民法 気になる判例 相殺


+判例(H25.2.28)
理 由
 上告代理人前田陽司,同黒澤幸恵,同那須由佳里の上告受理申立て理由第2の1
について
 1 本件の本訴請求は,被上告人が,自己の所有する不動産に設定した根抵当権について,その被担保債権である貸付金債権が相殺等により消滅したとして,上告人に対し,所有権に基づき,根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めるものであり,反訴請求は,上告人が,被上告人に対し,上記貸付金の残元金27万6507円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めるものである。被上告人による上記相殺につき,被上告人は自働債権の時効消滅以前に相殺適状にあったから民法508条によりその相殺の効力が認められると主張するのに対し,上告人は同相殺が無効であると主張して争っている。

2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 被上告人は,貸金業者である上告人との間で,平成7年4月17日から平成8年10月29日まで,利息制限法所定の制限を超える利息の約定で継続的な金銭消費貸借取引を行った。この取引の結果,同日時点において,18万0953円の過払金が発生していた(以下,この過払金に係る不当利得返還請求権を「本件過払金返還請求権」という。)。
(2) 被上告人は,平成14年1月23日,貸金業者であるA株式会社との間で,金銭消費貸借取引等による債務を担保するため,自己の所有する第1審判決別紙物件目録記載の各不動産に極度額を700万円とする根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)を設定した。
Aは,同月31日,被上告人に対し,457万円を貸し付けた。この金銭消費貸借契約には,被上告人が同年3月から平成29年2月まで毎月1日に約定の元利金を分割弁済することとし,その支払を遅滞したときは当然に期限の利益を喪失する旨の特約(以下「本件特約」という。)があった。
上告人は,平成15年1月6日,Aを吸収合併する旨の登記を完了して,被上告人に対する貸主の地位を承継した。
被上告人は,A及び上告人に対し,上記の貸付けに係る元利金について継続的に弁済を行い,平成22年6月2日の時点において,残元金の額は188万8111円であった(以下,この残元金に係る債権を「本件貸付金残債権」という。)。被上告人は,同年7月1日の返済期日における支払を遅滞したため,本件特約に基づき,同日の経過をもって期限の利益を喪失した。
(3) 被上告人は,平成22年8月17日,上告人に対し,本件過払金返還請求権を含む合計28万1740円の債権を自働債権とし,本件貸付金残債権を受働債権として,対当額で相殺する旨の意思表示をした。さらに,被上告人は,同年11月15日までに,上告人に対し,上記の相殺が有効である場合における本件貸付金残債権の残元利金に相当する166万8715円を弁済した。
(4) 本件根抵当権の元本は確定しているところ,被上告人は,上記の相殺及び弁済により,その被担保債権は消滅したと主張している。
(5) 上告人は,平成22年9月28日,被上告人に対し,本件過払金返還請求権については,上記(1)の取引が終了した時点から10年が経過し,時効消滅しているとして,その時効を援用する旨の意思表示をした。

3 原審は,次のとおり判断して,本訴請求を認容すべきものとし,反訴請求を棄却した。
(1) 本件貸付金残債権は,貸付けの時点で発生し,被上告人としては,期限の利益を放棄しさえすれば,これを受働債権として本件過払金返還請求権と相殺することができたのであるから,Aの吸収合併により上告人と被上告人との間で債権債務の相対立する関係が生じた平成15年1月6日の時点で,本件過払金返還請求権と本件貸付金残債権とは相殺適状にあったといえる。
(2) そうすると,被上告人は,民法508条により,消滅時効が援用された本件過払金返還請求権と本件貸付金残債権とを対当額で相殺することができるから,本件根抵当権の被担保債権である貸付金債権は,相殺及び弁済により全て消滅した。

4 しかしながら,原審の相殺に関する上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
民法505条1項は,相殺適状につき,「双方の債務が弁済期にあるとき」と規定しているのであるから,その文理に照らせば,自働債権のみならず受働債権についても,弁済期が現実に到来していることが相殺の要件とされていると解される。また,受働債権の債務者がいつでも期限の利益を放棄することができることを理由に両債権が相殺適状にあると解することは,上記債務者が既に享受した期限の利益を自ら遡及的に消滅させることとなって,相当でない。したがって,既に弁済期にある自働債権と弁済期の定めのある受働債権とが相殺適状にあるというためには,受働債権につき,期限の利益を放棄することができるというだけではなく,期限の利益の放棄又は喪失等により,その弁済期が現実に到来していることを要するというべきである。

 5 これを本件についてみると,本件貸付金残債権については,被上告人が平成22年7月1日の返済期日における支払を遅滞したため,本件特約に基づき,同日の経過をもって,期限の利益を喪失し,その全額の弁済期が到来したことになり,この時点で本件過払金返還請求権と本件貸付金残債権とが相殺適状になったといえる。そして,当事者の相殺に対する期待を保護するという民法508条の趣旨に照らせば,同条が適用されるためには,消滅時効が援用された自働債権はその消滅時効期間が経過する以前に受働債権と相殺適状にあったことを要すると解される。前記事実関係によれば,消滅時効が援用された本件過払金返還請求権については,上記の相殺適状時において既にその消滅時効期間が経過していたから,本件過払金返還請求権と本件貸付金残債権との相殺に同条は適用されず,被上告人がした相殺はその効力を有しない。そうすると,本件根抵当権の被担保債権である上記2(2)の貸付金債権は,まだ残存していることになる。

 6 以上と異なり,本件過払金返還請求権を自働債権とし,本件貸付金残債権を受働債権とする相殺の効力を認めた原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,原判決中主文第1項に係る被上告人の本訴請求部分は理由がないから,同部分につき,第1審判決を取り消し,被上告人の本訴請求を棄却することとする。また,原判決中主文第2項に係る上告人の反訴請求部分については,上記2(2)の貸付金債権の残額等につき更に審理を尽くさせるため,同部分につき本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山浦善樹 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官横田尤孝 裁判官 白木 勇)

++解説
ほしいいいいいい!


行政法 基本行政法 行政処分手続(1) 成田新法


1.行手法の意義
(1)行政手続の重要性
+(目的等)
第1条
1項 この法律は、処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。第46条において同じ。)の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする。
2項 処分、行政指導及び届出に関する手続並びに命令等を定める手続に関しこの法律に規定する事項について、他の法律に特別の定めがある場合は、その定めるところによる。

・憲法と行政手続き
+判例(H4.7.1.)成田新法事件
理由
一 被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しの訴えについて
職権をもって調査するに、上告人は、本件訴えにおいて、被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しを求めているところ、右処分は、別紙記載の建築物の所有者である上告人に対し、昭和六〇年二月六日から昭和六一年二月五日までの間右工作物を新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法(昭和五九年法律第八七号による改正前のもの。以下「本法」という。)三条一項一号又は二号の用に供することを禁止することを命ずるものであり、右処分の効力は、昭和六一年二月五日の経過により失われるに至ったから、その取消しを求める法律上の利益も消滅したものといわざるを得ない。そうすると、右処分の取消しを求める訴えはこれを却下すべきであり、右訴えに係る請求につき本案の判断をした原判決は失当であることに帰するから、原判決のうち右請求に関する部分を破棄し、右訴えを却下すべきである。

二 被上告人運輸大臣がしたその余の処分の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えについて
1 上告代理人高橋庸尚の上告理由第一点の(一)のうち、本法は制定の経緯、態様に照らして拙速を免れず、法全体として違憲無効であるという点について
本法の法案が衆議院及び参議院でそれぞれ可決されたものとされ、昭和五三年五月一三日、同年法律第四二号として公布されたものであることは公知の事実であるところ、法案の審議にどの程度の時間をかけるかは専ら各議院の判断によるものであり、その時間の長短により公布された法律の効力が左右されるものでないことはいうまでもない。論旨は、独自の見解であって、採用することができない。

2 同第一点の(二)について
現代民主主義社会においては、集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に意見や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法二一条一項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものである。
しかしながら、集会の自由といえどもあらゆる場合に無制限に保障されなければならないものではなく、公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。そして、このような自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。
原判決が本法制定の経緯として認定するところは、次のとおりである。新東京国際空港(以下「新空港」という。)の建設に反対する上告人及び上告人を支援するいわゆる過激派等による実力闘争が強力に展開されたため、右建設が予定より大幅に遅れ、ようやく新空港の供用開始日を昭和五三年三月三〇日とする告示がされたが、その直前の同月二六日に、上告人の支援者である過激派集団が新空港内に火炎車を突入させ、新空港内に火炎びんを投げるとともに、管制塔に侵入してレーダーや送受信器等の航空管制機器類を破壊する等の事件が発生したため、右供用開始日を同年五月二〇日に延期せざるを得なくなった。このような事態に対し、政府は、同年三月二八日に過激派集団の暴挙を厳しく批判し、新空港を不法な暴力から完全に防護するための抜本的対策を強力に推進する旨の声明を発表した。また、国会においても、衆議院では同年四月六日に、参議院でも同月一〇日に、全会一致又は全党一致で、過激派集団の破壊活動を許し得ざる暴挙と断じた上、政府に対し、暴力排除に断固たる処置を採るとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきこと及び新空港の平穏と安全を確保し、我が国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきことを求める決議をそれぞれ採択した。本法は、右のような過程を経て議員提案による法律として成立したものである。
本法は、新空港若しくはその機能に関連する施設の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する暴力主義的破壊活動を防止するため、その活動の用に供される工作物の使用の禁止等の措置を定め、もって新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資することを目的としている(一条)。本法において「暴力主義的破壊活動等」とは、新空港若しくは新空港における航空機の離陸若しくは着陸の安全を確保するために必要な航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるもの(以下、右の航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるものを「航空保安施設等」という。)の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する刑法九五条等に規定された一定の犯罪行為をすることをいうと定義され(二条一項)、「暴力主義的破壊活動者」とは、暴力主義的破壊活動等を行い又は行うおそれがあると認められる者をいうと定義されている(同条二項)。
ところで、本法三条一項一号は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物が多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供され又は供されるおそれがあると認めるときは、運輸大臣は、当該工作物の所有者等に対し、期限を付して当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができるとしているが、同号に基づく工作物使用禁止命令により当該工作物を多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することが禁止される結果、多数の暴力主義的破壊活動者の集会も禁止されることになり、ここに憲法二一条一項との関係が問題となるのである。
そこで検討するに、本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により保護される利益は、新空港若しくは航空保安施設等の設置、管理の安全の確保並びに新空港及びその周辺における航空機の航行の安全の確保であり、それに伴い新空港を利用する乗客等の生命、身体の安全の確保も図られるのであって、これらの安全の確保は、国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から極めて強く要請されるところのものである。他方、右工作物使用禁止命令により制限される利益は、多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物を集合の用に供する利益にすぎない。しかも、前記本法制定の経緯に照らせば、暴力主義的破壊活動等を防止し、前記新空港の設置、管理等の安全を確保することには高度かつ緊急の必要性があるというべきであるから、以上を総合して較量すれば、規制区域内において暴力主義的破壊活動者による工作物の使用を禁止する措置を採り得るとすることは、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。また、本法二条二項にいう「暴力主義的破壊活動等を行い、又は行うおそれがあると認められる者」とは、本法一条に規定する目的や本法三条一項の規定の仕方、さらには、同項の使用禁止命令を前提として、同条六項の封鎖等の措置や同条八項の除去の措置が規定されていることなどに照らし、「暴力主義的破壊活動を現に行っている者又はこれを行う蓋然性の高い者」の意味に解すべきである。そして、本法三条一項にいう「その工作物が次の各号に掲げる用に供され、又は供されるおそれがあると認めるとき」とは、「その工作物が次の各号に掲げる用に現に供され、又は供される蓋然性が高いと認めるとき」の意味に解すべきである。したがって、同項一号が過度に広範な規制を行うものとはいえず、その規定する要件も不明確なものであるとはいえない。 
以上のとおりであるから、本法三条一項一号は、憲法二一条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

3 同第一点の(三)について
本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物に居住することができなくなるとしても、右工作物使用禁止命令は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づき、高度かつ緊急の必要性の下に発せられるものであるから、右工作物使用禁止命令によってもたらされる居住の制限は、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。
したがって、本法三条一項一号は、憲法二二条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、本法三条一項三号についても憲法二二条一項違反を主張しているが、右三号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

4 同第一点の(四)について
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令は、当該工作物を、(1) 多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること、(2) 暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること、又は(3) 新空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用に供することの三態様の使用を禁止するものである。そして、右三態様の使用のうち、多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することを禁止することが、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものであることは前記のとおりであり、この点は他の二態様の使用禁止についても同様であるから、右三態様の使用禁止は財産の使用に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限であるといわなければならない。また、本法三条一項一号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりであり、同項二号の規定する要件も不明確なものであるとはいえない。
したがって、本法三条一項一、二号は、憲法二九条一、二項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、同項三号についてもその規定する要件が不明確であると主張するが、同号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

5 同第一点の(五)について
憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない
しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

6 同第一点の(六)について
憲法三五条の規定は、本来、主として刑事手続における強制につき、それが司法権による事前の抑制の下に置かれるべきことを保障した趣旨のものであるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における強制の一種である立入りにすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、当該立入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるかどうか、また、強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。 
本法三条三項は、運輸大臣は、同条一項の禁止命令をした場合において必要があると認めるときは、その職員をして当該工作物に立ち入らせ、又は関係者に質問させることができる旨を規定し、その際に裁判官の令状を要する旨を規定していない。しかし、右立入り等は、同条一項に基づく使用禁止命令が既に発せられている工作物についてその命令の履行を確保するために必要な限度においてのみ認められるものであり、その立入りの必要性は高いこと、右立入りには職員の身分証明書の携帯及び提示が要求されていること(同条四項)、右立入り等の権限は犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならないと規定され(同条五項)、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものではないこと、強制の程度、態様が直接的物理的なものではないこと(九条二項)を総合判断すれば、本法三条一、三項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえない。 
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

7 同第二点ないし第五点について
所論の点に関する原審の認定判断は正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論違憲の主張は、前記説示と異なる前提に立つか又は独自の見解にすぎない。論旨は、いずれも採用することができない。
8 以上のとおり、被上告人運輸大臣がした前記一の使用禁止命令以外の使用禁止命令の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えに関する上告人の上告は、すべて理由がなく、これを棄却すべきである。

三 結論
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫、同可部恒雄の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+意見
上告理由第一点の(五)についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。
私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見の結論には同調するが、その理由を異にするので、以下、私の意見を述べることとする。
私は、行政庁の処分のうち、少なくとも、不利益処分(名宛人を特定して、これに義務を課し、又はその権利利益を制限する処分)については、法律上、原則として、弁明、聴聞等何らかの適正な事前手続の規定を置くことが、必要であると考える。このように行政手続を法律上整備すること、すなわち、行政手続法ないし行政手続条項を定めることの憲法上の根拠については、従来、意見が分かれるところであるが、上告理由は、これを憲法三一条に求めている。確かに、判例及び学説の双方にわたって、憲法三一条の法意の比較法的検討をめぐる議論が、我が国の行政手続法理の発展に寄与してきたことは、高く評価すべきことである。しかしながら、我が国を含め現代における各国の行政法理論及び行政法制度の発展状況を見ると、いわゆる法治主義の原理(手続的法治国の原理)、法の適正な手続又は過程(デュー・プロセス・オヴ・ロー)の理念その他行政手続に関する法の一般原則に照らして、適正な行政手続の整備が行政法の重要な基盤であることは、もはや自明の理とされるに至っている。したがって、我が国でも、憲法上の個々の条文とはかかわりなく、既に多数の行政法令に行政手続に関する規定が置かれており、また、現在、行政手続に関する基本法の制定に向けて努力が重ねられているところである。もとより、個別の行政庁の処分の趣旨・目的に照らし、刑事上の処分に準じた手続によるべきものと解される場合において、適正な手続に関する規定の根拠を、憲法三一条又はその精神に求めることができることはいうまでもない。
ところで、一般に、行政庁の処分は、刑事上の処分と異なり、その目的、種類及び内容が多種多様であるから、不利益処分の場合でも、個別的な法令について、具体的にどのような事前手続が適正であるかを、裁判所が一義的に判断することは困難というべきであり、この点は、立法当局の合理的な立法政策上の判断にゆだねるほかはないといわざるを得ない。行政手続に関する基本法の制定により、適正な事前手続についての的確な一般的準則を明示することは、この意味においても重要なのである。
もっとも、不利益処分を定めた法令に事前手続に関する規定が全く置かれていないか、あるいは事前手続に関する何らかの規定が置かれていても、実質的には全く置かれていないのと同様な状態にある場合は、行政手続に関する基本法が制定されていない今日の状況の下では、さきに述べた行政手続に関する法の一般原則に照らして、右の法令の妥当性を判断しなければならない事態に至ることもあろう。しかし、そのような場合においても、当該法令の立法趣旨から見て、右の法令に事前手続を置いていないこと等が、右の一般原則に著しく反すると認められない場合は、立法政策上の合理的な判断によるものとしてこれを是認すべきものと考える。
これを本法三条一項について見ると、右規定の定める工作物使用禁止命令は、処分の名宛人を確知できる限りにおいて、右名宛人に対し不作為義務を課する典型的な行政上の不利益処分に当たる。したがって、本法に右命令についての事前手続に関する規定が全く置かれていないことに着目すれば、右に述べた意味において、右条項の妥当性が問題とされなければならない。しかし、この点については、右工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、当該工作物の三態様における使用であり、右のような態様の使用を禁止することは、新空港の設置・管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものである、という本判決理由の全体にわたる法廷意見の判断があり、私もこれに同調しているところである。本法三条一項の定める工作物使用禁止命令については、右命令自体の性質に着目すると、緊急やむを得ない場合の除外規定を付した上で、事前手続の規定を置くことが望ましい場合ではあるけれども、本法は、法律そのものが、高度かつ緊急の必要性という本件規制における特別の事情を考慮して制定されたものであることにかんがみれば、事前手続の規定を置かないことが直ちに前記の一般原則に著しく反するとまでは認められないのであって、右のような立法政策上の判断は合理的なものとして是認することができると考えるのである。このような見地から、私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見に対し、その結論に同調するのである。

+意見
上告理由第一点の(五)についての裁判官可部恒雄の意見は、次のとおりである。
一 憲法三一条にいう「法律に定める手続」とは、単に国会において成立した法律所定の手続を意味するにとどまらず、「適正な法律手続」を指すものであること、同条による適正手続の保障はひとり同条の明規する刑罰にとどまらず「財産権」にも及ぶものであること(昭和三〇年(あ)第二九六一号同三七年一一月二八日大法廷判決・刑集一六巻一一号一五九三頁)、また、民事上の秩序罰としての過料を科する作用は、その実質においては一種の行政処分としての性質を有するものであるが、非訟事件手続法による過料の裁判は、過料を科するについての同法の規定内容に照らして、法律の定める適正な手続によるものということができ、憲法三一条に違反するものでないこと(昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁)、また同条の法意に関連するものとして、憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあるとするのは相当でないこと(昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)は、いずれも当裁判所の判例とするところである。
二 憲法三一条による適正手続の保障は、ひとり刑事手続に限らず、行政手続にも及ぶと解されるのであるが、行政手続がそれぞれの行政目的に応じて多種多様である実情に照らせば、同条の保障が行政処分全般につき一律に妥当し、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を欠くことが直ちに違憲・無効の結論を招来する、と解するのは相当でない。多種多様な行政処分のいかなる範囲につき同条の保障を肯定すべきかは、それ自体解決困難な熟慮を要する課題であって、いわゆる行政手続法の制定が検討されていることも周知のところであるが、論点をより具体的に限定して、私人の所有権に対する重大な制限が行政処分によって課せられた事案を想定すれば、かかる場合に憲法三一条の保障が及ぶと解すべきことは、むしろ当然の事理に属し、かかる処分が一切の事前手続を経ずして課せられることは、原則として憲法の許容せざるところというべく、これが同条違反の評価を免れ得るのは、限られた例外の場合であるとしなければならない。例外の最たるものは、消防法二九条に規定する場合のごときであるが、これを極限状況にあるものとして、本件が例外の場合に当たるか否かを考察すべきであろう。
三 本法の制定をめぐる問題状況については、上告理由第一点の(二)について法廷意見の述べるとおりであるが、本件において注目されるのは、本件工作物の設置の時期、場所、特に当該工作物自体の構造である。すなわち、原判決(その引用する第一審判決を含む)の認定するところによれば、
「本件工作物は鉄骨鉄筋コンクリート地上三階、地下一階建の建物であり、東西11.47メートル、南北11.5メートル、地上部分の高さ約一〇メートルの立法体に類似した形状をしていて、七か所の小さな換気口及び明り取りのほかには窓及び出入口は存在せず、四方がコンクリートづくめの異様な外観であり、また、内部への出入りは地上から梯子をかけて屋上に昇りその開口部分から行う等の特異な構造を有し、その内部構造も、一階から二階へ、地下部分から直接二階へ、三階から屋上への各昇降口には鉄パイプ梯子がかけられており、二階から三階への昇降口には木製の踏み台が置かれているほかは各階相互間に階段等の昇降手段がない特異な構造となっていること、そして地下部分から緊急時の出入り用のトンネルが左右に掘られている」
というのであって、その構造は、右の判示にみられるように異様の一語に尽き、通常の居住用又は農作物等の格納用の建物とは著しく異なり、何びともその使用目的の何たるかを疑問とせざるを得ないであろう。
次に、本件工作物に対する行政処分の具体的内容をみるのに、そこにおいて禁止される財産権行使の態様としては、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること」及び「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること」という二態様に尽きるのである。
四 対象となる所有権の内容が、具体的には右にみるようなものであり、また、これを制限する行政処分の内容が右にみるとおりであるとすれば、本件の具体的案件を、行政処分による所有権に対する重大な制限として一般化した上で、本件処分を目して、事前の告知・聴聞を経ない限り、憲法三一条に違反するものとするのは相当でない。
すなわち、本件工作物の構造の異様さから考えられるその使用目的とこれに対する本件処分の内容とを総合勘案すれば、前記にみるような態様の財産権行使の禁止が憲法二九条によって保障される財産権に対する重大な制限に当たるか否か、疑問とせざるを得ないのみならず、これを強いて「重大な制限」に当たると観念するとしても、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を経ない限り、三一条を含む憲法の法条に反するものとはたやすく断じ難いところである。
五 これを要するに、一般に、行政処分をもってする所有権の重大な制限には憲法三一条の保障が及ぶと解されるのであり、また、かく解することが当裁判所の累次の先例の趣旨に副う所以であると考えられるが、本件工作物につき前記態様の使用の禁止を命じた本件処分につき、事前手続を欠く限り憲法三一条に違反するものとすることはできない。
論旨は理由がなく、原判決は結論において是認すべきものと考える。
(裁判長裁判官草場良八 裁判官藤島昭 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官大堀誠一 裁判官園部逸夫 裁判官橋元四郎平 裁判官中島敏次郎 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄 裁判官木崎良平 裁判官味村治 裁判官大西勝也 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)

+上告理由とかもあった。

++解説
《解  説》
一 本件は、いわゆる成田闘争に絡む行政事件として、初めて最高裁の憲法判断が求められた事件である。
昭和五三年五月一三日、新東京国際空港の安全を確保するため、過激派集団の出撃の拠点となっていたいわゆる団結小屋の使用禁止を命ずることができること等を内容とする成田新法が公布、施行された。運輸大臣(Y)は、昭和五四年以降毎年二月に、Xに対し、成田新法三条一項に基づき、空港の規制区域(同法二条三項参照)内に所在するX所有の通称「横堀要塞」を、一年の期間、三条一項の一号の用(多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用)又は二号の用(暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用)に供することを禁止する旨の処分(以下「本件使用禁止命令」という。)を行った。
本件は、Xが、Yに対し、昭和五四年ないし五八年及び昭和六〇年に出された本件使用禁止命令の取消しを請求する(昭和六〇年に出された分については二審で追加請求)とともに、国に対し、慰謝料等として五〇〇万円等の支払を求めたものである。
1 Xは、本件使用禁止命令を違憲無効であると主張するが、その主たる論拠は、成田新法三条一項一、二号、三項が、憲法二一条一項、二二条一項、二九条一、二項、三一条、三五条に違反し、違憲無効であるというものである。
2 一、二審の判決は、昭和五四年以降の使用禁止命令のうち一年の使用禁止の期間が経過したものについては、その取消しを求める訴えの利益はなくなったとして、その部分の訴えを却下するとともに、その余については、成田新法三条一項一、二号、三項はいずれも憲法二一条等に違反していない等として、Xの請求を排斥した。
二 本判決の法廷意見は、昭和六〇年二月六日から一年間の期間に係る本件使用禁止命令の取消しの訴えにつき、右処分の効力は原審の口頭弁論終結時以後に期間の経過により消滅したので、その取消しを求める法律上の利益もなくなったとして、この部分につき本案の判断をした原判決を破棄し、右訴えを却下したほか、上告人の上告理由に逐一答える形で、次のとおり成田新法三条一項一、二号、三項の合憲性についての判断を示し、同条項は違憲とはいえないとして、その余の上告を棄却している。
1 憲法二一条一項違反の主張について
(一) 本件工作物使用禁止命令は、当該工作物における集会の禁止を含むことになり、憲法二一条一項に違反しないかが問題になる。
本判決は、この点の合憲性の審査基準として、「よど号乗取り事件」新聞記事抹消事件の大法廷判決(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁、本誌五〇〇号八九頁)を引用し、いわゆる利益較量論を採用し、成田新法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により保護される利益は、新空港若しくはその航空保安施設等の設置、管理の安全の確保並びに新空港及びその周辺における航空機の航行の安全の確保であり、それに伴い新空港を利用する乗客等の生命、身体の安全の確保も図られるのであって、これらの安全の確保は、国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から極めて強く要請されるものであるところ、右工作物使用禁止命令により制限される利益は、多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物を集合の用に供する利益にすぎず、しかも、本法制定の経緯に照らせば、暴力主義的破壊活動等を防止し、右新空港の設置、管理等の安全を確保することには高度かつ緊急の必要性があるから、規制区域内において暴力主義的破壊活動者による工作物の使用を禁止する措置を採り得るとすることは、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるというべきであるとした。次いで、同法三条一項一号が過度に広範な規制を行うものとはいえず、その規定する要件も不明確なものであるとはいえないとし、結局、本法三条一項一号は、憲法二一条一項に違反するものではないとした。
(二) 基本的人権の中でも精神的自由とりわけ表現の自由には「優越的地位」が認められ、その制限に対する合憲性の審査基準は、従前の最高裁判例においても、それを明示するかどうかは別にして、いわゆる利益較量論を採り、その際の判断指標として、事案に応じて、「明白かつ現在の危険」の原則、「不明確のゆえに無効」の原則、「必要最小限」の原則、「LRA(Less Restrictive Alternative)」の原則等その他の厳格な基準ないしその精神を併せ考慮したものが多い(例えば、前記「よど号乗取り事件」新聞記事抹消事件大法廷判決、札幌税関検査違憲訴訟判決(最大判昭59・12・12民集三八巻一二号一三〇八頁、本誌五四五号六九頁)、北方ジャーナル事件判決(最大判昭61・6・11民集四〇巻四号八七二頁、本誌六〇五号四二頁)ほか。なお、これらの厳格な基準の内容を要領良く説明するものとして、佐藤幸治・憲法(新版)三三六頁以下及び樋口陽一ほか・注釈日本国憲法上巻四二三頁以下参照)。
本判決は、利益較量論を採用して判断が行われているが、本件は、利益較量が容易な事案であり、表現の自由・集会の自由に対する規制についての合憲性の審査基準としてよく登場する「必要最小限度」の原則、「LRA」の原則等は採用されていない。
2 憲法二二条一項違反の主張について
居住の自由を制限する規定の合憲性について正面から判断した初めての最高裁判決である。本判決は、ここでも利益較量論を採用し、憲法二二条一項に違反するものではないとした。
3 憲法二九条一、二項違反の主張について
成田新法三条一項に基づく工作物使用禁止命令による当該工作物の使用の禁止は、財産権に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限であり、また、同項一、二号の規定する要件が不明確なものであるとはいえないとし、同法三条一項一、二号は、憲法二九条一、二項に違反するものではないとした。
4 憲法三一条違反の主張について
(一) 憲法三一条の定める法定手続の保障としては、人権制約の手続・実体の両者を法律で定めるだけでなく、その両者の内容が適正であることをも要するとするのが一般的見解である。本件で問題になった事前手続の要否に触れた最高裁判例としては、次の三つがある。
関税法による第三者の所有物の没収につき、最大判昭37・11・28刑集一六巻一一号一五九三頁、本誌一三九号一四四頁は、この見地から、関税法一一八条一項による第三者所有物の没収は憲法三一条等に違反するとし、また、最大判昭40・4・28刑集一九巻三号二〇三頁、本誌一七六号一六〇頁は、右と同趣旨の見地から、刑法(昭和二三年法律第一〇七号による改正前のもの)一九七条の四により第三者に対し追徴を命ずることにつき、適正な法律手続によらないもので憲法三一条等に違反すると判示している。さらに、最大決昭41・12・27民集二〇巻一〇号二二七九頁、本誌二〇〇号一九九頁は、同様の見地から、非訟事件手続法による過料の裁判につき、法律の定める適正な手続によるものであり、憲法三一条に違反しないと判示している。
(二) 本件では、憲法三一条が典型的な行政手続にも及ぶかが問題とされたが、学説は、適用説、類推適用説、準用説、不適用説等多岐に分かれている。憲法三一条との関係を判示した前記の三つの最高裁判例は、いずれも刑事手続における附加刑や秩序罰としての過料(その法的性質は行政処分である。)についてのものであるので、本件は、典型的な行政処分についてこれを正面から問題にする初めての最高裁判例ということになろう。
本判決は、まず、憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではないとした上で、しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと判示した。これは、行政手続について憲法三一条の適用があるか否か、どのような行政手続に憲法三一条の適用があるのかについての一般的な見解を明示するのを避け、行政手続に同条が仮に適用ないし準用される場合であってもという仮定の下に、その場合でも常に事前手続が必要とされるものでないことを示したものである。
本判決は、これに続けて、成田新法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質と、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を利益較量し、その結果、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、同条項が憲法三一条の法意に反するものということはできず、また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるとはいえないと判示した。
(三) この点につき、園部裁判官と可部裁判官の個別意見が付されている。園部裁判官の意見は、行政処分のうち不利益処分については、原則として何らかの適正な事前手続の規定を置く必要があり、その内容は、合理的な立法政策上の判断にゆだねられているが、成田新法は高度かつ緊急の必要性という特別の事情があるので、事前手続の規定を置かないことが直ちに、憲法三一条、法治主義の原理等の原則に反しないというものであり、可部裁判官の意見は、憲法三一条による適正手続の保障は行政手続にも及ぶとした上、行政手続が多種多様である実情に照らせば、当該処分につき告知・聴聞等の事前手続を欠くことが直ちに違憲となるものではなく、本件工作物の構造は異様であり、これに対する使用禁止命令は憲法二九条によって保障される財産権に対する重大な制約に当たるか疑問であるから、事前手続を経ないでも憲法三一条に反するとは断じ難いとしている。
5 憲法三五条違反の主張について
成田新法三条三項所定の職員の当該工作物への立入り又は関係者に対する質問についは、その必要性は高く、その目的、強制の程度、態様等を総合判断すれば、同条一、三項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえないとした。

(2)行手法によるスタンダードの設定

2.行手法の適用除外

(適用除外)
行政手続法第3条
1項 次に掲げる処分及び行政指導については、次章から第四章の二までの規定は、適用しない。
一  国会の両院若しくは一院又は議会の議決によってされる処分
二  裁判所若しくは裁判官の裁判により、又は裁判の執行としてされる処分
三  国会の両院若しくは一院若しくは議会の議決を経て、又はこれらの同意若しくは承認を得た上でされるべきものとされている処分
四  検査官会議で決すべきものとされている処分及び会計検査の際にされる行政指導
五  刑事事件に関する法令に基づいて検察官、検察事務官又は司法警察職員がする処分及び行政指導
六  国税又は地方税の犯則事件に関する法令(他の法令において準用する場合を含む。)に基づいて国税庁長官、国税局長、税務署長、収税官吏、税関長、税関職員又は徴税吏員(他の法令の規定に基づいてこれらの職員の職務を行う者を含む。)がする処分及び行政指導並びに金融商品取引の犯則事件に関する法令に基づいて証券取引等監視委員会、その職員(当該法令においてその職員とみなされる者を含む。)、財務局長又は財務支局長がする処分及び行政指導
七  学校、講習所、訓練所又は研修所において、教育、講習、訓練又は研修の目的を達成するために、学生、生徒、児童若しくは幼児若しくはこれらの保護者、講習生、訓練生又は研修生に対してされる処分及び行政指導
八  刑務所、少年刑務所、拘置所、留置施設、海上保安留置施設、少年院、少年鑑別所又は婦人補導院において、収容の目的を達成するためにされる処分及び行政指導
九  公務員(国家公務員法 (昭和二十二年法律第百二十号)第二条第一項 に規定する国家公務員及び地方公務員法 (昭和二十五年法律第二百六十一号)第三条第一項 に規定する地方公務員をいう。以下同じ。)又は公務員であった者に対してその職務又は身分に関してされる処分及び行政指導
十  外国人の出入国、難民の認定又は帰化に関する処分及び行政指導
十一  専ら人の学識技能に関する試験又は検定の結果についての処分
十二  相反する利害を有する者の間の利害の調整を目的として法令の規定に基づいてされる裁定その他の処分(その双方を名宛人とするものに限る。)及び行政指導
十三  公衆衛生、環境保全、防疫、保安その他の公益に関わる事象が発生し又は発生する可能性のある現場において警察官若しくは海上保安官又はこれらの公益を確保するために行使すべき権限を法律上直接に与えられたその他の職員によってされる処分及び行政指導
十四  報告又は物件の提出を命ずる処分その他その職務の遂行上必要な情報の収集を直接の目的としてされる処分及び行政指導
十五  審査請求、異議申立てその他の不服申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の処分
十六  前号に規定する処分の手続又は第三章に規定する聴聞若しくは弁明の機会の付与の手続その他の意見陳述のための手続において法令に基づいてされる処分及び行政指導
2  次に掲げる命令等を定める行為については、第六章の規定は、適用しない。
一  法律の施行期日について定める政令
二  恩赦に関する命令
三  命令又は規則を定める行為が処分に該当する場合における当該命令又は規則
四  法律の規定に基づき施設、区間、地域その他これらに類するものを指定する命令又は規則
五  公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について定める命令等
六  審査基準、処分基準又は行政指導指針であって、法令の規定により若しくは慣行として、又は命令等を定める機関の判断により公にされるもの以外のもの
3  第一項各号及び前項各号に掲げるもののほか、地方公共団体の機関がする処分(その根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る。)及び行政指導、地方公共団体の機関に対する届出(前条第七号の通知の根拠となる規定が条例又は規則に置かれているものに限る。)並びに地方公共団体の機関が命令等を定める行為については、次章から第六章までの規定は、適用しない。

(1)行政分野の特殊性等に基づくもの(3条1項)

1~6号=国会、裁判所、刑事司法トカ
7~9号=以前の特別権力関係、一般国民とはやや異なる
12号=三面関係における裁定
13号=警察官等が現場で行う処分
14号=行政調査
15号=行政上の不服申し立て
16号=手続きの過程において行われる処分

(2)地方公共団体の機関がする処分(根拠が条例または規則におかれているもの)(3条3項)
地方自治の尊重。
ただし、
+(地方公共団体の措置)
第四十六条
地方公共団体は、第三条第三項において第二章から前章までの規定を適用しないこととされた処分、行政指導及び届出並びに命令等を定める行為に関する手続について、この法律の規定の趣旨にのっとり、行政運営における公正の確保と透明性の向上を図るため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

地方公共団体の機関がする処分であっても、根拠が法律におかれているものについては、行手法が適用される!!

地方公共団体の機関がする行政指導については、根拠がどこにおかれているかを問わず、すべて行手法の適用が除外されている!!!
←行政指導は、もともと法律・条令の根拠がなくても行うことが可能なので、根拠がどこにおかれているかを厳密に確定することが困難な場合があるため。

(3)国・地方公共団体の機関(4条1項)、独立行政法人、特殊法人、認可法人(4条2項)、指定法人等(4条3項)

++(国の機関等に対する処分等の適用除外)
行政手続法第4条
1項 国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る。)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る。)については、この法律の規定は、適用しない。
2  次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。
一  法律により直接に設立された法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立された法人
二  特別の法律により設立され、かつ、その設立に関し行政庁の認可を要する法人のうち、その行う業務が国又は地方公共団体の行政運営と密接な関連を有するものとして政令で定める法人
3  行政庁が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる者を指定した場合において、その指定を受けた者(その者が法人である場合にあっては、その役員)又は職員その他の者が当該事務に従事することに関し公務に従事する職員とみなされるときは、その指定を受けた者に対し当該法律に基づいて当該事務に関し監督上される処分(当該指定を取り消す処分、その指定を受けた者が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる処分又はその指定を受けた者の当該事務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。
4  次に掲げる命令等を定める行為については、第六章の規定は、適用しない。
一  国又は地方公共団体の機関の設置、所掌事務の範囲その他の組織について定める命令等
二  皇室典範 (昭和二十二年法律第三号)第二十六条 の皇統譜について定める命令等
三  公務員の礼式、服制、研修、教育訓練、表彰及び報償並びに公務員の間における競争試験について定める命令等
四  国又は地方公共団体の予算、決算及び会計について定める命令等(入札の参加者の資格、入札保証金その他の国又は地方公共団体の契約の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定める命令等を除く。)並びに国又は地方公共団体の財産及び物品の管理について定める命令等(国又は地方公共団体が財産及び物品を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又はこれらに私権を設定することについて定める命令等であって、これらの行為の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定めるものを除く。)
五  会計検査について定める命令等
六  国の機関相互間の関係について定める命令等並びに地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二編第十一章 に規定する国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係その他の国と地方公共団体との関係及び地方公共団体相互間の関係について定める命令等(第一項の規定によりこの法律の規定を適用しないこととされる処分に係る命令等を含む。)
七  第二項各号に規定する法人の役員及び職員、業務の範囲、財務及び会計その他の組織、運営及び管理について定める命令等(これらの法人に対する処分であって、これらの法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又はこれらの法人の役員若しくはこれらの法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分に係る命令等を除く。)

・これらの法人等は、行政法の基本的な枠組みである「国家と市民社会の二元論」のうちの「国家」の側に属すると考えられており、国家と国民との関係を規律する行手法は適用されない。

・地方公共団体が「固有の資格」において処分の名宛人となる者に限り、行手法の適用が除外される。
「固有の資格」=一般私人が立ちえないような立場

(4)聴聞・弁明機会付与の適用除外(13条2項)

+(不利益処分をしようとする場合の手続)
第十三条
1項 行政庁は、不利益処分をしようとする場合には、次の各号の区分に従い、この章の定めるところにより、当該不利益処分の名あて人となるべき者について、当該各号に定める意見陳述のための手続を執らなければならない。
一  次のいずれかに該当するとき 聴聞
イ 許認可等を取り消す不利益処分をしようとするとき。
ロ イに規定するもののほか、名あて人の資格又は地位を直接にはく奪する不利益処分をしようとするとき。
ハ 名あて人が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる不利益処分、名あて人の業務に従事する者の解任を命ずる不利益処分又は名あて人の会員である者の除名を命ずる不利益処分をしようとするとき。
ニ イからハまでに掲げる場合以外の場合であって行政庁が相当と認めるとき。
二  前号イからニまでのいずれにも該当しないとき 弁明の機会の付与
2  次の各号のいずれかに該当するときは、前項の規定は、適用しない。
一  公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、前項に規定する意見陳述のための手続を執ることができないとき
二  法令上必要とされる資格がなかったこと又は失われるに至ったことが判明した場合に必ずすることとされている不利益処分であって、その資格の不存在又は喪失の事実が裁判所の判決書又は決定書、一定の職に就いたことを証する当該任命権者の書類その他の客観的な資料により直接証明されたものをしようとするとき。
三  施設若しくは設備の設置、維持若しくは管理又は物の製造、販売その他の取扱いについて遵守すべき事項が法令において技術的な基準をもって明確にされている場合において、専ら当該基準が充足されていないことを理由として当該基準に従うべきことを命ずる不利益処分であってその不充足の事実が計測、実験その他客観的な認定方法によって確認されたものをしようとするとき。
四  納付すべき金銭の額を確定し、一定の額の金銭の納付を命じ、又は金銭の給付決定の取消しその他の金銭の給付を制限する不利益処分をしようとするとき。
五  当該不利益処分の性質上、それによって課される義務の内容が著しく軽微なものであるため名あて人となるべき者の意見をあらかじめ聴くことを要しないものとして政令で定める処分をしようとするとき。

・1号=緊急性
2号3号=要件充足が客観的に明らか
4号=金銭にかかわる問題なので事後的な回復が可能なこと
5号=不利益が著しく軽微であること
を理由とする。

3.申請に対する処分と不利益処分

+   第二章 申請に対する処分

(審査基準)
第五条  行政庁は、審査基準を定めるものとする。
2  行政庁は、審査基準を定めるに当たっては、許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。
3  行政庁は、行政上特別の支障があるときを除き、法令により申請の提出先とされている機関の事務所における備付けその他の適当な方法により審査基準を公にしておかなければならない。

(標準処理期間)
第六条
行政庁は、申請がその事務所に到達してから当該申請に対する処分をするまでに通常要すべき標準的な期間(法令により当該行政庁と異なる機関が当該申請の提出先とされている場合は、併せて、当該申請が当該提出先とされている機関の事務所に到達してから当該行政庁の事務所に到達するまでに通常要すべき標準的な期間)を定めるよう努めるとともに、これを定めたときは、これらの当該申請の提出先とされている機関の事務所における備付けその他の適当な方法により公にしておかなければならない

・定められた期間を過ぎたからと言って直ちに違法になるわけではない!
しかし、不作為の違法確認訴訟における「相当の期間」(行訴法3条5項)を判断する際の考慮要素になる!!!

(申請に対する審査、応答)
第七条  行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ、申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に必要な書類が添付されていること、申請をすることができる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については、速やかに、申請をした者(以下「申請者」という。)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め、又は当該申請により求められた許認可等を拒否しなければならない。

(理由の提示)
第八条  行政庁は、申請により求められた許認可等を拒否する処分をする場合は、申請者に対し、同時に、当該処分の理由を示さなければならない。ただし、法令に定められた許認可等の要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている場合であって、当該申請がこれらに適合しないことが申請書の記載又は添付書類その他の申請の内容から明らかであるときは、申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる。
2  前項本文に規定する処分を書面でするときは、同項の理由は、書面により示さなければならない。

(情報の提供)
第九条  行政庁は、申請者の求めに応じ、当該申請に係る審査の進行状況及び当該申請に対する処分の時期の見通しを示すよう努めなければならない。
2  行政庁は、申請をしようとする者又は申請者の求めに応じ、申請書の記載及び添付書類に関する事項その他の申請に必要な情報の提供に努めなければならない。

(公聴会の開催等)
第十条  行政庁は、申請に対する処分であって、申請者以外の者の利害を考慮すべきことが当該法令において許認可等の要件とされているものを行う場合には、必要に応じ、公聴会の開催その他の適当な方法により当該申請者以外の者の意見を聴く機会を設けるよう努めなければならない。

(複数の行政庁が関与する処分)
第十一条  行政庁は、申請の処理をするに当たり、他の行政庁において同一の申請者からされた関連する申請が審査中であることをもって自らすべき許認可等をするかどうかについての審査又は判断を殊更に遅延させるようなことをしてはならない。
2  一の申請又は同一の申請者からされた相互に関連する複数の申請に対する処分について複数の行政庁が関与する場合においては、当該複数の行政庁は、必要に応じ、相互に連絡をとり、当該申請者からの説明の聴取を共同して行う等により審査の促進に努めるものとする。

・申請拒否処分は申請に対する処分であり、不利益処分ではない!
+(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一  法令 法律、法律に基づく命令(告示を含む。)、条例及び地方公共団体の執行機関の規則(規程を含む。以下「規則」という。)をいう。
二  処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
三  申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という。)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。
四  不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く
イ 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分
ロ 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分
ハ 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分
ニ 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの
五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
イ 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法 (平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項 若しくは第二項 に規定する機関、国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員
ロ 地方公共団体の機関(議会を除く。)
六  行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。
七  届出 行政庁に対し一定の事項の通知をする行為(申請に該当するものを除く。)であって、法令により直接に当該通知が義務付けられているもの(自己の期待する一定の法律上の効果を発生させるためには当該通知をすべきこととされているものを含む。)をいう。
八  命令等 内閣又は行政機関が定める次に掲げるものをいう。
イ 法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む。次条第二項において単に「命令」という。)又は規則
ロ 審査基準(申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
ハ 処分基準(不利益処分をするかどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
ニ 行政指導指針(同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときにこれらの行政指導に共通してその内容となるべき事項をいう。以下同じ。)

(2)申請に対する処分の手続と不利益処分手続きの共通点相違点

+ 第三章 不利益処分

第一節 通則

(処分の基準)
第十二条  行政庁は、処分基準を定め、かつ、これを公にしておくよう努めなければならない。
2  行政庁は、処分基準を定めるに当たっては、不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。
(不利益処分をしようとする場合の手続)
第十三条  行政庁は、不利益処分をしようとする場合には、次の各号の区分に従い、この章の定めるところにより、当該不利益処分の名あて人となるべき者について、当該各号に定める意見陳述のための手続を執らなければならない。
一  次のいずれかに該当するとき 聴聞
イ 許認可等を取り消す不利益処分をしようとするとき。
ロ イに規定するもののほか、名あて人の資格又は地位を直接にはく奪する不利益処分をしようとするとき。
ハ 名あて人が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる不利益処分、名あて人の業務に従事する者の解任を命ずる不利益処分又は名あて人の会員である者の除名を命ずる不利益処分をしようとするとき。
ニ イからハまでに掲げる場合以外の場合であって行政庁が相当と認めるとき。
二  前号イからニまでのいずれにも該当しないとき 弁明の機会の付与
2  次の各号のいずれかに該当するときは、前項の規定は、適用しない。
一  公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、前項に規定する意見陳述のための手続を執ることができないとき。
二  法令上必要とされる資格がなかったこと又は失われるに至ったことが判明した場合に必ずすることとされている不利益処分であって、その資格の不存在又は喪失の事実が裁判所の判決書又は決定書、一定の職に就いたことを証する当該任命権者の書類その他の客観的な資料により直接証明されたものをしようとするとき。
三  施設若しくは設備の設置、維持若しくは管理又は物の製造、販売その他の取扱いについて遵守すべき事項が法令において技術的な基準をもって明確にされている場合において、専ら当該基準が充足されていないことを理由として当該基準に従うべきことを命ずる不利益処分であってその不充足の事実が計測、実験その他客観的な認定方法によって確認されたものをしようとするとき。
四  納付すべき金銭の額を確定し、一定の額の金銭の納付を命じ、又は金銭の給付決定の取消しその他の金銭の給付を制限する不利益処分をしようとするとき。
五  当該不利益処分の性質上、それによって課される義務の内容が著しく軽微なものであるため名あて人となるべき者の意見をあらかじめ聴くことを要しないものとして政令で定める処分をしようとするとき。
(不利益処分の理由の提示)
第十四条  行政庁は、不利益処分をする場合には、その名あて人に対し、同時に、当該不利益処分の理由を示さなければならない。ただし、当該理由を示さないで処分をすべき差し迫った必要がある場合は、この限りでない。
2  行政庁は、前項ただし書の場合においては、当該名あて人の所在が判明しなくなったときその他処分後において理由を示すことが困難な事情があるときを除き、処分後相当の期間内に、同項の理由を示さなければならない。
3  不利益処分を書面でするときは、前二項の理由は、書面により示さなければならない。
第二節 聴聞

(聴聞の通知の方式)
第十五条  行政庁は、聴聞を行うに当たっては、聴聞を行うべき期日までに相当な期間をおいて、不利益処分の名あて人となるべき者に対し、次に掲げる事項を書面により通知しなければならない。
一  予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項
二  不利益処分の原因となる事実
三  聴聞の期日及び場所
四  聴聞に関する事務を所掌する組織の名称及び所在地
2  前項の書面においては、次に掲げる事項を教示しなければならない。
一  聴聞の期日に出頭して意見を述べ、及び証拠書類又は証拠物(以下「証拠書類等」という。)を提出し、又は聴聞の期日への出頭に代えて陳述書及び証拠書類等を提出することができること。
二  聴聞が終結する時までの間、当該不利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができること。
3  行政庁は、不利益処分の名あて人となるべき者の所在が判明しない場合においては、第一項の規定による通知を、その者の氏名、同項第三号及び第四号に掲げる事項並びに当該行政庁が同項各号に掲げる事項を記載した書面をいつでもその者に交付する旨を当該行政庁の事務所の掲示場に掲示することによって行うことができる。この場合においては、掲示を始めた日から二週間を経過したときに、当該通知がその者に到達したものとみなす。
(代理人)
第十六条  前条第一項の通知を受けた者(同条第三項後段の規定により当該通知が到達したものとみなされる者を含む。以下「当事者」という。)は、代理人を選任することができる。
2  代理人は、各自、当事者のために、聴聞に関する一切の行為をすることができる。
3  代理人の資格は、書面で証明しなければならない。
4  代理人がその資格を失ったときは、当該代理人を選任した当事者は、書面でその旨を行政庁に届け出なければならない。
(参加人)
第十七条  第十九条の規定により聴聞を主宰する者(以下「主宰者」という。)は、必要があると認めるときは、当事者以外の者であって当該不利益処分の根拠となる法令に照らし当該不利益処分につき利害関係を有するものと認められる者(同条第二項第六号において「関係人」という。)に対し、当該聴聞に関する手続に参加することを求め、又は当該聴聞に関する手続に参加することを許可することができる。
2  前項の規定により当該聴聞に関する手続に参加する者(以下「参加人」という。)は、代理人を選任することができる。
3  前条第二項から第四項までの規定は、前項の代理人について準用する。この場合において、同条第二項及び第四項中「当事者」とあるのは、「参加人」と読み替えるものとする。
(文書等の閲覧)
第十八条  当事者及び当該不利益処分がされた場合に自己の利益を害されることとなる参加人(以下この条及び第二十四条第三項において「当事者等」という。)は、聴聞の通知があった時から聴聞が終結する時までの間、行政庁に対し、当該事案についてした調査の結果に係る調書その他の当該不利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができる。この場合において、行政庁は、第三者の利益を害するおそれがあるときその他正当な理由があるときでなければ、その閲覧を拒むことができない。
2  前項の規定は、当事者等が聴聞の期日における審理の進行に応じて必要となった資料の閲覧を更に求めることを妨げない。
3  行政庁は、前二項の閲覧について日時及び場所を指定することができる。
(聴聞の主宰)
第十九条  聴聞は、行政庁が指名する職員その他政令で定める者が主宰する。
2  次の各号のいずれかに該当する者は、聴聞を主宰することができない。
一  当該聴聞の当事者又は参加人
二  前号に規定する者の配偶者、四親等内の親族又は同居の親族
三  第一号に規定する者の代理人又は次条第三項に規定する補佐人
四  前三号に規定する者であったことのある者
五  第一号に規定する者の後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人又は補助監督人
六  参加人以外の関係人
(聴聞の期日における審理の方式)
第二十条  主宰者は、最初の聴聞の期日の冒頭において、行政庁の職員に、予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項並びにその原因となる事実を聴聞の期日に出頭した者に対し説明させなければならない。
2  当事者又は参加人は、聴聞の期日に出頭して、意見を述べ、及び証拠書類等を提出し、並びに主宰者の許可を得て行政庁の職員に対し質問を発することができる。
3  前項の場合において、当事者又は参加人は、主宰者の許可を得て、補佐人とともに出頭することができる。
4  主宰者は、聴聞の期日において必要があると認めるときは、当事者若しくは参加人に対し質問を発し、意見の陳述若しくは証拠書類等の提出を促し、又は行政庁の職員に対し説明を求めることができる。
5  主宰者は、当事者又は参加人の一部が出頭しないときであっても、聴聞の期日における審理を行うことができる。
6  聴聞の期日における審理は、行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない。
(陳述書等の提出)
第二十一条  当事者又は参加人は、聴聞の期日への出頭に代えて、主宰者に対し、聴聞の期日までに陳述書及び証拠書類等を提出することができる。
2  主宰者は、聴聞の期日に出頭した者に対し、その求めに応じて、前項の陳述書及び証拠書類等を示すことができる。
(続行期日の指定)
第二十二条  主宰者は、聴聞の期日における審理の結果、なお聴聞を続行する必要があると認めるときは、さらに新たな期日を定めることができる。
2  前項の場合においては、当事者及び参加人に対し、あらかじめ、次回の聴聞の期日及び場所を書面により通知しなければならない。ただし、聴聞の期日に出頭した当事者及び参加人に対しては、当該聴聞の期日においてこれを告知すれば足りる。
3  第十五条第三項の規定は、前項本文の場合において、当事者又は参加人の所在が判明しないときにおける通知の方法について準用する。この場合において、同条第三項中「不利益処分の名あて人となるべき者」とあるのは「当事者又は参加人」と、「掲示を始めた日から二週間を経過したとき」とあるのは「掲示を始めた日から二週間を経過したとき(同一の当事者又は参加人に対する二回目以降の通知にあっては、掲示を始めた日の翌日)」と読み替えるものとする。
(当事者の不出頭等の場合における聴聞の終結)
第二十三条  主宰者は、当事者の全部若しくは一部が正当な理由なく聴聞の期日に出頭せず、かつ、第二十一条第一項に規定する陳述書若しくは証拠書類等を提出しない場合、又は参加人の全部若しくは一部が聴聞の期日に出頭しない場合には、これらの者に対し改めて意見を述べ、及び証拠書類等を提出する機会を与えることなく、聴聞を終結することができる。
2  主宰者は、前項に規定する場合のほか、当事者の全部又は一部が聴聞の期日に出頭せず、かつ、第二十一条第一項に規定する陳述書又は証拠書類等を提出しない場合において、これらの者の聴聞の期日への出頭が相当期間引き続き見込めないときは、これらの者に対し、期限を定めて陳述書及び証拠書類等の提出を求め、当該期限が到来したときに聴聞を終結することとすることができる。
(聴聞調書及び報告書)
第二十四条  主宰者は、聴聞の審理の経過を記載した調書を作成し、当該調書において、不利益処分の原因となる事実に対する当事者及び参加人の陳述の要旨を明らかにしておかなければならない。
2  前項の調書は、聴聞の期日における審理が行われた場合には各期日ごとに、当該審理が行われなかった場合には聴聞の終結後速やかに作成しなければならない。
3  主宰者は、聴聞の終結後速やかに、不利益処分の原因となる事実に対する当事者等の主張に理由があるかどうかについての意見を記載した報告書を作成し、第一項の調書とともに行政庁に提出しなければならない。
4  当事者又は参加人は、第一項の調書及び前項の報告書の閲覧を求めることができる。
(聴聞の再開)
第二十五条  行政庁は、聴聞の終結後に生じた事情にかんがみ必要があると認めるときは、主宰者に対し、前条第三項の規定により提出された報告書を返戻して聴聞の再開を命ずることができる。第二十二条第二項本文及び第三項の規定は、この場合について準用する。
(聴聞を経てされる不利益処分の決定)
第二十六条  行政庁は、不利益処分の決定をするときは、第二十四条第一項の調書の内容及び同条第三項の報告書に記載された主宰者の意見を十分に参酌してこれをしなければならない。
(不服申立ての制限)
第二十七条  行政庁又は主宰者がこの節の規定に基づいてした処分については、行政不服審査法 (昭和三十七年法律第百六十号)による不服申立てをすることができない。
2  聴聞を経てされた不利益処分については、当事者及び参加人は、行政不服審査法 による異議申立てをすることができない。ただし、第十五条第三項後段の規定により当該通知が到達したものとみなされる結果当事者の地位を取得した者であって同項に規定する同条第一項第三号(第二十二条第三項において準用する場合を含む。)に掲げる聴聞の期日のいずれにも出頭しなかった者については、この限りでない。
(役員等の解任等を命ずる不利益処分をしようとする場合の聴聞等の特例)
第二十八条  第十三条第一項第一号ハに該当する不利益処分に係る聴聞において第十五条第一項の通知があった場合におけるこの節の規定の適用については、名あて人である法人の役員、名あて人の業務に従事する者又は名あて人の会員である者(当該処分において解任し又は除名すべきこととされている者に限る。)は、同項の通知を受けた者とみなす。
2  前項の不利益処分のうち名あて人である法人の役員又は名あて人の業務に従事する者(以下この項において「役員等」という。)の解任を命ずるものに係る聴聞が行われた場合においては、当該処分にその名あて人が従わないことを理由として法令の規定によりされる当該役員等を解任する不利益処分については、第十三条第一項の規定にかかわらず、行政庁は、当該役員等について聴聞を行うことを要しない。
第三節 弁明の機会の付与

(弁明の機会の付与の方式)
第二十九条  弁明は、行政庁が口頭ですることを認めたときを除き、弁明を記載した書面(以下「弁明書」という。)を提出してするものとする。
2  弁明をするときは、証拠書類等を提出することができる。
(弁明の機会の付与の通知の方式)
第三十条  行政庁は、弁明書の提出期限(口頭による弁明の機会の付与を行う場合には、その日時)までに相当な期間をおいて、不利益処分の名あて人となるべき者に対し、次に掲げる事項を書面により通知しなければならない。
一  予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項
二  不利益処分の原因となる事実
三  弁明書の提出先及び提出期限(口頭による弁明の機会の付与を行う場合には、その旨並びに出頭すべき日時及び場所)
(聴聞に関する手続の準用)
第三十一条  第十五条第三項及び第十六条の規定は、弁明の機会の付与について準用する。この場合において、第十五条第三項中「第一項」とあるのは「第三十条」と、「同項第三号及び第四号」とあるのは「同条第三号」と、第十六条第一項中「前条第一項」とあるのは「第三十条」と、「同条第三項後段」とあるのは「第三十一条において準用する第十五条第三項後段」と読み替えるものとする。

・処分基準の設定・公表が努力義務なのは
不利益処分については個別の判断が必要で画一的な基準を定めることが合理的でない場合があること
処分基準を公表することにより、基準ぎりぎりまでは違反しても処分されないと受け取られて、違反を助長するおそれがありうる

・申請に対する処分については、申請者の意見陳述の手続は保障されていない!

・昔の判例、個別法に意見聴取の規定があった場合
(S46.10.28)個人タクシー事件
理由
上告人指定代理人鰍沢健三(名義)、同上野国天、同藤井康夫、同田中志満夫、同高橋勝義、同足立高八郎の上告理由について。
所論は、要するに、原判決は、道路運送法に基づく自動車運送事業および聴聞の各性質について、同法の解釈、適用を誤り、また、本件において実施された聴聞手続を不公正とした判断および右不公正が本件処分の違法事由となるとした判断において、それぞれ理由そごの違法を犯している、というのである。
原審の適法に確定した事実は、おおむね、つぎのとおりである。
(1) 上告人は道路運送法三条二項三号に定める一般乗用旅客自動車運送事業(一人一車制の個人タクシー事業)の免許に関する権限を有するところ、昭和三四年八月一一日、当面の輸送需要をみたすため一般乗用自動車の増車を決定、そのうち、個人タクシーのための増車数を九八三輛と定め、これに対応するものとして、同年九月一〇日までに六六三〇件の個人タクシー事業の免許申請を受理し、被上告人は同年八月六日免許を申請して受理された。
(2) 上告人は、聴聞による調査結果に基づき免許の許否を決するため、担当課長はじめ約一〇名の係長の協議により、道路運送法六条一項各号の趣旨を具体化した審査基準として、第一審判決別表のとおり、一七の項目および内容につき、審査基準欄記載のような基準事項(第一次と第二次の審査基準があり、前者をみたした者について後者を適用する)を設定し、一方、右基準事項に基づいて聴聞概要書調査書と題する書面(以下聴聞書という。)を作成し、その項目および聴聞内容の各欄には、右第一審判決別表の調査事項の項目および内容の各欄に掲げた事項とほぼ同一のもの(ただし、右別表6の内容欄に記載してある他業関係は掲げられていない)を記載して、聴聞担当官約二〇名が各申請人について右聴聞書の各項目ごとに聴聞を行つてその結果を記入することとし、昭和三四年九月中旬から同三五年三月までの間聴聞を実施し、被上告人に対しては、昭和三五年二月一一日に聴聞を行つた
(3) 上告人は、右聴聞手続と並行して、差し迫つた年末の輸送事情緩和のため、昭和三四年一二月二日、前記基準中、優マーク、経験年数一〇年以上、年令四〇才以上の基準に該当する者のうち、免許することに全く問題がないと思われるもの一七三名を第一次分として免許し、ついで、前記聴聞の結果につき基準を適用して審査した末、昭和三五年七月二日第二次分として六一一名を免許したが、被上告人については、前記第一審判決別表の第一次審査基準のうち、6の「本人が他業を自営している場合には転業が困難なものでないこと」および7の「運転歴七年以上のもの」に該当しないとして、そのことから道路運送法六条一項三号ないし五号の要件をみたさないものと認め、右七月二日付で申請を却下した。
(4) 聴聞担当官のうち前記基準の協議に関与した七、八名の係長以外のものは、被上告人の担当官をも含め、前記第一審判決別表の基準事項の存在すら知らず、聴聞開始前に上司から聴聞書の項目および聴聞内容について説明をうけただけで、右基準事項については何らこれを知らされることなく、被上告人の聴聞担当官にあつても、被上告人の申請の却下事由となつた他業関係(転業の難易)および運転歴(軍隊における運転経験をも含む)に関しても格別の指示はなされず、したがつて、右担当官は、被上告人が洋品店を廃業してタクシー事業に専念する意思があるかどうか、軍隊における運転経験があるかどうか等の点について思いいたらず、これらの点を判断するについて必要な事実については何ら聴聞が行われなかつた、というのである。
おもうに、道路運送法においては、個人タクシー事業の免許申請の許否を決する手続について、同法一二二条の二の聴聞の規定のほか、とくに、審査、判定の手続、方法等に関する明文規定は存しないしかし、同法による個人タクシー事業の免許の許否は個人の職業選択の自由にかかわりを有するものであり、このことと同法六条および前記一二二条の二の規定等とを併せ考えれば、本件におけるように、多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の許否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともと認められるような不公正な手続をとつてはならないものと解せられる。すなわち、右六条は抽象的な免許基準を定めているにすぎないのであるから、内部的にせよ、さらに、その趣旨を具体化した審査基準を設定し、これを公正かつ合理的に適用すべく、とくに、右基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならないというべきである。免許の申請人はこのような公正な手続によつて免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有するものと解すべく、これに反する審査手続によつて免許の申請の却下処分がされたときは、右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となるものというべきである。
原審の確定した事実に徴すれば、被上告人の免許申請の却下事由となつた他業関係および運転歴に関する具体的審査基準は、免許の許否を決するにつき重要であるか、または微妙な認定を要するものであるのみならず、申請人である被上告人自身について存する事情、その財産等に直接関係のあるものであるから、とくに申請の却下処分をする場合には、右基準の適用上必要とされる事項については、聴聞その他適切な方法によつて、申請人に対しその主張と証拠の提出の機会を与えなければならないものと認むべきところ、被上告人に対する聴聞担当官は、被上告人の転業の意思その他転業を困難ならしめるような事情および運転歴中に含まるべき軍隊における運転経歴に関しては被上告人に聴聞しなかつたというのであり、これらの点に関する事実を聴聞し、被上告人にこれに対する主張と証拠の提出の機会を与えその結果をしんしやくしたとすれば、上告人がさきにした判断と異なる判断に到達する可能性がなかつたとはいえないであろうから、右のような審査手続は、前記説示に照らせば、かしあるものというべく、したがつて、この手続によつてされた本件却下処分は違法たるを免れない
以上説示するところによれば、本件処分を取り消すべきものとした原判決の判断は正当として首肯することができ、所論は、ひつきよう、以上の判示と異つた見解に立脚して原判決を攻撃するものというべきである。所論はすべて理由がなく、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一)

(3)申請に対する処分に関するその他の規定


民事訴訟法 基礎演習 通常共同訴訟(同時審判申出共同訴訟・訴えの主観的予備的併合)


+(共同訴訟の要件)
第38条
訴訟の目的である権利又は義務が数人について共通であるとき、又は同一の事実上及び法律上の原因に基づくときは、その数人は、共同訴訟人として訴え、又は訴えられることができる。訴訟の目的である権利又は義務が同種であって事実上及び法律上同種の原因に基づくときも、同様とする。

+(共同訴訟人の地位)
第39条
共同訴訟人の一人の訴訟行為、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為及び共同訴訟人の一人について生じた事項は、他の共同訴訟人に影響を及ぼさない。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる。
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

+(任意の出頭による訴えの提起等)
第41条
1項 共同被告の一方に対する訴訟の目的である権利と共同被告の他方に対する訴訟の目的である権利とが法律上併存し得ない関係にある場合において、原告の申出があったときは、弁論及び裁判は、分離しないでしなければならない。
2項 前項の申出は、控訴審の口頭弁論の終結の時までにしなければならない。
3項 第1項の場合において、各共同被告に係る控訴事件が同一の控訴裁判所に各別に係属するときは、弁論及び裁判は、併合してしなければならない。

1.通常共同訴訟と共同訴訟人独立の原則

2.要件事実入門
請求原因
X→Y
①売買契約
②顕名
③先立つ代理権授与

X→Z(117条責任に基づく履行請求)
①売買契約
②顕名
(③は抗弁となる)

3.同時審判申出訴訟
一方の請求における請求原因事実が他方の請求では抗弁事実になるなど、両請求が実体法上の択一関係にある場合


無権代理の場合
民法717条関係
+(土地の工作物等の占有者及び所有者の責任)
民法第717条
1項 土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負うただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない
2項 前項の規定は、竹木の栽植又は支持に瑕疵がある場合について準用する。
3項 前二項の場合において、損害の原因について他にその責任を負う者があるときは、占有者又は所有者は、その者に対して求償権を行使することができる。

(3)効果

・両勝ちは、両負けを防止しようとする同時審判申出訴訟の制度趣旨には反しない!
・Yの自白でXY間の訴訟が判決をするのに熟したとしても、同時判決の要請から、Yに対する請求についてのみ判決することはできない!

・共同被告の一方についての中断・中止の事由が生じた場合
→停止しないのが原則だが、同時審判の要請から事実上停止。
40条3項を準用する考えも

・上訴の提起も当該当事者間の訴訟についてのみ確定遮断と維新の効果が生じる。
→原告が控訴しないと両負けの恐れが出てくる!
→念のため公訴。

4.訴えの主観的予備的併合の適否

+判例(S43.3.8)
理由
上告代理人羽生長七郎、同江幡清の上告理由第一点について。
記録によれば、所論の主張は原審においてなされていないことが明らかであるから、所論は採用することができない。
同追加上告理由一について。
記録によれば、原審は、被上告人Aが原判示の経緯により本件土地所有権を取得したと認定し、上告人の被上告人Aに対する本訴請求を棄却していることが明らかであつて、挙示の証拠によれば、原審の右認定および判断は、これを是認することができる。所論は、原判決を正解せず、独自の見解に基づき原判決を非難するものであつて、採用することができない。なお、弁済期に関する所論は、原判決の結論に影響のない主張であるから、この点に関する所論も採用のかぎりではない。
同上告理由第二点および追加上告理由二について。
訴の主観的予備的併合は不適法であつて許されないとする原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法は存しない。所論は、独自の見解に基づき原判決を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎)

予備的被告の不利益とは
Zは応訴を強いられ、たとえその防御が功を奏して代理権授与の事実が認められたとしても、主位的請求の認容により予備的請求の解除条件が成就するため、Zは勝訴判決を取得できない!
→Yの無資力などによりXの強制執行が不奏功の場合、XがZに再訴を提起すると、この再訴は実質的に前訴の蒸し返しであるにもかかわらずZは再訴を既判力により封じることができない!


行政法 基本行政法 行政過程論の骨格~行為形式と行政手続・行政訴訟 


1.行政行為(行政処分)の概念
(1)行政の行為形式~行政活動を型にはめる
(2)行政行為(行政処分)とは
行政行為(行政処分)=公権力の主体たる国または公共団体の行う行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの

(3)行政行為の特徴①~国民の権利義務とのかかわり(行政行為・内部行為との違い)

(4)行政行為の特徴②~具体性(法律・行政立法との違い)

(5)行政行為の特徴③~公権力性(契約との違い)
公権力=行政機関が法令に基づいて、国民より優越的な立場で一方的に国民の権利義務を形成すること

2.行政行為を中核とする行政法体系の骨格

3.行為形式と行政手続・行政訴訟との関係

4.複数の行為形式の組み合わせ

「聴聞」は、行政行為をするための手続であってそれ自体は行政行為ではない


刑法 気になる判例 「所持」

■28065275
最高裁判所第三小法廷
平成13年(あ)第882号
平成13年11月12日
主文
本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中60日を本刑に算入する。
理由
弁護人村田武茂外3名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決は、被告人の主観面のみで覚せい剤の所持を認定したものではなく、客観的状況を考慮していることが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、本件における覚せい剤所持罪の成否について、職権で判断する。
1 原判決の認定及び記録によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) 被告人は、平成10年12月1日午後9時ころ、愛知県豊橋市内のAホテルに入り、同ホテルの客室内で知人とともに覚せい剤を自己の身体に注射して使用した後、同日午後9時21分ころ、同ホテル4階の405号室に移ってチェックインの手続をした。
(2) 被告人は、その後間もなく覚せい剤使用の影響によると思われる幻覚に襲われ、恐怖心から、ビニール袋入り覚せい剤(4.919g。以下「本件覚せい剤」という。)、注射器2本、被告人名義の一般旅券や自動車運転免許証等の入ったセカンドバッグ(以下「本件バッグ」という。)を、現金130万円在中の財布及び携帯電話とともに、そのころ405号室の窓から外に投げた。
(3) 本件バッグは、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上に、上記財布や携帯電話とともに落ちており、この場所は、405号室の直下から北寄りの地点にあり、同室の北側窓から直線距離で約12m(検甲33号証の実況見分調書添付の見取図等によれば、水平距離で約4mと推定される。)離れていた。本件バッグは、同月2日午前4時ころ、同所を自動車で通りかかった第三者によって発見され、豊橋警察署に拾得物として届けられた。
(4) 同ホテルは、いわゆるラブホテルであって、1階はすべて駐車場となっており、32台分の駐車場所があり、駐車場に出入りする車両が上記通路を通行していた。
(5) 被告人は、同日午前7時ころチェックアウトするまで405号室から出たことはなく、チェックアウトした直後、同室に戻り、同ホテルの支配人に、バッグの忘れ物がなかったかと尋ねたほか、そのころ同ホテル駐車場でバッグを探していた。
2 本件覚せい剤所持の公訴事実は、被告人が同月2日午前4時ころ同ホテル駐車場において本件覚せい剤を所持したというものであるところ、第1審判決及び原判決は、いずれも公訴事実どおりの事実を認定して、被告人を覚せい剤所持罪で有罪とした。しかしながら、前記の事実関係の下で、上記公訴事実につき覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決の解釈は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。【要旨】覚せい剤取締法14条、41条の2第1項にいう「所持」とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいい、この関係は、必ずしも覚せい剤を物理的に把持することまでは必要でなく、その存在を認識してこれを管理し得る状態にあれば足りると解される(最高裁昭和30年(あ)第2311号同年12月21日大法廷判決・刑集9巻14号2946頁、最高裁昭和31年(あ)第300号同年5月25日第二小法廷判決・刑集10巻5号751頁参照)。
しかしながら、これを本件についてみると、本件覚せい剤が落ちていた場所は、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上であって、被告人がいた4階の客室の北側窓から直線距離で約12m、水平距離で約4m離れていること、同ホテルはいわゆるラブホテルであって、夜間相当数の客が出入りし、その客の車両が上記通路上を通りかかるものであって、第三者が本件バッグを発見することも困難であったとはいえないこと、被告人が本件バッグを同室の窓から投げてから、本件バッグが第三者によって発見されるまでに、少なくとも6時間以上が経過していたこと、この間、被告人は本件バッグを取り戻しに行くこともなく、翌朝午前7時ころまでこれを放置していたことが認められ、被告人は、本件バッグの落ちていた場所を確認しておらず、一時本件バッグを同室の窓から投げたこと自体の記憶も不確かになっていたことがうかがわれる。以上の事実関係に照らすと、本件バッグが第三者によって発見されるまでの間、被告人が同場所において他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたとはいえず、これに対する実力支配関係があったとはいえないから、本件覚せい剤を所持していたとは認め難いといわざるを得ない。
3 したがって、被告人に上記の時点及び場所における覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決は、覚せい剤取締法41条の2第1項の解釈適用を誤ったものといわなければならない。しかしながら、原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば、被告人は、平成10年12月1日午後9時ころ同ホテルに赴いた後、同日午後9時21分ころ同ホテル405号室にチェックインし、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げるまでの間、本件覚せい剤を同室内等において所持していたことが明らかであり、本件公訴事実とそのころにおける同室内等での所持の事実との間には公訴事実の同一性があると認められるから、後者の事実に訴因を変更すれば、被告人に覚せい剤所持罪の成立を認めることができるというべきである。しかも、被告人は、第1審以来、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げたことも、これを同ホテルにおいて所持したこともないとして、覚せい剤所持罪の成立を争っており、前記の同室内等における本件覚せい剤所持の事実についても、攻撃防御は十分尽くされていると考えられる。そうすると、前記の法令の解釈適用の誤りをもって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道)

+解説
《解  説》
一 本件は、ホテルの駐車場内に放置されたセカンドバッグの中に入っていた覚せい剤について、ホテルの宿泊客による「所持」が認められるか否かが問題となった事案である。
本件の事実関係は、決定中に摘示されているが、要約すると、次のようなものである。すなわち、被告人は、午後九時ころ、いわゆるラブホテルに知人とともに入り、同ホテルの客室内で知人とともに覚せい剤を自己の身体に注射して使用した後、同日午後九時二一分ころ、同ホテル四階の客室に移ってチェックインの手続をした。被告人は、その後間もなく覚せい剤使用の影響によると思われる幻覚に襲われ、恐怖心から、ビニール袋入り覚せい剤、被告人名義のパスポート等の入ったセカンドバッグ(以下「本件バッグ」という。)を、現金一三〇万円在中の財布及び携帯電話とともに、そのころこの客室の窓から外に投げた。本件バッグは、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上に、上記財布や携帯電話とともに落ちており、この場所は、前記客室の北側窓から直線距離で約一二m、水平距離で約四m離れていた。本件バッグは、翌日午前四時ころ、同所を自動車で通りかかった第三者によって発見され、警察署に拾得物として届けられた。被告人は、同日午前七時ころチェックアウトするまで前記客室から出たことはなく、チェックアウトした直後、同室に戻り、同ホテルの支配人に、バッグの忘れ物がなかったかと尋ねたほか、そのころ同ホテル駐車場でバッグを探していた。
二 本件公訴事実は、翌朝午前四時ころ本件バッグが第三者によって発見された時点において被告人が本件覚せい剤を所持していたとするものである。一審裁判所は、検察官に訴因変更の意思について求釈明したが、検察官は、あくまでも当初の訴因を維持すると釈明したようである(検察官が訴因変更に応じなかった理由は明らかでない。)。一、二審判決とも、本件公訴事実について、被告人の本件覚せい剤の所持が認められるとして、被告人を有罪とした。
これに対し、被告人から上告があり、弁護人は、上告趣意において、原判決が覚せい剤「所持」の意義に関する判例に違反すると主張したほか、被告人が本件覚せい剤を所持したことはないと原判決の認定を争う事実誤認の主張をした。
三 本決定は、弁護人の上告趣意が適法な上告理由に当たらないとして、これを斥ける一方、本件における覚せい剤所持罪の成否について職権で判断を示し、本件公訴事実について覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決の解釈は、是認できないとしたものの、後に述べるような理由で、結論としては上告を棄却した。
すなわち、本決定は、覚せい剤取締法における覚せい剤「所持」の意義に関して、最大判昭30・12・21刑集九巻一四号二九四六頁及び最二小判昭31・5・25刑集一〇巻五号七五一頁を引用して、同法にいう「所持」とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいい、この関係は、必ずしも覚せい剤を物理的に把持することまでは必要でなく、その存在を認識してこれを管理し得る状態にあれば足りると解されると判示した上、①本件覚せい剤が落ちていた場所は被告人がいた四階の客室の北側窓から直線距離で約一二m、水平距離で約四m離れていること、②同ホテルはいわゆるラブホテルであって、夜間相当数の客が出入りし、その客の車両が上記通路上を通りかかるものであり、第三者が本件バッグを発見することも困難であったとはいえないこと、③被告人が本件バッグを同室の窓から投げてから、本件バッグが第三者によって発見されるまでに、少なくとも六時間以上が経過していたこと、④この間、被告人は本件バッグを取り戻しに行くこともなく、翌朝午前七時ころまでこれを放置していたこと、⑤被告人は、本件バッグの落ちていた場所を確認しておらず、一時本件バッグを同室の窓から投げたこと自体の記憶も不確かになっていたことを挙げ、本件バッグが第三者によって発見されるまでの間、被告人が同場所において他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたとはいえず、これに対する実力支配関係があったとはいえないから、本件覚せい剤を所持していたとは認め難いといわざるを得ないと判示した。さらに、本決定は、被告人が同ホテルに赴いた後、客室にチェックインし、本件覚せい剤を客室の窓から外に投げるまでの間、これを客室内等において所持していたことが明らかであり、本件公訴事実とそのころにおける同室内等での所持の事実との間には公訴事実の同一性があると認められるから、後者の事実に訴因を変更すれば、被告人に覚せい剤所持罪の成立を認めることができ、しかも、被告人は、第一審以来、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げたことも、これを同ホテルにおいて所持したこともないとして、覚せい剤所持罪の成立を争っており、同室内等における本件覚せい剤所持の事実についても、攻撃防御は十分尽くされているとして、原判決の法令の解釈適用の誤りをもって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するもの(刑訴法四一一条一号)とは認められないと判断した。
四 覚せい剤取締法に限らず、薬物、危険物等の各種の取締法規においては、「所持」を構成要件とする犯罪類型が少なくないが、このような「所持」の概念については、前記の引用判例等により、「人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいう」とする定義が、一般論として確立しており、学説(香城敏麿・注解特別刑法5ーⅡ〔第二版〕一四六頁等)も、判例の立場を支持している。従前判例に現われた事例としては、例えば、被告人が肩掛け鞄の中に覚せい剤を入れて知人方に赴き、同人の部屋に覚せい剤を置いて雑談中、警察らしい者を認めたので、覚せい剤を遺留したまま帰宅したという事案について、被告人に覚せい剤所持を認めたもの(前掲最大判)や、被告人が覚せい剤入りの注射液三七〇本を知人方の同居人に委託して預けた事案において、被告人に覚せい剤所持を認めたもの(前掲最二小判)などがある。これらは、被告人が覚せい剤を物理的に直接支配しているとはいえないが、他人を通じて自らの意思によりこれを支配しているといい得る場合である。
本決定は、本件覚せい剤の置かれていた状況、被告人と本件覚せい剤との距離的関係、被告人が本件覚せい剤を投げてから第三者がこれを発見するまでの時間的隔たり、この間の被告人の主観面を総合的に考慮した結果、本件においては、被告人が他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたわけでもないので、従来の判例によって認められてきたような実力支配関係が認め難いとして、覚せい剤の「所持」に当たらないとしたものである。
五 なお、原判決の法令違反が「著しく正義に反しない」とした部分は、検察官が本件公訴事実にこだわらず、本件覚せい剤を客室の窓から外に投げるまでの間の客室内等における所持の事実に訴因を変更していれば、被告人を有罪とすることができたと考えられるところ、原審までの段階であれば、裁判所が検察官に訴因の変更を勧告した上で変更された訴因について有罪とすべきであったが、上告審の段階においては、原審までに上記の事実についても攻撃防御が十分尽くされているので、本件を破棄して自判しあるいは差し戻すまでもないという判断から、上告を棄却したものと解される。
六 本決定は、被告人が覚せい剤をホテルの窓から外へ投げたという、かなり特異な事例に関する判断ではあるが、本件は、被告人に覚せい剤の「所持」が認められるか否かをめぐって、一、二審判決が積極の判断を示したことからもうかがえるように、かなり微妙な事案であるといえ、このような事案について消極の判断を示した本決定は、「所持」の概念に関する判例理論の外延を明らかにしたものとして、意義のあるものといえよう。

民事訴訟法 基礎演習 和解


1.裁判外の和解と裁判上の和解

+(和解)
民法第695条
和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。

裁判上の和解=訴訟上の和解+訴え定期前の和解(275条)

+(訴え提起前の和解)
民事訴訟法第275条
1項 民事上の争いについては、当事者は、請求の趣旨及び原因並びに争いの実情を表示して、相手方の普通裁判籍の所在地を管轄する簡易裁判所に和解の申立てをすることができる。
2項 前項の和解が調わない場合において、和解の期日に出頭した当事者双方の申立てがあるときは、裁判所は、直ちに訴訟の弁論を命ずる。この場合においては、和解の申立てをした者は、その申立てをした時に、訴えを提起したものとみなし、和解の費用は、訴訟費用の一部とする。
3項 申立人又は相手方が第一項の和解の期日に出頭しないときは、裁判所は、和解が調わないものとみなすことができる。
4項 第1項の和解については、第264条び第265条の規定は、適用しない。

・訴訟上の和解の効力として既判力が認められるのか?

・訴訟上の和解に既判力がある。
+判例(S33.3.5)
理由
上告代理人大高三千助の上告理由について。
罹災都市借地借家臨時処理法(以下単に処理法という。)は、先般の戦争による罹災又は建物疎開のため甚大な被害を蒙つた都市における罹災者の居住の安定を図ると共に、都市の急速な復興をはかるため制定されたものであつて、罹災者の居住の保護のために、罹災建物の借主に対しその敷地につき優先的に借地権の設定又は譲渡を求める権利を与え、また、疎開跡地について旧借地人又は疎開建物の借主に優先的に借地権の設定を求める権利を与えている。すなわち、同法二条、三条(同法九条で準用する場合を含む)では、罹災建物の借主に、敷地についてその申出により優先的に借地権の設定又は譲渡を受ける権利を認め、土地所有者又は既存の借地権者は正当な事由がなければ、その申出を拒絶することができないものとし、同法一五条、一八条では、この借地権の設定又は譲渡に関する法律関係について争のあるときは、申立により裁判所が非訟事件手続法により、これを定めることができる旨を規定している。
元来私権に関する裁判の手続については現行法上民事訴訟法、人事訴訟手続法、非訟事件手続法、家事審判法等各種存するのであるが、非訟事件手続法は私権の発生、変更、消滅に裁判所が関与する場合に、これによるのを原則とする。そして、処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律関係の争を裁判するのではなく、前記の如く、土地について権利を有していなかつた罹災建物の借主らに、新に、敷地に借地権の設定を求めたり、既存の借地権の譲渡を求める申出権を認め、土地所有者又は既存の借地権者がこれを拒絶した場合に、その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものであること、および、罹災地における借地の法律関係については実情に即した迅速な処理が要請せられていた当時の実情に鑑み、これを非訟事件として、同法一六条、一七条の借地借家関係の形成の裁判と共に、非訟事件手続法によらしめたものと認められる。そして、私権に関する裁判を如何なる手続法によらしめるかは、事件の種類、性質に応じて、憲法の許す範囲内において、立法により定め得る事項であるということができる。
ところで、非訟事件手続法では、その裁判は判決の形式をとらず、決定の形式をとり、また、必要的当事者対審の方式が要求されておらず、審理は非公開を原則としており、当事者処分主義でなく、職権主義が加味されているのであるが、管轄裁判所、裁判官の除斥等の規定を設けて裁判の公正を保障し、当事者の申立、陳述、期日、期間および証拠調等について、民事訴訟法の規定が準用され、当事者に主張、弁解の機会が与えられ、裁判は職権による事実探知のほか、民事訴訟法の準用による証拠調に基いて事実を認定して、法律によりなされるのであつて、更に、その裁判に対しては抗告、特別抗告の途が拓かれており、いやしくも、裁判官の専恣による事実および法律上の判断を許さないことはいうをまたないところである。してみれば、非訟事件手続法によるかかる裁判は固より法律の定める適正な手続による裁判ということができる。それ故その裁判が憲法三二条、八二条に違反するとの非難は、当らない。
そして、処理法二五条は、同法一五条の規定による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は確定判決と同一の効力を有し(民訴二〇三条)、既判力を有するものと解すべきであり、また、特に所論の如く借地権設定の裁判に限つて既判力を否定しなければならない解釈上の根拠もなく、更に、本件の如く実質的理由によつて賃借権設定申立を却下した裁判も処理法二五条に規定する同法一五条の裁判であることに疑いなく、従つて、これについて既判力を否定すべき理由がなく、この裁判に既判力を認めたからといつて、憲法の保障する裁判所の裁判を受ける権利を奪うことにならないことは多言を要しないところである。
してみれば、原判決が本件賃借権設定および条件確定の申立は処理法一五条、一八条に従い非訟事件手続法により裁判されたものであつて同法二五条により、その裁判は裁判上の和解と同一の効力を有するのであるから実質的理由の下になされた昭和二二年(シ)六一〇号事件の申立却下の決定には既判力があり、上告人の右申立事件で主張したと同一事実を請求原因とする本訴請求は理由がないとして排斥したことは正当であつて、所論の如く憲法違反又は処理法の解釈を誤つた違法はない。論旨はすべて理由がない。
よつて民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官真野毅、同島保の意見および裁判官垂水克己、同河村大助、同下飯坂潤夫の少数意見があるほか裁判官一致の意見により主文の如く判決する。

+意見
本件に関する裁判官真野毅の意見はつぎのとおりである。
わたくしの結論は多数意見と同じであるが、理由の説明において異る。
既存の法律上の紛争については、何人も裁判所において裁判を受ける権利を有し、その訴訟手続は公開主義、口頭弁論主義にもとづき公正に行わるべきことは、憲法の要請するところである(判例集一〇巻一〇号一三六〇頁以下に述べた意見参照)。
本件では事実関係をよく見つめることが、特に大切である。そこで本件における原審の確定した事実によれば、上告人の主張は「上告人先代は本件宅地を被上告人Aから賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除去されると共に右賃借権は東京都に買収された。右命令は昭和二一年四月中解除となり、本件宅地は被上告人Aに返還され、ついで罹災都市借地借家臨時処理法の施行によつて、もとの借地人はこれに対して優先賃借の申出をすることができるようになつた。その間昭和二一年四月一六日上告人は右先代の死亡によつてその家督相続をしたので、同年一一月一〇日被上告人Aに対し本件宅地賃借の申出をした。被上告人Aは当時この申出を拒絶したけれども、その拒絶は正当の事由にもどつかないものであるから、本件宅地については右の賃借申出の後三週間を経過したとき、原告のために相当の条件を以てする賃貸借ができた。それにも拘わらず被上告人等は右賃貸借を争うから、本訴において借地権の確認等を求める」というのである。そして、上告人は先に前記処理法にもとづき被上告人Aを相手方として、東京地方裁判所に前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立をしたが、右申立は昭和二三年六月三〇日附決定をもつて却下され確定したことは本件当事者間に争いがない、と原審は確定している。さらに前記却下決定は、相手方の拒絶は正当の事由ありと認めるのが妥当であるとの実質的理由によつてなされたものであることを、原審は認定している。
この上告人の主張に関係のある法条は次のとおりである。「疎開建物が除却された当事におけるその敷地の借地権者」については、前記処理法二条が準用されるから(同法九条)、「その土地の所有者に対し……建物所有の目的で賃借の申出をすることによつて、……相当な借地条件で、その土地を賃借することができる」(同法二条一項)。そして、「土地所有者は、……正当な事由があるのでなければ、第一項の申出を拒絶することができない。」(同条三項)。さらに同法一五条は、「第二条(第九条……において準用する場合を含む)……の規定による賃借権の設定……に関する法律関係について、当事者間に、争があり、又は協議が調はないときは、申立により、裁判所は、……これを定めることができる。」と定め、同法二五は、「第十五条……の規定による裁判は、裁判上の和解と同一の効力を有する。」と定めている。
前記宅地に対する賃借権設定並に条件確定の申立事件における当事者間の主要な争は、上告人が前記処理法九条および二条一項にもとづき賃借の申出をしたが、相手方たる被上告人A(土地所有者)は、同法二条三項により正当な事由があることを主張して右上告人の申出を拒絶したのである。すなわち争点は、賃借の申出を拒絶する正当な事由があるかどうかにかかつていた。そして裁判所は、正当な事由ありとして、上告人の申立を却下する決定をしたのである。
上告人先代の有した建物は、強制疎開命令によつて除去されると共に、右賃借権は東京都に買収され消滅したのであるから、同法九条、二条一項による賃借の申出によつてその土地を賃借することができる権利は、同処理法が大平洋戦争による災害を復興ないし調整するため創設したものである。そして、正当な事由があれば土地所有者は、右賃借の申出を拒絶することができること(同法二条三項)、正当事由の有無(したがつて賃借権の設定の成否)の争は、裁判所が非訟事件手続法により決定すること(同法一五条、一八条)、その決定は裁判上の和解と同一の効力を有すること(同法二五条)は、すべて同法制定の趣旨にもとづく賃借権創設と密接不可分な有機的関連を有するものである。いわば相待つて賃借権の創設を定める条件的規定をなすものである。前記申立事件における正当な事由の有無の争のごときは、同法による賃借権創設の過程内における争に過ぎないのであつて、頭初に述べた既存の法律上の紛争ということはできない。したがつてこれを非訟事件手続で審理決定し、その決定に裁判上の和解と同一の効力を有せしめ、既判力を認めることは、憲法に違反するものということはできない。それ故、原判決は正当であり、本件、上告は棄却さるべきである。(なお、一五条の裁判では既存の法律上の紛争を最終的に決定する効力をもつことは許されない。例えば、当事者間に疎開建物が除却された当時におけるその敷地の借地権の有無につき争が存する場合には、その争こそは既存の法律上の紛争であるから、一五条の決定で、右借地権を否定し、したがつて二条一項による賃借の申出による賃借権の設定を認めず申立を却下したとしても、疎開当時の借地権の有無の判断については既判力の効力は及ばない。その有無は、結局民事訴訟手続によつて審判さるべきである
裁判官島保の意見は次のとおりである。
憲法三二条は、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定し、同八二条一項は、「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行ふ」と規定しているが、ここにいう裁判がいかなる裁判をさすかは、法文上必ずしも明らかではない。しかし、これらの法条がいずれも厳格な意味における司法権の作用としてなされる裁判を念頭に置いて規定されたものであることは、憲法が三権分立の理念に立脚して制定されたこと、右法条が憲法の司法の章下に規定されていること等に徴して疑いない。そして右の意味における裁判は、具体的法律関係の存否に関し当事者間に紛争の存する場合に、証拠によつて事実を明らかにし、これに法律を適用することによつてその紛争を解決すること、略言すれば、いわゆる非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものにつき裁判することをいうことは、司法権確立の沿革に徴し明らかなところである。されば、憲法三二条、八二条の保障するところは、何人も訴訟事件に関する限り、司法裁判所の裁判によつてその解決を受くべき権利を有し、これが審理と裁判とは、原則として公開の法廷で行われ、その手続は対審と判決とによつてなされなければならないことにあるといわざるを得ない。それゆえ、罹災都市借地借家臨時処理法一八条により非訟事件手続法の非公開、非対審、非判決の手続によつてなされる同一五条の裁判が違憲であるか否かは、その裁判の対象が訴訟事件であるか否かによつて決定されるものというべきである。ところで、罹災都市借地借家臨時処理法二条によれば、同条の要件が具備すれば直ちに賃借権が発生し、その賃借権に争があれば同一五条の裁判を受けうるもののごとくであり、この点からみれば同条による事件は、訴訟事件の観があるけれども、仔細に両条を調べてみると、当事者間に争があり協議が調わないため、いまだ真実には成立するに至つていない賃貸借関係につき、裁判所は鑑定委員会の意見を聞き同一五条所定の一切の事情を斟酌してその裁量により新たに賃借権を設定することができる趣旨を右の法条は規定したものと解するのを相当とするので、同条による裁判は、いわゆる非訟事件に関するものであり、訴訟事件について裁判するものではないから、憲法三二条、八二条等による保障は、右の場合に適用されるものではない。そして右裁判は、申立を相当と認めれば新たに賃借権を設定するものであり、既存の賃借権の存否を確認するものではないから、その意味において既判力を生ずるものではないけれども、本件の場合は同条による申立が却下され、賃借権が設定されなかつたのであるから、その理由により、上告人の請求を排斥した原判決は結局において正当であり、本件上告は棄却されるべきものである。

+少数意見
裁判官垂水克己の少数意見は次のとおりである。
私は、裁判とは何かということについての多数意見には賛成できない。処理法一五条の裁判はそれが確定しても既判力はないから、その目的物となつた権利関係について当事者は新に訴を提起して公開対審手続による権利の存否を確定する判決を受ける権利を奪われない。本訴請求に対しては実体判決をすべきであつたのに原判決がこれを斥けたのは違法であるから原判決は破棄されるべきである、と考える。
(1) 固有の意味の裁判固有の意味で裁判とは権利に関する争議について法の定める手続に従い法を適用して判定することをいう。すなわち、法上の権利の存否及びその範囲について争議があるときこれに対して法の定める手続に従いつつ法に照らして権利の存否及び範囲を確定することであつて、刑事においては、ドイツやわが国の多くの学説のいうように、或る特定の人(被告人)に対して国が刑罰請求権(刑罰の執行に服従すべきことを請求する権利)を有するかどうか、有するとすればその範囲如何を確定することである。(これを仮りに黒白裁判と呼ぼう)。また固有の意味の裁判とは権利争議の目的物となつている具体的事実(事件)に法を適用して判定を下すこと(司法)であるといつてもよい。固有の意味の裁判は、広い意味の法(条理、正義人道、衡平などと呼ばれるものを含む)に照らして、しかも場合によりかなり自由な解釈をして判定を下すものではあるが、それでも所詮客観的な憲法及び法にのみ拘束された、権利存否の法律的判定であつて、特定の事実から発生する権利義務の内容は法によつて一定し、裁判する国家機関たる裁判所がこれを増減変更することができないのを大原則とする。例えば、当該契約と法に照らせば買主は代金一〇万円を支払はねばならない場合には、裁判所は一〇万円の支払を命ずる裁判だけをしなければならない。裁判所は裁量により六万円だけの支払を命じたり、或は、支払に代えて特定物を引渡したり、売主のために働いたり、謝罪したりすることを命ずることはできない。仮りに、法律によつて、裁判所に右のような裁判をすることを許しても、それはもはや権利争議に法律的判定を下す固有の意味の裁判ではない。
憲法三二条にいわゆる「裁判を受ける権利」とはかような固有の意味の裁判を受ける権利を指すものと解すべきである。けだし、権利についての争議(法律上の争訟)が裁判所に持ち込まれた場合に、若し、裁判所が当事者の意思に反しても、かかる裁判を避け法の適用から離れて自ら衡平適正と考えるところに従い自由に権利関係の変更を命ずる裁量的措置(司法的行政処分)を命じて争訟の有権的解決を遂げ得るものとするならば、予め実体法をもつて定められた人の権利義務は裁判によつて不測の(当事者も実体法もが予測しなかつた)強権的変更を受ける虞が常に存することとなろう。例えば、或特定の売買による売主の権利義務と買主の権利義務とはその契約と民法とによつて定まる。当事者はそれぞれ自分はこれだけの権利がありこれだけの義務しかないと考えてお互いの生活関係であるこの売買を決定確約した。、しかるに一朝争が起つて裁判になると、事情は一変し、裁判所は右契約の成立と当事者一方の不履行を認めながら、当事者の意思如何に拘わらず、前例のような権利義務を変更する裁判をすることができるとすると、当事者は裁判によつてどんな目に遭うかも知れず、契約も法律も頼りにならない。かくては、権利者は法が認めそして裁判と強制執行をもつて保障しようとする権利の満足を得られなくなり、従つてこの保障が失われた権利は権利たるの実を失い、その結果、広く権利及び法の強制力、惹いて社会生活の法的安固が害される虞を生ずること明らかである。これではもはや黒白裁判でにく大岡裁判、カーデイ裁判である。かような結果の承認は三権分立制下の固有の意味の裁判の本質及び作用の否定にほかならない。されば何人も固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないものとすることは個人のためにも国家公共のためにも最も大切な、三権分立制国家組織の柱石をなす事項であり、かような裁判こそわが裁判所から奪うことのできない不可欠の権限であり、裁判所の本質的至上使命である。国民は権利を侵害されたと考える場合に原告としても、又訴を受けた被告としても、自分が欲するかぎり、固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないというのが憲法三二条の意味でなければならない。そしてこの裁判の基礎たる審理が当事者双方の対論である場合には、当事者が欲する限り一度は公開法廷でそれが行われなければならない、その裁判(判決)も公開法廷でされなければならないと憲法八二条はいうのである。
(2) 実質上行政たる性質の裁判法が固有の意味の裁判以外に実質上行政に属する行為を裁判所にさせ、これをも裁判として扱うことは、それが事柄の性質上三権分立制の本義を失わせるものでないかぎり憲法に違反するものでないと解してよい。法定の場合に裁判所がする不在者の財産管理処分、夫婦間の協力扶助に関する処分のような要するに私法上の生活関係に対する国の直接的後見行為たる非訟事件の裁判、或は、非行少年に対する保護処分裁判、又は起訴前の勾留状の発付等の強制処分の裁判等がそれである。これらの行為(司法的行政処分)を裁判所に、裁判の形で、黒白裁判に準ずる手続でさせることは裁判所が法の適用を司る独立公正な判断をするに適した裁判官と機構とを持つことに鑑み適切なことであつて、これをも広義の裁判として扱うことは適当であることが少くない。司法的行政処分も立法によつて裁判とされた以上、裁判官は独立してこの裁判をしなければならない。その場合にも何人もこの裁判を受ける権利を奪われないが、それはこの立法の効果によるのであつて憲法三二条によるのではない。だから、また、裁判所をしてこのような司法的行政処分たる性質の裁判をさせなくする立法をしても憲法三二条に違反するものとはいえないのである。
(3) 対論 権利争議について裁判するには裁判所は争議内容を認識しなければならない。当事者は裁判所に対しどんな裁判を欲するかを申し立てこれを正当とする事実及び法律上の理由を主張し、立証し、意見を述べることができるようにすることが賢明な裁判制度である。当事者双方が裁判所に対し互に或裁判を申し立て、その理由を主張し、立証し意見を述べあうことが対論である。対論は攻撃防禦であり、書面の交互提出によつてもできないことはない(例えば保釈願とこれに対する検察官の意見書とにより裁判所が保釈許否の決定をする如き)が、それよりも直接裁判官の面前で口頭でこれを行うことこそ情理をつくすことができ切実効果的であつて、裁判所が啓発され真実を探究し法(正義)を発見するのに絶好無比の方法であるから、重要な対論は口頭でなされるべきことを法律が定めることを憲法八二条は予期するのであつて、同条にいう対論とは口頭による対論すなわち口頭弁論をいうと解すべきである。権利争議の当事者が(例えば、略式命令や支払命令に服せず)口頭弁論に基いて裁判されることを欲する限りその本案裁判は公開法廷での口頭弁論を一度も経ないですることができない。そしてこの裁判は公開法廷で口頭で言い渡されなければならない。重要な本格的審理においてはもはや革命前フランスのような秘密・書面審理主義は許されない。これによつてこそ、裁判所が片言によらず当事者双方の言い分と証拠に耳を傾けて公明正大に真実と法(正義)を探究し公平な裁判をすることが保障されるのである。これが憲法の精神である。
(4) 罹災都市借地借家臨時処理法は、要するに一定の賃貸借関係につき当事者間に協議が調わずその他争があるときは、裁判所が当事者の申立次第で或は裁量により借地権を設定する裁判を、或は法を適用して権利の存否を確定する裁判を、いずれも非訟事件手続法によつてすることを規定したものと解される。当事者がこの裁判に服するなら事件は落着する。実際この裁判によつて多数事件は早期に適正に解決を見るであろう点にこの立法の価値はあろう。けれども、この裁判は非訟事件手続法により必しも公廷での口頭弁論に基き公廷で宣告されることを要しないものである以上、当事者の一方が公開の口頭弁論に基く公開判決を要求する限り、この裁判がいわゆる、「確定判決と同一の効力」を持つに至つて後も、当事者が新に訴を提起して同一事実につき公開口頭弁論により法に照らしての権利の存否を確定する公開判決を受ける権利を奪うことは憲法三二条、八二条の上から許されないことは多言を要しないであろう。多数説の論拠をもつてすれば民刑訴訟を広く非訟手続に切り換える立法をしても違憲ではないということになり甚だ危険が感ぜられる。
処理法二五条は、同法一五条による裁判は裁判上の和解と同一の効力を有する旨規定し、裁判上の和解は民訴二〇三条により確定判決と同一の効力を有するが、しかし、私は、「確定判決と同一の効力を有す」とは単に訴訟終了の効果と執行力あることを認めたに止まり必しも既判力を認めた趣旨ではないと解する説に賛成する。従つて、本件問題の右処理法の裁判の後も、同一事実について当事者が更に訴を提起して法に照らして権利の存否を確定する公開審判を受ける権利は現行法の下でも奪われていないと解するものである。
されば、原審としては、さきの処理法に基く却下決定に既判力ありとして上告人の本訴請求を排斥すべきでなくこれに対しては新に公開口頭弁論による判決手続を行うべきであつた。よつて上告理由第二点は理由があるから、原判決を破棄し本件を原審に差戻すべきものであると考える。

+少数意見
裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。
原審の確定した事実によれば、上告人の先代は被上告人から、その所有の本件係争宅地を賃借し、その地上に建物を所有していたが、右建物は昭和一九年中強制疎開命令によつて除却せられ、同時に右借地権は東京都に買収された。その後昭和二一年四月右命令が解除されて、右宅地は被上告人に返還されたので、上告人は罹災都市借地借家臨時処理法九条、二条によつて、旧借地につき優先賃借の申出をなしたところ、当時被上告人はその申出を拒絶した。上告人は右被上告人の拒絶は正当の事由に基づかないものであるから、本件宅地につき、右賃借申出後三週間を経過したとき上告人のために相当の条件を以てする賃借権が成立するに至ったと主張し、これを争う被上告人等に対し右借地権の確認等を求めるというにある。これに対し原審は、上告人はさきに同一事実関係につき前記処理法に基づき東京地方裁判所に賃借権設定並びに条件確定の申立をなしたところ、同庁においては、右申立は相手方の拒絶に正当の事由があるとの理由の下に決定を以て却下し、当時右決定は確定したので、右裁判は前記処理法二五条により裁判上の和解と同一の効力を有し、従つて既判力があるから上告人はもはや被上告人に対し、同一事実を請求原因として、借地権を主張することができない旨判示して、上告人の借地権確認の本訴請求を排斥したのである。
右判決に対する上告代理人大高三千助の上告理由につき私は次のように考える。
憲法三二条は国民の裁判を受ける権利を保障し、同八二条一項は裁判の対審及び判決は公開の法廷で行うことを要求している。ところで憲法三二条は如何なる事項について国民の裁判を受ける権利を保障したのか、また同八二条一項は、如何なる裁判が対審手続によつて判決の形式でなさるべきかを明示していないが、民事裁判が本質上法律を適用することによつて当事者間の紛争を解決する司法作用であり、右憲法の保障する裁判も、非訟事件に対して訴訟事件と称せられるものを対象とすることは異論のないところであろう。けだし、右憲法の法意とするところは、当事者間の権利関係についての紛争は公開の法廷において行れる対審(口頭弁論)及び判決によつて公権的な判断を下すことにより決すべき旨を定め、国民がかゝる裁判を受ける権利はこれを奪うことができいものとして保障しているということができるからである。裁判所法三条において、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判する権限あることを規定しているのも、右憲法における裁判の意義を明確ならしめたに過ぎないものというべく、従つて、憲法の保障する公開の法廷において対審判決により公権的な判断作用をなすべきところの訴訟事件の裁判を、かゝる厳格な手続によらない密行、簡易性の非訟事件手続によつて裁判することは法の許さざるところである。民事訴訟における口頭主義弁論主義もまたかゝるところに根拠を有するものというべく、かくして厳格な手続を経た訴訟事件の裁判にしてはじめて既判力を認め得るものというべきであつて、非訟事件の裁判には確定判決と同一の既判力を認むべからざる所以の根拠もここに存するのである。
ところで本件で問題の、罹災都市借地借家臨時処理法二条は、一定の要件即ち賃借の申出と擬制承諾との法律要件の具備によつて、法律上当然に借地権の発生を認めているのであつて、その成立自体に国家機関の関与を必要としない、即ち裁判によつて借地権を創設するものでないことは同条の解釈上疑いの余地がない。従つて同条による借地権の発生につき争を生じたときは、その争は純然たる訴訟事件に属し、非訟事件の性質を有するものでないことも明白である。然るに同法一五条及び一八条によれば、同法二条の借地権の設定に関する法律関係について、当事者間に争があり、又は協議が調はないときは、申立により裁判所は鑑定委員会の意見を聴き従前の賃借条件、土地又は建物の状況その他一切の事情を斟酌して、これを定めることができ、その裁判は非訟事件手続法によりこれをなすと規定されている。而して右一五条では「借地権の設定」なる文字を使用し、その行文必ずしも明確ではないが、同法二条の借地権は当事者の申立により裁判所がこれを設定する法意でないことは前に述べたとおりである。蓋し拒絶の正当事由が不存在の場合は借地権は当然成立するのに、争がある場合は裁判によつて始めて形成されるというが如き、権利発生が二途に出づるような見解は正当でないからである。元来処理法が罹災都市の復興及び住宅問題の急速処理の必要から、その解決を簡易な非訟事件裁判に求めようとした立法政策はこれを首肯することができるが、しかし、借地権の存否自体の争い即ち本来訴訟事件たる性質を有する権利関係の重大な紛争までも、非訟事件にとり入れて憲法上の裁判を受くる権利を奪う如き、応急立法をしたとは考えられない。従つて右一五条の規定は、既に二条によつて設定された借地権に関し、賃料その他の借地条件を鑑定委員会の意見を聴き具体的に定めることを目的とするものであつて、借地権自体の設定又はその存否の争いを確定することは同条審判の対象とならないものと解するを相当とする。さればたとえ非訟事件裁判所において同条による借地条件形成の裁判の前提として、借地権の存否に関する実体的要件を一応審査したとしても、それは非訟事件の裁判の対象となるものではなく、飽迄前提要件の審査に過ぎず、この判断が実体的確定力を有するものでないことは理論上当然の筋合である(その後同法と全く同様の立法の接収不動産に関する借地借家臨時処理法一七条(本法一五条に当る)は裁判の対象を賃借条件又は対価の決定のみにしている点は注目に値する)。従つて、右の前提要件を欠くものとして処理法一五条による申立を却下されたとしても、改めて借地権の存否の確定自体を通常の民事訴訟手続に求むることは、何等妨げないものというべく、されば右申立却下の裁判によつて借地権の存否についても既判力を生ずるものとなした原判決は、処理法の解釈を誤つたものというべきである。
多数意見は「処理法一五条、一八条の裁判は既存の法律関係の争を裁判するものではなく」「その拒絶が正当な事由によるものであるか否かを裁判するのであつて、この裁判は、実質的には、借地権の設定又は移転の新な法律関係の形成に裁判所が関与するに等しいものである」と説示しているが、同法二条は拒絶が正当の事由に基づくときは借地権を成立せしめず、反対に拒絶が正当の事由に基づかないときは、借地権を成立せしむることになるので、その正当事由の存否の争いは、取りも直さず借地権存否の争いに外ならないのである。そしてその争いを裁判することは、借地権の存否を確定するものであるから、既存の法律関係の争いを裁判するものであつて、明かに訴訟事件の性質を有するものである。
又多数意見はかゝる非訟事件の裁判と雖も裁判所において公正な手続により行われるものであるから法律の定める適正な手続による裁判ということができ、憲法三二条、八二条に違反するものではないとの趣旨を判示しているが、かゝる見解は立法によつて、あらゆる私権についての紛争を非訟事件手続により裁判することを定め得るに等しく、到底賛同することを得ないものである。
以上要するに、処理法一八条、二五条の規定は、憲法に違反するものというを得ないが、本件問題の申立却下の裁判は、確定判決のような既判力を有するものでなく、かつその裁判の存在は、借地権の存否の確定を求むる民事訴訟の審判を妨ぐるものでないから、原審は須らく上告人の本訴請求につき、その実体的の審理判断を行うべきであつたに拘らず、前記申立却下の裁判につき同法二五条により既判力を認め上告人の請求を排斥したのは、処理法の解釈を誤つた違法によるのであつて、上告理由二点はその理由あるに帰する。よつて原判決を破棄し本件を原審に差戻すを相当と思料する。

+少数意見
裁判官下飯坂潤夫の少数意見は次のとおりである。
私は大体において、河村(大助)裁判官の少数意見に同調する。
本論旨に対する判断は、先ず罹災都市借地借家臨時処理法第二条(第九条の場合にも関連して)の解釈を基礎とすべきものと考える。云うまでもなく、借地権は地主の所有権に対する制限であるから、地主の意思に基くことを必要とする。すなわち、地主の当該借地権の設定を欲する意思表示によつて設定されるものであること、その意思表示が遺言に基づくような特別の場合を除いて地主対借地人間の契約の形式をとるものであることは、こゝに多く弁ずるまでもあるまい、右臨時処理法特設の借地権といつても、その例外であり得るものではなく、右法律第二条はこの当然のことを、多少のニユアンスを附してうたつているに過ぎない。従つて多数意見の説くように、右法条は借地権を法律の規定によつて当然に発生するとか、或は裁判所が設定するとかいうことを規定したものではないのである。もし多数意見のようだとすれば、地主はその自由意思を無視されてその土地の使用権をはく奪されるような結果になるであろう。そうした解釈が憲法の諸条章をまつまでもなく、条理上許し得ないことは、あえて賛言を要しないところと考える。そこで、少しく右法律第二条の解釈を試みれば、同条は罹災建物が滅失した当時における建物の借主は(同法第九条所定の者についても同様であるが、)その建物の敷地又は換地に借地権のない場合でも、土地所有者に対し、この法律施行の日から二箇年以内に、建物所有の目的を以て賃借の申出をすることができ、これによつて他の者に優先して、相当な条件でその土地を賃借することができる旨規定しているが、地主において右申出を拒絶できることは、同条第二項から明瞭に窺い得るところであり、たゞ、その拒絶の章思を右申出を受けた日から三週間以内に表示しないとき、又は、三週間内に拒絶の意思を表示しても、それがいわゆる正当事由を伴わないものであるときは右申出を承諾したものと看做される(擬制承諾)というのである。すなわち、右法条全文の構成は申込、承諾の各意思表示を必要とする借地契約の成立を予定しているのであつて、たゞ、罹災土地の焦眉の急に応ずベく、その形式が一種の強制契約のかたちをとつているだけなのである。(この種の強制契約は事情に応じ法律の常用する手段である)されば、この契約については一般の契約の場合と同じように、その成否について、各種の係争の生ずるであろうことは当然に予想されるところであり、(既に訴訟の現実がそうである)それらの係争が民事裁判の対象となると云わんよりは、民事裁判においてのみ審判さるべきものであり、右第二条にいわゆる借地の条件についての争は別として、性質上非訟事件に親しまないものであることは、これまた多言を要しないところであると信ずる。(私の理解するところでは、右臨時処理法第一五条の規定はいわゆる賃貸借の条件についてのみ運用さるべきを至当と考える。)多数意見は叙上の法解釈に頬冠りをするものであつて、その正当な所以を知らない。
次に、非訟事件の裁判の既判力について一言したい。この問題は非訟事件の本質如何の問題等に密接に関連し詳論を必要とする難問であるが、こゝにはその結論だけを簡単に記すこととする。非訟事件の裁判は例外もあるが原則として既判力がないものと考える。元来裁判の既判力なるものは、その裁判が当該裁判所をき束する効力、講学上のいわゆる形式的確定力の存する乙とを前提とするものであるが、非議事件の裁絢においては、原則として当該裁判所においての取消、変更を禁じられていないが故に右の形式的効力を認むるに由がないからである。のみならず、その本質的な根拠は非訟事件の性格そのものに由来する。すなわち、民事訴訟における裁判は、相対立する二当事者間の権利又は法律関係の存否の確定を目的とするに反し、非訟事件は一定の私法関係について秩序の維持保護監督等いわば国家の後見的役割の発動を求むるものであつて、国家はこれに対し裁判の形式を以て裁量的処分を為すだけのものであり、従つてこの裁判に民事判決におけると同じ意味の既判力をもたしむることは理論不能に帰するからである。多数意見は右臨時処理法第二五条を論拠として本係争裁判の既判力を云為するが、私見は裁判上の和解が判決と同一の効力を有するものとする民事訴訟法の規定そのものが、裁判上の和解に、いわゆる判決の既判力を与えたものではなく、たゞ単に執行力を認めたものに過ぎないものと解するを正当とし且また右第二五条に規定する第一五条乃至第一七条の裁判の中には却下の裁判を包含しないものと解するが故に、(これらの点についての詳論は次の機会に譲りたい)多数意見の既判力に関する所見には賛同致しかねるのである。
卑見は以上のとおりである。よつて、これを河村裁判官の少数意見に附加させて貰い、本件は破棄差戻すを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)

・訴訟上の和解について錯誤無効の主張を認めた事例
+判例(S33.6.14)
理由
上告代理人岡田実五郎、同佐々木熈の上告理由第一点について。
しかし、原判決の適法に確定したところによれば、本件和解は、本件請求金額六二万九七七七円五〇銭の支払義務あるか否かが争の目的であつて、当事者である原告(被控訴人、被上告人)、被告(控訴人、上告人)が原判示のごとく互に譲歩をして右争を止めるため仮差押にかかる本件ジャムを市場で一般に通用している特選金菊印苺ジャムであることを前提とし、これを一箱当り三千円(一罐平均六二円五〇銭相当)と見込んで控訴人から被控訴人に代物弁済として引渡すことを約したものであるところ、本件ジャムは、原判示のごとき粗悪品であつたから、本件和解に関与した被控訴会社の訴訟代理人の意思表示にはその重要な部分に錯誤があつたというのであるから、原判決には所論のごとき法令の解釈に誤りがあるとは認められない。

同第二点について。
しかし、原判決は、本件代物弁済の目的物である金菊印苺ジャムに所論のごとき暇疵があつたが故に契約の要素に錯誤を来しているとの趣旨を判示しているのであり、このような場合には、民法瑕疵担保の規定は排除されるのであるから(大正一〇年一二月一五日大審院判決、大審院民事判決録二七輯二一六〇頁以下参照)、所論は採るを得ない。
同第三点について。
しかし、原判決は、被控訴人(被上告人)主張の本訴請求原因たる事実は、すべて当事者間に争がない旨判示しているのであるから、被控訴人の本訴請求を認容するには、控訴人(上告人)の抗弁について判断すれば足り、所論の点について触れなくとも、所論の違法があるとはいえない。
同第四点について。
しかし、原判決は、本件和解は要素の錯誤により無効である旨判示しているから、所論のごとき実質的確定力を有しないこと論をまたない。それ故、所論は、その前提において採るを得ない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫)

++解説
ほしいね!

2.訴訟上の和解制度の特質と効力

・訴訟終了効について

・なぜ訴訟上の和解に限って本案判決によらず訴訟が終了するのか?

①判決代替物としての和解という考え方
②本案判決によらず訴訟を終了させる旨の両当事者の意思表示が含まれているから

3.既判力をめぐる議論

4.制限的既判力説の意義

+判例(S41.3.22)
理由
上告代理人辻丸勇次の上告理由について。
本件宅地の賃貸借契約は、本件土地が都市計画の実施により道路敷とされるとき、または、被上告人がこれを他に売却処分する必要が生ずるという事態の発生したときでない限り、一カ年毎に契約を更新する約旨であつたとの点、従前の更新はまさに右約旨に従つてなされたものであるとの点および期間を一カ年と定めたのが所論のような趣旨に出たものであるとの点は、いずれも原審の認定しないところである。所論は、原審の認定しない事実に立脚して、原判決の理由不備をいうものであつて、その前提を欠き、採用できない。

上告代理人田中実の上告理由について。
賃貸人が、土地賃貸借契約の終了を理由に、賃借人に対して地上建物の収去、土地の明渡を求める訴訟が係属中に、土地賃借人からその所有の前記建物の一部を賃借し、これに基づき、当該建物部分および建物敷地の占有を承継した者は、民訴法七四条にいう「其ノ訴訟ノ目的タル債務ヲ承継シタル」者に該当すると解するのが相当である。けだし、土地賃借人が契約の終了に基づいて土地賃貸人に対して負担する地上建物の収去義務は、右建物から立ち退く義務を包含するものであり、当該建物収去義務の存否に関する紛争のうち建物からの退去にかかる部分は、第三者が土地賃借人から係争建物の一部および建物敷地の占有を承継することによつて、第三者の土地賃貸人に対する退去義務の存否に関する紛争という型態をとつて、右両者間に移行し、第三者は当該紛争の主体たる地位を土地賃借人から承継したものと解されるからである。これを実質的に考察しても、第三者の占有の適否ないし土地賃貸人に対する退去義務の存否は、帰するところ、土地賃貸借契約が終了していないとする土地賃借人の主張とこれを支える証拠関係(訴訟資料)に依存するとともに、他面において、土地賃貸人側の反対の訴訟資料によつて否定されうる関係にあるのが通常であるから、かかる場合、土地賃貸人が、第三者を相手どつて新たに訴訟を提起する代わりに、土地賃借人との間の既存の訴訟を第三者に承継させて、従前の訴訟資料を利用し、争いの実効的な解決を計ろうとする要請は、民訴法七四条の法意に鑑み、正当なものとしてこれを是認すべきであるし、これにより第三者の利益を損うものとは考えられないのである。そして、たとえ、土地賃貸人の第三者に対する請求が土地所有権に基づく物上請求であり、土地賃借人に対する請求が債権的請求であつて、前者と後者とが権利としての性質を異にするからといつて、叙上の理は左右されないというべきである。されば、本件土地賃貸借契約の終了を理由とする建物収去土地明渡請求訴訟の係属中、土地賃借人であつた第一審被告亡小能見唯次からその所有の地上建物中の判示部分を賃借使用するにいたつた上告人富永キクエに対して被上告人がした訴訟引受の申立を許容すべきものとした原審の判断は正当であり、所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎)

和解の場合に、拘束力を承継人等の第三者に及ぼすことが正当化できるか?

5.瑕疵を主張する手続き

・旧訴訟における続行期日指定申立てによるべき
・和解無効確認の訴え
・請求意義の訴え

・期日指定の方法に対する批判
①和解の効力をめぐる争いについて三審級が保障されないこと
②条文上の根拠がない
③中立性の点で問題

6.和解手続き論


行政法 基本行政法 行政組織法 群馬中央 墓地 成田新幹線


1.作用法的行政機関概念
(1)行政機関・行政庁
ア 行政機関と行政庁

行政機関=行政主体のために行政活動を行うべき地位を行政機関という
行政庁=行政機関のうち、行政主体のために私人に対して法律行為を自己の名において行う権限を付与された機関

・審議会手続の瑕疵
+判例(S50.5.29)群馬中央バス事件
理由
上告代理人田代源七郎の上告理由第一点及び第四点の第一について。
論旨は、要するに、一般乗合旅客自動車運送事業及びその免許の性質をいかに解するかは、道路運送法六条一項所定の免許基準及び関係法令の解釈に著しい差異を生ずるところ、一般乗合旅客自動車運送事業を国家の独占事業としその免許を公企業の特許と解した原判決は、憲法前文第一段、憲法二二条一項に違背し、道路運送法四条、六条ないし八条、一二条、一五条、一六条、三三条、三四条、四一条、一二二条の二、運輸省設置法六条の解釈を誤つたものであるというのである。
原審は、まず、一般乗合旅客自動車運送事業を独占の一形態でありその免許を公企業の特許であるとしたうえで、運輸大臣は、道路運送法六条一項に定める基準のすべてに適合し、かつ、同法六条の二の欠格事由に該当しない場合でなければこれを免許することができず、右基準のいずれかに適合しないときは申請を却下しなければならないものであり、また、右免許基準に適合するかどうかの判断は覊束裁量に属すると解し、この見解に基づき、本件免許申請につき同法六条一項一号の基準に適合しないとした被上告人の判断の適否について検討し、右判断は相当であるとするとともに、他方、行政庁が行政処分を行うにあたつては、事実の認定、法律の適用等の実質的判断はもとより、その手続についても公正でなければならないと解し、この見解に基づき、本件免許申請に対する審理手続を検討し、右審理手続上においても違法は認められないとしたのである。
しかしながら自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかは、必ずしも、本件の結論に影響があるものとは考えられない。すなわち、自動車運送事業は高度の公益性を有し、その経営は直接社会公共の利益に関係があるものであるから、憲法二二条一項にいう職業選択の自由に対する公共の福祉に基づく制限として、道路運送法は、四条において、自動車運送事業を経営しようとする者は、運輸大臣の免許を受けなければならないとし、六条一項において、免許基準を設け、また、六条の二において、欠格事由を定めているのであり(当裁判所昭和三五年(あ)第二八五四号同三八年一二月四日大法廷判決・刑集一七巻一二号二四三四頁参照)、これにより、運輸大臣は、右免許基準のすべてに適合し、かつ、右欠格事由に該当しない場合でなければ免許を付与してはならない旨の拘束を受けるものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによりこの理が左右されるものではない。もつとも、右免許基準は極めて抽象的、概括的なものであり、右免許基準に該当するかどうかの判断は、行政庁の専門技術的な知識経験と公益上の判断を必要とし、ある程度の裁量的要素があることを否定することはできないが、このことも、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と考えるかどうかによつて差異を生ずるものではない。また法は、道路運送法一二二条の二、運輸省設置法六条一項七号、八条以下、運輸審議会一般規則等において、右免許の許否の決定の適正と公正を保障するために制度上及び手続上特別の規定を設け、全体として適正な過程により右決定をなすべきことを法的に義務づけているのであり、このことから、右免許の許否の決定は手続的にも適正でなければならないものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによつてこれが左右されるものではない。そして、本件却下処分が実体的判断においても審理手続上においても違法でないとした原判決が結論において正当であることは、後に判断するとおりである。したがつて、論旨は、ひつきよう、原判決の結論に影響のない事項についてこれを非難することに帰着し、採用することができない。

同第二点について。
所論は、要するに、上告人が、原審において、憲法三一条は刑事手続のみならず行政手続にも適用ないし準用があり、したがつて、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否を決する手続は公正でなければならないと主張したのに対し、同条が行政手続にも適用ないし準用があるか否かにつき判断を示すことなく原判決の結論に導いたのは、憲法三一条の解釈を誤つたものであり、理由不備であるというのである。
一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否は、国民の基本的人権である職業選択の自由にかかわりをもつものであるから、法は、道路運送法六条において免許基準を法定するとともに、他方、右免許の許否の決定の適正と公正を保障するために制度上及び手続上特別の規定を設け、全体として適正な過程により右の決定をなすべきことを法的に義務づけていることは、前述のとおりである。そうすると、憲法三一条が行政手続にも適用ないし準用されるかどうかは、特にこれを論ずる必要はないところであり、原審がこの点の判断をしなかつたとしても、なんら違法ではない。論旨は、採用することができない。

同第三点について。
所論一の(一)指摘の原判決の判示は、本件免許申請に際し上告人が挙げた推定利用人員から上告人が本件申請路線に期待する輸送需要を推認したにすぎず、右推定利用人員の割合を正当として是認したものでないことは判文上明らかであるから、所論一の(三)指摘の原判決の判示となんら矛盾するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであつて、採用することができない。
同第四点の第二について。
所論の点に関する原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第四点の第三及び第四について。
論旨は、要するに、運輸大臣が東京陸運局長に指示して行わせた聴聞手続及び運輸審議会の審理手続は適正な手続といえないにもかかわらず、これを違法な手続でないとし、また、運輸審議会の審理手続に違法があつたとしてもその答申に基づく運輸大臣の処分は違法ではないとした原判決は、道路運送法一二二条の二、六条一項、三項、運輸省設置法六条の解釈を誤つたものであるというのである。
一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否を決するにつき、法が、その免許基準を法定するとともに、右基準に該当するかどうかの判断の適正と公正を担保するために、制度上及び手続上特別の措置を講じていることは、前述のとおりである。これを詳述すれば、道路運送法一二二条の二は、陸運局長は、同条二項所定の場合には、聴聞をしなければならない旨規定し、運輸省設置法六条一項七号は、運輸大臣が自動車運送事業の免許の許否を決する場合には、運輸審議会にはかり、その決定を尊重して、これをしなければならないと定め、同法八条以下において右審議会の機構及び手続を規定し、特に、同法一六条は、運輸審議会は、同法六条一項の規定により附議された事項については、必要があると認めるときは、公聴会を開くことができ、又は運輸大臣の指示若しくは運輸審議会の定める利害関係人の申請があつたときは、公聴会を開かなければならないと定め、更に運輸審議会一般規則一条は、運輸審議会は、事案に関し、できる限り公聴会を開き、公平かつ合理的な決定をしなければならないと規定している。これらの規定を通覧すると、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の申請があつたときは、原則として、法定の免許基準に該当するかどうかにつき、陸運局長が利害関係人又は参考人に対する聴聞を行い、更に運輸大臣の諮問を受けて、運輸審議会は、公聴会を開いて審理し、これに基づいて許否に関する決定(答申)を行い、運輸大臣は右の決定を尊重して最終的な許否の決定を行うべきものとされていることが知られるのである。このように、法が前記免許の許否を決定するについて原則として陸運局長の聴聞や運輸審議会の公聴会における審理を要求しているのは、免許の許否の決定の重要性にかんがみ、聴聞又は公聴会の審理手続を通じて、免許基準該当の有無の判断に関係のある事項につき、免許申請者のみならず許否の決定について重大な利害関係を有する者に対しても、意見及び証拠その他の資料を提出する機会を与え、判断の基礎及びその過程の客観性と公正を保障しようとする趣旨に出たものであることが明らかである。
このように見てくると、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否の決定手続において、陸運局長による聴聞及び運輸審議会における公聴会は、それぞれ重要な使命と役割を有するものというべきであるが、その重要性の程度、したがつてまたその手続上の瑕疵が運輸大臣による許否の決定の法的効力に及ぼすべき影響については、両者の間に差異があり、これを区別して考察する必要がある。すなわち、運輸審議会が機構的に運輸大臣から独立した地位と構成をもつ第三者的機関であるのに対し、陸運局長は運輸大臣の純然たる補助機関であり、またその行う聴聞も、運輸審議会における公聴会に比して簡略であることが予定されていると見受けられること、更に運輸審議会の決定に対しては運輸大臣がこれを尊重すべき旨を特に法が定めていること等から考えると、免許の許否の決定に関する審理手続において最も重要な意義を有するのは、運輸審議会における公聴会であり、陸運局長の聴聞は、主として運輸審議会における公聴会審理が行われない場合に特別の価値をもつものであつて、これが行われる場合には、単なる補充的な意義及び機能しか有しないものと解せられる。そうすると、陸運局長の聴聞が右のような従たる意義しかもたない場合には、たとえその聴聞手続に瑕疵があつたとしても、最終的な運輸大臣の許否の決定自体を取り消さなければならないほどの違法があるものとするには足りないと解するのが相当である。原審の確定したところによれば、本件免許申請については運輸審議会に諮問がなされ、同審議会において公聴会が開催されたというのであるから、仮に、陸運局長の聴聞手続に所論の瑕疵があつたとしても、本件却下処分を取り消すべき事由とはならないものといわなければならない。
しかしながら、運輸審議会における公聴会審理の瑕疵については、これと同一に論ずることはできない。さきに述べたように、運輸大臣は、自動車運送事業の免許の許否を決する場合には、原則として運輸審議会にはかり、その決定を尊重して、これをしなければならないとされている。法は、運輸大臣が運輸審議会の決定を尊重すべきことを要求するにとどまり、その決定が運輸大臣を拘束するものとはしていないから、運輸審議会は、ひつきよう、運輸大臣の諮問機関としての地位と権限を有するにすぎないものというべきであるが、しかしこのことは、運輸審議会の決定が全体としての免許の許否の決定過程において有する意義と重要性、したがつてまた、運輸審議会の審理手続のもつ意義と重要性を軽視すべき理由となるものではない一般に、行政庁が行政処分をするにあたつて、諮問機関に諮問し、その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは、処分行政庁が、諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のないかぎりこれに反する処分をしないように要求することにより、当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保することを法が所期しているためであると考えられるから、かかる場合における諮問機関に対する諮問の経由は、極めて重大な意義を有するものというべく、したがつて、行政処分が諮問を経ないでなされた場合はもちろん、これを経た場合においても、当該諮問機関の審理、決定(答申)の過程に重大な法規違反があることなどにより、その決定(答申)自体に法が右諮問機関に対する諮問を経ることを要求した趣旨に反すると認められるような瑕疵があるときは、これを経てなされた処分も違法として取消をまぬがれないこととなるものと解するのが相当である。そして、この理は、運輸大臣による一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否についての運輸審議会への諮問の場合にも、当然に妥当するものといわなければならない。
ところで、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の申請があつた場合には、運輸大臣は原則として運輸審議会に諮問すべく、これを受けた運輸審議会は原則として公聴会を開いて審理したうえ決定をしなければならないことは、右に述べたとおりであるが、右の運輸審議会における審理及びこれに基づく決定の手続については、運輸省設置法及び運輸審議会一般規則にかなり詳細な定めが置かれている。しかし、これらの手続規定がいかなる趣旨、目的を有するものであり、したがつてその手続の運用についていかなる配慮を施すべきものであるかは、これらの規定自体からは明らかではなく、専ら審理手続の意義と性格に照らしてこれを決すべきものであるところ、公聴会の審理を要求する趣旨が、前記のとおり、免許の許否に関する運輸審議会の客観性のある適正かつ公正な決定(答申)を保障するにあることにかんがみると、法は、運輸審議会の公聴会における審理を単なる資料の収集及び調査の一形式として定めたにとどまり、右規定に定められた形式を踏みさえすれば、その審理の具体的方法及び内容のいかんを問わず、これに基づく決定(答申)を適法なものとする趣旨であるとすることはできないのであつて、これらの手続規定のもとにおける公聴会審理の方法及び内容自体が、実質的に前記のような要請を満たすようなものでなければならず、かつ、決定(答申)が、このような審理の結果に基づいてなされなければならないと解するのが相当である。すなわち、道路運送法六条一項の定めるところによれば、一般自動車運送事業の免許基準は、当該事業の開始の輸送需要に対する適切性、当該事業の開始による当該路線又は事業区域に係る供給輸送力と輸送需要量との均衡、当該事業遂行計画の適切性、適確な事業遂行能力の有無、当該事業の開始の公益上の必要性及び適切性等広い範囲において相互に関連する幾多の考慮事項を含み、かつ、その判断基準自体が著しく抽象的、概括的であるため、これについて客観的に適正かつ公正な判断を可能とするためには、その基礎となるべき関連諸事項に関する具体的事実について、多面的で、かつ、できるだけ正確な客観的資料をあまねく収集し、その分析、究明に基づく事実の適切な認定のうえに立つて、輸送に関する技術上及び公益上の適正な評価と比較考量を施さなければならないのであり、しかもこの判断たるや、事柄の性質上、ある程度の見解の相違をまぬがれないものであるため、政策遂行上の責任者である決定権者に対して、この点につき、ある程度の裁量の余地を認めざるをえないのである。しかもこれに加えて、免許の許否が、ひとり免許申請者のみならず、これと競争関係に立つ他の輸送業者や、一般利用者、地域住民等の第三者にも重大な影響を及ぼすものであることにかんがみると、許否の決定過程における申請者やその他の利害関係人の関与が決定の適正と公正の担保のうえにおいて有する意義は格別のものがあるというべく、この要請にこたえて法が定めた運輸審議会の公聴会における審理手続もまた、右の趣旨に沿い、その内容において、これらの関係者に対し、決定の基礎となる諸事項に関する諸般の証拠その他の資料と意見を十分に提出してこれを審議会の決定(答申)に反映させることを実質的に可能ならしめるようなものでなければならないと解すべきである。特に免許申請者に対する関係においては、免許の許否が直ちにその者の職業選択の自由に影響するものである関係上、免許の許否の決定過程におけるその関与の方法につき特段の配慮を必要とするのであつて、前記のような免許基準の抽象性と基準該当の有無の不明確性のために、行政庁側からみてその申請計画に問題点があると思われる場合であつても、必ずしもその点が申請者には認識されず、そのために、これについて提出しうべき追加資料や意見の提出の機会を失なわせるおそれが多分にあることにかんがみるときは、これらの点について申請者の注意が喚起され、あるいはまた、他の利害関係人の反対意見や資料の提出に対しても反駁の機会が与えられるようにする等、申請者に意見と証拠を十分に提出させることを可能ならしめるような形で手続を実施することが、公聴会審理を要求する法の趣旨とするところであると解さなければならない。
右の見地に立つて本件を見るに、原審が確定した事実によれば、運輸審議会は「a町と高崎、伊勢崎、太田の諸都市とを結ぶ交通機関としては、長野原、渋川経由の経路により既設の交通機関の乗り継ぎによる方が、申請路線によるよりも運転時間、運賃等の面はおいて便利であると考えられるので、上告人による申請区間におけるバス運行の開始は、現状においては、その緊要性に乏しく、上告人の申請は、道路運送法六条一項一号及び五号に適合しない。」との理由で、本件免許申請は却下することが適当である旨の答申をしたものであつて、要するに、申請計画による申請者の事業内容が既設輸送機関のそれに比して運転時間、運賃等の面において便利性に劣ることを決定的要因として、輸送需要と供給能力との関係において適切性と公益上の必要性を欠くとされたのである。ところで、原審の認定したところによれば、上告人の本件申請計画における右の諸難点については、すでに、右公聴会において、一応、他の利害関係人からの指摘がなされており、また、運輸審議会の委員からも、上告人の申請計画に関して乗車回数の推定根拠、乗車密度、平均乗車粁、道路舗装状況等について質問がなされたというのであるから、上告人においても、右申請の問題点が何であるかについては、おおよそ推知することができたものと考えられるのであるが、さらに進んで問題をより具体化し、上告人の事業計画並びにその根拠資料における上記運賃、輸送時間の比較及びこれとの関係における輸送需要(見込)量と供給力との均衡等に関する問題点ないしは難点を具体的に明らかにし、上告人をして進んでこれらの点についての補充資料や釈明ないしは反駁を提出させるための特段の措置はとられておらず、この点において、本件公聴会審理が上告人に主張立証の機会を与えるにつき必ずしも十分でないところがあつたことは、これを否定することができない。しかしながら、原審が当事者双方の完全な主張・立証のうえに立つて認定したところによれば、運輸審議会が重視した上記のごとき既設輸送機関との運賃及び輸送時間の比較については、本件処分当時においても、申請路線によるそれが、所要時間において相当に劣り、また運賃も太田、草津間を除いては計画自体においてもすでに他の輸送機関のそれよりも高額であるのみならず、上告人が申請路線について旅客に対し適切な役務を提供するに足りる企業の採算性を維持しようとするためには、遠距離逓減率を考慮しても申請にかかる運賃を根本的に修正しなければならないこととなり、既設交通機関を選択した場合の運賃と比較すれば、その差異は、太田、草津間においても、またその他の区間においても相当の懸隔を生ずることが明らかであるというのであり、原審が右認定の理由として説くところから見ても、仮に運輸審議会が、公聴会審理においてより具体的に上告人の申請計画の問題点を指摘し、この点に関する意見及び資料の提出を促したとしても、上告人において、運輸審議会の認定判断を左右するに足る意見及び資料を追加提出しうる可能性があつたとは認め難いのである。してみると、右のような事情のもとにおいて、本件免許申請についての運輸審議会の審理手続における上記のごとき不備は、結局において、前記公聴会審理を要求する法の趣旨に違背する重大な違法とするには足りず、右審理の結果に基づく運輸審議会の決定(答申)自体に瑕疵があるということはできないから、右諮問を経てなされた運輸大臣の本件処分を違法として取り消す理由とはならないものといわなければならない。
そうすると、原判決は結論において正当であり、論旨は、右と異なる見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第四点の第五について。
所論の点に関する原審の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第五点について。
一般自動車運送事業の免許は、道路運送法六条一項各号所定の基準のすべてに適合する場合でなければこれをすることができないものと解すべきことは、さきに述べたところであり、右基準の一に適合しない場合には、運輸大臣は免許の申請を却下することができることは明らかである。所論の事由は同条一項五号の基準に関するものであるところ、原審の確定した事実関係のもとにおいて、本件免許申請が同条一項一号所定の免許基準に適合しないとした運輸大臣の判断を違法と断ずることはできず、したがつて、同条一項五号所定の免許基準に適合するか否かの運輸大臣の判断の適否につき判断するまでもなく本件却下処分は違法でないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであつて、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下田武三 裁判官 藤林益三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

イ 独任制と合議制

(2)権限の委任・代理

権限の委任は、法律で定められた行政庁の権限を他の行政機関に移すのであるから、法律の根拠が必要である

・+(被告適格等)
行政事件訴訟法第11条
1項 処分又は裁決をした行政庁(処分又は裁決があつた後に当該行政庁の権限が他の行政庁に承継されたときは、当該他の行政庁。以下同じ。)が国又は公共団体に所属する場合には、取消訴訟は、次の各号に掲げる訴えの区分に応じてそれぞれ当該各号に定める者を被告として提起しなければならない。
一  処分の取消しの訴え 当該処分をした行政庁の所属する国又は公共団体
二  裁決の取消しの訴え 当該裁決をした行政庁の所属する国又は公共団体
2  処分又は裁決をした行政庁が国又は公共団体に所属しない場合には、取消訴訟は、当該行政庁を被告として提起しなければならない
3  前二項の規定により被告とすべき国若しくは公共団体又は行政庁がない場合には、取消訴訟は、当該処分又は裁決に係る事務の帰属する国又は公共団体を被告として提起しなければならない。
4  第一項又は前項の規定により国又は公共団体を被告として取消訴訟を提起する場合には、訴状には、民事訴訟の例により記載すべき事項のほか、次の各号に掲げる訴えの区分に応じてそれぞれ当該各号に定める行政庁を記載するものとする。
一  処分の取消しの訴え 当該処分をした行政庁
二  裁決の取消しの訴え 当該裁決をした行政庁
5  第一項又は第三項の規定により国又は公共団体を被告として取消訴訟が提起された場合には、被告は、遅滞なく、裁判所に対し、前項各号に掲げる訴えの区分に応じてそれぞれ当該各号に定める行政庁を明らかにしなければならない。
6  処分又は裁決をした行政庁は、当該処分又は裁決に係る第一項の規定による国又は公共団体を被告とする訴訟について、裁判上の一切の行為をする権限を有する

(3)専決・代決

専決=行政庁の行為を補助機関が当該行政庁の名前で行うこと

・専決は事実上の補助執行であって、対外的に権限を変更するわけではないので、法律に基づかなくても可能

・住民訴訟において職員の個人責任が追及される場合
+判例(H3.12.20)
理由
上告代理人辻中一二三、同辻中栄世、同森薫生の上告理由第一点について
一 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。
1 大阪府水道企業は、同府下の水道事業及び工業用水道事業を行うために地方公営企業法に基づいて設置された大阪府が経営する地方公営企業であり、その業務を執行させるため大阪府に管理者が置かれ(同法七条)、大阪府水道部は、右管理者の権限に属する事務を処理させるために設けられた組織である(同法一四条)。上告人は、昭和五七年四月二日から同五九年六月三〇日までの間、大阪府水道企業の管理者として、Aは、同五六年四月一日から同五八年四月三〇日までの間、大阪府水道部の総務課長として在職していた。

2 大阪府水道部事務決裁規程(昭和五三年大阪府水道企業訓令第三号。以下「本件事務決裁規程」という。)は、大阪府水道部における事務の円滑かつ適正な執行を確保するとともに責任の明確化を図るため、事務の決裁に関して必要な事項を定めることを目的として制定されたものであり、これによれば、管理者の権限に属する事務について、最終的にその意思を決定することを「決裁」といい、常時、管理者に代わって決裁することを「専決」というものとされ、「一件百万円未満の予算の執行及び義務的かつ軽易な予算の執行に関すること」は、総務課長の専決事項とされている。そして、本件事務決裁規程は、専決事項のうち、議会に付議すべき事項については管理者の、特命のあった事項又は特に重要若しくは異例と認める事項については上司の決裁を受けなければならず、また、専決をした者は、必要があると認めるとき、又は上司から報告を求められたときは、その専決した事項を上司に報告しなければならないものと定めている。

3 大阪府水道部会計規程(昭和三九年大阪府営水道企業管理規程第一号)及び本件事務決裁規程等によれば、大阪府水道部における会議接待費の支出事務の手続は、次のとおりである。すなわち、会議接待を開催する場合には、その主催課において、会議接待開催に先立って、会議接待の目的、開催年月日、開催場所、出席者、債権者、経費支出予定額、会計年度及び予算科目等を記載した経費支出伺を作成し、上司の決裁を受けて会議接待を開催し、右開催後、債権者からの請求に基づき、会議接待の主催課の課長が上司の決裁を受けた上で支出伝票を発行し、金銭出納員である会計課長又は会計課長代理が支出伝票を審査した上で支出決定し、小切手を振り出して支払を行うものとされ、会議接待一件の費用が一〇〇万円未満である場合には、その経費支出伺の決裁は総務課長が専決により処理するものとされている。

4 昭和五七年五月上旬ころ、当時、総務課長であったAは、総務課の担当職員に指示して、実際には開催されない埼玉県企業局職員及び岐阜市水道部職員と大阪府水道部職員との会議接待を行うものと仮装して、会議の目的をいずれも「七拡事業調査に伴い水道事業の諸問題についての種々懇談のため」とし、開催年月日、開催場所、出席者、債権者、会議費支出金額を第一審判決添付の別表一記載のとおりとした内容虚偽の経費支出伺を作成させて、自らその決裁を専決し、さらに、これに見合う支出伝票を作成させて、会計課長の審査を受けた。そして、同月三一日、前記の方法により、同表記載の各債権者に対し、それぞれ同表の会議費支出金額欄記載の各金額合計六七万八三七〇円が支出された(以下、右各支出を「本件各支出」という。)。
5 本件各支出が、第一審判決添付の別表二記載の各会議接待の費用に充てられたとの事実を認めることはできず、大阪府水道企業の経営に必要な正当な目的の会議や接待の費用として支出されたものとは認められない。

二 原審は、右事実を前提とし、地方公営企業の管理者が自己の権限に属する公金の支出行為を補助職員に専決させた場合において、管理者は、地方自治法(以下「法」という。)二四二条の二第一項四号の「当該職員」に該当し、右補助職員に違法な公金支出について故意又は過失の帰責事由があるときは、管理者は、現実に右支出行為に関与していなくとも、補助職員をいわば手足として自己の権限に属する行為を行わせる者として、補助職員の責任をそのまま自己の責任として負うものであると解した上、上告人は、本件各支出につき、内部的な事務処理の便宜上、総務課長であるAを自己の手足として、管理者である自己の権限に属する右支出行為の補助執行を行わせたものであり、また、Aは、本件各支出が違法なものであることを知りながら右支出手続を行ったものであるから、上告人は、違法な本件各支出によって大阪府に与えた損害を賠償する責任を免れない、と判断した。

三 しかしながら、原審の右判断のうち、地方公営企業の管理者が自己の権限に属する公金の支出行為を補助職員に専決させた場合であっても、管理者は、法二四二条の二第一項四号所定の「当該職員」に該当する旨の判断は是認することができるが、その余の原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」とは、当該訴訟においてその適否が問題とされている財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている者及びこれらの者から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者を広く意味するものである(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五七号同六二年四月一〇日第二小法廷判決民集四一巻三号二三九頁)。地方公営企業の管理者は、地方公営企業の業務の執行に関し、当該地方公共団体を代表する者であり、種々の財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するものとされている(地方公営企業法八条、九条)ことからすると、地方公営企業の業務の執行に関しては、普通地方公共団体における長と同視すべき地位にあるものとみるべきである(同法三四条参照)。したがって、地方公営企業の管理者は、訓令等の事務処理上の明確な定めにより、その権限に属する一定の範囲の財務会計上の行為をあらかじめ特定の補助職員に専決させることとしている場合であっても、地方公営企業法上、右財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するものとされている以上、右財務会計上の行為の適否が問題とされている当該代位請求住民訴訟において、法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に該当するものと解すべきである。そして、右専決を任された補助職員が管理者の権限に属する当該財務会計上の行為を専決により処理した場合は、管理者は、右補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止すべき指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により右補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止しなかったときに限り、普通地方公共団体に対し、右補助職員がした財務会計上の違法行為により当該普通地方公共団体が被った損害につき賠償責任を負うものと解するのが相当である。けだし、管理者が右訓令等により法令上その権限に属する財務会計上の行為を特定の補助職員に専決させることとしている場合においては、当該財務会計上の行為を行う法令上の権限が右補助職員に委譲されるものではないが、内部的には、右権限は専ら右補助職員にゆだねられ、右補助職員が常時自らの判断において右行為を行うものとされるのであるから、右補助職員が、専決を任された財務会計上の行為につき違法な専決処理をし、これにより当該普通地方公共団体に損害を与えたときには、右損害は、自らの判断において右行為を行った右補助職員がこれを賠償すべきものであって、管理者は、前記のような右補助職員に対する指揮監督上の帰責事由が認められない限り、右補助職員が専決により行った財務会計上の違法行為につき、損害賠償責任を負うべきいわれはないものというべきだからである。

四 そうすると、以上判示したところと異なる見解に立って、上告人において、本件各支出につき、右に述べた帰責事由が存することを確定することなく、本件各支出につき専決をしたA総務課長に帰責事由があるときは、同課長に専決処理を任せた上告人は、同課長がした違法な本件各支出によって大阪府に与えた損害を賠償する責任があるとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるものといわざるを得ず、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、上告人において、本件各支出につき、右の帰責事由が存するか否かについて更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻すのが相当である。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)

++解説
《解  説》
一 Xら七名は大阪府の住民であり、昭和五七年五月ころ、Y1は地方公営企業である大阪府水道企業の管理者、Y2は大阪府水道部長、Y3は同部次長、Y4は同部の総務課長として在職していた。
Yらは、スナック、バー、割烹、焼肉屋等において会議接待をしたとして、昭和五七年度水道事業費の会議接待費の名目の下に公金を支出したが、Xらは、右各会議接待はいずれも実在せず、本件各支出は、他の目的のためになされたものであって、違法であると主張して、Yらに対して、地方自治法(以下「法」という。)二四二条の二第一項四号に基づき、大阪府に代位して、右違法な公金支出により大阪府が被った損害合計金九〇万八七九〇円の支払いを求めた。
これに対し、Yらは、本案前の主張として、本件請求中、その一部の支出(二三万〇四二〇円)については、監査請求を経ていないから不適法である、と主張し、さらに、本案の主張として、本件各支出の支出目的とされたものが、現実には行われなかった架空の会議接待であったことは認めるが、本件各支出は、大阪府営水道第七次拡張事業に関連する別の会議接待のために支出されたものであり、社会通念上是認される範囲内の接待・支出であり、その支出手続にも違法な点はない、と主張した。
二 第一審及び原審の判断
第一審は、右の一部の支出(二三万〇四二〇円)は監査請求の対象とはされず、したがって、監査を経ていない不適法なものというべきであるとして、本件請求のうち、右支出分についての請求に係る訴えを、却下した。
さらに、職権で、Yらが法二四二条の二第一項四号の「当該職員」に該当するか否かを検討し、本件会議接待費の支出につき、その原因となる契約を締結し、その支出決定をする権限を本来的に有するとされている者は管理者Y1であり、右権限が他のY2~Y4に委任されているとは認められないから、本件会議接待費の支出につき、その支出権限を有するのは、当時、水道企業管理者であったY1のみであり、その余のY2~Y4は、右権限を有しないから、Y1を除くY2~Y4に対する訴えは不適法であるとして却下した。
本案については、次のとおり判断した。
本件各支出は、昭和五七年五月上旬ころ、当時、総務課長であったY4が、総務課の担当職員に指示して、実際には開催されないS県企業局職員及びG市水道部職員との会議接待を行うものと仮装して、開催年月日、開催場所、出席者等について内容虚偽の記載をした経費支出伺を提出させて、自らその決裁を専決し、さらに、これに見合う支出伝票を作成させて、会計課長の審査を受け、同月三一日、所定の方法で各債権者に対してそれぞれの金額を支払うことにより行われたものである。そして、本件各支出が水道企業経営に必要な正当な目的の会議や接待の費用として支出されたものとは認められないから、本件各支出は違法な公金の支出に当たるものというべきである。
地方公営企業の管理者が自己の権限に属する公金の支出行為を補助職員を用いてする場合には、法二四二条の二第一項四号の「当該職員」に該当するのは管理者のみであって、補助職員はこれに該当しないと解される反面、補助職員に違法な公金支出について故意若しくは過失の帰責事由があるときは、管理者は、現実に右支出行為に関与していなくとも、補助職員をいわば手足として自己の権限に属する行為を行わせる者として、補助職員の責任をそのまま自己の責任として負うものというべきである。本件では、Y1は、本件各支出につき管理者としてその権限を有し、内部的な事務処理の便宜上、総務課長であるY4を自己の手足として自己の権限に属する右支出行為の補助執行を行わせたにすぎないのであり、また、Y4は、本件各支出が違法なものであることを知りながら右支出手続を行ったものというべきであるから、Y1は、違法な本件各支出によって大阪府に与えた損害を賠償する責任を免れない。
第一審判決は、右のとおり判示し、Y2~Y4に対する訴えを却下するとともに、Y1に対する請求の一部(六七万八三七〇円)を認容し、大阪府への支払いを命じた。
右第一審判決に対し、Xらは、Y1に対する請求のうちの却下部分及びY2~Y4に対する訴えをいずれも却下したことを不服として、控訴し(昭和六三年(行コ)第二七号事件)、Y1も、右認容部分を不服として、控訴した(昭和六三年(行コ)第二六号事件)。
原審は、第一審判決の判断を相当として、右各控訴をいずれも棄却した。
原判決を不服として、Xら及びY1が上告した(Y1上告=平成二年(行ツ)第一三七号事件=本判決、Xら上告=平成二年(行ツ)第一三八号事件本誌本号八三頁)。
三 本判決は、地方公営企業の管理者Y1は、訓令等の事務処理上の明確な定めにより、その権限に属する財務会計上の行為をあらかじめ特定の補助職員に専決させることとしている場合であっても、右専決により処理された財務会計上の行為の適否が問題とされている本件代位請求住民訴訟において、法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に該当するとし、右の場合において、管理者Y1は、右補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止すべき指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止しなかったときに限り、普通地方公共団体が被った損害につき賠償責任を負うものであると判示した上、Y1(管理者)について右帰責事由が存することを確定しないで、Y4に専決処理を任せたY1は、Y4がした違法な本件各支出によって大阪府に与えた損害を賠償する責任があるとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤りがあるとして、原判決を破棄し、Y1敗訴部分を原審に差し戻した。
四 法二四二条の二第一項四号所定の「普通地方公共団体に代位して行なう当該職員に対する損害賠償の請求」における「当該職員」の意義については、本判決が引用している最二小判昭62・4・10民集四一巻三号二三九頁、本誌六四〇号八三頁が、当該訴訟においてその適否が問題とされている財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている者及びこれらの者から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者を広く意味するものであり、およそ右のような権限を有する地位ないし職にあると認められない者を被告として提起された同号所定の「当該職員」に対する損害賠償請求に係る訴えは、法により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しない訴えとして、不適法と解するのが相当であると判示し、この点についての最高裁の見解を明らかにしたところである。
その後の下級審裁判例は、右最判の見解に従っているのであるが、右判例の見解を、本件のような専決処理が行われたケースに具体的に適用する場合において、見解の対立が生じた。
五 補助職員に専決処理させた長等と法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」
1 財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている地方公共団体の長その他の職員がその権限に属する事務を補助職員に専決させている場合、長等は、法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に該当するかという点に関し、下級審の裁判例の見解は分かれているが、積極に解するものが多数である(積極に解するものとして、浦和地判昭55・12・14行裁集三一巻一二号二六七九頁、東京地判昭57・9・16行裁集三三巻九号一七九六頁、本誌四八二号一三〇頁、その控訴審東京高判昭58・7・28行裁集三四巻七号一三八九頁、本誌五一〇号一四九頁、神戸地判昭61・10・29本誌六三七号九九頁、京都地判昭62・7・13行裁集三八巻六=七号五五〇頁、本誌六五三号九六頁、東京地判昭63・3・15本誌六六七号一〇九頁、判時一二六六号一七頁、その控訴審東京高判平1・3・30判時一三一一号五八頁、札幌高判昭63・2・18本誌六六九号一三八頁、判時一二九二号九二頁、大阪高判平1・1・27本誌六九〇号二六一頁、松山地判平1・3・17本誌六九六号五七頁、判時一三〇五号二六頁、仙台高判平3・1・10本誌七五〇号五八頁、判時一三七〇号三頁、本件訴訟の一、二審判決があり、消極に解するものとして、右仙台高判の原審盛岡地判昭62・3・5本誌六三〇号九〇頁、判時一二二三号三〇頁、右札幌高判の原審札幌地判昭62・7・24判時一二六三号一〇頁がある。)。
2 専決の場合は、行政機関がその権限に属する特定の事項を、権限を委譲せずに内部的に補助職員に処理させるものであり、内部委任的な補助執行の一態様であって、あくまで対外的には自己の名において事務処理を行うものであるから、法令上財務会計上の行為を行う権限を付与されている長等は、その権限に属する特定の事項を専決事項としたとしても、公金の支出権限等の財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている者である以上、「およそ」右権限を有する地位ないし職にあると認められない者とはいえず、「当該職員」に該当することを肯定して良いであろう。消極に解する見解は、当該専決事項(財務会計上の行為)に現実に関与していない長に対して賠償責任を負わせるのは酷であるとの考えによるものと思われるが、専決の場合に、長等がどのような要件のもとに賠償責任を負うと解すべきかは本案の問題であり、右最判の趣旨からしても、当該財務会計上の行為につきこれを行う権限を法令上本来的に有するとされている者である長等を、訴訟の入口の段階で訴訟要件を欠くとする論拠は乏しいものと思われる(山崎敏充・昭62最判解説(民)一三五頁参照)。
本判決は、長(管理者)は、補助職員に専決処理をさせている場合であっても、「当該職員」に該当すると判示したが、これは、右のような見解に立つものであろう。
六 補助職員に専決処理をさせた長等の賠償責任
1 原審(第一審)は、Y1(管理者)に対する請求につき、いわば「補助職員手足論」ともいうべき見解に立って、管理者は専決をした補助職員の責任をそのまま自己の責任として負担すると解して、管理者に対する請求の一部を認容している。原審の右見解は、是認し得るものであるのか、換言すれば、管理者であるY1が法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に該当するとして、Y1はいかなる要件のもとに補助職員のした財務会計上の非違行為につき賠償責任を負うと解すべきか、これが次の問題である。
2 長等がその権限に属する事務を補助職員に専決処理させた場合に、当該補助職員が違法な財務会計上の行為を行ったときの長等の賠償責任の捉え方としては、①右補助職員の責任をそのまま長等の責任として長等の賠償責任を肯定する考え方(補助職員手足論)と、②補助職員とは独自に長等の帰責事由(補助職員に対する指揮監督責任等)の有無を判断すべきであるとする考え方とが対立している。下級審の裁判例は分かれているが、②の見解が多数である(①の見解に立つものとして、前掲東京地判昭63・3・15、本件の一、二審判決があり、②の見解に立つものとして、名古屋地判昭46・12・24行裁集二二巻一一=一二号二〇五八頁、その控訴審名古屋高判昭50・2・10行裁集二六巻二号一五五頁、前掲浦和地判昭55・12・14、前掲東京地判昭57・9・16、その控訴審前掲東京高判昭58・7・28、前掲京都地判昭62・7・13、前掲東京地判昭63・3・15の控訴審前掲東京高判平1・3・30、前掲大阪高判平1・1・27、前掲松山地判平1・3・17、前掲仙台高判平3・1・10がある。)。
3 本判決は②の見解を採用したが、以下の諸点を考慮したものであろう。
(1) 仮に、財務会計上の行為をする権限を有する長等が、例えば、個人的に信頼している職員に対し、私的に事務処理を依頼し、職印を預けて盲判を押させていたというような場合であれば、文字通り、右職員は長等の手足とみるべきであり、その者の非違行為は、すなわち長等の非違行為と評価すべきであろう。しかしながら、国及び地方公共団体において広く行われている専決処理は、右のようなものではなく、長等が、その権限に属する事務の処理を適切かつ能率的に行うために、一定の事項に限定して、その処理(意思決定を含む。)を相当の地位にある下部職員に委ねるものであり、専決処理をする者及びその対象となる事項は、訓令等によりあらかじめ明確に定められているのが通例である(本件における事務決裁規程は、大阪府公報に掲載されて公布され、住民にもその内容が知り得る状態になっている。大阪府水道企業管理規程等の公布に関する規程二条、五条)。要するに、事務の専決は、法の許容しない事務処理の方法とみるべきではなく、行政機関が組織的にその所管事項を処理し、決定するための法の許容する事務処理の方法とみるべきであろう。右のとおり、専決処理が内部的には正規の事務処理の方法であることを考慮すると、専決者のした行為につき組織体としての行政責任が問われたときには、長は、専決者のした行為につき行政責任を負うべきであるが、代位請求住民訴訟により当該地方公共団体に対する民法上の損害賠償責任が問われたときには、民法上の帰責事由(故意又は過失)がない限り、その責任を負わないものと解すべきである(自己責任の原則)。
(2) 前期①の見解は、債務者の履行補助者の故意・過失を債務者個人の故意・過失と同視する債権法の理論を専決の場合の長等の責任に当てはめようとするものであるが、その妥当性には疑問がある上、これを長(管理者)に対する不法行為による損害賠償責任が問われている本件のようなケースに適用することには、理論的にも問題がある(専決を任される補助職員は、いわゆるポスト指定であり、私的に選任されるものではない。)。
(3) 予算執行職員の賠償責任について定めた法二四三条の二第一項の後段の規定部分は、昭和三八年の法改正により新設されたものであるが、その趣旨は、予算執行職員の権限に属する事務を執行するに当たり実質的責任を有する者が賠償責任を負うべきであるとする観点から立法されたものであるといわれている(石川善則・昭61最判解説(民)七九頁、九一頁(注一九)参照)。しかるに、専決者が故意又は重過失により同条一項所定の非違行為を行い同項による損害賠償責任を負う場合に、長等について、指揮監督責任を問題とすることなく直ちに民法上の賠償責任を肯定したり、また、専決者が過失による非違行為を行った場合において、非違行為を行った専決者自身は法二四三条の二第一項の賠償責任を負わないのに(軽過失免責)、長等はその履行補助者の過失であるとして民法上の賠償責任を負わされるとの解釈は、右立法趣旨に反するものではないか。
(4) 本判決のように、長等の指揮監督責任の内容を限定的かつ具体的なものと捉える見解に立てば、財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている長等の補助職員に対する指揮監督の懈怠は、財務会計上の非違行為とみてよいから、非財務的行為につき長の責任を問うものであるとの批判は当たらない。
4 本判決は、以上のような点を考慮して、長(管理者)の権限に属する財務会計上の行為を補助職員が専決により処理した場合は、長(管理者)は、右補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止すべき指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により右補助職員が財務会計上の違法行為をすることを阻止しなかったときに限り、普通地方公共団体が被った損害につき賠償責任を負うものと解するのが相当であると判示したものであろう。そして、本判決が、右の場合において、長(管理者)の帰責事由としているものの内容は、上司の下部職員に対する一般的な選任監督責任ではなく、本来自己の権限に属する当該財務会計上の行為を補助職員が専決する際の個別具体的な指揮監督の懈怠であることは、判文上、明らかである。したがって、本判決の趣旨からすれば、長等は、自ら当該財務会計上の非違行為を行ったのと同視し得る程度の指揮監督の懈怠がある場合に限り、損害賠償責任を負うものと解すべきであろう。
違法な専決処理をした補助職員とその指揮監督を怠った長等が、いずれも地方公共団体に対し賠償責任を負う場合における両賠償責任の関係は、共同不法行為(民法七一九条)の場合と同様に考えるべきであろう。
七 本判決の意義
長等の権限に属する財務会計上の行為が補助職員の専決により処理された場合に、住民が、右財務会計上の行為が違法であるとして、法二四二条の二第一項四号の「当該職員」に対する損害賠償請求に係る訴えを提起するときに、長等は被告とされるべき「当該職員」に該当するか、長等は右補助職員がした財務会計上の違法行為につき、どのような要件のもとに地方公共団体に対し損害賠償責任を負うべきか、という代位請求住民訴訟の基本的な枠組みともいうべき重要な点につき、従来、下級審の見解が分かれていたのであるが、本判決は、これらの点につき、前記のような明確な判断を示し、解釈の統一を図ったものであり、住民訴訟の実務において重要な意義を有するものといえよう。

2.事務配分的行政機関概念

3.国の行政組織

4.地方公共団体

5.国と地方公共団体との関係

・通達
+判例(S43.12.24)墓地埋葬通達事件
理由
上告代理人池谷四郎の上告理由について。
論旨は、要するに、本件通達は従来慣習法上認められていた異宗派を理由とする埋葬拒否権の内容を変更し、新たに上告人に対して一般第三者の埋葬請求を受忍すべき義務を負わせたものであつて、この通達によれば、爾後このような理由による拒否に対しては刑罰を科せられるおそれがあり、また、右通達が発せられてからは現に多くの損害、不利益を被つている、従つて、右通達は上告人ら国民をも拘束し、直接具体的に上告人らに法律上の効果を及ぼしているのであつて、原判決が上告人のこのような主張を排斥して本訴を許すべからざるものとしたのは、本件通達の内容、効果を誤認し、ひいて法律の適用を誤つたものであり、また、審理不尽の違法を犯している、というのである。
しかし、本件通達は、厚生省公衆衛生局環境衛生部長から都道府県指定都市衛生主管部局長にあてて発せられたもので、その内容は、墓地、埋葬等に関する法律一三条に関し、昭和二四年八月二二日付東京都衛生局長あて回答に示した見解を改め、今後は内閣法制局第一部長の昭和三五年二月一五日付回答の趣旨にそつて解釈、運用することとしたことを明らかにすると同時に、諸機関において、この点に留意して埋葬等に関する事務処理をするよう求めたものであり、行政組織および右法律の施行事務に関する関係法令を参しやくすれば、本件通達は、被上告人がその権限にもとづき所掌事務について、知事をも含めた関係行政機関に対し、法律の解釈、運用の方針を示して、その職務権限の行使を指揮したものと解せられる。
元来、通達は、原則として、法規の性質をもつものではなく、上級行政機関が関係下級行政機関および職員に対してその職務権限の行使を指揮し、職務に関して命令するために発するものであり、このような通達は右機関および職員に対する行政組織内部における命令にすぎないから、これらのものがその通達に拘束されることはあつても、一般の国民は直接これに拘束されるものではなく、このことは、通達の内容が、法令の解釈や取扱いに関するもので、国民の権利義務に重大なかかわりをもつようなものである場合においても別段異なるところはない。このように、通達は、元来、法規の性質をもつものではないから、行政機関が通達の趣旨に反する処分をした場合においても、そのことを理由として、その処分の効力が左右されるものではない。また、裁判所がこれらの通達に拘束されることのないことはもちろんで、裁判所は、法令の解釈適用にあたつては、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる筋合である。
このような通達一般の性質、前述した本件通達の形式、内容および原判決の引用する一審判決議定の事実(拳示の証拠に照らし肯認することができる。)その他原審の適法に確定した事実ならびに墓地、埋葬等に関する法律の規定を併せ考えれば、本件通達は従来とられていた法律の解釈や取扱いを変更するものではあるが、それはもつぱら知事以下の行政機関を拘束するにとどまるもので、これらの機関は右通達に反する行為をすることはできないにしても、国民は直接これに拘束されることはなく、従つて、右通達が直接に上告人の所論墓地経営権、管理権を侵害したり、新たに埋葬の受忍義務を課したりするものとはいいえない。また、墓地、埋葬等に関する法律二一条違反の有無に関しても、裁判所は本件通達における法律解釈等に拘束されるものではないのみならず、同法一三条にいわゆる正当の理由の判断にあたつては、本件通達に示されている事情以外の事情をも考慮すべきものと解せられるから、本件通達が発せられたからといつて直ちに上告人において刑罰を科せられるおそれがあるともいえず、さらにまた、原審において上告人の主張するような損害、不利益は、原判示のように、直接本件通達によつて被つたものということもできない。 
そして、現行法上行政訴訟において取消の訴の対象となりうるものは、国民の権利義務、法律上の地位に直接具体的に法律上の影響を及ぼすような行政処分等でなければならないのであるから、本件通達中所論の趣旨部分の取消を求める本件訴は許されないものとして却下すべきものである。
以上のとおりであるから、これと同旨の原判決の判断は正当として首肯することができる。所論はるる主張するが、ひつきよう、原判決のした事実の認定を非難するか、原判示を誤解するか、または、原判示にそわない事実もしくは独自の見解を前提として原判決の違法を主張するものであり、原判決には所論の違法は認められない。所論はすべて採用することはできない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)

・自治事務だけでなく法定受託事務も国の事務ではなく地方公共団体の事務である(改正前の機関委任事務は国の事務だった)!!
→国が地方公共団体の事務処理に関与するには法律の根拠が必要。

6.独立行政法人等
(1)独立行政法人
(2)特殊法人
(3)公共組合
(4)認可法人
(5)指定法人
(6)独立行政法人等の法的取扱い

内部関係
+(国の機関等に対する処分等の適用除外)
行政手続法第4条
1項 国の機関又は地方公共団体若しくはその機関に対する処分(これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の名あて人となるものに限る。)及び行政指導並びにこれらの機関又は団体がする届出(これらの機関又は団体がその固有の資格においてすべきこととされているものに限る。)については、この法律の規定は、適用しない。
2  次の各号のいずれかに該当する法人に対する処分であって、当該法人の監督に関する法律の特別の規定に基づいてされるもの(当該法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又は当該法人の役員若しくは当該法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。
一  法律により直接に設立された法人又は特別の法律により特別の設立行為をもって設立された法人
二  特別の法律により設立され、かつ、その設立に関し行政庁の認可を要する法人のうち、その行う業務が国又は地方公共団体の行政運営と密接な関連を有するものとして政令で定める法人
3  行政庁が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる者を指定した場合において、その指定を受けた者(その者が法人である場合にあっては、その役員)又は職員その他の者が当該事務に従事することに関し公務に従事する職員とみなされるときは、その指定を受けた者に対し当該法律に基づいて当該事務に関し監督上される処分(当該指定を取り消す処分、その指定を受けた者が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる処分又はその指定を受けた者の当該事務に従事する者の解任を命ずる処分を除く。)については、次章及び第三章の規定は、適用しない。
4  次に掲げる命令等を定める行為については、第六章の規定は、適用しない。
一  国又は地方公共団体の機関の設置、所掌事務の範囲その他の組織について定める命令等
二  皇室典範 (昭和二十二年法律第三号)第二十六条 の皇統譜について定める命令等
三  公務員の礼式、服制、研修、教育訓練、表彰及び報償並びに公務員の間における競争試験について定める命令等
四  国又は地方公共団体の予算、決算及び会計について定める命令等(入札の参加者の資格、入札保証金その他の国又は地方公共団体の契約の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定める命令等を除く。)並びに国又は地方公共団体の財産及び物品の管理について定める命令等(国又は地方公共団体が財産及び物品を貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、信託し、若しくは出資の目的とし、又はこれらに私権を設定することについて定める命令等であって、これらの行為の相手方又は相手方になろうとする者に係る事項を定めるものを除く。)
五  会計検査について定める命令等
六  国の機関相互間の関係について定める命令等並びに地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二編第十一章 に規定する国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係その他の国と地方公共団体との関係及び地方公共団体相互間の関係について定める命令等(第一項の規定によりこの法律の規定を適用しないこととされる処分に係る命令等を含む。)
七  第二項各号に規定する法人の役員及び職員、業務の範囲、財務及び会計その他の組織、運営及び管理について定める命令等(これらの法人に対する処分であって、これらの法人の解散を命じ、若しくは設立に関する認可を取り消す処分又はこれらの法人の役員若しくはこれらの法人の業務に従事する者の解任を命ずる処分に係る命令等を除く。)

+判例(S53.12.8)成田新幹線事件
理由
上告代理人重富義男、同古山昭三郎、同大江忠の上告理由について
本件認可は、いわば上級行政機関としての運輸大臣が下級行政機関としての日本鉄道建設公団に対しその作成した本件工事実施計画の整備計画との整合性等を審査してなす監督手段としての承認の性質を有するもので、行政機関相互の行為と同視すべきものであり、行政行為として外部に対する効力を有するものではなく、また、これによつて直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定する効果を伴うものではないから、抗告訴訟の対象となる行政処分にあたらないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。また、所論違憲の主張は、本件認可が直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定するものであることを前提とするものであつて、その前提を欠く。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を論難するにすぎないものであつて、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 裁判官 本林讓 裁判官 栗本一夫)


民事訴訟法 基礎演習 争点効・信義則


1.設問1
(1)相続人と既判力の主観的範囲

(2)既判力の客観的範囲と判決主文中判断限定の理由

理由
当事者が意識的に紛争の対象として審判を求めた訴訟物たる権利関係の存否の判断に既判力を認めることが、当事者の意図に沿うとともに、当面の紛争を解決するのに十分
当事者が前提問題についてある程度自由に処分できる
裁判所も実体法における論理的順序の従うことなく結論に到達しやすい理由により判決を下すことが可能になる

(3)既判力の客観的範囲による帰結

2.設問2
(1)既判力の客観的範囲の限界

(2)判例学説による判決効の客観的範囲の拡張の試み

+判例(S49.4.26)
理由
一、上告人の上告理由第一点について。
被相続人の債務につき債権者より相続人に対し給付の訴が提起され、右訴訟において該債務の存在とともに相続人の限定承認の事実も認められたときは、裁判所は、債務名義上相続人の限定責任を明らかにするため、判決主文において、相続人に対し相続財産の限度で右債務の支払を命ずべきである。
ところで、右のように相続財産の限度で支払を命じた、いわゆる留保付判決が確定した後において、債権者が、右訴訟の第二審口頭弁論終結時以前に存在した限定承認と相容れない事実(たとえば民法九二一条の法定単純承認の事実)を主張して、右債権につき無留保の判決を得るため新たに訴を提起することは許されないものと解すべきである。けだし、前訴の訴訟物は、直接には、給付請求権即ち債権(相続債務)の存在及びその範囲であるが、限定承認の存在及び効力も、これに準ずるものとして審理判断されるのみならず、限定承認が認められたときは前述のように主文においてそのことが明示されるのであるから、限定承認の存在及び効力についての前訴の判断に関しては、既判力に準ずる効力があると考えるべきであるし、また民訴法五四五条二項によると、確定判決に対する請求異議の訴は、異議を主張することを要する口頭弁論の終結後に生じた原因に基づいてのみ提起することができるとされているが、その法意は、権利関係の安定、訴訟経済及び訴訟上の信義則等の観点から、判決の基礎となる口頭弁論において主張することのできた事由に基づいて判決の効力をその確定後に左右することは許されないとするにあると解すべきであり、右趣旨に照らすと、債権者が前訴において主張することのできた前述のごとき事実を主張して、前訴の確定判決が認めた限定承認の存在及び効力を争うことも同様に許されないものと考えられるからである。
そして、右のことは、債権者の給付請求に対し相続人から限定承認の主張が提出され、これが認められて留保付判決がされた場合であると、債権者がみずから留保付で請求をし留保付判決がされた場合であるとによつて異なるところはないと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによると、本訴請求中「被上告人Aに対し金一五九万五〇〇〇円及び内金二二万三〇〇〇円に対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金、被上告人B、同Cに対し各金一〇六万三三三三円三三銭及び内金一四万八六六六円六六銭に対する前同日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金」の支払を求める部分については、先に本件上告人を原告とし亡Dの相続財産管理人Aを被告とする前訴(東京地方裁判所昭和三一年(ワ)第五八六七号、東京高等裁判所昭和三五年(ネ)第一〇八九号、最高裁判所昭和三九年(オ)第八八〇号、第八八一号)において、「相続財産の限度で……支払え」との給付判決が確定しており、Dの相続財産管理人に対する右判決の効力が相続分に応じDの相続人である右被上告人らに及ぶことは明らかである。そして、上告人が本訴で主張する法定単純承認の事由は、前訴の第二審口頭弁論終結時以前に存在していた事実であるというのであるから、上告人の右主張は前訴の確定判決に牴触し、またこれに遮断されて許されず、本訴請求中前記部分は不適法として却下を免れないといわなければならない。 以上のとおりであるから、これと結論を同じくする原判決は正当として是認し得るのであつて、論旨は採用することができない。

二、同第二点について。
訴訟記録に照らすと、本件控訴状には被控訴人として第一審被告Eの氏名、住所の記載はなく、控訴の趣旨にもEに対する請求は記載されておらず、その他記録上控訴期間経過以前において上告人がEに対しても控訴を提起する趣旨であることを窺わせるに足りるものは一切なかつたのであるから、原審が、Eに対する関係においては、適法な控訴がないまま第一審判決が確定したものとし、控訴期間経過後にされた上告人の「控訴状補正申立」を容れなかつたのは正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
三、同第三点について。
被告に対し金銭給付を求める原告の請求を一部棄却した第一審判決に対し、原告(控訴人)が右敗訴部分の取消しを求めて控訴を申し立てたが、控訴の趣旨として、右取消しのうえ被告(被控訴人)に対して右棄却された金額全額ではなく、単にその一部の支払を請求するにすぎないときは、第一審判決の請求棄却部分のうち、原告(控訴人)において右支払を求めなかつた部分については、原告(控訴人)の控訴はなく確定したものと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によると、前掲前訴の第一審において、原告(本件上告人)は被告である前記Aに対し「金四〇〇万円とこれに対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による損害金」の支払を求めたところ、第一審は「被告は原告に対し、相続財産の限度で金六六万九〇〇〇円とこれに対する昭和三〇年三月二五日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。原告のその余の請求は棄却する。」との判決をし、原告は右敗訴部分の取消しを求めて控訴したが控訴の趣旨において、原告(控訴人)は被告(被控訴人)に対し第一審判決で棄却された金三三三万一〇〇〇円及びこれに対する前述のごとき損害金のうち、金三三三万一〇〇〇円のみについて支払を求め、損害金についての支払は求めなかつたというのであるから、第一審判決中右損害金を棄却した部分については、原告より控訴はなく、第一審判決が確定したというべきである。
そうすると、これと同旨の原審の判断は正当として是認すべきであり、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

+判例(S51.9.30)
理由
上告代理人南逸郎、同石田一則、同藤巻一雄の上告理由について
原審が適法に確定した事実及び本件記録によれば、(一)昭和二三年六月ごろ、上告人らの先代訴外亡Aの所有する本件各土地について自作農創設特別措置法による買収処分がされ、かつ昭和二四年七月ごろ、被上告人らの先代訴外亡Bに対する売渡処分がおこなわれたところ、右Aの死後その相続人の一人である上告人Cは、右売渡処分後の昭和三二年五月に、右Bとの間で、右上告人が本件各土地を買い受ける旨の売買契約が成立したとして、右Bの死後、その子である被上告人D、同E及び妻である訴外亡Fに対し、右各土地について右上告人のため、農地法所定の許可申請手続及び許可を条件とする所有権移転登記手続等を求める訴(以下、前訴という。)を提起し、その請求棄却の判決が最高裁判所昭和四〇年(オ)第七九一号同四一年一二月二日第二小法廷の上告棄却の判決の言渡により確定したこと、(二)ところが、翌昭和四二年四月に右Aの共同相続人である上告人らが本訴を提起し、前記買収処分の無効等を理由として、右B及び右訴訟係属中に死亡した右Fの相続人である被上告人D、同E並びに右訴訟係属中に右被上告人らから本件第三土地の売渡をうけた被上告人丸楽紙業株式会社のためにされた本件各土地についての各所有権移転登記の抹消登記手続に代る所有権移転登記手続等を請求していること、(三)ところで、上告人Cは、前訴においても前記買収処分が無効であることを主張し、買収処分が無効であるため本件各土地は当然その返還を求めうべきものであるが、これを実現する方法として、土地返還約束を内容とする、実質は和解契約の性質をもつ前記売買契約を締結し、これに基づき前訴を提起したものである旨を一貫して陳述していたこと、(四)右上告人は、本訴における主張を前訴で請求原因として主張するにつきなんら支障はなかつたことが、明らかである。右事実関係のもとにおいては、前訴と本訴は、訴訟物を異にするとはいえ、ひつきよう、右Aの相続人が、右Bの相続人及び右相続人から譲渡をうけた者に対し、本件各土地の買収処分の無効を前提としてその取戻を目的として提起したものであり、本訴は、実質的には、前訴のむし返しというべきものであり、前訴において本訴の請求をすることに支障もなかつたのにかかわらず、さらに上告人らが本訴を提起することは、本訴提起時にすでに右買収処分後約二〇年も経過しており、右買収処分に基づき本件各土地の売渡をうけた右B及びその承継人の地位を不当に長く不安定な状態におくことになることを考慮するときは、信義則に照らして許されないものと解するのが相当である。これと結論を同じくする原審の判断は、結局相当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

・信義則に反し後訴を遮断すべきかを判断する際の考慮要素
①前訴における請求あるいは主張と後訴における請求あるいは主張とが実質上同一
②後訴で提出されている請求あるいは主張を前訴で提出しえたこと
③勝訴当事者が前訴判決により紛争が解決済みであるとの信頼を抱いており、法的安定性の要求を保護する必要がある
④前訴判決の正当性を確保するほどに前訴において充実した審理が行われていること
⑤前訴において当事者が争う誘因を有していたこと

(3)あるべき判決効の客観的範囲拡張の理論構成

(4)前訴手続過程の具体的経過と1審限りの判断

3.設問3


民事訴訟法 基礎演習 既判力の主観的範囲


・+(確定判決等の効力が及ぶ者の範囲)
第115条
1項 確定判決は、次に掲げる者に対してその効力を有する。
一 当事者
二 当事者が他人のために原告又は被告となった場合のその他人
三 前二号に掲げる者の口頭弁論終結後の承継人
四 前三号に掲げる者のために請求の目的物を所持する者
2項 前項の規定は、仮執行の宣言について準用する。

1.依存関係説と適格承継説

+判例(S41.3.22)
理由
上告代理人辻丸勇次の上告理由について。
本件宅地の賃貸借契約は、本件土地が都市計画の実施により道路敷とされるとき、または、被上告人がこれを他に売却処分する必要が生ずるという事態の発生したときでない限り、一カ年毎に契約を更新する約旨であつたとの点、従前の更新はまさに右約旨に従つてなされたものであるとの点および期間を一カ年と定めたのが所論のような趣旨に出たものであるとの点は、いずれも原審の認定しないところである。所論は、原審の認定しない事実に立脚して、原判決の理由不備をいうものであつて、その前提を欠き、採用できない。

上告代理人田中実の上告理由について。
賃貸人が、土地賃貸借契約の終了を理由に、賃借人に対して地上建物の収去、土地の明渡を求める訴訟が係属中に、土地賃借人からその所有の前記建物の一部を賃借し、これに基づき、当該建物部分および建物敷地の占有を承継した者は、民訴法七四条にいう「其ノ訴訟ノ目的タル債務ヲ承継シタル」者に該当すると解するのが相当である。
けだし、土地賃借人が契約の終了に基づいて土地賃貸人に対して負担する地上建物の収去義務は、右建物から立ち退く義務を包含するものであり、当該建物収去義務の存否に関する紛争のうち建物からの退去にかかる部分は、第三者が土地賃借人から係争建物の一部および建物敷地の占有を承継することによつて、第三者の土地賃貸人に対する退去義務の存否に関する紛争という型態をとつて、右両者間に移行し、第三者は当該紛争の主体たる地位を土地賃借人から承継したものと解されるからである。これを実質的に考察しても、第三者の占有の適否ないし土地賃貸人に対する退去義務の存否は、帰するところ、土地賃貸借契約が終了していないとする土地賃借人の主張とこれを支える証拠関係(訴訟資料)に依存するとともに、他面において、土地賃貸人側の反対の訴訟資料によつて否定されうる関係にあるのが通常であるから、かかる場合、土地賃貸人が、第三者を相手どつて新たに訴訟を提起する代わりに、土地賃借人との間の既存の訴訟を第三者に承継させて、従前の訴訟資料を利用し、争いの実効的な解決を計ろうとする要請は、民訴法七四条の法意に鑑み、正当なものとしてこれを是認すべきであるし、これにより第三者の利益を損うものとは考えられないのである。そして、たとえ、土地賃貸人の第三者に対する請求が土地所有権に基づく物上請求であり、土地賃借人に対する請求が債権的請求であつて、前者と後者とが権利としての性質を異にするからといつて、叙上の理は左右されないというべきである。されば、本件土地賃貸借契約の終了を理由とする建物収去土地明渡請求訴訟の係属中、土地賃借人であつた第一審被告亡小能見唯次からその所有の地上建物中の判示部分を賃借使用するにいたつた上告人富永キクエに対して被上告人がした訴訟引受の申立を許容すべきものとした原審の判断は正当であり、所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎)

2.物権的請求権と債権的請求権で違いがあるか

3.形式説と実質説~既判力拡張の意味

ZにYに由来しない固有の抗弁が存する場合
実質説=承継人に固有の抗弁が成立する場合には、既判力が拡張されることはない!
+判例(S48.6.21)
理由
上告代理人宮崎巌雄の上告理由について。
原審の確定したところによれば、本件土地はもと訴外Aの所有名義に登記されていたが、右登記は上告人Bと右訴外人との通謀虚偽表示による無効のものであつて、本件土地は同上告人の所有に属していたのであり、同上告人の破産管財人は同訴外人に対しこのことを理由として真正な名義回復のため本件土地所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、同訴訟は名古屋地方裁判所岡崎支部昭和四二年(ワ)第二二〇六号事件として係属し、昭和四三年四月一七日口頭弁論終結のうえ、同月二六日右請求認容の判決がなされ、同判決はその頃確定したものであるところ、被上告人は、これらの事情を知らずに善意で、同訴外人に対する不動産強制競売事件において、前記訴訟の口頭弁論終結後である昭和四三年六月二七日、本件土地を競落し、同年七月二二日その旨の所有権取得登記を経由したというのである。
以上の事実関係のもとにおいては、上告人Bは、本件土地につきA名義でなされた前記所有権取得登記が、通謀虚偽表示によるもので無効であることを、善意の第三者である被上告人に対抗することはできないものであるから、被上告人は本件土地の所有権を取得するに至つたものであるというべきであるこのことは上告人Bと訴外Aとの間の前記確定判決の存在によつて左右されない。そして、被上告人は同訴外人の上告人Bに対する本件土地所有権移転登記義務を承継するものではないから、同上告人が、右確定判決につき、同訴外人の承継人として被上告人に対する承継執行文の付与を受けて執行することは許されないといわなければならない。
ところが、原審の確定したところによれば、上告人Bは右確定判決につき被上告人に対する承継執行文の付与を受けて、これに基づき、本件土地の所有名義を自己に回復するための所有権移転登記を経由したというのである。
同上告人の右行為は違法であつて、右登記の無効であることは前説示に照らし明らかである。結論において右と同趣旨に帰する原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤林益三 裁判官 大隅健一郎 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

4.反射効とはどういうものか

既判力の本質論
実体法説=既判力の内容通りに実体法関係が変更を受けるというもの
権利実在説=判決の既判力によって、はじめて当事者間の実体法関係が実在する
訴訟法説=既判力は実体法関係とは無関係に後訴裁判所への拘束力であるとする

実体法説・権利実在説からは反射効を導きやすい。

・訴訟法説で、
債権者から保証人に対する保証債務履行請求訴訟における保証人敗訴の判決が確定した後に債権者から主債務者に対する主債務履行請求訴訟における主債務者勝訴の判決が確定しても、保証人は、右の主債務者勝訴の確定判決を保証人敗訴の確定判決に対する請求異議の事由にすることはできない。

+判例(S51.10.21)
理由
上告代理人菊池嘉太義の上告理由について
被上告人は、昭和三八年一月六日亡Aに対し一五〇万円を貸与し、上告人外一名がその連帯保証をしたと主張して、Aの相続人ら及び上告人を共同被告として該債務の履行を求める訴訟(松山地裁大洲支部昭和四一年(ワ)第一八号損害賠償請求事件)を提起したところ、右相続人らは被上告人の請求原因事実を争つたが、上告人はこれを認めたので、上告人に関する弁論が分離され、昭和四一年一〇月二六日被上告人の上告人に対する請求を認容する旨の判決がされ、同判決は同年一一月一二日確定した。
他方、右相続人らに対する関係では審理の結果請求原因事実が認められず、昭和四四年一二月三日被上告人の右相続人らに対する請求を棄却する旨の判決がされ、同判決に対しては被上告人から適法な控訴の申立がされたが、控訴審の口頭弁論期日に当事者双方が欠席したことにより昭和四五年八月二六日右控訴が取り下げられたものとみなされた結果、右判決は確定するに至つた。
以上は、原審の適法に確定するところであつて、被上告人と右相続人ら間の右判決謄本である甲第一号証(同号証の成立については、当事者間に争いがないものとされている。)によると、被上告人の右相続人らに対する請求が棄却された理由は、被相続人である亡Aの被上告人に対する主債務の成立が否定されたためであることが明らかであり、原審の右認定の趣旨もここにあるものと解される。
所論は、要するに、上告人に対する前記判決は連帯保証債務の履行を命ずるものであるところ、その主債務は、右判決確定後、主債務関係の当事者である被上告人と右相続人ら間の確定判決により不存在と確定されたから、上告人は、連帯保証債務の附従性に基づき請求異議の訴により自己に対する前記判決の執行力の排除を求めることができる筋合であると主張する。そこで案ずるに一般に保証人が、債権者からの保証債務履行請求訴訟において、主債務者勝訴の確定判決を援用することにより保証人勝訴の判決を導きうると解せられるにしても、保証人がすでに保証人敗訴の確定判決を受けているときは、保証人敗訴の判決確定後に主債務者勝訴の判決が確定しても、同判決が保証人敗訴の確定判決の基礎となつた事実審口頭弁論終結の時までに生じた事実を理由としてされている以上、保証人は右主債務者勝訴の確定判決を保証人敗訴の確定判決に対する請求異議の事由にする余地はないものと解すべきである。
けだし、保証人が主債務者勝訴の確定判決を援用することが許されるにしても、これは、右確定判決の既判力が保証人に拡張されることに基づくものではないと解すべきであり、また、保証人は、保証人敗訴の確定判決の効力として、その判決の基礎となつた事実審口頭弁論終結の時までに提出できたにもかかわらず提出しなかつた事実に基づいてはもはや債権者の権利を争うことは許されないと解すべきところ、保証人敗訴判決の確定後において主債務者勝訴の確定判決があつても、その勝訴の理由が保証人敗訴判決の基礎となつた事実審口頭弁論の終結後に生じた事由に基づくものでない限り、この主債務者勝訴判決を援用して、保証人敗訴の確定判決に対する請求異議事由とするのを認めることは、実質的には前記保証人敗訴の確定判決の効力により保証人が主張することのできない事実に基づいて再び債権者の権利を争うことを容認するのとなんら異なるところがないといえるからである。
そして、原審認定の前記事実に照らせば、本件は連帯保証人である上告人において主債務者勝訴の確定判決を援用することが許されない場合であるというべきであるから、上告人の右援用を否定した原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)


憲法 思想・良心の自由~卒業式における国歌斉唱の際の不起立~ 国歌斉唱 ピアノ 猿払


1.X1について、~国歌斉唱起立命令事件から考える

+判例(H23.6.14)
理 由
 第1 上告代理人飯田美弥子ほかの上告理由のうち職務命令の憲法19条違反を
いう部分について
1 本件は,東京都八王子市又は町田市の市立中学校の教諭であった上告人らが,卒業式又は入学式において国旗掲揚の下で国歌斉唱の際に起立して斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったところ,東京都教育委員会(以下「都教委」という。)から,事情聴取をされ,戒告処分を受け,服務事故再発防止研修を受講させられるとともに,東京都人事委員会から,上記戒告処分の取消しを求める審査請求を棄却する旨の裁決を受けたため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上記事情聴取,戒告処分,服務事故再発防止研修及び裁決は違法であるなどと主張して,被上告人に対し,上記戒告処分及び裁決の各取消し並びに国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)38条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前のもの。以下同じ。)54条の2の規定に基づく中学校学習指導要領(平成10年文部省告示第176号。平成20年文部科学省告示第99号による特例の適用前のもの。以下「中学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とともに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めている。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この定めを
「国旗国歌条項」という。)。
(2) 八王子市教育委員会の教育長は,平成15年9月22日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「卒業式及び入学式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」(以下「本件八王子市通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台正面中央に国旗を掲揚し,全員が起立し国歌を斉唱するなど,所定の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
町田市教育委員会の教育長は,同年10月29日付けで,同市立小中学校の各校長宛てに,「入学式,卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(以下「本件町田市通達」といい,本件八王子市通達と併せて「本件各通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対し,上記①及び②と同様の事項(ただし,所定の実施指針には,教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することも含まれていた。)等を通達するものであった。
(3) X1は,平成16年3月当時,町田市立A中学校に勤務する教諭であったところ,同月15日,同校の校長から,本件町田市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を,同校長の命を受けた教頭から文書で受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった
X2は,平成15年9月ないし同16年3月当時,八王子市立B中学校に勤務する教諭であったところ,同15年9月3日,同16年1月14日及び同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成15年度卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた。しかし,同上告人は,上記職務命令に従わず,同月19日に行われた同校の卒業式における国歌斉唱の際に起立しなかった
X3は,平成16年3月ないし同年4月当時,同市立C中学校に勤務する教諭であったところ,同年3月17日,同校の校長から,本件八王子市通達を踏まえ,平成16年度入学式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令を受けた(以下,上告人らに対するこれらの職務命令を併せて「本件各職務命令」という。)。しかし,X3は,同上告人に対する上記職務命令に従わず,同年4月7日に行われた同校の入学式における国歌斉唱の際に起立しなかった
(4) X1は,平成16年3月24日に約20分間,X2は,同月25日に約1時間,X3は,同年4月16日に約10分間,それぞれ都教委から上記不起立行為に関する事情聴取を受けた。
(5) 都教委は,上記不起立行為がそれぞれ職務命令違反に当たり,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当するとして,平成16年4月6日,X1及びX2に対し,同年5月25日,X3に対し,それぞれ戒告処分をした。また,都教委は,同年8月,上記戒告処分を受けたことを理由として,上告人らにそれぞれ服務事故再発防止研修を受講させた。
(6) X1及びX2は,平成16年5月31日,X3は,同年7月22日,それぞれ東京都人事委員会に対し,上記戒告処分の取消しを求めて審査請求をしたが,同19年4月26日,同人事委員会から,いずれもこれを棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受けた

3(1)ア 上告人らは,卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について,天皇主権と統帥権が暴威を振るい,侵略戦争と植民地支配によって内外に多大な惨禍をもたらした歴史的事実から,「君が代」や「日の丸」に対し,戦前の軍国主義と天皇主義を象徴するという否定的評価を有しているので,「君が代」や「日の丸」に対する尊崇,敬意の念の表明にほかならない国歌斉唱の際の起立斉唱行為をすることはできない旨主張する。
上記のような考えは,我が国において「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義や国家体制等との関係で果たした役割に関わる上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上の信念等ということができる
しかしながら本件各職務命令当時,公立中学校における卒業式等の式典において,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上記の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものということはできない。したがって,上告人らに対して学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,直ちに上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできないというべきである。
ウ また,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施状況は上記イのとおりであり,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作として外部から認識されるものというべきであって,それ自体が特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難である。なお,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるともいえる。
したがって,本件各職務命令は,上告人らに対して,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものともいえない
エ そうすると,本件各職務命令は,上記イ及びウの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
(2) もっとも卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり,そのように外部から認識されるものであるということができる(なお,例えば音楽専科の教諭が上記国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする行為であれば,音楽専科の教諭としての教科指導に準ずる性質を有するものであって,敬意の表明としての要素の希薄な行為であり,そのように外部から認識されるものであるといえる。)。そうすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,それが心理的葛藤を生じさせ,ひいては個人の歴史観ないし世界観に影響を及ぼすものと考えられるのであって,これを求められる限りにおいて,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い
 (3)ア そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求められることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。
イ これを本件についてみるに,本件職務命令に係る国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,前記のとおり,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含み,そのように外部から認識されるものであることから,そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となり,心理的葛藤を生じさせるものである。この点に照らすと,本件各職務命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての前記(2)の間接的な制約となる面があるものということができる。
他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法は,中学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法36条1号,18条2号),同法38条及び学校教育法施行規則54条の2の規定に基づき中学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた中学校学習指導要領も,学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に鑑み,公立中学校の教諭である上告人らは,法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり,地方公務員法に基づき,中学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件各通達を踏まえて,その勤務する当該学校の各校長から学校行事である卒業式等の式典に関して本件各職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと,公立中学校の教諭である上告人らに対して当該学校の卒業式又は入学式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は,中学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って,地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。
以上の諸事情を踏まえると,本件各職務命令については,前記のように上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
(4) 以上の諸点に鑑みると,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。

第2 その余の上告理由について
論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
なお,上告人らは本件上告のうち本件裁決の取消請求に関する部分について上告理由を記載した書面を提出しないから,本件上告のうち同部分を却下することとする。
よって,裁判官田原睦夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平,同岡部喜代子,同大谷剛彦の各補足意見がある。

+補足意見
裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
1 私は,本件と関連する事柄が問題となった最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)において,ピアノ伴奏を命ずる校長の職務命令を合憲とする多数意見を支持する立場を採りつつ,補足意見の中で,同職務命令が音楽専科の教諭の有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を生じさせ,ひいては思想及び良心の自由についての制約の問題を生じさせる可能性があることを指摘した。本件においては教諭の起立斉唱が問題となっており,ピアノ伴奏とは異なる面もあるので,その点については後に詳述するが,上記補足意見で述べた基本的な考え方については,以下のとおり,これを維持するものである。
 (1) ピアノ伴奏事件判決の多数意見は,音楽専科の教諭が,市立小学校の入学式における国歌斉唱の際に,校長の職務命令により「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じられたことにつき,同職務命令が,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる同教諭の歴史観ないし世界観自体を直ちに否定するものとは認められず,同教諭が特定の思想を持つことを強制したりこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない旨判示している(理由3(1)及び(2))。これは,「君が代」の伴奏を命じる職務命令がそもそも憲法19条の保障する思想及び良心の自由についての制約に当たらないという見解を基本とするものであると解されるが,同判決では,さらに,職務命令が思想及び良心の自由についての制約に当たる可能性もあり得ることをも考慮して,憲法15条2項(公務員が全体の奉仕者である旨の規定),地方公務員法30条(同),32条(法令等に従い,上司の職務上の命令に忠実に従うべき旨の規定),学校教育法18条2号(当時。小学校教育の目標)及び小学校学習指導要領の趣旨をも検討し,職務命令がその規定の趣旨にかなうものであり,その目的及び内容において不合理であるとはいえない旨判示している(同3(3))。
私の補足意見も,多数意見がこのような二段の構造を採っていることを前提として,多数意見の理由3(3)を補足し,ピアノ伴奏を命じる職務命令が憲法19条に違反するものではないことを述べたものである。
(2) 私は,本件についても,結論としては,入学式及び卒業式等における上告人らに対する起立斉唱行為を命ずる職務命令は憲法19条に違反するとはいえないと考える。もっとも,ピアノ伴奏事件判決の事案が,音楽専科の教諭に対するピアノ伴奏を命じる職務命令を対象とするものであったのに対し,本件は一般の教諭に対する起立斉唱行為を命ずる職務命令の憲法適合性が問題になっている点で,ピアノ伴奏事件判決における理由3(3)の論点の重要性が増していると考えられる。以下,項を改めて,この点について敷えんして検討する。

2(1) 入学式及び卒業式等の儀式において「君が代」のピアノ伴奏をする行為と起立斉唱をする行為との間には,以下のとおり,外形的相違を超えた相違点がある。
ア ピアノ伴奏は,音楽専科の教諭が有する特殊な音楽的技能に依拠するところが大きく,他教科担当者が担当することは通常予定されていないことから,儀式実施のための職務命令も特定の1人の教諭を名宛人とすることになる。これに対し,「君が代」の起立斉唱は普通の歌唱能力さえあれば実行に困難はないため,職務命令という形式をとるか否かは別として,出席教諭全員に一律に要請されるのが一般的である。
イ 職務行為として行う「君が代」のピアノ伴奏は,行為自体として特に国旗・国歌に対する敬意を表するという要素が強いわけではなく,他の参加者が「君が代」を適切に斉唱するために必要とされる補助的作業である。他方,起立斉唱は,その起立という行為態様及び「君が代」の言語的内容とも関連して,その行為自体が自らの敬意を表明する意味を有するとともに,公立学校の教諭として,参加生徒らに模範を示すという側面も持つ。
ウ ピアノ伴奏は伴奏を行うか行わないかという単純な選択肢しかないが,起立斉唱については,起立して国旗に正対して斉唱する,起立斉唱はするが正対はしない,起立・正対はするが斉唱はしない,起立も斉唱もせずに式場に座ったままでいる等,多様な対応が想定できる。
(2) 上記相違点を考慮すると,ピアノ伴奏の方が,起立斉唱よりも命令を受ける者の職務との関連性が強い一方で,思想及び良心の核心的部分又は周辺部への侵襲の程度は全くないか,あっても軽微なものにとどまり,職務命令の目的となる外形的行為としても単純で,それだけ職務命令の対象になじみやすいという評価が可能である。これに対し,起立斉唱は,命令を受ける者の職務との関連性がピアノ伴奏ほど単純・明白なものではなく,それが国旗・国歌に対する敬意の表明という意味を含むことも否定し難いことから,職務命令と思想及び良心の自由との関係もそれだけ複雑で法的に難しい問題を孕むものとなると考えられる。
他方で,いずれも入学式等の儀式において公立学校の教諭としての職務の一つとして求められている行為であること,その職務として行う行為の中に,濃淡,直接・間接の差はあっても,一定の敬意表明の要素が含まれるか,少なくともそう解される可能性が存在することなど,重要な共通点も存在する。
3(1) 公立中学校等の入学式及び卒業式等における国歌の斉唱に際し,教諭ないしその他の教員(以下単に「教員」という。)が起立斉唱する趣旨には,以下の二つのものが含まれると考えられる。
ア 教員が,起立斉唱することによって,国旗及び国歌に対し,参加者の一員として自らの敬意を表明しあるいは礼譲の姿勢を示すこと。
イ 教員が,起立斉唱することによって,生徒らの国旗及び国歌への敬意の表明ないし礼譲の姿勢を示すための模範となり,生徒らを指導すること。
上記二つの趣旨のうち,どちらに重点が置かれるかは,起立斉唱する教員それぞれの考え方によって異なる(それ以外の趣旨が存在する可能性もある)。しかし,いずれにしても,起立斉唱に関わる問題を検討するについては,上記二つの趣旨のものが含まれることを前提にして検討する必要がある。そして,国歌斉唱に際し,校長が教員に対して起立斉唱を求める場合にも,上記で述べたことを当然の前提とするものであり,この点については,教員に対し職務命令を発して起立斉唱を求める場合と,教員に自発的に起立斉唱することを要請する場合とで特に差異がないと考えられる。
(2) 校長の職務命令ないし要請に従わず,入学式ないし卒業式等において起立斉唱をしない教員の行動に対する評価についても,上記(1)で述べたことを前提とすることが必要であると考える。すなわち,これらの教員は,上記起立斉唱の二つの趣旨のいずれか一方ないし双方について否定的な意見を有し,校長の職務命令ないし要請等に従うことがその思想ないし良心に由来する行動と両立しないと考えるからこそ,起立斉唱をしないという選択をするものと理解できる。このうち,敬意の表明に関する点は,正に個人としての思想及び良心の自由に関する問題であって,多数意見の理由第1,3(2)及び(3)で詳しく論じられているとおり,これが上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びに制約の態様等を総合的に較量すれば,その必要性及び合理性が認められるということになる。
(3) 他方で,入学式ないし卒業式等における国歌斉唱に際し,生徒らに対し模範を示し指導することに関する点は,個人としての思想及び良心の自由というよりも,教師ないし教育者の在り方に関わる,いわば教師という専門的職業における思想・良心の問題とも考えられる。自らは国歌斉唱の際に起立して斉唱することに特に抵抗感はないが,多様な考え方を現に持ち,あるいはこれから持つに至るであろう生徒らに対し,一律に起立させ斉唱させることについては教師という専門的職業に携わる者として賛同できないという思想ないし教育上の意見がその典型例である。しかし,この職業上の思想・良心は,教育の在り方や教育の方法に関するものである点で,教員という職業と密接な関係を有し,これに随伴するものであることから,公共の利益等により外部的な制約を受けざるを得ない点においては,個人としての思想及び良心の自由よりも一層その度合いが強いと考えられる。したがって,生徒らに対して模範を示して指導するという点からも,制約の必要性と合理性は是認できるというべきである。
(4) 国歌斉唱に際しての起立と斉唱とを区別し,後者については,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観や世界観と対立する行為であることを理由として,音楽専科以外の教員について,斉唱することまでは職務上期待されていないとする反対意見には賛成し難い。私は,学校が,組織として入学式ないし卒業式等において国歌を斉唱することを決定したからには,これを効果的に実施するために,教員が自ら起立斉唱して模範を示し,これによって生徒らに対する指導の徹底を図るという選択肢も十分にあり得るところである,と考える。本件において各校長が発した職務命令が憲法19条に違反するか否かを検討するについては,このような視点を欠かすことはできない。
また,学校教育においては,教室における各教科の学習が教育活動の中核となるのは当然であるが,入学式や卒業式等,教室外での儀式等も極めて重要な教育活動であって,これが,その性質上,校長を中心として学校全体で統一のとれた形で実施されなければならず,これに各教員が協力する職務上の義務があることは論をまたない。教室における授業の際には,授業の内容及び進め方等について,一定の範囲で,担当教員の裁量に委ねられる部分があるが,これはその担当する教科に関する限りのものであって,入学式や卒業式等の学校全体の行事については前述のとおり校長を中心として組織的・統一的に実施することが必要であり,各教員の上記裁量権等によって影響を受けるものではないことも多言を要しないところであろう。

4 国歌斉唱をめぐる以上の検討結果によれば,上告人らが起立斉唱の職務命令を受けることは当然にあり得るところであって,この点については多数意見が詳しく判示するとおりである。これによって,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となることがあるとしても,これは,入学式ないし卒業式等という学校教育にとって重要な教育活動を効果的に実施し,その成果を教育の受け手である生徒らに十分に享受させるという公共の利益に沿うものである。その目的と効果とを比較考量しても,その制約に合理性がないとはいえず,上告人らはこれを甘受すべきものであると考える。

+補足意見
裁判官岡部喜代子の補足意見は,次のとおりである。
多数意見の述べるとおり,起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いものであり,思想及び良心の自由が憲法上の保障であるところからすると,その命令が憲法に違反するとまではいえないとしても,その命令の不履行に対して不利益処分を課すに当たっては慎重な衡量が求められるというべきである。その命令の不履行としての不起立が個人の思想及び良心に由来する真摯なものであって,その命令に従って起立することが当該個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある場合には,①当該命令の必要性の程度,②不履行の程度,態様,③不履行による損害など影響の程度,④代替措置の有無と適否,⑤課せられた不利益の程度とその影響など諸般の事情を勘案した結果,当該不利益処分を課すことが裁量権の逸脱又は濫用に該当する場合があり得るというべきである。本件においてはその旨の主張はなされていないので,付言するにとどめる。

+補足意見
 裁判官大谷剛彦の補足意見は,次のとおりである。
 1 本件は,東京都内の市立の中学校の教諭らが,卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の不起立行為が職務命令に反するなどとして戒告処分を受けたため,職務命令が憲法19条に違反するなどとしてその処分の取消し等を求める訴訟であり,私を含め多数意見は職務命令が憲法に違反しないとして都教委の処分を是認している。
ところで,当第三小法廷は,東京都内の市立の小学校の音楽専科の教諭が,入学式における国歌斉唱の際のピアノ伴奏を命ずる職務命令に応じなかったことを理由に戒告処分を受け,その処分の取消しを求めた事案について,平成19年2月27日判決において,その職務命令が憲法19条に違反しないとし,都教委の処分を是認した(最高裁平成16年(行ツ)第328号,戒告処分取消請求事件。以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)。
私は,ピアノ伴奏事件判決に関わってはいないものの,事案は類似するが異なる面も持つ本件の判決に当たり,私なりに当小法廷のピアノ伴奏事件判決を理解し,事案の相違と結論を導く理由の異同に焦点を当てて意見を補足したい。
なお,本件訴訟は,教諭らが校長からの国歌斉唱の際の起立斉唱行為の職務命令に反して起立しなかったことが処分の対象とされた事案におけるその処分の取消し等を求める訴訟であり,以下本件の職務命令はこの起立斉唱行為の職務命令をいうが,処分の対象との関係では斉唱の際の起立を命ずる点を中心に論ずることとなる。
2(1) ピアノ伴奏事件判決における職務命令の憲法判断の枠組みは,改めて要約すると,まず,「君が代」に対する教諭の持つ否定的な評価は,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に関わる教諭自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができるとした上,① 第1に,しかしながら,ピアノ伴奏の拒否は,当該教諭にとってはその歴史観ないし世界観に基づく一つの選択であろうが,一般的には,この歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものではなく,ピアノ伴奏を求める職務命令が直ちにそれ自体を否定するものということはできず,② 第2に,他方において,客観的に見て,ピアノ伴奏をするという行為自体は音楽専科の教諭にとって通常想定され期待されるものであり,伴奏を行う教諭が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,ピアノ伴奏の職務命令は,音楽専科の教諭に特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,③ 第3に,公立学校教諭の地方公務員としての全体の奉仕者性や,学校教育法に基づく学習指導要領において入学式等で国歌を斉唱するよう指導すると定めていることから,ピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことはこれらの規定の趣旨にかなっており,その職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできず,以上の諸点にかんがみると,職務命令は,当該教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である,としている。
 (2) この多数意見について,反対意見の立場にあった藤田宙靖裁判官は,「憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。」と評している。
ピアノ伴奏の拒否が,音楽専科の教諭にとって歴史観ないし世界観からの派生的ないし付随的行為というかどうかはともかく,私も,この多数意見は,憲法19条による思想及び良心の自由として絶対的保障の対象となる内心の中核ないし核心に歴史観ないし世界観を据え,ピアノ伴奏拒否の行為はこのような中核としての歴史観ないし世界観から由来する(又は歴史観ないし世界観に由来する「君が代」の否定的評価から更に由来する)行動として捉えていると理解される。
このような内心の中核としての歴史観ないし世界観とそれに由来する外部的行動との関係に関し,ある外部的行動を求めること(又は制限すること)が,当該個人の内心の中核としての歴史観ないし世界観に働きかけ,その否定や侵襲になるか否かについて,多数意見は次のような判断の枠組みを設けていると理解される。
第1に,ある外部的行動を求めることが,直接的に内心の中核に働きかけ,その否定になるか否かについて,両者が不可分に結び付いているか否かを判断要素とする。たとえば,特定の思想教育を施すことなどが典型となろう。
第2に,直接的な内心の中核への働きかけではなくとも,内心の中核に由来する行動と反する外部的行動を求めるような場合に関し,その求めに応じ,又は拒む行動が外部においてどのように評価されるかを介して内心の中核へ働きかけ,その否定につながることがあり得るところ,その点では,求められる外部的行動が特定の思想を有することの表明と評価されるかどうかを判断要素としている。
これが特定の思想の表明と評価されるならば,思想及び良心を「持つ」自由とともに憲法上保障の対象とされる思想及び良心を「告白(暴露)」しない自由を直接的に否定することになろう。
ところで,個人の内心の思想及び良心は多種多様であり,また個人の置かれた立場も多様である。ある外部的行動を求める目的や場面も多様である。一般的,客観的には求められる外部的行動が内心の思想と不可分に結び付くものではなく,また特定の思想の表明と評価されるものではなく,したがって直ちに内心の中核の否定にはならないと考えられても,(内心の思想に由来する行動と反する)外部的行動を求められた個人によっては,特に外部的な評価との関係で,内心の中核たる歴史観ないし世界観に由来する様々な内心の主張,意見,評価,感情などと抵触が生じ,これが心理的葛藤となって,ひいては内心の中核へ影響を及ぼすことがあり得よう(ピアノ伴奏事件判決における那須弘平裁判官の補足意見参照)。このような内心領域は,憲法19条の絶対的な保障の対象とはなり得なくとも,例えば求められる外部的行動の目的,内容から,これを求めることの合理性が乏しいような場合は,同条の保障の趣旨が及んでその制約が許容されなくなることも考えられよう。
ピアノ伴奏事件判決は第3として,このような観点も踏まえて求められる外部的行動の目的,内容を検討し,そこに不合理はないと判断した上,第1,第2,第3を総合考慮し,ピアノ伴奏の職務命令は音楽専科の教諭の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するものとはいえない,としたものと考えられる。
3 私は,ピアノ伴奏事件判決のこの判断の枠組みは,基本的に合理性を有すると考える。
(1) そこで,ピアノ伴奏事件判決の判断枠組みに沿って,国歌斉唱の際の音楽専科の教諭のピアノ伴奏拒否と本件の教諭らの不起立行為とを対照しながら,内心の中核とこれに由来する外部的行動の関係求められる外部的行動と内心の中核への働きかけの関係を見ていきたい。
まず,内心の中核となる歴史観ないし世界観については,音楽専科の教諭と本件の教諭らとは共通のものを持つと理解される。
次に,ピアノ伴奏事件判決における第1の点,求められる外部的行動が,内心の中核と不可分に結び付くか否かに関しては,多数意見の判示のとおり,本件の国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を持ち,このような点からは内心の中核と不可分に結び付くものではないと考えられ,したがって,この点で直ちに個人の歴史観ないし世界観を否定するものではないといえる。
次に第2の点,求められる行為の外部における評価を介しての働きかけ,すなわち特定の思想の表明との関係についても,やはり国歌斉唱の際の起立行為は,一般的,客観的には式典における慣例上の儀礼的な所作として外部からも認識されているところであるから,本件で求められる起立行為は特定の思想の表明とは認識され難いのであって,直ちに歴史観ないし世界観を「持つ」自由を否定したり,「告白(暴露)」を強要するものではないといえよう。
(2) ここまでの第1のテスト,第2のテストでは,ピアノ伴奏を命ずる職務命令とその拒否,及び本件の起立斉唱行為の職務命令と不起立とは,ほぼ同様の判定がなされるところであるが,両者は,教諭らの持つ歴史観ないし世界観との関係では次の点で異なる面を有するに至るといわざるを得ない。
一点は,国歌斉唱の際の起立行為は,国歌を歌う者の国家に対する敬意という要素を含む点である。もとより起立は,例えば合唱の際に起立して歌うのはマナーという面もあるが,客観的に見ても,敬礼や辞儀には至らぬとも対象への敬意という要素を持ち合わせるといわざるを得ないと考えられる。本件の教諭らの歴史観ないし世界観に由来する「君が代」への否定的評価とは相容れない面を持つことになろう。かたやピアノ伴奏は国歌に限らず斉唱の際の補助行為として常に求められる行為であり,客観的にみて,対象への敬意という要素は希薄である。
もう一点は,小学校の音楽専科の教諭にとってピアノ伴奏は本人の奉ずる職務行為そのものであり,学校行事において本来求められなくとも当然に従事すべき事柄であるのに対し,中学校の一般教諭の場合,学校行事に参加し,式次第に従うのは広く教諭の職務に含まれる面もあるが,なお国歌斉唱の際の起立行為は必ずしも当然に職務行為に含まれるといえないところもあり, 本件の教諭らの「君が代」への否定的評価と相容れない行動を職務命令により求められるという面がある。
そうすると,国歌斉唱の際の起立行為を求める職務命令にあえて従わず,不起立のまま座していることは,「君が代」への否定的な評価を持つことの外部への表明との評価をされかねない。また,そのような「君が代」への否定的評価を持つ者にとって国歌斉唱の際の起立行為は,自らの奉ずる職務行為であるとして,信念と切り離して割り切ることもできないところもある。
このような点からすると,ピアノ伴奏行為を求められる場合とは事情が異なり,国歌斉唱の際の起立行為を求められることは,その求めに従うにしても拒否するにしても,この敬意という要素を含むがゆえに,本人に心理的葛藤を生じさせ,ひいては内心の中核の歴史観ないし世界観へ影響を及ぼし,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難いといえよう。本件の多数意見の第1,3(2)はその趣旨を述べるものであり,私も賛同するところである。
4 以上のように本件の国歌斉唱の際の起立行為を命ずる職務命令は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるが,憲法19条との関係で,なおその制約が許容される場合があるか,その判断基準などについては,多数意見の第1,3(3)において詳しく説示されているとおりと考える。
結局,このような間接的な制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容,制約の態様等を総合的に較量して,職務命令に制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められるか否かという観点から判断されることになる。
この点は,ピアノ伴奏事件判決の第3の点と重なる面を持つが,ピアノ伴奏の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約の面には触れず,それゆえに求められる行動が合理性に乏しい場合に憲法19条の趣旨が及んでその制約が許容されなくなるかという観点からの職務命令の不合理性の検討といえよう。一方,本件の不起立の場合は,思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面を有する職務命令について,なお憲法上許容できる場合のその許容性の判断となるから,職務命令が目的及び内容において不合理ではないということでは足りず,その制約を許容し得る程度の必要性,合理性が認められなければならないということになろう
なお,本件の多数意見は,平成11年に「君が代」が国歌として法定されたことも職務行為の必要性,合理性の一つの事情として掲げている。ピアノ伴奏事件判決は,国歌として法定される以前の行為に関するものである一方,本件の不起立は,国歌として法定された後に生じた事件である。国歌としての法定は,国歌斉唱の強制を肯定するものではなく,それ自体で職務命令の必要性を導くものではないが,その目的,内容の必要性,合理性を検討する際の一事情として考慮することは認められよう。
5 本件は,公立学校教諭らの卒業式又は入学式における国歌斉唱の際の職務命令違反としての不起立行為を捉えた懲戒処分の取消し等を求める訴訟であり,多数意見はこの事案に即し,上告の論旨に応えて憲法19条に係る合憲性について判断を示したものであり,私は当第三小法廷のピアノ伴奏事件判決との対比に焦点を当てて意見を補足した。
学校儀式における国歌斉唱の意義,公立学校教諭の公務員としての責務,これらと個人の内心としての「君が代」についての評価,教諭としての信念等との関係について憲法問題は判示のとおりであるが,このような法的な解決もさることながら,儀式における国歌斉唱などは,国歌への敬愛や斉唱の意義の理解に基づき自然に,また自発的になされることこそ望ましいに違いない。国の次代を担う生徒への学校教育の場であればなおさらであろう。過度の不利益処分をもってする強制や,他方で殊更に示威的な拒否行動があって教育関係者間に対立が深まれば,教育現場は混乱し,生徒への悪影響もまた懸念されよう。全体で行う学校行事における国歌斉唱の在るべき姿への理解も要するであろうし,また一方で個人の内心の思想信条に関わりを持つ事柄として慎重な配慮も要するであろう。教育関係者の相互の理解と慎重な対応が期待されるところである。

+反対意見
裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
私は,多数意見が本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下するとの点については異論はない。しかし,多数意見が,本件各職務命令は上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるとして,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当であるとして,上告人らのその余の上告を棄却するとする点については,以下に述べるとおり,賛成し難く,本件は更に審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのが相当であると考える。
第1 本件各職務命令と憲法19条との関係について
1 本件各職務命令の内容
上告人らに対して各学校長からなされた本件各職務命令の内容は,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に「起立して斉唱すること」というものである(多数意見は,本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」を命ずる旨の職務命令として,起立行為と斉唱行為とを一括りにしているが,私は,次項以下に述べるとおり,本件各職務命令と憲法19条との関係を検討するに当たっては,「起立行為」と「斉唱行為」とを分けてそれぞれにつき検討すべきものと考えるので,多数意見のように本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」として一括りにして論ずるのは相当ではないと考える。)。なお,多数意見にても指摘されているとおり,本件町田市通達には「教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」も含まれていたが,X1に対する職務命令には,「国旗に向かって」の部分は含まれていない。
この「起立して斉唱すること」という本件各職務命令の内容をなす「起立行為」と「斉唱行為」とは,社会的事実としてはそれぞれ別個の行為であるが,原判決の認定した事実関係によれば,本件各職務命令は,それら二つの行為を一体として命じているように見える。
しかし,上記のとおり起立行為と斉唱行為とは別個の行為であって,国歌斉唱時に「起立すること」(以下「起立命令」という。)と「斉唱すること」(以下「斉唱命令」という。)の二つの職務命令が同時に発令されたものであると解することもできる。
そして,本件各職務命令に違反する行為としては,①起立も斉唱もしない行為,②起立はするが斉唱しない行為(これには,口を開けて唱っている恰好はするが,実際には唱わない行為も含まれる。),③起立はしないが斉唱する行為,がそれぞれあり得るところ,本件の各懲戒処分(以下「本件各懲戒処分」という。)では,上告人らが本件各職務命令に反して国歌斉唱時に起立しなかった点のみが処分理由として取り上げられ,上告人らが国歌を斉唱したか否かという点は,記録によっても,本件各懲戒処分手続の過程において,事実認定もなされていないのである。
そこで以下では,本件各職務命令を「起立命令」部分と「斉唱命令」部分とに分けて,その憲法19条との関係について検討するとともに,本件各職務命令における両命令の関係について見てみることとする。
2 起立命令について
私は,多数意見が述べるとおり,公立中学校における儀式的行事である卒業式等の式典における,国歌斉唱の際の教職員等の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上告人らの主張する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく,したがって,上告人らに対して,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際に起立を求めることを内容とする職務命令を発することは,直ちに上告人らの歴史観ないし世界観を否定するものではないと考える。
また,「起立命令」に限っていえば,多数意見が述べるとおり,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,なお,若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認できると考える。
しかし,後に検討する本件各職務命令における起立命令と斉唱命令との関係からすれば,本件各職務命令の内容をなす起立命令の点のみを捉えて,その憲法19条との関係を論議することは相当ではなく,本件各職務命令の他の内容をなす斉唱命令との関係を踏まえて論ずべきものと考える。
3 斉唱命令について
(1) 斉唱命令と内心の核心的部分に対する侵害
国歌斉唱は,今日,各種の公的式典の際に広く行われており,かかる式典の参加者が国歌斉唱をなすこと自体が,斉唱者の思想,信条の告白という意義まで有するものでないことは,前項で述べた起立の場合と同様である。また,多数意見が指摘するように,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典において国歌斉唱が広く行われていたことが認められる。
しかし,「斉唱」は,斉唱者が積極的に声を出して「唱う」ものであるから,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観,世界観と真っ向から対立する行為をなすことに他ならず,同人らにとっては,各種の公的式典への参加に伴う儀礼的行為と評価することができないものであるといわざるを得ない。
また,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱時に「斉唱」することは,その職務上当然に期待されている行為であると解することもできないものである。なお,多数意見の指摘するとおり,学習指導要領では,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているが,その故をもって,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,入学式や卒業式における国歌斉唱時に,自ら国歌を「唱う」こと迄が職務上求められているということはできない。
以上の点よりすれば,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想,信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るということができる。
(2) 斉唱命令と内心の核心的部分の外縁との関係
憲法19条が保障する思想及び良心の自由には,内心の核心的部分を形成する思想や信条に反する行為を強制されない自由が含まれることは当然である。
また,それには,自らの思想,信条に反する行為を他者に求めることを強制されない自由も含まれると解すべきものと思われる。そして,その延長として,第三者が他者に対して,その思想,信条に反する行為を強制的に求めることは許されるべきではなく,その求めている行為が自らの思想,信条と一致するか否かにかかわらず,その強制的行為に加担する行為(加担すると外部から捉えられる行為を含む。)はしないとする強い考え,あるいは信条を有することがあり得る。
上記のような強い考え,あるいは信条は,憲法19条が保障する思想,信条に係る内心の核心的部分そのものを形成するものではないが,その外縁を形成するものとして位置付けることができるのであり,かかる強い考え,あるいは信条を抱く者における,その確信の内容を含む,上記外縁におけるその位置付けの如何によっては,憲法19条の保障の範囲に含まれることもあり得るということができると考える(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)における藤田宙靖裁判官の反対意見照)。
ところで本件では,「斉唱命令」と憲法19条との関係が問われているのであり,(1)で論じたとおり,「斉唱命令」は上告人らの内心の核心的部分を侵害するものと評価し得るものと考えるが,仮に,本件各職務命令の対象者が,国歌については価値中立的な見解を有していても,国歌の法的評価を巡り学説や世論が対立している下で(国旗及び国歌に関する法律の制定過程における国会での議論の際の関係大臣等の答弁等から明らかなとおり,同法は慣習であるものを法文化したものにすぎず,また,同法の制定によって,国旗国歌を強制するものではないとされている。),公的機関が一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している場合には,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれ得ると考える。
4 本件各職務命令と起立命令,斉唱命令との関係
1に述べたとおり,本件各職務命令は,「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令が同時に発令され,本件各懲戒処分では,「斉唱命令」違反の点は一切問われていないことからして,そのうちの「起立命令」違反のみを捉えてなされたものと解し得る余地が一応存する。
しかし,原判決が認定する本件各職務命令が発令されるに至った経緯からすると,本件各職務命令は「起立して斉唱すること」を不可分一体の行為と捉えて発せられたものであることがうかがわれ,また,上告人らもそのようなものとして捉えていたものと推認される。
そして,上告人らにとっては,2,3において検討したとおり,上告人らの思想,信条に係る内心の核心的部分との関係においては,「起立命令」と「斉唱命令」とは明らかに異なった位置を占めると解されるところ,本件各職務命令が,上記のとおり「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして発せられたものであると上告人らが解しているときに,その命令を受けた上告人らとしては,「斉唱命令」に服することによる上告人らの信条に係る内心の核心的部分に対する侵害を回避すべく,その職務命令の一部を構成する起立を命ずる部分についても従わなかったと解し得る余地がある(本件では,上告人らが,国歌を「斉唱」する行為につき如何なる考えを抱いていたか,国歌斉唱の際の起立行為と斉唱行為との関係をどのように関係付けていたかについて,原審までに審理が尽くされていない。)。
また,仮に本件各職務命令が「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令を合体して発令されたものであり,二つの職務命令を別々に評価することが論理的に可能であるとしても,本件各職務命令が発令された経緯からして,上告人らが本件各職務命令が「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして命じたものと捉えたとしても無理からぬものがあり,本件上告人らとの関係において,本件各職務命令違反の有無の検討に当たって,本件各職務命令を「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることは相当ではないといわなければならない。
5 小括
以上検討したとおり,本件各職務命令は,「起立して斉唱すること」を一体不可分のものとして発せられたものと解されるところ,上告人らの主張する歴史観ないし世界観に基づく信条との関係においては,本件各職務命令のうち「起立」を求める部分については,その職務命令の合理性を肯認することができるが,「斉唱」を求める部分については上告人らの信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性が存するものであるといわざるを得ない。
本件において,上告人らが本件各職務命令にかかわらず,入学式又は卒業式の国歌斉唱の際に起立しないという行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により上告人らの信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることとなる。
しかし,原審までの審理においては,「起立命令」,「斉唱命令」と上告人らの主張する信条との関係につきそれぞれを分けて検討することはなく,殊に「斉唱命令」と上告人らの信条との関係について殆ど審理されていないのであり,また,本件各職務命令と「起立命令」,「斉唱命令」との関係や,「斉唱命令」に従わないこと(不作為)と「起立命令」との関係,更には,上告人らの主張する信条に係る内心の核心的部分(あるいはその外縁部分)の侵害を回避するための行為として,上告人らとして如何なる行為(不作為)をなすことが許されるのかについての審理は,全くなされていないといわざるを得ない。
第2 本件における職務命令とピアノ伴奏事件判決における職務命令との関係について
私は,本件に係る先例としてしばしば論議される,市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じた職務命令が憲法19条に違反するか否かが問われた前記ピアノ伴奏事件判決において,同職務命令は憲法に違反するものではないとした多数意見に同調しているところから,同事件の多数意見につき私が理解するところと,本件における私の反対意見との関係につき,以下に両事件の相違点を踏まえて,若干の説明をすることとする。
1 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者
ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者は,公立小学校の音楽専科の教諭である。小学校における音楽専科の教諭は,音楽を学習する各クラスの児童に対して専科として音楽の授業を行うほか,クラブ活動の指導や,学校行事として行われる入学式,卒業式,運動会,音楽会等の諸行事において,ピアノの伴奏をなし,あるいは,歌唱の指導を行うこと等が求められる。音楽専科の教諭に対して各クラスに対する音楽の授業以外に,学校の行事等に関連して音楽専科の教諭としての技能の行使が求められる上記の職務の内容は,小学校における教育課程の一環として行われるものである以上,それらの職務の遂行は音楽専科の教諭としての本来的な職務に含まれると解される。したがって,同事件において,校長が音楽専科の教諭である同事件の上告人に対して,入学式において参列者一同による歌唱の際にその伴奏を命じることは,音楽専科の教諭としてなすべき当然の職務の遂行を命じるものにすぎない。
2 音楽専科の教諭の職務
同事件の論点は,ピアノ伴奏の対象が「君が代」であり,同事件の上告人が「君が代」を唱ったり,ピアノ伴奏したりすることが,同上告人の思想及び良心の自由を侵害するとの理由でそのピアノ伴奏を拒否することができるかという点であった。
ところで,公立小学校の音楽専科の教諭は,小学校の教科書に採択されている曲目はもちろんのこと,教科書に採択されていなくとも,一般に公立小学校において諸行事の施行等の際に演奏がなされ又は歌唱される曲目について,そのピアノ演奏やピアノ伴奏をなすことは,通常の職務の範囲に属するものといえる。そして,音楽専科の教諭が,その行事の式次第においてかかる曲目の歌唱をなすことが定められた場合に,そのピアノ伴奏を求められれば,それをなすべきものであり,そのピアノ伴奏につき職務命令まで発令された場合には,その命令に従うべき義務を負うものというべきものである。
3 音楽専科の教諭と思想及び良心の自由
ピアノ伴奏事件判決において,同事件の上告人は,「君が代」を公然と唱ったり,ピアノ伴奏することは,同上告人の歴史観ないし世界観に反し,そのピアノ伴奏をなすことは同上告人の思想及び良心の自由を侵害するものである旨主張したが,同判決の多数意見が述べるとおり,公立小学校における入学式や卒業式において国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭として通常想定され,期待される行為であって,その伴奏行為自体が当該教諭が特定の思想を有することを外部に表明する行為であると評価され得る類のものではなく,殊に職務上の命令に従ってなされる場合には,当該教諭が特定の思想を有することの外部への表明と評価することは困難なものであり,したがって,かかる伴奏行為については,憲法19条により保障されるべき行為であるとはいえないものというべきである。
また,公立小学校の音楽専科の教諭は,前記のとおり,教科書に採択され,あるいは,一般に小学校の行事等で広く演奏され,又は唱われている曲目については,たとえその音曲の演奏をなすことが音楽家としての信条に反し,そのピアノ演奏をなすこと自体が心理的苦痛を伴うものであったとしても,そのピアノ演奏は職務としての演奏であって芸術としての演奏ではないから,その演奏行為をもって,当該教諭の思想及び良心の自由についての制約に当たるものと評価されるべきものではなく,したがって,憲法19条により保障される範囲に含まれるとはいえないのである。
4 本件とピアノ伴奏事件判決との相違点
ピアノ伴奏事件判決は,上記のとおり公立小学校の音楽専科の教諭に対し,本来の職務に属するピアノ伴奏をなすことを求めて職務命令が発せられたものであるのに対し,本件各職務命令は,入学式や卒業式に出席するという公立中学校の教諭としての本来の職務を滞りなく遂行しようとしていた上告人らに対して,更にその職務に付随して発せられた命令であり,その職務命令に服従しない行為と憲法19条による保障との関係が問われている点において,事情を大きく異にするのである。
第3 裁量権の濫用について
本件では,論旨においては,専ら本件各職務命令の合憲性の有無のみが主張の対象とされ,本件における各学校長が本件各職務命令を発令したことが学校長に認められる裁量権の濫用に当たるか否か,また,都教委が上告人らに対してなした本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かという点は論旨に含まれていない。
もっとも,本件においては,本件各職務命令と上告人らの思想及び良心の自由との関係が問われているのであるから,本件各職務命令が憲法19条との関係においてその合憲性が肯定される場合であっても,同条との関係において本件各職務命令及び本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かが問題となり得るのであって,本件においては,かかる観点からの検討を加える余地も存したのではないかと考えるので,それ自体が法令違反の有無として当審の審判の対象となるものではないものの,以下その点について若干付言する。
1 職務命令の発令と裁量権の濫用
公立中学校の校長が,その学校に所属する教諭や職員に対して,学校教育法等の法令に基づいて職務命令を発することができる場合において,その職務命令には,その内容に応じて質的に様々の段階のものがある。例えば,学校における校務運営上教職員が職務命令に従って行為することが不可欠であり,その違反は校務運営に著しい支障を来すところから,その違反に対しては,懲戒処分による制裁をもって臨まざるを得ない性質を有するものから,その職務命令に係る対象行為それ自体の校務運営上の重要性や必要性の程度,あるいはその行為を職務命令の相手方自身によって遂行させる必要性の有無等からすれば,通常は指導としてなされ,また,それをもって足りるものであるが,指導に代えて職務命令を発令しても違法とはいえない程度にとどまるものまで様々のものがあり得る。
そして,公立中学校の校長が,通常は相手方に対する指導をもって対応すれば足りる行為につき職務命令を発令したときには,裁量権の濫用が問題となり得る。殊に,職務命令の対象とされる行為が,その相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,職務命令を発令すること自体,より慎重になされるべきである。
2 職務命令違反と制裁
公立中学校の校長が,学校における校務運営上発令することができる職務命令のうち,通常は,教職員に対する指導をもって十分に対応することができるものの,職務命令を発令しても違法ではないという程度の職務命令に対する違反行為については,その違反の内容がその質において著しく到底座視するに耐えないものであるとか,その違反行為の結果,校務運営に相当程度の支障を生じさせるものであるなどの事情が認められない限り,かかる職務命令に違反したとの一事をもって懲戒処分をなすことは,原則として裁量権の濫用に当たるものといえよう。殊に,職務命令の対象行為が,職務命令を発する相手方の思想及び良心の自由に関わる場合には,なおさらであろう。
次に,その職務命令を発令することは適法であり,その発令の必要性が肯定される場合であっても,その職務命令の内容が相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,懲戒処分の発令はより慎重になされるべきであり,かかる場合に職務命令の必要性やその程度,職務命令違反者が違反行為をなすに至った理由,その違反の態様,程度,その違反がもたらした影響等を考慮することなく,職務命令に違反したことのみを理由として懲戒処分をなすことは,裁量権の濫用が問われ得るといえよう。
ところで,本件各職務命令との関係についていえば,第1にて検討したとおり,本件各職務命令は起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされており,斉唱行為を命じる点は,上告人らの思想,信条に関わるところから,裁量権の濫用以前の問題である。しかし,その点は別として,多数意見の立場に立ってみるに,本件各職務命令のうち国歌斉唱時における「起立命令」のみを取り上げれば,入学式あるいは卒業式の式典の進行を,あらかじめ定められた式次第に従い秩序立って運営することを目的とするものであると解され,かかる行事が,式次第に従って秩序立って進行が保たれることが望ましいことであり,その必要性,相当性が認められる。しかし,式典の進行に係る秩序が完全に保持されることがなくとも,その秩序が大きく乱されない限り,通常は,校務運営に支障を来すものとはいえないものであり,他方,上告人らがその職務命令に反する行為をなすに至った理由が,上告人らの思想及び良心の自由に関わるものであることからすれば,懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かにつき判断するには,上告人らの職務命令違反行為の具体的態様如何という質の問題とともに,その職務命令違反によって校務運営に如何なる支障を来したかという結果の重大性の有無が問われるべきものと考える。
第4 結論
以上第1において詳述したとおり,原審は,本件各職務命令が入学式又は卒業式等の式典における国歌斉唱の際に「起立すること」と「斉唱すること」を不可分一体のものとして命じているものであるか否か,また,国歌の「斉唱命令」が上告人らの信条に係る内心の核心的部分と直接対峙し,侵害し得る関係に立つものであるのか否か,あるいは内心の核心的部分との直接対峙関係には立たないものの,その核心的部分に近接する外縁を成し,その侵害は,なお憲法19条によって保障されるべき範囲に属するといえるか否かという諸点について審理し,判断をなすべきところ,かかる諸点について十分な審理を尽くすことなく判決をなすに至ったものといわざるを得ない。
よって,本件は,原判決を破棄の上,更に上記諸点について審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官
大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)

++解説
調べておく

+判例(H19・2・27)ピアノ
理由
1 本件は、市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため、上記命令は憲法19条に違反し、上記処分は違法であるなどとして、被上告人に対し、上記処分の取消しを求めている事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、平成11年4月1日から日野市立A小学校に音楽専科の教諭として勤務していた。
(2) A小学校では、同7年3月以降、卒業式及び入学式において、音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており、同校の校長(以下「校長」という。)は、同11年4月6日に行われる入学式(以下「本件入学式」という。)においても、式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。
(3) 同月5日、A小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が開かれた際、上告人は、事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言われたが、自分の思想、信条上、また音楽の教師としても、これを行うことはできない旨発言した。校長は、上告人に対し、本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じたが、上告人は、これに応じない旨返答した。
(4) 校長は、同月6日午前8時20分過ぎころ、校長室において、上告人に対し、改めて、本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた(以下、校長の上記(3)及び(4)の命令を「本件職務命令」という。)が、上告人は、これに応じない旨返答した。
(5) 同日午前10時、本件入学式が開始された。司会者は、開式の言葉を述べ、続いて「国歌斉唱」と言ったが、上告人はピアノの椅子に座ったままであった。校長は、上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから、約5ないし10秒間待った後、あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を行うよう指示し、これによって国歌斉唱が行われた。 (笑)
(6) 被上告人は、上告人に対し、同年6月11日付けで、上告人が本件職務命令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして、地方公務員法(平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3号に基づき、戒告処分をした

3 上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違反をいう部分について
(1) 上告人は、「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており、これを公然と歌ったり、伴奏することはできない、また、子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ、このような考えは、「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら、学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが、一般的には、これと不可分に結び付くものということはできず、上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が、直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。
(2) 他方において、本件職務命令当時、公立小学校における入学式や卒業式において、国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり、客観的に見て、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり、特に、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。
本件職務命令は、上記のように、公立小学校における儀式的行事において広く行われ、A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し、音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって、上告人に対して、特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない

(3) さらに、憲法15条2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と定めており、地方公務員も、地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ、地方公務員法30条は、地方公務員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し、同法32条は、上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって、法令等に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ、上告人は、A小学校の音楽専科の教諭であって、法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり、校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして、学校教育法18条2号は、小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し、学校教育法(平成11年法律第87号による改正前のもの)20条、学校教育法施行規則(平成12年文部省令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)第4章第2D(1)は、学校行事のうち儀式的行事について、「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ、同章第3の3は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは、これらの規定の趣旨にかなうものであり、A小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても、本件職務命令は、その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである
(4) 以上の諸点にかんがみると、本件職務命令は、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。
なお、上告人は、雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが、以上に説示したところによれば、上告人がこのような考えを有することから本件職務命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。
以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁、最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁、最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は、以上の趣旨をいうものとして、是認することができる。論旨は採用することができない。

4 その余の上告理由について
論旨は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって、民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
よって、裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官那須弘平の補足意見がある。

+補足意見
裁判官那須弘平の補足意見は、次のとおりである。
私は、本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするものであるが、その理由とするところについては、以下のとおり若干の補足をする必要があると考える。
1 学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、一般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず、国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても、その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと(理由3(1))、客観的に見ても、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であること(同3(2))は、多数意見のとおりである。
しかし、本件の核心問題は、「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても、上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると、職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは、上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり、さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。
この点、本件で問題とされているピアノ伴奏は、外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって、伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり、意味のあるものになると考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは、演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと、そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない、できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし、結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも、容易に理解できることである。
本件職務命令は、上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で、同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ、ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって、本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては、上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として、これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。
2 上記の点について、多数意見が挙げる憲法15条2項(「全体の奉仕者」)、地方公務員法30条(「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤務)、32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と、上告人のような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係については、以下のとおり理解することができる。
第1に、入学式におけるピアノ伴奏は、一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に、他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。その内面性に着目すれば、演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ得るが、外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑かつ効果的なものにするに必要な行為にほかならず、音楽専科の教諭の職務の一つとして校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。
このような両面性を持った行為が、「思想及び良心の自由」を理由にして、学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり、あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは、学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし、ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。
なお、学校の教師は専門的な知識と技能を有し、高い見識を備えた専門性を有するものではあるが、個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師の裁量にゆだねられるということでは、学校教育は成り立たない面がある。少なくとも、入学式等の学校行事については、学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動(必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではないが、少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態様のものであること)が必要とされる面があって、学校行事に関する校長の教職員に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。
第2に、入学式における「君が代」の斉唱については、学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが、他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり、これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合致し、また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方(平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2項)にも調和するものであることは明らかである。
他面において、学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上、上記のような多元性の尊重だけではこと足りず、学校としての統一的な意思決定と、その確実な遂行が必要な場合も少なくなく、この場合には、校長の監督権(学校教育法28条3項)や、公務員が上司の職務上の命令に従う義務(地方公務員法32条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで、前記のような両面性を持った行為についても、行事の目的を達成するために必要な範囲内では、学校単位での統一性を重視し、校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。
3 本件職務命令は、小学校における入学式に際し、その式典の一環として従前の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し、これを実施するために発せられたものである。そして、入学式において、「君が代」を斉唱させることが義務的なものかどうかについてはともかく、少なくとも本件当時における市立小学校においては、学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉唱を行うことを決定することまで否定することは、上記校長の権限との関係から見ても、困難である。そうしてみると、学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには、これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり、その反面として、これに代わる措置としてのテープ演奏では、伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから、指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも、必要な措置として憲法上許されると解する。
この場合、職務命令を受けた教諭の中には、上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが、そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては、職場の秩序が保持できないばかりか、子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり、結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。
入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は、これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが、この意見を他に押しつけたり、学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり、あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。
4 上告人は、子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま、「君が代」を歌わせることは、教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も、それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが、学校教育の実践の場における問題としては、各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても、すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく、それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い、総合的統一的に整然と実施されなければ、教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に、入学式や卒業式等の行事は、通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり、学校全体で実施するもので、その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり、本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。
したがって、A小学校において、入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は、上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり、本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって、これを違憲、違法とする理由は見いだし難い。

+反対意見
裁判官藤田宙靖の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告人に対し、その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴奏を命ずる校長の本件職務命令が、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては、なお疑問を抱くものであって、にわかに賛成することはできない。その理由は、以下のとおりである。
1 多数意見は、本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を、上告人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち、「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ、このような理解を前提とした上で、本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが、一般的には、これと不可分に結び付くものということはできないとして、上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が、直ちに、上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし、また、このようなピアノ伴奏を命じることが、上告人に対して、特定の思想を持つことを強制したり、特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち、憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として、その中核に、「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに、入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は、その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ、しかも、両者の間には(例えば、キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない、という考え方に立つものということができよう。しかし、私には、まず、本件における真の問題は、校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが、上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり、あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が、多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は、既に本人自身が明らかにしていることである。そして、「踏み絵」の場合のように、このような告白をしたからといって、そのこと自体によって、処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。)、むしろ、入学式においてピアノ伴奏をすることは、自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり、それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると、本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては、このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら、それに加えて更に、「『君が代』の斉唱をめぐり、学校の入学式のような公的儀式の場で、公的機関が、参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って、また、このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり、また、後者の側面こそが、本件では重要なのではないかと考える。そして、これが肯定されるとすれば、このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか、すなわち、そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は、まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは、仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても、改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは、例えば、「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く、従って、例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも、一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上、公的儀式においてその斉唱を強制することについては、そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし、また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも、いえるところである。この考え方は、それ自体、上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ、このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが、当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは、明白であるといわなければならない。そしてまた、こういった信念・信条が、例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような、国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく、自由主義・個人主義の見地から、それなりに評価し得るものであることも、にわかに否定することはできない。本件における、上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については、こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。
2 多数意見は、また、本件職務命令が憲法19条に違反するものではないことの理由として、憲法15条2項及び地方公務員法30条、32条等の規定を引き合いに出し、現行法上、公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があることを挙げている。ところで、公務員が全体の奉仕者であることから、その基本的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は、いうまでもなくこれを否定することができないが、ただ、逆に、「全体の奉仕者」であるということからして当然に、公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである、といったレヴェルの一般論により、具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができないことも、また明らかである。本件の場合にも、ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず、そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要との間で、慎重な考量がなされなければならないものと考える。
ところで、学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなければならないことは、自明の事柄であって、それ自体は極めて重要な公共の利益であるが、そのことから直接に、音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本件の場合、「公共の利益の達成」は、いわば、「子供の教育を受ける利益の達成」という究極の(一般的・抽象的な)目的のために、「入学式における『君が代』斉唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され、それを実現するために、いわば、「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされているのである。そして、仮に上記の中間目的が承認されたとしても、そのことが当然に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かについては、この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであると考えるのであって、本件の場合、何よりも、上記の〈1〉「入学式進行における秩序・紀律」及び〈2〉「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係において考量されることが必要であるというべきである。このうち上記〈1〉については、本件の場合、上告人は、当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく、また実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく、ただ、以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従って、校長は、このような不作為を充分に予測できたのであり、現にそのような事態に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって、基本的には問題無く式は進行している。ただ、確かに、それ以外の曲については伴奏をする上告人が、「君が代」に限って伴奏しないということが、参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは、想定できないではないが、問題は、仮に、上記1において見たように、本件のピアノ伴奏拒否が、上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられるとしたとき、このような「違和感」が、これを制約するのに充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお、仮にテープを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合、生のピアノ伴奏と比して、どちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには、にわかには判断できないものがあるように思われる。)。また、上記〈2〉については、仮にこういった目的のために校長が発した職務命令が、公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき、人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか、が問われなければならないことになる。原審は、「思想・良心の自由も、公教育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば、本件職務命令が、教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであっても、控訴人においてこれを受忍すべきものであり、受忍を強いられたからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが、基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた上での議論であるようには思われない。また、原審及び多数意見は、本件職務命令は、教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し、学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが、入学式におけるピアノ伴奏が、音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても、他者をもって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには、なお疑問が残るところであり(付随的な業務であるからこそ、本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか、ともいえよう。ちなみに、上告人は、本来的な職務である音楽の授業においては、「君が代」を適切に教えていたことを主張している。)、多数意見等の上記の思考は、余りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは、基本的に「入学式等の学校行事については、学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。
3 以上見たように、本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて、更に詳細な検討を加える必要があり、また、そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については、本件事案の内容に即した、より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない、その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。
(裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官 田原睦夫)

++解説
《解  説》
1 本件は,市立小学校の音楽専科の教諭であるXが,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務命令(以下「本件職務命令」という。)に従わなかったことを理由にYから戒告処分を受けたため,本件職務命令が思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反すること等から上記処分は違法であると主張して,その取消しを求めた事案である。
Xは,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有するとしている。
第1審判決(東京地判平15. 12. 3判時1845号135頁)は,「君が代」を伴奏することができないという思想・良心を持つXにそのピアノ伴奏を命ずることは憲法19条に違反するのではないかが問題となるとしつつ,思想・良心の自由も公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受け,本件職務命令がXの思想・良心の自由を制約するものであってもXにおいて受忍すべきものであり,同条に違反するとまではいえない旨判示して,Xの請求を棄却した。原判決(判例集未登載)も,本件職務命令が憲法19条に違反するのではないかが問題となり得るとしつつ,第1審判決と同様に,このような思想・良心の自由の制約は公務員の職務の公共性に由来するやむを得ないものであって,同条に違反するとはいえない旨判示して,X の請求を棄却すべきものとした。
本判決は,最高裁が,Xの上告に対し,本件職務命令はXの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないとして,上告を棄却したものである。

2 公立学校の入学式等における国旗掲揚,国歌斉唱の実施をめぐっては,これに反対する教職員等との間で紛争が生じてきたところである。この問題に関する裁判例は多数に上るところ,その多くが教職員等の訴えを却下し又は請求を棄却しており(懲戒処分又は訓告に関するものとして,大阪地判平8. 2. 22判タ904号110頁,大阪地判平8.3. 29労判701号61頁,その控訴審判決である大阪高判平10. 1. 20判自182号55頁,福岡地判14判タ1035号125頁,判自182号55頁,浦和地判平12. 8. 7判自211号69頁,その控訴審判決である東京高判平13. 5. 30判時1778号34頁,大津地判平13. 5. 7判タ1087号117頁,東京高判平14. 1. 28判時1792号52頁等がある。なお,処分の手続上の違法を理由に請求を一部認容したものとして,浦和地判平11. 4. 26労判771号45頁がある。),憲法19条違反の有無について判断した裁判例も,大半が同条に違反しない旨の判断をしているものであるが(前掲浦和地判平12. 8. 7,前掲東京高判平13.5. 30,前掲大津地判平13. 5. 7等),入学式等における国歌斉唱等を定めた通達等が同条に違反する旨判断した裁判例もある(東京地判平18. 9. 21判タ1228号88頁)。一方,公表された学説の多くは,教職員等に対する国歌斉唱等の強制が思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条違反となり得るとしている(主な学説として,戸波江二「『君が代』ピアノ伴奏拒否に対する戒告処分をめぐる憲法上の問題点」早法80巻3号105頁,西原博史「『君が代』斉唱の強制と思想・良心の自由」早稲田社会科学研究51号77頁,佐々木弘通「『人権』論・思想良心の自由・国歌斉唱」成城66号1頁等があり,学説等を体系的に整理したものとして,渡辺康行「『思想・良心の自由』と『国家の信条的中立性』(1)『君が代』訴訟に関する裁判例および学説の動向から」法政73巻1号1頁がある。)。
本判決は,最高裁が,以上のような状況の下で,公立学校の入学式における国歌斉唱の際の「君が代」のピアノ伴奏を命じた職務命令について,憲法19条違反の有無を判断したものである。
3 本件では,第1審以来,本件職務命令が憲法19条に違反しないかが争われてきたが,ここでの問題は,本件職務命令によりXの内心に反する外部的行為を強制することがXの思想及び良心の自由の侵害となるのかという点にあると思われる。内心に反する外部的行為を強制することが思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法19条違反となるかという問題(思想及び良心に反する法への服従を拒む自由の有無の問題はその典型といえるであろう。)について,学説上は,一定の場合に同条違反となり得ることを認める見解が有力であるが(樋口陽一ほか『注釈日本国憲法(上)』389頁〔浦部法穂〕,佐藤幸治『憲法〔第3版〕』488頁等),どのような場合に同条に違反することとなるのかについては,定説を見ない状況にある。
本判決は,このような文脈において把握し得る本件職務命令の憲法19条適合性という問題について,次のとおり検討を行って判断している。
第1に,本判決は,Xが有するとする思想及び良心の内容を,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わるX自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等であるとした上で,入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,Xの歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものとはいえず,本件職務命令が直ちにこれ自体を否定するものではないとしている。人の内心は外部的行為と密接な関係を有することから,外部的行為の強制が思想及び良心の自由の侵害となることがあり得るとしても,内心に反する義務を強制されない自由が一般的に認められるならば,政治社会は成り立たなくなると思われる(佐藤・前掲488頁)。本判決は,Xの歴史観ないし世界観という,いわばXの内心の核心部分を直接否定するような外部的行為であれば,これを強制することが憲法19条の問題となり得るものととらえた上で,本件職務命令によって命ぜられる行為はそのような外部的行為に当たらないと判断したものと考えられる。なお,憲法19条によりその自由が保障される「思想及び良心」の内容に関しては,人の内心の活動一般ととらえる広義説(内心説)と,信仰に準ずる世界観,主義,思想等に限定して理解する限定説(信条説)があるが,本判決の上記判示は,あくまで外部的行為の強制との関連におけるものであって,同条の保障が及ぶ「思想及び良心」の内容一般について内心の核心部分に限定する旨を判示したものではないと考えられる。
第2に,本判決は,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,これを行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価するのは困難であり,特に職務上の命令に従って行われる場合には一層困難であるとし,本件職務命令は,Xに対して特定の思想を持つことを強制したり,これを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできないと判示している。ある外部的行為の強制が内心の核心部分を直接否定するものでなくても,その性質,効果等に照らしてそれと同様の作用を及ぼすことも考えられるところ,上記判示は,本件職務命令に係る入学式での「君が代」のピアノ伴奏という行為が,その客観的性質,効果等に照らしてそのような問題を生じさせるものではないとするものと考えられる。もっとも,特定の思想を有することの表明と評価されるような外部的行為の強制が憲法19条違反となるかについては,なお検討を要するものと思われる。また,上記判示は,本件職務命令が特定の思想の強制又は禁止,思想の告白の強制といった,思想及び良心の自由の侵害となる典型的な場合にも当たらない旨を明らかにし,さらに,「君が代」のピアノ伴奏を命ずることが児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものではないという見解を示している。
第3に,本判決は,公務員が全体の奉仕者であると定める憲法15条2項に加え,地方公務員について職務専念義務等を定める地方公務員法30条及び上司の職務上の命令等に従う義務を定める同法32条を挙げて,Xが地方公務員として職務命令等に従わなければならない立場にあることを指摘し,また,「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を小学校教育の目標とする学校教育法1 8 条2 号の定めや,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とする小学校学習指導要領の定めを挙げて,本件職務命令はこれらの趣旨にかなうとした上で,本件の小学校におけるこれまでの「君が代」の斉唱の実施状況に照らしても,本件職務命令の目的及び内容が不合理とはいえない旨判示している。上記判示は,本件職務命令がなおX自身においては内心の核心部分を否定するものと受け止められ得ることが考えられ,不必要かつ不合理にその信念に反する行為を強制するものであれば憲法19条違反の問題が生じ得るとしても,Xの職務上の地位や本件職務命令の目的及び内容の合理性に照らして同条違反となるようなものでないことを明らかにしたものと解されよう。なお,本件は,国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)の施行日(平成11年8月13日)以前の事案であり,同法の施行後の事案では同法の趣旨も考慮されることとなると思われる。
本判決は,このような分析,検討を経た上で,本件職務命令が憲法19条に違反しないと判断をしたものと解することが可能と思われる。本判決については,本件職務命令は思想及び良心の自由の制約に当たるものの憲法19条に違反しないという見解に立つのか,それとも,本件職務命令はそもそも同条の保障する思想及び良心の自由の制約に当たらないという見解に立つのか,判文からは明らかとはいえないが,以上に述べたことからすれば,後者のように理解するのが相当ではないかと考えられる。
4 那須裁判官の補足意見は,学校においては多元的な価値の併存を可能とするような運営が望ましいとしても,学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上,学校としての統一的な意思決定とその確実な遂行が必要な場合も少なくなく,行事の目的を達成するために必要な範囲で校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも思想及び良心の自由との関係で許されるとし,入学式で国歌斉唱を行うことが決定された以上,これに協力する義務を明確にした措置である本件職務命令が違憲であるとはいえないとして,前記3の第3の点に関し,多数意見における判断の理由を補足するものである。
藤田裁判官の反対意見は,本件の真の問題が,入学式においてピアノ伴奏をすることが自らの信条に照らしXにとって極めて苦痛であるにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にあり,本件で問題とされるべきXの思想及び良心の内容として,公的儀式の場で公的機関が参加者の意思に反してでも一律に行動すべく強制することへの否定的評価といった側面が含まれる可能性があることを指摘した上で,Xの思想及び良心が正確にどのような内容のものであるかについて更に詳細な検討を加える必要があり,そうして確定された内容のXの思想及び良心の自由と,その制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量について,事案の内容に即したより詳細かつ具体的な検討がされるべきであるとして,本件を原審に差し戻す必要があるとするものである。
5 本判決は,入学式における「君が代」のピアノ伴奏を内容とする校長の職務命令が憲法19条に違反しないかについて判断したものであり,本件の事案を前提とした事例判断ではあるが,最高裁が公立学校における前記のような国旗掲揚,国歌斉唱の実施をめぐる紛争の1つに関して明示的な判断をしたものとして,教育実務に大きな影響を及ぼすものと思われる。また,本判決は,憲法19条に関する判断事例として,理論的にも重要な意義を有するものと思われる。(関係人一部仮名)

・間接的制約について。
+判例(S49.11.6)猿払事件
理由
検察官の上告趣意四の(一)について。
第一 本事件の経過
本件公訴事実の要旨は、被告人は、北海道宗谷郡a村の鬼志別郵便局に勤務する郵政事務官で、A労働組合協議会事務局長を勤めていたものであるが、昭和四二年一月八日告示の第三一回衆議院議員選挙に際し、右協議会の決定にしたがい、B党を支持する目的をもつて、同日同党公認候補者の選挙用ポスター六枚を自ら公営掲示場に掲示したほか、その頃四回にわたり、右ポスター合計約一八四枚の掲示方を他に依頼して配布した、というものである。
国家公務員法(以下「国公法」という。)一〇二条一項は、一般職の国家公務員(以下「公務員」という。)に関し、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、この委任に基づき人事院規則一四―七(政治的行為)(以下「規則」という。)は、右条項の禁止する「政治的行為」の具体的内容を定めており、右の禁止に違反した者に対しては、国公法一一〇条一項一九号が三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金を科する旨を規定している。被告人の前記行為は、規則五項三号、六項一三号の特定の政党を支持することを目的とする文書すなわち政治的目的を有する文書の掲示又は配布という政治的行為にあたるものであるから、国公法一一〇条一項一九号の罰則が適用されるべきであるとして、起訴されたものである。
第一審判決は、右の事実は関係証拠によりすべて認めることができるとし、この事実は規則の右各規定に該当するとしながらも、非管理職である現業公務員であつて、その職務内容が機械的労務の提供にとどまるものが、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なくして行つた規則六項一三号の行為で、労働組合活動の一環として行われたと認められるものに、刑罰を科することを定める国公法一一〇条一項一九号は、このような被告人の行為に適用される限度において、行為に対する制裁としては合理的にして必要最小限の域を超えるものであり、憲法二一条、三一条に違反するとの理由で、被告人を無罪とした。
原判決は、検察官の控訴を斥け、第一審判決の判断は結論において相当であると判示した。
検察官の上告趣意は、第一審判決及び原判決の判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りを主張するものである。

第二 当裁判所の見解
一 本件政治的行為の禁止の合憲性
第一審判決及び原判決が被告人の本件行為に対し国公法一一〇条一項一九号の罰則を適用することは憲法二一条、三一条に違反するものと判断したのは、民主主義国家における表現の自由の重要性にかんがみ、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号が、公務員に対し、その職種や職務権限を区別することなく、また行為の態様や意図を問題とすることなく、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為を、一律に違法と評価して、禁止していることの合理性に疑問があるとの考えに、基づくものと認められる。よつて、まず、この点から検討を加えることとする。
(一) 憲法二一条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によつてもみだりに制限することができないものである。そして、およそ政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法二一条による保障を受けるものであることも、明らかである。国公法一〇二条一項及び規則によつて公務員に禁止されている政治的行為も多かれ少なかれ政治的意見の表明を内包する行為であるから、もしそのような行為が国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題が生ずることはいうまでもない。
しかしながら国公法一〇二条一項及び規則による政治的行為の禁止は、もとより国民一般に対して向けられているものではなく、公務員のみに対して向けられているものである。ところで、国民の信託による国政が国民全体への奉仕を旨として行われなければならないことは当然の理であるが、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とする憲法一五条二項の規定からもまた、公務が国民の一部に対する奉仕としてではなく、その全体に対する奉仕として運営されるべきものであることを理解することができる公務のうちでも行政の分野におけるそれは、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、もつぱら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならないものと解されるのであつて、そのためには、個々の公務員が、政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行にあたることが必要となるのである。すなわち、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の重要な利益にほかならないというべきである。したがつて、公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならない

(二) 国公法一〇二条一項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては禁止の目的、、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の三点から検討することが必要である。そこで、まず、禁止の目的及びこの目的と禁止される行為との関連性について考えると、もし公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるときは、おのずから公務員の政治的中立性が損われ、ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあり、行政の中立的運営に対する国民の信頼が損われることを免れないまた、公務員の右のような党派的偏向は、逆に政治的党派の行政への不当な介入を容易にし、行政の中立的運営が歪められる可能性が一層増大するばかりでなく、そのような傾向が拡大すれば、本来政治的中立を保ちつつ一体となつて国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し、そのため行政の能率的で安定した運営は阻害され、ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも重大な支障をきたすおそれがあり、このようなおそれは行政組織の規模の大きさに比例して拡大すべく、かくては、もはや組織の内部規律のみによつてはその弊害を防止することができない事態に立ち至るのであるしたがつて、このような弊害の発生を防止し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない
次に、利益の均衡の点について考えてみると、民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもないのであるから、公務員が全体の奉仕者であることの一面のみを強調するあまり、ひとしく国民の一員である公務員の政治的行為を禁止することによつて右の利益が失われることとなる消極面を軽視することがあつてはならないしかしながら、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、かつ、国公法一〇二条一項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではなく、他面、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるから、得られる利益は、失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない

(三) 以上の観点から本件で問題とされている規則五項三号、六項一三号の政治的行為をみると、その行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為であつて、政治的偏向の強い行動類型に属するものにほかならず、政治的行為の中でも、公務員の政治的中立性の維持を損うおそれが強いと認められるものであり、政治的行為の禁止目的との問に合理的な関連性をもつものであることは明白である。また、その行為の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは、認められない。したがつて、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものということはできない。

(四) ところで、第一審判決は、その違憲判断の根拠として、被告人の本件行為が、非管理職である現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供にとどまるものにより、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なく、労働組合活動の一環として行われたものであることをあげ、原判決もこれを是認している。しかしながら本件行為のような政治的行為が公務員によつてされる場合には、当該公務員の管理職・非管理職の別、現業・非現業の別、裁量権の範囲の広狭などは、公務員の政治的中立性を維持することにより行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保しようとする法の目的を阻害する点に、差異をもたらすものではない右各判決が、個々の公務員の担当する職務を問題とし、本件被告人の職務内容が裁量の余地のない機械的業務であることを理由として、禁止違反による弊害が小さいものであるとしている点も、有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性が問題とされるべきものである以上、失当である。郵便や郵便貯金のような業務は、もともと、あまねく公平に、役務を提供し、利用させることを目的としているのであるから(郵便法一条、郵便貯金法一条参照)、国民全体への公平な奉仕を旨として運営されなければならないのであつて、原判決の指摘するように、その業務の性質上、機械的労務が重い比重を占めるからといつて、そのことのゆえに、その種の業務に従事する現業公務員を公務員の政治的中立性について例外視する理由はない。また、前述のような公務員の政治的行為の禁止の趣旨からすれば、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無などは、その政治的行為の禁止の合憲性を判断するうえにおいては、必ずしも重要な意味をもつものではない。さらに、政治的行為が労働組合活動の一環としてなされたとしても、そのことが組合員である個々の公務員の政治的行為を正当化する理由となるものではなく、また、個々の公務員に対して禁止されている政治的行為が組合活動として行われるときは、組合員に対して統制力をもつ労働組合の組織を通じて計画的に広汎に行われ、その弊害は一層増大することとなるのであつて、その禁止が解除されるべきいわれは少しもないのである。

(五) 第一審判決及び原判決は、また、本件政治的行為によつて生じる弊害が軽微であると断定し、そのことをもつてその禁止を違憲と判断する重要な根拠としている。しかしながら、本件における被告人の行為は、衆議院議員選挙に際して、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布したものであつて、その行為は、具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動であり、政治的偏向の強い典型的な行為というのほかなく、このような行為を放任することによる弊害は、軽微なものであるとはいえない。のみならず、かりに特定の政治的行為を行う者が一地方の一公務員に限られ、ために右にいう弊害が一見軽微なものであるとしても、特に国家公務員については、その所属する行政組織の機構の多くは広範囲にわたるものであるから、そのような行為が累積されることによつて現出する事態を軽視し、その弊害を過小に評価することがあつてはならない

二 本件政治的行為に対する罰則の合憲性
第一審判決は、また、たとえ公務員の政治的行為を違法と評価してこれを禁止することが憲法二一条に違反しないとしても、その禁止の違反に対し罰則を適用することについては、さらに憲法二一条、三一条違反の問題を生じうるとの考えに立ち、国公法の立法過程にふれたうえ、その罰則は被告人の本件行為に対し適用する限度において違憲であると結論し、原判決もこれを支持するのである。よつて、この点について検討を加えることとする。
(一) およそ刑罰は、国権の作用による最も峻厳な制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには、慎重な考慮を必要とすることはいうまでもなく、刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであつて、とうてい許容し難いものであるときは、違憲の判断を受けなければならないのである。そして、刑罰規定は、保護法益の性質、行為の態様・結果、刑罰を必要とする理由、刑罰を法定することによりもたらされる積極的・消極的な効果・影響などの諸々の要因を考慮しつつ、国民の法意識の反映として、国民の代表機関である国会により、歴史的、現実的な社会的基盤に立つて具体的に決定されるものであり、その法定刑は、違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。
ところで、国公法一〇二条一項及び規則による公務員の政治的行為の禁止は、上述したとおり、公務員の政治的中立性を維持することにより、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の重要な共同利益を擁護するためのものである。したがつて、右の禁止に違反して国民全体の共同利益を損う行為に出る公務員に対する制裁として刑罰をもつて臨むことを必要とするか否かは、右の国民全体の共同利益を擁護する見地からの立法政策の問題であつて、右の禁止が表現の自由に対する合理的で必要やむをえない制限であると解され、かつ、刑罰を違憲とする特別の事情がない限り、立法機関の裁量により決定されたところのものは、尊重されなければならない。
そこで、国公法制定の経過をみると、当初制定された国公法(昭和二二年法律第一二〇号)には、現行法の一一〇条一項一九号のような罰則は設けられていなかつたところ、昭和二三年法律第二二二号による改正の結果右の規定が追加されたのであるが、その後昭和二五年法律第二六一号として制定された地方公務員法においては、初め政府案として政治的行為をあおる等の一定の行為について設けられていた罰則規定は、国会審議の過程で削除された。その際、国公法の右の罰則は、地方公務員法についての右の措置にもかかわらず、あえて削除されることなく今日に至つているのであるが、そのことは、ひとしく公務員であつても、国家公務員の場合は、地方公務員の場合と異なり、その政治的行為の禁止に対する違反が行政の中立的運営に及ぼす弊害に逕庭があることからして、罰則を存置することの必要性が、国民の代表機関である国会により、わが国の現実の社会的基盤に照らして、承認されてきたものとみることができる
そして、国公法が右の罰則を設けたことについて、政策的見地からする批判のあることはさておき、その保護法益の重要性にかんがみるときは、罰則制定の要否及び法定刑についての立法機関の決定がその裁量の範囲を著しく逸脱しているものであるとは認められない。特に、本件において問題とされる規則五項三号、六項一三号の政治的行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布であつて、前述したとおり、政治的行為の中でも党派的偏向の強い行動類型に属するものであり、公務員の政治的中立性を損うおそれが大きく、このような違法性の強い行為に対して国公法の定める程度の刑罰を法定したとしても、決して不合理とはいえず、したがつて、右の罰則が憲法三一条に違反するものということはできない

(二) また、公務員の政治的行為の禁止が国民全体の共同利益を擁護する見地からされたものであつて、その違反行為が刑罰の対象となる違法性を帯びることが認められ、かつ、その禁止が、前述のとおり、憲法二一条に違反するものではないと判断される以上、その違反行為を構成要件として罰則を法定しても、そのことが憲法二一条に違反することとなる道理は、ありえない。
(三) 右各判決は、たとえ公務員の政治的行為の禁止が憲法二一条に違反しないとしても、その行為のもたらす弊害が軽微なものについてまで一律に罰則を適用することは、同条に違反するというのであるが、違反行為がもたらす弊害の大小は、とりもなおさず違法性の強弱の問題にほかならないのであるから、このような見解は、違法性の程度の問題と憲法違反の有為が問題とを混同するものであつて、失当というほかはない。
(四) 原判決は、さらに、規制の目的を達成しうる、より制限的でない他の選びうる手段があるときは、広い規制手段は違憲となるとしたうえ、被告人の本件行為に対する制裁としては懲戒処分をもつて足り、罰則までも法定することは合理的にして必要最小限度を超え、違憲となる旨を判示し、第一審判決もまた、外国の立法例をあげたうえ、被告人の本件行為のような公務員の政治的行為の禁止の違反に対して罰則を法定することは違憲である旨を判示する。
しかしながら各国の憲法の規定に共通するところがあるとしても、それぞれの国の歴史的経験と伝統はまちまちであり、国民の権利意識や自由感覚にもまた差異があるのであつて、基本的人権に対して加えられる規制の合理性についての判断基準は、およそ、その国の社会的基盤を離れて成り立つものではないのである。これを公務員の政治的行為についてみるに、その規制を公務員自身の節度と自制に委ねるか、特定の政治的行為に限つて禁止するか、特定の公務員のみに対して禁止するか、禁止違反に対する制裁をどのようなものとするかは、いずれも、それぞれの国の歴史的所産である社会的諸条件にかかわるところが大であるといわなければならない。したがつて、外国の立法例は、一つの重要な参考資料ではあるが、右の社会的諸条件を無視して、それをそのままわが国にあてはめることは、決して正しい憲法判断の態度ということはできない。
いま、わが国公法の規定をみると、公務員の政治的行為の禁止の違反に対しては、一方で、前記のとおり、同法一一〇条一項一九号が刑罰を科する旨を規定するとともに、他方では、同法八二条が懲戒処分を課することができる旨を規定し、さらに同法八五条においては、同一事件につき懲戒処分と刑事訴追の手続を重複して進めることができる旨を定めている。このような立法措置がとられたのは、同法による懲戒処分が、もともと国が公務員に対し、あたかも私企業における使用者にも比すべき立場において、公務員組織の内部秩序を維持するため、その秩序を乱す特定の行為について課する行政上の制裁であるのに対し刑罰は、国が統治の作用を営む立場において、国民全体の共同利益を擁護するため、その共同利益を損う特定の行為について科する司法上の制裁であつて、両者がその目的、性質、効果を異にするからにほかならない。そして、公務員の政治的行為の禁止に違反する行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、前述のとおりであるから、その禁止の違反行為に対し懲戒処分のほか罰則を法定することが不合理な措置であるとはいえないのである。このように、懲戒処分と刑罰とは、その目的、性質、効果を異にする別個の制裁なのであるから、前者と後者を同列に置いて比較し、司法判断によつて前者をもつてより制限的でない他の選びうる手段であると軽々に断定することは、相当ではないというべきである。
なお、政治的行為の定めを人事院規則に委任する国公法一〇二条一項が、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任するものであることは、同条項の合理的な解釈により理解しうるところである。そして、そのような政治的行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、すでに述べたとおりであるから、右条項は、それが同法八二条による懲戒処分及び同法一一〇条一項一九号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといつて、そのことの故に、憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではない。
(五) 右各判決は、また、被告人の本件行為につき罰則を適用する限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断するのであるが、これは、法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその適用を違憲と判断するものであつて、ひつきょう法令の一部を違憲とするにひとしく、かかる判断の形式を用いることによつても、上述の批判を免れうるものではない。

第三、結論
以上のとおり、被告人の本件行為に対し適用されるべき国公法一一〇条一項一九号の罰則は、憲法二一条、三一条に違反するものではなく、また、第一審判決及び原判決の判示する事実関係のもとにおいて、右罰則を被告人の右行為に適用することも、憲法の右各法条に違反するものではない。第一審判決及び原判決は、いずれも憲法の右各法条の解釈を誤るものであるから、論旨は理由がある。よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。第一審判決の認定した事実(第一審第一回公判調書中の被告人の供述記載、被告人、C、D、E、F、G、Hの検察官に対する各供述調書による。)に法令を適用すると、被告人の各行為は、いずれも国公法一一〇条一項一九号(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)、一〇二条一項、規則五項三号、六項一三号に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪につき定めた罰金の合算額以下において被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、同法一八条により被告人において右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、刑訴法一八一条一項本文により原審及び第一審における訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+反対意見
裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。
検察官の上告趣意について。
本件の経過は多数意見記載のとおりであり、検察官の上告趣意は、第一審判決及び原判決の判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りと判例違反とを主張するものである。思うに、国公法一〇二条一項は、公務員に関して、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、これに基づいて規則一四―七は、右条項の禁止する「政治的行為」の内容を詳細に定めている。そして右条項及びこれに基づく規則の違反に対しては、国公法八二条以下に懲戒処分、同法一一〇条一項一九号に刑事制裁が定められている。すなわち、国公法一〇二条一項は、違反に対する制裁の関連からいえば、公務員にりき禁止されるべき政治的行為に関し、懲戒処分を受けるべきものと、犯罪として刑罰を科せられるべきものとを区別することなく、一律一体としてその内容についての定めを人事院規則に委任している。このような立法の委任は、少なくとも後者、すなわち、犯罪の構成要件の規定を委任する部分に関するかぎり、憲法に違反するものと考える。その理由は、次のとおりである。第一、基本的人権としての政治活動の自由と公務員の政治的中立。
一、政治活動の自由に関する基本的人権の重要性(憲法一五条一項、一六条、二一条)。およそ国民の政治活動の自由は、自由民主主義国家において、統治権力及びその発動を正当づける最も重要な根拠をなすものとして、国民の個人的人権の中でも最も高い価値を有する基本的権利である。政治活動の自由とは、国民が、国の基本的政策の決定に直接間接に関与する機会をもち、かつ、そのための積極的な活動を行う自由のことであり、それは、国の基本的政策の決定機関である国会の議員となり、又は右議員を選出する手続に様々の形で関与し、あるいは政党その他の政治的団体を結成し、これに加入し、かつ、その一員として活動する等狭義の政治過程に参加することの外、このような政治過程に働きかけ、これに影響を与えるための諸活動、例えば政治的集会、集団請願等の集団行動的なものから、様々の方法、形態による単なる個人としての政治的意見の表明に至るまで、極めて広い範囲にわたる行為の自由を含むものである。このように、政治活動の自由は、単なる政治的思想、信条の自由のような個人の内心的自由にとどまるものではなく、これに基づく外部的な積極的、社会的行動の自由をその本質的性格とするものであり、わが憲法は、参政権に関する一五条一項、請願権に関する一六条、集会、結社、表現の自由に関する二一条の各規定により、これを国民の基本的人権の一つとして保障しているのである。
もとより、右のような基本的人権としての政治活動の自由も、絶対無制限のものではなく、公共の利益のために真にやむをえない場合には、多かれ少なかれ何らかの制限に服することをまぬかれないが、積極的な政治活動はその性質上その時々の政府の見解や利益と対立、衝突しがちであるため、とかく政治権力による制限を受けやすいことにかんがみるときは、このような制限がされる場合には、その理由を明らかにし、その制限が憲法上十分の正当性をもつものであるかどうかにつき、特に慎重な吟味検討を施すことが要請されるものといわなければならない。
二、公務員の政治的中立(憲法一五条二項)。国家公務員もまた、国民の一人として、右に述べた政治活動の自由を憲法上保障されているわけであるが、国公法一〇二条及び同条一項に基づく規則は、公務員に属する者の政治活動に対し、前記のような制限を加えている。その理由は、おおよそ次のごときものと考えられる。すなわち、国公法は、日本国憲法のもとにおいて、国の行政に従事する公務員につき、「国民に対し、公務の民主的かつ能率的な運営を保障する」目的(同法一条)から、成績制を根幹とする公務員制度を採用しているが、この成績制公務員制度においては、いわゆる中立性の原則がその本質的なものとされている。けだし、公務員は、国民を直接代表する立法府の政治的意思を忠実に実行すべきものであつて、自己の政治的意思に従つて行政の運営にあたつてはならないとともに、近代民主国家における政治(立法)と行政の分離の要請に基づき、政治と行政の混こう、政治の介入による行政のわい曲を防止しなければならないからである。そして、国公法がこのような公務員制度を採用したことは、公務員が国民全体の奉仕着たるべきことを定めた憲法一五条二項の趣旨及び精神にも合致するものということができる。
三、右一、二の関係と憲法。
国公法の採用した右のような公務員制度の趣旨及び性格、なかんずく公務員の政治的中立性の原則からするときは、公務員は、ひとり実際の行政運営において政治的な利害や影響に基づく、法に忠実でない行政活動を厳に避けなければならないばかりでなく、現実にこのような行政のわい曲をもたらさないまでも、その危険性を生じさせたり、又は第三者からそのような疑惑を抱かれる原因となるような政治的性格をもつ行動を避けるべきことが要請される。のみならず、公務員は、多かれ少なかれ国政の運営に関与するものであるから、それが集団的、組織的に政治活動を行うときは、それ自体が大きな政治的勢力となり、その過大な影響力の行便によつて民主的政治過程を不当にわい曲する危険がないとはいえない。国の行政が国の存立と円満な国民生活の維持のうえで必要不可欠なものであり、行政の政治的中立性が右に述べたように極めて重要な要請であることを考えるときは、公務員に対し、その職務を離れて専ら一市民としての立場においてする政治活動についても、一定の制限を課すべき公共的な利益と必要が存することは、これを否定することができないのである。
しかしながら、このことから直ちに、一般的、抽象的に公務員の個人的基本権としての政治活動の自由を行政の中立性の要請に従属させ、その目的のために必要と認められるかぎり、右政治活動の自由に対していかなる制限を課しても憲法上是認されるとの結論を導き出すことはできない。けだし、ひとしく公務員といつても、それが属する行政主体の事業の内容及び性質、その中における公務員の地位、職務の内容及ひ「性質は多種多様であり、またそれらの公務員が行う政治活動の種類、性質、態様、規模、程度も区々であつて、これらの多様性に応じ、公務員の特定の政治活動が行政の中立性に及ぼす影響の性質及び程度、並びにその禁止が公務員の個人的基本権としての政治活動の自由に対して及ぼす侵害の意義、性質、程度及び重要性にも大きな相違が存するからである。それゆえ、前記の相反する二つの法益ないしは要求の間に調整を施すにあたつても、右に述べた相違を考慮し、より具体的、個別的に両法益の相互的比重を吟味検討し、真に行政の中立性保持の利益の前に公務員の政治活動の自由が退かなければならない場合、かつ、その限度においてのみこれを制限するとの態度がとられなければならない。のみならず、ひとり制限されるべき政治活動の範囲及び内容ばかりでなく、制限の方法、態様においてもその性質、効果を異にするのであるから、この点もまた、右の問題を解決するうえにおいて重要な要素であることを失わない。そして、以上に述べたことは、ひとり国会の専権に属する立法政策上の問題であるにとどまらず、また、憲法の要求するところでもあるというべきである。第二、国公法一〇二条一項における犯罪構成要件(同法一一〇条一項一九号)についての立法委任の違憲性。
一、公務員関係の規律の対象となる政治的行為と刑罰権の対象となる政治的行為についてそれぞれの内容、範囲を区別することなく、一律に人事院規則に委任していることの問題点(国公法八二条、一一〇条一項一九号)。
国公法一〇二条は、冒頭記述のとおり、公務員の政治活動に関して若干の特定の形態の行為を直接禁止した外は、選挙権の行使を除き人事院規則で定める政治的行為を一般的に禁止するものとし、禁止行為の具体的内容及び範囲の決定を人事院に一任するとともに、その禁止の方法においても、これを単に公務員関係上の権利義務の問題として規定するにとどまらず、刑事制裁を伴う犯罪として扱うべきものとしている。国公法におけるこのような規制の方法は、同法に基づく規則における具体的禁止規定の内容の適否を離れても、それ自体として重大な憲法上の問題を惹起するものと考える。すなわち、(い)公務員関係の規律として公務員の一定の政治的行為を禁止する場合と、かかる関係を離れて刑罰権の対象となる一個人としてその者の政治的行為を禁止する場合とでは、憲法上是認される制限の範囲に相違を生ずべきものであり、この両者を同視して一律にこれを定めることは、それ自体として憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条に違反するのではないかという問題があり、(ろ)国会が公務員の政治的行為を規制するにあたり、直接公務員の政治活動の制限の要否を具体的に検討しその範囲を決定することなく、人事院にこれを一任することは、立法府が公開の会議(憲法五七条)において国民監視のもとに自ら行うべき立法作用の本質的部分を放棄して非公開の他の国家機関に移譲するものであつて、憲法四一条に違反するのではないかという問題があり、(は)右(い)と(ろ)の問題の関連において、懲戒原因としての政治的行為の禁止と可罰原因としてのそれを区別することなく一律にその具体的規定を規則に委任することは、委任自体として憲法に違反するのではないかという問題があるのである。
これらの問題は、事の性質上、右授権に基づいて制定された規則における具体的禁止規定の内容の適否の問題に入る以前において検討、決定されるべき問題であるといわなければならない。
二、右一についての詳論。
(一) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為と刑罰権の対象となる政治的行為とでは、その内容、範囲についてそれぞれ憲法上の区別があること(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
(1) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為について(憲法七三条四号、一五条、一六条、二一条、国公法一〇二条一項、八二条)。
公務員と国との間に成立する法律関係は、公務員としての職務活動に自己の労働力を提供する個人と、これを使用して公務を遂行する国との間に成立する権利義務の関係であり、基本的には双方の意思に基づいて成立し、その内容は、法律によつて直接これを規定しないかぎり、本来は当事者の合意によつて決定されうるところのものである。しかし、公務員関係の内容をすべて当事者の合意によつて定めることは適当でなく、他方、憲法はこの問題を行政主体の完全な裁量に委ねず、法律で定める基準に従つて処理すべきものとしている(七三条四号)ので、公務員関係の法的内容は、実際においては、国公法をはじめとする関係諸法律によつて詳細に規定され、その具体的内容は、公務員関係の成立の基礎となる任用の方法、基準、手続、勤務時間、給与、勤務上の地位の異動等の勤務条件に関する基準、公務員の勤務上及び勤務外の行為に関する規律、公務員関係内における紛争の処理等極めて広い範囲にわたつている。
このように、公務員関係を規制すべき法内容を定めるにあたつては、立法機関としての国会が広い裁量権を有し、国会は、日本国憲法のもとにおいていかなる公務員制度が最も望ましいかを考え、その構想のもとに、その具体化のための措置を講ずることができるのであつて、国会が具体的に採用、決定した立法措置は、憲法上是認しうる目的のために必要又は適当であると合理的に判断しうる範囲にとどまるかぎり、憲法に適合する有効なものであるとしなければならない。
国公法一〇二条における公務員に対する政治的行為の禁止もまた、前述のような公務員制度の具体化の一環として、公務員関係内における公務員の職務上又は職務外における義務又は負担の一つとして定められたものと認められるのであり、その目的ないしは理由が、国公法の採用した成績制公務員制度における公務員の政治的中立性の要請にこたえるにあり、公務員の任免、昇進、異動の面における政治的考慮ないしは影響の排除の反面として、公務員自身に対しても一定範囲における政治的中立性遵守の義務を課したものであることは、さきに述べたとおりである。
そして、成績制公務員制度が憲法の精神に適合するものであり、かかる制度の要請する公務員の政治的中立性の保持が憲法上是認される目的に基づくものである以上、たとえ政治活動の自由が憲法における最も重要な個人的基本権であるとしても、自らの意思に基づいて国との間に公務員関係という一定の法律関係に入る者に対し、かかる法律関係の一内容として、前記の目的を達するために必要かつ相当であると合理的に認められる範囲において右権利に対する制約を加えることは、憲法上許されるところであるとしなければならない。
また、右の基準のもとにお、ける制限の必要性に関する国会の判断の合理性については、前記のような国会の裁量権の広範性にかんがみ、必ずしも特定の政治的行為が公務員の政治的中立性を侵害する現実の危険を伴うかどうかというような厳格、狭あいな視点にのみ限局されることなく、より広くその種の行為が一般的に右のような侵害の抽象的危険性を有するかどうかという点をも考慮に入れることが許されるというべきである。それゆえ、国公法一〇二条における政治的行為の禁止は、その違反に対し公務員関係上の義務違反に対する制裁としての懲戒によつて強制されるべき義務を設定するものであるかぎりにおいては、右の基準に照らしてその合憲性を決定すべく、この基準に適合するかぎり、これを違憲とする理由はないのである。
(2) 刑罰権の対象となる公務員の政治的行為について(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
およそ刑罰は、一般統治権に基づき、その統治権に服する者に対して一方的に行使される最も強力な権能であり、国家が一般統治上の見地から特に重大な反国家性、反社会性をもつと認める個人の行為、すなわち、国家、社会の秩序を害する行為に対してのみ向けられるべきものである。単なる私人間の法律関係上の義務違背や、公私の団体又は組織の内部的規律侵犯行為のように、間接に国家、社会の秩序に悪影響を及ぼす危険があるにすぎない行為は、当然には処罰の対象とはなりえない。一般に個人の自由は、多種多様の関係において種々の理由により法的拘束を受けるが、それらの拘束が法的に是認される範囲は、それぞれの関係と理由において必ずしも同一ではないのであつて、公務員の政治活動の自由についても、事は同様である。究極的には当事者の合意に基づいて成立する公務員関係上の権利義務として公務員の政治活動の自由に課せられる法的制限と、一般統治権に基づき刑罰の制裁をもつて課せられるかかる自由の制限とは、その目的、根拠、性質及び効果を全く異にするのであり、このことにこそ民事責任と刑事責任との分化と各その発展が見られるのである。したがつてまた、右両種の制限が憲法上是認されるかどうかについても、おのずから別個に考察、論定されなければならないのであつて、公務員が公務外において一市民としてする政治活動を刑罰の制裁をもつて制限、禁止しうる範囲は、一般に国が一定の統治目的のために、国民の政治活動を刑罰の制裁をもつて制限、禁止する場合について適用される憲法上の基準と原理とによつて、決せられなければならないのである。
右の見地に立つて考えると、刑罰の制裁をもつてする公務員の政治活動の自由の制限が憲法上是認されるのは、禁止される政治的行為が、単に行政の中立性保持の目的のために設けられた公務員関係上の義務に違反するというだけでは足りず、公務員の職務活動そのものをわい曲する顕著な危険を生じさせる場合、公務員制度の維持、運営そのものを積極的に阻害し、内部的手段のみでこれを防止し難い場合、民主的政治過程そのものを不当にゆがめるような性質のものである場合等、それ自体において直接、国家的又は社会的利益に重大な侵害をもたらし、又はもたらす危険があり、刑罰によるその禁圧が要請される場合に限られなければならない。
更に、個人の政治活動の自由が憲法上極めて重大な権利であることにかんがみるときは、一般統治権に基づく刑罰の制裁をもつてするその制限は、これによつて影響を受ける政治的自由の利益に明らかに優越する重大な国家的、社会的利益を守るために真にやむをえない場合で、かつ、その内容が真に必要やむをえない最小限の範囲にとどまるかぎりにおいてのみ、憲法上容認されるものというべきである。すなわち、単に国家的、社会的利益を守る必要性があるとか、当該行為に右の利益侵害の観念的な可能性ないしは抽象的な危険性があるとか、右利益を守るための万全の措置として刑罰を伴う強力な禁止措置が要請される等の理由だけでは、かかる形における自由の制限を合憲とすることはできない。けだし、一般に政治活動、なかんずく反政府的傾向をもつ政治活動は政治権力者からみれば、ややもすると国家的、社会的利益の侵害をもたらすものと受けとられがちであるが、このような危険や可能性を観念的ないし抽象的にとらえるかぎり、その存在を肯定することは比較的容易であり、したがつて、政治活動の自由の制限に対して前述のような厳格な基準ないし原理によつて臨むのでなければ、国民の政治的自由は時の権力によつて右の名目の下に容易に抑圧され、憲法の基本的原理である自由民主主義はそのよつて立つ基礎を失うに至るおそれがあるからである。我々は、過去の歴史において、為政者の過度の配慮と警戒による自由の制限がもたらした幾多の弊害を度外視してはならないのである。このことは、公務員の政治活動についても同様であるといわなければならない。
(3) 規則六項一三号の違憲性(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
以上の基準に照らすときは、例えば、本件において問題とされている規則六項一三号による文書の発行、配布、著作等は、政治活動の中でも最も基礎的かつ中核的な政治的意見の表明それ自体であり、これを意見表明の側面と行動の側面とに区別することはできず、その禁止は、政治的意見の表明それ自体に対する制約であるのみならず、これを政治的目的についての同規則五項、特に同項三号ないし六号の広範かつ著しく抽象的な定義と併せ読むときは、右の意見表明に所定の形態で関与する行為につき、その者の職種、地位、その所属する行政主体の業務の性質等、その具体的な関与の目的、関与の内容及び態様のいかん並びに前後の事情等に照らし、その行為が行政の政治的中立性の保持等の国家的、社会的利益に対していかなる現実的、直接的な侵害を加え、ないしはいかなる程度においてその危険を生じさせるかを一切問うことなく、単に行為者が公務員たる身分を有するというだけの理由で、包括的、一般的な禁止を施しているものであり、公務員に対し、実際上あまねく国の政策に関する批判や提言等の政治上の意見表明の機会を封ずるに近く、公務員関係上の義務の設定として合理的規制ということができるかどうかは別論として、少くとも刑罰を伴う禁止規定としては、公務員の政治的言論の自由に対する過度に広範な制限として、それ自体憲法に違反するとされてもやむをえないといわなければならない。
右に述べたように、ひとしく公務員の政治的行為の禁止であつても、公務員関係上の義務として定める場合と刑罰の対象となる行為として定める場合とでは、その意義、性質、効果を異にし、憲法上それが許される範囲にも相違が生ずることをまぬかれえないのであり、これらの点を全く無視し、専ら行為の禁止の点のみを抽象してそれが憲法に適合する制限かどうかを判断すべきものとし、禁止違反に対して懲戒が課せられるか刑罰が科せられるかは、単なる強制手段の問題として立法政策上の当否の対象となるにすぎないとすることはできないのである。
(二)、国公法一〇二条一項の委任。
(1) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為の規定の委任(憲法七三条四号、地方公務員法三六条、二九条)。
以上の次第であるから、法律が直接公務員の政治的行為の禁止を具体的に定めるには、公務員関係内における規律として定める場合と刑罰の構成要件として定める場合とを区別し、前述したような別個の観点、考慮に従つてその具体的内容を定めるべきであり、現実に定められた禁止内容に対しても、それが憲法に違反しないかどうかは別個の基準によつて判断すべきものであるが、国公法一〇二条は、上述のように、禁止行為の内容及び範囲を直接定めないでこれを人事院規則に委任しており、そのためにかかる委任の適否について問題が生ずることは、さきに指摘したとおりである。そこでこの点について順次考察するのに、まず一般論として、国会が、法律自体の中で、特定の事項に限定してこれに関する具体的な内容の規定を他の国家機関に委任することは、その合理的必要性があり、かつ、右の具体的な定めがほしいままにされることのないように当該機関を指導又は制約すべき目標、基準、考慮すべき要素等を指示してするものであるかぎり、必ずしも憲法に違反するものということはできず、また、右の指示も、委任を定める規定自体の中でこれを明示する必要はなく、当該法律の他の規定や法律全体を通じて合理的に導き出されるものであつてもよいと解される。この見地に立つて国公法一〇二条一項の規定をみると、同条項の委任には、選挙権の行使の除外を除き、いわゆる政治的行為のうち、禁止しうるものとしえないものとを区分する基準につきなんら指示するところはないけれども、国公法の他の規定を通覧するときは、右の禁止が国公法の採用した成績制公務員制度の趣旨、目的、特に行政の中立性の保持の目的を達するためのものであることが明らかであり、他方、一般に法律が特定の目的を達するための具体的措置の決定を他の機関に委任した場合には、特にその旨を明示しなくても、右目的を達するために必要かつ相当と合理的に認められる措置を定めるべきことを委任したものと解すべきものであるから、前記法条における禁止行為の特定についての委任も、行政の中立性又はこれに対する信頼を害し、若しくは害するおそれがある公務員の政治的行為で、このような中立性又はその信頼の保持の目的のために禁止することが必要かつ相当と合理的に認められるものを具体的に特定することを人事院規則に委ねたものと解することができる。また、公務員の多種多様性、政治活動の広範性とその態様及び内容の多様性、これに伴う禁止の必要の程度の複雑性と多様性、更に社会的、政治的情勢の変化によるこれらの要素の変動の可能性等にかんがみるときは、具体的禁止行為の範囲及び内容の特定を他のしかるべき国家機関に委任することに合理性が認められるのみならず、人事院が内閣から相当程度の独立性を有し、政治的中立性を保障された国家機関で、このような立場において公務員関係全般にわたり法律の公正な実施運用にあたる職責を有するものであることに照らすときは、右の程度の抽象的基準のもとで広範かつ概括的な立法の委任をしても、その濫用の危険は少なく、むしろ現実に即した適正妥当な規則の制定とその弾力的運用を期待することができると考えられる。そして、前述のように、公務員関係の規律としては、行政の中立性の保持のために必要かつ相当であると合理的に認められる範囲において公務員の政治活動の自由に制約を加えることが是認されるのであるから、以上の諸点をあわせて考えると、右の関係における公務員の政治的行為禁止の具体的な規定を規則に委任することは、その委任に基づいて制定された規則の個々の規定内容が、あるいは憲法に違反し、あるいは委任の範囲をこえるものとして一部無効となるかどうかは別として、委任自体を憲法に違反する無効のものとするにはあたらないというべきである(地方公務員法三六条、二九条参照)。
(2) 刑罰権の対象となる政治的行為の規定の委任(憲法四一条、一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
しかしながら、違反に対し刑罰が科せられる場合における禁止行為の規定に関しては、公務員関係の規律の場合におけると同一の基準による委任を適法とすることはできない。けだし、前者の場合には、後者の場合と、禁止の目的、根拠、性質及び効果を異にし、合憲的に禁止しうる範囲も異なること前記のとおりであつて、その具体的内容の特定を委任するにあたつては、おのずから別個の、より厳格な基準ないしは考慮要素に従つて、これを定めるべきことを指示すべきものだからである。
しかるに、国公法一〇二条一項の規定が、公務員関係上の義務ないしは負担としての禁止と罰則の対象となる禁止とを区別することなく、一律一体として人事院規則に委任し、罰則の対象となる禁止行為の内容についてその基準として特段のものを示していないことは、先に述べたとおりであり、また、同法の他の規定を通覧し、可能なかぎりにおける合理的解釈を施しても、右のような格別の基準の指示があると認めるに足りるものを見出すことができない。これは、同法が、両者のいずれの場合についても全く同一の基準、同一の考慮に基づいて禁止行為の範囲及び内容を定めることができるとする誤つた見解によつたものか、又は憲法上前記のような区別が存することに思いを致さなかつたためであるとしか考えられない。それゆえ、国公法一〇二条一項における前記のごとき無差別一体的な立法の委任は、少なしとも、刑罰の対象となる禁止行為の規定の委任に関するかぎり、憲法四一条、一五条1項、一六条、二一条及び三一条に違反し無効であると断ぜざるをえないのである。第三、結論。
以上説述したとおり、国公法一〇二条一項による政治的行為の禁止に関する人事院規則への委任は、同法一一〇条一項一九号による処罰の対象となる禁止規定の定めに関するかぎり無効であるから、これに基づいて制定された規則もこの関係においては無効であり、したがつて、これに違反したことの故をもつて前記罰条により処罰することはできない。したがつて、これに反する従来の最高裁判所の判決は変更すべきものである。それゆえ、本件被告人の行為に適用されるかぎりにおいて規則六項一三号の規定を無効として、被告人を無罪とした原判決は、結論において正当であるから、結局、本件上告は理由がなく、棄却すべきものである。
検察官横井大三、同辻辰三郎、同石井春水、同佐藤忠雄、同外村隆 公判出席
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官大隅健一郎は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 村上朝一)