行政法 基本行政法 法の一般原則 宜野座 青色 在ブラジル 余目


1.平等原則
(1)法律による行政の原理と対立しない場合
区別して取り扱うことに合理的な理由があるか

(2)法律による行政の原理と対立する場合
平等原則を根拠に違法な行政行為をするように求めることはできない

2.比例原則
比例原則=行政目的を達成するために必要な範囲でのみ行政権限を用いることが許される

3.信義則・信頼保護原則
(1)法律による行政の原理と対立しない場合

+判例(S56.1.27)
理由
上告代理人中居久雄の上告理由第二点について
一 原審の確定した本件の事実関係は、おおむね次のとおりである。
(一) 上告人は、被上告人宜野座村内に製紙工場(以下「本件工場」という。)の建設を計画し、昭和四五年一一月に当時被上告人の村長であつたAに対し右工場の誘致及び被上告人所有地を工場敷地として上告人に譲渡することを陳情した。これに対し、同村長は、本件工場を誘致し右工場敷地の一部として村有地を上告人に譲渡する旨の被上告人村議会の議決を経由したうえ、昭和四六年三月上告人に対し右工場建設に全面的に協力することを言明した。
(二) そこで、上告人は、A村長及び村議会議員らの協力のもとに被上告人村内に工場敷地を選定したうえ、当時河川を管理していた米国民政府に対し工場操業に必要な水利権設定の申請を行うため、右申請に対する被上告人村長の同意書を得た
(三) 上告人は、昭和四六年八月ごろ本件工場敷地の一部として予定された村有地の耕作者らに土地明渡に対する補償料を支払い、更に昭和四七年三月ごろより本件工場に備え付ける機械設備の発注の準備を進めていたが、A村長は、これを了承していたばかりでなく、引き続き工場建設に協力する意向を示し、その速やかな推進を希望し、同年一〇月には、かねての上告人との約定に基づき、沖縄振興開発金融公庫に対し、上告人が機械設備発注のために必要としている融資を促進されたい旨の依頼文書を送付した。
同じころ、上告人は右機械設備を発注し、更に前記工場敷地の整地工事に着手して同年一二月初めにはこれを完了した。
(四) ところが、同月行われた村長選挙において当選し、昭和四八年一月初めにAに代わつて被上告人村長に就任したBは、本件工場設置に反対する工場予定地周辺の住民の支持を得て当選したものであるところから、本件工場建設に反対する意向を固め、上告人が沖縄県建築基準法施行細則二条一項の規定に基づき同村長のもとに提出した本件工場の建築確認申請書を同条二項の規定に反しその名宛人たる沖縄県の建築主事に送付することなく、上告人に対し、工場予定地周辺の住民が工場建設に反対していること、村議会の本件工場誘致の議決後に社会情勢が急変したこと、本体工場の建設は将来付近地域の開発に支障をもたらすおそれがあること、本件工場予定地の上流に農業用ダムの建設計画があることを理由として、同年三月二九日付で右建築確認申請に不同意である旨の通知をした。
(五) 上告人は、このようにして本件工場建設に対する被上告人の協力が得られなくなつた結果、右工場の建設ないし操業は不可能となつたので、やむなくこれを断念した。
所論の本訴請求は、以上のような事実関係に基づき、被上告人の所為は上告人との間に形成された信頼関係を不当に破るものであるとして、上告人が被上告人に対し、前記機械設備の発注により支払義務を負担することとなつた代金相当額等その被つた積極的損害(元本額五五七四万五六一四円)の賠償を求めるものであるところ原判決は、本件工場建設に対する被上告人の積極的な協力は住民の福祉増進を目的とし、住民意思に副うことを前提とするものであるから、A前村長らによる企業誘致の方針が村民によつて批判され、批判勢力の支持するB村長が選出された以上、上告人は被上告人の協力を期待すべきではなく、被上告人の協力拒否を違法ということはできないとして、右請求を排斥した第一審判決を維持した。

二 そこで、原審の右判断の当否について検討するのに、地方公共団体の施策を住民の意思に基づいて行うべきものとするいわゆる住民自治の原則は地方公共団体の組織及び運営に関する基本原則であり、また、地方公共団体のような行政主体が一定内容の将来にわたつて継続すべき施策を決定した場合でも、右施策が社会情勢の変動等に伴つて変更されることがあることはもとより当然であつて、地方公共団体は原則として右決定に拘束されるものではない。しかし、右決定が、単に一定内容の継続的な施策を定めるにとどまらず、特定の者に対して右施策に適合する特定内容の活動をすることを促す個別的、具体的な勧告ないし勧誘を伴うものであり、かつ、その活動が相当長期にわたる当該施策の継続を前提としてはじめてこれに投入する資金又は労力に相応する効果を生じうる性質のものである場合には、右特定の者は、右施策が右活動の基盤として維持されるものと信頼し、これを前提として右の活動ないしその準備活動に入るのが通常である。このような状況のもとでは、たとえ右勧告ないし勧誘に基づいてその者と当該地方公共団体との間に右施策の維持を内容とする契約が締結されたものとは認められない場合であつても、右のように密接な交渉を持つに至つた当事者間の関係を規律すべき信義衡平の原則に照らし、その施策の変更にあたつてはかかる信頼に対して法的保護が与えられなければならないものというべきである。すなわち、右施策が変更されることにより、前記の勧告等に動機づけられて前記のような活動に入つた者がその信頼に反して所期の活動を妨げられ、社会観念上看過することのできない程度の積極的損害を被る場合に、地方公共団体において右損害を補償するなどの代償的措置を講ずることなく施策を変更することは、それがやむをえない客観的事情によるのでない限り、当事者間に形成された信頼関係を不当に破壊するものとして違法性を帯び、地方公共団体の不法行為責任を生ぜしめるものといわなければならない。そして、前記住民自治の原則も、地方公共団体が住民の意思に基づいて行動する場合にはその行動になんらの法的責任も伴わないということを意味するものではないから、地方公共団体の施策決定の基盤をなす政治情勢の変化をもつてただちに前記のやむをえない客観的事情にあたるものとし、前記のような相手方の信頼を保護しないことが許されるものと解すべきではない
これを本件についてみるのに、前記事実関係に照らせば、A前村長は、村議会の賛成のもとに上告人に対し本件工場建設に全面的に協力することを言明したのみならず、その後退任までの二年近くの間終始一貫して本件工場の建設を促し、これに積極的に協力していたものであり、上告人は、これによつて右工場の建設及び操業開始につき被上告人の協力を得られるものと信じ、工場敷地の確保・整備、機械設備の発注等を行つたものであつて、右は被上告人においても予想し、期待するところであつたといわなければならない。また、本件工場の建設が相当長期にわたる操業を予定して行われ、少なからぬ資金の投入を伴うものであることは、その性質上明らかである。このような状況のもとにおいて、被上告人の協力拒否により、本件工場の建設がこれに着手したばかりの段階で不可能となつたのであるから、その結果として上告人に多額の積極的損害が生じたとすれば、右協力拒否がやむをえない客観的事情に基づくものであるか、又は右損害を解消せしめるようななんらかの措置が講じられるのでない限り、右協力拒否は上告人に対する違法な加害行為たることを免れず、被上告人に対しこれと相当因果関係に立つ損害としての積極的損害の賠償を求める上告人の請求は正当として認容すべきものといわなければならない。

三 以上によれば、前記の理由によつて、被上告人が前言をひるがえし本件工場建設に対する協力を拒否したことの違法を原因とする本訴請求を排斥した原判決は法令の解釈適用を誤つたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中右請求に関する部分は破棄を免れない。右請求については、被上告人の本件工場建設に対する協力拒否がやむをえない事情に基づくものであるかどうか、右協力拒否と本件工場の建設ないし操業の不能との因果関係の有無、上告人に生じた損害の程度等の点につき更に審理を尽くす必要があると認められるので、本件のうち右請求に関する部分を原審に差し戻すこととする。
本件上告中、被上告人村長が上告人提出の建築確認申請書の送付を怠つたことを理由とする損害賠償請求につき原判決の破棄を求める部分については、上告人は民訴法三九八条に違背し民訴規則五〇条所定の期間内に上告理由を記載した書面を提出しないので、右上告は却下を免れない。
よつて、民訴法四〇七条一項、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横井大三 裁判官 環昌一 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)

(2)法律による行政の原理と対立する場合
・租税の賦課のように、裁量が認められない処分については、信頼保護と法律による行政の原理とが対立する場合がある

+判例(S62.10.30)青色申告
理  由
上告代理人藤井俊彦、同松村利教、同宮崎直見、同岡光民雄、同田邉安夫、同中本尚、同西修一郎、同大城正春、同岩田登、同戸田信次、同坂田嘉一の上告理由について
一 原審が確定したところによれば、(1) 被上告人の実兄であり、かつ養父であつた式貞道(昭和四七年九月二一日死亡)は、戦前から酒類販売業の免許を受け、式商店の商号で酒類販売業を営んでいた、(2) 被上告人は、昭和二五年四月門司税務署を退職し、式商店の営業に従事するようになり、昭和二九年一一月ころから事実上被上告人が中心となつて同店の業務を運営するようになつた。(3) 貞道は青色申告の承認を受けており、式商店の営業による事業所得については、昭和二九年分から同四五年分まで貞道名義により青色申告がされてきたが、昭和四七年三月、同四六年分につき、被上告人が青色申告の承認を受けることなく自己の名義で青色申告書による確定申告をしたところ、上告人は、被上告人につき青色申告の承認があるかどうかの確認を怠り、右申告書を受理し、さらに昭和四七年分から同五〇年分までの所得税についても、被上告人に青色申告用紙を送付し、被上告人の青色申告書による確定申告を受理するとともにその申告に係る所得税額を収納してきた、(4) 貞道名義で青色申告を継続してきた間、青色申告の承認を取り消されるようなことはなく、昭和四六年以降も式商店の帳簿書類の整備保存態勢に変化はなかつた、(5) 被上告人は、昭和五一年三月、上告人から青色申告の承認申請がなかつたことを指摘されるや直ちにその申請をし、同年分以降についてその承認を受けた、というものである。

二 原審は、青色申告制度が課税所得額の基礎資料となる帳簿書類を一定の形式に従つて保存整備させ、その内容に隠蔽、過誤などの不実記載がないことを担保させることによつて、納税者の自主的かつ公正な申告による課税の実現を確保しようとする制度であることから考えると、右のような制度の趣旨を潜脱しない限度においては、青色申告書の提出について税務署長の承認を受けていなくても、青色申告としての効力を認めてもよい例外的な場合があるとしたうえ、右の事実関係のもとにおいては、被上告人が青色申告書を提出することについてその承認申請をしなかつたとしても、必ずしも青色申告制度の趣旨に背馳するとは考えられず、上告人が青色申告書による確定申告を受理し、これにつきその承認があるかどうかの確認を怠り、単に被上告人が承認申請をしていなかつたことだけで青色申告の効力を否認するのは信義則に違反し許されないとし、被上告人の昭和四八年分及び同四九年分の各所得税の確定申告について、これを白色申告とみなして行つた本件各更正処分は違法である、と判断した。
論旨は、要するに、原審の右判断は、法令の解釈適用を誤り、審理不尽、理由不備の違法を犯したものである、というのである。

三 所得税法第二編第五章第三節に規定する青色申告の制度は、納税者が自ら所得金額及び税額を計算し自主的に申告して納税する申告納税制度のもとにおいて、適正課税を実現するために不可欠な帳簿の正確な記帳を推進する目的で設けられたものであつて、同法一四三条所定の所得を生ずべき業務を行う納税者で、適式に帳簿書類を備え付けてこれに取引を忠実に記載し、かつ、これを保存する者について、当該納税者の申請に基づき、その者が特別の申告書(青色申告書)により申告することを税務署長が承認するものとし、その承認を受けた年分以後青色申告書を提出した納税者に対しては、推計課税を認めないなどの課税手続上の特典及び事業専従者給与や各種引当金・準備金の必要経費算入、純損失の繰越控除など所得ないし税額計算上の種々の特典を与えるものである。青色申告の承認は、所得税法一四四条の規定に基づき所定の申請書を提出した居住者(同法二条三号)に与えられる(同法一四六条、一四七条)。そして、青色申告の承認の効力は、その承認を受けた居住者が一定の業務を継続する限りにおいて存続する一身専属的なものとされている(同法一五一条二項)。
以上のような青色申告の制度をみれば、青色申告の承認は、課税手続上及び実体上種々の特典(租税優遇措置)を伴う特別の青色申告書により申告することのできる法的地位ないし資格を納税者に付与する設権的処分の性質を有することが明らかである。そのうえ、所得税法は、税務署長が青色申告の承認申請を却下するについては申請者につき一定の事実がある場合に限られるものとし(一四五条)、かつ、みなし承認の規定を設け(一四七条)、同法所定の要件を具備する納税者が青色申告の承認申請書を提出するならば、遅滞なく青色申告の承認を受けられる仕組みを設けている。このような制度のもとにおいては、たとえ納税者が青色申告の承認を受けていた被相続人の営む事業にその生前から従事し、右事業を継承した場合であつても、青色申告の承認申請書を提出せず、税務署長の承認を受けていないときは、納税者が青色申告書を提出したからといつて、その申告に青色申告としての効力を認める余地はないものといわなければならない。これと異なり、青色申告書の提出について税務署長の承認を受けていなくても青色申告としての効力を認めてもよい例外的な場合がある、とした原審の判断は、青色申告の制度に関する法令の解釈適用を誤つたものというほかない。
原審の確定した事実関係によれば、被上告人は、その昭和四八年分及び同四九年分の各所得税について青色申告の承認を受けていないというのであるから、被上告人の右両年分の所得税の確定申告については、青色申告としての効力を認める余地はなく、これを白色申告として取り扱うべきものである。そのうえで、被上告人の確定申告につき、上告人が法令の規定どおりに白色申告として所得金額及び所得税額を計算し、更正処分をすることを違法とする特別の事情があるかどうかを検討すべきものである。

四 租税法規に適合する課税処分について、法の一般原理である信義則の法理の適用により、右課税処分を違法なものとして取り消すことができる場合があるとしても、法律による行政の原理なかんずく租税法律主義の原則が貫かれるべき租税法律関係においては、右法理の適用については慎重でなければならず、租税法規の適用における納税者間の平等、公平という要請を犠牲にしてもなお当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存する場合に、初めて右法理の適用の是非を考えるべきものである。そして、右特別の事情が存するかどうかの判断に当たつては、少なくとも、税務官庁が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示したことにより、納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ、のちに右表示に反する課税処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになつたものであるかどうか、また、納税者が税務官庁の右表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないかどうかという点の考慮は不可欠のものであるといわなければならない
これを本件についてみるに、納税申告は、納税者が所轄税務署長に納税申告書を提出することによつて完了する行為であり(国税通則法一七条ないし二二条参照)、税務署長による申告書の受理及び申告税額の収納は、当該申告書の申告内容を是認することを何ら意味するものではない(同法二四条参照)。また、納税者が青色申告書により納税申告したからといつて、これをもつて青色申告の承認申請をしたものと解しうるものでないことはいうまでもなく、税務署長が納税者の青色申告書による確定申告につきその承認があるかどうかの確認を怠り、翌年分以降青色申告の用紙を当該納税者に送付したとしても、それをもつて当該納税者が税務署長により青色申告書の提出を承認されたものと受け取りうべきものでないことも明らかである。そうすると、原審の確定した前記事実関係をもつてしては、本件更正処分が上告人の被上告人に対して与えた公的見解の表示に反する処分であるということはできないものというべく、本件更正処分について信義則の法理の適用を考える余地はないものといわなければならない

五 したがつて、以上とは異なる見解に立ち、本件更正処分を違法なものとした原判決には、法律の解釈適用を誤つた違法があり、ひいては審理不尽の違法があるものといわなければならず、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、本件更正処分の適否について更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 坂上壽夫 伊藤正己 安岡滿彦 長島敦)

・地方公共団体による消滅時効の主張と信義則

+判例(H19.2.6)在ブラジル被爆者健康管理手当不支給事件
理由
上告代理人大竹たかしほかの上告受理申立て理由について
1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人らは、いずれも、広島市に投下された原子爆弾に被爆した者であり、昭和30年ころから同40年にかけてブラジル連邦共和国(以下「ブラジル」という。)に移住した。
(2) 昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が、同43年に原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)がそれぞれ制定され、平成6年にこれらの法律を統合する形で原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」といい、原爆特別措置法と併せて「被爆者援護法等」という。)が制定された。健康管理手当は、原爆特別措置法5条又は被爆者援護法27条に基づき、造血機能障害、肝臓機能障害、循環器機能障害等の疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている被爆者に支給される手当である。その支給に係る事務は、都道府県知事が国の機関として主務大臣(厚生大臣)の指揮監督の下に処理すべき事務とされていたが(地方自治法(平成11年法律第87号による改正前のもの)148条2項、150条、別表第3第1項(10の2)、地方自治法(平成6年法律第117号による改正前のもの)別表第3第1項(10の3)、国家行政組織法(平成11年法律第87号による改正前のもの)15条2項)、その後、平成11年法律第87号による地方自治法の改正に伴い、第1号法定受託事務に改められた(同法2条9項1号、10項、別表第1)
(3) 厚生省公衆衛生局長は、昭和49年7月22日付けで、各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あての「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する通達(昭和49年衛発第402号。以下「402号通達」という。)を発出し、原爆特別措置法に基づく健康管理手当の受給権は、当該被爆者が我が国の領域を越えて居住地を移した場合、失権の取扱いとなるものと定めた。被爆者援護法が制定された後も、厚生事務次官が平成7年5月15日付けで各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あてに発出した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の施行について」と題する通知(平成7年発健医第158号)に基づき、402号通達による上記の取扱いが継続されてきたしかし、被爆者援護法等には、健康管理手当の受給権を取得した被爆者が国外に居住地を移した場合に同受給権を失う旨の規定は存在せず、402号通達の上記定め及びこれに基づく行政実務は、被爆者援護法等の解釈を誤る違法なものであった
(4) 被上告人らは、いずれも、平成3年から同7年にかけて、ブラジルから一時帰国し、被爆者援護法等に基づき、広島県知事から循環器機能障害等の疾病の認定を受け、被上告人X1及び同X2については平成7年6月から同12年5月までの間、同X3については同6年6月から同11年5月までの間をそれぞれ支給期間とする健康管理手当を支給する旨の健康管理手当証書の交付を受けた(以下、これらの健康管理手当を併せて「本件健康管理手当」という。)。
(5) 広島県知事は、被上告人らがその後間もなくブラジルに出国したことから、402号通達を根拠として、被上告人X1については平成7年7月分以降、同X2については同年8月分以降、同X3については同6年7月分以降の本件健康管理手当の支給をそれぞれ打ち切った。
(6) その後、被上告人らは、平成14年7月から12月にかけて、本件健康管理手当の支払を求めて本件訴えを提起した。同15年3月1日、402号通達は廃止され、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則にも、被爆者健康手帳の交付を受けた者であって国内に居住地及び現在地を有しないものも健康管理手当の支給を受けることができることを前提とする規定が設けられるに至った上告人は、これらの改正に伴い、被上告人らに健康管理手当を支給したが、本件健康管理手当のうち、本件各提訴時点で既に各支給月の末日から5年を経過していた分については、地方自治法236条所定の時効により受給権が消滅したとして、その支給をしなかった

2 本件は、被上告人らが上告人に対し、原爆特別措置法5条又は被爆者援護法27条に基づき、未支給の本件健康管理手当及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
3(1) 被爆者援護法等に基づく健康管理手当は、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、原子爆弾の放射能の影響による造血機能障害等の障害に苦しみ続け、不安の中で生活している被爆者に対し、毎月定額の手当を支給することにより、その健康及び福祉に寄与することを目的とするものである(原爆特別措置法5条、被爆者援護法前文、27条参照)。前記事実関係等によれば、被上告人らは、その申請により本件健康管理手当の受給権を具体的な権利として取得したところ、上告人は、被上告人らがブラジルに出国したとの一事により、同受給権につき402号通達に基づく失権の取扱いをしたものであり、しかも、このような通達や取扱いには何ら法令上の根拠はなかったというのである。通達は、行政上の取扱いの統一性を確保するために、上級行政機関が下級行政機関に対して発する法解釈の基準であって、国民に対し直接の法的効力を有するものではないとはいえ、通達に定められた事項は法令上相応の根拠を有するものであるとの推測を国民に与えるものであるから、前記のような402号通達の明確な定めに基づき健康管理手当の受給権について失権の取扱いをされた者に、なおその行使を期待することは極めて困難であったといわざるを得ない。他方、国が具体的な権利として発生したこのような重要な権利について失権の取扱いをする通達を発出する以上、相当程度慎重な検討ないし配慮がされてしかるべきものである。しかも、402号通達の上記失権取扱いに関する定めは、我が国を出国した被爆者に対し、その出国時点から適用されるものであり、失権取扱い後の権利行使が通常困難となる者を対象とするものであったということができる。
 以上のような事情の下においては、上告人が消滅時効を主張して未支給の本件健康管理手当の支給義務を免れようとすることは、違法な通達を定めて受給権者の権利行使を困難にしていた国から事務の委任を受け、又は事務を受託し、自らも上記通達に従い違法な事務処理をしていた普通地方公共団体ないしその機関自身が、受給権者によるその権利の不行使を理由として支払義務を免れようとするに等しいものといわざるを得ない。そうすると、上告人の消滅時効の主張は、402号通達が発出されているにもかかわらず、当該被爆者については同通達に基づく失権の取扱いに対し訴訟を提起するなどして自己の権利を行使することが合理的に期待できる事情があったなどの特段の事情のない限り、信義則に反し許されないものと解するのが相当である。本件において上記特段の事情を認めることはできないから、上告人は、消滅時効を主張して未支給の本件健康管理手当の支給義務を免れることはできないものと解される。
(2) 論旨は、地方自治法236条2項所定の普通地方公共団体に対する権利で金銭の給付を目的とするものは、同項後段の規定により、法律に特別の定めがある場合を除くほか、時効の援用を要することなく、時効期間の満了により当然に消滅するから、その消滅時効の主張が信義則に反し許されないと解する余地はないというものである。
ところで、同規定が上記権利の時効消滅につき当該普通地方公共団体による援用を要しないこととしたのは、上記権利については、その性質上、法令に従い適正かつ画一的にこれを処理することが、当該普通地方公共団体の事務処理上の便宜及び住民の平等的取扱いの理念(同法10条2項参照)に資することから、時効援用の制度(民法145条)を適用する必要がないと判断されたことによるものと解される。このような趣旨にかんがみると、普通地方公共団体に対する債権に関する消滅時効の主張が信義則に反し許されないとされる場合は、極めて限定されるものというべきである。
しかしながら地方公共団体は、法令に違反してその事務を処理してはならないものとされている(地方自治法2条16項)。この法令遵守義務は、地方公共団体の事務処理に当たっての最も基本的な原則ないし指針であり、普通地方公共団体の債務についても、その履行は、信義に従い、誠実に行う必要があることはいうまでもない。そうすると、本件のように、普通地方公共団体が、上記のような基本的な義務に反して、既に具体的な権利として発生している国民の重要な権利に関し、法令に違反してその行使を積極的に妨げるような一方的かつ統一的な取扱いをし、その行使を著しく困難にさせた結果、これを消滅時効にかからせたという極めて例外的な場合においては、上記のような便宜を与える基礎を欠くといわざるを得ず、また、当該普通地方公共団体による時効の主張を許さないこととしても、国民の平等的取扱いの理念に反するとは解されず、かつ、その事務処理に格別の支障を与えるとも考え難い。したがって、本件において、上告人が上記規定を根拠に消滅時効を主張することは許されないものというべきである。論旨の引用する判例(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁)は、事案を異にし本件に適切でない。
4 原審の判断は、これと同旨をいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官藤田宙靖の補足意見がある。

+補足意見
裁判官藤田宙靖の補足意見は、次のとおりである。
私は、法廷意見に賛成するものであるが、地方自治法236条2項の規定にもかかわらず、本件において消滅時効の成立を認めない理論的根拠について、若干の補足をしておくこととしたい。
信義誠実の原則は、法の一般原理であって、行政法規の解釈に当たってもその適用が必ずしも排除されるものではないことは、今日広く承認されているところである。地方自治法236条2項の解釈・適用に当たってもこのことは変わらないのであって、住民が権利行使を長期間行わなかったことの主たる原因が、行政主体が権利行使を妨げるような違法な行動を積極的に執っていたことに見出される場合にまで、消滅時効を理由に相手方の請求権を争うことを認めるような結果は、そもそも同条の想定しないところと考えるべきである。その意味において、本件のようなケースにおいては、同条2項ただし書にいう「法律に特別の定めがある場合」に準ずる事情があるものとして、なお時効援用の必要及びその信義則違反の有無につき論じる余地が認められるものというべきである。
(裁判長裁判官 藤田宙靖 裁判官 上田豊三 裁判官 堀籠幸男 裁判官 那須弘平)

++解説
《解  説》
1 事案の概要
広島市及び長崎市に投下された原子爆弾に被爆した被爆者に対して,各種の手当を支給する措置が,「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(以下「旧原爆特別措置法」という。)及び「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下,「被爆者援護法」といい,旧原爆特別措置法と併せて「被爆者援護法等」という。)によって講じられてきた。本件は,被爆者であるXらが,被爆者援護法等に基づき,健康管理手当の受給権を取得したものの,その後,ブラジルに出国したことに伴い同手当の支給を打ち切られたことから,Yに対し,未支給の健康管理手当の支払を求めた事案である。
(1) 本件のXらは,広島市に投下された原子爆弾に被爆した被爆者であるが,いずれも,戦後,ブラジルに移住した。
Xらは,平成3年から7年にかけて,ブラジルから一時帰国し,広島県知事に対し被爆者援護法等に基づく申請をした結果,いずれも5年の期間を指定した健康管理手当(以下「本件健康管理手当」という。)の受給権を取得した。
しかるに,広島県知事は,Xらがその後間もなくブラジルに出国したことを理由に,本件健康管理手当の支給を打ち切った。
(2) 広島県知事がこのように,本件健康管理手当の支給を打ち切ったのは,いわゆる402 号通達の「健康管理手当の受給権は,当該被爆者が我が国の領域を越えて居住地を移した場合,失権の取扱いとなる」との定めを根拠とするものであった。
しかしながら,被爆者援護法等には,健康管理手当の受給権を取得した被爆者が国外に居住地を移した場合にその受給権を失う旨の規定は存在せず,402号通達及びこれに基づく行政実務は,被爆者援護法等の解釈を誤る違法なものであった。
(3) 結局,402号通達は廃止され,Yは,Xらに健康管理手当を支給したが,本件健康管理手当のうち,本件提訴時点で既に各支給月の末日から5年を経過していた分については,地方自治法(以下「法」という。)236条所定の時効により受給権が消滅したとして,その支給をしなかった。そこで,このようなYによる消滅時効の主張が信義則に照らし許されるか否かが争われたのが本件である。

2 問題の所在
(1) 上記事実関係によれば,402号通達が廃止されるまでの間は,Xらが支給を打ち切られた健康管理手当の受給権を行使しようとしても,Yが同通達を根拠にこれを拒絶することが明らかであり,Xらはこのような権利行使をすることが困難であったと認められるばかりか,その支給義務者においてXらの権利行使を妨げていたと評価すべき事情があった。そうすると,これが民法上の消滅時効であれば,このようなYが,その権利の不行使を理由に消滅時効を援用することは,信義則(禁反言の法理)に反し許されないと解する余地が十分にある。ところが,本件健康管理手当の受給権のような公法上の債権については,法236条2項後段により,消滅時効の援用が不要とされており,そもそも信義則違反とすべき対象である「援用」がないのであるから,信義則違反の主張は主張自体失当なのではないかが問題となる(以下「問題点(1)」という。)。
(2) また,最一小判平1. 12. 21民集43巻12号2209頁,判タ753号84頁(以下「最高裁平成元年判決」という。)は,民法724条後段所定の除斥期間につき,一定の時の経過によって法律関係を確定させるための請求権の存続期間を画一的に定めたものであり,同条所定の期間の経過とともに権利が法律上当然に消滅するものであるから,除斥期間の主張が信義則に違反するとの債権者の主張は主張自体失当である旨判示している。そうすると,法236条2項所定の消滅時効も,義務者による援用を要することなく権利が消滅する点においては除斥期間と同一であるから,同判決と同様,XらがYによる消滅時効の主張を信義則違反であると主張することは,そもそも主張自体失当ではないかが問題となる(以下「問題点(2)」という。)。

3 本判決の判断
1審判決は,Yの消滅時効の主張を認め,Xらの請求を棄却すべきものとしたが,原審は,Yの主張を排斥し,Xらの請求を認容すべきものとした。本判決は,次のとおり判示して,原審の判断を正当として是認し,Yの上告を棄却したものである。
(1) 本件の事実関係の下においては,Yが消滅時効を主張して未支給の本件健康管理手当の支給義務を免れようとすることは,違法な通達を定めて受給権者の権利行使を困難にしていた国から事務の委任を受け,又は事務を受託し,自らも上記通達に従い違法な事務処理をしていた普通地方公共団体ないしその機関自身が,受給権者によるその権利の不行使を理由として支払義務を免れようとするに等しく,特段の事情のない限り,信義則に反し許されない。
(2) 普通地方公共団体が,最も基本的な注意義務である法令遵守義務に反して,既に具体的な権利として発生している国民の重要な権利に関し,法令に違反してその行使を積極的に妨げるような一方的かつ統一的な取扱いをし,その行使を著しく困難にさせた結果,これを消滅時効にかからせたという極めて例外的な場合においては,当該普通地方公共団体に対し,法236条2項が趣旨とする事務処理上の便宜という利益を与える基礎を欠き,また,当該普通地方公共団体による時効の主張を許さないこととしても,国民の平等的取扱いの理念に反するとは解されず,かつ,その事務処理に格別の支障を与えるとも考え難いから,上記規定を根拠に消滅時効を主張することは許されない。
(3) 最高裁平成元年判決は,事案を異にし本件に適切でない。

4 説明
本件と同様の問題は,下級審においても結論が分かれ,消滅時効の成立を認めた裁判例として,①福岡高判平16. 2. 27最高裁HP,②福岡高判平19. 1. 22判例集未登載,③広島地判平16. 10. 14判自267号89頁〔本件1審判決〕が,これを否定した裁判例として,④長崎地判平15. 3. 19判例集未登載,⑤長崎地判平17. 12. 20判例集未登載,⑥広島高判平18. 2. 8判例集未登載〔本件原判決〕があった。
(1) 問題点(1)について
まず,問題点(1)について検討する。
ア 法236条2項は,昭和38年法律第99号により新設された規定であるが,この規定は,国税徴収法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和34年法律第148号)により新設された会計法31条の規定とほぼ同じ構造を採っており,国に係る公法上の債権と同様の規定を普通地方公共団体にも導入したものということができる。そして,同規定は,大正10年法律第42号による会計法における時効制度,更には明治22年法律第4号による会計法における期満免除の制度にまで沿源をたどることができる。そして,これらの制度の下において,時効の援用を要することなく国の債権債務が時効消滅する最大の理由として,会計の整理上の不便を防止し,速やかに会計を結了させることが挙げられていた。これに対し,戦後は,同様の理由に加え,行政の画一的・平等処理の要請や国民にとっての便宜といった視点が重要な理由として付加されるに至ったということができる(例えば,松田晴夫「国の債権債務に関する時効について(5)」会計と監査37巻12号28頁,高柳信一「国の普通財産売払代金債権と会計法30条」法協84巻10号1395頁参照)。
そうすると,法236条2項は,これらの趣旨,目的にかなう債権に適用されるべきであって,これを適用した結果,著しく衡平,正義の理念に反するような債権についてまで適用されることは予定していないと解すべきであろう。
本判決が上記3(2)のとおり判示しているのも,同様の理解に立つものと考えられる。
イ ちなみに,最三小判昭50. 2. 25民集29巻2号143頁は,国家公務員の国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効に会計法30条の適用があるか否かが争われた事案において,「会計法30条が金銭の給付を目的とする国の権利及び国に対する権利につき5年の消滅時効期間を定めたのは,国の権利義務を早期に決済する必要があるなど主として行政上の便宜を考慮したことに基づくものであるから,同条の5年の消滅時効期間の定めは,右のような行政上の便宜を考慮する必要がある金銭債権であつて他に時効期間につき特別の規定のないものについて適用されるものと解すべきである。そして,国が,公務員に対する安全配慮義務を解怠し違法に公務員の生命,健康等を侵害して損害を受けた公務員に対し損害賠償の義務を負う事態は,その発生が偶発的であつて多発するものとはいえないから,右義務につき前記のような行政上の便宜を考慮する必要はなく,また,国が義務者であつても,被害者に損害を賠償すべき関係は,公平の理念に基づき被害者に生じた損害の公正な填補を目的とする点において,私人相互間における損害賠償の関係とその目的性質を異にするものではないから,国に対する右損害賠償請求権の消滅時効期間は,会計法30条所定の5年と解すべきではなく,民法167条1項により10年と解すべきである。」と判示している。
本判決に関する上記アの理解は,最高裁昭和50年判決の説示にもよく整合するものといえよう。
ウ もっとも,本判決の理解については,①上記ア,イのように,本判決の判示するような極めて例外的な事情が認められる場合には,法236条2項の適用が制限されるとの法律構成のほかに,②このような場合は,法律が個別に消滅時効の援用を定める場合に準ずる事情のある場合であり,法236条2項所定の「法律に特別の定めがある場合」に準じて,時効消滅には義務者の援用が必要であると解する法律構成,③公法上の債権の消滅時効に関しては,法236条2項により援用が不要とされているものの,それが時効である以上,少なくとも,弁論主義の適用上,当該債権の行使可能時からの一定期間の経過の主張は不可欠であり,この訴訟上の主張が信義則の適用によって制限されるとの法律構成も考えられよう。
本判決を検討する限り,本判決はこれらのいずれの考え方によっても説明することが可能であり,また,どの法律構成に立つかによって大きな相違は生じないものと思われる(藤田裁判官の補足意見は,②の法律構成を表明するものである。)。
エ したがって,問題点(1)の点は,必ずしも,Xらの信義則違反の主張を排斥する理由とはならないと考えられる。
(2) 問題点(2)について
次に,問題点(2)について検討する。
一般に,除斥期間と消滅時効との主な相違点として,①除斥期間においては中断(民法147条参照)が認められないこと,②除斥期間の経過による権利消滅の効果は当然かつ絶対的に生じ,当事者の援用がなくとも,裁判所はこれに基づいて裁判をしなければならないことの2 点が挙げられる(例えば,我妻栄『新訂民法講義(1)民法総則』437頁以下)。
このような性質の相違にかんがみると,除斥期間について当事者の主張がないまま裁判所がこれを認定して当該債権の消滅を判断しても,もとより当該債権は除斥期間の経過により当然かつ絶対的に消滅しているのであるから,不都合は生じないと考えられるが,公法上の債権については,時効の中断があり得るのであるから,裁判所において,当該債権の行使可能時から5年を経過したとして,時効消滅を当然の前提として判断することは問題があろう。このことは,普通地方公共団体が有する金銭債権については,むしろ時効中断の措置が講じられていることが通常であると考えられることに照らしても明らかであろう。
除斥期間と公法上の債権の消滅時効とでは,このような相違があるのであるから,公法上の債権の消滅時効について,極めて例外的な事情が認められる場合においては当該普通地方公共団体による援用を要すると解しても,最高裁平成元年判決に矛盾抵触するものではないと解される。
(3) 本判決の射程等
ア 以上のとおり,問題点(1)及び(2)は,いずれも,Xらの消滅時効の主張がいかなる場合にも主張自体失当として排斥されるとの考え方を理由付けるものではないと解される。
本判決は,上記のような理解を踏まえた上で,「本件のように,普通地方公共団体が,上記のような基本的な義務に反して,既に具体的な権利として発生している国民の重要な権利に関し,法令に違反してその行使を積極的に妨げるような一方的かつ統一的な取扱いをし,その行使を著しく困難にさせた結果,これを消滅時効にかからせたという極めて例外的な場合においては,……上告人が上記規定を根拠に消滅時効を主張することは許されないものというべきである。」と判示したものと考えられる。
イ 本判決が,普通地方公共団体による消滅時効の主張が制限される場合を一般の信義則の適用場面と比して極めて厳格に解していることは,上記判示からも明らかである。
これは,上記(1)ウ①又は②の考え方によれば,法236条2項の規定にかかわらず消滅時効の援用を要すると解する場合が極めて限定されるのは当然であると理解することができよう。また,③の考え方によっても,上記アのような場面(訴訟外又は訴訟前における義務者の行為を問題として訴訟上の主張を信義則により制限する場面)における信義則の適用は,本来的な訴訟行為に対する信義則の適用の場面とは異なるのであるから,信義則違反が認められる場合を厳格に解する考え方が採られたものと理解することができよう。
ウ したがって,上記アの判示は,普通地方公共団体による公法上の債権に係る消滅時効の主張が制限される場合を一般的に相当程度厳格に解したものと理解することができ,例えば,単なる窓口指導において誤った教示がされた場合や,いまだ申請すらされておらず,具体的権利が発生しているとはいえないような場合は,本判決の射程外にあるといえるであろう。
(4) まとめ
本判決は,最高裁が,①公法上の債権につき,極めて限定された要件の下においては,普通地方公共団体による消滅時効の主張が許されない場合があり得ることを明示した点,②高裁も含め下級審の判断が分かれていた事項について,その解釈を統一する判断を示した点で,実務上重要な意義を有するものと考えられる。

4.権利濫用の禁止原則

+判例(S53.6.16)余目町個室付浴場事件
理由
一 弁護人安達十郎の上告趣意は、憲法二二条、二九条、三一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
二 しかしながら、所論にかんがみ職権により調査すると、原判決及び第一審判決は、次の理由により破棄を免れない。
(一) 原判決の是認する第一審判決の認定事実の要旨は、「個室付公衆浴場の営業を営む被告会社は、浴場施設から一三四・五メートル離れた地域に余目町立A児童遊園(児童福祉法七条に規定する児童福祉施設で、被告会社に対する山形県知事の公衆浴場経営許可の日よりも五一日前に同知事の認可を受けていた。)があるため、浴場個室において異性の客に接触する役務を提供する営業(いわゆるトルコぶろ営業)ができないのに、昭和四三年八月一六日ころから同四四年二月七日ころまでの間に女性従業員五名(いわゆるトルコ嬢)による男性客相手(延七〇名)のトルコぶろ営業を営んだ」というものである。
(二) 本件の争点は、山形県知事のA児童遊園設置認可処分(以下「本件認可処分」という。)の適法性、有効性にある。すなわち、風俗営業等取締法は、学校、児童福祉施設などの特定施設と個室付浴場業(いわゆるトルコぶろ営業)の一定区域内における併存を例外なく全面的に禁止しているわけではない(同法四条の四第三項参照)ので、被告会社のトルコぶろ営業に先立つ本件認可処分が行政権の濫用に相当する違法性を帯びているときには、A児童遊園の存在を被告会社のトルコぶろ営業を規制する根拠にすることは許されないことになるからである
(三) ところで、原判決は、余目町が山形県の関係部局、同県警察本部と協議し、その示唆を受けて被告会社のトルコぶろ営業の規制をさしあたつての主たる動機、目的として本件認可の申請をしたこと及び山形県知事もその経緯を知りつつ本件認可処分をしたことを認定しながら、A児童遊園を認可施設にする必要性、緊急性の有無については具体的な判断を示すことなく、公共の福祉による営業の自由の制限に依拠して本件認可処分の適法性、有効性を肯定している。また、記録を精査しても、本件当時余目町において、被告会社のトルコぶろ営業の規制以外に、A児童遊園を無認可施設から認可施設に整備する必要性、緊急性があつたことをうかがわせる事情は認められない。
本来、児童遊園は、児童に健全な遊びを与えてその健康を増進し、情操をゆたかにすることを目的とする施設(児童福祉法四〇条参照)なのであるから、児童遊園設置の認可申請、同認可処分もその趣旨に沿つてなされるべきものであつて、前記のような、被告会社のトルコぶろ営業の規制を主たる動機、目的とする余目町のA児童遊園設置の認可申請を容れた本件認可処分は、行政権の濫用に相当する違法性があり、被告会社のトルコぶろ営業に対しこれを規制しうる効力を有しないといわざるをえない(なお、本件認可処分の適法性、有効性が争点となつていた被告会社対山形県間の仙台高等裁判所昭和四七年(行コ)第三号損害賠償請求控訴事件において被告会社のトルコぶろ営業に対する関係においての本件認可処分の違法・無効を認めた控訴審判決が、最高裁判所昭和四九年(行ツ)第九二号の上告棄却判決(本件認可処分は行政権の著しい濫用によるものとして違法であるとした。)により確定していることは、当裁判所に顕著である。)。
三 そうだとすれば、被告会社の本件トルコぶろ営業については、これを規制しうる児童福祉法七条に規定する児童福祉施設の存在についての証明を欠くことになり、被告会社に無罪の言渡をすべきものである。したがつて、原判決及び第一審判決は、犯罪構成要件に関連する行政処分の法的評価を誤つて被告会社を有罪としたものにほかならず、右の違法は判決に影響を及ぼすもので、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
よつて、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決を破棄し、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 栗本一夫 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 裁判官 本林譲)


民事訴訟法 基礎演習 既判力の客観的範囲・一部請求・相殺


1.既判力の客観的範囲に関するルール
(1)既判力の客観的範囲とは?

既判力=判決によって示された裁判所の判断の通用性または拘束力を意味する
既判力の客観的範囲
「客観的」=既判力の及物的対象・客体

(2)既判力の対象となる判断

(3)既判力の作用
通説
第2訴訟の本案について裁判所は審理をするが、既判力が作用することで、敗訴者は前の判決の判断に反する主張をすることができず(消極的作用)、裁判所は前の確定判決を前提にして本案判決(通常は請求棄却)をする(積極的作用)

(4)先決関係・矛盾関係と既判力の作用

(5)判決理由中の判断と既判力

・既判力が裁判所の公権的な判断に付与された強制力であることから、広い範囲に効力を及ぼすべきではなく、当事者が意識的に審判対象とした訴訟物についてのみこれを認めれば、当面の当事者間での紛争の解決のためには必要十分である(紛争の相対的解決)

・当事者は先決的法律関係について中間確認の訴え(145条)を利用して、判決理由中で判断される事項を既判力の対象に格上げする途も残されている。
+(中間確認の訴え)
第145条
1項 裁判が訴訟の進行中に争いとなっている法律関係の成立又は不成立に係るときは、当事者は、請求を拡張して、その法律関係の確認の判決を求めることができる。ただし、その確認の請求が他の裁判所の専属管轄(当事者が第十一条の規定により合意で定めたものを除く。)に属するときは、この限りでない。
2項 前項の訴訟が係属する裁判所が第六条第一項各号に定める裁判所である場合において、前項の確認の請求が同条第一項の規定により他の裁判所の専属管轄に属するときは、前項ただし書の規定は、適用しない。
3項 第143条第2項及び第3項の規定は、第一項の規定による請求の拡張について準用する。

・理由中の判断に既判力を生じさせてしまうと、当事者は慎重になってしまうし、裁判所も判断のミスを修正する機会がなくなる=迅速な解決が望めなくなる!

2.相殺の抗弁
(1)民事訴訟法114条2項の存在意義

・+(既判力の範囲)
第114条
1項 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。
2項 相殺のために主張した請求の成立又は不成立の判断は、相殺をもって対抗した額について既判力を有する。

(2)相殺の抗弁の審理方法

(3)既判力の対象となる判断

(4)既判力の範囲

訴求債権800万円
反対債権850万円
反対債権全額が不成立と判断された場合、判例通説によれば文言通り800万の限度でのみ既判力が生じるとされるが、対抗額を超える50万円についても信義則上主張できないと解することもできる。
+判例(S10.8.24)
調べておく

3.一部請求と既判力
(1)一部請求論の射程
(2)残部請求の可否:判例の状況

ア 明示的一部請求と黙示的一部請求

+判例(S32.6.7)
理由
被上告人等先代Aが本訴の請求原因として主張する事実の要旨は、左記(一)ないし(四)のとおりである。
(一) 被上告人等先代は、さきに上告人及びB(本件第一、二審における上告人の共同当事者であつたが、原判決中同人に関する部分は上告申立がなくすでに確定した)の両名(以下上告人等という)を被告として、京都地方裁判所に対し、左記請求原因事実に基き四五万円の支払を求める訴を提起した。すなわち、被上告人等先代は、昭和二三年九月二六日上告人等に対しダイヤモンド入帯留一個を四五万円で売却方を委任し、同日右帯留を上告人等に引き渡したが、同年一〇月五日右委任を合意解除し、上告人等は被上告人等先代に対し同月一一日限り右帯留を返還するか又は損害金四五万円を支払うべく、もし右期限にその何れの債務をも履行しないときは、被上告人等先代において右の何れかの債権を選択行使しうることとする旨の契約を締結したところ、上告人等は右期限に帯留を返還せず金員の支払をもしなかつたので、被上告人等先代は約旨に基き選択権を行使し上告人等両名に対し四五万円の支払を求める、というのである。そして右訴訟は京都地方裁判所昭和二三年(ワ)七七八号事件として係属したところ、同裁判所は、審理の結果、被上告人等先代の右請求を理由があると認め、「被告等(上告人等)は原告(被上告人等先代)に対し四五万円を支払え」との判決をなし、これに対し上告人等から大阪高等裁判所に控訴を申し立てたが(同庁昭和二四年(ネ)四四七号)、控訴が棄却され、よつて前記判決は確定した。
(二) 被上告人等先代は、その後右四五万円の債権の中二二万五千円の支払を受けた。
(三) けれども、前記契約当時上告人等はいずれも骨董商で右契約は同人等のため商行為たる行為であつたから、上告人等は右契約に基く四五万円を連帯して支払う義務を負担したものである。 
(四) そして、被上告人等先代は右(一)の訴訟(以下前訴といい、これに対して本件訴訟を本訴という)において右四五万円の連帯債務中の二分の一に当る二二万五千円についてのみ支払を求めたのであるから、本訴において更に残余の二二万五千円を連帯して支払うべきことを求める。―ちなみに、原判決は、被上告人等先代が本訴の請求趣旨として「被控訴人等(上告人等)は控訴人(被上告人等先代)に対し四五方円を支払え」との申立をした旨摘示するが、記録によれば、被上告人等先代がかかる申立をした事実を認めることはできない。被上告人等先代は本訴の第一審において「被告等(上告人等)は連帯して原告(被上告人等先代)に対し二二万五千円を支払え」との請求趣旨を申し立て、その後何ら右申立を変更しなかつたものであることは、記録上疑の余地がなく、原判決の右摘示は誤りである。
以上(一)ないし(三)の事実に基く被上告人等先代の本訴請求に対し、原審は、証拠に基き、右(一)の確定判決のあることおよび(三)の事実を確定した上(ただし、(三)の主張事実中上告人等の営業は、上告人は古物商、Bは小間物商及び貴金属商と認定した)、前訴の確定判決は、上告人等が本件契約に基き負担した四五万円の連帯債務の二分の一すなわち各自二二万五千円の債務を負担する部分につきなされたもので、その既判力は右の範囲に止まるから、残余の二分の一に当る各自二二万五千円ずつの債務の履行を求める本訴請求は理由があるとし、「被控訴人等(上告人等)は控訴人(被上告人等先代)に対し四五万円を支払え」との判決をした(この判決が被上告人等先代の申立を誤解してなされたものであることは前記により明らかである)。
思うに、本来可分給付の性質を有する金銭債務の債務者が数人ある場合、その債務が分割債務かまたは連帯債務かは、もとより二者択一の関係にあるが、債権者が数人の債務者に対して金銭債務の履行を訴求する場合、連帯債務たる事実関係を何ら主張しないときは、これを分割債務の主張と解すべきである。そして、債権者が分割債務を主張して一旦確定判決をえたときは、更に別訴をもつて同一債権関係につきこれを連帯債務である旨主張することは、前訴判決の既判力に牴触し、許されないところとしなければならない
これを本件についてみるに、被上告人等先代は、前訴において、上告人等に対し四五万円の債権を有する旨を主張しその履行を求めたが、その連帯債務なることについては何ら主張しなかつたので、裁判所はこれを分割債務の主張と解し、その請求どおり、上告人において四五万円(すなわち各自二二万五千円)の支払をなすべき旨の判決をし、右判決は確定するに至つたこと、上告人の前記(一)の主張自体および一件記録に徴し明瞭である。しかるに被上告人等先代は、本訴において、右四五万円の債権は連帯債務であつて前訴はその一部請求に外ならないから、残余の請求として、上告人等に対し連帯して二二万五千円の支払を求めるというのである。そして上告人等が四五万円の連帯債務を負担した事実は原判決の確定するところであるから、前訴判決が確定した各自二二万五千円の債務は、その金額のみに着目すれば、あたかも四五万円の債務の一部にすぎないかの観もないではない。しかしながら、被上告人等先代は、前訴において、分割債務たる四五万円の債権を主張し、上告人等に対し各自二二万五千円の支払を求めたのであつて、連帯債務たる四五万円の債権を主張してその内の二二万五千円の部分(連帯債務)につき履行を求めたものでないことは疑がないから、前訴請求をもつて本訴の訴訟物たる四五万円の連帯債務の一部請求と解することはできないのみならず、記録中の乙三号証(請求の趣旨拡張の申立と題する書面)によれば、被上告人等先代は、前訴において、上告人等に対する前記四五万円の請求を訴訟物の全部として訴求したものであることをうかがうに難くないから、その請求の全部につき勝訴の確定判決をえた後において、今さら右請求が訴訟物の一部の請求にすぎなかつた旨を主張することは、とうてい許されないものと解すべきである。
されば、本訴請求が前訴の確定判決の既判力に牴触して認容するに由なきものであること冒頭説示に照らし明らかであるから、これを認容した原判決は違法であつて、論旨は理由があり、原判決中上告人に関する部分はこれを破棄し、被上告人等の控訴を棄却すべきである。
よつて、民訴四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条および八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

+判例(S37.8.10)
理由
上告代理人信正義雄の上告理由について。
一個の債権の数量的な一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴が提起された場合は、訴訟物となるのは右債権の一部の存否のみであつて、全部の存否ではなく、従つて右一部の請求についての確定判決の既判力は残部の請求に及ばないと解するのが相当である。
右と同趣旨の原判決の判断は正当であつて、所論は採用するをえない。よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)

イ 明示的一部請求を棄却する判決確定後の処理

+判例(H10.6.12)
理由
上告代理人川尻治雄、同大江忠の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実及び記録によれば、本件の事実関係の概要は次のとおりである。
1 被上告人は、不動産売買等を目的とする会社であり、上告人から福岡県宗像市所在の約一〇万坪の土地(以下「本件土地」という。)を買収すること及び右土地が市街化区域に編入されるよう行政当局に働きかけを行うこと等の業務の委託を受けた。
2 上告人と被上告人は、昭和五七年一〇月二八日、前項の業務委託契約(以下「本件業務委託契約」という。)の報酬の一部として、上告人が本件土地を宅地造成して販売するときには造成された宅地の一割を被上告人に販売又は斡旋させる旨合意した(以下「本件合意」という。)。
3 上告人は、本件土地の宅地造成を行わず、平成三年三月五日、宗像市開発公社に本件土地を売却した。
4 上告人は、平成三年一二月五日、被上告人の債務不履行を理由として本件業務委託契約を解除した。
5 上告人と被上告人との間の前訴において、被上告人は、(1)本件業務委託契約に基づいて本件土地の買収等の業務を行い、商法五一二条により一二億円の報酬請求権を取得したと主張して、うち一億円の支払を求め(主位的請求)、(2)上告人が本件土地を売却したことにより本件合意の条件の成就を故意に妨害したから、民法一三〇条により、本件合意に基づく一二億円の報酬請求権を取得したと主張して、うち一億円の支払を求めた(予備的請求)が、右各請求を棄却する旨の判決が平成七年一〇月一三日に確定した。
6 被上告人は、前訴の判決確定後である平成八年一月一一日、本訴を提起し、(1)主位的請求として、本件合意に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額が二億九八三〇万円であると主張してその支払を求め、(2)予備的請求の一として、商法五一二条に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額が二億九八三〇万円であると主張してその支払を求め、(3)予備的請求の二として、本件業務委託契約の解除により報酬請求権を失うという被上告人の損失において、上告人が本件土地の交換価値の増加という利益を得たと主張し、不当利得返還請求権に基づいて報酬相当額二億六七三〇万円の支払を求めた。

二 原審は、(一)本訴の主位的請求及び予備的請求の一は、前訴の各請求とは同一の債権の一部請求・残部請求の関係にあるが、本訴が前訴の蒸し返しであり、被上告人による本訴の提起が信義則に反するとの特段の事情を認めるに足りる的確な証拠はない、(二)予備的請求の二は、前訴とは訴訟物を異にするものであり、前訴の蒸し返しとはいえない、と判断して、被上告人の本件各訴えを却下した一審判決を取り消し、一審に差し戻す旨の判決をした。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 一個の金銭債権の数量的一部請求は、当該債権が存在しその額は一定額を下回らないことを主張して右額の限度でこれを請求するものであり、債権の特定の一部を請求するものではないから、このような請求の当否を判断するためには、おのずから債権の全部について審理判断することが必要になる。すなわち、裁判所は、当該債権の全部について当事者の主張する発生、消滅の原因事実の存否を判断し、債権の一部の消滅が認められるときは債権の総額からこれを控除して口頭弁論終結時における債権の現存額を確定し(最高裁平成二年(オ)第一一四六号同六年一一月二二日第三小法廷判決・民集四八巻七号一三五五頁参照)、現存額が一部請求の額以上であるときは右請求を認容し、現存額が請求額に満たないときは現存額の限度でこれを認容し、債権が全く現存しないときは右請求を棄却するのであって、当事者双方の主張立証の範囲、程度も、通常は債権の全部が請求されている場合と変わるところはない数量的一部請求を全部又は一部棄却する旨の判決は、このように債権の全部について行われた審理の結果に基づいて、当該債権が全く現存しないか又は一部として請求された額に満たない額しか現存しないとの判断を示すものであって、言い換えれば、後に残部として請求し得る部分が存在しないとの判断を示すものにほかならない。したがって、右判決が確定した後に原告が残部請求の訴えを提起することは、実質的には前訴で認められなかった請求及び主張を蒸し返すものであり、前訴の確定判決によって当該債権の全部について紛争が解決されたとの被告の合理的期待に反し、被告に二重の応訴の負担を強いるものというべきである。以上の点に照らすと、金銭債権の数量的一部請求訴訟で敗訴した原告が残部請求の訴えを提起することは特段の事情がない限り、信義則に反して許されないと解するのが相当である。
これを本件についてみると、被上告人の主位的請求及び予備的請求の一は、前訴で数量的一部を請求して棄却判決を受けた各報酬請求権につき、その残部を請求するものであり、特段の事情の認められない本件においては、右各請求に係る訴えの提起は、訴訟上の信義則に反して許されず、したがって、右各訴えを不適法として却下すべきである。

2 予備的請求の二は、不当利得返還請求であり、前訴の各請求及び本訴の主位的請求・予備的請求の一とは、訴訟物を異にするものの、上告人に対して本件業務委託契約に基づく報酬請求権を有することを前提として報酬相当額の金員の支払を求める点において変わりはなく、報酬請求権の発生原因として主張する事実関係はほぼ同一であって、前訴及び本訴の訴訟経過に照らすと、主位的請求及び予備的請求の一と同様、実質的には敗訴に終わった前訴の請求及び主張の蒸し返しに当たることが明らかである。したがって、予備的請求の二に係る訴えの提起も信義則に反して許されないものというべきであり、右訴えを不適法として却下すべきである。

四 以上によれば、被上告人の本件各訴えはいずれも不適法として却下すべきであり、右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、右各訴えを却下した一審判決を正当として、被上告人の控訴を棄却すべきである。よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

++解説
《解  説》
一 Yは、大規模な宅地開発を計画し、土地買収等の業務をXに委託した。XとYは、右業務委託の報酬に関し、報酬の一部として、買収した土地をYが宅地造成して販売する際にその一割をXに販売又は斡旋させる旨の合意(本件合意)をした。
しかし、Yは、その後宅地開発を断念したため、Xとの間で業務委託の報酬に関する紛争が生じた
XY間の前訴において、Xは、主位的請求として商法五一二条に基づく報酬請求権を、予備的請求として本件合意に基づく報酬請求権を主張し、それぞれ、一二億円の報酬請求権のうち一億円の支払を求めた。前訴判決は、Xの請求をいずれも棄却し、右判決が確定した。
Xは、前訴判決確定の直後に本件訴訟を提起し、(1) 主位的請求として、本件合意に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額二億九八三〇万円、(2) 予備的請求の一として、商法五一二条に基づく報酬請求権のうち前訴で請求した一億円を除く残額二億九八三〇万円、(3) 予備的請求の二として、不当利得返還請求権に基づいて二億六七三〇万円の支払をそれぞれ求めた。
第一審判決は、Xの各訴えを却下したが、原判決は、右各訴えが前訴の蒸し返しであるとはいえないとして、第一審判決を取り消し、第一審に差し戻す旨の判決をした。
Yの上告に対し、本判決は、Xの各訴えの提起がいずれも信義則に反するとして、原判決を破棄し、第一審判決に対するXの控訴を棄却した。

二 金銭債権の数量的な一部請求(以下、単に「一部請求」という。)については、このような請求が許されるか、訴訟物は何か、既判力はどの範囲について生じるか、一部請求についての判決確定後の残部請求が許されるかなどの問題があり、一部請求の「可否」という形で肯定説(斎藤ほか・第二版注解民事訴訟法(5)六八頁(斎藤・渡部・小室)、菊井=村松・全訂民事訴訟法Ⅰ(補訂版)一二七九頁など)と否定説(兼子一「確定判決後の残部請求」民事法研究Ⅰ三九一頁、五十部豊久「一部請求と残額請求」実務民事訴訟講座Ⅰ七五頁、新堂・民事訴訟法二二七頁など)との間で活発な議論が展開されてきたところである。
従来の議論に対しては、肯定、否定の両見解ともそれぞれ問題点のあることが指摘されている(従来の議論を整理し、その問題点を指摘したものとして、井上正三「「一部請求」の許否をめぐる利益考量と理論構成」法学教室第二期八号七九頁)。そして、一部請求の問題は、結局のところ、残部請求の可否であることが指摘され、近年この問題を論じたものは、残部請求、特に棄却判決確定後の残部請求を否定する見解を採っている。(1) 松浦ほか・条解民事訴訟法六一一頁(竹下守夫)は、一部請求の訴訟物、既判力については一部請求肯定説と同様の見解をとりつつ、一部請求を棄却する判決(一部棄却を含む)がされた場合において、当該一部を残部と切り離して審理の対象としえないときは、債権全額が存在しないとの裁判所の判断によって紛争が解決するとの被告の期待的利益を保護する合理的必要があり、他方、原告に対しては債権全体について手続権が保障されたといえるから、右裁判所の判断に拘束力を認め、原告は残額の存在を主張して再訴することができないとする。(2) 中野貞一郎「一部請求論について」民事手続の現在問題八五頁は、やはり一部請求の訴訟物、既判力について一部請求肯定説の見解を前提としつつ、信義則の発現形態としての禁反言の法理の適用により残部請求が制限される場合があるとし、一部請求訴訟において、債権の全体として存否が争われ、原告の訴訟追行に基づき被告が紛争は前訴判決により全面的に決着をみたものと信じ、原告に残部請求を認めて被告に応訴を強いることが不当に原告を利すると認められるときは、残部請求の後訴を却下すべきであるとする。(3) 高橋宏志「一部請求について」法教一八五号九八頁は、一部請求の可否(その実質は、残部請求の可否)に関する見解を①一部請求全面肯定説、②一部請求の明示の有無により区別する説、③一部請求で敗訴した場合に残部請求を否定する説、④一部請求全面否定説に分けて検討し、結論としては、何度も応訴を強いられる被告の煩わしさや重複審理を余儀なくされる裁判所の不経済、非効率に着目して、原告側の利益の保護のためには訴え提起段階での一部請求を許容すれば足り、原告はその後の訴訟の経過に応じて請求の拡張を行うべきであるとして、一部請求全面否定説を採る。

三 最二小判昭37・8・10民集一六巻八号一七二〇頁は、前訴で三〇万円の損害賠償請求権のうち一〇万円を請求し、八万円の限度で認容判決を受けた原告が、残額二〇万円の請求をした事案につき、一部請求である旨を明示した場合には、訴訟物は当該一部であり、判決の既判力は残部の請求に及ばないとして、残部請求を適法とした原審の判断を是認した。他方、最二小判昭32・6・7民集一一巻六号九四八頁は、Xが前訴でY1、Y2の両名に対して四五万円の契約上の債務の履行を求め、分割債務として二二万五〇〇〇円ずつの全部勝訴判決を得た後、被告らの債務は連帯債務であったとして、Y1に対して残額二二万五〇〇〇円を請求した事案につき、訴訟物の全部としてある金額を請求して勝訴の確定判決を得た後に、右請求を一部であると主張して残部を請求することは許されないと判示した。このように、原告が一部請求である旨を明示したか否かによって区別し、明示した場合には、既判力は訴訟物とされた当該一部のみについて生じ、原告は残部請求をすることができるが、明示のない場合には、既判力は債権全体について生じ、原告が後に前訴が一部請求であった旨を主張して残部請求することは許されないとする判例の立場に対しては、一部である旨の明示の有無が訴訟物になるわけではないのに、それによって既判力の範囲を異別に解釈する点において理論的に難点があるが、おおむね妥当な適用結果を導くとして評価され(中野・前掲九六頁)、学説においても判例の立場を支持する見解も多い。
他方、一部請求訴訟の審理、判決の方法につき、最一小判昭48・4・5民集二七巻三号四一九頁は、不法行為による損害賠償請求権の一部請求訴訟において、過失相殺をするに当たっては、損害の全額から過失割合による減額をし、その残額が請求額をこえないときは右残額を認容し、残額が請求額をこえるときは請求全額を認容することができる旨判示した。一部請求訴訟における過失相殺の適用については、外側説、内側説、按分説の対立があったところ、右判決は、一部請求をする原告の通常の意思にもそうことを理由に挙げて、実務で採用されていた外側説の見解を採ることを明らかにしたものであり、最三小判平6・11・22民集四八巻七号一三五五頁は、金銭債権の一部請求について相殺の抗弁が主張された場合の審理判決の方法につき、過失相殺の場合と同様の処理をすべき旨判示した。過失相殺や相殺の処理に関する右判例の立場は、理論的には一部請求否定説の立場に近いとされ、過失相殺に関する前掲昭和四八年判決は、昭和三七年判決と実質的な抵触がある(住吉博・昭和四八年判決評釈・民商六九巻六号一一〇頁)、外側説の採用により一部請求肯定説は苦しい立場に立たされた(前田達明・同・判評一八四号二八頁)との指摘もある。

四 本判決は、数量的一部請求訴訟で敗訴した原告による残部請求が原則として許されないとの判断を示した。本判決がその理由として挙げるところは、(1) 一部請求の当否を判断するためには、おのずから債権の全部について審理判断する必要があり、当事者の主張立証の範囲、程度も通常は全部請求の場合と変わらないこと、(2) 一部請求を全部又は一部棄却する判決は、後に請求し得る部分が存在しないとの判断を示すものであること、(3) 棄却判決確定後に原告が残部請求の訴えを提起することは、実質的には前訴で認められなかった請求及び主張の蒸し返しであり、前訴によって紛争が解決されたとの被告の合理的期待に反し、被告に二重の応訴の負担をし得るものであること、以上の各点であり、信義則を根拠として残部請求を制限する近時の有力説の見解と共通する点が多い。
なお、本判決は、一部請求訴訟の訴訟物や既判力については言及しておらず、これらの点について昭和三七年判決との抵触が直ちに問題となることはないが、同判決が一部請求訴訟で一部敗訴した原告の残部請求を許容している点では、本判決との関係が問題となる。しかし、昭和三七年判決の前訴の確定判決は、三〇万円のうち一〇万円の支払を求めたXの請求を、過失相殺を理由として八万円の限度で認容したものであるところ、その事案及び請求額、認容額からみると、請求額を基準として過失相殺(二割)を適用した可能性が高いと考えられる。そうであるとすると、前訴判決は、一部請求訴訟における過失相殺の適用につき前掲昭和四八年判決と異なった処理をしたものであり、また、前訴判決の内容自体が残部請求の余地を認めているのであって、本判決が前提とする一部請求訴訟の審理、判決の内容や本判決の事案とは、その内容を異にするということができよう。フムフム
五 本判決は、一部請求論の中心的論点である敗訴原告による残部請求の許否について最高裁が明確な判断を示した点において意義があり、一部請求をめぐるその他の議論にも影響を与えるものと思われる。

+(条件の成就の妨害)
民法第130条
条件が成就することによって不利益を受ける当事者が故意にその条件の成就を妨げたときは、相手方は、その条件が成就したものとみなすことができる。

ウ 明示的一部請求を認容する判決確定後の処理
+判例(S37.8.10)

・消滅時効について
+判例(S45.7.24)
理由
上告代理人佐野正秋、同香川文雄の上告理由一、二について。
上告人Aによる加害自動車の運転状況と被害者たる被上告人の行動および現場の交通事情等、本件事故発生当時における事実関係について原審(第一審判決引用部分を含む。以下同じ。)の認定するところは、挙示の証拠関係に照らし、首肯することができ、右事実関係によるときは、本件事故は同上告人が自動車運転者としての注意義務を守らなかつた過失に基因するものというべく、被上告人にも歩行者としての注意義務違反があるにせよ、いわゆる信頼の原則を適用して同上告人に過失の責がないということはできないとした原審の判断は、正当であつて、右認定判断に関し、原判決に、所論のような理由不備、審理不尽等の違法は認められない。論旨は、その実質において、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものか、その認定にそわない事実を前提として原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。

同三について。
被上告人が本件事故による負傷のためたばこ小売業を廃業するのやむなきに至り、右営業上得べかりし利益を喪失したことによつて被つた損害額を算定するにあたつて、営業収益に対して課せられるべき所得税その他の租税額を控除すべきではないとした原審の判断は正当であり、税法上損害賠償金が非課税所得とされているからといつて、損害額の算定にあたり租税額を控除すべきものと解するのは相当でない。したがつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同四について。
一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明らかにして訴を提起した場合、訴提起による消滅時効中断の効力は、その一部についてのみ生じ、残部には及ばないが、右趣旨が明示されていないときは、請求額を訴訟物たる債権の全部として訴求したものと解すべく、この場合には、訴の提起により、右債権の同一性の範囲内において、その全部につき時効中断の効力を生ずるものと解するのが相当である。これを本件訴状の記載について見るに、被上告人の本訴損害賠償請求をもつて、本件事故によつて被つた損害のうちの一部についてのみ判決を求める趣旨であることを明示したものとはなしがたいから、所論の治療費金五万〇一九八円の支出額相当分は、当初の請求にかかる損害額算定根拠とされた治療費中には包含されておらず、昭和四一年一〇月五日の第一審口頭弁論期日においてされた請求の拡張によつてはじめて具体的に損害額算定の根拠とされたものであるとはいえ、本訴提起による時効中断の効力は、右損害部分をも含めて生じているものというべきである。
したがつて、これと同旨の見解に立つて、上告人らの時効の抗弁を排斥すべきものとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)

4.一部請求と相殺・既判力
(1)相殺の抗弁の審理方法

+判例(H6.11.22)
理由
上告代理人田中利美の上告理由一、三について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

同二について
特定の金銭債権のうちの一部が訴訟上請求されているいわゆる一部請求の事件において、被告から相殺の抗弁が提出されてそれが理由がある場合には、まず、当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額を算定した上、原告の請求に係る一部請求の額が残存額の範囲内であるときはそのまま認容し、残存額を超えるときはその残存額の限度でこれを認容すべきである
けだし、一部請求は、特定の金銭債権について、その数量的な一部を少なくともその範囲においては請求権が現存するとして請求するものであるので、右債権の総額が何らかの理由で減少している場合に、債権の総額からではなく、一部請求の額から減少額の全額又は債権総額に対する一部請求の額の割合で案分した額を控除して認容額を決することは、一部請求を認める趣旨に反するからである。
そして、一部請求において、確定判決の既判力は、当該債権の訴訟上請求されなかった残部の存否には及ばないとすること判例であり(最高裁昭和三五年(オ)第三五九号同三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二〇頁)、相殺の抗弁により自働債権の存否について既判力が生ずるのは、請求の範囲に対して「相殺ヲ以テ対抗シタル額」に限られるから、当該債権の総額から自働債権の額を控除した結果残存額が一部請求の額を超えるときは、一部請求の額を超える範囲の自働債権の存否については既判力を生じない。したがって、一部請求を認容した第一審判決に対し、被告のみが控訴し、控訴審において新たに主張された相殺の抗弁が理由がある場合に、控訴審において、まず当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額が第一審で認容された一部請求の額を超えるとして控訴を棄却しても、不利益変更禁止の原則に反するものではない
そうすると、原審の適法に確定した事実関係の下において、被上告人の請求債権の総額を第一審の認定額を超えて確定し、その上で上告人が原審において新たに主張した相殺の自働債権の額を請求債権の総額から控除し、その残存額が第一審判決の認容額を超えるとして上告人の控訴を棄却した原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
調べておく!

・過失相殺の場合
+判例(S48.4.5)
理由
上告代理人中村健太郎、同中村健の上告理由第一点について。
訴外Aは、被上告人Bの運転する自動車が道路の中央線をこえて進行してくるのを約八五メートル前方に発見しながら、その動向を注視せず、漫然中央線寄りをそのまま進行したものである旨の事実を認めて、Aに本件事故発生についての過失があるものとし、他方、被上告人Bにも過失があると認めて、原判示の割合による過失相殺をした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当として肯認することができないものではなく、右認定判断の過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断および事実の認定を非難し、さらに、原審の認定にそわない事実関係を前提にして右過失に関する原審の判断の違法をいうものであつて、採用することができない。

同第二点について。
記録によれば、本件の経過は、次のとおりである。すなわち、
被上告人Bは、第一審において、療養費二九万六二六六円も逸失利益一一二八万三六五一円、慰藉料二〇〇万円の各損害の発生を主張し、療養費、慰藉料の各全額と逸失利益の内金一五〇万円との支払を求めるものであるとして、合計三七九万六二六六円の支払を請求したところ、第一審判決は療養費、慰藉料については右主張の全額、逸失利益については九一六万〇六一四円の各損害の発生を認定し、合計一一四五万六八八〇円につき過失相殺により三割を減じ、さらに支払済の保険金一〇万円を差し引いて、上告人の支払うべき債務総額を七九一万九八一六円と認め、その金額の範囲内である同被上告人の請求の全額を認定した。上告人の控訴に対し、原審において、被上告人Bは、第一審判決の右認定のとおり、逸失利益の額を九一六万〇六一四円、損害額の総計を一一四五万六八八〇円と主張をあらためたうえ、みずから過失相殺として三割を減じて、上告人の賠償すべき額を八〇一万九八一六円と主張し、附帯控訴により請求を拡張して、第一審の認容額との差額四二二万三五五〇円の支払を新たに請求した(弁護士費用の賠償請求を除く。以下同じ。)ところ、これに対し、上告人は右請求拡張部分につき消滅時効の抗弁を提出した。原判決は療養費および逸失利益の損害額を右主張のとおり認定したうえ、その合計九四五万六八八〇円から過失相殺により七割を減じた二八三万七〇六四円について上告人が支払の責を負うべきものであるとし、また、慰藉料の額は被上告人Bの過失をも斟酌したうえ七〇万円を相当とするとし、支払済の保険金一〇万円を控除して、結局上告人の支払うべき債務総額を三四三万七〇六四円と認め、第一審判決を変更して、右金額の支払を命じ、その余の請求を棄却し、さらに、附帯控訴にかかる請求拡張部分は、右損害額をこえるものであるから、右消滅時効の抗弁について判断するまでもなく失当であるとして、その部分の請求を全部棄却したものである。
右の経過において、第一審判決がその認定した損害の各項目につき同一の割合で過失相殺をしたものだとすると、その認定額のうち慰藉料を除き財産上の損害(療養費および逸失利益。以下同じ。)の部分は、(保険金をいずれから差し引いたかはしばらく措くとして。)少なくとも二三九万六二六六円であつて、被上告人Bの当初の請求中財産上の損害として示された金額をこえるものであり、また、原判決が認容した金額のうち財産上の損害に関する部分は、少なくとも(保険金について右と同じ。)二七三万七〇六四円であつて、右のいずれの額をもこえていることが明らかである。しかし、本件のような同一事故により生じた同一の身体傷害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、原因事実および被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償の請求権は一個であり、その両者の賠償を訴訟上あわせて請求する場合にも、訴訟物は一個であると解すべきである。したがつて、第一審判決は、被上告人Bの一個の請求のうちでその求める全額を認容したものであつて、同被上告人の申し立てない事項について判決をしたものではなく、また、原判決も、右請求のうち、第一審判決の審判および上告人の控訴の対象となつた範囲内において、その一部を認容したものというべきである。そして、原審における請求拡張部分に対して主張された消滅時効の抗弁については、判断を要しなかつたことも、明らかである。
次に、一個の損害賠償請求権のうちの一部が訴訟上請求されている場合に、過失相殺をするにあたつては、損害の全額から過失割合による減額をし、その残額が請求額をこえないときは右残額を認容し、残額が請求額をこえるときは請求の全額を認容することができるものと解すべきである。このように解することが一部請求をする当事者の通常の意思にもそうものというべきであつて、所論のように、請求額を基礎とし、これから過失割合による減額をした残額のみを認容すべきものと解するのは、相当でない。したがつて、右と同趣旨において前示のような過失相殺をし、被上告人Bの第一審における請求の範囲内において前示金額の請求を認容した原審の判断は、正当として是認することができる。
以上の点に関する原審の判断の過程に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下田武三 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

+++外側説の解説
問題集における見解は、200万円のうちの100万円の一部請求に対して、150万円の反対債権で相殺の抗弁を提出した場合、外側説により一部請求の範囲と対抗するのは、100万円を越えた部分、50万円であることから、その部分の不存在に既判力が生じるという見解と思われます。
すなわち、仮に150万円全額の反対債権の存在が裁判所により認められた場合、50万円の一部認容判決が出され、反対債権については、内側で対抗した50万円の反対債権の不存在に既判力が生じます。それと同様に、反対債権が50万円と認定された場合も、内側で対抗しようとしたけれども、存在が認められなかった、内側で対抗しようとした50万円の部分についての不存在に既判力が生じるという見解ですね。
つまり、仮にこの事案で、裁判所が反対債権の存在は0円であると認定した場合においても、既判力は反対債権50万円の不存在に生じることになります。
いずれの説をとるかは、質問者さんの好みになりますね。

+++外側説の解説


行政法 基本行政法 行政と法律との関係~法律による行政の原理


1.制定法のピラミッドと行政法の解釈
(1)制定法のピラミッド

(2)憲法学と行政法学の着眼点の違い

(3)法律と条令との関係
法律と条令とが矛盾抵触する場合=地方公共団体は、法律の範囲内で条例を制定することができる!
+判例(S50.9.10)徳島県公安条例事件
理由
検察官の上告趣意について
第一 本事件の経過
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、日本労働組合総評議会の専従職員兼徳島県反戦青年委員会の幹事であるところ、昭和四三年一二月一〇日県反戦青年委員会主催の『B五二、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒』を表明する徳島市藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町、元町を経て徳島駅に至る集団示威行進に青年、学生約三〇〇名と共に参加したが、右集団行進の先頭集団数十名が、同日午後六時三五分ころから同六時三九分ころまでの間、同市a丁目藍場浜公園南東入口から出発し、新町橋西側車道上を経て同市a丁目b番地豊栄堂小間物店前付近に至る車道上においてだ行進を行い交通秩序の維持に反する行為をした際、自らもだ行進をしたり、先頭列外付近に位置して所携の笛を吹きあるいは両手を上げて、前後に振り、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右集団示威行進に対し所轄警察署長の与えた道路使用許可には『だ行進をするなど交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと』の条件が付されていたにもかかわらず、これに違反したものである。」というのであり、このうち被告人が「自らもだ行進をした」点が道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)七七条三項、一一九条一項一三号に該当し、被告人が「集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者がな通秩序の維持に反する行為をるようにせん動した」点が「集団行進及び集団示威運動に関する条例」(昭和二七年一月二四日徳島市条例第三号、以下「本条例」という。)三条三号、五条に該当するとして、起訴されたものである。
第一審判決は、道路交通法七七条三項、一一九条一項二二号該当の点については被告人を有罪としたが、本条例三条三号、五条該当の点については、被告人を無罪とした。右無罪の理由とするところは、道路交通法七七条は、表現の自由として憲法二一条に保障されている集団行進等の集団行動をも含めて規制の対象としていると解され、集団行動にりいても道路交通法七七条一項四号に該当するものとして都道府県公安委員会が定めた場合には、同条三項により所轄警察署長が道路使用許可条件を付しうるものとされているから、この道路使用許可条件と本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」の関係が問題となるが、条例は「法令に違反しない限りにおいて」、すなわち国の法令と競合しない限度で制定しうるものであつて、もし条例が法令に違反するときは、その形式的効力がないのであるから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」は道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされるものを除く行為を対象とするものと解さなければならないところ、いかなる行為がこれに該当するかが明確でなく、結局、本条例三条三号の規定は、一般的、抽象的、多義的であつて、これに合理的な限定解釈を加えることは困難であり、右規定は、本条例五条によつて処罰されるべき犯罪構成要件の内容として合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を備えているといえず、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条の趣旨に反するというのである。
原判決は、本条例三条三号の規定が刑罰法令の内容となるに足る明白性を欠き、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条に違反するとした第一審判決の判断に過誤はないとして、検察官の控訴を棄却した。
検察官の上告趣意は、原判決の右判断につき憲法三一条の解釈適用の誤りを主張するものである。

第二 当裁判所の見解
一 本条例三条三号、五条と道路交通法七七条、一一九条一項一三号との関係について
道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的として制定された法律であるが、同法七七条一項は、「次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について」所轄警察署長の許可を受けなければならないとし、その四号において、「前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしょうとする者」と規定し、同条三項は、一項の規定による許可をする場合において、必要があると認めるときは、所轄警察署長は、当該許可に道路における危険を防止しその他交通の安全と円滑を図るため必要な条件を付することができるとし、同法一一九条一項一三号は、七七条三項により警察署長が付した条件に違反した者に対し、これを三月以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。そして、徳島県においては、徳島県公安委員会が、右規定により許可を受けなければならない行為として、徳島県道路交通施行細則(昭和三五年一二月一八日徳島県公安委員会規則第五号)一一条三号において、「道路において競技会、踊、仮装行列、パレード、集団行進等をすること」と定めており、本件集団示威行進についても、主催者から所轄徳島東警察署長に対し、道路交通法七七条一項四号、徳島県道路交通施行細則一一条三号により道路使用許可申請がされ、徳島東警察署長から、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足又はおそ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、先行てい団の追越し及びいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと」等四項目の条件を付して、道路使用許可がされている。
他方、本条例は、一条において、道路その他公共の場所で集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、同条一号、二号に該当する場合を除くほか、徳島市公安委員会に届け出なければならないとし、三条において、
「集団行進又は集団示威運動を行おうとする者は、集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため、次の事項を守らなければならない。
一 官公署の事務の妨害とならないこと。
二 刃物棍棒その他人の生命及び身体に危害を加えるに使用される様な器具を携帯しないこと。
三 交通秩序を維持すること。
四 夜間の静穏を害しないこと。」と規定し、五条において、三条の規定等に違反して行われた集団行進又は集団示威運動(以下、「集団行進等」という。)の主催者、指導者又はせん動者に対し、これを一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。
本件一、二審判決は、憲法九四条、地方自治法一四条一項により、地方公共団体の条例は国の法令に違反することができないから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」とは道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされる行為を除くものでなければならないという限定を付したうえ、本条例五条の罰則の犯罪構成要件の内容となる本条例三条三号の規定の明確性の有無につき判断しているのであるが、まず、このような限定を加える必要があるかどうかを検討する。 
道路交通法は、前述のとおり、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ること等、道路交通秩序の維持を目的として制定されたものであり、同法七七条三項による所轄警察署長の許可条件の付与もかかる目的のためにされるものであることは、多言を要しない。
これに対し、本条例の対象は、道路その他公共の場所における集団行進及び場所のいかんを問わない集団示威運動であつて、学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育競技、及び通常の冠婚葬祭等の慣例による行事を除くものである。
このような集団行動は、通常、一般大衆又は当局に訴えようとする政治、経済、労働問題、世界観等に関する思想、主張等の表現を含むものであり、表現の自由として憲法上保障されるべき要素を有するのであるが、他面、それは、単なる言論、出版等によるものと異なり、多数人の身体的行動を伴うものであつて、多数人の集合体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、したがつて、それが秩序正しく平穏に行われない場合にこれを放置するときは、地域住民又は滞在者の利益を害するばかりでなく、地域の平穏をさえ害するに至るおそれがあるから、本条例は、このような不測の事態にあらかじめ備え、かつ、集団行動を行う者の利益とこれに対立する社会的諸利益との調和を図るため、一条において集団行進等につき事前の届出を必要とするとともに、三条において集団行進等を行う者が遵守すべき事項を定め、五条において遵守事項に違反した集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対し罰則を定め、もつて地方公共の安寧と秩序の維持を図つているのである。
このように、道路交通法は道路交通秩序の維持を目的とするのに対し、本条例は道路交通秩序の維持にとどまらず、地方公共の安寧と秩序の維持という、より広はん、かつ、総合的な目的を有するのであるから、両者はその規制の目的を全く同じくするものとはいえないのである。
もつとも、地方公共の安寧と秩序の維持という概念は広いものであり、道路交通法の目的である道路交通秩序の維持をも内包するものであるから、本条例三条三号の遵守事項が単純な交通秩序違反行為をも対象としているものとすれば、それは道路交通法七七条三項による警察署長の道路使用許可条件と部分的には共通する点がありうる。しかし、そのことから直ちに、本条例三条三号の規定が国の法令である道路交通法に違反するという結論を導くことはできない。
すなわち、地方自治法一四条一項は、普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法二条二項の事務に関し条例を制定することができる、と規定しているから、普通地方公共団体の制定する条例が国の法令に違反する場合には効力を有しないことは明らかであるが、条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない。例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によつて前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、両者が同一の目的に出たものであつても、国の法令が必ずしもその規定によつて全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえないのである。
これを道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則と本条例についてみると、徳島市内の道路における集団行進等について、道路交通秩序維持のための行為規制を施している部分に関する限りは、両者の規律が併存競合していることは、これを否定することができない。しかしながら、道路交通法七七条一項四号は、同号に定める通行の形態又は方法による道路の特別使用行為等を警察署長の許可によつて個別的に解除されるべき一般的禁止事項とするかどうかにつき、各公安委員会が当該普通地方公共団体における道路又は交通の状況に応じてその裁量により決定するところにゆだね、これを全国的に一律に定めることを避けているのであつて、このような態度から推すときは、右規定は、その対象となる道路の特別使用行為等につき、各普通地方公共団体が、条例により地方公共の安寧と秩序の維持のための規制を施すにあたり、その一環として、これらの行為に対し、道路交通法による規制とは別個に、交通秩序の維持の見地から一定の規制を施すこと自体を排斥する趣旨まで含むものとは考えられず各公安委員会は、このような規制を施した条例が存在する場合には、これを勘案して、右の行為に対し道路交通法の前記規定に基づく規制を施すかどうか、また、いかなる内容の規制を施すかを決定することができるものと解するのが、相当である。そうすると、道路における集団行進等に対する道路交通秩序維持のための具体的規制が、道路交通法七七条及びこれに基づく公安委員会規則と条例の双方において重複して施されている場合においても、両者の内容に矛盾牴触するところがなく、条例における重複規制がそれ自体としての特別の意義と効果を有し、かつ、その合理性が肯定される場合には、道路交通法による規制は、このような条例による規制を否定、排除する趣旨ではなく、条例の規制の及ばない範囲においてのみ適用される趣旨のものと解するのが相当であり、したがつて、右条例をもつて道路交通法に違反するものとすることはできない
ところで、本条例は、さきにも述べたように、道路における場合を含む集団行進等に対し、このような社会的行動のもつ特殊な性格にかんがみ、道路交通秩序の維持を含む地方公共の安寧と秩序の維持のための特別の、かつ、総体的な規制措置を定めたものであつて、道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則による規制とその目的及び対象において一部共通するものがあるにせよ、これとは別個に、それ自体として独自の目的と意義を有し、それなりにその合理性を肯定することができるものである。そしてその内容をみても、本条例は集団行進等に対し許可制をとらず届出制をとつているが、それはもとより道路交通法上の許可の必要を排除する趣旨ではなく、また、本条例三条に遵守事項として規定しているところも、のちに述べるように、道路交通法に基づいて禁止される行為を特に禁止から解除する等同法の規定の趣旨を妨げるようなものを含んでおらず、これと矛盾牴触する点はみあたらない。もつとも、本条例五条は、三条の規定に違反する集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対して一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金を科するものとしているのであつて、これを道路交通法一一九条一項一三号において同法七七条三項により警察署長が付した許可条件に違反した者に対して三月以下の懲役又は三万円以下の罰金を科するものとしているのと対比するときは、同じ道路交通秩序維持のための禁止違反に対する法定刑に相違があり、道路交通法所定の刑種以外の刑又はより重い懲役や罰金の刑をもつて処罰されることとなつているから、この点において本条例は同法に違反するものではないかという疑問が出されるかもしれない。しかしながら、道路交通法の右罰則は、同法七七条所定の規制の実効性を担保するために、一般的に同条の定める道路の特別使用行為等についてどの程度に違反が生ずる可能性があるか、また、その違反が道路交通の安全をどの程度に侵害する危険があるか等を考慮して定められたものであるのに対し、本条例の右罰則は、集団行進等という特殊な性格の行動が帯有するさまざまな地方公共の安寧と秩序の侵害の可能性及び予想される侵害の性質、程度等を総体的に考慮し、殊に道路における交通の安全との関係では、集団行進等が、単に交通の安全を侵害するばかりでなく、場合によつては、地域の平穏を乱すおそれすらあることをも考慮して、その内容を定めたものと考えられる。そうすると、右罰則が法定刑として道路交通法には定めのない禁錮刑をも規定し、また懲役や罰金の刑の上限を同法より重く定めていても、それ自体としては合理性を有するものということができるのである。そして、前述のとおり条例によつて集団行進等について別個の規制を行うことを容認しているものと解される道路交通法が、右条例においてその規制を実効あらしめるための合理的な特別の罰則を定めることを否定する趣旨を含んでいるとは考えられないところであるから、本条例五条の規定が法定刑の点で同法に違反して無効であるとすることはできない
右の次第であつて、本条例三条三号、五条の規定は、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号に違反するものということはできないから、本条例三条三号に定める遵守事項の内容についても、道路交通法との関係からこれに限定を加える必要はないものというべく、したがつて、この点に関する原判決の見解は、これを是認することができない。

二 本条例三条三号、五条の犯罪構成要件としての明確性について
次に、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」という規定が犯罪構成要件の内容をなすものとして明確であるかどうかを検討する。
右の規定は、その文言だけからすれば、単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされていない。全国のいわゆる公安条例の多くにおいては、集団行進等に対して許可制をとりその許可にあたつて交通秩序維持に関する事項についての条件の中で遵守すべき義務内容を具体的に特定する方法がとられており、また、本条例のように条例自体の中で遵守義務を定めている場合でも、交通秩序を侵害するおそれのある行為の典型的なものをできるかぎり列挙例示することによつてその義務内容の明確化を図ることが十分可能であるにもかかわらず、本条例がその点についてなんらの考慮を払つていないことは、立法措置として著しく妥当を欠くものがあるといわなければならない。しかしながら、およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる。しかし、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といつても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。
そもそも、道路における集団行進等は、多数人が集団となつて継続的に道路の一部を占拠し歩行その他の形態においてこれを使用するものであるから、このような行動が行われない場合における交通秩序を必然的に何程か侵害する可能性を有することを免れないものである。本条例は、集団行進等が表現の一態様として憲法上保障されるべき要素を有することにかんがみ、届出制を採用し、集団行進等の形態が交通秩序に不可避的にもたらす障害が生じても、なおこれを忍ぶべきものとして許容しているのであるから、本条例三条三号の規定が禁止する交通秩序の侵害は、当該集団行進等に不可避的に随伴するものを指すものでないことは、極めて明らかである。ところが、思想表現行為としての集団行進等は、前述のようにへこれに参加する多数の者が、行進その他の一体的行動によつてその共通の主張、要求、観念等を一般公衆等に強く印象づけるために行うものであり、専らこのような一体的行動によつてこれを示すところにその本質的な意義と価値があるものであるから、これに対して、それが秩序正しく平穏に行われて不必要に地方公共の安寧と秩序を脅かすような行動にわたらないことを要求しても、それは、右のような思想表現行為としての集団行進等の本質的な意義と価値を失わしめ憲法上保障されている表現の自由を不当に制限することにはならないのである。そうすると本条例三条が、集団行進等を行おうとする者が、集団行進等の秩序を保ち、公共の安寧を保持するために守らなければならない事項の一つとして、その三号に「交通秩序を維持すること」を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解されるのである。そして、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において、自己がしょうとする行為が右条項による禁止に触れるものであるかどうかを判断するにあたつては、その行為が秩序正しく平穏に行われる集団行進等に伴う交通秩序の阻害を生ずるにとどまるものか、あるいは殊更な交通秩序の阻害をもたらすようなものであるかを考えることにより、通常その判断にさほどの困難を感じることはないはずであり、例えば各地における道路上の集団行進等に際して往々みられるだ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ等の行為が、秩序正しく平穏な集団行進等に随伴する交通秩序阻害の程度を超えて、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為にあたるものと容易に想到することができるというべきである。
さらに、前述のように、このような殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進等に不可欠な要素ではなく、したがつて、これを禁止しても国民の憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならず、また、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為てあるかどうかは、通常さほどの困難なしに判断しうることであるから、本条例三条三号の規定により、国民の憲法上の権利の正当な行使が阻害されるおそれがあるとか、国又は地方公共団体の機関による恣意的な運用を許すおそれがあるとは、ほとんど考えられないのである(なお、記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例三条三号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない。)。
このように見てくると、本条例三条三号の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法三一条に違反するものとはいえないから、これと異なる見解に立つ原判決及びその維持する第一審判決は、憲法三一条の解釈適用を誤つたものというべく、論旨は理由がある。
よつて、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。

第一審判決の認定によると、被告人は、昭和四三年一二月一〇日徳島県反戦青年委員会主催の「B五二、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒」、を表明する徳島市藍場町二丁目藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町丸新デパート前路上に至る集団示威行進に、青年労働者、学生ら約三〇〇名とともに参加したが、右集団示威行進に対しては、所轄徳島東警察署長がその道路使用を許可するにあたり、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足又はおそ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、先行てい団の追越し及びいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと」との条件を付していたのに、右集団示威行進の先頭集団約八〇名が同日午後六時三六分ころから同六時三八分すぎころまでの間、県道宮倉徳島線上の同市a丁目藍場浜公園南東出入口付近の車道から同市新町橋西側車道南詰付近までの約七〇メートルの区間において最大幅約八メートルの右車道幅員一杯の、また、同日午後六時三九分ころ、同県道上同市a丁目八百秀食料品店前横断歩道北側端から同豊栄堂小間物店前付近までの約三五メートルの区間において、右車道幅員の約三分の二程度の部分を占める最大幅約五メートルの、それぞれだ行進をし交通秩序の維持に反する行為をした際、みずから右先頭集団直近の隊列外に位置して断続的に右先頭集団とともにだ行進をしたり、笛を吹いたり、両腕を前後に振つて合図する等し、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右徳島東警察署長の付した道路使用許可条件に違反したもの(第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠及び証人a、同b、同c、同dの各第一審公判廷における供述による。)であり、右事実に法令を適用すると、被告人の右所為のうち、先頭集団直近の隊列外に位置して、だ行進をしたり、笛を吹いたり、両腕を前後に振つて合図する等して、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするまうにせん動した点は、本条例三条三号、五条(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)に、被告人がみずからだ行進をし徳島東警察署長の付した道路使用許可条件に違反した点は、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号(罰金額の寡額につき前に同じ。)に、それぞれ該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として、重い本条例三条三号、五条の罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、第一審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官小川信雄、同坂本吉勝の補足意見、裁判官岸盛一、同団藤重光の各補足意見、裁判官高辻正己の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官小川信雄、同坂本吉勝の補足意見は、次のとおりである。
われわれは多数意見に同調するものであるが、左の点について念のため補足的に意見を述べておきたいと思う。
集団行進等は、多数の人が、社会、政治、経済等の問題につき、公然とその主張、要求、観念等を力強く表示し、一般公衆に訴えてその賛成をえようとする集団的行動であるから、その性質上常に粛然とした行進であるにとどまらず、ある程度これを超える行進形態にわたることは、当然これを容認しなければならない。
したがつて、多数意見が徳島市公安条例三条三号にいう「交通秩序を維持すること」とは「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているもの……」と解するといつている意味は、正常な集団行進等に通常伴うであろう程度を超えた殊更な交通秩序阻害行為、すなわち集団行進等がその本来の性質上粛然とした行進の程度を何程か超える行進形態にわたりうるものであることを容認しながら、さらにその程度を超えた殊更な交通秩序阻害行為を避止すべきことを命じているという意味であると理解して、その意見に同調するものである。
事は、憲法の保障する国民の表現の自由にかかわる重要な問題であるので、この点を誤解した行過ぎの取締りのないことを願うものである。右の点を付加するほかは、われわれは裁判官団藤重光の補足意見に同調する。

+補足意見
裁判官岸盛一の補足意見は、次のとおりである。
わたくしは、多数意見に同調する者として、集団行動と表現の自由の制約の点について、いささか意見を補足しておきたい。
(一) 表現活動に対して、法令による規制がなされる場合に、それが憲法二一条に違反するか否かを判断するにあたつては、その目的が、表現そのものを抑制することにあるのか、それとも当該表現に伴う行動を抑制することにあるのかを一応区別して考察する必要があると考える。もとより、すべての表現活動は、なんらかの意味において行動を伴うものともいいうるのであるから、この区別は、表現活動を表現そのものと行動を伴う表現とに截然と二分して憲法上の保障に差等を設けようとするものではない。それは、規制の目的を重視し、表現そのものがもたらす弊害の防止に規制の重点があるのか、もしくは表現に伴う行動がもたらす弊害の防止が重点であるのかを識別したうえで、規制の合憲性を厳密に審査する必要があるとの見地から、右の区別をしょうとするものである。そして、そのことは、判断を正確にし、かつ、理解を容易にするために極めて有意義なことであると思うのである。
(二) 規制の目的が表現そのものを抑制することにある場合には、それはまさに、国又は地方公共団体にとつて好ましくない表現と然らざるものとの選別を許容することとなり、いわば検閲を認めるにひとしく、多くの場合、基本的人権としての表現の自由を抑圧するものであつて、違憲の判断をうけることはいうまでもない。当裁判所の判例が、例えば、国民の重要な法的義務の不履行を煽動すること(昭和二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号八三九頁、同三七年二月二一日大法廷判決・刑集一六巻二号一〇七頁など)、猥褻文書を頒布すること(昭和三二年三月一三日大法廷判決・刑集一一巻三号九九七頁、同四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁)、故なく他人の名誉を毀損すること(昭和三三年四月一〇日第一小法廷判決・刑集一二巻五号八三〇頁、なお同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁)を犯罪として処罰する規定につき、利益較量の手法によることなく、それらの表現活動は、表現の自由に内在する制約を逸脱し、それ自体憲法上の保障をうけるに値しないことを根拠として、憲法二一条に違反するものではないとしたのは、これらの規制が右のような性質を有し、これらを合憲とすることには、本質的、根源的な理由を必要とするとの考えがあつたものと解される。ちなみに、右に摘示した従来の判例の中には、「公共の福祉に反する」という語句が用いられているものがあるとはいえ、その真意は、決して安易に公共の福祉論を展開しているのではなく、表現の自由にもそれに内在する制約のあることを説いているものであることは、判文全体を通じて理解することができるのである。
アメリカの連邦最高裁判所の判例が、違憲審査にあたり、いわゆる「明白かつ現在の危険」の原則を適用しているのも、規制の目的が表現そのものの抑制を志向している場合であつて、そのような規制については厳しい基準で合憲性を判断しようとする努力にほかならない。この原則は、当初は、国が憲法上阻止することが許されるような実質的害悪をもたらす行為の教唆、煽動を処罰することが違憲であるか否かの審査について用いられたものであつて、その抑制の根拠は、このような実質的な害悪が発生するさしせまつた危険を生じさせるような表現は、そのような害悪を発生させる行動にひとしく、自由な表現の交換による自然的な抑制を待ついとまがないということにあつた。この原則は、特に一九三〇年代以降広く適用され、表現活動に対する規制を違憲とする場合の決り文句のように判例に登場したが、次第にそれが妥当する範囲につき思索が重ねられ、一九五〇年には、この原則はあらゆる型態の表現活動にあてはまるものではなく、規制の目的が行動のもたらす重大な弊害の防止ということにある場合には適用されないことが明示され、翌一九五一年には、この原則が従来は保護される利益が非実質的で規制を合憲とするに足りない場合について広く適用されてきたことが指摘されたうえ、たとえ表現そのものがもたらす弊害の防止を目的とする規制であつても、保護される利益が極めて重大である場合には、規制の巾が拡大されることもありうるとされ、この原則の適用については利益較量による吟味が必要であることが明らかにされたのである。さらに、一九六五年には、集団行進やピケツテイング等の表現活動は行動と表現との混合であり、行動の面がもたらす実質的な弊害を防止するために裁判所近くでの集団示威運動を処罰することは合憲であるとされ、一九六八年には、公衆の面前で徴兵カードを焼却したいわゆる象徴的行動の事件について、言論と非言論とが同一の行動に結合している場合に、非言論の面を規制することにつき十分な国の利益が認められるならば、これに付随した表現の自由が制約されても違憲ではないとされた。そしてさらに、公務員の政治行為の禁止を合憲とした一九七三年の判例においても、純粋な言論と行動を伴う言論との区別が重視されている。
もとより、わたくしは、アメリカの判例に教条的に追随しようとするものではない。右に略説した判例のなかにも傾聴すべき反対意見が述べられているものもあるし、また、事案の内容が、わが国で問題とされている性質のものと必ずしも同様とはいえないものもあるのである。それにもかかわらず、あえてこれを引合いに出したのは、前述のような判例にみられるこの原則の適用についての変遷は、単なる論理の演繹によるものではなく、経験に基づく帰納の結果であること、その裁判過程において合理的な価値の選択が重視されていること、そしてさらに、この原則の適用範囲が拡大された時代があつたとはいえ、今日では自覚的に表現そのものの規制が合憲であるか否かの判断基準として用いられていることに注目したいと思うからである。
(三) ところが、規制の目的が表現を伴う行動を抑制することにあるときは右と事情を異にする。この場合の規制は、国又は地方公共団体による検閲にひとしいような性質のものではない。そればかりでなく、表現を伴うあらゆる行動が、表現という要素をもつということだけの理由で憲法上絶対的な地位を占めるものとするときは、利益較量による相対立する利益の調和(それは、単なる平均的な調和ではなく、いわば配分的なそれというべきであろうか)という憲法解釈の要諦を忘れたものとの譏を免れないであろう。当裁判所の従来からの判例が、このような類型の規制について、適正な利益較量の手法により、大阪市屋外広告物条例(昭和四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁)、他人の家屋その他の工作物にはり紙をすることを禁止する軽犯罪法一条三三号(昭和四五年六月一七日大法廷判決・刑集二四巻六号二八〇頁)公務員の政治活動の禁止(昭和四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁、六九四頁、七四三頁)などを合憲と判断したことには、このような考慮がめぐらされたものと解されるのである。
また、その行動を伴うことが、当該表現活動にとつて唯一又は極めて重要な意義をもつ場合には・行動それ自体が思想意見の伝達と評価され、表現そのものと同様に憲法上の保障に値することもありうるが、そのようなときでも、規制の真の目的が行動による思想、意見の伝達を抑制することにあるのではなく、行動自体のもたらす実質的な弊害を防止することにある限りは、これを直ちに違憲であるということはできない。
ところで、集団行動の規制について、しばしば、一定の時間、場所、方法の規制あるいは一定の態様の行動(一定の属性をもつた行動)の規制であれば合憲であるとされるのは、その規制が概して当該行動のもたらす弊害の防止を目的とするものであると認められるからであつて、その真の根拠は前述したところに存するのである。換言すれば、ある一定の態様の集団行動についていうならば、一定の態様に限定された規制であるが故に直ちにそれが合憲とされるのではなくて、実質的な弊害をもたらすような当該行動の規制であり、しかも、それに伴う表現そのものに対する制約の程度も適正な利益較量として許容されるものであるからにほかならない。一定の態様による集団行動を禁止する規制であつて、他の態様による表現活動の余地が残されている場合であつても、規制の目的が表現そのものを抑制することにあるならば、その規制は矢張り違憲であるとされなければならない。
(四) 本件におけるような集団行動の規制を目的とするわが国の公安条例について、上述した見解をあてはめてみるに、もし表現そのものが国又は地方公共団体にとつて好ましくないものとしてこれを規制しようとするのであれば、違憲であるといわざるをえない。しかしながら、本件の徳島市条例がそのような規制を目的とするものではなく、行動のもたらす弊害の防止を目的とするものであることは明白である。そしてまた、蛇行進、うづ巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠して行進するいわゆるフランスデモ等の殊更な道路交通秩序の阻害をもたらす虞のある表現活動が表現の自由の名に値するものであるかは別論としても、上述のような見地からすれば、その規制は合憲であるとすることには異論はないと考えるものである。
(五) 以上の次第で、わたくしは、表現そのものと行動に伴う表現とを一応区別して考える当裁判所の従来の判例を維持したいと考えるとともに、そのような考えに立つて本件を処理する多数意見を支持したいと思うのである。

+補足意見
裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。
わたくしは多数意見に同調するものであるが、左の諸点について補足的に意見を述べておきたいと思う。(一)第一は、表現の自由の制約の問題である。これについては、表現そのものと表現の態様とを区別して考えなければならない。単に表現の態様にすぎないようなもの、換言すれば、問題となつている当の態様によらなくても、他の態様によつて表現の目的を達しうるようなばあいには、法益の権衡を考えた上で、単なる道路交通秩序のような、それほど重大でない法益を守るためにも、当の態様による表現を制約することができるものと解するべきであろう。多数意見が「道路交通秩序の維持をも内包」する広い概念としての「地方公共の安寧と秩序」ということを持ち出しているのは、表現の態様に関するかぎりにおいて、理解されうる。本件は、被告人らのとつたような態様の行動によらなくても表現の目的を達しえたであろう事案であつたとみとめられるのであつて、多数意見の判示するところは正当であるとおもう。これに反し、表現そのものについては別論であつて、万が一にも本条例の濫用によつて単なる「交通秩序の維持」のために、表現そのものを抑圧 するような処分が行われたならば、その処分はあきらかに違憲だといわなければならない。本条例が、そのような表現の自由の抑圧を容認するものでないことは、いうまでもない。
ちなみに、ここにわたくしが表現そのものと表現の態様とを区別するのは、表現の中に「純粋な言論」と「行動」とを区別する見解とは同一ではないことを、念のために、あきらかにしておく必要がある。表現はしばしば行動を伴うのであり、もしその行動によらなければ当の表現の目的を達成することが客観的・合理的にみて不可能なようなばあいには、その行動は表現そのものと考えられなければならない。日本国憲法が単に「言論」だけでなく、「言論、出版その他一切の表現」についてその自由を保障するものとしているのは、このような含蓄をも有するものと解するべきであろう。
(二) 第二は、犯罪構成要件の明確性に関する問題である。本条例五条は、三条とあいまつて、本件で問題となつている犯罪構成要件を規定しているが、三条三号は単純に「交通秩序の維持」としているだけであつて、同条本文の「公共の安寧を保持するため」とあわせてみるにせよ、「立法措置として著しく妥当を欠くものがある」ことは多数意見もみとめるとおりである。罪刑法定主義が犯罪構成要件の明確性を要請するのは、一方、裁判規範としての面において、刑罰権の恣意的な発動を避止することを趣旨とするとともに、他方、行為規範としての面において、可罰的行為と不可罰的行為との限界を明示することによつて国民に行動の自由を保障することを目的とする。後者の見地における行動の自由の保障は、表現の自由に関しては、とくに重要であつて、もし、可罰的行為と不可罰的行為との限界が不明確であるために、国民が本来表現の自由に属する行動さえをも遠慮するような事態がおこれば、それは国民一般の表現の自由に対する重大な侵害だといわなければならない。これは不明確な構成要件が国民一般の表現の自由に対して有するところの萎縮的ないし抑止的作用の問題である。もちろん、本件についてかような問題に立ち入ることが、司法権行使のありかたとして許されるかどうかについては、疑問がないわけではない。けだし、一般国民(徳島市の住民および滞在者一般)が本条例の規定によつて表現の自由の関係で萎縮的ないし抑止的影響を受けていたかどうか、また、現に受けているかどうかは、本件の審理の対象外とされるべきではないかとも考えられるからである。しかし、このような考え方は、裁判所が国民一般の表現の自由を保障する機能を大きく制限する結果をもたらす。わたくしは、これは、とうてい憲法の趣旨とするところではないと考えるのである。
かようにして、わたくしは、本条例三条、五条の構成要件の明確性の問題を検討するにあたつては、それが表現の自由との関連において国民一般に対して有するかも知れないところの萎縮的・抑止的作用をもとくに考慮に入れたつもりである。
そうして、わたくしは、多数意見もまた、同じ見地に立つものと理解している。第一に、多数意見がとくに、「記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例三条三号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない」ことを付言しているのは、実際にこうした萎縮的・抑止的作用が認定されえなかつたことをあきらかにするものであるとおもう(現に、記録上、弁護側から、かような点についてのなんらの立証活動もされていない)。第二に、規定じたいをみても、その適用の有無について、「通常の判断能力を有する一般人が具体的場合に」「通常その判断にさほどの困難を感じることはないはず」であることは、これまた、多数意見の説示するとおりである。およそ公安条例の規定する罪には一定の型があつて、本条例の罪にはとくに明示的な例示はないが、その内容がどのようなものであるかは、一般国民にとつてほぼ周知のことといえよう。純粋に文理的には疑問があるとはいえ、こうしたことを考慮に入れれば、多数意見の説示するところは、結局において、正当であるといわなければならない。ただ、本条例のような構成要件の規定のしかたは、かろうじて合憲とはいえるものの、立法措置としてはなはだ妥当を欠くものであることを繰り返して指摘しておかざるをえない。
(三) なお、第三に、多数意見は、本条例三条三号の趣旨について、同号に「交通秩序を維持すること」が掲げられているのは、「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解される」としているが、ここに「集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合」といつているのは、いうまでもなく、正常な集団行進等のことを念頭に置いているものにほかならないであろう。この意味において、わたくしは小川、坂本両裁判官の補足意見にも同調するものである。

+意見
裁判官高辻正己の意見は、次のとおりである。
私は、原判決破棄の多数意見の結論には同調するが、本条例三条三号、五条の犯罪構成要件としての明確性の点については、多数意見と見解を一にすることができない。この点を明らかにしながら、私の意見を述べる。
一 いうまでもなく、刑罰法規の定める犯罪構成要件が明確であるかどうかの判断は、主として、裁判規範としての機能の面ではなく、その行為規範としての機能の面に着目し、裁判時を基準とするのではなく、行為者の行為の当時を基準として、されなければならない。その判断が、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである」ことは、多数意見のいうとおりである。そして、そのような基準が読みとれるかどうかについて最も重視されるべきものが、当該規定の文言自体であることは、多言を要しない。
二 ところが、本件で問題とされる本条例三条三号の規定は、多数意見も自らいうように、「その文言だけからすれば、単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされていない」ものである。もとより、法規の適用には解釈がつきものであつて、その解釈については、規定の文言だけではなく、その規定と法規全体との関係、当該法規の立法の目的、規定の対象の性質と実態等が、考慮されてよい。多数意見は、そのような諸点について考慮を重ねた上、、本条例三条三号の規定は、「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているもの」と解釈するのである。それは、一個の解釈としては間然するところがないが、そのような解釈をもつて、直ちに、通常の判断能力を有する一般人である行為者が、行為の当時において、理解するところであるとすることができようか。「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」を読みとるについて行為者に期待されるところは、通常の判断能力を有する者が規定の文言から素ぼくに感得するところの常識的な理解であつて、多数意見にあるような考慮を重ねて得られる解釈ではあるまい。
三 たとえ、通常の判断能力を有する一般人である行為者に対し、多数意見にあるような考慮を重ねた解釈を期待することができるとしても、その解釈の成果が、果たして、「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」を示すにつき欠けるところがないといえるであろうか。本条例三条三号の規定が避止すべきことを命じているのは集団行進等における「殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為」であるといつたところで、そこから具体的な行為としての限定を見出すことはできず、これをもつて「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」であるとすることができないことに、変わりはない。確かに、多数意見の掲示する「だ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ」が、その種の「殊更な……行為」の典型的なものであるとは解されよう。そして・そのような典型的なものは、それが典型的なものであればこそ、本条例三条三号の避止すべきことを命じている行為に当たると「容易に想到することができる」のであり、そうした理解は、通常の判断能力を有する者が、その常識において、規定の文言から素ぼくに感得するところのものであるということができるのである。しかし、そのような典型的な行為ではないが集団行進等において粛然とした形態にとどまらない形態をもたらすような行為については、どのような程度のものまでがその種の「殊更な……行為」に当たるとされるのか、「通常その判断にさほどの困難を感じることはない」といいきるには、疑問が残る。禁止行為に例示を設け、それによつて、禁止される行為が、例示の行為のほかには、それと同等程度の行為だけに限られるとする基準が示されている場合とは、場合が違うのである。
四 このようなわけで、私は、本条例三条三号の規定が集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることを可能とするものであり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠くものではないとする一般的見解には、多分に疑問があると考える。それにもかかわらず、私が原判決破棄の結論に同調しようとするのは、次の理由による。
さきにも述べたように、本件におけるだ行進が、交通秩序侵害行為の典型的のものとして、本条例三条三号の文言上、通常の判断能力を有する者の常識において、その避止すべきことを命じている行為に当たると理解しえられるものであることは、疑問の余地がない。それ故、本件事実に本条例三条三号、五条を適用しても、これによつて被告人が、格別、憲法三一条によつて保障される権利を侵害されることにはならないのである。元来、裁判所による法令の合憲違憲の判断は、司法権の行使に附随して、されるものであつて、裁判における具体的事実に対する当該法令の適用に関して必要とされる範囲においてすれば足りるとともに、また、その限度にとどめるのが相当であると考えられ、本件において、殊更、その具体的事実に対する適用関係を超えて、他の事案についての適用関係一般にわたり、前記規定の罰則としての明確性の有無を論じて、その判断に及ぶべき理由はない。もつとも、刑罰法規の対象とされる行為が思想の表現又はこれと不可分な表現手段の利用自体に係るものであつて、規制の存在すること自体が、本来自由であるべきそれらを思いとどまらせ、又はその自由の取返しのつかない喪失をもたらすようなものである場合には、憲法がその保障に寄せる関心の重大さにかんがみ、別異の配慮を加えるべき憲法上の合理性とそれに由来する要請があるというべきである。しかし、本件において規制の対象とされる行為は、表現手段としての集団行進等をすることそれ自体ではなく、集団行進等がされる場合のその態様に関するものであつて、本件の場合は、右に述べたような特段の配慮を加えるべき場合には当たらないのである。
五 要するに、私は、本条例三条三号の規定は犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠くものとはいえないとする多数意見には賛成することができないが、本条例三条三号、五条の定める犯罪構成要件に当たることの明らかな本件事実については、上述の理由によつて、それらの規定の適用が排除されるべきではないと考えるのであつて、この点において、結局、原判決は破棄を免れないのである。
検察官大石宏、同蒲原大輔、同海治立憲、同石原一彦公判出席
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光 裁判官小川信雄は退官のため、裁判官坂本吉勝は海外出張のため、いずれも署名押印することができない。裁判長裁判官 村上朝一)

2.法律による行政の原理
(1)法律に優位・法律の法規創造力
(2)法律の留保
ア 侵害留保説=行政活動のうち、私人の自由と財産を侵害する行為については法律の根拠を必要とする!
イ 組織規範・規制規範・根拠規範
a)組織規範
b)規制規範=行政活動の適正を図るために規律を求める規範

・法律の留保にいう「法律」とは、規制規範ではなく根拠規範を指す

ウ 全部留保説・重要事項留保説・権力留保説

・法律に基づかない補助金交付が違憲・違法であって、これを誰がどのような訴訟で争うことができるか?
→地方公共団体の補助金交付については住民訴訟(地方自治法242条の2)
+(住民訴訟)
第242条の2
1項 普通地方公共団体の住民は、前条第1項の規定による請求をした場合において、同条第4項の規定による監査委員の監査の結果若しくは勧告若しくは同条第9項の規定による普通地方公共団体の議会、長その他の執行機関若しくは職員の措置に不服があるとき、又は監査委員が同条第4項の規定による監査若しくは勧告を同条第五項の期間内に行わないとき、若しくは議会、長その他の執行機関若しくは職員が同条第九項の規定による措置を講じないときは、裁判所に対し、同条第1項の請求に係る違法な行為又は怠る事実につき、訴えをもつて次に掲げる請求をすることができる。
一 当該執行機関又は職員に対する当該行為の全部又は一部の差止めの請求
二 行政処分たる当該行為の取消し又は無効確認の請求
三 当該執行機関又は職員に対する当該怠る事実の違法確認の請求
四 当該職員又は当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に損害賠償又は不当利得返還の請求をすることを当該普通地方公共団体の執行機関又は職員に対して求める請求。ただし、当該職員又は当該行為若しくは怠る事実に係る相手方が第243条の2第3項の規定による賠償の命令の対象となる者である場合にあつては、当該賠償の命令をすることを求める請求
2項 前項の規定による訴訟は、次の各号に掲げる期間内に提起しなければならない。
一 監査委員の監査の結果又は勧告に不服がある場合は、当該監査の結果又は当該勧告の内容の通知があつた日から三十日以内
二 監査委員の勧告を受けた議会、長その他の執行機関又は職員の措置に不服がある場合は、当該措置に係る監査委員の通知があつた日から三十日以内
三 監査委員が請求をした日から六十日を経過しても監査又は勧告を行なわない場合は、当該六十日を経過した日から三十日以内
四 監査委員の勧告を受けた議会、長その他の執行機関又は職員が措置を講じない場合は、当該勧告に示された期間を経過した日から三十日以内
3項 前項の期間は、不変期間とする。
4項 第1項の規定による訴訟が係属しているときは、当該普通地方公共団体の他の住民は、別訴をもつて同一の請求をすることができない。
5項 第1項の規定による訴訟は、当該普通地方公共団体の事務所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄に専属する。
6項 第1項第一号の規定による請求に基づく差止めは、当該行為を差し止めることによつて人の生命又は身体に対する重大な危害の発生の防止その他w:公共の福祉を著しく阻害するおそれがあるときは、することができない。
7項 第1項第四号の規定による訴訟が提起された場合には、当該職員又は当該行為若しくは怠る事実の相手方に対して、当該普通地方公共団体の執行機関又は職員は、遅滞なく、その訴訟の告知をしなければならない。
8項 前項の訴訟告知は、当該訴訟に係る損害賠償又は不当利得返還の請求権の時効の中断に関しては、民法第147条第一号 の請求とみなす。
9項 第7項の訴訟告知は、第1項第四号の規定による訴訟が終了した日から六月以内に裁判上の請求、破産手続参加、仮差押若しくは仮処分又は第231条に規定する納入の通知をしなければ時効中断の効力を生じない。
10項 第一項に規定する違法な行為又は怠る事実については、民事保全法(平成元年法律第91号)に規定する仮処分をすることができない。
11項 第2項から前項までに定めるもののほか、第1項の規定による訴訟については、行政事件訴訟法第43条 の規定の適用があるものとする。
12項 第1項の規定による訴訟を提起した者が勝訴(一部勝訴を含む。)した場合において、弁護士又は弁護士法人に報酬を支払うべきときは、当該普通地方公共団体に対し、その報酬額の範囲内で相当と認められる額の支払を請求することができる。

(3)法律による行政の原理をめぐる諸問題
ア 行政指導と根拠規範・規制規範
イ 公表と法律の根拠
・侵害留保説からは情報提供目的の公表は法律の根拠は不要だが、正妻目的の公表には法律の根拠が必要となる!

・情報提供目的の公表について

+判例(H15.5.21)カイワレ大根
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、控訴人C株式会社に対し82万2000円、同株式会社Hに対し63万2000円、同Iに対し88万7000円、同株式会社Kに対し70万2000円、同有限会社Oに対し40万9000円、同R有限会社に対し46万2000円及びその余の控訴人らに対し各100万円並びに各金員に対する平成8年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人C株式会社、同株式会社H、同I、同株式会社K、同有限会社O及び同R有限会社を除く控訴人らのその余の損害賠償請求を棄却する。
4 控訴人らの当審において追加された損失補償請求に係る訴えを却下する。
5 訴訟費用は、第1、2審を通じ、これを20分し、その1を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人A協会に対し、1000万円、及び同控訴人を除くその余の控訴人それぞれに対し、別紙請求額表の控訴請求金額欄各記載の金員、並びにこれらに対する平成8年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(主位的請求及び当審において追加された損失請求について同じ)。
第2 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴人らの当審における追加請求(損失補償請求)に係る訴えを却下する。

第3 事案の概要(略語等は、特に記すほか、原判決に従う。)
1 本件の概要
本件は、堺市において平成8年7月中旬ころ発生した腸管出血性大腸菌O-157に起因する学童らの集団食中毒につき、厚生大臣(当時)が、貝割れ大根が原因食材とは断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、原因食材としては特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根が最も可能性が高いと考えられる(最終報告)などと公表し、これにより、貝割れ大根が前記食中毒の原因食材であり、貝割れ大根一般の安全性に疑問があるかのような印象を与え、貝割れ大根の売上が激減したとして、控訴人A協会(控訴人協会)が、前記集団食中毒の真の原因究明や貝割れ大根の販売促進活動等に要した費用に相当する損害、信用毀損等による損害として1000万円、及びその余の控訴人ら(控訴人業者ら)が、逸失利益及び貝割れ大根の廃棄費用等の積極損害、信用毀損等による損害が生じたとして、被控訴人に対し、それぞれ国家賠償法1条に基づき、別紙請求額表の控訴請求金額欄記載の損害賠償金(当審において、損害賠償金の一部及び弁護士費用の全部につき、減縮された。)並びに中間報告が公表された平成8年8月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求し、当審において、憲法29条3項に基づく損失補償として同額の金員を追加的に請求した事案である。
被控訴人は、控訴棄却を求め、損失補償請求の追加に同意せず(控訴審における損失補償請求の追加的併合には相手方の同意を要する。最高裁平成5年7月20日第三小法廷判決・民集47巻7号4627頁)、同請求に係る訴えの却下を求めた。
原判決は本件各報告の疫学的判断及び結論に不合理な点は認められず、これらの公表が国家賠償法上違法であるとはいえないとして、控訴人らの請求を棄却した。
当裁判所は本件各報告の疫学的判断及び結論に不合理な点は認められないとした点について原審の判断を是認したが、原審とは異なり、中間報告の公表の方法には、違法があるとして、控訴人らの請求につき、貝割れ大根の廃棄、販売減少に基づく損害賠償請求は認めなかったものの、貝割れ大根の商品としての評価、信用が毀損されたことによる損害の賠償として、控訴人ら各自100万円(同金額以下の請求をする者については、請求額)及びこれに対する違法行為の日(平成8年8月7日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を認め、当審における新たな訴えは却下すべきものと判断した。

2 争いのない事実等
争いのない事実等は、原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」の1(原判決14頁初行から16頁19行目まで)記載を引用する。
3 争点(争点(4)の他は、原判決16頁再掲)
(1)本件各報告の基礎にある疫学的な調査の適否及びその判断の合理性の有無
(2)本件各報告を公表したことについての国家賠償法上の違法性の有無
(3)損害額
(4)損失補償請求の可否
4 当事者の主張
争点に関する当事者の主張は、別紙のとおり、当審における当事者双方の主張を付加するほか、原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」の3(原判決16頁25行目から133頁3行目まで)の記載を引用する。

第4 当裁判所の判断
1 事実関係
前提となる事実関係は、原判決の事実及び理由の「第3 当裁判所の判断」1記載(原判決133頁5行目から174頁17行目まで)を引用する。
2 争点(1)(疫学的調査の適否及び本件各報告の判断の合理性)について
(1)原判決の引用
当裁判所も、本件各報告が基礎とした疫学的な調査は適切で、その判断を合理的なものと認めた原判決を是認すべきものと判断した。その理由は、当審における控訴人らの主張に鑑み、下記(2)において補正及び付加をするほかは、原判決の事実及び理由の「第3 当裁判所の判断」2記載(原判決174頁20行目から298頁3行目までの部分。ただし、原判決266頁16行目から269頁7行目まで、280頁3行目から285頁16行目まで及び296頁9行目から298頁3行目までを除く。)を引用する。
(2)補正及び付加
ア 「原因食喫食日の特定」(原判決206~233頁)について
控訴人らの主張の要旨は、〈1〉入院者の欠食調査には、入院者約500名中99名の調査漏れがあり、これに早期退院者が多数含まれている可能性があり、同調査に基づく推論には限界がある、〈2〉有症者の欠食(出席簿)調査の結果による推論は、統計学の手法の合理性や基礎資料の正確性に疑義がある、〈3〉学校行事による欠食調査については、入院者の絶対数が少なく、早期退院者が漏れており、7月5日までの給食が原因食である可能性を否定できない、というにある。
控訴人らの指摘する事実は、それぞれもっともな点を含み、調査結果を公表するに当たり、慎重な取扱いを要する点であるとは考えるが、〈1〉については、同調査の回答率は、約80%(7月18日現在の入院者534名に対しては約75%)で、疫学的な調査の観点からは有意な結果であるといえ、〈2〉については、有症者の欠食(出席簿)調査と入院者調査の結果は、全体の傾向を把握する上では有用なものとされており、〈3〉については、本件において、発症者の分布からは二次感染の可能性は低いと考えられ、控訴人らの主張を考慮しても、なお、本件集団下痢症の原因食喫食日について、北・東地区では7月8日、中・南地区では7月9日とした判断を是認した原判決の判断は、左右されるまでには至らない。
イ 「原因献立の特定」「原因食材の特定」(原判決233~263頁)について
(ア)控訴人らの「原因献立の特定」に関する当審における主張は、要旨、〈1〉喫食調査の個票の空欄を喫食したとして集計しており、実態を正確に反映していない、〈2〉中・南地区において、原因献立とされた7月9日の冷やしうどんを喫食しなかった入院児童が4名いることを十分な論拠なしに軽視するのは科学的ではない、〈3〉中・南地区において、7月9日の冷やしうどんの貝割れ大根のほか、同月10日の給食(鶏肉とレタスの甘酢あえ)に提供された貝割れ大根がO-157に汚染されていたとみる(複数日曝露説)のは、客観的な証拠もなく、発症者の分布状況から説明できるかも疑問がある、〈4〉カイ二乗検定により有意差があればただちに因果関係があるとはいえず、入院者と有症者とでは、カイ二乗検定の結果が異なっているうえ、そもそも喫食率にあまり差を生じない学校給食において喫食率をもとに原因献立との関連性を検討するのは無理がある、というにある。
しかしながら、〈1〉については、学校給食の特性を考慮しても、本件調査の内容を考慮すると杜撰の感を免れず、喫食傾向に歪みが生じる余地が十分ありうるが、〈2〉については、全体の傾向として、中・南地区において冷やしうどんを欠食した入院者及び有症者が少ない傾向があり、特定の因子に曝露した者が100%当該疾病に罹患するとも、これに曝露しなかった者が100%当該疾病に罹患しないともいえず、他の機会にO-157に感染する可能性もあることに鑑みると(原審甲証人、原審乙証人)、入院者のうち4名の欠食者がいる事実によって疫学的調査の結論が左右されるわけではなく、〈3〉については、中・南地区の発症者の分布状況が、同月12日にピークに達した後、翌13日もそれほど減少せず、右側に裾を引く発症曲線を形成していることからすると、連続曝露の可能性も推測されないではなく、〈4〉については、喫食調査及びカイ二乗検定の結果のみから導かれた判断ではないことをも考慮すると、控訴人らの主張を考慮しても、なお、本件集団下痢症の原因献立につき、中・南地区においては、同月9日の牛乳及び冷やしうどん、北・東地区においては、同月10日の牛乳及びとり肉とレタスの甘酢あえの可能性が高いとした結論を是認した原判決の判断は、なお、左右されるまでには至らない。
(イ)控訴人らの「原因食材の特定」についての主張の要旨は、牛乳の除外について、〈1〉学校に納入した2業者の双方が汚染された原乳を仕入れていた場合、納入校と多発発症校との分布が一致しないことはあり得るが、本件においては、2業者の原乳仕入れ状況、生産工程、流通過程等について調査されておらず、O-157が混入した可能性を完全には否定できない、〈2〉殺菌記録の記載を確認しただけで、保存乳の検体調査もされず、実際に殺菌されたかどうか不明である、というにあり、また、非加熱食材である、レタスときゅうりの除外について、同じ業者が出荷したものであるか、流通過程において原因菌に接触する機会があったかは全く不明で、これらの食材が原因食材である可能性も否定できず、異なる原因により、同時多発的に本件集団下痢症が発生した可能性を否定する根拠はない、というにある。
O-157は、貝割れ大根に常在する菌ではなく、牛等の家畜の腸内に常在する菌であり、原乳がO-157に汚染される可能性があることに鑑みると、原乳が汚染されていた可能性は否定できず、加熱滅菌処理のデータは時系列的に記録されるものである(原審丙証人)ものの、企業のモラルに対する信頼を失わせる事実の多発を多く見る上、本件における調査の意義を考慮すると、この点も杜撰な調査の1例と言えるが、保管状況の違いを考慮に入れても、堺・西地区の全校が非発生校であったことを考慮すると、牛乳を原因食材から除外したことに不合理な点は認められないとした原審の判断は、一応、是認することができる。
流通過程において汚染される場合、同一の機会に複数の食材が汚染されることが想定されうるが、本件においては、流通経路等の関係施設や食材運搬車からO-157が検出されず、7月8日(中・南地区の冷やしうどんの前日)、貝割れ大根をT株式会社が、きゅうりを株式会社U及びV株式会社が、7月9日(北・東地区の鶏肉とレタスの甘酢あえの前日)、貝割れ大根及びレタスをV株式会社(甲105)が、それぞれ納入し、流通過程における複数の食材への汚染を窺わせる具体的な事情は特段認められず、中・南地区と北・東地区について、原因食材が共通であることを前提に、レタス及びきゅうりを除外したことに不合理な点は認められないとした原審の判断は、是認することができる。
ウ 「貝割れ大根の出荷状況」(原判決263~268頁)について
(原判決266頁16行目から268頁19行目までに代える当裁判所の判断)
控訴人らは、本件特定施設の出荷した他の貝割れ大根からは、集団下痢症が発生しておらず、本件集団下痢症が、一般家庭には供給されず、学校給食に提供された食材を原因としてのみ発症したと考えるべきで、本件特定施設の出荷した貝割れ大根は除外されるべきであると主張する。
本件特定施設は、7月1日から15日までの間に、総合計24.6トンの貝割れ大根を25カ所の一次卸売業者(販売施設967カ所(大阪府、京都府はじめ近畿地方の5県。1日平均1.6トン))に出荷し、堺市内の小学校には、7月8日北・東地区57㎏(同月5日、7日出荷)、同月9日中・南地区69㎏(同月8日、9日出荷)、同月10日中・南地区85㎏(同月9日、10日出荷)、計211㎏(1日平均70㎏。出荷量の約4.3%)出荷した(乙5、乙48)。大阪府の調査によれば、府下における散発事例における発症者数累計218名、うち84名について、本件特定施設から出荷された貝割れ大根を喫食した者7名、喫食していない者38名であり、散発事例におけるO-157のDNAパターンは、貝割れ大根を喫食していない者7名中4名につき、本件集団下痢症の原因菌と一致した(甲97、99、109、乙5、6、48)。また、本件特定施設が貝割れ大根を納入した販売施設967か所中958カ所についての販売実績及び散発事例の調査によると、10施設についてO-157の陽性者が認められた(乙5)。
以上の事実関係の下においては、貝割れ大根を原因食材から除外すべき理由は見あたらない。しかしながら、本件特定施設が出荷した貝割れ大根のうち、堺市内の小学校への納入量が出荷量全体の約4.3%にとどまるにもかかわらず、本件集団下痢症が、小学校において有症者合計6121名にものぼる大規模な発生をみており、このことは、本件特定施設から出荷された貝割れ大根を原因食材から除外することは相当でないにしても、本件集団下痢症が学校給食に関連する諸事情を主たる原因とするものであることを端的に物語るものとして重視すべき事実である。
エ 「羽曳野市の老人ホームでの集団発生」(原判決276~278頁)について
控訴人らの主張の要旨は、老人ホームの事例と本件集団下痢症とで原因菌のDNAパターンが一致したからといって、同一食材によるとはいえないというにある。
DNAパターンが同一であるか、又は近縁性があることは、発生原因を特定するに足る事実ではないが、発生原因が同一であるとする判断を補強しうる事実で、本件特定施設の出荷した貝割れ大根が本件集団下痢症の原因食材の疑いがあるとする判断と矛盾しないということはでき、また、それ以上の意味を有するものでもない。
オ 「京都事業所での集団発生」(原判決278~283頁)について
(原判決280頁3行目から283頁4行目までに代える当裁判所の判断)
これらの事実によれば、上記事業所におけるO-157感染症の集団発生は、本件集団下痢症と時間的場所的に接近しており、O-157のDNAパターンも、本件集団下痢症の原因菌のものと同一であるか、又は近縁性があるとされ、本件特定施設から中・南地区に出荷されたのと同時期に出荷された貝割れ大根が原因食喫食日と疑われた日の昼食に使用されており、本件特定施設から出荷された貝割れ大根が本件集団下痢症の原因食材であるとした判断と矛盾するものではない。
控訴人らはDNAパターンの一致について上記と同旨の主張をするが、これについての判断も、上記のとおりである。
カ 「その他の事例について」(原判決283~285頁)について
(原判決283頁6行目から285頁初行までに代える当裁判所の判断)
本件特定施設から中・南地区に出荷されたのと同時期に出荷された貝割れ大根を喫食した者が、本件集団下痢症と時間的場所的に接近し、本件集団下痢症の原因菌と同一ないし近縁性のあるDNAパターンのO-157に感染し発症した事実は、本件集団下痢症の原因食材が貝割れ大根であるとする判断と矛盾しないし、DNAパターンが同一であるか、又は近縁性があることの意味も、上記のとおりで、それ以上の意味を有するものではない。キ 「施設及びその運営状況について」(原判決293頁~294頁)について
控訴人らの主張に関連して付言するに、配送の経路と発生校、非発生校の分布が必ずしも合致せず、自校調理方式にもかかわらず、発生校が広範囲に及ぶ(以上、原判決)上、本件の流通過程において、他の食材から貝割れ大根が汚染されたことを窺わせるような特段の事情はない(原審乙証人)ことに鑑みると、流通や運送の過程における汚染ではなく、食材自体の汚染の可能性を検討したことに不合理な点は見あたらないとした原判決の判断は、是認することができる。
一方、O-157の菌は貝割れ大根に常在するものでなく、本件特定施設の水、土壌、種子等からO-157の菌が検出されず、同所から出荷されるまでの過程における汚染の経路が明らかにならなかったことに鑑みると、本件において、汚染を疑うにしても、流通過程における汚染の可能性も否定できない(原審丙証人は、中間報告の段階では、流通過程における汚染の可能性も考えられていた旨証言する。)。殊に、前記のとおり、学校給食のために納入された量が本件特定施設の出荷した貝割れ大根の総量の約4.3%に過ぎないにもかかわらず、学童及び教職員に本件集団下痢症が大量発生し、他に出荷された圧倒的多数の量からの発症例が皆無に近く、貝割れ大根が原因食材であることを否定する方が、事実に則している感を否めない上、貝割れ大根自体の汚染の疑いを否定できないにしても、本件集団下痢症の大量発生には、学校給食を含む流通の過程が寄与した可能性の方が大きかったと見られ、この過程における衛生管理にも、大きな関心が向けられるべきであった。
ク 小括(総合判断)(原判決296~297頁)
(原判決296頁9行目から297頁末行までに代える当裁判所の判断)
以上のとおり、本件集団下痢症の原因食材として、本件特定施設から特定の日に出荷された貝割れ大根と断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、又はその可能性が最も高いと考えられる(最終報告)とした本件各報告における判断は、中間報告においては、内容自体曖昧に過ぎるが、当時、貝割れ大根が原因食材であると断定できないとしたこと自体は格別の問題を生じないし、最終報告については、前記のような疑問を抱く点もあるものの、調査や分析の手法等において疫学的な調査の手法に則ったもので、(ア)本件集団下痢症が発生した時期及び場所の特定、(イ)発生原因の特定、(ウ)原因食喫食日の特定、(エ)原因献立の特定、(オ)原因食材の特定の各項目を順次検討して上記結論に至った点も不合理とまではいうことができず、本件集団下痢症の原因食材として本件特定施設から出荷された貝割れ大根が疑われるとの判断を否定することにはならず、本件調査及びその分析の過程において、恣意的な判断があったともいえない。これによれば、本件各報告における判断に不合理な点は認められないとした原審の判断は、是認することができる。
(3)要約
本件各報告の内容及び前記認定の事実は、次のとおり要約することができる。
本件集団下痢症の原因食材につき、中間報告は、本件特定施設から特定の日に出荷され、学校給食用に納入された貝割れ大根と断定できないが、その可能性も否定できないとし、最終報告は、汚染源、汚染経路の特定はできなかったが、本件特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根の可能性が最も高いと考えられ、上記日以外に出荷されたもの及び他の生産施設から出荷されたものについての安全性に問題があるという結論が導かれるわけではないとした。
本件各調査においては、本件特定施設の水や土壌、種子からはO-157の菌が検出されず、汚染源、汚染経路については、生産過程、流通過程を含め、解明されなかった(原審丙証人)。原審乙証人は、流通過程において他の食材により貝割れ大根が汚染された可能性は考えられないと証言するが、原審丙証人は、中間報告の段階においては、流通経路における汚染の可能性も考えられたと証言している。本件においては、実験による検証の結果、生産過程における汚染の可能性が明らかになったにとどまり、O-157の菌が、貝割れ大根の常在菌ではなく、本件特定施設からも発見されていない以上、流通経路における汚染こそ、疑われるべきで、それがおよそないと結論付けることは到底できない。
また、本件特定施設から出荷された総量と学校給食に納入された量とを比較すると、出荷量の95%超を占める出荷先からは発症の報告が皆無に近く、本件集団下痢症が学校関係者に大量発生したことは、学校給食を含む流通の過程が大きく寄与した疑いを抱かせ、貝割れ大根の汚染の事実に疑問を抱かせる事実である。
本件各報告は、原因食材の観点から調査の結果を分析しており、その分析及びこれにより得られた結論には合理性を認めうるが、学校給食に関してのみ本件集団下痢症の大量発生を見た原因についての検討は不十分であったという他ない。

3 争点(2)(本件各報告の公表の適法性及び相当性)について
(1)本件各報告の公表の意義、法的根拠の要否
ア 主権国家は、生命や身体の安全に対する侵害及びその危険から国民を守ることも国民に負託された任務の一つで、国民も、これを理解し、納税等により必要な負担をすることを了解する自国民の生命や身体の安全の確保に関心を払わない国家及び政府は、自国民の信頼を得ることはなく、他国の侮りと干渉に翻弄されるに至るのが常で、国際社会における名誉ある地位(憲法前文)を得ることもない
イ 有毒ガスにより自国民を虐殺したとされる他国政府の例に加え、有毒ガスにより無差別殺戮を実行した我が国のカルト集団等の例に接しては、無法国家やテロ組織による生物化学兵器による攻撃も、杞憂とばかり言い切れず、昨今の原因不明の疾病の蔓延という異常事態の発生(公知の事実)を目の当たりにすると、我が国の国家としての危機管理の有り様が問われている感を強くする。生物化学兵器等の人為的なもの、又は疾病の蔓延等の人為的でないもの、いずれであれ、国民の生命、身体に危険を及ぼす異常事態に対しては、国家及び政府は、国民に負託された任務の遂行として、事態を科学的に解明し、これに基づく適切な対策を講ずることが求められる事実の隠ぺいは、事態の悪化を招くに終わるのが常である。殊に、疾病の場合においても、法制上、患者を隔離し、治療と病気の蔓延の防止に実効のある措置を講じることの困難な我が国においては、事態の悪化を防ぐ方策は、原因が究明され、有効な対策が講じられるまで、国民に正確な情報を開示して事態を理解させ、その理性的な対処に待つ他ないのが実情である。
ウ 国民の生命及び身体の安全の確保に関し、厚生省が、第2次世界大戦後の我が国の復興、発展とこれによりもたらされた国民生活の向上に絶大な寄与をして来たことは、国民の等しく認めるところである。一方において、この約40年の間、サリドマイド、スモン、クロロキン、コラルジル及びHIVによる薬剤による被害が争われた訴訟において、厚生省は、薬剤の危険に関する情報に接しながら、利用者の生命、身体の安全より、製造者の利益を重視し、適切な対処又は情報の開示をしなかったとして、被害者から追及を受けて来たことも、公知の事実である。
エ 本件においては、前記(原判決14~16頁「争いのない事実等」、同133~174頁「事実関係」参照)のとおり、大阪府堺市において平成8年7月中旬ころ発生したO-157に起因する数千人規模の学童の集団下痢症に関してされた調査に基づく本件各報告の内容についての厚生大臣による公表の適否が問われている。本件各報告の公表は、本件集団下痢症の原因が未だ解明されない段階において、食品製造業者の利益よりも消費者の利益を重視して講じられた厚生省の初めての措置として歴史的意義を有し、情報の開示の目的、方法、これによる影響についての配慮が十分であったか、疑問を残すものの、国民一般からは、歓迎すべきことである。
オ 本件各報告の公表は、現行法上、これを許容し、又は命ずる規定が見あたらないものの、関係者に対し、行政上の制裁等、法律上の不利益を課すことを予定したものでなく、これをするについて、明示の法的根拠を必要としない。本件各報告の公表を受けてされた報道の後、貝割れ大根の売上が激減し、これにより控訴人らが不利益を受けたことも、前記(原判決157頁以下)のとおりであるが、それらの不利益は、本件各報告の公表の法的効果ということはできず、これに法的根拠を要することの裏付けとなるものではない本件各報告の公表について法律上の根拠を要することを前提とする控訴人らの主張は、前提を欠き、また、憲法29条2項違反をいう点も、採用の限りではないしかしながら、本件各報告の公表は、なんらの制限を受けないものでもなく、目的、方法、生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、これにより生じた不利益につき、注意義務に違反するところがあれば、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じることは、避けられない。 
(2)本件各報告の公表の適法性
ア 本件集団下痢症発生後の厚生省の対応及び中間報告の公表に至る経緯、中間報告の内容は、先に引用した原判決(同14頁末行から15頁12行目まで及び同149頁2行目から157頁8行目まで)のとおりであり、本件中間報告に至るまでの国内の状況は、原判決(同303頁11行目から306頁2行目までを引用する。)記載のとおりである。本件各報告は、学童を中心に大量に発症した本件集団下痢症についてのもので、内容を再掲すれば、貝割れ大根につき、本件集団下痢症の原因食材としては、〈1〉断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、〈2〉本件特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根が最も可能性が高いと考えられる(最終報告)、とする。
イ 本件各報告の公表は、当時、O-157による食中毒が多発し、一方、原因が究明されず、国民の間に食品一般に対する不安が広がっていた事情の下において、殊に、規模が大きく、国民の関心の高かった本件集団下痢症について、調査の結果得られた情報を公表し、国民の不安感を除去するとともに、一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図ることを目的としてされた(乙38、54、原審甲及び同丙各証人)。前記のような国家及び政府の任務を前提とすると、本件各報告の公表の目的は、これに適うものとして是認すべきで、目的の点においては、本件各報告の公表を違法視することはできない。また、前記の経緯に鑑みると、本件各報告の公表は、これをすること自体は、情報不足による不安感の除去のため、隠ぺいされるよりは、国民には遙かに望ましく、適切であったと評すべきで、この点も、違法とすべきものではない。

(3)厚生大臣による中間報告の公表の適法性、相当性
ア 前記(原判決153~159頁)のとおり、中間報告は、厚生大臣による記者会見を通じて公表され、中間報告の全文及び概要を記載した書面も、報道機関に交付され、新聞等を通じて報道された。スーパーマーケット等の小売店は、報道から日を置かず、店頭から貝割れ大根を撤去し、生産業者に対する注文を撤回し、新規注文もほとんど停止した。
イ 貝割れ大根は、中間報告当時も、後にも、O-157への汚染が裏付けられず、本件特定施設の出荷量の95%超を占める学校給食用以外のものが汚染されたことは、後にも、裏付けられていない。中間報告は、前記のとおり、本件特定施設が出荷した貝割れ大根について、本件集団下痢症の原因食材であるとまでは断定できないとする。尤も、上記貝割れ大根については、その可能性も否定できないともされていたが、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根(調査対象でもない。)はもとより、本件特定施設の出荷した学校給食以外に供給された貝割れ大根は、中間報告当時も、O-157への汚染を疑われるべき理由もなかったと認められる。
ウ 報道機関は、総じて、中間報告の内容を正確に記事として報道している。中間報告は、科学的な調査と分析であり、厳密に表現する必要に迫られ、断定を避けた曖昧とも見える表現が用いられるなど、正確を期すために、かえって読者による的確な理解が妨げられる表現及び内容となっていると認められる。実際にも、中間報告においては、貝割れ大根について、原因食材と「断定できないが、可能性も否定できない」としており、原因食材であると「断定できない」と否定的判断を示しながら、「可能性も否定できない」という表現を付加して、読み方によっては、本件集団下痢症の原因食材である疑いを抱かれていることを明らかにする内容である。新聞記事においては、大阪府堺市を中心に発生した本件集団下痢症の原因食材についての記述であることを明示しているものの、多くは、中間報告を引用し、曖昧な内容が記述され、一部には、端的に、貝割れ大根が原因食材として疑われていることを見出しに掲げ、本文において、学校給食の納入業者に対する食品衛生法等に基づく調査(「検査」と表現するものもある。)が行われる旨記述するものもあり、本件特定施設が特定の日に出荷したものに限定して貝割れ大根が疑われていると読みとることが困難で、他の業者の生産する貝割れ大根が食中毒の原因と疑われるかどうかについては、明確な記述もない(原判決157頁以下参照)。
エ 上記事実経過の下においては、小売店が、報道後、日を置かず上記行動をとったことは、中間報告の内容と対比すると、不可解に見える。中間報告は、端的に言えば、未だ上記貝割れ大根を原因食材と決めるまでの裏付けはないと言っているに他ならず、小売店は、大半、学校給食はもとより、本件特定施設とかかわりを有するとはおよそ考え難い遠隔地にあり、原因食材が確定されるに至っていないことも、公表の前後を通じて変わらない以上、貝割れ大根を店頭から撤去したり、注文を撤回したりする理由が見あたらないからである。遠隔地にある小売店までによる上記行動は、記者会見を利用したことにより、厚生大臣が、貝割れ大根そのものについて5月以降多数の地域に発生した食中毒の原因食材であると疑っていると公表したと理解されたからにほかならないと認められ、それ以外には、合理的な理由と説明を見出すことはできない。
オ 中間報告は、「国民の関心の高かった本件集団下痢症について、国民の不安感を除去するとともに、一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図ることを目的として」(前記(2)イ参照)、記者会見の方法が選ばれ、これを通じて厚生大臣により公表された。「国民の不安感を除去する」目的は、記者会見によらず、他の方法により、調査報告書の内容を正確に国民に伝えても達成できたことは疑いない(本件においては、原因食材を特定するに至らなかった以上、結果として、中間報告の公表により、この目的が達成されたかどうかについては、疑問が残る。)。しかしながら、「一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図」る目的は、調査報告書の内容を正確に伝えるだけの、いわば取捨選択及び評価を情報の受領者に委ねる方法によっては、必ずしも達成できるものではない。報道を介することにより、情報の伝達範囲が格段に拡大されるものの、それだけのことである。厚生大臣も、単に調査報告書を報道機関に配布して報道を求めるだけでは目的が達成されないことを危惧したか、又はより効果的に目的を達成することを意図して、記者会見の方法を選択し、これを通じ、前記「食中毒の拡大、再発の防止の目的」のため、原因食材と疑われる理由のある食材について、一般消費者による購入及び食品関係者による供給について注意を喚起しようとしたと推認される。
カ しかしながら、【要旨】本件において、厚生大臣が、記者会見に際し、一般消費者及び食品関係者に「何について」注意を喚起し、これに基づき「どのような行動」を期待し、「食中毒の拡大、再発の防止を図る」目的を達しようとしたのかについて、所管する行政庁としての判断及び意見を明示したと認めることはできない。かえって、厚生大臣は、中間報告においては、貝割れ大根を原因食材と断定するに至らないにもかかわらず、記者会見を通じ、前記のような中間報告の曖昧な内容をそのまま公表し、かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ、これにより、貝割れ大根そのものについて、O-157による汚染の疑いという、食品にとっては致命的な市場における評価の毀損を招き、全国の小売店が貝割れ大根を店頭から撤去し、注文を撤回するに至らせたと認められる。
キ 厚生大臣によるこのような中間報告の公表により、貝割れ大根の生産及び販売に従事する控訴人業者ら並びに同業者らを構成員とし、貝割れ大根の生産及び販売について利害関係を有すると認められる控訴人協会の事業が困難に陥ることは、容易に予測することができたというべきで、食材の公表に伴う貝割れ大根の生産及び販売等に対する悪影響について農林水産省も懸念を表明していた(原判決153頁)のであり、それにもかかわらず、上記方法によりされた中間報告の公表は、違法であり、被控訴人は、国家賠償法1条1項に基づく責任を免れない

(4)その他の問題点について
ア 控訴人らは、原因食材名を公表すべきでなかったと主張するが、前記のとおり、中間報告当時、本件特定施設の出荷した「貝割れ大根」が原因食材として疑われ、調査の対象とされていたと認められ、そのこと自体は、是認しうる以上、中間報告の公表の際、貝割れ大根を明示したこと自体に違法の点はなく、前記のとおり、中間報告の公表の方法が相当性を欠いたというべきである。
イ 厚生大臣が、最終報告を待たず、中間報告を公表したことは、調査結果について、未だ最終結論を得るに至っていない制約と目的を的確に意識し、情報を選別して公表し、それが適切、相当である限り、格別には、違法の問題を生じない。
ウ 食品を扱う小売店は、記事に接し、僅かでも危険のあるものを避けるため、貝割れ大根を店頭から撤去する等の行動に出たものと解され、中間報告の内容との関係においては合理性を欠くと評せざるを得ないものの、記事に基づく行動としては、無理からぬものがある。小売店の行動は、小売店に責めがあるのではなく、一般消費者及び食品関係者に対して注意を喚起すべき点を明らかにしないまま(検討されたかどうかも、疑わしい。)、厚生大臣が、正確な公表の名の下に、中間報告から得るべき情報の解釈を報道機関、視聴者及び読者にいわゆる丸投げしたために生じたと評せざるを得ない。
エ 厚生大臣の記者会見の際の質疑においては、本件特定施設に言及され、原因としては土壌か水が疑われるとの認識が示され、報道関係者において他の大阪府内の業者に迷惑が及ばない配慮を求めるなど、本件特定施設の貝割れ大根が疑われていることを前提とする応答がされているものの、これのみによっては、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根について、食中毒の原因食材であるとのいわれのない疑いを除くには、不十分である。また、中間報告の公表後、内閣官房長官による記者会見の際、貝割れ大根全般に言及したものでないとして、報道機関に慎重な対応が求められた(原判決157頁参照)が、これによっても、厚生大臣による中間報告の公表を違法とする前記判断は、左右されない。
オ 本件においては、報道後、小売店が店頭から貝割れ大根を撤去する等し、厚生大臣が、国会において、中間報告は本件特定施設が生産した貝割れ大根を対象とするもので、貝割れ大根全般について言及したものでない旨を明らかにし、農林水産省が、小売店団体等に対し、同旨の理由により、冷静な対応を求める通達を出し、厚生大臣が報道関係者の面前において生の貝割れ大根を喫食した(原判決158~159頁)。これらは、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根がO-157に汚染された疑いを抱かれていない事実を明らかにすることをも意図したものであることは、内容から明らかで、真摯なものであることは疑わないが、控訴人らに生じたことは、中間報告の公表に当たり、農林水産省も懸念していたとおり、十分予想できたことで、高々程度が予想を超えたのにとどまり、厚生大臣の中間報告の公表の違法性を左右しない。殊に、厚生大臣が報道関係者の面前において貝割れ大根を生で食べるなどという行動は、控訴人らが納得するのであれば、批判の限りでないが、それにより、貝割れ大根のO-157への汚染について厚生大臣自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば、国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか。
カ 中間報告の公表に当たり、前記目的のため、報道を通じ、国民に何を伝えるべきかは、厚生大臣が困難な決定を迫られた筈の事柄であったことは疑いない。控訴人らの主張するとおり、端的に、本件特定施設が特定の日に出荷し、学校給食用に納入された貝割れ大根が疑われている事実を明らかにし、これにより、大阪府堺市周辺以外の地の消費者や食品関係者に対しては、5月以来、各地に発生していた食中毒の原因と疑うべき食材から、貝割れ大根を除外しても良いと判断する根拠となる情報を伝達するのも、1方法であったであろう。また、これにより、本件特定施設にとっても、特定の日に学校給食用に出荷した貝割れ大根のみが原因食材として疑われたにとどまり、それ以外の時期に生産され、一般消費者用に出荷される貝割れ大根は、なんら上記疑いを抱かれていないことを明示することにもなったと思われる。控訴人ら主張の内容の公表がされたとしても、本件特定施設は、厚生大臣が実際にした中間報告の公表により生じた注文の停止等を超える不利益を受けることは想定し難かったというべきである。ちなみに、本件特定施設は、国に対し、損害賠償を求めて提訴し、大阪地裁判決により請求の一部が認容され(甲202)、中間報告の内容の合理性について、原判決及び当裁判所と判断を異にするところもあるやも知れない。中間報告において検討の対象とされた貝割れ大根と対象とされなかった貝割れ大根を取り扱うことに伴って生じる差異に他ならず、同判決に依拠する控訴人らの主張に対しては、必要な範囲において応答するにとどめた。
キ 控訴人ら主張の被害は、中間報告の公表により生じたと認められ、最終報告の公表により生じたと認めうる部分は見あたらず、最終報告の当否については、判断の限りでないが、最終報告において、本件特定施設の出荷した貝割れ大根が汚染された裏付けは見あたらず、汚染の疑いを招いた貝割れ大根が本件特定施設が出荷した総量の5%以下にとどまり、学校給食以外に出荷された95%超のものについて、食中毒の原因食材の疑いを抱かれたものがないことは、考慮の対象とした。

4 争点(3)(損害額)について
(1)控訴人ら主張の損害について1
ア 控訴人らは、中間報告の公表後、貝割れ大根について、返品、注文の取消しを受ける等して被った積極的損害及び販売量が極端に落ち込んだことによる逸失利益、信用毀損による損害の一部を請求する。
イ 控訴人業者らは、前記のとおり、公表後、小売店による貝割れ大根の店頭からの撤去、注文の取消し等に起因し、色々な損害を被ったことは推測に難くない。しかしながら、中間報告の内容自体は、前記のとおり、本件集団下痢症の原因について科学的厳密さに基づき、曖昧に表現し、その報道も、上記理由による曖昧さをも含めて正確であり、厚生大臣の違法は、中間報告について、内容を誤って公表したのではなく、正確に公表したものの、国民に伝達すべき情報を的確に明示しなかったために、逆に、貝割れ大根についての理由のない汚染の疑いを国民に広めた点にある。控訴人らが主張する損害は、上記理由により曖昧さも含めてされた報道に接した小売店が採った行動により生じたのであり、報道機関に責任はないものの、報道されたことにより、結果的には、予想外に拡大したと認められる。
ウ 我が国においては、かつて、いわゆる石油危機の昭和40年代末期、トイレットペーパーを巡る一種の社会不安(パニック)状態が生じた。根拠のない情報に起因し、消費者が通常備える量を超えて購入する動きが広がって上記商品が品薄となり、このことが更に消費者の購入意欲を強め、品薄状態がいっそう進んだ。消費者は、製造者等が不当な利益を得るため、当該商品を売り惜しみ、隠匿したと主張して追及する動きすら見せた。(以上は、公知の事実である。)上記商品は、安価で、容量が大きく、隠匿して利益を得るにはおよそ不適当で、大幅な価格上昇を期待しうるものでないことは容易に理解しうる。また、上記商品は、代価と容量との関係もあり、保管費用を極力避け、需要予測を基礎に、流通の過程をも保管に利用することも、初歩的経済知識に属する。それにもかかわらず、我が国において、本件と遠くない時代に、上記商品を巡り、およそ不合理で、理由のない社会不安が生じ、沈静化するまでに期間を要した。この例は、消費者の行動が、時に想像を超えて異常に走ることを教え、本件において、上記理由により曖昧さを残す中間報告の報道に接した小売店の極端な行動も1例と見られる。加えて、貝割れ大根が、嗜好に左右され、日常の食生活にとって不可欠のものとはいい難いこともあって、消費者が汚染とはかかわりのないものまで買い控えることも予想された。
エ このような事情の下においては、控訴人らの主張する損害が、すべて、被控訴人の注意義務違反によるものと認めることはできず、他に、これを確定するに足りる証拠も見あたらず、貝割れ大根の売上減少等を理由とする控訴人ら主張の損害は、これを認めることができない。
(2)控訴人ら主張の損害について2
ア 控訴人らの取り扱う貝割れ大根が、O-157による汚染とはかかわりがないにもかかわらず、明示的に除外することもないまま中間報告が公表され、商品としての評価、信用が毀損され、これにより、控訴人らが損害を被ったと認められる。
イ 控訴人らの扱う商品の評価、信用の毀損による損害は、控訴人らが貝割れ大根を生産する等して得られる利益を償うべきものではなく、控訴人らの扱う貝割れ大根が、厚生大臣による中間報告の違法な公表方法により、市場における商品としての評価、信用を毀損されたことによる損害であり、本判決により厚生大臣の公表に違法があると判断されることにより、大部分は回復される性質のものと認められ、更にこれを補うため、控訴人それぞれについて、100万円(100万円以下の請求をする控訴人については、請求額)をもって相当と認める(控訴人協会は、貝割れ大根を生産し、販売して利益を得ている者ではなく、生産等をする業者全体のために、貝割れ大根の普及、啓蒙活動等に従事する者で、控訴人業者らと異なるところもあるが、貝割れ大根の生産、販売について利害関係を有することは明らかで、同様に被害を被ったと認められ、同額を認容する。)。
5 争点(4)(損失補償の可否)について
控訴人らが当審において追加的に併合して審理することを求める損失補償請求については、被控訴人が請求の追加に同意せず、当審において、この請求について審理することはできず(最高裁平成5年7月20日第三小法廷判決・民集47巻7号4627頁)、損失補償に係る訴えは、不適法であり、却下を免れない。

6 まとめ
以上のとおり、控訴人らの請求は、取り扱う商品について違法に市場評価及び信用を毀損されたことに基づき、本判決により、市場評価及び信用が回復されることをも考慮し、各100万円(一部の者は、請求額)及び遅延損害金の限度において認容する。中間報告の公表後、貝割れ大根の生産及び販売が受けた苛酷な影響は、前記認定の事実からも、その一端を窺うことができる。控訴人らの貝割れ大根の生産及び販売が、今もなお、当時の販売量を回復しない(控訴人らの主張)ことを考慮すると、控訴人らの怒りの程は察するにあまりあるが、当裁判所は、この判決において判断した以上の解決を見出すことはできない。控訴人らが突きつける怒りは、この訴訟を契機として、被控訴人において、非常時に遭遇してから対処するのではなく、将来の危機に備え、国民の利益をどのように調整し、確保するかについての技能を高める契機とすることによって解消されることを期待すべきものと考える。
第5 結論
よって、原判決を変更し、控訴人らの請求の一部各100万円(同額以下の請求をする者については、請求額)及び平成8年8月7日(厚生大臣による違法行為の日)から支払済みまで、民法所定の年5分の割合による遅延損害金を認容し、その余を棄却し、当審において追加された損失補償請求に係る訴えを却下することとして、主文のとおり判決する(仮執行宣言は、付さない。)。
第1民事部
(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 白石研二 裁判官 土谷裕子)

+++あまり関係ないけど 履行利益と信頼利益のおさらい
・「履行利益」とは、契約が完全に履行されたならば債権者が受けるであろう利益をいいます。「信頼利益」とは、無効な契約を有効であると信じたことによって受けた損害をいいます。
履行利益の具体例としては、転売利益等が挙げられ、信頼利益の具体例としては、他人物売買における目的物検分のための費用・代金支払のために金融機関から融資を受けたことによる利息等が挙げられます。そして、通常、履行利益よりも信頼利益のほうが少額と言われています。答案作成上は、これくらいのイメージをつかんでおけば十分ではないかと思います。
ただ、従来の理解からは、区別が難しいものもあります。例えば、ディーラーから中古自動車を購入したユーザーが自動車を走行中に、契約前から故障していたブレーキが利かなくなって事故を起こし、大けがをしたとしましょう。この場合に、ユーザーはディーラーに対して瑕疵担保責任に基づく損害賠償(570条)を請求できるとして、古典的な学説である法定責任説によれば、損害賠償の範囲は「信頼利益」に限られると解されています。そこで、入院治療費や休業中の逸失利益・慰謝料等は、「履行利益に該当する」という理由で賠償を請求できないことになると考えるのが素直です。
しかし、ユーザーはブレーキの欠陥を知っていれば、故障のあるまま自動車を運転するはずもなく、事故に遭わずに済み、入院・休業等の損害を被ることもなかったと思われます(かかる結論の不当性から、上記の形式論理を修正して、当該損害を損害賠償の範囲に含めるべきであるとの主張もあります)。このように、近時、「信頼利益」の概念はすべてを定式化しているわけではないと批判されており、信頼利益・履行利益という概念は、完全な履行がなされたのと同じ利益状況におかれたことを求めることができるか、それとも契約の清算と投下資本の回収に向けられているか、という対照関係を示す対置概念であるという考えが主張されていることも付言して置きます。

ウ 行政行為の取消し・撤回と法律の根拠
取消し=成立時から瑕疵のある行政行為について、成立時に遡って効力を失わせる。
法律上の根拠は不要・・・
撤回=瑕疵なく成立した行政行為について、その後の事情により、その効力を存続させることが妥当でなくなった場合に将来に向かって効力を失わせること
法律上の根拠は不要・・・
←撤回を制裁と考えていない。

+判例(S63.6.17)
理由
上告代理人佐々木泉の上告理由第一点及び第三点並びに上告人の上告理由について
原審の適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、昭和二五年に医師免許を付与され、昭和三三年一〇月以降石巻市において、産科、婦人科、肛門科の医院を開設している医師である、(2) そして、昭和二八年に被上告人社団法人宮城県医師会(以下「被上告人医師会」という。)から、優生保護法一四条一項により人工妊娠中絶(以下「中絶」という。)を行いうる医師(以下「指定医師」という。)の指定を受け、それ以降、途中一年間を除き、二年ごとの指定の更新により、最終的には、昭和五一年一一月一日付をもって指定を受けた、(3) 上告人は、中絶の時期を逸しながらその施術を求める女性に対し、勧めて出産をさせ、当該嬰児を子供を欲しがっている他の婦女が出産したとする虚偽の出生証明書を発行することによって、戸籍上も右婦女の実子として登載させ、右嬰児をあっせんする、いわゆる赤ちゃんあっせん(以下「実子あっせん行為」という。)を行ってきたが、上告人が昭和四八年四月新聞等を通じてこのことを公表するまでにあっせんした数は約一〇〇件に及んだ、(4) 実子あっせん行為についての問題点が指摘されたことなどから、上告人は、昭和四九年三月、指定医師の団体である社団法人日本母性保護医協会の全理事会において、今後実子あっせん行為は繰り返さない旨言明したが、その後も、中絶時期を逸したにもかかわらず中絶を望む妊婦は、胎児ないし嬰児に対して強い殺意を抱いているので、上告人提唱のいわゆる実子特例法が制定されるまでは、実子あっせん行為は嬰児等の生命を救うための緊急避難行為であるとしてこれを続け、結局、昭和四八年四月以降更に約一二〇件の実子あっせん行為をした、(5)そのうちの一例である昭和五〇年一二月にした実子あっせん行為につき、上告人は、昭和五二年八月三一日付で愛知県産婦人科医会長から医師法違反等の嫌疑により仙台地方検察庁に告発され、昭和五三年三月一日仙台簡易裁判所において、犯罪事実の要旨を「上告人は、(一) 昭和五〇年一二月一八日ころ、上告人方医院において、A女に対し、自ら同女の出産に立ち会わないのに、同女が男子を出産した旨の出生証明書を交付し、(二) A夫婦と共謀して、B女が出産した男子をA夫婦の実子として届け出ようと企て、同月二二日ころ、A女が市役所係員に、右男子がA夫婦間の長男として出生した旨の出生届と前記出生証明書を提出して虚偽の申立をし、情を知らない右係員らをして公正証書の原本である戸籍薄にその旨不実の記載をなさしめ、これを真正なものとして市役所に備えつけさせて行使した」とする医師法違反、公正証書原本不実記載・同行使の罪により、罰金二〇万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は正式裁判に移行することなく確定した、(6) 被上告人医師会は、昭和五三年五月二四日付で上告人に対し、昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定を取り消す旨の本件取消処分をしたが、その理由の要旨は、右罰金刑の確定とその裁判の違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというものである、(7) 上告人は、昭和五三年一〇月一日被上告人医師会に対し指定医師の指定申請をしたところ、被上告人医師会は、同月三〇日付で、本件取消処分と同じ理由により、右申請を却下する旨の本件却下処分をした、というのである。
右事実関係に基づいて、上告人が行った実子あっせん行為のもつ法的問題点について考察するに、実子あっせん行為は、医師の作成する出生証明書の信用を損ない、戸籍制度の秩序を乱し、不実の親子関係の形成により、子の法的地位を不安定にし、未成年の子を養子とするには家庭裁判所の許可を得なければならない旨定めた民法七九八条の規定の趣旨を潜脱するばかりでなく、近親婚のおそれ等の弊害をもたらすものであり、また、将来子にとって親子関係の真否が問題となる場合についての考慮がされておらず、子の福祉に対する配慮を欠くものといわなければならない。したがって、実子あっせん行為を行うことは、中絶施術を求める女性にそれを断念させる目的でなされるものであっても、法律上許されないのみならず、医師の職業倫理にも反するものというべきであり、本件取消処分の直接の理由となった当該実子あっせん行為についても、それが緊急避難ないしこれに準ずる行為に当たるとすべき事情は窺うことができない。しかも、上告人は、右のような実子あっせん行為に伴う犯罪性、それによる弊害、その社会的影響を不当に軽視し、これを反復継続したものであって、その動機、目的が嬰児等の生命を守ろうとするにあったこと等を考慮しても、上告人の行った実子あっせん行為に対する少なからぬ非難は免れないものといわなければならない。 
そうすると、被上告人医師会が昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定をしたのちに、上告人が法秩序遵守等の面において指定医師としての適格性を欠くことが明らかとなり、上告人に対する指定を存続させることが公益に適合しない状態が生じたというべきところ、実子あっせん行為のもつ右のような法的問題点、指定医師の指定の性質等に照らすと、指定医師の指定の撤回によって上告人の被る不利益を考慮しても、なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認められるから、法令上その撤回について直接明文の規定がなくとも、指定医師の指定の権限を付与されている被上告人医師会は、その権限において上告人に対する右指定を撤回することができるものというべきである。したがって、本件取消処分及びそれと同じ理由による本件却下処分に違法な点はなく、右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

上告代理人佐々木泉の上告理由第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭裁判官奥野久之)

++上告理由
上告代理人佐々木泉の上告理由
原判決には、次のような判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。第一点 原判決は、行政行為撤回制限の法理の解釈をあやまり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、原判決およびその引用する第一審判決(以下あわせて原判決という。)は、優生保護法一四条に基づく指定医師の指定は、医師であっても一般に禁じられている人工妊娠中絶を一定の要件のもとに行うことができる資格ないし地位を被指定者に附与するものであるから、授益的行政処分たる性質をもつものとしながら(この点につき、第一審判決の見解が改められた。しかし、第一審判決理由三7の部分は依然として改められておらず、理由齟齬の違法をきたしている。)、この場合でも被指定者の責に帰すべき事由により公益に適合しない事情が発生した場合には、法律による明文の根拠がなくとも、指定を撤回できるものと判示している。
(一) 本件指定医の指定の性質は、原判決のように、古典的な特許理論に従い「特許に近いもの」とみるべきではなく、国民において本来なしうる行為について、刑法による禁止を前提とした上、法令により不可罰とされるべき行為者の限定に過ぎないものであることに着目すると、講学上の許可に近いものとみるべきであり、ただその効果(授益性、設権性)において特許に近いものとなっているに過ぎない。してみると、指定の取消処分は、本質的に羈束裁量行為であるとともに、その取消をするについては法律の明文の根拠を必要とするものである。原判決には、法律の解釈をあやまった違法がある。
(二) 次に行政行為の撤回については、相手方の同意がある場合、附款が存在する場合および充分な補償がなされる場合を除き、たとえ相手方の責に帰すべき事由がある場合でも、法律の明文の根拠を必要とする。現行取締法規は当該法律以外の法律に違反しただけでは当然には撤回を認めていないし、その上相手方の義務違反の場合でも、「この法律又はこの法律に基く命令に違反したとき」として(麻薬取締法、古物営業法、道路法など)、更には法律違反だけでは直ちに撤回を認めず、右違反に基く処分に違反したとき(医療法、火薬取締法など)もしくは他の要件を加重して(風俗営業法四四条)、はじめて撤回を認めるという慎重な定めをしており、いずも行政行為の撤回について明文の根拠を設けているのである。
(三) このような法の態度は、法治主義の原則を尊重するとともに、撤回により相手方のこうむる打撃を考慮し、相手方の義務違反をもって直ちに撤回事由とせず、相手方の利益と公益との慎重な比較考量を要求していることを示すものであり、このことは、相手方の義務違反の場合でも、不利益処分については、法律上の定めを必要とすることの根拠となる。
(四) 本件指定は、原判決も認めるように医師の一部の者について、厳格な要件のもとに与えられる資格であり、しかも継続的性格を有し、取消の結果は極めて重大なものであるところ、同じく義務違反の場合において、例えば古物営業者に対する許可の取消についてさえ、慎重な法律上の定めがあるのに、指定医師の指定の取消については全く法律上の根拠を要しないと解することはあまりにも不当であり、単なる法の不備ではすまされないことである。なお、優生保護法は、指定の要件、取消権者、取消の要件について全く定めのない不備な非近代的な法律であり、このような不備な法律は指定の取消については法律としては機能しないものというべきである。
(五) 以上の次第で、被指定者の責に帰すべき事由のあるときは、公益の必要上法律の根拠なくして指定を撤回できるとの原判決の判示は、法律の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
二、次に、原判決は「相手方の責に帰すべき事由」として、上告人の行為が指定医師として、「人格面の適格性」を欠くに至ったことをあげている。
(一) 原判決は、優生保護法が指定医師の資格要件ないし指定基準について全く明文を設けていないことを前提として、指定のための要件として人格面、技能面、設備面の適格性を想定している。しかし、右のとおり法自体全く要件を定めていないし、右要件を推認しうる定めもしくは委任条項を設けていないのであるから、指定の取消という不利益な行政処分をする場合に限り、右のような要件を解釈によって創造することは、法治主義の原則に反し、法の解釈の限界を超えるものである。ましてや「右のように指定の要件について明文の規定を設けていないことから、指定要件の認定については、医師会の合理的な裁量に委ねられている」旨の原判決の解釈は、指定の撤回をする場面においては法治主義の原則に反するものである。
(二) 次に、法の解釈として、指定医の要件を設定しうるとしても「人格面の適格性」を要件とすることはあやまりである。
(1) 指定医は、母体に重大な影響を与える妊娠中絶を行うものであるから、一般の医師以上に妊娠中絶に必要な専門的知識や経験を必要とするであろうし、右手術を行うにふさわしい医療設備をもたなければならないのは当然である。
(2) しかし、指定は医師に対してのみ附与されるものであるところ、医師法四条、七条二項により明らかなとおり、指定医は既に医師としての品位を要求されており、医師としての品位を損するような行為があったときは、厚生大臣はその免許の取消、業務停止を命ずることができるものとされている。すなわち、指定医は、指定医以前に医師としての人格面における品位を要求されているのであって、それ以上に指定医として高い品位を要求する実定法上の根拠はない。
人格面における品位は、優生保護法の目的、立法趣旨とは全くかかわりのない問題であって、これを指定の要件として特に附加すべきものではない。逆に言えば、人格面における品位を損するような行為があったときは基本法たる医師法に基づく処分をすれば足りる(これによって当然に指定医としての業務を行い得ない。)のであって、さらに同一の理由で指定医の指定取消処分を行うこと(二重の不利益処分)は許されない。
(3) 法が任意団体である医師会に対して指定権を委任したのは、医師としての専門技術性の判断をする上において、よりふさわしいものと考えたからである。故に医師会には、技術専門性に関する判断権能は認められても、人格面、品位に関する判断を委ねられたものとみることはできない(判例評論二九三号一七頁)。
(4) よって、原判決が、指定医師として人格面における適格性を欠くに至ったことを「相手方の責に帰すべき事由」としたことは、法律の解釈をあやまったものであり、その結果理由不備の違法をおかしている。
三、さらに、原判決には「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の解釈をあやまった違法がある。
(一) 原判決は、上告人が実子あっせんを行ったこと、医師法違反等の罪により罰金刑に処せられたことその他諸種の事情から、指定医師として人格面における適格性を欠き、「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の状況に立ち至り、指定撤回の公益上の必要が生じたものと判示している。
(二) まず原判決は、多くの個所で「公益」なる概念を用いているが、その具体的な内容を全く示していない。全体的な観察をすれば、原判決は、優生保護法自体の予定する公益ではなく、「法遵守義務」とか「正しい医業」、「現行法秩序に対する挑戦」とかの表現から明らかなように、同法以外の予定する公益もしくは一般的な法秩序を指しているものと思われる。
(三) しかし、指定医の指定の取消(撤回)を論ずる場合には、その公益概念は優生保護法の立法趣旨、目的に従いその限界を画されるものであり、たまたま別の法律の予定する公益に反したとしても、指定医の指定を撤回する根拠とはなりえない(医業に関する他の法律違反のすべてが「公益背馳」となるとすれば、それはまさに法治主義に反することである。)。
(四) 優生保護法は一条に定められているように、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の健康を保護することを目的とする。そして同法はその目的を達成するため、一定の要件のもとに優生手術、人工妊娠中絶、受胎調節の実地指導という手段を予定しているが、指定医に関するものは人工妊娠中絶のみであり、同法一四条は一項一号ないし四号に該当し、かつ、関係者が希望する場合においてのみ、指定医師の指定業務として妊娠中絶を認めるのである。
(五) してみると、指定医に関する限り、同法の予定する「公益」とは、関係者が希望し、法一四条一項一号ないし四号の要件をみたす限度において、不良な子孫が生まれないようにするために妊娠中絶をすることおよび母性の健康を保護することであるといわなければならない。従って、指定医師が他の法律に違反した場合であっても、右のような公益に反するような行為のない限り、指定の撤回の要件としての「公益に適合しない事情」に該当することはありえない。なお、原判決は、実子あっせんの結果、近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり、優生上の見地から「不良の子孫の出生を防止する」と定める優生保護法の目的にも背馳するという。しかしながら、実子あっせんそれ自体は同法の予定する指定医師の業務ではありえないし、上告人の取り扱ったケースはすべて同法ではもはや妊娠中絶の許されない時期にある胎児に関するものであるから、右行為は右優生保護法の予定する目的には何ら反するものでないことが明らかである。右判示を推し進めると、同法の目的を達成するため、中絶時期を過ぎた胎児も、出産させないで中絶せよという短絡的な発想となってしまうおそれがある。
(六) 上告人は、医師法等には違反する結果とはなったが、優生保護法の目的や定めに反する行為をしたことはない。中絶の時期を逸した妊婦に対し、胎児の生命を救い、かつ、母性の健康を保護するために出産を勧めたのであり、同法一四条一項各号の要件に反して出産させたわけではない。
(七) 以上のように原判決は、公益の解釈、ひいては「公益に適合しない事情」の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
第二点 原判決には、行政における公正手続の保障の法理の解釈適用をあやまり、かつ、証拠に基づかないで事実を認定した違法があり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、行政手続においては、何人も告知、弁明の機会を与えられることなく不利益な処分を受けることはない。これはいわゆる行政における公正手続の保障の原理である(憲法一三条、三一条)。本件取消処分は、指定医師の有する重要な法的利益ないし資格を剥奪するものであるから、その誤りなきを期するため、事前に被指定者に対して告知した上、十分事情を聴取すべきであり、被指定者としても事前に当該処分手続において当然弁明、立証する機会を与えられなければならない(最高裁判所昭和四六年一〇月二八日判決民集二五巻七号一〇三七頁、東京高裁昭和四〇年九月一六日判決行判集一六巻九号一五八五頁参照)。特に現在司法審査の範囲を裁量の踰越、濫用の著しい場合にのみ限定しようとする判例の傾向からみると、行政における裁量権の公正、適切な行使を期待するためにも、この原理は極めて重要な役割をもち、その手続もますます厳格なものであることが要求される。
二、ところで、原判決は、本件取消処分の手続に右のような公正手続の保障の原理の適用があることを前提とした上で、
(1) 本件においては、事前に事情聴取や弁明の機会を与える手続をとらなかったこと。
(2) しかし、上告人は国会や日本母性保護医協会において直接実子あっせん行為に関する実情や意見を開陳し、著書、新聞等によりその考え方を公表するとともに、これが問責に対する弁明をなしてきたこと(この点は第二審判決によって附加されたもの)。
(3) 医師会の審議会の構成員は、上告人の意見や弁明について十分了知、検討した上で本件取消処分をしたこと(前同)。
(4) 本件取消処分に対する不服申立後に上告人に対し不服審査委員会において弁明の機会が与えられていること。
を認定した上、処分手続のなかで直接弁明する機会を与えられなかったとはいえ、公正手続保障の原理に反するところはないものと判示した。
三、まず前項(2)の認定のうち、上告人が問責に対する弁明をなしてきたとの点について検討するに、本件においては処分前にこのような弁明をなしてきたことは認めるに足りる証拠はなく(従って、この部分は証拠に基づかない事実の認定である。)、かつ、理論上不利益処分につき事前に全く告知のない段階において上告人が「問責に対する弁明」をなす余地のありえないことからみて、右判示は既にこの点において理由齟齬の違法をおかしている。
さらに前項(3)の点について検討するに、被上告人医師会は第一審において「指定審査委員会の答申と被上告人自身で収集した資料に基づいて、本件取消処分をした」旨主張したのみで、全くこの点の立証をしていないのであるからこれを肯認できる証拠はなく、ましてや審議会の構成員が上告人の意見や弁明について十分了知、検討した事実を認めるに足りる証拠も全くないのであるから、原判決は証拠に基づかないで事実を認定した違法がある。
四、上告人が国会や日母においてなした意見の開陳、著書等による公表は、本件取消処分の告知のなされる以前において、主として自ら実行した実子あっせんおよびいわゆる実子特例法に関する自己の見解を述べたに過ぎないもので、その段階においては全く取消処分を予想しておらず、少なくとも指定医の指定の取消処分を前提とした意見弁明は述べていないし、また理論上述べる余地はありえなかったのである。しかも、右意見の開陳、公表は、本件処分手続外において、本件処分とは全く無関係になされた意見の表明に過ぎないものであった。
このように、不利益処分を全く予想しない(問題意識を異にする。)、不利益処分と全く無関係になされた個人的意見の表明(防衛方法とはなりえない)をもって問責に対する弁明であるとし、これをもって公正手続における弁明にあたるとした原判決の判断は、公正手続保障の法理の解釈をあやまったものである。
五、次いで、不利益処分に必要な聴問、弁明は、処分決定に先立つ事前手続でなされなければならない。事後的にいかに周到な手続をとろうとも、事前聴問の実質のない瑕疵を事後の不服審査手続において追完し、その瑕疵を治癒するわけにはいかない。従って、本件取消処分に対する不服申立後に不服審査委員会において弁明の機会が与えられたことをもって公正手続保障の要請が満たされたとした原判決の判断は、公正手続の保障の法理の解釈をあやまったものである。
第三 撤回の必要性および処分の選択に関する本件処分の判断は、社会通念上著しく不合理であって、裁量権の濫用があるにもかかわらず、これを肯認した原判決には行政事件訴訟法第三〇条の解釈をあやまった違法がある。
一、原判決は、「本件取消処分の直接の理由は、前記罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというのであるが、その実質的な理由は、前記一四の(3)(上告人が開業以来昭和四八年四月までの一五年間に約一〇〇例以上の赤ちゃんあっせんを行ってきたという事実)ないし(8)に示されていると理解され、結局上告人が指定医師として人格面でその適格性を欠くに至ったと………するものであると解される。」と判示している。
二、適格性の判定にあたり、処分理由として掲げられた事実のほか、行為に関する附随的事情をも考慮しうることは当然であるが、この場合考慮できる「附随的事情」とは、その行為の動機や背景事情を指すものであって、右処分の対象となった違法事実(刑事処分の対象となった事実)以外の事実(右に述べた一〇〇例の赤ちゃんあっせんの事実)のような、独立して処分の対象となる事実を含まないものである。もし独立して処分の対象となる事実をも考慮しうるとするときは、それらを含めて行政処分の対象としたことになり、その結果は極めて不当である。
三、前記の一の判示は、まさに考慮すべきでない事実が本件処分にあたり考慮されていることを容認したものであり、そうだとすると既に本件処分はこの点において、撤回の必要性、処分の選択に関し社会通念上著しく不合理なものであることが明らかである。
四、本件処分は、右のように考慮すべきでない事実を考慮した違法があるのみならず、考慮すべき事項を考慮しなかった違法が存する。すなわち、本件処分にあたっては、上告人の行為の動機、目的や上告人が世に訴えようとしている意図、その功績についても充分考慮すべきであるのに、これを考慮した形跡は全くうかがわれないのである。
五、考慮すべき上告人の行為の動機、目的は、原審において提出した第三準備書面第三、二、(三)、6記載のとおり、殺害される危険の大きい胎児の生命を一人でも多く守ろうとしたことにある。この点は、「胎児ないしは生まれ来る嬰児の生命を救おうという人道的動機と善意から本件の実子あっせんに出たのであるとの上告人の弁明はそのとおり受け取ってよいと考える。」という原判決の判断にもはっきりと示されている。
六、行為の動機が人道的であり、善意から出たものであるという事実は、本件のような不利益処分をするについては最大限に考慮されなければならないことである。このような立派な動機を肯定する以上、指定医として適格性を否定する公益上の必要はないし、処分の選択にあたっても罪一等を減じて一定期間の業務停止もしくは戒告で足りるとするのが社会通念である。
特に本件処分は、半永久的に指定医の資格を奪うような極刑であること、上告人の右行為は私利私欲のためになされたものでないこと、刑事処分も、上告人のなした複数の行為のうち、一事例だけを処分の対象とし、軽い罰金刑を略式命令により科したこと、法制審議会身分法部会は、昭和五七年九月から特別養子制度の検討を開始したが、世界の潮流に従うものとはいえ、これは主として上告人の提唱がきっかけとなったものであることなどの諸点を考慮するとき日本国民の一般的な感情からみると、本件処分は、不当に重いもので、裁量権の濫用と評価すべきものである。
上告人の上告理由
原判決は、判決の総括として、上告人の行為が公益に適合しないものであることを示すため、後記のような見解を示しているが、右説示は本件の如き特殊な事案について、証拠に基づいて充分検討された結果とは思えない、非論理的かつ皮相の見解であって、それは社会通念ないし経験則に著しく反するものであり、その結果理由不備の違法をおかしており、判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料するので、以下その理由を述べる。
一、判決は、「人工妊娠中絶の適期徒過後に控訴人を訪れる妊婦の多くが控訴人から施術を断られれば、自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害するに相違ないとする控訴人の判断は、それが何らかの経験と伝聞に基づくものであるとしても、客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するものとは言いがたいので、短絡的な思い込みないしは速断であると評さざるを得ない」という。
(一) 中絶を求められる対象は、通例母から望まれぬ子である。“望まれぬ子”とは“母子の縁”がつながることを望まれぬ子、すなわち、母が、“母子の縁”を断ちたい子を意味する。
母が望まぬ子と“母子の縁”を断つ方法は、生まれぬ前は人工中絶(子殺し)、また中絶の時期を逸して生んだあとでは“子捨て”“子殺し”以外にはないのである。すなわち、“望まぬ子”を受胎し中絶の時期を逸したため、生まねばならなくなった母に“子殺し”をさせないためには、安全な場所への“子捨て”を認めなければならない。控訴人の“実子あっせん”は、望まない子を妊娠し、中絶の時期を逸して生まねばならないのに、なおも“母子の縁”を断つことを狙う母に“子殺し”をさせないために菊田医院に捨子することを認め、その後、養親を探して家庭を与えたのである。
(二) 「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れ」“望まぬ子”と“母子の縁”を断つことを狙って人工中絶(実は医師の手による嬰児殺し)を求める妊婦が、控訴人から施術を断られた場合、直ちに“望まれぬ子”が“望まれた子”に変わるわけもなく、また“母子の縁”を断つ決意が直ちに“母子の縁”をつなぐ決意に変わるわけもないのである。したがって、控訴人に施術を断られれば「自ら、又は他の産科のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害する」確率が大であると考える控訴人の判断は「短絡的な思い込み、ないしは速断」ではない。
(三) 控訴人の判断が「客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するもの」であると主張する論拠を次に示そう。
元神戸市民病院長で産科医の中野理は、ある産科医に施術を断られても、結局はどこかの産科医で中絶を果たすことになることを、菊田昇著「天よ大空へ翔べ」(甲第二号証)の中で次のように述べている。
1 「妊娠中絶をたのみに来る婦人のなかには、いろいろの事情のためつい時期を逸して、七、八ケ月にもなってしまった身重の人もある。こんな人には、中絶してやったにしても産まれてくる子はほとんどが生きて産まれてくる。だから、どの医者だって、一応は正期のお産をすることをすすめるだろう。
しかしどうしても堕ろさなければ自殺するよりほかないというようなせっぱつまった立場に追い込まれている妊婦であったとしたら、甲医に断られれば乙医を訪ね、さらに丙医へ行くであろう。とどのつまりは、どこからか死産としての届けが出されるのが実態であろう。」(大阪新聞“コラム”欄、昭和四八、四、二〇)
2 次に人工妊娠中絶の適期徒過後に産科医に中絶を求め、施術を断られたあとで、自らの手で嬰児を殺害した実例を示す。(甲第二七号証)
「宮城県古川市で二三日、乗用車のトランクから赤ちゃんの死体が見つかり、事件の犯人は車の持ち主の同市、無職、阿部京子(二九)とわかり、古川署は同日夜、阿部を殺人、死体遺棄の疑いで緊急逮捕した。……
自供によると京子は、一月二四日午後九時半ごろ車で仙台に向かう途中陣痛が起き、車をわき道に入れて出産、泣き出した赤ちゃんの処置に困り車内にあった“ふろしき”で首をしめた。このあと死体は車のシートカバーにくるんでトランクに入れっ放しにしておいたという。
京子は四四年に結婚、仙台市に住み長男が産まれたが、四六年に離婚して実家に戻っていた。最近まで化粧品、生命保険のセールスをするかたわら、月に数回は仙台の実姉の経営するバーに手伝いに行っていた。妊娠に気づき中絶しようと京子は仙台市内の産婦人科を訪ねたが、臨月近くになりダメだったという。」(朝日新聞、宮城版、昭和五三、二、二八)
二、次に判決文は「仮に控訴人の判断に誤りがなく、実際に殺害に至ることが憂慮される場合には全力を挙げて翻意するよう説得すべきである。」という。
控訴人が「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れる妊婦の多くが、控訴人から施術を断られれば自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或いは嬰児を殺害するに相違ない。」と判断したことが、判決のいうように「短絡的な思い込み、ないしは速断である」なら、「控訴人の判断に誤りがない」はずはなく、「実際に殺害に至ることが憂慮される場合」もあるはずがなく、「全力をあげて翻意するよう説得すべき」ケースに会うこともないはずである。本判決が「仮に」と但し書きをつけながらも、右のような想定をおこなっていること自体が控訴人の主張が「短絡的な思い込みないしは速断」ではないことを示すものである。
三、次に判決文は、「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り、殺害に至るのを阻止することはできないというが、これも結局のところ、同じく短絡的な手段選択と安易な事態収束であるといわなければならない。」という。
(一) 中絶の適期徒過後になおも中絶を求める母の狙い(目的)は、“望まない子”と“親子の縁”を断ち生まないことにすることであり、中絶又は嬰児殺しで子の命を断つのは、その目的を果たすための手段に過ぎないのである。
これに対して判決文のいう「説得」とは現行法の枠内での解決、すなわち“親子の縁”をつなぐことを決定づけるよう説得することなのである。生まれる間近の子の命を断つという強行手段に訴えても“親子の縁”を断つ(生まないことにする)ことを狙っている母に、彼女の狙いとは逆に“親子の縁”をつなげることを決定づけるように説得し、それに成功することは至難であると控訴人が主張することは決して誇張ではないのである。このことはたとえて言えば、冷房器具を買いに来た客に暖房器具をすすめる店主に似ている。
(一) 「戸籍に入れる」ことが強制され、“望まぬ子”を生み養子に出したことが世間に知られる養子縁組では、嬰児殺し又は中絶は防止できないが、「戸籍に入れず」に縁組できる“実子あっせん”または“実子特例法”(政府の手で実子あっせんを行う法律)があれば、嬰児殺し又は中絶を減らせることは、欧米や日本の法学者の間ではすでに認められているのである。
1 ジャン・シャザルは、年若い母親が嬰児を捨てようとする(控訴人註、生んだ子を世間体は生まれなかったことにする)時は、たいてい出産の秘密がもれないことを望むものだから、もし堕胎や嬰児殺しが再び盛んにならないようにしようと思えば、……その望みをかなえてやらなければならない。……今日では児童福祉局が捨子受付所を開設している。」(ジャン・シャザル著、清水霧生訳「子供の権利」二五頁、白水社)と述べている。
2 中谷瑾子(慶大教授)は、「マリア・ルイーゼ・ルンゲという人が望まない子どもを生まないような状況ができれば(控訴人註、“実子あっせん”は生んでしまった子を生まないような状況にする行為である。)嬰児殺しは少なくなるだろうと言っております。」(佐々木保行編著、「日本の子殺しの研究」一六三頁、高文堂)と述べている。
3 中川高男(明学大教授)は、「菊田医師が主張されるように、事情があって妊娠中絶時期を過ぎてしまった女性は、この絶縁が認められ保証される限り、中絶と同じ状態になるため、無理な中絶や子捨て、子殺しをすることはなくなるだろう。」と述べている(甲第五七号証)。
4 カリフォルニア大学のヴィルツェ教授(社会福祉学)の言によれば、特別養子ができて以来、子殺しや悲惨な子捨てはなくなったとのことである。(婦人公論、昭和五〇年六月号、一九二頁)
5 江守五夫(千葉大教授)は、リンゼイ判事の“実子あっせん”事件について、「今日おこなわれている堕胎が未婚の母に対する社会的不名誉にある以上、堕胎から胎児の生命を守るためには、婚前に妊娠した娘の社会的な名誉を保証することが前提要件であった。つまり、完全な秘密のうちに娘を分娩させ、その子どもを養子にやるという手筈をととのえることしか胎児の生命を救う道がないと判断されたのである。……
菊田医師が『中絶手術をすれば、密殺に手を貸すことになる』と主張して赤ちゃんの斡旋をおこなったように、リンゼイもまた、胎児の殺戮か赤ちゃんの斡旋か、という二者択一の関係に直面して後者を選んだのである。」(江守五夫「現代の性解放論とリンゼイの思想、行動Ⅱ」、昭和四八年、十七号、一〇〇頁、小学館)と述べている(甲第三号証)。
四、次に判決文は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手であり、養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかであるから、双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続すべきである。」という。
(一) 「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手」であるかどうかについては疑問がある。日本国憲法は、男女平等の権利を保障しているが、未婚の父は子を入籍する義務はないが、未婚の母には入籍する義務が課せられているのである。また「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望」を「全くの得手勝手」としりぞければ、胎児が死の危機にさらされる。しかし、その希望を容認すれば胎児の生命が完全にまもられる。このような場合でも、やはり胎児の生命を見殺しにすべきなのであろうか。
(二) また判決は、「養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかである。」と述べたが、控訴人のケースは大部分が実親から事実上捨てられた子であり、婚外の養子なのである。日本社会がこのような不遇な子らに、いかに冷酷な目を向けるかを考慮しなければならない。この場合、第三者が貰い親の意向を「さして理由のあるものでない」と片付けることこそ短絡的というべきである。
(三) 判決は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべきである。」という。
しかし、「戸籍を汚したくないとする妊婦」は産科医に嬰児殺しを求めたのであって、「その不心得と非」について教えを請い、「自分の戸籍を汚す」結果を期待して産科医を訪れたわけではないのである。むしろ、「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続」されることを恐れて産科医を訪れたのである。通例、彼女らは医師の言葉に長い時間耳を傾けることなく、悄然として立ち去り、二度と現れない。つまり中絶を求めて産科医を訪れた妊婦に、その場で子殺しを断念させることに成功しなければ、胎児を救う機会は永遠に失われるものと考えなければならない。その意味では控訴人は待ったなしの一本勝負を強いられているのである。
彼女は「戸籍を汚すくらいなら、子を殺すことも辞さない」と決意したのである。彼女が狙っているのは、「戸籍を汚さない」ことで、「子を殺すこと」は手段にすぎない。「戸籍を汚すこと」を強制されるから子殺しをするのであって、戸籍に目をつぶれば子は救われるのである。つまり、従来、日本の法律が「戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべし」という姿勢を変えず、「この命を守ること」に努力を傾注し、継続しなかったことが、「子を殺したくない。戸籍に目をつぶって欲しい」と願った母に子殺しを強制してきたのである。
五、本判決は、「目的と手段の点を云々するのであれば、方便として妊婦を騙してでも出産までに至らせることも許されるのではないか。望まなかった子でも産んだ後は、何故あのように思ったのかと後悔する例が多いのはよく見聞きすることである。」という。
母は“望まない子”を受胎しても、「生む前は“望まない子”でも生んだ後では“望んだ子”に変わり、その変化が子殺しを行う前におこる」のなら日本に嬰児殺しはおこるはずもなく、嬰児殺し防止に狂奔した控訴人は狂人に違いないのである。しかし本判決のように太平楽を構えて大丈夫なのであろうか。
六、また判決は、「方便として妊婦の中絶(子殺し)の希望を翻意させるために“実子あっせん”を約束し、無事出産せしめたあとで“実子あっせん”の約束を撤回する方法もあったのではないか」という。
(一) この妊婦は、“未婚の母”という烙印を押されることを深く恐れ、あるいは“望まない子”を生まないため必死になって血路をひらこうとしているのである。そのような女性に土壇場になってから“実子あっせん”の約束を撤回して、逆に未婚の母となることを強制し、あるいは“望まない子”と“親子の縁”がつながることを強制し、彼女および彼女の家族に回復しがたい不利益を与えた場合、彼等は控訴人に対し終生変わらない憎悪の炎を燃やすことになろう。控訴人はこのようなかたちで多くの女性を不幸におとし入れ、その憎悪を一身に集め、平然としていられる神経は持ち合わせていないのである。
(二) また、もしも控訴人の「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り殺害に至るのを阻止することはできない」という主張が「短絡的な手段選択と安易な事態収束」であり、「双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続」することによって、嬰児殺し防止がほとんど成功を収めることができるという確信が判事にあるのなら、「方便として妊婦に“実子あっせん”をしてやると騙してでも出産までに至らせること」など考慮の余地はないはずである。判決文が「騙してでも」と述べることはやはり「“実子あっせん”をしてやる」と言わなければ「出産までに至らない」ケースが多いことを認めたことになろう。
七、次に判決は、「控訴人の手許にも実親子関係を証する記録を残していないというのである。その結果、将来その子が成長した暁において、実親を知りたいと望んでもこれを探知する手掛かりが全く得られなくなるわけであり、加えて血統を隠蔽し擬装することにより近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり」という。
(一) 世間体は“望まぬ子”を生まなかったことにするためには、子を殺害するもやむなしと決意した母に、子殺しを翻意させるための要件は、実母が「現在および将来にわたって、“望まない子”を生んだこと、その子を養子に出した事実をこの世から抹殺すること」なのである。そのためには、控訴人は実父母の記録を残してはならないのである。個人(控訴人)が実父母の秘密を将来共に守ることを保証するためには、これ以上の方法は考えられないのである。“実子特例法”が制定されれば、国家が秘密保持を保証するから記録を残すことを実父母は拒まないであろう。
(二) 控訴人が、将来おこり得べき「親を知る権利」「近親結婚」「優生学上の配慮」から実父母の記録を残すことに熱意を示し、実父母の名前、家族構成、住所などを根掘り葉掘り尋ねても、実母は真実を述べないことが多く、また述べても医師はそのことの真偽を確かめるすべを持たず、そのことがかえって彼女を不安におとし入れ、子を殺さないという決心を再び鈍らせる危険がある。
(三) 実母の出産の秘密を守ることが嬰児殺しを防止する要件で、そのためには出産の記録を残さない配慮を必要とするのである。現在、子が生死の境にあり、母の記録を残さないことによってこの命が確実に守られ、母の記録を残すことが母に子殺しを断念させる決意を鈍らせる場合、将来の問題「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」などのゆえに、記録を残すことに固執し、そのために子を見殺しにすることも止むなしといえるのであろうか。将来おこりうる問題をあれこれ考えて、今おこりつつあるこの危機に目をつむるべきであろうか。桃太郎を拾い上げた「おじいさん」「おばあさん」は、必死になって桃太郎を川からひきあげたのであり、数年後の「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」など、その時点では考慮する余地はなかったであろう。
八、また判決は、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺するな」と述べたが、日本国中が、本判決を含めて“望まぬ子”の生命軽視に耽溺する世相にあって、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺する」医師の稀少価値も認められるべきではないか。

++++公正証書不実記載罪のおさらい
+(公正証書原本不実記載等)
刑法第157条
1項 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
2項 公務員に対し虚偽の申立てをして、免状、鑑札又は旅券に不実の記載をさせた者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
3項 前2項の罪の未遂は、罰する。

(1) 公正証書原本不実記載罪・電磁的公正証書原本不実記録罪(1項)
ア 公正証書原本不実記載罪(前段)
「公正証書原本等不実記載罪」は,公務員に対し虚偽の申立をして,権利・義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせるという犯罪です。
(ア) 客 体
本罪の客体は,登記簿・戸籍簿その他の「権利・義務に関する公正証書の原本」です。
権利・義務に関する「公正証書」とは,公務員がその職務上作成する文書であって,権利・義務に関する事実を証明する効力を有するものをいいます(最判昭36・3・30)。
「権利・義務」は,財産上のものだけでなく,身分上のものも含みます。
不動産登記簿・商業登記簿・戸籍簿のほか,住民票などがこれにあたります(最判昭36・6・20)。
(イ) 行 為
本罪の行為は,公務員に対し「虚偽の申立て」をして,権利・義務に関する公正証書の原本に「不実の記載をさせる」ことです。
a 公務員に対する虚偽の申立て
(a) 公務員
意 義
ここでいう「公務員」は,登記官・公証人など,公正証書の原本に記載をする権限を有するものをいいます。
公務員は,記載すべき事項が不実であることを知らない者であることを要します
したがって,たとえば,登記官甲と私人乙が,共謀のうえ,土地登記簿の原本に,ある土地の所有権がAから乙に移転した旨の虚偽の記載をしたというときには,甲と乙に本罪(公正証書原本等不実記載罪)の共同正犯が成立することはありません。
※ この場合は,甲に156条の「虚偽公文書作成罪」が成立します。そして,乙も65条1項により同罪の適用を受け,両者は「虚偽公文書作成罪の共同正犯」ということになります(大判明44・4・27,大谷・山口など通説)。
なお,乙については,虚偽公文書作成罪の教唆犯または従犯とする見解(大塚),公正証書原本等不実記載罪にとどまるとする見解(西田)もあります。

公務員がたまたま気づいた場合①-「実質的審査権」を有するとき-
申立てを受けた公務員が,たまたまその事項の不実であることに気づいたのに公正証書に記載した場合において,当該公務員が申立てについての実質的審査権を有するときは,前条について述べたとおり,当該公務員には「虚偽公文書作成罪」が成立します。

そうすると,(共謀のない)申立人は,客観的には「虚偽公文書作成罪の教唆」をしたことになりますが,主観的には「公正証書原本不実記載罪の故意」であったということになります(抽象的事実の錯誤)。
この点については,発生した事実(虚偽公文書作成罪の教唆)と認識(公正証書原本不実記載罪の故意)との間に構成要件の範囲内で重なる部分があるとして,軽い「公正証書原本不実記載罪」の成立を認めるべきです(法定的符合説,通説)。

公務員がたまたま気づいた場合②-形式的審査権を有するにすぎないとき-
当該公務員が申立てについて形式的審査権を有するにすぎないときも,「その届出事項が明白に虚偽であることを知りながら,これを受理して記載したのであれば,当該公務員に虚偽公文書作成罪が成立する」との立場(前条参照)からすれば,同様に解してよいと考えられます(大谷など近時の有力説)。
※ これに対して,従来の通説は,前述のように,公務員に「形式的審査権」があるにすぎないときは,虚偽であることを知りながら文書を作成しただけでは,虚偽公文書作成罪は成立しないとします。それゆえ,この場合,当該公務員は罪責を負わず,申立人に「公正証書原本不実記載罪」が成立するにすぎないとされます(大塚)(錯誤の問題にはならないわけです)。

(b) 虚偽の申立て
「虚偽の申立て」とは,真実に反することを申し立てることです。
※ 客観的に真実に合致している事項であれば,虚偽と錯覚して申し立てたとしても,本罪を構成しないとされます(大判大5・1・27,大塚・大谷)。
以下のような行為が,これにあたるとされます。
① 他人所有の未登記不動産を,自己所有の不動産である旨を申し立てた場合
② 他人の印鑑を使用し,その土地を譲り受けたように装って,所有権移転登記を申請した場合(最決昭35・1・11)
③ 債務者が,債権者からの強制執行を免れる目的で,第三者と共謀し,自己の建物を第三者に移転したように装い,所有権移転登記を申請した場合
④ 他人を欺くため,当事者双方が合意して,仮装の債権・債務にもとづいて,虚偽の抵当権設定登記を申請した場合
⑤ 所有権移転の不動産登記について,その原因が贈与であるのに,売買による所有権移転であると申し立てた場合(大判大10・12・9)
⑥ 当事者双方に真実離婚する意思がないのに,外形上離婚したように装うため離婚届を提出した場合(大判大8・6・6)
⑦ 仮装の株式払込みにもとづいて,新株発行による変更登記を申請した場合(最決平3・2・28<アイデン架空増資事件>)

b 不実記載
「不実の記載」とは,存在しない事実を存在するものとし,存在する事実を存在しないものとして記載することをいいます。

イ 電磁的公正証書原本不実記録罪(後段)
本罪は,公務員に対し虚偽の申立てをして,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる「電磁的記録」に「不実の記録」をさせるという犯罪です。
客 体
本罪の客体は,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録です。
※ 「電磁的記録」とは,人の知覚によっては認識することができない方式(電子的方式・磁気的方式など)で作られる記録であって,電子計算機(コンピュータ)による情報処理の用に供されるものをいいます(7条の2)。
不動産登記簿ファイル,商業登記簿ファイル,戸籍簿ファイル,住民基本台帳ファイル,自動車登録ファイルなどが,これにあたります。

行 為
本罪の行為は,公務員に対し「虚偽の申立て」をして,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に「不実の記録をさせる」ことです。
「不実の記録」とは,事実に反する情報を入力して電磁的記録に記録することをいいます。

(2) 免状等不実記載罪(2項)
本罪は,公務員に対し虚偽の申立てをして,「免状・鑑札・旅券」に不実の記載をさせるという罪です。
・客 体
「免状」とは,一定の人に対し一定の行為をなす権能を付与する公務所・公務員の証明書をいいます(医師免許証・運転免許証など)。
「鑑札」とは,公務所の許可・登録の存在を証明するもので,交付を受けた者がその備付け・携帯を必要とするものをいいます(犬の鑑札など)。
「旅券」とは,旅券法に定める外国渡航の許可証をいいます(いわゆるパスポートです)。
・行 為
公務員に対し「虚偽の申立て」をして,免状等に「不実の記載をさせる」ことです。
なお,免状等の交付を受ける行為は,当然に本罪が予定するものですから,別途に犯罪(詐欺罪など)を構成しません。

~~~

エ 租税の減免と法律の根拠
租税の賦課は侵害行為なので法律の根拠が必要であり、かつ、租税法律主義を徹底する見地から、法律で定められた租税を賦課・徴収するかどうかについて行政機関に裁量はない!
→行政機関が独自の判断で租税を減免することは法律優位の原理から認められず、租税の減免には法律の根拠が必要となる!

まとめ
法律留保の問題
=法律がないときに、一定の行政活動を行えるか
法律優位の問題
=法律があるときに、一定の行政活動を行えるか


民法 気になる判例 ディーラー

+判例(S50.2.28)
■27000385
最高裁判所第二小法廷
昭和49年(オ)第1010号
昭和50年02月28日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
 上告代理人田中治の上告理由について。
 原審の適法に確定した事実は次のとおりである。
 上告人は自動車のデイーラーであり、訴外株式会社国際自動車整備工場(以下国際自動車と略称する。)は上告人のサブデイーラーであつて、両社は協力してユーザーに自動車の販売をしていたところ、ユーザーである被上告人は、昭和四三年八月三〇日国際自動車から上告人所有の本件自動車を買い受け、代金八二万円を完済してその引渡しを受けた上告人は、国際自動車と被上告人との間の右売買契約の履行に協力し、みずから被上告人のために車検手続、自動車税、自動車取得税等の納付手続及び車庫証明手続等を代行し、そのために自社のセールスマンを二、三度被上告人のもとに赴かせたりした。右売買の八日後である同年九月七日上告人は、国際自動車に本件自動車を、代金七一万一四二三円、その支払方法は同年同月一三日二〇万円、同月三〇日五万一五二三円、同年一〇月以降同四四年六月まで毎月各五万一一〇〇円を支払うこととする、右代金完済まで自動車の所有権は上告人に留保する、という約定で売却した。ところが、国際自動車が昭和四三年一一月より同四四年一月までの三か月分の右割賦金の支払を怠つたので、昭和四四年二月二四日頃上告人は、その支払を催告したうえ、国際自動車との間の右売買契約を解除し、留保していた所有権に基づき、被上告人に対して本件自動車の引渡しを求めるにいたつたのである。右事実によると、上告人は、デイーラーとして、サブデイーラーである国際自動車が本件自動車をユーザーである被上告人に販売するについては、前述のとおりその売買契約の履行に協力しておきながら、その後国際自動車との間で締結した本件自動車の所有権留保特約付売買について代金の完済を受けないからといつて、すでに代金を完済して自動車の引渡しを受けた被上告人に対し、留保された所有権に基づいてその引渡しを求めるものであり、右引渡請求は、本来上告人においてサブデイーラーである国際自動車に対してみずから負担すべき代金回収不能の危険をユーザーである被上告人に転嫁しようとするものであり、自己の利益のために代金を完済した被上告人に不測の損害を蒙らせるものであつて、権利の濫用として許されないものと解するを相当とする。
 以上のとおりであるから、右と同旨の原審の判断は正当として是認すべきであり、論旨は採用することができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 小川信雄 裁判官 吉田豊)

民事訴訟法 基礎演習 基準時後の形成権の行使


1.既判力の遮断効

・+(債務名義)
民事執行法第22条
1項 強制執行は、次に掲げるもの(以下「債務名義」という。)により行う
一  確定判決
二  仮執行の宣言を付した判決
三  抗告によらなければ不服を申し立てることができない裁判(確定しなければその効力を生じない裁判にあつては、確定したものに限る。)
四  仮執行の宣言を付した支払督促
四の二  訴訟費用若しくは和解の費用の負担の額を定める裁判所書記官の処分又は第42条第4項に規定する執行費用及び返還すべき金銭の額を定める裁判所書記官の処分(後者の処分にあつては、確定したものに限る。)
五  金銭の一定の額の支払又はその他の代替物若しくは有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について公証人が作成した公正証書で、債務者が直ちに強制執行に服する旨の陳述が記載されているもの(以下「執行証書」という。)
六  確定した執行判決のある外国裁判所の判決
六の二  確定した執行決定のある仲裁判断
七  確定判決と同一の効力を有するもの(第三号に掲げる裁判を除く。)

+(請求異議の訴え)
第35条
1項 債務名義(第22条第二号、第三号の二又は第四号に掲げる債務名義で確定前のものを除く。以下この項において同じ。)に係る請求権の存在又は内容について異議のある債務者は、その債務名義による強制執行の不許を求めるために、請求異議の訴えを提起することができる。裁判以外の債務名義の成立について異議のある債務者も、同様とする。
2項 確定判決についての異議の事由は、口頭弁論の終結後に生じたものに限る
3項 第33条第2項及び前条第2項の規定は、第1項の訴えについて準用する。

2.形成権の遮断
・基準時前に発生していた形成権を基準時後に行使して生じた実体的な権利変動(債務の消滅など)を後訴で提出することができるか?

+判例(S36.12.12)
理由
上告代理人平尾廉平の上告理由について。
書面によらない贈与(死因贈与を含む)を請求原因とする訴訟が係属した場合に当事者が民法五五〇条によるその取消権を行使することなくして事実審の口頭弁論が終結した結果、右贈与による権利の移転を認める判決があり同判決が確定したときは、訴訟法上既判力の効果として最早取消権を行使して贈与による権利の存否を争うことは許されなくなるものと解するを相当とする。
原判決の事実認定によれば、本件上告人を控訴人とし本件被上告人Aを被控訴人とする原判示津地方裁判所昭和三一年(レ)二三号不動産所有権保存登記抹消登記等請求控訴事件において本件物件が上告人の被相続人である訴外亡Bから被上告人Aに死因贈与せられたことが判決で認められ該判決は確定したところ上告人は、右死因贈与を書面によらないものとして、右確定判決後である昭和三三年八月一三日これを取消したというのである。してみれば、原判示のとおり訴外Bの死亡により相続人となつた上告人が右確定判決で認められた死因贈与を書面によらないものであることを理由としてなした右取消はその効力を生じないものといわねばならない。さすれば、判示確定判決によつて贈与の事実を認められた以上上告人に取消権を認めるべきでないとした原判示は結局相当である。
論旨後段は、判断遺脱等の違法をいうが、右のような贈与を認めた判決が確定した後は判決確定の一事をもつて贈与を取消すことはてきなくなると解すべきであるから、他に贈与の履行終了の如き取消しえない事由があるか否かは重ねて判示する必要はない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 河村又介 裁判官 高橋潔 裁判官 石坂修一 裁判官 五鬼上堅磐)

+判例(55.10.23)
■27000164
最高裁判所第一小法廷
昭和55年(オ)第589号
昭和55年10月23日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人大矢和徳の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らし、正当として是認することができる。論旨は違憲をいうが、その実質は、独自の見解に基づき前訴確定判決の既判力に関する原判決の解釈の不当をいうものにすぎず、また、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でなく、採用することができない。

同第二点について
売買契約による所有権の移転を請求原因とする所有権確認訴訟が係属した場合に、当事者が右売買契約の詐欺による取消権を行使することができたのにこれを行使しないで事実審の口頭弁論が終結され、右売買契約による所有権の移転を認める請求認容の判決があり同判決が確定したときは、もはやその後の訴訟において右取消権を行使して右売買契約により移転した所有権の存否を争うことは許されなくなるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審が適法に確定したところによれば、本件被上告人を原告とし本件上告人を被告とする原判示津簡易裁判所昭和四五年(ハ)第一五号事件において被上告人が上告人から本件売買契約により本件土地の所有権を取得したことを認めて被上告人の所有権確認請求を認容する判決があり、右判決が確定したにもかかわらず、上告人は、右売買契約は詐欺によるものであるとして、右判決確定後である昭和四九年八月二四日これを取り消した旨主張するが、前訴において上告人は、右取消権を行使し、その効果を主張することができたのにこれをしなかつたのであるから、本訴における上告人の上記主張は、前訴確定判決の既判力に抵触し許されないものといわざるをえない。したがつて、これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について
記録にあらわれた本件訴訟の経過に照らせば、原判決に所論審理不尽の違法があるとは認められない。論旨は、採用することができない。
同第四点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本山亨 裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

+理由
形成原因が訴えの目的である請求権じたいに付着する瑕疵であること
取消権については取消しよりも重大な瑕疵である無効事由の遮断との権衡がとれないこと

3.各種の形成権
(1)取消権
(2)解除権
+判例(大阪高判52.3.30)

(3)相殺権
遮断効否定
←相殺権は訴求債権に付着する瑕疵ではなく、訴求債権とは別個の債権を防御方法として主張し、併せて審判の対象とするものであるから、相殺権の行使については他の形成権以上に被告の決断の自由を尊重すべき!

+判例(S40.4.20)
理由
上告代理人下川好孝の上告理由第一点について。
所論は、原判決の条理、社会通念無視、採証法則違反、理由不備、審理不尽等の違法を縷説するが、記録に当つて検討しても、所論のような違法は原審に存しない。
所論(二)に掲げる当裁判所の判例は事案に適切でないし、所論(三)において指摘する原審の履行不能の判断は正当であり、この点に理由不備をいう所論は独自の見解として採用できない。
その余の所論は、ひつきょう原審の専権たる証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰着し、すべて採用できない。

同第二点の(一)について。
所論指摘の原審判断は正当であつて、この点に関し、相殺は当事者双方の債務が相殺適状に達した時において当然その効力を生ずるものではなくて、その一方が相手方に対し相殺の意思表示をすることによつてその効力を生ずるものであるから、当該債務名義たる判決の口頭弁論終結前には相殺適状にあるにすぎない場合、口頭弁論の終結後に至つてはじめて相殺の意思表示がなされたことにより債務消滅を原因として異議を主張するのは民訴法五四五条二項の適用上許されるとする大審院民事連合部明治四三年一一月二六日判決(民録一六輯七六四頁)の判旨は、当裁判所もこれを改める必要を認めない。
従つて、右連合部判決によつて変更される以前の大審院判例を掲げて原判決の違法をいう所論は採用できない。
また、所論(4)掲記の当裁判所の判例は、事案が本件に適切でないから、同判例違反をいう論旨も採用できない。

同第二点の(二)について。
所論は、原判決につき弁護士法二五条一号ないし三号および五号違反の点を云々するが、同条五号違反の事実関係の主張は、原審においてなされていないと認められるから、同号違反の論旨は採用の限りでない。
そこで、同条一号ないし三号違背の論旨について判断する。本訴において被上告人が主張し、原審が確定した事実関係は、左のとおりである。すなわち、被上告人と内縁関係にあつた訴外Aは、昭和三〇年八月頃被上告人に対し同人の旅館経営上必要な本件土地一一四坪をその所有者訴外Bから無償譲与を受けその所有権を被上告人に移転することを約諾したが、右約旨が履行されないうちに訴外Aと被上告人との内縁関係は解消されることになり、同年一二月二八日両者間に、被上告人は同訴外人に一〇〇万円を贈与することとし、うち五〇万円は即日、残金五〇万円は昭和三一年一月末日までに支払う旨を含む内縁解消に関する契約が締結され、それと同時に未だ履行されていなかつた前示約諾の趣旨を同訴外人においてすみやかに履行することの確約がなされた。被上告人は、右即日五〇万円の支払をしたが、残金五〇万円の支払を遅滞していたところ、訴外Aは、前記契約により被上告人に対して有する債権一切を昭和三三年三月一四日上告人に譲渡し、その頃被上告人に対しその旨の通知をした。その後、上告人は、被上告人を相手どつて右譲受の贈与金債権残額五〇万円の請求訴訟を提起し、同訴訟は上告人の勝訴に確定した。その確定判決が被上告人の本件請求異議訴訟の対象たる債務名義であり、被上告人は、訴外Aがその責に帰すべき事由により本件土地一一四坪の被上告人に対する前示約定の給付義務を履行不能にしたことによる損害賠償債権をもつて相殺を主張し、これを請求異議の原因としているのである。
これに対し、上告人は、訴外Aと被上告人との間の内縁解消に関する前示契約は同訴外人が弁護士Cに調停申立を依頼し該調停によつて成立したものであり、これに関する契約証書も同弁護士の手によつて作成されたものであるから、同弁護士が被上告人の依頼を受けてその訴訟代理人として本訴提起および第一審の訴訟行為をしたことは、弁護士法二五条の前各号の規定に違反し無効である旨を主張するのである。しかし、右述のとおり、本件請求異議は被上告人の上告人に対する訴として提起されているものであり、一方上告人の主張自体から明らかなように、C弁護士が前示調停に関する依頼を受けたのは上告人からではなく訴外Aからであり、その作成にたずさわつた前記契約証書も同訴外人と被上告人間のものであつて、同弁護士は、本件の相手方たる上告人から協議を受けた事実も、協議を受けて賛助し若しくは依頼を受諾した事実もないから、同法条一、二号に触れる余地はなく、また、訴外Aから受任した右調停事件はすでに終了し、現に受任している事件にはあたらないから、その相手方たる被上告人より本件の依頼を受けて訴訟行為をしたからといつて、同条三号に牴触するいわれはない。従つて、右C弁護士の所論訴訟行為を有効とした原審判断の違法をいう論旨は、ひつきょう判決に影響を及ぼさないことをいうに帰着し採用できない。

同第二点の(三)について。
所論指摘の点につき、一般に債権譲渡の通知前に譲渡人に対し反対債権を有し、かつそれが相殺適状にある限りは、右譲渡通知後においても、債務者は右債権を自動債権として、債権を譲り受けた新債権者に対し相殺をもつて対抗することができるとした原審の判断は、正当であり、この点の原審判断に理由不備その他の違法があるとする所論は、独自の見解として採用できない。
同第二点の(四)について。
所論は、民法五五〇条但書に「履行ノ終ハリタル」とは不動産贈与の場合には対抗要件たる所有権移転登記手続をも了することであると主張するが、不動産の贈与にあつてはその引渡により履行が終つたというべきで登記手続を経なければ履行が終つたといえないものでないとした原審の判断は、正当であり(当裁判所昭和二七年(オ)第四八〇号同二九年七月六日第三小判決、裁判集民事一五号三九頁、昭和二九年(オ)第一九五号同三一年一月二七日第二小判決、民集一〇巻一号一頁参照)、この点の法令解釈の誤りをいう所論は、独自の見解であつて採用できない。

同第二点の(五)について。
所論は、原審が弁論更新の手続を怠り、民訴法一八七条二項に違反するというが、記録を検するに、所論裁判官交代後の第七回口頭弁論期日において当事者によつて従前の口頭弁論の結果の陳述がなされていることが同期日の調書の記載上明白であるから、同所論は採用の限りでない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

(4)建物買取請求権

+(建物買取請求権)
第13条
1項 借地権の存続期間が満了した場合において、契約の更新がないときは、借地権者は、借地権設定者に対し、建物その他借地権者が権原により土地に附属させた物を時価で買い取るべきことを請求することができる。
2項 前項の場合において、建物が借地権の存続期間が満了する前に借地権設定者の承諾を得ないで残存期間を超えて存続すべきものとして新たに築造されたものであるときは、裁判所は、借地権設定者の請求により、代金の全部又は一部の支払につき相当の期限を許与することができる。
3項 前二項の規定は、借地権の存続期間が満了した場合における転借地権者と借地権設定者との間について準用する。

・遮断効を否定
建物買取請求権は建物収去土地明渡請求権に付着した瑕疵ではなく、別個独立した権利であり、行使を認めることで借地人さらには建物の保護にもなるし、被告が原告主張の借地権不存在又は消滅を争う時に予備的抗弁として建物買取請求権の行使を要求することは負担になることを理由とする

+判例(H7.12.15)
理由
上告代理人林正明の上告理由一について
借地上に建物を所有する土地の賃借人が、賃貸人から提起された建物収去土地明渡請求訴訟の事実審口頭弁論終結時までに借地法四条二頃所定の建物買取請求権を行使しないまま、賃貸人の右請求を認容する判決がされ、同判決が確定した場合であっても、賃借人は、その後に建物買取請求権を行使した上、賃貸人に対して右確定判決による強制執行の不許を求める請求異議の訴えを提起し、建物買取請求権行使の効果を異議の事由として主張することができるものと解するのが相当である。
けだし、(1)建物買買請求権は、前訴確定判決によって確定された賃貸人の建物収去土地明渡請求権の発生原因に内在する瑕疵に基づく権利とは異なり、これとは別個の制度目的及び原因に基づいて発生する権利であって、賃借人がこれを行使することにより建物の所有権が法律上当然に賃貸人に移転し、その結果として賃借人の建物収去義務が消滅するに至るのである、(2)したがって、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上、その事実は同権利の消滅事由に当たるものではなく(最高裁昭和五二年(オ)第二六八号同五二年六月二〇日第二小法廷判決・裁判集民事一二一号六三頁)、訴訟法上も、前訴確定判決の既判力によって同権利の主張が遮断されることはないと解すべきものである、(3)そうすると、賃借人が前訴の事実訴口頭弁論終結時以後に建物買取請求権を行使したときは、それによって前訴確定判決により確定された賃借人の建物収去義務が消滅し、前訴確定判決はその限度で執行力を失うから、建物買取請求権行使の効果は、民事執行法三五条二項所定の口頭弁論の終結後に生じた異議の事由に該当するものというべきであるからである。これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない
同二について
原審の適法に確定した事実関係の下において、被上告会社が本件各建物買取請求権を放棄したものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

++解説
《解  説》
一 本件は、建物収去土地明渡請求訴訟(前訴)の事実審口頭弁論終結後に建物買取請求権を行使して、その効果を前訴の請求を認容した確定判決に対する請求異議の事由として主張することができるかという問題すなわち確定判決の既判力の遮断効と基準時後の形成権行使の効果という法律問題が争われた事案である。具体的には、期間満了による賃貸借契約の終了を理由として、土地の賃貸人の賃借人に対する建物収去土地明渡請求(前訴)を認容する判決が確定した後に、賃借人が、借地法四条二項の規定に基づく建物買取請求権を行使して、その効果を右の確定判決に対する請求異議の事由として主張した場合に、これが民執法三五条二項にいう「口頭弁論の終結後に生じた異議の事由」となるか、という点が争われたものである。
建物買取請求権が行使されると、法律上当然に建物の売買契約が成立して建物は賃貸人の所有となり、賃貸人は建物の売買代金を支払う義務が生じ、建物収去土地明渡を命じた確定判決の執行力は、建物退去土地明渡を超える限度において失効するものと解されている。そこで、建物買取請求権行使の効果が請求異議の事由となることを認める肯定説に立つと、請求異議訴訟において、賃借人が建物代金の支払と建物退去土地明渡執行との同時履行を主張し、かつ、民事執行法三六条による執行停止の申立てをした場合には、これがいずれも認められる可能性が高いため、賃貸人は直ちには建物退去土地明渡の執行に着手することができない事態の発生が予想される。これに対し、否定説に立つと、建物買取請求権行使の効果を請求異議の事由として主張すること自体が主張自体失当ということになり、賃貸人は直ちに執行に着手することができるため、肯定説と否定説のいずれを採用するかは、賃貸人と賃借人の利害に大きくかかわる問題ということになる。

二 本件の一審及び原審とも、肯定説を採用した上、建物及び土地の明渡しが既に完了している本件においては、前訴の確定判決の執行力は、建物収去土地明渡を命じた部分において失効し、賃料相当損害金の支払を命じた部分の一部のみが残存していると判断して、原告らの請求を一部認容した。そこで、被告である賃貸人が上告を提起した。
本判決も、要旨次のとおり判示して、肯定説に立つことを明らかにし、原判決を維持して、賃貸人からの上告を棄却した。
建物買取請求権は、前訴確定判決によって確定された賃貸人の建物収去土地明渡請求権の発生原因に内在する瑕疵に基づく権利とは異なり、これとは別個の制度目的及び原因に基づいて発生する権利であって、賃借人がこれを行使することにより建物の所有権が法律上当然に賃貸人に移転し、その結果として賃借人の建物収去義務が消滅するに至る。したがって、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上、その事実は同権利の消滅事由に当たるものではなく、訴訟法上も、前訴確定判決の既判力によって同権利の主張が遮断されることはない。そうすると、賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時以後に建物買取請求権を行使したときは、それによって前訴確定判決により確定された賃借人の建物収去義務が消滅し、前訴確定判決はその限度で執行力を失うから、建物買取請求権行使の効果は、民事執行法三五条二項所定の口頭弁論の終結後に生じた異議の事由に該当するものというべきである。」

三 賃借人が前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったときは、確定判決の既判力の遮断効により、建物買取請求権自体が消滅するのか否かという実体法上の問題については、本判決が引用する最二小判昭52・6・20裁判集民一二一号六三頁が、前訴の事実審口頭弁論終結時までに建物買取請求権を行使しなかったとしても、実体法上建物買取請求権は消滅しない旨を判示している。しかしながら、右判例の射程距離はその範囲に止まるものであり、本件の争点である執行法上の問題についてまでは、その射程距離が及ぶものではない。
そこで、建物買取請求権が実体法上は消滅しないとしても、基準時後に建物買取請求権を行使したことを請求異議の事由(民執法三五条二項にいう「口頭弁論の終結後に生じた事由」)として主張し、強制執行の不許を求めることができるかという執行法上の問題については、下級審裁判例及び学説において、肯定説と否定説との見解の対立があり、最高裁判決による解決が待たれていたところである。
取消権のように前訴の訴訟物である請求権自体に内在付着する瑕疵に係る権利については、前訴確定判決によって請求権の存在が確定した以上、既判力の遮断効により、後日その取消権を行使して請求権の存否を争うことは許されないと解するのが相当であり、最一小判昭55・10・23民集三四巻五号七四七頁、本誌四二七号七七頁が、「売買を請求原因とする所有権確認の判決が確定したのちは、後訴において詐欺を理由に右売買を取り消して所有権の存否を争うことは許されない。」旨を判示して、取消権行使の効果を請求異議の事由とすることはできないものとしている。これに対し、相殺権は、前訴の訴訟物である請求権自体に内在付着する瑕疵に係る権利とはいえず、自己の別個独立の債権の消滅という不利益を伴うものであって、これを行使するか否かは債権者の自由であり、前訴において当然なすべき防御方法とはいえないことなどから、取消権とは異なり、請求異議の事由となることを肯定するのが相当であって、最二小判昭40・4・2民集一九巻三号五三九頁、本誌一七八号一〇一頁は、「債務名義たる判決の基礎となる口頭弁論の終結前に相殺適状にあったとしても、右弁論終結後になされた相殺の意思表示により債務が消滅した場合には、右債務の消滅は、請求異議の原因となりうる。」旨を判示して、相殺権行使の効果が請求異議の事由となることを肯定している。
本件で問題となった建物買取請求権は、取消権や相殺権と同じ形成権ではあるが、前訴の確定判決で確定された土地明渡請求権とは別個の独立した権利であって、建物の所有権を賃貸人に移転するという犠牲を伴うものであることなどに照らすと、相殺権に近い性質を有するものと考えられる。本判決も、右のような点にかんがみて、建物買取請求権について相殺権と同様の処理をしたものと考えられる。
本判決は、取消権と相殺権の間のグレイゾーンにある建物買取請求権行使の効果が請求異議事由となることを肯定した初めての最高裁判決であり、実務に与える影響は大きいものと思われる。

(5)白地手形補充権
・既判力により遮断される
+判例(S57.3.30)

■27000093
最高裁判所第三小法廷
昭和54年(オ)第110号
昭和57年03月30日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人宮川典夫、同新井宏明の上告理由について
手形の所持人が、手形要件の一部を欠いたいわゆる白地手形に基づいて手形金請求の訴え(以下「前訴」という。)を提起したところ、右手形要件の欠缺を理由として請求棄却の判決を受け、右判決が確定するに至つたのち、その者が右白地部分を補充した手形に基づいて再度前訴の被告に対し手形金請求の訴え(以下「後訴」という。)を提起した場合においては、前訴と後訴とはその目的である権利または法律関係の存否を異にするものではないといわなければならない。そして、手形の所持人において、前訴の事実審の最終の口頭弁論期日以前既に白地補充権を有しており、これを行使したうえ手形金の請求をすることができたにもかかわらず右期日までにこれを行使しなかつた場合には、右期日ののちに該手形の白地部分を補充しこれに基づき後訴を提起して手形上の権利の存在を主張することは、特段の事情の存在が認められない限り前訴判決の既判力によつて遮断され、許されないものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、原審が適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、本件被上告人を被告として本訴請求にかかる約束手形の振出日欄白地のまま手形上の権利の存在を主張して手形金請求の訴え(手形訴訟)を提起し、該訴訟(前訴)は横浜地方裁判所昭和四九年(手ワ)第二二五号事件として係属した、(2) 同裁判所は、昭和五〇年一月二一日、該約束手形の振出日欄は白地であるから、上告人が右手形によつて手形上の権利を行使することはできないとして、上告人の請求を棄却する旨の判決を言渡した、(3) 上告人は右手形判決に対し異議を申し立てたが、右異議審においても白地部分を補充しないまま昭和五〇年三月一三日同人の訴訟代理人弁護士が右異議を取り下げ、同年四月一四日被上告人がこれに同意して右手形判決は確定した、(4) 上告人は、右判決確定後に前記白地部分を補充した本件手形に基づき昭和五一年七月一七日本訴(後訴)を提起した、(5) 上告人において右前訴の最終の口頭弁論期日までに白地部分を補充したうえで判決を求めることができなかつたような特段の事情の存在は認められない、というのである。右事実関係のもとでは、上告人が、本訴において該手形につき手形上の権利の存在を主張することは、前訴確定判決の既判力により遮断され、もはや許されないものといわざるをえない。したがつて、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に照らせば、原判決に所論釈明権不行使、審理不尽の違法があるとは認められない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)


民事訴訟法 基礎演習 文書提出命令


1.はじめに

・+(書証の申出)
第219条
書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。

・+(文書提出義務)
第220条  
次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
一  当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
二  挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
三  文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
四  前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
イ 文書の所持者又は文書の所持者と第196条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
ロ 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
ハ 第197条第1項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
ニ 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書

+第197条  
1項 次に掲げる場合には、証人は、証言を拒むことができる。
一  第191条第1項の場合
二  医師、歯科医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、弁護人、公証人、宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が職務上知り得た事実で黙秘すべきものについて尋問を受ける場合
三  技術又は職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合
2項 前項の規定は、証人が黙秘の義務を免除された場合には、適用しない。

・証拠申出の採否は裁判所の訴訟指揮の1つとして、裁判所の裁量にゆだねられる事項であり、その裁判について独立の不服申立ては認められないのが判例通説である。
文書提出命令の申立ての決定については、即時抗告による不服申立てが認められているが(223条7項)、証拠調べの必要性ののみを理由とする即時抗告は認められない!

+判例(H12.3.10)
理由
抗告代理人井上俊治、同松葉知幸、同小野範夫、同水間頼孝の抗告理由第一について
【要旨一】証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立てを却下する決定に対しては、右必要性があることを理由として独立に不服の申立てをすることはできないと解するのが相当である。論旨は採用することができない。
同第二について
一 記録によれば、主文第一項の文書に係る本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案の請求は、大阪地方裁判所平成四年(ワ)第八一七八号事件判決別紙電話機目録記載の電話機器類(以下「本件機器」という。)を購入し利用している抗告人らが、本件機器にしばしば通話不能になる瑕疵があるなどと主張して、相手方に対し、不法行為等に基づく損害賠償を請求するものである。
2 本件は、抗告人らが、本件機器の瑕疵を立証するためであるとして、本件機器の回路図及び信号流れ図(以下「本件文書」という。)につき文書提出命令の申立てをした事件であり、相手方は、本件文書は民訴法二二〇条四号ロ所定の「第百九十七条第一項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書」及び同号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるとして、本件文書につき文書提出の義務を負わないと主張した。

二 原審は、本件文書は、本件機器を製造したメーカーが持つノウハウなどの技術上の情報が記載されたものであって、これが明らかにされると右メーカーが著しく不利益を受けることが予想されるから、民訴法二二〇条四号ロ所定の文書に当たり、また、本件文書は、本件機器のメーカーがこれを製造するために作成し、外部の者に見せることは全く予定せず専ら当該メーカー、相手方及びその関連会社の利用に供するための文書であるから、同号ハ所定の文書にも当たり、相手方は本件文書を提出すべき義務を負わないとして、本件文書提出命令の申立てを却下した。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 【要旨二】民訴法一九七条一項三号所定の「技術又は職業の秘密」とは、その事項が公開されると、当該技術の有する社会的価値が下落しこれによる活動が困難になるもの又は当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいうと解するのが相当である。
本件において、相手方は、本件文書が公表されると本件機器のメーカーが著しい不利益を受けると主張するが、本件文書に本件機器のメーカーが有する技術上の情報が記載されているとしても、相手方は、情報の種類、性質及び開示することによる不利益の具体的内容を主張しておらず、原決定も、これらを具体的に認定していない。したがって、本件文書に右技術上の情報が記載されていることから直ちにこれが「技術又は職業の秘密」を記載した文書に当たるということはできない
2 ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるということは、当審の判例とするところである(平成一一年(許)第二号同年一一月一二日第二小法廷決定・民集五三巻八号登載予定)。
これを本件についてみると、原決定は、本件文書が外部の者に見せることを全く予定せずに作成されたものであることから直ちにこれが民訴法二二〇条四号ハ所定の文書に当たると判断しており、その具体的内容に照らし、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生じるおそれがあるかどうかについて具体的に判断していない。
四 以上によれば、本件文書に関する原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は裁判の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原決定中、本件文書に係る部分は破棄を免れない。そして、右に説示したところに従い更に審理を尽くさせるため、右部分について本件を原審に差し戻すのが相当である。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

++解説
《解  説》
一 本件の本案訴訟は、親子電話装置(本件機器)を購入し利用している原告らが、本件機器にしばしば通話不能になる瑕疵があるなどと主張して、被告に対し、債務不履行等に基づく損害賠償を請求する事案である。被告は、本件機器の売主は被告ではない、本件機器に瑕疵はないなどと主張する。一審判決は、被告の主張をいれ、原告らの請求を棄却した。原告らが控訴し、控訴審において、原告らが本件文書提出命令の申立てをした。

二 本件文書提出命令の申立ての対象である文書は、被告とその取次店との取次店契約書、本件機器の回路図及び信号流れ図(本件文書)などである。原審は、右取次店契約書は証拠調べの必要性を欠き、本件文書は民訴法二二〇条四号ロ及びハの文書に当たるから被告に文書提出義務がないなどとして、本件文書提出命令の申立てを却下した。原告から抗告許可申立てがあり、抗告が許可された。抗告許可申立ての理由は、右取次店契約書は本件機器の売主が被告であることを立証するために必要な文書であって証拠調べの必要性がある、本件文書は公表されることにより本件機器のメーカーが不利益を受けることはなく四号ロ及びハの文書に当たらない、というものである。

三 本決定は、右取次店契約書については、証拠調べの必要性を欠くことを理由として文書提出命令の申立てを却下する決定に対しては右必要性があることを理由として独立に不服の申立てをすることはできないとして、抗告を却下した。また、本件文書については、民訴法一九七条一項三号所定の「技術又は職業の秘密」とは「その事項が公開されると、当該技術の有する社会的価値が下落しこれによる活動が困難になるもの又は当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいう」と判示した上、原決定には本件文書が提出されることにより被告が被る不利益の具体的内容を認定していない違法があるとした。民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の意義については、最高裁判例(平成一一年(許)第二号・最二小決平11・11・12民集五三巻八号登載予定)を引用し、原決定には、本件文書の開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生じるおそれがあるかどうかについて具体的に判断していない違法があるとした。そして、本決定は、原決定中本件文書に係る部分を破棄し原審に差し戻した。

四 文書提出義務がないことを理由とする文書提出命令の却下決定に対しては、民訴法二二三条四項により即時抗告をすることができるが、証拠調べの必要性がないことを理由とする却下決定に対しては、右のような規定はない。一般に、証拠の採否は受訴裁判所の専権に属するものであって、民訴法二二三条四項は「文書提出義務の有無」に限り即時抗告を認めたものと解されるから、証拠調べの必要性がないことを理由に文書提出命令の申立てを却下した決定に対しては、原則に戻り、独立の不服申立てはできないとする解釈がこれまでの通説及び下級審裁判例の大勢であった。許可抗告制度のない旧民訴法の下においては、この法理を示した最高裁判例はなく、本決定は、最高裁がこの法理を初めて判示したものである。

五 民訴法二二〇条四号ロは、同法一九七条一項二号に規定する事実又は同項三号に規定する事項で黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書は同号所定の文書提出義務から除外される旨を規定する。今回の民訴法改正において、一九六条以下の証言拒絶権に関する規定も一部改正されたが、本件で問題となる「技術又は職業の秘密」については、旧民訴法二八一条一項三号をそのまま平仮名化したもので、その解釈について旧法と現行法との間に連続性がある。旧民訴法二八一条一項三号に規定する「技術又ハ職業ノ秘密」の意義について、通説は、単に秘密保持者が主観的に秘密扱いしているというだけでは足りず、「技術の秘密」とは、これが公開されると技術の有する社会的価値が下落し当該技術に依存する活動が不可能あるいは困難になるものをいい、「職業ノ秘密」とは、これが公開されると当該職業に深刻な影響を与え以後の職業の維持遂行が不可能あるいは困難になるものをいうと解しており、下級審の裁判例もほぼ同様に解していた。旧民訴法二八一条一項三号についての右解釈は、これと連続性を有する現行民訴法一九七条一項三号における「技術又は職業の秘密」についても妥当するということができ、本決定は、この点について最高裁判所が従来の学説裁判例と基本的に同様の理解に立つことを初めて判示したものである。本決定は、右法理を示した上、文書提出義務の有無を判断する裁判所が、文書の提出により所持者等が被る不利益を具体的に審理判断すべきことを判示し、原決定の審理判断は不十分であるとしてこれを破棄したものであって、文書提出命令の許否に関して下級審が審理すべき内容につきその指針を示すものである。

六 民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の意義については、近時、本判決の引用する最高裁判例により最高裁の判断が示されている。本決定は、四号ハの文書に当たるかどうかについても、原審の審理判断が不十分であるとしており、示唆に富むものである。
七 本決定は、最高裁が文書提出命令に関する基本的法理を初めて判示したものであり、実務に与える影響も大きいといえよう。

2.文書提出命令の概要

(書証の申出)
第219条
書証の申出は、文書を提出し、又は文書の所持者にその提出を命ずることを申し立ててしなければならない。

(文書提出義務)
第220条
次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
一  当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
二  挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
三  文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき
四  前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
イ 文書の所持者又は文書の所持者と第百九十六条各号に掲げる関係を有する者についての同条に規定する事項が記載されている文書
ロ 公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの
ハ 第百九十七条第一項第二号に規定する事実又は同項第三号に規定する事項で、黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書
ニ 専ら文書の所持者の利用に供するための文書(国又は地方公共団体が所持する文書にあっては、公務員が組織的に用いるものを除く。)
ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書

(文書提出命令の申立て)
第221条
1項 文書提出命令の申立ては、次に掲げる事項を明らかにしてしなければならない。
一  文書の表示
二  文書の趣旨
三  文書の所持者
四  証明すべき事実
五  文書の提出義務の原因
2項 前条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立ては、書証の申出を文書提出命令の申立てによってする必要がある場合でなければ、することができない。

(文書の特定のための手続)
第222条
1項 文書提出命令の申立てをする場合において、前条第一項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることが著しく困難であるときは、その申立ての時においては、これらの事項に代えて、文書の所持者がその申立てに係る文書を識別することができる事項を明らかにすれば足りる。この場合においては、裁判所に対し、文書の所持者に当該文書についての同項第一号又は第二号に掲げる事項を明らかにすることを求めるよう申し出なければならない。
2項 前項の規定による申出があったときは、裁判所は、文書提出命令の申立てに理由がないことが明らかな場合を除き、文書の所持者に対し、同項後段の事項を明らかにすることを求めることができる。

(文書提出命令等)
第223条
1項 裁判所は、文書提出命令の申立てを理由があると認めるときは、決定で、文書の所持者に対し、その提出を命ずる。この場合において、文書に取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分があるときは、その部分を除いて、提出を命ずることができる。
2項 裁判所は、第三者に対して文書の提出を命じようとする場合には、その第三者を審尋しなければならない。
3項 裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について第二百二十条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないことが明らかなときを除き、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、当該監督官庁(衆議院又は参議院の議員の職務上の秘密に関する文書についてはその院、内閣総理大臣その他の国務大臣の職務上の秘密に関する文書については内閣。以下この条において同じ。)の意見を聴かなければならない。この場合において、当該監督官庁は、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を示さなければならない。
4項 前項の場合において、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命ずることができる。
一 国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ
二 犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ
5  第三項前段の場合において、当該監督官庁は、当該文書の所持者以外の第三者の技術又は職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について意見を述べようとするときは、第二百二十条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べようとするときを除き、あらかじめ、当該第三者の意見を聴くものとする。
6  裁判所は、文書提出命令の申立てに係る文書が第二百二十条第四号イからニまでに掲げる文書のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができる。この場合においては、何人も、その提示された文書の開示を求めることができない。
7  文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる

(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第224条
1項 当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる
2  当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3  前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる。

3.社内文書に関する自己使用文書性をめぐる判例法理

+判例(H11.11.12)
理由
抗告代理人海老原元彦、同広田寿徳、同竹内洋、同馬瀬隆之、同谷健太郎、同田路至弘の抗告理由について
一 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案訴訟(東京高等裁判所平成九年(ネ)第五九九八号損害賠償請求事件)は、亡Bが抗告人から六億五〇〇〇万円の融資を受け、右資金で大和証券株式会社を通じて株式等の有価証券取引を行ったところ、多額の損害を被ったとして、Bの承継人である相手方が、抗告人の九段坂上支店長は、Bの経済状態からすれば貸付金の利息は有価証券取引から生ずる利益から支払う以外にないことを知りながら、過剰な融資を実行したもので、これは金融機関が顧客に対して負っている安全配慮義務に違反する行為であると主張して、抗告人に対し、損害賠償を求めるものである
2 本件は、相手方が、有価証券取引によって貸付金の利息を上回る利益を上げることができるとの前提で抗告人の貸出しの稟議が行われたこと等を証明するためであるとして、抗告人が所持する原決定別紙文書目録記載の貸出稟議書及び本部認可書(以下、これらを一括して「本件文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件であり、相手方は、本件文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当し、また、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。

二 本件申立てにつき、原審は、銀行の貸出業務に関して作成される稟議書や認可書は、民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらず、その他、同号に基づく文書提出義務を否定すべき事由は認められないから、その余の点について判断するまでもなく、本件申立てには理由があるとして、抗告人に対し、本件文書の提出を命じた。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 【要旨第一】ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するのが相当である。

2 これを本件についてみるに、記録によれば、銀行の貸出稟議書とは、支店長等の決裁限度を超える規模、内容の融資案件について、本部の決裁を求めるために作成されるものであって、通常は、融資の相手方、融資金額、資金使途、担保・保証、返済方法といった融資の内容に加え、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見などが記載され、それを受けて審査を行った本部の担当者、次長、部長など所定の決裁権者が当該貸出しを認めるか否かについて表明した意見が記載される文書であること、本件文書は、貸出稟議書及びこれと一体を成す本部認可書であって、いずれも抗告人がBに対する融資を決定する意思を形成する過程で、右のような点を確認、検討、審査するために作成されたものであることが明らかである。

3 右に述べた文書作成の目的や記載内容等からすると、銀行の貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されているものである。したがって、【要旨第二】貸出稟議書は、専ら銀行内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると銀行内部における自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものとして、特段の事情がない限り、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきである。そして、本件文書は、前記のとおり、右のような貸出稟議書及びこれと一体を成す本部認可書であり、本件において特段の事情の存在はうかがわれないから、いずれも「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるというべきであり、本件文書につき、抗告人に対し民訴法二二〇条四号に基づく提出義務を認めることはできない。

四 また、本件文書が、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解される以上、民訴法二二〇条三号後段の文書に該当しないことはいうまでもないところである。
五 以上によれば、原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が裁判の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、相手方の本件申立ては理由がないので、これを却下することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 福田博 裁判官 河合伸一 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)

++解説
《解  説》
一 本決定は、新民事訴訟法施行後、許可抗告制度の下で文書提出命令につき最高裁が判断を示した初めての決定であるとともに、学説、下級審の決定例が分かれていた銀行の貸出稟議書の提出義務について判断が示された決定である。
二 事案の概要
基本事件は、Y銀行から融資を受けて証券取引に投資をした結果、多額の損失を被ったXが、顧客に対する安全配慮義務違反があったとして、Yに対して損害賠償を求める事件であり(Xは証券会社に対しても損害賠償請求をしている。)、Xは、貸出稟議の内容を立証するためであるとして、Yの貸出稟議書について文書提出命令を申し立てた。Xは、本件文書は民訴法二二〇条三号後段の法律関係文書に該当し、また、四号ハの文書(これを「自己利用文書」と呼ぶ。)に当たらない文書であると主張した。
原決定(金判一〇五八号三頁、金法一五三八号七二頁)は、銀行の貸出稟議書は、(a)組織体の基本的な公式文書であること、(b)銀行法に基づく内閣総理大臣の検査の対象となること、(c)銀行が証拠として提出することもあることなどの理由を挙げて、本件文書は自己利用文書に当たらないとして、二二〇条四号による提出義務を認め、申立てを認容した。
これに対して、Yが抗告許可の申立てをしたのが本件事件である。本決定は、決定要旨一、二のとおりに判示し、特段の事情の存在がうかがわれない本件では、本件文書は自己利用文書に当たるとして、四号による提出義務を否定するとともに、自己利用文書に当たる以上、三号後段の法律関係文書に該当しないとして、原決定を破棄し、申立てを却下したのである。

三 本決定が解決した問題と未解決の問題
文書提出命令の対象となる文書の拡充は、今回の民訴法改正の主要な改正事項の一つであったが、現在の条文に至った経過は単純ではない。旧民訴法三一二条は、提出義務の対象となる文書を限定列挙し、同条一号ないし三号所定の事由のある文書に限って提出義務を負うものとしていたが(限定義務)、昭和四〇年代ころから、現代型紛争事件(公害、医療、環境、製造物責任)、労働事件、行政事件など、証拠が構造的に偏在している訴訟が増加するにつれ、当事者の実質的対等を確保するために、同条三号の利益文書、法律関係文書の範囲を解釈によって拡大しようとする様々な決定例、学説が現れ、その解釈が区々に分かれていたことから、今回の民訴法の改正においてこの問題を立法的に解決することが期待されたのである。今回の改正作業は、各界に広く意見照会をしつつ行われたのであるが、文書提出義務については、(ア)文書提出義務を一般義務化する案と、(イ)列挙主義を維持しつつ提出義務の範囲を拡張しようとする案のいずれを選択するかについて各界の意見が鋭く対立し、「民事訴訟手続に関する改正要綱」の作成段階で一種の折衷案ともいうべき現行の二二〇条の基になる案が登場し、最終的にこれに一本化されたのである(周知のように、その後の国会における修正によって公務文書については改正が先送りにされた。)。このように、現行の二二〇条は一種の妥協の産物として登場したため、同条の解釈をめぐって、立法直後から学説の対立が続いている状況にある。
学説の対立点は、(1) 二二〇条四号の新設によって、一号ないし三号(特に三号)の意味内容は、旧法三一二条一号ないし三号のそれと変わるのか、変わらないのか、(2) 四号ハの自己利用文書の意義とその判断基準、(3) (2)のあてはめの問題として、銀行の貸出稟議書が自己利用文書に該当するか、(4) 一号ないし三号と四号は、補充的な関係にあるのか、選択的な関係にあるのか(判断順序の問題)などであった(論点の網羅的な摘示につき、平野哲郎「新民事訴訟法二二〇条をめぐる論点の整理と考察」本誌一〇〇四号四三頁参照)。
本決定はこれらの問題のうち、(2)と(3)について明示的に判断を示し、(4)の問題についても、明示的ではないものの回答を示したが、(1)の問題については判断を示さなかったのである。以下、各点について説明する。

四 四号ハの自己利用文書について(判示事項一について)
二二〇条四号は、文書提出義務の一般義務化を認めた規定であり、除外文書として、証言拒絶事由と同様の事由がある文書(イ、ロ)と、自己利用文書(ハ)を置いている。
自己利用文書が除外文書とされた立法趣旨につき、立法担当者は、このような文書についてまで提出義務を負うものとすると文書の作成者の自由な活動を妨げるおそれがあるし、文書の所持者が著しい不利益を受けるおそれがあるとしており(法務省民事局参事官室編・一問一答新民事訴訟法二五一頁)、学説が、(a)自然人や団体の内心領域についての沈黙の自由を確保し、内心領域の自由(意思形成過程の自由)を保護する趣旨(新堂幸司「貸出稟議書は文書提出命令の対象になるか」金法一五三八号一二頁)、(b)プライバシーの侵害を防いだり、将来提出を命じられることを慮って文書作成が不自由になることを防ぐ趣旨(原強「文書提出命令①―学者から見た文書提出義務」三宅ほか編・新民事訴訟法大系第三巻一三〇頁)、(c)個人についてはプライバシーの保護、法人については意思決定の過程なり討議の内容なりをみだりに公開されない自由を保護する趣旨(青山善充ほか「研究会 新民事訴訟法をめぐって(17)」ジュリ一一二五号一二二頁〔竹下守夫発言〕)と述べているところも、基本的に同趣旨と解されよう。
本決定はこのような立法趣旨にかんがみ、判示事項一につき、(1) ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、(2) 開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、(3) 特段の事情がない限り、当該文書は自己利用文書に当たる、との判断を示したものと思われる。
立法担当者は、自己利用文書かどうかは、「文書の記載内容や、それが作成され、現在の所持者が所持するに至った経緯・理由等の事情を総合考慮して、それがもっぱら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の関係のない者に見せることが予定されていない文書かどうかによって決まる」(法務省民事局参事官室・前掲二五二頁)と述べているところ、本決定が示した右(1)の判断はこれとほぼ同じであって、自己利用文書かどうかは、作成者の主観のみによるのではなく、文書の記載内容や作成経緯(法令上の作成義務があるかどうかも含む)等の諸事情を総合して判断するとの趣旨を示したものと思われる。
そして、本決定がこれに加えて(2)の限定を加えているところが注目される。これは、自己利用文書の範囲をさらに絞り込むことにより、文書提出義務を一般義務化し提出文書の範囲を拡大しようとした法改正の趣旨を実現することを所期したものと思われる。(2)の場合に当たるかどうかは、通常は(1)の検討を通じて類型的に判断することが可能であろうが、その判断が微妙であれば、イン・カメラ手続(二二三条三項)による審理が適当な場合もあろう。
なお、旧法下においては、いわゆる「自己使用文書」(所持者ないし作成者がもっぱら自己使用のために作成した文書)は法律関係文書に該当しないと解するのが、通説・決定例であった。「自己使用文書」はいわゆる共通文書でないものを法律関係文書から排除するために用いられる概念であるのに対し、自己利用文書は一般義務化された文書提出義務の除外事由であるから、両者は文言は類似しているが別の概念であるといわれている(伊藤眞「文書提出義務と自己使用文書の意義」法協一一四巻一二号一四五三頁ほか)。問題は両者の広狭である。旧法下において「自己使用文書」の判断基準について定説があったわけではないが、「作成者の主観によってではなく、(イ)文書作成の目的、(ロ)作成者・所持者の性格、(ハ)文書作成義務の有無、(ニ)文書の記載内容等の諸要素を勘案して客観的に認定されるべきである」との考え方が有力説であったと思われる(兼子=松浦=新堂=竹下・条解民事訴訟法一〇五九頁〔松浦馨〕ほか)。これと対比すると、本決定のいう自己利用文書は、前記(2)の「看過し難い不利益が生ずるおそれ」が意識的に求められている点において、右有力説のいう「自己使用文書」より限定的といえよう。
ところで、自己利用文書に該当するかどうかについては、所持者側の不利益の外に、訴訟における当該文書の証拠としての重要性、代替証拠の有無、当事者間の衡平、社会的見地から見た真実発見の重要性などの要素を加えた比較考量が必要であるとする説(比較考量説)が近時有力である(伊藤・前掲一四五三頁、新堂・前掲一三頁など)。本決定は、当該文書の性質と所持者側の不利益に着目しており、比較考量を基本とするものではないから、比較考量説とは一線を画していると解される。しかし、例外的に右のような要素を考慮した判断が可能かどうかは、本決定がいう「看過し難い不利益が生ずるおそれ」や「特段の事情」についての今後の解釈に委ねられた問題といえよう。いずれにしても、本決定は「特段の事情」の例を示していないので、「特段の事情」がどのような事情を指すのかは、今後の検討課題として残されたといえよう。

五 銀行の貸出稟議書について(判示事項二について)
貸出稟議書について、旧法下においては三号後段の法律関係文書に該当するかどうかが問題とされ、ほとんどの決定例は、「自己使用文書」ないし「内部文書」であって法律関係文書に当たらないとの理由でこれを否定していた。
また、立法担当者は、稟議書を自己利用文書の例として挙げ(法務省民事局参事官室・前掲二三一頁)、新法施行後も貸出稟議書について文書提出義務は生じないと考えていたものと思われる。
ところが、新法施行後、貸出稟議書は新法二二〇条三号後段の法律関係文書に当たるとして申立てを認容した上、傍論として、稟議書につき自己利用文書に該当すると解すべきでないと説示した東京高裁の決定が現れた(①東京高決平10・10・5本誌九八八号二八八頁、金法一五三〇号三九頁、金判一〇五三号三頁)。①決定が示した法律関係文書の理解は、ほとんど無限定の提出義務を認めるに等しいものであったが(新堂・前掲八頁、山本和彦「稟議書に対する文書提出命令(上)」NBL六六一号一〇頁などが批判する。)、①決定がその後の下級審実務に与えた影響は大きく、貸出稟議書につき申立てを認容した高裁決定が相次ぎ(②東京高決平10・11・24〔本件の原決定〕、③大阪高決平11・2・26金判一〇六五号三頁。③決定は、貸出稟議書は法律関係文書に当たる、そうでないとしても自己利用文書に該当しないとの理由で認容)、これらに追随する地裁の決定も見られた(札幌地決平11・6・10金判一〇七一号三頁、東京地決平11・7・5金判一〇七一号三頁)。
しかし、③決定以後に現れた高裁の決定は、いずれも貸出稟議書につき、法律関係文書に当たらず、かつ、自己利用文書に該当するとして申立てを却下するか、申立てを却下した原決定を維持している(④東京高決平11・4・16判時一六八八号一四〇頁、⑤福岡高決平11・6・23金法一五五七号七五頁、⑥東京高決平11・7・14金判一〇七二号三頁、⑦東京高決平11・8・10未公刊。ただし、⑧東京高決平11・9・8金判一〇七六号三頁〔④と同一裁判体〕は、信用金庫の会員代表訴訟〔株主代表訴訟の規定を準用した制度〕の場合は別異の判断が必要との理由で、申立てを却下した原決定を取り消してこれを原審に差し戻した。)。また、申立てを却下した地裁決定例も多く存在する(東京地決平10・6・30金法一五二六号六九頁〔①の原決定〕、福岡地決平11・3・15金法一五五七号七五頁〔⑤の原決定〕、東京地決平11・4・19金判一〇六六号一二頁、東京地決平11・6・10金判一〇六九号三頁〔⑥の原決定〕、東京地決平11・6・21金法一五五四号八六頁、東京地決平11・8・16金法一五五七号七五頁など)。これらの決定は、いずれも、法令上の作成義務がないこと、内部の意思決定のために作成されたものであることなどを理由としていたが、提出義務を肯定する決定例が挙げる理由を意識した詳細な理由を付する決定も散見された。このようにして、下級審実務は、原則として提出義務を否定する見解が大勢を占める方向へと収れんする気配を見せていたと思われる。
学説では、(1) 単に自己利用文書に該当すると述べる説(中野貞一郎・解説新民事訴訟法五三頁、高橋宏志・新民事訴訟法論考二〇五頁)、(2) 原則として自己利用文書に該当し、例外を認めるのは慎重でなければならないとする説(新堂・前掲一三頁など)、(3) 原則として自己利用文書に該当するが、他の利益との比較考量により判断され得るとする説(伊藤・前掲一四五五頁)、(4) いかなる場合であっても外部に出さないことが客観的に認定でき、かつ、それが規範的にも正当化される場合を除き、自己利用文書に該当しないとする説(山本・前掲(下)NBL六六二号三二頁)、(5) 自己利用文書に該当するとはいえないとする説(田原睦夫「文書提出義務の範囲と不提出の効果」ジュリ一〇九八号六四頁)などが存在した(学説については、並木茂「銀行の融資稟議書は文書提出命令の対象となるか(上)」金法一五六一号四四頁参照)。
このように決定・学説が分かれ、②、③決定に対する抗告が許可されたため、最高裁の判断が待たれていたところである(①決定に対する抗告は許可されなかった。)。
そして、本決定は、要旨「銀行において支店長等の決裁限度を超える規模、内容の融資案件について本部の決裁を求めるために作成され、融資の内容に加えて、銀行にとっての収益の見込み、融資の相手方の信用状況、融資の相手方に対する評価、融資についての担当者の意見、審査を行った決裁権者が表明した意見などが記載される文書である貸出稟議書は、特段の事情がない限り、自己利用文書に当たる。」との判断を示し、②決定を破棄したのである。本決定は、右のような貸出稟議書は、銀行内部において、融資案件についての意思形成を円滑、適切に行うために作成される文書であって、法令によってその作成が義務付けられたものでもなく、融資の是非の審査に当たって作成されるという文書の性質上、忌たんのない評価や意見も記載されることが予定されているものであるから、(1) 専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、(2) 開示されると銀行内部の自由な意見の表明に支障を来し銀行の自由な意思形成が阻害されるおそれがある、とその理由を述べている。
また、③の大阪高裁決定(基本事件は、変額保険に加入したことにより被った損害につき融資銀行の責任を追及する訴訟)も、最二小決平11・11・26(金判一〇八一号五四頁参照)によって、本決定と同様の理由で破棄され、文書提出命令の申立ては却下された。
本決定は、判示のような貸出稟議書は特段の事情のない限り自己利用文書に該当することを明らかにしたが、「特段の事情」がどのような事情を意味するのかについては、前述のとおり今後の検討課題であり、また、貸出稟議書以外の社内文書、株主代表訴訟における貸出稟議書などが自己利用文書に当たるといえるかどうかも、今後の問題である。ただし、本件の基本事件は銀行のいわゆる貸し手責任を追及する訴訟、③決定の基本事件は変額保険により被った損害につき銀行の責任を追及する訴訟であるところ、最高裁が各事件につき、特段の事情を簡単に否定しているところからすると、右のような類型の訴訟においては、よほどのことがない限り、特段の事情が認められる余地はないといえよう。
なお、本決定は、原決定が自己利用文書に当たらないとした個々の理由(前記二の(a)から(c))をいずれも排斥したものと思われるが、その理由は判文上は明らかにされていない。原決定の挙げる理由に対して、学説は、(a)の理由(組織体の基本的な公式文書であること)に対しては、組織内の重要な公式文書であればこそ、組織体の意思形成過程に関する沈黙の自由が尊重されるべきであるとの批判、(b)の理由(銀行法に基づく内閣総理大臣の検査の対象となること)に対しては、右検査は行政上の監督として行われるものであるし、担当官には守秘義務があり稟議書が公に開示されることはないのであるから、検査の対象となることが自己利用文書性を否定する理由にはならないとの批判、(c)の理由(銀行が稟議書を証拠として提出することもあること)に対しては、訴訟では立証の都合から個人が日記帳を証拠として提出することもあるが、だからといって日記帳に文書提出命令を発するということにはならない等の批判を寄せていたところである(鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を認めた事例」リマークス一九九九(下)一三六頁〔本件の原決定の評釈〕、新堂・前掲〔①決定の評釈〕、並木・前掲(下)金法一五六二号三六頁〔③決定の評釈〕など)。

六 一号ないし三号と四号の判断順序について
一号ないし三号と四号との関係については、(1) 一号ないし三号に該当しない場合に、はじめて四号該当性を検討すべきであるという、いわば予備的関係であるとする説(原・前掲一三一頁など)と、(2) どちらを先に検討してもかまわないという、いわば選択的関係にあるとする説(出水順「文書提出義務(二)―四号文書と証言拒絶権の関係」滝井ほか編・論点新民事訴訟法二六五頁、山下孝之「文書提出命令②―弁護士から見た文書提出義務」三宅ほか編・新民事訴訟法大系第三巻一五三頁など)があったが、本決定は、四号の判断を先行しその後三号後段の判断を行っているので、(2)説に立っていることは明らかである。本決定が(2)説を採った理由は明らかではないが、いずれの号で提出を認めるかで決定の効力に違いはないし、(2)説の方が実務的に便宜だからであろう。その場合、「前三号に掲げる場合のほか」との四号柱書きの文言は、「前三号に掲げる場合に当たらなくても」という程度に読むことになろう。

七 自己利用文書と三号後段の文書(法律関係文書)について
本決定は、「本件文書が自己利用文書に当たると解される以上、三号後段の文書に該当しないことはいうまでもない。」として、三号後段に当たるとの申立人の主張を簡単に退けているので、この記述をどのように読むかが問題になる。
前記三のとおり、二二〇条四号の新設によって、新法三号の意味内容は、旧法の三号と変わったのか、変わらないのかという問題があり、学説は、大きく分けて、(1) 旧法と同じと考える説(法務省民事局参事官室・前掲二五三頁、新堂・前掲一一頁、中野・前掲など)、(2) 旧法より狭くなり、四号イないしハのような除外事由が問題にならない文書に限られるとの説(前掲「研究会」ジュリ一一二五号一一八頁〔竹下守夫、青山善充発言〕、佐藤彰一「証拠収集」法時六八巻一一号一八、山本・前掲(上)NBL六六一号一〇頁ほか多数)に分かれる。しかし、いずれの説を採るにしても、本決定が明らかにした内容の自己利用文書に当たる文書が、新法三号後段の法律関係文書に当たることはあり得ないということができるから、本決定が、自己利用文書は三号後段の法律関係文書に当たらないとの結論を導く前提として、いずれの説を採っているのかは明らかではないといわざるを得ない。すなわち、本決定は、新法三号後段についてどのような解釈を採るのかを明らかにしたものではない。
ところで、三号と四号の判断順序は自由であり、かつ自己利用文書に該当すれば三号後段の文書に当たらないとすれば、当事者が提出義務の根拠として三号後段と四号を掲げた場合、(a) 自己利用文書に該当するとして四号該当性が否定されると、三号後段の該当性も否定されて申立ては却下され、(b) 逆に自己利用文書に該当しないとされると、他の除外事由がない限り、三号後段の該当性を問うまでもなく、申立ては認容されることになる。したがって、結果的に提出義務をめぐる判断の中心は四号に移ることになろう。

八 以上のとおり、本決定は、文書提出命令をめぐるいくつかの問題点を解決した極めて重要な決定であり、裁判実務及び金融実務に与える影響も大きいので、紹介する次第である。
なお、新法下の文書提出命令や貸出稟議書の文書提出義務について発表された論文は多数に上るが、文中の引用文献や並木・前掲(上)金法一五六一号四三頁の文献一覧表参照。その他、吉野正三郎「銀行の貸出稟議書と文書提出命令」銀法21五六九号五頁、大越徹=伊藤治「金融実務と文書提出命令制度」銀法21五六九号一三頁など。本決定に関しては、銀法21五七〇号七頁以下の加藤新太郎判事ほかによる評釈、中村直人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事一五四五号二二頁、山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九号六頁がある。

+判例(H12.12.14)
理由
抗告代理人村田光男の抗告理由について
一 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
1 本件の本案事件(東京地方裁判所八王子支部平成八年(ワ)第二三六九号損害賠償請求事件)は、抗告人の会員である相手方が、抗告人の理事であった者らに対し、理事としての善管注意義務ないし忠実義務に違反し、十分な担保を徴しないで原々決定別紙融資目録記載の各融資(以下「本件各融資」という。)を行い、抗告人に損害を与えたと主張して、信用金庫法(以下「法」という。)三九条において準用する商法二六七条に基づき、損害賠償を求める会員代表訴訟である。
2 本件は、相手方が、理事らの善管注意義務違反ないし忠実義務違反を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録記載の本件各融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書(以下、これらを一括して「本件各文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件であり、相手方は、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当し、また、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。

二 原々審は、本件各文書が民訴法二二〇条三号後段の文書に該当せず、同条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるとして、本件申立てを却下したが、原審は、次のとおり判断して、原々決定を取り消し、本件を原々審に差し戻した。
信用金庫が所持する稟議書は、本来対外的利用を予定していないものであるが、事務処理の経過と理事等の責任の所在を明らかにすることがその作成目的に含まれている以上、会員代表訴訟の訴訟資料として使用されることはその属性として内在的に予定されているということができるのであり、また、信用金庫自身が理事の責任追及の訴えを提起するときにはこれを証拠として利用することに特段制約があるとは考えられないのであるから、会員の代表訴訟の提起が正当なものである限り、信用金庫が右訴訟を提起した会員に対して稟議書が内部文書である旨主張することは許されない。したがって、本件申立てに対しては、本件各文書の訴訟資料としての必要性や重要性を検討して民訴法二二〇条各号の文書といえるか否かを判断すべきところ、原々決定は、これをせずに本件各文書の提出義務を否定して申立てを却下したものであるから、取消しを免れない。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
記録によれば、本件各文書は、抗告人が本件各融資を決定する過程で作成した貸出稟議書であることが認められるところ、信用金庫の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきであり(最高裁平成一一年(許)第二号同年一一月一二日第二小法廷決定・民集五三巻八号一七八七頁参照)、右にいう特段の事情とは、文書提出命令の申立人がその対象である貸出稟議書の利用関係において所持者である信用金庫と同一視することができる立場に立つ場合をいうものと解される。信用金庫の会員は、理事に対し、定款、会員名簿、総会議事録、理事会議事録、業務報告書、貸借対照表、損益計算書、剰余金処分案、損失処理案、附属明細書及び監査報告書の閲覧又は謄写を求めることができるが(法三六条四項、三七条九項)、会計の帳簿・書類の閲覧又は謄写を求めることはできないのであり、会員に対する信用金庫の書類の開示範囲は限定されている。そして、信用金庫の会員は、所定の要件を満たし所定の手続を経たときは、会員代表訴訟を提起することができるが(法三九条、商法二六七条)、会員代表訴訟は、会員が会員としての地位に基づいて理事の信用金庫に対する責任を追及することを許容するものにすぎず、会員として閲覧、謄写することができない書類を信用金庫と同一の立場で利用する地位を付与するものではないから、会員代表訴訟を提起した会員は、信用金庫が所持する文書の利用関係において信用金庫と同一視することができる立場に立つものではない。そうすると、【要旨】会員代表訴訟において会員から信用金庫の所持する貸出稟議書につき文書提出命令の申立てがされたからといって、特段の事情があるということはできないものと解するのが相当である。したがって、本件各文書は、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるというべきであり、本件各文書につき、抗告人に対し民訴法二二〇条四号に基づく提出義務を認めることはできない。また、本件各文書が、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解される以上、民訴法二二〇条三号後段の文書に該当しないことはいうまでもないところである。

四 以上によれば、原審の前記判断には、裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるというべきである。この趣旨をいう論旨は理由があり、原決定は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、相手方の本件申立てを却下した原々決定は正当であるから、これに対する相手方の抗告を棄却することとする。よって、裁判官町田顯の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官町田顯の反対意見は、次のとおりである。
私も、金融機関の貸出稟議書は、特段の事情がない限り民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するが、本件における貸出稟議書については、右の特段の事情があり、証拠としての必要性が認められる限り、抗告人は、文書提出義務を負うと解すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。
本件の本案事件は、抗告人の会員である相手方が、抗告人の理事であった者らに対し、本件各融資につき善管注意義務違反又は忠実義務違反があったとして、抗告人のため、損害賠償を求める会員代表訴訟である。
ところで、信用金庫は、会員の出資による協同組織の非営利法人であり(法一条)、会員は、当該信用金庫の営業地域内に住居所又は事業所を有する者(一定規模以上の事業者を除く。)及びその地域内において勤労に従事する者で、定款で定めるものに限られ(法一〇条)、加入及び持分の譲渡については信用金庫の承諾を要し(法一三条、一五条)、定款で定める事由に該当する場合には総会の議決によって除名されること(法一七条三項)、信用金庫は、預金等の受信業務は会員以外の者からも受け入れることができるが、貸出業務は原則として会員に対してのみ行うことができるものとされていること(法五三条)、会員は出資口数にかかわらず平等に一箇の議決権を有すること(法一二条)など、会員による人的結合体たる性格を帯有する。
そして、会員代表訴訟は、右のような性質を持つ会員が、信用金庫のため(法三九条、商法二六七条二項)、その任務を怠った理事の責任(法三五条)を追及することを目的とするものであるから、これらを全体としてみれば、信用金庫の会員代表訴訟は、協同組織体内部の監視、監督機能の発動であると解するのが相当である。
金融機関の貸出稟議書は、当該金融機関が貸出しを行うに当たり、組織体として、意思決定の適正を担保し、その責任の所在を明らかにすることを目的として作成されるものと解されるから、貸出稟議書は、貸出しに係る意思形成過程において重要な役割を果たすとともに、当該組織体内において、後に当該貸出しの適否が問題となり、その責任が問われる場合には、それを検証する基本的資料として利用されることが予定されているものというべきである。
信用金庫における会員代表訴訟の前記の性質と貸出稟議書の右のような役割よりすれば、信用金庫の貸出稟議書は、会員代表訴訟において利用されることが当然に予定されているものというべきであり、本件のように理事の貸出行為の適否が問題とされる信用金庫の会員代表訴訟においては、当該貸出しに係る貸出稟議書は、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらないと解すべき特段の事情があって、民訴法二二〇条四号の規定により、その所持者である抗告人に対し、提出を命ずることができるものと解すべきである。
もっとも、相手方は、本件各融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書の提出を求めるものであるところ、これらは本来外部に開示されることが予定されていないものであるから、その提出を命ずるに当たっては、当該訴訟の判断のため真に必要なものに限られるべきことは当然であって、受訴裁判所としては、証拠としての必要性について慎重な判断をしなければならない。
よって、これと同旨の原決定は正当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却すべきである。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎 裁判官 町田顯 裁判官 深澤武久)

++解説
《解  説》
 一 本件の本案事件は、S信用金庫の会員であるXが、S信用金庫の理事であったYらに対し、理事としての善管注意義務ないし忠実義務に違反し、十分な担保を徴しないで融資を行い、S信用金庫に損害を与えたと主張して、信用金庫法三九条において準用する商法二六七条に基づき、損害賠償を求める会員代表訴訟である。本件は、Xが、Yらの善管注意義務違反ないし忠実義務違反を証明するためであるとして、S信用金庫が所持する右融資に際して作成された一切の稟議書及びこれらに添付された意見書(以下「本件各文書」という。)について文書提出命令を申し立てた事件である。Xは、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の法律関係文書に該当し、また、同条四号ハの文書(これを「自己利用文書」と呼ぶ。)に当たらない文書であると主張した。
 二 原々審(金判一〇七六号七頁)は、本件各文書は民訴法二二〇条三号後段の文書に該当せず、同条四号ハ所定の自己利用文書に当たるとして、本件申立てを却下した。
 原審(金判一〇七六号三頁)は、(1)代表訴訟の提起が正当なものである限り、信用金庫が右訴訟を提起した会員に対して稟議書が内部文書であることを主張することはできないとの一般論を示した上、(2)証拠としての必要性や重要性を検討して民訴法二二〇条各号の文書に該当するかどうかを判断すべきであるとして、原々決定を取り消し、原々審に差し戻した。これに対して、S信用金庫が抗告許可の申立てをしたのが本件事件である。
 三 本決定は、最二小決平11・11・12民集五三巻八号一七八七頁を引用して「信用金庫の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民訴法二二〇条四号ハ所定の自己利用文書に当たる。」とした上、「会員代表訴訟において会員から信用金庫の所持する貸出稟議書につき文書提出命令の申立てがされたからといって、特段の事情があるということはできない。」と判示し、本件各文書は自己利用文書に当たるとして四号による提出義務を否定するとともに、自己利用文書に当たる以上、三号後段の法律関係文書に該当しないとして、原決定を破棄し、原々決定に対する抗告を棄却した。
 四 民訴法改正によって新設された二二〇条四号ハ所定の自己利用文書の意義については、周知のとおり、前掲最二小決平11・11・12が、「(1)ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、(2)開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、(3)特段の事情がない限り、当該文書は自己利用文書に当たる。」と判示し、「銀行の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、自己利用文書に当たる。」との判断を示した。そこで、右最決の後は、「特段の事情」が認められるのはどのような場合であるかという点に議論が集中している。この点については、(1)例外的な事例に備えて一種の決まり文句を置いたもの、(2)証拠としての重要性等各訴訟の個々的な事情を勘案する手掛りを残したもの、(3)株主代表訴訟等訴訟類型の差異を勘案する手掛りを残したもの等の解釈が示されている(山本和彦「銀行の貸出稟議書に対する文書提出命令」NBL六七九号六頁、加藤新太郎「銀行の貸出稟議書と自己使用文書」NBL六八二号七一頁、小林秀之・塩崎勤ほか「〈座談会〉稟議書を中心とした文書提出命令(上)」本誌一〇二七号四頁、小野憲一「時の判例」ジュリ一一八四号一二〇頁)。なかでも、株主代表訴訟において貸出稟議書の文書提出命令が申し立てられた場合については、(1)株主と法人とを同一視することはできず、代表訴訟においても法人の内心領域の自由(意思形成過程の自由)は保護されるべきであるとして、自己利用文書該当性を肯定する見解(中村直人「稟議書の文書提出義務に関する最高裁決定」商事一五四五号二六頁、河本一郎「株主代表訴訟と文書提出命令」銀法21五七三号一頁)と、(2)株主は、団体の内部者であるから、団体内部の訴訟である代表訴訟においては、会社の内心領域の自由(意思形成過程の自由)は保護されないとして、自己利用文書該当性を否定する見解(前掲山本和彦六頁、前掲小林秀之・塩崎勤ほか四頁、大村雅彦「銀行の貸出稟議書を対象とする文書提出命令の許否」ジュリ一一七九号一二三頁、塩崎勤・塚原朋一ほか「〈座談会〉新民訴法施行一年を振り返って」金法一五三八号二七頁、並木茂「銀行の融資稟議書は文書提出命令の対象となるか」金法一五六二号四四頁、鈴木正裕「銀行の稟議書に対して文書提出命令を命じた事例」リマークス一九九九下一三六頁)とが対立している。
 五 本決定は、代表訴訟において文書提出命令の申立てがされた本件のような事案では、文書提出命令の申立人がその対象である貸出稟議書の利用関係において所持者である信用金庫と同一視することができる立場にあるのであれば「特段の事情」が認められるという前提に立った上(本決定は、本件の事案を離れて「特段の事情」の一般的な意義を定義付けたものではないと考えられる。)、(1)信用金庫法は、会員に対して限定的に書類の閲覧・謄写を認めているにすぎず(貸出稟議書は、閲覧・謄写の対象外である。)、会員を信用金庫の秘密や内心領域の自由(意思形成過程の自由)等の保護が及ばない相手とはみていないこと、(2)会員代表訴訟は、会員が会員としての地位に基づいて理事の信用金庫に対する責任を追及することを認めるものにすぎず、右のような会員の文書利用上の地位に変化をもたらすものではないこと等にかんがみて、会員代表訴訟において文書提出命令の申立てがされたことをもって、貸出稟議書が自己利用文書に当たらない特段の事情があるということはできないと判断したものと考えられる。このような本決定の判断枠組みに立てば、株主代表訴訟において株主から貸出稟議書につき文書提出命令が申し立てられた場合には、本件と同様の結論となるものと思われる。また、本決定は、「特段の事情」の判断に当たり、証拠としての重要性、必要性等の要素を考慮していないから、前述のような、証拠としての重要性等各訴訟における個々的な事情を比較考量するという立場に立つものではないといえよう。なお、本決定には、町田裁判官の反対意見が付されている。
 本決定は、かねてから注目を集めていた代表訴訟における特段の事情の有無という論点について、最高裁としての初めての判断を示したものであり、実務に与える影響は小さくないと思われるので、紹介する。
+判例(H13.12.7)
理由 
 抗告代理人田中清、同井上朗、同柏木泰英、同末永京子、同馬場康吏、同田村雅嗣、同高橋正人の抗告理由について 
 1 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。 
 (1) 本件の本案訴訟のうち、2つの事件(大阪地方裁判所平成10年(ワ)第11490号貸金等請求事件及び平成11年(ワ)第9243号貸金等請求事件)は、経営が破たんした木津信用組合(以下「木津信」という。)の営業の全部を譲り受けた抗告人が、貸金債権、求償債権等に基づき、相手方株式会社福一不動産及び相手方Aに対し金員の支払等を求めたものである。また、その余の事件(同平成10年(ワ)第11520号債権者代位請求事件、同年(ワ)第11634号債権者代位請求事件、同年(ワ)第11654号損害賠償等請求事件)は、抗告人が、相手方福一不動産又は相手方Aの所有する不動産について、相手方株式会社寿住建、相手方B又は相手方Cに対し、前記各債権を被保全債権とする債権者代位権に基づき所有権移転登記手続等を求めたものである。 
 (2) 相手方らは、前記本案訴訟において、相手方A及び相手方福一不動産が木津信に対する貸金債務、求償債務等を本件土地の売却代金によって弁済しようとしたところ、木津信は、本件土地についてされた根抵当権設定登記等を抹消することを不当に拒絶して本件土地の売却を妨害し、また、相手方A及び相手方福一不動産に対し、貸付残高を雪だるま式に増大させた上、自己の利益を図る目的で、上記相手方両名の支払利息相当分の金額を新たに融資し、これを支払利息に充当する、いわゆる「利貸し」を行ったと主張し、これらの不法行為に基づく損害賠償請求権と抗告人の前記各債権とを対当額で相殺する旨の抗弁を主張した。 
 (3) 本件は、相手方らが、前記(2)の抗弁に係る事実等を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録一ないし四記載の各稟議書及び付属書類一切(以下、これらを一括して「本件文書」という。)につき文書提出命令を申し立てた事件である。相手方らは、本件文書は、貸出稟議書ではあるが、民事訴訟法(平成13年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)220条4号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない特段の事情があり、同号の文書に当たるなどと主張した。 
 2 原審は、本件文書は、その開示によって所持者である抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるとは認められないから、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらないと判断して、抗告人に対して本件文書の提出を命ずべきものとした。 
 3 本件文書は、木津信が相手方らへの融資を決定する過程で作成した稟議書とその付属書類であるところ、信用組合の貸出稟議書は、専ら信用組合内部の利用に供する目的で作成され、外部に開示することが予定されていない文書であって、開示されると信用組合内部における自由な意見の表明に支障を来し信用組合の自由な意思形成が阻害されたりするなど看過し難い不利益を生ずるおそれがあるものとして、特段の事情がない限り、民事訴訟法220条4号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解すべきである(最高裁平成11年(許)第2号同年11月12日第二小法廷決定・民集53巻8号1787頁参照)。 
 そこで、本件文書について、上記の特段の事情があるかどうかについて検討すると、記録により認められる事実関係等は、次のとおりである。 
 (1) 本件文書の所持者である抗告人は、預金保険法1条に定める目的を達成するために同法によって設立された預金保険機構から委託を受け、同機構に代わって、破たんした金融機関等からその資産を買い取り、その管理及び処分を行うことを主な業務とする株式会社である。 
 (2) 抗告人は、木津信の経営が破たんしたため、その営業の全部を譲り受けたことに伴い、木津信の貸付債権等に係る本件文書を所持するに至った。 
 (3) 本件文書の作成者である木津信は、営業の全部を抗告人に譲り渡し、清算中であって、将来においても、貸付業務等を自ら行うことはない。 
 (4) 抗告人は、前記のとおり、法律の規定に基づいて木津信の貸し付けた債権等の回収に当たっているものであって、本件文書の提出を命じられることにより、抗告人において、自由な意見の表明に支障を来しその自由な意思形成が阻害されるおそれがあるものとは考えられない。 
【要旨】上記の事実関係等の下では、本件文書につき、上記の特段の事情があることを肯定すべきである。このような結論を採ることによって、現に営業活動をしている金融機関において、作成時には専ら内部の利用に供する目的で作成された貸出稟議書が、いったん経営が破たんして抗告人による回収が行われることになったときには、開示される可能性があることを危ぐして、その文書による自由な意見の表明を控えたり、自由な意思形成が阻害されたりするおそれがないか、という点が問題となり得る。しかし、このような危ぐに基づく影響は、上記の結論を左右するに足りる程のものとは考えられない。所論引用の判例(最高裁平成11年(許)第35号同12年12月14日第一小法廷決定・民集54巻9号2709頁)は、本件とは事案を異にするものであり、その他原決定の違法をいう論旨は採用することができない。 
 4 以上のとおりであるから、本件文書の提出を命ずべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 
 (裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)
++解説
《解  説》
 一 本件は、信用組合が作成した貸出稟議書が平成一三年法律第九六号による改正前の民訴法二二〇条四号ハ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たるかどうかが問題となった事案である。
 二 本件の基本事件は、木津信用組合の経営の破綻により、木津信からその営業の全部を譲り受けたX(株式会社整理回収機構)が、木津信の貸付先等であるYらに対して貸金債権等の回収のために提起した事件である。これを争うYらから、Xが木津信から譲り受けて所持している木津信作成に係る貸出稟議書の提出命令を求める本件申立てがされ、原々審、原審とも、提出命令を発すべきものとした。
 Xの許可抗告申立ての理由は、原決定は最二小決平11・11・12民集五三巻八号一七八七頁、本誌一〇一七号一〇二頁及び最一小決平12・12・14民集五四巻九号二七〇九頁、本誌一〇五三号九五頁と相反する判断をしたものであり、上記各決定にいう「特段の事情」の解釈を誤り、ひいては民訴法二二〇条四号ハに規定する「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」の解釈を誤ったというものである。
 三 本決定は、まず、前掲最二小決平11・11・12を引用して、信用組合の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、民事訴訟法二二〇条四号ハ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解すべきであるとした上で、決定要旨記載のような本件の事実関係等の下では、本件文書につき、この特段の事情があることを肯定すべきであるとの判断をした。
 四 民訴法二二〇条四号ハ所定の自己利用文書の意義については、前掲最二小決平11・11・12が、「ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は、民訴法二二〇条四号ハ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たる」と判示し、「銀行の貸出稟議書は、特段の事情がない限り、『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たる。」としている。
 そこで、その後は、この「特段の事情」が認められるのはどのような場合であるかということが問題となった。前掲最一小決平12・12・14は、この「特段の事情」があるとはいえないとされた事例である。
 本決定が「特段の事情」の存在を肯定するに当たって考慮した要素は次のようなものである。
 1 文書の所持者の特殊性
 本件文書の所持者であるX(株式会社整理回収機構)は、「特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法」(いわゆる住専法)の規定する債務処理会社として、平成八年九月に、預金保険機構から金融安定化拠出基金のうちの一〇〇〇億円及び日銀からの拠出金一〇〇〇億円の合計二〇〇〇億円の出資を受けて、預金保険機構の一〇〇パーセント子会社として株式会社住宅金融債権管理機構の商号で設立された会社であったが、平成一一年四月に株式会社整理回収銀行を吸収合併するとともに、株式会社整理回収機構に商号を変更したものである。その代表者は、日弁連元会長であり、破たん金融機関等から債権を買い取り、その債権回収を行うことを主な業務としている。このように法律により特殊な任務を与えられている会社であって、株式会社の形態をとってはいるが、業務の内容は、公益にかかわるものである。すなわち、我が国における金融制度の安定化のため、破たん金融機関等の有する債権を買い取ることによって破たん処理を容易にさせるとともに、買取資金が国庫等から拠出された出資金によるものであるところから、買取債権の回収を図ることによって、国庫等の負担を軽減させようとする業務である。
 2 文書の作成者の特殊事情と文書の所持者交替の特殊性
 前掲最二小決平11・11・12が貸出稟議書について特段の事情のない限り提出義務はないとしたのは、法人内部の意思形成過程を保護するという点にポイントがあったと考えられるところ、それは当該法人の営業活動が継続していくことが前提となっていたと考えられる。
 本件においては、木津信は既に清算中であって、将来とも貸付業務等をする可能性はなくなっており、貸出稟議書に関して木津信の意思形成過程を保護すべき必要性は消滅していると考えられるそして、木津信からXへの債権譲渡は、通常の健全な金融機関の間における債権譲渡とは異なり、木津信の法的な破たん処理手続の中で行われたものであり、本件文書について、X自体の意思形成過程を問題とする余地もない
 3 本決定は、以上のような諸点を総合考慮して、前掲最二小決平11・11・12にいう「特段の事情」が存在すると判断したものである。本決定は、最高裁判所として初めてこの「特段の事情」を認めた事例として意味があるほか、この問題についての基本的な考え方を再確認するものとしても意義があると考えられる。
+判例(H18.2.17)
理由 
 抗告代理人小田木毅ほかの抗告理由について 
 1 記録によれば、本件の経緯等は次のとおりである。 
 本件の本案訴訟(横浜地方裁判所平成16年(ワ)第1459号貸金等請求事件)は、銀行である抗告人が、相手方らに対し、消費貸借契約及び連帯保証契約に基づき合計11億5644万円余の支払を求めるものである。 
 相手方らは、上記本案訴訟において、(1) 抗告人と相手方らとの取引(本件取引)は融資一体型変額保険に係る融資契約に基づく債務を旧債務とする準消費貸借契約であるところ、同融資契約は錯誤により無効である、(2) 仮に本件取引が消費貸借契約であったとしても、融資一体型変額保険に係る融資契約は錯誤により無効であり、同契約に関して相手方らが抗告人に支払った金員について、相手方らは不当利得返還請求権を有するので、同請求権と抗告人の本訴請求債権とを対当額で相殺すると主張して争っている。 
 本件は、相手方らが、融資一体型変額保険の勧誘を抗告人が保険会社と一体となって行っていた事実を証明するためであるとして、抗告人が所持する原々決定別紙文書目録(ただし、原決定により訂正されたもの)1ないし7記載の各文書(本件各文書)につき文書提出命令を申し立てた事件である。相手方らは、本件各文書は民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たらない同号の文書に該当すると主張した。 
 2 ある文書が、その作成目的、記載内容、これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯、その他の事情から判断して、専ら内部の者の利用に供する目的で作成され、外部の者に開示することが予定されていない文書であって、開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には、特段の事情がない限り、当該文書は民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」に当たると解するのが相当である(最高裁平成11年(許)第2号同年11月12日第二小法廷決定・民集53巻8号1787頁参照)。 
 これを本件各文書についてみると、記録によれば、本件各文書は、いずれも銀行である抗告人の営業関連部、個人金融部等の本部の担当部署から、各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって、その内容は、変額一時払終身保険に対する融資案件を推進するとの一般的な業務遂行上の指針を示し、あるいは、客観的な業務結果報告を記載したものであり、取引先の顧客の信用情報や抗告人の高度なノウハウに関する記載は含まれておらずその作成目的は、上記の業務遂行上の指針等を抗告人の各営業店長等に周知伝達することにあることが明らかである。 
 このような文書の作成目的や記載内容等からすると、本件各文書は、基本的には抗告人の内部の者の利用に供する目的で作成されたものということができるしかしながら、本件各文書は、抗告人の業務の執行に関する意思決定の内容等をその各営業店長等に周知伝達するために作成され、法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であって、抗告人の内部の意思が形成される過程で作成される文書ではなく、その開示により直ちに抗告人の自由な意思形成が阻害される性質のものではないさらに、本件各文書は、個人のプライバシーに関する情報や抗告人の営業秘密に関する事項が記載されているものでもない。そうすると、本件各文書が開示されることにより個人のプライバシーが侵害されたり抗告人の自由な意思形成が阻害されたりするなど、開示によって抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるということはできない。 
 3 以上のとおりであるから、本件各文書は、民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」には当たらないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。論旨は採用することができない。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 
 (裁判長裁判官 今井功 裁判官 滝井繁男 裁判官 津野修 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀)
++解説
《解  説》
 1 本件は,銀行の本部の担当部署から各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって一般的な業務遂行上の指針等が記載されたものが,民訴法220条4号ニ所定の「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(自己利用文書)に当たらないかどうかが問題となった事案である。
 本件の基本事件は,銀行である抗告人が,相手方らに対し,消費貸借契約及び連帯保証契約に基づき合計11億円余りの貸金及び連帯保証金の返還等を求めて提訴した事件であり,相手方らは,融資一体型変額保険に係る融資契約は錯誤により無効であるなどと主張して争い融資一体型変額保険の勧誘を抗告人が保険会社と一体となって行っていた事実を証明するためであるとして,抗告人が所持する社内通達文書の提出を求める本件申立てをした。申立ての対象となった7通の文書(本件各文書)は,いずれも銀行である抗告人の営業関連部,個人金融部等の本部の担当部署から,各営業店長等にあてて発出されたいわゆる社内通達文書であって,「一時払終身保険に対する融資案件の推進について」「対策例,推進の好事例」「変額一時払終身保険の取引先紹介に関わる生保会社からのメリット吸収について」などと題するものであり,その内容は,変額一時払終身保険に対する融資案件を推進するとの一般的な業務遂行上の指針を示し,あるいは,客観的な業務結果報告を記載したものであり,取引先の顧客の信用情報や銀行の高度なノウハウに関する記載は含まれておらず,その作成目的は上記の業務遂行上の指針等を銀行の各営業店長等に周知伝達するというものであった。なお,本件各文書は,抗告人が一方当事者になっている別件訴訟において相手方当事者から書証として提出されており,相手方ら代理人は,別件訴訟の記録等により本件各文書の特定をしたものとうかがわれる。
 原々審,原審とも,文書の提出を命ずべきものとした。抗告人から許可抗告の申立てがされたが,その理由は,原決定は,最二小決平11.11.12民集53巻8号1787頁,判タ1017号102頁(銀行の貸出禀議書についてのもの,平成11年決定)と相反する判断をし,民訴法220条4号ニの解釈を誤ったものであるというものである。
 2 本決定は,まず,この平成11年決定を引用して,「ある文書が,その作成目的,記載内容,これを現在の所持者が所持するに至るまでの経緯,その他の事情から判断して,専ら内部の者の利用に供する目的で作成され,外部の者に開示することが予定されていない文書であって,開示されると個人のプライバシーが侵害されたり個人ないし団体の自由な意思形成が阻害されたりするなど,開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあると認められる場合には,特段の事情がない限り,当該文書は民訴法220条4号ニ所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たると解するのが相当である。」と説示した。
 その上で,「文書の作成目的や記載内容等からすると,本件各文書は,基本的には抗告人の内部の者の利用に供する目的で作成されたものということができるが,本件各文書は,抗告人の業務の執行に関する意思決定の内容等をその各営業店長等に周知伝達するために作成され,法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であって,抗告人の内部の意思が形成される過程で作成される文書ではなく,その開示により直ちに抗告人の自由な意思形成が阻害される性質のものではないし,個人のプライバシーに関する情報や抗告人の営業秘密に関する事項が記載されているものでもないから,本件各文書が開示されることにより個人のプライバシーが侵害されたり抗告人の自由な意思形成が阻害されたりするなど,開示によって抗告人に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるということはできない。」として,民訴法220条4号ニ所定の文書には当たらず,文書の提出義務を肯定すべきものと判断した。
 3 平成11年決定は,自己利用文書に当たるというには,①専ら内部の者の利用に供する目的で作成され,外部の者に開示することが予定されていない文書であり,かつ②個人のプライバシーの侵害や個人ないし団体の自由な意思形成の阻害など,開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがあるという2つの要件を満たす必要があることを示したものと理解されているが,本決定は,本件各文書につき,②の要件を満たすとはいえないとして自己利用文書の該当性を否定したものである。②の要件を検討するにあたり,本決定は,本件各文書の組織の意思決定の内容等をその各営業店長等の下部組織に周知伝達するために作成され,法人内部で組織的に用いられる社内通達文書であるという文書の類型的な性質のほか,個人のプライバシーに関する情報や営業秘密に関する事項の記載がないという個別の事情を考慮している。いわゆる社内通達文書といっても,多種多様な内容のものがあるが,本決定は社内通達文書についての一つの事例判断を示したものとして参考になろう。
 4 自己利用文書についての当審の先例としては,銀行の貸出禀議書についてのもの(平成11年決定,最一小決平12.12.14民集54巻9号2709頁,判タ1053号95頁,最二小決平13.12.7民集55巻7号1411頁,判タ1080号91頁),保険業法に基づいて設置された調査委員会の作成した調査報告書についてのもの(最二小決平16.11.26民集58巻8号2393頁,判タ1169号138頁),市の議会の会派に所属する議員が政務調査費を用いてした調査研究の内容及び経費の内訳を記載して当該会派に提出した調査研究報告書についてのもの(最一小決平17.11.10民集59巻9号登載予定)があるが,本決定は事例の集積の意義を有するほか,実務に与える影響も少なくないと思われる。
4.文書提出義務の判断過程におけるイン・カメラ手続の利用
+(文書提出命令等)
第223条
1項 裁判所は、文書提出命令の申立てを理由があると認めるときは、決定で、文書の所持者に対し、その提出を命ずる。この場合において、文書に取り調べる必要がないと認める部分又は提出の義務があると認めることができない部分があるときは、その部分を除いて、提出を命ずることができる。
2項 裁判所は、第三者に対して文書の提出を命じようとする場合には、その第三者を審尋しなければならない。
3項 裁判所は、公務員の職務上の秘密に関する文書について第二百二十条第四号に掲げる場合であることを文書の提出義務の原因とする文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないことが明らかなときを除き、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、当該監督官庁(衆議院又は参議院の議員の職務上の秘密に関する文書についてはその院、内閣総理大臣その他の国務大臣の職務上の秘密に関する文書については内閣。以下この条において同じ。)の意見を聴かなければならない。この場合において、当該監督官庁は、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べるときは、その理由を示さなければならない。
4項 前項の場合において、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が第220条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命ずることができる。
一 国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ
二 犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ
5項 第3項前段の場合において、当該監督官庁は、当該文書の所持者以外の第三者の技術又は職業の秘密に関する事項に係る記載がされている文書について意見を述べようとするときは、第220条第四号ロに掲げる文書に該当する旨の意見を述べようとするときを除き、あらかじめ、当該第三者の意見を聴くものとする。
6項 裁判所は、文書提出命令の申立てに係る文書が第二百二十条第四号イからニまでに掲げる文書のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができる。この場合においては、何人も、その提示された文書の開示を求めることができない。
7項 文書提出命令の申立てについての決定に対しては、即時抗告をすることができる。

5.文書提出命令不服従の効果

+(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第224条
1項 当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる
2項 当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3項 前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる

・1項の申立人の主張とは、文書の記載内容であるとして申立中に示されたものであり、主には文書の趣旨(221条1項2号)に該当する。
これに対し、証明すべき事実(221条4号)を指すわけではないことに注意!

・1項2項だけでは提出しなかったものに相対的に有利になりかねない。
→3項の出番。

6.おわりに


民事訴訟法 基礎演習 自由心証・証明度 


1.自由心証主義

+(自由心証主義)
第247条
裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。

+(釈明処分)
第151条
1項 裁判所は、訴訟関係を明瞭にするため、次に掲げる処分をすることができる。
一  当事者本人又はその法定代理人に対し、口頭弁論の期日に出頭することを命ずること。
二  口頭弁論の期日において、当事者のため事務を処理し、又は補助する者で裁判所が相当と認めるものに陳述をさせること。
三  訴訟書類又は訴訟において引用した文書その他の物件で当事者の所持するものを提出させること。
四  当事者又は第三者の提出した文書その他の物件を裁判所に留め置くこと。
五  検証をし、又は鑑定を命ずること。
六  調査を嘱託すること。
2項 前項に規定する検証、鑑定及び調査の嘱託については、証拠調べに関する規定を準用する。

+(弁論準備手続における訴訟行為等)
第170条
1項 裁判所は、当事者に準備書面を提出させることができる。
2項 裁判所は、弁論準備手続の期日において、証拠の申出に関する裁判その他の口頭弁論の期日外においてすることができる裁判及び文書(第231条に規定する物件を含む。)の証拠調べをすることができる。
3項 裁判所は、当事者が遠隔の地に居住しているときその他相当と認めるときは、当事者の意見を聴いて、最高裁判所規則で定めるところにより、裁判所及び当事者双方が音声の送受信により同時に通話をすることができる方法によって、弁論準備手続の期日における手続を行うことができる。ただし、当事者の一方がその期日に出頭した場合に限る。
4項 前項の期日に出頭しないで同項の手続に関与した当事者は、その期日に出頭したものとみなす。
5項 第148条から第151条まで、第152条第1項、第153条から第159条まで、第162条、第165条及び第166条の規定は、弁論準備手続について準用する。

・事実認定の際に裁判所が経験則の採否や適用を誤った場合には、法令違反(247条違反)を理由として上告受理申立てができると解される(318条1項・4項)。
+(上告受理の申立て)
第318条
1項 上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所の判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所の判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
2項 前項の申立て(以下「上告受理の申立て」という。)においては、第三百十二条第一項及び第二項に規定する事由を理由とすることができない。
3項 第一項の場合において、最高裁判所は、上告受理の申立ての理由中に重要でないと認めるものがあるときは、これを排除することができる。
4項 第一項の決定があった場合には、上告があったものとみなす。この場合においては、第三百二十条の規定の適用については、上告受理の申立ての理由中前項の規定により排除されたもの以外のものを上告の理由とみなす。
5項 第三百十三条から第三百十五条まで及び第三百十六条第一項の規定は、上告受理の申立てについて準用する。

・証明責任
415条「責めに帰すべき事由」の不存在の証明責任は債務者にある。
+判例(S34.9.17)
理由
一、被上告人Aに対する上告について。
原判決は、被上告人Aは、原判示売買契約の当事者ではたなく、売主たる被上告人Bの代理人として上告人と契約締結の衝に当つたにすぎないことを認定したものであつて、原判決挙示の証拠によれば、右事実はこれを肯認できなくはない。論旨第一点は、原審がその裁量権の範囲内で適法になした事実の認定ないし証拠の取捨を争うものに帰し、また、論旨第三点は、原審の事実認定に副わない事実を前提とする主張であつて、いずれも採るをえない。

二、被上告人Bに対する上告について。
原判決は、被上告人Bは、かねてから原判示家屋の一部をCから賃借し、これを店鋪として食堂コロンビヤを経営していたが、昭和二八年三月中上告人との間に右食堂の営業権、家屋賃借権、営業用什器等の売買契約を締結し、同被上告人の代理人Aにおいて売買代金の支払をうけたこと、Bは家屋賃借権の譲渡につき賃貸人の承諾をえないまま、同月下旬頃上告人に店舗及び営業用什器類を引き渡したが、賃貸人Cは結局右賃借権の譲渡を承諾するにいたらず同人の妻Dは同年一〇月頃ついに右店舗を含む本件家屋全部を取りこわしてしまい、店舗の使用は不能となつたことをそれぞれ確定したものである。ところで賃借権の譲渡人は、特別の事情のないかぎり、その譲受人に対し、譲渡につき遅滞なく賃貸人の承諾をえる義務を負うものと解すべきであり、前記事実関係によれば、被上告人Bは賃借権の譲渡につき賃貸人Cの承諾をえる義務があるにかかわらず、これをえることができないでいるうちに、本件家屋は取りこわされてしまつたのであるから、本件売買契約のうち家屋賃借権の譲渡に関する部分についての同被上告人の債務は履行不能となつたものというべく、少くとも右部分に関する限り、債務看者である被上告人Bとしては、右履行不能が債務者の責に帰すべからざる事由によつて生じたことを証明するのでなければ、債務不履行の責を免れることはできないと解さなくてはならない(大審院大正一三年(オ)第五六九号、同一四年二月二七日判決、民集四巻九七頁参照)。しかるに、原審は、「履行不能となつたことが債務者であるBの責に帰すべき事由によることについては主張も立証もない」旨判示し、かかる主張及び立証の責任を債権者たる上告人に負わしめ、同人の売買代金返還の請求を排斥したものであつて、この違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨第二点は、結局その理由があるというべきである。
よつて、被上告人Aに対する上告は、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、これを棄却し、被上告人Bに対する上告については、民訴四〇七条一項により、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻すべきものとし、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

・保険事故の偶発性についての証明責任をどちらが負うのか?
・請求者説

+判例(H13.4.20)
理由
上告代理人山本隆夫、同根岸隆、同久利雅宣、同増田英男の上告受理申立て理由第一について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 上告人会社は、被上告人らとの間で、第1審判決別紙第一事件保険契約及び同第二事件保険契約記載のとおり被保険者をいずれもA、保険金受取人を同上告人あるいは被保険者の法定相続人(上告人B、同C、同D及び同E)とする普通傷害保険契約(以下「本件各保険契約」という。)をそれぞれ締結した。
(2) 本件各保険契約に適用される各保険約款(以下「本件各約款」という。)には、いずれも被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して約款に従い保険金(死亡保険金を含む。)を支払うこと及び被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないことがそれぞれ定められている
(3) 本件各保険契約の被保険者であるAは、平成7年10月31日午後2時30分ころ埼玉県北足立郡a町所在の5階建て建物の屋上から転落し、脊髄損傷等により死亡した(以下、これを「本件転落」という。)。

2 上記事実関係に基づいて検討する。
本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張、立証すべき責任を負うものと解するのが相当である。
けだし、本件各約款中の死亡保険金の支払事由は、急激かつ偶然な外来の事故とされているのであるから、発生した事故が偶然な事故であることが保険金請求権の成立要件であるというべきであるのみならず、そのように解さなければ、保険金の不正請求が容易となるおそれが増大する結果、保険制度の健全性を阻害し、ひいては誠実な保険加入者の利益を損なうおそれがあるからである本件各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の定めは、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を保険者に負わせたものではないと解すべきである。

3 以上によれば、本件転落が偶然な事故であると認めることができず、したがって上告人らの本件各保険契約に基づく各保険金請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。上記判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官亀山継夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官亀山継夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、法廷意見に賛成するものであるが、次のことを付言しておきたい。
本件各約款の合理的解釈としては、法廷意見のいうとおり、保険金請求者の側において偶然な事故であることの主張立証責任を負うべきものと解するのが相当である。しかしながら、本件各約款が、保険契約と保険事故一般に関する知識と経験において圧倒的に優位に立つ保険者側において一方的に作成された上、保険契約者側に提供される性質のものであることを考えると、約款の解釈に疑義がある場合には、作成者の責任を重視して解釈する方が当事者間の衡平に資するとの考えもあり得よう。そして、かねてから本件のように被保険者の死亡が自殺によるものか否かが不明な場合の主張立証責任の所在について判例学説上解釈が分かれ、そのため紛争を生じていることは、保険者側は十分認識していたはずであり、保険者側において、疑義のないような条項を作成し、保険契約者側に提供することは決して困難なこととは考えられないのであるから、一般人の誤解を招きやすい約款規定をそのまま放置してきた点は問題であるというべきである。もちろん、このような約款がこれまで使用されてきた背景には、解釈上の疑義が明確に解消されないため、かえって改正が困難であったという事情があるのかもしれないが、本判決によって疑義が解消された後もなおこのような状況が改善されないとすれば、法廷意見の法理を適用することが信義則ないし当事者間の衡平の理念に照らして適切を欠くと判断すべき場合も出てくると考えるものである。
(裁判長裁判官 梶谷玄 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫)

++解説
《解  説》
 一 はじめに
 最高裁第二小法廷は、本年四月二〇日に傷害保険契約における偶然性(偶発性)の主張立証責任が争点とされた事件について二件の判決(本件と平成一〇(オ)第八九七号)を言い渡した。本件は、そのうちの一件であり、普通傷害保険契約に関するものである。
 二 事案の概要等
 本件は、X1会社とY各保険会社との間で、X1ないしX5を受取人とする普通傷害保険契約がそれぞれ締結されていたところ、平成一〇(オ)第八九七号事件と同一の事故を原因として、X1ないしX5がY各保険会社に対し、死亡保険金の支払を請求した事案である。
 本件各普通傷害保険契約に適用される約款(以下、「本件各約款」という)によれば、被保険者が急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害に対して死亡保険金を支払うこととされ、他方において被保険者の故意、自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないとされている。このように本件各約款も、一見すると、一方では故意等によらないことが権利根拠規定とされ、他方では故意等によることが権利障害規定とされているようにもみえる。そこで、生命保険契約に付加される災害割増特約等の災害関係特約と同様に、被保険者の死亡が自殺によるものかどうかが不明であるときは、保険金請求者において発生した事故が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うのか、それとも保険者において発生した事故が被保険者の故意等によることについての主張立証責任を負うのかという問題が生じていたのである。
 本件においても、上記主張立証責任の所在の点が争点とされたが、原判決は保険金請求者において本件転落が偶然の事故であることについて主張立証責任を負うとした上、上記転落は偶然な事故であると認めることはできないとして、X1ないしX5の保険金請求を棄却した一審判決に対する控訴を棄却した(なお、一審判決は本件転落を自殺によるものと推認していた)。
 三 本判決
 本判決は、本件各約款に基づき、保険者に対して死亡保険金の支払を請求する者は、発生した事故が偶然な事故であることについて主張立証責任を負うとし、その上で、上記各約款のうち、被保険者の故意等によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の規定は、保険金が支払われない場合を確認的注意的に規定したものにとどまり、保険者に被保険者の故意等によって生じた傷害であることの主張立証責任を負わせたものではないなどと判断して、X1ないしX5の上告を棄却した。
 四 解説
 1 本件論点に関しても、学説上、保険金請求者が偶然な事故であることについての主張立証責任を負うとする保険金請求者負担説と保険者が被保険者の故意等による傷害であることについての主張立証責任を負うとする保険者負担説とが対立していることは、生命保険契約の災害関係特約のケースと同様である。
 また、下級審判例も保険金請求者負担説によるもの(東京地判平12・5・10金判一〇九九号四二頁、東京地判平10・1・26本誌九八二号二六三頁、福井地武生支判平5・1・22本誌八二二号二六一頁など)と保険者負担説によるもの(大阪高判平11・3・18判時一六九一号一四三頁、東京地判平11・9・30本誌一〇二五号二六八頁、神戸地判平8・8・26本誌九三四号二七五頁など)に分かれていた。
 2 なお、本判決も立証の程度の問題については何ら触れるものではないが、保険金請求者側が偶然な事故であることを立証することについては困難を伴うことが否定できないことからすれば、保険金請求者側において外形的類型的にみて事故であるということが立証できれば、偶然な事故であることを事実上推定するという考え方も十分に検討に値しよう
 本判決についても、立証の程度の問題については別途の配慮が必要であるとする余地を残しているという見方もできるものと思われる。
 3 本判決にも亀山裁判官の補足意見が付されている。保険会社としては、補足意見の趣旨を十分に酌み取った上、今後の対応を検討する必要があろう。
+同日に似たような保険の判例もあったりするよ(笑)
+判例(大阪高判21.9.17)

・保険者説
+判例(H16.12.13)
理由
上告代理人細川喜子雄の上告受理申立て理由第2について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、大阪市住吉区所在の自己所有地上に第1審判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、本件建物において、長男及び長女と共に居住し、本件建物を店舗、倉庫等として使用していた。
(2) 被上告人は、平成11年12月2日、上告人との間で、〈1〉保険の目的を本件建物、家財一式及び商品・製品等一式、〈2〉保険金額を建物2億円、家財一式7000万円、商品・製品等一式2億円、〈3〉保険料を48万6300円、〈4〉保険期間を同日午後4時から平成12年12月2日午後4時までとする店舗総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、保険料48万6300円を支払った
本件保険契約に適用される保険約款(以下「本件約款」という。)1条1項には、保険金を支払う場合として、火災によって保険の目的について生じた損害に対して損害保険金を支払う旨が規定され、また、同2条1項(1)には、保険金を支払わない場合として、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害に対しては保険金を支払わない旨が規定されている。
(3) 平成11年12月7日午前11時ころ、本件建物内で火災が発生し、本件建物4階の居室20㎡を焼損し、他の階の各室にも消火活動による水損等の被害が生じたほか、本件建物内に保管されていた被上告人及びその家族の所有する家財、被上告人の経営する店舗の商品等についても、一部に焼損又は水損等の被害が発生した(以下、この火災を「本件火災」という。)。

2 本件は、被上告人が上告人に対し、本件火災により損害を被ったと主張して、本件保険契約に基づき、火災保険金及びその遅延損害金の支払を求めるものである。

3 商法は、火災によって生じた損害はその火災の原因いかんを問わず保険者がてん補する責任を負い、保険契約者又は被保険者の悪意又は重大な過失によって生じた損害は保険者がてん補責任を負わない旨を定めており(商法665条、641条)火災発生の偶然性いかんを問わず火災の発生によって損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とするとともに、保険契約者又は被保険者の故意又は重大な過失によって損害が生じたことを免責事由としたものと解される火災保険契約は、火災によって被保険者の被る損害が甚大なものとなり、時に生活の基盤すら失われることがあるため、速やかに損害がてん補される必要があることから締結されるものである。さらに、一般に、火災によって保険の目的とされた財産を失った被保険者が火災の原因を証明することは困難でもある商法は、これらの点にかんがみて、保険金の請求者(被保険者)が火災の発生によって損害を被ったことさえ立証すれば、火災発生が偶然のものであることを立証しなくても、保険金の支払を受けられることとする趣旨のものと解される。このような法の趣旨及び前記1(2)記載の本件約款の規定に照らせば、本件約款は、火災の発生により損害が生じたことを火災保険金請求権の成立要件とし、同損害が保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意又は重大な過失によるものであることを免責事由としたものと解するのが相当である。
したがって、本件約款に基づき保険者に対して火災保険金の支払を請求する者は、火災発生が偶然のものであることを主張、立証すべき責任を負わないものと解すべきである。これと結論において同旨をいう原審の判断は正当である。所論引用の最高裁平成10年(オ)第897号同13年4月20日第二小法廷判決・民集55巻3号682頁、最高裁平成12年(受)第458号同13年4月20日第二小法廷判決・裁判集民事202号161頁は、いずれも本件と事案を異にし、本件に適切でない。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷玄 裁判官 津野修)

++解説

+判例(H18.6.1)

++解説

2.証明の程度
(1)証明度
判決の基礎となる事実の認定に関しては、当該事実の存在につき高度の蓋然性を証明することが必要であり、通常人が疑いをさしはさまない程度に真実性の確信を持ちうることを要し、かつ、それで足りる!
+判例(S50.10.24)ルンバール
理由
上告代理人萩沢清彦、同内藤義憲の上告理由第一点及び第三点について
一 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

二 これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実は次のとおりである。
1 上告人(当時三才)は、化膿性髄膜炎のため昭和三〇年九月六日被上告人の経営する東京大学医学部附属病院小児科へ入院し、医師A、同Bの治療を受け、次第に重篤状態を脱し、一貫して軽快しつつあつたが、同月一七日午後零時三〇分から一時頃までの間にB医師によりルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入、以下「本件ルンバール」という。)の施術を受けたところ、その一五分ないし二〇分後突然に嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、右半身けいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同年一一月二日退院し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等がある。

2 本件ルンバール直前における上告人の髄膜炎の症状は、前記のごとく一貫して軽快しつつあつたが、右施術直後、B医師は、試験管に採取した髄液を透して見て「ちつともにごりがない。すつかりよくなりましたね。」と述べ、また、病状検査のため本件発作後の同年九月一九日に実施されたルンバールによる髄液所見でも、髄液中の細胞数が本件ルンバール施術前より減少して病状の好転を示していた。

3 一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、上告人の昼食後二〇分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当のB医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。そして、右施術は、嫌がつて泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ、B医師によつて実施されたが、一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約三〇分間を要した
4 もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められた上告人に対し右情況のもとで本件ルンバールを実施したことにより脳出血を惹起した可能性がある。
5 本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁ではじまり、右半身に強いけいれんと不全麻痺を生じたことに対する臨床医的所見と、全般的な律動不全と左前頭及び左側頭部の限局性異常波(棘波)の脳波所見とを総合して観察すると、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断される。
6 上告人の本件発作後少なくとも退院まで、主治医のA医師は、その原因を脳出血によるものと判断し治療を行つてきた。
7 化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められなかつた。

三 原判決は、以上の事実を確定しながら、なお、本件訴訟にあらわれた証拠によつては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難いとし、また、本件発作とその後の病変の原因が本件ルンバールの実施にあることを断定し難いとして上告人の請求を棄却した。

四 しかしながら、(1)原判決挙示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)及び原審証人Aの第二回証言は、上告人の本件発作後少なくとも退院まで、本件発作とその後の病変が脳出血によるものとして治療が行われたとする前記の原審認定事実に符合するものであり、また、鑑定人Cは、本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によると、右発作の原因として脳出血が一番可能性があるとしていること、(2)脳波研究の専門家である鑑定人Dは、結論において断定することを避けながらも、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としていること、(3)前記の原審確定の事実、殊に、本件発作は、上告人の病状が一貫して軽快しつつある段階において、本件ルンバール実施後一五分ないし二〇分を経て突然に発生したものであり、他方、化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別の事情も認められなかつたこと、以上の事実関係を、因果関係に関する前記一に説示した見地にたつて総合検討すると、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに困つて発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。
原判決の挙示する証人E、同Fの各証言鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、右結論の妨げとなるものではない。

五 したがつて、原判示の理由のみで本件発作とその後の病変が本件ルンバールに困るものとは断定し難いとして、上告人の本件請求を棄却すべきものとした原判決は、因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかであるから、論旨はこの点で理由があり、原判決は、その余の上告理由についてふれるまでもなく破棄を免れない。そして、担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官大塚喜一郎の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。
多数意見は「原判決の挙示する証人E、同Fの各証言、鑑定人C、同G、同D及び同Fの各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、いずれも右結論の妨げとなるものではない。」としているが、この点に関する検討結果を要約すると、次のとおりである。
(1) 鑑定人Cの鑑定書によれば、本件発作の原因として脳出血が一番考えられるとし、その根拠として、発症が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によるとし、むしろ、本件発作及びその後の病変と脳出血との因果関係を肯定している。
(2) 鑑定人Gの鑑定書によれば、本件発作は、広義の化膿性髄膜炎の再燃によるとも考えることができるとしながらも、他方で、「脳出血によるとの考え方も、本患児は病初より皮下出血が見られ、出血性傾向があつたと思われること、発作が突然おこつたものであること等からも、一応その可能性は考えられる。」とし、ついで、現在の後遺症につき、「広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし又脳出血の後遺症とも考えられる。若し脳出血があつたとすればそれは感染症の経過中に多くみられる脳白質全般の小出血、小血栓等に基づくものであろう」とし、「本件の場合、この出血性脳症そのものとも考えられるし、又経過中に紫斑の認められた所から出血性素因があつたと思われるから丁度ルムバールを行つた時、これによつて出血性傾向を増す何らかの要因が加わつたかも知れない。」とし、結論的には想定しうる原因のいずれであるかを断定していないが、少なくとも本件発作と脳出血との因果関係の可能性を肯定している。
(3) 鑑定人Dの鑑定書によれば、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき、「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としながらも、「これらの事項を参考にして脳波所見を改めて解読すると臨床症状である右片麻痺と局在性痙れんをうらづけるものは上記の左側の限局性棘波であり、また第一回の脳波記録前に髄膜炎の経過をもつていると考えられるので、二回目以降の脳波所見は、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる。尚この脳波所見からは、合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」とし、脳波研究専門家である同鑑定人は、脳波所見の限界として、病巣部ないしは異常部位が脳実質の左部にあることのみでは疾患の原因が何であるかを診断することは、特殊の場合を除いて困難であり、さらに、被検者の臨床像やレントゲン所見、脊髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして総合的に考察しなければならないとしている。したがつて、前記の「合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」という所見は、右の総合的考察を必要とする結論を導き出すための思考過程の所見であつて、それ以上の意味をもつものではない。
(4) 右D鑑定書の結論に照らして、臨床医師の所見を検討すると、証人Aの第一審における第二回証言によれば、錐体外路症状、知能障害、性格障害など広範囲の後遺症が残つたから、単に脳実質左側部の脳出血とは考えられなくなり、化膿性髄膜炎の後遺症と考えるようになつたとし、また、証人Hの証言によれば、脳波所見により全誘導的棘波の場合、症状が脳全体に広がり、後遺症も全般的なものとなるので、これは髄膜脳炎とみられるし、脳出血の場合は限局的異常波であるとし、鑑定人Fの鑑定書第四項にも同旨の記述がある。しかしながら、右各証拠は、多数意見四説示の乙第一号証(A医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(B医師作成の病歴概要を記載した書翰)、原審証人Aの第二回証言、鑑定人C、同Dの各所見と対比すると、本件発作とその後の病変の原因が脳出血であることを否定する資料とすることはできない。
(5) 鑑定人Fの鑑定書によれば、本件発作の原因として、脳炎を伴う化膿性脳膜炎の再燃に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われるとしており、同人の証言によると、右鑑定は甲第三号証の脳波所見に有力な根拠を求めていることが窺われる。しかし、同人は脳波の専門家ではないから、同鑑定書中の脳波所見よりは専門家であるD鑑定書の前記所見を信用すべきである。
(6) 証人Eは、小児の脳波を取扱う医師であるが、脳波記録のみからけいれんの原因を判断することは、非常に困難であると述べながらも、甲第三号証の所見については、癲癇性けいれんであり、化膿性髄膜炎の後遺症であると述べているが、右証言は十分な根拠を示していないから説得力に乏しく、措信し難い。
(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 岡原昌男 裁判官 吉田豊 裁判官小川信雄は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 大塚喜一郎)

・判例実務は高度の蓋然性説を維持しているが実際には証明の難易度や実体法の趣旨に鑑みて証明度を緩和している例がみられる!
+判例(H12.7.18)
理由
上告代理人細川清、同富田善範 同髙野伸、同久留島群一、同中村和博、同田川直之、同星野敏、同林田雅隆、同木村政之、同小宮山健彦、同宮田智、同佐藤敏信、同岡田文夫、同宮田清美、同内山博之、同黒木弘雅の上告理由について
一 本件は、長崎に投下された原子爆弾の被爆者である被上告人が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項に基づき、被上告人の右半身不全片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定の申請をしたのに対し、昭和六二年九月二四日、上告人がこれを却下したため、右却下処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求める事件である。

二 法七条一項は「厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と、法八条一項は「前条第一項の規定により医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」と規定している。これらの規定によれば、法八条一項に基づく認定をするには、被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか、現に医療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか、又は右負傷又は疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため右状態にあること(放射線起因性)を要すると解される。原審は、右認定は放射線起因性を具備していることの証明があった場合に初めてされるものであるが、原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、法の目的、性格等を考慮すると、認定要件のうち放射線起因性の証明の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、被爆者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を参酌し、被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因することについての「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきであると判断した。
しかしながら行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきであるから、法八条一項の認定の要件とされている放射線起因性についても、要証事実につき「相当程度の蓋然性」さえ立証すれば足りるとすることはできない。なお、放射線に起因するものでない負傷又は疾病については、その者の治ゆ能力が放射線の影響を受けているために医療を要する状態にあることを要するところ、右の「影響」を受けていることについても高度の蓋然性を証明することが必要であることは、いうまでもない。そうすると、原審の前記判断は、訴訟法上の問題である因果関係の立証の程度につき、実体法の目的等を根拠として右の原則と異なる判断をしたものであるとするなら、法及び民訴法の解釈を誤るものといわざるを得ない。
もっとも実体性が要証事実自体を因果関係の厳格な存在を必要としないものと定めていることがある。例えば、原審が右判断の過程において検討対象としている原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年法律第五三号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「特措法」という。)五条一項が健康管理手当の支給の要件として定めているのは、被爆者のかかっている造血機能障害等が「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかでないこと」というものであるから、この規定は、放射線と造血機能障害等との間に因果関係があることを要件とするのではなく、右因果関係が明らかにないとはいえないことを要件として定めたものと解される。原審の前記判断も、特措法の関連法規である法八条一項の放射線起因性の要件についても同様の解釈をすべきであるという趣旨に解されないではない。しかし、特措法は各給付ごとに支給要件を書き分けていることが明らかであり、同法五条一項が健康管理手当について右の程度の弱い因果の関係でよいと明文で規定しているのと対比すれば、同法二条の医療特別手当の支給については、このような弱い因果の関係では足りず、通常の因果関係を要するものとされていると解するほかはない。そして、これらの特措法の規定と対比すれば、むしろ、法七条一項は、放射線と負傷又は疾病ないしは治ゆ能力低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきである。このことは、法や特措法の根底に国家補償法的配慮があるとしても、異なるものではない。そうすると、原審の前記判断は、実体要件に係るものであるとしても、法の解釈を誤るものと言わなければならない。

三 ところで、原審は、本件全証拠を総合検討し、被上告人が現に医療を要する状態にあり、かつ、放射線起因性が認められると認定判断し、本件処分を違法としているので、右の放射線起因性を肯定した原審の認定判断について、以下検討する。
1 原審が、右認定判断の前提として適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(一) 長崎に原子爆弾が投下された昭和二〇年八月九日午前一一時二分、被上告人(当時三歳五箇月)は、爆心地から約2.45キロメートル離れた長崎市稲佐町〈番地略〉(現同市旭町〈番地略〉)の自宅の縁側付近において、爆風により飛来した屋根がわらにより左頭頂部を直撃され、左頭頂部頭蓋骨陥没骨折、一部欠損の重傷を負った。被上告人は、右傷害により一時意識不明、上下肢運動機能喪失等に陥ったが、マーキュロクロムを塗布する治療を受けたのみであった。その後数日間、被上告人は、自宅にとどまっていたが、下痢症状があり、頭髪が少しずつ抜け始めた。
(二) 同月一六日、被上告人は、両親と共に、自宅から徒歩で、爆心地から約1.7キロメートルの地点を経て長崎駅に至り、列車で爆心地の直近を通過して、長崎県南高来郡愛野町に避難し、一〇日間ほどを過ごした後帰宅した。避難先では、被上告人は、寝たきりであり、治療を受けることはなかったところ、頭部の傷口は化のうし、うみが出ていた。
(三) 同年一〇月上旬ころ、被上告人は、両親と共に、同県南松浦郡富江町に疎開した。同所でも、被上告人は、寝たきりであり、頭髪は一層薄くなった。頭部の傷口は、ふさがらず、水が噴き出すように腐臭の強いうみないし分泌物が流出し続け、医師からいったん短期間で治る旨の診断を受け、治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると、今度は別の部分からうみ等が出始めるという状況の繰返しで、治療は効を奏せず、一応の治ゆをみたのは、被爆後二年半ほどたってからであった。このような症状の経過、治ゆの遷延は、治療の不十分、不適切さだけでは十分に説明することができないものであった。同町での治療期間中に、被上告人の頭部の傷口からかわらの破片が出てきた。
(四) 同年一二月三一日から翌二一年一月一日にかけて、被上告人は、失神を伴う継続的な重度のけいれん発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返した。同様の発作の回数は次第に減少していったが、その後の学校時代を通じて、年に一、二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、同四二年ころまで続いた。同三四年ころには、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時としては明確に感染症とは判定することができず、原因は明らかにならなかった。
(五) 被上告人は、本件処分時においても、現在においても、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痩、右肘関節屈曲拘縮等の障害を有する。被上告人の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があって、骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、この欠損と側脳室が交通していて、脳孔症と診断されるほか、様々な不定愁訴を有している。これらの根本的治療は困難であるが、症状を緩和させるための薬物療法、理学療法等が現に必要である。
(六) 高速度で飛んできた小物体による頭部外傷の場合には、脳実質への影響は、受傷した局所では高度であるが、局限性で脳全体に与える影響は少ないのが通常であるのに、被上告人の場合は、脳実質にこれを超える広範な損傷がある。このように広範な脳孔症は、頭部外傷の合併症というだけでは説明することができないようなまれな状態であり、このことは、かわらの打撃以外の要因も加味していることを強く推認させる。
(七) 昭和二〇年に日米合同調査団が行った調査結果によれば、長崎においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一八パーセント、二キロメートルの地点で約一〇パーセントの者に、広島においては、爆心地から1.5キロメートルの地点で約一九パーセント、二キロメートルの地点で約7.5パーセントの者に、それぞれ脱毛が生じており、いずれにおいても爆心地からの距離が遠くなるに従って脱毛の発症頻度が減少していたなどとされている。また、昭和四〇年に厚生省が行った調査によれば、被爆地点が二キロメートルを超える場合も、相当多数の者に脱毛等の急性症状があり、四キロメートルを超える場合も、早期入市者で一一パーセント、それ以外の者で3.1パーセントに脱毛が生じたとされている。さらに、昭和六〇年に厚生省が行った調査によれば、爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが、長崎においては3.2パーセント、広島においては5.4パーセントであったとされている。
また、長崎市内の爆心地から約2.9キロメートルの、被上告人の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆した甲野春子は、倒壊した工場の鉄骨製のはりの下敷きとなってせき椎を骨折したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後一年間無月経であった。外傷部は、容易に治ゆせず、腐食して悪臭を発した。同人は、昭和三四年六月二九日付けで、法八条一項の認定を受けた。
長崎市内の爆心地から約2.4キロメートルの地点で被爆した楠本光則は、被爆の約一箇月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。
長崎市内の爆心地から約2.5キロメートルの地点で被爆した梶原昌子は、被爆直後から発熱し、約一箇月後に脱毛が認められ、約二箇月後に鼻血、おう吐、下痢があった。
2 その一方で、原審は、右事実関係のほかにも、次の事実を適法に確定している。
(一) 放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と確定的影響とがあり、がんの誘発と遺伝的影響のみが前者に属し、それ以外はすべて後者に属するから、本件で問題となるのは確定的影響であるところ、確定的影響には一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があるとされ、各症状についてのしきい値としては、脳神経細胞の損傷が一〇〇〇ラド、白血球減少が五〇ラド、脱毛が三〇〇ないし五〇〇ラド、リンパ球の障害による免疫能の低下は一〇ラド強などとされている。
(二) 原子爆弾による放射線の線量評価システムであるDS八六は、線量評価に関し設置された日米合同の委員会が一九八六年(昭和六一年)三月に承認し、世界中において優良性を備えた体系的線量評価システムとして取り扱われてきたものであり、DS八六によれば、長崎におけるガンマ線と中性子線の空気中線量を合計した放射線量は、爆心地から2.4キロメートルの地点で2.963ラド、2.5キロメートルの地点で2.092ラドであり、残留放射線等による放射線量は、評価するに足りず、右線量についての不確定性の推定値は空気中線量で一三パーセントであり、臓器線量では二五ないし三五パーセントになるなどとされている。
3 確かに、右に記載したしきい値理論とDS八六とを機械的に適用する限り、被上告人の現症状は放射線の影響によるものではないということになり、本件において放射線起因性があるとの認定を導くことに相当の疑問が残ることは否定し難いところである。
しかしながら、DS八六もなお未解明な部分を含む推定値であり、現在も見直しが続けられていることも、原審の適法に確定するところであり、DS八六としきい値理論とを機械的に適用することによっては前記三1(七)の事実を必ずしも十分に説明することができないものと思われる。例えば、放射線による急性症状の一つの典型である脱毛について、DS八六としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するはずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射線以外の原因によるものと断ずることには、ちゅうちょを覚えざるを得ない。このことを考慮しつつ、前記三1の事実関係、なかんずく物理的打撃のみでは説明しきれないほどの被上告人の脳損傷の拡大の事実や被上告人に生じた脱毛の事実などを基に考えると、被上告人の脳損傷は、直接的には原子爆弾の爆風によって飛来したかわらの打撃により生じたものではあるが、原子爆弾の放射線を相当程度浴びたために重篤化し、又は右放射線により治ゆ能力が低下したため重篤化した結果、現に医療を要する状態にある、すなわち放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって、それが経験則上許されないものとまで断ずることはできない。
四 そうであるとするならば、本件において放射線起因性が認められるとする原審の認定判断は、是認し得ないものではないから、原審の訴訟上の立証の程度に関する前記法令違反は、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。したがって、結局、論旨は採用することができない。
よって裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 裁判官 奥田昌道)

++解説
《解  説》
一 本件は、長崎の原子爆弾の被爆者であるXが、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。平成六年法律第一一七号により廃止。以下「法」という。)八条一項の認定の申請をしたのに対し、Y(厚生大臣)がこれを却下する処分(以下「本件処分」という。)をしたため、その取消しを求めた事件である。
Xは、長崎市内の爆心地から約二・四五キロメートルの地点で被爆し、爆風により飛んできたかわらが頭部に当たって、頭蓋骨陥没骨折等の傷害を受けた。その後、満足な治療も受けられない状態で、頭髪が抜け、傷口が化のうし、約二年半かかってようやく一応の治ゆをみたが、脳に大きな空洞ができ、右半身不全麻痺等の症状が残り、現在でも不定愁訴等の症状緩和のための治療が必要である。
法七条一項は、被爆者に対する医療の給付について規定しているところ、法八条一項は、被爆者が医療給付を受けるためには厚生大臣の認定を受けなければならないものとしている。同項の文言上は、法七条一項本文の要件についての認定のようにみえるが、その趣旨に照らせば、同項ただし書によって排除されないことも認定の要件となっていると解される。右各規定は、法の廃止とともに施行された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律一〇条、一一条にそのまま引き継がれている。
原子爆弾の傷害作用による負傷又は疾病には、その放射線(条文には「放射能」とあるが、放射線が正しい。)に起因するものと、爆風、熱線等それ以外の作用に起因するものとがあり、法七条一項によれば、給付の対象となるのは、①放射線に起因する傷害又は疾病について現に必要な医療、②放射線以外の作用に起因する傷害又は疾病についての医療ではあるが、治ゆ能力が放射線の影響を受けている(すなわち、放射線の影響により治ゆ能力が低下している)ために現に必要となっているもの、のいずれかに当たる必要がある。
Xの負傷及び疾病が少なくとも原子爆弾の爆風に起因するものであること及びXが現に医療を要する状態にある(法七条一項本文の要件を充足している)ことは肯定することができるが、右の状態が右①、②のいずれかの意味において原子爆弾の放射線に起因し又はその影響を受けているものと認められるか否か(換言すれば、「原子爆弾の放射線」と「現に医療を要する状態」との間の直接的又は間接的因果関係の有無。以下「放射線起因性」という。)が、本件の争点である。そして、この争点の判断に関連して、その立証責任、立証の程度等が争いとなった。
二 Xは、法の目的等に照らせば、放射線起因性については、これがないことの立証責任がYにあると解するか、Xにあるとしても「相当程度の蓋然性」の立証で足りると解すべきであり、Xの傷病が放射線に起因する可能性を否定することができない以上、法八条一項の認定がされるべきであると主張した。
これに対し、Yは、因果関係の立証は「高度の蓋然性」を証明することを要するのであり、これを軽減すべき根拠はないから、放射線起因性に限って立証責任を転換したり立証の程度を弱めたりすることはできず、Xの受けたと認められる放射線量からすれば、Xの傷害又は疾病が放射線に起因するものとは到底認められないと主張した。
一、二審は、Xの請求を認容すべきものとしたが、原審の判断の概要は、次のとおりである。
1 法八条一項の認定は放射線起因性の証明があった場合に初めてされるのであり、立証責任を転換すべき根拠はない。しかし、放射線起因性の立証の程度については、物理的、医学的観点から「高度の蓋然性」の程度にまで証明されなくても、「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りると解すべきである。
2 放射線の人体に及ぼす確定的影響には、一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらないしきい値があり、放射線量評価システムとして世界中で認められているDS八六によりXの受けた初期放射線量を評価すると、これらを機械的に適用する限り、Xの現症状は放射線の影響によるものではないということになる。
3 しかし、DS八六には問題点が残されており、DS八六としきい値理論をそのまま適用すれば発症しないはずの放射線急性障害の調査結果があるなど、本件においてDS八六を絶対的尺度とすることをちゅうちょさせる要因がある。そして、Xの頭部外傷の程度、Xに生じた脱毛や下痢、症状の経過、治癒の遷延等によれば、Xの現症状には放射線の影響があったと相当程度の蓋然性をもって推認することができる。
三 Yが上告し、放射線起因性については「高度の蓋然性」の証明を要すると解すべきであるから、原審が「相当程度の蓋然性」の証明があれば足りるとしたことは法令の解釈適用を誤るものであり、本件においては高度の蓋然性の証明があったとはいえず、原判決の右違法は判決に影響を及ぼすものであると主張した。
本判決は、要旨のとおり判断して、原審の判断には違法があるとしたが、原審の確定した事実関係に基づけば、放射線起因性が認められるとした原審の認定判断は是認し得ないものではないとして、上告を棄却した。
原審が「相当程度の蓋然性」の証明で足りるとした趣旨は、因果関係についての訴訟上の証明の程度につき、高度の蓋然性の程度にまで証明することを要しないとするのか、それとも、法八条一項の認定の実体要件の内容として、因果関係があることを要せず、因果関係がありそうだという程度で足りるというのか、判文上は必ずしも明らかでないところがある。本判決は、そのいずれであるとしても、右判断には誤りがあるとしたものである。なお、本判決は、放射線起因性の立証責任がXにあることを前提としていると解される。
本判決の右判断は、オーソドックスな当然の判断ともいい得るが、放射線起因性の証明に関する訴訟法上の問題と実体法上の問題について、下級審裁判例がこれまで示してきた判断と異なるものであり、最高裁の初判断であって、同種事件に及ぼす影響は大きいと思われる。
なお、本判決の放射線起因性の有無に関する事例判断は、原審の認定判断を是認し得ないものではないとしたものであり、高度の蓋然性があったと断ずるにはなお問題が残されていることがうかがわれる。しかし、結論として本件事案について認定申請却下処分の取消しが確定したことの持つ意味は決して小さくはなく、本判決の説示するところに従えば、国の認定行政には再検討を要する点があることになろう。

(2)解明度

3.証明責任による事実認定の問題点と対応
法律上の推定=推定が実定法に定められている場合
事実上の推定=事実上一定の推定測が働く場合

(3)一応の推定
証明責任を負う者が間接事実の主張立証をした場合には一定の強い推定則を媒介にして蓋然的に過失の存在を認め、相手方当事者にその不存在についてその不存在について証明責任を負わせるような法技術!!

(4)裁判所による損害額の認定
(損害額の認定)
第248条
損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる。

+判例(H11.8.31)


刑事訴訟法 気になる判例 米子銀行強盗事件

+判例(S53.6.20)
理由
 弁護人川端和治、同弘中惇一郎の上告趣意第一の二の(一)について
 所論は憲法三一条、三九条、七三条六号但書、九八条一項違反をいうが、爆発物取締罰則が日本国憲法施行後の今日においてもなお法律としての効力を保有しているものであることは当裁判所の判例とするところであるから(昭和二三年(れ)第一一四〇号同二四年四月六日大法廷判決・刑集三巻四号四五六頁、昭和三二年(あ)第三〇九号同三四年七月三日第二小法廷判決・刑集一三巻七号一〇七五頁参照)、所論は理由がない。
 同第一の二の(二)の第一について
 所論は憲法三一条、三六条違反をいうが、爆発物取締罰則一条に定める刑が残虐な刑罰といえないのみならず(最高裁昭和二二年(れ)第三二三号同二三年六月二三日大法廷判決・刑集二巻七号七七七頁参照)、同条所定の行為に対し所定のような法定刑を定めることは立法政策の問題であつて憲法適否の問題ではないから(最高裁昭和二三年(れ)第一〇三三号同年一二月一五日大法廷判決・刑集二巻一三号一七八三頁、昭和四六年(あ)第二一七九号同四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一五一頁参照)、所論は理由がない。
 同第一の二の(二)の第二について
 所論は憲法一九条、三一条違反をいうが、爆発物取締罰則一条は、所定の目的で爆発物を使用した者を処罰するものであつて、その思想、信条のいかんを問うものではなく、また、同条にいう「治安ヲ妨ケ」るの概念は不明確なものではないから(前掲昭和四七年三月九日第一小法廷判決参照)、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
 同第一の二の(二)の第三について
 所論は憲法三一条、三九条違反をいうが、爆発物取締罰則の規定のうち所論指摘のものは原判決の是認する第一審判決が適用していないものであり、また、本件に適用される同罰則一条及び三条の規定につきこれを合憲であるとした原判決の判断は正当であつて、犯行後の法令の適用を許容した趣旨のものではないのであるから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 同第二の二について
 所論のうち憲法三一条、三五条一項違反をいう点は、Aの明示の意思に反してボーリングバツグを開披したB巡査長の行為を職務質問附随行為として適法であるとした原判決の判断は、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条一項の解釈を誤り、ひいて憲法三五条一項に違反し、違法収集証拠を本件の証拠とした点において憲法三一条に違反する、というのである。
 一 原判決の認定した事実及び原判決の是認した第一審判決の認定した事実によれば、本件の経過は次のとおりである。(一)岡山県総社警察署巡査部長Cは、昭和四六年七月二三日午後二時過ぎ、同県警察本部指令室からの無線により、米子市内において猟銃とナイフを所持した四人組による銀行強盗事件が発生し、犯人は銀行から六〇〇万円余を強奪して逃走中であることを知つた、(二)同日午後一〇時三〇分ころ、二人の学生風の男が同県吉備郡a町b附近をうろついていたという情報がもたらされ、これを受けたC巡査部長は、同日午後一一時ころから、同署員のB勇巡査長ら四名を指揮して、総社市門田のD総社営業所前の国道三叉路において緊急配備につき検問を行つた、(三)翌二四日午前零時ころ、タクシーの運転手から、「伯備線広瀬駅附近で若い二人連れの男から乗車を求められたが乗せなかつた。 後続の白い車に乗つたかも知れない。」という通報があり、間もなく同日午前零時一〇分ころ、その方向から来た白い乗用車に運転者のほか手配人相のうちの二人に似た若い男が二人(被告人とA)乗つていたので、職務質問を始めたが、その乗用車の後部座席にアタツシユケースとボーリングバツグがあつた、(四)右運転者の供述から被告人とAとを前記広瀬駅附近で乗せ倉敷に向う途中であることがわかつたが、被告人とAとは職務質問に対し黙秘したので容疑を深めた警察官らは、前記営業所内の事務所を借り受け、両名を強く促して下車させ事務所内に連れて行き、住所、氏名を質問したが返答を拒まれたので、持つていたボーリングバツグとアタツシユケースの開披を求めたが、両名にこれを拒否され、その後三〇分くらい、警察官らは両名に対し繰り返し右バツグとケースの開披を要求し、両名はこれを拒み続けるという状況が続いた、(五)同日午前零時四五分ころ、容疑を一層深めた警察官らは、継続して質問を続ける必要があると判断し、被告人については三人くらいの警察官が取り囲み、Aについては数人の警察官が引張るようにして右事務所を連れ出し、警察用自動車に乗車させて総社警察署に同行したうえ、同署において、引き続いて、C巡査部長らが被告人を質問し、B巡査長らがAを質問したが、両名は依然として黙秘を続けた、(六)B巡査長は、右質問の過程で、Aに対してボーリングバツグとアタツシユケースを開けるよう何回も求めたが、Aがこれを拒み続けたので、同日午前一時四〇分ころ、Aの承諾のないまま、その場にあつたボーリングバツグのチヤツクを開けると大量の紙幣が無造作にはいつているのが見え、引き続いてアタツシユケースを開けようとしたが鍵の部分が開かず、ドライバーを差し込んで右部分をこじ開けると中に大量の紙幣がはいつており、被害銀行の帯封のしてある札束も見えた、(七)そこで、B巡査長はAを強盗被疑事件で緊急逮捕し、その場でボーリングバツク、アタツシユケース、帯封一枚、現金等を差し押えた、(八)C巡査部長は、大量の札束が発見されたことの連絡を受け、職務質問中の被告人を同じく強盗被疑事件で緊急逮捕した、というのである

 二 警職法は、その二条一項において同項所定の者を停止させて質問することができると規定するのみで、所持品の検査については明文の規定を設けていないが、所持品の検査は、口頭による質問と密接に関連し、かつ、職務質問の効果をあげるうえで必要性、有効性の認められる行為であるから、同条項による職務質問に附随してこれを行うことができる場合があると解するのが、相当である。所持品検査は、任意手段である職務質問の附随行為として許容されるのであるから、所持人の承諾を得て、その限度においてこれを行うのが原則であることはいうまでもないしかしながら、職務質問ないし所持品検査は、犯罪の予防、鎮圧等を目的とする行政警察上の作用であつて、流動する各般の警察事象に対応して迅速適正にこれを処理すべき行政警察の責務にかんがみるときは、所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、所持品検査においても許容される場合があると解すべきである。もつとも、所持品検査には種々の態様のものがあるので、その許容限度を一般的に定めることは困難であるが、所持品について捜索及び押収を受けることのない権利は憲法三五条の保障するところであり、捜索に至らない程度の行為であつてもこれを受ける者の権利を害するものであるから、状況のいかんを問わず常にかかる行為が許容されるものと解すべきでないことはもちろんであつて、かかる行為は、限定的な場合において、所持品検査の必要性、緊急性、これによつて害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況のもとで相当と認められる限度においてのみ、許容されるものと解すべきである。

 三 これを本件についてみると、所論のB巡査長の行為は、猟銃及び登山用ナイフを使用しての銀行強盗という重大な犯罪が発生し犯人の検挙が緊急の警察責務とされていた状況の下において、深夜に検問の現場を通りかかつたA及び被告人の両名が、右犯人としての濃厚な容疑が存在し、かつ、兇器を所持している疑いもあつたのに、警察官の職務質問に対し黙秘したうえ再三にわたる所持品の開披要求を拒否するなどの不審な挙動をとり続けたため、右両名の容疑を確める緊急の必要上されたものであつて、所持品検査の緊急性、必要性が強かつた反面、所持品検査の態様は携行中の所持品であるバツグの施錠されていないチヤツクを開披し内部を一べつしたにすぎないものであるから、これによる法益の侵害はさほど大きいものではなく、上述の経過に照らせば相当と認めうる行為であるから、これを警職法二条一項の職務質問に附随する行為として許容されるとした原判決の判断は正当である。
 よつて、所論違憲の主張は、前提を欠き、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 同第二の三について
 所論のうち憲法三一条、三五条一項違反をいう点は、アタツシユケースをこじ開けた前示B巡査長の行為を警職法に違反するものと認めながら、アタツシユケース及び在中の帯封の証拠能力を認めた原翻決の判断は、上記憲法の規定に違反する、というのである。
 しかし、前記ボーリングバツグの適法な開披によりすでにAを緊急逮捕することができるだけの要件が整い、しかも極めて接着した時間内にその現場で緊急逮捕手続が行われている本件においては、所論アタツシユケースをこじ開けた警察官の行為は、Aを逮捕する目的で緊急逮捕手続に先行して逮捕の現場で時間的に接着してされた捜索手続と同一視しうるものであるから、アタツシユケース及び在中していた帯封の証拠能力はこれを排除すべきものとは認められず、これらを採証した第一審判決に違憲、違法はないとした原判決の判断は正当であつて、このことは当裁判所昭和三一年(あ)第二八六三号同三六年六月七日大法廷判決(刑集一五巻六号九一五頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がない。その余の所論は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
 なお、Eから押収した証拠物に関する所論は、具体的な理由の記載を欠くので、不適法である。
 同第三について
 所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
 同第四について
 所論は、事実誤認、量刑不当の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
 よつて、刑訴法四〇八条、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 江里口清雄 裁判官 天野武一 裁判官 高辻正己 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一)

民事訴訟法 基礎演習 主張・証明責任~要件事実入門


1.要件事実論総論
(1)権利判断の規範体系
法律効果→権利の発生・障害(発生を妨げること)・消滅・阻止(行使を妨げること)

(例)
売買契約締結(555条)
障害:要素の錯誤(95条)
消滅:弁済(474条)
阻止:履行期の合意(135条1項)

修正法律要件分類説
+判例(S43.2.16)
理由
上告代理人中田義正の上告理由第一の一、二について。
所論の点に関する原審の認定、判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当としてこれを肯認することができ、その判断の過程に所論のごとき違法はなく、論旨は理由がない。
同第一の三について。
準消費貸借契約は目的とされた旧債務が存在しない以上その効力を有しないものではあるが、右旧債務の存否については、準消費貸借契約の効力を主張する者が旧債務の存在について立証責任を負うものではなく、旧債務の不存在を事由に準消費貸借契約の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解するを相当とするところ、原審は証拠により訴外居藤と上告人間に従前の数口の貸金の残元金合計九八万円の返還債務を目的とする準消費貸借契約が締結された事実を認定しているのであるから、このような場合には右九八万円の旧貸金債務が存在しないことを事由として準消費貸借契約の効力を争う上告人がその事実を立証すべきものであり、これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は理由がない。
同第一の四について。
原審の確定した事実関係に照らせば、行政書士網本の介入した本件債権譲渡の承諾ならびに弁済方法に関する契約をもつて無効であると解すべき理由は見い出しがたいから、所論の点に関する原審の判断は正当であり、諭旨は理由がない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

(2)主張責任
主張責任=訴訟物たる権利の要件事実の主張の欠如による当事者の一方の敗訴の危険のこと

(3)証明責任
証明責任=主張された要件事実の存在が証明されるに至らないことによる当事者一方の敗訴の危険

(4)当事者の攻撃防御方法

2.物上請求の請求原因事実

3.物権変動の要件事実論
所有権喪失の抗弁
+判例(S55.2.7)
理由
上告代理人酒井祝成の上告理由第一点について
記録によれば、原審における本件請求に関する当事者の主張は、次のとおりである。即ち、上告人らにおいて、(1)本件土地(第一審判決別紙目録第二に記載の土地をいう。)は、上告人ら(原告ら)、A及び被上告人(被告)の亡夫B(昭和三九年九月六日死亡)らの父であるC(昭和三四年五月二六日死亡)が昭和二八年七月三一日、Dから買い受けたのであるが、Bの所有名義に移転登記をしていたところ、Cの死亡により、上告人ら、A及びBは右土地を各共有持分五分の一の割合をもつて相続取得した、(2)しかし、登記名義をそのままにしていたため、Bの死亡に伴い、その妻である被上告人が単独で相続による所有権移転登記を経由した、(3)本件土地は、右のとおり上告人ら、A及びBが共同相続したのであるから、上告人らは、その共有持分権に基づき各持分五分の一の移転登記手続を求める、というのである。これに対し、被上告人は、本件土地はBが真実、Dから買い受けて所有権移転登記を経由したもので、Bの死亡によつて被上告人が相続取得したのであるから、上告人らの請求は理由がない、と主張するのである。
原審は、証拠に基づいて、本件土地はCがDから買い受けて所有権を取得したことを認定し、この点に関する上告人らの主張を認めて被上告人の反対主張を排斥したが、次いで、BはCから本件土地につき死因贈与を受け、Cの死亡によつて右土地の所有権を取得し、その後Bの死亡に伴い被上告人がこれを相続取得したものであると認定し、結局、右土地をCから共同相続したと主張する上告人らの請求は理由がないと判示した。
しかし相続による特定財産の取得を主張する者は、(1)被相続人の右財産所有が争われているときは同人が生前その財産の所有権を取得した事実及び(2)自己が被相続人の死亡により同人の遺産を相続した事実の二つを主張立証すれば足り、(1)の事実が肯認される以上、その後被相続人の死亡時まで同人につき右財産の所有権喪失の原因となるような事実はなかつたこと、及び被相続人の特段の処分行為により右財産が相続財産の範囲から逸出した事実もなかつたことまで主張立証する責任はなく、これら後者の事実は、いずれも右相続人による財産の承継取得を争う者において抗弁としてこれを主張立証すべきものである。これを本件についてみると、上告人らにおいて、CがDから本件土地を買い受けてその所有権を取得し、Cの死亡により上告人らがCの相続人としてこれを共同相続したと主張したのに対し、被上告人は、前記のとおり、右上告人らの所有権取得を争う理由としては、単に右土地を買い受けたのはCではなくBであると主張するにとどまつているのであるから(このような主張は、Cの所有権取得の主張事実に対する積極否認にすぎない)、原審が証拠調の結果Dから本件土地を買い受けてその所有権を取得したのはCであつてBではないと認定する以上、上告人らがCの相続人としてその遺産を共同相続したことに争いのない本件においては、上告人らの請求は当然認容されてしかるべき筋合である。しかるに、原審は、前記のとおり、被上告人が原審の口頭弁論において抗弁として主張しないBがCから本件土地の死因贈与を受けたとの事実を認定し、したがつて、上告人らは右土地の所有権を相続によつて取得することができないとしてその請求を排斥しているのであつて、右は明らかに弁論主義に違反するものといわなければならない。大審院昭和一一年(オ)第九二三号同年一〇月六日判決・民集一五巻一七七一頁は、原告が家督相続により取得したと主張して不動産の所有権確認を求める訴において、被告が右不動産は自分の買い受けたものであつて未だかつて被相続人の所有に属したことはないと争つた場合に、裁判所が、証拠に基づいて右不動産が相続開始前に被相続人から被告に対して譲渡された事実を認定し、原告敗訴の判決をしたのは違法ではないと判示しているが、右判例は、変更すべきものである。
そうして、前記違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるのが相当であるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨 裁判官 戸田弘 裁判官 中村治朗)

4.暫定真実規定と法律上の事実推定規定

5.規範的要件の要件事実
民法162条の自主占有要件も、占有権限の性質上明らかでない限り、もろもろの占有事情にてらして所有権行使の外形が存すると認められるかどうかという規範的評価の問題である。
+判例(S58.3.24)
理由
上告代理人金井清吉の上告理由第一点一について
原判決は、(1) 被上告人は、Aの長男として生れ、昭和二〇年に結婚したのちは被上告人夫婦が主体となつてAと共に農業に従事してきたが、昭和三三年元旦に本件各不動産の所有者であるAからいわゆる「お綱の譲り渡し」を受け、本件各不動産の占有を取得した、(2) 右「お綱の譲り渡し」は、熊本県郡部で今でも慣習として残つているところがあり、所有権を移転する面と家計の収支に関する権限を譲渡する面とがあつて、その両面にわたつて多義的に用いられている、(3) 被上告人は、右「お綱の譲り渡し」以後農業の経営とともに家計の収支一切を取りしきり、農業協同組合に対する借入金等の名義をAから被上告人に変更し、同組合から自己の一存で金融を得ていたほか、当初同組合からの信用を得るためその要望に応じてA所有の山林の一部を被上告人名義に移転したりし、本件各不動産の所有権の贈与を受けたと信じていた、(4) Aは、昭和四〇年三月一日死亡し、その子である被上告人及び上告人らがAを相続した、以上の事実を認定したうえ、右事実関係のもとでは、被上告人は、「お綱の譲り渡し」により、Aから家計の収支面の権限にとどまらず、本件各不動産を含む財産の処分権限まで付与されていたと認められるものの、所有権の贈与を受けたものとまでは断じ難いが、前記のように本件各不動産の所有権を取得したと信じたとしても無理からぬところがあるというべきであるとし、被上告人は本件各不動産を所有の意思をもつて占有を始めたものであり、その占有の始め善意無過失であつたから、占有開始時より一〇年を経過した昭和四三年一月一日本件各不動産を時効により取得したものと判断して、右時効取得を登記原因とする被上告人の上告人らに対する本件各不動産の所有権移転登記手続の請求を認容している。
ところで民法一八六条一項の規定は、占有者は所有の意思で占有するものと推定しており、占有者の占有が自主占有にあたらないことを理由に取得時効の成立を争う者は右占有が所有の意思のない占有にあたることについての立証責任を負うのであるが(最高裁昭和五四年(オ)第一九号同年七月三一日第三小法廷判決・裁判集民事一二七号三一七頁参照)、右の所有の意思は、占有者の内心の意思によつてではなく、占有取得の原因である権原又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるから(最高裁昭和四五年(オ)第三一五号同年六月一八日第一小法廷判決・裁判集民事九九号三七五頁、最高裁昭和四五年(オ)第二六五号同四七年九月八日第二小法廷判決・民集二六巻七号一三四八頁参照)、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかつたなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかつたものと解される事情が証明されるときは、占有者の内心の意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張を排斥しなければならないものである。しかるところ、原判決は、被上告人はAからいわゆる「お綱の譲り渡し」により本件各不動産についての管理処分の権限を与えられるとともに右不動産の占有を取得したものであるが、Aが本件各不動産を被上告人に贈与したものとは断定し難いというのであつて、もし右判示が積極的に贈与を否定した趣旨であるとすれば、右にいう管理処分の権限は所有権に基づく権限ではなく、被上告人は、A所有の本件各不動産につき、実質的にはAを家長とする一家の家計のためであるにせよ、法律的には同人のためにこれを管理処分する権限を付与されたにすぎないと解さざるをえないから、これによつて被上告人がAから取得した本件各不動産の占有は、その原因である権原の性質からは、所有の意思のないものといわざるをえない。また、原判決の右判示が単に贈与があつたとまで断定することはできないとの消極的判断を示したにとどまり、積極的にこれを否定した趣旨ではないとすれば、占有取得の原因である権原の性質によつて被上告人の所有の意思の有無を判定することはできないが、この場合においても、Aと被上告人とが同居中の親子の関係にあることに加えて、占有移転の理由が前記のようなものであることに照らすと、その場合における被上告人による本件各不動産の占有に関し、それが所有の意思に基づくものではないと認めるべき外形的客観的な事情が存在しないかどうかについて特に慎重な検討を必要とするというべきところ、被上告人がいわゆる「お綱の譲り渡し」を受けたのち家計の収支を一任され、農業協同組合から自己の一存で金員を借り入れ、その担保とする必要上A所有の山林の一部を自己の名義に変更したことがあるとの原判決挙示の事実は、いずれも必ずしも所有権の移転を伴わない管理処分権の付与の事実と矛盾するものではないから、被上告人の右占有の性質を判断する上において決定的事情となるものではなく、かえつて、右「お綱の譲り渡し」後においても、本件各不動産の所有権移転登記手続はおろか、農地法上の所有権移転許可申請手続さえも経由されていないことは、被上告人の自認するところであり、また、記録によれば、Aは右の「お綱の譲り渡し」後も本件各不動産の権利証及び自己の印鑑をみずから所持していて被上告人に交付せず、被上告人もまた家庭内の不和を恐れてAに対し右の権利証等の所在を尋ねることもなかつたことがうかがわれ、更に審理を尽くせば右の事情が認定される可能性があつたものといわなければならないのである。そして、これらの占有に関する事情が認定されれば、たとえ前記のような被上告人の管理処分行為があつたとしても、被上告人は、本件各不動産の所有者であれば当然とるべき態度、行動に出なかつたものであり、外形的客観的にみて本件各不動産に対するAの所有権を排斥してまで占有する意思を有していなかつたものとして、その所有の意思を否定されることとなつて、被上告人の時効による所有権取得の主張が排斥される可能性が十分に存するのである。しかるに原審は、前記のような事実を認定したのみで、それ以上格別の理由を示すことなく、また、さきに指摘した点等について審理を尽くさないまま、被上告人による本件各不動産の占有を所有の意思によるそれであるとし、被上告人につき時効によるその所有権の取得を肯定しているのであつて、原判決は、所有の意思に関する法令の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽ないし理由不備の違法をおかしたものというべく、右の違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右の趣旨をいう点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一)


民事訴訟法 基礎演習 釈明権


1.釈明権の意義
+(釈明権等)
第149条
1項 裁判長は、口頭弁論の期日又は期日外において、訴訟関係を明瞭にするため、事実上及び法律上の事項に関し、当事者に対して問いを発し、又は立証を促すことができる。
2項 陪席裁判官は、裁判長に告げて、前項に規定する処置をすることができる。
3項 当事者は、口頭弁論の期日又は期日外において、裁判長に対して必要な発問を求めることができる。
4項 裁判長又は陪席裁判官が、口頭弁論の期日外において、攻撃又は防御の方法に重要な変更を生じ得る事項について第1項又は第2項の規定による処置をしたときは、その内容を相手方に通知しなければならない。

2.釈明権と処分権主義・弁論主義
・釈明権、釈明義務は、裁判所の持つ後見的機能により、当事者主義の持つ短所を補完・補充し、審理の充実と効率が図れる!

・留意点!
当事者主義の裏返しにある自己責任を問いうる前提には、完全な法情報が当事者に提供されている必要がある!
釈明権の対象は、処分権主義が妥当する訴訟上の請求や弁論主義の妥当する主要事実に限られているわけではない!

3.釈明が問題となる状況
(1)消極的釈明
申立てや事実主張に対して、裁判所が不明瞭さや矛盾・瑕疵などを指摘し、それを是正するために、当事者に釈明を求める場合。

・上告審で当該釈明義務違反が審理不尽として破棄事由(上告事由)となるかどうかという問題もある。
判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があることが高等裁判所への上告の上告理由であり、最高裁判所への上告では上告理由を構成しないが、上告受理制度のもとでは破棄事由として扱われる可能性もある。
+(上告の理由)
第312条
1項 上告は、判決に憲法の解釈の誤りがあることその他憲法の違反があることを理由とするときに、することができる。
2項 上告は、次に掲げる事由があることを理由とするときも、することができる。ただし、第四号に掲げる事由については、第34条第2項(第59条において準用する場合を含む。)の規定による追認があったときは、この限りでない。
一  法律に従って判決裁判所を構成しなかったこと。
二  法律により判決に関与することができない裁判官が判決に関与したこと。
三  専属管轄に関する規定に違反したこと(第6条第1項各号に定める裁判所が第一審の終局判決をした場合において当該訴訟が同項の規定により他の裁判所の専属管轄に属するときを除く。)。
四  法定代理権、訴訟代理権又は代理人が訴訟行為をするのに必要な授権を欠いたこと。
五  口頭弁論の公開の規定に違反したこと。
六  判決に理由を付せず、又は理由に食違いがあること。
3項 高等裁判所にする上告は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があることを理由とするときも、することができる。

+判例(H17.7.14)
理由
第1 上告代理人浦田益之の上告理由について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、理由の不備・食違いをいうが、その実質は単なる法令違反を主張するものであって、上記各項に規定する事由に該当しない
第2 上告代理人浦田益之の上告受理申立て理由について
1 本件は、被上告人が、上告人に対し、運転手付き建設重機の借上げの代金等及びこれに対する遅延損害金(以下「本件代金等」という。)の支払を求める事案である。

2 本件訴訟の経緯は、次のとおりである。
(1) 第1審(平成15年11月28日判決言渡し)は、上告人に対し、被上告人への本件代金等として123万6564円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成12年10月22日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を命じた。
(2) 原審において、上告人は、次のとおり主張した。平成15年12月3日、岐阜南税務署の担当職員(以下「担当職員」という。)は、被上告人が滞納していた源泉所得税等を徴収するため、第1審判決によって上告人が支払を命じられた被上告人の上告人に対する本件代金等債権を差し押さえたことから、上告人は、同月16日、担当職員に対し、123万6564円及びこれに対する平成12年10月22日から平成15年12月16日まで年6分の割合による遅延損害金23万3761円の合計である147万0325円を支払った。
(3) そして、原審において、上告人は、担当職員が作成した上告人あての平成15年12月3日付け債権差押通知書(以下「本件債権差押通知書」という。)及び同月16日付け領収証書(以下「本件領収証書」という。)を書証として提出し、これらの取調べがされた。本件債権差押通知書には、差押債権として、第1審で認容された本件代金等の遅延損害金である「金1,236,564円に対する平成12年10月22日から支払済みまで年6分の割合による金員」との記載が、本件領収証書には、担当職員が被上告人に係る差押債権受入金として147万0325円を領収した旨の記載がある。なお、本件訴訟において、本件代金等の元本債権が差し押さえられた旨の記載がされた債権差押通知書等の書証の提出はない。

3 原審は、本件代金等の額を122万6745円及びこれに対する平成12年10月22日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金であると認定した上、上告人の上記2(2)の主張につき、上告人が、担当職員に対し、本件代金等として123万6564円及びこれに対する同日から平成15年12月16日まで年6分の割合による金員の合計額である147万0325円を支払ったことが認められるが、担当職員が差し押さえたのは、本件代金等債権のうち遅延損害金債権のみであったことが明らかであるとし、上記支払は、差押債権である123万6564円に対する平成12年10月22日から平成15年12月16日まで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金である23万3761円に係るものについてのみ弁済の効果が生じ、その余の123万6564円については、弁済の効果を主張することはできないとした。その結果、原審は、上告人に対し、上記有効な弁済額23万3761円を本件代金等の元本122万6745円に対する平成12年10月22日から平成15年12月16日まで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金である23万1854円に充当し、その残額1907円を上記元本に充当した残元本122万4838円及びこれに対する上記支払の日の翌日である同月17日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を命じた。

4 しかしながら、原審において、上告人は、第1審判決によって上告人が支払を命じられた被上告人の上告人に対する本件代金等債権を、平成15年12月3日に担当職員が差し押さえたと主張し、同日付けの本件債権差押通知書及び同月16日付けの本件領収証書を書証として提出していたことに照らすと、本件債権差押通知書につき、本件代金等債権のすべてが差し押さえられた旨の記載があるものと誤解していたことが明らかである。そして、原審は、上告人が、担当職員に対し、本件代金等として123万6564円及びこれに対する平成12年10月22日から平成15年12月16日まで年6分の割合による金員の合計額147万0325円を支払ったことを認定するところ、本件領収証書によれば、担当職員は、被上告人に係る差押債権受入金として同金額を領収しているものである。このような事情の下においては、原審は、当然に、上告人に対し、本件代金等の元本債権に対する担当職員による差押えについての主張の補正及び立証をするかどうかについて釈明権を行使すべきであったといわなければならない原審がこのような措置に出ることなく、同差押えの事実を認めることができないとし、上告人の同債権に対する弁済の主張を排斥したのは、釈明権の行使を怠った違法があるといわざるを得ず、原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある
5 以上によれば、論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない(なお、原審が、本件代金等を算定するに当たり、上告人が被上告人のために立替払したと主張する軽油等の代金額を被上告人の債権額として加算していることにも問題がある。)。そこで、更に審理を尽くさせるため、上記部分を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 横尾和子 裁判官 泉德治 裁判官 島田仁郎 裁判官 才口千晴)

++判例
《解  説》
1 本件は,Yに土木工事のために運転手付きで建設重機を貸し出すなどしたXが,Yに対し,その未払となっているとする代金等及びこれに対する遅延損害金(これらを併せて「本件代金等」という。)の支払を求めた事案である。
2 1審は,Yに本件代金等として約123万円及びこれに対する遅延損害金の支払を命じた。原審の認定するところによれば,この1審判決直後に,税務署(の担当職員。以下同じ。)が,1審が認容した金額のうちの遅延損害金部分の支払請求権を差し押さえたYは,税務署による差押債権の支払として,1審が認容した本件代金等である元本債権及び遅延損害金の合計額全額を支払ったXが控訴したところ,Yは附帯控訴し,税務署が本件代金等債権を差し押さえたことからその全額を支払った旨の抗弁を追加主張し,いずれも税務署作成のYあての上記遅延損害金債権の差押通知書(本件債権差押通知書)及びXに係る差押債権受入金として1審が認容した額である本件代金等全額(元本及び遅延損害金の合計額)につき差押債権受入金として領収した旨の記載のある領収証書(本件領収証書)を書証として提出した。
原審は,Yの税務署への支払前の段階での本件代金等の認容額が約122万円及びこれに対する遅延損害金であるとした上で,Yの上記支払の抗弁につき,Yが税務署に対し,本件代金等として1審認容額の元本及びこれに対する遅延損害金の全額を支払ったことが認められるが,税務署が差し押さえたのは本件代金等のうち遅延損害金債権のみであったことが明らかであるとし,Yの支払は,税務署による遅延損害金債権の差押えに係る金額部分についてのみ弁済の効果が生じるとし,その余の部分については弁済の効果を主張することができないとしてYにその支払を命じた。

 3 Yから上告及び上告受理申立てがされた。上告受理申立て理由は,原審には,本件代金等債権のうちの元本に対する差押えの有無について釈明義務違反があるなどというものである。
本判決は,(1)原審において,Yが1審判決によって支払を命じられた本件代金等債権(元本及び遅延損害金)を税務署が差し押さえたと主張し,本件債権差押通知書及び本件領収証書を書証として提出していたことに照らすと,Yが本件債権差押通知書につき本件代金等債権のすべてが差し押さえられた旨の記載があるものと誤解していたことが明らかであること,(2)原審は,Yが税務署に対し,本件代金債権等として1審が認容した本件代金等債権(元本及び遅延損害金)の全額を支払ったことを認定しており,その旨の本件領収証書が証拠として存在することなどの事情の下においては,原審は,Yに対し,本件代金等の元本債権に対する税務署による差押えについての主張の補正及び立証についての釈明義務違反があるとし,原判決を破棄し,これを差し戻した。

4 釈明は裁判所の権利であると同時に義務であるとされている。主張についての釈明権の行使については,最一小判昭45.6.11民集24巻6号516頁,判タ251号181頁は,「釈明の制度は,弁論主義の形式的な適用による不合理を修正し,訴訟関係を明らかにし,できるだけ事案の真相をきわめることによって,当事者間における紛争の真の解決をはかることを目的として設けられたものである」とし,釈明の内容が別個の請求原因にわたる結果となる場合であっても釈明権の行使が許される場合があるとする積極的な立場を示し,最三小判昭44.6.24民集23巻7号1156頁,判タ238号108頁は,当事者の主張事実を合理的に解釈するならば,正当な主張として構成することができ,当事者の提出した資料のうちにもこれを裏付け得るものがあるときは,裁判所に釈明すべき義務があるとしている。また,立証についての釈明権の不行使が違法とされたものとして,最三小判昭31.5.15民集10巻5号496頁,判タ59号60頁,最二小判昭39.6.26民集18巻5号954頁,判タ164号92頁,最三小判昭58.6.7判タ502号92頁,最一小判昭61.4.3判タ607号50頁,最一小判平8.2.22判タ903号108頁などがある。
主張及び証拠の申出は,本来当事者の判断と責任で行われるべきものであるが,積極的釈明義務の有無については,判決における勝敗転換のがい然性,当事者の申立て・主張における裁判所との法的見解の食違いによる法的構成の不備,適切な申立てや主張を当事者側に期待できる場合か否か,当事者間の公平,一回的紛争解決の要請などが考慮されるべき要因として挙げられているところである(中野貞一郎「釈明権」小山昇ほか編・演習民事訴訟法(上)365頁)。

5 なお,本件では,上告事件と上告受理申立て事件を併せて判決がされている。これは,論旨とはされていないものの,原判決には,本件代金等を算定するに当たり,YがXのために立替払したと主張する軽油等の代金額をXの債権額として加算するという理由の食違いがあったことから,上告事件についても,決定手続によらずに貎上あえて判決において判断が示されたものと思われる。
6 本判決は,主張及び証拠の申出に関する釈明権義務違反について,最高裁が一事例を示したものであり,実務の参考になると思われるので紹介する。

(2)積極的釈明

積極的釈明については、個別的事情を考慮しつつ、釈明義務違反の判断をするしかない・・・。

(3)裁判所の釈明義務と中立性
・ケース1の場合
かかる判断は、主張・証拠及び弁論の全趣旨から訴えの変更のよりどころが表れている場合にのみ可能!

・ケース2の場合
直接勝訴につながるような釈明は裁判所の中立性を害してしまうのではないか?

+判例(S31.12.28)
理由
上告代理人宗宮信次、同鍵山鉄樹、同川合昭三、同真木桓の上告理由第一点について。
所論原審の陳述は、本件一七五番山林の客観的範囲を明らかならしめる事情を陳述したにとどまり、その取得時効完成の要件事実を陳述したものとは解されないのみならず、仮りに、その陳述の真意が後者を陳述するにあつたとしても、時効を援用する趣旨の陳述がなかつたのであるから、原審が時効取得の有無を判断しなかつたのは不当でなく、その陳述の足らなかつたことの責任を裁判所に転嫁し、釈明権不行使の違法をもつて非難し得べき限りではない

同第二点について。
本件は控訴審で請求を減縮した場合であつて、その減縮した部分については初めより係属しなかつたものとみなされ、この部分に対する第一審判決は、おのずからその効力を失い控訴は残余の部分に対するものとなるから、この部分につき第一審判決を変更する理由がないときは控訴棄却の判決をなすべきものであること、当裁判所の判例とするところである(昭和二四年一一月八日第三小法廷判決、集三巻四九五頁)。されば原審が控訴棄却の判決をしたことは正当であり、所論の違法はない。

同第三点について。
本件鑑定命令は、鑑定書の内容と照合すれば営林技手たる鑑定人に対し営林当局者の思惟する字境について実測図の作成を命じた趣旨と解することができ正当な鑑定事項であり、また、所論鑑定人が所論実測図謄本を訴訟手続外で入手し、これを鑑定の資料としたものとしても、その一事により直ちに鑑定の結果を採用し得なくなるわけではなく、右実測図謄本は、本件鑑定人がその特別の知識経験により正確と認めて鑑定の資料に採用したものであることが、鑑定書の記載を通じて看取し得る以上、これを使用してなした鑑定を採用したことをもつて違法であるとはいえない。原判決には所論の違法は認め難い。

同第四点について。
所論第一審判決添付の図面には、「鑑定書添付図面」を引用した趣旨の記載があり、右は鑑定書中三角点標を不動点とし20号点とした旨の記載及び鑑定書添付の鑑定図面に同封され、各点間の方位、実測距離、傾度、水平距離を記載した測量野帳をも併せ引用した趣旨と解されるから、図面記載の記号が現地のいずれに当るかを識別しうる記載に欠けるところはなく、原判決には所論の違法はない。

同第五点について。
原審における上告人の主張は、一七五番山林中に境界を区劃してその一部を売り渡したというのではなく、一筆の土地たる一七五番山林の隣地一六〇番の四山林との境界を所論の線と指示して引渡を了したというのであるから、右にいう境界とは異筆の土地の間の境界である。しかし、かかる境界は右一七五番山林が一六〇番の四山林と区別されるため客観的に固有するものというべく、当事者の合意によつて変更処分し得ないものであつて、境界の合意が存在したことは単に右客観的境界の判定のための一資料として意義を有するに止まり、証拠によつてこれと異なる客観的境界を判定することを妨げるものではない。原判決には所論の違法はない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克)

(4)法律上の事項に関し~一般条項についての釈明~
法適用については、適用されるべき事実を当事者が提出する権限を負わされているところからすれば、裁判所が訴訟に顕れた法律構成以外の法的見解が妥当であると考えた場合には、その法的見解のもとで両当事者は事実主張を交える機会を保障されなければならないはずである!!!!→新たな法的見解を当事者に対して釈明せずにした判決については、釈明義務違反ありとしなければならない!!!!!!

+判例(S42.11.16)
理由
上告代理人新具康男の上告理由第三点について。
原審は、訴外Aが、株式会社滋賀相互銀行に対し、本件不動産について有する二分の一の持分権(以下本件物件という)の上に債権極度額を金一〇万円とする根抵当権を設定し、同時に、債務を期限に弁済しないときは右物件の所有権を同相互銀行に移転すべき旨の停止条件付代物弁済契約を結び、右根抵当権設定登記および停止条件付代物弁済契約に基づく所有権移転請求権保全の仮登記を経由したこと、次いで被上告人は、右Aの承諾のもとに、滋賀相互銀行からAに対する債権とこれに従たる前記根抵当権および停止条件付代物弁済契約上の権利を譲り受け、右両権利につき各移転の登記を経由したこと、昭和三六年六月一〇日、被上告人とAとの間において、債権額を金八万七五九〇円、その弁済期を同年八月二〇日、利息を日歩五銭、右期限後の遅延損害金を日歩一〇銭と合意し、前記根抵当権を右確定債権を被担保債権とする抵当権に変更し、その旨の変更登記を了したこと、ところが、Aにおいて右弁済期を過ぎても債務の支払をしなかつたため、被上告人が、本件物件の所有権を取得したと主張して、Aに対し、前記仮登記の本登記手続をなすべき旨訴求し、同人はこの請求を認諾したこと、一方、上告人は、右Aに対する大阪地方裁判所昭和三五年(ワ)第四九九六号貸金ならびに保証債務履行請求事件の執行力ある判決正本に基づき、大津地方裁判所彦根支部に本件物件につき強制競売の申立をし、同裁判所は昭和三八年九月三日強制競売開始決定をなし、右強制競売の申立が登記簿に記入されたこと、をそれぞれ確定している。
思うに、代物弁済契約とは、本来の給付に代えて他の給付をすることにより既存債務を消滅せしめるものであるが、たとえ契約書に特定物件をもつて代物弁済をする旨の記載がなされている場合であつても、その実質が本来の代物弁済契約ではなく、単にその形式を借りて目的物件から債権の優先弁済を受けようとしているに過ぎない場合がありうる(当裁判所昭和四一年(オ)第一五八号同年九月二九日第一小法廷判決民集二〇卷七号一四〇八頁参照)。ことに、貸金債権担保のため不動産に抵当権を設定し、これに併せて該不動産につき停止条件付代物弁済契約または代物弁済の予約を締結した形式が採られている場合で、契約時における当該不動産の価格と弁済期までの元利金額とが合理的均衡を失するような場合には、特別な事情のないかぎり、債務者が弁済期に弁済しないときは債権者において目的物件を換価処分し、これによつて得た金員から債権の優先弁済を受け、もし換価金額が元利金を超えれば、その超過分はこれを債務者に返還する趣旨であると解するのが相当である。そしてこのような場合には、代物弁済の形式がとられていても、その実質は担保権と同視すべきものである(当裁判所昭和三九年(オ)第四四〇号同四一年四月二八日第一小法廷判決民集二〇卷四号九〇〇頁参照)。すなわち、この場合は、特定物件の所有権を移転することによつて既存債務を消滅せしめる本来の代物弁済とは全く性質を異にするものであり、停止条件成就ないし予約完結後であつても、換価処分前には、債務者は債務を弁済して目的物件を取り戻しうるのである
いま叙上の見地に立つて本件を見るに、被上告人が滋賀相互銀行から承継したAとの間の契約には停止条件付代物弁済契約なる文言が使用されていたにせよ、原審としては、代物弁済なる文字に拘泥することなく、すべからく、この観点に立つて、その性質を明らかにすべきであつたのである(上告人は、原審において、本件物件につき停止条件付代物弁済契約が結ばれたことを認めているが、ここで取り上げているのは契約の解釈についての法律上の問題であり、かりにその点についてまで当事者間で見解の合致があるとしても、裁判所がこれと異なる法律判断をすることの妨げとなるものではないのである。)。そして本件の目的物件に対し抵当権が設定されていたことは前記認定のとおりであり、かつ、右物件の価額が債権額に比し遥に大であり、その間に不均衡のあることが上告人より主張され、原審もその不均衡を必ずしも否定せざる以上、裁判所はすべからく釈明権を行使すべきであり、その結果、右の事情の下において、もし被上告人のいうところの停止条件付代物弁済契約が、債権の優先弁済を受けることを目的とし、権利者に清算義務を負わせることを内容とする一種の担保契約に過ぎないことが明らかになるにおいては、被上告人の権利主張は、その債権についての優先弁済権を主張しその満足をはかる範囲に限られるべく、これを超えて、その地位を上告人に対抗せしめ、その執行を全面的に俳除するがごときは、必要以上に被上告人を保護し、第三者に損害を及ぼすものとして、許されないところといわなければならない。すなわち、このような場合には、被上告人の第三者異議の訴、ないしその前提をなす本登記手続承諾請求の訴は、許すべからざるものとなるわけである。
しからば、かかる点に深く思いを致すことなく、代物弁済という文言にとらわれて、本来の意味における代物弁済の停止条件付契約が成立しているものと速断した原判決には、契約内容の確定につき審理不尽の違法があるものというべく、この点において上告人の所論は理由がある。
よつて、その余の点に関する判断を省略して原判決を破棄し、さらに右の点について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきものとし、民訴法四〇七条に則り、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松田二郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎)

+判例(S62.2.12)
理由
上告代理人木幡尊の上告理由について
一 債務者がその所有不動産に譲渡担保権を設定した場合において、債務者が債務の履行を遅滞したときは、債権者は、目的不動産を処分する権能を取得し、この権能に基づき、目的不動産を適正に評価された価額で確定的に自己の所有に帰せしめるか又は第三者に売却等をすることによつて、これを換価処分し、その評価額又は売却代金等をもつて自己の債権(換価に要した相当費用額を含む。)の弁済に充てることができ、その結果剰余が生じるときは、これを清算金として債務者に支払うことを要するものと解すべきであるが(最高裁昭和四二年(オ)第一二七九号同四六年三月二五日第一小法廷判決・民集二五巻二号二〇八頁参照)、他方、弁済期の経過後であつても、債権者が担保権の実行を完了するまでの間、すなわち、(イ)債権者が目的不動産を適正に評価してその所有権を自己に帰属させる帰属清算型の譲渡担保においては、債権者が債務者に対し、目的不動産の適正評価額が債務の額を上回る場合にあつては清算金の支払又はその提供をするまでの間、目的不動産の適正評価額が債務の額を上回らない場合にあつてはその旨の通知をするまでの間、(ロ)目的不動産を相当の価格で第三者に売却等をする処分清算型の譲渡担保においては、その処分の時までの間は、債務者は、債務の全額を弁済して譲渡担保権を消滅させ、目的不動産の所有権を回復すること(以下、この権能を「受戻権」という。)ができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四六年(オ)第五〇三号同四九年一〇月二三日大法廷判決・民集二八巻七号一四七三頁、昭和五五年(オ)第一五三号同五七年一月二二日第二小法廷判決・民集三六巻一号九二頁参照)。
けだし、譲渡担保契約の目的は、債権者が目的不動産の所有権を取得すること自体にあるのではなく、当該不動産の有する金銭的価値に着目し、その価値の実現によつて自己の債権の排他的満足を得ることにあり、目的不動産の所有権取得はかかる金銭的価値の実現の手段にすぎないと考えられるからである。
右のように、帰属清算型の譲渡担保においては、債務者が債務の履行を遅滞し、債権者が債務者に対し目的不動産を確定的に自己の所有に帰せしめる旨の意思表示をしても、債権者が債務者に対して清算金の支払若しくはその提供又は目的不動産の適正評価額が債務の額を上回らない旨の通知をしない限り、債務者は受戻権を有し、債務の全額を弁済して譲渡担保権を消滅させることができるのであるから、債権者が単に右の意思表示をしただけでは、未だ債務消滅の効果を生ぜず、したがつて清算金の有無及びその額が確定しないため、債権者の清算義務は具体的に確定しないものというべきである。もつとも、債権者が清算金の支払若しくはその提供又は目的不動産の適正評価額が債務の額を上回らない旨の通知をせず、かつ、債務者も債務の弁済をしないうちに、債権者が目的不動産を第三者に売却等をしたときは、債務者はその時点で受戻権ひいては目的不動産の所有権を終局的に失い、同時に被担保債権消滅の効果が発生するとともに、右時点を基準時として清算金の有無及びその額が確定されるものと解するのが相当である。

二 ところで、記録によれば、本件訴訟は次のような経過をたどつていることが明らかである。すなわち、上告人は、第一審において、被上告人に対し、原判決添付の物件目録1ないし21記載の各土地(以下、一括して「本件土地」という。)について譲渡担保の目的でされた、被上告人を権利者とする第一審判決添付の登記目録記載の各所有権移転請求権仮登記の抹消登記手続を求めたところ、受戻権の要件たる債務弁済の事実が認められないとして、請求を棄却されたため、原審において、清算金の支払請求に訴えを交換的に変更した。そして、上告人は、本件譲渡担保が処分清算型の譲渡担保であることを前提としつつ、被上告人が昭和五七年五月一〇日にした訴外Aに対する本件土地の売却によつて被上告人の上告人に対する清算金支払義務が確定したとして、右の時点を基準時とし、被上告人・A間の裏契約による真実の売買代金額又は本件土地の客観的な適正価格に基づいて、清算金の額を算定すべきものと主張した。これに対し、被上告人は、右売却時を基準時として清算金の額を算定すること自体は争わず、Aに対する売却価額七五〇〇万円が適正な価額であるとし、右価額から被上告人の上告人に対する債権額及び上告人の負担に帰すべき費用等の額を控除すると、上告人に支払うべき清算金は存在しない旨主張し、原審においては、専ら、(イ)Aに対する売却価額七五〇〇万円が適正な価額であるかどうか、(ロ)被上告人とAとの間に上告人主張の裏契約があつたか否か、(ハ)清算にあたつて控除されるべき費用等の範囲及びその額について主張・立証が行われ、(イ)の争点については、上告人の申請に基づき、右売却処分時における本件土地の適正評価額についての鑑定が行われた。そして、本件譲渡担保が帰属清算型であることについては、当事者双方から何らの主張もなく、その点についての立証が尽くされたとは認められず、原審がその点について釈明をした形跡も全くない。!!!

三 原審は、その認定した事実関係に基づき、本件譲渡担保は、期限までに被担保債務が履行されなかつたときは債権者においてその履行に代えて担保の目的を取得できる趣旨の、いわゆる帰属清算型の譲渡担保契約であると認定したうえ、被上告人は、昭和四六年五月四日付内容証明郵便をもつて、上告人に対し、本件譲渡担保の被担保債権である貸金を同月二〇日までに返済するよう催告するとともに、右期限までにその支払がないときは、本件土地を被上告人の所有とする旨の意思表示をしたが、上告人が右期限までにその支払をしなかつたので、右内容証明郵便による譲渡担保権行使の意思表示が上告人に到達した同月七日をもつて、本件譲渡担保の目的たる本件土地に関する権利が終局的に被上告人に帰属するに至つたというべきであり、被上告人とAとの間の本件土地の売買契約は、右権利が終局的に被上告人に帰属した後にされたものであつて、譲渡担保権の行使としてされたものではなく、上告人と被上告人との間の清算は、譲渡担保権行使の意思表示が上告人に到達した昭和四六年五月七日を基準時として、当時の本件土地に関する権利の適正な価格と右貸金の元利金合計額との間でされるべきであるところ、この場合の清算金の有無及びその金額につき上告人は何らの主張・立証をしないから、その余の点について判断するまでもなく、上告人の請求は理由がないとして、これを棄却すべきものと判断している。

四 しかしながら、原審の右認定判断は、前示の審理経過に照らすと、いかにも唐突であつて不意打ちの感を免れず、本件において当事者が処分清算型と主張している譲渡担保契約を帰属清算型のものと認定することにより、清算義務の発生時期ひいては清算金の有無及びその額が左右されると判断するのであれば、裁判所としては、そのような認定のあり得ることを示唆し、その場合に生ずべき事実上、法律上の問題点について当事者に主張・立証の機会を与えるべきであるのに、原審がその措置をとらなかつたのは、釈明権の行使を怠り、ひいて審理不尽の違法を犯したものといわざるを得ない。 
のみならず、譲渡担保権の行使に伴う清算義務に関する原審の判断は、到底これを是認することができない。前示のように、帰属清算型の譲渡担保においては、債務者が債務の履行を遅滞し、債権者が債務者に対し目的不動産を確定的に自己の所有に帰せしめる旨の意思表示をしただけでは、債権者の清算義務は具体的に確定するものではないというべきであり、債権者が債務者に対し清算金の支払若しくはその提供又は目的不動産の適正評価額が債務の額を上回らない旨の通知をせず、かつ、債務者も債務全額の弁済をしないうちに、債権者が目的不動産を第三者に売却等をしたときは、債務者は受戻権ひいては目的不動産の所有権を終局的に失い、債権消滅の効果が発生するとともに、右時点を基準時として清算金の有無及びその額が確定されるに至るものと解されるのであつて、この観点に立つて本件をみると、本件譲渡担保が帰属清算型の譲渡担保であるとしても、被上告人が、本件土地を確定的に自己の所有に帰属させる旨の前記内容証明郵便による意思表示とともに又はその後において、上告人に対し清算金の支払若しくはその提供をしたこと又は本件土地の適正評価額が上告人の債務の額を上回らない旨の通知をしたこと、及び上告人が貸金債務の全額を弁済したことは、当事者において主張せず、かつ、原審の確定しないところであるから、被上告人が本件土地をAに売却した時点において、上告人は受戻権ひいては本件土地に関する権利を終局的に失い、他方被上告人の上告人に対する貸金債権が消滅するとともに、清算金の有無及びその額は右時点を基準時として確定されるべきことになる。そして、右清算義務の確定に関する事実関係は、原審において当事者により主張されていたものというべきである。そうとすれば、原審としては、被上告人が本件土地をAに売却した時点における本件土地の適正な評価額(同人への売却価額七五〇〇万円が適正な処分価額であつたか否か)並びに右時点における被上告人の上告人に対する債権額及び上告人の負担に帰すべき費用等の額を認定して、清算金の有無及びその金額を確定すべきであつたのであり、漫然前記のように判示して上告人の請求を棄却した原審の判断は、法令の解釈適用を誤り、ひいて理由不備ないし審理不尽の違法を犯したものといわざるを得ない
そして、右の各違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないものというべきであり、本件については、さらに審理を尽くさせる必要があるから、これを原裁判所に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 髙島益郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎)

・一般条項の適用について
口頭弁論に直接抗弁として顕れてはいないが、主張する事実や証拠などから一般条項の抗弁を基礎付ける事実が明らかとなっている場合。
→裁判所は、一般条項に違反するとみる可能性があることを釈明しない限り、判決の根拠とすることはできない!!
ただし、釈明しても提出されない場合トカも・・・
そんな時は一般条項に基づいた判断をしてもいいのではないか。

(5)立証を促す釈明

4.おわりに