民法択一 債権各論 契約各論 雇用


・雇用契約は、有償契約であり、報酬の支払時期は後払いが原則であるが、前払いの特約を結ぶこともできる!!←624条1項は任意規定
+(報酬の支払時期)
第624条
1項 労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することができない
2項 期間によって定めた報酬は、その期間を経過した後に、請求することができる。

・使用者は、労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡す事はできないが、使用者がこれに違反しても、これを理由に労働者が雇用契約を解除できるわけではない!!!
+(使用者の権利の譲渡の制限等)
第625条
1項 使用者は労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡すことができない
2項 労働者は、使用者の承諾を得なければ、自己に代わって第三者を労働に従事させることができない。
3項 労働者が前項の規定に違反して第三者を労働に従事させたときは、使用者は、契約の解除をすることができる。

・雇用の期間が満了した後、労働者が引き続きその労働に従事する場合において、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前の雇用と同一の条件で更に雇用したものと推定される(×みなされる)!!!!
+(雇用の更新の推定等)
第629条
1項 雇用の期間が満了した後労働者が引き続きその労働に従事する場合において、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前の雇用と同一の条件で更に雇用をしたものと推定する。この場合において、各当事者は、第627条の規定により解約の申入れをすることができる。
2項 従前の雇用について当事者が担保を供していたときは、その担保は、期間の満了によって消滅する。ただし、身元保証金については、この限りでない。


憲法択一 人権 基本的人権の限界 特別権力関係における人権 寺西判事補 政令201


・特別権力関係論とは、特別の公法上の原因によって成立する公権力と国民との特別の法律関係を「特別権力関係」という概念でとらえるものである。この理論には、公権力は包括的な支配権を有し、個々の場合に法律の根拠なくして特別権力関係に属する私人を包括的に支配できること(法治主義の廃除)、特別権力関係内部における公権力の行為は原則として司法審査に服さないこと(司法審査の廃除)が含まれる!!!

・伝統的な公法学では、特別権力関係は肯定されてきた。しかし、現在このような関係は認められておらず、公務員の人権制約は、国民全体の共同利益を図るための必要かつやむを得ない制約であると考えられている。

+++解説
まず、日本国憲法では「法の支配」を採用しています。「基本的人権の尊重」という基本原理があり、法律の根拠なく人権を制限することなど認められるものではありません。また、裁判所が人権制限による救済に関与できないというのも、「法の支配」の原理に沿ったものではありません。もうひとつ、「三権分立」の観点からも矛盾があると言えるでしょう。議会の制定した法律のコントロールが利かないなんて、三権分立の原理から逸脱しています。
41条では、国会は唯一の立法機関であると謳っています。にもかかわらず、特別権力関係内部において規律なるものを勝手に定めて人権制限してしまっては、法律以外の規範で人権を支配することになり、41条違反の余地を大きく残すことになるわけですね。
以上の理由より、特別権力関係理論は日本国憲法下においては妥当し得るものではないと言えます。

個別・具体的な検討は必要
ただ、公務員や在監者は、その立場から考えて、一般の国民と比べて一定の人権制約はやむを得ないのではないかという問題意識もあります。同等の人権保障では何らかの支障をきたす場合が起こり得るのではないかと。
そこで、今日において特別権力関係理論は否定するが、公務員や在監者というような特別の法律関係に入った者について、それぞれの法律関係において、いかなる人権が、いかなる根拠からどの程度制約されるのかを、個別・具体的に考えていこうという考え方が採用されています。

+第41条
国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

・特別権力関係が成立する場合、法律の規定に基づくものと本人の同意に基づくものとがある。そして、公務員の在勤関係は、本人の同意に基づくものとされる!

・特別権力関係には、本質的な問題がある。それは、特別権力関係に属する者が一般国民としての地位に何らかの修正を受ける点で共通の特色を持つにとどまるにもかかわらず、権力服従性という形式的要素によって包括し、人権制約を一般的・観念的に許容する点である!

・裁判官による積極的な政治活動の禁止の目的は、裁判官の独立及び中立・公正の確保に対する国民の信頼の維持、そして、司法と立法・行政とのあるべき関係を規律することであるので、その要請は、一般職の国家公務員に対する政治的行為の禁止の要請よりも強いものというべきである!!!!
+判例(H10.12.1)寺西判事補戒告事件
理由
第一 懲戒についての認定判断
一 懲戒の原因となる事実等
1 本件に至る経緯
(一)抗告人は、平成五年四月九日付けで判事補に任命され、同一〇年四月一日以降、仙台地方裁判所判事補兼仙台家庭裁判所判事補、仙台簡易裁判所判事の職にある者である。
(二)法制審議会が平成九年九月一〇日に組織的犯罪対策法要綱骨子を法務大臣に答申したことに関連して、抗告人は、朝日新聞に、裁判官であることを明らかにして、「法制審議会が組織的犯罪対策法要綱骨子を法務大臣に答申した。団体概念のあいまいさ、資金洗浄規制など問題が多いのだが、ここでは、盗聴捜査についてのみ触れる。裁判官の発付する令状に基づいて通信傍受が行われるのだから、盗聴の乱用の心配はないという人もいる。しかし、裁判官の令状審査の実態に多少なりとも触れる機会のある身としては、裁判官による令状審査が人権擁護のとりでになるとは、とても思えない。令状に関しては、ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発付されているというのが現実だ。それを、検察官、警察官の令状請求自体が適切に行われている結果だと言う人もいる。しかし、現行法上は盗聴捜査を認める令状は存在せず、盗聴捜査は違法であるというのが、刑事訴訟法学者の圧倒的多数説であるにもかかわらず、電話盗聴を認める検証許可状が発付され、それが複数の地裁、高裁の判決で合憲・合法だと言い放たれている現実をみると、とてもそうだとは思えないのである。通信の秘密、プライバシー権、表現の自由という重要な人権にかかわる盗聴令状の審査を、このような裁判官にゆだねて本当に大丈夫だと思いますか?」という内容の投書をし、これが「信頼できない盗聴令状審査」という標題の下に、同年一〇月二日付けの同新聞朝刊に掲載された。
(三)内閣は、右答申に基づいて組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案(以下、これらを一括して「本件法案」という。)を作成し、平成一〇年三月一三日、これらを衆議院に提出し、参議院に送付した。本件法案への対応については、政党間で意見が分かれており、その取扱いが政治的問題となっていた
(四)本件法案提出前から前記答申に係る組織的犯罪対策法の制定に反対するための諸活動を行っていた「組織的犯罪対策法に反対する全国弁護士ネットワーク」(以下「弁護士ネットワーク」という。)、「破防法、組織的犯罪対策法に反対する市民連絡会」(以下「市民連絡会」という。)及び「組織的犯罪対策法に反対する共同行動」(以下「共同行動」という。)の三団体は、平成一〇年二月二八日、連絡会議を開き、右三団体の準備により同年四月一八日に右反対運動の一環として集会を開くこと、その主催者は個人加盟の集会実行委員会とすること、次回の連絡会議までに三団体が呼び掛け人を募ること、集会の内容として、アピール、弁護士ネットワークの劇「盗聴法の施行された日パート4」の上演、「盗聴法と令状主義」に関するシンポジウム等を行うこと、右シンポジウムのパネリストを抗告人等に依頼することなどを決定した。
(五)弁護士ネットワークのa弁護士は、平成一〇年三月一〇日ころ、抗告人に対し、電話で組織的犯罪対策法の制定に反対する集会を開くので右シンポジウムで話をしてほしいとの依頼をし、抗告人は、これを承諾した。その後、同弁護士は、抗告人に対し、集会のビラをファックス送信した。
(六)そのころ、集会実行委員会は、右集会の名称を「つぶせ!盗聴法・組織的犯罪対策法許すな!警察管理社会4/18大集会」とした上で、集会のプログラムとしては、盗聴事件を考える住民の会会員などのアピール、弁護士ネットワークの劇「盗聴法が施行された日パート4」、b(一橋大学・刑事法)、c(裁判官)、d(弁護士)によるシンポジウム「盗聴法と令状主義」のほか、各政党からの「国会からの報告」が予定される旨を記載したビラを作成し、一般に配布した。これとは別に、共同行動は、「盗聴法・組対法を葬りされ!」との見出しの下に、「国会上程強行弾劾!」、「つぶせ盗聴法!許すな警察管理社会!大集会国会に向けた共同行動のデモ(終了後)」、「盗聴法・組対法廃案へ!『共同行動』緊急闘争」などと記載し、右集会に講師として裁判官である抗告人が参加することなどを知らせるビラを作成して、これを東京都内の地下鉄国会議事堂前駅付近等で配布した。また、「逮捕令状問題を考える会」と称する団体は、インターネット通信において、右集会への賛同を呼び掛け、その中で、裁判官である抗告人がシンポジウムに参加すること、右集会には、同法の成立を阻止しようと様々な分野で運動を担った人たちが参加しており、「盗聴法は令状主義を危機におとしいれると新聞に投書した裁判官」らが同法を阻止しようというその一点で集まると説明した
(七)仙台地方裁判所長は、平成一〇年四月九日、抗告人に対し、共同行動のビラを示して、事実を確認したところ、抗告人は、右集会が本件法案を葬り去るという、法案に反対するための集会であることを承知の上で、その趣旨に共鳴してパネルディスカッションに参加するつもりであることを認め、そのことは裁判所法五二条一号の禁止する「積極的に政治運動をすること」には当たらないと考えるが、同所長が同号に当たると考え、懲戒もあり得るというのなら、再考してみるなどと述べた。
(八)右集会は、平成一〇年四月一八日、東京都千代田区所在の社会文化会館において、約五〇〇人が参加して開かれた(以下、この集会を「本件集会」という。)が、抗告人の申出により、シンポジウムにおいて抗告人がパネリストとして発言することは中止された

2 懲戒の原因となる事実
抗告人は、本件集会において、パネルディスカッションの始まる直前、数分間にわたり、会場の一般参加者席から、仙台地方裁判所判事補であることを明らかにした上で、「当初、この集会において、盗聴法と令状主義というテーマのシンポジウムにパネリストとして参加する予定であったが、事前に所長から集会に参加すれば懲戒処分もあり得るとの警告を受けたことから、パネリストとしての参加は取りやめた。自分としては、仮に法案に反対の立場で発言しても、裁判所法に定める積極的な政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する。」との趣旨の発言をし(以下、本件集会におけるこの抗告人の言動を「本件言動」という。)、本件集会の参加者に対し、本件法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという抗告人の意見を伝えることによって、本件集会の目的である本件法案を廃案に追い込む運動を支援し、これを推進する役割を果たし、もって積極的に政治運動をして、裁判官の職務上の義務に違反した

二 証拠
以上の事実は、次の各証拠により、これを認める。
1 抗告人の履歴書
2 平成一〇年四月二八日付け仙台地方裁判所事務局長作成の報告書
3 同九年一〇月二日付け朝日新聞記事
4 同一〇年三月三〇日付け最高裁判所事務総局総務局第一課課長補佐作成の報告書
5 同年四月二〇日付け同事務総局刑事局第一課長作成の報告書
6 同月二六日付け仙台地方裁判所事務局長作成の報告書
7 同月九日付け同事務局長作成の聴取結果要旨書
8 同年五月一九日付け弁護士海渡雄一作成の報告書
9 同年七月九日付け抗告人作成の報告書

三 本件言動の評価
1 本件集会は、直接的には集会実行委員会なる組織が主催したことになっているが、同委員会の母体となる組織は、弁護士ネットワーク、市民連絡会及び共同行動という本件法案に反対するための諸活動をしている三団体であり、それらの団体がその運動の手段として連帯し、そのメンバー以外の個人の参加も募った上で組織横断的な実行委員会を設けて本件集会を開くことを計画し、準備したものである。「盗聴法と令状主義」に関するシンポジウムを開き、そのパネリストを抗告人に依頼することを決定したのも、右三団体合同の会議においてである。
2 本件集会は、その企画の経緯及び「つぶせ!盗聴法・組織的犯罪対策法許すな!警察管理社会4/18大集会」という名称自体から明らかなとおり、法案の是非について様々な立場から意見を述べ合うというような単なる討論集会ではなく、明確に本件法案を悪法と決め付けた上で、これを廃案に追い込むことを目的とする運動の一環として開催されたものである。したがって、抗告人がパネリストとして参加を依頼されたのも、もちろん単なる一市民としてではなく、また、単に令状実務に明るい専門家の意見を参考に聴くということでもなく、裁判官による令状審査によって盗聴の適正さを保つことは期待し得ないとの理由から抗告人が法案に反対する立場を採っていることが投書によって既に明らかとなっており、パネリストとして同様の発言をしてもらえれば、それが現職の裁判官の意見であるだけに、集会の参加者に本件法案の不当性を強く印象付けることができ、集会の目的である本件法案の廃案を実現するための運動を前進させる効果を有すると考えられたからであると認められる
3 抗告人は、本件集会が前記のような単なる討論集会ではなく本件法案を廃案に追い込むことを目的とする運動の一環として開かれるものであることを認識して本件集会に参加し、本件言動に及んだものである。
4 本件集会の参加者の多くは、事前にビラ、インターネット通信等によって集会の名称や趣旨を知らされていたと認められるから、その中で行われるシンポジウムも様々な立場から意見を述べ合うものではなく本件法案ないしはそのうちの犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案の不当性を訴えるためのものであると予想しており、したがって、現職裁判官である抗告人も本件法案に反対する立場からシンポジウムにおいて「盗聴法と令状主義」について発言する予定であることを認識の上、集まってきていたと認められる。
5 以上のような状況の下においてされた抗告人の本件言動は、発言の直接の内容としても、仙台地方裁判所長の警告は裁判所法の解釈を誤ったものであって、そのような本来従わなくてもよい不当な警告によりやむなくパネリストとなることを断念した旨を積極的に表明したものであり、この発言を聞いた者に対し、自分の本意はあくまで予定どおり壇上においてパネリストとして発言することにあるということを訴える内容を含んでいると認められる。そして、右のような本件集会の参加者の予備知識からするならば、それらの者は、予告されていたとおり令状実務の実情を職務上知る立場にある現職の裁判官が本件法案の廃案実現を目的とする集会に実際に参加していることを認識した上、「仮に」と断ってはいるものの、抗告人の本意は壇上からパネリストとして本件法案に反対の立場で発言することにあると理解したものと認めることができる。このように、本件言動は、本件集会の参加者に対し、本件法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという抗告人の意見を伝える効果を有するものであったということができる。
6 したがって、本件言動が本件集会の目的である本件法案を廃案に追い込むための運動を支援しこれを推進する役割を果たしたものであることは、客観的にみて明らかである。抗告人は、単にパネリストにならなかった理由を述べただけであると主張しているが、前記の抗告人の認識からすると、抗告人も、本件言動が右のような役割を果たすものであることを当然認識していたものというべきである。

四 「積極的に政治運動をすること」の意義及びその禁止の合憲性
1 憲法は、近代民主主義国家の採る三権分立主義を採用している。その中で、司法は、法律上の紛争について、紛争当事者から独立した第三者である裁判所が、中立・公正な立場から法を適用し、具体的な法が何であるかを宣言して紛争を解決することによって、国民の自由と権利を守り、法秩序を維持することをその任務としている。このような司法権の担い手である裁判官は、中立・公正な立場に立つ者でなければならず、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法と法律にのみ拘束されるものとされ(憲法七六条三項)、また、その独立を保障するため、裁判官には手厚い身分保障がされている(憲法七八条ないし八○条)のである。裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される。司法に対する国民の信頼は、具体的な裁判の内容の公正、裁判運営の適正はもとより当然のこととして、外見的にも中立・公正な裁判官の態度によって支えられるからである。したがって、裁判官は、いかなる勢力からも影響を受けることがあってはならず、とりわけ政治的な勢力との間には一線を画さなければならないそのような要請は、司法の使命、本質から当然に導かれるところであり、現行憲法下における我が国の裁判官は、違憲立法審査権を有し、法令や処分の憲法適合性を審査することができ、また、行政事件や国家賠償請求事件などを取り扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を有しているのであるから、特にその要請が強いというべきである職務を離れた私人としての行為であっても、裁判官が政治的な勢力にくみする行動に及ぶときは、当該裁判官に中立・公正な裁判を期待することはできないと国民から見られるのは、避けられないところである身分を保障され政治的責任を負わない裁判官が政治の方向に影響を与えるような行動に及ぶことは、右のような意味において裁判の存立する基礎を崩し、裁判官の中立・公正に対する国民の信頼を揺るがすばかりでなく、立法権や行政権に対する不当な干渉、侵害にもつながることになるということができる
これらのことからすると、裁判所法五二条一号が裁判官に対し「積極的に政治運動をすること」を禁止しているのは、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があるものと解される
なお、国家公務員法一〇二条及びこれを受けた人事院規則一四―七は、行政府に属する一般職の国家公務員の政治的行為を一定の範囲で禁止している。これは、行政の分野における公務が、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、専ら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならず、そのためには、個々の公務員が政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行に当たることが必要となることを考慮したことによるものと解される(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁参照)。これに対し、裁判所法五二条一号が裁判官の積極的な政治運動を禁止しているのは、右に述べたとおり、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があると解されるのであり、右目的の重要性及び裁判官は単独で又は合議体の一員として司法権を行使する主体であることにかんがみれば、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する政治的行為禁止の要請より強いものというべきである。また、国家公務員法一〇二条及び人事院規則一四―七は、一般職の国家公務員が禁止される政治的行為について、同条が自ら規定しているもののほかは、同規則六項が具体的に列挙したものに限定され、政治的色彩が強いと思われる行為であっても、具体的列挙事項のいずれにも該当しないものは、同条の禁止する「政治的行為」には当たらないものとし、しかも、同規則六項は、五号から七号までに定めるものを除き、同規則五項の定義する「政治的目的」をもってする行為のみを「政治的行為」と規定している。これは、右禁止規定の違反行為が懲戒事由となるほか刑罰の対象ともなり得るものである(同法一一〇条一項一九号)ことから、懲戒権者等のし意的な解釈運用を排するために、あえて限定列挙方式が採られているものと解される。これに対し、裁判官の禁止される「積極的に政治運動をすること」については、このような限定列挙をする規定はなく、その意味はあくまで右文言自体の解釈に懸かっている。裁判官の場合には、強い身分保障の下、懲戒は裁判によってのみ行われることとされているから、懲戒権者のし意的な解釈により表現の自由が事実上制約されるという事態は予想し難いし、違反行為に対し刑罰を科する規定も設けられていないことから、右のような限定列挙方式が採られていないものと解される。これらのことを考えると、裁判所法五二条一号の「積極的に政治運動をすること」の意味は、国家公務員法の「政治的行為」の意味に近いと解されるが、これと必ずしも同一ではないというのが相当である
以上のような見地に立って考えると、「積極的に政治運動をすること」とは、組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって、裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるものが、これに該当すると解され、具体的行為の該当性を判断するに当たっては、その行為の内容、その行為の行われるに至った経緯、行われた場所等の客観的な事情のほか、その行為をした裁判官の意図等の主観的な事情をも総合的に考慮して決するのが相当である。

2 憲法二一条一項の表現の自由は基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、その保障は裁判官にも及び、裁判官も一市民として右自由を有することは当然である。しかし、右自由も、もとより絶対的なものではなく、憲法上の他の要請により制約を受けることがあるのであって、前記のような憲法上の特別な地位である裁判官の職にある者の言動については、おのずから一定の制約を免れないというべきである。裁判官に対し「積極的に政治運動をすること」を禁止することは、必然的に裁判官の表現の自由を一定範囲で制約することにはなるが、右制約が合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならず、右の禁止の目的が正当であって、その目的と禁止との間に合理的関連性があり、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものでないなら、憲法二一条一項に違反しないというべきである。そして、右の禁止の目的は、前記のとおり、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにあり、この立法目的は、もとより正当である。
また、裁判官が積極的に政治運動をすることは前記のように裁判官の独立及び中立・公正を害し、裁判に対する国民の信頼を損なうおそれが大きいから、積極的に政治運動をすることを禁止することと右の禁止目的との間に合理的な関連性があることは明らかである。さらに、裁判官が積極的に政治運動をすることを、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎず、かつ、積極的に政治運動をすること以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではない。他面、禁止により得られる利益は、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するなどというものであるから、得られる利益は失われる利益に比して更に重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない。そして、「積極的に政治運動をすること」という文言が文面上不明確であるともいえないことは、前記1に示したところから明らかである。したがって、裁判官が「積極的政治運動をすること」を禁止することは、もとより憲法二一条一項に違反するものではない。
そうすると、抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号所定の「積極的に政治運動をすること」に該当すると解される限り、これを禁止することは、憲法二一条一項に違反しないというべきである。
抗告人は、諸外国において裁判官の政治的行為の自由は広く認められているなどと主張するが、本件においては、本件言動が我が国の裁判官の行為として裁判所法五二条一号に違反したとみられるか否か、その禁止が我が国の憲法二一条一項に違反するか否かが問題であり、歴史的経緯や社会的諸条件等を異にする諸外国における法規制やその運用の実態は、一つの参考資料とはなり得ても、これをそのまま我が国に当てはめることはできない。のみならず、どこの国においても裁判官の政治的な行動には程度の差こそあれ裁判の本質に基づく一定の限界を認めているのであって、裁判所法五二条一号が特異な規定であるとはいえない。なお、同号は、以上のような理由により憲法二一条一項に違反しないものである以上、市民的及び政治的権利に関する国際規約一九条に違反するといえないことも明らかである。

五 本件言動の裁判所法五二条一号該当性特定の法律を制定するか否かの判断は、国の唯一の立法機関である国会の専権に属するものであるところ、裁判官が、一国民として法律の制定に反対の意見を持ち、その意見を裁判官の独立及び中立・公正を疑わしめない場において表明することまでも禁止されるものではないが、前記事実関係によれば、本件集会は、単なる討論集会ではなく、初めから本件法案を悪法と決め付け、これを廃案に追い込むことを目的とするという党派的な運動の一環として開催されたものであるから、そのような場で集会の趣旨に賛同するような言動をすることは、国会に対し立法行為を断念するよう圧力を掛ける行為であって、単なる個人の意見の表明の域を超えることは明らかである。このように、本件言動は、本件法案を廃案に追い込むことを目的として共同して行動している諸団体の組織的、計画的、継続的な反対運動を拡大、発展させ、右目的を達成させることを積極的に支援しこれを推進するものであり、裁判官の職にある者として厳に避けなければならない行為というべきであって、裁判所法五二条一号が禁止している「積極的に政治運動をすること」に該当するものといわざるを得ない
なお、例えば、裁判官が審議会の委員等として立法作業に関与し、賛成・反対の意見を述べる行為は、立法府や行政府の要請に基づき司法に携わる専門家の一人としてこれに協力する行為であって、もとより裁判所法五二条一号により禁止されるものではない。裁判官が職名を明らかにして論文、講義等において特定の立法の動きに反対である旨を述べることも、その発表の場所、方法等に照らし、それが特定の政治運動を支援するものではなく、一人の法律実務家ないし学識経験者としての個人的意見の表明にすぎないと認められる限りにおいては、同号により禁止されるものではないということができる。また、裁判所は、司法制度の運営に当たる立場にあり、規則制定権を有していることなどにかんがみると、司法制度に関する法令の制定改廃についても、一定の意見を述べることができるものと解される。しかし、本件において抗告人が行ったように、特定の法案を廃案に追い込むことを目的とする団体の党派的運動を積極的に支援するような行動をすることは、これらとは質の異なる行為であるといわざるを得ない。

六 懲戒事由該当性及び懲戒の選択
裁判所法四九条にいう「職務上の義務」は、裁判官が職務を遂行するに当たって遵守すべき義務に限られるものではなく、純然たる私的行為においても裁判官の職にあることに伴って負っている義務をも含むものと解され、積極的に政治運動をしてはならないという義務は、職務遂行中と否とを問わず裁判官の職にある限り遵守すべき義務であるから、右の「職務上の義務」に当たる。したがって、抗告人には同条所定の懲戒事由である職務上の義務違反があったということができる。
そして、本件言動の内容、その後の抗告人の態度その他記録上認められる一切の事情にかんがみれば、抗告人を戒告することが相当である。

第二 手続上の問題に関する抗告人の主張に対する判断
抗告人の抗告理由は、別紙の抗告代理人ら提出の抗告理由書、各抗告理由補充書及び抗告人提出の抗告理由書の各抗告理由に記載のとおりであるところ、当裁判所の懲戒についての認定判断は以上のとおりであるが、本件の手続上の問題に関する抗告人の主張のうち主要なものについて、当裁判所の判断を述べることとする。
一 当審において審問期日を開くことの要否
裁判官の分限事件手続規則(以下「規則」という。)三条ないし五条の規定は、分限事件においては、当該裁判官立会いの下において審問期日を開くことを要請しているものとみられるから、第一審においては必ず一度は審問期日を開かなければならないものと解すべきである。しかしながら、抗告審においても審問期日を開かなければならない旨の規定はなく、抗告審は続審であるから、第一審において審問期日を開いている場合に、抗告審において重ねて審問期日を必ず開かなければならないものと解することはできない。したがって、抗告審は、書証以外の新たな証拠を取り調べる必要がある場合を除き、審問期日を開かなければならないものではない。そして、本件において確定すべき事実関係は、原審において取り調べた証拠によって明らかとなっており、当審において新たな証拠を取り調べることを要しないから、審問期日を開く必要はないものということができる。
なお、裁判官分限法(以下「法」という。)八条二項が抗告裁判所の裁判について法七条二項の規定を準用しているので、抗告審は、第一審で既に当該裁判官の陳述を聴いている場合でも、当該裁判官の陳述を改めて聴かなければならないが、陳述を聴く方法については、分限事件に関して準用される非訟事件手続法八条一項が右陳述は書面又は口頭で行うことと規定しているから、抗告審としては、当該裁判官に書面を提出させる方式を採ることも口頭で陳述させる方式を採ることも、いずれも可能であると解される。したがって、法八条二項の規定から、抗告審が必ず審問期日を開かなければならないということが導かれるものではない。
二 抗告人の陳述がないまま懲戒の裁判をすることの適否法七条二項、八条二項が裁判所は懲戒の裁判をする前に当該裁判官の陳述を聴かなければならないとしているのは、陳述の機会を与えなければならないという趣旨であって、その機会を与えたにもかかわらず当該裁判官が陳述をしなかった場合に、陳述のないまま懲戒の裁判をすることを禁ずるものでないことは、明らかである。
記録によれば、原審が二回にわたる審問期日において繰り返し抗告人本人に対し陳述を促したにもかかわらず、抗告人は、本件の審理手続等についての抗告人の主張が裁判所によって受け入れられない限り陳述しないとの態度に終始し、原審がそれらの主張に対する最終的な判断を示してもなお右態度を覆さないまま期日が終了したことが明らかであり、さらに、原審が第三回審問期日は指定しないことを明らかにした上で審問期日における陳述に代わる書面の提出の機会を与えたにもかかわらず、代理人からあくまで第三回審問期日の指定を求める旨の書面が提出されたにとどまり、抗告人の陳述書は提出されなかったことが認められる。右の経過に照らせば、抗告人は、原審が再三にわたり陳述の機会を与えたにもかかわらず陳述をしなかったことが明らかであって、原審が抗告人の陳述がないままに懲戒の裁判をしたことに違法はない。抗告人は、陳述する意思があることを終始明らかにしていたから、抗告人が陳述の機会を放棄したものということは許されないと主張するが、手続を主宰する裁判所の判断が示された以上、法定の不服申立てにより右判断が変更されない限り、その判断に従うべきであって、自己の主張する手続によらなければ審理に応じないとの態度を執り続けることは許されないものというべきである。右主張は到底採用することができない。
抗告人は、当審においても、当裁判所が三週間の期間を定めて書面による陳述の機会を与えたにもかかわらず、独自の見解に固執して、これには応じかねる旨の書面を提出しただけで、本件について陳述する書面を提出しなかったものである。したがって、抗告人は、当審においても陳述の機会が与えられたにもかかわらず陳述をしなかったことが明らかであるから、抗告人の陳述がないことは本件懲戒の裁判をすることの妨げとなるものではない。
三 原審が審問を公開しなかったことの適否
1 規則七条は分限事件の性質に反しない限り非訟事件手続法第一編の規定を準用すると規定しており、審問の非公開を定める同法一三条の規定も、性質に反しない限り分限事件に準用される。
憲法八二条一項は、裁判の対審及び判決は公開の法廷で行わなければならない旨を規定しているが、右規定にいう「裁判」とは、現行法が裁判所の権限に属するものとしている事件について裁判所が裁判という形式をもってする判断作用ないし法律行為のすべてを指すのではなく、そのうちの固有の意味における司法権の作用に属するもの、すなわち、裁判所が当事者の意思いかんにかかわらず終局的に事実を確定し当事者の主張する実体的権利義務の存否を確定することを目的とする純然たる訴訟事件についての裁判のみを指すものと解すべきである(最高裁昭和四一年(ク)第四〇二号同四五年六月二四日大法廷決定・民集二四巻六号六一〇頁等)。
裁判官に対する懲戒は、裁判所が裁判という形式をもってすることとされているが、一般の公務員に対する懲戒と同様、その実質においては裁判官に対する行政処分の性質を有するものである。したがって、裁判官に懲戒を課する作用は、固有の意味における司法権の作用ではなく、懲戒の裁判は、純然たる訴訟事件についての裁判には当たらないことが明らかである。また、その手続の構造をみても、法及び規則の規定中には、監督権を行う裁判所の申立てにより手続を開始し、申立裁判所を代表する裁判官に審問への立会権を認め、申立裁判所にも裁判に対する即時抗告権を認めるなど、当事者対立構造を思わせる定めもみられるけれども、申立てを受けた裁判所は、申立裁判所に懲戒事由の主張立証をさせ、その主張の当否を判断するのではなく、右申立てを端緒として、職権で事実を探知し、必要な証拠調べを行って(規則七条、非訟事件手続法一一条)、当該裁判官に対する処分を自ら行うのである(申立てを受けた裁判所は、懲戒事由に該当する事実を認定したとしても、懲戒を課するか否か、課するとしていかなる内容の懲戒とするかについて、懲戒権者としての裁量権を行使して第一次的判断をするのであり、その点に関する申立裁判所の主張の当否を判断するのではない。)から、分限事件は、訴訟とは全く構造を異にするというほかはない。したがって、分限事件については憲法八二条一項の適用はないものというべきである(最高裁昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁参照)。
なお、憲法八二条二項ただし書の規定は、同条一項の適用がある裁判の対審に関する規定であるから、同項の適用がない分限事件に適用される余地がないことは、いうまでもない。
2 抗告人は、一般の公務員に対する懲戒については、これに不服がある場合には抗告訴訟を提起して裁判所の公開審理を受けることができるのに、裁判官の懲戒については公開審理を受けられないのは不合理であるから、分限事件には憲法八二条一項の適用があると解すべきであると主張する。
しかしながら、裁判官の分限事件を非公開の手続で行うこと自体が憲法八二条一項に違反しないことは既に述べたとおりである。そして、法及び規則においては、手続を公開しないものの、分限事件の重要性にかんがみて、当該裁判官の所属する裁判所の上級裁判所がこれを管轄することとし、高等裁判所においては五人の裁判官により構成される特別の合議体で、最高裁判所においては大法廷で、これを取り扱うこととされている。その手続も、申立書の謄本を当該裁判官に送達しなければならず、第一審においては必ず審問期日を開くこととして、その期日は当該裁判官に通知をし、当該裁判官はその期日に立ち会うことができ、また、懲戒の裁判をする前には当該裁判官の陳述を聴かなければならず、懲戒の裁判をするには、その原因たる事実及び証拠によりこれを認めた理由を示さなければならないとされている。このように、分限事件については、一般の非訟事件はもとより抗告訴訟との比較においても適正さに十分に配慮した特別の立法的手当がされているのであり、これに更に公開審理が保障された訴訟の形式による不服申立ての機会が与えられていなくても、手続保障に欠けるということはできない。
3 そして、以上に述べたところからすれば、分限事件の審問を公開しないことは、憲法三一条、三二条や市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条一項に違反するということもできないし、非訟事件手続法一三条の規定を分限事件に準用することがその性質に反するものともいえない。
なお、規則七条の準用する非訟事件手続法一三条ただし書は、裁判所が相当と認める者に傍聴を許すことができる旨を規定しているところ、抗告人は、原審は少なくとも右規定に基づいて報道関係者に傍聴を許すべきであったと主張する。しかし、右規定によって傍聴を認めるか否かは当該裁判所の裁量にゆだねられており、傍聴を認めないことが違法になるのは、裁量の範囲を逸脱し、裁量権の濫用に当たる場合に限られるというべきであり、本件において裁量権の濫用等に当たることを根拠付ける事情は存在しないのであるから、原審が報道関係者の傍聴を許さなかったことに違法はない。
四 原審が第二回審問期日の立会代理人数を三五人に制限したことの適否刑訴法三五条、刑訴規則二六条、二七条は、被告人及び被疑者の弁護人の数の制限につき規定しており、被告人についてみても、裁判所は、特別の事情があるときは、弁護人の選任自体を各被告人について三人までに制限することができるものとしている。右規定をみれば、刑事裁判手続においてすら無制限に弁護人の援助を受け得ることが被告人の当然の権利であるといえないことは、明らかである。民事訴訟及び非訟の手続における代理人については、類似の規定は見当たらないが、これらの手続においても、手続を主宰する裁判所は、その手続を円滑に進行させるために与えられた指揮権に基づいて、期日を開く場所の収容能力、当該期日に予定されている手続の内容、裁判所の法廷警察権ないし指揮権行使の難易等を考慮して、必要かつ相当な場合には、期日に立会う代理人の数を合理的と認められる限度にまで制限することが許されるものと解すべきである。そのように解したからといって、右の制限が合理的なものである限り、当事者の防御権が不当に侵害されるとはいえない。
本件においては、原審が、代理人らに第二回審問期日の前に期日を開く場所の収容能力に限界があるため必要かつ相当な措置として立ち会う代理人の数を制限する意向を示し、当日も約一時間にわたり折衝を経た上で期日を開いたこと、また、三五人の範囲内であれば、抗告人側で適切な者を選別して立ち会わせることが保障されていたことが、記録上明らかであり、三五人という数をもって防御権行使に不足するとは到底考えられないところである。抗告人は、審問期日を開く場所として、中会議室ではなく大会議室を使用すべきであったと主張しているが、原審が審問期日を開く場所を中会議室と定めたのは分限事件の性質にふさわしいと考えたからであることが記録上明らかであり、その判断が不当であるとは認められない。以上のことからすると、原審が立会代理人数を三五人に制限したことに違法はないものというべきである。
なお、抗告人は、原審が審問の立会代理人を弁護士資格のある者に限定をしたことを前提として、その違法をも主張するが、原審の第二回審問調書によれば、原審が右の資格の限定をしたとは認められない。したがって、右主張は前提を欠き失当である。
五 本件懲戒申立てについて裁判官会議の議を経ることの要否裁判官の懲戒申立ては当該裁判官に対して司法行政の監督権を行う裁判所の権限とされている(法六条)から、司法行政事務として裁判官会議の議により行われるべきものである(裁判所法二九条二項等)が、裁判官会議は下級裁判所事務処理規則二〇条一項により所長に権限を委任することができる。そして、仙台地方裁判所事務処理規則四条一項は、司法行政事務のうち同項各号に列挙した事項以外の事項を所長に委任するものと定めているところ、裁判官の分限事件の申立ては、右列挙事項に含まれていない。したがって、右申立ての権限は所長に委任されていると解される。右の委任は、仙台地方裁判所の裁判官会議の議により決せられたものであり、憲法七六条、七八条、裁判所法四〇条等に違反しない。
抗告人は、右事務処理規則六条二項が、所長が常置委員会に諮問して意見を聴いた上で行うべき事項を列挙しており、その中に、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」を挙げているのに、「裁判官の懲戒に関する事項」は挙げていないことから、裁判官以外の職員の懲戒については所長が単独で処理することができず必ず常置委員会の意見を聴かなければならないのに、裁判官の懲戒については所長が単独で処理することができるというのでは不合理であるから、右規定は裁判官の懲戒に関する事項は所長に委任されていないことを前提としていると主張する。しかしながら、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」の内容は、所長が任命権を有する職員については所長が懲戒処分そのものを行うことを意味するのに対し、裁判官の懲戒に関しては、所長が行うのは高等裁判所に対して懲戒の申立てをすることにとどまり、懲戒をするか否かは申立てを受けた高等裁判所の裁判体が決定すること、また、裁判官以外の職員の懲戒は場合によっては懲戒免職という重大な結果をもたらすものであるのに対し、裁判官の懲戒は戒告又は一万円以下の過料にすぎない(法二条)ことを考慮すれば、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」より「裁判官の懲戒に関する事項」の方が重要な事項であるとは、必ずしも断定し得ない。そうすると、規定の文言を無視してまで、裁判官の懲戒に関する事項は所長に委任されていないと解さなければならない理由はないというべきである。
したがって、本件分限事件の申立てについて仙台地方裁判所の裁判官会議の議を経なかったことに違法があったとはいえない。
六 不告不理の原則違反の有無前記のとおり、裁判官分限事件は当該裁判官の監督裁判所の申立てによって手続が開始されるが、申立てを受けた裁判所は、申立ての当否を判断するのではなく、自らが処分の主体となって証拠により認定した事実に基づいて当該裁判官に懲戒を課するかどうかを決するのである。申立ては手続開始の端緒にすぎず、申立てを受けた裁判所は、申立裁判所が申立ての前提とした事実や申立裁判所が提出した証拠に拘束されるのではなく、必要に応じて職権で事実を探知して(規則七条、非訟事件手続法一一条)、懲戒事由の存否や情状につき認定判断すべきものである。したがって、申立書に記載された事実関係と申立てを受けた裁判所が証拠によって認定した事実関係との間に同一性を欠くとはいえない程度の相違があっても、懲戒の裁判が違法となるものではないというべきであり、右の同一性がある範囲内であれば、当該裁判官の弁明・反証の機会を奪うものとはいえない。本件において抗告人の指摘する相違点は、すべて右の同一性の範囲内にあることは明らかであり、しかも、抗告人において反論済みの問題点であって、抗告人の防御権行使に何らの支障もなかったことが明らかである。抗告人の投書の事実も、申立書に証拠として投書記事が添付されており、不意打ちとはいえない。
したがって、原審が申立裁判所に釈明を求めずに申立書記載の事実と細部において異なる事実を認定してこれを基に懲戒を決定したことに違法はなく、このことが憲法三一条等に違反するとはいえない。

第三 結論
以上によれば、抗告人を戒告した原決定は正当であり、本件抗告は理由がない。よって、裁判官園部逸夫、同尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同元原利文の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官園部逸夫の反対意見は、次のとおりである。
私は、裁判官が在任中積極的に政治運動をしたことが認められる場合でも、そのことのみを理由として、当該裁判官を懲戒処分に付することはできないと考えるものである。多数意見は、これと異なる前提に立って懲戒についての認定判断をしているが、私は、多数意見が前提とする裁判所法の解釈については見解を異にするため、これに賛成することができない。その理由は、次のとおりである。
裁判所法五二条一号は、裁判官は在任中積極的に政治運動をすることができないと定め、右行為を絶対的に禁止している。すなわち、裁判官に在任することと積極的な政治運動に従事することとは、そもそも両立し得ないのである。また、右条項により禁止されている裁判官の積極的な政治運動に該当する行為(懲戒事実)と同法四九条所定の懲戒事由及び裁判官分限法二条所定の懲戒処分の種類(戒告又は一万円以下の過料)との間には、明確な対応関係がないので、積極的に政治運動をしたことのみを理由として在任中の裁判官を懲戒処分に付するということは、法の建前ではないと考える。したがって、在任中に積極的に政治運動をしたことが直ちに職務上の義務違反に該当すると判断するのは妥当でない。この点、国家公務員法一〇二条一項及び人事院規則一四―七「政治的行為」が政治的行為の制限を規定し、右制限違反については、同法八二条一号が「この法律又はこの法律に基づく命令に違反した場合」と規定してこれを懲戒事由とした上で戒告から免職に至る各種の懲戒を課するものとするとともに、同法一一○条一項一九号がこれに刑事罰を科するものとしているのとは異なる。
右の理由により、私は、裁判官が在任中に積極的に政治運動をしたことが認定される場合でも、裁判所法四九条所定の第一の懲戒事由である職務上の義務に違反することに該当するとして当該裁判官を戒告又は一万円以下の過料のいずれかの懲戒処分に付することはできないと考える。
ただし、積極的であるかどうかにかかわらず、およそ政治運動をするために職務を怠ったという事実が認められるときは、同法四九条所定の第二の懲戒事由に、また、政治運動をすることによって裁判官の品位を辱める行状があったという事実が認められるときは、同条所定の第三の懲戒事由に該当するとして、懲戒処分に付することができる。
なお、裁判官に対する懲戒処分の手続とは直接関係のないことであるが、裁判官が在任中に積極的に政治運動をした事実が認められ、右運動をするため当該裁判官が職務を甚だしく怠った場合、又は右運動が職務の内外を問わず裁判官としての威信を著しく失うべき非行に当たる場合には、最高裁判所は、所定の手続を経て、当該裁判官について、裁判官弾劾法二条一号後段又は同条二号所定の罷免事由に該当するとして、同法一五条三項に基づき裁判官訴追委員会に罷免の訴追をすべきことを求め、弾劾による罷免の事由に該当するか否かの認定判断を裁判官弾劾裁判所の裁判にゆだねることができる。
以上の前提に立って、本件についてみると、原決定は、抗告人が在任中に積極的に政治運動をしたことを認定判断し、そのことが裁判官の職務上の義務に違反するとして、抗告人を懲戒処分に付しているのであって、抗告人の行為が裁判所法四九条所定の他の懲戒事由に該当するかどうかについては、認定判断をしていない。したがって、原決定には、同法の規定の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。そして、本件全証拠によっても、抗告人の行為が同条所定の他の懲戒事由に該当するとは認められない。よって、原決定を取り消し、抗告人を懲戒処分に付さないこととすべきである。

+反対意見
裁判官尾崎行信の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件の実体面については、元原裁判官の反対意見に同調するほか、抗告人の行為は「積極的に政治運動をすること」に当たらないとする点において遠藤裁判官とも考えを同じくし、たとえ多数意見のいうとおり抗告人の本件言動をもって右懲戒事由に当たると解し得るとしても、懲戒処分をすることは差し控えるのが相当であるとする点において河合裁判官と考えを同じくするものであるが、当審における審理手続についても、多数意見と立場を異にする。その理由は、次のとおりである。
一 裁判官の分限事件手続規則(以下「規則」という。)七条は、裁判官の分限事件に関し、「その性質に反しない限り、非訟事件手続法第一編の規定を準用する。」と規定している。しかし、本件の当審における審理手続がいかにあるべきかについては、関連する法条の文言にとらわれることなく、事件の類型、性質、内容などに照らしそれらに適した手続はいかなるものか、それが近代法の下における適正な司法運営として広く受容され得るものかを検討の上で、決定することが必要である。
二 かつては、実体的権利義務の存否を確定する純然たる訴訟事件でないものは、いわゆる非訟事件として非訟事件手続法(以下「非訟法」という。)の定める手続により処理され、公開・対審の手続の保障(憲法三二条、八二条)は及ばないと考えられていたが、非訟事件に分類されている事件の中にも、その性質や内容に応じて、今日では、手続的保障を加味し公開・対審の原則の適用を考慮すべき場合があることを認め、そのような場合には、適正手続に従った裁判によって基本的人権を保障することが必要であるとするのが憲法の趣旨に合致すると解されている。従来の訴訟事件・非訟事件の二分類説によって画一的・形式的に審理方法を区別するときは、分類基準のあいまいさから、事件の実質にそぐわない場合が生ずるからである。
三 また、本件のように特別な公法関係に入った者に対する基本的人権保障規定の適用に当たっては、一般人に対する場合と異なった制約の生ずることを認めざるを得ないが、その制約は、特別な公法関係の設定目的及び存在理由からみて合理的であって必要不可欠なものが最小限度で許されるにとどまると解すべきである。これを懲戒について考えると、職務規範、懲戒事由等の実体面では具体的な職務、地位、責任に応じ必要で合理的と認められる制約があり得るが、懲戒手続やその不服申立方法等の手続面では被処分者の名誉等への配慮を要するほかはその関係に内在する合理的な制約を想定することはほとんど不可能である。つまり、懲戒処分事件の場合にも、憲法が一般国民に保障する公正な手続に従った裁判によって最終判断を受ける権利(憲法三二条)を奪う合理的理由は見いだせず、その手続に関する限りは近代司法の諸原則たる直接主義、口頭主義のほか、被処分者が希望する場合には公開主義にものっとって行われるべきものと考えられる。一般の公務員の懲戒については、行政処分として懲戒決定があると、行政不服審査を経た上で司法審査による救済の道が開かれていることをみても、このようにいうべきである。
四 以上の観点からみるだけでも、本件は非訟法に従って処理するだけでは足りないとの結論を導くことができるが、さらに、裁判官の懲戒については、非訟法の定めによらず公開手続、口頭主義、直接主義などの近代司法の原則の下に、基本的人権を保障すべく、格別の配慮を必要とする理由が認められる。
第一に、本件では、懲戒権者が裁判所である点に留意することを要する。すなわち、裁判所は、懲戒権の行使すなわち行政処分の実質を有する行為を裁判という形式で行うのであり、行政機関としての役割と司法機関としての役割を一つの行為によって果たしている。その結果、利害が相反することも想定され、特に被処分者からみれば司法的判断者としての公正・中立に危ぐを抱きやすいことは当然であるし、また外部の一般国民も同様の不信感を覚えることもあろう。
このことにかんがみれば、裁判所は、司法審査権能を適正に行使したことを内外に示すため、本来の司法裁判の原則に照らし、最も公正な手続を採り、司法過程を最大限透明にし、当事者及び世人の危ぐを払拭すべきである。裁判官の職にある者がした裁判であるということだけでは、公正・中立を保障するものではなく、また、その無びゅう性を担保するものでもない。公正・中立は、公開・対審の手続を経ることによって保障の実が上げられるというべきである。公開法廷において、直接主義、口頭主義の原則の下に審理を尽くすことこそが、単に被処分者の基本的人権を保障するだけでなく、裁判所の公正・中立を社会に公示し、その信頼性を確保することとなるのである。
第二に、規則七条が「その性質に反しない限り」非訟法を準用すると定めていることを忘れてはならない。裁判官の懲戒事件は、刑事事件に比すべき重みを有するものであり、その審理手続は、刑事事件手続において要請される裁判の公開、対審構造、証拠主義などの原則に沿ったものが適切である。この面を無視し、民事・家事など通常の非訟事件と同一レベルで本懲戒事件を考え、単に非訟法を文面どおり準用すればよいとすることは、同条が特に「その性質に反しない限り」と定めた趣旨に違背するものというべきである。
また、特別な公法関係にある者の懲戒手続につき司法的救済を拒否する合理的な理由は存在しない。一般の公務員はこれを享受しているのであるから、裁判官も同様の救済を得られるよう非訟法を解釈運用すべきである。
しかも、本件においては、裁判所が懲戒権者の側面と司法的判断者の側面を同時に帯有するため、外観においても内容においても公正・中立を実現するためには特段の努力が要求される場合であるから、本事件の特質、特に右の二面性を考慮すれば、「その性質に反しない限り」の文言に照らし、前記の近代司法の諸原則を適用すべきである。
第三に、裁判所の行う懲戒の裁判が行政処分の実質を有することにかんがみると、当裁判所が本抗告事件を非訟法に従って現に執った手続の下で処理することは、上級行政機関の行う再審査手続と大差がなく、行政機関が終審として裁判を行うことを禁ずる憲法七六条二項の趣旨に反することになると考える。裁判官の場合も他の公務員と同様不利益処分に対して司法救済のみちを開いておくべきである。
しかも、当裁判所において、抗告人が非訟法の定めの下で執り得る司法裁判に要請される適正手続に最大限近い手続による審理を受けることができなかったことは、懲戒事由の有無、懲戒権の存否など訴訟事件として判断さるべき事案につき適正手続下の公正な裁判を受ける権利(憲法三二条)を行使し得なかったこととなるというべきである。
五 要するに、当審において本件を処理するに当たっては、裁判所は公開裁判、口頭主義、直接主義など近代司法の諸原則の下にこれを審理するべきであり、こうした審理、判断であってこそ社会一般も当事者本人も納得させることができ、裁判所への信頼も高められるのであり、そうでない限り、当審の手続は違法たるを免れない。

+反対意見
裁判官河合伸一の反対意見は、次のとおりである。
私は、当審における審理を公開法廷で、直接、口頭により行うべきであるとする点において尾崎裁判官と考えを同じくし、抗告人の本件言動が裁判所法四九条及び五二条一号後段所定の懲戒事由たる「積極的に政治運動をすること」に該当しないとする点において遠藤裁判官及び元原裁判官と考えを同じくするものであるが、さらに、たとえ多数意見のいうとおり抗告人の本件言動をもって右懲戒事由に当たると解し得るとしても、懲戒処分をすることは差し控えるのが相当であると考えるので、その理由を述べておきたい。
一 憲法の保障する思想・信条の自由及びこれに伴う表現の自由は、政治について自己の見解や意見を持ち、それを表明する自由を含むものであり、裁判官も、国民の一人として、基本的にこれらの自由を有することは多言するまでもない。他方、裁判官が、司法に対する国民の信頼を維持するため、その職務を行うについて中立・公正でなければならないことはもとより、外見上も中立・公正を保つことが要請されることは、多数意見の説示するとおりである(裁判官がその職務を行うについて中立・公正でなければならないとの要請は、外見上の中立・公正の要請よりもはるかに強く、いわば絶対的なものである。しかし、本件は直接には裁判官の職務遂行に関するものではないから、以下では、その場合の中立・公正の要請については論じない。)。
二 問題は、裁判官の政治について見解等を表明する自由と、外見上中立・公正を保つことを要請されるという制約とを、いかにして調整し、調和させるかというところにある。
私は、これをするのはまず裁判官自身であり、かつ、制度としても、できる限り、各裁判官の自律と自制に期待すべきものと考える。
本来、裁判官は、高い職業的倫理観ないし良識を有する者であることが想定されている。そのことからすれば、右の調整ないし調和を、まず、裁判官自身の良識に基づく自律と自制にゆだねるのが、当然の順序である。裁判官は、もし何らかの政治的言動をするのであれば、その内容や表現方法はもとより、いわゆる時・所・機会を十分に吟味し、前記中立・公正の要請との調和を図らなければならない。もとより、その判断は常に容易であるとは限らず、殊に経験の浅い裁判官が迷い、ときに誤ることがあるかもしれない。しかし、裁判官は、一般に、比較的親密でしかも自由な職場で、先輩や同僚の意見に接し、助言を得ることができる環境にあるから、それらを得ながら、熟慮を重ねることによって、やがては右判断を適切に行い得る域に達することが期待できるのである。
裁判所法及び裁判官分限法が制定、施行され、裁判官が積極的に政治運動をすることが懲戒事由に該当するものとされてから既に半世紀を超えているのに、これまで右事由により懲戒された例はない。このことは、これまで裁判官が全体として右のような期待に十分こたえてきたことを示すとともに、今後ともその期待を基礎として制度を運用することの正しさを裏付けるものといえよう。
三 私が右のようにいうのは、それが、裁判官及び司法のあるべき姿に添うと信じるからである。
憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定している。これは、個々の裁判官が裁判をするについての自主独立性を宣明するものである。裁判官は、不断に考究し、謙虚な自省を重ねつつ、自己の裁判官としての良心に従って、職務を行うのである。その裁判官の職務は、事実を確定し、憲法以下の法令を適用して裁判をすることであるが、現代の複雑かつ変化を続ける社会においてこれを適切に行うためには、単に法律や先例の文面を追うのみでは足りないのであって、裁判官は、裁判所の外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備える努力を続けなくてはならない。
このような、自主、独立して、積極的な気概を持つ裁判官を一つの理想像とするならば、司法行政上の監督権の行使、殊に懲戒権の発動はできる限り差し控え、だれの目にも当然と見えるほどの場合に限るとすることが、そのような裁判官を育て、あるいは守ることに資するものと信じるのである。
四 抗告人の本件言動それ自体は、要するに、「本件集会においてパネリストとして参加する予定であったが、所長から警告を受けたので取りやめる」との趣旨の発言をしたというものである。、多数意見は、右発言を、それに至る経緯等を背景に置いて評価し、裁判所法五二条一号後段の「積極的に政治運動をすること」という懲戒事由に該当するとしている。しかし、たとえそのような評価が可能であるとしても、それは、いわばぎりぎりの解釈によってである。その意味で、本件はいわゆる限界事例であり、だれが見ても右事由に該当することが明らかで、懲戒権の発動は当然であると見えるということはできない。
このような限界例にまで懲戒権を発動することが、特に若年の裁判官が前述のような自主、独立、積極的な気概を持つ裁判官に育つのを阻害することを、私は危倶する。殊に、右懲戒事由の要件は、「積極的に」といい、「政治運動」といっても、いずれも多義的な、相当に幅のある定めである。そのような幅のある要件について限界まで懲戒権が発動される例を見ることにより、裁判官の中に必要以上に言動を自制する者が現れはしないかと案ずるのである。
本件について、国民の一部から右と同様の危倶が表明されている。それらの多くは、司法が前述のような裁判官によって担われることを望み、懲戒権あるいは司法行政上の監督権が今後広く行使されることによって、その望みが達せられなくなるのではないかとの不安ないし不信を感じているものであろう。もとより、そのような不安ないし不信は杞憂であると考えるが、殊に本件が積極的政治運動を理由とする裁判官懲戒の初めての例であるだけに、そのような不安・不信を感じることも理解できないではない。そして、司法に対する国民の信頼の確保の観点からすれば、そのような不安、不信感を与えること自体、できる限り避けるべきものである。五 抗告人の本件言動を含む一連の言動は、裁判官として不適切であり、支持できるものではない。しかし、だからといって本件懲戒処分の当否の検討が不要となるわけではない。
分限裁判によって裁判官を懲戒する目的は、まず、当該裁判官をして反省させ、その将来の言動を是正しようとするところにあるが、これに加えて、他の裁判官一般に対して、基準を示して自戒を求め、ひいては、司法の中立・公正を国民の前に明らかにして、その信頼を確保しようとするところにもある。本件のような限界事案をもって前記事由による懲戒の初めての先例とすることは、裁判官に示すべき基準として適切でないばかりか、前述のとおり、裁判官一般及び国民に対し、かえって悪しき影響を及ぼすことが懸念されるのである。
六 以上のとおり、私は、たとえ抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号後段に該当するといえるとしても、それを理由として懲戒処分をすることは相当でないから、いずれにしても原決定を取り消し、抗告人を懲戒しない旨の決定をすべきものと考える次第である。

+反対意見
裁判官遠藤光男の反対意見は、次のとおりである。
私は、抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号所定の「積極的に政治運動をすること」に該当するものではなく、同法四九条所定の懲戒事由である職務上の義務違反行為に当たらないと考えるので、多数意見の結論には反対である。
一 「積極的に政治運動をすること」の意義及びその判断基準
1 憲法二一条一項が保障した表現の自由は、近代民主主義国家の一員である我が国の国民にとって、侵すことのできない永久の権利として付与された貴重な基本的人権の一つである。したがって、この権利は、何人に対しても最大限に保障されなければならないのであって、裁判官であるからといって、その保障の対象から除外される理由はない。もっとも、右自由も、必ずしも絶対的なものではなく、憲法上の他の要請により一定の限度において制約を受けることがあり得ることは、多数意見が指摘するとおりである。裁判所法五二条一号が裁判官に対し、「積極的に政治運動をすること」を禁止したことは、その禁止対象行為が「積極的な政治運動」のみに限定されていること、裁判官が置かれている特別な地位及びその職務内容の特殊性等からみて、やむを得ないものというべきである。
2 「積極的に政治運動をすること」の意義については、それ自体、かなり幅広い概念であって、これを一義的に定義付けることは困難である。
しかしながら、右の概念は、憲法二一条一項が保障した表現の自由に対する重大な制約としての意味を持つものである以上、でき得る限り厳格に解釈されなければならないことはいうまでもない。そして、その解釈の手掛かりとしては、裁判官の政治的行為につき定めていた旧裁判所構成法の制約条項と現行法である裁判所法の制約条項との比較、一般公務員の政治的行為につき定める国家公務員法の制約条項と裁判所法の制約条項との比較、各立法の背景的事実、それぞれの立法の趣旨、目的の違い等からみて、おおよその判断基準を設定することが可能であると考える。
3 旧裁判所構成法七二条一、二号は、判事は在職中「公然政事ニ関係スル事」及び「政党ノ党員又ハ政社ノ社員トナリ又ハ府県市町村ノ議員トナル事」を禁止していた。これに対し、裁判所法五二条一号は、禁止事項として「国会若しくは地方議会の議員となること」及び「積極的に政治運動をすること」を掲げている。このように、右各規定の間には、明らかに文意上の違いがみられる。すなわち、旧裁判所構成法が「政事ニ関係スル事」として、その禁止行為の範囲を幅広く、かつ、漠然と規定していたのに対し、裁判所法は、「積極的に政治運動をすること」とし、その行為を限定している。また、旧裁判所構成法が「政党ノ党員又ハ政社ノ社員」となることまでをも禁止していたのに対し、裁判所法においては、その旨の規定が意識的に排除されているのである。この違いは、単なる表現上の違いにとどまるものではなく、憲法の精神に由来した実質的相違点として理解されなければならない。けだし、旧憲法においても、臣民に対する表現の自由が一応保障されていたとはいえ(旧憲法二九条)、その内容は、「侵すことのできない永久の権利として付与された基本的人権」に基づくものとはほど遠いものであったのに対し、新憲法が保障した表現の自由は、これとは全く異質のものであったため、裁判所法五二条は、憲法二一条一項との抵触を回避するため、前記のように、極めて限定した条件の下に、その制約を認めることとしたものと解されるからである。
したがって、裁判所法は、新憲法の精神にかんがみ、裁判官が政党の党員又は政治結社の社員となることを容認しているばかりでなく、裁判官が社会通念的にみて相当と認められる範囲内の通常の政治運動をすることを認めているものと理解することができるのである。
4 そこで、「積極的な政治運動」と「通常の政治運動」とをどのように画すべきかが問題となるが、多数意見が指摘するとおり、この両者は、裁判官が置かれている憲法上の地位の特殊性(三権分立の原則に基づく独立性)とその職務の特殊性(中立性・公正性)を念頭において分別されるべきものと思われる。すなわち、裁判官は、名実ともに中立・公正に、かつ、すべての権力から独立してその職務を行わなければならないことはいうまでもないが、具体的な職務の遂行を離れてもまた、常に外見上、中立・公正らしさを保持していることが求められているのである。したがって、客観的にみて、そのような中立・公正らしさを保持していることが著しく疑われるような程度に達するような政治運動を行うことは厳に慎まなければならない。裁判所法が「積極的に政治運動をすること」を禁止したゆえんも、正にこの点にあると考えられる。しかし、裁判官といえども、裁判官である前に一市民である。一市民である以上、政治に無縁であり、無関心であり得るはずがない。政治的意識を持つことは当然であり、もともと何らかの政治的立場を保有していたとしても、何ら不思議ではない。現に、前述したとおり、裁判官が政党の党員となり、政治結社の社員となることが容認されている以上、これに準じる程度の政治運動を行うことが禁じられるいわれはない。また、その程度の行為をしたことだけで、裁判官に対し求められる外見上の中立性・公正性が直ちに損なわれることとなったとみるべきではない。けだし、憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しているが(憲法七六条三項)、裁判所法は、裁判官がどのような政治的立場にあろうとも、その立場を超越して、前記規定に基づき忠実にその職権を行うことを期待したものとみてよく、現実にも、多くの裁判官は、その期待に十分こたえているとみられるからである。さらに、我が国における裁判官の政治運動の許容範囲をみるに当たり、社会的諸条件等を異にする諸外国の運用実態を安易に当てはめるべきでないことはいうまでもないが、それにしても、この問題に関する我が国の裁判所の伝統的な考え方は諸外国における考え方とはかなり異なっているように思われてならない。河合裁判官が指摘するとおり、裁判官は、裁判所外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備えるよう努めなければならないのであって、そのためにも、でき得る限り自由かっ達な雰囲気の中でその職務に従事することが望まれるのである。このような考え方は、近時国民各層の間に深く浸透しつつあるように思われる。そのような国民の意識からみても、裁判官が多少の政治運動に従事することがあったからといって、直ちにその独立性が失われ、外見上の中立性・公正性が損なわれるに至ったとみることは杞憂にすぎないというべきである。したがって、裁判所法は、裁判官が行った政治運動の態様が社会通念に照らしかなり突出したものであるがゆえに、将来、前記憲法上の要請を逸脱してその職権が行使されるおそれがあり、ひいては、そのことによって、裁判官に求められるその地位の独立性や前記外見上の中立性・公正性までもが著しく損なわれるに至ったと認められる場合に限り、これを禁止行為の対象としたものと解するのが相当である。
5 また、国家公務員法一〇二条及びこれを受けた人事院規則一四―七は、行政府に属する一般職の国家公務員の政治的行為を一定の範囲で禁止しているが、その規定の仕方は、裁判所法五二条一号で定めるところとは、やや異なったものとなっている。
その詳細については、多数意見が指摘しているとおりである。すなわち、国家公務員法及び人事院規則の前記各規定は、法自体が定める政治的行為のほか、右規則が定める政治的行為を禁止することとした上、同規則は、その政治的行為を具体的に列挙する形でこれを定めている。しかし、その範囲は、現実的にはかなり広範なものに及んでおり、しかも、積極的にこれらの行為を行うことを要件付けていない。これに対し、裁判所法は、「積極的に政治運動をすること」のみに限定してこれを禁止しているのであるが、その点に両者の違いが端的に現れている。多数意見は、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する要請にも増してより強いものがあるとする。確かに、そのような一面があることは否定することができないが、他面また、行政府に属する一般職の国家公務員は、一たび決定された政策を団体的組織の中で一体となって忠実に執行しなければならない立場に置かれているのに対し、裁判官は、憲法と法律のみに制約されることを前提として独立してその職権を行うことが求められていることに加え、違憲立法審査権が付与されていることなど、その職務の執行面において大きな違いがみられる。このため、一般職の国家公務員に対しては、ある程度幅広くその行為を法的に制約することとしたものの、裁判官の政治的行動に対する制約については、法的強制力を伴った制約をできるだけ最小限度のものにとどめた上、裁判官一人一人の自制的判断と自律的行動にその多くを期待したとみることもできると思われるのである。したがって、裁判所法五二条一号所定の政治運動につき、その行為の修飾語として「積極的に」という言葉が付与されていることの意味は、極めて重く受け止められなければならないと考える。
そうだとするならば、右両規定の違いもまた、その判断基準を前記4のとおり、厳しく限定して解釈すべきものとすることについての重要な一指針となり得るものというべきである。
二 抗告人の言動と懲戒事由の該当性
1 抗告人の言動は、おおむね多数意見において認定されたとおりである。すなわち、抗告人は、いったんは本件集会に出席し、パネリストとして発言しようとしたものの、仙台地方裁判所長から注意されたため、パネリストとしての発言を断念し、会場の一般参加者席からその身分を明らかにした上、これを辞退した理由を説明したというのである。
2 もし仮に、抗告人が現実にパネリストとして登壇し、発言したとした場合、その具体的発言内容いかんによっては、「積極的に政治運動をした」と評価される場合があったかもしれないし、また、他の理由により(例えば、「品位を辱める行状」があったものとして)懲戒事由の存在が認められる場合もあり得るかもしれない。しかし、抗告人の言動が前記の域を超えるものでなかった以上、これによって、抗告人が「積極的に政治運動をした」とみることは困難というべきである。けだし、抗告人の言動は、その主観的意図、目的はともかくとして、(一)主として、いったん応諾したパネリストとしての発言を辞退する理由を説明するためされたものにすぎないこと、(二)特定の法案に反対である旨を表明するとともに、懲戒事由の成否に関する自己の見解を明らかにするにとどまっていること、(三)裁判官としての身分を明らかにした上での発言であることからみて、出席者に対して、事実上、多くの影響を与えたことは推測できないわけではないとしても、反対運動をせん動し、又は反対運動の進め方などにつき具体的かつ積極的な発言をしたものではなかったこと、などにかんがみると、右言動により、抗告人の裁判官としての独立性及び前記外見上の中立性・公正性が著しく損なわれるに至ったと断定することはできないと考えられるからである。
3 抗告人の言動には、遺憾と思われる部分が少なくない。例えば、朝日新聞に対する投書一つをとってみても、あたかも令状実務に携わる裁判官の多くが、検察官や警察官の言いなりになって安易に令状を発付しているかのような誤解を読者に与えかねない性質のものである。現実には、大部分の裁判官が心血を注いで誠実に令状実務に従事していることは疑いの余地がないが、抗告人の投書は、これらの裁判官に対し、耐え難い侮辱を与えたものであるばかりでなく、その実情を知らない多くの国民に対し、いわれなき司法不信の念を植え付けたものであって、その責任は誠に大きい。しかし、右の事情は、本件言動に至るまでの前提的事実にすぎないのであって、申立裁判所の申立て事実である本件言動自体の内容をなすものではない。したがって、この点をとらえて、抗告人を懲戒処分とすることは、許されるべきではない。
私は以上の理由により、抗告人には懲戒事由が存在しないものと考える。よって、原決定を取り消した上、抗告人を懲戒に付さない旨決定すべきである。なお、私は、当審において審問期日を開いた上その手続を公開して行うべきであるとする点において、尾崎裁判官と考えを同じくする。

+反対意見
裁判官元原利文の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見と異なり、裁判官尾崎行信の反対意見に同調するほか、抗告人の本件言動は、裁判所法五二条一号に定める「積極的に政治運動をすること」には該当せず、同法四九条所定の職務上の義務に違反したことにはならないと考える。その理由は、次のとおりである。
一 裁判所法五二条は、憲法一五条二項、七六条三項、九九条、裁判所法七五条二項後段、七六条等の規定とともに、裁判官としての地位にある者の職務上の義務を定めたものである。したがって、裁判官がこれに反する行為をしたときは、裁判所法四九条に定める「職務上の義務に違反」したものとして、同条を受けて定められた裁判官分限法所定の手続により懲戒されることがあり、さらに、義務違反の程度が著しいときは、裁判官弾劾法所定の手続により罷免されることがあり得るのである。
すなわち、裁判所法五二条各号の定めは、その名あて人である各裁判官に対し、これに違反するときは懲戒あるいは罷免手続に付されることがあり得ることを予告することにより、同条各号の行為をすることを禁ずる職務上の行為準則を示したものであり、このことは、他方、右準則に違反した裁判官に対して懲戒権を行使する者につき、懲戒権行使の限界を画する意味を有するのである。
二 ところで、懲戒の対象となる行為を定める規定は、できる限り具体的かつ個別的であることが望ましい。具体的、個別的であることにより、名あて人はいかなる行為が禁じられているかを容易に知ることができ、懲戒権者も、名あて人が行為準則に反する行為をしたか否かを的確に判断できるからである。
もしその定めが包括的ないし多義的であるときは、その解釈をめぐって意見の相違を来すおそれのあることは明らかである。
懲戒権者は、規定をできる限り広義に解しようとするに対し、名あて人はこれを限定的に解しようとすることは避けられないからである。かくては、行為準則の内容をめぐる懲戒権者と名あて人間の共通の認識が失われ、行為準則を定めたことによる一般予防的な効果が期待できないこととなる一方、懲戒権者が懲戒権を行使するに当たり、行為準則の解釈がし意的であり、懲戒権の行使は不意打ちであるとの非難を被る余地を残すこととなるのである。
三 これを裁判所法五二条各号についてみると、国会又は地方公共団体の議会の議員となること、最高裁判所の許可のある場合を除いて報酬のある他の職務に従事すること、商業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うことについては、その意味内容がそれぞれ一義的であって、その解釈適用については、まず疑問を生ずる余地がないと思われる。ところが、「積極的に政治運動をすること」の意義については、その解釈が区々になる可能性をはらむものと認めざるを得ない。「積極的に」といい、「政治運動」といっても、これを読む者の立場、認識のいかんによって、広狭いかようにも理解し得る表現だからである。
かかる規定を解釈するに当たっては、これが懲戒の対象となるべき行為を定めたものであることに思いを致し、懲戒権者と名あて人の双方が、共通の認識を分かち得るように、その字句から文理上導き出せるところに従い、客観的に中庸を得た視点でこれを行わなければならないと考える。
特に本件の場合、裁判所は懲戒権を行使する行政庁の立場にあるが、それを裁判という形式で行うものであるから、規定の解釈、適用に当たっては、右視点の保持に特に意を用いることが肝要であり、むしろ謙抑的な解釈態度をもって臨むことが望ましいとすら考えられるのである。
四 右の見地に立って、「積極的に政治運動をすること」の意義を考えると、字義に即していえば、「自から進んで、一定の目的又は要求を実現するために、政治権力の獲得、政治的状況の変革、政治的支配者への抵抗、あるいは政策の変更を求めて展開する活動」ということになろう。したがって、その意味するところは、単なる意見表明の域を超え、一定の政治目的を標ぼうする運動の中に自らの意思で身を投じ、目的実現のために活発に活動することを指すこととなるであろう。
また、行為の積極性は、行為者自身の意思とこれを表現する具体的行為の態様に即してこれを見るべきであって、行為の対象となった第三者自体が主体的に決定し、行動した内容について見るべきものでないことはもちろんである。
裁判所法制定当時の経緯及び公刊された同法の解説をみると、単に政党に加入して政党員になったり、一般国民の立場において政府や政党の政策を批判し、あるいは裁判官が講師をしている大学の講義中に特定政党の批判をすることなどは「積極的に政治運動をすること」には当たらないと解されてきたのである。すなわち、裁判所法は、裁判官が「政治運動」をすることの是非については、裁判官個人の職業的倫理感や良識にゆだね、これが「積極的」と評価し得る程度にまで及んだときに、初めて懲戒の対象となる行為としたものと理解できる。したがって、「積極的に政治運動をすること」の解釈は、この相違を念頭において行わなければならないものである。
五 そこで、本件集会における抗告人の言動が、右の意味における「積極的な政治運動」に該当するか否かを検討するに、抗告人の言動が、多数意見第一の一の2で認定されたとおり(ただし、「本件集会の参加者に対し」以降の記載を除く。)であるとしても、その発言の内容は、
(一) 当初は、盗聴法と令状主義というテーマのシンポジウムにパネリストとして参加する予定であったこと
(二) 所長から集会に参加すれば懲戒処分もあり得るとの警告を受けたため、パネリストとしての参加を取りやめたこと
(三) 仮に自分が法案に反対の立場で発言しても、裁判所法に定める積極的な政治運動に当たるとは考えていないこと
(四) しかし、パネリストとしての発言は辞退することであったというのである。
右のうち、(一)、(二)及び(四)は、パネリストとしての参加を求められていながら、参加と発言を辞退するに至った経過を説明したにすぎず、この発言のみに限っていえば、これを目して積極的な政治運動を行ったとまでは到底いい得ないであろう。
したがって、問題は、仮定的な表現となっている(三)の発言が、積極的な政治運動に該当するか否かであろうと思われる。確かに抗告人のこの発言は、出席者に対して、自己がパネリストとして発言するときには、盗聴法の内容に反対する立場から意見を述べる予定であったことを言外に伝える趣旨を含むものであり、抗告人が望んだのもかかる効果であったと理解することも可能である。しかしながら、この発言は、抗告人が、本件集会の出席者に対し、盗聴法の制定に対する反対運動に参加し、これを廃案に追い込むべきことを、明確かつ積極的に訴えかけていると認めるには程遠いものである。そうだとすると、抗告人の本件言動は、先に示した基準に照らし、いまだ積極的な政治運動をしたことには該当しないと解さざるを得ない。これをもって、反対運動を支援し、これを推進する役割を果たしたというのは、過大な評価である。
六 以上の次第であるから、原決定には、裁判所法五二条一号の解釈適用を誤った違法があるというべきである。よって原決定を取り消し、抗告人を懲戒に付さない旨を決定するべきである。

++解説
《解  説》
一 本件は、仙台地方裁判所判事補がいわゆる組織的犯罪対策法案を廃案に追い込むための運動の一環として開催された集会に参加して行った言動が、裁判所法五二条一号が禁止する「積極的に政治運動をすること」に該当し、同法四九条所定の懲戒事由である職務上の義務違反に当たるとして、仙台地方裁判所によって仙台高等裁判所に申し立てられた裁判官分限事件につき、同裁判所が戒告の裁判をしたのに対し、同判事補が最高裁判所に即時抗告を申し立てた事件である。裁判官分限事件の即時抗告審は、最高裁判所が事実認定をも行ったり、小法廷を経由せずに大法廷で審理することが義務付けられているなど、極めて異例の手続を有する。また、裁判官が右禁止規定に違反したことを理由に懲戒の申立てをされたことも、懲戒の裁判に対して即時抗告がされたことも初めてである。本件の抗告理由は憲法論を含む実体上、手続上の多くの点にわたるものであって、先例も文献も乏しい中で、本決定はそれらの点について大法廷が詳細な理由を付して初めての判断を示したものである。それらのうち主要なものが、判示事項として採り上げたものであり、一~四が実体上の問題、五、六が手続上の問題である。

二 本決定は、まず、証拠に基づいて、本件の懲戒の原因となる事実とこれに至る経緯について詳細に事実認定をし、右認定事実に基づいて、抗告人の本件言動の評価を行っている。その上で、本決定は、実体上の問題について、右懲戒の原因となる事実とされた本決定の理由第一、一2記載の抗告人の言動が、裁判所法五二条一号の禁止する「積極的に政治運動をすること」に該当するか否か、その前提として、右規定の解釈、裁判官に対し積極的政治運動を禁止することが裁判官の市民的自由(表現の自由)を侵害しないか、などの問題点について、要旨一~三のとおり判断した。
要旨一の判断は、裁判所法が「積極的に政治運動をすること」を禁止しているのは、憲法の要請に基づき、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があるとの認識に基づいてされたものである。その判断の過程においては、従来右規定の解釈の重要な準拠となるといわれていた国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七の規定する「政治的行為」と「積極的に政治運動をすること」の異同についても判断が示されている。
また、要旨二の判断においては、裁判官にも表現の自由の保障が及ぶことは当然であるが、憲法上の特別な地位である裁判官の職にある者の言動にはおのずから一定の制約を免れないとした上で、国家公務員の政治的行為の制限の合憲性について判断した最大判昭49・11・6刑集二八巻九号三九三頁、本誌三一三頁一七一頁、判時七五七号三〇頁と同様の合憲性審査基準が用いられ、裁判官に対し「積極的に政治運動をすること」を禁止することは、合理的で必要やむを得ない限度にとどまる表現の自由の制限であり、憲法二一条一項に違反しないとされている。
要旨三の具体的当てはめの判断は、本決定が冒頭で判示している事実認定とその評価を踏まえてされている。すなわち、本件集会が組織的犯罪対策法案を廃案に追い込むことを目的とするという党派的な運動の一環として開かれたものであったこと、抗告人も他の集会参加者もそのような集会の目的を認識してこれに参加していたことなどに照らし、本件言動は、言葉の上ではそのように明言してはいないものの、集会参加者に対し、右法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという同人の意見を伝える効果を有するものであったというほかはなく、抗告人は、これにより、右集会の開催を決定し右法案を廃案に追い込むことを目的として共同して行動している諸団体の組織的、計画的、継続的な反対運動を拡大、発展させ、右目的を達成させることを積極的に支援しこれを推進する行為をしたと認められた。そして、本決定は、右のような党派的運動を拡大、発展、支援、推進する言動をしたことが、裁判所法五二条一号にいう「積極的に政治運動をすること」すなわち「組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるもの」に当たると判断したものである。
その上で、本決定は、裁判官の懲戒事由を定める同法四九条と右禁止規定との関係についても判断を示し、同条にいう「職務上の義務」は、裁判官が職務を遂行するに当たって遵守すべき義務に限られるものではなく、純然たる私的行為においても裁判官の職にあることに伴って負っている義務をも含むという解釈を示した上、要旨四のとおり、右禁止に触れる行為は「職務上の義務」に違反するものとして懲戒の対象となると判断した。同条の右解釈は、例えば評議の秘密(同法七五条)を純然たる私的行為に際して漏らす行為が「職務上の義務」違反に当たることが明らかであることからも、是認されよう。そして、本決定は、以上のような認定判断の結果、本件の一切の事情にかんがみて、抗告人を戒告することを相当とし、抗告を棄却したものである。

三 次に、手続上の問題としては、抗告人は様々な主張をしたが、原審が審問手続を非公開で行ったことから、裁判官分限事件に憲法八二条一項の適用があり審問手続を公開の法廷において行わなければならないかが、最大の問題であり、本決定は、要旨五のとおり、同項の適用を否定し、このように解しても、一般の公務員に対する懲戒との対比上も、手続保障に欠けるということはできないとしている。裁判官分限事件の裁判が同項にいう「裁判」に当たらないということについては、憲法の概説書、注釈書等においても一般的に説かれているところであり(例えば、宮沢俊義=芦部信喜・全訂日本国憲法六九五頁、佐藤功・憲法(下)〔新版〕一〇七二頁、樋口陽一外編・注釈日本国憲法下巻一二九六頁〔浦部法穂〕)、あまり異論をみないが、判例としては初の判断である。そして、右の憲法解釈の結果、審問の非公開を定める非訟事件手続法一三条の規定は、裁判官分限事件の性質に反しないから、裁判官の分限事件手続規則七条によって分限事件に準用されることになるものとされている。
また、手続上の問題として、原審が会議室のスペースの関係から審問期日に立ち会うことができる代理人の数を三五人に制限した措置が問題とされたが、本決定は、要旨六のとおり判断して、民事訴訟や非訟の手続については、明文の規定はないが、裁判所の指揮権行使の一態様として立会代理人数の制限をすることも許されるとした。この判断は、分限事件以外にも当てはまるものと解される。
そのほかの手続上の問題に関する判断については、本決定自体を読まれたい。

四 本決定には、「積極的に政治運動をすること」が直ちに「職務上の義務」に違反することにはならないから抗告人を懲戒することはできないとする園部裁判官の反対意見、「積極的に政治運動をすること」をより厳格に解して、これへの本件言動の該当性を否定する遠藤裁判官、元原裁判官の各反対意見、仮に該当するとしても本件において抗告人を懲戒するのは相当でないとする河合裁判官の反対意見、公開の法廷において期日を開いて本件の審理をすべきであるとする尾崎裁判官の反対意見がある。

・労働基本権は、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)の3つからなり、労働三権と言われている。このうち団結権は、労働者を団結させて使用者の地位と対等に立たせるための権利でありもっとも基本的な権利であるが、現行法上、警察職員・消防職員・自衛隊員等は団結権が制限されている!

・一切の公務員の団体交渉権及び争議権を否認する昭和23年政令201号の合憲性が争われた判例は、憲法13条の「公共の福祉」と憲法15条の「全体の奉仕者」を根拠に(×特別権力関係にに服すること)、公務員の労働基本権の一律禁止を合憲としている!!!!

+判例(S28.4.8)政令201号事件
理由
弁護人森長英三郎の上告趣意第一点について。
被告人又は弁護人においてある法令が憲法違反であるとの主張をした場合に、裁判所が有罪判決の理由中にその法令の適用を挙示したときは、即ちその法令は憲法に適合するとの判断を示したものに外ならないと見るべきであること、当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第三四一号、同二三年一二月二二日大法廷判決、刑集二巻一四号一八四五頁)の示すとおりである。それ故に本件の被告人側において所論政令第二〇一号が違憲無致であると主張したのに対し、原判決が特にその判断を明示しないで同政令を適用したからとて、これを以て所論のような違法あるものということはできない。論旨は理由がない。

同第二点について。
昭和二〇年勅令第五四二号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基いて制定されたものである。世人周知のごとく、わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。その結果連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)。また、日本国民は、連合国最高司令官により又はその指示に基き日本国政府の諸機関により課せられるすべての要求に応ずべきことが命令されており(同三項)、すべての官庁職員は、連合国最高司令官が降伏実施のため適当であると認めて、自ら発し又はその委任に基き発せしめる一切の布告、命令及び指令を遵守し且つこれを実施することが命令されておる(同五項)。そして、わが国は、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約すると共に、右宣言を実施するため連合国最高司令官又はその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の指令を発し且つ一切の措置をとることを約したのである(同六項)。さらに、日本の官庁職員及び日本国民は、連合国最高司令官又は他の連合国官憲の発する一切の指示を誠実且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられており、若しこれらの指示を遵守するに遅滞があり、又はこれを遵守しないときは、連合国軍官憲及び日本国政府は、厳重且つ迅速な制裁を加えるものとされている(指令第一号附属一般命令第一号一二項)。それ故連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は、一般には憲法によつて行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。すなわち、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施せしめることを得るのである。かかる基本関係に基き前記勅令第五四二号、すなわち「政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」といふ緊急勅令が、降伏文書調印後間もなき昭和二〇年九月二〇日に制定された。この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。されば論旨は採るを得ない。

同第三点について。
(一) 昭和二〇年勅令第五四二号に基いて命令を制定するためには、連合国最高司令官の要求がなければならぬこと所論のとおりであるが、連合国最高司令官の意思表示が要求であるか又は単なる勧告又は示唆に止まるものであるかは、その意思表示が文書を以てなきれたか口頭によつてなされたか、或は指令、覚書、書簡等如何なる名義を以てなされたかというような形式によつて判定さるべきではなく、意思表示の全体の趣旨を解釈して実質的に判断されなければならない。そこで昭和二三年七月二二日附連合国最高司令官の内閣総理大臣宛書簡を見ると、マツクアーサー元帥は、国家公務員法の改正についてその方針を指示した上、「本改革の成功が占領政策の第一義的目標の一つ」であると言い、次いで「余が国家公務員法を全面的に改正してここに論議された考え方の体制に適合せしめることが時を移さず着手さるべきであると考えたのは、以上の目的達成のためである」と述べ、更らに「本件に関し貴下を援助する可く本司令部は従前通り助言と相談に応ずるであろう」と附言している。これらの文言並にこの書簡が発せられた前後における諸般の事情を合わせ考えてみると、この書簡は、昭和二三年政令第二〇一号に盛られたような改正の方向を指示し要求したものであるのみならず、その具体的内容も右の要求を実現するために必要なものとして連合国司令部が指示したものであると認められる。
(二) 昭和二〇年勅令第五四二号に基く命令を発し得るのは、国会の議決を求めるいとまなき場合に限るという法規は存しないのであるから、所論のように昭和二三年政令第二〇一号の制定の際に、国会を召集するいとまがあつたとしても(実際そのいとまがあつたか否かは爰に論ずるまでもなく)、そのことは右の政令を違法又は無致のものとする理由とはならない。
(三) 論旨はマツクアーサー元帥の書簡にいわゆる公務員とは高級官僚の意味であると主張するけれども、その援用する同書簡中の文言は、このような主張の論拠として薄弱であるのみならず、却て書簡全体の趣旨を綜合すれば、そのいわゆる公務員の中には下級官僚や現業の職員を含むものと解される。例えば同書簡は、従来の国家公務員法の欠陥として、「少数者が団結して政府の権限と権威に加える圧力に対し積極的な保護を与えるもので無」かつた点や、「政府における職員関係と私企業における労働者関係の区別が著しく明確を欠いて」いた点を挙げ、「政府関係に於ては労働運動は極めて制限された範囲に於て適用せらるべきであり、正当に設定せられて主権を行使する行政、司法、立法の各機関にとつて代り或はこれ等に挑戦することはゆるされない」と言い、「国民の団結と公共利益の優越とを宣言している憲法の根本理念」を防護するためには「政府の権能の如何なる一部分も私的の団体若しくは一部の階級にこれをわかち授け、若しくは奪われることはできない」と述べ、また「その勤労を公務に捧げる者と私的企業に従う者との間には顕著なる区別が存在する」「雇傭若しくは任命により日本政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は、何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を阻害する遅延戦術その他の紛争戦術に訴えてはならない。」「団体交渉は国家公務員制度に適用せられるに当つては明確なそして変更し得ない制限を受ける。」と説いている。これ等の語句を、その発せられた当時国鉄、全逓等の労働組合が政府に対して強力な労働攻勢を展開しようとしていた緊迫した情勢と合わせ考えるならば、現業官庁従業員の争議行為を規制することこそ正にこの書簡の主たる目的の一であつたとさえ解される。尤も鉄道並に塩、煙草等の専売など政府事業の職員は普通職から除外せられて良いと述べてはいるが、しかしこれ等の職員についても、「その雇傭せられている責任を忠実に遂行することを怠り、為に、業務運営に支障を起すことなきよう公共の利益を擁護する方法が定められなければならない」と要求している。してみれば、マツクアーサー書簡は高級官僚に関するものであるのに、本件政令第二〇一号は下級官公吏や現業労働者の争議行為を規制しているから、その内容がくいちがつているという論旨は到底採用することができない。
(四) 一般労働委員会による調停、仲裁、斡旋等の紛争処理手段は、団体交渉権及び争議権を有する労働組合の存在を前提とする。それ故にマツクアーサー書簡が既に公務員の団体交渉権及び争議権を否認している以上、労働委員会による調停、仲裁、斡旋なども当然認められなくなつたものと考えなければならない。同書簡にも、公務員がその雇傭条件の改善を求めるためにその希望や不満等を政府に申出る権利は認めているが、それ以外に所論のような紛争処理手段を認めたものと解すべき趣旨は見出されない。してみれば本件政令第二〇一号が、現に係属中の国又は地方公共団体を関係当事者とするすべての斡旋、調停又は仲裁に関する手続を中止することにしたとしても、これを以てマツクアーサー書簡の要求範囲を逸脱した不法あるものということはできない。
(五) マツクアーサー書簡が、政府には常に政府職員の福祉並に利益のために十分な保護の手段を講じなければならぬ義務あるものとしていることは所論のとおりであるが、官公吏の労働条件の改善は、必ずしも所論のように団体交渉権禁止の先決問題とせられているわけではないから、臨時応急的性格を有する本件政令第二〇一号においては、とうあえず団体交渉権禁止の点だけを規定し、労働条件改善については別途の措置を講ずるものとしたとしても、所論のように本件政令がマツクアーサー書簡を曲解した違法のものであるとは言えない。
以上のような次第で本件政令第二〇一号が昭和二〇年勅令第五四二号の要件を充たさないから無效であるとの論旨は、いずれも理由がない。

同第四点について。
国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするのであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。従来の労働組合法又は労働関係調整法において非現業官吏が争議行為を禁止され、又警察官等が労働組合結成権を認められなかつたのはこの故である。同じ理由により、本件政令第二〇一号が公務員の争議を禁止したからとて、これを以て憲法二八条に違反するものということはできない
また憲法二五条一項は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務としして宣言したものである(当裁判所昭和二三年(れ)二〇五号同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁)。公務員がその争議行為を禁止されたからとてその当然の結果として健康で文化的な最低限度の生活を営むことができなくなるというわけのものではないから、本件政令が憲法二五条に違反するという主張も採用し難い
要するに論旨いずれも理由がない。

同第五点について。
公務員は本件政令第二〇一号により、その二条一項に該当するいわゆる職場離脱を禁止せられたけれども、人格を無視してその意思にかかわらず束縛する状態におかれるのではなく所定の手続を経れば何時でも自由意思によつてその雇傭関係を脱することもできるのである。それ故、所論のように同政令が憲法一八条にいわゆる奴隷的拘束を公務員に加え、その意に反して苦役を科するものであるということはできない。論旨は理由がない。

同第六点について。
論旨は被告人等が何等かの要求を提出しその要求を実現するために行動したものであるという証拠はないのであるから、原判決がその所為を争議手段と認めたのは違法であるというのである。しかし原判決挙示の証拠、就中被告人Aに対する本件第一審第一回公判調書中の同人の供述記載によれば、被告人等の所属する国鉄労働組合青森支部弘前機関区分会が国家公務員法改正反対、五千二百円べース即時実施、芦田内閣打倒等の項目を挙げて闘争方針を定めたこと、並に機関区の者達が庫内手や機関車乗務員の劣悪な待遇の改善に関する政府の冷淡な態度に対し被告人等の当然の権利を奪還するために、また憲法、ポツダム宣言等に違反し、団体交渉権争議権を奪う本件政令は無効なものであるとの主張を貫徹するために祖国独立推進青年行動隊を結成して闘争したものであることがわかる。被告人等は政府に対するこのような主張を貫徹する手段として職場を離脱したものであるから、原判決がこれを本件政令第二〇一号二条一項にいわゆる争議手段にあたるものと認めたのは正当であつて、論旨は理由がない。

弁護人小沢茂の上告趣意第一点について。
昭和二〇年勅令第五四二号が違憲であるとの論旨(1、2、3)及び昭和二三年政令第二〇一号が右勅令に定めた要件を充たさないから無效であるとの論旨(4)いずれの点も理由なきことは、それぞれ森長弁護人の上告趣意第二点及び第三点について述べたとおりである。
次に論旨(5)は、政令第二〇一号は憲法七三条に違反するから無效であると主張するが、既に森長弁護人の上告趣意第二点について述べたように、勅令第五四二号が憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有する以上、この勅令に基いて制定された勅令第二〇一号も亦右憲法の規定にかかわりなく有効である。
更らに勤労者の団結権、団体交渉権、団体行動権に関する事項は法律を以て規定すべきであるのに、政令を以てこれを規定したのは違憲であるとの論旨(6)も亦、右と同様の理由によりて政令第二〇一号を無数とする理由とならない。論旨(6)はなお右政令第二〇一号が政令でありながらその一条二項において、本来法律を以て規定すべき勤労条件に関する基準的事項を規定したことを以て憲法二七条に違反するものであると主張しているが、原判決は右政令一条二項を本件に適用していないから、これは本件と関係なき主張である。
最後に政令第二〇一号が憲法二八条に定めた基本的人権を侵すものであるとの論旨(6)の理由なきことは、森長弁護人の上告趣意第四点について述べたとおりである。

同第二点について。
前記のように政令第二〇一号は憲法にかかわりなく有效である。従つてまた当然に憲法に基いて制定された労働組合法、労働関係調整法等にかかわりなく有数である。換言すればこれ等の法律の規定は政令第二〇一号に矛盾する限り廃止又は変更されたこととなるのであるから、原判決が本件に前者を適用せずして後者を適用したのは当然である。論旨は理由がない。

同第三点について。
昭和二三年政令第二〇一号にいわゆる公務員の中に国鉄従業員を含まないという論旨の理由なきことは、森長弁護人の上告趣意第三点((三))について述べたとおりである。

同第四点について。
原判決の確定したところによれば、被告人B、同Cは、昭和二三年八月二四日免雇に至るまで各仙台鉄道局弘前機関区勤務の機関助士であり、同Dは、同年同月三〇日免雇に至るまで同機関区勤務の技工であり、また、同Aは、同年同月二七日免雇に至るまで同機関区勤務の庫内手であつた者で、いずれも、判示のごとく国鉄業務運営の能率を阻害する争議手段をとつた者である。しかるに、昭和二三年七月三一日公布の政令第二〇一号一条によれば、任命によると雇傭によるとを問わず、国又は地方公共団体の職員の地位にある者は、同令にいわゆる公務員であつて、同令二条、三条によれば、かかる公務員は、何人といえども、同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならないものであつて、これに違反する行為をしたときは、国又は地方公共団体に対し、その保有する任命又は雇傭上の権利をもつて対抗することがてきないばかりでなく、一年以下の懲役又は五千円以下の罰金に処されるものである。されば、被告人等は、いずれも、同政令にいわゆる公務員として同政令二条一項に違反し、同三条に該当するものといわなければならない。
そして、同政令附則二項によれば、同令は、昭和二三年七月二二日附内閣総理大巨宛連合国最高司令官書簡に言う国家公務員法の改正等国会による立法が成立実施されるまで、その効力を有するに過ぎない性格の法令であり、しかも、右書簡に言う国家公務員法の第一次改正法律(昭和二三年一二月三日法律第二二二号国家公務員法の一部を改正する法律)附則八条は、「昭和二三年七月二二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令(昭和二三年政令第二〇一号)は、国家公務員に関して、その致力を失う。前項の政令がその致力を失う前になした同令第二条第一項の規定に違反する行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による。」と明定して、当時既に同政令に違反して成立した同令の刑罰を廃止しない旨を表明しているのである。従つて、被告人等の判示在職中の前記政令第二〇一号二条一項の違反行為に対する罰則の適用については、依然として同令三条によるべきものといわなければならない。それ故、所論は、いずれも採用することはできない。

同第五点について。
原判決は被告人等が判示日時に、無届でその職場を欠勤し以て国鉄業務運営の能率を阻害する争議手段をとつた旨を判示している。判決書には罪となるべき事実を具体的に記載すれば足るのであるから、原判決は本件政令第二〇一号違反の犯罪事実を判示するものとして欠けるところなく、それ以上に本件無届欠勤が何故に犯罪となるかの理由等を判示する必要はない。論旨は理由がない。

同第六点について。
昭和二三年政令第二〇一号が憲法違反であるとの主張に対して原判決が判断を示していないという非難の理由なきことは、森長弁護人の上告趣意第一点について述べたとおりである。
同第七点について。
被告人等は所論のように本件政令が違憲のものであるとの見解を抱いていたという理由によつて罰せられたのではなく、その主張を貫徹するために職場離脱により国鉄運営の能率を阻害する争議手段をとつたがために処罰せられたのである。病人の無届欠勤の場合との相違は、如何なる見解を抱いていたかの点にあるのではなくして、争議手段として欠勤したか否かの点にある。それ故に原判決が憲法一九条及び二一条に違反するという論旨は理由がない。

弁護人福田力之助の上告趣意第一点及び第二点について。
昭和二〇年勅令第五四二号が新憲法下で無致であるとの論旨(第一点)及び昭和二三年政令第二〇一号が違法であるとの主張(第二点)がいずれも理由なきことは、それぞれ森長弁護人の上告趣意第二点及び第三点((一)及び(二))について述べたとおりである。
同第三点について。
原判決は、被告人B及びCは仙台鉄道局弘前機関区勤務の機関助士、同Dは同機関区勤務技工、同Aは同機関区勤務庫内手であるという事実を、それぞれ原審公判廷における各自供に基いて認定し、これ等の身分はいずれも昭和二三年政令第二〇一号にいわゆる公務員にあたるものとして、同政令を適用したのである。同政令においては、任命によると雇傭によるとを問わず、国又は地方公共団体の職員の地位にある者を公務員という(一条)のであるから、被告人等のような職員が公務員であることは明らかである。それ故原判決に所論のような違法あるものということはできない。論旨は理由がない。
同第四点について。
本件政令第二〇一号違反の罪が成立するためには、必ずしも業務の運営能率を阻害するという具体的結果が現実に発生することを必要とするのではなく、争議手段としてなされた行為が、その性質上通常国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する危険性あるものであれば足りるのである。そうして本件の職場抛棄がいずれもこのような危険性あるものであることは明らかなところである。従つてこの点に関して原判決の理由不備を主張する論旨は採用することができない。
なお被告人等の無断欠勤を争議手段ということはできないと主張する論旨の理由なきことは、森長弁護人の上魯趣意第六点について述べたところによりおのずから明らかであろう。
同第五点について。
被告人等の所為が本件政令第二〇一号のいわゆる争議手段に該当するものであることは、森長弁護人の上告趣意第六点について説明したとおりである。そうだとすれば、原判決がこれに同政令を適用して処罰したのは当然であつて、そのことを非難する論旨はいずれも理由がない。
弁護人青柳盛雄の上告趣意について。
昭和二〇年勅令第五四二号及び昭和二三年政令第二〇一号が違憲無効であるとの論旨の理由なきことは、それぞれ森長弁護人の上告趣意第二点及び第四点について説明したとおりである。

弁護人岡林辰雄の上告趣意第一点について。
有罪判決には、罪となるべき事実、証拠によりこれを認めた理由並びに法令の適用を示すだけで事足り、刑の量定や執行猶予言渡の理由を示す必要はない。それ故原判決が、被告人B他二名に対して何故に執行猶予の言渡をしたかの理由を判示しなかつたからとて、これを以て所論のような違法あるものということはできない。
なお原判決が被告人Aに対して執行猶予の言渡をしなかつたのは、同人がE党員であるが故であるとは認められないから、このことを前提とする論旨はいずれも全く理由がない。
同第二点について。
被告人Aは、原審において被告人B、同D及び同Cと併合審理を受けたが共犯ではない。また原判決が被告人Aに負担させた訴訟費用は、同被告人の特別弁護人中嶋輝年が同被告人のために申請した(記録四二一丁)証人Fに対して支給されたものであつて、この証人費用がA被告人のために特に要した訴訟費用であることは、原審公判調書に照らしてみて明らかである。してみれば原判決が訴訟費用をA被告人の単独の負担としたことは当然であつて所論のような違法はない。また判決書に訴訟費用を負担せしめた理由を記載する必要のないことはいうを俟たない。なお原判決はA被告人がE党員であるが故にこれに訴訟費用を負担せしめたものであるとは認められないから、所論はすべて理由がない。
同第三点について。
原判決はG外五名に対する政令第二〇一号違反被告事件記録中被告人Bに対する検察事務官の訊問調書中同人の供述記載及び同記録中の検事の宮川武彦に対する聴取書中同人の供述記載並びにH外二名に対する政令第二〇一号違反事件記録中検察事務官のHに対する第一回聴取書中同人の供述記載を証拠として挙示している。論旨は、右の被告事件なるものが如何なる裁判所の被告事件であるかすら明らかでないから、違法であると主張するのであるが、記録を調べてみると、右被告事件は本件記録中第一審裁判所並びに原審裁判所の被告事件であること明瞭であるばかりでなく、右の各聴取書及び訊問調書はいずれも原審公判に顕出され適式の証拠調の手続が行われたものであるから、原判決がこれ等を証拠として採用したことには所論のような違法はない。
また所論Iの聴取書は、所論のように単なる推測を供述したものではなく、事実に関する同人の過去の見聞の供述であること明白であるから、原判決がこれを証拠として採用したことには何等の違法もなく、論旨は理由がない。
同第四点について。
原審公判廷においてA被告人が、庫内手、機関車乗務員の給与が甚だ悪いに拘らず、政府はその改善について何等の措置をもとらないので、自分等の当然の権利を奪還するために闘つているのである、という趣旨の供述をしたことは所論のとおりである。しかし、政府が給与の改善について有效な措置をとつたか否かということは罪となるべき事実の記載として必要なきことであるから、原判決がそのことについての判断を示さなかつたからといつて、所論のような違法あるものということはできない。論旨はそのことを以て憲法三七条に違反するものであると主張しているが、憲法三七条にいわゆる公平な裁判所の裁判とは、構成その他において偏頗のおそれなき裁判所の裁判という意味であること、当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第一七一号、同二三年五月五日大法廷判決)の示すとおりであるから、この場合にあたらない。論旨はすべて理由がない。
同第五点について。
マツクアーサー書簡が国家公務員制度を法律によつて改正することを要求しているという前提に立つて昭和二三年政令第二〇一号の無数を主張する論旨については、同書簡はその指令を実施するための応急的措置として命令によつて公務員法を改正することを許さない趣旨とは認められないから、これを採用することができない。その他の論旨いずれも理由なきことは、森長弁護人の上告趣意第二点第三点及び第四点並びに小沢弁護人の上告趣意第一点について述べたところによつて明らかである。
同第六点について。
刑事裁判は公訴の提起のあつた被告人を裁判するものであるから、仮りに所論のように内閣総理大臣、運輸大臣等の高級職員が被告人等を免雇し懲戒したことが本件政令第二〇一号に違反する争議手段であつたとしても、起訴されない以上裁判所ばこれを処罰することはできない。裁判所が起訴されないものを罰しなかつたことは、起訴された本件被告人等の処罰の合法性を少しでも左右する理由とはならない。論旨は、政府高級職員に対する起訴がないならば、当然に本件被告人の審理を拒否し、公訴棄却又は無罪の判決をすべく、さもなければ憲法三七条に違反することとなると主張するが、憲法三七条に公平な裁判所の裁判というのは、上に第四点について説明したとおりであるから、右のような場合はこれにあたらない。なお本件政令のいわゆる公務員の中には国鉄現業員たる被告人等を含まないという論旨の理由なきことは、森長弁護人の上告趣意第三点((三))について説明したところによつておのずから明らかであろう。要するに論旨はいずれも理由がない。
同第七点について。
論旨の理由なきこと、既に小沢弁護人の上告趣意第四点について述べたとおりである。
よつて旧刑訴四四六条に従い主文のとおり判決する。
この判決は裁判官栗山茂の意見、裁判官真野毅の反対意見を除く他の裁判官全員一致の意見によるものである。

++意見
裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。
(一) 弁護人森長英三郎の上告趣意第二点について。
ポツダム宣言受諾の効果として契約関係の基礎において「わが国の統治の権限が連合国最高司令官の制限の下におかれることになつた」と解するのが多数意見である。この見解はポツダム宣言の受諾に伴い成立した休戦条約の実施と同時に開始された占領の性質を正解しないのによるものであるから左の理由により同調できない。この意見は弁護人小沢茂の上告趣意第一点、同福田力之助の上告趣意第一点及び第二点、同青柳盛雄の上告趣意、同岡林辰雄の上告趣意第五点において多数意見が森長弁護人の上告趣意第二点の説明を援用している場合にもそれぞれ援用するものである。
(1) ポツダム宣言の条項中には敵対行為の停止に関する軍事条項(軍隊の無条件降伏の如き)と平和の予備条項(領土の割譲軍隊の帰還等の如き)とが含まれていて、いずれも相手国の合意を前提とするものである。―而して当事国の合意によつて敵対行為が停止されるものは国際法上休戦条約と呼ばれるものである。―他方同宣言の条項中には連合国は相手国の合意を前提としないものがある。戦争犯罪人の処罰の如き新秩序建設(内政干渉)のためにする占領の如きはそれである。しかし相手国の合意を前提とはしないがその実施には我方の協力が望ましいから(例えば占領行政の如き)その協力が要求されたのである。
(2) ポツダム宣言の条頃中相手国の合意を前提とするものについてはポツグム宣言の受諾は休戦条約の成立を意味するものであるが、(而して休戦条約はいわゆる降伏文書の調印に終るポツダム宣言の受諾に関する一連の往復文書によつて成立したと解すべきである)右休戦の成立にかかわらず連合国は同宣言第七項で「新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタコトノ確認アルマデ」日本国領土内の諸地点を占領する旨を宣明している。而してこれについて降伏後における米国の初期の対日方針は「右占領ハ日本国ト戦争状態ニ在ル聯合国ノ利益ノ為行動スル主要聯合国ノ為ノ軍事行動タルノ性質ヲ有スベシ」と説明している。(尤も休戦と日本の場合のような軍事行動の拡大となる占領とはたとえ戦争状態が存続していても両立しないものであるから国際法上はこの点は問題とする余地がある。)即ち軍事行動である占領は敵の同意を前提とするものでないから連合国の意図は右占領を休戦から除外し、たとえ休戦条約が成立してもその成立に当つて占領を留保しているものと解すべきである。それ故一九四五年八月一一目附で米英い中の四国政府の名において米国政府が日本国政府の同月一〇日附申入に対する回答において「降伏ノ時ヨリ天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」と答えたのはとりもなおさず、休戦実施の時(それは同時に占領開始の時である。)から被占領地域は事実上占領軍司令官の権力内に置かれるから(へ―グ陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則四条)右権力の行使と両立しない限度において被占領国の統治の権限が事実上制限されることを指摘したのである。而して降伏文書第八項はこれを受けて同趣旨を重ねて宣明しているものである。
(3) 我方はボツダム宣言の条項で当事国の合意を前提とするものについては我方が誠実に履行するのは固より、同宣言の条項中その合意を前提としないものについても我方の協力を約束したのである。降伏文書第六項がそれである。即ち連合国は降伏文書において我方をして「ポツダム宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト並ニ右宣言ヲ実施スル為連合国最高司令官又ハ其ノ他特定ノ連合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ発シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコト」を約束せしめたのである。しかし我方が連合国軍の占領行政に協力することを応諾してもそのために占領の性質には変りはない。この約束は占領軍からすれば占領行政が支障なく運行されることであり他方被占領国からすれば国際法上占領軍の命令に服従すべき彼占領国民の義務と併せて日本国政府の協力義務があるということである。さればこの約束があるからといつて連合国最高司令官の被占領国民に対し行使する権力とその義務とに変りがないことは明である。連合国最高司令官が軍事占領者として有する権力と義務とは国際法上の法規及び慣例に基くものであつて、この約束に基くものではない。多数意見は「わが国はボツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。」とし「その結果連合国最高司令官は降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し云々」というけれども、わが国はポツダム宣言を受諾した結果契約関係として成立した休戦条約その他降伏文書の規定にかかわりなく休戦と同時に連合国が留保している占領が開始されたため連合国最高司令官が占領行政を行使することとなつて「この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることになつた」のである。それ故ポツダム宣言の受諾を無条件降伏と呼ぶと否とにかかわらずわが国の統治の権限が連合国最高司令官の制限の下に置かれることになつたのは同宣言受諾の効果ではなく同宣言中我方の同意を前提としない占領の効果に外ならないのである。
(4) 右にいう占領の結果として占領軍の新秩序建設のためにする内政干渉は二つの形式をとつたのである。一つはわが国の統治の権力の行使に協力する形式であつて、いわゆる内面指導である。等しく占領軍の息のかかつたものであるが、この形式はわが憲法のわく内におけるものであるから、わが国家意思の発動というべきである。他の一つの形式はわが国の統治の権力にかかわりなく連合国最高司令官の要求として我方に発動されたものである。(降伏文書第六項)而して後者について我方から軍の必要に協力する形式を規定したのが即ち緊急勅令五四二号である。かように考えてくると、占領中わが国の法秩序には二元的渕源があつた事実はこれを認めざるを得ない。それ故右勅令五四二号によつて、所要の定めをした「連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項」は結局連合国の軍の必要に基く事項であるからその権力から来る法秩序である。もともと緊急勅令五四二号はその制定当初はわが国の統治の権限の行使として発足したものであろうが(当初は連合国の占領がどういう行き方をするかわからなかつたのである。)占領の進行に伴い連合国最高司令官のなす要求にかかる事項について所要の定めをなす唯一の形式となつたものであるからこれ又連合国の軍権力に因る法源と不可分の関係にあるものとして日本国憲法にかかわりなく効力あるものと認めるのが相当と考える。

(二) 弁護人森長英三郎の上告趣意第四点について。(1) 憲法二八条が保障している権利は私有財産制度を前提としていることは沿革上明である。羅馬法以来の私有財産権の至上性が十八世紀的個人主義即ち個人の意思の至上性と結付いて経済活動をする場合に、企業家のもつ力は公権力の至上性にも比すべきものがあるかような企業家又はその利益の代表者即ち使用者と被傭者が取引するものとすれば双方が対等な交渉力を持つのでなければ契約の自由はありえないこの労使(労資)の対等取引を前提として正義を分配しそれを保障したものが憲法二八条である然るに国又は地方公共団体とその公務員との関係は毫も対等取引を前提とする関係でもなければ又もとより私有財産制度を前提とする労使の関係にかかわりないものである!!!それ故公務員は憲法二七条にいう勤労の権利を有する者であることは勿論であるけれども本質的に憲法二八条の勤労者ではないのであつて、同条が保障している権利はもともと享有していないのである。憲法二七条の勤労の権利の内容が何であるかはしばらくおくとしても事業主でも失業者でも等しく同条の勤労の権利を有する者であるけれども、同条の勤労の権利を有する者はすべて使用者と被傭者との関係、ことにその対等な交渉関係を前提要件とする憲法二八条の勤労者であるということはできない。されば旧労働組合法四条一項の警察官吏等の組合結成禁止の規定はこれ等の公務員が労資の利害を前提とする憲法二八条の団結権の保障には均霑しないものであることを明にしただけのことである。多数意見のように警察官吏等はもとから憲法二八条の組合結成権を享有しているけれども彼等は「全体の奉仕者」であるから公共の福祉で、法律により之を取上げられたものと解すべきではない。
多数意見は又国又は公共団体の非現業官吏が争議行為を禁止されたのも(法律一七五号による改正前の労働関係調整法三八条)前記警察官吏等と同じ理由即ち公共の福祉で法律によつてもともと憲法二八条で享有している争議権が剥奪されたと解するのである。しかし実は現業官吏たると非現業官吏たるとを問わず、公務員である以上は結局前に述べたと同じ理由で憲法二八条の勤労者でもなく、その保障している争議権を享有しているものではない。もとより同条の権利を享有していなくとも法律が之を附与するかどうかは立法政策の問題にすぎない。されば前記労働関係調整法三八条が非現業官吏の争議行為を禁止し之と同時に現業官吏の争議行為を容認したとしても、それは憲法二八条の保障にかかわりないものである。故に同条の禁止は公共の福祉を理由に憲法二八条の保障が否定されたものと解すべからざるはいうまでもない。(2) 憲法二八条の権利が私有財産制度を前提とするということはとりもなおさず資本主義経済を前提とするということである。それ故資本主義経済を否定する制度においてはその保障の理由はない。けれども資本主義経済の範囲内でもその修正例えば特定の私的企業における私有財産権を社会化し公有化することが是認される。この場合に利潤を追う資本(私有財産たる株主の投資)の力は排除されたけれども公有材産としての企業の形態は私的企業の形態と異るところがない。それに現代の発達した産業組織では生産手段の所有(株主)とその管理(経営)とは分離されていて、後者は公有全美におけると等しく有給職員にすぎないものであつて私的企業と言つても公有企業とその経営の面において異るところがないから勤労者の立場からすれば賃金、就業時間、休息その他の勤労条件等の法律上の保護を受くべきはもとより(憲法二七条二項)組合の結成についても差別さるべき理由がないといえるのである。それ故私有財産制度を前提とする労資の関係に準じてできるだけ公有企業における労使の関係をも調整せしめるのが公正且妥当であるといえるのである。しかしそれは一に立法による労働政策の問題にすぎない。それ故多数意見のように旧労働組合法又は労働関係調整法(法律一七五号による改正前の)から逆に憲法二八条の権利を帰納すべからざるは言うまでもない。例えば旧労働組合法三条は憲法二八条の勤労者よりも広い労働者を指すと同時に同法五条、一一条(改正後の七条)一二条(改正後の八条)の如きは罷業権を内在する憲法二八条の権利の確保のためであるから、公務員又は公有企業の職員には当然に適用ないのであつて、それを多数意見はこれ等の者も初めからこの権利を享有する労働者であるとし、それが公共の福祉のため取上げられたと解するものの如くである。(3) 多数意見は右にいう如く国家公務員はもともと憲法二八条の保障する権利を享有しているけれども、それを本件政令二〇一号が公共の福祉のため禁止したからとてこれを以て憲法二八条に違反するものということはできないとしている。しかし日本国憲法によればすべての基本的人権はそれを享有している個人の利益のためばかりでなく公共の利益のためにも保障されたものであるから公共の福祉のために利用さるべき責務を伴つているとされている。このことは個人の幸福と公共の幸福とは共通のものであつて相排斥する別異のものでないことを意味する。後者が前者より重いときは後者に吸収されて前者が法律で否定されるのもやむを得ないという考方は絶対主義的のものであつて日本国憲法のものではない。基本的人権が同時に責務であるということはその責務の範囲をこえれば濫用があるばかりでなく、その責務の範囲内でもその責務に適合するように権利の行使が調整(規制乃肇制限である)されることが当然期待されているのである。と同時に憲法は個人の幸福追求の権利たる財産権は公共の用のため取上げられ(二九条三項)又個人の生命、身体若しくは財産は刑罰として奪われることを(三一条)明定しているけれども、その保障している自由及び権利は法律で公共の福祉の名の下に奪われてよいという矛盾(アンチノミ)をどこにも内蔵してはいないのである。これが多数意見に同調しない大きな点である。

+反対意見
裁判官真野毅の反対意見は次のとおりである。
わたくしは、本件は刑の廃止があつたものとして、原判決を破棄し免訴を言渡すべきものと考える。その理由を要約して述べる。
本件において被告人等は、「国鉄業務運営の能率を阻害する争議手段をとつた」行為に対し、昭和二三年七月政令第二〇一号二条一項、三条、国家公務員法第一次改正法律附則八条を適用して処罰されたものである。同政令二条一項には「公務員は、何人といえども、同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国……の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならない」と定め、同三条には「第二条第一項の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は五千円以下の罰金に処する」「と定めている。
その後昭和二三年一二月三日公布施行された「国家公務員法の一部を改正する法律」の附則八条において、前記政令は、「国家公務員に関して、その効力を失う」旨を定めると共に、前記政令が「その効力を失う前になした同令第二条第一項の規定に違反する行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による」旨を定めている。それ故、前記政令の罰則規定は、将来国家公務員に対して効力を及ぼさないことになつたと共に、その失効前になされた国家公務員の違反行為に関する限りにおいて、なお従前の例によつて、前記政令の罰則規定が効力を持続するわけである。だから、昭和二四年一月二九日言渡された原判決当時の法律適用としては、該政令の罰則規定を適用して被告人等を処罰したことはもとより正当であつて誤りはない。前述のように法令改廃の場合に経過規定として「改廃前に行われた犯行に関する罰則の適用については、なお従前の例による」という附則が定められる事例は少くない。そして、その意義は、法令改廃の後においてもその改廃以前に行はれた犯行に対しては、その限度において相対的・部分的に法令の改廃はなく、なお改廃前の法令が効力を持続し適用されることを意味するものである。いまこれを本件の場合について言えば、前記国家公務員法の一部改正法が行われた以後においても、その改正前に行われた犯行に対しては、右改正法の罰則(九八条五項六項、一一〇条一七号参照)が適用されるものではなく、前記政令の罰則(二条一項、三条参照)が効力を持続し適用される関係にあるのである。
しかしそれだからといつて、法令改廃前の違反行為に対しては永久に従前の政令罰則が適用されることに確定したものと速断することは大いなる誤りである。なぜならば、その後にあける立法すなわち再度の法令の改廃によつては、前述のように相対的・部分的に効力を持続している従前の罰則の刑の廃止変更が生じ得るからである。
そこで、本件に関してこの点を考察すると、その後昭和二三年一二月二〇日公布(同二四年六月一日施行)の日本国有鉄道法及び公共命業体労働関係法が制定された。その前者三四条二項には、日本国有鉄道の「職員には国家公務員法は適用されない」と定められ、また同三五条には、「日本国有鉄道の職員の労働関係に関しては、公共企業体労働関係法の定めるところによる」と定められた。そして、後者二条においては日本国有鉄道を公共企業体とし、同三条においては公共企業体の職員に関する労働関係等についてはこの法律の定めるところによるものとし、同一七条によれば争議行為等は禁止はされているが、処罰の対象とはされていない(一八条)。かようにして、日本国有鉄道の職員の争議行為等に対しては国家公務員法の罰則規定(九八条五項六項、一一〇条一七号)及びその他一切の罰則規定は適用されないし、また公共企業体労働関係法には争議行為等に対して罰則規定は全然設けられていないのである。そこで、この両法の制定を境としてその前後の法律状態を較べてみると、本件におけるがごとく昭和二三年一二月三日の国家公務員法一部改正法以前の「国鉄職員の争議行為等」の犯行については、なお従前の例により、前記政令二条一項及び三条の罰則が相対的・部分的に効力を持続し適用されていたものが、前記両法の制定により「国鉄職員の争議行為等」については全然罰則がなくなつたのであるから、この意義において刑の廃止があつたものと認めるを相当とする。(この前記両法の制定に際しては、経過規定として前記政令第二条一項の規定に違反する行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による旨の規定はおかれてはいない。これはあるいは立法の不備ないし疎漏であつたかも知れないと思われるが、いやしくもかかる経過規定を欠く以上法令の改廃により法律状態の変更を生ずるに至つたときは、従前の犯行に対して従前の罰則を適用して処罰することはできないものと信ずる。)それ故、原判決を破棄し被告人等に対し免訴を言渡すを相当とする。裁判長裁判官塚崎直義、裁判官B太一郎、同沢田竹治郎、同穂積重遠は合議に干与しない。


民法択一 債権各論 契約総論 賃借権 その4


・地上建物を所有する賃借権者は、自己の名義で登記した建物を有することにより、初めて賃借権を第三者に対抗し得るものと解すべく、地上建物を所有する賃借権者が、自らの意思に基づき、他人名義で建物の保存登記をしたような場合には当該賃借権者はその賃借権を第三者に対抗することはできない!!!!

+判例(S41.4.27)
理由
上告代理人篠原三郎の上告理由について。
建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)一条は、建物の所有を目的とする土地の賃借権により賃借人がその土地の上に登記した建物を所有するときは、土地の賃貸借につき登記がなくとも、これを以つて第三者に対抗することができる旨を規定している。このように、賃借人が地上に登記した建物を所有することを以つて土地賃借権の登記に代わる対抗事由としている所以のものは、当該土地の取引をなす者は、地上建物の登記名義により、その名義者が地上に建物を所有し得る土地賃借権を有することを推知し得るが故である。
従つて、地上建物を所有する賃借権者は、自己の名義で登記した建物を有することにより、始めて右賃借権を第三者に対抗し得るものと解すべく、地上建物を所有する賃借権者が、自らの意思に基づき、他人名義で建物の保存登記をしたような場合には、当該賃借権者はその賃借権を第三者に対抗することはできないものといわなければならない。
けだし、他人名義の建物の登記によつては、自己の建物の所有権さえ第三者に対抗できないものであり、自己の建物の所有権を対抗し得る登記あることを前提として、これを以つて賃借権の登記に代えんとする建物保護法一条の法意に照し、かかる場合は、同法の保護を受けるに値しないからである。
原判決の確定した事実関係によれば、被上告人は、自らの意思により、長男Aに無断でその名義を以つて建物の保存登記をしたものであるというのであつて、たとえ右Aが被上告人と氏を同じくする未成年の長男であつて、自己と共同で右建物を利用する関係にあり、また、その登記をした動機が原判示の如きものであつたとしても、これを以つて被上告人名義の保存登記とはいい得ないこと明らかであるから、被上告人が登記ある建物を有するものとして、右建物保護法により土地賃借権を第三者に対抗することは許されないものである。
元来登記制度は、物権変動の公示方法であり、またこれにより取引上の第三者の利益を保護せんとするものである。すなわち、取引上の第三者は登記簿の記載によりその権利者を推知するのが原則であるから、本件の如くA名義の登記簿の記載によつては、到底被上告人が建物所有者であることを推知するに由ないのであつて、かかる場合まで、被上告人名義の登記と同視して建物保護法による土地賃借権の対抗力を認めることは、取引上の第三者の利益を害するものとして、是認することはできない。また、登記が対抗力をもつためには、その登記が少くとも現在の実質上の権利状態と符号するものでなければならないのであり、実質上の権利者でない他人名義の登記は、実質上の権利と符合しないものであるから、無効の登記であつて対抗力を生じない。そして本件事実関係においては、Aを名義人とする登記と真実の権利者である被上告人の登記とは、同一性を認められないのであるから、更正登記によりその瑕疵を治癒せしめることも許されないのである。叙上の理由によれば、本件において、被上告人は、A名義の建物の保存登記を以つて、建物保護法により自己の賃借権を上告人に対抗することはできないものといわねばならない。
なお原判決引用の判例(昭和一五年七月一一日大審院判決)は、相続人が地上建物について相続登記をしなくても、建物保護法一条の立法の精神から対抗力を与えられる旨判示しているのであるが、被相続人名義の登記が初めから無効の登記でなかつた事案であり、しかも家督相続人の相続登記未了の場合であつて、本件の如き初めから無効な登記の場合と事情を異にし、これを類推適用することは許されない。
然らば、本件上告は理由があり、原判決には建物保護法一条の解釈を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を、第一審判決は取消しを免れない。
原判決の確定した事実によれば、本件土地が上告人の所有であり、被上告人がその地上に本件建物を所有し、本件土地を占有しているというのであり、被上告人の主張する本件土地の賃借権は上告人に対抗することができないことは前説示のとおりであるから、被上告人は上告人に対し、本件土地を地上の本件建物を収去して明け渡すべき義務あるものといわねばならない。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官横田喜三郎、同入江俊郎、同山田作之助、同長部謹吾、同柏原語六、同田中二郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官入江俊郎の反対意見は、次のとおりである。
私は、原判決の確定した事実関係の下においては、被上告人の長男西村A名義で保存登記のなされている本件家屋は、被上告人が本件土地につき有する賃借権に対する建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)一条の適用については、同条一項に言う「登記シタル建物」に該当するものと解することができるのであり、被上告人は右登記をもつて前記土地賃借権を上告人に対抗し得るものであつて、結局、原判決は結論において正当であり、本件上告は、理由なきものとして、これを棄却すべきものと考える。
その理由は、左記のとおりである。
一 建物保護法は、建物を建築し、これを生活の拠点とする地上権者または土地賃借権者およびその家族に対し、その建物において、それらの者の営む社会生活を確保し、それらの者の居住権を保護することを目的とする一種の社会立法的性質を有するものであるところ、同法が、当該土地の上に存する建物の登記をもつて地上権または土地賃借権の対抗要件としているのは、それらの権利自体の登記による公示に準ずるものとして、それらの権利の存在を右建物の登記という外形的表象によつて認識せしめることにより、取引関係における第三者に不測の損害を及ぼすことのないようにしようとする趣旨に外ならない。従つて、同法の規定を解釈するに当つては、同法が社会立法的性質を有するものであることを考慮しつつ、一方建物を生活の拠点とする者の居住権の保護に必要な建物敷地の地上権または土地賃借権確保の要請と、他方公示制度による右敷地の取引関係に立つ第三者の利益保護の要請とを比較考量してその均衡の度合いを勘案し、事案の実体に即して具体的衡平が実現できるよう配慮しなければならないと思うのである。
ところで、地上建物を所有する地上権者または土地賃借権者が、自己名義で登記をした建物を自ら所有する場合に建物保護法一条の適用あることは論のないところであるが、さればといつて、多数意見のように、同法条の適用のあるのは常に必ず右のような場合でなければならず、自己の意思に基づき他人名義で建物の登記をした場合には常にその適用なしと断じ去ることは、未だ同法の前記法意に副うものとは考えられない。
すなわち、多数意見は原則論としてはこれを是認し得ないわけではないが、同法がその保護を眼目とする居住権は、公示制度による取引関係における第三者保護と両立し得る限りにおいて、できるだけこれを尊重することが望ましく、その限度において前記原則には若干の例外を認める余地があり、そのような考え方に立つてこそはじめて、建物保護法の法意に副う解釈が可能となると考える。
二 原判決の確定した事実関係によれば、次のことが認められる。すなわち、被上告人は、本件家屋の保存登記の当時、胃を害して手術をすることになつており、或いは長く生きられないかもしれないと思つていたので、右家屋を長男Aの名前にしておけば後々面倒がないと考え、同人には無断で、その所有名義に登記したものであり、そして、その頃被上告人と長男A(当時一五・六才)とは家族として共同生活をしていた。被上告人は本件建物を終始所有し、一度もAに所有権を移転していないのであるが、被上告人は自己所有の本件家屋を、前記のような事情の下に、ただ登記名義だけをA所有とすることとしたのであり、その登記申請手続は被上告人の意思に出でたものである。なお、上告人は、本件土地を昭和三一年一一月二四日交換により取得し、同月二七日その旨の登記を経由したが、被上告人は昭和二一年以来本件土地上に本件家屋を建築所有しており、昭和三一年一一月一四日被上告人と氏を同じくする未成年の長男A名義で保存登記を経由したのである。
そこで、本件A名義の保存登記の効力につき考えてみるに、右登記は、本件土地の賃借人であり且つ本件建物の所有者である被上告人が、自己のため同建物の保存登記をする趣旨の下に、その意思に基づいて登記申請手続を進め、ただ後々面倒がないよう長男A名義として登記したというのである。しからば、右登記申請手続の書類をもつて、上告人の言うようにこれを虚偽または偽造の文書とは言えないことは、原判決判示のとおりであり、また、右登記は、実質的には、A名義を借りた被上告人本人の登記にほかならないのであつて、多数意見の言うとおり、本件登記が不動産登記法上は形式上不備な点があり、自己の建物の所有権はこれを第三者に対抗し得ないものであり、また、同法による被上告人名義への更正登記が認められないものであるとしても、その一事をもつて、多数意見の言うように、実質上の権利と符合しないものであるから無効であると断ずることは妥当ではなく、建物保護法の法意に照らし、これに同法一条の対抗力を認めることが相当と認められ、これと趣旨を同じくする原判示は結局正当である。
次に、Aは、被上告人と氏を同じくし、上告人が本件土地の所有権を交換によつて取得しその登記を経由した当時、被上告人の家族として被上告人と共に本件建物においてその敷地を利用し、社会生活を営んでいたというのであるから、上告人は、本件土地の所有権を取得するに当り、登記名義人Aかまたはその家族がその建物の敷地に借地権を有することは、本件A名義の登記によつて、たやすく推知し得た筈である。しからば、被上告人の本件土地の賃借権は、右登記あることにより、被上告人が自己名義の登記ある家屋を所有する場合と同様に公示されており、第三者の利益保護の観点からみて、被上告人名義の建物登記ある場合に比し、必ずしも劣るものとは考えられない。
本件における事実関係が以上のごときものであるとすれば、多数意見が、登記制度は物権変動の公示方法であり、取引上の第三者は登記簿の記載によりその権利者を推知するのが原則であるから、本件のごとくA名義の登記簿の記載によつては、到底被上告人が建物所有者であることを推知するに由ないから、かかる登記に建物保護法による対抗力を認めることは取引上の第三者の利益を害するものであるというのは、本件登記のなされた具体的事実関係の理解において欠くるところがあるばかりでなく、建物保護法の法意を正しく理解した上の判断とは言えないのである。この点に関する原判決の結論は結局正当であり、上告理由第一点は理由がない。
三 次に、上告理由第二点前段引用の原判決の判示は、決して所論のように、何人の名義に登記されていてもよいという趣旨ではなく、本件の具体的事実に即して特殊例外的に対抗力を認めようとするものであることは判文上明瞭であり、所論は原判決を正解せざるものであつて採るを得ない。
更に、同後段は、大審院の判例を引用した原判決を非難する。しかし大審院は、古く民法一七七条の解釈として、相続人も相続登記をしなければ所有権の取得を第三者に対抗できない旨の判例を示しており(明治四一年一二月一五日大審院連合部判決、民録一四輯一三〇一頁)、右判例は、学説上には反対説もあるが、大審院によつて長く支持されて来たものであるところ、一方大審院は、建物保護法一条の対抗力に関する限り、相続人は地上建物について相続登記をしなくとも対抗できる旨の判例を示し(昭和一四年(オ)第七八九号、同一五年七月一一日、民一判決)、このように解することが建物保護法の法意に副う所以であるとしているのである。原判決は、この後の判例を引用していること論旨のいうとおりであるが、右大審院の判例は、本件の場合と具体的事案を異にする点はあるにしても、本件建物の登記に建物保護法一条の対抗力を認めた基本的な考え方において、原判決と共通のものを含むこと明らかであるから、これを引用した原判決は正当と認められる。
なお、所論は、原判決が所論引用の昭和一一年一一月一七日判決の大審院判例に違反するというが、同判例は、原判決も判示するように、原則を示したものであつて、絶対に例外を認めない趣旨のものとは考えられず、この点に関する所論も理由がない。
四 なお、上述一ないし三の私の見解は、昭和四〇年三月一七日当裁判所大法廷判決(昭和三六年(オ)第一一〇四号)の多数意見の趣旨とは、何ら矛盾または抵触するものではないことを附言する。
裁判官横田喜三郎、同柏原語六は、裁判官入江俊郎の右反対意見に同調する。

+反対意見
裁判官山田作之助は、入江俊郎裁判官の反対意見と趣旨において同意見であり、これに同調するけれども、なお、次のとおり補足する。
一、建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)は、借地権者がその借地権に基づき地上に有する建物につき適法なる登記がなされている場合には、その敷地が第三者に譲渡されても、新地主に対しその借地権を以つて対抗し得るものとしているのである。
二、翻つて、本件を見るに、原判決は、本件土地の上に被上告人が所有する本件建物について保存登記をなした際、被上告人が胃の手術を受け、或いは長くは生きられないかもしれないと思つて、当時十五、六才で被上告人の家族の一員として同居していた長男Aの名義で保存登記をしたものであると認定しているのである。従つて、A名義の登記をしたのは、Aに近く所有権を譲渡しようとして登記しておいたものか、或いは将来相続によりAが所有権を取得する場合を慮つて予め登記したものであるか、その何れであるかは問わず、右A名義でなされた登記を目して真実に合致せざる無効な登記とすることは出来ない。
かりに、本件建物もAの所有に属するとすれば、本件A名義の保存登記は実体関係に符合して有効であることは何人もこれを争わないところであろうが、このような場合にも、その後に本件土地の所有権を取得した上告人に対する関係では多数意見の論者は、借地権者と建物所有者とが異るというだけの理由で、右借地権に建物保護法による対抗力が与えられないとするものであろうか。恐らくは、然らずと答えられるのではないかと思う。
昭和四〇年六月一八日当裁判所第二小法廷が言い渡した判決(民集一九巻四号九七六頁)によれば、宅地の賃借人が借地上に同居の家族をして建物を建築させた場合、そのことが敷地の転貸に該当するとしても、賃貸人の承諾がないことを理由とする地主の解除権を否定しているのである。
その論拠とするところは、このような借地人の行為は、賃貸人に対する信頼関係を破壊するに足りない特段の事情があるからというのである。この見解の根底には、借地権を含む居住権は賃借人のみならずこれと共同生活を営む家族全員のためにもあるという社会通念が存在するからに外ならない。されば、このような場合に、前記設例のように、地主が交替したからといつて、俄かに建物保護法による保護が排除されると解することもできないというべきである。
そこで、前記設例の場合と本件の場合とを比較すると、本件建物の所有権が被上告人自身にあつたか、またはその同居の長男にあつたか、というただ一点の差があるにすぎない。このような所有権の帰属については、吾人の一般社会生活の実体に即して考えれば、当事者においてすら明瞭に意識されていないことも決して稀とはいえないであろう。このような僅少な差によつて、両者の場合に法律上全く取扱いを異にするような見解が果して世人を納得せしめるに足りるであろうか。
これによつてこれをみれば、本件被上告人が自己の相続人である未成年者A名義にて本件建物についてした建物保存登記は、何人に対する関係においてもこの建物についての保存登記として適法有効の登記として取扱わるべきであり、建物保護法にいわゆる建物についての登記ある場合に該当するものと解せざるを得ない。
三、以上要するに、多数意見は、本件登記を以つて、父たる被上告人がその所有建物につき長男A名義でしたる真実に合しない無効違法の登記なりとして、その結果右登記には何らの効果もなく、いわば登記なきに等しとするものであつて、吾人の通常の社会生活関係に於ける法律事象についてあまりにも概念的に解釈するもので、到底賛同することが出来ない。

+反対意見
裁判官田中二郎の反対意見は、次のとおりである。私は、多数意見とは反対に、本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。
一 建物保護法は、建物の所有を目的とする土地の借地権者(地上権者および賃借権者を含む。)が土地の上にその者の名義で登記した建物を有するときは、当該借地権(地上権および賃借権を含む。)の登記がなくても、その借地権を第三者に対抗することができるものとすることによつて、当該借地権ないし借地権者を保護しようとするものである。すなわち、当該借地権が地上権の場合でも、手続の煩瑣なために未登記のものが多く、殊にそれが賃借権の場合には、賃貸人はその登記に協力すべき義務を負うものでなく、賃借人は賃貸人に対し登記に協力すべきことを訴求し得べきものでないために、登記のないのが通例で、従つて、当該借地権をもつて当該土地の第三取得者に対抗することができない場合の多いのに対処して、同法は、借地権自体について登記がなくても、当該土地の上に登記した建物を有することによつて、その借地権の対抗力を認め、もつて、借地権者を保護し、ひいて、建物の所有者およびこれと一体的に家族的共同生活を営んでいる家族の居住権を保護することを目的とするものである。建物保護法は、この意味において、借地権を保護し、もつて借地上の建物の居住権を保護することを企図した一種の社会政策的立法であるから、同法を解釈適用するに当つては、このような立法の趣旨目的を尊重し、必ずしもその字句に捉われることなく、その目的にそつた解釈をなすべきである。
もつとも、建物保護法は、無制限かつ無条件に借地権および居住権を保護しようというのではなく、借地権者が自らその土地の上に登記した建物を有することを第三者に対抗するための要件としている。これは、同法が、一方において、居住権を含む借地権の保護を企図しつつ、他方において、建物の登記という外形的表象の存在を要件とすることによつて、土地の取引の安全を保護し、土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめないことを期し、この二つの対立する利益の調整を図ることを趣旨としているからである。そこで、居住権を含む借地権の保護の要請と土地の取引の安全、土地の第三取得者の保護の要請とを如何に調製すべきかが問題解決の鍵になるものといわなければならない。このような見地に立つて考えると、建物保護法の明文は、一応、原則として、借地権者がその土地の上に自己名義で登記した建物を有することを第三者に対抗するまめの要件としているが、同法の立法の趣旨目的に照らして考えれば、同法にいう建物の登記は、土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れのないかぎり、形式上、常に借地権者自身の名義のものでなければならないということを、文字どおりにしかく厳格に解さなければならない理由はない。
一般的にいえば、一面において、居住権を含む借地権の保護の要請に応じ、これを保護するだけの合理的根拠があり、しかも、他面において、土地の取引の安全を害することなく、新たに土地所有権を取得しようとする者が用意に当該土地の上に登記した建物が存在することを推知することができ、従つて、土地の新たな取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れがないような場合には、借地権者に同法の保護を与えることが同法の立法趣旨にそのゆえんである。このような見地から、私は、その建物の登記の瑕疵が更正登記の許される程度のものであればもちろん(昭和四〇月三月一七日最高裁大法廷判決民集一九巻二号四五三頁参照)、更正登記の許されない場合であつても、例えば建物の登記が借地権者自身の名義でなく、現実にそこで共同生活を営んでいる家族の名義になつているようなときは、登記した建物がある場合に該当するものとして、その対抗力を認めるべきであると考える。
このような考え方をするときは、土地を新たに取得しようとする者は、土地の上に建物があるかどうかを実地検分し、さらに建物に登記があるかどうかを調査するだけでなく、土地の上の建物の登記名義人と借地権者との身分関係についても調査する労を免れず、そのかぎりにおいて、土地の取引にいくらかの障害を生ずることにはなるが、それが不当な障害とまではいえず、借地権保護の立法趣旨を達成させるために、この程度の負担を課しても、決して酷とはいいがたく、従つて、土地の新たな取得者に不測の損害を生ぜしめるものとはいえないと思う。
二 ところで、本件についてみると、原判決の確定した事実によれば、被上告人は、昭和二一年以来、本件土地の上に本件家屋を建築所有しており、昭和三一年一一月一四日、被上告人と同居し、氏を同じくする未成年者長男A(当時一五、六才)名義で保存登記を経由しているというのである。(長男A名義で保存登記をしたのは、その当時、被上告人は、胃を害して手術をすることになつており、或いは長くは生きられないかもしれないと思つていたので、右家屋を長男Aの名義にしておけば後々面倒がないと考え、同人には無断で、その所有名義に登記したというのである。)そして、原判決は、A名義の保存登記は、実質的には、被上告人名義の登記があるのと同じであるとみるべきで、A名義の保存登記は、実体関係と符合するものであり、被上告人は、当該借地権をもつて上告人に対抗できる旨判示しているのである。
(1) 上告理由第一点は、要するに、本件建物のA名義の所有権保存登記を被上告人名義の登記と同じであるとみ、A名義の登記は実体上の権利関係と実質的に符合するとした原判決を非難し、右の登記は虚偽の登記又は偽造文書による登記であるから無効であると主張する。
しかし、叙上の具体的事情のもとに、被上告人が自らの意思に基づき長男A名義の登記をしたのを虚偽の登記又は偽造文書による登記とまでいう論旨は、現実にそわない主張であり、A名義の登記は被上告人名義の登記と同じであるとする原判決の判断は、いささか詭弁の感を免れないにしても、結論において、われわれの常識に合する妥当な判断というべきである。けだし、本件登記の当時、もはや、長くは生きられないかもしれないと思つていた被上告人が後々の面倒を避けるために、便宜、長男A名義を用いたというのであつて、それは、家屋の所有権自体も長男Aに贈与する意思であつたかもしれず(A名義の登記をすれば、税法上は財産の贈与があつたものとして贈与税の課税を免れない。それは贈与があつたものと推定されるからである。)、また、いずれは長男Aに贈与する趣旨のもとに、さしあたり登記名義だけをA名義にしておく趣旨であつたかもしれないが、そのいずれにしろ、その意図するところは、当該家屋について登記をしておかなければ、土地の第三取得者に対抗できなくなることを慮り、被上告人を含む家族の共同生活の場を確保しようというにある。その際、被上告人は、自己とその家族の一員として共同生活をしている長男Aとは、ともに一つのいわゆる家団を構成するメンバーであつて、自己の名義にするのも、長男A名義にするのも、ただ便宜の措置と考えてA名義の登記をしたものにほかならず、このような措置は、われわれの日常生活においては、往々見る現象であつて、直ちに登記名義と実体関係とがそごするとまではいえず、このような登記を虚偽の登記とか偽造文書による登記として無効であるという論旨は、われわれの常識に反し、必ずしも世人を納得させるものではない。原判決の認定判断は、その表現において、いささか妥当を欠くきらいはあつても、結局において、正当として支持すべきものと考える。
(2) 上告理由第二点は、要するに、本件家屋について、借地権者でない長男A名義の登記をもつて被上告人が建物保護法一条による保護を受け得べきいわれはないというにある。
建物保護法によつて借地権を対抗し得るためには、原則として、その土地の上に借地権者の名義で登記した建物を有することを要することは所論のとおりであるが、右の要件は、建物保護法の立法趣旨からいつて、文字どおりに厳格に解すべきではなく、特殊例外的に、第三取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れのないかぎり、形式上登記名義人が異なつていても、土地上に登記した建物がある場合に該当するものとして、同法の保護を与えるべき場合がある。原判決の引用する大審院判決(昭和一四年(オ)七八九号昭和一五年七月一一日判決、新聞四六〇四号)が、相続人は、地上建物について相続登記を経なくても、被相続人名義人の登記のままで、その敷地について借地権を第三取得者に対抗することができる旨を判示しているのは、その一例である。この事件は、本件とは多少事案を異にするといえるけれども、形式的には、建物所有者と登記名義人とが異なつているにかかわらず、その対抗力を認めた点において、本件原判決と共通のものがある。すなわち、建物保護法一条の対抗力に関するかぎり、一般の場合と異なり、必ずしも形式的な登記名義の厳格な一致を要求することなく、同法の立法趣旨にそう具体的に妥当な結論を導き出そうとしたものにほかならない。
ところで、本件家屋の登記は、長男A名義になつており、形式的にみるかぎり、借地権者たる被上告人名義にはなつていないから、建物保護法一条の要件を完全にそなえているとはいえない。しかし、被上告人と長男Aとは、本件家屋において、一体的に家族的共同生活を営んでいる、いわゆる家団の構成メンバーにほかならず、建物保護法の趣旨は、このような一体的な家団構成メンバーの居住権を含む借地権を保護するにあるとみるべきであるから、建物保護法一条の定める対抗要件に関するかぎり、形式上は家団の構成メンバーの一員である長男A名義の登記になつていても、被上告人名義の登記があるのと同様に、その対抗力を認めるのが、立法の趣旨に合する解釈というべきである。これを他の一面である土地の取引の保護とか第三取得者の保護という観点からいつても、本件土地の上に被上告人によつて代表される家団の構成メンバーの一員である長男A名義で登記した建物の存在することは、格別の労を用いることなく、容易に推知することができるのであるから、これに対抗力を認めたからといつて、土地の取引の安全を乱すことはなく、当該土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめるものとはいえない。
私は、同じ氏を称する家団の構成メンバーであれば、その登記名義が、仮りに父名義であれ、妻名義であれ、子供の名義であれ、建物保護法一条にいう有効な登記として、その対抗力を認めるを妨げないと考えるのであるが、少なくとも、本件の具体的事情のもとに、長男A名義の登記の対抗力を肯定した原判決の判断は、正当として維持されるべきであり、本件上告は理由がなく、棄却すべきものと考える。
裁判官長部謹吾は、裁判官入江俊郎および裁判官田中二郎の各反対意見に同調する。

・AがBに土地を賃貸し、Bが同土地上に建物を建築して所有する場合において、AがCに同土地を譲渡した場合、Bが土地の賃借権の登記と土地の所有権の登記のいずれもしていなかった(=605条又は借地借家法10条1項による対抗力がない)が、Cは、Bの賃借人としての土地の利用を知っており、借地権の存在を前提とする低廉な価格で土地を買い、所有権移転登記を経た。この場合、CのBに対する建物収去土地明渡請求は権利の濫用として認められない!!!
+判例(S49.9.3)
理由
上告代理人吉川大二郎、同渡辺彌三次の上告理由一ないし四について。
原審が確定した事実によれば、上告人は、被上告人が本件(イ)の土地の所有権を取得した日以降、被上告人に対抗しうる権原を有することなく、右土地の仮換地および換地上に本件建物を所有して、同土地を占有している、というのである。そして、被上告人が上告人の従前同土地について有していた賃借権が対抗力を有しないことを理由として上告人に対し建物収去・土地明渡を請求することが権利の濫用として許されない結果として、上告人が建物収去・土地明渡を拒絶することができる立場にあるとしても、特段の事情のないかぎり、上告人が右の立場にあるということから直ちに、その土地占有が権原に基づく適法な占有となるものでないことはもちろん、その土地占有の違法性が阻却されるものでもないのである。したがつて、上告人が被上告人に対抗しうる権原を有することなく、右土地を占有していることが被上告人に対する関係において不法行為の要件としての違法性をおびると考えることは、被上告人の本件建物収去・土地明渡請求が権利の濫用として許されないとしたこととなんら矛盾するものではないといわなければならない。されば、上告人が前記土地を占有することにより被上告人の使用を妨害し、被上告人に損害を蒙らせたことを理由に、上告人に対し、損害賠償を命じた原判決は正当である。叙上と異なる見地に立つて原判決を攻撃する所論は採用できない。
よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・AがBに土地を賃貸し、Bが同土地上に建物を建築して所有する場合において、AがCに同土地を譲渡した場合、Bが土地の賃借権の登記と土地の所有権の登記のいずれもしていなかったが、建物の登記記録に表題部所有者として登記されていた。この場合、CのBに対する建物収去土地明け渡し請求は認められない!!!!
+判例(S50.2.13)
理由
上告代理人海地清幸、同小倉正昭の上告理由第一点について。
建物保護ニ関スル法律一条が、建物の所有を目的とする土地の借地権者(地上権者及び賃借人を含む。)がその土地の上に登記した建物を所有するときは、当該借地権(地上権及び賃借権を含む。)につき登記がなくても、その借地権を第三者に対抗することができる旨を定め、借地権者を保護しているのは、当該土地の取引をなす者は、地上建物の登記名義により、その名義者が地上に建物を所有する権原として借地権を有することを推知しうるからであり、この点において、借地権者の土地利用の保護の要請と、第三者の取引安全の保護の要請との調和をはかろうとしているものである。この法意に照らせば、借地権のある土地の上の建物についてなさるべき登記は権利の登記にかぎられることなく、借地権者が自己を所有者と記載した表示の登記のある建物を所有する場合もまた同条にいう「登記シタル建物ヲ有スルトキ」にあたり、当該借地権は対抗力を有するものと解するのが相当である。そして、借地権者が建物の所有権を相続したのちに右建物について被相続人を所有者と記載してなされた表示の登記は有効というべきであり、右の理はこの場合についても同様であると解せられる。所論引用の各最高裁判例は、事案を異にし、本件に適切とはいえない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点の一について。
本件記録によれば、原審第二回口頭弁論期日において陳述された被上告人の昭和四七年五月二九日付準備書面には、原審が所論権利濫用の判断をするにあたり、その基礎事実として認定した事情と同旨の事実の記載のあることが明らかである。それゆえ、原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分を非難することに帰し、採用することができない。
同第二点の二について。
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人の本件請求が権利の濫用にあたるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

土地の賃借人は、賃貸人である土地所有者が土地を不法に占有する第三者に対して、所有権に基づく妨害排除請求権を代位行使することができる!!!!

本権とは、占有を正当ならしめる権利をいい、賃貸借などの債権にも適用し得る概念である。

・対抗力のある不動産賃借権については、本権の訴えとして、賃借権に基づく妨害排除請求権を認めている!!

・期間の定めのない賃貸借は、いつでも解約の申し入れをすることができるが、直ちに終了するわけではない。解約申し入れの日から各号に定められた期間を経過することで終了する。
+(期間の定めのない賃貸借の解約の申入れ)
第617条
1項 当事者が賃貸借の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合においては、次の各号に掲げる賃貸借は、解約の申入れの日からそれぞれ当該各号に定める期間を経過することによって終了する
一  土地の賃貸借 一年
二  建物の賃貸借 三箇月
三  動産及び貸席の賃貸借 一日
2項 収穫の季節がある土地の賃貸借については、その季節の後次の耕作に着手する前に、解約の申入れをしなければならない

・建物所有を目的とする土地の賃貸借契約の更新拒絶につき借地借家法6条所定の正当の事由があるかどうかを判断するに当たり、借地上に建物が存在しこれに建物賃借人がいる場合には、特段の事情がない場合には、建物賃借人の事情を斟酌することは許されない!!!!
+判例(S58.1.20)
理由
上告代理人廣兼文夫、同福永綽夫の上告理由第二点について
建物所有を目的とする借地契約の更新拒絶につき借地法四条一項所定の正当の事由があるかどうかを判断するにあたつては、土地所有者側の事情と借地人側の事情を比較考量してこれを決すべきものであるが(最高裁昭和三四年(オ)第五〇二号同三七年六月六日大法廷判決・民集一六巻七号一二六五頁)右判断に際し、借地人側の事情として借地上にある建物賃借人の事情をも斟酌することの許されることがあるのは、借地契約が当初から建物賃借人の存在を容認したものであるとか又は実質上建物賃借人を借地人と同一視することができるなどの特段の事情の存する場合であり、そのような事情の存しない場合には、借地人側の事情として建物賃借人の事情を斟酌することは許されないものと解するのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第三三六号同五六年六月一六日第三小法廷判決・裁判集民事一三三号四七頁参照)。しかるに、原審は、上告人らがした本件借地契約の更新拒絶につき正当の事由があるかどうかを判断するにあたり、本件土地の共有者の一人である上告人Aと借地人である被上告人Bの土地建物の所有関係及び営業の種類、内容のほか、右被上告人Bから本件土地上の建物を賃借している被上告人C、同Dの営業の種類、内容などを確定したうえ、上告人側の本件土地の必要性は肯定できるとしながら、他方、借地人側の事情として、なんら前記特段の事情の存在に触れることなく、漫然と本件土地上の建物賃借人の事情をも考慮すべきものとし、これを含めて借地人側の事情にも軽視することができないものがあり、前記更新拒絶につき正当の事由が備わつたものとは認められないと判断しているのであつて、右判断には、前述したところに照らし、借地法四条一項の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるといわなければならず、右違法が原判決中第一次請求を棄却した部分に影響を及ぼし、更には第二次請求の当否につき判断した部分にも影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決は、その余の論旨につき判断を加えるまでもなく、破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。
よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・建物所有を目的とする土地の賃貸借契約において、土地所有者が更新拒絶の異議を述べた場合、正当の事由の補完事由としての立退き料等金員の提供又はその増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものについては原則としてこれを考慮することができる!!!
+判例(H6.10.25)
理由
一 上告代理人竹田章治の上告理由第二点について
土地所有者が借地法六条二項所定の異議を述べた場合これに同法四条一項にいう正当の事由が有るか否かは、右異議が遅滞なく述べられたことは当然の前提として、その異議が申し出られた時を基準として判断すべきであるが、右正当の事由を補完する立退料等金員の提供ないしその増額の申出は、土地所有者が意図的にその申出の時期を遅らせるなど信義に反するような事情がない限り、事実審の口頭弁論終結時までにされたものについては、原則としてこれを考慮することができるものと解するのが相当である。
けだし、右金員の提供等の申出は、異議申出時において他に正当の事由の内容を構成する事実が存在することを前提に、土地の明渡しに伴う当事者双方の利害を調整し、右事由を補完するものとして考慮されるのであって、その申出がどの時点でされたかによって、右の点の判断が大きく左右されることはなく、土地の明渡しに当たり一定の金員が現実に支払われることによって、双方の利害が調整されることに意味があるからであるこのように解しないと、実務上の観点からも、種々の不合理が生ずる。すなわち、金員の提供等の申出により正当の事由が補完されるかどうか、その金額としてどの程度の額が相当であるかは、訴訟における審理を通じて客観的に明らかになるのが通常であり、当事者としても異議申出時においてこれを的確に判断するのは困難であることが少なくない。また、金員の提供の申出をするまでもなく正当事由が具備されているものと考えている土地所有者に対し、異議申出時までに一定の金員の提供等の申出を要求するのは、難きを強いることになるだけでなく、異議の申出より遅れてされた金員の提供等の申出を考慮しないこととすれば、借地契約の更新が容認される結果、土地所有者は、なお補完を要するとはいえ、他に正当の事由の内容を構成する事実がありながら、更新時から少なくとも二〇年間土地の明渡しを得られないこととなる
本件において、原審は、被上告人が原審口頭弁論においていわゆる立退料として二三五〇万円又はこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の決定する金額を支払う旨を申し出たことを考慮し、二五〇〇万円の立退料を支払う場合には正当事由が補完されるものと認定判断しているが、その判断は、以上と同旨の見解に立つものであり、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を非難するに帰するもので、採用することができない。

二 その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められない。右判断は、所論引用の当審判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官可部恒雄の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。
一 法廷意見は、借地法四条一項但書所定の「正当ノ事由」の有無は、同法六条による異議申出時を基準として判断すべきであるとして、従前の実務の取扱いを是認しつつ、いわゆる正当事由の補完事由としての立退料等の金員の提供ないしその増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものは原則として考慮することができる旨を判示した。
右にいう補完事由としての立退料等の金員(以下、記述の便宜上、単に「立退料」と略称する)の提供等の申出と、正当事由を具備するか否かの判断の基準時との関係については、借地関係に特有の、ともいうべき実務上の問題点があり、本件はまさにこの点についての先例となるものと考えられるので、以下に法廷意見を補足して意見を述べておくこととしたい(なお、借地借家関係の法令については、記述の便宜上、借地借家法(平成三年法律第九〇号)施行前の借地法及び借家法によることとする)。

二 借地権は建物所有を目的とするため、その存続期間として三〇年ないし六〇年にわたる長期間が法定され、更新後の期間も堅固建物については三〇年以上、非堅固建物についても二〇年以上とされており、土地所有者にとっては、借地権の存続期間の満了時を除いて貸地の返還を求め得る機会はない。そして、土地所有者が借地権者による契約の更新の請求又はいわゆる法定更新を拒絶するには、実体的には「自ラ土地ヲ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合」であることを要し、さらに手続的には「遅滞ナク異議ヲ述」べることを要するものとされる。
ところで、借地法の条文の構造からすれば、正当事由を具備するか否かの判断の基準時は、借地権者の更新請求又は(存続期間満了による)借地権消滅後における土地の使用継続に対する異議申出時をもって原則とするのが最も素直な解釈であり、借地についての比較的少数の先例もその趣旨に読むことができよう(最高裁昭和三七年(オ)第一二九四号同三九年一月三〇日第一小法廷判決・裁判集民事七一号五五七頁、最高裁昭和四八年(オ)第八五九号同四九年九月二〇日第三小法廷判決・裁判集民事一一二号五八三頁)。

三 ここで登場するのが、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額の申出と正当事由具備の判断の基準時との関係である。
立退料の提供は、戦後、借地法の解釈適用に関する実務の運用上、借地契約の更新を求める借地権者と更新を拒絶する土地所有者との間の利害の調整を図るべく、いわば実際の必要に基づいて実務の中から生み出されたものであるが、立退料の提供により正当事由が補完されるか否か、特にその金額として幾許が相当であるかは、訴訟での審理を通じて初めて明らかになるのが通常であることは、法廷意見の指摘するとおりであるのみならず、当事者の立場にあることから、それぞれに主観的事情の伴うことも避け難いところである。
したがって、前記のように、正当事由具備の判断の基準時は異議申出時をもって原則とすべきであるとはいっても、「遅滞ナク」異議を述べるべきその時点において、立退料の提供、しかも後に受訴裁判所において相当として許容されるべき金額の申出をすることを要するというのは、土地所有者と借地権者との間の土地使用関係の解消に伴う紛争の実態に合致せず、立退料のもつ本来の補完的性質にも反し、実務の産物であるその実際的機能を著しく減殺し、遂には殆ど無に帰せしめる結果ともなろう。
そこで、異議申出の時点を原則とするとの見地に立ちつつ、立退料などいわゆる正当事由の補強条件の申出が事後になされたとしても、客観的な事実の変遷とは性質を異にすることに着目し、遅すぎる補強条件の申出として法的安定性を害するおそれのない限り、これを加味して判断すべきであるとか、基準時(異議申出時)において予想し得たものである場合、又は基準時における正当事由の存否の徴憑たり得るものである場合には、これを補完的に考慮すべきであるとか、の解釈上の努力(注)が裁判例に現れることとなるのである。
注 「1」 東京高裁昭和五一年二月二六日判決・高民集二九巻一号一六頁、「2」 東京高裁昭和五四年三月二八日判決・判例時報九三五号五一頁、「3」東京高裁昭和六一年一〇月二九日判決・判例時報一二一七号七〇頁等がそれである。
右の「1」東京高裁昭和五一年判決(最三小昭五一・一一・九判決により上告棄却)は、「補強条件の申出の要件として『遅滞なく』とは、単に歳月の日数によって算えられるべきでな」いとして、更新拒絶より四年一〇ケ月後の金員提供の申出及び更に九ケ月後の増額の申出を「遅滞なく」されたものであるとした。次に、右の「2」東京高裁昭和五四年判決(最二小昭五五・一・二五判決により上告棄却)は、異議申出時より九ケ月後の立退料提供の申出及び更に一年後の増額の申出により、また、右の「3」東京高裁昭和六一年判決(最三小平元・七・一八判決により上告棄却)は、異議申出時より四年五ケ月後の立退料の申出により、いずれも正当事由が補完された旨を判示した。

四 以上、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないし増額の申出と正当事由具備の判断の基準時との関係を借地関係について見てきたが、有償による不動産の使用関係の解消については、借地のみならず借家関係についても同様の問題が存するかに見える。借家についても、建物の賃貸人が賃借権の更新を拒絶し又は解約の申入れをするについては、自己使用その他「正当ノ事由」を具備することを必要とし、正当事由の補完事由としての立退料の提供が実務の中から生み出されたのは、むしろ借地に先立つ借家の関係においてであったといってよいからである。

五 しかしながら、借地関係と借家関係では、この点の様相を著しく異にする
すなわち、
地上建物の保護のため二〇年以上の長期にわたって借地権の存続期間が法定される借地関係に比し、借家関係については、借家権の存続期間を長期にわたって法定するところがないばかりでなく、約定により期間の定めのある賃貸借においても、借家法二条による法定更新の後は、期間の定めのない賃貸借となるものとされ(最高裁昭和二六年(オ)第八一号同二八年三月六日第二小法廷判決・民集七巻四号二六七頁)、期間の定めのない借家契約は、「自ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合」には、六ケ月の告知期間を置くことにより(注)、いつでも解約の申入れをすることができる。
注 正当事由は解約申入れの時から六ケ月間存続することを要するとするのが判例であるといってよく(最高裁昭和二七年(オ)第一二七〇号同二九年三月九日第三小法廷判決・民集八巻三号六五七頁、後出最高裁昭和四一年一一月一〇日第一小法廷判決、最高裁昭和四〇年(オ)第一〇八号同四二年一〇月二四日第三小法廷判決・裁判集民事八八号七三三頁)、下級審の裁判例としてもこれが実務の大勢を占めている。
そして、建物の賃貸人が賃貸借契約の解約申入れに基づく該建物の明渡請求訴訟を継続維持しているときは、解約申入れの意思表示が黙示的・継続的に(注)されているものと解すべきである、とすること判例である(最高裁昭和四〇年(オ)第一四九七号同四一年一一月一〇日第一小法廷判決・民集二〇巻九号一七一二頁)から、当初の解約申入れの時点(A)では、正当事由を具備するというに足りないとされる事案においても、その後、立退料の提供の申出(B)があり、さらにその増額の申出がなされた時点(C)で正当事由の補完が認められるならば、その時(B又はCの時点)から六ケ月の期間の経過により、解約の効力を生ずることになる。
注 右の昭和四一年判決に先立つ最高裁昭和三〇年(オ)第一七九号同三四年二月一九日第一小法廷判決・民集一三巻二号一六〇頁の判例評釈は、「有効な解約申入を理由とする明渡訴訟の提起、その維持・継続」により「時々刻々解約申入がなされている」と解し得るとした(星野・法協七八巻一号一〇八頁)。これが右の昭和四一年判決の説明のために借用されているのは十分肯けることである(同年度解説[90]四九一頁)。

六 以上に見るように、借家関係については、借地のそれと異なり、「一年末満ノ期間ノ定アル賃貸借ハ之ヲ期間ノ定ナキモノト看做ス」(借家法三条ノ二)とするのみで、借家権の存続期間についてそれ以上に規定するところがなく、法定更新後は期間の定めのない賃貸借となるので、正当事由を具備する限り、何時でも解約の申入れをすることができ、解約申入れを理由とする明渡訴訟の継続中は「時々刻々」解約申入れがなされていると解すべきである、というのであるから、こと借家に関する限り、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額申出の時点と、正当事由具備の判断の基準時(黙示的な解約申入れの時点)とは、もともと一致し、或いは実務上些少の工夫により容易に一致させることができ、右の補完事由の申出の時点と基準時との不一致に由来する実務上の困難は、借地関係に特有の問題であることが明らかとなるのである。

七 借地と借家との別は以上のとおりとして、ここで改めて検討を要するのは、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額の申出は、自己使用その他、正当事由の内容を構成し、原被告間においてその存否が争われる「事実」であるのか、という論点である。
立退料の提供ないしその増額の申出は、訴訟上、受訴裁判所の関与の下に、訴訟当事者である土地所有者から借地権者に対してなされるもので、土地所有者の自己使用の必要とか、借地権者の地上建物に対する生活上の依存度というような、基準時における「事実」として、当事者間においてその存否が争われる余地はなく、立退料の提供の申出は、基準時において正当事由がなお充足されず、土地所有者の側からする一定額の金員の提供によって初めて正当事由が補完され得るという事案において、受訴裁判所をして右金員の支払と引換えに(その支払は執行開始の要件である)借地権者に土地明渡しを命ずる判決をすることを可能ならしめるものであり、この点においてのみ法律上の意味を有するものにほかならない。
受訴裁判所は、たとい一定額の金員の支払により正当事由が補完され得ると判断した場合においても、原告たる土地所有者からその旨の申出がない限り、前記の引換給付の判決をすることはできず、また、原告が明確に上限を画して一定額以下の金員の提供を申し出た場合に、その上限を超えて引換給付の判決をすることは許されない「裁判所ハ当事者ノ申立テサル事項ニ付判決ヲ為スコトヲ得ス」(民訴法一八六条)とする点の拘束は、その意味で絶対的であるといってよい。
立退料の提供の申出のもつ法律上の意味は以上のとおりであり、そして、それ以外の意味をもたない。正当事由の補完事由とされるとはいえ、それは正当事由の内容を構成するものとしてその存否が争われる「事実」ではない。にもかかわらず、それが正当事由の補完事由とされるが故に、正当事由具備の判断の基準時との関係で実務処理上の困難に出遭い、下級審裁判例において様々の解釈上の努力が積み重ねられて来たことは、さきに見たとおりである。
思うに、判例形成の責任が最上級審にあることはもとよりであるが、さきに注記した裁判例に見るような、実務上の困難に対処するための苦渋に満ちた解釈上の努力から、もはや脱却すべき時機が到来したことに、実務上の注意を喚起しておきたい。本判決の意義はそこにあると考える。
注 立退料の提供又はその増額の申出と正当事由具備の基準時との関係につき、法廷意見と共通の見解を示す比較的最近の判決がある。最高裁平成二年(オ)第二一六号同三年三月二二日第二小法廷判決・民集四五巻三号二九三頁がそれである。
しかし、同判決は借家に関するもので、右の基準時との関係で実務上の困難に遭遇していた類型の事案でないばかりでなく、同事件の上告人は借家人であって、立退料の提供ないし増額の申出についての同判決の所見は、被上告人たる賃貸人にとって有利となることこそあれ、賃借人たる上告人の有利に働く余地のないことはむしろ自明のところであろう。したがって、その判旨のような見解を上告論旨が開陳したのであれば、これが肯定されても上告人自身に不利益を齎すのみであるから、上告理由として体をなさないものとならざるを得ない。しかるに、判旨が、論旨の何ら言及するところのない見地に踏み込んで、進んで職権的に判断し、その結論が不利益変更禁止の原則により許されないというのは、上告審の措置として理解しにくいところがある。同判決の事案が借家に関するものであることに加え、先例拘束性をもつ判例としての位置づけが困難である点に、法廷意見が同判決に言及しない理由があるように思われる。
なお、本判決に従い、補完事由としての立退料の提供ないし増額の申出が事実審の口頭弁論終結に至るまで許されるとして、次に、土地所有者の申し出た立退料の額の相当性を判断すべき金額評価の時点は何時か、の問題がある。土地所有者による立退料の支払が借地権者に対する収去明渡しの執行と引換えになされるもので、引換給付の時点における借地権者の不利益を緩和ないし補償すべき性格をもつところからすれば、その時点に最も近接する事実審の口頭弁論の終結時において、土地所有者の申出にかかる金額が相当なりや否やを判断するほかなく、この論点は、本判決の示す結論の延長線上にあるものと考える。


民法択一 債権各論 契約各論 賃貸借 その3


・AはBとの間で、A所有の甲建物について賃貸借契約を締結し、甲建物をBに引き渡した。Bは、Aとの間の賃貸借契約により定められていた用法に反した使用収益をして、Aに損害を与えた。この場合、AのBに対する損害賠償請求権は、貸主が目的物の返還を受けたときから(×AB間の賃貸借契約が終了したときから)1年以内にAがBに対して請求しなければならない。

+(使用貸借の規定の準用)
第616条
第594条第1項、第597条第1項及び第598条の規定は、賃貸借について準用する。

+(借主による使用及び収益)
第594条
1項 借主は、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない
2項 借主は、貸主の承諾を得なければ、第三者に借用物の使用又は収益をさせることができない。
3項 借主が前二項の規定に違反して使用又は収益をしたときは、貸主は、契約の解除をすることができる。

+(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限)
第621条
第600条の規定は、賃貸借について準用する。

+(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限)
第600条
契約の本旨に反する使用又は収益によって生じた損害の賠償及び借主が支出した費用の償還は、貸主が返還を受けた時から一年以内に請求しなければならない

+判例(S8.2.8)
この請求権の行使期間を除斥期間であると解し、1年以内に同条の請求がなされれば、貸主が目的物の返還を受けたときから1年を経過しても請求権は消滅しない!

++除斥期間
消滅時効との比較
・法律関係を速やかに確定させるという制度趣旨から除斥期間と消滅時効とは以下のような差異があるとされている。
除斥期間には、中断は認められない。
除斥期間には、原則として、停止がない。
ただし、724条(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)の20年の期間制限について158条(未成年者又は成年被後見人と時効の停止)の法意から期間延長を認めた判例(最判平10・6・12民集52巻4号1087頁)がある。また、停止事由のうち161条(天災等による時効の停止)は除斥期間にも類推適用すべきとする学説がある。
除斥期間を経過している事実があれば、裁判所は当事者が援用しなくても、それを基礎に権利消滅を判断しなければならない。
除斥期間は、権利発生時から期間が進行する(起算点)(消滅時効は権利行使が可能となった時点から期間が進行する)。
除斥期間には、遡及効が認められない。

・家屋所有を目的とした土地賃貸借契約において、建物買取請求権を行使した場合、買取代金の支払いがあるまでは当該建物の引き渡しを拒むことができる!!
しかし、引渡しを拒んでいる間の敷地の賃料相当額を返還する必要はある!

+判例(S35.9.20)
上告代理人上野開治の上告理由第一点について。
建物所有のための土地賃貸借においては、賃借人が何人なるかにより使用収益の方法に必ずしも大きな差異を生ずるものでないということは、一般論として所論のとおりである。しかし、この故に、建物その他地上物件の譲渡に伴い敷地賃借権の譲渡をすることは、原則として背信行為にならないと論断することはできない
けだし、転貸又は賃借権の譲渡が背信行為に当らないと認むべき特段の事情のあるときには、民法六一二条の解除はできないものと解すべきことは当裁判所の判例とするところであるが(昭和二五年(オ)第一四〇号、同二八年九月二五日第二小法廷判決、最高裁民事判例集七巻九七九頁等)、使用収益の方法に大差なければ背信行為に当らないと解することは許されないからである。右判例が「特段の事情」を必要としているのは、使用収益の方法に大差あると否とを問わず、およそ転貸又は賃借権譲渡は一応背信性あるが故に民法六一二条の解除原因になつているのであり、それが已むを得ない事情にいでた場合或は少くとも社会通念上恕すべき事情ありと認められる場合にはじめて背信性が失われると解しているからにほかならない。所論は、以上と異る独自の見解であつて採用し難い。(なお、所論は借地権譲渡につき黙認があるとも主張するが、これは単なる事実認定の非難にすぎない。)

同第二点について。
原判示の事実関係のもとでは、本件明渡請求を以て権利乱用と認め難いとした原審の判断は正当であつて、論旨は理由がない。

同第三点について。
借地法一〇条による建物等買取請求権の行使によりはじめて敷地賃貸借は目的を失つて消滅するものと解すべきであるから(大審院判決昭和九年(オ)第四六二号、同年一〇月一八日、民集一三巻一九三二頁)、右行使以前の期間については貸主は特段の事情のないかぎり賃料請求権を失うものではないこと所論のとおりである。しかし、単に賃料請求権を有するというだけで、その間賃料相当の損害を生じないとはいい難い。貸主が現に右賃料の支払を受けた場合は格別、然らざるかぎり、無断転借人(又は譲受人)に対し賃料相当の損害金を請求するを妨げないものと解すべきである。(大審院判決昭和六年(オ)第一四六二号、同七年一月二六日、民集一一巻一六九頁、同昭和一三年(オ)第一七八〇号、同一四年八月二四日、民集一八巻八七七頁、各参照。)
なお、論旨は右相当賃料は、借地人たる訴外西福モー夕ースの支払うべき坪当り月金二円と認むべき旨主張するけれども、原判示昭和二五年四月一日の本件借地権譲渡の後である同年七月一一日以降地代家賃統制令の改正により本件土地は賃料の統制を受けざるに至つたこと原判示の如くなる以上、その後の相当賃料を判定するに当り原審が右約定賃料に拠らず原判示の証拠(鑑定)によつてこれを原判示の如く認定したのはなんら違法ではなく、この点の論旨も理由がない。

同第四点について。
 建物買取請求権を行使した後は、買取代金の支払あるまで右建物の引渡を拒むことができるけれども、右建物の占有によりその敷地をも占有するかぎり、敷地占有に基く不当利得として敷地の賃料相当額を返還すべき義務あることは、大審院の判例とするところであり(昭和一〇年(オ)第二六七〇号、同一一年五月二六日、民集一五巻九九八頁)、いまこれを変更する要を見ない。されば、これと相容れない所論は採用し得ない。
その余の論旨は、原審が適法にした本件建物の時価及び相当賃料の認定を非難するに帰着するものであつて、これまた採用の限りでない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・家屋所有を目的とする土地賃貸借契約において、土地賃借人に債務不履行がある場合には、建物買取請求権の行使は認められない!
+判例(S35.2.9)
 理由
上告代理人近藤三代次の上告理由第一点について。
裁判所がある書証の趣旨を解釈判断するにはその書証記載の文言を他の証拠に照らしその作成された事情その他諸般の事情を斟酌することができるのであり、その結果、ある書証の趣旨はその記載文言のとおりであると判断し、ある書証の趣旨はある程度その記載文言と異るものであると判断することができるのであつて、これをしたからといつて直ちに経験則に違反するものといえないこと多言を要しない。この理はその書証が同一人の作成にかかる場合にもかわりはない。原判決は、所論甲一号証の一の書面は、それに賃料不払を条件として契約を解除する旨の文字はないが「書面全体の趣旨及び第一審証人Aの証言によつて明らかな右書面の発せられるに至つた前後の事情等に徴しこれが賃料不払を条件とする契約解除の意思表示に外ならない」こと明らかであるとしているのであつて、右判断は首肯することができる。また、乙一号証の書面については、第一審判決が、これをA証言の一部と綜合すると賃貸借取極を前提とする地代増額通知でなく損害金請求の趣旨と認められるとした判断を原判決は是認しているのであつて、この判断も首肯することができる。所論、原判決が甲一号証の一については書面上の文字を重視し乙一号証についてはこれを軽視したという点は証拠の取捨判断の非難にほかならない。原判決には所論の違法なく論旨は採用できない。

同第二点について。
借地法四条二項の規定は誠実な借地人保護の規定であるから、借地人の債務不履行による土地賃貸借解除の場合には借地人は同条項による買取請求権を有しないものと解すべきである(借家法五条についての昭和二九年(オ)六三七号同三一年四月六日第二小法廷判決、集一〇巻四号三五六頁、昭和三一年(オ)九六六号同三三年三月一三日第一小法廷判決、集一二巻三号五二四頁参照)。これと同一の見解に立つ原判決の判示は相当であり、所論は理由がない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+(建物買取請求権)
第13条
1項 借地権の存続期間が満了した場合において、契約の更新がないときは、借地権者は、借地権設定者に対し、建物その他借地権者が権原により土地に附属させた物を時価で買い取るべきことを請求することができる。
2項 前項の場合において、建物が借地権の存続期間が満了する前に借地権設定者の承諾を得ないで残存期間を超えて存続すべきものとして新たに築造されたものであるときは、裁判所は、借地権設定者の請求により、代金の全部又は一部の支払につき相当の期限を許与することができる。
3項 前二項の規定は、借地権の存続期間が満了した場合における転借地権者と借地権設定者との間について準用する。

・賃借人は、賃借物の返還に当たり、明確な合意がなければ、社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物の劣化又は価値の減少について原状回復義務を負わない!!!!
+判例(H17.12.16)
理由
上告代理人岡本英子ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、地方住宅供給公社法に基づき設立された法人である。
(2) 第1審判決別紙物件目録記載の物件(以下「本件住宅」という。)が属する共同住宅旭エルフ団地1棟(以下「本件共同住宅」という。)は、特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律(以下「法」という。)2条の認定を受けた供給計画に基づき建設された特定優良賃貸住宅であり、被上告人がこれを一括して借り上げ、各住宅部分を賃貸している。
(3) 被上告人は、平成9年12月8日、本件共同住宅の入居説明会を開催した。同説明会においては、参加者に対し、本件共同住宅の各住宅部分についての賃貸借契約書、補修費用の負担基準等についての説明が記載された「すまいのしおり」と題する書面等が配布され、約1時間半の時間をかけて、被上告人の担当者から、特定優良賃貸住宅や賃貸借契約書の条項のうち重要なものについての説明等がされたほか、退去時の補修費用について、賃貸借契約書の別紙「大阪府特定優良賃貸住宅and・youシステム住宅修繕費負担区分表(一)」の「5.退去跡補修費等負担基準」(以下「本件負担区分表」という。)に基づいて負担することになる旨の説明がされたが、本件負担区分表の個々の項目についての説明はされなかった
上告人は、自分の代わりに妻の母親を上記説明会に出席させた。同人は、被上告人の担当者の説明等を最後まで聞き、配布された書類を全部持ち帰り、上告人に交付した。
(4) 上告人は、平成10年2月1日、被上告人との間で、本件住宅を賃料月額11万7900円で賃借する旨の賃貸借契約を締結し(以下、この契約を「本件契約」、これに係る契約書を「本件契約書」という。)、その引渡しを受ける一方、同日、被上告人に対し、本件契約における敷金約定に基づき、敷金35万3700円(以下「本件敷金」という。)を交付した。
なお、上告人は、本件契約を締結した際、本件負担区分表の内容を理解している旨を記載した書面を提出している。
(5) 本件契約書22条2項は、賃借人が住宅を明け渡すときは、住宅内外に存する賃借人又は同居者の所有するすべての物件を撤去してこれを原状に復するものとし、本件負担区分表に基づき補修費用を被上告人の指示により負担しなければならない旨を定めている(以下、この約定を「本件補修約定」という。)。
(6) 本件負担区分表は、補修の対象物を記載する「項目」欄、当該対象物についての補修を要する状況等(以下「要補修状況」という。)を記載する「基準になる状況」欄、補修方法等を記載する「施工方法」欄及び補修費用の負担者を記載する「負担基準」欄から成る一覧表によって補修費用の負担基準を定めている。このうち、「襖紙・障子紙」の項目についての要補修状況は「汚損(手垢の汚れ、タバコの煤けなど生活することによる変色を含む)・汚れ」、「各種床仕上材」の項目についての要補修状況は「生活することによる変色・汚損・破損と認められるもの」、「各種壁・天井等仕上材」の項目についての要補修状況は「生活することによる変色・汚損・破損」というものであり、いずれも退去者が補修費用を負担するものとしている。また、本件負担区分表には、「破損」とは「こわれていたむこと。また、こわしていためること。」、「汚損」とは「よごれていること。または、よごして傷つけること。」であるとの説明がされている。
(7) 上告人は、平成13年4月30日、本件契約を解約し、被上告人に対し、本件住宅を明け渡した。被上告人は、上告人に対し、本件敷金から本件住宅の補修費用として通常の使用に伴う損耗(以下「通常損耗」という。)についての補修費用を含む30万2547円を差し引いた残額5万1153円を返還した。

2 本件は、上告人が、被上告人に対し、被上告人に差し入れていた本件敷金のうち未返還分30万2547円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案であり、争点となったのは、〈1〉 本件契約における本件補修約定は、上告人が本件住宅の通常損耗に係る補修費用を負担する内容のものか、〈2〉 〈1〉が肯定される場合、本件補修約定のうち通常損耗に係る補修費用を上告人が負担することを定める部分は、法3条6号、特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律施行規則13条等の趣旨に反して賃借人に不当な負担となる賃貸条件を定めるものとして公序良俗に反する無効なものか、〈3〉 本件補修約定に基づき上告人が負担すべき本件住宅の補修箇所及びその補修費用の額の諸点である。

3 原審は、前記事実関係の下において、上記2の〈1〉の点については、これを肯定し、同〈2〉の点については、これを否定し、同〈3〉の点については、上告人が負担すべきものとして本件敷金から控除された補修費用に係る補修箇所は本件負担区分表に定める基準に合致し、その補修費用の額も相当であるとして、上告人の請求を棄却すべきものとした。以上の原審の判断のうち、同〈1〉の点に関する判断の概要は、次のとおりである。
(1) 賃借人が賃貸借契約終了により負担する賃借物件の原状回復義務には、特約のない限り、通常損耗に係るものは含まれず、その補修費用は、賃貸人が負担すべきであるが、これと異なる特約を設けることは、契約自由の原則から認められる
(2) 本件負担区分表は、本件契約書の一部を成すものであり、その内容は明確であること、本件負担区分表は、上記1(6)記載の補修の対象物について、通常損耗ということができる損耗に係る補修費用も退去者が負担するものとしていること、上告人は、本件負担区分表の内容を理解した旨の書面を提出して本件契約を締結していることなどからすると、本件補修約定は、本件住宅の通常損耗に係る補修費用の一部について、本件負担区分表に従って上告人が負担することを定めたものであり、上告人と被上告人との間には、これを内容とする本件契約が成立している。

4 しかしながら、上記2の〈1〉の点に関する原審の上記判断のうち(2)は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。そうすると、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。
(2) これを本件についてみると、本件契約における原状回復に関する約定を定めているのは本件契約書22条2項であるが、その内容は上記1(5)に記載のとおりであるというのであり、同項自体において通常損耗補修特約の内容が具体的に明記されているということはできない。また、同項において引用されている本件負担区分表についても、その内容は上記1(6)に記載のとおりであるというのであり、要補修状況を記載した「基準になる状況」欄の文言自体からは、通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえない。したがって、本件契約書には、通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は、本件契約を締結する前に、本件共同住宅の入居説明会を行っているが、その際の原状回復に関する説明内容は上記1(3)に記載のとおりであったというのであるから、上記説明会においても、通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。そうすると、上告人は、本件契約を締結するに当たり、通常損耗補修特約を認識し、これを合意の内容としたものということはできないから、本件契約において通常損耗補修特約の合意が成立しているということはできないというべきである。
(3) 以上によれば、原審の上記3(2)の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は、この趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、通常損耗に係るものを除く本件補修約定に基づく補修費用の額について更に審理をさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 Xは,地方住宅供給公社法に基づいて設立されたYとの間で,特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律(以下「法」という。)の適用を受ける特定優良賃貸住宅の賃貸借契約(以下「本件契約」という。)を締結し,同住宅を賃借した。本件契約に係る契約書(以下「本件契約書」という。)には,賃借人は,家賃の支払,損害の賠償その他賃貸借契約から生ずる一切の債務を担保するために,3か月分の家賃相当額を敷金として差し入れること,賃借人は,本件契約が終了して賃借住宅を明け渡すときは,本件契約書の別紙修繕費負担区分表(以下「本件修繕費負担表」という。)に基づいて補修費を負担するとの条項が定められていた。本件修繕費負担表には,補修の対象部位・場所ごとに,補修の範囲,補修の対象となる状態,補修方法,補修費の負担者が定められていた。
Yは,本件修繕費負担表において賃借人の負担とされている補修の範囲・場所に関する補修の対象となる状態の定めのうち,襖紙・障子紙に関する「汚損(手垢の汚れ,タバコの煤けなど生活することによる変色を含む)・汚れ」,各種床仕上材・各種壁・天井等仕上材に関する「生活することによる変色・汚損・破損」とするもの等について,通常損耗を含むものであるとして,これらの補修の対象・部位に係る通常損耗に係る補修費を含めた補修費相当額をXが差し入れた敷金から控除して,その残りをXに返還した。
本件は,Xが,上記の補修の対象となる状態の定めは通常損耗を含まない,仮に同定めが通常損耗を含むものである場合には,同定めは,法3条6号,特定優良賃貸住宅の供給の促進に関する法律施行規則(以下「法施行規則」という。)13条等の趣旨に反するものであって,賃借人に不当な負担となる賃借条件を定めるものとして公序良俗に反し無効であるなどと主張して,Yに対し,同契約における敷金約定に基づいて被告に差し入れていた敷金の未返還分の支払を求めた事案である。

2(1)1審及び原審(判時 1877号73 頁)は,いずれも原告の請求を棄却すべきものとした。原判決の理由の概要は,次のとおりである。
賃貸借契約終了の際における賃借人の原状回復義務の範囲は,特約のない限り,通常損耗は含まれず,その補修費は賃貸人が負担すべきものと解されるが,これと異なる特約を設けることは,契約自由の原則から認められる。本件修繕費負担表により賃借人が負担する補修費の中には通常損耗に係るものもあり,本件修繕費負担表が本件契約書に添付されて本件契約の一部となっているから,XY間には,賃借人が通常損耗に係る補修費を負担する内容の特約を含む本件修繕費負担表に定める補修に関する合意が成立している。そして,法施行規則13条は,本件修繕費負担表に基づき賃借人が負担すべき補修費債務を敷金から控除することを禁止しておらず,また,そのことが同条の趣旨に反するものともいえないことなどからすると,上記特約を含む本件修繕費負担表は,賃借人に不当に不利益な負担を課すものとも,公序良俗に反するものとも認めることはできない。
(2) 本判決は,賃借建物の通常損耗について賃借人が原状回復義務を負う旨の特約の成立要件として【判決要旨】1のとおり判示した上,本件につき,【判決要旨】2のとおり判示し,これと異なる原判決には法令違反があるとして原判決を破棄し,通常損耗に係るものを除くXが負担すべき補修費の額について更に審理をさせるため,本件を原審に差し戻した。

3(1)法は,民間の土地所有者等による中堅所得者等の居住の用に供する居住環境が良好な賃貸住宅である特定優良賃貸住宅の供給を促進するために,特定優良賃貸住宅の建設及び管理について,これを行おうとする者に対し,戸数,規模・構造,資金計画,入居資格,家賃等に関する計画について知事の認定を受けることを要するものとし,また,認定を受けた計画に従った特定優良賃貸住宅の供給を義務付ける一方,地方公共団体がその建設費の助成,家賃減額のための助成等を行うことを定めるものである。このように,法は,特定優良賃貸住宅について,その供給計画の内容を始め,賃貸借契約の内容にも公的関与を行うこととし(法3条,法施行規則4条以下),家賃については,近傍同種の住宅の家賃の額と均衡を失しないように定めること(法3条5項),地方公共団体から建設に要する費用の補助を受けた場合には,家賃は当該特定優良賃貸住宅の建設に必要な費用,利息,修繕費,管理事務費,損害保険料,地代に相当する額,公課その他必要な費用を参酌して国土交通省令で定める額を超えないものとすること(法13条1項,法施行規則20条)などの規制をし,また,賃料以外の金員について,家賃の3か月分を超えない額の敷金以外の一時金の授受を禁止しているほか,その他賃借人の不当な負担となることを賃貸の条件とすることを禁止している(法施行規則13条)。
(2) 賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には,賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務がある(民法616条,597条,598条)。原状に回復するとは,賃借物件が社会通念上通常の方法により使用収益をしていればそうなるであろう状態であれば,使用開始当時の状態よりも悪くなっていたとしても,そのまま返還すればよいということであり,賃借人が通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化あるいは価値の減少を意味する通常損耗については,賃借人の責めに帰すべき事由がないので,その原状回復費用は,債権法一般の原則に照らすと,特約のない限り,賃貸人が負担するものと解される。そして,建物の賃貸借契約においては,建物損耗の発生が賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであるため,賃借建物の通常損耗に係る投下資本の減価の回収は,通常,賃料の中に必要経費分(減価償却費,修繕費)を含ませてその支払を受けることにより行われている。特定優良賃貸住宅については,その賃料を定めるに当たり,建設に要した費用の1000分の1相当額が修繕費相当額として考慮されている(法施行規則 20 条 1 項 2号)。
特定優良賃貸住宅については,上記(1)のとおり法による規制があるが,特定優良賃貸住宅の賃貸借契約と一般の民間賃貸住宅の賃貸借契約とは契約の性質を異にするものではなく,それぞれの賃貸借契約における通常損耗に係る投下資本の減価の回収について,その間で異なるものとすべき事情はないと考えられる。そうすると,特定優良賃貸住宅の賃貸借契約においても,通常損耗は,特約のない限り,賃借人の原状回復義務の範囲に含まれないという債権法一般の原則が当てはまるものと解される。
(3)以上によれば,通常損耗について賃借人に原状回復義務を負わせるのは,賃借人に特別の負担を負わせることになる(賃料に通常損耗に係る補修費分を含みながらこれに加えて更に個別の通常損耗に係る補修費を負担させるという場合には,この補修費を二重に負担させることになる。)から,賃借人において上記義務を負担することが認められるためには,契約締結時に,その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解される。そして,賃借条件や特約は,賃借建物を提供する賃貸人において設定するものであるから,その内容がどのようなものであるかは,賃貸借契約締結時に,賃貸人において賃借人が分かるように明示又は説明すべき義務があると解するのが相当である。そうすると,通常損耗について賃借人に原状回復義務を負わせる特約の成立が認められるためには,同特約の内容が契約書自体に明記されているか,仮に契約書では明らかでない場合には,少なくとも賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められることが必要であるというべきである。その場合の同特約に関する条項の記載又は説明の内容は,同特約が賃借人に特別の負担を負わせるものであることからすると,賃借人が負担する通常損耗の範囲が明確なものでなければならないのは当然である上,通常,賃料には通常損耗に係る補修費分が含まれていることとの関係上,賃借人において賃料が近傍同種の住宅の賃料と比較して相当な金額であるか否かを判断するためにも,通常損耗に係る補修費分を含む賃料に加えて更に別途通常損耗に係る補修費を負担するのか,賃料には通常損耗に係る補修費分を含ませておらず,通常損耗に係る補修費としては当該特約によるもののみを負担するものであるのかなどについても,賃借人が理解できるものであることが必要であると考えられる。以上の点が満たされない契約書に基づき,口頭説明もないまま,賃貸借契約が締結された場合には,賃借人について通常損耗の原状回復義務を負担する意思を認めることはできず,当該契約において通常損耗に係る補修費を賃借人が負担する旨の特約の成立を認めることはできないというべきであると考えられる。本判決は,以上のような考え方に立って,【判決要旨】2に記載の事情の下においては,XY間には,Xにおいて通常損耗の原状回復義務を負う旨の特約が成立しているとはいえないとしたものと思われる。

4 本判決は,特定優良賃貸住宅の賃貸借契約の事案について通常損耗に係る補修費を賃借人が負担する特約が成立する場合の要件を判示したものであるが,同判示部分は,民間の賃貸住宅の賃貸借契約一般に通じるものであり,建物賃貸借の実務上,重要であると思われる。(関係人一部仮名)

・無断転貸を理由に賃貸借契約を解除して、賃貸人に対し目的物の返還を求める賃貸人は、転貸借につき自らが承諾をしていないことを主張立証する必要はない!!!!=抗弁

・土地の賃借人が借地上に築造した建物を第三者に賃貸しても、土地の賃借人は建物所有のため自ら土地を使用しているものであるから、賃借地を第三者に転貸したとはいえない!!!!

・借地上の建物を競売により取得した者は、土地賃貸人の承諾がなくても、土地賃借権を取得できる場合がある!!
+(建物競売等の場合における土地の賃借権の譲渡の許可)
第20条
1項 第三者が賃借権の目的である土地の上の建物を競売又は公売により取得した場合において、その第三者が賃借権を取得しても借地権設定者に不利となるおそれがないにもかかわらず、借地権設定者がその賃借権の譲渡を承諾しないときは、裁判所は、その第三者の申立てにより、借地権設定者の承諾に代わる許可を与えることができる。この場合において、当事者間の利益の衡平を図るため必要があるときは、借地条件を変更し、又は財産上の給付を命ずることができる。
2項 前条第2項から第6項までの規定は、前項の申立てがあった場合に準用する。
3項 第一項の申立ては、建物の代金を支払った後二月以内に限り、することができる。
4項 民事調停法 (昭和二十六年法律第二百二十二号)第19条 の規定は、同条 に規定する期間内に第1項 の申立てをした場合に準用する。
5項 前各項の規定は、転借地権者から競売又は公売により建物を取得した第三者と借地権設定者との間について準用する。ただし、借地権設定者が第2項において準用する前条第3項の申立てをするには、借地権者の承諾を得なければならない。

・AはBとの間で、建物の所有を目的として、A所有の土地につき賃貸借契約を締結し、土地をBに引き渡した。賃借した土地上に建物を建てたBが、Aの承諾なくその建物をCに譲渡担保に供したが、引き続きBが建物を使用していた場合、譲渡担保権の実行前は、Aは、本件契約を解除できない。
+判例(S40.12.17)
理由
上告代理人古荘義信の上告理由第一点について。
原審の確定した事実によれば、被上告人日本鉄工株式会社は、上告人からその所有の本件土地を賃借し、地上に本件建物を所有していたが、昭和三四年七月中、判示の事情から、被上告人日産興業有限会社より会社運営資金の融通を受けることとなり、その手段として、本件建物を代金二三五万円で被上告人日産興業に譲渡し、その旨登記するとともに、昭和三七年八月三一日までに右同額をもつて本件建物を買い戻すことができる旨約定して、代金の交付を受けたというのである。しかし、本件建物の譲渡は、前示のとおり、担保の目的でなされたものであり、上告人の本件土地賃貸借契約解除の意思表示が被上告人日本鉄工に到達した昭和三五年三月一一日当時においては、同被上告会社はなお本件建物の買戻権を有しており、被上告人日産興業に対して代金を提供して該権利を行使すれば、本件建物の所有権を回復できる地位にあつたところ、その後昭和三六年六月一日、被上告人日本鉄工は同日産興業に対し債務の全額を支払い、これにより、両会社間では、本件建物の所有権は被上告人日本鉄工に復帰したものとされたことおよび被上告人日本鉄工は本件建物の譲渡後も引き続きその使用を許容されていたものであつて、その敷地である本件土地の使用状況には変化がなかつたこと等原審の認定した諸事情を総合すれば、本件建物の譲渡は、債権担保の趣旨でなされたもので、いわば終局的確定的に権利を移転したものではなく、したがつて、右建物の譲渡に伴い、その敷地である本件土地について、民法六一二条二項所定の解除の原因たる賃借権の譲渡または転貸がなされたものとは解せられないから、上告人の契約解除の意思表示はその効力を生じないものといわなければならない。しかして、本件建物の譲渡についてなされた登記が単純な権利移転登記であつて、買戻特約が登記されていなかつたとしても、右の結論を左右しない。されば、上告人の契約解除の意思表示を無効とした原審の究極の判断は正当であつて、所論の違法はない。所論は採用できない。

同第二点について。
原判決が、被上告人日本鉄工が同日産興業に融資金を返済し本件建物の所有権を回復した旨判示していることは所論のとおりであるが、その引用する第一審判決の説示をあわせ考えると、右は、被上告人日本鉄工と同日産興業との関係において、本件建物の所有権が後者から前者に復帰したものとされた旨を判示した趣旨にほかならないと解するのが相当である。しかして、右事実は、先に、賃借人たる被上告人日本鉄工が同日産興業に対してなした地上建物の譲渡が終局的確定的に権利を移転する趣旨でないことを裏書するものであるから、本件土地について民法六一二条にいう賃借権の譲渡または転貸がなされたかどうかを判断するにあたり、これを顧慮することは相当であつて、たとい被上告人日産興業が本件建物の処分禁止の仮処分を受けているとしても、その故に右所有権復帰に関する事実を前記判断の資料とすることが許されなくなるものではない。叙上と異なる見地に立つて原判決を非難する所論は採用できない。

同第三点について。
被上告人日本鉄工の賃借地たる本件土地上の本件建物を同被上告人に対する債権担保のため譲り受けた被上告人日産興業は、本件建物を所有することにより本件土地を占有しているのであるが、右土地について賃借権の譲渡または転貸がなされたものと認められないこと前述のとおりであるから、被上告人日産興業の右土地の占有は、被上告人日本鉄工の賃借権に基づく本件土地の使用収益の範囲内において、同被上告人から許容されているものと解すべきであり、しかも、上告人の側から、民法六一二条にいう賃借権の譲渡または転貸に当るものとしてこれに干渉を加えることができない結果として、上告人は、本件土地の賃貸借契約の存続している限り、右土地の占有を受忍すべき関係に立つものである。そうとすれば、本件土地の所有権に基づき被上告人日産興業に対し明渡を求める上告人の請求は失当であること明らかである。被上告人日産興業が同日本鉄工の上告人に対する賃借権に依拠して本件土地を占有している旨の原判決の説示は、用語がやや簡略に失するきらいはあるが、結局叙上の理を表明したものと解せられるから、所論の瑕疵あるものとはいえない。所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・賃借した土地上に建物を建てたBが、Aの承諾なくその建物をCに譲渡担保に供して、引渡し、Cが建物を使用した場合、譲渡担保権の実行前であっても、Aは本件契約を解除することができる!!!
+判例(H9.7.17)
理由
上告代理人内山辰雄、同巻嶋健治の上告理由一について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人は、その所有する原判決添付物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)をAに賃貸し、Aは、同土地上に同目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有して、これに居住していた。なお、本件建物の登記簿上の所有名義人は、Aの父であるBとなっていた。
2 Aは、平成元年二月、本件建物を譲渡担保に供してCから一三〇〇万円を借り受けたが、同月二一日、Bをして、同建物を譲渡担保としてCに譲渡する旨の譲渡担保権設定契約書及び登記申請書類に署名押印させ、これらをCに交付した。Cは、同日、Aから交付を受けた右登記申請書類を利用して、本件建物につき、代物弁済予約を原因としてCを権利者とする所有権移転請求権仮登記を経由するとともに、売買を原因として所有名義人をCの妻であるDとする所有権移転登記を経由した。
3 Aは、同月、本件建物から退去して転居したが、その後は、上告人に対して何の連絡もせず、Cとの間の連絡もなく、行方不明となっている。
4 被上告人は、同年六月一〇日、有限会社和晃商事の仲介で本件建物を賃借する契約を締結して、それ以後、同建物に居住している。右の賃貸借契約書には、契約書前文に賃貸人としてAとCの両名が併記され、末尾に「賃貸人A」「権利者C」と記載されているが、賃料の振込先としてCの銀行預金口座が記載されており、また、右契約書に添付された重要事項説明書には、本件建物の貸主及び所有者はCと記載され、和晃商事はCの代理人と記載されている。
5 本件土地の地代は、従前はAが上告人方に持参して支払っていたところ、Aが本件建物から退去した後は、同年三月にCから上告人の銀行預金口座に振り込まれ。これを不審に思った上告人がCの口座に右振込金を返還すると、同年四月から一二月までCからA名義で振り込まれた。
6 上告人は、本件建物につきD名義への所有権移転登記がされていることを知り、Dに対し、平成二年四月一三日到達の内容証明郵便により、同建物を収去して本件土地を明け渡すよう求めたところ、Cは、同年五月一四日、D名義への右所有権移転登記を錯誤を原因として抹消した。
7 上告人は、Aに対して、平成四年七月一六日に到達したとみなされる公示による意思表示により、賃借権の無断譲渡を理由として本件土地の賃貸借契約を解除した。

二 本件請求は、上告人が、本件土地の所有権に基づき、同土地上の本件建物を占有する被上告人に対して、同建物から退去して同土地を明け渡すことを求めるものである。被上告人は、抗弁として、本件土地の賃借人であるAから本件建物を賃借している旨を主張しているところ、上告人は、再抗弁として、民法六一二条に基づきAとの間の同土地の賃貸借契約を解除した旨を主張している。
原審は、被上告人の抗弁について明示の判断を示さないまま、上告人の本件土地の賃貸借契約の解除の主張につき次のとおり判断し、上告人の請求を棄却した。
1 前記事実関係の下においては、Cは、Aに一三〇〇万円を貸し付け、右貸金債権を担保するために本件建物に譲渡担保権の設定を受け、貸金の利息として被上告人から同建物の賃料を受領している可能性が大きいということができるから、Cが本件建物の所有権を終局的、確定的に取得したものと認めることはできない。
2 AのCに対する右貸金債務は、弁済期が既に経過しているにもかかわらず弁済されていないが、Cが譲渡担保権を実行したと認めるに足りる証拠はないから、本件建物の所有権の確定的譲渡はいまだされていない。
3 そうすると、本件土地の賃借権も、Cに終局的、確定的に譲渡されていないから、同土地について、民法六一二条所定の解除の原因である賃借権の譲渡がされたものとはいえず、上告人の本件賃貸借契約解除の意思表示は、その効力を生じない。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 借地人が借地上に所有する建物につき譲渡担保権を設定した場合には、建物所有権の移転は債権担保の趣旨でされたものであって、譲渡担保権者によって担保権が実行されるまでの間は、譲渡担保権設定者は受戻権を行使して建物所有権を回復することができるのであり、譲渡担保権設定者が引き続き建物を使用している限り、右建物の敷地について民法六一二条にいう賃借権の譲渡又は転貸がされたと解することはできない(最高裁昭和三九年(オ)第四二二号同四〇年一二月一七日第二小法廷判決・民集一九巻九号二一五九頁参照)。しかし、地上建物につき譲渡担保権が設定された場合であっても、譲渡担保権者が建物の引渡しを受けて使用又は収益をするときは、いまだ譲渡担保権が実行されておらず、譲渡担保権設定者による受戻権の行使が可能であるとしても、建物の敷地について民法六一二条にいう賃借権の譲渡又は転貸がされたものと解するのが相当であり、他に賃貸人に対する信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情のない限り、賃貸人は同条二項により土地賃貸借契約を解除することができるものというべきである。
けだし、(1) 民法六一二条は、賃貸借契約における当事者間の信頼関係を重視して、賃借人が第三者に賃借物の使用又は収益をさせるためには賃貸人の承諾を要するものとしているのであって、賃借人が賃借物を無断で第三者に現実に使用又は収益させることが、正に契約当事者間の信頼関係を破壊する行為となるものと解するのが相当であり、(2) 譲渡担保権設定者が従前どおり建物を使用している場合には、賃借物たる敷地の現実の使用方法、占有状態に変更はないから、当事者間の信頼関係が破壊されるということはできないが、(3) 譲渡担保権者が建物の使用収益をする場合には、敷地の使用主体が替わることによって、その使用方法、占有状態に変更を来し、当事者間の信頼関係が破壊されるものといわざるを得ないからである。

2 これを本件についてみるに、原審の前記認定事実によれば、Cは、Aから譲渡担保として譲渡を受けた本件建物を被上告人に賃貸することによりこれの使用収益をしているものと解されるから、AのCに対する同建物の譲渡に伴い、その敷地である本件土地について民法六一二条にいう賃借権の譲渡又は転貸がされたものと認めるのが相当である。本件において、仮に、Cがいまだ譲渡担保権を実行しておらず、Aが本件建物につき受戻権を行使することが可能であるとしても、右の判断は左右されない。

3 そうすると、特段の事情の認められない本件においては、上告人の本件賃貸借契約解除の意思表示は効力を生じたものというべきであり、これと異なる見解に立って、本件土地の賃貸借について民法六一二条所定の解除原因があるとはいえないとして、上告人による契約解除の効力を否定した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、前に説示したところによれば、上告人の再抗弁は理由があるから、上告人の本件請求は、これを認容すべきである。右と結論を同じくする第一審判決は正当であって、被上告人の控訴は棄却すべきものである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・土地の賃貸人が無断転貸を理由として賃貸借契約を解除する場合、背信行為と認めるに足りない特段の事情があるときは解除権を行使できないが、この特段の事情があることの証明責任は賃借人が負う!!!
+(賃借権の譲渡及び転貸の制限)
第612条
1項 賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、その賃借権を譲り渡し、又は賃借物を転貸することができない。
2項 賃借人が前項の規定に違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは、賃貸人は、契約の解除をすることができる

+判例(S41.1.27)
理由
上告代理人田中和の上告理由について。
土地の賃借人が賃貸人の承諾を得ることなくその賃借地を他に転貸した場合においても、賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情があるときは、賃貸人は民法六一二条二項による解除権を行使し得ないのであつて、そのことは、所論のとおりである。しかしながら、かかる特段の事情の存在は土地の賃借人において主張、立証すべきものと解するを相当とするから、本件において土地の賃借人たる上告人が右事情について何等の主張、立証をなしたことが認められない以上、原審がこの点について釈明権を行使しなかつたとしても、原判決に所論の違法は認められない。それ故、論旨は採用に値しない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・AはBとの間で、A所有の土地につき賃貸借契約を締結し、土地をBに引き渡した。この場合、判例によれば、BがAの承諾なくCに土地を転貸して引き渡した場合、Aは本件契約を解除していなくとも、Cに対して、土地の明け渡しを請求できる!!!!
+判例(S26.5.31)
理由
上告代理人雨宮清明の上告理由について。
原審の確定した事実によれば、「本件係争家屋は、もと訴外仏国人Aがその所有者訴外Bから賃借していたものであり、昭和二一年秋Aの帰国に際し、上告人において同人からその賃借権の譲渡を受けたのであるが、この賃借権の譲渡については賃貸人であるBの承諾を得ていなかったのである。BはAの帰国後上告人が本件家屋に居住しているのをAの女中であつた訴外CからAの留守居であると告げられ、それを信じてAの支払うものとして二、三回Cを通じて賃料を受領したことがあつたが、その後上告人がAの留守居ではなく同人から賃借権を譲受けて右家屋に居住するものであることを覚知するに及んで上告人との間に紛争を起し、その解決をみないうちに本件家屋を被上告人に売渡すに至つたものであり、しかもBは右家屋売却前の賃料相当額の損害金は上告人より取立て得るものと考え、上告人と交渉の結果昭和二二年一〇月三〇日に至り同年一月分から一〇月分までの損害金として金一、一〇〇円を受領したものである」というのである。
そしてこの原判決の事実認定はその挙示する証憑に照らし、これを肯認するに難くないのであつて、前記Bが昭和二二年一月分から一〇月分までの賃料を受領したものの如くに見ゆる乙第二号証の記載のみを以てしては、いまだ右認定を妨ぐるに足りない。上告人は本件家屋につき前所有者であるBに対し賃料を遅滞なく支払つていることは当事者間に争なきところであると主張するけれども、その然らざることは記録上明白である。原審は右認定にかかる事実と、本訴当事者間に争がない「被上告人が昭和二二年一〇月一〇日訴外Bから本件家屋を買受けその所有権を収得した」との事実及び「上告人が被上告人の右所有権取得前から該家屋を占有している」との事実にもとずき上告人は昭和二二年一〇月一〇日以前から前所有者B及び被上告人のいずれにも対抗し得べき何等の権原もなく不法に本件家屋を占有するものであると判示したのである。この判旨の正当であることは民法六一二条一項に「賃借人ハ賃貸人ノ承諾アルニ非サレハ其権利ヲ渡……スルコトヲ得ス」と規定されていることに徴して明白であり、所論同条二項の注意は賃借人が賃貸人の承諾なくして賃借権を譲渡し又は賃借物を転貸し、よつて第三者をして賃借物の使用又は収益を為さしあた場合には賃貸人は賃借人に対して某本である賃貸借契約までも解除することを得るものとしたに過ぎないのであつて、所論のように賃貸人が同条項により賃貸借契約を解除するまでは賃貸人の承諾を得ずしてなされた賃借権の譲渡叉は転貸を有効とする旨を規定したものでないことは多言を要しないところである。
されば所論は結局事実審である原審がその裁量権の範囲内で適法になした証拠の取捨判断若くは事実の認定を非難し、或は民法六一二条を誤解し正当な原判旨を論難するに外ならないのであつて採用の限りでない。
よつて民訴四〇一条九五条八九条に従い主文のとおり判決する。
この判決は全裁判官一致の意見である。

・賃借権が適法に譲渡された場合、譲受人Cは賃借権を承継して、賃貸借契約の当事者はA及びCとなり、当初の賃借人Bは契約関係から離脱することになる。=Bに支払い義務はない。

・賃貸人が賃借権の譲渡を承諾する場合、その承諾は、賃借権の譲渡人・譲受人いずれに対してしてもよい!!!!
+判例(S31.10.5)
理由
上告代理人阿部幸作、同米田実の上告理由について。
論旨第一点は、理由齟齬をいうが、結局原判決の事実認定を非難するに帰し、
同第二点は、原判決は民法六一二条一項の解釈を誤つたものというが、賃借人のなした賃借権の譲渡に対する賃貸人の承諾は、必ずしも譲渡人に対してなすを要せず、譲受人に対してなすも差支なきものと解すべきであるから、これと反対の見解に立つ所論は採用し難い。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・賃貸人がいったんした賃借権の譲渡の承諾は、撤回することができない!!
+判例(S30.5.13)
理由
上告代理人稲垣利雄の上告理由第一、二点について。
民法六一二条に規定するところの賃借人の賃借権譲渡に関する賃貸人の承諾は、賃借権に対し、譲渡性を付与する意思表示であつて、(相手方ある単独行為)賃借権は一般には、譲渡性を欠くのであるが、この賃貸人の意思表示によつて賃借権は譲渡性を付与せられ、その効果として、賃借人は、爾後有効に賃借権を譲渡し得ることとなるのである。そうして賃借権が譲渡性をもつかどうかということは賃借人の財産権上の利害に重大な影響を及ぼすことは勿論であるから、賃貸人が賃借人に対し一旦賃借権の譲渡について承諾を与えた以上、たとえ、本件のごとく賃借人が未だ第三者と賃借権譲渡の契約を締結しない以前であつても、賃貸人一方の事情に基いて、その一方的の意思表示をもつて、承諾を撤回し、一旦与えた賃借権の譲渡性を奪うということは許されないものと解するを相当とする。従つて、本件において被上告人が昭和二三年一〇月末頃した賃借権譲渡に関する承諾の撤回は無効であつて、上告人のした本件賃借権の譲渡は有効であるといわなければならない。原判決はこの点において法令の解釈を誤つたものであつて、論旨は理由あり、原判決は破棄を免れないものである。
よつて民訴四〇七条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は裁判官小谷勝重の補足意見及び裁判官谷村唯一郎の少数意見を除く外裁判官一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官小谷勝重の補足意見は次のとおりである。
賃借権譲渡承諾の意思表示が契約に基づくものならば、一般契約法の原則または当該契約の内容として定められた或る条件により承諾を解除し得る場合のあることは勿論であり、また民法六一二条の単独行為による承諾の場合と雖も、解除条件附または承諾の意思表示の内容として承諾を撤回し得べき或る条件を附して承諾することは法の敢て禁ずるところではないと解すべきであるから、右の場合解除条件の成就により、またはその附された内容条件に従い、一旦した承諾と雖もこれを撤回することができるであろうけれども、本件につき原判決の確定するところによれば、被上告人の本件譲渡承諾には何等の条件をも附されていないのであるから、被上告人において一旦譲渡の承諾をした以上、相手方の同意のない限り被上告人において一方的にこれを撤回することは許されないものといわなければならない。それ故当審本判決は右限りにおいて正当であり、また本判決は以上の全趣旨をも含んだものと解する限りにおいてわたくしは本判決に賛成するものである。

+少数意見
裁判官谷村唯一郎の少数意見は次のとおりである。
多数意見は、賃貸人が賃借人に対し一旦賃借権の譲渡について承諾を与えた以上たとえ賃借人が未だ第三者と賃借権譲渡の契約を締結しない以前であつても賃貸人の一方的事情に基いてその一方的意思表示をもつて承諾を撤回することは許されないから本件被上告人の承諾の撤回は無効であると断じているが私はこの見解には反対である。およそ民法六一二条に規定する賃借権譲渡に関する賃貸人の承諾が単独行為であることは多く異論のないところであり大審院数次の判例もまたこの見解を採つている。原判決の維持した一審判決もまたこの見解を採つておることはその説示するところにより明らかであり、一審判決がこの前提の下に結局被上告人の承諾の撤回を適法と認めたことは正当である。尤もこの譲渡の承諾が当事者間の契約として成立した場合は法律上解除の理由があるかまたは合意解約による外一方的にその承諾の撤回が許されないことはいうまでもない。また単独行為である譲渡許諾の場合においてもその許諾に基づき賃借人と第三者との間に賃借権の譲渡契約が成立した場合すなわち譲渡の許諾に基づく法律効果が既に発生した場合は、賃貸人の一方的意思表示により許諾の撤回を許すことは信義誠実の原則に反し第三者の利益を害することになるからこれを許すべきではないと解すべきある。しかして本件において被上告人と上告人Aとの間に賃借権の譲渡契約が成立したものでないことは一審判決の趣旨により明らかであり、更にその認定した事実によれば上告人Aと同Bとの聞に賃借権譲渡の話合が具体化したのは被上告人が承諾撤回の意思表示をした後であり、撤回の意思表示をした当時は未だBとの間に何等の法律関係が生じていなかつたことが窺える。そして一審判決はかような承諾の撤回を適法とするには当事者双方の利害関係を公平に比較し賃貸人に承諾を撤回するについて相当の理由があるか否かによつてこれを決すべきであると判示し本件においてはこの見地に立つて賃貸人の承諾撤回が相当理由の存することを認定しているのであるからその判断は衡平の観念と条理に適つたものであり正当である。若し多数意見のように一旦承諾した以上如何なる段階においても承諾の撤回ができないと解することは単独行為である賃借権譲渡許諾行為の性質に副わないばかりでなく、賃借人の保護の点にのみ考慮を払うの余り賃貸人の権益を害する結果を招来し衡平の観念に反するものである。よつて本件上告は理由なきものとして棄却すベきである。

・賃貸借の目的物が適法に転貸された場合、転借人は、賃貸人に直接義務を負うことになるので、Aから転貸料の支払いを請求された場合は、CはAに対して支払わなければならない!!!!!!!!!!
+(転貸の効果)
第613条
1項 賃借人が適法に賃借物を転貸したときは、転借人は、賃貸人に対して直接に義務を負う。この場合においては、賃料の前払をもって賃貸人に対抗することができない。
2項 前項の規定は、賃貸人が賃借人に対してその権利を行使することを妨げない。

・CはAから賃料の支払を求められた場合、Bに前払いしたという事実を対抗することはできない!!←613条

・前払いであるかどうかは、AB間の賃貸借契約における支払期ではなく、BC間の転貸借契約における支払期をもって決定される!!

・BがAの承諾を得たうえでCに対して甲建物を転貸した場合、Cの過失によって甲建物が減失したときは、AはCに対して債務不履行に基づく損害賠償請求をすることができる!!

・賃借物が転借人の過失により減失した場合、転借人は転貸人の履行補助者とみなされ、転貸人に過失がなくても、転貸人は賃貸人に対して損害賠償責任を負う!!!!!

+++履行補助者
履行補助者とは、債務者が債務の履行のために使用する者を意味する。債務者が使用した履行補助者の作為・不作為によって不履行が生じた場合に、債務者が債務不履行責任を負うかが問題となり、伝統的に「履行補助者の故意過失」として議論されており、現在もなお議論のある問題である。
伝統的な通説は、履行補助者の故意過失を債務者の帰責事由の問題、すなわち「債務者の故意過失または信義則上これと同視すべき事由」のうち、「信義則上これと同視すべき事由」として位置付けている
その上で、履行補助者を、債務者が自分の手足として使用する「真の意味の履行補助者」と、債務者に代わって履行の全部を引き受けてする「履行代行者」に分類している。
前者については、債務者は常に履行補助者の故意過失について責任を負い後者のうち、履行代行者の使用が法律又は特約で禁じられているのに債務者が使用した場合は、そのこと自体が債務不履行となり、履行代行者の故意過失を問わず債務者は責任を負い明文上履行代行者の使用が許されている場合は、債務者は代行者の選任または監督に過失があった場合に責任を負いどちらでもない場合には、債務者は履行代行者の故意過失について責任を負うとされている。

・賃貸人と賃借人は直接の契約関係には立たない以上、転借人が賃貸借契約に基づく費用償還請求権(608条)を行使すべき相手方は賃借人(転貸人)であり、賃貸人ではない。!!!
もっとも、転借人が目的物を賃貸人に返還する場合は、196条に基づく償還請求権が認められる!!!
+(賃借人による費用の償還請求)
第608条
1項 賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる
2項 賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に、第196条第二項の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、裁判所は、賃貸人の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(占有者による費用の償還請求)
第196条
1項 占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する。
2項 占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り、回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。ただし、悪意の占有者に対しては、裁判所は、回復者の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

・賃貸人が、賃借人の賃料不払を理由に賃貸借契約を解除する場合、特段の事情のない限り、転借人に!!!通知等をして賃料の代払の機会を与えなければならないものではない!!!!
+判例(H6.7.18)
理由
上告代理人高田正利の上告理由第一、第二について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第一、第三及び第四について
土地の賃貸借契約において、適法な転貸借関係が存在する場合に、賃貸人が賃料の不払を理由に契約を解除するには、特段の事情のない限り、転借人に通知等をして賃料の代払の機会を与えなければならないものではない(最高裁昭和三三年(オ)第九六三号同三七年三月二九日第一小法廷判決・民集一六巻三号六六二頁、最高裁昭和四九年(オ)第七一号同四九年五月三〇日第一小法廷判決・裁判集民事一一二号九頁参照)。原審の適法に確定した事実関係の下においては、賃貸人である府川聞一(被上告人らの先代)が、転借人である上告人に対して賃借人である増永正行の賃料不払の事実について通知等をすべき特段の事情があるとはいえないから、本件賃貸借契約の解除は有効であり、被上告人らの上告人に対する建物収去土地明渡請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官木崎良平の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官木崎良平の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見とは異なり、本件のように建物所有を目的とする土地の賃貸借において、賃貸人が転貸を承諾し適法な転貸借関係が存在している場合に、賃借人が地代の支払を遅滞したことを理由として賃貸借契約を解除するには、賃貸人は、賃借人に対して地代の支払を催告するだけではなく、転借人にも地代の延滞の事実を通知するなどして右地代の代払の機会を与えることが信義則上必要であり、転借人に右通知等をしないで賃貸借契約を解除しても、その効力を転借人に対抗することができないと考える。その理由は、次のとおりである。
建物所有を目的とする土地の賃貸借において、適法な転貸借関係が存在する場合には、通常は、転借人が当該土地上に建物を所有して建物を占有しているのであって、その実態に即して転借人の権利の保護が図られるべきであり、転借人が建物収去土地明渡しを余儀なくされるという重大な結果が不当に生ずることがあってはならない。賃貸借契約が解除された場合に、賃貸人が賃貸借契約の消滅の効力を主張して賃借人に対して建物収去土地明渡しを請求することができるかどうかを判断するには、右の観点から慎重に検討すべきであって、転借権が土地賃借人の賃借権の存在を前提とするものであるから賃借権の消滅により転借権が消滅するといった形式論のみによって決すべきではない。そして、右の観点からすると、賃貸人にとって、転借人に地代が延滞していることを通知することは容易なことであり、しかも、多くの場合には、この通知等によって延滞地代の支払が期待し得るのに、あえてこれをせずに賃貸借契約を解除し、転借人に建物収去土地明渡しを請求することを認めることは、転借人の地位を不当に軽んじるものであって、公平の原則ないしは信義誠実の原則に反するものというべきであるからである。
また、多数意見のように解すれば、賃貸人と賃借人とが意を通じて、実際には賃貸借契約を合意解約する意図であるのに、合意解約の効力を転借人に対抗できなくなることを避けるため、あえて地代の延滞という状況を作出し、地代の延滞を理由に契約を解除した場合にも、転借人は、右の事情を主張立証しなければ解除の効力を争うことができなくなり、なれ合いによる合意解約によって転借人の権利を消滅させるのと同一の不都合な結果が生ずることも避けられなくなる。
したがって、転借人に右の機会を与えないでされた契約解除の転借人に対する効力を認め、被上告人らの上告人に対する明渡請求を認容した原判決は破棄を免れず、被上告人らの上告人に対する請求を棄却すべきである。

++解説
《解  説》
一 事実の概要と裁判
Yは、Xから本件土地を賃借していたAからその二分の一を転借し(Xは黙示的に転貸を承諾)、地上に建物を所有していた。Aが賃料の支払を怠ったので、Xは、Aに対し延滞賃料支払の催告をした上で、賃貸借契約を解除し、Yに対して、所有権に基づいて建物収去土地明渡を請求した(Aに対しても土地の明渡しを請求していた。)。Yは、適法な転貸借がある場合に、賃貸人が賃料不払を理由に賃貸借契約を解除するには、転借人に通知するなどして、未払賃料の支払の機会を与えなければ、解除の効力がないか解除の効果を転借人に主張することができない旨を主張した。
原審が、最一小判昭37・3・29民集一六巻三号六六二頁を引用して転借人に対し未払賃料の代払の機会を与える必要はないとしてXの請求を認容すべきものとしたのに対し、Yが右の最一小判は変更されるべきであるとして上告した。本判決は、判決要旨のとおりの判断をしてYの上告を棄却した。

二 説明
賃貸人の承諾のある転貸借がある場合、賃貸人・賃借人(転貸人)間、賃借人(転貸人)・転借人間の二つの賃貸借関係が別個独立に存在し、両者は原則として相互に何の影響も受けない(承諾によって転借人の用益が賃貸人に対する関係で適法となるだけである。)。したがって、原賃借権が消滅しても、転賃借権は当然には消滅しないが、転借権は、原賃借権を前提としてその権利の範囲内で設定されたものであるから、その存立の基礎となる原賃借権が消滅した以上、転借人は賃貸人に対し転借権を対抗することができず(転借人の用益が賃貸人に対する関係で不法占有となる)、賃貸人は転借人に対して所有権に基づき目的不動産の明渡しを求めることができるのが原則である。しかし、賃貸人・賃借人(転貸人)間の賃貸借契約が合意解除された場合については、判例は、特別の事情のない限り合意解除の効力を転借人に対抗し得ないとしており(最一小判昭37・2・1裁集民五八巻四四一頁、最一小判昭41・5・19民集二〇巻五号九八九頁、本誌一九三号九三頁、借地上の建物賃借人に対する関係につき最一小判昭38・2・21民集一七巻一号二一九頁、本誌一四四号四二頁)、学説も一致してその結論に賛成している(我妻栄『民法講義中巻一』四六四頁など)。しかし、賃貸人・賃借人(転貸人)間の賃貸借契約が賃料不払等を理由に法定解除された場合には、判例は、例外を認めて来なかった。そのような中で、学説において、①賃借人の賃料不払という自己の関知しない事情によって適法に成立した転借人の地位が覆えされることは不合理であること、②法定解除と合意解除は実際上は紙一重であり、転借人の地位を覆すために法定解除の形を整えることもないとはいえないから、法定解除か合意解除かで差を設けることは適当でない、③賃貸人は直接転借人に対して権利を行使し得るのであり、転借人に通知等をすることは容易なことであって賃貸人に過大な負担をかけることもないことなどを指摘して、信義則ないし公平の原則上、少なくとも転借人に賃料不払いの事実を通知するなどして賃料の支払の機会を与えるべきであるとする見解(通知等必要説)が主張され、今日では多数説となるに至っている(星野英一『借地・借家法』三七五頁、鈴木禄也『借地法上』五七五頁、石田喜久夫「借地権の譲渡・転貸」『現代借地借家法講座第1巻』一七三頁など。)。
しかし、判例は、このような通知等の要否についても、原判決が引用した前掲最一小判昭37・3・29が賃貸人は賃借人に対して催告するをもって足り、さらに転借人に対してその支払の機会を与えなければならないというものではない旨を判示して、同趣旨の大審院判例(大判昭6・3・18新聞三二五八号一六頁)を踏襲して、通知等必要説を採らないことを明らかにした。その後、最一小判昭49・5・30裁集民一一二号九頁(借家の転貸借について)、最三小判昭51・12・14裁集民一一九号三一一頁(借地上建物の賃借人について)が同旨の判断を行っており、賃貸借を前提として賃借人と契約関係に入った者に対して未払賃料の支払の機会を与える必要がないという判例の立場は、ほぼ確立していた。
その理由とするところは、転貸借は、賃貸借の存在を前提とするものであって、転借人の地位はもともと賃貸借の帰すうによって影響されるものであり、転借人もそのことを承知して転貸借契約を締結しているのであるから、右のように解したからといって転借人に当然には特別の不利益をもたらすものではなく、また、賃貸人は、転貸借を承諾しても、それによって、転借人に対する何らの義務を負うものではないのに、賃料不払を理由として契約を解除しようとする場合に、特段の事情(学説や反対意見が指摘するような賃貸人と転貸人の通謀などがその例であろう。)もないのに、常にあらかじめその旨を転借人に通知等して延滞賃料の代払の機会を与えなければならないとすることは、契約の解除につき法の定めてない義務を賃貸人に課すことと同じ結果になり、転借人の権利を強調するあまり賃貸人の地位、利益をないがしろにするおそれがあるというところにあるものと思われる。
本判決は、学説の多数説が通知等必要説を主張するになっているという状況下において、学説と同趣旨の木崎裁判官の反対意見はあるものの、信義則上代払の機会を与える必要があるような特段の事情がある場合は別として、原則として代払の機会を与える必要ないという従前の判例を確認したものであり、その理由とするところも、従前の判例と異なるところはないと思われる。

・賃貸借契約の合意解除を転借人に対抗することはできない!!
←他人の権利を害し、信義則に反することはできない!

・賃貸借の期間が満了し、同賃貸借が更新されなかった場合、賃貸人は、賃借人に対して所有権に基づいて目的物の返還を請求することができる!!!

・賃貸借契約が賃借人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合、賃貸人の承諾のある適法な転貸借契約は、原則として、賃貸人が転借人に対して目的物の返還を請求したときに終了する!!!
+判例(H9.2.25)
理由
上告代理人須藤英章、同関根稔の上告理由について
一 被上告人の本訴請求は、上告人らに対し、(一) 主位的に本件建物の転貸借契約に基づいて昭和六三年一二月一日から平成三年一〇月一五日までの転借料合計一億三一一〇万円の支払を求め、(二) 予備的に不当利得を原因として同額の支払を求めるものであるところ、原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 被上告人は、本件建物を所有者である訴外有限会社田中一商事から賃借し、同会社の承諾を得て、これを上告人キング・スイミング株式会社に転貸していた。上告人株式会社コマスポーツは、上告人キング・スイミング株式会社と共同して本件建物でスイミングスクールを営業していたが、その後、同会社と実質的に一体化して本件建物の転借人となった。
2 被上告人(賃借人)が訴外会社(賃貸人)に対する昭和六一年五月分以降の賃料の支払を怠ったため、訴外会社は、被上告人に対し、昭和六二年一月三一日までに未払賃料を支払うよう催告するとともに、同日までに支払のないときは賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。しかるに、被上告人が同日までに未払賃料を支払わなかったので、賃貸借契約は同日限り解除により終了した
3 訴外会社は、昭和六二年二月二五日、上告人ら(転借人)及び被上告人(貸借人)に対して本件建物の明渡し等を求める訴訟を提起した。
4 上告人らは、昭和六三年一二月一日以降、被上告人に対して本件建物の転借料の支払をしなかった。
5 平成三年六月一二日、前記訴訟につき訴外会社の上告人ら及び被上告人に対する本件建物の明渡請求を認容する旨の第一審判決が言い渡され、右判決のうち上告人らに関する部分は、控訴がなく確定した。
訴外会社は平成三年一〇月一五日、右確定判決に基づく強制執行により上告人らから本件建物の明渡しを受けた。

二 原審は、右事実関係の下において、訴外会社と被上告人との間の賃貸借契約が被上告人の債務不履行により解除されても、被上告人と上告人らとの間の転貸借は終了せず、上告人らは現に本件建物の使用収益を継続している限り転借料の支払義務を免れないとして、主位的請求に係る転借料債権の発生を認め、上告人らの相殺の抗弁を一部認めて、被上告人の主位的請求を右相殺後の残額の限度で認容した。

三 しかしながら、主位的請求に係る転借料債権の発生を認めた原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
賃貸人の承諾のある転貸借においては、転借人が目的物の使用収益につき賃貸人に対抗し得る権原(転借権)を有することが重要であり、転貸人が、自らの債務不履行により賃貸借契約を解除され、転借人が転借権を賃貸人に対抗し得ない事態を招くことは、転借人に対して目的物を使用収益させる債務の履行を怠るものにほかならない。そして、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合において、賃貸人が転借人に対して直接目的物の返還を請求したときは、転借人は賃貸人に対し、目的物の返還義務を負うとともに、遅くとも右返還請求を受けた時点から返還義務を履行するまでの間の目的物の使用収益について、不法行為による損害賠償義務又は不当利得返還義務を免れないこととなる。他方、賃貸人が転借人に直接目的物の返還を請求するに至った以上、転貸人が賃貸人との間で再び賃貸借契約を締結するなどして、転借人が賃貸人に転借権を対抗し得る状態を回復することは、もはや期待し得ないものというほかはなく、転貸人の転借人に対する債務は、社会通念及び取引観念に照らして履行不能というべきである。したがって、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合、賃貸人の承諾のある転貸借は、原則として、賃貸人が転借人に対して目的物の返還を請求した時に、転貸人の転借人に対する債務の履行不能により終了すると解するのが相当である。 !!!!!
これを本件についてみると、前記事実関係によれば、訴外会社と被上告人との間の賃貸借契約は昭和六二年一月三一日、被上告人の債務不履行を理由とする解除により終了し、訴外会社は同年二月二五日、訴訟を提起して上告人らに対して本件建物の明渡しを請求したというのであるから、被上告人と上告人らとの間の転貸借は、昭和六三年一二月一日の時点では、既に被上告人の債務の履行不能により終了していたことが明らかであり、同日以降の転借料の支払を求める被上告人の主位的請求は、上告人らの相殺の抗弁につき判断するまでもなく、失当というべきである。右と異なる原審の判断には、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合の転貸借の帰趨につき法律の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決中、上告人ら敗訴の部分は破棄を免れず、右部分につき第一審判決を取り消して、被上告人の主位的請求を棄却すべきである。また、前記事実関係の下においては、不当利得を原因とする被上告人の予備的請求も理由のないことが明らかであるから、失当として棄却すべきである。よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
一1 Xは、所有者であるAから本件建物を賃借し、Aの承諾を得て、これをプール施設に改造した上でYらに転貸し、Yらがスイミングスクールを営んでいた。
2 XがAに対する賃料の支払を怠ったため、Aは昭和六二年一月に賃貸借契約を解除し、同年二月にX及びYらを共同被告として本件建物の明渡請求訴訟を提起した。
Yらは、右訴訟係属中の昭和六三年一二月以降、Xに対して転借料を支払わなかった。
3 右訴訟の一審判決は、Aの明渡請求を認容し、Yらは右判決に対して控訴せず、右判決に基づく強制執行により、平成三年一一月にAに対して本件建物を明け渡した。
4 Xは、その後に本件訴訟を提起し、Yらに対し、転貸借契約に基づいて昭和六三年一二月から建物明渡時までの未払転借料の支払を求め、予備的に不当利得を原因として同額の支払を求めた。Yらは、AX間の賃貸借契約がXの債務不履行により解除されたことにより転貸借契約は終了したとして、転借料債務を争った。
第一審及び原審は、Yらが現に本件建物の使用収益を継続している限りは転借料の支払義務を免れないとして、Xの請求を認容(相殺の抗弁を認めて一部棄却)した。Yらの上告に対し、本判決は、前記のとおり判示し、転貸借は既に終了して転借料債務は発生しないとして、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、Xの請求を全部棄却した。

二 甲が乙に物を賃貸し、乙が甲の承諾の下にこれを丙に転貸するという承諾ある転貸借において、甲乙間の賃貸借が乙の債務不履行により解除されて終了した場合、丙は、目的物の使用収益権(転借権)を甲に対抗し得なくなる。この場合の乙丙間の転貸借の帰すうが本件の問題である。
かつては、賃貸借の終了により転貸借も当然に終了するとの説もあったが、現在では、転貸借は賃貸借とは別個の契約であり、賃貸借の終了により当然に終了するものではなく、乙(転貸人)の丙(転借人)に対する債務が履行不能となったときに終了すると解することにほぼ異論はない。しかし、どの時点で乙の丙に対する債務が履行不能となるかについては、見解が分かれている。
1 大判昭10・11・18民集一四巻二〇号一八四五頁は、電話加入権の転貸借の事案について、賃貸借が終了した場合に転貸借は当然に効力を失うものではないが、転借人が賃貸人から目的物の返還請求を受けたときは、これに応じざるを得ず、その結果、転貸人としての義務の履行が不能となり、転貸借は終了する旨判示した。
最判昭36・12・21民集一五巻一二号三二四二頁は、原審が右昭和一〇年大判を引用して「賃借人が債務不履行により賃貸人から賃貸借契約を解除されたときは、賃貸借契約の終了と同時に転貸借契約もその履行不能により当然終了する」と判示し、上告理由がこれを非難したのに答えて、原審の右引用は正当である旨判示した。右最判の事案は、土地の所有者・賃貸人から土地転借人所有の地上建物の賃借人に対する建物退去土地明渡請求事件であるところ、土地の賃貸借契約は賃借人の債務不履行によって解除され、土地賃貸人の転借人に対する建物収去明渡請求を認容する判決が既に確定しているというのであり、右請求の当否を判断する上で転貸借の帰すう判断をする必要はないことから、転貸借の終了時期に関する右判示部分は、傍論との指摘がされている(椿寿夫・不法占拠(綜合判例研究叢書・民法(25))二二頁)。本件の一審、原審とも、右最判は、転貸借の終了時期に関して判断したものではないとしている。
2 学説は、この点について詳しく論じたものは少なく、借地法・借家法の代表的な教科書でもこの点に触れていないものも見られる。昭和三六年最判が賃貸借の終了と同時に転貸借も履行不能により終了する旨判示したものと理解し、これを支持する見解としては、金山正信「賃貸借の終了と転貸借」契約法大系Ⅶ五頁、大石忠生「借地権の消滅」不動産法大系Ⅲ一七三頁などがある。これに対し、米倉明「三六年最判評釈」法協八〇巻六号八九五頁は、賃貸人からする目的物返還請求によって転貸人の転借人に対する義務の不履行を生ずる、とすることも社会通念上肯定されてよいとして、賃貸人から転借人に対して目的物返還請求があったときに履行不能になるとの見解を示している。また、我妻・債権各論中巻一・四六四頁は、乙が事実上も丙をして用益させることができなくなれば、乙の債務は履行不能となるとしており、丙が事実上目的物の使用収益を続けている限りは転貸借は終了しないとの見解と考えられる。

三 転貸借において、転貸人(乙)は転借人(丙)に目的物を使用収益させる義務を負うが、右義務の内容が丙をして事実上収益可能な状態に置くことで足りるとすれば、乙の債務不履行により賃貸借が解除されても、丙が甲に目的物を返還するなどして事実上使用収益ができなくなるまでは、乙の丙に対する債務の不履行はないということになろう。しかし、賃貸人の承諾ある転貸の場合、乙丙間の転貸借契約が甲乙間の有効な賃貸借契約を基礎として成立し、丙が甲に転借権を対抗し得ることが重要であることからすると、乙の丙に対する「使用収益させる義務」は、単に目的物を丙の占有下において事実上使用収益させるにとどまらず、賃貸借契約を有効に存続させて、丙が甲に対する関係で使用収益権を主張できるようにすることも「使用収益させる義務」の内容となるものと考えられる。とすれば、乙が甲に対する債務の履行を怠って賃貸借契約を解除され、丙が甲に転借権を対抗し得ない状態に陥らせることは、丙に対する転貸人としての債務の履行を怠るものというべきであろう。
甲乙間の賃貸借契約が解除されると、丙は転借権を甲に対抗することができなくなり、甲から目的物の返還請求を受ければ、これに応じなければならない。また、丙が賃貸借終了の事実を知らずに乙に転借料を支払って目的物の使用収益を続けている間はともかく、甲から返還請求を受けた時点以降は、甲に対して不法行為による損害賠償債務や不当利得返還債務を免れない。他方、一旦賃貸借契約が有効に解除され、甲が現実の占有者である丙に目的物の返還を請求した以上、乙が甲との間で再び賃貸借契約を締結するなどして、丙が甲に転借権を対抗し得る状態を回復することは著しく困難と考えられる。右のような状態は、およそ乙が丙に対して目的物を使用収益させる義務を履行しているとはいえず、社会通念ないし取引観念に照らし、右義務の履行を期待しがたいものといわざるを得ないと考えられる。
本判決は、以上のような点を考慮して、原則として、甲が丙に目的物の返還を請求した時に乙の丙に対する債務の履行不能により転貸借が終了すると判断したものと思われる。

四 賃貸借が賃借人の債務不履行により解除された場合の転貸借の帰すうは、承諾ある転貸借の法律関係に関する基本的問題であるが、従来、必ずしも十分な議論がされておらず、判例の態度も明確とは言い難い状況にあったところであり、本判決は、この問題につき明確な判断を示したものとして、注目される。

・AB賃貸借、BC転貸借。CがAから甲建物を譲り受けた賃貸人の地位を承継したときは、Cの転借権は混同により消滅せず、BはCに対して、甲建物の一部の明渡しを請求することはできない!!!!!

+判例(S35.6.23)
理由
上告代理人弁護士鳥巣新一の上告理由第一点について。
所論は採証法則違反をいうがひつきよう原審の専権に属する証拠の取捨選択事実認定を非難するに帰するものであつて、上告適法の理由となすを得ない。
同第二、三点について。
しかし、被上告人Aは本件家屋の占有は不法でないと主張しており、原判決はこの主張を是認するに当り、被上告人Aに判示転借権のあることを認定しているのであり、不法占有にならない事情としてこのような事実認定をすることは当事者の具体的な事実主張有無に拘わらず毫も差支ないものと解するを相当とすべく、そしてこの場合原審として右転借権に関し所論の点を釈明しなければならないわけのものではなく、また、上告人Bは所論損害の発生を否認しており、これに対し原判決は右損害の発生しない理由として判示転借権の存在することを認定しているのであつて、この場合も原審として右転借権について所論釈明権を行使しなければならないわけのものではない。(なお、原判決認定のように家屋の所有権者たる賃貸人の地位と転借人たる地位とが同一人に帰した場合は民法六一三条一項の規定による転借人の賃貸人に対する直接の義務が混同により消滅するは別論として、当事者間に転貸借関係を消滅させる特別の合意が成立しない限りは転貸借関係は当然には消滅しないものと解するを相当とする。―昭和八年九月二九日大審院判決集一二巻二三八四頁以下参照)それ故、所論はすべて理由がなく、採用できない。
よつて、民訴三九六条、三八四条一項、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・建物所有を目的とする土地の賃借権であるから借地借家法の適用がある。
借地権は、その登記がなくても、土地上に借地権者が登記されている建物を所有するときは、これをもって第三者に対抗することができる!
+借地借家
(趣旨)
第1条
この法律は、建物の所有を目的とする地上権及び土地の賃借権の存続期間、効力等並びに建物の賃貸借の契約の更新、効力等に関し特別の定めをするとともに、借地条件の変更等の裁判手続に関し必要な事項を定めるものとする。

+(借地権の対抗力等)
第10条
1項 借地権は、その登記がなくても、土地の上に借地権者が登記されている建物を所有するときは、これをもって第三者に対抗することができる
2項 前項の場合において、建物の滅失があっても、借地権者が、その建物を特定するために必要な事項、その滅失があった日及び建物を新たに築造する旨を土地の上の見やすい場所に掲示するときは、借地権は、なお同項の効力を有する。ただし、建物の滅失があった日から二年を経過した後にあっては、その前に建物を新たに築造し、かつ、その建物につき登記した場合に限る。
3項 民法(明治29年法律第89号)第566条第1項 及び第3項 の規定は、前2項の規定により第三者に対抗することができる借地権の目的である土地が売買の目的物である場合に準用する。
4項 民法第533条 の規定は、前項の場合に準用する。


憲法択一 人権 基本的人権の限界 公共の福祉


・憲法10条は、日本国民の要件を法律で定めるものとしている。もっとも、憲法のほかの規定や趣旨に反することはできない。一定の重い罪を犯して10年を超える懲役刑の宣告を受けた者は日本国籍を失うというような法律は、無国籍者を作り出すことを認めることとなり、人は必ず唯一の国籍を持つべきであるという「確立された国際法規」(98条2項)に反する!!!!ヘーーー
+10条
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

+98条
1項 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

・憲法が国民に保障する自由・権利を保持する義務、これを濫用しない義務及びこれを公共の福祉のために利用する義務に関する憲法上の規定は、具体的な法的義務を定めたものではなく、一般に国民に対する倫理的方針を定めたものにすぎない!!!!!!
+12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

一元的外在的制約説=憲法13条の「公共の福祉」は、人権の外にあって、すべての人権を制約する一般的な原理であり、22条・29条が特に「公共の福祉」を掲げたのは、特別の意味を有しないという見解。

・一元的外在的制約説は「公共の福祉」の意味を公益や公共の安寧秩序というような最高概念として捉えている!!

・一元的外在的制約説では、法律による人権制限が容易に肯定される恐れがあり、「公共の福祉」が実質的に明治憲法下における法律の留保のような機能を果たす恐れがある!

・一元的外在的制約説は、公共の福祉の観念をすべての権利を規制する原理としているが、権利の性質に応じて権利の制約の程度が異なるとは解していない!!!!

内在・外在二元的制約説=公共の福祉によって制約される人権は経済的自由権と社会的自由権に限られ、その他の権利・自由には内在的制約が存在するにとどまり、憲法13条は公共の福祉に反しない限り個人に権利・自由を尊重しなければならないという、いわば国家の心構えを表明した者であるという見解!!

・内在・外在二元的制約説によれば、13条は、倫理的な規定ということになり、プライバシー権などの新しい人権を憲法上の人権を憲法上の人権として基礎付ける根拠を失わせる!

・内在・外在二元的制約説に対しては、自由権と社会権の区別は相対化しているのに、それを画然とわけて、その一方は内在的、他方は外在的と割り切ることは適当ではないという批判が加えられている!

一元的内在制約説=公共の福祉を人権相互に生ずる矛盾・衝突の調整を図るための実質的公平の原理とする。

・一元的内在制約説によると、公共の福祉により人権制約を正当化するには、対立する人権を明示することが必要になるので、人権とは言いにくいような対立利益を無理に人権に結びつけやすいという弊害があり、かえって人権の重大性を希薄化させるという恐れがある!!

・一元的内在制約説に対して、人権の具体的限界についての判断基準として、必要最小限度あるいは必要な限度という抽象的な原則しか示されていないことから、人権を制約する立法の合憲性を具体的にどのように判定していくのかが不明確であるという批判が加えられている!

・一元的内在制約説に立ったとしても、思想・良心の自由(19条)は内心の領域にとどまる限り絶対的に保障され、拷問も絶対的に禁止される(36条)等、公共の福祉による人権制約にも例外がないわけではない。
+19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

+36条
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

一元的内在制約説によれば、22条、29条の「公共の福祉」の意味を、福祉国家における経済的・社会的政策という意味に限定せず、人権の共存を実現する原理という広義に解することとなる!!!

+++一元的内在制約説とかの解説
一元的外在制約説とは憲法の「公共の福祉」における解釈のうちの一つです。ようするに外部から圧力をかけて人権を制限する。みたいな感じの考え方です。
12条・13条の「公共の福祉」が人権制約の一般的原理であって22条、23条は特別の意味をもたない。と解釈されています。
でも、法律による人権制限が容易に肯定される恐れが少なくないし、これは明治憲法下の法律の留保(法律によって人権を制限できる)のついた人権保障と同じではないか。という批判が存在します。今や廃れた説です。

一元的内在制約説とは、従来、「公共の福祉」は外から人権を制限できるものとされてきましたが、この説によりそうではない。全ての人権に論理必然に存在している。という革命的な説です。
「公共の福祉」は人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平の原理であり、全ての人権に論理必然に内在しているという、外ではなく内から人権を制約できる。とした説です。
そして、「公共の福祉」は、自由権を各人公平に保障するための制約を根拠付ける場合には必要最小限度の規制を認め(自由国家的公共の福祉)、社会権を実質的に保障するために自由権(ここでは経済的自由権のみ)の制約を根拠付ける場合には、必要な限度の制約を認めるもの(社会国家的公共の福祉)として働く。としています。
なお、批判として、条文の「公共の福祉」の意義が希薄になってしまう。
といったものや、経済的自由に対して政策的な観点から付け加えられた制約と人権という観念そのものに内在する限界とを一緒にするのは妥当ではない。
もしくは、人権の具体的限度についての判断基準として「必要最小限」、「必要な限度」という抽象的な原則しか示されず、合憲性を具体的にどのように判定していくのか。といった批判があります。
最後の批判に関しては、具体的な違憲審査基準を考えればよい。という反論もあります。

・パターなリズムに基づく規制とは国が親代わりになってその本人を保護することで、自己加害の阻止を目的とする規制のことをいう。

+++パターナリズム解説
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では家父長主義、父権主義などと訳される。語源はラテン語の pater(パテル、父)で、pattern(パターン)ではない。対義語はマターナリズム(maternalism)。
社会生活のさまざまな局面において、こうした事例は観察されるが、とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、あるいは、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理である。

「パターナリズム」という用語自体の起源については、16世紀には「父権的権威(Paternal authority)」という言葉がすでに存在し、それが19世紀後半に「パターナリズム(Paternalism)」という言葉になったという。また、J.S.ミル『自由論』(1859年)の「侵害原理 harm principle」における議論には、今日のパターナリズム論に底通する論点が提示されている。
近年、この用語が英米の法哲学者・政治哲学者のあいだで注目を集めるようになったきっかけは、1950年代、成人間の同意の下での同性愛や売春行為を刑事上の犯罪行為とみなすか否かをめぐって行われた「ハート=デヴリン論争」であった。
また、医療現場においても、1970年代初頭に、エリオット・フリードソンが医者と患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある。

強いパターナリズムと弱いパターナリズム
この類別は、介入・干渉される者に判断能力、あるいは自己決定する能力があるかないかという点で区分される。強い(硬い hard )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力があっても介入・干渉がおこなわれる場合をいう。他方、弱い(柔らかい soft )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力がなくて介入・干渉がおこなわれる場合をいう。
成熟した判断能力をもつ個人への干渉や介入に反対する、反パターナリズムの論者も、子供や十分な判断能力のない大人への保護は必要であるとしている。そのように弱いパターナリズムを容認する場合でも、「個人の十分な判断能力、自己決定能力」の範囲をどのように見極めるのかといった点で、慎重な検討が必要となる。

直接的パターナリズムと間接的パターナリズム
この類別は、パターナリスティックな介入・干渉を受ける者と、それによって保護される者とが同一であるか否かで区分される。
直接的パターナリズムは、オートバイ運転者のヘルメット装着義務のように、パターナリスティックにその義務を強制される者と、それによって保護される者が同一の場合である。他方、間接的パターナリズムは、両者が同一ではない場合をいう。例えば、クーリングオフ制度のように、保護されるのは一般の消費者だが、パターナリスティックに規制を受けているのは販売業者である場合である。

専門家と素人
専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない。そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。

国家と国民
国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる。実際に施行されている事例としては、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる。こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる。

パターナリズム批判
国家と個人の関係については、国家が国民の生命や財産を保護する義務を負っているのは当然であるにせよ、少なくとも心身の成熟した成人に対する過剰な介入が、いわば「余計なお節介」であるとして批判が加えられている。
また、表現の自由を重視する立場から、パターナリズムに基づく、有害図書や有害情報などに対する規制に対する批判も存在する。
国民の自由である自己決定権を広く認めるのか、ある程度国家の介入を許容するのかという、根本的かつ巨視的な観点からの検討が必要である。

・公衆浴場の適正配置を開設の許可要件とする規制は、国民の生命及び健康に対する危険を防止するための消極目的に基づく規制である!!=パターナリズムに基づく規制ではない!

+判例(H1.3.7)
理由
上告代理人林弘、同中野建、同松岡隆雄の上告理由について
公衆浴場法(以下「法」という。)二条二項の規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(昭和二八年(あ)第四七八二号同三〇年一月二六日大法廷判決・刑集九巻一号八九頁。なお、同三〇年(あ)第二四二九号同三二年六月二五日第三小法廷判決・刑集一一巻六号一七三二頁、同三四年(あ)第一四二二号同三五年二月一一日第一小法廷判決・刑集一四巻二号一一九頁、同三三年(オ)第七一〇号同三七年一月一九日第二小法廷判決・民集一六巻一号五七頁、同四〇年(あ)第二一六一号、第二一六二号同四一年六月一六日第一小法廷判決・刑集二〇巻五号四七一頁、同四三年(行ツ)第七九号同四七年五月一九日第二小法廷判決・民集二六巻四号六九八頁参照)。
おもうに、法二条二項による適正配置規制の目的は、国民保健及び環境、生の確保にあるとともに、公衆浴場が自家風呂を持たない国民にとって日常生活上必要不可欠な厚生施設であり、入浴料金が物価統制令により低額に統制されていること、利用者の範囲が地域的に限定されているため企業としての弾力性に乏しいこと、自家風呂の普及に伴い公衆浴場業の経営が困難になっていることなどにかんがみ、既存公衆浴場業者の経営の安定を図ることにより、自家風呂を持たない国民にとって必要不可欠な厚生施設である公衆浴場自体を確保しようとすることも、その目的としているものと解されるのであり、前記適正配置規制は右目的を達成するための必要かつ合理的な範囲内の手段と考えられるので、前記大法廷判例に従い法二条二項及び大阪府公衆浴場法施行条例二条の規定は憲法二二条一項に違反しないと解すべきである。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+判例(S30.1.26)
理由
弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について。
論旨は、公衆浴場法二条二項後段は、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠くと認められる場合には、都道府県知事は公衆浴場の経営を許可しないことができる旨定めており、また昭和二五年福岡県条例五四号三条は、公衆浴場の設置場所の配置の基準等を定めているが、公衆浴場の経営に対するかような制限は、公共の福祉に反する場合でないのに職業選択の自由を違法に制限することになるから、右公衆浴場法及び福岡県条例の規定は、共に憲法二二条に違反するものであると主張するのである。
しかし、公衆浴場は、多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である。そして、若しその設立を業者の自由に委せて、何等その偏在及び濫立を防止する等その配置の適正を保つために必要な措置が講ぜられないときは、その偏在により、多数の国民が日常容易に公衆浴場を利用しようとする場合に不便を来たすおそれなきを保し難く、また、その濫立により、浴場経営に無用の競争を生じその経営を経済的に不合理ならしめ、ひいて浴場の衛生設備の低下等好ましからざる影響を来たすおそれなきを保し難い。このようなことは、上記公衆浴場の性質に鑑み、国民保健及び環境衛生の上から、出来る限り防止することが望ましいことであり、従つて、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠き、その偏在乃至濫立を来たすに至るがごときことは、公共の福祉に反するものであつて、この理由により公衆浴場の経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、憲法二二条に違反するものとは認められない。なお、論旨は、公衆浴場の配置が適正を欠くことを理由としてその経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、公共の福祉に反する場合でないに拘らず、職業選択の自由を制限することになつて違憲であるとの主張を前提として、昭和二五年福岡県条例五四号第三条が、憲法二二条違反であるというが、右前提の採用すべからざることは、既に説示したとおりである。そして所論条例の規定は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項の設置の場所の配置の基準を定めたものであるから、これが所論のような理由で違憲となるものとは認められない。それ故所論は採用できない。

同第二点後段について。
論旨は、公衆浴場法が公衆浴場の経営について許可を原則とし、不許可を例外とする建前をとつているに拘わらず、昭和二五年福岡県条例五四号は不許可を原則とし、許可を例外とする建前をとつており、右条例は公衆浴場法にくらべて、より多く職業選択の自由を制限しているので、憲法の精神に反するのみならず、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定できるという憲法九四条に違反していると主張する。しかし、右条例は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項で定めている公衆浴場の経営の許可を与えない場合についての基準を具体的に定めたものであつて、右条例三条、四条がそれであり、同五条は右三条、四条の基準によらないで許可を与えることができる旨の緩和規定を設けたものである。即ち右条例は、法律が例外として不許可とする場合の細則を具体的に定めたもので、法律が許可を原則としている建前を、不許可を原則とする建前に変更したものではなく、従つて右条例には、所論のような法律の範囲を逸脱した違法は認められない。それ故所論は採用できない。
被告人本人の上告趣意について。
論旨の中違憲をいう点は、上記弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について判示したところと同様の理由によつて、採用できない。その他の論旨は、単なる法令違反の主張乃至事情の説明を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて同四〇八条により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

+22条
1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

+94条
地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

・医療保険制度を通じた国庫補助金の支払等社会医療費の増加を抑制する目的でテレビにおけるたばこの広告を全面的に禁止する規制は、社会・経済政策の一環としてなされる積極目的に基づく規制である(=パターナリズムに基づく規制ではない)!!!!


民法択一 債権各論 契約各論 賃貸借 その2


・家具の所有者AがBに賃貸中の当該家具をCに売却した場合、特約の有無にかかわらず、Cは所有権を取得するが、Bに対する賃料については売買契約時に取得するわけではない!!!!
←動産賃貸借に対抗力がないから!
+(不動産賃貸借の対抗力)
第605条
不動産の賃貸借は、これを登記したときは、その後その不動産について物権を取得した者に対しても、その効力を生ずる。

・賃貸人には賃貸物につき修繕義務があり、賃借人にはその協力義務があるが、賃借人は、賃借物が修繕を要する場合には、修繕を要する場合には、賃貸人がすでにそれを知っている場合を除いて、遅滞なく賃貸人に通知する必要がある!!
+(賃貸物の修繕等)
第606条
1項 賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。
2項 賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようとするときは、賃借人は、これを拒むことができない

+(賃借人の通知義務)
第615条
賃借物が修繕を要し、又は賃借物について権利を主張する者があるときは、賃借人は、遅滞なくその旨を賃貸人に通知しなければならない。ただし、賃貸人が既にこれを知っているときは、この限りでない

・建物の賃借人が、賃貸人が修繕すべき雨漏りを自ら費用をだして修繕したときは、賃貸人に対して、直ちに修繕費用全額の償還を請求することができるが、賃貸人に建物を返還してから1年を過ぎると請求することはできない!!
+(賃借人による費用の償還請求)
第608条
1項 賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる。
2項 賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に、第196条第二項の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、裁判所は、賃貸人の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限
第621条
第600条の規定は、賃貸借について準用する。

+(損害賠償及び費用の償還の請求権についての期間の制限)
第600条
契約の本旨に反する使用又は収益によって生じた損害の賠償及び借主が支出した費用の償還は、貸主が返還を受けた時から一年以内に請求しなければならない。

・賃借権の譲渡がなされ、これについて賃貸人の承諾があった場合、従前の賃貸借契約と同内容の関係が賃貸人と譲受人との間に生じるが、賃借人の保管義務違反による損害賠償債務については、これを引き受ける旨の特約がない限り譲受人に移転しない!!!!!!

・建物の賃借人が有益費を支出した後、建物の所有権の譲渡により賃貸人が変わったときは、特段の事情のない限り、新賃貸人が当該有益費の償還義務を承継し、旧賃貸人は当該償還義務を負わない!!!
+判例(S46.2.19)
理由
上告代理人吉岡秀四郎、同緒方勝蔵の上告理由第一点および第二点について。
建物の賃借人または占有者が、原則として、賃貸借の終了の時または占有物を返還する時に、賃貸人または占有回復者に対し自己の支出した有益費につき償還を請求しうることは、民法六〇八条二項、一九六条二項の定めるところであるが、有益費支出後、賃貸人が交替したときは、特段の事情のないかぎり、新賃貸人において旧賃貸人の権利義務一切を承継し、新賃貸人は右償還義務者たる地位をも承継するのであつて、そこにいう賃貸人とは賃貸借終了当時の賃貸人を指し、民法一九六条二項にいう回復者とは占有の回復当時の回復者を指すものと解する。そうであるから、上告人が本件建物につき有益費を支出したとしても、賃貸人の地位を訴外Aに譲渡して賃貸借契約関係から離脱し、かつ、占有回復者にあたらない被上告人に対し、上告人が右有益費の償還を請求することはできないというべきである。これと同趣旨にでた原判決の判断は相当であり、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。
同第三点について。
建物の賃借人または占有者は、原則として、賃貸借の終了の時または占有物を返還する時に賃貸人または占有回復者に対し、自己の支出した有益費の償還を請求することができるが、上告人は被上告人に対しその主張する有益費の償還を請求することのできないことは、前記のとおりである。また、原判決は、上告人は被上告人に対しては有益費の償還請求権を有せず、その消滅時効の点について考えるまでもなく上告人の請求は理由がないと判断したものであるから、有益費償還請求権の消滅時効に関する論旨は、原判決の判断しないことに対する非難である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・賃借人の知らない間に、賃貸人は当該土地を賃貸人たる地位と共に譲渡した。この場合、賃貸人たる地位の移転につき賃借人の承諾がなくとも、特段の事情がない限り、賃貸人たる地位は移転する!!!!
+判例(S46.4.23)
理由
上告代理人真木洋、同浜田正義の上告理由について。
被上告人がAに対し、本件土地の所有権とともに上告人に対する賃貸人たる地位をもあわせて譲渡する旨約したものであることは、原審の認定した事実であり、この事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。
ところで、土地の賃貸借契約における賃貸人の地位の譲渡は、賃貸人の義務の移転を伴なうものではあるけれども、賃貸人の義務は賃貸人が何ぴとであるかによつて履行方法が特に異なるわけのものではなく!!、また、土地所有権の移転があつたときに新所有者にその義務の承継を認めることがむしろ賃借人にとつて有利であるというのを妨げないから、一般の債務の引受の場合と異なり、特段の事情のある場合を除き、新所有者が旧所有者の賃貸人としての権利義務を承継するには、賃借人の承諾を必要とせず、旧所有者と新所有者間の契約をもつてこれをなすことができると解するのが相当である!!!!!。
叙上の見地に立つて本件をみると、前記事実関係に徴し、被上告人と上告人間の賃貸借契約関係はAと上告人間に有効に移行し、賃貸借契約に基づいて被上告人が上告人に対して負担した本件土地の使用収益をなさしめる義務につき、被上告人に債務不履行はないといわなければならない。したがつて、これと同趣旨の原判決の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・AがBに土地を賃貸し、Bが同土地上に建物を建築して所有する場合において、AがCに同土地を譲渡したとき、Bは、建物の所有権の登記をしているが土地の賃借権の登記をしていなかった。この場合、Cが所有権移転登記を経ていないときは、BはCに対し賃料支払を拒むことができる。
+判例(S49.3.19)
理由
上告代理人樫本信雄、同竹内敦男の上告理由第一点について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決の挙示する証拠に照らして肯認することができ、その過程に所論の違法は認められない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであつて、採用することができない。

同第二点及び第三点について。
原判決は、訴外Aは昭和二五年四月原審控訴人Bから第一審判決添付目録第一記載の宅地(以下本件宅地という。)を買い受けたがその所有権移転登記をしなかつたところ、昭和二九年三月本件宅地を被上告人に売り渡したが、その所有権移転登記は中間を省略してBから直接被上告人に対してされる旨の合意が右三者間に成立し、被上告人は同年九月一二日主文第一項記載の仮登記を経由したこと、一方、上告人は本件宅地上に右目録第二記載の建物(以下本件建物という。)を所有しているが、そのうち家屋番号六七番の二、三木造瓦葺二階建店舗一棟床面積一階七坪六合九勺、二階七坪九勺については昭和二七年七月四日これを他から買い受けるとともに、当時本件宅地の所有者であつたAから本件宅地を建物所有の目的のもとに賃借し、右建物につき同月五日所有権移転登記を経由したこと、被上告人は昭和四六年六月一五日到達の書面をもつて上告人に対し昭和二九年九月一四日以降昭和四六年五月末日までの賃料を四日以内に支払うよう催告し、上告人がこれに応じなかつたので、同年六月二一日到達の書面をもつて上告人に対し賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことを、それぞれ確定したうえ、右賃貸借契約は同日解除されたとして、被上告人が土地所有権に基づき主文第一項の所有権移転登記完了と同時に上告人に対して本件建物の収去を求める本訴請求を認容したものである。
しかしながら本件宅地の賃借人としてその賃借地上に登記ある建物を所有する上告人は本件宅地の所有権の得喪につき利害関係を有する第三者である!!!!から、民法一七七条の規定上、被上告人としては上告人に対し本件宅地の所有権の移転につきその登記を経由しなければこれを上告人に対抗することができず、したがつてまた、賃貸人たる地位を主張することができないものと解するのが、相当である(大審院昭和八年(オ)第六〇号同年五月九日判決・民集一二巻一一二三頁参照)。
ところで、原判文によると、上告人が被上告人の本件宅地の所有権の取得を争つていること、また、被上告人が本件宅地につき所有権移転登記を経由していないことを自陳していることは、明らかである。それゆえ、被上告人は本件宅地につき所有権移転登記を経由したうえではじめて、上告人に対し本件宅地の所有権者であることを対抗でき、また、本件宅地の賃貸人たる地位を主張し得ることとなるわけである。したがつて、それ以前には、被上告人は右賃貸人として上告人に対し賃料不払を理由として賃貸借契約を解除し、上告人の有する賃借権を消滅させる権利を有しないことになる。そうすると、被上告人が本件宅地につき所有権移転登記を経由しない以前に、本件宅地の賃貸人として上告人に対し賃料不払を理由として本件宅地の賃貸借契約を解除する権利を有することを肯認した原判決の前示判断には法令解釈の誤りがあり、この違法は原判決の結論に影響を与えることは、明らかである。したがつて、この点に関する論旨は理由があるから、その余の論旨について判断を示すまでもなく、原判決中本判決主文第一項掲記の部分は破棄を免れない。そして、右部分につきなお審理の必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・Aは自己の所有する建物をBに賃貸し、引き渡した。その後、Aは、Cに当該建物を譲渡し、譲渡の際にAC間で、賃貸人の地位をAに留保する旨を合意した。このような合意がされても、賃貸人たる地位は、原則としてCに移転する!!!!!
+判例(H11.3.25)
理由
上告代理人工藤舜達、同林太郎の上告理由第二点、同坂井芳雄の上告理由第一点、及び同原秋彦、同洞〓敏夫、同牧山嘉道、同若林昌博の上告理由第二点について
一 本件は、建物所有者から建物を賃借していた被上告人が、賃貸借契約を解除し右建物から退去したとして、右建物の信託による譲渡を受けた上告人に対し、保証金の名称で右建物所有者に交付していた敷金の返還を求めるものである。

二 自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり(最高裁昭和三五年(オ)第五九六号同三九年八月二八日第二小法廷判決・民集一八巻七号一三五四頁、最高裁昭和四三年(オ)第四八三号同四四年七月一七日第一小法廷判決・民集二三巻八号一六一〇頁参照)、右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない
けだし右の新旧所有者間の合意に従った法律関係が生ずることを認めると、賃借人は、建物所有者との間で賃貸借契約を締結したにもかかわらず、新旧所有者の合意のみによって、建物所有権を有しない転貸人との間の転貸借契約における転借人と同様の地位に立たされることとなり、旧所有者がその責めに帰すべき事由によって右建物を使用管理する等の権原を失い、右建物を賃借人に賃貸することができなくなった場合には、その地位を失うに至ることもあり得るなど、不測の損害を被るおそれがあるからである。もっとも、新所有者のみが敷金返還債務を履行すべきものとすると、新所有者が、無資力となった場合などには、賃借人が不利益を被ることになりかねないが、右のような場合に旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、右の賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべき問題である。

三 これを本件についてみるに、原審が適法に確定したところによれば(一)被上告人は本件ビル(鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付一〇階建事務所店舗)を所有していたアーバネット株式会社(以下「アーバネット」という。)から、本件ビルのうちの六階から八階部分(以下「本件建物部分」という。)を賃借し(以下、本件建物部分の賃貸借契約を「本件賃貸借契約」という。)、アーバネットに対して敷金の性質を有する本件保証金を交付した、(二) 本件ビルにつき、平成二年三月二七日、(1) 売主をアーバネット、買主を中里三男外三八名(以下「持分権者ら」という。)とする売買契約、(2) 譲渡人を持分権者ら、譲受人を上告人とする信託譲渡契約、(3) 賃貸人を上告人、賃借人を芙蓉総合リース株式会社(以下「芙蓉総合」という。)とする賃貸借契約、(4) 賃貸人を芙蓉総合、賃借人をアーバネットとする賃貸借契約、がそれぞれ締結されたが、右の売買契約及び信託譲渡契約の締結に際し、本件賃貸借契約における賃貸人の地位をアーバネットに留保する旨合意された、(三) 被上告人は、平成三年九月一二日にアーバネットが破産宣告を受けるまで、右(二)の売買契約等が締結されたことを知らず、アーバネットに対して賃料を支払い、この間、アーバネット以外の者が被上告人に対して本件賃貸借契約における賃貸人としての権利を主張したことはなかった、(四) 被上告人は、右(二)の売買契約等が締結されたことを知った後、本件賃貸借契約における賃貸人の地位が上告人に移転したと主張したが、上告人がこれを認めなかったことから、平成四年九月一六日、上告人に対し、上告人が本件賃貸借契約における賃貸人の地位を否定するので信頼関係が破壊されたとして、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その後、本件建物部分から退去した、というのであるが、前記説示のとおり、右(二)の合意をもって直ちに前記特段の事情があるものと解することはできない。そして、他に前記特段の事情のあることがうかがわれない本件においては、本件賃貸借契約における賃貸人の地位は、本件ビルの所有権の移転に伴ってアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したものと解すべきである。以上によれば、被上告人の上告人に対する本件保証金返還請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に間する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の各判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官藤井正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官藤井正雄の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告人が被上告人に対し本件保証金の返還債務を負担するに至ったとする法廷意見には賛成することができない。
一 甲が、その所有の建物を乙に賃貸して引き渡し、賃貸借継続中に、右建物を丙に譲渡してその所有権を移転したときは、特段の事情のない限り、賃貸人の地位も丙に移転し、丙が乙に対する賃貸人としての権利義務を承継するものと解されていることは、法廷意見の説くとおりである。甲は、建物の所有権を丙に譲渡したことにより、乙に建物を使用収益させることのできる権能を失い、賃貸借契約上の義務を履行することができなくなる反面、乙は、借地借家法三一条により、丙に対して賃貸借を対抗することができ、丙は、賃貸借の存続を承認しなければならないのであり、そうだとすると、旧所有者甲は賃貸借関係から離脱し、丙が賃貸人としての権利義務を承継するとするのが、簡単で合理的だからである。

二 しかし、甲が、丙に建物を譲渡すると同時に、丙からこれを賃借し、引き続き乙に使用させることの承諾を得て、賃貸(転貸)権能を保持しているという場合には、甲は、乙に対する賃貸借契約上の義務を履行するにつき何の支障もなく、乙は、建物賃貸借の対抗力を主張する必要がないのであり、甲乙間の賃貸借は、建物の新所有者となった丙との関係では適法な転貸借となるだけで、もとのまま存続するものと解すべきである。賃貸人の地位の丙への移転を観念することは無用である。賃貸人の地位が移転するか否かが乙の選択によって決まるというものでもない。もしそうではなくて、この場合にも新旧所有者間に賃貸借関係の承継が起こるとすると、甲の意思にも丙の意思にも反するばかりでなく、丙は甲と乙に対して二重の賃貸借関係に立つという不自然なことになる(もっとも、乙の立場から見ると、当初は所有者との間の直接の賃貸借であったものが、自己の関与しない甲丙間の取引行為により転貸借に転化する結果となり、乙は民法六一三条の適用を受け、丙に対して直接に義務を負うなど、その法律上の地位に影響を受けることは避けられない。特に問題となるのは、丙甲間の賃貸借が甲の債務不履行により契約解除されたときの乙の地位であり、乙は丙に対して原則として占有権限を失うと解されているが、乙の賃貸借が本来対抗力を備えていたような場合にはそれが顕在化し、丙は少なくとも乙に対しても履行の催告をした上でなければ、甲との契約を解除することができないと解さなければならないであろう。)。

三 本件は「不動産小口化商品」として開発された契約形態の一つであって、本件ビルの全体について、所有者アーバネットから三九名の持分権者らへの売買、持分権者らから上告人への信託、上告人と芙蓉総合との間の転貸を目的とする一括賃貸借、芙蓉総合とアーバネットとの間の同様の一括転貸借(かかる一括賃貸借を原審はサブリース契約と呼んでいる。)が連結して同時に締結されたものであることは、原審の確定するところである。これによれば、本件ビルの所有権はアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したが、上告人、芙蓉総合、アーバネットの間の順次の合意により、アーバネットは本件ビルの賃貸(右事実関係の下では転々貸)権能を引き続き保有し、被上告人との間の本件賃貸借契約に基づく賃貸人(転々貸人)としての義務を履行するのに何の妨げもなく、現に被上告人はアーバネットを賃貸人として遇し、アーバネットは被上告人に対する賃貸人として行動してきたのであり、賃貸借関係を旧所有者から新所有者に移転させる必要は全くない。すなわち、本件の場合には、上告人が賃貸人の地位を承継しない特段の事情があるというべきである。そして、この法律関係は、アーバネットが破産宣告を受けたからといって、直ちに変動を来すものではない。
賃貸借関係の移転がない以上、被上告人の預託した本件保証金(敷金の性質を有する。)の返還の関係についても何の変更もないのであり、賃貸借の終了に当たり、被上告人に対し本件保証金の返還義務を負うのはアーバネットであって、上告人ではないということになる。被上告人としては、アーバネットが破産しているため、実際上保証金返還請求権の満足を得ることが困難になるが、それはやむをえない。もし法廷意見のように解すると、小口化された不動産共有持分を取得した持分権者らが信託会社を経由しないで直接にサブリース契約を締結するいわゆる非信託型(原判決一一頁参照)の契約形態をとった場合には、持分権者らが末端の賃借人に対する賃貸人の地位に立たなければならないことになるが、これは、不動産小口化商品に投資した持分権者らの思惑に反するばかりでなく、多数当事者間の複雑な権利関係を招来することにもなりかねない。また、本件のような信託型にあっても、仮に本件とは逆に新所有者が破産したという場合を想定したとき、関係者はすべて旧所有者を賃貸人と認識し行動してきたにもかかわらず、旧所有者に対して法律上保証金返還請求権はなく、新所有者からは事実上保証金の返還を受けられないことになるが、この結論が不合理であることは明白であろう。
四 以上の理由により、私は、被上告人の上告人に対する保証金返還請求を認めることはできず、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、被上告人の請求を棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

++上告理由
上告代理人工藤舜達、同林太郎の上告理由
第一点 〈省略〉
第二点 原判決の判断は旧借家法第一条の立法趣旨を見誤り違法である。
一 本件の基本的争点は、本件契約連結によって本件全体ビルの所有権が訴外アーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したことに伴い、本件賃貸借契約における貸主たる地位も当然に訴外アーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したといえるかどうかという点にあることは、原判決が指摘するとおりである。
これについて、原判決は「自己の所有建物を他に賃貸している者が賃貸借契約継続中に第三者にその建物を譲渡した場合には、原則として賃貸人たる地位もこれに伴って右第三者に移転するものであるが、特段の事情が存する場合には、なお賃貸人たる地位は移転しないで建物の譲渡人にとどまるものと解される。そして、賃貸中の建物を譲渡するに際し、新旧所有者間において、従前からの賃貸借関係の賃貸人の地位を従前の所有者に留保する旨の合意をすることは契約の自由の範囲内のことであるが、建物の賃借人が対抗力のある賃借権を有する場合には、その者は新所有者に対して賃借権を有することを主張し得る立場にあるものであって、その者が新所有者との間の賃貸借関係を主張する限り、賃貸借関係は新所有者との間に移行するものであるから、新旧所有者間に右の合意があるほか、貸借人においても賃貸人の地位が移転しないことを承認又は容認しているのでなければ、前記の特段の事情が存する場合に当たるとはいえないというべきである。
本件において、本件全体ビルが訴外アーバネットから持分権者らに売却され、更に控訴人に信託譲渡されるに際し、訴外アーバネットと持分権者らとの間及び持分権者らと控訴人との間において、従前からの賃借人である被控訴人との間の本件賃貸借契約上の賃貸人の地位は訴外アーバネットに留保することとして移転しない旨を合意しており、右売却及び信託譲渡と同時に右合意の趣旨に沿って本件契約連結の各契約が締結され、それ以降も訴外アーバネットは被控訴人に対して賃貸人としての行動をし、被控訴人も訴外アーバネットが破産するまで訴外アーバネットを賃貸人と認識して賃料を支払っていた。しかし、被控訴人は本件賃貸部分につき対抗力のある建物賃借権を有していた者であって、本件全体ビルの所有権が移転し、それに伴い本件契約連結の各契約が締結されたことを訴外アーバネットの破産宣告に至るまで全く知らず、しかも、本件契約連結が存在することを知った後は新所有者に賃貸人の地位が移転した旨主張しているのであるから、被控訴人において賃貸人の地位が移転しないということを承認ないし容認したものと認める余地は全くない。したがって、本件全体ビルの持分権者らへの売却及び控訴人への信託譲渡は前記特段の事情がある場合に当たるということはできず、本件賃貸借契約上の賃貸人たる地位は、本件全体ビルの所有権の移転に伴い訴外アーバネットから持分権者らに、更に受託者である控訴人に移転したものというべきである。」と判示している。
しかしながら、訴外アーバネットは、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約は固定したまま、甲第三号証建物賃貸借契約には全く影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持して、平成二年三月二七日訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、同目録記載のとおり、本件建物の持分所有権のみを売却譲渡し、同年同月三〇日その所有権移転登記をしたのである。
従って、同目録(二)記載の人々は、被上告人に対する賃貸人たる地位を承継しないで、本件建物の持分所有権のみを譲受けたものである。
しかし、訴外アーバネットが訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、本件建物の持分所有権を売却譲渡しながら、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定し、甲第三号証建物賃貸借契約に影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持するために、訴外アーバネットは、本件建物の持分所有権譲渡と同時に、本件建物の転借人(転貸人は芙蓉総合リース株式会社)たる地位を取得したのである。
即ち、訴外アーバネットは、本件建物の持分所有権を訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、売却譲渡したが、それであれば、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約に影響があり、被上告人に対する賃貸人たる地位を失うことになるが、訴外アーバネットは、本件建物持分所有権譲渡と同時に、本件建物の転借人(転貸人は、芙蓉総合リース株式会社)たる地位を取得することにより、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定し、甲第三号証建物賃貸借契約に影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位をそのまま保持することができたのである。
このような契約を締結し、法律関係を創設することは、契約自由の原則の範囲内であり完全に有効である。
それに、訴外アーバネットは、被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約を固定したまま、甲第三号証建物賃貸借契約には全く影響を及ぼさず、被上告人に対する賃貸人たる地位を保持したまま、平成二年三月二七日訴状別紙目録(二)記載の人々に対し、本件建物の持分所有権のみを譲渡したので、その譲渡が行なわれた後も、被上告人との関係においては、依然として訴外アーバネットが賃貸人たる地位を継続しており、訴外アーバネットは、真実(擬制ではない)の賃貸人として、賃借人である被上告人から賃料を継続して受領しており、また、真実(擬制ではない)の賃貸人として、被上告人に対し、保証金の返還債務を負担しているのである。
そして、このまま推移して、甲第三号証建物賃貸借契約が終了すれば、それまでの被上告人からの賃料は、真実の賃貸人である訴外アーバネットが全部取得し、被上告人が訴外アーバネットに預託した保証金(二〇パーセント償却後の残額)は終了した時点において、真実の賃貸人である訴外アーバネットが賃借人である被上告人に対し、返還するのである。
原判決の判示は、新所有者が、これまでの賃借人に対する賃貸人となる典型的事例に関する判例の解釈であって、本件のように訴外アーバネットと被上告人との転貸借契約を、そのまま固定して、所有権のみを譲渡する事例においては、原判決の判示するようなことにはならないのである。
従来の判例は、訴外アーバネットが被上告人に対する賃貸人たる地位を失いまたは抜ける場合であって、本件のように、訴外アーバネットが被上告人に対する賃貸人たる地位を失わず、または抜けない場合には、適用がないのである。
それに、本件は元々転貸借のケースであり、従来の判例の解釈も転貸借契約には、適用されず(大判大正九・九・二八民一四〇二頁)、賃貸人の地位が転移しないときは適用されないのである。
原判決も、「本件において、本件全体ビルが訴外アーバネットから持分権者らに売却され、更に控訴人に信託譲渡されるに際し、訴外アーバネットと持分権者らとの間及び持分権者らと控訴人との間において、従前からの賃借人である被控訴人との間の本件賃貸借契約上の賃貸人の地位は訴外アーバネットに留保することとして移転しない旨を合意しており、右売却及び信託譲渡と同時に右合意の趣旨に沿って本件契約連結の各契約が締結され、それ以後も訴外アーバネットは被控訴人に対して賃貸人としての行動をし、被控訴人も訴外アーバネットが破産するまで訴外アーバネットを賃貸人と認識して賃料を支払っていた。」と認めているのである。
二 被上告人と訴外アーバネットとの間の甲第三号証建物賃貸借契約は、訴外アーバネットが、訴外日本都市デベロップから本件ビルの所有権を譲受けても、また、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが、上告人にそれぞれ、本件ビルを売買し、または信託譲渡したことによっても、何等変更または切断されることはないのである。
従って、持分権者ら及び上告人は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約の貸主たる地位を承継することなく、また、その契約に基づく保証金返還債務を承継することもないのである。
右結論については、法的側面、会計または税務処理の側面、当事者の意思または認識、経済的合理性または関係当事者のニーズ並びに結果の妥当性等を総合的に勘案して判断されるべきである。
1 本件について、法的側面を考えて見ると、訴外アーバネットが持分権者らに、持分権者らが、上告人に、それぞれ本件ビルを売買し、または信託譲渡しても、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約は、何等変更また切断されることなく継続しているのである。
訴外アーバネットは、本件ビルを売却した後も依然として、被上告人に対する賃貸人の地位にあり、従来と変わりなく賃料債権を有し、保証金返還債務を負担しているのである。
一方持分権者ら及び上告人は、被上告人と建物賃貸借契約を締結したことはなく、また、保証金の返還債務を負担する旨の約束をしたことはないのである。
従って、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が終了したときは、訴外アーバネットが被上告人に保証金を返還することになっているのである。
被上告人の指摘している昭和一一年一一月二七日大審院判決は、所有権を譲渡することによって、譲渡人が賃貸人たる地位を失わない、本件の場合には該当しないのである。
2 本件について、会計または税務処理の側面を考えて見ると、会計処理として、被上告人の会計帳簿には賃料の支払先が訴外アーバネットと記帳され、また、保証金の預託先も訴外アーバネットと記帳されており、被上告人の会計帳簿に持分権者ら及び上告人の名前は何処にも記帳されておらず、振替え処理もなされていないのである。
一方訴外アーバネットの会計帳簿には、賃料の請求先が被上告人と記載され、また、保証金の受入も被上告人からとなっており、従って、訴外アーバネットが保証金の返還債務を負担している旨の記載がなされており、その賃料請求権及び保証金返還債務を持分権者らまたは上告人に変更または承継させる旨の記載は一切なされていないのである。
それに、持分権者ら及び上告人の会計帳簿にも、被上告人に対する賃料請求債権は計上されておらず、また、保証金返還債務の記帳はなされていないのである。
更に、税務署は、被上告人からの賃料を、本件ビル売買の前後を問わず、訴外アーバネットの法人所得と認定し、訴外アーバネットから法人税を徴収しており、持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得としてはいないのである。
そして、税務処理の側面からも本件保証金返還債務は、本件ビル売買の前後を問わず、訴外アーバネットが負担したままになっており、持分権者らまたは上告人が本件保証金返還債務を承継したことにはなっていないのである。
もし、持分権者らまたは上告人が本件保証金返還債務を承継するとすれば、持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得に変動が発生しなければならないことになるが、税務署は持分権者らまたは上告人の法人所得または個人所得が変動することはないものと認定しているのである。
3 本件について、当事者の意思または認識として、持分権者ら及び上告人がアーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約及び本件保証金返還債務を承継していないことは、明らかである。
4 本件について、経済的合理性または関係当事者のニーズについては、証人岩田忠雄の尋問調書及び乙第一〇号証の一、二ないし乙第二一号証並びに乙第二四号証ないし乙第二六号証の各種資料により明らかである。
本件は、昭和六二年頃から急速に普及したサブリースの制度であり、小口投資家に対し、オフィスビルへの投資を可能にしたものである。
我国においては、株式、ゴルフ会員権、絵画等の投資物件より、オフィスビルへの投資がもっとも有利であると考えられていたが、オフィスビルは高額であるため、上場している不動産会社であるとか、生命保険会社であるというような多額の資金または資産を有するところしか参加できなかった。
そのため、小口投資家は、最も有利なオフィスビルへの投資に参加できないという意味において苛立っていたところ、小口投資家にもオフィスビルへの投資ができる制度として、サブリースが考え出されたのである。
ただ、小口投資家がオフィスビルへ投資をするについては、いくつかの前提条件があった。
その一つが、小口投資家は、最初から最後までエンドテナントと賃貸借契約の当事者になることはなく、賃料債権を取得することもなく、また保証金返還債務を負担することはないということである。
即ち、小口投資家は、配当や物件の値上りについてのみ関心があるのであって、エンドテナントとの賃貸借契約やビル管理などわずらわしいことには関与しないということである。
原判決の判示しているとおり、小口投資家がエンドテナントと賃貸借契約の当事者にならなければならないというのであれば、サブリースそのものが成立たないことになるのである。
一方サブリースの当事者となる訴外アーバネットのような不動産会社は、賃貸借契約を固定したまま、貸主たる地位から離脱することなく、所有権のみ賃貸借契約と切り離して処分することができることになり、不動産会社は引き続き賃貸事業を継続し、賃貸事業収入や保証金等の運用益を確保できるというサブリースの利点を享受することができるようになったのである。
また、被上告人のようなエンドテナントは、賃貸借契約が固定され、訴外アーバネットのようなサブリースの当事者が賃貸借契約の貸主たる地位から離脱することなく、依然として賃貸人としての地位を継続していることにより、エンドテナントの賃借人たる地位が保護されているのでエンドテナントの希望を満しているのである。
5 本件について、結果の妥当性の観点から考えてみると、訴外アーバネットが被上告人から賃料を継続して受け取り、賃貸借契約が終了したときは、本件ビルの所有権を持分権者らに譲渡していたとしても、訴外アーバネットが被上告人に本件保証金を返還するのであるから、持分権者らや上告人が本件保証金の返還に関与することは一切ないのである。
たまたま、本件については、訴外アーバネットが破産宣告を受けたため問題になっているが、法律的には破産宣告を受けると受けないとによって差異はないのである。
6 原判決の結論では、次のとおり矛盾が生じまた解決不可能な問題が発生する。
(1) 原判決の解釈によれば、上告人が賃貸人であり、被上告人が賃借人であるというが、訴外アーバネットは賃貸人ではないのか。
訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が切れることなく継続し、訴外アーバネットが賃貸人として権利を行使し、義務を負担しているのに、原判決は、訴外アーバネットが賃貸人でないというのであろうか。
それとも、原判決は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約と上告人と被上告人との間の建物賃貸借契約が併存しているとでもいうのであろうか。
原判決の結論では、おかしなことになってしまうのである。
(2) 原判決の解釈によれば、上告人は、被上告人に対し、保証金返還債務を負担しているというが、それでは訴外アーバネットは、保証金返還債務を負担していないというのであろうか。
それとも、原判決は、訴外アーバネットの保証金返還義務と控訴人の保証金返還義務が併存しているとでもいうのであろうか。
もし、原判決が保証金返還義務の併存をいうのであれば、その法的根拠をどのように説明するのか全く理解できない。
(3) 原判決は、訴外アーバネットが被上告人に対し、賃貸人として賃料請求権を有し、その反面、上告人は、被上告人に対し、直接賃料請求権を有しないことについて、如何なる説明をするのであろうか。
サブリース契約が、単なるビル管理と賃料集金代行契約でないことは、東京地方裁判所平成三年(ワ)第九〇〇四号建物明渡請求事件(民事第二八部担当)で平成四年五月二五日言渡された判決(判例時報一四五三号一三九頁)により明らかであり、訴外アーバネットは単なるビル管理と賃料集金代行と新たなテナント募集代行の業者ではなく、被上告人に対する賃貸人たる地位を有するのである。
本件の場合、被上告人は訴外アーバネットに対しては賃料支払義務を負担しているが、上告人に対しては賃料支払義務を負担していないのである。
(4) たまたま、本件については、訴外アーバネットが破産宣告を受けたため、本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したが、もし、アーバネットが倒産しなければ、本件建物の持分所有権の譲渡は露呈することなく、被上告人は、甲第三号証建物賃貸借契約に基づき、訴外アーバネットに賃料を支払い続け、右賃貸借契約が終了したときは訴外アーバネットから本件保証金の返還を受けることになるのである(もし、露呈したとしても、訴外アーバネットが倒産しなければ、結果は同じ)。
そして、訴外アーバネットが倒産したか否かによって債権、債務の帰属に変更が生ずることはあり得ないので、訴外アーバネットが破産宣告を受けて、本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したからといって、保証金の返還債務者は、訴外アーバネットであることに変更はないのである。
それとも、原判決は、訴外アーバネットが倒産したか否かによって債権、債務の帰属に変更が生ずる、または本件建物の持分所有権の譲渡が露呈したか否かによって債権、債務の帰属が生ずるとでも解釈するのであろうか。
原判決の結論は、甚だ疑問であるといわなければならない。
(5) 原判決は、訴外アーバネットと被上告人との間の甲第三号証建物賃貸借契約が継続していると考えているのか、また途切れると考えているのか、結論が出ていないのではないかと思われる。
甲第三号証建物賃貸借契約は、転貸借契約として締結されているが、訴外アーバネットが訴外日本都市デベロップから本件全体ビルの所有権を取得したときに途切れているのか否か、また訴外アーバネットが本件建物の持分所有権を訴状別紙目録(二)記載の人々に譲渡したときに途切れているのか否かについて、本訴訟事件の基礎的且つ最重要な課題であるにもかかわらず、結論を出していないと思われるのである。
もし、甲第三号証建物賃貸借契約が途切れないで継続し、従って、訴外アーバネットが甲第三号証建物賃貸借契約の賃貸人たる地位を失わず、甲第三号証建物賃貸借契約に基づき引き続き賃料を受領しているものであるとしたら、上告人が保証金の返還義務を負担することはあり得ないのである。
またもし、甲第三号証建物賃貸借契約が途切れて継続しないとすれば、訴外アーバネットは、訴状別紙目録(二)記載の人々に対し持分所有権を譲渡した後、如何なる権利権限に基づいて、被上告人から賃料を受領していたのか法的説明ができないことになってしまうのである。
いずれにしても、原判決の結論は旧借家法第一条の立法趣旨を見誤り、その結果として同条の解釈適用を誤った違法がある。
7 それに従来の判例が、所有権の移転に随伴して貸主の地位も移転するとしているのは、新所有者による明渡請求から賃借人を守るためである。
ところが、本件では、新所有者である上告人に明渡しを請求する意思はなく、所有権移転と同時に訴外アーバネットと賃貸借契約を締結し、被上告人の使用収益を保証している。
従って、所有権移転により被上告人の使用収益が侵されることはない。
この場合、貸主の地位も移転したものとみなすべき必然性が認められない。
よって、当初の賃貸借関係は、訴外アーバネットと被上告人との間に残り、敷金(保証金を敷金と仮定した場合、以下同じ)債務は訴外アーバネットが負担する。
本来貸主の地位が所有権に随伴して移転する旨の条文なく転貸借関係を考えれば所有権と貸主の地位が分属することも一般に認められるところである。
従来の判例では、旧所有者が賃貸借関係から離脱するケースを前提に、所有権に随伴して貸主の地位及び敷金返還債務が当然に新所有者に移転することを認め、その結果、本来法的根拠のない過剰保護というべきものになっている。
敷金は、その金額が一般に区々であり、公示方法も存在しないことから、返還請求権に優先的効力を認めることは、他の債権者を不当に害することになりかねない。
借地借家法は、賃借人の保護を目的とする法律ではあるが、それは主に賃借人に継続的使用を保証する趣旨であり、敷金返還請求権に優先的効力を与えることまで想定したものではない。
特に、今日のように敷金の額が多額である場合は、差入先に対する与信行為としての色彩が濃厚であるから、これにかかる返還債務が所有権に随伴して、当然に承継されるとすることは正当ではない。
原審判決の判示によると所有権の移転を行う時点で、賃借人の同意を得ておく必要があり、これを欠く場合は、賃借人がその事実を知ったのち、いつでも旧所有者、新所有者のいずれを貸主とするか自由に選択できるかのようであるが、これは、法律関係を著しく複雑にするものである。
また賃借人の同意に関しても、それが賃借人の法律関係にどのような影響を与えるのかにつき、どこまで説明を行ったうえで同意を得る必要があるのかが不明であり、原審判決の理論のままでかかる説明を詳細に行うなら、むしろ、同意を与える賃借人は皆無となってしまうであろう。
転貸借の場合、転貸借人が倒産しても信義則を媒介としながら、民法第三九八条と借家法の全趣旨を踏まえて、転借人の継続的な使用収益をはかることが可能であるから、所有権の移転に随伴して貸主の地位が移転する必然性はないのである。
8 本件については次の判例を斟酌されるよう願います。
新所有者へ建物の賃貸借が承継されたことを承認した賃借人は、その敷金の承継も承諾したものである(大正一三年一二月二日東地民一一判・大正一〇年(ワ)二五四一号新聞二三八一号一七頁)というが、被上告人は特に承認手続きをしているとは認められない。
家屋賃貸借は、新所有者に継承されるから特別事情の主張立証のない限り、新所有者は、賃借人に対し、敷金を返還すべき義務がある(昭和四年五月二七日東区判・昭和三年(ハ)八一七〇号、新報二一三号二七頁)というが、本件については特別事情の主張立証のあるケースと認定すべきである。
賃貸借契約の目的建物の新所有者は、その契約に付随する敷金契約上の権利関係を承継しない(昭和二年一月二六日大阪地民三判・大正一五年(ク)一八九六号、新聞二六五七号四頁・評論一六巻民法六七六頁)。
賃貸借の目的である建物の新所有者が、賃貸人より敷金の償還を受けず、かつ償還請求権の行使につき過失のないときは、敷金提供者に対して敷金を返還すべき義務を負わない(昭和一一年三月二日東区判・昭和一〇年(ハ)五九七〇号、新聞三九七一号四頁・新報四三三号二七頁)。

++解説
《解  説》
一 本件は、いわゆる「不動産小口化商品」の信託業務から派生した事件であり、ビルの所有者からその一部を賃借していたXが、賃貸借契約を解除し、退去したとして、右ビルにつき信託による譲渡を受けていたYに対し、ビル所有者に交付していた保証金は敷金であると主張して、その返還を求めたものである。
1 事実関係は、次のとおりである。(1) 平成元年三月一七日、Aは、本件ビル(地下二階付一〇階建事務所店舗)を建築し、その所有権を取得、(2) 同月三一日、Aは、本件ビルをBに売却し、本件ビルを賃借、(3) 同年六月一六日、Xは、Aから、本件ビルのうちの六階から八階部分(本件建物部分)を賃借し(本件建物部分の賃貸借契約を「本件賃貸借契約」という。)、Aに対して保証金の名目で三三八三万一〇〇〇円を交付、(4) 平成二年二月一五日、Aは、本件ビルをBから買戻し、(5) 同年三月二七日、本件ビルにつき、① 売主をA、買主をC外三八名(Cら)とする売買契約、② 譲渡人をCら、譲受人をYとする信託譲渡契約、③ 賃貸人をY、賃借人をDとする賃貸借契約、④ 賃貸人をD、賃借人をAとする賃貸借契約、がそれぞれ締結され、右の売買契約及び信託譲渡契約の締結に際し、本件賃貸借契約における賃貸人の地位をAに留保する旨が合意された、(6) 平成三年九月一二日、Aに対する破産宣告がされたが、Xは、それまで、(5)の売買契約等が締結されたことを知らず、Aに対して賃料を支払い、この間、A以外の者がXに対して本件賃貸借契約における賃貸人としての権利を主張したことはなかった、(7) Xは、本件賃貸借契約における賃貸人の地位がYに移転したと主張したが、Yがこれを認めなかったことから、平成四年九月一六日、Yに対し、Yが本件賃貸借契約における賃貸人の地位を否定するので信頼関係が破壊されたとして、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その後、本件建物部分から退去した。

2 Xは、「A、B間の本件ビルの賃貸借契約は、Aの買戻しにより混同によって消滅した。本件賃貸借契約の賃貸人たる地位は、AからCらを経てYに承継されたところ、Xは、本件賃貸借契約を解除し、本件賃貸部分から退去したので、Yは、本件保証金から約定の二〇パーセントの償却費を控除した残額(二七〇六万四八〇〇円)及び遅延損害金を支払う義務を負う。」と主張した。これに対し、Yは、Xの主張を争う外、「(1) Cら及びYは、Aから本件保証金の交付を受けていない、(2) 債務は信託の対象とならないから、Yは本件保証金返還債務を承継しない、(3) 本件保証金は敷金の性質を有するものではないから、賃貸人の地位の移転があっても返還債務は承継されない。」などと主張した。

3 第一審(東京地判平5・5・13判時一四七五号九五頁)及び原審(東京高判平7・4・27金法一四三四号四三頁)は、いずれもXの請求を認容すべきものとした。原審の判断の要旨は、次のとおりである。(1)(混同)AがBから本件ビルを買い戻したことによって、Aの有した賃借権は混同によって消滅し、本件賃貸借契約は、転貸借ではなく、賃貸借となったものと解すべきである。(2)(賃貸人の地位の移転)本件賃貸借契約上の賃貸人たる地位は、本件ビルの所有権の移転に伴い、A→Cら→Yと移転したものというべきである。(3)(解除の効力)賃貸人が賃貸借契約の承継を否定することは信頼関係を破壊する行為であり、本件解除は理由がある。(4)(本件保証金)敷金の性質を有するものというべきであり、Yはその返還債務を承継した。(5)(信託の対象)債務そのものは信託の対象とならないが、敷金に関する法律関係は賃貸借関係に随伴するものであり、本件ビルの信託譲渡を受けたYは賃貸人たる地位を承継するとともに本件保証金返還債務を負担するに至ったというべきである。Yから上告。

二 本判決は、判示事項以外の上告理由については、原審の認定を非難するか、又は採用することのできない法令違背の主張であるとして、排斥した(そこで、本判決は、「Xは本件ビルを所有していたAから本件建物部分を賃借し、Aに対して敷金の性質を有する本件保証金を交付した」としたものと解される。)。そして、判示事項に関し「自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり、右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。」と判示した。

三 借家法一条(借地借家法三一条)等の規定によって賃借人が対抗力を有する不動産賃貸借の目的物の所有権が移転した場合、賃貸借関係は、新所有者に当然承継されるということは、判例(大判大10・5・30民録二七輯一〇一三頁等)、通説(新版注釈民法(15)債権(6)〔幾代通〕一八八~一八九頁等)が認めるところであり、学説上は、これについて状態債務説(賃貸借関係は賃貸目的物の所有権と結合した一種の状態債務関係にあるという説)によって説明する見解が有力である。ところで、最二小判昭39・8・28民集一八巻七号一三五四頁、本誌一六六号一一七頁は、「自己の所有家屋を他に賃貸している者が賃貸借継続中に右家屋を第三者に譲渡してその所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って右第三者に移転するものと解すべきである。」としたが、本件においては、「新旧所有者間における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨の合意」が右判例にいう「特段の事情」に該当するかどうかが争われた。本判決は、右合意をもって直ちに右の特段の事情があるものということはできないとしたが、藤井裁判官の反対意見は、右の合意をもって特段の事情にあたり、この場合、当初の賃貸借はもとのまま存続するものと解すべきであるとするものである(右判例の判例解説においては、右反対意見と同旨の結論が述べられていたところであった。昭39最判解説(民)三一〇頁)。使用収益の面に着目すると、従来の賃貸人が新所有者との間でその権限を留保する以上、賃借人に特段不利益はないと考えられないでもない。しかし、法廷意見は、右合意をもって特段の事情に該当することを認めると、賃借人が転借人と同様の地位に立たされることとなり、新所有者(Y)と賃借人(X)との間に介在する者(D、A)に賃料不払い等の債務不履行があったとき、賃借人がその地位を失うに至ることがあり得るなど賃借人が不測の損害を被るおそれがあることを挙げて、これを消極に解すべきものとした。右の中間に介在する者の使用収益権能の設定は、必ずしも賃貸借に限られるものではないが、賃借人の債務不履行によって賃貸借が解除されたときは、転貸借は賃貸借の終了と同時に終了すると解されていることが考慮されたものであろう(最一小判昭36・12・21民集一五巻一二号三二四三頁、最二小判平6・7・18本誌八八八号一一八頁等参照)。右の外、所有者から建物を賃借した者にとって、敷金返還請求権等の賃貸人に対する債権について、建物がその引き当てとしての意義を有している面も否定し難いということもできよう。なお、原判決は、新旧所有者間に右の合意がある外、「賃借人においても賃貸人の地位が移転しないことを承認又は容認しているのでなければ、右特段の事情が存する場合に当たるとはいえないというべきである。」としたのに対し、本判決は、「新旧所有者間の右合意をもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。」と判示するにとまっている。これは、賃借人の承認又は容認がある場合に限ることが相当であるかどうか、検討の余地があり得るとしたものと解される。また、本判決が、「新所有者が無資力となった場合において、旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべきである。」と判示しているところは、旧所有者に賃貸人の債務を負わせるべき場合があり得るかどうか、今後検討すべき問題であることを示したものといえよう。この点に関しては、学説上、旧所有者に併存的債務を残しておいたらどうかと思われる問題もあるとの指摘(星野英一・民法概論Ⅳ二一六頁)や信義則上、旧所有者が補充的に義務を負うことがあり得ると解すべきであるとの説(鈴木禄彌・債権法講義三訂版五六七頁)がある。

四 本判決は、新旧所有者間における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨の合意をもって直ちに最二小判昭39・8・28にいう特段の事情があるものということはできないことを明らかにしたものであって、その意義は小さくないものと考えられる。

・建物の賃料債権の差押えの効力が発生した後に、建物が譲渡され賃貸人の地位が譲受人に移転したとしても、譲受人は、建物の賃料債権を取得したことを差押債権者に対抗することができない!!!!!
+判例(H10.3.24)
理由
上告人の上告理由について
自己の所有建物を他に賃貸している者が第三者に右建物を譲渡した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って右第三者に移転するが(最高裁昭和三五年(オ)第五九六号同三九年八月二八日第二小法廷判決・民集一八巻七号一三五四頁参照)、建物所有の債権者が賃料債権を差し押さえ、その効力が発生した後に、右所有者が建物を他に譲渡し賃貸人の地位が譲受人に移転した場合には、右譲受人は、建物の賃料債権を取得したことを差押債権に対抗することができないと解すべきである。ただし、建物の所有者を債務者とする賃料債権の差押えにより右所有者の建物自体の処分は妨げられないけれども、右差押えの効力は、差押債権者の債権及び執行費用の額を限度として、建物所有者が将来収受すべき賃料に及んでいるから(民事執行法一五一条)、右建物を譲渡する行為は、賃料債権の帰属の変更を伴う限りにおいて、将来における賃料債権の処分を禁止する差押えの効力に抵触するというべきだからである
これを本件について見ると、原審の適法に確定したところによれば、本件建物を所有していたAは、被上告人の申立てに係る本件建物の賃借人四名を第三債務者とする賃料債権の差押えの効力が発生した後に、本件建物を上告人に譲渡したというのであるから、上告人は、差押債権者である被上告人に対しては、本件建物の賃料債権を取得したことを対抗することができないものというべきである。以上と同旨をいう原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
本件は、建物の賃料債権を差し押さえたXと、差押え後に建物を譲り受けたYとの間で、建物の賃借人が供託した賃料についての供託金還付請求権の帰属が争われた事件である。
Xは、本件建物を所有していたAに対する債務名義に基づいて、本件建物の賃借人四名を第三債務者として、Aが右賃借人に対して有する賃料債権についての債権差押命令を申し立て、平成3年3月に、債権差押命令の正本が各第三債務者に送達された。Aに対する債権を有していたYは、平成4年12月ごろ、Aから本件建物の代物弁済を受け、平成5年1月に、本件建物について、真正な登記名義の回復を原因とするAからYへの所有権移転登記が経由された。Yが本件建物の賃借人らに対して賃料をYに支払うよう求めたところ、賃借人らは、平成5年2月以降、債権者不確知(民法四九四条)と差押え(民事執行法一五六条一項)の両者を原因とする賃料の供託をした(混合供託)。そこで、Xは、Yに対し、この供託金の還付請求権を有することの確認を求める本件訴訟を提起した。

原審は、賃料債権の差押手続中に賃貸人たる地位の承継があっても、賃料債権の差押えとの関係では右承継は無効であって、賃料債権は依然として従前の賃貸人に帰属しているものとして右差押えの効力が及ぶものと解するのが相当であるから、本件の債権差押命令の効力は、Yが賃貸人の地位を承継した以後の賃料債権にも及ぶと解すべきである、と述べてXの請求を認容した。
Yは、原判決には法令の解釈適用を誤った違法があると主張して上告したが、本判決は、原審の判断を支持し、Yからの上告を棄却した。
給料や賃料等の継続的収入についての債権の差押えの効力は、差押債権者の債権額を限度として債務者が差押後に収受すべき収入にも及び、既に発生している債権のほか、将来において発生すべき債権にも差押えの効力が及ぶことになる(民事執行法一五一条)。このため、建物の賃料債権の差押えの効力発生後に差押債務者が賃料債務を免除しても、差押債権者に対抗することができない(最一小判昭44・11・6民集二三巻一一号二〇〇九頁、本誌二四六号一〇六頁)。一方、継続的収入についての債権の差押えを受けた債務者もその発生の基礎である法律関係を変更、消滅させる自由を奪われないとされており、債務者が、給料を差し押さえられた後に辞職することも、賃料を差し押さえられた後に賃貸借契約を合意により解約することも妨げられないと解されている(兼子一「増補強制執行法」二〇〇頁、中務俊昌「取立命令と転付命令」民訴法講座四巻一一八一頁、賀集唱「債権仮差押後、債務者と第三債務者との間で被差押債権を合意解除しうるか」判タ一九七号一四六頁、注解民事執行法(4)四八四頁〔稲葉威雄〕、注釈民事執行法(6)三一五頁〔田中康久〕等)。
ところで、最判昭39・8・28民集一八巻七号一三五四頁、本誌一六六号一一七頁は、賃貸借の目的となった建物の所有権が移転した場合には、特段の事情のない限り、建物の賃貸借関係は新所有者と賃借人との間に移り、新所有者は賃貸人の地位を承継することになると判示しているが、賃料債権が差し押さえられた後に建物が譲渡された場合に、債権差押えの効力が譲渡後に弁済期が到来する賃料にも及ぶか否かに関しては、これまで最高裁の判例がなく、見解が対立していた。
有力な学説は、建物の譲渡後も債権差押えの効果が継続し、新賃貸人を拘束すると解している(宮脇幸彦「強制執行法(各論)」一二二頁、注解民事執行法(4)四八四頁〔稲葉威雄〕)。右の学説に対しては、賃料債権の差押えの有無は公示されていないから、建物の賃料債権が差し押さえていることを知らずに建物を取得した譲受人に不測の損害を及ぼすおそれがある、との批判があり得る。しかしながら、賃料債権の差押えの効力が建物の譲受人に及ぶことによって契約の目的を達成することができない場合には、善意の譲受人は譲渡人に対して瑕疵担保責任を追及することが可能であると考えられる。一方、建物の譲受人が賃料債権の差押命令の拘束を免れると解する説に対しては、執行免脱を容易にし、差押債権者を不安定な立場に置くものであるとの批判があり得る。ことに、本件のように、建物の譲受人が譲渡人の債権者で賃料債権を取得することによって債権の回収を図ろうとしている場合には、右の説は、対抗要件具備の先後によって同一の債権の帰属をめぐる優先関係を定めようとする民法の一般原則と整合しないことになろう。東京高判平6・4・12本誌九〇一号二〇一頁、判時一五〇七号一三〇頁は、建物の賃料債権についての差押命令が発せられた後に右賃料債権を対象とする換価権及び優先弁済権を設定する行為は差押えの処分禁止効に抵触すると判示しているが、右の東京高判も、右の有力な学説と同様の考え方に立つものといえる。
なお、本判決は、賃料債権の差押債権者と差押え後に建物を任意に譲り受けた者との間の賃料債権の帰属に関する判断を示したものであり、不動産競売の目的不動産の賃料債権の差押債権者と買受人との間の法律関係についての判断を示したものではない。執行実務では、建物の買受人は、賃料債権の差押命令による拘束を受けないとの前提で運用されているようであるが(金法一三八七号一二〇頁二段目のコメント)、賃料債権を差し押さえた一般債権者と抵当権者との法律関係に関しては、最一小判平10・3・26民集五二巻二号登載予定が、一般債権者の差押えと抵当権者の物上代位権に基づく差押えが競合した場合には、一般債権者の申立てによる差押命令の第三債務者への送達と抵当権設定登記との先後によって両者の優劣を定めるべき旨を判示している。不動産競売手続において賃料債権の差押命令の処分制限効をどのようにとらえるべきかは、今後更に検討されるべき課題である。
本判決は、建物の賃料債権の差押債権者と建物の譲受人との間の賃料債権の帰属をめぐる基本的な法律関係に関して、最高裁が初めての判断を示したものであり、実務に与える影響も大きいと考えられる。

・賃貸目的物の一部が賃借人の過失によらないで減失した場合、減失した部分の割合に応じた賃料の減額は、賃借人による減失部分に応じた賃料減額請求がない限り生じない!!
+(賃借物の一部滅失による賃料の減額請求等)
第611条
1項 賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは、賃借人は、その滅失した部分の割合に応じて、賃料の減額を請求することができる
2項 前項の場合において、残存する部分のみでは賃借人が賃借をした目的を達することができないときは、賃借人は、契約の解除をすることができる

・賃借物の一部が賃借人の過失によらず減失し、賃貸人の修繕義務不履行によって使用収益に不便が生じている場合、賃借人は、賃料の全額について支払いを拒むことまではできない!
+判例(S43.11.21)
理由
上告代理人岡田実五郎、同鈴木孝雄の上告理由第一、第二点ならびに同安藤信一郎の上告理由第一の一について。
原審(その引用する第一審判決を含む。以下同じ)の確定する事実によれば、被上告人は、昭和三七年三月一五日、上告人に対し本件家屋を賃料月額金一万五〇〇〇円、毎月末翌月分支払の約で賃貸し、同年九月一四日、賃貸期間を昭和四〇年九月一三日までと定めたが、右賃貸借契約には、賃料を一箇月でも滞納したときは催告を要せず契約を解除することができる旨の特約条項が付されていたというのである。
ところで、家屋の賃貸借契約において、一般に、賃借人が賃料を一箇月分でも滞納したときは催告を要せず契約を解除することができる旨を定めた特約条項は、賃貸借契約が当事者間の信頼関係を基礎とする継続的債権関係であることにかんがみれば、賃料が約定の期日に支払われず、これがため契約を解除するに当たり催告をしなくてもあながち不合理とは認められないような事情が存する場合には、無催告で解除権を行使することが許される旨を定めた約定であると解するのが相当である。
したがつて、原判示の特約条項は、右説示のごとき趣旨において無催告解除を認めたものと解すべきであり、この限度においてその効力を肯定すべきものである。そして、原審の確定する事実によれば、上告人は、昭和三八年一一月分から同三九年三月分までの約定の賃料を支払わないというのであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、右特約に基づき無催告で解除権を行使することも不合理であるとは認められない。それゆえ、前記特約の存在及びその効力を肯認し、その前提に立つて、昭和三九年三月一四日、前記特約に基づき上告人に対しなされた本件契約解除の意思表示の効力を認めた原審の判断は正当であり、原判決に所論のごとき違法はなく、論旨は理由がない。

上告代理人岡田実五郎、同鈴木孝雄の上告理由第三点について。
原審の確定する事実によれば、上告人は本件家屋に居住し契約の目的に従つてこれを使用収益していたところ、所論の事情により上告人の居住にある程度の支障ないし妨害があつたことは否定できないが、右使用収益を不能もしくは著しく困難にする程の支障はなかつた、というのであるから、このような場合、賃借人たる上告人において賃料の全額について支払を拒むことは許されないとする原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。

同第四点について。
賃貸借契約が解除された以上、賃貸人の修繕義務および使用収益させる義務は消滅するのであるから、賃借人は、右の義務不履行を理由に未払賃料の支払を拒むことはできない。所論は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

上告代理人安藤信一郎の上告理由第一の二について。
上告人の本件家屋の使用が妨害された程度についての原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として肯認することができ、原判決に所論のごとき違法はない。論旨は、原審の事実認定を非難するか、または、原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第一の三について。
原審の確定した事実によれば、被上告人のした本件解除権の行使をもつて権利の濫用であるとはいえないとした原審の判断は、正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
上告人の上告理由について。
所論は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定を争うものにすぎないところ、原判決に所論の違法は認められない。それゆえ、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・建物所有を目的とする土地の賃貸借契約中に、賃借人が賃貸人の承諾を得ずに建物を増改築したときは無催告で解除することができる特約があった場合において、賃借人が賃貸人の承諾を得ないで増改築しても、この増改築が賃貸人に対する信頼関係を破壊するおそれがあると認めるに足りないときは、賃貸人は特約に基づき解除権を行使することはできない!!!
+判例(S41.4.21)
上告代理人松井邦夫の上告理由一、二について。
一般に、建物所有を目的とする土地の賃貸借契約中に、賃借人が賃貸人の承諾をえないで賃借内の建物を増改築するときは、賃貸人は催告を要しないで、賃貸借契約を解除することができる旨の特約(以下で単に建物増改築禁上の特約という。)があるにかかわらず、賃借人が賃貸人の承諾を得ないで増改築をした場合においても、この増改築が借地人の土地の通常の利用上相当であり、土地賃貸人に著しい影響を及ぼさないため、賃貸人に対する信頼関係を破壊するおそれがあると認めるに足りないときは、賃貸人が前記特約に基づき解除権を行使することは、信義誠実の原則上、許されないものというべきである。
以上の見地に立つて、本件を見るに、原判決の認定するところによれば、第一審原告(脱退)Aは被上告人に対し建物所有の目的のため土地を賃貸し、両者間に建物増改築禁止の特約が存在し、被上告人が該地上に建設所有する本件建物(二階建住宅)は昭和七年の建築にかかり、従来被上告人の家族のみの居住の用に供していたところ、今回被上告人はその一部の根太および二本の柱を取りかえて本件建物の二階部分(六坪)を拡張して総二階造り(一四坪)にし、二階居宅をいずれも壁で仕切つた独立室とし、各室ごとに入口および押入を設置し、電気計量器を取り付けたうえ、新たに二階に炊事場、便所を設け、かつ、二階より直接外部への出入口としての階段を附設し、結局二階の居室全部をアパートとして他人に賃貸するように改造したが、住宅用普通建物であることは前後同一であり、建物の同一性をそこなわないというのであつて、右事実は挙示の証拠に照らし、肯認することができる。
そして、右の事実関係のもとでは、借地人たる被上告人のした本件建物の増改築は、その土地の通常の利用上相当というべきであり、いまだもつて賃貸人たる第一審査原告(脱退)Aの地位に著しい影響を及ぼさないため、賃貸借契約における信頼関係を破壊するおそれがあると認めるに足りない事由が主張立証されたものというべく、従つて、前記無断増改築禁止の特約違反を理由とする第一審原告(脱退)Aの解除権の行使はその効力がないものというべきである。
しからば、賃貸人たる第一審原告(脱退)Aが前記特約に基づいてした解除権の行使の効果を認めなかった原審の判断は、結局正当というべきであり、諭旨は、ひつきよう失当として排斥を免れない。


刑法 刑法各論 傷害の罪 身体の安全に対する罪


一.傷害罪の構成要件
1.傷害罪の保護法益
(1)暴行・障害・傷害致死

+(傷害)
第204条
人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

+(傷害致死)
第205条
身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。

・傷害致死罪では、生命の侵害を理由として加重処罰されるため、身体の安全だけでなく、個人の生命も保護法益となる。

・反対に、犯人が意図した傷害の結果が生じなかった場合は、暴行罪(208条)が成立する!

(2)傷害罪の特例
・特異な共犯形態について
+(現場助勢)
第206条
前2条の犯罪が行われるに当たり、現場において勢いを助けた者は、自ら人を傷害しなくても、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。

+(同時傷害の特例)
第207条
2人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。

・集団犯罪(多衆犯)
+(凶器準備集合及び結集)
第208条の3
1項 2人以上の者が他人の生命、身体又は財産に対し共同して害を加える目的で集合した場合において、凶器を準備して又はその準備があることを知って集合した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
2項 前項の場合において、凶器を準備して又はその準備があることを知って人を集合させた者は、3年以下の懲役に処する。

・他にも・・・
+(危険運転致死傷)
第208条の2
1項 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2項 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

2.障害という概念

・生理的機能の障害とみる見解。

・他人の毛髪やひげのように、せいぜい、保護装飾の作用を営むものを切断したり、そり落とした場合にも、被害者の健康状態を不良に変更するわけでもなく、その生理的機能を棄損しないため、暴行罪に当たる!!

+判例(H17.3.29)
理由
弁護人〓昌章の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案の異なる判例を引用するものであって本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。
なお、原判決の是認する第1審判決の認定によれば、被告人は、自宅の中で隣家に最も近い位置にある台所の隣家に面した窓の一部を開け、窓際及びその付近にラジオ及び複数の目覚まし時計を置き、約1年半の間にわたり、隣家の被害者らに向けて、精神的ストレスによる障害を生じさせるかもしれないことを認識しながら、連日朝から深夜ないし翌未明まで、上記ラジオの音声及び目覚まし時計のアラーム音を大音量で鳴らし続けるなどして、同人に精神的ストレスを与え、よって、同人に全治不詳の慢性頭痛症、睡眠障害、耳鳴り症の傷害を負わせたというのである。以上のような事実関係の下において、被告人の行為が傷害罪の実行行為に当たるとして、同罪の成立を認めた原判断は正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

++解説
《解  説》
1 本件は,住宅街での隣人による騒音について,傷害罪の成否が争われた事件である。事案の概要は決定に要約されているとおりであり,被告人は,自宅から隣家の被害者らに向けて,ラジオの音声や目覚まし時計のアラーム音を,約1年半の間にわたり,連日早朝から深夜・未明まで鳴らし続けるなどして,同人に精神的ストレスを与え,よって,同人に全治不詳の慢性頭痛症等の障害を負わせたとして,傷害罪により起訴された。
1審判決等によると,被告人と被害者は共に主婦であるが,両家の間にはかねてから確執があり,被告人は,嫌がらせのため,隣家に向けてラジオ音等を流し始め,起訴に係る当時は,ラジオを連日朝7~8時から翌午前1~2時まで継続的に大音量で鳴らし,その間や未明に複数の目覚まし音も断続的に鳴らし,家族や警察官の制止も一切きかないという状態であり,隣家でも在宅時間が最も長い被害者に,上記のような症状が生じたものである。その音量の最大値は,地下鉄や電車の車内等の騒音に匹敵すると認定されている。
被告人は,公判で,その行為は暴行の実行行為にも傷害の実行行為にも当たらず,暴行の故意も傷害の故意もないなどと主張したが,1審判決(判時1854号160頁),控訴審判決共に,暴行によらない傷害の実行行為に該当し,その故意もあるとして傷害罪の成立を認め,本決定も,その結論を是認した。
2 本決定は,事例として,無形的方法による傷害罪,すなわち暴行によらない傷害罪の成立を是認したものである。傷害罪は,有形的方法,すなわち「人の身体に対する有形力の行使」である暴行を手段としてなされるのが通例であり,この場合には,暴行について故意があれば,結果的加重犯としての傷害罪が成立する。しかし,傷害罪の実行行為は,条文上「人の身体を傷害」すると規定されているだけで(刑法204条),その手段・方法に制限はなく,無形的方法による傷害も認めるのが判例・通説とされており,現に,最二小判昭27.6.6刑集6巻6号795頁,判タ22号46頁は,「傷害罪は他人の身体の生理的機能を毀損するものである以上,その手段が何であるかを問わない」として,他人に性病を感染させた場合に傷害罪の成立を認めている。この無形的方法による傷害の場合,被告人の行為に傷害の結果発生の現実的危険性がなければ傷害の実行行為とはいえないこと,傷害の結果発生について認識がなければ傷害罪の故意が認められないことは,通常の犯罪の実行行為,故意と同様である。
騒音の場合も,騒音そのものが暴行に当たれば結果的加重犯としての傷害罪が成立し得るが,1審判決は,本件の騒音の程度が被害者の身体に物理的な影響を与えるものとまではいえず,暴行に当たらないとした上で,傷害罪の実行行為は,人の生理的機能を害する現実的危険性があると社会通念上評価される行為であって,そのような生理的機能を害する手段については限定がなく,無形的方法によることも含むとし,被告人の行為は,その期間,時間帯,騒音の程度等に照らすと,被害者に対して精神的ストレスを生じさせ,睡眠障害等の症状を生じさせる現実的危険性のある行為と評価できるから,傷害の実行行為に当たり,その未必的故意もあるとして傷害罪の成立を認め,控訴審判決,本決定もこれを支持している。

3 騒音が暴行と認められた先例として,多数名が室内の被害者の間近で大太鼓等を連打した事例である最二小判昭29.8.20刑集8巻8号1277頁のほか,拡声器を被害者の耳の近くにあてて大声を出し,感音性難聴の傷害を負わせた事例である大阪高判昭59.6.26高検速報昭和59年6号37頁等があり,これらはまさに音波を物理的な空気振動として利用したと見られる場合である。これに対して,通常言われるところの「騒音」は,音としての物理力は弱く,これを暴行と見ることは,暴行の通常の語義から離れ,日常の生活騒音なども暴行に当たりかねない問題があるように思われる(大塚仁ほか編・大コンメンタール刑法(8)251頁〔渡辺咲子〕)。しかし,このような騒音も,過大・不快なもので,長時間反復されるときは,聞く者に精神的ストレスを生じさせ,生理的障害をも引き起こす危険がある行為として,無形的方法による傷害の実行行為に当たり得るものと思われる。ここでの傷害を引き起こす危険性の有無は,音量,音質,時間帯,期間のほか,行為者と被害者の関係や流された経緯等を斟酌して総合的に判断する必要があり,実務上は,上記の危険性を中心とする傷害としての実行行為性のほか,具体的な傷害の結果発生,傷害の故意,因果関係等が争点となり,微妙な認定や判断が要求される場合が多くなるように思われる。本件の1審判決においても,実行行為性の判断に当たって騒音の実測値が詳細に検討され,故意の判断に当たっては,被告人がラジオ等を置いた状況,家族や警察官から受けた警告,被害者との確執等の状況が相当具体的に認定されている。
このような無形的方法による傷害に関する先例は極めて少なく,最高裁判例としては上記最二小判昭27.6.6しかなく,下級審でも,無言電話・嫌がらせ電話等の事例が散見されるほかは(東京地判昭54.8.10判時943号122頁,富山地判平13.4.19判タ1081号291頁,東京地判平16.4.20判時1877号154頁等),被害者宅の周辺を徘徊して怒号するなどの嫌がらせ行為を繰り返して不安及び抑うつ状態に陥れた事例が見られる程度である(名古屋地判平6.1.18判タ858号272頁)。

4 民事事件における騒音問題は,大型の公害・環境訴訟だけでなく,近隣住民間の差止めや損害賠償請求の裁判例も多く,受忍限度論の一場面として議論が深められてきたが,刑事事件としては,基本的に隣人間のトラブルとして警察も介入せず,立件されることも少なかったようである。また,騒音の値に関する公的な規制として,騒音規制法,環境基本法(環境基準,規制基準),風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律,これらを受けた都道府県の条例等に規定があり,本件の1審判決でも,測定された騒音値が規制の基準を超えていたことが認定されているが,これらの公的な基準は,基本的には特定業種の事業者や特定種類の騒音等に向けられた規制や国等の施策目標であり,本件のような近隣騒音等を規制するものではない。そして,騒音に関して端的な処罰規定を設けているものとしては,軽犯罪法1条14号程度しか見当たらない。
しかし,昨今は,本件のほかにも,近隣に対し,長年にわたり騒音を出し続けるという異常な行為に出て傷害で検挙されるなどの報道が相次いでいる。本件も,異常な騒音の内容・態様等に加え,懲役1年の実刑という量刑判断が注目されていた。本件を含め,いずれも,被害者が仮処分や損害賠償請求等に訴えても行為者がやめないなど,民事上の手段による解決が困難なケースであり,刑事事件としての立件も視野に入れざるを得ない事案が現れる時代となっているようである。

5 本件は,このように,社会的にも注目を集めている近隣騒音に関する刑事事件につき,先例の乏しい無形的方法による傷害罪の成立を認めたものであり,これをきっかけとして,今後,暴行や無形的方法による傷害に関し,改めてその意義や成立範囲等が議論されることが期待される。

+判例(S27.6.6)
理由
弁護人堂野達也の上告趣意第一点について
しかし、傷害罪は他人の身体の生理的機能を毀損するものである以上、その手段が何であるかを問はないのであり、本件のごとく暴行によらずに病毒を他人に感染させる場合にも成立するのである。従つて、これと見解を異にする論旨は採用できない(所論引用の判例は暴行を手段とした傷害の案件に関するものであつて、本件には適切でない。)
同第二点について
性病を感染させる懸念あることを認識して本件所為に及び他人に病毒を感染させた以上、当然傷害罪は成立するのであるから論旨は理由なき見解というべく、憲法違反の問題も成立する余地がない。
よつて刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

+判例(S32.4.23)
理由
弁護人今長高雄の上告趣意第一点について。
所論は、原判決の傷害の解釈を非難し大審院判例に違反すると主張する。しかし原判決が、刑法にいわゆる傷害とは、他人の身体に対する暴行によりその生活機能に障がいを与えることであつて、あまねく健康状態を不良に変更した場合を含むものと解し、他人の身体に対する暴行により、その胸部に疼痛を生ぜしめたときは、たとい、外見的に皮下溢血、腫脹又は肋骨骨折等の打撲痕は認められないにしても、前示の趣旨において傷害を負わせたものと認めるのが相当であると判示したのは正当であつて誤りはない。所論引用の各判例は、いずれも前示と同趣旨に帰する判断を示しているものであるから、判例違反というは全く当らない。所論は結局原審の正当にした証拠の取捨判断ないし事実認定を非難するに、判例違反の名をもつてするにすぎず、採用のかぎりでない。
同二点について。
所論は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らないのみならず、第一点について説示したとおり原判決の判断に誤りはない。
同第三点(原本に第二点とあるが誤記と認める)について。
所論は、判例違反をいうが、実質は、量刑不当を主張するにすぎない。そして原審の量刑に不当のかどはない。また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

+判例(S46.2.2)キスマーク事件
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小山隼太および被告人本人提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。
弁護人の控訴趣意第一、二点について
所論は、原判決が被告人において被害者の左乳房部に、いわゆるキスマークと称される、吸引による皮下出血を加えたことをもつて強姦致傷罪にいう傷害と解したことを非難するが、原審証人A、同Bの各供述によれば、本件の二個のいわゆるキスマークは、被害者の左乳房のやや上部にあるものは長さ約二・二センチメートル、幅の一番広いところ約一・二センチメートル、二個の乳房間のやや左よりにあるものは長さ約二・ニセンチメートル、幅の一番広いところ約〇・二センチメートルの楕円形もしくは偏平状の各吸引性皮下出血で、通例のキスマークであれば四日ないし一週間で消退するのに、この場合は一〇日間もかかつたことが認められるのであるから、本件のキスマークは、相当に強度の皮下出血であつたというべきであつて、人体の生活機能に障害を与え、その健康状態を不良に変更したものであることは明らかであり、また被害者本人がこれを自覚せず、一般の日常生活において看過するごとき軽微なものであつたともいえない。従つて原判決が右のキスマークをもつて強姦致傷罪にいう傷害に当たるとしたのは正当であつて、所論は採用することができない。 ((笑))
次に所論は、右キスマークは姦淫行為とは別に独立した行為によつてつけられたものであるから、強姦致傷罪を構成するものではないと主張するが、強姦致傷罪における傷害は、姦淫行為自体または強姦の手段たる暴行脅迫行為によつて生じたものに限らず、強姦行為に随伴する行為によつて発生したものをも含むと解すべきところ、原判決挙示の関係証拠並びに当審における事実取調の結果によれば、被告人は第一回目の姦淫が行なわれてから、暫く時間をおいた後に、被害者に畏怖の状態がつづいている情況のもとで第二回目の姦淫がはじまる直前に、自己の性欲を昂進させるためしいて本件のキスマークをつけたことが認められるから、右の傷害は第二回目の姦淫行為に随伴する行為によつて生じたものというべく、原判決がこれに強姦致傷罪の擬律をしたのは正当である。
従つて論旨は、すべて採用することができない。

+判例(H24.1.30)
弁護人門馬博ほかの上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。
  なお,所論に鑑み,職権で判断する。
原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば,被告人は,大学病院内において,フルニトラゼパムを含有する睡眠薬の粉末を混入した洋菓子を同病院の休日当直医として勤務していた被害者に提供し,事情を知らない被害者に食させて,被害者に約6時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせ,6日後に,同病院の研究室において,医学研究中であった被害者が机上に置いていた飲みかけの缶入り飲料に上記同様の睡眠薬の粉末及び麻酔薬を混入し,事情を知らない被害者に飲ませて,被害者に約2時間にわたる意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせたものである。
所論は,昏酔強盗や女子の心神を喪失させることを手段とする準強姦において刑法239条や刑法178条2項が予定する程度の昏酔を生じさせたにとどまる場合には強盗致傷罪や強姦致傷罪の成立を認めるべきでないから,その程度の昏酔は刑法204条の傷害にも当たらないと解すべきであり,本件の各結果は傷害に当たらない旨主張する。しかしながら,上記事実関係によれば,被告人は,病院で勤務中ないし研究中であった被害者に対し,睡眠薬等を摂取させたことによって,約6時間又は約2時間にわたり意識障害及び筋弛緩作用を伴う急性薬物中毒の症状を生じさせ,もって,被害者の健康状態を不良に変更し,その生活機能の障害を惹起したものであるから,いずれの事件についても傷害罪が成立すると解するのが相当である。所論指摘の昏酔強盗罪等と強盗致傷罪等との関係についての解釈が傷害罪の成否が問題となっている本件の帰すうに影響を及ぼすものではなく,所論のような理由により本件について傷害罪の成立が否定されることはないというべきである。
したがって,本件につき傷害罪の成立を認めた第1審判決を維持した原判断は正当である。
よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

+(昏酔強盗)
第239条
人を昏酔させてその財物を盗取した者は、強盗として論ずる。

+(準強制わいせつ及び準強姦)
第178条
1項 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。
2項 女子の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、姦淫した者は、前条の例による。

++解説
調べておく!

+判例(H24.7.24)

 弁護人長谷川紘一,同水野泰孝の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 なお,所論に鑑み,職権で判断する。
 原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば,被告人は,本件各被害者を不法に監禁し,その結果,各被害者について,監禁行為やその手段等として加えられた暴行,脅迫により,一時的な精神的苦痛やストレスを感じたという程度にとどまらず,いわゆる再体験症状,回避・精神麻痺症状及び過覚醒症状といった医学的な診断基準において求められている特徴的な精神症状が継続して発現していることなどから精神疾患の一種である外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)の発症が認められたというのである。所論は,PTSDのような精神的障害は,刑法上の傷害の概念に含まれず,したがって,原判決が,各被害者についてPTSDの傷害を負わせたとして監禁致傷罪の成立を認めた第1審判決を是認した点は誤っている旨主張する。しかし,上記認定のような精神的機能の障害を惹起した場合も刑法にいう傷害に当たると解するのが相当である。したがって,本件各被害者に対する監禁致傷罪の成立を認めた原判断は正当である。
 よって,刑訴法414条,386条1項3号,181条1項ただし書,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。 
++解説
調べておく!
3.傷害罪と暴行罪
・結果的加重犯の側面もあるため、傷害罪には、暴行の故意があればよいとされる。
+判例(S25.11.9)
弁護人杉本粂太郎の上告趣意第一点について。
しかし、原判決挙示の証拠を綜合すれば原判決の認定を肯認することができる。そして傷害罪は結果犯であるから、その成立には傷害の原因たる暴行についての意思が存すれば足り、特に傷害の意思の存在を必要としないのである。されば、仮りに、所論のように被告人には被害者に傷害を加える目的をもたなかつたとしても、傷害の原因たる判示の暴行についての意思が否定されえない限り、原判決には所論のような理由不備の違法は存しない。論旨は理由がない。
同第二点について。
被害者が打撲傷を負うた直接の原因が過つて鉄棒に躓いて顛倒したことであり、この顛倒したことは被告人が大声で「何をボヤボヤしているのだ」等と悪口を浴せ矢庭に拳大の瓦の破片を同人の方に投げつけ、尚も「殺すぞ」等と怒鳴りながら側にあつた鍬をふりあげて追かける気勢を示したので同人は之に驚いて難を避けようとして夢中で逃げ出し走り続ける中におこつたことであることは判文に示すとおりであるから、所論のように被告人の追ひ掛けた行為と被害者の負傷との間には何等因果関係がないと解すべきではなく、被告人の判示暴行によつて被害者の傷害を生じたものと解するのが相当である。されば、原判決には所論のような法律を誤解して事実を認定した違法は存しない。論旨は理由がない。
よつて旧刑訴四四六条に従ひ裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

・暴行罪と傷害罪は、犯人が暴行の故意又は障害の故意のいずれであっても、客観的に障害の結果を発生させたかで区別。

二.暴行罪と傷害致死罪
1.暴行罪の成立要件
・暴行とは不法な有形力の行使をいうが、暴行罪では、直接に人の身体に向けられた有形力の行使でなければならない(狭義の暴行)!!

・その性質上、当然に障害の結果を引き起こすものである必要はなく、人の身体に対する不法な攻撃方法の一切が含まれる!
+判例(S39.1.28)
理由
弁護人稲本錠之助の上告趣意第一点及び第二点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない(なお、原判決が、判示のような事情のもとに、狭い四畳半の室内で被害者を脅かすために日本刀の抜き身を数回振り廻すが如きは、とりもなおさず同人に対する暴行というべきである旨判断したことは正当である)。同第三点は、事実誤認、量刑不当の主張であつて同四〇五条の上告理由に当らない。
また記録を調べても同四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

+判例(S25.6.10)
調べておく
←人体に向けられた投石、自動車の幅寄せとか

+暴行の概念
・最広義の暴行=物理的有形力の行使全般をいう(対物暴行を含む。騒乱罪など)

・広義の暴行=およそ人に向けられたもの(間接暴行を含む。公務執行妨害罪など)

・狭義の暴行=直接に人の身体に向けられたもの(暴行罪)

・最狭義の暴行=相手方の反抗を抑圧する程度のもの(強盗罪・強姦罪)

2.傷害致死罪の成立要件
成立要件は、犯人の傷害行為から被害者の死亡結果が生じた事であるが、この加重結果には、暴行・傷害と相当因果関係がなければならない!(判例は条件関係)

+判例(S49.7.5)
要旨
被告人が被害者を地上に突倒し同人の大腿部、腰部等を地下足袋で数回踏付けるなどの暴行を加え、同人に対し左血胸(胸腔内血液貯留)、左大腿打撲症の傷害を負わせたところ、同人の胸腔内貯留液を消滅させるため医師が投与した薬剤の作用により、かねて同人の体内にあった未知の乾酪型の結核性病巣が滲出型に変化し、これが炎症を惹起して左胸膜炎を起こし、これに起因する心機能不全のため同人が死亡した場合において、被告人の暴行と被害者の死亡との間には因果関係がある


憲法択一 人権 基本的人権の原理 人権の享有主体性 キャサリーン 指紋 岐阜 など


・判例によれば、国際慣習法上、外国人に対する入国の許否は、国家の自由裁量によると考えられており、外国人に入国の事由は憲法上保障されないので、特別の条約が存在しない限り、国家は外国人の入国を許可する義務を負わない!

+22条
1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

+判例(S32.6.19)
弁護人三浦徹の上告趣意第一点について。
所論は、憲法二二条は当然に外国人が日本国に入国する自由をも保障しているものと解すべきであるから、外国人登録令三条、一二条は、憲法二二条に違反する旨主張する。
よつて案ずるに、憲法二二条一項には、何人も公共の福祉に反しない限り居住・移転の自由を有する旨規定し、同条二項には、何人も外国に移住する自由を侵されない旨の規定を設けていることに徴すれば、憲法二二条の右の規定の保障するところは、居住・移転及び外国移住の自由のみに関するものであつて、それ以外に及ばず、しかもその居住・移転とは、外国移住と区別して規定されているところから見れば、日本国内におけるものを指す趣旨であることも明らかである。そしてこれらの憲法上の自由を享ける者は法文上日本国民に局限されていないのであるから、外国人であつても日本国に在つてその主権に服している者に限り及ぶものであることも、また論をまたない。されば、憲法二二条は外国人の日本国に入国することについてはなにら規定していないものというべきであつて、このことは、国際慣習法上、外国人の入国の許否は当該国家の自由裁量により決定し得るものであつて、特別の条約が存しない限り、国家は外国人の入国を許可する義務を負わないものであることと、その考えを同じくするものと解し得られる。従つて、所論の外国人登録令の規定の違憲を主張する論旨は、理由がないものといわなければならない。

同第二点について。
論旨は量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
記録を調べても、本件につき刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。
この裁判は、裁判官斎藤悠輔の補足意見並びに裁判官真野毅、同小林俊三、同入江俊郎、同垂水克己の意見がある外、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官斎藤悠輔の上告趣意第一点についての補足意見は、次のとおりである。
所論は、原審で主張がなく、従つて、原判決はそれにつき何等の判断をも示していない。従つて、所論は、原判決に刑訴四〇五条一号後段にいわゆる憲法の解釈に誤があることを理由とするものということはできない。また、原判決は、事後審として単なる法令違反、量刑不当を理由とする控訴を棄却しただけで、所論外国人登録令の規定を適用したわけではないから、原判決に刑訴四〇五条一号前段にいわゆる憲法の違反があることを理由とする場合に当るものともいえない。されば、所論は、上告適法の理由として採用することはできない。

+意見
裁判官真野毅の上告趣意第一点に対する意見は次のとおりである。憲法二二条一項は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転……の自由を有する」と定めている。この規定の保障を受ける者は、日本国民に限定されているわけではなく、「何人も」本条の保障を受けるのである。すなわち外国人もまた本条の保障をうける。ここまでの考え方は多数意見と同様である。
そこで多数意見は、本条の保障は日本国内における居住・移転のみに限るとしているが、わたくしはその居住・移転という中には入国も当然含まれている趣旨であると解するを相当だと考える。旅行その他で海外に滞在していた日本国民が帰つて来て入国する場合及び海外にあつて日本の国籍を取得した日本国民が初めて入国する場合において、入国の自由は、本条によつて憲法上当然保障されているとするが相当であり、またそうしなければならぬ。けだし、国内だけの居住・移転の自由については憲法上の保障があるが、入国の自由については憲法上の保障がないとすることは、著しく物の均衡を害し条理に反することとなるからである。
右のように日本国民の入国について本条の保障があると解する以上、外国人の入国についても同様に本条の保障があるとしなければならぬことは、当初に述べたとおりである。かように憲法は、近代的な国際交通自由の原則の立場を採つたことを示している(世界人権宣言一三条参照)。しかし、同時に憲法は、公共の福祉を保つ見地から前記自由に適当の制限を立法上加えうることを定めている。そして所論の外国人登録令の規定は、公共の福祉を保つために設けられたものであつて、合憲性を有するものと解すべきである。それ故、違憲の論旨は採ることをえない。

+意見
裁判官小林俊三、同入江俊郎の意見は次のとおりである。
われわれは、上告趣意第一点に対する判断について多数意見と結論を同じくするものであるが、その理由の基くところを異にするので、ここに意見を述べる。
いずれの国の憲法も、その国の根本法規としての基盤となる基本的な理想又は原理というものを何らかの言葉で示しているのを常とする。かかる理想又は原理は、その国の憲法の条規を解釈するに当りまず立つべき前提であつて、これを離れることは許されないものと考えなければならない。わが国の憲法は、その成立過程についてとかくの論議はあるにしても、すでに根本法として存立する以上、その中に盛られた基本的な理想や原理は最大の尊重を払わなければならない。そこで通常わが憲法の基本的原理といわれる国民主権、恒久平和、基本的人権尊重の三つの理想に通じて根底に横わるものは、人類普遍の原理ということであり、またかくして国境を越え世界を通じて恒久平和を達成せんとする念願でもある。これらのことは憲法の前文によつて明らかであり、特に自ら「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ことを宣言していることからも確認することができる。この趣旨から考えてみると、わが憲法は、外国人の権利義務についても、正常の国際関係に立つかぎり、わが国民としての地位と相容れないものを除くのほか、できるかぎりこれをひとしくしようとする原則に立つていると見なければならない。従つて憲法の条規中「何人も」とある場合は、常にこの趣旨を念頭に置いて解することを要するのである。
ところで多数意見は、本件について憲法二二条の保障するところを解して、居住、移転及び外国移住の自由のみに関するものであつて、それ以外には及ばず、そして居住、移転とは日本国内におけるものを指すといい、また同条は、外国人の日本国に入国することについてはなにら規定していないのであつて、このことは、国際慣習法上外国人の入国の許否は、その国家の自由裁量の事項であつて、国家は外国人の入国を許可する義務を負わないという考え方と趣旨を同じくすると判示している。しかしながら、まず居住、移転の保障を日本国内にのみ限るという解釈は、右同条がこれら二つを外国移住と区別して規定していることを主たる理由としているが、わが国民で海外に旅行し又は居住していた者が帰国することは、すなわち入国であつて、この自由が右同条の保障に含まれないと解することは、国民が一たん海外に出るときは帰国については憲法の保障を欠くこととなり著しき背理たるを免れない。このことは海外にあつて日本の国籍を取得した者が、わが国に入国する場合においても同様である。このような結論は多数意見もおそらく是認しないところであろう。しかし多数意見の判文が前記のように解されるのは、後段において外国人の入国の保障を否認する立場をとつたために、文理のみによつて「入国」そのものをことさらに無視した結果生じた表現であろう。本来入国ということは、条理の上からいつても、外国移住についてはもちろん、外国との関連において考えるかぎり、居住、移転についても、通常その観念の半面に存するものであつて、これを除外すべき特段の理由は認められない。特に世界各国民の交通が著しく頻繁容易となり、地球が狭少となつたといわれる現状において、「入国」という辞句のないことをもつて除外の理由とするのは、ことさらに条理を無視するのそしりを免れないであろう。このように前記法条が、当然「入国」を含むと解すべきものである以上、本件の問題はただ「何人も」の解釈によつて定まるものといわなければならない。そこで冒頭にくりかえし強調したわが憲法の基本的原理は、ここにおいても当然前提として考慮せらるべきものであつて、その結論はおのずから明らかであろう。すなわち本条の「何人も」のうちには外国人を含むと解してもわが国民の地位と相容れないものではないこというまでもなく、従つて外国人も入国についてわが国民と同じ保障を受ける地位に立つという原則をまず是認しなければならないのである。多数意見のように旧来の「国際慣習法上」という前提によりたやすく外国人の入国を憲法の保障外に置くことは、新しき理想を盛つたわが憲法の基本的原理を全く無視するものといわなければなるまい。しかしこれまでは原理であつて、かかる基本的考え方に立つた上、なお国家対立の現状にかんがみ、その後に生ずる第二次の問題はおのずから別である。すなわち各国民が各自国家を形成し、窮極の理想は別として第一段においては、それぞれまず自国民の福祉を保持することを先とする現実において、それぞれの憲法が公共の福祉を保持するため外国人の入国について特定の制限をすることは認めらるべきであつて、わが憲法ももとよりこの趣旨を除外するものではない。本件外国人登録令の規定は、右の趣旨に基き定められたものと認められるのであつて、単に外国人の入国を制限しているということだけで、その違憲をいうのは当らず、違憲の論旨の採用できないこと多数意見と結論を同じくする。ただわれわれの意見としては、多数意見が、無条件に外国人の入国は、本来わが国の自由に制限し得る事項であるという原則に立つ点において見解を異にするのであつて、現行憲法の解釈としては、いわゆる「国際慣習法上」なる前提に無批判に立脚することを、一たん脱却すべきものであると要請したいのである。

+意見
裁判官垂水克己の上告趣意第一点についての意見は次のとおりである。
憲法二二条は、出入国、居住、移転及び職業選択の自由については、日本国民に対しては公共の福祉に反しない限り広くこれを認め、また、外国人に対しても事柄の性質上当然日本国民と異る厳格な制約をつけうべきことを前提としつつ、しかも、公共の福祉に反しない限り僅かでもその自由を認める主義をとつたものと解せられる。この理由から、同条は在外日本国民には広い入国の自由を、また、国内日本国民並びに左留外国人には広い外国旅行、移住等出国の自由(及びわが国内に住所を有する外国人の外国旅行からの帰還の自由)を認めるものであつて、無制限にこれを拒否することはなく、また一般外国人の入国も全般的に永く禁止し鎖国するようなことはせず、ただ公共の福祉上暫定的にのみ禁止することができるとするもの、すなわち、外国人にも入国の自由を、どちらかといえば、認めるに傾いた主義をとつたもの、と考えられる。所論外国人登録令は、一定の台湾人、朝鮮人を同令の適用については当分の間これを外国人とみなす(一一条)とともに、外国人は、当分の間、本邦に入ることができないと定め(三条一項)その違反を処罰する(一二条)が、これらの規定は、わが史上空前の国内秩序の混乱、秩序維持力の弱体化、わが国と諸外国との国際関係の不安定、その他従前わが内地と深い関係のあつた外国地域に関係ある外国人等のわが国との取引往復の一般的要望その他占領下、終戦後の特殊事情に基き、相当程度国の平和秩序が回復するまでの間のために公共の福祉の必要から設けられた規定であると観られる。この理由から、所論の外国人登録令の規定は憲法二二条に違反せず、論旨は理由がないとせらるべきである。

・判例によれば、22条2項は、何人も、外国に移住する自由を侵されないと規定しており、ここにいう外国に移住する自由は、その権利の性質上外国人には保障しないという理由はない!!!

+判例(S32.12.25)

主文
第一審判決中被告人Aに関する有罪部分及び原判決中同被告人に関する部分を破棄する。
被告人Aを懲役六月に処する。
同被告人に対し第一審における未決勾留日数三〇日及び原審における未決勾留日数二八日を右本刑に算入する。
被告人Bの本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人Bの負担とする。
理由

被告人両名の弁護人長崎祐三の上告趣意(一)について。
論旨は原判決が被告人両名の本邦より朝鮮に出国しようとした所為を出入国管理令二五条二項、七一条によつて処罰したのは、憲法が与えた外国移住権を制限するものであるから、同法二二条二項に違反すると主張する。
しかし、憲法二二条二項は「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」と規定しており、ここにいう外国移住の自由は、その権利の性質上外国人に限つて保障しないという理由はない次に、出入国管理令二五条一項は、本邦外の地域におもむく意図をもつて出国しようとする外国人は、その者が出国する出入国港において、入国審査官から旅券に出国の証印を受けなければならないと定め、同二項において、前項の外国人は、旅券に証印を受けなければ出国してはならないと規定している。右は、出国それ自体を法律上制限するものではなく、単に、出国の手続に関する措置を定めたものであり、事実上かゝる手続的措置のために外国移住の自由が制限される結果を招来するような場合があるにしても、同令一条に規定する本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行うという目的を達成する公共の福祉のため設けられたものであつて、合憲性を有するものと解すべきである。よつて、所論は理由がない。

同(二)について。
憲法三七条一項にいわゆる「公平な裁判所の裁判」とは、偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもつ裁判所による裁判を意味するものであつて、所論のような場合をいうものでないことは、当裁判所の判例とするところであるから(昭和二二年(れ)四八号同二三年五月二六日大法廷判決、集二巻五号五一一頁)、論旨は採用できない。
被告人Bの弁護人松井佐の上告趣意は、事実誤認、訴訟法違反の主張を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて被告人Bに関する本件上告は刑訴四一四条、三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用は同一八一条一項を適用して同被告人に負担させるものとする。

被告人Aに対する福岡高等検察庁検事長宮本増蔵の上告趣意について。
未決勾留は公訴の目的を達するため、やむを得ず、被告人又は被疑者を拘禁する強制処分であつて、刑の執行ではないが、自由を奪う点から自由刑に近いから、人権保護の衡平の観念から刑法二一条は、未決勾留の日数の全部又は一部を本刑に算入することを認めているのである。しかし、刑の執行と勾留状の執行が競合している場合には、勾留の有無にかゝわらず被告人又は被疑者は刑の執行によつて拘禁を受けているのであつて、勾留は観念上存在するが、事実上は刑の執行による拘禁のみが存在するに過ぎない。すなわち、勾留によつて自由を拘束するのではないから人権保護の立場からいつても、かかる未決勾留の期間を本刑に通算する必要はなく、却つて、これを通算すれば一個の拘禁を以つて、二個の自由刑の執行を同時に行つたと同様となつて不合理な結果となり、被告人に不当な利益を与えることとなる刑法二一条はかゝる場合の未決勾留を本刑に通算することを認める趣旨とは解せられない
記録によると被告人Aは昭和二八年一月一三日関税法違反及び出入国管理令違反の現行犯として逮捕され、同月一八日長崎地方裁判所武生水支部裁判官が右と同一罪名の被疑事件について発した勾留状により壱岐地区警察署に勾留せられ、同年二月四日公判請求を受け、原審の昭和二八年一〇月二九日付保釈許可決定により同日釈放されるまで引続き勾留されていたこと並びに、同被告人は昭和二七年二月一九日長崎地方裁判所厳原支部において外国人登録令違反及び関税法違反の罪により懲役一〇月(昭和二七年政令一一八号減刑令により懲役七月一五日に減軽)に処せられ、右裁判は同年九月六日控訴が棄却されたことにより確定したため、同被告人は昭和二八年二月二日検察官の執行指揮により同日から右刑の執行を受け同年九月一六日右刑の執行を受け終つたものであることを認めることができる。しかるに、原判決及び第一審判決が同被告人に対し同被告人が刑の執行を受けている期間の未決勾留日数を本刑に算入する旨の言渡をなしたのは、前示の法理に照し違法であり、論旨援用の判例にも反するから、刑訴四一〇条一項により同被告人に対する原判決及び第一審判決中、同被告人に有罪を言渡した部分を破棄し、刑訴四一三条但書により被告事件について更に判決をなすべく、第一審判決の確定した事実(判示第三の事実)に法令を適用すると、被告人Aの判示所為は出入国管理令二五条二項、七一条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で同被告人を懲役六月に処し、第一審判決において本刑に算入した未決勾留日数三〇日中昭和二八年一月一八日から同年二月一日までの一五日を除くその余は被告人の前示刑の執行を受けている期間であるから、これを本刑に算入することは違法であるけれども、本件第一審判決に対しては、検察官の控訴なく、被告人のみの控訴であつてこれを不利益に変更することは許されないので、刑法二一条に則り、第一審における前記三〇日及び被告人が前記別件の刑の執行を受け終つた昭和二八年九月一六日の翌日から原判決言渡の前日たる同年一〇月一四日までの原審における未決勾留日数二八日を右本刑に算入すべきものとする。よつて主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官小谷勝重、同垂水克己、同河村大助、同下飯坂潤夫の左記意見があるほか裁判官の一致した意見である。

+意見
裁判官小谷勝重の弁護人長崎祐三の上告趣意(一)に対する意見は次のとおりである。
一 憲法二二条二項は、直接外国人の国外移住の自由を保障した規定とは解せられない。言いかえれば、本項の自由の保障はわが国民のみを対象とした規定と考える。
しかし、わが国内に居住する外国人がその本国への帰国のための出国は勿論、その他の外国へ移住することの自由が保障せらるべきであることは、右憲法同条同項の精神に照して明らかであるから、結局憲法同条同項の規定は外国人を対象とした規定ではないが、憲法の精神は外国人に対しても国民に対すると同様の保障を与えておるものと解すべきであると考える。
二 次に出入国管理令二五条二項は「……外国人は、旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない。」と規定するところであつて、外国人の出国それ自体を制限することを目的とした規定ではなく、単に出国の手続に関する規定であり、そして外国人の出入国に関する管理上必要の程度において当然な合理性を持つものである。けだし憲法が如何に国外移住の自由を保障すればとて、外国人のわが国よりの出国が自由放任の状態であつてはならないことは自明のことであり、右令二五条二項は(令七一条の制裁規定と共に)単なるこれが出国に関する手続措置の規定であることは前示規定自体に徴して明確である。すなわち令同条同項は多数意見のいうが如き「公共の福祉」のためにその憲法上の保障を制限する趣旨の規定とは解すべきではないと考える。
要するに、憲法の規定する「公共の福祉」による人権の制限は、事物当然の合理性を持つ規定を指すものではないと考えると同時に、憲法の規定する「公共の福祉」はこれを容易に拡張し若しくは利用して、憲法が保障する人権を制限するの具に供してはならないものと考える。
裁判官垂水克己の検事長上告趣意に関する意見は次のとおりである。
記録によると、被告人Aは本件での勾留状(及び勾留更新決定)により判示の年一月一三日から一〇月二九日(保釈釈放日)まで引き続き勾留されていたが、判示別件の確定判決により懲役一〇月(判示減刑令により懲役七月一五日に減軽)に処せられたため、右勾留期間の中間である二月二日から九月一六日までの間、土手町拘置支所でこの懲役刑の執行を受け終つたことになつている。これによると同被告人は二月二日から九月一六日までの間は同じ監獄内で刑事被告人としての処遇と懲役囚としての処遇とを重複して受けたこととされている。かような場合には、本人は、勾留被告人として、立会人なくして弁護人と接見する等(刑訴三九条)重要な防禦権を害されてはならず、また被告事件についての罪証を隠滅するような言動を許さるべきでないとともに、懲役囚として作業し教誨を受ける等の義務もなおざりにされてはならない筈である(これをなおざりにするときは懲役刑に処した判決の本旨に従う執行があつたといえない場合があり得るであろう)。本件被告人が右期間中これらの点について如何なる処遇を受けていたかは記録上判らない。(恐らく、大正一三年二月行刑局長通牒甲一八五号旧刑訴法実施についての注意事項六、七、八によつたであろう。被告人は勾留状により右土手町拘置支所の未決拘禁区において他の刑事被告人と分界拘禁され作業その他につき受刑者として処遇されたのであろう。)
しかし、いずれにしても、次のことがいえる。
(一)被告人が未決囚兼懲役囚として重複処遇を受けた期間中、未決拘禁区にあつて他の未決囚と分界拘禁され、衣食臥具の官給と教誨を受け、そして、弁護人との接見、信書発受について未決囚としての規制のみを受ける以外は懲役囚としての作業に服したのであるならば、これを適当な重複処遇というを妨げまい。けれども、この場合でも本人は一個の拘禁によつて懲役の義務と未決勾留の義務との双方を弁済するのであり、換言すれば、本件での勾留日数の一部は、実質上、別件での懲役刑に算入されたと同様の結果になる訳だから、この勾留日数を更に本件の本刑に算入することは失当に過ぎ許さるべきでない。(ちなみに、若し被告人が本件全事実につき無罪判決を受けたと仮定してもかような勾留日数に応ずる刑事補償金を交付すべきではなかろう。)
(二)また、若し右重複拘禁期間中、作業は殆んどせず、主として未決囚としての処遇を受けていたとすれば、それは懲役刑の不完全履行であつて、これを懲役刑を完了したものとしたことは不適当であつたというべきである。かような場合にも右期間を本件の本刑に算入することは全体的に考察すれば衡平でなく違法というべきであろう。
(三)反対に、右重複拘禁中主として懲役囚としての処遇を受けたとすれば、未決勾留は名義上だけのものに近いから、この場合にも右の期間を本件の本刑に算入することは、実質上、他事件の確定判決による懲役刑受刑日数を本件の本刑に算入すると同様の結果となり、本人に不当利益を与えるものといわねばならない。要するに、以上いずれの場合にせよ、本人は本件での勾留義務と他事件の確定判決による懲役服役義務とを一個の拘禁で果たしたようなものとして扱われたのであるから、本件勾留日数を更に本件本刑に算入することは刑法二一条の解釈上許さるべきでない。本判決が「これを通算すれば一個の拘禁をもつて二個の自由刑の執行を同時に行つたと同様となつて不合理な結果となり被告人に不当利益を与えることとなる」としたことは是認されるべきである。

+意見
裁判官河村大助、同下飯坂潤夫の弁護人長崎祐三の上告趣意(一)に対する意見は次のとおりである。
私共は憲法二二条二項は外国人には適用がないものと解する。憲法第三章の所謂権利宣言は、その表題の示すとおり国民の権利自由を保障するのが原則であつて、外国人に対しても凡ての権利自由を日本国民と同様に保障しようとするものではない。国民はすべて法の下に平等であることが保障されているが、その権利自由の性質いかんによつては法律で外国人を合理的な範囲で差別することも許されなければならないと考えられる。
ところで憲法二二条二項は外国移住及び国籍離脱の自由を保障しているのであるが、同条にいう「何人も」とは日本国民を意味し外国人を含まないものと解すべきである。かつては国民の兵役義務や国防関係等から国籍離脱の自由は相当の制限を受け、外国移住についても特別の保障はなかつたのであるが、近世に至つてかゝる自由を制限する必要もなくなつたのと国際的交通の発達に伴い、国民の海外移住とそれに伴う外国への帰化が盛んに行われるようになつて来た状勢に鑑み、また日本人を在来の鎖国的傾向から解放せんとする意図の下に、憲法は海外移住と国籍離脱の自由を保障することになつたものと解すべきである、即ち、同条は国籍自由の原則を認め国民は自国を自由に離れることを妨げられないことを保障されたものであるから、同条の外国移住は国籍離脱の自由と共に日本国民に対する自由の保障であることは、同条の成立に至るまでの沿革に徴しても明らである、従つて同条二項は外国人に適用がないものと解するを正当とする。なお同条一項の居住移転の自由には外国人の入国を含まないことは既に判例の存するところである(昭和三二年六月一九日大法廷判決)。然るに外国人の出国については同条二項に包含されると解するが如き、両者を別異に取扱うべき実質上の理由も存在しないものというべきである。
或は外国人の出入国について、その自由が憲法上保障されていないことになると国家はこれを自由に禁止制限することができ、憲法の理想とする平和主義国際主義に反するのではないかとの論を生ずるかも知れない。しかし、後に公布された平和条約前文にも「世界人権宣言の目的を実現するため努力」する旨が宣言され、その人権宣言では一三条及び一五条において国籍自由の原則や出国の自由が認められているのであるから、国家は出入国管理に関する法令を制定するに当つても、右条約及び人権宣言を尊重して合理的にして公正な管理規制が行わるべきであることは憲法九八条二項に照し明らかである。従つて憲法上の保障がないからと謂つて、外国人に対し国政上不当な取扱いをすることは考えられないのである。
要するに憲法二二条二項の「何人も」の中には外国人を含まないものと解すべきであり、被告人両名は外国人で同条項の外国移住の自由を保障された者でないから、論旨違憲の主張はその前提を欠き、理由がない。
裁判官田中耕太郎は差支につき評議に関与しない。
検察官 安平政吉出席

・判例によれば、国際人権B規約(自由権規約)第12条第4項の「自国に戻る」には、「定住国に戻る」ことの保障を含まないから、日本に定住する外国人の場合、憲法上外国へ一時旅行する自由は保障されない!!!
+判例(H4.11.16)森川キャサリーン事件
理由
上告代理人野本俊輔、同村上愛三の上告理由第一点について
我が国に在留する外国人は、憲法上、外国へ一時旅行する自由を保障されているものでないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和二九年(あ)第三五九四号同三二年六月一九日判決・刑集一一巻六号一六六三頁、昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違憲はない。論旨は採用することができない。
同第二点及び第三点について
原審の適法に確定した事実関係の下において、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説など補足しておく。

・13条により、個人の私生活上の自由として、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない事由を有し、この自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶ!!
+判例(H7.12.15)指紋押捺拒否事件
理由
一 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一三条違反をいう点について
所論は、我が国に在留する外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの。以下特に記載がない限り同じ)一四条一項、一八条一項八号は、みだりに指紋を採られない権利を保障する憲法一三条に違反すると主張する。
本件は、アメリカ合衆国国籍を有し現にハワイに在住する被告人が、昭和五六年一一月九日、当時来日し居住していた神戸市灘区において新規の外国人登録の申請をした際、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉に指紋の押なつをしなかったため、外国人登録法の右条項に該当するとして起訴された事案である。
指紋は、指先の紋様であり、それ自体では個人の表生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないが、性質上万人不同性、終生不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある。このような意味で、指紋の押なつ制度は、国民の私生活上の自由と密接な関連をもつものと考えられる。 !!!
憲法一三条は、国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対して保護されるべきことを規定していると解されるので、個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、同条の趣旨に反して許されず、また、右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶと解される(最高裁昭和四〇年(あ)第一一八七号同四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、最高裁昭和五〇年(行ッ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。
しかしながら、右の自由も、国家権力の行使に対して無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。
そこで、外国人登録法が定める在留外国人についての指紋押なつ制度についてみると、同制度は、昭和二七年に外国人登録法(同年法律第一二五号)が立法された際に、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できるものである。また、その具体的な制度内容については、立法後累次の改正があり、立法当初二年ごとの切替え時に必要とされていた押なつ義務が、その後三年ごと、五年ごとと緩和され、昭和六二年法律第一〇二号によって原則として最初の一回のみとされ、また、昭和三三年律第三号によって在留期間一年未満の者の押なつ義務が免除されたほか、平成四年法律第六六号によって永住者(出入国管理及び難民認定法別表第二上欄の永住者の在留資格をもつ者)及び特別永住者(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特号永住者)にっき押なつ制度が廃止されるなど社会の状況変化に応じた改正が行われているが、本件当時の制度内容は、押なつ義務が三年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。
右のような指紋押なつ制度を定めた外国人登録法一四条一項、一八条一項八号が憲法一三条に違反するものでないことは当裁判所の判例(前記最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決、最高裁昭和二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日大法廷判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。

二 弁護人松下宜且及び被告人本人の各上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点について
所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人を日本人と同一の取扱いをしない点で憲法一四条に違反すると主張する。しかしながら、在留外国人を対象とする指紋押なつ制度は、前記一のような目的、必要性、相当性が認められ、戸籍制度のない外国人については、日本人とは社会的事実関係上の差異があって、その取扱いの差異には合理的根拠があるので、外国人登録法の同条項が憲法一四条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二六年(あ)第三九一一号同三〇年一二月一四日大法廷判決・刑集九巻一三号二七五六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁)の趣旨に徴し明らかであり、所論は理由がない。

三 弁護人原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、憲法一九条違反をいう点について所論は、指紋押なつ制度を定めた外国人登録法の前記各条項は外国人の思想、良心の自由を害するもので憲法一九条に違反すると主張するが、指紋は指先の紋様でありそれ自体では思想、良心等個人の内心に関する情報となるものではないし、同制度の目的は在留外国人の公正な管理に資するため正確な人物特定をはかることにあるのであって、同制度が所論のいうような外国人の思想、良心の自由を害するものとは認められないから、所論は前提を欠く。

四 弁護人松下宜且、同原田紀敏、同熊野勝之の各上告趣意及び被告人本人の上告趣意のうち、その余の点は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
五 弁護人菅充行の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由に当たらない。
よって、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
本件は、在留外国人の指紋押なつ拒否事件の刑事上告審判決である。
一 本判決の要点
本判決は、指紋押なつ制度の合憲性に関して初めて最高裁の判断を示したものである。その要点は、次のようなものである。
①指紋押なつ制度について
「指紋は、指先の紋様であり、それ自体では個人の私生活や人格、思想、信条、良心等個人の内心に関する情報となるものではないが、性質上万人不同性、終生不変性をもつので、採取された指紋の利用方法次第では個人の私生活あるいはプライバシーが侵害される危険性がある。このような意味で、指紋の押なつ制度は、国民の私生活上の自由と密接な関連をもつものと考えられる。
②みだりに指紋の押なつを強制されない自由と憲法一三条の関係について
憲法一三条は、国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対して保護されるべきことを規定していると解されるので、個人の私生活上の自由の一つとして、何人もみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有するものというべきであり、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、同条の趣旨に反して許されず、また、右の自由の保障は我が国に在留する外国人にも等しく及ぶと解される。」
③外国人登録法の指紋押なつ制度の合憲性について
「右の自由も、国家権力の行使に対して無制限に保護されるものではなく、公共の福祉のため必要がある場合には相当の制限を受けることは、憲法一三条に定められているところである。
同制度は、昭和二七年に外国人登録法が立法された際に、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として制定されたもので、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定できるものである。また、その具体的な制度内容については、立法後累次の改正があり、社会の状況変化に応じた改正が行われているが、本件当時の制度内容は、押なつ義務が三年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。」
本判決は、以上のような判示をして、被告人について適用された外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号について、憲法一三条に違反するものでないと判断した。なお、この判断は、最大判昭44・12・24刑集二三巻一二号一六二五頁、最大判昭31・12・26刑集一〇巻一二号七六九頁の趣旨に徴したものである。

二 事案の概要
被告人は、日系の米国人宣教師であるが(上告審判決時にはハワイに在住)、本件は、被告人が、昭和五六年一一月九日、牧師活動をするため当時来日し居住していた神戸市灘区において新規の外国人登録の申請をした際、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉に指紋の押なつをしなかったため、外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条一項、一八条一項八号に該当するとして起訴された事案である。
在留外国人について指紋押なつ制度を定めた外国人登録法は、本件公訴提起後、数度の改正がなされ、昭和六二年の改正ではそれまで登録の切替えごとに課されていた押なつ義務が原則として最初の一回のみとされ、また、平成四年の改正では永住者及び特別永住者(いわゆる在日韓国・朝鮮人が含まれる)につき押なつ制度が廃止されており、さらに、昭和天皇崩御に伴う大赦で大半の同法違反事件が免訴となったこともあり、指紋押なつ拒否による刑事被告事件は、本件のような事例のみとなっていた。

三 争点
被告人、弁護人は、一審以来、指紋押なつ制度の合憲性を争い、右制度を定めた外国人登録法の条項につき、憲法一三条、一四条、一九条、三一条違反等を主張したが、特に、指紋押なつ制度がみだりに指紋を採られない権利を保障する憲法一三条に違反するという主張を主要な争点としてきた。
その論拠の要点は、次のようなものである。
①「みだりに指紋を採られない権利」は、憲法一三条の保障するプライバシーの権利に含まれ、個人の高度の精神的自由に属するから、これに対する制約原理は、いわゆる「厳格な基準」によらなければならない。
②指紋押なつ制度の立法目的は、在日外国人、特に在日韓国・朝鮮人に対する行動を監視しようとする治安目的、あるいは同化支配の目的にある。
③指紋押なつ制度は、外国人登録制度の正確性担保という目的には役に立っておらず、その必要性・合理性は認められない。
④指紋押なつ制度は、在日韓国・朝鮮人に対する同化政策の下で、アイデンティティ形成障害、精神的障害などの人権侵害をもたらしており、この影響は受忍限度を超えている。
一審(神戸地判昭61・4・24)及び原審(大阪高判平2・6・19)は、いずれも指紋押なつ制度の合憲性を肯定した。原審の判断については、本誌七四二号五五頁参照。

四 判例・学説
1 指紋押なつ制度の合憲性を直接判断した最高裁判例はこれまでなかったが、高裁、地裁の裁判例は、次のように相当数あり、いずれの事例でも結論として合憲性が肯定されている。
(刑事関係)
①横浜地判昭59・6・14本誌五三〇号二八二頁、刑月一六巻五:六号四四六頁
②東京地判昭59・8・29本誌五三四号九八頁、刑月一六巻七:八号六四五頁
③福岡地小倉支判昭60・8・23本誌五六五号一九九頁
④岡山地判昭61・2・25本誌五九六号八七頁
⑤神戸地判昭61・4・24本件一審、本誌六二九号二一二頁
⑥東京高判昭61・8・25判時一二〇八号六六頁
⑦福岡高判昭61・12・26本誌六二五号二五九頁
⑧大阪地判昭62・2・23本誌六四一号二二六頁
⑨東京地判昭63・1・29本誌六九一号二五〇頁
⑩名古屋高判昭63・3・16本誌六七四号二三八頁
⑪大阪高判昭63・11・29ジュリ九五一号カード
⑫大阪高判平2・6・19本原審、本誌七四二号五五頁
(民事関係)
⑬東京地判平1・4・28本誌六九四号一八七頁
⑭福岡地判平1・9・29本誌七一八号八一頁
⑮東京地判平2・3・13本誌七二三号九三頁
⑯横浜地川崎支判平2・11・29本誌七四四号二二〇頁
⑰東京高判平4・4・6本誌八〇七号二一二頁
⑱神戸地判平4・12・14本誌八一五号一五〇頁
⑲福岡高判平6・5・13本誌八五五号一五〇頁
⑳大阪高判平6・10・28判時一五一三号七一頁
2 ところで、関連する最高裁の判例として「みだりに容ぼう等を撮影されない自由と憲法一三条」についての判断を示した最大判昭44・12・24(いわゆる京都府学連事件)があり、前記の下級審の裁判例は、大半が右大法廷判例を引用し又はその趣旨に沿って、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」を、右大法廷判例の認めた「みだりに容ぼう等を撮影されない自由」と同様に、憲法一三条によって保護される個人の私生活上の自由の一つと解して、合憲性の判断をしている。その判断基準については、基本的に合理性の基準(制度目的の正当性、制度の必要性、規制の相当性等の審査)によっている(なお、裁量権の範囲か逸脱かの基準によっている一例がある)。
3 学説上、本テーマを取り上げた論文等では、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」の性格について、この自由をプライバシーの権利とみるか、あるいは自己に関する情報をコントロールする権利等とみるかについては議論があるが、右の自由が憲法一三条によって保障されるとする点に、異論は見当たらない。
ただ、その合憲性の判断基準については、前記各裁判例が合理性の基準によったものとみられるのに対して、より厳格な審査基準によるべきとする説が多い(芦部「憲法学Ⅱ人権総論」三八七頁、萩野・ジュリ八二六号二三頁、内野・法時五七巻五号二一頁、浦部・ジュリ九〇八号四五頁、江橋・法教五〇号九四頁、古川・ジュリ八三八号八頁、笹川・ジュリ八六六号一四一頁、横田・法研五六巻二号一頁等)。これは、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」がプライバシーの権利に近い性質のものと理解することによるものと思われる。なお、合理性の基準をとる説もある(橋本・「座談会、外国人登録制度と指紋押捺問題」ジュリ八二六号一八頁)。
ところで、結論として外国人登録法の指紋押なつ制度を違憲と断じる説は、少ない(前記浦部、横田説が違憲とする)。

五 本判決の意義
本判決には二つの意義があると考えられる。
一つは、「何人も個人の私生活上の自由の一つとしてみだりに指紋の押なつを強制されない自由を有し、国家機関が正当な理由もなく指紋の押なつを強制することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。」旨を判示して、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」が憲法一三条によって保護されることを明確にしたことである。
次に、このような考え方に立って、外国人登録法の指紋押なつ制度規定について、その立法目的には十分な合理性があり、かつ必要性も肯定でき、本件当時の制度内容も精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても一般的に許容される限度を超えない相当なものであったとして、憲法一三条に違反しないと判断したことである。
本判決は、判断方法を含め、本問題につきこれまで高裁、地裁の裁判例の大勢を占めていた判断を、基本的に是認するものといえよう。
外国人登録法は、累次の改正がなされた結果、現在では、指紋押なつ義務は永住者及び特別永住者については除外されており、この義務が課されるのは在留期間が一年を超える外国人につき原則として最初の一回のみとなっており、刑事罰則が適用されるのはごくまれになっている。
しかし、在留外国人の指紋押なつ制度を定めた外国人登録法一四条一項、一八条一項八号は、現在でも存置されており、その意味で本判決は、今後もなお、重要な意義をもつものと考えられる。

・憲法13条は、個人の私生活上の自由のひとつとして、指紋押捺を強制されない自由を保障しているが、公共の福祉のために必要がある場合には相当の制限を受ける。=権利の性質上外国人に対して制約があるわけではない!!!公共の福祉としての制約!!

・未成年者も日本国民である以上、当然に人権の享有主体である。ただ、憲法上、未成年者の人権を明文で制限している規定はある!
+15条
1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3項 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

・憲法第3章の人権規定は、未成年者にも当然適用される。(←第3章の表題にある「国民」に未成年が含まれることから)もっとも、人権の性質によっては、社会の構成員として成熟した人間を主として対象としており、それに至らないその保証の範囲や程度が異なることになる!
+15条
1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3項 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

+27条
1項 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2項 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3項 児童は、これを酷使してはならない

・本人の利益のために本人の権利を制限するというパターナリスティックな制約は、判断能力が不十分な未成年に対しては認められる。成年者に対しても認められる場合がある。
+精神保健及び精神障害者福祉に関する法律
(処遇)
第36条
1項 精神科病院の管理者は、入院中の者につき、その医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる
2項 精神科病院の管理者は、前項の規定にかかわらず、信書の発受の制限、都道府県その他の行政機関の職員との面会の制限その他の行動の制限であつて、厚生労働大臣があらかじめ社会保障審議会の意見を聴いて定める行動の制限については、これを行うことができない。
3項 第1項の規定による行動の制限のうち、厚生労働大臣があらかじめ社会保障審議会の意見を聴いて定める患者の隔離その他の行動の制限は、指定医が必要と認める場合でなければ行うことができない。

・地方公共団体の制定する青少年保護育成条例によって有害図書の流通を制約することは、未成年者に対する関係において、憲法第21条第1項に違反しない!
+21条
1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

+判例(H1.9.19)岐阜県青少年育成条例事件
理由
一 弁護人青山學、同井口浩治の上告趣意のうち、憲法二一条一項違反をいう点は、岐阜県青少年保護育成条例(以下「本条例」という。)六条二項、六条の六第一項本文、二一条五号の規定による有害図書の自動販売機への収納禁止の規制が憲法二一条一項に違反しないことは、当裁判所の各大法廷判例(昭和二八年間第一七一三号同三二年三月一三日判決・刑集一一巻三号九九七頁、昭和三九年(あ)第三〇五号同四四年一〇月一五日判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁、昭和五七年(あ)第六二一号同六〇年一〇月二三日判決・刑集三九巻六号四一三頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がない。同上告趣意のうち、憲法二一条二項前段違反をいう点は、本条例による有害図書の指定が同項前段の検閲に当たらないことは、当裁判所の各大法廷判例(昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日判決・民集四〇巻四号八七二頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がない。同上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点が理由のないことは、前記昭和六〇年一〇月二三日大法廷判決の趣旨に徴し明らかである。同上告趣意のうち、規定の不明確性を理由に憲法二一条一項、三一条違反をいう点は、本条例の有害図書の定義が所論のように不明確であるということはできないから前提を欠き、その余の点は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。

二 所論にかんがみ、若干説明する。
1 本条例において、知事は、図書の内容が、著しく性的感情を刺激し、又は著しく残忍性を助長するため、青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めるときは、当該図書を有害図書として指定するものとされ(六条一項)、右の指定をしようとするときには、緊急を要する場合を除き、岐阜県青少年保護育成審議会の意見を聴かなければならないとされている(九条)。ただ、有害図書のうち、特に卑わいな姿態若しくは性行為を被写体とした写真又はこれらの写真を掲載する紙面が編集紙面の過半を占めると認められる刊行物については、知事は、右六条一項の指定に代えて、当該写真の内容を、あらかじめ、規則で定めるところにより、指定することができるとされている(六条二項)。これを受けて、岐阜県青少年保護育成条例施行規則二条においては、右の写真の内容について、「一 全裸、半裸又はこれに近い状態での卑わいな姿態、二性交又はこれに類する性行為」と定められ、さらに昭和五四年七月一日岐阜県告示第五三九号により、その具体的内容についてより詳細な指定がされている。このように、本条例六条二項の指定の場合には、個々の図書について同審議会の意見を聴く必要はなく、当該写真が前記告示による指定内容に該当することにより、有害図書として規制されることになる。以上右六条一項又は二項により指定された有害図書については、その販売又は貸付けを業とする者がこれを青少年に販売し、配付し、又は貸し付けること及び自動販売機業者が自動販売機に収納することを禁止され(本条例六条の二第二項、六条の六第一項)、いずれの違反行為についても罰則が定められている(本条例二一条二号、五号)。

2 本条例の定めるような有害図書が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであつて、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になつているといつてよい。さらに、自動販売機による有害図書の販売は、売手と対面しないため心理的に購入が容易であること、昼夜を問わず購入ができること、収納された有害図書が街頭にさらされているため購入意欲を刺激し易いことなどの点において、書店等における販売よりもその弊害が一段と大きいといわざるをえない。しかも、自動販売機業者において、前記審議会の意見聴取を経て有害図書としての指定がされるまでの間に当該図書の販売を済ませることが可能であり、このような脱法的行為に有効に対処するためには、本条例六条二項による指定方式も必要性があり、かつ、合理的であるというべきである。そうすると、有害図書の自動販売機への収納の禁止は、青少年に対する関係において、憲法二一条一項に違反しないことはもとより、成人に対する関係においても、有害図書の流通を幾分制約することにはなるものの、青少年の健全な育成を阻害する有害環境を浄化するための規制に伴う必要やむをえない制約であるから、憲法二一条一項に違反するものではない
よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
岐阜県青少年保護育成条例(以下「本件条例」という。)による有害図書の規制が憲法に違反するものではないことは、法廷意見の判示するとおりである。いわゆる有害図書を青少年の手に入らないようにする条例は、かなり多くの地方公共団体において制定されているところであるが、本件において有害図書に該当するとされた各雑誌を含めて、表現の自由の保障を受けるに値しないと考えられる価値のない又は価値の極めて乏しい出版物がもつぱら営利的な目的追求のために刊行されており、青少年の保護育成という名分のもとで規制が一般に受けいれられやすい状況がみられるに至つている。そして、本件条例のような法的規制に対しては、表現の送り手であるマス・メデイア自身も、社会における常識的な意見も、これに反対しない現象もあらわれている。しかし、この規制は、憲法の保障する表現の自由にかかわるものであつて、所論には検討に値する点が少なくない。以下に、法廷意見を補足して私の考えるところを述べておきたいと思う。

一 本件条例と憲法二一条
(一) 本件条例によれば、六条一項により有害図書として指定を受けた図書、同条二項により指定を受けた内容を有する図書は、 青少年に供覧、販売、貸付等をしてはならないとされており(六条の二)、これは明らかに青少年の知る自由を制限するものである。当裁判所は、国民の知る自由の保障が憲法二一条一項の規定の趣旨・目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであるとしている(最高裁昭和六三年(オ)第四三六号平成元年三月八日大法廷判決・民集四三巻二号八九頁参照)。そして、青少年もまた憲法上知る自由を享有していることはいうまでもない
青少年の享有する知る自由を考える場合に、一方では、青少年はその人格の形成期であるだけに偏りのない知識や情報に広く接することによつて精神的成長をとげることができるところから、その知る自由の保障の必要性は高いのであり、そのために青少年を保護する親権者その他の者の配慮のみでなく、青少年向けの図書利用施設の整備などのような政策的考慮が望まれるのであるが、他方において、その自由の憲法的保障という角度からみるときには、その保障の程度が成人の場合に比較して低いといわざるをえないのである。すなわち、知る自由の保障は、提供される知識や情報を自ら選別してそのうちから自らの人格形成に資するものを取得していく能力が前提とされている青少年は、一般的にみて、精神的に未熟であつて、右の選別能力を十全には有しておらず、その受ける知識や情報の影響をうけることが大きいとみられるから、成人と同等の知る自由を保障される前提を欠くものであり、したがつて青少年のもつ知る自由は一定の制約をうけ、その制約を通じて青少年の精神的未熟さに由来する害悪から保護される必要があるといわねばならない。もとよりこの保護を行うのは、第一次的には親権者その他青少年の保護に当たる者の任務であるが、それが十分に機能しない場合も少なくないから、公的な立場からその保護のために関与が行われることも認めねばならないと思われる。本件条例もその一つの方法と考えられる。
このようにして、ある表現が受け手として青少年にむけられる場合には、成人に対する表現の規制の場合のように、その制約の憲法適合性について厳格な基準が適用されないものと解するのが相当である。そうであるとすれば、一般に優越する地位をもつ表現の自由を制約する法令について違憲かどうかを判断する基準とされる、その表現につき明白かつ現在の危険が存在しない限り制約を許されないとか、より制限的でない他の選びうる手段の存在するときは制約は違憲となるなどの原則はそのまま適用されないし、表現に対する事前の規制は原則として許されないとか、規制を受ける表現の範囲が明確でなければならないという違憲判断の基準についても成人の場合とは異なり、多少とも緩和した形で適用されると考えられる。以上のような観点にたつて、以下に論点を分けて考察してみよう。

(二) 青少年保護のための有害図書の規制について、それを支持するための立法事実として、それが青少年非行を誘発するおそれがあるとか青少年の精神的成熟を害するおそれのあることがあげられるが、そのような事実について科学的証明がされていないといわれることが多い。たしかに青少年が有害図書に接することから、非行を生ずる明白かつ現在の危険があるといえないことはもとより、科学的にその関係が論証されているとはいえないかもしれないしかし青少年保護のための有害図書の規制が合憲であるためには、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性のあることをもつて足りると解してよいと思われる。もつとも青少年の保護という立法目的が一般に是認され、規制の必要性が重視されているために、その規制の手段方法についても、容易に肯認される可能性があるが、もとより表現の自由の制限を伴うものである以上、安易に相当の蓋然性があると考えるべきでなく、必要限度をこえることは許されない。しかし、有害図書が青少年の非行を誘発したり、その他の害悪を生ずることの厳密な科学的証明を欠くからといつて、その制約が直ちに知る自由への制限として違憲なものとなるとすることは相当でない。
西ドイツ基本法五条二項の規定は、表現の自由、知る権利について、少年保護のための法律によつて制限されることを明文で認めており、いわゆる「法律の留保」を承認していると解される。日本国憲法のもとでは、これと同日に論ずることはできないから、法令をもつてする青少年保護のための表現の自由、知る自由の制約を直ちに合憲的な規制として承認することはできないが、現代における社会の共通の認識からみて、青少年保護のために有害図書に接する青少年の自由を制限することは、右にみた相当の蓋然性の要件をみたすものといつてよいであろう。問題は、本件条例の採用する手段方法が憲法上許される必要な限度をこえるかどうかである。これについて以下の点が問題となろう。

(三) すでにみたように本件条例による有害図書の規制は、表現の自由、知る自由を制限するものであるが、これが基本的に是認されるのは青少年の保護のための規制であるという特殊性に基づくといえる。もし成人を含めて知る自由を本件条例のような態様方法によつて制限するとすれば、憲法上の厳格な判断基準が適用される結果違憲とされることを免れないと思われる。そして、たとえ青少年の知る自由を制限することを目的とするものであつても、その規制の実質的な効果が成人の知る自由を全く封殺するような場合には、同じような判断を受けざるをえないであろう。
しかしながら、青少年の知る自由を制限する規制がかりに成人の知る自由を制約することがあつても、青少年の保護の目的からみて必要とされる規制に伴つて当然に附随的に生ずる効果であつて、成人にはこの規制を受ける図書等を入手する方法が認められている場合には、その限度での成人の知る自由の制約もやむをえないものと考えられる。本件条例は書店における販売のみでなく自動販売機(以下「自販機」という。)による販売を規制し、本件条例六条二項によつて有害図書として指定されたものは自販機への収納を禁止されるのであるから、成人が自販機によつてこれらの図書を簡易に入手する便宜を奪われることになり、成人の知る自由に対するかなりきびしい制限であるということができるが、他の方法でこれらの図書に接する機会が全く閉ざされているとの立証はないし、成人に対しては、特定の態様による販売が事実上抑止されるにとどまるものであるから、有害図書とされるものが一般に価値がないか又は極めて乏しいことをあわせ考えるとき、成人の知る自由の制約とされることを理由に本件条例を違憲とするのは相当ではない。

(四) 本件条例による規制が憲法二一条二項前段にいう「検閲」に当たるとすれば、その憲法上の禁止は絶対的なものであるから、当然に違憲ということになるが、それが「検閲」に当たらないことは、法廷意見の説示するとおりである。その引用する最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決(民集三八巻一二号一三〇八頁)によれば、憲法にいう「検閲」とは、「行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである」ところ、本件条例の規制は、六条一項による個別的指定であつても、また同条二項による規則の定めるところによる指定(以下これを「包括指定」という。)であつても、すでに発表された図書を対象とするものであり、かりに指定をうけても、青少年はともかく、成人はこれを入手する途が開かれているのであるから、右のように定義された「検閲」に当たるということはできない
もつとも憲法二一条二項前段の「検閲」の絶対的禁止の趣旨は、同条一項の表現の自由の保障の解釈に及ぼされるべきものであり、たとえ発表された後であつても、受け手に入手されるに先立つてその途を封ずる効果をもつ規制は、事前の抑制としてとらえられ、絶対的に禁止されるものではないとしても、その規制は厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許されるものといわなければならない(最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁参照)。本件条例による規制は、個別的指定であると包括指定であるとをとわず、指定された後は、受け手の入手する途をかなり制限するものであり、事前抑制的な性格をもつている。しかし、それが受け手の知る自由を全面的に閉ざすものではなく、指定をうけた有害図書であつても販売の方法は残されていること、のちにみるように指定の判断基準が明確にされていること、規制の目的が青少年の保護にあることを考慮にいれるならば、その事前抑制的性格にもかかわらず、なお合憲のための要件をみたしているものと解される。

(五) すでにみたように、本件条例は、有害図書の規制方式として包括指定方式をも定めている。この方式は、岐阜県青少年保護育成審議会(以下「審議会」という。)の審議を経て個別的に有害図書を指定することなく、条例とそのもとでの規則、告示により有害図書の基準を定め、これに該当するものを包括的に有害図書として規制を行うものである。一般に公正な機関の指定の手続を経ることにより、有害図書に当たるかどうかの判断を慎重にし妥当なものとするよう担保することが、有害図書の規制の許容されるための必要な要件とまではいえないが、それを合憲のものとする有力な一つの根拠とはいえる
包括指定方式は、この手続を欠くものである点で問題となりえよう
このような包括指定のやり方は、個別的に図書を審査することなく、概括的に有害図書として規制の網をかぶせるものであるから、検閲の一面をそなえていることは否定できないところである。しかし、この方式は、法廷意見の説示からもみられるように、自販機による販売を通じて青少年が容易に有害図書を入手できることから生ずる弊害を防止するための対応策として考えられたものであるが、青少年保護のための有害図書の規制を是認する以上は、自販機による有害図書の購入は、書店などでの購入と異なつて心理的抑制が少なく、弊害が大きいこと、審議会の調査審議を経たうえでの個別的指定の方法によつては青少年が自販機を通じて入手することを防ぐことができないこと(例えばいわゆる「一夜本」のやり方がそれを示している。)からみて、包括指定による規制の必要性は高いといわなければならない。もとより必要度が高いことから直ちに表現の自由にとつてきびしい規制を合理的なものとすることはできないし、表現の自由に内在する制限として当然に許容されると速断することはできないけれども、他に選びうる手段をもつては有害図書を青少年が入手することを有効に抑止することができないのであるから、これをやむをえないものとして認めるほかはないであろう。私としては、つぎにみるように包括指定の基準が明確なものとされており、その指定の範囲が必要最少限度に抑えられている限り、成人の知る自由が封殺されていないことを前提にすれば、これを違憲と断定しえないものと考える

二 基準の明確性
およそ法的規制を行う場合に規制される対象が何かを判断する基準が明確であることを求められるが、とくに刑事罰を科するときは、きびしい明確性が必要とされる表現の自由の規制の場合も、不明確な基準であれば、規制範囲が漠然とするためいわゆる萎縮的効果を広く及ぼし、不当に表現行為を抑止することになるために、きびしい基準をみたす明確性が憲法上要求される。本件条例に定める有害図書規制は、表現の自由とかかわりをもつものであるのみでなく、刑罰を伴う規制でもあるし、とくに包括指定の場合は、そこで有害図書とされるものが個別的に明らかにされないままに、その販売や自販機への収納は、直ちに罰則の適用をうけるのであるから、罪刑法定主義の要請も働き、いつそうその判断基準が明確でなければならないと解される。もつとも、すでにふれたように青少年保護を目的とした、青少年を受け手とする場合に限つての規制であることから みて、一般の表現の自由の規制と同じに考えることは適当でなく、明確性の要求についても、通常の表現の自由の制約に比して多少ゆるめられることも指摘しておくべきであろう。
右の観点にたつて本件条例の有害図書指定の基準の明確性について検討する。論旨は、当裁判所の判例を引用しつつ、合理的判断を加えても本件条例の基準は不明確にすぎ、憲法二一条一項、三一条に違反すると主張する。本件条例六条一項では指定の要件は、「著しく性的感情を刺激し、又は著しく残忍性を助長する」とされ、それのみでは、・必ずしも明確性をもつとはいえない面がある。とくに残忍性の助長という点はあいまいなところがかなり残る。また「猥褻」については当裁判所の多くの判例によつてその内容の明確化がはかられているが(そこでも問題のあることについて最高裁昭和五四年(あ)第一三五八号同五八年三月八日第三小法廷判決・刑集三七巻二号一五頁における私の補足意見参照。)、本件条例にいう「著しく性的感情を刺激する」図書とは猥褻図書よりも広いと考えられ、規制の及ぶ範囲も広範にわたるだけに漠然としている嫌いを免れない。
しかし、これらについては、岐阜県青少年対策本部次長通達(昭和五二年二月二五日青少第三五六号)により審査基準がかなり具体的に定められているのであつて、不明確とはいえまい。そして本件で問題とされるのは本件条例六条二項であるが、ここでは指定有害図書は「特に卑わいな姿態若しくは性行為を被写体とした写真又はこれらの写真を掲載する紙面が編集紙面の過半を占めると認められる刊行物」と定義されていて、一項の場合に比して具体化がされているとともに、右の写真の内容については、法廷意見のあげる施行規則二条さらに告示(昭和五四年七月一日岐阜県告示第五三九号)を通じて、いつそう明確にされていることが認められる。このように条例そのものでなく、下位の法規範による具体化、明確化をどう評価するかは一つの問題ではあろう。しかし、本件条例は、その下位の諸規範とあいまつて、具体的な基準を定め、表現の自由の保障にみあうだけの明確性をそなえ、それによつて、本件条例に一つの限定解釈ともいえるものが示されているのであつて、青少年の保護という社会的利益を考えあわせるとき基準の不明確性を理由に法令としてのそれが違憲であると判断することはできないと思われる。

三 本件条例と憲法一四条
条例による有害図書の規制が地方公共団体の間にあつて極めて区々に分かれていることは、所論のとおりである。たしかに本件条例は、最もきびしい規制を行う例に属するものであり、他の地方公共団体において、有害図書規制について、単に業界の自主規制に委ねるものや罰則のおかれていないものもみられるし、みなし規制を含め、包括的な指定の方式を有するところは一〇余県で必ずしも多くはなく、自販機への収納禁止を定めながら罰則のないところもある。このようにみると、青少年の保護のための有害図書の規制は地方公共団体によつて相当に差異があるといつてよいであろう。
しかし、このように相当区々であることは認められるとしても、それをもつて憲法一四条に違反するものではないことは、法廷意見の説示するとおりである。私は、青少年条例の定める青少年に対する淫行禁止規定については、その規制が各地方公共団体の条例の間で余りに差異が大きいことに着目し、それをもつて直ちに違憲となるものではないが、このような不合理な地域差のあるところから「淫行」の意味を厳格に解釈することを通じて著しく不合理な差異をできる限り解消する方向を考えるべきものとした(法廷意見のあげる昭和六〇年一〇月二三日大法廷判決における私の反対意見参照。)。このような考え方が有害図書規制の面においても妥当しないとはいえないが、私見によれば、青少年に対する性行為の規制は、それ自体地域的特色をもたず、この点での青少年の保護に関する社会通念にほとんど地域差は認められないのに反して、有害図書の規制については、国全体に共通する面よりも、むしろ地域社会の状況、住民の意識、そこでの出版活動の全国的な影響力など多くの事情を勘案した上での政策的判断に委ねられるところが大きく、淫行禁止規定に比して、むしろ地域差のあることが許容される範囲が広いと考えられる。この観点にたつときには、本件条例が他の地方公共団体の条例よりもきびしい規制を加えるものであるとしても、なお地域の事情の差異に基づくものとして是認できるものと思われる。
このことと関連して、基本的人権とくに表現の自由のような優越的地位を占める人権の制約は必要最小限度にとどまるべきであるから、目的を達するために、人権を制限することの少ない他の選択できる手段があるときはこの方法を採るべきであるという基準が問題とされるかもしれない。すなわち、この基準によれば、他の地方公共団体がゆるやかな手段、例えば業界の自主規制によつて有害図書の規制を行つているにかかわらず、本件条例のようなきびしい規制を行うことは違憲になると主張される可能性がある。しかし、わが国において有害図書が業界のいわゆるアウトサイダーによつて出版されているという現状をみるとき、果して自主規制のようなゆるやかな手段が適切に機能するかどうかは明らかではないし、すでにみたように、青少年保護の目的での規制は、表現の受け手が青少年である場合に、その知る自由を制約するものであつても、通常の場合と同じ基準が適用されると考える必要がないと解されることからみて、本件条例のようなきびしい規制が政策として妥当かどうかはともかくとして、他に選びうるゆるやかな手段があるという理由で、それを違憲と判断することは相当でないと思われる。
以上詳しく説示したように、本件条例を憲法に違反するものと判断することはできず、これを違憲と主張する所論は、傾聴に値するところがないわけではないが、いずれも採用することができないというほかはない。


労働法 労働法総論 労働関係の当事者 労働者 雇用関係上の労働者


1.雇用関係法上の労働者
(1)労基法の適用対象たる労働者

+(定義)
労働基準法第9条  
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

・「使用」されるとは、他人の指揮命令ないし具体的指示のもとに労働を提供すること(指揮監督下の労働)を指す

・「賃金」とは、
+労働基準法第11条  
この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。

・適用除外
+(適用除外)
労働基準法第116条
1項 第1条から第11条まで、次項、第117条から第119条まで及び第121条の規定を除き、この法律は、船員法第1条第1項に規定する船員については、適用しない。
2項 この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

・労災保険法には明文の規定はないものの、「労働者」の範囲は労基法のものと一致。

(2)労働契約の当事者たる労働者

(定義)
労働契約法第2条  
1項 この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2項 この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

・労基法上の労働者と基本的に一致!
・労働契約法では家事使用人は適用除外の対象とはされていない!

(3)労働者性の判断基準

労基法の労働者性の判断に当たって「使用従属性」という基準を用いる!
「使用従属性」=指揮監督関係+賃金支払い
契約の形式にかかわらず、客観的な就労状態に着目し、様々な要素を総合的に考慮し「使用従属性」の有無や程度を判断している!
その判断要素
仕事の依頼、業務の指示等に対する拒否の自由の有無
業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無
勤務場所・時間についての指定・管理の有無
④労務提供の代替性の有無
⑤報酬の労務対称性
⑥事業者性の有無(機械や機器の負担関係、報酬の額など)
⑦専属制の程度
⑧公租公課の負担(源泉徴収や社会保険料の控除の有無)

+判例(H8.11.28)横浜南労基署長(旭紙業)事件
理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由第一について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

その余の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。
原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人は、自己の所有するトラックを旭紙業株式会社の横浜工場に持ち込み、同社の運送係の指示に従い、同社の製品の運送業務に従事していた者であるが、(1) 同社の上告人に対する業務の遂行に関する指示は、原則として、運送物品、運送先及び納入時刻に限られ、運転経路、出発時刻、運転方法等には及ばず、また、一回の運送業務を終えて次の運送業務の指示があるまでは、運送以外の別の仕事が指示されるということはなかった、(2) 勤務時間については、同社の一般の従業員のように始業時刻及び終業時刻が定められていたわけではなく、当日の運送業務を終えた後は、翌日の最初の運送業務の指示を受け、その荷積みを終えたならば帰宅することができ、翌日は出社することなく、直接最初の運送先に対する運送業務を行うこととされていた、(3) 報酬は、トラックの積載可能量と運送距離によって定まる運賃表により出来高が支払われていた、(4) 上告人の所有するトラックの購入代金はもとより、ガソリン代、修理費、運送の際の高速道路料金等も、すべて上告人が負担していた、(5) 上告人に対する報酬の支払に当たっては、所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除はされておらず、上告人は、右報酬を事業所得として確定申告をしたというのである。
右事実関係の下においては、上告人は、業務用機材であるトラックを所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していたものである上、旭紙業は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示をしていた以外には、上告人の業務の遂行に関し、特段の指揮監督を行っていたとはいえず時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、上告人が旭紙業の指揮監督の下で労務を提供していたと評価するには足りないものといわざるを得ない。そして、報酬の支払方法、公租公課の負担等についてみても、上告人が労働基準法上の労働者に該当すると解するのを相当とする事情はない。そうであれば、上告人は、専属的に旭紙業の製品の運送業務に携わっており、同社の運送係の指示を拒否する自由はなかったこと、毎日の始業時刻及び終業時刻は、右運送係の指示内容のいかんによって事実上決定されることになること、右運賃表に定められた運賃は、トラック協会が定める運賃表による運送料よりも一割五分低い額とされていたことなど原審が適法に確定したその余の事実関係を考慮しても、上告人は、労働基準法上の労働者ということはできず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。この点に関する原審の判断は、その結論において是認することができる。
論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、原判決の結論に影響しない説示部分を論難するに帰し、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

++上告理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由
原審判決には、以下論じるように多くの誤りがあり、直ちに破棄されるべきである。
第一 原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決の破棄を求める。
一、労基法上の労働者と労災保険法上の労働者
1、労災保険法は、労基法上の使用者の災害補償責任を前提として、その迅速確実な実施を確保するために、昭和二二年(一九四七年)労基法と同時に制定された。労基法は、その八四条第一項で同一の事由に基づいて労災保険法により労基法の災害補償に相当する保険給付が行われる場合、使用者はその限度において補償の責任を免れることを明らかにしている。
制定当時、労災保険法は、このように零細事業を除く災害率の比較的高い事業を強制適用事業とし、国が保険者となって労基法の災害補償と同一内容の保険給付を行う責任保険的役割を担うものとしてスタートした。
2、しかし、戦後しばらくして始まったわが国の高度経済成長にともない産業社会の複雑化と多元化は急速に進展し、これを背景として労働力を提供する側(働く側)の労働形態・業務形態も複雑化かつ多様化を余儀なくされるようになった。このような事態は、働く側が求めてのものではなく、使用者側がその利潤の増大を図る目的で働く側に強いる形により現実化してきたものであった。上告人のような車持ち込み運転手もこのような過程で生まれてきた労働形態の一つである。
また、高度経済成長・産業社会が進む一方、この進展を支える働く側に数多くの、かつ、新しい形の労働災害が発生し、これを単にこれまでの労基法の規定の適用だけでは十分に補償出来ない事態が発生するようにもなってきた。労基法の規定の適用だけでは、保護しえない働く人々が現実に現れてきた。すなわち、労災保険法がその制定に当たってその目的としていた労基法の災害補償に対応することに限定された責任保険的役割だけでは、労災保険法が社会の進展に応えることが出来なくなったのである。
3、こうして労災保険法は、働く側の保護を全面に押し出す形で、労基法とは別に、制定後一三年ほどした昭和三五年(一九六〇年)以降、労基法の改正を伴うことなしに数度の改正を独自に行ってきた。具体的には、当初零細事業を除く形で適用されていた労災保険法が全ての事業に強制適用されるようになった他、次のような労基法にはない制度が労災保険法に導入されてきた。
(一) 給付の年金化
労基法上の障害補償は、一時金とされている。これに対して、労災保険法では、障害等級表に定める障害等級に応じて年金または一時金が支給されることになっている(同法一五条)。すなわち、障害等級表の一級から七級までの重い障害については年金が、それよりも程度の比較的軽い障害については一時金がそれぞれ支給されることになっている。
また、労基法の遺族補償は、一時金とされているが、労災保険法では年金と一時金の二種類が定められ(同法一六条)、一時金は年金の受給資格がないときに支給されるとされていることから、労災保険法では年金による支給が原則とされるようになった。
(二) 通勤途上災害に対する保険給付の実施
労基法上、通勤途上の災害は保護されるべき災害ではないとされている。しかし、都市生活の過密化やモータリゼーションの進展・通勤距離の拡大などのため、通勤途上災害は増加の一途をたどり、働く者の生活に深刻な影響を及ぼすようになった。そこで、働く者を保護する見地から、昭和四八年(一九七三年)労災保険法が改正され、同法の中に通勤災害に対する給付制度がもうけられ、業務上災害に準じた保険給付が行われることになった。
このようなことに加え、自営業者や家族従業者などの労基法非適用者の特別加入制度の新設もあり、労災保険法における労基法に対応する責任保険的役割の後退が顕著になり、労災保険法の労基法からの独立化が著しくなった。
4、ところで、労働者という概念を同じく用いている労基法と労災保険法であるが、この両者における労働者の意味するところが同一である必要は必ずしもない。むしろ、それぞれの法の目的を考え、その目的に応じた概念を与えることが必要であり、そのように概念を構築することがそれぞれの法を生かすことにも通じるのである。この点、労組法三条の労働者と労基法九条の労働者とは異なる意味を有しているが、このことは当然なことなのである。
さて、労基法は、働く者を保護することを前提としつつ、個々の働く者とその使用者との権利義務関係を規制する法律である。したがって、労基法の労働者概念を考えるに当たっては、常に働く者と使用者との対立の構図を前提にすることになる。就業規則を考えるに当たっても、賃金を考えるに当たっても、労働時間を考えるに当たっても、これは妥当する。労基法九条は、「この法律で労働者とは、職業の種類を問わず、前条の事業または事務所(以下、事業という)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と規定し、使用する者・使用される者、賃金を支払う者、賃金を支払われる者という対立構造を前提に概念を定めている。
一方これに対し、労災保険法は、働く者の災害補償について使用者の過失を要件としていないことから使用者との対立構造を考える必要はない。また、前記したように、労災保険法は姿を変えつつあり、現在ではいわゆる生存権原理に立脚した働く者の生活補償制度として機能しており、かつ制度化が進められている。このような両者間に存する違いを考えるならば、法令適用の中心概念である労働者概念の意味を考えるに当たって、労基法の労働者概念の意味をそのまま当然に適用することはむしろ誤りというべきことになる。
5、このような考えは、上告人の独自のものではなく、昭和六三年(一九八八年)に公表された労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会においても、労基法と労災保険法とは給付の体系及び水準において大きな開きが生じていること、労災に対する必要かつ十分な補償は使用者の集団による保険システムを用いるしかなく労基法が前提としている個別使用者の補償責任では対応しきれなくなっていることなどを挙げて、労基法と労災保険法との関係の根本的再検討の必要性を提言しているが、このことからもうかがえるように、社会の進展に即した必然的な潮流になっている。
二、本件における適用
1、以上のように労災保険法を生存権原理に立脚した働く者の生活保障制度と考えるならば、そこで保護の対象となるべき者(労災保険法で「労働者」とされる者)は、特定の使用者に労働力を提供し、その提供によって生活を支える必要資金を得ている個人ないしはこれと同視し得るもの(例えば、法人組織を取っていても法人格が否認できる場合など)を意味することになる。もちろん、労働という概念自体、「従属性」はその基本的なメルクマールとなる。使用者とは独立した社会的存在となって、自己の責任と計算において収入をあげ、生存している者は「従属性」という労働の基本的属性を欠き、もはや労災保険法においても労働者と見られることはなく、保護の対象とはならない。
2、原審判決は、本件において「この就労形態は、労基法上の労働者のそれとみることは困難であるから、旭紙業の車持ち込み運転手である被控訴人(上告人)は、労基法上の労働者とはいえず、したがって、労災保険法上の労働者とはいえないことになる。本件のような災害について、それを救済する必要があることを否定するものではないが、それを労災保険法によりこれを求めることは、解釈論としては無理であるといわざるを得ないのである」(原審判決二五頁)という。労災保険法の適用に当たって、あくまで労基法の労働者概念に頼ろうとしているため、労災保険法の依って立つ生活保障制度としての機能を理解しようとしないのである。労災保険法が昭和二二年(一九四七年)の制定以来、幾度となく改正を加え、労働者保護法として生存権の拡大につとめてきたのは明かである。そうした流れの中にあっては、労働者概念の内容も変化し、今や労基法を離れて生存権原理を取り入れた前記のような労働者概念の解釈を行うのは十分に可能であり、かつ、必要なことである。
上告人(原告)の労働者性を肯定した一審判決も、労働者性を否定した原審判決も、いずれも上告人の労働の従属性を認めているのは明かである。結論を分けたのは、実質的には労災保険法の労働者を考えるに当たり、労災保険法の生活保障機能を重視する立場に立ったか否かである。原審判決の解釈・判断は、上告人の労働者性を労基法の定める労働者概念そのものから判断し、否定の結論を導きだしたものであり、これまで築かれてきた労災保険法の生活保障機能からみた解釈を理解しないものであり、誤りである。
本件において、上告人は、旭紙業を唯一の労働の場とし、かつ、そこからの収入を唯一の生活の糧としてきた。そして、社会的存在という点からみても、旭紙業の一員としてしか見ることの出来ない者である。そのような者が旭紙業の業務を行うに当たり、労働災害にあい、収入の道が閉ざされたのである。上告人が労災保険法で保護されるべき労働者に含まれるのは当然であり、それが正しい労災保険法の適用である。
三、以上の通りであるから、原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決は直ちに破棄されるべきである。
第二 仮に、労災保険法の労働者が労基法の労働者と同一であると解するとしても、上告人を「労基法上の労働者とはいえず、したがって労災法上の労働者とはいえない」とした原審判決の判断には、以下のとおり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるから、直ちに破棄されるべきである。
一、自己の地位に関する車持ち込み運転手の主観的認識を、労働者性の存否を決する場合の判断基準として採用したことの違法
1、原審判決は、労基法上の労働者とは、「使用者の指揮監督の下に労務を提供し、使用者から労務に対する対価として報酬が支払われる者であって、一般に使用従属性を有する者あるいは使用従属関係にあるものと呼称されている」と説示している。そして、この使用従属性判断の存否は、業務従事の指示に対する諾否の自由、業務内容及び遂行方法についての具体的指示、勤務場所及び勤務時間の指定、代替性、報酬の労務対価性、高価な業務用器材の所有と危険負担、専属性、給与所得としての源泉徴収、労働保険、厚生年金、健康保険の適用対象となっているか否か、など「諸般の事情を総合考慮して判断されなくてはならない」とする(原審判決七、八頁)。
ところで、原審判決は、その「理由」の四の7の七行目以降で、本件において源泉徴収、労働保険、社会保険の適用を除外するシステムがとられていた点を取り上げ、このようなシステムは車持ち込み運転手が敢えて求めたものであると認定している。すなわち、
「車持ち込み運転手の側でも、将来の退職金がなく、現在の福利厚生に欠けることがあっても、少しでも多額の報酬を得ようとして敢えて従業員でない地位にあることを望み、旭紙業と運送請負契約を結んだということがあることも否定できず、このような形で働いて、社会保険(健康保険、厚生年金保険)、労働保険(雇用保険)の保険料を負担せず(国民健康保険の保険料、国民年金の掛金を負担し、場合によっては一般の生命保険に加入した)、また、報酬からこれを給与所得として源泉徴収所得税を控除されることを避けることにも利益をもとめていたものといえる。」
という認定である。そして、原審判決は二二頁で、右認定事実を根拠に、本件車持ち込み運転手には「自らも従業員ではないとの認識」があったものと推認し、運転手にこのような主観的認識があるということは、「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面」であると評価して、上告人につき「労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。」との結論を導き出している。
2、そもそも原審判決のように、本件において車持ち込み運転手に、社会保険等の適用を敢えて避け利益を得たいという積極的意図があったものと認定すること自体、相当ではない。旭紙業に、社会保険等を適用される運転手とそうでない運転手があり、車持ち込み運転者たちがそれでも社会保険等の適用を避けたというのであれば原審判決の指摘にも理由があるが、旭紙業には、会社設立当初から社会保険等の適用を受けられる運転手がいたことはなく、運転手として旭紙業において働こうとする以上、社会保険等の適用は受けられない状態にあったのである。車持ち込み運転手に社会保険等の適用について「選択の余地」は、全くなかったのである。
ところで、その点はおくとしても、上告人がここで指摘したい点は、原審判決が右の認定事実(車持ち込み運転手に、社会保険等の適用をあえて避行利益を得たいという積極的意図があったという事実認定)から「運転手側には自らも従業員ではないとの認識があった」ものと推認し、このような自らの地位に関する当事者の主観的認識を、労働者性の存否を決めるにあたっての判断基準として採用したという判断手法の点である。
上告人は、第一審段階から一貫して、当事者の認識は労働者性判断の基準とはならない、と主張してきた。本件一審判決でも、本件と類似した新潟地裁判決でも、労働者性の判断において、当事者の意思をことさら問題にしていない。これは、当該運転手の労働の実態が会社の「使用従属関係」の下における労働力の提供と評価されるかどうかという問題は、客観的な法律判断の範疇に属するものであって、この判断を、運転手自身が自らの地位についてどのような認識をもっているかといった主観的事情に委ねるべきではないからである。また、公正な労災給付を全国画一的になしていく上でも、同一の条件下に働いている者が、本人の主観的意思次第で、労働者となったり、ならなかったりするような不安定な取扱いは、できるだけ避けることが必要であり、そのためには、個別具体的な判断基準もできるだけ客観的なものにしておくことが必要だからである。
もっとも乙第三一号証には、社会保険、労働保険、源泉徴収などの適用がなされている場合に、この事実から、「使用者」がその者を自らの労働者として認識しているものと推認して、労働者性を「肯定する」判断の補強事由とした、過去の例が紹介されている。しかし、その趣旨は、上述の社会保険等の適用が、通常の正式な雇用契約において、ごく一般的に見られる法的な雇用システムの典型的要素をなすものであることから、使用者側がこのような社会保険等の制度を積極的に採用している場合は、雇用契約の形式をとっていなくても、使用者側としては雇用関係を設定する意思があったものと推認するのが自然であり、それが労働性を肯定する判断の補強事由になる、ということを補足的に指摘しているにすぎないのである。つまり、社会保険等の適用の有無は、このような側面でのみ、限定的に(使用者側の雇用意思を肯定する場合の補強事由として)考慮されることがあるにすぎないのであって、乙第三一号証も過去の判例も、このような保険適用の有無から一般的に当事者の認識を推認し、これを労働者性判定の独立した基準として機能させているわけではないのである。
ところが、原審判決の立場は、具体的就労形態において社会保険等の制度が採用されているかどうかという点から直ちに、当事者、特に車持ち込み運転手側の「労働者としての認識」の有無を強引に推認し、その上でかような主観的事情の有無を根拠に、本来客観的であるべき「労働者性」の判定をしようとするものであるから、法理論としての誤りは明らかである。そして、本件車持ち込み運転手につき、労働者性を否定した原審判決の判断は、かような違法な判断基準に従ってなされたものであるから、この違法性が判決に影響を与えることは明らかである。
二、原審判決が採用する「労働者と事業主の中間形態」に関する判断方法の違法
1、原審判決は、二二頁において、「業務に就いている者を、労基法上の労働者であるか、そうでないかという区分をすることが相当に困難な事例」に対しては、「できるだけ当事者の意図を尊重する方向で判断するのが相当である」とする。
確かに、原審判決が二二頁七行目以下で述べるとおり、産業構造、就業構造の変化等に従い、就業形態、雇用形態が複雑多様化しており、労働者的側面と、請負的側面を同時に持つ就労形態が現れてきている点は、社会現象として否定できないところであろう。しかし、特定の就労形態におけるこのような二面性は、社会的実態としての二面性であって、このような就労形態の実態を認識することと、このような就労形態の下で働いている就業者の事故について労災保険法を適用して救済すべきかどうかという判断とは別問題である。即ち、労災保険法の適用の可否の判断は、あくまでも法的な価値判断であるから、その判断において採用されるべき基本的メルクマールは、あくまで、当該就労関係の本質的、客観的な側面において「使用従属関係」が認められるかどうか、それが労災保険法の立法趣旨に照らして同法による救済を必要とする程度のものであるかどうか、という客観的な考察であるべきである。そして、このような客観的考察において「使用従属性」が認められる場合には、例え就労実態に請負的要素が混在していたとしても、労災保険法による救済を行うのが法の趣旨であって、このような場合に、当事者間で労災保険法の適用を排除する合意をしていたからといって、労災保険法による救済を否定するのは、公平ではない。
2、ところが、原審判決は、請負的要素の混在している「中間形態」の事例では、労災保険法等の適用の有無を、基本的に「当事者の意図」という主観的要素に従って判断すべしとするのである。つまり、原審判決の論理によれば、当該就労形態が「典型的な雇用関係」であれば、社会保険、労働保険等の適用は法律上当然要請されるところであるが、ひとたび「典型的な雇用関係」にあたらないと認定された場合には、それらの法制度の適用いかんは、もっぱら、「当事者の意図」という主観的事情によって決定されることになり、前述したような客観的な法的価値判断の余地はなくなるのである。しかし、このような考え方は、現実の労働実態に照らし、労働者の生存権的社会権を保証するために不可欠な制度として立法が認められるに至った労働保険、社会保険等の制度趣旨を忘れた、極めて安易な自由契約論というほかない。また、この考え方は、「当事者の意図尊重」という名目のもとに、裁判所としてなすべき法的判断の義務を放棄する方向につながるものであり、その結果として、現実の就労関係における経済的力量の優劣がそのまま反映した判決を安易に導く危険があり、かような考え方を裁判規範として採用することは到底認められない。現に、原審判決は、この論理に従って、雇主側にとっての強制的加入制度である労災保険についてさえ、本件のように「典型的な雇用関係」でない場合には、これを適用しないという「当事者の意図」がある限り、排除できるとしているのである。しかし、労災保険の保険料は全額雇主負担で、労働者側の負担はなく、労働者としては、この保険加入につき、これを希望しない理由は全くないはずである。つまり労災保険加入を排除することは、保険料支払いの回避という意味で、もっぱら雇主側の利益でしかない。従って、当事者間に「適用排除の合意」なるものがあっても、労働者にとっては、これは経済的地位の劣性から強制された外見上のものにすぎないというべきであって、かような「合意」を根拠に労災保険の適用排除の結論を導くことは、かかる意味においても、不合理である。
3、このように、本件において、原審判決は、本件就労形態を「労働者と事業主の中間形態」とした上で、かかる場合には当事者の意図に従うべしとする誤った法解釈論に従って、労災保険法による救済を拒否したのであるから、この法的判断の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第三 判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の違法〈省略〉
第四 原審判決の理由齟齬
一、報酬の性格
1、原審判決一七頁二行目以下は、(報酬は)「生活給的な面や時間給的な面はなかった」とするが、一方で、同頁七行目以下は、(旭紙業としては)「できるだけ平均的に運送業務の配分をし、報酬額も、毎月それほど大きな差異はなく、」とし、二一頁七行目以下も「報酬も業務の履行に対し払われ、毎月さほど大きな差のない額が支払われ(て)いたことなどから、労働者としての側面を有するといえる」として、「労働者」に対する「生活給的な面」があったこと、を明確に肯定しており、矛盾している。
2、原審判決は、右の「生活給的な面や時間給的な面はなかった」との認定を根拠に「報酬も出来高払いであって」とし、やはり「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面があることも否定できないのであって、労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。要するに、車持ち込み運転手は、これを率直にみる限り、労働者と事業主との中間形態にあると認めざるを得ないのである。」という結論を導き出している。この報酬に関する認定の矛盾が、判決の結論に影響を及ぼすことは明白である。
二、就労形態の利益
1、原審判決二四頁九行目以下は、(このような就労形態は)「少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえない」としているが、原審判決のどこを見ても「双方に利益」の一方、すなわち、運転手の側の利益は述べられていない。二三頁以下の記述では、「旭紙業の車持ち込み運転手は、……運送に必要な経費(ガソリン代、車両修理代、高速道路料金等)及び事故の場合の損害賠償責任を負担するものとし、」とあるが、これらは運転手にとってはむしろ不利益な事項である。また、「旭紙業の従業員とされていないために、その就業規則は適用されないし、福利厚生の措置も取られず、通常の労働者であれば被保険者とされる、労災保険、雇用保険といった労働保険、健康保険、厚生年金保険といった社会保険の被保険者とされず(国民健康保険、国民年金の被保険者とされる)」とも述べているが、これらも、運転手にとっては利益どころか不利益な事項にほかならない。
また、続いて「労働者であればその賃金から源泉徴収される、源泉徴収所得税を控除されないのであるが(報酬については、事業所得として確定申告をして納税する)」と述べており、この点があたかも労働者の利益のようにとらえているようであるが、これも所得税がどのように徴収されるかという形態の違いに過ぎず、脱税や過少申告などの事実を前提としない限り(しかも旭紙業が外注費として税務申告しているはずであるから、税務署に基本的に捕捉可能であり、そのような不正を運転手が行える現実的可能性は無い)、運転手にとってなんら利益ではない。
ところが、原審判決は、その次に「旭紙業の側でも、報酬以外の労働費用やトラックを所有したときの経費等が節約されるといったことから、」と述べており、この点は旭紙業にとっては大きな利益といえるが、労働者にとっては何の利益ではない。「旭紙業の側でも」ではなく「旭紙業の側では」とすべきである。しかも、その結果旭紙業が「報酬も従業員としての運転手を雇用した場合の給与よりは多額を支払うことができる事情にあった」とする。ところが一八頁六行以下は、「車持ち込み運転手の右報酬は、ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえなかった」としている。ということは、旭紙業は、もっと多額の報酬を「支払うことができる事情にあった」のに、現実に支払われたものは、「ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえな」いものしか支払っていなかったのであり、旭紙業のみに一方的に利益をもたらす形態だったことになる。
2、結局、原審判決が二四頁九行目で「巨視的にはともかくその時点では少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえないし、」と結論づけているのは何ら証拠に基づかず、自らの事実認定とも矛盾している。認定された事実からは、明らかに旭紙業側のみに利益があることになる。
また、そうである以上、このような労働の形態が「当事者双方の真意、殊に車持ち込み運転手の側の真意にそうものである」という根拠は消滅している。つまり、むしろもっぱら旭紙業の雇用政策上の意図にそうものであっただけである。
原審判決は、「裁判所としては、そのまま一つの就労形態として認めることとするのが相当と」し、かつ、そこで発生した事故の結果は、働く側が負担するべきである(労災保険法の保護は与えない)とする。しかし、このような労働の形態がもっぱら会社側の雇用政策上の意図から発生したものである以上、発生した事故の負担を働く側にのみ負担させることはもはや許されないものと言わざるを得ない。
原審判決は誤りである。直ちに破棄されるべきである。

・解説
《解  説》
一 Xは、自己所有トラックを持ち込んで、特定の会社の指示に従って製品等の運送業務に従事する車の持込み運転手(傭車運転手)であるが、トラックに運送品を積み込む作業をしていたところ、足を滑らせて転倒し、第五頚椎脱臼骨折、右気胸、頭部外傷等の傷害を負った。そこで、Xは、Yに対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)所定の療養補償給付及び休業補償給付の支給を請求をしたが、YがXは労災保険法上の労働者に当たらないことを理由に右各給付をしない旨の処分をしたため、その取消しを求めて本訴を提起した。本件の唯一の争点は、傭車運転手であるXの労働者性の点にある。

二 一般に、労災保険法上の労働者概念は労働基準法(以下「労基法」という。)上の労働者概念と一致すると解されているところ、労基法九条は、労働者とは、同法八条の事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいうと定めている。右規定の定めるところによれば、労働者性の有無は、(1)「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と(2)「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断されることになるとするのが下級審判例、学説の一致するところであり、この二つの基準をもって「使用従属性」と呼称することが多い。
「使用従属性」の有無を基準とする労働者性の判断は、具体的な労務の提供形態、報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素を総合的に考慮して行っていくことになるが、これまでの下級審判例、行政解釈にかんがみ、これらの諸要素の位置付けと評価の仕方を整理したものとして、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会の昭和六〇年一二月一九日付報告書(労判四六五号六九頁参照)が参考になると思われる。右報告書が労働基準法上の労働者性の判断基準について述べるところによれば、(1) 「指揮監督下の労働」に当たるか否かの具体的判断要素として、① 具体的仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無、② 業務遂行上の指揮監督の有無、③ 勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されているかどうかという拘束性の有無の三点が挙げられており、そのほか、指揮監督関係を補強する要素として、④ 本人に代わって他の者が労務を提供することが認められているかという代替性の有無が挙げられている。(2) 「報酬の労務対償性」の点は、使用従属関係の判断の補強基準として位置付けられており、そのほか、(3) 「労働者性」が問題となる限界的事例において、その判断を補強する要素として① 事業者性の有無、② 専属性の程度、③ その他、選考過程(一般従業員の選考方法との異同)、源泉徴収の有無、社会保険料の負担の有無、服務規律の適用の有無等の諸要素が挙げられている

三 傭車運転手は、その労働者性がしばしば争われる就労形態であって、下級審の裁判例も多く(傭車運転手の労働者性を肯定したものとして、① 富山地判昭49・2・22判時七三七号九九頁、② 金沢地判昭62・11・27判時一二六八号一四三頁、③ 大阪地決昭63・2・17労判五一三号二三頁、④ 大阪地決平2・5・8本誌七四四号一〇八頁、⑤ 大阪高決平4・12・21本誌八二二号二七三頁、⑥ 新潟地判平4・12・22本誌八二〇号二〇五頁があり、労働者性を否定したものとして、⑦ 大阪地判昭59・6・29労判四三四号三〇頁、⑧ 名古屋高金沢支判昭61・7・28労民三七巻四、五号三二八頁がある。)、前記報告書においても、その就労形態に即した労働者性の判断基準が具体的に述べられているところである。
本判決は、これまでの下級審裁判例や右報告書に指摘されたところを踏まえて、Xの労働者性を否定する判断を示したものであるが、その説示するところによると、本判決は、(1) Xがトラックという事業用の資産を所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していた点一定の事業者性を有することを前提として、右事業者性を減殺して、その労働者性を積極的に肯定させるような事情があるかどうかという観点から本件の検討を進め、(2) Xに製品の運送をさせていた会社の指示は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示にとどまり、それ以外には業務の遂行に関し特段の指揮監督を行っておらず、時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、その間に指揮監督関係を肯定し得るような事情がないこと、(3) 報酬がトラックの積載可能量と運送距離によって算出される出来高払いであること報酬の支払に当たって所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除がされていないなどの公租公課の負担関係からみても、Xの労働者性を肯定するに足りる事情はないこと、(4) Xが専属的に右会社の製品の運送業務に携わっており、その運送係の指示を拒否することができなかったことや報酬がトラック協会が定める運賃表による運送料より低額であったなどの事情だけでは、労働者性を肯定させるに足りないことから、Xの労働者性を否定する判断を示したものである。本判決は、事例判断であるとはいえ、傭車運転手の労働者性に関する初めての最高裁の判断であり、その判断の過程で示された諸要素とこれに対する評価は、今後のこの種事案の判断の参考になるところが大きいものと考えられる。

四 傭車運転手については、運送依頼者側では労働保険料の納付をしていないのが通例であり(これによる経費節減が傭車運転手という就労形態を採る運送依頼者側のメリットの一つでもある。)、このため、業務に起因する事故が生じてから、傭車運転手の労働者性が争われることになるケースが多い。傭車運転手は、労働者性の認められない場合であっても、労災保険法二七条三号所定のいわゆる一人親方として特別加入の申請を行い、自ら保険料を納付することによって、業務に起因する事故に対する保険給付を受けるみちが開かれているのであり、本判決の説示するところが今後の特別加入の制度の適切な活用につながるものと推測される。he–

+判例(H19.6.28)藤沢労基署長(大工負傷)事件
理由
上告代理人古川景一ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり、株式会社A(以下「A」という。)等の受注したマンションの建築工事についてB株式会社(以下「B」という。)が請け負っていた内装工事に従事していた際に負傷するという災害(以下「本件災害」という。)に遭った。
(2) 上告人は、Bからの求めに応じて上記工事に従事していたものであるが、仕事の内容について、仕上がりの画一性、均質性が求められることから、Bから寸法、仕様等につきある程度細かな指示を受けていたものの、具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく、自分の判断で工法や作業手順を選択することができた
(3) 上告人は、作業の安全確保や近隣住民に対する騒音、振動等への配慮から所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの、事前にBの現場監督に連絡すれば、工期に遅れない限り、仕事を休んだり、所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であった。
(4) 上告人は、当時、B以外の仕事をしていなかったが、これは、Bが、上告人を引きとどめておくために、優先的に実入りの良い仕事を回し、仕事がとぎれないようにするなど配慮し、上告人自身も、Bの下で長期にわたり仕事をすることを希望して、内容に多少不満があってもその仕事を受けるようにしていたことによるものであって、Bは、上告人に対し、他の工務店等の仕事をすることを禁じていたわけではなかった。また、上告人がBの仕事を始めてから本件災害までに、約8か月しか経過していなかった
(5) Bと上告人との報酬の取決めは、完全な出来高払の方式が中心とされ、日当を支払う方式は、出来高払の方式による仕事がないときに数日単位の仕事をするような場合に用いられていた。前記工事における出来高払の方式による報酬について、上告人ら内装大工はBから提示された報酬の単価につき協議し、その額に同意した者が工事に従事することとなっていた。上告人は、いずれの方式の場合も、請求書によって報酬の請求をしていた。上告人の報酬は、Bの従業員の給与よりも相当高額であった。
(6) 上告人は、一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し、これらを現場に持ち込んで使用しており、上告人がBの所有する工具を借りて使用していたのは、当該工事においてのみ使用する特殊な工具が必要な場合に限られていた
(7) 上告人は、Bの就業規則及びそれに基づく年次有給休暇や退職金制度の適用を受けず、また、上告人は、国民健康保険組合の被保険者となっており、Bを事業主とする労働保険や社会保険の被保険者となっておらず、さらに、Bは、上告人の報酬について給与所得に係る給与等として所得税の源泉徴収をする取扱いをしていなかった
(8) 上告人は、Bの依頼により、職長会議に出席してその決定事項や連絡事項を他の大工に伝達するなどの職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたが、上記業務は、Bの現場監督が不在の場合の代理として、Bから上告人ら大工に対する指示を取り次いで調整を行うことを主な内容とするものであり、大工仲間の取りまとめ役や未熟な大工への指導を行うという役割を期待して上告人に依頼されたものであった。

2 以上によれば、上告人は、前記工事に従事するに当たり、Aはもとより、Bの指揮監督の下に労務を提供していたものと評価することはできず、Bから上告人に支払われた報酬は、仕事の完成に対して支払われたものであって、労務の提供の対価として支払われたものとみることは困難であり、上告人の自己使用の道具の持込み使用状況、Bに対する専属性の程度等に照らしても、上告人は労働基準法上の労働者に該当せず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。上告人が職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたことその他所論の指摘する事実を考慮しても、上記の判断が左右されるものではない。
以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 本件は,大工であるXが,マンションの内装工事に従事していた際に,丸のこぎりの刃に右手指が触れ,右手中指,環指及び小指切断の傷害を負うという災害(以下「本件災害」という。)に遭ったことにつき,業務に起因するものであるとして,労働基準監督署長Yに対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき療養補償給付及び休業補償給付の申請をしたところ,Yから,労災保険法上の労働者でないという理由により不支給処分を受けたため,その取消しを求めた事案である。
Xは,作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり,本件災害の当時,大手工務店等の受注したマンションの建設工事について特定の会社が請け負っていた内装工事に従事しており,同社以外の仕事はしていなかった。
第1審判決(判タ1179号240頁,労判876号41頁),原審(公刊物未登載)とも,労災保険法にいう労働者の概念は労働基準法のそれと同義であるとした上で,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当せず,前記不支給処分に違法はないとして,Xの請求を棄却すべきものとした。
本判決は,第1審判決及び原判決と同様に,Xが労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当しないとして,Xの上告を棄却したものである。

2 労災保険法における「労働者」の意義は,労働基準法における「労働者」と同義であるとされるところ(菅野和夫『労働法〔第7版補正2版〕』332頁等。最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁,本判決等もこのことを前提とするものと解される。),同法9条は,同法にいう労働者について,職業の種類を問わず,同法8条の事業又は事務所に使用される者で,賃金を支払われる者をいうものと定めている。そして,同法にいう労働者に該当するというためには,「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と,「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断すべきものと解されており,これらの二つの基準は,「使用従属性」とも呼ばれている。労働者性の有無に関する判例(傭車運転手の労働者性を否定した前掲最一小判平8.11.28等)も,上記のような解釈を前提としているものと解される。
この使用従属性の有無については,これまでの裁判例等における判断基準を整理し,分析したものとして,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会(第一部会)の昭和60年12月19日付け報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労判465号70頁参照。以下「労基研報告」という。)があり,判断の参考になるものと思われる。労基研報告は,労働者性の判断基準について,(1)「使用従属性」に関する判断基準と,(2)「労働者性」の判断を補強する要素とに大別し,(1)の「使用従属性」に関する判断基準として,①「指揮監督下の労働」に関する判断基準(具体的には,仕事の依頼,業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,拘束性の有無が挙げられ,このほか,指揮監督関係の判断を補強する要素として,代替性の有無が挙げられている。),②報酬の労務対償性に関する判断基準を挙げており,また,(2)の「労働者性」の判断を補強する要素として,事業者性の有無(具体的には,機械,器具の負担関係,報酬の額等),専属性の程度等を挙げている。
ところで,建設業等においては,1人又は数人単位の下請業者が特定企業と専属下請関係をもって実際上はその従業員と同様の役割を演ずることがあり,その労働者性が問題となることがある(菅野・前掲85頁。建設業等に従事する者の労働者性を肯定した裁判例として,東京地判平6.2.25労判656号84頁等があり,否定した裁判例として,大阪地判昭49.9.6訟月20巻12号84頁,高松地判昭57.1.21労判381号45頁,横浜地判平7.7.20労判698号73頁,浦和地判平10.3.30訟月45巻3号503頁,東京地判平16.7.15労判880号100頁等がある。)。この点に関しては,平成8年3月に発表された,労働基準法研究会労働契約等法制部会労働者性検討専門部会報告「建設業手間請け従事者及び芸能関係者に関する労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労旬1381号56頁参照。以下「専門部会報告」という。)が,労働者性の問題となる事例が多く見られる建設業手間請け従事者(手間請けとは,工事の種類,坪単価,工事面積等により総労働量及び総報酬額の予定額が決められ,労務提供者に対して,労務提供の対価として,労務提供の実績に応じた割合で報酬を支払うという建設業における労務提供方式をいうものとされる。)等につき,労基研報告による労働者性の判断基準をより具体化した判断基準の在り方について検討しており,参考になるものと思われる。近時の裁判例には,専門部会報告の判断基準を踏まえて大工の労働者性の有無を判断したものもあり(前掲浦和地判平10.3.30),本件の第1審判決,原判決も,Xの労働者性について,労基研報告及び専門部会報告の判断枠組みを基本にした判断をしている。
3 本判決は,①Xは,仕事の内容について,仕上がりの画一性,均質性が求められることから,当該内装工事を請負っていた特定の会社から寸法,仕様等についてある程度細かな指示を受けていたものの,具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく,自分の判断でこれらを選択することができたこと,②Xは所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの,事前に現場監督に連絡すれば,工期に遅れない限り,仕事を休んだり,所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であったこと,③Xは,本件災害当時,同社以外の仕事をしていなかったが,他の工務店等の仕事をすることを禁じられていたわけではなかったこと,④Xと同社との報酬の取決めは,完全な出来高払の方式が中心とされ,その方式による場合,Xら内装大工は,同社から提示された報酬の単価につき協議し,その額に同意した者が工事に従事することとなっていたこと,⑤Xは,一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し,これらを現場に持ち込んで使用していたこと等の事実関係を摘示した上で,これらの事実関係の下において,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に当たらないと判断している。本判決による上記判断は,労基研報告や専門部会報告の指摘するところを踏まえつつ,本件における具体的な事情を総合考慮して,Xの労働者性を検討し,これを否定したものということができると思われる。
なお,大工,左官等の建設業に従事する者については,本件のように労働者性が認められない場合であっても,いわゆる一人親方等を対象とする特別加入制度(労災保険法33条以下)によって,自ら保険料を納付して労災保険に任意に加入するみちが開かれている

4 本判決は,最高裁が,これまで問題となることの多かった建設業に従事する者の労働者性に関して判断したものであり,事例判断ではあるが,具体的な判断要素の摘示とこれに対する検討を通じて同種事案に関する判断の在り方を示したものとして,実務上参考になるところが少なくないものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H14.7.11)新宿労基署長(映画撮影技師)事件
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、映画撮影技師(カメラマン)であるA(以下「亡A」という。)が映画撮影に従事中、宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて、その子である控訴人が、亡Aの死亡は業務に起因したものであるとして、被控訴人に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付等の支給を請求したところ、亡Aは労働基準法(以下「労基法」という。)9条に規定する「労働者」ではないとの理由で不支給処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、その取消を求めた事案である。
なお、呼称、略称等については、本判決で明記したもの以外についても、原判決の例によることとする。

2 原審裁判所は、亡Aは労基法9条に規定する「労働者」には当たらないと判断して、控訴人の請求を棄却したため、これを不服とする控訴人が控訴したものである。

3 争いのない事実、主たる争点及び当事者の主張等は、第3において、当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄第二「事案の概要」の一ないし三(原判決4頁3行目から55頁末行まで。ただし、45頁6行目に「事由」とあるのを「自由」と改める。)記載のとおりであるから、これを引用する。

第3 当審における当事者の主張
1 控訴人の主張
(1) 使用従属性について
原判決は、「労働者」に当たるか否かについて、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものとしており、これは正当と評価できるが、使用従属関係の存否の判断に際しては、芸能関係に従事するスタッフであっても、これを一律に検討するのではなく、それぞれの労働の従事の仕方に応じて個別的に判断すべきであり、一部の事例を安易に一般化することは厳に慎まねばならず、また、映画産業においては、かつては正社員として映画製作会社に雇用されていたスタッフが合理化の一環として「業務委託契約」のように請負契約化させられ、これに対してスタッフが自らの立場を守るために労働者としての権利を主張してきたという、労使の利害対立が背景となっていることを十分に認識する必要がある。
また、原判決は、亡Aの使用従属性を否定する根拠として、映画製作の性質ないし特殊性を挙げるが、業務の性質ないし特殊性によるか否かは、労務提供の履行がその契約によって特定されているか否かによって判断すべきである。すなわち、契約当事者である労務提供者が、その債務の履行(労務提供の方法)の内容を自由に決定できる場合であれば、この関係は指揮監督関係にはないが、契約の内容に労務提供の場所や時間、業務遂行方法などが特定されている場合には、契約による拘束、すなわち「業務の性質ないし特殊性」による拘束になるのである。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由について
原判決は、一方では、亡Aが具体的な個々の仕事について拒否する自由を制約されていたものと認定しながら、他方でそうした制約は主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので、使用者の指揮命令を理由とするものとは言い難いとした。
しかし、そもそも一般に、使用者の指揮命令が当該業務の性質や特殊性などと無関係になされることなどあり得ず、むしろ常に業務上の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む、業務の内容による必要性からなされるのであり、使用者ないし監督者の主観的な自由によって指揮命令がなされることの方が稀である。原判決が挙げる制約は、多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。どのような業務にもそれぞれにこの類の仕事上必要な制約はあるのであって、映画撮影に固有のものではない。原判決の論理によれば、あらゆる業務における諾否の自由の制約は、使用者の指揮命令とは直接に関係しないということになってしまうのであり、そのような論理が誤りであることは明らかである。
イ 業務遂行上の指揮監督関係について
原判決は、最終的な決定権限がB監督にあるのは、監督と撮影技師との職能ないしは業務分担の問題であって、使用者の指揮命令ではないとしたが、これは、映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係の問題とを混同するものである。その結果、原判決は、当該業務ごとに併存する「業務の内容上の特殊性」と「業務遂行上の指揮監督関係」のうち一方だけを取り出して強調し、他方を無視する誤りに陥っている。たしかに、映画製作は、専門的技術が集合したものであり、各スタッフには独立した職能があり、職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行うものではあるが、業務として作品を完成させるためには、相互の意見を調整する必要があるのであり、そのためには確固たる指揮命令、監督関係が不可欠であり、映画撮影においてはプロデューサーを除けば監督がその決定権を有するのである。このような指揮監督関係と業務の専門性の併存は、様々な分野において存在するものであり、専門性のゆえに指揮監督関係が否定されるものではない。このような監督の権限を、「職能ないしは業務分担の問題」であるとするのであれば、専門性を有する業務においては、およそ指揮監督関係は存在しなくなる。指揮命令関係の有無は、撮影技師がなした作業について、監督が指示できる権限を有していたかどうかで決すべきであり、監督は、撮影作業の結果について自己のイメージと異なるのであれば、撮り直しや方法の見直しなどを納得の行くまで繰り返し指示できるのであり、指揮監督関係があることは明らかである。撮影技師は、技術性や芸術性においては高い裁量を有しているが、これらは監督の指示から独立して発揮されるものではなく、監督の指示と違う撮影をすることは許されていないのである。
この点、原判決は、〈1〉「監督は、その仕事の細部に至るまでの指示ができる立場ではない。」、〈2〉「芸術性を追求する点では監督と撮影技師は同格であり」と判示するが、これは事実を誤認するものである。すなわち、〈1〉について、監督には撮影技術の知識がないため、細部についてまでは指示ができないことは否定できないが、それは職務権限がないことを意味するものではなく、監督は撮影技師に対し細かく指示することができる立場と権限を有しており、撮影技師は監督が納得するまで何度でも撮影を行わなければならないのである。〈2〉についても、芸術性を追求する熱意や意欲の点で同格であることは判示のとおりであるが、これが指揮命令関係がないという趣旨であれば、事実誤認にほかならない。
また、原判決は、撮影方法等についての亡Aの提案をB監督が採用したことがあったことをもって、指揮命令関係を否定する根拠とするが、このような提案を採用するか否かの決定権を監督が有していることが重要なのであり、採用されることがあったことは指揮命令関係を否定する理由とはならないというべきである。
ウ 時間的・場所的拘束性について
亡Aの受けていた場所的・時間的拘束は、原判決の認定するとおり高いものであったが、これは他の多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。使用者はそれぞれの業務の性質、特殊性に応じた「指揮命令の必要性」から労働者に対して、それぞれの時間的・場所的な指揮命令を行うのである。
映画撮影において、ロケ出発からロケ終了まで起居寝食を共にし、常に一緒に行動することが求められるのは、映画製作の業務を遂行するために必要だからであって、業務の性質ないし特殊性を超えた拘束である。
エ 労務提供の代替性について
亡Aの労務提供に代替性がなく、亡Aが指揮命令を受ける関係にあったことは原審で主張したとおりである。
オ 報酬の性格・額について
原判決は、亡Aの報酬の性格・額について労務対償性を否定し、その前提となる亡Aの報酬について、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更がないものとされていたと認定したが、同認定は事実誤認である。実際には、C社長は、亡A死亡後の昭和61年8月7日から11日までの追加撮影について、亡Aと同様のメインスタッフであり、一本契約であった照明技師Dを含むスタッフ全員に追加報酬(日当×撮影日数)を支払っているのであり、これは亡Aが追加撮影に参加した場合であっても同様である。したがって、当該労務の「日額単価×労務提供期間」で報酬が算定されるという点では、メインスタッフと撮影助手等のスタッフとの間で差異はなく、技量の差異や技師と助手の差異で単価が異なるだけなのである。この点、原判決は、「撮影の3分の2が消化したからというものであり、このことは亡Aの報酬に出来高的要素が強かったことを窺わせる。」としたが、3分の2とはまさしく撮影予定期間である50日の3分の2を消化したという意味であり、合意報酬額の120万円に3分の2を乗じて実際の報酬額を算定することは、労務提供期間を基準にしてその報酬を算定したものにほかならないのである。
また、労働者に対する賃金の支払い方法が「出来高制」であるからといって、その労務対償性が否定されるわけではないことは、労基法27条が「出来高払制、その他請負制で使用する労働者」と明定しているとおりである。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した機材、フィルム、宿泊費用などはすべて株式会社青銅プロダクション(以下「青銅プロ」という。)が負担し、中尊寺金色堂の撮影についてのみ亡Aの所有していたカメラを使用したことは原判決の認定するとおりである。中尊寺金色堂のみ亡Aのカメラを使用したことは例外的であって、これをもって労働者性を否定する根拠とすべきものではない。
キ 専属性の程度について
亡Aは、青銅プロの専属の撮影技師ではなかったことは、原判決の認定するとおりであるが、本件映画の製作についての労働契約期間中は、実際上他の映画撮影などの業務に従事することは不可能であった。また、専属性のない労働者は、臨時工、アルバイト、パート、契約労働者、フリーターなど多数存在しているのであり、専属性がないこと、又は低いことは労働者性を否定する根拠とはならないというべきである。
ク 服務規律について
亡Aに青銅プロの就業規則が適用されていないことは原判決の認定するとおりである。しかし、このことは、専門的技術及び知識を有する期間の定めのある労働者であれば通常である。労働者の種類に応じて、例えばパート用就業規則、契約社員用就業規則など、就業規則が複数ある企業は珍しくないのであって、青銅プロのような零細企業が亡Aなどのスタッフを想定した就業規則を整備していないことは労働者性を否定する根拠とはならないのである。
ケ 公租などの支払について
(ア)事業所得としての申告について
青銅プロは、「芸能人報酬に関する源泉徴収」をしている。映画製作スタッフをはじめとして、実際上は「芸能人報酬に関する源泉徴収」をするのが業界の慣行となっている。使用者がこの徴収をする以上、芸能スタッフは、給与所得者として確定申告することは制度上可能であったとしても、極めて困難である。したがって、事業所得として申告していたことをもって、労働者性を否定する根拠とすることは相当でない。
(イ)労災保険料の算定について
青銅プロは、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていた。このことは、使用者である青銅プロが、亡Aを少なくとも労災関係においては、労働者として認識していたことを示すものであって、労働者性を肯定する要素にほかならない。

2 被控訴人の主張
(1) 使用従属性について
使用従属性についての控訴人の主張はいずれも争う。控訴人の主張はいずれも独自の見解であり、原判決の判断は正当である。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由についての反論
本件映画の撮影に関しては、そもそも亡Aが、本件映画の撮影全体そのものを拒否する権限を有していたことが重要である。たしかに、亡Aは、会社が作成した予定表に従って行動しなければならず、また、B監督と行動を共にする必要があったのであるから、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由は制限されていたと認められるが、こうした制約は、日程が決まっているという映画製作の特殊性及びいったん応諾したことによって生ずるものと考えられ、そもそも重要なファクターとはいい難く、労働契約に基づく指揮監督関係を基礎づけるものとはいえない。
イ 業務遂行上の指揮監督関係についての反論
控訴人は、原判決の説示について、「映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係との問題を混同して論ずる誤りを犯している」と主張するが、両者が無関係であるという趣旨であれば、それは控訴人の独自の見解といわざるを得ない。
また、およそ一般論として職務の専門性を根拠に指揮監督関係を否定することができないとしても、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである。
また、最高裁平成8年11月28日判決・判例時報1589号136頁の判示するとおり、業務遂行上の指揮監督の有無を判断するためには、使用者から業務の内容及び遂行方法につき具体的な指示がなされていたことも重要な要素となるというべきである。この点、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない。
さらに、控訴人は、原判決の「監督がその仕事の細部に至るまでの指示ができる立場にはない」、「芸術を追求する点では監督と撮影技師は同格であり、両者は意見を出し合って議論しながら撮影を進めていくものである」との認定が事実誤認である旨主張する。しかし、監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない。最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない。少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していたことは、関係者の供述からも明らかである。
ウ 時間的・場所的拘束性についての反論
本件撮影業務においては、会社で作成された予定表に従って集団で行動し、就労場所も指定されているから、時間的・場所的拘束性が存在することは間違いないが、本件映画製作の実行から生ずる当然の制約と考えられる。しかし、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしていない。そして、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素というべきである。
エ 労務提供の代替性についての反論
亡Aの仕事そのものについて代替性がないことは原判決の説示するとおりであるが、原判決の認定する、亡AがいわゆるA一家から撮影助手、照明技師を青銅プロに推薦して採用されているという事実に照らすと、A一家から採用されなければ、亡Aは本件映画撮影を引き受けなかったであろうことが容易に推測され、こうしたことは、かかる契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる。
オ 報酬の性格・額についての反論
C社長には、亡Aを労働者として雇用するという認識は全くなかったことは、本件報酬について、「大体の期間は決めていましたけれど、多少多くなっても少なく終わっても契約金額を変えないつもりでした。」という同社長の供述からも明らかである。
また、控訴人が、事実認定の誤りと主張する、原判決の亡Aの報酬についての評価についても、報酬につき明確に出来高払とも撮影期間計算とも定めていない契約において、撮影が中途に終わった段階で支払われた金額がいずれの趣旨で支払われたとしても、金額を整合的に説明できないということを指摘したにすぎない。とすれば、報酬がどのような性格をもっていたのかは不明であったというほかはなく、これを当然に撮影期間計算であって賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである。むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものといえる。
さらに、亡Aは、カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作の撮影を担当したり、日本映画技術賞の審査員を務めたり等の経歴を有する実績のある優秀な撮影技師であり、一般の撮影技師とは別格として評価され、報酬の決定に当たっても監督に準ずる扱いを受けていたのであるから、他の撮影技師と比較することに意味はない。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係についての反論
亡Aは、本件映画撮影において、原則として青銅プロのカメラを使用したが、中尊寺金色堂の撮影について、特にきれいに撮るため、自己のカメラを使用した。これは、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素と考えられる。
キ 専属性の程度についての反論
本件契約は、昭和60年10月から昭和61年5月までの8か月間にわたるものであるが、撮影業務に従事するのは延べ50日間の予定であり、この期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった。
ク 服務規律についての反論
亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されていなかったことは前述のとおりである。
ケ 公租などの支払についての反論
(ア)事業所得としての申告についての反論
亡A自身が、フリーの撮影技師として青銅プロをはじめとする芸能プロダクションと請負類似の一本契約を締結しているからこそ、その所得については従来から事業所得として申告しているのであり、同申告は、亡Aの意向に沿った合理的なものである。
(イ)労災保険料の算定についての反論
労災保険料の受領に関しては、使用者が、労働者でない者に対して支払った報酬を誤って賃金として算定して概算申告した場合に、翌年度の概算及び確定申告において、確定保険料額が申告済み概算保険料額より少ない場合には、その差引額(充当額)を翌年度の概算保険料額に充てることとなり、それでもなお余る場合には、使用者において還付請求することができる。したがって、青銅プロが、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていたことは、青銅プロが亡Aを労働者として認識していたことを示すものとはいえない。

第4 当裁判所の判断
1 当裁判所は、亡Aは労基法9条の「労働者」に該当し、労災保険法における「労働者」に当たると判断するものであり、その理由は、以下のとおりである。
2 亡Aの労働者性の判断の前提となる事実関係は、原判決「事実及び理由」欄第三「当裁判所の判断」の一(原判決56頁2行目から77頁3行目まで)に説示するとおりであるから、これを引用する。
ただし、原判決73頁2行目から9行目までを次のとおり補正する。
「撮影技師としての亡Aが本件映画の撮影で行う仕事は、B監督が伝えるカメラのポジションや対象の撮り方などの基本的なイメージを忠実に表現することであった。撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具象化するのが仕事である。監督は、必ずしも撮影技術の詳細について知識を有するものではないから、撮影技術の細部に至るまでの指示をすることはできないとしても、撮影技師の専門性を重視し、その裁量を尊重しながら、自己の納得が行くまで撮影技師に対して撮り直し等を指示することができ、他方、撮影技師は、監督の指示の意図するところを把握してこれに沿うように撮影をすべき義務があった。もとより、芸術性を追求する点では、撮影技師も監督に劣るものではなく、両者は意見を出し合って議論をしながら撮影を進めて行くものであり、監督が撮影技師の意見を尊重することもあるが、映画製作に関する最終決定は、プロデューサーを別とすれば、監督が行うものであった。」

3 労災保険法上の「労働者」の意義について
労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義については、同法にこれを定義した規定はないが、同法が労基法第8章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたものであることにかんがみると、労災保険法上の「労働者」は、労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そして、労基法9条は、「労働者」とは、「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と規定しており、その意とするところは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払を受ける者をいうと解されるから、「労働者」に当たるか否かは、雇用、請負等の法形式にかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものであり、以上の点は原判決も説示するところである。
そして、実際の使用従属関係の有無については、業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容、支払われる報酬の性格・額、使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無、時間的及び場所的拘束性の有無・程度、労務提供の代替性の有無、業務用機材等機械・器具の負担関係、専属性の程度、使用者の服務規律の適用の有無、公租などの公的負担関係、その他諸般の事情を総合的に考慮して判断するのが相当である。

4 亡Aの労働者性について
(1) 業務遂行上の指揮監督関係について
ア 原判決の認定した事実及び前記のとおり一部補正した認定事実を総合すれば、映画製作においては、撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具体化し、監督は、映画製作に関して最終的な責任を負うというものであり、本件映画の製作においても、レンズの選択、カメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等については、いずれもB監督の指示の下で行われ、亡Aが撮影したフィルム(カットの積み重ね)の中からのカットの採否やフィルムの編集を最終的に決定するのもB監督であったことが認められ、これらを考慮すると、本件映画に関しての最終的な決定権限はB監督にあったというべきであり、亡AとB監督との間には指揮監督関係が認められるというべきである。
もっとも、本件映画の撮影に際し、亡Aの提案に従って撮影が行われた部分があること、カットの採否のためにラッシュをスタッフ全員で見て、各スタッフが自由に意見を述べ合うことが通例であったことは、いずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決73ないし75頁)、これらはいずれもB監督が最終的な意思決定をする際に、各スタッフの意見を尊重した結果にすぎないばかりか、かえって、B監督は、亡Aが独自に考えて撮影したものは採用しなかったという事実もあるのであって(原判決76頁)、上記の事実もB監督の最終的な決定権限を否定するものとはいえない。
また、映画製作は、撮影、録音、演出等さまざまな専門的技術が集合したものであり、各スタッフにはそれぞれ独立した職能があって、専門的に分かれている自己の職能以外の仕事をするようなことは考えられず、その職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行っていくものであることも原判決の認定するとおりであるが(同64、65頁)、業務としてこれを行う以上、これを統括し、調整することが不可欠であり、監督こそがその任にあるのであって、上記のような映画製作の特殊性もまた、B監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する事情とはいえない
さらに、原判決の認定するとおり、亡Aの高度な技術と芸術性をB監督も評価していたこと(同56ないし58頁)、また、亡Aは本件映画の撮影に際し、これまでの仏像撮影のパターンを打ち破ろうと考え、積極的に意見を述べるだけでなく、個々の撮影に関するポジションの決定等も指示していたこと(同74ないし75頁)からすると、亡Aが本件映画の撮影について相当程度の裁量を有していたことは認められるものの、同監督の指揮監督から独立した裁量を有していたとまでは認めることができず、このような亡A個人の特殊技能といった事実も、同監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する要素となるものではない
なお、B監督不在の間に亡Aと助監督のEのみで意見交換を行いながら撮影場所を決定して撮影を行ったこと、その際Eは亡Aの意向を尊重するようにしていたことは原判決の認定するとおりであるが(同76頁)、これはそもそもB監督が、義母の急逝により帰郷したためにとられた措置であり、その際にも、B監督が「厳しい自然」というイメージを亡A及びEに伝えていることも原判決が認定するとおりであり、これも、亡AがB監督の指示を離れた裁量を有していたことを示す事情とはいえない。
イ この点に関し、被控訴人は、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである旨主張する。しかし、映画製作の最終決定を監督が行い、撮影技師は監督の意図に沿うよう撮影すべきものであることは前判示のとおりであり、いかに技術が高いからといって、撮影技師が監督の指揮監督を離れて技術や裁量を発揮する権限までを有しているものと認めることはできないのであって、映画の撮影技師である以上、技術が高いとの理由で職務の独立性が強いとすることはできない。
また、被控訴人は、最高裁平成8年11月28日判決を援用して、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない旨主張する。しかし、B監督の指示が、具体的な指揮命令という形をとっていなかったとしても、それは亡AがB監督の意図を了解してこれに沿うように撮影したために指揮命令が顕在化しなかっただけであって、監督の指揮命令としての性質を有することを否定するものではない。被控訴人の援用する最高裁判決は本件とは事案を異にし、本件には適切でない。
さらに、被控訴人は、〈1〉監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない、〈2〉最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない、〈3〉少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していた旨主張する。
しかし、これらについては、いずれも被控訴人の主張と同旨の原判決の認定(73頁2行目から9行目まで)を改めるべきであることは前記のとおりであり、映画撮影においては、撮影技師は、あくまでも監督の下で技術性、裁量性を発揮すべきものと認められ、指揮命令関係の観点からみて、本件におけるB監督と亡Aが同格として扱われていたということはできないから、被控訴人の上記主張も採用することができない

(2) 報酬の性格・額について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬は、本件映画1本の撮影作業に対するものとして120万円とされており、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更はないものとされていたものの、青銅プロで決まっている日当と予定撮影日数を基礎として算定した額に打ち合わせへの参加等を考慮して決められたものであるから(原判決59頁、68頁)、労働者性について疑う余地のない他の撮影助手、照明技師等について支払われていた報酬と本質的な差異があるということはできない。また、亡Aは、合計33日間本件映画の撮影等に従事してその途中で死亡しているところ(同72ないし73頁)、撮影の3分の2を消化したという理由で84万円が支払われていたというのであるが(同60頁)、33日間という日数は当初の撮影予定期間である50日の約3分の2に相当し、上記のような支払がなされたこともまた、他の撮影助手等について日当を基礎に日数に応じて報酬が支払われていたことと整合性を有するものといえる。
したがって、亡Aに支払われた報酬は、原判決の説示するような出来高的な要素の強い報酬というよりは、むしろ賃金の性格の強いものであったということができる
被控訴人は、本件において、〈1〉報酬がどのような性格をもっていたのかは結局は不明であったというほかはなく、これを当然に賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである、〈2〉むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものである旨主張する。
しかし、前判示のとおり、亡Aに対しては、労務提供期間を基準としてその報酬を算定したものということができるのであって、撮影が中途で終わった場合の明確な規定がないからといって、必ずしも報酬としての性格が強く裏付けられるとはいえない。

(3) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について
原判決の認定事実によれば、亡Aには、本件映画の撮影を引き受けるかどうか、いい換えれば同撮影に関する本件契約を締結するかどうかの自由があったことは明らかであるが、いったん、契約を締結した以上、亡Aは、製作進行係(兼務助監督)EがプロデューサーであるC社長の指示の下に作成した予定表に従って行動しなければならなくなり(原判決69ないし70頁)、また、前判示のとおり、撮影技師として本件映画についてのB監督のイメージを把握してこれを映像に具象化すべき立場にあったから、本件映画の撮影に関し、亡Aが具体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる
この点に関し、原判決は、亡Aの、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の制約は、主として映画製作の特殊性によって生ずるものであり、「使用者」の指揮命令を理由とするものではない旨説示し(同80ないし81頁)、被控訴人もほぼ同旨の主張をする。
しかし、もともと使用者の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む業務の内容による必要性を通じて実現されることの方が多いのであって、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の有無という被控訴人が主張する類の制約も多くの業務に共通するものであり、映画製作のみに固有のものではない。したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

(4) 時間的・場所的拘束性について
亡Aは、本件映画の撮影に従事することによりEの作成した予定表に従って集団で行動し、就労場所もロケ及びロケハンの現場と指定されていたものであって、時間的・場所的拘束性が高いものであったといえることは原判決の説示するとおりである(原判決86頁)。
もっとも、この点に関し、原判決は、このような拘束は映画製作の性質ないし特殊性による面が大きく、「使用者」の指揮命令の必要からされているものではない旨説示し(同頁)、被控訴人も同旨の主張をする。
しかし、このような拘束について映画製作の性質ないし特殊性のみを強調することは相当ではなく、かかる時間的・場所的拘束も映画を製作しようとする使用者の業務上の必要性からなされるものとみるべきであることは前記のとおりである。したがって、被控訴人の前記主張も採用することができない。

(5) 労務提供の代替性の有無
本件映画の撮影について、青銅プロは、亡Aの撮影技師としての技術に着目したB監督の推薦があったために、亡Aとの間で本件契約を締結するに至ったことは原判決の認定するところであり(原判決58頁)、亡Aに、使用者の了解を得ずに自らの判断で他の者に労務を提供させ、あるいは補助者を使うことが認められていたとはいい難く、亡Aの仕事に代替性が認められているとはいえない。このことは、指揮監督関係を肯定する要素の1つである。
この点に関し、被控訴人は、本件における契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる旨主張するが、亡Aが、撮影助手としてF及びG並びに照明技師としてDを青銅プロに推薦したものの、同人らはいずれも青銅プロとの間で個別に契約を締結していることは原判決の認定するところであって(原判決67ないし68頁)、本件撮影業務を一括して請け負ったことを示す証拠はないから、同主張はその前提において失当である。

(6) 機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した撮影機材は、中尊寺金色堂の撮影について自己のカメラを使用したほかはすべて青銅プロのものであったものであり、この事実が亡Aの労働者性をうかがわせる要素といえることは、原判決の説示するとおりである(原判決91頁)。
被控訴人は、亡Aが上記のように中尊寺金色堂の撮影に自己のカメラを使用したことが、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素である旨主張するが、亡Aが自己のカメラを使用したのはごく例外的であったことは原判決も認定するとおりであって、上記主張は採用できない。

(7) 専属性の程度について
亡Aが経済的に青銅プロの仕事に依存していたということはできず、亡Aの青銅プロへの専属性の程度が低かったというべきであることは原判決の説示するところであり(原判決91ないし92頁)、被控訴人も、亡Aが、本件契約の期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった旨主張し、亡Aの専属性の程度が低かったことを主張しようとするものと解される。
しかし、本件において、前記のとおり指揮監督関係が認められることに照らすと、専属性の程度が低かったとしても、このことが直ちに亡Aの労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものとはいえないから、上記主張もまた採用できない。

(8) 服務規律の適用について
亡Aには、従業員の就業時間、休憩時間、休日及び服務規律等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、亡Aの報酬の支払時期も、青銅プロの従業員と異なる時期とされたことはいずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決92頁)、これらの事実も指揮監督関係が認められる本件においては、労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものではないというべきである上、原審証人Eの証言によれば、亡Aのみではなく、青銅プロの従業員であると否とを問わず、ロケの期間中は、撮影スタッフに対しては就業規則が適用されないのが通例であったことが認められるから、亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されなかったことは、必ずしも亡Aの労働者性を否定する要素とはならない。
この点に関し、被控訴人は、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしておらず、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素である旨主張するが、これらの事情も、本件において労働者性を否定する要素とはならないことは前記と同様である。

(9) 公租などの公的負担関係について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬に関しては、給与に関する源泉徴収ではなく、「芸能人報酬に関する源泉徴収」(所得税法204条1項5号参照)がされており、亡Aも本件報酬を事業所得として確定申告していることが認められる(原判決61頁)。しかし、所得税の申告形式のみを捉えて使用従属関係を否定することは相当ではない上、原審提出の甲36及び原審証人Hの証言によれば、事業所得として申告することは、労働者性の認められる他の撮影助手等の映画スタッフについてもほぼ同様であったことが認められるから、所得税の申告形式から労働者性を否定することはできない
他方、原判決が認定及び説示するとおり、青銅プロが昭和60年4月から昭和61年3月まで労災保険料の算定基礎に亡Aに対する本件報酬を含めていたことは、亡Aの労働者性を肯定する要素であり(原判決61ないし62頁及び93頁)、ただ亡A分を含めた労災保険料の納付が青銅プロの判断において行われたにすぎず、被控訴人の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから、そのことから直ちに亡Aが「労働者」であったということができないことも原判決の説示するとおりであるが、しかし、この事実が、労働者性の判断において1つの要素となることは否定できない。
この点に関し、被控訴人は、事業者において報酬を誤って賃金として支払った場合の措置について主張するが、本件では、被控訴人の主張するような措置がとられた事例であることを認めるべき証拠はないから、同主張は上記の判断を左右しない。

(10) 以上(1)ないし(9)にみたとおり、亡Aの本件映画撮影業務については、亡Aの青銅プロへの専属性は低く、青銅プロの就業規則等の服務規律が適用されていないこと、亡Aの本件報酬が所得申告上事業所得として申告され、青銅プロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること等使用従属関係を疑わせる事情もあるが、他方、映画製作は監督の指揮監督の下に行われるものであり、撮影技師は監督の指示に従う義務があること、本件映画の製作においても同様であり、高度な技術と芸術性を評価されていた亡Aといえどもその例外ではなかったこと、また、報酬も労務提供期間を基準にして算定して支払われていること、個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること、時間的・場所的拘束性が高いこと、労務提供の代替性がないこと、撮影機材はほとんどが青銅プロのものであること、青銅プロが亡Aの本件報酬を労災保険料の算定基礎としていること等を総合して考えれば、亡Aは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたものと認めるのが相当であり、したがって、労基法9条にいう「労働者」に当たり、労災保険法の「労働者」に該当するというべきである。

5 以上によれば、亡Aは、労災保険法における「労働者」に該当すべきこととなるところ、本件処分においては、亡Aの労働者性が否定されたのみで、死亡の業務起因性については未だ判断されていないから、裁判所としては、亡Aの死亡の業務起因性の有無について認定、判断を留保した上、本件処分を違法として取り消すべきものであるところ(最高裁平成5年2月16日判決・民集47巻2号473頁参照)、これと結論を異にする原判決は取消を免れない。
第5 結論
よって、原判決を取り消し、本件処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。
第21民事部

+判例(H17.6.3)関西医科大学研修医未払賃金事件
理由
上告代理人池上健治ほかの上告受理申立て理由について
1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、関西医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)を開設している学校法人である。
(2) 亡A(以下「A」という。)と被上告人X1との間の子であるB(以下「B」という。)は、平成10年4月16日に医師国家試験に合格し、同年5月20日に厚生大臣の免許を受けた医師である。Bは、同年6月1日から本件病院の耳鼻咽喉科において臨床研修を受けていたが、同年8月16日に死亡した。
(3) 本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、2年間の研修期間を2期に分け、〈1〉 第1期(1年間)は、外来診療において、病歴の聴取、症状の観察、検査及び診断の実施並びに処置及び小手術の施行を経験し、技術の習得及び能力の修得を目指すほか、入院患者の主治医を務めることを通じて、耳鼻咽喉科の診療の基本的な知識及び技術を学ぶとともに、医師としての必要な態度を修得する、〈2〉 第2期(1年間)は、関連病院において更に高いレベルの研修を行う、というものであった。
(4) 平成10年6月1日から同年8月15日までの間にBが受けていた臨床研修の概要は、次のとおりであった。
ア 午前7時30分ころから入院患者の採血を行い、午前8時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
イ 午前9時から午後1時30分ないし午後2時まで、一般外来患者の検査の予約、採血の指示を行って、診察を補助する。問診や点滴を行い、処方せんの作成を行うほか、検査等を見学する。
ウ 午後は、専門外来患者の診察を見学するとともに、一般外来の場合と同様に、診察を補助する。火曜日及び水曜日には、手術を見学することもある。
エ 午後4時30分ころから午後6時ころまで、カルテを見たり、文献を読んだりして、自己研修を行う。
オ 午後6時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
カ 午後7時以降は、入院患者に対する処置を補助することがある。指導医が不在の場合や、指導医の許可がある場合には、単独で処置を行うこともある。
キ 指導医が当直をする場合には、翌朝まで本件病院内で待機し、副直をする。
(5) Bは、本件病院の休診日等を除き、原則的に、午前7時30分から午後10時まで、本件病院内において、指導医の指示に従って、上記のような臨床研修に従事すべきこととされていた
(6) 上告人は、Bの臨床研修期間中、Bに対して奨学金として月額6万円の金員及び1回当たり1万円の副直手当(以下「奨学金等」という。)を支払っていた。上告人は、これらの金員につき所得税法28条1項所定の給与等に当たるものとして源泉徴収を行っていた。
(7) Aは、平成17年1月5日に死亡し、被上告人X1及びAと被上告人X1との間の子である被上告人X2がこれを相続した。

2 本件は、被上告人らが、Bは労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条所定の労働者であり、最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条所定の労働者に該当するのに、上告人はBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったとして、上告人に対し、最低賃金額と上告人がBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する賃金の支払を求める事案である。

3 研修医は、医師国家試験に合格し、医籍に登録されて、厚生大臣の免許を受けた医師であって(医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下同じ。)2条、5条)、医療行為を業として行う資格を有しているものである(同法17条)ところ、同法16条の2第1項は、医師は、免許を受けた後も、2年以上大学の医学部若しくは大学附置の研究所の附属施設である病院又は厚生大臣の指定する病院において、臨床研修を行うように努めるものとすると定めている。この臨床研修は、医師の資質の向上を図ることを目的とするものであり、教育的な側面を有しているが、そのプログラムに従い、臨床研修指導医の指導の下に、研修医が医療行為等に従事することを予定している。そして、研修医がこのようにして医療行為等に従事する場合には、これらの行為等は病院の開設者のための労務の遂行という側面を不可避的に有することとなるのであり、病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り、上記研修医は労働基準法9条所定の労働者に当たるものというべきである。
これを本件についてみると、前記事実関係によれば、本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、研修医が医療行為等に従事することを予定しており、Bは、本件病院の休診日等を除き、上告人が定めた時間及び場所において、指導医の指示に従って、上告人が本件病院の患者に対して提供する医療行為等に従事していたというのであり、これに加えて、上告人は、Bに対して奨学金等として金員を支払い、これらの金員につき給与等に当たるものとして源泉徴収まで行っていたというのである。
そうすると、Bは、上告人の指揮監督の下で労務の提供をしたものとして労働基準法9条所定の労働者に当たり、最低賃金法2条所定の労働者に当たるというべきであるから、上告人は、同法5条2項により、Bに対し、最低賃金と同額の賃金を支払うべき義務を負っていたものというべきである。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 Yは,関西医科大学附属病院を開設している学校法人である。X1とAとの間の子であるBは,平成10年3月に関西医科大学を卒業し,同年4月に医師国家試験に合格して,正規の医師になった者である。Bは,同年5月から関西医科大学附属病院の耳鼻咽喉科において見学生として研修を受けた後,同年6月から同病院の耳鼻咽喉科において医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの)16条の2第1項所定の臨床研修を受けていたが,同年8月,急性心筋こうそくのため死亡した。Yは,Bに対し,奨学金として月額6万円の金員及び副直手当を支払っていたが,これは最低賃金額に達しないものである。
本件は,Bの父であるAと母であるX1が,Bは最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条,労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条の労働者であったのに,YはBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったと主張して,Yに対し,最低賃金額とYがBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する未払賃金の支払を求める事案である。なお,Aは,本件が上告審に係属した後に死亡し,X1及び二男であるX2がAの地位を承継した。

2 最低賃金法5条は,使用者は最低賃金額以上の賃金を支払わなければならず,最低賃金に達しない賃金を定める労働契約は無効であって,最低賃金と同様の定めをしたものとみなす旨定めている。そして,最低賃金法2条は,同法にいう「労働者」の意義について,「この法律で『労働者』とは,労働基準法9条に規定する労働者をいう」としている。したがって,Bが労働基準法9条に規定する労働者に該当する場合には,Yは,Bに対し,最低賃金額と奨学金等との差額を支払うべき義務を負うことになる。そのため,本件においては,研修医であるBが労働基準法9条に規定する労働者に該当するか否かが最大の争点となり,Yは,a 研修医は座学等によって得た医学知識しかない者を一人前の医師に教育することを目的とする臨床研修を受けている者(被教育者)であり,労務の提供をする者ではないから,労働者ではない,b昭和57年2月19日基発第121号「商船大学等の実習生」(以下「本件通達」という。)は,商船大学等の実習生について労働者ではないものとして取り扱うこととしている,などと主張した。

3 第1審判決(判タ1087号182頁)及び控訴審判決は,労働基準法9条に規定する労働者とは,他人の指揮命令ないし具体的指示の下に労務を供給する者をいい,これに該当するか否かは,仕事の依頼,業務従事への指示等に関する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,場所的・時間的拘束性の有無等を総合的に考慮して判断すべきであると判示した上で,Bは,研修目的から来る自発的な発意の許容される部分を有しており,その意味において特殊な地位を有していたことを否定することができないが,全体としてみた場合,他人の指揮命令下に医療に関する各種業務に従事していたということができるのであり,労働基準法9条の労働者に該当すると認めることができるとして,Bの労働者性を肯定し,原告らの請求を一部認容した。

4 労働基準法9条は,労働者の意義について,事業に使用される者で,賃金を支払われる者をいう旨定めて,労働者に該当するというためには,① 使用者の指揮監督下において労務の提供をする者であること,② 労務に対する賃金を支払われる者であること,という二つの要件を充足することを要するとしており,この二つの要件は,併せて「使用従属性」の要件と呼ばれている。
この使用従属性の要件を充足するか否か,すなわち,労働者性を肯定することができるか否か,について判示した最高裁判所の先例としては,最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁(横浜南労基署長事件―傭車運転手の労働者性を否定した事例)のほか相当数のものがあるが,いずれも事例判断を示したものであり,一般論を示したものは見当たらない。この点に関する判例及び裁判例の大勢は,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会第1部会(労働契約関係)が昭和60年12月19日付けでした報告である「労働基準法の『労働者』の判断基準について」が示している判断基準と同様の枠組みを採用しているようであり,第1審判決及び控訴審判決も,この判断基準を念頭に置くものであることがうかがわれる。しかし,この判断基準は,労働者と請負人等との区別を念頭に置いたもの,つまり,労働者性の判断の対象者が「労務の提供をする者」であることを所与の前提とした上で,その労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かを判断するためのものである本件においては,労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かだけではなく,そもそも研修医が「労務の提供をする者」であるのかが問題とされているのであるから,Bがこの判断基準を充足することは,労働者に該当するというための必要条件ではあっても,十分条件ではなく,それとは別個に(又はその前提として),Bが「労務の提供をする者」であることが肯定されることを要するということになるであろう!!!。そして,Bが「労務の提供をする者」であるか否かを判断するに当たっては,本件通達のほか昭和24年6月24日基発第648号,昭和25年11月1日婦発第291号,平成9年9月25日基発第648号「看護婦養成所の生徒」,平成9年9月18日基発第636号「インターンシップにおける学生の労働者性」等の通達に示された行政解釈が,実習の目的及び内容,実習の方法及び管理等からみて,実習が教育のみを目的とし,労務の提供をするものではない実態にある場合には,労働者ではないものとして取り扱っていることが参考になるであろう。すなわち,教育を受けているか,労務の提供をしているか,というのは,択一的関係にあるわけではなく,教育を受けつつ労務の提供をしている関係というものもあり得るところであり,研修医が「労務の提供」をするものであるか否かは,当該研修医が労務の提供をしている実態にあるか否かという問題に収れんすると考えることができるのである。
本判決は,このような考え方を前提として,研修プログラムに従い臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事する医師は,病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り,「労務の提供をする者」ということができ,労働基準法9条所定の労働者に当たるとした上で,Bが行っていた臨床研修の実態にかんがみて,Bは臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事していたものと判断し,Bは労働者に当たるとしたものであろう

5 本判決は,労働法の基本問題である労働者性に関し,被教育者であるか,労務の提供をする者であるかが争われた事案について,最高裁判所の判断を示したものであって,実務上少なからぬ意義を有するものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H23.5.19)マルカキカイ事件
調べておく。


民法択一 債権各論 契約各論 賃貸借 その1


・賃貸借契約に基づく目的物返還請求訴訟の請求原因事実
①賃貸借契約を締結したこと
②賃貸借契約に基づく目的物引渡し
③賃貸借契約の終了原因事実
←引き渡しが請求原因事実となるのは、賃貸借契約は諾成契約であって(601条)、合意だけで成立するが、目的物の返還請求をするためには、契約に基づいてその目的物を引き渡していたことが前提!
+(賃貸借)
第601条
賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

・借主が金銭を支払うことを約束して契約を締結した場合、その額の多寡にかかわらず賃貸借契約が成立するわけではない!!!
+判例(S35.4.12)
上告代理人倉石亮平の上告理由について。
所論の点に関し原判決が認めた事実の要旨は、(一)上告人Aは本件二階建店舗一棟を所有中上告人Bが自己(A)の妻の伯父に当るという特殊の関係に基いて昭和二二年中から右建物の二階七畳と六畳の二室を上告人Bに貸しBはこれを借り受け使用する(七畳の方は上告人Aも使用する)契約をしたが、普通右の室を他人に貸すとすれば室代は一畳当り一ケ月千円位を相当としたのであるが右親戚の間柄なる故室代ではないが室代ということにして上告人Bは上告人Aに一ケ月千円宛を支払うことにした、また、(二)上告人Aは右建物のうち二階六畳の一室を自己(A)の妻の弟で学生である上告人Cに昭和二八年頃から貸して使用させているけれども、上告人Cは上告人Aとともに同家で食事しているので食費として一ケ月三千五百円宛をこれに支払つており、別に一ケ月千円宛を室代ではないが室代ということにして支払うことにした、というのである。
してみれば、原判決が、右(一)、(二)の上告人B、同Cの一ケ月千円宛の各支払金はいずれも判示各室使用の対価というよりは貸借当事者間の特殊関係に基く謝礼の意味のものとみるのが相当で、賃料ではなく、右(一)、(二)の契約は使用貸借であつて賃貸借ではないと解すべき旨を判示し、そして、被上告人は、右各契約後、上告人Aより本件建物の所有権を取得したけれども、被上告人はこれによつて上告人Aの右各室についての使用貸借関係を法律上承継するものではない、としたのはすべて相当というを妨げない。されば論旨が右貸借を賃貸借と解すべきものとし、借家法一条により上告人らは被上告人に対し前示各室の賃借権を対抗しうべきものとする主張は採用することができない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・賃貸借契約は、当事者の合意だけで成立するから、諾成契約である!

・建物賃貸借における敷金は、賃貸借終了後建物明渡義務履行までに生ずる賃料相当額の損害金債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を担保するものであり、 敷金返還請求権は、賃貸借終了後建物明渡完了の時においてそれまでに生じた上記の一切の被担保債権を控除しなお残額がある場合に、その残額につき発生する!!

+判例(S48.2.2)大切!
上告代理人山下勉一の上告理由について。
原判決の確定したところによれば、訴外Aは、昭和三四年一〇月三一日、訴外Bから、同人所有の本件家屋二棟を資料一か月八〇〇〇円、期間三年の約で借り受け、敷金二五万円を同人に交付したが、右賃貸借契約においては、「右敷金ハ家屋明渡ノ際借主ノ負担二属スル債務アルトキハ之ニ充当シ、何等負担ナキトキハ明渡ト同時ニ無利息ニテ返還スルコト」との条項が書面上明記されていたこと、被上告人は、昭和三五年中、競落により本件各家屋の所有権を取得して、Aに対する賃貸人の地位を承継し、その結果右敷金をも受け継いだところ、右賃貸借は昭和三七年一〇月三一日期間満了により終了し、当時賃料の延滞はなかつたこと、被上告人は、Aから本件各家屋の明渡義務の履行を受けないまま、同年一二月二六日、これを訴外Cに売り渡し、かつ、それと同時に、右賃貸借終了の日の翌日から右売渡の日までのAに対する明渡義務不履行による損害賠償債権ならびに過去および将来にわたり生ずべきAに対する右損害賠償債権の担保としての敷金をCに譲渡し、その頃その旨をAに通知したが、右譲渡につきAの承諾を得た事実はなかつたこと、その後CがAに対して提起した訴訟の一、二審判決において、AがCに対して本件各家屋明渡義務および一か月二万四九四七円の割合による賃料相当損害金の支払義務を負うことが認められたのち、昭和四〇年三月三日頃もCとAとの間において、CのAに対する右賃料相当損害金債権のうちから、本件敷金などを控除し、その余の損害金債権を放棄する旨の和解が成立し、同年四月三日頃AがCに対し本件各家屋を明渡したこと、以上の事実が認められるというのであり、他方、上告人が、Aに対する強制執行として、昭和四〇年一月二七日、Aの被上告人に対する本件敷金返還請求権につき差押および転付命令を得、同命令が同月二九日Aおよび被上告人に送達された事実についても、当事者間に争いがなかつたことが明らかである。
原判決は、以上の事実関係に基づき、本件賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借契約終了後の家屋明渡義務不履行に基づく損害賠償債権をも担保するものであり、家屋の譲渡によつてただちにこのような敷金の担保的効力が奪われるべきではないから、賃貸借終了後に賃貸家屋の所有権が譲渡された場合においても、少なくとも旧所有者と新所有者との間の合意があれば、貸借人の承諾の有無を問わず、新所有者において敷金を承継することができるものと解すべきであり、したがつて、被上告人がCに本件敷金を譲渡したことにより、Cにおいて右敷金の担保的効力とその条件付返還債務とを被上告人から承継し、その後、右敷金は、前記の一か月二万四九四七円の割合により遅くとも昭和三八年九月末日までに生じた賃料相当の損害金に当然に充当されて、全部消滅したものであつて、上告人はその後に得た差押転付命令によつて敷金返還請求権を取得するに由ないものというべきであり、なお、右転付命令はすでに敷金をCに譲渡した後の被上告人を第三債務者とした点においても有効たりえない、と判断したのである。
思うに、家屋賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借終了後家屋明渡義務履行までに生ずる賃料相当損害金の債権その他賃貸借契約により賃貸人が貸借人に対して取得することのあるべき一切の債権を担保し、賃貸借終了後、家屋明渡がなされた時において、それまでに生じた右の一切の被担保債権を控除しなお残額があることを条件として、その残額につき敷金返還請求権が発生するものと解すべきであり、本件賃貸借契約における前記条項もその趣旨を確認したものと解される。しかしながら、ただちに、原判決の右の見解を是認することはできない。すなわち、敷金は、右のような賃貸人にとつての担保としての権利と条件付返還債務とを含むそれ自体一個の契約関係であつて、敷金の譲渡ないし承継とは、このような契約上の地位の移転にほかならないとともに、このような敷金に関する法律関係は、賃貸借契約に付随従属するのであつて、これを離れて独立の意義を有するものではなく、賃貸借の当事者として、賃貸借契約に関係のない第三者が取得することがあるかも知れない債権までも敷金によつて担保することを予定していると解する余地はないのである。したがつて、賃貸借継続中に賃貸家屋の所有権が譲渡され、新所有者が賃貸人の地位を承継する場合には、賃貸借の従たる法律関係である敷金に関する権利義務も、これに伴い当然に新賃貸人に承継される賃貸借終了後に家屋所有権が移転し、したがつて、賃貸借契約自体が新所有者に承継されたものでない場合には、敷金に関する権利義務の関係のみが新所有者に当然に承継されるものではなくまた、旧所有者と新所有者との間の特別の合意によつても、これのみを譲渡することはできないものと解するのが相当である!!!!!!!!!!!。このような場合に、家屋の所有権を取得し、賃貸借契約を承継しない第三者が、とくに敷金に関する契約上の地位の譲渡を受け、自己の取得すべき貸借人に対する不法占有に基づく損害賠償などの債権に敷金を充当することを主張しうるためには、賃貸人であつた前所有者との間にその旨の合意をし、かつ、賃借人に譲渡の事実を通知するだけでは足りず、賃借人の承諾を得ることを必要とするものといわなければならない。しかるに、本件においては、被上告人からCへの敷金の譲渡につき、上告人の差押前にAが承諾を与えた事実は認定されていないのであるから、被上告人およびCは、右譲渡が有効になされ敷金に関する権利義務がCに移転した旨、およびCの取得した損害賠償債権に敷金が充当された旨を、Aおよび上告人に対して主張することはできないものと解すべきである。したがつて、これと異なる趣旨の原判決の前記判断は違法であつて、この点を非難する論旨は、その限度において理由がある。
しかし、さらに検討するに、前述のとおり、敷金は、賃貸借終了後家屋明渡までの損害金等の債権をも担保し、その返還請求権は、明渡の時に、右債権をも含めた賃貸人としての一切の債権を控除し、なお残額があることを条件として、その残額につき発生するものと解されるのであるから、賃貸借終了後であつても明渡前においては、敷金返還請求権は、その発生および金額の不確定な権利であつて、券面額のある債権にあたらず、転付命令の対象となる適格のないものと解するのが相当である。そして、本件のように、明渡前に賃貸人が目的家屋の所有権を他へ譲渡した場合でも、貸借人は、賃貸借終了により賃貸人に家屋を返還すべき契約上の債務を負い、占有を継続するかぎり右債務につき遅滞の責を免れないのであり、賃貸人において、貸借人の右債務の不履行により受くべき損害の賠償請求権をも敷金によつて担保しうべきものであるから、このような場合においても、家屋明渡前には、敷金返還請求権は未確定な債権というべきである。したがつて、上告人が本件転付命令を得た当時Aがいまだ本件各家屋の明渡を了していなかつた本件においては、本件敷金返還請求権に対する右転付命令は無効であり、上告人は、これにより右請求権を取得しえなかつたものと解すべきであつて、原判決中これと同趣旨の部分は、正当として是認することができる。
したがつて、本件敷金の支払を求める上告人の請求を排斥した原判決は、結局相当であつて、本件上告は棄却を免れない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+++転付命令とは
金銭債権に対する強制執行の場合に,差押えられた債権を支払いに代えて差押え債権者に移転する命令 (民事執行法 159) 。転付命令は債務者および第3債務者に送達され,これが確定すると,差押え債権者の債権および執行費用は,転付の対象となった金銭債権が存在するかぎり,その券面額で,転付命令が第3債務者に送達されたときに弁済されたものとみなされる (160条) 。

・賃貸借契約終了に伴う賃借人の建物明渡債務と賃貸人の敷金返還債務とは、特別の約定のない限り、同時履行の関係に立たず、賃貸人は、賃借人から建物明渡しを受けた後に敷金全額を返還すれば足りる!!
+判例(S49.9.2)
同第三点について。
原審は、被上告人が任意競売手続において昭和四五年一〇月一六日本件家屋を競落し同年一一月二一日競落代金の支払を完了してその所有権を取得し同月二六日その所有権移転登記を経由したこと、および、上告人が本件家屋の一部を占有していることを認定したうえ、上告人が昭和四四年九月一日本件家屋の前所有者から右占有部分を、期限を昭和四六年八月三一日までとして、賃借しその引渡を受けた旨の上告人の主張につき、右賃貸借は同日限り終了しているものと判断し、かつ、右の賃貸借に際し上告人が前所有者に差し入れたという敷金の返還請求権をもつてする同時履行および留置権の主張を排斥して、被上告人の所有権にもとづく本件家屋部分の明渡請求を認容したものである。
そこで、期間満了による家屋の賃貸借終了に伴う賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務が同時履行の関係にあるか否かについてみるに、賃貸借における敷金は、賃貸借の終了後家屋明渡義務の履行までに生ずる賃料相当額の損害金債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得することのある一切の債権を担保するものであり、賃貸人は、賃貸借の終了後家屋の明渡がされた時においてそれまでに生じた右被担保債権を控除してなお残額がある場合に、その残額につき返還義務を負担するものと解すべきものである(最高裁昭和四六年(オ)第三五七号同四八年二月二日第二小法廷判決・民集二七巻一号八〇頁参照)。そして、敷金契約は、このようにして賃貸人が賃借人に対して取得することのある債権を担保するために締結されるものであつて、賃貸借契約に附随するものではあるが、賃貸借契約そのものではないから、賃貸借の終了に伴う賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務とは、一個の双務契約によつて生じた対価的債務の関係にあるものとすることはできず、また、両債務の間には著しい価値の差が存しうることからしても、両債務を相対立させてその間に同時履行の関係を認めることは、必ずしも公平の原則に合致するものとはいいがたいのである。一般に家屋の賃貸借関係において、賃借人の保護が要請されるのは本来その利用関係についてであるが、当面の問題は賃貸借終了後の敷金関係に関することであるから、賃借人保護の要請を強調することは相当でなく、また、両債務間に同時履行の関係を肯定することは、右のように家屋の明渡までに賃貸人が取得することのある一切の債権を担保することを目的とする敷金の性質にも適合するとはいえないのである。このような観点からすると、賃貸人は、特別の約定のないかぎり、賃借人から家屋明渡を受けた後に前記の敷金残額を返還すれば足りるものと解すべく、したがつて、家屋明渡債務と敷金返還債務とは同時履行の関係にたつものではないと解するのが相当であり、このことは、賃貸借の終了原因が解除(解約)による場合であつても異なるところはないと解すべきである。そして、このように賃借人の家屋明渡債務が賃貸人の敷金返還債務に対し先履行の関係に立つと解すべき場合にあつては、賃借人は賃貸人に対し敷金返還請求権をもつて家屋につき留置権を取得する余地はないというべきである。
これを本件についてみるに、上告人は右の特約の存在につきなんら主張するところがないから、同時履行および留置権の主張を排斥した原審判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

・土地賃借権が賃貸人の承諾を得て旧賃借人から新賃借人に移転された場合であっても、敷金に関する敷金交付者の権利義務関係は、敷金交付者において賃貸人との間で敷金をもって新賃借人の債務の担保をすることを約し又は新賃借人に対して敷金返還請求権を譲渡するなど特段の事情のない限り、新賃借人に承継されない!!
+判例(S53.12.22)
上告代理人木村保男、同的場悠紀、同川村俊雄、同大槻守、同松森彬、同坂和章平の上告理由第一点及び第二点について
土地賃貸借における敷金契約は、賃借人又は第三者が賃貸人に交付した敷金をもつて、賃料債務、賃貸借終了後土地明渡義務履行までに生ずる賃料額相当の損害金債務、その他賃貸借契約により賃借人が賃貸人に対して負担することとなる一切の債務を担保することを目的とするものであつて、賃貸借に従たる契約ではあるが、賃貸借とは別個の契約である。そして、賃借権が旧賃借人から新賃借人に移転され賃貸人がこれを承諾したことにより旧賃借人が賃貸借関係から離脱した場合においては、敷金交付者が、賃貸人との間で敷金をもつて新賃借人の債務不履行の担保とすることを約し、又は新賃借人に対して敷金返還請求権を譲渡するなど特段の事情のない限り、右敷金をもつて将来新賃借人が新たに負担することとなる債務についてまでこれを担保しなければならないものと解することは、敷金交付者にその予期に反して不利益を被らせる結果となつて相当でなく、敷金に関する敷金交付者の権利義務関係は新賃借人に承継されるものではないと解すべきである。なお、右のように敷金交付者が敷金をもつて新賃借人の債務不履行の担保とすることを約し、又は敷金返還請求権を譲渡したときであつても、それより以前に敷金返還請求権が国税の徴収のため国税徴収法に基づいてすでに差し押えられている場合には、右合意又は譲渡の効力をもつて右差押をした国に対抗することはできない。 he—-
これを本件の場合についてみるに、原審の適法に確定したところによれば、(1) 訴外山下興業株式会社は、上告人から本件土地を賃借し、敷金として三〇〇〇万円を、賃貸借が終了し地上物件を収去して本件土地を明渡すのと引換えに返還を受ける約定のもとに、上告人に交付していた、(2) 被上告人は、同会社の滞納国税を徴収するため、国税徴収法に基づいて同会社が上告人に対して有する将来生ずべき敷金返還請求権全額を差し押え、上告人は昭和四六年六月二九日ころその通知書の送達を受けた、(3) 同会社が本件土地上に所有していた建物について競売法による競売が実施され、同四七年五月一八日訴外太平産業株式会社がこれを競落し、右建物の所有権とともに本件土地の賃借権を取得した、(4) 上告人は同年六月ころ同会社に対し右賃借権の取得を承諾した、(5) 右承諾前において、山下興業株式会社に賃料債務その他賃貸借契約上の債務の不履行はなかつた、というのであり、右事実関係のもとにおいて、上告人は太平産業株式会社の賃借権取得を承諾した日に山下興業株式会社に対し本件敷金三〇〇〇万円を返還すべき義務を負うに至つたものであるとし、上告人が右承諾をした際に太平産業株式会社との間で、敷金に関する権利義務関係が同会社に承継されることを前提として、賃借権移転の承諾料一九〇〇万円を敷金の追加とする旨合意し、山下興業株式会社がこれを承諾したとしても、右合意及び承諾をもつて被上告人に対抗することはできないとして、これに関する上告人の主張を排斥し、被上告人の上告人に対する右三〇〇〇万円の支払請求を認容した原審の判断は、前記説示と同趣旨にでたものであつて、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

・賃貸借契約において、当該建物の所有権移転に伴い賃貸人たる地位に承継があった場合、旧賃貸人に差し入れられた敷金は、未払賃料債務があればこれに当然充当され、残額についてその権利義務関係が新賃貸人に承継される!
+判例(S44.7.17)
上告代理人鈴木権太郎の上告理由について。
原判決が昭和三六年三月一日以降同三九年三月一五日までの未払賃料額の合計が五四万三七五〇円である旨判示しているのは、昭和三三年三月一日以降の誤記であることがその判文上明らかであり、原判決には所論のごとき計算違いのあやまりはない。また、所論賃料免除の特約が認められない旨の原判決の認定は、挙示の証拠に照らし是認できる。
しかして、上告人が本件賃料の支払をとどこおつているのは昭和三三年三月分以降の分についてであることは、上告人も原審においてこれを認めるところであり、また、原審の確定したところによれば、上告人は、当初の本件建物賃貸人訴外亡Aに敷金を差し入れているというのである。思うに、敷金は、賃貸借契約終了の際に賃借人の賃料債務不履行があるときは、その弁済として当然これに充当される性質のものであるから建物賃貸借契約において該建物の所有権移転に伴い賃貸人たる地位に承継があつた場合には、旧賃貸人に差し入れられた敷金は、賃借人の旧賃貸人に対する未払賃料債務があればその弁済としてこれに当然充当され、その限度において敷金返還請求権は消滅し、残額についてのみその権利義務関係が新賃貸人に承継されるものと解すべきである。したがつて、当初の本件建物賃貸人訴外亡Aに差し入れられた敷金につき、その権利義務関係は、同人よりその相続人訴外Bらに承継されたのち、右Bらより本件建物を買い受けてその賃貸人の地位を承継した新賃貸人である被上告人に、右説示の限度において承継されたものと解すべきであり、これと同旨の原審の判断は正当である。論旨は理由がない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・AはBとの間で、A所有の甲建物について賃貸借契約を締結し、甲建物をBに引き渡した。Aは、Cに対して、向こう6か月のBに対する賃料債権を譲渡し、AはBに対してその旨通知した。この場合において、BがAに対して賃貸借契約を締結するに際して敷金を差し入れていたときは、AB間の賃貸借契約が終了し、Bが甲建物を明け渡した時に、延滞となったAのBに対する資料債権は敷金の充当によりその限度で消滅する!!!
←賃借人が、賃貸人に対して敷金を差し入れていた場合、賃料債権が第三者に譲渡された場合にも、賃借人が異議をとどめない承諾をしたのでない限り(468条1項参照)、賃貸借契約が終了すると、延滞賃料債権は当然に敷金額だけ減少する。本件は通知されただけで承諾ない。
+(指名債権の譲渡における債務者の抗弁)
第468条
1項 債務者が異議をとどめないで前条の承諾をしたときは、譲渡人に対抗することができた事由があっても、これをもって譲受人に対抗することができない。この場合において、債務者がその債務を消滅させるために譲渡人に払い渡したものがあるときはこれを取り戻し、譲渡人に対して負担した債務があるときはこれを成立しないものとみなすことができる。
2項 譲渡人が譲渡の通知をしたにとどまるときは、債務者は、その通知を受けるまでに譲渡人に対して生じた事由をもって譲受人に対抗することができる。

・処分につき行為能力の制限を受けた者又は処分の権限を有しない者が建物の賃貸借をする場合、当該賃貸借の期間は3年をこえることができないが、更新をすることはできる!
+(短期賃貸借)
第602条
処分につき行為能力の制限を受けた者又は処分の権限を有しない者が賃貸借をする場合には、次の各号に掲げる賃貸借は、それぞれ当該各号に定める期間を超えることができない。
1号 樹木の栽植又は伐採を目的とする山林の賃貸借 十年
2号 前号に掲げる賃貸借以外の土地の賃貸借 五年
3号 建物の賃貸借 三年
4号 動産の賃貸借 六箇月
+(短期賃貸借の更新
第603条
前条に定める期間は、更新することができる。ただし、その期間満了前、土地については一年以内、建物については三箇月以内、動産については一箇月以内に、その更新をしなければならない。
・建物の所有を目的とする土地の賃貸借契約において、期間の定めがないとき、賃貸人は、解約申し入れにより契約を終了させることはできない。=機関の定めがないときは一律30年になる。
+借地借家法
(定義)
第2条  
この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一  借地権 建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権をいう
二  借地権者 借地権を有する者をいう。
三  借地権設定者 借地権者に対して借地権を設定している者をいう。
四  転借地権 建物の所有を目的とする土地の賃借権で借地権者が設定しているものをいう。
五  転借地権者 転借地権を有する者をいう。
+(借地権の存続期間)
第3条  
借地権の存続期間は、三十年とする。ただし、契約でこれより長い期間を定めたときは、その期間とする。
・借地借家法の適用を受ける土地の賃貸借契約において、契約を最初に更新する場合にあっては、その期間は更新の日から20年とされる。
+借地借家法
(借地権の更新後の期間)
第4条
当事者が借地契約を更新する場合においては、その期間は、更新の日から十年(借地権の設定後の最初の更新にあっては、二十年)とする。ただし、当事者がこれより長い期間を定めたときは、その期間とする。
・土地の賃貸人が借地契約の更新拒絶をするためには、正当の事由がなければならないほか、契約期間の満了の1年前から6か月前までの間に賃借人に対して更新しない旨の通知は不要!=遅滞なく異議をのべればよい。
+借地借家法
(借地契約の更新請求等)
第5条
1項 借地権の存続期間が満了する場合において、借地権者が契約の更新を請求したときは、建物がある場合に限り、前条の規定によるもののほか、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす。ただし、借地権設定者が遅滞なく異議を述べたときは、この限りでない
2項 借地権の存続期間が満了した後、借地権者が土地の使用を継続するときも、建物がある場合に限り、前項と同様とする。
3項 転借地権が設定されている場合においては、転借地権者がする土地の使用の継続を借地権者がする土地の使用の継続とみなして、借地権者と借地権設定者との間について前項の規定を適用する。
+(借地契約の更新拒絶の要件)
第6条
前条の異議は、借地権設定者及び借地権者(転借地権者を含む。以下この条において同じ。)が土地の使用を必要とする事情のほか、借地に関する従前の経過及び土地の利用状況並びに借地権設定者が土地の明渡しの条件として又は土地の明渡しと引換えに借地権者に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、述べることができない
・借地借家法の適用を受ける土地賃貸借契約の当事者間で地代等自動改定特約がある場合は、同特約の基準を定めるにあたって基礎となっていた事情に変更があったとき、当事者は同特約に拘束されず、地代等増額請求権を行使することができる!
+(地代等増減請求権)
第11条
1項 地代又は土地の借賃(以下この条及び次条において「地代等」という。)が、土地に対する租税その他の公課の増減により、土地の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍類似の土地の地代等に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって地代等の額の増減を請求することができる。ただし、一定の期間地代等を増額しない旨の特約がある場合には、その定めに従う。
2項 地代等の増額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、増額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の地代等を支払うことをもって足りる。ただし、その裁判が確定した場合において、既に支払った額に不足があるときは、その不足額に年一割の割合による支払期後の利息を付してこれを支払わなければならない。
3項 地代等の減額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、減額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の地代等の支払を請求することができる。ただし、その裁判が確定した場合において、既に支払を受けた額が正当とされた地代等の額を超えるときは、その超過額に年一割の割合による受領の時からの利息を付してこれを返還しなければならない。
+判例(H15.6.12)
 上告代理人遠藤光男、同高須順一、同高林良男の上告受理申立て理由について 
 1 本件は、本件各土地を被上告人から賃借した上告人が、被上告人に対し、地代減額請求により減額された地代の額の確認を求め、他方、被上告人が、上告人に対し、地代自動増額改定特約によって増額された地代の額の確認を求める事案である。 
 2 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。 
 (1) 上告人は、大規模小売店舗用建物を建設して株式会社ダイエーの店舗を誘致することを計画し、昭和62年7月1日、その敷地の一部として、被上告人との間において、被上告人の所有する本件各土地を賃借期間を同月20日から35年間として借り受ける旨の本件賃貸借契約を締結した。 
 (2) 被上告人及び上告人は、本件賃貸借契約を締結するに際し、被上告人の税務上の負担を考慮して、権利金や敷金の授受をせず、本件各土地の地代については、昭和62年7月20日から上告人が本件各土地上に建築する建物を株式会社ダイエーに賃貸してその賃料を受領するまでの間は月額249万2900円とし、それ以降本件賃貸借契約の期間が満了するまでの間は月額633万1666円(本件各土地の価格を1坪当たり500万円と評価し、その8%相当額の12分の1に当たる金額)とすることを合意するとともに、「但し、本賃料は3年毎に見直すこととし、第1回目の見直し時は当初賃料の15%増、次回以降は3年毎に10%増額する。」という内容の本件増額特約を合意し、さらに、これらの合意につき、「但し、物価の変動、土地、建物に対する公租公課の増減、その他経済状態の変化により甲(被上告人)・乙(上告人)が別途協議するものとする。」という内容の本件別途協議条項を加えた。 
 (3) 本件賃貸借契約が締結された昭和62年7月当時は、いわゆるバブル経済の崩壊前であって、本件各土地を含む東京都23区内の土地の価格は急激な上昇を続けていた。したがって、当事者双方は、本件賃貸借契約とともに本件増額特約を締結した際、本件増額特約によって、その後の地代の上昇を一定の割合に固定して、地代をめぐる紛争の発生を防止し、企業としての経済活動に資するものにしようとしたものであった。 
 (4) ところが、本件各土地の1㎡当たりの価格は、昭和62年7月1日には345万円であったところ、平成3年7月1日には367万円に上昇したものの、平成6年7月1日には202万円に下落し、さらに、平成9年7月1日には126万円に下落した。 
 (5) 上告人は、被上告人に対し、前記約定に従って、昭和62年7月20日から昭和63年6月30日までの間は、月額249万2900円の地代を支払い、上告人が株式会社ダイエーより建物賃料を受領した同年7月1日以降は、月額633万1666円の地代を支払った。 
 (6) その後、本件各土地の地代月額は、本件増額特約に従って、3年後の平成3年7月1日には15%増額して728万1416円に改定され、さらに、3年後の平成6年7月1日には10%増額して800万9557円に改定され、上告人は、これらの地代を被上告人に対して支払った。 
 しかし、その3年後の平成9年7月1日には、上告人は、地価の下落を考慮すると地代を更に10%増額するのはもはや不合理であると判断し、同日以降も、被上告人に対し、従前どおりの地代(月額800万9557円)の支払を続け、被上告人も特段の異議を述べなかった。 
 (7) さらに、上告人は、被上告人に対し、平成9年12月24日、本件各土地の地代を20%減額して月額640万7646円とするよう請求した。しかし、被上告人は、これを拒否した。 
 (8) 他方、被上告人は、上告人に対し、平成10年10月12日ころ、平成9年7月1日以降の本件各土地の地代は従前の地代である月額800万9557円を10%増額した月額881万0512円になったので、その差額分(15か月分で合計1201万4325円)を至急支払うよう催告した。しかし、上告人は、これを拒否し、かえって、平成10年12月分からは、従前の地代を20%減額した額を本件各土地の地代として被上告人に支払うようになった。 
 3 本件において、上告人は、被上告人に対し、本件各土地の地代が平成9年12月25日以降月額640万7646円であることの確認を求め、他方、被上告人は、上告人に対し、本件各土地の地代が平成9年7月1日以降月額881万0512円であることの確認を求めている。
 
 4 前記事実関係の下において、第1審は、上告人の請求を一部認容し、被上告人の請求を棄却したが、これに対して、被上告人が控訴し、上告人が附帯控訴したところ、原審は、次のとおり判断して、被上告人の控訴に基づき、第1審判決を変更して、上告人の請求を棄却し、被上告人の請求を認容するとともに、上告人の附帯控訴を棄却した。 
 (1) 本件増額特約は、昭和63年7月1日から3年ごとに本件各土地の地代を一定の割合で自動的に増額させる趣旨の約定であり、本件別途協議条項は、そのような地代自動増額改定特約を適用すると、同条項に掲げる経済状態の変化等により、本件各土地の地代が著しく不相当となる(借地借家法11条1項にいう「不相当となったとき」では足りない。)ときに、その特約の効力を失わせ、まず当事者双方の協議により、最終的には裁判の確定により、相当な地代の額を定めることとした約定であると解すべきである。 
 (2)ア 本件各土地の価格は、昭和62年7月1日以降、平成3年ころまでは上昇したものの、その後は下落を続けている。 
 イ しかしながら、総理府統計局による消費者物価指数(全国総合平均)は、昭和62年度を100とすると、平成3年度が109.66に、平成6年度が113.69に、平成9年度が115.75に、それぞれ上昇している。また、日本銀行調査統計局による卸売物価指数は、昭和62年度を100とすると、平成3年度が104、平成6年度が100、平成9年度が98であり、それほど大幅には変動していない。また、本件各土地の公租公課(固定資産税・都市計画税)は、昭和62年7月1日には1㎡当たり6000円であったのが、平成3年7月1日には同6740円に、平成6年7月1日には同8090円に、それぞれ上昇しており、本件各土地のうち面積が最も広い地番141番51の土地の固定資産税・都市計画税の合計は、平成6年度には84万4103円であったのが、平成9年度には117万4570円となり、約40%も上昇している。さらに、本件各土地の平成9年7月1日の時点における継続地代の適正額についての第1審の鑑定結果は月額785万8000円であり、本件増額特約を適用した地代の月額881万0512円は、その1.12倍にとどまる。 
 ウ 以上の事実を考慮すると、平成9年7月1日時点において、本件各土地の地代が著しく不相当になったとまではいえないから、本件増額特約が失効したと断じることはできない。 
 (3) そうすると、本件増額特約に基づき、平成9年7月1日以降の本件各土地の地代は月額881万0512円(従前の月額800万9557円を10%増額した金額)に増額されたと認めるのが相当である。 
 (4) 本件増額特約のような地代自動増額改定特約については、借地借家法11条1項所定の諸事由、請求の当時の経済事情及び従来の賃貸借関係その他諸般の事情に照らし著しく不相当ということができない限り、有効として扱うのが相当であるところ、その反面として、同項に基づく地代増減請求をすることはできず、その限度で、当事者双方の意思表示によって成立した合意の効力が同項に基づく当事者の一方の意思表示の効力に優先すると解すべきである。 
 (5) 平成9年12月24日の時点において、いまだ、本件増額特約そのものをもって著しく不相当ということはできないし、これを適用すると著しく不相当ということもできない(したがって、本件別途協議条項を適用する余地もない。)から、上告人は、本件各土地につき、借地借家法11条1項に基づく地代減額請求をすることはできない。 
 5 しかし、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 (1) 建物の所有を目的とする土地の賃貸借契約の当事者は、従前の地代等が、土地に対する租税その他の公課の増減により、土地の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍類似の土地の地代等に比較して不相当となったときは、借地借家法11条1項の定めるところにより、地代等の増減請求権を行使することができる。これは、長期的、継続的な借地関係では、一度約定された地代等が経済事情の変動等により不相当となることも予想されるので、公平の観点から、当事者がその変化に応じて地代等の増減を請求できるようにしたものと解するのが相当である。この規定は、地代等不増額の特約がある場合を除き、契約の条件にかかわらず、地代等増減請求権を行使できるとしているのであるから、強行法規としての実質を持つものである(最高裁昭和28年(オ)第861号同31年5月15日第三小法廷判決・民集10巻5号496頁、最高裁昭和54年(オ)第593号同56年4月20日第二小法廷判決・民集35巻3号656頁参照)。 
 (2) 他方、地代等の額の決定は、本来当事者の自由な合意にゆだねられているのであるから、当事者は、将来の地代等の額をあらかじめ定める内容の特約を締結することもできるというべきである。そして、地代等改定をめぐる協議の煩わしさを避けて紛争の発生を未然に防止するため、一定の基準に基づいて将来の地代等を自動的に決定していくという地代等自動改定特約についても、基本的には同様に考えることができる。 
 (3) そして、地代等自動改定特約は、その地代等改定基準が借地借家法11条1項の規定する経済事情の変動等を示す指標に基づく相当なものである場合には、その効力を認めることができる。 
 しかし、【要旨】当初は効力が認められるべきであった地代等自動改定特約であっても、その地代等改定基準を定めるに当たって基礎となっていた事情が失われることにより、同特約によって地代等の額を定めることが借地借家法11条1項の規定の趣旨に照らして不相当なものとなった場合には、同特約の適用を争う当事者はもはや同特約に拘束されず、これを適用して地代等改定の効果が生ずるとすることはできない。また、このような事情の下においては、当事者は、同項に基づく地代等増減請求権の行使を同特約によって妨げられるものではない。 
 (4) これを本件についてみると、本件各土地の地代がもともと本件各土地の価格の8%相当額の12分の1として定められたこと、また、本件賃貸借契約が締結された昭和62年7月当時は、いわゆるバブル経済の崩壊前であって、本件各土地を含む東京都23区内の土地の価格は急激な上昇を続けていたことを併せて考えると、土地の価格が将来的にも大幅な上昇を続けると見込まれるような経済情勢の下で、時の経過に従って地代の額が上昇していくことを前提として、3年ごとに地代を10%増額するなどの内容を定めた本件増額特約は、そのような経済情勢の下においては、相当な地代改定基準を定めたものとして、その効力を否定することはできない。しかし、土地の価格の動向が下落に転じた後の時点においては、上記の地代改定基準を定めるに当たって基礎となっていた事情が失われることにより、本件増額特約によって地代の額を定めることは、借地借家法11条1項の規定の趣旨に照らして不相当なものとなったというべきである。したがって、土地の価格の動向が既に下落に転じ、当初の半額以下になった平成9年7月1日の時点においては、本件増額特約の適用を争う上告人は、もはや同特約に拘束されず、これを適用して地代増額の効果が生じたということはできない。また、このような事情の下では、同年12月24日の時点において、上告人は、借地借家法11条1項に基づく地代減額請求権を行使することに妨げはないものというべきである。 
 6 以上のとおり、平成9年7月1日の時点で本件増額特約が適用されることによって増額された地代の額の確認を求める被上告人の上告人に対する請求は理由がなく、また、同年12月24日の時点で本件増額特約が適用されるべきものであることを理由に上告人の地代減額請求権の行使が制限されるということはできず、論旨は理由がある。これと異なる原審の前記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。そこで、原判決を破棄し、被上告人の上告人に対する請求についての本件控訴を棄却するとともに、上告人の被上告人に対する請求について、上告人が地代減額請求をした平成9年12月24日の時点における本件各土地の相当な地代の額について、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
・期間の定めのある建物の賃貸借契約が法定更新された場合、従前の契約と同一の条件で更新されたものとみなされる。期間については、定めがないものとされる!
+(建物賃貸借契約の更新等)
第26条
1項 建物の賃貸借について期間の定めがある場合において、当事者が期間の満了の一年前から六月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知又は条件を変更しなければ更新をしない旨の通知をしなかったときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす。ただし、その期間は、定めがないものとする
2項 前項の通知をした場合であっても、建物の賃貸借の期間が満了した後建物の賃借人が使用を継続する場合において、建物の賃貸人が遅滞なく異議を述べなかったときも、同項と同様とする。
3項 建物の転貸借がされている場合においては、建物の転借人がする建物の使用の継続を建物の賃借人がする建物の使用の継続とみなして、建物の賃借人と賃貸人との間について前項の規定を適用する。
・建物賃貸借について期間の定めがある場合、当事者が期間の満了の1年前から6か月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知をしたときには、賃貸借は期間満了により終了する。もっとも、通知をした場合であっても、建物の賃貸期間が満了した後賃借人が使用を継続する場合に、賃貸人が遅滞なく異議を述べなかったときには、賃貸借は更新されたものとみなされる!!
・期間を3年とする事務用貸室の賃貸借契約において、賃貸人又は賃借人は期間中いつでも2か月前の予告により契約を解約できるとの条項がある場合でも、賃貸人は、正当の事由の有無にかかわらず、この条項に従って契約を解除することはできない!!←40条の場合ではないから借地借家法の適用アリ。
+(一時使用目的の建物の賃貸借)
第40条  
この章の規定は、一時使用のために建物の賃貸借をしたことが明らかな場合には、適用しない。
+(解約による建物賃貸借の終了)
第27条
1項 建物の賃貸人が賃貸借の解約の申入れをした場合においては、建物の賃貸借は、解約の申入れの日から六月を経過することによって終了する。
2項 前条第2項及び第3項の規定は、建物の賃貸借が解約の申入れによって終了した場合に準用する。
+(強行規定)
第30条  
この節の規定に反する特約で建物の賃借人に不利なものは、無効とする。
・期間の定めのない建物の賃貸借契約は、賃貸人による解約の申し入れの日から6か月の経過によって終了するが、子の解約の申し入れには正当事由が必要である!!!
+(解約による建物賃貸借の終了)
第27条
1項 建物の賃貸人が賃貸借の解約の申入れをした場合においては、建物の賃貸借は、解約の申入れの日から六月を経過することによって終了する。
2項 前条第2項及び第3項の規定は、建物の賃貸借が解約の申入れによって終了した場合に準用する。
+(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第28条
建物の賃貸人による第26条第1項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない
・正当の事由の有無にかかわらず契約の更新がないこととする建物賃貸借契約の類型もある!!
+(定期建物賃貸借)
第38条
1項 期間の定めがある建物の賃貸借をする場合においては、公正証書による等書面によって契約をするときに限り、第三十条の規定にかかわらず、契約の更新がないこととする旨を定めることができる。この場合には、第二十九条第一項の規定を適用しない。
2項 前項の規定による建物の賃貸借をしようとするときは、建物の賃貸人は、あらかじめ、建物の賃借人に対し、同項の規定による建物の賃貸借は契約の更新がなく、期間の満了により当該建物の賃貸借は終了することについて、その旨を記載した書面を交付して説明しなければならない。
3項 建物の賃貸人が前項の規定による説明をしなかったときは、契約の更新がないこととする旨の定めは、無効とする。
4項 第一項の規定による建物の賃貸借において、期間が一年以上である場合には、建物の賃貸人は、期間の満了の一年前から六月前までの間(以下この項において「通知期間」という。)に建物の賃借人に対し期間の満了により建物の賃貸借が終了する旨の通知をしなければ、その終了を建物の賃借人に対抗することができない。ただし、建物の賃貸人が通知期間の経過後建物の賃借人に対しその旨の通知をした場合においては、その通知の日から六月を経過した後は、この限りでない。
5項 第一項の規定による居住の用に供する建物の賃貸借(床面積(建物の一部分を賃貸借の目的とする場合にあっては、当該一部分の床面積)が二百平方メートル未満の建物に係るものに限る。)において、転勤、療養、親族の介護その他のやむを得ない事情により、建物の賃借人が建物を自己の生活の本拠として使用することが困難となったときは、建物の賃借人は、建物の賃貸借の解約の申入れをすることができる。この場合においては、建物の賃貸借は、解約の申入れの日から一月を経過することによって終了する。
6項 前二項の規定に反する特約で建物の賃借人に不利なものは、無効とする。
7項 第三十二条の規定は、第一項の規定による建物の賃貸借において、借賃の改定に係る特約がある場合には、適用しない。