行政法 基本行政法 行政計画


1.行政計画の法的位置づけ・特徴~目標プログラム

行政計画=一定の行政上の目標を設定し、その目標を達成するための手段を総合的・体系的に提示するもの。

2.行政計画と裁量
(1)一般廃棄物処理計画と一般廃棄物処理業許可
ア 設問1(1)~新規申請者に対する不許可処分

+判例(H16.1.15)松任市廃棄物処理業不許可事件
理由
上告代理人岡田進,同横山昭,同平賀睦夫の上告受理申立て理由(排除されたものを除く。)について
1 本件は,被上告人が,上告人に対し,廃棄物の処理及び清掃に関する法律(平成11年法律第87号による改正前のもの。以下「廃棄物処理法」という。)7条1項に基づき,一般廃棄物の収集及び運搬を業として行うことの許可申請(以下「本件許可申請」という。)をしたところ,不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)を受けたので,その取消しを求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) 松任市においては,一般家庭から排出される一般廃棄物については,株式会社石川衛生公社(以下「衛生公社」という。)にその収集及び運搬を委託しているが,事業活動に伴って排出される一般廃棄物(以下「事業系廃棄物」という。)の収集及び運搬については,松任市が自ら又は委託の方法により行うのではなく,昭和54年4月1日以降,一般廃棄物収集運搬業の許可を受けた唯一の業者である衛生公社がこれを行っている
(2) 松任市の一般廃棄物処理計画のうち平成9年度及び平成10年度の各実施計画においては,事業系廃棄物は排出者自らの責任において自己処理し,又は許可業者に委託して処理することが求められる旨が定められていた。
(3) 廃棄物処理業者である被上告人は,平成10年3月17日,上告人に対し,廃棄物処理法7条1項に基づき,松任市内で事業系廃棄物(し尿・浄化槽汚泥を除く。)の収集及び運搬を業として行うことについて本件許可申請をした
(4) これに対し,上告人は,被上告人に対し,同年4月2日,「当市において,既存の許可業者で一般廃棄物の収集,運搬業務が円滑に遂行されており,新規の許可申請は廃棄物処理法第7条第3項第1号及び第2号に適合しない」との理由で,本件不許可処分をした。

3 原審は,次のとおり判断して,本件不許可処分を取り消した第1審判決を是認し,上告人の控訴を棄却した。
(1) 廃棄物処理法7条3項1号にいう「当該市町村による一般廃棄物の収集又は運搬」とは,市町村が自ら又は委託の方法により行う一般廃棄物の収集又は運搬をいうものであり,許可を受けた業者による一般廃棄物の収集又は運搬がこれに含まれるということはできない。
(2) 松任市においては,事業系廃棄物の収集及び運搬は,事業者が自ら行うほかは,すべて一般廃棄物収集運搬業の許可を受けた衛生公社が行っており,松任市が自ら又は委託の方法により事業系廃棄物の収集又は運搬を行ってはいないのであるから,それでもなお松任市が自ら又は委託の方法によりその収集及び運搬をすることが困難でないというべき特段の事情の認められない本件においては,松任市による事業系廃棄物の収集又は運搬が困難であるものと認められる。したがって,被上告人の本件許可申請は廃棄物処理法7条3項1号に適合している。
(3) 松任市の一般廃棄物処理計画は,衛生公社のみに事業系廃棄物の収集運搬業の許可を与えることを内容とするものではないと解されるが,本件不許可処分は,これとは異なる解釈を前提とし,そのことから直ちに被上告人の許可申請は同計画に適合しないとしたものであるから,廃棄物処理法7条3項2号の適用を誤ったものである。
(4) そうすると,上告人は被上告人の本件許可申請に対して許可をすべきものであり,本件不許可処分は,廃棄物処理法7条3項の適用を誤ったもので,違法である。

4 原審の上記3の判断のうち,(1)及び(2)は是認することができるが,(3)及び(4)は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 市町村は,その区域内における一般廃棄物の処理に関する事業の実施をその責務とするものであり,一般廃棄物処理計画を定め,これに従って,自ら又は第三者に委託して,一般廃棄物の収集,運搬等を行うべきものである(廃棄物処理法4条1項,6条,6条の2)。そして,廃棄物処理法7条3項1号は,当該市町村による一般廃棄物の収集又は運搬が困難であることを同条1項の許可の要件として定めている。そうすると,同条3項1号の「当該市町村による一般廃棄物の収集又は運搬」とは,当該市町村が自ら又は委託の方法により行う一般廃棄物の収集又は運搬をいい,一般廃棄物収集運搬業の許可を受けた業者が行う一般廃棄物の収集又は運搬はこれに当たらないものというべきである。したがって,許可を受けた業者が一般廃棄物の収集又は運搬をすることで区域内の一般廃棄物の収集及び運搬が適切に実施されている場合であっても,当該市町村が自ら又は委託の方法により区域内の一般廃棄物の収集又は運搬を行うことが困難であるときは,同号の要件を充足するものというべきである。
(2) ところで,廃棄物処理法は,上記のとおり,一般廃棄物の収集及び運搬は本来市町村が自らの事業として実施すべきものであるとして,市町村は当該市町村の区域内の一般廃棄物処理計画を定めなければならないと定めている。そして,一般廃棄物処理計画には,一般廃棄物の発生量及び処理量の見込み,一般廃棄物の適正な処理及びこれを実施する者に関する基本的事項等を定めるものとされている(廃棄物処理法6条2項1号,4号)。これは,一般廃棄物の発生量及び処理量の見込みに基づいて,これを適正に処理する実施主体を定める趣旨のものと解される。そうすると,既存の許可業者等によって一般廃棄物の適正な収集及び運搬が行われてきており,これを踏まえて一般廃棄物処理計画が作成されているような場合には,市町村長は,これとは別にされた一般廃棄物収集運搬業の許可申請について審査するに当たり,一般廃棄物の適正な収集及び運搬を継続的かつ安定的に実施させるためには,既存の許可業者等のみに引き続きこれを行わせることが相当であるとして,当該申請の内容は一般廃棄物処理計画に適合するものであるとは認められないという判断をすることもできるものというべきである。
(3) これを本件についてみるに,前記事実関係によれば,松任市では衛生公社により一般廃棄物の収集及び運搬が円滑に遂行されてきていることを踏まえて一般廃棄物処理計画が作成されていると解されるところ,上告人は「当市において,既存の許可業者で一般廃棄物の収集,運搬業務が円滑に遂行されており,新規の許可申請は廃棄物処理法第7条第3項第1号及び第2号に適合しない」との理由で本件不許可処分をしたというのであるから,その実質は,上記の点を考慮した上,一般廃棄物の適正な収集及び運搬を継続的かつ安定的に実施させるためには,新たに被上告人に対して許可を与えるよりも,引き続き衛生公社のみに一般廃棄物の収集及び運搬を行わせる方が相当であるとして,本件許可申請は一般廃棄物処理計画に適合するものであるとは認められないと判断したものと解することができ,そのような上告人の判断は許されないものとはいえないから,本件不許可処分は適法であるというべきである。
5 以上と異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,この点をいう論旨は理由がある。したがって,原判決は破棄を免れず,以上に述べたところからすれば,被上告人の請求は理由がないから,第1審判決を取り消して,同請求を棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉德治 裁判官深澤武久は,退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官島田仁郎)

++解説
《解  説》
1 Xは,Y(松任市長)に対し,廃棄物の処理及び清掃に関する法律(平成11年法律第87号による改正前のもの。以下「廃棄物処理法」という。)7条1項に基づき,松任市内で事業活動に伴って生じる一般廃棄物(し尿・浄化槽汚泥を除く。)の収集・運搬を業として行うことの許可申請をした。これに対し,Yは,「松任市において,既存の許可業者で一般廃棄物の収集,運搬業務が円滑に遂行されており,新規の許可申請は廃棄物処理法7条3項1号及び2号に適合しない」との理由で不許可処分をした。本件は,この処分の取消訴訟である。
2 松任市においては,一般家庭から排出される一般廃棄物(家庭系廃棄物)については,A社に収集・運搬を委託しているが,事業活動に伴って排出される一般廃棄物(事業系廃棄物)については,松任市が自ら又は委託の方法により処理することはなく,一般廃棄物処理業の許可を受けた唯一の業者であるA社がこれを処理している。Xは,このようにA社が一般廃棄物処理業の許可を受けて行っている松任市の事業系廃棄物の処理について,Yの許可を受けて参入しようとしたものである。
松任市の一般廃棄物処理計画のうち平成10年度及び平成11年度の各実施計画においては,事業活動に伴って排出されるごみは,排出者自らの責任において適正に処理し,多量に発生したごみは排出者が自己処理し,又は許可業者に委託して適正に処理することが,廃棄物を排出する際の原則として求められていた。
3 第1,2審とも,Xの請求を認容して本件不許可処分を取り消すべきものとした。
原判決の理由の要旨は,次のとおりである。
(1) 松任市が自ら又は委託の方法により事業者の排出する一般廃棄物の収集・運搬を行うことは困難であるものと認められるから,本件許可申請は廃棄物処理法7条3項1号に適合するものである。
(2) 松任市の一般廃棄物処理計画は,A社のみに事業系廃棄物の収集・運搬業の許可を与えることを内容としているものではなく,また,それを前提としているものでもない。それにもかかわらず,かかる一般廃棄物処理計画が円滑に遂行されている以上,新規の許可申請に対して許可することは同計画に適合しないこととなるとしたYの判断は,廃棄物処理法7条3項2号の適用を誤ったものである。
4 上告受理申立ての理由は,廃棄物処理法7条3項1号及び2号の解釈適用の誤りをいうものである(判例違反をいう論旨は排除された。)。
5 本判決は,廃棄物処理法7条3項1号については,原審と同様に解したものの,同項2号については,「既存の許可業者等によって一般廃棄物の適正な収集及び運搬が行われてきており,これを踏まえて一般廃棄物処理計画が作成されているような場合には,市町村長は,これとは別にされた一般廃棄物収集運搬業の許可申請について審査するに当たり,一般廃棄物の適正な収集及び運搬を継続的かつ安定的に実施させるためには,既存の業者等のみに引き続きこれを行わせることが相当であるとして,当該申請の内容は一般廃棄物処理計画に適合するものであるとは認められないという判断をすることもできる」との判断を示した。その上で,本判決は,松任市ではA社により一般廃棄物の収集及び運搬が円滑に遂行されてきていることを踏まえて一般廃棄物処理計画が作成されていると解されるところ,本件不許可処分は,その点を考慮した上,一般廃棄物の適正な収集及び運搬を継続的かつ安定的に実施させるためには,新たにXに対して許可を与えるよりも,引き続きA社のみに一般廃棄物の収集及び運搬を行わせる方が相当であるとして,本件許可申請は一般廃棄物処理計画に適合するものであるとは認められないと判断したものと解することができ,そのようなYの判断は許されないものとはいえないから,本件不許可処分は適法であると判断した。
6 廃棄物処理法は,一般廃棄物の処理に関する事務を市町村の固有事務としており,市町村は,当該市町村の区域内の一般廃棄物処理計画を定めなければならないとされている(同法6条1項)。そして,市町村は,一般廃棄物の処理について統括的な責任を有するものとされている(同法6条の2第1項)。そこで,市町村は,自ら又は第三者に委託して一般廃棄物の処理を行うことになるところ,そのようにして処理することが困難な場合に限って,一般廃棄物処理業を行おうとする業者に廃棄物処理法7条1項所定の一般廃棄物処理業の許可がされることになっている。これは,市町村が一般廃棄物処理計画を作成し,これに従って業務を実施するに当たって,当該計画との整合性を欠く業者が存在したのでは,計画どおりに業務を遂行することができなくなるという理由から,計画との整合性が確保される場合に許可をしようという制度である(厚生省水道環境部編・〔新〕廃棄物処理法の解説A96頁)。
7 廃棄物処理法は,昭和45年に清掃法の全面改正として制定されたものであり,一般廃棄物処理業の許可制度について定める廃棄物処理法7条の規定は,清掃法15条の汚物取扱業の許可制度を引き継いだものである。清掃法は,当初は具体的な許可要件を定めてはいなかったが,昭和40年の改正により,その15条の2において若干の許可要件が追加され,これがその後廃棄物処理法に引き継がれ,その後更に要件が整備された。
ところで,この清掃法15条の許可の性質について,最一小判昭47.10.12民集26巻8号1410頁は,市町村長がこの許可を与えるかどうかは,清掃法の目的と当該市町村の清掃計画とに照らし,市町村がその責務である汚物処理の事務を円滑完全に遂行するのに必要適切であるかどうかという観点から,これを決すべきものであり,その意味において,市町村長の自由裁量にゆだねられていると判示している。
廃棄物処理法7条の一般廃棄物処理業の許可についても,最三小判平5.9.21裁判集民169号807頁,本誌829号141頁,判時1473号48頁は,一般廃棄物処理業の不許可処分について行政庁に裁量権の逸脱濫用はないとした原審の判断を是認している。また,一般廃棄物処理業の不許可処分の取消請求を棄却した静岡地判平8.11.22本誌958号118頁について,その控訴審の東京高判平9.12.3(平8(行コ)第164号)及び上告審の最三小判平11.4.13(平10(行ツ)第83号)も,請求棄却の結論を維持している。
8 本判決は,このような判例等を視野に入れ,廃棄物処理事業が本来的には市町村が自己の責任において実施すべき事業と定められていることや,廃棄物処理法7条3項の規定の文言上,市町村長には相当広範な裁量が与えられているものと考えられることから,前記のような判断を示したものである。
結果的には新規業者の参入を認めないことになっているが,本判決の趣旨は,既存業者を保護することにあるのではなく,廃棄物処理事業が本来市町村が自己の責任において遂行すべきものであって,一般廃棄物処理業の許可が通常の営業許可とは異なる性質を持っていること,廃棄物処理法7条3項が市町村長の裁量を認める余地のある規定となっていること等を考慮して,計画適合性に関する市町村長の裁量を認めるべきであるとしたものである。
一般廃棄物処理業の許可については,その効力等が訴訟で争われることが少なくないところ,本判決は廃棄物処理法7条の解釈について最高裁判所が初めて明確に判断を示したものであり,実務に与える影響は小さくないものと考えられる。

イ 設問1(2)既存許可業者の原告適格

+判例(H26.1.28)
理 由
 上告代理人湯川二朗の上告受理申立て理由について
 1 本件は,小浜市長から廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下,後記の改正の前後を通じて「廃棄物処理法」という。)に基づく一般廃棄物収集運搬業の許可及びその更新を受けている上告人が,同市長により同法に基づいて有限会社B(以下「B」という。)に対する一般廃棄物収集運搬業の許可更新処分並びに被上告補助参加人に対する一般廃棄物収集運搬業及び一般廃棄物処分業の許可更新処分がされたことにつき,被上告人を相手に,上記両名に対する上記各許可更新処分は違法であると主張してそれらの取消しを求めるとともに,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求める事案である。

 2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 上告人は,昭和33年1月28日に有限会社として設立され,福井県小浜市に本店を置く一般廃棄物の収集運搬,し尿浄化槽及びその他衛生処理施設の清掃及び保守点検等を業とする会社である。
 Bは,平成13年7月11日に有限会社として設立され,小浜市に本店を置く一般廃棄物及び産業廃棄物の収集運搬等を業とする会社である。
 被上告補助参加人は,平成8年11月26日に有限会社として設立され,兵庫県西脇市に本店を置く古紙の収集及び販売並びに一般廃棄物のリサイクル及び処理等を業とする会社である。
 (2) 上告人は,昭和56年4月,小浜市長から,廃棄物処理法(平成3年法律第95号による改正前のもの)7条1項に基づき,小浜市全域において一般廃棄物のうちごみ,し尿及び浄化槽汚泥の収集運搬を業として行うことの許可を受け,その後,数次にわたり上記許可の更新を受けている。
 (3) 被上告人が一般廃棄物の処理に係る事業を計画的に遂行するために作成される平成13年度一般廃棄物処理計画書においては,ごみの処理に関し,類型別排出量の項目に年間2万0740トンと記載され,処理主体の項目に廃棄物処理法7条に基づく許可を受けた上告人ほか2社の業者名が記載されていた。
 小浜市長は,Bに対し,平成13年10月1日付けで,廃棄物処理法7条1項に基づき,同日から同15年3月31日まで小浜市全域において一般廃棄物のうちごみ等の収集運搬を業として行うことを許可する処分をし,その後,上記許可を更新する処分を繰り返し行い,平成21年3月31日付けで,同年4月1日から同23年3月31日まで上記許可を更新する処分をした(以下「本件更新処分1」という。)。
 (4) 被上告人の平成16年度一般廃棄物処理計画書においては,ごみの処理に関し,類型別排出量の項目に年間2万1030トンと記載され,処理主体の項目に廃棄物処理法7条に基づく許可を受けた上告人,Bほか2社の業者名が記載されていた。
 小浜市長は,被上告補助参加人に対し,平成16年4月1日付けで,廃棄物処理法7条1項及び6項に基づき,同日から同18年3月31日まで小浜市全域において一般廃棄物のうちごみの収集運搬を業として行うことを許可する処分及びその処分を業として行うことを許可する処分をし,その後,上記各許可を更新する処分を繰り返し行い,平成22年3月30日付けで,同年4月1日から同24年3月31日まで上記各許可を更新する処分をした(以下「本件更新処分2」といい,本件更新処分1と併せて「本件各更新処分」という。)。

 3 原審は,要旨,次のとおり判断して,上告人は本件各更新処分の取消しを求める原告適格を有しないとしてこれらの取消請求に係る訴えを却下すべきものとし,国家賠償法に基づく損害賠償請求を棄却すべきものとした。
 廃棄物処理法7条は,一般廃棄物収集運搬業又は一般廃棄物処分業(以下,併せて「一般廃棄物処理業」という。)の許可において,その許可の申請をする者が一般廃棄物処理業を的確にかつ継続して行うことができる経済的基盤を有することをその要件としているが(同条5項3号,10項3号),その目的は飽くまでも市町村の固有の事務である一般廃棄物の処理の継続的かつ安定的な実施や当該市町村における生活環境の保全に支障が生ずることを避けることにあり,同条に基づく一般廃棄物処理業の許可又はその更新を受けた者(以下「許可業者」という。)の営業上の利益を個別的利益として保護する趣旨を含むものではないから,上告人は本件各更新処分の取消しを求める原告適格を有するものではなく,また,被上告人は上告人に対してその営業上の利益に配慮しこれを保護すべき義務を負うものではないのであって,上告人の国家賠償法に基づく損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。

 4 しかしながら,原審の上記判断のうち,本件各更新処分の取消しを求める訴えを不適法として却下した部分は結論において是認することができるが,その余の部分は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 (1) 行政事件訴訟法9条は,取消訴訟の原告適格について規定するが,同条1項にいう当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され,又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり,当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には,このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たり,当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は,当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。そして,処分の相手方以外の者について上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては,当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく,当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮し,この場合において,当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては,当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌し,当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては,当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきものである(同条2項,最高裁平成16年(行ヒ)第114号同17年12月7日大法廷判決・民集59巻10号2645頁参照)。

 (2) 上記の見地に立って,上告人が本件各更新処分の取消しを求める原告適格を有するか否かについて検討する。
 ア 廃棄物処理法は,廃棄物の適正な収集運搬,処分等の処理をし,生活環境を清潔にすることにより,生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的として,廃棄物の処理について規制を定めている(同法1条)。
 市町村は,一般廃棄物について,その区域内における収集運搬及び処分に関する事業の実施をその責務とし,計画的に事業を遂行するために一般廃棄物処理計画を定め,これに従って一般廃棄物の処理を自ら行い,又は市町村以外の者に委託し若しくは許可を与えて行わせるものとされており(廃棄物処理法4条1項,6条,6条の2,7条1項),市町村以外の者に対する市町村長の一般廃棄物処理業の許可又はその更新については,当該市町村による一般廃棄物の収集運搬又は処分が困難であること(同法7条5項1号,10項1号)が要件とされている。
 上記の一般廃棄物処理計画には,一般廃棄物の発生量及び処理量の見込み(同法6条2項1号),一般廃棄物の適正な処理及びこれを実施する者に関する基本的事項(同項4号)等を定めるものとされており,一般廃棄物処理業の許可又はその更新については,その申請の内容が一般廃棄物処理計画に適合するものであること(同法7条5項2号,10項2号)が要件とされているほか,一般廃棄物の収集運搬及び処分に関する政令で定める基準に従って処理が行われるべきこと(同法6条の2第2項,7条13項)や,施設及び申請者の能力がその事業を的確にかつ継続して行うに足りるものとして環境省令で定める経理的基礎その他の基準に適合するものであること(同法7条5項3号,10項3号,同法施行規則2条の2及び2条の4)が要件とされている。
 加えて,一般廃棄物処理業の許可又はその更新がされる場合においても,市町村長は,これらの処分の際に生活環境の保全上必要な条件を付すことができ(廃棄物処理法7条11項),許可業者が同法の規定又は上記の条件に違反したとき等には事業停止命令や許可取消処分をする権限を有しており(同法7条の3,7条の4),また,許可業者が廃業するには市町村長に届出をしなければならず(同法7条の2第3項),許可業者が行う事業の料金は,市町村が自ら行う事業と競合する場合には条例で定める上限を超えることはできない(同法7条12項)とされるなど,許可業者は,市町村による所定の規制に服するものとされている。
 イ(ア) 一般廃棄物処理業は,市町村の住民の生活に必要不可欠な公共性の高い事業であり,その遂行に支障が生じた場合には,市町村の区域の衛生や環境が悪化する事態を招来し,ひいては一定の範囲で市町村の住民の健康や生活環境に被害や影響が及ぶ危険が生じ得るものであって,その適正な運営が継続的かつ安定的に確保される必要がある上,一般廃棄物は人口等に応じておおむねその発生量が想定され,その業務量には一定の限界がある。廃棄物処理法が,業務量の見込みに応じた計画的な処理による適正な事業の遂行の確保についての統括的な責任を市町村に負わせているのは,このような事業の遂行に支障を生じさせないためである。そして,既存の許可業者によって一般廃棄物の適正な処理が行われており,これを踏まえて一般廃棄物処理計画が作成されている場合には,市町村長は,それ以外の者からの一般廃棄物処理業の許可又はその更新の申請につき,一般廃棄物の適正な処理を継続的かつ安定的に実施させるためには既存の許可業者のみに引き続きこれを行わせるのが相当であり,当該申請の内容が当該一般廃棄物処理計画に適合するものであるとは認められないとして不許可とすることができるものと解される(最高裁平成14年(行ヒ)第312号同16年1月15日第一小法廷判決・裁判集民事213号241頁参照)。このように,市町村が市町村以外の者に許可を与えて事業を行わせる場合においても,一般廃棄物の発生量及び処理量の見込みに基づいてこれを適正に処理する実施主体等を定める一般廃棄物処理計画に適合すること等の許可要件に関する市町村長の判断を通じて,許可業者の濫立等によって事業の適正な運営が害されることのないよう,一般廃棄物処理業の需給状況の調整が図られる仕組みが設けられているものといえる。そして,許可業者が収集運搬又は処分を行うことができる区域は当該市町村又はその一部の区域内(廃棄物処理法7条11項)に限定されていることは,これらの区域を対象として上記の需給状況の調整が図られることが予定されていることを示すものといえる。
 (イ) また,市町村長が一般廃棄物処理業の許可を与え得るのは,当該市町村による一般廃棄物の処理が困難である場合に限られており,これは,一般廃棄物の処理が本来的には市町村がその責任において自ら実施すべき事業であるため,その処理能力の限界等のために市町村以外の者に行わせる必要がある場合に初めてその事業の許可を与え得るとされたものであると解されること,上記のとおり一定の区域内の一般廃棄物の発生量に応じた需給状況の下における適正な処理が求められること等からすれば,廃棄物処理法において,一般廃棄物処理業は,専ら自由競争に委ねられるべき性格の事業とは位置付けられていないものといえる。
 (ウ) そして,市町村長から一定の区域につき既に一般廃棄物処理業の許可又はその更新を受けている者がある場合に,当該区域を対象として他の者に対してされた一般廃棄物処理業の許可又はその更新が,当該区域における需給の均衡及びその変動による既存の許可業者の事業への影響についての適切な考慮を欠くものであるならば,許可業者の濫立により需給の均衡が損なわれ,その経営が悪化して事業の適正な運営が害され,これにより当該区域の衛生や環境が悪化する事態を招来し,ひいては一定の範囲で当該区域の住民の健康や生活環境に被害や影響が及ぶ危険が生じ得るものといえる。一般廃棄物処理業の許可又はその更新の許否の判断に当たっては,上記のように,その申請者の能力の適否を含め,一定の区域における一般廃棄物の処理がその発生量に応じた需給状況の下において当該区域の全体にわたって適正に行われることが確保されるか否かを審査することが求められるのであって,このような事柄の性質上,市町村長に一定の裁量が与えられていると解されるところ,廃棄物処理法は,上記のような事態を避けるため,前記のような需給状況の調整に係る規制の仕組みを設けているのであるから,一般廃棄物処理計画との適合性等に係る許可要件に関する市町村長の判断に当たっては,その申請に係る区域における一般廃棄物処理業の適正な運営が継続的かつ安定的に確保されるように,当該区域における需給の均衡及びその変動による既存の許可業者の事業への影響を適切に考慮することが求められるものというべきである。
 ウ 以上のような一般廃棄物処理業に関する需給状況の調整に係る規制の仕組み及び内容,その規制に係る廃棄物処理法の趣旨及び目的,一般廃棄物処理の事業の性質,その事業に係る許可の性質及び内容等を総合考慮すると,廃棄物処理法は,市町村長から一定の区域につき一般廃棄物処理業の許可又はその更新を受けて市町村に代わってこれを行う許可業者について,当該区域における需給の均衡が損なわれ,その事業の適正な運営が害されることにより前記のような事態が発生することを防止するため,上記の規制を設けているものというべきであり,同法は,他の者からの一般廃棄物処理業の許可又はその更新の申請に対して市町村長が上記のように既存の許可業者の事業への影響を考慮してその許否を判断することを通じて,当該区域の衛生や環境を保持する上でその基礎となるものとして,その事業に係る営業上の利益を個々の既存の許可業者の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。したがって,市町村長から一定の区域につき既に廃棄物処理法7条に基づく一般廃棄物処理業の許可又はその更新を受けている者は,当該区域を対象として他の者に対してされた一般廃棄物処理業の許可処分又は許可更新処分について,その取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として,その取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。
 エ 廃棄物処理法において一般廃棄物収集運搬業と一般廃棄物処分業とは別途の許可の対象とされ,各別に需給状況の調整等が図られる仕組みが設けられているところ,本件において,上告人は,一般廃棄物収集運搬業の許可及びその更新を受けている既存の許可業者であるから,本件更新処分1及び本件更新処分2のうち一般廃棄物収集運搬業の許可更新処分について,その取消しを求める原告適格を有していたものというべきである。他方,上告人は,一般廃棄物処分業の許可又はその更新を受けていないから,本件更新処分2のうち一般廃棄物処分業の許可更新処分については,その取消しを求める原告適格を有しない。
 (3) 次に,上告人の国家賠償法に基づく損害賠償請求については,原審は,前記3のとおり,廃棄物処理法は一般廃棄物収集運搬業者及び一般廃棄物処分業者の営業上の利益を個別的利益として保護する趣旨を含むものではないとした上で,被上告人は上告人に対してその営業上の利益に配慮しこれを保護すべき義務を負うものではないとして,その余の点について判断するまでもなく上記請求を棄却しているところ,以上に説示したところに照らせば,被上告人が上告人に対して上記のような義務をおよそ負っていないとはいえないから,原判決には審理不尽の違法があるといわざるを得ない。
 5(1) 以上のとおり,原審の判断のうち,本件更新処分1及び本件更新処分2のうち一般廃棄物収集運搬業の許可更新処分の取消請求並びに損害賠償請求に係る部分には,法令の解釈適用を誤った違法がある。
 (2) しかしながら,記録によれば,上告人は,平成25年5月8日に小浜市長に対して廃棄物処理法7条の2第3項に基づき一般廃棄物収集運搬業を廃業する旨を届け出た上で同年6月に廃業したことが明らかであるから,上告人が上記各処分の取消しを求める法律上の利益は失われたものといわざるを得ない。そして,前記4(2)エのとおり,本件更新処分2のうち一般廃棄物処分業の許可更新処分の取消請求に係る訴えは当初から原告適格を欠いていたのであるから,本件各更新処分の取消請求に係る訴えをいずれも却下すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。この点に関する論旨は,結局,採用することができない。したがって,原判決のうち後記(3)の破棄部分以外の部分に係る上告は,これを棄却することとする。
 (3) 他方,原審の判断のうち損害賠償請求に係る部分に関する論旨は前記4(3)と同旨をいうものとして理由があり,原判決のうち同請求に係る部分は破棄を免れない。そして,本件各更新処分の違法性の有無等について更に審理を尽くさせるため,上記の部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎 裁判官大橋正春 裁判官 木内道祥)

(2)都市計画と都市計画事業認可~小田急高架化訴訟

+判例(H18.11.2)
理由
上告代理人斉藤驍ほかの上告受理申立て理由(原告適格に係る所論に関する部分を除く。)について
第1 事案の概要等
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 建設大臣は、昭和39年12月16日付けで、旧都市計画法(大正8年法律第36号)3条に基づき、世田谷区喜多見町(喜多見駅付近)を起点とし、葛飾区上千葉町(綾瀬駅付近)を終点とする東京都市計画高速鉄道第9号線(昭和45年の都市計画の変更以降の名称は「東京都市計画都市高速鉄道第9号線」である。)に係る都市計画(以下「9号線都市計画」という。)を決定した。
(2) 被上告参加人は、9号線都市計画について、都市計画法(平成4年法律第82号による改正前のもの)21条2項において準用する同法18条1項に基づく変更を行い、平成5年2月1日付けで告示した(以下、この都市計画の変更を「平成5年決定」という。)。平成5年決定は、小田急小田原線(以下「小田急線」という。)の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間(以下「本件区間」という。)について、成城学園前駅付近を掘割式とするほかは高架式を採用し、鉄道と交差する道路とを連続的に立体交差化することを内容とするものであり、小田急線の複々線化とあいまって、鉄道の利便性の向上及び混雑の緩和、踏切における渋滞の解消、一体的な街づくりの実現を図ることを目的とするものである。
(3) 平成5年決定がされた経緯等は、次のとおりである。
ア 東京都は、9号線都市計画に係る区間の一部である小田急線の喜多見駅から東北沢駅までの区間において、踏切の遮断による交通渋滞や市街地の分断により日常生活の快適性や安全性が阻害される一方、鉄道の車内混雑が深刻化しており、鉄道の輸送力が限界に達しているとして、上記区間の複々線化及び連続立体交差化に係る事業の必要性及び緊急性について検討するため、昭和62年度及び同63年度にわたり、建設省の定めた連続立体交差事業調査要綱(以下「本件要綱」という。)に基づく調査(以下「本件調査」という。)を実施した。
本件要綱は、連続立体交差事業調査において、鉄道等の基本設計に当たって数案を作成して比較評価を行うものとし、その評価に当たっては、経済性、施工の難易度、関連事業との整合性、事業効果、環境への影響等について比較するものとしている。
本件調査の結果、成城学園前駅付近については掘割式とする案が適切であるとされるとともに、環状8号線と環状7号線の間については、高架式とする案が、一部を地下式とする案に比べて、工期・工費の点で優れており、環境面では劣るものの、当該高架橋の高さが一般的なものであり、既存の側道の有効活用などでその影響を最小限とすることができるので、適切な案であるとされた。
なお、本件調査の結果、本件区間の東側に当たる環状7号線と東北沢駅の間(以下「下北沢区間」という。)の構造については、地表式、高架式、地下式のいずれの案にも問題があり、その決定に当たっては新たに検討する必要があるとされたが、平成5年決定に係る9号線都市計画においては、従前どおり地表式とされた。もっとも、その後、東京都の都市計画局長は、平成10年12月、都議会において、下北沢区間の線路の増加部分を地下式で整備する案を関係者で構成する検討会に提案して協議を進めている旨答弁し、東京都は、同13年4月、下北沢区間を地下式とする内容の計画素案を発表した。
イ 被上告参加人は、本件調査の結果を踏まえた上で、本件区間の構造について、〈1〉 嵩上式(高架式。ただし、成城学園前駅付近を一部掘割式とするもの。以下「本件高架式」という。)、〈2〉 嵩上式(一部掘割式)と地下式の併用(成城学園前駅付近から環状8号線付近までの間を嵩上式(一部掘割式)とし、環状8号線付近より東側を地下式とするもの)、〈3〉 地下式の三つの方式を想定した上で、計画的条件(踏切の除却の可否、駅の移動の有無等)、地形的条件(自然の地形等と鉄道の線形の関係)及び事業的条件(事業費の額)の三つの条件を設定して比較検討を行った。その結果、上記〈3〉の地下式を採用した場合、当時の都市計画で地表式とされていた下北沢区間に近接した本件区間の一部で踏切を解消することができなくなるほか、河川の下部を通るため深度が大きくなること等の問題があり、上記〈2〉の方式にも同様の問題があること、本件高架式の事業費が約1900億円と算定されたのに対し、上記〈3〉の地下式の事業費は、地下を2層として各層に2線を設置する方式(以下「2線2層方式」という。)の場合に約3000億円、地下を1層として4線を並列させる方式の場合に約3600億円と算定されたこと等から、被上告参加人は、本件高架式が上記の3条件のすべてにおいて他の方式よりも優れていると評価し、環境への影響、鉄道敷地の空間利用等の要素を考慮しても特段問題がないと判断して、これを本件区間の構造の案として採用することとした
なお、上記の事業費の算定に当たっては、昭和63年以前に取得済みの用地に係る取得費は算入されておらず、高架下の利用等による鉄道事業者の受益分も考慮されていない。また、2線2層方式による地下式の事業費の算定に当たっては、シールド工法(トンネルの断面よりわずかに大きいシールドという強固な鋼製円筒状の外殻を推進させ、そのひ護の下で掘削等の作業を行いトンネルを築造する工法)による施工を本件区間全体にわたって行うことは前提とされていないが、被上告参加人は、途中の経堂駅において準急線と緩行線との乗換えを可能とするために、1層目にホーム2面及び線路数3線を有する駅部を設置することを想定しており、そのために必要なトンネルの幅は約30mであったところ、平成5年当時、このような幅のトンネルをシールド工法により施工することはできなかった。
ウ 上記のように本件高架式が案として選定された本件区間の複々線化に係る事業及び連続立体交差化に係る事業について、それぞれの事業の事業者であるA株式会社及び東京都は、東京都環境影響評価条例(昭和55年東京都条例第96号。平成10年東京都条例第107号による改正前のもの。以下「本件条例」という。)に基づく環境影響評価に関する調査を行い、平成3年11月5日、環境影響評価書案(以下「本件評価書案」という。)を被上告参加人に提出した。本件評価書案によれば、本件高架式を前提として工事完了後の鉄道騒音について予測を行ったところ、地上1.2mの高さでの予測値は、高架橋端からの距離により現況値を上回る箇所も見られるが、高架橋端から6.25mの地点で現況値が82から93ホンのところ予測値が75から77ホンとされるなど、おおむね現況とほぼ同程度かこれを下回っているとされている。
本件評価書案に対し、被上告参加人は、鉄道騒音の予測位置を騒音に係る問題を最も生じやすい地点及び高さとすること、騒音防止対策の種類とその効果の程度を明らかにすること等の意見を述べ、これを受けて、東京都及びA株式会社は、予測地点の1箇所につき高架橋端から1.5mの地点における高さ別の鉄道騒音の予測に関する記載を付加した環境影響評価書(以下「本件評価書」という。)を同4年12月18日付けで作成し、被上告参加人に提出した。本件評価書によれば、上記地点における鉄道騒音の予測値は、地上10mから30mの高さで88ホン以上、地上15mの高さでは93ホンであるが、事業実施段階での騒音防止対策として、構造物の重量化、バラストマットの敷設、60kg/mレールの使用、吸音効果のある防音壁の設置等の対策を講じるとともに、干渉型の防音装置の設置についても検討し、騒音の低減に努めることとされ、これらによる騒音低減効果は、バラストマットの敷設により軌道中心から6.25mの地点で7ホン、60㎏/mレールの使用により現在の50㎏/mレールと比べて軌道中心から23mの地点で5ホン、吸音効果のある防音壁により防音壁だけの場合に比べ1ホン程度、防音壁に干渉型防音装置を設置した場合3ないし4ホンであるとされている。
以上の環境影響評価は、東京都環境影響評価技術指針が定める環境影響評価の手法を基本とし、一般に確立された科学的な評価方法に基づいて行われた。
なお、高架橋より高い地点での現実の騒音値は、線路部分において生じる騒音が走行する列車の車体に遮られることから、上記予測値のような実験値よりも低くなるとされている。また、平成5年決定当時の鉄道騒音に関する唯一の公的基準であった「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」(昭和50年環境庁告示第46号)においては、騒音を測定する高さは地上1.2mとされていた。
一方、小田急線の沿線住民らは、小田急線による鉄道騒音等の被害について、平成4年5月7日、公害等調整委員会に対し、公害紛争処理法42条の12に基づく責任裁定を申請し、同委員会は、同10年7月24日、申請人の一部が受けた平成5年決定以前の騒音被害が受忍限度を超えることを前提として、A株式会社の損害賠償責任を認める旨の裁定をした。
エ 被上告参加人は、本件調査及び上記の環境影響評価を踏まえ、本件高架式を採用することが周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断して、本件高架式を内容とする平成5年決定をした。
オ 東京都は、公害対策基本法19条に基づき、東京地域公害防止計画を定めていたところ、平成5年決定は、その目的、内容において同計画の妨げとなるものではなく、同計画に適合している。
(4) 建設大臣は、都市計画法(平成11年法律第160号による改正前のもの)59条2項に基づき、平成6年5月19日付けで、東京都に対し、平成5年決定により変更された9号線都市計画を基礎として、本件区間の連続立体交差化を内容とする別紙事業認可目録1記載の都市計画事業(以下「本件鉄道事業」という。)の認可(以下「本件鉄道事業認可」という。)をし、同6年6月3日付けでこれを告示した。
また、建設大臣は、世田谷区が同5年2月1日付けで告示した東京都市計画道路・区画街路都市高速鉄道第9号線付属街路第9号線及び第10号線に係る各都市計画を基礎として、同項に基づき、同6年5月19日付けで、東京都に対し、上記各付属街路の設置を内容とする別紙事業認可目録2及び3記載の各都市計画事業の認可(以下「本件各付属街路事業認可」という。)をし、同年6月3日付けでこれを告示した。上記各付属街路は、本件区間の連続立体交差化に当たり、環境に配慮して沿線の日照への影響を軽減すること等を目的として設置することとされたものである。

2 本件は、本件鉄道事業認可の前提となる都市計画に係る平成5年決定が、周辺地域の環境に与える影響、事業費の多寡等の面で優れた代替案である地下式を理由もなく不採用とし、いずれの面でも地下式に劣り、周辺住民に騒音等で多大の被害を与える本件高架式を採用した点で違法であるなどとして、建設大臣の事務承継者である被上告人に対し、上告人らが本件鉄道事業認可の、別紙上告人目録2記載の上告人らが別紙事業認可目録2記載の認可の、別紙上告人目録3記載の上告人らが別紙事業認可目録3記載の認可の、各取消しを求めている事案である。

第2 本件鉄道事業認可の取消請求について
1 平成5年決定が本件高架式を採用したことによる本件鉄道事業認可の違法の有無について
(1) 都市計画法(平成4年法律第82号による改正前のもの。以下同じ。)は、都市計画事業認可の基準の一つとして、事業の内容が都市計画に適合することを掲げているから(61条)、都市計画事業認可が適法であるためには、その前提となる都市計画が適法であることが必要である。
(2) 都市計画法は、都市計画について、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと等の基本理念の下で(2条)、都市施設の整備に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを一体的かつ総合的に定めなければならず、当該都市について公害防止計画が定められているときは当該公害防止計画に適合したものでなければならないとし(13条1項柱書き)、都市施設について、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めることとしているところ(同項5号)、このような基準に従って都市施設の規模、配置等に関する事項を定めるに当たっては、当該都市施設に関する諸般の事情を総合的に考慮した上で、政策的、技術的な見地から判断することが不可欠であるといわざるを得ない。そうすると、このような判断は、これを決定する行政庁の広範な裁量にゆだねられているというべきであって、裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては、当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。
(3) 以上の見地に立って検討するに、前記事実関係の下においては、平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとはいえないと解される。その理由は以下のとおりである。
ア 被上告参加人は、本件調査の結果を踏まえ、計画的条件、地形的条件及び事業的条件を設定し、本件区間の構造について三つの方式を比較検討した結果、本件高架式がいずれの条件においても優れていると評価し、本件条例に基づく環境影響評価の結果等を踏まえ、周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないとして、本件高架式を内容とする平成5年決定をしたものである。

イ そこで、上記の判断における環境への影響に対する考慮について検討する。
(ア) 前記のとおり、都市計画法は、都市施設に関する都市計画について、健康で文化的な都市生活の確保という基本理念の下で、公害防止計画に適合するとともに、適切な規模で必要な位置に配置することにより良好な都市環境を保持するように定めることとしている。公害防止計画は、環境基本法により廃止された公害対策基本法の19条に基づき作成されるものであるが、相当範囲にわたる騒音、振動等により人の健康又は生活環境に係る著しい被害が発生するおそれのある地域について、その発生を防止するために総合的な施策を講ずることを目的とするものであるということができる。また、本件条例は、環境に著しい影響を及ぼすおそれのある一定の事業を実施しようとする事業者が、その実施に際し、公害の防止、自然環境及び歴史的環境の保全、景観の保持等(以下「環境の保全」という。)について適正な配慮をするため、当該事業に係る環境影響評価書を作成し、被上告参加人に提出しなければならないとし(7条、23条)、被上告参加人は、都市計画の決定又は変更の権限を有する者にその写しを送付し(24条2項)、当該事業に係る都市計画の決定又は変更を行うに際してその内容について十分配慮するよう要請しなければならないとしている(25条)。そうすると、本件鉄道事業認可の前提となる都市計画に係る平成5年決定を行うに当たっては、本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音、振動等によって、事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することのないよう、被害の防止を図り、東京都において定められていた公害防止計画である東京地域公害防止計画に適合させるとともに、本件評価書の内容について十分配慮し、環境の保全について適正な配慮をすることが要請されると解される。本件の具体的な事情としても、公害等調整委員会が、裁定自体は平成10年であるものの、同4年にされた裁定の申請に対して、小田急線の沿線住民の一部につき平成5年決定以前の騒音被害が受忍限度を超えるものと判定しているのであるから、平成5年決定において本件区間の構造を定めるに当たっては、鉄道騒音に対して十分な考慮をすることが要請されていたというべきである。
(イ) この点に関し、前記事実関係によれば、〈1〉 本件区間の複々線化及び連続立体交差化に係る事業について、本件調査において工期・工費の点とともに環境面も考慮に入れた上で環状8号線と環状7号線の間を高架式とする案が適切とされたこと、〈2〉 本件高架式を採用することによる環境への影響について、本件条例に基づく環境影響評価が行われたこと、〈3〉 上記の環境影響評価は、東京都環境影響評価技術指針が定める環境影響評価の手法を基本とし、一般に確立された科学的な評価方法に基づき行われたこと、〈4〉 本件評価書においては、工事完了後における地上1.2mの高さの鉄道騒音の予測値が一部を除いておおむね現況とほぼ同程度かこれを下回り、高架橋端から1.5mの地点における地上10mないし30mの高さの鉄道騒音の予測値が88ホン以上などとされているものの、鉄道に極めて近接した地点での値にすぎず、また、上記の高さにおける現実の騒音は、走行する列車の車体に遮られ、その値は、上記予測値よりも低くなること、〈5〉 本件評価書においても、騒音防止対策として、構造物の重量化、バラストマットの敷設、60kg/mレールの使用、吸音効果のある防音壁の設置等の対策を講じるとともに、干渉型防音装置の設置も検討することとされ、現実の鉄道騒音の値は、これらの騒音対策を講じること等により相当程度低減するものと見込まれるとされていること、〈6〉 平成5年決定当時の鉄道騒音に関する公的基準は地上1.2mの高さで騒音を測定するものにとどまっていたこと、〈7〉 被上告参加人は、本件調査及び上記の環境影響評価を踏まえ、本件高架式を採用することが周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断して、平成5年決定をしたこと、〈8〉 平成5年決定は、東京地域公害防止計画に適合していること等の事実が認められる。
そうすると、平成5年決定は、本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音等によって事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することの防止を図るという観点から、本件評価書の内容にも十分配慮し、環境の保全について適切な配慮をしたものであり、公害防止計画にも適合するものであって、都市計画法等の要請に反するものではなく、鉄道騒音に対して十分な考慮を欠くものであったということもできない。したがって、この点について、平成5年決定が考慮すべき事情を考慮せずにされたものということはできず、また、その判断内容に明らかに合理性を欠く点があるということもできない。
(ウ) なお、被上告参加人は、平成5年決定に至る検討の段階で、本件区間の構造について三つの方式の比較検討をした際、計画的条件、地形的条件及び事業的条件の3条件を考慮要素としており、環境への影響を比較しないまま、本件高架式が優れていると評価している。しかしながら、この検討は、工期・工費、環境面等の総合的考慮の上に立って高架式を適切とした本件調査の結果を踏まえて行われたものである。加えて、その後、本件高架式を採用した場合の環境への影響について、本件条例に基づく環境影響評価が行われ、被上告参加人は、この環境影響評価の結果を踏まえた上で、本件高架式を内容とする平成5年決定を行っているから、平成5年決定が、その判断の過程において考慮すべき事情を考慮しなかったものということはできない

ウ 次に、計画的条件、地形的条件及び事業的条件に係る考慮について検討する。
被上告参加人は、本件区間の構造について三つの方式の比較検討をした際、既に取得した用地の取得費や鉄道事業者の受益分を考慮せずに事業費を算定しているところ、このような算定方法は、当該都市計画の実現のために今後必要となる支出額を予測するものとして、合理性を有するというべきである。また、平成5年当時、本件区間の一部で想定される工事をシールド工法により施工することができなかったことに照らせば、被上告参加人が本件区間全体をシールド工法により施工した場合における2線2層方式の地下式の事業費について検討しなかったことが不相当であるとはいえない。
さらに、被上告参加人は、下北沢区間が地表式とされることを前提に、本件区間の構造につき本件高架式が優れていると判断したものと認められるところ、下北沢区間の構造については、本件調査の結果、その決定に当たって新たに検討する必要があるとされ、平成10年以降、東京都から地下式とする方針が表明されたが、一方において、平成5年決定に係る9号線都市計画においては地表式とされていたことや、本件区間の構造を地下式とした場合に河川の下部を通るため深度が大きくなるなどの問題があったこと等に照らせば、上記の前提を基に本件区間の構造につき本件高架式が優れていると判断したことのみをもって、合理性を欠くものであるということはできない。
エ 以上のほか、所論にかんがみ検討しても、前記アの判断について、重要な事実の基礎を欠き又はその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことを認めるに足りる事情は見当たらない。
(4) 以上のとおり、平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるということはできないから、これを基礎としてされた本件鉄道事業認可が違法となるということもできない。
2 本件鉄道事業認可に係るその余の違法の有無について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件鉄道事業認可について、その余の所論に係る違法は認められない。
3 なお、原判決は、本件鉄道事業認可の取消請求に係る訴えを却下すべきものとしているが、本件各付属街路事業認可の取消請求に関して、前記第1の1の事実関係に基づき、平成5年決定の適否を判断している。原審の判示には、上記説示と異なる点もあるが、原審は、被上告参加人が、本件の環境影響評価の結果を踏まえ、本件高架式の採用が周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断したことに不合理な点は認められず、最終的に本件高架式を内容とする平成5年決定を行ったことに裁量権の範囲の逸脱又は濫用はなく、平成5年決定を前提とする本件鉄道事業認可がその他の上告人ら指摘の点を考慮しても適法であると判断しており、この判断は是認することができるものである。
4 以上によれば、上告人らによる本件鉄道事業認可の取消請求は棄却すべきこととなるが、その結論は原判決よりも上告人らに不利益となり、民訴法313条、304条により、原判決を上告人らに不利益に変更することは許されないので、当裁判所は原判決の結論を維持して上告を棄却するにとどめるほかはない。
第3 本件各付属街路事業認可の取消請求について
原審の適法に確定した事実関係の下において、本件各付属街路事業認可に違法はないとした原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法はない。
第4 結論
以上によれば、論旨はいずれも採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 島田仁郎)

++解説
《解  説》
1 本判決は,小田急小田原線の一部区間を高架化すること等を内容とする各都市計画事業の認可につき沿線住民がその取消しを求めた訴訟について,いわゆる論点回付により原告適格の有無につき判断をした最高裁大法廷判決(最大判平17.12.7民集59巻10号2645頁,判タ1202号110頁。以下「本件大法廷判決」という。)を受けて,最高裁第一小法廷が都市計画事業の認可の適否について実体判断をしたものである。

2 本件の事案は,建設大臣が,小田急小田原線のうち世田谷区内の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間(以下「本件区間」という。)を高架式(嵩上式,一部掘割式。以下「本件高架式」という。)により連続立体交差化することを内容とする都市計画事業の認可(以下「本件鉄道事業認可」という。)及び本件区間に沿って付属街路(側道)を設置することを内容とする各都市計画事業の認可(以下「本件各付属街路事業認可」といい,本件鉄道事業認可と併せて「本件各認可」という。)をしたのに対し,本件区間の沿線に居住するX(上告人)らが,本件鉄道事業認可は環境面,事業面において優れた地下式を採用せず,周辺住民に騒音等で多大の被害を与える本件高架式を採用したこと等により違法であるとして,建設大臣の事務承継者であるY(被上告人)に対して本件各認可の取消しを求めたものである。事案の詳細については,本件大法廷判決の解説(判タ1202号110頁)を参照されたい。
本件の争点は,Xら沿線住民の本件各認可の取消しを求める原告適格の有無と,本件各認可の適否とに大別される。後者の争点については,Xらから多岐にわたる違法事由が主張されたが,特に争われたのは,Z(被上告参加人東京都知事)が平成5年に本件鉄道事業認可の前提となる都市計画(東京都市計画都市高速鉄道第9号線)について行った変更(以下「平成5年決定」という。)が,鉄道の構造として地下式でなく本件高架式を採用した点で違法となるかという点であり,本判決の判示事項もこの点に関するものである。

3(1)第1審判決(東京地判平13.10.3判タ1074号91頁)は,Xらには本件各付属街路事業認可に係る事業地内の不動産につき権利を有する者がいるところ,これらの者に本件各認可全部の取消しを求める原告適格を認めた上で,本件各認可は違法であるとしてこれらの者の請求を認容した。
第1審判決は,平成5年決定について,当時の小田急小田原線の騒音に違法状態が生じているとの疑念への考慮を欠いた点においてその考慮要素に著しい欠落があるとし,その判断内容にも,高架式を採用すれば相当広範囲にわたって違法な騒音被害の発生するおそれがあったのにこれを看過するなど東京都環境影響評価条例(以下「本件条例」という。)に基づく環境影響評価を参酌するに当たって著しい過誤があり,事業費についてより慎重な検討をすれば高架式と地下式の優劣が逆転し又はその差がかなり小さいものとなる可能性が十分あったにもかかわらず十分な検討を経なかった点にも著しい誤りがあるなどとした。そして,騒音につき違法状態が生じているとの疑念への配慮を欠いたまま都市計画を定めることは,単なる利便性の向上という観点を違法状態の解消という観点よりも上位に置くという結果を招きかねない点で法的に到底看過し得ないものであり,事業費について慎重な検討を欠いたことは,確たる根拠に基づかないで優れた方式を採用しなかった点においてかなり重大な瑕疵といわざるを得ず,これらの一方のみでも優に本件各認可を違法とするに足りるとした。また,第1審判決は,本件鉄道事業認可自体も,事業地の範囲について実際に事業の一部である工事を行う地域を事業地としていないこと等の過誤があること,事業施行期間の相当性の判断が不合理であることから違法であるとした。
(2) これに対して,原判決(東京高判平15.12.18訟月50巻8号2332頁,判自249号46頁)は,本件各付属街路事業認可に係る事業地内の不動産につき権利を有する者に当該付属街路事業の認可のみの取消しを求める原告適格を肯定した上で,当該付属街路事業の認可は適法であるとしてその請求を棄却した。
原判決は,当該付属街路事業の認可の適否を判断する前提として,平成5年決定の適否について検討し,本件高架式と地下式との事業費の比較に係る考慮要素,判断内容に過誤,欠落はなく,騒音問題の解決を構造形式の決定において重視しなかったことが考慮すべき事項の欠落であるとまではいい難いなどとして,平成5年決定に裁量権の逸脱又は濫用による違法はないとした。また,原判決は,第1審判決が本件鉄道事業認可自体を違法として指摘した点についても違法はないとした。

4 本判決は,本件大法廷判決が原告適格を肯定したXらの本件鉄道事業認可の取消しの訴えに係る請求と,原判決が原告適格を肯定した本件各付属街路事業の事業地内の不動産につき権利を有するXらの当該付属街路事業の認可の取消しの訴えに係る請求について,上記の各認可に所論の違法はないとして,これらを棄却すべきものとした。平成5年決定が本件高架式を採用したことの適否に関する判断の要旨は,次のとおりである。
(1) 裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては,当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として,その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合,又は,事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと,判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。
(2) Zは,建設省の定めた連続立体交差事業調査要綱に基づく調査の結果を踏まえ,計画的条件,地形的条件及び事業的条件を設定した上で,本件区間の鉄道の構造について,本件高架式,高架式と地下式の併用,地下式の3つの方式を比較検討をした結果,本件高架式がいずれの条件においても優れていると評価し,本件条例に基づく環境影響評価の結果等を踏まえ,周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断したものである。上記判断における環境への影響に対する考慮について検討すると,平成5年決定は,本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音等によって事業地の周辺住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することの防止を図るという観点から,本件条例に基づく環境影響評価書の内容に十分配慮し,環境の保全について適切な配慮をしたものであり,公害対策基本法に基づく公害防止計画にも適合するものであって,鉄道騒音に対して十分な考慮を欠くものであったとはいえないから,考慮すべき事情の考慮を欠いたり,判断内容に明らかに合理性を欠く点があるとはいえない。前記の3条件に係る考慮についても,取得済みの用地の取得費等を考慮せずに事業費を算定したことには今後必要となる支出額を予測するものとして合理性が認められること等から,合理性を欠くとはいえない。平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法であるとはいえないから,本件鉄道事業認可が違法となるともいえない。

5 本判決は,都市施設の規模,配置等に関する事項を定めるに当たっての行政庁の判断に広範な裁量を認めた上で,都市施設に関する都市計画の決定又は変更に関する司法審査の方法について,前記4(1)のとおり一般論を示している。
都市計画は,いわゆる行政計画の1つであるところ,その策定は,法の執行というよりも,政策的決断に基づく創造的な行為としての色彩が強いものであることから,行政計画の策定には政策的な裁量が認められ(計画裁量と呼ばれる。),その範囲は広範であるとされる(塩野宏『行政法(1)(第4版)』198頁,原田尚彦『行政法要論(全訂第6版)』122頁,芝池義一『行政法総論講義(第4版)』71頁等)。都市施設に関する都市計画決定については,下級審裁判例も,決定権者に広範な裁量が認められるとして,裁量権の逸脱又は濫用がある場合に限り違法となるとしてきたところ(東京高判平7.9.28行集46巻8=9号790頁,名古屋高判平9.4.30判時1631号14頁,東京高判平15.9.11判時1845号54頁等多数),本判決は,最高裁が同様の見解に立つことを示して,裁量権の逸脱又は濫用の具体的な審査基準を明らかにしたものである。
本判決による裁量権の逸脱又は濫用の具体的な審査基準は,一般的な裁量処分に対する司法審査に関する判例の見解(最三小判昭52.12.20民集31巻7号1101頁,判タ357号142頁,最大判昭53.10.4民集32巻7号1223頁,判タ368号196頁等)とほぼ同様であるが,行政計画の策定に関する裁量については,判断の形成過程の適否の審査に重点を置くべきであるとする見解もあるところ(原田・前掲129頁等),判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないことを審査に当たっての考慮要素とする本判決は,このような審査の在り方の方向性を示唆しているとも考えられる。

6 次に,本判決は,上記の審査基準の下で,平成5年決定が本件高架式を採用した点における裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討している。
第1審判決及び原判決も,一般論としては,本判決と同様に,都市計画の変更に広範な裁量が認められるとした上で,裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討すべきであるとしたが,その具体的な検討内容は大きく異なっている。第1審判決は,平成5年決定について,密度の高い踏み込んだ審査を行い,単なる利便性の向上という観点を鉄道騒音に係る違法状態の解消という観点よりも上位に置く結果を招きかねないことは法的には到底看過し得ないといった評価を行った上で,本件高架式を採用したことに裁量権の逸脱があるとした。これに対して,原判決は,行政庁の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討し,都市施設の構造につき複数の代替案がある場合に各考慮要素を総合考量して1つを選択する上での条件設定の仕方や判断順序について,各考慮要素のうちどの要素に重きを置き,価値序列をどのように設けるかは必ずしも一義的に決することはできないなどとして,平成5年決定に裁量権の逸脱又は濫用はないとした。
本判決は,平成5年決定が裁量権の行使としてされたことを前提として,前記4(1)の審査基準により検討した結果,原判決と同様に,裁量権の逸脱又は濫用はないとしたものである。もっとも,本判決は,本件大法廷判決が周辺住民の健康又は生活環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれがある者に原告適格を肯定したことを受けて,本件区間の構造を定めるに当たっても,本件の鉄道事業に伴う騒音,振動等によって,事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することのないよう被害の防止を図ること等が要請されていたとした上で,本件高架式を採用したことがこのような要請に反しないかについて具体的な検討を行っており,平成5年決定以前の小田急小田原線の騒音被害の実情等を踏まえて,環境への影響に対する考慮について比較的密度の高い司法審査をしたものということができよう。
なお,最高裁が都市施設に係る都市計画の決定につき裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとはいえないとした原審の判断に違法があるとして事件を原審に差し戻した最近の判決として,最二小判平18.9.4裁判集民登載予定,判タ1223号127頁がある。

7 Xらの本件鉄道事業認可の取消しを求める訴えについては,原判決が原告適格を否定して訴えを却下したのに対し,本件大法廷判決が原告適格を肯定したが,本判決は,この訴えにつき差戻しとすることなく,実体面を検討した結果請求を棄却すべきであるとした上で,不利益変更禁止の原則(民訴法313条,304条)により上告を棄却することとしている。これは,本件鉄道事業認可における違法事由の有無について,既に第1審,原審での審理,判断を経ていることから,審級の利益を保障するために差し戻す必要がないとしたものと思われる。上告審において下級審の訴え却下の判断を違法としたにもかかわらずこれを差し戻すことなく上告を棄却した例としては,最一小判昭49.9.2裁判集民112号517頁,判時753号5頁,最三小判昭60.12.17民集39巻8号1821頁,判タ589号87頁,最二小判平1.2.17民集43巻2号56頁,判タ694号73頁等がある。
8 本判決は,最高裁が,都市計画事業の認可の適否を判断するに当たり,その基礎とされた都市施設に係る都市計画の変更について,裁量権の逸脱又は濫用の有無に関する審査基準を示した上で,これに基づく具体的な検討を行ってその有無を判断したものであり,行政庁の裁量行為に対する司法審査の在り方を具体的に示した例として,実務上重要な意義を有するものと思われる。

3.行政計画と救済方法
(1)完結型(土地利用規制型)計画の処分性

ア 用途地域制度とは
イ 用途地域指定および指定替えによる法的効果
ウ 用途地域指定(指定替え)に対する争い方

+判例(S57.4.22)
理由
上告代理人岡宏の上告理由について
都市計画区域内において工業地域を指定する決定は、都市計画法八条一項一号に基づき都市計画決定の一つとしてされるものであり、右決定が告示されて効力を生ずると、当該地域内においては、建築物の用途、容積率、建ぺい率等につき従前と異なる基準が適用され(建築基準法四八条七項、五二条一項三号、五三条一項二号等)、これらの基準に適合しない建築物については、建築確認を受けることができず、ひいてその建築等をすることができないこととなるから(同法六条四項、五項)、右決定が、当該地域内の土地所有者等に建築基準法上新たな制約を課し、その限度で一定の法状態の変動を生ぜしめるものであることは否定できないがかかる効果は、あたかも新たに右のような制約を課する法令が制定された場合におけると同様の当該地域内の不特定多数の者に対する一般的抽象的なそれにすぎず、このような効果を生ずるということだけから直ちに右地域内の個人に対する具体的な権利侵害を伴う処分があつたものとして、これに対する抗告訴訟を肯定することはできないもつとも、右のような法状態の変動に伴い将来における土地の利用計画が事実上制約されたり、地価や土地環境に影響が生ずる等の事態の発生も予想されるが、これらの事由は未だ右の結論を左右するに足りるものではないなお、右地域内の土地上に現実に前記のような建築の制限を超える建物の建築をしようとしてそれが妨げられている者が存する場合には、その者は現実に自己の土地利用上の権利を侵害されているということができるが、この場合右の者は右建築の実現を阻止する行政庁の具体的処分をとらえ、前記の地域指定が違法であることを主張して右処分の取消を求めることにより権利救済の目的を達する途が残されていると解されるから、前記のような解釈をとつても格別の不都合は生じないというべきである。 
右の次第で、本件工業地域指定の決定は、抗告訴訟の対象となる処分にはあたらないと解するのが相当であり、これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立つて右判断の不当をいうもので、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 本山亨 裁判官 谷口正孝)

(2)非完結型(事業型)計画の処分性

ア 土地区画整理事業とは
イ 土地区画整理事業と訴訟
ウ 青写真判決

+判例(S41.2.23)
理由
上告代理人徳田敬二郎、同中野富次男の上告理由(第一ないし第三)および同補充上告理由について。
論旨は、要するに、土地区画整理事業計画の公告がなされた段階においては、上告人らは未だ直接具体的な権利変動を受けていないから本件事業計画の無効確認を求めることは許されないとした原審の判断は、法令違背、理由齟齬の違法をおかしたものであるというにある。
しかしながら、この点に関する原審の判断は、当審においても、これを正当として是認べきものとみとめる。(なお、上告人Aおよび同Bの両名は、すでに仮換地の指定を受けており、従つて、これに対し、所定の手続を経て不服の訴えを提起することはできるが、事業計画そのものを対象として無効確認を求める法律上の利益は有しないとした原審の判断は正当であつて、所論理由齟齬の違法はない。)その理由は、次のとおりである。
一、土地区画整理事業計画(その変更計画をも含む。以下同じ。)は、もともと、土地区画整理事業に関する一連の手続の一環をなすものであつて、事業計画そのものとしては、単に、その施行地区(又は施行工区)を特定し、それに含まれる宅地の地積、保留地の予定地積、公共施設等の設置場所、事業施行前後における宅地合計面積の比率等、当該土地区画整理事業の基礎的事項(土地区画整理法六条、六八条、同法施行規則五条、六条参照)について、土地区画整理法および同法施行規則の定めるところに基づき、長期的見通しのもとに、健全な市街地の造成を目的とする高度の行政的・技術的裁量によつて、一般的・抽象的に決定するものである。従つて、事業計画は、その計画書に添付される設計図面に各宅地の地番、形状等が表示されることになつているとはいえ、特定個人に向けられた具体的な処分とは著しく趣きを異にし、事業計画自体ではその遂行によつて利害関係者の権利にどのような変動を及ぼすかが、必ずしも具体的に確定されているわけではなく、いわば当該土地区画整理事業の青写真たる性質を有するにすぎないと解すべきである。土地区画整理法が、本件のような都道府県知事によつて行なわれる土地区画整理事業について、事業計画を定めるには、事業計画を二週間公衆の縦覧に供することを要するものとし、利害関係者から意見書の提出があつた場合には、都道府県知事は、都市計画審議会に付議したうえで、事業計画に必要な修正を加えるべきものとしている(法六九条参照)のも、利害関係者の意見を反映させて事業計画そのものをより適切妥当なものとしようとする配慮に出たものにほかならない。 
事業計画が右に説示したような性質のものであることは、それが公告された後においても、何ら変るところはないもつとも、当該事業計画が法律の定めるところにより公告されると、爾後、施行地区内において宅地、建物等を所有する者は、土地の形質の変更、建物等の新築、改築、増築等につき一定の制限を受け(法七六条一項参照)、また、施行地区内の宅地の所有権以外の権利で登記のないものを有し、又は有することになつた者も、所定の権利申告をしなければ不利益な取扱いを受ける(法八五条参照)ことになつている。しかし、これは、当該事業計画の円滑な遂行に対する障害を除去するための必要に基づき、法律が特に付与した公告に伴う附随的な効果にとどまるものであつて、事業計画の決定ないし公告そのものの効果として発生する権利制限とはいえない。それ故、事業計画は、それが公告された段階においても、直接、特定個人に向けられた具体的な処分ではなく、また、宅地・建物の所有者又は賃借人等の有する権利に対し、具体的な変動を与える行政処分ではない、といわなければならない

二、もつとも、事業計画は、一連の土地区画整理事業手続の根幹をなすものであり、その後の手続の進展に伴つて、仮換地の指定処分、建物の移転・除却命令等の具体的処分が行なわれ、これらの処分によつて具体的な権利侵害を生ずることはありうる。しかし、事業計画そのものとしては、さきに説示したように、特定個人に向けられた具体的な処分ではなく、いわば当該土地区画整理事業の青写真たるにすぎない一般的・抽象的な単なる計画にとどまるものであつて、土地区画整理事業の進展に伴い、やがては利害関係者の権利に直接変動を与える具体的な処分が行なわれることがあるとか、また、計画の決定ないし公告がなされたままで、相当の期間放置されることがあるとしても、右事業計画の決定ないし公告の段階で、その取消又は無効確認を求める訴えの提起を許さなければ、利害関係者の権利保護に欠けるところがあるとはいい難く、そのような訴えは、抗告訴訟を中心とするわが国の行政訴訟制度のもとにおいては、争訟の成熟性ないし具体的事件性を欠くものといわなければならない
更に、この点を詳説すれば、そもそも、土地区画整理事業のように、一連の手続を経て行なわれる行政作用について、どの段階で、これに対する訴えの提起を認めるべきかは、立法政策の問題ともいいうるのであつて、一連の手続のあらゆる段階で訴えの提起を認めなければ、裁判を受ける権利を奪うことになるものとはいえない。右に説示したように、事業計画の決定ないし公告の段階で訴えの提起が許されないからといつて、土地区画整理事業によつて生じた権利侵害に対する救済手段が一切閉ざされてしまうわけではない。すなわち、土地区画整理事業の施行に対する障害を排除するため、当該行政庁が、当該土地の所有者等に対し、原状回復を命じ、又は当該建築物等の移転若しくは除く却を命じた場合において、それらの違法を主張する者は、その取消(又は無効確認)を訴求することができ、また、当該行政庁が換地計画の実施の一環として、仮換地の指定又は換地処分を行なつた場合において、その違法を主張する者は、これらの具体的処分の取消(又は無効確認)を訴求することができる。これらの救済手段によつて、具体的な権利侵害に対する救済の目的は、十分に達成することができるのである。土地区面整理法の趣旨とするところも、このような具体的な処分の行なわれた段階で、前叙のような救済手段を認めるだけで足り、直接それに基づく具体的な権利変動の生じない事業計画の決定ないし公告の段階では、理論上からいつても、訴訟事件としてとりあげるに足るだけの事件の成熟性を欠くのみならず、実際上からいつても、その段階で、訴かの提起を認めることは妥当でなく、また、その必要もないとしたものと解するのが相当である。
されば、土地区画整理事業計画の決定は、それが公告された後においても、無効確認訴訟の対象とはなし得ないものであつて、これと同趣旨に出た原審の所論判断は、相当であり、論旨は、排斥を免れない。よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官入江俊郎、同奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同柏原語六の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。
土地区画整理法(昭和三七年法律第一六一号による改正前のもの。以下同じ。)の規定によれば、事業計画(または変更計画)が確定して公告されると、施行地区において宅地建物を所有する者が、土地の形質の変更若しくは建築物その他の工作物の新築、改築若しくは増築を行ないまたは政令に定める移動の容易でない物件の設置若しくはたい積を行うには、都道府県知事の許可を受けることを必要とし(七六条一項参照)、これに違反すれば刑罰の裏付けをもつて、土地の原状回復または建物その他工作物若しくは物件の移転若しくは除却を命ずることとし(同条四項、一四〇条参照)、また所有権以外の権利で登記のないものを有しまたは有するにいたつた者は、書面をもつてその権利の種類及び内容を施行者に申告しなければ、無権利者または権利変動がなかつたものとして、不利益な取扱いを受けることになつている(八五条一項、五項参照)。
かくの如く土地区画整理事業計画によつて、施行地区内の土地所有者、賃借権者等が、その権利の行使を制限されることは明らかであるから、事業計画の決定は、少なくともそれが公告された段階においては、既に一の行政処分であつて、若し、その処分が違法であり、これにより権利の侵害を受けた者があるときは、その者は事業計画に対して行政訴訟を提起する法律上の利益を有するものと解すべきである。なお、このことは、土地区画整理法一二七条が同法に基づく処分に対し訴願の途を開いていることからみても、相当であるといえるであろう(昭和二四年一〇月一八日、当裁判所第三小法廷判決参照)。(尤も、右一二七条は其の後改正され、行政上の不服を許さないことになつたけれども、だからといつて、行政訴訟が禁止されるものでないことは、行政事件訴訟法が訴願前置主義を徹廃していることに鑑みても、明らかである。)もつとも、前記形質変更等の制限は、地区内の関係者全員に対して一律に課せられる義務であつて、特定の個人に対するものではないが、いわゆる一般的処分であつても、それが個人の権利、利益を違法に侵害するものであれけば、行政訴訟の対象となり得ることは、既に承認されているところである。また、右形質変更等の制限は、事業計画そのものによつて生ずるものではなく、法律により、特に与えられた事業計画に伴う附随的な効果であるとしても、苟もそれによつて違法に個人の権利が侵害される限り、事業計画そのものに対して、違法処分による権利の救済を目的とする行政訴訟が許されないとする理由はない。
さらにまた、事業計画は、土地区画整理手続の一環をなすに過ぎないものではあるが、土地区画整理手続の根幹をなすものであつて、それが決定それると、法定の除外事由のない限り、そのまま実施され、爾後の手続は機械的に進められる公算が極めて大であるのであるから、かかる場合において、若し最初の段階における事業計画が、違法であるにもかかわらず、被害者をしてその後の仮換地の指定または換地処分のあるまで、拱手黙視せしめることは、不当に出訴権を制限するものであるばかりではなく、爾後の行為は無駄な手続を積み重ねる結果となり、手続の完成の段階における仮換地指定、換地処分に対する訴訟において、始めて事業計画が違法として、無効とされ、または取消されるとすれば、却つて混乱を増大する結果となる。これ恰も農地買収または土地収用の手続において、農地買収処分、収用委員会の裁決に対する出訴が許される外に、農地買収計画、土地収用の事業認定に対しても出訴が許されるものと解されるのと同様、土地区画整理事業において、仮換地の指定、換地処分に対して出訴が許される外に、事業計画自体について、その違法を理由とする出訴が許されて然るべきである。
具体的権利の変動を及ぼす仮換地指定または換地処分等が行われた場合に、その違法を主張する者は、これらの具体的処分の取消(または無効確認)を訴求することができるから、これらの救済手段によつて、具体的な権利侵害に対する救済の目的は十分に達成することができる旨の多数意見の趣旨が、これらの最終の段階の処分に対する訴訟において、事業計画の無効を先決問題として主張し得るという趣旨であるとするならば、当然既に権利を違法に侵害された者に対し、それ以前においても事業計画の無効を主張せしめて然るべきであり、また、右多数意見の趣旨が当該具体的処分自体の違法を主張し得るに止まり、その基礎となつている事業計画の無効を先決問題として主張できないとする趣旨であるとすれば、違法な事業計画により権利を侵害された者の救済は遂に与えられないことになり、憲法三二条、裁判所法三条に違反することになる。
しかして、原判決の確定した事実によれば、本件土地区画整理事業計画は、東京都戦災復興計画の一環として、被上告人知事が特別都市計画法に基づいて昭和二三年三月二〇日決定し、これを設計図等とともに公告縦覧に供し、昭和二五年六月二六日建設大臣より設計の認可を受け、その後昭和二九年五月と昭和三四年九月の二回にわたつて一部変更が加えられ、該第二次変更については、新らたに制定された土地区画整理法に基づき、建設大臣に対して設計変更の認可を申請し、昭和三五年三月三一日その認可を受け、同年四月九日付で変更決定の公告がなされた、また、上告人らは、右第二次変更計画においても残置された施行地区内において宅地、建物等を所有または賃借しているものであり、なかんずく、上告人Aは昭和三四年三月二六日、同Bは同年八月二四日それぞれ仮換地の指定およびこれに伴う建築物等の移転通知を受けたものである、というのである。従つて、上告人らの本件事業計画(第二次変更計画)の無効確認を求める本訴は適法であつて、論旨は理由があり、本訴を不適法とした原判決および第一審判決は、破棄または取消を免かれず、本件を第一審裁判所に差し戻すべきである。
裁判官草鹿浅之介、同石田和外は、裁判官奥野健一の右反対意見に同調する。

+反対意見
裁判官入江俊郎は、奥野健一裁判官の反対意見と趣旨において同意見であり、これに同調するけれども、なお補足したいところもあるので、若干重複する点もあるが、私の反対意見を次のとおり表示する。
原判決は、土地区画整理法(昭和三七年法律第一六一号による改正前の、本件に適用された同法をいう。以下同じ。)事業計画は、それが公告されると、同法七六条一項、八五条等により地区内の関係者にある種の規制が加えられることとなるけれども、それは一般的、抽象的のものであり、これらの規定に違反した者に対して、同法七六条四項、五項の原状回復、移転、除却を命ずる処分がなされて始めて直接具体的な権利変動を来たすものであることを理由とし、上告人A、同B以外の上告人らは、その権利につき未だ直接具体的な変動を受けていないから、本訴により事業計画の無効確認を求める法律上の利益を有せず、右上告人A、同Bは同法七七条二項の仮換地指定に伴う移転通知はなされたが、右両名は仮換地指定等の処分に対し不服申立をなし得るに止まり、本件事業計画に対してはその無効確認を求める法律上の利益を有せず、その請求はいずれも不適法であり、これを却下すべきものとし、本件控訴を棄却した。しかし、私は、次の理由により、右原判決を是認することを得ず、従つて、原判決を是認して上告を棄却することとした多数意見には賛成することができない。
一、なるほど、土地区画整理事業計画(その変更計画を含む。以下同じ。)自体は、一般的、抽象的のものであつて、個人を直接の相手方とし、その権利、利益の規制を定めたものではない。また、その公告も右事業計画を一般に公示するものであつて、形式的に見れば特定個人を相手方としてなされるものではなく、一般的、抽象的の行政庁の行為のごとくである。しかし、都道府県知事が土地区画整理事業を施行するに当つては、先ずその計画を定め、その事業内容を個別的、具体的に表示するのであるが、これが土地区画整理法所定の手続を経て公告された場合には、同法七六条一項により、同事業計画の具体的な内容に応じて、その地区内においては建築物の新築等が制限され、この制限は同条四項を通じて結局同法一四〇条により刑罰をもつてその履行が強制されることとなつており、また同法八五条により権利の申告をしなければならないなど、地区内の関係者の権利、利益に対し規制が加えられることとなるのである。そして、土地区画整理は、土地区画整理法の規定によりその計画の樹立、公告およびその実施等が、段階を追うて行なわれる行政庁の一連の行為であるが、右事業計画の公告は、前記法条の規定のあることを前提として行政庁によりなされるものであるから、公告自体の形式のみに着眼すれば一般的、抽象的な行政庁の行為のごとく見えても、それは同時に、当然にその地区内における土地、家屋の所有者その他の個々の権利者は、同法七六条、八五条による規制を蒙むることとなり、これを放置することにより、後続または最終の処分によつて、その制約が具体的に確定してしまう危険が現実に存在することを否定し得ず、行政庁は、事業計画の内容にかかる法律効果の伴うことを意図し、これを前提として事業計画の公告をするのである。いいかえれば、本件公告は、形式的には一般的、抽象的処分のごとくであるが、それによつて、同時に、当該個人の権利、利益を規制する効果を生ずることとなり、結局、公告された事業計画は、個人に対する個別的な処分たる性質をも併せ有するに至るものであつて、その面に着眼すれば、行政事件訴訟特例法の適用については、公告を経た事業計画はこれを行政処分と見て、これに対して抗告訴訟を提起し得るものと解するのを相当とし(もちろん、この場合において不服の対象は、事業計画の内容およびその決定手続、公告手続等の違法問題に限らるべく、事業計画の具体的内容で行政庁の裁量に属するものに及び得ないことは当然である。)、多数意見のように、この段階では未だいわゆる訴訟の成熟性ないし具体的事件性を欠くものとは考えられず、従つて、本件事業計画の無効確認を求める訴の利益を否定すべきいわれはない。
二、もちろん、一連の手続を経て完成される行政作用については、中間段階の行政庁の行為につき、これに対する独立の出訴を認めず、単に異議、不服の申立等の行政上の手続をもつて争わせることとし、その後の段階においてはじめて訴訟をもつて争い得ることとしても、それによつてその個人の蒙むる権利、利益の侵害が、結局、後の段階における訴訟によつて完全に救済し得るならば、それは立法政策上許されないことではない(例えば、地方議会解散請求の受理や、立候補届出の受理のごときは、法律はそれ自体を直ちに独立の訴訟の客体とすることを認めず、一連の行為の最終段階の行為の取消または無効確認を求める訴訟で、右のような中間行為の違法を争わせることにしている。)。しかし、訴の利益を欠くか否かの問題は、人権保障の上からも、憲法三二条の精神からも極めて重大な事柄で、その判断は慎重を要すべきであり、訴の利益を欠くといい得るためには、当該法律にその旨の明文の規定があるか、または、立法の趣旨に照らし、そのように解し得るものであると同時に、それが憲法三二条の裁判請求権を不当に制約するものでない合理的根拠のある場合でなければならない。これを土地区画整理法についてみると、本件当時の同法一二七条は、この法律に基づいてなした処分に対し不服のある者は、建設大臣に訴願することができると規定しているだけであつて、救済方法をそれのみに限定したものとは認められず、中間段階の訴訟を認めない旨の規定はないばかりでなく、本件事業計画は、前記のとおり公告によつて、個人の権利、利益に対し個別的、具体的制約を及ぼすに至るものである点を考えれば、かかる制約をもつて、単に法律が特に付与した公告に伴う附随的効果に止まるものであるとして、これに対する権利、利益の救済を目的とする訴訟を否定する多数意見は、土地区画整理法の合理的な解釈と認めがたく、また憲法三二条の法意にも副わないものである。
原判決は、「……これらの規定に違反した者に対し同法第七十六条第四項第五項の原状回復、移転、除却を命ずる処分がなされて始めて直接具体的な権利変動を来たすものというべきである。」として、その段階に至つてはじめて出訴を認得旨を判示しているが、そのような個々の処分がなされるまでは、権利制限を受けたと主張する者を、訴えるに由なき状態のまま放置することは、徒らに形式にとらわれた考え方であつて、人権保障の見地からみても賛同し得ないばかりでなく原判決のいう段階において出訴を認めるというのであれば、公告のなされた段階において出訴を認めて、速やかに人権保障の途を開き、またそれだけ早く違法な行政上の処分を是正し、その後に生ずることあるべき行政秩序の無用な混乱を未然に防止すべきであると考える。事業計画が健全な市街地造成のための長期的見通しの下になされる計画であるとか、当該土地区画整理事業の青写真であるとか、事業計画を定めるにつき土地区画整理法六九条の規定があるとかいうことは、本件公告がなされた段階において事業計画につき行政訴訟を認めることの何らの支障となるものではない。また、個人は、必ずしも本件のような訴訟によらず、所有権に基づく妨害の排除または予防の請求訴訟を提起し得る途がないわけではないとしても、法律により規制を受ける個人の権利、利益には所有権以外のものも存在するし、またたとえそのような方法が別途認められているからといつて、本件につき行政訴訟を否定する理由にならない。
本件類似の訴訟につき訴の利益を認めるか否かは、下級審において、積極、消極の裁判例の存するところではあるが、結局それは人権保障をその責務とする裁判所が、具体的各個の事案ごとに、その根拠法令の規定および憲法三二条の法意を、実体に即して勘案した上、ケース・バイ・ケースで判断すべきものである。そしてそのように考えると、この種の行政訴訟を認容する場合が将来次第に増加することになるかもしれないが、それが人権保障の上で必要なものであれば、裁判所としては徒らに消極的になる必要はない。
なお、上述したところは、上告人A、同Bについても同様である。なるほどこの両名は仮換地の指定等の処分を受けており、これに対し所定の手続により不服の訴ができるけれども、それだからといつて、右両名が公告のなされた本件事業計画により、その権利、利益を具体的に規制されるに至つたことは他の上告人らと同様であり、本件事業計画に対し、その無効確認を訴求し得ないとする理由はない。
三、附言すれば、このような行政訴訟は民衆訴訟として認められているわけではないから、権利、利益を侵害されたと主張する者が、侵害されたとする自己の権利、利益に関する限度において訴訟関係が成立するものであることは、憲法および裁判所法の下において、司法権の性質からみて当然のことである。それ故、本件においては、無効確認といつても、それは上告人らの当該権利、利益に関する限度において無効が確認されることとなるものであり、また、もしそれが取消訴訟として提起された場合には、その取消は、同様に上告人らの当該権利、利益に関する限度において取り消されるものであり、本件公告は、形式的には一般的な行為ではあつても、それはこれらの訴訟によつて、事業計画が全面的に無効とされまたは取り消されるものでない。事実審においては、必要によりこの点を釈明し、また判決主文において、すくなくとも判決理由の記載において、その趣旨を明示することが望ましい。よつて、上告理由は結局理由あるに帰し、原判決を破棄し第一審判決を取り消し、本件を第一審裁判所に差し戻すべきものと考える。裁判官柏原語六は、裁判官入江俊郎の右反対意見に同調する。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 五鬼上竪磐 裁判官 横田正俊 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎)

エ 判例変更

+判例(H20.9.10)
理由
上告代理人渡辺昭、同松浦基之の上告受理申立て理由第1、第3、第4について
1 本件は、被上告人の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定について、施行地区内に土地を所有している上告人らが、同決定の違法を主張して、その取消しを求めている事案である。
2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、新浜松駅から西鹿島駅までを結ぶ遠州鉄道鉄道線(西鹿島線)の連続立体交差事業の一環として、上島駅の高架化と併せて同駅周辺の公共施設の整備改善等を図るため、西遠広域都市計画事業上島駅周辺土地区画整理事業(以下「本件土地区画整理事業」という。)を計画し、平成15年11月7日、土地区画整理法(平成17年法律第34号による改正前のもの。以下「法」という。)52条1項の規定に基づき、静岡県知事に対し、本件土地区画整理事業の事業計画において定める設計の概要について認可を申請し、同月17日、同知事からその認可を受けた。被上告人は、同月25日、同項の規定により、本件土地区画整理事業の事業計画の決定(以下「本件事業計画の決定」という。)をし、同日、その公告がされた。
(2) 上告人らは、本件土地区画整理事業の施行地区内に土地を所有している者であり、本件土地区画整理事業は公共施設の整備改善及び宅地の利用増進という法所定の事業目的を欠くものであるなどと主張して、本件事業計画の決定の取消しを求めている

3 原審は、要旨次のとおり判断し、本件訴えを却下すべきものとした。
土地区画整理事業の事業計画は、当該土地区画整理事業の基礎的事項を一般的、抽象的に決定するものであって、いわば当該土地区画整理事業の青写真としての性質を有するにすぎず、これによって利害関係者の権利にどのような変動を及ぼすかが必ずしも具体的に確定されているわけではない。事業計画が公告されることによって生ずる建築制限等は、法が特に付与した公告に伴う付随的効果にとどまるものであって、事業計画の決定ないし公告そのものの効果として発生する権利制限とはいえない。事業計画の決定は、それが公告された段階においても抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらないから、本件事業計画の決定の取消しを求める本件訴えは、不適法な訴えである。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1)ア 市町村は、土地区画整理事業を施行しようとする場合においては、施行規程及び事業計画を定めなければならず(法52条1項)、事業計画が定められた場合においては、市町村長は、遅滞なく、施行者の名称、事業施行期間、施行地区その他国土交通省令で定める事項を公告しなければならない(法55条9項)。そして、この公告がされると、換地処分の公告がある日まで、施行地区内において、土地区画整理事業の施行の障害となるおそれがある土地の形質の変更若しくは建築物その他の工作物の新築、改築若しくは増築を行い、又は政令で定める移動の容易でない物件の設置若しくはたい積を行おうとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならず(法76条1項)、これに違反した者がある場合には、都道府県知事は、当該違反者又はその承継者に対し、当該土地の原状回復等を命ずることができ(同条4項)、この命令に違反した者に対しては刑罰が科される(法140条)。このほか、施行地区内の宅地についての所有権以外の権利で登記のないものを有し又は有することとなった者は、書面をもってその権利の種類及び内容を施行者に申告しなければならず(法85条1項)、施行者は、その申告がない限り、これを存しないものとみなして、仮換地の指定や換地処分等をすることができることとされている(同条5項)。
また、土地区画整理事業の事業計画は、施行地区(施行地区を工区に分ける場合には施行地区及び工区)、設計の概要、事業施行期間及び資金計画という当該土地区画整理事業の基礎的事項を一般的に定めるものであるが(法54条、6条1項)、事業計画において定める設計の概要については、設計説明書及び設計図を作成して定めなければならず、このうち、設計説明書には、事業施行後における施行地区内の宅地の地積(保留地の予定地積を除く。)の合計の事業施行前における施行地区内の宅地の地積の合計に対する割合が記載され(これにより、施行地区全体でどの程度の減歩がされるのかが分かる。)、設計図(縮尺1200分の1以上のもの)には、事業施行後における施行地区内の公共施設等の位置及び形状が、事業施行により新設され又は変更される部分と既設のもので変更されない部分とに区別して表示されることから(平成17年国土交通省令第102号による改正前の土地区画整理法施行規則6条)、事業計画が決定されると、当該土地区画整理事業の施行によって施行地区内の宅地所有者等の権利にいかなる影響が及ぶかについて、一定の限度で具体的に予測することが可能になるのである。そして、土地区画整理事業の事業計画については、いったんその決定がされると、特段の事情のない限り、その事業計画に定められたところに従って具体的な事業がそのまま進められ、その後の手続として、施行地区内の宅地について換地処分が当然に行われることになる前記の建築行為等の制限は、このような事業計画の決定に基づく具体的な事業の施行の障害となるおそれのある事態が生ずることを防ぐために法的強制力を伴って設けられているのであり、しかも、施行地区内の宅地所有者等は、換地処分の公告がある日まで、その制限を継続的に課され続けるのである。
そうすると、施行地区内の宅地所有者等は、事業計画の決定がされることによって、前記のような規制を伴う土地区画整理事業の手続に従って換地処分を受けるべき地位に立たされるものということができ、その意味で、その法的地位に直接的な影響が生ずるものというべきであり、事業計画の決定に伴う法的効果が一般的、抽象的なものにすぎないということはできない
イ もとより、換地処分を受けた宅地所有者等やその前に仮換地の指定を受けた宅地所有者等は、当該換地処分等を対象として取消訴訟を提起することができるが、換地処分等がされた段階では、実際上、既に工事等も進ちょくし、換地計画も具体的に定められるなどしており、その時点で事業計画の違法を理由として当該換地処分等を取り消した場合には、事業全体に著しい混乱をもたらすことになりかねない。それゆえ、換地処分等の取消訴訟において、宅地所有者等が事業計画の違法を主張し、その主張が認められたとしても、当該換地処分等を取り消すことは公共の福祉に適合しないとして事情判決(行政事件訴訟法31条1項)がされる可能性が相当程度あるのであり、換地処分等がされた段階でこれを対象として取消訴訟を提起することができるとしても、宅地所有者等の被る権利侵害に対する救済が十分に果たされるとはいい難い。そうすると、事業計画の適否が争われる場合、実効的な権利救済を図るためには、事業計画の決定がされた段階で、これを対象とした取消訴訟の提起を認めることに合理性があるというべきである。
(2) 以上によれば、市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定は、施行地区内の宅地所有者等の法的地位に変動をもたらすものであって、抗告訴訟の対象とするに足りる法的効果を有するものということができ、実効的な権利救済を図るという観点から見ても、これを対象とした抗告訴訟の提起を認めるのが合理的である。したがって、上記事業計画の決定は、行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に当たると解するのが相当である。
これと異なる趣旨をいう最高裁昭和37年(オ)第122号同41年2月23日大法廷判決・民集20巻2号271頁及び最高裁平成3年(行ツ)第208号同4年10月6日第三小法廷判決・裁判集民事166号41頁は、いずれも変更すべきである。
5 以上のとおりであるから、本件訴えを不適法な訴えとして却下すべきものとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決のうち被上告人に関する部分は破棄を免れない。そして、同部分につき、第1審判決を取り消し、本件を第1審に差し戻すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官藤田宙靖、同泉徳治、同今井功、同近藤崇晴の各補足意見、裁判官涌井紀夫の意見がある。

+補足意見
裁判官藤田宙靖の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛成するものであるが、土地区画整理事業計画決定に処分性を認める理論的根拠につき、涌井裁判官からの意見があることに鑑み、私の考えるところを補足しておくこととしたい。
1 当裁判所判例が従来採用してきた「処分」概念の定義に忠実に従う限り、土地区画整理事業計画決定に処分性を認める根拠は、まずもって、事業計画決定が公告されることによって生ずる建築行為等の制限等の法律上の効果(昭和41年大法廷判決では「付随的効果」に過ぎないとされた効果)に求められることにならざるを得ないのは、涌井裁判官の指摘されるとおりである。しかし、涌井裁判官の意見のように、この論拠のみで必要かつ十分であるとする場合には、当然のことながら、同じく私人の権利を直接に制限する法的効果を伴う他の計画決定行為(例えば都市計画法上の地域・地区の指定等、いわゆる「完結型」の土地利用計画)についてどう考えるのかが、直ちに問題とならざるを得ない。この点に関してはおそらく、まずは従来の当裁判所判例に従い、これらの土地利用計画は一種の立法類似の行為としての性格を持つものとして、土地区画整理事業計画決定とは区別され、行政処分とは認められない、とすることが考えられよう。そして、それはそれなりに、一つの可能な考え方であるとは思われるが、ただ、従来の判例が前提としてきた、完結型の土地利用計画は「不特定多数の者を対象とした一般的、抽象的規制である」という性格付け自体が、果たして(少なくとも)すべての場合に納得し得るようなものであるか否かについては、なお問題が残らないではない。例えばまず、規制の内容自体から言えば、完結型土地利用計画は、まさに「完結型」なのであって、私人の権利への侵害は、(土地区画整理事業計画決定に伴う建築行為等の制限の場合と同様、あるいは見方によってはより一層)直接的かつ究極的な(暫定的規制に止まらない)ものである。また、対象となる地域についても、規制区域の範囲はかなり限定的なものとなるケースも無いではない。こうしてみると、今回、昭和41年大法廷判決を変更するとして、そこから直ちにこれらの土地利用計画決定についての従来の判例を云々する必要までは無いものとしても、将来においてはこういった問題も新たに登場して来る余地があることを想定しておいた方が、賢明であるように思われるのである。このように考える場合には、同様に私人の権利義務に対し直接の法的効果をもたらす各種の計画行為の中で、他を差し置いても土地区画整理事業計画決定については処分性を認めなければならない固有の理由は何かを問うことには、十分な意味があるものといわなければならない。
2 私自身は、土地利用計画と異なる土地区画整理事業計画決定の固有の問題は、本来、換地制度をその中核的骨格とするこの制度の特有性からして、私人の救済の実効性を保障するためには事業計画決定の段階で出訴することを認めざるを得ないというところにあるものと考える。すなわち、土地区画整理事業計画の場合には、純粋に理論的には、計画の適法性を、後続の換地処分等個別的処分の取消訴訟においてその前提問題として争うことも可能であるとは言い得るものの、多数意見も指摘するとおり、換地制度という権利交換システムをその骨格とする制度の性質上、実際問題としては、この段階で計画の違法性を理由に個別的処分の取消しないし無効確認を認めることになれば、事業全体に著しい混乱をもたらすこととなりかねない。それ故、換地処分の取消訴訟においては、仮に処分ないしその前提としての計画の違法性が認められても、結果としては事情判決をせざるを得ないという状況が、容易に生じ得る。このような事態を避け実効的な権利救済を図るためには、事業プロセスのより早い段階で出訴を認めることが合理的であり、かつ不可欠である、ということができる(同様のことは、同じく権利交換システムないし権利変換システムを骨格とする土地改良事業、第一種市街地再開発事業等についても言える。)。これに対して、完結型土地利用計画の場合には、例えば各種用途地域において例外許可が認められることもあるように、仮に個別的開発行為や建築確認等の段階でその許可等の拒否処分が争われ、その前提問題として計画自体の違法性が認定され取消判決がなされたとしても、そのことが直ちに、システムの全体に著しい混乱をもたらすということにはならない(少なくとも、裁判所が事情判決をせざるを得ないといった状況が広く生じるものとは考えられない。)。
3 一般的に言って、行政計画については、一度それが策定された後に個々の利害関係者が個別的な訴訟によってその取消しを求めるというような権利救済システムには、そもそも制度の性質上多少とも無理が伴うものと言わざるを得ないのであって、立法政策的見地からは、決定前の事前手続における関係者の参加システムを充全なものとし、その上で、一度決まったことについては、原則として一切の訴訟を認めないという制度を構築することが必要というべきである。問題はしかし、現行法上、このような構想を前提とした上での計画の事前手続の整備がなされてはいないというところにあり、こういった事態を前提として、司法が、その本来の責務に照らしてどのような法解釈を行うのが最も合理的であるかが問われることになる。そしてその場合、問題のパーフェクトな解決は、立法技術の上でも必ずしも容易な問題であるとは言えないのであるから(このことは、問題提起は早くからなされているにも拘らず、今日に至るまで、この種の立法が実現していないという事実に、既に表われている。)、現段階において、司法がこの問題についての幅広い解決方法を示すことは、必ずしも適当であるとは言えまい。このような前提の下で、行政訴訟における国民の権利救済の実効性を図るという課題に鑑みるとき、当裁判所として今行うべきことは、事案の実態に即し、行政計画についても、少なくとも必要最小限度の実効的な司法的救済の道を、(立法を待たずとも)判例上開くということであろう。そして、上記に見たような意味において、土地区画整理事業計画決定に対する抗告訴訟の道を開くことは、まさにその典型例であると思われるのである。
4 もとより、涌井裁判官も指摘されるように、換地の法的効果自体は、土地区画整理事業計画決定から直接に生じるものではないが、一度計画が決定されれば、制度の構造上、極めて高い蓋然性をもって換地処分にまで到ることは否定し得ないのみならず、まさに、その段階に到るまでの現実の障害の発生を防止することを目的とする(いわば計画実施保障制限とも称すべき)建築行為等の制限効果が直接に生じることとなっている。そして、この制限は換地処分の公告がなされるまで継続的に課されるのであって、この意味において、事業計画決定は、土地区画整理事業の全プロセスの中において、いわば、換地にまで到る権利制限の連鎖の発端を成す行為であるということができる。多数意見が「施行地区内の宅地所有者等は、事業計画の決定がされることによって、前記のような規制を伴う土地区画整理事業の手続に従って換地処分を受けるべき地位に立たされるものということができ、その意味で、その法的地位に直接的な影響が生ずるものというべき」であるというのは、まさにこの意味であって、冒頭に見た従来の判例における「処分」概念との整合性についても、このように理解されるべきである。

+補足意見
裁判官泉徳治の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に同調するものであるが、土地区画整理事業の事業計画の決定が処分性を有する理由について、私の考えるところを補足しておくこととする。
1 本件土地区画整理事業は、都市計画法12条2項の規定により土地区画整理事業について都市計画に定められた施行区域の土地についての土地区画整理事業であるから、都市計画事業である(法3条の4第1項(平成15年法律第100号による改正前の土地区画整理法3条の5第1項)、法2条8項)。
都市計画法4条15項は、「この法律において『都市計画事業』とは、この法律で定めるところにより第五十九条の規定による認可又は承認を受けて行なわれる都市計画施設の整備に関する事業及び市街地開発事業をいう。」と規定し、同法4条7項は、「この法律において『市街地開発事業』とは、第十二条第一項各号に掲げる事業をいう。」と規定し、同法12条1項は、市街地開発事業として、「土地区画整理法による土地区画整理事業」、「都市再開発法による市街地再開発事業」などを掲げている。
都市計画事業は、公権力の行使である公用収用又は公用換地の手法によって、その法的実現が担保されている。
すなわち、法律に特別な規定があるものを除き、都市計画事業は、土地収用法3条各号の一に規定する事業に該当するものとみなされ、同法の規定が適用されるものとし(都市計画法69条)、法的実現の担保として土地収用法による公用収用の手法が採用されている。
土地収用法においては、同法20条の規定による事業の認定があり、同法26条1項の規定による事業の認定の告示があると、起業者に対して、同法の定める手続を履践することによって最終的には認定に係る起業地内の土地を収用し、又は使用し得る地位が付与される(同法39条1項)。起業地内の土地は、事業の認定の告示により、特段の事情のない限り、収用又は使用されることになる。なお、告示された事業の認定は、行政不服審査法による不服申立ての対象とされている(土地収用法130条1項)。
そして、都市計画事業については、土地収用法20条の規定による事業の認定は行わず、都市計画法59条の規定による都市計画事業の認可をもってこれに代えるものとされている(同法70条1項)(ここでは、同法59条3項の規定による承認については触れないこととする。)。上記の認可を申請するには事業計画を記載した書面を提出しなければならず、事業計画には収用又は使用の別を明らかにした事業地を定めなければならない(同法60条1項、2項)。また、同法62条1項の規定による都市計画事業の認可の告示をもって、土地収用法26条1項の規定による事業の認定の告示とみなすこととされている(都市計画法70条1項)。その結果、都市計画事業の認可の告示があると、施行者に対して、事業地内の土地を収用し、又は使用し得る地位が付与され、事業地内の土地は、都市計画事業の認可の告示により、特段の事情のない限り、収用又は使用されることになる。
他方、都市計画事業として施行する土地区画整理事業については、法3条の4第2項が、都市計画法60条から74条までの規定を適用しないと規定し、公用収用の手法を採用しないことを明らかにしている。そして、法は、公用収用に代わる法的実現の担保として、最終的には換地処分に至る公用換地の手法を規定しているのである。
2 ところで、最高裁昭和63年(行ツ)第170号平成4年11月26日第一小法廷判決・民集46巻8号2658頁(以下「平成4年判決」という。)は、都市再開発法51条1項、54条1項の規定に基づき市町村により定められ公告された第二種市街地再開発事業の事業計画の決定は、抗告訴訟の対象となる行政処分であると判示している。
市街地再開発事業の施行区域内において施行される第二種市街地再開発事業は、都市計画事業であり、土地収用法3条各号の一に規定する事業に該当するものとみなされ、同法の規定が適用される(都市再開発法6条1項、都市計画法69条)。
市町村は、第二種市街地再開発事業を施行しようとするときは、事業計画において定める設計の概要について都道府県知事の認可を受けて事業計画を決定し、これを公告しなければならないが、この認可が都市計画法59条の規定による都市計画事業の認可とみなされ、この認可及び公告により、市町村は、都市計画事業としての第二種市街地再開発事業の施行権を取得する(都市再開発法51条、54条)。また、上記の認可及び公告は、土地収用法20条の規定による事業の認定及び同法26条1項の規定による事業の認定の告示とみなされ、市町村は、これにより施行地区の土地に対し土地収用法による収用権限を取得する(都市再開発法6条4項、都市再開発法施行令1条の5、都市計画法70条1項)。
したがって、第二種市街地再開発事業の事業計画の決定及び公告により、施行地区内の土地の所有者等は、特段の事情のない限り、自己の所有地等が収用されるべき地位に立たされることになる。平成4年判決は、このことを理由として、「公告された再開発事業計画の決定は、施行地区内の土地の所有者等の法的地位に直接的な影響を及ぼすものであって、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たる」と判示したのである。
3 また、最高裁平成16年(行ヒ)第114号同17年12月7日大法廷判決・民集59巻10号2645頁(以下「平成17年判決」という。)は、都市計画施設の整備に関する事業に係る都市計画法59条の規定による都市計画事業の認可について、それが抗告訴訟の対象となる行政処分に当たることを当然の前提として、その取消訴訟に係る周辺住民の原告適格について判示している。
都市計画法59条の規定による都市計画事業の認可及び同法62条1項の規定による都市計画事業の認可の告示により、事業地内の土地に権利を有する者は、土地収用法により当該土地が収用又は使用されるべき地位に立たされることになるから、告示された都市計画事業の認可が抗告訴訟の対象となることは明らかである。
4 そこで、土地区画整理事業における事業計画の決定の法的性質について考えるに、法52条1項は、市町村が都市計画事業として土地区画整理事業を施行しようとする場合においては、事業計画において定める設計の概要について都道府県知事の認可を受けて、事業計画を定めなければならないと規定し、同条2項は、この認可をもって都市計画法59条に規定する都市計画事業の認可とみなすとしている。また、法55条9項は、市町村が上記事業計画を定めた場合においては、市町村長はこれを公告しなければならないと規定し、同条11項は、この公告があるまでは、市町村は事業計画をもって第三者に対抗することができないと規定している。すなわち、市町村は、事業計画の決定の公告により、都市計画事業として、事業計画に定める内容の土地区画整理事業を施行する権限を取得して、これを第三者に対抗することができ、以後、建築行為等の制限、仮換地の指定、建築物等の移転・除却及び工事等を経て、最終的に換地処分に至る強制処分により、土地区画整理事業を実施することになる。他方、施行地区内の宅地所有者等は、事業計画の決定の公告により、特段の事情のない限り、自己の所有地等につき換地処分を受けるべき地位に立たされることになるのである。
このように、土地区画整理事業の事業計画の決定は、そこにおいて定められる設計の概要についての認可が都市計画法59条に規定する都市計画事業の認可とみなされるのであり、その公告により施行者に法的強制力をもった事業の施行権が付与されるという点において、平成4年判決の第二種市街地再開発事業の事業計画の決定や、平成17年判決の都市計画施設の整備に関する事業に係る都市計画事業の認可、ひいては土地収用法20条の規定による事業の認定と同じ性質を有するものである。法的実現を担保する手法が、土地区画整理事業にあっては公用換地であるのに対し、第二種市街地再開発事業等にあっては公用収用であるという違いがあるにすぎないのである。
5 以上のように、土地区画整理事業の事業計画の決定及び公告の本質的効果は、都市計画事業としての土地区画整理事業の施行権の付与にある。法76条1項の規定による建築行為等の制限は、事業計画の決定及び公告そのものの効果として発生する権利制限ではなく、事業の円滑な施行を図るため法律が特に付与した公告に伴う付随的な効果にとどまるというべきである。土地区画整理事業の施行権の付与の効果及び建築行為等の制限の効果は、いずれも公告された事業計画の決定が抗告訴訟の対象となることを理由付けるものと考えるが、公告された事業計画の決定が抗告訴訟の対象となることの本来的な理由は、それが土地区画整理事業の施行権の付与という効果を有し、それにより施行地区内の宅地所有者等が特段の事情のない限り自己の所有地等につき換地処分を受けるべき地位に立たされるということにあるのである。

+補足意見
裁判官近藤崇晴の補足意見は、次のとおりである。
本判決は、当裁判所のこれまでの判例を変更して、土地区画整理事業の事業計画の決定にいわゆる処分性を認めるものであり、これに関連して検討すべき理論上及び実務上の問題が幾つかある。私は、多数意見に同調するものであるが、その立場から問題の所在を指摘し、一応の私見を述べておくこととしたい。
1 公定力と違法性の承継
(1) ある行政行為について処分性を肯定するということは、その行政行為がいわゆる公定力を有するものであるとすることをも意味する。すなわち、正当な権限を有する機関によって取り消されるまでは、その行政処分は、適法であるとの推定を受け、処分の相手方はもちろん、第三者も他の国家機関もその効力を否定することができないのである。
そして、このことがいわゆる違法性の承継の有無を左右することになる。すなわち、先行する行政行為があり、これを前提として後行の行政処分がされた場合には、後行行為の取消訴訟において先行行為の違法を理由とすることができるかどうかが問題となるが、一般に、先行行為が公定力を有するものでないときはこれが許されるのに対し、先行行為が公定力を有する行政処分であるときは、その公定力が排除されない限り、原則として、先行行為の違法性は後行行為に承継されず、これが許されないと解されている(例外的に違法性の承継が認められるのは、先行の行政処分と後行の行政処分が連続した一連の手続を構成し一定の法律効果の発生を目指しているような場合である。)。
(2) したがって、土地区画整理事業の事業計画の決定についてその処分性を否定していた本判決前の判例の下にあっては、仮換地の指定や換地処分の取消訴訟において、これらの処分の違法事由として事業計画の決定の違法を主張することが許されると解されていた。これに対し、本判決のようにその処分性を肯定する場合には、先行行為たる事業計画の決定には公定力があるから、たとえこれに違法性があったとしても、それ自体の取消訴訟などによって公定力が排除されない限り、その違法性は後行行為たる仮換地の指定や換地処分に承継されず(例外的に違法性の承継を認めるべき場合には当たらない。)、もはや後行処分の取消事由として先行処分たる事業計画の決定の違法を主張することは許されないと解すべきことになろう。
そうすると、事業計画の決定の処分性を肯定する結果、その違法を主張する者は、その段階でその取消訴訟を提起しておかなければ、後の仮換地や換地の段階ではもはや事業計画自体の適否は争えないことになる。しかし、土地区画整理事業のように、その事業計画に定められたところに従って、具体的な事業が段階を踏んでそのまま進められる手続については、むしろ、事業計画の適否に関する争いは早期の段階で決着させ、後の段階になってからさかのぼってこれを争うことは許さないとすることの方に合理性があると考えられるのである。
2 出訴期間と経過措置的解釈
(1) 土地区画整理事業の事業計画の決定に処分性を認めるならば、抗告訴訟としてその取消しを求める訴訟を提起することが許されるが(行政事件訴訟法3条2項)、この取消訴訟には出訴期間の定めがあり、処分があったことを知った日(公告があった日に事業計画の決定を知ったことになる。)から6か月を経過したときは提起することができず、ただし、正当な理由があるときはこの限りでないこととされている(同法14条1項)。出訴期間が経過した場合には、事業計画の決定は形式的に確定し、いわゆる不可争力を生ずることになる。
(2) 本判決の後にされる事業計画の決定については、出訴期間について特段の問題を生じないのであるが、本判決より前にされた事業計画の決定で、既に6か月の出訴期間を経過し、あるいはこれが切迫しているものについては、別途の配慮を要するであろう。本判決によって変更された従前の判例の下においては、国民は、土地区画整理事業の事業計画の決定に処分性は認められないと判断して、通常はその段階では取消訴訟を提起しなかったであろうと考えられるからである。
この点に配慮するならば、本判決より前にされた事業計画の決定については、6か月の経過について上記の「正当な理由」があるものとして救済を図るといういわば経過措置的な解釈をすることが相当であろう。ただし、換地処分がされてその取消訴訟の出訴期間も経過しているような場合には、「正当な理由」があるとはいえないであろう。
3 取消判決の第三者効(対世効)と第三者の手続保障
(1) 土地区画整理事業の事業計画の決定に処分性を認める場合に、事業計画の決定を取り消す判決が確定すると、取消判決の形成力によって、当該事業計画決定はさかのぼって効力を失う。そして、この判決は第三者に対しても効力を有する(行政事件訴訟法32条1項)。いわゆる取消判決の第三者効(対世効)である。
土地区画整理事業の事業計画の決定は、特定の個人に向けられたものではなく、不特定多数の者を対象とするいわゆる一般処分であるが、このような一般処分を取り消す判決の第三者効については、相対的効力説(原告との関係における当該処分の相対的効力のみを第三者との関係でも失わせるものであるとする見解)と絶対的効力説(第三者との関係をも含む当該処分の絶対的効力を失わせるものであるとする見解)の対立がある。詳論は避けることとするが、私は、行政上の法律関係については、一般に画一的規律が要請され、原告とそれ以外の者との間で異なった取扱いをすると行政上不要な混乱を招くことなどから、絶対的効力説が至当であると考えている。
(2) 事業計画の決定を取り消す判決の第三者効によって、訴訟の当事者ではない関係者で、当該事業計画決定の適法・有効を主張する者は、不利益を被ることになるから、このような利害関係人が自己のために主張・立証をする機会を保障する必要がある。上記の絶対的効力説を採ったときは、特にその必要性が高い。
このような第三者の手続保障としては、まず、「訴訟の結果により権利を害される第三者」の訴訟参加がある(行政事件訴訟法22条)。例えば、土地区画整理事業の施行地区内の宅地所有者等で、当該事業計画決定は適法・有効であるとして事業の進行を望む者は、裁判所の決定をもって訴訟参加をし、被告の共同訴訟的補助参加人として訴訟行為を行うことができるものと考えたい。さらに、そうだとすれば、自己の責めに帰することができない理由により訴訟に参加することができなかった第三者は、第三者の再審の訴えを提起することができることになろう(同法34条)。したがって、第三者の手続保障に欠けるところはないというべきである。
裁判官今井功は、裁判官近藤崇晴の補足意見のうち1(公定力と違法性の承継)及び2(出訴期間と経過措置的解釈)に同調する。

+意見
裁判官涌井紀夫の意見は、次のとおりである。
私は、本件事業計画の決定が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるとする多数意見の結論には賛成するが、その理由付けの仕方について多数意見とは考え方を異にする点があるので、その点について意見を述べておくこととしたい。
1 公権力の行使として行われる行為について抗告訴訟の対象となる行政処分性が肯定されるための最も基本的な要件が、その行為が個人の権利・利益を直接に侵害・制約するような法的効果を持つものといえるか否かの点にあることはいうまでもない。すなわち、問題となる行為が、個人の権利・利益を直接に侵害・制約するような法的効果を持つものである場合には、そのことだけで処分性が肯定されるのが原則とされるものというべきである。
本件で問題とされている土地区画整理事業の事業計画の決定について見ると、多数意見も指摘するとおり、この事業計画が定められ所定の公告がされると、施行地区内の土地については、許可なしには建築物の建築等を行うことができない等の制約が課せられることになっているのであるから、この事業計画決定が個人の権利・利益を直接に侵害・制約するような法的効果を持つものであることは明らかである。確かに、この建築制限等の効果は、土地区画整理事業の円滑な施行を実現するために法が事業計画に特に付与することとした付随的な効果ともいうべき性質を持つものではある。しかし、この建築制限等の効果が発生すると、施行地区内の土地は自由に建築物の建築を行うことができない土地になってしまい、その所有者には、これを他に売却しようとしても通常の取引の場合のような買い手を見つけることが困難になるという、極めて現実的で深刻な影響が生じることになるのである。このような効果は、抗告訴訟の方法による救済を認めるに足りるだけの実質を十分に備えたものということができよう。
2もっとも、それ自体で個人の権利・利益を制約するような効果を持つ行為についても、その行為の段階でその適否を争わせるのでなしに、これに引き続いて行われることが予定されている後続の行為を待ってその適否を争わせることとすることの方が合目的的であり、個人の利益の救済にとってもそれで支障がないと考えられる場合があり得るところであり、そのような場合には、先行行為についてはその処分性を否定することも許されるものと考えられる。
これを本件の事業計画決定について見ると、例えば施行地区内の土地上に建築物を建築したいと考えている土地所有者の場合には、その建築に対する不許可処分が行われるのを待ってその不許可処分の適否を争わせることで、その建築制限等に伴う不利益に対する救済としては足りるものと考えることも可能であろう。しかし、このように所有地に自己の建築物を建築したいというのではなく、所有地を他に譲渡・売却する際の不利益を排除するためにこの建築制限等の制約の解除を求めている者の場合には、後にその適否を争うことでその目的を達することのできるような後続の行為なるものは考えられない(例えば、土地区画整理事業の進行に伴って後に行われる換地計画等の行為の取消請求が認容されたとしても、それによって当然にこの建築制限等の効果が解消されることとなるものではないし、仮にこの段階で当初の事業計画決定自体が取り消されることとなったとしても、それまでの間継続して被ってきた不利益がさかのぼって解消されることとなるものでもない。)のであり、抗告訴訟の方法でその権利・利益を救済する機会を保障するには、事業計画決定の段階での訴訟を認める以外に方法がないのである。
そうすると、本件で問題とされている土地区画整理事業の事業計画の決定については、それが上記のような建築制限等の法的効果を持つことのみで、その処分性を肯定することが十分に可能であり、また、そのように解することが相当なものと考えられるのである。
3 多数意見の考え方は、上記のような建築制限等の法的効果についても言及はしているものの、結局は、事業計画の決定がされることによって、施行地区内の宅地所有者等が換地処分を受けるべき地位に立たされるものということができ、その法的地位に直接的な影響が生ずることになるという点に、本件事業計画決定の処分性を肯定する根拠を求めるものとなっていると解される(このように専ら換地処分による影響を根拠に処分性を肯定しようとする多数意見の考え方からすると、この建築制限等の法的効果への言及が理論的にどのような意味を持つことになるのかは、多数意見の判示からしても必ずしも明らかでないところがある。)。すなわち、そこでは、抗告訴訟の方法による救済を図るべき不利益等の内容としては、専ら土地区画整理事業の本来の目的である換地処分による権利交換という措置によってもたらされる不利益等が考えられているのであって、上記の建築制限等の効果が発生することによって個人の被る不利益は、それ自体を独立して取り上げると抗告訴訟による救済の対象とするには足りないものと考えていることになるのである。しかし、前記のとおりこの建築制限等によって土地所有者の被る現実の不利益が具体的で深刻な実質を持つものであることからすると、このような考え方には問題があるものというべきであろう。
また、多数意見は、このように専ら換地処分の効果に着目して処分性の有無を考えるに際して、この換地処分の法的効果が現実に発生する前の段階においても、将来発生する法的効果の影響や実効的な権利救済を図る必要性の程度等を考慮して、抗告訴訟の対象となる行政処分性を肯定しようとするものである。しかし、このような考え方に立つと、そこでいわれる法的効果の影響や権利救済の必要性の度合いがどの程度であれば処分性が肯定されることとなるのか、その判断の基準が一義的な明確性を欠くものとなり、視点のいかんによってその判断が区々に分かれるという事態が避けられないこととなろう。現に、本件で問題とされている土地区画整理事業の事業計画決定そのものについて、見方によってはこの多数意見がいうのと同様の判断基準に立ったものとも解される昭和41年2月23日の当審大法廷判決の多数意見では、この段階で抗告訴訟の提起を認めることは妥当でなく、また、その必要もないと判断されていたのに対して、本件の多数意見は、これとは正反対の判断を行うに至っているのである。国民にとっても明確で分かりやすい形で訴訟の門戸を開いていくことによって、行政訴訟による権利救済の実効性を確保するという見地からするなら、処分性の有無の判断基準としても、できるだけ明確で分かりやすいものが望ましいものといえよう。その意味でも、本件事業計画の決定の処分性を肯定する法的根拠としては、多数意見のように不安定な解釈の余地を残すような考え方ではなく、端的に上記の建築制限等という法的効果の発生という一事で足りるものとする考え方の方が簡明であり、相当なものというべきであろう。
(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 横尾和子 裁判官 藤田宙靖 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 堀籠幸男 裁判官 古田佑紀 裁判官 那須弘平 裁判官 涌井紀夫 裁判官 田原睦夫 裁判官 近藤崇晴)

++解説
《解  説》
1 事件の概略
本件は,浜松市(被告,被控訴人,被上告人)の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定について,施行地区内に土地を所有しているXら(原告,控訴人,上告人)が,同決定の違法を主張して,その取消しを求めた事案である。
すなわち,浜松市は,遠州鉄道鉄道線の連続立体交差事業の一環として,上島駅の高架化と併せて同駅周辺の公共施設の整備改善等を図るため,西遠広域都市計画事業上島駅周辺土地区画整理事業を計画し,土地区画整理法(平成17年法律第34号による改正前のもの。以下「法」という。)52条1項の規定に基づき,静岡県知事から,同事業の事業計画において定める設計の概要について認可を受けた上,平成15年11月25日,同事業の事業計画の決定(以下「本件事業計画の決定」という。)をし,同日,その公告がされた。Xらは,同事業の施行地区内に土地を所有している者であるが,同事業は公共施設の整備改善及び宅地の利用増進という法所定の事業目的を欠くものであるなどと主張して,本件事業計画の決定を対象とする取消訴訟を提起した。
本件の本案前の争点は,本件事業計画の決定が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるかどうか(いわゆる処分性の有無)である。

2 関係法令の定め
土地区画整理事業は,都市計画区域内の土地について,公共施設の整備改善及び宅地の利用増進を図るため,法の定めるところに従って行われる土地の区画形質の変更及び公共施設の新設又は変更に関する事業であり(法2条1項),換地による権利交換を制度の骨格とするものである。市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定に関する法令の定めを摘記すると,次のとおりである。
(1) 市町村は,土地区画整理事業を施行しようとする場合においては,施行規程及び事業計画を定めなければならない(法52条1項前段)。事業計画においては,施行地区(施行地区を工区に分ける場合には施行地区及び工区),設計の概要,事業施行期間及び資金計画を定めなければならず(法54条,6条1項),設計の概要については,都道府県知事の認可を受けなければならない(法52条1項後段)。設計の概要は,設計説明書及び設計図を作成して定めなければならず(平成17年国土交通省令第102号による改正前の土地区画整理法施行規則6条1項),このうち,設計説明書には,事業施行後における施行地区内の宅地の地積(保留地の予定地積を除く。)の合計の事業施行前における施行地区内の宅地の地積の合計に対する割合等を記載しなければならず(同条2項),また,設計図は,縮尺1200分の1以上とし,事業施行後における施行地区内の公共施設等の位置及び形状を,事業施行により新設され又は変更される部分と既設のもので変更されない部分とに区別して表示したものでなければならない(同条3項)。
(2) 事業計画が定められた場合においては,市町村長は,遅滞なく,施行者の名称,事業施行期間,施行地区その他国土交通省令で定める事項を公告しなければならない(法55条9項)。そして,この公告がされると,換地処分の公告がある日まで,施行地区内において,土地区画整理事業の施行の障害となるおそれがある土地の形質の変更若しくは建築物その他の工作物の新築,改築若しくは増築を行い,又は政令で定める移動の容易でない物件の設置若しくはたい積を行おうとする者は,都道府県知事の許可を受けなければならず(法76条1項),これに違反した者がある場合には,都道府県知事は,当該違反者又はその承継者に対し,当該土地の原状回復等を命ずることができ(同条4項),この命令に違反した者に対しては刑罰が科される(法140条)。このほか,施行地区内の宅地についての所有権以外の権利で登記のないものを有し又は有することとなった者は,書面をもってその権利の種類及び内容を施行者に申告しなければならず(法85条1項),施行者は,その申告がない限り,これを存しないものとみなして,仮換地の指定や換地処分等をすることができるものとされている(同条5項)。

3 従来の判例
土地区画整理事業の事業計画の決定の処分性について,最大判昭41.2.23民集20巻2号271頁(以下「41年大法廷判決」という。)は,土地区画整理事業の事業計画の決定はその公告がされた段階においても抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらないとして,その処分性を否定した。この判断は,関与した13名の裁判官中8名の裁判官の多数意見によるものであり,その処分性を肯定すべきであるとした5名の裁判官の反対意見が付された。
41年大法廷判決の多数意見が土地区画整理事業の事業計画の決定の処分性を否定した論拠は,要約すると,①〔事業計画の一般的,抽象的青写真性〕事業計画の決定は,当該土地区画整理事業の基礎的事項を一般的,抽象的に決定するものであって,いわば当該土地区画整理事業の青写真たる性質を有するにすぎず,これによって利害関係者の権利にどのような変動を及ぼすかが必ずしも具体的に確定されているわけではないこと,②〔付随的効果論〕事業計画が公告されることによって生ずる建築制限等は,法律が特に付与した公告に伴う付随的な効果にとどまるものであって,事業計画の決定ないし公告そのものの効果として発生する権利制限とはいえないこと,③〔成熟性,具体的事件性の欠如〕事業計画の決定ないし公告の段階でその取消し又は無効確認を求める訴えの提起を許さなければ,利害関係者の権利保護に欠けるところがあるとはいい難く,そのような訴えは,争訟の成熟性ないし具体的事件性を欠くこと,以上の3点である。
41年大法廷判決は,その説示内容から「青写真判決」と称されており,判決当初から批判的な論調が強かったものの,裁判実務においては,計画行政における計画決定行為,特に一連の手続の中間段階でされる計画決定行為の処分性を考えるに当たってのリーディングケースとなっていたものである。その後,最三小判平4.10.6裁判集民166号41頁,判タ802号100頁(以下「4年三小判決」という。)は,同一の論点につき,41年大法廷判決を踏襲する判断をした。

4 原判決等
本件の第1審判決及び原判決は,これらの判例に従って,本件事業計画の決定の処分性を否定し,本件訴えを却下すべきものとした。
原判決に対し,Xらから上告受理の申立てがあり,本件は最高裁第三小法廷に係属したが,同小法廷は,本件を上告審として受理した上,これを大法廷に回付した。なお,Xらは,本件訴訟において,本件事業計画の決定のほか,これに先立って静岡県知事がした設計の概要の認可についても取消しを求めていたが,この取消請求については,同認可の処分性を否定して訴えを却下すべきものとした原判決に対するXらの上告受理申立てが同小法廷において不受理とされ,訴え却下の判決が確定した。

5 本判決
本判決は,市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たると判断し,原判決のうち浜松市に関する部分を破棄し,同部分につき,第1審判決を取り消し,本件を第1審に差し戻した。以上は,15名の裁判官全員一致の意見である。本判決においては,藤田裁判官,泉裁判官,今井裁判官及び近藤裁判官がそれぞれ補足意見を述べ,涌井裁判官が,本件事業計画の決定の処分性を認める理由付けが多数意見と異なるとして意見を述べている。本判決の多数意見及び個別意見の概要は,次のとおりである。
(1) 多数意見の概要
本判決の多数意見は,土地区画整理事業の事業計画の決定については,その公告がされると施行地区内において建築制限等が生じ,また,いったん事業計画の決定がされると,特段の事情のない限り,その事業計画に定められたところに従って具体的な事業がそのまま進められ,施行地区内の宅地について換地処分が当然に行われることになることなどから,施行地区内の宅地所有者等は,事業計画の決定がされることによって,建築制限等の規制を伴う土地区画整理事業の手続に従って換地処分を受けるべき地位に立たされるものということができるとし,他方,換地処分等の取消訴訟において,宅地所有者等が事業計画の違法を主張してその主張が認められたとしても,当該換地処分等を取り消すことは公共の福祉に適合しないとして事情判決(行政事件訴訟法31条1項)がされる可能性が相当程度あることを指摘し,これらのことから,「市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定は,施行地区内の宅地所有者等の法的地位に変動をもたらすものであって,抗告訴訟の対象とするに足りる法的効果を有するものということができ,実効的な権利救済を図るという観点から見ても,これを対象とした抗告訴訟の提起を認めるのが合理的である。」と判示して,市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たると判断し,これと異なる趣旨をいう41年大法廷判決及び4年三小判決は,いずれも変更すべきであるとした。
(2) 個別意見の概要
ア 藤田裁判官の補足意見は,土地区画整理事業の事業計画の決定に処分性を認める理論的根拠について,事業計画が一度決定されれば,制度の構造上極めて高い蓋然性をもって換地処分に至ることは否定し得ないのみならず,その段階に至るまでの現実の障害の発生を防止することを目的とする建築行為等の制限効果が直接に生じることになっており,この意味で,事業計画の決定は,土地区画整理事業の全プロセスの中で,換地にまで至る権利制限の連鎖の発端を成す行為であるということができることなどを述べるものである。
イ 泉裁判官の補足意見は,土地区画整理事業の事業計画の決定及び公告の本質的効果は,都市計画事業としての土地区画整理事業の施行権の付与にあるとし,事業計画の決定が抗告訴訟の対象となることの本来的な理由は,それがこのような土地区画整理事業の施行権の付与という効果を有し,それにより施行地区内の宅地所有者等が特段の事情のない限り自己の所有地等につき換地処分を受けるべき地位に立たされるということにあることなどを述べるものである。
ウ 近藤裁判官の補足意見は,従来の判例を変更して土地区画整理事業の事業計画の決定の処分性を肯定することに関連して検討すべき理論上及び実務上の問題として,①「公定力と違法性の承継」,②「出訴期間と経過措置的解釈」,③「取消判決の第三者効(対世効)と第三者の手続保障」について意見を述べるものであり(意見の要点については後述する。),今井裁判官の補足意見は,近藤裁判官の補足意見のうち①及び②に同調するというものである。
エ 涌井裁判官の意見は,土地区画整理事業の事業計画が定められ所定の公告がされると,施行地区内の土地は自由に建築物の建築を行うことができない土地になってしまい,その所有者には,これを他に売却しようとしても通常の取引の場合のような買い手を見つけることが困難になるという極めて現実的で深刻な影響が生じることになるのであって,事業計画の決定については,このような建築制限等の法的効果を持つことのみで,その処分性を肯定することが十分に可能であり,また,そのように解することが相当であるとするものである。

6 処分性一般に関する判例法理との関係
抗告訴訟は,行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟であり,行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為を対象として,その効力等を争う訴訟である(行政事件訴訟法3条)。そして,ここでいう行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(行政処分)とは,公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成し,又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいうとするのが,最高裁の確立した判例である(最一小判昭30.2.24民集9巻2号217頁,判タ47号46頁,最一小判昭39.10.29民集18巻8号1809頁等)。
近時,上記の処分性の有無に関する一般的な判断基準からすると処分性が認められるかどうか微妙な行政上の行為について,その処分性を肯定する最高裁の判決(医療法に基づき都道府県知事が病院を開設しようとする者に対して行う病院開設中止の勧告につき処分性を肯定した最二小判平17.7.15民集59巻6号1661頁,判タ1188号132頁,同じく病床数削減の勧告につき処分性を肯定した最三小判平17.10.25裁判集民218号91頁,判タ1200号136頁)が現れているが,これらの判決は,実効的な権利救済を図るという観点から,上記の処分性の有無に関する一般的な判断基準を柔軟に解したものと理解することができ,その基準自体を変更するものではないと解される。
本判決は,市町村の施行に係る土地区画整理事業の事業計画の決定について,実効的な権利救済を図るという観点を踏まえた上で,上記事業計画の決定が有する法的効果,すなわち,その決定がされることによって,施行地区内の宅地所有者等が建築制限等の規制を伴う土地区画整理事業の手続に従って換地処分を受けるべき地位に立たされるという法的効果を根拠として,その処分性を肯定したものである。こうした本判決の判断構造から見れば,本判決は,上記の処分性の有無に関する一般的な判断基準を変更するものではなく,むしろ,これを当然の前提としているものということができよう。
7 本判決の射程
本判決は,計画行政における計画決定行為の処分性を考えるに当たってのリーディングケースとなっていた41年大法廷判決を変更したものであり,その射程がどこまで及ぶかが問題となる。
現行の法律で,私人の権利義務ないし法的地位に変動を生じさせる法的効果を有する行政計画について定めたものは多数存在するが,これらにおける計画決定行為は,大きく分けて,① 定められた計画に基づき将来具体的な事業が施行されることが予定されており,計画決定行為が一連の手続の中間段階でされるもの(以下「事業型・非完結型の計画決定行為」という。)と,② 定められた計画に基づき将来具体的な事業が施行されることが予定されておらず,計画行政としては計画決定行為をもって完結するもの(以下「非事業型・完結型の計画決定行為」という。)の二つの類型に分類することができる。土地区画整理事業の事業計画の決定は,事業型・非完結型の計画決定行為であり,本判決の判決理由にかんがみれば,本判決の射程は,非事業型・完結型の計画決定行為(その例としては,都市計画法上の用途地域の指定を挙げることができる。)には及ばないものと解される。
また,本判決は,土地区画整理事業の事業計画については,いったんその決定がされると,特段の事情のない限り,その事業計画に定められたところに従って具体的な事業がそのまま進められ,施行地区内の宅地について換地処分が当然に行われることになり,他方で,換地処分等がされた段階でこれを対象として取消訴訟を提起することができるとしても,宅地所有者等の被る権利侵害に対する救済が十分に果たされるとはいい難いという点に着目して,土地区画整理事業の事業計画の決定の処分性を肯定したものであるから,事業型・非完結型の計画決定行為であっても,当該計画決定行為から土地収用や換地処分等が行われるまでの中間段階で別途行政処分と目すべき行政上の行為が行われ,実効的な権利救済のためには,その行政上の行為を対象とした抗告訴訟の提起を認めれば足りるものについては,本判決の射程は及ばないものと解される(例えば,道路等の都市施設を都市計画事業として整備しようとする場合には,まず,都市計画において当該都市施設を定めた上で,具体的に事業を施行しようとする段階で,都市計画事業の認可という手続を踏んで事業が施行されることになるが,これによって収用を受けるべき地位に立たされる事業地内の土地所有者等の救済は,都市計画事業の認可に対する抗告訴訟の提起を認めれば足りると考えられるから,上記の都市計画決定には,本判決の射程は及ばないものと解される。)。

8 関連する理論上及び実務上の問題
本判決は,従来の判例を変更して土地区画整理事業の事業計画の決定の処分性を肯定したものであるから,これに関連して検討すべき理論上及び実務上の問題が存在する。具体的には,事業計画の決定の公定力,違法性の承継,出訴期間,取消判決の第三者効,第三者の手続保障等であるが,これらの点については,近藤裁判官の補足意見において問題点の指摘と同裁判官の意見が述べられているので,ここでは,同補足意見の要点を次の(1)~(3)のとおり摘記するにとどめる。
(1) 事業計画の決定の処分性を肯定すると,その決定には公定力があることになるから,たとえこれに違法性があったとしても,それ自体の取消訴訟などによって公定力が排除されない限り,その違法性は後行行為たる仮換地の指定や換地処分に承継されず,それらの取消事由として事業計画の決定の違法を主張することは許されない。事業計画の決定の違法を主張する者は,その段階で取消訴訟を提起しておかなければならない。
(2) 事業計画の決定に対する取消訴訟は行政事件訴訟法14条1項所定の出訴期間の制限に服することになるが,本判決より前にされた事業計画の決定については,出訴期間の経過について同項ただし書にいう「正当な理由」があるものとして救済を図るといういわば経過措置的な解釈をすることが相当である。ただし,換地処分がされてその取消訴訟の出訴期間も経過している場合には,「正当な理由」があるとはいえない。
(3) 事業計画の決定を取り消す判決が確定した場合には,第三者との関係をも含めて当該決定の絶対的効力が失われると考えられるが,第三者の訴訟参加(行政事件訴訟法22条)や第三者の再審の訴え(同法34条)の制度があるので,第三者の手続保障に欠けるところはない。
9 本判決の意義
本判決は,計画行政に係る争訟について実効的な権利救済を図るという観点から,計画決定行為の処分性に関する重要判例を司法的救済の門戸を開く方向で42年ぶりに変更した大法廷判決であり,この分野における新たなリーディングケースとなるものである。

オ 判例変更の射程~非完結型(事業型)計画と完結型(土地利用規制型)計画
完結型の方には射程は及ばない。

カ 処分性を認めることに伴う問題
・出訴期間とかある。
・違法性の承継の問題も出てくる。


民法 基本事例で考える民法演習 不動産の物権変動と不動産賃借権の効力~二重譲渡と賃貸人の地位の移転


1.小問1について(基礎編)

+(不動産に関する物権の変動の対抗要件)
第百七十七条  不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法 (平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。

・建物賃借権の対抗要件
借地借家法
+(建物賃貸借の対抗力等)
第三十一条  建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物権を取得した者に対し、その効力を生ずる
2  民法第五百六十六条第一項 及び第三項 の規定は、前項の規定により効力を有する賃貸借の目的である建物が売買の目的物である場合に準用する。
3  民法第五百三十三条 の規定は、前項の場合に準用する。

2.小問1について(応用編)

・二重譲渡の場合の所有権移転の経路
+判例(S46.11.5)
理由
上告代理人峰島徳太郎の上告理由について。
原判決の適法に確定した事実関係によれば、上告人は昭和二七年一月二六日Aの代理人Bから本件各土地を買い受け、同年二月六日その引渡を受け、爾来これを占有してきたが、いまだ登記を経由していなかつたものであるところ、CがAの死亡後である昭和三三年一二月一七日その相続人であるDおよびEから本件各土地を買い受け、同月二七日その旨の所有権移転登記を経由し、その後、昭和三四年六月頃Fに対し買掛代金債務の代物弁済としてその所有権を譲渡し、被上告人は同月九日Fから本件各土地を買い受け、中間省略により同月一〇日Cから直接その所有権移転登記を受けたというのである。
右事実関係のもとにおいて、上告人は本件各土地の所有権を時効取得したと主張し、原審はこれを排斥したが、その理由として判示するところは、「同一不動産についていわゆる二重売買がなされ、右不動産所有権を取得するとともにその引渡しをも受けてこれを永年占有する第一の買主が所有権移転登記を経由しないうちに、第二の買主が所有権移転登記を経由した場合における第一の買主の取得時効の起算点は、自己の占有権取得のときではなく、第二の買主の所有権取得登記のときと解するのが相当である。けだし、右第二の買主は第二の買主が所有権移転登記を経由したときから所有権取得を第一の買主に対抗することができ、第一の買主はそのときから実質的に所有権を喪失するのであるから、第一の買主も第二の買主も、ともに所有権移転登記を経由しない間は、不動産を占有する第一の買主は自己の物を占有するものであつて、取得時効の問題を生ずる余地がなく、したがつて、不動産を占有する第一の買主が時効取得による所有権を主張する場合の時効の起算点は、第二の買主が所有権移転登記をなした時と解すべきであるからである。」との見解のもとに、上告人はCが所有権移転登記をした昭和三三年一二月二七日から民法一六二条一項、二項の定める時効期間を経過したときに本件各土地の所有権を時効取得するものというべきであつて、上告人の本件各土地に対する占有は、被上告人が所有権移転登記をした昭和三四年六月一〇日からはもちろんのこと、Cが所有権移転登記をした昭和三三年一二月二七日からでも民法一六二条一項、二項の定める時効期間を経過していないこと明らかであるから、上告人が本件各土地の所有権を時効取得したとの上告人の主張は理由がない、というのである。
しかし不動産の売買がなされた場合、特段の意思表示がないかぎり、不動産の所有権は当事者間においてはただちに買主に移転するが、その登記がなされない間は、登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に対する関係においては、売主は所有権を失うものではなく、反面、買主も所有権を取得するものではない当該不動産が売主から第二の買主に二重に売却され、第二の買主に対し所有権移転登記がなされたときは、第二の買主は登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者であることはいうまでもないことであるから、登記の時に第二の買主において完全に所有権を取得するわけであるが、その所有権は、売主から第二の買主に直接移転するのであり、売主から一旦第一の買主に移転し、第一の買主から第二の買主に移転するものではなく、第一の買主は当初から全く所有権を取得しなかつたことになるのである。したがつて、第一の買主がその買受後不動産の占有を取得し、その時から民法一六二条に定める時効期間を経過したときは、同法条により当該不動産を時効によつて取得しうるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四〇年(オ)第一二六五号、昭和四二年七月二一日第二小法廷判決、民集二一巻六号一六四三頁参照)。
してみれば、上告人の本件各土地に対する取得時効については、上告人がこれを買い受けその占有を取得した時から起算すべきものというべきであり、二重売買の問題のまだ起きていなかつた当時に取得した上告人の本件各土地に対する占有は、特段の事情の認められない以上、所有の意思をもつて、善意で始められたものと推定すべく、無過失であるかぎり、時効中断の事由がなければ、前記説示に照らし、上告人は、その占有を始めた昭和二七年二月六日から一〇年の経過をもつて本件各土地の所有権を時効によつて取得したものといわなければならない(なお、時効完成当時の本件不動産の所有者である被上告人は物権変動の当事者であるから、上告人は被上告人に対しその登記なくして本件不動産の時効取得を対抗することができるこというまでもない。)。これと異なる見解のもとに、本件取得時効の起算日はCが所有権移転登記をした昭和三三年一二月二七日とすべきであるとして、上告人の時効取得の主張を排斥した原審の判断は、民法一六二条の解釈適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。原判決は破棄を免れない。
よつて、本件について更に右過失の有無、時効中断事由の存否等について審理させるため、民訴法四〇七条一項により、原判決中上告人の敗訴部分を破棄し、右部分につき本件を原審に差し戻すこととし、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄)

+判例(S42.7.21)
理由
上告代理人和田珍頼の上告理由一について。原判決は、上告人Aが昭和二七年一一月訴外Bから本件家屋の贈与を受けた事実を確定したうえ、所有権について取得時効が成立するためには、占有の目的物が他人の物であることを要するという見解のもとに、上告人Aが時効によつて本件家屋の所有権を取得した旨の上告人らの抗弁に対し、上告人Aは自己の物の占有者であり、取得時効の成立する余地はない旨説示して、右抗弁を排斥している。
しかし、民法一六二条所定の占有者には、権利なくして占有をした者のほか、所有権に基づいて占有をした者をも包含するものと解するのを相当とする(大審院昭和八年(オ)第二三〇一号同九年五月二八日判決、民集一三巻八五七頁参照)。すなわち、所有権に基づいて不動産を占有する者についても、民法一六二条の適用があるものと解すべきである。けだし、取得時効は、当該物件を永続して占有するという事実状態を、一定の場合に、権利関係にまで高めようとする制度であるから、所有権に基づいて不動産を永く占有する者であつても、その登記を経由していない等のために所有権取得の立証が困難であつたり、または所有権の取得を第三者に対抗することができない等の場合において、取得時効による権利取得を主張できると解することが制度本来の趣旨に合致するものというべきであり、民法一六二条が時効取得の対象物を他人の物としたのは、通常の場合において、自己の物について取得時効を援用することは無意味であるからにほかならないのであつて、同条は、自己の物について取得時効の援用を許さない趣旨ではないからである。しかるに、原判決は、右と異なる見解のもとに上告人ら主張の取得時効の抗弁を排斥したものであつて、右民法一六二条の解釈を誤つた違法があるから、その余の論旨について判断を加えるまでもなく、破棄を免れない。そして、上告人ら主張の右取得時効の抗弁の成否についてさらに審理を尽す必要がある。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

+判例(S4.3.1)
+判例(S5.5.28)
3.小問2(1)について
4.小問2(2)について
+判例(S41.9.8)
理由 
 上告代理人白上孝千代の上告理由について。 
 原判決の確定したところによると、上告人と被上告人との本件売買契約は、第三者たる訴外山邑酒造株式会社の所有に属する本件土地を目的とするものであつたところ、原審認定の事情によつて売主たる被上告人が右所有権を取得してこれを買主たる上告人に移転することができなくなつたため履行不能に終つたというのである。 
 そして、本件売買契約の当時すでに買主たる上告人が右所有権の売主に属しないことを知つていたから、上告人が民法五六一条に基づいて本件売買契約を解除しても、同条但書の適用上、売主の担保責任としての損害賠償請求を被上告人にすることはできないとした原審の判断は正当である。 
 しかし、他人の権利を売買の目的とした場合において、売主がその権利を取得してこれを買主に移転する義務の履行不能を生じたときにあつて、その履行不能が売主の責に帰すべき自由によるものであれば、買主は、売主の担保責任に関する民法五六一条の規定にかかわらず、なお債務不履行一般の規定(民法五四三条、四一五条)に従つて、契約を解除し損害賠償の請求をすることができるものと解するのを相当とするところ、上告人の本訴請求は、前示履行不能が売主たる被上告人の責に帰すべき自由によるものであるとして、同人に対し債務不履行による損害賠償の請求をもしていることがその主張上明らかである。しかして、原審認定判示の事実関係によれば、前示履行不能は被上告人の故意または過失によつて生じたものと認める余地が十分にあつても、未だもつて取引の通念上不可抗力によるものとは解し難いから、右履行不能が被上告人の責に帰すべき自由によるものとはみられないとした原判決には、審理不尽、理由不備の違法があるといわねばならない。 
 従つて、この点を指摘する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく原判決は破棄を免れず、本件を原審に差し戻すのを相当とする。 
 よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠) 
・DがCに対して「本件建物はD所有である」と名乗り出た場合、CはBへの賃料支払を拒むことができる。
+(権利を失うおそれがある場合の買主による代金の支払の拒絶)
第五百七十六条  売買の目的について権利を主張する者があるために買主がその買い受けた権利の全部又は一部を失うおそれがあるときは、買主は、その危険の限度に応じて、代金の全部又は一部の支払を拒むことができる。ただし、売主が相当の担保を供したときは、この限りでない。
(有償契約への準用)
第五百五十九条  この節の規定は、売買以外の有償契約について準用する。ただし、その有償契約の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
・賃貸借関係の移転
+判例(H11.3.25)
理由 
 上告代理人工藤舜達、同林太郎の上告理由第二点、同坂井芳雄の上告理由第一点、及び同原秋彦、同洞〓敏夫、同牧山嘉道、同若林昌博の上告理由第二点について 
 一 本件は、建物所有者から建物を賃借していた被上告人が、賃貸借契約を解除し右建物から退去したとして、右建物の信託による譲渡を受けた上告人に対し、保証金の名称で右建物所有者に交付していた敷金の返還を求めるものである。 
 二 自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり(最高裁昭和三五年(オ)第五九六号同三九年八月二八日第二小法廷判決・民集一八巻七号一三五四頁、最高裁昭和四三年(オ)第四八三号同四四年七月一七日第一小法廷判決・民集二三巻八号一六一〇頁参照)、右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。けだし、右の新旧所有者間の合意に従った法律関係が生ずることを認めると、賃借人は、建物所有者との間で賃貸借契約を締結したにもかかわらず、新旧所有者の合意のみによって、建物所有権を有しない転貸人との間の転貸借契約における転借人と同様の地位に立たされることとなり、旧所有者がその責めに帰すべき事由によって右建物を使用管理する等の権原を失い、右建物を賃借人に賃貸することができなくなった場合には、その地位を失うに至ることもあり得るなど、不測の損害を被るおそれがあるからである。もっとも、新所有者のみが敷金返還債務を履行すべきものとすると、新所有者が、無資力となった場合などには、賃借人が不利益を被ることになりかねないが、右のような場合に旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、右の賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべき問題である。 
 三 これを本件についてみるに、原審が適法に確定したところによれば(一)被上告人は本件ビル(鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付一〇階建事務所店舗)を所有していたアーバネット株式会社(以下「アーバネット」という。)から、本件ビルのうちの六階から八階部分(以下「本件建物部分」という。)を賃借し(以下、本件建物部分の賃貸借契約を「本件賃貸借契約」という。)、アーバネットに対して敷金の性質を有する本件保証金を交付した、(二) 本件ビルにつき、平成二年三月二七日、(1) 売主をアーバネット、買主を中里三男外三八名(以下「持分権者ら」という。)とする売買契約、(2) 譲渡人を持分権者ら、譲受人を上告人とする信託譲渡契約、(3) 賃貸人を上告人、賃借人を芙蓉総合リース株式会社(以下「芙蓉総合」という。)とする賃貸借契約、(4) 賃貸人を芙蓉総合、賃借人をアーバネットとする賃貸借契約、がそれぞれ締結されたが、右の売買契約及び信託譲渡契約の締結に際し、本件賃貸借契約における賃貸人の地位をアーバネットに留保する旨合意された、(三) 被上告人は、平成三年九月一二日にアーバネットが破産宣告を受けるまで、右(二)の売買契約等が締結されたことを知らず、アーバネットに対して賃料を支払い、この間、アーバネット以外の者が被上告人に対して本件賃貸借契約における賃貸人としての権利を主張したことはなかった、(四) 被上告人は、右(二)の売買契約等が締結されたことを知った後、本件賃貸借契約における賃貸人の地位が上告人に移転したと主張したが、上告人がこれを認めなかったことから、平成四年九月一六日、上告人に対し、上告人が本件賃貸借契約における賃貸人の地位を否定するので信頼関係が破壊されたとして、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その後、本件建物部分から退去した、というのであるが、前記説示のとおり、右(二)の合意をもって直ちに前記特段の事情があるものと解することはできない。そして、他に前記特段の事情のあることがうかがわれない本件においては、本件賃貸借契約における賃貸人の地位は、本件ビルの所有権の移転に伴ってアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したものと解すべきである。以上によれば、被上告人の上告人に対する本件保証金返還請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。 
 その余の上告理由について 
 所論の点に間する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の各判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。 
 よって、裁判官藤井正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
+反対意見
 裁判官藤井正雄の反対意見は、次のとおりである。 
 私は、上告人が被上告人に対し本件保証金の返還債務を負担するに至ったとする法廷意見には賛成することができない。 
 一 甲が、その所有の建物を乙に賃貸して引き渡し、賃貸借継続中に、右建物を丙に譲渡してその所有権を移転したときは、特段の事情のない限り、賃貸人の地位も丙に移転し、丙が乙に対する賃貸人としての権利義務を承継するものと解されていることは、法廷意見の説くとおりである。甲は、建物の所有権を丙に譲渡したことにより、乙に建物を使用収益させることのできる権能を失い、賃貸借契約上の義務を履行することができなくなる反面、乙は、借地借家法三一条により、丙に対して賃貸借を対抗することができ、丙は、賃貸借の存続を承認しなければならないのであり、そうだとすると、旧所有者甲は賃貸借関係から離脱し、丙が賃貸人としての権利義務を承継するとするのが、簡単で合理的だからである。 
 二 しかし、甲が、丙に建物を譲渡すると同時に、丙からこれを賃借し、引き続き乙に使用させることの承諾を得て、賃貸(転貸)権能を保持しているという場合には、甲は、乙に対する賃貸借契約上の義務を履行するにつき何の支障もなく、乙は、建物賃貸借の対抗力を主張する必要がないのであり、甲乙間の賃貸借は、建物の新所有者となった丙との関係では適法な転貸借となるだけで、もとのまま存続するものと解すべきである。賃貸人の地位の丙への移転を観念することは無用である。賃貸人の地位が移転するか否かが乙の選択によって決まるというものでもない。もしそうではなくて、この場合にも新旧所有者間に賃貸借関係の承継が起こるとすると、甲の意思にも丙の意思にも反するばかりでなく、丙は甲と乙に対して二重の賃貸借関係に立つという不自然なことになる(もっとも、乙の立場から見ると、当初は所有者との間の直接の賃貸借であったものが、自己の関与しない甲丙間の取引行為により転貸借に転化する結果となり、乙は民法六一三条の適用を受け、丙に対して直接に義務を負うなど、その法律上の地位に影響を受けることは避けられない。特に問題となるのは、丙甲間の賃貸借が甲の債務不履行により契約解除されたときの乙の地位であり、乙は丙に対して原則として占有権限を失うと解されているが、乙の賃貸借が本来対抗力を備えていたような場合にはそれが顕在化し、丙は少なくとも乙に対しても履行の催告をした上でなければ、甲との契約を解除することができないと解さなければならないであろう。)。 
 三 本件は「不動産小口化商品」として開発された契約形態の一つであって、本件ビルの全体について、所有者アーバネットから三九名の持分権者らへの売買、持分権者らから上告人への信託、上告人と芙蓉総合との間の転貸を目的とする一括賃貸借、芙蓉総合とアーバネットとの間の同様の一括転貸借(かかる一括賃貸借を原審はサブリース契約と呼んでいる。)が連結して同時に締結されたものであることは、原審の確定するところである。これによれば、本件ビルの所有権はアーバネットから持分権者らを経て上告人に移転したが、上告人、芙蓉総合、アーバネットの間の順次の合意により、アーバネットは本件ビルの賃貸(右事実関係の下では転々貸)権能を引き続き保有し、被上告人との間の本件賃貸借契約に基づく賃貸人(転々貸人)としての義務を履行するのに何の妨げもなく、現に被上告人はアーバネットを賃貸人として遇し、アーバネットは被上告人に対する賃貸人として行動してきたのであり、賃貸借関係を旧所有者から新所有者に移転させる必要は全くない。すなわち、本件の場合には、上告人が賃貸人の地位を承継しない特段の事情があるというべきである。そして、この法律関係は、アーバネットが破産宣告を受けたからといって、直ちに変動を来すものではない。 
 賃貸借関係の移転がない以上、被上告人の預託した本件保証金(敷金の性質を有する。)の返還の関係についても何の変更もないのであり、賃貸借の終了に当たり、被上告人に対し本件保証金の返還義務を負うのはアーバネットであって、上告人ではないということになる。被上告人としては、アーバネットが破産しているため、実際上保証金返還請求権の満足を得ることが困難になるが、それはやむをえない。もし法廷意見のように解すると、小口化された不動産共有持分を取得した持分権者らが信託会社を経由しないで直接にサブリース契約を締結するいわゆる非信託型(原判決一一頁参照)の契約形態をとった場合には、持分権者らが末端の賃借人に対する賃貸人の地位に立たなければならないことになるが、これは、不動産小口化商品に投資した持分権者らの思惑に反するばかりでなく、多数当事者間の複雑な権利関係を招来することにもなりかねない。また、本件のような信託型にあっても、仮に本件とは逆に新所有者が破産したという場合を想定したとき、関係者はすべて旧所有者を賃貸人と認識し行動してきたにもかかわらず、旧所有者に対して法律上保証金返還請求権はなく、新所有者からは事実上保証金の返還を受けられないことになるが、この結論が不合理であることは明白であろう。 
 四 以上の理由により、私は、被上告人の上告人に対する保証金返還請求を認めることはできず、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、被上告人の請求を棄却すべきものと考える。 
 (裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄) 
+解説
《解  説》
 一 本件は、いわゆる「不動産小口化商品」の信託業務から派生した事件であり、ビルの所有者からその一部を賃借していたXが、賃貸借契約を解除し、退去したとして、右ビルにつき信託による譲渡を受けていたYに対し、ビル所有者に交付していた保証金は敷金であると主張して、その返還を求めたものである。
  1 事実関係は、次のとおりである。(1) 平成元年三月一七日、Aは、本件ビル(地下二階付一〇階建事務所店舗)を建築し、その所有権を取得、(2) 同月三一日、Aは、本件ビルをBに売却し、本件ビルを賃借、(3) 同年六月一六日、Xは、Aから、本件ビルのうちの六階から八階部分(本件建物部分)を賃借し(本件建物部分の賃貸借契約を「本件賃貸借契約」という。)、Aに対して保証金の名目で三三八三万一〇〇〇円を交付、(4) 平成二年二月一五日、Aは、本件ビルをBから買戻し、(5) 同年三月二七日、本件ビルにつき、① 売主をA、買主をC外三八名(Cら)とする売買契約、② 譲渡人をCら、譲受人をYとする信託譲渡契約、③ 賃貸人をY、賃借人をDとする賃貸借契約、④ 賃貸人をD、賃借人をAとする賃貸借契約、がそれぞれ締結され、右の売買契約及び信託譲渡契約の締結に際し、本件賃貸借契約における賃貸人の地位をAに留保する旨が合意された、(6) 平成三年九月一二日、Aに対する破産宣告がされたが、Xは、それまで、(5)の売買契約等が締結されたことを知らず、Aに対して賃料を支払い、この間、A以外の者がXに対して本件賃貸借契約における賃貸人としての権利を主張したことはなかった、(7) Xは、本件賃貸借契約における賃貸人の地位がYに移転したと主張したが、Yがこれを認めなかったことから、平成四年九月一六日、Yに対し、Yが本件賃貸借契約における賃貸人の地位を否定するので信頼関係が破壊されたとして、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、その後、本件建物部分から退去した。
  2 Xは、「A、B間の本件ビルの賃貸借契約は、Aの買戻しにより混同によって消滅した。本件賃貸借契約の賃貸人たる地位は、AからCらを経てYに承継されたところ、Xは、本件賃貸借契約を解除し、本件賃貸部分から退去したので、Yは、本件保証金から約定の二〇パーセントの償却費を控除した残額(二七〇六万四八〇〇円)及び遅延損害金を支払う義務を負う。」と主張した。これに対し、Yは、Xの主張を争う外、「(1) Cら及びYは、Aから本件保証金の交付を受けていない、(2) 債務は信託の対象とならないから、Yは本件保証金返還債務を承継しない、(3) 本件保証金は敷金の性質を有するものではないから、賃貸人の地位の移転があっても返還債務は承継されない。」などと主張した。
  3 第一審(東京地判平5・5・13判時一四七五号九五頁)及び原審(東京高判平7・4・27金法一四三四号四三頁)は、いずれもXの請求を認容すべきものとした。原審の判断の要旨は、次のとおりである。(1)(混同)AがBから本件ビルを買い戻したことによって、Aの有した賃借権は混同によって消滅し、本件賃貸借契約は、転貸借ではなく、賃貸借となったものと解すべきである。(2)(賃貸人の地位の移転)本件賃貸借契約上の賃貸人たる地位は、本件ビルの所有権の移転に伴い、A→Cら→Yと移転したものというべきである。(3)(解除の効力)賃貸人が賃貸借契約の承継を否定することは信頼関係を破壊する行為であり、本件解除は理由がある。(4)(本件保証金)敷金の性質を有するものというべきであり、Yはその返還債務を承継した。(5)(信託の対象)債務そのものは信託の対象とならないが、敷金に関する法律関係は賃貸借関係に随伴するものであり、本件ビルの信託譲渡を受けたYは賃貸人たる地位を承継するとともに本件保証金返還債務を負担するに至ったというべきである。Yから上告。
 二 本判決は、判示事項以外の上告理由については、原審の認定を非難するか、又は採用することのできない法令違背の主張であるとして、排斥した(そこで、本判決は、「Xは本件ビルを所有していたAから本件建物部分を賃借し、Aに対して敷金の性質を有する本件保証金を交付した」としたものと解される。)。そして、判示事項に関し「自己の所有建物を他に賃貸して引き渡した者が右建物を第三者に譲渡して所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って当然に右第三者に移転し、賃借人から交付されていた敷金に関する権利義務関係も右第三者に承継されると解すべきであり、右の場合に、新旧所有者間において、従前からの賃貸借契約における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨を合意したとしても、これをもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。」と判示した。
 三 借家法一条(借地借家法三一条)等の規定によって賃借人が対抗力を有する不動産賃貸借の目的物の所有権が移転した場合、賃貸借関係は、新所有者に当然承継されるということは、判例(大判大10・5・30民録二七輯一〇一三頁等)、通説(新版注釈民法(15)債権(6)〔幾代通〕一八八~一八九頁等)が認めるところであり、学説上は、これについて状態債務説(賃貸借関係は賃貸目的物の所有権と結合した一種の状態債務関係にあるという説)によって説明する見解が有力である。ところで、最二小判昭39・8・28民集一八巻七号一三五四頁、本誌一六六号一一七頁は、「自己の所有家屋を他に賃貸している者が賃貸借継続中に右家屋を第三者に譲渡してその所有権を移転した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って右第三者に移転するものと解すべきである。」としたが、本件においては、「新旧所有者間における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨の合意」が右判例にいう「特段の事情」に該当するかどうかが争われた。本判決は、右合意をもって直ちに右の特段の事情があるものということはできないとしたが、藤井裁判官の反対意見は、右の合意をもって特段の事情にあたり、この場合、当初の賃貸借はもとのまま存続するものと解すべきであるとするものである(右判例の判例解説においては、右反対意見と同旨の結論が述べられていたところであった。昭39最判解説(民)三一〇頁)。使用収益の面に着目すると、従来の賃貸人が新所有者との間でその権限を留保する以上、賃借人に特段不利益はないと考えられないでもない。しかし、法廷意見は、右合意をもって特段の事情に該当することを認めると、賃借人が転借人と同様の地位に立たされることとなり、新所有者(Y)と賃借人(X)との間に介在する者(D、A)に賃料不払い等の債務不履行があったとき、賃借人がその地位を失うに至ることがあり得るなど賃借人が不測の損害を被るおそれがあることを挙げて、これを消極に解すべきものとした。右の中間に介在する者の使用収益権能の設定は、必ずしも賃貸借に限られるものではないが、賃借人の債務不履行によって賃貸借が解除されたときは、転貸借は賃貸借の終了と同時に終了すると解されていることが考慮されたものであろう(最一小判昭36・12・21民集一五巻一二号三二四三頁、最二小判平6・7・18本誌八八八号一一八頁等参照)。右の外、所有者から建物を賃借した者にとって、敷金返還請求権等の賃貸人に対する債権について、建物がその引き当てとしての意義を有している面も否定し難いということもできよう。なお、原判決は、新旧所有者間に右の合意がある外、「賃借人においても賃貸人の地位が移転しないことを承認又は容認しているのでなければ、右特段の事情が存する場合に当たるとはいえないというべきである。」としたのに対し、本判決は、「新旧所有者間の右合意をもって直ちに前記特段の事情があるものということはできない。」と判示するにとまっている。これは、賃借人の承認又は容認がある場合に限ることが相当であるかどうか、検討の余地があり得るとしたものと解される。また、本判決が、「新所有者が無資力となった場合において、旧所有者に対して敷金返還債務の履行を請求することができるかどうかは、賃貸人の地位の移転とは別に検討されるべきである。」と判示しているところは、旧所有者に賃貸人の債務を負わせるべき場合があり得るかどうか、今後検討すべき問題であることを示したものといえよう。この点に関しては、学説上、旧所有者に併存的債務を残しておいたらどうかと思われる問題もあるとの指摘(星野英一・民法概論Ⅳ二一六頁)や信義則上、旧所有者が補充的に義務を負うことがあり得ると解すべきであるとの説(鈴木禄彌・債権法講義三訂版五六七頁)がある。
 四 本判決は、新旧所有者間における賃貸人の地位を旧所有者に留保する旨の合意をもって直ちに最二小判昭39・8・28にいう特段の事情があるものということはできないことを明らかにしたものであって、その意義は小さくないものと考えられる。


民法 基本事例で考える民法 動産の物権変動と動産賃借権の効力~詐欺による意思表示の取消しと契約の解除


1.小問1について(基礎編)

+(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

+(取消しの効果)
第百二十一条  取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。ただし、制限行為能力者は、その行為によって現に利益を受けている限度において、返還の義務を負う。

+(不当利得の返還義務)
第七百三条  法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。

(悪意の受益者の返還義務等)
第七百四条  悪意の受益者は、その受けた利益に利息を付して返還しなければならない。この場合において、なお損害があるときは、その賠償の責任を負う

+判例(H21.11.9)
理由
上告代理人前田陽司、同長倉香織の上告受理申立て理由について
1 本件は、被上告人が、貸金業者であるA株式会社及び同社を吸収合併した上告人との間の継続的な金銭消費貸借取引に係る各弁済金のうち利息制限法1条1項所定の制限利率を超えて利息として支払われた部分を元金に充当すると、過払金が発生しており、かつ、それにもかかわらず、上告人が残元金の存在を前提とする支払の請求をし過払金の受領を続けた行為により被上告人が精神的苦痛を被ったと主張して、不当利得返還請求権に基づき、過払金合計1068万4265円の返還等を求めるとともに、民法704条後段に基づき、過払金の返還請求訴訟に係る弁護士費用相当額の損害賠償108万円とこれに対する遅延損害金の、同法709条に基づき、慰謝料及び慰謝料請求訴訟に係る弁護士費用相当額の損害賠償105万円とこれに対する遅延損害金の各支払を求める事案である。
なお、不当利得返還請求権に基づき過払金の返還等を求める部分は、原審においてその訴えが取り下げられ、また、民法709条に基づき損害賠償の支払を求める部分については、同請求を棄却すべきものとした原判決に対する被上告人からの不服申立てがなく、当審における審理判断の対象とはなっていない。

2 原審は、次のとおり判断して、被上告人の民法704条後段に基づく損害賠償請求を認容すべきものとした。
民法704条後段の規定が不法行為に関する規定とは別に設けられていること、善意の受益者については過失がある場合であってもその責任主体から除外されていることなどに照らすと、同条後段の規定は、悪意の受益者の不法行為責任を定めたものではなく、不当利得制度を支える公平の原理から、悪意の受益者に対し、その責任を加重し、特別の責任を定めたものと解するのが相当である。したがって、悪意の受益者は、その受益に係る行為に不法行為法上の違法性が認められない場合であっても、民法704条後段に基づき、損害賠償責任を負う。

3 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
不当利得制度は、ある人の財産的利得が法律上の原因ないし正当な理由を欠く場合に、法律が公平の観念に基づいて受益者にその利得の返還義務を負担させるものであり(最高裁昭和45年(オ)第540号同49年9月26日第一小法廷判決・民集28巻6号1243頁参照)、不法行為に基づく損害賠償制度が、被害者に生じた現実の損害を金銭的に評価し、加害者にこれを賠償させることにより、被害者が被った不利益を補てんして、不法行為がなかったときの状態に回復させることを目的とするものである(最高裁昭和63年(オ)第1749号平成5年3月24日大法廷判決・民集47巻4号3039頁参照)のとは、その趣旨を異にする不当利得制度の下において受益者の受けた利益を超えて損失者の被った損害まで賠償させることは同制度の趣旨とするところとは解し難い
したがって、民法704条後段の規定は、悪意の受益者が不法行為の要件を充足する限りにおいて、不法行為責任を負うことを注意的に規定したものにすぎず、悪意の受益者に対して不法行為責任とは異なる特別の責任を負わせたものではないと解するのが相当である。
4 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。これと同旨をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、上告人が残元金の存在を前提とする支払の請求をし過払金の受領を続けた行為が不法行為には当たらないことについては、原審が既に判断を示しており、その判断は正当として是認することができるから、被上告人の民法704条後段に基づく損害賠償請求は理由がないことが明らかである。よって、被上告人の民法704条後段に基づく弁護士費用相当額の損害賠償108万円及びこれに対する遅延損害金の請求を107万1247円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余を棄却した第1審判決のうち上告人敗訴部分を取り消し、同部分に関する被上告人の請求を棄却し、上記請求に係る被上告人の附帯控訴を棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫)

++解説
《解 説》
1 事案の概要
本件は,借主であるXが,貸金業者であるYに対し,Yとの間の継続的な金銭消費貸借契約に基づいてした弁済につき,利息制限法所定の制限を超えて利息として支払われた部分を元金に充当すると過払金が発生しており,かつ,それにもかかわらず,Yが残元金の存在を前提とする支払の請求をし過払金の受領を続けた行為によりXが精神的苦痛を被ったと主張して,その訴訟追行を弁護士に委任の上,次の三つの請求,すなわち,①不当利得返還請求権に基づく約1068万円の過払金返還請求(ただし,第1審判決認容額の全額弁済があり,原審においてその訴えが取り下げられたため,以下,説明を省略する。)②民法704条後段に基づく過払金返還請求訴訟に係る弁護士費用108万円の損害賠償請求③民法709条に基づく慰謝料及び慰謝料請求訴訟に係る弁護士費用の合計105万円の損害賠償請求をする事案である。判示事項及び判決要旨は,上記②の民法704条後段に基づく損害賠償請求に関するものである。

2 第1審判決及び原判決
第1審は,上記③の民法709条に基づく損害賠償請求につき,Yが残元金の存在を前提とする支払の請求をし過払金の受領を続けた行為は不法行為を構成しないと判断する一方,上記②の民法704条後段に基づく損害賠償請求につき,特段の説示をすることなく,過払金返還請求訴訟に係る弁護士費用として約107万円を認容し,1万円弱を棄却した。
原審は,上記③の民法709条に基づく損害賠償請求につき,第1審と同じく不法行為の成立を否定する一方,上記②の民法704条後段に基づく損害賠償請求につき,民法704条後段の規定を,不法行為責任を定めたものではなく,悪意の受益者に対する責任を加重した特別の責任を定めたものと解して,Xの附帯控訴に基づき,過払金返還請求訴訟に係る弁護士費用としてXの請求額全額の108万円を認容した。

3 本判決
本判決は,判決要旨のとおり,「民法704条後段の規定は,悪意の受益者が不法行為の要件を充足する限りにおいて,不法行為責任を負うことを注意的に規定したものにすぎず,悪意の受益者に対して不法行為責任とは異なる特別の責任を負わせたものではない」と判示して,原判決中Y敗訴部分を破棄し,第1審判決中,民法704条後段に基づく損害賠償請求に係るY敗訴部分(約107万円の請求認容部分)を取り消して同部分に関するXの請求を棄却し,民法704条後段に基づく損害賠償請求に係るXの附帯控訴(1万円弱の請求棄却部分についてのもの)を棄却した。

4 説明
(1) 民法704条後段の規定の趣旨を考える実益は,同規定の趣旨の解釈に応じてその損害賠償責任の成立要件が相違することにある。すなわち,民法704条後段の規定の趣旨を,原判決のように,悪意の受益者に対する責任を加重した特別の責任を定めたものと解する見解(以下「特別責任説」という。)によれば,悪意の受益者であれば,それだけで民法704条後段の損害賠償責任を負担することになり,不法行為における故意・過失や違法性の要件は,その損害賠償責任の成立要件とはならないことになる。他方,民法704条後段の規定の趣旨を,本判決のように,悪意の受益者が不法行為の要件を充足する限りにおいて不法行為責任を負うことを注意的に規定したものと解する見解(以下「不法行為責任説」という。)によれば,仮に悪意の受益者であっても,その不法行為責任の成否は,例えば,一般不法行為であれば民法709条の成立要件を充足するか否かに係り,同条の要件充足性を別途検討する必要があることになる。
(2)下級審裁判例,学説をみると,民法704条後段の規定を根拠とする訴えがほとんどなかったこともあって,従来の下級審裁判例でこの点を判断したものは見当たらないが,近時の過払金返還請求訴訟において,法定利息を定める民法704条前段の規定にとどまらず,損害賠償責任を定める民法704条後段の規定も活用しようとする訴えが相当数提起された結果,この点を判断する下級審裁判例も多くみられるようになった。不法行為責任説を採用したと思われるものが多数であるが,高裁レベルにおいて特別責任説を採用したものも若干存する(例えば,札幌高判平19.11.9判時2019号26頁)。学説は,立法当時の議論までさかのぼってみると,民法704条後段は不法行為法上の規定と同じであるものの,例外であるはずの現存利益の返還義務が不当利得法上の原則規定である民法703条に規定されたため,その拡張的解釈を阻止するために確認的に民法704条後段の規定を置くというものであり,特別責任説を前提とする議論は見当たらない。その後,特別責任説に立つ少数説が登場したものの(例えば,末弘嚴太郎『債権各論』998頁は「此義務ハ本條ニ基ク特別ノ賠償義務ニシテ不法行為ニ基クモノニアラズ。蓋シ損失者ニ損失アル以上敢テ権利侵害ノ如キ要件ヲ必要トセザルヲ以テナリ」とする。),現在は不法行為責任説がほぼ通説,少なくとも多数説を占める状況にある(例えば,潮見佳男『基本講義債権各論Ⅰ』279頁は,「(民法)704条に言う損害賠償は,不当利得を理由とするではなく,むしろ不法行為を理由とするものであって,利得返還によっても填補されない損害につき受益者の故意・過失を要件としてこの者に賠償を命じたものと言うべきです。」とする。)。
(3)特別責任説,不法行為責任説の理論的当否は,規定の位置や文理という形式のみによって決せられるものではなく,不当利得制度,不法行為に基づく損害賠償制度の趣旨の基本的理解に関わる問題である。不当利得制度が財産的価値の移動の矛盾の調整にあるのに対し,不法行為に基づく損害賠償制度が損害のてん補による被害者の救済にあることは本判決の判示するとおりであり,両制度はその趣旨を異にするといわざるを得ない。特別責任説に立つかつての学説の中には,不当利得制度を被害者救済のための制度と位置付けるものがあり,「不当利得制度を支える公平の原理」を根拠として掲げる本件の原判決も,そのような理解に立つものとも推測されるが,判例の理解する不当利得制度の趣旨とは相容れないと思われる。本判決が「不当利得制度の下において受益者の受けた利益を超えて損失者の被った損害まで賠償させることは同制度の趣旨とするところとは解し難い。」と判示するのは,以上のような理解に基づくものと解される。
(4) もっとも,不法行為責任説を前提としても,最二小判平19.7.13民集61巻5号1980頁,判タ1252号110頁,判時1984号26頁,金法1823号85頁,金判1279号27頁等にいう悪意の受益者と推定される貸金業者であれば,故意過失,違法性といった不法行為の帰責要件も充足するはずであるとの主張も予想されるところである。しかし,貸金業者が借主に対し貸金の支払を請求し借主から弁済を受ける行為が不法行為を構成するのは,貸金業者が当該貸金債権が事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,又は通常の貸金業者であれば容易にそのことを知り得たのに,あえてその請求をしたなど,その行為の態様が社会通念に照らして著しく相当性を欠く場合に限られ,この理は当該貸金業者が民法704条所定の悪意の受益者であると推定されるときであっても異ならない旨判示した最二小判平21.9.4民集63巻7号登載予定,判タ1308号111頁,判時2058号59頁,金法1885号32頁(以下「平成21年判決」という。)によれば,貸金業者についての「悪意の受益者」推定法理は不法行為の適用場面にまで妥当するものではないから,上記主張を採用することができないことは明らかである。したがって,過払金返還請求訴訟の原告である借主は,その損害賠償請求を民法704条後段に基づくものと構成した場合であっても,不当利得の適用場面において貸金業者が悪意の受益者と推定されるか否かにかかわらず,不法行為の適用場面においては平成21年判決の示す一般的な判断基準に従って貸金業者の行為が不法行為の要件を充足することを個別具体的に主張立証する必要があることになる。
(5) また,本判決によれば,民法704条後段の規定は,悪意の受益者が不法行為の要件を充足する限りにおいて不法行為責任を負うことを念のために明らかにした注意的規定であるにすぎず,独立した権利根拠規定ではない以上,受訴裁判所としては,原告が専ら特別責任説に基づいて民法704条後段に基づく損害賠償請求をすることが明らかであるなど特段の事情のない限り,その訴訟物は不法行為に基づく損害賠償請求であると善解して審理判断することになると思われる。本判決が,上記②の民法704条後段に基づく損害賠償請求を棄却するに当たり,同請求はそれ自体失当なものであるなどと判示することなく,上記③の民法709条に基づく損害賠償請求が上告審における審理判断の対象とはなっていないにもかかわらず,不法行為に当たらない旨の原審の判断を正当として是認することができるとした上で理由がないと判示したのは,以上のような理解に基づくものと解される。
5 本判決の意義
本判決は,不当利得や不法行為の制度的理解に関わる民法704条後段の規定の趣旨について当審の判断を示したものとして重要な意義を有するものであり,下級審に多数係属する同種訴訟へ与える影響も大きいものと思われる。また,平成21年判決において不法行為の成立が否定された貸金業者の具体的行為が過払金を受領する行為のみであったのに対し,本判決は,平成21年判決の一般的な判断基準を当然の前提としつつ,貸金業者の過払金を請求する行為についても不法行為の成立を否定した点でも事例的意義を有するものとして,実務の参考になるものと思われる。

・錯誤=実際の効果意思と表示行為から推測される効果意思が異なり、かつ、表意者がそのことを自覚していない場合を指す。

2.小問1について(応用編)

・賃借権の即時取得の成否
認められない
←不利益が小さいから認めるほどのことはない。

・動産の場合にも賃貸借契約は移転するのか?
不動産の場合とは少し異なる。

・賃料の請求は?
178条の第三者→指図による占有移転によってされる。

+(指図による占有移転)
第百八十四条  代理人によって占有をする場合において、本人がその代理人に対して以後第三者のためにその物を占有することを命じ、その第三者がこれを承諾したときは、その第三者は、占有権を取得する。

3.小問2について(基礎編)

4.小問2について(応用編)

+(解除の効果)
第五百四十五条  当事者の一方がその解除権を行使したときは、各当事者は、その相手方を原状に復させる義務を負う。ただし、第三者の権利を害することはできない。
2  前項本文の場合において、金銭を返還するときは、その受領の時から利息を付さなければならない。
3  解除権の行使は、損害賠償の請求を妨げない。

・動産賃貸借に対抗力がないとするなら、Dが対抗要件を備えることは理論的にはありえないから、545条1項ただし書きの第三者には当たらないことになる!

・その際、Aは対抗要件を備えている必要もない
←解除の遡及効によって、Cは最初から所有権者ではなかったことになり、Dは無権利者であるCから本件機械を賃借した者とされるため、178条の第三者には当たらないはずだから!!!

・AはDに使用料相当額を請求できるか?

+(善意の占有者による果実の取得等)
第百八十九条  善意の占有者は、占有物から生ずる果実を取得する。
2  善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは、その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなす。

5.まとめ~特にAD間の関係について

・動産の賃貸借は、対抗力認めてまで保護する必要はないが、詐欺取消しに当たっては、その利益状況に応じた形で、対抗力とは別個独立に、独自の保護が第三者に与えられている!


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2.麹町中学校事件から考える

+判例(S63.7.15)麹町中学校内申書事件
理由
上告代理人中平健吉、同宮本康昭、同中川明、同仙谷由人、同秋田瑞枝、同河野敬、同喜田村洋一の上告理由について
一 上告理由第一点について
1 上告理由第一点のうち、原判決憲法一九条によりその自由の保障される思想、信条を「具体的内容をもつた一定の考え方」として限定的に極めて狭く解し、また、原判決が思想、信条が行動として外部に現われた場合には同条による保障が及ばないとしたのは、いずれも同条の解釈を誤つたものとする点については、原判決を正解しない独自の見解であつて、前提を欠き、採用できない。
2 上告理由第一点のうち、原判決が学校教育法施行規則五四条の三に規定する調査書(以下「調査書」という。)として送付された本件調査書には、上告人の思想、信条にわたる事項又はそれと密接な関連を有する上告人の外部的行動を記載し、思想、信条を高等学校の入学者選抜の資料に供したことを違法でないとしたのは、教育基本法三条一項、憲法一九条に違反するものとする点について
原審の適法に認定したところによると、本件調査書の備考欄及び特記事項欄にはおおむね「校内において麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行した。学校文化祭の際、文化祭粉砕を叫んで他校生徒と共に校内に乱入し、ビラまきを行つた。大学生ML派の集会に参加している。学校側の指導説得をきかないで、ビラを配つたり、落書をした。」との記載が、欠席の主な理由欄には「風邪、発熱、集会又はデモに参加して疲労のため」という趣旨の記載がされていたというのであるが、右のいずれの記載も、上告人の思想、信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の記載に係る外部的行為によつては上告人の思想、信条を了知し得るものではないし、また、上告人の思想、信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない
なお、調査書は、学校教育法施行規則五九条一項の規定により学力検査の成績等と共に入学者の選抜の資料とされ、その選抜に基づいて高等学校の入学が許可されるものであることにかんがみれば、その選抜の資料の一とされる目的に適合するよう生徒の学力はもちろんその性格、行動に関しても、それを把握し得る客観的事実を公正に調査書に記載すべきであつて、本件調査書の備考欄等の記載も右の客観的事実を記載たものであることは、原判決の適法に確定したところであるから、所論の理由のないことは明らかである。
3 上告理由第一点のうち、調査書の制度が生徒の思想、信条に関する事項を評定の対象として調査書にその記載を許すものとすれば、調査書の制度自体が憲法一九条に違反するものとする点については、原判決の認定しない事実関係を前提とする仮定的主張であるから、到底採用することができない。
4 上告理由第一点のうち、原判決が、公立中学校の生徒には表現の自由の保障があるのに、その内在的制約の基準を明示せず、何の理由も付さずに、上告人が校内の秩序に害のある行動に及んだと認定したのは、理由不備の違法があるものとする点については、原判決は、適法詳細に認定した事実、すなわち、上告人が生徒会規則に違反し、再三にわたり学校当局の許可を得ないでビラ等を配付したこと、学校文化祭当日他校の生徒を含め一〇名の中学生と共にヘルメットをかぶり、覆面をして裏側通用門を乗り越え校内に立ち入つて、校舎屋上からビラをまき、シュプレヒコールをしながら校庭一周のデモ行進をしたこと、校舎壁面や教室窓枠、ロッカー等に落書をしたこと等の事実をもつて、「生徒会規則に違反し、校内の秩序に害のあるような行動に及んで来た場合」であると判断しているのであつて、何ら理由不備の点はなく、また表現の自由の内在的制約の基準を明示的に判示していないが、表現の自由といえども右のような行為を許容するものでないことを前提として判断していることは明らかであるから、所論は採用できない。
5 上告理由第一点のうち、本件調査書の備考欄等に記載された上告人の行動は、いずれも思想、信条又は表現の自由の保障された範囲の行動であるのに、これをマイナス評価の対象として本件調査書に記載したものであるところ、上告人の思想、信条又はこれにかかわる右の行動をマイナス評価の対象とすることを違法でないとした原判決の判断は、憲法一九条、二一条に違反するものとする点について
(一) 憲法一九条違反の主張については、所論はその前提を欠き採用できないものであることは、前記一の2において判示したとおりである。
(二) 憲法二一条違反の主張について
原判決の適法に認定したところによると、本件中学校においては、学校当局の許可を受けないで校内においてビラ等の文書を配付すること等を禁止する旨を規定した生徒会規則が存在し、本件調査書の備考欄等の記載事項中、上告人が麹町中全共闘を名乗つて機関紙「砦」を発行したこと、学校文化祭の際ビラまきを行つたこと、ビラを配付したり落書をしたことの行為がいずれも学校当局の許可なくしてされたものであることは、本件調査書に記載されたところから明らかである。
表現の自由といえども公共の福祉によつて制約を受けるものであるが(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁参照)、前記の上告人の行為は、原審の適法に確定したところによれば、いずれも中学校における学習とは全く関係のないものというのであり、かかるビラ等の文書の配付及び落書を自由とすることは、中学校における教育環境に悪影響を及ぼし、学習効果の減殺等学習効果をあげる上において放置できない弊害を発生させる相当の蓋然性があるものということができるのであるから、かかる弊害を未然に防止するため、右のような行為をしないよう指導説得することはもちろん、前記生徒会規則において生徒の校内における文書の配付を学校当局の許可にかからしめ、その許可のない文書の配付を禁止することは、必要かつ合理的な範囲の制約であつて、憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決(民集三七巻五号七九三頁)の趣旨に徴して明らかである。したがつて、仮に、義務教育課程にある中学生について一般人と同様の表現の自由があるものとしても、前記一の2において説示したとおり、調査書には、入学者の選抜の資料の一とされる目的に適合するよう生徒の性格、行動に関しても、これを把握し得る客観的事実を公正に記載すべきものである以上、上告人の右生徒会規則に違反する前記行為及び大学生ML派の集会の参加行為をいずれも上告人の性格、行動を把握し得る客観的事実としてこれらを本件調査書に記載し、入学者選抜の資料に供したからといつて、上告人の表現の自由を侵し又は違法に制約するものとすることはできず、所論は採用できない。

二 上告理由第二点について
所論は、教師が教育関係において得た生徒の思想、信条、表現行為及び信仰に関する情報は、調査書に記載することによつて志望高等学校に開示することができないものであるにもかかわらず、この情報の本件調査書の記載を適法とした原判決は、憲法二六条、一三条に違反する旨を主張するのであるが、本件調査書の備考欄等の記載は、上告人の思想、信条そのものの記載でもなく、外部的行為の記載も上告人の思想、信条を了知させ、また、それを評価の対象とするものとはみられないのみならず、その記載に係る行為は、いずれも調査書に記載して入学者の選抜の資料として適法に記載し得るものであるから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない
また、所論の憲法二六条のほか一三条違反をも主張する趣旨が本件調査書の記載が教育上のプライバシーの権利を侵害するものであるとするならば、本件調査書の記載による情報の開示は、入学者選抜に関係する特定小範囲の人に対するものであつて、情報の公開には該当しないから、本件調査書の記載が情報の公開に該当するものとして憲法一三条違反をいう所論は、その前提を欠き、採用することができない

三 上告理由第三点について
所論は、憲法二六条により生徒には合理的、かつ、公正な入学者選抜の手続を経て進学する権利が保障され、これを調査書についていえばそれが合理的、かつ、公正に作成提出される権利があるのであるから、調査書には入学者選抜に無関係な事項及び入学者選抜において考慮してはならない事項はすべて記載すべきではないにもかかわらず、本件調査書の備考欄等の記載事項は、入学者選抜の資料に供し得ない上告人の思想、信条、表現の自由に関する事項であつて、同条に違反するとする趣旨であるが、本件調査書の備考欄等の記載事項は、いずれも入学者選抜の資料に供し得るものであることは既に判示したとおりであるから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用できない。

四 上告理由第四点について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないか、又は独自の見解に基づいて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

五 上告理由第五点について
所論は、本件において、上告人が卒業生全員の卒業式に出席することによつて、卒業式の教育的意義を没却する事態が生ずるという蓋然性を予測することができなかつたことを前提として、憲法二六条、学校教育法四〇条、二八条三項違反を主張するものであるところ、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告人を卒業生全員の卒業式に出席させれば卒業式に混乱を生じさせるおそれがあつたとする原審の判断は、正当として是認することができるのであつて、所論のいう蓋然性を予測することができたものというべきであるから、所論は、その前提を欠き、採用することができない。
六 上告理由第六点及び第七点について
本件記録に現われた本件訴訟の経過によれば、原判決に訴訟手続の違背その他所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないでこれを論難するものであつて、採用することができない。

七 上告理由第八点について
1 上告理由第八点のうち、本件調査書の作成提出行為と上告人が各高等学校に不合格となつたこととの間には相当因果関係がないとした原判決には、経験則違背があるとする点については、原審の右判断は、本件調査書の作成提出行為に違法な点がないとする原審の判断が正当である限り、判決の結論に影響を及ぼさないものであるところ、本件調査書の作成提出行為に違法な点がないとする原審の判断が正当であることは前示のとおりであるから、論旨は、ひつきよう、原判決の結論に影響を及ぼさない点について原判決を非難するものであつて、採用することができない。
2 上告理由第八点のうち、右1以外の経験則違背、理由不備を主張する点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎないか、原判決を正解せず、独自の見解に立つて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭 裁判官奧野久之)

+上告理由もあったよ!
省略。

+判例(H8.3.8)剣道受講拒否事件
理由
上告代理人俵正市、同重宗次郎、同苅野年彦、同坂口行洋、同寺内則雄、同小川洋一の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、平成二年四月に神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)に入学した者である。
2 高等専門学校においては学年制が採られており、学生は各学年の修了の認定があって初めて上級学年に進級することができる。神戸高専の学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程(以下「進級等規程」という。)によれば、進級の認定を受けるためには、修得しなければならない科目全部について不認定のないことが必要であるが、ある科目の学業成績が一〇〇点法で評価して五五点未満であれば、その科目は不認定となる。学業成績は、科目担当教員が学習態度と試験成績を総合して前期、後期の各学期末に評価し、学年成績は、原則として、各学期末の成績を総合して行うこととされている。また、進級等規程によれば、休学による場合のほか、学生は連続して二回原級にとどまることはできず、神戸市立工業高等専門学校学則(昭和三八年神戸市教育委員会規則第一〇号。以下「学則」という。)及び退学に関する内規(以下「退学内規」という。)では、校長は、連続して二回進級することができなかった学生に対し、退学を命ずることができることとされている。
3 神戸高専では、保健体育が全学年の必修科目とされていたが、平成二年度からは、第一学年の体育科目の授業の種目として剣道が採用された。剣道の授業は、前期又は後期のいずれかにおいて履修すべきものとされ、その学期の体育科目の配点一〇〇点のうち七〇点、すなわち、第一学年の体育科目の点数一〇〇点のうち三五点が配点された。
4 被上告人は、両親が、聖書に固く従うという信仰を持つキリスト教信者である「エホバの証人」であったこともあって、自らも「エホバの証人」となった。被上告人は、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加することは自己の宗教的信条と根本的に相いれないとの信念の下に、神戸高専入学直後で剣道の授業が開始される前の平成二年四月下旬、他の「エホバの証人」である学生と共に、四名の体育担当教員らに対し、宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れたが、右教員らは、これを即座に拒否した。被上告人は、実際に剣道の授業が行われるまでに同趣旨の申入れを繰り返したが、体育担当教員からは剣道実技をしないのであれば欠席扱いにすると言われた。上告人は、被上告人らが剣道実技への参加ができないとの申出をしていることを知って、同月下旬、体育担当教員らと協議をし、これらの学生に対して剣道実技に代わる代替措置を採らないことを決めた。被上告人は、同月末ころから開始された剣道の授業では、服装を替え、サーキットトレーニング、講義、準備体操には参加したが、剣道実技には参加せず、その間、道場の隅で正座をし、レポートを作成するために授業の内容を記録していた。被上告人は、授業の後、右記録に基づきレポートを作成して、次の授業が行われるより前の日に体育担当教員に提出しようとしたが、その受領を拒否された。

5 体育担当教員又は上告人は、被上告人ら剣道実技に参加しない学生やその保護者に対し、剣道実技に参加するよう説得を試み、保護者に対して、剣道実技に参加しなければ留年することは必至であること、代替措置は採らないこと等の神戸高専側の方針を説明した。保護者からは代替措置を採って欲しい旨の陳情があったが、神戸高専の回答は、代替措置は採らないというものであった。その間、上告人と体育担当教員等関係者は、協議して、剣道実技への不参加者に対する特別救済措置として剣道実技の補講を行うこととし、二回にわたって、学生又は保護者に参加を勧めたが、被上告人はこれに参加しなかった。その結果、体育担当教員は、被上告人の剣道実技の履修に関しては欠席扱いとし、剣道種目については準備体操を行った点のみを五点(学年成績でいえば二・五点)と評価し、第一学年に被上告人が履修した他の体育種目の評価と総合して被上告人の体育科目を四二点と評価した。第一次進級認定会議で、剣道実技に参加しない被上告人外五名の学生について、体育の成績を認定することができないとされ、これらの学生に対し剣道実技の補講を行うことが決められたが、被上告人外四名はこれに参加しなかった。そのため、平成三年三月二三日開催の第二次進級認定会議において、同人らは進級不認定とされ、上告人は、同月二五日、被上告人につき第二学年に進級させない旨の原級留置処分をし、被上告人及び保護者に対してこれを告知した。
6 平成三年度においても、被上告人の態度は前年度と同様であり、学校の対応も同様であったため、被上告人の体育科目の評価は総合して四八点とされ、剣道実技の補講にも参加しなかった被上告人は、平成四年三月二三日開催の平成三年度第二次進級認定会議において外四名の学生と共に進級不認定とされ、上告人は、被上告人に対する再度の原級留置処分を決定した。また、同日、表彰懲戒委員会が開催され、被上告人外一名について退学の措置を採ることが相当と決定され、上告人は、自主退学をしなかった被上告人に対し、二回連続して原級に留め置かれたことから学則三一条に定める退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとの判断の下に、同月二七日、右原級留置処分を前提とする退学処分を告知した。
7 被上告人が、剣道以外の体育種目の受講に特に不熱心であったとは認められない。また、被上告人の体育以外の成績は優秀であり、授業態度も真しなものであった。
なお、被上告人のような学生に対し、レポートの提出又は他の運動をさせる代替措置を採用している高等専門学校もある。

二 高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、最高裁昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁、最高裁昭和四二年(行ツ)第五九号同四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁、最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(前掲昭和四九年七月一九日第三小法廷判決参照)。また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。そして、前記事実関係の下においては、以下に説示するとおり、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。 
1 公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。
2 他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。被上告人は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、特に不熱心でもなかったが、剣道種目の点数として三五点中のわずか二・五点しか与えられなかったため、他の種目の履修のみで体育科目の合格点を取ることは著しく困難であったと認められる。したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。また、本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。
上告人の採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法についての一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない

3 被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申し入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。これに対し、神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。
所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。さらに、代替措置を採ることによって、神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。
所論は、代替措置を採ることは憲法二〇条三項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。これらのことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁の趣旨に徴して明らかである。
4 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。
右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。その余の違憲の主張は、その実質において、原判決の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎない。また、右の判断は、所論引用の各判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

++解説
《解  説》
一 本件は、「エホバの証人」である神戸市立工業高等専門学校の学生Xが、信仰上の理由から格技である剣道実技の履修を拒否したため、必修である体育科目の修得認定を受けられず、そのため二年連続して原級留置(進級拒否)処分を受け、さらに、これを理由に、内規に従い、退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとして退学処分を受けたため、これらの処分の取消しを求めた事案である。神戸高専における進級、退学等に関する定めの概要やXが各処分を受けるに至った経緯等は、本判決判示一に摘示されているので、参照されたい。
本件各処分を受けたXは、信教上の信条から剣道実技に参加しない者にその履修を強制し、それを履修しなかった者に代替措置も採らずに欠課扱いとして体育の単位を認定せず、本件各処分までするのは、信教の自由や教育を受ける権利を侵害するものであり、教育基本法三条、九条一項、憲法一四条等にも違反するとして、本件各処分の取消しを求める本案訴訟を提起するとともに、各処分の執行停止の申立てをした。各執行停止の申立ては、いずれも、「本案につき理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に当たるとして排斥され、各本案事件の一審判決(神戸地判平5・2・22、第一次原級留置処分についての判決は、本誌八一三号一三四頁に登載)は、いずれも原告の請求を棄却した。これに対し、原審は、事件を併合審理した上、本件各処分をいずれも裁量権の逸脱と認めて、各一審判決を取り消し、Xの請求をすべて認容した(大阪高判平6・12・22本誌八七三号六八頁)。校長が上告をしていたが、本判決も、原審の判断を支持して、上告を棄却した。
なお、本件各処分のうち、退学処分については、司法審査の対象となるものであり、行政処分に当たることにも異論がない(最三小判昭29・7・30民集八巻七号一四六三頁)。原級留置の措置についても、下級審裁判例(本件各執行停止事件の決定、本件各本案事件の判決のほか、東京地決昭61・10・8行集三七巻一〇=一一号一二一七頁、東京地判昭62・4・1行集三八巻四=五号三四七頁、本誌六四五号一六九頁、その控訴審東京高判昭62・12・16行集三八巻一二号一七三一頁、本誌六七六号七四頁)は、司法審査の対象となるものとし、行政処分性も認めてきており、本判決も、これを前提として判断をしている。

二 本判決は、まず、大学生に対する退学処分に関する最三小判昭29・7・30民集八巻七号一四六三頁、最三小同日判民集同号一五〇一頁、最三小判昭49・7・19民集二八巻五号七九〇頁、本誌三一三号一五三頁及び公務員の懲戒処分に関する最三小判昭52・12・20民集三一巻七号一一〇一頁、本誌三五七号一四二頁を参照として、原級留置処分又は退学処分は、処分権者である校長の合理的な教育的裁量に任せるべき処分であるから、裁判所がその適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、それが全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法と判断すべきであるとした。その一方で、前記四九年最三小判決の判示するところと同様、退学処分は、学生に改善の見込みがなく、これを学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するとして、他の種類の処分に比べて裁量の範囲を狭く解している。また、このような配慮は、原級留置処分の決定に当たっても同様に要求されるとしている。
こうした判断枠組みの下で、本件については、①剣道実技の履修が高等専門学校において必須とはいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履行などの代替的方法によってこれを行うことも可能であること、②他方、原告が剣道実技への参加を拒否する理由は、内心の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであったこと、③原告は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、他の科目では成績優秀であったこと、④原告は、剣道実技の履修拒否の結果として、原級留置、退学という事態に追い込まれたものであり、その不利益は極めて大きく、その不利益を避けるためには信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられること、⑤神戸高専においては、原告及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したものであって、代替措置について検討をしたとはいえないこと等の事情からすると、本件各処分は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものとして、裁量権の範囲を超える違法なものであると判断した。
また、代替措置を講じたりすることは政教分離原則ないし公教育の宗教的中立性に反することになるとの主張に対して、本判決は、最大判昭52・7・13民集三一巻四号五三頁、本誌三五〇号二〇四頁(津地鎮祭事件)の趣旨を引いて、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するとも、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないから、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということはできないとしている。さらに、学校が学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校がその理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが宗教的中立性に反するとはいえないとした。
基本的人権も絶対的なものではなく、自己の自由意思に基づく特別な公法関係上又は私法関係上の義務によって制限を受け得るものではある(最大決昭26・4・4民集五巻五号二一五頁、最二小判27・2・22民集六巻二号二五八頁)。しかし、剣道実技受講義務の存在の承認は、義務不遵守の場合に原級留置又は退学という措置を採られることの承認を直ちには意味しない。また、右の法理の趣旨とするところは、自らの自由意思で特別な法律関係に入った以上、いかなる制限も拒み得ないということではなく、その法律関係の存立目的に照らして合理的な制限を受けることはやむを得ないというものであって、その法律関係の目的に照らして規制の必要性がそれほど大きくないにもかかわらず、当該規制による権利制約の程度が、自らの意思でその法律関係に入ったことを考慮してもなお大きすぎるような場合には、それにもかかわらず当該規制に服さざるを得ないとは考えられない。本判決も、義務教育ではないとはいえ、神戸高専が公立学校であることもあって、自らの自由意思で学校を選択したことを理由に、本件各処分のような形で著しい不利益を与えることが当然に許容されることになるものでもないと判示している。

三 宗教的行為とそれに負担制約を課す結果となる公的規制との関係が争われた事件で教育関係のものは、類例に乏しく、東京地判昭61・3・20行集三七巻三号三四七頁、本誌五九二号一二二頁(日曜日授業参観事件)が見当たる程度である。右判決は、公立小学校の児童が日曜教会学校に出席し、その日に実施された父兄参観授業を欠席したため、小学校長が指導要録に「欠席」と記載したことにつき、公教育上の特別の必要性がある授業日の振替えの範囲内では、宗教教団の集会と抵触することになったとしても、法はこれを合理的根拠に基づくやむを得ない制約として容認しているものと解すべきであり、原告らの被る不利益は受忍すべき範囲内にあると判断した。この事件では、課せられた義務そのものが信仰内容と相いれないというものではなく、具体的な不利益も指導要録に「欠席」と記載されたということにとどまるものであったのに対し、本件では、剣道実技の履修自体が原告の信仰上の教義に直接反するものであり、また、具体的な不利益の程度が極めて重たく、原因行為との間の均衡を著しく欠くものといえよう。
本判決は、世間の耳目を集めた事案について詳細な判示をしており、直接には裁量判断の違法性の有無について判断をしたものであるが、信仰の自由と一般的義務との抵触の問題に関連する重要な判断を示したものであるということができる。

・外部的行為について
+判例(S31.7.4)謝罪広告事件
理由
上告代理人阿河準一の上告理由一(上告状記載の上告理由を含む)について。
しかし、憲法二一条は言論の自由を無制限に保障しているものではない。そして本件において、原審の認定したような他人の行為に関して無根の事実を公表し、その名誉を毀損することは言論の自由の乱用であつて、たとえ、衆議院議員選挙の際、候補者が政見発表等の機会において、かつて公職にあつた者を批判するためになしたものであつたとしても、これを以て憲法の保障する言論の自由の範囲内に属すると認めることはできない。してみれば、原審が本件上告人の行為について、名誉毀損による不法行為が成立するものとしたのは何等憲法二一条に反するものでなく、所論は理由がない。
同二について。
しかし、上告人の本件行為は、被上告人に対する面では私法関係に外ならない。だから、たとえ、それが一面において、公法たる選挙法の規律を受ける性質のものであるとしても、私法関係の面については民法の適用があることは勿論である。所論は独自の見解であつて採るに足りない。
同三について。
民法七二三条にいわゆる「他人の名誉を毀損した者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、従来学説判例の肯認するところであり、また謝罪広告を新聞紙等に掲載することは我国民生活の実際においても行われているのである。尤も謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者の意思のみに係る不代替作為として民訴七三四条に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろうけれど、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民訴七三三条の手続によることを得るものといわなければならない。そして原判決の是認した被上告人の本訴請求は、上告人が判示日時に判示放送、又は新聞紙において公表した客観的事実につき上告人名義を以て被上告人に宛て「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」なる内容のもので、結局上告人をして右公表事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する。されば少くともこの種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないし、また民法七二三条にいわゆる適当な処分というべきであるから所論は採用できない。
よつて民訴四〇一条、八九条に従い主文のとおり判決する。
この判決は、上告代理人阿河準一の上告理由三について裁判官田中耕太郎、同栗山茂、同入江俊郎の各補足意見及び裁判官藤田八郎、同垂水克己の各反対意見があるほか裁判官の一致した意見によるものである。
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官田中耕太郎の補足意見は次のごとくである。
上告論旨は、要するに、上告人が「現在でも演説の内容は真実であり上告人の言論は国民の幸福の為に為されたものと確信を持つている」から、謝罪文を新聞紙に掲載せしめることは上告人の良心の自由の侵害として憲法一九条の規定またはその趣旨に違反するものというにある。ところで多数意見は、憲法一九条にいわゆる良心は何を意味するかについて立ち入るところがない。それはただ、謝罪広告を命ずる判決にもその内容から見て種々なものがあり、その中には強制が債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限する強制執行に適しないものもあるが、本件の原判決の内容のものなら代替行為として民訴七三三条の手続によることを得るものと認め、上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものと解せられないものとしているにとどまる。
私の見解ではそこに若干の論理の飛躍があるように思われる。
この問題については、判決の内容に関し強制執行が債務者の意思のみに係る不代替行為として間接強制によるを相当とするかまたは代替行為として処置できるものであるかというようなことは、本件の判決の内容が憲法一九条の良心の自由の規定に違反するか否かを決定するために重要ではない。かりに本件の場合に名誉回復処分が間接強制の方法によるものであつたにしてもしかりとする。謝罪広告が間接にしろ強制される以上は、謝罪広告を命ずること自体が違憲かどうかの問題が起ることにかわりがないのである。さらに遡つて考えれば、判決というものが国家の命令としてそれを受ける者において遵守しなければならない以上は、強制執行の問題と別個に考えても同じ問題が存在するのである。
私は憲法一九条の「良心」というのは、謝罪の意思表示の基礎としての道徳的の反省とか誠実さというものを含まないと解する。又それは例えばカントの道徳哲学における「良心」という概念とは同一ではない。同条の良心に該当するゲウイツセン(Gewissen)コンシアンス(Conscience)等の外国語は、憲法の自由の保障との関係においては、沿革的には宗教上の信仰と同意義に用いられてきた。しかし今日においてはこれは宗教上の信仰に限らずひろく世界観や主義や思想や主張をもつことにも推及されていると見なければならない。憲法の規定する思想、良心、信教および学問の自由は大体において重複し合つている。
要するに国家としては宗教や上述のこれと同じように取り扱うべきものについて、禁止、処罰、不利益取扱等による強制、特権、庇護を与えることによる偏頗な所遇というようなことは、各人が良心に従つて自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反するし、ある場合には憲法一四条一項の平等の原則にも違反することとなる。憲法一九条がかような趣旨に出たものであることは、これに該当する諸外国憲法の条文を見れば明瞭である。
憲法一九条が思想と良心とをならべて掲げているのは、一は保障の対照の客観的内容的方面、他はその主観的形式的方面に着眼したものと認められないことはない。
ところが本件において問題となつている謝罪広告はそんな場合ではない。もちろん国家が判決によつて当事者に対し謝罪という倫理的意味をもつ処置を要求する以上は、国家は命ぜられた当事者がこれを道徳的反省を以てすることを排斥しないのみか、これを望ましいことと考えるのである。これは法と道徳との調和の見地からして当然しかるべきである。しかし現実の場合においてはかような調和が必ずしも存在するものではなく、命じられた者がいやいやながら命令に従う場合が多い。もしかような場合に良心の自由が害されたというならば、確信犯人の処罰もできなくなるし、本来道徳に由来するすべての義務(例えば扶養の義務)はもちろんのこと、他のあらゆる債務の履行も強制できなくなる。又極端な場合には、表見主義の原則に従い法が当事者の欲したところと異る法的効果を意思表示に附した場合も、良心の自由に反し憲法違反だと結論しなければならなくなる。さらに一般に法秩序を否定する者に対し法を強制すること自体がその者の良心の自由を侵害するといわざるを得なくなる。
謝罪広告においては、法はもちろんそれに道徳性(Moralitat)が伴うことを求めるが、しかし道徳と異る法の性質から合法性(Legalitat)即ち行為が内心の状態を離れて外部的に法の命ずるところに適合することを以て一応満足するのである。内心に立ちいたつてまで要求することは法の力を以てするも不可能である。この意味での良心の侵害はあり得ない。これと同じことは国会法や地方自治法が懲罰の一種として「公開議場における陳謝」を認めていること(国会法一二二条二号、地方自治法一三五条一項二号)についてもいい得られる。
謝罪する意思が伴わない謝罪広告といえども、法の世界においては被害者にとつて意味がある。というのは名誉は対社会的の観念であり、そうしてかような謝罪広告は被害者の名誉回復のために有効な方法と常識上認められるからである。この意味で単なる取消と陳謝との間には区別がない。もし上告理由に主張するように良心を解するときには、自己の所為について確信をもつているから、その取消をさせられることも良心の自由の侵害になるのである。
附言するが謝罪の方法が加害者に屈辱的、奴隷的な義務を課するような不適当な場合には、これは個人の尊重に関する憲法一三条違反の問題として考えられるべきであり、良心の自由に関する憲法一九条とは関係がないのである。
要するに本件は憲法一九条とは無関係であり、こり理由からしてこの点の上告理由は排斥すべきである。憲法を解釈するにあたつては、大所高所からして制度や法条の精神の存するところを把握し、字句や概念の意味もこの精神からして判断しなければならない。私法その他特殊の法域の概念や理論を憲法に推及して、大局から判断をすることを忘れてはならないのである。
上告代理人阿河準一の上告理由三に対する裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。
多数意見は論旨を憲法一九条違反の主張として判断を示しているけれども、わたくしは本件は同条違反の問題を生じないと考えるので、多数意見の理由について左のとおり補足する。
論旨は憲法一九条にいう「良心の自由」を倫理的内心の自由を意味するものと誤解して、原判決の同条違反を主張している。しかし憲法一九条の「良心の自由」は英語のフリーダム・オブ・コンシャンスの邦訳であつてフリーダム・オブ・コンシャンスは信仰選択の自由(以下「信仰の自由」と訳す。)の意味であることは以下にかかげる諸外国憲法等の用例で明である。
先づアイルランド国憲法を見ると、同憲法四四条は「宗教」と題して「フリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び宗教の自由な信奉と履践とは公の秩序と道徳とに反しない限り各市民に保障される。」と規定している。次にアメリカ合衆国ではヵリフオルニャ州憲法(一条四節)は宗教の自由を保障しつつ「何人も宗教的信念に関する自己の意見のために証人若しくは陪審員となる資格がないとされることはない。しかしながらかように保障されたフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)は不道徳な行為又は当州の平和若しくは安全を害するような行為を正当ならしむるものと解してはならない。」と規定している。そしてこのフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)という辞句はキリスト教国の憲法上の用語とは限らないのであつて、インド国憲法二五条は、わざわざ「宗教の自由に対する権利」と題して「何人も平等にフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び自由に宗教を信奉し、祭祀を行い、布教する権利を有する。」と規定し、更にビルマ国憲法も「宗教に関する諸権利」と題して二〇条で「すべての人は平等のフリーダム・オブ・コンシヤンス(「信仰の自由」)の権利を有し且宗教を自由に信奉し及び履践する権利を有する云々」と規定しており、イラク国憲法一三条は同教は国の公の宗教であると宣言して同教各派の儀式の自由を保障した後に完全なフリーダム・オブ・コンシャンス(「信仰の自由」)及び礼拝の自由を保障している。(ピズリー著各国憲法集二巻二一九頁。脚註に公認された英訳とある。)。英語のフリーダム・オブ・コンシヤンスは仏語のリベルテ・ド・コンシアンスであつて、フフンスでは現に宗教分離の一九〇五年の法律一条に「共和国はリベルテ・ド・コンシァンス(「信仰の自由」)を確保する。」と規定している。これは信仰選択の自由の確保であることは法律自体で明である。レオン、ヂユギはリベルテ・ド・コンシアンスを宗教に関し心の内で信じ若しくは信じない自由と説いている。(ヂュギ著憲法論五巻一九二五年版四一五頁)
以上の諸憲法等の用例によると「信仰の自由」は広義の宗教の自由の一部として規定されていることがわかる。これは日本国憲法と異つて思想の自由を規定していないからである。日本国憲法はポツダム宣言(同宣言一〇項は「言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と規定している)の条件に副うて規定しているので思想の自由に属する本来の信仰の自由を一九条において思想の自由と併せて規定し次の二〇条で信仰の自由を除いた狭義の宗教の自由を規定したと解すべきである。かように信仰の自由は思想の自由でもあり又宗教の自由でもあるので国際連合の採択した世界人権宣言(一八条)及びユネスコの人権規約案(一三条)にはそれぞれ三者を併せて「何人も思想、信仰及び宗教の自由を享有する権利を有する」と規定している。以上のように日本国憲法で「信仰の自由」が二〇条の信教の自由から離れて一九条の思想の自由と併せて規定されて、それを「良心の自由」と訳したからといつて、日本国憲法だけが突飛に倫理的内心の自由を意味するものと解すべきではないと考える。憲法九七条に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると言つているように、憲法一九条にいう「良心の自由」もその歴史的背景をもつ法律上の用語として理解すべきである。されば所論は「原判決の如き内容の謝罪文を新聞紙に掲載せしむることは上告人の良心の自由を侵害するもので憲法一九条の規定に違反するものである。」と言うけれども、それは憲法一九条の「良心の自由」を誤解した主張であつて、原判決には上告人のいう憲法一九条の「良心の自由」を侵害する問題を生じないのである。
上告代理人阿河準一の上告理由三に対する裁判官入江俊郎の意見は次のとおりである。
わたくしは、本件上告を棄却すべきことについては多数説と同じ結論であるが、右上告理由三に関しては棄却の理由を異にするので、以下所見を明らかにして、わたくしの意見を表示する。
一、上告理由三は、要するに本件判決により、上告人は強制的に本件のごとき内容の謝罪広告を新聞紙へ掲載せしめられるのであり、それは上告人の良心の自由を侵害するものであつて、憲法一九条違反であるというのである。しかしわたくしは、本件判決は、給付判決ではあるが、後に述べるような理由により、その強制執行は許されないものであると解する。しからば本件判決は上告人の任意の履行をまつ外は、その内容を実現させることのできないものであつて、従つて上告人は本件判決により強制的に謝罪広告を新聞紙へ掲載せしめられることにはならないのであるから、所論違憲の主張はその前提を欠くこととなり採るを得ない。上告理由三については、右を理由として上告を棄却すべきものであると思うのである。
二、多数説は、原判決の是認した被上告人の本訴請求は、上告人をして、上告人がさきに公表した事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すベきことを求めるに帰するとなし、また、上告人に屈辱的若しくは苦役的労務を科し又は上告人の有する意思決定の自由、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないといい、結局本件判決が民訴七三三条の代替執行の手続によつて強制執行をなしうるものであることを前提とし、しかもこれを違憲ならずと判断しているのである。しかしわたくしは、本件判決の内容は多数説のいうようなものではなく、上告人に対し、上告人のさきにした本件行為を、相手方の名誉を傷つけ相手方に迷惑をかけた非行であるとして、これについて相手方の許しを乞う旨を、上告人の自発的意思表示の形式をもつて表示すべきことを求めていると解すべきものであると思う。そして、若しこのような上告人名義の謝罪広告が新聞紙に掲載されたならば、それは、上告人の真意如何に拘わりなく、恰も上告人自身がその真意として本件自己の行為が非行であることを承認し、これについて相手方の許しを乞うているものであると一般に信ぜられるに至ることは極めて明白であつて、いいかえれば、このような謝罪広告の掲載は、そこに掲載されたところがそのまま上告人の真意であるとせられてしまう効果(表示効果)を発生せしめるものといわねばならない。自己の行為を非行なりと承認し、これにつき相手方の許しを乞うということは、まさに良心による倫理的判断でなくて何であろうか。それ故、上告人が、本件判決に従つて任意にこのような意思を表示するのであれば問題はないが、いやしくも上告人がその良心に照らしてこのような判断は承服し得ない心境に居るにも拘らず、強制執行の方法により上告人をしてその良心の内容と異なる事柄を、恰もその良心の内容であるかのごとく表示せしめるということは、まさに上告人に対し、その承服し得ない倫理的判断の形成及び表示を公権力をもつて強制することと、何らえらぶところのない結果を生ぜしめるのであつて、それは憲法一九条の良心の自由を侵害し、また憲法一三条の個人の人格を無視することとならざるを得ないのである。
三、もとより、憲法上の自由権は絶対無制限のものではなく、憲法上の要請その他公共の福祉のために必要已むを得ないと認めるに足る充分の根拠が存在する場合には、これに或程度の制約の加えられることは必ずしも違憲ではないであろう。しかし自由権に対するそのような制約も、制約を受ける個々の自由権の性質により、その態様又は程度には自ら相違がなければならぬ筈のものである。ところで古人も「三軍は帥を奪うべし。匹夫も志を奪うべからず」といつたが、良心の自由は、この奪うべからざる匹夫の志であつて、まさに民主主義社会が重視する人格尊重の根抵をなす基本的な自由権の一である。そして、たとえ国家が、個人が自己の良心であると信じているところが仮に誤つていると国家の立場において判断した場合であつても、公権力によつてなしうるところは、個人が善悪について何らかの倫理的判断を内心に抱懐していること自体の自由には関係のない限度において、国家が正当と判断した事実関係を実現してゆくことであつて、これを逸脱し、例えば本件判決を強制執行して、その者が承服しないところを、その者の良心の内容であるとして表示せしめるがごときことは、恐らくこれを是認しうべき何らの根拠も見出し得ないと思うのである。
英、米、独、仏等では、現在名誉回復の方法として本件のごとき謝罪広告を求める判決を認めていないようである。すなわち英、米では名誉毀損の回復は損害賠償を原則とし、加害者の自発的な謝罪が賠償額の緩和事由となるとせられるに止会り、また独、仏では、加害者の費用をもつて、加害者の行為が、名誉毀損の行為であるとして原告たる被害者を勝訴せしめた判決文を新聞紙上に掲載せしめ又は加害者に対し新聞紙上に取消文を掲載せしめる等の方法が認められている。わが民法七二三条の適用としても、本件のような謝罪広告を求める判決のほかに、(一)加害者の費用においてする民事の敗訴判決の新聞紙等への掲載、(二)同じく刑事の名誉毀損罪の有罪判決の新聞紙等への掲載、(三)名誉毀損記事の取消等の方法が考えうるのであるが、このような方法であれば、これを加害者に求める判決の強制執行をしたからといつて、不当に良心の自由を侵害し、または個人の人格を無視したことにはならず違憲の問題は生じないと思われる。しかし、本件のような判決は、若し強制執行が許されるものであるとすれば、それはまさに公権力をもつて上告人に倫理的の判断の形成及び表示を強制するのと同様な結果を生ぜしめるに至ることは既に述べたとおりであり、また前記のごとく民法七二三条の名誉回復の為の適当な処分としては他にも種々の方法がありうるのであるから、これらを勘案すれば、本件判決を強制執行して良心の自由又は個人の人格に対する上述のような著しい侵害を敢えてしなければ、本件名誉回復が全きを得ないものとは到底認め得ない。即ち利益の比較較量の観点からいつても、これを是認しうるに足る充分の根拠を見出し得ず、結局それは名誉回復の方法としては行きすぎであり、不当に良心の自由を侵害し個人の人格を無視することとなつて、違憲たるを免れないと思うのである。(以上述べたところは、私見によれば、取消交の掲載又は国会、地方議会における懲罰の一方法としての「公開議場における陳謝」には妥当しない。前者については、取消文の文言にもよることではあるが、それが単に一旦発表した意思表示を発表せざりし以前の状態に戻す原状回復を趣旨とするものたるに止まる限り良心の自由とは関係なく、また後者は、これを強制執行する方法が認められていないばかりでなく、特別権力関係における秩序維持の為の懲戒罰である点において、一般権力関係における本件謝罪広告を求める判決の場合とは性質を異にするというべきだからである。)
四、以上述べたとおり、わたくしは、本件判決が強制執行の許されるものであるとするならば、それは憲法一九条及び一三条に違反すると解するのであつて、従つて、多数説が、本件判決が民訴七三三条の代替執行○方法により強制執行をなしうるものであることを前提として、しかも本件判決を違憲でないとしたことには賛成できない。
けれども、わたくしは以下述べるごとく、本件判決は強制執行はすべて許されないものであると解するのである。思うに、給付判決の請求と、強制執行の請求とは一応別個の事柄であり、従つて給付判決は常に必ず強制執行に適するものと限らないことは、多数説の説示の中にも示されているとおりであつて(給付判決であつても、強制執行の全く許されないものとしては、例えば夫婦同居の義務に関する判例があつた。)、本件判決が果して強制執行に適するものであるか否かは、本件判決の内容に照らし、更に審究を要する問題であろう。ところで、給付判決の中で強制執行に適さないと解せられる場合としては、(一)債務の性質からみて、強制執行によつては債務の本旨に適つた給付を実現し得ない場合、(二)債務の内容からみて、強制執行することが、債務者の人格又は身体に対する著しい侵害であつて、現代の法的理念に照らし、憲法上又は社会通念上、正当なものとして是認し得ない場合の二であろう。(一)の場合は主として、債務の性質が強制執行をするのに適当しているかどうかの観点から判断しうるけれども、(二)の場合は、強制執行をすること自体が、現代における文化の理念に照らして是認しうるかどうかの観点から判断することが必要となつてくる。そして、本件のごとき判決を強制執行することは、既に述べたように、不当に良心の自由を侵害し、個人の人格を無視することとなり達憲たるを免れないのであるから、まさに上記(二)の場合に該当し、民訴七三三条の代替執行たると、同七三四条の間接強制たるとを問わず、すべて強制執行を許さないものと解するを相当とするのである。また本件判決は、被害者が名誉回復の方法として本件のような謝罪広告の新聞紙への掲載を加害者に請求することを利益と信じ、裁判所がこれを民法七二三条の適当な処分と認めてなされたものであるから、これについて強制執行が認められないからといつて、それは給付判決として意味のないものとはいえないと思う。
以上のべたごとく、本件判決は強制執行を許さないものであるから、違憲の問題を生ずる余地なく、所論は前提を欠き、上告棄却を免れない。
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官藤田八郎の反対意見は次のとおりである。
本件における被上告人の請求の趣意、並びにこれを容認した原判決の趣意は、上告人に対し、上告人がさきにした原判示の所為は、被上告人の名誉を傷つけ、被上告人に迷惑を及ぼした非行であるとして、これにつき被上告人に陳謝する旨の意を新聞紙上に謝罪広告を掲載する方法により表示することを命ずるにあることは極めて明らかである。しかして、本件において、上告人は、そのさきにした本件行為をもつて、被上告人の名誉を傷つける非行であるとは信ぜず、被上告人に対し陳謝する意思のごときは、毛頭もつていないことは本件弁論の全経過からみて、また、極めて明瞭である。
かかる上告人に対し、国家が裁判という権力作用をもつて、自己の行為を非行なりとする倫理上の判断を公に表現することを命じ、さらにこれにつき「謝罪」「陳謝」という道義的意思の表示を公にすることを命ずるがごときことは、憲法一九条にいわゆる「良心の自由」をおかすものといわなければならない。けだし、憲法一九条にいう「良心の自由」とは単に事物に関する是非弁別の内心的自由のみならず、かかる是非弁別の判断に関する事項を外部に表現するの自由並びに表現せざるの自由をも包含するものと解すべきであり、このことは、憲法二〇条の「信教の自由」仁ついても、憲法はただ内心的信教の自由を保障するにとどまらず、信教に関する人の観念を外部に表現し、または表現せざる自由をも保障するものであつて、往昔わが国で行われた「踏絵」のごとき、国家権力をもつて、人の信念に反して、宗教上の観念を外部に表現することを強制するごときことは、もとより憲法の許さないところであると、その軌を一にするものというべきである。従つて、本件のごとき人の本心に反して、事の是非善悪の判断を外部に表現せしめ、心にもない陳謝の念の発露を判決をもつて命ずるがごときことは、まさに憲法一九条の保障する良心の外的自由を侵犯するものであること疑を容れないからである。従前、わが国において、民法七二三条所定の名誉回復の方法として、訴訟の当事者に対し判決をもつて、謝罪広告の新聞紙への掲載を命じて来た慣例のあることは、多数説のとくとおりであるけれども、特に、明文をもつて、「良心の自由」を保障するに至つた新憲法下においてかかる弊習は、もはやその存続を許されないものと解すへきである。(そして、このことは、かかる判決が訴訟法上強制執行を許すか否かにはかかわらない。国家が権力をもつて、これを命ずること自体が良心の自由をおかすものというべきである。あたかも、婚姻予約成立の事実は認定せられても、当事者に対して、判決ををもつて、その履行―すなわち婚姻―を命ずることが、婚姻の本質上許されないと同様、強制執行の許否にかかわらず、判決自体の違法を招致するものと解すべきである)。
従つて、この点に関する論旨は理由あり、原判決が上告人に対し謝罪広告を以て、自己の行為の非行なることを認め陳謝の意を表することを命じた部分は破棄せらるべきである。
上告代理人阿河準一の上告理由三についての裁判官垂水克己の反対意見は次のとおりである。
私は原判決が広告中に「謝罪」「陳謝」の意思を表明すべく命じた部分は憲法一九条に違反し原判決は破棄せらるべきものと考える。
一、判決と当事者の思想裁判所が裁判をもつて訴訟当事者に対し一定の意思表示をなすべきことを命ずる場合に裁判所はその当事者が内心において如何なる思想信仰良心を持つているかは知ることもできないし、調査すべき事柄でもない。本件謝罪広告を命ずる判決をし又はこの判決を是認すべきか否かを判断するについても固より同じである。すなわち、かような判決をすべきかどうかを判断するについては上告人が、万一、場合によつてはこんな広告をすることは彼の思想信仰良心に反するとの理由からこれを欲しないかも知れないことも予想しなければならない。世の中には次のような思想の人もあり得るであろう―「今日多くの国家においては大多数の人々が労働の成果を少数者によつて搾取され、人間に値せぬ生活に苦しんでいる、これは重要生産手段の私有を認める資本主義の国家組織に原因するから、かかる組織の国家は地上からなくさなくてはならない、そのためには憲法改正の合法手段は先ず絶望であるから、手段を選ばずあらゆる合法・非合法手段、平和手段・暴力手段を用いてたたかい、かかる国家、その法律、国家機関、裁判、反対主義の敵に対しても、これを利用するのはよいが、屈服してはならない、これがわれわれの信条・道徳・良心である。」と。或は一部宗教家、無政府主義者のように、すべて人は一切他人を圧迫強制してはならない、国家、法律は圧力をもつて人を強制するものであるから、これに対しては、少くともできるだけ不服従の態度をとるべきである、という信条の人もあり借るであろう。かような人の内心の思想信仰良心の自由は法律、国権、裁判をもつてしても侵してはならないことは憲法一九条、二〇条の保障するところである。
論者或はいうかもしれない「迷信や余りに普遍的妥当性のない考は思想でも信仰でもなく憲法の保障のほかにある」と。しかし、誰が迷信と断じ普遍的妥当性なしと決めるのか。一宗一主義は他宗他主義を迷信虚妄として排斥する。けれども、種々の思想、信条の自由活溌な発露、展開、論議こそ個人と人類の精神的発達、人格完成に貢献するゆえんであるとするのが、わが自由主義憲法の基本的精神なのであつて、憲法を攻撃する思想に対してさえ発表の機会を封ずることをせず思想は思想によつて争わしめようとするところに自由主義憲法の特色を見るのである。
二、謝罪、陳謝とは上告人が、万一、前段設例のような信条の持主であると仮定するならば、本件裁判は彼の信条に反し彼の欲しない意思表明を強制することになるのではないか。この点を判断するには先ず「陳謝」ないし「謝罪」とは如何なる意味のものであるかを判定しなければならない。思うに一般に、「あやまる」、「許して下さい」、「陳謝」又は「遺憾」の意思表明とは(1)自分の行為若くは態度(作為・不作為)が宗教上、社会道徳上、風俗上若くは信条三の過誤であつた(善、正当、是、若くは直でなく悪、不当、非、若くは曲であつた、許されない規範違反であつた)ことの承認、換言すれば、自分の行為の正当性の否定である、或は(2)そのほか更に遡つて行為の原因となつた自分の考(信条を含む)が悪かつたことの承認、若くは一層進んで自分の人格上の欠陥の自認、ひいて劣等感の表明である、或は(3)なおこれに行為者が自分の考を改め将来同様の過誤をくり返さないことの言明を附加したものである。なお、記事や発言の「取消」というものがある。これには単なる訂正の意味のものもあるが、やはり前同様自己の記事や発言に瑕疵不当があつたとしてその正当性を否定する意味のものもある。
本件広告は相当の配慮をもつて被上告人の申し立てた謝罪文を修正したものではあるが、原審は単に故意又は過失による不法行為としての名誉毀損を認めたに止まり刑法上の名誉毀損罪を認めたものではないから、本件広告に罪悪たることの自認を意味するものと解し得られる「謝罪」という文言を用いることは、或は上告人がその信条からいつて欲しないかも知れない。さすれば本件判決中、広告の標題に「謝罪」の文言を冠し、末尾に「ここに陳謝の意を表します」との文言を用いた部分は本人の信条に反し、彼の欲しないかも知れない意思表明の公表を強制するものであつて、憲法一九条に違反するものであるというのほかない。けだし同条は信条上沈黙を欲する者に沈黙する自由をも保障するものだからである。
人は尋ねるかも知れない「それならば、当事者はどんな信条を持つているかも知れないから、裁判所はあらゆる当事者に対して或意思表示(例えば登記申請)をすべく命ずる裁判は一切できなくなるではないか、」と。固より左様でない。裁判所は法の世界で法律上の義務とせられるべき事項を命ずることはできるのである。しかし、行為者が自分の行為を宗教上、道徳風俗上、若くは信条上の規範違反である罪悪と自覚した上でなければできないような謝罪の意思表明の如きを判決で命ずることは、性質上法の世界外の内界の問題に立ち入ることであるから、たとえ裁判所がこれを民法七二三条による名誉回復に適当な処分と認めたとしても許されない訳なのである。
三、法と道徳について法は人の行為についての国家の公権力による強制規範であり、行為とは意思の外部的表現である。人の考が一旦外部に現われて或行為(作為若くは不作為)と観られるに至つたときは社会ないし国家は関心なきを得ないので、法は或は行為を権利行為として保護し或は放任行為として干渉せず、或は表現(をすること又はしないこと)の自由の濫用とし、或は犯罪として刑罰を科し或は不法行為、債務不履行として賠償や履行を命じたりする。その場合に、法は行為が意思に基くか、又、如何なる意思に基くかをも探究する。もちろん、道徳が憲法以下の法の基本をなす部分が相当に大きく、この基本を取り去つては「個人の尊重」、「公共の福祉」、「権利の濫用」、「信義誠実」、「公序良俗」、「正当事由」、「正当行為」などという重要な概念が立処に理解できなくなるという関係ですでにこれらの概念は法概念と化していることは私もよく肯定するものである。しかし、法がこれら内心の状態を問題にしたり行為のかような道徳に由来する法律的意味を探究する場合にも、法はあくまで外部行為の価値を判定するに必要な限度において外部行為からうかがわれ得る内心の状態を問題とするに止まる。一定の行為が法の要求する一定の意思状態においてなされたものとして観られる以上、法はそれが何かの信条からなされたものかどうかを問わない。行為者の意思が財物奪取にあつたか殺害にあつたかは問題とされるが如何なる思想からしたかは問われない。無政府主義者が税制を否定し所得申告を欲しなくても法は彼の主義如何に拘わりなく申告と納税を強制する。かようにして法は作為・不作為に対しそれに相応する法律効果を付しこれによつて或結果の発生・不発生をもたらしその行為を処理しようとするものである。
四、本件広告の内容謝罪の意思なき者に謝罪広告を命ずる裁判か合憲であるとの理由は出て来ない。けだし、謝罪は法の世界のほかなる宗教上、道徳風俗上若くは信条上の内心の善悪の判断をまつて始めてなされるものてあり、そして内心から自己の行為を悪と自覚した場合にのみ価値ある筈のものだからである。先ず、裁判所が上告人は判示所為をしたものでありその所為は不法行為たる名誉毀損に当ると認めた場合には、上告人の信条に拘わりなくこれによる義務の存在を確認させることができるのはもちろん、又、かかる所為をしたこと及びそれか名誉毀損に当ることを確認する旨の広告を上告人の意思に反してさせることもできることは疑いない。本件広告は単に「広告」と題し本文を「私は昭和二十七年十月一日施行された、云々、申訳もできないのはどうしたわけかと記載いたしましたが右放送及び記事は真実に相違して居り、貴下の久誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。」と記載してなすべく命ずることも憲法一九条に違反するところなく妨げない、(客観的に、「真実に相違しておる」ことを確認させ、被害を与えたとの法律上の意味で「御迷惑をおかけしました」と言明すべき法的義務を課してもよい。)と考える、ところが本件広告には前に述べたように「謝罪」、「陳謝の意を表します」という文言を用いた部分があつてこの点は両当事者が重要な一点として争うところなのである。が、かような謝罪意思表明の義務は上告人の本件名誉毀損行為から法概念としての「善良の風俗」からでも生ずべき性質のものといえるであろうか。又、「かような謝罪の意思表明は名誉毀損の確認に附加されたところの、本件当事者双方の名誉を尊重した紳士的な社交儀礼上の挨拶に過ぎず、そしてそれは心にもない口先だけのものであつても被害者や世人はいずれその程度のものとして受けとる性質のものであるから、上告人も同様に受けとつてよいものである。」といえるてあろうか。私は疑なきを省ない。かような挨拶が被害者の名誉回復のために役立つとの面にのみに着眼し表意者が信条に反するために謝罪を欲しないため信条に反する意思表明を強制せられる場合のあることを顧みないで事を断ずるのは失当といわざるを得ない。私は本件広告中、右「謝罪」、「陳謝の意を表します」の文言があるのに、上告人が信条土欲しない場合でもこれをなすべきことを命ずる原判決は、性質上、上告人の思想及び良心の自由を侵すところがあり憲法一九条に違反するものと考える。これにはなお一つの理由を附加したい。それは本件判決が民訴法七三三条の代替執行の方法によつて強制執行をなし得るという点である。一説は本件判決は給付判決であつても夫婦同居を命ずる判決と同じく強制執行を許されないというが、夫婦同居判決のように強制執行のてきないことが自明なものならばその通りであるが、本件判決は理山中に別段本件広告については強制執行を許さない旨をことわつてなく、判決面ではそれを許しているものと解せられるものであり、そして本件広告が新聞紙に掲載せられたような場合に、読者は概ねそれが民事判決で命ぜられて余儀なくなされたもであることを知らずに、上告人が自発的にしたものであると誤解する公算が大きい。かくては上告人の信条に反し、そのの意思に出でない上告人の名における謝罪広告が公表せられることになり、夫婦同居判決が当事者の任意服従がないかぎり実現されずに終るのと違う結果を見るのである。されば論旨ほ理由があり、原判決が主文所掲広告の標題に冠した「謝罪」という文言とその末尾の「ここに陳謝の意を表します」との文言を表示すべく命じた部分は憲法一九条に違反するから原判決は破棄すべきものである。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己)

+判例(S48.12.12)三菱樹脂事件
理由
上告代理人鎌田英次、中島一郎の上告理由について。
第一、本件の問題点
一、本件は、被上告人が、東北大学在学中昭和三七年上告人の実施した大学卒業者の社員採用試験に合格し、翌年同大学卒業と同時に上告人に三か月の試用期間を設けて採用されたが、右試用期間の満了直前に、上告人から右期間の満了とともに本採用を拒否する旨の告知を受け、その効力を争つている事案である。被上告人に対する右本採用拒否の理由として上告人の主張するところによれば、被上告人は、上告人が採用試験の際に提出を求めた身上書の所定の記載欄に虚偽の記載をし、または記載すべき事項を秘匿し、面接試験における質問に対しても虚偽の回答をしたが、被上告人のこのような行為は、民法九六条にいう詐欺に該当し、また被上告人の管理職要員としての適格性を否定するものであるから、本採用を拒否するというのであり、さらに、被上告人が秘匿ないし虚偽の申告(以下、秘匿等という。)をしたとされる事実の具体的内容は、(1)被上告人は、東北大学に在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位にあり、昭和三五年前・後期および同三六年前期において右自治会委員長らが採用した運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を推進し、昭和三五年五月から同三七年九月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これらの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはなく、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をした、(2)被上告人は、上記大学生活部員として同部から手当を受けていた事実がないのに月四、〇〇〇円を得ていた旨虚偽の記載をし、また、純然たる学外団体である生活協同組合において昭和三四年七月理事に選任されて、同三八年六月まで在任し、かつ、その組織部長の要職にあつたにもかかわらず、これを記載しなかつた、というのである。

二、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)は、上告人と被上告人との間に締結された試用期間を三か月とする雇傭契約の性質につき、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの理由で雇傭を解約しうるという解約権留保の特約のある雇傭契約と認定し、右留保解約権の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、上告人が被上告人の解雇理由として主張する上記秘匿等にかかる事実は、いずれも被上告人の政治的思想、信条に関係のある事実であることは明らかであるとし、企業者が労働者を雇傭する場合のように一方が他方より優越する地位にある場合には、その一方が他方の有する憲法一九条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに侵すことは許されず、また、通常の会社においては、労働者の思想、信条のいかんによつて事業の遂行に支障をきたすとは考えられないから、これによつて雇傭関係上差別をすることは憲法一四条、労働基準法三条に違反するものであり、したがつて、労働者の採用試験に際してその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めることは、公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をしたとしても、これによる不利益をその者に課することはできないものと解すべきであるとし、それゆえ、被上告人に上告人主張のような秘匿等の行為があつたとしても、民法九六条の詐欺にも該当せず、また、上告人において、あらかじめ応募者に対し、申告を求める事項につき虚偽の申告をした場合には採用を取り消す旨告知していたとしても、これを理由に雇傭契約を解約することもできないとして、本件本採用の拒否を無効としたものである。

三、上告論旨は、要するに、憲法一九条、一四条の規定は、国家対個人の関係において個人の自由または平等を保障したものであつて、私人間の関係を直接規律するものではなく、また、これらの規定の内容は、当然にそのまま民法九〇条にいう公序良俗の内容をなすものでもないのに、これと反対の見解をとり、かつ、上告人が被上告人に申告を求めた事項は、被上告人の過去の具体的行動に関するものであつて、なんらその思想、信条に関するものでないのに、そうであると速断し、右のような申告を求め、これに対する秘匿等を理由として雇傭関係上の不利益を課することは、上記憲法等の各規定に違反して違法、無効であるとした原判決には、これらの法令の解釈、適用の誤りまたは理由不備もしくは理由齟齬の違法があり、また、上告人との間にいまだ正式の雇傭契約の締結がなく、単に試用されているにすぎない被上告人の地位を雇傭関係に立つものと解し、これに対する本採用の拒否を解雇と同視して、労働基準法三条に違反するとした原判決には、法律の解釈、適用の誤りまたは理由齟齬の違法がある、というのである。

第二、当裁判所の見解
一、まず、本件本採用拒否の理由とされた被上告人の秘匿等に関する上記第一の一の(1)の事実につき、これが被上告人の思想、信条に関係のある事実といいうるかどうかを考えるに、労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その者の在学中における右のような団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告を求めることは、上告人も主張するように、その者の従業員としての適格性の判断資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思想、信条そのものの開示を求めるものではないが、さればといつて、その事実がその者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない元来、人の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件において問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信条とのつながりをもつていることを否定することができないのである。企業者が労働者について過去における学生運動参加の有無を調査するのは、その者の過去の行動から推して雇入れ後における行動、態度を予測し、その者を採用することが企業の運営上適当かどうかを判断する資料とするためであるが、このような予測自体が、当該労働者の過去の行動から推測されるその者の気質、性格、道徳観念等のほか、社会的、政治的思想傾向に基づいてされる場合もあるといわざるをえない。本件において上告人が被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の有無についてした上記調査も、そのような意味では、必ずしも上告人の主張するように被上告人の政治的思想、信条に全く関係のないものということはできないしかし、そうであるとしても、上告人が被上告人ら入社希望者に対して、これらの事実につき申告を求めることが許されないかどうかは、おのずから別個に論定されるべき問題である。

二、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法一九条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲法一四条、労働基準法三条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許されないとしている
(一) しかしながら憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。
(二) もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。
(三) ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。
右の次第で、原判決が、上告人において、被上告人の採用のための調査にあたり、その思想、信条に関係のある事項について被上告人から申告を求めたことは法律上許されない違法な行為であるとしたのは、法令の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

三、(一) 右に述べたように、企業者は、労働者の雇入れそのものについては、広い範囲の自由を有するけれども、いつたん労働者を雇い入れ、その者に雇傭関係上の一定の地位を与えた後においては、その地位を一方的に奪うことにつき、肩入れの場合のような広い範囲の自由を有するものではない。労働基準法三条は、前記のように、労働者の労働条件について信条による差別取扱を禁じているが、特定の信条を有することを解雇の理由として定めることも、右にいう労働条件に関する差別取扱として、右規定に違反するものと解される。
このことは、法が、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、前者については企業者の自由を広く認める反面、後者については、当該労働者の既得の地位と利益を重視して、その保護のために、一定の限度で企業者の解雇の自由に制約を課すべきであるとする態度をとつていることを示すものといえる。
(二) 本件においては、上告人と被上告人との間に三か月の試用期間を付した雇傭契約が締結され、右の期間の満了直前に上告人が被上告人に対して本採用の拒否を告知したものである。原判決は、冒頭記述のとおり、右の雇傭契約を解約権留保付の雇傭契約と認め、右の本採用拒否は雇入れ後における解雇にあたるとし、これに対して、上告人は、上告人の見習試用取扱規則の上からも試用契約と本採用の際の雇傭契約とは明らかにそれぞれ別個のものとされているから、原判決の上記認定、解釈には、右規則をほしいままにまげて解釈した違法があり、また、規則内容との関連においてその判断に理由齟齬の違法があると主張する。
思うに試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定の文言のみならず、当該企業内において試用契約の下に雇傭された者に対する処遇の実情、とくに本採用との関係における取扱についての事実上の慣行のいかんをも重視すべきものであるところ、原判決は、上告人の就業規則である見習試用取扱規則の各規定のほか、上告人において、大学卒業の新規採用者を試用期間終了後に本採用しなかつた事例はかつてなく、雇入れについて別段契約書の作成をすることもなく、ただ、本採用にあたり当人の氏名、職名、配属部署を記載した辞令を交付するにとどめていたこと等の過去における慣行的実態に関して適法に確定した事実に基づいて、本件試用契約につき上記のような判断をしたものであつて、右の判断は是認しえないものではない。それゆえ、この点に関する上告人の主張は、採用することができないところである。したがつて、被上告人に対する本件本採用の拒否は、留保解約権の行使、すなわち雇入れ後における解雇にあたり、これを通常の雇入れの拒否の場合と同視することはできない
(三) ところで、本件雇傭契約においては、右のように、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特約上の解約権が留保されているのであるが、このような解約権の留保は、大学卒業者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他上告人のいわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行ない、適切な判定資料を十分に蒐集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるものと解されるのであつて、今日における雇傭の実情にかんがみるときは、一定の合理的期間の限定の下にこのような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯定することができるというべきである。それゆえ、右の留保解約権に基づく解雇は、これを通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、前者については、後者の場合よりも広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきものといわなければならない
しかしながら、前記のように法が企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階とで区別を設けている趣旨にかんがみ、また、雇傭契約の締結に際しては企業者が一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあることを考え、かつまた、本採用後の雇傭関係におけるよりも弱い地位であるにせよ、いつたん特定企業との間に一定の試用期間を付した雇傭関係に入つた者は、本採用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前記留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当である。換言すれば、企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することはできないと解すべきである。
(四) 本件において、上告人が被上告人の本採用を拒否した理由として主張するところは、冒頭記述のとおり、被上告人が入社試験に際して一定の事実につき秘匿等をしたこと、なかんずく、被上告人が東北大学在学中に違法、過激な学生運動に関与した事実があるのにこれを秘匿したということであり、上告人は、このような被上告人の秘匿等の行為に照らすときは、信頼関係をとくに重視すべき上告人の管理職要員である社員としての適格性を欠くものとするに十分であると主張するのである。
思うに、企業者が、労働者の採用にあたつて適当な者を選択するのに必要な資料の蒐集の一方法として、労働者から必要事項について申告を求めることができることは、さきに述べたとおりであり、そうである以上、相手方に対して事実の開示を期待し、秘匿等の所為のあつた者について、信頼に値しない者であるとの人物評価を加えることは当然であるが、右の秘匿等の所為がかような人物評価に及ぼす影響の程度は、秘匿等にかかる事実の内容、秘匿等の程度およびその動機、理由のいかんによつて区々であり、それがその者の管理職要員としての適格性を否定する客観的に合理的な理由となるかどうかも、いちがいにこれを論ずることはできない。また、秘匿等にかかる事実のいかんによつては、秘匿等の有無にかかわらずそれ自体で右の適格性を否定するに足りる場合もありうるのである。してみると、本件において被上告人の解雇理由として主要な問題とされている被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の秘匿等についても、それが上告人において上記留保解約権に基づき被上告人を解雇しうる客観的に合理的な理由となるかどうかを判断するためには、まず被上告人に秘匿等の事実があつたかどうか、秘匿等にかかる団体加入や学生運動参加の内容、態様および程度、とくに違法にわたる行為があつたかどうか、ならびに秘匿等の動機、理由等に関する事実関係を明らかにし、これらの事実関係に照らして、被上告人の秘匿等の行為および秘匿等にかかる事実が同人の入社後における行動、態度の予測やその人物評価等に及ぼす影響を検討し、それが企業者の採否決定につき有する意義と重要性を勘案し、これらを総合して上記の合理的理由の有無を判断しなければならないのである。

第三、結論
以上説示のとおり、所論本件本採用拒否の効力に関する原審の判断には、法令の解釈、適用を誤り、その結果審理を尽さなかつた違法があり、その違法が判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、本件は、さらに審理する必要があるので、原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条にしたがい、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 大隅健一郎 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊)


労働法 労働基本法・労働契約法の基本構造


第1節 労働基準法

1.労基法の位置づけ、基本理念

+(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
2  労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。

・労働条件対等決定原則

2.労基法の構造

・「労働者」について一律に、労働契約の基本原則や労働条件の最低基準を強行的に定め、私法上の効力だけでなく、行政監督・刑罰法規によってその遵守を担保する。

(1)「労働者」の定義:適用範囲の画定

+(定義)
第九条  この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

+(適用除外)
第百十六条  第一条から第十一条まで、次項、第百十七条から第百十九条まで及び第百二十一条の規定を除き、この法律は、船員法 (昭和二十二年法律第百号)第一条第一項 に規定する船員については、適用しない。
2  この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

(2)労働者の基本的人権保障・封建的な労働慣行の廃除
労働憲章

+(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。

(強制労働の禁止)
第五条  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

(中間搾取の排除)
第六条  何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。

(公民権行使の保障)
第七条  使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。但し、権利の行使又は公の職務の執行に妨げがない限り、請求された時刻を変更することができる。

+(賠償予定の禁止)
第十六条  使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

(前借金相殺の禁止)
第十七条  使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない。

(強制貯金)
第十八条  使用者は、労働契約に附随して貯蓄の契約をさせ、又は貯蓄金を管理する契約をしてはならない。
○2  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理しようとする場合においては、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出なければならない。
○3  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合においては、貯蓄金の管理に関する規程を定め、これを労働者に周知させるため作業場に備え付ける等の措置をとらなければならない。
○4  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、貯蓄金の管理が労働者の預金の受入であるときは、利子をつけなければならない。この場合において、その利子が、金融機関の受け入れる預金の利率を考慮して厚生労働省令で定める利率による利子を下るときは、その厚生労働省令で定める利率による利子をつけたものとみなす。
○5  使用者は、労働者の貯蓄金をその委託を受けて管理する場合において、労働者がその返還を請求したときは、遅滞なく、これを返還しなければならない。
○6  使用者が前項の規定に違反した場合において、当該貯蓄金の管理を継続することが労働者の利益を著しく害すると認められるときは、行政官庁は、使用者に対して、その必要な限度の範囲内で、当該貯蓄金の管理を中止すべきことを命ずることができる。
○7  前項の規定により貯蓄金の管理を中止すべきことを命ぜられた使用者は、遅滞なく、その管理に係る貯蓄金を労働者に返還しなければならない。

(3)労働条件の最低基準の設定

(4)就業規則の作成義務

+(作成及び届出の義務)
第八十九条  常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
一  始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
二  賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
三  退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
三の二  退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
四  臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
五  労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
六  安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
七  職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
八  災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
九  表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
十  前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

(作成の手続)
第九十条  使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。
○2  使用者は、前条の規定により届出をなすについて、前項の意見を記した書面を添付しなければならない。

+(法令等の周知義務)
第百六条  使用者は、この法律及びこれに基づく命令の要旨、就業規則、第十八条第二項、第二十四条第一項ただし書、第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第一項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、第三十八条の三第一項並びに第三十九条第四項、第六項及び第七項ただし書に規定する協定並びに第三十八条の四第一項及び第五項に規定する決議を、常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること、書面を交付することその他の厚生労働省令で定める方法によつて、労働者に周知させなければならない。
○2  使用者は、この法律及びこの法律に基いて発する命令のうち、寄宿舎に関する規定及び寄宿舎規則を、寄宿舎の見易い場所に掲示し、又は備え付ける等の方法によつて、寄宿舎に寄宿する労働者に周知させなければならない。

(5)実効性の確保

+(この法律違反の契約)
第十三条  この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による

・私法上の強行法規であると同時に公法的な取締法規としての性格を持つ。

3.労基法の効力
(1)私法上の強行法規としての効力
・強行的効力=下回る労働契約部分を無効
・直律的効力=無効となった部分を埋める形で労働契約の内容になる。

(2)付加金の支払
民事的サンクション。

+(付加金の支払)
第百十四条  裁判所は、第二十条、第二十六条若しくは第三十七条の規定に違反した使用者又は第三十九条第七項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあつた時から二年以内にしなければならない。

(3)公法的な取締法規としての効力
監督制度(97条以下)、罰金(117条以下)

+(監督機関に対する申告)
第百四条  事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
○2  使用者は、前項の申告をしたことを理由として、労働者に対して解雇その他不利益な取扱をしてはならない。

+判例(東京高判56.3.26)
要旨
労働基準監督官は申告に対して何らかの措置をとるべき法的義務(作為義務)を負うわけではない。

+第十条  この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。

+第百二十一条  この法律の違反行為をした者が、当該事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為した代理人、使用人その他の従業者である場合においては、事業主に対しても各本条の罰金刑を科する。ただし、事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者、事業主が営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者又は成年被後見人である場合においてはその法定代理人(法定代理人が法人であるときは、その代表者)を事業主とする。次項において同じ。)が違反の防止に必要な措置をした場合においては、この限りでない。
○2  事業主が違反の計画を知りその防止に必要な措置を講じなかつた場合、違反行為を知り、その是正に必要な措置を講じなかつた場合又は違反を教唆した場合においては、事業主も行為者として罰する。

(4)労使協定による規制の解除

a)労使協定により規制が解除される事項

・特に
企画業務型裁量労働制の実施について

+第三十八条の四  賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の五分の四以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者を当該事業場における第一号に掲げる業務に就かせたときは、当該労働者は、厚生労働省令で定めるところにより、第三号に掲げる時間労働したものとみなす。
一  事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析の業務であつて、当該業務の性質上これを適切に遂行するにはその遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする業務(以下この条において「対象業務」という。)
二  対象業務を適切に遂行するための知識、経験等を有する労働者であつて、当該対象業務に就かせたときは当該決議で定める時間労働したものとみなされることとなるものの範囲
三  対象業務に従事する前号に掲げる労働者の範囲に属する労働者の労働時間として算定される時間
四  対象業務に従事する第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者の労働時間の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保するための措置を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
五  対象業務に従事する第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者からの苦情の処理に関する措置を当該決議で定めるところにより使用者が講ずること。
六  使用者は、この項の規定により第二号に掲げる労働者の範囲に属する労働者を対象業務に就かせたときは第三号に掲げる時間労働したものとみなすことについて当該労働者の同意を得なければならないこと及び当該同意をしなかつた当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないこと。
七  前各号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項
○2  前項の委員会は、次の各号に適合するものでなければならない。
一  当該委員会の委員の半数については、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者に厚生労働省令で定めるところにより任期を定めて指名されていること。
二  当該委員会の議事について、厚生労働省令で定めるところにより、議事録が作成され、かつ、保存されるとともに、当該事業場の労働者に対する周知が図られていること。
三  前二号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める要件
○3  厚生労働大臣は、対象業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を図るために、労働政策審議会の意見を聴いて、第一項各号に掲げる事項その他同項の委員会が決議する事項について指針を定め、これを公表するものとする。
○4  第一項の規定による届出をした使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、定期的に、同項第四号に規定する措置の実施状況を行政官庁に報告しなければならない。
○5  第一項の委員会においてその委員の五分の四以上の多数による議決により第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項及び第二項、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第一項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書に規定する事項について決議が行われた場合における第三十二条の二第一項、第三十二条の三、第三十二条の四第一項から第三項まで、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書の規定の適用については、第三十二条の二第一項中「協定」とあるのは「協定若しくは第三十八条の四第一項に規定する委員会の決議(第百六条第一項を除き、以下「決議」という。)」と、第三十二条の三、第三十二条の四第一項から第三項まで、第三十二条の五第一項、第三十四条第二項ただし書、第三十六条第二項、第三十七条第三項、第三十八条の二第二項、前条第一項並びに次条第四項、第六項及び第七項ただし書中「協定」とあるのは「協定又は決議」と、第三十二条の四第二項中「同意を得て」とあるのは「同意を得て、又は決議に基づき」と、第三十六条第一項中「届け出た場合」とあるのは「届け出た場合又は決議を行政官庁に届け出た場合」と、「その協定」とあるのは「その協定又は決議」と、同条第三項中「又は労働者の過半数を代表する者」とあるのは「若しくは労働者の過半数を代表する者又は同項の決議をする委員」と、「当該協定」とあるのは「当該協定又は当該決議」と、同条第四項中「又は労働者の過半数を代表する者」とあるのは「若しくは労働者の過半数を代表する者又は同項の決議をする委員」とする。

b)労使協定の効力
免罰的効力。
他方、私法上の効力は持たない(計画年休協定は例外)
そんなときに、労働協約としての効力を併せ持った場合はある。

c)過半数代表者

・使用者に立場が近い管理監督者(41条2号)であってはならず、従業員の投票や挙手など民主的な方法により選出された者でなければならない(労基則6条の2第1項)

+(H13.6.22)(東京高判H9.11.17)トーコロ事件
要旨
1.従業員の親睦団体の代表者が自動的に労働者の過半数代表となって締結された三六協定を無効として、それを前提とする時間外労働命令を無効とした原判決に対する上告が棄却された事例。

+高判のほう
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 被控訴人の各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二 事案の概要
一 本件は、控訴人に雇用されていた被控訴人が、平成四年二月二〇日に控訴人から解雇されたことについて、解雇が無効であると主張し、控訴人に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めたほか、平成四年四月分から同年一一月分までの賃金合計一六八万円の支払及び同年一二月以降毎月二八日限り二一万円ずつの賃金の支払を求めるとともに、解雇は不法行為又は債務不履行に当たるとしてそれによる慰謝料一〇〇万円の支払を求めた事案であり、原判決は、慰謝料請求を棄却したものの、その余の被控訴人の各請求を認容したため、控訴人が控訴人敗訴の部分の取消を求めて本件控訴に及んだ。
二 争いのない事実等
原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」(原判決三頁三行目から六頁二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決五頁四行目の「当月二〇」を「当月二〇日」に改める。

三 争点とこれについての当事者の主張
1 争点は、本件解雇が有効かどうかであり、具体的には、控訴人主張の本件解雇事由が認められるかどうか、これが認められるとした場合、解雇権の濫用といえるかどうかであり、これに関する当事者の主張は、2及び3に当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「三 争点」の1及び2(原判決七頁四行目から三三頁五行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 控訴人の当審における主張
(一) 本件残業命令に対する拒否について
(1) 本件三六協定は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」であるa(以下「a」という。)との間で締結されたものである。aは、全従業員によって組織された「友の会」で民主的に選出された代表者であるところ、「友の会」は、控訴人と労働条件に関する交渉をするなどの労使慣行が存在し、労働組合の実質を備えていたものと認められるうえ、本件三六協定については、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであるから、aが「労働者の過半数を代表する者」に当たることは明らかである。したがって、本件三六協定は有効であるから、それが定める限度内の残業を命じた本件残業命令も有効であり、被控訴人はこれに従う義務があった。
(2) 仮に本件三六協定が無効であるとしても、適式に届出がなされており、その内容が法律に反したり、公序良俗に反するものではないから、無効であることが確定するまで尊重されなければならない。そして、被控訴人は、採用されるに当たり、就業規則の説明を受け、控訴人においては繁忙期があり、残業のあることを十分に認識し、これを承諾したものである。また、繁忙期が始まった平成三年一一月初めころに開催された激励会において、これに参加した被控訴人を含む従業員全員が、一致して繁忙期の残業を行うことを承諾した。したがって、適式な本件三六協定の定める限度内で残業を行うことは労働契約の内容となっていたものであるから、被控訴人には本件残業命令に従う義務があった。
(3) 被控訴人が平成四年二月四日に診断書の提出をもって訴えた「眼精疲労」は、被控訴人は電算写植機の操作作業に集中的に従事精励していたものではなく、その作業能率等も劣っていたこと、繁忙期も終わりに近づいたころの平成四年二月になって初めてその症状を訴え、眼科医でない内科・小児科医の診療を受け始めたものであり、他覚的所見もないことなどからすると、控訴人を安全配慮義務を欠如しているが如くに陥れるための工作としてなされた虚偽のものと考えられるから、本件残業命令に従う義務を免除させるものではない。
(二) その他の被控訴人の行為について
控訴人が原審において解雇事由に該当すると主張した被控訴人の行為のうち、本件残業命令に対する拒否以外のものは、被控訴人単独の争議行為又は怠業であり、正当な組合活動とは認められず、労働組合法上の保証はないのであり、したがって、控訴人の業務に対する妨害ないし雇用契約上の債務不履行に当たる。

3 控訴人の当審における主張に対する被控訴人の反論
(一) 本件残業命令に対する拒否について
(1) 「友の会」は、控訴人の役員も加入している親睦団体であり、労働組合ではない。控訴人自らの求人票に「労働組合なし」と記入していることからも明らかである。また、「友の会」が控訴人と労働条件に関する団体交渉をしてきたような事実もない。
本件三六協定は、「労働者の過半数を代表する者」である「営業部a」によって締結されているが、社内報や集会によって全従業員の意思が確認された事実はなく、aが選出された具体的な方法・手続も定かでない。
したがって、本件三六協定は無効である。
(2) 本件三六協定が無効である以上、それを前提とする本件残業命令も無効であり、被控訴人がこれに従う義務はなかった。本件三六協定が無効であるとしても、被控訴人は本件残業命令に従う義務があったとする控訴人の主張は暴論である。
(3) 被控訴人は、電算写植機のモニターに写る凝縮された小さな文字を凝視するVDT作業を昼休みを除き連続して八時間ないし九時間余り行っていたものであり、既に平成三年九月中旬か下旬ころには眼精疲労を覚え始めていた。被控訴人の眼精疲労がVDT作業に原因していることは明らかである。
二 その他の被控訴人の行為について争う。

第三 当裁判所の判断
一 当裁判所も、本件解雇は無効であり、被控訴人の請求は、慰謝料の支払を求める部分を除いて理由があるものと判断する。その理由は、以下に控訴人の当審における主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」(原判決三三頁六行目から六五頁七行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決三四頁三行目の「照会」を「紹介」に、四四頁八行目の「同年一月三日」を「同年二月三日」に、五六頁二行目の「平成四年一二月二〇日」を「平成三年一二月二〇日」に、六四頁末行の「(五点)」」を「(五点)」)」に、六五頁三行目の「(五点)」を「(五点)」)」にそれぞれ改める。

二 本件残業命令に従う義務の存否について
1 いかなる場合に使用者の残業命令に対し労働者がこれに従う義務があるかについてみるに、労働基準法三二条の労働時間を延長して労働させることに関し、使用者が、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合等と書面による協定(いわゆる三六協定)を締結し、これを所轄労働基準監督署長に届け出た場合において、使用者が当該事業場に適用される就業規則に右三六協定の範囲内で一定の義務上の事由があれば労働契約に定める労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、当該就業規則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容をなすから、右就業規則の規定の適用を受ける労働者は、その定めるところに従い、労働契約に定める労働時間を超えて労働をする義務を負うものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成三年一一月二八日判決・民集四五巻八号一二七〇頁参照)。そして、右三六協定は、実体上、使用者と、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、そのような労働組合がない場合には労働者の過半数を代表する者との間において締結されたものでなければならないことは当然である。
2 これを本件についてみるに、まず控訴人の就業規則(甲二)によると、通常の勤務時間について定められている(一七、一八条)ほか、「時間外及び休日勤務」として「1 業務の都合で必要のある場合は、時間外及び休日勤務をさせることがある。2 時間外及び休日勤務は会社の指示によるか、又は会社の承諾を得た場合に限る。3 前項の場合において、その所定労働時間に対して所定の割増賃金を支払う。」と定められ、業務上の必要がある場合に控訴人の指示により残業が命じられることになっている。
ところで、本件三六協定(甲四、乙一〇〇)は、平成三年四月六日に所轄の足立労働基監督署に届け出られたものであるが、協定の当事者は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」としての「営業部 a」であり、協定の当事者の選出方法については、「全員の話し合いによる選出」とされ、協定の内容は、原判決四頁五行目から五頁二行目までに記載のとおりであった。

3 そこで、aが「労働者の過半数を代表する者」であったか否かについて検討するに、「労働者の過半数を代表する者」は当該事業場の労働者により適法に選出されなければならないが、適法な選出といえるためには、当該事業場の労働者にとって、選出される者が労働者の過半数を代表して三六協定を締結することの適否を判断する機会が与えられ、かつ、当該事業場の過半数の労働者がその候補者を支持していると認められる民主的な手続がとられていることが必要というべきである(昭和六三年一月一日基発第一号参照)。
この点について、控訴人は、aは「友の会」の代表者であって、「友の会」が労働組合の実質を備えていたことを根拠として、aが「労働者の過半数を代表する者」であった旨主張するけれども、「友の会」は、原判決判示のとおり、役員を含めた控訴人の全従業員によって構成され(規約一条)、「会員相互の親睦と生活の向上、福利の増進を計り、融和団結の実をあげる」(規約二条)ことを目的とする親睦団体であるから、労働組合でないことは明らかであり、このことは、仮に「友の会」が親睦団体としての活動のほかに、自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を目的とする活動をすることがあることによって変わるものではなく、したがって、aが「友の会」の代表者として自動的に本件三六協定を締結したにすぎないときには、aは労働組合の代表者でもなく、「労働者の過半数を代表する者」でもないから、本件三六協定は無効というべきである。
次に、控訴人は、aが本件三六協定を締結するに当たっては、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであって、aは「労働者の過半数を代表する者」である旨主張する。しかしながら、本件三六協定の締結に際して、労働者にその事実を知らせ、締結の適否を判断させる趣旨のための社内報が配付されたり集会が開催されたりした形跡はなく、aが「労働者の過半数を代表する者」として民主的に選出されたことを認めるに足りる証拠はない
もっとも、当審証人aは、本件三六協定を締結するに当たり、まず控訴人から提示された協定案を「友の会」の役員五人で検討したうえ、五人で手分けして全従業員に諮ることとし、右協定案を添付して回覧に付し、全従業員の過半数の承認を得た旨供述し、当審に至って提出された同人の陳述書(乙六八)にも同旨の記述がみられるけれども、この点は当初から争点の一つとされていたにもかかわらず、原審で取り調べた証拠中には、わずかに同人の陳述書(乙三七)中に「友の会」内部で検討したという程度の抽象的な記述があるにとどまり、それ以外に右と同旨のものは全くないのであって、当審証人aの右供述はいささか唐突の感を免れ難いのみならず、右協定案の回覧結果についての客観的証拠が提出されていないことなどに照らすと、当審証人aの右供述等をにわかに採用することはできない。
以上によると、本件三六協定が有効であるとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、それを前提とする本件残業命令も有効であるとは認められず、被控訴人にこれに従う義務があったとはいえない。
なお、控訴人は、本件三六協定が無効であったとしても被控訴人には本件残業命令に従う義務があった旨主張するが、独自の見解であり、到底採用の限りでない。

4 仮に、本件三六協定が有効であるとしても、就業規則により、控訴人は、「業務の都合で必要がある場合」すなわち業務上の必要性がある場合に限って残業命令を出すことができることはいうまでもないが、そのような場合であっても、労働者に残業命令に従えないやむを得ない理由があるときには、労働者は残業命令に従う義務はないと解するのが相当である。
まず、平成四年一月三一日の本件残業命令における業務上の必要性についてみると、原判決の判示のとおり、その当時、被控訴人が担当していた住所録作成(組版)の作業は、ほぼ順調にノルマを達成しかかっていたが、同一の部署に属する写植(校正)係では約一〇〇〇頁(四日分)のノルマの遅れが発生しており、控訴人においては、週明けの同年二月三日からアルバイトを二名雇い、被控訴人ら他の仕事の担当者にも残業を命じることによって乗り切ることを考えており、被控訴人の上司であるb主任も、それ以前から被控訴人に対し「組版の仕事を減らして、他の校正などの手伝いでもかまわないから、もう少し残業してもらえないか。」と要請していたことなどが認められるから、控訴人に残業を命じる業務上の必要性は存したものと認められる。
もっとも、本件残業命令自体は、「来週一週間、午後九時まで残業をやりなさい。業務命令だ。」というものであり、残業をすべき仕事の特定がされていないけれども、それ以前の経過等に照らすと、写植(校正)の手伝いを命じているものであることは推認できるものであり、また、本件残業命令は、一週間午後九時までの残業を命じるなど控訴人において業務上の必要性の検討を十分にしていないことを窺わせるような命令の仕方であるけれども、そのことのみをもって残業命令が違法であるということはできない。
次に、被控訴人に本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったか否かについてみると、被控訴人は、本件残業命令に係る初日である平成四年二月三日、「ひらの亀戸ひまわり診療所」(c医師)を受診して欠勤し、「眼精疲労・全身倦怠感精査」の診断を受け、翌四日、出勤して控訴人に診断書(甲一一)を提出したが、右診断書には右病名のほかに「当分の間、時間外労働をさけて通院加療が必要である。」と記載されており、現に同月六日、同月一三日に通院加療を受けていること(甲一二)、被控訴人は、平成三年八月下旬ころから住所録の作成(組版)として電算写植機の操作(VDT作業)に従事しており、遅くとも同年一一月一九日ころ以降、d総務部長その他の上司に対し眼の疲れを訴えていたこと、それに対し、控訴人が健康診断を受けさせるなどの特別な配慮をした形跡は全くないこと、控訴人のe経理部長は、平成四年二月七日に至って、右c医師に電話をかけ、右診断書の内容について照会し、当分の間、残業を差し控えるべきである旨の回答を得たこと(甲一三、乙三九)が認められる。以上の事実を総合すると、控訴人としては、被控訴人が診断書の提出をもって訴えた眼精疲労等の症状について、これを疑うべき事情はなかったものというべきであるから、被控訴人は、眼精疲労等の状態にあることをもって本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められる。
控訴人は、るる述べて被控訴人の眼精疲労等の訴えが虚偽のものである旨主張するけれども、被控訴人の従事していた作業内容に照らし、被控訴人が眼精疲労等を訴えるのは不自然なことではなく、しかも、被控訴人が平成四年二月三日の前から上司にその旨を訴えていたことは、本件解雇後の交渉記録(甲三四)中で控訴人側がその事実を認めていることからも明らかであり、また、c医師の専門は判然としないものの、控訴人の照会結果によっても同医師はVDT作業と健康の問題に詳しいことが窺えるのであり、同医師の診断結果の信用性に格別疑問を差し挟む余地はないのであるから、被控訴人の眼精疲労等の訴えを虚偽のものであると疑うことはできず、控訴人の主張を採用することはできない。
したがって、被控訴人は、本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められるから、これに従う義務がなかったものというべきである。

5 以上によると、いずれにしても、被控訴人には本件残業命令に従う義務があったとはいえないから、被控訴人がこれを拒否して残業をしなかったからといって、就業規則所定の解雇事由があったとはいえない。

三 その他の被控訴人の行為について
その他の被控訴人の行為についての認定判断は、原判決の判示のとおりであり、人事考課の拒否の点のみは、就業規則四一条三号の「指示命令に違反し」たものといえるものの、それをもって解雇することは解雇権の濫用に当たり、それ以外の点は、いずれも解雇事由には当たらないというべきであり、もとより、被控訴人のこれらの行為をもって争議行為又は怠業とみることはできず、業務妨害又は債務不履行は認められないから、この点に関する控訴人の主張を採用することはできない。
四 結論
よって、被控訴人の雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認の請求及び賃金の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野寺規夫 小池信行 坂井満)

第2節 労働契約法
1.労働契約法制定の経緯

2.労働契約法の構造と特徴

+労働契約法
(目的)
第一条  この法律は、労働者及び使用者の自主的な交渉の下で、労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則その他労働契約に関する基本的事項を定めることにより、合理的な労働条件の決定又は変更が円滑に行われるようにすることを通じて、労働者の保護を図りつつ、個別の労働関係の安定に資することを目的とする。

(定義)
第二条  この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2  この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

(労働契約の原則)
第三条  労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。
2  労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
3  労働契約は、労働者及び使用者が仕事と生活の調和にも配慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする。
4  労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。
5  労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。


行政法 基本行政法 行政契約


1.準備行政における契約

+判例(H18.10.26)
理由
上告代理人中田祐児、同島尾大次の上告受理申立て理由(ただし、排除された部分を除く。)について
1 本件は、徳島県に属する旧木屋平村(以下「木屋平村」という。)の発注する公共工事の指名競争入札に平成10年度まで継続的に参加していた上告人が、同11年度から同16年度までの間、村長から違法に指名を回避されたと主張して、国家賠償法1条1項に基づき、合併により木屋平村の地位を承継した被上告人に対し、逸失利益等の損害賠償を求めている事案である。

2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、土木建築工事の請負及び施工を業とする有限会社である。木屋平村は、平成17年3月1日、旧美馬町、旧脇町(以下「脇町」という。)及び旧穴吹町と合併して被上告人となったが、平成3年4月から上記合併まで、Aが村長の地位に在った。
(2) 上告人は、有限会社となる前の昭和60年ころから平成10年度まで木屋平村が発注する公共工事の指名競争入札に継続的に参加し、工事を受注していたが、後記(7)及び(8)記載のとおり、同11年度から同16年度まで、A村長から木屋平村が発注する公共工事への入札参加者として指名されなかったため、入札に参加することができなかった
(3) 指名競争入札の参加者の資格については、契約を締結する能力を有しない者等についての制限があるほか、地方公共団体の長において、あらかじめ、指名競争入札に参加する者につき、契約の種類及び金額に応じ、工事、製造又は販売等の実績、従業員の数、資本の額その他経営の規模及び状況を要件とする資格を定めて、公示しなければならず(地方自治法234条6項、同法施行令167条の11第2項、3項、167条の5)、平成13年4月1日からは、指名競争入札の参加者の資格について公表することが義務付けられている(公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号、同法施行令7条1項2号)。
さらに、地方公共団体の長は、資格を有する者のうちから入札に参加させようとする者を指名するが(地方自治法234条6項、同法施行令167条の12第1項)、同日以降は、地方公共団体が指名競争入札に参加する者を指名する場合の基準を定めたときは、これを公表することが義務付けられている(公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号、同法施行令7条1項3号)。
(4) 木屋平村は、「建設業者等指名停止等措置要綱」(以下「本件指名停止等要綱」という。)を定め、平成4年4月1日から実施してきた。
本件指名停止等要綱には、指名停止又は指名回避の事由となる項目とそれぞれの項目に対応する措置期間の基準が定められており、所定の項目に該当する者には指名停止の措置を行い、該当する疑いのある者には指名回避の措置を行うこととされている。その項目中に「その他重大な不法・不当行為を行い、指名業者として不適当と認められる者」という項目があり、その項目に対応する措置期間は2ないし12か月とされている。
木屋平村は、「木屋平村公共事業審議会規則」を定め、同9年4月1日から施行した。木屋平村では、この規則に基づいて、村の職員をもって組織する木屋平村公共事業審議会(以下「本件審議会」という。)が設置され、毎年度の一般競争入札及び指名競争入札の参加資格審査等に関する審議のため、各年度ごとに1回審議会が開催され、その審議結果が村長に答申されていた。
(5) 上告人は、平成8年11月ころ、木屋平村が実施しようとしていた村道拡張工事に関し、上告人の本店所在地前の50mほどの区間の工事について指名競争入札に参加させるよう求めた。当該工事は、1工区の工事区間が数百m程度、工事費にして3000ないし4000万円程度の工事であったため、本来であれば1500万円を超える工事について参加資格がなかった上告人を参加させることはできなかったが、木屋平村は、協議の結果、上記の区間について分割発注することとして、上告人を入札に参加させた。
(6) 上告人は、平成10年8月ころ、上告人代表者名義の山林を取水えん堤及び高区配水タンクの設置場所として木屋平村の実施しようとしていた簡易水道拡張改良工事に関し、その用地の売却に絡めて同工事の指名競争入札に上告人を参加させるよう求めた。木屋平村は、他の業者に既に指名通知を発出していた上、金額及び施工の面で上告人を指名することができないため、上告人の要求に応じることができず、上記両施設の設置場所を他の者の所有地に変更した上で、入札を経て、工事を実施した。
(7) 平成11年6月30日に開催された本件審議会において、委員から、上告人については上記(5)、(6)記載の各事実(以下、同記載の上告人の各行為を「本件各行為」という。)があり、かつ、登記簿上の本店所在地の事務所は従業員等が不在で数年間機能しておらず代表者は脇町で生活しているのが現状である旨の意見が出され、その意見をA村長への答申の附帯意見として添付する旨の決議がされた。
A村長は、本件審議会の答申を受け、平成11年度に実施される指名競争入札においては上告人に対し指名回避の措置を採ることを決定した。
(8) 木屋平村では、従前から、村内業者では対応できない工事についてのみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指名していたところ、平成12年4月6日に開催された本件審議会において、会長から、上告人については、信頼回復、指名回復のための木屋平村からの話合いの申出が拒絶されており、A村長は上告人には指名競争入札に参加する意思がないと判断している旨が報告されるとともに、委員から、上告人の登記簿上の本店所在地の事務所は従業員等が不在で機能しておらず、代表者は脇町で生活しているのが現状である旨の意見が出され、委員全員がA村長の判断に賛成した
同13年5月14日に開催された本件審議会においては、委員全員から、上告人の登記簿上の本店所在地の事務所には常駐している者もほとんどおらず、上告人は村内業者として認められないとの意見が出された。
このようにして、平成11年度に続いて同12年度ないし同16年度の各年度において、木屋平村は、上告人の他の問題点を述べる意見に加えて、上告人が村内業者と認められないことを理由に、指名回避の措置を採った
(9) 木屋平村は、村が発注する建設工事の請負契約に係る一般競争入札及び指名競争入札に参加する者に必要な資格等に関する「木屋平村建設工事の請負契約に係る一般競争入札及び指名競争入札参加資格審査要綱」(以下「本件資格審査要綱」という。)を定めるとともに、「木屋平村指名競争入札審査委員会設置要綱」(以下「本件審査委員会設置要綱」という。)を定め、いずれも平成14年4月1日から施行した。
本件審査委員会設置要綱には、木屋平村指名競争入札審査委員会を設置し、入札参加資格を有する者のうちから具体的にどの業者を指名するかについて同委員会で審査する旨が定められている。本件審査委員会設置要綱の附属文書として、「指名競争に参加する者を指名する場合の基準」(以下「本件指名基準」という。)及び「木屋平村発注の工事請負契約に係る指名基準の運用基準」(以下「本件運用基準」という。)があり、入札参加資格を有する者のうちから業者を指名する場合の基準を定めている。
本件資格審査要綱は、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する建設業者を「村内業者」、その他の建設業者を「村外業者」と定義しており、村外業者には入札資格はないとはしていないものの、村内業者と村外業者を明確に区別している。
(10) 上告人の登記簿上の本店所在地は木屋平村にあり、そこには上告人代表者の母である監査役のBが住み、「有限会社X」の看板を掲げ、そこにある電話の番号を「X」の名義で電話帳に掲載している。しかし、上告人の実質上の経営者であるCは、平成6年3月以降、上告人代表者である妻ら家族と共に、脇町内の住居に住み、同敷地内に上告人の事務所を設けており、その住居の電話番号を「X㈲」の名義で電話帳に掲載している。その他の取締役や従業員で、木屋平村内に居住している者はいない。Bも、同15年3月まで木屋平村の正規職員として勤務していたのであるから、本店所在地は、そこに常勤している者はおらず、営業拠点としての実態を有していない。

3 原審は、上記事実関係等の下において、次のように判示して、上告人の請求をすべて棄却すべきものとした。
(1) 指名競争入札における参加資格審査ないし業者指名の判断については、契約担当者たる地方公共団体の長の広範な裁量にゆだねられているが、そのし意を許すものではなく、その権限の行使が明らかに不合理であるなど、その裁量権を逸脱し又は濫用した場合には、国家賠償法上違法になる
(2) 上告人の本件各行為は、木屋平村との信頼関係を損ねる行為であるから、A村長が、平成11年度に実施される指名競争入札において、本件指名停止等要綱に定める「その他重大な不法・不当行為を行い、指名業者として不適当と認められる者」に該当する疑いがあると判断し、上告人につき指名回避の措置を採ったことは、不合理であるとはいえない
他方、本件指名停止等要綱に定められている措置期間に照らすと、上記のような理由による「指名回避」の措置を1年を超えて継続することは、不相当に長期にわたる措置として、裁量権の濫用に当たるというべきである。
(3) 木屋平村では、村内業者では対応できない工事についてのみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指名していたが、木屋平村が山間へき地に在って過疎の程度が著しい上、村の経済にとって公共事業の比重が非常に大きく、台風等の災害復旧作業には村民と建設業者の協力が重要であることからすると、上記のような運用は合理性を有していたものと認められる。
したがって、上告人を村外業者と認めた木屋平村の判断に合理性が認められれば、A村長が上告人を指名しないからといって、同人が裁量権を逸脱し又は濫用しているとまではいえない。
他の村内業者は、少なくとも木屋平村内の営業所に常勤する取締役ないしは従業員がおり、木屋平村に主たる営業所を有していると認められるのに対し、上告人の登記簿上の本店所在地は木屋平村にあるが、そこに常勤している者はおらず、主たる営業所の実態を有していないのであって、上告人が村内業者であるとは認められないとの木屋平村の判断は合理的なものである。
上告人が村外業者であったとしても、入札参加資格自体が得られないわけではないので、木屋平村が、かかる理由に基づく「指名回避」という措置を平成12年度以降も継続したことについて議論の余地もないではないが、上告人が村内業者だけでは対応できない事業を施工する特別な能力を有しているともいえない以上、上告人が木屋平村の公共工事について指名されないことには変わりがなく、木屋平村の措置が違法であるとはいえない。

4 しかしながら、原審の上記3(3)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 地方自治法234条1項は「売買、貸借、請負その他の契約は、一般競争入札、指名競争入札、随意契約又はせり売りの方法により締結するものとする。」とし、同条2項は「前項の指名競争入札、随意契約又はせり売りは、政令で定める場合に該当するときに限り、これによることができる。」としており、例えば、指名競争入札については、契約の性質又は目的が一般競争入札に適しない場合などに限り、これによることができるものとされている(地方自治法施行令167条)。このような地方自治法等の定めは、普通地方公共団体の締結する契約については、その経費が住民の税金で賄われること等にかんがみ、機会均等の理念に最も適合して公正であり、かつ、価格の有利性を確保し得るという観点から、一般競争入札の方法によるべきことを原則とし、それ以外の方法を例外的なものとして位置付けているものと解することができる。また、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律は、公共工事の入札等について、入札の過程の透明性が確保されること、入札に参加しようとする者の間の公正な競争が促進されること等によりその適正化が図られなければならないとし(3条)、前記のとおり、指名競争入札の参加者の資格についての公表や参加者を指名する場合の基準を定めたときの基準の公表を義務付けている。以上のとおり、地方自治法等の法令は、普通地方公共団体が締結する公共工事等の契約に関する入札につき、機会均等、公正性、透明性、経済性(価格の有利性)を確保することを図ろうとしているものということができる。
(2) 前記事実関係等によれば、木屋平村においては、従前から、公共工事の指名競争入札につき、村内業者では対応できない工事についてのみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指名するという運用が行われていたというのである。確かに、地方公共団体が、指名競争入札に参加させようとする者を指名するに当たり、〈1〉 工事現場等への距離が近く現場に関する知識等を有していることから契約の確実な履行が期待できることや、〈2〉 地元の経済の活性化にも寄与することなどを考慮し、地元企業を優先する指名を行うことについては、その合理性を肯定することができるものの、〈1〉又は〈2〉の観点からは村内業者と同様の条件を満たす村外業者もあり得るのであり、価格の有利性確保(競争性の低下防止)の観点を考慮すれば、考慮すべき他の諸事情にかかわらず、およそ村内業者では対応できない工事以外の工事は村内業者のみを指名するという運用について、常に合理性があり裁量権の範囲内であるということはできない。
また、前記事実関係等によれば、木屋平村では、平成13年度までは、本件資格審査要綱、本件指名基準及び本件運用基準は制定されておらず、本件指名停止等要綱を除いて、指名に関する基準は明定されていなかった。さらに、平成14年4月以降施行された上記の本件資格審査要綱等をみても、本件資格審査要綱において村内業者と村外業者とが定義上区別されているものの、その外に上記のような村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという実際の運用基準は定められておらず、しかも、村内業者とは、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する業者をいうとされているにとどまり、主たる営業所あるいは村内業者の要件をどのように判定するのかに関する客観的で具体的な基準も明らかにされていなかった。このような状況の下における木屋平村の上記のような運用は、村内業者で対応できる工事はすべて指名競争入札とした上で、村内業者か否かの判断を適当に行うなどの方法を採ることにより、し意的運用が可能となるものであって、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の定める公表義務に反し、同法及び地方自治法の趣旨にも反するものといわざるを得ない。
一方、上告人は、昭和60年ころから木屋平村が発注する公共工事の指名競争入札に継続的に参加し、工事を受注してきており、木屋平村内の住所ないし事務所所在地を登記簿上の本店所在地としていた。平成6年3月に、上告人の実質的経営者と代表者の夫婦が脇町内に住居を構え、同敷地内に上告人の事務所を設けるなどした後も、上告人の登記簿上の本店所在地は木屋平村のままであり、同所には上告人代表者の母でもある監査役が住み、「有限会社X」の看板を掲げ、そこにある電話の番号を「X」の名義で電話帳に掲載している。そして、平成10年度までは、木屋平村の指名競争入札において指名を受けていたというのである。また、平成12年度以降指名をされないでいることについて、木屋平村から上告人にその理由が明らかにされていたという事情もうかがわれない。
そうすると、上告人は、平成6年の代表者等の転居後も含めて長年にわたり村内業者として指名及び受注の実績があり、同年以降も、木屋平村から受注した工事において施工上の支障を生じさせたこともうかがわれず、地元企業としての性格を引き続き有していたともいえる。また、村内業者と村外業者の客観的で具体的な判断基準も明らかではない状況の下では、上告人について、村内業者か村外業者かの判定もなお微妙であったということができるし、仮に形式的には村外業者に当たるとしても、工事内容その他の条件いかんによっては、なお村内業者と同様に扱って指名をすることが合理的であった工事もあり得たものと考えられる。
このような上告人につき、上記のような法令の趣旨に反する運用基準の下で、主たる営業所が村内にないなどの事情から形式的に村外業者に当たると判断し、そのことのみを理由として、他の条件いかんにかかわらず、およそ一切の工事につき平成12年度以降全く上告人を指名せず指名競争入札に参加させない措置を採ったとすれば、それは、考慮すべき事項を十分考慮することなく、一つの考慮要素にとどまる村外業者であることのみを重視している点において、極めて不合理であり、社会通念上著しく妥当性を欠くものといわざるを得ず、そのような措置に裁量権の逸脱又は濫用があったとまではいえないと判断することはできない

5 以上によれば、木屋平村における指名についての前記運用と上告人が村外業者に当たるという判断が合理的であるとし、そのことのみを理由として、平成12年度以降上告人を公共工事の指名競争入札において指名しなかった木屋平村の措置が違法であるとはいえないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決のうち同年度以降の指名回避を理由とする損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。そして、被上告人が上告人を指名しなかった理由として主張する他の事情の存否、それを含めて考えた場合に指名をしなかった措置に違法(職務義務違反)があるかどうかなどの点について更に審理を尽くさせるため、同部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。
なお、その余の上告については、上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので、棄却することとする。
よって、裁判官横尾和子、同泉德治の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官才口千晴の補足意見がある。

+補足意見
裁判官才口千晴の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛同するものであるが、反対意見を踏まえ、補足して意見を述べる。
1 原判決は、本件指名停止等要綱所定の事由を理由とする指名回避の措置の期間は長くても1年であり、これを超えて同措置を継続する場合には裁量権の逸脱に当たるとし、かつ、村外業者であることを理由に指名回避を平成12年度以降も継続したことの妥当性については議論の余地もないではないとしながら、上告人を村外業者であると認定して、木屋平村の措置が違法であるとはいえないと判断し、第1審判決の被上告人敗訴部分を取り消し、上告人の請求を棄却したものである。
2 しかし、上告人が村外業者に当たり、村内業者だけでは対応できない事業を施工するだけの特別な能力があるとは認められず、上告人を指名せず指名競争入札に参加させない措置は裁量権の逸脱には当たらないとする原審の判断は、著しく合理性に欠けるものである。その理由は、以下のとおりである。
(1) 公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律が制定(平成13年4月1日施行)され、木屋平村においても、特定の工事につき具体的にどの業者を指名するかについて、本件審査委員会設置要綱並びにその附属文書である本件指名基準及び本件運用基準を定め、これを同14年4月1日から施行した。
しかし、木屋平村では、平成13年度まで指名に関する基準は明定されておらず、また、原則として村内業者を指名するという運用がされていたとはいえ、同14年度以降を含め、そのような指名基準が明確に定められてはいなかった。しかも、村内業者とは、本件資格審査要綱によっても、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する業者をいうとされているにとどまり、主たる営業所あるいは村内業者の要件をどのように判定するのかに関する客観的で具体的な基準も明らかではなかった。
また、山間へき地の過疎の村である木屋平村における公共工事の状況は、反対意見が指摘するような実態であることを否定するものではないが、理由もなく不適正かつ不合理な指名回避の措置がされてはならないことは当然である。
(2) 上記法律の制定趣旨は、公共工事についての機会均等の保障、競争性の低下防止、透明性及び公正性の確保等にあり、公共工事をめぐる談合や行政との癒着の是正、入札及び契約の適正化の促進は、時勢の求めるところであり、かつ自明の理でもある。本件において、公共工事の入札及び契約の適正化を促進すべき主体と入札参加者指名の主導権者が村長であることはいうまでもない。そのような立場にある村長の不適正かつ不合理な措置は、同法の趣旨に照らしても到底看過することができない。また、そのような措置を受けた場合の上告人の救済手段は本件訴訟等の司法手続をおいて他にないことも事実である。
(3) 一方、上告人は、長年にわたり村内業者として指名及び受注の実績があり、平成6年の村外転居後も村内業者か村外業者かの判定は微妙な状況にあった。このような状況の下において、木屋平村が、上告人につき主たる営業所が村内にないという事実から形式的に村外業者に当たるとし、そのことのみを理由として、平成12年度以降一切上告人を指名せず指名競争入札に参加させない措置を採ったとすれば、それは社会通念上著しく妥当性を欠くものであり、その措置に裁量権の逸脱があったことは明らかである。上記のような上告人につき、村外業者であるという理由のみで、しかも、上告人にその理由を示すこともなく、また、その点に関し上告人から何らの意見聴取等をすることもないまま、平成12年度以降一切上告人を指名競争入札に参加させないことは、公共工事の入札や契約において要請される公正さに欠け、指名権者のし意的判断さえ強く疑わせるものといわざるを得ない。
これを違法であるとはいえないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるから、原判決のうち同年度以降の指名回避を理由とする損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。また、被上告人が上告人を指名しなかった理由として主張する他の事情の存否、それを含めて判断した場合に指名しなかった措置に違法があるか、違法があるとした場合の違法な指名回避の時期や損害等について更に審理を尽くさせるため、同部分につき本件を原審に差し戻す必要がある。
3 よって、私は、上記部分につき、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻すとする多数意見に賛同するものである。

+反対意見
裁判官横尾和子の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見が、木屋平村が公共工事の指名競争入札の参加者の指名に当たり村内業者でないことのみを理由として平成12年度以降上告人を指名しなかったとすれば裁量権の逸脱濫用に当たるとすることに、以下に述べるところにより、賛成することができない。
1 地方公共団体が公共工事の指名競争入札の参加資格を地元企業に限り、又は原則として地元企業のみを指名することについては、〈1〉 地元企業であれば、工事現場の地理的状況、気象条件等に詳しく契約の確実な履行、緊急時における臨機応変の対応が期待できること、〈2〉 地元雇用の創出、地元産品の活用等地元経済の活性化に寄与することが考えられるので、合理性が認められる。そして、このように地元企業であることを必須の要件とすることも、そうすることが総体としての当該地域の住民(納税により公共工事の費用を負担する者、公共工事の経済効果により利益を受ける者など)の利益を損なうことのない限り、合理的な裁量の範囲内にあるというべきであり、この要件を欠くことを理由として指名を行わないことは裁量権の逸脱濫用には当たらない。
原審の認定する木屋平村の事情は、山間へき地の超過疎の村であり台風等の自然災害の被害に悩まされているところ、村の経済にとって公共事業の比重が非常に大きく、また台風等の災害復旧作業には村民と建設業者との協力が重要であるというのであるから、村内業者では対応できない工事を除き、指名競争入札の参加者の指名を村内業者に限定しても、少なくとも村民の利益を損なうものではなく、したがって、村内業者ではないことを理由として指名をしなかったことは裁量権の逸脱濫用に当たるものではない。
2 指名に関する基準につき明文上村内業者と村外業者の区別がされたのは平成14年4月1日本件資格審査要綱施行以降であるが、それ以前から同趣旨の運用がされてきたことについては、原審が、「木屋平村は、村内業者では対応できない事業のみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指定していた」と認定するところである。
村内業者の定義については、本件資格審査要綱中「木屋平村の区域内に主たる営業所を有するもの」とされているところ、村内業者のみを指名することの趣旨は1に述べたとおりであるから、「木屋平村の区域内に主たる営業所を有するもの」とは、この趣旨に沿う営業の実態を有するものをいうものと解される。したがって、登記簿上村内に本店が所在するとされているものの、代表者、取締役、従業員のいずれも村内に居住せず、また本店が営業拠点としての実態を有していない上告人が、村内業者に該当しないことは明らかである。
3 以上のとおりであるので、上告人の請求は、平成12年度以降の指名回避に係る部分も棄却されるべきであり、原審の判断は正当であるから、上告人の上告はすべて棄却すべきである。

+反対意見
裁判官泉德治の反対意見は、次のとおりである。
私は、A村長の上告人に対する平成12年度から同16年度までの指名回避(以下「本件指名回避」という。)についても、国家賠償法1条1項の違法性があるとはいい難いので、上告人の上告を棄却すべきであると考える。その理由は、次のとおりである。
1 まず、本件指名回避のうち平成12年度及び同13年度の分について検討する。
(1) 地方自治法234条2項は「前項の指名競争入札、随意契約又はせり売りは、政令で定める場合に該当するときに限り、これによることができる。」と規定し、同法施行令167条は指名競争入札によることができる場合を同条各号に掲げる場合に限定しており、同法は、普通地方公共団体の締結する契約については、機会均等の理念に最も適合して公正であり、かつ、価格の有利性を確保し得るという観点から、一般競争入札の方法によるべきことを原則とし、指名競争入札等の方法を例外的なものと位置付けているものと解することができる。したがって、普通地方公共団体の長が指名競争入札の参加者を指名するに当たっても、できる限り機会均等の理念及び価格の有利性の確保に配意するのが地方自治法の趣旨に適合するといえよう。しかし、地方自治法施行令167条の12第1項が、「普通地方公共団体の長は、指名競争入札により契約を締結しようとするときは、当該入札に参加することができる資格を有する者のうちから、当該入札に参加させようとする者を指名しなければならない。」と規定するにとどまり、参加資格を有する者のうちから指名しなければならないという制限は付しているものの、その範囲内における指名を普通地方公共団体の長の裁量にゆだねていることや、当該普通地方公共団体の区域内に主たる営業所を有する者に限って指名することを禁止する規定はないことからすれば、上記の機会均等の理念及び価格の有利性の確保を考慮に入れても、当該普通地方公共団体の区域内に主たる営業所を有する者に限って指名する方が当該地方公共団体の利益の増進につながると合理的に判断される場合には、そのような指名を行うことも許容されると考える(随意契約によることが許される場合に関する最高裁昭和57年(行ツ)第74号同62年3月20日第二小法廷判決・民集41巻2号189頁参照)。
(2) 原審の認定によれば、木屋平村は、山間へき地の超過疎の村であり、台風等の自然災害の被害に悩まされており、村の経済にとって公共事業の比重が非常に大きく、台風等の災害復旧作業には村民と建設業者との協力が重要であることから、村の経済の振興を図るとともに災害復旧作業の円滑な実施を期するため、同村の発注する公共事業の指名競争入札の参加者の指名に当たっては、村内業者では対応できない事業のみ村外業者を指名し、それ以外は村内業者のみを指名してきたというのである。ちなみに、平成12年国勢調査によると、木屋平村の人口は1314人で、世帯数は601である。少なくとも、木屋平村のような過疎の村にあっては、上記のような指名を行うことは、村の利益の増進にもつながるものというべく、上記の運用には合理性があり、法令に違反するものではないと考える。
(3) 原審の認定によれば、本件指名回避は、上告人が村内業者ではないことを理由になされたものであるところ、木屋平村内の上告人の登記簿上の本店には従業員がおらず、同本店は営業拠点としての実態を有しないので、上告人は村内業者とは認められず、また、上告人が村内業者だけでは対応できない事業を施工するだけの特別な能力があるとも認められないというのである。したがって、上告人が村内業者でないとしてされた本件指名回避に違法はないというべきである。
(4) 上告人は、平成6年3月に、上告人の実質的経営者と代表者の夫婦が脇町内に住居を構え、同敷地内に上告人の事務所を設けるなどした後も、平成10年度までは木屋平村の指名競争入札の参加者に指名されてきたが、原審の認定によると、多数意見の2の(5)及び(6)に掲記する同村との信頼関係を損ねる行為が指摘されたのを契機に、上告人が村内業者でないことが指摘され、それが事実と確認されて本件指名回避に至ったというのであるから、上告人が平成10年度まで村内業者として扱われていた事実があるからといって、本件指名回避が違法であるということにはならない。
(5) もとより、村長において、参加者の指名に当たり、選挙で自己を応援した者を優遇し、対立候補者を応援した者を排除することは、契約の公正の観点から許されるものではないが、A村長が選挙で対立候補者を応援した上告人に対する意趣返しとして本件指名回避をしたとは認められないこと、一方、木屋平村が村内業者として扱っていた建設業者が、同村内に取締役及び従業員又は従業員が在住し、同村内に実質的な本店(主たる営業所)を有し、そこに常勤する者がいる業者であることは、原審の認定するところであって、この認定を前提とする限り、本件指名回避に違法があるとすることもできない。
2 次に、本件指名回避のうち平成14年度から同16年度までの分について検討する。
(1) 公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号(平成13年4月1日施行)は、地方公共団体の長は、「政令で定める公共工事の入札及び契約の過程に関する事項」を公表しなければならないと規定し、同法施行令7条1項3号は、地方公共団体の長は、「指名競争入札に参加する者を指名する場合の基準」を定めたときは、遅滞なくこれを公表しなければならないと規定している。
木屋平村は、入札参加資格が認められる者の中から、特定の工事につき具体的にどの業者を指名するかについて、本件審査委員会設置要綱並びにその附属文書である本件指名基準及び本件運用基準を定め、これを平成14年4月1日から施行した。
所論は、本件指名基準及び本件運用基準は、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号及び同法施行令7条1項3号の規定に基づき制定公表された「指名競争入札に参加する者を指名する場合の基準」であって、本件指名基準及び本件運用基準には、村内業者と村外業者とを区別した上、原則として村内業者のみを指名するということは定めていないから、上告人を村外業者として指名しなかった本件指名回避は、本件指名基準及び本件運用基準に基づかずに行われたもので、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号及び同法施行令7条1項の規定に違反し違法であると主張する。
(2) 木屋平村は、地方自治法施行令167条の5第1項及び167条の11第2項の規定に基づき、同村が発注する建設工事の請負契約に係る一般競争入札及び指名競争入札に参加する者に必要な資格等について定めるものとして、本件資格審査要綱を定め、平成14年4月1日から施行した。本件資格審査要綱は、申請書の提出期間について規定する4条において、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する建設業者を「村内業者」、その他の建設業者を「村外業者」と定義している。さらに、本件記録によれば、本件資格審査要綱は、資格審査について規定する5条において、申請書を提出した建設業者の等級の格付けは村内業者、村外業者とも6月1日に行うものとすると定めており、村内業者と村外業者とを明確に区別した上、各別に等級の格付けを行うことを予定しているということができる。また、本件指名基準は、工事の請負契約については、指名競争に参加する資格を有する者のうちから、「当該工事に対する地理的条件」等の事項を総合勘案して指名すると定めている。そして、本件運用基準は、本件指名基準の運用上の留意事項として、上記の「当該工事に対する地理的条件」については、「本店、支店又は営業所の所在地及び当該地域での工事実績等から見て、当該地域における工事の施工特性に精通し工種及び工事規模等に応じて当該工事を確実かつ円滑に実施できる体制が確保できるかどうかを総合的に勘案すること。」と定めている。本件資格審査要綱、本件指名基準及び本件運用基準は、木屋平村が、村内業者では対応できない事業についてのみ村外業者を指名競争入札の参加者に指名し、それ以外は村内業者のみを指名競争入札の参加者に指名するということを明言するものではないが、逆にこれを禁止するものではなく、上記のような定めからすれば、むしろ従来からの運用を許容しているものと解することができる。
(3) したがって、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律8条1号及び同法施行令7条1項が施行され、木屋平村において平成14年4月1日から本件指名基準及び本件運用基準が施行されたからといって、本件指名回避が違法になるものではない。
3 さらに、所論は、原判決が高松高裁平成9年(ネ)第177号、第259号同12年9月28日判決・判例時報1751号81頁に違背するという。
上記高松高裁判決は、「指名競争入札における入札参加者の指名は、契約担当者の広範な裁量に委ねられている。しかし、それは契約担当者の恣意を許すものではない。特に、指名停止措置について要領等の定めがある場合に、その事由に該当しないのに、契約担当者が特定の業者をことさら入札参加者に指名せずに競争入札から排除することは、特段の事情がない限り、裁量権を逸脱又は濫用するものである。」と判示する。
原判決は、本件指名回避は、上告人が不法・不当行為を行ったことを理由とする指名停止の措置ではなく、上告人が村外業者であることを理由に指名競争入札の参加者に指名しないという措置として合理性を有すると判断したものであるから、上記の高松高裁判決とは事案を異にし、これに違反するものではない。
4 多数意見は、木屋平村において、村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという運用を行ったことが、公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の定める公表義務に反するという。しかし、同法8条1号及び同法施行令7条1項3号は、指名競争入札に参加する者を指名する場合の基準を定めたときは、遅滞なくこれを公表しなければならないと規定するにとどまり、上記基準の内容まで規定してはおらず、木屋平村は、平成14年4月1日施行の本件資格審査要綱、本件審査委員会設置要綱、本件指名基準及び本件運用基準の定める範囲内において、従前から長期間にわたり行ってきた上記運用を継続したもので、上記運用を行ったことが同法の定める公表義務に反するものということはできない。
なお、多数意見は、本件資格審査要綱において「村内業者とは、木屋平村の区域内に主たる営業所を有する業者をいうとされているにとどまり、主たる営業所あるいは村内業者の要件をどのように判定するのかに関する客観的で具体的な基準も明らかにされていなかった。」というが、「主たる営業所」という用語は、民事訴訟法4条4項、民事再生法5条1項等でも使用されている法令用語であって、本件資格審査要綱における村内業者の上記定義が不明確であるとはいえない。
また、多数意見は、木屋平村において、村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという運用を行ったことが、地方自治法の趣旨に反するという。しかし、本件においては、普通地方公共団体における一般的な状況として、一般競争入札、指名競争入札及び随意契約の運用実態がどのようなものであるのか、あるいは指名競争入札においてどの程度地元業者が優遇されているのか等の資料提出や論議はされておらず、そのような判断材料の乏しい中で、木屋平村のような山間へき地の超過疎村において村内業者を優遇することが同法の趣旨に反するとまで断ずるのは、いささか早計で厳格すぎるとの感を免れない。
5 そもそも、上告人の本訴請求は、上告人は、村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという木屋平村の運用の下において、平成8年度から同10年度の3年間の平均で、同村発注の公共工事の36.42%を受注し、同期間中の上告人の利益率は42.36%であったから、同11年度から同16年度においても同村の公共事業発注合計額9億4129万1419円の36.42%に当たる3億4281万8332円を受注でき、その42.36%に当たる1億4521万7845円の利益を得ることができたところ、本件指名回避により同額の損害を受けたとして、被上告人(実質的には601世帯の木屋平村)に対し、この損害等の賠償を請求するというものである。すなわち、上告人自身が、村内業者で対応できる工事の指名競争入札では村内業者のみを指名するという木屋平村の運用が続くことを前提とした損害の賠償を請求しているのである。したがって、上記運用が違法であるというのであれば、上記運用の枠の中で得られた利益等を損害として賠償請求することはできないのである。
したがって、上告人の本訴請求の成否は、上告人が村内業者であるか否かにかかっているところ、前記のとおり、上告人が村内業者とは認められないとした原審の認定判断に不合理な点はないから、上告人の本訴請求は棄却されるべきである。
(裁判長裁判官 才口千晴 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉德治 裁判官 島田仁郎)

++解説
《解  説》
1 本件は,徳島県の旧木屋平村の発注する公共工事の指名競争入札に昭和60年ころから平成10年度まで継続的に参加していた建設業者(X)が,同11年度から同16年度までの間,村長から違法に指名を回避されたと主張して,国家賠償法1条1項に基づき,合併により木屋平村の地位を承継した美馬市(Y)に対し,逸失利益等の損害賠償を求めている事案である。

2 地方公共団体の長は,指名競争入札において入札に参加することができる者の資格を定め,公表しなければならないが(地方自治法234条6項,同法施行令167条の11第2項,第3項,167条の4,167条の5,公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律〔以下「適正化法」という。〕8条1号,同法施行令7条1項2号),その資格を有する者のうちから入札に参加させようとする者を指名する(地方自治法234条6項,同法施行令167条の12第1項)に当たり誰を指名するかの基準については,その基準を定めたときは公表しなければならないと規定されているにとどまる(適正化法8条1号,同法施行令7条1項3号)。また,地方自治法施行令167条の11第1項において準用する同施行令167条の4第2項が所定の事由に該当すると認められる者をその事実があった後2年間入札に参加させないことができると定めているほかは,指名停止・指名回避の基準について法令に規定はない。したがって,①指名競争入札に参加することができる者の資格をどのように定めるか,②指名の選定基準や指名停止・指名回避の基準を定めるかどうか,どのように定めるか,③指名に当たって具体的にどの業者を指名するかについては,各地方公共団体の長の裁量にゆだねられている。しかし,地方公共団体の締結する契約について,公正性,透明性,経済性等が確保されなければならないことからすると,地方公共団体の長がし意的な指名又は指名停止・指名回避をすることは許されず,し意的な指名又は指名停止・指名回避をしたときは,裁量権の逸脱,濫用として国家賠償法上違法となることがあるものと解される。入札参加者として指名をしなかった措置の違法性が争われた下級審裁判例(違法性を否定した例として,宮崎地都城支判平10.1.28判時1661号123頁,松山地判平12.3.29判自204号83頁,福井地判平17.3.30判自272号61頁,水戸地土浦支判平17.4.4判タ1218号229頁等,肯定した例として,高松高判平12.9.28判時1751号81頁,津地判平14.7.25判タ1145号133頁,福岡高判平17.7.26判タ1210号120頁等)においても,同様の見解を前提として判断がされている。

3 本件において,Xは,指名回避は村長選挙において対立候補者を応援したことに対する意趣返しであると主張したが,1審(徳島地判平16.5.11判自280号17頁),原審(高松高判平17.8.5同12頁)ともにこれを否定している。村の「建設業者等指名停止等措置要綱」によれば,「その他重大な不法・不当行為を行い,指名業者として不適当と認められる者」に該当する疑いのある者には,措置期間を2ないし12か月として,指名回避の措置を行うこととされている。平成11年度における指名回避措置については,Xが村道拡張工事において参加資格がなかったにもかかわらず強引に指名競争入札に参加させるよう求めるなどしたことが村との信頼関係を損ねる行為であるから,村長は上記の定めにより指名回避の措置を採ったものであり,不合理とはいえないと判断された。上告受理決定においても,これらの点に関する上告受理申立て理由は排除されている。

4 一方,要綱に定められている措置期間は最長1年であるから,平成12年度以降Xを指名しなかった措置が裁量権の濫用に当たるかどうかが問題となった。Yは,村では,従前から,村内業者では対応できない工事についてのみ村外業者を指名し,それ以外は村内業者のみを指名していたところ,Xは村外業者であることが判明したため,指名をしないこととしたと主張したが,1審は,平成14年4月施行の資格審査に関する村の要綱は,村内業者(村の区域内に主たる営業所を有する業者)と村外業者とを定義しているものの,入札参加資格という点では両者を全く区別していないし,Xが村の区域内に主たる営業所を有していないとはいえないとして,平成12年度以降の措置を違法とした。
これに対し,原審は,山間へき地に在って過疎の程度が著しい村の経済にとって公共事業の比重が非常に大きく,台風等の災害復旧作業には村民と建設業者の協力が重要であることからすると,上記のような運用は合理性を有していたものと認められ,Xが村内業者であるとは認められないとの村の判断は合理的なものであり,Xが村内業者だけでは対応できない事業を施工する特別な能力を有しているともいえない以上,Xを指名しないからといって裁量権を逸脱し又は濫用しているとまではいえず,村の措置が違法であるとはいえないと判断した。

5 本判決は,上記のように,村における指名についての前記運用とXが村外業者に当たるという判断が合理的であるとし,そのことのみを理由として,平成12年度以降Xを公共工事の指名競争入札において指名しなかった村の措置が違法であるとはいえないとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるとして,この部分について,原判決を破棄し,Yが指名をしなかった理由として主張する他の事情の存否等について更に審理を尽くさせるため原審に差し戻した。
多数意見は,要旨次のとおり説示している。(1)地方自治法,適正化法等の法令は,普通地方公共団体が締結する公共工事等の契約に関する入札につき,機会均等,公正性,透明性,経済性(価格の有利性)を確保することを図ろうとしているものということができる。(2)地方公共団体が地元企業を優先する指名を行うことの合理性は肯定することができるものの,価格の有利性確保(競争性の低下防止)の観点を考慮すれば,考慮すべき他の諸事情にかかわらず,およそ村内業者では対応できない工事以外の工事は村内業者のみを指名するという運用について,常に合理性があり裁量権の範囲内であるということはできない。(3)村では,平成14年4月以降施行された資格審査に関する要綱で村内業者と村外業者とが定義上区別されているものの,その外に上記のような実際の運用基準は定められておらず,しかも,村内業者の要件をどのように判定するのかに関する客観的で具体的な基準も明らかにされていなかったのであって,このような状況下での上記のような運用は,し意的運用が可能となるものであり,適正化法及び地方自治法の趣旨に反する。(4)Xは,昭和60年ころから村が発注する公共工事の指名競争入札に継続的に参加し,工事を受注してきており,平成6年に実質的経営者と代表者の夫婦が県内の他の町内に住居を構え,同敷地内に事務所を設けるなどした後も,登記簿上の本店所在地は村のままであり,同所には代表者の母でもある監査役が住み,Xの看板を掲げるなどしている上,平成10年度までは村の指名競争入札において指名を受け,受注した工事において施工上の支障を生じさせたこともうかがわれず,地元企業としての性格を引き続き有していたともいえる。(5)上記のような法令の趣旨に反する運用基準の下で,主たる営業所が村内にないなどの事情から形式的に村外業者に当たると判断し,そのことのみを理由として,他の条件いかんにかかわらず,およそ一切の工事につき平成12年度以降全くXを指名せず指名競争入札に参加させない措置を採ったとすれば,それは極めて不合理であり,社会通念上著しく妥当性を欠くものといわざるを得ず,そのような措置に裁量権の逸脱又は濫用があったとまではいえないと判断することはできない
なお,本判決には,多数意見をふえんした上,村の措置について,公共工事の入札や契約において要請される公正さに欠け,指名権者のし意的判断さえ強く疑わせるものといわざるを得ないと指摘する補足意見(才口裁判官)と,木屋平村のような山間過疎の村における村内業者優先指名の運用は合理性を有し,裁量権の逸脱濫用に当たるものではなく,Xは村内業者に当たらないなどとして,原審の判断は正当であるとする反対意見(横尾裁判官及び泉裁判官)が付されている。
6 指名競争入札における地元業者優先指名の運用は多くの地方公共団体で行われているが(碓井光明『公共契約法精義』120頁参照),談合事件等の影響もあり指名競争入札制度そのものに対する見直しも行われている中で,本判決は,その運用の在り方,限界等について示唆を与えるものであって,実務上参考となろう。

(1)訴訟類型
・指名や指名回避は処分には当たらず、取消訴訟の対象にはならない!
→公法上の当事者訴訟で。

+判例(H23.6.14)
理 由
 上告代理人林孝幸,同山本利幸,同安部光典の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
 1 本件は,上告人の自ら設置し管理する老人福祉施設の資産の譲渡先としてその運営を引き継ぐ事業者の選考のための公募において,設立準備中の社会福祉法人が,提案書を提出してこれに応募したところ,紋別市長から提案について決定に至らなかった旨の通知を受けたことから,上記法人の理事又は理事長の就任予定者である被上告人らが,上記通知が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たることを前提にその取消し等を求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 上告人は,平成20年2月8日,自ら設置し管理する老人福祉施設である紋別市立安養園を民間事業者に移管すること(以下「本件民間移管」という。),その手法として,長期的に同じ事業者が経営を継続することのできる効用を期待して,指定管理者方式(地方自治法244条の2第3項に基づき事業者に施設の管理を一定期間行わせる方式)を避けて施設譲渡方式(事業者に施設の資産を譲渡する方式)を採ること,当該老人福祉施設の資産の譲渡先としてその運営を引き継ぐ事業者(以下「受託事業者」という。)を公募により選考することを決め,「紋別市立安養園民間移管に係る受託事業候補者募集要綱」(以下「本件募集要綱」という。)を定めた。本件募集要綱には,上告人は受託事業者に対し上記施設の建物及び備品(以下「本件建物等」という。)を無償で譲渡するとともに上記建物の敷地(以下「本件土地」という。)を当分の間無償で貸与すること,受託事業者は移管条件に従い上記施設を老人福祉施設として経営するとともに上告人と締結する契約の各条項を信義誠実の原則に基づいて履行すべきこと,上告人は受託事業者の決定後においても移管条件が遵守される見込みがないと判断するときはその決定を取り消すことができることなどが定められていた。
 上告人は,同月25日から同年3月24日まで受託事業者の募集(以下「本件募集」という。)をし,設立準備中の社会福祉法人であるA会は,同日付け提案書を提出してこれに応募したところ,他に応募者のない中で,上告人の設置に係る受託事業候補者選定委員会においてその候補者として選定された後,同年5月2日,紋別市長から,A会を相手方として本件民間移管の手続を進めることは好ましくないと判断したので提案について決定に至らなかった旨の通知(以下「本件通知」という。)を受けた
 3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,本件通知が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるとした上で,本件通知の取消請求を認容した。 本件民間移管に当たっては,指定管理者方式と施設譲渡方式とが検討された上で,長期的に同じ事業者が経営を継続することのできる効用を期待して,後者が選択されたところ,紋別市公の施設に係る指定管理者の指定手続に関する条例(平成17年紋別市条例第11号)及び同条例施行規則(平成17年紋別市規則第46号)によれば,上告人においては,指定管理者方式を採る場合には原則として指定管理者の候補者を公募することとされているから,本件募集要綱を定めて本件募集を行ったのは指定管理者方式を参考にしたものと推認され,より慎重に受託事業者を選定する必要のある施設譲渡方式においては公募によることが地方自治法の解釈上要求されているものと解される。以上によれば,本件募集は法令の定めに基づいてされたものということができ,本件募集に応募した者には本件募集要綱に従って適正に選定を受ける法的利益があり,本件通知はこの法的利益を制限するものであるから行政処分性がある。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記事実関係によれば,本件民間移管は,上告人と受託事業者との間で,上告人が受託事業者に対し本件建物等を無償で譲渡し本件土地を貸し付け,受託事業者が移管条件に従い当該施設を老人福祉施設として経営することを約する旨の契約(以下「本件契約」という。)を締結することにより行うことが予定されていたものというべきである。本件募集要綱では,上告人は受託事業者の決定後においても移管条件が遵守される見込みがないと判断するときはその決定を取り消すことができるとされており,本件契約においても,これと同様の条項が定められれば解除権が留保されるほか,本件土地の貸付けには,公益上の理由による解除権が留保されており(地方自治法238条の5第4項,238条の4第5項),本件土地の貸付け及び本件建物等の無償譲渡には,用途指定違反を理由とする解除権が留保され得るが(同法238条の5第6項,7項),本件契約を締結するか否かは相手方の意思に委ねられているのであるから,そのような留保によって本件契約の契約としての性格に本質的な変化が生ずるものではない。
 そして,本件契約は,上告人が価格の高低のみを比較することによって本件民間移管に適する相手方を選定することができる性質のものではないから,地方自治法施行令167条の2第1項2号にいう「その他の契約でその性質又は目的が競争入札に適しないもの」として,随意契約の方法により締結することができるものである。また,紋別市公の施設に係る指定管理者の指定手続に関する条例及び同条例施行規則は,上告人の設置する公の施設に係る地方自治法244条の2第3項所定の指定管理者の指定の手続について定めたものであって(同条例1条参照),本件契約の締結及びその手続につき適用されるものではない。そうすると,本件募集は,法令の定めに基づいてされたものではなく,上告人が本件民間移管に適する事業者を契約の相手方として選考するための手法として行ったものである。
 以上によれば,紋別市長がした本件通知は,上告人が,契約の相手方となる事業者を選考するための手法として法令の定めに基づかずに行った事業者の募集に応募した者に対し,その者を相手方として当該契約を締結しないこととした事実を告知するものにすぎず,公権力の行使に当たる行為としての性質を有するものではないと解するのが相当である。したがって,本件通知は,抗告訴訟の対象となる行政処分には当たらないというべきである(最高裁昭和33年(オ)第784号同35年7月12日第三小法廷判決・民集14巻9号1744頁,最高裁昭和42年(行ツ)第52号同46年1月20日大法廷判決・民集25巻1号1頁参照)。

 5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,同部分につき,被上告人らの訴えを却下した第1審判決は正当であるから,被上告人らの控訴を棄却すべきである。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子 裁判官大谷剛彦)

(2)本案

2.給付行政における契約
(1)指導要綱違反

+判例(H1.11.8)
理  由
弁護人中村護ほか一二名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例が本件とは事案を異にするので適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
なお、原判決の認定によると、被告人らが本件マンションを建設中の山基建設及びその購入者から提出された給水契約の申込書を受領することを拒絶した時期には、既に、山基建設は、武蔵野市の宅地開発に関する指導要綱に基づく行政指導には従わない意思を明確に表明し、マンションの購入者も、入居に当たり給水を現実に必要としていたというのである。そうすると、原判決が、このような時期に至ったときは、水道法上給水契約の締結を義務づけられている水道事業者としては、たとえ右の指導要綱を事業主に順守させるため行政指導を継続する必要があったとしても、これを理由として事業主らとの給水契約の締結を留保することは許されないというべきであるから、これを留保した被告人らの行為は、給水契約の締結を拒んだ行為に当たると判断したのは、是認することができる。
また、原判決の認定によると、被告人らは、右の指導要綱を順守させるための圧力手段として、水道事業者が有している給水の権限を用い、指導要綱に従わない山基建設らとの給水契約の締結を拒んだものであり、その給水契約を締結して給水することが公序良俗違反を助長することとなるような事情もなかったというのである。そうすると、原判決が、このような場合には、水道事業者としては、たとえ指導要綱に従わない事業主らからの給水契約の申込であっても、その締結を拒むことは許されないというべきであるから、被告人らには本件給水契約の締結を拒む正当の理由がなかったと判断した点も、是認することができる
よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)

+判例(H5.2.18)
理由
一 上告代理人岸巖、同田中喜代重の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
二 同第二点について
1 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(一) 武蔵野市においては、昭和四四年ころからマンションの建築が相次ぎ、そのため日照障害、テレビ電波障害、工事中の騒音等による問題が生じ、また、学校、保育園、交通安全施設等が不足し、被上告人の行財政を強く圧迫していた。そこで、被上告人は、市民の生活環境が宅地開発やマンション建設によって破壊されて行くのを防止することを目的として、武蔵野市内で一定規模以上の宅地開発又は中高層建築物建設事業を行おうとする者(以下「事業主」という。)等を行政指導するため、被上告人の議会の全員協議会に諮った上、昭和四六年一〇月一日、武蔵野市宅地開発等に関する指導要綱(以下「指導要綱」という。)を制定した。
(二) 指導要綱は、一〇〇〇平方メートル以上の宅地開発事業又は高さ一〇メートル以上の中高層建築物の建設事業に適用され、(1)事業内容の公開、公共施設の設置、提供及びその費用負担、日照障害等について市長と事前協議をし、その審査を受けなければならない、(2)事業により施行区域周辺に影響を及ぼすおそれのあるものについては、事前に関係者の同意を受け、また、事業によって生じた損害については、補償の責を負わなければならない、(3)事業区域内に所定の幅員、路面排水、側溝等を備えた道路を整備し、市に無償で提供するものとする、(4)開発面積が三〇〇〇平方メートル以上の場合は、一定の割合による公園、緑地を設けなければならない、(5)上下水道施設については、事業主の費用負担において市が施工し、又は市の指示に従って事業主が施工し、その施設を市に無償で提供するものとする、(6)建設計画が一五戸以上の場合は、市が定める基準により学校用地を市に無償で提供し、又は用地取得費を負担するとともに、これらの施設の建設に要する費用を負担するものとする(この負担すべき金員を「教育施設負担金」といい、その金額は、建設計画が一五戸ないし一一三戸の場合には、一戸につき五四万四〇〇〇円とされていた。)、(7)市の指示により、消防施設、ごみの集積処理施設、街路灯等の安全施設を設置、整備し、駐車場用地を確保するものとする、(8)指導要綱に従わない事業主に対して、市は上下水道等必要な施設その他の協力を行わないことがある、等とする内容のものであった。
(三) 被上告人は、指導要綱の運営に当たり、武蔵野市宅地開発等審査会を設置し、次のような方法で事業主に指導要綱を履践させていた。
事業主は、被上告人の担当課と事前に協議した上、教育施設負担金寄付願等を添付して事業計画承認願を被上告人の市長に提出し、右審査会は、指導要綱所定の要件が整っていればこれを承認し、要件が整っていなければ担当課において更に行政指導を行い、承認された事業主に対しては、市長が事業計画承認書を交付する。事業主は、右承認後二〇日以内に被上告人に右寄付願に記載した教育施設負担金等を納付する。被上告人は、東京都の各関係機関に対し、建築確認の申請等があった場合申請書受理以前に指導要綱につき被上告人と協議するよう行政指導されたい旨を依頼し、東京都の各関係機関はこれを承諾してそのような行政指導を行い、市長から前記承認書の交付を受けた事業主は、建築確認申請書と共に右承認書を提出して建築確認を受け、その後工事に着手することとなっていた。
(四) 指導要綱は、被上告人のみならず市民もその実施に強い熱意をもっていたこと、前記市との事前協議、審査会の承認、建築確認手続についての東京都の協力とあいまって広範囲に適用されたこと、事業主の側も指導要綱に従わないと開発等が事実上難しくなるなどの見通しを持つに至ったこと等もあって、年を追うごとに定着して行った。そのため、指導要綱に基づく行政指導に従うことができない事業主は、事実上開発等を断念せざるを得なくなり、後述の山基建設株式会社(以下「山基建設」という。)の例を除いては、指導要綱はほぼ完全に遵守される結果となった。なかでも、教育施設負担金については、減免、延納又は分納の例もなく、山基建設も、後述のとおり、裁判上の和解において、寄付金であることを明示して教育施設負担金相当額を支払う旨を約束せざるを得なかった。
(五) 武蔵野市内に本店を置く山基建設は、昭和四九年六月ころ、武蔵野市内にマンションを建築することを計画し、同年一二月七日、指導要綱に基づく被上告人の事業計画承認を得ないまま建築確認を得て、昭和五〇年五月ころ、その建築に着工したところ、被上告人は、工事用の水道メーターの取り付けを拒否した。そこで、山基建設は、東京地方裁判所八王子支部に水道の給水等を求める仮処分を申請し、同支部は、同年一二月八日、被上告人に対し水道の給水を命ずる仮処分命令を発した。同月二〇日、右仮処分異議訴訟において、被上告人は山基建設に水道を供給し、下水道の使用を認め、山基建設は、右マンションの付近住民に対し解決金として三五〇万円を、被上告人に対し寄付金として指導要綱に基づく教育施設負担金相当額をそれぞれ支払う旨の訴訟上の和解が成立した。
(六) 山基建設は、昭和五二年二月、武蔵野市内において指導要綱に定める諸手続を履践しないままマンションの建築に着工したところ、被上告人は、再び山基建設に対し水道の給水契約の締結及び下水道の使用を拒絶した。なお、右マンション完成後入居者からの給水申込みも拒否したため、被上告人の市長は、昭和五三年一二月五日、水道法一五条一項違反の罪名で起訴され、有罪判決を受けた。
(七) 山基建設に関する右の一連の紛争は新聞等で報道された。
(八) 亡Aは、昭和五二年五月ころ、武蔵野市内の本件土地にA、その妻の上告人B、二男の上告人C及び三男の上告人Dの四名名義で三階建の賃貸マンションの建築を計画し、指導要綱に関連する被上告人との折衝等を株式会社新建築設計事務所の代表者Eに委託した。Aは、Eから、指導要綱に従って教育施設負担金一五二三万二〇〇〇円を寄付しなければならない旨を告げられたが、指導要綱に基づき被上告人に対し公園用地を無償貸与し、道路用地を贈与し、公園の遊具施設を寄付し、防火水槽の設置費を負担することとなっていたし、これまでも多額の税金を納付していたので、その上更に高額の教育施設負担金を寄付しなければならないことに強い不満を持ち、被上告人との事前協議の際に、新建築設計事務所の従業員を通じ、担当者に教育施設負担金の減免、延納等を懇請したが、右担当者は、前例がないとしてこれを拒絶した。
(九) その後、Aは、指導要綱の手続、教育施設負担金条項及びその運用の実情等を承知していたEから、指導要綱に従って教育施設負担金の寄付を申し入れて事業計画承認を得ないと被上告人から上下水道の利用を拒否され、マンションが建てられなくなるとの説明を受けたので、やむなく、昭和五二年八月五日、指導要綱に従って一五二二万二〇〇〇円(ただし、指導要綱にしたがって計算すると一五二三万二〇〇〇円となる。)を寄付する旨の寄付願を添付して事業計画承認願を被上告人宛に提出し、同月二五日右承認願は前記宅地開発等審査会において承認され、同年一〇月二五日建築確認がされた。
(一〇) Aは、なおも高額の教育施設負担金の寄付が納得できなかったので、自ら被上告人の担当者に教育施設負担金の減免、分納、延納を懇請したが、再び前例がないとして断わられ、同年一一月二日、一五二三万二〇〇〇円を被上告人に納付した。

2 原審は、右事実関係の下において、指導要綱とそれに関連する制度そのものが当然に違法とまではいえず、したがって、被上告人がAに教育施設負担金を納付するよう行政指導したことが、当然に公権力の違法な行使に当たるとは認められないし、山基建設と被上告人との間の紛争がAの意思に影響を与えたことを考慮しても、被上告人の職員のAに対する本件建物建築についての教育施設負担金をめぐる具体的な行政指導が、その限界を超えた違法なものとはいえないとして、上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものと判断した。

3 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前記1(一)の指導要綱制定に至る背景、制定の手続、被上告人が当面していた問題等を考慮すると、行政指導として教育施設の充実に充てるために事業主に対して寄付金の納付を求めること自体は、強制にわたるなど事業主の任意性を損うことがない限り、違法ということはできない
しかし、指導要綱は、法令の根拠に基づくものではなく、被上告人において、事業主に対する行政指導を行うための内部基準であるにもかかわらず、水道の給水契約の締結の拒否等の制裁措置を背景として、事業主に一定の義務を課するようなものとなっており、また、これを遵守させるため、一定の手続が設けられている。そして、教育施設負担金についても、その金額は選択の余地のないほど具体的に定められており、事業主の義務の一部として寄付金を割り当て、その納付を命ずるような文言となっているから、右負担金が事業主の任意の寄付金の趣旨で規定されていると認めるのは困難である。しかも、事業主が指導要綱に基づく行政指導に従わなかった場合に採ることがあるとされる給水契約の締結の拒否という制裁措置は、水道法上許されないものであり(同法一五条一項、最高裁昭和六〇年(あ)第一二六五号平成元年一一月七日第二小法廷決定・裁判集刑事二五三号三九九頁参照)、右措置が採られた場合には、マンションを建築してもそれを住居として使用することが事実上不可能となり、建築の目的を達成することができなくなるような性質のものである。また、被上告人がAに対し教育施設負担金の納付を求めた当時においては、指導要綱に基づく行政指導に従うことができない事業主は事実上開発等を断念せざるを得なくなっており、これに従わずに開発等を行った事業主は山基建設以外になく、その山基建設の建築したマンションに関しては、現に水道の給水契約の締結及び下水道の使用が拒否され、その事実が新聞等によって報道されていたというのである。さらに、Aが被上告人の担当者に対して本件教育施設負担金の減免等を懇請した際には、右担当者は、前例がないとして拒絶しているが、右担当者のこのような対応からは、本件教育施設負担金の納付が事業主の任意の寄付であることを認識した上で行政指導をするという姿勢は、到底うかがうことができない
右のような指導要綱の文言及び運用の実態からすると、本件当時、被上告人は、事業主に対し、法が認めておらずしかもそれが実施された場合にはマンション建築の目的の達成が事実上不可能となる水道の給水契約の締結の拒否等の制裁措置を背景として、指導要綱を遵守させようとしていたというべきである。被上告人がAに対し指導要綱に基づいて教育施設負担金の納付を求めた行為も、被上告人の担当者が教育施設負担金の減免等の懇請に対し前例がないとして拒絶した態度とあいまって、Aに対し、指導要綱所定の教育施設負担金を納付しなければ、水道の給水契約の締結及び下水道の使用を拒絶されると考えさせるに十分なものであって、マンションを建築しようとする以上右行政指導に従うことを余儀なくさせるものであり、Aに教育施設負担金の納付を事実上強制しようとしたものということができる。指導要綱に基づく行政指導が、武蔵野市民の生活環境をいわゆる乱開発から守ることを目的とするものであり、多くの武蔵野市民の支持を受けていたことなどを考慮しても、右行為は、本来任意に寄付金の納付を求めるべき行政指導の限度を超えるものであり、違法な公権力の行使であるといわざるを得ない
これに反する前記原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものであり、この違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は、理由があり、原判決のうち上告人らの予備的請求に係る損害賠償請求を棄却した部分は破棄を免れず、右部分につき更に審理を尽くさせるために原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)

++解説
《解  説》
一 原告は、被告(武蔵野市)が制定した「武蔵野市宅地開発等に関する指導要綱」(本件指導要綱)に基づいて、被告に教育施設負担金一五二三万円余を納付して同市内にマンションを建築したが、被告が本件指導要綱ないしはこれに基づく行政指導が違法な公権力の行使に当たると主張して、右教育施設負担金額相当の損害賠償を請求する事件である(原告は、主位的には、教育施設負担金の納付が強迫によるものとして、その返還を求めていたが、これは一審以来認められていない。)。なお、原告は、控訴中に死亡し、その相続人が訴訟を承継している。一、二審とも原告敗訴(一審判決は判時一〇七八号九五頁、二審判決は判時一二六八号三九頁)。
最高裁は、①本件指導要綱が形式的には水道の給水拒否等の制裁措置を背景にして事業主に寄付の義務を課することを内容とするものであること、②本件当時は、本件指導要綱に従ってマンションの建築をするか、指導要綱に従えないので建築を断念するかのいずれかになっており、唯一指導要綱に従わなかった一事業者に対しては、その建築したマンションに対し違法に水道の給水や下水道の使用を拒否していたという運用の実態、③原告の教育施設負担金減免の懇請を拒絶した被告の職員の態度等判示の事実関係の下においては、原告に対し教育施設負担金の納付を求めた行為が相手方の任意に寄付を求める行政指導の限度を超え、違法な公権力の行使に当たる旨判断して、二審判決の国家賠償請求を棄却した部分を破棄し、原審に差し戻した。
二1 多くの地方自治体においては、大規模な宅地造成、中高層マンションの建設等に伴う社会問題に対処するために、(一)開発計画につき自治体と協議して自治体の改善勧告等に応ずべきこと、(二)周辺住民の同意を得ること、(三)法定外の各種の規制(例えば、最小宅地面積)に応ずべきこと、(四)公共施設用地の寄付又は開発負担金の拠出などを内容とするいわゆる開発指導要綱を制定している。本件指導要綱は、比較的初期に制定されたもので、その代表例ということができよう。
2 開発指導要綱は、一般的には、行政内部の心得(実質的意義の訓令)、すなわち行政指導を行うにあたっての基準、行政機関が守るべき原則を定めたものであって、その拘束力は、行政機関に及ぶにすぎず、直接住民に及ぶものではないと解されている(原田尚彦「宅地開発指導要綱による建築規則」法時五六巻九号二八など)が、法治主義との関係でその適法性が問題とされていた。また、その運用についても、行き過ぎがあることを指摘されるなど、社会の関心をひき、開発業者等が地方自治体に対し、開発負担金の納付が無効であるとしてその返還を求めたり(例えば、東京高判平1・10・31判時一三三三号九一頁)、あるいは、開発負担金の納付を強要したとして損害賠償を請求する(例えば、大阪地堺支判昭62・2・25本誌六三三号一八三頁)といった開発負担金をめぐる訴訟も起きている。
開発指導要綱に基づく行政は、法の不備を補充しつつ地域社会の混乱と住民の生活の破綻を防止するために必要不可欠な、緊急避難的な措置であって、現実を直視すれば、相手方が自らの意思で自由に処分できる法益につき任意の譲歩を求める指針である限り、その適法性が認められる(原田尚彦・行政法要論(全訂版)一七二頁)などとして、適法性を肯定する学説が多く、本判決も引用する最二小決平1・11・8は、指導要綱に従わないことが権利の濫用になる場合があり得ることを認めており、下級審の裁判例も、指導要綱に基づく行政指導そのものは適法としてきた。本判決も、指導要綱に基づいて行政指導を行うこと自体は違法ではないことを認めており、多数の学説及びこれまでの判例、裁判例の流れに沿ったものである。
3 開発指導要綱及びこれに基づく行政指導が、法律上の根拠がなくても適法とされるのは、それが、相手方の任意の協力を求めるものだからであるから、運用において、開発者に寄付等を事実上強制するものであるときには、違法とされることになろう。
本判決は、①本件指導要綱の形式・内容、②本件当時の本件指導要綱の運用の実態、③原告に対する被告の職員の行政指導の態度等の事情を総合して、行政指導として原告に対して寄付を求めた行為が、限度を超えて事実上寄付を強制するものと判断したものである。原告の主観は問題とされていない。本判決は、客観的状況だけからも、行政指導として行われた行為が行政指導の限界を超えたと判断される場合があることを認めたものであろう。最三小判昭60・7・16民集三九巻五号九八九頁、本誌五六八号四二頁は、相手方が「行政指導にはもはや協力できない旨の意思を真摯かつ明確に表明し」たときには、行政指導を理由として建築確認を留保することが違法となるとしており、行政指導の限界を原則として相手方の主観に求めているかのようであるが、行政指導そのものの違法性が争われた事例ではなく、行政指導の内容によっては、相手方の主観を問題とせずに、客観的状況だけから、行政指導として行われた行為が違法となることまでも否定するものではないと考えられる。
ただ、本件は、原告が、マンションの建築を計画し、市(被告)との折衝を続けているその同じ時期に、被告は本件指導要綱に従わない事業主が建築したマンションに水道の給水を拒否するという、後に市長が水道法違反で刑罰を課せられることになるような違法な制裁措置を発動し、そのことが新聞等によって報道され、一種の社会問題となっていたという特殊な事情の存する事案についての判断と考えられる。同様の制裁措置を規定した開発指導要綱も少なくないが、そのような開発指導要綱に基づく行政指導を一般的に違法とするまでのものではないと思われる。しかし、本判決は、開発指導要綱に基づく行政指導として行われた行為が国家賠償法上の違法な行為であることを最高裁が認めた最初の事例であり、開発指導要綱に基づく行政指導の限界について考える上で参考となるものである。
なお、本件については、差戻審において和解が成立した旨報道されている(毎日新聞東京版平5・12・22)。
本判決の評釈等として亘理格・ジュリ一〇二五号三八頁、木ノ下一郎・ひろば四八巻八号五五頁、千葉勇夫・法教一五四号一一六頁、同・民商一〇九巻四=五号三三五頁、碓井光明・地方自治判例百選〔第二版〕一二頁、大橋洋一・平五重判解説四五頁がある。

(2)重大な違法

公序良俗違反を助長することとなる場合とか。
+判例(大阪地判H2.8.29)

(3)深刻な水分不足を避けるためにやむを得ない場合

+判例(H11.1.21)
理由
上告代理人藤島昭、同岩渕正紀、同東松文雄、同山口定男、同古賀義人、同森元龍治の上告理由について
一 本件は、不動産の売買等を目的とする会社である上告人が、被上告人志免町の水道事業の給水区域内にマンションの建設を計画し、平成二年五月三一日、被上告人に建築予定戸数四二〇戸分の給水申込みをしたところ、被上告人から志免町水道事業給水規則(昭和四一年志免町規則第五一号)三条の二第一項が新たに給水の申込みをする者に対して「開発行為又は建築で二〇戸(二〇世帯)を超えるもの」又は「共同住宅等で二〇戸(二〇世帯)を超えて建築する場合は全戸」に給水しないと規定していることを根拠に給水契約の締結を拒否されたので、右の拒否は水道法(以下「法」という。)一五条一項に違反するとして、被上告人に対し右給水申込みの承諾等を求める事件である。

二 法一五条一項にいう「正当の理由」とは、水道事業者の正常な企業努力にもかかわらず給水契約の締結を拒まざるを得ない理由を指すものと解されるが、具体的にいかなる事由がこれに当たるかについては、同項の趣旨、目的のほか、法全体の趣旨、目的や関連する規定に照らして合理的に解釈するのが相当である。
いうまでもなく、水道は、国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないものであるが、我が国においては、地形、気象、人口等の自然的社会的諸条件のため、需要に見合った水道用水の確保は必ずしも容易ではなく、水は貴重な資源である(法二条一項参照)。市町村は、このような水道事業を経営する責任を負うものである(地方自治法二条三項三号、四項、法六条二項参照)ところ、法は、市町村を始めとする地方公共団体に対し、水の適正かつ合理的な使用に関し必要な施策を講じなければならず(法二条一項)、当該地域の自然的社会的諸条件に応じて、水道の計画的整備に関する施策を策定、実施するとともに、水道事業を経営するに当たっては、その適正かつ能率的な運営に努めなければならないとの責務を課し(法二条の二第一項)、他方、国民に対しては、市町村等の右施策に協力するとともに、自らも、水の適正かつ合理的な使用に努めなければならないとの責務を課している(法二条二項)。
右にみたとおり、水道が国民にとって欠くことのできないものであることからすると、市町村は、水道事業を経営するに当たり、当該地域の自然的社会的諸条件に応じて、可能な限り水道水の需要を賄うことができるように、中長期的視点に立って適正かつ合理的な水の供給に関する計画を立て、これを実施しなければならず、当該供給計画によって対応することができる限り、給水契約の申込みに対して応ずべき義務があり、みだりにこれを拒否することは許されないものというべきである。しかしながら、他方、水が限られた資源であることを考慮すれば、市町村が正常な企業努力を尽くしてもなお水の供給に一定の限界があり得ることも否定することはできないのであって、給水義務は絶対的なものということはできず、給水契約の申込みが右のような適正かつ合理的な供給計画によっては対応することができないものである場合には、法一五条一項にいう「正当の理由」があるものとして、これを拒むことが許されると解すべきである。
以上の見地に立って考えると、水の供給量が既にひっ迫しているにもかかわらず、自然的条件においては取水源が貧困で現在の取水量を増加させることが困難である一方で、社会的条件としては著しい給水人口の増加が見込まれるため、近い将来において需要量が給水量を上回り水不足が生ずることが確実に予見されるという地域にあっては、水道事業者である市町村としては、そのような事態を招かないよう適正かつ合理的な施策を講じなければならず、その方策としては、困難な自然的条件を克服して給水量をできる限り増やすことが第一に執られるべきであるが、それによってもなお深刻な水不足が避けられない場合には、専ら水の需給の均衡を保つという観点から水道水の需要の著しい増加を抑制するための施策を執ることも、やむを得ない措置として許されるものというべきである。そうすると、右のような状況の下における需要の抑制施策の一つとして、新たな給水申込みのうち、需要量が特に大きく、現に居住している住民の生活用水を得るためではなく住宅を供給する事業を営む者が住宅分譲目的でしたものについて、給水契約の締結を拒むことにより、急激な需要の増加を抑制することには、法一五条一項にいう「正当の理由」があるということができるものと解される。

三 原審の認定した事実関係の概要は次のとおりであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。
1 被上告人は、福岡市の東部に隣接する全国有数の人口過密都市で、平成五年三月三一日現在の人口は三万五〇一八人であり、人口密度は、一平方キロメートル当たり四〇〇 二人であって、福岡市をしのぎ、福岡県下で二番目に高く、同市のベッドタウンとして人口集積が見込まれ、平成五、六年に合計二一〇九戸のマンション建設計画が持ち上っている。
2 平成元年度から同三年度までの被上告人の水道事業の概要は、原判決添付の「取水・給水の実績表」及び「取水の内訳表」のとおりである。
これによれば、認可を受けた水源としては、被上告人の固有の水源である御笠川水源地、吉原水源地、旧馬越水源地、新馬越水源地及び湖水(七夕谷水源地)のほか、福岡地区水道企業団からの浄水受水があり、認可を受けていない水源として、須恵町からの浄水受水及び宇美川からの取水(鹿田貯水池を経て七夕谷水源地に送水)がある。
被上告人の取水量に対する余力水量(取水量と給水量の差、すなわち取水した原水を浄水とするまでに漏水、ろ過・洗浄等によって失われる水量)の割合は近隣市町村より高いが、他から受水する浄水は余力水量を見込む必要はほとんどないところ、前記三箇年におけるこれらの市町村の浄水受水の取水量に対する割合は被上告人のそれよりも高率であるから、被上告人の余力水量の割合が高いことはやむを得ない。また、被上告人が原水を浄水とするまでに水が失われる原因としては、原水を洗浄するのに年間二〇万二三五六立方メートルの洗浄水を必要とすることのほか、貯水池の全面改修を要する底板の亀裂からの漏水があり、他にもその場所を特定することができない漏水箇所が存在することが挙げられる。
また、無効水量(浄水のうち需用者に給水されるまでの間に漏水等によって失われる水量)については、厚生省が水道整備課長通知によりこれを一〇パーセントに抑制するよう指導しているところ、前記三箇年における被上告人の無効水量の給水量に対する割合は、それぞれ一四・〇五パーセント、一二・二六パーセント、九・六三パーセントであり、しかも右無効水量には本来有効水量に含まれる無収水量(公衆用飲料水等、対価を伴わない給水の量)とすべきものも計上されている。右割合は他に比して際だって高いとはいえず、過去のやむを得ないいきさつから耐久性に乏しい水道管が近隣市町村より著しく高い割合で使用されているため給水管破損が多いことが、右割合を高める原因となっている。
前記三箇年における被上告人の水道事業における浄水受水を含む認可水源からの取水量は、いずれの年度においても給水量を下回っており、これには余力水量が含まれている上、七夕谷水源地からの取水とされているものは実は認可外水源である宇美川からの取水であり、被上告人の固有の認可水源からの取水実績からみると、その取水能力は低下し、認可水量は実態と全くかい離しており、固有水源からの取水で給水量を確保し難い傾向は、容易には改まらないとみられる。福岡地区水道企業団からの浄水受水は、工事の遅れにより早くても平成八年完成予定の鳴淵ダム、平成一三年完成予定の大山・小石原ダムが完成するまでは増量する見込みがなく、平成四年度には水量不足により一部削減された。
被上告人は平成三年まで須恵町から浄水を受水していたが、これは同年四月以降停止されている。
被上告人は、給水量を賄うため、農業水利権者との契約により認可外水源である宇美川から取水しているが、これは河川法上の手続を経て取得した水利権に基づくものではなく、実際にも上水道のための水利権を取得することは甚だしく困難である。また、右契約上、農業用水の優先権が認められ、宇美川の流量が少なくなったときには被上告人の取水が制限、停止されることになっている。
このようなことから、被上告人が、確保し得る原水の量や給水し得る水量を需要が超えないようにするための諸策を講ずることなく、漫然と新規の給水申込みに応じていると、近い将来、需要に応じきれなくなることが容易に予測し得る。
3 被上告人の支出している水道施設修繕費の給水収益に対する割合は、福岡県下の他の市町村に比較して高率である。被上告人は、無効水量の減少を目的として、昭和六三年度から平成八年度までに六億四九〇〇万円を支出し、今後平成二二年度までに総事業費七〇億円を見込んで水道管を全部取り替える予定であり、また、昭和六三年一〇月に一一億五〇〇〇万円の費用をかけて浄水場の増改修を実施し、平成四年一〇月には七億円の費用を投じて貯水池の増設をするなど、取水量及び給水量の改善のための努力をしている。しかし、被上告人が余力水量や無効水量の改善によって給水能力を高めるにはそれ相当の期間と資金を要し、一挙にこれを実現することは極めて困難である。
四 前記二の考え方に立って、右事実関係に基づき、原審口頭弁論終結時(平成六年五月一九日)において被上告人が上告人の給水契約の締結を拒む「正当の理由」があったといえるか否かにつき検討する。
右事実関係によれば、被上告人は全国有数の人口過密都市であり、今後も人口集積が見込まれるところ、被上告人の経営する水道事業は、固有の認可水源の取水能力が低下している一方、福岡地区水道企業団からの浄水受水も渇水期には必ずしも万全とはいえない上、その受水量を増大させるためのダムは計画どおりに完成しておらず、受水量の増大が実現するのは将来のことであって、これら認可水源のみでは現在必要とされる給水量を賄うことができず、これを補うために須恵町から浄水を受水していたが、平成三年四月以降はこれも中止されており、やむなく、認可外であり、かつ、河川法上の手続を経て水利権を取得していないにもかかわらず、農業水利権者との契約に基づいて宇美川から取水して給水量を補っているが、法的見地からみても契約条項からみても右取水は不安定といわざるを得ず、被上告人においてこれらの状況を改善するために多額の財政的負担をして種々の施策を執ってきているが、容易に右状況が改善されることは見込めないため、このまま漫然と新規の給水申込みに応じていると、近い将来需要に応じきれなくなり深刻な水不足を生ずることが予測される状態にあるということができる。このようにひっ迫した状況の下においては、被上告人が、新たな給水申込みのうち、需要量が特に大きく、住宅を供給する事業を営む者が住宅を分譲する目的であらかじめしたものについて契約の締結を拒むことにより、急激な水道水の需要の増加を抑制する施策を講ずることも、やむを得ない措置として許されるものというべきである。そして、上告人の給水契約の申込みは、マンション四二〇戸を分譲するという目的のためにされたものであるから、所論のように、建築計画を数年度に分け、井戸水を併用することにより水道水の使用量を押さえる計画であることなどを考慮しても、被上告人がこれを拒んだことには法一五条一項にいう「正当の理由」があるものと認めるのが相当である。
五 以上によれば、右と結論において同旨の原審の判断は、是認することができる。上告人は違憲をも主張するが、いずれも志免町水道事業給水規則三条の二第一項の定める基準に基づいて給水契約締結の拒否の適否を決することをもって憲法違反と主張するものであって、右のとおり、右基準の定めにかかわりなく、本件の給水契約締結の拒否は適法であると解されるのであるから、所論は前提を欠く。その余の論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って、若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものであり、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大出峻郎 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄)

++解説
《解  説》
一 福岡市及びその周辺地域は慢性的な水不足に悩むことで知られているが、本件は、福岡市隣接のベッドタウンである志免町においてマンションを建設している不動産会社であるXが、水道事業者であるY(志免町)に対し、平成元年から二年にかけて三回にわたり建設戸数五四〇戸ないし四二〇戸のマンションにつき、水道法(以下「法」という。)一五条に基づき給水の申込みをしたが、志免町水道事業給水規則(昭和四一年志免町規則第五一号)三条の二第一項(以下「本件規定」という。)において給水しないか給水制限する場合として規定されている「開発行為又は建築で二〇戸(二〇世帯)を超えるもの」又は「共同住宅等で二〇戸(二〇世帯)を超えて建築する場合は全戸」に該当することを理由に、Yから給水契約の締結を拒否されたので、主位的に給水契約上の地位の確認を(ただし、一審で棄却されたため、原審では訴えを取り下げた。)、予備的に給水契約の申込みの承諾、マンションの着工又は完成を停止条件とする給水命令を求めた事件である。
本件の争点は、Yのした給水契約の拒否に法一五条一項にいう「正当の理由」があるか否かにある。より具体的にいえば、① Yにおける慢性的水不足の実情にかんがみて、水が不足することのない街づくりを進めるため、大規模な開発に伴う給水申込みは、当該一件の給水を認めることが直ちに需要が供給を上回る事態を招くとまでいえなくても、近い将来の水不足を招くおそれが高い場合にはこれを認めないこととすることに、「正当の理由」があるといえるか、② Yの給水事情はどの程度ひっ迫しているか、が争点である。
一審(本誌七九四号二三八頁)は、Yの給水能力には改善の余地があり「正当の理由」があるとはいえないとして、Xの主位的請求を棄却したものの予備的請求を認容した。これに対し、原審(判時一五四八号六七頁)は、Yの控訴に基づき、Yの改善努力にもかかわらず認可水源からの給水能力は不足しており、本件規定の基準は現時点においては一応妥当なものといってよいから、これに基づいてしたYの給水契約の許否には「正当の理由」があると認めて、Yの敗訴部分を取り消し、Xの請求を全部棄却した。そこで、Xが上告した。一、二審の判断が分かれたのは、右①の点に関する「正当の理由」の解釈と、Yの給水能力に関する事実認定の相違による。詳しくは、各判決を参照されたい。原判決にはいくつかの評釈があるが、給水量が不足するおそれがあることを理由に給水契約を拒否することができるとしても、その要件をどのように考えるかについては、様々なニュアンスのものがある。
二 法一五条一項の「正当の理由」に関する最高裁の先例として最二小決平1・11・7本誌七一〇号二七四頁、判時一三二八号一六頁があるが、同決定は専ら法とは無関係の行政目的を達成するための給水拒否に正当の理由があったといえるかが問題となった事案に関するものであり、法固有の行政目的から給水契約の締結の拒否が是認されるのがどのような場合なのかについては、判断を示していないから、本件の直接の参考にはならない。また、下級審の裁判例においても、本件一、二審判決を除けば、「正当の理由」の一般的定義を示して判断した先例(右最二小決の原審東京高判昭60・8・30判時一一六六号四一頁、その一審東京地八王子支判昭59・2・24判時一一一四号一〇頁、大阪高判昭53・9・26本誌三七四号一〇九頁、判時九一五号三三頁、東京地判昭58・5・11本誌五〇四号一二八頁)も、近い将来の水不足のおそれを理由とする給水契約の拒否の許否について、直接参考となるものとはいえない。
水道法の運用に関する基本文献と考えられる厚生省水道環境部水道法研究会・改訂水道法逐条解説二五八頁は、「正当の理由」とは、水道事業者の正常な企業努力にもかかわらずその責めに帰すことのできない理由により給水契約の申込みを拒否せざるを得ない場合に限られるものであり、法一六条に定めるもののほか、おおむね次のような場合が想定されるとして、(1) 配水管未布設地区からの申込み、(2) 給水量が著しく不足している場合(正常な企業努力にもかかわらず給水量が著しく不足している場合であって、給水契約の受諾により他の需用者への給水に著しい支障を来すおそれが明らかである場合)、(3) (当該水道事業の事業計画内では対応し得ない)多量の給水量を伴う申込み、を挙げている。この見解は、法の目的に従ってかなり厳格な要件の下に「正当の理由」を認めることまでは明らかであるが、本件のような法の目的の範囲内での許容の限界を直接明らかにしたものとはいえない。行政実例としては、昭和三二年一二月二七日発衛第五二〇号厚生事務次官依命通知が、正当の理由は、配水管の事業計画上の未設置の場合、正常な企業努力にもかかわらず水量が著しく不足する場合、地勢等の関係で給水が技術的に著しく困難な場合等水道事業者の努力にもかかわらずその責めに帰すべからずして起きるものに限るとしている。また、昭和四一年三月九日付環水第五〇一八号厚生省環境衛生局水道課長回答は、法一五条一項の給水契約の申込みに応ずる義務又は同条二項の常時給水する義務が解除されるのは、水の供給が困難又は不可能な場合に限られるべきであるとしている。
結局、給水契約拒否の「正当の理由」については、法一五条一項は何も具体的に例示しておらず、右文言自体は極めて抽象的であるから、同項自体の趣旨のほか、法全体の趣旨や関連する規定に照らして合理的解釈をするほかはない。
三 本判決は、まず、法二条、二条の二、六条等の規定を参照の上、水道事業を経営する責任を負う市町村は、可能な限り水道水の需要を賄うことができるように、中長期的視点に立って適正かつ合理的な水の供給に関する計画を立て、これを実施しなければならず、みだりに給水契約を拒否することは許されないとしつつ、他方、市町村が正常な企業努力を尽くしてもなお水の供給に一定の限界があり得ることも否定することはできないのであって、給水義務は絶対的なものということはできず、給水契約の申込みが適正かつ合理的な供給計画によっては対応することができないものである場合には、法一五条一項にいう「正当の理由」があるものとして、これを拒むことが許されると解すべきであると判示して、供給が需要を賄いきれないことも給水拒否の「正当の理由」に含まれ得るとした。しかし、それが、前記逐条解説の(2)、(3)のような場合に限られるのか否かが、更に問題となる。
そこで、本判決は、右判断に続けて、水の供給量が既にひっ迫しているにもかかわらず、取水源が貧困で現在の取水量を増加させることが困難である一方で、著しい給水人口の増加が見込まれるため、近い将来において需要量が給水量を上回り水不足が生ずることが確実に予見されるという地域にあっては、水道事業者である市町村は、そのような事態を招かないよう適正かつ合理的な施策を講じなければならないと解され、その方策としては、困難な自然的条件を克服して給水量をできる限り増やすことが第一に執られるべきであるが、それによってもなお深刻な水不足が避けられない場合には、専ら水の需給の均衡を保つという観点から水道水の需要の著しい増加を抑制するための施策を執ることも、やむを得ない措置として許されるものというべきであると判示した。この判断は、あくまで「水道事業者」の立場において「専ら水の需給の均衡を保つという観点から」でなければならないという制約の下において、水の供給量が「既にひっ迫している」市町村は、供給を増やすための施策のみならず、「やむを得ない」場合には需要を抑制する施策を採ることも許容され得ることを明らかにしたものということができる。しかし、どのような具体的要件の下に需要の抑制が許され得るのかは、更に検討を要する。
この点につき、本判決は、本件の具体的事案に対応して、右のような状況の下における水道水の需要の抑制施策の一つとして、新たな給水申込みのうち、需要量が特に大きく、現に居住している住民の生活用水を得るためではなく住宅を供給する事業を営む者が住宅分譲目的でしたものについて、給水契約の締結を拒むことにより、急激な水道水の需要の増加を抑制することには、法一五条一項にいう「正当の理由」があるということができるものと解されると判断した。したがって、これとは異なる類型の給水申込み(例えば、現に居住している住民からの申込み)についてどのように考えるべきかは、本判決の明らかとするところではない。
次に、本件の具体的事実関係につき、本判決は、原審の事実認定を是認した上、Yは、全国有数の人口過密都市であり、今後も人口集積が見込まれるところ、その水道事業は、認可水源のみでは現実に給水量を賄うことができず、やむなく、認可外であり、かつ、河川法上の手続を経て水利権を取得していないにもかかわらず、農業水利権者との契約に基づいて川から取水して給水量を補っているが、法的見地からみても契約条項からみても右取水は不安定といわざるを得ず、種々の施策にもかかわらず右状況が改善されることは見込めないため、このまま漫然と新規の給水申込みに応じていると、近い将来需要に応じきれなくなり深刻な水不足を生ずることが予測される状態にあるということができるとした。そして、このような事実関係に前記の法解釈を当てはめて、このようにひっ迫した状況の下においては、Yが、新たな給水申込みのうち、需要量が特に大きく、住宅を供給する事業を営む者が住宅を分譲する目的であらかじめしたものについて契約の締結を拒むことにより、急激な水道水の需要の増加を抑制する施策を講ずることも、やむを得ない措置として許されるものとした。このようにして、本判決は、Xの給水契約の申込みは、マンション四二〇戸を分譲するという目的のためにされたものであるから、建築計画を数年度に分け、井戸水を併用することにより水道水の使用量を押さえる計画であることなどを考慮しても、Yがこれを拒んだことには法一五条一項にいう「正当の理由」があると結論付けている。
四 本判決は、Yの具体的な給水事情を踏まえた上で四二〇戸という本件の具体的給水申込みに対するYの給水契約の拒否を適法と判断したものであり、本判決から、このような分譲業者の大口の給水申込みに対しては、異なる事情の下においても給水拒否が許されるものと直ちにいうことはできない。さらには、本判決は、Yが給水拒否の根拠とした給水規則の本件規定を是認したものではない(そもそも、水道は地方自治法二四四条の「公の施設」に当たるから、同法二四四条の二第一項により、その管理に関する事項は条例で定めなければならず、規則において給水契約の条件を定めること自体に、検討すべき問題がある。)。したがって、本判決により二〇戸を超えることを理由に一律に給水契約を拒否することが是認されたということはできないことに注意を要する。水不足を理由とする給水拒否が許される限界については、今後も慎重な検討が必要となろう。

3.規制行政における契約~協定

+判例(H21.7.10)
理由
上告代理人三浦啓作ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は、旧福間町(以下「福間町」という。)の地位を合併により承継した上告人が、福間町の区域内にあった第1審判決別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」と総称する。)に産業廃棄物の最終処分場(以下「本件処分場」という。)を設置している被上告人に対し、福間町と被上告人との間の公害防止協定で定められた本件処分場の使用期限が経過したと主張し、同協定に基づく義務の履行として、本件土地を本件処分場として使用することの差止めを求める事案である。
被上告人は、〈1〉上記協定中の本件処分場の使用期限に関する定めは、被上告人の自由な意思に基づくものではなく、また、その事業活動等を著しく制限するものであって、公序良俗に反する、〈2〉上記の定めは、強行法規である廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下「廃棄物処理法」という。)に違反するなどと主張して、これを争っている。

2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1)ア 被上告人は、福岡県知事から廃棄物処理法に基づく産業廃棄物処分業の許可を受けている者である。
イ 福岡県内にあった福間町と旧津屋崎町は、平成17年1月24日に合併して上告人となり、上告人が福間町の地位を承継した。
(2) 被上告人は、平成元年1月ころ、廃棄物処理法(平成3年法律第95号による改正前のもの)15条1項に従い、同法にいう産業廃棄物処理施設(以下「処理施設」という。)である本件処分場を設置する旨を福岡県知事に届け出て、これを設置し、その使用を開始した。同項は、平成3年法律第95号により、処理施設の設置については知事の許可を要するものと改正され、被上告人は、平成3年法律第95号附則5条1項により、本件処分場の設置について福岡県知事の許可を受けたものとみなされた。
(3)ア 被上告人は、平成7年7月26日、福間町との間で、本件処分場についての公害防止協定(以下「旧協定」という。)を締結した。
旧協定は、前文において、処理施設の概要として、本件処分場の設置場所を本件土地と定め、施設の規模(面積、容量)等を定めるとともに、その使用期限を「平成15年12月31日まで。ただし、それ以前に…埋立て容量…に達した場合にはその期日までとする。」と定め、12条において、被上告人は上記期限を超えて産業廃棄物の処分を行ってはならない旨を定めていた(以下、上記前文中の本件処分場の使用期限を定める部分と12条の定めを併せて「旧期限条項」という。)。
イ 被上告人は、平成7年9月13日、福岡県知事に対し、本件処分場につき、施設の規模を従来よりも拡張する旨の処理施設の変更許可申請をし、同年10月13日付けでその許可を受けた。
(4)ア 被上告人は、平成10年1月9日、福岡県知事に対し、本件処分場につき、施設の規模を更に拡張する旨の処理施設の変更許可申請をし、同年3月9日付けでその許可を受けた。
イ 上記許可に係る施設の規模が、旧協定において定められていたそれを上回るものであったことから、被上告人は、平成10年9月22日、福間町との間で、本件処分場につき、改めて公害防止協定(以下「本件協定」という。)を締結した。本件協定は、前文中の施設の規模の定めを上記許可に沿うように改めたものであり、その内容は、付随的な事項に関する若干の条項が加えられた以外は、旧協定と異なるところはない(以下、本件協定中の旧期限条項と同内容の定めを「本件期限条項」という。)。
(5) 被上告人は、現在も、本件土地に設置した本件処分場を使用している。
(6) 旧協定が締結された当時の福岡県産業廃棄物処理施設の設置に係る紛争の予防及び調整に関する条例(平成2年福岡県条例第20号。平成7年福岡県条例第47号による改正前のもの。以下、この改正の前後を通じて「本件条例」という。)は、処理施設の設置に関する紛争の予防に係る手続等を定めるために制定されたものであり、その15条は、住民又は市町村の長が、処理施設の設置者との間において、生活環境の保全のために必要な事項を内容とする協定を締結しようとするときは、知事がその内容について必要な助言を行うものとする旨定めている。本件条例の上記のような趣旨、内容は、上記の平成7年の改正後においても変更されていない。

3 原審は、上記事実関係等の下において、次のとおり判断し、上告人の請求を棄却した。
(1) 廃棄物処理法は、産業廃棄物の処分業等の許可並びに処理施設の設置及び変更の許可の権限や、処理施設に対する監視権限等を知事にゆだねている。旧期限条項が法的拘束力を有するとすれば、本件処分場に係る福岡県知事の許可に期限を付するか、その取消しの時期を予定するに等しいこととなるが、そのような事柄は知事の専権というべきであり、旧期限条項は、同法の趣旨に沿わない。
(2) また、旧協定に旧期限条項のような知事の許可の本質的な部分にかかわる条項が盛り込まれ、それによって上記許可を変容させるというようなことは、本件条例15条が予定する協定の基本的な性格及び目的から逸脱するというべきである。したがって、旧期限条項は、同条が予定する協定の内容としてふさわしくない。
(3) 以上からすれば、旧期限条項及びこれと同旨の定めである本件期限条項に法的拘束力を認めることはできない。

4 しかしながら、原審の上記判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 旧協定が締結された当時の廃棄物処理法(平成9年法律第85号による改正前のもの。以下、単に「廃棄物処理法」というときは、同改正前のものをいう。)は、廃棄物の排出の抑制、適正な再生、処分等を行い、生活環境を清潔にすることによって、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とし(1条)、その目的を達成するために廃棄物の処理に関する規制等を定めるものである。そして、同法は、産業廃棄物の処分を業として行おうとする者は、当該業を行おうとする区域を管轄する都道府県知事の許可を受けなければならないと定めるとともに(14条4項)、知事は、所定の要件に適合していると認めるときでなければ同許可をしてはならず(14条6項)、また、同許可を受けた者(以下「処分業者」という。)が同法に違反する行為をしたときなどには、同許可を取り消し、又は期間を定めてその事業の全部若しくは一部の停止を命ずることができると定めている(14条の3において準用する7条の3)。さらに、同法は、処理施設を設置しようとする者は、当該施設を設置しようとする地を管轄する都道府県知事の許可を受けなければならないと定めるとともに(15条1項)、知事は、所定の要件に適合していると認めるときでなければ同許可をしてはならず(15条2項)、また、同許可に係る処理施設の構造又はその維持管理が同法の規定する技術上の基準に適合していないと認めるときは、同許可を取り消し、又はその設置者に対し、期限を定めて当該施設につき必要な改善を命じ、若しくは期間を定めて当該施設の使用の停止を命ずることができると定めている(15条の3)。
これらの規定は、知事が、処分業者としての適格性や処理施設の要件適合性を判断し、産業廃棄物の処分事業が廃棄物処理法の目的に沿うものとなるように適切に規制できるようにするために設けられたものであり、上記の知事の許可が、処分業者に対し、許可が効力を有する限り事業や処理施設の使用を継続すべき義務を課すものではないことは明らかである。そして、同法には、処分業者にそのような義務を課す条文は存せず、かえって、処分業者による事業の全部又は一部の廃止、処理施設の廃止については、知事に対する届出で足りる旨規定されているのであるから(14条の3において準用する7条の2第3項、15条の2第3項において準用する9条3項)、処分業者が、公害防止協定において、協定の相手方に対し、その事業や処理施設を将来廃止する旨を約束することは、処分業者自身の自由な判断で行えることであり、その結果、許可が効力を有する期間内に事業や処理施設が廃止されることがあったとしても、同法に何ら抵触するものではない。したがって、旧期限条項が同法の趣旨に反するということはできないし、同法の上記のような趣旨、内容は、その後の改正によっても、変更されていないので、本件期限条項が本件協定が締結された当時の廃棄物処理法の趣旨に反するということもできない
そして、旧期限条項及び本件期限条項が知事の許可の本質的な部分にかかわるものではないことは、以上の説示により明らかであるから、旧期限条項及び本件期限条項は、本件条例15条が予定する協定の基本的な性格及び目的から逸脱するものでもない。
(2) 以上によれば、福間町の地位を承継した上告人と被上告人との間において、原審の判示するような理由によって本件期限条項の法的拘束力を否定することはできないものというべきである。
5 上記と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は、破棄を免れない。そして、本件期限条項が公序良俗に違反するものであるか否か等につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫)

(1)公害防止協定の法的拘束力

(2)履行強制の方法
民事訴訟又は公法上の当事者訴訟

(3)法律上の争訟に当たるか

+判例(H14.7.9)宝塚市パチンコ店建築中止命令事件
理由
1 本件は、地方公共団体である上告人の長が、宝塚市パチンコ店等、ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例(昭和58年宝塚市条例第19号。以下「本件条例」という。)8条に基づき、宝塚市内においてパチンコ店を建築しようとする被上告人に対し、その建築工事の中止命令を発したが、被上告人がこれに従わないため、上告人が被上告人に対し同工事を続行してはならない旨の裁判を求めた事案である。第1審は、本件訴えを適法なものと扱い、本件請求は理由がないと判断して、これを棄却し、原審は、この第1審判決を維持して、上告人の控訴を棄却した。
2 そこで、職権により本件訴えの適否について検討する。
行政事件を含む民事事件において裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和51年(オ)第749号同56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁参照)。国又は地方公共団体が提起した訴訟であって、財産権の主体として自己の財産上の権利利益の保護救済を求めるような場合には、法律上の争訟に当たるというべきであるが、国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的とするものであって、自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできないから、法律上の争訟として当然に裁判所の審判の対象となるものではなく、法律に特別の規定がある場合に限り、提起することが許されるものと解される。そして、行政代執行法は、行政上の義務の履行確保に関しては、別に法律で定めるものを除いては、同法の定めるところによるものと規定して(1条)、同法が行政上の義務の履行に関する一般法であることを明らかにした上で、その具体的な方法としては、同法2条の規定による代執行のみを認めている。また、行政事件訴訟法その他の法律にも、一般に国又は地方公共団体が国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟を提起することを認める特別の規定は存在しない。したがって、【要旨1】国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらず、これを認める特別の規定もないから、不適法というべきである
【要旨2】本件訴えは、地方公共団体である上告人が本件条例8条に基づく行政上の義務の履行を求めて提起したものであり、原審が確定したところによると、当該義務が上告人の財産的権利に由来するものであるという事情も認められないから、法律上の争訟に当たらず、不適法というほかはない。そうすると、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上によれば、第1審判決を取り消して、本件訴えを却下すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道 裁判官 濱田邦夫 裁判官 上田豊三)

++解説
《解  説》
 一 本件は、宝塚市長が、宝塚市パチンコ店等、ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例(宝塚市昭和五八年条例第一九号。以下「本件条例」という。)八条に基づき、市内においてパチンコ店を建築しようとするYに対し、建築工事の中止命令を発したが、これに従わないため、X(宝塚市)がYに対し同工事を続行してはならない旨の裁判を求めた事案である。本件においては、一審以来、①行政主体が私人に対して行政上の義務の履行を求める訴訟を提起することが許されるか、②パチンコ店の建築を規制する本件条例は風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律及び建築基準法に違反しないか、③本件条例は職業の自由を保障する憲法二二条一項及び財産権を保障する憲法二九条二項に違反しないか、という点が争われていた。一審(判時一六一三号三六頁)及び二審(判時一六六八号三七頁)は、ともに、①の論点について判断しないまま、②の論点につき、本件条例は風営法及び建築基準法に違反するとの判断を示し、Xの請求を棄却すべきものとした。
 二 本判決は、職権をもって、「国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、裁判所法三条一項にいう法律上の争訟に当たらず、これを認める特別の規定もないから、不適法というべきである。」とした上、「本件訴えは、地方公共団体であるXが本件条例八条に基づく行政上の義務の履行を求めて提起したものであり、原審が確定したところによると、当該義務がXの財産的権利に由来するものであるという事情も認められないから、法律上の争訟に当たらず、不適法というほかない。」として、原判決を破棄し、一審判決を取り消して本件訴えを却下した。
 三 行政上の義務の履行を確保するための法制度には、行政の自力執行の方法による行政的執行制度と裁判所の介入による実現を図る司法的執行制度とがある。戦前の我が国では、国税徴収法と行政執行法を中心とする行政的執行制度が構築されていた。戦後、公法上の金銭債権に関しては、強制徴収による行政的執行の仕組みに変更はなかったが、それ以外の行政上の義務に関しては、昭和二三年に行政執行法が廃止され、これに代わる行政上の義務の履行確保に関する一般法として制定された行政代執行法は、行政代執行のみを認め、直接強制及び執行罰については個別立法の規定に委ねることにした。ところが、実際には、個別立法において直接強制や執行罰の規定が置かれることはほとんどなかったこともあって、国又は地方公共団体が行政上の義務の履行を求める仮処分等を提起する例が現われるようになり、その許否が論じられるようになった。
 四 この点について、学説や下級審裁判例の中には、行政主体と私人の間には行政上の義務の履行を求める債権債務関係がある、あるいは、行政主体は行政上の権限に由来する履行請求権を有するなどとして、これに基づく履行請求訴訟を提起することができるとして、これを肯定する見解がある一方(細川俊彦「公法上の義務履行と強制執行」民商八二巻五号六四一頁、磯野弥生「行政上の義務履行確保」現代行政法大系(2)二五二頁、阿部泰隆「行政上の義務の民事執行」行政法の解釈三二二頁、村上順・判評三三二号一二頁、岐阜地決昭43・2・14訟月一四巻四号三八四頁、岐阜地判昭44・11・27判時六〇〇号一〇〇頁、大阪高決昭60・11・25判時一一八九号三九頁、横浜地決平1・12・8本誌七一七号二二〇頁、富山地決平2・6・5訟月三七巻一号一頁、神戸地伊丹支決平6・6・9判自一二八号六八頁等)、①戦後の法改正の趣旨は、戦前における行政機関による強制が過剰であったという反省から、これを大幅に縮減するという点にあったのであり、その際、行政的執行に代わるものとして司法的執行を認めるという選択が立法者によって行われたわけではないこと、②裁判所の権限の原則的範囲を定める憲法七六条一項及び裁判所法三条一項の規定も、司法的執行を包含するまでに裁判所の権限を拡大する趣旨であったとはいえないこと、③法令又は行政処分によって国民に何らかの行政上の義務が課されたからといって、直ちに行政主体が当該義務の履行を求める実体法上の請求権を有するとはいい難いこと等の問題点を指摘するものもあり(小早川光郎「行政による裁判の作用」法教一五一号一〇六頁、芝池義一・行政法総論講義〔第3版〕二〇二頁、ジュリ増刊行政強制一八頁、最高裁判所事務総局編・行政資料第六二号二二〇頁、宇賀克也・高田裕成「行政上の義務履行確保」法教二五三号一一頁等)、消極説に立つ下級審裁判例もみられた(神戸地伊丹支決昭60・10・18判時一一八九号四二頁、神戸地伊丹支決平9・9・9本誌九六二号一三三頁等)。
 五 行政代執行法の規定や制定経緯等に照らすと、同法は、行政上の義務の履行確保の一般的手段としては行政代執行に限って認める趣旨で制定された法律であることは明らかであるから、行政上の義務の履行確保の手段が不十分なのは不都合であるという制度の必要性のみから、行政上の義務の履行請求訴訟を認めようとする積極説の立場は、法解釈論としては問題がある。また、行政上の義務には、法令により直接命じられるものと、行政庁が法令に基づいて発した行政処分によって命じられるものとがあるが、いずれの場合であっても、その根拠となる行政上の権限は、通常、公益確保のために認められているにすぎないのであって、行政主体がその実現について主観的な権利を有するとは解し難い。
 ところで、通説・判例によると、①憲法七六条一項にいう「司法権」とは、具体的な争訟事件について法を適用し宣言することによってこれを解決する国家作用である、②裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」の概念は、このような司法権の本質的な要素である具体的事件・争訟性の要件を表現したものである、③行政訴訟のうち、個人的な権利利益の保護救済を目的とする主観訴訟は、「法律上の争訟」として裁判所の本来的な裁判権の範囲に属するが、個人の権利利益の侵害を前提としない客観訴訟は、司法権の当然の内容を成すものではなく、裁判所法三条一項後段にいう「その他法律において特に定める権限」として立法政策的に裁判所の裁判権の範囲に属せられたものである、と解されている(佐藤幸治〔第3版〕二九八頁、注釈日本国憲法(下)一一二七頁、最高裁判所事務総局編・裁判所法逐条解説(上)二四頁、兼子一165C竹下守夫・裁判法〔第4版〕六五頁、杉本良吉・行政事件訴訟法の解説二五頁、一三三頁、南博方編・条解行政事件訴訟法一八八頁、二二一頁、八五九頁、塩野宏・行政法Ⅱ〔第2版〕二一四頁、芦部信喜・憲法〔新版〕三〇二頁、最一小判昭28・5・28民集七巻五号六〇一頁、最二小判昭28・6・12民集七巻六号六六三頁、最三小判昭41・2・8民集二〇巻二号一九六頁、本誌一九〇号一二六頁、最三小判昭56・4・7民集三五巻三号四四三頁等)。そこで、このような見地から行政上の義務の履行請求訴訟について検討すると、国や地方公共団体が財産権の主体として自己の財産上の権利利益の保護救済を求めるような場合は別として、国や地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は、法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的とするものであって、自己の主観的な権利利益の保護救済を目的とするものということはできないから、法律上の争訟として当然に裁判所の審判の対象となるものではないと考えられる。本判決は、このような観点から、国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として私人に対して行政上の義務の履行を求める訴訟の適法性を否定したものであり、実務上、重要な意義を有するものと思われる。
・まあ、行政契約の履行を求める場合には射程は及ばないだろう。
(4)本問へのあてはめ


民法 基本事例で考える民法演習 不動産物権変動と賃貸人の地位の移転~契約の解除と第三者


1.小問1について(基礎編)

+(解除の効果)
第五百四十五条  当事者の一方がその解除権を行使したときは、各当事者は、その相手方を原状に復させる義務を負う。ただし、第三者の権利を害することはできない。
2  前項本文の場合において、金銭を返還するときは、その受領の時から利息を付さなければならない。
3  解除権の行使は、損害賠償の請求を妨げない。

・「第三者」=当事者間に契約があることを前提として、解除前に法律関係に入った者

+判例(S33.6.14)
理由
上告代理人弁護士森良作、同石川泰三、同飯沢進、同山田尚の上告理由第一点及び第三点について。
原判決はその挙示の証拠によつて、昭和二〇年一〇月九日上告人Aは自己の所有に属し且つ自己名義に所有権取得登記の経由されてある本件土地を上告人Bに売り渡し、上告人Bは同二一年四月一〇日被上告人にこれを転売し、それぞれ所有権を移転したが、上告人両名間の右売買契約は昭和二二年一二月二〇日両者の合意を以て解除されたものと認定し、次いで、右契約解除は合意に基くものであつても民法五四五条一項但書の法意によつて第三者の権利を害することを得ないから、既に取得している被上告人の所有権はこれを害するを得ないとの趣意の下に、被上告人が上告人Bに代位して上告人Aに対し上告人B名義に本件土地の前示売買に因る所有権移転登記手続を求める請求及び右請求が是認されることを前提とした被上告人の上告人Bに対する前示売買に基く所有権移転登記手続請求をそれぞれ容認したものであることは、判文上明らかである。
思うにいわゆる遡及効を有する契約の解除が第三者の権利を害することを得ないものであることは民法五四五条一項但書の明定するところである。合意解約は右にいう契約の解除ではないが、それが契約の時に遡つて効力を有する趣旨であるときは右契約解除の場合と別異に考うべき何らの理由もないから、右合意解約についても第三者の権利を害することを得ないものと解するを相当とする。しかしながら、右いずれの場合においてもその第三者が本件のように不動産の所有権を取得した場合はその所有権について不動産登記の経由されていることを必要とするものであつて、もし右登記を経由していないときは第三者として保護するを得ないものと解すべきであるけだし右第三者を民法一七七条にいわゆる第三者の範囲から除外しこれを特に別異に遇すべき何らの理由もないからである。してみれば、被上告人の主張自体本件不動産の所有権の取得について登記を経ていない被上告人は原判示の合意解約について右にいわゆる権利を害されない第三者として待遇するを得ないものといわざるを得ない右合意解約の結果上告人Bは本件物件の所有権を被上告人に移転しながら、他方上告人Aにこれを二重に譲渡しその登記を経由したると同様の関係を生ずべきが故に、上告人Aは被上告人に対し右所有権を被上告人に対抗し得へきは当然であり、従つて原判示の如く被上告人は上告人Aに対し自己の登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有しないものとは論ずるを得ないものである)。のみならず、原判決は上告人Bが上告人Aに対して有する前示両者間の売買契約に基く所有権移転登記請求権を被上告人において代位行使する請求を是認しているのであるから、上告人Aが被上告人に対し右売買契約は上告人Bとの間の合意解約によつてすでに消滅していることを主張し得べきは当然の筋合であると云わなければならない。けだし上告人Aとしては上告人Bから前示移転登記手続方を直接に請求された場合当然に主張し得べき前示合意解約の抗弁を被上告人が上告人Bに代位して移転登記手続を請求してきた場合これを奪わるべき理由がないからである。但し、右合意解約が当事者間の通謀による虚偽の意思表示であるとか、或は被上告人が原審以来主張している事情の立証されたときは格別である。
以上のとおりであるから、本上告論旨は結局理由あるに帰し、従つて本件上告はその理由あり、原判決は到底破棄を免れないものと認める。
よつて、爾余の論点に対する判断を省略し民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

2.小問1について(応用編)
+(他人の権利の売買における売主の義務)
第五百六十条  他人の権利を売買の目的としたときは、売主は、その権利を取得して買主に移転する義務を負う。
+(有償契約への準用)
第五百五十九条  この節の規定は、売買以外の有償契約について準用する。ただし、その有償契約の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
・履行不能になる
+判例(S42.6.22)
理由 
 上告代理人身深正男の上告理由について。 
 賃貸借の目的物たる家屋が滅失した場合には、賃貸借の趣旨は達成されなくなるから、これによつて賃貸借契約は当然に終了すると解すべきであるが、家屋が火災によつて滅失したか否かは、賃貸借の目的となつている主要な部分が消失して賃貸借の趣旨が達成されない程度に達したか否かによつてきめるべきであり、それには消失した部分の修復が通常の費用では不可能と認められるかどうかをも斟酌すべきである。ところで、本件建物は、大正末期頃建築された建物を昭和二六年六月頃戦災復興区画整理のため現在地に移築されたものであつて、後記類焼を受けた昭和三八年一一月二六日当時すでに相当古い建物であり、上告人壽雄は被上告人からこれを昭和二七年一一月一七日賃借し、その二階部分を写真の写場、応接室とし、階下部分を住居として使用し、写真館を経営していたところ、昭和三八年一一月二六日本件建物の隣家からの出火により、本件建物は類焼をうけ、そのため、スレート葺二階屋根と火元隣家に接する北側二階土壁は殆んど全部が焼け落ち、二階の屋根に接する軒下の板壁はところどころ燻焼し、二階内側は写場、応接室ともに天井の梁、軒桁、柱、押入等は半焼ないし燻焼し、床板はその一部が燻焼し、二階部分の火災前の建築材は殆んど使用にたえない状態に焼損し、階下は、火元の隣家に接する北側土壁はその大半が破傷し、火災の直接被害をうけなかつたのは、火元の隣家に接する北側の階上階下の土壁を除いた三方の外板壁と階下の居住部分だけであり、本件建物は罹災のままの状態では風雨を凌ぐべくもない状況で、倒壊の危険さえも考えられるにたち至り、そのため火災保険会社は約九割の被害と認めて保険金三〇万円のうち金二七万円を支払つたこと、また本件建物を完全に修復するには多額の費用を要し、その将来の耐用年数を考慮すると、右破損部分を修復するよりも、却つてその階上階下の全部を新築する方がより経済的であること、もつとも、右のとおり、本件建物の階下居住部分は概ね火災を免れていて、全焼とみられる二階部分をとりこわし、屋根をつけるなどの修繕をして本件の建物を一階建に改造することは物理的に不可能ではないが、一階建に改造したのでは、階下部分の構造や広さに鑑み、写真館として使用することが困難であることは、原判決が、適法に認定判断したところである。 
 この認定事実を前記説示に照らして考えれば、本件建物は類焼により全体としてその効用を失ない滅失に帰したと解するのが相当である。してみれば、本件建物が滅失したことにより被上告人と上告人壽雄との間の賃貸借契約は終了したとして被上告人の上告人らに対する本訴請求を認容した原判決は正当であつて、何ら所論の違法はない。論旨は理由がない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 大隅健一郎) 
+判例(H14.3.28)
理由 
 上告代理人桑島英美、同川瀬庸爾の上告受理申立て理由について 
 1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。 
 (1) 被上告人は、昭和50年初めころ、ビルの賃貸、管理を業とする日本ビルプロヂェクト株式会社(以下「訴外会社」という。)の勧めにより、当時の被上告人代表者が所有していた土地の上にビルを建築して訴外会社に一括して賃貸し、訴外会社から第三者に対し店舗又は事務所として転貸させ、これにより安定的に収入を得ることを計画し、昭和51年11月30日までに原判決別紙物件目録記載の1棟のビル(以下「本件ビル」という。)を建築した。本件ビルの建築に当たっては、訴外会社が被上告人に預託した建設協力金を建築資金等に充当し、その設計には訴外会社の要望を最大限に採り入れ、訴外会社又はその指定した者が設計、監理、施工を行うこととされた。 
 (2) 本件ビルの敷地のうち、小田急線下北沢駅に面する角地に相当する部分51.20㎡は、もとAの所有地であったが、被上告人代表者は、これを本件ビル敷地に取り込むため、訴外会社を通じて買収交渉を行い、訴外会社がAに対し、ビル建築後1階のA所有地にほぼ該当する部分を転貸することを約束したので、Aは、その旨の念書を取得して、上記土地を被上告人に売却した。 
 (3) 被上告人は、昭和51年11月30日、訴外会社との間で、本件ビルにつき、期間を同年12月1日から平成8年11月30日まで(ただし、被上告人又は訴外会社が期間満了の6箇月前までに更新をしない旨の通知又は条件を変更しなければ更新をしない旨の通知をしなかったときは、更新される。)とする賃貸借契約(以下「本件賃貸借」という。)を締結した。被上告人は、本件賃貸借において、訴外会社が本件ビルを一括又は分割して店舗又は事務所として第三者に転貸することをあらかじめ承諾した。 
 (4) 訴外会社は、昭和51年11月30日、Aとの間で、本件ビルのうちAの従前の所有地にほぼ照合する原判決別紙物件目録記載一及び二の部分(以下「本件転貸部分」という。)につき、期間を同日から平成8年11月30日まで、使用目的を店舗とする転貸借契約(以下「本件転貸借」という。)を締結した。 
 (5) Aは、昭和51年11月30日に被上告人及び訴外会社の承諾を得て、株式会社京樽(以下「京樽」という。)との間で、本件転貸部分のうち原判決別紙物件目録記載二の部分(以下「本件転貸部分二」という。)につき、期間を同年12月1日から5年間とする再転貸借契約(以下「本件再転貸借」という。)を締結し、京樽はこれに基づき本件転貸部分二を占有している。京樽については平成9年3月31日に会社更生手続開始の決定がされ、上告人らが管財人に選任された。 
 (6) 訴外会社は、転貸方式による本件ビルの経営が採算に合わないとして経営から撤退することとし、平成6年2月21日、被上告人に対して、本件賃貸借を更新しない旨の通知をした。 
 (7) 被上告人は、平成7年12月ころ、A及び京樽に対し、本件賃貸借が平成8年11月30日に期間の満了によって終了する旨の通知をした。 
 (8) 被上告人は、本件賃貸借終了後も、自ら本件ビルを使用する予定はなく、A以外の相当数の転借人との間では直接賃貸借契約を締結したが、Aとの間では、被上告人がAに対し京樽との間の再転貸借を解消することを求めたため、協議が調わず賃貸借契約の締結に至らなかった。 
 (9) 京樽は昭和51年12月から本件転貸部分二において寿司の販売店を経営しており、本件ビルが小田急線下北沢駅前という立地条件の良い場所にあるため、同店はその経営上重要な位置を占めている。 
 2 被上告人の本件請求は、上告人らに対し所有権に基づいて本件転貸部分二の明渡しと賃料相当損害金の支払を求めるものであるところ、上告人らは、信義則上、本件賃貸借の終了をもって承諾を得た再転借人である京樽に対抗することができないと主張している。 
 原審は、上記事実関係の下で、被上告人のした転貸及び再転貸の承諾は、A及び京樽に対して訴外会社の有する賃借権の範囲内で本件転貸部分二を使用収益する権限を付与したものにすぎないから、転貸及び再転貸がされた故をもって本件賃貸借を解除することができないという意義を有するにとどまり、それを超えて本件賃貸借が終了した後も本件転貸借及び本件再転貸借を存続させるという意義を有しないこと、本件賃貸借の存続期間は、民法の認める最長の20年とされ、かつ、本件転貸借の期間は、その範囲内でこれと同一の期間と定められているから、A及び京樽は使用収益をするに足りる十分な期間を有していたこと、訴外会社は、その採算が悪化したために、上記期間が満了する際に、本件賃貸借の更新をしない旨の通知をしたものであって、そこに被上告人の意思が介入する余地はないことなどを理由として、被上告人が信義則上本件賃貸借の終了をA及び京樽に対抗し得ないということはできないと判断した。 
 3 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 前記事実関係によれば、被上告人は、建物の建築、賃貸、管理に必要な知識、経験、資力を有する訴外会社と共同して事業用ビルの賃貸による収益を得る目的の下に、訴外会社から建設協力金の拠出を得て本件ビルを建築し、その全体を一括して訴外会社に貸し渡したものであって、本件賃貸借は、訴外会社が被上告人の承諾を得て本件ビルの各室を第三者に店舗又は事務所として転貸することを当初から予定して締結されたものであり、被上告人による転貸の承諾は、賃借人においてすることを予定された賃貸物件の使用を転借人が賃借人に代わってすることを容認するというものではなく、自らは使用することを予定していない訴外会社にその知識、経験等を活用して本件ビルを第三者に転貸し収益を上げさせるとともに、被上告人も、各室を個別に賃貸することに伴う煩わしさを免れ、かつ、訴外会社から安定的に賃料収入を得るためにされたものというべきである。他方、京樽も、訴外会社の業種、本件ビルの種類や構造などから、上記のような趣旨、目的の下に本件賃貸借が締結され、被上告人による転貸の承諾並びに被上告人及び訴外会社による再転貸の承諾がされることを前提として本件再転貸借を締結したものと解される。そして、京樽は現に本件転貸部分二を占有している。 
 【要旨】このような事実関係の下においては、本件再転貸借は、本件賃貸借の存在を前提とするものであるが、本件賃貸借に際し予定され、前記のような趣旨、目的を達成するために行われたものであって、被上告人は、本件再転貸借を承諾したにとどまらず、本件再転貸借の締結に加功し、京樽による本件転貸部分二の占有の原因を作出したものというべきであるから、訴外会社が更新拒絶の通知をして本件賃貸借が期間満了により終了しても、被上告人は、信義則上、本件賃貸借の終了をもって京樽に対抗することはできず、京樽は、本件再転貸借に基づく本件転貸部分二の使用収益を継続することができると解すべきである。このことは、本件賃貸借及び本件転貸借の期間が前記のとおりであることや訴外会社の更新拒絶の通知に被上告人の意思が介入する余地がないことによって直ちに左右されるものではない。 
 これと異なり、被上告人が本件賃貸借の終了をもって京樽に対抗し得るとした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、この趣旨をいうものとして理由があり、原判決中、上告人らに関する部分は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、被上告人の請求を棄却した第1審判決の結論は正当であるから、上記部分についての被上告人の控訴を棄却すべきである。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 町田顯 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 深澤武久 裁判官 横尾和子) 
++解説
《解  説》
 本件は、一棟のビルを所有し賃貸していた会社が、賃借人からの更新拒絶によって賃貸借が終了したとして、ビルの一室の再転借人に対し、貸室の明渡しと賃料相当損害金の支払を求めた事案である。
 原告は、昭和五〇年初めころ、ビルの賃貸、管理を業とする訴外甲株式会社の勧めにより、原告代表者所有の土地上にビルを建築して甲に一括して賃貸し、甲から第三者に店舗又は事務所として転貸させ、賃料の支払を受けるということを計画し、本件ビルを建築した。このような経緯から、本件ビルの建築に当たっては、甲の拠出した建設協力金が建築資金に充てられ、設計、施工は甲の要望を採り入れて行われた。原告は、昭和五一年に期間二〇年の約定で本件ビル全体を甲に賃貸し、それと同時に、甲は、原告承諾の下に、その一室である本件店舗部分を期間二〇年間の約定で訴外乙に転貸し、さらに乙は、原告と甲の承諾の下に、同部分を期間五年の約定で丙に再転貸した。その後、この再転貸借は更新され、現在も丙が同部分を店舗として使用している。
 甲は、平成八年に原告との賃貸借の期間が満了するに際し、転貸方式による本件ビルの経営が採算に合わないとして、更新拒絶をした。原告は、賃貸借が終了した以上、再転借人である丙は本件店舗部分の占有権原を原告に対抗できないと主張して、丙の更生管財人である被告らに対して同部分の明渡しを求めた。これに対し、被告らは、原告は信義則上賃貸借の終了を丙に対抗できないと反論した。
 第一審は、賃貸借の期間満了による終了により、特段の事情がない限り、転貸借は終了するが、賃借人が賃貸借を当然更新できるのにあえて更新を拒絶することは、賃借権の放棄と解する余地もあり、抵当権の目的である地上権の放棄をもって当該抵当権者に対抗することができない旨を定めた民法三九八条の趣旨や、原告が本件店舗部分の明渡しを求める必要に比べて丙の営業継続の必要が大であることを考慮すると、上記特段の事情があるというべきであるから、原告は本件賃貸借の終了をもって丙に対抗できないとして、請求を棄却した。
 これに対して、原審は、旧借家法四条の文理からは、期間の満了による賃貸借の終了は、それが賃借人からの更新拒絶によるものであるとしても、特段の事情がない限り、転借人に対抗することができるものというべきであり、このことは、本件がいわゆるサブリースの事案であることによっても異なるものではなく、原告による転貸及び再転貸の承諾は、丙に対して甲の有する賃借権の範囲内で貸室を使用収益する権限を付与したものにすぎず、賃貸借の終了後も転貸借や再転貸借を存続させるという意義を有するものではないから、特段の事情があるとはいえないなどとして、原告は、賃貸借の終了を丙に対抗し得ると判断し、請求を認容した。
 これに対して、被告らが上告受理申立てをしたのが本件であり、本判決は、本件事実関係の下においては、原告は、賃貸借の終了を信義則上丙に対抗することができないとして、原判決を破棄し、請求を棄却した第一審判決に対する原告の控訴を棄却する旨の自判をした。
 一般に、転借権は、賃借権の上に成立しているものであり、賃借権が消滅すれば、転借権はその存在の基礎を失うとされている(我妻榮・債権各論(中)Ⅰ四六三頁、金山正信・契約法大系(7)一頁等)。
 もっとも、賃貸借と転貸借は別個の契約であり、賃貸借が消滅すれば転貸借も当然に消滅するというわけではなく、賃貸人の承諾を得て適法な転貸借が成立した以上は、転借人の利益も一定の保護に値する。そこで、判例は、賃貸借の合意解除の場合は信義則上原則として転借人に対抗できないとしている(最一小判昭37・2・1裁判集民五八号四四一頁、最三小判昭62・3・24裁判集民一五〇号五〇九頁、本誌六五三号八五頁)。また、抵当権の目的である地上権を放棄しても抵当権者に対抗することができないところ(民法三九八条)、判例は、同条の趣旨の類推や信義則を根拠として、地上権の放棄や借地契約の合意解除をもって地上建物の抵当権者や賃借人に対抗することができないとしている(大判大11・11・24民集一巻七三八号、大判大14・7・18新聞二四六三号一四頁、最一小判昭38・2・21民集一七巻一号二一九頁、本誌一四四号四二頁)。
 しかし、まず、賃貸人は賃借人との人的信頼関係を基礎とする賃貸借が存続する範囲で転貸を承諾するというのがその通常の意思であり、転借人は転貸であることを承知の上で借り受けたのであるから、転貸の承諾があったことから一般的に、賃貸人は信義則上賃貸借の終了後も転借人による使用収益を甘受すべきであるということにはならないであろう。また、賃借人からの更新拒絶は、賃貸人にとって防ぎようのない事態であることからすると、それによる賃貸借の終了を賃貸人が転借人に対して主張することが転貸の承諾と矛盾した態度であるとはいい難く、これを合意解除と同視することもできないと思われる。さらに、民法三九八条は、自己の権利(地上権)を他人の権利(抵当権)の目的に供した者は、自己の権利の放棄をもって当該他人に対抗できないというにとどまり、放棄がなかった場合以上に当該権利の相手方(所有者)の権利を制限するものではないから、例えば、当該地上権が地代の支払を伴う場合に、放棄後の地代の不払いを理由とする所有者からの消滅請求が妨げられるものではないと解されるところ、賃借人による賃貸借契約の更新拒絶は、賃借人の権利だけでなく賃料支払等の義務も消滅させるものである点において、単なる賃借人による権利(=使用収益権)の放棄と同視することはできず、これについて直ちに民法三九八条の趣旨を類推し転借人を保護すべきであるということはできないであろう。しかも、旧借家法四条が賃貸人と賃借人のいずれが更新拒絶をしたかを区別せずに、賃貸借が期間満了により終了したときは、その旨を賃貸人が転借人に通知してから六箇月が経過することによって転貸借が終了するとしていることからすると、同条は、期間満了によって賃貸借が終了したときは、それが賃貸人、賃借人いずれの側からの更新拒絶によるかを問わず、転借人にこれを主張できることを前提にした上で、転借権は上記の限度でしか保護されないことを明らかにしたものと解釈するのが素直であると思われる。原判決は、本件の賃貸借を通常の賃貸借と同視した上、以上のような点から、原告は本件賃貸借の終了を丙に対抗し得ると判断したものと解される。
 しかし、本件賃貸借は、いわゆるサブリースと呼ばれるものの一つである。サブリースについては、学説・裁判例の上で一義的な定義があるわけではないが、賃借人自身による使用収益を目的とする通常の賃貸借とは異なり、いわゆるデベロッパーなどの事業者が、第三者に転貸して収益を上げる目的の下に、不動産の所有者からその全部又は一部を一括して借り上げ、所有者に対して収益の中から一定の賃料を支払うことを保証することをおおむね共通の内容としていると考えられる。学説においては、サブリースの場合に借地借家法による保護の要請が働くのは、賃借人ではなく、むしろ転借人についてであるとして、例えば、この場合における転貸借を賃貸人と賃借人から成る共同事業体との間の賃貸借と見たり、あるいは賃貸人から賃貸権限を委譲された賃借人との間の賃貸借と見るなどの法律構成によって、基礎となる賃貸借が期間満了や債務不履行解除によって終了しても、転借人の使用収益権を保護すべきであるとする見解(下森定・金法一五六四号四九頁、亀井洋一・銀法五七九号八二頁)が唱えられている。
 本判決は、このような学説の法律構成を採ったものではないが、本件のような賃貸借では、転借人による使用収益が本来的に予定されていること、賃貸人も転貸によって不動産の有効活用を図り、賃料収入を得る目的で賃貸借を締結し、転貸を承諾していること、他方、転借人及び再転借人はそのような目的で賃貸借が締結され、転貸及び再転貸の承諾がされることを前提に転貸借ないし再転貸借を締結し、再転借人がこれを占有していることなどの事実関係があり、このような事実関係の下では、賃借人の更新拒絶による賃貸借の終了を理由に再転借人の使用収益権を奪うことは信義則に反し、賃貸借の終了を再転借人に対抗できないとして、再転借人を保護すべきものとしたものである。
 賃貸借の合意解除をもって転借人に対抗できない場合の法律関係については、学説は分かれており、①賃貸借の合意解除が効力を生じないとする見解(金山正信・契約法大系(7)一一頁)、②転借人との関係では転借権を存立せしめるのに必要な範囲で賃貸借も存続するとする見解(我妻榮・債権各論(中)Ⅰ四六四頁)、③賃貸人が賃借人の地位を引き継ぐとする見解(星野英一・借地借家法三七七頁、鈴木禄彌・借地法(上)〔改訂版〕一一九九頁、原田純孝・新版注釈民法(15)別冊注釈借地借家法九五九頁)、④転借人が賃借人の地位を引き継ぐとする見解(石田喜久夫・判評二九五号一六四頁)などがあり、下級審の裁判例には、③の見解を採るものが多い(東京高判昭38・4・19下民集一四巻四号七五五頁、東京高判昭58・1・31判時一〇七一号六五頁等)。本件において、信義則適用の根拠をサブリースが賃貸人と賃借人との間の共同事業契約ないし賃貸権限の委譲という実質を有する点に求めるとすれば、より一層③の見解が妥当するということができよう。
 本件は、いわゆるサブリースの事案について、賃貸人が賃貸借の終了をもって信義則上転借人に対抗できない場合のあることを判示した初めての最高裁判例であり、その基本的な考え方は、他の同種事案にも当てはまると考えられ、実務上重要な意義を有すると思われる。
+(抵当権の目的である地上権等の放棄)
第三百九十八条  地上権又は永小作権を抵当権の目的とした地上権者又は永小作人は、その権利を放棄しても、これをもって抵当権者に対抗することができない。
・94条2項の「第三者」
=転得者も第三者に当たる。
+判例(S45.7.24)
理由 
 上告代理人皆川泉の上告理由第一点について。 
 被上告人が原審において、原判決事実摘示記載のような主張をしていることは、記録に徴し明らかである。所論の訴外Dの善意に関する主張は、同人が上告人Bとの間の売買を民法五六二条によつて解除した旨の再抗弁の前提として、予備的に主張されたものにほかならず、右主張事実と観念上相容れないからといつて、他の主張がなされなかつたことになるものといわなければならないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、被上告人の主張およびこれを摘示した原判決の趣旨を正解しないものであつて、採用することができない。 
 同第二点ないし第四点について。 
 原審の認定によれば、「本件不動産中二一筆については、訴外EからDに対し、昭和二五年五月五日付の売買を原因とする所有権移転登記がなされているが、右不動産はもともと被上告人の所有に属し、登記簿上の所有名義のみを一時前記Eに移していたもので、被上告人がEからその所有名義の回復を受けるにあたり、自己の二男Dの名義を使用して前記移転登記を経由したものであり、また、その余の二筆については、訴外Fから右Dに対し、同年六月一二日の売買を原因とする所有権移転登記がなされているが、右不動産は、被上告人がFから買い受けて所有権を取得したものでありながら、同じくDの名義を使用して右移転登記を経由したものであつて、いずれについても、被上告人からDに所有権をただちに移転する合意はなく、同人は登記簿上の仮装の所有名義人とされたにすぎないものであるところ、昭和三二年一〇月一二日に至り、右Dは、本件各不動産を目的として、上告人Bの代理人たる訴外Gとの間で売買契約を締結して、同上告人に対する所有権移転登記を経由し、現に同上告人が自己の所有不動産であると主張しているけれども、右買受当時、同上告人の代理人たる前記Gは、本件各不動産がDの所有に属しないことを知つていた、というのであつて、原審の右認定は、挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。 
 ところで不動産の所有者が、他人にその所有権を帰せしめる意思がないのに、その承諾を得て、自己の意思に基づき、当該不動産につき右他人の所有名義の登記を経由したときは、所有者は、民法九四条二項の類推適用により、登記名義人に右不動産の所有権が移転していないことをもつて、善意の第三者に対抗することができないと解すべきことは、当裁判所の屡次の判例によつて判示されて来たところである(昭和二六年(オ)第一〇七号同二九年八月二〇日第二小法廷判決、民集八巻八号一五○五頁、昭和三四年(オ)第七二六号同三七年九月一四日第二小法廷判決、民集一六巻九号一九三五頁、昭和三八年(オ)第一五七号同四一年三月一八日第二小法廷判決、民集二〇巻三号四五一頁参照)が、右登記について登記名義人の承諾のない場合においても、不実の登記の存在が真実の所有者の意思に基づくものである以上、右九四条二項の法意に照らし、同条項を類推適用すべきものと解するのが相当である。けだし、登記名義人の承諾の有無により、真実の所有者の意思に基づいて表示された所有権帰属の外形に信頼した第三者の保護の程度に差等を設けるべき理由はないからである。 
 したがつて、前記のような事実関係を前提として、本件不動産の所有権の帰属は、上告人BがDとの間の売買契約締結当時、右不動産がDの所有に属しないことを知つていたか否かにかかるとした上で、同上告人の代理人として右契約の締結にあたつたGが悪意であつたと認められるため、同上告人をもつて善意の第三者ということはできないとして、右不動産が自己の所有に属するとする被上告人の主張を是認した限度においては、原審の判断の過程およびその結論は、正当ということができる。 
 本件不動産がDの所有名義に登記されたのちにそのことが被上告人からDに通知された事実を認定してこれに対する法律的評価を示した原審の判断の違法をいい、また、右登記の経由に同人が全く介入していないから通謀虚偽表示として把握されるべき表示行為が実在しないとして、原判決に擬律錯誤、理由不備等の違法があるとする各論旨は、叙上の見地からは、いずれも、原審の結論の当否に影響のない議論というべきであり、まして、前記のように上告人Bが悪意であつたとする原審の認定判断を前提とすれば、右論旨が原判決を違法とすべき理由として採用しうるかぎりでないことは明らかである。もつとも、論旨には、第三者の善意・悪意にかかわらず、不実の登記を存置せしめた被上告人の所有権の主張は許されるべきでないとする趣旨に解される部分もあるが、到底左袒しえない独自の見解というほかはない。また、論旨は、悪意の対象たる事実が明確でないともいうが、ここにいう悪意が、原審の正当に判示しているとおり、本件不動産が登記名義人たるDの所有に属しないことを知つていたことを意味することは明らかであつて、右論旨も採用することができない。 
 同第五点について。 
 本件不動産中、第一審判決添付第一物件目録記載の一一筆は上告人Aに、また第二物件目録記載の一二筆は上告人Cに、それぞれ上告人Bから売り渡されたとして各所有権移転登記が経由されたが、被上告人が上告人Aおよび同Cを債務者として、各譲受不動産につき、それが被上告人の所有に属することを主張して、その処分および地上立木の伐採搬出等を禁止する仮処分の執行をした後において、右各売買契約の合意解除を理由に所有権移転登記が抹消されたことは、原審において当事者間に争いのなかつたところであり、売買契約により一たん本件不動産の所有権を取得したとする上告人Aおよび同Cにおいても、現に本件不動産上に自己の権利が存することを主張するものではなく、右契約が合意解除されたことを自認し、右不動産は上告人Bの所有に属するものとして、被上告人の所有権を争つているものにほかならない。 
 してみれば、上告人Aおよび同Cは、原審口頭弁論終結時における法律関係として本件不動産所有権の帰属を確定するについては、上告人Bから独立した固有の利害関係を有しないものというべきであるから、原審が、右所有権を主張する被上告人の本訴請求を認容すべきものとするにあたつて、同上告人の悪意を認定するにとどまり、上告人Aおよび同Cの善意・悪意について判示しなかつたからといつて、右本訴請求に関するかぎり、両上告人に対する関係においても、原判決に所論の理由不備、擬律錯誤等の違法はなく、論旨は採用することができない。 
 しかし、本件において、上告人Aは被上告人に対し、上告人Bと上告人Aとの間の売買契約の解除前に被上告人のした前記仮処分の執行が、同上告人の取得した所有権を侵害する不法行為を構成するとして、それによつて被つた損害の賠償を求める反訴請求をしているので、この請求の当否の前提として、右仮処分が同上告人に対する不法行為を構成するか否かを決するためには、右仮処分執行時を基準として、被上告人が同上告人に対し自己の所有権を主張しうる関係にあつたか杏かが判断されるければならない。 
 ところで民法九四条二項にいう第三者とは、虚偽の意思表示の当事者またはその一般承継人以外の者であつて、その表示の目的につき法律上利害関係を有するに至つた者をいい(最高裁昭和四一年(オ)第一二三一号・第一二三二号同四二年六月二九日第一小法廷判決、裁判集民事八七号一三九七頁参照)、虚偽表示の相手方との間で右表示の目的につき直接取引関係に立つた者のみならず、その者からの転得者もまた右条項にいう第三者にあたるものと解するのが相当である。そして、同条項を類推適用する場合においても、これと解釈を異にすべき理由はなく、これを本件についていえば、上告人Aは、その主張するとおり上告人Bとの間で有効に売買契約を締結したものであれば、それによつて上告人Aが所有権を取得しうるか否かは、一に、被上告人において、本件不動産の所有権が自己に属し、登記簿上のDの所有名義は実体上の権利関係に合致しないものであることを、同上告人に対して主張しうるか否かにのみかかるところであるから、同上告人は、右売買契約の解除前においては、ここにいう第三者にあたり、自己の前々主たるDが本件不動産の所有権を有しない不実の登記名義人であることを知らなかつたものであるかぎり、同条項の類推適用による保護を受けえたものというべきであり、右時点での同上告人に対する関係における所有権帰属の判断は、上告人Bが悪意であつたことによつては左右されないものと解すべきである。 
 そうすると、上告人Aは、原審において、目的不動産に関する登記簿上の表示が真実の権利関係と異なることは知らないでこれを上告人Bから買い受けた旨主張しているのであるから、上告人Aの反訴請求の当否を判断するにあたつては、右主張事実の有無が認定判示されるべきであつたにもかかわらず、原審は、これをなすことなく、上告人Bの悪意を認定しただけで、ただちに、被上告人のした仮処分が被保全権利を欠くものということはできないと断じ、上告人Aの反訴請求は失当であるとの判断を下しているのであつて、原判決には、この点において、理由不備の違法があるものといわざるをえないことは、上述したところにより明らかである。それゆえ、論旨は、この限度において理由があり、原判決中、上告人Aの右反訴請求に関する部分は破棄を免れず、右請求の成否についてはなお審理の必要があるので、この部分につき、本件を原審に差し戻すこととする。 
 よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九二条に則り、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一) 
・110条の第三者は無権代理の直接の相手方のみを指し、直接の相手方と取引をした転得者はこの「第三者」には当たらない。
+判例(S36.12.12)
理由 
 上告代理人鍜治利一名義、同増岡正三郎の上告理由について。 
 論旨は要するに、上告人は、本件約束手形が正当の権限の下に振出されたものであると信ずべき正当の理由を有して居つたので、受取人よりその裏書譲渡を受けたものであるに拘らず、原審は、上告人の善意による取得を否定する判断をしたが、これに経験則違反、採証法則違反、審理不尽、民法一一〇条の解釈適用の誤りがあり、ひいては原判決に理由不備の違法を招いたものである旨主張するにある。 
 しかしながら、約束手形が代理人によりその権限を踰越して振出された場合、民法一一〇条によりこれを有効とするには、受取人が右代理人に振出の権限あるものと信ずべき正当の理由あるときに限るものであつて、かゝる事由のないときは、縦令、その後の手形所持人が、右代理人にかゝる権限あるものと信ずべき正当の理由を有して居つたものとしても、同条を適用して、右所持人に対し振出人をして手形上の責任を負担せしめ得ないものであることは、大審院判例(大審院大正一三年(オ)第六〇一号、同一四年三月一二日判決、同院民集四巻一二〇頁)の示す所であつて、いま、これを改める要はない。 
 而して原判決によれば、原審は、被上告寺の経理部長Aの代理人であつた訴外Bがその権限外であるにも拘らず、右経理部長の記名印章を冒用して本件約束手形を振出し、その受取人である訴外Cが、本件約束手形の交付を受けた当時、右Bにおいて何等正当の権限なくしてこれを作成交付したものであることを十分察知して居つたものであるとの事実を認定して居る。 
 されば右判例の趣旨よりすれば、右認定の事実関係の下においては、本件約束手形の被裏書人である上告人が、仮に所論の如く、右Bに、本件約束手形振出を代理する権限あるものと信ずべき正当の理由を有して居つたとしても、被上告寺は、上告人に対し本件約束手形上の責任を負担しないものとなすべきである。原判決は結局これと同趣旨に出て居るのであるから正当であつて、何等所論の違法はない。 
 論旨は、すべて理由がない。 
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 石坂修一 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔 裁判官 五鬼上堅磐) 
・では545条の「第三者」の場合はどうか?
→「第三者」の解釈に当たっては、その者が解除の遡及効を受ける者であるかどうかによって決せられるべき。
・賃貸人の地位の移転について
+判例(S46.4.23)
理由 
 上告代理人真木洋、同浜田正義の上告理由について。 
 被上告人がAに対し、本件土地の所有権とともに上告人に対する賃貸人たる地位をもあわせて譲渡する旨約したものであることは、原審の認定した事実であり、この事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。 
 ところで、土地の賃貸借契約における賃貸人の地位の譲渡は、賃貸人の義務の移転を伴なうものではあるけれども、賃貸人の義務は賃貸人が何ぴとであるかによつて履行方法が特に異なるわけのものではなく、また、土地所有権の移転があつたときに新所有者にその義務の承継を認めることがむしろ賃借人にとつて有利であるというのを妨げないから、一般の債務の引受の場合と異なり、特段の事情のある場合を除き、新所有者が旧所有者の賃貸人としての権利義務を承継するには、賃借人の承諾を必要とせず、旧所有者と新所有者間の契約をもつてこれをなすことができると解するのが相当である。 
 叙上の見地に立つて本件をみると、前記事実関係に徴し、被上告人と上告人間の賃貸借契約関係はAと上告人間に有効に移行し、賃貸借契約に基づいて被上告人が上告人に対して負担した本件土地の使用収益をなさしめる義務につき、被上告人に債務不履行はないといわなければならない。したがつて、これと同趣旨の原判決の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄) 
・賃貸人たる地位を主張するに当たり
+判例(S49.3.19)
理由 
 上告代理人樫本信雄、同竹内敦男の上告理由第一点について。 
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決の挙示する証拠に照らして肯認することができ、その過程に所論の違法は認められない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであつて、採用することができない。 
 同第二点及び第三点について。 
 原判決は、訴外Aは昭和二五年四月原審控訴人Bから第一審判決添付目録第一記載の宅地(以下本件宅地という。)を買い受けたがその所有権移転登記をしなかつたところ、昭和二九年三月本件宅地を被上告人に売り渡したが、その所有権移転登記は中間を省略してBから直接被上告人に対してされる旨の合意が右三者間に成立し、被上告人は同年九月一二日主文第一項記載の仮登記を経由したこと、一方、上告人は本件宅地上に右目録第二記載の建物(以下本件建物という。)を所有しているが、そのうち家屋番号六七番の二、三木造瓦葺二階建店舗一棟床面積一階七坪六合九勺、二階七坪九勺については昭和二七年七月四日これを他から買い受けるとともに、当時本件宅地の所有者であつたAから本件宅地を建物所有の目的のもとに賃借し、右建物につき同月五日所有権移転登記を経由したこと、被上告人は昭和四六年六月一五日到達の書面をもつて上告人に対し昭和二九年九月一四日以降昭和四六年五月末日までの賃料を四日以内に支払うよう催告し、上告人がこれに応じなかつたので、同年六月二一日到達の書面をもつて上告人に対し賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことを、それぞれ確定したうえ、右賃貸借契約は同日解除されたとして、被上告人が土地所有権に基づき主文第一項の所有権移転登記完了と同時に上告人に対して本件建物の収去を求める本訴請求を認容したものである。 
 しかしながら、本件宅地の賃借人としてその賃借地上に登記ある建物を所有する上告人は本件宅地の所有権の得喪につき利害関係を有する第三者であるから、民法一七七条の規定上、被上告人としては上告人に対し本件宅地の所有権の移転につきその登記を経由しなければこれを上告人に対抗することができず、したがつてまた、賃貸人たる地位を主張することができないものと解するのが、相当である(大審院昭和八年(オ)第六〇号同年五月九日判決・民集一二巻一一二三頁参照)。 
 ところで、原判文によると、上告人が被上告人の本件宅地の所有権の取得を争つていること、また、被上告人が本件宅地につき所有権移転登記を経由していないことを自陳していることは、明らかである。それゆえ、被上告人は本件宅地につき所有権移転登記を経由したうえではじめて、上告人に対し本件宅地の所有権者であることを対抗でき、また、本件宅地の賃貸人たる地位を主張し得ることとなるわけである。したがつて、それ以前には、被上告人は右賃貸人として上告人に対し賃料不払を理由として賃貸借契約を解除し、上告人の有する賃借権を消滅させる権利を有しないことになる。そうすると、被上告人が本件宅地につき所有権移転登記を経由しない以前に、本件宅地の賃貸人として上告人に対し賃料不払を理由として本件宅地の賃貸借契約を解除する権利を有することを肯認した原判決の前示判断には法令解釈の誤りがあり、この違法は原判決の結論に影響を与えることは、明らかである。したがつて、この点に関する論旨は理由があるから、その余の論旨について判断を示すまでもなく、原判決中本判決主文第一項掲記の部分は破棄を免れない。そして、右部分につきなお審理の必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。 
 よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己) 
3.小問2について


民法 基本事例で考える民法演習 意思表示と物権変動~動産の物権変動と即時取得


1.小問1について

+(虚偽表示)
第九十四条  相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2  前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

①虚偽の外観の存在・積極的に作出
②「第三者」=契約が存在することを前提として取引関係に入る
③「善意」

・対抗要件を備えていない者が94条2項の「第三者」にあたるか?
対抗要件は備えなくても当たる。=二重譲渡ではなく、対抗関係ではない。

・「善意の第三者」の取得は、原始取得!

2.小問2(1)について

+(代物弁済)
第四百八十二条  債務者が、債権者の承諾を得て、その負担した給付に代えて他の給付をしたときは、その給付は、弁済と同一の効力を有する。

+(詐欺又は強迫)
第九十六条  詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2  相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3  前二項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意の第三者に対抗することができない。

①違法な強迫
②脅す意図・意思表示をさせる意図
③脅迫と意思表示との間の因果関係

+(債権者代位権)
第四百二十三条  債権者は、自己の債権を保全するため、債務者に属する権利を行使することができる。ただし、債務者の一身に専属する権利は、この限りでない。
2  債権者は、その債権の期限が到来しない間は、裁判上の代位によらなければ、前項の権利を行使することができない。ただし、保存行為は、この限りでない。

(詐害行為取消権)
第四百二十四条  債権者は、債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求することができる。ただし、その行為によって利益を受けた者又は転得者がその行為又は転得の時において債権者を害すべき事実を知らなかったときは、この限りでない。
2  前項の規定は、財産権を目的としない法律行為については、適用しない。

+判例(S36.7.19)
理由
上告代理人今野佐内の上告理由第一点(一)について。
民法四二四条の債権者取消権は、総債権者の共同担保の保全を目的とする制度であるが、特定物引渡請求権(以下特定物債権と略称する)といえどもその目的物を債務者が処分することにより無資力となつた場合には、該特定物債権者は右処分行為を詐害行為として取り消すことができるものと解するを相当とする。けだし、かかる債権も、窮極において損害賠償債権に変じうるのであるから、債務者の一般財産により担保されなければならないことは、金銭債権と同様だからである。大審院大正七年一〇月二六日民事連合部判決(民録二四輯二〇三六頁)が、詐害行為の取消権を有する債権者は、金銭の給付を目的とする債権を有するものでなければならないとした見解は、当裁判所の採用しないところである。本件において、原判決の確定したところによれば、被上告人は昭和二五年九月三〇日訴外Aとの間に本件家屋を目的とする売買契約を締結し、同人に対しその引渡請求権を有していたところ、Aは、他に見るべき資産もないのに、同二七年六月頃右家屋に債権額八万円の抵当権を有する訴外Bに対し、その債権に対する代物弁済として、一〇万円以上の価格を有する右家屋を提供し、無資力となつたというのである。右事実に徴すれば、本件家屋の引渡請求権を有する被上告人は、右代物弁済契約を詐害行為として取り消しうるものというべく、したがつて、原判決が「債務者がその特定物をおいて他に資産を有しないにかかわらず、これを処分したような場合には、この引渡請求権者において同条の取消権を有するものと解すべきである」とした部分は結局正当に帰する。
なお、論旨は、原判決のような判断が許されるときは、被上告人は登記を了しないのに、既に登記した上告人に対し所有権の移転を対抗し得ると同一の結果となり、民法一七七条の法意に反すると主張するが、債権者取消権は、総債権者の利益のため債務者の一般財産の保全を目的とするものであつて、しかも債務者の無資力という法律事実を要件とするものであるから、所論一七七条の場合と法律効果を異にすることは当然である。所論は採用できない。

同第一点(二)、(三)について。
債務者が目的物をその価格以下の債務の代物弁済として提供し、その結果債権者の共同担保に不足を生ぜしめた場合は、もとより詐害行為を構成するものというべきであるが、債権者取消権は債権者の共同担保を保全するため、債務者の一般財産減少行為を取り消し、これを返還させることを目的とするものであるから、右の取消は債務者の詐害行為により減少された財産の範囲にとどまるべきものと解すべである。したがつて、前記事実関係によれば本件においてもその取消は、前記家屋の価格から前記抵当債権額を控除した残額の部分に限つて許されるものと解するを相当とする。そして、詐害行為の一部取消の場合において、その目的物が本件の如く一棟の家屋の代物弁済であつて不可分のものと認められる場合にあつては、債権者は一部取消の限度において、その価格の賠償を請求するの外はないものといわなければならない。然るに、原審は本件家屋の価格および取消の範囲等につき十分な審理を遂げることなく、たやすく本件代物弁済契約の全部の取消を認め、上告人に対し右家屋の所有権移転登記手続を命じたのは、民法四二四条の解釈を誤つた結果として審理不尽、理由不備の違法をあえてしたものであつて、所論は結局理由あるに帰し、原判決はこの点において破棄を免れない。よつて、本件を原審に差し戻すべく、民訴四〇七条に従い、裁判官下飯坂潤夫、同奥野健一、同山田作之助の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官奥野健一、同下飯坂潤夫、同山田作之助の補足意見は次のとおりである。
一、 債権者の保全債権が特定物引渡請求権である場合に、債務者がその目的物を処分しても債務者に他に財産があつて、右特定物引渡債権の履行不能による損害賠償債務を弁済する十分な資力があるならばその処分行為は詐害行為とはならず、また、特定物引渡債権の目的物が処分されない限り債務者が如何にその資力を減少せしめる行為をしたとしても当該債権者にとつて詐害行為とはならない。してみれば、目的たる特定物を処分することによつて無資力となり履行不能による損害賠償債権の履行ができなくなつた場合に限り、詐害行為となるのであるから結局損害賠償債権という金銭債権が害されて、始めて取消権を行使することができるのである。すなわち、特定物引渡請求権については債務者の目的物処分行為により損害賠償債権たる金銭債権に変じ、同時に、債務者が無資力となることにより右金銭債権が侵害されたことによつて詐害行為が成立するものと解すべきである。かく解することが取消権行使の効果を総債権者の利益のために生ぜしめんとする取消権制度の趣旨に適合するものと考える。
なお、保全債権が債務者の行為以前に存在することを要することは固よりであるが、目的物の処分行為により債権者の債権が損害賠償債権に変ずると同時に詐害行為が成立するものとしても、右損害賠償債権は特定物引渡債権の変形であり、同一性を害しないのであるから保全債権が詐害行為以前に存在するというに毫も妨げはない

二、 多数意見は「債務者が目的物をその価格以下の債務の代物弁済として提供し、その結果債権者の共同担保に不足を生ぜしめた場合は、もとより詐害行為を構成するものというべきであるが……右の取消は債務者の詐害行為により減少された財産の範囲にとどまるべきものと解すべきである。……その目的物が本件の如く一棟の家屋の代物弁済であつて不可分のものと認められる場合にあつては債権者は一部取消の限度において、その価格の賠償を請求するの外はないといわなければならない。」と判示する。若し多数意見が、一般に一棟の建物を価格以下の債権の代物弁済として提供した場合は、その債権額を超過する部分が詐害行為となり、その部分のみの一部取消をなすべく、ただ目的物が一棟の建物というが如き不可分のものである場合には、常にそれに相当する価格の賠償を求めるの外はないという趣旨であるならば疑問なきを得ない
けだし、債権者取消権の制度は、詐害行為により逸脱した財産を取り戻し債務者の一般財産を原状に回復せしめんとするにあるのであつて、逸脱した財産自体の返還を請求し得る場合には、原則としてこれを請求すべく、特別の事由なき限り、その財産の評価額の返還を請求しえない(昭和九年一一月三〇日大審院判決、民集一三巻二一九一頁参照)のであり、仮令債務者の行為の一部が詐害行為となる場合でも、目的物が分割し得ない場合は、その対価の全部において債権者を害すると一部において害するとを問わず、その行為の全部を取消すべきである(大正六年六月七日大審院判決、民録二三輯九三二頁、大正七年五月一八日同判決、民録二四輯九九三頁、大正五年一二月六日同判決、民録二二輯二三七〇頁、大正九年一二月二四日同判決、民録二六輯二〇二四頁、昭和三〇年一〇月一一日最高裁判所第三小法廷判決、民集九巻一一号一六二六頁各参照)と解するのが相当であるからである。このことは民法四二四条が受益者のみならず、転得者に対しても取消による原状回復の訴求を認めていることからも窺えるのみならず、詐害行為取消権の制度と同趣旨の制度である破産法上の否認権行使の場合においても、破産財団の原状回復主義をとり、破産者の受けた反対給付又はこれに代わる利益を相手方に返還せしめ或は相手方の債権を復活せしめる(破産法七七条ないし七九条)ものとし、評価額により差額を精算する制度を採つていないことからも、肯定することができるのである。
しかし、本件においては、目的物たる不動産は受益者に対する抵当権附債権に代物弁済され、抵当権の登記は既に抹消されているのであるから、転得者のみを被告とする本訴においては原告の保全債権に優先する右抵当権附債権及び抵当権登記を復活せしめて、債務者の財産を原状に回復せしめることは不可能であり、また、無担保となつた本件不動産をそのまま債務者の一般財産に復帰せしめることは不当に債務者及び債権者を利する結果となり、決して原状回復とはなり得ない関係にある。従つて、本件の如き特別の場合においては逸脱した財産自体の返還に代えてその評価額により詐害行為となつた部分に相当する金額の賠償を認めることは止むを得ないところであつて、この趣旨において多数意見と結論において同様である。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助)

+判例(S53.10.5)
理由
上告代理人立野造、同長沢正範の上告理由第二、一、(一)について
特定物引渡請求権(以下、特定物債権と略称する。)は、窮極において損害賠償債権に変じうるのであるから、債務者の一般財産により担保されなければならないことは、金銭債権と同様であり、その目的物を債務者が処分することにより無資力となつた場合には、該特定物債権者は右処分行為を詐害行為として取り消すことができるものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和三〇年(オ)第二六〇号同三六年七月一九日大法廷判決・民集一五巻七号一八七五頁)。しかし、民法四二四条の債権者取消権は、窮極的には債務者の一般財産による価値的満足を受けるため、総債権者の共同担保の保全を目的とするものであるから、このような制度の趣旨に照らし、特定物債権者は目的物自体を自己の債権の弁済に充てることはできないものというべく、原判決が「特定物の引渡請求権に基づいて直接自己に所有権移転登記を求めることは許されない」とした部分は結局正当に帰する。
論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。
同第二、一、(二)について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二、二について
原判決は、鑑定人Aの鑑定の結果によれば昭和四八年三月一日当時における本件物件の価格は、上告人の賃借権の存在を考えると二九六万円であることが認められる、と判断した。しかしながら、右鑑定の結果を検討すると、右金額は、本件物件の価格から本件貸室部分の賃借権価格を控除した額ではなく、本件貸室部分の土地建物の価格から賃借権価格を控除した額であつて、本件貸室部分を除いた部分の土地建物価格が含まれていないのであるから、原判決が右金額をもつて直ちに本件物件の死因贈与契約の履行不能による填補賠償額とし、上告人の損害賠償請求のうち二九六万円及びこれに対する昭和五一年三月二〇日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払請求を超える部分を棄却したのは、理由不備の違法があるというべきであり、論旨は理由がある。
それゆえ、原判決中、右請求棄却部分は破棄を免れず、右破棄部分につきさらに審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととし、その余の部分に関する上告は理由がないから、これを棄却することとする。
よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨 裁判官 戸田弘 裁判官岸上康夫は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 藤崎萬里)

・無資力について(不動産賃貸借の場合)
+判例(S29.9.24)

・復帰的物権変動論
=第三者を保護するための理論

3.小問2(2)について

・背信的悪意者論
+判例(H8.10.29)
理由
上告代理人黒田耕一の上告理由について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 本件土地の分筆及び市道としての整備
(一) 原判決別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)は、もとAが所有していた松山市a番町b丁目(表示変更前の同市c町)d番、e番合併一の土地(以下これを「合併一の土地」と表示することとし、「合併六、七の土地」もこれに準ずる)の一部であったところ、被上告人は、昭和三〇年三月、旧国鉄松山駅前整備事業の一環として、貨物の搬出、搬入用の道路を造るため、右Aから本件土地を代金三四万一二八〇円で買い受け、同年四月三〇日その代金を完済した。
(二) 被上告人とAは、被上告人が買い受ける本件土地を合併一の土地から分筆して合併六の土地とすることにしていたが、分筆登記の手続に手違いが生じ、昭和三〇年五月一三日、実際に合併一の土地から分筆された土地は合併七の土地として表示された。その結果、登記簿や土地台帳の上では合併七の土地というものができ、しかも、合併六の土地はその後も公簿上作られなかったため、合併六の土地として登記される予定であった本件土地については、被上告人所有名義の登記が経由されないままとなっていた。
(三) 被上告人は、農地であった本件土地を公衆用道路に造成するため、昭和三〇年度の失業対策事業で盛土をして整備したが、昭和四四年六月二一日から同年七月一〇日までの間に本件土地の北側と南側に側溝を、ほぼ中央部に市章入りマンホールを二箇所設置するとともに、敷地全体をアスファルトで舗装して現況に近い形態の道路として整備した。また、被上告人は、昭和五四年一一月には、本件土地内に市道金属標を設置することにより本件土地が被上告人の管理に係る道路であることを明確にした。
また、被上告人は、昭和四三年三月に、地元民の道路境界査定申請に基づき本件士地とその南に接する合併八の土地との境界を査定したが、その査定調書には本件土地は「市道新玉二八六の一号線」と記載されており、被上告人が昭和五四年に作成した松山市備付道路台帳にも本件土地は「市道新玉二八六の一号線」として掲載された。右道路台帳には、右路線が幅員一四・四メートル、長さ三〇・四メートルである旨の記載がある。
このようにして本件土地は、遅くとも昭和四四年七月までに、被上告人所有の道路(市道)として一般市民の通行の用に供され、付近住民からも市道として認識されてきたが、道路法所定の区域の決定及び供用の開始決定などがされたことを明確に示す資料は残っていない。
(四) 被上告人は、昭和五八年一月二五日、愛媛県からの指示により、道路法一八条に基づき、本件土地及びこれに接続して西方に延びる幅員一・九メートル、長さ一八メートルの部分を合わせて「市道新玉二八六―一号線」として、区域決定及び供用開始決定をするとともにその旨の公示をした。その後昭和六二年三月に告示された市道編制により、市道新玉二八六の一号線は「新玉四七号線」と路線の名称が変更された。

2 愛媛産興株式会社による本件土地の取得の経緯
(一) A家に出入りし同家の財産管理に関与していたDは、昭和五七年の夏、A夫妻から、本件土地を一例として、登記簿上Aの所有となっているため固定資産税が課されているが所在の分からない土地があるので、これを処分して五〇〇万円を得たい旨の相談を受けた。このため、Dは、知人のEにこの話を伝え、協力を求めた。Dは、自分の調べた限りでは本件土地は旧国鉄松山駅前付近にあると思ったが、必ずしも明らかでなかったので、その旨をEに説明した。
(二) Eは、愛媛産興株式会社、有限会社清和不動産及び愛媛ビジネスセンター有限会社のオーナーとしてこれらの会社を実質的に経営する者であるが、Dからの話を聞き、土地登記簿謄本、野取図等に基づいて本件土地の所在場所を確認し、現地を見た上で本件土地を購入することにし、昭和五七年一〇月二五日、愛媛産興を代理して、Aを代理するDとの間で、代金を五〇〇万円とする売買契約を締結し、同月二七日、愛媛産興名義で所有権移転登記を経由した。なお、その際、売買契約を締結しても確実に所有権を移転できる確信がもてなかったDは、Eから万一本件土地が実在しない場合にもAに代金の返還を請求しない旨の念書をとった。昭和五七年当時、道路でないとした場合の本件土地の価格はおよそ六〇〇〇万円であった(なお、記録によれば、後述の愛媛ビジネスセンターと上告人の売買契約では代金は一億五〇〇〇万円とされている)。
(三) 愛媛産興は、昭和五八年一月、本件土地に関し市道の廃止を求めるため付近住民から同意書を徴するなどしたが、本件土地については、同年二月二五日付けで清和不動産に、次いで昭和五九年七月一〇日付けで愛媛ビジネスセンターに、それぞれ所有権移転登記が経由された。 
3 上告人は、昭和六〇年八月一四日、愛媛ビジネスセンターから本件土地を買い受けてその旨の所有権移転登記を経由し、同月二八日、本件土地が市道ではない旨を主張して、本件土地上にプレハブ建物二棟及びバリケードを設置した。

二 被上告人は、本件土地について所有権及び道路管理権を有すると主張して、上告人に対し、所有権に基づき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を、道路管理権に基づき本件土地が松山市道新玉四七号線(旧同二八六―一号線)の敷地であることの確認を、所有権又は道路管理権に基づき本件土地上に設置されたプレハブ建物及びバリケード等の撤去を求め、これに対し上告人は、本件土地が上告人の所有であることを前提として被上告人に対し、被上告人が、本件土地上のプレハブ建物及びバリケード等を撤去して本件土地を執行官に保管させた上、市道としての使用に供することができる旨の仮処分決定を得てその執行をしたことは、上告人に対する不法行為に当たると主張して、損害賠償を求めている。

三 被上告人の所有権移転登記手続請求について
1 原審は、(一)昭和五七年一〇月に本件土地を取得した愛媛産興は、本件土地の二重譲受人になるが、愛媛産興を代理したEは、本件土地が既に被上告人に売り渡され、事実上市道となり、長年一般市民の通行の用に供されていたことを知りながら、被上告人に所有権移転登記が経由されていないことを奇貨としてこれを買い受け、道路を廃止して自己の利益を計ろうとしたものであるから、愛媛産興は背信的悪意者ということができ、被上告人は、登記なくして本件土地の取得を愛媛産興に対抗し得る、(二)清和不動産及び愛媛ビジネスセンターはいずれもEが実質上の経営者であり、上告人は、愛媛ビジネスセンターから本件土地を買い受けたが、愛媛産興が背信的悪意者であって所有権取得をもって被上告人に対抗できない以上、清和不動産及び愛媛ビジネスセンターを経て買い受けた上告人も本件土地の所有権に関し被上告人に対抗し得ない、と判断して、所有権に基づく真正な登記名義の回復を原因とする被上告人の所有権移転登記手続請求を認容すべきものとした。
 しかし、原審の右(一)の判断は正当であるが、(二)は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
原審の確定した前記事実関係によれば、本件土地は、遅くとも昭和四四年七月までに、土地の北側と南側に側溝が入れられ、ほぼ中央部に市章入りマンホールが二箇所設置されるとともに、全体がアスファルトで舗装された道路として整備され、一般市民の通行に供されてきており、近隣の住民からも市道として認識されてきたところ、愛媛産興の代理人Eは、現地を確認した上、昭和五七年当時、道路でなければおよそ六〇〇〇万円の価格であった本件土地を、万一土地が実在しない場合にも代金の返還は請求しない旨の念書まで差し入れて、五〇〇万円で購入したというのであるから、愛媛産興は、本件土地が市道敷地として一般市民の通行の用に供されていることを知りながら、被上告人が本件土地の所有権移転登記を経由していないことを奇貨として、不当な利得を得る目的で本件土地を取得しようとしたものということができ、被上告人の登記の欠缺を主張することができないいわゆる背信的悪意者に当たるものというべきである。したがって、被上告人は、愛媛産興に対する関係では、本件土地につき登記がなくても所有権取得を対抗できる関係にあったといえる。この点に関する論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定しない事実に基づき原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
3 ところで、所有者甲から乙が不動産を買い受け、その登記が未了の間に、丙が当該不動産を甲から二重に買い受け、更に丙から転得者丁が買い受けて登記を完了した場合に、たとい丙が背信的悪意者に当たるとしても、丁は、乙に対する関係で丁自身が背信的悪意者と評価されるのでない限り、当該不動産の所有権取得をもって乙に対抗することができるものと解するのが相当である。けだし、(一)丙が背信的悪意者であるがゆえに登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に当たらないとされる場合であっても、乙は、丙が登記を経由した権利を乙に対抗することができないことの反面として、登記なくして所有権取得を丙に対抗することができるというにとどまり、甲丙間の売買自体の無効を来すものではなく、したがって、丁は無権利者から当該不動産を買い受けたことにはならないのであって、また、(二)背信的悪意者が正当な利益を有する第三者に当たらないとして民法一七七条の「第三者」から排除される所以は、第一譲受人の売買等に遅れて不動産を取得し登記を経由した者が登記を経ていない第一譲受人に対してその登記の欠缺を主張することがその取得の経緯等に照らし信義則に反して許されないということにあるのであって、登記を経由した者がこの法理によって「第三者」から排除されるかどうかは、その者と第一譲受人との間で相対的に判断されるべき事柄であるからである。
4 これを本件についてみると、上告人は背信的悪意者である愛媛産興から、実質的にはこれと同視される清和不動産及び愛媛ビジネスセンターを経て、本件土地を取得したものであるというのであるから、上告人は背信的悪意者からの転得者であり、したがって、愛媛産興が背信的悪意者であるにせよ、本件において上告人目身が背信的悪意者に当たるか否かを改めて判断することなしには、本件土地の所有権取得をもって被上告人に対抗し得ないものとすることはできないというべきである。以上と異なる原審の判断には、民法一七七条の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決中本件土地の所有権移転登記手続請求に関する部分は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるために右部分を原審に差し戻すのが相当である。

四 被上告人のその余の請求及び上告人の請求について
1 原審は、被上告人は、本件土地につき道路法一八条に基づく区域決定及び供用開始決定をしその旨の公示をしたのであるから、本件土地につき道路管理権を有する、との理由で、被上告人の道路管理権に基づく道路敷地確認請求及びプレハブ建物等の撤去請求はいずれも認容すべきものと判断した。所論は、愛媛産興が背信的悪意者であるとした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、被上告人が愛媛産興所有の本件土地につき供用開始の決定及び公示をしても、その決定及び公示は無効であるというものである。
2 しかしながら、愛媛産興が背信的悪意者であるため、被上告人は愛媛産興に対する関係では、本件土地につき登記がなくても所有権取得を対抗できる関係にあったことは、前述のとおりであるから、既に一般市民の通行の用に供されてきた本件土地につき、被上告人が昭和五八年一月二五日にした道路法一八条に基づく区域決定、供用開始決定及びこれらの公示は、本件土地につき権原を取得しないでしたものということはできず、右の供用開始決定等を無効ということはできない。したがって、本件土地は市道として適法に供用の開始がされたものということができ、仮にその後上告人が本件土地を取得し、被上告人が登記を欠くため上告人に所有権取得を対抗できなくなったとしても、上告人は道路敷地として道路法所定の制限が加えられたものを取得したにすぎないものというべきであるから(最高裁昭和四一年(オ)第二一一号同四四年一二月四日第一小法廷判決・民集二三巻一二号二四〇七頁参照)、被上告人は、道路管理費としての本件土地の管理権に基づき本件土地が市道の敷地であることの確認を求めるとともに、本件土地上に上告人が設置したプレハブ建物及びバリケード等の撤去を求めることができるものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。また、以上によれば、道路管理権を有する被上告人が仮処分の決定を得てプレハブ建物等を撤去し、本件土地を市道として通行の用に供していることは、上告人が本件土地の所有権を取得しているか否かにかかわらず、不法行為を構成しないことが明らかであるから、上告人の損害賠償請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。原判決に所論の違法は認められず、論旨は採用することができない。
よって、原判決中所有権移転登記手続請求に関する部分を破棄して右部分を原審に差し戻すこととするが、その余の上告は棄却することとし、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
《解  説》
一 事案の概要
1 X(松山市)は、昭和三〇年三月、旧国鉄松山駅前整備事業の一環として、貨物の搬出、搬入用の道路を造るため、Aから本件土地を買い受け、同年度の失業対策事業で盛土をし、昭和四二年には、敷地全体をアスファルトで舗装し、現況に近い形態の道路として整備し、遅くとも昭和四四年七月までに、X所有の道路として一般市民の通行の用に供し、付近住民からも市道として認識されてきたが、登記は未了のままであった。他方、B社、C社、D社のオーナーであるEは、Aが登記簿上はAの所有になっているが所在の分からない土地を処分しようとしているのを知り、現地等を調査して本件土地の所在場所を確認した上、これをB社で買うことにし、昭和五七年一〇月二五日、本件土地をAから買い受け、B社の名義で登記をした。その後、本件土地は、C社、D社に所有権移転登記が経由された後、昭和六〇年八月一四日、Y社がこれを買い受けて所有権移転登記を経由し、Y社は、本件土地が道路ではないと主張して、本件土地上にプレハブ建物二棟及びバリケードを設置した。このため、Xは、仮処分命令を得て、右プレハブ建物等を撤去した上、Yに対して、所有権、道路管理権に基づいて工作物の撤去、道路敷地であることの確認、真正名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を求める訴訟を提起し、これに対してYもXの右仮処分の執行は土地の所有者であるYに対する不法行為であるとしてXに対して損害賠償を求める訴訟を提起した。
2 一審判決は、本件土地は、昭和四四年ころには道路法所定の手続を経て適法に供用が開始されていたから、Xは、B社はもとよりY社に対しても道路管理権をもって対抗できるとして、Xのプレハブ建物等の撤去、道路敷地の確認請求を認容し、YのXに対する損害賠償請求を棄却したが、Y社が背信的悪意者とは認められないとしてXの所有権に基づく所有権移転登記手続請求は棄却した。これに対して、二審判決は、Aから本件土地を取得したB社は背信的悪意者であると認定判断し、そうである以上、C社、D社を経て買い受けたY社も土地所有権取得をもってXに対抗できないとして、Xの所有権移転登記手続請求も認容すべきものとした(その余のXの請求も認容、Yの請求は棄却)。
Yが上告。上告理由は全般にわたるが、主な論旨は、仮にB社が背信的悪意者だとしても転得者の善意悪意を判断しないで、所有権取得をもって対抗できないとした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるというものである。

3 本判決は、所有者甲から乙が不動産を買い受け、その登記が未了の間に、丙が当該不動産を甲から二重に買い受け、更に丙から転得者丁が買い受けて登記を完了した場合に、たとい丙が背信的悪意者に当たるとしても、丁は、乙に対する関係で丁自身が背信的悪意者と評価されるのでない限り、当該不動産の所有権取得をもって乙に対抗することができる旨判示し、本件では、背信的悪意者であるB社からの転得者であるY自身が背信的悪意者に当たるか否かを判断しないで、直ちにYはXに対抗できないとした原判決には民法一七七条の解釈適用を誤った違法があるとして、Xの所有権移転登記手続請求部分を破棄し、原審に差し戻した。
二1 道路法所定の手続を経て適法に供用が開始されると、当該土地には道路法所定の制限が加えられ、その後に道路管理者が対抗要件を欠くため右道路敷地の使用権原をもって第三者に対抗し得なくなっても、道路の廃止がされない限り、敷地所有権に加えられた制限は消滅しない(最一小判昭44・12・4民集二三巻一二号二四〇七頁、本誌二四三号一九〇頁)。したがって、第三者が現われる前に適法に道路として供用が開始されていれば、当該第三者も道路としての制限を受けた土地を取得するにすぎず、所有権を主張して当該土地を占拠するがごとき行為は許されないことになる。
しかしながら、所有権自体の優劣は対抗要件取得の先後によるから、背信的悪意者のような民法一七七条の「第三者」から排除される者以外の第三者に対しては、道路管理者といえども、対抗要件を具備しない限り、所有権に基づく請求はできないことになる。本件では、市道として供用が開始された土地について第三者が現われ、その者が背信的悪意者か否かが争われたのである。

2 背信的悪意者排除説については論稿が数多くあり、ここで詳しく紹介することは省略するが、これは、民法一七七条の「第三者」について、通説的見解である善意悪意不問説を修正する理論として登場し、一般的には悪意者は第三者から排除されないが、背信的といえる悪意者は例外的に第三者から排除するという見解であり、今や通説及び確立した判例理論となっている(最三小判昭40・12・21民集一九巻九号二二二一頁、本誌一八八号一〇六頁、最二小判昭43・8・2民集二二巻八号一五七一頁、本誌二二六号七五頁など多数)。
この背信的悪意者排除説は、理論的基礎として、権利濫用、信義則違反、公序良俗違反などを含むものであるが、あくまで登記の対抗力の問題として紛争を解決しようとする理論である。すなわち、甲から乙への第一の売買の後、その登記未了の間に、甲から丙への第二の売買がされ、丙が背信的悪意者だとしても、第二の売買自体が無効というわけではなく、丙が乙との関係で、乙の登記欠缺を主張できないとするにとどまる。したがって、甲から丙への売買が無効でない以上、丙からの転得者が保護されるか否かが問題となる。

3 丙が背信的悪意者であって乙に対抗できない以上、丙からの転得者はその権利を取得する法理上の論拠はないとする少数説(金山正信・判評一二三号三二頁、本城武雄・民商六一巻三号一〇八頁)もないではないが、その理論構成や論拠は異なるものの、善意の転得者を保護しようとするのがほぼ学説の一致した結論といってよい。この転得者を保護しようとする学説は、(一) 民法四二四条の詐害行為取消権の場合と同様に考え、乙は背信的悪意者丙に対する関係においてだけ相対的に登記なくして物権変動を対抗することができ、丁が善意又は単純悪意者である限り、たとえその前主が背信的悪意者であってもこれに対抗し得ないとする見解(舟橋諄一・物権法一八五頁、深谷松男「背信的悪意者と対抗力」不動産登記講座Ⅰ二〇一頁など)、(二) 背信的悪意者丙も完全な無権利者ではなく、その物権取得も一応有効であるが、ただ乙に対する関係では信義則違反があるため、登記の欠缺を主張することが許されないというだけのいわば相対的無効であるにすぎないから、丙からの転得者丁は、丙から物権を取得することができ、丁自身が乙に対する関係で背信的悪意者と評価されない限り、乙の登記欠缺を主張することができるとする見解(川井健「不動産の二重売買における公序良俗と信義則」本誌一二七号二一頁、杉之原舜一・不動産登記法九八頁、広中俊雄「対抗要件と悪意の第三者」民法の基礎知識五八頁、北川弘治「背信的悪意者」演習民法(総則物権)三九一頁など)、(三) 背信的悪意者丙も物権法上は対抗要件を具備する限り完全な所有権を取得し、乙はその反射的効果として無権利者となるが、丙は乙から信義則違反を理由に所有権移転、登記移転を請求されたときにはこれに応ずる義務・債務を負い、乙は丙に対して相対的・人的な債権的請求権を有するにすぎないから、転得者丁は完全な物権を取得するとする見解(好美清光「不動産の二重処分における信義則違反等の効果」手研六巻六号一一頁)、(四) 対抗問題について否認権説の立場に立って、背信的悪意者丙は乙に登記がないことを理由に乙への物権変動を否認できないが、丁は、甲乙間の物権変動を否認することができ、これによっていったん乙に移転した権利は甲に戻り、丙を経由して丁に移転し、その登記によって丁は完全な権利者となるとする見解(柚木馨=高木多喜男・判例物権法(補訂版)二四九頁)、(五) 対抗問題について公信力説の立場に立ち、甲から乙への売買があった以上、甲は無権利者であるから第二の譲受人である丙は本来権利を取得することはできないはずであるが、丙が登記を取得すればその公信力によって権利を取得することができるところ、丙が悪意なら公信力によって丙は保護されない反面、善意の転得者丁は、丙が悪意であっても登記の公信力によって物権を取得できるとする見解(篠塚昭次「不動産登記と公信力」民研二〇〇号六頁、半田正夫「一七七条における背信的悪意者」別冊ジュリ法教(第二期)三九頁)などに分かれている。右のうち、(二)の見解が現在の通説的見解と思われる。

4 二重譲受人からの転得者の問題は、背信的悪意者排除説が登場した当初の段階から様々に論じられてきたが、実際の裁判例で転得者の問題が論じられた例は意外に少なく、大阪高判昭49・7・10本誌三一六号一九九頁、判時七六六号六六頁、広島高松江支判昭49・12・18本誌三二七号二一〇頁、判時七八八号五八頁、東京高判昭57・8・31判時一〇五五号四七頁などがある程度である。しかも、いずれの事例も転得者自身が背信的悪意者と認定されており、善意の転得者であるがゆえに保護されたという裁判例は見当たらない。
5 甲から背信的な悪意者である丙の譲受けを無効としないで、対抗問題として解決しようとする背信的悪意者排除説は、もともと背信的悪意者からの善意の転得者が生じた場合にはこれを保護する必要があるという前提があったといってよい。そうでなければ、背信的な悪意者による第二の売買を公序良俗違反で無効とする解決方法でもよかったであろう(最一小判昭36・4・27民集一五巻四号九〇一頁はこの方法を採った。)。しかしこれでは、一度背信的悪意者が現われるとそれ以降の転得者の権利取得はすべて無効になってしまい、取引の安全を害すること著しい。権利を取得しながら登記を放置している第一譲受人と善意の第三者との保護を比較した場合、取引の安全を優先させるのはやむを得ないところといえよう。そうであれば、対抗問題として解決しようとする背信的悪意者排除説を採りながら、転得者の善意悪意を問題にすることなく、B社が背信的悪意者であるとの理由のみでY社も所有権取得をもってXに対抗できないとした原審の考えは採り得ないことになる。
三 本判決は、背信的悪意者Bからの転得者Y自身が第一譲受人であるXに対する関係で背信的悪意者といえるかどうかが問題とされなければならないとしたもので、最高裁として初めての判断であるが、この結論は、学説上も異論のないところと思われる。


労働法 労働契約


第1節
労働契約の全体像

1.労働契約の特徴

・+(労働契約の成立)
第六条  労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。

労働契約の特徴
①他人決定性、非対等性
②継続性
③人的性格
④集団性、組織性

2.労働契約上の主たる権利義務
(1)労務提供をめぐる権利義務
a)指揮命令権・業務命令権

指揮命令権=労働契約に基づき、労働契約の範囲内で労働者が提供すべき労務の具体的内容・方法・場所などを決定し支持する権利
使用者は労働契約を締結することにより、当然に指揮命令権を取得すると説明される。

・命令が権利の濫用(民法1条3項、労働契約法3条5項)になることもある。

・業務遂行に必要な事項について使用者の命令に服すべき旨が就業規則に定められている場合、それが合理的なものである限り、当該規定が労働契約の内容になる→業務命令権を有する!
+判例(S61.3.13)
理  由
上告代理人藤井俊彦、同上野至、同長島裕、同田中一泰、同幸良秋夫、同畑瀬信行、同片桐春一、同山崎久照、同渡辺信行、同川越修一、同小出寛治、同鎌田哲博、同山元毅の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1(一) 上告人日本電信電話公社(昭和五九年法律第八五号日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前の日本電信電話公社法に基づき設立されたもの。以下「公社」という。)は、本件当時、疾病の予防、罹患者の早期発見、早期回復、保健指導、衛生環境の整備等職員の健康管理を適正に実施し、もつて業務の円滑な運営に資することを目的として健康管理規程を定めていたが、右規程は、職員の健康管理にあたつて職員の疾病状況に対応した有効な施策を講ずること(二条一項)を規定する一方、職員は常に自己の健康の保持増進に努め(二条二項)、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない(四条)として職員の遵守すべき義務を明らかにしている。そして、職員の疾病の予防、保健指導を行うとともに罹患者の早期発見等を行うため配置された健康管理医が検診の結果等により必要と認めたときは、当該職員に精密検診を受けさせなければならないこととし(二四条)、また、検診の結果等に基づき、健康管理医は、管理が必要であると認められる個々の職員(以下「要管理者」という。)につき、病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定し(二六条)、右決定のあつた当該職員を右指導区分に従い個別に管理することとしている。また、右要管理者については、日本電信電話公社就業規則(以下「公社就業規則」という。)一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条において、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。更に、公社は、高度な医療技術のもとに、疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理のために疾病の早期発見、早期治療を行う医療機関として、札幌逓信病院を設置している。

(二) 公社は、従前から頸肩腕症候群罹患者の発生に対処するため、専門医を中心にプロジエクトチームを編成し、その原因の究明に努めるとともに、諸施策を実施してその予防及び早期解決に努力してきた結果、罹患者数は年々減少するに至つたものの、発症後三年以上を経過しても治癒しない長期罹患者の割合が大きいことから、この長期罹患者についての対策を全国的規模で検討するに至つた。公社北海道局においても、頸肩腕症候群罹患者数が昭和五〇年の約二二〇名から昭和五三年の約一五〇名に減少したものの、三年以上の長期罹患者の割合が七五パーセントを占めていたため、これについての対策が検討されたが、管内健康管理医の打合せ会では、頸肩腕症候群の疾病要因がまだ医学的に十分解明されていない現状において、その早期回復を図るためには、単に整形外科のみならず、内科、精神神経科等各科の検診を含む総合的な精密検診を実施する必要がある旨の意見が強く出された。そして、全国電気通信労働組合北海道地方本部(以下「全電通道地本」という。)からも右と同趣旨の要望がされたため、昭和五三年七月一四日、公社北海道局と全電通道地本との間において、右長期罹患者を対象として、その疾病要因を追究してその診断により治療及び療養の指導をして早期に健康回復を図ることを目的とする総合精密検診を実施する旨の労働協約が締結されたが、右協約によつて決定された検診方法は、発症後三年以上経過しているのに症状が軽快していない者その他健康管理医が必要と認めた者を被検者として札幌逓信病院に入院させ、整形外科を中心に内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科及び耳鼻咽喉科のほか、必要に応じて他科の検診を含む総合精密検診を行うものであり、検診のための入院期間は二週間程度、参加人員は一回四名程度とし、被検者の具体的人選は健康管理医が行うというものであつた。

(三) 被上告人は、当時公社帯広電報電話局(以下「帯広局」という。)に勤務し電話交換の作業に従事する公社職員であつたが、昭和四九年七月五日、川上整形外科医院において頸肩腕症候群と診断される一方、健康管理規程に定める指導区分の「療養」にあたることとされ、その後、休養加療を行つた結果、症状が軽快し、同年九月五日から右指導区分の「要注意」にあたるものとして職場に復帰したが、同年九月一六日からは「勤務軽減」(六時間勤務)となり、同年一一月五日からは再び「療養」にあたることとされて休養し、同年一二月五日「勤務軽減」(四時間勤務)の指導区分により職場に復帰し、昭和五〇年二月一六日に「要注意」となるといつた右指導区分の変遷を繰り返し、本件当時の被上告人の担当職務は、電話番号簿の番号訂正等の事務であつて、本来の職務である電話交換の作業には従事していなかつた。
公社は、昭和四九年九月五日、被上告人の健康状態を考慮し、従来の電話交換作業から軽易な机上作業に担務替えを行うとともに、同年九月二八日、被上告人から提出された右疾病の業務災害認定申請に対して、札幌逓信病院において、整形外科の精密検診を行い、その結果等に基づき、昭和五〇年九月三日付で右疾病が「業務上」である旨の認定をし、各種補償を行つている。
被上告人は、川上整形外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、昭和五二年四月から帯広市内の吉田治療院において月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善はみられなかつた。

(四) 公社は、昭和五三年九月一二日、前記労働協約所定の頸肩腕症候群総合精密検診の第四回目を同年一〇月五日から一八日までに行うこととし、釧路健康管理所の健康管理医の意見に基づき、帯広局所属の被上告人外一名を被検者と決定し、同年九月一三日、被上告人に対し、帯広局岩渕運用部長を介して口頭で受診を指示するとともに、実施期間・場所・検診科名及び入院にあたつての注意事項等を記載した書面を手交し、その後も、受診に消極的な態度を示す被上告人に対して受診するよう説得に努め、同年一〇月三日には、被上告人に対し、右運用部長を介して右受診方の業務命令を発したが、被上告人がこれを拒否したため、更に検診日を一か月後に再設定することとし、同月二七日、右運用部長を介し、一一月九日から同月二二日まで検診を受けるよう業務命令を発したが、被上告人は、同年一〇月三〇日、「札幌逓信病院は信頼できない。」として右の業務命令をも拒否した。
(五) これより先、全電通道地本はかねて広報紙等を通じて前記労働協約で決定された総合精密検診実施の必要等を組合員に周知させていたが、同年八月二一日、公社から全電通道地本帯広分会に対して検診の対象者として帯広局の被上告人外一名が選定される予定である旨の通知を受けるや、右分会村上書記長は、即日右両名にその旨を伝達した。また、右分会は、被上告人が同年一〇月三日に発せられた総合精密検診の業務命令を拒否したことを重視し、全電通道地本に対して役員の派遣を要請した。これに応じて、全電通道地本は、一〇月一一日から一三日まで執行委員長ら執行部を帯広局に派遣し、被上告人に対して、総合精密検診の趣旨説明をするとともに、その受診方を説得したが、被上告人は、「札幌逓信病院は信頼できない」「業務災害認定解除のおそれがある」等の理由で受診に反対である旨を表明し、結局、全電通道地本執行部の説得を受け容れなかつた。

2 全電通道地本帯広分会執行部は、本件総合精密検診が労使確認事項であるとしながらも、被上告人が受診拒否の意向を有しており、業務命令発出という形にまで発展したことを重視し、同年一〇月九日午後三時から、帯広局局舎三階の会議室において、公社と団体交渉を行つた。団体交渉は非公開で行われたが、開始後間もなく、被上告人を含む一二名の女子職員が傍聴のため会場の会議室に立ち入り、右分会役員の退去指示にも従わず、一部の者が公開を要求して騒然となり、更に、同室前で分会長らと公開、非公開をめぐり問答し、結局、いつたん中断された団体交渉は再開されなかつた。被上告人は、この間、午後三時一五分ころから約一〇分間にわたり職場を離脱した。
3 公社は、同年一一月一四日、被上告人に対し、1の(四)の受診拒否は、公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」)に該当し、2の職場離脱は、同五九条一八号所定の懲戒事由(「第五条の規定に違反したとき」)に該当するとして、日本電信電話公社法(前記日本電信電話株式会社法附則一一条による廃止前のもの。)三三条に基づき、懲戒戒告処分(以下「本件戒告処分」という。)をした

二 原審は、前記の事実関係に基づき、(一) 医療行為については、原則として、これを受ける者に、自己の信任する医師を選択する自由があるとともに、あらかじめその医療行為の内容につき説明を受けたうえで、これを受診するか否かを選択する自由があり、かつ、このことは、その医療行為が診察を目的とするものか、治療を目的とするものかにより、決定的な差異はない、(二) 公社がその健康配慮義務を尽すために行う施策が、職員に対して疾病につき診察、治療の医療行為を受けさせることをその内容とする場合には、その内容が当該職員の前記自由権の尊重につき考慮を払つたものでない限り、あるいは他にその自由権を制約するについて合理的な理由のない限りは、職員に対し、その施策の受容を承諾なくして強制することは許されないものというべきである、(三) 本件総合精密検診の被検者は、検診期間中における私的生活がかなり制限されるほか、必ずしも自己の信任しない医師により検診に必要な限度において、身体的侵襲を受けるとともに個人の秘密が知られることにもなるから、このような前記自由権に対する重大な制約を伴う検診については、他に合理的な理由のない限りは、被検者たる当該職員にその受診義務を課することはできないというべきである、(四) 一般に労働協約がその協約当事者以外の組合員たる個個の職員に対して直接に義務を負わせる効力を有することはあり得るとしても、それは組合が組合員たる職員のため処分権能を有する範囲あるいは組合員たる職員に対しその統制権能を及ぼし得る範囲に限られると解されるところ、医療行為につき組合員たる個個の職員の有する前記自由権は、本来その個人的領域に属し、組合といえどもこれを処分、制限することのできない事項であるというべきであるから、仮に公社と全電通道地本との間に締結された前記労働協約が、組合員たる個個の職員で長期罹患者等に該当する者に対し、直接に本件総合精密検診を受診すべき義務を課する趣旨を含むものとするならば、かかる労働協約はその部分につき無効というほかなく、したがつて、前記労働協約締結の事実をもつて、本件総合精密検診の受診義務を肯定するうえでの前記合理的理由があるとすることはできず、他に被上告人について前記合理的理由に該当する事実を認めるに足る証拠はない、(五) したがつて、本件総合精密検診は、法的義務の履行としてこれを強制することはできないものというべきであるから、被上告人にその受診を命ずる本件業務命令は無効であり、被上告人がこれを拒否したことをもつて公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当するということはできない、(六) 一〇分間の本件職場離脱という事由のみによつて、被上告人に対し、昇給時に昇給額の減額の効果をともなう本件戒告処分をすることは、その原因となつた行為と対比して著しく均衡を失し、社会通念上客観的妥当性を欠いているから、懲戒についての裁量の範囲を逸脱した違法があつて無効である、と判断した。

三 論旨は、要するに、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診を命ずる本件業務命令は無効であり、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたらないとした原審の判断には法令違背がある、というものであり、以下この点について検討する。
1(一) 一般に業務命令とは、使用者が業務遂行のために労働者に対して行う指示又は命令であり、使用者がその雇用する労働者に対して業務命令をもつて指示、命令することができる根拠は、労働者がその労働力の処分を使用者に委ねることを約する労働契約にあると解すべきである。すなわち、労働者は、使用者に対して一定の範囲での労働力の自由な処分を許諾して労働契約を締結するものであるから、その一定の範囲での労働力の処分に関する使用者の指示、命令としての業務命令に従う義務があるというべきであり、したがつて、使用者が業務命令をもつて指示、命令することのできる事項であるかどうかは、労働者が当該労働契約によつてその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによつて定まるものであつて、この点は結局のところ当該具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものということができる。
ところで、労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、その定めが合理的なものであるかぎり、個別的労働契約における労働条件の決定は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、法的規範としての性質を認められるに至つており、当該事業場の労働者は、就業規則の存在及び内容を現実に知つていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然にその適用を受けるというべきであるから(最高裁昭和四〇年(オ)第一四五号同昭和四三年一二月二五日大法廷判決・民集二二巻一三号三四五九頁)、使用者が当該具体的労働契約上いかなる事項について業務命令を発することができるかという点についても、関連する就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいてそれが当該労働契約の内容となつているということを前提として検討すべきこととなる。換言すれば、就業規則が労働者に対し、一定の事項につき使用者の業務命令に服従すべき旨を定めているときは、そのような就業規則の規定内容が合理的なものであるかぎりにおいて当該具体的労働契約の内容をなしているものということができる
そして、公社と公社職員との間の労働関係は、その事業のもつ社会性及び公益性から、一般私企業と若干異なる規制を受けることは否定できないが、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係とその本質を異にするものではなく、私法上のものということができ、また、公社就業規則の目的及び性質も私企業におけるそれと異なるところはないというべきであるから(最高裁昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)、前述した業務命令の根拠及びその範囲に関する考え方は、公社と公社職員との関係においてもあてはまると解すべきである。

(二) 本件業務命令は、被上告人の罹患した頸肩腕症候群の早期回復を図ることを目的として総合精密検診の受診を命ずるものであり、安全及び衛生に関する業務命令ということができるが、前記の事実関係によれば、公社においては、職員の安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則で定めるほか、健康管理規程を設けている。労働基準法八九条二項によれば、安全及び衛生に関する事項については、特に細かい規定となりやすいため、就業規則とは別個に規則を定めることができるとされているところ、公社における右の健康管理規程は、右八九条二項所定の規則にあたるというべきである。そして、同条項所定の規則といえども、就業規則の一部であることは変わりはないのであるから、右の健康管理規程も就業規則としての性質を有しているものということができる。

2(一) 以上によれば、安全及び衛生に関する事項については、公社就業規則及び健康管理規程の定めている事項がその内容において合理的なものであるかぎりにおいて公社と被上告人との間の具体的労働契約の内容となつているものということができる
以上の見地に立つて本件をみるに、前記のとおり、公社の健康管理規程は、二条二項において、一般的に職員の健康保持義務を定めるとともに、四条において、職員は、健康管理上必要な事項について、健康管理従事者の指示もしくは指導を受けたときは、これを誠実に守らなければならない旨を規定し、更に、二四条において、検診の結果等により健康管理医が必要と認めたときは当該職員に精密検診を受けさせなければならないとするとともに、二六条において、健康管理医は、検診の結果等に基づき、要管理者につき、その病状に応じて、「療養」、「勤務軽減」、「要注意」、「準健康」の各指導区分を決定したうえ、当該職員を右指導区分に従い個別に健康管理指導を行うこととしていること、また、要管理者については、公社就業規則一六五条において、「職員は、心身の故障により、療養、勤務軽減等の措置を受けたときは、衛生管理者の指示に従うほか、所属長、医師及び健康管理に従事する者の指示に従い、健康の回復につとめなければならない。」と定めるとともに、健康管理規程三一条においても、「要管理者は、健康管理従事者の指示に従い、自己の健康の回復に努めなければならない。」と規定している。
以上の公社就業規則及び健康管理規程によれば、公社においては、職員は常に健康の保持増進に努める義務があるとともに、健康管理上必要な事項に関する健康管理従事者の指示を誠実に遵守する義務があるばかりか、要管理者は、健康回復に努める義務があり、その健康回復を目的とする健康管理従事者の指示に従う義務があることとされているのであるが、以上公社就業規則及び健康管理規程の内容は、公社職員が労働契約上その労働力の処分を公社に委ねている趣旨に照らし、いずれも合理的なものというべきであるから、右の職員の健康管理上の義務は、公社と公社職員との間の労働契約の内容となつているものというべきである

(二) もつとも、右の要管理者がその健康回復のために従うべきものとされている健康管理従事者による指示の具体的内容については、特に公社就業規則ないし健康管理規程上の定めは存しないが、要管理者の健康の早期回復という目的に照らし合理性ないし相当性を肯定し得る内容の指示であることを要することはいうまでもない。しかしながら、右の合理性ないし相当性が肯定できる以上、健康管理従事者の指示できる事項を特に限定的に考える必要はなく、例えば、精密検診を行う病院ないし担当医師の指定、その検診実施の時期等についても指示することができるものというべきである。換言すれば、要管理者は、労働契約上、その内容の合理性ないし相当性が肯定できる限度において、健康回復を目的とする精密検診を受診すべき旨の健康管理従事者の指示に従うとともに、病院ないし担当医師の指定及び検診実施の時期に関する指示に従う義務を負担しているものというべきである。もつとも、具体的な労働契約上の義務の存否ということとは別個に考えると、一般的に個人が診療を受けることの自由及び医師選択の自由を有することは当然であるが、公社職員が公社との間の労働契約において、自らの自由意思に基づき、右の自由に対し合理的な制限を加え、公社の指示に従うべき旨を約することが可能であることはいうまでもなく(最高裁昭和二五年(オ)第七号同二七年二月二二日第二小法廷判決・民集六巻二号二五八頁)、また、前記のような内容の公社就業規則及び健康管理規程の規定に照らすと、要管理者が労働契約上負担していると認められる前記精密検診の受診義務は、具体的な治療の方法についてまで健康管理従事者の指示に従うべき義務を課するものでないことは明らかであるのみならず、要管理者が別途自ら選択した医師によつて診療を受けることを制限するものでもないから、健康管理従事者の指示する精密検診の内容・方法に合理性ないし相当性が認められる以上、要管理者に右指示に従う義務があることを肯定したとしても、要管理者が本来個人として有している診療を受けることの自由及び医師選択の自由を侵害することにはならないというべきである。
(三) 前記の事実関係によれば、被上告人は、昭和四九年七月、頸肩腕症候群に罹患している旨の診断がされ、同時に健康管理規程二六条所定の指導区分の「療養」にあたる要管理者として管理指導を受けることとなり、その後も、その症状の推移に従い、「勤務軽減」、「療養」、「要注意」等の指導区分にあたる者として管理指導を受けるとともに、昭和五〇年九月には右疾病につき業務上災害の認定を受けて災害補償を受けていたところ、被上告人の右疾病については、外科医院において月一二、三回ないし二〇回程度通院治療を受けていたほか、月二、三回ないし九回程度「あんま、マツサージ」の治療を受けていたが、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられず、本件当時も、担当職務について労務軽減の措置を受けたまま、電話番号簿の番号訂正等の軽易な机上事務に従事するのみで、本来の電話交換作業に従事できないでいた、というのである。
右の事情に照らすと、被上告人は、当時頸肩腕症候群に罹患したことを理由に健康管理規程二六条所定の指導区分の決定がされた要管理者であつたのであるから、前述したところによれば、被上告人には、公社との間の労働契約上、健康回復に努める義務があるのみならず、右健康回復に関する健康管理従事者の指示に従う義務があり、したがつて、公社が被上告人の右疾病の治癒回復のため、頸肩腕症候群に関する総合精密検診を受けるようにとの指示をした場合、被上告人としては、右検診について被上告人の右疾病の治癒回復という目的との関係で合理性ないし相当性が肯定し得るかぎり、労働契約上右の指示に従う義務を負つているものというべきである。
そして、原審の確定した前記事実関係によれば、公社が公社職員を対象として実施することとした頸肩腕症候群総合精密検診は、発症後三年以上を経過しても治癒しない頸肩腕症候群の疾病要因を追究して、その早期回復を図るための具体的方策を見出すことを目的とするものであるところ、右の疾病要因については、まだ医学的に十分な解明がされていないというのであるから、その疾病要因を究明するための右総合精密検診が、整形外科のみならず、内科、精神科、精神神経科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科等の各専門医による検診を実施したうえ、その各所見を総合的に検討することとしていること、及び右検診のために二週間程度の入院を必要としていることの合理性は否定し難いものというべきである。また、右総合精密検診の実施機関とされる札幌逓信病院は、公社が高度な医療技術により疾病の早期回復を図るとともに、公社職員の健康管理に適した疾病の早期発見、早期治療を行う病院として設置した医療機関であつて、多岐にわたる検診科及び検診項目についての各専門科医の所見を総合して行うべき右総合精密検診を実施するために必要な人的及び物的条件を具備しているとみられるばかりか、同病院が公社内部の医療機関であつて、日頃から公社職員の健康管理に関与していることからすると、他の総合病院におけるよりも、検診を担当する各専門科医に公社職員の頸肩腕症候群の実態及び実施すべき総合精密検診の趣旨を伝達してその周知徹底を期することが比較的容易に行われ得るということも否定できないところである。そして、右のような方法による総合精密検診の実施については、公社と全電通道地本との間で協議がされ、全電通道地本においても右検診方法の合理性を承認したうえで前記労働協約を締結していることが窺われること等の事情をも併せ考慮すると、被上告人ら公社職員を対象とする右総合精密検診の内容・方法の合理性ないし相当性は十分これを肯定することができるものというべきである。

(四) なお、前記の事実関係によれば、被上告人は、本件当時、健康管理医等の管理のもとに、要管理者として健康管理規程所定の方法により健康回復のための指導を受ける一方、一か月あたり相当回数に上る継続的通院治療を受けていたというのであるが、このことから直ちに、被上告人が公社就業規則一六五条及び健康管理規程三一条所定の健康回復に関する努力義務を履行していたものと断定することはできず、かえつて、被上告人は、右のような継続的な治療を受けていたにもかかわらず、昭和五〇年二月以降症状の改善がみられなかつたため、本件当時においても、労務軽減の措置を受けたまま、前記の軽易な机上作業に従事するのみで、本来の電話交換作業に復帰できないでいたというのであるから、当時被上告人には、なお、自己の健康回復に努め、本来の自己の職務に復帰できるように努力する義務が存続しており、また、この義務の履行としては、公社がより高度の医学的方策によるべきことを指示する限りは、その指示に従うべきであるというべきである。本件の総合精密検診は、総合病院の各専門科医による検診結果を総合して被上告人の疾病の原因及びその治療方法を究明し、その疾病の早期回復を企図するものであるというのであるから、単に従前の治療行為を繰り返すにとどまる場合と比較して、右総合精密検診の実施が被上告人の健康回復により資するものであるということも否定し難く、以上の事情にかんがみると、被上告人としては、公社就業規則及び健康管理規程上、公社の指示に従い、本件総合精密検診を受診することにより、その健康回復に努める義務が存したものというべきである。
(五) 以上の次第によれば、被上告人に対し頸肩腕症候群総合精密検診の受診方を命ずる本件業務命令については、その効力を肯定することができ、これを拒否した被上告人の行為は公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由にあたるというべきである。
四 そうすると、原判決が本件業務命令の効力を否定したうえ、これを拒否した被上告人の行為が公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当しないとしたのは、法律の解釈適用を誤つたものであるといわざるを得ず、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがつて、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記の職場離脱が同条一八号の懲戒事由にあたることはいうまでなく、以上の本件における二個の懲戒事由及び前記の事実関係にかんがみると、原審が説示するように公社における戒告処分が翌年の定期昇給における昇給額の四分一減額という効果を伴うものであること(公社就業規則七六条四項三号)を考慮に入れても、公社が被上告人に対してした本件戒告処分が、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え、これを濫用してされた違法なものであるとすることはできないというべきである。したがつて、本件戒告処分は適法ということができ、その無効確認を求める被上告人の本件請求は理由がないというべきであるから、被上告人の請求を認容した第一審判決はこれを取り消したうえ、その請求を棄却すべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口正孝 角田禮次郎 高島益郎 大内恒夫)

・労働者に本来の職業と異なる作業を命じることも、業務上の必要性や相当性が認められるならば、適法な業務命令権の行使とされる。
+判例(H5.6.11)国鉄鹿児島自動車営業所事件
理由
上告代理人村田利雄、同有岡利夫の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人ら及び被上告人は、昭和六〇年当時、いずれも日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の職員であり、被上告人は国鉄九州総局鹿児島自動車営業所(以下「鹿児島営業所」という。)の運輸管理係、上告人竪山明(以下「上告人竪山」という。)は、同営業所長、上告人新野尾文雄(以下「上告人新野尾」という。)は同営業所首席助役であった。なお、被上告人は、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員であった。

2 当時国鉄は、長年にわたる赤字額の累積により経営上の危機にひんして再建を迫られる一方、職場規律の乱れが内外から指摘されてその是正が求められたため、これにこたえるべく、経営能率の向上、職場規律の健全化などを果たすことが、企業としての将来を決する重要な課題となっていた。
右のような状況を受けて、鹿児島営業所の上級機関である九州地方自動車部(以下「自動車部」という。)は、傘下の各営業所に対して、職場規律の確立に力を入れるよう指示し、その一つとして、職員の服装の乱れを是正すること、勤務時間中のワッペン、赤腕章等の着用を禁止すること及び職員に氏名札の着用を行わせることを指示した。中でも職場規律の乱れが全国でも最悪と指摘された鹿児島営業所の所長であった上告人竪山は、自動車部と打ち合わせて職場規律の確立に取り組むように特に指示されたため、職員に対し、勤務時間中のワッペン、赤腕章の着用を禁止するとともに、前記氏名札と着用場所が競合する国労の組合員バッジ(以下「本件バッジ」という。)の着用を禁止し、着用者に対して取外し命令を発していた。また、上告人竪山は、本件バッジの取外し命令に従わない職員に対しては当該職員の担当する本来の業務から外すよう、自動車部から指示を受けていた
なお、当時、国鉄が経営の合理化のために打ち出す種々の施策に対して、国労は反対の方針を採り、そのため国鉄の労使は恒常的に対立した状況にあった。鹿児島営業所においても、国労の組合員によるワッペン、赤腕章の着用等の行為が行われ、被上告人ら組合員は、上告人らを始めとする管理職と対立していた。このような状況の下で、本件バッジの着用は、国労の組合員であることを勤務時間中に積極的に誇示する意味と作用を有し、勤務時間中にも職場内において労使間の対立を意識させ、職場規律を乱すおそれを生じさせるものであった

3 被上告人は、前記のとおり運輸管理係の地位にあったが、管理者に準ずる地位である補助運行管理者にも指定され、昭和六〇年七月二三日、二四日、八月五日、六日、一六日、一七日、二二日、二三日、二九日及び三〇日の各日は、補助運行管理者として点呼執行業務に従事すべき日とされていた。
昭和六〇年七月二三日、被上告人が、本件バッジを着用したまま点呼執行業務を行おうとしたため、上告人竪山は、被上告人に対して本件バッジの取外し命令を発したが、被上告人は右命令に従わなかった。そこで、同上告人は、被上告人を点呼執行業務から外し、鹿児島営業所構内に降り積もった火山灰を除去する作業(以下「降灰除去作業」という。)に従事すべき旨の業務命令を発した。その後の同月二四日、八月五日、六日、一六日、一七日、二二日、二三日、二九日及び三〇日についても、上告人竪山は、前同様の経緯により、本件バッジの取外し命令に従おうとしない被上告人を点呼執行業務から外し、前記作業に従事すべき旨の業務命令を発した(右の各業務命令を、以下「本件各業務命令」という。)。

4 降灰除去作業は、桜島の噴火活動によって上空に吹き上げられ鹿児島市内に飛来して降り積もった火山灰を除去するものであり、かなりの不快感と肉体的苦痛を伴う作業であるが、鹿児島営業所の職場環境を整備して、労務の円滑化、効率化を図るために必要なものであり、従来も、職員がその必要に応じてこれを行うことがあった。
本件各業務命令は、勤務時間中に同営業所構内(広さ約一二〇〇平方メートル)の降灰除去作業に従事すべき旨を命じたものであるが、作業方法及び服装等についての特段の指示はなく、また、所定の休憩時間(正午から午後一時まで)以外の休憩の取り方についても特段の指示はなかった。被上告人は、本件各業務命令に基づき、前記の各日、それぞれ午前八時三五分ころから午後五時ころまで、同営業所構内の降灰除去作業に従事した。
5 上告人ら管理職は、被上告人が降灰除去作業に従事中、右作業状況を監視し、また、勤務中の他の職員が被上告人に清涼飲料水を渡そうとしたところ、上告人竪山がこれを制止する等のことがあった。

二 原審は、右事実関係の下において、次のとおり判断した。
1 降灰除去作業は、被上告人の労働契約上の義務の範囲内に含まれるから、本件各業務命令を労働契約に根拠のない作業を命じたものとはいえない
2 また、本件バッジの着用は、職場規律を乱し、職務専念義務に違反するものであるから、上告人竪山がした前記取外し命令及びこれに従わなかった被上告人を点呼執行業務から外した措置には、いずれも合理的な理由があり、これが違法なものとはいえない。
3 しかし、本件各業務命令は、被上告人には運輸管理係としての日常の業務があり、殊更降灰除去作業を命ずべき必然性はなかったのに、本件バッジの取外し命令に従わなかったことに対し、懲罰的に発せられたものである。このように、かなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせることは、業務命令権の濫用であって違法である。したがって、本件各業務命令は、被上告人に対する不法行為に当たり、上告人らは、これにより被上告人の被った精神的損害を賠償すべき義務がある。

三 しかしながら、原審の前項3の、本件各業務命令が違法であって被上告人に対する不法行為に当たるとする判断は、是認することができない。
前記の事実関係からすると、降灰除去作業は、鹿児島営業所の職場環境を整備して、労務の円滑化、効率化を図るために必要な作業であり、また、その作業内容、作業方法等からしても、社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず、これが被上告人の労働契約上の義務の範囲内に含まれるものであることは、原判決も判示するとおりである。しかも、本件各業務命令は、被上告人が、上告人竪山の取外し命令を無視して、本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、自動車部からの指示に従って被上告人をその本来の業務から外すこととし、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置ということができ、これが殊更に被上告人に対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない。なお、上告人ら管理職が被上告人による作業の状況を監視し、勤務中の他の職員が被上告人に清涼飲料水を渡そうとするのを制止した等の行為も、その管理職としての職責等からして、特に違法あるいは不当視すべきものとも考えられない。そうすると、本件各業務命令を違法なものとすることは、到底困難なものといわなければならない。
四 したがって、本件各業務命令が被上告人に対する不法行為に当たるとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、結局同旨をいう論旨は理由があり、原判決中上告人ら敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記のとおり、本件各業務命令は、不法行為を構成するものではないから、これが不法行為を構成することを前提とした被上告人の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がないというべきであって、第一審判決中上告人ら敗訴部分を取り消した上、その請求を棄却すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官木崎良平 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也)

++解説
《解  説》
一 本件は、旧国鉄(昭62・4・1の国鉄法の廃止とともに国鉄清算事業団に移行した。国鉄清算事業団法附則二条参照。)の職員が業務命令を違法であるとして上司個人を相手に提起した損害賠償請求訴訟についての最高裁判決である。
Xは国鉄九州総局鹿児島自動車営業所(以下「鹿児島営業所」という。)の運輸管理係の地位にあったが、営業所の管理者に準ずる地位である補助運行管理者に指定され、昭和六〇年七月及び八月のうち、連続して二日間ずつの合計一〇日間が、補助運行管理者として点呼執行業務に従事すべき日に定められていた。道路運送法(平成元年法律第八三号による改正前のもの)二三条一項は、一般旅客自動車運送事業者は事業用自動車の運行の安全の確保に関する事項を処理させるため所定の営業所ごとに運行管理者を選任すべき旨規定し、これを受けて制定された自動車運送事業等運輸規則(平成二年運輸省令第二三号による改正前のもの)三二条の二によれば、運行管理者の業務内容は、① 輸送の安全確保に支障が生ずるおそれがあるときに、乗務員に対する必要な指示その他輸送の安全のための措置をとること、② 乗務員にに対して点呼を行い、所定の事項につき報告を求め、事業用自動車の運行の安全を確保するために必要な指示等を行うこと、③ 乗務員に対し所定の指導監督を行うこと、等とされている。そして、同規則二五条の五に基づき制定された国鉄の運行管理規定によれば、補助運行管理者は、前記②の業務(点呼執行業務)を行い、点呼を行うとともに、乗務員の服装、態度等を確認し必要な指示等を行うものとされている。
本判決によれば、本件のおおよその経緯等は、次のようなものであった。Xは、補助運行管理者として右の点呼執行業務に従事すべき日とされていた前記一〇日間のいずれの日においても、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員バッジ(以下「本件バッジ」という。)を着用したまま点呼執行業務を行おうとしたため、鹿児島営業所の所長Y1がその取外し命令を発したが、Xは右命令に従わず、これに対してY1は、右各日、Xを点呼執行業務から外して鹿児島営業所構内の火山灰の除去作業(以下「降灰除去作業」という。)に従事すべき旨の業務命令(以下「本件各業務命令」という。右の火山灰というのは、桜島の噴火活動によって上空に吹き上げられ鹿児島市内に飛来して降り積もったものである。)を発し、そこで、Xは、本件各業務命令に基づき、前記の各日の勤務時間中、右の降灰除去作業に従事した。本件バッジの着用は、国労の組合員であることを勤務時間中に積極的に誇示する意味と作用を有し、勤務時間中にも職場内において労使間の対立を意識させ、職場規律を乱すおそれを生じさせるものであり、一方、降灰除去作業は同営業所内の職場環境整備等のため必要な作業であって、従来も職員がその必要に応じてこれを行うことがあった。
本件損害賠償請求訴訟は、Xが、本件各業務命令はXが本件バッジの取外し命令に従わなかったことから、労働契約に根拠がなくまたその必要もないのに懲罰的に発せられた違法なものである等と主張し、不法行為に基づき、Y1及びこれに協力した首席助役Y2各個人を相手として各自五〇万円の慰藉料の支払をすることを求めたものである。
二 Xの右損害賠償請求について、一審(本誌六九六号一三八頁)は、① 降灰除去作業は、Xの労働契約上の義務の範囲内に含まれるから、本件各業務命令を労働契約に根拠のない作業を命じたものとはいえない、② 本件バッジの着用は、職場規律を乱し職務専念義務に違反するものであるから、Y1のした前記取外し命令及びこれに従わなかったXを点呼執行業務から外した措置にはいずれも合理的な理由があり、違法なものとはいえない、③ しかし、本件各業務命令は、殊更降灰除去作業を命ずべき必然性がなかったのに、本件バッジの取外し命令に従わなかったために、懲罰的に発せられたものであって、このようにかなりの肉体的、精神的苦痛を伴う作業を懲罰的に行わせるのは、業務命令権の濫用であって違法である等として、Y1、Y2について各自一〇万円の慰藉料の支払義務を認め、Xの請求を一部認容し、二審(本誌七二五号一一五頁)もこれを維持した。これに対して、Y1、Y2が上告した。
本判決は、上告を容れ、原判決中Y1、Y2の敗訴部分を破棄し、一審判決中右部分を取り消してXの請求を棄却すべきものとしたものである。
三 最一小判昭61・3・13、労判四七〇号六頁(電電公社帯広局事件)によれば、一般に業務命令とは、使用者が業務遂行のために労働者に対して行う指示又は命令であり、使用者がその雇用する労働者に対して業務命令をもって指示、命令することのできる根拠は、労働者がその労働力の処分を使用者にゆだねることを約する労働契約にあり、したがって、使用者が業務命令をもって指示、命令することのできる事項であるかどうかは労働者が当該労働契約によってその処分を許諾した範囲内の事項であるかどうかによって定まるものであって、この点は結局のところ当該具体的な労働契約の解釈の問題に帰するものとされている。
本件についてみてみると、一、二審は、前記のとおり、降灰除去作業がXの労働契約上の義務の範囲内に含まれる等としながら、本件各業務命令は、本件バッジの取外し命令に従わなかったことに対して懲罰的に発せられたものであり、業務命令権の濫用であって違法であるとしたのに対し、本判決は、原審の確定した事実関係の下で、① 降灰除去作業は、鹿児島営業所の職場環境整備等のために必要なものであり、その作業内容、作業方法等からしても社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず、Xの労働契約上の義務の範囲内に含まれるものである、② 本件各業務命令は、Xが、Y1の取外し命令を無視して、本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為を行おうとしたことから、Y1が上部からの指示に従ってXをその本来の業務から外し、職場規律維持の上で支障が少ないものと考えられる屋外作業である降灰除去作業に従事させることとしたものであり、職場管理上やむを得ない措置であって、これが殊更にXに対して不利益を課するという違法、不当な目的でされたものであるとは認められない、として、本件各業務命令を違法なものとすることはできず、本件各業務命令は不法行為を構成するものではないと判断した。なお、本件バッジの着用行為について、本判決は、上告論旨の争点となっていないためか、「本件バッジを着用したまま点呼執行業務に就くという違反行為」という説示をするにとどめているところ、本判決の右説示は、国鉄職員の服務の基準を定める国鉄法三二条(特に二項の職務専念義務)や国鉄の服装に関する定め等の存在を踏まえたものと思われる。
四 本判決は、管理者に準ずる地位にある職員が組合員バッジの取外し命令に従わないため、点呼執行業務から外して労働契約上の義務の範囲内には含まれるが職員の通常業務ではない職場環境整備等のため必要な作業(降灰除去作業)を命じた業務命令が職場管理上やむを得ないもので違法とはいえない、としたものであって、業務命令に関する同種事案の先例として参考になろう。

・命令が業務上の必要性に基づかない場合、嫌がらせなど不当な目的で発せられた場合、過酷な内容で労働者に肉体的・精神的な苦痛を与える場合などには、当該命令は権利の濫用に当たり無効。
+判例(H8.2.23)JR東日本本荘保線区事件
要旨
国労マーク入りのベルトを着用して就労した組合員に対し、会社が就業規則の書き写し等を命じたことが、労働者の人格権を侵害し、教育訓練に関する業務命令権の裁量の範囲を逸脱する違法なものとして、会社に損害賠償義務が認められた事例。

b)労務提供義務・職務専念義務・誠実労働義務

・職務専念義務や誠実労働義務とは、当該労働契約の趣旨に合致した態様・方法で支障なく労務提供を行う義務である。
+判例(S57.4.13)大成観光ホテルオークラ事件
理由
上告代理人馬場正夫、同田中庸夫、同西道隆の上告理由について
本件リボン闘争について原審の認定した事実の要旨は、参加人組合は、昭和四五年一〇月六日午前九時から同月八日午前七時までの間及び同月二八日午前七時から同月三〇日午後一二時までの間の二回にわたり、被上告会社の経営するホテルオークラ内において、就業時間中に組合員たる従業員が各自「要求貫徹」又はこれに添えて「ホテル労連」と記入した本件リボンを着用するというリボン闘争を実施し、各回とも当日就業した従業員の一部の者(九五〇ないし九八九名中二二八ないし二七六名)がこれに参加して本件リボンを着用したが、右の本件リボン闘争は、主として、結成後三か月の参加人組合の内部における組合員間の連帯感ないし仲間意識の昂揚、団結強化への士気の鼓舞という効果を重視し、同組合自身の体造りをすることを目的として実施されたものであるというのである。
そうすると、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、本件リボン闘争は就業時間中に行われた組合活動であつて参加人組合の正当な行為にあたらないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
上告理由第一点の所論は、要するに、本件リボン闘争は参加人組合の正当な争議行為にあたるものであるし、更に、それが争議行為にあたらないとしても、労働組合の正当な組合活動の範囲内に属するものであつて、いずれにしても、被上告人がそれを理由に就業規則に基づいて本件各懲戒処分をしたことは不当労働行為にあたる、と主張するものである。これに対して、法廷意見は、本件リボン闘争は就業時間中の組合活動であつて、参加人組合の正当な行為にあたらないと判示している。私もまたそれに同調するが、この判断は、労働組合の団体行動の正当性について重要な論点を提起するものであるから、いささか私見を補足しておきたい。
一 労働組合の争議行為とは何かを明確に定義づけることは困難であり、恐らくは、労働組合の団体行動が争議行為にあたるとすることによつてどのような法的効果を生ずるかに応じて多少とも異なる意味をもつものとして理解されるべきものと思われるが、一般的にいえば、労働組合が、その主張の示威又は貫徹のためにその団体の意思によつて労務を停止すること(怠業や残業拒否のように不完全な停止を含む)が争議行為に該当すると解される。この立場にたつても、たとえば労働組合法による民事免責等に関して、このような争議行為に随伴してされる行為(ピケ行為等)も争議行為のうちに含ましめることはありうるが、このような随伴的行為はそれ自体として争議行為とはならない。そう考えると、業務の性質によつては、リボン闘争自体が労務の停止に等しいと考えられる場合がありえないものではないから、一切のリボン闘争が争議行為にあたらないとすることはできないとしても、一般的には、リボン闘争は、類型として争議行為にあたらないというべきである。原審の適法に確定した事実によれば、本件リボン闘争は、法廷意見の示すような態様で行われたのであるから、これを争議行為としてとらえることは相当ではない。したがつて、争議行為に就業規則が適用されるかどうか、また具体的な本件リボン闘争が争議行為として正当性をもつかどうかを判断する必要はないと考えられる。

二 それでは、本件リボン闘争を労働組合の組合活動としてとらえるときに、その正当性を認めることができるか。いわゆるリボン闘争は、労務を停止することなく、就業時間中に労働組合員である労働者が組合の決定に基づき一定のリボンを着用する形態をとるものであるから、ここでは、就業時間中にこのような組合活動が許されるかどうかが問題となる。
一般に、就業時間中の組合活動は、使用者の明示又は黙示の承諾があるか又は労使の慣行上許されている場合のほかは認められないとされているが、これは、労働者の負う職務専念義務、すなわち労働契約により労働者は就業時間中その活動力をもつぱら職務の遂行に集中すべき義務を負うことに基づくものとされている。もしこの義務を厳格に解し、およそ就業時間内においては、職務の遂行に直接関連のない活動が許されないとすれば、当然に、組合活動をすることは認められず、リボン闘争は違法と判断されることとなる当裁判所は、政治的内容をもつ文言を記載したプレートの着用行為につき、すべての注意力を職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき職場の規律秩序を乱すものであると判断している(昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)。この判旨は、職務専念義務について、就業時間中には一切の肉体的精神的な活動力を職務にのみ用いるべきであるという厳格な立場をとつたものとみられるが、このプレート着用が組合の活動でなかつたこと、プレートに記載された文言が政治的な内容のものであつて、その着用が政治活動にあたること、それが法律によつて職務専念義務の規定されている公共部門の職場における活動であつたことにおいて、本件とは事案を異にするといつてよい。
労働者の職務専念義務を厳しく考えて、労働者は、肉体的であると精神的であるとを問わず、すべての活動力を職務に集中し、就業時間中職務以外のことに一切注意力を向けてはならないとすれば、労働者は、少なくとも就業時間中は使用者にいわば全人格的に従属することとなる。私は、職務専念義務といわれるものも、労働者が労働契約に基づきその職務を誠実に履行しなければならないという義務であつて、この義務と何ら支障なく両立し、使用者の業務を具体的に阻害することのない行動は、必ずしも職務専念義務に違背するものではないと解する。そして、職務専念義務に違背する行動にあたるかどうかは、使用者の業務や労働者の職務の性質・内容、当該行動の態様など諸般の事情を勘案して判断されることになる。このように解するとしても、就業時間中において組合活動の許される場合はきわめて制限されるけれども、およそ組合活動であるならば、すべて違法の行動であるとまではいえないであろう。
そこで、所論のように本件懲戒処分が不当労働行為となるためには、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、右のような見解に照らして本件リボン闘争が正当として許されるものでなければならない。この点に関しては、原審が本件リボン闘争の特別違法性として説示するところは是認することができ、したがつて、本件リボン闘争は、参加人組合の組合員たる労働者の職務を誠実に履行する義務と両立しないものであり、被上告人の経営するホテルの業務に具体的に支障を来たすものと認められるから、それは就業時間中の組合活動としてみて正当性を有するものとはいえない。 
三 なお、服装規定の違反に関する所論についても、一般にリボン闘争が使用者の定める服装規定に違反して正当性を欠くものであるかどうかはともかく、原審の適法に確定した事実関係のもとでは、本件リボン闘争が被上告人経営のホテルにおいて服装規定に違反するものであるから正当な行為たりえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。
以上の理由により、私は、原審の判断は結論において正当と認めるのであり、論旨は採用することができないと考える。
(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)

+判例(S52.12.13)目黒電報電話局事件
理由
上告指定代理人香川保一、同近藤浩武、同矢崎秀一、同長島俊雄、同玉野義雄、同外松源司、同宮坂弘、同森田義之の上告理由について
第一 本件の経過
一 原審が確定したところによれば、本件の事実関係は、おおむね次のとおりである。
(一) 被上告人は、日本電信電話公社(以下「公社」という。)目黒電報電話局(以下「目黒局」という。)施設部試験課に勤務する公社職員であるが、昭和四二年六月一六日から同月二二日まで継続して、目黒局において、作業衣左胸に、青地に白字で「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と書いたプラスチツク製のプレート(以下「本件プレート」という。)を着用して勤務した。被上告人が本件プレートを着用した動機は、ベトナム戦争に反対することが日本の平和につながるという気持をもち、立川基地がベトナム戦争の遂行に利用されていると考え、本件プレートに記載されたスローガンに共鳴同調し、その気持を職場の同僚に理解してもらいたいということにあつた。
(二) その間、目黒局の局長及び次長は、同年六月一六日午前九時ころ、被上告人に対し、「局所内でそのようなものをつけては困る。局所内で右のような主義、主張をもつた札、ビラその他を胸につけることは許可しない方針なので直ちに取りはずしてもらいたい。」旨注意を与えたが、被上告人はこれに従わず、更に、同日正午前ころ試験課長が、翌一七日午後二時前ころ試験課長、施設部長が、同月二二日正午ころ試験課長が、同日午後三時過ぎころ次長、施設部長が、それぞれプレートを取りはずすように注意を与えたが、被上告人はこれに従わなかつた。
(三) 被上告人は、本件プレートの取りはずし命令は不当であると考え、これに抗議する目的で、同月二三日休憩時間中である正午から零時一〇分ころまでの間に、局所管理責任者である庶務課長の許可を受けることなく、「職場のみなさんへの訴え」と題し、六月一六日局長室でプレート着用について注意を受けた状況及び管理者側の態度が職場の組合活動や労働者の政治的自覚を高める活動を抑えて公社の合理化計画をよりスムーズに進行させるための地ならしであるとの抗議の意見を記載し、職場の要求をワツペン、プレートにして皆の胸につけることを呼びかけた内容のビラ数十枚を、試験課、線路課など各課の休憩室及び食堂で職員に手渡し、休憩室のない一部の職場では職員の机上に置くという方法で、配布した。
(四) 公社は、同月二四日、被上告人に対し、被上告人の前記(一)のプレート着用行為は、日本電信電話公社就業規則(以下「公社就業規則」という。)五条七項(「職員は、局所内において、選挙運動その他の政治活動をしてはならない。」)に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由(「第五条の規定に違反したとき」)に該当する、(二)の行為は、同条三号所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」)に該当する、(三)のビラ配布行為は、同五条六項(「職員は、局所内において、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為をしようとするときは、事前に別に定めるその局所の管理責任者の許可を受けなければならない。」)に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由に該当するとして、日本電信電話公社法(以下「公社法」という。)三三条一項により懲戒戒告処分に付する旨の意思表示(以下「本件処分」という。)をした。

二 原審は、(1) 公社就業規則五条七項の「政治活動」の意義は人事院規則一四―七に規定する政治的目的をもつ政治的行為と同趣旨であると解するのが相当であるところ、本件プレートが政治上の主張の表示に用いられる記章に該当するとしても、被上告人が人事院規則一四―七にいう政治的目的をもつて本件プレートを着用したものとはとうてい認め難いところであるから、被上告人の本件プレート着用行為は公社就業規則五条七項の規定に違反せず、五九条一八号所定の懲戒事由に該当しない、(2) 本件プレート着用行為が公社就業規則の禁止規定に違反することを前提とする局長らの本件プレート取りはずし命令は、正当な根拠を欠き、被上告人に義務なきことを強制するものにほかならないから、被上告人がこれに従うことを拒否したとしても、命令不服従の責めを問うことはできず、前記一の(二)の被上告人の行為は公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由に該当しない、(3) 公社就業規則五九条一八号、五条六項は、およそ文書の無許可配布一般を懲戒処分の対象に包摂するものではなく、許可制を採用することによつて担保ないし維持しようとした職場秩序の実質的侵害を伴うような無許可のビラ配布のみを懲戒処分の対象とする趣旨であると解すべきところ、被上告人の本件ビラ配布は、なんら職場秩序の実質的侵害を伴わないものであるから、公社就業規則五九条一八号所定の懲戒事由に該当しない、(4) したがつて、本件処分は、公社就業規則所定の懲戒事由が存在しないのにもかかわらずされたものであつて無効であり、また仮に、被上告人の本件ビラ配布行為が形式的に公社就業規則五条六項に違反し、五九条一八号の懲戒事由に該当するとしても、違反の情状は極めて軽微であるから本件処分は懲戒権の濫用というべきであつて無効である、と判断した。

三 論旨は、原審の判断は、公社就業規則五条六項及び七項並びに五九条三号及び一八号、ひいては公社法三三条の規定の解釈、適用を誤つたものであり、右の違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

第二 当裁判所の判断
一 まず、公社就業規則における政治活動禁止の意義について検討する。
上告人公社は、公衆電気通信事業の合理的かつ能率的な経営体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに電気通信による国民の利便を確保することにより公共の福祉を増進することを目的として設立された法人であつて、その設立に伴い、従来電気通信省の職員であつた者は、電気通信大臣が指名する者を除き、公社の職員となり、国家公務員法(以下「国公法」という。)及び人事院規則によつて規律されていたその服務関係は、公社法、公共企業体等労働関係法及び公社の制定する就業規則等により規律されることとなつた。ところで、一般職国家公務員については、その政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保する目的から、国公法一〇二条、人事院規則一四―七により政治的行為の制限が定められ、その違反に対しては同法一一〇条一九号により刑罰が科せられることとされている。しかしながら、公社職員については、法律自体に職員の政治的行為を禁止する規定は設けられず、専ら公社就業規則において、「職員は、局所内において、選挙運動その他の政治活動をしてはならない。」(制定当初は五条八項に定められていたが、数次の改正により本件当時は五条七項に規定されていた。)と定められているにとどまり、国公法と異なつて、局所内における政治活動だけが禁止され、しかも刑罰の裏づけを伴つていない。そうして、公社は、公衆電気通信事業という、一般公衆が直接利用関係に立ち国民生活に直接重大な影響をもつ社会性及び公益性の極めて強い事業を経営する企業体であるから、公社とその職員との労働関係が一般私企業と若干異なる規制を受けることは否定することができないが、公社はその設立目的に照らしても企業性を強く要請されており、公社と職員との関係は、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係とその本質を異にするものではなく、私法上のものであると解される。更に、一般に就業規則は使用者が企業経営の必要上従業員の労働条件を明らかにし職場の規律を確立することを目的として制定するものであつて、公社就業規則も同様の目的で公社が制定したものであるが、特に公社就業規則五条はその体裁、文言から局所内の秩序風紀の維持を目的とした規定であると解しうるところからみると、公社就業規則五条七項が局所内における政治活動を禁止した趣旨は、一般職国家公務員に関する国公法一〇二条、人事院規則一四―七における政治的行為の制限の趣旨と異なり、一般私企業において就業規則により事業所(職場)内における政治活動を禁止しているのと同様、企業秩序の維持を主眼としたものであると解するのが、相当である。すなわち、一般私企業においては、元来、職場は業務遂行のための場であつて政治活動その他従業員の私的活動のための場所ではないから、従業員は職場内において当然には政治活動をする権利を有するというわけのものでないばかりでなく、職場内における従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立ないし抗争を生じさせるおそれがあり、また、それが使用者の管理する企業施設を利用して行われるものである以上その管理を妨げるおそれがあり、しかも、それを就業時間中に行う従業員がある場合にはその労務提供業務に違反するにとどまらず他の従業員の業務遂行をも妨げるおそれがあり、また、就業時間外であつても休憩時間中に行われる場合には他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後における作業能率を低下させるおそれのあることがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いものといわなければならない。したがつて、一般私企業の使用者が、企業秩序維持の見地から、就業規則により職場内における政治活動を禁止することは、合理的な定めとして許されるべきであり、特に、合理的かつ能率的な経営を要請される公社においては、同様の見地から、就業規則において右のような規定を設けることは当然許されることであつて、公社就業規則五条七項の規定も、本質的には、右のような趣旨のもとに定められていると解され、右規定にいう「政治活動」の意義も、一般私企業における就業規則が禁止の対象としている政治活動、すなわち、社会通念上政治的と認められる活動をいうものと解するのが、相当である。
もつとも、公社就業規則の立案関係者の見解によれば政治活動の意義は人事院規則一四―七に規定する政治的目的をもつ政治的行為と解されていたこと及び本件第一審において上告人は右立案者の見解と同様の主張をしていたことは、原審の確定した事実及び本訴の経過に徴して明らかなところである。しかしながら、就業規則の解釈にあたり、制定当時の立案関係者の見解が重要な資料となることは否定することができないとしても、これを絶対視すべきものではなく、また、右のような就業規則の解釈に関する訴訟上の主張を改めることは何ら差し支えのないところであるから(上告人がすでに原審において主張を改めていることは、記録上明らかである。)、右のような事情の存在は、公社就業規則五条七項にいう「政治活動」の意義について前記解釈をとることについて何ら妨げとなるものではない。

二 そこで、右の見地に立つて、被上告人の前記第一の一の(一)のプレート着用行為について検討する。
被上告人が着用した本件プレートに記載された文言は、それ自体、アメリカ合衆国が行つているベトナム戦争に反対し、右戦争の遂行の拠点としての役割を果たす米軍立川基地の拡張の阻止を訴えようとしたものであるが、ベトナム戦争がアメリカ合衆国の政策として行われ、わが国が、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」に基づき、合衆国軍隊に立川基地を提供してその使用にゆだね、これを通じてアメリカ合衆国の前記政策に協力する政治的な立場をとつていた事実に照らせば、本件プレートの文言は、右のようなわが国の政治的な立場に反対するものとして社会通念上政治的な意味をもつものであつたことを否定することができない。前記第一の一の(一)の事実によれば、被上告人は右文言を記載したプレートを着用してこれを職場の同僚に訴えかけたものというべきであるから、それは社会通念上政治的な活動にあたり、しかもそれが目黒局の局所内で行われたものである以上、公社就業規則五条七項に違反することは、明らかである。もつとも、公社就業規則五条七項の規定は、前記のように局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであることにかんがみ、形式的に右規定に違反するようにみえる場合であつても、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときには、右規定の違反になるとはいえないと解するのが、相当である。ところで、公社法三四条二項は「職員は、全力を挙げてその職務の遂行に専念しなければならない」旨を規定しているのであるが、これは職員がその勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり、右規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解すべきである。本件についてこれをみれば、被上告人の勤務時間中における本件プレート着用行為は、前記のように職場の同僚に対する訴えかけという性質をもち、それ自体、公社職員としての職務の遂行に直接関係のない行動を勤務時間中に行つたものであつて、身体活動の面だけからみれば作業の遂行に特段の支障が生じなかつたとしても、精神的活動の面からみれば注意力のすべてが職務の遂行に向けられなかつたものと解されるから、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき局所内の規律秩序を乱すものであつたといわなければならない。同時にまた、勤務時間中に本件プレートを着用し同僚に訴えかけるという被上告人の行動は、他の職員の注意力を散漫にし、あるいは職場内に特殊な雰囲気をかもし出し、よつて他の職員がその注意力を職務に集中することを妨げるおそれのあるものであるから、この面からも局所内の秩序維持に反するものであつたというべきである。
すなわち、被上告人の本件プレート着用行為は、実質的にみても、局所内の秩序を乱すものであり、公社就業規則五条七項に違反し五九条一八号所定の懲戒事由に該当する。

三 したがつて、前記のように公社就業規則に違反する被上告人の本件プレート着用に対しその取りはずしを命じた上司の命令は、適法というべきであり、これに従わなかつた被上告人の前記第一の一の(二)の行為は、公社就業規則五九条三号所定の懲戒事由である「上長の命令に服さないとき」に該当する。
四 次に、被上告人の前記第一の一の(三)のピラ配布行為は、許可を得ないで局所内で行われたものである以上、形式的にいえば、公社就業規則五条六項に違反するものであることが明らかである。もつとも、右規定は、局所内の秩序風紀の維持を目的としたものであるから、形式的にこれに違反するようにみえる場合でも、ビラの配布が局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、右規定の違反になるとはいえないと解するのを相当とする。ところで、本件ビラの配布は、休憩時間を利用し、大部分は休憩室、食堂で平穏裡に行われたもので、その配布の態様についてはとりたてて問題にする点はなかつたとしても、上司の適法な命令に抗議する目的でされた行動であり、その内容においても、上司の適法な命令に抗議し、また、局所内の政治活動、プレートの着用等違法な行為をあおり、そそのかすことを含むものであつて、職場の規律に反し局所内の秩序を乱すおそれのあつたものであることは明らかであるから、実質的にみても、公社就業規則五条六項に違反し、同五九条一八号所定の懲戒事由に該当するものといわなければならない。
五 してみると、被上告人の前記第一の一の(一)ないし(三)の各行為をもつて公社就業規則所定の懲戒事由に該当しないとした原審の判断は、公社就業規則五条六項及び七項並びに五九条三号及び一八号、ひいては公社法三三条の解釈、適用を誤つた違法があるというべきであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
六 そこで更に、原審の確定した事実に基づき、被上告人の請求の当否について判断することとする。すなわち、被上告人の前記第一の一の(一)の行為は公社就業規則五条七項に違反して同五九条一八号に、第一の一の(二)の行為は同五九条三号に、また、第一の一の(三)の行為は同五条六項に違反して同五九条一八号に、該当することは、上述のとおりであるところ、
(1) まず、被上告人は、公社就業規則五条六項、七項は憲法一五条一項、一九条、二一条一項に違反して無効である、と主張する。しかしながら、公社とその職員との間の法律関係は原則として一般私企業における使用者と従業員との関係と同様私法上の関係であり、公社就業規則は公社が私企業の使用者と同一の立場に立つて、職員との関係を規律するために定めたものと解すべきであつて、右のような私法上の関係について憲法一五条一項、一九条、二一条一項の適用又は類推適用がないことは、当裁判所昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決(民集二七巻一一号一五三六頁)及びその趣旨に徴し明らかであるから、被上告人の右主張は理由がない。
(2) 次に、被上告人は、本件処分は憲法一九条、二一条一項、一四条に違反し無効である、と主張する。しかし、本件処分は、公権力の行使ではなく、公社が私企業の使用者と同一の立場に立つてした私法行為であると解すべきものであるから、右行為については、憲法一九条、二一条一項、一四条の規定は適用又は類推適用されるものではなく(前掲大法廷判決参照)、したがつて、被上告人の右主張は理由がない。
(3) 更に、被上告人は、本件処分は、上告人が被上告人を共産党員であると認識し、その思想信条を嫌い、そのため行つた差別待遇にほかならないとして、労働基準法(以下「労基法」という。)三条違反を主張する。しかしながら、原審の確定した事実によれば、本件処分は被上告人の前記違法な行為を理由として行われたものであることが明らかであるから、被上告人の右主張は理由がない。
(4) また、被上告人は、本件ビラ配布は正午の休憩時間を利用して行つたものであるのにこれを懲戒処分の対象とすることは、労基法三四条三項に違反する、と主張する。一般に、雇用契約に基づき使用者の指揮命令、監督のもとに労務を提供する従業員は、休憩時間中は、労基法三四条三項により、使用者の指揮命令権の拘束を離れ、この時間を自由に利用することができ、もとよりこの時間をビラ配り等のために利用することも自由であつて、使用者が従業員の休憩時間の自由利用を妨げれば労基法三四条三項違反の問題を生じ、休憩時間の自由利用として許される行為をとらえて懲戒処分をすることも許されないことは、当然である。しかしながら、休憩時間の自由利用といつてもそれは時間を自由に利用することが認められたものにすぎず、その時間の自由な利用が企業施設内において行われる場合には、使用者の企業施設に対する管理権の合理的な行使として是認される範囲内の適法な規制による制約を免れることはできない。また、従業員は労働契約上企業秩序を維持するための規律に従うべき義務があり、休憩中は労務提供とそれに直接附随する職場規律に基づく制約は受けないが、右以外の企業秩序維持の要請に基づく規律による制約は免れない。しかも、公社就業規則五条六項の規定は休憩時間中における行為についても適用されるものと解されるが、局所内において演説、集会、貼紙、掲示、ビラ配布等を行うことは、休憩時間中であつても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げ、ひいてはその後の作業能率を低下させるおそれがあつて、その内容いかんによつては企業の運営に支障をきたし企業秩序を乱すおそれがあるのであるから、これを局所管理者の許可にかからせることは、前記のような観点に照らし、合理的な制約ということができる。本件ビラの配布は、その態様において直接施設の管理に支障を及ぼすものでなかつたとしても、前記のように、その目的及びビラの内容において上司の適法な命令に対し抗議をするものであり、また、違法な行為をあおり、そそのかすようなものであつた以上、休憩時間中であつても、企業の運営に支障を及ぼし企業秩序を乱すおそれがあり、許可を得ないでその配布をすることは公社就業規則五条六項に反し許されるべきものではないから、これをとらえて懲戒処分の対象としても、労基法三四条三項に違反するものではない。それ故、被上告人の右主張も理由がない。
(5) なお、被上告人は、本件処分は懲戒権の濫用であつて無効であると主張するが、公共企業体においても、懲戒事由に該当する事実があると認められる場合に懲戒権者がいかなる処分を選択すべきかについては裁量が認められ、当該行為との対比において甚しく均衡を失する等社会通念に照らし合理性を欠くものでないかぎり、懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することはできないのである(最高裁昭和四五年(オ)第一一九六号同四九年二月二八日第一小法廷判決・民集二八巻一号六六頁参照)。本件についてこれをみると、懲戒事由にあたる被上告人の前記第一の一の(一)ないし(三)の行為は、プレートの着用あるいはビラ配りだけの単独の行為ではなく、違法なプレート着用行為を行い、その取りはずしを命じた上司の命令に従わず、更に、右取りはずし命令に抗議し違法なプレート着用、政治活動等をあおり、そそのかすようなビラ配りをしたという一連の行動であるところ、これらの行為に対して選択された懲戒処分は最も軽い戒告であつて、これを甚しく均衡を失するものということはできず、また、他に社会通念に照らし合理性を欠く事情も認められないのであるから、本件処分をもつて裁量権の濫用と断ずることはできないものといわなければならない。
結局、本件処分は適法であり、その無効確認を求める被上告人の本訴請求は理由がない。これと異なる第一審判決は取消しを免れず、被上告人の請求は棄却されるべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条を適用し、裁判官環昌一の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+意見
裁判官環昌一の意見は、次のとおりである。
一 公社就業規則(本件当時のもの)は、職員に対する懲戒処分事由についてその五九条各号(一八号により五条各項に定める局所内における秩序風紀の維持に関する八項目が含まれ引用されている。)の規定をおき、合計二七項目にわたり詳細かつ具体的にこれを定めている。そこで、本件懲戒処分に適用された五条七項にいう「選挙運動その他の政治活動」の意義を解明するための一つの方法として、局所内におけるいわゆる「政治活動」が、右五条七項以外の五九条各号の定めを適切に運用することによつては規制することが困難であるか、あるいはそれが可能であつても特に五条七項を設けることが適当とされる、理由ないし根拠を探つてみることが、有意義であると思うので、この見地から右の理由ないし根拠として主張されるところに即して考えてみる。
(1) いわゆる政治活動が、勤務時間中に行われると、その職員については公社法三四条二項に定めるいわゆる職務専念義務に違反し、あるいは違反するおそれがあり、同時に他の職員についてはその職務遂行が妨げられ、あるいは妨げられるおそれがあるから、規制が必要であるとする主張があるが、その点は公社法違反の行為に関する公社就業規則五九条一号の規定や、他の従業員を誘つたりしてその就業を妨げる行為、ないし、これに準ずる局所内における風紀秩序を乱すような行為に関する五条二項、八項による規制で足りるものと思われる。
(2) 顧客等第三者に接する職場における政治活動の場合を特に考慮すべきであるとしてこれを規制の根拠とする主張については、そのような場合は政治活動に限るものではないのみならず、政治活動が常に第三者に接する場所で行われるものとは限らないから、前記五九条七号の「職員としての品位を傷つけ、または信用を失うような非行」、ないし、これに準ずる同条二〇号の「その他著しく不都合な行為」についての規制の範囲内にあるといえよう。
(3) 政治活動が休憩時間内に行われると、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げひいては作業能率を低下させるおそれがあるから規制の必要があるとする主張があるが、これまた前記五条二項所定の行為、ないし、同条八項に定めるこれに準ずる行為として処理しうるものであろう。
(4) 局所内における政治活動は職員間に不必要な対立、抗争を生むおそれがあることを規制の根拠とする主張は、確かに的を射たものといえると思うが、公社職員は一歩局所外にでさえすれば政治活動は自由とされていることにかんがみると、後にのべるように、なお検討の必要があると考える。
(5) 公社職員の政治的中立性保持を規制の根拠と説くものがあるが、昭和二七年公社が設立され、職員には公社法、公労法等が適用されることとなり、それらの関係法令中に当時の国公法一〇二条、人事院規則一四―七のような政治的中立性の保持に関する規定を設けるところがなかつたことで、既に決着がついているのであつて、局所内の活動に限つてみても今特にこの点を考慮すべきものとは思われない。
(6) 局所内は仕事の場であつて政治活動の場ではないことや企業施設を利用する点で使用者の管理権を妨げることを規制の根拠とする見解があるが、そのようなことは政治活動に特有なものとはいえないから、特に規制の必要性を説明する根拠になるものとも考えられない。
(7) なお、いわゆる選挙運動その他の政治活動として通常行われる行為は、公社就業規則五条六項に定める演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為にほぼ尽くされていると考えられるのに、特に政治活動について独立の項を設けた理由が尋ねられなければならないと思う。
二 このようにみてくると、上告人自身、当初第一審判決が認めるように、公社就業規則五条七項にいう「政治活動」の意義は人事院規則一四―七に定める政治的目的をもつ政治的行為と同趣旨である旨主張しながら、後にこの主張を変更して、ここにいう「政治活動」と右人事院規則にいう「政治的行為」とは同義ではなく、それよりも広い、企業の秩序を乱すおそれのある社会通念上政治的色彩を帯びているとみられる行為を指称する、と主張するにいたつた本件訴訟の経過に徴しても、公社就業規則が他の処分該当事由をほとんどもうら的といえるほど詳細に掲げながら、なお政治活動について特別の一項を設けたことの合理的理由、ひいてはそこにいう「政治的活動」の意義如何は、解釈上必ずしも明確であるとはいえないのである。私は、強いていえばこれを次のように考えるほかはないと思う。すなわち、政治に関連してされる人の言動は、党派的ないし集団(同じ政治的見解や利害をもつ者の)的なものになり易いのであり、しかも、他の、例えば信仰、趣味、スポーツ等のグループ的活動とは異つて、人の利害(その中には低俗なものもある。)あるいは生活そのものに関連した形でされる傾向が強く、ついには人間関係における好悪の感情の対立をひき起こすことにさえなりかねず、その結果として局所内における職員の協調を妨げるおそれがあり、特に局所内で行われるとその影響は直接的であると考えられることから、公社の設立によつて、その職員に政治上の行動の自由が認められるにいたつた後も、少なくとも局所内においては、その秩序保持の上でこれを自由に放任することは相当でないとの考慮に基づいて、右五条七項を特に設けたものというべきである。
三 右の見地から被上告人の本件プレート着用行為をみると、それは被上告人単独の行動であり、プレートの文言からは、それが特定の党派や集団を背景としての行動であることや、他の者に特定の集団への加入はもとより同じプレートを着用することさえも呼びかけているものでないことが認められ、文言の内容もこれを見る者の身近な政治的利害に関するものではないことが明らかである。従つて本件プレートの着用行為は、それに広い意味で政治的色彩が全くなかつたものとまではいえないにしても、被上告人が一般の国民の一人としての立場からした信条や主張の表現にとどまるものであつて、選挙運動を例示として掲げる公社就業規則五条七項にいう政治活動に該当するものとは解されない(一般国民の立場に立つと認められる限り新聞の政治批判の論説やいわゆる政治評論家による評論などを通常「政治活動」とはいわないであろう。)。そうすると、残された問題は、被上告人のプレート着用行為が前述したような公社就業規則の他の関連諸条項に定める処分事由に該当するかどうかであるが、プレートに記載された文言の内容が、それ自体少なくとも公序に反するものでなかつたことは明らかである上、本件当時の社会情勢の下では特に人の目を驚かせるような珍奇なあるいは衝撃的なものであつたとはいえず、また、プレートの大きさ、色彩等からそれが特に他人の注意をひき強い印象を与えるようなものであつたとも認められないから、被上告人によつて着用された本件プレートが、職場内で被上告人の周辺にある他の職員の目に触れ一時的に注目されることがあつたとしても、その訴えかけが長くそれら職員の脳裡にとどまつて仕事に対する注意力を散漫にさせるものとは思われないし、同様にそれが被上告人自身の注意力の集中を妨げるものとも考えられない。およそ就業規則は、当該職場における具体的な秩序維持をねらいとするものであり、右のような一時的な注意力の欠如も具体的な仕事の内容によつてはその障害となるような場合(例えば手術とか、精密な計算や工作にかかわる職場などで行われた場合)もあることが想定されるが、本件において被上告人の属する電報電話局の試験課における作業がそのような特別の事情のもとにあるものであつたことをうかがうことはできないから、観念的にのみみて注意力の集中を妨げ、被上告人の職場における作業ひいては職場秩序の保持の妨害となるおそれがあると認めるのは相当でなく、従つて本人の職務専念義務違反ないし他の職員の業務の妨害にあたるということはできない。また、利用者である一般公衆に対する関係については、被上告人の職場が一般公衆との接触のあるところであるとの事実は認定されていないので問題になる余地はないし、更に同規則五条六項の無許可の行為との関連では、本件プレートの着用行為が演説、貼紙、掲示、ビラの配布のように他の職員に積極的に訴えるものではないこと前述のところからも明らかであるから、必ずしもこれらの行為に準ずるものとは断じ難く、他に該当すべき条項も見当らない。そうすると、上告人の職場管理者が、被上告人に対して本件プレートの着用をやめるように言つたことは、単なる作業上の注意としてみれば必ずしも違法なものとまではいえないであろうが、被上告人のこれに従わなかつた事実を目して懲戒処分事由にあたるとまで解することは妥当とは思われない。私は、以上のように考えるから、本件プレート着用行為は原判決認定の事情の下では、公社就業規則の懲戒処分事由のいずれにも該当しないものと思う。
四 次に被上告人の休憩時間内におけるビラの配布について考える。私は、前述した公社就業規則五条六項のいわゆる無許可のビラの配布等に関する定めについては次のようにみるのが相当であると思う。すなわち同項に掲げられている、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配布その他これに類する行為は、その性質上広く職場の管理その秩序保持と無関係なものとは考えられないから、職場の管理ないし職場秩序保持に責任と権限をもつ使用者が、事前にその内容を知る方途として許可制を定めることは一概に不合理なものということはできず、それが局所内で行われるものである限り、休憩時間中にされるものについても同様であると解せられる。そして、右の演説、ビラの配布等の行為が、許可を受ける際申し立てられた趣旨に相異したり、あるいは無許可でなされた場合には、その事実に即して更に他の条項に定める処分事由にも問擬されることになることは当然である。原判決の趣旨によると、本件ビラの配布を事由とする関係では、本件懲戒処分は、結局において被上告人が休憩時間中に局所内において本件ビラ(甲第三号証)を無許可で配布した行為に対し公社就業規則五九条、六〇条を適用してなされたものであることが明らかであるが、右ビラの内容は、前記プレートに記載されたのと同一の事項のほかに、「組合員のみなさん」に訴える趣旨として、『「仕事に見合つた人をふやせ」「いつまでも廊下で着替をさせず営業課の休憩室をつくれ」「住宅手当、家族手当を出せ」「運転手当をよこせ」「独身者は誰でも寮に入れるようにしろ」「既得労働条件を守れ」「試験宿直者を二名にしろ」「夏期手当に差別をつけるな」「任用、配転は民主的にやれ」などの職場の要求をワツペン、ネームプレートにしてみんなの胸につけ公社側のしめつけを粉砕して共に斗いましよう』との文言を含んでいる。これらの文言のある本件ビラの配布行為が、勤務時間内における組合活動をあおる行為にあたるものであることは否定しえないところであり、このような行為が違法なものであることは明らかであるから、無許可でビラの配布を行つたとの点のほか、右のあおり行為が公社就業規則五九条一九号の「故意に業務の正常な運営を妨げ、もしくは妨げることをそそのかし、またはあおつたとき」若しくはこれに準ずる同条二〇号の「その他著しく不都合な行為があつたとき」の定めにあたりその点でも懲戒処分事由を構成するものであることを否定することはできない(そしてこのように判断しても前述のところから弁論主義に反したり、原判決の認定に即しないものとはいえないと考える。)。そして、本件処分が懲戒処分としては最も軽い戒告処分であることを考慮すると、それが社会観念上著しく妥当を欠くものとするに足る特段の事情も認められないから、結局本件処分は適法というほかはなく、本件上告は理由があり原判決は破棄を免れず、被上告人の請求が棄却されるのはまことにやむをえないところであると考える。
(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己 裁判官 服部髙顯 裁判官 環昌一)

(2)賃金支払いをめぐる権利義務

・債務の本旨に従ったものでないときは、使用者はその受領を拒否して賃金の支払いを免れることができる!
+判例(S60.3.7)水道機工事件
理  由
上告代理人儀同保の上告理由について
原審の適法に確定したところによると、(1)被上告人は、昭和四八年二月五日から一四日までの間に、上告人らに対し、文書により個別に、就業すべき日、時間、場所及び業務内容を指定して出張・外勤を命ずる業務命令(以下「本件業務命令」という。)を発したが、上告人らは、いずれも、右指定された時間、被上告人会社に出勤し、その分担に応じ、書類、設計図等の作成、出張・外勤業務に付随する事務、器具の研究、工具等の保守点検等の内勤業務に従事し、本件業務命令に対応する労務を提供しなかった、(2)上告人らの所属する労働組合は、これに先立ち、同年一月三〇日、被上告人に対し、同年二月一日以降外勤・出張拒否闘争及び電話応待拒否闘争に入る旨を通告していたものであり、右闘争は、一定期間労務の提供を全面的に拒否するのではなく、組合員が通常行う業務のうち右の種類の業務についてのみ労務の提供を拒否するというものであって、上告人らが本件業務命令による出張・外勤を拒否して内勤業務に従事したのは、右通告に基づき争議行為としてしたものである、(3)被上告人会社においては、出張・外勤の必要が生じた場合、従業員が自己の担当業務の状況等を考慮し、注文主と打合せの上、あらかじめ日時を内定し、上司の許可ないし命令を得るとか、上司から出張・外勤を命ぜられた場合にも、出張日程等については上司と協議の上これを決定するなど、従業員の意思が相当に尊重されていたが、このような取扱いは、被上告人が業務命令を発する手続を円滑にするため事実上許容されていたにすぎない、というのである。
原審は、右事実関係に基づき、本件業務命令は、組合の争議行為を否定するような性質のものではないし、従来の慣行を無視したものとして信義則に反するというものでもなく、上告人らが、本件業務命令によって指定された時間、その指定された出張・外勤業務に従事せず内勤業務に従事したことは、債務の本旨に従った労務の提供をしたものとはいえず、また、被上告人は、本件業務命令を事前に発したことにより、その指定した時間については出張・外勤以外の労務の受領をあらかじめ拒絶したものと解すべきであるから、上告人らが提供した内勤業務についての労務を受領したものとはいえず、したがって、被上告人は、上告人らに対し右の時間に対応する賃金の支払義務を負うものではないと判断している。原審の右判断は、前記事実関係に照らし正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

+判例(H10.4.9)片山組事件
理由
上告代理人志村新、同上条貞夫、同小部正治、同滝沢香、同坂本修、同井上幸夫の上告理由第一について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、土木建築の設計、施工、請負等を目的とする株式会社で、肩書地に本社を、大阪市、福岡市及び札幌市にそれぞれ支店を置き、その従業員数は約一三〇名である。
2 上告人は、昭和四五年三月、被上告人に雇用され、以来、本社の工事部に配属されて、建築工事現場における現場監督業務に従事してきたものである。
3 上告人は、平成二年夏、ビル建築工事現場において現場監督業務に従事していた際、体調に異変を感じ、病院で受診したところ、バセドウ病(以下「本件疾病」という。)にり患している旨の診断を受け、以後通院して治療を受けたが、被上告人に対して本件疾病ににり患している旨の申出をすることなく、平成三年二月まで右現場監督業務を続けた。
4 上告人は、平成三年二月以降は、次の現場監督業務が生ずるまでの間の臨時的、一時的業務として、被上告人の本社内の工務監理部において図面の作成などの事務作業に従事していたが、同年八月一九日、翌二〇日から東京都府中市南町の都営住宅の工事現場(以下「本件工事現場」という。)において現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を受けた。その際、上告人は、被上告人に対して、本件疾病にり患しているため右業務のうち現場作業に従事することはできない旨の申出をし、二〇日、本件工事現場に赴任した際にも、現場責任者である工事課長に対し、本件疾病のため現場作業に従事することができず、残業は午後五時から六時までの一時間に限り可能であり、日曜及び休日の勤務は不可能である旨の申出をした。その後、上告人を執行委員長とする建築一般全日自労片山組分会(以下「組合」という。)も、被上告人に対する質問状において、上告人の労務につき、<1> 現場作業には従事することができない、<2> 就業時間は午前八時から午後五時まで、残業は午後六時までとする、<3> 日曜、祭日、隔週土曜を休日とする、との三条件を被上告人が認めるか否かの回答を求めた。

5 被上告人は、上告人に診断書の提出を求め、平成三年九月九日、上告人の主治医の作成した診断書が提出されたところ、それには「現在、内服薬にて治療中であり、今後厳重な経過観察を要する。」との記載があった。被上告人は、右の記載では病状が必ずしも判然としないため、上告人に対し、病状を補足して説明する書面の提出を求めたところ、同月二〇日、上告人自ら病状を記載した書面が提出された。これには、「疲労が激しく、心臓動悸、発汗、不眠、下痢等を伴い、抑制剤の副作用による貧血等も症状として発生しています。未だ暫く治療を要すると思われます。」とした上、組合が回答を求めた前記三条件を認めることが不可欠である旨が記載されていた。

6 そこで、被上告人は、上告人が本件工事現場の現場監督業務に従事することは不可能であり、上告人の健康面・安全面でも問題を生ずると判断して、平成三年九月三〇日付の指示書をもって、上告人に対し、翌一〇月一日から当分の間自宅で本件疾病を治療すべき旨の命令(以下「本件自宅治療命令」という。)を発した。
7 上告人は、本件自宅治療命令が発せられた後に、事務作業を行うことはできるとして、平成三年一〇月一二日付の上告人の主治医作成の診断書を提出したが、これには「現在経口剤にて治療中であり、甲状腺機能はほぼ正常に保たれている。中から重労働は控え、デスクワーク程度の労働が適切と考えられる。」と記載されていた。被上告人は、右診断書にも上告人が現場監督業務に従事し得る旨の記載がないことから、本件自宅治療命令を持続した。
8 その後、上告人から被上告人に対して賃金仮払を求める仮処分が申し立てられ、その審尋において、上告人の主治医の意見聴取が行われ、平成四年一月時点では、上告人の症状は仕事に支障がなく、スポーツも正常人と同様に行い得る状態であることなどが明らかになった。そこで、被上告人は、同年二月五日、上告人に対し、本件工事現場で現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を発し、上告人は、同日以降、右命令に従い、本件工事現場における現場監督業務に従事した。 
9 以上のとおり、上告人は、平成三年一〇月一日から平成四年二月五日までの期間(以下「本件不就労期間」という。)中、本件工事現場における現場監督業務のうち現場作業に係る労務の提供は不可能で、事務作業に係る労務の提供のみが可能であったものであり、現実に労務に服することはなかった。そのため、被上告人は、右期間中上告人を欠勤扱いとし、その間の賃金を支給せず、平成三年一二月の冬期一時金を減額支給した。

二 原審は、右事実関係に基づき、次のとおり判断した。
1 労働者が故意又は過失に基づくことなく、また、業務に起因することなくり患した病気(以下「私病」という。)のため労務の全部又は一部の履行が不能となった場合には、雇用契約、労働協約等に特段の定めがない限り、全部が不能のときは、労働者は賃金請求権を取得せず(民法五三六条一項)、一部が不能のときは、一部のみの提供は債務の本旨に従った履行の提供とはいえないから、原則として使用者は労務の受領を拒否し賃金支払義務を免れ得るが、提供不能な労務の部分が提供すべき労務の全部と対比してわずかなものであるか、又は使用者が当該労働者の配置されている部署における他の労働者の担当労務と調整するなどして、当該労働者において提供可能な労務のみに従事させることが容易にできる事情があるなど、信義則に照らし、使用者が当該労務の提供を受領するのが相当であるといえるときには、使用者はその受領をすべきであり、これを拒否したときは、労働者は賃金請求権を喪失しない(民法五三六条二項)。
2 本件疾病は私病であり、私病のため労務の提供ができない場合でも賃金を支払う旨の規定があるとの主張立証はない。そして、上告人は、本件不就労期間中、事務作業に係る労務の提供のみが可能であったところ、本件工事現場においては、現場作業がほとんどであり、事務作業は補足的でわずかなものにすぎず、信義則上事務作業を上告人に集中して担当させる措置を採ることが相当であったとはいえないし、現場勤務を命じられる前の工務監理部での事務作業は、恒常的に存在するものではなく、本件不就労期間中にこれが存在したとは認められないから、これを斟酌することはできない。また、上告人提出の病状説明書や診断書の内容につき疑念を持つべき事情があったとはいえないから、被上告人が改めて医学調査をすべきであったとはいえないし、復職命令までの間に、上告人が債務の本旨に従った労務の提供ができるようになったことを明らかにし、その受領を催告したとの主張立証はない。
3 したがって、信義則上上告人の労務の一部のみの提供を受領するのが相当というべき事情がなく、上告人の債務の履行が不能となったのであるから、上告人は、本件不就労期間中の賃金及び一時金請求権を取得しない。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。そのように解さないと、同一の企業における同様の労働契約を締結した労働者の提供し得る労務の範囲に同様の身体的原因による制約が生じた場合に、その能力、経験、地位等にかかわりなく、現に就業を命じられている業務によって、労務の提供が債務の本旨に従ったものになるか否か、また、その結果、賃金請求権を取得するか否かが左右されることになり、不合理である。
2 前記事実関係によれば、上告人は、被上告人に雇用されて以来二一年以上にわたり建築工事現場における現場監督業務に従事してきたものであるが、労働契約上その職種や業務内容が現場監督業務に限定されていたとは認定されておらず、また、上告人提出の病状説明書の記載に誇張がみられるとしても、本件自宅治療命令を受けた当時、事務作業に係る労務の提供は可能であり、かつ、その提供を申し出ていたというべきである。そうすると、右事実から直ちに上告人が債務の本旨に従った労務の提供をしなかったものと断定することはできず、上告人の能力、経験、地位、被上告人の規模、業種、被上告人における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして上告人が配置される現実的可能性があると認められる業務が他にあったかどうかを検討すべきである。そして、上告人は被上告人において現場監督業務に従事していた労働者が病気、けがなどにより当該業務に従事することができなくなったときに他の部署に配置転換された例があると主張しているが、その点についての認定判断はされていない。そうすると、これらの点について審理判断をしないまま、上告人の労務の提供が債務の本旨に従ったものではないとした原審の前記判断は、上告人と被上告人の労働契約の解釈を誤った違法があるものといわなければならない。
3 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、右の点については、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)

(3)就労請求権

+判例(S33.8.2)読売新聞社事件
理  由
抗告代理人は、「原決定中主文第三項(申請人その余の申請を却下するとある部分)を取り消す。相手方は抗告人が就労することを妨げてはならない。」との裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書記載のとおり主張した。
よつて判断するに、本件記録によると、抗告人は相手方が抗告人に対し昭和三十年九月三十日なした解雇が不当解雇であることを主張して、原裁判所に、右解雇の意思表示の効力を停止し、右解雇の意思表示の翌日以降本案判決確定に至るまで解雇当時の賃金に相当する一ケ月金一万三千三十六円の割合による金員の支払を求めるとともに、相手方は抗告人が就労することを妨げてはならないとの趣旨の仮処分の申請をなし、原裁判所は審理の結果、抗告人の右仮処分申請中、解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める部分については抗告人の主張を理由ありと認めてその旨の仮処分決定をなすとともに、就労の妨害排除を求める部分については、本案請求権の疎明がないことに帰するとして、抗告人の右仮処分申請を却下する旨の決定をしたものであることが明らかである。ところで抗告人の本件抗告理由の要旨は、労働者は使用者に対して就労請求権を有するものであるから、不当解雇であることを認めながら本案請求権の疎明がないとして抗告人の本件就労の妨害排除の仮処分申請部分を却下した原決定は違法であるというに帰する。しかし労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従つて一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。本件においては、抗告人に就労請求権があるものと認めなければならないような特段の事情はこれを肯認するに足るなんの主張も疎明もない。のみならず、裁判所が労働者の就労に対する使用者側の妨害を禁止する仮処分命令を発しうるためには、その被保全権利の存在のほかに、かかる仮処分の必要性が肯定されなければならないわけであるが、本件仮処分においては、冒頭認定のとおり、相手方のなした抗告人に対する解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める限度において抗告人の申請は認容されたものであるから、抗告人は特段の事情のない限り、それ以上進んで就労の妨害禁止まで求め労働者としての全面的な仮の地位までも保全する必要はないものといわなければならない。そして右説示のような特段の事情を認むべき何等の疎明の存しない本件においては、結局仮処分の必要性の点においても、その疎明のないことに帰するのであつて、いずれの点からしても本件仮処分申請中就労の妨害禁止を求める部分は理由なしとして排斥を免れない。従つて、右申請部分を排斥した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用は抗告人に負担させ主文のとおり決定する。
(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 小河八十次)

+判例(名古屋地判45.9.7)レストラン・スイス事件

3.労働契約に付随する権利義務

・安全配慮義務
+(労働者の安全への配慮)
労働契約法第五条  使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。

・職場環境配慮義務
+判例(京都地判H9.4.17)京都セクシャルハラスメント{呉服販売会社}事件

・男女を能力に応じて平等に処遇する義務
+判例(東京地判H12.12.22)芝信用金庫事件
要旨
1.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、上司らの故意又は過失に基づく年功加味的運用についての差別行為は、女子職員に対する不法行為に当たるから、信用金庫は民法715条に基づき損害賠償責任を負うとされた事例。
2.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、慰謝料については昇格すべき時期として認定された日の後である損害金起算日から、弁護士費用については口頭弁論終結時から、いずれも支払済みまで民法所定の年5分の遅延損害金の支払が命じられた事例。
3.信用金庫の女子職員が昇格について差別的取扱いをされた事案につき、女子職員らが信用金庫の年功加味的人事運用の差別により、主事の資格に長期間据え置かれ、経済的・身分的に不利益を甘受しなければならなかった精神的苦痛に対する慰謝料として、本来昇格すべき時期、その他諸般の事情を考慮して、それぞれ200万円、150万円、100万円、70万円が認められた事例。
4.女性職員に対し男性職員との間で昇格についての差別的取扱いがあり、これが不法行為に当たるとして、慰謝料等とともに、訴訟の提起及び維持のために要した弁護士費用相当額の損害賠償請求を認容した事例。
5.女性であることを理由に昇格について差別的取扱いを受けた従業員は、使用者に対し、昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有するものであり、将来における差額賃金や退職金額に関する紛争等について抜本的な解決を図るため、昇格後の資格を有することの確認を求める訴えの利益を有する。
6.雇用差別訴訟につき金銭の支払を命じる仮執行宣言付判決に基づいてされた強制執行により得られた利益に対し、控訴審において請求の一部を排斥し、原状回復請求を一部認容した事例。
7.一 信用金庫の女性職員が昇格及び昇進について女性であることを理由に同期同給与年齢の男性と比較して差別を受けたとの主張に対し、昇格試験の制度自体には不公正とすべき事由は見出せないものの、評定者が男性職員に対してのみ人事考課において優遇していたものと推認せざるをえないとして、昇格に関する差別の存在を認めた事例
二 女性職員に対しても男性と同様な優遇措置が講じられれば昇格試験に合格していたと認められる事情があるときには、試験不合格により従前の資格に据え置かれるというその後の行為は労働基準法13条の規定に反して無効になり、労働契約の本質及び労働基準法13条の規定の類推適用によって、当該女性は昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有する
三 1名を除く原告女性職員について二掲記の事情があるので、旧人事制度における副参事、新人事制度における課長職に昇格しているというべきであるとして、同人らが課長職の資格にあることの確認及び賃金・退職金の差額請求を肯定し、更に不法行為による慰謝料等の支払を認めた事例。

・遠隔地配転に際して労働者が被る不利益を軽減するよう配慮する義務
+判例(東京高判H8.5.29)帝国臓器、単身赴任事件

・労働者側の付随義務
誠実義務、秘密保持義務、競業避止義務・・・。

4.労働者の損害賠償責任

危険責任・報償責任の法理

+判例(S51.7.8)茨城石炭商事事件
理由
上告代理人中井川曻一の上告理由について
使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。
原審の適法に確定したところによると、(一)上告人は、石炭、石油、プロパンガス等の輸送及び販売を業とする資本金八〇〇万円の株式会社であつて、従業員約五〇名を擁し、タンクローリー、小型貨物自動車等の業務用車両を二〇台近く保有していたが、経費節減のため、右車両につき対人賠償責任保険にのみ加人し、対物賠償責任保険及び車両保険には加入していなかつた、(二)被上告人美留町Aは、主として小型貨物自動車の運転業務に従事し、タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎず、本件事故当時、同被上告人は、重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して交通の渋滞しはじめた国道上を進行中、車間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により、急停車した先行車に追突したものである、(三)本件事故当時、被上告人Aは月額約四万五〇〇〇円の給与を支給され、その勤務成績は普通以上であつた、というのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人がその直接被つた損害及び被害者に対する損害賠償義務の履行により被つた損害のうち被上告人Aに対して賠償及び求償を請求しうる範囲は、信義則上右損害額の四分の一を限度とすべきであり、したがつてその他の被上告人らについてもこれと同額である旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解を主張して原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光)

+判例(名古屋地判S62.7.27)
要旨
1.プレナー等の作業に従事する従業員が深夜作業中に居眠りをして工作機械を損壊した場合につき、右事故における従業員の過失は重大であり、右従業員は債務不履行の責任を免れないが、損害賠償額を定めるに当つては雇用関係における信義則および公平の見地から事件に現れた一切の事情を斟酌して具体的にこれをなすべきところ、使用者と右従業員との経済力、賠償の負担能力の格差が大きいこと、使用者が機械保険に加入するなどの損害軽減措置を構じていないことなどに鑑み、損害額の4分の1の賠償をすべきである。

2.一 労働過程上の軽微な過失に基づく事故については、労働関係における公平の原則に照して、使用者は、労働者に対し、損害賠償請求権を行使できないと解するのが相当である。
二 プレナー等の作業に従事する従業員が深夜作業中に居眠りをして工作機械を損壊した場合につき、右事故における従業員の過失は重大であり、右従業員は、債務不履行による責任を免れないとした上、使用者も機械保険に加入する等の損害軽減措置を講じていないことなどを考慮して、右機械損壊による損害額の4分の1の限度で使用者からの右従業員に対する損害賠償請求が認められた事例

3.一 普通解雇の意思表示は就業規則、労働基準法所定の手続に従ってなされるものである限り、使用者において自由になし得るのが原則であるから、これが違法とされるのは、使用者が当該意思表示が無効であることを知りもしくは知りうべきであるのに、害意をもってあえてこれをなしたといった場合に限るのが相当である。
二 本件一次解雇の行われたのは、被用者と使用者の信頼関係が消滅したこと、職場秩序の維持、安全管理体制の保持の見地から解雇することもやむをえないことによるわけであるから、使用者に過失があったとみることは困難である。

4.被用者により解雇が不法行為になるとしてなされた損害賠償請求は肯認されなかつたが、かかる請求は不当な抗争ではないとされた事例(大隈鉄工所高価機械損傷損害賠償請求等訴訟第一審判決)。
5.一 反訴請求が本訴請求と牽連するとは、訴訟物である権利の内容又はその発生原因事実に共通するところがあることをいい反訴請求が本訴の防御方法と牽連するとは、本訴を理由なからしめる事実が、反訴を理由づける事実の全部または一部を構成する関係にあることをいう。
二 被告が作業中に居眠りをしたため、原告所有の工作機械に損傷を与えたことを理由とする損害賠償請求に対し、原告が正当な理由なく裁判所の命令に反して違法に被告を解雇したことを理由として反訴を提起することが、攻撃・防御の方法において強い関連性を有し、反訴の要件に欠けるところがないとした事例。
三 前項記載の損害賠償請求に対し、解雇を無効とした仮処分判決に対する控訴の提起が不当抗争であるとして損害賠償請求の反訴を提起することは、両請求の訴訟物、攻撃防御方法の間に法律上の関連性が認められず、許されないとした事例。
6.深夜作業中の居眠りが原因で工作機械を損壊した労働者に対する使用者の損害賠償請求が、機械保険に加入するなどの損害軽減措置を講じていなかつたことなどが考慮され、損害額の四分の一の限度で認められた事例。
7.工作機械損壊を理由に出勤停止処分を受けた労働者の右処分の取消要求に対し、解雇をもつて応じた使用者に対する損害賠償請求が、右解雇自体は無効であるが、使用者に害意は認められないとして棄却された事例。

+判例(東京地判6.9.7)丸山宝飾事件

+判例(大阪高判H13.4.11)K興業事件

第2節 労働契約内容の決定・変更システム

1.労働契約内容の決定
(1)労働法規と判例法理

(2)労働協約

+(労働協約の効力の発生)
労働組合法第十四条  労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによつてその効力を生ずる。

(基準の効力)
第十六条  労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする。

←規範的効力

(一般的拘束力)
第十七条  一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の四分の三以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるものとする。

(地域的の一般的拘束力)
第十八条  一の地域において従業する同種の労働者の大部分が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該労働協約の当事者の双方又は一方の申立てに基づき、労働委員会の決議により、厚生労働大臣又は都道府県知事は、当該地域において従業する他の同種の労働者及びその使用者も当該労働協約(第二項の規定により修正があつたものを含む。)の適用を受けるべきことの決定をすることができる。
2  労働委員会は、前項の決議をする場合において、当該労働協約に不適当な部分があると認めたときは、これを修正することができる。
3  第一項の決定は、公告によつてする。

(3)就業規則

+(作成及び届出の義務)
労働基準法第八十九条  常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。次に掲げる事項を変更した場合においても、同様とする。
一  始業及び終業の時刻、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を二組以上に分けて交替に就業させる場合においては就業時転換に関する事項
二  賃金(臨時の賃金等を除く。以下この号において同じ。)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
三  退職に関する事項(解雇の事由を含む。)
三の二  退職手当の定めをする場合においては、適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
四  臨時の賃金等(退職手当を除く。)及び最低賃金額の定めをする場合においては、これに関する事項
五  労働者に食費、作業用品その他の負担をさせる定めをする場合においては、これに関する事項
六  安全及び衛生に関する定めをする場合においては、これに関する事項
七  職業訓練に関する定めをする場合においては、これに関する事項
八  災害補償及び業務外の傷病扶助に関する定めをする場合においては、これに関する事項
九  表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
十  前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項

+(法令及び労働協約との関係)
第九十二条  就業規則は、法令又は当該事業場について適用される労働協約に反してはならない。
2  行政官庁は、法令又は労働協約に牴触する就業規則の変更を命ずることができる。

+(法令及び労働協約と就業規則との関係)
労働契約法第十三条  就業規則が法令又は労働協約に反する場合には、当該反する部分については、第七条、第十条及び前条の規定は、当該法令又は労働協約の適用を受ける労働者との間の労働契約については、適用しない

(就業規則違反の労働契約)
第十二条  就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。

第七条  労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の内容と異なる労働条件を合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

(4)当事者間の合意、労使慣行

+判例(H7.3.9)商大八戸ノ里ドライビングスクール事件
要旨
1.自動車教習指導員の空き時間等について能率給を支払う取扱い、及び出向者に関して親の法要のための休暇を有給の特別休暇とする取扱い等につき、法的効力を有する労使慣行の成立を否定した原判決が維持された事例。

同判例追加で。
①同種の行為が長期間反復継続され
②労使双方が明示にこれを排除せず
かつ③労使双方の規範意識に支えられている場合には、
当該慣行には事実たる慣行(92条)としての法的拘束力が認められる!

2.労働契約内容の変更

・合意の原則

・不利益な場合は慎重に。

+判例(東京高判H20.3.25)東部スポーツ宮の森カントリークラブ事件
使用者が十分な説明をせず、労働者が変更内容を把握することが困難であったとして、合意の成立を否定した。

・合意原則の例外
労働契約法第十条  使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

・労働協約による方法

・変更解約告知による方法


労働法 気になる判例 年次有給休暇と皆勤手当


+判例(H5.6.25)
理由
上告代理人福地絵子、同福地明人の上告理由について
労働基準法一三四条が、使用者は年次有給休暇を取得した労働者に対して賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないと規定していることからすれば、使用者が、従業員の出勤率の低下を防止する等の観点から、年次有給休暇の取得を何らかの経済的不利益と結び付ける措置を採ることは、その経営上の合理性を是認できる場合であつても、できるだけ避けるべきであることはいうまでもないが、右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであつて、労働者の年次有給休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。また、右のような措置は、年次有給休暇を保障した労働基準法三九条の精神に沿わない面を有することは否定できないものではあるが、その効力については、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年次有給休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、年次有給休暇を取得する権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるものでない限り、公序に反して無効となるとすることはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(オ)第六二六号同六〇年七月一六日第三小法廷判決・民集三九巻五号一〇二三頁、最高裁昭和五八年(オ)第一五四二号平成元年一二月一四日第一小法廷判決・民集四三巻一二号一八九五頁参照)。
これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) タクシー会社においては、自動車の実働率を高める必要があることから、乗務員の出勤率が低下するのを防止するため、皆勤手当の制度を採用する企業があり、被上告会社においても、昭和四〇年ころから、乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ交番表(月ごとの勤務予定表)どおり出勤した者に対しては、報奨として皆勤手当を支給することとしていた、(2) 被上告会社は、その従業員で組織する沼津交通労働組合との間で締結された昭和六三年度及び平成元年度の労働協約において、交番表に定められた労働日数及び労働時間を勤務した乗務員に対し、昭和六三年度は一か月三一〇〇円、平成元年度は一か月四一〇〇円の皆勤手当を支給することとするが、年次有給休暇を含む欠勤の場合は、欠勤が一日のときは昭和六三年度は一か月一五五〇円、平成元年度は一か月二〇五〇円を右手当から控除し、欠勤が二日以上のときは右手当を支給しないこととした、(3) 上告人は、昭和五〇年七月一六日、被上告会社に乗務員として入社したが、昭和六三年五月、八月、平成元年二月、四月、一〇月における現実の給与支給月額は、二二万円余ないし二五万円余であり、右皆勤手当の額の右現実の給与支給月額に対する割合は、最大でも一・八五パーセントにすぎなかつた、(4) 上告人は、昭和六二年八月から平成三年二月までの四三か月間に四二日の年次有給休暇を取得し、それ以外の年次有給休暇九日分については上告人の意思に基づきその不行使につき被上告会社が金銭的補償をしている(いわゆる有給休暇の買取り)、というのである。
右の事実関係の下においては、被上告会社は、タクシー業者の経営は運賃収入に依存しているため自動車を効率的に運行させる必要性が大きく、交番表が作成された後に乗務員が年次有給休暇を取得した場合には代替要員の手配が困難となり、自動車の実働率が低下するという事態が生ずることから、このような形で年次有給休暇を取得することを避ける配慮をした乗務員については皆勤手当を支給することとしたものと解されるのであって、右措置は、年次有給休暇の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないと見るのが相当であり、また、乗務員が年次有給休暇を取得したことにより控除される皆勤手当の額が相対的に大きいものではないことなどからして、この措置が乗務員の年次有給休暇の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかつたというべきである。 
以上によれば、被上告会社における年次有給休暇の取得を理由に皆勤手当を控除する措置は、同法三九条及び一三四条の趣旨からして望ましいものではないとしても、労働者の同法上の年次有給休暇取得の権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中島敏次郎 裁判官 藤島昭 裁判官 木崎良平 裁判官 大西勝也)

++解説
《解  説》
一 事案の概要は、次のとおりである。
被告タクシー会社(Y)の労働協約においては、交番表(月ごとの勤務予定表)に定められた労働日数等を勤務した乗務員に対し皆勤手当(年度により月額三一〇〇円ないし四一〇〇円)を支給することとし、ただし、年次有給休暇(以下「年休」という。)等を取得した場合は、この手当を、一回休むと半額支給し、二回休むと支給しない旨が定められていた。XはYの乗務員であったが、昭和六三年五月から平成元年一〇月までの間、合計五か月につき、年休を取得したことを理由に皆勤手当を減額されあるいは支給されなかったが、このような不利益取扱いは、労基法(以下単に「法」という。)三九条、一三四条に違反し無効であるとし、その不支給分の合計一万円余の支払を求めて本訴を提起した。
一審は、法三九条、法(附則)一三四条を根拠に、労働者が年休を取得したことを理由として不利益取扱いをすることは公序に反するとして、請求を認容したが、原審は、Xに対する皆勤手当の不支給が直ちに公序良俗に反して無効であるとすることはできない等として、一審判決を取り消し、原告の請求を棄却していた。

二 法三九条は、労働者に対し年休を取得する権利を認めている。ところで、企業においては、就業規則等で、欠勤等のなかった労働者に対し、報奨的な意味でいわゆる精皆勤手当を支払う制度を設け、右欠勤等に年休の取得を含めて処理されることがあり、これが、年休の取得を抑制する効果を有する可能性があるため、右三九条等に違反しないかが問題になる。
従前の労働省の通達(昭和五三年六月二三日基発第三五五号)は、この問題につき、このような不利益取扱いは直ちに法違反があるとは認め難いが、年休の取得を抑制する効果を持つものであり、法三九条の精神に違反するとし、また、このような不利益取扱いを定める就業規則の規定は、年休取得による賃金の減少の額の程度、年休取得の抑制の程度等のいかんにより、公序良俗に反して民事上無効と解される場合があるとしていた。

三 ところで、昭和六二年法律第九九号による改正によって追加された法(附則)一三四条は、「使用者は、第三九条第一項から第三項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない。」と規定しており、本件では、その趣旨及び効力(特に、右通達との関係)が問題になった。
学説中には、この規定は、従前の通達の内容を確認するにとどまらず、これに積極的な意味を見いだそうとし、(1) この規定自体が私法上の強行規定であるとするもの、(2) この規定が設けられたことにより、法三九条が年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止する効力を有するに至ったとするもの、(3) 従前から存した法三九条の私法的効力が、一三四条によって明示的に確認されたとするもの等がある(例えば、片岡=萬井編・労働時間論(法律文化社)三四六頁、菅野和夫・労働法(第二版補正版、弘文堂)二五二頁、下井隆史・労働基準法(有斐閣法学叢書)二一五頁ほか)。
しかしながら、このような規定が設けられた趣旨について、立法担当者は、年休の取得に伴う不利益取扱いは、法三九条の精神に反するものであるので、これを是正する指導をしてきたが、不十分であったため、法の附則に訓示規定を設けてその趣旨を法上において明確化したものであると説明している(労働省労働基準局編著・全訂改版 労働基準法上(労働法コンメンタール③)五二七頁、安西愈・改正労働時間法の法律実務(第二版)五〇一頁等)。
この説明は、法一三四条の制定の経緯、これが本文ではなく附則に置かれていること、文言が「不利益な取扱いをしてはならない」ではなく「不利益な取扱いをしないようにしなければならない」という回りくどい言い方をしていること等からも十分うなずけるところであり、この規定が設けられたことのみを根拠に、右不利益取扱いが私法上無効となる結果を招来するに至った、と見ることはできないと解すべきであろう。
本判決は、この点につき、「右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであって、労働者の年次休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。」とし、右と同趣旨を述べている。

四 法一三四条が、右のように使用者の努力義務を定めたものにすぎないとすれば、この問題については、同条の効力というよりも、法三九条等法全体の趣旨から本件不利益取扱いの適否を検討すべきであるということになり、結局、次の二つの最判が需要な先例となろう。
(1) 最三小判昭60・7・16民集三九巻五号一〇二三頁、本誌五六八号五二頁(いわゆる「エヌ・ビー・シー生理休暇事件」)
労働者が生理休暇を取得することにより精皆勤手当等の経済的利益を得られない結果となる措置と法六七条との関係が問題になった事案である。
右最判は、このような不利益措置は、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、生理休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせると認められるものでない限り、同条に違反しないとした上、当該事案につき、右措置は、法定の要件を欠く生理休暇及び自己都合欠勤を減少させて出勤率の向上を図ることを目的として設けられたものであり、手当の金額も一か月当たり五〇〇〇円であること等から、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせるとは認められないので、同条に違反しないと判示した。
(2) 最一小判平1・12・14民集四三巻一二号一八九五頁、本誌七二三号八〇頁(いわゆる「日本シェーリング事件」)
前年度の稼働率が八〇パーセント以下の従業員を翌年度のベースアップを含む賃金引上げの対象者から除外する旨の労働協約条項(いわゆる「八〇パーセント条項」)の効力が問題になった事案である。
この判決も、右昭和六〇年の最判と同様の一般論を述べた後、八〇パーセント条項に該当した者につき除外される賃金引上げにはベースアップ分も含まれており、しかも、賃金引上げ対象者から除外された不利益は、いったん生じると後続年度の賃金において残存し、退職金にも影響するので、その経済的不利益は大きなものといえるので、年休取得の権利の行使を抑制し、法が労働者に年休等の権利を保障した趣旨を失わせるもので、公序に反し無効であると判示した。

五 本判決は、Yにおける皆勤手当制度の内容・趣旨・運用の実情等の事実関係を前提にした上で、右手当についてのこの措置が乗務員の年休の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかったとし、右の措置は、結局、労働者の年休取得の権利の行使を抑制し、ひいては法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないとしている。
本件は、このように、従前の最判の判断基準を前提にするものであるが、法上有給とされる年休の取得を理由とする不利益取扱いである点で、エヌ・ビー・シー生理休暇事件とは異なり(法上生理休暇は無給である。)、少額の皆勤手当の不支給を問題にする点で日本シェーリング事件とも異なる、いわば両事件の中間的な事案であり、タクシー会社においてよくみかける処理の適否を示したものであって、参考となろう。