取消しを認めざるを得ないほどに著しく不公正なものであったとまで認定することはできないと考える。
第4 結論
以上認定説示したところから明らかなとおり、本件訴訟は、内外の有価証券等に関する投資顧問等を業とする株式会社である原告の役員あるいは従業員が、自ら株主として出席した被告の定時株主総会において、株主からの質問に対する被告の取締役及び監査役の説明義務が尽くされないまま本件各決議がなされたとして、被告に対して当該各決議の取消しを求めた事案である。
そして、原告は、本件株主総会における本件各決議に関しては、被告の議長が株主の質問を途中で打ち切りあるいはこれを無視して採決を行っており、被告の取締役及び監査役による説明義務が尽くされていないと主張するが、前記第3での検討の結果のとおり、当裁判所としては、本件株主総会に出席した時点で原告及びその役員あるいは従業員である株主が有していた被告会社に対する知識・情報の内容や本件株主総会における審議の内容をも考慮した上で、いずれの決議についても被告の取締役及び監査役として必要な説明義務は尽くされていたものと判断したものである。さらに、当裁判所としては、被告の議長の議事運営の適否の観点からの本件各決議の取消しの問題について検討し、被告の議長による本件株主総会の議事運営については、被告の議長が株主の質問を打ち切りあるいはこれを無視した点において不公正さを否定できないと認められるものの、これが本件各決議を取り消すことを認めるに足るほどの著しい程度にまでは達していないと判断したものである。
民事第8部
(裁判長裁判官 西岡清一郎 裁判官 真鍋美穂子 裁判官 名島亨卓)

+判例(東京地判H19.12.6)
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件各決議に関する本件集計方法の違法性)について
(1) 本件株主提案と本件会社提案との関係
ア 本件において、原告ら及び被告の双方から、「取締役8名選任の件」及び「監査役3名選任の件」という議題によって各候補者の提案がされたこと、被告の定款上、本件株主総会において選任できる取締役の員数は最大で8名、監査役の員数は最大で3名となることは、前記第2の1(2)から(5)までに認定のとおりである。
そうであれば、本件株主提案と本件会社提案とはそれぞれ別個の議題を構成するものではなく、「取締役8名選任の件」及び「監査役3名選任の件」というそれぞれ一つの議題について、双方から提案された候補者の数だけ議案が存在すると解するのが相当である。
イ これに対して、被告は、本件株主提案と本件会社提案とは、候補者が異なるから議題としては別であり、本件委任状による授権は本件会社提案には及ばないと主張する。
しかしながら、いずれの提案も、本件株主総会終結時をもって平成19年6月現在の取締役全員及び監査役3名が任期満了によって退任することを前提に、その後任者の選任を目的とするものであって(前記第2の1(3))、被告自身、本件株主提案と本件会社提案とをそれぞれ相反議案の関係にあるものとして、一括して審議し、一括して採決することとしているところであるから(前記第2の1(6)及び(8)ア、イ)、本件株主提案と本件会社提案とは議題としては共通と解するのが相当であり、被告の主張は採用することができない。
(2) 本件委任状の趣旨
ア 原告が被告の株主から得た本件委任状には、委任事項として、「原案に対し修正案が提出された場合(株式会社モリテックスから原案と同一の議題について議案が提出された場合等を含む。)…(中略)…はいずれも白紙委任とします。」と記載されていることは、前記第2の1(4)イ認定のとおりである。
そこで、本件委任状による株主から原告に対する議決権行使の代理権授与の趣旨を検討する。
本件においては、原告らと被告経営陣との間で経営権の獲得を巡って紛争が生じていることから、原告らがその提案に係る取締役及び監査役候補者の選任に関する議案を提出し、株主に対して議決権の代理行使の勧誘を行ってきた場合に、被告からもいずれその提案に係る候補者の選任に関する議案が提出されるであろうことは、株主にとって顕著であったものと認められる(乙1、弁論の全趣旨)。また、被告の定款に定められた員数の関係から、本件株主総会において選任できる取締役の員数は最大で8名、監査役の員数は最大で3名であって、本件株主提案に賛成し、原告に議決権行使の代理権を授与した株主は、本件会社提案に係る候補者については賛成の議決権行使をする余地がない。
このような状況下においては、本件株主提案に賛成して本件委任状を原告に提出した株主は、委任事項における「白紙委任」との記載にかかわらず、本件委任状によって、本件会社提案については賛成しない趣旨で、原告に対して議決権行使の代理権の授与を行ったと解するのが相当である。
なお、本件委任状には、委任事項として、「賛否の指示をしていない場合…(中略)…はいずれも白紙委任とします。」と記載されているところ、賛否の欄を白紙にして本件委任状を提出した株主についても、上記の状況下では、本件株主提案に賛成するとともに、本件会社提案については賛成しない趣旨で、原告に対して議決権行使の代理権の授与を行ったと解して妨げないというべきである。
イ これに対し、被告は、本件委任状を原告に提出した大多数の株主は、本件委任状作成時に本件会社提案の内容を認識していないから、本件会社提案についての議決権行使の代理権までは授与していないと主張する。
なるほど、証拠(乙3)によれば、本件委任状1893枚のうち、平成19年6月13日以前の期日が記載された委任状は1258枚であって、原告に対して本件委任状を提出した株主の中には、本件株主総会招集通知によって本件会社提案に係る候補者を認識する前に本件委任状を提出した者が少なくないことが認められる。
しかしながら、原告に対して本件委任状を提出した株主が、仮に本件委任状提出後に本件会社提案の内容を認識し、その提案に係る候補者の一部に賛成することとするのであれば、原告に対する代理権授与の撤回をすることによって、自らその真意に沿った議決権行使を行うことは何ら妨げられない。また、被告が、全株主に対して電話を行い、議決権行使書面の送付を依頼するとともに、原告に対する代理権授与の撤回の意思を確認することができた株主に対しては、「委任状撤回通知書」と題する書面を送付して、原告に対する代理権授与の撤回の手続を行ったことは、前記第2の1(7)に認定のとおりである。
そうであれば、本件株主提案に賛成して本件委任状を原告に提出した株主が、その後、被告からの本件株主総会招集通知によって本件会社提案に係る候補者の情報を得るとともに、被告からの電話により原告に対する代理権授与の撤回の機会を持ったにもかかわらず、代理権授与の撤回をしていない以上は、本件委任状提出の当初から、本件会社提案には賛成しない意思であったと解して妨げないというべきである。
ウ なお、被告は、原告代理人である久保利英明弁護士から、本件委任状は本件株主提案についてのものであり、本件会社提案については議決権代理行使の勧誘の意思はない旨を伝えられていたため、これを前提に本件会社提案につき議決権不行使と扱った旨主張する。
しかしながら、事前打ち合わせの際の原告代理人の上記発言内容を的確に認めるに足りる証拠はないし、また、本件株主提案に賛成して本件委任状を提出した株主から原告に対する議決権行使の代理権授与の趣旨は、上記アのとおり、本件会社提案については賛成しないという範囲では明確ということができるから、原告代理人の発言に関する被告の主張は採用することができない。
(3) 議決権代理行使勧誘規制との関係
被告は、本件委任状には本件会社提案について賛否を記載する欄が設けられていないこと及び本件会社提案に係る候補者に関する参考書類の提供等がないことから、本件委任状は証券取引法194条、同法施行令36条の2第1項、勧誘内閣府令43条等に違反し無効であって、本件委任状による本件会社提案についての議決権行使の代理権授与も無効となると主張する。
ア 議決権代理行使勧誘規制の趣旨
証券取引法(平成18年法律第65号による改正前のもの)194条は、「何人も、政令で定めるところに違反して、証券取引所に上場されている株式の発行会社の株式につき、自己又は第三者に議決権の行使を代理させることを勧誘してはならない。」と規定し、これを受けて同法施行令36条の2第1項は、「議決権の代理行使の勧誘(法194条に規定する証券取引所に上場されている株式の発行会社の株式につき、自己又は第三者にその議決権の行使を代理させることの勧誘をいう。…(中略)…)を行おうとする者(以下…(中略)…「勧誘者」という。)は、当該勧誘に際し、その相手方(以下…(中略)…「被勧誘者」という。)に対し、委任状の用紙及び代理権の授与に関し参考となるべき事項として内閣府令で定めるものを記載した書類(以下…(中略)…「参考書類」という。)を交付しなければならない。」と規定し、同条5項は、「第1項の委任状の用紙の様式は、内閣府令で定める。」と規定している。
これを受けて勧誘内閣府令1条1項は、参考書類の記載事項について、「証券取引法施行令(以下「令」という。)第36条の2第1項に規定する参考書類(以下「参考書類」という。)には、次の各号に掲げる区分に応じ、それぞれ当該各号に定める事項を記載しなければならない。」とし、1号において「勧誘者が当該株式の発行会社又はその役員である場合」には「イ 勧誘者が当該株式の発行会社又はその役員である旨、ロ 議案、ハ 議案につき会社法(…(中略)…)第384条又は第389条第3項の規定により株主総会に報告すべき調査の結果があるときは、その結果の概要」を、2号において「勧誘者が当該株式の発行会社又はその役員以外の者である場合」には「イ 議案、ロ 勧誘者の氏名又は名称及び住所」を定めている。また、勧誘内閣府令21条1項は、「株式の発行会社の取締役が取締役の選任に関する議案を提出する場合において、当該会社により又は当該会社のために当該株式について議決権の代理行使の勧誘が行われる場合以外の場合に当該株式について議決権の代理行使の勧誘が行われるときは、参考書類には、候補者の氏名、生年月日及び略歴を記載しなければならない。」と規定し、同条2項は、「前項に規定する場合において、株式の発行会社が公開会社であるときは、参考書類には、次に掲げる事項を記載しなければならない。1 候補者が他の法人等を代表する者であるときは、その事実(重要でないものを除く。)、2 候補者と当該会社との間に特別の利害関係があるときは、その事実の概要、3 候補者が現に当該会社の取締役であるときは、当該会社における地位及び担当」と規定し、勧誘内閣府令23条は、監査役について概ね同旨を規定しており、これらの規定は、株式の発行会社の株主が議案を提出する場合において、当該会社により又は当該会社のために当該株式について議決権の代理行使の勧誘が行われる場合以外の場合に当該株式について議決権の代理行使の勧誘が行われるときにも、適用される(勧誘内閣府令40条)。さらに、勧誘内閣府令43条は、「令36条の2第5項に規定する委任状の用紙には、議案ごとに被勧誘者が賛否を記載する欄を設けなければならない。ただし、別に棄権の欄をもうけることを妨げない。」と規定している。
これらの議決権代理行使勧誘規制の趣旨は、被勧誘者である上場会社の一般株主にとって、勧誘者から株主総会の議案を知らされるだけでは、議案の可否を判断するための情報としては十分ではないため、勧誘者は所定の事項を記載した参考書類を交付すべきこととするとともに、被勧誘者が株主総会における議決権の代理行使について勧誘者に白紙委任することにより、自分にとって不利な議決権の行使がなされ不測の損害を受けることがないように、委任状には議案ごとに賛否を記載する欄を設けるべきこととしたものである。
イ 原告による議決権の代理行使の勧誘についての検討
これを本件についてみるに、本件委任状には本件会社提案について賛否を記載する欄が設けられていないこと及び原告による議決権の代理行使の勧誘に際して本件会社提案に係る候補者に関する参考書類の交付がされていないことは、第2の1(4)イに認定のとおりである。
他方、本件における原告による議決権の代理行使の勧誘については、以下の事情を認めることができる。
(ア) 本件においては、原告らと被告経営陣との間で経営権の獲得を巡って紛争が生じており、被告からもいずれその提案に係る候補者の選任に関する議案が提出されるであろうことが、株主にとって顕著であったこと、また、被告の定款に定められた取締役及び監査役の員数の関係から、本件株主提案に賛成し、原告に議決権行使の代理権を授与した株主は、本件会社提案に係る候補者については賛成の議決権行使をする余地がないこと、こうした状況から、本件株主提案に賛成する議決権行使の代理権を授与した株主は、被告から提案が予想される議案に反対する趣旨で代理権授与を行ったと解されることは、前記(2)アに判示のとおりである。
そうであれば、本件株主提案に賛成する議決権行使の代理権を授与した株主にとっては、原告が本件会社提案に反対の議決権の代理行使をすることは代理権授与の趣旨に沿ったものであり、これにより不測の損害を受けるおそれはないということができる。
(イ) 株主提案に賛成する議決権行使の代理権を授与した株主が、その後に、株主総会招集通知に添付された参考書類により会社提案に係る候補者の情報を得た時点で株主提案への賛成を翻意した場合には、株主に対する代理権授与の撤回をすることによって、その意図に沿った議決権行使を行うことが可能である。本件における手続の経過をみても、被告が、全株主に対する電話連絡の際に、原告に対する議決権行使の代理権授与の撤回の意思を確認することができた株主については、その手続を行ったことは、前記第2の1(7)に認定のとおりである。
そうであれば、本件において、被告による本件株主総会招集通知及び本件会社提案に関する参考書類の送付に先立ち、原告が、本件株主提案に係る候補者に関する情報のみの提供により、本件株主提案に賛成するとともにその後に予想される会社提案に反対することを内容とする議決権の代理行使を勧誘することを許容したとしても、情報不足のため株主が不利益を受けるというおそれはないといえる。
(ウ) 取締役会設置会社において、株主は、株主提案権に基づき、一定の事項を株主総会の目的とすることを請求する場合には、株主総会の日の8週間前までにその請求をしなければならないのに対し(会社法303条2項)、会社は、株主総会を招集するには、2週間前までに株主に株主総会の目的である事項を通知すれば足りることとされている(同法299条1項)。
そうすると、会社が2週間前に株主に対して株主総会の招集を通知した場合、会社は、通知を行うのと同時に、株主提案についても賛否を記載する欄を設けた議決権行使書面を送付することにより、2週間の期間を利用して、会社提案に賛成するとともに株主提案に反対することを内容とする議決権行使の勧誘をすることができる。これに対し、株主が株主提案に賛成するとともに会社提案に反対することを内容とする議決権代理行使の勧誘をする場合に、常に会社提案についても賛否を記載する欄を設けた委任状の用紙を作成しなければならないとすると、株主は、株主総会招集通知の受領後に、会社提案について賛否を記載する欄を設けた委任状及び会社提案についての参考書類の作成、株主に対する送付等を行った上で、2週間から上記の作業期間を控除した残りの期間に議決権代理行使の勧誘を行わなければならず、会社と比較して著しく不利な地位に置かれることとなる。本件における手続の経過をみても、被告は平成19年6月11日に本件株主総会招集通知を発送し、原告はこれを同月13日に受領したものと認められるところ(前記第2の1(5)ア、弁論の全趣旨)、原告が同日から本件株主総会開催日である同月27日までの間に本件会社提案についても賛否を記載する欄を設けた委任状の作成、送付等をした上、本件会社提案に反対の議決権代理行使の勧誘をすることは、議決権を有する株主数が9586名に及ぶことや委任状の送付及び返送のために一定の郵送期間が必要となることにかんがみると、極めて困難であることが窺える。
このように、株主が、自らの提案に賛成するとともに会社提案に反対することを内容とする議決権代理行使の勧誘をするためには、常に会社提案についても賛否を記載する欄を設けた委任状を作成しなければならないと解することは、株主に対する議決権代理行使の勧誘について会社と株主の公平を著しく害する結果となるといわざるを得ない。
ウ 上記の各事情を考慮すると、本件においては、本件委任状の交付をもって、本件会社提案についての株主から原告に対する議決権行使の代理権の授与を認めたとしても、議決権代理行使勧誘規制の趣旨に必ずしも反するものではないということができ、本件委任状が本件会社提案について賛否を記載する欄を欠くことは、本件会社提案に係る候補者についての原告に対する議決権行使の代理権授与の有効性を左右しないと解するのが相当である。
(4) 小括
以上によれば、本件会社提案に係る議案の採決に際しては、本件委任状に係る議決権数は、出席議決権に算入し、かつ本件会社提案に対し反対の議決権行使があったものと取り扱うべきであった。それにもかかわらず、本件株主総会の議長であるBは、前記第2の1(8)ウからオまでのとおり、本件集計方法により本件会社提案が出席議決権数の過半数の賛成を得たものとして可決承認された旨宣言したのであるから、本件各決議は、その方法が法令に違反したものとして決議取消事由を有するといわざるを得ない。
そして、本件委任状に係る議決権数を出席議決権に算入するという取扱いによった場合、Aは出席議決権数の44.93%、Sは出席議決権数の46.74%の賛成しか得ていないことになり(前記第2の1(9)ア)、いずれも過半数に達していないから、両名の選任議案は否決されたというべきであり、両名を取締役に選任する旨の決議は取消しを免れない。これに対し、その余の6名の取締役及び3名の監査役の選任議案については、かかる取扱いによった場合でも、出席議決権数の過半数の賛成を得たという結果には変更がないことが認められ、本件集計方法によったことは、議決権行使の集計における評価の方法を誤ったのみであって違反する事実が重大とまではいえないし、決議に影響を及ぼさないものであると認められるから、会社法831条2項により、B、C、E、O、P及びQを取締役に選任する旨の決議並びにZ、V及びWを監査役に選任する旨の決議の取消しの請求は、棄却することとする。
なお、原告は、このような場合には全体としてその決議の方法が法令に違反し、又は著しく不公正といえるから、本件各決議はすべて取り消されるべきであると主張するが、上記(1)アに判示のとおり、本件においては、各議題につき候補者の数だけ議案が存在するのであるから、決議としては候補者ごとに別個のものと解さざるを得ず、原告の主張は採用することができない。
2 争点2(議決権行使株主に対するQuoカード送付の違法性)について
(1) 株主の権利行使に関する利益供与の要件
会社法120条1項は、「株式会社は、何人に対しても、株主の権利の行使に関し、財産上の利益の供与(当該株式会社又はその子会社の計算においてするものに限る。…)をしてはならない。」と規定している。同項の趣旨は、取締役は、会社の所有者たる株主の信任に基づいてその運営にあたる執行機関であるところ、その取締役が、会社の負担において、株主の権利の行使に影響を及ぼす趣旨で利益供与を行うことを許容することは、会社法の基本的な仕組に反し、会社財産の浪費をもたらすおそれがあるため、これを防止することにある。
そうであれば、株主の権利の行使に関して行われる財産上の利益の供与は、原則としてすべて禁止されるのであるが、上記の趣旨に照らし、当該利益が、株主の権利行使に影響を及ぼすおそれのない正当な目的に基づき供与される場合であって、かつ、個々の株主に供与される額が社会通念上許容される範囲のものであり、株主全体に供与される総額も会社の財産的基礎に影響を及ぼすものでないときには、例外的に違法性を有しないものとして許容される場合があると解すべきである。
(2) 本件贈呈の利益供与該当性
本件についてこれをみると、被告が有効な議決権行使を条件として株主1名につきQuoカード1枚(500円分)を交付したことは、前記第2の1(5)及び(10)に認定のとおりであり、これは議決権という株主の権利の行使に関し、被告の計算において財産上の利益を供与するものとして、株主の権利の行使に関する利益供与の禁止の規定に該当するものである。
そこで、本件贈呈が例外的に違法性を有しないものとして許容される場合に該当するか否かについて検討する。
ア 本件において株主に対して供与された利益の額について検討すると、個々の株主に対して供与されたQuoカードの金額は500円であり、一応、社会通念上許容される範囲のものとみることができる。また、株主全体に供与されたQuoカードの総額は452万1990円であるところ(前記第2の1(10))、平成19年3月期(第35期)における経常利益が3億5848万8000円、総資産が150億7296万5000円、純資産が76億8043万6000円であること(乙25)、第35期の中間配当及び期末配当の総額はそれぞれ6912万3500円(甲2の添付資料11-1)であることと比較すれば、上記の総額は会社の財産的基礎に影響を及ぼすとまではいえない。
イ そして、被告は、本件贈呈は、被告役員のほぼ全員を入れ替えるか否かという被告の将来の事業方針に大きく影響を及ぼす議題が審議される本件株主総会に、できるだけ広く株主の意思を反映させるために行ったものであると主張する。
なるほど、前記第2の1(5)によれば、本件において、株主は、本件会社提案又は本件株主提案のいずれに賛成しても、また、議決権の代理行使、議決権行使書面及び株主総会の出席のいずれの形で議決権を行使しても、Quoカード1枚(500円分)の交付を受ける仕組となっていることが認められる。
ウ しかしながら、前記第2の1(5)イによれば、被告が議決権を有する全株主に送付した本件はがきには、「議決権を行使(委任状による行使を含む)」した株主には、Quoカードを贈呈する旨を記載しつつも、「【重要】」とした上で、「是非とも、会社提案にご賛同のうえ、議決権を行使して頂きたくお願い申し上げます。」と記載し、Quoカードの贈呈の記載と重要事項の記載に、それぞれ下線と傍点を施して、相互の関連を印象付ける記載がされていることが認められる。
また、弁論の全趣旨によれば、被告は、昨年の定時株主総会まではQuoカードの提供等、議決権の行使を条件とした利益の提供は行っておらず、原告との間で株主の賛成票の獲得を巡って対立関係が生じた本件株主総会において初めて行ったものであることが認められる。
さらに、株主による議決権行使の状況をみると、本件株主総会における議決権行使比率は81.62%で例年に比較して約30パーセントの増加となっていること(甲2、弁論の全趣旨)、白紙で返送された議決権行使書は本件会社提案に賛成したものとして取り扱われるところ、白紙で被告に議決権行使書を返送した株主数は1349名(議決権数1万4545個)に及ぶこと(甲24)、被告に返送された議決権行使書の中にはQuoカードを要求する旨の記載のあるものが存在すること(甲7の1から3)の各事実が認められ、Quoカードの提供が株主による議決権行使に少なからぬ影響を及ぼしたことが窺われる。
そうであれば、Quoカードの提供を伴う議決権行使の勧誘が、一面において、株主による議決権行使を促すことを目的とするものであったことは否定されないとしても、本件は、原告ら及び被告の双方から取締役及び監査役の選任に関する議案が提出され、双方が株主の賛成票の獲得を巡って対立関係にある事実であること及び上記の各事実を考慮すると、本件贈呈は、本件会社提案へ賛成する議決権行使の獲得をも目的としたものであると推認することができ、この推認を覆すに足りる証拠はない。
(3) 小括
以上によれば、本件贈呈は、その額においては、社会通念上相当な範囲に止まり、また、会社の財産的基礎に影響を及ぼすとまではいえないと一応いうことができるものの、本件会社提案に賛成する議決権行使の獲得をも目的としたものであって、株主の権利行使に影響を及ぼすおそれのない正当な目的によるものということはできないから、例外的に違法性を有しないものとして許容される場合に該当するとは解し得ず、結論として、本件贈呈は、会社法120条1項の禁止する利益供与に該当するというべきである。
そうであれば、本件株主総会における本件各決議は、会社法120条1項の禁止する利益供与を受けた議決権行使により可決されたものであって、その方法が法令に違反したものといわざるを得ず、取消しを免れない。また、株主の権利行使に関する利益供与禁止違反の事実は重大であって、本件贈呈が株主による議決権行使に少なからぬ影響を及ぼしたことが窺われることは上記判示のとおりであるから、会社法831条2項により請求を棄却することもできない。
なお、被告は、本件贈呈は、株主総会の決議の前段階の事実行為であって、株主総会の決議の方法ということはできないと主張するが、株主による議決権行使書の返送又は株主総会における議決権行使は決議そのものであって、議決権行使を条件としてQuoカードを贈呈するということは決議の方法というほかないから、被告の主張は採用することができない。
第4 結論
以上のとおりであって、本件各決議は、その余の取消事由の存否(予備的主張)について判断するまでもなく、取消しを免れないというべきであり、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり判決する。
民事第8部
(裁判長裁判官 鹿子木康 裁判官 西村英樹 川原田貴弘)

++解説
《解  説》
1 本件は,会社の大株主である原告と会社経営陣が,それぞれ取締役及び監査役の選任議案を提出し,経営権を争ういわゆるプロキシーファイトを行ったところ,株主総会では会社側提案が可決されたのに対し,株主側が,株主総会における決議の方法の違法を主張して,決議の取消しを求めた事案である。
原告は,主位的に,①会社提案に係る議案の採決に際し,原告に提出された委任状に係る議決権の個数を出席議決権数に含めなかったこと,②被告が有効な議決権行使を条件とする株主1名につきQuoカード1枚(500円分)の提供(以下「本件贈呈」という。)に基づき議決権行使の勧誘を行ったことはいずれも違法であり,決議取消事由に該当すると主張し,予備的に,このほか4つの取消事由を主張した。

2 上記①につき,本判決は,まず,原告に対する委任の趣旨について,原告らと会社経営陣との間で経営権の獲得を巡って紛争が生じており,会社からもいずれ選任議案が提案されることが株主にとって顕著であり,また,定款の役員定数からみて,株主提案に賛成した株主は,会社提案には賛成する余地がないという状況の下では,原告に本件委任状を交付した株主は,会社提案については賛成しない趣旨で委任を行ったと解すべきとした。次に,本件委任状が会社提案について賛否を記載する欄を欠くことが証券取引法等に違反するかについて,本件においては,本件委任状の交付をもって会社提案について議決権行使の委任を認めたとしても,委任状勧誘規制の趣旨に必ずしも反せず,また,常に会社提案についても賛否を記載する欄を設けた委任状の作成を株主に要求することは会社と株主の公平を著しく害するとして,本件委任状は有効とした。そして,会社提案の採決に際しては,本件委任状に係る議決権数は,出席議決権に算入し,かつ会社提案に対し反対したものと取り扱うべきであったとし,会社提案を可決した決議は,その方法が法令に違反したものとして決議取消事由を有するとした。
また,上記②の争点に関し,本判決は,株主の権利の行使に関して行われる財産上の利益の供与は,原則として禁止されるが,当該利益が,株主の権利行使に影響を及ぼすおそれのない正当な目的に基づき供与される場合であって,かつ,個々の株主に供与される額が社会通念上許容される範囲のものであり,株主全体に供与される総額も会社の財産的基礎に影響を及ぼすものでないときには,例外的に違法性を有しないとの一般論を判示した。そして,会社が議決権行使を条件として本件贈呈をしたことは利益供与の禁止に該当するとした上で,会社が,各株主に対して,議決権を行使した株主にはQuoカードを贈呈する旨を記載するとともに,「是非とも,会社提案にご賛同のうえ,議決権を行使して頂きたくお願い申し上げます。」と記載した葉書を送付した事実に基づき,本件贈呈は,その額においては社会通念上相当な範囲に止まり,また,その総額も会社の財産的基礎に影響を及ぼすとはいえないものの,会社提案に賛成する議決権行使の獲得をも目的としており,株主の権利行使に影響を及ぼすおそれのない正当な目的によるものとはいえないとして,違法性阻却事由を否定した。そして,かかる利益供与を受けてされた決議は,その方法が法令に違反したものとして決議取消事由を有するとした

3 議案ごとの賛否欄の記載がない委任状用紙による勧誘がされた場合における決議取消事由が問題となった事例としては,東京地判平17.7.7判時1915号150頁がある。もっとも,同判決では,議決権代理行使勧誘規制に違反することを前提に決議の方法の法令違反に該当するか等が問題となったのに対し,本判決では,会社提案について賛否を記載する欄を欠く委任状による委任の趣旨の判断に基づいて,会社の行った集計方法が決議の方法の法令違反に該当するかが問題とされており,初めての判断である。
次に,会社による利益提供が会社法120条1項の禁止する利益供与に該当するか否かが問題となった事例としては,株式を譲り受けるための対価の供与につき最二小判平18.4.10民集60巻4号1273頁,判タ1214号82頁〔蛇の目ミシン事件〕,東京地判平7.12.27判タ912号238頁〔國際航業事件〕,従業員持株会に対する奨励金の支出につき福井地判昭60.3.29判タ559号275頁,株主優待乗車券につき高松高判平2.4.11金判859号3頁がある。
4 本判決は,東証1部上場企業の株主総会決議が取り消されたという珍しい事案である。その審理経過をみると,あらかじめ選任された総会検査役の報告書により事実関係については概ね争いがなく,原告及び被告ともに詳細な法的主張をまとめて各1回提出した後,第2回口頭弁論期日で弁論終結となり,総会から5か月余りで判決に至っている。経営陣と株主が双方の経営に係る提案を行い,プロキシーファイトを行うという事案は,今後ますます増加することが予想され,審理スケジュールの点でも,今後の同種事案の参考となろう。

Ⅶ 最後に~株主総会の法律問題の考え方


民法 基本事例で考える民法演習2 19 危険負担と損害賠償~他人物売買の場合(その1)


1.小問1(1)について(基礎編)

+(債権者の危険負担)
第五百三十四条  特定物に関する物権の設定又は移転を双務契約の目的とした場合において、その物が債務者の責めに帰することができない事由によって滅失し、又は損傷したときは、その滅失又は損傷は、債権者の負担に帰する。
2  不特定物に関する契約については、第四百一条第二項の規定によりその物が確定した時から、前項の規定を適用する。

・受領遅滞を理由に危険の移転を主張。

・536条2項前段を根拠に行く方法も。
+(債務者の危険負担等)
第五百三十六条  前二条に規定する場合を除き、当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を有しない。
2  債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。この場合において、自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、これを債権者に償還しなければならない。

2.小問1(1)について(応用編)

+(弁済の提供の方法)
第四百九十三条  弁済の提供は、債務の本旨に従って現実にしなければならない。ただし、債権者があらかじめその受領を拒み、又は債務の履行について債権者の行為を要するときは、弁済の準備をしたことを通知してその受領の催告をすれば足りる。

+(弁済の提供の効果)
第四百九十二条  債務者は、弁済の提供の時から、債務の不履行によって生ずべき一切の責任を免れる。

・取立債務は「行為を要するとき」には当たらない。
・取立債務において、目的物を用意して待っているのは現実の提供に当たる。
・そもそも危険負担は履行不能を前提としている制度!

+(種類債権)
第四百一条  債権の目的物を種類のみで指定した場合において、法律行為の性質又は当事者の意思によってその品質を定めることができないときは、債務者は、中等の品質を有する物を給付しなければならない。
2  前項の場合において、債務者が物の給付をするのに必要な行為を完了し、又は債権者の同意を得てその給付すべき物を指定したときは、以後その物を債権の目的物とする。

・取立債務にあっては、債務者が債務不履行を負わずに済むという「弁済の提供」と目的物の「特定」では債務者に要求される行為には差異がある。

3.小問1(2)について

+(他人の権利の売買における売主の義務)
第五百六十条  他人の権利を売買の目的としたときは、売主は、その権利を取得して買主に移転する義務を負う。
(他人の権利の売買における売主の担保責任)
第五百六十一条  前条の場合において、売主がその売却した権利を取得して買主に移転することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の時においてその権利が売主に属しないことを知っていたときは、損害賠償の請求をすることができない。

・担保責任に基づく解除の場合には、債務者の帰責事由は要件とされていない!

・他人物売買と二重譲渡については、534条1項ではなく、536条1項が適用されるとされている!

・+判例(S41.9.8)
理由
上告代理人白上孝千代の上告理由について。
原判決の確定したところによると、上告人と被上告人との本件売買契約は、第三者たる訴外山邑酒造株式会社の所有に属する本件土地を目的とするものであつたところ、原審認定の事情によつて売主たる被上告人が右所有権を取得してこれを買主たる上告人に移転することができなくなつたため履行不能に終つたというのである。
そして、本件売買契約の当時すでに買主たる上告人が右所有権の売主に属しないことを知つていたから、上告人が民法五六一条に基づいて本件売買契約を解除しても、同条但書の適用上、売主の担保責任としての損害賠償請求を被上告人にすることはできないとした原審の判断は正当である。
しかし、他人の権利を売買の目的とした場合において、売主がその権利を取得してこれを買主に移転する義務の履行不能を生じたときにあつて、その履行不能が売主の責に帰すべき自由によるものであれば、買主は、売主の担保責任に関する民法五六一条の規定にかかわらず、なお債務不履行一般の規定(民法五四三条、四一五条)に従つて、契約を解除し損害賠償の請求をすることができるものと解するのを相当とするところ、上告人の本訴請求は、前示履行不能が売主たる被上告人の責に帰すべき自由によるものであるとして、同人に対し債務不履行による損害賠償の請求をもしていることがその主張上明らかである。しかして、原審認定判示の事実関係によれば、前示履行不能は被上告人の故意または過失によつて生じたものと認める余地が十分にあつても、未だもつて取引の通念上不可抗力によるものとは解し難いから、右履行不能が被上告人の責に帰すべき自由によるものとはみられないとした原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるといわねばならない。
従つて、この点を指摘する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく原判決は破棄を免れず、本件を原審に差し戻すのを相当とする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)