刑法 気になる判例 「所持」

■28065275
最高裁判所第三小法廷
平成13年(あ)第882号
平成13年11月12日
主文
本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中60日を本刑に算入する。
理由
弁護人村田武茂外3名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決は、被告人の主観面のみで覚せい剤の所持を認定したものではなく、客観的状況を考慮していることが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、本件における覚せい剤所持罪の成否について、職権で判断する。
1 原判決の認定及び記録によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) 被告人は、平成10年12月1日午後9時ころ、愛知県豊橋市内のAホテルに入り、同ホテルの客室内で知人とともに覚せい剤を自己の身体に注射して使用した後、同日午後9時21分ころ、同ホテル4階の405号室に移ってチェックインの手続をした。
(2) 被告人は、その後間もなく覚せい剤使用の影響によると思われる幻覚に襲われ、恐怖心から、ビニール袋入り覚せい剤(4.919g。以下「本件覚せい剤」という。)、注射器2本、被告人名義の一般旅券や自動車運転免許証等の入ったセカンドバッグ(以下「本件バッグ」という。)を、現金130万円在中の財布及び携帯電話とともに、そのころ405号室の窓から外に投げた。
(3) 本件バッグは、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上に、上記財布や携帯電話とともに落ちており、この場所は、405号室の直下から北寄りの地点にあり、同室の北側窓から直線距離で約12m(検甲33号証の実況見分調書添付の見取図等によれば、水平距離で約4mと推定される。)離れていた。本件バッグは、同月2日午前4時ころ、同所を自動車で通りかかった第三者によって発見され、豊橋警察署に拾得物として届けられた。
(4) 同ホテルは、いわゆるラブホテルであって、1階はすべて駐車場となっており、32台分の駐車場所があり、駐車場に出入りする車両が上記通路を通行していた。
(5) 被告人は、同日午前7時ころチェックアウトするまで405号室から出たことはなく、チェックアウトした直後、同室に戻り、同ホテルの支配人に、バッグの忘れ物がなかったかと尋ねたほか、そのころ同ホテル駐車場でバッグを探していた。
2 本件覚せい剤所持の公訴事実は、被告人が同月2日午前4時ころ同ホテル駐車場において本件覚せい剤を所持したというものであるところ、第1審判決及び原判決は、いずれも公訴事実どおりの事実を認定して、被告人を覚せい剤所持罪で有罪とした。しかしながら、前記の事実関係の下で、上記公訴事実につき覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決の解釈は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。【要旨】覚せい剤取締法14条、41条の2第1項にいう「所持」とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいい、この関係は、必ずしも覚せい剤を物理的に把持することまでは必要でなく、その存在を認識してこれを管理し得る状態にあれば足りると解される(最高裁昭和30年(あ)第2311号同年12月21日大法廷判決・刑集9巻14号2946頁、最高裁昭和31年(あ)第300号同年5月25日第二小法廷判決・刑集10巻5号751頁参照)。
しかしながら、これを本件についてみると、本件覚せい剤が落ちていた場所は、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上であって、被告人がいた4階の客室の北側窓から直線距離で約12m、水平距離で約4m離れていること、同ホテルはいわゆるラブホテルであって、夜間相当数の客が出入りし、その客の車両が上記通路上を通りかかるものであって、第三者が本件バッグを発見することも困難であったとはいえないこと、被告人が本件バッグを同室の窓から投げてから、本件バッグが第三者によって発見されるまでに、少なくとも6時間以上が経過していたこと、この間、被告人は本件バッグを取り戻しに行くこともなく、翌朝午前7時ころまでこれを放置していたことが認められ、被告人は、本件バッグの落ちていた場所を確認しておらず、一時本件バッグを同室の窓から投げたこと自体の記憶も不確かになっていたことがうかがわれる。以上の事実関係に照らすと、本件バッグが第三者によって発見されるまでの間、被告人が同場所において他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたとはいえず、これに対する実力支配関係があったとはいえないから、本件覚せい剤を所持していたとは認め難いといわざるを得ない。
3 したがって、被告人に上記の時点及び場所における覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決は、覚せい剤取締法41条の2第1項の解釈適用を誤ったものといわなければならない。しかしながら、原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば、被告人は、平成10年12月1日午後9時ころ同ホテルに赴いた後、同日午後9時21分ころ同ホテル405号室にチェックインし、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げるまでの間、本件覚せい剤を同室内等において所持していたことが明らかであり、本件公訴事実とそのころにおける同室内等での所持の事実との間には公訴事実の同一性があると認められるから、後者の事実に訴因を変更すれば、被告人に覚せい剤所持罪の成立を認めることができるというべきである。しかも、被告人は、第1審以来、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げたことも、これを同ホテルにおいて所持したこともないとして、覚せい剤所持罪の成立を争っており、前記の同室内等における本件覚せい剤所持の事実についても、攻撃防御は十分尽くされていると考えられる。そうすると、前記の法令の解釈適用の誤りをもって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道)

+解説
《解  説》
一 本件は、ホテルの駐車場内に放置されたセカンドバッグの中に入っていた覚せい剤について、ホテルの宿泊客による「所持」が認められるか否かが問題となった事案である。
本件の事実関係は、決定中に摘示されているが、要約すると、次のようなものである。すなわち、被告人は、午後九時ころ、いわゆるラブホテルに知人とともに入り、同ホテルの客室内で知人とともに覚せい剤を自己の身体に注射して使用した後、同日午後九時二一分ころ、同ホテル四階の客室に移ってチェックインの手続をした。被告人は、その後間もなく覚せい剤使用の影響によると思われる幻覚に襲われ、恐怖心から、ビニール袋入り覚せい剤、被告人名義のパスポート等の入ったセカンドバッグ(以下「本件バッグ」という。)を、現金一三〇万円在中の財布及び携帯電話とともに、そのころこの客室の窓から外に投げた。本件バッグは、同ホテル敷地内の北側駐車場の通路上に、上記財布や携帯電話とともに落ちており、この場所は、前記客室の北側窓から直線距離で約一二m、水平距離で約四m離れていた。本件バッグは、翌日午前四時ころ、同所を自動車で通りかかった第三者によって発見され、警察署に拾得物として届けられた。被告人は、同日午前七時ころチェックアウトするまで前記客室から出たことはなく、チェックアウトした直後、同室に戻り、同ホテルの支配人に、バッグの忘れ物がなかったかと尋ねたほか、そのころ同ホテル駐車場でバッグを探していた。
二 本件公訴事実は、翌朝午前四時ころ本件バッグが第三者によって発見された時点において被告人が本件覚せい剤を所持していたとするものである。一審裁判所は、検察官に訴因変更の意思について求釈明したが、検察官は、あくまでも当初の訴因を維持すると釈明したようである(検察官が訴因変更に応じなかった理由は明らかでない。)。一、二審判決とも、本件公訴事実について、被告人の本件覚せい剤の所持が認められるとして、被告人を有罪とした。
これに対し、被告人から上告があり、弁護人は、上告趣意において、原判決が覚せい剤「所持」の意義に関する判例に違反すると主張したほか、被告人が本件覚せい剤を所持したことはないと原判決の認定を争う事実誤認の主張をした。
三 本決定は、弁護人の上告趣意が適法な上告理由に当たらないとして、これを斥ける一方、本件における覚せい剤所持罪の成否について職権で判断を示し、本件公訴事実について覚せい剤所持罪の成立を認めた原判決の解釈は、是認できないとしたものの、後に述べるような理由で、結論としては上告を棄却した。
すなわち、本決定は、覚せい剤取締法における覚せい剤「所持」の意義に関して、最大判昭30・12・21刑集九巻一四号二九四六頁及び最二小判昭31・5・25刑集一〇巻五号七五一頁を引用して、同法にいう「所持」とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいい、この関係は、必ずしも覚せい剤を物理的に把持することまでは必要でなく、その存在を認識してこれを管理し得る状態にあれば足りると解されると判示した上、①本件覚せい剤が落ちていた場所は被告人がいた四階の客室の北側窓から直線距離で約一二m、水平距離で約四m離れていること、②同ホテルはいわゆるラブホテルであって、夜間相当数の客が出入りし、その客の車両が上記通路上を通りかかるものであり、第三者が本件バッグを発見することも困難であったとはいえないこと、③被告人が本件バッグを同室の窓から投げてから、本件バッグが第三者によって発見されるまでに、少なくとも六時間以上が経過していたこと、④この間、被告人は本件バッグを取り戻しに行くこともなく、翌朝午前七時ころまでこれを放置していたこと、⑤被告人は、本件バッグの落ちていた場所を確認しておらず、一時本件バッグを同室の窓から投げたこと自体の記憶も不確かになっていたことを挙げ、本件バッグが第三者によって発見されるまでの間、被告人が同場所において他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたとはいえず、これに対する実力支配関係があったとはいえないから、本件覚せい剤を所持していたとは認め難いといわざるを得ないと判示した。さらに、本決定は、被告人が同ホテルに赴いた後、客室にチェックインし、本件覚せい剤を客室の窓から外に投げるまでの間、これを客室内等において所持していたことが明らかであり、本件公訴事実とそのころにおける同室内等での所持の事実との間には公訴事実の同一性があると認められるから、後者の事実に訴因を変更すれば、被告人に覚せい剤所持罪の成立を認めることができ、しかも、被告人は、第一審以来、本件覚せい剤を同室の窓から外に投げたことも、これを同ホテルにおいて所持したこともないとして、覚せい剤所持罪の成立を争っており、同室内等における本件覚せい剤所持の事実についても、攻撃防御は十分尽くされているとして、原判決の法令の解釈適用の誤りをもって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するもの(刑訴法四一一条一号)とは認められないと判断した。
四 覚せい剤取締法に限らず、薬物、危険物等の各種の取締法規においては、「所持」を構成要件とする犯罪類型が少なくないが、このような「所持」の概念については、前記の引用判例等により、「人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいう」とする定義が、一般論として確立しており、学説(香城敏麿・注解特別刑法5ーⅡ〔第二版〕一四六頁等)も、判例の立場を支持している。従前判例に現われた事例としては、例えば、被告人が肩掛け鞄の中に覚せい剤を入れて知人方に赴き、同人の部屋に覚せい剤を置いて雑談中、警察らしい者を認めたので、覚せい剤を遺留したまま帰宅したという事案について、被告人に覚せい剤所持を認めたもの(前掲最大判)や、被告人が覚せい剤入りの注射液三七〇本を知人方の同居人に委託して預けた事案において、被告人に覚せい剤所持を認めたもの(前掲最二小判)などがある。これらは、被告人が覚せい剤を物理的に直接支配しているとはいえないが、他人を通じて自らの意思によりこれを支配しているといい得る場合である。
本決定は、本件覚せい剤の置かれていた状況、被告人と本件覚せい剤との距離的関係、被告人が本件覚せい剤を投げてから第三者がこれを発見するまでの時間的隔たり、この間の被告人の主観面を総合的に考慮した結果、本件においては、被告人が他の者が容易に発見できないような形態で本件覚せい剤を保管、隠匿していたわけでもないので、従来の判例によって認められてきたような実力支配関係が認め難いとして、覚せい剤の「所持」に当たらないとしたものである。
五 なお、原判決の法令違反が「著しく正義に反しない」とした部分は、検察官が本件公訴事実にこだわらず、本件覚せい剤を客室の窓から外に投げるまでの間の客室内等における所持の事実に訴因を変更していれば、被告人を有罪とすることができたと考えられるところ、原審までの段階であれば、裁判所が検察官に訴因の変更を勧告した上で変更された訴因について有罪とすべきであったが、上告審の段階においては、原審までに上記の事実についても攻撃防御が十分尽くされているので、本件を破棄して自判しあるいは差し戻すまでもないという判断から、上告を棄却したものと解される。
六 本決定は、被告人が覚せい剤をホテルの窓から外へ投げたという、かなり特異な事例に関する判断ではあるが、本件は、被告人に覚せい剤の「所持」が認められるか否かをめぐって、一、二審判決が積極の判断を示したことからもうかがえるように、かなり微妙な事案であるといえ、このような事案について消極の判断を示した本決定は、「所持」の概念に関する判例理論の外延を明らかにしたものとして、意義のあるものといえよう。