民法 気になる判例 毒アラレ事件

・+判例(S39.1.23)
理由
 上告代理人弁護士川本作一の上告理由について、
 当事者間に争がない事実及び証拠によつて認定できる事実として、原判決の引用する第一審判決の確定した事実は次のとおりである。すなわち、被上告人は判示(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各為替手形各一通額面金額計四三万五五二一円を振出し、上告人は右各手形につき引受をなしたものであるが、右各手形は被上告人から上告人に対し昭和三二年一〇月頃から同三三年二月までの間に売渡したアラレ菓子の右同額の代金の支払のため上告人において引受けたものであること、そして右アラレ菓子には食品衛生法に禁止されている硼砂が混入していたこと、元来被上告人は昭和三一年四月頃から澱粉アラレの製造販売を営み、同三二年一月頃から上告人との間に取引を開始したものであるところ、これに硼砂を使用することの有害なることを当初は知らなかつたが、同年一〇月末頃新聞紙上で硼砂を使用したアラレの製造が食品衛生法により禁止されていることを知りこれを使用しないでアラレを製造する方法の研究を始めるとともに、上告人に対し当分アラレの売却を中止したい旨連絡したところ、上告人は「今はアラレの売れる時期だからどんどん送つて貰いたい、自分も保健所に出入りしているが、こちらの保健所ではそんなことは何も云つておらぬ、君には迷惑をかけぬからどんどん送つてほしい」旨申向け送品の継続を強く要請し、その結果本件の取引が行われたというのである。
 思うに、有毒性物質である硼砂の混入したアラレを販売すれば、食品衛生法四条二号に抵触し、処罰を免れないことは多弁を要しないところであるが、その理由だけで、右アラレの販売は民法九〇条に反し無効のものとなるものではない。しかしながら、前示のように、アラレの製造販売を業とする者が硼砂の有毒性物質であり、これを混入したアラレを販売することが食品衛生法の禁止しているものであることを知りながら、敢えてこれを製造の上、同じ販売業者である者の要請に応じて売り渡し、その取引を継続したという場合には、一般大衆の購買のルートに乗せたものと認められ、その結果公衆衛生を害するに至るであろうことはみやすき道理であるから、そのような取引は民法九〇条に抵触し無効のものと解するを相当とする。然らば、すなわち、上告人は前示アラレの売買取引に基づく代金支払の義務なき筋合なれば、その代金支払の為めに引受けた前示各為替手形金もこれを支払うの要なく、従つて、これが支払を命じた第一審判決及びこれを是認した原判決は失当と云わざるを得ず、論旨は理由あるに帰する
 よつて、民訴四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 長部謹吾)

行政法 基本行政法 行政裁量その2 裁量審査の方法 太郎杉 小田急高架化訴訟


4.裁量審査の方法
(1)社会観念審査
・行政庁の判断が全くの事実の基礎を欠き、または社会観念上著しく妥当を欠く場合に限って処分を違法とする

+判例(S52.12.20)神戸税関事件

+判例(S53.10.4)マクリーン事件

(2)判断過程審査

+判例(東京高判48.7.13)日光太郎杉事件
事実
控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。控訴人らに対する被控訴人の各請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。
第一 被控訴人の主張
一、被控訴人は本件事実認定の違法事由として、さらに、起業者である栃木県知事が本件事業執行の権限を有しないことを追加しで主張する(なお、この点は、本件土地細目の公告及び本件収用裁決の違法事由として主張する。)。
1、控訴人は、当審において、本件事業における起業者県知事の事業施行の権限の法的根拠について、本件道路拡幅工事は自然公園法一四条二項に基づいて厚生大臣の承認を受けて、公園事業の一部の執行として行なうものであると主張し、その詳細を次のとおり述べている。すなわち、
(一) 昭和一一年一二月二六日内務省告示第六八七号をもつて、本件事業に係る国道一二〇号のうち、神橋・馬返間についで国立公園法三条に基づく国立公園計画及び国立公園事業の決定がなされた。これらの国立公園計画及び国立公園事業は、自然公園法附則4項により、それぞれ同法一二条一項に基づいて決定された国立公園に関する公園計画及び公園事業とみなされている。
(二) 起業者県は、まずこの公園事業のうち、日光市安川町地内延長一九五メートルの道路改良事業を行なうべく、自然公園法一四条に基づき厚生大臣に公園事業執行の承認の申請をし、昭和三四年一二月一七日その承認を受けた。
(三) その後次々に厚生大臣の承認を受けて本件道路(神橋ー馬返間道路を指す。)の拡幅改良を行ない、最後に残された本件係争地を含む二八〇メートルの区間につき拡幅改良を行なうべく、昭和三八年七月五日付け承認の申請をし、昭和三九年四月一日にその承認を受けた。
(四) その際の手続は、公園事業の執行承認に関する事務処理の慣例にしたがつて、自然公園法施行令(昭和三二年政令第二九八号)二〇条において準用する同令一〇条に基づき「昭和三四年一二月一七日付け承認事項」の変更の承認として処理されたものである。
かように主張している。
ところが、前記昭和三九年四月一日付の厚生大臣の承認書(乙第一号証の一〇、同第九号証の一も同じ。)には、厚生大臣は昭和三三年八月一日付け公園事業の承認事項の変更を承認する旨記載されている。そうしてこの昭和三三年八月一日付け厚生大臣の承認事項というのは、神橋・馬返間の国道のうち「清滝・馬返間」の道路改良事業法一四条二項に基づく執行の承認である。
しかし、本件起業は前記国道のうち、日光市大字山内字旅所(字中山の俗称)における二八〇メートルの道路に関するものであつて、「清滝・馬返間」の道路とは全然地域を異にする(ちなみに、清滝は本件地域から西方五キロメートル余の地点にあり、馬返ば更にその西方二キロメートル余の地点にある。)。すなわち、控訴人が、昭和三九年四月一日承認を受けたのは、本件起業地とは全然別の地域に関する事業の承認である。右のような、「清滝・馬返間」の道路の拡幅事業の承認が、五キロ乃至七キロメートル余も離れた本件道路の拡幅事業の承認となり得る道理はない。
これを要するに、本件起業にあたり起業者県知事が執行の承認を得たのは、全然別個の地域における事業であつて、本件起業地における事業については、適法に厚生大臣の承認を受けたことは、これを認めることかできないのである。
そうして、本件は土地収用法(本件当時施行のものを指す。以下特に断らない限り同じ。)一八条二項六号により、事業の施行に関し行政機関の許認可等の処分を必要とする場合にあたるが、叙上のとおりであるから起業者県知事は所要の承認を得ていないことに帰する。このような当該事業施行の権限を有しない起業者の申請に基づいてなされた本件事業認定は違法である(従つて、これを前提とする本件土地細目の公告及び収用裁決もまた違法である。)。
2、ところで控訴人らは後記のとおり、叔上の被控訴人の指摘にかかる点は、単なる記載上のミスにすぎず、本件土地に対する承認として有効である。と主張する。
承認という行政行為の内容である承認の目的事項が、本来甲事項であるべきを乙事項と誤つたというのに、これを以て単なる記載上のミスとして処理することは本来許さるべきものではないはずであるが、それはさておき、行政行為は、表示行為によつて成立するのであつて、当該行政行為が、本件承認のように書面によつて表示されたときは、書面の作成によつて行政行為は成立し、その書面の到達によつて行政行為の効力を生ずるものである。そうして、表示行為が正当の権限ある者によつてなされたものである限り、その書面に表示されたとおりの行政行為があつたものと認めなければならない。ところで、前記乙第一号証の一〇の文書には、控訴人ら主張のように昭和三四年一二月一七日付け承認事項の変更を承認するという趣意はどこにも表示されていないのである。そうして、文書で行なわれた行政行為の単なる「記載上のミス」というのは(誤字・誤植、その他、文章の前後の続き合い等、当該文書の記載面自体、すなわち、文章の外観から明白にミスであることが判明する場合にかぎるというべきところ、控訴人ら主張のようなミスは、右のとおり書面の記載上ミスとしてあらわれていないのであるから、これを単なる記載上のミス(訂正も要しないミス)などといえないことはいうまでもない。
控訴人らは、また、前記乙第一号証の一〇そのものからは記載上のミスであることが判らないとしても、右承認に至るその主張の関係文書と合せて考えれば、単なる誤記であることが当然判明するとも主張するが、他の文書によつてはじめて記載上のミスであることが判明するような場合は、これを控訴人らのいうような単純な記載上のミスなどということはできない。
更に、控訴人らは、叙上の点は単なる記載上のミスであつて本来訂正を要しないものであるが、その誤りはその主張のとおり厚生大臣によつて訂正されたと主張するが、このような訂正は許されないし、また、この訂正によつて本件事業認定の違法性が治癒されるものではない。けだし、事業認定は、告示によつて効力を生ずるものであるから、事業認定に瑕疵があつて、その効力の発生に法的障害があるかどうかは、もつぱら、効力発生の時、すなわち告示の時を基準として決すべきである。従つて、その告示の後、半年余を経過し、しかも、当該事業認定の取消訴訟が裁判所に係属中に、行政庁相互の交渉によつて、隠秘の間に瑕疵が弥縫せられ、これによつて事業認定の瑕疵が告示の時に遡及して修正されるとするならば、事業認定のような関係多方面に重大な効力を及ぼす行政行為の法的安定は、到底期待することはできないというべきだからである。
最後に、仮りに、百歩を譲り、控訴人ら主張のとおり起業者県知事が昭和三九年四月一日前記乙第一号証の一〇によつて昭和三四年一二月一七日付執行の承認を受けた事項の変更の承認を受けたとしても、右一二月一七日付で承認されたのは、控訴人ら主張のとおり日光市安川町地内延長一九五メートルの道路改良工事に関するものであつて、本件係争地である日光市山内字中山は右の道路に包含されていないから、これを以て本件土地に対する執行承認ということはできない。
3、土地収用法二〇条二号は、起業者が当該事業を遂行する充分な意思と能力を有する者であること、と規定し、また同法一八条二項四号は、事業認定の申請書には、事業の施行に関して行政機関の免許等の処分を必要とする場合には処分のあつたことを証明する書類を添付しなければならないと規定する。
しかるに、右に述べたとおり、本件起業者たる県知事は、本件事業の執行に関して、適法に、自然公園法一四条二項所定の厚生大臣の承認を得たことを証明することができず、従うて、本件事業施行の権限を有しないものである以上、このことは、とりもなおさず、土地収用法二〇条二号の規定する、起業者が事業を遂行する能力、すなわち法律上の能力を有しない場合に該当するのであつて、かかる起業者の申請についてなされた本件事業認定は、土地収用法二〇条二号の規定にも違反するものというべきである。
二、本件事業認定が土地収用法四条に違反するものであることは、既に原審において主張したとおりであるが、この点をさらに次のとおり補足する。
昭和二六年法律第二一九号による改正前の土地収用法(明治三三年法律第二九号、以下旧土地収用法という。)二条は「土地ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得ル事業ハ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノナルコトヲ要ス(一~三省略)四、鉄道・・・・・・道路・・・・・・河川・・・・・・国立公園二関スル事業」と規定し、又同決二条ノ二は、土地収用法四条と同じく「現ニ土地ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得ル事業ノ用ニ供スル土地ハ特別ノ必要アル場合二非レバ之ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得ズ」と規定していたのであるが、ここにいう「土地ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得ル事業」は、前示のように「国立公園ニ関スル事業」を含む結果、本件土地のように現に国立公園の用に供せられている土地は、これを土地収用法にもとづいて収用するためには、同法二条ノ二にいう「特別の必要」がある場合でなければならないことはあきらかである。そうして、そう解することがもとより土地収用法の本旨に適うものであることはいうまでもない。けだし、土地を収用又は使用することができる事業の種類として、国立公園に関する事業を除外するがごときは、土地収用法の本旨に戻るものであることは土地収用法全般の趣旨からあきらかであるからである。
土地収用法は「土地を収用又は使用することのできる事業」に関する旧法二条の規定の体裁を改めて、三条のとおり、各事業を個別的に一々、列挙する形式を採つたのであるが、旧法二条の「国立公園ニ関スル事業」については、これを二項目に分けて、三条に
二九 国立公園法(後に昭和三二年法律第一六一号自然公園法の制定に伴い自然公園法と改正)による公園事業
三二 国又は地方公共団体が設置する公園・・・・・・その他公共の用に供する施設
と規定し、旧法の「国立公園ニ関スル事業」は、右の両項目によつて全部「土地を収用又は使用することのできる事業」中に包含されたのである。
新法改正の趣意は、同法によつて土地の収用又は使用の利益を享受し得べき事業の種類、範囲を明確化するにあつたのであつて、国立公園に関する事業についてその範囲を縮少する法意は、まつたく見られないのみならず、土地収用法全般の趣旨から見て、ひとり公園に関する事業についてのみ、そのようにその意義を限局して解釈すべき何らの理由も存しないのである。
ところで、本件土地は、昭和九年一二月四日、日光国立公園に指定され(内務省告示第五六九号)、昭和二八年一二月二二日厚生省告示第三九四号を以て、当時の国立公園法八条の二第一項により、国立公園日光山内特別保護地区に指定されている区域の一部に属し、現行の自然公園法(昭和三二年法律第一六一号)附則3・4・5項によつて、同法に基いて指定された国立公園の特別保護地区とみなされた土地である。
よつて、本件土地は、国立公園内特別保護地区として土地収用法の適用においても、同法四条にいう「土地を収用又は使用することができる事業の用に供している土地」に該当するものである。
従つて、本件土地を収用するには、土地収用法四条にいう「特別の必要」がある場合でなければならないことはあきらかである。
そうして、本件において、右にいう「特別の必要」の存在をみとめることのできないことは、原審において被控訴人か主張したとおりである。
従つて、本件事業認定は、土地収用法四条所定の要件を具備しない違法の処分であるのみならず、本件事業認定に当たつては、かような「特別の必要」の点については、全然審査されなかつた。しかも土地収用法一八条二、三項、二一条一項の規定によれば、本件のように起業地内に同法四条に規定する土地があるとき、すなわち、これを収用するために「特別の必要」を要する場合には、特に慎重な審査を要し、建設大臣は、当該土地の管理者の意見を徴しなければならない旨を規定するところ、本件土地はすべて被控訴人東照宮の境内地であり、被控訴人は当該土地の所有者として「管理者」であるにかかわらず、右事業認定について、同法一八条二項四号所定の意見書の提出を求められたことはないのみならず、これにつぎ被控訴人の意見を徴せられたことは全くないのである。国立公園内の土地の所有者の権利は、自然公園法の適用によつて各種の制約を受けるにしても、所有者はその土地に対する管理権を失なうものでない。ことに自然公園法は、同三条において公園内土地所有者の権利はこれを尊重すべきことを明定しているのである。このように、法律の規定に違反して所有者の意見を聞くこともなく、権力を以て一方的に所有権を侵奪しようとすることは、デユー・プロセスの大法則に反するものというべきである。
以上のとおり、本件事業認定は、実質的に収用法に定める「特別の必要」の要件を欠く違法があるのみならず、審査手続の面においても、重要な法規違反をあえてするものであつて違法であり取消しを免れないものである。
三、本件事業認定は、これを必要とする理由を失なつている。
すなわち、原審において控訴人らが主張したところによれば、本件事業計画は、そもそも立案の当初から事業認定に至るまで常に控訴人らのいうA、B、C、Dの四案について比較検討が行なわれ、結局B、C、Dの三案は排斥され、A案によるほかないとしてこれが採択されたという四案択一の関係にあつたことが明らかであるから、もしB、C、Dの三案のうちどれかが採用されれば、A案は採用されず廃案に帰すべきものであつた。ところで、昭和四五年五月一日、日本道路公団は、昭和四五年度事業計画における「新規着手」の一般有料道路として、宇都宮市徳次郎町から日光市細尾町までの三二キロを、総予算一七〇億円をもつて、昭和五〇年に完成する旨を発表しその計画はその後年を遂うて着々実行、進捗せられている。この道路公団の計画路線は、国道一二〇号に対しては、いわゆるバイパスの道路に該当するものであり、C案の路線とほぼその軌を一にするものである。C案は本件計画においては、実現不能として排斥されたけれども、この度、日本道路公団の力によつて、総額一七〇億円という巨額の国費を投じて、遠からず実現されることに確定したものといわなければならない。
本件計画が前述のごとく四案択一の関係にあり、しかも、その内の一であるC案の実現が確定的となつた以上、もはやA案を固持する理由はないから、本件事業認定はこれを必要とする理由を失つたというべきである。
四、本件事業認定が土地収用法二〇条三号、四号に違反することは既に述べたとおりであるが、当審における控訴人らの主張にかんがみなお次のとおり補足する。1、土地収用の基準としての適正と合理性は、土地収用の大原則であつて、土地収用法は、第一章総則において、この大原則を宣示し(二条)、二〇条三号はこれをうけて、事業認定め具体的要件について規定したものであつて、その趣旨は、たとえ公用のためとはいえ、他人の土地を収用するについては、不適正、不合理な土地の利用は絶対に許さないとすることにあるのであるから、この点の判断に当たつてはひろく諸般の事情を参酌し、社会通念にもとづいて、その土地利用の適正・合理性を判断すべきである。
2、行政庁がその裁量により同法二〇条四号の「土地を収用する公益上の必要があること」について判断をするに当たつても、無制限にこれをすることが許されるものでなく、被控訴人が、原審以来主張するとおり、これについては、昭和二六年一二月一五日付建設省管理局長の「土地収用法第三章、事業認定の規定の運用に関する件」なる通牒(建設管発第一二二〇号)のいうとおり、「事業の公益性は一般に納得し得る客観性があるかどうかを、具体的の事業及び当該特定の土地について精査してしなければならないのである。
しかるに、本件事業の公益性については、一般的な客観性を欠くことは、原判決の説示するとおりであり、かつ、本件土地は、右通牒にいう「当該特定の土地」としては、国立公園の特別保護地区に指定された特異の土地であることにかんがみ、原判決各段の説示する状況の下に、わずか一三億ばかりの出費を惜しみ、オリンピツクという「際物」に迎合して、いたずらに工事を急ぎ、天下の至宝である本地域の景観を無残に損壊せんとする本件事業認定は、社会通念上著しく妥当を欠き、行政権の裁量の範囲を逸脱して違法のものというべきである。

第二、控訴人らの主張
一、被控訴人の前記主張一(起業者栃木県知事は本件事業執行の権限を有しないとの主張)について。
本件事業における起業者栃木県知事の事業施行の権限の法的根拠の詳細が被控訴人の主張するとおりであること、ならびに昭和三九年四月一日付厚生大臣の承認書の記載及び昭和三三年八月一日付厚生大臣の承認事項がそれぞれ被控訴人主張のとおりであることは、いずれも認める。
しかし、起業者栃木県知事は昭和三八年七月五日付国立公園事業の執行承認事項変更承認申請書(乙第二〇号証の二)において、施設の位置欄に変更前「日光市安川町字下河原(太郎杉附近)一変更後「同左」と記載し、また、同申請書の添付図面(乙第二〇号証の三及び四)も太郎杉附近の約二八〇メートルの区間についての道路改良計画を表示して、本件起業地についての道路事業の執行承認を申請したものであり、これに対し、厚生大臣は、昭和三九年四月一日付収国第六一九号(乙第九号証の一)をもつて右申請を承認したものであるから、右承認が本件起業地約二八〇メートルの区間の道路改良事業の執行承認であることは明らかである。このこまは、右の承認書と同日付けの厚生省大臣官房国立公園部長から栃木県知事宛の文書(乙第九号証の二)、厚生省大臣官房国立公園部計画課長から栃木県商工労働部長宛の文書(乙第九号証の三)、さらに、右承認後において厚生省・栃木県間に取り交わされた往復文書(乙第二一号証の一乃至四、乙第二二号証、乙第二三号証の一乃至三、乙第二四号証)の文面からみても疑いの余地がない。被控訴人は、前記収国第六一九号の承認書の文面中、「昭和三三年八月一日付け承認」との記載のみを捉えて、右承認は本件事業認定にかかる起業地についての執行承認ではない旨主張するのであるが、およそ申請に基づく行政行為の意思解釈は、当該行政行為が表示された文書の一部の記載のみによつてなすべきではなく、その内容の全体・申請書等を参照することによつてなすべきものであり、本件の場合も申請書及びその添付図面等を参照すれば、厚生大臣が栃木県知事に対して本件起業地についての公園事業の執行を承認したことは明白である。そうして、本件公園事業のように、長区間の道路改良事業を執行する場合には、一度にその全区間についての執行の承認を受けないで、当初はその一部区間について執行承認を受け、残区間については事業の進捗状況等に応じて逐次当初の承認事項の変更として承認を受けつつ事業を進めて行くのが通例であり、本件変更承認の場合も、厚生省におけるこの事務処理の慣例に従い当初の承認事項の変更承認という形式をとつているのである。そして、本件道路改良事業に関する当初の一部区間の執行承認は、昭和三四年一二月一七日付厚生省栃国第一七一九号をもつてなされたのであるから、本件起業地についての執行承認申請としての前記昭和三八年七月五日付け変更承認申請書において、当初の承認(変更の基礎となるべき承認)を表示するには右厚生省栃国第一七一九号と記載すべきであつたところ、誤つて昭和三三年八月「日付け厚生省栃国第五八八号と記載し、これを承認した厚生省収国第六一九号にも同様の誤りがあつたのであつて、この誤りについては控訴人らもこれを認めないわけではない。然し前述のとおり右申請および承認にかかる起業地が本件起業地であることが明白である以上、その誤りは単なる記載上のミスにすぎず、右承認を違法ならしめるようなものではないというべきである。
以上を要するに、右の誤りは単なる記載上のミスであつて、本来何らの訂正を要しないものである。従つて、厚生省はその後昭和三九年一二月四日付発国第八一九号を以て、前記収国第六一九号の承認書を、前記栃国第一七一九号による承認事項の変更の承認として処理する旨の通知をしたが、これは、以上の記載上のミスを訂正するものにすぎないから、それが本件事業認定後、しかも、これに対する本件取消しの訴提起後になされたものであつても、何ら本件承認の効力に消長を来すものではない。
二、同二(本件事業認定が土地収用法四条に違反するという主張の補足)の被控訴人の主張に対し次のとおり反論する。
1、本件土地は、自然公園法による公園事業(土地収用法三条二九号)または国の設置する公園(同条三三号)の用に供している土地には該当しない。土地収用法三条二九号所定の収用可能な公益事業としての公園事業とは、自然公園法二条六号、同法施行令四条に定める各公園施設に関する事業に限るものであることは、規定上明らかであつて、国立公園の特別保護地区に指定されているというだけでは、また土地収用法三条二九号によつて該地域内の土地を収用することはできず、またその必要も存しないのである。
すなわち、国立公園の特別保護地区は、公園の景観を維持するために特に必要があるとぎに、厚生大臣が指定するのであるが、景観維持の方法としては、その区域内における工作物の設置、木竹の植栽、伐採、鉱物の採掘、土石の採取、土地の形質の変更その他一定の行為を制限することによつて(講学上の公用制限)、その目的の達成を図ることとしているのであつて(自然公園法一八条以下)、その地区内の土地について何らかの権原を取得して、これに基づいてこれを管理することは予定していないのである(この点が公の営造物である都市公園-都市公園法-と自然公園法による国立公園の最も大きな相違点である。)。従つて、特別保護地区の景観を維持し、これを管理するためには、地区内の土地を収用あるいは使用する必要は存しないのである。
もつとも国立公園の管理者は、単に公園の景観を維持するにとどまらず、積極的に公園の利用、保護のための施設(自然公園法一二条以下、同法施行令四条)を公園事業として設置することを要するのであるが、これら事業を施行するためには、その施設の用地につぎ所有権または使用権を取得する必要があり、この段階になつて、はじめて、土地を収用する必要性が生じるのである。さればこそ、土地収用法三条二九号は、自然公園法による公園事業な収用可能な公益事業と規定しているのである。
被控訴人は、さらに旧土地収用法においては、土地を収用又は使用することを得る事業の種類としては、単に「国立公園ニ関スル事業」と規定するにとどまり、現行法のように自然公園法による公園事業と限定されていなかつたのであつて、現行法の解釈についても、自然公園法による公園事業に限らず、広く国立公園に関する事業と解すべきであると主張する。しかしながら、旧国立公園法による国立公園も、いわゆる営造物公園ではないという点においては現行自然公園法による国立公園と何ら変るところはないのであつて、従つて、その景観維持の方法は、現行法におけると同じく、単に公用制限を課するにとどまり、地域内の土地につき権原を取得することは考えていなかつたのであり、国立公園法所定の公園事業施行のための施設の用地につき所有権あるいは使用権を取得する以外には、「国立公園ニ関スル事業」につき土地を収用または使用する必要は生じなかつたのである。以上のとおり、自然公園法による公園事業という文言の有無にかかわらず、国立公園に関する収用可能事業の範囲は、新旧土地収用法において何ら変りはないものである。
2、本件土地が土地収用法四条所定の土地に該当しないと解しても、本件特別保護地区の景観の維持に欠けるところはない。
いうまでもなく、同法四条の法意は、現に公益事業の用に供している土地等を、別の公益事業のために収用または使用する必要を生じた場合には、両事業の公益性の重要度を比較して、一層重要な公益のために収用、使用のやむをえない必要がある場合に限り、収用、使用を認めようとするものである。そうして、両事業の公益性は、当然事業認定権者である建設大臣または都道府県知事の判断しうるところであるから、両事業の公益性の比較による特別の必要の有無は事業認定権者の判断に委ねられているのであつて、事業認定権者が特別の必要があると認めて事業の認定をすれば、起業者は、収用または使用の裁決を得て当該土地をその事業の用に供しうることとなる。他方国立公園の特別保護地区のように土地の利用について法令の規定による制限があるときは、右土地について事業認定の申請をするためには、当該法令の施行について権限を有する行政機関の意見書を添付することを要し(同法一八条二項五号、二一条一項)、事業認定に際しては、その要件の有無の判断について、これら意見は十分参酌されることとなつているのであるが、さらにまた、仮りに事業の認定がなされ、収用または使用の裁決がなされても、事業の施行が当該法令の制限に抵触するときには、起業者は、これを以て直ちに当該土地を事業の用に供しうることとはならず、さらに権限を有する行政機関による、制限の解除を受けることを要し、これを得てはじめて当該土地を事業の用に供しうることとなるのである。そうして、右土地の利用についての制限の解除を認めるかどうかは専ら、当該法令の施行力権限を有する行政機関の判断に委ねられ、これにより当該法令が意図するところが完全に達成されることとなるのである。これを特別保護地区についていえば、仮りに、起業者が地区内の土地について収用裁決を得てその所有権を取得しても、自然公園法の見地からする厚生大臣の許可がなければ、右土地について同法一八条により制限された行為をすることはできないのである。
以上述べたとおり、国立公園の特別保護地区の景観を保護するためには、右地区内の土地は、土地収用法四条所定の土地に該当し、特別の必要がなければ収用または使用できないとする考え方は、とるに値しないものであり、むしろ、上述のとおり他法令の制限によつて、より以上にその目的を達しうるのである。
三、同三(本件事業認定はこれを必要とする理由を失なつたという主張)について。
日本道路公団が、昭和四六年四月に着工し昭和五一年三月末日完成を目途として、現在日光・宇都宮道路を建設中であることは認める。しかし、右日光・宇都宮道路の新設は、本件事業計画の公益性、必要性になんらの影響を与えるものではない。すなわち、本件事業計画にかかる国道一二〇号は、日光橋において接続する国道一一九号とあわせて、宇都宮から今市市、日光市を経て群馬県沼田市に至る幹線道路であるのみならず、日光市内を貫く幹線道路として市民生活に多大の便益を与えており、さらに、東照宮、二荒山神社および輪王寺ならびに神橋など日光国立公園内の観光地区に通ずる唯一の道路である。ところで、前記日光・宇都宮道路は、東北縦貫自動車道の宇都宮インターチエンジを起点とし、日光市清滝桜ケ丘町を終点とする有料の自動車専用道路であり、今市市、日光市の市街を避けて、その外側を迂回し、前記終点において清滝バイパスに通じているのであるが、沼田市、奥日光方面などを目的とする、いわゆる通過交通量を処理するために建設される迂回路であるから、日光市民の生活に直結する業務用車両はもとより、日光杉並木街道をはじめ神橋、東照宮などを目的とする観光用車両は、国道一一九号および一二〇目方(以下「現道」という。)を利用することによりはじめてその目的を達するのである。そうして、日光・宇都宮道路が完成しても、現道に残る自動車交通量は減少しないものと予測される。被控訴人は、日光・宇都宮道路はいわゆるC案とほぼ同様の効果を生ずる旨主張するが、いわゆるC案と日光・宇都宮道路とを対比してみると、C案ルートは、本件係争地のわずか五〇メートル程度の区間の現道拡幅に代替するルートとして考慮されたものであるのに対し、日光・宇都宮道路は、前述のように、東北縦貫自動車道の開通に伴なう将来交通需要に応じ、かつ、現道の観光シーズンにおげる恒常的まひ状態を緩和するため、主として通過交通を所理するために設けられるものであり、路線の性格においても、また、その通過経路においても、本件係争地の交通渋滞や混雑解消のためのC案と同様の効果を生ずるものではなく、本件拡幅事業の必要性は依然として残るのである。
従つて、日光・宇都宮道路が完成しても、その沿道に多くの観光地をもつ現道は、東照宮参拝ルートとして、全国でも有数の観光道路として、また、地域住民の唯一の生活道路として、重要な機能を果たすものであつて、その交通量は、現状に比していささかも減少しないものとみられるのである。
なお、被控訴人は、日光・宇都宮道路の完成により現道はもつぱら日光山内社寺を中心とする観光道路としてローカル線化する旨主張するが、この点について付言すれば、昭和四四年五月に調査した本件係争地における交通解析によると、全体交通量の四七パーセントは東照宮、二荒山神社、輪王寺および神橋の観光用車両ならびに神橋附近を往復する業務用車両等であり、また、昭和四六年五月九日の調査では、その割合が五五パーセントと上昇している。この傾向は、最近のモータリーゼーシヨンの普及と観光ブームとがあいまつてさらに増加することが明白であるから、バイパス完成による現道のローカル線化という傾向は、とうてい考えられない。
以上のとおり、本件事業計画にかかる道路拡幅事業は、日光・宇都宮道路の完成によつても、その公益性、必要性になんらの影響を受けるものではない。
四、本件事業計画は、「土地の適正且つ合理的な利用に寄与するもの」である。すなわち、本件事業によつて増進される公共の福祉と本件土地の現在の利用状況とを比較衡量するとき、本件事業の高度の公共性、必要性は、本件土地の現在の利用状況の価値を上廻ることが明らかである。以下に控訴人らの従前の主張を整理補足してその理由を明らかにする。
1、本件事業計画は、高度の公共的必要性を有し、欠くことをえないものである。
(一) 前述のように、本件事業計画にかかる国道一二〇号は、日光橋において接続する国道一一九号とあわせて、宇都宮から今市市、日光市を経て沼田市に至る幹線道路であり、東照宮、二荒山神社、輪王寺、神橋、中禅寺湖、戦場ケ原、湯元温泉等日光国立公園内の観光地区および古河鉱業株式会社、古河電気工業株式会社等の産業施設がある清滝地区に通ずる唯一の道路として、観光的産業的に重要な機能を果しでいるのみならず、日光市内の縦貫道路としても市民生活に多大の便益を与えている道路である。したがつて、その交通量は年々激増し、自動車交通量は、一日平均で昭和三七年度、約六、四〇〇台、昭和四三年度は約一〇、〇〇〇台となつており(なお、以上の交通量は、年間を通じた平均であつて、春秋の観光シーズンにおける交通量ははるかに多く、例えば、昭和四三年秋のピークにおいて約一九、〇〇〇台で、その増加分の大半は観光を目的とするのである。今後の道路整備の進捗と観光旅行増大の傾向からみれば、一層増加の傾向は強まるものと考えられる。)、このうち約五五パーセントが日光国立公園の利用を目的とする自動車であつて、さらに、その六四パーセントすなわち全体の約三五パー七ントは、東照宮、二荒山神社および輪王寺の二社一寺ならびに神橋の観光を直接の目的としており、また、その他全体の約一二パーセントか日光橋を往来してする日光市街地における業務を目的とするものである(以上の自動車交通量及びその分析の詳細は別紙(一)のとおりである。)。換言すれば、全自動車交通量の約四七パーセントが本件地点を往来することによつてその目的を達成する交通なのであるが、さらにそのほかに歩行者として一日平均で昭和三七年度は、二、九〇〇人、昭和四三年度で三、一〇〇人の者の交通があり、それらの者は、歩道がないため、ひしめく自動車交通によつて危険にさらされ、またその交通を妨げられているのである。しかも、現道は、神橋の北側の袖勾欄の一方を取り毀したままの状態になつているから、将来由緒ある神橋を完全な姿にするときは、その幅はさらに狭くなり、交通は一層困難になることは必至である。
本件道路がこのような特質を有するものである以上、その改築方法もこれに即したものでなければならないことは当然である。もし、前述のように自動車交通量の約半数が本件土地付近の現道またはその至近の場所を通行する必要があることを無視して、現道とはなれてバイパスを建設しても、右自動車交通量および歩行者が現道に残るのはもちろん、バイパスを有料道路にするときは、他の自動車交通量のバイパスへの振替えも顕著にいかず、将来ますます増加する自動車交通量に対処して、運輸の公共的目的、東照宮等の観光客の利便、安全を確保すべき社会的要請は全く達せられないこととなる
(二) しかも、バイパスを考えるについては、それが景観等文化的価値に及ぼす影響、家屋等の除却移転等の社会的影響、および事業費等も考慮されなければならないものであつて、起業者である栃木県知事は、原審において詳述したとおり、本件事業認定を申請するに際して事業計画である現道の拡幅案(A案)のほか技術的に可能な案としてB案、C案、D案の三案を慎重に比較検討した結果(なお比較検討した事項の詳細は別紙(二)のとおりである。)、右述の本件道路の特質からする交通量処理の効果、景観等文化的価値に及ぼす影響、家屋等の移転の社会的影響、事業費、工事期間等の」ずれの点からしても本件事業計画にまさる案はなかつたのでこれを採用したものである。
なお、原判決はC案によることが可能であるとの口吻をもらしているので、特にC案が実現困難であるゆえんを詳細にのべる。
(1) C案は、昭和二九年二月一五日旧都市計画法(大正八年法律第三六号)に基づき日光市の都市計画として決定された街路の路線の一部を利用し、日光市役所手前から山側にトンネルで入るよう計画されているものである。
この街路に関する都市計画決定においては当街路が地域交通の処理を目的とした区画街路であり通過交通の処理を目的とした道路でないため、全幅員一二メートルという地域交通量に見合つた幅員とされており、歩道も設けないこととされている。これを国道として利用する場合においては、当然に交通量の増大が予想されるため、沿道住民の利用及び交通安全対策上、両側各二・五メートルの歩道を設置する必要があり、したがつて、全幅員一六メートルを要することとなる。ところで、この都市計画決定街路の一部については、すでに全幅員一二メートルの街路としてほぼ完成し、両側には新しい家屋が建ち並んでいる。この部分の造成は土地区画整理法(昭和二九年法律第一一九号)による土地区画整理事業によつて行なわれたものであり、右事業は昭和三五年度に着手され、すでに、仮換地の指定が行なわれ、昭和四五年度中には換地処分を行なうべく準備中である。仮換地の指定が行なわれた場合においては、特段の事情がない限り、その仮換地を換地とする換地処分が行なわれることが通例であり、関係権利者はその期待の下に仮換地に家屋を新築する等仮換地の使用収益を行なつているのである。しかるに、この部分を全幅員一六メートルに拡幅しなければならないとすれば、土地区画整理事業の事業計画を変更したうえで仮換地の指定の変更を行ない、若しくは仮換地と異なる換地を定める換地処分を行ない、又は土地区画整理事業完了後別途の方法で用地を取得することが必要となる。いずれの方法によるにせよ、この街路の全幅員が一二メートルであることを前提に、現に仮換地の上で平穏な生活を営んでいる地域住民の平和を害することは明白であり、その社会的影響は大きく、実施は極めて困難である。
次に、都市計画決定街路のうち、未着手の部分については、日光市がこれを含む地域について土地区画整理事業を施行すべく計画中であり、すでに土地区画整理法五五条一項に基づき事業計画が公衆の縦覧に供された。この部分については、昭和二九年の都市計画決定以来、全幅員一二メートルとして住民に認識され、当然のことながら、都市計画制限もこの一二メートルの範囲内についてのみ行なわれてきている。また、前述の公衆の縦覧に供された土地区画整理事業の事業計画においても、この部分は全幅員一二メートルの街路として計画されている。したがつて、この部分も全幅員一六メートルにしなければならないとすれば、都市計画ならびに土地区画整理事業の事業計画を変更しなければならないが、これは地域住民に与える影響が大きいため、実現は困難である。
以上のとおり、国道のバイパスとして本都市計画路線を利用することは極めて困難であり、まして)この地域において本都市計画路線以外の場所にバイパスの路線を求めることは人家の連なる地域のため不可能である。
(2) C案の建設には一三億五、一〇〇万円の事業費を要するが、この金額は、栃木県が昭和四一年度から昭和四四年度までの四年間に県内の交通安全施設の整備のために投じ、又は投じようとしている事業費の合計額に相当するものであり、限られた財源により全国にわたる安全かつ円滑な交通の確保を期するため、効率的な公共投資をなすべき責務を国民に対して負つている国及び地方公共団体としては、この金額の約三〇分の一である四、三〇〇万円の事業費をもつて本来道路の有する問題を解決することができる現道拡幅案という有効適切な手段があるにもかかわらず、わずか二八〇メートルの区間の道路の改良のためにこのような巨額の事業費を投ずることは到底容認することはできない。
これに対し、被控訴人は、原審において、C案は事業費が高くなるという難点があるとしても、金精道路や第二いろは坂が日本道路公団の手により有料道路として完成していることにかんがみれば、起業者としても、かような方法によるべく努力するのが本筋である旨主張し、原判決もまた、建設に高額の費用を要する道路の新設については、日本道路公団がこれを建設し、その通行につき料金を徴収する等の方法によつてこれを実現するという方法も考えられる旨判示している。しかし、これらは、いずれも有料道路制度の特質を理解しない考え方といわねばならない。
有料道路の建設は、道路整備特別措置法(昭和三一年法律第七号)に基づいて行なわれるが、同法は、元来道路は国民生活にとつて不可欠かつ基本的な交通手段を提供するものであるため、無料公開を原則とするという考え方から、その対象とする道路並びに料金の額及び徴収期間について極めて厳格な制限を設けている。その詳細の説明は省略するが、日本道路公団が一般国道の新設又は改築を行なう場合にその道路の通行又は利用について徴収することができる料金の額については、(ア)当該道路の通行又は利用により通常受ける利益の限度、すなわち、通行若しくは利用の距離若しくは時間の短縮、路面の改良、屈曲若しくは勾配の減少等道路の構造の改良又は通行若しくは利用の方法の変更に伴ない、車両の運転費(燃料費、油脂費、タイヤ及びチユーブ費、修繕費、償却費、乗務員の人件費等)、輸送費、旅行費、荷役費、積卸費、包装費等について通常節約することのできる額をこえないこと(同法一一条二項及び同法施行令一条の四第一項)、
(イ) 当該道路の料金街収総額が、当該道路の新設又は改良に要する費用、当該道路の維持及び修繕に要する費用その他の当該道路の管理に要する費用並びにこれらの費用の財源に充てるための借入金等の利息の支払に要する費用の合算額に見合う額となるようにすること(同法施行令二条)
という制度がある。
そこで、かりにC案を日本道路公団が建設して、その通行につき料金を徴収するとしても、C案の延長は、七七六メートルであつて、これに対応する現道の延長と大差なく、走行時間も、幾分は短縮されるものの、距離が短いため大差なく、さらに路面等道路の構造についても、現道と大差ないため、これを通行する者の受ける便益は極めて小さいものであり、したがつて、前記(ア)の基準に照らせば、その料金は極めて低額とせざるを得ない。
他方、この道路の建設のためには前述の如き巨額の事業費を要するから、その元利償還分だけでも毎年度多額にのぼり、その他維持及び修繕に要する費用その他の管理に要する費用を考慮すれば、前記低額な料金をもつてしては到底これらの費用を償い得ず、結局本道路は有料道路としては採算が合わないものであることは明らかであり、有料道路として建設することができないものである。
以上のとおり、C案は一般の道路としてはもちろん、有料道路としても建設することができないものである。
2、本件事業計画の影響は、局部的にとどまり、東照宮の神域の尊厳の保持に支障を生ぜしめないのはもちろん、付近の景観を著しく損うこともない。
(一) 本件土地は、東照宮の境内の表玄関ともいうべき場所に位置し、その上に、巨杉が群生し、巨杉の間に背後丘陵上の優美な御旅所の社が散見しているが、本件事業計画が実施されると、本件土地の部分は削り取られ、これにあわせて同地上に成育する一五本の杉は伐採され、その跡地には高さ三米および五米の二段の石垣が長さ四〇米にわたつて構築される。そのため相当の修景がなされるものの、御旅所の社は相当程度その姿をあらわし、蛇王権現もその敷地を若干後方(北方)に移転を余儀なくされることは避けられない。
このような状態になることは、もちろん、好ましいことではないが、本件土地は、東照宮の林地の一部であつて、広大な境内に比すればわずかの部分であり、右一五本の杉を伐採しても、境内地には、なお数多くの巨杉が生い茂つているのであり、従つて、右のような本件事業計画が実施されても、これにより東照宮の神域の尊厳性はいささかも損われることはなく、また、その宗教的文化的値価にもなんら支障を及ぼすものではない。
(二) また、本件事業計画の実施は、本件土地を含む付近の景観にもさしたる影響を及ぼすものではない。
(1) 元来、本件土地は、自然のままの地形、景観ではなく、相当人工度の高い地形、景観である。本件土地を含む東照宮境内入口付近は、境内地が自然の傾斜をなして大谷川に迫つているというような状態ではなくて、その前面(南側)には大谷川との間にすでに一般国道一二〇号が通つており、その上、本件事業認定当時は、右国道に東武鉄道日光軌道線の軌道があり、昭和四二年二月二四日までは路面電車が走つていた状態であり、また、右国道と境内との境界は、自然の傾斜ではなく、すでに相当高い間知石積がなされている状態である。なお、日光山内においても参拝者の利便のために自動車の乗入れが可能なように道路の舗装拡幅等がなされている。
(2) また、本件土地上の樹林はすでに良好な状態にない。およそ、立木には寿命があり、枯損はその必然であるが、本件土地においても昭和三八年三月二五日未明の強風により東照宮表参道長坂付近に成育する杉一八五本のうち四二本が倒木し、また多数の杉が損傷し、本件土地上に残存する一五本の杉も風により倒れるのを予防するため、ワイヤーロープにより辛うじて保護されている状態である。そのため、本件土地およびその付近の土地の景観はすでに相当損われており、また、蛇王権現の社も同強風による倒木によつて倒壊され、いまだにその復元がなされていないのである(当初本件事業計画に反対した自然公園審議会がその実施もやむをえないとしたのは、このような事実を認識した結果であると考えられる)。
(3) 以上のような本件土地の現況に照らすとき、現存の国道の六米の幅員をさらに一六米に拡幅して、その結果四〇米にわたり約一〇米幅に丘陵部をさらに切断して、その前面を現在の石積よりは高い三米と五米の石垣を構築しても、植樹その他の修景に十分意を用いる以上、景観にはさしたる影響はないものと考えられる。
(4) 元来日光の景観は、二社一時等建造物の文化景観と自然景観とが渾然一体となつているところにあるが、これを本件地域について見れば、この地域の景観の一方の核である建造物が神橋であることは万人の認めるところであり、この神橋の美に対応し、これと一体をなすにふさわしい他方の核としての自然美は、大谷川右岸の広葉樹林をおいて他にはないのである。けだし、大谷川右岸の広葉樹林は人為の加わらない自然の美を示し、とくに秋季の紅葉時の美しさは目を奪うばかりであつて、この広葉樹林と神橋とが一体となつて作り出す景観こそが日光国立公園の入口としてふさわしい傑出した美しさを示しているのである。被控訴人東照宮の発行したパンフレツトを含めて、日光市内及び二社一寺内で売り出されている観光絵はがき、パンフレツト類のうち、神橋附近を表わすものの多くが、神橋と大谷川右岸の景観を中心としていることは、このことを雄弁に物語つている。これに対し、本件土地をはじめとする大谷川左岸の景観は前叙のとおりすでに相当に人為的な改変が加えられており、さらにこれに幾分の人工を加えたとしても、この地域の景観に本質的な影響を及ぼすものではない。従つて、この地域において、原判決のいうように、自然の推移による場合のほかは現状のままで維持され保存がはかられなければならないものがあるとすれば、それは神橋と大谷川右岸の広葉樹林を中心とした景観であつて、本件土地を含む大谷川左岸の景観ではない。本件事業計画を実施すれば本件土地付近の景観に影響を及ぼすことは避けられないが、神橋及び大谷川右岸が現状のまま保存される以上、本件事業計画実施の結果としての人工は、周囲と調和して一本化するものというべく、その影響はこの地域の景観を本質的に改変するものではない。
3、本件事業計画の実施は、日光発祥の史実、伝説になんらの影響を及ぼすものではない。
(一) 日光発祥の史実・伝説とは、原判決の認定によれば、「日光山は、今から約一、二〇〇年の昔、勝道上人によつて開山されたものといわれているが、その際、勝道上人が、本件土地付近の大谷川の絶壁を渡り得ずに困却しているところ、深沙大王が現われて大蛇を橋となし、その渡河を導いたという伝説に基づいて、神橋が架せられ、その正面には深沙大王を祀るための蛇王権現の社を建立した。」ということである。してみれば、本件土地は、その一部が蛇王権現の社の敷地となつているという意味においてのみ、前記史実・伝説と関係しているのである。ところで、その蛇王権現の社は、昭和三八年三月の強虱による倒木により破壊されたまま再建されていないが、本件事業計画の実施によりその位置は多少(北方)に後退するものの、輪王寺によつて再建される計画となつているものである。社の位置が多少現在のそれより後方に移転することが前述の史実・伝説になんらの影響を及ぼすものでないことはいうまでもないであろう。
(二) また、本件土地に成育する一五本の杉は、日光杉並木街道の出発点等の歴史的文化的価値を有するものではない。すなわち、本件地上に成育する一五本の杉は、山内の無数の杉群の一部を構成するにすぎないのであつて、並木杉として道路に並行的に植栽されたものではない。たまたま、前述の昭和三八年三月の強虱に2よる倒木を免れたものが、道路に沿つて植栽されたかのような形態で残つたにすぎないのである。もともと、杉並木は、街道の全線にわたつて植栽されたものではなく、途中の集落の部分には植栽されなかつたのであるから、本件土地の東側の寄進碑の杉並木は日光山山菅橋付近から植栽された旨の碑文は、日光がかつても集落地であつたことを考えれば、その今市側のはずれを起点として植栽されたことを意味するものと解すべきである(なお、日光杉並木街道寄進碑は、このほか旧御成街道の大沢、旧例幣使街道の小倉、旧会津街道の大桑の三地点にも建立されているが、これらの碑文は、いずれも同文で小倉、大沢、大桑から日光に至るまでの間に植栽したものである旨記されているのであつて、とくに日光山山菅橋まで植栽した旨を記していない。)。
したがつて、本件土地に成育する杉が日光杉並木街道の出発点であると考えることはできない。日光杉並木街道が史跡、特別史跡、あるいは天然記念物、特別天然記念物に指定されているにかかわらず、本件地上の杉がこれらの指定からもれていることは、それと同程度の史的価値を有するものでないことを何より雄弁に物語るものといえよう。
五、以上述べたところにより、本件事業計画による国道拡幅事業の公益性必要性が、本件土地の現在の利用状況と比較して一層重要であることは明らかであるから、本件事業計画は土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものである。
そうして、土地収用法二〇条三号に定める「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」という要件を具備するかどうかの判断が行政庁の自由な裁量に委ねられているものでないことは、控訴人もこれを争うものではないが、本件のように事業計画が高度の公共的必要性を具備し、しかも、その公共的必要性と当該土地の有する景観その他の価値との比較衡量に極めて微妙かつ高度な価値判断を要する事案については、専門的技術的な行政庁の判断を尊重されて然るべきものと解する。ところで、本件事業計画については、控訴人建設大臣が、起業者栃木県知事の申請を専門的にし細に検討した結果、右事業計画による道路拡幅の公共的必要性が、本件土地およびその付近の景観、史的文化的価値等と比較衡量して、前者がまさると判断して、本件事業の認定をしたものであり、また、自然公園審議会の調査検討を経た答申に基づいて厚生大臣も公園事業の執行の承認をなしたものである。このように、本件事業計画が道路改良の面のみならず、景観の保持等の観点からも、専門的技術的な知識を傾けた慎重な比較検討を経て決定されたものであるから、この判断は、当然尊重されるべきものである。

第三、新しい証拠(省略)

理由

第一、本案前の主張について。
一、当裁判所も、本件事業認定及び土地細目の公告は取消訴訟の対象となる行政処分であり、また、被控訴人は本件各行政処分の取消を求める訴の利益を有するものであつて、これらの点に関する控訴人らの主張(控訴人らの本案前の抗弁一及び二)は理由がないと判断するものであるが、その理由は、左に付加するほか、原判決が四二丁表一一行目から四五丁裏一〇行目までに説示するところと同一であるから、これを引用する。
「なお、控訴人らは、本件事業の認定及び土地細目の公告によつて被控訴人は形質変更禁止の制限をうけるが、これは本来権利に内在する制限にすぎず、このような制限は法律上保護された利益の侵害とはいえない旨主張するけれども、右の形質変更の禁止は、土地収用法が、収用にかかる事業と収用手続の円滑な遂行に障害が生ずるのを防止するため、特に認めた効果であつて、被控訴人の権利(本件においては、前記引用にかかる部分において判断したとおり、本件土地の所有権である。)がその性質上最初からそのような制約を内在しているものとは考えられず、被控訴人はこの形質変更の禁止によつて、その権利(所有権)の行使を制限されるものであるから、被控訴人が訴の利益を有することはいうまでもない。この主張も理由がなく採用できない。」
二、控訴人らは、更に、被控訴人らが本件事業認定及び土地細目の公告の取消訴訟にあわせて本件収用裁決の取消を訴求することは、二重訴訟を追行することとなり、そうでなくとも、いずれか一方の訴訟は訴訟追行の具体的利益を欠くに至つたものと解すべきである、と主張する。
しかし、以上の三つ力行政処分は、一連の手続の一環をなす処分とはいえ、それぞれその主体、要件及び効果をことにするものであるばかりでなく、本件においてはこの三つの処分に共通な違法事由のほかに、各別の違法事由もまた主張されているのであるから、本件における事業認定、土地細目公告取消の訴(これが原裁判所昭和三九年(行ウ)第四号事件である。)と収用裁決取消の訴(これは同昭和四二年(行ウ)第二号事件である。)とが、控訴人らのいうように、二重訴訟となるいわれはないのであつて、右主張のうち二重訴訟であることを前提とする部分は理由がない。
つぎに、収用裁決は、前記一連の手続における最終処分であるから、その取消しを求める訴を提起した以上、もはや同一の違法事由を主張してこれに先行する処分の取消しを求める訴の利益は通常は認め難いものというべきである。しかし、本件のように、まず先行処分である事業認定、土地細目の公告の取消を求める訴が提起され、その係属中に収用裁決がなされたため、その取消を求める訴が更に提起されたときは、前段に述べたとおり前記三個の処分はそれぞれ相異なるものであること、その違法事由として共通のもののほか各別の違法事由もまた主張されていること及び前記引用にかかる原判決が判示するとおり、事業認定処分及び土地細目の公告処分もそれぞれ独立して取消訴訟の対象たる行政処分であることを考えると、最終処分である収用裁決の取消を求める訴が提起され(なお、本件においては、この訴は、先行処分の取消を求める訴と併合されていることは記録上明らかである。)たという一事によつて、直ちに先行処分の取消しを求める訴はその利益を失なうものというのは相当ではなく、しかも各個の処分の取消しを求める請求のそれぞれについて判断を示すことは、行訴法三三条に規定する裁判の効力を明確にするうえにおいても有用であるから、本件において収用裁決の取消しを求める訴が提起され(しかもそれが前記のとおり併合され)たからといつて、これを理由に先行処分である事業認定及び土地細目の公告の取消しを求める訴につき、被控訴人の訴の利益を否定すべきいわれはないというべきである。
従つて、控訴人らのこの主張も理由がなく採用できない。

第二、本案について。
一、被控訴人主張の請求原因第一の事実はすべて当事者間に争いがない。
二、土地収用手続のように、一連の処分からなる手続を経てはじめて終局的な効果を生ずる場合には、先行の行政処分が適法に行なわれることが、後続する処分の要件をなし、先行処分に瑕疵があつて違法であるときは、後続の処分は当然に違法となるものというべきであるから、本件においては、最も先行する行政処分である本件事業認定について、まず判断するのが相当である。
そうして、被控訴人は原審及び当審において本件事業認定の違法事由として種々の主張をしているが、そのうち「本件事業計画は、土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものとはいいがたいから、本件事業認定は、土地収用法第二条、第二〇条第三号に違反する。」との主張が最も基本的な違法事由の主張と考えられるので、当裁判所はまずこの主張について判断することとする。
ところで、土地収用法は「公共の利益の増進と私有財産一の調整をはかり、もつて国土の適正且つ合理的な利用」を目的とする(同法一条参照)ものであるが、この法の目的に照らして考えると、同法二〇条三号所定の「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」という要件は、その土地がその事業の用に供されることによつて得らるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることによつて失なわれる利益(この利益は私的なもののみならず、時としては公共の利益をも含むものである。)とを比較衡量した結果前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解するのが相当である。そうして、控訴人建設大臣の、この要件の存否についての判断は、具体的には本件事業認定にかかる事業計画の内容、右事業計画が達成されることによつてもたらされるべき公共の利益、右事業計画策定及び本件事業認定に至るまでの経緯、右事業計画において収用の対象とされている本件土地の状況、その有する私的ないし公共的価値等の諸要素、諸価値の比較衡量に基づく総合判断として行なわるべきものと考えられるので、以下これらの点について順次検討を加える。
1、まず本件事業計画の内容であるが、この点について当裁判所が認定するところは、原判決が五六丁裏九行目かち五八丁表三行目までに説示するところと同一であるから、これを引用する。
2、それでは、この事業計画の実施がどのような公共の利益をもたらすべきものであろうか。
(一) 成立に争いのない乙第一号証の一、二によると、本件事業認定にあたり起業者栃木県知事は、控訴人建設大臣に提出した事業認定申請書及びこれに添付の事業計画書において、「本件土地付近は、日光国立公園の入口に位置し、近時、観光施設が整備されて交通量が急激に増大したうえに、県境金精有料道路の開通等による奥地資源の開発および東京オリンピツクの開催とあいまつて、ますます交通量が増加することが予想される。しかるに、本件土地付近の道幅は五・七メートルと狭少であるうえ、加えて線形が悪く、歩車道の区別のない混合交通の状態にあるため、交通の支障は著しく、観光は光の大ネツクとなつている。そこで、今回、本件事業計画によつて該道路が拡幅されれば、これによつて一日一五、八〇〇台の自動車交通が可能となり、歩道の設置による混合交通の解消・事故の防止・所要時間の短縮等、産業経済上並びに観光上受ける利益は極めて大なるものがある。」と述べていることが認められるが、これによれば起業者県知事が本件事業によつて意図したところは、現在及び将来の交通量増加に対処して、交通渋滞を緩和し、交通の安全と人的物的損害の防止をはかるため、本件道路を拡幅しようとするにあることが明らかである。
(二) そうして、本件事業計画が果して起業者が意図したような必要性及び公共性を持つているかどうかについての当裁判所の認定判断は、原判決が五九丁表一行目から六七丁裏六行目までに説示するところと同一である(なお、当審における検証の結果はこの認定判断をますます強固ならしめるものである。)から、これを引用する。
3、つぎに本件事業計画策定及び本件事業認定に至るまでの経緯であるが、この点についての当裁判所の認定は、左記のとおり一部付加訂正するほかは、原判決が六七丁裏七行目から七四丁表八行目まで同上、四一四頁八行目から四一八頁一五行目まで)に認定するところと同一であるから、これを引用する(なお、上記引用にかかる部分中に、「前記認定」とか「前述の」とあるのは、いずれも、前記2(二)において引用にかかる部分を指すものである。)。
原判決六九丁表四行目から同丁裏四行目までを次のとおりあらためる。
「ところでで昭和二九年に至り、太郎杉を含む杉群の一部を伐採して道路を拡幅し、軌道をつけかえることが再び計画、提唱され、同年七月二三日被控訴人、日光市、東武鉄道等関係者の間に、杉群の伐採、道路の拡幅等に関し覚書(乙第四号証の一、二)が作成され、被控訴人を代表して宮司Aもこれに調印したが、その後被控訴人東照宮においては意をひるがえし、文部省、厚生省等に対し陳情書を提出して、右覚書による地形変更に反対するに至つた。」
4、最後に本件土地の状況、その有する価値ないし利益について検討する。
(一) 本件土地が、昭和九年一二月四日、内務省告示第五六九号によつて日光国立公園に指定され、かつ、昭和二八年一二月二二日、厚生省告示第三九四号をもつて、当時の国立公園法第八条の二第一項により、国立公園日光山内特別保護地区に指定された区域の一部に属していることは、当事者間に争いがない。そうして右の地区は、自然公園法附則3、4、5項により現行の自然公園法に基いて指定された国立公園日光山内特別保護地区とみなされるものであるが、成立に争いのない甲第一三号証によると日光山内特別保護地区は、「東照宮・二荒山神社本宮および別宮・輪王寺・輪王寺大猷院霊廟の各境内および神橋並びに背後の森林一帯」をその区域とするものであり、かかる区域を特別保護地区に指定した理由は、「本地区は、東照宮・二荒山神社本宮および別宮・輪王寺・大猷院霊廟・神橋等を含む一帯で、比較的狭い自然の地形に制約されながらも、地形を巧みに利用し、江戸時代初期の文化の精粋を集めて豪華絢爛たる建造物群を建設して、大自然と人工とを混然一体とせしめた稀にみる地区であり、従つて、万民偕楽の地として、大いに世人に親しまれて国立公園利用上重要なものであり、又、建築・美術・工芸等学術上からも永久に保存保護されなければならない地区である。」からであると認められる。ところで、自然公園法によると、国立公園とは、「わが国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地であつて、厚生大臣が自然公園審議会の意見を聞いて指定するもの」をいい(同法二条二号)、厚生大臣は、「国立公園の風致を維持するため、公園計画に基いて、その区域内に特別地域を指定することができ」(同法一七条一項)、さらに、「国立公園の景観を維持するため、特に必要があるときは、公園計画に基いて、特別地域内に特別保護地区を指定することができる」(同法一八条一項)とされているが、これによれば、特別保護地区とは、わが国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地の中から、特に風致、景観を維持する必要があるとして指定された地区であるというべきである。そうして成立に争いのない甲第九号証(厚生省国立公園部作成にかかるパンフレツト)によると、特別保護地区の概念および所管行政庁におけるその取扱方針について、つぎのように述べられていることが認められる。すなわち、「特別保護地区は、国立公園の主眼とする自然風景保護の観点から、自然公園区域内の極めて限定された最高の素質を保有する部分において、最も厳正な保存を図るため、必要な措置を講ずべき地区であり、国立公園のエツセンスともいうべき部分である。従つて、特別保護地区は、国立公園区域中でも、何らかの意味で、特に傑出した景観又は特異な事物を保有する部分であつて、それを構成する環境との一体性において保存を図るべきものである。さらにまた、長い歴史を有する我が国においては、貴重な人文的景観が国立公園を特徴づけている場合が多いので、その貴重なものについてはそれを抱擁する地域として保存を図らなければならないものがある。」従つて、「特別保護地区内においては、このような景観を維持するために、強い法的制限が課せられ」ており、その主旨とするところは、「特別地域の如く、産業開発等と協調的なものでなく、国民の貴重な文化財として、限られた優れた自然景観を、人為的作為を加えることなく、厳正に原状を保護保存すること・・・・即ち、可及的自然の推移にまかせて、人為的な作為による改変を施さないもので、従つて、森林の経済的経営を行なわず、鉱業および水力発電の開発並びに開拓を実施しないことは勿論、その他原状を改変する行為はさ細なものであつても、極力認めない方針をとる。」と述べられている。
(二) そうして本件土地付近の人文、景観及び本件土地付近に存する史実、伝説についての当裁判所の認定は、原判決が七七丁裏五行目から八〇丁裏一〇行目までに説示するとおりである(なお、当審における証人B、同C、同Dの各証言はいまだこの認定を左右するに足るものではない。)から、これを引用する。
つぎに、日光杉並木街道が特別史蹟及び特別天然記念物に指定されたいきさつは、原判決が八一丁表二行目から同丁裏八行目までに認定するとおりであつて、当裁判所もこれを引用するが、本件土地上の太郎杉を含む杉群が右の指定の対象に含まれていないことは弁論の全趣旨によつて明らかである。
しかし、右引用にかかる部分に掲記の各証拠(原判決八一丁表二行目から四行目に記載のもの。)に弁論の全趣旨を総合すると、本件土地上に成育する一五本の巨杉群は、いずれも本件道路に沿つてほぼ並列的に成育し、かつ、右は、本件土地の西側に接する東照宮表参道の両側に同様に並列的に成育している巨杉群に連なつていること、本件土地の東側には、日光杉並木街道寄進の碑が建立されており、同碑によると、右杉並木は日光山山菅橋(即ち神橋)付近から植栽されていることがうかがわれ、これらの事実に前記日光杉並木街道の歴史を総合して判断すれば、本件土地上に成育する巨杉群は、日光杉並木街道のそれと時を同じくして植栽されたもの(但し太郎杉についてはそれ以前から成育していたものとみるべきである。)であつて、日光杉並木街道の出発点にあたるとする見解もそれ相応の理由があるものというべきであり、仮りにこの見解が厳密な歴史的、学術的考証にたえるものではないとしても、少なくとも一般国民の意識の上では、その史的・文化的価値の点で、特別史跡・特別天然記念物としての日光杉並木街道のそれと同じ程度の価値を有するものと評価されていると認めることができる。

三、以上認定の事実を基礎として本件事業計画が土地収用法二〇条三号にいう「土地の適正且つ合理的な利用に寄与するもの」と認められるべきかどうかについての、控訴人建設大臣の判断の適否につき考察する。
控訴人建設大臣が、この点の判断をするについて、或る範囲において裁量判断の余地が認めらるべきことは、当裁判所もこれを認めるに吝かではないしかし、この点の判断が前認定のような諸要素、諸価値の比較考量に基づき行なわるべきものである以上、同控訴人がこの点の判断をするにあたり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価す、べきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となるものと解するのが相当である。この見地から考えてみる。

1、既に認定したとおり、本件事業計画は、計画策定当時存在し、かつ将来も存続すると予測される交通量の増加に対処するため、国道一二〇号の本件事業計画にかかる部分(以下本件道路という。)を拡幅することを目的とするものであるが、この計画実現の暁においては、本件道路付近における交通渋滞が緩和され、交通の安全と人的物的な損害の防止がはかられ得るものと認められるから、本件事業計画がそれ自体公共性を有していることは明らかである。
しかし、他方、本件土地付近は、国の重要文化財たる朱塗の神橋および御旅所の社等の人工美と、これをとりまく鬱蒼たる巨杉群や闊葉樹林帯および大谷川の清流等の自然美とが、渾然一体となつて作り出す荘重・優美な景観の地として、国立公園のエツセンスともいうべき特別保護地区に指定された地域に属するうえ、この土地付近は、日光発祥の地としての史実・伝説を有し、宗教的にも由緒深い地域であるのみならず、太郎杉を初めとする本件土地上の巨杉群は、特別史跡・特別天然記念物として指定されている日光杉並木街道のそれと同じ程度の文化的価値を有するものと一般国民に意識され評価されていることはさきに認定したとおりである。かように本件土地付近が国立公園区域内の特別保護地区に指定されている趣旨から考えても、その風致・景観は、国民にとつて貴重な文化的財産として、自然の推移による場合以外は、現状のままの状態が維持・保存さるべきであるとの見地の下に、最も厳正に現状の保護・保全が図らるべきことは当然である。しかも、本件土地付近は、かような景観・風致上の価値に加えて、前述のような宗教的・歴史的・学術的価値をも同時に併有しており、それだけに、かけがいのない高度の文化価値を有しているものというべきである。そうして、このような文化的価値は、長い自然的、時間的推移を経て初めて作り出されるものであり、一たび入為的な作為が加えられれば、人間の創造力のみによつては、二度と元に復することは事実上不可能であることにかんがみれば、本件土地の所有権こそ被控訴人の私有に属するとはいえ、その景観的・風致的・宗教的・歴史的諸価値は、国民が等しく共有すべき文化的財産として、将来にわたり、長くその維持、保存が図らるべぎものと解するのが相当である。
さらにそればかりでなく、本件土地付近は、国民憩いの場所ともいうべき日光国立公園の、いわば表玄関にあたる地域であつて、自然環境保全の見地から考えても、また観光資源保全の見地から考えても、できるかぎり静かな、自然のままの環境が保全さるべきことが望ましいことも、いうまでもないところである。
ところが、一旦、本件事業計画が実施されると、神橋正面に位置する丘陵部は相当程度削りとられ、これにあわせて、同地上に成育する太郎杉を初めとする一五本の巨杉群は伐採され、蛇王権現はその敷地を後方(北方)に後退させられることを余儀なくせられ、その跡地には、高さ一二メートルおよび同五メートルの二段の石垣が長さ約四〇メートルにわたつて構築され、巨杉群にとり囲まれていた御旅所の社も、前面の巨杉群が伐採される結果、直接にその姿を表わすに至り、かくては、本件土地付近の有する前記景観は著しく損われ、日光発祥の地としての史実・伝説を有する土地の地形は著しく変更されることは明らかである。もつとも、本件事業計画によると、工事後所要の修景がなされることになつてはいるが(修景計画とその内容については、原判決八九丁表四行目から同丁裏九行目までの認定をここに引用する。)、しかしその修景というのも所詮は人工にすぎないから、一旦生じた前記地形の変更や風致景観への影響を完全に消去し得るものとは認め難いところである。
そればかりではなく、本件道路の拡幅に伴なう自動車交通量の増加が環境の静謐を害し、必然的に、その荒廃、破壊をもたらすことも、当然、予測しうるところである。
2、してみると、控訴人建設大臣において、本件事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するといろ土地収用法二〇条三号所定の要件をみたすものと判断するためには、単に本件計画が前記のとおり本件国道一一九号および一二〇号の交通量増加に対処することを目的とする点において公共性を有するというだけでは足りず、それに加えて、本件計画がどうしてもそれによらざるを得ないと判断し得るだけの必要性、換言すれば、本件土地付近の有する前記のような景観、風致、文化的諸価値を犠牲にしてもなお本件計画を実施しなければならない必要性、ないしは環境の荒廃、破壊をかえりみず右計画を強行しなければならない必要性があることが肯定されなければならないというべきである。けだし、前記のようなかけがいのない景観、風致、文化的諸価値ないし環境の保全の要請は、国民が健康で文化的な生活を営む条件にかかわるものとして、行政の上においても、最大限度に尊重さるべきものであるからである。
ところが、本来、道路というものは、人間がその必要に応じて、自からの創造力によつて建設するものであるから、原則として、「費用と時間」をかけることによつて、「何時でも何処にでも」これを建設ずることは可能であり、従つて、それは代替性を有しているということができる。現に、起業者栃木県知事が、本件事業計画を立案するに際しては、右案(A案)の外に、B案・C案およびD案についてその得失を比較し、結局、事業費が最も安く、かつ工期が最も短くてすむうえに、工事が簡単であるとして、本件事業計画案(A案)を採用したものであることは、控訴人等の主張および前記認定に照らして明らかであり、このことは、本弁事業計画以外にも、より以上の時間と費用をかけることによつて、本件土地のもつ前記の諸価値を毀損することなく、その必要を満すに足りる道路を建設することが可能であることを示すものである。
もとより、これにかけるべき費用が無制限でありうるはずはなく、そこには、財源的におのずから一定の制約があることは当然であり、また時間的要素もまつたく無視さるべきではあるまい。しかし、起業者の算定によれば、右四案のうちで、最も事業費を要するのはC案の一三億五、一〇〇万円であり、右は、本件事業に要する四、三〇〇万円の約三一・四倍に相当するところ、本件土地の有する前述のような文化的価値の保全のために、いくばくの費用が支出さるべきかは、本来、国民経済的観点から考慮すべきものであることを考えれば、右一三億円余りという金額は決して高価とは解されず、有料道路としてこれを建設することの可能性を考慮に容れれば、なおさら、経済的理由は、A案(本件事業計画)の実施を必要、やむをえないとすることの理由となるものではない。
また、本件土地付近の有する前記のようなかけがいのない諸価値ないしは環境を保全するため適切、抜本的な対策を講ずるについて、数年ないし仮りに一〇年程度の日子を要するとしても、それはまた、やむをえないところというべぎであり、その間交通安全のため差し迫つた対策が必要であるというならば、交通制限の実施もしくは被控訴人提案の桟道(歩行者用の、日光山内の一部を通り抜ける通路、甲第四六号証の一ないし七参照。)の仮設等の方策により対処するこども不可能とは考えられない。
控訴人らは、なお、C案に、大谷川右岸の景観を破壊する点でも難点がある上に、その実施上過去において既に実施中の都市計画路線の拡幅を必要とするため社会的影響が大きいこと、有料道路とすべき区間が短かいため有料道路としては採算がとれないこと等の理由からこれを実現することは不可能である、と主張する。しかし、仮りにそうだとしても、C案と同様の効用をもつバイパスの路線としては、C案が唯一のものとは考えられず、これと別個の路線を考えることによつて、右のような難点を解決することは、決して不可能ではないと考えられる。
いずれにしても、本件土地付近の有するかけがいのない前記諸価値ないし環境の保全の要請が行政の上においても最大限度に尊重さるべきものであるとの見地に立つて考えれば、A案以外の前記諸案に、それぞれ控訴人ら主張のような難点があるということだけで、ただちにA案(本件事業計画)の実施を必要、やむをえないものとすることは相当でなく、その実施を必要、やむをえないものとする起業者栃木県知事の見解を是認する控訴人建設大臣の判断は、ひつきよう、本件土地付近の有するかけがいのない諸価値ないし環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果、本件道路がかかえている交通事情を解決するための手段、方法の探究において、尽すべき考慮を尽さなかつたという点で、その裁量判断の方法ないし過程に過誤があつたものというべきである。

3、控訴人らは、更に、国道一一九号および一二〇号(以下現道という。)を利用する自動車交通量の四七パーセントは日光山内の社寺および神橋め観光を目的とする車両ならびに本件道路を往復する業務用車両等であり、これらの自動車交通量はなお増加の傾向をたどつているので、仮りにC案その他のバイパスが建設されたとしても、本件事業計画にかかる拡幅事業の必要性は失なわれない、とも主張する。しかし、前述のように、本件土地付近は、日光国立公園の表玄関にあたり、本来、できるかぎり自然のままの静かな環境が保存さるべきことが望ましい場所であるから、本件土地付近を通過する現道は、日光奥地の産業開発ないしは観光開発を目的とする道路路線としては、もともと、不適切なものであることは明らかである(前認定のように、昭和二九年八月一六日に開催された国立公園審議会の意見において、既に、このことが指摘されている。)。従つて、現道とは別個に日光奥地の産業開発ないしは観光開発の使命をもつ道路が建設さるべきことを前提とすれば(この前提に立つ場合には、現道は、主として、日光山内の社寺および神橋等の観光を目的とする道路としての性格を付与されることとなる。)、現道の拡幅事業が必要、やむをえないものとされるかどうかは、右使命をもつ道路が現道とは別個に建設さるべきかどうかということとにらみ合わせて、かつ、本件土地付近のもつかけがいのない諸価値ないし環境保全の要請が最大限度に尊重さるべきものであるとの見地において、あらためて検討さるべきこととなるのは当然であり、そうなれば、本件土地付近については自動車交通を制限もしくは禁止し、これを遊歩道とすべきであるとの見解が有力となるべきことも、当然、予測されるところである(前記国立公園審議会の意見においても、この見解がとられている。)。けだし、現道が日光山内の社寺、神橋等の観光を主目的とする道路であることを前提とすれば、観光目的のための道路の整備拡充のために、肝心の観光資源自体を破壊することの愚挙であることは、何人の目にも明らかであるからである。かように、日光奥地の産業開発ないし観光開発の使命をもつ道路が現道とは別個に建設さるべきことを前提として、現道拡幅事業の必要性の有無を考える場合と、現道が日光奥地に通ずる唯一の幹線道路であることを前提として右拡幅事業の必要性の有無を考える場合とでは、採らるべき結論が異なる可能性がある以上、控訴人建設大臣としては、本件事業認定をする際において、既に、関係行政庁とも十分協議した上、近い将来日光奥地の産業開発ないし観光開発の使命をもつ道路が現道とは別個に建設さるべきかどうかにつき明確な方針、計画を策定した上で、この計画とにらみ合わせて、かつ、本件土地のもつかけがいのない前記諸価値ないし環境の保全の要請を最大限度に尊重する見地に立つて、本件事業計画の必要性の有無を十分慎重に判断すべきであつたといわねばならない。してみると、控訴人建設大臣がこの点につきなんら明確な方針、計画をもつことなく、漫然、日光奥地に通ずる道路が別個に建設さるべきかどうかにかかわらず現道拡幅事業の必要性が是認さるべきものと判断したのは、とりもなおさず、本件土地付近のもつ前記のようなかけがいのない諸価値ないしは環境の保全という本来最も重視すべきことがらを、不当、安易に軽視し、その結果、右諸価値ないし環境の保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とをいかにして調和さすべきかについての手段、方法の探究において、当然尽すべき考慮を付さなかつたという点で、その裁量判断の過程に過誤があつたものと認めざるをえない。なお、被控訴人は、本件処分後である昭和四五年五月一日、日本道路公団において「日光・宇都宮道路」(東北縦貫道路の宇都宮インターチエンジを起点として日光市清滝桜が丘町を終点とする有料道路)の建設計画(昭和五〇年完成予定)を発表し(以上の事実は、控訴人らにおいて完成予定日を昭和五一年三月三一日と主張するほかは、当事者間に争いがないところである。)、右計画はその後年を追うて着々実行、進捗されている(この事実は、控訴人らにおいて明らかに争わないところである。)ところ、右「日光・宇都宮道路」はC案と同様の効用をもつものであるから、右道路計画の実現が確定的となつた現在、A案(すなわち本件事業計画)を固持する根拠は失なわれた、と主張する。
しかし、行政処分の適否は、処分当時を基準として判定さるべきものである(昭和二七年一月二五日最高裁第二小法廷判決、民集六巻一号二二頁、昭和三五年九月一五日同第一小法廷判決、民集一四巻一一号二一九〇頁等)から、被控訴人の右主張の趣旨が「『日光・宇都宮道路』の建設計画の確定という処分後の事情により控訴人建設大臣の本件事業認定処分が当然に違法となつた」、との趣旨であるならば、当裁判所はこの見解に左祖することができない。しかしながら、右の事情は、本件土地付近のもつかけがいのない文化的価値ないしは環境の保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とを調和させる手段、方法が決して前記諸案に限定されるものでないことを示すとともに、控訴人建設大臣においても、本件処分当時において、既に、数年ないし一〇年程度の将来において「日光・宇都宮道路」のような道路の建設(少くともその計画の樹立)が必要となるべきことにつき明確な見透しと方針を定め、この計画との関連において現道拡幅事業の必要性の有無を判断すべきものであつたことを示唆するものというべきであり、その意味において、右の事情は、本項及び前項の判断を支持する間接事情と目することができる。

4、既に認定したとおり、起業者栃木県知事が本件事業認定の申請にあたり、右事業計画にかかる拡幅事業の必要性を理由づける事由の一つとして、オリンピツクの開催に伴なう交通量増加の予想ということを挙げていることと、控訴人建設大臣が右必要性を理由づける事由の一つとして前記A案(本件事業計画)が工期が最も短かいことを主張していること等から推して、オリンピツクの開催に伴なう外人観光客による自動車交通量増加の予想ということが、控訴人建設大臣が本件事業計画をもつて土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと判断するにつき、その一つの原因となつたものと推認することができる。
しかし、本件土地付近のもつ前記のようなかけがいのない諸価値ないしはそのもつすぐれた環境が国民共有の財産として、長く将来にわたり保全さるべきことにかんがみれば、オリンピツクの開催に伴なう一時的な自動車交通量増加の予想というような、目前、臨時の事象は、本件事業計画が土地の利用上適正かつ合理的なものと認めらるべきかどうかの判断にあたつては、本来、考慮に容れるべきことがらではなかつたというべきである。

5、更に、本件事業計画の確定に先立つて昭和三九年三月一九日に開催された自然公園審議会において、本件道路の拡幅のために、本件土地付近の形質、風致、景観等の現状に変更を加えることの可否が審議され、杉等の伐採は最少限度に止めること、所要の修景を施すこと等の条件の下にこれが可決されたことは既に認定したとおりであり、当審証人Dの証言及び弁論の全趣旨によると、右審議会においても前記AないしDの四案の利害得失が検討されたうえ、A案が採られるに至つたことが認められる。しかし、右決議のなされた当時においては、既に認定したとおり、本件土地付近は前年である昭和三八年三月の暴風による倒木等の被害がなお癒えておらず、景観は荒廃し、本件土地上の杉群の樹勢もおとろえていた状況にあつたのであるが、この状況を現認した審議会の構成員の大多数によつて(審議会の委員が本件土地付近を見分したことは前示D証人の証言からうかがい知られる。)、本件土地付近の状況は将来もおそらく右のような状態であらうと推測されたことが審議会の前記結論、ひいてはこの結論を尊重してなされたものと認められる控訴人建設大臣の判断にかなりの影響を及ぼしたものと推認することができる。しかし、原審及び当審における検証の結果によれば、この推測は必ずしも的中していたとは考えられないこと及び本件土地付近のもつ前記のようなかけがいのない諸価値ないしはそのすぐれた環境ができるかぎり自然のままで、長く将来にわたり保全さるべきことにかんがみれば、暴風による倒木の可能性(これに伴なう交通障害の可能性)、樹勢の衰ろえの可能性というようなことがらは、本件事業計画が土地の利用上適正かつ合理的なものと認められるべきかどうかの判断にあたつては本来過重に評価すべきものではなかつたというべきである。従つて、本件土地付近の現状変更につき自然公園審議会の答申に基づく厚生大臣の承認があつたということだけでは、本件事業認定に関する控訴人建設大臣の裁量判断になんらの過誤がなかつたものとすることはできない。

6、以上1ないし5の判断を総合していえば、本件事業計画をもつて、土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと認めらるべきであるとする控訴人建設大臣の判断は、この判断にあたつて、本件土地付近のもつかけがいのない文化的諸価値ないしは環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果右保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とをいかにして調和させるべきかの手段、方法の探究において、当然尽すべき考慮を尽さず(1ないし3)、また、この点の判断につき、オリンピツクの開催に伴なう自動車交通量増加の予想という、本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れ(4)、かつ、暴風による倒木(これによる交通障害)の可能性および樹勢の衰えの可能性という、本来過大に評価すべきでないことがらを過重に評価した(5)点で、その裁量判断の方法ないし過程に過誤がありこれらの過誤がなく、これらの諸点につき正しい判断がなされたとすれば、控訴人建設大臣の判断は異なつた結論に到達する可能性があつたものと認められる。してみれば、本件事業計画をもつて土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと認められるべきであるとする控訴人建設大臣の判断は、その裁量判断の方法ないし過程に過誤があるものとして、違法なものと認めざるをえない

四、以上のとおり、控訴人建設大臣のした本件事業認定は土地収用法二〇条三号の要件をみたしていないという違法があるというべきであるから、被控訴人主張の、その余の違法事由についてさらに立ち入つて判断するまでもなく、すでにこの点において本件事業認定処分は取消を免れない。
そうして、前記二において述べたとおり、一連の手続をなす土地収用手続における先行の処分である本件事業認定が、前記のとおり違法であつて取消さるべきである以上、後続の処介である本件土地細目の公告及び収用裁決は当然に違法であつて、これまた取消を免れない。
第三、結び
叙上のとおり、本件各処分の取り消しを求める被控訴人の本訴請求はすべて理由があるから、これらを認容した原判決は相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がない。よつて、民訴法三八四条、九五条、九三条、八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。
第3民事部
(裁判官 白石健三 裁判官 杉山孝 裁判官 川上泉)

+判例(S48.9.14)地方公務員分限処分事件
理由
上告代理人田中真次の上告理由、同堀家嘉郎、同中場嘉久二の上告理由および同真野毅、同堀家嘉郎の上告理由について。
論旨は、まず、本件降任処分を不適法であるとした原判決の判断には、降任処分につき任命権者に与えられた裁量権の範囲および地方公務員法二八条一項三号の定める降任処分の要件に関して法令の解釈を誤つた違法がある、と主張する。
一 おもうに、地方公務員法二八条所定の分限制度は、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的から同条に定めるような処分権限を任命権者に認めるとともに、他方、公務員の身分保障の見地からその処分権限を発動しうる場合を限定したものである。分限制度の右のような趣旨・目的に照らし、かつ、同条に掲げる処分事由が被処分者の行動、態度、性格、状態等に関する一定の評価を内容として定められていることを考慮するときは、同条に基づく分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法のものであることを免れないというべきである。そして、任命権者の分限処分が、このような違法性を有するかどうかは、同法八条八項にいう法律問題として裁判所の審判に服すべきものであるとともに、裁判所の審査権はその範囲に限られ、このような違法の程度に至らない判断の当不当には及ばないといわなければならない。これを同法二八条一項三号所定の処分事由についてみるに、同号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解されるが、この意味における適格性の有無は、当該職員の外部にあらわれた行動、態度に徴してこれを判断するほかはない。その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討したうえ、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断しなければならないのである。そしてこの場合、ひとしく適格性の有無の判断であつても、分限処分が降任である場合と免職である場合とでは、前者がその職員が現に就いている特定の職についての適格性であるのに対し、後者の場合は、現に就いている職に限らず、転職の可能な他の職をも含めてこれらすべての職についての適格性である点において適格性の内容要素に相違があるのみならず、その結果においても、降任の場合は単に下位の職に降るにとどまるのに対し、免職の場合には公務員としての地位を失うという重大な結果になる点において大きな差異があることを考えれば、免職の場合における適格性の有無の判断については、特に厳密、慎重であることが要求されるのに対し、降任の場合における適格性の有無については、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的に照らして裁量的判断を加える余地を比較的広く認めても差支えないものと解される。

二 本件は、地方公務員法二八条一項三号の規定に該当するとして、被上告人を公立学校校長から公立学校教員教諭に降任した処分の取消訴訟であり、上告人は、被上告人が公立学校校長の職に必要な適格性を欠くことの徴表たる事実として数多くの事実を主張している。
ところが、原判決は、右上告人主張の諸事実については、必ずしも個々の事実関係の存否を確定することなく、右主張にあらわれた被上告人の一連の行為の背景をなす諸問題につき、その客観情勢の推移、被上告人の置かれた立場およびそのとつた見解、態度等の概略を認定したうえ、かりに被上告人に上告人主張のような具体的言動(その一部については、原判決認定の限度で一部否定ないし修正された範囲内における言動)があつたとしても、右各事実はいずれも被上告人が校長の職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとは認めがたいとし、結局、総合的見地から考察して、被上告人には包容力、協調性において若干欠ける点があつたのではないかと疑う余地は存するとしても、それだけで校長としての適格性なしと判定することは許しがたいものであるとし、本件降任処分を取り消すべきものとしている。

三 しかしながら、原審の右認定判断は、その認定事実に対する独自の解釈と見解のもとに上告人の具体的な各主張事実を観察評価したうえ、被上告人の適格性の有無について一定の結論を下し、これと異なる上告人の判断を裁量権の行使を誤つた違法のものと断じているのであつて、原審の判断には、上告人が本件降任処分の事由の存否について上記のような裁量的判断権を有することを無視したか、ないしは裁判所のなすべき審査判断の範囲を超えて処分庁の裁量の当否に立ち入つた違法があるといわなければならない。すなわち、
(一) 学校統合問題につき、原判決の確定するところによれば、右統合は、長束小学校の廃校を招来するものであつて、同校の児童、その父兄の利害に直接関係するところから、右統合につき町議会の議決を経たのちにおいて統合賛成派と統合反対派の対立はなお激しく、それは単なる意見の対立にとどまらず、両者互いに相手方の見解、行動を非難、誹謗し合うという醜い対立を生むにいたつたというのである。
町立小学校の校長は、当該町区域在住の児童に対し義務教育たる初等普通教育を施すことを目的とする教育機関である小学校において、校務を掌り、所属職員を監督する立場にある者であるから、右のような事態において、校長が、統合反対派に加担するような言動に出るときは、両派の対立の激化を助長し、児童、父兄等の校長および学校に対する信頼、所属職員の校長に対する信頼を大いに失墜させ、ひいては学校経営に重大な支障をきたす結果となることは、見易いところである。したがつて、このような場合に、長束小学校長の地位にある者が、教育上の見地から右統合に反対の見解をもつことはやむをえないことであり、また、立場上学校統合問題と無関係ではありえないとしても、右校長たる者は、行動、態度の上では校長としての品格と節度を保持すべきであつて、いやしくも校長たるの立場を利用して反対派に加担し、これに便宜を与えるものと認められるような行為に出るときは、校長たるの適格性に欠けるところがあるとの評価を免れないものといわなければならない。
しかして、この点に関しては、原判決の認定の限度で一部否定ないし修正された範囲において考えても、なお、相当程度、被上告人が、同校の所属職員に協力させ、同校の児童、施設、行事を利用して、統合反対のために便宜をはかつた事実が、上告人によつて主張されているのである。したがつて、右主張につき、認定しうる言動の程度、態様のいかんによつては、これを被上告人が校長たる適格性を欠くことの徴表であると評価しても、不相当であるとはいいえない場合があることは、否定しえないところである。
(二) 職員が、ある程度客観性、合理性の認められるその所信に従つて、あえて職務命令違反の行為に出たような場合には、それが直ちに持続性のあるその性格等に基因するものであるとはいいえないという意味において、右行為が懲戒事由とはなりえても、直ちにその職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとはいいえない場合もありえよう。こうした見地からすれば、勤務評定問題につき原判決の確定する事実関係のもとにおいては、特に被上告人において、所属職員が人事上の不利益を受けることをおそれたこと、任命権者の人事管理上の支障を回避すべきものであると考えたこと等から、本来の義務履行に代わる措置を講じていることをも考慮した場合、勤務評定書の提出を多少遅延したこと自体をもつて直ちに被上告人が校長たる適格性を欠くことの徴表とみることは、あるいは相当でないといいうるかも知れない。
しかし、校長たる者は、管理者的職務を担当するのであるから、特に対人関係の処理については相手方に顕著な欠陥があるというような特段の事情がある場合は格別、自己と個人的、感情的には対立関係にある者との接触をも含めて、職務上予測されるあらゆる場面において、職務の円滑な遂行に支障をきたさない程度にこれを処理しうる能力が要求されるというべきであるところ、この点に関連するものとして上告人の主張する被上告人の言動は、それが対立関係にある者の交渉の場におけるものであることを考慮しても、なお、校長たるの職にある者の上司である町教育長に対する言動としては、粗暴、不遜、非礼にわたる点があり、そのうちには、ことさらにA教育長を困惑させる目的に出たものであることを疑わせるようなものもあるのであつて、右主張につき認定しうる言動の程度、態様のいかんによつては、これを被上告人が校長たる適格性を欠くことの徴表であると評価しても、不相当であるとはいいえない場合があることは、否定しえないところである。
(三) 原判決の確定する公立学校予算の執行の実情からすれば、予算の事前執行等をしたこと自体をもつて被上告人が校長たるの適格性を欠くことの徴表とみることはできないという余地はあるけれども、それが全体的な学校予算の不十分に由来するものであることから考えれば、同町内の他校との関連において、事前執行等による支出の予算規模に対して占める割合、あえて支出の事前執行等に出る必要性についての判断の当否といつた点において、上告人主張のような事実の存在は、事情によつては、企画力、協調性などの面から、なお、被上告人が校長たる適格性を欠くことの徴表であると評価しても、不相当であるとはいいえない場合があることは、否定しえないところである。
(四) 校長たるの職に適合する言動は、通常の場合においてのみ要求されるものではない。右三の(一)(二)で説示したところからすれば、被上告人の小学校長としての日常行動に関連して上告人の主張するところを、原判決説示のような理由によつて校長たるの適格性を欠くことの徴表と認めることはできないものと解することはできない。
(五) 本訴提起後の行為についての主張には、学校日誌の記載の抹消等が含まれており、行為の性質からすれば、原判決説示のように軽視してよいものではない。それは、本件降任処分後の行為ではあるけれども、右処分の事由は個々具体的の行為ではなく、その職に必要な適格性を欠くことであるから、少くとも、上告人主張の被上告人の各行為のうち右処分以前になされたものを不適格性の徴表とみうるか否かを判断するための資料となりうるものというべきである。
四 なお、被上告人が昭和二四年以来校長を勤めている者であることは、上告人も認めるところであり、被上告人が校長の職に必要な適格性を欠くことの徴表たる事実として上告人の主張する事実の大部分は学校統合問題が発生した昭和三二年以降の限られた時期に集中しているけれども、それだからといつて、直ちに、本件降任処分時において被上告人がその職に必要な適格性を欠いていたという事実が否定されるべきことになるわけではない。
結局、上告人主張の徴表たる事実を認めうる程度いかんによつては、本件降任処分を違法とはいいえないことになるのであるから、原判決には、法令の解釈を誤り、その結果審理を尽くさなかつた違法があつて、その違法が原判決に影響を及ぼすものであることは、明らかである。したがつて、論旨は、この点においてすでに理由がある。
五 以上の次第で、原判決は、その余の論旨について判断するまでもなく破棄を免れない。そして、本件は、さらに被上告人の本訴請求の当否について審理する必要があるので、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川信雄 裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎)

+判例(H8.3.8)エホバ

+判例(H18.2.7)呉市公立高校施設使用不許可事件

+判例(H18.11.2)小田急訴訟本案判決
理由
上告代理人斉藤驍ほかの上告受理申立て理由(原告適格に係る所論に関する部分を除く。)について
第1 事案の概要等
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 建設大臣は、昭和39年12月16日付けで、旧都市計画法(大正8年法律第36号)3条に基づき、世田谷区喜多見町(喜多見駅付近)を起点とし、葛飾区上千葉町(綾瀬駅付近)を終点とする東京都市計画高速鉄道第9号線(昭和45年の都市計画の変更以降の名称は「東京都市計画都市高速鉄道第9号線」である。)に係る都市計画(以下「9号線都市計画」という。)を決定した。
(2) 被上告参加人は、9号線都市計画について、都市計画法(平成4年法律第82号による改正前のもの)21条2項において準用する同法18条1項に基づく変更を行い、平成5年2月1日付けで告示した(以下、この都市計画の変更を「平成5年決定」という。)。平成5年決定は、小田急小田原線(以下「小田急線」という。)の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間(以下「本件区間」という。)について、成城学園前駅付近を掘割式とするほかは高架式を採用し、鉄道と交差する道路とを連続的に立体交差化することを内容とするものであり、小田急線の複々線化とあいまって、鉄道の利便性の向上及び混雑の緩和、踏切における渋滞の解消、一体的な街づくりの実現を図ることを目的とするものである。
(3) 平成5年決定がされた経緯等は、次のとおりである。
ア 東京都は、9号線都市計画に係る区間の一部である小田急線の喜多見駅から東北沢駅までの区間において、踏切の遮断による交通渋滞や市街地の分断により日常生活の快適性や安全性が阻害される一方、鉄道の車内混雑が深刻化しており、鉄道の輸送力が限界に達しているとして、上記区間の複々線化及び連続立体交差化に係る事業の必要性及び緊急性について検討するため、昭和62年度及び同63年度にわたり、建設省の定めた連続立体交差事業調査要綱(以下「本件要綱」という。)に基づく調査(以下「本件調査」という。)を実施した。
本件要綱は、連続立体交差事業調査において、鉄道等の基本設計に当たって数案を作成して比較評価を行うものとし、その評価に当たっては、経済性、施工の難易度、関連事業との整合性、事業効果、環境への影響等について比較するものとしている。
本件調査の結果、成城学園前駅付近については掘割式とする案が適切であるとされるとともに、環状8号線と環状7号線の間については、高架式とする案が、一部を地下式とする案に比べて、工期・工費の点で優れており、環境面では劣るものの、当該高架橋の高さが一般的なものであり、既存の側道の有効活用などでその影響を最小限とすることができるので、適切な案であるとされた。
なお、本件調査の結果、本件区間の東側に当たる環状7号線と東北沢駅の間(以下「下北沢区間」という。)の構造については、地表式、高架式、地下式のいずれの案にも問題があり、その決定に当たっては新たに検討する必要があるとされたが、平成5年決定に係る9号線都市計画においては、従前どおり地表式とされた。もっとも、その後、東京都の都市計画局長は、平成10年12月、都議会において、下北沢区間の線路の増加部分を地下式で整備する案を関係者で構成する検討会に提案して協議を進めている旨答弁し、東京都は、同13年4月、下北沢区間を地下式とする内容の計画素案を発表した。
イ 被上告参加人は、本件調査の結果を踏まえた上で、本件区間の構造について、〈1〉 嵩上式(高架式。ただし、成城学園前駅付近を一部掘割式とするもの。以下「本件高架式」という。)、〈2〉 嵩上式(一部掘割式)と地下式の併用(成城学園前駅付近から環状8号線付近までの間を嵩上式(一部掘割式)とし、環状8号線付近より東側を地下式とするもの)、〈3〉 地下式の三つの方式を想定した上で、計画的条件(踏切の除却の可否、駅の移動の有無等)、地形的条件(自然の地形等と鉄道の線形の関係)及び事業的条件(事業費の額)の三つの条件を設定して比較検討を行った。その結果、上記〈3〉の地下式を採用した場合、当時の都市計画で地表式とされていた下北沢区間に近接した本件区間の一部で踏切を解消することができなくなるほか、河川の下部を通るため深度が大きくなること等の問題があり、上記〈2〉の方式にも同様の問題があること、本件高架式の事業費が約1900億円と算定されたのに対し、上記〈3〉の地下式の事業費は、地下を2層として各層に2線を設置する方式(以下「2線2層方式」という。)の場合に約3000億円、地下を1層として4線を並列させる方式の場合に約3600億円と算定されたこと等から、被上告参加人は、本件高架式が上記の3条件のすべてにおいて他の方式よりも優れていると評価し、環境への影響、鉄道敷地の空間利用等の要素を考慮しても特段問題がないと判断して、これを本件区間の構造の案として採用することとした。
なお、上記の事業費の算定に当たっては、昭和63年以前に取得済みの用地に係る取得費は算入されておらず、高架下の利用等による鉄道事業者の受益分も考慮されていない。また、2線2層方式による地下式の事業費の算定に当たっては、シールド工法(トンネルの断面よりわずかに大きいシールドという強固な鋼製円筒状の外殻を推進させ、そのひ護の下で掘削等の作業を行いトンネルを築造する工法)による施工を本件区間全体にわたって行うことは前提とされていないが、被上告参加人は、途中の経堂駅において準急線と緩行線との乗換えを可能とするために、1層目にホーム2面及び線路数3線を有する駅部を設置することを想定しており、そのために必要なトンネルの幅は約30mであったところ、平成5年当時、このような幅のトンネルをシールド工法により施工することはできなかった。
ウ 上記のように本件高架式が案として選定された本件区間の複々線化に係る事業及び連続立体交差化に係る事業について、それぞれの事業の事業者であるA株式会社及び東京都は、東京都環境影響評価条例(昭和55年東京都条例第96号。平成10年東京都条例第107号による改正前のもの。以下「本件条例」という。)に基づく環境影響評価に関する調査を行い、平成3年11月5日、環境影響評価書案(以下「本件評価書案」という。)を被上告参加人に提出した。本件評価書案によれば、本件高架式を前提として工事完了後の鉄道騒音について予測を行ったところ、地上1.2mの高さでの予測値は、高架橋端からの距離により現況値を上回る箇所も見られるが、高架橋端から6.25mの地点で現況値が82から93ホンのところ予測値が75から77ホンとされるなど、おおむね現況とほぼ同程度かこれを下回っているとされている。
本件評価書案に対し、被上告参加人は、鉄道騒音の予測位置を騒音に係る問題を最も生じやすい地点及び高さとすること、騒音防止対策の種類とその効果の程度を明らかにすること等の意見を述べ、これを受けて、東京都及びA株式会社は、予測地点の1箇所につき高架橋端から1.5mの地点における高さ別の鉄道騒音の予測に関する記載を付加した環境影響評価書(以下「本件評価書」という。)を同4年12月18日付けで作成し、被上告参加人に提出した。本件評価書によれば、上記地点における鉄道騒音の予測値は、地上10mから30mの高さで88ホン以上、地上15mの高さでは93ホンであるが、事業実施段階での騒音防止対策として、構造物の重量化、バラストマットの敷設、60kg/mレールの使用、吸音効果のある防音壁の設置等の対策を講じるとともに、干渉型の防音装置の設置についても検討し、騒音の低減に努めることとされ、これらによる騒音低減効果は、バラストマットの敷設により軌道中心から6.25mの地点で7ホン、60㎏/mレールの使用により現在の50㎏/mレールと比べて軌道中心から23mの地点で5ホン、吸音効果のある防音壁により防音壁だけの場合に比べ1ホン程度、防音壁に干渉型防音装置を設置した場合3ないし4ホンであるとされている。
以上の環境影響評価は、東京都環境影響評価技術指針が定める環境影響評価の手法を基本とし、一般に確立された科学的な評価方法に基づいて行われた。
なお、高架橋より高い地点での現実の騒音値は、線路部分において生じる騒音が走行する列車の車体に遮られることから、上記予測値のような実験値よりも低くなるとされている。また、平成5年決定当時の鉄道騒音に関する唯一の公的基準であった「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」(昭和50年環境庁告示第46号)においては、騒音を測定する高さは地上1.2mとされていた。
一方、小田急線の沿線住民らは、小田急線による鉄道騒音等の被害について、平成4年5月7日、公害等調整委員会に対し、公害紛争処理法42条の12に基づく責任裁定を申請し、同委員会は、同10年7月24日、申請人の一部が受けた平成5年決定以前の騒音被害が受忍限度を超えることを前提として、A株式会社の損害賠償責任を認める旨の裁定をした。
エ 被上告参加人は、本件調査及び上記の環境影響評価を踏まえ、本件高架式を採用することが周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断して、本件高架式を内容とする平成5年決定をした。
オ 東京都は、公害対策基本法19条に基づき、東京地域公害防止計画を定めていたところ、平成5年決定は、その目的、内容において同計画の妨げとなるものではなく、同計画に適合している。
(4) 建設大臣は、都市計画法(平成11年法律第160号による改正前のもの)59条2項に基づき、平成6年5月19日付けで、東京都に対し、平成5年決定により変更された9号線都市計画を基礎として、本件区間の連続立体交差化を内容とする別紙事業認可目録1記載の都市計画事業(以下「本件鉄道事業」という。)の認可(以下「本件鉄道事業認可」という。)をし、同6年6月3日付けでこれを告示した。
また、建設大臣は、世田谷区が同5年2月1日付けで告示した東京都市計画道路・区画街路都市高速鉄道第9号線付属街路第9号線及び第10号線に係る各都市計画を基礎として、同項に基づき、同6年5月19日付けで、東京都に対し、上記各付属街路の設置を内容とする別紙事業認可目録2及び3記載の各都市計画事業の認可(以下「本件各付属街路事業認可」という。)をし、同年6月3日付けでこれを告示した。上記各付属街路は、本件区間の連続立体交差化に当たり、環境に配慮して沿線の日照への影響を軽減すること等を目的として設置することとされたものである。
2 本件は、本件鉄道事業認可の前提となる都市計画に係る平成5年決定が、周辺地域の環境に与える影響、事業費の多寡等の面で優れた代替案である地下式を理由もなく不採用とし、いずれの面でも地下式に劣り、周辺住民に騒音等で多大の被害を与える本件高架式を採用した点で違法であるなどとして、建設大臣の事務承継者である被上告人に対し、上告人らが本件鉄道事業認可の、別紙上告人目録2記載の上告人らが別紙事業認可目録2記載の認可の、別紙上告人目録3記載の上告人らが別紙事業認可目録3記載の認可の、各取消しを求めている事案である。

第2 本件鉄道事業認可の取消請求について
1 平成5年決定が本件高架式を採用したことによる本件鉄道事業認可の違法の有無について
(1) 都市計画法(平成4年法律第82号による改正前のもの。以下同じ。)は、都市計画事業認可の基準の一つとして、事業の内容が都市計画に適合することを掲げているから(61条)、都市計画事業認可が適法であるためには、その前提となる都市計画が適法であることが必要である。
(2) 都市計画法は、都市計画について、健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保すべきこと等の基本理念の下で(2条)、都市施設の整備に関する事項で当該都市の健全な発展と秩序ある整備を図るため必要なものを一体的かつ総合的に定めなければならず、当該都市について公害防止計画が定められているときは当該公害防止計画に適合したものでなければならないとし(13条1項柱書き)、都市施設について、土地利用、交通等の現状及び将来の見通しを勘案して、適切な規模で必要な位置に配置することにより、円滑な都市活動を確保し、良好な都市環境を保持するように定めることとしているところ(同項5号)、このような基準に従って都市施設の規模、配置等に関する事項を定めるに当たっては、当該都市施設に関する諸般の事情を総合的に考慮した上で、政策的、技術的な見地から判断することが不可欠であるといわざるを得ない。そうすると、このような判断は、これを決定する行政庁の広範な裁量にゆだねられているというべきであって、裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては、当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合、又は、事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。

(3) 以上の見地に立って検討するに、前記事実関係の下においては、平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとはいえないと解される。その理由は以下のとおりである。
ア 被上告参加人は、本件調査の結果を踏まえ、計画的条件、地形的条件及び事業的条件を設定し、本件区間の構造について三つの方式を比較検討した結果、本件高架式がいずれの条件においても優れていると評価し、本件条例に基づく環境影響評価の結果等を踏まえ、周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないとして、本件高架式を内容とする平成5年決定をしたものである。
イ そこで、上記の判断における環境への影響に対する考慮について検討する。
(ア) 前記のとおり、都市計画法は、都市施設に関する都市計画について、健康で文化的な都市生活の確保という基本理念の下で、公害防止計画に適合するとともに、適切な規模で必要な位置に配置することにより良好な都市環境を保持するように定めることとしている。公害防止計画は、環境基本法により廃止された公害対策基本法の19条に基づき作成されるものであるが、相当範囲にわたる騒音、振動等により人の健康又は生活環境に係る著しい被害が発生するおそれのある地域について、その発生を防止するために総合的な施策を講ずることを目的とするものであるということができる。また、本件条例は、環境に著しい影響を及ぼすおそれのある一定の事業を実施しようとする事業者が、その実施に際し、公害の防止、自然環境及び歴史的環境の保全、景観の保持等(以下「環境の保全」という。)について適正な配慮をするため、当該事業に係る環境影響評価書を作成し、被上告参加人に提出しなければならないとし(7条、23条)、被上告参加人は、都市計画の決定又は変更の権限を有する者にその写しを送付し(24条2項)、当該事業に係る都市計画の決定又は変更を行うに際してその内容について十分配慮するよう要請しなければならないとしている(25条)。そうすると、本件鉄道事業認可の前提となる都市計画に係る平成5年決定を行うに当たっては、本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音、振動等によって、事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することのないよう、被害の防止を図り、東京都において定められていた公害防止計画である東京地域公害防止計画に適合させるとともに、本件評価書の内容について十分配慮し、環境の保全について適正な配慮をすることが要請されると解される。本件の具体的な事情としても、公害等調整委員会が、裁定自体は平成10年であるものの、同4年にされた裁定の申請に対して、小田急線の沿線住民の一部につき平成5年決定以前の騒音被害が受忍限度を超えるものと判定しているのであるから、平成5年決定において本件区間の構造を定めるに当たっては、鉄道騒音に対して十分な考慮をすることが要請されていたというべきである。
(イ) この点に関し、前記事実関係によれば、〈1〉 本件区間の複々線化及び連続立体交差化に係る事業について、本件調査において工期・工費の点とともに環境面も考慮に入れた上で環状8号線と環状7号線の間を高架式とする案が適切とされたこと、〈2〉 本件高架式を採用することによる環境への影響について、本件条例に基づく環境影響評価が行われたこと、〈3〉 上記の環境影響評価は、東京都環境影響評価技術指針が定める環境影響評価の手法を基本とし、一般に確立された科学的な評価方法に基づき行われたこと、〈4〉 本件評価書においては、工事完了後における地上1.2mの高さの鉄道騒音の予測値が一部を除いておおむね現況とほぼ同程度かこれを下回り、高架橋端から1.5mの地点における地上10mないし30mの高さの鉄道騒音の予測値が88ホン以上などとされているものの、鉄道に極めて近接した地点での値にすぎず、また、上記の高さにおける現実の騒音は、走行する列車の車体に遮られ、その値は、上記予測値よりも低くなること、〈5〉 本件評価書においても、騒音防止対策として、構造物の重量化、バラストマットの敷設、60kg/mレールの使用、吸音効果のある防音壁の設置等の対策を講じるとともに、干渉型防音装置の設置も検討することとされ、現実の鉄道騒音の値は、これらの騒音対策を講じること等により相当程度低減するものと見込まれるとされていること、〈6〉 平成5年決定当時の鉄道騒音に関する公的基準は地上1.2mの高さで騒音を測定するものにとどまっていたこと、〈7〉 被上告参加人は、本件調査及び上記の環境影響評価を踏まえ、本件高架式を採用することが周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断して、平成5年決定をしたこと、〈8〉 平成5年決定は、東京地域公害防止計画に適合していること等の事実が認められる。
そうすると、平成5年決定は、本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音等によって事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することの防止を図るという観点から、本件評価書の内容にも十分配慮し、環境の保全について適切な配慮をしたものであり、公害防止計画にも適合するものであって、都市計画法等の要請に反するものではなく、鉄道騒音に対して十分な考慮を欠くものであったということもできない。したがって、この点について、平成5年決定が考慮すべき事情を考慮せずにされたものということはできず、また、その判断内容に明らかに合理性を欠く点があるということもできない。
(ウ) なお、被上告参加人は、平成5年決定に至る検討の段階で、本件区間の構造について三つの方式の比較検討をした際、計画的条件、地形的条件及び事業的条件の3条件を考慮要素としており、環境への影響を比較しないまま、本件高架式が優れていると評価している。しかしながら、この検討は、工期・工費、環境面等の総合的考慮の上に立って高架式を適切とした本件調査の結果を踏まえて行われたものである。加えて、その後、本件高架式を採用した場合の環境への影響について、本件条例に基づく環境影響評価が行われ、被上告参加人は、この環境影響評価の結果を踏まえた上で、本件高架式を内容とする平成5年決定を行っているから、平成5年決定が、その判断の過程において考慮すべき事情を考慮しなかったものということはできない
ウ 次に、計画的条件、地形的条件及び事業的条件に係る考慮について検討する。
被上告参加人は、本件区間の構造について三つの方式の比較検討をした際、既に取得した用地の取得費や鉄道事業者の受益分を考慮せずに事業費を算定しているところ、このような算定方法は、当該都市計画の実現のために今後必要となる支出額を予測するものとして、合理性を有するというべきである。また、平成5年当時、本件区間の一部で想定される工事をシールド工法により施工することができなかったことに照らせば、被上告参加人が本件区間全体をシールド工法により施工した場合における2線2層方式の地下式の事業費について検討しなかったことが不相当であるとはいえない。
さらに、被上告参加人は、下北沢区間が地表式とされることを前提に、本件区間の構造につき本件高架式が優れていると判断したものと認められるところ、下北沢区間の構造については、本件調査の結果、その決定に当たって新たに検討する必要があるとされ、平成10年以降、東京都から地下式とする方針が表明されたが、一方において、平成5年決定に係る9号線都市計画においては地表式とされていたことや、本件区間の構造を地下式とした場合に河川の下部を通るため深度が大きくなるなどの問題があったこと等に照らせば、上記の前提を基に本件区間の構造につき本件高架式が優れていると判断したことのみをもって、合理性を欠くものであるということはできない。
エ 以上のほか、所論にかんがみ検討しても、前記アの判断について、重要な事実の基礎を欠き又はその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことを認めるに足りる事情は見当たらない。
(4) 以上のとおり、平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるということはできないから、これを基礎としてされた本件鉄道事業認可が違法となるということもできない。

2 本件鉄道事業認可に係るその余の違法の有無について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件鉄道事業認可について、その余の所論に係る違法は認められない。
3 なお、原判決は、本件鉄道事業認可の取消請求に係る訴えを却下すべきものとしているが、本件各付属街路事業認可の取消請求に関して、前記第1の1の事実関係に基づき、平成5年決定の適否を判断している。原審の判示には、上記説示と異なる点もあるが、原審は、被上告参加人が、本件の環境影響評価の結果を踏まえ、本件高架式の採用が周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断したことに不合理な点は認められず、最終的に本件高架式を内容とする平成5年決定を行ったことに裁量権の範囲の逸脱又は濫用はなく、平成5年決定を前提とする本件鉄道事業認可がその他の上告人ら指摘の点を考慮しても適法であると判断しており、この判断は是認することができるものである。
4 以上によれば、上告人らによる本件鉄道事業認可の取消請求は棄却すべきこととなるが、その結論は原判決よりも上告人らに不利益となり、民訴法313条、304条により、原判決を上告人らに不利益に変更することは許されないので、当裁判所は原判決の結論を維持して上告を棄却するにとどめるほかはない。
第3 本件各付属街路事業認可の取消請求について
原審の適法に確定した事実関係の下において、本件各付属街路事業認可に違法はないとした原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法はない。
第4 結論
以上によれば、論旨はいずれも採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 島田仁郎)

++解説
《解  説》
1 本判決は,小田急小田原線の一部区間を高架化すること等を内容とする各都市計画事業の認可につき沿線住民がその取消しを求めた訴訟について,いわゆる論点回付により原告適格の有無につき判断をした最高裁大法廷判決(最大判平17.12.7民集59巻10号2645頁,判タ1202号110頁。以下「本件大法廷判決」という。)を受けて,最高裁第一小法廷が都市計画事業の認可の適否について実体判断をしたものである。
2 本件の事案は,建設大臣が,小田急小田原線のうち世田谷区内の喜多見駅付近から梅ヶ丘駅付近までの区間(以下「本件区間」という。)を高架式(嵩上式,一部掘割式。以下「本件高架式」という。)により連続立体交差化することを内容とする都市計画事業の認可(以下「本件鉄道事業認可」という。)及び本件区間に沿って付属街路(側道)を設置することを内容とする各都市計画事業の認可(以下「本件各付属街路事業認可」といい,本件鉄道事業認可と併せて「本件各認可」という。)をしたのに対し,本件区間の沿線に居住するX(上告人)らが,本件鉄道事業認可は環境面,事業面において優れた地下式を採用せず,周辺住民に騒音等で多大の被害を与える本件高架式を採用したこと等により違法であるとして,建設大臣の事務承継者であるY(被上告人)に対して本件各認可の取消しを求めたものである。事案の詳細については,本件大法廷判決の解説(判タ1202号110頁)を参照されたい。
本件の争点は,Xら沿線住民の本件各認可の取消しを求める原告適格の有無と,本件各認可の適否とに大別される。後者の争点については,Xらから多岐にわたる違法事由が主張されたが,特に争われたのは,Z(被上告参加人東京都知事)が平成5年に本件鉄道事業認可の前提となる都市計画(東京都市計画都市高速鉄道第9号線)について行った変更(以下「平成5年決定」という。)が,鉄道の構造として地下式でなく本件高架式を採用した点で違法となるかという点であり,本判決の判示事項もこの点に関するものである。
3(1)第1審判決(東京地判平13.10.3判タ1074号91頁)は,Xらには本件各付属街路事業認可に係る事業地内の不動産につき権利を有する者がいるところ,これらの者に本件各認可全部の取消しを求める原告適格を認めた上で,本件各認可は違法であるとしてこれらの者の請求を認容した。
第1審判決は,平成5年決定について,当時の小田急小田原線の騒音に違法状態が生じているとの疑念への考慮を欠いた点においてその考慮要素に著しい欠落があるとし,その判断内容にも,高架式を採用すれば相当広範囲にわたって違法な騒音被害の発生するおそれがあったのにこれを看過するなど東京都環境影響評価条例(以下「本件条例」という。)に基づく環境影響評価を参酌するに当たって著しい過誤があり,事業費についてより慎重な検討をすれば高架式と地下式の優劣が逆転し又はその差がかなり小さいものとなる可能性が十分あったにもかかわらず十分な検討を経なかった点にも著しい誤りがあるなどとした。そして,騒音につき違法状態が生じているとの疑念への配慮を欠いたまま都市計画を定めることは,単なる利便性の向上という観点を違法状態の解消という観点よりも上位に置くという結果を招きかねない点で法的に到底看過し得ないものであり,事業費について慎重な検討を欠いたことは,確たる根拠に基づかないで優れた方式を採用しなかった点においてかなり重大な瑕疵といわざるを得ず,これらの一方のみでも優に本件各認可を違法とするに足りるとした。また,第1審判決は,本件鉄道事業認可自体も,事業地の範囲について実際に事業の一部である工事を行う地域を事業地としていないこと等の過誤があること,事業施行期間の相当性の判断が不合理であることから違法であるとした。
(2) これに対して,原判決(東京高判平15.12.18訟月50巻8号2332頁,判自249号46頁)は,本件各付属街路事業認可に係る事業地内の不動産につき権利を有する者に当該付属街路事業の認可のみの取消しを求める原告適格を肯定した上で,当該付属街路事業の認可は適法であるとしてその請求を棄却した。
原判決は,当該付属街路事業の認可の適否を判断する前提として,平成5年決定の適否について検討し,本件高架式と地下式との事業費の比較に係る考慮要素,判断内容に過誤,欠落はなく,騒音問題の解決を構造形式の決定において重視しなかったことが考慮すべき事項の欠落であるとまではいい難いなどとして,平成5年決定に裁量権の逸脱又は濫用による違法はないとした。また,原判決は,第1審判決が本件鉄道事業認可自体を違法として指摘した点についても違法はないとした。

4 本判決は,本件大法廷判決が原告適格を肯定したXらの本件鉄道事業認可の取消しの訴えに係る請求と,原判決が原告適格を肯定した本件各付属街路事業の事業地内の不動産につき権利を有するXらの当該付属街路事業の認可の取消しの訴えに係る請求について,上記の各認可に所論の違法はないとして,これらを棄却すべきものとした。平成5年決定が本件高架式を採用したことの適否に関する判断の要旨は,次のとおりである。
(1) 裁判所が都市施設に関する都市計画の決定又は変更の内容の適否を審査するに当たっては,当該決定又は変更が裁量権の行使としてされたことを前提として,その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合,又は,事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと,判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。
(2) Zは,建設省の定めた連続立体交差事業調査要綱に基づく調査の結果を踏まえ,計画的条件,地形的条件及び事業的条件を設定した上で,本件区間の鉄道の構造について,本件高架式,高架式と地下式の併用,地下式の3つの方式を比較検討をした結果,本件高架式がいずれの条件においても優れていると評価し,本件条例に基づく環境影響評価の結果等を踏まえ,周辺地域の環境に与える影響の点でも特段問題がないと判断したものである。上記判断における環境への影響に対する考慮について検討すると,平成5年決定は,本件区間の連続立体交差化事業に伴う騒音等によって事業地の周辺住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することの防止を図るという観点から,本件条例に基づく環境影響評価書の内容に十分配慮し,環境の保全について適切な配慮をしたものであり,公害対策基本法に基づく公害防止計画にも適合するものであって,鉄道騒音に対して十分な考慮を欠くものであったとはいえないから,考慮すべき事情の考慮を欠いたり,判断内容に明らかに合理性を欠く点があるとはいえない。前記の3条件に係る考慮についても,取得済みの用地の取得費等を考慮せずに事業費を算定したことには今後必要となる支出額を予測するものとして合理性が認められること等から,合理性を欠くとはいえない。平成5年決定が本件高架式を採用した点において裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法であるとはいえないから,本件鉄道事業認可が違法となるともいえない。
5 本判決は,都市施設の規模,配置等に関する事項を定めるに当たっての行政庁の判断に広範な裁量を認めた上で,都市施設に関する都市計画の決定又は変更に関する司法審査の方法について,前記4(1)のとおり一般論を示している。
都市計画は,いわゆる行政計画の1つであるところ,その策定は,法の執行というよりも,政策的決断に基づく創造的な行為としての色彩が強いものであることから,行政計画の策定には政策的な裁量が認められ(計画裁量と呼ばれる。),その範囲は広範であるとされる(塩野宏『行政法(1)(第4版)』198頁,原田尚彦『行政法要論(全訂第6版)』122頁,芝池義一『行政法総論講義(第4版)』71頁等)。都市施設に関する都市計画決定については,下級審裁判例も,決定権者に広範な裁量が認められるとして,裁量権の逸脱又は濫用がある場合に限り違法となるとしてきたところ(東京高判平7.9.28行集46巻8=9号790頁,名古屋高判平9.4.30判時1631号14頁,東京高判平15.9.11判時1845号54頁等多数),本判決は,最高裁が同様の見解に立つことを示して,裁量権の逸脱又は濫用の具体的な審査基準を明らかにしたものである。
本判決による裁量権の逸脱又は濫用の具体的な審査基準は,一般的な裁量処分に対する司法審査に関する判例の見解(最三小判昭52.12.20民集31巻7号1101頁,判タ357号142頁,最大判昭53.10.4民集32巻7号1223頁,判タ368号196頁等)とほぼ同様であるが,行政計画の策定に関する裁量については,判断の形成過程の適否の審査に重点を置くべきであるとする見解もあるところ(原田・前掲129頁等),判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないことを審査に当たっての考慮要素とする本判決は,このような審査の在り方の方向性を示唆しているとも考えられる。
6 次に,本判決は,上記の審査基準の下で,平成5年決定が本件高架式を採用した点における裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討している。
第1審判決及び原判決も,一般論としては,本判決と同様に,都市計画の変更に広範な裁量が認められるとした上で,裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討すべきであるとしたが,その具体的な検討内容は大きく異なっている。第1審判決は,平成5年決定について,密度の高い踏み込んだ審査を行い,単なる利便性の向上という観点を鉄道騒音に係る違法状態の解消という観点よりも上位に置く結果を招きかねないことは法的には到底看過し得ないといった評価を行った上で,本件高架式を採用したことに裁量権の逸脱があるとした。これに対して,原判決は,行政庁の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として裁量権の逸脱又は濫用の有無を検討し,都市施設の構造につき複数の代替案がある場合に各考慮要素を総合考量して1つを選択する上での条件設定の仕方や判断順序について,各考慮要素のうちどの要素に重きを置き,価値序列をどのように設けるかは必ずしも一義的に決することはできないなどとして,平成5年決定に裁量権の逸脱又は濫用はないとした。
本判決は,平成5年決定が裁量権の行使としてされたことを前提として,前記4(1)の審査基準により検討した結果,原判決と同様に,裁量権の逸脱又は濫用はないとしたものである。もっとも,本判決は,本件大法廷判決が周辺住民の健康又は生活環境に係る著しい被害を直接的に受けるおそれがある者に原告適格を肯定したことを受けて,本件区間の構造を定めるに当たっても,本件の鉄道事業に伴う騒音,振動等によって,事業地の周辺地域に居住する住民に健康又は生活環境に係る著しい被害が発生することのないよう被害の防止を図ること等が要請されていたとした上で,本件高架式を採用したことがこのような要請に反しないかについて具体的な検討を行っており,平成5年決定以前の小田急小田原線の騒音被害の実情等を踏まえて,環境への影響に対する考慮について比較的密度の高い司法審査をしたものということができよう。
なお,最高裁が都市施設に係る都市計画の決定につき裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとはいえないとした原審の判断に違法があるとして事件を原審に差し戻した最近の判決として,最二小判平18.9.4裁判集民登載予定,判タ1223号127頁がある。
7 Xらの本件鉄道事業認可の取消しを求める訴えについては,原判決が原告適格を否定して訴えを却下したのに対し,本件大法廷判決が原告適格を肯定したが,本判決は,この訴えにつき差戻しとすることなく,実体面を検討した結果請求を棄却すべきであるとした上で,不利益変更禁止の原則(民訴法313条,304条)により上告を棄却することとしている。これは,本件鉄道事業認可における違法事由の有無について,既に第1審,原審での審理,判断を経ていることから,審級の利益を保障するために差し戻す必要がないとしたものと思われる。上告審において下級審の訴え却下の判断を違法としたにもかかわらずこれを差し戻すことなく上告を棄却した例としては,最一小判昭49.9.2裁判集民112号517頁,判時753号5頁,最三小判昭60.12.17民集39巻8号1821頁,判タ589号87頁,最二小判平1.2.17民集43巻2号56頁,判タ694号73頁等がある。
8 本判決は,最高裁が,都市計画事業の認可の適否を判断するに当たり,その基礎とされた都市施設に係る都市計画の変更について,裁量権の逸脱又は濫用の有無に関する審査基準を示した上で,これに基づく具体的な検討を行ってその有無を判断したものであり,行政庁の裁量行為に対する司法審査の在り方を具体的に示した例として,実務上重要な意義を有するものと思われる。


民事訴訟法 基礎演習 独立当事者参加


・+(独立当事者参加)
第47条
1項 訴訟の結果によって権利が害されることを主張する第三者又は訴訟の目的の全部若しくは一部が自己の権利であることを主張する第三者は、その訴訟の当事者の双方又は一方を相手方として、当事者としてその訴訟に参加することができる。
2項 前項の規定による参加の申出は、書面でしなければならない。
3項 前項の書面は、当事者双方に送達しなければならない。
4項 第40条第1項から第3項までの規定は第一項の訴訟の当事者及び同項の規定によりその訴訟に参加した者について、第43条の規定は同項の規定による参加の申出について準用する。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる。
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

1.制度趣旨
・紛争の統一的な解決自体
・第三者が当事者間の訴訟によって不利益を被ることを避けるための制度
・三者間での矛盾のない紛争の一挙的解決

2.参加の要件

・前段参加
広く詐害的な訴訟の場合に参加を認める方向

・後段参加
請求が両立しない場合

+判例(H6.9.27)
理由
上告代理人藤平芳雄の上告理由第三点について
一 記録によれば、本件訴訟の経過は次のとおりである。
1 上告人は、被上告人河原林孟夫に対し、昭和五〇年五月二二日、売買契約に基づく本件土地(一)、(二)の所有権移転登記手続及び不法行為に基づく損害賠償を求める本訴を提起した。その主張の骨子は、(1) 上告人は、被上告人河原林から、昭和四二年一二月九日、本件土地(一)、(二)及び本件土地(一)の上に存する本件建物を代金合計一七〇万円で買い受けた(以下、この売買を「本件売買契約」という。)、(2) 上告人は、昭和四五年ころ、本件土地(二)の上に建物を建築する目的で三〇〇万円相当の木材を購入したが、被上告人河原林が建築を妨害したため、建築に着手することができず、右木材が朽廃し、三〇〇万円の損害を被った、というものである。

2 第一審裁判所は、本件売買契約の成否などの争点につき審理を遂げた上、昭和六〇年一二月一三日、本件売買契約の成立が認められるとして、本件土地(一)、(二)につき上告人の所有権移転登記手続請求を認容したが、被上告人河原林の建築妨害の事実は認めるに足りないとして、上告人の損害賠償請求を棄却する旨の判決をした。

3 被上告人河原林が控訴の申立てをして、原審係属中の平成二年三月一日、被上告人橋本治郎衛は、被上告人河原林に対し本件土地(一)、(二)につき所有権移転請求権保全の仮登記に基づく本登記手続を、上告人に対し右本登記手続の承諾をそれぞれ求めて、民訴法七一条による参加の申出(以下「本件参加の申出」という。)をした。その主張の骨子は、次のとおりである。(1)社寺信用組合は、被上告人河原林に対し、昭和四一年四月五日、五〇〇万円を貸し付け、その担保として本件土地(一)につき代物弁済予約をして、同月一三日、所有権移転請求権保全の仮登記を経由した。(2) 被上告人橋本は、社寺信用組合に対し、昭和五〇年六月二五日、被上告人河原林の残債務相当額を支払って、社寺信用組合から貸金債権及び仮登記担保権の譲渡を受け、同年八月一四日、右仮登記の移転付記登記を経由した。(3) 被上告人橋本は、被上告人河原林との間で、昭和四二年一〇月二六日、本件土地(一)、(二)を代金一六〇万円で買い受けることとする旨の売買の一方の予約をし、同四九年一一月一三日、本件土地(二)につき所有権移転請求権保全の仮登記を経由した。(4) 被上告人橋本は、被上告人河原林に対し、昭和五六年六月二四日、本件土地(一)につき代物弁済の予約完結の意思表示をし、本件土地(二)につき売買の予約完結の意思表示をした。(5) 被上告人橋本は、上告人及び被上告人河原林に対し、平成二年三月二日、本件参加の申出書によって本件土地(一)につき清算金がない旨の通知をした。(6) 上告人は、昭和五一年三月二三日、本件土地(一)、(二)につき処分禁止の仮処分登記を経由した。
4 上告人は、本件参加の申出につき民訴法七一条の要件を欠くものであるとして争い、また、右3の(3)の売買の一方の予約は通謀虚偽表示であるなどとして被上告人橋本の主張事実を争った。

二 原審は、まず、本件参加の申出は民訴法七一条後段の要件を満たすものであるとし、さらに、右一の3の被上告人橋本の主張事実は認めることができ、同4の上告人の通謀虚偽表示の主張事実は認めるに足りないから、被上告人橋本の請求をいずれも認容すべきであるとした上、本件参加の申出は、本件土地(一)、(二)の所有権をめぐる紛争を上告人と被上告人河原林との間及び被上告人橋本と上告人、被上告人河原林との間で同時に矛盾なく解決するためのものであるところ、上告人の被上告人河原林に対する所有権移転登記手続請求は民訴法七一条に基づく参加訴訟の形態及び目的からの制約を受け、被上告人橋本に対して所有権を主張できない立場にある上告人は、被上告人河原林に対しても所有権を前提とする請求をすることができなくなるものと解すべきであるとして、上告人の主張事実について判断するまでもなく、上告人の請求を棄却すべきものであるとした。

三 しかしながら、上告人の被上告人河原林に対する売買契約に基づく所有権移転登記手続を求める本訴につき、被上告人橋本が、被上告人河原林に対し代物弁済の予約又は売買の一方の予約による各予約完結の意思表示をしたことを理由とする所有権移転請求権保全の仮登記に基づく本登記手続を求め、かつ、右仮登記後にされた処分禁止の仮処分登記の名義人である上告人に対し右本登記手続の承諾を求めてした本件参加の申出は、民訴法七一条の要件を満たすものと解することはできない。けだし、同条の参加の制度は、同一の権利関係について、原告、被告及び参加人の三者が互いに相争う紛争を一の訴訟手続によって、一挙に矛盾なく解決しようとする訴訟形態であって、一の判決により訴訟の目的となった権利関係を全員につき合一に確定することを目的とするものであるところ(最高裁昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決・民集二一巻七号一九二五頁)、被上告人橋本の本件参加の申出は、本件土地(一)、(二)の所有権の所在の確定を求める申立てを含むものではないので、上告人、被上告人河原林及び被上告人橋本の間において右各所有権の帰属が一の判決によって合一に確定されることはなく、また、他に合一に確定されるべき権利関係が訴訟の目的とはなっていないからである。 

 四 以上の次第で、本件参加の申出は、民訴法七一条の参加の申出ではなく、その実質は新訴の提起と解すべきであるから、原審としては、被上告人橋本の参加請求に係る部分を管轄を有することが明らかな京都地方裁判所に移送し、被上告人河原林の控訴に基づき第一審判決の当否について審理判断すべきであったのである。そうすると、これと異なる原審の前記二の判断には、民訴法七一条の解釈適用を誤った違法及び理由不備の違法があり、右違法が判決に影響することは明らかである。以上の趣旨をいうものとして論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。したがって、原判決を破棄した上、原判決中、上告人の本訴請求に係る部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻すこととし、被上告人橋本の参加請求に係る部分につき本件を京都地方裁判所に移送することとする。
よって、民訴法四〇七条一項、四〇八条、三〇条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官尾崎行信 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)

++解説
《解  説》
一 本件は、不動産の二重譲渡事例において、参加の申出が民訴法七一条の要件を満たすか否かが問題となったものである。
甲は、乙に対し、本件土地(一)、(二)につき昭和四二年一二月九日の売買契約に基づく所有権移転登記手続を求める本訴を提起した。一審判決は甲の右請求を認容した。丙は、控訴審において、乙に対しては本件土地(一)、(二)につき所有権移転請求権保全の仮登記に基づく本登記手続を、甲に対しては右本登記手続の承諾を求めて、民訴法七一条による参加の申出をした。丙の主張の骨子は、(ア)丁は、乙との間で貸金の担保として本件土地(一)につき代物弁済予約をして、昭和四一年四月一三日、所有権移転請求権保全の仮登記を経由したが、丙は、丁に対し乙の残債務を支払い、昭和五〇年八月一四日、右仮登記の移転付記登記を経由した、(イ)丙は、乙との間で、昭和四二年一〇月二六日、本件土地(一)、(二)につき売買の一方の予約をし、昭和四九年一一月一三日、本件土地(二)につき所有権移転請求権保全の仮登記を経由した、(ウ)丙は、乙に対し、昭和五六年六月二四日、本件土地(一)につき代物弁済の、本件土地(二)につき売買の各予約完結の意思表示をした、(エ)甲は、昭和五一年三月二三日、本件土地(一)、(二)につき処分禁止の仮処分登記を経由した、というものである。
本件参加の申出につき、甲は、民訴法七一条の要件を欠くものであると主張して争った。
しかし、原審は、(1)本件参加の申出は、本件土地(一)、(二)の所有権をめぐる紛争を甲と乙との間及び丙と甲・乙との間で同時に矛盾なく解決するためのものであり、民訴法七一条後段の要件を満たすものであるとし、(2)丙の主張事実がいずれも認められるから、丙の甲・乙に対する請求を認容すべきであるとした上、(3)甲の乙に対する本訴請求は民訴法七一条に基づく参加訴訟の形態及び目的からの制約を受け、丙に対して所有権を主張できない立場にある甲は、乙に対しても所有権を前提とする請求をすることができないとして、甲の主張事実について判断するまでもなく、その請求を棄却すべきものと判断した。甲が上告。

二 最高裁は、冒頭掲記の判決要旨のように判示し、本件参加の申出は、民訴法七一条の参加の申出ではなく、その実質は新訴の提起と解すべきであるから、原審としては、丙の参加請求に係る部分を管轄を有する一審裁判所に移送し、乙の控訴に基づき一審判決の当否について審理判断すべきであったとして、原判決を破棄した上、原判決中、甲の本訴請求に係る部分を原審に差し戻し、丙の参加請求に係る部分を管轄一審裁判所に移送した。

三 独立当事者参加訴訟の構造については、本判決の引用する最大判昭42・9・27民集二一巻七号一九二五頁、本誌二一三号九八頁が、「民訴法七一条の参加の制度は、同一の権利関係について、原被告および参加人の三者が互に相争う紛争を一の訴訟手続によって、一挙に矛盾なく解決しようとする訴訟形態であって、右三者を互にてい立、牽制しあう関係に置き、一の判決により訴訟の目的を全員につき合一にのみ確定することを目的とする」旨判示して、三面訴訟説に立つことを宣明して一応の決着をつけたが、なお判例上未解決の個別具体的な問題も多い。不動産の二重譲渡事例における独立当事者参加の許否もそのような問題の一つである。
不動産が二重譲渡された場合に、買主が売主に対し売買契約に基づき所有権移転登記手続を求める本訴に、他の買主が原告に対しては所有権の確認を、被告に対しては売買契約に基づき所有権移転登記手続を求めて独立当事者参加をし得るかについては、見解の対立がある。
二人の買主のいずれもが売主に対する所有権移転登記請求権を取得し、この二個の請求権は論理的に両立するものであり、参加人の原告に対する所有権確認請求は、参加人が未登記権利者であることからして主張自体失当であるから、独立当事者参加は原則として許されないが、参加人が原被告間の所有権移転が実体上無効であると主張する場合には許されるとする少数説(吉野衛「不動産の二重譲渡と独立当事者参加の許否」民事法の諸問題Ⅱ三〇八、三三二―三三三頁)もあるが、多数説は、参加の許否(原告の請求と参加人の請求が両立するか否か)は参加の申出の段階で参加請求の趣旨と原因とによって判断すべきであることを理由に、独立当事者参加を認める(上田=井上(治)編・注釈民事訴訟法(2)一九六頁〔河野正憲〕、斎藤=小室=西村=林屋編・注解民事訴訟法(2)二五七頁〔小室直人・東孝行〕、兼子=松浦=新堂=竹下・条解民事訴訟法一九八頁〔新堂幸司〕など)。
なお、多数説は、民訴法七一条後段の参加の要件について、「参加人の請求と本訴の請求が請求の趣旨において両立しない関係にあることが必要である」又は「参加人の請求及びそれを理由づける権利主張が本訴の請求又はそれを理由づける権利主張と論理的に両立しない関係にあることが必要である」との立場を前提とするものであるところ、右の二重譲渡事例においては、本訴の請求についてみると、(少なくとも参加人との関係における)所有権の帰属が問題になっていないから、その要件論と前記の結論とが厳密な意味で整合しているのかには、疑問がなくはない。その採る結論からすると、多数説は、参加人が原告との間での所有権の確認を求める場合には、当該不動産の所有権の帰属についての紛争があるものと考え、これをもって民訴法七一条後段の参加の要件を満たすものとするのであろう。
類似の二重譲渡事例において独立当事者参加を認めた下級審裁判例として、福岡高判昭30・10・10下民集六巻一〇号二一〇二頁、大阪高判昭43・5・16判時五五四号四七頁、本誌二二三号二〇六頁などがある。

四 右の二重譲渡事例における参加の申出と比較して特徴的なのは、本件参加の申出が所有権の所在の確定を求める申立てを含むものではないことである。そこで、丙の乙に対する登記請求は、その訴訟物をどのように構成しても、甲の乙に対する請求と両立するものであるし、丙の甲に対する承諾請求(その訴訟物は不動産登記法一〇五条が仮登記権利者に付与した承諾請求権である。吉野衛「仮登記の一考察(一)」判評七九号六四、七〇頁)もまた甲の乙に対する請求と両立する関係にある。結局、請求のレベルにおいては甲のそれと丙のそれとは論理的に両立するものである。また、請求を理由づける権利主張のレベルにおいても甲のそれと丙のそれとは論理的に両立するものである。
すなわち、先の二重譲渡事例における参加の申出については、参加人の原告に対する所有権確認請求があったため、所有権の帰属についての紛争があるものとみることもできないではないのであるが、本件においては、所有権の帰属についての紛争があるものとみることはできないのである。本判決は、「甲、乙及び丙の間において所有権の帰属が一の判決によって合一に確定されることはなく、また、他に合一に確定されるべき権利関係が訴訟の目的とはなっていない」と判示する。
既判力をもって確定されるべき訴訟物になっておらず、請求を理由づける主張としても取り上げられていない甲・丙間の所有権の帰属の問題を参加の許否の判断に際して考慮し得ないことは当然であろう。本件においては、先の二重譲渡事例における多数説、少数説のいずれの立場に立っても、本判決と同様の結論になるものと思われる。

五 なお、本判決は、本件参加の申出が民訴法七一条の要件を満たすものではないとしたため、原審の前記一の(3)の判断について直接的に判断を示すことはしていない。原審とほぼ同趣旨の判断をした下級審裁判例に新潟地判昭38・7・9下民集一四巻七号一三五四頁がある。
しかし、手続法の用意した道具によって実体法の内容が変容されることを認めるこのような見解は、通説の立場とは相いれないものと思われる(菊井=村松・全訂民事訴訟法Ⅰ〔追補版〕三九二頁、井上治典「独立当事者参加」新・実務民事訴訟講座3四五、五七頁など)。

3.必要的共同訴訟との違い

4.二当事者間の自白

5.訴訟物を処分する行為
・他の当事者の不利にならない限りこれを認めてもよいのではないかという視点。

6.敗訴当事者の一方からの実の上訴

+判例(S48.7.20)
理由
上告代理人小野実雄の上告理由第一点について。
所論は、要するに、上告人(参加人)岡山宮地弘商事株式会社(以下「参加人」という。)と被上告人(被告)広島駅弁当株式会社(以下「被告」という。)との間の訴訟は一審判決どおり確定しているのであつて、該請求が被上告人(原告)A(以下「原告」という。)の控訴にもとづく控訴審における審判の対象にはならない、というのである。
しかし、本件は、訴訟の目的が原告、被告および参加人の三者間において合一にのみ確定すべき場合(民訴法七一条、六二条)に当たることが明らかであるから、一審判決中参加人の被告に対する請求を認容した部分は、原告のみの控訴によつても確定を遮断され、かつ、控訴審においては、被告の控訴または附帯控訴の有無にかかわらず、合一確定のため必要な限度で一審判決中前記部分を参加人に不利に変更することができると解するのが相当である(最高裁昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決・民集二一巻七号一九二五頁、最高裁昭和三四年(オ)第二一二号同三六年三月一六日第一小法廷判決・民集一五巻三号五二四頁、最高裁昭和四一年(オ)策二八八号同四三年四月一二日第二小法廷判決・民集二二巻四号八七七頁参照)。原判決に所論の違法はなく、所論は、これと異なる独自の見解にたつものであつて採用するをえない。

同第二点ないし第六点について。
所論に関する原審の事実認定は、原判決の挙示する証拠関係に照らし是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであつて、採用することができない。
同第七点について。
原審はBが代理人として所論の債権譲渡の承諾をしたものと認定しているものであることは、判文に徴して明らかであるところ、債権譲渡の承諾は、観念の通知であるが、意思表示に関する規定が類推適用されるべきであつて、代理に親しむと解するのが相当である(大審院昭和三年(オ)第九四四号同四年二月二三日判決・民集八巻三三七頁参照)から、原判決に所論の違法はない。引用の判例は、本件に適切でなく、論旨は採用することができない。
同第八点について。
債権譲渡の承諾書が作成された後譲受人がその承諾書に確定日付を得た場合であつても、その確定日付の時から所定の対抗力を生じるものと解するのが相当である(大審院大正三年(オ)第三九一号同四年二月九日判決・民録二一輯九二頁参照)。これと同旨の原審判断は相当で、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

・債権の二重譲渡の事案でXから債務者Yへの支払請求訴訟にZが独立当事者参加したところ、第1審は対抗問題においてZがXに優先するとしてZ全面勝訴!
これに対してXの実が控訴したのが上記判例。
ではYのみが控訴したらどうなっていたのか?
合一確定の要請but
当事者の利害に着目する方向から行くと、控訴したYに不利益な変更をして、Xに棚ぼた的な利益を与えるような理由はない!
(XY請求はそもそも移審せず確定するという考え方と、Xに附帯控訴の機会を与えるために移審はするという考え方がある)

・+判例(S50.3.13)
理由
本件訴訟において、第一審原告は第一審被告に対し本件溜池の所有権移転登記手続を請求し、第一審参加人は第一審原告に対しては売買を原因とする本件溜池の所有権移転登記手続を、第一審被告に対しては本件溜池の所有権確認を各請求し、第一審被告は第一審原告及び第一審参加人の両名を反訴被告として、本件溜池の所有権確認及び明渡を請求する反訴を提起したものである。そして第一審判決は第一審原告の請求を棄却し、第一審参加人の請求中第一審原告に対する請求を認容したが、第一審被告に対する請求を棄却し、また第一審被告の反訴請求を認容し、この第一審判決に対する控訴審において、原判決は控訴人ら(第一審参加人及び第一審原告)の各控訴を棄却したところ、これに対し、第一審参加人は第一審被告のみを相手方として本件上告を提起した。ところで、民訴法七一条による参加のなされた訴訟においては、原告、被告及び参加人の三者間にそれぞれ対立関係が生じ、かつ、その一人の上訴により全当事者につき移審の効果が生ずるものであるところ、かかる三当事者間の訴訟において、そのうちの一当事者が他の二当事者のうちの一当事者のみを相手方として上訴した場合には、この上訴の提起は同法六二条二項の準用により残る一当事者に対しても効力を生じ、この当事者は被上訴人としての地位に立つものと解するのを相当とする。そしてこの場合、上訴審は、上訴提起の相手方とされなかつた右当事者の上訴又は附帯上訴がなくても、当該訴訟の合一確定に必要な限度においては、その当事者の利益に原審判決を変更することができるものと解すべきであるから(最高裁昭和四八年七月二〇日第二小法廷判決・民集二七巻七号八六三頁参照)、上訴を提起した当事者とその上訴の相手方とされなかつた当事者との利害が実質的に共通である場合であつても、そのことは後者を上訴人として取扱うべきであるとする理由とはならない。したがつて、本件第一審原告は、当審においては被上告人の地位に立つものである(原審は、本件第一審判決に対する控訴を提起しなかつた第一審原告は第一審参加人と実質上利害を同じくするものであるとの理由で同原告を控訴人として取扱い、その控訴を棄却したのであつて、この点において原判決は違法であることを免れないが、この点については当審において不服申立がなく、かつ、後記のとおり上告人(第一審参加人)の本件上告は理由なく、原判決中第一審参加人の控訴を棄却した部分は正当であるから、原判決中第一審原告の控訴を棄却した部分も変更の要なく、これを破棄すべきではない。)。
上告代理人青木永光の上告理由について。
原判決の挙示する証拠関係に照らすときは、本件溜池の所有権は大宮村の成立と同時に同村に帰属したとする原審の認定は、これを首肯しえないものではない。原判決に所論の違法はなく、諭旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一)

+判例(S45.12.24)
理由
職権をもつて審按するのに、記録によれば、本件訴訟は、第一審原告(以下単に原告という。)が、本件係争土地について自己に所有権のあることを主張し、これに所有権取得登記を有する第一審被告義蔵およびこれに抵当権設定登記を有する第一審被告畑山(以下両名を単に被告らという。)に対し、それぞれ右各登記の抹消登記手続を求めたのに対し、第一審参加人孝一(以下単に参加人という。)が、同様右土地について自己に所有権のあることを主張したうえ、原告および被告らを相手として民訴法七一条に基づく参加を申し立て、右三名に対して所有権の確認を求めるとともに、被告らに対して右各登記の抹消登記手続を求めたものであること、しかして、第一審は、被告ら勝訴、原告および参加人敗訴の判決をしたため、原告および参加人がそれぞれ控訴したが、原告が後に控訴を取り下げたこと、以上の事実が明らかである。
ところで、原審は、右訴訟関係を前提としたうえ、かかる場合は、第一審判決に対して参加人のみが控訴したにすぎないから、原告の請求は控訴審における審判の対象とはなつていない旨判示し、参加人の請求についてのみ判断を加え、原告の本訴請求については判断を加えていない。
しかしながら民訴法七一条による訴訟は、同一の権利関係について、原告、被告および参加人の三者が互に相い争う紛争を一つの訴訟手続によつて一挙に矛盾なく解決する訴訟形態であつて、その申出は、つねに原被告双方を相手方としなければならず、その一方のみを相手とすることは許されないのであり、同条に基づく原告、被告、参加人間の訴訟について本案判決をするときは、右三当事者を判決の名宛人とする一個の終局判決のみが許され、右当事者の一部に関する判決をすることも、また、残余の者に関する追加判決をすることも許されないものであることは、いずれも、当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決、民集二一巻七号一九二五頁、同四一年(オ)第二八八号同四三年四月一二日第二小法廷判決、民集二二巻四号八七七頁参照。)。この趣旨に照らせば、本件訴訟において、参加人が控訴の申立をしたことにより、参加人、原告、被告ら間の三個の請求は、当然控訴審の審判の対象となるべきものであるから、原審としては、原告の控訴取下の有無にかかわらず、同人の被告らに対する請求についても、同一判決により判断を加えるべきであつたといわなければならない。したがつて、これと異なる見解のもとに、原告の本訴請求について判断を加えなかつた原判決は、民訴法七一条の解釈適用を誤つたものというべきであり、原判決のこの瑕疵は、訴訟要件に準じ、職権をもつて調査すべき事項にあたるものと解すべきことも前掲判例(昭和四三年四月一二第二小法廷判決)の示すところであるから、本訴については、上告代理人の上告理由について審理判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項を適用し、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(長部謹吾 入江俊郎 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三)

+判例(S36.3.16)
理由
本件は、民訴七三条七一条により同法六二条が準用される場合であるから、上告人の相手方Aに対する上告の申立は原審被控訴人Bのためにも効力を生じ(六二条二項)、同人は被上告人たる地位を取得したものと解すべきである。 
上告人ら代理人弁護士小田成就の上告理由第一点第二点について。
所論はるる論述するが、ひつきょうするに、原審がその専権に基ずいてなした証拠の自由な取捨選択並びに評価及びこれによつてなした自由な事実認定に対し、これと相容れない事実を主張しつつ原審の判断を非難攻撃するに外ならないものであつて、上告適法の理由となすを得ないところのものである。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 高木常七)


行政法 基本行政法 行政裁量 その1


1.行政判断のプロセス
①事実の認定
②要件の認定
③行為の選択
④手続の選択
⑤時の選択

2.裁判所による審査と行政裁量の所在
(1)裁判所による審査と行政裁量の所在
(2)裁量権の逸脱・濫用の審査
・行政処分権限を付与した法律が行政庁に裁量を認めているのか
どの程度の裁量を認めているのかが問題になる。

①事実の認定
原則として行政裁量は認められない!
ただし、将来の予測を含む高度な科学技術の問題については、「要件の認定」と「事実の認定」が分かちがたく結びついており、行政裁量が認められることがある。

+判例(高松高判S59.12.14)伊方原発
長い(笑)
原子炉設置の許可は、政策的のみならず専門技術的な意味においても、行政庁の裁量処分である。

ちなみに最高裁の方はH4.10.29

④手続の選択
+判例(東京地判59.3.29)

⑤時の選択
+判例(S57.4.23)中野区特殊車両通行認定事件
理由
上告代理人篠崎芳明、同大場常夫の上告理由について
道路法四七条四項の規定に基づく車両制限令一二条所定の道路管理者の認定は、同令五条から七条までに規定する車両についての制限に関する基準に適合しないことが、車両の構造又は車両に積載する貨物が特殊であるためやむを得ないものであるかどうかの認定にすぎず、車両の通行の禁止又は制限を解除する性格を有する許可(同法四七条一項から三項まで、四七条の二第一項)とは法的性格を異にし、基本的には裁量の余地のない確認的行為の性格を有するものであることは、右法条の改正の経緯、規定の体裁及び罰則の有無等に照らし明らかであるが、他方右認定については条件を附することができること(同令一二条但し書)、右認定の制度の具体的効用が許可の制度のそれと比較してほとんど変るところがないことなどを勘案すると、右認定に当たつて、具体的事案に応じ道路行政上比較衡量的判断を含む合理的な行政裁量を行使することが全く許容されないものと解するのは相当でない
これを本件についてみるのに、原審の適法に確定したところによれば、被上告人の道路管理者としての権限を行う中野区長が本件認定申請に対して約五か月間認定を留保した理由は、右認定をすることによつて本件建物の建築に反対する附近住民と上告人側との間で実力による衝突が起こる危険を招来するとの判断のもとにこの危険を回避するためということであり、右留保期間は約五か月間に及んではいるが、結局、中野区長は当初予想された実力による衝突の危険は回避されたと判断して本件認定に及んだというのである。右事実関係によれば、中野区長の本件認定留保は、その理由及び留保期間から見て前記行政裁量の行使として許容される範囲内にとどまるものというべく、国家賠償法一条一項の定める違法性はないものといわなければならない。
以上の次第であるから、所論の点に関する原審の判断は、その結論において正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鹽野宜慶 裁判官 栗本一夫 裁判官 木下忠良 裁判官 宮崎梧一 裁判官 大橋進)

3.行政裁量の有無の判断基準
(1)法律の文言
+判例(H18.2.7)呉市公立学校施設使用不許可事件
理由 
 上告代理人岡秀明の上告受理申立て理由について 
 1 本件は、広島県の公立小中学校等に勤務する教職員によって組織された職員団体である被上告人が、その主催する第49次広島県教育研究集会(以下「本件集会」という。)の会場として、呉市立二河中学校(以下「本件中学校」という。)の体育館等の学校施設の使用を申し出たところ、いったんは口頭でこれを了承する返事を本件中学校の校長(以下、単に「校長」という。)から得たのに、その後、呉市教育委員会(以下「市教委」という。)から不当にその使用を拒否されたとして、上告人に対し、国家賠償法に基づく損害賠償を求めた事案である。 
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、以下のとおりである。 
 (1) 呉市立学校施設使用規則(昭和40年呉市教育委員会規則第4号。以下「本件使用規則」という。)2条は、学校施設を使用しようとする者は、使用日の5日前までに学校施設使用許可申請書を当該校長に提出し、市教委の許可を受けなければならないとしている。本件使用規則は、4条で、学校施設は、市教委が必要やむを得ないと認めるときその他所定の場合に限り、その用途又は目的を妨げない限度において使用を許可することができるとしているが、5条において、施設管理上支障があるとき(1号)、営利を目的とするとき(2号)、その他市教委が、学校教育に支障があると認めるとき(3号)のいずれかに該当するときは、施設の使用を許可しない旨定めている。 
 (2) 被上告人は、本件集会を、本件中学校において、平成11年11月13日(土)と翌14日(日)の2日間開催することとし、同年9月10日、校長に学校施設の使用許可を口頭で申し込んだところ、校長は、同月16日、職員会議においても使用について特に異議がなかったので、使用は差し支えないとの回答をした。 
 市教委の教育長は、同月17日、被上告人からの使用申込みの事実を知り、校長を呼び出して、市教委事務局学校教育部長と3人で本件中学校の学校施設の使用の許否について協議をし、従前、同様の教育研究集会の会場として学校施設の使用を認めたところ、右翼団体の街宣車が押し掛けてきて周辺地域が騒然となり、周辺住民から苦情が寄せられたことがあったため、本件集会に本件中学校の学校施設を使用させることは差し控えてもらいたい旨切り出した。しばらくのやりとりの後、校長も使用を認めないとの考えに達し、同日、校長から被上告人に対して使用を認めることができなくなった旨の連絡をした。 
 被上告人側と市教委側とのやりとりを経た後、被上告人から同月10日付けの使用許可申請書が同年10月27日に提出されたのを受けて、同月31日、市教委において、この使用許可申請に対し、本件使用規則5条1号、3号の規定に該当するため不許可にするとの結論に達し、同年11月1日、市教委から被上告人に対し、同年10月31日付けの学校施設使用不許可決定通知書が交付された(以下、この使用不許可処分を「本件不許可処分」という。)。同通知書には、不許可理由として、本件中学校及びその周辺の学校や地域に混乱を招き、児童生徒に教育上悪影響を与え、学校教育に支障を来すことが予想されるとの記載があった。 
 (3) 本件集会は、結局、呉市福祉会館ほかの呉市及び東広島市の七つの公共施設を会場として開催された。
 (4) 被上告人は、昭和26年から毎年継続して教育研究集会を開催してきており、毎回1000人程度の参加者があった。第16次を除いて、第1次から第48次まで、学校施設を会場として使用してきており、広島県においては本件集会を除いて学校施設の使用が許可されなかったことはなかった。呉市内の学校施設が会場となったことも、過去10回前後あった。 
 (5) 被上告人の教育研究集会では、全体での基調提案ないし報告及び記念公演のほか、約30程度の数の分科会に分かれての研究討議が行われる。各分科会では、学校教科その他の項目につき、新たな学習題材の報告、授業展開に当たっての具体的な方法論の紹介、各項目における問題点の指摘がされ、これらの報告発表に基づいて討議がされる。このように、教育研究集会は、教育現場において日々生起する教育実践上の問題点について、各教師ないし学校単位の研究や取組みの成果が発表、討議の上、集約され、その結果が教育現場に還元される場ともなっている一方、広島県教育委員会(以下「県教委」という。)等による研修に反対する立場から、職員団体である被上告人の基本方針に基づいて運営され、分科会のテーマ自体にも、教職員の人事や勤務条件、研修制度を取り上げるものがあり、教科をテーマとするものについても、学習指導要領に反対したり、これを批判する内容のものが含まれるなど、被上告人の労働運動という側面も強く有するものであった。 
 (6) 平成4年に呉市で行われた第42次教育研究集会を始め、過去、被上告人の開催した教育研究集会の会場である学校に、集会当日、右翼団体の街宣車が来て、スピーカーから大音量の音を流すなどの街宣活動を行って集会開催を妨害し、周辺住民から学校関係者等に苦情が寄せられたことがあった。 
 しかし、本件不許可処分の時点で、本件集会について右翼団体等による具体的な妨害の動きがあったという主張立証はない。 
 (7) 被上告人の教育研究集会の要綱などの刊行物には、学習指導要領の問題点を指摘しこれを批判する内容の記載や、文部省から県教委等に対する是正指導にもあった卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導に反対する内容の記載が多数見受けられ、過去の教育研究集会では、そのような内容の討議がされ、本件集会においても、同様の内容の討議がされることが予想された。もっとも、上記記載の文言は、いずれも抽象的な表現にとどまっていた。 
 (8) 県教委と被上告人とは、以前から、国旗掲揚、国歌斉唱問題や研修制度の問題等で緊張関係にあり、平成10年7月に新たな教育長が県教委に着任したころから、対立が激化していた。 
 3 原審は、上記事実関係を前提として、本件不許可処分は裁量権を逸脱した違法な処分であると判断した。所論は、原審の上記判断に、地方自治法244条2項、238条の4第4項、学校教育法85条、教育公務員特例法(平成15年法律第117号による改正前のもの。以下同じ。)19条、20条の解釈の誤り、裁量権濫用の判断の誤り等があると主張するので、以下この点について判断する。 
 (1) 地方公共団体の設置する公立学校は、地方自治法244条にいう「公の施設」として設けられるものであるが、これを構成する物的要素としての学校施設は同法238条4項にいう行政財産である。したがって、公立学校施設をその設置目的である学校教育の目的に使用する場合には、同法244条の規律に服することになるが、これを設置目的外に使用するためには、同法238条の4第4項に基づく許可が必要である。教育財産は教育委員会が管理するとされているため(地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条2号)、上記の許可は本来教育委員会が行うこととなる。 
 学校施設の確保に関する政令(昭和24年政令第34号。以下「学校施設令」という。)3条は、法律又は法律に基づく命令の規定に基づいて使用する場合及び管理者又は学校の長の同意を得て使用する場合を例外として、学校施設は、学校が学校教育の目的に使用する場合を除き、使用してはならないとし(1項)、上記の同意を与えるには、他の法令の規定に従わなければならないとしている(2項)。同意を与えるための「他の法令の規定」として、上記の地方自治法238条の4第4項は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができると定めており、その趣旨を学校施設の場合に敷えんした学校教育法85条は、学校教育上支障のない限り、学校の施設を社会教育その他公共のために、利用させることができると規定している。本件使用規則も、これらの法令の規定を受けて、市教委において使用許可の方法、基準等を定めたものである。 
 (2) 地方自治法238条の4第4項、学校教育法85条の上記文言に加えて、学校施設は、一般公衆の共同使用に供することを主たる目的とする道路や公民館等の施設とは異なり、本来学校教育の目的に使用すべきものとして設置され、それ以外の目的に使用することを基本的に制限されている(学校施設令1条、3条)ことからすれば、学校施設の目的外使用を許可するか否かは、原則として、管理者の裁量にゆだねられているものと解するのが相当である。すなわち、学校教育上支障があれば使用を許可することができないことは明らかであるが、そのような支障がないからといって当然に許可しなくてはならないものではなく、行政財産である学校施設の目的及び用途と目的外使用の目的、態様等との関係に配慮した合理的な裁量判断により使用許可をしないこともできるものである。学校教育上の支障とは、物理的支障に限らず、教育的配慮の観点から、児童、生徒に対し精神的悪影響を与え、学校の教育方針にもとることとなる場合も含まれ、現在の具体的な支障だけでなく、将来における教育上の支障が生ずるおそれが明白に認められる場合も含まれる。また、管理者の裁量判断は、許可申請に係る使用の日時、場所、目的及び態様、使用者の範囲、使用の必要性の程度、許可をするに当たっての支障又は許可をした場合の弊害若しくは影響の内容及び程度、代替施設確保の困難性など許可をしないことによる申請者側の不都合又は影響の内容及び程度等の諸般の事情を総合考慮してされるものであり、その裁量権の行使が逸脱濫用に当たるか否かの司法審査においては、その判断が裁量権の行使としてされたことを前提とした上で、その判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し、その判断が、重要な事実の基礎を欠くか、又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限って、裁量権の逸脱又は濫用として違法となるとすべきものと解するのが相当である。 
 (3) 教職員の職員団体は、教職員を構成員とするとはいえ、その勤務条件の維持改善を図ることを目的とするものであって、学校における教育活動を直接目的とするものではないから、職員団体にとって使用の必要性が大きいからといって、管理者において職員団体の活動のためにする学校施設の使用を受忍し、許容しなければならない義務を負うものではないし、使用を許さないことが学校施設につき管理者が有する裁量権の逸脱又は濫用であると認められるような場合を除いては、その使用不許可が違法となるものでもない。また、従前、同一目的での使用許可申請を物理的支障のない限り許可してきたという運用があったとしても、そのことから直ちに、従前と異なる取扱いをすることが裁量権の濫用となるものではないもっとも、従前の許可の運用は、使用目的の相当性やこれと異なる取扱いの動機の不当性を推認させることがあったり、比例原則ないし平等原則の観点から、裁量権濫用に当たるか否かの判断において考慮すべき要素となったりすることは否定できない。 
 (4) 以上の見地に立って本件を検討するに、原審の適法に確定した前記事実関係等の下において、以下の点を指摘することができる。 
 ア 教育研究集会は、被上告人の労働運動としての側面も強く有するものの、その教育研究活動の一環として、教育現場において日々生起する教育実践上の問題点について、各教師ないし学校単位の研究や取組みの成果が発表、討議の上、集約される一方で、その結果が、教育現場に還元される場ともなっているというのであって、教員らによる自主的研修としての側面をも有しているところ、その側面に関する限りは、自主的で自律的な研修を奨励する教育公務員特例法19条、20条の趣旨にかなうものというべきである。被上告人が本件集会前の第48次教育研究集会まで1回を除いてすべて学校施設を会場として使用してきており、広島県においては本件集会を除いて学校施設の使用が許可されなかったことがなかったのも、教育研究集会の上記のような側面に着目した結果とみることができる。このことを理由として、本件集会を使用目的とする申請を拒否するには正当な理由の存在を上告人において立証しなければならないとする原審の説示部分は法令の解釈を誤ったものであり是認することができないものの、使用目的が相当なものであることが認められるなど、被上告人の教育研究集会のための学校施設使用許可に関する上記経緯が前記(3)で述べたような趣旨で大きな考慮要素となることは否定できない。 
 イ 過去、教育研究集会の会場とされた学校に右翼団体の街宣車が来て街宣活動を行ったことがあったというのであるから、抽象的には街宣活動のおそれはあったといわざるを得ず、学校施設の使用を許可した場合、その学校施設周辺で騒じょう状態が生じたり、学校教育施設としてふさわしくない混乱が生じたりする具体的なおそれが認められるときには、それを考慮して不許可とすることも学校施設管理者の裁量判断としてあり得るところである。しかしながら、本件不許可処分の時点で、本件集会について具体的な妨害の動きがあったことは認められず(なお、記録によれば、本件集会については、実際には右翼団体等による妨害行動は行われなかったことがうかがわれる。)、本件集会の予定された日は、休校日である土曜日と日曜日であり、生徒の登校は予定されていなかったことからすると、仮に妨害行動がされても、生徒に対する影響は間接的なものにとどまる可能性が高かったということができる。 
 ウ 被上告人の教育研究集会の要綱などの刊行物に学習指導要領や文部省の是正指導に対して批判的な内容の記載が存在することは認められるが、いずれも抽象的な表現にとどまり、本件集会において具体的にどのような討議がされるかは不明であるし、また、それらが本件集会において自主的研修の側面を排除し、又はこれを大きくしのぐほどに中心的な討議対象となるものとまでは認められないのであって、本件集会をもって人事院規則14-7所定の政治的行為に当たるものということはできず、また、これまでの教育研究集会の経緯からしても、上記の点から、本件集会を学校施設で開催することにより教育上の悪影響が生ずるとする評価を合理的なものということはできない。 
 エ 教育研究集会の中でも学校教科項目の研究討議を行う分科会の場として、実験台、作業台等の教育設備や実験器具、体育用具等、多くの教科に関する教育用具及び備品が備わっている学校施設を利用することの必要性が高いことは明らかであり、学校施設を利用する場合と他の公共施設を利用する場合とで、本件集会の分科会活動にとっての利便性に大きな差違があることは否定できない。 
 オ 本件不許可処分は、校長が、職員会議を開いた上、支障がないとして、いったんは口頭で使用を許可する意思を表示した後に、上記のとおり、右翼団体による妨害行動のおそれが具体的なものではなかったにもかかわらず、市教委が、過去の右翼団体の妨害行動を例に挙げて使用させない方向に指導し、自らも不許可処分をするに至ったというものであり、しかも、その処分は、県教委等の教育委員会と被上告人との緊張関係と対立の激化を背景として行われたものであった。 
 (5) 上記の諸点その他の前記事実関係等を考慮すると、本件中学校及びその周辺の学校や地域に混乱を招き、児童生徒に教育上悪影響を与え、学校教育に支障を来すことが予想されるとの理由で行われた本件不許可処分は、重視すべきでない考慮要素を重視するなど、考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠いており、他方、当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず、その結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものということができる。そうすると、原審の採る立証責任論等は是認することができないものの、本件不許可処分が裁量権を逸脱したものであるとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨はいずれも採用することができない。 
 4 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男) 
++解説
《解  説》
 1 本件は,広島県の公立小中学校等に勤務する教職員によって組織された職員団体であるXが,Xが主催し昭和26年から毎年開催してきている広島県教育研究集会の第49次集会の会場として,呉市立中学校の学校施設の使用を申し出たところ,いったんは口頭でこれを了承する返事を校長から得たのに,その後,呉市教育委員会から不当にその使用を拒否されたとして,Y(呉市)に対し,国家賠償法に基づく損害賠償を求めた事案である。呉市教育委員会は,右翼団体による妨害活動のおそれ等を挙げ,当該中学校及びその周辺の学校や地域に混乱を招き,児童生徒に教育上悪影響を与え,学校教育に支障を来すことが予想されるとの理由で不許可処分をしていた。教育研究集会の態様,これまでの学校施設使用の経緯,今回の申請に係る事実経過等の事実関係は,直接判決文を参照されたい。
 1審は,50万円及び遅延損害金の限度でXの請求を一部認容し,原審もこれを維持した。原審は,学校施設の使用の許否の判断は広い裁量にゆだねられているとしつつ,教育委員会としては原告が教育研究集会を行える場を確保できるよう配慮する義務があったとし,本件集会を使用目的とする申請を拒否するには正当な理由の存在を被告において立証しなければならないなどと説示し,本件不許可処分は裁量権を逸脱した違法な処分であると判断した。最高裁第三小法廷は,Yからの上告受理申立てを受理して,本判決によりその判断を示した。
 2 地方公共団体の設置する公立学校は,地方自治法244条にいう「公の施設」として設けられるものであるが,公立学校を構成する物的要素としての学校施設は,同法238条4項にいう行政財産(普通地方公共団体において公用又は公共用に供し,又は供することと決定した財産)である。したがって,公立学校施設をその設置目的である学校教育の目的に使用する場合には同法244条の規律に服することになるが,これを設置目的外に使用するためには,同法238条の4第4項に基づく許可が必要である。教育財産は教育委員会が管理するとされているため(地方教育行政の組織及び運営に関する法律23条2号),上記の許可は本来教育委員会が行うこととなる。
 学校施設の確保に関する政令(昭和24年政令第34号)3条は,法律又は法律に基づく命令の規定に基づいて使用する場合及び管理者又は学校の長の同意を得て使用する場合を例外として,学校施設は,学校が学校教育の目的に使用する場合を除き,使用してはならないとし(1項),上記の同意を与えるには,他の法令の規定に従わなければならないとしている(2項)。同意を与えるための「他の法令の規定」として,上記の地方自治法238条の4第4項は,その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができると定めており,その趣旨を学校施設の場合に敷えんした学校教育法85条は,学校教育上支障のない限り,学校の施設を社会教育その他公共のために,利用させることができると規定している。これらの定めの解釈上,その許可をするか否かは管理者の裁量処分と解され,不許可処分がされた場合,申請者においてその不許可処分に裁量権の逸脱濫用があることを主張,立証して,初めてその処分は違法と判断されることになる。
 3 地方自治法244条2項は,正当な理由がない限り,住民が公の施設を利用することを拒んではならないと定めているところ,本件原判決は,目的外使用については同項の適用がないことを前提として説示をしているが,前記のような見解を媒介とすることにより,結果的には,本件許可申請について同条2項の適用ないし類推適用があるのと同様の基準で判断している。また,原判決は,右翼団体の街宣活動等の妨害行動のおそれにつき,それに伴って生ずる紛争の責任は専ら当該右翼団体にあるから,これを教育上の支障として学校施設利用を拒否することは許されないと判示していた。
 最三小判平7.3.7民集49巻3号687頁,判タ876号84頁(泉佐野市民会館事件)や最二小判平8.3.15民集50巻3号549頁,判タ906号192頁(上尾市福祉会館事件)は,市民会館における集会開催のための使用許可や市福祉会館における組合幹部の合同葬のための使用という本来の施設設置目的に応じた使用許可に関して,条例上の不許可事由につき地方自治法244条の適用を前提として厳格に解し,主催者が集会を平穏に行おうとしているのに,その集会の目的や主催者の思想,信条に反対する者らが,これを実力で阻止し,妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは,公の施設の利用関係の性質に照らせば,警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別の事情がある場合に限られるべきであるなどと判示していた。原判決の上記判示は,これに影響されたものとみることができる。
 しかし,前記のとおり,公立学校施設を設置目的外に使用するためには,同条の適用はなく,同法238条の4第4項に基づく許可が必要であり,その許可をするか否かは管理者の裁量にゆだねられていることからすると,原判決の上記判示部分には問題があったように思われる。
 4 本判決は,判決要旨1のとおり,学校施設の目的外使用の許否の判断が管理者の裁量にゆだねられていることを明らかにし,要旨2のとおり,学校教育法85条が使用を許さない場合として掲げている「学校教育上支障」の意義につき,学校教育上の支障がある場合とは,物理的支障がある場合に限られるものではなく,教育的配慮の観点から,児童,生徒に対し精神的悪影響を与え,学校の教育方針にもとることとなる場合も含まれ,現在の具体的な支障がある場合だけでなく,将来における教育上の支障が生ずるおそれが明白に認められる場合も含まれるとした。また,学校施設の使用の許否の判断に関する司法審査の方法については,一般に裁量処分に対する司法審査について判例の採る立場(懲戒処分についての最三小判昭52.12.20民集31巻7号1101頁,判タ357号142頁,在留期間更新不許可処分についての最大判昭53.10.4民集32巻7号1223頁,判タ368号196頁等)と同様に,その判断が裁量権の行使としてされたことを前提とした上で,その判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し,その判断が,重要な事実の基礎を欠くか,又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限って,裁量権の逸脱又は濫用として違法となるとすべきものであるとする一般論を示した。
 その上で,要旨4に掲げたような事情を逐一指摘し,これらの事情をすべて考慮すれば,本件不許可処分は,重視すべきでない考慮要素を重視するなど,考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠いており,他方,当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず,その結果,社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものといえるとして,原審の採る立証責任論等は是認することができないものの,本件不許可処分を裁量権の逸脱であるとした原審の判断も結論において是認することができるとしたものである。
 本判決は,最高裁として初めて,学校施設の目的外使用の許否の判断の性質,司法審査の在り方等を明らかにして,原審の採った一般論を是正したものであり,今後の同種事件の処理に当たり参考となる。また,具体的事案についての判断も,教育研究集会の性格等も含め,あくまでも原審確定事実を前提とした判断ではあるが,実務上参考となるものと考えられる。
 なお,学校施設の使用許可に関する下級審裁判例としては,広島地判昭50.11.25判時817号60頁,鹿児島地判昭58.10.21訟月30巻4号685頁,その控訴審福岡高宮崎支判昭60.3.29判タ574号78頁,福岡高判平16.1.20判タ1159号149頁等があり,参考文献として,今村武俊=別府哲『学校教育法解説(初等中等教育編)』393~406頁,鈴木勲『逐条学校教育法』666~678頁,鈴木勲『新訂・学校経営のための法律常識』279~288頁等がある。
+判例(S56.2.26)ストロングライフ事件
理由 
 上告代理人貞家克己、同高橋正、同玉田勝也、同堀井善吉、同鎌田泰輝、同小沢義彦、同川満敏一、同新谷鐵郎、同代田久米雄、同大西孝夫、同中井一士、同辻宏二、同内山壽紀の上告理由について 
 論旨は、毒物及び劇物取締法四条一項に規定する毒物又は劇物の輸入業の登録の申請があつた場合には、同法五条及び毒物及び劇物取締法施行規則四条の四所定の登録拒否事由がなくても、当該品目の輸入を許すことにより右登録拒否事由が存する場合と同程度あるいはそれ以上に国民の保健衛生上の危害を発生させることが予測されるときには、同法の目的、趣旨に照らし、右の各規定を類推適用して、当該品目につき輸入業の登録を拒否することができると解すべきであるから、本件につき、右の各規定は右拒否事由がある場合のほかは必ず登録を行わなければならないことを定めたものであるとの見解のもとに、本件登録拒否処分は法定の登録拒否事由以外の理由に基づき被上告人の輸入業の登録を許さなかつたものであるから違法であるとした原判決には、右法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。 
 本件拒否処分は、ストロングライフは、専ら、劇物であるブロムアセトンの有する催涙作用が人体に開眼不能等の機能障害を生じさせることをその用途とするものであり、保健衛生上の危険性が顕著であるからという理由により、毒物及び劇物取締法の解釈上設備に関する法定の登録拒否事由がなくてもその輸入業の登録を拒否することができるとの見解の下にされたものである。しかしながら、同法は、毒物及び劇物の製造業、輸入業、販売業の登録については、登録を受けようとする者が前に登録を取り消されたことを一定の要件のもとに欠格事由としているほかは、登録を拒否しうる場合をその者の設備が毒物及び劇物取締法施行規則四条の四で定める基準に適合しないと認めるときだけに限定しており(五条)、毒物及び劇物の具体的な用途については、同法二条三項にいう特定毒物につき、特定毒物研究者は特定毒物を学術研究以外の用途に供してはならない旨(三条の二第四項)、及び、特定毒物使用者は特定毒物を品目ごとに政令で定める用途以外の用途に供してはならない旨(三条の二第五項)を定めるほかには、特段の規制をしていないことが明らかであり、他方、人の身体に有害あるいは危険な作用を及ぼす物質が用いられた製品に対する危害防止の見地からの規制については、他の法律においてこれを定めたいくつかの例が存するのである(例えば、食品衛生法、薬事法、有害物質を含有する家庭用品の規制に関する法律、消費生活用製品安全法、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律等においてその趣旨の規定が見られる。)。これらの点をあわせ考えると、毒物及び劇物取締法それ自体は、毒物及び劇物の輸入業等の営業に対する規制は、専ら設備の面から登録を制限することをもつて足りるものとし、毒物及び劇物がどのような目的でどのような用途の製品に使われるかについては、前記特定毒物の場合のほかは、直接規制の対象とせず、他の個々の法律がそれぞれの目的に応じて個別的に取り上げて規制するのに委ねている趣旨であると解するのが相当である。そうすると、本件ストロングライフがその用途に従つて使用されることにより人体に対する危害が生ずるおそれがあることをもつてその輸入業の登録の拒否事由とすることは、毒物及び劇物の輸入業等の登録の許否を専ら設備に関する基準に適合するか否かにかからしめている同法の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。 
 なお、ストロングライフのブロムアセトンを収納するカートリツジが同法五条にいう設備にあたると解することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。 
 そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、本件拒否処分は違法であるから取り消すべきものであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。 
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝) 
(2)処分の性質
+判例(S43.12.24)
理由 
 上告代理人池谷四郎の上告理由について。 
 論旨は、要するに、本件通達は従来慣習法上認められていた異宗派を理由とする埋葬拒否権の内容を変更し、新たに上告人に対して一般第三者の埋葬請求を受忍すべき義務を負わせたものであつて、この通達によれば、爾後このような理由による拒否に対しては刑罰を科せられるおそれがあり、また、右通達が発せられてからは現に多くの損害、不利益を被つている、従つて、右通達は上告人ら国民をも拘束し、直接具体的に上告人らに法律上の効果を及ぼしているのであつて、原判決が上告人のこのような主張を排斥して本訴を許すべからざるものとしたのは、本件通達の内容、効果を誤認し、ひいて法律の適用を誤つたものであり、また、審理不尽の違法を犯している、というのである。 
 しかし本件通達は、厚生省公衆衛生局環境衛生部長から都道府県指定都市衛生主管部局長にあてて発せられたもので、その内容は、墓地、埋葬等に関する法律一三条に関し、昭和二四年八月二二日付東京都衛生局長あて回答に示した見解を改め、今後は内閣法制局第一部長の昭和三五年二月一五日付回答の趣旨にそつて解釈、運用することとしたことを明らかにすると同時に、諸機関において、この点に留意して埋葬等に関する事務処理をするよう求めたものであり、行政組織および右法律の施行事務に関する関係法令を参しやくすれば、本件通達は、被上告人がその権限にもとづき所掌事務について、知事をも含めた関係行政機関に対し、法律の解釈、運用の方針を示して、その職務権限の行使を指揮したものと解せられる。 
 元来、通達は、原則として、法規の性質をもつものではなく、上級行政機関が関係下級行政機関および職員に対してその職務権限の行使を指揮し、職務に関して命令するために発するものであり、このような通達は右機関および職員に対する行政組織内部における命令にすぎないから、これらのものがその通達に拘束されることはあつても、一般の国民は直接これに拘束されるものではなく、このことは、通達の内容が、法令の解釈や取扱いに関するもので、国民の権利義務に重大なかかわりをもつようなものである場合においても別段異なるところはない。このように、通達は、元来、法規の性質をもつものではないから、行政機関が通達の趣旨に反する処分をした場合においても、そのことを理由として、その処分の効力が左右されるものではない。また、裁判所がこれらの通達に拘束されることのないことはもちろんで、裁判所は、法令の解釈適用にあたつては、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる筋合である。 
 このような通達一般の性質、前述した本件通達の形式、内容および原判決の引用する一審判決議定の事実(拳示の証拠に照らし肯認することができる。)その他原審の適法に確定した事実ならびに墓地、埋葬等に関する法律の規定を併せ考えれば、本件通達は従来とられていた法律の解釈や取扱いを変更するものではあるが、それはもつぱら知事以下の行政機関を拘束するにとどまるもので、これらの機関は右通達に反する行為をすることはできないにしても、国民は直接これに拘束されることはなく、従つて、右通達が直接に上告人の所論墓地経営権、管理権を侵害したり、新たに埋葬の受忍義務を課したりするものとはいいえない。また、墓地、埋葬等に関する法律二一条違反の有無に関しても、裁判所は本件通達における法律解釈等に拘束されるものではないのみならず、同法一三条にいわゆる正当の理由の判断にあたつては、本件通達に示されている事情以外の事情をも考慮すべきものと解せられるから、本件通達が発せられたからといつて直ちに上告人において刑罰を科せられるおそれがあるともいえず、さらにまた、原審において上告人の主張するような損害、不利益は、原判示のように、直接本件通達によつて被つたものということもできない。 
 そして、現行法上行政訴訟において取消の訴の対象となりうるものは、国民の権利義務、法律上の地位に直接具体的に法律上の影響を及ぼすような行政処分等でなければならないのであるから、本件通達中所論の趣旨部分の取消を求める本件訴は許されないものとして却下すべきものである。 
 以上のとおりであるから、これと同旨の原判決の判断は正当として首肯することができる。所論はるる主張するが、ひつきよう、原判決のした事実の認定を非難するか、原判示を誤解するか、または、原判示にそわない事実もしくは独自の見解を前提として原判決の違法を主張するものであり、原判決には所論の違法は認められない。所論はすべて採用することはできない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美) 
(3)裁量の有無の判断基準
・法律の文言と処分の性質の両面からアプローチすべきである。
政治的、専門技術的判断が要求される場合に、要件裁量を認めたと解される判例
+判例(S53.10.4)マクリーン事件
理由 
 第一 上告代理人秋山幹男、同弘中惇一郎の上告理由第一点ないし第四点、第六点ないし第一一点について 
 一 本件の経過 
 (一) 本件につき原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおりである。 
 (1) 上告人は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人であるが、昭和四四年四月二一日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえで本邦に入国し、同年五月一〇日下関入国管理事務所入国審査官から出入国管理令四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格をもつて在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した。 
 (2) 上告人は、昭和四五年五月一日一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年八月一〇日「出国準備期間として同年五月一〇日から同年九月七日まで一二〇日間の在留期間更新を許可する。」との処分をした。そこで、上告人は、更に、同年八月二七日被上告人に対し、同年九月八日から一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年九月五日付で、上告人に対し、右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとして右更新を許可しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした。 
 (3) 被上告人が在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしたのは、次のような上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつた。 
 (ア)上告人は、ベルリツツ語学学校に英語教師として雇用されるため在留資格を認められたのに、入国後わずか一七日間で同校を退職し、財団法人英語教育協議会に英語教師として就職し、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつた。 
 (イ)上告人は、外国人べ平連(昭和四四年六月在日外国人数人によつてアメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の三つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるべ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていない。)に所属し、昭和四四年六月から一二月までの間九回にわたりその定例集会に参加し、七月一〇日左派華僑青年等が同月二日より一三日まで国鉄新宿駅西口付近において行つた出入国管理法案粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、九月六日と一〇月四日べ平連定例集会に参加し、同月一五、一六日ベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、一二月七日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、翌四五年二月一五日朝霞市における反戦放送集会に参加し、三月一日同市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月一五日べ平連とともに同市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、五月一五日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月一六日五・一六ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、六月一四日代々木公園で行われた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、七月四日清水谷公園で行われた東京動員委員会主催の米日人民連帯、米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月七日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行うなどの政治的活動を行つた。なお、上告人が参加した集会、集団示威行進等は、いずれも、平和的かつ合法的行動の域を出ていないものであり、上告人の参加の態様は、指導的又は積極的なものではなかつた。 
 (二) 原審は、自国内に外国人を受け入れるかどうかは基本的にはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかは、法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとし、前記の上告人の一連の政治活動は、在留期間内は外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではないが、法務大臣が、在留期間の更新の許否を決するについてこれを日本国及び日本国民にとつて望ましいものではないとし、更新を適当と認めるに足りる相当な理由がないと判断したとしても、それが何ぴとの目からみても妥当でないことが明らかであるとすべき事情のない本件にあつては、法務大臣に任された裁量の範囲内におけるものというべきであり、これをもつて本件処分を違法であるとすることはできない、と判断した。 
 (三) 論旨は、要するに、(1) 自国内に外国人を受け入れるかどうかはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるかどうかは法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとした原判決は、憲法二二条一項、出入国管理令二一条の解釈適用を誤り、理由不備の違法がある、(2) 本件処分のような裁量処分に対する原審の審査の態度、方法には、判例違反、審理不尽、理由不備の違法があり、行政事件訴訟法三〇条の解釈の誤りがある、(3) 被上告人の本件処分は、裁量権の範囲を逸脱したものであり、憲法の保障を受ける上告人のいわゆる政治活動を理由として外国人に不利益を課するものであつて、本件処分を違法でないとした原判決は、経験則に違背する認定をし、理由不備の違法を犯し、出入国管理令二一条の解釈適用を誤り、憲法一四条、一六条、一九条、二一条に違反するものである、と主張することに帰するものと解される。 
 二 当裁判所の判断 
 (一) 憲法二二条一項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてはなんら規定していないものであり、このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされていることと、その考えを同じくするものと解される(最高裁昭和二九年(あ)第三五九四号同三二年六月一九日大法廷判決・刑集一一巻六号一六六三頁参照)。したがつて、憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。そして、上述の憲法の趣旨を前提として、法律としての効力を有する出入国管理令は、外国人に対し、一定の期間を限り(四条一項一号、二号、一四号の場合を除く。)特定の資格によりわが国への上陸を許すこととしているものであるから、上陸を許された外国人は、その在留期間が経過した場合には当然わが国から退去しなければならない。もつとも、出入国管理令は、当該外国人が在留期間の延長を希望するときには在留期間の更新を申請することができることとしているが(二一条一項、二項)、その申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可することができるものと定めている(同条三項)のであるから、出入国管理令上も在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されているものでないことは、明らかである。 
 右のように出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令二一条三項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであつて、所論のように上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと解すべきものではない。 

 (二) ところで、行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法三〇条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。もつとも、法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は各種の処分によつて一様ではなく、これに応じて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法とされる場合もそれぞれ異なるものであり、各種の処分ごとにこれを検討しなければならないが、これを出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断の場合についてみれば、右判断に関する前述の法務大臣の裁量権の性質にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるものというべきである。したがつて、裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。なお、所論引用の当裁判所昭和三七年(オ)第七五二号同四四年七月一一日第二小法廷判決(民集二三巻八号一四七〇頁)は、事案を異にし本件に適切なものではなく、その余の判例は、右判示するところとその趣旨を異にするものではない。 
 (三) 以上の見地に立つて被上告人の本件処分の適否について検討する。 
 前記の事実によれば、上告人の在留期間更新申請に対し被上告人が更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしてこれを許可しなかつたのは、上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつたというのであり、原判決の趣旨に徴すると、なかでも政治活動が重視されたものと解される。 
 思うに、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、前述のように、外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがつて、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当であつて、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしやくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当不当の面から日本国にとつて好ましいものとはいえないと評価し、また、右行為から将来当該外国人が日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、右行為が上記のような意味において憲法の保障を受けるものであるからといつてなんら妨げられるものではない。 
 前述の上告人の在留期間中のいわゆる政治活動は、その行動の態様などからみて直ちに憲法の保障が及ばない政治活動であるとはいえない。しかしながら、上告人の右活動のなかには、わが国の出入国管理政策に対する非難行動、あるいはアメリカ合衆国の極東政策ひいては日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に対する抗議行動のようにわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものも含まれており、被上告人が、当時の内外の情勢にかんがみ、上告人の右活動を日本国にとつて好ましいものではないと評価し、また、上告人の右活動から同人を将来日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者と認めて、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、その事実の評価が明白に合理性を欠き、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえず、他に被上告人の判断につき裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在が確定されていない本件においては、被上告人の本件処分を違法であると判断することはできないものといわなければならない。また、被上告人が前述の上告人の政治活動をしんしやくして在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないとし本件処分をしたことによつて、なんら所論の違憲の問題は生じないというべきである。 
 (四) 以上述べたところと同旨に帰する原審の判断は、正当であつて、所論引用の各判例にもなんら違反するものではなく、原判決に所論の違憲、違法はない。論旨は、上述したところと異なる見解に基づいて原判決を非難するものであつて、採用することができない。 
 第二 同第五点について 
 原審が当事者双方の陳述を記載するにつき所論の方法をとつたからといつて、判決の事実摘示として欠けるところはないものというべきであり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。 
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 岡原昌男 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光 裁判官 本林讓 裁判官 服部髙顯 裁判官 環昌一 裁判官 栗本一夫 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨 裁判官岸盛一、同天野武一、同岸上康夫は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 岡原昌男) 
+判例(H4.10.29)伊方原発訴訟
理由 
 上告代理人新谷勇人、同井門忠士、同石川寛俊、同井上英昭、同浦功、同岡田義雄、同奥津亘、同菊池逸雄、同熊野勝之、同崎間昌一郎、同佐々木斉、同里見和夫、同柴田信夫、同菅充行、同田原睦夫、同田中泰雄、同仲田隆明、同中元視暉輔、同畑村悦雄、同平松耕吉、同藤原周、同藤原充子、同分銅一臣、同本田陸士、同三野秀富、同水島昇、同藤田一良の上告理由のはじめに、第一章、第二章及び第五章の第一について 
 所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。 
 所論は、憲法三一条は、電力会社等が設置する原子力発電所の設置規制手続を定める法律には、(1) 原子炉設置予定地の周辺住民の設置規制手続への参加、(2) 設置の申請書、付属書類及び審査資料すべての公開、(3) 設置基準(安全基準)の明白かつ定量化の三点を定めることを要求していると解すべきところ、これらの点についての定めを欠く原子力基本法(昭和五三年法律第八六号による改正前のもの。以下「基本法」という。)、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和五二年法律第八〇号による改正前のもの。以下「規制法」という。)の設置規制手続に関する規定は、憲法三一条に違反するものであり、また、上告人らに告知、聴聞の機会を与えずにした本件原子炉設置許可処分は同条に違反する、と主張する。 
 行政手続は、憲法三一条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、常に必ず行政処分の相手方等に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるなどの一定の手続を設けることを必要とするものではないと解するのが相当である。そして、原子炉設置許可の申請が規制法二四条一項各号所定の基準に適合するかどうかの審査は、原子力の開発及び利用の計画との適合性や原子炉施設の安全性に関する極めて高度な専門技術的判断を伴うものであり、同条二項は、右許可をする場合に、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めている。このことにかんがみると、所論のように、基本法及び規制法が、原子炉設置予定地の周辺住民を原子炉設置許可手続に参加させる手続及び設置の申請書等の公開に関する定めを置いていないからといって、その一事をもって、右各法が憲法三一条の法意に反するものとはいえず、周辺住民である上告人らが、本件原子炉設置許可処分に際し、告知、聴聞の機会を与えられなかったことが、同条の法意に反するものともいえない。以上のことは、最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日大法廷判決(民集四六巻五号四三七頁)の趣旨に徴して明らかである。 
 また、規制法二四条一項四号は、原子炉設置許可の基準として、原子炉施設の位置、構造及び設備が核燃料物質(使用済燃料を含む。)、核燃料物質によって汚染された物(原子核分裂生成物を含む。)又は原子炉による災害の防止上支障がないものであることと規定しているが、それは、原子炉施設の安全性に関する審査が、後述のとおり、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づいてされる必要がある上、科学技術は不断に進歩、発展しているのであるから、原子炉施設の安全性に関する基準を具体的かつ詳細に法律で定めることは困難であるのみならず、最新の科学技術水準への即応性の観点からみて適当ではないとの見解に基づくものと考えられ、右見解は十分首肯し得るところである。しかも、設置許可に当たっては、申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性に関する審査の適正を確保するため、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を聴き、これを尊重するという、慎重な手続が定められていることを考慮すると、右規定が不合理、不明確であるとの非難は当たらないというべきである。したがって、右規定が不合理、不明確であることを前提とする所論憲法三一条違反の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。 
 次に、所論は、本件原子炉設置許可処分は、法律又はその委任に基づいて定められたものではない原子炉施設の安全性に関する基準を用いた安全審査に依拠してされたものであるから、憲法四一条、七三条一号、国家行政組織法一二条、一三条に違反するともいうが、本件原子炉施設の安全審査は、その合理性を十分首肯し得る規制法二四条一項四号の規定に基づいてされたものであるから、それが法律の規定に基づかないものであることを前提とする所論は、その前提を欠くものというべきである。論旨は、採用することができない。 
 所論のその余の違憲主張は、原審の認定しない事実を前提とするものにすぎない。また、所論引用の各判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。 
 同第三章について 
 原子炉を設置しようとする者は、内閣総理大臣の許可を受けなければならないものとされており(規制法二三条一項)、内閣総理大臣は、原子炉設置の許可申請が、同法二四条一項各号に適合していると認めるときでなければ許可してはならず(同条一項)、右許可をする場合においては、右各号に規定する基準の適用については、あらかじめ核燃料物質及び原子炉に関する規制に関すること等を所掌事務とする原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないものとされており(同条二項。なお、昭和五三年法律第八六号による改正により、実用発電用原子炉の設置の許可は被上告人の権限とされ、同法附則三条により、右改正前の規制法の規定に基づき内閣総理大臣がした右原子炉の設置の許可は、被上告人がしたものとみなされることとなった。)、原子力委員会には、学識経験者及び関係行政機関の職員で組織される原子炉安全専門審査会が置かれ、原子炉の安全性に関する事項の調査審議に当たるものとされている(原子力委員会設置法(昭和五三年法律第八六号による改正前のもの)一四条の二、三)。 
 また、規制法二四条一項三号は、原子炉を設置しようとする者が原子炉を設置するために必要な技術的能力及びその運転を適確に遂行するに足りる技術的能力を有するか否かにつき、同項四号は、当該申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備が核燃料物質(使用済燃料を含む。)、核燃料物質によって汚染された物(原子核分裂生成物を含む。)又は原子炉による災害の防止上支障がないものであるか否かにつき、審査を行うべきものと定めている。原子炉設置許可の基準として、右のように定められた趣旨は、原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり、その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、原子炉を設置しようとする者の右技術的能力並びに申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される。 
 右の技術的能力を含めた原子炉施設の安全性に関する審査は、当該原子炉施設そのものの工学的安全性、平常運転時における従業員、周辺住民及び周辺環境への放射線の影響、事故時における周辺地域への影響等を、原子炉設置予定地の地形、地質、気象等の自然的条件、人口分布等の社会的条件及び当該原子炉設置者の右技術的能力との関連において、多角的、総合的見地から検討するものであり、しかも、右審査の対象には、将来の予測に係る事項も含まれているのであって、右審査においては、原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が必要とされるものであることが明らかである。そして、規制法二四条二項が、内閣総理大臣は、原子炉設置の許可をする場合においては、同条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の基準の適用について、あらかじめ原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めているのは、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。 
 以上の点を考慮すると、右の原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。 
 原子炉設置許可処分についての右取消訴訟においては、右処分が前記のような性質を有することにかんがみると、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。 
 以上と同旨の見地に立って、本件原子炉設置許可処分の適否を判断した原判決は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をもいうが、その実質は、単なる法令違背をいうものにすぎず、原判決に法令違背のないことは右に述べたとおりである。論旨は、いずれも採用することができない。 
 同第四章について 
 規制法は、その規制の対象を、製錬事業(第二章)、加工事業(第三章)、原子炉の設置、運転等(第四章)、再処理事業(第五章)、核燃料物質等の使用等(第六章)、国際規制物資の使用(第六章の二)に分け、それぞれにつき内閣総理大臣の指定、許可、認可等を受けるべきものとしているのであるから、第四章所定の原子炉の設置、運転等に対する規制は、専ら原子炉設置の許可等の同章所定の事項をその対象とするものであって、他の各章において規制することとされている事項までをその対象とするものでないことは明らかである。 
 また、規制法第四章の原子炉の設置、運転等に関する規制の内容をみると、原子炉の設置の許可、変更の許可(二三条ないし二六条の二)のほかに、設計及び工事方法の認可(二七条)、使用前検査(二八条)、保安規定の認可(三七条)、定期検査(二九条)、原子炉の解体の届出(三八条)等の各規制が定められており、これらの規制が段階的に行われることとされている(なお、本件原子炉のような発電用原子炉施設について、規制法七三条は二七条ないし二九条の適用を除外するものとしているが、これは、電気事業法(昭和五八年法律第八三号による改正前のもの)四一条、四三条及び四七条により、その工事計画の認可、使用前検査及び定期検査を受けなければならないこととされているからである。)。したがって、原子炉の設置の許可の段階においては、専ら当該原子炉の基本設計のみが規制の対象となるのであって、後続の設計及び工事方法の認可(二七条)の段階で規制の対象とされる当該原子炉の具体的な詳細設計及び工事の方法は規制の対象とはならないものと解すべきである。 
 右にみた規制法の規制の構造に照らすと、原子炉設置の許可の段階の安全審査においては、当該原子炉施設の安全性にかかわる事項のすべてをその対象とするものではなく、その基本設計の安全性にかかわる事項のみをその対象とするものと解するのが相当である。もとより、原子炉設置の許可は、原子炉の設置、運転に関する一連の規制の最初に行われる重要な行政処分であり、原子炉設置許可の段階で当該原子炉の基本設計における安全性が確認されることは、後続の各規制の当然の前提となるものであるから、原子炉設置許可の段階における安全審査の対象の範囲を右のように解したからといって、右安全審査の意義、重要性を何ら減ずるものではない。右と同旨の見解に立って、固体廃棄物の最終処分の方法、使用済燃料の再処理及び輸送の方法並びに温排水の熱による影響等にかかわる事項を、原子炉設置許可の段階の安全審査の対象にはならないものとした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。 
 同第五章の第二について 
 原審の適法に確定した事実関係の下において、原子力委員会に置かれた原子炉安全専門審査会及び専門部会における原子炉施設の安全性に関する調査審議の手続に、内閣総理大臣が原子炉の設置の許可をする場合には、原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないとした規制法二四条二項の規定の趣旨に反すると認められるような瑕疵があるとはいえず、右手続が違法でないとした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。 
 同第五章の第三について 
 原審の適法に確定した事実関係の下において、所論のスリーマイルアイランド原子力発電所二号炉の事故及びその原因が、本件原子炉施設について行われた安全審査の合理性に影響を及ぼすものではないとした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。 
 同第五章の第四について 
 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足り、右事実及び原審が適法に確定したその余の事実関係の下において、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会が本件原子炉施設の安全性について行った調査審議及び判断に不合理な点があるとはいえず、これを基にしてされた本件原子炉設置許可処分を適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をもいうが、その実質は、単なる法令違背をいうものにすぎない。論旨は、いずれも採用することができない。 
 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治 裁判官 三好達) 
++解説
《解  説》
 一 本件訴訟の経緯
 本件は、愛媛県西宇和郡伊方町に原子力発電所(伊方原子力発電所)の建設を予定していた四国電力株式会社から、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和五二年法律第八〇号による改正前のもの。以下、「規制法」という)二三条一項に基づいてされた原子炉設置許可申請に対し、内閣総理大臣が昭和四七年一一月二八日にした原子炉設置許可処分(本件処分)が違法であるとして、伊方町及び近隣の町に居住する住民ら(Xら)が提起した本件処分の取消しを求める訴訟である。
 第一審松山地判昭53・4・25本誌三六二号一二四頁、判時八九一号三八頁は、Xら(三三名)の請求を棄却したが、うち三二名が控訴した(控訴した者のうち六名は控訴の取下げをした。)。その後、本件許可処分は、原子力基本法等の一部を改正する法律(昭和五三年法律第八六号)附則三条一項の規定により、通産大臣がした処分とみなされ、通産大臣が訴訟承継して被控訴人となった(高松高中間判昭54・5・25行裁集三〇巻五号一〇三五頁、本誌三九五号一一〇頁参照)。
 原審高松高判昭59・12・14本誌五四二号八九頁、判時一一三六号三頁は、Xらの控訴を棄却したので、Xらのうち一六名が上告した。
 二 本件の争点
 本件訴訟の争点は、これを大別すると、次の四点に分類することができよう。
 (1) 原子炉設置場所の周辺住民であるXらに本件処分取消訴訟の原告適格が認められるか。
 (2) 本件処分の手続に瑕疵はないか(手続的適法性)。
 (3) 原子炉設置許可処分取消訴訟における司法審査の在り方(司法審査の範囲、方法、原子炉設置許可処分は裁量処分か否か、本件処分の適法性の主張立証責任)
 (4) 本件原子炉の安全性を肯定した本件処分の実体的適法性
 三 本判決
 1 基本法及び規制法の原子力発電所の設置規制手続に関する規定並びに本件原子炉設置許可処分と憲法三一条について
 本判決は、行政手続は、憲法三一条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、常に必ず行政処分の相手方等に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるなどの一定の手続を設けることを必要とするものではないと解するのが相当であるとした最大判平4・7・1民集四六巻五号四三七頁、本誌七八九号七六頁を引用した上、原子炉設置許可の申請が規制法二四条一項各号所定の基準に適合するかどうかの審査は、原子力の開発及び利用の計画との適合性や原子炉施設の安全性に関する極めて高度な専門技術的判断を伴うものであり、同条二項は、右許可をする場合に、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めていることにかんがみると、基本法及び規制法が、原子炉設置予定地の周辺住民を原子炉設置許可手続に参加させる手続及び設置の申請書等の公開に関する定めを置いていないからといって、その一事をもって、右各法が憲法三一条の法意に反するものとはいえず、周辺住民であるXらが、本件原子炉設置許可処分に際し、告知、聴聞の機会を与えられなかったことが、同条の法意に反するものともいえないと判示した。
 2 原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断の方法及び主張、立証責任について
 (一) 本判決は、まず、原子炉施設の安全性に関する審査の性質につき、右安全審査は、当該原子炉施設そのものの工学的安全性、平常運転時における従業員、周辺住民及び周辺環境への放射線の影響、事故時における周辺地域への影響等を、原子炉設置予定地の地形、地質、気象等の自然的条件、人口分布等の社会的条件及び当該原子炉設置者の技術的能力との関連において、多角的、総合的見地から検討するものであり、しかも、右審査の対象には、将来の予測に係る事項も含まれているのであって、右審査においては、原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が必要とされるものであることが明らかであるとし、規制法二四条二項が、内閣総理大臣は、原子炉設置の許可をする場合においては、同条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の原子炉設置許可の基準の適合性について、あらかじめ原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めているのは、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当であると判示した。
 (二) 本判決は、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を踏まえ、① 原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである、また、② 原子炉設置許可処分についての右取消訴訟においては、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである、と判示し、これと同旨の見地に立って、本件原子炉設置許可処分の適否を判断した原判決は正当であると判断した。
 3 原子炉設置許可の段階における安全審査の対象について
 本判決は、規制法の規制の構造に照らすと、原子炉設置の許可の段階の安全審査においては、当該原子炉施設の安全性にかかわる事項のすべてをその対象とするものではなく、その基本設計の安全性にかかわる事項のみをその対象とするものと解するのが相当であるとし、固体廃棄物の最終処分の方法、使用済燃料の再処理及び輸送の方法並びに温排水の熱による影響等にかかわる事項を、原子炉設置許可の段階の安全審査の対象にはならないものとした原審の判断は正当として是認することができると判示した。
 4 その他の点について
 本判決は、原審の適法に確定した事実関係の下においては、①原子力委員会に置かれた原子炉安全専門審査会及び専門部会における原子炉施設の安全性に関する調査審議の手続に、内閣総理大臣が原子炉の設置の許可をする場合には、原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないとした規制法二四条二項の規定の趣旨に反すると認められるような瑕疵があるとはいえない、②スリーマイルアイランド原子力発電所二号炉の事故及びその原因は、本件原子炉施設について行われた安全審査の合理性に影響を及ぼすものではない、③原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会が本件原子炉施設の安全性について行った調査審議及び判断に不合理な点があるとはいえないとし、結局、本件原子炉設置許可処分を適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができると判示した。
 本判決は、以上のとおり判示して、Xらの上告を棄却した。
 四 コメント
 1 原子炉設置許可処分における被告行政庁の専門技術的裁量と右処分の取消訴訟における司法審査の方法
 (一) 科学裁判における司法審査の在り方
 現代科学の粋を集めた原発の安全性を問う原発訴訟は、いわゆる現代型訴訟の原型である。それは法的紛争の形態をとるものではあるが、その実は、現代科学技術の実用可能性を裁く「科学裁判」であり、同時に、一国の文明の在り方を左右する「文明裁判」の様相をも呈しているといわれている(原田尚彦「東海原発訴訟第一審判決の意味」ジュリ八四三号七二頁)。そして、このような原発訴訟における最大の論点は、かかる科学裁判に対し裁判所がどの程度踏み込んだ実体審理を行い司法判断を提示できるのか、また、提示すべきなのか、という点である(原田・前掲七二頁。なお、この点に関しては、原田教授の示唆に富む一連の論文があり、最近のものとして、「裁判と政策問題・科学問題」講座民事訴訟1一六七頁、「行政訴訟の構造と実体審査」公法の課題三七三頁がある。また、西ドイツにおける科学技術問題と裁量論、原子力発電所の設置、運転許可における安全規制とその裁判的統制等に関する詳細な研究として、高橋滋・現代型訴訟と行政裁量がある。)。この点については、大別して、①裁判所が原発の安全性について徹底的に審理し、現代最新の科学的知見に照らして安全性の確証が得られないときは、原子炉設置許可処分を違法として取り消すべきであるとの見解と、②このような科学問題についての裁判所の判断能力には限界があること、原発の導入の可否といった未来社会の形成にかかわる事項は、政策選択の問題とみるべきことから、原子炉設置許可処分においては、被告行政庁に専門技術的裁量が認められ、裁判所は被告行政庁の判断に不合理な点があるかどうかを限定的に審査するにとどめるべきものであり、裁判所が原発の安全評価につき独自の判断を下し、これをもって行政判断に置き換えるような審理方式(実体判断代置方式)を採るべきではないと主張する見解とに分かれている(原田・前掲ジュリ七二頁。阿部泰隆「原発訴訟をめぐる法律問題」判評三二一号一四頁は、右各見解の論拠、問題点を要領よく整理している。)。この問題は、原発訴訟における、いわば総論的争点であり、この点につきどのような立場に立つか、どのような司法審査の在り方を是とするかは、個々の安全性審査に関する争点についての判断の方法はもとより、その結論にも重大な影響を及ぼすものといえよう。
 (二) 原子炉設置許可処分における行政庁の専門技術的裁量について
 従来から、判例及び有力な学説は、行政庁の専門技術的判断が要求される行政処分について、裁量を肯定すべきものとしている(専門技術的裁量を肯定したものとして、温泉の掘削の許可につき、最三小判昭33・7・1民集一二巻一一号一六一二頁、傍論ではあるが、厚生大臣の保護基準設定行為につき、最大判昭42・5・24民集二一巻五号一〇四三頁、本誌二〇六号二〇四頁。田中・新版行政法(上)(全訂二版)一一九頁等。これに対し、専門技術的裁量論に対し否定的評価をするものとして、宮田三郎「行政裁量」現代行政法大系2五七頁がある。)。そして、これまでに現れた原発訴訟における下級審裁判例(安全性審査の実体的適法性について判断したもの。本件一、二審判決、福島地判昭59・7・23本誌五三九号一五二頁、判時一一二四号三四頁、仙台高判平2・3・20本誌七二六号一〇八頁、判時一三四五号三三頁、水戸地判昭60・6・25本誌五六四号一〇六頁、判時一一六四号三頁)は、いずれも原子炉設置許可処分における被告行政庁の専門技術的裁量を肯定しているところであり、この点に関しては、多くの学説が肯定的な評価をしているところである(原田尚彦「行政訴訟の構造と実体審査」公法の課題四〇二頁、同「東海原発訴訟第一審判決の意味」ジュリ八四三号七六頁、雄川一郎ほか「伊方原発訴訟判決をめぐって」ジュリ六六八号三一頁における雄川発言、綿貫芳源「行政過程における司法審査の方法と範囲(下)」判評三二九号一五八頁等。なお、塩野宏・行政法Ⅰ九八頁は、原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、安全性という事実問題それ自体に裁量を認めるのが判例の傾向であるとした上で、現代行政における科学技術的でしかも、エネルギー問題のように政策的な問題が背後にあるような事柄については、かかる機能的アプローチがすぐれていること、要件裁量の容認、それも専門技術的判断については、現代行政の特殊性からしてこれを認めざるを得ず、その方向を裁判所も志向しているが、その法的正当化根拠については、まだ必ずしも説得的な説明はできていないことを指摘している。これに対し、否定的な見解として、下山瑛二「伊方原発訴訟の意義と問題点」判時八九一号四頁、佐藤英善「原子炉設置許可の裁量処分性」判時八九一号一七頁、淡路剛久・環境権の法理と裁判一四三頁、松浦寛「環境行政訴訟における審査方式」阪法一一八=一一九号一八五頁)。
 もっとも、右裁判例、学説にいう「専門技術的裁量」は、処分の発動又は処分の選択に関する広汎な裁量(いわゆる効果裁量)が認められることが多い政治的、政策的な判断を要すべき事項に関する裁量(政策的裁量)とは、その根拠、内容、裁量が認められる範囲を異にするものである。
 原子炉設置許可処分における専門技術的裁量の内容、裁量が認められ事項・範囲についての前記の原発訴訟に関する下級審裁判例の見解は、概ね、次のとおりである。
 ① 規制法二四条一号四号の要件である「災害の防止上支障がないものであること」という表現自体、抽象的・包括的であり、そこに行政庁の専門技術的裁量を予定している立法者の意思が窺える。規制法が予定している行政庁の専門技術的裁量としては、次の二点が考えられる。第一は、具体的な安全審査の基準あるいは判断基準の策定についての専門技術的裁量であり、第二は、右四号要件該当性の認定判断における専門技術的裁量(どのような根拠に基づき、どのような判断を経て、その要件を充足するとの結論に達するかについての裁量)である。
 ② 第一の点についていえば、規制法が右四号要件について抽象的な許可基準を設定するのに止めているのは、原子炉設置許可の際問題とされる事柄が極めて複雑、高度の専門技術的事項に係るものであり、しかもそれについての技術及び知見が不断に進歩、発展、変化しつつあることから、右の許可要件について法律をもってあらかじめ具体的かつ詳細な定めをしておくことは、かえって、判断の硬直化を招き適切でないとする趣旨に出たものと解される。したがって、規制法は、その審査基準あるいは判断基準の具体的内容の確定については、下位の法令及び内規等で定めることを是認するものであって、これを行政庁の専門技術的裁量にゆだねたものと解するのが相当である。
 ③ 第二の点についていえば、原子炉施設は、時代の最先端を行く高度の科学技術及び知見を動員して作られた極めて複雑な技術体系を有するものであり、これに係る安全性の判断は特定の専門分野のみならず関連する多くの専門分野の専門技術的知見、実績、審査委員の学識、経験等を結集した上での総合的判断の上に成り立つものである。しかも、右の安全性の判断には、その時点において確定不可能な将来の予測に係る事項についての対策の相当性に関する判断までが含まれるのであるから、その判断は極めて複雑多岐にわたる事項についての評価・判断の総合の上になされるものである。このような右四号要件に関する判断過程の構造等からして、右四号要件の充足の有無についての判断過程については、行政庁の専門技術的裁量を認めざるを得ない。
 ④ このように、行政庁の専門技術的裁量が認められることから、右四号要件適合性の有無に関する司法審査の在り方は、いわば白紙の状態から当該原子炉が安全か否かを行政庁と同一の立場に立って徹底的に審理し、判断するという、いわゆる実体的判断代置方式によるべきものではなく、行政庁の右専門技術的判断に合理性(若しくは、本質的な不合理)があるか否かという観点、具体的には、本件原子炉施設の位置、構造及び設備が原子炉等による災害の防止上支障がないものであること等を認めた行政庁の判断が、告示や各指針(内部的な審査基準)に適合し、現在の(若しくは、処分当時の)科学技術水準に照らして一定の基準に適合し、合理性を有しているかどうか(若しくは、当該原子炉の安全性に本質的にかかわるような不合理があるか否か)という観点から司法審査を行うべきである。
 以上が、前記の下級審裁判例の採る見解の大要であり、裁判例によって、その表現、内容に幾分の違いはあるが、そのいう専門技術的裁量とは、基本的には、処分要件の認定判断の過程における裁量であって、一般にいわれる「裁量」(政治的、政策的裁量)とは、その内容、裁量が認められる事項・範囲が相当異なるものとみるべきであろう(阿部・前掲判評三二一号一八六頁は、専門技術的な裁量と伝統的な自由裁量とは、別物のように思わせる、と述べている。)。
 (三) 本判決の判断
 本判決は、原子炉施設の安全性に関する審査の性質につき、右安全審査は、当該原子炉施設そのものの工学的安全性、平常運転時における従業員、周辺住民及び周辺環境への放射線の影響、事故時における周辺地域への影響等を、原子炉設置予定地の地形、地質、気象等の自然的条件、人口分布等の社会的条件及び当該原子炉設置者の技術的能力との関連において、多角的、総合的見地から検討するものであり、しかも、右審査の対象には、将来の予測に係る事項も含まれているのであって、右審査においては、原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が必要とされるものであることが明らかであるとし、規制法二四条二項が、内閣総理大臣は、原子炉設置の許可をする場合においては、同条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の原子炉設置許可の基準の適合性について、あらかじめ原子力委員会の意見を聴き、これを尊重してしなければならないと定めているのは、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当であると判示した。
 本判決が、右のとおり、規制法二四条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当であると判示しているのは、前記の下級審裁判例の採る専門技術的裁量を肯定する見解と実質的にみて同趣旨のものと理解すべきであろう。本判決が、殊更に「専門技術的裁量」が、基本的には、処分要件の認定判断の過程における裁量であって、一般にいわれる「裁量」(政治的、政策的裁量)とは、その内容、裁量が認められる事項・範囲が相当異なるものであることから、政治的、政策的裁量と同様の広汎な裁量を認めたものと誤解されることを避けるためであろう。
 なお、専門技術的裁量を肯定する根拠としては、つとに、覊束と裁量の区別は裁判所の判断能力に求めるほかないとする見解(小沢文雄「行政庁の裁量処分」公法五号七四頁。もっとも、この見解は、専門技術的裁量と政治的、政策的裁量とを区別していない。)が存したところであり、最近においても、「科学問題は実体法上の価値選択の自由にかかわる問題ではなく、事実認定のむつかしさのゆえに裁判所の判断認識能力の限界が問題とされる事項なのである。」(原田・前掲「行政訴訟の構造と実体審査」三九五頁)との指摘がされている。専門技術的裁量を肯定する実質的な理由は、右各見解が指摘するような点にあるとしても、当該処分につき専門技術的裁量を肯定し得るか否かは、あくまでも、当該処分の根拠となった行政実体法規の解釈問題であるから、この問題は、右行政実体法規が、高度の専門技術的知見に基づく判断を必要とする当該処分の性質にかんがみ、当該処分につき、行政庁の専門技術的裁量を認めていると解し得るかという見地から検討すべきであろう。本判決が、規制法二四条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の原子炉設置許可の基準が設けられた趣旨、同条二項が、右各号所定の許可基準の適合性について、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の意見を聴き、これを尊重しなければならないと規定していることから、右各号所定の基準の適合性については、内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨(換言すれば、専門技術的裁量を肯認し得る趣旨)と解すべきであると判示しているのは、右のような見解によるものであろう。
 本判決は、右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質、規制法二四条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の基準の適合性については、内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねられていること(換言すれば、専門技術的裁量が認められること)を踏まえ、原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであると判示した。
 この点に関しては、原子炉設置許可処分において前記の専門技術的裁量が肯認されることから、原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における司法審査の範囲、審査密度がある程度制約されると解することについては、前記の下級審裁判例の見解は一致しているのであるが、その表現の仕方、ニュアンスにおいて、若干の違いが存したところである。本判決は、右のとおり、原子炉施設の安全性に関する審査、判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、裁判所が、安全審査をした被告行政庁と同一の立場に立って原子炉施設の安全性について審理し、その結果と当該処分とを比較して判断するという方法(実体的判断代置方式)によるのではなく、また、広汎な政治的、政策的裁量が認められる場合のように、司法審査の範囲が被告行政庁の判断に著しい不合理があるか否かに限定されるというのでもなく、「被告行政庁の判断に不合理な点があるか否か」という観点から行われるべきであることを明らかにしたものである。
 本判決は、右のとおり、右取消訴訟においては、「被告行政庁の判断に不合理な点があるか否か」という観点から行われるべきであるとし、具体的には、現在の科学技術水準に照らし、①右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があるか否か、②当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があるか否かを審理し、右の具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは、当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきであると判示した。
 右①の点は、調査審議において用いられる具体的審査基準の策定については専門技術的裁量が認められるが、右具体的審査基準が、現在の科学技術水準からみて、原子炉事故等による災害の防止を図る上で不合理なものであり、これに拠った安全審査が不合理であると認められる場合には、被告行政庁の判断に不合理な点があることとなり、右判断に基づく原子炉設置処分は、規制法二四条一項所定の安全性に関する許可基準に適合しないものとして、違法と解すべきことを明らかにしたものである。
 右②の点は、当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程には、専門技術的裁量が認められるが、そこに看過し難い過誤、欠落があると認められ、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきであるとしたものである。本判決が、安全審査・判断の過程に「看過し難い過誤、欠落」があると認められる場合に限って、原子炉設置許可処分が違法となると判示しているのは、安全審査・判断の過程に過誤、欠落があったとしても、それが軽微なものであって重大なものでない場合には、これにより直ちに、多角的、総合的な判断である被告行政庁の判断が不合理なものとなるものではないという趣旨であろう。
 2 原子炉設置許可処分の取消訴訟における主張・立証責任
 (一) 本判決は、原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟においては、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきであると判示した。
 (二) 行政処分取消訴訟における主張立証責任については、いまだ定説とまでいえるものは見当たらないようであるが、当該処分が裁量処分である場合には、被告行政庁が裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したことについて、原告が主張立証責任を負うと解する見解が一般的である(学説、裁判例の状況につき、佐藤繁「無効確認訴訟における主張・立証責任」行政判例百選Ⅱ四〇二頁、南博方編・条解行政事件訴訟法二六七頁参照)。右見解の論拠は、裁量処分の行使を誤っても不当となるにとどまるのが原則であり、違法の問題を生ずるのは裁量の範囲の逸脱又は濫用がある例外的な場合に限られるから、右例外的な場合であること(裁量の範囲の逸脱・濫用があること)は、原告が出張立証しなければならない、というものである。そして、最二小判昭42・4・7民集二一巻三号五七二九頁、本誌二〇八号一〇一頁は、裁量処分の無効確認訴訟においては、その無効確認を求める者において、行政庁が右行政処分をするに当たってした裁量権の行使がその範囲を超え又は濫用にわたり、したがって、右行政処分が違法であることを主張、立証することを要すると判示している。右最判は、直接には裁量違法事由を無効原因として主張する場合について判示したものであるが、裁量処分の取消訴訟についても先例となり得ると一般に理解されている(佐藤・前掲四〇三頁)。右見解に従えば、専門技術的裁量も、裁量処分の一つであるとすると、行政庁の専門技術的な判断に裁量の逸脱・濫用があることを原告において主張立証しなければならないことになろう。
 (三) 原発訴訟に関する前記下級審裁判例が、原子炉設置許可処分につき、いずれも専門技術的裁量を肯定していることは、前記のとおりであるが、右処分取消訴訟における主張立証責任については、原審は、「公平の見地から、安全性を争う側において行政庁の判断に不合理があるとする点を指摘し、行政庁においてその指摘をも踏まえ自己の判断が不合理でないことを主張立証すべきものとするのが妥当である」と判示し、また、前掲福島地判は、当該原子炉施設の安全性を肯認した被告行政庁の判断が、告示や各指針に適合し、処分当時の科学技術水準に照らして一定の基準に適合し、合理性を有しているかどうかが司法判断の対象となるが、右合理性の立証は被告行政庁が負担するものと解している。これに対し、前掲水戸地判は、基本的に、前記の裁量処分の主張立証責任についての一般的な見解に従ったものと理解し得る。もっとも、前掲水戸地判も、手放しで、原告に主張立証責任があるといっているわけではなく、被告行政庁の裁量判断に一応の合理性が存することについては、まず、被告行政庁が主張立証すべきであり、そのうえで、右裁量判断に逸脱・濫用があることは、原告が主張立証すべきであるとの見解を示している。
 (四) このような下級審の裁判例の採る見解が、従来から唱えられている右見解に反するものであるかが問題である。右下級審の裁判例の趣旨とするところは、次のようなものと理解することができよう。すなわち、客観的主張立証責任の問題としては、被告行政庁の専門技術的な裁量的判断に逸脱・濫用があることにつき、原告が主張立証責任を負担するものというべきであるが、前記のとおり、専門技術的裁量は、政治的、政策的裁量とは、その内容、裁量が認められる事項・範囲が相当異なり、政治的、政策的裁量と比較して、裁量の幅は狭いものであること(前掲水戸地判、福島地判参照)、また、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していること(証拠の偏在。前掲福島地判参照)を考慮し、当事者間の公平の見地から、専門技術的な裁量判断の適否が争われる取消訴訟においては、まず、被告行政庁の側において、その裁量的判断に不合理な点がないこと、すなわち、その依拠した具体的審査基準及び当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした判断に一応の合理性があることを、右判断の根拠となった安全審査において用いた資料等により主張立証する必要があり(主張・立証の必要性)、被告行政庁において、右主張立証を尽くさない場合には、被告行政庁の専門技術的な裁量的判断に逸脱・濫用があることが事実上推認されることになる、というものと理解することができよう(この点に関し、塩野宏ほか「研究会・現代型行政訴訟の検討課題」ジュリ九二五号八五頁の、「裁量処分については、一般には、原告に主張、立証責任があるとされていますが、原発訴訟では、それと少し違うやり方で審理が行われていると思うのです。……専門技術的な裁量については、被告に相当程度立証させて、裁判所として、これに相当性、合理性があるかという判断をするような審理態度で臨んでいるといえると思います。」との鈴木康之判事の発言参照)。
 下級審の裁判例の趣旨とするところが右のようなものであるとすると、裁量処分の客観的主張立証責任の所在に関する従来からの一般的な見解に反するものではないということになろう。そして、本判決は、右のような下級審裁判例の見解と基本的には同様の見地に立って、原子炉設置許可処分の前記のような性質、すなわち、規制法二四条一項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号所定の基準の適合性については、内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねられている(換言すれば、専門技術的裁量が認められる)との原子炉設置許可処分の性質にかんがみ、客観的主張立証責任の所在としては、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるとした上で、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮して、被告行政庁の側において、まず、その依拠した具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要(主張・立証の必要性)があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されると判示したものであろう。
 3 原子炉設置許可処分の段階における安全審査の対象
 (一) 安全審査の対象
 Xらは、原子力発電の安全性は、核燃料サイクルの全体にわたって実証されなければその確保は十分とはいえず、原子炉の設置許可に際し、原子力発電の全過程の安全性を重複的かつ全体的に審査すべきであると主張した。しかしながら、これまでに現れた原発訴訟についての前記の下級審裁判例は、原子炉設置許可処分における安全性審査は、当該原子炉の安全性、しかもその基本設計において安全性が確保されているかどうかに限定されるものと判断している。その理由は、まず第一に、規制法は、核燃料物質、核原料物質、原子炉の利用のそれぞれについて分野ごとに安全規制を行うという体系を採っているから、原子炉設置許可に際しての安全性の審査は原子炉自体の安全性に関する事項に限定されること、第二に、発電用の原子炉の利用に関する規制法及び電気事業法による安全規制の特色は、原子炉施設の設計から運転に至るまでの過程を段階的に区分し、それぞれの段階に応じて原子炉施設の許可、工事計画の認可、使用前の検査、保安規定の認可、定期検査等の規制手続を介在せしめ、それらを通じて安全確保を図るという、いわゆる段階的安全規制の体系が採られているから、原子炉の設置許可の段階では、その基本設計のみを審査すればよいこと、にあるとされている。このような観点から、固体廃棄物の最終処分、使用済燃料の再処理、温排水の熱による影響及び廃炉の処理等は、原子炉設置許可における安全性審査の対象外の事項であると判断するのが下級審の裁判例の大勢である(これに対し、本件第一審判決は、温排水の熱による影響及び廃炉の処理は安全性審査の対象外の事項であるとしたが、固体廃棄物及び使用済燃料の最終処分については安全審査の対象であると判断した。)。
 この問題は、結局のところ、当該原子炉設置許可処分当時の原子炉規制関連法規の仕組みをどのようなものと理解するかにかかわる問題であり、原子炉設置許可の段階で、原子炉に関する安全性にかかわる問題のすべてをチェックし、これらのすべてを争える仕組みに、処分当時の原子炉規制関連法規がなっていたかどうかという問題である。
 (二) 本判決の判断
 本判決は、本件許可処分当時の原子炉規制関連法規の仕組みを概観した上で、前記の下級審裁判例の見解と、同様の見地に立って、①規制法第四章所定の原子炉の設置、運転等に対する規制は、専ら原子炉設置の許可等の同章所定の事項をその対象とするものであって、他の各章において規制することとされている事項までをその対象とするものでないこと、②原子炉の設置の許可の段階においては、専ら当該原子炉の基本設計のみが規制の対象となるのであって、後続の設計及び工事方法の認可(二七条)の段階で規制の対象とされる当該原子炉の具体的な詳細設計及び工事の方法は規制の対象とはならないこと、を指摘し、規制法の規制の構造に照らすと、原子炉設置の許可の段階の安全審査においては、当該原子炉施設の安全性にかかわる事項のすべてをその対象とするものではなく、その基本設計の安全性にかかわる事項のみをその対象とするものと解するのが相当であると判示した。そして、本判決は、右のような見地から、固体廃棄物の最終処分の方法、使用済燃料の再処理及び輸送の方法並びに温排水の熱による影響等にかかわる事項を、原子炉設置許可の段階の安全審査の対象にはならないものとした原審の判断は正当として是認することができる旨を判示した。
 この点に関し、原田尚彦「東海原発第一審判決の意味」ジュリ八四三号七五頁は、政策論ないし立法論としてはともあれ、解釈論としての立場に徹した現行法の規定を読むと、やはり判示(前掲水戸地判)のいうように、原子炉設置許可の段階で、規制法が核燃料サイクル全体の安全審査をすることまで予定しているとは解し難い、もし、そこまで審査して主務官庁が温排水とか将来の廃炉の処理に問題があるとして規制法二四条の許可を拒むとすれば、それは法律の与えた権限を越えた違法な監督権の発動となり、法治行政の原理に反することになりかねない、とした上で、「しかし、そのことは、逆に現行の原子力法制の欠陥・不合理を浮き彫りにしたものともいえる。」との見解を示している。
 4 本件処分の実体的適法性に関する主張について
 本判決は、原子炉設置許可処分の取消訴訟における司法審査の在り方、主張立証責任についての前記のような見地に立って、本件の事案を検討し、①スリーマイルアイランド原子力発電所二号炉の事故及びその原因が、本件原子炉施設について行われた安全審査の合理性に影響を及ぼすものではないとした原審の判断、②原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会が本件原子炉施設の安全性について行った調査審議及び判断に不合理な点があるとはいえず、これを基にしてされた本件原子炉設置許可処分を適法であるとした原審の判断は、いずれも正当として是認することができるものと判示した。
 右の点に関する本判決の判文は簡潔なものではあるが、前記の見地に立って、本件処分の実体的適法性を是認した原審の個々の認定判断についての詳細な上告論旨を逐一検討した結果、右のような結論に至ったものと思われる。
 5 本判決の意義
 本件第一審判決言渡し後の昭和五四年にアメリカで起きたスリーマイルアイランド原子力発電所二号炉の事故、原判決言渡し後の昭和六一年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発四号炉の事故以来、原子力発電の安全性に関する社会的関心は、次第に高まってきているようである。このような状況の下で、原子炉の安全性が問われている本件訴訟において、最高裁がどのような判断を示すかは、社会的にも注目されていたところである。本判決は、前記のとおり、①原子炉設置許可処分の取消訴訟における審理、判断の方法、②右取消訴訟における主張立証責任、③原子炉設置許可の段階における安全審査の対象等について、最高裁として、初めて判断を示したものである。右の各点に関する本判決の判断は、これまで下級審裁判例が積み重ねてきた判断と概ね合致するものであり、本判決により、原子炉設置許可処分の取消訴訟における審理判断の基本的枠組みが確立したものと評価することができよう。本判決の判断は、原子炉設置許可処分の適否が争われる同種訴訟はもとより、行政庁がした高度の科学技術的判断等の、専門技術的裁量に基づく行政処分の適否が争われる行政訴訟(科学裁判)における司法審査の在り方等についての理論、実務に対し、大きな影響を与えるものと思われる。
+判例(H11.7.19)三菱タクシーグループ運賃値上げ事件
理由 
 上告代理人増井和男、同川勝隆之、同松谷佳樹、同山中正登、同赤西芳文、同白石研二、同川口泰司、同岸下秀一、同藤井章治、同石崎仁志、同河村俊信、同有馬実義、同桝野龍二、同戎順正、同八木敏和、同鶴田浩久、同篠原実、同真砂順一、同田渕輝幸の上告理由第一点について 
 一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。 
  1 被上告人らは、大阪市及びその周辺地域において一般乗用旅客自動車運送事業(以下「タクシー事業」という。)を営む者である。 
  2 平成元年四月一日からの消費税法の適用に伴い、同年二月から三月にかけて、披上告人らと同一地域でタクシー事業を経営する事業者ら(以下「同業他社」という。)は、消費税を転嫁するため、道路運送法(以下「法」という。)九条一項に基づき、当時の運賃に1.03を乗じ、一〇円未満を四捨五入した額に運賃を値上げする内容の運賃変更の認可申請をし、近畿運輸局長は、同月一七日までに右申請を認可した。ところが、披上告人らは、あえて消費税の転嫁のための運賃値上げを内容とする運賃変更の認可申請をしなかった。 
  3 その後、同業他社は、運転手の給料の改善及び運転手不足の解消のため、更に運賃値上げを内容とする運賃変更の認可申請をし、近畿運輸局長は、平成三年三月、平均11.1パーセントの値上げを内容とする運賃変更の認可をした。しかし、披上告人らは、同業他社と同様の運賃変更の認可申請をしなかった。 
  4 披上告人らは、既に消費税転嫁のための運賃値上げを実施した同業他社に対して更に運賃変更の認可がされたことにより、タクシー運転手の賃金水準が一般的に上昇し、また、円高差益もかなり落ち込んで、経営努力だけでは限界となる見込みとなったため、消費税転嫁分として三パーセントの運賃値上げをする方針を定めた。そして、平成三年三月二九日、当時認可を受けていた運賃の額に1.03を乗じ、一〇円未満を四捨五入した額の運賃に変更することの認可を求める申請書(以下「本件申請書」という。)を提出した。 
  5 近畿運輸局長は、披上告人らが同業他社の運賃との格差が14.2パーセントもあるのにわずか三パーセントの値上げしか申請せず、その上、披上告人らにおいて一般増車が認められるのであれば他の業者と同一水準までの運賃変更の認可申請を行う用意があることを示唆していたため、今回の運賃変更の認可申請(以下「本件申請」という。)をするに至った披上告人らの真意がどこにあるかを知る必要があるとし、また、同業他社と同じ運賃額に値上げするよう行政指導をしようとして、本件申請書を正式に受理せず、事実上預り置くことにとどめた。ところが、平成三年四月二五日、披上告人らの委任した弁護士から、書面到達後一〇日以内に本件申請書に対して認可をすることを求める旨の内容証明郵便が送られてきたため、同局長は、もはや披上告人らには同局長の行政指導に従う意思のないことが明確になったとして、披上告人らの本件申請を正式に受理することにした。そして、同月三〇日、披上告人らの関係者を呼び出してその旨を告知するとともに、本件申請書の記載の誤りの訂正及び原価計算書等の添付書類の提出を求めた。 
  6 披上告人らは、平成三年五月九日、直近の運賃変更の認可申請の際に提出した昭和五七年度の原価計算書を近畿運輸局長に提出したが、平成三年五月一〇日ころ、右原価計算書は古いので平成元年度のものと差し替えるようにとの指示を受けたため、平成三年五月二七日、これを指示どおりのものと差し替えた。同局長は、同年六月一日、本件申請について事案の公示をし、同月二七日及び同年七月五日に披上告人らの意見を聴取した。その際、同局長は、原価計算書に記載された原価計算の算定根拠等について披上告人らに説明を求めたが、披上告人らは運賃変更の理由は消費税の転嫁である旨の陳述をしたのみであった。 
  7 近畿運輸局長は、本件申請については、法九条二項一号の基準に適合しているか否かを判断するに足りるだけの資料の提出がないとして、平成三年九月一二日、本件申請を却下する旨の決定(以下「本件却下決定」という。)をした。 
 二 披上告人らの上告人に対する本件損害賠償請求は、近畿運輸局長は、本件申請を直ちにを受理した上一箇月以内に認可すべきであったにもかかわらず、受理を引き延ばし、受理後四箇月以上も許否の決定をせず、その上で本件却下決定をしたのであり、披上告人らは、同局長の右違法な職務行為により、同局長が受理後一箇月以内に本件申請を認可したとすれば披上告人らが消費税を転嫁することによって得たであろう運賃収入の増加分相当額の損害を被ったとして、上告人に対し、平成三年六月分ないし八月分の営業収入の三パーセントに相当する額の損害の賠償を求めるものであるところ、原審は、そのうち同年七月分及び八月分についての披上告人らの右損害賠償請求を認容すべきものとした。原審の判断の概要は、次のとおりである。 
  1 法九条二項一号は、運賃変更の認可基準として、「能率的な経営の下における適正な原価を償い、かつ、適正な利潤を含むものであること」と規定しているところ、後記の平均原価方式により設定され多数の事業者が一致して採用している運賃額に達しない額への運賃の値上げを内容とする運賃変更の認可申請がされた場合、法は、地方運輸局長が、変更前の運賃水準では能率的な経営の下における適正な原価を償うことができないか否かを審査し、償うことができないと判断するときは、前記基準を弾力的に解釈し、右値上げによりいくらかでも利潤が得られれば、適正利潤を含むものとして、特段の事情のない限り、当該申請を認可することを予定している。 
  2 披上告人らは、変更前の運賃水準では能率的な経営の下における適正な原価を償うことができない事態に至っていて、改めて消費税の転嫁を図る経営上の必要があり、本件申請に係る三パーセントの値上げにより利潤を得ることができるのであるから、本件申請については、法九条二項一号の基準に適合するというべきであり、同項二号ないし五号の基準にも適合していると認められる。したがって、近畿運輸局長は、本件申請を認可すべきであったのであり、本件却下決定は違法である。 
  3 近畿運輸局長は、本件却下決定より少なくとも二箇月は早く本件申請を認可することができ、かつ、それをすべきであったから、披上告人らは、同局長の違法な職務行為により、右二箇月分の営業収入の三パーセントに相当する得べかりし利益を失ったということができ、上告人は、披上告人らに対し、これを賠償すべきである。 
 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。 
  1 法は、タクシー事業を含む一般旅客自動車運送事業につき、四条ないし七条において、その事業の経営についての免許制を規定するとともに、九条一項において、一般旅客自動車運送事業者は、運賃を定め、又はこれを変更しようとするときは、運輸大臣の認可を受けなければならないとし、同条二項において、その認可基準を定めている(なお、一般乗用旅客自動車運送事業に係る運輸大臣の右権限は、法八八条一項一号、道路運送法施行令一条二項により、地方運輸局長に委任されている。)そして、法九条二項一号は、運賃の設定及び変更の認可基準の一として前記基準を定めているが、その趣旨は、一般旅客自動車運送事業の有する公共性ないし公益性にかんがみ、安定した事業経営の確立を図るとともに、利用者に対するサービスの低下を防止することを目的としたものと解するのが相当である。 
 右のような同号の趣旨にかんがみると、運賃の値上げを内容とする運賃変更の認可申請がされた場合において、変更に係る運賃の額が能率的な経営の下における適正な原価を償うことができないときは、たとい右値上げにより一定の利潤を得ることができるとしても、同号の基準に適合しないものと解すべきである。そして、同号の基準は抽象的、概括的なものであり、右基準に適合するか否かは、行政庁の専門技術的な知識経験と公益上の判断を必要とし、ある程度の裁量的要素があることを否定することはできない。 
  2 ところで、本件申請がされた当時、タクシー事業の運賃変更の認可について、「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃改定要否の検討基準及び運賃原価算定基準について」(昭和四八年七月二六日付け自旅第二七三号自動車局長から各陸運局長あて依命通達。(以下「本件通達」という。)が定められており、各地方運輸局においては、本件通達に定められた方式に従った事務処理が行われていた。その概要は、地方運輸局長は、同一運賃を適用する事業区域を定め、当該区域の事業者の中から不適当な者を除外して標準能率事業者を選定し、さらに、標準能率事業者の中からその実績加重平均収支率が標準能率事業者のそれを下回らないように原価計算対象事業者を選定し、右事業者について本件通達別紙(2)の「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃原価算定基準」(以下「運賃原価算定基準」という。)に従って適正利潤を含む運賃原価を人件費等の原価要素の分類に従って算定した上、その平均値を基に運賃の値上げ率を算定する(この算定方式を「平均原価方式」という。)、というものである。 
 本件通達の定める運賃原価算定基準に示された原価計算の方法は、法九条二項一号の基準に適合するか否かの具体的判断基準として合理性を有するといえる。そして、タクシー事業は運賃原価を構成する要素がほぼ共通と考えられる上、その中でも人件費が原価の相当部分を占めるものであり、また、同じ地域では賃金水準や一般物価水準といった経済情勢はほぼ同じであると考えられるから、当該同一地域内では、同号にいう「能率的な経営の下における適正な原価」は各事業者にとってほぼ同じようなものになると考えられる。したがって、平均原価方式に従って算定された額をもって当該同一地域内のタクシー事業者に対する運賃の設定又は変更の認可の基準とし、右の額を変更後の運賃の額とする運賃変更の認可申請については、特段の事情のない限り同号の基準に適合しているものと判断することも、地方運輸局長の前記裁量権の行使として是認し得るところである。もっとも、タクシー事業者が平均原価方式により算定された額と異なる運賃額を内容とする運賃の設定又は変更の認可申請をし、右運賃額が同号の基準に適合することを明らかにするため道路運送法施行規則(平成七年運輸省令第一四号による改正前のもの)一〇条二項所定の原価計算書その他運賃の額の算出の基礎を記載した書類を提出した場合には、地方運輸局長は、当該申請について法九条二項一号の基準に適合しているか否かを右提出書類に基づいて個別に審査判断すべきであることはいうまでもない。 
  3 前記事実関係等によれば、披上告人らの本件申請に係る運賃の額は、本件申請の直前に近畿運輸局長が同業他社に対してした認可に係る運賃の額(右運賃の額は本件通達の定める平均原価方式に従って算定されたものと推認される。)を下回るものであったが、同局長は、本件申請に係る運賃の額が右認可に係る運賃の額に達しないものであることのみを理由として直ちに本件却下決定をしたのではなく、本件申請に対する許否の判断に当たり、披上告人らの提出する原価計算書その他の書類に基づき、本件申請に係る運賃の変更が法九条二項一号の基準に適合するか否かを運賃原価算定基準に準拠して個別に審査しようとしたものと解される。前示のとおり、運賃原価算定基準に示された原価計算の方法は、同号の基準に適合するか否かの具体的判断基準として、合理性を有するものであるから、同局長において本件申請に係る運賃の変更が同号の基準に適合するか否かを運賃原価算定基準に準拠して個別に審査しようとしたことは、相当な措置であったというべきである。しかるに、前記事実関係等によれば、同局長が右審査のために披上告人らに対して右原価計算書に記載された原価計算の算定根拠等について説明を求めたにもかかわらず、披上告人らは、運賃変更の理由は消費税の転嫁である旨の陳述をしたのみで、右原価計算の算定根拠等を明らかにしなかったというのであるから、同局長において披上告人らの提出した書類によっては披上告人らの採用した原価計算の合理性について審査判断することができなかったものということができる。そうであるとすれば、本件申請について、同号の基準に適合するか否かを判断するに足りるだけの資料の提出がないとして、本件却下決定をした同局長の判断に、その裁量権を逸脱し、又はこれを濫用した違法はないというべきである。 
 四 以上によれば、原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は、その余の点について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、前示のとおり、披上告人らの本件損害賠償請求は、本件却下決定が違法であり、近畿運輸局長は本件申請を認可すべきであったことを前提とするものであるから、右請求はいずれも理由がないことに帰する。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎) 
++解説
《解  説》
 一 本件は、大阪市及びその周辺地域において一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー事業)を営んでいたXらが、平成元年四月一日の消費税法の適用の際に消費税を転嫁するための運賃変更の認可申請をせず、その約二年後の平成三年三月に同業他社に対して平均一一・一パーセントの値上げを内容とする運賃変更の認可がされた際にも同様の運賃変更の認可申請をしないで、その直後の同月二九日、消費税の転嫁のためであるとして三パーセントの値上げを内容とする運賃変更の認可申請(本件申請)をしたところ、近畿運輸局長が、同年四月三〇日に右申請を受理した上、同年九月一二日、右申請を却下する旨の決定(本件却下決定)をしたため、Xらが、同局長は、本件申請を直ちに受理した上一か月以内に認可すべきであったにもかかわらず、受理を引き延ばし、受理後四か月以上も許否の決定をせず、その上で本件却下決定をしたのであり、Xらは、同局長の右違法な職務行為により、同局長が受理後一か月以内に本件申請を認可していればXらが消費税を転嫁することによって得たであろう運賃収入の増加分相当額の損害を被ったなどとして、Y(国)に対し、同年六月分ないし八月分の営業収入の三パーセントに相当する額の損害の賠償等を求めた事案である。
 本件においてXらの主張する損害は、本件申請に対する認可が本来されるべき時期にされていたならば、Xらは右認可に係る運賃を収受することができたにもかかわらず、違法な本件却下決定がされたため、右認可に係る運賃を収受することができなかったことによる、得べかりし運賃収入の増加分である。したがって、Xらの主張する損害の賠償請求が肯定されるためには、少なくとも、本件却下決定が違法で取り消されるべきものであることが必要となる。そこで、本件却下決定の適否が本件の最大の論点となった。
 二 本件申請がされた当時、各地方運輸局においては、タクシー事業の運賃変更の認可申請について、「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃改定要否の検討基準及び運賃原価算定基準について」(昭和四八年七月二六日自旅第二七三号自動車局長から各陸運局長あて依命通達。本件通達)に定められた方式に従った事務処理が行われていた。その概要は、地方運輸局長は、同一運賃を適用する事業区域(運賃適用地域)を定め、当該区域の事業者の中から不適当な者を除外して標準能率事業者を選定し、さらに、標準能率事業者の中からその実績加重平均収支率が標準能率事業者のそれを下回らないように原価計算対象事業者を選定し、右事業者について本件通達別紙(2)の「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃原価算定基準」に従って適正利潤を含む運賃原価を原価要素の分類に従って算定した上、その平均値を基に運賃の値上げ率を算定する(この算定方式を「平均原価方式」という。)、というものである。そして、各地方運輸局においては、平均原価方式に従って算定された運賃額で一律に認可してきた。これが「同一地域同一運賃」の原則といわれるものである。もっとも、本件通達は、その後、「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃料金について」(平成五年一〇月六日付け自旅第二一八号各地方運輸局長・沖縄総合事務局長あて自動車交通局長通達)及び「運賃料金の多様化、需給調整の運用の緩和その他タクシー事業についての今後の行政方針について」(平成五年一〇月六日自旅第二一九号各地方運輸局長・沖縄総合事務局長あて自動車交通局長通達)により改められ、右「一般乗用旅客自動車運送事業の運賃料金について」はさらに平成一〇年三月三一日自旅第二一八号により改正された。新通達の内容は、本件通達の定めていた原価計算の方法を基本的に踏襲した上で、認可の基準となる運賃額に幅を持たせ、さらに、その幅の中に入らない運賃額の申請についても、申請者に道路運送法九条二項一号の規定する適正原価及び適正利潤についての個別立証を許し、その立証方法についても通達の定める原価計算の方法によらない余地を認めるものである。
 本件において近畿運輸局長が本件申請の直前に同業他社に対してした運賃変更の認可に係る運賃の額(平均一一・一パーセントの値上げ)は、本件通達の定める平均原価方式に従って算定されたものと推認される。ところが、Xらは、右運賃変更の認可申請をしなかったため、同業他社の運賃との間に一四・二パーセントもの格差が生じていた。本件申請も、わずか三パーセントの値上げを内容とするものであって、右のとおり平均原価方式に従って算定されたものと推認される運賃額を下回るものであった。
 三 一審(本誌八〇九号二四四頁)及び原審(判時一五三二号六九頁)ともに、本件却下決定は違法であるなどとして、Xらの損害賠償請求を一部認容すべきであるとした。本件却下決定の適否に関する原審の判断の概要は、平均原価方式により設定された運賃額に達しない額への運賃の値上げを内容とする運賃変更の認可申請がされた場合、地方運輸局長は、変更前の運賃水準では能率的な経営の下における適正な原価を償うことができないか否かを審査し、償うことができないと判断するときは、道路運送法九条二項一号の基準を弾力的に解釈し、右値上げによりいくらかでも利潤が得られれば、適正利潤を含むものとして、特段の事情のない限り、当該申請を認可することが、同法の予定するところであるとした上で、Xらは、変更前の運賃水準では能率的な経営の下における適正な原価を償うことができない事態に至っていて、改めて消費税の転嫁を図る経営上の必要があり、本件申請に係る三パーセントの値上げにより利潤を得ることができるのであるから、本件申請については、同法九条二項一号の基準に適合する、というものである。原判決に対してYから上告。
 四 本判決は、まず、道路運送法九条二項一号の趣旨は、一般旅客自動車運送事業の有する公共性ないし公益性にかんがみ、安定した事業経営の確立を図るとともに、利用者に対するサービスの低下を防止することを目的としたものと解され、右のような趣旨にかんがみると、運賃の値上げを内容とする運賃変更の認可申請がされた場合において、変更に係る運賃の額が能率的な運営の下における適正な原価を償うことができないときは、たとい右値上げにより一定の利潤を得ることができるとしても、同号の基準に適合しないものと解すべきであるとした。
 次に、本判決は、本件通達の定める運賃原価算定基準に示された原価計算の方法は、道路運送法九条二項一号の基準に適合するか否かの具体的判断基準として合理性を有するということができ、同一地域内では、同号にいう「能率的な経営の下における適正な原価」は各事業者にとってほぼ同じようなものになると考えられるから、平均原価方式に従って算定された額をもって当該同一地域内のタクシー事業者に対する運賃の設定又は変更の認可の基準とし、右の額を変更後の運賃の額とする運賃変更の認可申請については、特段の事情のない限り同号の基準に適合しているものと判断することも、地方運輸局長の裁量権の行使として是認し得るところであるが、タクシー事業者が平均原価方式により算定された額と異なる運賃額を内容とする運賃の設定又は変更の認可申請をし、右運賃額が同号の基準に適合することを明らかにするため道路運送法施行規則八条二項所定の書類を提出した場合には、地方運輸局長は、当該申請について道路運送法九条二項一号の基準に適合しているか否かを右提出書類に基づいて個別に審査判断すべきであると判示した。
 その上で、本判決は、近畿運輸局長は、本件申請に係る運賃の額が本件申請の直前に同業他社に対してした認可に係る運賃の額に達しないものであることのみを理由として、本件却下決定をしたのではなく、Xらの提出する原価計算書その他の書類に基づき、本件申請に係る運賃の変更が道路運送法九条二項一号の基準に適合するか否かを運賃原価算定基準に準拠して個別に審査しようとしたものと解されるのであり、右は相当な措置であったというべきであるところ、同局長が右審査のためにXらに対して右原価計算書に記載された原価計算の算定根拠等について説明を求めたにもかかわらず、Xらは右原価計算の算定根拠等を明らかにしなかったというのであるから、同局長においてXらの提出した書類によってはXらの採用した原価計算の合理性について審査判断することができなかったものということができ、そうであるとすれば、本件申請について、同号の基準に適合するか否かを判断するに足りるだけの資料の提出がないとして、本件却下決定をした同局長の判断に、その裁量権を逸脱し、又はこれを濫用した違法はないと判示した。
 五 一般旅客自動車運送事業の運賃の定額制及び認可制は、昭和二六年法律第一八三号による道路運送法の制定により導入されたもので、同法九条二項一号から四号までの認可基準は、同法の制定以来、基本的に変更されていない。その立法趣旨については、個々の利用者に対する不当な差別的取扱いと事業者間の不当な競争を防止することにあるとされ、また、立法者は、運輸大臣(陸運局長)は、各事業者ごとの申請について、個別に認可基準に従って審査するものであり、その結果、同一地域内であっても個々の事業者ごとに異なった運賃が認可されることも当然に予想され、ただ、運賃の差があるために事業者間に不当な競争を起こす場合には、四号の認可基準でもって調整することになるが、若干の運賃の差があっても不当な競争を引き起こすものではないと考えていたことが、国会における審議経過から明らかである(第一〇回国会衆議院運輸委員会議録第二四号、同参議院運輸委員会会議録第一九号参照)。ところが、運輸省においては、タクシー運賃の設定、変更について、昭和二七年に東京地区において行われた最初の運賃変更認可以来、いわゆる同一地域同一運賃の原則を方針として採用し、その後、昭和三〇年七月二三日付け運輸省自動車局長通達によりこれを明確化し、さらに、本件通達を定めて、これに従った認可行政を行ってきた。
 本件通達の定める運賃原価算定基準に示された原価計算の方法は、その内容に照らすと、道路運送法九条二項一号の規定する適正原価及び適正利潤の具体的判断基準として、合理性を有するものというべきであろう。新通達においても、右の原価計算の方法が基本的に踏襲されているところでもある。また、タクシー事業は運賃原価を構成する要素がほぼ共通と考えられる上、その中でも人件費が原価の約七割ないし八割を占めるものであり、同じ地域では賃金水準や一般物価水準といった経済情勢はほぼ同じであると考えられるから、当該同一地域内では、同号にいう「能率的な経営の下における適正な原価」は各事業者にとってほぼ同じようなものになると考えられる。そして、同号の基準は極めて抽象的、概括的なものであり、右基準に該当するか否かの判断は、行政庁の専門技術的な知識経験と公益上の判断を必要とし、ある程度の裁量的要素があると解される(最一小判昭50・5・29民集二九巻五号六六二頁、本誌三二四号二〇五頁参照)ことにもかんがみると、平均原価方式に従って算定された額をもって当該同一地域内のタクシー事業者に対する運賃の設定又は変更の認可の基準とし、右の額を変更後の運賃の額とする運賃変更の認可申請については、特段の事情のない限り、改めて個別の審査をすることなく、同号の基準に適合しているものと判断することも、地方運輸局長の裁量権の行使として是認し得るものといえよう。
 しかしながら、平均原価方式により算定された額をもって当該地域における統一運賃とするのが道路運送法九条二項の定めるところであり、右運賃額とわずかでも異なる運賃額を内容とする運賃の設定又は変更の認可申請は同項所定の認可基準に適合しないとする解釈は、問題というべきであろう。なぜならば、同法は、一条において「公正な競争を確保する」ことをその目的の一つとして掲げ、九条二項四号も、他の事業者との間に「不当な競争」を引き起こすこととなるおそれがないものであることを認可基準として規定しているところから明らかなとおり、事業における競争の存在を当然の前提として規定していることにかんがみると、同法九条二項の規定が、事業者間の運賃等による価格競争を一切認めない趣旨であると解するのは、規定の文言上も困難というべきであり、また、前記のとおり立法者意思に明確に反するものである。すなわち、平均原価方式自体は、あくまでも地方運輸局長の合理的な裁量基準であるにすぎず、タクシー事業者が平均原価方式により算定された額と異なる運賃額を内容とする運賃の設定又は変更の認可申請をし、右運賃額が同号の基準に適合することを明らかにするため道路運送法施行規則八条二項所定の書類を提出した場合には、地方運輸局長は、当該申請について道路運送法九条二項一号の基準に適合しているか否かを右提出書類に基づいて個別に審査判断すべきであり、右個別審査をすることなく右申請に係る運賃額が平均原価方式により算定された額と異なる額であることのみを理由に同項各号の基準に適合しないとすることは、その裁量権を濫用又は逸脱したものとして、違法というべきではなかろうかと思われる(同旨の裁判例として大阪地判昭60・1・31本誌五四五号八五頁、判時一一四三号四六頁がある。)。本判決も、右の場合には、地方運輸局長は、当該申請について道路運送法九条二項一号の基準に適合しているか否かを提出書類に基づいて個別に審査判断すべきであることはいうまでもないとして、右の趣旨を明言している。
 ところが、本件においては、近畿運輸局長が、本件申請に係る運賃の変更が道路運送法九条二項一号の基準に適合するか否かをXらの提出する原価計算書その他の書類に基づき運賃原価算定基準に準拠して個別に審査しようとしたにもかかわらず、Xらは自らの原価計算の算定根拠等を明らかにしなかったため、同局長においてXらの提出した書類によってはXらの採用した原価計算の合理性について審査判断することができなかったというのであるから、かかる事実関係の下においては、本件却下決定をした同局長の判断に、その裁量権を逸脱し、又はこれを濫用した違法があるとはいえないであろう。本判決も、以上の見地から、本件却下決定は違法でないとしたものである。
 六 本判決は、一般旅客自動車運送事業の運賃変更認可に関する最高裁としての初めての判断であり、事例判断とはいえ、その重要性は小さくないと思われる。
 なお、Xらは、Yに対し、本件とほぼ同じ請求原因を主張して、平成三年五月分及び同年九月分から平成四年一二月分までの営業収入の三パーセントに相当する額の損害の賠償等を求める別件訴訟を提起しており、一審(本誌八九〇号一〇一頁)は、本件却下決定は違法であるなどとして、Xらの損害賠償請求を一部認容したが、原審(本誌九七三号一五七頁)は、本件却下決定は違法であるとはいい難いとして、Xらの請求をいずれも棄却すべきものとしたため、Xらが上告していたところ、本判決の言渡しと同じ日に、Xらの上告を棄却する旨の判決がされている。
・効果裁量
+判例(S52.12.20)神戸関税事件
理由 
 第一 上告代理人中山晴久、同原田昭、上告指定代理人香川保一、同近藤浩武、同長島俊雄、同鎌田泰輝、同上野至、同東光宏、同藤田鈴夫、同青木元一、同西川義輝の上告理由について 
 一 事実関係 
 原審が確定したところによれば、被上告人らに対する懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)に関する事実関係は、おおむね次のとおりである。 
 (一) 八月一九日の件(Aに対する懲戒処分についての抗議行動) 
 昭和三六年八月一九日、神戸税関長官房主事Bは、同主事室で、税関長に代わつて、Aに対し、懲戒処分書及び処分説明書を交付しようとした。その処分理由の要旨は、Aが、昭和三四年一〇月二七日、外国貿易船天栄丸のCを同船に訪ねて一緒に下船した際、Cが米国製タバコ等の密輸入を企てて携帯しているのを知りうべき立場にありながらこれを確知することなく、税関職員として適切な助言、指導を怠りかつ陸務課の検査に協力しなかつたのは、税関職員たるにふさわしくない行為にあたる、ということであつた。全国税関労働組合神戸支部(以下「組合」という。)の組合員は、Aに対する処分を知るや、正午前から零時三〇分ころにかけ続々主事室につめかけ、一二時三〇分から一時ころにかけて四〇名ないし五〇名になり、官房主事の説明を、理由にならない、不誠実だとして抗議を続け、口々に理由を説明せよ、できないのなら税関長を呼べなどと大声をあげたので、室内は騒然となり、一時三〇分ころまで押し問答が続いた。一時三〇分ころから二時ころにかけて、B官房主事、D人事課長らは組合員に対し「帰ります」「退去して下さい」と要求したが、多数の組合員は進路を開けることなく立ちはだかつて抗議を続け、その間室内や入口ドアには、「不当弾圧撤回!」「首切りを仕事にする奴、B!」「オマエはバカなチンピラだ」、「チンピラ弾圧屋のB税関から出て行け」、「メツセンジヤーボーイもできぬ官房主事はヤメロ」などと書かれたビラが貼られ、同趣旨の発言がされていた。組合執行委員である被上告人Eは、組合員の一員として、官房主事、総務課長らの附近に位置して激しく抗議していたが、同人らの耳もとで、バカヤロー、チンピラなどと怒声、罵声を発し、また、携帯マイクを使用して同様の行為をした。抗議は、途中休憩等をはさみ断続的に続いたが、五時三〇分ころパトカーのサイレンが聞こえたので、組合員は退室し、B主事らは警察官に守られて室外に出た。 
 (二) 一〇月五日、二六日の件(勤務時間内の職場集会等) 
 (1) 昭和三六年一〇月五日、組合は、総評及び公務員共闘会議の統一行動の一環として、全税関労働組合本部からの指令に基づき、本庁舎玄関前において、政暴法反対、公務員給与五〇〇〇円賃上げ、神戸税関における計算センター設置反対、勤務評定反対、人事の民主化などの要求をかかげ、午前八時四〇分ころから九時一〇分ころまで(勤務時間の定めは八時三〇分からであるが、九時五分までを出勤簿整理時間又は出勤猶予時間としてそれまでに出勤すればよいことになつており、九時五分から執務態勢にあつた。)職場集会を開催した。神戸税関長は、集会開催の前日組合支部長である被上告人Fに対し勤務時間にくい込まないようにとの警告を、また、当日九時五分ころ集会中の組合員に対し執務命令を発したが、いずれも無視された。被上告人らは、右集会の準備をし、組合書記長である被上告人Gは開会の挨拶等をし、同Fは組合員の団結をうながす演説をした。 
 集会の終了直前、被上告人Gは、職場に帰るとき税関長室前を通り要求を直接訴えようと提案し、右提案は可決され、組合員約三〇〇人が四列縦隊のような形で労働歌を合唱しながら正面玄関から二階へ上り、被上告人Gの音頭で、「五〇〇〇円賃上げ」、「勤評反対」、「合理化反対」、「H(税関長)やめろ」、「B(官房主事)やめろ」などのシユプレヒコールを繰り返した。被上告人Fは列外に出て同Gに合わせて音頭をとり、同Eは同様列外に出て隊列の後部を指導した。右隊列は、九時一八分ころ二階監視部長室横の階段附近で流れ解散した。 
 (2) 同年同月二六日、組合は、前回同様の統一行動の一環として、全税関労働組合本部からの指令に基づき、同一の要求をかかげ、本庁舎前で、午前八時四〇分ころから九時一五分ころまで職場集会を開催した。上告人神戸税関長は、集会開催の前日被上告人Fに対し前同趣旨の警告書を交付し、また、当日九時五分ころ集会中の組合員に対し執務命令を伝えたか、組合側はこれを無視した。被上告人F、同Gは、集会を準備し、Fは組合代表として演説し、Gは官側への抗議団の派遣を提案した。 
 同日、同税関東部出張所においても、二階ベランダで、午前八時四〇分ころから九時一五分ころまで職場集会が開催され、被上告人Eは、統一行動の意義を話し、政暴法反対の演説を行い、九時五分以降も税関長の執務命令を無視して演説を続けた。 
 (三) 一〇月三一日ないし一一月二日の件(輸出為替職場の人員増加要求活動) 
 神戸税関においては、輸出業務が集中する月末月初の各二、三日のいわゆる繁忙期には、輸出担当職員は二時間くらいの超過勤務や日曜休日の出勤が多く、また、大量の業務を処理するために、各職員がその能力に応じまた各人の責任において審査を簡略化することも行われており、一人が一日に約二〇〇件を処理することもあつた。組合は、輸出の増加により業務は増加しているのに職員はふえないとして、従来から人員増加要求を続けていたが、この要求を貫徹するため、被上告人らは、次のような行為を行つた。 
 (1) 一〇月三一日午後五時過ぎころから、輸出為替の職場で、繁忙期の業務処理、人員問題を検討するため、一五人の職員が参加して職場集会が開かれた。その席に組合の代表者として参加した被上告人Gは、官側は組合が人員要求しても何もしてくれず、労働強化を強いている、職員は無理のない件数をやることにしよう、そうすれば仕事が残るので超過勤務命令を出すだろう、それを拒否すれば困つて人員不足を認識するだろうとの提案をし、これまでのように大量の事務処理をすることをやめ、無理のない件数(大体一〇〇件程度をさす。)をやつて人員不足を認識させようということになつた(輸出申告の書類は、まず為替課輸出係で審査され、輸出課、監査第一部門、そして再び輸出課へと流れているから、為替課での処理が遅れれば全部が遅れることになる。)。 
 (2) 翌一一月一日、輸出為替の職員は、右集会の決定に従つて通常の繁忙期のような迅速な事務処理をしなかつたため処理は遅れ、午後四時ころには、五時以降臨時開庁をして超過勤務をしなければならないことが明らかな状態になつていた。三時四〇分ころ、組合執行部は、輸出第一、第二、為替の各課長に輸出第二課長の席に集まるよう要請し、そこで増員要求に対する協力を求めた。四時四〇分ころI為替課長から一時間の超過勤務命令が出されたが、被上告人Eは、五時ころ仕事を始めようとした職員に対し、人員要求の協力を確約しないと仕事をしないと課長と交渉しているから待てと言い、そのため職員は仕事をしなかつた。結局、六時ころから臨時開庁され、職員は五時半ころから超過勤務についたが、七時になつても残件が多くあつたので、I課長は更に一時間の超過勤務を命じたところ、被上告人らは、輸出為替の職場に来て、課長に対し、職員は疲れているからやめたらどうかと言い、職員に向つては、用のある者疲れている者は帰れと言い、ために職場は混乱し、課長は、これ以上仕事を続けることはできないと判断し、七時過ぎころ一般職員を帰宅させた。このため業者から苦情が出る一幕もあつたが、残つた分は翌日優先的に処理することで業者の納得を得て、その日の業務は打ち切られた。 
 (3) 翌一一月二日午前九時一五分ころ、I課長は、前日の残件を含めて大量の事務を処理するため、通常五〇ほどある審査点を四点に減縮する大巾かつ画一的な審査の簡略化を指示した。しかし、神戸税関ではかつて梅干事件(昭和三六年に梅干に関して農林省の検査合格証がないのに輸出許可をしたことで担当職員及び係長が収賄の嫌疑を受けた事件)があり、それ以来職員の間に審査を省略することを恐れる空気があつて、職員は容易に右指示に従わず、組合執行部に税関長と交渉して重点審査が原因で事故が起つた場合の責任の所在を明らかにするよう要請した。そこで被上告人ら三名を含む執行委員は一〇時ころ税関長と交渉しその見解をただしたが、明確な答弁が得られなかつた。被上告人G及び同Eは、一〇時を少し過ぎたころ、輸出為替課におもむき結果を報告するとともに、職員に向つて、このまましていたら責任問題が起こる、課長に一札入れてもらつてから仕事をしようなどと言つた。I課長は、被上告人Gらの要求に応じて職員に対し、あらためて重点審査を指示するとともに責任は私が持つから心配はいらない旨を説明したが、Gらは執ように文書にすることを要求し、職員に対して、文書にするまで輸出課への書類を回すなと言つたので、結局、I課長は一〇時三〇分ころ文書にすることを約束し、職員に文書にするから仕事をするように言つた。この間書類の流れはとまり、為替課から輸出課へ回つた書類を為替課へ引き上げたりした。二時ころ、被上告人G、同Eらが課長のもとに来て、早く文書を書かないと書類を回さないと言い、課長が文書にして読み上げたとき、被上告人Gは、それは命令かお願いかと尋ね、課長が、命令であるが仕事を早く処理するためやわらげた方がよいとの考えで、お願いであると答えたところ、職員に向つて、お願いなら従う必要はないと言つたため、職員の間にとまどいを生じ、仕事は依然停滞していた。更に、三、四〇分後には被上告人Gが再び輸出為替課に姿をあらわし、重点審査の責任は係員にあると税関長が言明したと言つて仕事を中止させるに至つたが、J課長補佐が総務課で確認したうえ、右G発言を否定し、責任は課長にあると言つたので、以後正常な状態にもどり、仕事が促進した。 
 (4) 同日午後五時ころ、鑑査第一部門においては、輸出為替課の確認事務が上述の経過で促進された影響を受け、同課から大量の書類が一時に回付され、通常の方法では処理し切れない事態となつた。そこで、K鑑査部長は、局面打開の方法として、輸出為替課におけると同様ここでも重点審査をすることを指示するとともに、三〇分休憩して五時半から臨時開庁することとし、職員に対し超過勤務命令を出した。しかし、その指示の趣旨が必ずしも明瞭でなかつたため、職員の間に疑義を生じ、このことは組合執行部に報告された。そこで、被上告人F、同Gを含む組合執行部約一〇人は、鑑査部L審査官に対し指示の内容をただし、来合わせたK部長を取り囲んで、こんなに大量の仕事をやらせてできるものか、お前の指示を受けてやると殺されてしまう、などと大声を出した。そのころ窓口にいた多くの業者から、早くやつてくれ、船の出航に支障をきたすとの申入れがされたので、K部長は、審査を簡略化する新たな指示をしたところ、被上告人Fら組合執行部はそのような命令は文書にせよと大声でせまり、室内は騒然として、右指示が文書とされた七時ころまで職員の仕事はとまつた。 
 (四) 一二月二日の件(超過勤務命令撤回闘争) 
 一一月二日に結成された組合の輸出分会は、組合とともに人員要求をしていたが、人員不足を当局に認識してもらうとの趣旨で、分会役員は超過勤務命令撤回願を全員で出すことを決め、組合執行部も同調した。そこで、一二月二日(土曜日)の午前中、組合執行部及び分会役員が手分けして、各職場で用紙を配付し、超過勤務命令が出た後職員に要請してその撤回願いを書かせ、これを回収した。輸出一課では、被上告人Gがこれらの行為を行い、午前中の勤務時間が終るや、組合執行部や分会役員は、三階講堂に職員を集めるため各職場をまわつた。土曜日の臨時開庁は通常一時から始まるのであつたが、当日は被上告人Gらの申入れにより一時三〇分から臨時開庁されることとなつたところ、一時一五分ころ、同被上告人ら組合役員は、M業務部長らに約四五人の超過勤務命令撤回願を提出し、職員は疲れている、個人個人の健康状態や都合を調べて命令を出して欲しいと命令の撤回を求めた。M部長、K鑑査部長はこれを拒否した。被上告人E、Nら組合執行委員は一時三〇分になつて超過勤務につくべく職場に帰つて来た職員に講堂に行くようすすめ、講堂では、被上告人Fが、撤回願について交渉している、官は一方的に命令を出しているが必ずしも従う必要はないと説明した。一時五〇分ころO総務課長らが講堂に行き、集まつていた職員に対し、超過勤務の執行命令を伝えたところ、被上告人Fは、部長交渉中だから待機しているのだと大声で答え、組合員はほとんど職場にもどらず、一時三〇分を過ぎても輸出の職場では仕事がされなかつたため、業者から抗議が出、苦情が申し立てられていた。二時ころ被上告人Gが講堂に来て交渉は決裂した旨伝え、同Fが職場に帰つて仕事するようにと命じたので、二時五分ころから仕事は順調に進み、遅い職場でも七時ころには終了した。

 二 原審の判断 
 原審は、右事実に基づき、次のとおり判断した。 
 (一) 被上告人らの各行為は、次のような懲戒事由に該当する。 
 (1) 前記一の(一)の八月一九日の被上告人Eの行為は、国家公務員法(以下「国公法」という。)八二条三号に該当する。 
 (2) 前記一の(二)の(1)、(2)の一〇月五日及び二六日の被上告人らの行為は、国公法九八条五項(昭和四〇年法律第六九号による改正前のものをいう。以下、国公法の規定のうち引用するものについて同じ。)前後段に違反し、同法八二条一号に該当する。しかし、国公法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項(昭和四一年七月九日人事院規則一―四による廃止前のものをいう。以下同じ。)前後段に違反するとして、国公法八二条三号を適用する余地はない。けだし、これらの法条に違反する行為は、もともと争議行為に通常随伴する行為であつて、これに対する規制は、仮にその争議行為が違法な場合でも、専ら国公法九八条五項によつてされるべきものと解すべきであるからである。 
 (3) 前記一の(三)の被上告人G、同Eの一一月一日及び二日の輸出為替課における各行為及び被上告人Fの一一月一日の輸出為替課における行為は、国公法九八条五項後段に、被上告人F、同Gの一一月二日の鑑査第一部門における行為は、同法九八条五項前段に違反し、同法八二条一号に該当する。しかし、被上告人Gの一〇月三一日の行為は、いまだこれをもつて怠業行為を企て又はその遂行を共謀し、そそのかし、あおつたものと認めるには足りず、また、前述の理由により、被上告人G、同Eの一一月一日の行為を人事院規則一四―一第三項後段に、被上告人G、同Eの一一月二日の輸出為替課における行為を国公法一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前段に、被上告人F、同Gの一一月二日の鑑査第一部門における行為を人事院規則一四―一第三項後段に違反するとして、国公法八二条三号を適用する余地はない。 
 (4) 前記一の(四)の被上告人らの行為は、国公法九八条五項後段に違反し、同法八二条一号に該当する。しかし、前述の理由により、国公法一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前後段に違反するとして、国公法八二条三号を適用する余地はない。 
 (二) 国公法九八条五項は、国家公務員の争議行為を一律全面的に禁止したものではないこと、禁止される争議行為と許される争議行為との限界の判断はむずかしいこと、特に時間内にくい込んだ職場集会の許されるかどうかの限界の判断はむずかしいこと、本件行為の態様、被上告人らの組合における地位、本件行為当時の社会情勢等、諸般の事情を考慮すれば、被上告人らの懲戒処分の前歴を考え合わせても、懲戒免職処分をもつて臨むのは、社会観念上著しく妥当を欠くと認められるから、本件処分は裁量の範囲を超えたものとして違法というべきである。よつて、本件懲戒免職処分は取り消されるべきものである。

 三 上告理由 
 論旨は、要するに、原判決には次の違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。 
 (一) 前記一の(三)の(1)の一〇月三一日の為替課における被上告人Gの行為は、これをもつていまだ国公法九八条五項後段の怠業行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、あおつたものと認めるに足りないとした点において、国公法九八条五項の解釈適用を誤つたものである。 
 (二) 前記一の(二)ないし(四)の被上告人らの行為(ただし、一〇月三一日の為替課における被上告人Gの行為を除く。)について、これらの行為が国公法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項に違反せず、したがつて、右法令に違反するものとして国公法八二条一号に該当するものではなく、また、国公法八二条三号に該当しないとしたのは、これらの法令の解釈適用を誤つたものである。 
 (三) 前記一の(一)ないし(四)の被上告人らの行為(ただし、被上告人Gの一〇月三一日の為替課での行為を除く。)は、国公法八二条一号又は三号に該当するとしながら、免職処分を選んだのは裁量権の範囲を逸脱するものとした点において、国公法八二条の解釈適用を誤り、ひいては行政事件訴訟法三〇条にも違反するものである。

 四 当裁判所の判断 
 (一) 一〇月三一日の輸出為替の職場における被上告人Gの行為について 
 税関の輸出業務担当の部課の組合員である職員が、組合の人員増加要求を貫徹するために、処理件数を低下させ業務の正常な運営を阻害することは、争議行為(怠業)にあたるというべきであるところ、前記一の(三)の(1)の事実によれば、一〇月三一日の輸出為替の職場における被上告人Gの行為は、少なくとも、争議行為の遂行をそそのかし、あおつたものというべきであり、国公法九八条五項後段に違反し(なお、同項が憲法二八条に違反しないことは、後述のとおりである。)、同法八二条一号に該当するといわなければならない。これと異なる原審の判断は、ひつきよう、右規定の解釈適用を誤つたものというべきである。

 (二) 国公法九八条五項と同法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項、国公法八二条一、三号との関係について 
 国公法九八条五項と同法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項とは、その構成要件において完全に互いに他を包摂し又は他に包摂される関係に立つものではなく、また、国公法九八条五項の保護法益は、主として国民全体の共同利益であり、その他の規定のそれは、公務運営の適正と能率の確保を目的とする国の公務運営上の諸利益であつて、両者の規定の趣旨、目的は必ずしも同一でないばかりでなく、国家公務員は、私企業における労働者と異なつて争議行為を禁止され、争議行為中であることを理由として、当然に、上司の命令に従う義務(国公法九八条一項)、職務に専念すべき義務(同法一〇一条一項)、勤務時間中に組合活動を行つてはならない義務(人事院規則一四―一第三項)等を免れない。したがつて、職員の行為が争議行為禁止規定(国公法九八条五項)に違反する場合であるからといつて、右行為は、国公法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項の違反となることを妨げられるものではなく、右規定違反として国公法八二条一号に該当し、また、行為の態様により同条三号に該当することもありうるものと解すべきである。これを本件についてみると、次のとおりである。 
 (1) 前記一の(二)の(1)、(2)の被上告人らの行為のうち、被上告人らが、上告人の警告及び執務命令を無視して職場集会を行い、集会を積極的に指導したことは、国公法九八条一項、同条五項前後段、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前後段に、一〇月五日の庁内デモ行進に参加しシユプレヒコールを指導し、あるいは隊列を指導したことは、国公法九八条五項前後段(被上告人Gがデモ行進を提案したことは同項後段)、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前段に違反し、いずれも国公法八二条一、三号に該当する。 
 (2) 前記一の(三)の被上告人らの一一月一日の輸出為替課における行為は、国公法九八条五項後段、人事院規則一四―一第三項後段に、被上告人G、同Eの一一月二日の輸出為替課における行為は、国公法九八条五項後段、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前段に、被上告人F、同Gの一一月二日の鑑査第一部門における行為は、国公法九八条五項前段、人事院規則一四―一第三項後段に違反し、いずれも国公法八二条一、三号に該当する。 
 (3) 前記一の(四)の被上告人らが超過勤務撤回願を一せいに提出するように勧しようした行為は、国公法九八条五項後段、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前段に、超過勤務につくべき職員を三階講堂に集結させ午後一時三〇分から二時五分ころまで同人らによる通関業務を妨げた行為は、国公法九八条五項後段、人事院規則一四―一第三項後段に違反し、いずれも国公法八二条一、三号に該当する。 
 しかるに、右と異なり、国公法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項に違反するとされる行為が争議行為である場合には、その規制は専ら国公法九八条五項によつてされるべきであり、右規定違反として国公法八二条三号を適用する余地はないとした原審の判断は、ひつきよう、これらの法条の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

 (三) 裁量権の範囲の逸脱について 
 公務員に対する懲戒処分は、当該公務員に職務上の義務違反、その他、単なる労使関係の見地においてではなく、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地において、公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するため、科される制裁である。ところで、国公法は、同法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒権者が、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを決するについては、公正であるべきこと(七四条一項)を定め、平等取扱いの原則(二七条)及び不利益取扱いの禁止(九八条三項)に違反してはならないことを定めている以外に、具体的な基準を設けていない。したがつて、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか、を決定することができるものと考えられるのであるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上、平素から庁内の事情に通暁し、都下職員の指揮監督の衝にあたる者の裁量に任せるのでなければ、とうてい適切な結果を期待することができないものといわなければならない。それ故、公務員につき、国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、懇意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがつて、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。 
 右の見地に立つて、原審が確定した事実に基づき、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて検討する。 
 まず、八月一九日の抗議行動については、Aの処分につき税関当局側の態度が組合員を納得させるものでなかつたことが執ようかつ激しい抗議活動を誘発した原因の一つとなつていたとしても、原判決もいうように、当局は根拠なくAの行動に疑いを抱いたわけではないことがうかがわれ、その根拠の公表を強く迫つた本件抗議活動の態様は明らかに行き過ぎであり、殊にその際における被上告人Eの言動は甚だしく乱暴であつて、その情状は決して軽いものではない。次に、一〇月五日、二六日の職場集会等は、職場離脱の時間がそれほど長時間にわたるものではなく、また、そのため業務処理が遅れ具体的に問題が生じたことがなかつたとしても、公共性の極めて強い税関におけるものであり、職場離脱が一部の職場だけではなく全体で行われたこと、しかも、それが当局の再三の警告、執務命令を無視して強行されたことも、軽視することができないところである。更に、一〇月三一日から一一月二日までの人員増加要求活動は、繁忙期における執務状態に基因し、職場からの強い要求があり、人員増加要求の目的自体は正当であつたとしても、繁忙期以外は休暇をとれないというほどではなく、一か月を平均すれば神戸税関だけが特に繁忙といえない状態であり、大蔵省関税当局も当時人員増加の要求に力を入れ、他省庁に比較してかなりの増員を獲得し、神戸税関にも多数の配分があつたというのであつて、本件の行為は、繁忙期において輸出関係書類の処理件数を低下させ、残件が増加したところで超過勤務を妨害し、重点審査が指示されるやそれをも妨害するという悪質な一連の業務処理の妨害であり、人員不足を認識させる方法として正当とはいいがたいものである。また、従前いわゆる梅干事件があり重点審査につき職員に不安があつて文書にすることを要求したものであつたとしても、梅干事件は収賄の疑いから取調べがされたものであつたのに対し、本件は上司の指示によるものであつて、両者は同一には論じられないものというべきであり、従来も職員各人の責任で重点審査が行われていたというのであるから、本件の場合に限り文書にしなければ不安であつたとは認められないし、また、本件行為により船積みができないという最悪の事態は避けられたとしても、職場を混乱させ、一一月一日に処理すべき分を二日に持ち越すという結果を発生させ、その遅延により業者に迷惑を及ぼし業者の苦情が出るという影響は軽視することができないところであり、これらの活動における被上告人らの行為の責任は重大であるといわなければならない。また、一二月二日の超過勤務命令撤回闘争は、繁忙期の勤務状態に遠因があり、船積みすることができないという最悪の事態の発生はなかつたとしても、繁忙期における職場離脱による超過勤務の拒否であつて、輸出関係全体に及び、ために業者からも抗議が出ていたこと等を考慮すれば、その情状は軽いものということはできない。なお、国家公務員の争議行為及びそのあおり行為等を禁止する国公法九八条五項の規定が憲法二八条に違反するものではなく、また、公務員の行う争議行為に同法によつて違法とされるものとそうでないものとの区別を認めるべきでないことは、当裁判所の判例(昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁)とするところであるから、国公法八二条の適用にあたつても、同法九八条五項により禁止される争議行為とそうでないものとの区別を設け、更に、右規定に違反し違法とされる争議行為に違法性の強いものと弱いものとの区別を立てて、右規定違反として同法八二条により懲戒処分をすることができるのはそのうち違法性の強い争議行為に限るものと解すべきでないことは、当然である。したがつて、被上告人らに対する本件懲戒処分が裁量権の範囲を超えるかどうかの判断に際して、原判決のように、禁止される争議行為と許される争議行為との限界の判断がむずかしいこと、特に時間内にくい込んだ職場集会の許されるか杏かの判断がむずかしいことを考慮に入れるべきでないことは、いうまでもないところである。 
 前記の被上告人らの本件行為の性質、態様、情状及び被上告人らが日米安保条約反対闘争で昭和三五年六月三度にわたり午前九時三〇分ころまでの勤務時間内職場集会をしたことにより、同年七月被上告人Fが減給一〇分の一を二か月、同Gが減給一〇分の一を三か月、同Eが戒告の各懲戒処分を受けていること等に照らせば、原審が挙げる諸事情を考慮したとしても、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足る事情も見当たらない以上、本件処分が懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えこれを濫用したものと判断することはできないものといわなければならない。これと異なる原審の判断は、ひつきよう、国公法八二条の解釈適用を誤つたものというべきである。 
 (四) むすび 
 原審の判断には右に述べた違法があり、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。 
 第二 結論 
 以上の次第で、原判決中上告人敗訴部分は、破棄を免れない。そこで、更に、右部分について判断するに、原審が確定した本件処分説明書の処分理由の記載に照らせば、本件処分説明書には本件処分を違法とする手続的瑕疵はなく、また、前述したところによれば、被上告人らは国公法八二条一、三号の懲戒事由に該当する(なお、当裁判所も八月一九日の被上告人Eの行為は国公法八二条三号に該当すると認める。)ところ、本件処分は右懲戒事由にあたることを理由として行われたものと解されるから、なんら不利益取扱いの禁止に違反するものではなく、また、前述のように本件処分は懲戒権の範囲を超えこれを濫用したものということはできないのであるから、本件処分に被上告人ら主張の違法はなく、その取消を求める被上告人らの本訴請求は、理由がない。したがつて、これと判断を異にする第一審判決を取り消し、被上告人らの請求をいずれも棄却すべきである。 
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官環昌一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見

 裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。 
 私は、被上告人らのように国公法の適用のもとにあつて行政事務に従事する公務員(以下単に「公務員」という。)に対して懲戒処分をしようとする場合に、その処分事由とされる当該公務員の行為が、職員の団体(以下便宜「組合」という。)の団体行動その他の行動に関連してなされたものであるとき、そして特に懲戒処分のうち免職処分を選択しようとするときには、以下にのべるような特別の考慮が要請されるのであり、本件においてこのような考慮をすると、多数意見とは反対の結論にいたらざるをえないと思う。 
 一 公務員は、国民全体の生存の確保のため片時も停廃することの許されない、いわば国民全体の共同の事務である行政事務を処理することによつて国民全体に奉仕するものとして、国民によつて選定されるものである。公務員も、憲法二八条にいう勤労者にあたるものであるが、右のようなその職務の極めて高い公共性に由来する特殊な性格をもつているため、そのいわゆる労働基本権については、これに内在するものとしての制約が存するのであり、国公法等の公務員関係法令中に定められている、いわゆる正当な労働基本権の行使を制約する規定であつても前述の趣旨に照らして合理的なものは適憲であると考えられる。そして、国公法九八条一項、二項(本件当時は旧九八条一項、五項)は、公務員が法令に従い上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないこと、同盟罷業等の争議行為や怠業的行為をしたり、これをあおつたりしてはならないことを定めており、これに違背した公務員は労働基本権の保障を理由とする民事上の免責を主張することができず、政府はこれに対して同法八二条の定めるところにより懲戒処分をすることができ、かつ、その処分の種類、程度は原則として処分権者と定められている者の合理的な裁量にゆだねられているものと解せられるが、このような労働基本権の制約は合理性を欠くものとは考えられない。各個の公務員たる職員は、前記のようなその職務の高い公共性とその遂行の重い責務を認識した上、その基本権には右のような制約があることを前提として、自らの意思によつて公務員となり政府と労使関係に立つにいたつたものであるから、このような制約に服すべきであることは当然である。しかし、そうだからといつて、公務員についてその憲法上の勤労者としての生存権を確保すべき要請の存することもまた否定することはできないから、組合やその役員が使用者たる政府の当局者に対して労働条件や当局の労働関係上の処置などについて、抗議したり、不満の意思を表明したり、是正や改善と考えられるところを申入れて認識や理解を求めたりするなどの行動をすることは、前記の制約に反せず、かつ節度をこえるものでない限り禁止されるものではなく、当局としてはこれに誠実に対応することが要請されているというべきである。その意味では、公務員の労使関係は、高度の相互信頼の上に成り立つているものと解せられる。 
 二 このように公務員と政府との関係には、公務員の地位の特殊性に基づく特別の関係としての面と実質上雇傭契約に類する合意の存在に基づく労使関係としての面とがあり、公務員の地位と職務内容に応じて、特殊性の面が特に強いとみられるものから、一般私企業の従業員と変らない労使関係にあるとみられるものまでが存在するから、前述の信頼関係にもまたこれに応じてその性質、程度に差異があると考えられるが、懲戒処分に関する規定は主として右にのべた労使関係の側面において働くものであると思う。そして、前記のように組合の行動に関連する職員の行為についてされる懲戒処分は、その行為を職務の不履行や右の信頼関係をそこなう非行などにあたるものとしてされる不利益処分(制裁)であつて、その本来のねらいは、その不利益のもつ抑止力によつて当該職員に対し将来を戒め再び右のような行為をすることによる公務の停廃を防止しようとするところにあると考えられる。従つて、国公法八二条に定める懲戒処分のうち、停職、減給又は戒告の処分(以下「停職等の処分」という。)のように、彼処分者に公務員たる地位を保有せしめたままなされる制裁が右のねらいに沿うものであることはいうまでもないが、これに反して免職処分は、その性質上その抑止力によつて、当該職員に将来の職務の完遂を期待するものでないことは明らかであり(副次的には他の職員に対する警告という他戒的なねらいのあることは否定しえないところであるが)、その実質は、国公法上身分を保障されている職員に対して、その義務の不履行や非行を原因とする労使関係消滅の効果を伴ういわば使用者による一方的な解約権の行使であつて、次にのべるような特別の不利益を伴うものであると解せられる。すなわち、今なおいわゆる生涯雇傭を通例とする我が国の労働事情のもとでは、通常の転職、勤務先の変更等でさえ、勤労者にとつて収入や生活の安定その他の面でなみなみならぬ障害となるものであることは明らかであるが、ましてや懲戒処分を理由とする離職の場合には、その社会的信用の格別の失墜と相まつて再就職が著しく困難となることは見やすいところである。のみならず、免職処分は、被処分者に対し退職手当金や恩給の受給権について著しい不利益を伴うものであり(国家公務員退職手当法八条一項一号、恩給法五一条一項一号、なお、国家公務員共済組合法九七条一項参照)、停職等の処分のうち最も重い一年の停職処分に比べてその実質上の厳しさは同日の比ではない。このようにみてくるといわゆる全農林事件判決(最高裁昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁)が、「労働基本権につき(中略)当然の制約を受ける公務員に対しても、法は、国民全体の共同利益を維持増進することとの均衡を考慮しつつ、その労働基本権を尊重し、これに対する制約、とくに罰則を設けることを、最少限度にとどめようとしている態度をとつているものと解することができる」と判示するところにうかがわれる法の精神は、懲戒処分に際し、右のようにその厳しさにおいて格別である免職処分を選択する裁量においても生かされるべきであつて、これを選択することには特別に慎重でなければならないというべきである。 
 以上のべたところから、私は、このような事案における懲戒処分が裁量権の範囲をこえず適法であるとされるためには、当該職員の職務上の義務の違背や非行の程度が重いというだけではなく、一般の事案における場合よりも特に慎重な配慮のもとで、なおかつ、その行為を徴憑として当該職員が全体の奉仕者である公務員としての自覚と責任感を著しく欠如することが明らかに認められるなど、労使間の前述の信頼関係が失われその回復が至難であることが、客観的に十分な合理性をもつて肯認できる場合でなければならないと考える。 
 三 以上の見地から、原審の確定したところに基づいて、本件処分事由とされる事実を、本件懲戒免職処分との関連でどのように評価すべきであるかを検討する。 
 (一) 八月一九日の件について 
 右の事案における被上告人Eの行為は、同機上告人ら組合員が、同じく組合員である訴外Aに対する処分事由や処分にいたる経過について当局側に説明を求め、かつ、抗議をした際行われたものであるが、同被上告人らの業務放棄の結果を伴つたものとはされていない。そして右Aに対する処分にいたるまでの経緯に照らしてみると、少なくとも同被上告人ら組合員が当局に説明を求めたり抗議すること自体理由のない不当な行為であつたとまではいえないし、他方これに対する当局側の対応が誠実なものであつたとはいい難い。もとより、原審認定のような当局側にもその生起に責なしとしないと考えられる緊迫した事態のもとであつても、同被上告人が原審認定のような暴言を吐いたり当局側の者の耳もとでマイクを使つたりしたことは、特に組合の役員の地位にある者の行為として確かに節度をこえて違法かつ無益無用のものであつたというべきではあるが、それは右のような事態のもとでの集団心理によるところが少なくなかつたと考えられ、また、同被上告人が暴力その他の物理力を直接あるいは組合員を指揮して行使させ当局側の者の退出を阻止したような事実までは認め難いところである。 
 (二) (イ)一〇月五日、二六日の件、(ロ)同月三一日ないし一一月二日の件、(ハ)一二月二日の件について 
 右(イ)(ロ)(ハ)の各日に行われた原審認定の被上告人らの各行動が、いずれも業務の放棄を含み職場秩序を乱す違法なものであり、従つて、これに対して出された当局側の職務上の命令は正当というほかはないから、被上告人らがこれに従わなかつたことも違法であることを免れない。また、その間に行われた被上告人ら組合員の具体的言動にも節度をこえ違法にわたるところが少なからずあつたことを否定することはできない。 
 しかしながら、その行動の内容、実質についてみると、右三件ともそれは窮極的には使用者たる政府の労働政策ないし労働条件に関する組合としての抗議ないし不満の意思の表明であり、神戸税関当局との関係では組合の要員不足の主張に基づいた、抗議等の意思の表明を中心とするものであつたとみるべきものである。そして、原審認定の次のような事情、すなわち昭和三六・三七年度において相当数の増員が行われ神戸税関にもかなり多数の配分があつたことから同税関当局も人員増加の必要性を認め、これを要求していたものと推測されること、横浜税関に比べても神戸税関の処理事務が特に繁忙であつたとはいえない状態であつたことなどを考慮してみても、組合がそれでもなお要員不足が解消されないとして、当局に不満の意思を表明し、その認識を求める必要があると考えたことが必ずしも不当であるとはいえないし、他に従来の当局のこれに対する対応等の関連から、このような意思の表明をすること自体が不当ないし不必要なものであつたとするに足る特別の事情の存在も認め難い。また、前記(イ)の事案はもともと組合が全税関労組本部の指令に従つてしたものであつて、始業時を選び、実質的に比較的短時間の業務放棄に制限して行動していること、(ロ)の事案において当局のいわゆる重点審査の指示に対し、被上告人らがその文書化を要求したのも、もともと組合員たる職員の被上告人ら役員に対する要請に端を発したものであり、その経緯からみて怠業行為の引延ばしや当局に対するいわゆるいやがらせのねらいをもつてされたものとまで認めることは相当でなく、また、右の事案では一部分を除いて結局仕事はその日のうちにほぼ処理されていること、(ハ)の事案においても、被上告人らは結局組合員をして超過勤務命令に服させたため、その日の仕事の処理は終つていることなどの諸事情にかんがみると、被上告人らが組合の役員としてその職務の高い公共性を認識して国民に対する影響を大きくしないようそれなりに配慮し自制したことをうかがうことができる。なお、被上告人らその他の組合員の当局との折衝、デモ行進、いわゆるシユプレヒコールなどにおける節度をこえ粗暴にわたる発言、振舞などは、すべて集団行動時における附随的なものと考えられ、さきに(一)の事案における暴言についてのべたところと同様本件の本質的な考慮においてはこれをしかく重視すべきものとも思われない。 
 四 以上検討したところを総合して考えると、右の各事案における被上告人らのそれぞれの行為の情状、その国民に対する影響ひいては被上告人らの責任が、軽視することを許されない重大なものであるとすることも理解できないではないが、被上告人らが自らの職務の公共性に対する認識とその遂行に対する責任感とを著しく欠くものであり、被上告人らの地位と職務内容に相応する労使間の相互の信頼関係がもはや回復し難いと認められる程度にまで失われたとみることは、前記のような慎重な考慮のもとでは、納得しがたいところである。のみならず、被上告人らの本件処分の前の処分歴は、多数意見が拳示するとおり被上告人Fは減給一〇分の一を二か月、同Gは減給一〇分の一を三か月、同Eについては戒告の処分をいずれも一回受けたというにとどまるのであるから、停職等の処分による抑止力に期待することが不可能であり、今直ちに前述したような特別に厳しい免職処分によりこれを職場外に放逐するほかないとした上告人の裁量はあまりにも性急にすぎるものであつて妥当なものとは考えられない。従つて、被上告人らの本件処分事由とされる行為は、何らかの懲戒処分を受けるに値する違法なものであるとはいえ、これに対してなされた本件懲戒免職処分を適法とする多数意見の結論には賛同し難く、原判決はその結論において正当としてこれを是認することができるので、本件上告は排斥を免れないものと考える。 
 (裁判長裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己 裁判官 服部髙顯 裁判官 環昌一) 


労働法 労使関係の当事者 労働者 労働組合法上の労働者


・+(労働者)
労働組合法第3条
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう。

=賃金等を得て生活している者であればよく、賃金等にのみ依存して生活する者という意味ではない!
=経済的従属性に着目

・労組法3条は「使用されること」を「労働者」の要件としていない。
←これは、労働基準法9条が同法の設定する労働条件の最低基準により保護される者の範囲を定めているのに対して、労組法3条は労働組合を結成して使用者と団体交渉を行う権利を保障すべき者の範囲を定めたものだから。

・労組法上の労働者の判断基準の基本的判断要素

労務提供者が不可欠な労働力として事業組織に組み入れられているか
契約内容(労働条件や提供する労務の内容)を相手が一方的定型的に決定しているか
報酬が労務の対価としての性質を持つか
補充的判断要素として
④業務の依頼に対する諾否の事由があるか
⑤広い意味での指揮監督関係(一定の時間的場所的拘束)が認められているか
消極的判断要素として
⑥顕著な事業者性

+判例(H23.4.12)INAXメンテナンス
上告代理人諏訪康雄ほかの上告受理申立て理由,上告補助参加代理人村田浩治ほかの上告受理申立て理由について
1 本件は,住宅設備機器の修理補修等を業とする会社である被上告人が,被上告人と業務委託契約を締結してその修理補修等の業務に従事する者(被上告人の内部においてカスタマーエンジニアと称されていた。以下「CE」という。)が加入した労働組合である上告補助参加人らからCEの労働条件の変更等を議題とする団体交渉の申入れを受け,CEは被上告人の労働者に当たらないとして上記申入れを拒絶したところ,上告補助参加人らの申立てを受けた大阪府労働委員会から被上告人が上記申入れに係る団体交渉に応じないことは不当労働行為に該当するとして上記団体交渉に応ずべきこと等を命じられ,中央労働委員会に対し再審査申立てをしたものの,これを棄却するとの命令(以下「本件命令」という。)を受けたため,その取消しを求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 被上告人は,親会社である株式会社C(以下「C」という。)が製造したトイレ,浴室,洗面台,台所等に係る住宅設備機器の修理補修等を主たる事業とする株式会社である。被上告人の従業員約200名のうち修理補修業務に従事する可能性がある者は,サービス長(平成19年当時の人員数は11名で,通常は全国に57か所あるサービスセンターの管理を行う。)及びFGと呼ばれる技術担当者(平成19年当時の人員数は16名で,難易度の高い修理やCEの研修等を担当する。)に限定されており,修理補修業務の大部分は約590名いるCEによって行われていた。
イ 上告補助参加人A一般労働組合B本部は,主に運輸業に従事する労働者によって組織された労働組合であり,上告補助参加人A一般労働組合D支部は,その下部組織である。A一般労働組合建設D支部E分会(以下,上告補助参加人らと併せて「本件各組合」と総称する。)は,CEによって組織された上告補助参加人らの下部組織である。
(2)被上告人は,CEになろうとする者との間で,「業務委託に関する覚書」と題する文書に記載した内容で業務委託契約を締結していた。上記契約等の概要は,以下のとおりである。
ア 被上告人とCEとは,それぞれ独立した事業者であることを認識した上で契約を遂行し(1条),委託業務の内容は,C製品全般のアフターサービス(修理,点検),リフレッシュサービス及び販売・取付けその他関連業務である(3条)。被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,各CEがCE認定制度に定める基準に基づく資格要件を満たしていることを確認するとともに,能力,実績,経験等を基準に級を毎年定めるCEライセンス制度を導入する(2条)。
イ 被上告人は,CEが居住する地域等を考慮の上,管轄する営業所及びサービスセンターを決定し,CEは,善良なる管理者の注意をもって業務を直ちに遂行するが,業務を遂行することができないときはその旨及び理由を直ちに被上告人に通知する(4条)。CEは,業務遂行後,遅滞なく被上告人及び関係先に経過及び完了の報告を行い(5条),毎月5日までに翌月の業務計画(発注連絡を取ることができる日時)を被上告人に通知し(ただし,業務計画については,被上告人において諸事情を勘案して一部変更することがある。11条),被上告人から無償貸与される制服を着用する(8条)。
ウ 業務委託契約は,双方に異議がないときは,1年ごとに更新される(18条)。
なお,業務委託契約には業務遂行の方法等について特段の定めは置かれていないが,同契約とは別に,被上告人は,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国で一定水準以上の技術による確実な事務の遂行に資するため,CEに対し,業務マニュアル,安全マニュアル,修理マニュアル,新人研修マニュアル等,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法,CEとしての心構えや役割,接客態度等を記載した各種のマニュアルを配布し,これに基づく業務の遂行を求めていた
(3)業務委託手数料は,顧客又はCにCEがそれぞれ請求する金額に,ランキング制度において当該CEの属する級ごとに定められた一定率を乗ずる方法で支払うものとされていた。被上告人は,毎年1回,CEの能力,実績及び経験を基にCEを評価し,5段階ある級の昇格,更新及び降格の判定を行っていた。
顧客等に対する請求金額は,商品や修理内容に従って被上告人があらかじめ全国一律で決定していた。CEは,修理補修等の難易度や別のCEを補助者として使用したこと等を理由にある程度割増しして請求することも認められていたが,これは被上告人の従業員であるサービス長等が修理補修等を行った場合においても同様であった。
また,被上告人は,CEに対し,休日や委託時間帯以外の時間に業務を委託する場合には別途定める業務委託手数料を支払うとともに,移動距離に応じて出張料を支払っていた。
(4)ア 被上告人は,全国を7区分して各地域ごとに営業所を置き,その下に複数のサービスセンターを配置した。そして,CEの居住場所や過去の業務発生状況等に従って各サービスセンターの管轄区域を細分化し,CEの担当地域を決定していた(一つの地域に複数のCEを順位を付けて担当させることもあった。)。また,被上告人は,各CEと調整した上でその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日の業務についても,各CEが交替で業務を担当するよう要請していた。
イ 被上告人は,顧客からの修理補修等の発注を全国に4か所ある修理受付センターで受け付けた後,顧客の所在場所を担当地域とするCEにこれを割り振って委託業務として依頼していた。その依頼は,原則として業務日の午前8時30分から午後7時までの間に,緊急を要する場合等には修理受付センターからCEに直接電話する方法で,それ以外の通常の場合にはCEに対してあらかじめ所持することが指示されている情報端末に修理依頼データ(訪問日時,顧客の氏名・電話番号・住所,対象となる商品の商品番号及びその取付け年月日,修理依頼内容等)を送信する方法で行われていた。
依頼を受けたCEが応諾した場合には当該CEが修理補修等を遂行するが,当該CEが断った場合等には、被上告人は,順位が下位のCE又は別の担当地域のCEに依頼し,又はサービスセンターにいる被上告人の従業員にこれを遂行させていた。修理依頼データを送信する方法が採られる場合,CEが承諾拒否通知をする割合は1%弱であった。CEが承諾を拒否した理由がたとい業務の遂行とは無関係の事情によるものであったとしても,被上告人がそのことをもって業務委託契約の債務不履行であると判断することはなかった
ウ CEは,修理補修等の依頼を受けた後,直ちに顧客と連絡を取って修理補修等の日時を調整し,調整された時間に顧客先等を訪問して修理補修等の作業を行っていた。その際,CEは,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,場合によっては顧客先でC製品のリフォーム等の営業活動も行っていた。 CEは,修理依頼データを受信し,かつ,承諾拒否通知をしなかったものの業務に対応することができない場合には,被上告人にその旨を報告した上で他のCEにこれを委ねることも認められており,発注件数の約6%はこの方法によりCEの変更手続がとられていた。
エ CEは,修理補修等の業務が終了したときは,顧客に対し,被上告人所定の検査確認用紙に署名押印を求め,顧客の名前,住所,業務日,業務内容,所定の料金その他を記載したサービス報告書を被上告人に送付していた。また,CEは,顧客から代金を回収し,これを週1回程度被上告人に振込送金していた。その他,CEは,業務日ごとに行動の予定,経過,結果等を被上告人に報告することになっていた。
オ 平成16年7月当時,CEの作業時間は1件平均約70分,1日平均計3.7時間であり,被上告人からの平均依頼件数は月113件,平均休日取得日数は月5.8日であった。
(5)本件各組合は,平成16年9月6日,被上告人に対し,連名で,CEが上告補助参加人らに加入したことなどが記載された労働組合加入通知書とともに,不当労働行為を行わないこと,組合員の労働条件の変更等は本件各組合と事前協議し,合意の上で実施すること,組合員の契約内容の変更や解除は一方的に行わず,本件各組合と協議し,合意の上実施すること,組合員の手当,割増賃金及び出張費等を支払うこと,組合員の年収の保障(最低年収550万円)をすること,その貸与する機材の損傷等に関しては被上告人において負担すること,CE全員を労働者災害補償保険に加入させること等を要求する書面(これらの要求項目を以下「本件議題」という。)を提出し,同時に,本件議題について団体交渉の申入れをした。被上告人は,本件各組合に対し,同月15日,CEは独立した個人事業主であることを確認の上で業務委託契約を締結しており,労働組合法上の労働者に当たらないので,被上告人には団体交渉に応ずる義務はなく,CEの要望は各地区ごとの会議で聴取する旨記載した回答書を交付した。その後も,本件各組合は,被上告人に対し,本件議題に係る団体交渉の申入れを3回にわたって行ったが,被上告人は,その都度,同様の理由により,本件各組合との団体交渉に応ずる義務はない旨回答した。
(6)上告補助参加人らは,平成17年1月27日,大阪府労働委員会に対し,被上告人が上記(5)の各申入れに係る団体交渉に応じなかったことは不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,被上告人の対応は不当労働行為に該当するとして,被上告人に対し団体交渉に応ずべきこと等を命ずる旨の救済命令を発した。被上告人は中央労働委員会に対し再審査申立てをしたが,同委員会は,これを棄却する旨の本件命令を発した。

3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,CEは被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,上告補助参加人らによる上記各申入れに対する被上告人の対応について不当労働行為が成立する余地はないとして,本件命令を取り消すべきものとした。CEは,被上告人と業務委託契約を締結しているものであるが,個別の業務は被上告人からの発注を承諾することによって行っており,上記契約とは無関係の理由によってこれを拒絶することが認められているなど,業務の依頼に対して諾否の自由を有しており,業務を実際にいついかなる方法で行うかについては全面的にその裁量に委ねられているなど,業務の遂行に当たり時間的場所的拘束を受けず,業務の遂行について被上告人から具体的な指揮監督を受けることもなく,その報酬も,CEの裁量による請求額の増額を認めた上でその行った業務の内容に応じた出来高として支払われており,独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていた。したがって,CEの基本的性格は,被上告人の業務受託者であり,いわゆる外注先とみるのが実体に合致して相当というべきであって,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たるということはできない。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係等によれば,被上告人の従業員のうち,被上告人の主たる事業であるCの住宅設備機器に係る修理補修業務を現実に行う可能性がある者はごく一部であって,被上告人は,主として約590名いるCEをライセンス制度やランキング制度の下で管理し,全国の担当地域に配置を割り振って日常的な修理補修等の業務に対応させていたものである上,各CEと調整しつつその業務日及び休日を指定し,日曜日及び祝日についても各CEが交替で業務を担当するよう要請していたというのであるから,CEは,被上告人の上記事業の遂行に不可欠な労働力として,その恒常的な確保のために被上告人の組織に組み入れられていたものとみるのが相当である。また,CEと被上告人との間の業務委託契約の内容は,被上告人の定めた「業務委託に関する覚書」によって規律されており,個別の修理補修等の依頼内容をCEの側で変更する余地がなかったことも明らかであるから,被上告人がCEとの間の契約内容を一方的に決定していたものというべきである。さらに,CEの報酬は,CEが被上告人による個別の業務委託に応じて修理補修等を行った場合に,被上告人が商品や修理内容に従ってあらかじめ決定した顧客等に対する請求金額に,当該CEにつき被上告人が決定した級ごとに定められた一定率を乗じ,これに時間外手当等に相当する金額を加算する方法で支払われていたのであるから,労務の提供の対価としての性質を有するものということができる。加えて,被上告人から修理補修等の依頼を受けた場合,CEは業務を直ちに遂行するものとされ,原則的な依頼方法である修理依頼データの送信を受けた場合にCEが承諾拒否通知を行う割合は1%弱であったというのであって,業務委託契約の存続期間は1年間で被上告人に異議があれば更新されないものとされていたこと,各CEの報酬額は当該CEにつき被上告人が毎年決定する級によって差が生じており,その担当地域も被上告人が決定していたこと等にも照らすと,たといCEが承諾拒否を理由に債務不履行責任を追及されることがなかったとしても,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,CEは,基本的に被上告人による個別の修理補修等の依頼に応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,CEは,被上告人が指定した担当地域内において,被上告人からの依頼に係る顧客先で修理補修等の業務を行うものであり,原則として業務日の午前8時半から午後7時までは被上告人から発注連絡を受けることになっていた上,顧客先に赴いて上記の業務を行う際,Cの子会社による作業であることを示すため,被上告人の制服を着用し,その名刺を携行しており,業務終了時には業務内容等に関する所定の様式のサービス報告書を被上告人に送付するものとされていたほか,Cのブランドイメージを損ねないよう,全国的な技術水準の確保のため,修理補修等の作業手順や被上告人への報告方法に加え,CEとしての心構えや役割,接客態度等までが記載された各種のマニュアルの配布を受け,これに基づく業務の遂行を求められていたというのであるから,CEは,被上告人の指定する業務遂行方法に従い,その指揮監督の下に労務の提供を行っており,かつ,その業務について場所的にも時間的にも一定の拘束を受けていたものということができる
なお,原審は,CEは独自に営業活動を行って収益を上げることも認められていたともいうが,前記事実関係等によれば,平均的なCEにとって独自の営業活動を行う時間的余裕は乏しかったものと推認される上,記録によっても,CEが自ら営業主体となって修理補修を行っていた例はほとんど存在していなかったことがうかがわれるのであって,そのような例外的な事象を重視することは相当とはいえない。以上の諸事情を総合考慮すれば,CEは,被上告人との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。

5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,前記事実関係等によれば,本件議題はいずれもCEの労働条件その他の待遇又は上告補助参加人らと被上告人との間の団体的労使関係の運営に関する事項であって,かつ,被上告人が決定することができるものと解されるから,被上告人が正当な理由なく上告補助参加人らとの団体交渉を拒否することは許されず,CEが労働組合法上の労働者に当たらないとの理由でこれを拒否した被上告人の行為は,労働組合法7条2号の不当労働行為を構成するものというべきである。したがって,本件命令の取消しを求める被上告人の請求を棄却した第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴を棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。

+補足意見
裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
本件では,被上告人は,CEは独立した事業者であり,被上告人とCEとの契約関係は,被上告人が行う業務の一部の業務委託であって一般の外注契約関係と異ならないと主張し,原審は,その主張を認めてCEは労働組合法上の労働者には該たらないと認定していることに鑑み,以下のとおり補足意見を述べる。
原判決の認定によれば,被上告人は,Cブランドの住宅設備機器のアフターメンテナンスを主力事業とする会社であり,Cのブランドイメージを低下させないよう全国一律に一定水準の技術をもって確実に修理補修等を行うことを目的として,認定制度やランキング制度を伴うCE制度を導入した。
上記制度の趣旨からすれば,本来,CE制度の対象者は,CE制度の求める技術者(以下「有資格者」という。)を擁して,その制度の求める業務を提供する能力を備えているならば,法人であるか個人事業者であるかを問わず,また,その者がCEとしての業務以外に主たる業務を有していても差し支えないことになる。また,その者が有資格者を複数擁しているときは,業務委託契約書に定める管轄営業所及びサービスセンターを複数選定することもなし得ることになる。このように,CE制度の対象者がCE制度の求める業務以外に主たる業務を行っていたり,CE制度の対象者が複数の有資格者を雇傭し複数の管轄営業所やサービスセンターを担当しているような場合には,少なくとも当該事業者と被上告人との契約関係は純然たる業務委託契約であって,一般の外注契約関係と異ならないものといえよう。
ところが,本件では,記録上,被上告人のCE募集広告の一部に,「個人,法人共に可」との記載は見られるものの,被上告人と本件業務委託契約を締結しているCE中に法人が含まれるとの主張はない。また,本件で証拠として提出されている業務委託契約書(第1審判決・別紙4)の様式及びその内容は,専ら有資格者が自ら個人として直接の受託者となる場合を予定するものであり,過去においてもこれと異なる態様で本件業務委託契約が締結されたことをうかがわせる証拠は存しない。そして,法廷意見において指摘するとおり,本件業務委託契約の内容及びその委託業務履行の実態からして,CEがCEとしての業務以外に主たる業務を有していることもうかがわれない。
さらに,それに加えて,被上告人がインターネットに掲示していたCEの募集広告では,「勤務地」,「勤務時間」,「給与」,「待遇・福利厚生」,「休日・休暇」等の項目の記載があり,それらの各項目からして,その募集広告は,被上告人が行う事業に係る外注業者を募集する内容とは到底いえず,また,本件業務委託契約の内容を補充する「CEライセンス制度」の説明文中には,「福利厚生及び功労的特典」として「健康診断」,「慶弔会」,「リフレッシュ休暇手当」(契約10年目以後5年ごとに金券を支給するもの),「休業保障」(忌引き)等,独立した事業者との契約内容にそぐわない事項が定められている。また,被上告人がCEに携行させていた名刺には,氏名の肩書きに「○○サービスセンター」と記載し,氏名の下部には被上告人の会社名のみが記載されており,平成14年ころまでCEに携行させていた身分証明書には,「上記の者は,当社従業員であることを証明します」と記載して,被上告人の会社名を記載して押印したものが発行されていた(その後「上記の者は当社が製品のメンテナンス業務を委託する者であることを証明します」との証明書に変更されていると認められる)のである。
以上の事実関係からすれば,CEが労働組合法上の労働者に該当することは明らかであって,それを否定する余地はないというべきである。

+判例(H23.4.12)オペラの方 新国立劇場運営財団
平成21年(行ヒ)第226号上告代理人廣見和夫ほかの上告受理申立て理由,同上告参加代理人古川景一,同川口美貴の各上告受理申立て理由及び同第227号上告代理人古川景一,同川口美貴,同水口洋介ほかの各上告受理申立て理由について
1 本件は,年間を通して多数のオペラ公演を主催している財団法人である平成21年(行ヒ)第226号被上告人・同第227号被上告参加人X1(以下「被上告財団」という。)が,音楽家等の個人加盟による職能別労働組合である平成21年(行ヒ)第226号上告参加人・同第227号上告人X2(以下「上告組合」という。)に加入している合唱団員1名につき,毎年実施する合唱団員選抜の手続において,過去4年間は,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーの合唱団員として合格とし,その者との間で期間1年の出演基本契約を締結していたが,次期シーズンについては上記の者を不合格としたこと及びこのことに関する上告組合からの団体交渉の申入れに応じなかったことについて,東京都労働委員会において,被上告財団が上記申入れに応じなかったことは不当労働行為に該当するが上記の者を不合格としたことはこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,上告組合のその余の申立てを棄却する旨の命令を発し,中央労働委員会において,被上告財団及び上告組合の各再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発したため,被上告財団及び上告組合が,中央労働委員会の上記命令に関し,それぞれ各自の再審査申立てを棄却した部分の取消しを求める事案である。

2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)ア 上告組合は,職業音楽家と音楽関連業務に携わる労働者の個人加盟による職能別労働組合である。
イ 被上告財団は,新国立劇場の施設において現代舞台芸術の公演等を行うとともに同施設の管理運営を行っている財団法人であり,年間を通して多数のオペラ公演を主催している。
(2)ア 被上告財団は,毎年,主催するオペラ公演に出演する新国立劇場合唱団のメンバーを試聴会を開いて選抜し,合格者との間で,8月から翌年7月までの年間シーズンの全ての公演(ただし,被上告財団が当該シーズンの開始前にあらかじめ出演を指定しないものがある。例えば,男声合唱だけの演目には女性団員は出演しないし,他の合唱団が出演する演目もある。)に出演することが可能である契約メンバーと,被上告財団がその都度指定する公演に出演することが可能である登録メンバー(契約メンバーだけでは合唱団のメンバーが足りない場合等に合唱団に加わることになる。)に分けて,出演契約を締結していた。
イ 契約メンバーは毎年40名程度であり,メンバーは毎年入れ替わりがあった。被上告財団が主催するオペラ公演は,年間10~12の公演があり,1公演につき2~8回の上演が行われていた。
(3)ア 試聴会は,次期シーズンの契約を希望する合唱団のメンバー及び公募による参加者を対象に,新国立劇場のオペラ芸術監督や合唱指揮者らがオペラ・アリア等の歌唱技能を審査するものであり,被上告財団は,試聴会の審査結果等により,契約メンバー合格者及び登録メンバー合格者を選抜した。契約メンバー合格者の方が合格に要する技能等の水準が高かった。
イ 被上告財団は,契約メンバー合格者に対して,期間を1年とする出演基本契約の締結を申し出て,面談の上,契約メンバーになることとなった者との間で,同契約を締結し,その上で,各公演ごとに個別公演出演契約を締結していた。これに対し,登録メンバー合格者(契約メンバー合格者のうち,本人の希望又は面談の結果,登録メンバーになることとなった者を含む。)は,被上告財団との間で,その出演する公演ごとに出演契約を締結した。
(4)ア 被上告財団と契約メンバーとの間で締結されていた出演基本契約の主な内容は,次のとおりである。なお,同契約の内容は,被上告財団が一方的に決定しており,各メンバーにより出演対象となる公演が異なるほかは,全ての契約メンバーに共通である。
(ア)被上告財団は,契約メンバーに対し,被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾する。
(イ)契約メンバーが出演する公演(以下「個別公演」という。)は,出演基本契約に係る契約書(以下「出演基本契約書」という。)の別紙「出演公演一覧」に記載のとおりとする(なお,同別紙には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されており,この記載は,各契約メンバーごとに異なっていた。)。
(ウ)契約メンバーは,合唱メンバーとして個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行う。
(エ)契約メンバーが個別公演に出演するに当たり,被上告財団と契約メンバーは,契約メンバーの個別公演への出演を確定し,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等を定めるため,原則として当該個別公演の稽古が開始される月の前々月の末日までに,個別公演出演契約を締結する。個別公演出演契約に係る契約書に記載されない事項については,出演基本契約に従うものとする。
(オ)被上告財団は,契約メンバーに対し,出演業務の遂行に対する報酬を,個別公演出演契約締結の上,個別公演ごとに支払う。報酬は,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価等に基づいて算定する(なお,同別紙には,報酬は公演出演料(1回当たりの金額が定められている。)及び超過稽古手当(超過時間により区分された金額が定められている。)等から成ること,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額すること等が記載されていた。)。
イ 出演基本契約書の条項には,被上告財団が契約メンバーに対して個別公演出演契約の締結を申し出た場合に契約メンバーにその締結を義務付ける旨を明示する規定や,契約メンバーが被上告財団以外の者が主催する公演に出演したり,個人公演を開いたり,個人レッスンをしたりすること等の音楽活動を禁止,制限する規定はなかった。
(5)ア 前記(4)ア(エ)に基づき締結される個別公演出演契約には,出演を確定する個別公演の公演日程等が定められたほか,当該個別公演の出演業務の内容及び出演条件等は,同契約に係る契約書に定める特記事項を除き,全て出演基本契約のとおりとすること等が定められた。
イ 被上告財団は,個別公演の稽古等の確定した日程を,その稽古等が行われる月の前々月の末日までに決定し,契約メンバーに提示していた。歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については,合唱指揮者等の指揮があった。また,前記(4)ア(オ)のとおり,出演基本契約上,稽古を欠席,遅刻又は早退した場合には報酬を減額することが定められており,実際にも,契約メンバーは,稽古への参加状況について被上告財団の監督を受けていた。
(6)ア 実際の運用では,契約メンバーが,当該シーズンの一部の個別公演への出演を辞退し,個別公演出演契約を締結しないことがあった。もっとも,辞退の件数は,1シーズンにつき延べ数件程度とかなり少なく,また,辞退の理由の大半は,出産,育児によるものや他の公演への出演によるものであった。
イ 被上告財団は,個別公演への出演を辞退した契約メンバーに対しても,当該契約メンバー本人に特段の希望がある場合や当該契約メンバーが試聴会で不合格となった場合を除き,翌シーズンの出演基本契約の締結を申し出ており,再契約において特に不利な取扱いをしたことはなかった。契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由として被上告財団から制裁を課されたこともなかった。
ウ 契約メンバー合格者は,出演基本契約締結のための面談の際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望された。もっとも,契約メンバーとして同契約を締結するに当たって,全ての個別公演に確定的に出演することができる旨の申告や届出が要求されることはなく,1,2の個別公演には出演することができないという者でも,被上告財団の意向により契約メンバーとなる者がいた。他方,契約メンバー合格者であっても,本人の希望により登録メンバーとなる者や,出演することができる公演が限られることから被上告財団の意向により登録メンバーとなる者がいた。
(7)ア Aは,上告組合に加入している者であり,新国立劇場合唱団の契約メンバーとして,平成11年8月から同15年7月までの4シーズンにわたり,毎年,被上告財団との間で出演基本契約を締結した上,各公演ごとに個別公演出演契約を締結し,公演に出演していた。Aは,その間,被上告財団から,年間約300万円の報酬(超過稽古手当を含む。)を受けていた。
イ Aは,平成13年1月から同年3月まで文化庁在外派遣研修員としてウィーンに派遣され,その間,予定されていた公演への出演を辞退したが,翌シーズンも契約メンバーとして出演基本契約を締結した。
ウ Aが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて,約230日であった。Aは,その間,個人でリサイタルを開いたり,生徒に個人レッスンをするなどの音楽活動も行っていた。
(8)ア Aは,被上告財団から,平成15年2月20日,同年8月から始まるシーズンについて,試聴会の審査の結果,契約メンバーとしては不合格であると告知された(以下,被上告財団がAを不合格としたことを「本件不合格措置」という。)。
イ 上告組合は,平成15年3月4日,被上告財団に対し,文書により,「Aの次期シーズンの契約について」を議題とする団体交渉の申入れ(以下「本件団交申入れ」という。)を行った。これに対し,被上告財団は,同月7日,「A氏と当財団との関係が雇用関係にないので,これを前提とする団体交渉申入れは受諾出来ない」などと文書で回答した。
(9)上告組合は,平成15年5月6日,東京都労働委員会に対し,本件不合格措置及び本件団交申入れに対する被上告財団の対応が不当労働行為に当たるとして,救済申立てをしたところ,同委員会は,本件団交申入れに対する被上告財団の対応は不当労働行為に該当するが本件不合格措置はこれに該当しないとして,被上告財団に対し団体交渉に応ずべきこと等を命じ,その余の申立てを棄却する旨の命令を発した。同命令に関し,被上告財団は救済を命じた部分につき,上告組合は申立棄却部分につき,中央労働委員会に対しそれぞれ再審査を申し立てたが,同委員会は,これらの再審査申立てをいずれも棄却する旨の命令を発した。

3 原審は,上記事実関係等の下において要旨次のとおり判断し,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たらず,したがって,本件団交申入れに対する被上告財団の対応及び本件不合格措置について不当労働行為が成立する余地はないとして,被上告財団の請求を認容し,上告組合の請求を棄却すべきものとした。契約メンバーは,被上告財団と出演基本契約を締結しただけでは個別公演に出演する法的な義務はなく,個別公演出演契約を締結する法的な義務はないというべきであるから,契約メンバーには,労務ないし業務を提供することについて諾否の自由がないとはいえない。また,契約メンバーは,個別公演出演契約を締結しない限り,業務遂行の日時,場所,方法等について被上告財団の指揮監督を受けることはない。さらに,契約メンバーは,出演基本契約を締結しただけでは報酬の支払を受けることはなく,他方で,出演することが予定されている公演はあらかじめ決まっており,予定された公演以外に随時出演を求められることはないから,被上告財団との間の指揮命令,支配監督関係は相当に希薄というべきである。したがって,契約メンバーが被上告財団との間で出演基本契約を締結したことによって,労務ないし業務の処分について被上告財団から指揮命令,支配監督を受ける関係になっているとは認められず,契約メンバーであるAは労働組合法上の労働者に当たるということはできない。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記事実関係等によれば,出演基本契約は,年間を通して多数のオペラ公演を主催する被上告財団が,試聴会の審査の結果一定水準以上の歌唱技能を有すると認めた者を,原則として年間シーズンの全ての公演に出演することが可能である契約メンバーとして確保することにより,上記各公演を円滑かつ確実に遂行することを目的として締結されていたものであるといえるから,契約メンバーは,上記各公演の実施に不可欠な歌唱労働力として被上告財団の組織に組み入れられていたものというべきである。また,契約メンバーは,出演基本契約を締結する際,被上告財団から,全ての個別公演に出演するために可能な限りの調整をすることを要望されており,出演基本契約書には,被上告財団は契約メンバーに対し被上告財団の主催するオペラ公演に出演することを依頼し,契約メンバーはこれを承諾すること,契約メンバーは個別公演に出演し,必要な稽古等に参加し,その他個別公演に伴う業務で被上告財団と合意するものを行うことが記載され,出演基本契約書の別紙「出演公演一覧」には,年間シーズンの公演名,公演時期,上演回数及び当該契約メンバーの出演の有無等が記載されていたことなどに照らせば,出演基本契約書の条項に個別公演出演契約の締結を義務付ける旨を明示する規定がなく,契約メンバーが個別公演への出演を辞退したことを理由に被上告財団から再契約において不利な取扱いを受けたり制裁を課されたりしたことがなかったとしても,そのことから直ちに,契約メンバーが何らの理由もなく全く自由に公演を辞退することができたものということはできず,むしろ,契約メンバーが個別公演への出演を辞退した例は,出産,育児や他の公演への出演等を理由とする僅少なものにとどまっていたことにも鑑みると,各当事者の認識や契約の実際の運用においては,契約メンバーは,基本的に被上告財団からの個別公演出演の申込みに応ずべき関係にあったものとみるのが相当である。しかも,契約メンバーと被上告財団との間で締結されていた出演基本契約の内容は,被上告財団により一方的に決定され,契約メンバーがいかなる態様で歌唱の労務を提供するかについても,専ら被上告財団が,年間シーズンの公演の件数,演目,各公演の日程及び上演回数,これに要する稽古の日程,その演目の合唱団の構成等を一方的に決定していたのであり,これらの事項につき,契約メンバーの側に交渉の余地があったということはできない。そして,契約メンバーは,このようにして被上告財団により決定された公演日程等に従い、各個別公演及びその稽古につき,被上告財団の指定する日時,場所において,その指定する演目に応じて歌唱の労務を提供していたのであり,歌唱技能の提供の方法や提供すべき歌唱の内容については被上告財団の選定する合唱指揮者等の指揮を受け,稽古への参加状況については被上告財団の監督を受けていたというのであるから,契約メンバーは,被上告財団の指揮監督の下において歌唱の労務を提供していたものというべきである。なお,公演や稽古の日時,場所等は,上記のとおり専ら被上告財団が一方的に決定しており,契約メンバーであるAが公演への出演や稽古への参加のため新国立劇場に行った日数は,平成14年8月から同15年7月までのシーズンにおいて約230日であったというのであるから,契約メンバーは時間的にも場所的にも一定の拘束を受けていたものということができる。さらに,契約メンバーは,被上告財団の指示に従って公演及び稽古に参加し歌唱の労務を提供した場合に,出演基本契約書の別紙「報酬等一覧」に掲げる単価及び計算方法に基づいて算定された報酬の支払を受けていたのであり,予定された時間を超えて稽古に参加した場合には超過時間により区分された超過稽古手当も支払われており,Aに支払われていた報酬(上記手当を含む。)の金額の合計は年間約300万円であったというのであるから,その報酬は,歌唱の労務の提供それ自体の対価であるとみるのが相当である。以上の諸事情を総合考慮すれば,契約メンバーであるAは,被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たると解するのが相当である。 
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そこで,Aが被上告財団との関係において労働組合法上の労働者に当たることを前提とした上で,被上告財団が本件不合格措置を採ったこと及び本件団交申入れに応じなかったことが不当労働行為に当たるか否かについて更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見により,主文のとおり判決する。

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刑法 刑法各論 取引等の安全に対する罪 ~通貨偽造


第1節 総説
証明・決算手段に対する公衆の信用を保護しようとする。

第2節 通貨偽造罪

+   第十六章 通貨偽造の罪

(通貨偽造及び行使等)
第百四十八条  行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2  偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

(外国通貨偽造及び行使等)
第百四十九条  行使の目的で、日本国内に流通している外国の貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、二年以上の有期懲役に処する。
2  偽造又は変造の外国の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

(偽造通貨等収得)
第百五十条  行使の目的で、偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を収得した者は、三年以下の懲役に処する。

未遂罪
第百五十一条  前三条の罪の未遂は、罰する。

(収得後知情行使等)
第百五十二条  貨幣、紙幣又は銀行券を収得した後に、それが偽造又は変造のものであることを知って、これを行使し、又は行使の目的で人に交付した者は、その額面価格の三倍以下の罰金又は科料に処する。ただし、二千円以下にすることはできない。

(通貨偽造等準備)
第百五十三条  貨幣、紙幣又は銀行券の偽造又は変造の用に供する目的で、器械又は原料を準備した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

1.総説
保護法益=通貨の真正に対する公衆の信用、国の通貨発行権

2.通貨偽造罪・同行使等罪
(1)総説
偽造通貨行使罪=侵害犯
通貨偽造罪=危険犯

(2)通貨偽造罪

・実行行為=行使目的による偽造変造
←行使目的の存在により偽造通貨が流通におかれる優位な危険が発生するから

・行使=真正な通貨として流通におくこ

・他人に行使させる目的でもよい

・偽造=権限のない者が通貨に似た外観のものを作成することをいい
作成された物が一般人をして真正の通貨と誤認させる程度に至っていることが必要!
程度が至らなければ未遂になる。

・変造=権限にない者が真正な通貨に加工して通貨に似た外観のものを作成すること
真正な通貨と同一性を失わない範囲での加工。

(3)偽造通貨等行使

・行使の目的をもって偽造変造されたことを必要とせず、また、誰により偽造変造されたかを問わない!

・行使=偽貨を真正な通貨として流通におくこと。
自動販売機での使用も含む。
ただし、一見にして偽貨であることが明白で単に自動販売機を作動させるだけのものは含まない!!!

交付=偽貨であることを告げ、又は偽貨であることを知る者に偽貨の占有を移転すること。
有償無償を問わない。

罪数
・通貨偽造罪と偽造通貨行使罪は牽連犯
・詐欺罪は行使罪に吸収される!
←収得後知情行使罪を軽く処罰する趣旨が没却されるから!

3.外国通貨偽造罪・同行使

4.偽造通貨等収得罪

5.収得後知情行使等罪

6.通貨偽造等準備罪
・自己予備のみならず他人予備を含む。
・機器又は原料の購入代金の提供は通貨偽造準備罪の幇助となる
+判例(S4.2.19)


民事訴訟法 基礎演習 類似必要的共同訴訟


1.類似必要的共同訴訟の意義
(1)通常共同訴訟と必要的共同訴訟

+(共同訴訟の要件)
第38条
訴訟の目的である権利又は義務が数人について共通であるとき、又は同一の事実上及び法律上の原因に基づくときは、その数人は、共同訴訟人として訴え、又は訴えられることができる。訴訟の目的である権利又は義務が同種であって事実上及び法律上同種の原因に基づくときも、同様とする。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

(2)固有必要的共同訴訟と類似必要的共同訴訟

・固有必要的共同訴訟=関係者が全員当事者としてそろっている場合、つまり全員そろって初めて当事者適格があるとされる場合

・類似必要的共同訴訟=当事者は1人でもいい(当事者適格がある)が、複数の訴えが提起された場合には共同して訴訟手続きを進めて矛盾のない判決をする必要がある場合

2.共同訴訟とすべき実質的理由
(1)判決効拡張による従来の通説の説明
・判決効が第三者に拡張される場合、既判力が矛盾衝突する。

(2)従来の通説に対する異論
判決効の衝突は生じないが、手続きを別々にすることに合理性が乏しい。

(3)通説的立場からの再反論

3.必要的共同訴訟の手続きの進行

4.類似必要的共同訴訟と上訴
(1)従来の通説

(2)かつての判例
+判例(S58.4.1)
理由
職権をもつて調査するのに、本件訴訟のように普通地方公共団体の数人の住民が当該地方公共団体に代位して提起する地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟は、その一人に対する判決が確定すると、右判決の効力は当該地方公共団体に及び(民訴法二〇一条二項)、他の者もこれに反する主張をすることができなくなるという関係にあるのであるから、民訴法六二条一項にいう「訴訟ノ目的カ共同訴訟人ノ全員ニ付合一ニノミ確定スヘキ場合」に当たるものと解するのが相当である。そうすると、本件訴訟を提起した一五名の第一審原告らのうち本件上告人ら五名がした第一審判決に対する控訴は、その余の第一審原告らに対しても効力を生じ(民訴法六二条一項)、原審としては、第一審原告ら全員を判決の名宛人として一個の終局判決をすべきところであつて、第一審判決に対する控訴をした本件上告人らのみを控訴人としてされた原判決は、違法であることが明らかである。
したがつて、本件上告代理人らの上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、さらに審理判断を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官木下忠良の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官木下忠良の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見とは異なり、いわゆる類似必要的共同訴訟に属する訴訟であつても、住民が普通地方公共団体に代位して提起する本件のような訴訟にあつては、共同訴訟人の一部の者が上訴しても、それによつて他の者が上訴人としての地位を取得するものではなく、したがつて、本件において第一審判決に対する控訴をした一部の共同訴訟人のみを控訴人として終局判決をした原審の措置には格別の違法はないと考える
そもそも、必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すればそれによつて他の者も上訴人としての地位に就くものと一般に解されているのは、要するに、本来合一的にのみ確定されるべき性質を持つ判決が区区になることを避けるための方法としてであるにほかならない。しかしながら、右のような目的のためには、必ずしもあらゆる場合において一部の共同訴訟人が上訴すれば他の者も上訴人としての地位に就くものとする必要はないばかりか、自ら上訴をせず上訴追行の意思を有しない者にも上訴人としての地位を付与し自ら上訴した者と同様の上訴審当事者としての権利、義務を課することはかえつて不当でもあり、訴訟経済に反するところでもある
多数の住民が普通地方公共団体に代位して提起する本件のような訴訟は、当該公共団体が有する同一の請求権を多数の住民がいわば公益の代表者としての立場において行使するものである。この種の訴訟のこのような性質にかんがみるとき、私は、いわゆる類似必要的共同訴訟一般についてはともかく、少なくとも右のような訴訟にあつては、共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによつて判決は全体として確定を遮断され、請求は上訴審に移審して、それが上訴審における審判の対象とはなるが、上訴審における訴訟追行は専ら上訴した共同訴訟人によつてのみ行われるべく、自ら上訴しなかつた共同訴訟人はいわば脱退して、ただ上訴審判決の効力を受ける地位にあるにとどまるものと解するのが相当であると考える。けだし、それによつて判決の合一的確定という要請は充たすことができるし、それがこの種の訴訟における当事者の意思に最も適合するところであると考えられるからである。
(裁判長裁判官 宮﨑梧一 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次)

(3)その後の判例
・上訴しなかった者は上訴人にならないという方向で判例変更。

+判例(H9.4.2)愛媛玉串訴訟
理由
第一 上告代理人西嶋吉光、同菅原辰二、同佐伯善男、同東俊一、同草薙順一、同谷正之、同薦田伸夫、同高田義之、同今川正章、同水口晃、同井上正実、同津村健太郎、同阿河準一、同高村文敏、同三野秀富、同猪崎武典、同久保和彦、同西山司郎、同堀井茂、同渡辺光夫、同平井範明、同桑城秀樹、同臼井滿、同重哲郎、同木田一彦の上告理由について
一 事実関係及び訴訟の経過
1 原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B1が愛媛県知事の職にあった昭和五六年から同六一年にかけて、(1) 愛媛県(以下「県」という。)の東京事務所長の職あった被上人B2が、宗教法人靖國神社(以下「靖國神社」という。)の挙行した春季又は秋季の例大祭に際して奉納する玉串料として九回にわたり各五〇〇〇円(合計四万五〇〇〇円)を、(2) 同じく同被上告人が、靖國神社の挙行した七月中旬の「みたま祭」に際して奉納する献灯料として四回にわたり各七〇〇〇円又は八〇〇〇円(合計三万一〇〇〇円)を、また、(3) 県生活福祉部老人福祉課長の職にあった被上告人B3、承継前被上告人亡B4、被上告人B5、同B6及び同B7が、宗教法人愛媛県護國神社(以下「護國神社」という。)の挙行した春季又は秋季の慰霊大祭に際して愛媛県遺族会を通じて奉納する供物料として九回にわたり各一万円(合計九万円)を、それぞれ県の公金から支出した(以下、これらの支出を「本件支出」という。)というのであるところ、本件は、本件支出が憲法二〇条三項、八九条等に照らして許されない違法な財務会計上の行為に当たるかどうかが争われた地方自治法二四二条の二第一項四号に基づく損害賠償代位請求住民訴訟である。

2 第一審は、本件支出は、その目的が宗教的意義を持つことを否定することができないばかりでなく、その効果が靖國神社又は護國神社の宗教活動を援助、助長、促進することになるものであって、本件支出によって生ずる県と靖國神社及び護國神社との結び付きは、我が国の文化的・社会的諸条件に照らして考えるとき、もはや相当とされる限度を超えるものであるから、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たり、違法なものといわなければならないと判断した。
これに対して、原審は本件支出は宗教的な意義を持つが、一般人にとって神社に参拝する際に玉串料等を支出することは過大でない限り社会的儀礼として受容されるという宗教的評価がされており、知事は、遺族援護行政の一環として本件支出をしたものであって、それ以外の意図、目的や深い宗教心に基づいてこれをしたものではないし、その支出の程度は、少額で社会的な儀礼の程度にとどまっており、その行為が一般人に与える効果、影響は、靖國神社等の第二次大戦中の法的地位の復活や神道の援助、助長についての特別の関心、気風を呼び起こしたりするものではなく、これらによれば、本件支出は、神道に対する援助、助長、促進又は他の宗教に対する圧迫、干渉等になるようなものではないから、憲法二〇条三項、八九条に違反しないと判断した。

二 本件支出の違法性に関する当裁判所の判断
原審の右判断は是認することができない。その理由は以下のとおりである。
1 政教分離原則憲法二〇条三項八九条により禁止される国家等の行為
憲法は、二〇条一項後段、三項、八九条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けている。
一般に、政教分離原則とは、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされているところ、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等のこともあって、同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。憲法は、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き右のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのである。元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。
しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があるしとを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない
憲法八九条が禁止している公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のために支出すること又はその利用に供することというのも、前記の政教分離原則の意義に照らして、公金支出行為等における国家と宗教とのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものをいうものと解すべきであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、前記と同様の基準によって判断しなければならない。
以上は、当裁判所の判例の趣旨とするところでもある(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、最高裁昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁参照)。

2 本件支出の違法性
そこで、以上の見地に立って、本件支出の違法性について検討する。
(一) 原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B2らは、いずれも宗教法人であって憲法二〇条一項後段にいう宗教団体に当たることが明らかな靖國神社又は護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するため、前記回数にわたり前記金額の金員を県の公金から支出したというのである。ところで、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式にのっとって行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は、同様の儀式を行う祭祀であり、靖國神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である。そして、玉串料及び供物料は、例大祭又は慰霊大祭において右のような宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、献灯料は、これによりみたま祭において境内に奉納者の名前を記した灯明が掲げられるというものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものである。
これらのことからすれば、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである。そして、一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料等を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである。そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざる得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである。また、本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことからすれば、地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない
被上告人らは、本件支出は、遺族援護行政の一環として、戦没者の慰霊及び遺族の慰謝という世俗的な目的で行われた社会的儀礼にすぎないものであるから、憲法に違反しないと主張する。確かに、靖國神社及び護國神社に祭られている祭神の多くは第二次大戦の戦没者であって、その遺族を始めとする愛媛県民のうちの相当数の者が、県が公の立場において靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでおり、そのうちには、必ずしも戦没者を祭神として信仰の対象としているからではなく、故人をしのぶ心情からそのように望んでいる者もいることは、これを肯認することができる。そのような希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない。しかしながら、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記の憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえない。戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられるし、神社の挙行する恒例祭に際して玉串料等を奉納することが、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとも認められないことは、前記説示のとおりである。ちなみに、神社に対する玉串料等の奉納が故人の葬礼に際して香典を贈ることとの対比で論じられることがあるが、香典は、故人に対する哀悼の意と遺族に対する弔意を表するために遺族に対して贈られ、その葬礼儀式を執り行っている宗教家ないし宗教団体を援助するためのものではないと一般に理解されており、これと宗教団体の行う祭祀に際して宗教団体自体に対して玉串料等を奉納することとでは、一般人の評価において、全く異なるものがあるといわなければならない。また、被上告人らは、玉串料等の奉納は、神社仏閣を訪れた際にさい銭を投ずることと同様のものであるとも主張するが、地方公共団体の名を示して行う玉串料等の奉納と一般にはその名を表示せずに行うさい銭の奉納とでは、その社会的意味を同一に論じられないことは、おのずから明らかである。そうであれば、本件玉串料等の奉納は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない
以上の事情を総合的に考慮して判断すれば、県が本件玉串料等靖國神社又は護國神社に前記のとおり奉納したことは、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであり、これによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たると解するのが相当である。そうすると、本件支出は、同項の禁止する宗教的活動を行うためにしたものとして、違法というべきである。これと異なる原審の判断は、同項の解釈適用を誤るものというほかはない。
(二) また、靖國神社及び護國神社は憲法八九条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであるところ、以上に判示したところからすると、本件玉串料等を靖國神社又は護國神社に前記のとおり奉納したことによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるのであるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきである。したがって、この点に関する原審の判断も、同条の解釈適用を誤るものといわざるを得ない。

三 被上告人らの損害賠償責任の有無
原審は、右の誤った判断に基づき、本件支出に違法はないとして、上告人らの請求をいずれも棄却すべきであるとしたが、以上のとおり、本件支出は違法であるというべきであるから、更に進んで、被上告人らの損害賠償責任の有無について検討することとする。
原審の適法に確定した事実関係によれば、本性支出の当時、本件支出の権限を法令上本来的に有していたのは、知事の職にあった被上告人B1であったところ、本件支出のうち靖國神社に対してされたものについては、県の規則により県東京事務所長に対し権限が委任され、その職にあった被上告人B2がこれを行ったのであり、また、本件支出のうち護國神社に対してされたものについては、県の規則及び訓令により県生活福祉部老人福祉課長に専決させることとされ、その職にあった被上告人B3、承継前被上告人亡B4、被上告人B5、同B6及び同B7(以下、被上告人B2を含め、これらの者を「被上告人B2ら」という。)がそれぞれこれを行ったというのである。
右のように、被上告人B1は、自己の権限に属する本件支出を補助職員である被上告人B2らに委任し、又は専決により処理させたのであるから、その指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失によりこれを阻止しなかったと認められる場合には、県に対し右違法な支出によって県が被った損害を賠償する義務を負うことになると解すべきである(最高裁平成二年(行ツ)第一三七号同三年一二月二〇日第二小法廷判決・民集四五巻九号一四五五頁、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁参照)。原審の適法に確定したところによれば、被上告人B1は、靖國神社等に対し、被上告人B2らに玉串料等を持参させるなどして、これを奉納したと認められるというのであり、本件支出には憲法に違反するという重大な違法があること、地方公共団体が特定の宗教団体に玉串料、供物料等の支出をすることについて、文部省、自治省等が、政教分離原則に照らし、慎重な対応を求める趣旨の通達、回答をしてきたことなどをも考慮すると、その指揮監督上の義務に違反したものであって、これにつき少なくとも過失があったというのが相当である。したがって、被上告人B1は、県に対し、違法な本件支出により県が被った本件支出金相当額の損害を賠償する義務を負うというべきである。
これに対し、被上告人B2らについては、地方自治法二四三条の二第一項後段により損害賠償責任の発生要件が限定されており、本件支出行為をするにつき故意又は重大な過失があった場合に限り県に対して損害賠償責任を負うものであるところ、原審の適法に確定したところによれば、被上告人B2らは、いずれも委任を受け、又は専決することを任された補助職員として知事の前記のような指揮監督の下で本件支出をしたというのであり、しかも、本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断することができたとまではいえないから、被上告人B2らがこれを憲法に違反しないと考えて行ったことは、その判断を誤ったものではあるが、著しく注意義務を怠ったものとして重大な過失があったということはできない。そうすると、被上告人B1以外の被上告人らは県に対し損害賠償責任を負わないというべきである。

四 結論
以上によれば、上告人らの被上告人B1に対する請求は、これを認容すべきであり、その余の被上告人らに対する請求は、これを棄却すべきであるところ、これと同旨の第二審判決は、結論において是認し得るから、第一審判決のうち上告人らの被上告人B1に対する請求に係る部分を取り消して同請求を棄却した原判決主文第一項は、破棄を免れず、右部分については、同被上告人の控訴を棄却すべきであり、上告人らのその余の被上告人らに対する控訴を棄却した原判決主文第二項に対する上告は、理由がないとして、これを棄却すべきである。

第二 A1の上告取下げの効力について
本件上告を申し立てた者のうちA1は、平成六年七月七日、上告を取り下げる旨の書面を当裁判所に提出した。そこで、職権により、右上告取下げの効力について判断する。
本件は、地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟である。同条は、普通地方公共団体の財務行政の適正な運営を確保して住民全体の利益を守るために、当該普通地方公共団体の構成員である住民に対し、いわば公益の代表者として同条一項各号所定の訴えを提起する権能を与えたものであり、同条四項が、同条一項の規定による訴訟が係属しているときは、当該普通地方公共団体の他の住民は、別訴をもって同一の請求をすることができないと規定しているのは、住民訴訟のこのような性質にかんがみて、複数の住民による同一の請求については、必ず共同訴訟として提訴することを義務付け、これを一体として審判し、一回的に解決しようとする趣旨に出たものと解される。そうであれば、住民訴訟の判決の効力は、当事者となった住民のみならず、当該地方公共団体の全住民に及ぶものというべきであり、複数の住民の提起した住民訴訟は、民訴法六二条一項にいう「訴訟ノ目的カ共同訴訟人ノ全員ニ付合一ニノミ確定スヘキ場合」に該当し、いわゆる類似必要的共同訴訟と解するのが相当である。
ところで、類似必要的共同訴訟については、共同訴訟人の一部の者がした訴訟行為は、全員の利益においてのみ効力を生ずるとされている(民訴法六二条一項)。上訴は、上訴審に対して原判決の敗訴部分の是正を求める行為であるから、類似必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによって原判決の確定が妨げられ、当該訴訟は全体として上訴審に移審し、上訴審の判決の効力は上訴をしなかった共同訴訟人にも及ぶものと解される。しかしながら、合一確定のためには右の限度で上訴が効力を生ずれば足りるものである上、住民訴訟の前記のような性質にかんがみると、公益の代表者となる意思を失った者に対し、その意思に反してまで上訴人の地位に就き続けることを求めることは、相当でないだけでなく、住民訴訟においては、複数の住民によって提訴された場合であっても、公益の代表者としての共同訴訟人らにより同一の違法な財務会計上の行為又は怠る事実の予防又は是正を求める公益上の請求がされているのであり、元来提訴者各人が自己の個別的な利益を有しているものではないから、提訴後に共同訴訟人の数が減少しても、その審判の範囲、審理の態様、判決の効力等には何ら影響がない。そうであれば、住民訴訟については、自ら上訴をしなかった共同訴訟人をその意に反して上訴人の地位に就かせる効力までが行政事件訴訟法七条、民訴法六二条一項によって生ずると解するのは相当でなく、自ら上訴をしなかった共同訴訟人は、上訴人にはならないものと解すべきである。この理は、いったん上訴をしたがこれを取り下げた共同訴訟人についても当てはまるから、上訴をした共同訴訟人のうちの一部の者が上訴を取り下げても、その者に対する関係において原判決が確定することにはならないが、その者は上訴人ではなくなるものと解される。最高裁昭和五七年(行ツ)第一一号同五八年四月一日第二小法廷判決・民集三七巻三号二〇一頁は、右と抵触する限度において、変更すべきものである。
したがって、A1は、上告の取下げにより上告人ではなくなったものとして、本判決をすることとする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官大野正男、同福田博の各補足意見、裁判官園部逸夫、同高橋久子、同尾崎行信の各意見、裁判官三好達、同可部恒雄の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
判示第一の二についての裁判官大野正男の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛同するものであるが、多数意見第一の二につき、私の意見を補足しておきたい。
一 本件行為の目的について
本件で重視されなければならないのは、玉串料等の奉納が、戦没者の慰霊、遺族の慰謝を目的とするものであるといっても、それはあくまで靖國神社、護國神社という特定の宗教団体の祭祀に対してされているという事実である。その点を捨象して、単に、地方公共団体が戦没者の慰霊等を行うことに宗教的的意義があるか否かとか、あるいはそれが社会的儀礼に当たるか否かとかを論ずることは、事柄の本筋を見落とすものである。
被上告人B1は、本件玉串料等の支出目的は、同人の支持団体であり同人が会長を務める県遺族会の要請にこたえ、県の行う戦没者の慰霊、遺族の慰謝という遺族援護行政の一環として行ったものであって、特段の宗教的意識を持って行ったものではない旨主張している。
しかし、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たるか否かの判断基準の一となるべき行為の目的は、当該行為者の主観的、内面的な感情の有無や濃淡によってのみ判断されるべきではなく、その行為の態様等との関連において客観的に判断されるべきものであり、とりわけ支出が宗教団体の世俗的な行為ではなくその宗教的な行為そのものに向けられているときは、世俗的目的もあるからといって、その行為の客観的目的の宗教的意義が直ちに否定されるものではない。
本件支出行為は、一面において遺族の援護という行政的な目的を有するとしても、その対象が靖國神社等の最も重要な祭祀であって本来の行政の範囲に属する世俗的行為ではないから、直接的に特定の宗教団体の宗教儀式そのものへの賛助を目的としているといわざるを得ず、その宗教的意義を否定することはできない。
二 本件行為の効果について
被上告人B1は、本件玉串料等の奉納は戦没者慰霊等のためにされた少額のもので社会的儀礼であり、宗教に対する関心を特に高めたり、その援助、助長をするようなものではないと主張している。
本件玉串料等の支出は相当年数にわたり継続して行われているとはいえ、一回の金員は五〇〇〇円ないし一万円程度のものであるから、経済的にみれば、宗教に対する援助、助長に当たるとは必ずしもいえないとの議論もあり得るかもしれない。しかしながら、政教分離原則の適用を検討するに当たっては、当該行為の外形的、経済的な側面のみにとらわれるべきでなく、社会的、歴史的条件に即してその実質をみる必要があり、社会に与える無形的なあるいは精神的な効果や影響をも考慮すべきである。そして、その観点よりすれば、以下に述べるとおり、その影響、効果は大きいといわざるを得ない。
1 多数意見の述べるとおり、我が国においては各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存しているが、戦没者、戦争犠牲者の慰霊、追悼については各種の宗教団体がそれぞれの教義、教理、祭式に基づいてこれを執り行っているのであって、その中にあって地方公共団体が靖國神社等による戦没者慰霊の祭祀にのみ賛助することは、その祭祀を他に比して優越的に選択し、その宗教的価値を重視していると一般社会からみられることは否定し難く、特定の宗教団体に重要な象徴的利益を与えるものといわざるを得ない。およそ公的機関は、すべての、いかなる宗教をも援助、助長してはならないが、中でも併存する宗教団体のうちから特定の宗教団体を選択してその宗教儀式を賛助することは、政教分離の中心をなす国家の宗教的中立に反するものである。
2 地方公共団体による靖園神社等への玉串料等の公金の支出の世俗的影響も、無視することはできない。
宗教的祭祀に起源を有する儀式等が多くの歳月を経てその宗教的意義が希薄になり、社会的儀礼や風俗として残っていることもまれではない。このような場合に公的機関がこれを行ったり参加したりしても、特定の宗教団体を支持していると受け取られることはなく、また、社会関係の円滑な維持のため役立つことはあっても、社会に対立をもたらすことは考え難い。しかし、公的機関が靖國神社等の祭祀に公金を支出してこれを賛助することについては、靖國神社に崇敬の念を持つ人々や靖國神社を戦没者慰霊の中心的施設と考える人々は、これに満足と共感を覚えるかもしれないが神道と教義を異にする宗教団体に属する人々や、靖國神社が国家神道の中枢的存在であるとしてそれへの礼拝を強制されたことを記憶する人々、あるいは靖國神社に合祀されている者は主として軍人軍属及び準軍属であって一般市民の戦争犠牲者のほとんどが含まれていないことに違和感を抱く人々は、これに不満と反感を持つかもしれない。そのような対立は、宗教的分野ばかりではなく、社会的、政治的分野においても起こり得ることである。公的機関が宗教にかかわりを持つ行為をすることによって、広く社会にこのような効果を及ぼすことは、公的機関を宗教的対立に巻き込むことになり、同時に宗教を世俗的対立に巻き込むことにもなるのであって、社会的儀礼や風俗として容認し得る範囲を超え、公的機関と宗教団体のいずれにとっても害をもたらすおそれを有するといわざるを得ない。そのようなことを避けることこそ、厳格な政教分離原則の規範を憲法が採用した趣旨に合致するものである。
三 被上告人B1は、靖國神社は我が国における戦没者慰霊の中心的存在であるから、その祭祀に地方公共団体が玉串料を奉納することは社会的儀礼であると主張する。
しかしながら、玉串料の奉納に儀礼的な意味合いがあるとしても、また、我が国近代史の一時期に靖國神社が戦没者の中心的慰霊施設として扱われたことがあるとしても、それを理由に政教分離原則の例外扱いを認めるべきものではない。
憲法二〇条三項、八九条が厳格な政教分離原則を採用しているのは、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決及び多数意見が繰り返し判示しているように、明治維新以降の我が国の社会において国家と神道が結び付き、国家神道に対して事実上国教的な地位が与えられ、その信仰が要請され、一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた歴史的経緯に基づくものであるが、このような政教の融合が生じたのも、「神社は宗教にあらず」ということを理由に、神道的祭祀や儀礼を世俗的な次元で社会的規範として取り入れ、また、臣民の義務であるとして事実上強制したからである。憲法は、第二次大戦後このような歴史的経験にかんがみて、信教の自由を国民の基本的人権として、これに強い保障を与えるとともに、国家と宗教が融合することは信教の自由に対する侵害になる危険性が高いことを認識して、その制度的保障として政教分離原則を採用し、前記規定を設けたものである。この立法の経緯及び趣旨に照らせば、右各条項は公的機関に対し強い規範性を有するものと解すべきであるから、我が国社会の中に、靖國神社に崇敬の念を持つ人々がいることは事実であり、また、それは信教の自由の保障するところでもあるが、いやしくも公的機関が特定の宗教団体である靖國神社等に対し、公金を使用して玉串料等を奉納し特別の敬意を表することは、先に述べたとおり、その目的、効果を実質的にみれば、戦没者の慰霊、追悼について公的機関が特定の宗教団体との特別のかかわり合いを示すことは明らかであって、右憲法条項の規範性に照らし到底許されないことである。そして、このことは、単に靖國神社に対してのみ許されないことではなく、あらゆる宗教団体に対しても同様であることはもちろんである。
判示第一の二についての裁判官福田博の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛成するものであるが、この機会に、我が国における信教の自由について私が考えていることを若干補足して述べておきたい。
信教の自由は、各種の人権の中でも最も基本的な自由権の一つとして、近代民主主義国家にあってその擁護が重視されているものである。多数意見に述べられているとおり、憲法に定める政教分離規定も、そのような信教の自由を一層確実なものとするための制度的保障として設けられたものである。
我が国においては、神道は年中行事や冠婚葬祭などを通じて多くの国民の生活に密接に結び付いており、そのような行事や儀式への参加が自然なこととして受け入れられている部分があることは事実である。とはいえ、神道も宗教の一つであることは、信教の自由を保障する憲法二〇条が当然の前提としているところでもある。したがって、政教分離規定を適用して国(地方公共団体を含む。以下同じ。)の宗教へのかかわりをどこまで許すかを検討する際は、政教分離の原則が目指す国の非宗教性ないし宗教的中立性の理念は、神道を含むあらゆる宗教についてひとしく当てはまる理念であることを常に念頭に置くことが、不可欠であると考える。
また、政教分離規定は、信教の自由を保障するために設けられたものであり、その適用に当たっては、国のかかわりを認めることにつき基本的に慎重な態度で臨むことが重要であると考える。なぜならば、国のかかわりを認めても差し支えないとされたことが結果的には国の信教の自由への過剰な関与(ひいては干渉ないし強制)につながることとなった事例が、諸国の歴史の中に散見されるからである。そして、このような慎重な態度を維持することは、緊密化する国際間の交流を通じ国民が様々な宗教に接する機会が増えつつある今日、我が国が信教の自由を保障し、いかなる信仰についても寛容であることを確保していく上でも、重要ではないかと考えるのである。
判示第一の二についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。
本件支出が違法な公金の支出に当たるということについては、私も多数意見と結論を同じくするものであるが、その理由(多数意見第一の二)については、見解を異にする。
我が国には、戦前から、戦没者追悼慰霊の中心的施設として、靖國神社及び護國神社が置かれているが、原審の判断及び被上告人らの主張はいずれも、これらの神社が通常の宗教施設と異なった意義を有することを強調している。しかしながら、靖國神社及び護國神社は、戦後の法制度の改革により、他の宗教団体と同等の地位にある宗教団体(宗教法人)となっており、その施設は、通常の宗教施設である。
私は、右のことを前提とした上で、本件におりる公金の支出は、公金の支出の憲法上の制限を定める憲法八九条の規定に違反するものであり、この一点において、違憲と判断すべきものと考える。
一般に、葬式・告別式等の際にお悔やみとして供される金員は、社会通念上、特定の故人の遺族を直接の対象とし社会的儀礼の範囲に属する支出とみられている。これと異なり、宗教団体の主催する恒例の宗教行事のために、当該行事の一環としてその儀式にのっとった形式で奉納される金員は、当該宗教団体を直接の対象とする支出とみるべきである。したがって、右のような金員を公金から支出した行為は、一面において、その支出の財務会計上の費目、意図された支出の目的、支出の形態、支出された金額等に照らし社会的儀礼の範囲に属するとみられるところがあったとしても、詰まるところ、当該宗教団体の使用(宗教上の使用)のため公金を支出したものと判断すべきであって、このような支出は、宗教上の団体の使用のため公金を支出することを禁じている憲法八九条の規定に違反するものといわなければならない。
これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人B2らは、靖國神社又は護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するため、多数意見第一の一掲記の回数及び金額の金員を県の公金から支出したというのであるから、右の金員は、靖國神社又は護國神社の使用のため支出したものと認めるのを相当とする。したがって、右の支出は、憲法八九条の右規定に違反する違法な公金の支出というべきである。
ここで、二つのことを付言しておきたい。まず、従来の最高裁判所判例は、公金を宗教上の団体に対して支出することを制限している憲法八九条の規定の解釈についても、憲法二〇条三項の解釈に関するいわゆる目的効果基準が適用されるとしているが、私は、右基準の客観性、正確性及び実効性について、尾崎裁判官の意見と同様の疑問を抱いており、特に、本判決において、その感を深くしている。しかし、その点はきておき、本件において、憲法八九条の右規定の解釈について、右基準を適用する必要はないと考える。
次に、本件の争点である公金の支出の違憲性の判断について、当該支出が憲法八九条の右規定に違反することが明らかである以上、憲法二〇条三項に違反するかどうかを判断する必要はない。私は、およそ信教に関する問題についての公の機関の判断はできる限り謙抑であることが望ましいと考える。「為政者の全権限は、魂の救済には決して及ぶべきでなく、また及ぶことが出来ない。」(ジョン・ロック。種谷春洋『近代寛容思想と信教自由の成立』二三〇頁以下参照)

+意見
判示第一の二についての裁判官高橋久子の意見は、次のとおりである。
私は多数意見の結論には賛成するが、その結論に至る説示のうち第一の二には同調することができないので、その点に関する私の意見を明らかにしておきたい。
一 我が国憲法は、二〇条に、信教の自由は、何人に対してもこれを保障する、いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない(一項)、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない(二項)、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない(三項)と規定し、さらに、八九条に、公の財産は、宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のため、支出してはならない旨定めている。これは、大日本帝国憲法における信教の自由を保障する規定が極めて不十分で、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、それに対する信仰が強制されるとともに、一部の宗教団体に対しては厳しい迫害が加えられるなど、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条性に保障することとし、その保障を確実ならしめるため政教分離規定を設けるに至ったのである。
憲法は、信教の自由が人間の精神的自由の中核をなす基本的人権であり、我が国においては前述のような歴史的事情があったことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障するのみでなく、国家といかなる宗教との結び付きも排除するために、国家と宗教との完全な分離を理想として、国家の宗教的中立性を確保しようとしたものと解される。このことは、多数意見でも認めているところである。
しかしながら、多数意見は、「政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」とした上、「国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。」、「政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。」、「(政教分離原則は)国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」として、憲法のいう「国家と宗教との完全な分離」を「理想」として棚上げし、国家は実際上、宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないというのである。
この考え方によれば、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうもの」とされ、ある行為が宗教的活動に該当するか否かについては、「当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」ということになる。
この考え方は、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決(以下「地鎮祭判決」という。)に示され、いわゆる目的・効果基準としてその後の宗教に関する裁判に大きな影響を与えたものであって、多数意見は、これに依拠して、本判決の枠組みとしているが、私は、この目的・効果基準についていくつかの疑問を持たざるを得ない。
二 第一に、多数意見は、憲法のいう「国家と宗教との完全な分離」は理想であって、これを実現することは「不可能に近く」、これを完全に貫こうとすれば、「各方面に不合理な事態を生ずる」というが、果たしてそうであろうか。地鎮祭判決の挙げている不合理な事態の例は、特定宗教と関係のある私立学校への助成、文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のための宗教団体に対する補助、刑務所等における教誨活動等であるが、これらについては、平等の原則からいって、当該団体を他団体と同様に取り扱うことが当然要請されるものであり、特定宗教と関係があることを理由に他団体に交付される助成金や補助金などが支給されないならば、むしろ、そのことが信教の自由に反する行為であるといわなければならない。このような例は、政教分離原則を国家と宗教との完全な分離と解することによって生ずる不合理な事態とはいえず、国家と宗教との完全な分離を貫くことの妨げとなるものとは考えられないのである。
私も、「完全分離」が不可能あるいは不適当である場合が全くないと考えているわけではない。クリスマスツリーや門松のように習俗的行事化していることがだれの目にも明らかなものもないわけではなく、他にも同様の取扱いをする理由を有するケースが全くないと断定することはできない。しかし、「いかなる宗教的活動もしてはならない。」とする憲法二〇条三項の規定は、宗教とかかわり合いを持つすべての行為を原則として禁じていると解すべきであり、それに対して、当該行為を別扱いにするには、その理由を示すことが必要であると考える。すなわち、原則はあくまでも「国家はいかなる宗教的活動もしてはならない」のである。ところが、多数意見は、「国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で」と、前提条件を逆転させている。
憲法二〇条三項の規定が、我が国の過去の苦い経験を踏まえて国家と宗教との完全分離を理想としたものであることを考えると、目的・効果基準によって宗教的活動に制限を付し、その範囲を狭く限定することは、憲法の意図するところではないと考えるのである。
三 第二は、多数意見が、「(国家と宗教との)かかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さない」、さらに、「諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」と、現実の姿を判断の尺度としていることである。前述のとおり、我が国において国家神道に国教的な地位が与えられ、その結果種々の弊害を生じたことは周知の事実であり、憲法は、その反省の上に立って信教の自由を無条件で保障し、それを確実ならしめるために国家と宗教との完全な分離を理想として二〇条の規定を設けたものと考えられるが、信教の自由は、心の深奥にかかわる問題であるだけに、いまだに国家神道の残滓が完全に払拭されたとはいい難い。また、我が国においては宗教は多元的・重層的に発展してきており、国民一般の宗教に対する関心は必ずしも高くはなく、異なった宗教に対して極めて寛容である。特定の宗教に帰依するからといって他宗教を排他的に取り扱うことはなく、このことは、戦前、国家神道が各家庭の中で宗教というよりも超宗教的存在として生活の規範をなし、多くの弊害をもたらす土壌となったと思われる。宗教的感覚において寛容であるということは、それ自体として悪いとはいえないであろうが、宗教が国民一般の精神のコントロールを容易になし得る危険性をはらんでいるともいえる。その意味からも政教分離原則は厳格に遵守されるべきであって、「社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度」、「社会通念に従って、客観的に判断」というように、現実是認の尺度で判断されるべき事柄ではないと思うのである。
四 第三は、いわゆる目的・効果基準は極めてあいまいな明確性を欠く基準であるということである。多数意見は、「(国家が)宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである」というが、「社会的・文化的諸条件」とは何か、「相当とされる限度」というのはどの程度を指すのか、明らかではない。ある行為が宗教的活動に該当するか否かを判断するに当たって考慮する事情として、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」、そして、「ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」としているが、これらの事情について何をどのように評価するかは明らかではない。いわば目盛りのない物差しである。したがって、この基準によって判断された地鎮祭判決後の判決が、同じ事実を認定しながら結論を異にするものが少なくない。
殉職自衛隊員たる亡夫を山口県護國神社に合祀されたことに関し、キリスト教徒である妻からの国家賠償法に基づく損害賠償請求について、一、二審判決は、県隊友会の同神社に対する合祀申請に自衛隊職員が関与した行為が憲法二〇条三項にいき宗教的活動に当たるとしたが、多数意見引用の昭和六三年六月一日大法廷判決は、右行為は宗教的活動に当たらないとした。
箕面市が忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて忠魂碑の移設・再建をした行為、地元の戦没者遺族会に対しその敷地として右代替地を無償貸与した行為等が右の宗教的活動に該当するかどうかが争われた裁判では、一審判決は、右行為が宗教的活動に当たると判断したが、二審判決は、これを否定し、最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決も、宗教的活動には当たらないとした。
本件についても、一審判決と原判決とでは、同じ目的・効果基準によって判断しながら結論は反対であるし、本判決においても、多数意見と反対意見とでは、同じ認定事実の下にいずれも地鎮祭判決の目的・効果基準に依拠するとしつつ全く反対の結論に到達しているのであって、これをみても、地鎮祭判決の示す基準が明確な指針たり得るかどうかに疑問を禁じ得ないのである。
以上のとおり、目的・効果基準は、基準としては極めてあいまいなものといわざるを得ず、このようなあいまいな基準で国家と宗教とのかかわり合いを判断し、憲法二〇条三項の宗教的活動を限定的に解することについては、国家と宗教との結び付きを許す範囲をいつの間にか拡大させ、ひいては信教の自由もおびやかされる可能性があるとの懸念を持たざるを得ない。
五 私は、憲法二〇条の規定する政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離、すなわち、国家は宗教の介入を受けず、また、宗教に介入すべきではないという国家の非宗教性を意味するものと思うのである。信教の自由に関する保障が不十分であったことによって多くの弊害をもたらした我が国の過去を思うとき、政教分離原則は、厳格に解されるべきことはいうまでもない。
したがって、私は、完全な分離が不可能、不適当であることの理由が示されない限り、国が宗教とかかわり合いを持つことは許されないものと考える。県の公金から靖國神社の例大祭、みたま祭に玉串料、献灯料を、護國神社の慰霊大祭に供物料を奉納するため金員を支出した本件各行為は、いずれもそのような例外に当たるものとは到底いえないことが明らかであり、違憲というほかはない。

+意見
判示第一の二についての裁判官尾崎行信の意見は、次のとおりである。
私は、多数意見の結論には同調するが、多数意見のうち第一の二については賛成することができないので、その点についての私の意見を明らかにしておきたい。
一 政教分離規定の趣旨・目的と合憲性の判断基準
多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決及び多数意見も説示しているとおり、憲法は、大日本帝国憲法下において信教の自由の保障が不十分であったため種々の弊害が生じたことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障し、更にその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けたものであり、これを設けるに当たっては、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。右大法延判決は、右の説示に続けて、国家が諸施策を実施するに当たり宗教とのかかわり合いを生ずることは免れ難く、国家と宗教との完全分離を実現することは実際上不可能に近いし、これに固執すればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとし、完全分離の理想を貫徹し得ない例として、宗教関係の私立学校への助成等を挙げている。なるほど平等権や信教の自由を否定する結果を招くような完全分離は不合理極まりないとみることができるから、こうした憲法的価値を確保することができるよう考慮を払うことには理由があり、厳格な完全分離の例外を一定限度で許し、柔軟に対応する余地を残すことは、複雑多岐な社会事象を処理するための慎重な態度というべきであろう。この範囲において、私は、右大法廷判決の説くところに同意することができる。そして、私は、右の説示の趣旨に沿って政教分離規定を解釈すれば、国家と宗教との完全分離を原則とし、完全分離が不可能であり、かつ、分離に固執すると不合理な結果を招く場合に限って、例外的に国家と宗教とのかかわり合いが憲法上許容されるとすべきものと考えるのである。
このような考え方に立てば、憲法二〇条三項が「いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているのも、国が宗教とのかかわり合いを持つ行為は、原則として禁止されるとした上で、ただ実際上国家と宗教との分離が不可能で、分離に固執すると不合理な結果を生ずる場合に限って、例外的に許容されるとするものであると解するのが相当である。したがって、国は、その施策を実施するための行為が宗教とのかかわり合いを持つものであるときには、まず禁じられた活動に当たるとしてこれを避け、宗教性のない代替手段が存しないかどうかを検討すべきである。そして、当該施策を他の手段でも実施することができるならば、国は、宗教的活動に当たると疑われる行為をすべきではない。しかし、宗教とのかかわり合いを持たない方法では、当該施策を実施することができず、これを放棄すると、社会生活上不合理な結果を生ずるときは、更に進んで、当該施策の目的や施策に含まれる法的価値、利益はいかなるものか、この価値はその行為を行うことにより信教の自由に及ぼす影響と比べて優越するものか、その程度はどれほどかなどを考慮しなければならない。施策を実施しない場合に他の重要な価値、特に憲法的価値の侵害が生ずることも、著しい社会的不合理の一場合である。こうした検証を経た上、政教分離原則の除外例として特に許容するに値する高度な法的利益が明白に認められない限り、国は、疑義ある活動に関与すべきではない。このような解釈こそが、憲法が政教分離規定を設けた前述の経緯や趣旨に最もよく合致し、文言にも忠実なものである上、合憲性の判断基準としても明確で疑義の少ないものということができる。そして、右の検討の結果、明確に例外的事情があるものと判断されない限り、その行為は禁止されると解するのが、制度の趣旨に沿うものと考える。
二 多数意見に対する疑問
これに対し、多数意見の示す政教分離規定の解釈は、前述の制定経緯やその趣旨及び文言に忠実とはいえず、また、その判断基準は、極めて多様な諸要素の総合考慮という漠然としたもので、基準としての客観性、明確性に欠けており、相当ではないというほかはなく、私は、これに賛成することができない。その理由は、次のとおりである。
1 多数意見は、憲法が政教の完全分離を理想としているとしつつ、「分離にもおのずから一定の限界がある」という。この判示のみをみれば、宗教的活動のすべてが「許されない」のが原則であるが、分離不能など特別の事情のために「許される」例外的な場合が存するとの趣旨をうかがわせる。ところが、それに続いて、「信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題」となるといい、突如「許されない」活動を限定的に定義している。完全分離を理想と考え、国が宗教とかかわり合いを持つことは原則的に許されないという立場から出発するのであれば、何が「許されない」かを問題とするのではなく、何が例外的に「許される」のかをこそ論ずべきである。私は、このような多数意見の立場は、政教分離制度の趣旨、目的にかなわず、同制度が信教の自由を確保する手段として最大限機能するよう要請されていることを忘れたものであって、望ましくないと考える。
2 法解釈の原則は、法文を通常の意味・用法に従って解釈し、それで分明でないときは、立法者の意思を探求することである。「いかなる宗教的活動」をも禁止するとの文言を素直に読めば、宗教とかかわり合いを持つ行為はすべて禁止されていると解釈すべきことは、極めて分明で、「原則禁止、例外許容」の立場を採るのが当然である。にもかかわらず、何ら限定が付されていない文言を「いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題」として、性質上の制限があると読むことは、文意を離れるものであり、これを採ることができない。
憲法二〇条三項に影響を与えた米国憲法の類似規定(修正一条)に関し、いわゆる目的効果基準を採る判例が、この規定は一定の目的、効果を持つ行為を禁ずるものであると解釈していることにならって、我が国でも同様な限定を「宗教的活動」に加える考えが生まれたとみられる。しかし、これは、両国憲法の規定の相違を無視するものである。米国憲法は、「国教の樹立を定め、又は宗教の自由な行使を禁止する法律(省略)を制定してはならない。」と規定し、国教樹立や宗教の自由行使の禁止に当たる行為のみが許されないとしているため、右の禁止に当たる範囲を定義する必要が生じ、判例は、許されない行為を決定する立場から基準を定めたのである。これに対し、我が憲法は、端的にすべての宗教的活動を禁止の対象とするとしているのであるから、およそ宗教色を帯びる行為は一義的に禁止した上、特別の場合に許容されるとの基準を設けるのが自然なこととなる。両国の条文の差異をみれば、基準の立て方が異なってこそ、それぞれ素直に条文に適するといえよう。
3 また、多数意見は、憲法二〇条三項の解釈に当たって、用語の意味内容があいまいで、その適用範囲が明確でなく、将来の指標とするには不十分と認められる。
多数意見は、「宗教的活動」とは、「国及びその機関の活動」で宗教とのかかわり合いを持つ「すべての行為」を指すものではなく、「かかわり合いをもたらす行為」の目的効果にかんがみ、そのかかわり合いが諸条件に照らし「相当とされる限度を超えるもの」のみをいい、この相当限度を超えるのは「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助…等になるような行為」であるという。この定義において、「当該行為」は、「国及びその機関」(以下「国」という。)の活動で宗教との「かかわり合いをもたらす行為」(以下「関与行為」という。)を意味している。
国と宗教とのかかわり合いをみる場合、右のように国の「かかわり合いをもたらす」国自体の関与行為とかかわり合いの対象となる宗教的とみられる行為(以下「対象行為」という。)が存在し、その両者の関係がいかなるものか検討されることとなる。なお、この両者は、国教樹立のように大きく重なることもあれば、津地鎮祭のように重なる部分が減少し、本件玉串料奉納のように重なりが更に小さくなることもあり得る。また、津地鎮祭の場合、市がその主催者となっているとはいえ、宗教行事そのものは、神職が主宰者となり独自の宗教儀式として実施されており、市はこの他者の宗教行事と参加・利用の関係に立ったのであって、ここでも関与行為と対象行為の区別は明らかである。
続いて多数意見は、「ある行為」が禁止される宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、「当該行為」の外形的側面のみにとらわれることなく、「当該行為の行われる場所」その他の要素も考慮せよという。この場合、「ある行為」や「当該行為」は、先行定義によれば、国の活動を意味する。ところが、多数意見引用の昭和五二年七月一三日大法廷判決は、「当該行為」の外形的側面の例示として、主宰者が宗教家か、式次第が宗教の定める方式にのっとったものかなど、を挙げており、右大法廷判決が「当該行為」なる用語を国の関与行為とは別異の、宗教行事など国がかかわり合いを持とうとする対象行為を指すものとして使用していることを推知させる。しかし、この判示を定義どおり国の関与行為の外形と解する者もあろうし、特にこの例示を欠く多数意見は、その可能性を高めている。
さらに、後続部分における「当該行為」も、多義的で意味を特定し難い。多数意見が「当該行為の行われる場所」というとき、愛媛県による玉串料などの支出が問題になっているので、県のかかわり合いをもたらす出損行為の場所と考えることもできるが、直前の「当該行為」が祭式を指すのと同様、例大祭の場所とみる方が自然である。「当該行為に対する一般人の宗教的評価」も同様で、玉串料奉納行為など関与行為に対するものか、例大祭など対象行為に対するものか、両者を含めてか、人々を迷わせる。「当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識」という場合、検討するのは関与行為(者)、対象行為(者)のいずれについてか、その双方か、やはり不分明である。津地鎮祭の場合、まず、一般人の意識においては、地鎮祭には宗教的意義を認めず、世俗的行為、慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行事と評価しているとした上で、津市長らも同一の意識を持っていたと説示した点をみれば、対象行為を主眼としているとみられる一方、本件の原判決においては、県の行為は、戦没者の慰霊が目的であったこと、遺族援護行政の一環としてされたこと、金額が小さく儀礼的とみられることが論じられているところからすれば、県の関与行為を中心に「当該行為」や「当該行為者」が理解されていたとみられる。つまり、「当該行為」、「当該行為者」という同一用語を、前記大法廷判決は対象行為について、本件原判決は関与行為について、それぞれ使用しており、この用語が必ずしも一義的には解し得ないことを示している。「当該行為の一般人に与える効果、影響」というときも、国の行為のみについて論じているのか、例大祭なども考慮の対象としているのか明らかでなく、ことの性質上、後者が除かれているとは思えない。要するに、多数意見は、その意味内容を特定し難い部分があり、真意を把握するのが困難でその適用に際し、判断を誤らせる危険があり、合憲性を左右する基準として、このような不明確さは許されるべきでない。
4 そして、私の主張する前記一の立場によれば、国の行為のうち、一応宗教的と認められるものは、すべて回避され、特に例外とすべき事由が明確に示されて初めて許容されることとなるため、検討すべき行為の量も検討すべき事項も、選別され、限定される。要するに、基準の客観的定立と適用がより容易になるといい得る。
これに対し、多数意見の立場は、「宗教的活動」が本来的に限定された意味、内容を持つことを出発点とする。そこでは、すべての宗教的活動は、例示されたような多様な考慮要素に照らし総合評価して初めて、許されない宗教的活動の範囲に属することが決定される。検討対象の量も多く、検討事項も広範に及び、特に総合評価という漠然たる判断基準に頼らざるを得ず、客観性、明確性の点で大きな不安を感じさせる。判断基準という以上、単に考慮要素を列挙するだけでは足りず、各要素の評価の仕方や軽重についても何らかの基準を示さなければ、尺度として意味をなさない。事実、これまでの裁判例において、同一の目的効果基準にのっとって同一の行為を評価しながら、反対の結論に達している例があることは、右基準が明確性を欠き、その適用が困難なことを示すものというべきである。
私は、右基準に代え、前記一に述べたところに従って新たな基準を用いることにより、将来の混乱を防止すべきものと考える。
三 結論
1 そこで、本件を前記一において述べた基準に従って見てみると、まず、県が戦没者を慰霊するという意図を実現するために、靖國神社等の祭祀に当たって玉串料等を奉納する以外には、宗教とかかわり合いを持たないでこれを行う方法はなかったのかどうかを検討しなければならない。しかし、そのような主張、立証はないのみならず、反対に、多くの宗教色のない慰霊のみちがあることは、公知の事実である。したがって、本件の県の行為は、宗教との分離が実際上不可能な場合には当たらないというほかはない。また、当然のことながら、宗教とのかかわり合いを持たないでも県の右意図は実現することができる以上、本件の県の行為がなければ社会生活上不合理な結果を招来するということはできず、この面からも、政教分離原則に反しない例外的事情があるということはできない。実際に他の都道府県の知事らが本件のような玉串料等の奉納をしなくても、特段の不合理を生じているとは認められず、この種の社会的儀礼を尊重するあまり、憲法上の重要な価値をおろそかにするのは、ことの順逆を誤っている。したがって、本件の玉串料等の奉納は、憲法二〇条三項に違反するものであり、本件支出は違法というべきである。
2 これに対し、本件の玉串料等の奉納は、その金額も回数も少なく、特定宗教の援助等に当たるとして問題とするほどのものではないと主張されており、これに加えて、今日の社会情勢では、昭和初期と異なり、もはや国家神道の復活など期待する者もなく、その点に関する不安はき憂に等しいともいわれる。
しかし、我々が自らの歴史を振り返れば、そのように考えることの危険がいかに大きいかを示す実例を容易に見ることができる。人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。「今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる」との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には一〇年を要しなかったことを想起すれば、今日この種の問題を些細なこととして放置すべきでなく、回数や金額の多少を問わず、常に発生の初期においてこれを制止し、事態の拡大を防止すべきものと信ずる。
右に類する主張として、我が国における宗教の雑居性、重層性を挙げ、国民は他者の宗教的感情に寛大であるから、本件程度の問題は寛容に受け入れられており、違憲などといってとがめ立てする必要がないとするものもある。しかし、宗教の雑居性などのために、国民は、宗教につき寛容であるだけでなく、無関心であることが多く、他者が宗教的に違和感を持つことに理解を示さず、その宗教的感情を傷付け、軽視する弊害もある。信教の自由は、本来、少数者のそれを保障するところに意義があるのであるから、多数者が無関心であることを理由に、反発を感ずる少数者を無視して、特定宗教への傾斜を示す行為を放置することを許すべきでない。さらに、初期においては些少で問題にしなくてよいと思われる事態が、既成事実となり、積み上げられ、取り返し不能な状態に達する危険があることは、歴史の教訓でもある。この面からも、現象の大小を問わず、ことの本質に関しては原則を固守することをおろそかにすべきではない。
私は、こうした点を考慮しつつ、憲法がその条文に明示した制度を求めるに至った歴史的背景を想起し、これを当然のこととして、異論なく受容した制定者始め国民の意識に思いを致せば、国は、憲法の定める制度の趣旨、目的を最大限実現するよう行動すべきであって、憲法の解釈も、これを要請し、勧奨するよう、なさるべきものと信じ、本意見を述べるものである。

+反対意見
判示第一についての裁判官三好達の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件支出は、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当せず、また、同八九条の禁止する公金の支出にも該当しないし、宗教団体が国から特権を受けることを禁止した同二〇条一項後段にも違反しないと考える。したがって、上告人らの本訴請求は棄却されるべきものであり、これを棄却した原判決は、その結論において維持せらるべく、本件上告は、理由がないものとして、これを棄却すべきものであると考える。以下、その理由を述べる。
一 憲法における政教分離原則と憲法の禁止する宗教的活動及び公金の支出
この点についての私の考えは、多数意見も引用するところの最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁及び最高裁昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁の判示するところと同一であるが、以下、その主要な点を申し述べる。
現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近く、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
右の政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意義の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
そして、本件支出が、宗教上の組織又は団体に対する公金の支出として、憲法八九条によって禁止されるものに当たるか否かの判断も、右の基準によってされるべきものであり、本件支出を評価するに当たっては、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められるか否かを検討すべきであり、また、その検討に当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることがあってはならないのである。
二 靖國神社及び各県などの護國神社(私の反対意見において、護國神社とは、宗教法人愛媛県護國神社のみを指すのではなく、各県などに存在する護國神社一般を指称する。)をめぐる国民の意識等
1 祖国や父母、妻子、同胞等を守るために一命を捧げた戦没者を追悼し、慰霊することは、遺族や戦友に限らず、国民一般としての当然の行為ということができる。このような追悼、慰霊は、祖国や世界の平和を祈念し、また、配偶者や肉親を失った遺族を慰めることでもあり、宗教、宗派あるいは民族、国家を超えた人間自然の普遍的な情感であるからである。そして、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場に立つ者としても、このような追悼、慰霊を行うことは、国民多数の感情にも合致し、遺族の心情にも沿うものであるのみならず、国家に殉じた戦没者を手厚く、末長く追悼、慰霊することは、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としての当然の礼儀であり、道義の上からは義務ともいうべきものである。諸外国の実情をみても、各国の法令上の差異や、国家と宗教とのかかわり方の相違などにかかわらず、国が自ら追悼、慰霊のための行事を行い、あるいは、国を代表する者その他公的立場に立つ者が民間団体の行うこれらの行事に公的資格において参列するなど、戦没者の追悼、慰霊を公的に行う多数の例が存在する。我が国においても、この間の事情は、これら諸外国と同様に考えることができる。そして、前述のように戦没者に対する追悼、慰霊は人間自然の普遍的な情感であることからすれば、追悼、慰霊を行うべきことは、戦没者が国に殉じた当時における国としての政策が、長い歴史からみて、正であったか邪であったか、当を得ていたか否かとはかかわりのないことというべきである。
以上のような私の考えは、さきに内閣総理大臣その他の国務大臣の靖國神社参拝の在り方をめぐる問題について検討を遂げた「閣僚の靖國神社参拝問題に関する懇談会」の昭和六〇年八月九日の報告書(以下、「靖國懇報告書」という。)において述べられているところと概ね趣旨を同じくするものである。
そして、一般的にいえば、慰霊の対象である御霊というものは、宗教的意識と全く切り離された存在としては考え難いのであって、ただ留意すべきことは、追悼、慰霊に当たり、特定の宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えることによって、憲法二〇条三項等に違反してはならないということである。
2 靖國神社は、主として我が国に殉じた戦没者二四六万余を祀る神社であり、各県などにある護國神社は、主として右戦没者のうちその県などに縁故のある人々を祀る神社であって、いずれも宗教的施設にほかならない。そして、折りにふれ靖國神社や護國神社にいわゆるお参りをする遺族や戦友を始め国民の中には、祭神を信仰の対象としてお参りするという者もあるであろうが、より一般的には、そのような宗教的行為をしているという意識よりは、国に殉じた父、息子、兄弟、友人、知人、さらにはもっと広く国に殉じた同胞を偲び、追悼し、慰霊するという意識が強く、これをもっと素朴にいえば、戦没者を慰めるために、会いに行くという気持が強いといえる。
そうであってみれば、靖國神社や護國神社は、正に神道の宗教的施設であり、右各神社の側としては、お参りする者はすべて祭神を信仰の対象とする宗教的意識に基づき宗教的行為をしている者と受け取っているであろうことはいうまでもないところであるが、右に述べたような多くの国民の意識からすれば、右各神社は、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する特別の施設、追悼、慰霊の中心的施設となっているといえるのであって、国民の多くからは、特定の宗教にかかる施設というよりも、特定の宗教を超えての、国に殉じた人々の御霊を象徴する施設として、あたかも御霊を象徴する標柱、碑、名牌などのように受け取られているといってよいものと思われる。
靖國懇報告書も、国民や遺族の多くは、戦後から今日に至るまで、靖國神社を、その沿革や規模からみて、依然として我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとしている旨を指摘しているところである。
これに加えて、現実の問題として、戦没者を追悼、慰霊しようとする場合、我が国に殉じた戦没者すべての御霊を象徴するものは、靖國神社以外に存在しないし、右戦没者のうちその県などに縁故のある人々すべての御霊を象徴するものは、その県などの護國神社をおいてほかに存在しないといってよい。千鳥ヶ淵戦没者墓苑もあり、右墓苑における追悼、慰霊も怠ってはならないが、何といっても、右墓苑は、先の大戦での戦没者の遺骨のうち、氏名が判明せず、また、その遺族が不明なことから、遺族に渡すことのできない遺骨を奉安した墓苑であって、日清戦争や日露戦争での戦没者を始めとし、我が国のために殉じたすべての戦没者の御霊にかかる施設ではない。また、識者の中には、追悼、慰霊のための宗教、宗派にかかわりのない公的施設を新たに設置することを提案する意見もあり、考慮に値する意見ではあるが、国民感情や遺族の心境は、必ずしも合理的に割り切れるものではなく、このような施設が設置されたからといって、これまで靖國神社や護國神社を追悼、慰霊の中心的施設としてきている国民感情や遺族の心境に直ちに大きな変化をもたらすものとは考え難い。
3 国民の中に、靖國神社や護國神社において、国や地方公共団体などを代表する立場にある者によって戦没者の追悼、慰霊の途が講ぜられることを望む声が多く、また、いわゆる公式参拝決議をした県議会や市町村議会も多いが、それらは、このように多くの国民の意識として右各神社が戦没者の追悼、慰霊の中心的施設として意識されていることによるものである。これらのことなどから、まだ占領下であった昭和二六年一〇月一八日、戦後はじめての靖國神社の秋季例大祭に内閣総理大臣、その他の国務大臣らによる参拝が行われて以来、靖國神社の春季、秋季の例大祭や終戦記念日に同神社に参拝した内閣総理大臣その他の国務大臣は多く(一定の時期までは、内閣総理大臣のうち参拝しなかった者は、むしろ例外である。)、それらのうちには、いわゆる公式参拝であることを言明した者がかなりの数に上っているし、参拝した内閣総理大臣の中には、クリスチャンである者も含まれているとされている。靖國懇報告書も、「政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖國神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきである」と提言しているところである。
4 本件支出を評価するに当たっての社会的・文化的諸条件として、以上述べたような靖國神社や護国神社に対する多くの国民の意識等を十分に考慮しなければならない。
三 本件支出にかかる事実関係とその検討
1 靖國神社に対する供与
靖國神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の例大祭に際し、玉串料名下に一回五〇〇〇円ずつ九回、七月のみたま祭に際し、献灯料名下に一回七〇〇〇円ないし八〇〇〇円ずつ四回供与したもので、その供与は合計七万六〇〇〇円である。
右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の例大祭及びみたま祭に際してされたものであり、しかも昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。
(一) 金員の供与が靖國神社の恒例の祭祀に際してされたことが問題とされている。しかしながら、現在の靖國神社の春秋の例大祭の日は、戦後の政教分離政策の実施とともに、それぞれ春分の日及び秋分の日を基に新旧暦で換算して定めたものであり、春分の日及び秋分の日は、国民生活において、彼岸の中日として、祖先など死没者の墓参りが行われる日である。また、みたま祭は、古来我が国で祖先などの霊を祀り、慰め、供養する日とされてきたお盆(もともと民間習俗であって、仏教に由来するものではないとされている。)の日にちなんで、戦後設定したものであり、お盆に帰ってくる祖先などの霊を迎えるため提灯を掲げる習俗に合わせ、靖國神社の境内にも、献灯料によって二万を超える提灯が掲げられるのである。すなわち、いずれも特に祭神に直接かかわりのある日を卜して定められたものではなく、我が国において多数を占める国民が日常生活の上で祖先などの追悼、慰霊の日としてきた日にちなんで定められた日であって、特定の宗教への信仰を離れても、戦没者の追悼、慰霊をするにふさわしい日といえる。
春秋の例大祭及びみたま祭は、靖國神社の立場からすれば、いわゆる恒例祭として、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、靖國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、祖先などの追悼、慰霊の日にちなんだ日に行われる例大祭やみたま祭については、多くの国民や遺族は、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきであって、靖國神社の立場に立ってされるべきではない。このことは宗教的儀式の二面性ともいうべきものであって、世俗的行事とされている地鎮祭のような宗教的儀式についてもいえる。すなわち、地鎮祭も、これを主宰している神職の立場からすれば、降神の儀により大地主神及び産土神をその場所に招いて行う厳粛な神儀であり、外形的にも宗教的儀式にほかならないが、ただ建築主その他の参列者を含む国民一般は、世俗的行事と意識しているということなのである。
(二) 右各金員の供与は、いずれも靖國神社からの案内に基づき、あらかじめ愛媛県知事である被上告人B1から委任を受けていた愛媛県東京事務所長である被上告人B2が通常の封筒に金員を入れて同神社の社務所に持参し、玉串料又は献灯料として持参した旨を口頭で告げて、同神社に交付したというのである。この供与の機会あるいは例大祭やみたま祭の機会に、県知事自らが参拝した事実はないのみならず、東京事務所長その他の県職員が代理して参拝した事実もなく、通常の封筒に入れて玉串料又は献灯料と記載することもなく交付しているのであって、供与の態様は極めて事務的といえる。
例大祭に際しては、交付に当たり「玉串料」と告げているが、玉串料とは、神式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一つの名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「御玉串料」とする例も多いことは、周知のところであるし、例大祭において、県関係者による現実の玉串奉奠がされたこともない。それ故、玉串料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。ちなみに、前出最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決が世俗的行事であって憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たらないと判示した津市体育館の地鎮祭においては、神事として、津市長、同市議会議長らによって、現実に玉串奉奠が行われているし、最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁がそれへの参列は宗教的活動に当たらないとした忠魂碑前での神式による慰霊祭の神事においても、市長ら参列者により現実の玉串奉奠が行われているのである。
みたま祭に際しては、交付に当たり「献灯料」と告げているが、境内に提灯が掲げられるのは、お盆に祖先を迎えるため提灯を掲げる我が国の習俗に由来すること、多くの国民は靖國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているしと前述のとおりであることからすれば、多くの国民は、みたま祭の献灯を靖國神社の祭神にかかる宗教的儀式と結び付ける意識は薄く、戦没者の追悼、慰霊のためとの意識が強いということができる。そのための献灯料の供与に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。
(三) 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであるし、愛媛県の規模、予算その他からしても、逆に靖國神社のそれらからしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよい。金員供与が毎年の例大祭ないしみたま祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、右のように、例大祭やみたま祭に際しての金員の供与が、追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが春秋ないし毎年の追悼、慰霊の機会に継続的にされたことは、あたかも死没者に対する毎年の命日ごとの追悼、慰霊のように、手厚い儀礼上の配慮がされたというべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することは当たらない。
ちなみに、靖國懇報告書をふまえて、昭和六〇年の終戦記念日に内閣総理大臣が靖國神社の本殿に昇殿して、公式に参拝をしたが、その際、「内閣総理大臣何某」の名入りの花一対を本殿に供えた。その代金として公金から支出され靖國神社に交付された金員の額は、三万円であり、一国を代表する者としての戦没者の追悼、慰霊のための支出として、当然社会的儀礼の範囲内といえる額であるが、これとの対比においても、右各供与が社会的儀礼の範囲を超えるものでないことは明らかである。
なお、判例をみると、地方公共団体が行う接待等については、一回の機会にかなりの金額を支出している場合にも、社会通念上儀礼の範囲を逸脱したものとまでは断じ難いとしており、奈良県の某町が、地元出身の大臣の祝賀式典の挙行等のために、三二六万余円の公金(同町の当時の歳出予算額の〇・一六パーセントを占める金額)を支出した事案で、「社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定することができず」と判示した(最高裁昭和六一年(行ツ)第一二一号平成元年七月四日第三小法廷判決・判例時報一三五六号七八頁)のは、その例である。戦没者の追悼、慰霊のための宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるかどうかが問題とされる場合のみ、微少な金額の支出についても、厳しく糾弾するのは、バランスを欠くとの感を否めない。
2 宗教法人愛媛県護國神社(以下、私の反対意見において、「愛媛県護國神社」という。)に対する供与愛媛県護國神社に対する供与は、昭和五六年から同六一年までの間、春秋の慰霊大祭に際し、供物料名下に一回一万円ずつ九回供与したもので、その供与は合計九万円である。
右各供与は、恒例の宗教上の祭祀である春秋の慰霊大祭に際してされたものであり、しかも、昭和三三年ころから毎年継続して行われてきたというのであるが、次の諸点が留意されなければならない。
(一) 金員の供与は春秋の慰霊大祭の際にされており、愛媛県護國神社の恒例の大祭に際して供与されたことが問題とされる。しかしながら、春秋の大祭は、愛媛県護國神社の立場からすれば、重要な宗教的意義を持ち、外形的にも主要な宗教的儀式にほかならないけれども、二に述べたように、多くの国民は、護國神社を戦没者の追悼、慰霊の中心的施設と意識しているのであって、慰霊大祭の名の下に行われるこの行事については、(二)に後述するようにこの行事に深く関与している財団法人愛媛県遺族会(以下、私の反対意見において、「愛媛県遺族会」という。)を始めとし、多くの国民や遺族は、慰霊大祭の名に示されるとおり、正に戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事との意識が強く、祭神を信仰の対象としての宗教的儀式という意識は、必ずしも一般的ではないといえる。このことは、靖國神社の例大祭及びみたま祭について述べたと同じく、宗教的儀式の二面性として把握されるべきものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動及び同八九条の禁止する公金の支出に当たるかどうかの判断は、多くの国民の側の意識を考慮してされるべきものであって、愛媛県護國神社の立場に立ってされるべきではない。
(二) 右各金員の供与は、以下のようにしてされた。すなわち、まず愛媛県遺族会ないし同会長の名義による愛媛県知事あての慰霊大祭の案内状が届き、愛媛県では、慰霊大祭の供物料として一万円を支出する手続をとり、「供物料、愛媛県」と表書したのし袋に入れ、通常は老人福祉課遺族援護係長が愛媛県遺族会の事務所に持参し、これを受領した同会は、慰霊大祭の日に、右一万円を「供物料、財団法人愛媛県遺族会会長B1」と表書したのし袋に入れ替えて、愛媛県護國神社に交付した、というのである。
このように、愛媛県からの金員供与は、直接的には、愛媛県遺族会に対してされ、同会において、同会会長名を表書した別ののし袋に入れ替えて、愛媛県護國神社に交付しているのであるから、愛媛県から愛媛県護國神社に対する金員の供与というべきであるかは著しく疑問で、むしろ、供物料を奉納するのは愛媛県遺族会であって、愛媛県は、遺族援護業務として、愛媛県遺族会に対し供物料を供与したものといえるのである。愛媛県遺族会が宗教上の組織又は団体に当たらないことはいうまでもない。仮に愛媛県から愛媛県護國神社への供与とみることができるとしても、その供与は間接的というほかはない。
表書は「供物料」となっているが、供物料とは、神式に限らず、神式又は仏式による儀式に関連して金員を供与するに当たっての一の名目でもあり、葬儀が神式で行われる場合、香典の表書を「神饌料」(「神饌」とは、神に供する酒食の意である。)とする例もあることは、周知のところである。それ故、供物料という名目に、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われる。
(三) 供与にかかる金員の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県ないしその知事の名義で社会的儀礼として供与する金員として最低限度の額といえるものであることは明らかであり、愛媛県の規模、予算その他からしても、極めて微少であって、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいことなどは、靖國神社に対する供与について述べたのと同様である。金員の供与が毎年春秋の慰霊大祭に際し継続的にされていることから、単に社会的儀礼の範囲にとどまるものとは評価し難いとする向きもあるが、靖國神社に対する供与について述べたのと同様に、金員の供与が追悼、慰霊としての社会的儀礼の範囲内といえる程度のものであるならば、それが継続されたことは、手厚い儀礼上の配慮がされたと評価すべきものであって、継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできない。
四 本件支出の評価
戦没者に対する追悼、慰霊は、国民一般として、当然の行為であり、また、国や地方公共団体、あるいはそれを代表する立場にある者としても、当然の礼儀であり、道義上からは義務ともいえるものであること、また、靖國神社や護國神社は、多くの国民から、日清戦争、日露戦争以来の我が国の戦没者の追悼、慰霊の中心的施設であり、戦没者の御霊のすべてを象徴する施設として意識されており、現実の問題として、そのような施設は、靖國神社や護國神社をおいてはほかに存在しないことは、二に述べたとおりである。また、本件支出にかかる靖國神社及び愛媛県護國神社への供与は、右各神社の側からすれば、重要な宗教的意義を持ち外形的にも主要な宗教的儀式である恒例祭に際してされたものであるけれども、多くの国民や遺族にとっては、戦没者を偲び、追悼し、慰霊する行事に際してのことであること、靖國神社への供与は、その交付の態様は極めて事務的であること、愛媛県護國神社への供与とされている供与は、遺族援護業務としての愛媛県遺族会への供与ということができ、愛媛県護國神社への供与と断ずべきものか著しく疑問であるのみならず、仮にそのような供与とみることができるとしても、その供与は間接的であること、玉串料又は献灯料と告げ、あるいは供物料と表書したことに、必ずしも供与する側の宗教的意図、目的を見い出すことはできず、また、必ずしも国民一般がこれを宗教的意義ある供与として意識するともいえないと思われること、供与の額は、一般に冠婚葬祭などに際し、都道府県やその知事の名義で社会的儀礼として供与される金員として最低限度の額といえるものであり、金額からみれば、宗教とのかかわり合いは最低限度のものといってよいこと、供与が毎年継続的にされたことから、社会的儀礼の範囲を超えるものと評価することはできないことなどは、三に述べたとおりである。
以上に加えて、我が国においては、家に神棚と仏壇が併存し、その双方にお参りをし、さらに、家の中にはそれ以外の神仏の守り札も掲げられているといった家庭が多く、場合によっては、その子女はミッション系の学園で学んでいるといったこともみられる。また、前出最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決の事案にみられるように、同一の遺族会主催の下に毎年一回行われる同一の忠魂碑の前での慰霊祭が、神式、仏式隔年交替で行われている事例もある。すなわち、我が国においては、多くの国民の宗教意識にも、その日常生活にも、異なる宗教が併存し、その併存は、調和し、違和感のないものとして、肯定されているのであって、我が国の社会においては、一般に、特定の宗教に対するこだわりの意識は希薄であり、他に対してむしろ寛容であるといってよい。このような社会の在り方は、別段批判せらるべきものではなく、一つの評価してよい在り方であり、少なくとも「宗教的意識の雑居性」というような「さげすみ」ともとれる言葉で呼ばれるべきものではない。このような社会的事情も考慮に入れるれなければならず、特定の宗教のみに深い信仰を持つ人々にも、本件のような問題につきある程度の寛容さが求められるところである。
これら諸般の事情を総合すれば、本件支出は、いずれも遺族援護業務の一環としてされたものであって、支出の意図、目的は、戦没者を追悼し、慰霊し、遺族を慰めることにあったとみるべきであり、多くの国民もそのようなものとして受け止めているということができ、国民一般に与える効果、影響等としても、戦没者を追悼、慰霊し、我が国や世界の平和を折求し、遺族を慰める気持を援助、助長、促進するという積極に評価されるべき効果、影響等はあるけれども、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に対する圧迫、干渉等となる効果、影響等があるとは到底いうことができず、これによってもたらされる愛媛県と靖國神社又は愛媛県護國神社とのかかわり合いは、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるとはいえない。本件支出は、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当せず、同八九条の禁止する公金の支出にも該当せず、また、同二〇条一項後段にも違反しないというべきである。
五 付言
1 本件支出をもって違憲ということができないことは、以上に詳述したとおりであるが、心の問題としては、わだかまるものがないではない。二に述べたとおり、公人が公人の立場で、過度に特定の宗教とかかわることのない限度で、戦没者の追悼、慰霊に尽くすことは、当然の礼儀であり、道義上は義務ともいえるのであるが、追悼、慰霊が特定の宗教とかかわりを持って行われる場合の支出は、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えないものに限られるのであるから、当然本件支出の金額程度にとどまる。そうだとすれば、心の問題としては、その程度の金員は、これを自己において支弁することに、より共感を覚える。けだし、自己において支弁する方がより心のこもった供与となり、追悼、慰霊の趣旨に一層かなうからである。しかし、このことは、本件支出が違憲かどうかにはかかわりがない。本件では、心の問題としての本件支出の相当性が問われているのではない。上述のような判断となった次第である。
2 靖國神社や護國神社と国や地方公共団体とのかかわりに関して、世上、国家神道及び軍国主義の復活を懸念する声がある。戦前の一時期及び戦時中において、事実上神社に対する礼拝が強制されたことがあり、右危惧を抱く気持は理解し得ないではない。しかしながら、昭和二〇年一二月一五日の連合国最高司令官からのいわゆる神道指令により、神社神道は一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされると同時に、神道を含む一切の宗教を国家から分離するための具体的措置が明示され、さらに、昭和二二年五月三日には政教分離規定を設けた憲法が施行された。戦後現在に至る靖國神社や護園神社は、他の宗教法人と同じ地位にある宗教法人であって、戦前とはその性格を異にしている。また、政教分離規定を設けた憲法の下では、国家神道の復活はあり得ないし、平和主義をその基本原理の一つとする憲法は、軍国主義の十分な歯止めとなっている。靖國神社の社憲二条にも、神社の目的として、「…万世にゆるぎなき太平の基を開き、以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。」と定められているところである。靖國神社や護國神社と国や地方公共団体との本件程度のかかわり合いにつき、そのような危惧を抱くのは、短絡的との感を免れず、日本国民の良識を疑っているものといわざるを得ない。戦後長い間に培われた日本国民の良識をもっと信頼すべきであろう。
3 世上、靖國神社に一四人のA級戦犯も合祀されているしとを指摘する向きもある。今ここに東京裁判について論述することは、本件訴訟の争点と関係がないので、差し控えるが、A級戦犯が合祀されていることは、二四六万余にのぼる多くの戦没者につき、追悼、慰霊がされるべきであることとかかわりのないことであるし、まして本件支出が特定の宗教との相当とされる限度を超えるかかわり合いに当たるかどうかとは無関係の事柄である。靖國懇報告書にも、「合祀者の決定は、現在、靖國神社の自由になし得るところであり、また、合祀者の決定に仮に問題があるとしても、国家、社会、国民のために尊い生命を捧げた多くの人々をおろそかにして良いことにはならないであろう。」と指摘されているので、これを引用する。
4 なお、本件のような問題は、本質的には、国内問題であることはいうまでもないが、右2及び3については、常に関係諸外国の理解を得るための努力も続けられなければならないところである。

+反対意見
判示第一についての裁判官可部恒雄の反対意見は、次のとおりである。
一 本件第一審判決(松山地裁平成元年三月一七日判決)は、いわゆる津地鎮祭大法廷判決(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決)を先例として掲げて被上告人B1(元愛媛県知事)の行為を違憲とし、その控訴審である原審判決(高松高裁平成四年五月一二日判決)は、同じく右大法廷判決に従って元知事の行為を合憲とし、当審大法廷の多数意見は、同じく右大法廷判決を先例として引いて元知事の行為を違憲であるとする。私は、津地鎮祭大法廷判決の定立した基準に従い、その列挙した四つの考慮要素を勘案すれば、自然に合憲の結論に導かれるものと考えるので、多数意見の説示するところと対比しながら、以下に順次所見を述べることとしたい。
二 本件は、被上告人B1が愛媛県知事として在任中の昭和五六年から同六一年にかけて靖國神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料各五千円、みたま祭に際して奉納された献灯料各七千円又は八千円、愛媛県護國神社の春秋の慰霊大祭に際し県遺族会を通じて奉納された供物料各一万円の公金からの支出が憲法二〇条三項、八九条に違反するや否やが争われた事件であるが、多数意見は、本件支出の適否を判断するにあたり、「政教分離原則と憲法二〇条三項、八九条により禁止される国家等の行為」との標題を掲げて、次のように説示した。
1 まず、政教分離規定がいわゆる制度的保障の規定であること、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは実際上不可能に近いこと、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを挙げて、
2 国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、制度の根本目的(信教の自由の保障の確保)との関係において、そのかかわり合いの許否の限度を論ずべきであるとし、
3 このような見地から考えると、政教分離原則は、国家の宗教的中立性を要求するものではあるが、国家と宗教とのかかわり合いを全く許さないものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的・効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである、と結論づけた。
三 右にいう「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするもの」というのは、表現それ自体としては、いわば、適法とされる限度を超える場合には違法となるとするの類いで、もとよりその内容において一義的でなく、それ自体としては、当該行為の合違憲性の判断基準として明確性を欠くとの非難を免れないが、多数意見は、以上に続いて次のように述べている。
「憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである」と。いわゆる目的・効果基準であり、さきにみた「相当とされる限度を超えるもの」というおよそ一義性に欠ける説示の内容が合違憲性の判断基準として機能することが可能となるための指標が与えられたものと評することができよう。
しかしながら、具体的な憲法訴訟として提起される社会的紛争につき右の基準を適用して妥当な結論に到達するためには、更により具体的な考慮要素が示されなければならない。多数意見は、この点につき、「1」当該行為の行われる場所、「2」当該行為に対する一般人の宗教的評価、「3」当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、「4」当該行為の一般人に与える効果、影響の四つの考慮要素を挙げ、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、右の「1」ないし「4」の考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない旨を判示した。
以上、多数意見の説示するところが津地鎮祭大法廷判決の判旨に倣ったものであることは、その判文に照らして明らかである。そこで、以下に津地鎮祭大法廷判決の事案及びその判旨と対比しつつ、多数意見に賛同し得ない理由を述べることとする。
四 津地鎮祭大法廷判決が判例法理として定立した目的・効果基準とは、(1)当該行為の目的が宗教的意義を持つものであること、及び(2)その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為であること、の二要件を充足する場合に、それが憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」として違憲となる(その一つでも欠けるときは違憲とならない)とするもので、この点、合衆国判例にいうレモン・テストにおいて、a目的が世俗的なものといえるか、b主要な効果が宗教を援助するものでないといえるか、c国家と宗教との間に過度のかかわり合いがないといえるか、の一つでも充足しないときは違憲とされることとの違いがまず指摘されるべきであろう。
本件において県のしたさきの支出行為が目的(宗教的意義を持つか)効果(宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等となるか)基準の二要件を充足するか否かを、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断するためには、まず、津地鎮祭大法廷判決の事案を眺め、それと本件玉串料等支出の事案との異同を識別しなければならない。
津地鎮祭大法廷判決の事案は、次のようなものである。津市体育館の建設にあたり、その建設現場において、津市の主催による起工式[地鎮祭]が、市職員が進行係となって、神職四名の主宰のもとに、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則り、一定の祭場を設け、一定の祭具を使用して行われ、これを主宰した神職自身、宗教的信仰心に基づいて式を執行したものと考えられるが、その挙式費用(神職に対する報償費及び供物料)を市の公金から支出したことの適否が争われたというものである。
そして、右大法廷判決は、ある行為が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するかどうかを検討するにあたっては、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど」当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、前述の四つの考慮要素等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない、としたのである。
津市長個人を被告とする住民訴訟の形式で争われたのは、地鎮祭の挙式費用としての公金支出の適否であるが、津地鎮祭大法廷判決が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを論じたのは、いうまでもなく、津市の主催した地鎮祭(その主宰者は専門の宗教家である神職で、神社神道固有の祭祀儀式に則って行われたもの)そのものについてである。同判決は、地鎮祭の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、地鎮祭の外形的側面のみにとらわれることなく、「1」地鎮祭の行われる場所、「2」地鎮祭に対する一般人の宗教的評価、「3」地鎮祭主催者である市が地鎮祭を行うについての意図・目的、宗教的意識の有無・程度、「4」地鎮祭の一般人に与える効果・影響等、四つの考慮要素を勘案し、社会通念に従って客観的に判断すべきであるとした。
以下に、津地鎮祭大法廷事件との対比において、本件において、〝当該行為〟が憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に該当するか否かを決するにあたり、検討されるべき考慮要素とは何か、についてみることとする。
五 本件において、多数意見が憲法適合性の論議の対象として取り上げるのは、前述のように、靖國神社の春秋の例大祭に際して奉納された玉串料、みたま祭に際して奉納された献灯料、県護國神社の春秋の慰霊大祭に際して県遺族会を通じて奉納された供物料、の公金からの支出行為自体であって、それ以外にない。
さきの津地鎮祭大法廷事件において憲法適合性が論ぜられたのは津市の主催する地鎮祭であるが、本件において多数意見の言及する右の例大祭、みたま祭、慰霊大祭の主催者は、靖國神社や県護國神社であって、もとより県ではない(慰霊大祭についてはその主催者が県護國神社であるか遺族会であるかの争いがあるが、その実態からみて両者の共催であるとしても、主催者が県でないことに変わりはない)。
靖國神社についていえば、被上告人B1の委任に基づき県東京事務所長の決するところにより、同事務所の職員が、例大祭やみたま祭に際し、多くはその当日ではなく事前に、通常の封筒に入れて玉串料や献灯料を社務所に届けたものであり、知事は勿論、職員の参拝もなかった。
県護國神社についていえば、遺族会の要請により春と秋の彼岸に近接した日に行われる慰霊大祭に際し知事である被上告人B1が(老人福祉課長の専決処理により)遺族会会長である被上告人B1に対し供物料を支出した後、遺族会会長名義の供物料として奉納したものである(一審判決によれば、春秋の慰霊大祭の行事中に知事又はその代理者の参列についての記述がみられる)。
六 津地鎮祭大法廷事件と本件との事案の相違の最も顕著な点は右のとおりであるが、まず、検討すべき考慮要素の「1」「当該行為の行われる場所」についてみると果たしてどうであろうか。
この点につき多数意見は、本件公金の支出は、靖國神社又は県護國神社が各神社の境内において挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際し、玉串料、献灯料又は供物料を奉納するためになされたものであるとした上、神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされていること、例大祭及び慰霊大祭は、神道の祭式に則って行われる儀式を中心とする祭祀であり、各神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられていること、みたま祭は同様の儀式を行う祭祀であり、靖國神社の祭祀中最も盛大な規模で行われるものであることは、いずれも公知の事実である、とする。これらの事実が果たして公知であるか否かは暫く措くとして、多数意見は、神社神道において中心的な宗教上の活動とされる祭祀の中でも重要な意義を有するものと位置付けられ或いは最も盛大な規模で行われる春秋の例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が、各神社の境内で挙行されることを強調しているやに見受けられる(このことは、みたま祭において奉納者の名前を記した灯明が境内に掲げられる旨を特記する点にも表れている)。しかし、恒例の宗教上の祭祀である例大祭、みたま祭又は慰霊大祭が神社の境内において挙行されるのは、あまりにも当然のことであって(灯明の掲げられる場所が境内であることについても同様である)、問題とされた本件支出行為につき、津地鎮祭大法廷判決が例示し、本件において多数意見がこれに倣う考慮要素の一としての〝当該行為の行われる場所〟としての意味を持ち得るものではない。
七 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「2」「当該行為に対する一般人の宗教的評価」についてみることとする。この点につき多数意見は、一般に、神社自体がその境内において(ここで再び「境内において」と強調されるのは、考慮要素「1」とのかかわり合いであろう)挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式[地鎮祭]の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうこということができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである、という。
元来、我が国においては、(キリスト教諸国や回教諸国と異なり)各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存して来ていることは、多数意見の述べるとおりであるが、さきの津地鎮祭大法廷判決は、この点の指摘とともに、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使い分けしてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心は必ずしも高いものとはいい難い、と述べている。地域社会の一員としては、鎮守の杜のお社の氏子として行動し、家に帰っては、それぞれの寺院に先祖代々の墳墓を設け、葬儀も供養も仏式によって行うというのは、国民の間で広く受け容れられている生活の類型である。
初詣には神社に参詣することが多いが、参詣者の大部分は仏教徒である。神社に参詣すれば通常はお賽銭を上げるが、履物を脱いで参殿し、神前に額づいて神職から格別の扱いを受ければ、玉串料を捧げることになる。七五三の行事は概ねこれによって行われる。式次第は神社神道固有の祭祀儀式に則って行われるが、それを受ける側の参詣者の多くは仏教徒その他神道信仰者以外の者であって、内心において信仰上の違和感を持たないのが通常であろう。
国民が神社に参詣し玉串料等を捧げるのは、初詣や神前の結婚式や七五三や個人的な祈願のための行事の機会の外に、神社神道においてその中心的な宗教上の活動であるとされる恒例の祭祀の機会がある。靖國神社の春秋の例大祭、みたま祭、県護國神社の春秋の慰霊大祭もその一つである。靖國神社や県護園神社は、元来、戦没者の慰霊のための場所、施設である。戦後、占領政策の一環として宗教法人としての性格付けを与えられたが、そのために戦没者の慰霊のための場所、施設としての基本的性質が失われたわけではない。靖國神社の祭神は百五単位をもって数える戦没者が主体であり、県護國神社のそれは愛媛県出身の戦没者が主体であるが、そのほかに、旧藩主、藩政に功労のあった者、産業功労者、警察官、消防団員、自衛官の公務殉職者等を含むとされる。祭神という言葉はいかめしいが、いわば神社神道固有の〝術語〟であり、神社に参詣する国民一般からすれば、今は亡きあの人この人であって、ゴッドではない。
各県における護國神社は、かつては招魂社と呼ばれた。その恒例の祭祀が招魂祭である。現に六〇歳代以上の年輩者には記憶のあることであるが、「招魂祭」とは戦没者の慰霊のための催しであるとはいえ、現在の政教分離原則の下で国家神道との関係が云々されるようないかめしいものではなく、招魂社の境内には綿菓子やのし烏賊を売る屋台が並び、それらの匂いの漂う子供心にも楽しいお祭り以外の何物でもなかった。
県護國神社についていえば、春秋二回の慰霊大祭に際し、「供物料 愛媛県」と書いたのし袋に一万円を入れて、県護國神社の境内にある県遺族会事務所に届け、県遺族会から「供物料 財団法人愛媛県遺族会会長B1」と書いたのし袋に一万円を入れて、県護國神社に奉納したものであり、靖國神社についても、県職員が多くは事前に通常の封筒に入れて玉串料(各五千円)や献灯料(七千円又は八千円)を社務所に届け、知事は勿論、職員の参列もなかったことは、前述のとおりである。金額が軽少であることが特に注目されよう。
以上のように具体的に考察してみれば、神社の恒例の祭祀に際し、招かれて或いは求められて玉串料、献灯料、供物料等を捧げることは、神社の祭祀にかかわることであり、奉納先が神社であるところから、宗教にかかわるものであることは否定できず、またその必要もないが、それが慣習化した社会的儀礼としての側面を有することは、到底否定し難いところといわなければならない。
しかるに多数意見は、地鎮祭の先例を引いて社会的儀礼にすぎないとはいえないとする。地鎮祭は、前述のとおり、津市の主催の下に、専門の宗教家である神職が、所定の服装で、神社神道固有の祭祀儀式に則って、一定の祭場を設け一定の祭具を使用して行ったものであるのに対し、本件は靖國神社又は県護國神社の主催する例大祭、みたま祭又は慰霊大祭に際して、比較的低額の玉串料等を奉納したというのが実態であって、当該行為に対する一般人の宗教的評価いかんを判定するにあたり、前者は社会的儀礼にすぎないが、後者をもって「一般人が…社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」とするのは、著しく評価のバランスを失するものといわなければならない。
多数意見がこのように性急に論断する理由は、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである」ことにある。
しかしながら、「政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ない」ことは、多数意見の自ら述べるとおりで、「そのかかわり合いが…相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを」違憲と判断するための目的・効果基準を定立し、その具体的適用にあたり検討すべき四つの考慮要素を掲げた。その考慮要素の「2」〝当該行為に対する一般人の宗教的評価〟を論ずるにあたり、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持った」ことを理由に、当該行為が宗教的意義を持つとの一般人の評価が肯定されるというのでは、目的・効果基準を具体的に適用する上での考慮要素「2」は何ら機能していないものといわざるを得ない。
八 次に、多数意見の掲げる考慮要素の「3」「当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度」についてみることとする。この点につき多数意見は、考慮要素「2」検討に該当する箇所において、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いとした上で、そうであれば、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり、このことは、本件においても同様というべきである、とした。
玉串料等の奉納は、靖國神社又は県護國神社の挙行する恒例の祭祀中でも重要な意義を有するものと位置付けられ、或いは最も盛大な規模で行われる祭に際し、神社あてに拠出されるものであるから、宗教にかかわり合いを持つものであることは当然で、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないことは勿論であろう。問題は、その意識の程度である。玉串料等の奉納が儀礼的な意味合いを持つことは、後に多数意見の説示自体にも現れる。曰く、「確かに、靖國神社及び護國神社に祭られている祭神の多くは第二次大戦の戦没者であって、その遺族を始めとする愛媛県民のうちの相当数の者が、県が公の立場において靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでおり、そのうちには、必ずしも戦没者を祭神として信仰の対象としているからではなく、故人をしのぶ心情からそのように望んでいる者もいることは、これを肯認することができる。そのような希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない」と。
長年にわたって比較的低額のまま維持された玉串料等の奉納が慣習化した社会的儀礼としての側面を持つことは、多数意見の右の説示をまつまでもなく、社会生活の実際において到底否定し難いところであり、玉串料等の奉納者においても、それが宗教的意義を有するという意識を「大なり小なり持たざるを得ない」とする説示は、あたかも、この間の消息を物語るもののようにも感ぜられる。なお、多数意見は、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できないとした上で、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえないとするが、これは既に違憲と決めつけた上での駄目押しにすぎず、この項で論じているのは、「相当とされる限度を超える」か否かの判断に資するために定立された目的・効果基準を具体的に適用するにあたり、検討すべき考慮要素の一々についてであるから、右の多数意見についてはこれ以上の言及をしない。多数意見が「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる」云々と説示する点についても同様である。
ところで、考慮要素「3」にいう、当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的についてはどうであろうか。この点につき、多数意見は「本件においては、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって、県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持つたことを否定することができない」と判示した。その表現はさりげなく、その文章は短いが、その意図するところは大きい。考慮要素「3」にいう当該行為者が当該行為を行うについての意図・目的の検証をこれで一挙に完結させようとするものであるからである。
被上告人B1らの主張及びこれに副う書証・人証等によれば、靖國神社の例大祭、みたま祭や県護國神社の慰霊大祭以外にも、愛媛県は公金を支出して来た。千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭には、同墓苑の創設された昭和三四年以来ずっと公金を支出し、東京事務所長らが出席している。支出金は一万五千円(昭和六〇年)で、靖國神社や県護國神社に対する年間支出金額と大差ない。全国戦没者追悼式に際しても、毎年供花料として一万円を支出している。沖縄には愛媛県出身戦没者のための慰霊塔「愛媛の塔」(昭和三七年一〇月建立)があり、遺族会は毎年慰霊塔の前で仏式慰霊祭を行って来たが、この慰霊塔の維持管理のため、毎年公金(約二〇万円)を支出している、という。県の公金支出は宗教的目的のためではなく、目的はあくまで戦没者の慰霊や遺族の慰謝にある、というのである。千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」の前での慰霊祭を挙行しているのは、なるほど宗教団体ではない。しかし、千鳥ヶ淵も、全国追悼式も、「愛媛の塔」も、靖國神社も、県護國神社も、公金の支出はすべて戦没者の慰霊、遺族の慰謝が目的であると主張されている案件において、靖國神社と県議園神社のみが宗教団体といえるものであることを捉えて、「県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれない」との理由付けで、「県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない」とするのは、判断として公正を欠くとの譏りを免れないであろう。これまで特定の宗教団体とのかかわり合いとされて来たのが、ここで俄かに「特別の」かかわり合いとされたことに注目すべきであろう。
九 最後に、多数意見の掲げる考慮要素の「4」「当該行為の一般人に与える効果、影響」についてみることとしよう。いわゆる目的・効果基準の二要件のうち、当該行為の憲法適合性を判断するための最も重要な要件に関するものである。考慮要素「4」につき多数意見の述べるところは少ない。曰く、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない」と。
多数意見が千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭、全国戦没者追悼式、「愛媛の塔」前の仏式慰霊祭の例を度外視し、これら慰霊の行事の主催者が宗教団体でない点を捉えてした立論が当を得ないことはさきに指摘したとおりで、これを根拠として、「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つ」ことの是非を論じたのは、その前提に誤りがあるものといわなければならない。しかも、この前提の上に立って、多数意見が考慮要素の「4」当該行為の一般人に与える効果、影響として述べるのは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるというに尽きる。
甚だ抽象的で具体性に欠け、援助、助長、促進との観念上のつながりを手探りしているかの感があるが、この点はむしろ一審判決の方が分かり易い。一審判決は次のようにいう。県が靖國神社に対して支出した金額は通常の社会的儀礼の範囲内に属するといってよい額である。しかし、一回一回の支出が少額であっても毎年繰り返されて行けば、県と神社との結び付きも無視することができなくなり、それが広く知られるときは、一般人に対しても、靖國神社は他の宗教団体とは異なり特別のものであるとの印象を生じさせ、或いはこれを強めたり固定したりする可能性が大きくなる。結論として、玉串料等の支出は、県と靖國神社との結び付きに関する象徴としての役割を果たしているとみることができ、玉串料等の支出は、経済的な側面からみると、靖國神社の宗教活動を援助、助長、促進するものとまではいえなくとも、精神的側面からみると、右の象徴的な役割の結果として靖國神社の宗教活動を援助、助長、促進する効果を有するものということができる、と。県護國神社への供物料についても同旨である。
一審判決は、県と靖國神社、県護國神社との間に具体的な結び付きの実体がないにもかかわらず、両者の「結び付きに関する象徴」としての役割を論じたところに無理があった。或いは結び付きの実体がないからこそ、「結び付きの象徴」として精神的側面を端的に強調したものとも考えられよう(合衆国判例における「象徴的結合」とは、事案も内容も異なる)。
津地鎮祭大法廷判決によって定立された目的・効果基準の適用にあたって、当該行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かの判定は、このような専ら精神面における印象や可能性や象徴を主要な手がかりとして決せられてはならない。このように抽象的で内容的に具体的なつかみどころのない観念が指標とされるときは、違憲審査権の行使は恣意的とならざるを得ないからである。多数意見は、一審判決のいう「結び付きに関する象徴」云々の表現を用いなかったが、その判旨の内容は実質的に異なるものではない。
一〇 以上、津地鎮祭大法廷判決の定立した判例法理に従うとして、多数意見が考慮要素の「1」ないし「4」について説示するところをみて来たが、論理に従ってその文脈を辿ることは著しく困難であるといわざるを得ない。考慮要素の「1」はそもそも本件において機能し得ず、また考慮要素の「2」ないし「4」については十分な説明も論証もないまま、多数意見は、目的・効果基準を適用して、本件支出行為と宗教とのかかわり合いが「相当と認められる限度を超えるもの」と論断した。
しかし、すでにみたように、玉串料等の奉納行為が社会的儀礼としての側面を有することは到底否定し難く、そのため右行為の持つ宗教的意義はかなりの程度に減殺されるものといわざるを得ず、援助、助長、促進に至っては、およそその実体を欠き、徒らに国家神道の影に怯えるものとの感を懐かざるを得ない。
本件玉串料等の奉納は、被上告人B1が知事に就任する以前から、通算二十数年の長きにわたり、一審判決の表現によれば「通常の社会的儀礼の範囲に属するといってよい額」を細々と長々と続けて来たものにほかならない。訴訟において関係人の陳述を指して…は何々である旨縷々陳述するが…と評することが多いが、縷々とは細く長く絶えず続くことの意味である。本件玉串料等の支出はまさしくそれに当たる。そして、この細く長く絶えず続けられた玉串料等の支出が、多数意見によって「相当とされる限度を超えるもの」とされるとき、私は今は故人となった憲法学徒の次の言葉を想起させられるのである。曰く、「民間信仰の表現としての地蔵や庚申塚が公有地の隅に存することも容認しないほど憲法は不寛容と解すべきであるのか」(小嶋和司「いわゆる『政教分離』について」ジュリスト八四八号)と。
一一 本件支出の合違憲性についての私の所見は、基本的に以上に述べたところに尽きるが、私は本件支出は違憲でないとの結論をとるので、憲法二〇条のみならず八九条についても言及する必要がある。
多数意見はこの点につき、靖國神社及び県護國神社は憲法八九条にいう宗教上の組織又は団体に当たることが明らかであり、本件玉串料等を靖國神社又は県護國神社に奉納したことによってもたらされる県と靖國神社等とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解されるから、本件支出は、同条の禁止する公金の支出に当たり、違法というべきであるとした。
憲法八九条は、行政実務上の解釈困難な問題規定の一つであり、多数意見が津地鎮祭大法廷判決の定立した目的・効果基準に従い、本件支出の憲法八九条適合性を判断した態度は是認されよう。津地鎮祭大法廷判決は、次のように述べている。
曰く、本件起工式[地鎮祭]はなんら憲法二〇条三項に違反するものではなく、また、宗教団体に特権を与えるものともいえないから、同条一項後段にも違反しないというべきである。更に、右起工式の挙式費用の支出も、本件起工式の目的、効果及び支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではなく、地方自治法二条一五項、一三八条の二にも違反するものではない、と。
津地鎮祭大法廷判決においていう「当該行為」とは津市当局の主催した地鎮祭の挙行であり、本件においては、玉串料等の奉納という支出以外に「当該行為」と目すべきものは存在しないから、右の先例の判文をそのままなぞって本件に翻訳することはできないが、要するに、玉串料等の奉納という本件支出の目的、効果、支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、憲法八九条に違反するものではない、というに帰着しよう。
一二 憲法八九条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によつて国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。
この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから…と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。
一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万円という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。
一三 悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。
憲法八九条に関連して一例を挙げれば、宗教団体の所有する不動産やその収益と目すべきものにつき、これを課税の対象から外すことは、宗教団体に対し積極的に公金を支出するのと同様の意味を持つ。これが政教分離原則との関係において合衆国判例において論ぜられて久しい。
我が国において、これらの点に関連して論ぜられるべき問題状況は果たして存在しないのであろうか。何故これらの点がまともに論ぜられることなく、かえって、細く長く絶えず続けられた本件玉串料等の支出の如きが、何故かくも大々的に論議されなければならないのであるか。これが疑問とされないのは何故であるかを疑問とせざるを得ないのである。
(裁判長裁判官 三好達 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大西勝也 裁判官 小野幹雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 根岸重治 裁判官 高橋久子 裁判官 尾崎行信 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 福田博 裁判官 藤井正雄)

++解説
《解  説》
一 本件は、「愛媛玉串料訴訟」として著名な住民訴訟事件についての最高裁大法廷の判決であり、国や地方公共団体の行為が憲法の政教分離規定に違反するという判断を示した初めての最高裁判決である。
本件の事案は、愛媛県が、昭和五六年から昭和六一年にかけて、宗教法人靖國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭に際し玉串料として九回にわたり各五〇〇〇円(合計四万五〇〇〇円)を、同みたま祭に際し献灯料として四回にわたり各七〇〇〇円又は八〇〇〇円(合計三万一〇〇〇円)を、宗教法人護國神社の挙行した恒例の宗教上の祭祀である慰霊大祭に際し供物料として九回にわたり各一万円(合計九万円)を、それぞれ県の公金から支出して奉納したことにつき、同県の住民であるXらが、憲法二〇条三項、八九条等に違反する違法な財務会計上の行為に当たると主張して、靖國神社に対してした公金支出については当時知事の職にあったY1及び東京事務所長の職にあり知事の委任に基づき右支出を行ったY2に対し、護國神社に対してした支出についてはY1及び右期間に老人福祉課長の職を順次勤め専決権限に基づき右支出を行ったY3ら(ただし、一名は死亡により相続人らが承継)に対し、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、県に代位して、それぞれ当該支出相当額の損害賠償を求めたというものである。
憲法は、二〇条一項後段、三項、八九条において、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(政教分離規定)を設けている。周知のとおり、国や地方公共団体の行為が右の政教分離規定に違反するか否かについて判断を示した最高裁大法廷の判例としては、本判決の引用する最大判昭52・7・13民集三一巻四号五三三頁、本誌三五〇号二〇四頁(津地鎮祭訴訟大法廷判決)及び最大判昭63・6・1民集四二巻五号二七七頁、本誌六六九号六六頁(自衛官合祀訴訟大法廷判決)がある。これらの判例により確立された合憲性の審査基準が、一般に「目的効果基準」と呼ばれているものである。
ところが、地方公共団体が靖國神社等の恒例祭に際して公金を支出して玉串料等を奉納する行為が憲法二〇条三項、八九条に違反するかという点については、いずれも目的効果基準を援用しつつ、本件一審判決及び仙台高判平3・1・10本誌七五〇号五八頁(岩手靖國訴訟控訴審判決)が違憲の判断を示したのに対し、本件原判決及び盛岡地判昭62・3・5本誌六三〇号九〇頁(同訴訟一審判決)が逆に合憲の判断を示し、下級審段階における判断が分かれていた。このようなことから、目的効果基準に対しては、厳格性に欠けるという批判のほか、基準としての役割を果たし得ていないという批判があった。そのため、判断基準の見直しをすべきかどうかの点を含め、本件の大法廷の判断が注目されていた。
二 一審判決は、本件支出は、その目的が宗教的意義を持つことを否定することができないばかりでなく、その効果が靖國神社等の宗教活動を援助、助長、促進することになるものであって、本件支出によって生ずる県と靖國神社及び護國神社との結び付きは、我が国の文化的・社会的諸条件に照らして考えるとき、もはや相当とされる限度を超えるものであるから、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たり、違法なものといわなければならないと判断した上で、本件支出を実質的に決定したのは知事であるY1にほかならず、Y1が自ら本件支出をしたものと評価できるところ、Y1は未必的に本件支出が違法であることについての認識があったと認められるとして、Y1の県に対する損害賠償義務を肯定し、他方、Y2らについては、Y1の強固で明確な意思と異なる判断に基づく行為に出ることは期待できなかったと認められるから、職務上要求される義務の懈怠はないとして、損害賠償義務を否定して、XらのY1に対する請求を認容し、Y2らに対する請求を棄却した。
これに対して、原判決は、本件支出は宗教的な意義を持つが、一般人にとって神社に参拝する際に玉串料等を支出することは過大でない限り社会的儀礼として受容されるという宗教的評価がされており、知事は、遺族援護行政の一環として本件支出をしたものであって、それ以外の意図、目的や深い宗教心に基づいてこれをしたものではないし、支出の程度は少額で社会的な儀礼の程度にとどまっており、その行為が一般人に与える効果、影響は、靖國神社等の第二次大戦中の法的地位の復活や神道の援助、助長についての特別の関心、気風を呼び起こしたりするものではないから、本件支出は、神道に対する援助、助長、促進又は他の宗教に対する圧迫、干渉等になるようなものではなく、憲法二〇条三項、八九条に違反しないと判断して、一審判決のうちY1に対する請求を認容した部分を取り消し、Xらの請求を全部棄却する趣旨の判決をした。そこで、Xらが上告した。
なお、上告したXらのうち一名が上告を取り下げたことから、その取扱いも問題となった。
Xらの上告理由は、極めて多岐にわたるが、要するに、目的効果基準に従えば、靖國神社等の恒例祭に向けられた玉串料等の支出は、時代の推移とともに宗教的意義が次第に希薄化し、もはやそれがほとんど認められなくなった儀礼と化しているとはいえず、多数者が受け入れるような宗教活動であれば、それが世俗化していなくても国家が関与することを認めるというのでは、政教分離原則を有名無実化するし、本件支出の事実上の影響力があったことは明らかであって、本件支出が合憲とされるならば、玉串料等の公金支出が助長、拡大されることになり、靖國神社等の祭神に対しては敬意を払うことが当然であるとの気風を呼び起こすことが必然であるなど、本件支出は、その目的、効果にかんがみ、憲法二〇条三項、八九条に違反するのに、原判決は、目的効果基準に名を借りてはいるが、全くその名に値しない審査しかせずに、合憲の結論を出したものであって、憲法の解釈に誤りがあるほか、多くの理由不備、理由齟齬、法令違背があるというものである。
これに対し、Yらの上告審における答弁の要旨は、玉串料等の宗教的意義は、時代の推移とともに次第に希薄化し、現在においてはほとんど認められなくなり、その奉納は単純無因の贈与と化したものであって、一般人の意識においては、さい銭の奉納と同様、慣習化した社会的儀礼として、世俗的な行為と評価されており、また、本件支出は、戦没者の慰霊及び遺族の慰謝のためにされたものであって、全国戦没者追悼式への供花料の支出等と同様、宗教的意図はないから、本件支出のみが禁止されることになれば、宗教による差別となるし、靖國神社は我が国における戦没者慰霊の中心的施設であり、同神社を戦没者の霊の存在する場所と考えている者は多く、それらの者は必ずしも戦没者を信仰の対象にしているのではないのであり、本件支出は、このような同神社の戦没者慰霊施設としての本質を重視し、儀礼的な意味においてされたものである上、右の一般人の意識やその金額等に照らし、本件支出が靖國神社等を援助、助長、促進するような効果をもたらしたりするとは、到底考えられないから、本件支出は、憲法二〇条三項、八九条に違反しないなどというものである。
三 本判決は、一五人中一〇人の多数意見により、結論において一審判決を是認する判断を示し、原判決中これと異なる部分を破棄した。
多数意見は、まず、本件支出の合憲性の審査基準については、津地鎮祭訴訟大法廷判決及び自衛官合祀訴訟大法廷判決を引用して、憲法二〇条三項、八九条は、国家の活動で宗教とかかわり合いを持つ行為又は公金支出行為等のうち、その目的及び効果にかんがみ、当該行為における国家と宗教とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものを禁止しているのであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないとして、判例理論である目的効果基準を踏襲することを明らかにした。このように、本判決の多数意見は、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当するかどうかについて津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見と同旨の判断を示したほか、憲法八九条が禁止している公金の支出等に該当するかどうかを検討するに当たっては、右の宗教的活動に該当するかどうかの判断と同様の基準によって判断しなければならないと判示し、目的効果基準が憲法八九条にも同様に当てはまる合憲性審査基準であることを明らかにしている。
本判決が目的効果基準を踏襲することを明らかにした(なお、反対意見の二裁判官も、同基準を踏襲する立場に立っているから、一五人中一二人が同基準を維持すべきものと判断したことになる。)ことにより、今後も、政教分離規定の適合性については、同基準に基づいて判断すべきことになろう。本判決の高橋裁判官や尾崎裁判官の意見においては、目的効果基準があいまいであるとの趣旨の批判がされているが、これに代わって両裁判官が提示している判断基準は、明らかに多数意見の考え方より厳格な政教分離を求めるものである。かねてより右のような批判はあっても、津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見と同様の限定的な分離を前提とする立場からの目的効果基準に代わるより明確な基準の提案がされてこなかったことも事実である。結局、限定的分離を前提とする以上、一刀両断的に合憲性を判断することは事柄の性質になじまず、個々の事案における諸般の事情を総合的に考慮し、社会通念に従って、客観的に判断するという手法を採るほかはないというのが、本判決の到達した結論ということになろう。そして、前記二つの大法廷判決と本判決とは、合憲、違憲と結論が分かれたが、それは、政教分離規定についての考え方に違いがあったためではなく、事案に違いがあったためというべきである。
そして、愛媛県が本件支出をして玉串料等を奉納したことは、一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなどという事情を総合的に考慮して判断すれば、その目的が宗教的意義を持つことを免れず、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認めるべきであって、憲法二〇条三項、八九条に違反すると判断した(以上の判断については大野裁判官、福田裁判官の補足意見があるほか、異なる理由により憲法八九条に違反するとする園部裁判官の意見、異なる理由により憲法二〇条三項に違反するとする高橋裁判官、尾崎裁判官の意見、憲法二〇条三項にも八九条にも違反しないとする三好長官、可部裁判官の反対意見がある。したがって、一五人中一三人が違憲判断をしたことになる。)。
なお、本判決の多数意見は、Yらの主張に答えて、県民のうちの相当数の者が県が靖國神社等に祭られている戦没者の慰霊を行うことを望んでいることなどからすると、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることは否定できないが、憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものになるとはいえないし、戦没者の慰霊ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられるなどと説示している。また、香典やさい銭との違いについても、根拠を挙げて説明している。
本判決は、政教分離規定に違反する行為についての重要な判断事例を提供するものであり、先例としての価値は大きいものがあると思われる。ただ、判文から明らかなとおり、本判決の多数意見が判断を示したのは、本件の具体的事案における玉串料の奉納行為等の合憲性であり、一般的に国や地方公共団体の玉串料の奉納行為等の合憲性について判断したものではなく、さらには、例えば公人が靖國神社等に参拝する行為の合憲性については、何らの判断をも示したものではない。右のような問題については、本判決の判断を参考にしつつ、それぞれその事情に基づいて、目的効果基準に従って、検討されるべきものであろう。
四 本判決には、以下のとおりの個別意見がある。
まず、多数意見に加わった裁判官の補足意見としては大野裁判官が、地方公共団体が靖國神社等による祭祀にのみ賛助することは特定の宗教団体に象徴的利益を与えるものであることなどを、福田裁判官が、国の非宗教性ないし宗教的中立性の理念は神道を含むあらゆる宗教に等しく当てはまるものであることなどを、それぞれ補足して述べている。
次に、異なる理由により結論として違憲判断をした意見としては、まず、園部裁判官が、宗教団体の主催する恒例の宗教行事のために、当該行事の一環としてその儀式にのっとった形式で奉納される金員は、当該宗教団体を直接の対象とする支出とみるべきであり、憲法八九条に違反するという見解に基づいて、本件支出は、同条に違反するなどとしている。また、高橋裁判官は、政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を意味し、それが不可能、不適当であることの理由が示されない限り、国が宗教とかかわり合いを持つことは許されないとした上で、本件各行為は、そのような例外に当たらず、違憲というほかはないなどとしている。そして、尾崎裁判官は、憲法二〇条三項は国が宗教とのかかわり合いを持つ行為を原則として禁止するものであるから、政教分離原則の除外例として特に許容するに値する高度な法的利益が明白に認められない限り、国は疑義ある活動に関与すべきではないとした上で、本件においては、例外的事情はなく、本件の玉串料等の奉納は、同項に違反するなどとしている。
また、合憲判断をした反対意見としては、まず、三好長官が、多くの国民の意識では、靖國神社等は戦没者追悼等の中心的施設となっており、また、本件の各祭祀は、多くの国民や遺族からすれば、戦没者の追悼、慰霊の行事との意識が強いし、本件金員供与の態様から宗教的意図を見いだすことなどはできず、その金額等も儀礼の範囲を超えないことや、我が国では、特定の宗教に対するこだわりの意識は希薄で、他に対してむしろ寛容であるという社会的事情など、諸般の事情を総合すれば、本件支出の意図、目的は戦没者の追悼等にあったとみるべきであり、また、特定の宗教を援助、助長、促進し、又は他の宗教に対する圧迫、干渉等となる効果、影響等があるとは到底いえないから、本件支出は憲法二〇条三項、八九条等に違反しないなどとしている。そして、可部裁判官は、恒例祭が神社の境内において挙行されるのは、当然のことであり、特段の意味を持たず、恒例祭に際し、招かれてあるいは求められて玉串料等を捧げることは社会的儀礼としての側面を有しており、県は千鳥ヶ淵戦没者墓苑における慰霊祭等にも公金を支出しているから、「特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持った」とするのは、判断として公正を欠くし、当該行為の効果の判定は、専ら精神面における印象等を主要な手がかりとして決せられてはならないなどとして、本件支出は憲法二〇条三項に違反しないとし、また、本件支出の目的、効果、支出金の性質、額等から考えると、特定の宗教組織又は宗教団体に対する財政援助的な支出とはいえないから、本件支出は憲法八九条にも違反しないとしている。
五 次に、本判決の多数意見は、前記の違憲判断に基づき、Yらの損害賠償責任の有無について判断を示した(この部分については、前記の意見を述べた三裁判官も同調している。)。
まず、知事であるY1については、最二小判平3・12・20民集四五巻九号一四五五頁、本誌七七八号七五頁及び最三小判平5・2・16民集四七巻三号一六八七頁、本誌八一五号九四頁を引用して、自己の権限に属する本件支出を補助職員であるY2らに委任し、又は専決により処理させたのであるから、その指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失によりこれを阻止しなかったと認められる場合には、県に対し違法な支出によって県が被った損害を賠償する義務を負うことになると解すべきであるという一般論を示した上で、Y1は、靖國神社等に対し、Y2らに玉串料等を持参させるなどして、これを奉納したと認められるというのであり、本件支出には憲法に違反するという重大な違法があること、地方公共団体が特定の宗教団体に玉串料、供物料等の支出をすることについて、文部省、自治省等が、政教分離原則に照らし、慎重な対応を求める趣旨の通達、回答をしてきたことなどをも考慮すると、その指揮監督上の義務に違反したものであって、これにつき少なくとも過失があったというのが相当であるとして、Y1の責任を肯定した。これに対し、補助職員であるY2らについては、地方自治法二四三条の二第一項後段により、本件支出行為をするにつき故意又は重大な過失があった場合に限り県に対して損害賠償責任を負うものであるという一般論を示した上、知事であるY1の右のような指揮監督の下で本件支出をしたというのであり、しかも、本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断することができたとまではいえないから、これを憲法に違反しないと考えて行ったことは、その判断を誤ったものではあるが、重大な過失があったということはできないとして、Y2らの責任を否定した。
Y1は、本件支出を直接行った者ではないが、知事であるから、本件支出につき法令上本来的に権限を有する者であり、また、Y2は知事から委任を受け、Y3らは知事から専決することを任されて、本件支出を行った者らである。これらの立場において財務会計上の行為に関係した者が、それぞれ地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に当たるかどうかについては、議論があったが、小法廷の判例により、いずれも肯定された(最二小判昭62・4・10民集四一巻三号二三九頁、本誌六四〇号八三頁、前掲最二小判平3・12・20、最二小判平3・12・20民集四五巻九号一五〇二頁、本誌七七八号八三頁及び前掲最三小判平5・2・16)。したがって、本件訴えは、同号の類型に該当する適法な訴えということができる。本判決は、このことを前提としており、明示の判断を示していないが、右小法廷の判例法理が大法廷でも確認されたということができる。
そして、このように、委任又は専決により補助職員が違法な財務会計上の行為をした場合における長及び補助職員の地方公共団体に対する損害賠償責任の内容についても、かつては説が分かれていたが、小法廷の判例によって解決されており、長は、民法に基づき責任を負うが(最一小判昭61・2・27民集四〇巻一号八八頁、本誌五九二号三二頁)、補助職員に対する指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により補助職員の行為を阻止しなかったと認められる場合に限り責任を負うのであり(最二小判平3・12・20民集四五巻九号一四五五頁、本誌七七八号七五頁及び右最三小判平5・2・16)、他方、補助職員は、地方自治法二四三条の二第一項後段に基づき責任を負う(右最一小判昭61・2・27)から、当該行為をするにつき故意又は重大な過失(現金の亡失については、故意又は過失)があった場合に限り責任を負うことになる。本判決は、右の小法廷の判例法理を確認したものである。
右の考え方に立った上で、本判決は、Y1の責任については、支出を補助職員に任せた長としての指揮監督上の義務に違反したものであり、しかも、そのことにつき少なくとも過失があったものと判断した。前記のような一般論からすると、長が実際に責任を負う場合は、自ら当該財務会計上の非違行為を行ったのと同視し得る程度の指揮監督の懈怠がある場合に限られることになるものと解されるところであるが、Y1主導ともいうべき本件支出の実態や憲法違反の公金支出を阻止せず放置し続けたということなどが、右のような判断の理由となったものと思われる。これに対して、Y2らの責任については、Y1の判断に実際上束縛されていたという実態や本件支出が憲法に違反するか否かを極めて容易に判断し得たとはいえない(このことは、本判決に反対意見があることからも明らかであろう。)ことから、重過失まではないと判断し、その責任を否定したものと思われる。本判決が長の指揮監督責任を肯定した判断や補助職員の重過失を否定した判断は、事例として今後の参考になるものと思われる。
六 以上の本案についての判断が社会的には極めて重要なものであったため、マスコミ等においては、その部分のみが大きく報道されたが、本判決は、第二の職権判断部分において、Xらのうち一人が上告をしながらこれを取り下げたことについて、一五人全員一致の意見で、最二小判昭58・4・1民集三七巻三号二〇一頁を変更している点でも、注目される。
右最二小判は、複数の住民が提起する地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟は、類似必要的共同訴訟であると解した上、共同原告となった住民らの一部の者のみが上訴をした場合には、民訴法六二条一項の規定により、上訴をしなかったその余の共同原告にも上訴の効力が及び、全員が上訴人になるという判断を示していた。これによれば、上訴審としては、上訴しなかった者も上訴人として取り扱い、準備書面を送達したり、期日の呼出しをしたりする必要があるほか、判決に当事者として表示した上、その送達をしなければならない。しかし、実際には、敗訴判決を受けて上訴しなかった者は、訴訟活動を続行する意思を失っており、その者を上訴人として取り扱い続けることは実情に合わない面があることから、むしろ訴えの取下げを勧告して、訴訟関係から完全に離脱させるように促すのが、一般的な取扱いとなっていた。ところが、上訴をした共同原告らや訴訟代理人を通じて上訴をしなかった者と連絡をとることが困難であったり、両者の信頼関係が失われているため、取下げの手続を執ることが容易でない場合があり、他方、万一このことを看過すれば、判決の内容に全く問題がない場合でも、破棄差戻しの理由になってしまうという問題があった。また、右判例は、地方自治法二四二条の二第一項四号所定の訴訟についてのみ判断したものであり、類似必要的共同訴訟に当たることの理由付けにおいても四号訴訟特有の事由を援用しており、その他の類型の住民訴訟についても同様に考えるべきなのかどうかは、問題として残されていた。
類似必要的共同訴訟における共同訴訟人の一部の者がした上訴の効力についての右判決の判断は、通説にのっとったものであるが、右の問題については、右判決前に既に、上訴審の審判対象の問題と当事者地位の問題とは別個に考慮することが可能であり、上訴審の審判対象は全請求に及ぶが、上訴人たる地位は現実に上訴し上訴審手続に関与している者だけに認めれば足りるとする見解が唱えられていた(井上治典「多数当事者訴訟における一部の者のみの上訴」多数当事者訴訟の法理二〇一頁)。また、右判決において、木下裁判官の反対意見が、これと同様の考え方を示している。そして、右判決後、右の井上説や木下裁判官の反対意見を支持する学説も現れるに至っていた。
そのような中で、本判決は、まず、住民訴訟一般につき、その判決の効力は全住民に及ぶとした上、そのことを根拠に、複数の住民の提起した住民訴訟は、類似必要的共同訴訟に当たるとの判断を示した。そして、類似必要的共同訴訟においては、共同訴訟人の一部の者がした上訴の効力は、上訴をしなかった者にも及び、原判決は確定を遮断されるが、住民訴訟の性質にかんがみて、上訴をしなかった者は上訴人にはならないという新判断を示した。この考え方は、前記木下裁判官の反対意見に近いが、同意見が上訴をしなかった共同訴訟人は「いわば脱退」するという表現を採っていたのに対し、本判決はそのような表現を用いていない。
本判決のような考え方を採った場合の法律関係の詳細について、本判決は明らかにしていない。前記井上説は、上訴人となった者とならなかった者との間に選定当事者的な任意的訴訟担当の関係が成立すると説明しているが、そのように解すべき法律上の根拠や、そのように解した場合に生じてくる法律問題については、なお十分解明されたとはいえないところがあり、学説上も議論が煮詰まっているとはいえない状況にあることなどからすると、むしろ、本判決を契機に、議論が深まることが期待されるところである。
また、本判決は住民訴訟一般について判断を示したことから、四号訴訟以外の住民訴訟においても同様に解すべきことが明らかになったが、住民訴訟以外の類似必要的共同訴訟や固有必要的共同訴訟については、判断していない。本判決の理由付けは、住民訴訟の特質を強調したものであるから、その他の類似必要的共同訴訟等に当てはまるものではない。もっとも、審判の対象の問題と当事者の地位の問題とが分離不能ではないということを肯定したことになるから、他の類型についてどう考えるべきかについても、今後議論が深まることが予想される。

+判例(H12.7.7)
理由
第一 本件の概要
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 A證券株式会社(以下「A證券」という。)は、有価証券の売買、その媒介、取次ぎ及び代理、有価証券の引受け及び売出し等を目的とする我が国最大手の証券会社であり、被上告人らは、平成二年三月当時A證券の代表取締役の地位にあった者であり、上告人らは、A證券の株主である。
2 B株式会社(以下「B」という。)は、A證券の大口顧客であり、A證券は、昭和四八年三月からBと有価証券の売買等による資金運用の取引を継続し、また、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあって、多額の手数料収入を得ていた。
主幹事証券会社になると多額の引受手数料等の収入を得ることができるため、主幹事となることにつき証券会社相互間で競争があり、また、いったん主幹事から外れるとこれを取り返すことには困難が伴うため、各証券会社は、証券発行を行う事業法人との取引関係の維持、拡大に努めている。
3(一)委託者が受託者である信託銀行と締結した特定金銭信託契約に基づき、信託銀行が、証券会社にそのための口座を開設して、委託者の指図に従い有価証券の売買等を行う取引(以下「特金勘定取引」という。)のうち、委託者が投資顧問業者と投資顧問契約を締結することなく、専ら証券会社が委託者に代わって信託銀行に指図することにより運用されていたものがあり、「営業特金」と呼ばれていた。
(二)Bは、平成元年四月、C信託銀行株式会社(以下「C信託銀行」という。)との間で、Bを委託者、C信託銀行を受託者とし、期間を平成二年三月までとする特定金銭信託契約を締結して一〇億円を信託し、これに基づきC信託銀行がA證券に取引口座を開設して、有価証券の売買によるBのための資金運用が開始された。Bは右取引につき投資顧問業者との間で投資顧問契約を締結しておらず、営業特金による取引であった。
(三)Bのための特金勘定取引口座には、平成元年末ころに約二億七〇〇〇万円の損失が生じており、平成二年一月ころからの株式市況の急激な悪化によって、更に損失が拡大し、期間満了を待たずに取引を終了させた同年二月末ころには、損失額は約三億六〇〇〇万円となっていた。
4(一)D証券株式会社が大口顧客に対して約一〇〇億円に上る損失補てんをしていたなどと報道される中で、大蔵省は、平成元年一二月二六日、日本証券業協会会長あてに、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(以下「本件通達」という。)を発し、法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘はもとより、事後的な損失の補てんや特別の利益提供も厳にこれを慎むこと、特金勘定取引について、原則として、顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約が締結されたものとすること等について、所属証券会社に周知徹底させるべきものとした。その趣旨を徹底するために、同日付けの大蔵省証券局業務課長による各財務(支)局理財部長あての事務連絡が発せられ、証券会社に対し、既存の特金勘定取引について本件通達に沿う所要の措置を講ずべき期限は平成二年末までとし、各年三月末及び九月末に特金勘定取引の口座数、そのうち投資顧問契約のないものの口座数等を報告させるなどの指導をすべきものとされた。
(二)日本証券業協会は、平成元年一二月二六日、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」(以下「本件規則」という。)を改正し、「協会員は、損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘を行なわないことはもとより、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎む」ものとする旨の規定(同規則八条)を新設した。
(三)A證券を始めとする証券会社は、本件通達等の主眼が早急に営業特金の解消を求める点にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補てんを行うこともやむを得ないという考え方が大勢を占めるようになった。
5(一)A證券の担当者は、本件通達の直後から、Bの財務部長らと営業特金の解消について交渉したが解決に至らず、損失補てんをしなければ今後の取引関係に重大な影響が生ずると考えて、管理部門の最高責任者であった被上告人Eに対し、損失補てんの必要がある旨の報告をした。被上告人Eは、Bの営業特金については、有価証券市場が好況であった当時から損失が生じており、将来のBの証券発行に際しての主幹事証券会社の地位を失うおそれがあることも考慮して、損失補てんを実施する必要があると判断した。平成二年三月一三日、被上告人らが出席したA證券の専務会において、被上告人Eから、Bほかの顧客に生じた損失について総額約一六一億円の補てんをすることが提案され、了承された。なお、被上告人らは、右損失補てんの実施を決定するに当たり、その違法性の有無につき法律家等の専門家の意見を徴することをしなかった。
(二)A證券のBに対する損失補てん(以下「本件損失補てん」という。)の具体的な方法は、市場や一般投資者に影響が及ばないように外貨建てワラントの相対取引によることとされ、平成二年三月一四日、ルクセンブルク証券取引所に上場の大成建設ワラントをA證券がBに売却し、即日買い戻すという方法により実施された。この結果、Bは三億六〇一九万一一二七円の利益を得て、営業特金による損失が補てんされ、営業特金も解消された。
6 本件損失補てん後、A證券とBとの取引関係は維持され、Bが平成四年七月に三〇〇億円、平成五年三月に二〇〇億円の社債を発行した際、A證券は、その主幹事証券会社として一億二〇〇〇万円余の手数料を得るなど、既に相当額の収入を得ており、かつ今後も得られる見込みである。

二 本件は、A證券の株主である上告人らにおいて、本件損失補てんにつき、当時A證券の代表取締役であった被上告人らが取締役としての義務に違反して会社に損害を被らせたものであると主張して、被上告人らに対し、商法二六六条一項五号の規定(以下「本規定」という。)に基づく取締役の責任を追及する株主代表訴訟である。
原審は、(一)本件損失補てんは、平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(以下「旧証券取引法」という。)五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反しない、(二)本件損失補てんは、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)二条九項三号に基づき公正取引委員会が指定した不公正な取引方法(昭和五七年同委員会告示第一五号。以下「一般指定」という。)の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、同法一九条に違反する、(三)しかし、同条は競争者の利益を保護することを意図した規定であって、同条違反の行為により損害を被るのは当該会社ではないから、同条違反が本規定にいう法令違反に含まれると解するのは相当でないなどとして、上告人らの本訴請求を棄却すべきものと判断した。
本件上告は、原審の右(一)及び(三)の判断が違法であるとして、原判決の破棄を求めるものである。

第二 上告人兼上告人Fの代理人亀田信男、上告代理人吉武伸剛、同飯田秀人の上告理由中、旧証券取引法違反に関する点について
前記事実関係の下において、本件損失補てんが、旧証券取引法五〇条一項三号、四号、五八条一号に違反するものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

第三 その余の上告理由について
一 株式会社の取締役は、取締役会の構成員として会社の業務執行を決定し、あるいは代表取締役として業務の執行に当たるなどの職務を有するものであって、商法二六六条は、その職責の重要性にかんがみ、取締役が会社に対して負うべき責任の明確化と厳格化を図るものである。本規定は、右の趣旨に基づき、法令に違反する行為をした取締役はそれによって会社の被った損害を賠償する責めに任じる旨を定めるものであるところ、【要旨1】取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定(以下、併せて「一般規定」という。)及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定が、本規定にいう「法令」に含まれることは明らかであるが、さらに、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定もこれに含まれるものと解するのが相当である。けだし、会社が法令を遵守すべきことは当然であるところ、取締役が、会社の業務執行を決定し、その執行に当たる立場にあるものであることからすれば、会社をして法令に違反させることのないようにするため、その職務遂行に際して会社を名あて人とする右の規定を遵守することもまた、取締役の会社に対する職務上の義務に属するというべきだからである。したがって、【要旨2】取締役が右義務に違反し、会社をして右の規定に違反させることとなる行為をしたときには、取締役の右行為が一般規定の定める義務に違反することになるか否かを問うまでもなく、本規定にいう法令に違反する行為をしたときに該当することになるものと解すべきである。

二 これを本件について見ると、証券会社が、一部の顧客に対し、有価証券の売買等の取引により生じた損失を補てんする行為は、証券業界における正常な商慣習に照らして不当な利益の供与というべきであるから、A證券がBとの取引関係の維持拡大を目的として同社に対し本件損失補てんを実施したことは、一般指定の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独占禁止法一九条に違反するものと解すべきである。そして、独占禁止法一九条の規定は、同法一条所定の目的達成のため、事業者に対して不公正な取引方法を用いることを禁止するものであって、事業者たる会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定にほかならないから、本規定にいう法令に含まれることが明らかである。したがって、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施した行為は、本規定にいう法令に違反する行為に当たると解すべきものである。
しかるに、原審は、独占禁止法一九条に違反する行為が当然に本規定にいう法令に違反する行為に当たると解するのは相当でないと判断しているのであって、この点において、原審は法令の解釈を誤ったものといわなければならない。

三 しかしながら、株式会社の取締役が、法令又は定款に違反する行為をしたとして、本規定に該当することを理由に損害賠償責任を負うには、右違反行為につき取締役に故意又は過失があることを要するものと解される(最高裁昭和四八年(オ)第五〇六号同五一年三月二三日第三小法廷判決・裁判集民事一一七号二三一頁参照)。
原審の適法に確定したところによれば、(一)被上告人らは、本件損失補てんが旧証券取引法あるいは本件通達に違反するものでないかどうかについては重大な関心を有していたが、それが一般の投資家に対して取引を勧誘するような性質のものではなかったことから、独占禁止法一九条に違反するか否かの問題については思い至らなかった、(二)被上告人らのみならず、関係当局においても、証券取引については所管の大蔵省によって証券取引法及びその関連法令を通じて規制が行われるべきであるとの基本的理解から、証券取引に伴う損失補てんが独占禁止法に違反するかどうかという問題は、本件損失補てんが行われた後一年半余にわたって取り上げられることがなかった、(三)公正取引委員会は、第一二一回衆議院証券及び金融問題に関する特別委員会が開催された平成三年八月三一日の時点においても、なお損失補てんが独占禁止法に違反するとの見解を採っておらず、公正取引委員会が、本件損失補てんを含む証券会社の一連の損失補てんが不公正な取引方法に該当し独占禁止法一九条に違反するとして、同法四八条二項に基づく勧告を行ったのは、同年一一月二〇日であった、というのである。
右事実関係の下においては、被上告人らが、本件損失補てんを決定し、実施した平成二年三月の時点において、その行為が独占禁止法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることもできないから、本件損失補てんが独占禁止法一九条に違反する行為であることをもって、被上告人らにつき本規定に基づく損害賠償責任を肯認することはできない。

四 以上のとおりであるから、被上告人らが本件損失補てんを決定し、実施したことにつき、本規定に基づく損害賠償責任を否定すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響しない事項についての違法をいうものに帰し、採用することができない。

第四 G及び株式会社H設計事務所の上告審における地位について
商法二六七条に規定する株主代表訴訟は、株主が会社に代位して、取締役の会社に対する責任を追及する訴えを提起するものであって、その判決の効力は会社に対しても及び(民訴法一一五条一項二号)、その結果他の株主もその効力を争うことができなくなるという関係にあり、複数の株主の追行する株主代表訴訟は、いわゆる類似必要的共同訴訟と解するのが相当である。
類似必要的共同訴訟において共同訴訟人の一部の者が上訴すれば、それによって原判決の確定が妨げられ、当該訴訟は全体として上訴審に移審し、上訴審の判決の効力は上訴をしなかった共同訴訟人にも及ぶと解される。しかしながら、合一確定のためには右の限度で上訴が効力を生ずれば足りるものである上、取締役の会社に対する責任を追及する株主代表訴訟においては、既に訴訟を追行する意思を失った者に対し、その意思に反してまで上訴人の地位に就くことを求めることは相当でないし、複数の株主によって株主代表訴訟が追行されている場合であっても、株主各人の個別的な利益が直接問題となっているものではないから、提訴後に共同訴訟人たる株主の数が減少しても、その審判の範囲、審理の態様、判決の効力等には影響がない。そうすると、【要旨3】株主代表訴訟については、自ら上訴をしなかった共同訴訟人を上訴人の地位に就かせる効力までが民訴法四〇条一項によって生ずると解するのは相当でなく、自ら上訴をしなかった共同訴訟人たる株主は、上訴人にはならないものと解すべきである(最高裁平成四年(行ツ)第一五六号同九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁参照)。
したがって、本件において自ら上告を申し立てなかったG及び株式会社H設計事務所は上告人ではないものとして、本判決をする。
よって、裁判官河合伸一の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官河合伸一の補足意見は、次のとおりである。
法廷意見は、本規定にいう「法令」には、商法その他の法令中の、会社を名あて人とし、会社として遵守すべきすべての規定(以下「対会社規定」という。)が含まれることを明らかにした上、取締役が会社をして対会社規定に違反させることとなる行為をしたときは、一般規定の定める取締役の義務に違反するか否かを問うまでもなく、本規定に該当すると解している。すなわち、本規定に基づく取締役の責任は会社に対する債務不履行責任であるところ、本規定は、取締役が右のような行為をしたときは、当然に、民法四一五条所定の「債務ノ本旨ニ従ヒタル履行ヲ為ササル」との要件(以下「不履行要件」という。)を充足すると定めるものであって、その意味で同条に対する特則を成すと解するものである。
これに対し、対会社規定の全部又は一部について、取締役がそれらの規定に違反しても直ちに不履行要件を充足すると解すべきではなく、取締役の行為が一般規定の定める義務に違反するもの(以下「任務懈怠」という。)と評価されて初めて、これを充足することになると解する説(以下「反対説」という。)が唱えられており、原審もこれによったものと思われる。
私は、反対説には解釈論として相当の難点がある上、具体的事案の処理においても、法廷意見による場合に対比して、少なくとも右難点を無視するに足るほどの利点があるとはいえないと考えるので、以下、その概要を述べておきたい。
一 営利法人たる会社を経営する取締役の任務は、約言すれば、会社の最善の利益を図るため善良な管理者の注意をもってその職務を遂行することにある。反対説が、取締役の行為に対会社規定違反があっても、なお任務懈怠の評価を経るべきものとするのは、取締役の行為を、右違反の点をも含め、全体として観察すれば、任務懈怠とはいえない場合がある、すなわち前記の取締役の任務にかなうものと評価できる場合があるとの理解を前提とするのであろう。それは、結局、取締役が会社をして対会社規定に違反させることになる行為をしても、それが会社の利益を図るものであれば、会社に対する関係では債務不履行とはならない場合のあることを承認するものであり、換言すれば、会社の利益を図るためには、会社をして法令に違反させることになるような行為をすることもなお取締役の任務に属する場合があることを承認するものではなかろうか。しかし、私は、そのようなことを承認することには、とうてい賛成できない。
また、反対説は、商法の規定の構成や文理にも整合しないように思われる。本規定にいう「法令」に一般規定が含まれることについては、反対説の論者にも異論はない。対会社規定がこれに含まれるかは必ずしも一致していないが、もし含まれるとするのであれば、対会社規定は一般規定の下部規範でありながら、両者が同一条文中に並列的に置かれていることになるし、もし含まれていないとするのであれば、本規定は「取締役ガ其ノ任務ヲ怠リタルトキ」と定めていた昭和二五年改正前の二六六条一項とほとんど同じものとなり、右改正において、取締役の地位及び権限の強化に伴い、その責任の明確化と厳格化を図るため現行のように改められた趣旨にそぐわないことになる。商法が、監査役について、取締役に関する規定の多くを準用しながら、会社に対する責任については本規定を準用せず、「其ノ任務ヲ怠リタルトキ」と定めている(二七七条)こととも整合しない。商法二五四条ノ三にいう「法令」が対会社規定を含むことは明らかであるところ、同じく取締役の義務に関する本規定中の「法令」を別異に解することも、容易に理解し難いところである。
二 反対説には右のような難点があるが、それにもかかわらず反対説が提唱される理由には、法廷意見のように解すると取締役に対し不当に苛酷な責任を負わせることになるとの憂慮があるように思われる。
たしかに、対会社規定には多種多様なものがあり、取締役がそのすべてに通じていることは期し難いから、本件のように、取締役の行為が思いがけず対会社規定に違反する結果となる場合の生じ得ることを否定できない。その場合、取締役が当然に商法二六六条の定める責任を負うことになれば、その責任はきわめて厳格なものである。さらに、近年、本規定に基づいて取締役の責任を追及する代表訴訟が増加し、ことに商法二六七条四項の改正後は、その請求額が巨額に及ぶ例も少なくない。これらのことからすると、右の憂慮を故なきものということはできない。
ところで、取締役は、会社を取り巻く複雑かつ流動的な諸状況の下で、その任務を遂行するため、専門的な知識と経験に基づき、諸種の配慮をめぐらして経営上の判断をしなければならない。このような取締役の経営上の判断については、その性質上おのずから広い裁量が認められるべきであって、取締役のある判断が結果的に会社に損害をもたらしたとしても、それだけで直ちに取締役に任務懈怠があったとすることはできず、具体的事案における諸事情を総合勘案して評価決定すべきものとするのが、一般的理解である。反対説は、取締役が対会社規定に違反して会社に損害が生じた場合においても、右の経営判断に関する一般的理解に従い、具体的諸事情を総合勘案して任務懈怠と評価できるか否かを決することにより、取締役が前記の苛酷な責任から救済される可能性を拡大しようとするものと思われるのである。
しかし、私は、本規定に基づく取締役の責任の諸要件をより具体的に検討すれば、両説のいずれを採るかにより、結論においてそれほどの差を生じるものではないと考える。
1 まず、取締役の対会社規定に違反する行為の結果会社に損害が生じた場合において、取締役が、その行為をするに際し、それが対会社規定に違反するものであることを認識していたときには、前記の一般的理解によっても、取締役に任務懈怠なしとすることはできないであろう。取締役の裁量権には、法令に違反し、あるいは会社をして違反させることは含まれないはずであり、会社の利益を図るためには故意に法令を犯してもよいとはいえないからである。現に、反対説の論者も、多くは右の結論を認めているように思われる。
2 右の場合において、取締役が、自己の行為が対会社規定に違反することを認識していないときは、どうであろうか。
法廷意見の立場からは、債務不履行責任における帰責要件としての過失の問題となるところ、これについては一般に、債務者が取引関係上通常要求される程度の注意を欠いたがゆえに債務不履行という結果の発生を認識しなかったか否かが問われるのであって、右の場合に即していえば、当該行為をめぐる諸般の状況の下で、取締役が前記のような経営上の判断をするに際し、同様の状況にある通常の取締役に要求される程度の注意、すなわち善管注意を欠いたがゆえに、対会社規定違反となることを認識しなかったか否かが問われるのである。
反対説の立場からは、必ずしも帰責要件の問題とはされず、むしろ、あるいはまず、不履行要件の問題とされる如くであるが、いずれにしても、右の善管注意を欠いたか否かを基準として決せられることになると思われ、そうだとすれば、判断基準において法廷意見と差がないと考えられる。ただ、この立場においては、認識すべきものとされる対象が、法廷意見の立場におけるそれと異なることになるであろうが、そうであっても、その対象の中に当該行為が対会社規定に違反するという事実が含まれなければならない以上、右の差異によって結論が左右される事例は、次に述べるような場合を除き、容易に想定することができない。
3 取締役が善管注意を尽くせば対会社規定違反となることを認識し得たと判断されるけれども、この判断に供せられた事実関係に加えて、当該行為をめぐる状況を更に広く考察すれば、なお任務懈怠とは評価できないという場合はあり得るかも知れない。しかし、ここで更に考察の対象に加えられる事実関係ないしその評価とは、ほとんどの場合、通常の債務不履行の要件論において違法性阻却又は責任阻却事由として位置付けられるものではなかろうか。法廷意見の立場からも、緊急避難等の違法性阻却事由や、期待可能性等の責任阻却事由の存在が認められるときは、取締役の責任は否定されることになるのである。
4 あるいは、主張立証責任の所在については、両説のいずれを採るかにより、理論上、差異を生じるかも知れない。本規定に基づいて取締役の責任が追及される事案のほとんどはいわゆる不完全履行の類型に属するであろうが、同類型においては、不完全な履行があったこと、すなわち不履行要件の存在の主張立証責任は債権者側にあると解するのが一般である。これを前提とすると、法廷意見の立場からは、取締役が対会社規定に違反する行為をしたことが立証されれば、それだけで不履行要件を充足し、帰責事由の不存在又は違法性・責任阻却事由の存在は、すべて取締役が主張立証責任を負うことになる。これに対し、反対説の立場では、これらの事由は、ほとんどすべてが不履行要件たる任務懈怠の中に溶融され、取締役の責任を追及する側が主張立証責任を負うことになる。
もっとも、右は理論上のものに過ぎず、訴訟の実践の場においてはそれほどの差を生じないであろうが、もし右の理論のとおりに訴訟が運ばれるとすれば、反対説を採ることにより、取締役の責任が否定される場合が増えるであろう。
しかし、私は、右の理論にも、反対説によるその結果の妥当性にも、疑問を呈さざるを得ない。たとえば一定の品質を有すべき物の給付債務など、債務の内容が客観的、具体的に明確であり、それが完全に履行されたか否かを債権者が普通に知り得るものについては、その不履行要件についての主張立証責任を債権者に課すことは正当であろう。しかし、反対説がいうように、任務懈怠をもって不履行要件とするなら、そこで認定判断されるべき事柄は複雑多岐にわたり、しかもそのほとんどは取締役の関与領域内にあるから、物の給付債務などについてと同断には論じ得ないし、ことに代表訴訟の場合を考えると、原告にその主張立証責任を課すことにより取締役が勝訴するという結果は、公平でなく、妥当でもないと考えるのである。
三 本規定に基づき取締役に命じられる賠償額についても言及しておきたい。
前述のとおり、反対説が提唱される理由に、取締役に対し不当に苛酷な責任を負わせることへの憂慮があるとすれば、私も、それに共感を覚える場合がないわけではない。しかし、そのような結果を回避することは、反対説のように、不履行要件を任務懈怠として、対会社規定に違反した取締役の責任を全面的に否定する方法によってではなく、その責任を肯定した上、要賠償額の量定を妥当なものとする方法によってされる方が望ましく、現行法の下においても、その余地があると考えるからである。
1 たとえば、いわゆる損益相殺である。取締役の本規定該当の行為によって会社が損害を被ったが、同時に利益をも得ている場合、原則として、その差額をもって要賠償額とするものである。商法二六六条が会社の被った損害を取締役に賠償させる制度である以上、右のように損益相殺することは、むしろ当然のことといえる。
もっとも、取締役の行為から会社に利益が生じているにしても、その行為が刑事犯罪に該当するなど、その利益をもって損益相殺することが社会的に正当視できない場合はあろう。しかし、そのような場合は、会社に生じた損害をそのまま取締役に負わせても、不当に苛酷なものとはいえないと考える。
2 過失相殺の規定(民法四一八条)を適用し、あるいはその趣旨を類推適用することも、検討されるべきである。
取締役は会社の機関であり、対外的には一体と見るべきものであるが、会社の取締役に対する損害賠償請求権が訴求されているときには、たとえ取締役が現在もその地位にあるとしても、両者は債権者と債務者の関係にあるから、右規定が適用されることは自然である。
また、たとえば取締役の行為が本規定に該当するものではあるが、それは会社の歴代の経営者がしてきたことを継承するものであるとか、会社の組織や管理体制に牢固たる欠陥があるなど、いわば会社の体質にも起因するところがある場合には、損害賠償制度の根本理念である公平の原則、あるいは債権法を支配する信義則に照らし、右規定を類推適用することが許されてよいと考える(最高裁昭和五九年(オ)第三三号同六三年四月二一日第一小法廷判決・民集四二巻四号二四三頁、最高裁昭和六三年(オ)第一〇九四号平成四年六月二五日第一小法廷判決・民集四六巻四号四〇〇頁参照)。
もっとも、右の例のような場合、取締役は会社の体質を改善すべき義務を負うものであることも、考慮されなければならない。また、本規定に基づく責任が関与した取締役の連帯責任とされていることが、過失相殺規定の適用又は類推適用を困難にする場合もあろう。しかし、そのようなことも考慮しつつ、なおこれによって妥当な結論を導き得る場合があると考えるのである。
要賠償額を具体的事情に適合する合理的、現実的なものにするため、解釈論として用い得る調整手法は、右以外にもあり得よう。そして、このような調整をすることは、決して、商法二六六条ないし代表訴訟制度の目的に反するものではなく、その機能を減殺するものでもない。ことに、訴額に関する法改正により取締役の職務是正機能が鮮明になってきた代表訴訟制度にとっては、むしろ、これをより活性化することにつながるものである。
現行法の下では、右の合理的調整をするのに相当の困難があることは否定できない。これを適切かつ十分に行い得るようにするには、本来、法改正が必要であって、その早期の実現が待たれるところである。しかし、これが実現するまでの間にあっても、法解釈を工夫することによって不当な結果を回避し得る余地が多分にあると考える次第である。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄)

++解説
《解  説》
一 本件は、大手証券会社Aが大口顧客である訴外会社Bに対して損失補填を行ったことによりAに補填相当額の損害を生じたとして、Aの株主であるXらが、その決定・実施に関わった当時のAの代表取締役であるYらに対し、商法二六六条一項五号に基づき損害賠償を求める株主代表訴訟である。
二 本件の事実関係及び訴訟経過の概要は次のとおりである(なお、詳細については判文を参照されたい。)。
1 Aは、大口顧客であるBと有価証券の売買等による資金運用取引を継続してきており、Bの証券発行に際しては主幹事証券会社の地位にあった。
2 Bは、訴外信託銀行との間で一〇億円の特定金銭信託契約を締結し、同銀行がAに開設した取引口座を通じて有価証券の売買を行う特金勘定取引を開始したが、実際にはAがBに代わって同銀行に取引の指図をすることによって運用されるいわゆる営業特金による取引であった。ところが、右取引により平成元年末には約二億七〇〇〇万円の損失が生じ、平成二年に入ってからの株式市況の急激な悪化により損失が更に拡大し、Bが期間満了を待たずに右取引を終了させた同年二月末には損失は約三億六〇〇〇万円に上っていた。
3 平成元年一一月ころから証券会社の大口顧客に対する損失補填が社会問題となり、大蔵省は、同年一二月二六日、「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達(本件通達)を発し、証券会社において法令上の禁止行為である損失保証等による勧誘に限らず、事後的な損失補填等も厳にこれを慎むとともに、特金勘定取引についても顧客と投資顧問業者との間に投資顧問契約を締結させるべきものとした。日本証券業協会も、本件通達を受けて、同協会の内部規則である公正慣習規則第九号(本件規則)を改正し、事後的な損失補填等をも厳に慎むものとする旨の定めを置いた。
Aを始めとする証券会社においては、本件通達等の主眼が営業特金の早期解消にあると理解し、株式市況が急激に悪化する中で顧客との関係を良好に維持しつつ営業特金の解消を進めていくためには、損失補填を行うこともやむを得ないとする考え方が大勢を占めていた。
4 Aでは本件通達の直後からBと営業特金の解消に向けて交渉したが解決に至らず、Bとの円満な取引関係を維持するために損失補填を実施する必要があるとして、平成二年三月、Yらが出席したAの専務会においてBに対する損失補填が決定され、AがBに売却した外貨建てワラントを即日買い戻すという相対取引により実施された(本件損失補填)。この結果、Bは三億六〇〇〇万円強の利益を得て、営業特金も解消された。その後、AとBとの取引関係は良好に維持され、AはBとの取引により相応の利益を得ている。
5 Xらは、本件損失補填が①平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(旧証取法)五〇条一項等に違反する、②昭和五七年公取委告示第一五号の9(不当な利益による顧客誘引)に該当し、独禁法一九条に違反する、③取締役の善管注意義務・忠実義務に違反するなどとして、Yらに対し、商法二六六条一項五号に基づく損害賠償として損害金内金一億円の支払を請求している。
6 一、二審とも本件損失補填の独禁法一九条違反性のみを肯認したが、一審は、本件損失補填によりその後得られる利益を考慮すれば損害があるとはいえないとしたのに対し、原審は、独禁法一九条が競争者の利益を保護することを意図した規定であることを理由に、同条違反は商法二六六条一項五号にいう法令違反には含まれないとして、Xらの請求を棄却すべきものとした。これに対してXらのうち二名から上告がされたところ、最高裁は、商法二六六条一項五号にいう法令には、取締役を名あて人とし取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を定める規定のほか、会社を名あて人とし会社がその業務を行うに際して遵守すべき義務を定める規定も含まれるとした上で、Yらにおいて独禁法一九条違反の認識を欠いた点につき過失があったとはいえないとして、Yらの責任を否定した原審の判断を結論的に維持したものである。
二 取締役の任務は、会社の業務執行に関する意思決定に参画し、同時に他の取締役等の業務執行を監視するほか、取締役会からの委託等を受けて具体的な業務執行に携わるなど多岐に及ぶものであるところ、商法二六六条一項五号は、取締役がその任務を懈怠して会社に損害を被らせるすべての場合を包含する債務不履行責任であって、無過失責任であるとされる一ないし四号とは異なり、取締役の故意又は過失(帰責事由)を要すると解するのが通説及び判例(最三小判昭51・3・23裁判集民一一七号二三一頁)である。
そこでいう法令については、自己株式取得禁止(商法二一〇条)や競業避止義務(商法二六四条)等を定める商法中の具体的規定だけでなく、取締役の一般的な善管義務や忠実義務を定める規定(商法二五四条三項、二五四条ノ三)をも含むとするのが判例(最三小判昭47・4・25裁判集民一〇五号八四三頁)であり、従来の通説も、漠然と法令一般が含まれると考えていたようであるが、本件一審判決等を契機として、会社の財産・利益の保護を目的とする実質的意義の会社法に属する規定等に限定されるべきであるとする限定説が有力に唱えられる一方、これに対して、従来の通説とは異なる自覚的な非限定説が主張されるようになり、その中にも、法令違反行為があったからといって直ちに取締役の履行不完全と評価すべきではなく、法令違反の事実が主張立証されると、注意義務違反が事実上推定されるにとどまるとする見解や、取締役の法令遵守義務は、会社との間の委任契約に基づく善管注意義務とは別個の会社に対する義務であり、当該行為の決定に際して法令違反に当たることを知り得べき場合には、取締役に過失ありとして、損害賠償責任を負うとする見解が見受けられるなど、学説上議論が活発化していささか錯綜した状況にあって、下級審裁判例も分かれていたところである。
三 本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義について、取締役を名あて人とし、取締役の受任者としての義務を一般的に定める商法二五四条三項(民法六四四条)、商法二五四条ノ三の規定及びこれを具体化する形で取締役がその職務遂行に際して遵守すべき義務を個別的に定める規定のほか、会社を名あて人とし、会社がその業務を行うに際して遵守すべきすべての規定も含まれると解するのが相当であると判示して(判決要旨一)、前記限定説を採らないことを明らかにしている。営利法人である会社は会社ないしその所有者である株主の利益の極大化という目的を追求するものであるが、法認された社会的存在として、自然人と同様に、会社を名あて人とするあらゆる法令を遵守すべきは当然であり、取締役は、右の法令の直接の名あて人ではないが、受任者として会社に法令を遵守させるという義務を負い、その違反は取締役の責任原因となるものである。換言すれば、会社の意思決定に関与する機関たる取締役に対して、会社として法令を遵守するか否かに関して、これを否定する裁量権を認めることはできないというべきであろう。もっとも、本判決の採る立場は、前記の非限定説とも微妙に異なっており、近時の学説上の議論状況にかんがみて、漠然と法令一般が含まれるとしていた従来のいわば無自覚的な通説の見解を、明確な形で定式化し直したものと見ることもできるのではなかろうか。
取締役の会社に対する債務不履行責任は、いわゆる不完全履行の類型に属するものであるから、取締役の責任を追及する側で、問題とされている取締役の行為が取締役の受任者としての会社に対する義務に反するもの(受任者としての債務の本旨に従わざる履行)であることを主張立証しなければならない。商法二六六条一項は、各号で責任原因となるべき取締役の行為を列挙する形をとっており、五号にいう法令違反行為とは、不完全履行における履行不完全に相当する要件を規定しているものと解される。本判決は、取締役が会社をして会社がその業務を行うに際して遵守すべき規定に違反させることとなる行為をしたときは、右行為が取締役の善管義務・忠実義務に違反することになるか否かを改めて問うまでもなく、商法二六六条一項五号にいう法令に違反する行為をしたときに該当する旨判示して(判決要旨二)、取締役の責任を追及する側において、取締役の行為が同号にいう法令(善管義務・忠実義務を定める規定を除く。)に違反するものであることを主張立証すれば、それにより直ちに履行不完全の要件を充足し、取締役側において、帰責事由(故意過失)の不存在又は違法性・責任阻却事由の存在を主張立証しなければならないことを明らかにした。前記非限定説の中には、商法二六六条一項五号にいう法令違反行為の主張立証がされても取締役の受任者としての義務違反を事実上推定させるにとどまるとする見解も見受けられるが、このように解するときは、取締役の個別的義務を定める規定及び会社が遵守すべき義務を定める規定が善管義務・忠実義務を定める規定の下位規範として位置付けられる結果となり、妥当でないとされたものであろう(河合裁判官の補足意見参照)。
本判決は、右の商法二六六条一項五号の解釈及び判断枠組みを前提とした上で、本件損失補填が独禁法一九条に違反するものであり、商法二六六条一項五号にいう法令違反に該当することを肯定しながら、Yらが本件当時において、その行為が独禁法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったというべきであって、右認識を欠いたことにつき過失があったとすることはできないとして、Yらの損害賠償責任を否定した原審の判断を結論において是認している。具体的法令違反が問題となっている場合に法令違反の認識を欠いたことにつき過失がなかったとして取締役の賠償責任が否定された先例として、前掲最三小判昭51・3・23がある。本件では、Yらが本件損失補填の決定実施に当たって法律専門家の意見を聴くこともしていないにもかかわらず、法令違反の認識を欠いたことに過失がないとされるのは、本判決が指摘しているような本件当時の特殊な状況が存在していればこそであり、こうした形での免責が認められるのは極めて例外的なものというべきであろう。
また、本件損失補填の決定実施がYらの取締役としての善管義務・忠実義務に違反するか否かに関しては、Xらの上告理由において論旨となっていないことなどから、本判決は、この点につき明示的な理由説示をしてはいないが、右義務違反を否定した原審の判断を是認し得るものとしていることはいうまでもない。
四 最大判平9・4・2民集五一巻四号一六七三頁(玉串料大法廷判決)本誌九四〇号九八頁は、類似必要的共同訴訟である地方自治法二四二条の二に規定する住民訴訟においては、自ら上訴をしなかった共同訴訟人は、上訴人の地位には就かない旨判示して、類似必要的共同訴訟における上訴審での審判対象の問題と当事者の地位の問題が、従来考えられていたように分離不能なものではないことを明らかにした。
株主代表訴訟は、個々の株主が共益権に基づいて、実質的には他の株主全体を代表して、形式的には第三者の法定訴訟担当として提起追行する類似必要的共同訴訟であって、訴訟の構造ないし形式の点では住民訴訟のうちいわゆる四号訴訟に最も類似しているところ、個々の株主にとっての個別的具体的利益が直接問題となるものではなく、原告株主の数が提訴後に減少しても、審判の範囲、審理の態様、判決の効力には格別差違を生じない点や、株主全体の代表として訴訟を追行する意思を失った者に対して上訴人の地位に就き続けることを求めることが相当でないという点では、住民訴訟と基本的に変わるところはないことから、本判決は、大法廷判決の趣旨を推し及ぼして、複数の株主が共同して追行する株主代表訴訟においても、共同訴訟人である株主の一部の者のみが上訴した場合には、自ら上訴しなかった者は上訴人にはならないと判示した(判決要旨三)。本件では、自ら上告を提起したのは原審で参加した二名の株主だけであり、残りの二名は自ら上告をしていないところから、前者のみを上告人として取り扱っている。
五 取締役の責任が問題となるケースには、具体的法令違反が問題となるもの、経営判断の当否(善管注意義務)が問題となるもの、監視義務違反が問題となるものの三類型があるところ、本判決は、商法二六六条一項五号にいう法令の意義及び取締役の善管義務・忠実義務違反以外の具体的法令違反が問題となっている場合における判断枠組みに関して、最高裁として初めて明確な判断を示したものである。また、これらの点に関しては、河合裁判官の詳細な補足意見が付されており、法廷意見の採る立場を理論的に説明するとともに、取締役の責任追及の場面、とりわけ株主代表訴訟において問題とされることの多い取締役の責任の苛酷性ないし賠償金額の過大性という問題について、現行法下においても様々な工夫をこらすことによって妥当な結果を導くことが可能である旨説かれており、極めて示唆に富むものといえよう。平成五年の商法改正による貼用印紙額の固定化に伴って多数の株主代表訴訟が提起される一方で、株主代表訴訟制度をめぐる法改正への動きも活発化している昨今、裁判実務に大きな影響を有するだけでなく、会社経営陣に対しても遵法経営の必要性を強く迫るものであり、企業のコンプライアンスの観点からも注目すべき判例である。なお、本判決の評釈として、手塚裕之・商事一五七二号四頁、鳥山恭一・法セ五四九号一〇八頁等がある。

+判例(H23.2.17)
理 由
数人の提起する養子縁組無効の訴えは,いわゆる類似必要的共同訴訟と解すべきであるところ(最高裁昭和43年(オ)第723号同年12月20日第二小法廷判決・裁判集民事93号747頁),記録によれば,上告人兼申立人が本件上告を提起するとともに,本件上告受理の申立てをした時には,既に共同訴訟人であるX2が本件養子縁組無効の訴えにつき上告を提起し,上告受理の申立てをしていたことが明らかであるから,上告人の本件上告は,二重上告であり,申立人の本件上告受理の申立ては,二重上告受理の申立てであって,いずれも不適法である。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官横田尤孝 裁判官 白木 勇)

++解説
調べておく。


行政法 基本行政法 行政処分手続(2)


1.申請届出と救済方法
(1)申請に対する審査応答義務

+(申請に対する審査、応答)
行政手続法第七条
行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ、申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に必要な書類が添付されていること、申請をすることができる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については、速やかに、申請をした者(以下「申請者」という。)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め、又は当該申請により求められた許認可等を拒否しなければならない。

←あえて「受理」という文言を用いないことによって、「受理」を法的概念と認めないことを示すという工夫された条文。

・新政権が保障されているかは、個別法の仕組み解釈
許可・認可・申請→◎
申出→○~△

(2)届出の法的取扱い

・申請と届出の違いは、法令上、行政庁が諾否の応答をすべきとされているか否か。
個別法に明示されていなくとも解釈により導かれることもある!

+判例(H16.4.26)
理由
上告代理人清水勉、同佃克彦、同関口正人の上告受理申立て理由第2について
1 本件は、上告人が「フローズン・スモークド・ツナ・フィレ」(冷凍スモークマグロ切り身)100kg(以下「本件食品」という。)を輸入しようとしたところ、被上告人から食品衛生法(平成15年法律第55号による改正前のもの。以下「法」という。)6条に違反する旨の通知(以下「本件通知」という。)を受けたため、その取消しを求める事案である。

2 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、平成13年5月14日、本件食品を販売の用に供するため、被上告人に対し、法16条及び食品衛生法施行規則15条(平成13年厚生労働省令第207号による改正前のもの。以下同じ。)の規定に基づく輸入届出書を提出した。
(2) 被上告人は、同月16日、上告人に対し、本件食品について、一酸化炭素の含有状態の検査を受けるよう指導した。上告人は、財団法人千葉県薬剤師会検査センターに検査を依頼した上、同月18日、被上告人に対し、本件食品につき1kg当たり2370μg(マイクログラム)の一酸化炭素を検出したとの同検査センターの輸入食品等試験成績証明書を提出した。
(3) 被上告人は、同月24日、上告人に対し、上記検査結果によれば本件食品は法6条の規定に違反するから積戻し又は廃棄されたいとの記載のある食品衛生法違反通知書をもって本件通知を行った。
(4) 「輸入食品等監視指導業務基準」(平成8年1月29日付け衛検第26号厚生省生活衛生局長通知)によれば、法16条所定の食品、添加物、器具又は容器包装(以下「食品等」という。)の輸入の届出(以下「輸入届出」という。)に際し、検疫所長が法に違反すると判断した食品等については、食品衛生法違反通知書により原則として積戻し若しくは廃棄又は食用外への転用をするよう当該食品等を輸入しようとする者を指導することとされている。そして、通関実務においては、検疫所長が食品等を輸入しようとする者に対し食品衛生法違反通知書を交付した場合(以下、同通知書による通知を「食品衛生法違反通知」という。)には、同人に対し食品等輸入届出済証(食品等輸入届出書の副本に「輸入食品等届出済」の印を押なつしたもの。検査命令による検査に合格したものにあっては、更に「合格」の印を押なつしたもの。)を交付せず、税関長に対し食品衛生法違反物件通知書を交付して、当該食品等について輸入許可を与えないよう求め、これを受けて税関では、関税法基本通達(昭和47年3月1日付け蔵関第100号)に基づき上記の食品等輸入届出済証等の添付がない輸入申告書は受理しない取扱いが行われている。

3 原審は、次のように判断して、本件訴えを不適法として却下した第1審判決を是認した。
(1) 関税法70条2項は、他の法令の規定により輸入に関して検査又は条件の具備を必要とする貨物につき、その検査の完了又は条件の具備の最終的な判断権限を税関長に付与しており、税関長からその確認を受けられない貨物は、同条3項の規定により輸入が許可されない。そして、法6条で輸入を禁止されている添加物並びにこれを含む製剤及び食品に該当しないことは、関税法70条2項の「検査の完了又は条件の具備」に当たり、その最終的な判断権限は税関長に属する。
(2) 検疫所長が行う、食品衛生法違反通知は、法令に根拠を置くものではなく、食品等を輸入しようとする者のとるべき措置を事実上指導するものにすぎず、税関長を法的に拘束するものではない。また、検疫所長の発行する食品等輸入届出済証は、税関長が関税法70条2項の規定による確認を行う場合の立証手段の一つであるにすぎない。
(3) したがって、本件通知は、本件食品につき輸入許可が与えられないという法的効果を有するものではなく、取消訴訟の対象である行政処分に当たらず、その取消しを求める本件訴えは不適法である。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 法は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止することなどを目的とし、この目的を達成するために、厚生労働大臣に対し、食品等に関し、基準及び規格の設定、販売等の禁止、検査命令及び廃棄命令の発令等についての権限を付与している(法4条の2、7条、10条、15条、平成14年法律第104号による改正前の食品衛生法22条等)。このように、法は厚生労働大臣に対して食品等の安全を確保する責任と権限を付与しているところ、法16条は、販売の用に供し、又は営業上使用する食品等を輸入しようとする者は、厚生労働省令の定めるところにより、その都度厚生労働大臣に輸入届出をしなければならないと規定しているのであるから、同条は、厚生労働大臣に対し輸入届出に係る食品等が法に違反するかどうかを認定判断する権限を付与していると解される。そうであるとすれば、法16条は、厚生労働大臣が、輸入届出をした者に対し、その認定判断の結果を告知し、これに応答すべきことを定めていると解するのが相当である。
(2) ところで、食品衛生法施行規則15条は、法16条の輸入届出は所轄の検疫所長に対して輸入届出書を提出して行うべきことを規定しているが、検疫所において実施する法に基づく輸入食品等監視指導業務の取扱基準を定めた前記輸入食品等監視指導業務基準によると、検疫所長は、食品等を輸入しようとする者に対し、当該食品等が、法の規定に適合すると判断したときは食品等輸入届出済証を交付し、これに違反すると判断したときは食品衛生法違反通知書を交付することとされている。このような食品等輸入届出済証の交付は厚生労働大臣の委任を受けて検疫所長が行う当該食品等が法に違反しない旨の応答であり、食品衛生法違反通知書の交付はこれに違反する旨の応答であって、これらは、前記(1)の法16条が定める輸入届出をした者に対する応答が具体化されたものであると解される。
(3) 一方、関税法70条2項は、「他の法令の規定により輸出又は輸入に関して検査又は条件の具備を必要とする貨物については、第67条(輸出又は輸入の許可)の検査その他輸出申告又は輸入申告に係る税関の審査の際、当該法令の規定による検査の完了又は条件の具備を税関に証明し、その確認を受けなければならない。」と規定しているところ、ここにいう「当該法令の規定による検査の完了又は条件の具備」は、食品等の輸入に関していえば、法16条の規定による輸入届出を行い、法の規定に違反しないとの厚生労働大臣の認定判断を受けて、輸入届出の手続を完了したことを指すと解され、税関に対して同条の輸入届出の手続が完了したことを証明し、その確認を受けなければ、関税法70条3項の規定により、当該食品等の輸入は許可されないものと解される。関税法基本通達70-3-1が、関税法70条2項の規定の適用に関し、法6条等の規定については、「第16条の規定により厚生労働省、食品衛生監視員が交付する「食品等輸入届出書」の届出済証」により、関税法70条2項に規定する「検査の完了又は条件の具備」を証明させるとし、関税法基本通達67-3-6、67-1-9が、輸入申告書に食品等輸入届出済証等の証明書類の添付がないときは、輸入申告書の受理を行わず、申告者に返却すると規定しているのも、上記解釈と同じ趣旨を明らかにしたものである。
(4) そうすると、食品衛生法違反通知書による本件通知は、法16条に根拠を置くものであり、厚生労働大臣の委任を受けた被上告人が、上告人に対し、本件食品について、法6条の規定に違反すると認定し、したがって輸入届出の手続が完了したことを証する食品等輸入届出済証を交付しないと決定したことを通知する趣旨のものということができる。そして、本件通知により、上告人は、本件食品について、関税法70条2項の「検査の完了又は条件の具備」を税関に証明し、その確認を受けることができなくなり、その結果、同条3項により輸入の許可も受けられなくなるのであり、上記関税法基本通達に基づく通関実務の下で、輸入申告書を提出しても受理されずに返却されることとなるのである。
(5) したがって、本件通知は、上記のような法的効力を有するものであって、取消訴訟の対象となると解するのが相当である。論旨は理由がある。
5 以上述べたところと異なる見解に立って本件訴えを不適法であるとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、原判決は破棄を免れない。そして、第1審判決を取り消し、本案について審理させるため、本件を第1審に差し戻すべきである。
よって、裁判官横尾和子の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官横尾和子の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件通知は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるものではないと考える。その理由は、次のとおりである。
関税法67条は、貨物を輸入しようとする者は税関長の許可を受けなければならないと規定し、輸入許可の権限を税関長に付与しているが、他の法令に輸入に関する規制がある場合には、その規制の内容に応じて同法70条1項又は同条2項の要件を満たさなければ、同条3項により輸入許可を得ることができないものとされている。そして、同条1項は、他の法令の規定により輸出又は輸入に関して許可、承認等を必要とする貨物については、輸出申告又は輸入申告の際、当該許可、承認等を受けている旨を税関に証明しなければならないと規定しているのに対し、同条2項は、他の法令の規定により輸出又は輸入に関して検査又は条件の具備を必要とする貨物については、当該法令の規定による検査の完了又は条件の具備を税関に証明し、その確認を受けなければならないと規定している。このような同法の規定に照らせば、同項は、同条1項とは異なり、他の行政機関の許可、承認等を介することなく、他の法令による検査の完了又は条件の具備を確認する権限を税関長に付与した規定であることは明らかである。
法は、6条において一定の添加物並びにこれを含む製剤及び食品(以下「添加物含有食品等」という。)の輸入を禁止しているが、16条に基づく輸入の届出に対し行政庁が個別の許可、承認等によりその輸入禁止を解除するという仕組みを何ら規定していない。これは、法6条にいう添加物含有食品等に該当するか否かは科学的に定まるものであって、権限を有する行政庁の認定判断を介することなく、科学的な検査をもって明らかとなる事項であるからである。法16条は、食品等を輸入しようとする者に厚生労働大臣に対する届出を義務付けているが、同条が厚生労働大臣に対し、申請に基づいて法6条の違反の有無を認定判断してその結果を示して応答する義務を課しているものと解することは、その文言に照らし困難である。したがって、同条の規定する添加物含有食品等に該当しないことは、関税法70条2項の「検査の完了又は条件の具備」に当たるものと解するのが相当である。
「輸入食品等監視指導業務基準」や「関税法基本通達」によれば、食品衛生法違反通知書を交付され、食品等輸入届出済証が交付されない場合には、食品等の輸入申告書は受理されない取扱いとなっているが、このような実務の取扱いは、行政機関相互間の協力関係を定めたものにすぎず、これを根拠に関税法70条2項が証明の手段を検疫所長による食品等輸入届出済証に限定しているものと解することはできない。この場合、食品等を輸入しようとする者は、科学的な検査結果等をもって当該食品等が法6条の規定する添加物含有食品等に該当しないことを証明し、税関長の確認を得ることができるのであり、食品等輸入届出済証の添付がないことをもって輸入申告を不受理とされた場合には、これを税関長の拒否処分として争えば足りるというべきである。
多数意見は、本件通知が法16条に根拠を有し、関税法70条2項及び3項により、輸入許可を得られないという法的効果が生じるというが、上記のとおりそのように解することはできない。本件通知は、法令の委任によるものではない「輸入食品等監視指導業務基準」に基づくものであるにすぎず、国民の権利義務に直接影響するものではないと解すべきである。
よって、本件通知は、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるものではなく、本件訴えを不適法とした原審の判断は、正当であり、本件上告は棄却すべきものであると考える。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 横尾和子 裁判官 泉德治 裁判官 島田仁郎)

++解説
《解  説》
1 本件は,Xが,冷凍スモークマグロ切り身を輸入するため,Yに対し,食品衛生法(平成15年法律第55号による改正前のもの。以下「法」という。)16条に基づく輸入届出書を提出したところ,Yから同切り身が一酸化炭素を含有しているとして添加物を含有する食品等の輸入等を禁ずる法6条に違反する旨の食品衛生法違反通知(以下「本件通知」という。)を受けたため,その取消しを求めた事案である。
2 食品衛生法違反通知は,直接には「輸入食品等監視指導業務基準」(平成8年1月29日付け衛検第26号厚生省生活衛生局長通知)に根拠を有するものであり,法16条所定の食品等の輸入の届出に際し,検疫所長が法に違反すると判断した食品等について,当該食品等が法の特定の規定に違反することを告げ,積戻し若しくは廃棄又は食用外への転用を指導することを内容とする食品衛生法違反通知書を交付することにより行われる。一方,検疫所長が法に違反しないと判断した食品等については,同基準によって輸入届出書の副本に「輸入食品等届出済」の印を押印した食品等輸入届出済証が交付される。
ところで,関税法70条2項は,他の法令により輸出又は輸入に関して検査又は条件の具備を必要とする貨物については,当該法令の規定による検査の完了又は条件の具備を税関に証明し,その確認を受けなければならないと規定し,その確認が得られない場合は,同条3項により,輸入は許可されないこととなるが,関税法基本通達70―3―1は,食品等の輸入に関し,この検査の完了又は条件の具備を食品等輸入届出済証により証明させることとしている。そして,食品衛生法違反通知書を交付された場合は,食品等輸入届出済証の交付を受けられないため,同通達67―3―6,67―1―9によれば輸入申告書の受理が行われず,結局,当該食品等を輸入しようとする者は同項により輸入の許可を得られないこととなる。この場合,前記基準により,検疫所長は,税関長に対しても当該食品等が法に違反するものであることから同項の規定により輸入許可を与えないように依頼する旨の通知を行うこととされている。
このように,食品衛生法違反通知を受けると実務上採られている方法では円滑に輸入許可を受けることができないこととなることから,当該食品等について輸入許可を受けるという目的を達成するために,どの時点で誰を相手として不服を申し立てるべきかが問題となる。本件では,Xが食品衛生法違反通知の取消訴訟という形で訴訟を提起したため,同通知の処分性が争点となったものである。
3 1審千葉地判平14.8.9公刊物未登載及び原審東京高判平15.4.23公刊物未登載は,食品衛生法違反通知が,法令に直接の根拠を有するものではなく,その内容も検査結果の通知とその結果が法に違反する場合に輸入者のとるべき措置を事実上指導するものにすぎず,同通知がなされれば,その後に輸入の許可が与えられない可能性が極めて高くなるものの,税関長は,他の法令による制限を含め,輸出入の条件が具備されているか否かの最終的な判断権限を有しており,同通知が関税法70条2項による税関長の輸出入の条件が具備されているか否かの判断を法的に拘束する関係にはないとして,いずれも本件通知の処分性を否定し,本件訴えを却下すべきものとした。
4 本判決は,まず,法が厚生労働大臣に食品等の安全を確保する責任と権限を付与し,法16条が所定の食品等を輸入しようとする者に厚生労働大臣に対する輸入届出を義務づけていることから,同条が,厚生労働大臣に対して輸入届出に係る食品等が法に違反するかどうかを認定判断する権限を付与し,更に厚生労働大臣が輸入届出をした者に対しその認定判断の結果を告知して応答すべきことを定めていると解するのが相当であって,検疫所長による食品等輸入届出済証あるいは食品衛生法違反通知書の交付は,厚生労働大臣から委任を受けた検疫所長が行う法16条が定める輸入届出をした者に対する応答が具体化されたものであると解されるとした。
次に,本判決は,関税法70条2項にいう「当該法令の規定による検査の完了又は条件の具備」とは,食品等の輸入に関していえば,法16条の規定による輸入届出を行い,法の規定に違反しないとの厚生労働大臣の認定判断を受けて,輸入届出の手続を完了したことを指し,その確認を受けなければ,関税法70条3項の規定により,当該食品等の輸入は許可されないものと解されるとした。
その上で,本判決は,本件通知が,法16条に根拠を置くものであり,厚生労働大臣の委任を受けたYが,Xに対し,当該食品について,法に違反すると認定し,したがって輸入届出の手続が完了したことを証する食品等輸入届出済証を交付しないと決定したことを通知する趣旨のものであり,その結果,関税法70条2項の「検査の完了又は条件の具備」を税関に証明し,その確認を受けることができなくなり,同条3項により輸入の許可も受けられなくなるものである,すなわち,本件通知が,法令に根拠を有し,輸入許可を受けられなくなるという法的効果を有するものであって,抗告訴訟の対象となる行政処分に当たると解するのが相当であるとして,これと異なる原判決を破棄し,1審判決を取り消し,本件を1審裁判所に差し戻した。
横尾裁判官の反対意見は,法16条が厚生労働大臣に対し応答義務を課しているものと解することができず,関税法に関する実務の取扱いは行政機関相互の協力関係を定めたものにすぎず,食品衛生法違反通知により輸入許可を得られないという法的効果が生じるものではないとして,本件通知には処分性が認められないとしたものである。
5 抗告訴訟の対象となるのは,「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」(行訴法3条2項)とされている。その意義は,公権力の主体たる国又は地方公共団体が行う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成し,又はその範囲を確定することが法律上認められているものであるとするのが確定した判例(最一小判昭30.2.24民集9巻2号217頁,判タ47号46頁,最一小判昭39.10.29民集18巻8号1809頁)である。
本件では,食品衛生法違反通知が「その行為によって,直接国民の権利義務を形成し,又はその範囲を確定することが法律上認められているもの」に該当するか否か,すなわち,食品衛生法違反通知が法令上の根拠を有するものか,いかなる法的効果を有するものかが問題となった。前述のように,食品衛生法違反通知は,直接には法令ではなく厚生省生活衛生局長通知である「輸入食品等監視指導業務基準」に根拠を有するものであり,その内容自体も形式的には当該食品等が法の特定の条項に違反するものであることを告げ,積戻し等の措置をとるよう指導するものであるにすぎない。これらの点から考えると,食品衛生法違反通知は,当該食品等が法の特定の規定に違反するとの判断結果を告げ,積戻し等の措置を指導するものにすぎないとして,その処分性を否定する見解も理由がないものではない。
しかし,本判決は,法の全体的な構造から輸入食品等に関する厚生労働大臣の権限を明らかにし,法16条の解釈により輸入届出に対する厚生労働大臣の応答の義務を導き出して食品衛生法違反通知の法的根拠を明らかとし,さらに,関税法70条2項の解釈においても法16条の解釈から導き出された厚生労働大臣の応答義務を有機的に関連づけ食品衛生法違反通知の法的効果を明らかにして,その処分性を肯定したものである。
最大判昭59.12.12民集38巻12号1308頁,判タ545号69頁は,関税定率法(昭和55年法律第7号による改正前のもの)21条3項による当該貨物が輸入禁制品である「風俗を害すべき書籍,図画」に該当する旨の税関長の通知の行政処分性を肯定した。同判例は,同項の通知が,当該物件につき輸入が許されないとする税関長の意見が初めて公にされるもので,しかも以後不許可処分がされることはなく,その意味において輸入申告に対する行政庁側の最終的な拒否の態度を表明するものであり,実質的な拒否処分として機能しているとして,その処分性を認めたものであり,本件と類似した構造を有しているが,関税定率法21条3項の通知の主体が輸入申告に対する許可の権限を有する税関長自身であるのに対し食品衛生法違反通知の主体が検疫所長である点や法的効果の捉え方に違いがあり,本件の直接の先例となるものではなかろう。
6 処分性の有無の反面として不服申立て方法の実効性を検討すると,食品衛生法違反通知に処分性を認める見解によれば,当該通知の取消訴訟を提起すればよいこととなり,取消訴訟の対象を直截かつ明確にとらえることができる。なお,この立場に立っても税関長による輸入申告の拒否行為を処分として取消訴訟で争うことは可能であると解されるが,本判決の帰結として,法16条の届出の対象となる食品等が法に合致するか否かについては,検疫所長の食品衛生法違反通知の取消訴訟において争わなければならないことになると解され,注意が必要である。また,検疫所長には法16条の輸入届出に対する応答義務があることから,食品等を輸入しようとする者は,検疫所長が輸入届出を受理して応答しない場合には,不作為の違法確認訴訟を提起することが可能となろう。
これに対し,食品衛生法違反通知の処分性が認められないとした横尾裁判官の反対意見は,税関長による不受理を拒否処分として取消訴訟を提起することができるとの考えを示している。また,原審は,税関長による輸入申告の不受理を拒否処分とみてその取消しを求める取消訴訟,税関長が輸入申告を受けながら放置した場合の不作為の違法確認訴訟,厚生労働大臣が法22条による処分を行った場合の同処分の取消訴訟を挙げている。
7 本判決は,法全体の構造から解釈による補充を経て,法16条が定める厚生労働大臣の権限と応答の義務を明らかにした上,食品衛生法違反通知の法令上の根拠,法的効果を解明してその処分性を肯定した初めての最高裁判決であり重要な意義を有する。

・届出について
+(届出)
第三十七条
届出が届出書の記載事項に不備がないこと、届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は、当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに、当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする

・公法上の当事者訴訟として、Xが届出義務を履行したことの確認訴訟を提起することも考えられる。

・原告適格の問題
+判例(H1.4.13)近鉄特急事件
理由
上告代理人大原健司、同佐井孝和、同島川勝、同辻公雄、同山川元庸、同安木健の上告理由第一点について
地方鉄道法(大正八年法律第五二号)二一条は、地方鉄道における運賃、料金の定め、変更につき監督官庁の認可を受けさせることとしているが、同条に基づく認可処分そのものは、本来、当該地方鉄道利用者の契約上の地位に直接影響を及ぼすものではなく、このことは、その利用形態のいかんにより差異を生ずるものではない。また、同条の趣旨は、もっぱら公共の利益を確保することにあるのであって、当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することにあるのではなく他に同条が当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することを目的として認可権の行使に制約を課していると解すべき根拠はない。そうすると、たとえ上告人らが近畿日本鉄道株式会社の路線の周辺に居住する者であって通勤定期券を購入するなどしたうえ、日常同社が運行している特別急行旅客列車を利用しているとしても、上告人らは、本件特別急行料金の改定(変更)の認可処分によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということができず、右認可処分の取消しを求める原告適格を有しないというべきであるから、本件訴えは不適法である。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は独自の見解に基づき原判決を非難するものであって、採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであって、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巖 裁判官大堀誠一)

(3)申請権がない場合

+   第四章の二 処分等の求め

第三十六条の三
1項 何人も、法令に違反する事実がある場合において、その是正のためにされるべき処分又は行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限る。)がされていないと思料するときは、当該処分をする権限を有する行政庁又は当該行政指導をする権限を有する行政機関に対し、その旨を申し出て、当該処分又は行政指導をすることを求めることができる
2  前項の申出は、次に掲げる事項を記載した申出書を提出してしなければならない。
一  申出をする者の氏名又は名称及び住所又は居所
二  法令に違反する事実の内容
三  当該処分又は行政指導の内容
四  当該処分又は行政指導の根拠となる法令の条項
五  当該処分又は行政指導がされるべきであると思料する理由
六  その他参考となる事項
3  当該行政庁又は行政機関は、第一項の規定による申出があったときは、必要な調査を行い、その結果に基づき必要があると認めるときは、当該処分又は行政指導をしなければならない

+判例(H21.4.17)
理由
第1 事案の概要
1 本件は、上告人X3(以下「上告人父」という。)が世田谷区長(以下「区長」という。)に対し、上告人父と上告人X2(以下「上告人母」といい、上告人父と併せて「上告人父母」という。)との間の子である上告人X1(以下「上告人子」という。)につき住民票の記載を求める申出をしたところ、これをしない旨の応答を受け、その後も上告人母と共に同様の申入れをしたものの住民票の記載がされなかったことから、上告人らにおいて、被上告人に対し、上記応答及び住民票の記載をしない不作為が違法であると主張して、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求めるとともに、上記応答が行政処分であることを前提にその取消しを求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人父母は、平成11年以降、東京都世田谷区内で事実上の夫婦として共同生活をしている。上告人父母の間には、同17年3月▲日、上告人子が出生し、上告人父は、これに先立つ同年2月24日、我孫子市長に上告人子に係る胎児認知届を提出して受理された。
(2) 上告人父は、区長に対し、同年4月11日、自らを届出人として上告人子に係る出生届(以下「本件出生届」という。)を提出したが、非嫡出子という用語を差別用語と考えていたことから、届書中、嫡出子又は嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の別を記載する欄(戸籍法49条2項1号参照)を空欄のままとした。このため、本件出生届には、上記の欄が空欄になっており、かつ、同法52条2項所定の届出義務者である上告人母ではなく、上告人父が届出人として記載されているという不備が認められた。区長は、上告人父に対し、これらの不備の補正を求めたが、拒否され、前者の不備については、届書の記載が上記のままでも、区長において届書のその余の記載事項から出生証明書の本人と届書の本人との同一性が確認されれば、その認定事項(例えば、父母との続柄を「嫡出でない子・女」と認める等)を記載した付せんを届書に貼付するという内部処理(以下「付せん処理」という。)をして受理する方法を提案したものの、この提案も拒絶された。そこで、区長は、同日、本件出生届を受理しないこととした(以下、これを「本件不受理処分」という。)。
(3) 上告人父は、区長に対し、同年5月19日、上告人子につき住民票の記載を求める申出をしたが、区長は、本件出生届が受理されていないことを理由に、上記記載をしない旨の応答(以下「本件応答」という。)をした。
(4) 上告人父母は、その後も区長に対し上告人子に係る住民票の記載を求める申入れをしたが、区長はこれに応じていない。
(5) 上告人父は、本件不受理処分を不服として、区長に本件出生届の受理を命ずることを求める家事審判の申立てをしたが、東京家庭裁判所は、同年12月2日、本件不受理処分に違法はないとして、同申立てを却下する決定をした。上告人父はこれを不服として抗告したが、東京高等裁判所は同18年1月30日、これを棄却する決定をし、これに対する特別抗告も同年9月8日の最高裁判所の決定により棄却された。上告人母は、その後も、現在に至るまで、上告人子に係る適法な出生届を提出していない。
(6) 上告人父母は、現在、世田谷区内で上告人子を監護養育している。なお、本件の第1審判決は、同19年5月31日、区長に上告人子に係る住民票の作成を命ずる判決を言い渡したが、被上告人は、原審の口頭弁論終結時(同年9月12日)までの間、本件出生届の提出後に上告人子の居住実態や通名(上告人子は出生届が受理されていないので戸籍上の名はない。)に変更を生じたなどの具体的な主張をしていない。
(7) なお、行政実務上、戸籍の記載と住民票の記載との連動を前提とした事務処理システムが全国的に構築されており、被上告人においても同様のシステムが導入されている。また、住民票は、行政実務上、選挙人名簿への登録のほか、就学、転出証明、国民健康保険、年金、自動車運転免許証の取得、都営住宅への入居等に係る事務処理の基礎とされているが、これらのうち、選挙人名簿への登録に関しては、上告人子が事実審の口頭弁論終結時において2歳であり、住民票の記載がされないことに伴う不利益が現実化しているものではない。その余の事務に関しても、被上告人は、住民基本台帳に記録されていない住民に対し、手続的に煩さな点はあり得るとしても、多くの場合、それに記録されている住民に対するのと同様の行政上のサービスを提供している。 

 第2 職権による検討
原審は、本件応答が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たり、その取消しを求める上告人子の訴えが適法な取消訴訟であることを前提として、同訴えに係る請求を棄却した。
しかし上告人子につき住民票の記載をすることを求める上告人父の申出は、住民基本台帳法(以下「法」という。)の規定による届出があった場合に市町村(特別区を含む。以下同じ。)の長にこれに対する応答義務が課されている(住民基本台帳法施行令(以下「令」という。)11条参照)のとは異なり、申出に対する応答義務が課されておらず、住民票の記載に係る職権の発動を促す法14条2項所定の申出とみるほかないものである。したがって、本件応答は、法令に根拠のない事実上の応答にすぎず、これにより上告人子又は上告人父の権利義務ないし法律上の地位に直接影響を及ぼすものではないから、抗告訴訟の対象となる行政処分に該当しないと解される(最高裁昭和43年(行ツ)第3号同47年11月16日第一小法廷判決・民集26巻9号1573頁、最高裁平成2年(行ツ)第202号同3年3月19日第三小法廷判決・裁判集民事162号211頁参照)。そうすると、本件応答の取消しを求める上告人子の訴えは不適法として却下すべきである。

第3 上告人らの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審は、前記事実関係等の下において、次のとおり判示して、上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものと判断した。
法8条及び令12条2項によれば、市町村長は、戸籍に関する届書を受理したとき等、同項1号所定の場合に、職権で出生した子に係る住民票の記載をすべきものとされており、法はそれ以外の場合に、出生した子に係る住民票の職権記載をすることを予定していないというべきである。仮に市町村長が無戸籍の子につき職権で住民票の記載をすべき場合があるとしても、それは極めて例外的な場合に限られ、せいぜい、出生届をすることによって届出義務者や子が重大な不利益を被る場合で、かつ、戸籍法によって義務付けられた出生届の提出を届出義務者に求めることを社会通念上期待することができないような事情がある場合に限定されると解すべきである。
本件において上記のような事情があると認めることはできないから、本件応答及び区長がその後も上告人子につき住民票の記載をしなかったことを違法ということはできない。

2(1) 法は、市町村において、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り、併せて住民に関する記録の適正な管理を図り、もって住民の利便を増進するとともに、国及び地方公共団体の行政の合理化に資するため、住民基本台帳の制度を定めている(法1条)。住民基本台帳は、個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して作成する台帳であり(法6条)、住民票には、住民の氏名、出生の年月日、男女の別、世帯主との続柄、戸籍の表示等を記載するところ、本籍のない者及び本籍の明らかでない者については、その旨を記載すべきものとされている(法7条)。また、市町村長は、新たに市町村の区域内に住所を定めた者その他新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは、その者につき住民票の作成又は記載をしなければならず(法8条、令7条)、住民基本台帳に脱漏等があったときは、当該事実を確認して、職権で住民票の記載等をしなければならないものとされている(法8条、令12条3項)。そして、市町村長は、常に、住民基本台帳を整備し、住民に関する正確な記録が行われるように努めなければならないものとされている(法3条)。
これらの規定によれば、法及び令は、当該市町村に住所を有する者すべてについて住民票の記載をして、住民に関する事務処理の基礎とすることを制度の基本としていることが明らかである。このことは、出生届が受理されず、戸籍の記載がされていない子についても変わりはない。
(2) ところで、法及び令は、子が出生した場合、世帯主等に、転入届、世帯変更届等の届出義務を課することなく(法22条1項括弧書参照)、出生届の受理等又はこれに関する関係市町村長からの通知に基づき、職権で住民票の記載をすべきものとしている(令12条2項1号、法9条2項)。そして、当該子につき出生届が提出されなかった場合において、当該子に係る住民票の記載をするための手続として、出生届の届出義務者に対し届出の催告等をし、出生届の提出を待って、戸籍の記載に基づき、職権で住民票の記載をする方法(法14条1項参照。以下「届出の催告等による方法」という。)と、職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し、その結果に基づき、職権で住民票の記載をする方法(法34条参照。以下「職権調査による方法」という。)の2種類の手続を設けている。
両手続の優先関係ないし補充関係に関しては、法及び令に明文の規定は置かれていない。しかし、戸籍法52条1項ないし3項所定の者は、出生の届出をすることを義務付けられており(同法49条参照)、その違反に対しては、届出の催告(同法44条)及び過料の制裁(同法135条)が予定されている。そして、法が出生した子に係る転入届等の届出義務を課さなかったのは、その義務を課すると、戸籍法の定める上記の届出義務に加えて二重の届出義務を課することとなるほか、出生届の提出を待って、戸籍の記載に基づき住民票の記載をする方が、戸籍の記載と住民票の記載との不一致を防止し、住民票の記載の正確性を確保するために適切であると判断されたことによるものと解される。また、法は、このような制度趣旨に基づき、住民票の記載を戸籍の記載と合致させるため、関係市町村長間の通知の制度(法9条2項)を設けている。なお、住民は、常に、住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならず、住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならないものとされている(法3条3項)。このような法の趣旨等にかんがみれば、法は、上記の両手続のうち、届出の催告等による方法を原則的な方法として定めているものと解するのが相当である。
したがって、市町村長は、父又は母の戸籍に入る子について出生届が提出されない結果、住民票の記載もされていない場合、常に職権調査による方法で住民票の記載をしなければならないものではなく、原則として、出生届の届出義務者にその提出を促し、戸籍の記載に基づき住民票の記載をすれば足りるものというべきである。
(3) もっとも、上記(1)のとおり、住民基本台帳は、出生した子が当該市町村に住所を有する限り、戸籍の記載がされたか否かにかかわらず、最終的には、それらの子につきすべて住民票の記載をすることを制度の基本としており、その記載を基礎として、住民に関する事務処理が行われるのであるから、その記載がされなければ、当該子が行政上のサービスを受ける上で少なからぬ支障が生ずることが予想される。したがって、戸籍に記載のない子については、届出の催告等による方法により住民票の記載をするのが原則的な手続であるとはいえ、その方法によって住民票の記載をすることが社会通念に照らし著しく困難であり又は相当性を欠くなどの特段の事情がある場合にまで、出生届が提出されていないことを理由に住民票の記載をしないことが許されるものではなく、このような場合には、市町村長に職権調査による方法で当該子につき住民票の記載をすべきことが義務付けられることがあるものと解される。
(4) 本件においては、前記事実関係等のとおり、〈1〉 上告人父は上告人子に係る胎児認知届を提出して受理された、〈2〉 本件出生届は、嫡出子又は非嫡出子の別を記載する欄及び届出人欄の記載を除けば、添付された出生証明書の記載も含めて、不備のない届出であった、〈3〉 上告人子は、現在も世田谷区内の上告人父母の住所で監護養育されており、その居住実態や通名に変更を生じたことはうかがわれないなどというのであるから、住民票に記載すべき上告人子の身分関係等は明らかであったというべきである。したがって、仮に区長において、上告人子につき上告人母の世帯に属する者として住民票の記載をしたとしても、法の趣旨に反する措置ということはできず、むしろ、このような措置を執ることで、上告人子に関する画一的な処理が可能となり、被上告人における行政上の事務処理の便宜に資する面もあるということができる。
それにもかかわらず区長が上記のような措置を講じていないのは、本件において、上告人母が上告人子に係る適式な出生届を提出することに格別の支障がないにもかかわらず、その提出を怠っていることによるものと考えられる。上告人母が上記提出をしていないのは、前記第1の2(2)の事情等からすれば、その信条に基づくものであることがうかがわれるところ、区長は、このような信条にも配慮して、付せん処理の方法による本件出生届の受理を提案したのであり、しかも、区長の本件不受理処分に違法がないことについては司法の最終的判断が確定しているのである。したがって、上告人母が出生届の提出をけ怠していることにやむを得ない合理的な理由があるということはできず、前記の特段の事情があるということもできないから、区長が上記のような措置を講じていないことが、この観点から法の趣旨に反するものということはできない。
(5) また、住民票の記載がされないことによって上告人子に看過し難い不利益が生ずる可能性があるような場合は、たとい上告人母の上記け怠にやむを得ない合理的な理由がないときであっても、前記の特段の事情があるものとして、区長が職権調査による方法で上告人子につき住民票の記載をしなければならないこともあり得ると解されるところではある。しかし、前記事実関係等によれば、上告人子においては、住民票の記載を欠くことに伴う最大の不利益ともいうべき、選挙人名簿への被登録資格を欠くことになるという点に関しては、その年齢からして、いまだその不利益が現実化しているものではなく、また、被上告人は、住民基本台帳に記録されていない住民に対しても、手続的に煩さな点があり得るとはいえ、多くの場合、それに記録されている住民に対するのと同様の行政上のサービスを提供しているというのである。なお、本件記録によっても、上記のような措置が講じられないことにより上告人子に看過し難い不利益が現に生じているような事情はうかがわれない。 
したがって、区長が上記のような措置を講じていないことが、この観点から法の趣旨に反するものということもできない。
(6) 他に、区長において上記のような措置を講じていないことを違法とすべき特段の事情は見当たらない。
そうすると、区長において、上告人子につき上告人母の世帯に属する者として住民票の記載をしていないことは、法8条、令12条3項等の規定に違反するものではないというべきであり、もとより国家賠償法上も違法の評価を受けるものではないと解するのが相当である。
したがって、上告人らの損害賠償請求には理由がない。
3 よって、上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものとした原審の判断は是認することができる。論旨は採用することができない。
第4 結論
以上のとおり、上告人子の取消請求に関する訴えは不適法であり、同訴えに係る請求につき本案の判断をした原判決は失当であるから、原判決中同請求に関する部分を破棄し、同部分につき第1審判決を取り消し、上記訴えを却下すべきである。そして、上記訴えは、不適法でその不備を補正することができないものであるから、当裁判所は、口頭弁論を経ないで上記の判決をすることとする。また、上告人らの損害賠償請求に関する上告は理由がないから棄却すべきである。
なお、その余の請求に関する上告については、上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので、棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官今井功の意見がある。

+意見
裁判官今井功の意見は、次のとおりである。
私は、上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものとする多数意見の結論に同調するものであるが、世田谷区長が上告人子につき住民票の記載をしなかったことが住民基本台帳法(以下「住基法」という。)上違法ということはできないとする多数意見とは見解を異にし、区長が上告人子につき住民票の記載をしなかったことは、住基法による義務に違反すると考える。その理由は、次のとおりである。
1 地方自治法は、市町村(特別区を含む。以下同じ。)の区域内に住所を有する者を当該市町村の住民とし、市町村は、別に法律の定めるところにより、その住民につき、住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならないと定めている(同法10条1項、13条の2)。住基法は、この規定に基づき制定されたものである。
子が出生した場合には、その子は、地方自治法の定めに基づき住所を有する地の市町村の住民となる。この場合の住民票の記載について、住基法は、出生届の提出を待って、戸籍の記載に基づき職権で住民票の記載をする方法(届出の催告等による方法)と、職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し、その結果に基づき、職権で住民票の記載をする方法(職権調査による方法)との2種類の手続を設けていること、前者の届出の催告等による方法を原則的な方法として定めていると解すべきこと、したがって、市町村長は、父又は母の戸籍に入る子について、出生届が提出されない結果、住民票の記載もされていない場合、常に職権調査による方法で住民票の記載をしなければならないものではなく、原則として出生届の届出義務者にその提出を促し、戸籍の記載に基づき住民票の記載をすれば足りるものというべきことは、多数意見の述べるとおりである。
2 しかし、届出の催告等による方法を促してもそれがされない場合には、次に述べるような理由から、市町村長は、職権調査による方法で住民票の記載をすべきことが義務付けられると解すべきである。
戸籍は夫婦とその子などの身分関係を公証するための公の登記簿であり、一方、住民基本台帳(個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して作成する台帳)は、住民の居住関係の公証等住民に関する事務の処理の基礎とするために、住民の住所等を記載する公の帳簿であり、両者は本来それぞれ独立の目的を持つ別個の制度である。子が出生した場合には、戸籍と住民票にその旨が記載されることになるが、戸籍法の規定に基づく出生届の提出による戸籍の記載があれば、その旨が住民基本台帳の編成を所掌する市町村長に通知され、市町村長が出生の事実を住民票に記載するという戸籍と住民票との連結の制度が採られている。これは、国民に対して、出生について、戸籍と住民票について、二重の届出義務を課さなくても、両者の所掌官庁間の連絡により住民票の記載ができること、及び、出生届に基づき住民票の記載をすることによって正確な記載ができることの二つの理由による。このことには合理性があり、届出の催告等による方法が原則的な方法で、職権調査による方法は補充的なものであるというのは、この意味であり、正当な解釈として是認できる。
ところで、住基法及び住民基本台帳法施行令の関係規定によれば、当該市町村に住所を有する者すべてについて住民票の記載をして、住民の居住関係の公証等住民に関する事務処理の基礎とすることを制度の基本としていることが明らかである。そのため、市町村長は、常に住民基本台帳を整備し、住民に関する正確な記録が行われるように努めなければならないものとされ、住民は、常に住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならないものとされている(住基法3条)。すなわち、住基法は、当該市町村の住民すべてについて住民票を作成すべきものとし、住民に関する事務処理は、住民票の記載を基礎として行われることとしているのである。そして、住民に関する事務としては、国民健康保険、介護保険及び国民年金の各被保険者資格、児童手当の受給資格に関する事項等住基法に規定された事項のほか、学齢簿の編成、生活保護、予防接種、印鑑登録証明など多種、多様の事務が存在する。
市町村の住民は、住民であることによって、市町村から多種多様の行政サービスを受けることができる。市町村の区域内に住所を有する住民であるにもかかわらず、住民票に記載がされないことによって、行政上のサービスを受ける住民の側においては、これらのサービスを受けることができなかったり、たとえサービスを受けることができたとしても、住民票の記載がある場合に比較して、煩雑な手続を要するなど多くの不利益を受けることは明らかである。一方、市町村の側においても、住民票の記載がない場合には、その事務を処理する上で少なからぬ支障が生ずる。すなわち、各種の行政上のサービスの提供は、住民票の記載を基礎として行われるのであるが、住民票に記載されていないからといって、その住民に行政サービスを全く拒否することはできず、その住民に行政サービスを提供する場合には、市町村の側においても、その都度、住民票に記載されていないが実際には当該市町村に住所を有する旨の届出をさせたり、その事実の有無の調査が必要となるなど、住民票に記載があれば不要となる余計な手数を要することとなって、住民に関する事務がすべて住民基本台帳に基づいて行われるべきものとする住基法2条の趣旨にも反することになる。
このような住民基本台帳制度の趣旨に照らせば、子が出生した場合に、市町村の区域内に適法に住所を有する子について、届出の催告等による方法により住民票を記載することができないときは、市町村長は、職権調査の方法により住民票の記載をすべき義務があると解すべきである。多数意見も、住民票に記載されないことによって子に看過し難い不利益が生ずる可能性があるような場合には住民票に記載しなければならない場合もあり得るというが、住民の受ける行政サービスは、出生の時から始まるのであって、住民票に記載されないこと自体によって住民の側に重大な不利益が生じ、市町村の側においても少なからぬ支障が生ずることは上記のとおりである。一方、実際に区域内に住所を有することが確認できる住民について住民票の記載を拒否することは、市町村についても何の利点もないし、住民票の記載をしたからといって、市町村に何らの弊害も生じない。現に出生届が提出されない子について住民票の記載を行っている市町村が存在するが、それによって何らかの弊害が生じたという証跡はうかがわれない。
もちろん、出生した子について戸籍法の定めるところにより出生届を提出すべき義務を怠ることは許されることではなく、本件のように適式な出生届を提出しないことを理由とする出生届の不受理処分が違法でない旨の司法判断が確定したにもかかわらず、依然として適式な出生届を提出しないことは許容されない。出生届を提出しさえすれば住民票に記載されるのであるから、住民票に記載されないことについて、上告人母に責任があることは明らかである。しかし、そうであるからといって、市町村長の側で、そのことを理由として住民票の記載を拒否することは、関連が深いとはいえ、別個の制度である戸籍と住民基本台帳とを混同するものであって、先に述べたように、住基法の趣旨に反し、違法というべきである。住民票に記載されないことについて上告人母に責任があることは、国家賠償法による損害賠償責任を考える際に考慮すれば足り、かつそれで十分である。
3 以上のように、本件の住民票の記載を拒否した区長の措置は住基法による義務に違反し、違法であるといわなければならない。しかしながら、住基法上違法であるからといって、それにより国家賠償法上も直ちに違法となるわけではない。すなわち、本件は、上告人母が戸籍法の規定に違反して上告人子の出生届を提出しなかったため、区長が住民票に記載しなかったという事案である。ところで、戸籍に記載のない子については、出生届の提出を待って、戸籍の記載に基づき住民票の記載をするというのが、前記のように法の予定する原則的な方法であるとともに、従来の一般的な行政実務の取扱いであって、区長もこのような一般的な取扱いに従い、職権調査による方法で上告人子につき住民票の記載をする措置を講じなかったということができるのである。そうすると、区長の判断が、公務員が職務上尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然とされたものということはできず、区長の措置について国家賠償法1条1項にいう違法がないというべきである。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫)

++解説
《解 説》
1 事案の概要
本件は,X3(以下「X父」という。)が世田谷区長(以下「区長」という。)に対し,X父とX2(以下「X母」といい,X父と併せて「X父母」という。)との間の子であるX1(以下「X子」という。)につき住民票の記載を求める申出をしたところ,これをしない旨の応答を受け,その後もX母と共に同様の申入れをしたものの住民票の記載がされなかったことから,Xらにおいて,Yに対し,上記応答及び住民票の記載をしない不作為が住民基本台帳法(以下「法」という。)に反すると主張して,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める(以下,この請求を「本件国賠請求」という。)とともに,上記応答が行政処分であることを前提にその取消し等を求めた(以下,この取消の訴えを「本件取消しの訴え」という。)事案である。
(1) X父母は,平成11年以降,東京都世田谷区内で事実上の夫婦として共同生活をしている。X父母の間には,同17年3月,X子が出生した。
(2) X父は,区長に対し,同年4月11日,自らを届出人としてX子に係る出生届(以下「本件出生届」という。)を提出したが,非嫡出子という用語を差別用語と考えていたことから,届書中,嫡出子又は嫡出でない子の別を記載する欄を空欄のままとした。区長は,X父に対し,届書の記載が上記のままでも,区長において届書のその余の記載事項から出生証明書の本人と届書の本人との同一性が確認されれば,その認定事項を記載した付せんを届書に貼付するという内部処理をして受理する方法を提案したものの,この提案も拒絶された。そこで,区長は,同日,本件出生届を受理しないこととした。
(3) X父は,区長に対し,同年5月19日,X子につき住民票の記載を求める申出をしたが,区長は,本件出生届が受理されていないことを理由に,上記記載をしない旨の応答(以下「本件応答」という。)をした。X父母は,その後も区長に対しX子に係る住民票の記載を求める申入れをしたが,区長はこれに応じていない(以下「本件不作為」という。なお,本件応答を含めて用いることがある。)。なお,上記不受理処分については,それに違法がないとの司法の最終的判断が確定している。
(4)住民票は,行政実務上,選挙人名簿への登録,就学,転出証明等に係る事務処理の基礎とされているが,これらのうち,選挙人名簿への登録に関しては,X子が事実審の口頭弁論終結時において2歳であり,住民票の記載がされないことに伴う不利益が現実化しているものではない。その余の事務に関しても,Yは,住民基本台帳に記録されていない住民に対し,手続的に煩さな点はあり得るとしても,多くの場合,それに記録されている住民に対するのと同様の行政上のサービスを提供している。
2 1審判決及び原判決
(1)1審判決(東京地判平19.5.31判タ1252号182頁,判時1981号9頁)は,本件応答は法に違反するものであって,これを取り消すべきものとしたが,本件国賠請求については,公務員が職務上尽くすべき注意義務を尽くさず漫然と本件応答及び本件不作為をしたということはできないとして,請求を棄却すべきものとした(1審判決の評釈として,田中孝男・速報判例解説1巻37頁がある。)。
(2) これに対し,原判決(東京高判平19.11.5判タ1277号67頁)は,本件応答及び本件不作為は法に違反するものではなく,国家賠償法上も違法ではないとして,1審判決を取り消し,本件取消しの訴えに係る請求及び本件国賠請求とも棄却すべきものとした(原判決に関する論稿として,北村和生・法教333号122頁がある。)。
(3)原判決に対し,Xらが上告受理申立てをした。
3 本判決
本判決は,①X母が出生届の提出をけ怠していることにやむを得ない合理的な理由があるとはいえないこと,②住民票の記載がされないことによりX子に看過し難い不利益が生じているとはうかがわれないことなど判示の事情の下では,本件不作為は法に反するということはできず,国家賠償法上も違法ではないと判断した。
また,本判決は,本件取消しの訴えの適否について職権で検討し,X子につき住民票の記載を求めるX父からの申出に対し区長がした上記記載をしない旨の応答は,抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらないとして,同訴えを不適法と判断した。
4 本件不作為の適否について
(1)戸籍と住民票の関係等に関する沿革
法は,住民登録法(昭和26年法律第218号)を全面改正した法律であり,住民登録法は,寄留法(大正3年法律第27号)を全面改正した法律である。
寄留法は,本籍外に90日以上住所又は居所を有する者を寄留者とし(1条1項),寄留に関する事項は届出又は職権でこれを寄留簿に記載すべきものと定め(1条2項),寄留手続令は,寄留地の市町村長が戸籍に関する届出を自ら受け,又は本籍地の市町村からその通知を受けた場合,遅滞なく寄留簿の記載を更正又は抹消すべき旨を定めていた(14条,15条,19条)。そして,寄留者が非本籍地において戸籍に関する届出をし,この届出により寄留地の市町村長が寄留簿の記載を訂正する必要を認めたときは,市町村長は職権で寄留簿の記載を訂正することができ,寄留者が戸籍に関する届出と同時に寄留簿記載の変更届を差し出したときは,これにより寄留簿の記載を更正するものと解されていた。寄留中に寄留地において子が出生した場合,建前としては,届出義務者は,出生届とは別に寄留届を提出しなければならないこととされていたものの(丸亀区裁判所監督判事からの問い合わせに対する大正4年1月9日法務局長回答民第1919号等),職権をもって寄留簿にその者が寄留する旨の記載をする取扱いも広く認められていたようである(大正4年7月13日法務局長回答民第952号等)。
イ 寄留法を全面改正した住民登録法は,住民登録と戸籍との連絡措置を寄留法から受け継ぎ,届出を要しない場合には職権で住民票の記載をするものとし(5条),戸籍の記載と住民票の記載との間に連絡措置(9条)を設けた。その上で,同法は,出生の場合には転入届の提出を不要とし(22条1項ただし書),かつ,戸籍に関する届書の受理による戸籍の記載に基づいて住民票の記載の更正をすべき場合においては,明文(24条1項ただし書)をもって変更届の提出を不要とした。この点に関し,立法担当者は,出生等による居住関係の発生は,届出を待たず戸籍の届出等によってその事実を知ることができるため,住民登録事務と戸籍事務とを一元的に処理することによって戸籍と住民票の記載の不一致を防止し,住民票の記載の正確を図るとともに,届出義務の負担を軽減するという目的から,住民登録のための特別の届出義務を課さず,戸籍の届出等に基づいて職権で住民票の記載をすることができることとしたなどと説明している(法務府民事局内法務研究会『住民登録法詳解』等参照)。
ウ 住民登録法を改正した法は,上記のような戸籍と住民票の記載に関する連絡措置をほぼそのまま受け継ぎ(法9条),出生の場合を明文で転入届の対象から除外した(法22条1項)。その立法趣旨は,上記イと同旨のものであると説明されている。
エ なお,出生届未提出の子につき住民票の記載をすることができるか否かに関し,住民登録法及び法の下における行政上の取扱いは,極めて謙抑的に運用されていたが(昭和35年6月15・16日第13回栃木県連合戸籍事務協議会決議,昭和37年5月29・30日第24回兵庫県戸籍事務協議会決議,昭和49年4月16日沖縄県地方課宛て電話回答,平成元年12月22日自治振98号兵庫県総務部長宛て回答等),最近,総務省は,通達(総務省自治行政局市町村長課長の各都道府県住民基本台帳事務担当部長宛て平成20年7月7日総行市第143号)を発出し,民法772条2項(いわゆる300日条項)による嫡出の推定が及ぶため,母が婚姻外の男性との間に出生した子につき出生届の提出をけ怠している場合において,一定の要件を満たすときは,職権で住民票の記載をすることができることとするに至った。
(2)父又は母の戸籍に入る無戸籍児について住民票の記載をすることの許否
上記(1)の沿革を踏まえると,法は,戸籍と住民票の記載を厳格に一致させるため,両者の連絡措置を緊密なものとし,両者に共通する記載事項については,戸籍の記載を基礎として職権で住民票の記載をすべきものとしているのであるから,父又は母の戸籍に入る無戸籍児について住民票の記載をすることを安易に認めることが望ましくないことはいうまでもない。
しかし,他方で,①法は,7条5号において,本籍のない者及び本籍の明らかでない者についてはその旨を住民票に記載すべきことを定めていること,②住民基本台帳法施行令(以下「令」という。)は,市町村長は,その市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは,その者の住民票を作成しなければならず(7条1項),住民基本台帳に脱漏がある場合,当該事実を確認して職権で住民票の記載等をしなければならない旨(12条3項)定めていることなどに照らせば,法が,常に戸籍の記載を基礎としてしか住民票の記載をすることができない(その結果として上記のような無戸籍児について職権で住民票の記載をすることは許されない)との立場に立つものと解するのは相当ではなく,一定の場合には,上記のような無戸籍児につき職権で住民票の記載をする余地も認めているものと解される。本判決もそのような考え方に立つことを明言している。
(3)父又は母の戸籍に入る無戸籍児について住民票の記載をすることが義務付けられる場合の有無及び判断基準
そこで,次に,父又は母の戸籍に入る無戸籍児について住民票の記載をすることが義務付けられる場合の有無及び判断基準が問題となる。
ア 法は,市町村において,住民の居住関係の公証,選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り,併せて住民に関する記録の適正な管理を図り,もって住民の利便を増進するとともに,国及び地方公共団体の行政の合理化に資するため,住民基本台帳の制度を定めたのであり(法1条),本籍のない者及び本籍の明らかでない者については,その旨を記載すべきものとされ(法7条),また,市町村長は,新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは,その者につき住民票の作成又は記載をしなければならないとされている(法8条,令7条)。そうすると,法及び令は,当該市町村に住所を有する者すべてについて,最終的には住民票の記載をして,住民に関する事務処理の基礎とすることを制度の基本としているものと解される。
イ もっとも,法22条1項が出生の場合を明文で転入届の対象から除外した上記(1)の立法趣旨に照らせば,法は,子が出生した場合に,出生届とは別に法に基づく届出をすることを義務付けていないものと解される。他方,戸籍法は,父又は母の戸籍に入る者以外の者については,職権で新戸籍を編製する手立てを用意しながら(同法22条,57条参照),父又は母の戸籍に入る無戸籍児についてはこのような職権による戸籍の記載という手法を設けていない。そこで,市町村長は,①このような子について,原則どおり戸籍の記載に基づいて住民票の記載をしようとすれば,届出の催告(同法44条)及び過料の制裁(同法135条)によって,間接的に届出義務者に届出義務の履行を促し,出生届の提出を待って,戸籍の記載に基づき,職権で住民票の記載をする方法(以下「届出の催告等による方法」という。法14条1項参照)によるほかはなく,②父又は母がそれにもかかわらず出生届の提出に応じなかった場合,上記のような原則的な方法によって住民票の記載をすることができず,職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し,その結果に基づき,職権で住民票の記載をする方法(以下「職権調査による方法」という。法34条参照)によってしか,当該子の住民票の記載をすることができないということになる。
ウ 上記の両方法の優先関係ないし補充関係に関しては,法及び令に明文の規定は置かれていないが,上記(1)の立法趣旨に照らせば,法は,上記の両方法のうち,届出の催告等による方法を原則的な方法としていることが明らかである。したがって,市町村長は,父又は母の戸籍に入る子について出生届が提出されない結果,住民票の記載もされていない場合,常に職権調査による方法で住民票の記載をしなければならないものではなく,原則として,出生届の届出義務者にその提出を促し,戸籍の記載に基づき住民票の記載をすれば足り,そのような記載をしないことが違法となるのは,それが裁量権を逸脱し又はこれを濫用するものとして違法と評価される場合に限られるものと解される。
エ このように,市町村長は,父又は母の戸籍に入る無戸籍児について,父又は母から住民票の記載を求める申出があった場合,第一次的には出生届の提出を催告すべきであり,それが提出された場合には,戸籍の記載に基づき職権で住民票の記載をすべきものである。そして,父又は母がその催告に応じない場合,市町村において当該子につき住民票の記載をしないことが直ちに違法と評価されるか否かが問題となる。
この問題に関しては,次の3つの基本的な考え方を想定することができる。
(ア)義務否定説
義務否定説は,上記のような場合,市町村長において当該子につき職権調査による方法で住民票の記載をすべきことが義務付けられることはないとする考え方である(本件の原判決は,基本的にこのような立場に立つものと解される。)。その論拠としては,法及び令が,上記のとおり,戸籍の記載と住民票の記載とを厳格に一致させるために戸籍と住民票の連結の制度を設けた以上,その趣旨を貫徹すべきであり,安易に例外を認めるべきではないという点が考えられよう。
(イ)原則肯定説
原則肯定説は,当該父又は母が当該子につき出生届の提出をすることに応じない以上,市町村長としては,職権で当該子の身分関係及び居住関係等を調査した上,職権で住民票の記載をすべきことが法によって義務付けられるとする考え方である(本件の1審判決は,基本的にこのような立場に立つものと解される。)。
その論拠としては,①身分関係を公証する戸籍と居住関係を公証する住民票とでは,制度の目的が異なる,②当該子につき住民票の記載がされない場合,その父又は母は,子につき行政サービスを受けようとする都度,当該子の居住関係を証明することを余儀なくされるという不利益を受ける,③上記のような場合に市町村長に当該子に係る住民票の記載を義務付けても不都合は生じないなどの点が考えられよう。
(ウ)限定肯定説
限定肯定説は,父又は母が当該子につき適法な出生届の提出を拒否したとしても,市町村長においては,なおその提出を促し,戸籍の記載に基づき住民票の記載をするという原則的手法によることを否定されるものではなく,職権調査による方法により住民票の記載をすることが義務付けられるのは,当該父又は母において出生届の提出をけ怠していることについてやむを得ない合理的な理由がある場合や,住民票の記載がされないことにより当該子に看過し難い不利益が生ずる可能性がある場合など,届出の催告等による方法によって住民票の記載をすることが社会通念に照らし著しく困難であり又は相当性を欠くなどの特段の事情がある場合に限られるとする考え方である。
その論拠としては,単に父又は母が当該子につき適法な出生届の提出を拒絶したということだけで,市町村長に住民票の記載をすることが法的に義務付けられるとすれば,その拒絶に上記のようなやむを得ない合理的な理由もなく,住民票の不記載によって当該子に特段の不利益も生じないような場合にまで,上記の義務を肯定することとなって,法秩序維持の観点から相当ではないとする点が考えられよう。
オ まず,義務否定説については,限定肯定説の指摘する特段の事情が認められるような事案においてすら,職権調査による方法による住民票の記載が義務付けられることはないとする点で,その妥当性には疑問があろう。
次に,原則肯定説の挙げる論拠について検討すると,①の論拠については,上記(1)のとおり,法は,制度の目的を本来異にする戸籍と住民票について,少なくとも,人の同一性を識別するための根幹的な指標である氏名,出生年月日,男女の別,世帯主との続柄等に限っては,両者の記載を完全に一致させるという法制度を創設したのであるから,安易にその例外を認める措置が法自身によって義務付けられているとは解し難いといえよう。また,②の論拠については,このような不利益は,単なる手続上の不利益にすぎない上,それを直接的に被るのは,適法な出生届の提出をけ怠している父又は母自身であって,それは自らが招いた不利益であるとともに自らの行為(出生届の提出という戸籍法上の義務の履行)によって容易に解消することができる性質のものではないかとの疑問があり得よう。さらに,③の論拠については,住民票が現在我が国において広範囲にわたり果たしている重要な役割等にかんがみると,果たして直ちに上記論拠のようにいうことができるかどうかについて疑問があろう。
カ 本判決は,上記の考え方のうち限定肯定説に立ち,これを本件に当てはめて,YがX子につき職権調査による方法で住民票の記載をすべき義務を否定する判断をしたものであるが,その背景には,以上のような考慮があるのではないかと考えられる。本判決が説示する,「届出の催告等による方法によって住民票の記載をすることが社会通念に照らし著しく困難であり又は相当性を欠くなどの特段の事情」の有無に関しては,法が戸籍と住民票の記載を合致させることとした趣旨目的を的確に踏まえつつ,事案に即して,諸般の事情を総合的に考慮し,社会通念に照らして合理的に判断してゆくほかはないものといえよう。
なお,本判決には,今井裁判官の意見が付されている。同意見は,原則肯定説に立って本件不作為が法に違反する状態にあるとするものである。
5 本件取消しの訴えの適否
1審判決及び原判決は,本件応答の行政処分性(行訴法3条2項。なお,法31条の2,31条の4所定の「処分」もこれと同義と解される。)を当然の前提として,本件取消しの訴えに関する実体判断をしている。
しかし,行訴法3条2項の処分は,「行政庁による公権力の行使としてされ,国民の権利義務の範囲を形成し又はその範囲を具体的に確定する行為」をいうものと解されている(最一小判昭39.10.29民集18巻8号1809頁等)。そして,一般的に,「申請等に対する拒否行為は,申請人が法令に基づく申請権を有している場合においては,その手続的な権利を侵害し,又は申請に係る処分を得る可能性を奪うことにおいて申請人の法律上の地位に影響を及ぼすものとして,抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるが,申請人が法令に基づく申請権を有していない場合においては,その法律上の地位に何ら影響を与えるものではないから,抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらない」と解され(最高裁判所事務総局編『主要行政事件裁判例概観(7)』行資67号241頁),判例も同様の立場に立つものと考えられる(最一小判昭47.11.16民集26巻9号1573頁,判タ286号228頁,最三小判平3.3.19判タ770号156頁参照)。
住民票の記載等は,法の規定による届出に基づいてされる場合と職権によってされる場合とがあるところ(法8条,令11条,12条),このうち,法の規定による届出については,令11条が,市町村長に対し,届出の内容が事実であるか否かを審査して所定の記載等をすべき義務を課していることから,当該届出に係る記載をすべき旨を求める申請権が付与されており,それに対する拒絶を行政処分と解する余地は十分にあると思われるが(最一小判平15.6.26判タ1128号368頁参照),子の出生の場合は,上記4(1),(3)イのとおり,出生届とは別に法に基づく届出義務が課されていないことから,仮に,出生した子について住民票の記載を求める申出があったとしても,それは,令11条所定の「法の規定による届出」には該当せず,住民票の職権記載を促す法14条2項所定の申出にすぎないというほかないものである。
本判決は,このような見地から,本件応答の取消しを求める本件取消しの訴えを不適法と判断したものと考えられる。
6 まとめ
本判決は,母がその戸籍に入る子につき適法な出生届を提出していない場合において,特別区の区長が住民である当該子につき上記母の世帯に属する者として住民票の記載をしていないことが違法とされる場合があるか否か,あるとすればどのような場合かという問題について,当審が初めての判断を示したものである。その判断の過程においては,類似事案についても参酌することができる程度の一般的な説示がされており,地方公共団体の住民登録実務に対して及ぼす影響は小さくなく,実務上重要な意義を有すると考えられる。(関係人一部仮名)

2.不利益処分における意見陳述の手続等

+ 第三章 不利益処分

第一節 通則

(処分の基準)
第十二条  行政庁は、処分基準を定め、かつ、これを公にしておくよう努めなければならない
2  行政庁は、処分基準を定めるに当たっては、不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。

(不利益処分をしようとする場合の手続)
第十三条  行政庁は、不利益処分をしようとする場合には、次の各号の区分に従い、この章の定めるところにより、当該不利益処分の名あて人となるべき者について、当該各号に定める意見陳述のための手続を執らなければならない。
一  次のいずれかに該当するとき 聴聞
イ 許認可等を取り消す不利益処分をしようとするとき。
ロ イに規定するもののほか、名あて人の資格又は地位を直接にはく奪する不利益処分をしようとするとき。
ハ 名あて人が法人である場合におけるその役員の解任を命ずる不利益処分、名あて人の業務に従事する者の解任を命ずる不利益処分又は名あて人の会員である者の除名を命ずる不利益処分をしようとするとき。
ニ イからハまでに掲げる場合以外の場合であって行政庁が相当と認めるとき
二  前号イからニまでのいずれにも該当しないとき 弁明の機会の付与
2  次の各号のいずれかに該当するときは、前項の規定は、適用しない。
一  公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、前項に規定する意見陳述のための手続を執ることができないとき。
二  法令上必要とされる資格がなかったこと又は失われるに至ったことが判明した場合に必ずすることとされている不利益処分であって、その資格の不存在又は喪失の事実が裁判所の判決書又は決定書、一定の職に就いたことを証する当該任命権者の書類その他の客観的な資料により直接証明されたものをしようとするとき。
三  施設若しくは設備の設置、維持若しくは管理又は物の製造、販売その他の取扱いについて遵守すべき事項が法令において技術的な基準をもって明確にされている場合において、専ら当該基準が充足されていないことを理由として当該基準に従うべきことを命ずる不利益処分であってその不充足の事実が計測、実験その他客観的な認定方法によって確認されたものをしようとするとき。
四  納付すべき金銭の額を確定し、一定の額の金銭の納付を命じ、又は金銭の給付決定の取消しその他の金銭の給付を制限する不利益処分をしようとするとき。
五  当該不利益処分の性質上、それによって課される義務の内容が著しく軽微なものであるため名あて人となるべき者の意見をあらかじめ聴くことを要しないものとして政令で定める処分をしようとするとき。

(不利益処分の理由の提示)
第十四条  行政庁は、不利益処分をする場合には、その名あて人に対し、同時に、当該不利益処分の理由を示さなければならない。ただし、当該理由を示さないで処分をすべき差し迫った必要がある場合は、この限りでない。
2  行政庁は、前項ただし書の場合においては、当該名あて人の所在が判明しなくなったときその他処分後において理由を示すことが困難な事情があるときを除き、処分後相当の期間内に、同項の理由を示さなければならない。
3  不利益処分を書面でするときは、前二項の理由は、書面により示さなければならない。

第二節 聴聞

(聴聞の通知の方式)
第十五条  行政庁は、聴聞を行うに当たっては、聴聞を行うべき期日までに相当な期間をおいて、不利益処分の名あて人となるべき者に対し、次に掲げる事項を書面により通知しなければならない。
一  予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項
二  不利益処分の原因となる事実
三  聴聞の期日及び場所
四  聴聞に関する事務を所掌する組織の名称及び所在地
2  前項の書面においては、次に掲げる事項を教示しなければならない。
一  聴聞の期日に出頭して意見を述べ、及び証拠書類又は証拠物(以下「証拠書類等」という。)を提出し、又は聴聞の期日への出頭に代えて陳述書及び証拠書類等を提出することができること。
二  聴聞が終結する時までの間、当該不利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができること。
3  行政庁は、不利益処分の名あて人となるべき者の所在が判明しない場合においては、第一項の規定による通知を、その者の氏名、同項第三号及び第四号に掲げる事項並びに当該行政庁が同項各号に掲げる事項を記載した書面をいつでもその者に交付する旨を当該行政庁の事務所の掲示場に掲示することによって行うことができる。この場合においては、掲示を始めた日から二週間を経過したときに、当該通知がその者に到達したものとみなす。

(代理人)
第十六条  前条第一項の通知を受けた者(同条第三項後段の規定により当該通知が到達したものとみなされる者を含む。以下「当事者」という。)は、代理人を選任することができる。
2  代理人は、各自、当事者のために、聴聞に関する一切の行為をすることができる。
3  代理人の資格は、書面で証明しなければならない。
4  代理人がその資格を失ったときは、当該代理人を選任した当事者は、書面でその旨を行政庁に届け出なければならない。

(参加人)
第十七条  第十九条の規定により聴聞を主宰する者(以下「主宰者」という。)は、必要があると認めるときは、当事者以外の者であって当該不利益処分の根拠となる法令に照らし当該不利益処分につき利害関係を有するものと認められる者(同条第二項第六号において「関係人」という。)に対し、当該聴聞に関する手続に参加することを求め、又は当該聴聞に関する手続に参加することを許可することができる
2  前項の規定により当該聴聞に関する手続に参加する者(以下「参加人」という。)は、代理人を選任することができる。
3  前条第二項から第四項までの規定は、前項の代理人について準用する。この場合において、同条第二項及び第四項中「当事者」とあるのは、「参加人」と読み替えるものとする。

(文書等の閲覧)
第十八条  当事者及び当該不利益処分がされた場合に自己の利益を害されることとなる参加人(以下この条及び第二十四条第三項において「当事者等」という。)は、聴聞の通知があった時から聴聞が終結する時までの間、行政庁に対し、当該事案についてした調査の結果に係る調書その他の当該不利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができる。この場合において、行政庁は、第三者の利益を害するおそれがあるときその他正当な理由があるときでなければ、その閲覧を拒むことができない。
2  前項の規定は、当事者等が聴聞の期日における審理の進行に応じて必要となった資料の閲覧を更に求めることを妨げない。
3  行政庁は、前二項の閲覧について日時及び場所を指定することができる。
(聴聞の主宰)
第十九条  聴聞は、行政庁が指名する職員その他政令で定める者が主宰する。
2  次の各号のいずれかに該当する者は、聴聞を主宰することができない。
一  当該聴聞の当事者又は参加人
二  前号に規定する者の配偶者、四親等内の親族又は同居の親族
三  第一号に規定する者の代理人又は次条第三項に規定する補佐人
四  前三号に規定する者であったことのある者
五  第一号に規定する者の後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人又は補助監督人
六  参加人以外の関係人

(聴聞の期日における審理の方式)
第二十条  主宰者は、最初の聴聞の期日の冒頭において、行政庁の職員に、予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項並びにその原因となる事実を聴聞の期日に出頭した者に対し説明させなければならない。
2  当事者又は参加人は、聴聞の期日に出頭して、意見を述べ、及び証拠書類等を提出し、並びに主宰者の許可を得て行政庁の職員に対し質問を発することができる。
3  前項の場合において、当事者又は参加人は、主宰者の許可を得て、補佐人とともに出頭することができる。
4  主宰者は、聴聞の期日において必要があると認めるときは、当事者若しくは参加人に対し質問を発し、意見の陳述若しくは証拠書類等の提出を促し、又は行政庁の職員に対し説明を求めることができる。
5  主宰者は、当事者又は参加人の一部が出頭しないときであっても、聴聞の期日における審理を行うことができる。
6  聴聞の期日における審理は、行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない

(陳述書等の提出)
第二十一条  当事者又は参加人は、聴聞の期日への出頭に代えて、主宰者に対し、聴聞の期日までに陳述書及び証拠書類等を提出することができる。
2  主宰者は、聴聞の期日に出頭した者に対し、その求めに応じて、前項の陳述書及び証拠書類等を示すことができる。
(続行期日の指定)
第二十二条  主宰者は、聴聞の期日における審理の結果、なお聴聞を続行する必要があると認めるときは、さらに新たな期日を定めることができる。
2  前項の場合においては、当事者及び参加人に対し、あらかじめ、次回の聴聞の期日及び場所を書面により通知しなければならない。ただし、聴聞の期日に出頭した当事者及び参加人に対しては、当該聴聞の期日においてこれを告知すれば足りる。
3  第十五条第三項の規定は、前項本文の場合において、当事者又は参加人の所在が判明しないときにおける通知の方法について準用する。この場合において、同条第三項中「不利益処分の名あて人となるべき者」とあるのは「当事者又は参加人」と、「掲示を始めた日から二週間を経過したとき」とあるのは「掲示を始めた日から二週間を経過したとき(同一の当事者又は参加人に対する二回目以降の通知にあっては、掲示を始めた日の翌日)」と読み替えるものとする。
(当事者の不出頭等の場合における聴聞の終結)
第二十三条  主宰者は、当事者の全部若しくは一部が正当な理由なく聴聞の期日に出頭せず、かつ、第二十一条第一項に規定する陳述書若しくは証拠書類等を提出しない場合、又は参加人の全部若しくは一部が聴聞の期日に出頭しない場合には、これらの者に対し改めて意見を述べ、及び証拠書類等を提出する機会を与えることなく、聴聞を終結することができる。
2  主宰者は、前項に規定する場合のほか、当事者の全部又は一部が聴聞の期日に出頭せず、かつ、第二十一条第一項に規定する陳述書又は証拠書類等を提出しない場合において、これらの者の聴聞の期日への出頭が相当期間引き続き見込めないときは、これらの者に対し、期限を定めて陳述書及び証拠書類等の提出を求め、当該期限が到来したときに聴聞を終結することとすることができる。

(聴聞調書及び報告書)
第二十四条  主宰者は、聴聞の審理の経過を記載した調書を作成し、当該調書において、不利益処分の原因となる事実に対する当事者及び参加人の陳述の要旨を明らかにしておかなければならない。
2  前項の調書は、聴聞の期日における審理が行われた場合には各期日ごとに、当該審理が行われなかった場合には聴聞の終結後速やかに作成しなければならない。
3  主宰者は、聴聞の終結後速やかに、不利益処分の原因となる事実に対する当事者等の主張に理由があるかどうかについての意見を記載した報告書を作成し、第一項の調書とともに行政庁に提出しなければならない。
4  当事者又は参加人は、第一項の調書及び前項の報告書の閲覧を求めることができる。

(聴聞の再開)
第二十五条  行政庁は、聴聞の終結後に生じた事情にかんがみ必要があると認めるときは、主宰者に対し、前条第三項の規定により提出された報告書を返戻して聴聞の再開を命ずることができる。第二十二条第二項本文及び第三項の規定は、この場合について準用する。

(聴聞を経てされる不利益処分の決定)
第二十六条  行政庁は、不利益処分の決定をするときは、第二十四条第一項の調書の内容及び同条第三項の報告書に記載された主宰者の意見を十分に参酌してこれをしなければならない

(不服申立ての制限)
第二十七条  行政庁又は主宰者がこの節の規定に基づいてした処分については、行政不服審査法 (昭和三十七年法律第百六十号)による不服申立てをすることができない。
2  聴聞を経てされた不利益処分については、当事者及び参加人は、行政不服審査法 による異議申立てをすることができない。ただし、第十五条第三項後段の規定により当該通知が到達したものとみなされる結果当事者の地位を取得した者であって同項に規定する同条第一項第三号(第二十二条第三項において準用する場合を含む。)に掲げる聴聞の期日のいずれにも出頭しなかった者については、この限りでない。
(役員等の解任等を命ずる不利益処分をしようとする場合の聴聞等の特例)
第二十八条  第十三条第一項第一号ハに該当する不利益処分に係る聴聞において第十五条第一項の通知があった場合におけるこの節の規定の適用については、名あて人である法人の役員、名あて人の業務に従事する者又は名あて人の会員である者(当該処分において解任し又は除名すべきこととされている者に限る。)は、同項の通知を受けた者とみなす。
2  前項の不利益処分のうち名あて人である法人の役員又は名あて人の業務に従事する者(以下この項において「役員等」という。)の解任を命ずるものに係る聴聞が行われた場合においては、当該処分にその名あて人が従わないことを理由として法令の規定によりされる当該役員等を解任する不利益処分については、第十三条第一項の規定にかかわらず、行政庁は、当該役員等について聴聞を行うことを要しない。

第三節 弁明の機会の付与

(弁明の機会の付与の方式)
第二十九条  弁明は、行政庁が口頭ですることを認めたときを除き、弁明を記載した書面(以下「弁明書」という。)を提出してするものとする。
2  弁明をするときは、証拠書類等を提出することができる。

(弁明の機会の付与の通知の方式)
第三十条  行政庁は、弁明書の提出期限(口頭による弁明の機会の付与を行う場合には、その日時)までに相当な期間をおいて、不利益処分の名あて人となるべき者に対し、次に掲げる事項を書面により通知しなければならない。
一  予定される不利益処分の内容及び根拠となる法令の条項
二  不利益処分の原因となる事実
三  弁明書の提出先及び提出期限(口頭による弁明の機会の付与を行う場合には、その旨並びに出頭すべき日時及び場所)
(聴聞に関する手続の準用)
第三十一条  第十五条第三項及び第十六条の規定は、弁明の機会の付与について準用する。この場合において、第十五条第三項中「第一項」とあるのは「第三十条」と、「同項第三号及び第四号」とあるのは「同条第三号」と、第十六条第一項中「前条第一項」とあるのは「第三十条」と、「同条第三項後段」とあるのは「第三十一条において準用する第十五条第三項後段」と読み替えるものとする。

3.手続きの瑕疵が処分の取消事由になるか

+  第二章 申請に対する処分

(審査基準)
第五条  行政庁は、審査基準を定めるものとする
2  行政庁は、審査基準を定めるに当たっては、許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。
3  行政庁は、行政上特別の支障があるときを除き、法令により申請の提出先とされている機関の事務所における備付けその他の適当な方法により審査基準を公にしておかなければならない

(標準処理期間)
第六条  行政庁は、申請がその事務所に到達してから当該申請に対する処分をするまでに通常要すべき標準的な期間(法令により当該行政庁と異なる機関が当該申請の提出先とされている場合は、併せて、当該申請が当該提出先とされている機関の事務所に到達してから当該行政庁の事務所に到達するまでに通常要すべき標準的な期間)を定めるよう努めるとともに、これを定めたときは、これらの当該申請の提出先とされている機関の事務所における備付けその他の適当な方法により公にしておかなければならない。
(申請に対する審査、応答)
第七条  行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならず、かつ、申請書の記載事項に不備がないこと、申請書に必要な書類が添付されていること、申請をすることができる期間内にされたものであることその他の法令に定められた申請の形式上の要件に適合しない申請については、速やかに、申請をした者(以下「申請者」という。)に対し相当の期間を定めて当該申請の補正を求め、又は当該申請により求められた許認可等を拒否しなければならない。

(理由の提示)
第八条  行政庁は、申請により求められた許認可等を拒否する処分をする場合は、申請者に対し、同時に、当該処分の理由を示さなければならない。ただし、法令に定められた許認可等の要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている場合であって、当該申請がこれらに適合しないことが申請書の記載又は添付書類その他の申請の内容から明らかであるときは、申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる
2  前項本文に規定する処分を書面でするときは、同項の理由は、書面により示さなければならない。
(情報の提供)
第九条  行政庁は、申請者の求めに応じ、当該申請に係る審査の進行状況及び当該申請に対する処分の時期の見通しを示すよう努めなければならない。
2  行政庁は、申請をしようとする者又は申請者の求めに応じ、申請書の記載及び添付書類に関する事項その他の申請に必要な情報の提供に努めなければならない。
(公聴会の開催等)
第十条  行政庁は、申請に対する処分であって、申請者以外の者の利害を考慮すべきことが当該法令において許認可等の要件とされているものを行う場合には、必要に応じ、公聴会の開催その他の適当な方法により当該申請者以外の者の意見を聴く機会を設けるよう努めなければならない。
(複数の行政庁が関与する処分)
第十一条  行政庁は、申請の処理をするに当たり、他の行政庁において同一の申請者からされた関連する申請が審査中であることをもって自らすべき許認可等をするかどうかについての審査又は判断を殊更に遅延させるようなことをしてはならない。
2  一の申請又は同一の申請者からされた相互に関連する複数の申請に対する処分について複数の行政庁が関与する場合においては、当該複数の行政庁は、必要に応じ、相互に連絡をとり、当該申請者からの説明の聴取を共同して行う等により審査の促進に努めるものとする。

+(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一  法令 法律、法律に基づく命令(告示を含む。)、条例及び地方公共団体の執行機関の規則(規程を含む。以下「規則」という。)をいう。
二  処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
三  申請 法令に基づき、行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分(以下「許認可等」という。)を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。
四  不利益処分 行政庁が、法令に基づき、特定の者を名あて人として、直接に、これに義務を課し、又はその権利を制限する処分をいう。ただし、次のいずれかに該当するものを除く。
イ 事実上の行為及び事実上の行為をするに当たりその範囲、時期等を明らかにするために法令上必要とされている手続としての処分
ロ 申請により求められた許認可等を拒否する処分その他申請に基づき当該申請をした者を名あて人としてされる処分
ハ 名あて人となるべき者の同意の下にすることとされている処分
ニ 許認可等の効力を失わせる処分であって、当該許認可等の基礎となった事実が消滅した旨の届出があったことを理由としてされるもの
五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
イ 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法 (平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項 若しくは第二項 に規定する機関、国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員
ロ 地方公共団体の機関(議会を除く。)
六  行政指導 行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう。
七  届出 行政庁に対し一定の事項の通知をする行為(申請に該当するものを除く。)であって、法令により直接に当該通知が義務付けられているもの(自己の期待する一定の法律上の効果を発生させるためには当該通知をすべきこととされているものを含む。)をいう。
八  命令等 内閣又は行政機関が定める次に掲げるものをいう。
イ 法律に基づく命令(処分の要件を定める告示を含む。次条第二項において単に「命令」という。)又は規則
ロ 審査基準申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
ハ 処分基準(不利益処分をするかどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。以下同じ。)
ニ 行政指導指針(同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときにこれらの行政指導に共通してその内容となるべき事項をいう。以下同じ。)

・審査基準は許認可をするかどうかの判断するために必要とされる基準
=ある事業を行うについて許認可が必要かどうかの基準は審査基準に当たらない!!!!

(2)理由提示の瑕疵

・理由提示の程度
+判例(S60.1.22)
理由
上告代理人柴田信夫、同菅充行、同谷池洋、同仲田隆明、同松本剛の上告理由第一について
外国旅行の自由は憲法二二条二項の保障するところであるが、その自由は公共の福祉のために合理的な制限に服するものであり、旅券発給の制限を定めた旅券法一三条一項五号の規定が、外国旅行の自由に対し公共の福祉のために合理的な制限を定めたものであつて、憲法二二条二項に違反しないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和二九年(オ)第八九八号同三三年九月一〇日大法廷判決・民集一二巻一三号一九六九頁)。これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

同第二について
原審の適法に確定したところによれば、上告人が昭和五二年一月八日被上告人に対し渡航先をサウデイ・アラビアとする一般旅券の発給を申請したところ、被上告人は上告人に対し「旅券法一三条一項五号に該当する。」との理由を付した同年二月一六日付けの書面により右申請に係る一般旅券を発給しない旨を通知したというのである。
旅券法一四条は、外務大臣が、同法一三条の規定に基づき一般旅券の発給をしないと決定したときは、すみやかに、理由を付した書面をもつて一般旅券の発給を申請した者にその旨を通知しなければならないことを規定している。一般に、法律が行政処分に理由を付記すべきものとしている場合に、どの程度の記載をなすべきかは、処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきである(最高裁昭和三六年(オ)第八四号同三八年五月三一日第二小法廷判決・民集一七巻四号六一七頁)。旅券法が右のように一般旅券発給拒否通知書に拒否の理由を付記すべきものとしているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、憲法二二条二項で国民に保障された基本的人権である外国旅行の自由を制限することになるため、拒否事由の有無についての外務大臣の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによつて、その不服申立てに便宜を与える趣旨に出たものというべきであり、このような理由付記制度の趣旨にかんがみれば、一般旅券発給拒否通知書に付記すべき理由としては、いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して一般旅券の発給が拒否されたかを、申請者においてその記載自体から了知しうるものでなければならず、単に発給拒否の根拠規定を示すだけでは、それによつて当該規定の適用の基礎となつた事実関係をも当然知りうるような場合を別として、旅券法の要求する理由付記として十分でないといわなければならない。この見地に立つて旅券法一三条一項五号をみるに、同号は「前各号に掲げる者を除く外、外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」という概括的、抽象的な規定であるため、一般旅券発給拒否通知書に同号に該当する旨付記されただけでは、申請者において発給拒否の基因となつた事実関係をその記載自体から知ることはできないといわざるをえない。したがつて、外務大臣において旅券法一三条一項五号の規定を根拠に一般旅券の発給を拒否する場合には、申請者に対する通知書に同号に該当すると付記するのみでは足りず、いかなる事実関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかを具体的に記載することを要すると解するのが相当である。そうであるとすれば、単に「旅券法一三条一項五号に該当する。」と付記されているにすぎない本件一般旅券発給拒否処分の通知書は、同法一四条の定める理由付記の要件を欠くものというほかはなく、本件一般旅券発給拒否処分に右違法があることを理由としてその取消しを求める上告人の本訴請求は、正当として認容すべきである。原判決が右の程度の理由の記載をもつて旅券法一四条の要求する理由付記として欠けるところがないとしたのは、法律の解釈適用を誤つたものといわざるをえず、これをいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件一般旅券発給拒否処分を取り消した第一審判決は結論において正当であり、被上告人の控訴はこれを棄却すべきものである。

同第三について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
旅券の本来の機能は、外国に渡航する国民に対し、その所属する国が本人の身分や国籍を証明し、外国官憲に便宜の供与と保護とを依頼するところにあつたが、現在では、諸外国とも旅券を所持しない外国人を一般に入国させないという国際的慣行が確立しているから、およそ外国に渡航しようとする者にとつて旅券の所持は必要不可欠であり、したがつて旅券の発給は出国の許可と同じ働きを持つものであり、その発給拒否処分は外国渡航の禁止の効果を持つことになる。そこで、本件は、国民の持つ外国渡航の自由の制約にかかわる論点を提起するものといえる。私もまた、旅券法一三条一項五号の規定が憲法に違反して無効であるとすることはできない、しかし、本件一般旅券発給拒否処分に付された理由は、その付記を求める法の要件をみたすものではなく、本件一般旅券発給拒否処分は違法として取り消されるべきであると判示する法廷意見に賛成するものであるが、この問題は、国民の海外渡航の自由の制限の合憲性という重要な論点にかかるものであるから、以下に、この点に関する若干の意見を補足しておくこととしたい。
一 所論(上告理由第一)は、海外渡航の自由は憲法二二条二項において保障された基本的人権であるとし、旅券法一三条一項五号の規定が憲法の右規定に違反すると主張している(上告人は一審以来一貫してそのように主張する。)。そして、原判決の引用する第一審判決もまた、海外渡航の自由が憲法二二条二項の保障するところであることを前提としている。この点は、同項にいう外国に移住する自由には、外国に一時的に旅行する自由も含まれると解する当裁判所の判例(最高裁昭和二九年(オ)第八九八号同三三年九月一〇日大法廷判決・民集一二巻一三号一九六九頁)に沿うものである。
しかしながら、私の意見によれば、日本国民が一時的に海外に移動する形で渡航する海外旅行はもとより、勤務や留学などの目的で一定期間外国に居住する場合であつても、日本国の主権による保護を享受しつつその期間を過ごし、再びわが国に帰国することを予定しているような海外渡航については、その自由は、憲法二二条二項にいう外国に移住する自由に含まれるものではない。同項は、日本国民が日本国の主権から法律上も事実上も離脱するという国籍離脱の自由と並んで、外国に移住する自由を保障しているが、この自由は、移住という言葉の文理からいつても、その置かれた位置からいつても、日本国の主権の保護を受けながら一時的に日本国外に渡航することの自由ではなく、永久に若しくは少なくとも相当長期にわたつて外国に移住する目的をもつて日本国の主権から事実上半ば離脱することの自由をいうものと解されるからである(前記大法廷判決における田中耕太郎裁判官及び下飯坂潤夫裁判官の補足意見並びに最高裁昭和三七年(オ)第七五二号同四四年七月一一日第二小法廷判決・民集二三巻八号一四七〇頁における色川幸太郎裁判官の補足意見参照)。国籍離脱の自由と右のように解釈された外国移住の自由とは、現代の国際社会において強く保障を受けるものであり、政策的考慮に基づく制約を受けるべきものではない。憲法二二条二項が、同条一項の自由と異なつて公共の福祉による制限を明文上予定していないことも意味のあることといわねばならない。
以上のように解すると、一時的な海外渡航の自由は、憲法二二条一項によつて保障されるものと解するのが妥当であると思われる。同項にいう移転の自由は、住所を定め変更する自由のみでなく、人身の移動の自由を含むのであり、しかもこの移動は国の内外をもつて区別されないと考えられる。憲法二二条について、一項は国内の関係、二項は国外の関係を規律すると解する見解もあるが、形式的にすぎて適切ではない。したがつて、海外渡航の自由もまた、移転の自由に含まれることになる。このような移転の自由は、他の利益と抵触することも少なくなく、そのために公共の福祉を理由とする政策的見地からする制限を受けざるをえないのであり、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」と特に明文で規定する趣旨もそこにあるとみることができる。海外渡航の自由に対してもまた、国際関係における日本国の利益などを考慮して合理的な制限を加えることが許されるのである(前記色川裁判官の補足意見参照)。
二 このようにして、海外渡航の自由は、移転の自由の一環として公共の福祉を理由とする制約に服するものである。しかし、その制約が合理的なものであるかどうかを判断するにあたつては、移転の自由、特に海外渡航の自由の持つ性質を考えておくことが必要である。もともと移転の自由は、人を一定の土地と結び付ける身分制度を固定させていた封建社会から脱却して近代社会を形成したときに、職業選択の自由の当然の前提として自由に住所を定めそれを移動させることを認めたところに発するものであり、それは職業選択の自由と結び付き(それらを同じ条文のうちに保障する憲法の例が多い。)、したがつて、経済的な自由に属するものと考えられていた。移転の自由を専らこのような性質を持つものと解する限り、現代の社会においては、政策的な理由に基づいて広い制約を受けざるをえず、どのような制限を課するかについて立法府の裁量の余地は大きいといわねばならない。しかし、今日では、国の内外を問わず自由に移動することは、単なる経済的自由にとどまらず人身の自由ともつながりを持ち、さらに他の人びととの意見や情報の交流などを通じて人格の形成に役立つという精神的自由の側面をも持つことに留意しなければならない。そこで、移動の自由の制約が合理的なものであるかどうかを判断するにあたつては、それがこの自由のどのような面を規制するかを考察すべきものと考えられる。そして、一般に、海外渡航の自由を制限する場合には、精神的自由の制約という面を持つことが多いのであり、それだけにたやすくその制約を合理的なものとして支持することができないのである。
三 このような観点に立つて、海外渡航の自由を抑止することとなる旅券の発給拒否処分の事由として旅券法一三条一項に挙げられるものをみてみると、その一号ないし四号の二の各事由は、公共の福祉に基づく合理的な制限であり、かつ、内容が明確であつて、合憲として是認することができる。問題となるのは、本件でその合憲性が争われている五号の規定である。所論は、この規定の定める拒否の基準は、極めて漠然かつ不明確であり、ほとんど政府の自由な裁量によりその拒否を決しうるとするに等しいから憲法に違反するものであると主張する。
確かに、旅券法一三条一項五号の規定する「外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」という旅券発給拒否の事由は、その内容が明確性を欠き、恣意的判断を招くおそれが大きいといえるかもしれない。もし、海外渡航の自由が専ら精神的自由に属するとすれば、その基準の不明確性の故をもつて、右規定は文面上違憲無効とされる疑いが強いといえる(最高裁昭和五七年(行ツ)第四二号同五九年一二月一二日大法廷判決及び同昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決における各反対意見参照)。しかしながら、前記のとおり、海外渡航の自由は、精神的自由の側面を持つものとはいえ、精神的自由そのものではないから、国際関係における日本国の利益を守るためなどの理由によつて、合理的範囲で制約を受けることもやむをえない場合があり、右の規定を文面上違憲無効とすることは相当ではないと思われる。
このようにして、旅券法一三条一項五号の規定が文面上無効であるとはいえないが、そのことの故をもつて、その規定の適用が常に合憲と判断されることにはならない。海外渡航の自由が精神的自由の側面をも持つ以上、それを抑止する旅券発給拒否処分には、外務大臣が抽象的に同号の規定に該当すると認めるのみでは足りず、そこに定める害悪発生の相当の蓋然性が客観的に存する必要があり、このような蓋然性の存在しない場合に旅券発給拒否処分を行うときは、その適用において違憲となると判断され、その処分は違憲の処分として正当性を有しないこととなる。
四 そのように考えると、旅券発給の拒否処分について旅券法一四条の要求する理由の付記は、重要な意味を持つといわなければならない。この理由付記が求められているのは、法廷意見のいうように、拒否事由の有無について外務大臣の判断の慎重さと公正さを担保してその恣意を抑制するとともに、拒否理由を申請者に告知することによつて、不服申立てに便宜を与えるためであるが、この不服申立てには、適用違憲を主張することも当然に含まれており、したがつて、外務大臣が申請者の海外渡航には法の定める害悪発生の相当の蓋然性が客観的に存在すると判断した根拠が拒否の理由のうちに示される必要があると思われる。そうであるとすれば、単に旅券法一三条一項五号に該当するとのみ付記されているにすぎないときは、そのような蓋然性の存在を示すに由なく、法の要求する理由付記の要件を欠くものというほかはない。同号の規定が抽象的であるだけに、理由において具体的な事実関係を明らかにして、適用について憲法に違背するものでないことを示さねばならないと解される。このようにして、海外渡航の自由の保障という憲法の見地からみても、本件一般旅券発給拒否に付された理由は十分なものでなく、本件処分は違法といわざるをえない。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 長島敦)

・理由提示と処分基準との関係

+判例(H23.6.7)一級建築士
理 由
 上告代理人川守田大介の上告受理申立て理由第1,第2,第6について
 1 本件は,一級建築士として建築士事務所の管理建築士を務めていた上告人X1が,国土交通大臣から,建築士法(平成18年法律第92号による改正前のもの。以下同じ。)10条1項2号及び3号に基づく一級建築士免許取消処分(以下「本件免許取消処分」という。)を受け,これに伴い, 同事務所の開設者であった上告人X2(以下「上告会社」という。)が,北海道知事から,同法26条2項4号に基づく建築士事務所登録取消処分(以下「本件登録取消処分」という。)を受けたため,上告人らにおいて,本件免許取消処分は,公にされている処分基準の適用関係が理由として示されておらず,行政手続法14条1項本文の定める理由提示の要件を欠いた違法な処分であり,これを前提とする本件登録取消処分も違法な処分であるなどとして,これらの各処分の取消しを求めている事案である。
 2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
 (1) 上告人X1は,昭和56年に一級建築士免許を取得し,上告会社が開設する建築士事務所の管理建築士を務めていた。
 (2) 国土交通大臣は,上告人X1に対し,平成18年9月1日付けで,本件免許取消処分をした。その通知書には,処分の理由として,次のとおり記載されていた。
 「あなたは,北海道札幌市中央区南▲条西▲丁目▲-▲,北海道札幌市厚別区厚別中央▲条▲丁目▲-▲,北海道札幌市豊平区平岸▲条▲丁目▲,北海道札幌市北区北▲条西▲丁目▲-▲,▲,▲,▲,北海道札幌市中央区北▲条西▲丁目▲番▲,北海道札幌市中央区南▲条西▲丁目▲-▲,▲,▲,▲,北海道札幌市中央区南▲条西▲丁目▲-▲を敷地とする建築物の設計者として,建築基準法令に定める構造基準に適合しない設計を行い,それにより耐震性等の不足する構造上危険な建築物を現出させた。
また,北海道札幌市東区北▲条東▲丁目▲-▲,北海道札幌市豊平区豊平▲条▲丁目▲-▲,北海道札幌市豊平区月寒西▲条▲丁目▲番▲,北海道札幌市豊平区月寒中央通▲丁目▲番▲,北海道札幌市白石区南郷通▲丁目北▲を敷地とする建築物の設計者として,構造計算書に偽装が見られる不適切な設計を行った。
このことは,建築士法第10条第1項第2号及び第3号に該当し,一級建築士に対し社会が期待している品位及び信用を著しく傷つけるものである。」
 (3) 北海道知事は,上告人X1に対し本件免許取消処分がされたことを受けて,上告会社に対し,平成18年9月26日付けで,本件登録取消処分をした。
 (4) 建築士法10条1項は,建築士が「この法律若しくは建築物の建築に関する他の法律又はこれらに基づく命令若しくは条例の規定に違反したとき」(2号),「業務に関して不誠実な行為をしたとき」(3号)においては,免許を与えた国土交通大臣又は都道府県知事は,当該建築士に対する懲戒処分として,「戒告を与え,1年以内の期間を定めて業務の停止を命じ,又は免許を取り消すことができる。」と定めている。
本件免許取消処分がされた当時,建築士に対する上記懲戒処分については,意見公募の手続を経た上で,「建築士の処分等について」と題する通知(平成11年12月28日建設省住指発第784号都道府県知事宛て建設省住宅局長通知。平成19年6月20日廃止前のもの)において処分基準(以下「本件処分基準」という。)が定められ,これが公にされていた。本件処分基準によれば,その別表第1に従い,処分内容の決定を行うこととされており,上記別表第1の(2)は,建築士が建築士法10条1項2号又は3号に該当するときは,「表2の懲戒事由に記載した行為に対応する処分ランクを基本に,表3に規定する情状に応じた加減を行ってランクを決定し,表4に従い処分内容を決定する。ただし,当該行為が故意によるものであり,それにより,建築物の倒壊・破損等が生じたとき又は人の死傷が生じたとき(以下「結果が重大なとき」という。)は,業務停止6月以上又は免許取消の処分とし,当該行為が過失によるものであり,結果が重大なときは,業務停止3月以上又は免許取消の処分とする。」と定めていた。また,上記別表第1の表2は,「違反設計」に対応する処分ランクを「6」とし,「不適当設計」に対応する処分ランクを「2~4」とし,「その他の不誠実行為」に対応する処分ランクを「1~4」とするなど,懲戒事由の類型ごとに処分ランクを定め,表3は,その処分ランクから,「過失に基づく行為であり,情状をくむべき場合」には1~3を減じ,「法違反の状態が長期にわたる場合」や「常習的に行っている場合」には3を加えるなど,情状等による処分ランクの加減方法を定め,表4は,このようにして決定された処分ランクが「2」の場合は「戒告」とし,「3」ないし「15」の場合はそれぞれ「業務停止1月未満」ないし「業務停止1年」とし,「16」の場合は「免許取消」とするなど,処分ランクに対応する処分等(文書注意を含む。)の内容を定めるとともに,複数の処分事由に該当する場合の処理について,「二以上の処分等すべき行為について併せて処分等を行うときは,最も処分等の重い行為のランクに適宜加重したランクとする。ただし,同一の処分事由に該当する複数の行為については,時間的,場所的接着性や行為態様の類似性等から,全体として一の行為と見うる場合は,単一の行為と見なしてランキングすることができる。」などと定めていた。
 (5) 上告人らは,本件訴訟の提起の段階で,本件免許取消処分の根拠は本件処分基準の別表第1の(2)本文であると理解していたが,被上告人国は,本件訴訟において,本件免許取消処分の根拠を,主位的に,同(2)ただし書であると主張し,予備的に,同(2)本文であると主張した。

 3 原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断し,本件免許取消処分に行政手続法14条1項本文の定める理由提示の要件を欠いた違法はなく,その余の違法事由も認められず,本件登録取消処分にも違法はないとして,上告人らの請求をいずれも棄却すべきものとした。
行政手続法14条1項本文が,不利益処分をする場合に当該不利益処分の理由を示さなければならないとしている趣旨は,一級建築士に対する懲戒処分の場合,当該処分の根拠法条(建築士法10条1項各号)及びその法条の要件に該当する具体的な事実関係が明らかにされることで十分に達成できるというべきであり,更に進んで,処分基準の内容及び適用関係についてまで明らかにすることを要するものではないと解すべきである。国土交通大臣は,本件免許取消処分の通知書の中で具体的な根拠法条及びその要件に該当する具体的な事実関係を明らかにしているから,十分な理由が提示されていたといえる。

しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
行政手続法14条1項本文が,不利益処分をする場合に同時にその理由を名宛人に示さなければならないとしているのは,名宛人に直接に義務を課し又はその権利を制限するという不利益処分の性質に鑑み,行政庁の判断の慎重と合理性を担保してその恣意を抑制するとともに,処分の理由を名宛人に知らせて不服の申立てに便宜を与える趣旨に出たものと解される。そして,同項本文に基づいてどの程度の理由を提示すべきかは,上記のような同項本文の趣旨に照らし,当該処分の根拠法令の規定内容,当該処分に係る処分基準の存否及び内容並びに公表の有無,当該処分の性質及び内容,当該処分の原因となる事実関係の内容等を総合考慮してこれを決定すべきである。
この見地に立って建築士法10条1項2号又は3号による建築士に対する懲戒処分について見ると,同項2号及び3号の定める処分要件はいずれも抽象的である上,これらに該当する場合に同項所定の戒告,1年以内の業務停止又は免許取消しのいずれの処分を選択するかも処分行政庁の裁量に委ねられている。そして,建築士に対する上記懲戒処分については,処分内容の決定に関し,本件処分基準が定められているところ,本件処分基準は,意見公募の手続を経るなど適正を担保すべき手厚い手続を経た上で定められて公にされており,しかも,その内容は,前記2(4)のとおりであって,多様な事例に対応すべくかなり複雑なものとなっている。そうすると,建築士に対する上記懲戒処分に際して同時に示されるべき理由としては,処分の原因となる事実及び処分の根拠法条に加えて,本件処分基準の適用関係が示されなければ,処分の名宛人において,上記事実及び根拠法条の提示によって処分要件の該当性に係る理由は知り得るとしても,いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって当該処分が選択されたのかを知ることは困難であるのが通例であると考えられる。これを本件について見ると,本件の事実関係等は前記2のとおりであり,本件免許取消処分は上告人X1の一級建築士としての資格を直接にはく奪する重大な不利益処分であるところ,その処分の理由として,上告人X1が,札幌市内の複数の土地を敷地とする建築物の設計者として,建築基準法令に定める構造基準に適合しない設計を行い,それにより耐震性等の不足する構造上危険な建築物を現出させ,又は構造計算書に偽装が見られる不適切な設計を行ったという処分の原因となる事実と,建築士法10条1項2号及び3号という処分の根拠法条とが示されているのみで,本件処分基準の適用関係が全く示されておらず,その複雑な基準の下では,上告人X1において,上記事実及び根拠法条の提示によって処分要件の該当性に係る理由は相応に知り得るとしても,いかなる理由に基づいてどのような処分基準の適用によって免許取消処分が選択されたのかを知ることはできないものといわざるを得ない。このような本件の事情の下においては,行政手続法14条1項本文の趣旨に照らし,同項本文の要求する理由提示としては十分でないといわなければならず,本件免許取消処分は,同項本文の定める理由提示の要件を欠いた違法な処分であるというべきであって,取消しを免れないものというべきである。
そして,上記のとおり本件免許取消処分が違法な処分として取消しを免れないものである以上,これを前提とする本件登録取消処分もまた違法な処分として取消しを免れないものというべきである。
 5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上告人らの請求は理由があるから,第1審判決を取り消し,上告人らの請求をいずれも認容すべきである。
よって,裁判官那須弘平,同岡部喜代子の各反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。

+補足意見
 裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
私は,多数意見に与するものであるが,本件において反対意見が存することに鑑み,多数意見の論拠等につき以下に私の理解するところを少しく敷衍するとともに,反対意見をも踏まえて多数意見を補足する。
 1 行政処分の理由付記に関する判例法理及び学説について
昭和30年代後半以降の幾多の判例(最高裁昭和36年(オ)第84号同38年5月31日第二小法廷判決・民集17巻4号617頁,最高裁昭和57年(行ツ)第70号同60年1月22日第三小法廷判決・民集39巻1号1頁,最高裁平成4年(行ツ)第48号同年12月10日第一小法廷判決・裁判集民事166号773頁ほか)の積重ねを経て,今日では,許認可申請に対する拒否処分や不利益処分をなすに当たり,理由の付記を必要とする旨の判例法理が形成されているといえる(この判例法理の適用は,税法事件に限られるものではない。)。そして,学説は,この判例法理を一般に以下のとおり整理し,多数説はそれを支持している。その法理は,平成5年に行政手続法が制定された後も基本的には妥当すると解されている。
① 不利益処分に理由付記を要するのは,処分庁の判断の慎重,合理性を担保して,その恣意を抑制するとともに,処分の理由を相手方に知らせることにより,相手方の不服申立てに便宜を与えることにある。その理由の記載を欠く場合には,実体法上その処分の適法性が肯定されると否とにかかわらず,当該処分自体が違法となり,原則としてその取消事由となる(仮に,取り消した後に,再度,適正手続を経た上で,同様の処分がなされると見込まれる場合であっても同様である。)。
② 理由付記の程度は,処分の性質,理由付記を命じた法律の趣旨・目的に照らして決せられる。
③ 処分理由は,その記載自体から明らかでなければならず,単なる根拠法規の摘記は,理由記載に当たらない。
④ 理由付記は,相手方に処分の理由を示すことにとどまらず,処分の公正さを担保するものであるから,相手方がその理由を推知できるか否かにかかわらず,第三者においてもその記載自体からその処分理由が明らかとなるものでなければならない。

 2 行政手続法と不利益処分理由の提示
平成5年11月に制定された行政手続法は,「行政運営における公正の確保と透明性の向上を図り,もって国民の権利利益の保護に資することを目的」として制定されたものであり,同法は,不利益処分については,行政庁は,不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的な処分基準を定め,これを公にするように努めなければならないとしている(同法12条)。
そして,行政庁は,不利益処分をなす場合には,その名宛人に対し,理由を示さないで処分をすべき差し迫った必要がある場合を除き,その不利益処分と同時に当該理由を示さなければならないと定める(同法14条1項)。
ところで,行政庁のなす不利益処分に関して裁量権が認められている場合に,行政庁が同法12条に則って処分基準を定めそれを公表したときは,行政庁は,同基準に羈束されてその裁量権を行使することを対外的に表明したものということができる。
したがって,行政庁が不利益処分をなすには,原則としてその基準に従ってなすとともに,その処分理由の提示に当たっては,同基準の適用関係を含めて具体的に示さなければならないものというべきである。ただし,当該基準は行政庁自らが定めるものであることからして,不利益処分をなすに当たり同基準によることが相当でない場合にまで,行政庁が同基準に羈束されると解することは相当ではない。しかし,その場合には,同基準によることができない合理的理由が必要であり,またその理由についても,処分理由の提示において具体的に示されなければならないものというべきである。
そして,行政庁が不利益処分の処分基準を定めてそれを公表した後に,その基準によることなく不利益処分をなし,あるいは,理由の提示においてその基準との関係についての説明を欠くときは,前記1に述べたところの法理に基づいて違法との評価を受けるものというべきである。

 3 建築士法と処分基準
多数意見2(4)に記載するとおり,建築士法10条1項は,国土交通大臣又は都道府県知事が建築士法等に違反した建築士に対して戒告,業務停止又は免許の取消しの懲戒処分をすることができる旨定め,本件免許取消処分がなされた当時,同懲戒処分の基準として,多数意見にて記載したとおり「建築士の処分等について」と題する都道府県知事宛ての建設省住宅局長通知が発出され,それが公表されていた。
上記通知の法的性質は,通達であって,第三者の権利義務を直接規律するものではないが,建築士法に基づく懲戒処分の処分基準(本件処分基準)を詳細に定めるとともに,それが公表されていたのであるから,行政手続法12条に定める処分基準として公表されていたものというべきものであり,建築士法に基づく懲戒処分をなすに当たっては,本件処分基準に依拠するとともに,その処分理由において同基準の適用関係を摘示することが求められていたといえる。

4 本件免許取消処分と本件処分基準及び処分理由の提示
本件免許取消処分においてなされた処分理由の提示(以下「本件処分理由の提示」という。)は,多数意見2(2)に記載のとおりである。その理由の提示において,本件処分基準との関係について何ら言及することがないばかりか,以下に記載するとおり,上告人X1の処分対象行為の特定すら十分になされず,また,その提示された内容は具体性を欠き極めて不十分なものである。多数意見は以下に述べる違法事由のうち,(3)の点を捉えて本件免許取消処分の違法性を認めているが,私は,以下の(1)及び(2)それぞれ単独でも,行政手続法14条が定める「理由の提示」の要件を充足しているとは到底認められず,理由の提示を欠く処分として違法であり,取消しを免れないものであると考える。
(1) 本件処分理由の提示において,上告人X1の処分対象行為の特定が十分になされていない。
 ア 本件処分通知書の内容
本件免許取消処分の通知書(以下「本件処分通知書」という。)には,多数意見2(2)に記載するとおり,上告人X1は番地を特定した土地を敷地とする7件の建築物の設計者として,建築基準法令に定める構造基準に適合しない設計(以下「構造基準不適合設計」という。)を行い,それにより耐震性等の不足する構造上危険な建築物を現出させ,また,番地を特定した土地を敷地とする5件の建築物の設計者として,構造計算書に偽装が見られる不適切な設計(以下「構造計算偽装」という。)を行ったと記載されている。しかし,その記載からは,構造基準不適合設計がされた7件の建築物の種類,規模,構造等は全く不明であり(本件記録上は,地上9~15階,20~84戸のマンションであったことがうかがわれる。),また,その設計時期,上告人X1の行った構造基準不適合設計のいかなる点が具体的に問題となるのか,「耐震性等の不足する構造上危険な建築物」とあるが,どの程度耐震性に影響が存するのか(取壊しまで必要なのか,相当規模の耐震補強工事を必要とするのか,軽微な補強工事で足りるのか等)について何ら記載されていない(原判決の認定によれば,上記7件の建築物は,倒壊,破損に類するような危険性を有すると断定することはできないレベルのものである。)。
また,構造計算偽装に係る5件の建築物についても,その種類,規模,構造は全く不明であり(本件記録上は,地上9~15階,21~88戸のマンションであったことがうかがわれる。),その設計時期やその偽装と上告人X1の関わり合いの内容(上告人X1は,構造計算は下請業者に外注していたもので,その偽装を見抜くことは困難であったと主張している。),その偽装により,実際に建築された各建物にどのような問題が生じたのか(取壊しが必要なのか,補強工事が必要なのか,その場合,どの程度の工事が必要なのか等)について何ら記載されていない(原判決も,上記5件の建築物の耐震強度については認定していない。)。
 イ 違反設計建築物自体の特定の不十分及び設計時期の不記載について
上告人X1は,本件免許取消処分の対象である12件の建築物の設計に関わっているから,その建築物の内容や設計時期は当然に認識しているところではある。しかし,前記1④に記載したとおり,理由付記は相手方に処分の理由を示すにとどまらず公正さを担保するものであって,第三者においても,その記載自体からその処分理由が明らかとなるものでなければならないことからすれば,本件処分通知書における建築物の特定は極めて不十分であり,また,設計が行われた時期が特定されていない点は,理由付記の基礎となる事実の特定を欠くものといわざるを得ない
なお,設計時期の点は,本件処分基準において,法違反の状態が長期にわたる場合や常習的に行っている場合には,違反点数の加算事由とされ,他方,「同一の処分事由に該当する複数の行為については,時間的,場所的接着性や行為態様の類似性等から,全体として一の行為と見うる場合は,単一の行為と見なしてランキングすることができる」とされていることからして,違反行為を評価する上でも重要な要素をなすものである。
 ウ 違反内容の記載について
アにおいて指摘したとおり,本件処分通知書に記載されている違反行為の内容は極めて抽象的であって,その違反の具体的内容は明らかではない。仮に,上告人X1において,本件免許取消処分の基礎とされた違反行為の内容に争いがない場合であっても,前記1④に記載したとおり,不利益処分の理由提示においては,違反行為の具体的な内容が,第三者においても認識できるものでなければならないところ,本件処分通知書の記載内容からは,専門家たる建築士においても,上告人X1の行った違反行為の具体的内容を推知することは到底できないものである。
 エ 小括
以上述べたところからして,本件処分理由の提示は,前記1④に記載したところの要件を満たしておらず,違法との評価を受けざるを得ないものというべきである。
(2) 本件処分理由の提示の内容は,本件処分基準との関連性の点を除いても,本件免許取消処分の重大性と対比して,理由の提示としては極めて不十分であるといわざるを得ない。
本件免許取消処分は,上告人X1の建築士免許を取り消すという同上告人自身にとって極めて重大な処分であり,また,それに伴い同上告人が管理建築士を務める上告会社の建築士事務所の登録が取り消されることにつながるという重大な処分であることからすれば,本件処分基準が定められていない場合であっても,その処分理由として違反行為の内容を具体的に摘示し,その違反行為が建築士免許取消処分に該当するだけの重大なものであることを,上告人X1をして十分に認識させるものでなければならないというべき筋合いである。殊に,同上告人は,本件免許取消処分に係る聴聞手続の段階から,構造基準不適合設計及び構造計算偽装の本件処分基準との適用関係を問題とするなど違反行為の性質や程度を争っていたことからすれば,なおさらである。
また,本件免許取消処分の重大性に鑑みて,その処分理由は,その理由書を一読した第三者においても,その処分が適正なものであることを容易に理解できるものでなければならない。
ところが,本件処分通知書に記載された処分理由は,上記のとおり,上告人X1の設計に係る7件の建築物について構造基準不適合設計を行い,それにより耐震性等の不足する構造上危険な建築物を現出させ,また5件の建築物について構造計算偽装を行ったという処分の原因となる事実と,建築士法10条1項2号及び3号という処分の根拠法条が示されているのみであり,上記に記載したような,本件免許取消処分の重大性からして当然に求められる処分理由の詳細な提示を欠くものである。
かかる不適切な処分理由の提示は,処分理由に求められる前記1②~④の要件を満たすものとはいえず,違法との評価を受けざるを得ないものといえる。
なお,那須裁判官はその反対意見において,「(上告人X1が行った)各設計行為につき建築の専門家である建築士の職責(建築士法2条の2)の本質的部分に関わる重大な違法行為及び不適切な行為があったことは明らかである。本件免許取消処分通知書には,これらの違法行為及び不適切な行為の具体的事実が示され,また処分の根拠となった法令の条項も示されているのであり,その違法・不適切な行為の重大性とこれによって生じた深刻な結果とを直視することにより,本件懲戒規定の定める3種類の処分の中から最も重い免許取消処分が選択されたことがやむを得ないものであることは,専門家ならずとも一般人の判断力をもってすれば,容易に理解できるはずである。」として,本件処分通知書の処分理由の記載は取消しの効果に直結する瑕疵に当たらないとされる。
しかし,本件処分通知書に記載された処分理由は,本件免許取消処分に係る事実関係を争っている上告人X1の主張に何ら応答するものではなく,また,同業者たる建築士においても,同上告人が具体的にいかなる非違行為を行ったのかが一読して明らかなものとは到底いえないのであって,同意見にはその前提において賛成し難い。
 (3) 本件免許取消処分の理由と本件処分基準の適用関係の摘示について
本件免許取消処分においては,前記3に記載したとおり,本件処分基準が適用されるのであるから,本件処分通知書には,処分理由として,上告人X1の建築士法違反等の行為と本件処分基準の適用関係について具体的な摘示が必要とされるにもかかわらず,本件処分通知書にはその記載を全く欠いているのである。
この点に関して原判決は,構造基準不適合設計に係る7件の建築物と構造計算偽装に係る5件の建築物につき,それぞれ本件処分基準を当てはめると免許取消処分の要件を満たしていると判示するが,上記のとおり本件では上告人X1の行った違反行為の具体的内容が特定されていないのにかかわらず,その特定されていない行為を対象として,判決理由中で本件処分基準の適用関係につき論じることは相当とはいえない。
ところで,那須裁判官はその反対意見において,行政手続法12条1項は,行政庁に不利益処分に関する処分基準を設定し公表する努力義務を課しているにすぎないから,「行政庁が,適用関係を理由中に表示することまで必要ないと判断して,これを前提とした処分基準を設定することもその裁量権の範囲内に含まれると解する余地も十分ある。むしろ,そう解することが前記努力義務規定ともよく整合し,現実に対応した柔軟な処理を可能にすることになると考える。」と主張される。
行政庁が,不利益処分の処分基準を定めた上でそれを一切公表せず(そのこと自体,行政手続法12条1項の趣旨に反する。),全くの内部的な取扱基準として運用する場合には,那須裁判官の上記の見解も成り立ち得るといえる。しかし,行政庁が不利益処分の処分基準を定めてそれを公表することは,前記2に述べたとおり,当該行政庁は,不利益処分をなすに当たっては,特段の事情がない限りその処分基準に羈束されて手続を行うことを宣明することにほかならないのである。そして,一旦,不利益処分は自らが定めた処分基準に従って行うことを宣明しながら,その基準に拠ることなく現実に対応した柔軟な処理をすることもできると解することは,行政手続の透明性に背馳し,行政手続法の立法趣旨に相反するものであって,上記の見解には到底賛同できない。
 (4) 小括
以上検討したとおり,本件処分理由の提示は,多数意見にて指摘するとおり,上
告人X1の行った違反行為と本件処分基準の適用関係についての記載を欠く点にお
いて,行政手続法14条1項本文の要求する理由の提示として不十分であるのみな
らず,前記(1),(2)に記載した諸点からしても,同条の要求する理由の提示として
不十分であって,取消しを免れないものというべきである。
 なお,那須裁判官は,多数意見のように,当審で原判決を破棄し自判により上告
人らの請求を認容して本件免許取消処分を取り消しても,処分行政庁が,前回と同
様な懲戒手続により,再度同様の免許取消処分を行うこともあり得るところ,これ
に要する時間,労力及び費用等の訴訟経済の問題を考慮すれば,逆の評価をせざる
を得ない面もある,と主張される。
 しかし,そのような諸点をも考慮の対象とした上で,前記1に述べたように行政
処分において手続の公正さは貫かれるべきであるとする判例法理が,永年の多数の
下級審裁判例や前記1に記載した最高裁判例の積重ねによって形成されてきたので
あり,行政処分の正当性は,処分手続の適正さに担保されることによって初めて是
認されるのであって,適正手続の遂行の確立の前には,訴訟経済は譲歩を求められ
– 17 –
てしかるべきである。
 5 聴聞手続との関係について
 那須裁判官は,その反対意見において,上告人X1は,本件免許取消処分に先立
って行われた聴聞の審理が始まるまでには,自らがどのような基準に基づき,どの
ような不利益処分を受けるかは予測できる状態に達しているはずであり,聴聞の審
理の中で更に詳しい情報を入手できるとされ,このような場合にもなお,不利益処
分の理由中に一律に処分基準の適用関係を明示しなければ処分自体が違法になると
の原則を固持しなければならないものか,疑問が残る,とされる。
 しかし,不利益処分に理由付記を必要とする判例法理は,前記1④に記したとお
り,相手方がその理由を推知できるか否かにかかわらないとするものであって,聴
聞手続において上告人X1が自らの不利益処分の内容を予測できたか否かは,理由
付記を必要としない理由とはなり得ないのである。
 それに加えて本件の聴聞手続では,本件記録による限り,国土交通大臣は上告人
X1に対し,本件処分通知書記載の理由と同旨の事項を告知したことが認められる
にすぎず,同上告人の主張によれば,同上告人が本件処分基準の適用関係について
質問したのに対しては,何ら具体的な応答がなされなかったというのであって,那
須裁判官の反対意見の前提とされるところが本件の聴聞手続において満たされてい
ないのであるから,本件において聴聞手続が行われたことをもって,本件処分通知
書の理由記載の不備の瑕疵が治癒され得るとは到底解し得ないのである。
 裁判官那須弘平の反対意見は,次のとおりである。
 1 本件処分理由の適法性
 本件免許取消処分通知書においては,上告人X1が設計者として,7件の建築物
– 18 –
につき建築基準法令に定める構造基準に適合しない設計を行って耐震性等の不足す
る構造上危険な建築物を現出させた上,更に5件の建築物につき構造計算書に偽装
が見られる不適切な設計を行った,という二つの類型の行為が挙げられている。
 指摘されるような構造基準に達しない設計や構造計算書における偽装が存在した
ことを前提とすれば,上記各設計行為につき建築の専門家である建築士の職責(建
築士法2条の2)の本質的部分に関わる重大な違法行為及び不適切な行為があった
ことは明らかである。本件免許取消処分通知書には,これらの違法行為及び不適切
な行為の具体的事実が示され,また処分の根拠となった法令の条項も示されている
のであり,その違法・不適切な行為の重大性とこれによって生じた深刻な結果とを
直視することにより,本件懲戒規定の定める3種類の処分の中から最も重い免許取
消処分が選択されたことがやむを得ないものであることは,専門家ならずとも一般
人の判断力をもってすれば,容易に理解できるはずである。
 本件では,処分基準が設定・公表されていることから,その「適用関係」表示の
要否をめぐり後述のとおりの難しい問題が生じている。しかし,本件と同様な事案
において,仮に処分基準がない場合を想定してみると,処分通知の事実記載自体か
ら免許取消しという結論に至ったことに格別の違和感を持たず,これを了解する者
が大半を占めるのではないか。結論として,裁量権の逸脱・濫用等の誤りないしこ
れに関する手続違背の主張を容れなかった原審判断を支持したい。
 2 処分基準の「適用関係」記載の要否
 本件では,行政手続法12条1項に基づき,本件処分基準(「建築士の処分等に
ついて」と題する建設省住宅局長通知(平成11年12月28日建設省住指発第7
84号))が設定・公表されている。そこで,本件処分基準の存在が,上記1の判
– 19 –
断に影響を与え,あるいは結論を左右することになるかどうかが問題となる。結論
から先に述べると,一般論としてはともかく,本件の事実関係を前提とする限り,
上記1で述べたところを変更する必要はないと考える。すなわち,
 (1) 本件処分基準は,「建築士の懲戒処分の強化」を図ることを目的とし,
「迅速かつ厳正」に処分を行うことを基本方針としている(通知本文1項)。同2
項(建築士の懲戒処分等の基準)には「建築士の処分等の内容の決定は,別表第1
に従い行うこと。」と明記されているが,理由の提示に関しては,3項(処分等に
伴う措置)及び4項(報告等)等にも全く記載されていない。そして,本件処分基
準の内容を見ても,後記(2)のとおり,処分ランクの算定をどうするかを中心とす
る技術的なものにとどまり,その適用関係を名宛人や他の外部関係者に知らしめる
ことに特別な意義を見いだせる内容のものとなっていないように読める。その結
果,本件処分基準を定めた上記建設省住宅局長通知が,果たして「適用関係」まで
理由中に表示することを求める趣旨で作られたものなのかどうかについては疑問が
湧いてくるのである。
 もっとも,処分基準については,一旦設定・公表された後は,通達等による場合
でも,外部的効果ないし自己拘束力を持つことになるとして,処分行政庁に一律に
同基準を反映した理由の提示義務を認める見解も有力に主張されている。しかし,
もともと,不利益処分に関する処分基準については,行政庁はこれを設定・公表す
る努力義務を負うにとどまるものとされている(行政手続法12条1項)。そうす
ると,行政庁が,適用関係を理由中に表示することまで必要ないと判断して,これ
を前提とした処分基準を設定することもその裁量権の範囲内に含まれると解する余
地も十分ある。むしろ,そう解することが前記努力義務規定ともよく整合し,現実
– 20 –
に対応した柔軟な処理を可能にすることになると考える。
 (2) 本件処分基準に関し,多数意見が明示すべしと主張する「適用関係」とは
何か。少なくとも,以下の①及び②の判断作業を含むものと理解できる。
 ① 本件処分基準別表第1の(2)本文を適用すべき場合にとどまるものか,それ
ともただし書を適用することも可能な場合(対象となる行為が故意又は過失による
もので,建築物の倒壊等,結果が重大であるときに限られる。)に当たるのか,に
ついて判別する作業。
 ② 上記判別の結果に対応して,本文を適用すべき場合には,表2(ランク表)
記載の処分ランクを基本として,表3(情状等による加減表)記載の情状に応じて
加減を行ってランクを決定した上で,表4(処分区分表)に従い文書注意,戒告,
業務停止及び免許取消しの中から処分内容を選択・決定する作業。ただし書を適用
すべき場合には,直接(上記処分ランクの決定作業を省いて),業務停止3月若し
くは6月以上又は免許取消しの中から相当な処分を決定する作業。
 上記の意味での「適用関係」を処分理由中に示すためには,本文を適用するか,
それともただし書を適用することもできるのかの判別に始まり,本文を適用する場
合の各種処分ランクの算定方法に至るまで,相当複雑な法的解釈・適用に類する作
業をしなければならない。その作業の一端は,第1審判決及び原判決からうかがう
ことができるが,これらの判示部分は,表2記載の処分ランクの算定及び表4によ
る処分内容の決定を中心とするものに限られていて,表3の情状による加減に関す
る作業にまで及んでいない。しかし,仮に適用関係を表示するとなると,表3の情
状による加減についても表示する必要が生じてくる。そのためには,処分ランクの
数値の算定だけではなく,情状による加減の根拠となる具体的事実についても記載
– 21 –
せざるを得ない。したがって,一口に「適用関係」を示すといっても,その作業は
相当複雑な内容のものとなり,それだけ時間と労力を要するものになる。結果とし
て,適用関係の表示に誤りや欠落が発見されることも生じ,これに対して処分の効
果等を争って訴訟に及ぶ者も出てくる可能性がある。以上のことを勘案すると,本
件の事実関係の下で「適用関係」を理由中に表示する必要性と合理性の存否につい
ては,なお疑問があり,多数意見にたやすく賛同することはできない。
 (3) 原判決は,適用関係の表示の要否につき,行政手続法12条1項が努力義
務を定めたものにすぎないとした上で,「この条項が存在するからといって,直ち
に,行政処分に際し,その理由として,処分基準の内容及び適用関係まで提示しな
ければならないということにはならない。」と判示している。また,訴訟の中での
本文とただし書との間での「理由の差替え」の当否の点に関連してではあるが,
「本件処分基準は,国土交通大臣が処分内容を決定するための内部基準にすぎず,
いわば処分内容を決定するための道具ともいうべきものである」と指摘し,国土交
通大臣がただし書によって本件免許取消処分をした場合であっても,審理の範囲が
ただし書の処分要件を充足する事実の存否に限られると解する理由はない旨判示し
ている。これらの判示部分は,問題とされている処分基準の設定・公表が努力義務
とされていることを重視し,通達の作用の限界をも勘案して,処分基準の適用関係
の表示の要否及びその前提としての本文とただし書の関係について柔軟に考える点
で,上記(1)及び(2)に述べたところと発想を共通にするものを含み,評価に値する
と考える。
 (4) 以上,検討したところを総合すれば,本件処分理由の中で本件処分基準の
適用関係を明示していなければ,常に行政手続法14条1項違反等の手続違背が生
– 22 –
じるとまではいえないと考える。
 3 行政手続法の下での処分基準の位置付け
 上記2に述べた見解を採ることに関連して,行政手続法の下で不利益処分のため
の処分基準をどう位置付けるべきか,やや一般論にわたるが,私の考えているとこ
ろを要約して記しておきたい。
 (1) 不利益処分に関する処分基準の機能としては,行政庁の判断の慎重と合理
性を担保してその恣意を抑制すること,及び処分の理由を名宛人に知らせて不服の
申立てに便宜を与える点が強調されることが多い。しかし,処分基準は,これと並
んで(あるいは,これに先行してというべきか),処分の基準を設けてこれを行政
機関内部に周知徹底させることで,不利益処分を厳正かつ迅速に遂行することに寄
与し,さらに,不利益処分に先立って行われる聴聞の審理に際し,審理の進行及び
処分の内容を予測するための有力な指針ともなる。このように,処分基準は,不利
益処分をめぐる手続の各段階で,多様な形で機能するものであるから,これが設定
・公表されているという一事から,直ちに理由提示においても基準に対応して細か
い事実関係や適用関係まで明示することを必要とすると解したり,あるいはこれを
欠くときは一律に取消事由となるとの解釈を導き出すことは性急かつ硬直にすぎて
賛成できない。処分基準といっても不利益処分の対象いかんで多様なものが想定で
き,その中には適用関係まで明示しなければ理由の体を成さないものから,全くそ
の必要のないものまで存在し得る。行政手続法12条1項及び14条1項の下で
は,理由提示の程度につき,多様な内容のものが併存することを認めるべきであろ
う。
 (2) 不利益処分に先行して行われる聴聞手続の審理では,名宛人となる者が,
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自らの非違の有無・程度,不利益処分のあるべき内容等について相応の情報を取得
し,反論の機会を与えられる。この手続によって,処分行政庁による判断の慎重・
合理性を担保して恣意の抑制を図ることや,名宛人による不服の申立てに便宜を供
与することもある程度期待できる。この意味で,不利益処分の理由提示と聴聞と
は,その機能面において一部重なり合い,相互に補完する関係にあるといえる。
 特に,一級建築士等の国家資格に基づく専門職に対する聴聞の場合,名宛人とさ
れる者は,自らの資格の得喪に直接関わる不利益処分に関する事項について,質量
ともに通常人とは異なる水準の詳細かつ高度な情報を入手できる環境にある。専門
職として遵守すべき職業倫理の問題に関しては,専門職の資格を保持していくため
に必要不可欠のものであるから,処分基準の内容も含め熟知していると考えてよい
であろう。したがって,不利益処分の名宛人となるべき一級建築士は,遅くとも聴
聞の審理が始まるまでには自らがどのような基準に基づきどのような不利益処分を
受けるかは予測できる状態に達しているはずであり,聴聞の審理の中で,更に詳し
い情報を入手することもできる。このような場合にもなお,不利益処分の理由中
に,一律に処分基準の適用関係を明示しなければ処分自体が違法となるとの原則を
固持しなくてはならないものか,疑問が残る。むしろ,具体的事案に応じてその要
否を決めることで足りると解すべきであろう。
 これに対し,聴聞を経た後は,より詳しく理由を示すこともできるはずであると
の指摘もある。しかし,不利益処分の理由の中には,明示しないことが名宛人とさ
れる者の利益につながるものや,質的又は量的な側面から,文章化することに適し
ないものも含まれている。手続的正義も,常に書面の中に痕跡を残さなくてはこれ
を実現できない,ということではなかろう。
– 24 –
 (3) 主として税法を中心にして形成されてきた行政処分の理由付記に関する一
連の判例が存在することは田原裁判官の補足意見が指摘するとおりである。しか
し,これらの税法関係の判例は,所得税法45条2項(当時)を始めとするいくつ
かの税法上の規定で,更正処分等の通知書に理由を付記すべき旨を定めるものがあ
ることを前提とし,その解釈として形成されてきたものである。当然のことなが
ら,これらの理由付記規定にはそれぞれの固有の立法趣旨・目的が存在していたこ
とから,前記各判例もこれらの法令の解釈として上記のような結論を導き出したも
のと解される。税法に関する案件では,理由に金額等の数値を詳細かつ正確に表示
することが必要であり,これを欠いては,不利益処分の理由としての体を成さない
ものが多いという特殊固有な事情もある。これに対し,建築士法等の懲戒に関する
不利益処分では,税法と同様な趣旨での金額等の数値に関する厳格な理由付記を求
める規定は存在せず,これを必要とする現実的な事情があるとも思えない。ただ,
後に制定された行政手続法14条1項によって,理由提示の義務が課せられている
というにとどまる。そして,同規定は,同法3条等が特に定める例外的場合を除
き,行政庁による不利益処分一般に適用されるべきものであるから,理由提示の内
容・程度についても,様々な態様の事実関係にも適用可能な柔軟な内容のものとし
て解釈され,運用されなくてはならない。この観点からすると,理由付記法理と称
されるものの中でも,「処分理由は,その記載自体から明らかでなければならな
い。」及び「理由付記は,相手方がその理由を推知できるか否かにかかわらず,第
三者においてもその記載自体から処分理由が明らかとなるものでなければならな
い。」とするもの(田原裁判官の補足意見1③及び④参照)については,行政手続
法12条1項及び14条1項の下で,税法分野以外の不利益処分に関してそのまま
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妥当するものと解することに慎重でなくてはならないと考える。
 4 訴訟経済の視点
 本件では,多数意見のように,当審で原判決を破棄し自判により上告人らの請求
を認容して本件免許取消処分を取り消すことも,事例判断の一つとして論理的に採
り得ない話ではない。しかし,この場合,処分行政庁が前回と同様な懲戒手続によ
り,理由中で処分基準の適用関係を明示した上で,再度同様な内容の免許取消処分
を行い,更に訴訟で争われる事態が生じることもあり得る。このような事態も手続
的正義の貫徹という視点からは積極的に評価できる面もあろうが,これに要する時
間,労力及び費用等の訴訟経済の問題を考慮すれば逆の評価をせざるを得ない面も
ある。以上のことをも考慮すれば,本件では,原審の判断を維持するのを相当とす
べきであり,これと異なる多数意見には賛成できない。
 裁判官岡部喜代子は,裁判官那須弘平の反対意見に同調する。
(裁判長裁判官 岡部喜代子 裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官
大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)

・理由提示不備の瑕疵の治癒

+判例(S47.12.5)
理由
上告代理人島村芳見、同東熙、同上原光正、同笠原貞雄の上告理由一ないし七について。
所論は、要するに、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)には法人税法(昭和四〇年法律第三四号による改正前のもの。所論に昭和三七年法律第六七号による改正前のものとあるのは誤記と認める。)三二条の解釈適用を誤つた違法があるというのである。
そこで、本件更正の附記理由をみるのに、その更正通知書の理由欄に、係争事業年度所得の加算項目として、(1)営業譲渡補償金計上もれ一一五五万円、(2)認定利息(代表者)計上もれ一万九八三九円、清算所得の加算項目として、(3)残余財産価格の違算分四〇〇〇円、(4)代表者仮払金三九万六八九〇円、(5)営業譲渡補償金九〇五万円と記載されていることは、原判決の適法に確定するところである。所論は、右各項目のうち(1)(5)の記載は、「被上告会社は訴外日興証券株式会社に営業を譲渡した対価として二五〇万円を清算所得に計上していたが、被上告会社代表者Aが右訴外会社から受領した借入金三〇〇万円、嘱託料二九〇万円、手数料三一五万円、計九〇五万円も右営業譲渡の対価であるのにこれが脱漏しており、営業譲渡の対価の総額は一一五五万円と評価されるので、これを加算すること」および「九〇五万円は営業譲渡の対価の債権であること」を端的に要約したものであり、また、(2)(4)の記載は、「被上告会社の前記Aに対する仮払金と立替金についての認定利息が一万九八三九円であること」および「被上告会社のAからの受入未済金が三九万六八九〇円であること」を端的に明らかにしたものであると主張する。しかし、(3)を除く前記各加算項目の記載から、右主張のごとき更正理由を理解することはとうてい不可能であり、その記載をもつてしては、更正にかかる金額がいかにして算出されたのか、それがなにゆえに被上告会社の課税所得とされるのか等の具体的根拠を知るに由ないものといわざるをえない。
してみると、処分庁の判断の慎重、合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服申立の便宜を与えることを目的として更正に附記理由の記載を命じた前記法人税法の規定の趣旨にかんがみ、本件更正の附記理由には不備の違法があるものというべきである。したがつて、これと同旨に出た原審の判断は相当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解に立脚して原判決を非難するものであり、すべて採用することができない。

同八および九について。
所論は、かりに本件更正の附記理由に不備があるとしても、その瑕疵は、本件審査裁決に理由が附記されたことによつて治癒されたものと解すべきであり、これを認めなかつた原判決は違法であるというのである。しかし、更正に理由附記を命じた規定の趣旨が前示のとおりであることに徴して考えるならば、処分庁と異なる機関の行為により附記理由不備の瑕疵が治癒されるとすることは、処分そのものの慎重、合理性を確保する目的にそわないばかりでなく、処分の相手方としても、審査裁決によつてはじめて具体的な処分根拠を知らされたのでは、それ以前の審査手続において十分な不服理由を主張することができないという不利益を免れない。そして、更正が附記理由不備のゆえに訴訟で取り消されるときは、更正期間の制限によりあらたな更正をする余地のないことがあるなど処分の相手方の利害に影響を及ぼすのであるから、審査裁決に理由が附記されたからといつて、更正を取り消すことが所論のように無意味かつ不必要なこととなるものではない。 
それゆえ、更正における附記理由不備の瑕疵は、後日これに対する審査裁決において処分の具体的根拠が明らかにされたとしても、それにより治癒されるものではないと解すべきである。これと同旨の原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)

(3)手続の瑕疵が処分の取消事由になるか

個別法の聴聞だけどね・・・。
・結果に影響を及ぼす可能性のある場合に取消事由になる!
+判例(S46.10.28)
理由
上告人指定代理人鰍沢健三(名義)、同上野国天、同藤井康夫、同田中志満夫、同高橋勝義、同足立高八郎の上告理由について。
所論は、要するに、原判決は、道路運送法に基づく自動車運送事業および聴聞の各性質について、同法の解釈、適用を誤り、また、本件において実施された聴聞手続を不公正とした判断および右不公正が本件処分の違法事由となるとした判断において、それぞれ理由そごの違法を犯している、というのである。
原審の適法に確定した事実は、おおむね、つぎのとおりである。
(1) 上告人は道路運送法三条二項三号に定める一般乗用旅客自動車運送事業(一人一車制の個人タクシー事業)の免許に関する権限を有するところ、昭和三四年八月一一日、当面の輸送需要をみたすため一般乗用自動車の増車を決定、そのうち、個人タクシーのための増車数を九八三輛と定め、これに対応するものとして、同年九月一〇日までに六六三〇件の個人タクシー事業の免許申請を受理し、被上告人は同年八月六日免許を申請して受理された。
(2) 上告人は、聴聞による調査結果に基づき免許の許否を決するため、担当課長はじめ約一〇名の係長の協議により、道路運送法六条一項各号の趣旨を具体化した審査基準として、第一審判決別表のとおり、一七の項目および内容につき、審査基準欄記載のような基準事項(第一次と第二次の審査基準があり、前者をみたした者について後者を適用する)を設定し、一方、右基準事項に基づいて聴聞概要書調査書と題する書面(以下聴聞書という。)を作成し、その項目および聴聞内容の各欄には、右第一審判決別表の調査事項の項目および内容の各欄に掲げた事項とほぼ同一のもの(ただし、右別表6の内容欄に記載してある他業関係は掲げられていない)を記載して、聴聞担当官約二〇名が各申請人について右聴聞書の各項目ごとに聴聞を行つてその結果を記入することとし、昭和三四年九月中旬から同三五年三月までの間聴聞を実施し、被上告人に対しては、昭和三五年二月一一日に聴聞を行つた。
(3) 上告人は、右聴聞手続と並行して、差し迫つた年末の輸送事情緩和のため、昭和三四年一二月二日、前記基準中、優マーク、経験年数一〇年以上、年令四〇才以上の基準に該当する者のうち、免許することに全く問題がないと思われるもの一七三名を第一次分として免許し、ついで、前記聴聞の結果につき基準を適用して審査した末、昭和三五年七月二日第二次分として六一一名を免許したが、被上告人については、前記第一審判決別表の第一次審査基準のうち、6の「本人が他業を自営している場合には転業が困難なものでないこと」および7の「運転歴七年以上のもの」に該当しないとして、そのことから道路運送法六条一項三号ないし五号の要件をみたさないものと認め、右七月二日付で申請を却下した。
(4) 聴聞担当官のうち前記基準の協議に関与した七、八名の係長以外のものは、被上告人の担当官をも含め、前記第一審判決別表の基準事項の存在すら知らず、聴聞開始前に上司から聴聞書の項目および聴聞内容について説明をうけただけで、右基準事項については何らこれを知らされることなく、被上告人の聴聞担当官にあつても、被上告人の申請の却下事由となつた他業関係(転業の難易)および運転歴(軍隊における運転経験をも含む)に関しても格別の指示はなされず、したがつて、右担当官は、被上告人が洋品店を廃業してタクシー事業に専念する意思があるかどうか、軍隊における運転経験があるかどうか等の点について思いいたらず、これらの点を判断するについて必要な事実については何ら聴聞が行われなかつた、というのである。
おもうに、道路運送法においては、個人タクシー事業の免許申請の許否を決する手続について、同法一二二条の二の聴聞の規定のほか、とくに、審査、判定の手続、方法等に関する明文規定は存しない。しかし、同法による個人タクシー事業の免許の許否は個人の職業選択の自由にかかわりを有するものであり、このことと同法六条および前記一二二条の二の規定等とを併せ考えれば、本件におけるように、多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の許否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともと認められるような不公正な手続をとつてはならないものと解せられる。すなわち、右六条は抽象的な免許基準を定めているにすぎないのであるから、内部的にせよ、さらに、その趣旨を具体化した審査基準を設定し、これを公正かつ合理的に適用すべく、とくに、右基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならないというべきである。免許の申請人はこのような公正な手続によつて免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有するものと解すべく、これに反する審査手続によつて免許の申請の却下処分がされたときは、右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となるものというべきである。
原審の確定した事実に徴すれば、被上告人の免許申請の却下事由となつた他業関係および運転歴に関する具体的審査基準は、免許の許否を決するにつき重要であるか、または微妙な認定を要するものであるのみならず、申請人である被上告人自身について存する事情、その財産等に直接関係のあるものであるから、とくに申請の却下処分をする場合には、右基準の適用上必要とされる事項については、聴聞その他適切な方法によつて、申請人に対しその主張と証拠の提出の機会を与えなければならないものと認むべきところ、被上告人に対する聴聞担当官は、被上告人の転業の意思その他転業を困難ならしめるような事情および運転歴中に含まるべき軍隊における運転経歴に関しては被上告人に聴聞しなかつたというのであり、これらの点に関する事実を聴聞し、被上告人にこれに対する主張と証拠の提出の機会を与えその結果をしんしやくしたとすれば、上告人がさきにした判断と異なる判断に到達する可能性がなかつたとはいえないであろうから、右のような審査手続は、前記説示に照らせば、かしあるものというべく、したがつて、この手続によつてされた本件却下処分は違法たるを免れない
以上説示するところによれば、本件処分を取り消すべきものとした原判決の判断は正当として首肯することができ、所論は、ひつきよう、以上の判示と異つた見解に立脚して原判決を攻撃するものというべきである。所論はすべて理由がなく、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一)

+判例(S50.5.29)群馬中央バス
理由
上告代理人田代源七郎の上告理由第一点及び第四点の第一について。
論旨は、要するに、一般乗合旅客自動車運送事業及びその免許の性質をいかに解するかは、道路運送法六条一項所定の免許基準及び関係法令の解釈に著しい差異を生ずるところ、一般乗合旅客自動車運送事業を国家の独占事業としその免許を公企業の特許と解した原判決は、憲法前文第一段、憲法二二条一項に違背し、道路運送法四条、六条ないし八条、一二条、一五条、一六条、三三条、三四条、四一条、一二二条の二、運輸省設置法六条の解釈を誤つたものであるというのである。
原審は、まず、一般乗合旅客自動車運送事業を独占の一形態でありその免許を公企業の特許であるとしたうえで、運輸大臣は、道路運送法六条一項に定める基準のすべてに適合し、かつ、同法六条の二の欠格事由に該当しない場合でなければこれを免許することができず、右基準のいずれかに適合しないときは申請を却下しなければならないものであり、また、右免許基準に適合するかどうかの判断は覊束裁量に属すると解し、この見解に基づき、本件免許申請につき同法六条一項一号の基準に適合しないとした被上告人の判断の適否について検討し、右判断は相当であるとするとともに、他方、行政庁が行政処分を行うにあたつては、事実の認定、法律の適用等の実質的判断はもとより、その手続についても公正でなければならないと解し、この見解に基づき、本件免許申請に対する審理手続を検討し、右審理手続上においても違法は認められないとしたのである。
しかしながら、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかは、必ずしも、本件の結論に影響があるものとは考えられない。すなわち、自動車運送事業は高度の公益性を有し、その経営は直接社会公共の利益に関係があるものであるから、憲法二二条一項にいう職業選択の自由に対する公共の福祉に基づく制限として、道路運送法は、四条において、自動車運送事業を経営しようとする者は、運輸大臣の免許を受けなければならないとし、六条一項において、免許基準を設け、また、六条の二において、欠格事由を定めているのであり(当裁判所昭和三五年(あ)第二八五四号同三八年一二月四日大法廷判決・刑集一七巻一二号二四三四頁参照)、これにより、運輸大臣は、右免許基準のすべてに適合し、かつ、右欠格事由に該当しない場合でなければ免許を付与してはならない旨の拘束を受けるものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによりこの理が左右されるものではない。もつとも、右免許基準は極めて抽象的、概括的なものであり、右免許基準に該当するかどうかの判断は、行政庁の専門技術的な知識経験と公益上の判断を必要とし、ある程度の裁量的要素があることを否定することはできないが、このことも、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と考えるかどうかによつて差異を生ずるものではない。また法は、道路運送法一二二条の二、運輸省設置法六条一項七号、八条以下、運輸審議会一般規則等において、右免許の許否の決定の適正と公正を保障するために制度上及び手続上特別の規定を設け、全体として適正な過程により右決定をなすべきことを法的に義務づけているのであり、このことから、右免許の許否の決定は手続的にも適正でなければならないものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによつてこれが左右されるものではない。そして、本件却下処分が実体的判断においても審理手続上においても違法でないとした原判決が結論において正当であることは、後に判断するとおりである。したがつて、論旨は、ひつきよう、原判決の結論に影響のない事項についてこれを非難することに帰着し、採用することができない。

同第二点について。
所論は、要するに、上告人が、原審において、憲法三一条は刑事手続のみならず行政手続にも適用ないし準用があり、したがつて、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否を決する手続は公正でなければならないと主張したのに対し、同条が行政手続にも適用ないし準用があるか否かにつき判断を示すことなく原判決の結論に導いたのは、憲法三一条の解釈を誤つたものであり、理由不備であるというのである。
一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否は、国民の基本的人権である職業選択の自由にかかわりをもつものであるから、法は、道路運送法六条において免許基準を法定するとともに、他方、右免許の許否の決定の適正と公正を保障するために制度上及び手続上特別の規定を設け、全体として適正な過程により右の決定をなすべきことを法的に義務づけていることは、前述のとおりである。そうすると、憲法三一条が行政手続にも適用ないし準用されるかどうかは、特にこれを論ずる必要はないところであり、原審がこの点の判断をしなかつたとしても、なんら違法ではない。論旨は、採用することができない。

同第三点について。
所論一の(一)指摘の原判決の判示は、本件免許申請に際し上告人が挙げた推定利用人員から上告人が本件申請路線に期待する輸送需要を推認したにすぎず、右推定利用人員の割合を正当として是認したものでないことは判文上明らかであるから、所論一の(三)指摘の原判決の判示となんら矛盾するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであつて、採用することができない。

同第四点の第二について。
所論の点に関する原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第四点の第三及び第四について。
論旨は、要するに、運輸大臣が東京陸運局長に指示して行わせた聴聞手続及び運輸審議会の審理手続は適正な手続といえないにもかかわらず、これを違法な手続でないとし、また、運輸審議会の審理手続に違法があつたとしてもその答申に基づく運輸大臣の処分は違法ではないとした原判決は、道路運送法一二二条の二、六条一項、三項、運輸省設置法六条の解釈を誤つたものであるというのである。
一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否を決するにつき、法が、その免許基準を法定するとともに、右基準に該当するかどうかの判断の適正と公正を担保するために、制度上及び手続上特別の措置を講じていることは、前述のとおりである。これを詳述すれば、道路運送法一二二条の二は、陸運局長は、同条二項所定の場合には、聴聞をしなければならない旨規定し、運輸省設置法六条一項七号は、運輸大臣が自動車運送事業の免許の許否を決する場合には、運輸審議会にはかり、その決定を尊重して、これをしなければならないと定め、同法八条以下において右審議会の機構及び手続を規定し、特に、同法一六条は、運輸審議会は、同法六条一項の規定により附議された事項については、必要があると認めるときは、公聴会を開くことができ、又は運輸大臣の指示若しくは運輸審議会の定める利害関係人の申請があつたときは、公聴会を開かなければならないと定め、更に運輸審議会一般規則一条は、運輸審議会は、事案に関し、できる限り公聴会を開き、公平かつ合理的な決定をしなければならないと規定している。これらの規定を通覧すると、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の申請があつたときは、原則として、法定の免許基準に該当するかどうかにつき、陸運局長が利害関係人又は参考人に対する聴聞を行い、更に運輸大臣の諮問を受けて、運輸審議会は、公聴会を開いて審理し、これに基づいて許否に関する決定(答申)を行い、運輸大臣は右の決定を尊重して最終的な許否の決定を行うべきものとされていることが知られるのである。このように、法が前記免許の許否を決定するについて原則として陸運局長の聴聞や運輸審議会の公聴会における審理を要求しているのは、免許の許否の決定の重要性にかんがみ、聴聞又は公聴会の審理手続を通じて、免許基準該当の有無の判断に関係のある事項につき、免許申請者のみならず許否の決定について重大な利害関係を有する者に対しても、意見及び証拠その他の資料を提出する機会を与え、判断の基礎及びその過程の客観性と公正を保障しようとする趣旨に出たものであることが明らかである。
このように見てくると、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否の決定手続において、陸運局長による聴聞及び運輸審議会における公聴会は、それぞれ重要な使命と役割を有するものというべきであるが、その重要性の程度、したがつてまたその手続上の瑕疵が運輸大臣による許否の決定の法的効力に及ぼすべき影響については、両者の間に差異があり、これを区別して考察する必要がある。すなわち、運輸審議会が機構的に運輸大臣から独立した地位と構成をもつ第三者的機関であるのに対し、陸運局長は運輸大臣の純然たる補助機関であり、またその行う聴聞も、運輸審議会における公聴会に比して簡略であることが予定されていると見受けられること、更に運輸審議会の決定に対しては運輸大臣がこれを尊重すべき旨を特に法が定めていること等から考えると、免許の許否の決定に関する審理手続において最も重要な意義を有するのは、運輸審議会における公聴会であり、陸運局長の聴聞は、主として運輸審議会における公聴会審理が行われない場合に特別の価値をもつものであつて、これが行われる場合には、単なる補充的な意義及び機能しか有しないものと解せられる。そうすると、陸運局長の聴聞が右のような従たる意義しかもたない場合には、たとえその聴聞手続に瑕疵があつたとしても、最終的な運輸大臣の許否の決定自体を取り消さなければならないほどの違法があるものとするには足りないと解するのが相当である。原審の確定したところによれば、本件免許申請については運輸審議会に諮問がなされ、同審議会において公聴会が開催されたというのであるから、仮に、陸運局長の聴聞手続に所論の瑕疵があつたとしても、本件却下処分を取り消すべき事由とはならないものといわなければならない
しかしながら運輸審議会における公聴会審理の瑕疵については、これと同一に論ずることはできない。さきに述べたように、運輸大臣は、自動車運送事業の免許の許否を決する場合には、原則として運輸審議会にはかり、その決定を尊重して、これをしなければならないとされている。法は、運輸大臣が運輸審議会の決定を尊重すべきことを要求するにとどまり、その決定が運輸大臣を拘束するものとはしていないから、運輸審議会は、ひつきよう、運輸大臣の諮問機関としての地位と権限を有するにすぎないものというべきであるが、しかしこのことは、運輸審議会の決定が全体としての免許の許否の決定過程において有する意義と重要性、したがつてまた、運輸審議会の審理手続のもつ意義と重要性を軽視すべき理由となるものではない。一般に、行政庁が行政処分をするにあたつて、諮問機関に諮問し、その決定を尊重して処分をしなければならない旨を法が定めているのは、処分行政庁が、諮問機関の決定(答申)を慎重に検討し、これに十分な考慮を払い、特段の合理的な理由のないかぎりこれに反する処分をしないように要求することにより、当該行政処分の客観的な適正妥当と公正を担保することを法が所期しているためであると考えられるから、かかる場合における諮問機関に対する諮問の経由は、極めて重大な意義を有するものというべく、したがつて、行政処分が諮問を経ないでなされた場合はもちろん、これを経た場合においても、当該諮問機関の審理、決定(答申)の過程に重大な法規違反があることなどにより、その決定(答申)自体に法が右諮問機関に対する諮問を経ることを要求した趣旨に反すると認められるような瑕疵があるときは、これを経てなされた処分も違法として取消をまぬがれないこととなるものと解するのが相当である。そして、この理は、運輸大臣による一般乗合旅客自動車運送事業の免許の許否についての運輸審議会への諮問の場合にも、当然に妥当するものといわなければならない。
ところで、一般乗合旅客自動車運送事業の免許の申請があつた場合には、運輸大臣は原則として運輸審議会に諮問すべく、これを受けた運輸審議会は原則として公聴会を開いて審理したうえ決定をしなければならないことは、右に述べたとおりであるが、右の運輸審議会における審理及びこれに基づく決定の手続については、運輸省設置法及び運輸審議会一般規則にかなり詳細な定めが置かれている。しかし、これらの手続規定がいかなる趣旨、目的を有するものであり、したがつてその手続の運用についていかなる配慮を施すべきものであるかは、これらの規定自体からは明らかではなく、専ら審理手続の意義と性格に照らしてこれを決すべきものであるところ、公聴会の審理を要求する趣旨が、前記のとおり、免許の許否に関する運輸審議会の客観性のある適正かつ公正な決定(答申)を保障するにあることにかんがみると、法は、運輸審議会の公聴会における審理を単なる資料の収集及び調査の一形式として定めたにとどまり、右規定に定められた形式を踏みさえすれば、その審理の具体的方法及び内容のいかんを問わず、これに基づく決定(答申)を適法なものとする趣旨であるとすることはできないのであつて、これらの手続規定のもとにおける公聴会審理の方法及び内容自体が、実質的に前記のような要請を満たすようなものでなければならず、かつ、決定(答申)が、このような審理の結果に基づいてなされなければならないと解するのが相当である。すなわち、道路運送法六条一項の定めるところによれば、一般自動車運送事業の免許基準は、当該事業の開始の輸送需要に対する適切性、当該事業の開始による当該路線又は事業区域に係る供給輸送力と輸送需要量との均衡、当該事業遂行計画の適切性、適確な事業遂行能力の有無、当該事業の開始の公益上の必要性及び適切性等広い範囲において相互に関連する幾多の考慮事項を含み、かつ、その判断基準自体が著しく抽象的、概括的であるため、これについて客観的に適正かつ公正な判断を可能とするためには、その基礎となるべき関連諸事項に関する具体的事実について、多面的で、かつ、できるだけ正確な客観的資料をあまねく収集し、その分析、究明に基づく事実の適切な認定のうえに立つて、輸送に関する技術上及び公益上の適正な評価と比較考量を施さなければならないのであり、しかもこの判断たるや、事柄の性質上、ある程度の見解の相違をまぬがれないものであるため、政策遂行上の責任者である決定権者に対して、この点につき、ある程度の裁量の余地を認めざるをえないのである。しかもこれに加えて、免許の許否が、ひとり免許申請者のみならず、これと競争関係に立つ他の輸送業者や、一般利用者、地域住民等の第三者にも重大な影響を及ぼすものであることにかんがみると、許否の決定過程における申請者やその他の利害関係人の関与が決定の適正と公正の担保のうえにおいて有する意義は格別のものがあるというべく、この要請にこたえて法が定めた運輸審議会の公聴会における審理手続もまた、右の趣旨に沿い、その内容において、これらの関係者に対し、決定の基礎となる諸事項に関する諸般の証拠その他の資料と意見を十分に提出してこれを審議会の決定(答申)に反映させることを実質的に可能ならしめるようなものでなければならないと解すべきである。特に免許申請者に対する関係においては、免許の許否が直ちにその者の職業選択の自由に影響するものである関係上、免許の許否の決定過程におけるその関与の方法につき特段の配慮を必要とするのであつて、前記のような免許基準の抽象性と基準該当の有無の不明確性のために、行政庁側からみてその申請計画に問題点があると思われる場合であつても、必ずしもその点が申請者には認識されず、そのために、これについて提出しうべき追加資料や意見の提出の機会を失なわせるおそれが多分にあることにかんがみるときは、これらの点について申請者の注意が喚起され、あるいはまた、他の利害関係人の反対意見や資料の提出に対しても反駁の機会が与えられるようにする等、申請者に意見と証拠を十分に提出させることを可能ならしめるような形で手続を実施することが、公聴会審理を要求する法の趣旨とするところであると解さなければならない。
右の見地に立つて本件を見るに、原審が確定した事実によれば、運輸審議会は「a町と高崎、伊勢崎、太田の諸都市とを結ぶ交通機関としては、長野原、渋川経由の経路により既設の交通機関の乗り継ぎによる方が、申請路線によるよりも運転時間、運賃等の面はおいて便利であると考えられるので、上告人による申請区間におけるバス運行の開始は、現状においては、その緊要性に乏しく、上告人の申請は、道路運送法六条一項一号及び五号に適合しない。」との理由で、本件免許申請は却下することが適当である旨の答申をしたものであつて、要するに、申請計画による申請者の事業内容が既設輸送機関のそれに比して運転時間、運賃等の面において便利性に劣ることを決定的要因として、輸送需要と供給能力との関係において適切性と公益上の必要性を欠くとされたのである。ところで、原審の認定したところによれば、上告人の本件申請計画における右の諸難点については、すでに、右公聴会において、一応、他の利害関係人からの指摘がなされており、また、運輸審議会の委員からも、上告人の申請計画に関して乗車回数の推定根拠、乗車密度、平均乗車粁、道路舗装状況等について質問がなされたというのであるから、上告人においても、右申請の問題点が何であるかについては、おおよそ推知することができたものと考えられるのであるが、さらに進んで問題をより具体化し、上告人の事業計画並びにその根拠資料における上記運賃、輸送時間の比較及びこれとの関係における輸送需要(見込)量と供給力との均衡等に関する問題点ないしは難点を具体的に明らかにし、上告人をして進んでこれらの点についての補充資料や釈明ないしは反駁を提出させるための特段の措置はとられておらず、この点において、本件公聴会審理が上告人に主張立証の機会を与えるにつき必ずしも十分でないところがあつたことは、これを否定することができない。しかしながら、原審が当事者双方の完全な主張・立証のうえに立つて認定したところによれば、運輸審議会が重視した上記のごとき既設輸送機関との運賃及び輸送時間の比較については、本件処分当時においても、申請路線によるそれが、所要時間において相当に劣り、また運賃も太田、草津間を除いては計画自体においてもすでに他の輸送機関のそれよりも高額であるのみならず、上告人が申請路線について旅客に対し適切な役務を提供するに足りる企業の採算性を維持しようとするためには、遠距離逓減率を考慮しても申請にかかる運賃を根本的に修正しなければならないこととなり、既設交通機関を選択した場合の運賃と比較すれば、その差異は、太田、草津間においても、またその他の区間においても相当の懸隔を生ずることが明らかであるというのであり、原審が右認定の理由として説くところから見ても、仮に運輸審議会が、公聴会審理においてより具体的に上告人の申請計画の問題点を指摘し、この点に関する意見及び資料の提出を促したとしても、上告人において、運輸審議会の認定判断を左右するに足る意見及び資料を追加提出しうる可能性があつたとは認め難いのである。してみると、右のような事情のもとにおいて、本件免許申請についての運輸審議会の審理手続における上記のごとき不備は、結局において、前記公聴会審理を要求する法の趣旨に違背する重大な違法とするには足りず、右審理の結果に基づく運輸審議会の決定(答申)自体に瑕疵があるということはできないから、右諮問を経てなされた運輸大臣の本件処分を違法として取り消す理由とはならないものといわなければならない。
そうすると、原判決は結論において正当であり、論旨は、右と異なる見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第四点の第五について。
所論の点に関する原審の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第五点について。
一般自動車運送事業の免許は、道路運送法六条一項各号所定の基準のすべてに適合する場合でなければこれをすることができないものと解すべきことは、さきに述べたところであり、右基準の一に適合しない場合には、運輸大臣は免許の申請を却下することができることは明らかである。所論の事由は同条一項五号の基準に関するものであるところ、原審の確定した事実関係のもとにおいて、本件免許申請が同条一項一号所定の免許基準に適合しないとした運輸大臣の判断を違法と断ずることはできず、したがつて、同条一項五号所定の免許基準に適合するか否かの運輸大臣の判断の適否につき判断するまでもなく本件却下処分は違法でないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであつて、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下田武三 裁判官 藤林益三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫)

(4)手続の瑕疵を理由に処分が取り消された場合に行政庁のとるべき措置

4.行手法の二面性~行為規範と裁判規範


民法 気になる判例 境界確定訴訟と時効

+判例(H1.3.28)
理由
 一 上告代理人水野武夫、同尾崎雅俊、同飯村佳夫、同田原睦夫、同栗原良扶の上告理由第一点について
 原判決挙示の証拠関係に照らし肯認するに足る事実関係のもとにおいて、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はないことに帰する。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は判決の結論に影響しない事由若しくは独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
 二 同第二点及び第三点について
  1 原審は、上告人らの訴訟被承継人橋垣剛が昭和二九年一二月一〇日以来二〇年間にわたり平穏公然に第一審判決別紙物件目録第一の土地(以下「本件土地」という。)の占有を継続したことによりその所有権を時効取得したとして、被上告人の訴訟被承継人小杉捨四郎に対し、右時効取得を原因とする剛に対する所有権移転登記手続を求める上告人らの本訴請求につき(なお、原審は、上告人らの一〇年の取得時効に基づく所有権移転登記手続請求については、剛が占有の始め無過失とは認められないと判断している。)、(一)前記物件目録第三の土地(以下「一二番一の土地」という。)は捨四郎の所有であり、本件土地は、右一二番一の土地の一部であったが、昭和五一年三月一九日に右土地から分筆された、(二)同物件目録第二の土地(以下「一二番七の土地」という。)は、もと足立幸子所有の一二番二の土地の一部をなしていたもので、佐々木久雄が、昭和一四年ころ、同女と交換契約により、同土地から一二番一の土地に隣接する四一坪の分筆を受けて取得したものであるところ、その当時は一二番一の土地の方が一二番七の土地より若干地盤が高く、両土地の境界は石垣によって判然としており、その石垣の存した線は第一審判決別紙図面〓、〓点を結ぶ直線であった、(三) 佐々木は、その後、一二番七の土地に一二番一の地盤よりも高く盛土をしただけでなく、右〓・〓線を越えてその北側にも盛土をし、そののり面の裾が同図面〓、〓点を直線で結ぶ線にまで及んだため、右石垣の存在も不明となり、外観上は右〓・〓線より南の部分は一二番七の土地の一部であるかのように見える状態となった、(四) 剛は、昭和二九年一二月一〇日、佐々木から本件土地を含む同図面〓、〓、〓、〓、〓点を順次直線で囲んだ範囲の土地を一二番七の土地として買い受け、同日以降居宅の敷地としてその占有を継続した、(五) 捨四郎は、昭和四一年に剛を相手取って京都簡易裁判所に訴えを提起し、分筆前の一二番一の土地と一二番七の土地の境界は前記図面〓、〓点を結ぶ直線であるとして両土地の境界確定を求めるとともに、土地所有権に基づき、本件土地のうち前記図面〓、〓、〓、〓、〓点を順次直線で結んだ範囲内の土地(以下「本件土地部分」という。)の明渡を求めたところ、剛は、右境界は、前記〓・〓線であると主張するとともに、仮に、右境界が前記〓・〓線であるとしても、本件土地部分は、剛が一二番七の土地の一部として買い受けたものであって、占有の始め過失はなく、昭和二九年一二月一〇日から一〇年間占有を継続したから、時効によりその所有権を取得したと主張した(以下「前訴」という。)、(六) 前訴控訴審において、京都地方裁判所は、右両土地の境界を前記〓・〓線と確定し、本件土地部分明渡請求については、剛の取得時効の抗弁は理由があり、本件土地部分の所有権は剛の所有に帰したとして、右請求を棄却すべき旨の判決をし、右判決は、そのころ確定した(以下「前訴確定判決」という。)、(七) 剛は、昭和五一年四月一日に本訴を提起したが、同五七年七月四日に死亡し、相続人である上告人らが訴訟を承継した、との事実関係を確定した。

  2 原審は、右の事実関係のもとにおいて、(一) 所有者を異にする相隣接地の一方の所有者甲が、境界を越えて隣接地の一部を自己の所有地として占有し、その占有部分につき時効により所有権を取得したと主張している場合において、右隣接地の所有者乙が甲に対して右時効完成前に境界確定訴訟を提起していたときは、右取得時効は中断するものと解される、(二) 本件において、剛の訴訟承継人である上告人らは、剛が土地境界線である前記〓・〓線の北側の本件土地を昭和二九年一二月一〇日以降自己所有地として占有しているとして、本件土地につき二〇年の取得時効を主張しているが、捨四郎は、右取得時効期間満了前である昭和四一年に分筆前の一二番一の土地と一二番七の土地の境界確定を求める前訴を提起し、前記のとおりに境界を確定する判決を得ているのであるから、前訴の提起によって本件土地についての前記二〇年の取得時効は中断し、剛が本訴を提起した昭和五一年四月一日までには右時効は完成していない、(三)前訴確定判決は、境界確定請求と併合審理された本件土地部分の所有権に基づく明渡請求に関し剛の一〇年の取得時効の抗弁を認めて、本件土地部分の所有権を剛が取得した旨認定判断しているが、右認定判断は判決理由中のそれにすぎないから原審を拘束するものではなく、原審としては、前訴で判断された本件土地部分を含む本件土地について独自に判断した結果、右一〇年の取得時効は認められないとの結論に至ったものであり、この結論に立って前訴確定判決をみれば、その境界確定部分は、所有者の異なる相隣接地の境界を確定するという一般的な境界確定判決をした結果となっているものと評価できるから、前訴確定判決の前記認定判断は、前訴境界確定訴訟提起に前記取得時効を中断する効力を認めることの妨げにならない、(四) 前訴確定判決は、捨四郎主張のとおり境界を確定したものであるから、前訴に取得時効を中断する効力がないとして、捨四郎に対し、別途取得時効を中断する効力を有する手段を講じることを求めることは、殆ど不可能を強いるものというべきである、と判断して、前記請求を排斥し、上告人らの控訴を棄却している。

  3 しかしながら、原審の右判断は、後記部分を除き、にわかに是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 一般に、所有者を異にする相隣接地の一方の所有者甲が、境界を越えて隣接地の一部を自己の所有地として占有し、その占有部分につき時効により所有権を取得したと主張している場合において、右隣接地の所有者乙が甲に対して右時効完成前に境界確定訴訟を提起していたときは、右訴えの提起により、右占有部分に関する所有権の取得時効は中断するものと解されるが(大審院昭和一四年(オ)第一四〇六号同一五年七月一〇日判決・民集一九巻一二六五頁、最高裁昭和三四年(オ)第一〇九九号同三八年一月一八日第二小法廷判決・民集一七巻一号一頁参照)、土地所有権に基づいて乙が甲に対して右占有部分の明渡を求める請求が右境界確定訴訟と併合審理されており、判決において、右占有部分についての乙の所有権が否定され、乙の甲に対する前記明渡請求が棄却されたときは、たとえ、これと同時に乙の主張するとおりに土地の境界が確定されたとしても、右占有部分については所有権に関する取得時効中断の効力は生じないものと解するのが相当である。けだし、乙の土地所有権に基づく明渡請求訴訟の提起によって生ずる当該明渡請求部分に関する取得時効中断の効力は、当該部分の関する乙の土地所有権が否定され右請求が棄却されたことによって、結果的に生じなかったものとされるのであり、右訴訟において、このように当該部分の所有権の乙への帰属に関する消極的判断が明示的にされた以上、これと併合審理された境界確定訴訟の関係においても、当該部分に関する乙の所有権の主張は否定されたものとして、結局、取得時効中断の効力は生じないものと解するのが、境界確定訴訟の特殊性に照らし相当というべきであるからである。
 これを本件についてみるに、前記の確定事実によれば、上告人らは、剛が本件土地を昭和二九年一二月一〇日以降二〇年間にわたり平穏公然に占有してきたとして、取得時効による所有権取得を主張するものであるところ、捨四郎が右時効完成前の昭和四一年に提起した前訴において、前記〓・〓線を分筆前の一二番一の土地と一二番七の土地との境界と確定するとともに、本件土地の一部である本件土地部分について、剛の一〇年の取得時効を肯定して捨四郎の所有権を否定し、右部分につき土地所有権に基づく明渡請求を棄却すべき旨の前訴確定判決がされたというのであるから、前記の説示に照らし、前訴境界確定訴訟の提起による取得時効中断の効力は、本件土地のうち本件土地部分を除くその余の部分については生じているものの、本件土地部分については生じていないものというべきである。請求棄却の判決がされたことにより取得時効中断の効力が発生しないとされるのは、当該判決がされたことによるものであるから、前訴における剛の一〇年の取得時効を肯定した認定判断が理由中のそれであって原審を拘束するものでなく、原審としては右取得時効を否定する判断に達したからといって、本件土地部分について前訴境界確定訴訟の提起による時効中断の効力を肯定する理由とすることはできないものというべきである。
 以上によれば、これと異なり、前記のような理由で、前訴境界確定訴訟の提起によって本件土地についての剛の前記取得時効は中断しているとした原判決には、本件土地部分に関する限り、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかというべきであるから、論旨は、右の限度で理由があるものというべきである。そうすると、原判決は、本件土地部分に係る部分について上告人らの控訴を棄却した部分につき破棄を免れないが、本件土地のうち本件土地部分を除くその余の部分についての原審の判断は、結局正当として是認できるものというべきであるから、この部分に関する論旨は理由がない。そして、右破棄部分については、上告人らの前記本訴請求の当否につき更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。
 三 よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条一項、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官伊藤正己 裁判官安岡滿彦 裁判官貞家克己)

++解説
《解  説》
 一、X(甲)は、次の図の一二番七の土地(甲地)の所有者、Y(乙)はこれに隣接する一二番一の土地(乙地)の所有者である(同図(A)(B)(ヘ)(ホ)(A)を順次直線で結んだ範囲内の土地(「本件土地」)は、従来、右のいずれの土地に属するか争われていたものであるところ、本訴に先立ち分筆されたものである。)。
 前訴(昭和四一年提起)において、YはXに対し、甲地と乙地の境界は同図の(ホ)(ヘ)線であると主張してその確定を求めるとともに、土地所有権に基づき、本件土地のうち同(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(ホ)を順次直線で結んだ範囲内の土地(「本件土地部分」)の明渡を求めた(何故、Yが本件土地全部について明渡を求めなかったのかは明らかでない。)。これに対し、Xは、両土地の境界は同図AB線であると主張するとともに、仮に、(ホ)(ヘ)線であるとしても、明渡請求の対象である本件土地部分は、昭和二九年一二月、甲地の一部として買い受けたものであって、Xには占有の始め過失がなく一〇年の時効によってその所有権を取得したと主張した。前訴二審判決は、両土地の境界をY主張のとおり(ホ)(ヘ)線と確定するとともに、Yの本件土地部分の明渡請求については、Xの一〇年の取得時効の抗弁を認め、本件土地部分の所有権はXに帰したとしてこれを棄却し、この判決は確定した。
 本訴(昭和五一年四月提起)は、XのYに対する本件土地の所有権移転登記手続請求であり、所有権取得原因としては、前訴抗弁と同じ一〇年の取得時効及び二〇年の取得時効(控訴審で新たに主張)が主張された。原審は、前訴と異なり、占有の始めにXが無過失であったとは認められないとして、一〇年の取得時効の完成を否定した上、二〇年の取得時効については、Yがその時効期間満了前に前訴の境界確定訴訟を提起し、前記確定判決を得ているのであるから、前訴提起により二〇年の取得時効は中断され、本訴提起時までには未だ時効は完成していない(前訴判決の本件土地部分につき取得時効の抗弁を容れてXの所有権を否定した認定判断部分は、理由中のそれに過ぎないから、後訴裁判所を拘束するものではなく、しかも、原審としてはこれを否定する判断に達したものであり、この結論に立って前訴確定判決をみれば、その境界確定部分は、所有者の異なる隣接地の境界を確定するという一般的な境界確定判決をした結果となっているものと評価できるから、前記認定判断部分は、前訴境界確定訴訟提起に前記取得時効を中断する効力を認めることの妨げにならない。)として、Xの請求を棄却すべきものとした。
 Xの上告に対し、本判決は、境界確定訴訟と取得時効中断の効力に関して、要旨のとおり説示し(その根拠として、「Yの土地所有権に基づく明渡請求の提起によって生ずる当該明渡請求部分に関する取得時効中断の効力は当該部分に関するYの土地所有権が否定され右請求が棄却されたことによって結果的に生じなかったものとされるのであり、右訴訟において当該部分の所有権のYへの帰属に関する消極的判断が明示的にされた以上、これと併合審理された境界確定訴訟の関係においても、当該部分に関するYの所有権の主張は否定されたものとして、結局、取得時効中断の効力は生じないものと解するのが、境界確定訴訟の特殊性に照らし相当というべきである……」と判示した。)、本件土地のうち前訴境界確定訴訟によって取得時効中断の効力の及ぶのは、本件土地部分を除くその余の部分に限られるとし、Xの請求のうち本件土地部分に係る部分につき原判決を破棄して原審に差し戻し、その余の上告を棄却した。
 二、境界確定訴訟の性質に関しては、確認訴訟説、形成訴訟説、私的境界確定訴訟説等様々の議論があるが、通説は、これを、公法上の土地の境界を現地において確認し、その確認が不能のときには具体的に境界を形成するいわゆる形式的形成訴訟であると解している(兼子・民訴法体系一四六頁等)。大審院判例もこの説に立ち(大判大12・6・2民集二巻七号三四五頁)、最高裁もこれを踏襲する(多数の判例がある。その概観として、例えば、昭58最判解説[伊藤調査官]四一九頁以下参照)。そして、境界確定の訴えの提起は「裁判上の請求」として隣接地土地所有者の所有権の取得時効を中断する効力を有するというのが大審院の判例であり(大判昭15・7・10民集一九巻一六号一二六五頁)、最高裁もこれを暗黙の前提としていると解されている(最二小判昭38・1・18民集一七巻一号一頁、昭38最判解説[瀬戸調査官]四頁、我妻・民法総則四六〇頁等。なお、右最高裁判例の趣旨につき異なる理解をするものとして、平田・民商五九巻三号六三頁参照)。
 三、ところで、土地所有権に基づく明渡請求訴訟の提起により民法一六二条の取得時効は中断するとするのが判例である(大判昭16・3・7判決全集八巻一二号九頁)が一般に裁判上の請求による時効中断効は、訴えの却下又は取下のあったときは生じないものとされ(民法一四九条)、右訴えの却下には訴え(請求)が、実質的な理由に基づいて棄却された場合も含むと解されているから(大判明36・9・8民録九輯九五一頁、同明42・4・30民録一五輯四三九頁、我妻・民法総則四六一頁)、本件前訴のように、境界確定訴訟においては提起者主張のとおりに境界が定められたが、これと併合された所有権に基づく明渡訴訟においては請求が棄却された場合に、時効の中断効をどのように解したらよいか、すなわち、境界確定訴訟の提起に一般的に時効の中断効を肯定した場合、同時にされた所有権に基づく明渡訴訟に敗訴し、その面では時効の中断効を享受できないことになったこととの調整をいかに解すべきかという問題を生じる。
 四、本判決は、前記大判及び最二小判を引用して、境界確定訴訟に取得時効の中断効を認めるべきことを明言した上、本件のような場合には、所有権に基づく明渡請求訴訟において提起者の所有権を否定する消極的判断がされた以上、これと併合審理された境界確定訴訟の関係においても同様の判断がされたものとして取得時効の中断効を否定するのが、前記の境界確定訴訟の性質に沿うものと解したものである。
 具体的事案において境界確定訴訟の提起による取得時効中断の効力の限界を明らかにした判例として紹介する。

民事訴訟法 基礎演習 固有必要的共同訴訟


1.入会権確認の訴えの固有必要的共同訴訟性

+判例(S41.11.25)
理由
職権をもつて調査するに、入会権は権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであるから、入会権の確認を求める訴は、権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである(明治三九年二月五日大審院判決・民録一二輯一六五頁参照)。この理は、入会権が共有の性質を有するものであると、共有の性質を有しないものであるとで異なるとこるがない。したがつて、上告人らが原審において訴の変更により訴求した「本件土地につき共有の性質を有する入会権を有することを確認する。若し右請求が理由がないときは、共有の性質を有しない入会権を有することを確認する」旨の第四、五次請求は、入会権者全員によつてのみ訴求できる固有必要的共同訴訟であるというべきところ、本件右請求が入会権者と主張されている部落民全員によつて提起されたものでなく、その一部の者によつて提起されていることは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、右請求は当事者適格を欠く不適法なものである。本件土地を上告人らが総有することを請求原因として被上告人に対しその所有権取得登記の抹消を求める第二次請求もまた同断である。
さらに、上告人らの本件第三次請求は、本件土地が又重財産区の所有に属することを請求原因として、被上告人に対しその所有権取得登記の抹消を求めるものである。そうとすれば、本請求の正当な原告は又重財産区であつて、上告人らは当事者適格を有しないものというべきである。本訴もまた不適法である。
よつて、上告人ら代理人森吉義旭、同浅石大和の上告理由中前文および第一点ないし第一〇点に対する判断を省略し、本件第二ないし第五次請求について本案の判断をした第一、二審判決を破棄し、右請求を却下すべきものとする。

同第一一、一二点について。
論旨は、上告人らが時効により本件土地の共有権を取得したことを請求原因とし、被上告人に対しそれぞれ持分三三〇分の一の移転登記を求める上告人らの第一次請求を排斥した原判決の判断に、法令違背、事実誤認、判断遺脱の違法がある、という。
しかし、上告人らが時効取得の基礎として主張する占有は、又重部落民全員ないしは又重部落としての団体的占有であることもその主張自体に照して明らかであるところ、このような団体的占有によつて個人的色彩の強い民法上の共有権が時効取得されるとは認めらないから、本請求は、その主張自体失当であるというべきである。そうとすれば、論旨はすべて無用の論議に帰するから採用することができない。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官山田作之助は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 奥野健一)

・前提として判例は当事者適格について管理処分権説をとっている。
管理処分権説=当事者適格は訴訟物である権利義務その他の法律関係についての管理処分権の所在によって定まるという考え方

2.判例の展開

判例(H6.5.31)
理由
一 上告代理人高木修の上告理由第一点について
1 入会権は権利者である一定の村落住民の総有に属するものであるが(最高裁昭和三四年(オ)第六五〇号同四一年一一月二五日第二小法廷判決・民集二〇巻九号一九二一頁)、村落住民が入会団体を形成し、それが権利能力のない社団に当たる場合には、当該入会団体は、構成員全員の総有に属する不動産につき、これを争う者を被告とする総有権確認請求訴訟を追行する原告適格を有するものと解するのが相当である。
けだし、訴訟における当事者適格は、特定の訴訟物について、誰が当事者として訴訟を追行し、また、誰に対して本案判決をするのが紛争の解決のために必要で有意義であるかという観点から決せられるべき事柄であるところ、入会権は、村落住民各自が共有におけるような持分権を有するものではなく、村落において形成されてきた慣習等の規律に服する団体的色彩の濃い共同所有の権利形態であることに鑑み、入会権の帰属する村落住民が権利能力のない社団である入会団体を形成している場合には、当該入会団体が当事者として入会権の帰属に関する訴訟を追行し、本案判決を受けることを認めるのが、このような紛争を複雑化、長期化させることなく解決するために適切であるからである。
2 そして、権利能力のない社団である入会団体の代表者が構成員全員の総有に属する不動産について総有権確認請求訴訟を原告の代表者として追行するには、当該入会団体の規約等において当該不動産を処分するのに必要とされる総会の議決等の手続による授権を要するものと解するのが相当である。けだし、右の総有権確認請求訴訟についてされた確定判決の効力は構成員全員に対して及ぶものであり、入会団体が敗訴した場合には構成員全員の総有権を失わせる処分をしたのと事実上同じ結果をもたらすことになる上、入会団体の代表者の有する代表権の範囲は、団体ごとに異なり、当然に一切の裁判上又は裁判外の行為に及ぶものとは考えられないからである。
3 以上を本件についてみるのに、記録によると、上告人大畑町部落有財産管理組合は、大畑町の地域に居住する一定の資格を有する者によって構成される入会団体であって、規約により代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定しており、組織を備え、多数決の原則が行われ、構成員の変更にかかわらず存続することが認められるから、右上告人は権利能力のない社団に当たるというべきである。したがって、右上告人は、本件各土地が右上告人の構成員全員の総有に属することの確認を求める訴えの原告適格を有することになる。また、右上告人の代表者である組合長Aは、訴えの提起に先立って、本件訴訟を追行することにつき、財産処分をするのに規約上必要とされる総会における議決による承認を得たことが記録上明らかであるから、前記の授権の要件をも満たしているものということができる。前記判例は、村落住民の一部の者のみが全員の総有に属する入会権確認の訴え等を提起した場合に関するものであって、事案を異にし本件に適切でない。
そうすると、右と異なる見解に立ち、右上告人が原告適格を欠くとして本件総有権確認の訴えを却下した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、論旨は理由がある。

二 同第二点について
1 権利能力のない社団である入会団体において、規約等に定められた手続により、構成員全員の総有に属する不動産につきある構成員個人を登記名義人とすることとされた場合には、当該構成員は、入会団体の代表者でなくても、自己の名で右不動産についての登記手続請求訴訟を追行する原告適格を有するものと解するのが相当である。けだし、権利能力のない社団である入会団体において右のような措置を採ることが必要になるのは入会団体の名義をもって登記をすることができないためであるが、任期の定めのある代表者を登記名義人として表示し、その交代に伴って所有名義を変更するという手続を採ることなく、別途、当該入会団体において適切であるとされた構成員を所有者として登記簿上表示する場合であっても、そのような登記が公示の機能を果たさないとはいえないのであって、右構成員は構成員全員のために登記名義人になることができるのであり、右のような措置が採られた場合には、右構成員は、入会団体から、登記名義人になることを委ねられるとともに登記手続請求訴訟を追行する権限を授与されたものとみるのが当事者の意思にそうものと解されるからである。このように解したとしても、民訴法が訴訟代理人を原則として弁護士に限り、信託法一一条が訴訟行為をさせることを主たる目的とする信託を禁止している趣旨を潜脱するものということはできない
2 これを本件についてみるのに、記録によると、上告人Bは、訴えの提起に先立って、上告人大畑町部落有財産管理組合の総会における構成員全員一致の議決によって本件各土地の登記名義人とすることとされたことが認められるから、本件登記手続請求訴訟の原告適格を有するものというべきである。
そうすると、右と異なる見解に立ち、上告人Bが原告適格を欠くとして本件登記手続請求の訴えを却下した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、論旨は理由がある。
三 結論
以上の次第で、原判決は破棄を免れず、更に本件を審理させるためこれを原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

++解説
《解  説》
一 本判決は、(1) 入会権の権利者である村落住民が権利能力のない社団に当たる入会団体を形成している場合に、右入会団体に入会権(総有権)確認の訴えの原告適格が認められるか、(2) 入会団体の代表者が入会権(総有権)確認の訴えを原告の代表者として追行するのに特別の授権を要するか、(3) 入会権の目的である不動産につき、入会団体の代表者でない構成員が登記手続請求訴訟の原告適格を有する場合があるか、の三つについて判断を示したものである。いずれも最高裁として初めての判断であるばかりか、入会権をめぐる訴訟の入口においてしばしば問題とされ、訴訟による紛争の解決が長期化する原因にもなっていた事項についての判断を示したものであり、実務に与える影響は大きいものと思われる。

二 事案の概要は、次のとおりである。X1は、A町の地域に居住する一定の資格を有する者によって構成される入会団体であるが、最一小判昭39・10・15民集一八巻八号一六七一頁、本誌一六九号一一七頁の示した権利能力のない社団の要件を満たしている。X2は、X1の代表者でない構成員の一人であるが、本件訴訟の提起に先立ってX1の総会における構成員全員一致の議決によって本件土地(五三筆の土地)の登記名義人とすることとされた者である。
本件土地は、大正四年に当時のA部落の戸主二四名全員を共有者として所有権移転登記がされたが、そのうちの一人であるBにつき登記簿上数次の相続による持分移転登記がされ、現在Cが共有持分二四分の一の所有名義人となっている。Y1・Y2は、Cの相続人であるが、本件土地につき共有持分を有すると主張して、本件土地がX1の構成員全員の総有に属することを争っている。Y3は、登記簿上Cの持分につき権利者として抵当権設定登記等がされている者である。
X1は、Y1・Y2を相手に、本件土地がX1の構成員全員の総有に属することの確認を求め、X2は、本件土地につきY1・Y2に対して真正な登記名義の回復を原因とする共有持分全部移転登記手続を、Y3に対して抵当権設定登記等の抹消登記手続を求めた。
一審は、X1が本件総有権確認請求訴訟の原告適格を有すること、X2が本件各登記手続請求訴訟の原告適格を有することをいずれも認めた上、X1・X2の請求を認容する旨の判決をした。これに対し、二審は、入会権の確認を対外的に非権利者に対して求める総有権確認請求訴訟は、権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟であり、権利者全員が共同して提起しない限り原告適格を欠く不適法なものであるとの理由で、X1は本件総有権確認請求訴訟の原告適格を有しないとし、また、入会権の目的である不動産についての登記請求訴訟も固有必要的共同訴訟であるところ、X1の構成員によるX2に対する本件訴訟の提起遂行権限の委託は、形式的には、信託法一一条の訴訟信託の禁止に抵触するものであり、実質的には、各構成員は共有におけるような持分権を有しないのであるから元来委託すべき権限を有せず、右権限の委託はそれ自体無意味であるとの理由で、X2は本件各登記手続訴訟の原告適格を有しないとして、一審判決を取り消し、X1・X2の訴えをいずれも却下する旨の判決をした。

三 入会団体と総有権確認請求訴訟の原告適格
最二小判昭41・11・25民集二〇巻九号一九二一頁、本誌二〇〇号九五頁は、入会権が権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであることを理由に、入会権の確認を求める訴は、権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきであるとの判断を示したが、本件の二審は、この判例の趣旨を強調して、入会権の権利者が権利能力のない社団に当たる入会団体を形成している場合であっても、総有権確認を求めるには権利者全員が原告となるという形の訴訟しか認めないとしたものである。
これに対し、本判決は、判決要旨一のとおり判示して、権利能力のない社団に当たる入会団体に総有権確認請求訴訟の原告適格を認めることを明らかにした。そして、その理由として、「訴訟における当事者適格は、特定の訴訟物について、誰が当事者として訴訟を追行し、また、誰に対して本案判決をするのが紛争の解決のために必要で有意義であるかという観点から決せられるべき事柄である」との基本的立場を宣明した上、入会権が「村落において形成されてきた慣習等の規律に服する団体的色彩の濃い共同所有の権利形態であることに鑑み」、入会団体が権利能力のない社団に当たる場合には、「当該入会団体が当事者として入会権の帰属に関する訴訟を追行し、本案判決を受けることを認めるのが、このような紛争を複雑化、長期化させることなく解決するために適切であるからである。」と説示した。
右の説示の趣旨からすると、本判決は、権利能力のない社団である入会団体に入会権の帰属に関する訴訟についての被告適格をも認めるとの立場に立っているようである。
本判決の右の結論は、現在のほとんどの学説の立場とも一致するものであろう(舟橋諄一・物権法四五二頁、星野英一=五十部豊久・法協八四巻一一号一五七三、一五七八頁、福永有利・民商法五六巻六号九八三、九八七頁、小山昇・民訴講座一巻二五六頁など)。

四 入会団体の代表者に対する特別の授権の要否
権利能力のない社団である入会団体に原告適格を認めるとの立場に立つとしても、権利者である村落住民が原告となって訴えを提起する場合についての昭和四一年判例の趣旨との調和のとり方が次の問題となる(菊井=村松・全訂民事訴訟法Ⅰ三四一頁)。
舟橋諄一・物権法四五三頁が、このような訴えの提起は入会権の処分にも匹敵するとして、訴えの提起には「入会権者全員の同意を要するものと解すべきであろうか」と疑問を提起し、その後、学説及び下級審判決が一定の方向を見出せないでいる状況の中で、本判決は、判決要旨二のとおり判示して、入会団体の代表者が総有権確認請求訴訟を原告の代表者として追行するには、当該入会団体の規約等において当該不動産を処分するのに必要とされる総会の議決等の手続による特別の授権を要するものとの立場を明らかにした。
本判決は、この問題を、原告適格の問題とは区別して入会団体の代表者の訴訟追行についての権限の問題として位置付けた上、一方で、入会団体による訴訟の提起・追行に構成員全員の承認又は委任を要するとの立場(なお、この立場は、右の承認又は委任を原告適格の問題として位置付けているのか、本判決のように代表者の権限の問題として位置付けているのか必ずしも明らかではない。)を排し、他方で、入会団体の代表者として訴訟を提起・追行する者が真実の代表者であればよく、特別の授権を要しないとの立場を排したものである。
そして、本判決は、総有権確認請求訴訟についてされた確定判決の効力が入会団体の構成員全員に対して及ぶことを前提にして、右の結論を採る理由として、入会団体が敗訴した場合には構成員全員の総有権を失わせる処分をしたのと事実上同じ結果をもたらすことになること、及び入会団体の代表者の有する代表権の範囲は、団体ごとに異なり、当然に一切の裁判上又は裁判外の行為に及ぶものとは考えられないことを挙げている。
X1においては、その規約上、総会は構成員の三分の二以上の出席がなければ成立せず、財産処分についての議決は出席した構成員の三分の二以上の賛成をもってしなければならないとされているが、本訴の提起に先立って、総会における構成員全員一致の議決による承認がされている。
なお、入会団体が原告となる場合に限って特別の授権が必要である旨判示しているところからみて、本判決は、被告として応訴する場合には特別の授権を得る必要がないものと考えているものと思われる。

五 登記手続請求訴訟と原告適格
判例は、権利能力のない社団に当たる場合には、当該社団の性格等を顧慮することなく、一律にその積極財産及び消極財産は、構成員の総有に属すると解している(最一小判昭32・11・14民集一一巻一二号一九四三頁、最一小判昭39・10・15民集一八巻八号一六七一頁、最三小判昭48・10・9民集二七巻九号一一二九頁、本誌三〇二号一四三頁、最二小判昭55・2・8裁判集民一二九号一七三頁)ところ、最二小判昭47・6・2民集二六巻五号九五七頁、本誌二八二号一六四頁は、権利能力のない社団の資産である不動産につき、その代表者が個人名義で所有権の登記をすることができるにすぎないこと、及び登記簿上の所有名義人が代表者の地位を失い、新代表者が選任されたときは、新代表者は旧代表者に対し、当該不動産につき所有権移転登記手続をするよう求めることができることを判示した。
権利能力のない社団の代表者でない構成員が、当該社団の資産である不動産の登記名義人になることができる場合があるのか否か、登記手続請求訴訟の原告適格を有する場合があるのか否かについて、判例上は残された問題であり、学説においては、積極(吉野衛・判評一九九号一五三、一五七頁)、消極(長井秀典「総有的所有権に基づく登記請求権」本誌六五〇号一八、二一頁)の両説に分かれていた。
本判決は、権利能力のない社団である入会団体についてのものではあるが、代表者でない構成員が、当該社団の資産である不動産の登記名義人になることができる場合があるとし、さらに、判決要旨三のとおり判示して、規約等に定められた手続により登記名義人とすることとされた構成員は、入会団体の代表者でなくても、自己の名で右不動産についての登記手続請求訴訟を追行する原告適格を有するとの立場を明らかにした。
なお、前記の昭和四七年判例は、権利能力のない社団の資産である不動産は構成員全員のために信託的に代表者個人の所有とされることをその理由としたが、本判決は、入会団体の規約等に定められた手続により登記名義人とすることとされた構成員個人に不動産の所有権又は登記請求権が信託的に移転するというような理論構成を採っておらず、当該不動産の所有権又は登記請求権は入会団体の構成員全員の総有に属することを前提にした上で、右構成員が任意的訴訟担当として原告となるのであり、それが許容されるとの理由付けによっているものであり、注目に値する。

+判例(H20.7.17)
理由
上告代理人中尾英俊、同増田博、同蔵元淳の上告受理申立て理由について
1 本件は、上告人らが、第1審判決別紙物件目録記載1~4の各土地(以下、同目録記載の土地を、その番号に従い「本件土地1」などといい、併せて「本件各土地」という。)は鹿児島県西之表市A集落の住民を構成員とする入会集団(以下「本件入会集団」という。)の入会地であり、上告人ら及び被上告人Y2(以下「被上告会社」という。)を除く被上告人ら(以下「被上告人入会権者ら」という。)は本件入会集団の構成員であると主張して、被上告人入会権者ら及び本件各土地の登記名義人から本件各土地を買い受けた被上告会社に対し、上告人ら及び被上告人入会権者らが本件各土地につき共有の性質を有する入会権を有することの確認を求める事案である。

2 原審が確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
被上告会社は、本件土地1についてはその登記名義人である被上告人Y3及び同Y4から、本件土地2~4についてはその登記名義人である被上告人Y5及び同Y6から、それぞれ買い受け、その所有権を取得したとして、平成13年5月29日、共有持分移転登記を了した。
3 原審は、次のとおり判示して、本件訴えを却下すべきものとした。
(1) 入会権は権利者である入会集団の構成員に総有的に帰属するものであるから、入会権の確認を求める訴えは、権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟であるというべきである。
(2) 本件各土地につき共有の性質を有する入会権自体の確認を求めている本件訴えは、本件入会集団の構成員全員によって提起されたものではなく、その一部の者によって提起されたものであるため、原告適格を欠く不適法なものであるといわざるを得ない。本件のような場合において、訴訟提起に同調しない者は本来原告となるべき者であって、民訴法にはかかる者を被告にすることを前提とした規定が存しないため、同調しない者を被告として訴えの提起を認めることは訴訟手続的に困難というべきである上、入会権は入会集団の構成員全員に総有的に帰属するものであり、その管理処分については構成員全員でなければすることができないのであって、構成員の一部の者による訴訟提起を認めることは実体法と抵触することにもなるから、上告人らに当事者適格を認めることはできない。

4 しかしながら、原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
上告人らは、本件各土地について所有権を取得したと主張する被上告会社に対し、本件各土地が本件入会集団の入会地であることの確認を求めたいと考えたが、本件入会集団の内部においても本件各土地の帰属について争いがあり、被上告人入会権者らは上記確認を求める訴えを提起することについて同調しなかったので、対内的にも対外的にも本件各土地が本件入会集団の入会地であること、すなわち上告人らを含む本件入会集団の構成員全員が本件各土地について共有の性質を有する入会権を有することを合一的に確定するため、被上告会社だけでなく、被上告人入会権者らも被告として本件訴訟を提起したものと解される。
特定の土地が入会地であることの確認を求める訴えは、原審の上記3(1)の説示のとおり、入会集団の構成員全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要する固有必要的共同訴訟である。そして、入会集団の構成員のうちに入会権の確認を求める訴えを提起することに同調しない者がいる場合であっても、入会権の存否について争いのあるときは、民事訴訟を通じてこれを確定する必要があることは否定することができず、入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならない。そこで、入会集団の構成員のうちに入会権確認の訴えを提起することに同調しない者がいる場合には、入会権の存在を主張する構成員が原告となり、同訴えを提起することに同調しない者を被告に加えて、同訴えを提起することも許されるものと解するのが相当である。このような訴えの提起を認めて、判決の効力を入会集団の構成員全員に及ぼしても、構成員全員が訴訟の当事者として関与するのであるから、構成員の利益が害されることはないというべきである。
最高裁昭和34年(オ)第650号同41年11月25日第二小法廷判決・民集20巻9号1921頁は、入会権の確認を求める訴えは権利者全員が共同してのみ提起し得る固有必要的共同訴訟というべきであると判示しているが、上記判示は、土地の登記名義人である村を被告として、入会集団の一部の構成員が当該土地につき入会権を有することの確認を求めて提起した訴えに関するものであり、入会集団の一部の構成員が、前記のような形式で、当該土地につき入会集団の構成員全員が入会権を有することの確認を求める訴えを提起することを許さないとするものではないと解するのが相当である。
したがって、特定の土地が入会地であるのか第三者の所有地であるのかについて争いがあり、入会集団の一部の構成員が、当該第三者を被告として、訴訟によって当該土地が入会地であることの確認を求めたいと考えた場合において、訴えの提起に同調しない構成員がいるために構成員全員で訴えを提起することができないときは、上記一部の構成員は、訴えの提起に同調しない構成員も被告に加え、構成員全員が訴訟当事者となる形式で当該土地が入会地であること、すなわち、入会集団の構成員全員が当該土地について入会権を有することの確認を求める訴えを提起することが許され、構成員全員による訴えの提起ではないことを理由に当事者適格を否定されることはないというべきである。
以上によれば、上告人らと被上告人入会権者ら以外に本件入会集団の構成員がいないのであれば、上告人らによる本件訴えの提起は許容されるべきであり、上告人らが本件入会集団の構成員の一部であることを理由に当事者適格を否定されることはない。
5 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、第1審判決を取り消した上、上告人らと被上告人入会権者ら以外の本件入会集団の構成員の有無を確認して本案につき審理を尽くさせるため、本件を第1審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴 裁判官 涌井紀夫)

++解説
《解  説》
1 本件は,原告ら26名が,1審判決別紙物件目録記載1~4の各土地は鹿児島県西之表市塰泊浦集落の住民を構成員とする入会集団(本件入会集団)の入会地であり,原告ら及び被告馬毛島開発株式会社(被告会社)を除く被告ら(以下「被告入会権者ら」という。)は本件入会集団の構成員であると主張して,被告入会権者ら41名及び本件各土地の登記名義人から本件各土地を買い受けた被告会社に対し,原告ら及び被告入会権者らが本件各土地につき共有の性質を有する入会権を有することの確認を求める事案である。
入会集団の一部の構成員が,第三者を相手方として,入会地であると考える土地について固有必要的共同訴訟たる入会権確認の訴えを提起する場合において,訴えを提起することに同調しない同じ入会集団の構成員を被告とすることができるかが争われた。

2 原審は,本件各土地につき共有の性質を有する入会権自体の確認を求めている本件訴えは,本件入会集団の構成員全員によって提起されたものではなく,その一部の者によって提起されたものであるため,原告適格を欠く不適法なものであるとして,本件訴えを却下すべきものとした。
これに対し,原告らが上告受理申立てをしたものであるが,第一小法廷は,本件を受理する決定をした上,原判決を破棄して第1審を取り消した上,本件を鹿児島地方裁判所に差し戻す旨の判断をした。

3 入会権確認の訴えが固有必要的共同訴訟であるとした判例である最二小判昭41.11.25民集20巻9号1921頁,判タ200号95頁は,「入会権は権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであるから,入会権の確認を求める訴えは,権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである」と説示している。この事案では,入会集団の構成員330名のうちの316名が,第三者を相手方としてある土地の持分移転登記,抹消登記手続を求めて訴えを提起し(ただし,その後の取下げにより1審判決を受けたのは265名,控訴審判決を受けたのは216名,上告判決を受けたのは128名であるとされている。),控訴審において,原告らが請求を拡張し,当該土地について入会権を有することの確認請求を追加したが,入会権確認請求等に係る訴えは,入会権者と主張されている部落民全員によって提起されたものでなく,その一部の者によって提起されているものであるから,当事者適格を欠く不適法なものであるとされた。この判例の基礎には,ある土地が入会地であるかどうかの確認を求める訴えは,入会権の管理処分権行使の一形態であるから,入会権者全員に総有的に帰属する権限の行使として,その全員が原告となって提起されなければならないという考え方があったものと思われる。この立論を厳格かつ形式的に解するならば,入会権確認の訴えに同調しない入会権者がいるために入会権者の一部のみが第三者に対してその訴えを提起した場合には,常に原告適格を欠くということになり,入会権者の権利行使が妨げられる事態が生じ得ることになる。そこで,本件では,このような問題点の解決と上記判例の射程が争点となったものである。
本判決は,特定の土地が入会地であるのか第三者の所有地であるのかについて争いがあり,入会集団の一部の構成員が,当該第三者を被告として当該土地が入会地であることの確認を求めようとする場合において,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となる形式で第三者に対する入会権確認の訴えを提起することができるとした。その理由として,①入会集団の構成員のうちに訴えの提起に同調しない者がいる場合であっても,民事訴訟を通じて入会権の存否を確定する必要があり,入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならないこと,②このような訴えの提起を認めて,判決の効力を入会集団の構成員全員に及ぼしても,構成員全員が訴訟の当事者として関与するのであるから,構成員の利益が害されることはないことを挙げている
また,前掲最二小判昭41.11.25が,「入会権の確認を求める訴えは,権利者全員が共同してのみ提起しうる固有必要的共同訴訟というべきである」と説示している点について,本判決は,入会集団の一部の構成員が,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となる形式で,当該土地につき入会集団の構成員全員が入会権を有することの確認を求める訴えを提起することを許さないとするものではないとした。このように,本判決は,前掲最二小判昭41.11.25の判示を基本的には肯定しつつも,同最判と本件とでは,訴えの提起に同調しない構成員を被告に加えて構成員全員が訴訟当事者となっているか,入会集団の構成員全員が入会権確認を求めるという請求を立てているかどうかという点で差異がある点をとらえて,上記最判の射程を画する解釈を示したものである。

4 学説上は,固有必要的共同訴訟とされる共同所有関係に関する訴訟について,共有者のうちに非同調者がいるために,他の共有者の権利行使が妨げられる事態を避けるための方策として,①非同調者以外の者は,非同調者を被告に加えて,訴えを提起することができるとする説,②非同調者以外の者のみによる訴えの提起を許容しようとする説,③非同調者に対する訴訟告知により問題を解決しようとする説などが検討されてきたとされる(佐久間邦夫・平11最判解説(民)(下)703頁参照)。 このうち,非同調者以外の者が非同調者を被告に加えて訴えを提起することができるとする考え方については,土地の共有者のうちに境界確定の訴えを提起することに同調しない者がいるという事案において,既に最三小判平11.11.9民集53巻8号1421頁,判タ1021号128頁が採用するところとなっていた。ただし,その補足意見や判例解説において言及されているとおり,この考え方は,実質的な非訟事件である境界確定訴訟の特殊性に着目して採用されたものであり,他の必要的共同訴訟一般に採用され得るものではないと解されていたため,これを直ちに本件のような場合に当てはめることはできない。
一方,共有関係確認訴訟を見てみると,実務上,固有必要的共同訴訟である遺産確認の訴えにおいては,遺産であることの確認を求めたいと考える相続人は,他の相続人の訴訟に対する態度いかんにかかわらずそれらの者を被告として訴えの提起をすることが許されており,原告適格が問題とされることはないのであって,その点では,権利関係を確定し紛争を解決する必要がある場合には,共有関係にある物の処分権に係る訴えであっても,当事者全員が原告又は被告として関与しているのであれば,常に全員が原告になることが求められているわけではない。また,本件のような事例においては,訴訟手続によって紛争を解決すべき法律上の利益を当事者が有していると認められる上,入会集団の一部の構成員が入会権確認の訴えを提起することを許さないとするのは,管理処分権行使の方法における厳格性を貫こうとする余り,その本体である入会権自体が入会集団から不正に失われてしまうおそれがある。本判決が「入会権の存在を主張する構成員の訴権は保護されなければならない」としたのは,以上のような考慮から,権利保護の必要性を重視したものと考えられる。
なお,上告受理申立て理由が指摘する最二小判昭43.11.15裁判集民93号233頁,判タ232号100頁の事例を見ると,同最判は,本件で示された考え方を否定してはいないように解される。すなわち,この事案では,共有名義で登記されていた入会地の名義人3名がこれを第三者に売却し,又は抵当権を設定してしまったものであり,入会権者78名のうち75名が上記3名と移転登記,抵当権の登記を有する第三者を被告として,入会権確認と,抹消登記手続請求をしたのであるが,原告適格は全く問題とされていない。違法な行為をした者と第三者が被告となり,非同調者がいなかった事案であるので,別の考え方もできないわけではないが,本件のような考え方によっても原告適格に問題のない事例であったと説明することが可能であろう。

5 本判決は,入会権確認の訴えにおいて判示の方法による訴えの提起を許容する判断を示したものではあるが,その考え方は,少なくとも狭義の共有関係の確認を求める訴えについては同様に当てはまるものと解される。ただし,本件のような事例においては,入会集団の一部の構成員が土地の登記名義を有する第三者に対してその抹消登記手続を求める給付の訴えを提起することができるのかどうかも問題となるが,本判決は,この点についてまでは判断を示していないというべきであろう。本判決は,かねてから学説によっても論じられていた固有必要的共同訴訟における原告適格の問題点について,最高裁として初めての判断を示したものであり,民事訴訟の理論上も実務上も影響が少なくないと考えられる。

3.判例の残した問題
(1)原告は少数派でもよいか
(2)給付の訴えにも妥当するか

前提として
+判例(H11.11.9)
理由
上告代理人森脇勝、同河村吉晃、同今村隆、同植垣勝裕、同小沢満寿男、同岩松浩之、同田中泰彦、同山本了三、同麦谷卓也の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、(1) Bの相続人である被上告人らは、第一審判決別紙物件目録記載(1)の土地(以下「本件土地」という。)を持分各四分の一ずつの割合で相続した、(2) 本件土地は、その北側が上告人所有の道路敷(以下「本件道路敷」という。)に、南側が同人所有の河川敷(以下「本件河川敷」という。)に、それぞれ隣接している(以下、本件道路敷及び本件河川敷を併せて「上告人所有地」という。)、(3) 被上告人らの間においてBの遺産の分割について協議が調わず、被上告人Cを除く同Aら三名(以下「被上告人Aら」という。)が同Cを相手方として申し立てた遺産分割の審判が京都家庭裁判所に係属しているところ、本件土地と上告人所有地との境界が確定していないために右手続が進行しないでいる、(4) 被上告人Aらは、本件土地と上告人所有地との境界を確定するために、被上告人Cと共同して、上告人を被告として境界確定の訴えを提起しようとしたが、被上告人Cがこれに同調しなかったことから、同人及び上告人を被告として、本件境界確定の訴えを提起した、というものである。

二 第一審は、本件土地と本件道路敷との境界は第一審判決別紙図面記載イ、ロ、ハ、ニの各点を結ぶ直線であり、本件土地と本件河川敷との境界は同図面記載ホ、ヘ、トの各点を結ぶ直線であると確定した。上告人は、被上告人Aらを被控訴人として控訴を提起し、原審において、土地の共有者が隣接する土地との境界の確定を求める訴えは共有者全員が原告となって提起すべきものであると主張し、本件訴えの却下を求めた。原審は、本件訴えを適法なものであるとし、被上告人Cも被控訴人の地位に立つとした上で、被上告人Aらと上告人との間及び被上告人Aらと同Cとの間で、それぞれ第一審と同一の境界を確定した。

三 境界の確定を求める訴えは、隣接する土地の一方又は双方が数名の共有に属する場合には、共有者全員が共同してのみ訴え、又は訴えられることを要する固有必要的共同訴訟と解される(最高裁昭和四四年(オ)第二七九号同四六年一二月九日第一小法廷判決・民集二五巻九号一四五七頁参照)。したがって、共有者が右の訴えを提起するには、本来、その全員が原告となって訴えを提起すべきものであるということができる。しかし、【要旨】共有者のうちに右の訴えを提起することに同調しない者がいるときには、その余の共有者は、隣接する土地の所有者と共に右の訴えを提起することに同調しない者を被告にして訴えを提起することができるものと解するのが相当である。
けだし、境界確定の訴えは、所有権の目的となるべき公簿上特定の地番により表示される相隣接する土地の境界に争いがある場合に、裁判によってその境界を定めることを求める訴えであって、所有権の目的となる土地の範囲を確定するものとして共有地については共有者全員につき判決の効力を及ぼすべきものであるから、右共有者は、共通の利益を有する者として共同して訴え、又は訴えられることが必要となる。しかし、共有者のうちに右の訴えを提起することに同調しない者がいる場合であっても、隣接する土地との境界に争いがあるときにはこれを確定する必要があることを否定することはできないところ、右の訴えにおいては、裁判所は、当事者の主張に拘束されないで、自らその正当と認めるところに従って境界を定めるべきであって、当事者の主張しない境界線を確定しても民訴法二四六条の規定に違反するものではないのである(最高裁昭和三七年(オ)第九三八号同三八年一〇月一五日第三小法廷判決・民集一七巻九号一二二〇頁参照)。このような右の訴えの特質に照らせば、共有者全員が必ず共同歩調をとることを要するとまで解する必要はなく、共有者の全員が原告又は被告いずれかの立場で当事者として訴訟に関与していれば足りると解すべきであり、このように解しても訴訟手続に支障を来すこともないからである。
そして、共有者が原告と被告とに分かれることになった場合には、この共有者間には公簿上特定の地番により表示されている共有地の範囲に関する対立があるというべきであるとともに、隣地の所有者は、相隣接する土地の境界をめぐって、右共有者全員と対立関係にあるから、隣地の所有者が共有者のうちの原告となっている者のみを相手方として上訴した場合には、民訴法四七条四項を類推して、同法四〇条二項の準用により、この上訴の提起は、共有者のうちの被告となっている者に対しても効力を生じ、右の者は、被上訴人としての地位に立つものと解するのが相当である。
右に説示したところによれば、本件訴えを適法なものであるとし、被上告人Cも被控訴人の地位に立つとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の各判例のうち、最高裁昭和三九年(オ)第七九七号同四二年九月二七日大法廷判決・民集二一巻七号一九二五頁は、本件と事案を異にし適切でなく、その余の各判例は、所論の趣旨を判示したものとはいえない。論旨は、右と異なる見解に立って原判決を非難するものであって、採用することができない。なお、原審は、主文三項の1において被上告人Aらと上告人との間で、同項の2において被上告人Aらと同Cとの間で、それぞれ本件土地と上告人所有地との境界を前記のとおり確定すると表示したが、共有者が原告と被告とに分かれることになった場合においても、境界は、右の訴えに関与した当事者全員の間で合一に確定されるものであるから、本件においては、本件土地と上告人所有地との境界を確定する旨を一つの主文で表示すれば足りるものであったというべきである。
よって、裁判官千種秀夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官千種秀夫の補足意見は、次のとおりである。
私は、境界確定の訴えにおいて、共有者の一部の者が原告として訴えを提起することに同調しない場合、この者を本来の被告と共に被告として訴えを提起することができるとする法廷意見の結論に賛成するものであるが、これは、飽くまで、境界確定の訴えの特殊性に由来する便法であって、右の者に独立した被告適格を与えるものではなく、他の必要的共同訴訟に直ちに類推適用し得るものでないことを一言付言しておきたい。
すなわち、判示引用の最高裁判例の判示するとおり、土地の境界は、土地の所有権と密接な関係を有するものであり、かつ、隣接する土地の所有者全員について合一に確定すべきものであるから、境界の確定を求める訴えは、隣接する土地の一方又は双方が数名の共有に属する場合には、共有者全員が共同してのみ訴え、又は訴えられるのが原則である。したがって、共有者の一人が原告として訴えを提起することに同調しないからといって、その者が右の意味で被告となるべき者と同じ立場で訴えられるべき理由はない。もし、当事者に加える必要があれば、原告の一員として訴訟に引き込む途を考えることが筋であり、また、自ら原告となることを肯じない場合、参加人又は訴訟被告知者として、訴訟に参加し、あるいはその判決の効力を及ぼす途を検討すべきであろう。事実、共有者間に隣地との境界について見解が一致せず、あるいは隣地所有者との争いを好まぬ者が居たからといって、他の共有者らがその者のみを相手に訴えを起こし得るものではなく、その意味では、その者は、他の共有者らの提起する境界確定の訴えについては、当然には被告適格を有しないのである。したがって、仮に判示のとおり便宜その者を被告として訴訟に関与させたとしても、その者が、訴訟の過程で、原告となった他の共有者の死亡等によりその原告たる地位を承継すれば、当初被告であった者が原告の地位も承継することになるであろうし、判決の結果、双方が控訴し、当の被告がいずれにも同調しない場合、双方の被控訴人として取り扱うのかといった問題も生じないわけではない。かように、そのような非同調者は、これを被告とするといっても、隣地所有者とは立場が異なり、原審が「二次被告」と称したように特別な立場にある者として理解せざるを得ない。にもかかわらず、これを被告として取り扱うことを是とするのは、判示もいうとおり、境界確定の訴えが本質的には非訟事件であって、訴訟に関与していれば、その申立てや主張に拘らず、裁判所が判断を下しうるという訴えの性格によるものだからである。しかしながら、当事者適格は実体法上の権利関係と密接な関係を有するものであるから、本件の解釈・取扱いを他の必要的共同訴訟にどこまで類推できるのかには問題もあり、今後、立法的解決を含めて検討を要するところである。
以上、判示の結論は、この種事案に限り便法として許容されるべきものであると考える。
(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 奥田昌道)

(3)被告にされた原告適格者の訴訟上の地位はどうなるのか
三面訴訟関係になる・・・
→47条4項を類推適用して、40条を準用することができる

+(独立当事者参加)
第47条
1項 訴訟の結果によって権利が害されることを主張する第三者又は訴訟の目的の全部若しくは一部が自己の権利であることを主張する第三者は、その訴訟の当事者の双方又は一方を相手方として、当事者としてその訴訟に参加することができる。
2項 前項の規定による参加の申出は、書面でしなければならない。
3項 前項の書面は、当事者双方に送達しなければならない。
4項 第40条第1項から第3項までの規定は第一項の訴訟の当事者及び同項の規定によりその訴訟に参加した者について、第43条の規定は同項の規定による参加の申出について準用する。

+(必要的共同訴訟)
第40条
1項 訴訟の目的が共同訴訟人の全員について合一にのみ確定すべき場合には、その一人の訴訟行為は、全員の利益においてのみその効力を生ずる。
2項 前項に規定する場合には、共同訴訟人の一人に対する相手方の訴訟行為は、全員に対してその効力を生ずる。
3項 第一項に規定する場合において、共同訴訟人の一人について訴訟手続の中断又は中止の原因があるときは、その中断又は中止は、全員についてその効力を生ずる。
4項 第32条第1項の規定は、第1項に規定する場合において、共同訴訟人の一人が提起した上訴について他の共同訴訟人である被保佐人若しくは被補助人又は他の共同訴訟人の後見人その他の法定代理人のすべき訴訟行為について準用する。

(4)既判力の主観的範囲はどうなるか
XY、XZとの間では生じるが、ZY間では生じない
→40条の適用との関係で問題が。
請求の擬制を・・・

(5)平成20年判決以降の判例の展開

+判例(H22.3.16)
理 由
第1 上告人Y の代理人天野茂樹及び上告人らの代理人北村明美の各上告理由について
1 民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは,民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,上告人Y の代理人天野茂樹の上 2告理由は,理由の不備をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告人らの代理人北村明美の上告理由は,上告人Y の関係では,これを記 2載した書面が民訴規則194条所定の上告理由書提出期間後に提出されたことが明らかであり,上告人Y との関係では,民訴法312条1項又は2項に規定する事 1由を主張するものではないことが明らかである。

第2 職権による検討
上告人らの代理人北村明美の所論にかんがみ,職権をもって検討する。
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) Aは,平成17年12月17日に死亡した。
(2) 上告人Y ,同Y 及び被上告人は,いずれもAの子である。
(3) 上告人Y は,第1審判決別紙のとおりのA名義の遺言書を偽造した。
2 本件は,被上告人が,上告人らに対し,上告人Y が民法891条5号所定の相続欠格者に当たるとして,同Y がAの相続財産につき相続人の地位を有しないことの確認等を求める事案である(以下,上記確認請求を「本件請求」という。)。
3 第1審は,本件請求を棄却したため,被上告人がこれを不服として控訴したところ,原審は,本件請求を棄却した第1審判決を上告人Y に対する関係でのみ取り消した上,同Y に対する本件請求を認容する一方,同Y に対する被上告人の控訴を,控訴の利益を欠くものとして却下した。

4 しかしながら,原審の上記判断は,以下の(1)及び(2)の各点において,是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 被上告人の上告人Y に対する控訴の適否について本件請求に係る訴えは,共同相続人全員が当事者として関与し,その間で合一にのみ確定することを要する固有必要的共同訴訟と解するのが相当である(最高裁平成15年(受)第1153号同16年7月6日第三小法廷判決・民集58巻5号1319頁)。したがって,本件請求を棄却した第1審判決主文第2項は,被上告人の上告人Y に対する請求をも棄却するものであるというべきであって,上記3の訴訟経過に照らせば,被上告人の上告人Y に対する控訴につき,控訴の利益が認められることは明らかである。
(2) 本件請求に関する判断について
ア 本件請求に係る訴えは,固有必要的共同訴訟と解するのが相当であることは前示のとおりであるところ,原審は,本件請求を棄却した第1審判決を上告人Y2に対する関係でのみ取り消した上,同Yに対する本件請求を認容する一方,同Yに対する控訴を却下した結果,同Yに対する関係では,本件請求を棄却した第1審判決を維持したものといわざるを得ない。このような原審の判断は,固有必要的共同訴訟における合一確定の要請に反するものである。
イ そして,原告甲の被告乙及び丙に対する訴えが固有必要的共同訴訟であるにもかかわらず,甲の乙に対する請求を認容し,甲の丙に対する請求を棄却するという趣旨の判決がされた場合には,上訴審は,甲が上訴又は附帯上訴をしていないときであっても,合一確定に必要な限度で,上記判決のうち丙に関する部分を,丙に不利益に変更することができると解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第316号同48年7月20日第二小法廷判決・民集27巻7号863頁参照)。そうすると,当裁判所は,原判決のうち上告人Y に関する部分のみならず,同Yに関する部分も破棄することができるというべきである。

5 以上によれば,上記各点に係る原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は,全部破棄を免れない。そして,上記事実関係によれば,上告人Y は民法891条5号所定の相続欠格者に当たるというべきところ,記録によれば,同Y 及び同Y は,第1審及び原審を通じて共通の訴訟代理人を選任し,本件請求の当否につき,全く同一の主張立証活動をしてきたことが明らかであって,本件請求については,同Y のみならず,同Y の関係においても,既に十分な審理が尽くされているということができるから,第1審判決のうち同Y 及び同Yに対する関係で本件請求を棄却した部分を取り消した上,これらの請求を認容すべきである。なお,上告審は,上記のような理由により原判決を破棄する旨の判決をする場合には,民訴法319条並びに同法313条及び297条により上告審の訴訟手続に準用される同法140条の規定の趣旨に照らし,必ずしも口頭弁論を経ることを要しないものというべきである。よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官那須弘平 裁判官 近藤崇晴)

++解説
ほしいね。

+判例(H16.7.6)
理由
上告代理人福地絵子、同福地明人の上告受理申立て理由について
1 記録によれば、本件の概要は、次のとおりである。
(1) A(以下「A」という。)は、平成9年3月14日死亡した。その法定相続人は、妻であるB並びに子である上告人、被上告人、C及びDである。
(2) 上告人は、被上告人がAの遺言書を隠匿し、又は破棄したものであり、被上告人がした上記行為は民法891条5号所定の相続欠格事由に当たると主張し、被上告人のみを被告として、被上告人がAの遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める本件訴訟を提起した。
2 被相続人の遺産につき特定の共同相続人が相続人の地位を有するか否かの点は、遺産分割をすべき当事者の範囲、相続分及び遺留分の算定等の相続関係の処理における基本的な事項の前提となる事柄である。そして、共同相続人が、他の共同相続人に対し、その者が被相続人の遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えは、当該他の共同相続人に相続欠格事由があるか否か等を審理判断し、遺産分割前の共有関係にある当該遺産につきその者が相続人の地位を有するか否かを既判力をもって確定することにより、遺産分割審判の手続等における上記の点に関する紛議の発生を防止し、共同相続人間の紛争解決に資することを目的とするものであるこのような上記訴えの趣旨、目的にかんがみると、上記訴えは、共同相続人全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要するものというべきであり、いわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当である。
3 以上によれば、共同相続人全員を当事者としていないことを理由に本件訴えを却下した原審の判断は、正当として是認することができる。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切なものとはいえない。論旨は、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 金谷利廣 裁判官 濱田邦夫 裁判官 藤田宙靖)

++解説
《解  説》
1 本件は,共同訴訟人間における相続人の地位不存在確認の訴えが,固有必要的共同訴訟であるかどうかが問題となった事案である。
2 被相続人Aの法定相続人は,妻であるB及び子であるX,Y,C及びDの5名であった。Xは,Yが,被相続人Aの遺言書を隠匿し,又は破棄したとして,Yに民法891条5号の相続欠格事由があると主張し,相続人間の遺産分割手続では,この点が大きな争いとなったXは,Yを相手方として,Aの遺産につきYが相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えを提起した
1審は,Xの主張を認めて,Xの請求を認容した。これに対し,原審は,本件訴えは,共同相続人全員の間において合一に確定することを要する固有必要的共同訴訟であるところ,共同相続人の全員が訴訟当事者になっておらず,不適法であるとして,これを却下した。Xが上告受理の申立てをして,これが受理された。
本判決は,共同相続人が,他の共同相続人に対し,その者が被相続人の遺産につき相続人の地位を有しないことの確認を求める訴えは,固有必要的共同訴訟であると判示し,共同相続人全員を当事者としていないことを理由に本件訴えを却下した原審の判断は正当として是認することができるとして,上告を棄却した。

3 共同相続人間の遺産分割の前提問題としては,相続人の範囲,遺産の範囲,遺言,遺産分割協議の効力,具体的相続分等の多様な問題がある。このうち,遺産確認の訴え(最一小判昭61.3.13民集40巻2号389頁,判タ602号51頁),遺言無効確認の訴え(最三小判昭47.2.15民集26巻1号30頁)について,最高裁は確認の利益を認めている。これに対し,最一小判平12.2.24民集54巻2号523頁,判タ1025号125頁は,いわゆる具体的相続分の価額又は割合の確認を求める訴えは確認の利益を欠くものと判示している。
本件は,XがYに相続欠格事由があると主張した事案である。民法は,被相続人の子等被相続人と一定の身分関係にある者が相続人となるとした上,民法891条各号の者は相続人となることができないと規定している。上記身分関係の存否を確定するには,本来的には人事訴訟によることになるが,民法891条各号の事由の存否を人事訴訟で争うことはできない。そして,同条各号に定める事実自体の確認を求めることは困難と解されるが,相続人の地位にあるかどうかということは,現在の法律関係といえる(最大決昭41.3.2民集20巻3号360頁,判タ189号82頁参照)から,確認の対象として有効適切でないとはいえず,即時確定の利益があれば,相続人の地位の不存在を確認することは許されると解される。学説も,一般に,相続欠格事由のあることを理由に相続権ないし相続人の地位不存在確認の訴えを提起することができると解している(新版注釈民法(26)〔加藤永一〕311頁,田中恒朗・遺産分割の理論と実務39頁,山崎まさよ「相続権存否確認の訴え」判タ688号219頁等)。最高裁判例で,相続人の地位不存在確認の訴えの確認の利益について明示に判断したものは見当たらないが,最三小判平9.1.28民集51巻1号184頁,判タ933号94頁(民法891条5号の規定の解釈が問題となった事案)は,共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えについて実体判断をした原審の判断を是認しており,当該訴えにつき確認の利益があることを前提とした判断であると解される。

4 固有必要的共同訴訟とは,全員が漏れなく共同原告又は共同被告として訴え又は訴えられるのでなければ当事者適格を欠くことになるものである。共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えが固有必要的共同訴訟であるかどうかという点について判示した最高裁判例は見当たらず,下級審裁判例としても,本件の原審が最初のものであると思われる。なお,前掲最三小判平9.1.28は,共同相続人の全員が当事者となっており,いずれの説でも説明が可能な事案であった。
相続人の地位不存在確認の訴えの適法性を肯定する文献も,この点については言及していないものが多い。固有必要的共同訴訟と解することによって紛争の一回的解決を図ることができる反面,訴訟が複雑となり,手続的負担が過大となるおそれがあるといわれる。最高裁は,多数当事者間の訴訟について個別訴訟の余地を広く認めるようになっており,上記文献も,特に議論をしていないということは,通常共同訴訟であることを暗黙の前提としているようにも解される。他方,最三小判平1.3.28民集43巻3号167頁,判タ698号202頁は,共同相続人間における遺産確認の訴えは共同相続人全員が当事者として関与することを要する固有必要的共同訴訟であると判示しており,学説には,相続人の地位存否確認の訴えが固有必要的共同訴訟であると解すべきであると明言するもの(山本和彦「遺産確認の訴えと固有必要的共同訴訟」ジュリ946号53頁,杉山智紹・民訴法判例百選Ⅱ[新法対応補正版]365頁)がある。
共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えは,広い意味で遺産という共有物をめぐる訴訟といえる。遺産の共有関係を民法上の共有関係と考えて,遺産について各人の共有持分権を観念することができるとすると,共有持分権を主張する訴訟は,通常共同訴訟ではないかと考えられる。しかしながら,相続人の地位不存在確認の訴えは,被告の共有持分権の存否を問題とする訴訟ではなく,遺産について共同相続人間に共有関係が存在するかどうかという共有者たる人の範囲を確定する訴訟であるといえる。これを遺産確認の訴えとの対比でいえば,遺産確認の訴えが,共同相続人間の遺産の共有関係を特定の物の遺産帰属性という視点で確定するのに対し,相続人の地位不存在確認の訴えは,遺産の共有関係を特定の者の相続人の地位の有無という視点で確定するものである。そして,目的物件について,一定数の数人の間に共有関係が存在するかどうかについての争いは固有必要的共同訴訟と解されている(菊井維大=村松俊夫著・コンメンタール民事訴訟法Ⅰ378頁等,大判大2.7.11民録19輯662頁)。
共同訴訟人間で被相続人の遺産につき相続人の地位の不存在を確定する確認の利益が認められるのは,遺産分割手続等の前提問題として,相続人の範囲についての争いを解決する必要があることによると考えられる。ところで,共同相続人の間で,個別に相続人の地位を確定することが可能であるとすると,個別訴訟の結論が矛盾した場合に,遺産分割手続でどちらの訴訟の結論を優先させるかという理論上困難な問題が生ずることになる。実際の解決としては,遺産分割手続は,いずれも訴訟の結論にも拘束されず,独自の立場で,相続人の地位の存否を確定するということも考えられるが,このような解決は,既判力理論に照らして疑問の余地があるし,訴訟の結論が遺産分割手続を拘束しないという結論を是認するのであれば,そのような確認訴訟を認めることが紛争解決に有効適切といえるかどうか疑問となり,確認の利益があるという前提自体に疑問が生ずることとなろう。共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えの機能は,遺産帰属性を確定するか相続人の地位を確定するかという違いはあるものの,遺産確認の訴えの機能と同様であり,本件のような共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えは,その確認の利益を肯定する限りは,固有必要的共同訴訟と解するのが相当であると考えられる。このように考えると,原告となる者の負担が増えることは否定できないが,遺産分割審判手続は共同相続人の全員を当事者としていなければならないと解されていることからすると,共同相続人の全員を当事者として手続を進めなければならないことはやむを得ないと考えられるし,原告の立場に同調しない共同相続人は,被告とすればよいと解されるから,原告の訴え提起が著しく困難になるということもないと思われる。
なお,遺産分割手続では遺言の有効性も前提問題となり得るところ,一般に,遺言無効確認の訴えは,通常共同訴訟とされている(事例判例であるが,最二小判昭56.9.11民集35巻6号1013頁,判タ454号84頁)が,遺言無効確認の訴えと遺産確認の訴え・相続人の地位不存在確認の訴えとは,事案を異にすると考えられる(平1最判解説(民)113頁注18[田中壮太],山本・前掲53頁)。
5 本判決は,共同相続人間の相続人の地位不存在確認の訴えが,共同相続人の全員が関与し,合一確定を要する固有必要的共同訴訟であることを明示した最高裁判決であり,実務上参考となろう。

+判例(H1.3.28)
理由
上告代理人丸茂忍の上告理由第二点について
遺産確認の訴えは、当該財産が現に共同相続人による遺産分割前の共有関係にあることの確認を求める訴えであり、その原告勝訴の確定判決は、当該財産が遺産分割の対象である財産であることを既判力をもつて確定し、これに続く遺産分割審判の手続及び右審判の確定後において、当該財産の遺産帰属性を争うことを許さないとすることによつて共同相続人間の紛争の解決に資することができるのであつて、この点に右訴えの適法性を肯定する実質的根拠があるのであるから(最高裁昭和五七年(オ)第一八四号同六一年三月一三日第一小法廷判決・民集四〇巻二号三八九頁参照)、右訴えは、共同相続人全員が当事者として関与し、その間で合一にのみ確定することを要するいわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己)