5-3 審理の原則 審理手続の進行


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1.手続の進行に関する諸制度
(1)職権進行主義と訴訟指揮権
・訴訟手続の進行については、裁判所が権限と責任を持つ職権進行主義がとられている。

・訴訟指揮に関する裁判はいつでも取り消すことができる
+(訴訟指揮に関する裁判の取消し)
第百二十条  訴訟の指揮に関する決定及び命令は、いつでも取り消すことができる。

←絶対的に拘束されるとすると、かえって手続の適正または円滑を阻害するから。

(2)期日
裁判所、当事者等の訴訟関係人が会合して、訴訟に関する行為をするために定められる時間のことをいう。

+(期日の指定及び変更)
第九十三条  期日は、申立てにより又は職権で、裁判長が指定する。
2  期日は、やむを得ない場合に限り、日曜日その他の一般の休日に指定することができる。
3  口頭弁論及び弁論準備手続の期日の変更は、顕著な事由がある場合に限り許す。ただし、最初の期日の変更は、当事者の合意がある場合にも許す。
4  前項の規定にかかわらず、弁論準備手続を経た口頭弁論の期日の変更は、やむを得ない事由がある場合でなければ、許すことができない。

+(期日の呼出し)
第九十四条  期日の呼出しは、呼出状の送達、当該事件について出頭した者に対する期日の告知その他相当と認める方法によってする。
2  呼出状の送達及び当該事件について出頭した者に対する期日の告知以外の方法による期日の呼出しをしたときは、期日に出頭しない当事者、証人又は鑑定人に対し、法律上の制裁その他期日の不遵守による不利益を帰することができない。ただし、これらの者が期日の呼出しを受けた旨を記載した書面を提出したときは、この限りでない。

・期日の変更
=期日が開始する前に、その指定を取消し、新たな期日を指定すること

・期日の延期
=期日を開始したうえで、予定の訴訟行為を全くしないで、次回以降の期日を指定すること

・期日の続行
=期日を実施し、訴訟行為をしたうえで、これを継続して行うために、次回以降の期日を指定すること。

(3)期間
・裁定期間と法定期間のうちの通常期間は裁判所が伸縮することができるが、不変期間は伸縮できない。
+(期間の伸縮及び付加期間)
第九十六条  裁判所は、法定の期間又はその定めた期間を伸長し、又は短縮することができる。ただし、不変期間については、この限りでない。
2  不変期間については、裁判所は、遠隔の地に住所又は居所を有する者のために付加期間を定めることができる。

(4)訴訟行為の追完

+(訴訟行為の追完)
第九十七条  当事者がその責めに帰することができない事由により不変期間を遵守することができなかった場合には、その事由が消滅した後一週間以内に限り、不変期間内にすべき訴訟行為の追完をすることができる。ただし、外国に在る当事者については、この期間は、二月とする。
2  前項の期間については、前条第一項本文の規定は、適用しない。

訴訟代理人に過失があったことは、当事者の責めに帰することができない事由があるとはいえない。

(5)口頭弁論における訴訟指揮
・口頭弁論の制限
+(口頭弁論の併合等)
第百五十二条  裁判所は、口頭弁論の制限、分離若しくは併合を命じ、又はその命令を取り消すことができる
2  裁判所は、当事者を異にする事件について口頭弁論の併合を命じた場合において、その前に尋問をした証人について、尋問の機会がなかった当事者が尋問の申出をしたときは、その尋問をしなければならない。

口頭弁論の制限
=弁論や証拠調べの対象となる事項が複数ある場合に、そのうちの一部についてのみ弁論を集中して行うよう当事者に命じ、その部分についてのみ審理をするという裁判所の決定。

・口頭弁論の終結
裁判所がその審級での審理を終えること

・口頭弁論の再開
+(口頭弁論の再開)
第百五十三条  裁判所は、終結した口頭弁論の再開を命ずることができる。

口頭弁論の終結後、判決の言渡しまでの間に、裁判所が、さらに審理が必要であると考えることにより口頭弁論の再開
事情によっては義務となる。

(6)訴訟記録
各訴訟事件について、裁判所、当事者その他の関係人が作成または提出した書類の総体

・訴訟記録の閲覧は誰でも請求することができる
+(訴訟記録の閲覧等)
第九十一条  何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる
2  公開を禁止した口頭弁論に係る訴訟記録については、当事者及び利害関係を疎明した第三者に限り、前項の規定による請求をすることができる。
3  当事者及び利害関係を疎明した第三者は、裁判所書記官に対し、訴訟記録の謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又は訴訟に関する事項の証明書の交付を請求することができる
4  前項の規定は、訴訟記録中の録音テープ又はビデオテープ(これらに準ずる方法により一定の事項を記録した物を含む。)に関しては、適用しない。この場合において、これらの物について当事者又は利害関係を疎明した第三者の請求があるときは、裁判所書記官は、その複製を許さなければならない。
5  訴訟記録の閲覧、謄写及び複製の請求は、訴訟記録の保存又は裁判所の執務に支障があるときは、することができない。

訴訟記録の一般公開(91条1項)は、憲法82条1項の定める一般公開主義から当然に導かれるものではないが、その趣旨をより実質化するもの。

2.送達
(1)送達の意義
送達とは、
当事者その他の訴訟関係人に対して、訴訟上の書類の内容を知らせるために、法定の方式に従って書類を交付する、または、交付を受ける機会を与える裁判所の訴訟行為

(2)送達しなければならない書類
訴状
期日の呼出状
反訴状
など

(3)送達に関する機関
職権送達の原則
+(職権送達の原則等)
第九十八条  送達は、特別の定めがある場合を除き、職権でする。
2  送達に関する事務は、裁判所書記官が取り扱う。

(4)受送達者
当事者に訴訟代理人がいる場合は、訴訟代理人が受送達者となるのが通常であるが、本人に対する送達も適法である。

数人が共同して代理権を行うべき場合には、送達はその1人に対してすればよい。
+(訴訟無能力者等に対する送達)
第百二条  訴訟無能力者に対する送達は、その法定代理人にする。
2  数人が共同して代理権を行うべき場合には、送達は、その一人にすれば足りる。
3  刑事施設に収容されている者に対する送達は、刑事施設の長にする。

(5)送達の方法
ⅰ)交付送達
交付送達の原則
+(交付送達の原則)
第百一条  送達は、特別の定めがある場合を除き、送達を受けるべき者に送達すべき書類を交付してする。

+(送達場所)
第百三条  送達は、送達を受けるべき者の住所、居所、営業所又は事務所(以下この節において「住所等」という。)においてする。ただし、法定代理人に対する送達は、本人の営業所又は事務所においてもすることができる。
2  前項に定める場所が知れないとき、又はその場所において送達をするのに支障があるときは、送達は、送達を受けるべき者が雇用、委任その他の法律上の行為に基づき就業する他人の住所等(以下「就業場所」という。)においてすることができる。送達を受けるべき者(次条第一項に規定する者を除く。)が就業場所において送達を受ける旨の申述をしたときも、同様とする。

・就業場所送達(103条2項)

・出会送達
+(出会送達)
第百五条  前二条の規定にかかわらず、送達を受けるべき者で日本国内に住所等を有することが明らかでないもの(前条第一項前段の規定による届出をした者を除く。)に対する送達は、その者に出会った場所においてすることができる。日本国内に住所等を有することが明らかな者又は同項前段の規定による届出をした者が送達を受けることを拒まないときも、同様とする。

・補充送達
+(補充送達及び差置送達)
第百六条  就業場所以外の送達をすべき場所において送達を受けるべき者に出会わないときは、使用人その他の従業者又は同居者であって、書類の受領について相当のわきまえのあるものに書類を交付することができる。郵便の業務に従事する者が日本郵便株式会社の営業所において書類を交付すべきときも、同様とする。
2  就業場所(第百四条第一項前段の規定による届出に係る場所が就業場所である場合を含む。)において送達を受けるべき者に出会わない場合において、第百三条第二項の他人又はその法定代理人若しくは使用人その他の従業者であって、書類の受領について相当のわきまえのあるものが書類の交付を受けることを拒まないときは、これらの者に書類を交付することができる。
3  送達を受けるべき者又は第一項前段の規定により書類の交付を受けるべき者が正当な理由なくこれを受けることを拒んだときは、送達をすべき場所に書類を差し置くことができる。

7歳9か月の女子は相当のわきまえのある者ではない。

同居人であっても受送達者の訴訟の相手方である場合には代人となりえない。

他方、受送達者と同居人が対立当事者ではなく、実質的に利害関係が対立するにとどまる場合、判例は、同居人に対する訴状や期日呼び出し状の補充送達を適法とする!!!
+判例(H19.3.20)
理由
 抗告代理人伊藤諭、同田中栄樹の抗告理由について
 1 本件は、抗告人が、相手方の抗告人に対する請求を認容した確定判決につき、民訴法338条1項3号の再審事由があるとして申し立てた再審事件である。
 2 記録によれば、本件の経過は次のとおりである。
 (1) 相手方は、平成15年12月5日、横浜地方裁判所川崎支部に、抗告人及びAを被告とする貸金請求訴訟(以下「前訴」という。)を提起した。
 相手方は、前訴において、〈1〉B1及びB2は、平成9年10月31日及び同年11月7日、Aに対し、いずれも抗告人を連帯保証人として、各500万円を貸し付けた、〈2〉相手方は、Bらから、BらがAに対して有する上記貸金債権の譲渡を受けたなどと主張して、抗告人及びAに対し、上記貸金合計1000万円及びこれに対する約定遅延損害金の連帯支払を求めた。
 (2) Aは、抗告人の義父であり、抗告人と同居していたところ、平成15年12月26日、自らを受送達者とする前訴の訴状及び第1回口頭弁論期日(平成16年1月28日午後1時10分)の呼出状等の交付を受けるとともに、抗告人を受送達者とする前訴の訴状及び第1回口頭弁論期日の呼出状等(以下「本件訴状等」という。)についても、抗告人の同居者として、その交付を受けた。
 (3) 抗告人及びAは、前訴の第1回口頭弁論期日に欠席し、答弁書その他の準備書面も提出しなかったため、口頭弁論は終結され、第2回口頭弁論期日(平成16年2月4日午後1時10分)において、抗告人及びAが相手方の主張する請求原因事実を自白したものとみなして相手方の請求を認容する旨の判決(以下「前訴判決」という。)が言い渡された。
 (4) 抗告人及びAに対する前訴判決の判決書に代わる調書の送達事務を担当した横浜地方裁判所川崎支部の裁判所書記官は、抗告人及びAの住所における送達が受送達者不在によりできなかったため、平成16年2月26日、抗告人及びAの住所あてに書留郵便に付する送達を実施した。上記送達書類は、いずれも、受送達者不在のため配達できず、郵便局に保管され、留置期間の経過により同支部に返還された。
 (5) 抗告人及びAのいずれも前訴判決に対して控訴をせず、前訴判決は平成16年3月12日に確定した。
 (6) 抗告人は、平成18年3月10日、本件再審の訴えを提起した。
 3 抗告人は、前訴判決の再審事由について、次のとおり主張している。
 前訴の請求原因は、抗告人がAの債務を連帯保証したというものであるが、抗告人は、自らの意思で連帯保証人になったことはなく、Aが抗告人に無断で抗告人の印章を持ち出して金銭消費貸借契約書の連帯保証人欄に抗告人の印章を押印したものである。Aは、平成18年2月28日に至るまで、かかる事情を抗告人に一切話していなかったのであって、前訴に関し、抗告人とAは利害が対立していたというべきである。したがって、Aが抗告人あての本件訴状等の交付を受けたとしても、これが遅滞なく抗告人に交付されることを期待できる状況にはなく、現に、Aは交付を受けた本件訴状等を抗告人に交付しなかった。以上によれば、前訴において、抗告人に対する本件訴状等の送達は補充送達(民訴法106条1項)としての効力を生じていないというべきであり、本件訴状等の有効な送達がないため、抗告人に訴訟に関与する機会が与えられないまま前訴判決がされたのであるから、前訴判決には民訴法338条1項3号の再審事由がある(最高裁平成3年(オ)第589号同4年9月10日第一小法廷判決・民集46巻6号553頁参照)。
 4 原審は、前訴において、抗告人の同居者であるAが抗告人あての本件訴状等の交付を受けたのであるから、抗告人に対する本件訴状等の送達は補充送達として有効であり、前訴判決に民訴法338条1項3号の再審事由がある旨の抗告人の主張は理由がないとして、抗告人の再審請求を棄却すべきものとした。
 5 原審の判断のうち、抗告人に対する本件訴状等の送達は補充送達として有効であるとした点は是認することができるが、前訴判決に民訴法338条1項3号の再審事由がある旨の抗告人の主張は理由がないとした点は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 (1) 民訴法106条1項は、就業場所以外の送達をすべき場所において受送達者に出会わないときは、「使用人その他の従業者又は同居者であって、書類の受領について相当のわきまえのあるもの」(以下「同居者等」という。)に書類を交付すれば、受送達者に対する送達の効力が生ずるものとしており、その後、書類が同居者等から受送達者に交付されたか否か、同居者等が上記交付の事実を受送達者に告知したか否かは、送達の効力に影響を及ぼすものではない(最高裁昭和42年(オ)第1017号同45年5月22日第二小法廷判決・裁判集民事99号201頁参照)。
 したがって、受送達者あての訴訟関係書類の交付を受けた同居者等が、その訴訟において受送達者の相手方当事者又はこれと同視し得る者に当たる場合は別として(民法108条参照)、その訴訟に関して受送達者との間に事実上の利害関係の対立があるにすぎない場合には、当該同居者等に対して上記書類を交付することによって、受送達者に対する送達の効力が生ずるというべきである。
 そうすると、仮に、抗告人の主張するような事実関係があったとしても、本件訴状等は抗告人に対して有効に送達されたものということができる
 以上と同旨の原審の判断は是認することができる。
 (2) しかし、本件訴状等の送達が補充送達として有効であるからといって、直ちに民訴法338条1項3号の再審事由の存在が否定されることにはならない同事由の存否は、当事者に保障されるべき手続関与の機会が与えられていたか否かの観点から改めて判断されなければならない
 すなわち、受送達者あての訴訟関係書類の交付を受けた同居者等と受送達者との間に、その訴訟に関して事実上の利害関係の対立があるため、同居者等から受送達者に対して訴訟関係書類が速やかに交付されることを期待することができない場合において、実際にもその交付がされなかったときは、受送達者は、その訴訟手続に関与する機会を与えられたことにならないというべきである。そうすると、上記の場合において、当該同居者等から受送達者に対して訴訟関係書類が実際に交付されず、そのため、受送達者が訴訟が提起されていることを知らないまま判決がされたときには、当事者の代理人として訴訟行為をした者が代理権を欠いた場合と別異に扱う理由はないから、民訴法338条1項3号の再審事由があると解するのが相当である。
 抗告人の主張によれば、前訴において抗告人に対して連帯保証債務の履行が請求されることになったのは、抗告人の同居者として抗告人あての本件訴状等の交付を受けたAが、Aを主債務者とする債務について、抗告人の氏名及び印章を冒用してBらとの間で連帯保証契約を締結したためであったというのであるから、抗告人の主張するとおりの事実関係が認められるのであれば、前訴に関し、抗告人とその同居者であるAとの間には事実上の利害関係の対立があり、Aが抗告人あての訴訟関係書類を抗告人に交付することを期待することができない場合であったというべきである。したがって、実際に本件訴状等がAから抗告人に交付されず、そのために抗告人が前訴が提起されていることを知らないまま前訴判決がされたのであれば、前訴判決には民訴法338条1項3号の再審事由が認められるというべきである。
 抗告人の前記3の主張は、抗告人に前訴の手続に関与する機会が与えられないまま前訴判決がされたことに民訴法338条1項3号の再審事由があるというものであるから、抗告人に対する本件訴状等の補充送達が有効であることのみを理由に、抗告人の主張するその余の事実関係について審理することなく、抗告人の主張には理由がないとして本件再審請求を排斥した原審の判断には、裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は、以上の趣旨をいうものとして理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、上記事由の有無等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 堀籠幸男 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫)

・差置送達(106条3項)

・裁判所書記官送達
+(裁判所書記官による送達)
第百条  裁判所書記官は、その所属する裁判所の事件について出頭した者に対しては、自ら送達をすることができる。

ⅱ)書留郵便等に付する送達(付郵便送達)
+(書留郵便等に付する送達)
第百七条  前条の規定により送達をすることができない場合には、裁判所書記官は、次の各号に掲げる区分に応じ、それぞれ当該各号に定める場所にあてて、書類を書留郵便又は民間事業者による信書の送達に関する法律 (平成十四年法律第九十九号)第二条第六項 に規定する一般信書便事業者若しくは同条第九項 に規定する特定信書便事業者の提供する同条第二項 に規定する信書便の役務のうち書留郵便に準ずるものとして最高裁判所規則で定めるもの(次項及び第三項において「書留郵便等」という。)に付して発送することができる。
一  第百三条の規定による送達をすべき場合
     同条第一項に定める場所
二  第百四条第二項の規定による送達をすべき場合
     同項の場所
三  第百四条第三項の規定による送達をすべき場合
     同項の場所(その場所が就業場所である場合にあっては、訴訟記録に表れたその者の住所等)
2  前項第二号又は第三号の規定により書類を書留郵便等に付して発送した場合には、その後に送達すべき書類は、同項第二号又は第三号に定める場所にあてて、書留郵便等に付して発送することができる。
3  前二項の規定により書類を書留郵便等に付して発送した場合には、その発送の時に、送達があったものとみなす。

ⅲ)公示送達
+(公示送達の方法)
第百十一条  公示送達は、裁判所書記官が送達すべき書類を保管し、いつでも送達を受けるべき者に交付すべき旨を裁判所の掲示場に掲示してする。

+(公示送達の要件)
第百十条  次に掲げる場合には、裁判所書記官は、申立てにより、公示送達をすることができる。
一  当事者の住所、居所その他送達をすべき場所が知れない場合
二  第百七条第一項の規定により送達をすることができない場合
三  外国においてすべき送達について、第百八条の規定によることができず、又はこれによっても送達をすることができないと認めるべき場合
四  第百八条の規定により外国の管轄官庁に嘱託を発した後六月を経過してもその送達を証する書面の送付がない場合
2  前項の場合において、裁判所は、訴訟の遅滞を避けるため必要があると認めるときは、申立てがないときであっても、裁判所書記官に公示送達をすべきことを命ずることができる。
3  同一の当事者に対する二回目以降の公示送達は、職権でする。ただし、第一項第四号に掲げる場合は、この限りでない。

+(公示送達の効力発生の時期)
第百十二条  公示送達は、前条の規定による掲示を始めた日から二週間を経過することによって、その効力を生ずる。ただし、第百十条第三項の公示送達は、掲示を始めた日の翌日にその効力を生ずる。
2  外国においてすべき送達についてした公示送達にあっては、前項の期間は、六週間とする。
3  前二項の期間は、短縮することができない。

(6)送達場所等の届出
+(送達場所等の届出)
第百四条  当事者、法定代理人又は訴訟代理人は、送達を受けるべき場所(日本国内に限る。)を受訴裁判所に届け出なければならない。この場合においては、送達受取人をも届け出ることができる。
2  前項前段の規定による届出があった場合には、送達は、前条の規定にかかわらず、その届出に係る場所においてする。
3  第一項前段の規定による届出をしない者で次の各号に掲げる送達を受けたものに対するその後の送達は、前条の規定にかかわらず、それぞれ当該各号に定める場所においてする。
一  前条の規定による送達
     その送達をした場所
二  次条後段の規定による送達のうち郵便の業務に従事する者が日本郵便株式会社の営業所(郵便の業務を行うものに限る。第百六条第一項後段において同じ。)においてするもの及び同項後段の規定による送達
     その送達において送達をすべき場所とされていた場所
三  第百七条第一項第一号の規定による送達
     その送達においてあて先とした場所

3.当事者欠席の場合の取扱い
(1)当事者の一方の欠席
・陳述擬制
+(訴状等の陳述の擬制)
第百五十八条  原告又は被告が最初にすべき口頭弁論の期日に出頭せず、又は出頭したが本案の弁論をしないときは、裁判所は、その者が提出した訴状又は答弁書その他の準備書面に記載した事項を陳述したものとみなし、出頭した相手方に弁論をさせることができる

+(準備書面)
第百六十一条  口頭弁論は、書面で準備しなければならない。
2  準備書面には、次に掲げる事項を記載する。
一  攻撃又は防御の方法
二  相手方の請求及び攻撃又は防御の方法に対する陳述
3  相手方が在廷していない口頭弁論においては、準備書面(相手方に送達されたもの又は相手方からその準備書面を受領した旨を記載した書面が提出されたものに限る。)に記載した事実でなければ、主張することができない

・擬制自白
+(自白の擬制)
第百五十九条  当事者が口頭弁論において相手方の主張した事実を争うことを明らかにしない場合には、その事実を自白したものとみなす。ただし、弁論の全趣旨により、その事実を争ったものと認めるべきときは、この限りでない。
2  相手方の主張した事実を知らない旨の陳述をした者は、その事実を争ったものと推定する。
3  第一項の規定は、当事者が口頭弁論の期日に出頭しない場合について準用する。ただし、その当事者が公示送達による呼出しを受けたものであるときは、この限りでない

・続行期日には擬制陳述はできない。

・審理の現状に基づく判決
+第二百四十四条  裁判所は、当事者の双方又は一方が口頭弁論の期日に出頭せず、又は弁論をしないで退廷をした場合において、審理の現状及び当事者の訴訟追行の状況を考慮して相当と認めるときは、終局判決をすることができる。ただし、当事者の一方が口頭弁論の期日に出頭せず、又は弁論をしないで退廷をした場合には、出頭した相手方の申出があるときに限る。

・訴え取り下げの擬制
+(訴えの取下げの擬制)
第二百六十三条  当事者双方が、口頭弁論若しくは弁論準備手続の期日に出頭せず、又は弁論若しくは弁論準備手続における申述をしないで退廷若しくは退席をした場合において、一月以内に期日指定の申立てをしないときは、訴えの取下げがあったものとみなす。当事者双方が、連続して二回、口頭弁論若しくは弁論準備手続の期日に出頭せず、又は弁論若しくは弁論準備手続における申述をしないで退廷若しくは退席をしたときも、同様とする。

(2)当事者双方の欠席
・当事者双方が欠席した場合、証拠調べ(183条)および判決の言渡し(251条2項)はできるが、それ以外の行為はすることができない。

・訴え取り下げの擬制(263条)

4.申立権と責問権
(1)申立権
当事者がその申立てについて裁判所に判断を求めることができる権利

+(抗告をすることができる裁判)
第三百二十八条  口頭弁論を経ないで訴訟手続に関する申立てを却下した決定又は命令に対しては、抗告をすることができる。
2  決定又は命令により裁判をすることができない事項について決定又は命令がされたときは、これに対して抗告をすることができる。

(2)責問権(異議権)の意義
+(訴訟手続に関する異議権の喪失)
第九十条  当事者が訴訟手続に関する規定の違反を知り、又は知ることができた場合において、遅滞なく異議を述べないときは、これを述べる権利を失う。ただし、放棄することができないものについては、この限りでない。

(3)責問権の放棄・喪失
ⅰ)責問権の放棄・喪失の意義と趣旨
・責問権の喪失
私益保護の意味の強い訴訟手続規定違反の場合に、これによって利益を保護されている当事者が、その違反を知り、または知ることができたのに、遅滞なく異議を述べなかったときには、異議を述べる権利を失うとした
訴訟行為をできるだけ有効として手続きの安定化を図り、訴訟経済を害さないようにしている。

・責問権の放棄
当事者の裁判所に対する意思表示によって放棄することも可能
責問権の放棄は、違法となる訴訟行為が行われた後にすることを要し、あらかじめこれを放棄することはできない。
←任意訴訟禁止の原則に反するから。

ⅱ)責問権の放棄・喪失が認められない場合
公益を保護する趣旨の規定に違反する訴訟行為については、当事者の異議が遅れたことを理由として、有効と取り扱うことはできないし、責問権の放棄もできない。

6.訴訟手続の停止
(1)訴訟手続きの停止の意義と効果
全ての当事者が攻撃防御方法の提出を十分に尽くす機会を平等に与えられる必要があるという双方審尋主義の要請から。

停止期間中に裁判所や当事者がした行為は原則として無効(132条1項の反対解釈)

ただし、訴訟手続の停止はもっぱら当事者の利益保護のための制度であり、公益的理由に基づくものではないので、停止によって利益を保護されたはずの当事者が責問権を喪失・放棄したときは、無効の主張ができなくなり、その瑕疵は治癒される。

(2)訴訟手続きの中断の意義と要件
+(訴訟手続の中断及び受継)
第百二十四条  次の各号に掲げる事由があるときは、訴訟手続は、中断する。この場合においては、それぞれ当該各号に定める者は、訴訟手続を受け継がなければならない。
一  当事者の死亡
     相続人、相続財産管理人その他法令により訴訟を続行すべき者
二  当事者である法人の合併による消滅
     合併によって設立された法人又は合併後存続する法人
三  当事者の訴訟能力の喪失又は法定代理人の死亡若しくは代理権の消滅
     法定代理人又は訴訟能力を有するに至った当事者
四  次のイからハまでに掲げる者の信託に関する任務の終了 当該イからハまでに定める者
イ 当事者である受託者 新たな受託者又は信託財産管理者若しくは信託財産法人管理人
ロ 当事者である信託財産管理者又は信託財産法人管理人 新たな受託者又は新たな信託財産管理者若しくは新たな信託財産法人管理人
ハ 当事者である信託管理人 受益者又は新たな信託管理人
五  一定の資格を有する者で自己の名で他人のために訴訟の当事者となるものの死亡その他の事由による資格の喪失
     同一の資格を有する者
六  選定当事者の全員の死亡その他の事由による資格の喪失
     選定者の全員又は新たな選定当事者
2  前項の規定は、訴訟代理人がある間は、適用しない。
3  第一項第一号に掲げる事由がある場合においても、相続人は、相続の放棄をすることができる間は、訴訟手続を受け継ぐことができない。
4  第一項第二号の規定は、合併をもって相手方に対抗することができない場合には、適用しない。
5  第一項第三号の法定代理人が保佐人又は補助人である場合にあっては、同号の規定は、次に掲げるときには、適用しない。
一  被保佐人又は被補助人が訴訟行為をすることについて保佐人又は補助人の同意を得ることを要しないとき。
二  被保佐人又は被補助人が前号に規定する同意を得ることを要する場合において、その同意を得ているとき。

当然承継
=当事者の死亡等の要件の発生によって法律上当然に効果が生じるもの

・訴訟手続の受継
中断していた訴訟手続きを進行させるためには、新追行者に訴訟を受け継がせるための一定の訴訟行為が必要。
受継の申立て(124条、126条)と裁判所による受継の裁判(128条)

+(相手方による受継の申立て)
第百二十六条  訴訟手続の受継の申立ては、相手方もすることができる。

+(受継についての裁判)
第百二十八条  訴訟手続の受継の申立てがあった場合には、裁判所は、職権で調査し、理由がないと認めるときは、決定で、その申立てを却下しなければならない。
2  判決書又は第二百五十四条第二項(第三百七十四条第二項において準用する場合を含む。)の調書の送達後に中断した訴訟手続の受継の申立てがあった場合には、その判決をした裁判所は、その申立てについて裁判をしなければならない。

+(受継の通知)
第百二十七条  訴訟手続の受継の申立てがあった場合には、裁判所は、相手方に通知しなければならない。

+(職権による続行命令)
第百二十九条  当事者が訴訟手続の受継の申立てをしない場合においても、裁判所は、職権で、訴訟手続の続行を命ずることができる。

(3)訴訟手続きの中止
+(裁判所の職務執行不能による中止)
第百三十条  天災その他の事由によって裁判所が職務を行うことができないときは、訴訟手続は、その事由が消滅するまで中止する。
(当事者の故障による中止)
第百三十一条  当事者が不定期間の故障により訴訟手続を続行することができないときは、裁判所は、決定で、その中止を命ずることができる。
2  裁判所は、前項の決定を取り消すことができる。


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憲法 憲法演習ノート 2 憲法改正の阻止は公務員の義務?


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1.概観
(1)設問の狙い
(2)とりあげる項目

2.事案の正確な把握
(1)本件事案の把握
・どのような行為が何によって制約されたのか。

(2)懲戒処分に根拠となる事実があるか?

3.憲法判断の対象

4.判断枠組みの構築に向けた前提作業
(1)関連する判例の特定

+判例(S49.11.6)猿払事件
理由
検察官の上告趣意四の(一)について。
第一 本事件の経過
本件公訴事実の要旨は、被告人は、北海道宗谷郡a村の鬼志別郵便局に勤務する郵政事務官で、A労働組合協議会事務局長を勤めていたものであるが、昭和四二年一月八日告示の第三一回衆議院議員選挙に際し、右協議会の決定にしたがい、B党を支持する目的をもつて、同日同党公認候補者の選挙用ポスター六枚を自ら公営掲示場に掲示したほか、その頃四回にわたり、右ポスター合計約一八四枚の掲示方を他に依頼して配布した、というものである。
国家公務員法(以下「国公法」という。)一〇二条一項は、一般職の国家公務員(以下「公務員」という。)に関し、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、この委任に基づき人事院規則一四―七(政治的行為)(以下「規則」という。)は、右条項の禁止する「政治的行為」の具体的内容を定めており、右の禁止に違反した者に対しては、国公法一一〇条一項一九号が三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金を科する旨を規定している。被告人の前記行為は、規則五項三号、六項一三号の特定の政党を支持することを目的とする文書すなわち政治的目的を有する文書の掲示又は配布という政治的行為にあたるものであるから、国公法一一〇条一項一九号の罰則が適用されるべきであるとして、起訴されたものである。
第一審判決は、右の事実は関係証拠によりすべて認めることができるとし、この事実は規則の右各規定に該当するとしながらも、非管理職である現業公務員であつて、その職務内容が機械的労務の提供にとどまるものが、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なくして行つた規則六項一三号の行為で、労働組合活動の一環として行われたと認められるものに、刑罰を科することを定める国公法一一〇条一項一九号は、このような被告人の行為に適用される限度において、行為に対する制裁としては合理的にして必要最小限の域を超えるものであり、憲法二一条、三一条に違反するとの理由で、被告人を無罪とした。
原判決は、検察官の控訴を斥け、第一審判決の判断は結論において相当であると判示した。
検察官の上告趣意は、第一審判決及び原判決の判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りを主張するものである。

第二 当裁判所の見解
一 本件政治的行為の禁止の合憲性
第一審判決及び原判決が被告人の本件行為に対し国公法一一〇条一項一九号の罰則を適用することは憲法二一条、三一条に違反するものと判断したのは、民主主義国家における表現の自由の重要性にかんがみ、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号が、公務員に対し、その職種や職務権限を区別することなく、また行為の態様や意図を問題とすることなく、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為を、一律に違法と評価して、禁止していることの合理性に疑問があるとの考えに、基づくものと認められる。よつて、まず、この点から検討を加えることとする。
(一) 憲法二一条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によつてもみだりに制限することができないものである。そして、およそ政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法二一条による保障を受けるものであることも、明らかである。国公法一〇二条一項及び規則によつて公務員に禁止されている政治的行為も多かれ少なかれ政治的意見の表明を内包する行為であるから、もしそのような行為が国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題が生ずることはいうまでもない
しかしながら、国公法一〇二条一項及び規則による政治的行為の禁止は、もとより国民一般に対して向けられているものではなく、公務員のみに対して向けられているものである。ところで、国民の信託による国政が国民全体への奉仕を旨として行われなければならないことは当然の理であるが、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とする憲法一五条二項の規定からもまた、公務が国民の一部に対する奉仕としてではなく、その全体に対する奉仕として運営されるべきものであることを理解することができる公務のうちでも行政の分野におけるそれは、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、もつぱら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならないものと解されるのであつて、そのためには、個々の公務員が、政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行にあたることが必要となるのである。すなわち、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の重要な利益にほかならないというべきである。したがつて、公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならない。
(二) 国公法一〇二条一項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、禁止の目的、、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の三点から検討することが必要である。そこで、まず、禁止の目的及びこの目的と禁止される行為との関連性について考えると、もし公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるときは、おのずから公務員の政治的中立性が損われ、ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあり、行政の中立的運営に対する国民の信頼が損われることを免れない。また、公務員の右のような党派的偏向は、逆に政治的党派の行政への不当な介入を容易にし、行政の中立的運営が歪められる可能性が一層増大するばかりでなく、そのような傾向が拡大すれば、本来政治的中立を保ちつつ一体となつて国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し、そのため行政の能率的で安定した運営は阻害され、ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも重大な支障をきたすおそれがあり、このようなおそれは行政組織の規模の大きさに比例して拡大すべく、かくては、もはや組織の内部規律のみによつてはその弊害を防止することができない事態に立ち至るのである。したがつて、このような弊害の発生を防止し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない
次に、利益の均衡の点について考えてみると、民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもないのであるから、公務員が全体の奉仕者であることの一面のみを強調するあまり、ひとしく国民の一員である公務員の政治的行為を禁止することによつて右の利益が失われることとなる消極面を軽視することがあつてはならない。しかしながら、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、かつ、国公法一〇二条一項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではなく、他面、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるから、得られる利益は、失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない
(三) 以上の観点から本件で問題とされている規則五項三号、六項一三号の政治的行為をみると、その行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為であつて、政治的偏向の強い行動類型に属するものにほかならず、政治的行為の中でも、公務員の政治的中立性の維持を損うおそれが強いと認められるものであり、政治的行為の禁止目的との問に合理的な関連性をもつものであることは明白である。また、その行為の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは、認められない。したがつて、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものということはできない。
(四) ところで、第一審判決は、その違憲判断の根拠として、被告人の本件行為が、非管理職である現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供にとどまるものにより、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なく、労働組合活動の一環として行われたものであることをあげ、原判決もこれを是認している。しかしながら、本件行為のような政治的行為が公務員によつてされる場合には、当該公務員の管理職・非管理職の別、現業・非現業の別、裁量権の範囲の広狭などは、公務員の政治的中立性を維持することにより行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保しようとする法の目的を阻害する点に、差異をもたらすものではない。右各判決が、個々の公務員の担当する職務を問題とし、本件被告人の職務内容が裁量の余地のない機械的業務であることを理由として、禁止違反による弊害が小さいものであるとしている点も、有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性が問題とされるべきものである以上、失当である。郵便や郵便貯金のような業務は、もともと、あまねく公平に、役務を提供し、利用させることを目的としているのであるから(郵便法一条、郵便貯金法一条参照)、国民全体への公平な奉仕を旨として運営されなければならないのであつて、原判決の指摘するように、その業務の性質上、機械的労務が重い比重を占めるからといつて、そのことのゆえに、その種の業務に従事する現業公務員を公務員の政治的中立性について例外視する理由はない。また、前述のような公務員の政治的行為の禁止の趣旨からすれば、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無などは、その政治的行為の禁止の合憲性を判断するうえにおいては、必ずしも重要な意味をもつものではない。さらに、政治的行為が労働組合活動の一環としてなされたとしても、そのことが組合員である個々の公務員の政治的行為を正当化する理由となるものではなく、また、個々の公務員に対して禁止されている政治的行為が組合活動として行われるときは、組合員に対して統制力をもつ労働組合の組織を通じて計画的に広汎に行われ、その弊害は一層増大することとなるのであつて、その禁止が解除されるべきいわれは少しもないのである。
(五) 第一審判決及び原判決は、また、本件政治的行為によつて生じる弊害が軽微であると断定し、そのことをもつてその禁止を違憲と判断する重要な根拠としている。しかしながら、本件における被告人の行為は、衆議院議員選挙に際して、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布したものであつて、その行為は、具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動であり、政治的偏向の強い典型的な行為というのほかなく、このような行為を放任することによる弊害は、軽微なものであるとはいえない。のみならず、かりに特定の政治的行為を行う者が一地方の一公務員に限られ、ために右にいう弊害が一見軽微なものであるとしても、特に国家公務員については、その所属する行政組織の機構の多くは広範囲にわたるものであるから、そのような行為が累積されることによつて現出する事態を軽視し、その弊害を過小に評価することがあつてはならない。

二 本件政治的行為に対する罰則の合憲性
第一審判決は、また、たとえ公務員の政治的行為を違法と評価してこれを禁止することが憲法二一条に違反しないとしても、その禁止の違反に対し罰則を適用することについては、さらに憲法二一条、三一条違反の問題を生じうるとの考えに立ち、国公法の立法過程にふれたうえ、その罰則は被告人の本件行為に対し適用する限度において違憲であると結論し、原判決もこれを支持するのである。よつて、この点について検討を加えることとする。
(一) およそ刑罰は、国権の作用による最も峻厳な制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには、慎重な考慮を必要とすることはいうまでもなく、刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであつて、とうてい許容し難いものであるときは、違憲の判断を受けなければならないのである。そして、刑罰規定は、保護法益の性質、行為の態様・結果、刑罰を必要とする理由、刑罰を法定することによりもたらされる積極的・消極的な効果・影響などの諸々の要因を考慮しつつ、国民の法意識の反映として、国民の代表機関である国会により、歴史的、現実的な社会的基盤に立つて具体的に決定されるものであり、その法定刑は、違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。
ところで、国公法一〇二条一項及び規則による公務員の政治的行為の禁止は、上述したとおり、公務員の政治的中立性を維持することにより、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の重要な共同利益を擁護するためのものである。したがつて、右の禁止に違反して国民全体の共同利益を損う行為に出る公務員に対する制裁として刑罰をもつて臨むことを必要とするか否かは、右の国民全体の共同利益を擁護する見地からの立法政策の問題であつて、右の禁止が表現の自由に対する合理的で必要やむをえない制限であると解され、かつ、刑罰を違憲とする特別の事情がない限り、立法機関の裁量により決定されたところのものは、尊重されなければならない
そこで、国公法制定の経過をみると、当初制定された国公法(昭和二二年法律第一二〇号)には、現行法の一一〇条一項一九号のような罰則は設けられていなかつたところ、昭和二三年法律第二二二号による改正の結果右の規定が追加されたのであるが、その後昭和二五年法律第二六一号として制定された地方公務員法においては、初め政府案として政治的行為をあおる等の一定の行為について設けられていた罰則規定は、国会審議の過程で削除された。その際、国公法の右の罰則は、地方公務員法についての右の措置にもかかわらず、あえて削除されることなく今日に至つているのであるが、そのことは、ひとしく公務員であつても、国家公務員の場合は、地方公務員の場合と異なり、その政治的行為の禁止に対する違反が行政の中立的運営に及ぼす弊害に逕庭があることからして、罰則を存置することの必要性が、国民の代表機関である国会により、わが国の現実の社会的基盤に照らして、承認されてきたものとみることができる。
そして、国公法が右の罰則を設けたことについて、政策的見地からする批判のあることはさておき、その保護法益の重要性にかんがみるときは、罰則制定の要否及び法定刑についての立法機関の決定がその裁量の範囲を著しく逸脱しているものであるとは認められない。特に、本件において問題とされる規則五項三号、六項一三号の政治的行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布であつて、前述したとおり、政治的行為の中でも党派的偏向の強い行動類型に属するものであり、公務員の政治的中立性を損うおそれが大きく、このような違法性の強い行為に対して国公法の定める程度の刑罰を法定したとしても、決して不合理とはいえず、したがつて、右の罰則が憲法三一条に違反するものということはできない。
(二) また、公務員の政治的行為の禁止が国民全体の共同利益を擁護する見地からされたものであつて、その違反行為が刑罰の対象となる違法性を帯びることが認められ、かつ、その禁止が、前述のとおり、憲法二一条に違反するものではないと判断される以上、その違反行為を構成要件として罰則を法定しても、そのことが憲法二一条に違反することとなる道理は、ありえない。
(三) 右各判決は、たとえ公務員の政治的行為の禁止が憲法二一条に違反しないとしても、その行為のもたらす弊害が軽微なものについてまで一律に罰則を適用することは、同条に違反するというのであるが、違反行為がもたらす弊害の大小は、とりもなおさず違法性の強弱の問題にほかならないのであるから、このような見解は、違法性の程度の問題と憲法違反の有為が問題とを混同するものであつて、失当というほかはない。
(四) 原判決は、さらに、規制の目的を達成しうる、より制限的でない他の選びうる手段があるときは、広い規制手段は違憲となるとしたうえ、被告人の本件行為に対する制裁としては懲戒処分をもつて足り、罰則までも法定することは合理的にして必要最小限度を超え、違憲となる旨を判示し、第一審判決もまた、外国の立法例をあげたうえ、被告人の本件行為のような公務員の政治的行為の禁止の違反に対して罰則を法定することは違憲である旨を判示する。
しかしながら、各国の憲法の規定に共通するところがあるとしても、それぞれの国の歴史的経験と伝統はまちまちであり、国民の権利意識や自由感覚にもまた差異があるのであつて、基本的人権に対して加えられる規制の合理性についての判断基準は、およそ、その国の社会的基盤を離れて成り立つものではないのである。これを公務員の政治的行為についてみるに、その規制を公務員自身の節度と自制に委ねるか、特定の政治的行為に限つて禁止するか、特定の公務員のみに対して禁止するか、禁止違反に対する制裁をどのようなものとするかは、いずれも、それぞれの国の歴史的所産である社会的諸条件にかかわるところが大であるといわなければならない。したがつて、外国の立法例は、一つの重要な参考資料ではあるが、右の社会的諸条件を無視して、それをそのままわが国にあてはめることは、決して正しい憲法判断の態度ということはできない。
いま、わが国公法の規定をみると、公務員の政治的行為の禁止の違反に対しては、一方で、前記のとおり、同法一一〇条一項一九号が刑罰を科する旨を規定するとともに、他方では、同法八二条が懲戒処分を課することができる旨を規定し、さらに同法八五条においては、同一事件につき懲戒処分と刑事訴追の手続を重複して進めることができる旨を定めている。このような立法措置がとられたのは、同法による懲戒処分が、もともと国が公務員に対し、あたかも私企業における使用者にも比すべき立場において、公務員組織の内部秩序を維持するため、その秩序を乱す特定の行為について課する行政上の制裁であるのに対し、刑罰は、国が統治の作用を営む立場において、国民全体の共同利益を擁護するため、その共同利益を損う特定の行為について科する司法上の制裁であつて、両者がその目的、性質、効果を異にするからにほかならない。そして、公務員の政治的行為の禁止に違反する行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、前述のとおりであるから、その禁止の違反行為に対し懲戒処分のほか罰則を法定することが不合理な措置であるとはいえないのである。このように、懲戒処分と刑罰とは、その目的、性質、効果を異にする別個の制裁なのであるから、前者と後者を同列に置いて比較し、司法判断によつて前者をもつてより制限的でない他の選びうる手段であると軽々に断定することは、相当ではないというべきである。
なお、政治的行為の定めを人事院規則に委任する国公法一〇二条一項が、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任するものであることは、同条項の合理的な解釈により理解しうるところである。そして、そのような政治的行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、すでに述べたとおりであるから、右条項は、それが同法八二条による懲戒処分及び同法一一〇条一項一九号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといつて、そのことの故に、憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではない。
(五) 右各判決は、また、被告人の本件行為につき罰則を適用する限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断するのであるが、これは、法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその適用を違憲と判断するものであつて、ひつきょう法令の一部を違憲とするにひとしく、かかる判断の形式を用いることによつても、上述の批判を免れうるものではない。
第三、結論
以上のとおり、被告人の本件行為に対し適用されるべき国公法一一〇条一項一九号の罰則は、憲法二一条、三一条に違反するものではなく、また、第一審判決及び原判決の判示する事実関係のもとにおいて、右罰則を被告人の右行為に適用することも、憲法の右各法条に違反するものではない。第一審判決及び原判決は、いずれも憲法の右各法条の解釈を誤るものであるから、論旨は理由がある。よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。第一審判決の認定した事実(第一審第一回公判調書中の被告人の供述記載、被告人、C、D、E、F、G、Hの検察官に対する各供述調書による。)に法令を適用すると、被告人の各行為は、いずれも国公法一一〇条一項一九号(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)、一〇二条一項、規則五項三号、六項一三号に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪につき定めた罰金の合算額以下において被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、同法一八条により被告人において右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、刑訴法一八一条一項本文により原審及び第一審における訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

・判例(H24.12.7)世田谷事件
理 由
 1 弁護人小林容子ほか及び被告人本人の各上告趣意のうち,国家公務員法110条1項19号(平成19年法律第108号による改正前のもの),102条1項,人事院規則14-7(政治的行為)6項7号の各規定の憲法21条1項,15条,19条,31条,41条,73条6号違反及び上記各規定を本件に適用することの憲法21条1項,31条違反をいう点について
 (1) 原判決及びその是認する第1審判決並びに記録によれば,本件の事実関係は,次のとおりである。
 ア 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐として勤務する国家公務員(厚生労働事務官)であったが,日本共産党を支持する目的で,平成17年9月10日午後0時5分頃,東京都世田谷区(以下省略)所在の警視庁職員住宅であるAの各集合郵便受け合計32か所に,同党の機関紙である「しんぶん赤旗2005年9月号外」合計32枚を投函して配布した。」というものであり,これが国家公務員法(以下「本法」という。)110条1項19号(平成19年法律第108号による改正前のもの),102条1項,人事院規則14-7(政治的行為)(以下「本規則」という。)6項7号(以下,これらの規定を合わせて「本件罰則規定」という。)に当たるとして起訴された。
 イ 被告人が上記公訴事実記載の機関紙の配布行為(以下「本件配布行為」という。)を行ったことは,証拠上明らかである。
 ウ 被告人は,本件当時,厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐であり,庶務係,企画指導係及び技術開発係担当として部下である各係職員を直接指揮するとともに,同課に存する8名の課長補佐の筆頭課長補佐(総括課長補佐)として他の課長補佐等からの業務の相談に対応するなど課内の総合調整等を行う立場にあった。また,国家公務員法108条の2第3項ただし書所定の管理職員等に当たり,一般の職員と同一の職員団体の構成員となることのない職員であった。
 (2) 第1審判決は,本件罰則規定は憲法21条1項,31条等に違反せず合憲であるとし,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に当たるとして,被告人を有罪と認め,被告人を罰金10万円に処した。
 原判決は,第1審判決を是認して控訴を棄却した。
 (3) 所論は,① 本件罰則規定は,過度に広汎な規制であり,かつ,規制の目的,手段も相当でないこと,公安警察による濫用や人権侵害を招くことから,憲法21条1項,15条,19条,31条に違反する,② 本法102条1項による「政治的行為」の人事院規則への委任は,白紙委任であるから,本件罰則規定は憲法31条,41条,73条6号に違反する,③ 本件配布行為には法益侵害の危険がなく,これに対して本件罰則規定を適用することは,憲法21条1項,31条に違反すると主張する。
 ア そこで検討するに,本法102条1項は,「職員は,政党又は政治的目的のために,寄附金その他の利益を求め,若しくは受領し,又は何らの方法を以てするを問わず,これらの行為に関与し,あるいは選挙権の行使を除く外,人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定しているところ,同項は,行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨とするものと解される。すなわち,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務は,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきものであることが要請されている。その中で,国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきものといえる。そして,このような行政の中立的運営が確保されるためには,公務員が,政治的に公正かつ中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが必要となるものである。このように,本法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。
 他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。
 このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し,同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。そして,その委任に基づいて定められた本規則も,このような同項の委任の範囲内において,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型を規定したものと解すべきである。上記のような本法の委任の趣旨及び本規則の性格に照らすと,本件罰則規定に係る本規則6項7号については,同号が定める行為類型に文言上該当する行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを同号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である。このような行為は,それが一公務員のものであっても,行政の組織的な運営の性質等に鑑みると,当該公務員の職務権限の行使ないし指揮命令や指導監督等を通じてその属する行政組織の職務の遂行や組織の運営に影響が及び,行政の中立的運営に影響を及ぼすものというべきであり,また,こうした影響は,勤務外の行為であっても,事情によってはその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まることなどによって生じ得るものというべきである。
 そして,上記のような規制の目的やその対象となる政治的行為の内容等に鑑みると,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される
 イ そこで,進んで本件罰則規定が憲法21条1項,15条,19条,31条,41条,73条6号に違反するかを検討する。この点については,本件罰則規定による政治的行為に対する規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかによることになるが,これは,本件罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と,規制される自由の内容及び性質,具体的な規制の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等)。そこで,まず,本件罰則規定の目的は,前記のとおり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することにあるところ,これは,議会制民主主義に基づく統治機構の仕組みを定める憲法の要請にかなう国民全体の重要な利益というべきであり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為を禁止することは,国民全体の上記利益の保護のためであって,その規制の目的は合理的であり正当なものといえる。他方,本件罰則規定により禁止されるのは,民主主義社会において重要な意義を有する表現の自由としての政治活動の自由ではあるものの,前記アのとおり,禁止の対象とされるものは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られ,このようなおそれが認められない政治的行為や本規則が規定する行為類型以外の政治的行為が禁止されるものではないから,その制限は必要やむを得ない限度にとどまり,前記の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲のものというべきである。そして,上記の解釈の下における本件罰則規定は,不明確なものとも,過度に広汎な規制であるともいえないと解される。また,既にみたとおり,本法102条1項が人事院規則に委任しているのは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為の行為類型を規制の対象として具体的に定めることであるから,同項が懲戒処分の対象と刑罰の対象とで殊更に区別することなく規制の対象となる政治的行為の定めを人事院規則に委任しているからといって,憲法上禁止される白紙委任に当たらないことは明らかである。なお,このような禁止行為に対しては,服務規律違反を理由とする懲戒処分のみではなく,刑罰を科すことをも制度として予定されているが,これは常に刑罰を科すという趣旨ではなく,国民全体の上記利益を損なう影響の重大性等に鑑みて禁止行為の内容,態様等が懲戒処分等では対応しきれない場合も想定されるためであり,あり得べき対応というべきであって,刑罰を含む規制であることをもって直ちに必要かつ合理的なものであることが否定されるものではない。
 以上の諸点に鑑みれば,本件罰則規定は憲法21条1項,15条,19条,31条,41条,73条6号に違反するものではないというべきであり,このように解することができることは,当裁判所の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁,最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁,最高裁平成10年(分ク)第1号同年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁)の趣旨に徴して明らかである。
 ウ 次に,本件配布行為が本件罰則規定の構成要件に該当するかを検討するに,本件配布行為が本規則6項7号が定める行為類型に文言上該当する行為であることは明らかであるが,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて,前記諸般の事情を総合して判断する。
 前記のとおり,被告人は,厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐であり,庶務係,企画指導係及び技術開発係担当として部下である各係職員を直接指揮するとともに,同課に存する8名の課長補佐の筆頭課長補佐(総括課長補佐)として他の課長補佐等からの業務の相談に対応するなど課内の総合調整等を行う立場にあり,国家公務員法108条の2第3項ただし書所定の管理職員等に当たり,一般の職員と同一の職員団体の構成員となることのない職員であったものであって,指揮命令や指導監督等を通じて他の多数の職員の職務の遂行に影響を及ぼすことのできる地位にあったといえる。このような地位及び職務の内容や権限を担っていた被告人が政党機関紙の配布という特定の政党を積極的に支援する行動を行うことについては,それが勤務外のものであったとしても,国民全体の奉仕者として政治的に中立な姿勢を特に堅持すべき立場にある管理職的地位の公務員が殊更にこのような一定の政治的傾向を顕著に示す行動に出ているのであるから,当該公務員による裁量権を伴う職務権限の行使の過程の様々な場面でその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まり,その指揮命令や指導監督を通じてその部下等の職務の遂行や組織の運営にもその傾向に沿った影響を及ぼすことになりかねない。したがって,これらによって,当該公務員及びその属する行政組織の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生ずるものということができる
 そうすると,本件配布行為が,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,それ自体は公務員としての地位を利用することなく行われたものであること,公務員により組織される団体の活動としての性格を有しないこと,公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様ではなかったことなどの事情を考慮しても,本件配布行為には,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められ,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当するというべきである。そして,このように公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる本件配布行為に本件罰則規定を適用することが憲法21条1項,31条に違反しないことは,前記イにおいて説示したところに照らし,明らかというべきである。
エ 以上のとおりであり,原判決に所論の憲法違反はなく,論旨は採用することができない。
 2 その余の各上告趣意について
 弁護人ら及び被告人本人のその余の各上告趣意は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 3 よって,刑訴法408条により,裁判官須藤正彦の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見がある。

+判例(H24.12.7)堀越事件
理 由
 1 検察官の上告趣意のうち,憲法21条1項,31条の解釈の誤りをいう点について
 (1) 原判決及び記録によれば,本件の事実関係は,次のとおりである。
 ア 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,社会保険庁東京社会保険事務局目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた厚生労働事務官であるが,平成15年11月9日施行の第43回衆議院議員総選挙に際し,日本共産党を支持する目的をもって,第1 同年10月19日午後0時3分頃から同日午後0時33分頃までの間,東京都中央区(以下省略)所在のB不動産ほか12か所に同党の機関紙であるしんぶん赤旗2003年10月号外(『いよいよ総選挙』で始まるもの)及び同党を支持する政治的目的を有する無署名の文書である東京民報2003年10月号外を配布し,第2 同月25日午前10時11分頃から同日午前10時15分頃までの間,同区(以下省略)所在のC方ほか55か所に前記しんぶん赤旗2003年10月号外及び前記東京民報2003年10月号外を配布し,第3 同年11月3日午前10時6分頃から同日午前10時18分頃までの間,同区(以下省略)所在のD方ほか56か所に同党の機関紙であるしんぶん赤旗2003年10月号外(『憲法問題特集』で始まるもの)及びしんぶん赤旗2003年11月号外を配布した。」というものであり,これが国家公務員法(以下「本法」という。)110条1項19号(平成19年法律第108号による改正前のもの),102条1項,人事院規則14-7(政治的行為)(以下「本規則」という。)6項7号,13号(5項3号)(以下,これらの規定を合わせて「本件罰則規定」という。)に当たるとして起訴された。
 イ 被告人が上記公訴事実記載の機関紙等の配布行為(以下「本件配布行為」という。)を行ったことは,証拠上明らかである。
 ウ 被告人は,本件当時,目黒社会保険事務所の国民年金の資格に関する事務等を取り扱う国民年金業務課で,相談室付係長として相談業務を担当していた。その具体的な業務は,来庁した1日当たり20人ないし25人程度の利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すというものであった。そして,社会保険事務所の業務については,全ての部局の業務遂行の要件や手続が法令により詳細に定められていた上,相談業務に対する回答はコンピューターからの情報に基づくものであるため,被告人の担当業務は,全く裁量の余地のないものであった。さらに,被告人には,年金支給の可否を決定したり,支給される年金額等を変更したりする権限はなく,保険料の徴収等の手続に関与することもなく,社会保険の相談に関する業務を統括管理していた副長の指導の下で,専門職として,相談業務を担当していただけで,人事や監督に関する権限も与えられていなかった。
 (2) 第1審判決は,本件罰則規定は憲法21条1項,31条等に違反せず合憲であるとし,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に当たるとして,被告人を有罪と認め,被告人を罰金10万円,執行猶予2年に処した。
 (3) 原判決は,本件配布行為は,裁量の余地のない職務を担当する,地方出先機関の管理職でもない被告人が,休日に,勤務先やその職務と関わりなく,勤務先の所在地や管轄区域から離れた自己の居住地の周辺で,公務員であることを明らかにせず,無言で,他人の居宅や事務所等の郵便受けに政党の機関紙や政治的文書を配布したことにとどまるものであると認定した上で,本件配布行為が本件罰則規定の保護法益である国の行政の中立的運営及びこれに対する国民の信頼の確保を侵害すべき危険性は,抽象的なものを含めて,全く肯認できないから,本件配布行為に対して本件罰則規定を適用することは,国家公務員の政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度を超えた制約を加え,これを処罰の対象とするものといわざるを得ず,憲法21条1項及び31条に違反するとして,第1審判決を破棄し,被告人を無罪とした。
 (4) 所論は,原判決は,憲法21条1項,31条の解釈を誤ったものであると主張する。
 ア そこで検討するに,本法102条1項は,「職員は,政党又は政治的目的のために,寄附金その他の利益を求め,若しくは受領し,又は何らの方法を以てするを問わず,これらの行為に関与し,あるいは選挙権の行使を除く外,人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定しているところ,同項は,行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することをその趣旨とするものと解される。すなわち,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務は,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきものであることが要請されている。その中で,国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構の仕組みの下で,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的に中立に運営されるべきものといえる。そして,このような行政の中立的運営が確保されるためには,公務員が,政治的に公正かつ中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが必要となるものである。このように,本法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。
他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,この精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であることに鑑みると,上記の目的に基づく法令による公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。
 このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し,同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。そして,その委任に基づいて定められた本規則も,このような同項の委任の範囲内において,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型を規定したものと解すべきである。上記のような本法の委任の趣旨及び本規則の性格に照らすと,本件罰則規定に係る本規則6項7号,13号(5項3号)については,それぞれが定める行為類型に文言上該当する行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを当該各号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である。このような行為は,それが一公務員のものであっても,行政の組織的な運営の性質等に鑑みると,当該公務員の職務権限の行使ないし指揮命令や指導監督等を通じてその属する行政組織の職務の遂行や組織の運営に影響が及び,行政の中立的運営に影響を及ぼすものというべきであり,また,こうした影響は,勤務外の行為であっても,事情によってはその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まることなどによって生じ得るものというべきである。
 そして,上記のような規制の目的やその対象となる政治的行為の内容等に鑑みると,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される。
 イ そこで,進んで本件罰則規定が憲法21条1項,31条に違反するかを検討する。この点については,本件罰則規定による政治的行為に対する規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかによることになるが,これは,本件罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と,規制される自由の内容及び性質,具体的な規制の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等)。そこで,まず,本件罰則規定の目的は,前記のとおり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することにあるところ,これは,議会制民主主義に基づく統治機構の仕組みを定める憲法の要請にかなう国民全体の重要な利益というべきであり,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為を禁止することは,国民全体の上記利益の保護のためであって,その規制の目的は合理的であり正当なものといえる。他方,本件罰則規定により禁止されるのは,民主主義社会において重要な意義を有する表現の自由としての政治活動の自由ではあるものの,前記アのとおり,禁止の対象とされるものは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られ,このようなおそれが認められない政治的行為や本規則が規定する行為類型以外の政治的行為が禁止されるものではないから,その制限は必要やむを得ない限度にとどまり,前記の目的を達成するために必要かつ合理的な範囲のものというべきである。そして,上記の解釈の下における本件罰則規定は,不明確なものとも,過度に広汎な規制であるともいえないと解される。なお,このような禁止行為に対しては,服務規律違反を理由とする懲戒処分のみではなく,刑罰を科すことをも制度として予定されているが,これは,国民全体の上記利益を損なう影響の重大性等に鑑みて禁止行為の内容,態様等が懲戒処分等では対応しきれない場合も想定されるためであり,あり得べき対応というべきであって,刑罰を含む規制であることをもって直ちに必要かつ合理的なものであることが否定されるものではない
 以上の諸点に鑑みれば,本件罰則規定は憲法21条1項,31条に違反するものではないというべきであり,このように解することができることは,当裁判所の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁,最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁,最高裁平成10年(分ク)第1号同年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁)の趣旨に徴して明らかである。
 ウ 次に,本件配布行為が本件罰則規定の構成要件に該当するかを検討するに,本件配布行為が本規則6項7号,13号(5項3号)が定める行為類型に文言上該当する行為であることは明らかであるが,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものかどうかについて,前記諸般の事情を総合して判断する。
 前記のとおり,被告人は,社会保険事務所に年金審査官として勤務する事務官であり,管理職的地位にはなく,その職務の内容や権限も,来庁した利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すという,裁量の余地のないものであった。そして,本件配布行為は,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,公務員としての地位を利用することなく行われたものである上,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく,公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様でもなかったものである。これらの事情によれば,本件配布行為は,管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地のない公務員によって,職務と全く無関係に,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり,公務員による行為と認識し得る態様で行われたものでもないから,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものとはいえない。そうすると,本件配布行為は本件罰則規定の構成要件に該当しないというべきである。
エ 以上のとおりであり,被告人を無罪とした原判決は結論において相当である。なお,原判決は,本件罰則規定を被告人に適用することが憲法21条1項,31条に違反するとしているが,そもそも本件配布行為は本件罰則規定の解釈上その構成要件に該当しないためその適用がないと解すべきであって,上記憲法の各規定によってその適用が制限されるものではないと解されるから,原判決中その旨を説示する部分は相当ではないが,それが判決に影響を及ぼすものでないことは明らかである。論旨は採用することができない。
 2 検察官の上告趣意のうち,判例違反をいう点について
 所論引用の判例(前掲最高裁昭和49年11月6日大法廷判決)の事案は,特定の地区の労働組合協議会事務局長である郵便局職員が,同労働組合協議会の決定に従って選挙用ポスターの掲示や配布をしたというものであるところ,これは,上記労働組合協議会の構成員である職員団体の活動の一環として行われ,公務員により組織される団体の活動としての性格を有するものであり,勤務時間外の行為であっても,その行為の態様からみて当該地区において公務員が特定の政党の候補者を国政選挙において積極的に支援する行為であることが一般人に容易に認識され得るようなものであった。これらの事情によれば,当該公務員が管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地がなく,当該行為が勤務時間外に,国ないし職場の施設を利用せず,公務員の地位を利用することなく行われたことなどの事情を考慮しても,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものであったということができ,行政の中立的運営の確保とこれに対する国民の信頼に影響を及ぼすものであった。
 したがって,上記判例は,このような文書の掲示又は配布の事案についてのものであり,判例違反の主張は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切ではなく,所論は刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 3 よって,刑訴法408条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見,裁判官須藤正彦の意見がある。
(2)判例の正確な理解
猿払と堀越の区別を!
堀越は、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なう実質的なおそれが認められるかどうかの判断。
猿払
①公務員により組織される団体の活動としての性格を有し
②その行為の態様からみて当該地区において公務員が特定の政党の候補者を国政選挙において積極的に支援する行為であることが一般人に容易に認識されうるようなものであった。
③諸事情を考慮しても、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるのが明らかな事案
(3)判断の「選択」
実質的なおそれが認められるかどうか。
(4)猿払事件と堀越事件の判断枠組み
猿払の枠組み
a)禁止の目的
b)目的と禁止される政治的行為との関連性
c)政治的行為を禁止することにより得られる利益と失われる利益
堀越
①政治活動の自由の制限は必要やむを得ない限度
②規制対象である政治的行為を「実質的なおそれ」がある行為に限定
③規定自体の憲法適合性は、規制が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうか。
本権罰則規定の目的のために規制が必要とされる程度と、規制される自由の内容及び性質、具体的な規制の態様及び程度等を較量して決せられるべきもの
5.判断枠組みの構築
(1)主体的な検討①~堀越事件の判断枠組み①について
(2)主体的な検討②~堀越事件の判断枠組み②について
憲法適合性解釈
=制定法を体系・整合的に解釈するために、最高法規たる憲法の趣旨を盛り込んで解釈する手法。
(3)主体的な検討③~堀越事件の判断枠組み③について
6.事案に即した個別的・具体的検討
(1)本件事案の場合
(2)違憲判断の方法
7.おわりに


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憲法 日本国憲法の論じ方 Q20 財産権


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Q 憲法29条の1項・2項・3項の相互関係はどうなっているのか?
(1)3項が1項と2項を調整している(?)

+第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

(2)1項は私有財産制度を、2項は財産制度をそれぞれ保障している(?)

・制度的保障論
=憲法には個人の主観的権利を保障する規定のほかに、客観的制度を保障する規定があるとする理論

・1項には個人の現に有する財産権の保障と私有財産制度の保障の両側面がある。
+判例(S62.4.22)森林法共有分割制限規定事件
理由
上告代理人藤本猛の上告理由について
所論は、要するに、森林法一八六条を合憲とした原判決には憲法二九条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
一 憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障するとともに、社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至つたため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。
二 財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。

三 森林法一八六条は、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者(持分価額の合計が二分の一以下の複数の共有者を含む。以下同じ。)に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定している。
そこでまず、民法二五六条の立法の趣旨・目的について考察することとする。共有とは、複数の者が目的物を共同して所有することをいい、共有者は各自、それ自体所有権の性質をもつ持分権を有しているにとどまり、共有関係にあるというだけでは、それ以上に相互に特定の目的の下に結合されているとはいえないものである。そして、共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となるので、同条は、かかる弊害を除去し、共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため、各共有者はいつでも共有物の分割を請求することができるものとし、しかも共有者の締結する共有物の不分割契約について期間の制限を設け、不分割契約は右制限を超えては効力を有しないとして、共有者に共有物の分割請求権を保障しているのである。このように、共有物分割請求権は、各共有者に近代市民社会における原則的所有形態である単独所有への移行を可能ならしめ、右のような公益的目的をも果たすものとして発展した権利であり、共有の本質的属性として、持分権の処分の自由とともに、民法において認められるに至つたものである。
したがつて、当該共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当し、かかる制限を設ける立法は、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを要するものと解すべきところ、共有森林はその性質上分割することのできないものに該当しないから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定している森林法一八六条は、公共の福祉に適合するものといえないときは、違憲の規定として、その効力を有しないものというべきである。

四 1 森林法一八六条は、森林法(明治四〇年法律第四三号)(以下「明治四〇年法」という。)六条の「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」との規定を受け継いだものである。明治四〇年法六条の立法目的は、その立法の過程における政府委員の説明が、長年を期して営むことを要する事業である森林経営の安定を図るために持分価格二分の一以下の共有者の分割請求を禁ずることとしたものである旨の説明に尽きていたことに照らすと、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図ることにあつたものというべきであり、当該森林の水資源かん養、国土保全及び保健保全等のいわゆる公益的機能の維持又は増進等は同条の直接の立法目的に含まれていたとはいい難い。昭和二六年に制定された現行の森林法は、明治四〇年法六条の内容を実質的に変更することなく、その字句に修正を加え、規定の位置を第七章雑則に移し、一八六条として規定したにとどまるから、同条の立法目的は、明治四〇年法六条のそれと異なつたものとされたとはいえないが、森林法が一条として規定するに至つた同法の目的をも考慮すると、結局、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。
同法一八六条の立法目的は、以上のように解される限り、公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。
2 したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定していることが、同条の立法目的達成のための手段として合理性又は必要性に欠けることが明らかであるといえない限り、同条は憲法二九条二項に違反するものとはいえない。以下、この点につき検討を加える。
(一) 森林が共有となることによつて、当然に、その共有者間に森林経営のための目的的団体が形成されることになるわけではなく、また、共有者が当該森林の経営につき相互に協力すべき権利義務を負うに至るものではないから、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない。したがつて、共有森林の共有者間の権利義務についての規制は、森林経営の安定を直接的目的とする前示の森林法一八六条の立法目的と関連性が全くないとはいえないまでも、合理的関連性があるとはいえない
森林法は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者からの分割請求を許さないとの限度で民法第三章第三節共有の規定の適用を排除しているが、そのほかは右共有の規定に従うものとしていることが明らかであるところ、共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐつて意見の対立、紛争が生ずるに至つたときは、各共有者は、共有森林につき、同法二五二条但し書に基づき保存行為をなしうるにとどまり、管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来することとなる。同法二五六条一項は、かかる事態を解決するために設けられた規定であることは前示のとおりであるが、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法の右規定の適用を排除した結果は、右のような事態の永続化を招くだけであつて、当該森林の経営の安定化に資することにはならず、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性のないことは、これを見ても明らかであるというべきである。
(二) (1) 森林法は森林の分割を絶対的に禁止しているわけではなく、わが国の森林面積の大半を占める単独所有に係る森林の所有者が、これを細分化し、分割後の各森林を第三者に譲渡することは許容されていると解されるし、共有森林についても、共有者の協議による現物分割及び持分価額が過半数の共有者(持分価額の合計が二分の一を超える複数の共有者を含む。)の分割請求権に基づく分割並びに民法九〇七条に基づく遺産分割は許容されているのであり、許されていないのは、持分価額二分の一以下の共有者の同法二五六条一項に基づく分割請求のみである。共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を認めた場合に、これに基づいてされる分割の結果は、右に述べた譲渡、分割が許容されている場合においてされる分割等の結果に比し、当該共有森林が常により細分化されることになるとはいえないから、森林法が分割を許さないとする場合と分割等を許容する場合との区別の基準を遺産に属しない共有森林の持分価額の二分の一を超えるか否かに求めていることの合理性には疑問があるが、この点はさておいても、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者からの民法二五六条一項に基づく分割請求の場合に限つて、他の場合に比し、当該森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図らなければならない社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠は、これを見出だすことができないにもかかわらず、森林法一八六条が分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなつているといわざるをえない
まず、森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、当該森林の地域的位置、気候、植栽竹木の種類等によつて差異はあつても、これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるものというべきである
また、当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制というべきである
(2) 更に、民法二五八条による共有物分割の方法について考えるのに、現物分割をするに当たつては、当該共有物の性質・形状・位置又は分割後の管理・利用の便等を考慮すべきであるから、持分の価格に応じた分割をするとしても、なお共有者の取得する現物の価格に過不足を来す事態の生じることは避け難いところであり、このような場合には、持分の価格以上の現物を取得する共有者に当該超過分の対価を支払わせ、過不足の調整をすることも現物分割の一態様として許されるものというべきであり、また、分割の対象となる共有物が多数の不動産である場合には、これらの不動産が外形上一団とみられるときはもとより、数か所に分かれて存在するときでも、右不動産を一括して分割の対象とし、分割後のそれぞれの部分を各共有者の単独所有とすることも、現物分割の方法として許されるものというべきところ、かかる場合においても、前示のような事態の生じるときは、右の過不足の調整をすることが許されるものと解すべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁、昭和四一年(オ)第六四八号同四五年一一月六日第二小法廷判決・民集二四巻一一一号一八〇三頁は、右と抵触する限度において、これを改める。)。また、共有者が多数である場合、その中のただ一人でも分割請求をするときは、直ちにその全部の共有関係が解消されるものと解すべきではなく、当該請求者に対してのみ持分の限度で現物を分割し、その余は他の者の共有として残すことも許されるものと解すべきである。
以上のように、現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである。したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。

五 以上のとおり、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであつて、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがつて、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効というべきであるから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者についても民法二五六条一項本文の適用があるものというべきである。
六 本件について、原判決は、森林法一八六条は憲法二九条二項に違反するものではなく、森林法一八六条に従うと、本件森林につき二分の一の持分価額を有するにとどまる上告人には分割請求権はないとして、本件分割請求を排斥しているが、右判断は憲法二九条二項の解釈適用を誤つたものというべきであるから、この点の違憲をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、上告人の分割請求に基づき民法二五八条に従い本件森林を分割すべきものであるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官坂上壽夫、同林藤之輔の補足意見、裁判官髙島益郎、同大内恒夫の意見、裁判官香川保一の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官坂上壽夫の補足意見は、次のとおりである。
香川裁判官の反対意見に鑑み、わが国における森林所有の実態を踏まえて、一言しておきたい。
香川裁判官の説かれるところは、森林の共同経営という観点から共有森林についての分割制限の合理性を指摘されるもので、たしかに、森林の共同経営に当たつて、途中での分割を許すことは、経営的には不都合を来す場合があると考えられ、共同経営を目的とした共有を考える限りにおいて、まことに傾聴すべき見解であると思われるが、「森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことである」とされるのは、森林共有者の中に、相続による共有者を除いては、自らの意思によらずして森林を共有することになつた者の存在は考えなくてもよいということであろうか。また、自らの意思により森林を共有するといつても、共有するについてはいろんな場合が考えられ、森林を共同経営する意思を有しない者もいると思われるのに、そのことを抜きにして論じてよいものであろうか。なお、共同経営に不都合を来さないためという観点からは、持分二分の一以下の権利者の分割請求のみを許さないとすることの説明が、多数決原理を云々されるだけでは肯けないものがある(のちに述べるように、分割されて困るとすれば、それはむしろ持分二分の一以下の少数権利者の側であろう。)。
ところで、森林経営という面についてであるが、香川裁判官が、「森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである……そして、それに連なる共有森林は……」と説かれるところは、多人数の共同経営の難しさ、煩わしさということを別にすれば、理論としては正にそのとおりであろうが、残念ながら、わが国の森林所有の実態に即しない憾みがあるように思われる。以下、議論を正確にするため、統計数字については、林野庁監修「林業統計要覧」一九八六年版所載の各表によることとするが、その「一九八〇年世界農林業センサス結果」によると、わが国での共同所有者による森林保有は、統計に表れない〇・一へクタール未満の森林を除き、〇・一ヘクタール以上のものに限れば、一六万六一四五事業体で合計六〇万一六七三ヘクタールに過ぎず(この数字には、相続により生じた共有体を含むものと思われるが、その内訳は不詳である。)、面積比にすると、二五〇〇万ヘクタール余とされるわが国の全森林の二・四%、一四七〇万ヘクタールに及ぶ私有森林全体の約四%を占めるのみである。しかも、そのうち〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)しか保有しない事業体(農林水産省統計情報部「林家経済調査報告」によると、昭和五九年度において、九・三ヘクタールを保有する林家の林業粗収入額は、薪炭生産やきのこ生産等による収入をも含めて二九万五〇〇〇円であり、これに対する経費総額は一二万七〇〇〇円であつて、林業所得額は一六万八〇〇〇円(平均値)であるから、一ヘクタール当たりにすると、僅かに一万八〇〇〇円に過ぎない。〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)という森林がいかに零細なものであるかがわかろう。)は九万六二八〇事業体に達し、全共同事業体の約五八%に当たり、これに一ないし五ヘクタール(未満)しか保有しない事業体を併せると、一四万四九九六事業体(全共同事業体の八七%強)にも達するのである。他方、香川裁判官が望ましいとされる「相当広大な面積」をかりに一〇〇ヘクタール以上(本件上告人、被上告人の共有森林は、全地区を合計するとこの範囲に入ることになる。)と低く抑えたとしても、その条件に達するものは僅かに五五七事業体(全共同事業体の〇・三%強)に過ぎない。共有にかかる森林の殆どは、共同所有ではあつても、共同経営という名に値しないものである。
とすれば、森林経営の観点から共有を論じても余り意味はなく、森林法一八六条は、ほんの一握りの森林共有体の経営の便宜のために、すべての森林共有体の、しかもそのうちの持分二分の一以下の共有者についてのみ、その分割請求権を奪うという不合理を敢えてしていると結論せざるを得ない。
もとより、森林経営というほどのものでない小面積の共有森林でも、否、小面積の森林なるが故に、分割しては著しく採算に影響するという場合もないではないであろうし(例えば、トラックの通行可能な道路までの伐採木の搬出距離が長いため、搬出のための架線等の設置に多大の経費を要するというような場合等)、極端な場合には、分割しては森林の全売上をもつてしても全経費を賄うに足りないという事態もありうるであろう(多数意見のいう森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積を割る場合ということになろう。)。香川裁判官の説かれる共同経営論は、このようなことも配慮されてのことであると理解できるが、分割した場合につねに生ずるということではない。なお、蛇足を加えると、例えば、持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があつて、四分の三の持分権者の請求によつて分割が行われた場合があつたとしよう。四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になつたとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきでないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らないのではなかろうか。いずれにしても、経営採算ということを考えると、共同経営にかかる森林の分割はこれを許さないとすることに相応の理由があることを否定しないが、森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たつて必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであつて、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではないと思われる。
更にいえば、分割請求権の行使を認めないことによつて、森林の細分化を防止し、それによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することが公共の福祉に合致するとの立場をとるならば、前述のように、わが国の森林面積の二・四%、そのうちの私有森林のみの面積と対比してもその約四%を占めるに過ぎない共同所有森林(相続による共有分を除けば、その割合はもつと小さい筈)の、そのまた少数持分権者のみに、その制限を課するのは何故であろうか。
森林法一八六条による共有森林の分割請求権の制限は、到底首肯するに足る理由を見出だすことができないのである。
裁判官林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に示された結論とその理由に同調するものであるが、共有物の分割方法に関して私の考えるところを補足しておきたい。
多数意見は、民法二五八条二項にいう現物をもつてする分割の一態様として、共有者の一部が持分以上の現物を取得する代わりに当該超過分の対価を他の共有者に支払わせる旨のいわゆる価格賠償による分割を命ずることも許されるから、共有者の一部に分割を認めても必ずしも森林の細分化をもたらすものではないとし、最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁は、これと異なる限度で改めるとしているのであり、私も多数意見の右の説示に賛同する。右の小法廷判決は、昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法のもとにおける遺産相続により共有となつた遺産の分割につき、右改正法の附則三二条により改正後の民法九〇六条が準用されることとなる事案に関するものであるが、「遺産の共有及び分割に関しては、共有に関する民法二五六条以下の規定が第一次的に適用せられ、遺産の分割は現物分割を原則とし、分割によつて著しくその価格を損する虞があるときは、その競売を命じて価格分割を行うことになるのであつて、民法九〇六条は、その場合にとるべき方針を明らかにしたものに外ならない」と判示している。しかし、家庭裁判所での遺産分割審判の実務においては、右判例にかかわらず、遺産分割につき家事審判規則一〇九条を適用して、特別の事由があるときは、共同相続人の一部にその相続分以上の現物を取得させる代わりに、他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物をもつてする分割に代えることが広く行われてきており、しかも、右にいう特別の事由はかなり緩やかに解されているのであるが、この債務を負担させることによる分割の実態は、多数意見にいう価格賠償にほかならないのである。
ところで、遺産分割については、民法が特に分割の基準について九〇六条の規定を設けているほか、手続上も、家庭裁判所に非訟事件である遺産分割の審判の申立をすることができるものとされているのに対し、通常の共有物の分割にあつては、民事訴訟法上の訴えの手続によるべきものとされている。しかし、この共有物分割の訴えも、いわゆる形式的形成訴訟に属し、当事者は単に共有物の分割を求める旨を申し立てれば足り、裁判所は、当事者が現物分割を申し立てているだけであつても、これに拘束されず、競売による代金分割を命ずることもできるのであつて(最高裁昭和五三年(オ)第九二七号、第九二八号同五七年三月九日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号三一三頁)、その本質は非訟事件であり、その点では、典型的な非訟事件である家事審判と異なるところはない。それにもかかわらず通常の共有物分割と遺産分割との間で右のように取扱いが異なるのは、右のような法律上の規定の仕方の違いもさることながら、遺産分割は、被相続人に属していた一切の財産が分割の対象とされ、不動産、動産、債権のほか、これらの権利が結合して構成される商店、病院等の営業というようなさまざまな遺産を一括して共同相続人に配分するものであり、しかも、先祖代々の土地建物、農地、家業というべき営業のように、相続人のうちの誰か適当な者が承継して人手には渡したくないとする一般的な意識や、分割に適しない性質を想定しうる財産も含まれているのに対し、通常の共有については、これまで一個の物の分割が典型例として考えられ、分割が個々の共有物について各共有者の持分権をその価格の割合に応じて単独所有権化するものという角度から捉えられ勝ちであつたためではないかと思われる。しかし、通常の共有の場合であつても、多数意見の指摘するように、同一共有者間において同時に多数の、性質等の異なつた共有物について分割が行われることもあり、また、遺産分割の結果共同相続人のうちの数名の共有とされた財産が再分割されるときのように遺産分割に近い実質をもつこともあるのであつて、そのようなときにまで、現物を持分に応じて分割することができないか又はそれができても著しく価格を損する場合には、直ちに現物分割によることができないものとし、価格賠償による調整をかたくなに否定することは、現物分割の途をいたずらに狭めるものであり、実状に合うものとはいい難い。建物の分割においても、持分に応じた分割が可能なのは、たとえ分割の対象となつている建物が多数あるときでもそのそれぞれがたまたま持分に相当する価格の建物である場合とか、一棟の建物ではあるが持分に相当する価格の区分所有建物とすることが可能である場合のようなむしろ例外的場合に限られることになり、土地についても、地形や道路との関係、さらには地上建物との関係などから持分に応じた分割をすることには無理が伴つたり、著しく価格を損することがむしろ多いといえよう。
共有物の分割にあつては、共有者間の公平が最も重視されなければならない。そして、価格賠償によるときは、価格が裁判所の認定にかかることになつて、観念的には競売による方がより公正な価格によることになるといえるかも知れない。しかし、現実には、競売価額が時価とはかけ離れた低額のものである場合も多々みられるところである。民法二五八条二項は、現物分割により著しくその価格を損する虞があるときは競売による代金分割によるべきこととしているが、競売によるときは、現物分割を避けることにより社会的にはその物自体が有する価格の減少を防ぐことができても、共有者が分配を受け得る利益からみれば著しく価格を損する結果となる虜なしとしないのである。現物分割の一態様として価格賠償の併用を認めると、必ずしも現物を持分に応じて分割しなくてもよいことになり、現物分割により得る場合はかなり増えるものと考えられ、当事者の利益からいつても、ことに当事者が希望しているような場合にまで、裁判所が鑑定等に基づいて認定する金額による価格賠償を否定すべき実質的な根拠はないと思われるのである。
以上のような見地から、私は、民法二五八条による共有物の分割につき価格賠償により過不足を調整することも許されるとする多数意見に賛成するものであるが、更にすすんで、共有者の数が非常に多数の場合に、その中のごく少数の者のみが分割請求をしたというようなときは、事情によつては―多数意見が規制の必要あることを認める共有森林の伐採期あるいは計画植林完了時の前になされた分割請求の如きはその適例であるが―共有物を残りの者だけの共有とし、分割請求者は持分相当額の対価の支払を受けるという方法によることも、右のごく少数の分割請求者からみれば対価を受け取るにすぎないにせよ、これを全体としてみるときはなお現物分割の一態様とみることを妨げないものというべきであり、このように共有物を共有者のうちの一人又は数名の者の単独所有又は共有とし、これらの者から他の者に価格賠償をさせることによる分割も、かかる方法によらざるをえない特段の事情がある場合には、なお現物分割の一態様として許されないわけのものではないと考えるのである。
裁判官大内恒夫の意見は、次のとおりである。
私は、本件について、原判決を破棄し、原審に差し戻すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その理由を異にし、共有森林の分割請求権の制限を定める森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額が二分の一の共有者からの分割請求(本件はこの場合に当たる)をも禁じている点において、憲法の右条項に違反するにすぎないと考えるので、以下意見を述べることとする。
一 森林法一八六条と財産権の制約
森林法一八六条は、共有森林の分割につき、「各共有者の持分の価額に従いその過半数をもつて分割の請求をすること」のみを認め、その以外の持分価額が二分の一以下の共有者がなす分割請求を禁じているが、これは、民法が共有者の基本的権利としている分割請求権を持分価額が二分の一以下の共有者から奪うものであるから、かかる規制は、憲法上、経済的自由の一つである財産権の制約に当たり、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを必要とする。ところで、経済的自由の規制立法には、精神的自由の規制の場合と異なり、合憲性の推定が働くと考えられ、財産権の規制立法についても、その合憲性の司法審査に当たつては、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、これを尊重すべきものである。そして、同じく経済的自由の規制であつても、それが経済的・社会的政策実施のためのものである場合(積極的規制)は、事の性質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広く認めるべきであるから、右積極的規制を内容とする立法については、当該規制措置が規制の目的を達成するための手段として著しく不合理で裁量権を逸脱したことが明白な場合でなければ、憲法二九条二項に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。以下、この見地に立つて、森林法一八六条が憲法の右条項に違反するかどうかについて判断する。
二 森林法一八六条の立法目的
森林法の右規定は、これと同旨の旧森林法(明治四〇年法律第四三号)六条の規定を踏襲したものであるが、もともと旧森林法が同規定を設けた立法目的は、当時の議会における政府委員の説明及び審議経過に徴すると、共有森林に係る林業経営の特殊性にかんがみ、共有者の分割請求権を制限し、林業経営の安定を図つたものであると解される。すなわち、森林は植林から伐採に至るまで長年月の期間を要し、資本投下も森林の維持・管理も長期的な計画に従つてなされるから、林業経営にあつては経営の基礎を安定したものとする必要が極めて大きいというべきところ、共有森林について民法二五六条一項がそのまま適用されるとするときは、共有者のうち一人が分割請求をする場合でも、何時にても、分割(原則として現物分割又は競売による代金分割)が行われざるをえず、林業経営の基礎は不安定であることを免れないことになる。そこで、旧森林法は前記の規定を設け、共有森林について分割請求権を制限することとしたのであつて、同規定は林業経営の安定を図ることを目的としたものであるというべきである。そして、森林法一八六条が旧森林法六条の規定をそのまま受け継いだこと、及び森林法が一条に新たに同法の目的規定を設けたことを考慮すると、同法一八六条の立法目的は、林業経営の安定を図るとともに、これを通じて森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国土の保全と国民経済の発展に資するにあると解すべく、右立法目的が公共の福祉に適合することは明らかである(なお、同条は、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとし、その限度で共有森林の分割請求を制約するのみで、持分価額が二分の一を超える共有者からの分割請求は勿論、共有者間の協議による分割も同条の禁ずるところでないから、森林の細分化防止をもつて同条の直接の立法目的であるとすることはできないと考える。)。
三 森林法一八六条の規制内容
森林法一八六条は、右の立法目的を達成するため、共有森林について、持分価額が二分の一を超える共有者(以下「過半数持分権者」という。)からの分割請求は認めるが、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとしている。ところで、右は前記経済的自由についての積極的規制に当たり、前示基準に従つてその憲法適合性が判断されることになるが、持分価額が二分の一以下という中には、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるので、場合を分かつて検討する。
1 持分価額が二分の一未満の共有者の分割請求の禁止
これは他方に過半数持分権者が存在する場合であるが、この場合、同条が持分価額が二分の一未満の共有者(以下「二分の一未満持分権者」という。)の分割請求権を否定したのは、下記のとおり理由があると認められ、同条のこの規制内容が、その立法目的との関係において、明らかに合理性と必要性を欠くものであるということはできないと考える。
(一) 旧森林法制定の際の議会における審議経過に徴すると、同法六条の政府原案は、「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス」とのみ定め、共有森林についてはすべて分割請求を禁止するものであつたが、右原案に対し、貴族院において、共有者の分割請求権を絶対的に禁じてしまうのは酷であり、少なくとも共有者の過半数以上の者が分割を請求する場合は、許してよいのではないか、との修正意見が出され、これを受けて、右原案に、「但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」とのただし書が追加され、立法がなされたものである。右の立法経緯によると、旧森林法の立法においては、林業経営の安定を図るという目的から、林業経営にとつて不安定要因であると目される民法二五六条の分割請求権に手が加えられたが、その際右分割請求権を全面的に否定するという方法はとらず、これを一部制約するにとどめたこと、及びいかなる者に分割請求権を認め、いかなる者にこれを認めないかについては、多数持分権者の意思の尊重の見地から、「持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数」である者(過半数持分権者)にのみ分割請求を許すことにしたことが認められるのであつて、旧森林法の右規定及びこれを受け継いだ森林法一八六条は、林業経営の安定と共有者の基本的権利(分割請求権)との調和を図つたものということができる。このように見て来ると、同条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有するものといわなければならず、また、過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できるというべきである。
(二) 次に、二分の一未満持分権者の権利制限の程度について見ると、同持分権者も、過半数持分権者との間で協議による分割を行うこと、及び過半数持分権者が分割自体に同意する場合、具体的な分割の方法・内容の裁判上の確定を求めて、分割の訴えを提起することは、いずれも森林法一八六条の禁ずるところではないと解されるので、結局、右二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも、右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとつて不当な権利制限であるということはできない。
してみると、同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではないというべきである。
2 持分価額が二分の一の共有者の分割請求の禁止
持分価額が二分の一の共有者(以下「二分の一持分権者」という。)が分割請求をする場合は、分割請求の相手方も二分の一持分権者であつて、右1の場合と異なり、過半数持分権者が存在しないが、森林法一八六条はこの場合も分割請求を禁じている。しかし、右の最も典型的な場合は、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合であるが、この場合共有者の一人である甲が同条によつて分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであつて、前記1の場合のごとく、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由に基づくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、共有者の他の一人である乙も同様であつて、甲、乙互いに対等の地位にあるにかかわらず、いずれも相手に対して分割請求をすることを禁じられるのである。その結果は、甲、乙両名(すなわち共有者全員)が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなるが、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎであるといわなければならない。思うに、森林法一八六条は林業経営の安定等の目的から共有者の分割請求権を制約するものであるが、全面的にこれを禁止しようとするものではない。したがつて、二分の一持分権者の共有関係の解消について生ずる右のような結果は、同条の所期するところでないとも考えられ、結局、同条のうち二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。よつて、同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効であるというべきである。
四 本件事案は、上告人及び被上告人が同人らの父から本件森林の贈与を受け、これを共有しているが、その持分は平等で各二分の一である、というのであり、前項2の場合に該当するから、上記の理由により上告人の分割請求は認容されるべきである。したがつて、上告人の論旨は理由があるから、本件については、原判決(上告人敗訴部分)を破棄し、原審に差し戻すべきものと考える。
裁判官髙島益郎は、裁判官大内恒夫の意見に同調する。
裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。
私は、森林法一八六条が憲法二九条二項に違反するものとする多数意見に賛成し難い。その理由は次のとおりである。
民法の共有に関する規定は、原則的には、共有関係からの離脱及びその解消を容易ならしめるため、各共有者の共有持分の譲渡について何らの制限を設けないのみならず、共有者全員の協議による共有物の分割のほか、各共有者は何時にても無条件で共有物分割の請求(訴求)をすることができるものとしているが(同法二五六条一項本文、二五八条一項)、その反面、共有物の不分割契約を期間を五年以内に制限しながらも更新を許容してこれを認めている(同法二五六条一項ただし書、同条二項、なお、同法二五四条により不分割契約は特定承継人をも拘束するのである。)。その趣旨は、所有権の型態として単独所有が共有よりもより好ましいものとして共有物の分割を認めながらも、共有関係の生じた経緯、目的、意図、共有物の多種、多様な性質ないし機能等に応じて、何時にても共有関係を解消し得る共有から一定期間共有関係を解消しない共有までの合目的な法律関係を形成し得る途を開いているものということができる。さらに、同法二五四条により、共有物の使用、収益等に関する共有者間の特約による権利義務関係が共有者の特定承継人をも拘束するものとして、共有関係の目的、意図等に対応し得る方途について配慮しているのである。因みに、各人の出資により共同事業を営む共同目的の組合契約による組合財産は、すべて総組合員の共有に属するが(同法六六八条)、清算前には組合財産の同法二五六条一項本文の規定による共有物分割の請求を禁止するなど(同法六七六条)しているのも、共同事業の遂行が共有物分割の請求により阻害されることを防止するための必要によるものに外ならない。そして、同法二五六条一項本文は、共有の目的物を特定していないが、目的物を限定して右の分割請求を考察した場合、その目的物の種類、性質、機能等によつては、同項本文について何らかの修正を施すべき必要があることは容易に考え得るところである。
以上の考え方からいえば、共有物分割の請求をいかなる要件、方法、態様等により認めるべきかあるいは制限すべきかの立法は、経済的自由の規制に属する経済的政策目的による規制であつて、憲法二九条二項により公共の福祉に適合することを要するが、その規制措置は、共有物の種類、性質、機能、関係人の利害得失等相互に関連する諸要素についての比較考量による判断に基づく政策立法であつて、立法府の広範な裁量事項に属するものというべきである。したがつて、その立法措置は、甚だしく不合理であつて、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものでなければ、これを違憲と断ずべきではない。
そこで、森林法一八六条について考えるに、同条は、民法二五六条一項本文と異なり、共有持分の価額に従い過半数を以てのみ共有森林の分割請求をすることができるものと規定している。森林法における森林とは、(一) 木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹、(二) 木竹の集団的な生育に供される土地を指称するのであるが(同法二条一項)、かかる「森林」は、その性質上木竹の植栽、育生、伐採、すなわち森林経営に供されることをその本来の機能とするものであり、このような供用による使用収益をその本質とする財産権である。さればこそ、同法は、かかる森林の所有者について、一般的に森林経営を行う者であることを前提として所要の規定を設けており(同法八条、一〇条の五、一〇条の一〇、一一条、一四条等)、この森林所有者には森林の共有者も含まれることはいうまでもない。そして、森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである(同法一八条、森林組合法一条、同法第三章生産森林組合等参照)。そして、それに連なる共有森林は、森林経営に供されるものである以上、民法二五六条一項本文の規定により、何時にても、しかも無条件に、共有者の一人からでもなされ得る共有物分割の請求によつて、森林の細分化ないしは森林経営の小規模化を招くおそれがあるのみならず、それ以上に、前記の長期的計画に基づく交互的、周期的な森林の施業が著しく阻害され、他の共有者に不測の損害を与え、ひいては森林経営の安定化、活発化による国民経済の健全な発達を阻害し、自然環境の保全等に欠けるおそれがあるので、森林法一八六条は、かかる公共の福祉の見地から、右の共有物分割の請求を制限することとし、ただ、森林経営についても私有財産制の下における営業であり、私的自治の原則が尊重されるべきものであることにかんがみ、謙抑的に、共有物分割の請求の全面的禁止を採らず、共有者の合理的配慮を期待して、いわゆる多数決原理に則り、森林経営により多く利害関係を有する持分価額の過半数以上を以てしなければ共有森林の分割請求をすることができないものとしているのである。そして、共有物分割の請求は、本来非訟的なものであるにもかかわらず、訴訟によることから自づと判断資料が限定され、森林経営に則した合理的な分割の裁判は、決して容易なものではなく、審理が長期化せざるを得ない性質のものであつて、その間における森林経営の停滞、森林の荒廃という避けるべくもないデメリットも当然予想されるであろうから、分割請求を持分価額の過半数をもつて決することとすることにより、右のデメリットをも考慮して分割請求の可否、利害得失をも含め分割請求に関する合理的、妥当な共有者間の意思決定がされることを期待しているものといえるであろう。
以上のとおり、森林法一八六条は、その立法目的において公共の福祉に適合するものであることは明らかであり、その規制内容において必要性を欠く甚だしく不合理な、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとは到底解することができないから、憲法二九条二項に違背するものとは断じ得ない。
これに対し、多数意見は、判決理由四の2の(一)において、「森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない」から、森林法一八六条はその立法目的(森林経営の安定)とその規制内容において合理的関連性かないものとし、森林共有者(特に持分が同等で二名の共有の場合)間において共有物の管理又は変更について意見が対立した場合、森林の荒廃を招くにかかわらず、かかる事態を解決するための手段である民法二五六条一項本文の規定の適用を排除している結果、森林の荒廃を永続化させ、森林経営の安定化に資することにならず、立法目的とその手段方法との間に合理的関連性がないことが明らかであるとしている。
しかし、前記のように、森林は、その性質、機能からいつて森林経営に供されるものというべきであり、かかる森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことであり、森林法一八六条も亦かかる前提に立つてはじめて理解し得るものである。この点において多数意見は私の見解と根本的に異なるのであるが、多数意見の右の指摘する点についていえば、共有物の管理について過半数によつて決することができない場合に管理ができなくなることは、民法二五二条もこれを予想し、それ自体止むを得ないこととして、その場合の不都合を若干でも除去し、少なくとも共有物の現状維持を図るために、同条ただし書において保存行為を各共有者がなし得るものとしているのであつて、既存の樹木の育生に必要な行為は右保存行為に該当するから、必ずしも森林の荒廃を防ぎ得ないものではない。また、共有者間において管理又は変更について決することができない場合の森林の荒廃という事態を解決するための手段として同法二五六条一項本文の規定があるものとすること自体甚だ疑問であるし、むしろ共有森林の分割請求が森林経営を阻害し、保存行為も充分になし得ず(分割請求により自己の取得する部分が不明である以上、各共有者に保存行為を期待することは無理であろう。)、反つて森林の荒廃を招くおそれがあるのではなかろうか。共有森林の管理について共有者間の意見が一致しない場合、共有関係の継続を欲しない者がその持分を譲渡して共有関係から離脱することも必ずしも困難を強いるものではない。
次に、多数意見は、判決理由四の2の(二)において、協議による分割、持分価額の過半数による分割請求及び遺産分割を禁止しないで、ただ持分価額の二分の一以下による分割請求を禁止しているが、右の分割の許される場合に比し、分割請求の禁止される場合が森林の細分化を防止する社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠はないし、しかも森林の安定的経営のための必要最小限度の面積をも法定せず、分割請求の制限される森林の範囲及び期間の限定もないまま、特に当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割請求を制限することは、立法目的の達成に必要な限度を超えた不必要なものであるという。さらに分割請求の場合の現物分割としても、調整的な価格賠償により分割後の管理、利用の便等を考慮して合理的な現物分割がされるし、多数共有者の一人による分割請求の場合に、請求者に持分の限度で現物を与え、その余を他の共有者の共有とする分割も許されるし、さらに代金分割のための一括競売がされるときも、いずれも共有森林の細分化をきたさないから、右の分割請求の禁止は、必要な限度を超えた不必要な規制であるという。しかし、森林法が共有者全員の協議による分割を禁止していないのは、私有財産制の尊重からかかる分割まで禁止することの適否は疑問であり、森林の共同経営を前提とする以上、分割の可否及び可とする場合の分割について共有者全員の合理的な協議を期待してのことであつて、かかる期待も立法態度として肯認されるものであろう。次に、遺産分割を禁止していないのは、遺産分割が遺産の全部を対象とするものであるのに、その一部である森林のみについて異なる扱いをすることは円滑な遺産分割を阻害するおそれがあるし、もともと森林又はその共有持分の共同相続人は自らの意思により共有関係に入つた者ではなく、森林の共同経営の意思を有するものとは必ずしもいえないからである。これらの分割を制限していないことには、右のような相当の理由があるものというべく、ただ、共有者の一人からでも何時にてもなされる分割請求は、多数の意思に反して森林経営のための円滑な施業を阻害するから、これを制限しているのである。次に、分割請求の制限される森林の範囲及び期間を限定せず、特に伐採期、計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割を制限している点については、森林経営に必要な最小限度の土地の面積を法定することは、実際問題として立法技術上も困難であるし、さらに伐採、植林の時期が地区別に交互周期的に到来するのが通常であろうから、分割制限の期間及び時期の限定は、難きを強いるものではなかろうか。最後に、分割請求の制限をしなくても、合理的な現物分割がされるというが、現物の細分化の防止からのみいえば現物分割の結果がなお森林経営上合理的な規模となる場合もあり得ようが、分割の裁判が相当長期間を要することから、分割請求そのものによる森林経営のための円滑な施業の阻害は避けられないであろう。さらに代金分割については、一括競売される限りにおいては当該森林の細分化は防止できるであろうけれども、一括競売は共有物分割の止むを得ない最後の方法であり、共有森林の細分化の防止の観点から、必ずしも時価売却の実現を保し難い競売による代金分割を常に探ることができるかどうか甚だ疑問であつて、以上のような分割の方法があることをもつて、森林法一八六条の分割請求の制限が必要な限度を超えた不必要なものであると果たしていえるであろうか。
以上のように、多数意見が森林法一八六条の違憲の論拠とする点は、これを総合しても、同条が甚だしく不合理で、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとする理由としては、到底首肯し得ないところである。
したがつて、上告人の論旨は理由がないから、本件上告は棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 高島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 林藤之輔 裁判官谷口正孝は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 矢口洪一)

Q 憲法は財産権のどのような制約に補償を用意しているか?
(1)2項の場合は補償不要で3項の場合は補償が必要(?)
・憲法上補償を要する場合
対象者が特定的か一般的かという形式的要件と、侵害の程度という実質的要件で・・・。

(2)1項の財産権不可侵は3項の対価のない収用を禁止する(?)

+判例(S43.11.27)
理由
弁護人高橋勝夫の上告趣意第一点について。
所論は、河州附近地制限令四条二号、一〇条は、次の理由により、憲法二九条三項に違反する違憲無効の規定であるという。すなわち、同令四条二号の制限は、特定の人に対し、特別に財産上の犠牲を強いるものであり、したがつて、この制限に対しては正当な補償をすべきであるのにかかわらず、その損失を補償すべき何らの規定もなく、かえつて、同令一〇条によつて、右制限の違反者に対する罰則のみを定めているのは、憲法二九条三項に違反して無効であり、これを違憲でないとした原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるというのである。
よつて按ずるに、河川附近地制限令四条二号の定める制限は、河川管理上支障のある事態の発生を事前に防止するため、単に所定の行為をしょうとする場合には知事の許可を受けることが必要である旨を定めているにすぎず、この種の制限は、公共の福祉のためにする一般的な制限であり、原則的には、何人もこれを受忍すべきものである。このように、同令四条二号の定め自体としては、特定の人に対し、特別に財産上の犠牲を強いるものとはいえないから、右の程度の制限を課するには損失補償を要件とするものではなく、したがつて、補償に関する規定のない同令四条二号の規定が所論のように憲法二九条三項に違反し無効であるとはいえない。これと同趣旨に出た原判決の判断説示は、叙上の見地からいつて、憲法の解釈を誤つたものとはいい得ず、同令四条二号、一〇条の各規定の違憲無効を主張する論旨は、採用しがたい。
もつとも、本件記録に現われたところによれば、被告人は、名取川の堤外民有地の各所有者に対し賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、従来から同所の砂利を採取してきたところ、昭和三四年一二月一一日宮城県告示第六四三号により、右地域が河川附近地に指定されたため、河川附近地制限令により、知事の許可を受けることなくしては砂利を採取することができなくなり、従来、賃借料を支払い、労務者を雇い入れ、相当の資本を投入して営んできた事業が営み得なくなるために相当の損失を被る筋合であるというのである。そうだとすれば、その財産上の犠牲は、公共のために必要な制限によるものとはいえ、単に一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲をこえ特別の犠牲を課したものとみる余地が全くないわけではなく、憲法二九条三項の趣旨に照らし、さらに河川附近地制限令一条ないし三条および五条による規制について同令七条の定めるところにより損失補償をすべきものとしていることとの均衡からいつて、本件被告人の被つた現実の損失については、その補償を請求することができるものと解する余地がある。したがつて、仮りに被告人に損失があつたとしても補償することを要しないとした原判決の説示は妥当とはいえない。しかし、同令四条二号による制限について同条に損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、単に一般的な場合について、当然に受忍すべきものとされる制限を定めた同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない
したがつて、右各規定の違憲無効を口実にして、同令四条二号の制限を無視し、所定の許可を受けることなく砂利を採取した被告人に、同令一〇条の定める刑責を肯定した原判決の結論は、正当としてこれを支持することができる。
同第二点について。
所論は、昭和三四年一二月一一日宮城県告示第六四三号による宮城県知事の告示は、憲法二九条三項に違反する違憲無効の告示であるという。
しかし、所論中、河川附近地の指定はその理由と必要性とを示し、かつ、最少限度の土地に限られるべきものであつて、右告示は、知事の自由裁量の範囲を逸脱しているものであることを主張する点は、右指定が「河川の公利を増進し、又は公害を除去若は軽減する必要のため」に行なわれるものであるという指定そのものの性質にかんがみ、どういう範囲にその指定を行なうべきかは、知事の裁量の範囲に属するものと解すべきであつて、本件指定が右裁量の範囲を著しく逸脱したものとまでは断定することができず、論旨は理由がない。また、所論中、本件告示により砂利等の採取行為を禁ぜられた被告人に多額の損失が生じたことを理由として、右告示の憲法二九条三項違反をいう点は、本件上告趣意第一点について説示した理由と同じ理由により、採用することができない。
同第三点について。
所論は、河川附近地制限令四条二号、一〇条は、憲法七三条六号、九八条一項に違反する違憲無効の規定であるという。
しかし、河川附近地制限令四条の規定は、同令の制定当時施行されていた昭和三三年法律第一七三号による改正前の河川法五八条にいう「此ノ法律ニ規定シタル私人ノ義務」に関する制限を定めたものとみるべきてあるが、右改正により、新たに同法四七条の規定を設け、このような制限の根拠を一層明確にするに至つたもので、その後は、河川附近地制限令四条の定めは、右四七条に基づく有効な定めとみるべきである。また、同令一〇条の定める罰則は、所論のように明治二三年法律第八四号「命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件」に基づくものではなく、前記改正前の河川法五八条の委任に基づき適法に定められたものとみるべきであるが、右改正にあたり、この点についても、その根拠規定の疑義を避けるため、改正法五八条の五を加えるに至つたもので、その後は、同令一〇条の定めは、右五八条の五に基づく有効な定めとみるべきである。右と異なる論旨は、排斥を免れず、違憲の論旨は、その前提において採ることができない。
以上、論旨は、すべて理由がなく、いずれも採用することができない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官奥野健一は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 横田正俊)

Q 補償される金額はどのような考え方で決められるか?
(1)完全補償説と相当補償説

(2)生活補償説
・通常生ずべき損失のほかに「生活補償」まで含むのか?
消極的・・・。こっちは25条でいこうか。

RQ
・条令による財産規制
・条例に基づき発せられた命令の履行を裁判所に求められるのか。

+判例(S38.6.26)奈良県ため池条例事件
理由
大阪高等検察庁検事長代理次席検事田辺光夫の上告趣意について。
一 先ず、本条例制定の趣旨および本件において問題となつている本条例の条項の法意を考えてみるに、記録によると、奈良県においては、一三、〇〇〇に余まるかんがいの用に供する貯水池が存在しているが、県下ならびに他府県下における貯水池の破損、決かい等による災害の事例に徴し、その災害が単に所有者にとどまらず、一般住民および滞在者の生命、財産にまで多大の損傷を及ぼすものてあることにかんがみ、且つ、貯水池の破損、決かいの原因調査による料学的根拠に基づき、本条例を制定公布したものであることを認めることができる。そして、本条例は、「ため池の破損、決かい等に因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的」(一条)とし、本条例においてため池とは、「かんがいの用に供する貯水池てあつて、えん堤の高さが三米以上のもの又は受益農地面積が一町歩以上のものをいう」(二条一号)とされているところ、本条例四条においては、右一条の目的を達成するため、右二条のため池に関し、何人も「ため池の余水はきの溢流水の流去に障害となる行為」(一号)、「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く。)を設置する行為」(二号)、「前各号に掲げるものの外、ため池の破損又は決かいの原因となる行為」(三号)をしてはならないとすると共に、同九条においては、右「第四条の規定に違反した者は、三万円以下の罰金に処する」ものとしている。すなわち、本条例四条は、ため池の破損、決かい等による災害を防止し、地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全を保持するために、ため池に関し、ため池の破損、決かいの原因となるような同条所定の行為をすることを禁止し、これに違反した者は同九条により処罰することとしたものてあつて、結局本条例は、奈良県が地方公共団体の条例特定権に基づき、公共の福祉を保持するため、いわゆる行政事務条例として地方自治法二条二項、一四条一項、二項、五項により制定したものであることが認められる。また、本条例三条によれば、国または地方公共団体が管理するため池には同五条ないし八条は適用しないが、しからざるため池には、ひろく本条例が適用されることとなつているから、本条例は、地方自治法二条三項一号、二号の事務に関するものと認められるところ、原判決の認定したところによれば、太件唐古池と称するため池は、周囲の堤とう六反四畝二八歩と共に、登記簿上は、奈良県磯城郡a町大字b居住のA、B両名の所有名義となつているか、実質上は、同大字居住農家の共有ないし総有とみるべきもので、その貯水は、同大字の耕作地のかんかいの用に供され、受益農地面積は、三〇町歩以上に及び、その管理は、同大字の総代が当つているもので、周囲の堤とうは、同大字居住者約二七名において、父祖の代から引き続いて竹、果樹、茶の木その他農作物の裁培に使用し、被告人らもまた同様であつたが、本条例の施行により、被告人らを除く他の者は、任意に栽培を中止したことが認められるというのである。しからば本件ため池は、国または地方公共団体が自ら管理するものでないことが明らかであるから、本条例は、本件に関する限り、地方自治法二条三項一号の事務に関するものであり、また、ため池の破損、決かい令による災害の防止を目的としているから、同法二条三項八号の事務に関するものでもある(原判決が、本件に関し、本条例を同法二条三項二号の事務に関するものとし、これを前提として本条例の違憲、違法をいう点は、前提において誤つている。)。なお、本条例四条各号は、同条項所定の行為をすることを禁止するものであつて、直接には不作為を命ずる規定であるが、同条二号は、ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、同条項は、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものてあるといわなければならない。
しかし、その制限の内容たるや、立法者が科学的根拠に基づき、ため池の破損、決かいを招く原因となるものと判断した、ため池の堤とうに竹本若しくは農作物を植え、または建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為を禁止することであり、そして、このような禁止規定の設けられた所以のものは、本条例一条にも示されているとおり、ため池の破損、決かい等による災害を未然に防止するにあると認められることは、すでに説示したとおりであつて、本条例四条二号の禁止規定は、堤とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用される。ただ、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、本条例一条の示す目的のため、その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである。すなわち、ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外にあるものというべく、従つて、これらの行為を条例をもつて禁止、処罰しても憲法および法律に牴触またはこれを逸脱するものとはいえないし、また右条項に規定するような事項を、既に規定していると認むべき法令は存在していないのであるから、これを条例で定めたからといつて、違憲または違法の点は認められない。更に本条例九条は罰則を定めているが、それが憲法三一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和三一年(あ)第四二八九号、同三七年五月三〇日大法廷判決、刑律一六巻五号五七七頁)の趣旨とするところてある。
なお、事柄によつては、特定または若干の地方公共団体の特殊な事情により、国において法律で一律に定めることが困難または不適当なことがあり、その地方公共団休ごとに、その条例で定めることが、容易且つ適切なことがある。本件のような、ため池の保全の問題は、まさにこの場合に該当するというべきである
それ故、本条例は、憲法二九条二項に違反して条例をもつては規定し得ない事項を規定したものではなく、これと異なる判断をした原判決は、憲法の右条項の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。
二 次に、原判決は、条例をもつて権利の行使を強制的に制限または停止するについては、権利者の損失を補償すべきであるにかかわらず、本件において補償を与えた形跡が存在しないことも本条例を被告人らに適用し難い一理由としているのであるが、さきに説示したとおり、本条例は、災害を防止し公共の福祉を保持するためのものであり、その四条二号は、ため池の堤とうを使用する財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上巳むを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受忍しなければならない責務というべきものであつて、憲法二九条三項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。この点に関する原判決の判断は、前提において誤つているのみならず、結局憲法二九条三項の解釈を誤つた違法あるを免れない。
三 以上の次第で、原判決は、憲法二九条二項、三項の解釈を誤り、それを前提として本条例四条、九条は、被告人らにその効力は及ばないとして被告人らを無罪としたものであつて、失当たるを免れず、これらの点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はこれを破棄し、本件はこれを原審に差し戻すべきものである。
よつて、刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見および裁判官河村大助、同山出作之助、同横田正俊の少数意見あるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官入江俊郎の補足意見は次のとおりである。
わたくしは、多数意見に同調するが、本条例と憲法二九条二項との関係および本条例制定の憲法上の根拠ならびに本条例と憲法二九条三項との関係につき、補足意見を表示する。
一 憲法二九条二項は 財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定めると規定しているが、同条一項は、財産権はこれを侵してはならないと規定し、いわゆる財産権不可侵の原則を宣言している。財産権の不可侵は、近代民主主義国家における基本的人権の保障の上で極めて重要な原則とされているが、およそ基本的人権の享有は、公共の福祉に適合すべきものでなければならないことは、憲法一二条、一三条の示すところであり、財産権の不可侵といつてもそれは絶対無制限のものではなく、財産権の内容は公共の福祉に適合するようなものてあるべきで、憲法二九条二項はまさにこの理を明文化したものにほかならない。そして、ここに財産権の内容とは、それぞれの財産権がいかなる性質のものであるか、権利者がいかなる範囲、程度においてその財産に対する支配権を有するか等、それぞれの財産権自体に内在する一般的内容をいうものであつて、同条項は、財産権自体の内容をいかに定めるかを問題としているのである。それ故、財産権自体の内容をいかに定めるかということではなく、人の権利、自由の享有をいかに規制するかを定めた規定は、その規定の法的効果により、財産上の権利の行使が制限されるに至ることがあつても、それは、憲法二九条二項の問題ではないと解する。例えば、人の権利、自由の享有を自由に放任することによつて発生する事熊が、公共の福祉と相容れないとき、その事態を公共の福祉のために防止しまたは除去することを定めた規定は、その適用を受ける者が、これにより財産上の権利の行使を制限されることとなつても、それは財産権自体の内容を定めるものではなく、既に内容を定められた財産権につき、これを行使しその内容を実現する面において、制限を受けるものというべきだからである。そこで、本条例四条二号を見ると、同条項は、堤とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用され、そのため、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなけれはならない責務を負うというべきであることは多数意見のとおりである。それ故、同条項は、公共の福祉と相容れない事態を防止、除去するために、災害防止上禁止されても已むを得ない、ため池の破損または決かいの原因となる同条項所定の行為を何人に対しても禁止し、不作為の義務を負わせる規定であつて、そのために、堤とうを使用する財産上の権利を有する者が、その権利の行使を制限されることとなつても、それは右規定の法的効果に外ならないのである。されは、右条項は、憲法二九条二項の法意につき前に説示したところに照らし、これをもつて同条項にいう財産権の内容を定める規定と解すべきではなく、そして、この理は、右権利の制限の程度が、たとえ本件におけるように著しいものであるとしても、結論を異にすべきものではない。よつて、本条例四条二号を憲法二九条二項の場合に該当するとした原判決および上告趣意は、いずれも正当とは認められない。
しからば、ここで問題となるのは、このような人の権利、自由の制限を条例で設けることが憲法に違反しないかどうかということである。思うに、憲法九四条は、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、行政を執行す権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができると規定しており、地方自治法一四条一項は、普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて、同法二条二項の事務に関し条例を制定できることを定めている。そして、同条項の事務は、公共事務、委任事務、行政事務であるが、ここに行政事務とは、地方公共団体の区域内における委任事務以外の行政事務で国の事務に属しないものをいい、それは事務の性質上人の権利、自由の規制をその内容とする場合が多い。それ故、普通地方公共団体は、その行政を執行ずるに伴い、必要ある場合には、法令に違反しない限りにおいて、行政事務として、人の権利、自由を規制することができ、これがため条例を制定することができるのであつて、それは、憲法九四条に基づく地方公共団体の権能というべく、地方自治法二条、一四条一項、二項はその趣旨を承けた規定であり、これがために一々の事務につき、法律による特別の委任、授権の必要はないのてある。もちろん、法令違反しない限りというのは、既存の法令に基本的人権の規制につき未だ規定がされていない限りは、地方公共団体が、条例で基本的人権につき、いかなる制限もできるというわけではない。既存の法令が何ら特別の規制をしていないということは、その基本的人権を自由に享有せしめることとする法的秩序が既に成立しているといい得る場合もあるからである。しかし、基本的人権の享有は、公共の福祉に適合するものでなければならないことは、憲法一二条、一三条の示すところであるから、これらの条項に照らして見ても、公共の福祉と相容れないことの明らかな、本条例四条二号の禁止している行為を、敢えてなし得る自由を認容する法的秩序が、既に存在するものとは到底考えられず、また、右条項に規定するような事項を既に規定していると認むべき法令も存在しない。なお、本条例四条二号の禁止している行為は、憲法でも民法でも適法な財産権の行使として保護されていないものであり、憲法、民法の保障すろ財産権の行使の埒外にあるものとすることは、多数意見のとおりであるが、そのことは、そのような財産権の行使を、公共の福祉を保持するために制限、禁止することが憲法に違反するものではないとする根拠とはなるけれども、もしそれが憲法上必らず法律をもつて規定すべきものとされている事項である場合においては、それにもかかわらず法律または法律の委任、授権による必要はないと解し得る根拠にまでなるものとは、わたくしは考えない。しかし、本条例四条二号が、憲法二九条二項の場合に該当するものでないことは前述のとおりであり、それは、憲法九四条、地方自治法二条、一四条一項、二項を根拠とする行政事務条例というべきものであるから、これがために、法律による特別の委任、授権の必要はないものと解するのである。
それ故、本条例は、憲法二九条二項に違反して条例をもつては規定し得ない事項を規定したものではなく、憲法上適法に制定されたものであつて、これと異なる判断をした原判決は、憲法の右条項の解を誤つた違法があるといわなければならない。
二 憲法二九条三項の公共のために用いるというのは、いわゆる公用徴収や、公用使用の場合のみでなく、広く社会公共の利益のために、私人の財産権を利用(剥奪、制限、使用を含む)する場合をいうものと解する。そして、これに対して、同条項は、正当な補償をすることを規定しているが、それは、社会公共の利益のために個人の財産権が犠牲となることは、社会全体が、その個人の財産上の犠牲において利益を享受するのであるから、社会全体が、その個人の損失を償うことが、社会正義の要請に合するとの考え方に立つものと思う。このように、憲法二九条は、一方に私有財産の不可侵を定めるとともに、公益のため私益を犠牲に供した場合は、これに正当な補償を与えることにより、公益と私益との調節を図り、もつて社会正義の実現を図つているのであつて、されはこそ、特に「正当な補償」といい、それは具体的事情を綜合考察して、社会正義の観点から正当と認められる範囲、程度の補償を意味し、必ずしも損失全額を補償しなければならないとしたものではなく、また、その法意は、もし財産権の制限が、その財産権を有する者は何人も、互にその制限に従うべきことが、社会公共の秩序、安全を維持するため、当然の社会的責務と解される程度のものである場合、その他社会正義の要請から見て、正当の補償に値するものが見出せないと認めるにつき充分合理的な理由が存する場合には、立法政策上の問題は別として、補償すべき憲法上の必要はないとする趣旨をも包含すると解するのである。そして、本条例四条二号の場合は、まさにそのような場合に該当するのであつて、これに対しては、憲法二九条三項の損失補償は必要ないものと解すること、多数意見とその結論を同じくする。
ただ、わたくしは、右補償をする必要がないというのは、本条例の施行後の制限については妥当と思うが、本条例施行前から引きつづき、ため池の堤とうを耕作していた者が、施行の時以後耕作を禁止されたがため、従前の竹木、茶の木その他の農作物の除去、廃棄を余儀なくされた場合、または植栽しようとして苗木を現実に用意していたのに、これが廃棄を余儀なくされた場合等には、これによつて生じた損失まで、ね全然補償しないでよいと解することについては疑問があるる。或いは、本条例四条二号は、本条例施行後の同条項所定の行為にのみを禁止する規定のごとくに見えないこともないが、仮に同条項かそのようなものであるとしても、従前よりの竹木、茶の木その他の農作物の植裁の状態をそのまま継続してゆことは、本条例の趣旨から見て、結局四条一号または三号に該当することとなり、その除去、廃棄は免れ得ないこととなるのではあるまいか。本条例四条により禁止された行為は、公共の福祉のため已むを得ないものであり、財産権を有する者にとつては、互に受忍すべき責務であること、多数意見のとおりであるが、それは、条例により明確にそのような法的秩序が定められてはじめていい得ることであつて、未だ何らこれを制限する規定の設けられていない間は、それらの行為は、一応は、自由に放任されていたものに外ならない。従つて、わたくしは、木条例施行前からの従前の竹木、農作物の除去、廃棄を余儀なくされた者のあるときには、更に具体的にその事情を考えてみて、従前は法的に放任されていたそれらの行為が、条例の規定を待たず、明らかに反社会的であり、権利の濫用に当ると認められる充分の理由のある場合でない限りは、これによつて生じた損矢は、憲法二九条三項によつて正当な補償をしなければならないものではないかと思うのてある。
尤も、かように論じたからといつて、それは、補償を要する場合に補償をしないことが違憲というのであつて、その一事によつて、本条例四条が直ちに違憲、無効となるものとは考えない。補償をなすべき場合に補償することなく、財産権を制限する規定を設けた場合、その規定の内容の如何によつては、その規定自体を違憲、無効としなければならないこともあるであろうが、本条例についていえば、四条の規定自体は、その趣旨に徴し、適法に設けられたものであつて、補償の規定を欠くからといつて、これを違憲、無効というべきではないと考える。そして、わたくしは、この場合には、補償の必要を主張する当事者は、直接に憲法二九条三項に基づいて、正当な補償を請求し得るものと解する。或いは、法律または条例で損失補償を定めていないときは、これを請求し得ないと説く者もあるが、わたくしは、憲法上補償を必要とする場合は、法律または条例でこれを定めておくことが当然であると思うけれども、もしこれを欠いた場合には、直接に憲法二九条三項に基づいて補償を請求し得べきであり、裁判所に出訴した場合は、裁判所は、何が正当な補償に当るかを審理、判断すべきであつて、かように解することが、基本的人権の保障を定めた憲法の精神に適合する所以てあると思うのである。裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。
一、本条例罰則の解釈本件唐古池のある大和盆地とその周辺地方は水原に乏しいため、古来、雨水や貧弱な川水を貯える溜池が多く、これが最後の頼みの灌漑用水を確保していることは公知の事実である。かような池が多いことからため池の破損決壊による不特定多数人の被害を防止する目的で本条例が制定されたものと解される。
本条例で犯罪として禁止される行為は「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」(本条例四条二号)及び同条一号の行為を含む「ため池の破損、決かいの原因となる行為」(同条三号)である。
ここに「破損、決かいの原因となる行為」とは、長雨、豪雨、地震、その他の出来事が加わるにおいては、ため池の破損、決かいを惹起する虞(抽象的危険)のある行為をいう。かような虞のない程度、状態において堤とうに些少の農作物(例、二、三本の小蕪、)を植える如きはこれに含まれない。また、ため池の破損の虞のない状態で、ため池の使用上必要な、排水ポンプ小屋、水害警戒警報小屋、救命ボート小屋を堤とうに設ける如きもこれに含まれないであろう。ため池の堤とうに茶が八、九十年来栽培されていて、これがため、今日まで池が破損、決かいしそうになつたことがなかつた、というような場合には、かような茶に関する限り、本条例施行後にもこれを栽培し続けても、それは木条例上犯罪とはならないのではないか、と私は思う。
二、地方公共団休の罰則付条例制定権この点の私見は多数意見と異なるが結論は同様である。-憲法は、何人も国会制定法律によらなければ刑罰を料せられないことの原則をかかげる(三一条)一方、行政権による刑罰法令の制定を厳格に制約し「内閣は左の事務を行う、」「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」(憲法七三条六号)とし、これを受けて国家行政組織法一二条も「各大巨は……法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基いて命令(総理府令又は省令)を発することができる。」(一項)、右「命令には、法律の委任がなけれは、罰則を設け、又は義務を課し若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。」(四項)と規定する。
すなわち、政令は憲法なり特定の法律なりを実施するために制定される従属的なもので、その罰則は当該特定法律の特別委任がある場合のほか設けることがてきないのを原則とし、命令(総理府令又は省令)も法律若しくは政令を実施するため、又は、法律若しくは政令の特別委任に基づいてのみ発することができ、それには法律の委任がなければ罰則を設け、義務を課し国民の権利を制限する規定を設けることができないのである。
ところが、憲法九四条は、「地方公共団体は、……法律の範囲内で条例を制定することがてきる。」とし、行政権による刑罰法令の制定の場合のような厳格な制限を加えす、単に「法律の範囲内で」ありさえすれば条例を制定できるものとする。ここにいう条例にはその罰則規定を除外した趣旨の(右憲法七三条六号但書のような)規定はなく、憲法九四条からも同三一条適正手続の規定からもその趣旨はて来ない。けだし条例は政令、命令と異なり公選による議会の公開弁論に基づいて民主的に制定されるものであるから、それは「法律の範囲内で」ありさえすればよいというのが憲法の精神だと解される。このことは、憲伝が、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団休の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」(九五条)というほど、地方公共団体の総意を重く見ていることからも窺うことがてきる。憲法は、それほど、地方公共団体が、万事国会依存でなく、民主的独立自治の精神に基づき、自らの手で自らのために自らを治めることを期待するのである。では、憲法九四条のいう「法律の範囲内で」とは何か。国会制定法律(又はこれに基づく前記命令)が犯罪とする行為(例、軽犯罪法所定の犯罪)を条例で罪とならないものとし、法律に基づく法定刑を条例で重い若しくは軽い刑に変更する如きを含まない(これは違憲である)。が、法律(又は右命令)が軽い反法行為若しくは一地方的事情によるものとみて放任する行為の如きを条例で処罰する如きは「法律の範囲内で」あるといえる。
とにかく、地方自治法条二項、三項所定の普通地方公共団体の百般の事務について同法一四条一項、二項、五項は普通地方公共団体が条例で所定の罰則規定を制定する権限を認めている。が、この権限を認めた右地方自治法の規定(特に二条三項各号はおよその例示にすぎない)は、普通地方公共団体の条例制定権を行政権による罰則命令制定権ほどには強く制限していない、この規定は条例えの委任規定というよりは、広汎な「法律の範囲」を定めた規定だと思う。三、憲法二九条に違反するか。1 木条例は憲法二九条二項にいう財産権の内容を定めたもの 本条例を私が冒頭一に述べたように解すべきものとしても、また、本条例は別段堤とうを奈良県若しくは第三者が占有、使用すべきものと定めていないものであつても、憲法のいう財産権の概念には、私法上のため池の所有権、使用権を持つ者が池の堤とう部分に竹木若しくは農作物を植え又は工作物を設置することはまさに堤とうの使用そのものに外ならないという観念が含まれていると思われる。とすれば、本条例は池の堤とう部分の使用を厳禁する限りにおいて彼らの財産権の内容部分を削限するものであることは間違いない。2 木条例は堤とうを公共のために用いるものかおよそ人が或る物を使用、收益、処分する権能は、その物の性質、状態如何によつて、おのずから差異なきをえない。人(権利者本人や他人)若しくは物に損害を与える虞の多い物(危険物)の所有者、使用権者らはこれを損害を与えないように占有、便用、収益、処分すべき社会的責任を有するというのが人間社会の条理であり法である。そのためには当然物の所有者らは或る程度の不利益を忍ばねばならない。この責任とこれを果たすための不利益は初から危険物の所有権に内在するといつてよい。これは「私有財産を正当な補償の下に公共のために用いる」(憲法二九条三項)ことや、「財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律て定める」(同条二項)ことよりも以前の問題である。例えば、夜間公道上では、自動車の使用者は車体後部に赤色に燈をつけなければ自動車を運転することができない、という規定によつて、使用者は確かに使用を一部禁止されるけれども、これは他人の自動車、生命、身体ないし一般の交通等に害を与えないとともに、自己の車が追突されたり自己の生命身体が害されたりする危険の予防でもあり全休として危険物運転者が当然忍ばねばならない財産権の制限であるのと同様である。一万三千余の溜池があるという特殊事情下の奈良県で県議会が溜池を一種の危険物とみたのなら、あえてこれを誤とはいえないであろう。
本条例の「ため池の破損決かいの原因となる虞のある行為」を禁止する規定によつて池の下流地域住民はその身体産が池の破損、決かい等によつて損害を蒙る虞はなくなる。と同時に、これによつて、池の所有者らは自己の権利の客体である溜池が破損決かいし更には池水が利用できなくなるという、彼の欲しない出来事による直接間接の損害を免かれうる利益を持つ。かように考えてくると、「法律の範囲内に属する」本条例の罰則規定は、「ため池の堤とう使用権を制約する趣旨を含むが公共の福祉に適合するように財産権の内容を定めたものである」ということもでき、また、「本条例で禁止する行為は憲法上権利の濫用である」ということもできようが、私は、本条例によるに溜池の堤とう部分の使用の一部禁制は危険物を目的物とする財産権が条理上当然受けるべき内容制限(その所有者本人にとつても結局不利益とのみいえない)であるから、初より憲法二九条三墳の「公共のために用いる」「補償」をなすべき場合に当らない、と考える。

+補足意見
裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。
私有財産権を剥奪又は制限するには、法律の根拠を必要とするものであることは、憲法二九条の解釈上疑いを容れないところである。けだし、同条一項において財産権はこれを侵してはならないと規定しながら、二項において公共の福祉に適合するように財産権の内容を規制する場台には、法律を以つて定めけなればたらないとし、そして同条三項は公共のため財産権を剥奪する等の財産権制限の最大の場合を規定しているのであるから、当然それらの事項は法律で規定すべきことを前提とするものと解すべきであるからである。従つて、財産権の剥奪又は制限をするには法律又は法律の委任に基づく命令によることを要するものと解すべきてある。(民法二〇六条の所有者は「法令の制限内」において自由にその所有物の使用、収益及び処分を為す権利を有するとの規定の趣旨も、法律又は法律の委任による命令の制限内においてと解すべきものである。固より、民法の右条文により一般的に法律以外の法令により所有権の剥奪又は制限をなし得ることを委任したものと解すべきではない。)
そして、地方公共団体が条例を以つて財産権の剥奪又は制限をなさんとする場合においても、必ず法律の委任に基づかないでは、これをなし得ないものと解すべきである。けだし、条例を法律と同視すべからざるは勿論であるが、憲法九四条は地方公共団体は「法律の範囲内」で条例を制定することがてきる旨規定しているのであつて、前述の如く、憲法二九条によつて財産権の剥奪又は制限をするには必ず法律によるべきものとされている以上、これらの事項は既に法律によつて占領されているいわゆる法律事項であつて、条例によつて直接定め得る余地のないものと言わなければならないからである。従つて、法律の委任に基づかないで、条例により直接財産権の剥奪又は制限をなし得ないものと解すべきである。
そして、地方公共団体は、地方自冶法二条二項及び三項一号により、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」を、また、同八号により「防災を行うこと」をその事務として処理すべきものとされ、同一四条一項により、これらの事務に関し条例を制定することができる旨規定されているのであるが、右各規定か直ちに右事務の処理のため必要であれば、一般的に私有財産権を剥奪又は制限をなし得ることまで条例に委任しているものとは到底解することはできない。このことは、同法二条三項一八号、一九号等により、私有財産権の制限、私有財産の使用又は収用をするには必ず「法律の定めるところ」によるべきことを定めていることと対比しても容易に肯認できるところである。
しかし、本件奈良県条例三八号(昭和二九年九月二四日公布)「ため池の保全に関する条例」四条二号において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」を禁止し、同九条において右禁止規定に違反した者を処罰することとした所以のものは、これらの行為が、ため池の破損、決かいの原因となる行為であるが故に外ならない。このことは、右四条三号が「前各号に掲げるものの外、ため池の破損又は決かいの原因となる行為」と規定し、前記二号の行為がその一例示である趣旨を定めていることからも明白である。(竹木、農作物等の植栽がこれらの毛根の腐蝕に因つて、ため池の破損、決かいを招く原因となるものであるか否かは、立法者の判断によつて決せらるべき立法政策に属する事項であつて、裁判所が容啄すべき事項でない。)そして、ため池の破損、決かいは当該地方に多大の災害を入ぼし、公共の秩序、住民の安全、福祉を害すること甚大であることは言う言までないところであるから、かかる行為は、仮令ため池の堤とうの所有者と雖も到底許さるべき適法な権利の行使とは言えず、明らかに権利濫用に属するものと断ぜざるを得ない。従つて、かかる行為を禁止、処罰することは本来適法な財産権の行使を公共の福祉のために制限するというのではなく、実に公衆に多大の危害を及ぼすべき権利濫用行為の禁止に外ならないのである。権利の濫用は憲法の保障するところでないことは、同法条でも明白であり、従つて、同法二九条の保障するところでもない。また、民法一条によつても財産権の濫用は許されないところである。
故に、本件ため池の破損、決かいの原因となる行為は、憲法ても、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外にあるものというべく、従つて、地方自治法二条二項の事務を処理するため、これらの行為を条例を以つて禁止、処罰しても憲法及び法律に牴触又はこれを逸脱するものではなく、むしろ法律の範囲内の条例であるということができる。よつて、地方公共団体がこれらの行為を禁止することは、特に法律の委任がなくとも、条例によつて、これをなし得るものと解すべきであり、また、かかる権利盗濫行為を禁止したからといつて補償をしなければならないものではない。また、右禁止規定に違反した者を処罰する条項は地方自治法一四条五項により委任された罰則規定であつて固より違憲ではない。
以上の理由により本件条例四条二号及び九条の規定は違憲ということはできない。従つて、右条例の規定が本件堤とうに所有権その他の権利を有し、これに基づいて堤とうを使用し堤とうに植栽する者に対してはその効力は及ばないとして被告人らに無罪を言い渡した原判決は破棄を免れない。

+少数意見
裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。
憲法二九条二項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定する。そして、右規定にいわゆる財産権の内容を定めるとは、既存の財産権について将来新たに制約を加えることをも包含する趣旨であることは疑いを容れないところであるが、「法律で定める」の法律とは形式的な意義の法律に限る趣旨か否か、すなわち、命令、規則、条例等も包含する趣旨か否かは問題の存するところである。しかし、憲法の右規定は、私有財産制度の下において、極めて重要な意義を有する財産権不可侵の原則を宣言する第一項の規定を承けていることにかんがみると、公共の福祉のためとはいえ、財産権の内容に対する右制約の許容については、できる限り厳格に解することを必要とするものと考える。故に、右にいわゆる法律とは国家の制定した法律を指し、憲法は財産権の内容は、原則として民法その他の国の法律によつて、統一的に規制しようとする趣旨であると解せられる。
ただ事柄によつては、その規制の具体的内容の一切を直接法律を以て定めることは実情に副わない不適当な場合のあり得ることも明らかであるから、かかる場合の特別の事項については、法律がその特定事項に関する規制を命令、規則又は条例に委任することは、憲法もこれを許容する趣旨であると解するを相当とする。従つて財産権の規制に関し地方公共団体の制定すろ条例についても、法律の特定事項に関する委任に基づくもののみが国の制定法律に準じ得るに過ぎないものと解すべきである。(とくに所有権行使の自由の制限については、旧憲法下においてさえ、民法二〇六条の「所有権ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ有ス」との規定中の「法令」につき、法律及び法律に基づく命令に限るとの有力な見解があつたことを考え合わすべきである。)たとえば、地方における公害を除却又は軽減する必要上、地先海面においてのみならず、その海面に接続する私有地に対しても土砂の採取を禁止するため、地方公共団体による条例の制定を相当とする場合に、法律がその特定事項につき規定を設けることを条例に委任するが如きはこれにあたるてあろう。
もつとも、憲法九四条は地方公共団体に対して条例制定権を認めてはいるが、右規定からも明らかなように、それは法律の下に法律の認める範囲内においてのみ認められているにすぎないものであつて、条例はその効力において法律に劣り、法律に違反するを得ないものであることは、いうをまたないところである。従つて、憲法が法律で定めることにしている私有財産権の内容の規制はとくに法律の授権ある場合の外条例を以ては許されないものといわなければならない。
また、地方自治法一四一項は、普通地方公共団体が令に違反しない限りにおいて同法二条二項所定の行政事務等の事務に関し条例を制定することができる旨規定しているか、前述のとおり憲法がとくに法律で定めることにしている私有財産権の内容の規制は、右にいわゆる地方公共団体の行政事務に属さず、その権能の中に含まれていないものと解すべきであるから、とくに法律の授権ある場合の外、右規定を根拠として条例を以て右規制をすることができるものと解すべきではちい(おな同法二条三頂二号の溜池、堤防等の設置、管理、使用権の規制に関する規定は、地方公共団休に管理権のない本件の如き私有の溜池に適用のないことは解釈上疑いがない。)、このことは同法二条三項一八号及び一九号において一定の目的のためにする公用制限又は公用徴収につきとくに「法律の定めるところにより」と規定していることから見ても、容易に理解し得るところであろう。同項一号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」及び同項八号の「……防災……を行うこと」との規定も同条二項の普通地方公共団体の処理すべき事務の各例示に過ぎないものであつて、その事務を行う場合に、とくに法律の授権をまつことなく私有地の公用制限又は公用徴収をすることができるかどうかとは全く関係のない規定である。このことは、前記一八号及び一九号の各規定と比照して明らかであるのみならず、本件当時施行されていた同法一六〇条によれば、非常災害のため必要があるときは、市町村長は、他人の土地、物品を使用又は収用することができること及び市町村はその損失の全額ま補償しなければならない旨規定されており、また建築基準法(昭和二五年法律二〇一号)三九条は、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域ま災害区域として指定すること及び右区域内における災害防止上必要な建築制限、禁止について、地方公共団体の条例で定めるとしているのであつて、これらの規定からみても、憲法二九条の解釈上、防災等のためにする所有権の公用制限又は公用徴収については原則として直接法律を以て規定することを要し、条例等の他の法規範による規律は、法律の特別の授権ある場合にのみ許容されるものであることを伺うに十分である。すなわち、前記地方自治法二条二項、三項一号、八号の例示規定を以て、地方公共団体が条例で私有財産権しを規制し得る手がかりとなすを得ないことは極めて明らかである。
ところで、人件奈良県「ため池の保全に関する条例」四条は、その二号において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」を禁止し、九条において「第四条の規定に違反した者は三万円以下の罰金に処する」旨規定している。右規定は、堤とう地の所有権の行使を全画的に禁止しているものであつて、実質は所有権の剥奪に等しい制約を加えているのである。(本件のような目的、規制のためには土地収用法等によつて県はあらかじめ本件土地につき管理権限を取得することが必要であるとの趣旨に帰する原判決傍論は考慮に値いする。)そして、右禁止規定がため池の何人の所有に属するを問わず等しく適用される趣旨であることは、右条例三条において、国又は地方公共団休が管理するため池については、特に五条から八条までの規定を適用しない旨規定しているに拘らず、四条については何等の除外規定を設けなかつたことからも明らかである。しかして、右条例の意図するところが、ため池の破損決かい等に因る災害を未然に防止するためであることは一条の明定するところであるが、たとえ災害防止の要請であるからといつても、所有権の行使を禁止することの合理性は、法律を以て規制するための根拠となり得るに止まるものであつて、法律の根拠に基づかない条例を以てすることは許されないものであること上来説明したとおりである。されば、本条例四条二号及び九条は本件の如き県が管理ないし使用権を持たない私有の堤とう地(本件堤とう地が大字居住農家の共有ないし総有と見るべきもので被告人等の右堤とう地の使用は右土地に対する所有権の行使によるものであることは、第一、二審判決の認定、確定するところである。)に適用される限りにおいて憲法二九条二項及び三一条に違反し無効であると解するを相当とし、被告人等の行為につき前記条例の規定を適用処断することは、許されない筋合である。原判決の判断は結局において正当であり、本件上告は棄却すべきものと思料する。

+少数意見
裁判官山田作之助の少数意見は左のとおりである。
わたくしは、本件て問題となつているため池に関する奈良県の条例が、財産権の保障を規定している憲法二九条に抵しよくするところがあり、違憲であるとした原判決を是認するもので、その理由を次のように述べる。
一、現行憲法が、私有財産制度につき規定するところは、明冶憲法と異なり、高度にその不可侵性を補償しているのであつて、まず、憲法二九条一項において、「財産権は、これを侵してはならない」と宣言し、裁判所に違憲立法審査権を与えている同法八一条の規定とあいまつて、国家権力(立法権を含む)をもつてしても、財産権はこれを侵すことができないことを保障しているのである。もとより、憲法は、二九条二項をもつて「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに法律でこれを定める」と規定しており、従つて、新たに財産権の内容を定める場合は勿論既に認められている財産権の内容を制限または変更するには、必ず法律をもつてなさるべく、かつ、それも公共の福祉に適合するようになされなくてはならぬことが、憲法上明文をもつて要求されているものといわなくてはならない。しかしながら、同条一項との関係上、如何に公共の要求があつても、また勿論法律をもつてしても、財産権をその本質的内容において侵害するようなことは(たとえば、権利を剥奪し、またはその効力を全面的に否定するようなことは)、私有財産制が認められていること自体並びに前示二九条一項の明文および憲法全体よりするこの規定精神付よりして許されていないものと解するべきである。
二、かように、法律をもつてしても、私有財産をその本質的内容において侵害することは許されないとされているところから、公共のために、強いて私有財産権の内容またはその作用を、その本質を侵す程度において制限するか、財産権自体をとりあげて使用する必要が生じた場合には、憲法は、必ず法律をもつて、かつ相当の補償を条件として、その法律の定めるところに従いこれをなすことを要するものとしているのである。同条三項が「私有財産は、正当な補償の下に、これを」公共のために用ひることができる」と定めているのは、この趣旨を明らかにしているにほかならない。されば、当該の財産権につき一律に制限を加え、またはその内容を定める場合には、前述のように法律をもつてすれば、これをなしうるも、特定の人又は比較的限局された少数範囲の人に対して、その有する財産権をその本質的内容において制限し、その効用を失わしめる如き、負担、制限を加える必要が生じた場合には、本条項に基づき、必ず法律の下においてのみ、しかも相当の補償を条件としてはじめてなしうるところである。一地方公共団体かその制定する単なる条例をもつて、私有財産権につき制限をなすとか、ことに限局された少数特定の人の有する私有産につきその効用を制限(しかも本質的全面的に使用を禁止する程度に)するが如きは、憲法上とうてい許されていなものといわなくてはならない。
三、ひるがえつて、本件事案をみるに、一審ならびに原審が認めたところによれば、本件ため池は、奈良県磯城郡a町大字bに所在し通称唐古池ととなえられ、その外堤とう敷地のみにても六反四畝二八歩もあり、池の受益面積三〇町歩余に及ぶという大池(その掘さくの起原は不詳なるも五百年前に既に存在していた池であることが記録上うかがわれる)、前示大字b居住農家の共有又は総有に属し、前示周囲の堤とう地六反四畝二八歩は、右唐古居住者約二七名において、父祖の代より引続いて竹、果樹(桃、柿)、茶の木、その他の農作物を栽培しているものであること、本件被告人等の右栽培面積は、被告人Cにつき内一反一畝二歩、同Dにつき内七畝二二歩、同Eにつき内二五歩であることが認められる。(なお、記録によると、この堤とう上の耕件の慣行は、遠い昔いつのほどにか部落民によつて認められ、その耕作権は、部落民間における売買、譲渡も許され、各耕作権者は、その使用面積の広狭に応じ額を異にする年貢を部落、その代表者としての総代に納めているもので、被告人Fの場合その年貢は年五、六百円、その耕作地より昭和二九年度、柿、茶第より年額五、六万円の収入がありたること等がうかがわれる)
四、しかして、本件条例(昭和二九年九月二四日公布、奈良県条例三八号、「ため池の保全に関する条例」)は、その四条において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため止の保全上必要な工作物を除く。)を設置する行為をしてはならない」旨を規定し、九条において「第四条の規定に違反した者は三万円以下の罰金に処する」と定めているのである。従つて、この規定が被告人等に適用されれば、いずれも本件条例制定以前父祖の代よりの本件堤とう地につき有する前示耕作権(一種の永小作権ともいうべきか)を剥奪されることになり、また、父祖の代より茶畑、果樹園として植裁している茶の木、柿の木等も除去廃止を余儀なくされ、これまつたく無補償の没収と同様の制限を刑事制裁の強制の下に受けることとなるのであつて、その許されないことは、前各項において説示したところから、おのずから明らかであろう。原審が本件条例を憲法二九条に抵しよくする違憲のものとしたのは、結論において相当であるといわなくてはならない。
五、また、地方公共団体の制定する条例は、法律の外にあつて法律と並んで存在を許される法規ではない。あくまで法律の下にあつて法律の範囲内で存在を許されているにすぎないものである。このことは、憲法九四条に「地方公共団体は、……法律の範囲内で条例を制定することがてきる」と規定しているところよりするも明らかである。そして既に述べたように私有財産権の内容を定める(新たな設定のほか、既存のものに対するその内容、またはその作用の制限を含むこと、前示のとおり)には、憲法二九条二項の明文によりあくまで法律に基づくべきであるとされている以上、私有財産権の設定、制限は、条例でこれを規律しうる範囲外のこととしなくてはならない。しかるに、本件条例は、直接的には新たに私有財産権の内容を定める目的で立法されたものてはないとするも、その規定の内容自体、被告人等が前示の如く先祖の代より有する本件耕作権の行使を全面的に否定することを結果するものであつて、その実体においては、特定人の私有財産権を剥奪するに等しく、正に法律のみに留保された規律事項を侵犯するものであつて、本件条例につき特定法律による授権規定のみるべきものの存しない以上、その違憲無効であることは、かかる観点からも明らかである。
六、なお、多数意見につき一言するに、
(一) 多数意見も「本件条例四条二号は、ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とらを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものといわなくてはならない」ことを認めているのである。にも拘らず、なお、かくの如き私有財産権(しかも一部少数特定人の有する本件永小作権類似の耕作権)につき、その全面的使用禁止の制限をするに、法律をもつてすることを要せず、条例でなしうろ理由として、それはため池決壊より生ずる災害を禾然に防止するという社会生活上の已むをえない必要からくることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである、かくの如き権利の行使は、もはや憲法の保障する財産権行使の埒外にあり保護に値しないものとし、権利の内在性本質論にその根拠を求めているように察せられる。
しかし、憲法が、特に、二九条二項において、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」と規定している所以のものは、財産権においても、すべての権利に通じて然るが如く、その社会的作用の変遷にともなつて、また公共の福祉の要請にもとづき、その内容作用に制約が加えられることがありうべきものなることを明らかにすると共に、同時に、右変遷、要請に従い財産権の内容、行使の作用を定め、または、これを制限するには、必ず法律をもつてすべきことを、憲法上の要請として明文をもつて規定していることに意義があるものといわなくてはならない。されば、権利には、すべて社会的要請に応じ、または公共の福祉のためにその内容の変化をきたし、あろいは、制限を受くべき本質的内在性があるからとして、これを理由に、ある場合には、法律の規定によらずして、地方公共団体の作る条例をもつて財産権の規制をなしうると解するのは、論理の飛躍があり、とうてい首肯することはできない、また、憲法二九条二項の明文に反するものといわなくてはならない。
(二) また、本件の如き、多年の慣行による永小作権類似の耕作権か設定せられている土地の所有権は、土地所有者にとつて殆んど何等の権能ない空の所権となるのであるから、この点において土地所有者たる多数の部落民と、そのうちの数人の耕作権を有する被告人等とは利害と異にするものであり、他の土地共有者たる部落民が一致して本件条例を支持しているからといつて被告人等に権利濫用ありとすることはできない。
(三) また、事実問題から考えてみても、所謂ため池のうちには、平野地域において、しばしばみられるように、平坦な土地の一部を掘さくして作られているものがあり、このようなため池の場合においては、その所謂堤とうなるものの多くは、堤とうにつづく田畑と、殆どその土地の高さを等しくするものが多く、従つて、堤とうそのものが決壊するが如き危険の考えられないものもあるのであつて、本件においても、原審認定の事実のみによつても、堤とう敷地といわれる部分の面積が、六反四畝二八歩もあり、父祖の代より茶の木、柿の木等を植えて現在におよぶというのであるから、その地目が堤とうであるからといつて、ただちに決壊のおそれがあるものとし、その事実を前提として議論することは許されないものと解する。(なお、記録添付の現状の写真によれば、本件唐古池は平坦な土地に掘さくされた池で、その堤とうとこれにつづく畑との間には殆んど土地の高低の差はみられず、所謂堤とうの部分も、水ぎわまで耕されている立派な茶畑等の耕地であることが認められるのみならず、記録によれば、唐古池の堤とうは、いまだかつて決壊したような事跡がないことがうかがわれるのである)だから、ため池の堤とう上の耕作権は、権利の濫用もしくは公共の福祉上保護に値しない権利だとして、被告人等が父祖の代より伝えられ、父祖の代より平穏公然に年貢を支払つて耕作しつづけている永小作権類似の本件耕作権を目して、保護に値しない不法の耕作権であるかのように取扱い、かかるものについては、法律によらず条例で、しかも無補償で耕作を禁止してもよいとなすことの許されざることは、いうまでもないと考える。
されば、以上の諸理由により、原判決が本件条例に違憲があるとしたのは正当であり、違憲でないことを理由とする本件上告は棄却されるのを相当とする。

+少数意見
上告趣意第一点についての裁判官横田正俊の少数意見は次のとおりである。
(一) 憲法二九条二項は、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める旨を規定しているが、右の法律で定めるとは、財産権内容は、国民の多くの意思に基づき、国民全体に対しできうるかぎり統一的かつ無差別なものとして定立されることがましいので、その内容を定める法的規範は、その制定の手続において右趣旨に最もよく適合し、その効力において最も普遍的かつ強力な法律、すなわち国会制定法にこれをかぎる旨を規定したものと解される。
もつとも、財産権の内容を定めるについても、これを地方の実情に即したものとするため、現に法律において慣習に従う旨を規定している場合もみられるように(たとえば、入会権に関する民法二六三条、二九四条、所有権の制限に関する民法二一七条、二一九条二項、二二八条、二三六条など)、法律自体で直接にこれを規定せず、他の法的規範にその決定、ことに財産権の内容の制限に関する定めを委ねることを相当とする場合も考えられるのであつて、憲法二九条二項は、このような場合に、法律の特別の委任に基づき他の法的規範がこれらの定めをすることまで禁止しているものではないと解される。この関係を民法の若干の規定についてみるならば、民法は、財産権のうち物権については、一七五条において、物権は本法その他の法律に定めるもののほか創設しえないことを明らかにするとともに、物権の大宗たる所有権については、二〇六条において、所有者は、法令の制限内において、自由に、その所有物の使用、収益及び処分を為す権利を有する旨を規定しているが、右にいう「法令」とは、法律及びその特例の委任に基づき制定された他の法的規範を指すものと解され、さらに、九一条において、法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関せぎる規定(いわゆる任意規定)に異なつた意思を表示したときは、その意思に従う旨を規定することにより、法律行為により生ずる財産権、ことに債権の内容は、第一義的には当事者の意思(慣習も関係する)、第二義的には任意規定により決せられるものとする反面、その内容が法令中の公の秩序に関する規定(いわゆる強行規定)に反する場合には、その効力が否定されることを明らかにしているが、右にいう「法令」もまた、法律及びその特別の委任に基づいて制定された他の法的規範の意であると解される。以上のごとく、公共の福祉に適合するように、財産権の内容を積極的に定める場合においても、その内容に対し各種の政策的考慮に基づく制限を定める場合においても、それらの定めは、すべて、法律自体によるか、法律の特別の委任に基づいて制定された他の法的規範によつてなされることを要するものとするのが、憲法二九条、二項の法意である。(二)これを、条例との関係についてみるならば、憲法九四条は、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理するほか、行政を執行する権限を有し、かつ、法律の範囲内で、条例を制定することができる旨を明らかにし、また、地方自冶法も、二条三項において、地方公共団体は、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること、その他同項各号掲記の事務を処理することを明らかにするとともに、同一四条において、法令に違反しないかぎりにおいて、右軍務に関し条例を制定することができる(法令に特別の定めがあるものを除くほか、条例中に違反者に対する罰則を設けることもできる)旨を規定しており、これらの規定によれば、新憲法下、地方自治尊重の建前から、地方公共団休の自冶立法権が確立されるに至つたことは、まことに検察官所論のとおりであるが、右諸規定自体によつても明らかなように、地方公共団体による条例の制定は、法律の許す範囲にかぎられ、また、法令に違反することはできないのであつて、憲法二九条二項ならびにこれに連らなる法律の諸規定の趣旨を前述のごとく解する以上は、自治立法権を強調するのあまり、検察官所論のごとく、国が法律をもつて財産権を規制しうる事項てあれば、地方公共団体は条例をもつてこれを規制しうると断ずることをえないのはもちろん、地万自治法の諸規定又は前掲民法二〇六条等に「法令」とあるのを根拠に、財産権の内容に関し条例が規制をなすことを法律が一般的に許容し又は委任しているものと解することはとうていできないのである。要するに、財産権の内容を決定し又はその内容を制限するがごとき規制を行なうことは、専ら国に保留された事務てあつて、法律のみがよくこれをなしうるのであり、条例は、法律の明らかな委任に基づく場合のほかは、これをなしえないのである。
(三) しかしながら、ひるがえて考えるに、財産権の内容ないしその行使は、前述のごとき政策的考慮に基づく法律の規定により制限される場合があこほか、権利そのものに内在すろ制限に服するものであることを忘れてはならない。すなわち、憲法上、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民において、これを濫用してはならず、国民は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負い(一二条)、国民の権利が立法その他の国政上で最大の尊重を必要とされているのも、公共の福祉に反しないかぎりにおいてであり(一三条)、また、民法上も、私権は公共の福祉遵うものであり、権利の行使は信義に従い誠実にこれを為すことを要し、権利の濫用は許されないものとされていろ(一条)のであるから、財産権もまた、政策的考慮に基づく諸法律の規定による制約に服するほか、権利そのものに内在する右のごとき制約に服しなければならないのである。したがつて、右制約の範囲内においては、法律をもつて、形式上は財産権の内容ないしその行使と認められる行為に対しを各種の規制を行うことができるのはもちろん、同様の規制は、地方公共の秩序を維持し、住民等の安全、健康及び福祉を保持する等のため、条例をもつてもこれを行ないうるのであり、かかる条例は、上述の範囲を逸脱しないかぎり、法律の範囲内に止まるものであり、法令に違反するものではないが、右範囲を逸脱するにおいては、単に法令に違反することとなるばかりでなく、憲法二九条二項ならびに九四条に違反する護を免れないのである。所論引用の各種条例も、この観点から、その合憲法が判断されるべきである。
(四) 以上の観点から、ため池のに関する本件条例が原判示のごとく憲法に違反するものであるかどうかを考えてみるに、本件条例は、ため池の破損、決かいに因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的とし(一条)、何人たるとを問わず、四条に掲げる行為をすることを禁止し、右に違反した者を三万円以下の罰金に処すること(九条)等を定めているものであつて、地方自治法二条三項一号、八号(防災を行うこと)及び一四条により制定されたものと解されるところ、右条例の対象とするため池は、かんがい用に供する貯水池であつて、えん堤の高さが三米以上のもの又は受益農地面積が一町歩以上のもので、原則として私人、国、地方公共団体の管理する一切のものとされているところ(二条、三条)、四条掲記の禁止行為中、一号の「ため池の余水はきの溢流水の流去に障害となる行為」及び三号の「前各号に掲げるもののほか、ため池の破損、決かいの原因となる行為」のごときは、それが所有権その他の財産権の行使として行なわれたとしても、財産権に内在する前述のごとき制約にかんがみ、とうてい正当な権利の行使とは認められないから、条例によりその行為を禁止し、違反者に対し右のごとき刑罰制裁を加えることとしても、それは法律の範囲内に止まるものであつて、法令に違反しないのはもとより、前示憲法の法条に違反するものということはできない。しかしながら、同条例四条二号に掲げる禁止、すなわち、「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全に必要な工作物を除く)を設置する行為」の禁止は、その対象たる堤とうが私人の管理する一切のものにも及び、その行為が財産権の行使として行なわれる一切の場合をも含み、堤とうの面積の広狭いかんを問わず、しかもその禁止の内容が土地に対する使用、収益の権能の大部分を剥奪するに等しいものである点、ならびに堤とうを構成する土地は本来他の目的のために使用すべきではないと解すべき根拠のないこと等にかんがみ、財産権に内在する制限の範囲に止まるものとはとうてい解し難いのである。もつとも、右二号の規定は、右一号及び三号の規定との対比上、同号掲記の行為のうち堤とうの破損、決かいの原因となるもののみを対象としている趣旨と解する余地もないではないが、そうであるならば、かかる行為の禁止は、右三号の規定によれば足りるのであつて、二号の規定は全く無用のものとなる。むしろ、右二号の規定の存在理由は、一に、政策的考慮から、同号掲記の行為を、その内容のいかんを問わずすべて、ため池の破損、決かいの原因となる行為とみなして(反証を許さないで)形式的、画一的に禁止している点にあると解するほかはないのであつて、このような規制は、法律の委任に基づかずしては、条例のよくなしうるところでないこと、さきに説示したところに照し明らかである。条例制定者が、防災の冒的から本件条例を制定するに至つた意図は諒とされ、また、現地の実情に対する条例制定者の認識はできうるかぎり尊重すべきであるとしても、前記二号の規定の制定は、客観的にこれを観察すれば、いささか慎重を欠き、その内容において明らかに行き過ぎであると認められるのである。もし、防災の目的を全うするためには、前記三号の規定は抽象的に過ぎるので、竹木、農作物の植栽又は工作物の設置についてとくに規定を設ける必要があるというのであれば、これに伴い、取締のための具体的基準を定め、又は、たとえば、届出制を併せ採用し、届出のあつた行為がため他の破損、決かいの原因となると認められろときは、知事においてこれを差止めうることとするとともに、知事のこの処分に対しては不服申立の途を開くなどの立法措置を講じ、国民のささやかな営みをも不当に妨げることのないよう細心の配慮がなされるべきであつたと思われる。要するに、右のごとき格別の工夫を伴わない前記二号の規定は、ため池の堤とうたる土地が、財産権の対象であるかぎりにおいては、憲法二九条二項及び九四条に違反する無効のものと断ぜざるをえない。
しこうして、本件堤とう(その面積は、六反四畝二八歩に及ぶ)か、国又は地方公共団体の管理に服しない、完全な私的財産権の対象であることは原審の確定しているところであるから、右条例四条二号、九条の各規定は本件に関する限り憲法に違反する無効のものであるとして、被告人らの行為は罪とならないものとした原判決は、結局、正当であり、検察官の論旨は採用することをえない。
よつて、本件上告は、その余の論旨に対し判断を為すまでもなく、その理由がないことか明らがであるから、これを棄却すべきものと思料する。
検察官 村上朝一公判出席
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 垂水克己 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官池田克、裁判官河村大助、裁判官高木常七は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 横田喜三郎)

+判例(H14.7.9)宝塚市パチンコ店等条例事件
理由
1 本件は、地方公共団体である上告人の長が、宝塚市パチンコ店等、ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例(昭和58年宝塚市条例第19号。以下「本件条例」という。)8条に基づき、宝塚市内においてパチンコ店を建築しようとする被上告人に対し、その建築工事の中止命令を発したが、被上告人がこれに従わないため、上告人が被上告人に対し同工事を続行してはならない旨の裁判を求めた事案である。第1審は、本件訴えを適法なものと扱い、本件請求は理由がないと判断して、これを棄却し、原審は、この第1審判決を維持して、上告人の控訴を棄却した。
2 そこで、職権により本件訴えの適否について検討する。
行政事件を含む民事事件において裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和51年(オ)第749号同56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁参照)。国又は地方公共団体が提起した訴訟であって、財産権の主体として自己の財産上の権利利益の保護救済を求めるような場合には、法律上の争訟に当たるというべきであるが、国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的とするものであって、自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできないから、法律上の争訟として当然に裁判所の審判の対象となるものではなく、法律に特別の規定がある場合に限り、提起することが許されるものと解される。そして、行政代執行法は、行政上の義務の履行確保に関しては、別に法律で定めるものを除いては、同法の定めるところによるものと規定して(1条)、同法が行政上の義務の履行に関する一般法であることを明らかにした上で、その具体的な方法としては、同法2条の規定による代執行のみを認めている。また、行政事件訴訟法その他の法律にも、一般に国又は地方公共団体が国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟を提起することを認める特別の規定は存在しない。したがって、【要旨1】国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらず、これを認める特別の規定もないから、不適法というべきである。
【要旨2】本件訴えは、地方公共団体である上告人が本件条例8条に基づく行政上の義務の履行を求めて提起したものであり、原審が確定したところによると、当該義務が上告人の財産的権利に由来するものであるという事情も認められないから、法律上の争訟に当たらず、不適法というほかはない。そうすると、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上によれば、第1審判決を取り消して、本件訴えを却下すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道 裁判官 濱田邦夫 裁判官 上田豊三)

・正当な補償

+判例(S28.12.23)農地改革事件
理由
上告人A訴訟代理人神谷健夫、同松浦松次郎、同峯田猪之助、同小林正一の上告理由(後記)第一点及び第三点について。
政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条によつて農地を買収する場合は、自創法一条に定める目的を達するために行うのであり、もとより所有者に対し憲法二九条三項の正当な補償をしなければならないことはいうをまたない。しかるに自創法六条三項によれば、農地買収計画による対価は、田についてはその賃貸価格の四〇倍、畑についてはその賃貸価格の四八倍を越えてはならないという趣旨が定められている(以下この最高価格を買収対価又は単に対価という)。よつて自創法の定めるこの対価が憲法二九条三項にいわゆる正当の補償にあたるかどうかを考えて見なければならない
一、まず憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とするけだし財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定められるのを本質とするから(憲法二九条二項)、公共の福祉を増進し又は維持するため必要ある場合は、財産権の使用収益又は処分の権利にある制限を受けることがあり、また財産権の価格についても特定の制限を受けることがあつて、その自由な取引による価格の成立を認められないこともあるからである。 
二、よつてすすんで自創法六条三項に定める対価の構成を考えて見るに、この対価基準はすでにいわゆる第一次農地改革の時期における改正農地調整法六条の二(昭和二〇年一二月二八日法律第六四号昭和二一年一月二六日農林省告示第一四号参照)に基いているのであるが、まず対価の採算方法を地主採算価格によらず自作収益価格によつたことは、農地を耕作地として維持し、耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図ろうとする、農地調整法(以下農調法という)よりいわゆる第二次農地改革において制定された自創法(昭和二一年一〇月二一日法律第四三号)に及ぶ一貫した国策に基く法の目的からいつて当然であるといわなければならない。そこでこの採算方法に従つて生産高の基準を田について算出された平均水稲反当の玄米実収高二石(昭和一五年より同一九年までの五個年平均)に置き、これを比率によつて供出分(一石一四三)と保有分(〇・八五七)に分ち、それぞれ昭和二〇年末における生産者価格(石一五〇円)と売渡価格(石七五円)とによつて金額に換算し、この金額(二三四円三六)に副収入(一四円三九)を加えた金額(二四八円七五)を反当粗収入として対価算出の基礎としたことは計算の項目において合理的であるばかりでなく、数字においてもその時期(前掲第一次農地改革)において合理的であつたといわなければならない。そしてこの計算の基礎とされた前記米価は、いわゆる公定価格(食糧管理法三条二項四条二項)であるが、このように米価を特定することは国民食糧の確保と国民経済の安定を図るためやむを得ない法律上の措置であり、その金額も当時において相当であつたと認めなければならないから、農地の買収対価を算出するにあたり、まずこの米価によつたことは正当であつて、所論のように憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないということはできない。さらに右反当粗収入の金額より反当生産費用(二一二円三七)を控除した残額(三六円三八)がすなわち耕作者としての反当純収益であるが、耕作者としては利潤を見なければならないから、これを反当生産費用の四分(八円五〇)とし、これを控除した額(二七円八八)が結局耕作者が土地を所有することによつて得る地代部分に相当する金額であることは、その算出過程においてなんら不合理を認めることはできない。この地代部分(二七円八八)を取得する元本を当時の国際利廻り三分六厘八毛により還元して算出するときは、反当相当額七五七円六〇銭となり、この金額がすなわち農地の自作収益価格に外ならない。自創法六条三項の規定は、当時の中庸田の反当標準賃貸価格(一九円〇一)をもつてこの自作収益価格を除するときは、その四〇倍弱(三九・八五)となるので一般に適合する算出基準として賃貸価格の四〇倍と定めこれを買収対価としたのである。畑の買収対価については、田の反当売買価格(七二七円)と畑の反当売買価格(四二九円)との比率(五割九分日本勧業銀行昭和一八年三月調査)を田の自作収益価格(七五七円六〇)に乗じて算出した畑の自作収益価格(四四六円九八)が、中庸畑の反当標準賃貸価格(九円三三)の四八倍弱(四七・九〇)となるので、これを田の場合と同じく一般に適合する算出基準として賃貸価格の四八倍と定めたのである。以上のとおり田と畑とに通じて対価算出の項目と数字は、いずれも客観的且つ平均的標準に立つのであつて、わが国の全土にわたり自作農を急速且つ広汎に創設する自創法の目的を達するため自創法三条の要件を具備する農地を買収し、これによつて大多数の耕作者に自作農としての地位を確立しようとするのであるから、各農地のそれぞれについて、常に変化する経済事情の下に自由な取引によつてのみ成立し得ベき価格を標準とすることは許されないと解するのを相当とする。従つて自創法が、農地買収計画において買収すベき農地の対価を、六条三項の額の範囲内においてこれを定めることとしたのは正当であつて、補償の額は少くともこの基準以内であれば足り、これを越えることを得ない最高限を示したものに外ならない。上告人所論のように、この対価基準は、買収当時の一般経済事情を考慮して、これを越えた額を定めることのできる一応の標準を示したに止まるものと解することはできない。
三、さらに前記買収対価の外に、農地所有者に対しては、その農地の面積に応じ特定の基準(田反当二二〇円畑同一三〇円)による報償金が交付される(自創法一三条三項四項)。この算出方法は、農地の所有者が自ら耕作せずこれを賃貸して小作料を収益する場合に考えられる価格であつて、まず田については前記反当二石の基準小作料は普通田の小作料基準(三割九分)により七斗八升となるのであるが、小作料はすでに現物によらず金納となつているから(改正農調法九条の二)、これを地主価格の石当米価(五五円)により換算するときは四二円九〇銭となり、これより地主の負担すべき反当土地負担六円八九銭(昭和一八年三月日本勧業銀行調査普通出反当土地負担に昭和一九年地租増加額を加算)を減じた額(三六円〇一)が地主の純収益である。これを前記買収対価の場合と同じく国債利廻りにより還元した金額(九七八円五三)がすなわち地主採算価格であつて、これと前記田の自作収益価格(七五七円六〇)との差額(二二〇円九三)が報償金(端数切捨)の金額である。畑については、前記買収対価の場合と同じく田との比率により算出した地主採算価格(五七七円三三)と畑の自作収益価格(四四六円九八)との差額(一三〇円三五)が畑の報償金(端数切捨)である。すなわち報償金によつて地主採算価格の面よりする合理的補償も考慮されているのであつて、その算出の項目と数字がいずれも客観的且つ平均的標準でなければならないことは買収対価について述べたとおりである(二末段参照)。このように、前記買収対価の外に、地主としての収益に基き合理的に算出された報償金をも交付されるのであるから、買収農地の所有者に対する補償が不当であるという理由を認めることはできない。
四、さらにすすんで前記自創法六条三項の買収対価は改正農調法六条の二(昭和二一年農林省告示第一四号参照)に基くものであつて、その後の経済事情の変動にかかわらずそのまま据え置かれ、本件上告人の畑について買収令書が交付された昭和二二年一一月二五日においても変更がなかつたのであるが、上告論旨はこの点に関し、ある時期に正当な補償たるに十分な価格といえども、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるに足りないことがあり得るのであつて、専ら買収処分当時における経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものであると主張するから、この点について考えて見るに
(一)およそ農地のごとくその数量が自然的に制約され、生産によつて供給を増加することの困難なものは、価格の成立についても一般商品と異なるところがあり、収益から考えられる価格も、土地の面積は本来限定されているから、生産に自から限度があるばかりでなく一般物価が高くなつても生産費がこれと共に高くなれば、収益は必しもこれに伴うものでなく、従つて収益に基く価格は物価と平行するとはいえないのである。また農地の性質上主として需要に依存する価格が考えられるが、価格が国家の施策によつて特定されるに至るときは、かかる価格も自由な取引によつて成立することはほとんど不能となり、単にその公定又は統制価格が、当時の経済状態における収益との関係において著しい不合理があるかどうかの問題を残すに過ぎないと見なければならない。
(二)そこでわが国における農地制度の国策の進展を見るに、すでに昭和一三年四月農調法を制定し、農地の所有者及び耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図り、もつて農地を調整し(一条)、併せて自作農創設維持(四条六条七条)を達成することに着手したのであるが、この方向に進む施策は、戦争の危機が近ずくに伴つて次第に強化の一途をたどり、ついに終戦後における連合国の強力な推進によつてさらに飛躍し自創法の成立を見るに至つたのである。従つて自創法の定める農地買収計画のごとき強度の改革は、連合国の指令によらなければ速急に実現することはなかつたであろうが、わが国策の軌道の上に考えられないことではなかつたのであつて、他のある制度のように連合国の指令によらなければその実現を全く考えられなかつたものとは類を異にすると見なければならない。この点について農地調整法成立後わが国の農地の性質が変化して行つた経路をたどつて見ると、(1)特定の自作農地は譲渡その他の処分に一定の制限を附されていたが(昭和一三年四月農調法六条)、これらの制限はさらに一般農地に拡張されるに至り(昭和一九年三月改正臨時農地等管理令七条の二昭和二〇年一二月改正農調法五条)、(2)農地はこれを耕作以外の目的に変更することを制限されていたが(昭和一六年二月臨時農地等管理令三条五条)、この制限はさらに改正農調法に引継がれ(昭和二一年一〇月改正同法六条)、(3)小作料は原則として昭和一四年九月一八日の額に据え置かれたが(昭和一四年一二月小作料統制令三条)、この据置の趣旨はさらに改正農調法に引継がれ(昭和二〇年一二月改正同法九条の三)、(4)次で小作料は原則としていわゆる金納と定められ(昭和二〇年一二月改正農調法九条の二)、(5)農地の価格は特定の基準に統制され(昭和一六年一月臨時農地価格統制令三条)、この統制は改正農調法に引継がれた(昭和二〇年一二月改正同法六条の二)。このように農地は自創法成立までに、すでに自由処分を制限され、耕作以外の目的に変更することを制限され、小作料は金納であつて一定の額に据え置かれ、農地の価格そのものも特定の基準に統制されていたのであるから、地主の農地所有権の内容は使用収益又は処分の権利を著しく制限され、ついに法律によつてその価格を統制されるに及んでほとんど市場価格を生ずる余地なきに至つたのである。そしてかかる農地所有権の性質の変化は、自作農創設を目的とする一貫した国策に伴う法律上の措置であつて、いいかえれば憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するように法律によつて定められた農地所有権の内容であると見なければならない。
(三)また自創法六条三項の対価基準の定められた以後における諸物価の値上りとの関係を見ると、農地にもつとも密接な米価についていつても、対価決定当時(昭和二〇年末)の生産者価格(石一五〇円)と売渡価格(同七五円)は、本件買収令書交付の時(昭和二二年一一月二五日)までにいずれも数回改訂されていることが認められる。しかしながらこの米価の改訂は、戦後における経済事情の急変により主として生産費が著しく上昇したのに対応した措置であり、生産者たる耕作者を基準とする米価対策の上から当然であつて、なんら生産そのものに直接関係のない地主たる農地所有者に対し、その農地価格をこれに応じ直ちに改訂しなければならないものではない。また法律により定められる公定又は統制価格といえども、国民の経済状態に即しその諸条件に適合するように定められるのを相当とするけれども、もともとかかる公定又は統制価格は、公共の福祉のために定められるのであるから、必しも常に当時の経済状態における収益に適合する価格と完全に一致するとはいえず、まして自由な市場取引において成立することを考えられる価格と一致することを要するものではない。従つて対価基準が買収当時における自由な取引によつて生ずる他の物価と比べてこれに正確に適合しないからといつて適正な補償でないということはできない。
三、以上に述べた理由により自創法六条三項の買収対価は憲法二九条三項の正当な補償にあたると解するを相当とし、これと異なる上告人の主張はすべて独自の見解に立つものであつて採用することはできない。従つてまた原判決が憲法二九条三項に反するという論旨も理由がない。
同第二点について。
原判決は、すでに自創法六条三項の買収対価が憲法二九条三項に違反するものでないと判断したのであつて、その正当なることは第一点及び第三点について説明したとおりであるから、これと異なる見解を前提として原判決の審理不尽を主張する論旨は理由がない。
よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は裁判官栗山茂の補足意見、裁判官井上登、同岩松三郎、同真野毅、同斎藤悠輔の各反対意見を除く外全裁判官一致の意見によるものである。
裁判官栗山茂の補足意見は次のとおりである。
憲法二九条三項の「正当な補償」について少数説もあるので私かぎりの意見を補足する。
憲法二九条三項にいう「公共のために用ひる」というのは、私有財産権を個人の私の利益のために取上げないという保障であるから、その反面において公共の利益の必要があれば権利者の意思に反して収用できる趣旨と解すべきである。(同項はその英文と同じ意味であると解すべきであろう。)同項にいう公共の用というのは公共の利益をも含む意味であつて何も必しも物理的に公共の使用のためでなければならないと解すべきではない。又収用した結果具体的の場合に特定の個人が受益者となつても政府による収用の全体の目的が公共の用のためであればよいのである。本法(自作農創設特別措置法を言う。以下自創法という)の場合のように、第一条にかかげる公共の用のために政府から強制買上された農地が更に特定の小作人に売渡されても収用の目的自体の性質に変りはない。又同項の保障は土地収用法の対象となつている公共事業に限られるものではない。契約上の権利利益でも私有財産権であるから、それが公共の用の必要がある以上は収用できなければならないことは明である。例えば公共の用のために国が特定種類の企業を公有とする場合にこの種企業における個人の株主たる地位を一般的標準によつて画一的に強制買上できないものではないと思う。一般的標準による画一的買収が具体的の収用に妥当するかどうかは、むしろ正当な補償の問題として考慮せられるベきものであろう。何れにしても憲法二九条三項の収用が通常土地収用法の対象となつている公共事業に適用されるということから、同項の適用が同法が採用している形式に限らるべき理はない。憲法二九条三項の保障は第一義的には公共の用のためでなければ私有財産権を収用されないことであり、第二義的には収用に対する正当な補償の支払である。同項の収用は公共の用を目的とするものであるが、収用される私有財産権は同条二項により公共の福祉に適合するように定められている内容のものであつて、三項の正当な補償というのはこの私有財産権の損失の填補である。そもそも資本主義が高度に発達した現代ことに第一次大戦について第二次大戦を経た後の自由諸国の通念では、私有財産権は資本として、それを持つている者が持つていない多数の者を支配し制圧するから、財産権は公共の福祉に適合するように社会的義務で裏付されているのである。わが憲法ももとより同じ理念から出ていることは同法二五条、二八条の諸法条規と併せて二九条の条規を見れば明らかである。ここに財産権というのは不動産に関する権利を設定し移転したり又は財産的給付を受領したり支払つたりする契約上の権利利益も含まれていることは言うまでもない、例えば利息制限法、地代家賃統制令、農地調整法又は農地法、物価統制令等によつて金銭の消費貸借契約、土地建物の地代家賃農地の取引価格等が規制されているのは何れも憲法二九条二項の趣旨によるものである。同項によればたゞに所有権はかりでなく自由契約の内容も、十八世紀から十九世紀の初頭にかけた時代のように意思の自由が至高なものではなく常に公共の福祉によつて規制されるというのである。即ちそれぞれの財産権の内容が法律で定められる程度は、その財産権を持つている者の利益を尺度としてでなく、公共の福祉がその尺度となるというのである。それ故かような内容の私有財産権を収用しうるために法律が正当な補償を定めるに当つては、そうして又裁判所が正当な補償かどうかを判断するにしても、収用を必要とする公共の利益と被収用者の個人の利益とを比較するばかりでなく、被収用財産に内在する社会的義務をも勘案しなければならないことは明である。それ故正当な補償をするために社会的に見て合理的な基準で私有財産権が収用されなかつたであろうと同じ程度の価値評価をするにしても、この価値評価は必しも被収用財産の損失の経済評価ばかりでなく社会価値の評価が伴われなければならないことは明である。いうまでもなく収用は政府が権利者と自由取引の上でするのではなく、公共の用のために権利者の意思に反して強制買上をするものであるから被収用者が自由取引で得たであろう利益を補償すべき理はない。言いかえれば被収用者を利得せしめるために収用するものではないから少数説中に主張されているように被買収者が正当と思料するような市場価格とか個々の私有財産権の客観的価値に対応する等価値対価とかの補償といつたような自由取引を建前とし且社会価値の評価を無視する私有財産権の偏重は憲法二九条二項三項の趣旨にも副わない解釈と言わなければならない。私は以上の見地から自創法による補償を考えて見ることとする。自創法制定当時における地主の農地所有権は農調法によつて、処分の制限、使用目的の変更の制限、土地取上の制限、小作料の金納化とその統制等のいろいろの規制の下におかれていたのである。言いかえれば農地所有権の内容は憲法二九条二項により封建的支配権たる性質を失わしめられて、自ら耕作して収益すべき社会的義務が内在するものとされ従て自ら耕作しない地主にありては統制された金納小作料を受領しうる私有財産権となつていたのである。それ故自創法が自作農を創設するために不在地主の小作地及び在村地主の一定の面積の小作地を収用するには、農調法で統制されていた金銭的小作料を受領しうる利益を内容とする所有権の損失を填補しても敢て憲法二九条の趣旨に反することにはならないわけであるが農調法六条の二に定められている統制額はもともと農地の所有者の意思に反して強制買上をする額として定められたものでないから、自創法六条三項は買収により地主が蒙る損失の填補は、自作収益価格を基本とする農地の対価を支払うことによつて、地主を自ら耕作し収益したであろう本来の状態におくこととしたものであつて、それだけで既に正当な補償ということができる。しかも同法一三条三項四項の報償金の交付によつて当該農地の収量、位置その他の特別の状況を参酌して右対価を補正するものとしているのであるから、私の意見では両者を併せて憲法二九条三項にいう正当な補償たらしめたものと解するのを相当とする。
次に自創法三条の規定で買収された農地の対価の額に不服ある者は同法一四条で訴を以てその増額を請求することができるのであるが、それはすでに本法によつて定められた買収対価の範囲内における増額の訴であつて、前段説明したような正当な補償の増額の訴と解すべきものではないと思う。もともと憲法二九条二項によつて法律が特定の私有財産権について、その取引とかその価格とかを統制すべきかどうか又は統制するとしてどの程度に統制するのが国民生活上相当であるかどうかというような実質的な相当性は法律自ら公共の福祉を尺度として定めることになつているから、法律に特段の定めがない限り(例えば自創法六条三項但書)法律が定めた統制額の相当性は司法的抑制の外にあることは明らかである。されば本法においては被買収者の増額の訴求権は法律が定めた範囲に限られても裁判所の救済を受ける権利は毫も奪われたことにはならないのである。
裁判官井上登、同岩松三郎の意見は次のとおりである。
私達は多数説が本法(自作農創設特別措置法―以下同じ)の買収を憲法二九条三項の買収なりとし、しかも本法六条所定の価額は最高価額であつて、それ以上の訴求を許さないものと解しながら、なお合憲なりとすることに賛成出来ない。先ずその理由から先きに書くことにする。
本来からいえば憲法二九条三項は例えば鉄道の敷設等公共事業の為めに、これに必要な局部的に限定された個々の土地を買収する様な場合に関する規定であり、汎く全国の地主から農地を取上げてこれを小作人に交付することを目的とする本法買収の如き革命的な場合を考えて居るものとは思えない。(買取した土地も特定の小作人に交付されるのであつて公共の為めに用いられるのではない、この点から見ても二九条三項に適確に当てはまるものではない、「公共の為めに用いる」というのは「公の福祉の為め」というのよりは狭い観念である)なお憲法二九条三項による買収ならば個々の土地について一々その属性特質を調査し鑑定その他によつて各場合における具体的な正当の市場価格を見出さなければならないのであつて、本法買収の如き個性を無視した一般的標準による画一的買収は許されない。(後記法一四についての多数説の解釈参照)また、本件の買収が憲法二九条三項の買収だというならば、同項は飽く迄正当の補償を要件として居るものと見なければならないから、被買収者は買収価格が正当でないと思料するときは、正当価格に達する迄増額を裁判所に訴求する権利を持たなければならない。法律を以て最高額を定め、それ以上の訴求を認めないというが如きは許されない。法第一四条は法定価格内の増額請求を許すだけで、それ以上の訴求は認めない趣旨だと一般に解されて居り、多数説もこの解釈を採るのであるが(法全体の趣旨から見とそう解する根拠が相当あることは私も認めないわけではないが後に記す様な理由で私はこの解釈に賛成出来ない)そうとすると被買収者が法定価格を超過する請求をすれば裁判所はその超過部分については請求額が正当なりや否やの審査をすることなく、不適法の請求として所謂門前払をすることとなり、この部分については被買収者は憲法の保障する権利について裁判所の裁判を受ける権利を常に奪われることとなるであろう。この場合裁判所の裁判とは正当なりや否やの内容に入つた裁判でなければならないのであつて、前記の様な門前払の裁判であつてはならないからである。
仮りに憲法二九条三項を多数説のように広く解するとしても同条の買収として合憲ならしめる為めには、少なくとも正当価格に達する迄の訴求権を認め、また出訴期間を定めるならば十分余裕ある合理的期間を定めなければならない。憲法二九条三項について最高裁判所によつて多数説の様な理論が認められ、本法所定の如き方法価格による買収が合憲なりとされるならば、これは向後右憲法法条の名において、立法によつて本法の如き無理な買収が繰り返される道を開くことになる虞がある。そして同条一項の保障は大なる危殆にひんするであろう私達はこれを憂うのである。
本法の買収は被占領中の司令官の指令による農地改革であり、憲法外において為されたものである(一九四五年一二月九日農地改革に関する覚書)。い不可抗的のものと観念してこれに服従したのであつて、これを前提としない限り、この買収は到底理解し得ないのである。
当時政府は右指令の趣旨に従い速に買収を実施すべきことを督促されて居たので、急ぎ本法を立案し司令部に示してそのアブルーブを得、国会も指令実行の為めであるから已むを得ないものとして通過させたのである。司令部は法案について十分検討した上アブルーブを与えたのであつて、法成立後は本法の定める手続に従い急速に買収を遂行すべきことを督促指令して居たのである(一九四八年二月四日農地改革に関する覚書)。
当初は固より方法、価格等に至る迄詳細の指令を受けたわけではないけれども本法成立後は右の如くその定むる処に従つて急速に買収を遂行すべきことを厳に督促指令されて居たのであるから結局本法の買収は全面的に指令によるものといわなければねらない。
それ故本法の買収は独立前確定したものは前記の如く司令官の権力の下において憲法外に効力を有したものであり、又訴訟の繋属するものでも買収そのもの(所有権の移転)は同じく既に効力を生じたものといわなければならない。蓋本法は只価額についてのみ訴の提起を許し、所有権移転については絶対に争うことを許さないものだからである。右の如く被買収者の意思如何を問はず、強制的に所有権を徴収し価額についてのみ争を許すものにおいては普通の任意売買と異なり所有権の移転と価額の確定とを分離して考えることが出来、所有権の移転は買収行為完了の時において効力を生じ、価格について訴を起したものについては、その点のみが不確定のものと見なければならない。(此点は真野裁判官も同意見の様に見える。)然るに講和成立後の今日においては、司令官の権力というものは無いから、内容が違憲の法規は裁判所はこれを適用することが出来ないのである。そして土地を地主から買収して小作人に与える様な場合、正当の補償を与えないというようなことが許されないことは憲法二九条の規定の精神に徴し明白である。従つて被買収者は正当価額に至る迄対価の訴求を為し得るものと見なければならない。此意味で私達は法六条及一四条について真野、斎藤両裁判官の解釈に合流したい。そう解釈する理由は大体同裁判官の書いた所と同じである。私達は本法の様な広範囲な一般的なそして一方から土地を強制的に剥奪して他の個人に与える様な土地改革が(それがいいか悪いかは別として)私所有権を厳に尊重する憲法下において許されるかどうかについて多大の疑を持つ者であるが、それは暫く措くとして、憲法二九条三項の買収においては、本法の如き頗る疑わしき値額を法定し、且それ以上の訴求を絶対に許さぬものと解し得べき根拠も多分に存在する様な規定の仕方を為し、しかも出訴期間を殆んど実際の役に立たぬ様な短期に限定することは許されないのであつて向後共、同条の名において右様な法律が制定されることがあつてはならないと思うのである。これが私達が長々と意見を書いた所以である。
本件に関する裁判官真野毅の意見は、次のとおりである。
わたくしは、本件は第一審及び原審の判決を取消し第一審裁判所に差戻さるべきものと考える。
憲法二九条三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と定めている。ここに「正当な補償」というは、当該財産が具体的・個別的に保有する客観的な価値に、対応する等価値対価を指すものである。
政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条によつて農地を買収する場合に定められる六条所定の対価は、特定の平均的基準によつて割出された抽象的な対価であるに過ぎない。
だから、自創法六条による対価は、いくら多くの言葉を費やしてみたところで、所詮、買収される農地が個別的に保有する客観的な価値に対応する等価値対価ということはできない。
したがつて、これを憲法二九条にいわゆる「正当な補償」とすることは、許されないところであると言わねばならぬ。
それ故、自創法六条によつて定められる対価の額に不服ある者は、同法一四条によつて訴を以てその増額を請求することができる、と解するが相当である。
以上が、わたくしの考え方の骨子である。
多数意見は、自創法六条により定められる対価は、農地買収の絶対的な最高限であつて、たといこの限度の額に不服があつても、出訴はできないと考えている。
もし、自創法六条の意義がそうだとすれば、前に述べた正当な補償を与えずして、私有財産を公用に供することになるから、この規定は違憲無効だということにならざるを得ない。
だが、わたくしは、自創法六条は、農地買収の対価の絶対的な最高限を定めた規定だとは考えない。ただ自創法による農地の買収は、大量的な行政処分であるから、同六条はその実行の便宜のため行政庁が買収対価を定める際の一定の標準を定めたものに過ぎない。すなわち、同六条は行政庁が買収対価を定めるに当つての相対的関係において最高限を定めたものである。行政庁の遵守すべきものとしての買収対価の相対的な最高限であるに過ぎない。
かように、相対的な最高限であるということは、別な表現を用いれば絶対的な最高限ではないということである。だから、自創法一四条はこの基準で定められた買収「対価の額に不服ある者は、訴を以てその増額を請求することができる」と定めているのである。さらに言いかえれば、行政庁の定めに買収対価の額が、六条の標準に縛られて憲法にいうところの「正当の補償」に当らない場合には、不服ある者は、正当補償に該当するまでの増額を裁判所に出訴して請求することを許した当然の規定である。なぜならば、六条の対価の定め方が絶対的のものであるとしたならば、正当の補償に不足する場合を生じ、同条は違憲無効とならざるを得ないからである。正当の補償まで増額請求ができるという一四条の息抜きがなかつたならば、六条の規定は違憲無効となり、それでは農地買収の実行は非常な困難ないし不可能になつてしまう。六条による行政庁に対する相対的な対価の最高限は、最終局には裁判所によつて憲法にいう正当の補償に適合するよう是正する道が開けている。この通風的息抜きによつて、六条は違憲無効とならず、これによつて大量的な農地買収が比較的楽に実行することができると共に、同時に憲法上の国民の基本的人権が、終局的に阻害されることなく裁判所によつて伸長され擁護され得るのである。
自創法六条と一四条との関係は、上述の意義に解することによつて、憲法を含めての法律構造全体を調和的統一の姿において理解することができる、というのがわたくしの見解である。
多数意見では、六条は買収対価の絶対的最高限を定めたものであり、もし行政庁がこの最高限に達しない対価の額を定めた場合に、それに不服ある者が、一四条によつて裁判所に出訴して六条の限度までの増額を請求することができる、と主張するのである。
わたくしは、前に述べたとおりこれでは、憲法の保障する正当の補償を与えないで、私有財産を公用に供せしめる結果となるから、六条は違憲となる。六条を違憲ならしめないためには、六条及び一四条の意義と関係を前述したわたくしの見解のように解釈する必要があると考える。
ところで、この私見に対しては、もし正当の補償まで増額の訴求を許したら、農地買収は実行不可能になつてしまうという批判が、想定され得るであろう。
しかし、六条の対価の標準で農地の所有権の移転は確定するから農地の買収による自作農創設そのものの実施には、何等の支障は起らない筈である。
ただ、後に残つて未確定なのは増額の請求の判断だけである。しかし、これは裁判所で決すべき問題であつて、行政庁で決すべき問題ではない。だからこの問題の未確定、不安定のゆえに、行政庁が農地買収計画を実行する妨げとなるべき筋合はない。
かくて、増額の訴求が許されることによつて、その支払のためにする国家の支出は、増大するであろうが、正当の補償まで増額すべきことは憲法上の要請であつて、それに対してツベコベいつて拒むべき理由は、毫末も存在しない。本来かかる場合においては、国家の予算をもつて、すなわち国民全体の負担において、正当の補償を与えることによつて決すべきものである。立法においても、また実際の行政においても往々見られるように、たまたまそれに該当する当事者国民だけの犠牲的負担において、事態を解決しようとする態度は、根本的に誤つていると考える。
また、増額の請求には、一箇月という出訴期限が、一四条に定められているから、今では問題は現に訴訟が裁判所に係属している事件だけに限定されている。多数意見の中には、買収土地の個別的な客観的価値に等しい対価すなわち正当の補償までの増額請求を許したならば、行政庁の定めた対価を承認して増額を請求しなかつた者との間に不公平な結果を生ずることを懸念する者もある。しかし、いずれの場合においても、権利を捨て又はその上に眠る者と、適法の期間内に自らの労力と費用とにおいて裁判上権利を主張する者との間には、その権利が法律上・裁判上是認せられる限りにおいて、結果的に見て待遇の差等が生ずるのは当然のことである。これを不公平として非難することはできない。
要するに、わたくしは、自創法六条またはこれに類似した基準を定めることによつて、私有財産が個別的に有する客観的価値の等価値対価以下で、公用に供されるに至ることを、おそれるのである。すなわち、憲法二九条にいう正当補償の保障が、無視され、軽視され、蔑視され、色々と潜られていくことを、現在及び将来のために深く憂うるのである。これは、小さな本件を超えて、経済機構の根本に連る基本的人権の大きな問題である。
本件において、第一審及び原審の判決が、自創法六条の規定をもつて農地買収の対価の最高限を定めたものと解し、それだけの理由で上告人の増額請求を棄却したのは違法であり、論旨は理由がある。それ故、これを取消し、さらに審理するために第一審裁判所に差戻すを相当とする。
裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。
私は、自作農創設特別措置法六条三項本文の規定は、農地買収の一応の標準を示したに止るものであつて、同条項但書の特別の事情ある場合は、その事情をも参酌し、更らに、同法一三条三項の報償金を受領したときは、これをも勘案して、なお正当な補償に満たないときは、同法一四条によりその増額を訴求し得るものと解する。従つて、論旨第一、二点は、その理由あるものと考える。
けだし、憲法二九条三項にいわゆる「正当な補償」とは、被用私有財産の客観的な経済価値の補償を意味し、従つて、その財産の自由な取引価格の存する場合には、その被用当時の取引価格によるべきを当然とする。しかるに、農地の取引は、現行法上統制され、これが自由取引価格なるものは法的に存在しないのであるから、被買収農地については、いわゆる自作収益価格を基準とする相当な経済価値によらざるを得ない。この意味において前記措置法六条三項本文の価格は、買収の一応の標準としては、正当なものであるといわなければならない。しかし、同条項本文の価格は、多数説の詳細に説明するとおり、買収当時における当該農地の具体的収穫高や特別事情等、(同法施行規則三条一号、二条二号によれば、特別事情による認可を受けようとする申請書の記載事項の一つとして、当該農地の水利、交通の良否、利用状況及び普通収穫高並びに小作地である場合においては小作料の額及び減免条件が挙げられており、また、同法一三条四項には、「当該農地の収量、位置その他の状況を参酌して」と規定している。)を毫も顧慮することなく、単に、昭和一五年から同一九年までの五ヶ年間における全国平均水稲反当の玄米収穫高を採用し全国一律に一段歩当りの収穫高を二石と仮定し、昭和二〇年末における生産者価格石一五〇円を標準として直接(田について)又は間接(畑について)に、算出したものである。従つて、同価格は、昭和二〇年末でない買収時における、収穫高二石以上の農地についてこれを見れば、多数説のいわゆる「その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額」といえないこと極めて明白である。されば、多数説は、その説明自体に自己矛盾を包蔵し、自然崩壊、止揚の運命を免れないものであつて、(果然農地法施行令二条は、同法第十一条第一項第三項の対価は、昭和二五年七月三〇賃現在における基準賃貸価格に、田にあつては二百八十、畑にあつては三百三十六を乗じて算出する等七倍の倍率に値上げしている。)、到底賛同できない。ことに、自創法六条三項本文か拘束的のものでないことは、同条項但書によつて知り得るばかりでなく、同法が一三条三項乃至五項の規定を設けている点からもこれを窺うことができるのである。もしも、自創法六条三項本文が拘束的であるならば、同一三条三項の報償金は、法律上の原因に基かない不当給付というべきである。それ故、同法一四条の規定は、冒頭記載のごとく、これを広義に解すべきものと考える。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官栗山茂は出張につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 田中耕太郎)

+判例(S48.10.18)
理由
上告代理人大塚忠重の上告理由について。
原審は、上告人Aの所有していた本件第一物件(第一審判決第一目録記載の土地)および上告人Bの所有していた本件第二物件(同第二目録記載の土地。以下、本件第一物件と第二物件とを合わせて本件土地という。)が、昭和二三年五月二〇日建設院告示第二一五号に基づく倉吉都市計画の街路用地と決定され、その後執行年度割の決定およびその変更を経て、昭和三九年一月一四日土地収用法三三条(昭和四二年法律第七四号による改正前のもの)により被上告人が本件土地に対する土地細目の公告を行なつたこと、次いで、同法四〇条(昭和三九年法律第一四一号による改正前のもの)に基づく上告人らと被上告人との協議が不調となつたので、被上告人は、旧都市計画法(昭和四三年法律第一〇〇号によつて廃止された大正八年法律第三六号都市計画法)二〇条(昭和三九年法律第一四一号による改正前のもの)により昭和三九年二月一九日収用土地の区域および収用の時期について建設大臣の裁定を求めたところ、同年三月二三日本件土地を倉吉都市計画街路事業の用に供するために収用する、収用の時期は鳥取県収用委員会による当該収用にかかる損失補償の裁決があつた日から起算して一五日目とする旨の裁定がなされたこと、被上告人は、同年三月二五日鳥取県収用委員会に対し、本件土地の損失補償についての裁決申請をし、これに対し同委員会は、同年六月二二日上告人A所有の本件第一物件の損失補償額を五七万五一〇〇円(三・三平方メートル当り七一〇〇円)、残地補償額を三万一八〇八円、上告人B所有の本件第二物件の損失補償額を一三三万三二〇〇円(三・三平方メートル当り一万一〇〇円)とする旨の裁決(以下、本件裁決という。)をしたこと等の事実を確定したうえ、右収用委員会の損失補償額が相当であるかどうかにつき、本件土地は、前記のように倉吉都市計画の街路用地と決定され、その結果、建築基準法四四条二項(昭和四三年法律第一〇一号による改正前のもの。以下同じ。)の建築制限を受けるものであるから、本件土地収用による損失補償額の算定にあたつては、本件土地をこのような建築制限を受けた土地として評価すれば足りるとの解釈のもとに、本件土地の価格を右と同一解釈のもとに評価したC鑑定およびD鑑定等に基づき、本件裁決の損失補償額を不当と認められないと判断し、上告人らの各請求を棄却しているのである。
おもうに、土地収用法における損失の補償は、特定の公益上必要な事業のために土地が収用される場合、その収用によつて当該土地の所有者等が被る特別な犠牲の回復をはかることを目的とするものであるから、完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもつて補償する場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するものというべく、土地収用法七二条(昭和四二年法律第七四号による改正前のもの。以下同じ。)は右のような趣旨を明らかにした規定と解すべきである。そして、右の理は、土地が都市計画事業のために収用される場合であつても、何ら、異なるものではなく、この場合、被収用地については、街路計画等施設の計画決定がなされたときには建築基準法四四条二項に定める建築制限が、また、都市計画事業決定がなされたときには旧都市計画法一一条、同法施行令一一条、一二条等に定める建築制限が課せられているが、前記のような土地収用における損失補償の趣旨からすれば、被収用者に対し土地収用法七二条によつて補償すべき相当な価格とは、被収用地が、右のような建築制限を受けていないとすれば、裁決時において有するであろうと認められる価格をいうと解すべきである。なるほど、法律上右のような建築制限に基づく損失を補償する旨の明文の規定は設けられていないが、このことは、単に右の損失に対し独立に補償することを要しないことを意味するに止まるものと解すべきであり、損失補償規定の存在しないことから、右のような建築制限の存する土地の収用による損失を決定するにあたり、当該土地をかかる建築制限を受けた土地として評価算定すれば足りると解するのは、前記土地収用法の規定の立法趣旨に反し、被収用者に対し不当に低い額の補償を強いることになるのみならず、右土地の近傍にある土地の所有者に比しても著しく不平等な結果を招くことになり、到底許されないものというべきである。
しかるに原判決は、これと異なる解釈のもとに、本件裁決の損失補償額を相当であると判断して、上告人らの各請求を棄却しているが、右は土地収用法七二条の解釈を誤つたものというべく、この誤りは原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、さらに前記のような解釈のもとに審理を尽くす必要があるので、民訴法四〇七条に則り、これを原審に差し戻すのを相当と認め、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官大隅健一郎は海外出張中ににつき署名押印することができない 裁判長裁判官 岸上康夫)


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