佐々木毅 民主主義という不思議な仕組み 4 「世論の支配」~その実像と虚像

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1.世論の支配を考える
(1)世論はモノのようなものか?
世論調査も「みなし」型の仕組みの一環
世論調査は、一定程度調査する側の意図が反映する可能性を含んでいる。

・世論の支配
世論の忠実な実行は国民の利益に合致するという信念
⇔世論の圧制

(2)人間の判断基準と世論の関係
・民主化の結果として大衆の登場
=合理的な政治判断を期待できない人々の登場
人間は目的と手段の関係を合理的に考えて政策を判断するような存在であるよりも、
本能や衝動、性向、習慣といったものによって支配されたものである。

人々は政治家によって操作される存在になる。
→世論の支配は無意味なものになる。
人々が政治に興味を持つのは、スローガンか政治家でしかなく、複雑化する政治環境について十分な情報を得たうえで判断することは期待できない。
ステレオタイプが支配する限り、世論は習慣や偏見と見慣れた世界から離れることができず、その合理性は到底期待できない。

人民による自己統治という民主政治の原則は限りなく幻影に近づく。

そもそも世論は存在しているものなのか、政治指導者が製造したものに過ぎないのか。
世論が作られるものであるとすれば、そのあり方が問題となる。

2.エリート主義と大衆の愚弄
(1)エリートVS大衆の二重構造
政治指導者重視への逆転が極端に行けば、大衆は自らを代表させる能力がないもの、操作されるものに変わってしまう。

政治的公式にしたがって服従する大衆と、それを支配の道具として実質的に支配する少数者という二重構造

(2)宣伝とテロによる統治
宣伝
政治的な公式を使い自らの立場を強化し、相手を攻撃する能力

テロ
政治的な闘いにおいて愛他型の死命を制する形で暴力を使い、政敵を政治的に破壊。

世論の支配の基盤が破壊され、世論は内実のないものになる。

(3)『わが闘争』にみる大衆操作
宣伝と暴力による大衆の掌握

3.世論の支配の意味とは
(1)政治指導者と世論のせめぎあい
安定した環境のなかでの民主政治においては、政治指導者と世論の関係はせめぎあいとなって現れる。

(2)世論と政治の接点の重要性
報道や分析が権力から自由に行われることが大切。
世論と政治の接点を良いものにするための必要条件である。


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