憲法 日本国憲法の論じ方 Q16 令状主義


Q 市民は不当な犯罪捜査・刑事裁判からどのように守られているか?
(1)刑事手続の保障
(2)保障の内容
+第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
○2  捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
○2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
○3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

Q 31条は何を保障しているのか?
(1)手続の法定と適正
・解釈として適正な法定手続を要求
+判例(S37.11.28)第三者所有物没収事件
理由
弁護人樫田忠美の上告趣意第二点は、判例違反をいうが、引用の各判例は、事案を異にし本件に適切でなく、同第三点は、違憲をいうが、実質は、単なる訴訟法違反の主張に帰し、いずれも上告適法の理由とならない。
同第一点および第四点について。旧関税法(昭和二九年法律第六一号による改正前の関税法をいう。以下同じ。)八三条一項の規定による没収は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等で犯人の所有または占有するものにつき、その所有権を剥奪して国庫に帰属せしめる処分であつて、被告人以外の第三者が所有者である場合においても、被告人に対する附加刑としての没収の言渡により、当該第三者の所有権剥奪の効果を生ずる趣旨であると解するのが相当である。
しかし、第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であつて、憲法の容認しないところであるといわなければならないけだし、憲法二九条一項は、財産権は、これを侵してはならないと規定し、また同三一条は、何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定しているが、前記第三者の所有物の没収は、被告人に対する附加刑として言い渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであるから、所有物を没収せられる第三者についても、告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であつて、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで、財産権を侵害する制裁を科するに外ならないからであるそして、このことは、右第三者に、事後においていかなる権利救済の方法が認められるかということとは、別個の問題である然るに、旧関税法八三条一項は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等が被告人以外の第三者の所有に属する場合においてもこれを没収する旨規定しながら、その所有者たる第三者に対し、告知、弁解、防禦の機会を与えるべきことを定めておらず、また刑訴法その他の法令においても、何らかかる手続に関する規定を設けていないのである。従つて、前記旧関税法八三条一項によつて第三者の所有物を没収することは、憲法三一条、二九条に違反するものと断ぜざるをえない
そして、かかる没収の言渡を受けた被告人は、たとえ第三者の所有物に関する場合であつても、被告人に対する附加刑である以上、没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうることは、当然であるのみならず、被告人としても没収に係る物の占有権を剥奪され、またはこれが使用、収益をなしえない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明らかであるから、上告によりこれが救済を求めることができるものと解すべきである。これと矛盾する昭和二八年(あ)第三〇二六号、同二九年(あ)第三六五五号、各同三五年一〇月一九日当裁判所大法廷言渡の判例は、これを変更するを相当と認める。
本件につきこれを見るに、没収に係る船舶および貨物が被告人以外の第三者の所有に係るものであることは、記録上明らかであるから、前述の理由により本件船舶および貨物の換価代金の没収の言渡は違憲であつて、この点に関する論旨は、結局理由あるに帰し、原判決および第一審判決は、この点において破棄を免れない。
よつて刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条但書により原判決および第一審判決中被告人に関する部分を破棄し、被告事件につき更に判決する。
原審の是認する第一審判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人の同判示第一の所為は、関税法附則一三項により従前の例によるものとされた旧関税法七六条二項後段、一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により刑法二五条一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、主文のとおり判決する。
この判決は、論旨第一点および第四点につき、裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見および裁判官藤田八郎、同下飯坂潤夫、同高木常七、同石坂修一、同山田作之助の少数または反対意見があほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官入江俊郎の補足意見は、次のとおりである。
一 (一)旧関税法八三条一項の規定による没収の法意、(二)被告人以外の第三者が所有者である場合その所有物につき被告人に対してなされた没収の言渡の効果、(三)第三者没収の言渡を受けた被告人がその没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうべきことおよび(四)右第三者を、被告人に対する場合に準じて、訴訟手続に参加せしめ、これに告知、弁解、防禦の機会を与えることが憲法三一条、二九条の要請であつて、単に右第三者を証人として尋問し、その機会にこれに告知、弁解、防禦をなさしめる程度では、未だ憲法三一条にいう適正な法律手続によるものとはいい得ないと解するを相当とすべく、この見解については、さきに昭和二八年(あ)第三〇二六号、同三五年一〇月一九日大法廷判決におけるわたくしの反対意見でこの点につき示したわたくしのこれと異つた意見を、今回改めるに至つたものであることの四点については、わたくしは、昭和三〇年(あ)第二九六一号、関税法違反未遂被告事件の大法廷判決に附したわたくしの補足意見の趣旨を援用する。
二 なお、この場合、旧関税法の前記法条所定の船舶、貨物等が犯人以外の第三者の所有に属し、犯人は単にこれを占有しいるに過ぎない場合には、右所有者たる第三者において、貨物について同条所定の犯罪行為が行なわれること、または船舶が同条所定の犯罪行為の用に供せられることを予め知つており、その犯罪が行なわれた時から引続き右貨物または船舶を所有していた場合に限り、右貨物または船舶につき没収のなされるものであると解すべきものであることについては、昭和二六年(あ)第一八九七号、同三二年一一月二七日大法廷判決における多数意見を援用する。そして、右第三者が右のように悪意であつて、実体法上没収をするものとされている場合において、その所有物件の没収の言渡をするには、その者を被告人に対する場合に準じて訴訟手続に参加せしめ、これに告知、弁解、防禦の機会を与えることが、憲法二九条、三一条の要請となるのである。
裁判官垂水克己の補足意見は、次のとおりである。
弁護人の上告趣意第一点および第四点についてのわたくしの補足意見は、昭和三〇年(あ)第二九六一号、同三七年一一月二日言渡大法廷判決におけるわたくしの補足意見と同趣旨であるから、これを引用する。
裁判官奥野健一の補足意見は、次のとおりである。弁護人の上告趣意第一点および第四点についてのわたくしの補足意見は、昭和三〇年(あ)第二九六一号、同三七年一一月二日言渡大法廷判決におけるわたくしの補足意見と同趣旨であるから、これを引用する。
弁護人樫田忠美の上告趣意第一点および第四点に関する裁判官藤田八郎の少数意見は、次のとおりである。
所論は原判決が没收言渡をした物件は、被告人以外の第三者の所有に属するものであつて、右没収の言渡は第三者の権利侵害するが故に違憲達法であるというに帰着するのであるが、被告人は、第三者の所有権を対象として、第三者の権利が害されることを理由として上告を申立てることは許されないものと解すべきであるから(昭和二八年(あ)第三〇二六号、同二九年(あ)第三六五五号事件、同三五年一〇月一九日大法廷判決参照)、所論はこれを採用すべきでない。
裁判官下飯坂潤夫の反対意見は、次のとおりである。
弁護人の上告趣意第一点および第四点についてのわたくしの反対意見は、昭和三〇年(あ)第二九六一号、同三七年一一月二日言渡大法廷判決におけるわたくしの反対意見と同趣旨であるから、これを引用する。
裁判官高木常七の少数意見は、次のとおりである。
弁護人樫田忠美の上告趣意第一点および第四点についてのわたくしの意見は、昭和二八年(あ)第三〇二六号、同三五年一〇一九日大法廷判決(刑集一四巻一二号一五七四頁)におけるわたくしの補足意見と同趣旨であるから、これを引用する。
裁判官石坂修一の反対意見は、次の通りである。
わたくしは、本件につき示された多数意見に反対である。その理由とするところは、昭和三〇年(あ)第二九六一号、同三七一一月二八日言渡大法廷判決における裁判官下飯坂潤夫の反対意見と同趣旨であるから、これを引用する。
裁判官山田作之助の少数意見は、次のとおりである。
弁護人の上告趣意第一点および第四点についてのわたくしの少数意見は、昭和三〇年(あ)第二九六一号、同三七年一一月二日言渡大法廷判決におけるわたくしの少数意見)関税法一一八条とあるのは、旧関税法八三条と改める。)と同趣旨であるから、これを引用する。
裁判官斎藤悠輔は退官につき本件評議に関与しない。
検察官村上朝一、同羽中田金一公判出席
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官藤田八郎は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 横田喜三郎)

(2)実体の法定と適正
実体の法定
=罪刑法定主義
実体の適正
=犯罪と刑罰の内容が妥当

Q 刑事手続き以外に憲法の原則はどのように及ぶのか?
(1)非刑事的領域への保障
(2)行政手続における保障
・行政手続がすべて当然に31条の保障外になるわけではない
+判例(H4.7.1)成田新法事件
理由
一 被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しの訴えについて
職権をもって調査するに、上告人は、本件訴えにおいて、被上告人運輸大臣が昭和六〇年二月一日の公告をもってした主文第一項掲記の処分の取消しを求めているところ、右処分は、別紙記載の建築物の所有者である上告人に対し、昭和六〇年二月六日から昭和六一年二月五日までの間右工作物を新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法(昭和五九年法律第八七号による改正前のもの。以下「本法」という。)三条一項一号又は二号の用に供することを禁止することを命ずるものであり、右処分の効力は、昭和六一年二月五日の経過により失われるに至ったから、その取消しを求める法律上の利益も消滅したものといわざるを得ない。そうすると、右処分の取消しを求める訴えはこれを却下すべきであり、右訴えに係る請求につき本案の判断をした原判決は失当であることに帰するから、原判決のうち右請求に関する部分を破棄し、右訴えを却下すべきである。
二 被上告人運輸大臣がしたその余の処分の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えについて
1 上告代理人高橋庸尚の上告理由第一点の(一)のうち、本法は制定の経緯、態様に照らして拙速を免れず、法全体として違憲無効であるという点について
本法の法案が衆議院及び参議院でそれぞれ可決されたものとされ、昭和五三年五月一三日、同年法律第四二号として公布されたものであることは公知の事実であるところ、法案の審議にどの程度の時間をかけるかは専ら各議院の判断によるものであり、その時間の長短により公布された法律の効力が左右されるものでないことはいうまでもない。論旨は、独自の見解であって、採用することができない。

2 同第一点の(二)について
現代民主主義社会においては、集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に意見や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法二一条一項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものである
しかしながら、集会の自由といえどもあらゆる場合に無制限に保障されなければならないものではなく、公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。そして、このような自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。
原判決が本法制定の経緯として認定するところは、次のとおりである。新東京国際空港(以下「新空港」という。)の建設に反対する上告人及び上告人を支援するいわゆる過激派等による実力闘争が強力に展開されたため、右建設が予定より大幅に遅れ、ようやく新空港の供用開始日を昭和五三年三月三〇日とする告示がされたが、その直前の同月二六日に、上告人の支援者である過激派集団が新空港内に火炎車を突入させ、新空港内に火炎びんを投げるとともに、管制塔に侵入してレーダーや送受信器等の航空管制機器類を破壊する等の事件が発生したため、右供用開始日を同年五月二〇日に延期せざるを得なくなった。このような事態に対し、政府は、同年三月二八日に過激派集団の暴挙を厳しく批判し、新空港を不法な暴力から完全に防護するための抜本的対策を強力に推進する旨の声明を発表した。また、国会においても、衆議院では同年四月六日に、参議院でも同月一〇日に、全会一致又は全党一致で、過激派集団の破壊活動を許し得ざる暴挙と断じた上、政府に対し、暴力排除に断固たる処置を採るとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきこと及び新空港の平穏と安全を確保し、我が国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきことを求める決議をそれぞれ採択した。本法は、右のような過程を経て議員提案による法律として成立したものである。
本法は、新空港若しくはその機能に関連する施設の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する暴力主義的破壊活動を防止するため、その活動の用に供される工作物の使用の禁止等の措置を定め、もって新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資することを目的としている(一条)。本法において「暴力主義的破壊活動等」とは、新空港若しくは新空港における航空機の離陸若しくは着陸の安全を確保するために必要な航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるもの(以下、右の航空保安施設若しくは新空港の機能を確保するために必要な施設のうち政令で定めるものを「航空保安施設等」という。)の設置若しくは管理を阻害し、又は新空港若しくはその周辺における航空機の航行を妨害する刑法九五条等に規定された一定の犯罪行為をすることをいうと定義され(二条一項)、「暴力主義的破壊活動者」とは、暴力主義的破壊活動等を行い又は行うおそれがあると認められる者をいうと定義されている(同条二項)。
ところで、本法三条一項一号は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物が多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供され又は供されるおそれがあると認めるときは、運輸大臣は、当該工作物の所有者等に対し、期限を付して当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができるとしているが、同号に基づく工作物使用禁止命令により当該工作物を多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することが禁止される結果、多数の暴力主義的破壊活動者の集会も禁止されることになり、ここに憲法二一条一項との関係が問題となるのである。
そこで検討するに、本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により保護される利益は、新空港若しくは航空保安施設等の設置、管理の安全の確保並びに新空港及びその周辺における航空機の航行の安全の確保であり、それに伴い新空港を利用する乗客等の生命、身体の安全の確保も図られるのであって、これらの安全の確保は、国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から極めて強く要請されるところのものである。他方、右工作物使用禁止命令により制限される利益は、多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物を集合の用に供する利益にすぎないしかも、前記本法制定の経緯に照らせば、暴力主義的破壊活動等を防止し、前記新空港の設置、管理等の安全を確保することには高度かつ緊急の必要性があるというべきであるから、以上を総合して較量すれば、規制区域内において暴力主義的破壊活動者による工作物の使用を禁止する措置を採り得るとすることは、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。また、本法二条二項にいう「暴力主義的破壊活動等を行い、又は行うおそれがあると認められる者」とは、本法一条に規定する目的や本法三条一項の規定の仕方、さらには、同項の使用禁止命令を前提として、同条六項の封鎖等の措置や同条八項の除去の措置が規定されていることなどに照らし、「暴力主義的破壊活動を現に行っている者又はこれを行う蓋然性の高い者」の意味に解すべきである。そして、本法三条一項にいう「その工作物が次の各号に掲げる用に供され、又は供されるおそれがあると認めるとき」とは、「その工作物が次の各号に掲げる用に現に供され、又は供される蓋然性が高いと認めるとき」の意味に解すべきである。したがって、同項一号が過度に広範な規制を行うものとはいえず、その規定する要件も不明確なものであるとはいえない。
以上のとおりであるから、本法三条一項一号は、憲法二一条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

3 同第一点の(三)について
本法三条一項一号に基づく工作物使用禁止命令により多数の暴力主義的破壊活動者が当該工作物に居住することができなくなるとしても、右工作物使用禁止命令は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づき、高度かつ緊急の必要性の下に発せられるものであるから、右工作物使用禁止命令によってもたらされる居住の制限は、公共の福祉による必要かつ合理的なものであるといわなければならない。
したがって、本法三条一項一号は、憲法二二条一項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、本法三条一項三号についても憲法二二条一項違反を主張しているが、右三号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

4 同第一点の(四)について
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令は、当該工作物を、(1) 多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること、(2) 暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること、又は(3) 新空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用に供することの三態様の使用を禁止するものである。そして、右三態様の使用のうち、多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することを禁止することが、新空港の設置、管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものであることは前記のとおりであり、この点は他の二態様の使用禁止についても同様であるから、右三態様の使用禁止は財産の使用に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限であるといわなければならない。また、本法三条一項一号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりであり、同項二号の規定する要件も不明確なものであるとはいえない。
したがって、本法三条一項一、二号は、憲法二九条一、二項に違反するものではない。右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。なお、論旨は、同項三号についてもその規定する要件が不明確であると主張するが、同号は本件工作物使用禁止命令に関係がない。

5 同第一点の(五)について
憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない
しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。

6 同第一点の(六)について
憲法三五条の規定は、本来、主として刑事手続における強制につき、それが司法権による事前の抑制の下に置かれるべきことを保障した趣旨のものであるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)。しかしながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政手続における強制の一種である立入りにすべて裁判官の令状を要すると解するのは相当ではなく、当該立入りが、公共の福祉の維持という行政目的を達成するため欠くべからざるものであるかどうか、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものであるかどうか、また、強制の程度、態様が直接的なものであるかどうかなどを総合判断して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。 
本法三条三項は、運輸大臣は、同条一項の禁止命令をした場合において必要があると認めるときは、その職員をして当該工作物に立ち入らせ、又は関係者に質問させることができる旨を規定し、その際に裁判官の令状を要する旨を規定していない。しかし、右立入り等は、同条一項に基づく使用禁止命令が既に発せられている工作物についてその命令の履行を確保するために必要な限度においてのみ認められるものであり、その立入りの必要性は高いこと、右立入りには職員の身分証明書の携帯及び提示が要求されていること(同条四項)、右立入り等の権限は犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならないと規定され(同条五項)、刑事責任追及のための資料収集に直接結び付くものではないこと、強制の程度、態様が直接的物理的なものではないこと(九条二項)を総合判断すれば、本法三条一、三項は、憲法三五条の法意に反するものとはいえない。 
右と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違憲はなく、論旨は採用することができない。
7 同第二点ないし第五点について
所論の点に関する原審の認定判断は正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論違憲の主張は、前記説示と異なる前提に立つか又は独自の見解にすぎない。論旨は、いずれも採用することができない。
8 以上のとおり、被上告人運輸大臣がした前記一の使用禁止命令以外の使用禁止命令の取消しの訴え及び被上告人国に対する訴えに関する上告人の上告は、すべて理由がなく、これを棄却すべきである。
三 結論
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫、同可部恒雄の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+意見
上告理由第一点の(五)についての裁判官園部逸夫の意見は、次のとおりである。
私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見の結論には同調するが、その理由を異にするので、以下、私の意見を述べることとする。
私は、行政庁の処分のうち、少なくとも、不利益処分(名宛人を特定して、これに義務を課し、又はその権利利益を制限する処分)については、法律上、原則として、弁明、聴聞等何らかの適正な事前手続の規定を置くことが、必要であると考える。このように行政手続を法律上整備すること、すなわち、行政手続法ないし行政手続条項を定めることの憲法上の根拠については、従来、意見が分かれるところであるが、上告理由は、これを憲法三一条に求めている。確かに、判例及び学説の双方にわたって、憲法三一条の法意の比較法的検討をめぐる議論が、我が国の行政手続法理の発展に寄与してきたことは、高く評価すべきことである。しかしながら、我が国を含め現代における各国の行政法理論及び行政法制度の発展状況を見ると、いわゆる法治主義の原理(手続的法治国の原理)、法の適正な手続又は過程(デュー・プロセス・オヴ・ロー)の理念その他行政手続に関する法の一般原則に照らして、適正な行政手続の整備が行政法の重要な基盤であることは、もはや自明の理とされるに至っている。したがって、我が国でも、憲法上の個々の条文とはかかわりなく、既に多数の行政法令に行政手続に関する規定が置かれており、また、現在、行政手続に関する基本法の制定に向けて努力が重ねられているところである。もとより、個別の行政庁の処分の趣旨・目的に照らし、刑事上の処分に準じた手続によるべきものと解される場合において、適正な手続に関する規定の根拠を、憲法三一条又はその精神に求めることができることはいうまでもない。
ところで、一般に、行政庁の処分は、刑事上の処分と異なり、その目的、種類及び内容が多種多様であるから、不利益処分の場合でも、個別的な法令について、具体的にどのような事前手続が適正であるかを、裁判所が一義的に判断することは困難というべきであり、この点は、立法当局の合理的な立法政策上の判断にゆだねるほかはないといわざるを得ない。行政手続に関する基本法の制定により、適正な事前手続についての的確な一般的準則を明示することは、この意味においても重要なのである。
もっとも、不利益処分を定めた法令に事前手続に関する規定が全く置かれていないか、あるいは事前手続に関する何らかの規定が置かれていても、実質的には全く置かれていないのと同様な状態にある場合は、行政手続に関する基本法が制定されていない今日の状況の下では、さきに述べた行政手続に関する法の一般原則に照らして、右の法令の妥当性を判断しなければならない事態に至ることもあろう。しかし、そのような場合においても、当該法令の立法趣旨から見て、右の法令に事前手続を置いていないこと等が、右の一般原則に著しく反すると認められない場合は、立法政策上の合理的な判断によるものとしてこれを是認すべきものと考える。
これを本法三条一項について見ると、右規定の定める工作物使用禁止命令は、処分の名宛人を確知できる限りにおいて、右名宛人に対し不作為義務を課する典型的な行政上の不利益処分に当たる。したがって、本法に右命令についての事前手続に関する規定が全く置かれていないことに着目すれば、右に述べた意味において、右条項の妥当性が問題とされなければならない。しかし、この点については、右工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、当該工作物の三態様における使用であり、右のような態様の使用を禁止することは、新空港の設置・管理等の安全を確保するという国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からの極めて強い要請に基づくものであり、高度かつ緊急の必要性を有するものである、という本判決理由の全体にわたる法廷意見の判断があり、私もこれに同調しているところである。本法三条一項の定める工作物使用禁止命令については、右命令自体の性質に着目すると、緊急やむを得ない場合の除外規定を付した上で、事前手続の規定を置くことが望ましい場合ではあるけれども、本法は、法律そのものが、高度かつ緊急の必要性という本件規制における特別の事情を考慮して制定されたものであることにかんがみれば、事前手続の規定を置かないことが直ちに前記の一般原則に著しく反するとまでは認められないのであって、右のような立法政策上の判断は合理的なものとして是認することができると考えるのである。このような見地から、私は、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものではないとする法廷意見に対し、その結論に同調するのである。

+意見
上告理由第一点の(五)についての裁判官可部恒雄の意見は、次のとおりである。
一 憲法三一条にいう「法律に定める手続」とは、単に国会において成立した法律所定の手続を意味するにとどまらず、「適正な法律手続」を指すものであること、同条による適正手続の保障はひとり同条の明規する刑罰にとどまらず「財産権」にも及ぶものであること(昭和三〇年(あ)第二九六一号同三七年一一月二八日大法廷判決・刑集一六巻一一号一五九三頁)、また、民事上の秩序罰としての過料を科する作用は、その実質においては一種の行政処分としての性質を有するものであるが、非訟事件手続法による過料の裁判は、過料を科するについての同法の規定内容に照らして、法律の定める適正な手続によるものということができ、憲法三一条に違反するものでないこと(昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁)、また同条の法意に関連するものとして、憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあるとするのは相当でないこと(昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)は、いずれも当裁判所の判例とするところである。
二 憲法三一条による適正手続の保障は、ひとり刑事手続に限らず、行政手続にも及ぶと解されるのであるが、行政手続がそれぞれの行政目的に応じて多種多様である実情に照らせば、同条の保障が行政処分全般につき一律に妥当し、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を欠くことが直ちに違憲・無効の結論を招来する、と解するのは相当でない。多種多様な行政処分のいかなる範囲につき同条の保障を肯定すべきかは、それ自体解決困難な熟慮を要する課題であって、いわゆる行政手続法の制定が検討されていることも周知のところであるが、論点をより具体的に限定して、私人の所有権に対する重大な制限が行政処分によって課せられた事案を想定すれば、かかる場合に憲法三一条の保障が及ぶと解すべきことは、むしろ当然の事理に属し、かかる処分が一切の事前手続を経ずして課せられることは、原則として憲法の許容せざるところというべく、これが同条違反の評価を免れ得るのは、限られた例外の場合であるとしなければならない。例外の最たるものは、消防法二九条に規定する場合のごときであるが、これを極限状況にあるものとして、本件が例外の場合に当たるか否かを考察すべきであろう。
三 本法の制定をめぐる問題状況については、上告理由第一点の(二)について法廷意見の述べるとおりであるが、本件において注目されるのは、本件工作物の設置の時期、場所、特に当該工作物自体の構造である。すなわち、原判決(その引用する第一審判決を含む)の認定するところによれば、
「本件工作物は鉄骨鉄筋コンクリート地上三階、地下一階建の建物であり、東西11.47メートル、南北11.5メートル、地上部分の高さ約一〇メートルの立法体に類似した形状をしていて、七か所の小さな換気口及び明り取りのほかには窓及び出入口は存在せず、四方がコンクリートづくめの異様な外観であり、また、内部への出入りは地上から梯子をかけて屋上に昇りその開口部分から行う等の特異な構造を有し、その内部構造も、一階から二階へ、地下部分から直接二階へ、三階から屋上への各昇降口には鉄パイプ梯子がかけられており、二階から三階への昇降口には木製の踏み台が置かれているほかは各階相互間に階段等の昇降手段がない特異な構造となっていること、そして地下部分から緊急時の出入り用のトンネルが左右に掘られている」
というのであって、その構造は、右の判示にみられるように異様の一語に尽き、通常の居住用又は農作物等の格納用の建物とは著しく異なり、何びともその使用目的の何たるかを疑問とせざるを得ないであろう。
次に、本件工作物に対する行政処分の具体的内容をみるのに、そこにおいて禁止される財産権行使の態様としては、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること」及び「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供すること」という二態様に尽きるのである。
四 対象となる所有権の内容が、具体的には右にみるようなものであり、また、これを制限する行政処分の内容が右にみるとおりであるとすれば、本件の具体的案件を、行政処分による所有権に対する重大な制限として一般化した上で、本件処分を目して、事前の告知・聴聞を経ない限り、憲法三一条に違反するものとするのは相当でない。
すなわち、本件工作物の構造の異様さから考えられるその使用目的とこれに対する本件処分の内容とを総合勘案すれば、前記にみるような態様の財産権行使の禁止が憲法二九条によって保障される財産権に対する重大な制限に当たるか否か、疑問とせざるを得ないのみならず、これを強いて「重大な制限」に当たると観念するとしても、当該処分につき告知・聴聞を含む事前手続を経ない限り、三一条を含む憲法の法条に反するものとはたやすく断じ難いところである。
五 これを要するに、一般に、行政処分をもってする所有権の重大な制限には憲法三一条の保障が及ぶと解されるのであり、また、かく解することが当裁判所の累次の先例の趣旨に副う所以であると考えられるが、本件工作物につき前記態様の使用の禁止を命じた本件処分につき、事前手続を欠く限り憲法三一条に違反するものとすることはできない。
論旨は理由がなく、原判決は結論において是認すべきものと考える。
(裁判長裁判官草場良八 裁判官藤島昭 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官大堀誠一 裁判官園部逸夫 裁判官橋元四郎平 裁判官中島敏次郎 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄 裁判官木崎良平 裁判官味村治 裁判官大西勝也 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)

Q 行政調査に憲法の原則はどのように及ぶのか
(1)行政調査とは

+判例(S47.11.22)川崎民商事件
理由
弁護人山内忠吉、同岡崎一夫、同増木一彦、同陶山圭之輔、同根本孔衛の上告趣意(昭和四四年六月二五日付上告趣意書記載のもの。なお、その余の上告趣意補充書は、いずれも趣意書差出期間経過後に提出されたものであり、これを審判の対象としない。)第一点について。
所論は、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という。)七〇条一〇号の罪の内容をなす同法六三条は、規定の意義が不明確であつて、憲法三一条に違反するものである旨主張する。
しかし、第一、二審判決判示の本件事実関係は、被告人が所管川崎税務署長に提出した昭和三七年分所得税確定申告書について、同税務署が検討した結果、その内容に過少申告の疑いが認められたことから、その調査のため、同税務署所得税第二課に所属し所得税の賦課徴収事務に従事する職員において、被告人に対し、売上帳、仕入帳等の呈示を求めたというものであり、右職員の職務上の地位および行為が旧所得税法六三条所定の各要件を具備するものであることは明らかであるから、旧所得税法七〇条一〇号の刑罰規定の内容をなす同法六三条の規定は、それが本件に適用される場合に、その内容になんら不明確な点は存しない。
所論は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。

同第二点について。
所論のうち、憲法三五条違反をいう点は、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定が裁判所の令状なくして強制的に検査することを認めているのは違憲である旨の主張である。たしかに、旧所得税法七〇条一〇号の規定する検査拒否に対する罰則は、同法六三条所定の収税官吏による当該帳簿等の検査の受忍をその相手方に対して強制する作用を伴なうものであるが、同法六三条所定の収税官吏の検査は、もつぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない、 
また、右検査の結果過少申告の事実が明らかとなり、ひいて所得税逋脱の事実の発覚にもつながるという可能性が考えられないわけではないが、そうであるからといつて、右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならないけだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであつて、所得税の逋脱その他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。
さらに、この場合の強制の態様は、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法七〇条所定の刑罰を加えることによつて、間接的心理的に右検査の受忍を強制しようとするものであり、かつ、右の刑罰が行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないにしても、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているものとは、いまだ認めがたいところである。国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実な賦課徴収を図るという公益上の目的を実現するために収税官吏による実効性のある検査制度が欠くべからざるものであることは、何人も否定しがたいものであるところ、その目的、必要性にかんがみれば、右の程度の強制は、実効性確保の手段として、あながち不均衡、不合理なものとはいえないのである
憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではないしかしながら、前に述べた諸点を総合して判断すれば、旧所得税法七〇条一〇号、六三条に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、これを憲法三五条の法意に反するものとすることはできず、前記規定を違憲であるとする所論は、理由がない
所論のうち、憲法三八条違反をいう点は、旧所得税法七〇条一〇号、一二号、六三条の規定に基づく検査、質問の結果、所得税逋脱(旧所得税法六九条)の事実が明らかになれば、税務職員は右の事実を告発できるのであり、右検査、質問は、刑事訴追をうけるおそれのある事項につき供述を強要するもので違憲である旨の主張である。
しかし、同法七〇条一〇号、六三条に規定する検査が、もつぱら所得税の公平確実な賦課徴収を目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続ではなく、また、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもないこと、および、このような検査制度に公益上の必要性と合理性の存することは、前示のとおりであり、これらの点については、同法七〇条一二号、六三条に規定する質問も同様であると解すべきである。そして、憲法三八条一項の法意が、何人も自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものであると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二七年(あ)第八三八号同三二年二月二〇日判決・刑集一一巻二号八〇二頁)とするところであるが、右規定による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。しかし、旧所得税法七〇条一〇号、一二号、六三条の検査、質問の性質が上述のようなものである以上、右各規定そのものが憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」を強要するものとすることはできず、この点の所論も理由がない
なお、憲法三五条、三八条一項に関して右に判示したところによつてみれば、右各条項が刑事手続に関する規定であつて直ちに行政手続に適用されるものではない旨の原判断は、右各条項についての解釈を誤つたものというほかはないのであるが、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定が、憲法三五条、三八条一項との関係において違憲とはいえないとする原判決の結論自体は正当であるから、この点の憲法解釈の誤りが判決に影響を及ぼさないことは、明らかである。

同第三点について。
所論のうち、憲法一四条、一九条、二一条、一二条違反をいう点は、第一、二審判決の判示にそわない事実関係を前提とする主張であつて、いずれも上告適法の理由にあたらない。
所論は、また、憲法二八条違反を主張するが、同条が、使用者対勤労者の関係にたつ者の間において勤労者の団結権および団体行動権を保障した規定であると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日判決・刑集三巻六号七七二頁)とするところであつて、被告人の判示検査拒否の所為が、右団体行動権の行使とは認められないとした原判断は相当であるから、この点の所論は理由がない。

同第四点および第五点について。
所論は、憲法三五条違反をいうような点もあるが、実質はいずれも事実誤認または単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
なお、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない(原判決中、第一審判決を破棄するにあたり適用した法条に「刑事訴訟法第三九七条、第三八一条」とあるのは、「刑事訴訟法第三九七条、第三八〇条」の単なる誤記と認める。)。
よつて同法四一〇条一項但書、四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
検察官 横井大三、同木村喬行各公判出席
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)

(2)自動車検問
・一斉検問

+判例(S55.9.22)
理由
被告人本人の上告趣意のうち、憲法違反をいう点は、原審において主張、判断を経ていないものであり、また、判例違反をいう点は、引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、所論にかんがみ職権によつて本件自動車検問の適否について判断する。警察法二条一項が「交通の取締」を警察の責務として定めていることに照らすと、交通の安全及び交通秩序の維持などに必要な警察の諸活動は、強制力を伴わない任意手段による限り、一般的に許容されるべきものであるが、それが国民の権利、自由の干渉にわたるおそれのある事項にかかわる場合には、任意手段によるからといつて無制限に許されるべきものでないことも同条二項及び警察官職務執行法一条などの趣旨にかんがみ明らかである。しかしながら、自動車の運転者は、公道において自動車を利用することを許されていることに伴う当然の負担として、合理的に必要な限度で行われる交通の取締に協力すべきものであること、その他現時における交通違反、交通事故の状況などをも考慮すると、警察官が、交通取締の一環として交通違反の多発する地域等の適当な場所において、交通違反の予防、検挙のための自動車検問を実施し、同所を通過する自動車に対して走行の外観上の不審な点の有無にかかわりなく短時分の停止を求めて、運転者などに対し必要な事項についての質問などをすることは、それが相手方の任意の協力を求める形で行われ、自動車の利用者の自由を不当に制約することにならない方法、態様で行われる限り、適法なものと解すべきである。原判決の是認する第一審判決の認定事実によると、本件自動車検問は、右に述べた範囲を越えない方法と態様によつて実施されており、これを適法であるとした原判断は正当である。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

+判例(S53.9.22)引き間違えた(笑)
理由
弁護人中川恒雄の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、被告人本人の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決のいかなる法律判断部分が所論引用の各判例のいかなる部分と相反するものであるかを具体的に指摘するものでないから、不適法であり、その余は、憲法違反をいう点もあるが、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、原判決が認定したところによると、A巡査及びB巡査が交通違反の取締りに従事中、被告人の運転する車両が赤色信号を無視して交差点に進入したのを現認し、A巡査が合図して被告人車両を停車させ、被告人に右違反事実を告げたところ、被告人は一応右違反事実を自認し、自動車運転免許証を提示したので、同巡査は、さらに事情聴取のためパトロールカーまで任意同行を求めたが、被告人が応じないので、パトロールカーを被告人車両の前方まで移動させ、さらに任意同行に応ずるよう説得した結果、被告人は下車したのであるが、その際、約一メートル離れて相対する被告人が酒臭をさせており、被告人に酒気帯び運転の疑いが生じたため、同巡査が被告人に対し「酒を飲んでいるのではないか、検知してみるか。」といつて酒気の検知をする旨告げたところ、被告人は、急激に反抗的態度を示して「うら酒なんて関係ないぞ。」と怒鳴りながら、同巡査が提示を受けて持つていた自動車運転免許証を奪い取り、エンジンのかかつている被告人車両の運転席に乗り込んで、ギア操作をして発進させようとしたので、B巡査が、運転席の窓から手を差し入れ、エンジンキーを回転してスイツチを切り、被告人が運転するのを制止した、というのである。右のような原判示の事実関係のもとでは、B巡査が窓から手を差し入れ、エンジンキーを回転してスイツチを切つた行為は、警察官職務執行法二条一項の規定に基づく職務質問を行うため停止させる方法として必要かつ相当な行為であるのみならず、道路交通法六七条三項の規定に基づき、自動車の運転者が酒気帯び運転をするおそれがあるときに、交通の危険を防止するためにとつた、必要な応急の措置にあたるから、刑法九五条一項にいう職務の執行として適法なものであるというべきである。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨 裁判官 戸田弘)

RQ
+判例(S53.9.7)
理由
(本件の経過)
一 第一審裁判所は、本件公訴事実中、第一審判決判示第一ないし第四の各事実につき被告人を有罪とし、懲役一年六月・三年間執行猶予に処したが、「被告人は、昭和四九年一〇月三〇日午前零時三五分ころ、大阪市a区b町c番地先路上において、フエニルメチルアミノプロパン塩類を含有する覚せい剤粉末〇・六二グラムを所持した」との事実(以下「本件覚せい剤所持事実」という。)については、右日時場所において被告人から差し押えた物として検察官から取調請求のあつた覚せい剤粉末(以下「本件証拠物」という。)は、警察官が被告人に対する職務質問中に承諾を得ないまま被告人の上衣ポケツト内を捜索して差し押えた物であり、違法な手続により収集された証拠物であるから証拠能力はない、また、検察官から取調請求のあつた本件証拠物の鑑定結果等を立証趣旨とする証人は、本件証拠物自体証拠とすることが許されないのであるからその取調をする必要はない、としてこれら証拠申請を却下し、捜査段階及び第一審公判廷における被告人の自白はこれを補強するに足りる適法な証拠が存在しないので、結局犯罪の証明がないことに帰するとして、被告人を無罪とした。
二 第一審判決全部に対し検察官から控訴の申立があつたところ、原裁判所は、第一審判決中有罪部分につき検察官の控訴を容れ、量刑不当の違法があるとしてこの部分を破棄し、被告人を懲役一年の実刑に処したが、無罪部分については、次の理由で、検察官の控訴を棄却した。
(一)一般的に、警察官が職務質問に際し異常な箇所につき着衣の外部から触れる程度のことは、事案の具体的状況下においては職務質問の附随的行為として許容される場合があるが、さらにこれを超えてその者から所持品を提示させ、あるいはその者の着衣の内側やポケツトに手を入れてその所持品を検査することは、相手方の人権に重大なかかわりのあることであるから、前記着衣の外部から触れることなどによつて、人の生命、身体又は財産に危害を及ぼす危険物を所持し、かつ、具体的状況からして、急迫した状況にあるため全法律秩序からみて許容されると考えられる特別の事情のある場合を除いては、その提示が相手方の任意な意思に基づくか、あるいはその所持品検査が相手方の明示又は黙示の承諾を得たものでない限り許されない。
(二)本件においては、a巡査長とb巡査において、被告人が覚せい剤中毒者ではないかとの疑いのもとに、被告人に所持品の提示を求めてから被告人の上衣とズボンのポケツトを外から触つた段階までの右警察官の被告人に対する行為は、職務質問又はこれに附随する行為として許容されるが、被告人の上衣の左側内ポケツトを外部から触つたことによつて、同ポケツトに刃物ではないが何か堅い物が入つている感じでふくらんでいたというに止まり、刃物以外の何が入つているかは明らかでない状況で、被告人の左側内ポケツトに手を入れて本件証拠物を包んだちり紙の包みを取り出したb巡査の右所持品検査については、被告人の明示又は黙示の承諾があつたものとは認められず、他に右所持品検査が許容される特別の事情も認められないから、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条一項に基づく正当な職務行為とはいいがたく、右所持品検査に引き続いて行われた本件証拠物の差押は違法である。
(三)右違法の程度は、憲法三五条及び刑訴法二一八条一項所定の令状主義に違反する極めて重大なものであるうえ、弁護人は、本件証拠物を証拠とすることにつき異議を述べているのであるから、かかる証拠物を証拠として利用することは許されない。
(四)本件覚せい剤所持の事実を認めるべき証拠としては、被告人の自白があるのみで、他に右自白を補強するに足りる適法な証拠は存在しない。
三 これに対し、検察官は原判決全部に対し上告を申し立て、被告人も原判決中破棄自判部分に対し上告を申し立てた。
(検察官の上告趣意第一点について)
一 所論は、要するに、本件証拠物の差押を違法であるとした前記原判決の判断は、警職法二条一項の解釈を誤り、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する判断をしている、というのである。しかし、所論引用の判例は、いずれも本件とは事案を異にし適切でないから、所論判例違反の主張は前提を欠き、その余の所論は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。
二 そこで、所論にかんがみ職権をもつて調査するに、本件証拠物の差押を違法であるとした原判決の判断は、次の理由により、その結論において、正当である。
(一)原判決の認定した本件証拠物の差押の経過は、次のとおりである。(1)昭和四九年一〇月三〇日午前零時三五分ころ、パトカーで警ら中のb巡査、a巡査長の両名は、原判示ホテルc附近路上に被告人運転の自動車が停車しており、運転席の右横に遊び人風の三、四人の男がいて被告人と話しているのを認めた。(2)パトカーが後方から近付くと、被告人の車はすぐ発進右折してホテルcの駐車場に入りかけ、遊び人風の男達もこれについて右折して行つた。(3)b巡査らは、被告人の右不審な挙動に加え、同所は連込みホテルの密集地帯で、覚せい剤事犯や売春事犯の検挙例が多く、被告人に売春の客引きの疑いもあつたので、職務質問することにし、パトカーを下車して被告人の車を駐車場入口附近で停止させ、窓ごしに運転免許証の提示を求めたところ、被告人は正木良太郎名義の免許証を提示した(免許証が偽造であることは後に警察署において判明)。(4)続いて、b巡査が車内を見ると、ヤクザの組の名前と紋のはいつたふくさ様のものがあり、中に賭博道具の札が一〇枚位入つているのが見えたので、他にも違法な物を持つているのではないかと思い、かつまた、被告人の落ち着きのない態度、青白い顔色などからして覚せい剤中毒者の疑いもあつたので、職務質問を続行するため降車を求めると、被告人は素直に降車した。(5)降車した被告人に所持品の提示を求めると、被告人は、「見せる必要はない」と言つて拒否し、前記遊び人風の男が近付いてきて、「お前らそんなことする権利あるんか」などと罵声を浴びせ、挑戦的態度に出てきたので、b巡査らは他のパトカーの応援を要請したが、応援が来るまでの二、三分の間、b巡査と応対していた被告人は何となく落ち着かない態度で所持品の提示の要求を拒んでいた。(6)応援の警官四名くらいが来て後、b巡査の所持品提示要求に対して、被告人はぶつぶつ言いながらも右側内ポケツトから「目薬とちり紙(覚せい剤でない白色粉末が在中)」を取り出して同巡査に渡した。(7)b巡査は、さらに他のポケツトを触らせてもらうと言つて、これに対して何も言わなかつた被告人の上衣とズボンのポケツトを外から触つたところ、上衣左側内ポケツトに「刃物ではないが何か堅い物」が入つている感じでふくらんでいたので、その提示を要求した。(8)右提示要求に対し、被告人は黙つたままであつたので、b巡査は、「いいかげんに出してくれ」と強く言つたが、それにも答えないので、「それなら出してみるぞ」と言つたところ、被告人は何かぶつぶつ言つて不服らしい態度を示していたが、同巡査が被告人の上衣左側内ポケツト内に手を入れて取り出してみると、それは「ちり紙の包、プラスチツクケ」ス入りの注射針一本-であり、「ちり紙の包」を被告人の面前で開披してみると、本件証拠物である「ビニール袋入りの覚せい剤ようの粉末」がはいつていた。さらに応援のd巡査が、被告人の上衣の内側の脇の下に挾んであつた万年筆型ケース入り注射器を発見して取り出した。(9)そこで、b巡査は、被告人をパトカーに乗せ、その面前でマルキース試薬を用いて右「覚せい剤ようの粉末」を検査した結果、覚せい剤であることが判明したので、パトカーの中で被告人を覚せい剤不法所持の現行犯人として逮捕し、本件証拠物を差L押えた。
(二)ところで、警職法二条一項に基づく職務質問に附随して行う所持品検査は、任意手段として許容されるものであるから、所持人の承諾を得てその限度でこれを行うのが原則であるが、職務質問ないし所持品検査の目的、性格及びその作用等にかんがみると、所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、たとえ所持人の承諾がなくても、所持品検査の必要性、緊急性、これによつて侵害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される場合があると解すべぎである
(最高裁判所昭和五二年(あ)第一四三五号同五三年六月二〇日第三小法廷判決参照)。
(三)これを本件についてみると、原判決の認定した事実によれば、b巡査が被告人に対し、被告人の上衣左側内ポケツトの所持品の提示を要求した段階においては、被告人に覚せい剤の使用ないし所持の容疑がかなり濃厚に認められ、また、同巡査らの職務質問に妨害が入りかねない状況もあつたから、右所持品を検査する必要性ないし緊急性はこれを肯認しうるところであるが、被告人の承諾がないのに、その上衣左側内ポケツトに手を差し入れて所持品を取り出したうえ検査した同巡査の行為は、一般にプライバシイ侵害の程度の高い行為であり、かつ、その態様において捜索に類するものであるから、上記のような本件の具体的な状況のもとにおいては、相当な行為とは認めがたいところであつて、職務質問に附随する所持品検査の許容限度を逸脱したものと解するのが相当である。してみると、右違法な所持品検査及びこれに続いて行われた試薬検査によつてはじめて覚せい剤所持の事実が明らかとなつた結果、被告人を覚せい剤取締法違反被疑事実で現行犯逮捕する要件が整つた本件事案においては、右逮捕に伴い行われた本件証拠物の差押手続は違法といわざるをえないものである。これと同旨の原判決の判断は、その限りにおいて相当であり、所論は採ることができない。

(検察官の上告趣意第三点について)
一 所論は、要するに、本件証拠物の証拠能力を否定した原判決の判断は、憲法三五条の解釈を誤り、かつ、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する判断をしている、というのである。しかし、所論のうち憲法違反をいう点は、その実質において、証拠物の証拠能力に関する原判決の判断を論難する単なる法令違反の主張に帰するものであつて、適法な上告理由にあたらない。また、最高裁判所の判例の違反をいう点は、所論引用の当裁判所昭和二四年(れ)第二三六六号同年一二月一三日第三小法廷判決(刑事裁判集一五号三四九頁)は、証拠物の押収手続に極めて重大な違法がある場合にまで証拠能力を認める趣旨のものであるとまでは解しがたいから、本件証拠物の収集手続に極めて重大な暇疵があるとして証拠能力を否定した原判決の判断は、当裁判所の右判例と相反するものではないというべきであつて、所論は理由がなく、高等裁判所の判例の違反をいう点は、最高裁判所の判例がある場合であるから、所論は適法な上告理由にあたらない。
二 そこで、所論にかんがみ職権をもつて調査するに、本件証拠物の証拠能力を否定した原判決の判断は、次の理由により、法令に違反したものというべきである。
(一)違法に収集された証拠物の証拠能力については、憲法及び刑訴法になんらの規定もおかれていないので、この問題は、刑訴法の解釈に委ねられているものと解するのが相当であるところ、刑訴法は、「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」(同法一条)ものであるから、違法に収集された証拠物の証拠能力に関しても、かかる見地からの検討を要するものと考えられる。ところで、刑罰法令を適正に適用実現し、公の秩序を維持することは、刑事訴訟の重要な任務であり、そのためには事案の真相をできる限り明らかにすることが必要であることはいうまでもないところ、証拠物は押収手続が違法であつても、物それ自体の性質・形状に変異をきたすことはなく、その存在・形状等に関する価値に変りのないことなど証拠物の証拠としての性格にかんがみると、その押収手続に違法があるとして直ちにその証拠能力を否定することは、事案の真相の究明に資するゆえんではなく、相当でないというべきである。しかし、他面において、事案の真相の究明も、個人の基本的人権の保障を全うしつつ、適正な手続のもとでされなければならないものであり、ことに憲法三五条が、憲法三三条の場合及び令状による場合を除き、住居の不可侵、捜索及び押収を受けることのない権利を保障し、これを受けて刑訴法が捜索及び押収等につき厳格な規定を設けていること、また、憲法三一条が法の適正な手続を保障していること等にかんがみると、証拠物の押収等の手続に、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その認拠能力は否定されるものと解すべきである。
(二)これを本件についてみると、原判決の認定した前記事実によれば、被告人の承諾なくその上劇左側内ポケツトか引本件証拠物を取り出したb巡査の行為は、職務質問の要件が存在し、かつ、所持品検査の必要性と緊急性が認められる状況のもとで、必ずしも諾否の態度が明白ではなかつた被告人に対し、所持品検査として許容される限度をわずかに超えて行われたに過ぎないのであつて、もとより同巡査において令状主義に関する諸規定を潜脱しようとの意図があつたものではなく、また、他に右所持品検査に際し強制等のされた事跡も認められないので、本件証拠物の押収手続の違法は必ずしも重大であるとはいいえないのであり、これを被告人の罪証に供することが、違法な捜査の抑制の見地に立つてみても相当でないとは認めがたいから、本件証拠物の証拠能力はこれを肯定すべきである。
(三)してみると、本件証拠物の収集手続に重大な違法があることを理由としてその証拠能力を否定し、また、その鑑定結果等を立証趣旨とする証人もその取調をする必要がないとして、これら証拠申請を却下した第一審裁判所の措置及びこれを是認した原判決の判断は法令に違反するものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼしており、原判決中検察官の控訴を棄却した部分及び第一審判決中無罪部分はこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
(結論)
よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論及び弁護人の上告趣意に対する判断を省略し、なお、本件覚せい剤所持の事実とその余の第一審判決及び原判決が有罪とした事実どは併合罪の関係にあるものとして公訴を提起されたものであるから、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決の各全部を破棄し、同法四一三条本文により本件を第一審裁判所である大阪地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。
検察官古川健次郎、同稲田克巳 公判出席
(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨 裁判官岸盛一は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 岸上康夫)


会社法 事例で考える会社法 事例12 会社のために、というけれど


Ⅰ はじめに

+(競業及び利益相反取引の制限)
第三百五十六条  取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない
一  取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき。
二  取締役が自己又は第三者のために株式会社と取引をしようとするとき
三  株式会社が取締役の債務を保証することその他取締役以外の者との間において株式会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするとき
2  民法第百八条 の規定は、前項の承認を受けた同項第二号の取引については、適用しない。

+(競業及び取締役会設置会社との取引等の制限)
第三百六十五条  取締役会設置会社における第三百五十六条の規定の適用については、同条第一項中「株主総会」とあるのは、「取締役会」とする。
2  取締役会設置会社においては、第三百五十六条第一項各号の取引をした取締役は、当該取引後、遅滞なく、当該取引についての重要な事実を取締役会に報告しなければならない。

Ⅱ 本問の出題意図

+(取締役が自己のためにした取引に関する特則)
第四百二十八条  第三百五十六条第一項第二号(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引(自己のためにした取引に限る。)をした取締役又は執行役の第四百二十三条第一項の責任は、任務を怠ったことが当該取締役又は執行役の責めに帰することができない事由によるものであることをもって免れることができない
2  前三条の規定は、前項の責任については、適用しない。

+(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
第四百二十三条  取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
2  取締役又は執行役が第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。以下この項において同じ。)の規定に違反して第三百五十六条第一項第一号の取引をしたときは、当該取引によって取締役、執行役又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する。
3  第三百五十六条第一項第二号又は第三号(これらの規定を第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引によって株式会社に損害が生じたときは、次に掲げる取締役又は執行役は、その任務を怠ったものと推定する。
一  第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取締役又は執行役
二  株式会社が当該取引をすることを決定した取締役又は執行役
三  当該取引に関する取締役会の承認の決議に賛成した取締役(指名委員会等設置会社においては、当該取引が指名委員会等設置会社と取締役との間の取引又は指名委員会等設置会社と取締役との利益が相反する取引である場合に限る。)
4  前項の規定は、第三百五十六条第一項第二号又は第三号に掲げる場合において、同項の取締役(監査等委員であるものを除く。)が当該取引につき監査等委員会の承認を受けたときは、適用しない。

Ⅲ 任務懈怠と過失
1.平成17年改正の経緯

2.利益相反取引における任務懈怠の位置づけ

・任務懈怠はあるが過失がない場合
+判例(東京高判H15.3.27)蛇の目ミシン工業控訴審
まあ、上告審で差し戻されたが。

+判例(H18.4.10)
理由
上告代理人渡辺征二郎ほかの上告受理申立て理由第二の一1及び3並びに同二1及び4について
1 本件は、B株式会社(以下「B社」という。)の株主である上告人が、B社の取締役であった被上告人らに対し、忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任、株主に対する利益供与の禁止規定違反(平成15年法律第134号による改正前の商法266条1項2号。以下、「商法266条1項2号」というときは、同改正前のものをいう。)の責任等があるとして、損害賠償を求める株主代表訴訟である。
2 原審が確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 当事者等
B社は、ミシン、裁縫用品類等の製造及び販売を目的とする株式会社であり、その株式を東京証券取引所第1部に上場している。株式会社C銀行(平成3年4月に株式会社D銀行と合併して株式会社D’銀行となり、平成4年9月に商号を株式会社E銀行に変更した。以下、時期を問わず、「C銀行」という。)は、B社のいわゆるメインバンクである。
F株式会社(以下「F社」という。)は、不動産の売買及び仲介等を目的とした株式会社であり、B社が100%出資していた会社である。株式会社G(以下「G社」という。)は、B社の経営の多角化を図るため、ミシン以外の販売部門を独立させ、昭和63年10月に設立された株式会社であり、H株式会社(以下「H社」という。)は、同様にB社の割賦販売部門を独立させ、平成元年11月に設立された株式会社であり、いずれも、本店をB社本社所在地に置き、B社が19%出資していた会社である。
上告人は、B社の株主である。
被上告人Y1は、平成元年6月にB社の取締役(専務)に就任し、同年11月に代表取締役(副社長)に就任したが、平成3年1月16日に取締役を辞任した。被上告人Y2は、C銀行副頭取を経て、昭和63年6月にB社の代表取締役(社長)に就任し、平成元年11月に代表取締役を辞任して取締役(会長)となったが、平成3年1月31日に取締役を辞任した。被上告人Y3は、C銀行取締役(常務)を経て、昭和61年6月にB社の代表取締役(副社長)に就任し、平成元年11月に社長となったが、平成3年1月31日に取締役を辞任した。被上告人Y4は、昭和43年11月にB社の取締役に就任し、昭和63年6月に専務となり、平成3年1月17日に代表取締役(副社長)に就任し、同月31日に社長となったが、平成5年6月に取締役を退任した。被上告人Y5は、昭和63年6月にB社の取締役に就任し、平成元年6月に常務となり、平成3年6月に専務となり、平成4年6月に代表取締役(副社長)に就任し、平成5年6月に社長となったが、平成9年3月に取締役を退任した。
(2) AとB社との交渉の経緯
ア Aは、昭和45年1月にi社(昭和63年3月に商号を株式会社Iに変更した。以下、時期を問わず、「I社」という。)を、その後、昭和53年12月にj社(昭和63年3月に商号を株式会社Jに変更した。以下、時期を問わず、「J社」という。)を、それぞれ設立して、その代表取締役に就任していた。Aは、株式会社K銀行(以下「K銀行」という。)、Lリース株式会社(以下「Lリース社」という。)等の代表取締役等との人脈を通じての融資や、M株式会社(以下「M社」という。)の資金的援助を背景に、昭和61年以降、I社及びA個人においてB社株を大量に買い付け、昭和62年3月末には、I社が3255万6000株を保有するB社の筆頭株主になり、Aが300万株を保有する13位の大株主になった。
また、Aは、N株式会社(以下「N社」という。)、O株式会社(以下「O社」という。)、M社等の株式も大量に取得していた。I社は、株式取得のための資金として、昭和62年12月までにLリース社及びその関連会社から合計490億円を借り入れていたほか、昭和63年9月末日までに、株式会社Pを中心とするPグループ系列のノンバンクである株式会社pファイナンス(後に、株式会社p’ファイナンスに、更に株式会社Qファイナンスに商号を変更した。以下、時期を問わず、「Qファイナンス社」という。)から、合計966億円を借り入れていた。このQファイナンス社に対する966億円の債務のうち、500億円はB社株1740万株を担保とするものであり、466億円はN社株925万株を担保とするものであった。
イ I社及びAがB社の大株主となったことにより、B社の経営陣は、Aへの対処を検討しなければならない事態となった。Aは、いわゆる仕手筋として知られており、暴力団との関係も取りざたされている人物であったから、B社においては、そのAの影響力の存在自体が会社の社会的信用を損なうものであり、できるだけ早期にかつ安値でI社又はAが保有するB社株をB社、C銀行側で引き取って、Aの影響力を排除することが望ましい解決であると考えられていた。Aとの交渉は、C銀行出身の被上告人Y2及び同Y3が当たることになった。
ウ Aは、多数の株式の保有を背景にしてB社の役員への就任を要求し、昭和62年6月開催の株主総会において、B社の取締役に選任された。
エ Aは、昭和63年10月ころ以降、被上告人Y2及び同Y3に対し、I社が保有するB社株の高値での買取りを要求し、また、同年11月下旬ころには、同Y3に対し、B社株を担保にC銀行から融資を受けたいので取り次いでほしいと申し入れた。C銀行側は、これを受けて、同年12月23日、C銀行系列のノンバンクであるRファイナンス株式会社(以下「Rファイナンス社」という。)が、I社に対し、B社株1000万株を担保に250億円を融資した。
オ Aは、平成元年6月ころ、B社に対し、B社、C銀行、Lリース社等の出資を受けて新会社を設立するよう働きかけた。Aの構想は、その新会社に、I社及びAが保有するB社株やN社株を保有させ、I社がQファイナンス社から借り入れている966億円を肩代わりさせた上、新会社にB社が所有する不動産を開発させるというものであった。被上告人Y2及び同Y3は、Lリース社、C銀行等が加わるのであれば、Aがほしいままに新会社を支配することはないと考え、I社が保有するB社株をできるだけ早く引き取るためには、Aの要請に応じた方が良いと考えるようになった。これに対し、C銀行は、上記新会社構想は、実質的にはB社の損失においてAがB社株を高値で売り抜ける事態を実現させるもので、Aを利するだけであると判断し、これに強く反対した。
カ 平成元年6月29日開催のB社の株主総会で、Aは再度取締役に選任され、また、被上告人Y1が新たに取締役に選任され、筆頭専務となった。
被上告人Y1は、かつてM社に勤務していたが、昭和61年3月に同社を退職し、株式会社S(以下「S社」という。)の社長として、福島県いわき市内の土地に湧出した温泉を基盤とした高級会員制クラブ「Sクラブ」を発足させようとしていた。被上告人Y1は、S社の資金でB社株を大量に取得し、平成元年4月には、AのB社株の取得にも協力し、I社に対し、貸株としてB社株840万株を提供していたが、上記取締役就任後は、Aと一線を画し、B社の業績向上のため努力したいと考えていた。
キ I社がQファイナンス社から融資を受けた966億円のうち200億円については、弁済期が、2度にわたって延期され、平成元年7月31日となっていた。被上告人Y2及び同Y3は、同月に入ってからも、C銀行と、新会社構想について折衝を繰り返したが、C銀行は、改めて反対し、これを阻止するため、A、被上告人Y2及び同Y3には秘密にしたまま、Qファイナンス社がI社から担保提供を受けているB社株1740万株について、Pグループで買い取ってもらうという構想を立てていた。Aは、同月27日、被上告人Y2及び同Y3に対し、同月末にはPグループの総帥のTがB社株1740万株を買い取るという話がC銀行との間で出ている様子があること、Tに株が渡るとB社は食い物にされるであろうことを述べ、被上告人Y2に対し、Tに会って新会社構想を説明して上記200億円の弁済期の延期を取り付けるよう依頼した。被上告人Y2は、これを受けて、Tの下に赴いたが、200億円の弁済期の延期についても、新会社構想についても説明できないままTの下を辞した。
ク Aは、平成元年7月28日、被上告人Y2に対し、同被上告人がTに新会社で債務の肩代わりをする話をしていなかったとして、自分が恥をかいたなどと言って難詰した上、「Y2に一筆書いてもらうとTに約束してきた。新会社で肩代わりの約束をすると一筆書いてくれ。」と言って念書の作成を要求した。被上告人Y3は、同Y2に対し、念書を書けば悪用されると助言したが、被上告人Y2は、Aから強く迫られ、「貴殿所有のB社株1740万株のファイナンス或は買取につきB社が責任をもって行います」旨記載されたAあての書面(以下「Y2念書」という。)を作成した。その後、Aは、Tと会い、Y2念書を見せ、Pグループによる1740万株の買取りを断念させた。
(3) Aによる300億円の恐喝
ア Aは、平成元年7月29日、被上告人Y2及び同Y3に対し、暴力団関係者へのB社株の売却を示唆した。被上告人Y2は、C銀行に対してAに対する966億円の融資を要請したが、C銀行はこれを断った。被上告人Y2、同Y3及び同Y1は、同月31日、Aに対し、B社株の売却をやめるよう懇請したが、Aは、これを断り、Aが保有するB社株を全部暴力団U会の関連会社に譲渡した旨述べ、さらに、「新株主はB社にも来るし、C銀行の方にも駆け上がっていく。とにかくえらいことになったな。」とも述べた。
イ 被上告人Y3は、同Y1と共に、平成元年8月1日、Aに対し、B社株の売却の話を元に戻すよう懇請した。Aは、被上告人Y3らに対し、その保有するB社株をY2念書付きで暴力団の関連会社に売却済みである旨信じさせ、これを取り消したいのであれば300億円を用立てるよう要求した。被上告人Y3は、B社に暴力団が入ってくれば、更なる金銭の要求がされ、経営の改善が進まず、入社希望者もいなくなり、他企業との提携もままならなくなり、会社が崩壊してしまうと考えたが、他方で、B社から300億円を出金してAに交付すれば経営者としての責任問題になると思い悩んだ。
ウ Aは、平成元年8月4日、被上告人Y3及び同Y1に対し、300億円を用立てる件がまとまらないことを非難し、「大阪からヒットマンが2人来ている。」などと述べて脅迫した。C銀行は、同月5日、被上告人Y3から窮状を訴えられたが、300億円の融資はB社の責任で行うものであり、C銀行は問題が生じても責任を負わない旨を確約させた後、C銀行系列のノンバンクであるVリース株式会社(以下「Vリース社」という。)を紹介し、Vリース社がS社を経由してその融資をすることを了承した。
エ 被上告人Y3は、平成元年8月6日、同Y2の一任を受けた上、上記300億円の融資について、同Y4及び同Y5を含む専務、常務の同意を求めたところ、同Y4を除く者は同意した。同月8日、B社の臨時の取締役会において、Vリース社からG社に対する300億円の融資について、B社が債務保証をし、その本社の土地建物を担保として提供すること、G社からの貸出先をS社とすることが出席取締役全員の賛成により議決された。被上告人Y4は、同会議を欠席したが、最終的には、300億円の融資に同意した。
オ 上記のような経過により、平成元年8月10日、B社が債務を保証し、B社所有の土地建物に抵当権を設定した上で、Vリース社からG社に対し、300億円の貸付けがされ、次いで、G社からS社に対し、いわき市等所在の土地建物を担保として提供させた上で、300億円の貸付けがされた。その上で、同日及び翌11日、S社からI社に対し、300億円が融資された。なお、I社に対する現実の交付額は、2か月分の利息相当分を差し引いた合計296億7406万8494円である。
カ Aには当初から上記融資金を返済する意思がなく、これを取り戻せる具体的な見込みもなかったから、その全額の回収は困難な状況にあった。しかも、この300億円は、B社としては、全く支払う必要のない金員であり、債務保証や担保提供をする必要がなかったことも明らかであって、その融資の実質は、Aに対する巨額の利益供与であった。被上告人らは、これがAに対する巨額の利益供与であって、経営者として本来してはならない性質の行為であることは十分認識していた。
(4) 債務の肩代わり及び担保提供
ア Aは、上記のとおり、300億円を喝取した後も、引き続き、I社のQファイナンス社に対する966億円の債務の肩代わりを迫り、B社及びC銀行は対応に苦慮していた。
(ア) 平成元年9月、C銀行から被上告人Y3に対し、Y2念書で被上告人Y2が約束した1740万株のファイナンスの実行として、B社の系列会社がQファイナンス社から500億円を借り入れて、それをI社に融資し、I社がQファイナンス社に返すことにより処理してはどうかという提案があった。Tは、当初は、966億円全額の肩代わりをしてほしいという意向であったが、後に、B社株1740万株に相当する債務の肩代わりでも相談の余地があるということになった。被上告人Y3は、同Y1、同Y4に相談したところ、同Y1から、同Y2が約束したことであり、1740万株を1株3400円台で評価をして債務の肩代わりをするのであれば良いのではないかという意見が出され、同Y4は異論を唱えなかった。結局、同月29日、Qファイナンス社とG社及びF社の2社との間で各300億円(合計600億円)をQファイナンス社が貸し付ける旨の金銭消費貸借契約が締結され、同時にこれらの貸付金が両社からJ社に貸し付けられ、I社が600億円をQファイナンス社に返済するという形を取って債務の肩代わりがされ、Qファイナンス社が担保として徴求していたB社株1740万株のうち1000万株はG社の債務の、740万株はF社の債務の担保としてQファイナンス社に差し入れられた。その後、平成2年3月23日、上記肩代わりの債務者をG社に一本化することとされ、G社がQファイナンス社から600億円を借り受け、同時にJ社がG社から600億円を借り受けたこととされた。これにより、I社のQファイナンス社に対する966億円の債務のうち600億円の債務につき、G社が肩代わりすることとなった。
(イ) Aは、平成2年4月、B社株3000万株を1株4200円でB社側が買い取るよう要求した。被上告人Y3、同Y1らは、Aとの間の問題を解決する良い機会であると考え、S社、B社の関連会社及びC銀行の関連会社が各1000万株を引き取るという方向で、C銀行に検討を求めたが、C銀行は、上記価格で買い取ることはできないと判断した。Aは、同月20日、被上告人Y3に、K銀行にB社株を1株5800円で売却することを検討しているが、その場合にはKグループから役員が送り込まれることになろうなどと述べ、B社がK銀行の管理下に入ることをにおわせた。Aは、同月26日に、KグループのことはB社側が困るなら考え直しても良い、株の買取りは今の資金繰りが付くならば1年後で良いと譲歩の提案をしてきた。
被上告人Y1は、Aの提案を受け、平成2年5月中旬、要旨次のような方策(以下「本件方策」という。)を立案し、これを被上告人Y3に伝えた。
〈1〉 A保有のB社株3750万株は、S社が、1年後に1株5000円で買い取る。そのころには「Sクラブ」が開場しており、取引先金融機関の了解を得ることができる。
〈2〉 3750万株のうち1000万株はS社が引き受けるが、その余の2750万株はB社、C銀行の取引先に引き取ってもらう。それまでの金利負担はC銀行、B社側にバックアップしてもらう。
〈3〉 S社とI社は、B社株3750万株の売買予約契約を締結する。
〈4〉 A側に対し、上記買取りまで1875億円(売買代金相当額)を融資する。この融資金から、I社のQファイナンス社関連の966億円の債務、Rファイナンス社に対する250億円の債務、Lリース社に対する440億円の債務等を返済するなどして処理する。
〈5〉 上記(3)のとおりA側に交付された300億円については、B社株の代金以外で回収を図る。
被上告人Y3は、B社の主要な役員に対し、本件方策を相談したところ、全員が賛成した。C銀行は、本件方策について、1株5000円という価格には賛成しかねるが、B社の判断でやらざるを得ないということであれば、資金面については対応するとの考えを示した。その後、関係者間では、上記〈4〉の融資は、H社等のB社の関連会社が債務の肩代わりをすることによって行うこととされた。
(ウ) 本件方策に従い、H社は、平成2年5月24日、Qファイナンス社から、B社株500万株(I社が保有するもの)を担保として366億円を借り受け、同日、J社に対し、同額を貸し付けた。I社は、この融資金により、Qファイナンス社に対する366億円の債務を返済した。これによってI社のQファイナンス社に対する966億円の債務の残額366億円の債務につき、H社が肩代わりすることとなった。
また、同日、I社とS社の間で、I社が保有するB社株3450万株を代金1725億円で同年12月31日にS社が買い受けるとの売買予約契約が締結された。
(エ) F社は、平成2年6月14日、その保有するC銀行株40万株及びI社が保有するB社株500万株を担保として提供するほか、F社所有の不動産に根抵当権を設定して、Rファイナンス社から、250億円を借り受け、同日、H社に対し、同額を貸し付けた。更に、H社は、同日、J社に対し、同額を貸し付けた。I社は、この融資金により、Rファイナンス社に対する250億円の債務を返済した。これによってI社のRファイナンス社に対する250億円の債務につき、F社及びH社が肩代わりすることとなった。
(オ) G社は、平成2年6月14日、B社株300万株(A個人が保有するもの)を担保として提供して、Lリース社の関連会社であるWファイナンス株式会社(以下「Wファイナンス社」という。)から、390億円を借り受け、同日、J社に対し、同額を貸し付けた。I社は、この融資金により、Lリース社に対する440億円の債務のうち390億円を返済した。その後、B社は、G社の上記債務について、担保不足を補うため、B社が所有する小金井第2工場の敷地に根抵当権を設定した。これによってI社のLリース社に対する440億円の債務の一部につき、G社が肩代わりすることとなった。
イ B社としては、I社のQファイナンス社、Rファイナンス社及びLリース社に対する各債務について、その肩代わりに協力する必要は本来なかった。しかも、B社株3750万株を1株5000円と評価し、この売買代金相当額を融資することについても、この評価は、株価操作も加わるなどして異常な高値となったものであった。上記肩代わりは、結局は、B社株を高値で売り抜けたいというAの思惑に合致するものであり、B社にとって利益になることではなかったことも明らかである。また、例えば、Rファイナンス社の債務の肩代わりについてみると、F社のRファイナンス社に対する担保に比較して、J社の提供する担保は、B社株500万株のみであり、甚だ不均衡であった。S社、I社、J社が破綻すれば、これらの融資の返済は極めて困難な状況になることが明らかであった。その上、これらの会社は、肩代わりした債務の返済を行う能力を有しておらず、また、B社の関連会社が支払不能になれば、B社が最終的にこれを引き受けざるを得ないという前提があり、本件方策は、B社にとっては、巨額の損失を被る可能性の高いものであった。
(5) その後の経過
ア Aは、平成2年7月19日、O社株の株価操作の容疑で逮捕され、同年9月19日、B社の取締役を辞任した。Aの逮捕により、I社及びJ社が破綻し、J社からG社、H社等に対する入金も停止した。その後、S社が仕手筋にかかわっていることが報道されるなどしたため、S社の信用も失墜し、平成3年1月16日、S社は和議を申し立て、S社によるB社株の買取り構想も実現不可能となった。F社、G社及びH社も破綻するに至った。
イ G社、B社及びVリース社は、平成3年12月27日、Aに喝取された300億円の処理として、B社がG社のVリース社に対する300億円の債務を引き受けることを合意した。
ウ Qファイナンス社とB社、G社及びH社とは、平成4年1月16日、B社が、G社のQファイナンス社に対する600億円の債務のうち267億円及びH社のQファイナンス社に対する366億円の債務のうち163億円をそれぞれ保証し履行することなどを内容とする和解を成立させた。B社は、Qファイナンス社に対し、上記和解に従って、合計430億円を支払い、その後、Qファイナンス社から返還を受けたB社株1740万株を90億円で売却して同額を回収したがその余の340億円は回収不能となった。
エ F社は、平成9年3月、Rファイナンス社に対して担保として提供した不動産をC銀行の関連会社に合計100億円で売却し、同様に担保として提供したC銀行株40万株を5億円で売却し、Rファイナンス社に対する債務に充当した。
オ B社は、平成3年12月13日、G社のWファイナンス社に対する390億円の債務の担保であった小金井第2工場の敷地を約194億円で売却し、その売却代金によって上記債務の一部を弁済した。
3 上告人は、〈1〉Aによる恐喝被害に係る金員の交付(前項(3))、〈2〉Qファイナンス社に対する966億円の債務の肩代わり(同(4)ア(ア)、(ウ))、〈3〉Rファイナンス社に対するF社の所有物件等の担保提供(同(4)ア(エ))及び〈4〉Wファイナンス社に対する小金井第2工場の敷地の担保提供(同(4)ア(オ))の各行為によって、B社は合計939億円の損害を受けたと主張して、これに取締役として関与した被上告人らに対し、(1) 忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任、(2) 株主に対する利益供与の禁止規定違反(商法266条1項2号)の責任等があるとして、損害賠償を求めた。

4 原審は、上記の事実関係の下で、次のとおり判断し、上告人の請求を棄却すべきものとした。
(1) Aによる恐喝被害に係る金員の交付について
ア 忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任について被上告人Y2については、念書を書いた時点において判断に明らかに誤りがあった。被上告人Y3についても、その後のAの脅迫に対し、B社株が暴力団関係者に売られるのではないかという恐怖心にかられ、株式の取戻しをAに打診したために、300億円の要求を招き、被上告人Y1も含めてその提供に応じた点において、Aとの対応及び判断に誤りがあった。また、いかに脅迫されているとはいえ、B社にとって、外部に対し全く理由が立たず、かつ返済の当てのない300億円を融資の形で利益供与することは、会社としてはできないことであって、これを認めた他の取締役も、本来的には責任を免れない。被上告人らには、取締役として、上記利益供与を行ったことについて、外形的には、忠実義務違反、善管注意義務違反があったということができる。
しかし、前記事実関係に照らし、被上告人らの故意を認めることはできない。そして、被上告人らの過失の有無について判断すると、まず、念書の作成については、被上告人Y2が心労を重ね、冷静な判断ができない状況の中で、Aにうまく書かされた面があることを否定できず、同被上告人が念書を書いたことをもって直ちに過失があったということはできない。そして、その後の展開については、被上告人Y3及び同Y1としては、同Y2の失態をカバーしたい気持ちもあった上、このまま放置すれば、B社の優良会社としてのイメージは崩れ、多くの企業や金融機関からも相手にされなくなり、会社そのものが崩壊すると考えたことから、そのような会社の損害を防ぐためには、300億円という巨額の供与もやむを得ないとの判断を行い、他の被上告人もこれに同意したものである。前記のごときAのこうかつで暴力的な脅迫行為を前提とした場合、当時の一般的経営者として、被上告人らが上記のように判断したとしても、それは誠にやむを得ないことであった。以上の点を考慮すると、被上告人Y2、同Y3及び同Y1が300億円の供与を決め、その余の被上告人らが同意したことについて、取締役としての職務遂行上の過失があったとはいえず、被上告人らは商法266条1項5号の責任を負わない。
イ 株主の権利行使に関する利益供与の禁止規定違反(商法266条1項2号)の責任について
Aに対する300億円の供与は、暴力団の関連会社に売却したB社株を取り戻すためには300億円が必要であるとAから脅迫されたことに基づき、Aの支配するI社に対し、う回融資の形で300億円を融資したものである。B社経営陣の認識としては、暴力団の関連会社に譲渡された株式を、Aの下に取り戻すために利益供与をしたものであり、実際には、300億円を喝取されたものであって、商法294条ノ2(平成12年法律第90号による改正前のもの。以下同じ。)の「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」財産上の利益を供与したことに該当しないことが明らかであるから、被上告人らは商法266条1項2号の責任を負わない。
(2) 債務の肩代わり及び担保提供(本件方策)について
ア 忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任について
被上告人Y1が発案し、その余の被上告人らを含む主要な役員が了承した本件方策は、B社の経営者としては、本来採るべきものではなく、これに基づいて、B社の関連会社に巨額の債務の肩代わりをさせ、また、B社等としても担保を提供したことは、外形的には、取締役としての忠実義務、善管注意義務に違反するものといわなければならない。
しかし、被上告人らは、既に300億円を喝取されたことから、このままAが大株主としてB社にとどまるならば、更にB社の信用を失墜し、経営に大きな影響を与える事態が起きかねないと考え、早期にAからB社株の返還を受けてこれを安定株主に譲渡する必要があり、また、早期に、喝取された300億円を取り返す必要があると考えて、これが可能な方策がないかと検討していたものである。そして、当時B社株が市場で1株5000円の価格を付けており、「Sクラブ」が開場すればS社がB社株を実際に買い受けて債務を弁済することは十分可能であり、B社や関連会社ではなく、被上告人Y1の経営するS社がB社株を買い受けることになれば、合法的に、しかもB社が損害を受けることなく、Aの問題を解決できるのではないかと判断して、本件方策に従って債務の肩代わりと担保の提供を行ったものである。前記のような喝取事件を経験したB社の取締役としては、以上のような判断をしたことには無理からぬところがあった。したがって、本件方策に基づいて債務の肩代わり及び担保提供を行った被上告人らに過失があるということはできず、被上告人らは、商法266条1項5号の責任を負わない。
イ 株主の権利行使に関する利益供与の禁止規定違反(商法266条1項2号)の責任について
B社は、Aから債務の肩代わり及び株式の買取りを要求され、これに応ずる方策として本件方策を採用し、債務の肩代わり及び担保の提供を行ったものであるが、B社が行ったことは関連会社に対する担保の提供にすぎない。商法294条ノ2の「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」財産上の利益を供与したことに該当しないことが明らかであるから、被上告人らは商法266条1項2号の責任を負わない。

5 しかしながら、原審の上記判断はいずれも是認することができない。その理由は、次のとおりである。

(1) Aによる恐喝被害に係る金員の交付について
ア 忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任について
前記事実関係によれば、Aには当初から融資金名下に交付を受けた約300億円を返済する意思がなく、被上告人らにおいてこれを取り戻す当てもなかったのであるから、同融資金全額の回収は困難な状況にあり、しかも、B社としては金員の交付等をする必要がなかったのであって、上記金員の交付を正当化すべき合理的な根拠がなかったことが明らかである。被上告人らは、Aから保有するB社株の譲渡先は暴力団の関連会社であることを示唆されたことから、暴力団関係者がB社の経営等に干渉してくることにより、会社の信用が毀損され、会社そのものが崩壊してしまうことを恐れたというのであるが、証券取引所に上場され、自由に取引されている株式について、暴力団関係者等会社にとって好ましくないと判断される者がこれを取得して株主となることを阻止することはできないのであるから、会社経営者としては、そのような株主から、株主の地位を濫用した不当な要求がされた場合には、法令に従った適切な対応をすべき義務を有するものというべきである。前記事実関係によれば、本件において、被上告人らは、Aの言動に対して、警察に届け出るなどの適切な対応をすることが期待できないような状況にあったということはできないから、Aの理不尽な要求に従って約300億円という巨額の金員をI社に交付することを提案し又はこれに同意した被上告人らの行為について、やむを得なかったものとして過失を否定することは、できないというべきである。
イ 株主の権利行使に関する利益供与禁止規定違反(商法266条1項2号)の責任について
株式の譲渡は株主たる地位の移転であり、それ自体は「株主ノ権利ノ行使」とはいえないから、会社が、株式を譲渡することの対価として何人かに利益を供与しても、当然には商法294条ノ2第1項が禁止する利益供与には当たらないしかしながら、会社から見て好ましくないと判断される株主が議決権等の株主の権利を行使することを回避する目的で、当該株主から株式を譲り受けるための対価を何人かに供与する行為は、上記規定にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」利益を供与する行為というべきである。
前記事実関係によれば、B社は、Aが保有していた大量のB社株を暴力団の関連会社に売却したというAの言を信じ、暴力団関係者がB社の大株主としてB社の経営等に干渉する事態となることを恐れ、これを回避する目的で、上記会社から株式の買戻しを受けるため、約300億円というおよそ正当化できない巨額の金員を、う回融資の形式を取ってAに供与したというのであるから、B社のした上記利益の供与は、商法294条ノ2第1項にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものであるというべきである。

(2) 債務の肩代わり及び担保提供(本件方策)について
ア 忠実義務、善管注意義務違反(商法266条1項5号)の責任について
前記事実関係によれば、B社としては、本来、債務の肩代わりに協力する必要はなかった上、B社株を1株5000円とする評価は、株価操作も加わるなどして異常な高値となっていたものであって、将来株式の買取りがされることを前提として、そのような高値による買取り額と見合う額でされた融資による債務の肩代わりは、B社株を高値で売り抜けたいというAの思惑に合致するものであり、B社にとって利益になることではなかったことが明らかである。しかも、更に前記事実関係によれば、S社、I社、J社が破綻すれば、これらの融資の返済は極めて困難な状況になることが明らかであった上、関連会社が支払不能になれば、B社が最終的に関連会社の債務を引き受けざるを得ないものであり、本件方策は、B社にとっては、巨額の損失を被る可能性の高い方策であったというのである。したがって、被上告人らは、Aの理不尽な要求に応ずるべきではなく、少なくとも本件方策のような対応をすることを避けるべき義務があったというべきであり、Aの要求を退けるために前記300億円の喝取の件を含むAの言動について警察に届け出るなどの適切な対応をすることが期待できない状況にあったということもできないから、本件方策を提案し又はこれに同意して債務の肩代わり及び担保提供を行った被上告人らの行為について、無理からぬところがあったとして過失を否定することは、できないというべきである。 なお、原審は、Qファイナンス社に対する600億円の債務の肩代わりについても、本件方策に基づく債務の肩代わり及び担保提供と一体のものとして判断し、過失を否定しているが、上記債務の肩代わりは本件方策の提案より前にされたものであるから、本件方策に基づく債務の肩代わりとは別途に過失の有無が判断されなければならない。

イ 株主の権利行使に関する利益供与の禁止規定違反(商法266条1項2号)の責任について
前記事実関係によれば、本件方策においては形式的にはB社の関連会社が融資の主体として関与するものの、B社自体やその100%子会社であるF社も所有物件に担保を設定するなどしている上、関連会社が支払不能になれば、B社が最終的に関連会社の債務を引き受けざるを得ないという前提があったというのであるから、本件方策に基づく債務の肩代わり及び担保提供の実質は、B社が関連会社等を通じてした巨額の利益供与であることを否定することができない。そして、本件方策は、AがB社株をK銀行等に売却するなどと発言している状況の下で、将来Aから株式を取得する者の株主としての権利行使を事前に封じ、併せてAの大株主としての影響力の行使をも封ずるために採用されたものであるから、本件方策に基づく債務の肩代わり及び担保提供が商法294条ノ2第1項にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものであるというべきである。
なお、原審は、Qファイナンス社に対する600億円の債務の肩代わりについて、本件方策に基づく債務の肩代わり及び担保提供と一体のものとして判断し、商法266条1項2号の責任を否定しているが、これが本件方策に基づく債務の肩代わりとは別途に判断されなければならないことは商法266条1項5号の責任について述べたのと同様である。
6 以上のとおりであるから、被上告人らに過失がないとして商法266条1項5号の責任を否定し、また、B社のした利益供与が「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものではないとして商法266条1項2号の責任を否定した原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は、上記の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そこで、被上告人らの負担すべき損害額、利益供与額等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 滝井繁男 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀)

++解説
《解  説》
 1 Aは,I社の代表者であり,著名なグリーンメーラー(株式を大量に取得し,高値で売り抜け又は発行会社にこれを高値で買い取らせて利益を得ようとする者)であった。B社(蛇の目ミシン工業)は,ミシン等の製造及び販売を目的とする株式会社であり,当時C銀行をメインバンクとしていた東証一部上場企業である。B社の株主であるXは,同社の取締役Yらに対し株主代表訴訟を提起した。Xは,Aの脅迫に応じて300億円を交付した件と,その後,関連会社を通じてI社の債務の肩代わり等をした件を問題としたが,ここでは,基本となる前者(300億円の交付の件)を中心にコメントする。
 2 Aは,AやI社名義でB社株を大量に取得した。I社は,昭和62年3月には,B社の筆頭株主になり,Aは,同年6月の株主総会で同社の取締役に就任した。Aは,B社等の株式の取得のため巨額の借入れをしており,このうちPグループの系列ノンバンクに対する債務は966億円に達し,平成元年7月末には,そのうちの200億円を返済することになっていた。そこで,Aは,B社の当時の社長であるY1らに対し,B社やI社が共同で新会社を設立し,その新会社にI社の上記966億円の債務の肩代わりをさせたいと再三要求した。B社の首脳陣は,このAの計画に賛成したが,C銀行は,秘密裡にPグループのT会長との間で上記966億円の担保となっているB社株1740万株を買い取ってもらうべく交渉を始めており,Aの新会社構想に反対していた。このC銀行の動きを察知したAからの要請を受けたY2は,C銀行の反対を押し切り,Tの下を訪れて,新会社構想を説明しようとしたが,Tからまくしたてられて何も言い出すことができなかった。Aからこれを非難されたY2は,Aのいうがまま,Aが保有するB社株1740万株の買取り等についてY2が責任を持つ旨の念書を作成しAに交付してしまった。Aは,B社株を念書と共に暴力団の関連会社に売却した旨述べ,これを取りやめるのであれば,300億円を用立てるよう要求し,B社経営陣側が対応に苦慮していると,副社長であったY3らに対し,「大阪からヒットマンが2人来ている」などと述べて脅迫した。結局,B社は,Aの要求に従い,う回融資の形式を取ってI社に対し約300億円を交付したが,A側は,この金員を返済する意思がなく,その後,Aの逮捕によりI社等が破綻し,300億円の回収が不可能となった。当時B社の取締役であったYらは,上記金員の交付が,実質的には,Aに対する巨額の利益供与であって,経営者としては本来してはならない性質の行為であることを認識していながら,これを提案し,又はこれに同意していたというのである。
 3 1審,原審とも,請求を棄却し,Xから上告受理の申立てがあった。原審の争点のうち,受理決定で取り上げられたのは,忠実義務,善管注意義務違反を理由とする商法266条1項5号の責任の有無の点と,株主に対する利益供与の禁止規定違反を理由とする同項2号責任の有無の点である(なお,本件は会社法施行前の事件である。)。原審は,(1)商法266条1項5号の責任については,Yらには,300億円の利益供与を行ったことについて,外形的には,忠実義務違反,善管注意義務違反があったが,Yらは,Aの行為をそのまま放置すれば,B社の優良会社としてのイメージが崩れ,会社そのものが崩壊すると考え,これを防ぐために利益供与をしたのであって,Yらがこのように判断したとしても,やむを得ないことであって,Yらに過失があったとはいえないと判断し,(2)Aに対する300億円の供与について,B社経営陣の認識としては,暴力団の関連会社に譲渡された株式を,Aの下に取り戻すために利益供与したものであり,商法294条ノ2(平成12年改正前のもの。以下同じ。)にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」財産上の利益を供与したものとはいえない旨判示して,商法266条1項2号の責任も否定した。
 4 商法266条1項5号の責任の性質は債務不履行責任であり,取締役の過失が要件であると解するのが判例(最三小判昭51.3.23裁判集民117号231頁),通説(江頭憲治郎『株式会社・有限会社法〔第3版〕』367頁等)である。取締役の法令違反を認めながら過失を否定した最高裁判決として,上記昭和51年判決及び最二小判平12.7.7民集54巻6号1767頁,判タ1046号92頁があるが,これら2件の判決は,いずれも,取締役に法令違反の認識がなく,これについて過失がなかったとされた事案であるのに対し,本件は,違法性の意識の可能性という点が問題となった事案ではないから,本件とこれらの判決とでは事案が異なると思われる(藤井正夫・平15主判解(判タ1154号)167頁(原判決の評釈))。善管注意義務違反が問題となる債務不履行責任の場合,伝統的な見解では債務不履行の内容である善管注意義務違反と帰責事由である過失とは概念的には別個の要件とされるが,実質的にはその判断が交錯し重なり合う関係にあることが指摘されており(弥永真生『リーガルマインド会社法〔第9版〕』210頁注124),一方で善管注意義務違反を肯定しながら,過失を否定することは本来的には説明が困難である。この点,原判決は,そのようには明言してはいないが,適法行為の期待可能性を過失の一内容ととらえ,Yらについては,期待可能性がなかったから過失が否定されたのであるとも考えられる。しかしながら,期待可能性の欠如を理由として免責が認められる場合が理論的にはあり得るとしても実際にはそれは相当限られた場合であると考えられるし,本件の事実経過からみて,Aの要求を退けるために警察に届け出るなどの適切な対応をすることが期待できない状況にあったとはいえないところであり,期待可能性がなかったとして過失を否定することも困難と思われる。本判決は,Yらの行為について,やむを得なかったものとして過失を否定することはできない旨判示して,商法266条1項5号の責任についての原審の判示は是認することができないとした。
 5 原審が認定したように,本件の利益供与が,暴力団の関連会社から株式を取り戻すためにされたものであるとすると,株式を譲り受けるための対価を供与する行為が「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものといえるかどうか問題となる。
 この点については,株式の譲渡は,株主の地位の移転にすぎず,株主の権利の行使とはいえないとする否定説(A説)と,株式の譲渡は,現に株主である者にその持株を手放させるのは株付け行為の裏面であり,株主のあらゆる権利の行使の機会をなくすものであるという理由から「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものといえるという肯定説(龍田節・会社判例百選(第6版)160頁等(後記東京地判の評釈)。B説)が理論的には考えられる。もっとも,原則としてA説に立ちながら,利益供与の意図,目的が,経営陣に敵対的な株主に対し議決権の行使等株主の権利の行使をさせないという点にあるような場合には,権利行使をやめさせる手段として行われるものといえるとして,「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものということができるとする説(東京弁護士会会社法部編『利益供与ガイドライン』40頁以下等。A説)も少なくなく,この説によれば,事案での適用の結果は,B説とそれほど差がないともいえる。この論点について判示した最高裁判決は見当たらないが,東京地判平7.12.27判タ912号238頁,判時1560号140頁は,上記A説に近い立場に立ったものと解される。
 本判決は,上記A説を採用したものと思われる。そして,本判決は,上記利益供与については「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」されたものというべきである旨判断して,この点の原審の判断も是認できないものとした。
 6 本判決の判断のうち,取締役の忠実義務,善管注意義務違反の点は,1つの事例判断ではあるが,反社会的勢力に対する会社の対応の局面において最高裁が法令遵守を重視したものであり注目される。また,利益供与禁止規定の点についての判断は,利益供与禁止規定の要件について最高裁が初めての判断を示したものであり,重要な意義を有すると思われる。
3.学説その1
4.学説その2
5.学説その3
6.もう少し詳しく
7.利益相反取引における「任務」
Ⅳ 428条1項の「自己のために」の意義
・Dが乙社の全株式を保有している場合とか問題に。
・356条1項2号に該当する取引をした者のうち、「自己のために」取引をした者のみに厳格な責任が課される構造になっている。
・直接取引と間接取引の区別を明確に→名義説
でも、428条1項の「自己のために」では計算説で行ってもよいのでは。
手続規制と責任規制は趣旨を異にするし。
Ⅴ 行為の承認をした取締役の責任
Ⅵ その他


民法 基本事例で考える民法演習2 24ちゅん退任の地位の移転と解除権の帰趨~敷金と賃料をめぐる法律関係


1.小問1(1)について

+借地借家法
(建物賃貸借の対抗力等)
第三十一条  建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物権を取得した者に対し、その効力を生ずる
2  民法第五百六十六条第一項 及び第三項 の規定は、前項の規定により効力を有する賃貸借の目的である建物が売買の目的物である場合に準用する。
3  民法第五百三十三条 の規定は、前項の場合に準用する。
・譲受人が賃料を請求するに当たっては登記が必要。
←賃借人は177条の第三者に該当するから。
・+(解除権の行使)
第五百四十条  契約又は法律の規定により当事者の一方が解除権を有するときは、その解除は、相手方に対する意思表示によってする。
2  前項の意思表示は、撤回することができない。
+判例(S39.8.28)
理由 
 上告代理人香田広一の上告理由第五点について。 
 所論は、被土告人はすでに昭和三四年九月二八日本件建物を訴外Aに売り渡してその所有権を失つているのであるから、右売渡後の同年一〇月五日に同年九月末日までの延滞賃料の催告をなし、右賃料不払に基づいて被上告人のなした本件賃貸借契約解除はその効力を有しない筈であるのに、原審が右解除を有効と判断して被上告人の請求を認容したのは、借家法の解釈を誤まつたものであるという。 
 記録によれば、上告人が昭和三五年二月一六月午前一〇時の原審最終口頭弁論期日において、被上告人は昭和三四年九月二八日本件家屋を訴外Aに売り渡したからその実体的権利はすでに右訴外人に移転し被上告人はこれを失つている旨主張したのに対して、原審は右売却およびこれによる所有権喪失の有無につき被上告人に対して認否を求めないまま弁論を終結したことが明らかであり、原判決が、被上告人の本訴請求は賃貸借の消滅による賃貸物返還請求権に基づくものであるから仮に上告人主張のように被上告人が本件建物の所有権を他に譲渡してもこの事実は右請求権の行使を妨げる理由とはならないとして、被上告人の右請求を認容していることは、論旨のとおりである。 
 しかし、自己の所有建物を他に賃貸している者が賃貸借継続中に右建物を第三者に譲渡してその所有権を移転した場合には、特段の事情のないかぎり、借家法一条の規定により、賃貸人の地位もこれに伴つて右第三者に移転するものと解すべきところ、本件においては、被上告人が上告人に対して自己所有の本件建物を賃貸したものであることが当事者間に争が由ないのであるから、本件賃貸借契約解除権行使の当時被上告人が本件建物を他に売り渡してその所有権を失つていた旨の所論主張につき、もし被上告人がこれを争わないのであれば、被上告人は上告人に対する関係において、右解除権行使当時すでに賃貸人たるの地位を失つていたことになるのであり、右契約解除はその効力を有しなかつたものといわざるを得ない。しかるに、原審が、叙上の点を顧慮することなく、上告人の所論主張につき、本件建物の所有権移転が本訴請求を妨げる理由にはならないとしてこれを排斥したのは、借家法一条の解釈を誤まつたか、もしくは審理不尽の違法があるものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。従つて、上告代理人香田広一のその余の論旨および上告代理人清水正雄の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、なお右の点について審理の必要があるものと認められるから、民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外) 
・信頼関係理論
+判例(S39.7.28)
理由 
 上告代理人宮浦要の上告理由第一点について。 
 所論は、原判決には被上告人Aに対する本件家屋明渡の請求を排斥するにつき理由を付さない違法があるというが、原判決は、所論請求に関する第一審判決の理由説示をそのまま引用しており、所論は、結局、原判決を誤解した結果であるから、理由がない。 
 同第二点について。 
 所論は、相当の期間を定めて延滞賃料の催告をなし、その不履行による賃貸借契約の解除を認めなかつた原判決違法と非難する。しかし、原判決(及びその引用する第一審判決)は、上告人が被上告人Aに対し所論延滞賃料につき昭和三四年九月二一日付同月二二日到達の書面をもつて同年一月分から同年八月分まで月額一二〇〇円合計九六〇〇円を同年九月二五日までに支払うべく、もし支払わないときは同日かぎり賃貸借契約を解除する旨の催告ならびに停止条件付契約解除の意思表示をなしたこと、右催告当時同年一月分から同年四月分までの賃料合計四八〇〇円はすでに適法に弁済供託がなされており、延滞賃料は同年五月分から同年八月分までのみであつたこと、上告人は本訴提起前から賃料月額一五〇〇円の請求をなし、また訴訟上も同額の請求をなしていたのに、その後訴訟進行中に突如として月額一二〇〇円の割合による前記催告をなし、同被上告人としても少なからず当惑したであろうこと、本件家屋の地代家賃統制令による統制賃料額は月額七五〇円程度であり、従つて延滞賃料額は合計三〇〇〇円程度にすぎなかつたこと、同被上告人は昭和一六年三月上告人先代から本件家屋賃借以来これに居住しているもので、前記催告に至るまで前記延滞額を除いて賃料延滞の事実がなかつたこと、昭和二五年の台風で本件家屋が破損した際同被上告人の修繕要求にも拘らず上告人側で修繕をしなかつたので昭和二九年頃二万九〇〇〇円を支出して屋根のふきかえをしたが、右修繕費について本訴が提起されるまで償還を求めなかつたこと、同被上告人は右修繕費の償還を受けるまでは延滞賃料債務の支払を拒むことができ、従つて昭和三四年五月分から同年八月分までの延滞賃料を催告期間内に支払わなくても解除の効果は生じないものと考えていたので、催告期間経過後の同年一一月九日に右延滞賃料弁済のためとして四八〇〇円の供託をしたことを確定したうえ、右催告に不当違法の点があつたし、同被上告人が右催告につき延滞賃料の支払もしくは前記修繕費償還請求権をもつてする相殺をなす等の措置をとらなかつたことは遺憾であるが、右事情のもとでは法律的知識に乏しい同被上告人が右措置に出なかつたことも一応無理からぬところであり、右事実関係に照らせば、同被上告人にはいまだ本件賃貸借の基調である相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不誠意があると断定することはできないとして、上告人の本件解除権の行使を信義則に反し許されないと判断しているのであつて、右判断は正当として是認するに足りる。従つて、上告人の本件契約解除が有効になされたことを前提とするその余の所論もまた、理由がない。 
 同第三点について。 
 所論は、被上告人B及び同Cの本件家屋改造工事は賃借家屋の利用の程度をこえないものであり、保管義務に違反したというに至らないとした原審の判断は違法であつて、民法一条二項三項に違反し、ひいては憲法一二条二九条に違反するという。しかし、原審は、右被上告人らの本件改造工事について、いずれも簡易粗製の仮設的工作物を各賃借家屋の裏側にそれと接して付置したものに止まり、その機械施設等は容易に撤去移動できるものであつて、右施設のために賃借家屋の構造が変更せられたとか右家屋自体の構造に変動を生ずるとかこれに損傷を及ぼす結果を来たさずしては施設の撤去が不可能という種類のものではないこと、及び同被上告人らが賃借以来引き続き右家屋を各居住の用に供していることにはなんらの変化もないことを確定したうえ、右改造工事は賃借家屋の利用の限度をこえないものであり、賃借家屋の保管義務に違反したものというに至らず、賃借人が賃借家屋の使用収益に関連して通常有する家屋周辺の空地を使用しうべき従たる権利を濫用して本件家屋賃貸借の継続を期待し得ないまでに貸主たる上告人との間の信頼関係が破壊されたものともみられないから、上告人の本件契約解除は無効であると判断しているのであつて、右判断は首肯でき、その間なんら民法一条二項三項に違反するところはない。また、所論違憲の主張も、その実質は右民違を主張するに帰するから、前記説示に照らしてその理由のないことは明らかである。所論は、すべて採るを得ない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 田中二郎 裁判官 石坂修一 裁判官 横田正俊 裁判官 柏原語六) 
2.小問1(2)について(基礎編)
・賃貸人の移転に伴う敷金関係の移転
+判例(S48.2.2)
理由 
 上告代理人山下勉一の上告理由について。 
 原判決の確定したところによれば、訴外Aは、昭和三四年一〇月三一日、訴外Bから、同人所有の本件家屋二棟を資料一か月八〇〇〇円、期間三年の約で借り受け、敷金二五万円を同人に交付したが、右賃貸借契約においては、「右敷金ハ家屋明渡ノ際借主ノ負担二属スル債務アルトキハ之ニ充当シ、何等負担ナキトキハ明渡ト同時ニ無利息ニテ返還スルコト」との条項が書面上明記されていたこと、被上告人は、昭和三五年中、競落により本件各家屋の所有権を取得して、Aに対する賃貸人の地位を承継し、その結果右敷金をも受け継いだところ、右賃貸借は昭和三七年一〇月三一日期間満了により終了し、当時賃料の延滞はなかつたこと、被上告人は、Aから本件各家屋の明渡義務の履行を受けないまま、同年一二月二六日、これを訴外Cに売り渡し、かつ、それと同時に、右賃貸借終了の日の翌日から右売渡の日までのAに対する明渡義務不履行による損害賠償債権ならびに過去および将来にわたり生ずべきAに対する右損害賠償債権の担保としての敷金をCに譲渡し、その頃その旨をAに通知したが、右譲渡につきAの承諾を得た事実はなかつたこと、その後CがAに対して提起した訴訟の一、二審判決において、AがCに対して本件各家屋明渡義務および一か月二万四九四七円の割合による賃料相当損害金の支払義務を負うことが認められたのち、昭和四〇年三月三日頃もCとAとの間において、CのAに対する右賃料相当損害金債権のうちから、本件敷金などを控除し、その余の損害金債権を放棄する旨の和解が成立し、同年四月三日頃AがCに対し本件各家屋を明渡したこと、以上の事実が認められるというのであり、他方、上告人が、Aに対する強制執行として、昭和四〇年一月二七日、Aの被上告人に対する本件敷金返還請求権につき差押および転付命令を得、同命令が同月二九日Aおよび被上告人に送達された事実についても、当事者間に争いがなかつたことが明らかである。 
 原判決は、以上の事実関係に基づき、本件賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借契約終了後の家屋明渡義務不履行に基づく損害賠償債権をも担保するものであり、家屋の譲渡によつてただちにこのような敷金の担保的効力が奪われるべきではないから、賃貸借終了後に賃貸家屋の所有権が譲渡された場合においても、少なくとも旧所有者と新所有者との間の合意があれば、貸借人の承諾の有無を問わず、新所有者において敷金を承継することができるものと解すべきであり、したがつて、被上告人がCに本件敷金を譲渡したことにより、Cにおいて右敷金の担保的効力とその条件付返還債務とを被上告人から承継し、その後、右敷金は、前記の一か月二万四九四七円の割合により遅くとも昭和三八年九月末日までに生じた賃料相当の損害金に当然に充当されて、全部消滅したものであつて、上告人はその後に得た差押転付命令によつて敷金返還請求権を取得するに由ないものというべきであり、なお、右転付命令はすでに敷金をCに譲渡した後の被上告人を第三債務者とした点においても有効たりえない、と判断したのである。 
 思うに、家屋賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借終了後家屋明渡義務履行までに生ずる賃料相当損害金の債権その他賃貸借契約により賃貸人が貸借人に対して取得することのあるべき一切の債権を担保し、賃貸借終了後、家屋明渡がなされた時において、それまでに生じた右の一切の被担保債権を控除しなお残額があることを条件として、その残額につき敷金返還請求権が発生するものと解すべきであり、本件賃貸借契約における前記条項もその趣旨を確認したものと解される。しかしながら、ただちに、原判決の右の見解を是認することはできない。すなわち、敷金は、右のような賃貸人にとつての担保としての権利と条件付返還債務とを含むそれ自体一個の契約関係であつて、敷金の譲渡ないし承継とは、このような契約上の地位の移転にほかならないとともに、このような敷金に関する法律関係は、賃貸借契約に付随従属するのであつて、これを離れて独立の意義を有するものではなく、賃貸借の当事者として、賃貸借契約に関係のない第三者が取得することがあるかも知れない債権までも敷金によつて担保することを予定していると解する余地はないのである。したがつて、賃貸借継続中に賃貸家屋の所有権が譲渡され、新所有者が賃貸人の地位を承継する場合には、賃貸借の従たる法律関係である敷金に関する権利義務も、これに伴い当然に新賃貸人に承継されるが、賃貸借終了後に家屋所有権が移転し、したがつて、賃貸借契約自体が新所有者に承継されたものでない場合には、敷金に関する権利義務の関係のみが新所有者に当然に承継されるものではなく、また、旧所有者と新所有者との間の特別の合意によつても、これのみを譲渡することはできないものと解するのが相当である。このような場合に、家屋の所有権を取得し、賃貸借契約を承継しない第三者が、とくに敷金に関する契約上の地位の譲渡を受け、自己の取得すべき貸借人に対する不法占有に基づく損害賠償などの債権に敷金を充当することを主張しうるためには、賃貸人であつた前所有者との間にその旨の合意をし、かつ、賃借人に譲渡の事実を通知するだけでは足りず、賃借人の承諾を得ることを必要とするものといわなければならない。しかるに、本件においては、被上告人からCへの敷金の譲渡につき、上告人の差押前にAが承諾を与えた事実は認定されていないのであるから、被上告人およびCは、右譲渡が有効になされ敷金に関する権利義務がCに移転した旨、およびCの取得した損害賠償債権に敷金が充当された旨を、Aおよび上告人に対して主張することはできないものと解すべきである。したがつて、これと異なる趣旨の原判決の前記判断は違法であつて、この点を非難する論旨は、その限度において理由がある。 
 しかし、さらに検討するに、前述のとおり、敷金は、賃貸借終了後家屋明渡までの損害金等の債権をも担保し、その返還請求権は、明渡の時に、右債権をも含めた賃貸人としての一切の債権を控除し、なお残額があることを条件として、その残額につき発生するものと解されるのであるから、賃貸借終了後であつても明渡前においては、敷金返還請求権は、その発生および金額の不確定な権利であつて、券面額のある債権にあたらず、転付命令の対象となる適格のないものと解するのが相当である。そして、本件のように、明渡前に賃貸人が目的家屋の所有権を他へ譲渡した場合でも、貸借人は、賃貸借終了により賃貸人に家屋を返還すべき契約上の債務を負い、占有を継続するかぎり右債務につき遅滞の責を免れないのであり、賃貸人において、貸借人の右債務の不履行により受くべき損害の賠償請求権をも敷金によつて担保しうべきものであるから、このような場合においても、家屋明渡前には、敷金返還請求権は未確定な債権というべきである。したがつて、上告人が本件転付命令を得た当時Aがいまだ本件各家屋の明渡を了していなかつた本件においては、本件敷金返還請求権に対する右転付命令は無効であり、上告人は、これにより右請求権を取得しえなかつたものと解すべきであつて、原判決中これと同趣旨の部分は、正当として是認することができる。 
 したがつて、本件敷金の支払を求める上告人の請求を排斥した原判決は、結局相当であつて、本件上告は棄却を免れない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄) 
・敷金の充当と引き継がれる残額
+判例(S44.7.17)
理由 
 上告代理人鈴木権太郎の上告理由について。 
 原判決が昭和三六年三月一日以降同三九年三月一五日までの未払賃料額の合計が五四万三七五〇円である旨判示しているのは、昭和三三年三月一日以降の誤記であることがその判文上明らかであり、原判決には所論のごとき計算違いのあやまりはない。また、所論賃料免除の特約が認められない旨の原判決の認定は、挙示の証拠に照らし是認できる。 
 しかして、上告人が本件賃料の支払をとどこおつているのは昭和三三年三月分以降の分についてであることは、上告人も原審においてこれを認めるところであり、また、原審の確定したところによれば、上告人は、当初の本件建物賃貸人訴外亡Aに敷金を差し入れているというのである。思うに、敷金は、賃貸借契約終了の際に賃借人の賃料債務不履行があるときは、その弁済として当然これに充当される性質のものであるから、建物賃貸借契約において該建物の所有権移転に伴い賃貸人たる地位に承継があつた場合には、旧賃貸人に差し入れられた敷金は、賃借人の旧賃貸人に対する未払賃料債務があればその弁済としてこれに当然充当され、その限度において敷金返還請求権は消滅し、残額についてのみその権利義務関係が新賃貸人に承継されるものと解すべきである。したがつて、当初の本件建物賃貸人訴外亡Aに差し入れられた敷金につき、その権利義務関係は、同人よりその相続人訴外Bらに承継されたのち、右Bらより本件建物を買い受けてその賃貸人の地位を承継した新賃貸人である被上告人に、右説示の限度において承継されたものと解すべきであり、これと同旨の原審の判断は正当である。論旨は理由がない。 
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎) 
3.小問(2)について(応用編)
・旧賃貸人と賃借人との間でされた合意は新賃貸人に承継される!
+判例(S38.9.26)
理由 
 上告代理人岡本共次郎の上告理由第一点について。 
 所論は、転貸許容の特約の存在を肯定した原審の事実認定は採証法則、経験則に違背すると主張する。しかし、原判決が、前所有者訴外Aの代理人Bにおいて、本件家屋を賃貸した当初から、賃借人訴外C(被上告人Dを除く被上告人三名の先代)が本件家屋の階下一一坪五合の部分を不特定の第三者に転貸することを暗黙に承諾していたものと認定したことは、その挙示する証拠によつて原審が認めた諸事情を綜合し、肯認できないわけではない。所論は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰し、排斥を免れない。 
 同第二点について。 
 所論は、所論のいわゆる概括的転貸許容の特約は賃貸借契約の本来的(実質的)事項でないから、その登記なくしては、家屋の新所有者に対抗できないと主張して、これと異る原判決の判断を攻撃する。しかし、借家法一条一項の規定の趣旨は、賃貸借の目的たる家屋の所有権を取得したる者が旧所有者たる賃貸人の地位を承継することを明らかにしているのであるから、それは当然に、旧所有者と賃借人間における賃貸借契約より生じたる一切の権利義務が、包括的に新所有者に承継せられる趣旨をも包含する法意である。右と同趣旨の原判決の判断は正当であり、所論は独自の見解であつて、採用できない。 
 同第三点について。 
 所論第一審第五回口頭弁論調書に、上告人の主張について「解約」という文字が使用されているからといつて、それだけで、所論のようにそれは「解約申入」の趣旨であつて、「合意解約」の趣旨でないと断定できる筋合いのものでない。 
 また、上告人が借家法三条の解約の申入による賃貸借の終了を主張したことは、記録上認められない。無断転貸を理由とする解除の主張に、当然に、解約の申入による賃貸借の終了の主張をも含んでいると解せられない。以上、所論はすべて排斥を免れない。 
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 斎藤朔郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 長部謹吾) 
+判例(S39.6.26)
理由 
 上告代理人高坂安太郎の上告理由第一点について。 
 所論は、まず本件賃貸借の家賃支払を取立債務と認定した原判決は採証法則に違反する旨主張する。しかし、原判決挙示の証拠によれば、原判決の認定のような特殊事情にもとづき家賃支払について訴外Aと被上告人との間に取立債務とする合意が成立したとの原判決認定の事実を容認しえないわけではなく、所論は、結局、原審の専権に属する事実の認定を非難するに帰し採用しがたい。 
 つぎに、所論は、上告人が賃貸人の地位を承継したから賃料の取立債務とする特殊事情はなくなり持参債務に変更した旨主張する。 
 しかし、不動産の所有者が賃貸人の地位を承継するのは従前の賃貸借の内容をそのまま承継するのであるから、賃料の取立債務もそのまま承継されると解すべきである。所論のように賃料の取立債務が当然に持参債務に変更するものではない。所論は、独自の見解であつて、採用しがたい。 
 同第三点について。 
 原判決は、上告会社が一月金五、〇〇〇円の値上げを固執し、催告当時においてもそれ以下の金額では家賃の協定に応ずる意思がなく、弁済の提供を受けてもこれを受領しないような態度を示していたことがうかがえる旨判示しており、原判決拳示の証拠によると、右事実はこれを容認しえないわけではない。 
 それゆえ、右のような場合においては、値上相当額月金三、九八九円を金一、〇一一円しかこえない賃料月金五、〇〇〇円の割合による家賃債務についての支払催告であつても、適法な催告といいがたく、したがつて、過大な催告としてその効力を否定した原判決の判断は正当としてこれを容認しうるとこである(論旨引用の判例は、本件に適切でない。)。 
 所論は採用しがたい。 
 同第二点および第四点について。 
 しかし、本件家屋の賃貸借が賃料の不払を理由として解除されるためには、特段の事情のないかぎり、催告が適法にされることを必要とするところ、上告人のした催告が効力を生じないことは、上告理由第三点において判断したとおりであるから、被上告人に賃料の不払について遅滞があると否とにかかわらず、賃貸借の解除は効力を生じないことはあきらかである。所論は、催告の有効を前提とするものであり、結局前提を欠くものとして、排斥を免れない。 
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)
・密接に関連する2つの契約の一方に対する不履行が他方の契約の解除原因となるか 
+判例(H8.11.12)
理由 
 上告代理人齋藤護の上告理由について 
 一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。 
 1 被上告人は、不動産の売買等を目的とする株式会社であり、兵庫県佐用郡に別荘地を開発し、いわゆるリゾートマンションである佐用コンドミニアム(以下「本件マンション」という)を建築して分譲するとともに、スポーツ施設である佐用フュージョン倶楽部(以下「本件クラブ」という)の施設を所有し、管理している。 
 2(一) 上告人らは、平成三年一一月二五日、被上告人から、持分を各二分の一として、本件マンションの一区分である本件不動産を代金四四〇〇万円で買い受け(以下「本件売買契約」という)、同日手付金四四〇万円を、同年一二月六日残代金を支払った。本件売買契約においては、売主の債務不履行により買主が契約を解除するときは、売主が買主に手付金相当額を違約金及び損害賠償として支払う旨が合意されている。(二)上告人Aは、これと同時に、被上告人から本件クラブの会員権一口である本件会員権を購入し(以下「本件会員権契約」という)、登録料五〇万円及び入会預り金二〇〇万円を支払った。 
 3(一) 被上告人が書式を作成した本件売買契約の契約書には、表題及び前書きに「佐用フュージョン倶楽部会員権付」との記載があり、また、特約事項として、買主は、本件不動産購入と同時に本件クラブの会員となり、買主から本件不動産を譲り受けた者についても本件クラブの会則を遵守させることを確約する旨の記載がある。(二)被上告人による本件マンション分譲の新聞広告には、「佐用スパークリンリゾートコンドミニアム(佐用フュージョン倶楽部会員権付)」との物件の名称と共に、本件マンションの区分所有権の購入者が本件クラブを会員として利用することができる旨の記載がある。(三)本件クラブの会則には、本件マンションの区分所有権は、本件クラブの会員権付きであり、これと分離して処分することができないこと、区分所有権を他に譲渡した場合には、会員としての資格は自動的に消滅すること、そして、区分所有権を譲り受けた者は、被上告人の承認を得て新会員としての登録を受けることができる旨が定められている。 
 4(一) 被上告人は、本件マンションの区分所有権及び本件クラブの会員権を販売するに際して、新聞広告、案内書等に、本件クラブの施設内容として、テニスコート、屋外プール、サウナ、レストラン等を完備しているほか、さらに、平成四年九月末に屋内温水プール、ジャグジー等が完成の予定である旨を明記していた。(二)その後、被上告人は、上告人らに対し、屋内プールの完成が遅れる旨を告げるとともに、完成の遅延に関連して六〇万円を交付した。上告人らは、被上告人に対し、屋内プールの建設を再三要求したが、いまだに着工もされていない。(三)上告人らは、被上告人に対し、屋内プール完成の遅延を理由として、平成五年七月一二日到達の書面で、本件売買契約及び本件会員権契約を解除する旨の意思表示をした。 
 二 本件訴訟は、(1)上告人らがそれぞれ、被上告人に対し、本件不動産の売買代金から前記の六〇万円を控除し、これに手付金相当額を加えた金額の半額である各二三九〇万円の支払を、(2)上告人Aが、被上告人に対し、本件会員権の登録料及び入会預り金の額である二五〇万円の支払を請求するものである。 
  原審は、前記事実関係の下において、次のとおり判示して、上告人らの請求を認容した第一審判決を取り消し、上告人らの請求をいずれも棄却した。すなわち、(一)本件不動産と本件会員権とは別個独立の財産権であり、これらが一個の客体として本件売買契約の目的となっていたものとみることはできない。(二)本件のように、不動産の売買契約と同時にこれに随伴して会員権の購入契約が締結された場合において、会員権購入契約上の義務が約定どおり履行されることが不動産の売買契約を締結した主たる目的の達成に必須であり、かつ、そのことが不動産の売買契約に表示されていたときは、売買契約の要素たる債務が履行されないときに準じて、会員権購入契約上の義務の不履行を理由に不動産の売買契約を解除することができるものと解するのが相当である。(三)しかし、上告人らが本件不動産を買い受けるについては、本件クラブの屋内プールを利用することがその重要な動機となっていたことがうかがわれないではないが、そのことは本件売買契約において何ら表示されていなかった。(四)したがって、屋内プールの完成の遅延が本件会員権契約上の被上告人の債務不履行に当たるとしても、上告人らがこれを理由に本件売買契約を解除することはできない。 
 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 1 前記一4(一)の事実によれば、本件クラブにあっては、既に完成しているテニスコート等の外に、その主要な施設として、屋外プールとは異なり四季を通じて使用の可能である屋内温水プールを平成四年九月末ないしこれからそれほど遅れない相当な時期までに完成することが予定されていたことが明らかであり、これを利用し得ることが会員の重要な権利内容となっていたものというべきであるから、被上告人が右の時期までに屋内プールを完成して上告人らの利用に供することは、本件会員権契約においては、単なる付随的義務ではなく、要素たる債務の一部であったといわなければならない。 
 2 前記一3の事実によれば、本件マンションの区分所有権を買い受けるときは必ず本件クラブに入会しなければならず、これを他に譲渡したときは本件クラブの会員たる地位を失うのであって、本件マンションの区分所有権の得喪と本件クラブの会員たる地位の得喪とは密接に関連付けられている。すなわち、被上告人は、両者がその帰属を異にすることを許容しておらず、本件マンションの区分所有権を買い受け、本件クラブに入会する者は、これを容認して被上告人との間に契約を締結しているのである。 
  このように同一当事者間の債権債務関係がその形式は甲契約及び乙契約といった二個以上の契約から成る場合であっても、それらの目的とするところが相互に密接に関連付けられていて、社会通念上、甲契約又は乙契約のいずれかが履行されるだけでは契約を締結した目的が全体としては達成されないと認められる場合には、甲契約上の債務の不履行を理由に、その債権者が法定解除権の行使として甲契約と併せて乙契約をも解除することができるものと解するのが相当である。 
 3 これを本件について見ると、本件不動産は、屋内プールを含むスポーツ施設を利用することを主要な目的としたいわゆるリゾートマンションであり、前記の事実関係の下においては、上告人らは、本件不動産をそのような目的を持つ物件として購入したものであることがうかがわれ、被上告人による屋内プールの完成の遅延という本件会員権契約の要素たる債務の履行遅滞により、本件売買契約を締結した目的を達成することができなくなったものというべきであるから、本件売買契約においてその目的が表示されていたかどうかにかかわらず、右の履行遅滞を理由として民法五四一条により本件売買契約を解除することができるものと解するのが相当である。 
 四 したがって、上告人らが本件売買契約を解除することはできないとした原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、原審の確定した事実によれば、上告人らの請求を認容した第一審判決は正当として是認すべきものであって、被上告人の控訴を棄却すべきである。 
  よって、原判決を破棄して被上告人の控訴を棄却することとし、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信) 
++解説
《解  説》
 一 Yは、兵庫県佐用郡に別荘地を開発し、リゾートマンションである本件マンションを建築して分譲するとともに、スポーツ施設である本件クラブの施設を所有し、管理している。X1・X2は、Yから本件マンションの一区分である本件不動産を買い受け、X1は、これと同時に、Yから本件クラブの会員権一口である本件会員権を購入した。本件不動産の売買契約書の記載、本件クラブの会則の定め等によれば、本件マンションの区分所有権を買い受けるときは必ず本件クラブに入会しなければならず、これを他に譲渡したときは本件クラブの会員たる地位を失うこととされており、本件マンションの区分所有権の得喪と本件クラブの会員たる地位の得喪とは密接に関連付けられている。本件マンションの分譲広告等には、本件クラブの施設内容として、テニスコート、屋外プール等を完備しているほか、さらに、屋内プール、ジャグジー等が近く完成の予定である旨が明記されていたが、XらがYに対して屋内プールの建設を再三要求したにもかかわらず、いまだに着工もされていない。
 そこで、Xらは、Yに対し、屋内プール完成の遅延を理由として、右売買契約及び会員権契約を解除する旨の意思表示をし、売買代金等の返還を求めて本訴を提起した。
 二 第一審は、本件売買契約と本件会員権契約は不可分的に一体化したものと考えるべきであり、相当期間内に屋内プールを建設してこれをXらに利用させるYの債務は、本件会員権契約のみならず、本件売買契約にとっても必須の要素たる債務であるとして、契約解除の効力を認め、Xらの請求を全部認容した。
 これに対し、原審は、①本件不動産と本件会員権とは別個独立の財産権であり、これらが一個の客体として本件売買契約の目的となっていたものとみることはできない、②会員権購入契約上の義務が約定どおり履行されることが不動産の売買契約を締結した主たる目的の達成に必須であり、かつ、そのことが不動産の売買契約に表示されていたときは、売買契約の要素たる債務が履行されないときに準じて、会員権購入契約上の義務の不履行を理由に不動産の売買契約を解除することができる、③しかし、Xらが本件不動産を買い受けるについては、屋内プールを利用することがその主要な動機となっていたことがうかがわれないではないが、そのことは本件売買契約において何ら表示されていなかった、④したがって、屋内プールの完成の遅延を理由に本件売買契約を解除することはできないとして、第一審判決を取り消し、Xらの請求をいずれも棄却した。
 三 まず問題になるのは、本件会員権契約の上で屋内プールの建設がYの債務となっているかどうか(Yは、この点も争っていた)、債務であるとしてそれが付随的義務ではなく要素たる債務であるかどうかである。これがいずれも肯定されなければ、本件会員権契約だけの解除すら認められないということになる。
 屋内プールの建設は契約書に明記された義務となっていたわけではないが、新聞広告の記載内容等の本判決がその一4(一)に摘示する事実によれば、本件会員権契約において、スポーツクラブの重要な施設である屋内プールを建設し、これを会員の使用に供することは、Yの債務となっていたと考えるのが当然であろう。
 履行遅滞を理由として民法五四一条により契約を解除するには、その債務が付随的義務ではなく、要素たる債務でなければならない(大判昭13・9・30民集一七巻一七七五頁、最三小判昭36・11・21民集一五巻一〇号二五〇七頁、通説)。ただし、外見上は契約の付随的約款で定められている義務の不履行であっても、その不履行が契約締結の目的の達成に重大な影響を与えるものであるときは、この債務は契約の要素たる債務であり、これを理由に契約を解除することができるとするのが、判例である(最二小判昭43・2・23民集二二巻二号二八一頁)。すなわち、要素たる債務であるか付随的義務であるかは、契約の外見・形式によっては決まらず、その不履行があれば契約の目的が達成されないような債務は、付随的義務ではなく、要素たる債務であるということになる(浜田稔「付随的債務の不履行と解除」契約法大系Ⅰ三一五頁以下ほか。なお、星野英一・民法概論Ⅳ七五頁以下も参照)。この基準によれば、スポーツクラブというものの特質を考えると、屋内プールを建設して会員の使用に供するというYの債務は、要素たる債務であると考えられる。本判決は、その三1において、まずこのことを判示している。
 四 次に問題になるのは、会員権契約上の債務不履行(履行遅滞)を理由として売買契約を解除することができるかということであり、本判決の判例要旨とされた点である。
 この両契約が、二個の契約ではなく、実は不動産の売買契約にスポーツクラブの入会契約の要素が付加された一個の混合契約であるとすれば、屋内プールを建設して会員の使用に供するというYの債務は、この混合契約においても要素たる債務であるといえるであろうから、Xらは契約の全体を解除することができるということになる。本件マンションの区分所有権の得喪と本件クラブの会員たる地位の得喪とが前記のように密接に関連付けられていることからすれば、一個の混合契約であると見ることが全く不可能というわけでもない。しかし、本件クラブの施設は、本件マンションの共用施設となっているわけではなく、マンションそのものの区分所有権とは別個に、本件クラブに入会することによって初めてこれを使用し得ることになるのであるから、両者は密接に関連付けられているものの、二個の独立した契約であると見るのが相当であろう。本判決は、正面からこれについて論じていないが、両者が二個の独立した契約であることを前提として、前記の問題を論じている。
 そこで、両者が二個の独立した契約であっても、一方の契約上の債務不履行(履行遅滞)を理由として他方の契約を解除することができるかという問題になるのであるが、民法五四一条は一個の契約を想定した条文であると考えられ、学説上もこの問題はほとんど論じられていなかったようである(多少参考になる裁判例として、不動産の小口持分の売買とその持分の賃貸借の契約に関する東京地判平4・7・27判時一四六四号七六頁、金法一三五四号四六頁、その控訴審東京高判平5・7・13金法一三九二号四五頁、これらの評釈として星野豊「不動産小口化商品の解約」ジュリ一〇六七号一三一頁がある。)。
 しかし、契約解除の可否という観点から同一当事者間の債権債務関係を見る場合に、その間の契約の個数が一個であるか二個以上であるかは、それほど本質的な問題であるとはいえないであろう。形式的にはこれが二個以上の契約に分解されるとしても、両者の目的とするところが有機的に密接に結合されていて、社会通念上、一方の契約のみの実現を強制することが相当でないと認められる場合(一方のみでは契約の目的が達成されない場合)には、民法五四一条により一方の契約の債務不履行を理由に他方の契約をも解除することができるとするのが、契約当事者の意識にも適合した常識的な解釈であると思われる。
 本判決は、「要旨一」のとおりの法理を説示して右の問題を肯定した。そして、民法五四一条をこのように解する場合には、原判決のように契約解除の可否を動機の表示の有無に懸からせることも相当ではないから、本件においても、その表示の有無にかかわらず、屋内プールの完成の遅延というYの履行遅滞を理由に、Xらは、民法五四一条により本件売買契約を解除することができるとして、原判決を破棄し、Yの控訴を棄却したのである。
 五 本判決は、常識的な内容を説示するものではあるが、基本的である割には先例の乏しい法律問題について最高裁が法理を示したものとして、その意義は少なくないものと思われる。
4.小問2について(基礎編)
・将来債権譲渡について
+判例(H11.1.29)
理由 
 上告代理人中村勝美の上告理由について 
 一 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。 
 1 A診療所を経営する医師であるAは、昭和五七年一一月一六日、上告人との間に、上告人のAに対する債権の回収を目的として、Aは同年一二月一日から平成三年二月二八日までの間に社会保険診療報酬支払基金(以下「基金」という。)から支払を受けるべき診療報酬債権を次のとおり上告人に対して譲渡する旨の契約(以下「本件契約」という。)を締結し、昭和五七年一一月二四日、基金に対し、本件契約について確定日付のある証書をもって通知をした。 
 昭和五七年一二月から昭和五九年一〇月まで 毎月四四万一四五一円 
 昭和五九年一一月から平成三年一月まで 毎月九一万〇六七四円 
 平成三年二月 一〇一万四六七九円 
 合計七九四六万八六〇二円 
 2 Aについて、昭和五九年六月二二日から平成元年三月一五日までの間に、第一審判決別紙二国税債権目録記載のとおり各国税の納期限が到来した。 
 3 仙台国税局長は、平成元年五月二五日、右各国税の滞納処分として、Aが平成元年七月一日から平成二年六月三〇日までの間に基金から支払を受けるべき各診療報酬債権(以下「本件債権部分」という。)を差し押さえ、平成元年五月二五日、基金に対してその旨の差押通知書が送達された。 
 4 基金は、本件債権部分に係る各債権について、平成元年七月二五日から平成二年六月二七日までの間に、第一審判決別紙一供託金目録記載のとおり、債権者不確知等を原因とし、被供託者をA又は上告人として、合計五一九万六〇〇九円を供託した。 
 5 仙台国税局長は、平成元年一〇月四日から平成二年八月二日までの間に、右各供託金についてのAの還付請求権を順次差し押さえ、平成元年一〇月五日から平成二年八月三日までの間に、秋田地方法務局能代支局供託官に対してその旨の各差押通知書が送達された。 
 二 本件において、被上告人は、本件契約のうち譲渡が開始された昭和五七年一二月から一年を超えた後に弁済期が到来する各診療報酬債権に関する部分は無効であり、右部分に含まれる本件債権部分に係る各債権の債権者はAであって、被上告人はこれらの債権に関する供託金についてのAの還付請求権を差し押さえたと主張して、被上告人が右各還付請求権について取立権を有することの確認を求めている。 
 原審は、次のように判示して、被上告人の請求を認容すべきものとした。 
 1 将来発生すべき診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約は、始期と終期を特定して譲渡に係る範囲が確定されれば、一定額以上が安定して発生することが確実に期待されるそれほど遠い将来のものではないものを目的とする限りにおいて、有効というべきである。その有効性が認められる期間の長さは、一定額以上の債権が安定して発生すべき確実性の程度を、事案に応じ個別具体的に検討して判断されるべきであるが、医師等がその最大の収入源である診療報酬債権を将来にわたり譲渡すると経営資金が短期間のうちにひっぱくすることが予想され、社会において経済的信用が高く評価されている医師等が将来発生すべき診療報酬債権まで譲渡しようとし債権者がこれを求めることが生ずるのは、現実には右時点で既に医師等の経済的な信用状態がかなり悪化したことによるものと考えられるのであって、一般的には、前記債権譲渡契約のうち数年を超える部分の有効性は、否定されるべきである。 
 2 本件において、Aが上告人との間に本件契約を締結したのは、Aが不動産等の担保として確実な財産を有していなかったか、仮にこれらの財産を有していたとしてもその価値に担保としての余剰がなかったためであり、本件契約が締結された時点で、既にAの経済的な信用状態は悪化しており、上告人もこれを認識していたものと推認することができる。本件債権部分に係る各債権は、本件契約による譲渡開始から六年七箇月を経過した後に弁済期が到来したもので、本件契約が締結された時点において債権が安定して発生することが確実に期待されるものであったとは到底いい得ないから、本件債権部分に係る本件契約の効力は、これを認めることができない。
 
 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 1 将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の有効性については、次のように解すべきものと考える。 
 (一) 債権譲渡契約にあっては、譲渡の目的とされる債権がその発生原因や譲渡に係る額等をもって特定される必要があることはいうまでもなく将来の一定期間内に発生し、又は弁済期が到来すべき幾つかの債権を譲渡の目的とする場合には、適宜の方法により右期間の始期と終期を明確にするなどして譲渡の目的とされる債権が特定されるべきである。 
 ところで、原判決は、将来発生すべき診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約について、一定額以上が安定して発生することが確実に期待されるそれほど遠い将来のものではないものを目的とする限りにおいて有効とすべきものとしている。しかしながら、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約にあっては、契約当事者は、譲渡の目的とされる債権の発生の基礎を成す事情をしんしゃくし、右事情の下における債権発生の可能性の程度を考慮した上、右債権が見込みどおり発生しなかった場合に譲受人に生ずる不利益については譲渡人の契約上の責任の追及により清算することとして、契約を締結するものと見るべきであるから、右契約の締結時において右債権発生の可能性が低かったことは、右契約の効力を当然に左右するものではないと解するのが相当である。 
 (二) もっとも、契約締結時における譲渡人の資産状況、右当時における譲渡人の営業等の推移に関する見込み、契約内容、契約が締結された経緯等を総合的に考慮し、将来の一定期間内に発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約について、右期間の長さ等の契約内容が譲渡人の営業活動等に対して社会通念に照らし相当とされる範囲を著しく逸脱する制限を加え、又は他の債権者に不当な不利益を与えるものであると見られるなどの特段の事情の認められる場合には、右契約は公序良俗に反するなどとして、その効力の全部又は一部が否定されることがあるものというべきである。 
 (三) 所論引用に係る最高裁昭和五一年(オ)第四三五号同五三年一二月一五日第二小法廷判決・裁判集民事一二五号八三九頁は、契約締結後一年の間に支払担当機関から医師に対して支払われるべき診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約の有効性が問題とされた事案において、当該事案の事実関係の下においてはこれを肯定すべきものと判断したにとどまり、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の有効性に関する一般的な基準を明らかにしたものとは解し難い。 
 2 以上を本件について見るに、本件契約による債権譲渡については、その期間及び譲渡に係る各債権の額は明確に特定されていて、上告人以外のAの債権者に対する対抗要件の具備においても欠けるところはない。Aが上告人との間に本件契約を締結するに至った経緯、契約締結当時のAの資産状況等は明らかではないが、診療所等の開設や診療用機器の設置等に際して医師が相当の額の債務を負担することがあるのは周知のところであり、この際に右医師が担保として提供するのに適した不動産等を有していないことも十分に考えられるところである。このような場合に、医師に融資する側からすれば、現に担保物件が存在しなくても、この融資により整備される診療施設によって医師が将来にわたり診療による収益を上げる見込みが高ければ、これを担保として右融資を実行することには十分な合理性があるのであり、融資を受ける医師の側においても、債務の弁済のために、債権者と協議の上、同人に対して以後の収支見込みに基づき将来発生すべき診療報酬債権を一定の範囲で譲渡することは、それなりに合理的な行為として選択の対象に含まれているというべきである。このような融資形態が是認されることによって、能力があり、将来有望でありながら、現在は十分な資産を有しない者に対する金融的支援が可能になるのであって、医師が右のような債権譲渡契約を締結したとの一事をもって、右医師の経済的な信用状態が当時既に悪化していたと見ることができないのはもとより、将来において右状態の悪化を招来することを免れないと見ることもできない。現に、本件において、Aにつき右のような事情が存在したことをうかがわせる証拠は提出されていない。してみると、Aが本件契約を締結したからといって、直ちに、本件債権部分に係る本件契約の効力が否定されるべき特段の事情が存在するということはできず、他に、右特段の事情の存在等に関し、主張立証は行われていない。そうすると、本件債権部分に係る本件契約の効力を否定して被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤りがあるというほかなく、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、論旨のその余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右に説示したところに徴すれば、被上告人の本件請求は、理由がないことが明らかであるから、右請求を認容した第一審判決を取り消し、これを棄却すべきである。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣) 
++解説
《解  説》
 将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の有効性については、かねてより活発に議論されていたところであるが、本判決は、この問題について、最高裁の考えを明らかにしたものである。
 一 本件の事案の概要は、次のとおりである。本件の被告Y社は、昭和五七年一一月一六日、医師であるAとの間に、同人に対する債権の回収のため、同人が同年一二月から平成三年二月までの八年三箇月の間に社会保険診療報酬支払基金(以下「基金」という。)から支払を受けるべき各月の診療報酬債権の一定額分を目的とする債権譲渡契約(以下「本件契約」という。)を締結し、これについては確定日付のある証書をもって基金に通知された。ただし、本件においては、右契約がいかなる事情の下に締結されたのかについて、右に述べたところを超えては具体的に明らかにされていない。Aは、昭和五九年六月以降、国税を滞納し、本件の原告である国(仙台国税局長)は、平成元年五月二五日、Aが同年七月から平成二年六月までの一年間に基金から支払を受けるべき診療報酬債権を滞納処分として差し押さえた。これを受けて、基金は、右期間中の各診療報酬債権(以下「本件債権部分」という。)について、債権者不確知等を原因として供託をした。本件は、右供託金の還付請求権の帰属をめぐる紛争であり、国は、右の後右請求権を差し押さえて取立権を取得したとして、その旨の確認を求めた。結局、AとY社との間に締結された本件契約のうち本件債権部分に関する部分(譲渡の始期から六年八箇月目以降一年間分)の有効性についての判断いかんによって、結論が左右されることとなった。
 第一審判決(金法一四八〇号六二頁参照)は、右契約部分の効力を否定して、請求を認容。Y社が控訴したが、原判決(同五九頁)は、控訴を棄却。その判断の要点は、① 将来発生すべき診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約は、始期と終期を特定して譲渡に係る範囲が特定されれば、一定額以上が安定して発生することが確実に期待されるそれほど遠い将来のものではないものを目的とする限りにおいて、有効というべきであるが、② 医師であるAが本件契約を締結したことからすると、Aは本件契約の締結当時既に信用状態が悪化しており、Y社もこれを認識していたと推認でき、右時点において本件債権部分に係る各債権は安定して発生することが確実に期待されるものであったとは到底いい得ないというものであった。
 Y社が上告し、上告理由において、原判決の右各判断の違法等を主張した。本判決は、判決要旨記載のように判示し、右論旨は理由があるとして、原判決を破棄し請求を棄却する自判をした。
 二 初期の判例・学説
 民法一二九条は、条件付債権につき条件成就前にこれを処分し得ることを明文をもって認めており、期限付債権の期限到来前の処分についても右に準じて考え得るところ、大判昭9・12・28民集一三巻二二六一頁は、これら以外の将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約も認められ、同契約について予め確定日付のある証書をもって債務者となるべき者に通知がされれば、目的債権発生の際に譲受人はその取得につき第三者に対する対抗力を備えることができることを明らかにしていた。
 問題は、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の目的債権について、その適格に制限があるのか否かの点にあり、これについては、見解が対立していた。右に関し、朝鮮高等法院判昭15・5・31法律評論二九巻(民法)九五八頁は、「債権発生ノ基礎タル法律関係カ既ニ存在シ且其ノ内容ノ明確ナル限リ将来ノ債権ト雖之ヲ譲渡スルニ妨ナキモノト謂フヘ」きであると判示していた。しかしながら、右判例の事案は、他人所有の立木を目的とする売買契約について、売主である被告が右他人から一定の日までに伐採許可を受けられなければ右契約は当然に解除され被告は買主に対して違約金を支払うとの特約が付されていたところ、買主は右期限の到来前に右違約金請求権を原告に譲渡し、被告が右期限内に立木所有者から所定の伐採許可を受けられなかった結果右違約金請求権は実際に発生して、原告が被告にその支払を求めたというもので、その内容は、合意により期限ないし条件の付された債権の譲渡契約に当たり(立証責任の分配についての考え方にもよるが、約定期限を始期とし伐採許可の取得を解除条件とするものと構成することも可能であろう。)、民法一二九条等により十分解決可能なものであって、右判例の前記説示は、厳密には傍論であった。そして、他に、この点の一般論について、見るべき大審院判例はなかった。
 初期の学説上は、右朝鮮高等法院判昭15・5・31のいうのと同様に、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約は、契約締結当時目的債権の発生する基礎となるべき法律関係が存在しているときに限り、有効であると解する見解(いわゆる法律的基礎説)が有力であった。
 これに対し、我妻栄・新訂債権総論・五二七頁は、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約について、「(目的)債権が現存・特定することを条件として予め譲渡契約をすることはできる。」と述べていた(同見解に従うと、右契約は、民法一三三条一項により、目的債権の発生が不能である場合以外は、効力が肯定されるものと思われる。)。
 また、於保不二雄・財産管理権論序説・二八一頁以下は、ローマ法、ドイツ法下の学説(これらにおいては、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の効力が肯定されていた。)の検討を踏まえ、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約は、契約締結当時譲渡人に当該権利が現に帰属していないという点において、他人物の譲渡契約と同様のものと見ることができ、これに準じてその有効性を考えるべきことを示唆していた。なお、同論考・三一三頁以下は、受注が内定している請負契約の報酬債権を正式の契約締結前に譲渡する例等を挙げ、「将来の債権といえども、既に成立について法律上の原因が存する場合に限らず、事実上の根拠が存しかつ社会観念にしたがって確実であると認めえられる限り、これの処分を認めることは、無意義・無暴だとはいいえないであろう。」(三一四頁)と述べていたところ、同論考の見解については、多くの場合に、右部分を典拠として挙げた上、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約は、契約締結当時、目的債権の発生する基礎となるべき法律関係が存在していなくても、その発生の「蓋然性」が肯定される事情が存在すれば、有効であるとするものと理解されていた。しかしながら、他人物の譲渡契約(民法五六〇条以下参照)においては、譲渡人が当該他人物を入手し得る蓋然性の存在は契約の有効要件とされてはいない。右論考の他の部分には、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約についても、一般的な意味での目的債権発生の可能性が存在すれば足りるとする趣旨と理解できる記述があり(同前・三〇一頁、三〇六頁ほか)、一般に引用される前記叙述部分は、当時の取引の実情に照らしての説明に止まるのではないかとも見られる。いずれにせよ、同論考の理解については、再検討の余地があるものと思われる。
 後には、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約は、目的債権の発生する基礎となるべき法律関係の存在は必要としないが、契約締結当時において、その発生の蓋然性が肯定される事情の存在することが要件となる旨を述べる見解も現れた(注釈民法(11)・三六九頁(植林弘))。
 三 昭和五三年判例について
 我が国の金融実務においては、昭和初期に発生した金融恐慌以後、銀行等の商業金融機関が土地を担保に融資を行うとの方式が主流を成していたが、既に昭和三〇年代には、医療信用組合等の同業者金融の性格が強い金融機関等において、将来発生すべき保険診療の診療報酬債権の譲渡を受けて医師に対して融資を行う方法が用いられていた。特定の経済主体がある時点で有する資産の額と、その収益力とは、次元を異にするものであるところ、土地を担保としてされる融資は、弁済の原資となるべき収益力に関するリスクについて、現に存在する他の代替的価値を把握することによって、対処しようとするものである。これに対し、後者のような融資形態は、融資先の収益の一部の優先的把握を目的とするものであるが、その性格上、融資先の収益力についての分析・判断が融資実行に当たってのポイントとなる。ちなみに、米国においては、融資一般に関し、融資先の債務不履行(デフォルト)による不良債権の発生を防ぐためには、融資先の収益力の的確な判断こそが決定的な要素となるとの認識が、同じく金融恐慌を契機に、早くから定着していた。
 本件の原判決がその判断形成に当たり参照したと見られる最二小判昭53・12・15裁判集民一二五号八三九頁(以下「昭和五三年判例」という。)の事案も、右のような融資に関するものであった。すなわち、昭和三七年に提起された右訴訟の事実関係は、医師の債権者である原告が医師の保険診療の診療報酬債権を差し押さえて診療報酬支払担当機関に対し取立てを行ったが、差押えに係る債権は、診療報酬債権を将来一年間分にわたり譲渡するとの内容の契約により既に医療信用組合に対して譲渡されていたというものであった。第一審判決(東京地判昭39・4・30下民一五巻四号九九九頁、本誌一六三号一八九頁)は、医師と患者(被保険者)との間に診療報酬発生の基礎となる継続的な法律関係の存在を認め難く、譲渡の目的である債権を予め客観的に確定することが可能であるとはいえないから、前記債権譲渡契約は効力を有しないとして、請求を認容した。控訴審判決(第一次。東京高判昭43・9・20高民集二一巻五号四六七頁、本誌二三二号一八六頁)は、現行医療保険制度の下において診療報酬支払担当機関は医師に対する報酬の支払債務を負うものではないから、原告はこれを取り立てることはできないとして、第一審判決を取り消して請求を棄却した。上告審判決(第一次。最一小判昭48・12・20民集二七巻一一号一五九四頁、本誌三〇四号一六一頁)は、現行医療保険制度の下において診療報酬支払担当機関は医師に対する報酬の支払債務を負うとして、原判決を破棄して事件を差し戻した。差戻し後の控訴審(東京高判昭50・12・15判時八〇五号七二頁)は、現行医療保険制度の下においては、診療報酬債権は、特段の事由のない限り、現在既にその原因が確立しその発生の確実度が高いものであるとして、前記債権譲渡契約の有効性を認め、第一審判決を取り消して請求を棄却した。
 再度の上告審において、原告は、第一審判決を相当とし、同判決の評釈でありその判断を支持する村松俊夫・金融法務事情三九六号一九頁を援用して、原判決の違法を主張した。昭和五三年判例は、次のように判示し、上告を棄却した。現行医療保険制度の下においては、月々の診療報酬の支払額は、「医師が通常の診療業務を継続している限り、一定額以上の安定したものであることが確実に期待されるものである。したがって右債権は、将来生じるものであっても、それほど遠い将来のものでなければ、特段の事情のない限り、現在すでに債権発生の原因が確定し、その発生を確実に予測しうるものであるから、始期と終期を特定してその権利の範囲を確定することによって、これを有効に譲渡することができるというべきである。これを本件についてみると、前記事実関係のもとにおいては、訴外(医師)のした各債権譲渡は、これを有効と解するのが相当であ」る。
 右判示は、将来発生すべき診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約に関し、その有効性を認める前提として目的債権の特定を要求することは明らかであるが、この点は、債権譲渡の一般原則に従うものであり、同判決は、これを超えて、目的債権の適格要件等について一般的な議論を展開してはいない。結局、判決文に忠実に従う限り、その判示するところについては、将来一年間分の診療報酬債権が譲渡されたとの当該事案の事実関係の下において、原告が上告理由で指摘するところを考慮しても、いずれにせよ係争債権の発生は確実であったといい得るから、論旨は結局理由がないとして、右債権譲渡契約の効力を認めた原審の判断を是認したものであり、飽くまでも事例判断としての意義を有するにとどまると理解すべきものであった。
 四 最近の学説等
 昭和五三年判例をめぐっては、多くの論考が発表されたが、その内容は、同判例の説示の不明瞭さを反映して、様々に分かれていた。このような中で、昭和五六年に発表された高木多喜男「集合債権譲渡担保の有効性と対抗要件(上)」NBL二三四号八頁は、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の有効性について、掘り下げた検討を行い、以後の議論を導く役割を果たした。同論考は、目的債権の発生に関するリスクを考慮した上でこれを目的とする債権譲渡契約が締結された後、リスクが現実化せず(又はその一部しか現実化せず)、目的債権の全部又は一部が発生したにもかかわらず、契約締結時においてその発生可能性が低かったなどとして契約の効力を覆すことは不合理であり、取引に悪影響を与えるとして、ドイツの学説等を踏まえ、問題は、目的債権の適格をその発生についての法律的基礎の有無や発生可能性の程度といったあいまいな基準をもって制限することによってではなく、契約の有効性を原則的には広く認めた上で、事案に即し当該契約の公序良俗適合性等を判断することによって解決すべきであるとするものであった。この考えは、その後、学説においては優勢を占めるに至っている(主要なものとして、河合伸一「第三債務者不特定の集合債権譲渡担保」金法一一八六号五六頁、角紀代恵「債権非典型担保」別冊NBL31担保法理の現状と課題七六頁、椿寿夫「集合(流動)債権譲渡担保の有効性と効力(上)(下)」ジュリ一一〇二号一一六頁・一一〇三号一四〇頁、道垣内弘人・担保物権法二九八頁、近江幸治・担保物権法(新版補正版)三二五頁、内田貴・民法Ⅲ四九二頁ほか)。こうした動きは、右に掲げた諸論考の表題からもうかがわれるように、融資チャンネルの多様化によってうながされたものと見られる。
 これに対し、下級審裁判例においては、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の効力を、むしろ限定的にとらえる傾向が強まっていた。東京高判昭56・8・31東高民時報三二巻八号一九八頁は、昭和五四年八月から将来一〇年二箇月間分の診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約(対抗要件も具備)の最初の五箇月分に関する部分の効力が争われた事案において、これを肯定する判断を示していたが、東京地判昭61・6・16訟月三二巻一二号二八九八頁は、昭和五五年一二月に締結された同年一〇月分以降三年間分の診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約(対抗要件も具備)のうち譲渡の始期から二年一箇月目以降三箇月間分に関する部分の効力が争われた事案において、昭和五三年判例について、「将来の診療報酬債権の譲渡は、その債権の発生が一定額以上の安定したものであることが確実に期待されるそれほど遠くない将来の一定の範囲内のものを対象とする限り可能である」との法理を示したものと理解した上、当該事案の事実関係の下においては、契約締結から「一年を超えて通常の診療業務の継続及び診療報酬等債権の安定した発生を見込むことのできる状態ではなかったことは確実である」として、前記債権譲渡契約のうち係争部分の効力を否定した(原告の控訴に対してこれが棄却された後、旧民訴法下の上告受理手続段階で、原裁判所である高裁により上告が却下されて確定)。また、東京地判平5・1・27本誌八三八号二六二頁は、昭和六一年一一月に締結された昭和六二年二月以降将来一〇年間分の診療報酬債権を目的とする債権譲渡契約(対抗要件も具備)のうち譲渡の始期から三年一箇月目以降六箇月間分に関する部分の効力が争われた事案において、係争部分の対抗力を否定した(ただし、請求の趣旨の理解に問題があったとして、控訴審で取り消されている。)。右東京地判平5・1・27については、いったん認められた対抗力が後に消滅するとの点について、理論的難点が指摘されていた(右判決の評釈である池田真朗・本誌八三八号三五頁ほか)。
 こうした下級審裁判例の動きは、民事執行実務(民事執行法施行前の強制執行実務を含む。)の在り方とも関係していたと見られる(本件の原判決も、傍論において民事執行実務について言及している。)。民事執行実務上は、昭和三〇年代以降、将来発生すべき診療報酬債権についての差押えを否定する運用が主流を占めていた。この点に関し、宮脇幸彦・強制執行法(各論)一二三頁は、そもそも将来発生すべき診療報酬債権は譲渡不能であるとの理由により、右運用を支持していたが、これに対しては、将来発生すべき診療報酬債権は旧民訴法六〇四条所定の「俸給又ハ此ニ類スル継続収入ノ債権」には当たらないとしても、将来の債権として期間を特定して差し押さえることは可能であるとする見解もあった(昭和三九年度書記官実務研究・債権その他の財産権に対する強制執行手続の実務的研究三八頁(真崎安広)、執行事件実務研究会編・債権不動産執行の実務七七頁、注解強制執行法(2)三八〇頁(稲葉威雄)ほか)。ちなみに、昭和五三年判例の上告理由に引用された同事件の第一審判決の評釈である前記村松俊夫・金法三九六号一九頁は、当時の民事執行実務を支持する内容のものであり、このことも、本来は配慮事由を異にする二つの問題について、議論の混乱を生む一因を成したと見られる。昭和五三年判例が言い渡された後には、将来一年間をめどに診療報酬債権の差押えを認める運用が定着した(東京高決昭54・9・19下民三〇巻九―一二号四一五頁、本誌四〇三号一〇九頁、札幌高決昭60・10・16本誌五八六頁八二頁、金法一一二六号四九頁、民事裁判資料一五八号・民事執行事件に関する協議要録一五〇頁、東京地裁債権執行等手続研究会編・債権執行の諸問題四〇頁(今井隆一)ほか)。しかしながら、これに対しては、「一年で区切ることになんの根拠もない」とし、民事執行法上将来発生すべき債権に対する差押えが許される範囲一般の議論に立脚して問題をとらえなおす必要があることを示唆する見解もあった(中野貞一郎・民事執行法(新訂三版)五四六頁)。
 各国の法制度を見ると、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の効力を肯定する点においては、ほぼ一致しており、目的債権の発生可能性の程度又は契約の期間をもってその有効性の範囲を制限する制度を有する国は、少なくとも主要国には見当たらない状況であった(主要国の制度については、債権譲渡法制研究会「債権譲渡法制研究会報告書」NBL六一六号三一頁に要領のよい紹介がある。)。また、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)においては、平成七年一一月以降、資金調達のための国際債権譲渡についての統一条約案の作成交渉が行われており、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約も対象に含めることが検討されているが、右契約の効力が数年程度に制限されることを想定しての議論は見られないようである(なお、この点については、池田真朗「債権流動化と包括的特別法の立法提言(上)」NBL六一九号一四頁参照)。
 五 本判決について
 1 本件で問題とされた債権譲渡契約(本件契約)は、昭和五三年判例が言い渡された後の昭和五七年に締結されたものであるが、当時はいまだ先に紹介した民事執行実務が確立されたとまでは見難い状況にあった(前記民事裁判資料一五八号一五〇頁に紹介されている東京高裁管内の担当者協議会は、昭和五八年に開催されている。)。本件契約については、本件の事案に先立って、譲渡の始期から二年三箇月目以降一年七箇月間分の診療報酬について基金がした供託(債権者不確知、差押え競合を理由とするもの)の有効性が争われ、一、二審判決(金判七七四号三六頁)は、昭和五三年判例の説示に照らすと係争部分に関する本件契約の効力には疑問を差し挟む余地があり、有効性についての判断がもたらす危険を債務者である基金に負わせることは相当でないなどとして、供託の効力を認めたところ、上告審判決は、いわゆる例文により右判断を是認して上告を棄却した(最二小判昭63・4・8金法一一九八号二二頁)。このようなことから、本件において、契約の有効性について明確な判断をすることが必要とされたものである。
 2 本判決は、その第三項の1において、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の有効性一般の考え方について判示し、まず、目的債権が特定されることが必要であることを明らかにしているが、これは、昭和五三年判例が従前の判例を踏まえて法理として確立したところを確認したものである。
 続いて、本判決は、目的債権の発生可能性の程度が契約の有効性に与える影響について検討し、契約当事者の意思を合理的に解釈すると、右可能性の程度のいかんは、右有効性を直ちには左右しないと解すべきものとしている。結局、右可能性の程度のいかんは、一般原則に従い、錯誤の成否が問題となる場合や、目的債権の発生の可能性が全くなかったときにおける契約の有効性が問題となる場合(いわゆる原始的不能の理論の適用が問題となる場合)のほか、次に述べる契約の公序良俗適合性等についての判断の一要素として問題となるにとどまると考えられる。本判決は、目的債権が将来発生すべきことにつきいわゆる法律的基礎が存在することを要するか否かについては特に論じていないが、その説示内容に照らし、右のような制限を設ける趣旨ではないと見るのが自然であろう。
 なお、本判決は、昭和五三年判例は事例判例と解すべきことを明らかにしている。
 3 次に、本判決は、契約締結当時の事情のいかんによっては、右契約の効力が公序良俗に反するなどとして否定されることがあることを示唆している。この考えは、昭和五三年判例の言渡し後に優勢となった学説において、示されていたところである(前記椿寿夫「集合(流動)債権譲渡担保の有効性と効力(上)(下)」ジュリ一一〇二号一一六頁・一一〇三号一四〇頁は、下級審裁判例について分析を行っている。)。無論のことながら、本判決は、契約の締結が詐害行為に当たるとして取り消されることがあることを否定するものではないと解される。
 冒頭にも述べたとおり、本件においては、本件契約の一方当事者であるA医師の診療科目はおろか、同人の契約締結当時の資産内容、基金の支払に係る診療報酬以外の収入(国民健康保険分や、いわゆる自由診療に係る分)の状況、本件契約が締結されるに至った経緯等は、全く確定されていない。本判決は、医師が診療所等を開設しようとする場合や診療用機器を設置しようとする場合を例に挙げて、本件契約と同種の与信契約の合理性について説示し、本件の確定事実に照らすと、本件契約のうち本件債権部分に関する部分について、その効力を否定すべきものとは解し難いとしている。
 本件の原判決は、銀行等が土地を担保に営業資金等を貸し付ける場合をいわば普遍化ないし絶対化し、医師が右以外の方法により融資(広義の信用供与を含む趣旨を見られる。)を受けた以上は、その資産状況が悪化していたと見るべきものとしているが、融資形態には多様なものがあり、融資先の収益力を重視して行う融資もあり得ることは、既に述べたとおりである。本件の被告の営業内容に照らし、本件契約は診療用機器についてのいわゆるファイナンス・リース契約であった可能性が高いと見られるところ、同種契約においては、リース会社は目的物件につき所有権を留保するなどの担保措置を講じておくことが一般であろうが、目的物件が動産である場合には、通常その価値は急激に低下することから、与信に当たってのポイントは、やはり与信先の収益力についての判断に係る。本判決は、基本に立ち返って、以上の点を明らかにしたものとも見ることができよう。
 また、原判決は、将来発生すべき債権を譲渡すると譲渡人の資産状況は当然に早期に悪化するとしているが、比較的短い一定期間中に収入の中から支払うべき額が定まっているのであれば、その支払方法について、いったん自ら入金を受けた上で支払うか、入金元から直接債権者に支払ってもらうかで、直ちに結果に違いが生ずるわけではない。このことは、約束手形を入手した後、これを自ら取り立てて債務の弁済に充てる場合と、右手形を満期直前に債務弁済の手段として裏書譲渡する場合とを比較すれば、容易に理解できることである。資産状況の悪化は、支払方法の在り方いかんによってもたらされるのではなく、収入に対する支払額が現状維持の水準に照らして過大であることによってもたらされるのである。問題は、帰するところ、弁済計画の内容に係ることとなる。
 契約の期間の点に関しても、ある程度大きな額の融資金について、これを極端な無理をすることなく分割弁済し得るように計画を立てるとすると、期間は自ずから長びく傾向が生ずる。学説の中には、将来発生すべき債権を目的とする債権譲渡契約の公序良俗等に照らしての有効性を論ずるに当たり、特定の期間を判断の目安とすることを示唆するものもあるが(一例として、前掲高木多喜男「集合債権譲渡担保の有効性と対抗要件(上)」NBL二三四号一三頁は、「一、二年程度が常識的な線であろう。」とする。)、これについては、法律の解釈論の問題として、各種の事案につき一律に制限することを論ずることができるのか否かとの問題の指摘があり(前掲東京地判平5・1・27本誌八三八号二六二頁の評釈である吉田光碩・本誌八四九号六一頁参照)、期間については格別言及しない論考もあった(前記河合伸一「第三債務者不特定の集合債権譲渡担保」金法一一八六号五六頁ほか)。
 本判決は、医師が融資の担保として将来ある程度の長期にわたり支払を受けるべき診療報酬債権を譲渡するとの契約を締結したからといって、その効力が直ちに否定されるものではないことを、融資の実際に即し具体的に論ずるものであって、その説示は注目に値しよう。
・賃金前払いと譲渡
+判例(S38.1.18)
理由 
 上告代理人石井錦樹の上告理由第一点について。 
 訴外Aと訴外株式会社三恵間において、同訴外会社が本件建物について支出した造作費用百数十万円をもつて本件建物の七年間の賃料の前払とみなす旨約定することはすなわち賃料の前払に外ならないし、また右訴外会社に対し被上告人らが賃料を支払つているか否かにより判決主文になんらの影響を及ぼすものでないこと明らかであるから、原審が、これらにつき審理をしなかつたからといつて審理不尽の違法があるとはいえない。所論は排斥を免れない。 
 同第二点について。 
 借家法一条一項により、建物につき物権を取得した者に効力を及ぼすべき賃貸借の内容は、従前の賃貸借契約の内容のすべてに亘るものと解すべきであつて、賃料前払のごときもこれに含まれるものというべきである。(民訴法六四三条一項五号、六五八条三号、競売法二九条一項は、賃料前払の効果が、競落人に承継されることを前提にして、これを競売の際の公告事項としているのである。)されば、原判決には、借家法一条一項を誤解した違法はなく、所論憲法一四条違反の主張も、その実質は原判決の借家法一条に関する解釈が誤であることを主張するに帰するから、前提を欠き採用しえない。 
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介) 
・債権の差押えと譲渡
+判例(H10.3.24)
理由 
 上告人の上告理由について 
 自己の所有建物を他に賃貸している者が第三者に右建物を譲渡した場合には、特段の事情のない限り、賃貸人の地位もこれに伴って右第三者に移転するが(最高裁昭和三五年(オ)第五九六号同三九年八月二八日第二小法廷判決・民集一八巻七号一三五四頁参照)、建物所有の債権者が賃料債権を差し押さえ、その効力が発生した後に、右所有者が建物を他に譲渡し賃貸人の地位が譲受人に移転した場合には、右譲受人は、建物の賃料債権を取得したことを差押債権に対抗することができないと解すべきである。け?だし、建物の所有者を債務者とする賃料債権の差押えにより右所有者の建物自体の処分は妨げられないけれども、右差押えの効力は、差押債権者の債権及び執行費用の額を限度として、建物所有者が将来収受すべき賃料に及んでいるから(民事執行法一五一条)、右建物を譲渡する行為は、賃料債権の帰属の変更を伴う限りにおいて、将来における賃料債権の処分を禁止する差押えの効力に抵触するというべきだからである。 
 これを本件について見ると、原審の適法に確定したところによれば、本件建物を所有していたAは、被上告人の申立てに係る本件建物の賃借人四名を第三債務者とする賃料債権の差押えの効力が発生した後に、本件建物を上告人に譲渡したというのであるから、上告人は、差押債権者である被上告人に対しては、本件建物の賃料債権を取得したことを対抗することができないものというべきである。以上と同旨をいう原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。 
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣) 
++解説
《解  説》
 本件は、建物の賃料債権を差し押さえたXと、差押え後に建物を譲り受けたYとの間で、建物の賃借人が供託した賃料についての供託金還付請求権の帰属が争われた事件である。
 Xは、本件建物を所有していたAに対する債務名義に基づいて、本件建物の賃借人四名を第三債務者として、Aが右賃借人に対して有する賃料債権についての債権差押命令を申し立て、平成3年3月に、債権差押命令の正本が各第三債務者に送達された。Aに対する債権を有していたYは、平成4年12月ごろ、Aから本件建物の代物弁済を受け、平成5年1月に、本件建物について、真正な登記名義の回復を原因とするAからYへの所有権移転登記が経由された。Yが本件建物の賃借人らに対して賃料をYに支払うよう求めたところ、賃借人らは、平成5年2月以降、債権者不確知(民法四九四条)と差押え(民事執行法一五六条一項)の両者を原因とする賃料の供託をした(混合供託)。そこで、Xは、Yに対し、この供託金の還付請求権を有することの確認を求める本件訴訟を提起した。
 原審は、賃料債権の差押手続中に賃貸人たる地位の承継があっても、賃料債権の差押えとの関係では右承継は無効であって、賃料債権は依然として従前の賃貸人に帰属しているものとして右差押えの効力が及ぶものと解するのが相当であるから、本件の債権差押命令の効力は、Yが賃貸人の地位を承継した以後の賃料債権にも及ぶと解すべきである、と述べてXの請求を認容した。
 Yは、原判決には法令の解釈適用を誤った違法があると主張して上告したが、本判決は、原審の判断を支持し、Yからの上告を棄却した。
 給料や賃料等の継続的収入についての債権の差押えの効力は、差押債権者の債権額を限度として債務者が差押後に収受すべき収入にも及び、既に発生している債権のほか、将来において発生すべき債権にも差押えの効力が及ぶことになる(民事執行法一五一条)。このため、建物の賃料債権の差押えの効力発生後に差押債務者が賃料債務を免除しても、差押債権者に対抗することができない(最一小判昭44・11・6民集二三巻一一号二〇〇九頁、本誌二四六号一〇六頁)。一方、継続的収入についての債権の差押えを受けた債務者もその発生の基礎である法律関係を変更、消滅させる自由を奪われないとされており、債務者が、給料を差し押さえられた後に辞職することも、賃料を差し押さえられた後に賃貸借契約を合意により解約することも妨げられないと解されている(兼子一「増補強制執行法」二〇〇頁、中務俊昌「取立命令と転付命令」民訴法講座四巻一一八一頁、賀集唱「債権仮差押後、債務者と第三債務者との間で被差押債権を合意解除しうるか」判タ一九七号一四六頁、注解民事執行法(4)四八四頁〔稲葉威雄〕、注釈民事執行法(6)三一五頁〔田中康久〕等)。
 ところで、最判昭39・8・28民集一八巻七号一三五四頁、本誌一六六号一一七頁は、賃貸借の目的となった建物の所有権が移転した場合には、特段の事情のない限り、建物の賃貸借関係は新所有者と賃借人との間に移り、新所有者は賃貸人の地位を承継することになると判示しているが、賃料債権が差し押さえられた後に建物が譲渡された場合に、債権差押えの効力が譲渡後に弁済期が到来する賃料にも及ぶか否かに関しては、これまで最高裁の判例がなく、見解が対立していた。
 有力な学説は、建物の譲渡後も債権差押えの効果が継続し、新賃貸人を拘束すると解している(宮脇幸彦「強制執行法(各論)」一二二頁、注解民事執行法(4)四八四頁〔稲葉威雄〕)。右の学説に対しては、賃料債権の差押えの有無は公示されていないから、建物の賃料債権が差し押さえていることを知らずに建物を取得した譲受人に不測の損害を及ぼすおそれがある、との批判があり得る。しかしながら、賃料債権の差押えの効力が建物の譲受人に及ぶことによって契約の目的を達成することができない場合には、善意の譲受人は譲渡人に対して瑕疵担保責任を追及することが可能であると考えられる。一方、建物の譲受人が賃料債権の差押命令の拘束を免れると解する説に対しては、執行免脱を容易にし、差押債権者を不安定な立場に置くものであるとの批判があり得る。ことに、本件のように、建物の譲受人が譲渡人の債権者で賃料債権を取得することによって債権の回収を図ろうとしている場合には、右の説は、対抗要件具備の先後によって同一の債権の帰属をめぐる優先関係を定めようとする民法の一般原則と整合しないことになろう。東京高判平6・4・12本誌九〇一号二〇一頁、判時一五〇七号一三〇頁は、建物の賃料債権についての差押命令が発せられた後に右賃料債権を対象とする換価権及び優先弁済権を設定する行為は差押えの処分禁止効に抵触すると判示しているが、右の東京高判も、右の有力な学説と同様の考え方に立つものといえる。
 なお、本判決は、賃料債権の差押債権者と差押え後に建物を任意に譲り受けた者との間の賃料債権の帰属に関する判断を示したものであり、不動産競売の目的不動産の賃料債権の差押債権者と買受人との間の法律関係についての判断を示したものではない。執行実務では、建物の買受人は、賃料債権の差押命令による拘束を受けないとの前提で運用されているようであるが(金法一三八七号一二〇頁二段目のコメント)、賃料債権を差し押さえた一般債権者と抵当権者との法律関係に関しては、最一小判平10・3・26民集五二巻二号登載予定が、一般債権者の差押えと抵当権者の物上代位権に基づく差押えが競合した場合には、一般債権者の申立てによる差押命令の第三債務者への送達と抵当権設定登記との先後によって両者の優劣を定めるべき旨を判示している。不動産競売手続において賃料債権の差押命令の処分制限効をどのようにとらえるべきかは、今後更に検討されるべき課題である。
 本判決は、建物の賃料債権の差押債権者と建物の譲受人との間の賃料債権の帰属をめぐる基本的な法律関係に関して、最高裁が初めての判断を示したものであり、実務に与える影響も大きいと考えられる。
・上記の賃貸借契約が終了していたバージョン
+判例(H24.9.4)
理 由
 上告代理人向田誠宏ほかの上告受理申立て理由第2について
 1 本件は,被上告人が,Aに対する金銭債権を表示した債務名義による強制執行として,Aの上告人に対する賃料債権を差し押さえたと主張し,上告人に対し,平成20年8月分から平成22年9月分までの月額140万円の賃料及び同年10月分の賃料のうち76万0642円の合計3716万0642円の支払を求める取立訴訟である。
 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
 (1) Aは,平成16年10月20日,A及びその代表取締役が全株式を保有し,同人が当時代表取締役を務めていた上告人との間で,Aが所有する第1審判決別紙物件目録記載5の建物(以下「本件建物」という。)を,期間を同年11月1日から平成36年3月31日まで,賃料を当分の間月額200万円と定めて賃貸する旨の契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結し,上告人に本件建物を引き渡した。
 Aと上告人は,平成20年5月23日,本件賃貸借契約に基づく同年6月分以降の賃料を月額140万円とする旨合意し,同月初め頃,当月分の賃料を毎月7日に支払う旨合意した。
 (2) 被上告人は,Aに対し,3583万4564円及びこれに対する遅延損害金の支払を命ずる執行力ある判決正本を債務名義として,本件賃貸借契約に基づく賃料債権(ただし,平成19年4月1日以降支払期の到来するものから3716万0642円に満つるまで)の差押えを申し立て,これを認容する債権差押命令(以下「本件差押命令」という。)が,上告人に対しては平成20年10月10日に,Aに対しては同月17日に,それぞれ送達された。
 (3) 上告人は,Aとの間で,平成21年12月25日までに,本件建物を含む複数のA所有の不動産を買い受ける旨の契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し,その所有権移転登記を受け,売買代金3億7250万円をAに支払った。
 (4) 上告人は,上告人がAに対して本件売買契約に基づく売買代金を支払った平成21年12月25日,本件賃貸借契約に基づく賃料債権は混同により消滅したなどと主張している。
 3 原審は,上告人が本件売買契約により本件建物の所有権の移転を受ける前に本件差押命令が発せられており,本件賃貸借契約に基づく賃料債権は第三者の権利の目的となっているから,民法520条ただし書の規定により,平成22年1月分以降の賃料債権が混同によって消滅することはなく,被上告人は上告人からこれを取り立てることができるなどと判断して,上告人に対し,原審口頭弁論終結時において支払期の到来していた平成20年8月分から平成22年1月分までの賃料合計2520万円の支払並びに同年2月から同年9月まで本件賃貸借契約の約定支払期である毎月7日限り各140万円及び同年10月7日限り76万0642円の各支払を命じた。
 4 しかしながら,原審の判断のうち,被上告人が上告人から本件賃貸借契約に基づく平成22年1月分以降の賃料債権を取り立てることができるとした部分は,是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 賃料債権の差押えを受けた債務者は,当該賃料債権の処分を禁止されるが,その発生の基礎となる賃貸借契約が終了したときは,差押えの対象となる賃料債権は以後発生しないこととなるしたがって,賃貸人が賃借人に賃貸借契約の目的である建物を譲渡したことにより賃貸借契約が終了した以上は,その終了が賃料債権の差押えの効力発生後であっても,賃貸人と賃借人との人的関係,当該建物を譲渡するに至った経緯及び態様その他の諸般の事情に照らして,賃借人において賃料債権が発生しないことを主張することが信義則上許されないなどの特段の事情がない限り,差押債権者は,第三債務者である賃借人から,当該譲渡後に支払期の到来する賃料債権を取り立てることができないというべきである。
 そうすると,本件においては,平成21年12月25日までにAが上告人に本件建物を譲渡したことにより本件賃貸借契約が終了しているのであるから,上記特段の事情について審理判断することなく,被上告人が上告人から本件賃貸借契約に基づく平成22年1月分以降の賃料債権を取り立てることができるとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,以上の趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち,上告人に対し平成20年8月分から平成21年12月分までの賃料合計2380万円を超えて金員の支払を命じた部分は破棄を免れない。そして,上記特段の事情の有無につき更に審理を尽くさせるため,上記の部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。
 なお,その余の上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺田逸郎 裁判官 田原睦夫 裁判官 岡部喜代子 裁判官大谷剛彦 裁判官 大橋正春)
5.小問2について(応用編)
+(指名債権の譲渡における債務者の抗弁)
第四百六十八条  債務者が異議をとどめないで前条の承諾をしたときは、譲渡人に対抗することができた事由があっても、これをもって譲受人に対抗することができない。この場合において、債務者がその債務を消滅させるために譲渡人に払い渡したものがあるときはこれを取り戻し、譲渡人に対して負担した債務があるときはこれを成立しないものとみなすことができる。
2  譲渡人が譲渡の通知をしたにとどまるときは、債務者は、その通知を受けるまでに譲渡人に対して生じた事由をもって譲受人に対抗することができる。


憲法 日本国憲法の論じ方 Q15 移動の自由


Q 憲法22条の「居住・移転・外国移住・国籍離脱」の自由は何を保障しているのか?
(1)事実としての移動の保障

+第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

・住所・居所の変更には移動が必要なので、移動の自由も22条で保障されている・・・。
・人身の自由の一局面とみることもできる。

・一時旅行の自由
+判例(S33.9.10)
理由
上告代理人森川金寿、同猪俣浩三、同大野正男の上告理由第一点について。
論旨は、旅券法一三条一項五号は憲法二二条二項に違反し無効と解すべきであるにかかわらず、原判決が右旅券法の規定に基き本件旅券発給申請を拒否した外務大臣の処分を有効と判断したのは右憲法の規定に違反するものであると主張する。
しかし憲法二二条二項の「外国に移住する自由」には外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきである。そして旅券発給を拒否することができる場合として、旅券法一三条一項五号が「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定したのは、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ、所論のごとく右規定が漠然たる基準を示す無効のものであるということはできない。されば右旅券法の規定に関する所論違憲の主張は採用できない。

同第二点について。
論旨は、旅券法一三条一項五号が仮りに違憲でないとしても、本件の旅券発給申請は、同条に該らないに拘らず、原判決が同条を適用してその発給を拒否した外務大臣の処分を適法であると認めたのは同条の解釈適用を誤つた違法がある。又本件拒否処分は国家賠償法一条一項にいう故意過失があつたものとはいえない旨の判示も同条の解釈を誤つた違法があると主張する。
しかし、旅券法一三条一項五号は、公共の福祉のために外国旅行の自由を合理的に制限したものと解すべきであることは、既に述べたとおりであつて、日本国の利益又は公安を害する行為を将来行う虞れある場合においても、なおかつその自由を制限する必要のある場合のありうることは明らかであるから、同条をことさら所論のごとく「明白かつ現在の危険がある」場合に限ると解すべき理由はない
そして、原判決の認定した事実関係、とくに占領治下我国の当面する国際情勢の下においては、上告人等がモスコー国際経済会議に参加することは、著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する虞れがあるものと判断して、旅券の発給を拒否した外務大臣の処分は、これを違法ということはできない旨判示した原判決の判断は当裁判所においてもこれを肯認することができる。なお所論中、会議参加は個人の資格で、しかも旅券の発給は単なる公証行為に過ぎず、政府がそのことによつて旅行目的を支持支援するものではなく、かつ政治的責任を負うものではないから、日本国の利益公安を害することはあり得ない旨るる主張するところあるが、たとえ個人の資格において参加するものであつても、当時その参加が国際関係に影響を及ぼす虞れのあるものであつたことは原判決の趣旨とするところであつて、その判断も正当である。その他所論は、原判決の事実認定を非難し、かつ原判決の判断と反対の見地に立つて原判決を非難するに帰し、いずれも採るを得ない。次に原判決が、本件拒否処分につき外務大臣の判断の結果が、かりに誤りであつたとしても国家賠償法一条一項にいう故意又は過失はない旨を判示したのは、本来必要のない仮定的理由を附加したにとどまるものであつて、その判断の当否は判決の結果に影響を及ぼすものではない。この点の所論も採用することはできない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官田中耕太郎、同下飯坂潤夫の補足意見があるほか、全裁判官一致の意見によるものである。

+補足意見
本件に関する裁判官田中耕太郎、同下飯坂潤夫の補足意見は次のとおりである。
上告代理人森川金寿、同猪俣浩三、同大野正男の上告理由第一点について。
多数意見は憲法二二条二項の、「外国に移住する自由」の中に外国へ一時旅行する自由をも含むものと解している。しかし、この解釈には承服できない。この条項が規定しているのは外国に移住することと国籍を離脱することの自由である。それは国家と法的に絶縁するか、または相当長期にわたつて国をはなれ外国に永住するというような、その個人や国家にとつて重大な事柄に関係している。移住は所在をかえる点では一時的に国をはなれて旅行することと同じであるが、事柄のもつている意味は大にちがつているのである。のみならず如何に文理的解釈を拡張しても旅行を移住の中に含ませることは無理である。というのは移住は結局ある場所に定住することであるが、旅行は動きまわる観念だからである。この意味で旅行は同条一項の「移転」に含ませることが考え得られないではない。しかしこの場合の移転も、正確には「居住を変更する」(英文ではchange his residence)ことなのである。それは追放されないことの保障を内容としている。従つてその中にはこれと性質を異にするところの、旅行することを含むものとは解せられない。この規定は第二項が外国へ行く場合の規定であることに対応して国内における自由を定めたものと認められている。そうだとすればこれは外国旅行の場合に適用がないのは当然である。しかしこの規定は内国旅行の場合をも含んでいないものと解すべきである。
要するに憲法二二条は一項にしろ二項にしろ旅行の自由を保障しているものではない。しからばこれについて規定がないから保障はないかというとそうではない。憲法の人権と自由の保障リストは歴史的に認められた重要性のあるものだけを拾つたもので、網羅的ではない。従つてその以外に権利や自由が存せず、またそれらが保障されていないというわけではない。我々が日常生活において享有している権利や自由は数かぎりなく存在している。それらはとくに名称が附されていないだけである。それらは一般的な自由または幸福追求の権利の一部分をなしている。本件の問題である旅行の自由のごときもその一なのである
この旅行の自由が公共の福祉のための合理的制限に服するという結論においては、多数意見と異るところはない。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一)

(2)法的な移動の保障

(3)届出制の意味

+判例(大阪地判H13.10.12)アレフ信者転入拒否事件
第3 争点に対する判断
第3-1 本案前の争点に対する判断
1 住民基本台帳法の規定により市町村長がした処分に不服がある者は、都道府県知事に審査請求をすることができ、この場合においては異議申立をすることもできる(同法31条の3)。そして、前条の規定する処分の取消しの訴えは、当該処分についての審査請求の裁決を経た後でなければ、提起することができない(同法32条)。ただし、審査請求があった日から3箇月を経過しても裁決がないとき、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる著しい損害を避けるため緊急の必要があるとき、その他裁決を経ないことにつき正当な理由があるときは、裁決を経ないで、処分の取消しの訴えを提起することができる(行訴法8条2項)。
2 原告らは、大阪府知事に対し、平成12年7月24日、本件不受理処分の取消を求める審査請求を行ったが、平成12年8月8日に本件訴えが提起された時点において大阪府知事の裁決はなされておらず、かつ審査請求が行われた日から3か月も経過しておらず、その他行訴法8条2項2号及び3号に該当する事情の存在を認めるに足りる証拠はないから、本件訴えは訴え提起時においては住民基本台帳法32条に違反する不適法な訴えであったというべきである。
原告らは、転入届が不受理とされた状態が続けば選挙権の行使を妨げられるおそれがあるから、「著しい損害を避けるための緊急の必要」(行訴法8条2項2号)が存在すると主張するが、本件の全証拠によっても、審査請求から3か月が経過する時点までに選挙等が行われる予定があった等の緊急の必要性を基礎付ける具体的な事情はうかがわれないから、原告らの主張を採用することはできない。
3 しかしながら、その後、裁決がなされないまま審査請求があった日から3か月が経過したことによって、本件訴えの瑕疵は治癒されたと解するのが相当である。けだし、本件処分についての裁決がなされないまま審査請求から3か月が経過した時点で、原告らは適法に訴えを提起することが可能になったのであり、仮に、本件訴えを却下しても、原告らは改めて本件訴えと同一内容の訴えを提起することになるところ、このような扱いは訴訟経済に反するからである。

第3-2 本案の争点に対する判断
1 本件不受理処分の適法性
(1) 法規の定め
ア 住民基本台帳及び住民票
住民基本台帳法は、市町村(特別区を含む。以下同じ。)において、住民の居住関係の公証、選挙名簿の登録その他の住民に関する事務処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り、住民に関する記録の適正な管理を図るため、住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳の制度を定め、もって住民の利便を増進するとともに、国及び地方公共団体の行政の合理化に資することを目的としている(同法1条)。
そして、市町村は、住民基本台帳を備え、また、市町村長は、個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して、住民基本台帳を作成しなければならないとされ、住民基本台帳及び住民票には、その住民の氏名、出生の年月日、男女の別、世帯主についてはその旨、世帯主でない者については世帯主の氏名及び世帯主との続柄、戸籍の表示、住民となった年月日、新たに市町村の区域内に住所を定めた者については、その住所を定めた旨の届出の年月日及び従前の住所などの事項が記載されるものとし(同法5条、7条)、市町村長は、常に住民基本台帳を整備し、住民に関する正確な記録が行われるように努めるとともに、住民に関する記録の管理が適正に行われるように必要な措置を講ずるよう努めなければならないとされている(同法3条1項)。他方で、住民は、常に住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならず、虚偽の届出その他住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならないとされている(同法3条3項)。
イ 手続
住民票の記載、削除又は記載の修正は、政令で定めるところにより、法の規定による届出に基づき、又は職権で行うものとする(同法8条)。
転入届に関しては、転入(あらたに市町村の区域内に住所を定めることをいい、出生による場合を除く)をした者は、転入をした日から14日以内に、氏名、住所、転居をした年月日、従前の住所、世帯主にづいてはその旨、世帯主でない者については世帯主の氏名及び世帯主との続柄、国外から転入をした者その他政令で定める者については上記事項のほか政令で定める事項を市町村長に届けなければならないとしたうえで(同法22条)、正当な理由がなくて届出をしない者は、5万円以下の過料に処するとしている(同法51条)。
そして、市町村長は、新たに市町村の区域内に住所を定めた者その他新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは、一の世帯につき世帯を単位とする住民票を作成した後に新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者でその世帯に属することとなった場合(既に当該世帯に属していた者が新たに法の適用を受けることとなった場合を含む。)を除き、その者の住民票を作成しなければならない(住民基本台帳法施行令7条)。
市町村長は、法の規定による届出があったときは、当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して、住民票の記載を行わなければならない(同令11条)。
(2) 証拠(甲69)によれば、被告吹田市長は、公共の福祉の観点と近隣住民の不安を考えるとアレフの信者の住民登録と転入届は受け付けることができないとの理由により、本件不受理処分を行ったことが認められる。
上記法令の定めによれば、新たに当該市町村の区域内に住所を定めた者が転入届を提出してきた場合には、市町村長は、届出の内容を審査したうえで、住民票を作成し、住民基本台帳に記録するとされており、転入届を届け出た者が新たに当該市町村の区域内に住所を定めたこと以外の事項を住民基本台帳に記録すること及び住民票を作成することの要件とすることを明記した法令はない。そして、住民基本台帳制度は、住民の居住関係の公証や住民に関する記録の適正な管理を図るために、住民に関する記録を正確かつ統一的に行うものとして設けられた制度であるとされているところ、居住関係以外の事由により住民基本台帳に記録しない場合あるいは住民票を作成しない場合を認めるならば、かかる法の趣旨に反することになるし、転入届等の届出にに記載される事項は氏名のほか居住関係に関する事項に限られており、市町村長は当該届出の内容が事実であるかどうかのみを審査して住民票の記載を行なうとされていることからすると(住民基本台帳法施行令7条、11条)、居住関係以外の事項について考慮することは予定されていないとみるほかはない。
以上によれば、当該届出人が新たに当該市町村の区域に住所を定めたという実態が認められる場合には、市長村長は、転入届を受理したうえで住民票を作成し、住民基本台帳に記録する義務があるというべきであって、その他の事由により届出を不受理とする余地はないと解するのが相当である。

(3) 被告らは、住民基本台帳法の解釈も憲法の基本原理ないし理念に基づいて行われるべきであり、市町村長が転入届を受理すべきか否かについても、憲法上の公共の福祉の観点から、地域の平穏と地域住民の安全を確保するという要請との間の利益衡量によって判断されるべきであると主張する。
しかしながら、住民基本台帳法15条は、選挙人名簿の登録は、住民基本台帳に記録されている者で選挙権を有する者のうち、その者に係る当該市町村の住民票が作成された日から引き続き3か月以上当該市町村の住民基本台帳に記録されている者について行なうとされており(住民基本台帳法15条、公職選挙法21条)、また、当該市町村に住所を有することが当該市町村が行う国民健康保険の被保険者となることの要件とされており(国民健康保険法5条)、転入届が行われた場合には国民年金に関する届けがあったものとされる(国民年金法12条4項)など、住民基本台帳に記録されること及び住民票が作成されることは、住民の選挙権の行使、各種行政サービスの受給など住民の基本的な権利保障に関する手続であるということができ、転入届が受理されなければ、選挙権の行使など基本的権利が制約される結果が生じ得ることになる。そうすると、法律の定めがなくしてかかる権利に制約を加えることができないのは当然であり、したがって、転入届を受理するか否かを判断するにあたって転入者の危険性という事由を考慮することができるのは、かかる事由を転入届を受理する際の要件とすることが法律上明文で要件とされているか、解釈上これが要件であると解しうる場合に限られるところ、前述のとおり、住民基本台帳制度について定めた住民基本台帳法及び同法施行令によれば、届出人が当該市町村に住所を定めた実態があるかどうかのみを要件としていることは明らかであるから、被告らが主張するような事項を転入届を受理するかどうかにあたって考慮することはできないと解すべきである

(4) 被告らは、地方自治法2条2項の「地域における事務」には当該地方公共団体の地域の秩序を維持し、住民の安全、健康及び福祉を保持すべきことが含まれているということを、住民の安全の確保のために転入届を不受理とすることの法令上の根拠として主張するものと解される。しかしながら、同規定により、地域の秩序を維持し、住民の安全を図ることが地方公共団体及びその長の責務であると解されるとしても、そもそも、住民基本台帳制度は住民の居住関係の公証や住民に関する記録の適正な管理を目的とする制度であって、住民の安全確保を本来の目的とする制度ではないし、住民基本台帳に記録がなされず又は住民票が作成されなかったとしても、その者が、選挙権を行使することが困難になるなどの支障の発生を甘受しつつ、当該市町村の区域内に居住すること自体は可能であるから、転入届を不受理とすることと住民の安全を確保するということとの関連性は乏しく、住民基本台帳法が、地域の平穏及び住民の安全確保をもその目的としているものと解することはできないまた、住民基本台帳法が住民の安全確保のために転入の届出を不受理とすることを予定しているとするならば、住民の安全に危害が加えられるおそれがあるのかどうかを確認するための手続が当然定められてしかるべきところ、転入届の審査は届出の内容が事実かどうかに関してのみ行われるにすぎず、住民の安全確保を確認するための審査手続はなんら規定されていない
したがって、地方の平穏と地域住民の安全を確保をするという目的を実現するために、市町村長に、転入届を不受理とする権限を付与することを認める法令上の根拠はないというほかはないから、市町村長が転入届を受理すべきか否かについては、地方自治法2条2項を根拠に、地域の平穏と地域住民の安全を確保するという要請との間の利益衡量によって判断されるべきであるとする被告らの前記主張は採用することができない

(5) また、被告らは、市町村長の行う転入届の受理に関する事務について、地方自治の本旨として住民自治の原則が含まれていること、地方自治法2条4項が議会の議決の尊重義務を定めていることを斟酌すべきであると主張する。
かかる主張は、住民の代表者である議会により当該転入届を不受理とする旨の議決がなされ、その議決を尊重して市町村長が転入届を不受理とした場合には、住民自治の原則及び議会の議決の尊重義務が定められていることから、適法な処分であると解すべきであるとの主張と解される。
しかし、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」(憲法92条)、「地方公共団体は、・・・法律の範囲内で条例を制定することができる」(憲法94条)とされていることからも明らかなように、住民自治とは、法律の定めに反する行為をなし得る権限を地方公共団体及びその長に付与する制度ではなく、また、住民基本台帳法が転入届を受理するかどうかにあたって当該転入者の危険性について判断することを許容していないことをもって地方自治の本旨に反するとは解されないから、住民自治を理由に法律の定めに反して転入届けを不受理とする処分を行うことができないのはもとより当然である
また、議会の議決尊重義務についても、違法な内容の議決を行った場合にまで、議会の議決を尊重しなければならないと解することは到底できないのであるから、転入者の危険性を理由に転入届を不受理とする処分を適法とする理由とはなり得ない。
以上より、住民自治及び議会の議決権尊重義務から本件不受理処分が適法であるとの被告らの主張は採用することができない。
(6) 結論
以上検討したとおり、住民基本台帳法上、市町村長は、当該転入者が危険性を有することを理由として転入届を不受理とする権限を有しないと解すべきであるから、被告吹田市長が、公共の福祉の観点と近隣住民の不安への考慮に基づきアレフの信者の住民登録と転入届を受け付けることはできないとの理由により原告らの転入届をいずれも不受理とした本件不受理処分は違法であるといわざるを得ない。

2 国家賠償
(1) 本件不受理処分が違法であることは前述のとおりであり、また、公共の福祉と地域住民の不安を理由として転入届を不受理とすることが許されないことは法令の文言から容易に認識することができたのであるから、被告吹田市長には違法な処分を行ったことにつき、少なくとも過失があったというべきである。
(2) 証拠(甲9、10)によれば、転入届が不受理とされたことによって、選挙権を行使すること又は各種行政サービスを受けるに際して困難が生じる等の支障があることが推認されるところ、このような状況が継続することについて原告らが不安を抱いたこと及び本来受理されるべき転入届が受理されなかったことによって精神的損害を被ったことが認められる。
したがって、本件不受理処分がアレフに対する住民の不安を考慮して行われたものであることを考慮しても、本件不受理処分により被ったことによる精神的損害に対する慰謝料としてはそれぞれ金20万円が相当である。
3 結論
以上により、原告らが、被告吹田市長に対し本件不受理処分の取消しを求める請求並びに原告らが被告吹田市に対し慰謝料の支払を求める請求のうちそれぞれ金20万円及び各金員に対する平成12年7月11日から支払済みまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については理由があるからこれを認容することとし、原告らのその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
第2民事部
(裁判長裁判官 三浦潤 裁判官 林俊之 裁判官 中島崇)

Q 人身の自由には何が含まれているのか?
(1)奴隷的拘束・意に反する苦役の禁止

+第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

・22条を居住・移転を超えた移動の自由一般を保障した規定と解すれば、22条が一般法であり、18条が特別法になる・・・。

(2)一般法としての22条

・あくまで空間的な拘束状態をカバーする規定。
・心理的な拘束状態は19条の思想両親の自由で。

Q 移動の自由にはどのような行為が保障されているのか?
(1)移動の自由の時代背景
(2)「移動の自由」の機能
移動の自由
①経済的②精神的③人格形成
さまざまな人間活動のベースになる
→厳格な審査基準

(3)移動の自由の新局面

・以上のような不作為請求だけでなく、作為請求もできないか。。。
バリアフリー化とか。


憲法 日本国憲法の論じ方 人権各論 序


Q 人権各論で何を学ぶのか?

Q 人権をどのように分類するか?
(1)分類学は何のためにあるのか
(2)代表的な分類
(3)最近の分類方法
(4)「プロセス的権利」を基準とする分類
(5)「プロセス的権利」と「非プロセス的権利」を分ける問題点

Q 分類学にはどのような効用があるのか?
(1)分類学の意義
(2)分類学の限界
(3)分類学を絶対視することの危険性

Q 生活領域から人権の分類を考えると?
(1)とりあえずの分類表
(2)経済生活における権利
(3)共同生活における権利

会社法 事例で考える会社法 事例11 不採算店舗の売却の段取り


Ⅰ はじめに

++(取締役会の権限等)
第三百六十二条  取締役会は、すべての取締役で組織する。
2  取締役会は、次に掲げる職務を行う。
一  取締役会設置会社の業務執行の決定
二  取締役の職務の執行の監督
三  代表取締役の選定及び解職
3  取締役会は、取締役の中から代表取締役を選定しなければならない。
4  取締役会は、次に掲げる事項その他の重要な業務執行の決定を取締役に委任することができない。
一  重要な財産の処分及び譲受け
二  多額の借財
三  支配人その他の重要な使用人の選任及び解任
四  支店その他の重要な組織の設置、変更及び廃止
五  第六百七十六条第一号に掲げる事項その他の社債を引き受ける者の募集に関する重要な事項として法務省令で定める事項
六  取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務並びに当該株式会社及びその子会社から成る企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備
七  第四百二十六条第一項の規定による定款の定めに基づく第四百二十三条第一項の責任の免除
5  大会社である取締役会設置会社においては、取締役会は、前項第六号に掲げる事項を決定しなければならない。

+(事業譲渡等の承認等)
第四百六十七条  株式会社は、次に掲げる行為をする場合には、当該行為がその効力を生ずる日(以下この章において「効力発生日」という。)の前日までに、株主総会の決議によって、当該行為に係る契約の承認を受けなければならない。
一  事業の全部の譲渡
二  事業の重要な一部の譲渡(当該譲渡により譲り渡す資産の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えないものを除く。)
二の二  その子会社の株式又は持分の全部又は一部の譲渡(次のいずれにも該当する場合における譲渡に限る。)
イ 当該譲渡により譲り渡す株式又は持分の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えるとき。
ロ 当該株式会社が、効力発生日において当該子会社の議決権の総数の過半数の議決権を有しないとき。
三  他の会社(外国会社その他の法人を含む。次条において同じ。)の事業の全部の譲受け
四  事業の全部の賃貸、事業の全部の経営の委任、他人と事業上の損益の全部を共通にする契約その他これらに準ずる契約の締結、変更又は解約
五  当該株式会社(第二十五条第一項各号に掲げる方法により設立したものに限る。以下この号において同じ。)の成立後二年以内におけるその成立前から存在する財産であってその事業のために継続して使用するものの取得。ただし、イに掲げる額のロに掲げる額に対する割合が五分の一(これを下回る割合を当該株式会社の定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えない場合を除く。
イ 当該財産の対価として交付する財産の帳簿価額の合計額
ロ 当該株式会社の純資産額として法務省令で定める方法により算定される額
2  前項第三号に掲げる行為をする場合において、当該行為をする株式会社が譲り受ける資産に当該株式会社の株式が含まれるときは、取締役は、同項の株主総会において、当該株式に関する事項を説明しなければならない。

+(反対株主の株式買取請求)
第四百六十九条  事業譲渡等をする場合(次に掲げる場合を除く。)には、反対株主は、事業譲渡等をする株式会社に対し、自己の有する株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一  第四百六十七条第一項第一号に掲げる行為をする場合において、同項の株主総会の決議と同時に第四百七十一条第三号の株主総会の決議がされたとき。
二  前条第二項に規定する場合(同条第三項に規定する場合を除く。)
2  前項に規定する「反対株主」とは、次の各号に掲げる場合における当該各号に定める株主をいう。
一  事業譲渡等をするために株主総会(種類株主総会を含む。)の決議を要する場合 次に掲げる株主
イ 当該株主総会に先立って当該事業譲渡等に反対する旨を当該株式会社に対し通知し、かつ、当該株主総会において当該事業譲渡等に反対した株主(当該株主総会において議決権を行使することができるものに限る。)
ロ 当該株主総会において議決権を行使することができない株主
二  前号に規定する場合以外の場合 全ての株主(前条第一項に規定する場合における当該特別支配会社を除く。)
3  事業譲渡等をしようとする株式会社は、効力発生日の二十日前までに、その株主(前条第一項に規定する場合における当該特別支配会社を除く。)に対し、事業譲渡等をする旨(第四百六十七条第二項に規定する場合にあっては、同条第一項第三号に掲げる行為をする旨及び同条第二項の株式に関する事項)を通知しなければならない。
4  次に掲げる場合には、前項の規定による通知は、公告をもってこれに代えることができる。
一  事業譲渡等をする株式会社が公開会社である場合
二  事業譲渡等をする株式会社が第四百六十七条第一項の株主総会の決議によって事業譲渡等に係る契約の承認を受けた場合
5  第一項の規定による請求(以下この章において「株式買取請求」という。)は、効力発生日の二十日前の日から効力発生日の前日までの間に、その株式買取請求に係る株式の数(種類株式発行会社にあっては、株式の種類及び種類ごとの数)を明らかにしてしなければならない。
6  株券が発行されている株式について株式買取請求をしようとするときは、当該株式の株主は、事業譲渡等をする株式会社に対し、当該株式に係る株券を提出しなければならない。ただし、当該株券について第二百二十三条の規定による請求をした者については、この限りでない。
7  株式買取請求をした株主は、事業譲渡等をする株式会社の承諾を得た場合に限り、その株式買取請求を撤回することができる。
8  事業譲渡等を中止したときは、株式買取請求は、その効力を失う。
9  第百三十三条の規定は、株式買取請求に係る株式については、適用しない。

Ⅱ 最判昭和40年判決
1.問題の所在

+判例(S40.9.22) これは事件は同じだけど別の論点のほう。(笑)
理由
上告代理人広瀬通、同一松弘の上告理由第二点について。
株式会社の一定の業務執行に関する内部的意思決定をする権限が取締役会に属する場合には、代表取締役は、取締役会の決議に従って、株式会社を代表して右業務執行に関する法律行為をすることを要するしかし、代表取締役は、株式会社の業務に関し一切の裁判上または裁判外の行為をする権限を有する点にかんがみれば、代表取締役が、取締役会の決議を経てすることを要する対外的な個々的取引行為を、右決議を経ないでした場合でも、右取引行為は、内部的意思決定を欠くに止まるから、原則として有効であって、ただ、相手方が右決議を経ていないことを知りまたは知り得べかりしときに限って、無効である、と解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原判決の認定したところによれば、上告会社の代表取締役上原が本件物件を売却するには、重要事項として上告会社の取締役会の決議を経ることを要したにもかかわらず、右決議を経ていなかったのであるが、買主である被上告組合が右決議を経ていなかったことを知りまたは知り得べかりし事実は本件の全証拠によっても認められない、というのであり、原判決の右事実認定は、本件関係証拠に照らし首肯するに足り、右認定には所論のような違法はない
所論は、判示と異なる見解のもとに原判決を論難するか、または原審の裁量に属する事実認定を非難するものであって、採用できない。
同第三点について。
上告人が原審において所論の本件売買契約が通謀虚偽表示である旨の抗弁を提出していないことは、記録に徴して明らかであるから、所論は、原審において主張しなかった事実をもって、原判決に判断遺脱、理由不備の違法があるとするものであって、採用するに由ない。
同第四点について。
中小企業等協同組合の業務執行に関する内部的意思決定は、法令、定款または規約をもって、総会または総代会の権限とされているものを除いて、理事会の権限に属する。しかし、中小企業等協同組合は、理事会に属する右の権限のうち、法令が特に理事会において決議すべき事項であると定めたものを除いては、定款をもって、代表理事に委任することができる、と解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原判文は、その措辞にやや足りないところがあり、不明確の嫌いがないわけではないが、その挙示の証拠を照合すれば、その趣旨とするところは、被上告組合の定款は、理事会に属する業務執行に関する内部的意思決定の権限のうち、法令または定款が特に理事会の決議事項であると定めたものを除いて、代表理事に委任しており、本件売買契約の締結についての内部的意思決定は、被上告組合の総会、総代会および理事会の決議事項ではないから、代表理事に委任された事項であり、従って、本件売買契約は、被上告組合の理事会の決議を経ていないため、無効となるものではない、というにあるものと解されるから、原判決には所論の違法はない。
所論は、ひっきょう、判示と異なる見解のもとに原判決を論難し、かつ、原審の裁量に属する事実認定を非難するに帰し、採用できない。
なお、同第一点および上告代理人小林俊三、同曽根信一の上告理由第一点の論旨の理由がないことは、前記大法廷判決の判断したところである。
よって、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田正俊 裁判官 石坂修一 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎)

+こっち。
理由
論旨は、要するに、原判決が、上告会社と被上告組合との間の本件売買契約をもつて、商法二四五条一項一号にいう「営業ノ全部又ハ重要ナル一部ノ譲渡」(以下単に「営業の譲渡」という。)にあたらず、したがつて、本件売買契約については上告会社の株主総会の特別決議を経ることを要しないとしたのは、(一)同号にいう営業の譲渡の解釈を誤り、かつ、(二)本件売買契約の目的物について経験則および採証の法則に違背して事実を認定した違法がある、というにある。
(一)よつて、まず、右(一)の所論(法令違反)について判断する。商法二四五条一項一号によつて特別決議を経ることを必要とする営業の譲渡とは、同法二四条以下にいう営業の譲渡と同一意義であつて、営業そのものの全部または重要な一部を譲渡すること、詳言すれば、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先関係等の経済的価値のある事実関係を含む。)の全部または重要な一部を譲渡し、これによつて、譲渡会社がその財産によつて営んでいた営業的活動の全部または重要な一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じ法律上当然に同法二五条に定める競業避止業務を負う結果を伴うものをいうものと解するのが相当である。
所論は、要するに、右判示のような見解を採るときは、譲渡会社またはその株主の利益が害される危険があることを力説した上、営業の譲渡とは、いわゆる機能的財産の移転を目的とする契約であり、営業が譲受人に移転し受継されるのを通例とするが、必ずしもそのように狭く解すべきではなく、かかる機能的財産を構成している重要な営業用財産が一括して譲渡され、その結果譲渡会社の運命に重大な影響を及ぼすような場合、たとえば譲渡会社がその結果営業を遂行できなくなるような場合において、当事者がその結果を予見しているときは、いわゆる狭義の「営業譲渡」の場合に準じて、該当会社の株主総会の特別決議を要するものと解するのが相当である、というにある。
しかしながら、商法二四五条一項一号の規定の制定およびその改正の経緯に照しても、右法条に営業の譲渡という文言が採用されているのは、商法総則における既定概念であり、その内容も比較的に明らかな右文言を用いることによつて、譲渡会社がする単なる営業用財産の譲渡ではなく、それよりも重要である営業の譲渡に該当するものについて規制を加えることとし、併せて法律関係の明確性と取引の安全を企図しているものと理解される。前示所論のように解することは、明らかに前示法条の文理に反し、法解釈の統一性、安定牲を害するばかりでなく、その譲渡が無効であるかどうかが、譲渡の相手方または第三者にとつては必ずしも詳らかにしえない譲渡会社の内部的事情によつて左右される結果を認めることとなり、前判示のように解する場合に比較して、法律関係の明確性ないし取引の安全を害するおそれも多く、右所論のような拡張解釈は、法解釈の限度を逸脱するものというほかはない。所論は、立法政策としては考慮の余地があるとしても、現行法の解釈論としては、とうてい採用することをえない。
されば、右判示と見解を同じくする原判決には、商法二四五条一項一号の解釈を誤つた違法はない。
(二)つぎに、前示(二)の所論(事実誤認)について判断する。所論は、要するに、本件売買契約の目的物である本件物件が上告会社の組織的一体かつ唯一無二の全営業用財産であることが証拠上明白であるのに、原判決がこれを認めなかつたのは、経験則および採証の法則に違反して事実を認定した違法がある、というにある。
しかしながら、原判決を通読すれば、原審は、本件物件は譲渡会社である上告会社がこれによつて製材業を営んでいた木曾工場を構成するものであつたが、本件売買契約に当つては、いずれの当事者も本件物件を有機的一体として機能する財産として売買する意思はなく、とくに譲受人である被上告組合にとつては、製材業を譲り受けることは目的の範囲外の行為であり、被上告組合が本件物件のうちの不動産を買い受けたのは、被上告組合の目的である組合員その他の者の出品する木材および製材品の市売等を行うための土場および事務所に使用するためであり、本件物件のうちの機械器具類に至つては、これだけ除外しても、上告会社がその処置に窮するであろうことを思いやり、これを本件売買契約の目的物のうちに加えたものにすぎず、したがつて、本件売買は、営業を構成していた各個の財産の譲渡であつて、営業の譲渡に当らない旨を判示しているのであり(本件物件が上告会社の重要な営業用財産ではないから、本件売買が営業の譲渡に当らないと判断しているものではない。)、原審の右認定、判断は、これに対応する挙示の証拠関係に照して首肯できないわけではなく、その認定、判断には、所論の違法はない。
所論は、原判決を正解せず、かつ、原審の裁量に属する事実認定を非難するものであつて、採用できない。
よつて、裁判官奥野健一の補足意見、裁判官山田作之助、同草鹿浅之介、同柏原語六、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。
営業譲渡は、単なる営業用財産の譲渡とその概念を異にする。営業を構成する各個の財産の譲渡は、それが如何に重要なものであつても、また一括譲渡であつても、それだけでは営業譲渡とはいえない。営業譲渡とは、多数意見もいうように、「一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産」の移転であり、それにより譲受人は譲渡人と同様の営業者たる地位を取得することをいう。すなわち、営業の譲渡とは、譲受人をして営業用財産の取得と経営者たる地位引継の権利を取得せしめ、譲渡人と社会通念上同じ状態にて営業を継続し得る地位を得せしめるものをいう(譲受人が実際上営業的活動を承継実行すると否とを問わない)。さればこそ、その効果として、譲渡人は一定範囲の競業避止の義務を負うのである。このことは、商法が株式会社の営業譲渡について、会社の合併と同様な法律的規制(株主総会の特別決議を必要とし、かつ、反対株主に対し株式買取請求権を認める)を定めているところがらも、営業譲渡を企業の承継的移転と実質的に同視していることが窺われる。
例えば、会社の工場、設備その他の機械器具を更新する必要があるため、これらを一括売却しても、いわゆる営業譲渡ではないことは明らかであると同様に、本件における土地建物および機械器具等の譲渡が、従来の営業たる製材業とは、全然別個の用途に使用するため行われたものであることは、原審の確定するところであり、かかる営業用財産の譲渡が営業譲渡に当らないことも明らかである。
会社の取締役が株主総会の決議を経ることなく、会社の重要財産を恣に処分し得ることとすれば、会社および株主に甚大な損害を蒙らせ、会社の運命に重大な影響を及ぼす危険があるという理由で、営業用財産の譲渡も営業の譲渡に当ると解せんとするが如きは、商法の営業譲渡の概念を不明確にするものであつて、採るを得ない。かかる場合に、現行法上の取締役に対する責任追及の規定のみでは足りないとすれば、宜しく立法により明確に解決すべきである。更にまた、多数意見に従えば、営業の譲渡であるか否かは、譲渡契約の内容によつて、形式的に定まるのを通常とするから、譲受人は、当該譲渡が相手方会社にとつて特別決議を必要とするか否かを容易に判別することができ、従つて、取引の安全を害する恐はない。これに反し、営業用財産の譲渡も営業の譲渡に当ると解する立場をとれば、単なる営業用財産の全部又は重要な一部の譲渡がされた場合にあつては、それが果して会社の営業用財産の全部であるか又は譲渡会社にとつて重要な一部の財産であるかは、譲渡会社の内部事情であるから、譲受人にとつては不明であるにもかかわらず、後日に至り特別決議を経なかつたことを理由として、譲渡会社より譲渡契約の無効を主張されることとなり、従つて、譲渡人の利益と取引の安全とが著しく害せられる結果となる。また、営業用財産の全部又は重要な一部の譲渡の場合も「営業の全部又は重要なる一部の譲渡」に当ると解するとすれば、譲渡人の競業避止義務、反対株主の株式買取請求権の有無、範囲についても、解釈上相当困難な問題が生ずるであろう。
これを要するに、営業用財産の譲渡が営業譲渡に当ると解することは、文理解釈上も無理であり、商法上の営業譲渡の既定概念にも反し、また取引の安全をも害するから、本件上告論旨は採るを得ない。

+反対意見
裁判官山田作之助の反対意見は次の通りである。
一、わたくしは、本件において唯一ともいうべき争点(従つて上告代理人が上告理由として主張する点)は、本件上告会社(払込資本金百五十万円)の当時の代表取締役であつたAが株主総会にはからないで(特別決議を得ないで)長野県西筑摩郡上松町所在の同社製材工場(この工場は、同社の唯一ともいうべき工場であつて、その敷地面積は約千六百余坪、工場建物は約六棟建坪約三百余坪、備付の機械器具類は約数十点におよぶ)を、一括して有姿のまま~代金五百八十万円で被上告組合に譲渡し、組合は右代金をもつてこれを譲り受けたとの事実(社会的事象)をどう法律的に評価し、その法律的効果を認めるべきかの問題であると考える。
二、思うに、商法二四五条一項一号は、会社の代表取締役が会社の「営業ノ全部又ハ重要ナル一部」を他に譲渡するには、株主総会の特別決議を経ることを要するとし、その特別決議なしでなされた譲渡行為は当然無効であるとしているのである。その立法趣旨は、いうまでもなく、会社は営利を目的として存在し、従つて営業をすることが存在の基礎なので、会社の営業を他に譲渡するような所為は会社の存続の基礎に影響をおよぼすものであるから、株主及び会社の利益を保護するため、みだりにその会社の取締役が単独でこれらの所為をすることを禁じている趣旨に外ならない。そして、現代の株式会社型態による企業にあつては、その会社の営業の目的如何によつては、例えば本件上告会社のような生産業を営むものにあつては、その生産設備を操業ずることが営業の主要部分を構成するものであり、換言すれば、その会社の生産工場が会社の目的である営業を遂行する物的基礎となつているもので、会社の営業の基礎は、その工場を経営することにあり、従つてその工場を敷地や備付の機械器具類等と一括して他に譲渡するようなことは、その工場における会社の営業活動を廃止することを結果するもので、すなわち会社の営業ひいては会社の存続の基礎に重大な影響を及ぼすものであるから、商法二四五条一項一号の前記立法趣旨に照らし、株主及び会社の利益保護のため、株主総会の特別決議を要する「営業の譲渡」に包含されるものと解するのが相当であり、かように解することが現代の株式会社企業の実体を正確に把握し、現時の産業界経済界の実情に即するものというべきである。
なお一言すべきは、私的独占禁止法一六条が、会社の営業の譲受等を規制するに当つて、法文上営業の譲渡と営業上の固定資産の譲受とを同列に規定し、両者を同一に取り扱い、法律上同一視されるべきものとして立法していることである。このことに徴しても、会社型態の企業における営業の譲渡の意義を前記のように解することの正当であることを首肯するに足るであろう。
三、これに反し、原判決は、商法二四五条一項一号にいう営業の譲渡の意義を、商法総則の規定である同法二四条以下にいう営業の譲渡の意味と同様に解し、毫も株式会社企業の実態を顧慮することなく、形式的観点によつて営業なる観念を構成し、本件事案を律した嫌があり、物の生産を業とする株式会社の営業の実態をきわめないで判断した結果、製材業を営む上告会社の唯一ともいらべき本件生産工場を有姿のまま他に譲渡した所為を目して商法二四五条一項一号に該当するものでないとしたのは、右法条の趣旨を理解しない違法があるといわなくてはならない。
四、この様に生産会社がその営業の基礎をなす生産工場を譲渡することが、特段の事情がないかぎり、商法二四五条一項一号にいう営業の譲渡に該当すると解するとすれば、工場の譲渡取引に際し、一一その実体について調査する必要を生じ、善意で工場を譲り受けた相手方に不測の損害を与える恐れがあり、取引の安全を害するとの批判が予想されるが、株式会社にあつては、その会社の資産状態は、毎決算期毎に財産目録貸借対照表等財務諸表が公表されており、明白になつているのであるから、工場の譲渡取引に当つて、その工場が譲渡会社の営業にとつて如何に値しているかは、相手方において容易に知ることができるものと推認されることに徴すれば、毫も、取引の安全を害するという問題は生ぜず、右の批判は当らない。
よつて、本件は、本件譲渡取引の実体について更に審理判断させる必要があるものと考えられるから、原判決を破棄し、これを原裁判所に差し戻すのを相当とする。

+反対意見
裁判官松田二郎の反対意見は次のとおりである。
一、私は、多数意見が商法二四五条一項一号に規定する「営業の譲渡」について採る見解に反対するものである。
多数意見は、次のとおり主張する。曰く「商法二四五条一項一号によつて特別決議を経ることを必要とする営業の譲渡とは、同法二四条以下にいう営業の譲渡と同一意義であつて、営業そのものの全部または重要な一部を譲渡すること、詳言すれば、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先関係等の経済的価値のある事実関係を含む。)の全部または重要な一部を譲渡し、これによつて、譲渡会社がその財産によつて営んでいた営業的活動の全部または重要な一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じ法律上当然に同法二五条に定める競業避止義務を負う結果を伴うものをいうものと解するのが相当である」というまでもなく、商法二四条以下に規定する「営業」の意義をいかに解するかについては、学説が対立し、これに従つて「営業譲渡」の性質についても見解が多岐に分れている。多数意見は、そのうちで、営業譲渡について、「営業的活動の承継」を必要とする説を採り、かつ商法二四五条一項一号の「営業譲渡」についても、同様に解するのである。しかし、商法総則において論ぜられる営業譲渡について、かかる見解をとること自体に是非の論があるのみならず、商法二四五条一項一号の「営業譲渡」を商法二四条以下の営業譲渡と必ずしも同一に解しなければならないものではない。これは法域によりその目的を異にすることによつて生ずる法律概念の相対性として、当然のことなのである。
二、思うに、経済上より観察すれば、営業譲渡の場合、譲受人が譲渡人の営業的活動を承継することが少なくない。しかし、法律上の問題として、商法二四五条一項一号の「営業譲渡」の意義をいかに解するかについては、別個の考察を必要とする。私はまず右条文の「営業譲渡」には「営業的活動の承継」を要件としないことを明らかにしたい。今もし多数意見に従うときは、次のような不当な結果を生ずからである。
(一)まずこの問題を営業の全部の譲渡について論じたい。
(1)多数意見によれば、譲受人による営業的活動の承継がある場合とない場合とを截然と区別し、その承継のない限り、譲渡会社の代表取締役は何等株主総会の決議を経ることなく、自己の裁量により、「会社の全財産」を譲渡し得るのである。ただこの場合、代表取締役はその譲渡について、会社に対して取締役としての責任を負うことがあるに止まることとなる。同様の理由により、会社の代表取締役は何等株主総会の決議を経ることなく、会社の全財産を譲渡担保となし得ることとなる。要するに、代表取締役はこの点において、きわめて広汎な権限を有するというのである。しかるに、多数意見に従えば、一旦、譲受人が譲渡会社の営業的活動を承継するときは、代表取締役の権限はたちまちその偉力を失い、その譲渡について、株主総会の特別決議を経ることを要することとなるのである。何故に、営業活動の承継がある場合には株主総会の特別決議を必要とするにかかわらず、その承継のない場合にはこれを不必要とするのか。おそらく、何人もその間に存する著しい不均衡を感ずるであろう。さらに、会社の全財産を譲渡するについて、何等株主総会の決議を必要としない場合を認めることは、毎決算期に計算書類の承認(商法二八三Ⅰ)にさえ、定時株主総会の決議を要することと比較しても、理解し得ないところである。畢竟、多数意見は、会社企業の存立の基礎たる全財産の処分を代表取締役の恣意に委ねることすら生ぜしめるものであつて、「企業維持」の点より見て、きわめて危険な考えであるといわざるを得ない。
次に、多数意見は、株主保護の点より見ても、到底是認し得ない。けだし、多数意見によるときは、営業的活動の承継のない限り、会社の全財産の譲渡も株主総会の決議を経ることを要しないから、譲渡会社の株主の全く不知の間に、その処分が行われ得ることとなるからである。そして、その結果として、商法二四五条一項一号の営業譲渡に反対する株主の有する株式の買取請求権(商法二四五ノ二)のごときも、著しくその機能を失うこととなるのである。
(2)さらに不当と思われるのは、多数意見がその見解をもつて商法二四五条一項一号の制定の沿革およびその改正の経緯に照して正当であると主張することである。
昭和一三年法律七二号による改正商法の制定以前において、通説上、株式会社はその存続中、「営業の全部の譲渡」契約をなし得ないものとされ、また、営業譲渡とは客観的意義における営業、すなわち営業財産の譲渡であると解されていた。従つて、通説上、会社はその「存続中」、その全財産を譲渡し得ないものと解されていたのである。
換言すれば、株主総会の特別決議を以ても、「営業の全部の譲渡」は認められず、まして取締役によるその譲渡のごときは、予期しなかつたところといえる。その後、昭和一三年の右改正法律は、株主総会の特別決議による「営業の全部の譲渡」を認める(右改正後の二四五条一項一号)と同時に、右「営業の全部の譲渡」を会社の当然の解散事由であるとした(右改正後の四〇四条三号)。しかるに、昭和二五年法律一六七号による商法の改正によつて、右四〇四条三号が削除された結果、会社の存続中における「営業の全部の譲渡」すなわち営業財産全部の譲渡も可能となつたのである。これは一面において存続中における会社の全財産の譲渡を可能とすることによつて企業集中に基づく経済の変遷に傾応しつつ、しかも他面においてその譲渡には株主総会の特別決議を要するものとして、会社自体の利益の害されないよう配慮したものである。
さらに右昭和二五年法律一六七号による商法改正は、従来の商法二四五条一項一号が「営業の全部又は一部の譲渡」と規定していたのを、「営業の全部又は重要なる一部の譲渡」と改めるとともに、新たに商法二四五条ノ二の規定を設け、その営業譲渡に反対する株主に対して株式買取請求権を附与するに至つた。これはアメリカ法にならつて、株主の地位を強化し、その保護を増大せしめようとしたのに基づくのであるが、多数意見はこの点の改正の意図、経緯にも背反するものというべきである。
要するに、「営業の全部の譲渡」とは、いわゆる客観的意義における営業、すなわち、会社の営業財産の全部の譲渡を意味し、営業的活動の承継は営業譲渡の要件でないと解すべきである。このことは、営業の一部譲渡についても同様である。
(二)次に、前記法条の「営業の重要なる一部の譲渡」の場合における「重要」という点について述べたい。この点についても、私は多数意見と見解を異にするからである。
いうまでもなく、営業は単なる個々的財産の集合ではなく、営業の目的のために組織化されて有機的一体をなす財産であり、従つて、それを構成する個々的財産の極値の総和よりも高い価値を有するものである。営業譲渡とは、かかる有機的一体としての価値を有する財産の譲渡を意味する。このことは、営業の全部の譲渡のときでも、その重要な一部の譲渡のときでも同様である。そして、たとえば、製造業を営む株式会社が数個の工場を有する場合も、の会社企業全体の見地よりする価値判断において「重要」と認められる工場を譲渡することは、まさに「営業の重要なる一部」の譲渡である。問題となるのは、その工場における重要な機械を他に譲渡することをいかに解すべきかということである。
思うに、その機械がその重要工場の機能を発揮するため、きわめて重要性を有するものであれば、その機械の譲渡は、決して一個の機械の譲渡と解すべきものでなく、実質上、その譲渡はその工場自体の価値―工場が有機的のものとして有する高度の価値―を破壊することとなろう。すなわち、会社の見地よりすれば、その機械の譲渡によつて蒙る価値の変動は、その機械のすえつけられている工場自体の譲渡によつて蒙る価値の変動と異らないものといい得るのである(その機械の売却は、その企業の製品の売却とは全く趣を異にする。)。そしてこのように解することによつて、会社企業は維持され、また株主の利益も保護されるのである。この見地に立つとき、重要工場の重要な機械の譲渡は、代表取締役の専権に委ねられたものでなく、その譲渡には株主総会の特別決議を要すると解することが、むしろ当然であると思われるのである。
しかるに、これに反する見解を採るときは、会社企業より見てきわめて重要な生産のための機械の譲渡をも、単なる個々的財産の譲渡として取り扱い、代表取締役がこれをなし得ることとなろう。そして、このような見解を是認するときは、代表取締役が会社としてきわめて価値ある重要財産をも、形式上、個々的に譲渡するごとく偽装することによつて、檀にこれを処分する弊を増大せしめるであろう。
(三)さらに次の点について、一言すべき必要を感じる。多数意見は「営業的活動の承継」の有無を基準とすることが、「取引の安全」に資すると主張するからである。しかし、このような主張は、全く理解できないところである。
思うに、株式会社は、その営業上の商取引(たとえば製品たる商品の売買)においては、相手方保護のため、取引の安全が強く要請されるべきことは当然である。しかしながら、会社の営業自体は、本来、譲渡されることを目的とするものではなく、その譲渡は、むしろ、例外的な事例である。従つて、その譲渡については、商取引におけるがごとき取引の安全を強調すべきでなく、却つて譲渡会社自体の利益の保護を高度に考えなければならないのである。いわば、動的安全よりも静的安全を重視すべきものといえよう。この点でも、多数意見の考え方は誤りを含むものと思われる。
さらに、「営業の一部の譲渡」の場合には、たとえ多数意見に従つても、必ずしも取引の安全に役立つものでないことを指摘したい。けだし、営業の一部の譲渡に当つては、それが「重要」なる一部であるか否かが、会社企業全体の見地よりする価値判断によつて決せられるから、「重要」の有無は個々の具体的場合によつて異ることとなり、あるいは株主総会の特別決議を必要とし、あるいはこれを不必要とするからである。
三、今本件についてみるに、原審の認定したところによれば、被上告組合は上告会社から、その所有する木曾工場の建物、敷地その機械器具を買受けたというのである。しかも、原判決の判示によれば、本件木曾工場の物件が上告会社の重要な営業用財産であることが窺知されるのである。しかるに、原審は右物件の譲渡には「営業的活動の承継が伴わず」、かつ右物件の譲渡は「営業を構成している各個の財産の譲渡」すなわち、その個々的な譲渡に過ぎないものとして、右譲渡は商法二四五条一項一号の「営業譲渡」に当らないものとした。原審は、このような見解に立つて、その譲渡には株主総会の特別決議を要しないとしたのである。そして多数意見は、営業譲渡に関し原審と同様の見解をとるのである。
しかしながら、かかる見解を採る多数意見の失当なことは、私の既に述べたところによつてきわめて明白であり、私はこれに反対せざるを得ないのである。
裁判官草鹿浅之介、同柏原語六、同田中二郎、同岩田誠は、裁判官松田二郎の右反対意見に同調する。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)

3.昭和40年判決の読み方

Ⅲ 問1について
1.B社(譲受会社について)

+(事業譲渡等の承認等)
第四百六十七条  株式会社は、次に掲げる行為をする場合には、当該行為がその効力を生ずる日(以下この章において「効力発生日」という。)の前日までに、株主総会の決議によって、当該行為に係る契約の承認を受けなければならない。
一  事業の全部の譲渡
二  事業の重要な一部の譲渡(当該譲渡により譲り渡す資産の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えないものを除く。)
二の二  その子会社の株式又は持分の全部又は一部の譲渡(次のいずれにも該当する場合における譲渡に限る。)
イ 当該譲渡により譲り渡す株式又は持分の帳簿価額が当該株式会社の総資産額として法務省令で定める方法により算定される額の五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えるとき。
ロ 当該株式会社が、効力発生日において当該子会社の議決権の総数の過半数の議決権を有しないとき。
三  他の会社(外国会社その他の法人を含む。次条において同じ。)の事業の全部の譲受け
四  事業の全部の賃貸、事業の全部の経営の委任、他人と事業上の損益の全部を共通にする契約その他これらに準ずる契約の締結、変更又は解約
五  当該株式会社(第二十五条第一項各号に掲げる方法により設立したものに限る。以下この号において同じ。)の成立後二年以内におけるその成立前から存在する財産であってその事業のために継続して使用するものの取得。ただし、イに掲げる額のロに掲げる額に対する割合が五分の一(これを下回る割合を当該株式会社の定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えない場合を除く。
イ 当該財産の対価として交付する財産の帳簿価額の合計額
ロ 当該株式会社の純資産額として法務省令で定める方法により算定される額
2  前項第三号に掲げる行為をする場合において、当該行為をする株式会社が譲り受ける資産に当該株式会社の株式が含まれるときは、取締役は、同項の株主総会において、当該株式に関する事項を説明しなければならない。

2.3つの要件について

Ⅳ 問2について
+(事業譲渡等の承認を要しない場合)
第四百六十八条  前条の規定は、同条第一項第一号から第四号までに掲げる行為(以下この章において「事業譲渡等」という。)に係る契約の相手方が当該事業譲渡等をする株式会社の特別支配会社(ある株式会社の総株主の議決権の十分の九(これを上回る割合を当該株式会社の定款で定めた場合にあっては、その割合)以上を他の会社及び当該他の会社が発行済株式の全部を有する株式会社その他これに準ずるものとして法務省令で定める法人が有している場合における当該他の会社をいう。以下同じ。)である場合には、適用しない
2  前条の規定は、同条第一項第三号に掲げる行為をする場合において、第一号に掲げる額の第二号に掲げる額に対する割合が五分の一(これを下回る割合を定款で定めた場合にあっては、その割合)を超えないときは、適用しない。
一  当該他の会社の事業の全部の対価として交付する財産の帳簿価額の合計額
二  当該株式会社の純資産額として法務省令で定める方法により算定される額
3  前項に規定する場合において、法務省令で定める数の株式(前条第一項の株主総会において議決権を行使することができるものに限る。)を有する株主が次条第三項の規定による通知又は同条第四項の公告の日から二週間以内に前条第一項第三号に掲げる行為に反対する旨を当該行為をする株式会社に対し通知したときは、当該株式会社は、効力発生日の前日までに、株主総会の決議によって、当該行為に係る契約の承認を受けなければならない。

(反対株主の株式買取請求)
第四百六十九条  事業譲渡等をする場合(次に掲げる場合を除く。)には、反対株主は、事業譲渡等をする株式会社に対し、自己の有する株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一  第四百六十七条第一項第一号に掲げる行為をする場合において、同項の株主総会の決議と同時に第四百七十一条第三号の株主総会の決議がされたとき。
二  前条第二項に規定する場合(同条第三項に規定する場合を除く。)
2  前項に規定する「反対株主」とは、次の各号に掲げる場合における当該各号に定める株主をいう。
一  事業譲渡等をするために株主総会(種類株主総会を含む。)の決議を要する場合 次に掲げる株主
イ 当該株主総会に先立って当該事業譲渡等に反対する旨を当該株式会社に対し通知し、かつ、当該株主総会において当該事業譲渡等に反対した株主(当該株主総会において議決権を行使することができるものに限る。)
ロ 当該株主総会において議決権を行使することができない株主
二  前号に規定する場合以外の場合 全ての株主(前条第一項に規定する場合における当該特別支配会社を除く。)
3  事業譲渡等をしようとする株式会社は、効力発生日の二十日前までに、その株主(前条第一項に規定する場合における当該特別支配会社を除く。)に対し、事業譲渡等をする旨(第四百六十七条第二項に規定する場合にあっては、同条第一項第三号に掲げる行為をする旨及び同条第二項の株式に関する事項)を通知しなければならない。
4  次に掲げる場合には、前項の規定による通知は、公告をもってこれに代えることができる。
一  事業譲渡等をする株式会社が公開会社である場合
二  事業譲渡等をする株式会社が第四百六十七条第一項の株主総会の決議によって事業譲渡等に係る契約の承認を受けた場合
5  第一項の規定による請求(以下この章において「株式買取請求」という。)は、効力発生日の二十日前の日から効力発生日の前日までの間に、その株式買取請求に係る株式の数(種類株式発行会社にあっては、株式の種類及び種類ごとの数)を明らかにしてしなければならない。
6  株券が発行されている株式について株式買取請求をしようとするときは、当該株式の株主は、事業譲渡等をする株式会社に対し、当該株式に係る株券を提出しなければならない。ただし、当該株券について第二百二十三条の規定による請求をした者については、この限りでない。
7  株式買取請求をした株主は、事業譲渡等をする株式会社の承諾を得た場合に限り、その株式買取請求を撤回することができる。
8  事業譲渡等を中止したときは、株式買取請求は、その効力を失う。
9  第百三十三条の規定は、株式買取請求に係る株式については、適用しない。

Ⅴ 問3について
1.はじめに
2.決議取消しの訴え
①特別利害関係人が議決権を行使
②そのことにより決議が成立
③当該決議の内容が著しく不当

+(株主総会等の決議の取消しの訴え)
第八百三十一条  次の各号に掲げる場合には、株主等(当該各号の株主総会等が創立総会又は種類創立総会である場合にあっては、株主等、設立時株主、設立時取締役又は設立時監査役)は、株主総会等の決議の日から三箇月以内に、訴えをもって当該決議の取消しを請求することができる。当該決議の取消しにより株主(当該決議が創立総会の決議である場合にあっては、設立時株主)又は取締役(監査等委員会設置会社にあっては、監査等委員である取締役又はそれ以外の取締役。以下この項において同じ。)、監査役若しくは清算人(当該決議が株主総会又は種類株主総会の決議である場合にあっては第三百四十六条第一項(第四百七十九条第四項において準用する場合を含む。)の規定により取締役、監査役又は清算人としての権利義務を有する者を含み、当該決議が創立総会又は種類創立総会の決議である場合にあっては設立時取締役(設立しようとする株式会社が監査等委員会設置会社である場合にあっては、設立時監査等委員である設立時取締役又はそれ以外の設立時取締役)又は設立時監査役を含む。)となる者も、同様とする。
一  株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令若しくは定款に違反し、又は著しく不公正なとき。
二  株主総会等の決議の内容が定款に違反するとき。
三  株主総会等の決議について特別の利害関係を有する者が議決権を行使したことによって、著しく不当な決議がされたとき
2  前項の訴えの提起があった場合において、株主総会等の招集の手続又は決議の方法が法令又は定款に違反するときであっても、裁判所は、その違反する事実が重大でなく、かつ、決議に影響を及ぼさないものであると認めるときは、同項の規定による請求を棄却することができる。

特別利害関係人
=問題となる総会議案の成立により他の株主と共通しない特殊な利益を獲得し、もしくは不利益を免れる株主!

3.決議を欠く事業譲渡の効力
・取り消されると遡って無効(839条の反対解釈)
+(無効又は取消しの判決の効力)
第八百三十九条  会社の組織に関する訴え(第八百三十四条第一号から第十二号まで、第十八号及び第十九号に掲げる訴えに限る。)に係る請求を認容する判決が確定したときは、当該判決において無効とされ、又は取り消された行為(当該行為によって会社が設立された場合にあっては当該設立を含み、当該行為に際して株式又は新株予約権が交付された場合にあっては当該株式又は新株予約権を含む。)は、将来に向かってその効力を失う。

・譲受人の善意悪意を問わず、総会決議を欠く事業譲渡を無効!
+判例(S61.9.11)
理  由
上告代理人吉永多賀誠の上告理由第一点及び第五点について
一 原審の確定した本件の事実関係は、次のとおりである。
1 被上告会社は、たばこ製造機械及び小型ディーゼルエンジンの製造販売を業とし三つの工場を有する株式会社であつたところ、専ら小型ディーゼルエンジンの製造販売に当たつていた長岡工場の営業を一括して他に譲渡しようと考え、昭和三三年末ころ訴外増田勝治に対し新会社を設立して長岡工場の営業を買い取るよう働きかけたところ、増田との間で昭和三四年三月三一日、(一) 被上告会社は、新会社の設立発起人代表である増田に対し長岡工場に属する一切の営業(ただし、固定資産である土地・建物・機械設備については別途賃貸借契約を締結する。)を譲渡する、(二) 譲渡代金は一六〇〇万円とし、昭和三四年九月から昭和三八年六月まで三か月ごとに分割して支払う、(三) 新会社が設立されたときは、新会社が右契約に基づく増田の権利義務の一切を引継ぐものとする旨の営業譲渡契約(以下「本件営業譲渡契約」という。)を締結した。
被上告会社は本件営業譲渡契約をするについて株主総会の決議による承認手続をとらなかつたが、それは契約担当者らが商法二四五条による規制を知らなかつたことによるもので、右手続をとろうとすれば、容易に実現しうる状況にあつた。
2 かくして、上告会社は、昭和三四年五月二一日代表取締役を増田とする株式会社として設立登記を了し、本件営業譲渡契約に基づくすべての財産の引渡を受けて営業を承継した。本件営業譲渡契約について上告会社の原始定款には商法一六八条一項六号の定める事項は記載されなかつたが、増田は、実質的には上告会社の全株式を所有し、上告会社の設立及び当初の経営を掌理していたものであり、所定事項を記載しなかつたのは、商法一六八条による規制を知らなかつたことによるもので、反対者の存在などの特別の障害があつたからではなかつた。
3 上告会社は、被上告会社から譲り受けた製品・原材料等を販売又は消費し、売掛債権等の債権を回収し、従業員・仕入先・得意先・商標等及び被上告会社から賃借した土地・建物・機械設備を使用し、小型ディーゼルエンジンの製造販売を行い、当初は順調な営業を続け、その間被上告会社に対し本件営業譲渡契約につきなんら苦情を述べたことがなく、被上告会社との間で昭和三四年六月譲渡代金一六〇〇万円につき債務承認並びに分割弁済契約をし、被上告会社に対し譲渡代金として昭和三四年一〇月から昭和三五年二月までの間に合計二六四万円を分割して支払つた。
4 被上告会社は、上告会社に対し昭和三五年四月未払譲渡代金一四一二万四七七三円の支払を五年間猶予したうえ、これを分割して支払うことを認めたが、上告会社は、経営者の内紛や従業員の大量退職などによつて、昭和四二年九月ころ事実上営業活動を停止するに至つた。
5 上告会社は、昭和四三年一〇月一七日の本件第一審の第四回口頭弁論期日において初めて本件営業譲渡契約について原始定款に所定事項の記載がないことを理由とする無効事由を主張し、さらに、昭和五四年二月一四日の原審の第二回口頭弁論期日において初めて被上告会社が本件営業譲渡契約をするについて株主総会の特別決議による承認手続を経由しなかつたことを理由とする無効事由を主張するに至つた。
そして、被上告会社及び上告会社は、いずれもその株主・債権者等の会社の利害関係人から本件営業譲渡契約が無効であるなどとして問題にされたことは一度もなかつた。
以上の原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

二1 原審の確定した右の事実関係によれば、増田が被上告会社との間で締結した本件営業譲渡契約は、その契約の実質的な目的及び内容等にかんがみるならば、増田が上告会社の発起人組合の代表者として設立中の上告会社のために会社の設立を停止条件としてした積極消極両財産を含む営業財産を取得する旨の契約であると認められるから、本件営業譲渡契約は、商法一六八条一項六号の定める財産引受に当たるものというべきであるそうすると、本件営業譲渡契約は、上告会社の原始定款に同号所定の事項が記載されているのでなければ、無効であり、しかも、同条項が無効と定めるのは、広く株主・債権者等の会社の利害関係人の保護を目的とするものであるから、本件営業譲渡契約は何人との関係においても常に無効であつて、設立後の上告会社が追認したとしても、あるいは上告会社が譲渡代金債務の一部を履行し、譲り受けた目的物について使用若しくは消費、収益、処分又は権利の行使などしたとしても、これによつて有効となりうるものではないと解すべきであるところ、原審の確定したところによると、右の所定事項は記載されていないというのであるから、本件営業譲渡契約は無効であつて、契約の当事者である上告会社は、特段の事情のない限り、右の無効をいつでも主張することができるものというべきである。

2 つぎに、本件営業譲渡契約が譲渡の目的としたものは、原審の確定したところによると、たばこ製造機械・小型ディーゼルエンジンの製造販売を目的とする被上告会社の有する三工場のうち専ら小型ディーゼルエンジンの製造販売に当たつていた長岡工場の営業一切であるというのであるから、商法二四五条一項一号にいう営業の「重要ナル一部」に当たるものというべきである。そうすると、本件営業譲渡契約は、譲渡をした被上告会社が商法二四五条一項に基づき同法三四三条に定める株主総会の特別決議によつてこれを承認する手続を経由しているのでなければ、無効であり、しかも、その無効は、原始定款に記載のない財産引受と同様、広く株主・債権者等の会社の利害関係人の保護を目的とするものであるから、本件営業譲渡契約は何人との関係においても常に無効であると解すべきである。しかるところ、原審の確定したところによると、本件営業譲渡契約については事前又は事後においても右の株主総会による承認の手続をしていないというのであるから、これによつても、本件営業譲渡契約は無効であるというべきである。そして、営業譲渡が譲渡会社の株主総会による承認の手続をしないことによつて無効である場合、譲渡会社、譲渡会社の株主・債権者等の会社の利害関係人のほか、譲受会社もまた右の無効を主張することができるものと解するのが相当である。けだし、譲渡会社ないしその利害関係人のみが右の無効を主張することができ、譲受会社がこれを主張することができないとすると、譲受会社は、譲渡会社ないしその利害関係人が無効を主張するまで営業譲渡を有効なものと扱うことを余儀なくされるなど著しく不安定な立場におかれることになるからである。したがつて、譲受会社である上告会社は、特段の事情のない限り、本件営業譲渡契約について右の無効をいつでも主張することができるものというべきである。

3 そこで、上告会社に本件営業譲渡契約の無効を主張することができない特段の事情があるかどうかについて検討するに、原審の確定した事実関係によれば、被上告会社は本件営業譲渡契約に基づく債務をすべて履行ずみであり、他方上告会社は右の履行について苦情を申し出たことがなく、また、上告会社は、本件営業譲渡契約が有効であることを前提に、被上告会社に対し本件営業譲渡契約に基づく自己の債務を承認し、その履行として譲渡代金の一部を弁済し、かつ、譲り受けた製品・原材料等を販売又は消費し、しかも、上告会社は、原始定款に所定事項の記載がないことを理由とする無効事由については契約後約九年、株主総会の承認手続を経由していないことを理由とする無効事由については契約後約二〇年を経て、初めて主張するに至つたものであり、両会社の株主・債権者等の会社の利害関係人が右の理由に基づき本件営業譲渡契約が無効であるなどとして問題にしたことは全くなかつた、というのであるから、上告会社が本件営業譲渡契約について商法一六八条一項六号又は二四五条一項一号の規定違反を理由にその無効を主張することは、法が本来予定した上告会社又は被上告会社の株主・債権者等の利害関係人の利益を保護するという意図に基づいたものとは認められず、右違反に藉口して、専ら、既に遅滞に陥つた本件営業譲渡契約に基づく自己の残債務の履行を拒むためのものであると認められ、信義則に反し許されないものといわなければならない。したがつて、上告会社が本件営業譲渡契約について商法の右各規定の違反を理由として無効を主張することは、これを許さない特段の事情があるというべきである。
4 以上と同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の認定にそわない事実に基づいて原判決を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎 裁判官 佐藤哲郎)

4.取締役の行為の差止め

+(株主による取締役の行為の差止め)
第三百六十条  六箇月(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)前から引き続き株式を有する株主は、取締役が株式会社の目的の範囲外の行為その他法令若しくは定款に違反する行為をし、又はこれらの行為をするおそれがある場合において、当該行為によって当該株式会社に著しい損害が生ずるおそれがあるときは、当該取締役に対し、当該行為をやめることを請求することができる。
2  公開会社でない株式会社における前項の規定の適用については、同項中「六箇月(これを下回る期間を定款で定めた場合にあっては、その期間)前から引き続き株式を有する株主」とあるのは、「株主」とする。
3  監査役設置会社、監査等委員会設置会社又は指名委員会等設置会社における第一項の規定の適用については、同項中「著しい損害」とあるのは、「回復することができない損害」とする。

Ⅵ 結びに代えて


民法 基本事例で考える民法演習2 23 他人の物の賃貸借と担保責任~賃貸人の義務と損害賠償の範囲


1.小問1(1)について(基礎編)

+(他人の権利の売買における売主の義務)
第五百六十条  他人の権利を売買の目的としたときは、売主は、その権利を取得して買主に移転する義務を負う。

2.小問1(1)について(応用編)

・不当利得
+判例(H19.3.8)
理由
上告代理人川島英明の上告受理申立て理由について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 上告人らは、平成12年2月15日、A(以下「A」という。)を通じて、それぞれ、B(以下「B」という。)を転換対象銘柄とする他社株式転換特約付社債を購入し、同年5月18日、その償還として、Bの株式各29株(以下、併せて「本件親株式」という。)を取得した。
(2) 上告人らは、平成12年10月31日、Aから本件親株式に係る原判決別紙1株券目録1(1)及び(2)記載の株券合計58枚の交付を受けたが、その際、本件親株式につき名義書換手続をしなかったため、本件親株式の株主名簿上の株主は、かつて本件親株式の株主であった被上告人(当時の商号はC)のままであった。
(3) Bは、平成14年1月25日開催の取締役会において、同年3月31日を基準日として普通株式1株を5株に分割する旨の株式分割(以下「本件株式分割」という。)の決議をし、同年5月15日、これを実施した。
(4) 被上告人は、本件親株式の株主名簿上の株主として、そのころ、Bから本件株式分割により増加した新株式(以下「本件新株式」という。)に係る原判決別紙1株券目録2記載の株券232枚の交付を受けた(以下、これらの株券を併せて「本件新株券」という。)。
(5) 被上告人は、Bから本件新株式に係る配当金として、1万4235円(税金を控除した額)の配当を受けた。
(6) 被上告人は、平成14年11月8日、第三者に対して本件新株式を売却し、売却代金5350万2409円(経費を控除した額)を取得した。
(7) 上告人らは、平成15年10月10日ころ、Bに対し、本件親株式について名義書換手続を求め、そのころ、被上告人に対し、本件新株券及び配当金の引渡しを求めた。
これに対し、被上告人は、日本証券業協会が定める「株式の名義書換失念の場合における権利の処理に関する規則(統一慣習規則第2号)」により、本件新株券の返還はできないなどとして、上告人らそれぞれに対し、各6105円のみを支払った。
(8) 上告人らは、被上告人は法律上の原因なく上告人らの財産によって本件新株式の売却代金5350万2409円及び配当金8万0590円の利益を受け、そのために上告人らに損失を及ぼしたと主張して、それぞれ、被上告人に対し、不当利得返還請求権に基づき、上記売却代金の2分の1である2675万1204円(円未満切捨て。以下同じ。)及び上記配当金の2分の1である4万0295円の合計金相当額である2679万1499円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成16年4月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める訴えを提起した。
(9) 第1審は、被上告人は、上告人らに対し、それぞれ、口頭弁論終結時における本件新株式の価格相当額2680万7484円及び配当金1万4670円の2分の1である7335円の合計額である2681万4819円から既払額6105円を差し引いた2680万8714円の不当利得返還義務を負うとして、上記金額の範囲内である上告人らの請求をいずれも認容した。
原審は、平成17年5月18日に口頭弁論を終結したが、その前日である同月17日のBの株式の終値は16万1000円であった。

2 原審は、次のとおり判断して、上告人らの請求をそれぞれ1867万7012円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余をいずれも棄却した。
(1) 被上告人は、本件新株式及び配当金を取得し、法律上の原因なくして上告人らの財産により利益を受け、これによって上告人らに損失を及ぼしたものであるから、その利益を返還すべき義務を負う
(2) ところで、本件新株式は上場株式であり代替性を有するから、被上告人の得た利益及び上告人らが受けた損失は、いずれも本件株式分割により増加した本件新株式と同一の銘柄及び数量の株式である。
したがって、上告人らが本件新株券そのものの返還に代えて本件新株式の価格の返還を求めることは許されるが、その場合に返還を請求できる金額は、売却時の時価によるのでなければ公平に反するという特段の事情がない限り、被上告人が市場において本件新株式と同一の銘柄及び数量の株式を調達して返還する際の価格、すなわち事実審の口頭弁論終結時又はこれに近い時点における本件新株式の価格によって算定された価格相当額である。
本件においては上記特段の事情は認められないから、上告人らの被上告人に対する請求は、それぞれ、事実審の口頭弁論終結日の前日である平成17年5月17日のBの株式の終値である1株16万1000円に116株を乗じた1867万6000円に配当金1万4235円の2分の1である7117円を加えた額から既払額6105円を差し引いた1867万7012円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

3 しかしながら、原審の上記2(2)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
不当利得の制度は、ある人の財産的利得が法律上の原因ないし正当な理由を欠く場合に、法律が、公平の観念に基づいて、受益者にその利得の返還義務を負担させるものである(最高裁昭和45年(オ)第540号同49年9月26日第一小法廷判決・民集28巻6号1243頁参照)。
受益者が法律上の原因なく代替性のある物を利得し、その後これを第三者に売却処分した場合、その返還すべき利益を事実審口頭弁論終結時における同種・同等・同量の物の価格相当額であると解すると、その物の価格が売却後に下落したり、無価値になったときには、受益者は取得した売却代金の全部又は一部の返還を免れることになるが、これは公平の見地に照らして相当ではないというべきであるまた、逆に同種・同等・同量の物の価格が売却後に高騰したときには、受益者は現に保持する利益を超える返還義務を負担することになるが、これも公平の見地に照らして相当ではなく、受けた利益を返還するという不当利得制度の本質に適合しない
そうすると、受益者は、法律上の原因なく利得した代替性のある物を第三者に売却処分した場合には、損失者に対し、原則として、売却代金相当額の金員の不当利得返還義務を負うと解するのが相当である。大審院昭和18年(オ)第521号同年12月22日判決・法律新聞4890号3頁は、以上と抵触する限度において、これを変更すべきである。
4 以上によれば、上記原則と異なる解釈をすべき事情のうかがわれない本件においては、被上告人は、上告人らに対し、本件新株式の売却代金及び配当金の合計金相当額を不当利得として返還すべき義務を負うものというべきであって、これと異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由がある。
そして、前記事実関係によれば、上告人らの請求は、それぞれ、被上告人が取得した本件新株式の売却代金5350万2409円の2分の1である2675万1204円及び配当金1万4235円の2分の1である7117円の合計額である2675万8321円から既払額である6105円を差し引いた2675万2216円並びにこれに対する平成16年4月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却すべきである。したがって、これと異なる原判決を主文のとおり変更することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 横尾和子 裁判官 泉徳治 裁判官 才口千晴 裁判官 涌井紀夫)

・代金を支払う相手・・・
+判例(H23.10.18)
理 由
 上告代理人小林正の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
 1 本件は,ブナシメジを所有する被上告人が,無権利者との間で締結した販売委託契約に基づきこれを販売して代金を受領した上告人に対し,同契約を追認したからその販売代金の引渡請求権が自己に帰属すると主張して,その支払を請求する事案である。
 なお,上記の請求は,控訴審において追加された被上告人の第2次予備的請求であるところ,原判決中,被上告人の主位的請求及び第1次予備的請求をいずれも棄却すべきものとした部分については,被上告人が不服申立てをしておらず,同部分は当審の審理判断の対象となっていない。
 2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 (1) 被上告人は,Aの代表取締役であるBから,その所有する工場を賃借し,平成14年4月以降,同工場でブナシメジを生産していた。
 (2) Bは,平成15年8月12日から同年9月17日までの期間,賃貸借契約の解除等をめぐる紛争に関連して同工場を実力で占拠し,その間,Aが,上告人との間でブナシメジの販売委託契約(以下「本件販売委託契約」という。)を締結した上,被上告人の所有する同工場内のブナシメジを上告人に出荷した。上告人は,本件販売委託契約に基づき,上記ブナシメジを第三者に販売し,その代金を受領した。
 (3) 被上告人は,平成19年8月27日,上告人に対し,被上告人と上告人との間に本件販売委託契約に基づく債権債務を発生させる趣旨で,本件販売委託契約を追認した。

 3 原審は,被上告人が,上記の趣旨で本件販売委託契約を追認したのであるから,民法116条の類推適用により,同契約締結の時に遡って,被上告人が同契約を直接締結したのと同様の効果が生ずるとして,被上告人の第2次予備的請求を認容した。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 無権利者を委託者とする物の販売委託契約が締結された場合に,当該物の所有者が,自己と同契約の受託者との間に同契約に基づく債権債務を発生させる趣旨でこれを追認したとしても,その所有者が同契約に基づく販売代金の引渡請求権を取得すると解することはできない。なぜならば,この場合においても,販売委託契約は,無権利者と受託者との間に有効に成立しているのであり,当該物の所有者が同契約を事後的に追認したとしても,同契約に基づく契約当事者の地位が所有者に移転し,同契約に基づく債権債務が所有者に帰属するに至ると解する理由はないからである仮に,上記の追認により,同契約に基づく債権債務が所有者に帰属するに至ると解するならば,上記受託者が無権利者に対して有していた抗弁を主張することができなくなるなど,受託者に不測の不利益を与えることになり,相当ではない

 5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は,破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上記部分に関する被上告人の請求は理由がないから,同部分に関する請求を棄却すべきである。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)

+判例(H10.1.30)
理由
上告代理人澤井英久、同青木清志の上告理由について
一 本件は、抵当権者である上告人が物上代位権を行使して差し押さえた賃料債権の支払を抵当不動産の賃借人である被上告人に対して求める事案である。被上告人は、右賃料債権は上告人による差押えの前に抵当不動産の所有者である大協建設株式会社から株式会社大心に譲渡され被上告人が確定日付ある証書をもってこれを承諾したから、上告人の請求は理由がないと主張する。上告人は、右主張を争うとともに、本件債権譲渡の目的は上告人の債権回収を妨害することにあるから右主張は権利の濫用であるなどと主張する。
上告人の本件請求は、大協建設の被上告人に対する平成五年七月分から同六年三月分までの九箇月分の賃料六五三三万六四〇〇円(月額七二五万九六〇〇円)の支払を求めるものである。第一審判決は、賃料月額を二〇〇万円と認定した上、上告人の権利濫用の主張は理由があるから本件においては物上代位が債権譲渡に優先すると判断して、本件請求を一八〇〇万円の限度で認容すべきものとした。双方が各敗訴部分を不服として控訴したが、原判決は、第一審判決と同様の事実を認定した上、債権譲渡が物上代位に優先し、上告人の権利濫用の主張は失当であると判断して、被上告人の控訴に基づき第一審判決中上告人の請求を認容した部分を取り消して右部分に係る請求を棄却し(原判決主文第一、二項)、上告人の控訴を棄却した。
論旨は、専ら、原審認定事実を前提としても、債権譲渡が物上代位に優先し、かつ、上告人の権利濫用の主張は失当であるとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤りがあると主張するものである。

二 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 大協建設は第一審判決添付物件目録記載の建物(建物の種類は「共同住宅店舗倉庫」。以下「本件建物」という。)の所有者である。
2(一) 上告人は、平成二年九月二八日、東京ハウジング産業株式会社に対し、三〇億円を、弁済期を同五年九月二八日と定めて貸し付けた。
(二) 上告人と大協建設は、平成二年九月二八日、本件建物について、被担保債権を上告人の東京ハウジング産業に対する右貸金債権とする抵当権設定契約を締結し、かつ、その旨の抵当権設定登記を経由した。
(三) 東京ハウジング産業は、平成三年三月二八日、約定利息の支払を怠り、右貸金債務についての期限の利益を喪失した。
(四) 東京ハウジング産業は、平成四年一二月、倒産した。
3 大協建設は、本件建物を複数の賃借人に賃貸し、従来の一箇月当たりの賃料の合計額は七〇七万一七六二円であったが、本件建物の全部を被上告人に賃貸してこれを現実に利用する者については被上告人からの転貸借の形をとることとし、平成五年一月一二日、本件建物の全部を、被上告人に対して、期間を定めずに、賃料月額二〇〇万円、敷金一億円、譲渡転貸自由と定めて賃貸し、同月一三日、その旨の賃借権設定登記を経由した。
4 大心は、平成五年四月一九日、大協建設に対して七〇〇〇万円を貸し付けた。大協建設と大心は、その翌日である同月二〇日、本件建物についての平成五年五月分から同八年四月分までの賃料債権を右貸金債権の代物弁済として大協建設が大心に譲渡する旨の契約を締結し、被上告人は、同日、これを承諾した。右三者は、以上の趣旨が記載された債務弁済契約書を作成した上、これに公証人による確定日付(平成五年四月二〇日)を得た。
5 東京地方裁判所は、平成五年五月一〇日、抵当権者である上告人の物上代位権に基づき、大協建設の被上告人に対する本件建物についての賃料債権のうち右2記載の債権に基づく請求債権額である三八億六九七五万六一六二円に満つるまでの部分を差し押さえる旨の差押命令を発し、右命令は同年六月一〇日に第三債務者である被上告人に送達された(なお、上告人は、その後、被上告人の転借人に対する本件建物の転貸料債権について抵当権に基づく物上代位権を行使して差押命令を得たので、同六年四月八日以降支払期にある分につき、右賃料債権の差押命令の申立てを取り下げた。)。

三 原審は、右事実関係に基づき、民法三〇四条一項ただし書が払渡し又は引渡しの前の差押えを必要とする趣旨は、差押えによって物上代位の目的債権の特定性を保持し、これによって物上代位権の効力を保全するとともに、第三者が不測の損害を被ることを防止することにあり、この第三者保護の趣旨に照らせば、払渡し又は引渡しの意味は債務者(物上保証人を含む。)の責任財産からの逸出と解すべきであり、債権譲渡も払渡し又は引渡しに該当するということができるから、目的債権について、物上代位による差押えの前に対抗要件を備えた債権譲受人に対しては物上代位権の優先権を主張することができず、このことは目的債権が将来発生する賃料債権である場合も同様であるとして、上告人の本件請求は理由がないものと判断した。

四 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 民法三七二条において準用する三〇四条一項ただし書が抵当権者が物上代位権を行使するには払渡し又は引渡しの前に差押えをすることを要するとした趣旨目的は、主として、抵当権の効力が物上代位の目的となる債権にも及ぶことから、右債権の債務者(以下「第三債務者」という。)は、右債権の債権者である抵当不動産の所有者(以下「抵当権設定者」という。)に弁済をしても弁済による目的債権の消滅の効果を抵当権者に対抗できないという不安定な地位に置かれる可能性があるため、差押えを物上代位権行使の要件とし、第三債務者は、差押命令の送達を受ける前には抵当権設定者に弁済をすれば足り、右弁済による目的債権消滅の効果を抵当権者にも対抗することができることにして、二重弁済を強いられる危険から第三債務者を保護するという点にあると解される。
2 右のような民法三〇四条一項の趣旨目的に照らすと、同項の「払渡又ハ引渡」には債権譲渡は含まれず、抵当権者は、物上代位の目的債権が譲渡され第三者に対する対抗要件が備えられた後においても、自ら目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することができるものと解するのが相当である。
けだし、(一)民法三〇四条一項の「払渡又ハ引渡」という言葉は当然には債権譲渡を含むものとは解されないし、物上代位の目的債権が譲渡されたことから必然的に抵当権の効力が右目的債権に及ばなくなるものと解すべき理由もないところ、(二)物上代位の目的債権が譲渡された後に抵当権者が物上代位権に基づき目的債権の差押えをした場合において、第三債務者は、差押命令の送達を受ける前に債権譲受人に弁済した債権についてはその消滅を抵当権者に対抗することができ、弁済をしていない債権についてはこれを供託すれば免責されるのであるから、抵当権者に目的債権の譲渡後における物上代位権の行使を認めても第三債務者の利益が害されることとはならず、(三)抵当権の効力が物上代位の目的債権についても及ぶことは抵当権設定登記により公示されているとみることができ、(四)対抗要件を備えた債権譲渡が物上代位に優先するものと解するならば、抵当権設定者は、抵当権者からの差押えの前に債権譲渡をすることによって容易に物上代位権の行使を免れることができるが、このことは抵当権者の利益を不当に害するものというべきだからである。
そして、以上の理は、物上代位による差押えの時点において債権譲渡に係る目的債権の弁済期が到来しているかどうかにかかわりなく、当てはまるものというべきである。

五 以上と異なる原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであって、論旨はこの趣旨をいうものとして理由がある。そして、前記事実関係の下においては、上告人の本件請求は一八〇〇万円(平成五年七月分から同六年三月分までの月額二〇〇万円の割合による賃料)の限度で理由があり、その余は理由がないというべきであるから、第一審判決の結論は正当である。したがって、原判決のうち、第一審判決中被上告人敗訴の部分を取り消して右部分に係る請求を全部棄却すべきものとした部分(原判決主文第一、二項)は破棄を免れず、右部分については被上告人の控訴を棄却すべきであるが、上告人の控訴を棄却した部分は正当であるから、その余の本件上告を棄却すべきである。よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

+判例(H17.2.22)
理由
上告代理人中村築守の上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) A社は、B社に対し、第1審判決別表6記載のとおり商品を売り渡し、同社は、上告人に対し、同別表3記載のとおりこれを転売した(以下、この転売契約に基づく売買代金債権のことを「本件転売代金債権」という。)。
(2) B社は、平成14年3月1日、東京地方裁判所において破産宣告を受け、C弁護士が破産管財人に選任された。
(3) 上記破産管財人は、平成15年1月28日、破産裁判所の許可を得て、被上告人に対し、本件転売代金債権を譲渡し、同年2月4日、上告人に対し、内容証明郵便により、上記債権譲渡の通知をした。
(4) A社は、東京地方裁判所に対し、動産売買の先取特権に基づく物上代位権の行使として、本件転売代金債権について差押命令の申立てをしたところ、同裁判所は、平成15年4月30日、本件転売代金債権の差押命令を発し、同命令は同年5月1日に上告人に送達された。
2 本件は、上記事実関係の下において、被上告人が、上告人に対し、本件転売代金債権について支払を求める事案である。
3 民法304条1項ただし書は、先取特権者が物上代位権を行使するには払渡し又は引渡しの前に差押えをすることを要する旨を規定しているところ、この規定は、抵当権とは異なり公示方法が存在しない動産売買の先取特権については、物上代位の目的債権の譲受人等の第三者の利益を保護する趣旨を含むものというべきである。そうすると、動産売買の先取特権者は、物上代位の目的債権が譲渡され、第三者に対する対抗要件が備えられた後においては、目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することはできないものと解するのが相当である。

4 前記事実関係によれば、A社は、被上告人が本件転売代金債権を譲り受けて第三者に対する対抗要件を備えた後に、動産売買の先取特権に基づく物上代位権の行使として、本件転売代金債権を差し押さえたというのであるから、上告人は、被上告人に対し、本件転売代金債権について支払義務を負うものというべきである。以上と同旨の原審の判断は正当として是認することができる。所論引用の判例(最高裁平成9年(オ)第419号同10年1月30日第二小法廷判決・民集52巻1号1頁、最高裁平成8年(オ)第673号同10年2月10日第三小法廷判決・裁判集民事187号47頁)は、事案を異にし、本件に適切ではない。論旨は、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上田豊三 裁判官 濱田邦夫 裁判官 藤田宙靖)

++解説
《解  説》
1 本件は,動産売買の先取特権者が,物上代位の目的債権が譲渡され,第三者に対する対抗要件が備えられた後においても,目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することができるか否かなどが争われた事案である。
A社は,B社に対し,商品(動産)を売り渡したところ,B社は,Y1~Y3に対し,これを転売した。B社は,平成14年3月1日,東京地裁において破産宣告を受け,C弁護士が破産管財人に選任された。C破産管財人は,平成15年1月28日,破産裁判所の許可を得て,B社のY1~Y3に対する転売代金債権をXに譲渡し,同年2月4日,Y1~Y3に対し,内容証明郵便により,上記債権譲渡の通知をした。A社は,東京地裁に対し,動産売買の先取特権に基づく物上代位権の行使として,B社のY1~Y3に対する転売代金債権について差押命令の申立てをしたところ,同裁判所は,平成15年1月20日,B社のY1に対する転売代金債権に対する債権差押命令を,同年4月30日,B社のY2に対する転売代金債権に対する債権差押命令をそれぞれ発令したが,B社のY3に対する転売代金債権に対する債権差押命令の申立ては却下した。Y1を第三債務者とする債権差押命令は同年1月22日に,Y2を第三債務者とする債権差押命令は同年5月1日にそれぞれY1及びY2に送達された。
2 Xは,B社とY1~Y3との間の上記転売契約等に基づき,Y1~Y3に対し,転売代金の支払を求めた。
これに対し,Y1~Y3は,C破産管財人が,Xに対し,上記転売代金債権を譲渡し,その旨をY1~Y3に内容証明郵便により通知したとしても,Y1~Y3がXに対して支払をするまでは,A社は,上記転売代金債権について,動産売買の先取特権に基づく物上代位権を行使することができるなどと主張し,Xの上記請求を争った。

3 1審がXの請求を棄却する旨の判決をしたことから,Xから控訴。原審は,動産売買の先取特権に基づく物上代位権の行使と目的債権の譲渡とは,債権差押命令の第三債務者に対する送達と債権譲渡の対抗要件の具備との先後関係によってその優劣を決すべきであるなどとして,1審判決を変更し,XのY1に対する請求を棄却したが,XのY2及びY3に対する請求を認容するなどの判決をした。
第三小法廷は,Y2の上告受理の申立てを受理した上,動産売買の先取特権者は,物上代位の目的債権が譲渡され,第三者に対する対抗要件が備えられた後においては,目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することはできないなどと判示して,Y2の上告を棄却した。

4(1) 抵当権,先取特権に基づく物上代位権の行使と債権譲渡,転付命令,一般債権者の差押えの優先関係等をめぐっては,これまで多数の判例が出されている。そして,最一小判昭59.2.2民集38巻3号431頁,判タ525号99頁(昭和59年最一小判)及び最二小判昭60.7.19民集39巻5号1326頁,判タ571号68頁(昭和60年最二小判)は,傍論として,目的債権の譲渡後の先取特権者の物上代位権の行使を否定すべきものとした。この傍論説示によれば,最高裁は,抵当権についても,目的債権の譲渡後の物上代位権の行使を否定するものと推測されるというのが一般的理解であったところ,最二小判平10.1.30民集52巻1号1頁,判タ964号73頁及び最三小判平10.2.10裁判集民187号47頁(平成10年最判)は,この一般的理解を覆し,抵当権者は,物上代位の目的債権が譲渡され,第三者に対する対抗要件が備えられた後においても,自ら目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することができるとした。そして,平成10年最判が出された後は,昭和59年最一小判及び昭和60年最二小判の傍論説示が変更されたか否かが議論されている状況にあった。
(2) ところで,抵当権は,第三者に対しても追及効がある担保物権であるとされている。これは,抵当権は,登記という形で公示制度が完備されていることから,第三者に対して追及効を認めても,第三者に不測の損害を与えるおそれがないことによるものである。ところで,債権譲渡により,債権が債務者から第三者に移転すると,債務者が第三債務者から金銭を受け取るべき関係がないことになるから,物上代位権を行使して差し押さえることができなくなるのではないかという疑問が生ずる。しかし,抵当権のみならず,抵当権の物上代位権にも追及効があると考えるならば,譲渡された債権についても有効に差し押さえることができるということになるのであって,平成10年最判は正にこのような考え方に立脚するものである(平10最判解説(民)(上)26頁以下)。そして,平成10年最判の理由付けの中で注目すべき点は,抵当権の効力が物上代位の目的債権にも及ぶことは,抵当権設定登記により公示されているとみることができるとしたことである。その上で,平成10年最判は,債権譲渡の対抗要件の具備が抵当権設定登記に後れる場合には,もともと実体法上は抵当権者が優先すると考えられることから,債権譲渡後の物上代位権の行使を認めても,債権譲受人の立場は害されないと考えているものと推測される(前記最判解説26頁)。
これに対し,動産売買の先取特権は,債務者が,その目的物である動産を第三者に引き渡すと,その動産には先取特権の効力は及ばないこととされている(民法333条)。先取特権は,先取特権者の占有を要件としていないため,目的物が動産の場合には公示方法が存在せず,追及効を制限することにより動産取引の第三者を保護しようとしたのである。そうとすれば,動産売買の先取特権に基づく物上代位権も目的債権が譲渡され,債権が債務者から第三者に移転すると,もはや追及効がなくなるものと解すべきである。このような場合にも追及効があるとすれば,抵当権とは異なり,動産売買の先取特権には公示方法がないことから,第三者(債権譲受人等)の立場を不当に害するおそれがあるものと考えられる。民法304条1項ただし書の規定は,抵当権とは異なり公示方法が存在しない動産売買の先取特権については,物上代位の目的債権の譲受人等の第三者の利益を保護する趣旨を含むものというべきである(内田貴・民法Ⅲ 債権総論・担保物権(第2版)511頁,道垣内弘人「昭和60年最判の判例批評」別冊ジュリ159号175頁等参照)。
以上によれば,本判決が判示するとおり,動産売買の先取特権者は,物上代位の目的債権が譲渡され,第三者に対する対抗要件が備えられた後においては,目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することはできないものと解するのが相当である。
5 本判決は,平成10年最判が出されたことにより,動産売買の先取特権者は,物上代位の目的債権が譲渡され,第三者に対する対抗要件が備えられた後においても,自ら目的債権を差し押さえて物上代位権を行使することができるということになるとする見方があった中で,このような見解を採らないことを初めて正面から明らかにした最上級審の判例であり,実務に与える影響は小さくないものと考えられることから,ここに紹介する次第である。

3.小問1(2)について

+(占有者による費用の償還請求)
第百九十六条  占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する。
2  占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り、回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。ただし、悪意の占有者に対しては、裁判所は、回復者の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(賃借人による費用の償還請求)
第六百八条  賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる。
2  賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に、第百九十六条第二項の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、裁判所は、賃貸人の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(善意の占有者による果実の取得等)
第百八十九条  善意の占有者は、占有物から生ずる果実を取得する。
2  善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは、その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなす。
・189条1項の趣旨から占有者の不法行為責任も同時に廃除!

4.小問2について

+(賃貸物の修繕等)
第六百六条  賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。
2  賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようとするときは、賃借人は、これを拒むことができない。

+(賃借人による費用の償還請求)
第六百八条  賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる。
2  賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃貸人は、賃貸借の終了の時に、第百九十六条第二項の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、裁判所は、賃貸人の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(売主の瑕疵担保責任)
第五百七十条  売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第五百六十六条の規定を準用する。ただし、強制競売の場合は、この限りでない。

+(地上権等がある場合等における売主の担保責任)
第五百六十六条  売買の目的物が地上権、永小作権、地役権、留置権又は質権の目的である場合において、買主がこれを知らず、かつ、そのために契約をした目的を達することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求のみをすることができる。
2  前項の規定は、売買の目的である不動産のために存すると称した地役権が存しなかった場合及びその不動産について登記をした賃貸借があった場合について準用する。
3  前二項の場合において、契約の解除又は損害賠償の請求は、買主が事実を知った時から一年以内にしなければならない。


憲法 日本国憲法の論じ方 Q14 公共の福祉と違憲審査基準


Q 公共の福祉はどのような法的性格をもつか?
(1)憲法上の権利の限界
+第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

+第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

+第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

+第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

+第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

(2)公共の福祉をめぐる議論

(3)自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉

Q 公共の福祉論と二重の基準論はどのように関連しているか?
(1)「公共の福祉」を二分する背景
(2)二重の基準論形成の背景

Q 違憲審査基準はどうなっているのか?
(1)二重の基準論の内容と根拠
(2)3種の基準
(3)厳格な審査
+判例(S56.4.14)前科照会事件の伊藤補足意見で触れられている。
理由
上告代理人納富義光の上告理由第一点について
前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであつて、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり、同様な場合に弁護士法二三条の二に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、原審の適法に確定したところによれば、京都弁護士会が訴外A弁護士の申出により京都市伏見区役所に照会し、同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書には、照会を必要とする事由としては、右照会文書に添付されていたA弁護士の照会申出書に「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、中京区長の本件報告を過失による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、中京区長が本件報告をしたことと、本件照会の申出をしたA弁護士の依頼者である訴外株式会社ニユードライバー教習所の幹部らが中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で、関係事件の審理終了後等に、事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で、被上告人の前科を摘示して公表したこととの間には相当因果関係があるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見、裁判官環昌一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
他人に知られたくない個人の情報は、それがたとえ真実に合致するものであつても、その者のプライバシーとして法律上の保護を受け、これをみだりに公開することは許されず、違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは、私人による公開であつても、国や地方公共団体による公開であつても変わるところはない。国又は地方公共団体においては、行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが、それと同時に、収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まつているといつてよい。近時、国又は地方公共団体の保管する情報について、それを広く公開することに対する要求もつよまつてきている。しかし、このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく、個人の秘密に属する情報を保管する機関には、プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。
本件で問題とされた前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであり、それに関する情報への接近をきわめて困難なものとし、その秘密の保護がはかられているのもそのためである。もとより前科等も完全に秘匿されるものではなく、それを公開する必要の生ずることもありうるが、公開が許されるためには、裁判のために公開される場合であつても、その公開が公正な裁判の実現のために必須のものであり、他に代わるべき立証手段がないときなどのように、プライバシーに優越する利益が存在するのでなければならず、その場合でも必要最小限の範囲に限つて公開しうるにとどまるのである。このように考えると、人の前科等の情報を保管する機関には、その秘密の保持につきとくに厳格な注意義務が課せられていると解すべきである。本件の場合、京都弁護士会長の照会に応じて被上告人の前科等を報告した中京区長の過失の有無について反対意見の指摘するような事情が認められるとしても、同区長が前述のようなきびしい守秘義務を負つていることと、それに加えて、昭和二二年地方自治法の施行に際して市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが、その後も実際上市町村役場に犯罪人名簿が作成保管されているのは、公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによるものであること(このことは、原判決の確定するところである。)を考慮すれば、同区長が前科等の情報を保管する者としての義務に忠実であつたとはいえず、同区長に対し過失の責めを問うことが酷に過ぎるとはいえないものと考える。

+反対意見
裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
前科等は人の名誉、信用にかかわるものであるから、前科等のある者がこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有することは、多数意見の判示するとおりである。しかしながら、現行法制のもとにおいては、右のような者に関して生ずる法律関係について前科等の存在がなお法律上直接影響を及ぼすものとされる場合が少なくないのであり、刑事関係において量刑上の資料等として考慮され、あるいは法令によつて定められている人の資格における欠格事由の一つとして考慮される場合等がこれに当たる。このような場合にそなえて国又は公共団体が人の前科等の存否の認定に誤りがないようにするための正確な資料を整備保管しておく必要があるが、同時にこの事務を管掌する公務員の一般的義務として該当者の前科等に関する前述の利益を守るため右の資料等に基づく証明行為等を行うについて限度を超えることがないようにすべきこともまた当然である。
ところで、原判決の認定するところ及び記録によれば、右にのべた資料の一つと認められるいわゆる犯罪人名簿は、もともと大正六年四月一二日の内務省訓令一号により市区町村長が作成保管すべきものとされてきたものであるが、戦後においては昭和二一年一一月一二日内務省発地第二七九号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によつて選挙資格の調査等の資料として引きつづき作成保管され、同二二年地方自治法が施行されてのちも明文上の根拠規定のないまま従来どおり継続して作成保管され今日にいたつていること、右昭和二一年の内務省地方局長通達によれば、犯罪人名簿は選挙資格の調査のために調製保存されるものであるから警察、検事局、裁判所等の照会に対するものは格別これを身元証明等のために絶対使用してはならない旨指示されていること、さらに昭和二二年八月一四日内務省発地第一六〇号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によれば、右の警察、検事局、裁判所等の中には獣医師免許等の免許処分や当時における弁護士の登録等に関しては関係主務大臣、都道府県知事、市町村長をも含むものである旨指示されていることが明らかである。以上の経緯に徴すると、犯罪人名簿に関する照会に対しその保管者である市区町村長の行う回答等の事務は、広く公務員に認められている守秘義務によつて護られた官公署の内部における相互の共助的事務として慣行的に行われているものとみるべきものである。したがつて、官公署以外の者からする照会等に対してはもとより官公署からの照会等に対してであつても、前述した前科等の存否が法律上の効果に直接影響を及ぼすような場合のほかは前記のような名誉等の保護の見地から市町村長としてこれに応ずべきものではないといわなければならない。前記各通達が身元証明等のために前科人名簿を使用することを禁ずる旨をのべているのは右の趣旨に出たものと解せられる。
そこでこれを本件について考えてみる。
本件は、前記各通達のあつたのちに制定施行された弁護士法二三条の二の規定に基づき、所属の弁護士から申出を受けた弁護士会が照会を必要とする事由として「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」と記載された文書をもつてした被上告人の前科等の存否についての照会に対する回答に関する事案であるが、このような経緯や右文書の記載は、中央労働委員会及び京都地方裁判所において被上告人に関する労働関係事案の審理が現に進行中であり、右事案に対する法律判断に被上告人の前科等の存否が直接影響をもつような事情にあることを推認させるものということができる。
そして、右弁護士法二三条の二の規定が弁護士会に公務所に照会して必要な事項の報告を求めることができる権限を与えている関係においては、弁護士会を一個の官公署の性格をもつものとする法意に出たものと解するのが相当である。このことは弁護士会は所属弁護士に対する独立した監督権、懲戒権を与えられ(弁護士法三一条一項、五六条二項)、前記所属の弁護士よりの照会の申出についても独自の判断に基づいてこれを拒絶することが認められており(同法二三条の二第一項)、また、弁護士にはその職務上知り得た秘密を保持する権利義務のあることが明定されている(同法二三条、なお刑法一三四条一項参照)ことにかんがみ実質的にも首肯することができるのである(なお記録によれば地方自治庁においても昭和二四年一二月一九日弁護士法による弁護士登録の場合の資格審査について弁護士会の照会に応じて差し支えないものと通達していることをうかがうことができる。)。右にのべたところに加えて雇傭契約その他の労働関係についての民事法上の判断に当事者の前科等の存否が直接影響を及ぼすことはありえないとするような見解が判例等により一般に承認されているとみることもできないことを併せ考えると、上告人京都市の中京区長は、照会者たる京都弁護士会を裁判所等に準ずる官公署とみたうえ、本件照会が身元証明等を求める場合に当らないばかりでなく、前記のような事情のもとで本件回答書が中央労働委員会及び裁判所に提出されることによつてその内容がみだりに公開されるおそれのないものであるとの判断に立つて前記官公署間における共助的事務の処理と同様に取り扱い回答をしたものと思われるのであるが、このような取り扱いをしたことは、他に特段の事情の存することが認められない限り、弁護士法二三条の二の規定に関する一個の解釈として十分成り立ちうる見解に立脚したものとして被上告人の名誉等の保護に対する配慮に特に欠けるところがあつたものというべきではないから、同区長に対し少なくとも過失の責めを問うことは酷に過ぎ相当でない。この点に関して原判決は昭和三六年一月三一日自治省自治丁行発七号による同省行政課長の愛知県総務部長あての回答の存在や原審証人Bの証言により認められる事実、甲第一一、一二号証の記載を援用して以上のべたところと反対の結論をみちびいているのであるが、記録にあらわれたところによつてみる限り、これらの資料によつては未だ右特段の事情の存することが十分に明らかになつているとは思われない。そうすると、以上のべたところと結論を異にし上告人の中京区長の過失をたやすく肯定した原判決はその余の点についての判断をまつまでもなく破棄を免れず、論旨は理由がある。よつて、本件は更に審理を尽くさせるためこれを原審に差し戻すのが相当である。
(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

(4)厳格な合理性の審査と合理性の審査
・多数意見と少数意見で審査基準が・・・。
+判例(H7.7.5)非嫡出子相続分規定事件
理由
抗告代理人榊原富士子、同吉岡睦子、同井田恵子、同石井小夜子、同石田武臣、同金住典子、同紙子達子、同酒向徹、同福島瑞穂、同小山久子、同小島妙子の抗告理由について
所論は、要するに、嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の相続分を嫡出である子(以下「嫡出子」という。)の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)は憲法一四条一項に違反するというのである。
一 憲法一四条一項は法の下の平等を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁等参照)。
そこで、まず、右の点を検討する前提として、我が国の相続制度を概観する。
1 婚姻、相続等を規律する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない旨を定めた憲法二四条二項の規定に基づき、昭和二二年の民法の一部を改正する法律(同年法律第二二二号)により、家督相続の制度が廃止され、いわゆる共同相続の制度が導入された。
現行民法は、相続人の範囲に関しては、被相続人の配偶者は常に相続人となり(八九〇条)、また、被相続人の子は相続人となるものと定め(八八七条)、配偶者と子が相続人となることを原則的なものとした上、相続人となるべき子及びその代襲者がない場合には、被相続人の直系尊属、兄弟姉妹がそれぞれ第一順位、第二順位の相続人となる旨を定める(八八九条)。そして、同順位の相続人が数人あるときの相続分を定めるが(九〇〇条。以下、右相続分を「法定相続分」という。)、被相続人は、右規定にかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるものとし(九〇二条)、また、共同相続人中に、被相続人から遺贈等を受けた者(特別受益者)があるときは、これらの相続分から右受益に係る価額を控除した残額をもって相続分とするものとしている(九〇三条)。
右のとおり、被相続人は、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるが、また、遺言により、特定の相続人又は第三者に対し、その財産の全部又は一部を処分することができる(九六四条)。ただし、遺留分に関する規定(一〇二八条、一〇四四条)に違反することができず(九六四条ただし書)、遺留分権利者は、右規定に違反する遺贈等の減殺を請求することができる(一〇三一条)。
相続人には、相続の効果を受けるかどうかにつき選択の自由が認められる。すなわち、相続人は、相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない(九一五条)。
九〇六条は、共同相続における遺産分割の基準を定め、遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする旨規定する。共同相続人は、その協議で、遺産の分割をすることができるが(九〇七条一項)、協議が調わないときは、その分割を家庭裁判所に請求することができる(同条二項)。なお、被相続人は、遺言で、分割の方法を定め、又は相続開始の時から五年を超えない期間内分割を禁止することができる(九〇八条)。

2 昭和五五年の民法及び家事審判法の一部を改正する法律(同年法律第五一号)により、配偶者の相続分が現行民法九〇〇条一号ないし三号のとおりに改められた。すなわち、配偶者の相続分は、配偶者と子が共同して相続する場合は二分の一に(改正前は三分の一)、配偶者と直系尊属が共同して相続する場合は三分の二に(改正前は二分の一)、配偶者と兄弟姉妹が共同して相続する場合は四分の三に(改正前は三分の二)改められた。
また、右改正法により、寄与分の制度が新設された。すなわち、新設された九〇四条の二第一項は、共同相続人中に、被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額から共同相続人の協議で定めたその者の寄与分を控除したものを相続財産とみなし、法定相続分ないし指定相続分によって算定した相続分に寄与分を加えた額をもってその者の相続分とする旨規定し、同条二項は、前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、同項に規定する寄与をした者の請求により、寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して、寄与分を定める旨規定する。この制度により、被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者には、法定相続分又は指定相続分以上の財産を取得させることが可能となり、いわば相続の実質的な公平が図られることとなった。

3 右のように、民法は、社会情勢の変化等に応じて改正され、また、被相続人の財産の承継につき多角的に定めを置いているのであって、本件規定を含む民法九〇〇条の法定相続分の定めはその一つにすぎず、法定相続分のとおりに相続が行われなければならない旨を定めたものではない。すなわち、被相続人は、法定相続分の定めにかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができる。また、相続を希望しない相続人は、その放棄をすることができる。さらに、共同相続人の間で遺産分割の協議がされる場合、相続は、必ずしも法定相続分のとおりに行われる必要はない。共同相続人は、それぞれの相続人の事情を考慮した上、その協議により、特定の相続人に対して法定相続分以上の相続財産を取得させることも可能である。もっとも、遺産分割の協議が調わず、家庭裁判所がその審判をする場合には、法定相続分に従って遺産の分割をしなければならない。
このように、法定相続分の定めは、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて、補充的に機能する規定である。

二 相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、その形態には歴史的、社会的にみて種々のものがあり、また、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、各国の相続制度は、多かれ少なかれ、これらの事情、要素を反映している。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断にゆだねられているものというほかない
そして、前記のとおり、本件規定を含む法定相続分の定めは、右相続分に従って相続が行われるべきことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮すれば、本件規定における嫡出子と非嫡出子の法定相続分の区別は、その立法理由に合理的な根拠があり、かつ、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、いまだ立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる限り、合理的理由のない差別とはいえず、これを憲法一四条一項に反するものということはできないというべきである。

三 憲法二四条一項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、民法七三九条一項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法七三二条は、重婚を禁止し、いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない。
そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。
本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。
現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。論旨は採用することができない。
よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、裁判官園部逸夫、同可部恒雄、同大西勝也の各補足意見、裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見、裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+補足意見
裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。
私は、非嫡出子の相続分についての本件規定が憲法一四条一項に違反する旨の所論は理由がないとする多数意見に与する者であるが、右規定をもって違憲とする個別意見に鑑み、多数意見に付加して、以下に若干の所見を述べておくこととしたい。
一 民法は法律婚主義を採り、しかも一夫多妻ないし一妻多夫を禁ずる一夫一婦制を採用している。現実の社会における男女の結付きの態様は様々で、国により時代により多くの変遷のあることが伝えられるが、なお、法が一夫一婦制による法律婚主義を採用していること自体については、我が国においても、今日、格別の異論を見ないところといってよいであろう。いま問題とされているのは、法律婚主義の是非ではなく、婚姻制度が法律婚主義による場合、必然的に生ずべき婚外子と婚内子との相続分割合の当否にほかならない。
およそ資産を有する者は、何びとであれ、これを生前に贈与し、遺贈し、又は相続分の指定をすることができるが、かかる措置が採られない場合の補充的規定として本件規定を含む相続分に関する定めが置かれ、法定相続人の第一は被相続人の配偶者とされている。配偶者が子と共同で相続する場合につき、その法定相続分は、かつての三分の一から昭和五五年法律第五一号による改正により二分の一に増大された。それでは残余の二分の一を相続する者は誰か。それは相続人の筆頭者として、また多くの場合、老後の生計を被相続人の遺産によることを余儀なくされる配偶者として、最大の関心事とならざるを得ない事項であろう。欧米諸国に比し、不動産価格が異常に高額に上る我が国の現状において、遺産の主たるものが居住用不動産である場合を想起すれば、まことに無理からぬことといえる。
配偶者が二分の一とされる法定相続分の、残余の二分の一の相続人として予定される者は、もとより被相続人の子であるが、この場合、一夫一婦制による法律婚主義を採る以上、配偶者に次ぐ相続人となるべき者が婚内子であることは、法の当然に予定するところというべきであろう。もとより社会の実情として、被相続人の子が婚外子として出生する現実の可能性を否定することはできず、法律婚の外で出生した者も被相続人の子としてその相続人たることは否定されるべきではない(我が国においては、欧米におけると異なり、婚外子による相続を否定する考えに乏しいといってよい)。しかし、相続分の割合に至るまで婚内子(嫡出子)と一律平等でなければならないとすることは、被相続人との間に法律婚による家庭を築いた配偶者の立場からしても、たやすく容認し難いところであろう。
以上の所見に対しては、嫡出子と非嫡出子との相続分に差等を設けても婚外子(非婚出子)の出生を妨げることはできないとする議論がある。しかし、今ここで論ぜられているのは、この両者の扱いを必ずしも同等にしない(相続分に差等を設ける)ことが、果たして法律婚を促進することになるかという、いうなれば安易な目的・効果論の検証ではなく、およそ法律婚主義を採る以上、婚内子と婚外子との間に少なくとも相続分について差等を生ずることがあるのは、いわば法律婚主義の論理的帰結ともいうべき側面をもつということなのである。
二 次に、特段の言及を要するのは「家」の制度との関係である。
戦後、日本国憲法の制定施行に伴い、旧民法の「家」の制度は廃止され、家族は「戸主」の下における生活共同体ではなく、両性の合意のみに基づいて成立した婚姻による夫婦を中心とするものに変容した。
もっとも、正当な法律婚による夫婦も必ずしも子に恵まれるとは限らず、この場合、法の予定するところは「養子」の制度であるが、血統の継続を尊重する立場からは、婚内子であると否とを問わぬ血統の承継者が要求されることになる。その背景をなすのが「家」の制度であって、血統の承継の要求は男系たると女系たるとを問わない。本件がそのよい例である。
この事案において、亡aは一人娘(長男死亡のための一人子)であって、a家の後継者としての婿養子選びのための試婚が繰り返された挙句、婚姻に至らなかった相手方甲との間に出生した子乙の相続人の一人が被相続人aの遺産につき遺産分割の申立てをしたものであるが、aが後に迎えた婿養子との間に子がなければ、形式上婚外子となった乙がaの家系を継ぐことになったであろう。これが「家」の制度であって、「家」の制度は、むしろ血統の維持・承継のため婚外子を尊重するものであり、嫡出子と非嫡出子との間の相続分についての差等の問題が、「家」の制度と無関係であることは、大陸法系諸国のそれと対比するまでもなく明らかなところである。
三 本件規定の合違憲性を論ずるに当たっては、内外の法制を比較検討するにとどまらず、我が国の社会事情の下における紛争の実態として、本件規定が憲法一四条一項所定の平等条項違反を現実に招来せしめているか、を事案に即して観察する必要がある。ここで特に指摘すべきものは、本件と同時に審理される別件(平成五年(ク)第三〇二号)にみる如き事案である。以下にその概略を記すこととする。
この事案において、被相続人甲には、非嫡出子としてA女、B男、C男の三名、嫡出子として前妻乙の連れ子を養子としたD男、E男及び乙との間に出生したF女の六名があったところ、B男が乙の妹と婚姻して家業を継ぎ、一家の中心的存在となっている。甲の死亡により遺産相続の問題を生じたが、A、C、D、Eの四名はそれぞれの法定相続分をB男に譲渡して同人の側に与したため、F女は一人孤立した形で、相続分もB男が九分の七、F女が九分の二となったところ、原審は、F女の申立てにかかる遺産分割事件において、B男の居住する土地建物を分割することなく、B男よりF女に相応の調整金を支払うべきものとした。
これに対し、B男から、甲の子六名は嫡出子たると非嫡出子たるとを問わず、その法定相続分はそれぞれ一律に六分の一(すなわち一八分の三)であるべきにかかわらず、F女の相続分を、これを超える九分の二(すなわち一八分の四)として算出された右調整金の支給は、憲法一四条一項に違反するとして特別抗告に及んだ、というのが別件であって、平等条項違反の論旨は、右にみるような具体的紛争にそぐわないものとするほかはない。
四 本件ないし別件にみるような紛争の実態については前述のとおりであるが、一般に、男女の結合、婚姻の実情については千差万別というべきものがあろう。しかし、立法の実際においては、婚外子に相続権を認めるべきか否か、これを認めるとして婚内子(嫡出子)と一律平等の扱いを是とすべきか、もし相続分において差等を設けるとすれば幾許を可とすべきか、千差万別の実情の中においても、立法として一律画一的な線を引くことを余儀なくされる。
いま本件において論ぜられているのは、しばしば引用されるアメリカの判例に見られるような、非嫡出子(婚外子)に被相続人の子としての権利それ自体を否定した立法の当否ではなく、婚外子をも被相続人の相続人の一に加えることを当然の前提とした上での、相続分割合の当否をいうものにほかならない。
これを要するに、一夫一婦制による法律婚主義を採用し、これを維持すべきものとする前提に立つ以上、生前贈与、遺贈又は相続分の指定のない場合の補充的規定としての相続分に関する民法の定めにおいて、嫡出子の一に対し非嫡出子をその半ばとした本件規定の当否は、もとより立法裁量の範囲内に属し、違憲の問題を生ずべき実質を有しないものといわなければならない。

+補足意見
裁判官大西勝也の補足意見は、次のとおりである。
私は、本件規定による非嫡出子の相続分の定めが、合理的理由のない差別として憲法一四条一項に違反するものとはいえない、とした多数意見に同調するものであるが、その理由として考えているところを若干補足することとしたい。
一 現行民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との間に、親子関係の成立や相続に関する規律において、何らかの差異が生じたとしてもやむを得ないし、また、正当な婚姻関係とこれによって形成された家族を保護するとともに、非嫡出子の保護をも図ったとされる本件規定の立法理由に合理的根拠があると考えられることは、いずれも多数意見のいうとおりである。
本件規定は、旧法制定当時の同様の規定が昭和二二年の改正の際にもそのまま維持されたものであって、いずれもそれぞれの時点における我が国の社会的諸条件の下においては、それなりの合理性を有していたものといえるであろう。
二 しかし、その後の我が国の社会事情、国民感情等の変化には著しいものがある。
まず、相続財産は、かつては多くの場合、子孫の生活手段としての家産であったが、職業の世襲が例外的になった現在では、そのような意味はほとんど失われようとしており、家族資産の意義の変化に伴い、相続の根拠に関する社会の意識にも変化が見られることは明らかであって、昭和五五年に行われた配偶者相続権の拡大等もこの変化に沿ったものということができる。
家族についてみても、かつては数世代が共同して生活を営むことにより構成するのが通常であったが、現在では少子、高齢化が進むとともに、一世代か二世代の小人数の家族が多数を占め、さらには、いわゆるシングルライフも次第に増加しつつあるし、婚姻についても、事実婚ないし非婚の増加の傾向を指摘する向きもある。
このように、相続及び相続と密接な関連を有する婚姻、親子ないしは家族の形態とこれらの点についての国民の意識は、激しく変化してきたし、現在もなお流動を続けている。
三 我が国を取り巻く国際的な環境の変化もまた見逃すことはできない。
市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)二四条は、すべての児童は、出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する、とし、同二六条は、法律は、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する、と定め、さらに、児童の権利に関する条約(平成六年条約第二号)二条は、児童に対し、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する、と規定している。
また、ヨーロッパ諸国の大部分は、非嫡出子の増加現象が一つの契機となって、おおむね一九六〇年代ころまでに、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と同等とする法改正を行ったし、最近でも、嫡出家族保護の伝統が強くて平等化を図る法改正が実現しなかった国もあるが、完全な平等には至らないとしても、配偶者や嫡出子の権利との調整を図りながら、平等化に向かっている国も存在する。
四 以上のように、本件規定の対象とする非嫡出子の相続分をめぐる諸事情は国内的にも国際的にも大幅に変容して、制定当時有した合理性は次第に失われつつあり、現時点においては、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているとまではいえないとしても、本件規定のみに着眼して論ずれば、その立法理由との関連における合理性は、かなりの程度に疑わしい状態に立ち至ったものということができる。
五 しかし、民法は、私人間の諸利益の調整の上に成り立っているから、一つの利益だけを他の利益と切り離して考察するのは相当ではない。相続に関する規律は、取引行為におけるような純然たる財産的利益に関するものとはいえないにしても、身分関係に関する強行規定とは異なり、結局は被相続人の財産を誰にそしていかに分配するかの定めであり、しかも、本件規定は、被相続人の明示の意思としての遺言等がない場合に初めて適用される補充的な規定にすぎない。相続の根拠については、種々の考え方があるとしても、推定される被相続人の意思を全く無視することはできないし、ある者に対し相続によって得る利益をより強く保障することが、他の者が従来有していた利益にいかなる影響を及ぼすかの観点からする検討も必要である。本件規定の合理性を検討するに当たっては、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と平等とした場合、配偶者その他の関係人の利益を保護するための措置が必要かどうか等を含め、相続、婚姻、親子関係等の関連規定との整合性をも視野に入れた総合的な判断が必要であるといわなければならない。
以上の点を考慮すると、立法政策として改正を検討することはともかく、現時点においては、本件規定が、その立法理由との関連において、著しく不合理であるとまでは断定できないというべきである。
裁判官園部逸夫は、裁判官大西勝也の補足意見に同調する。

+補足意見
裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見は、次のとおりである。
私たちは、非嫡出子の相続分に関する本件規定が憲法一四条一項に反するものとはいえない、とする多数意見に同調するものであるが、なお、次の点について付言しておきたい。
一 一般に、ある法律の規定について、制定当時においては合理的理由があったが、その後の時の経過とともに対象とする事柄をめぐる諸事情が変化し、その合理性が疑問とされる事態の生じることは、あり得るところである。このような事態に対処するには、当該法規を改廃し、あるいは新法を制定するなど、国会の立法作用によるのが本来の姿であり、また、それが望ましくもあることは多言を要しない。
二 本件においてもその理は異ならないのであって、本件規定も制定以来半世紀を経る間、非嫡出子をめぐる諸事情に変容が生じ、子の権利をより重視する観点からその合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである。しかしながら、これに対処するには、立法によって本件規定を改正する方法によることが至当である。
ことに、本件規定は親族・相続制度の一部分を構成するものであるから、これを変更するに当たっては、右制度の全般に目配りして、関連する諸規定への波及と整合性を検討し、もし必要があれば、併せて他の規定を改正ないし新設すべきものである。また、本件規定に基づく相続関係の処理は、過去長年にわたって行われてきたし、現在も行われつつある上、近い将来を見越しての準備もされていると思われる。したがって、本件規定を変更する場合、その効力発生時期ないし適用範囲の設定も、それらへの影響を考慮して、慎重に検討すべき問題である。これらのことは、すべて、国会における立法作業によって、より適切になし得る事柄であり、その立法の過程を通じて世論の動向を汲み取るとともに、国民に対し、改正の趣旨と必要性を納得させ、周知させることもできるのである。
三 もっとも、ある法規の合理性が著しく失われて、憲法一四条一項に照らし、到底容認できない段階に達しているときは、もはや立法を待つことはできず、裁判所が違憲を宣言することによって直ちにその適用を排除しなければならない。しかし、本件規定については、現在まだその段階に達しているとは考えられない。

+反対意見
裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見(裁判官尾崎行信については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)は、次のとおりである。
一 私たちは、民法九〇〇条四号ただし書前段(以下「本件規定」という。)が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定めていることは、憲法一四条一項に違反して無効であり、原決定を破棄すべきものであると考える。
二 (相続制度と憲法判断の基準)
相続制度は社会の諸条件や親族各人の利益の調整等を考慮した総合的な立法政策の所産であるが、立法裁量にも憲法上の限界が存在するのであり、憲法と適合するか否かの観点から検討されるべき対象であることも当然である。
憲法一三条は、その冒頭に「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、さらにこれをうけて憲法二四条二項は「相続…及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定しているが、その趣旨は相続等家族に関する立法の合憲性を判断する上で十分尊重されるべきものである。
そして、憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としているのは、個人の尊厳という民主主義の基本的理念に照らして、これに反するような差別的取扱を排除する趣旨と解される。同項は、一切の差別的取扱を禁止しているものではなく、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づく区別は許容されるものであるが、何をもって合理的とするかは、事柄の性質に応じて考えられなければならない。そして本件は同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一とすることの合憲性が問われている事案であって、精神的自由に直接かかわる事項ではないが、本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。しかしながら、本件においては以下に述べるとおり、単なる合理性についてすら、その存在を肯認することはできない。
三 (本件規定の不合理性)
本件規定の合理性について多数意見の述べるところは、民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、法定相続分につき前者の立場を後者より優遇することに合理的根拠があるとの前提に立つものと解される。
婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的であるとすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、前記のように憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。すなわち、出生について責任を有するのは被相続人であって、非嫡出子には何の責任もなく、その身分は自らの意思や努力によって変えることはできない。出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段との実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである。
また、本件規定の立法理由は非嫡出子の保護をも図ったものであって合理的根拠があるとする多数意見は、本件規定が社会に及ぼしている現実の影響に合致しない。すなわち、本件規定は、国民生活や身分関係の基本法である民法典中の一条項であり、強行法規でないとはいえ、国家の法として規範性をもち、非嫡出子についての法の基本的観念を表示しているものと理解されるのである。そして本件規定が相続の分野ではあっても、同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本件規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない。
四 (非嫡出子に関する立法状況の変化、条約の成立と今日における不合理性)
法律が制定された当時には立法目的が合理的でありその目的と手段が整合的であると評価されたものであっても、その後の社会の意識の変化、諸外国の立法の趨勢、国内における立法改正の動向、批准された条約等により、現在においては、立法目的の合理性、その手段との整合性を欠くに至ったと評価されることはもとよりあり得るのであって、その合憲性を判断するに当たっては、制定当時の立法目的と共に、その後に生じている立法の基礎をなす事実の変化や条約の趣旨等をも加えて検討されなければならない。
本件規定は、その立法当初において反対の意見もあったが、その立法目的は多数意見のいうとおり婚姻の保護にあるとして制定されたものであり、またその当時においては、諸外国においても、相続上非嫡出子を嫡出子と差別して取り扱う法制をとっている国が一般的であった。しかしながら、その後相続を含む法制度上、非嫡出子を嫡出子と区別することは不合理であるとして、主として一九六〇年代以降両者を同一に取り扱うように法を改正することが諸外国の立法の大勢となっている。
そして、我が国においても、本件規定は法の下の平等の理念に照らし問題があるとして、昭和五四年に法務省民事局参事官室は、法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づいて、非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分と同等とする旨の改正条項を含む改正要綱試案を発表したが、法案となるに至らず、さらに現時点においても同趣旨の改正要綱試案が公表され、立法改正作業が継続されている。
これを国際条約についてみても、我が国が昭和五四年に批准した、市民的及び政治的権利に関する国際規約二六条は「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し…出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。」と規定し、さらに我が国が平成六年に批准した、児童の権利に関する条約二条一項は「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の…出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」と規定している。
以上の諸事実及び本件規定が及ぼしているとみられる社会的影響等を勘案するならば、少なくとも今日の時点において、婚姻の尊重・保護という目的のために、相続において非嫡出子を差別することは、個人の尊重及び平等の原則に反し、立法目的と手段との間に実質的関連性を失っているというべきであって、本件規定を合理的とすることには強い疑念を表明せざるを得ない。
五 (違憲判断の不遡及的効力)
最後に、本件規定を違憲と判断するとしても、当然にその判断の効力が遡及するものでないことを付言する。すなわち最高裁判所は、法令が憲法に違反すると判断する場合であっても、従来その法令を合憲有効なものとして裁判が行われ、国民の多くもこれに依拠して法律行為を行って、権利義務関係が確立している実態があり、これを覆滅することが著しく法的安定性を害すると認められるときは、違憲判断に遡及効を与えない旨理由中に明示する等の方法により、その効力を当該裁判のされた時以後に限定することも可能である。私たちは本件規定は違憲であるが、その効力に遡及効を認めない旨を明示することによって、従来本件規定の有効性を前提にしてなされた裁判、合意の効力を維持すべきであると考えるものである。

+追加反対意見
裁判官尾崎行信の追加反対意見は、次のとおりである。
本件規定が違憲とされる理由は反対意見に示されているが、私は、次の観点を加えれば、その違憲性はより明らかになると考える。
一 法の下の平等は、民主主義社会の根幹を成すものであって、最大限尊重されなければならず、合理的理由のない差別は憲法上禁止されている(憲法一四条一項)。本件規定は、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定め、嫡出子と非嫡出子との間に差別を設けているが、右差別が憲法一四条一項の許容する合理的なものであるといえるかどうかは、単なる合理性の存否によって判断されるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきであることは、反対意見に示されているとおりである。右検討に当たっては、立法目的自体の合理性ないし必要性の程度、差別により制限される権利ないし法的価値の性質、内容、程度を十分に考慮し、その両者の間に実質的関連性があるかどうかを判断すべきである。
二 憲法は婚姻について定めているが、いかなるものを婚姻と認めるかについては何ら定めるところはない。あり得る諸形態の中から、民法が法律婚主義を選択したのは合理的と認めるが、法律婚に関連する諸要素のうちにも立法目的からみて必要不可欠なものとそうでないものとが区別される。必要性の高いもののためには、他の憲法上の価値を制限することが許される場合もあり、重婚の禁止はその例である。しかし、必要性の低いものについては、他の価値が優先するべきで、これを制限することは許されない。
本件規定は無遺言の場合に相続財産をいかに分配するかを定めるための補充規定である。人が、その人生の成果である財産を、死後自らの選択に従って配偶者や子供など愛情の対象者に残したいと願うのは、極めて自然な感情である。民法も、本人の意思を尊重して、相続財産の分配を被相続人の任意にゆだねている(遺留分は別個の立法目的から定められたものであるからしばらくおく。)。この点をみれば、民法は相続財産の配分について法律婚主義の観点から一定の方向付けをする必要を認めなかったと知ることができる。相続財産をだれにどのような割合で分配するかは、法律婚や婚姻家族の保護に関係はあるであろうが、それらのために必要不可欠なものではない。もし民法が必要と考えれば、当然これに関する強行規定を設けたであろう。要するに、本件規定が補充規定であること自体、法律婚や婚姻家族の尊重・保護の目的と相続分の定めとは直接的な関係がないことを物語っている。嫡出子と非嫡出子間の差別は、本件規定の立法目的からして、必要であるとすることは難しいし、仮にあったとしてもその程度は極めて小さいというべきである。
三 本件規定の定める差別がいかなる結果を招いているかをも考慮すべきである。双方ともある人の子である事実に差異がないのに、法律は、一方は他方の半分の権利しかないと明言する。その理由は、法律婚関係にない男女の間に生まれたことだけである。非嫡出子は、古くから劣位者として扱われてきたが、法律婚が制度として採用されると、非嫡出子は一層日陰者とみなされ白眼視されるに至った。現実に就学、就職や結婚などで許し難い差別的取扱いを受けている例がしばしば報じられている。本件規定の本来の立法目的が、かかる不当な結果に向けられたものでないことはもちろんであるけれども、依然我が国においては、非嫡出子を劣位者であるとみなす感情が強い。本件規定は、この風潮に追随しているとも、またその理由付けとして利用されているともみられるのである。
こうした差別的風潮が、非嫡出子の人格形成に多大の影響を与えることは明白である。我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である。人格形成の途上にある幼年のころから、半人前の人間である、社会の日陰者であるとして取り扱われていれば、果たして円満な人格が形成されるであろうか。少なくとも、そのための大きな阻害要因となることは疑いを入れない。こうした社会の負の要因を取り除くため常に努力しなければ、よりよい社会の達成は望むべくもない。憲法が個人の尊重を唱え、法の下の平等を定めながら、非嫡出子の精神的成長に悪影響を及ぼす差別的処遇を助長し、その正当化の一因となり得る本件規定を存続させることは、余りにも大きい矛盾である。
本件規定が法律婚や婚姻家族を守ろうとして設定した差別手段に多少の利点が認められるとしても、その結果もたらされるものは、人の精神生活の阻害である。このような現代社会の基本的で重要な利益を損なってまで保護に値するものとは認められない。民法自体が公益性の少ない事項で当事者の任意処分に任せてよいとの立場を明らかにしていることを想起すれば、この結論に達せざるを得ないのである。
四 婚姻家族の相続財産に対する利害関係は、非嫡出子のそれと比べて大きいといわれる。普通、嫡出家族の方が長い共同生活を営んでいるから情愛もより深く、遺産形成にもより大きく協力しているから、相続分もより大きいのは当然とされる。それぞれの家族関係は千差万別で、右のような一般論で割り切り、その結果他人の基本的な権利を侵害してよいかは、甚だ疑問である。あえていえば、非嫡出関係が生じる場合には、一般論の例外的な場合に当たることもあろう。しかし、仮にこの一般論に譲歩して婚姻家族の相続分をより大きくしようとすれば、他人の基本的な権利に抵触することなく、かつ憲法上の疑義を生じさせるまでもなく、その目的を達成する手段が存在する。つまり、遺言制度を活用すれば足りるのである。
もともと遺産の処分は、被相続人の意思にゆだねられているのであって、遺族の期待に反する処理がされても何人も異議を差し挟み得ない。それは生前処分の場合でも遺言による場合でも異ならない。被相続人の意思が何であるか、親族関係が真にその名に値する愛情によって結ばれていたかが帰結を決定するのである。これが本来の遺産相続の在り方であって、無遺言の場合の法定相続分の定めは全くの便法にすぎない。基本的人権に対する配慮が希薄であった立法当時には、本件規定は深く疑問を抱かれることもなく受容されていた。本件規定が非嫡出子を不当に差別するものであり、その差別により生ずる侵害の深刻さを直視するならば、そして他方、得ようとする利益は公益上のものでなく、当事者の意思次第で容易に左右できる性質のものであることに思いを致せば、非嫡出子のハンディキャップを増大させる一因となっている本件規定の有効性を否定するほかない。
五 我々が目指す民主主義社会にとって法の下の平等はその根幹を成す重要なものであるが、本件規定の立法目的には合理性も必要性もほとんどない上、結果する犠牲は重大である。しかも、本件規定がなくとも具体的事情に適した結果に達する方途は存在する。本件規定の立法目的と非嫡出子の差別との間には到底実質的関連性を認めることはできない。いわば無用な犠牲を強いる本件規定は、憲法に違反するものというべきである。
(裁判長裁判官 草場良八 裁判官 大堀誠一 裁判官 園部逸夫 裁判官 中島敏次郎 裁判官 可部恒雄 裁判官 大西勝也 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 根岸重治 裁判官 高橋久子 裁判官 尾崎行信 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男)

(5)審査基準の図式は絶対か

・消極目的 厳格な合理性の基準
+判例(S50.4.30)薬局距離制限事件
理由
上告代理人・原隆一の上告理由二について。
所論は、要するに、本件許可申請につき、昭和三八年法律第一三五号による改正後の薬事法の規定によつて処理すべきものとした原審の判断は、憲法三一条、三九条、民法一条二項に違反し、薬事法六条一項の適用を誤つたものであるというのである。
しかし、行政処分は原則として処分時の法令に準拠してされるべきものであり、このことは許可処分においても同様であつて、法令に特段の定めのないかぎり、許可申請時の法令によつて許否を決定すべきのではなく、許可申請者は、申請によつて申請時の法令により許可を受ける具体的な権利を取得するものではないから、右のように解したからといつて法律不遡及の原則に反することとなるものではない。また、原審の適法に確定するところによれば、本件許可申請は所論の改正法施行の日の前日に受理されたというのであり、被上告人が改正法に基づく許可条件に関する基準を定める条例の施行をまつて右申請に対する処理をしたからといつて、これを違法とすべき理由はない。所論の点に関する原審の判断は、結局、正当というべきであり、違憲の主張は、所論の違法があることを前提とするもので、失当である。論旨は、採用することができない。
同上告理由一について。
所論は、要するに、薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)及びこれに基づく広島県条例「薬局等の配置の基準を定める条例」(昭和三八年広島県条例第二九号。以下「県条例」という。)を合憲とした原判決には、憲法二二条、一三条の解釈、適用を誤つた違法があるというのである。
一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制
(一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
(二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
(三) 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。そして、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求されるのであつて、許可制の採用自体が是認される場合であつても、個々の許可条件については、更に個別的に右の要件に照らしてその適否を判断しなければならないのである。
二 薬事法における許可制について。
(一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。
(二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条(この規定は薬局の開設に関するものであるが、同法二六条二項において本件で問題となる医薬品の一般販売業に準用されている。)は、一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする。
三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。
(一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。
これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。
(二) 次に、前記(一)の目的のために適正配置上の観点からする薬局の開設等の不許可の道を開くことの必要性及び合理性につき、被上告人の指摘、主張するところは、要約すれば、次の諸点である。
(1) 薬局等の偏在はかねてから問題とされていたところであり、無薬局地域又は過少薬局地域の解消のために適正配置計画に基づく行政指導が行われていたが、昭和三二年頃から一部大都市における薬局等の偏在による過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となるに至つた。これらの弊害の対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、なんらかの立法措置が要望されるに至つたこと。
(2) 前記過当競争や乱売の弊害としては、そのために一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵その他の管理がおろそかとなつて、良質な医薬品の供給に不安が生じ、また、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際における必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となつたことが指摘されるが、これを解消するためには薬局等の経営の安定をはかることが必要と考えられること。
(3) 医薬品の品質の良否は、専門家のみが判定しうるところで、一般消費者にはその能力がないため、不良医薬品の供給の防止は一般消費者側からの抑制に期待することができず、供給者側の自発的な法規遵守によるか又は法規違反に対する行政上の常時監視によるほかはないところ、後者の監視体制は、その対象の数がぼう大であることに照らしてとうてい完全を期待することができず、これによつては不良医薬品の供給を防止することが不可能であること。
四 適正配置規制の合憲性について。
(一) 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところにあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。
(二) 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。
(1) 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。
(2) 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。そこで検討するのに、
(イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。
(ロ) ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。
(ハ) 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある。この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである。
(ニ) 被上告人は、また、医薬品の販売の際における必要な注意、指導がおろそかになる危険があると主張しているが、薬局等の経営の不安定のためにこのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、これをもつて本件規制措置を正当化する根拠と認めるには足りない。
(ホ) 被上告人は、更に、医薬品の乱売によつて一般消費者による不必要な医薬品の使用が助長されると指摘する。確かにこのような弊害が生じうろことは否定できないが、医薬品の乱売やその乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大な広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はむしろその従たる原因にすぎず、特に右競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少にすぎないと考えるのが、合理的である。のみならず、右のような弊害に対する対策としては、薬事法六六条による誇大広告の規制のほか、一般消費者に対する啓蒙の強化の方法も存するのであつて、薬局等の設置場所の地域的制限によつて対処することには、その合理性を認めがたいのである。
(ヘ) 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。
(3) 被上告人は、また、医薬品の供給の適正化のためには薬局等の適正分布が必要であり、一部地域への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進されて、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致することはさきにも述べたとおりであり、薬局等の偏在防止のためにする設置場所の制限が間接的に被上告人の主張するような機能を何程かは果たしうろことを否定することはできないが、しかし、そのような効果をどこまで期待できるかは大いに疑問であり、むしろその実効性に乏しく、無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない。
本件適正配置規制は、右の目的と前記(2)で論じた国民の保健上の危険防止の目的との、二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定しうるにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。
五 結論
以上のとおり、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である。
ところで、本件は、上告人の医薬品の一般販売業の許可申請に対し、被上告人が昭和三九年一月二七日付でした不許可処分の取消を求める事案であるが、原判決の適法に確定するところによれば、右不許可処分の理由は、右許可申請が薬事法二六条二項の準用する同法六条二項、四項及び県条例三条の薬局等の配置の基準に適合しないというのである。したがつて、右法令が憲法二二条一項に違反しないとして本件不許可処分の効力を維持すべきものとした原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、その余の判断をするまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右処分が取り消されるべきものであることは明らかであるから、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決の結論は正当であつて、被上告人の控訴は棄却されるべきものである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光)

・積極目的 合理性の基準
+判例(S47.11.22)小売市場距離制限事件
理由
弁護人坂井尚美の上告趣意一ないし五について。
所論は、要するに、小売商業調整特別措置法(以下「本法」という。)三条一項、同法施行令一条、二条は、小売市場の開設経営を都道府県知事の許可にかからしめ、営業の自由を不当に制限するものであるから、憲法二二条一項に違反するというのである。
本法三条一項は、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ、小売市場(一の建物であつて、十以上の小売商-その全部又は一部が政令で定める物品を販売する場合に限る。-の店舗の用に供されるものをいう。)とするため、その建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け、又は譲り渡してはならないと定め、これを受けて、同法施行令一条および別表一は、「政令で指定する市」を定め、同法施行令二条および別表二は、「政令で定める物品」として、野菜、生鮮魚介類を指定している。そして、本法五条は、右許可申請のあつた場合の許可基準として、一号ないし五号の不許可事由を列記し、本法二二条一号は、本法三条一項の規定に違反した者につき罰則を設けている。このように、本法所定の市の区域内で、本法所定の形態の小売市場を開設経営しようとする者は、本法所定の許可を受けることを要するものとし、かつ、本法五条各号に掲げる事由がある場合には、右許可をしない建前になつているから、これらの規定が小売市場の開設経営をしょうとする者の自由を規制し、そ営業の自由を制限するものであることは、所論のとおりである。
そこで、右の営業の自由に対する制限が憲法二二条一項に牴触するかどうかについて考察することとする。
憲法二二条一項は、国民の基本的人権の一つとして、職業選択の自由を保障しており、そこで職業選択の自由を保障するというなかには、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含しているものと解すべきであり、ひいては、憲法が、個人の自由な経済活動を基調とする経済体制を一応予定しているものということができる。しかし、憲法は、個人の経済活動につき、その絶対かつ無制限の自由を保障する趣旨ではなく、各人は、「公共の福祉に反しない限り」において、その自由を享有することができるにとどまり、公共の福祉の要請に基づき、その自由に制限が加えられることのあることは、右条項自体の明示するところである。
おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはいうまでもないのみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なつて、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もつて社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであつて、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである。もつとも、個人の経済活動に対する法的規制は、決して無制限に許されるべきものではなく、その規制の対象、手段、態様等においても、自ら一定の限界が存するものと解するのが相当である。
ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、本法は、立法当時における中小企業保護政策の一環として成立したものであり、本法所定の小売市場を許可規制の対象としているのは、小売商が国民のなかに占める数と国民経済にける役割とに鑑み、本法一条の立法目的が示すとおり、経済的基盤の弱い小売商の事業活動の機会を適正に確保し、かつ、小売商の正常な秩序を阻害する要因を除去する必要があるとの判断のもとに、その一方策として、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである。しかも、本法は、その所定形態の小売市場のみを規制の対象としているにすぎないのであつて、小売市場内の店舗のなかに政令で指定する野菜、生鮮魚介類を販売する店舗が含まれない場合とか、所定の小売市場の形態をとらないで右政令指定物品を販売する店舗の貸与等をする場合には、これを本法の規制対象から除外するなど、過当競争による弊害が特に顕著と認められる場合についてのみ、これを規制する趣旨であることが窺われる。これらの諸点からみると、本法所定の小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図するという観点から中小企業保護政策の一方策としてとつた措置ということができ、その目的において、一応の合理性を認めることができないわけではなく、また、その規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない。そうすると、本法三条一項、同法施行令一条、二条所定の小売市場の許可規制が憲法二二条一項に違反するものとすることができないことは明らかであつて、結局、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、論旨は理由がない。
なお、所論は、本法五条一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(一)も憲法二二条一項に違反すると主張するが、右内規は、それ自体、法的拘束力を有するものではなく、単に本法三条一項に基づく許可申請にかかる許可行政の運用基準を定めたものにすぎず、その当否は、具体的な不許可処分の適否を通じて争えば足り、しかも、記録上、被告人らが右許可申請をした形跡は窺えないのであるから、被告人らが本件で右内規の一般的合憲性を争うことは許されず、この点に関する違憲の主張は、上告適法の理由にあたらない。
同上告趣意六について。
所論は、本法三条一項、同法施行令一条が指定都市の小売市場のみを規制の対象としているのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法三条一項、同法施行令一条および別表一がその指定する都市の小売市場を規制の対象としたのは、小売市場の当該地域社会において果たす役割、当該地域における小売市場乱設の傾向等を勘案し、本法の上記目的を達するために必要な限度で規制対象都市を限定したものであつて、その判断が著しく合理性を欠くことが明白であるとはいえないから、その結果として、小売市場を開設しようとする者の間に、地域によつて規制を受ける者と受けない者との差異が生じたとしても、そのことを理由として憲法一四条に違反するものとすることはできない。論旨は理由がない。
次に、所論は、本法三条一項が十店舗未満の小売市場およびスーパーマーケツトを規制の対象としていないのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法所定の小売市場以外の小売市場を規制の対象とするかどうか、スーパーマーケツトを規制の対象とするかどうかは、いずれも立法政策の問題であつて、これらを規制の対象としないからといつて、そのために本法の規制が憲法一四条に違反することになるわけではない。論旨は理由がない。
同上告趣意七について。
所論は、本法所定の小売市場の許可規制が憲法二五条一項に違反すると主張する。
しかし、右許可規制のために国民の健康で文化的な最低限度の生活に具体的に特段の影響を及ぼしたという事実は、本件記録上もこれを認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)

・ナゾ。積極目的だけど厳格な合理性?
+判例(S62.4.22)森林法
理由
上告代理人藤本猛の上告理由について
所論は、要するに、森林法一八六条を合憲とした原判決には憲法二九条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
一 憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し、私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障するとともに、社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至つたため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。
二 財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
三 森林法一八六条は、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者(持分価額の合計が二分の一以下の複数の共有者を含む。以下同じ。)に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定している。
そこでまず、民法二五六条の立法の趣旨・目的について考察することとする。共有とは、複数の者が目的物を共同して所有することをいい、共有者は各自、それ自体所有権の性質をもつ持分権を有しているにとどまり、共有関係にあるというだけでは、それ以上に相互に特定の目的の下に結合されているとはいえないものである。そして、共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となるので、同条は、かかる弊害を除去し、共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため、各共有者はいつでも共有物の分割を請求することができるものとし、しかも共有者の締結する共有物の不分割契約について期間の制限を設け、不分割契約は右制限を超えては効力を有しないとして、共有者に共有物の分割請求権を保障しているのである。このように、共有物分割請求権は、各共有者に近代市民社会における原則的所有形態である単独所有への移行を可能ならしめ、右のような公益的目的をも果たすものとして発展した権利であり、共有の本質的属性として、持分権の処分の自由とともに、民法において認められるに至つたものである。
したがつて、当該共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当し、かかる制限を設ける立法は、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを要するものと解すべきところ、共有森林はその性質上分割することのできないものに該当しないから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定している森林法一八六条は、公共の福祉に適合するものといえないときは、違憲の規定として、その効力を有しないものというべきである。
四 1 森林法一八六条は、森林法(明治四〇年法律第四三号)(以下「明治四〇年法」という。)六条の「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」との規定を受け継いだものである。明治四〇年法六条の立法目的は、その立法の過程における政府委員の説明が、長年を期して営むことを要する事業である森林経営の安定を図るために持分価格二分の一以下の共有者の分割請求を禁ずることとしたものである旨の説明に尽きていたことに照らすと、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図ることにあつたものというべきであり、当該森林の水資源かん養、国土保全及び保健保全等のいわゆる公益的機能の維持又は増進等は同条の直接の立法目的に含まれていたとはいい難い。昭和二六年に制定された現行の森林法は、明治四〇年法六条の内容を実質的に変更することなく、その字句に修正を加え、規定の位置を第七章雑則に移し、一八六条として規定したにとどまるから、同条の立法目的は、明治四〇年法六条のそれと異なつたものとされたとはいえないが、森林法が一条として規定するに至つた同法の目的をも考慮すると、結局、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。
同法一八六条の立法目的は、以上のように解される限り、公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。
2 したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定していることが、同条の立法目的達成のための手段として合理性又は必要性に欠けることが明らかであるといえない限り、同条は憲法二九条二項に違反するものとはいえない。以下、この点につき検討を加える。
(一) 森林が共有となることによつて、当然に、その共有者間に森林経営のための目的的団体が形成されることになるわけではなく、また、共有者が当該森林の経営につき相互に協力すべき権利義務を負うに至るものではないから、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない。したがつて、共有森林の共有者間の権利義務についての規制は、森林経営の安定を直接的目的とする前示の森林法一八六条の立法目的と関連性が全くないとはいえないまでも、合理的関連性があるとはいえない。
森林法は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者からの分割請求を許さないとの限度で民法第三章第三節共有の規定の適用を排除しているが、そのほかは右共有の規定に従うものとしていることが明らかであるところ、共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐつて意見の対立、紛争が生ずるに至つたときは、各共有者は、共有森林につき、同法二五二条但し書に基づき保存行為をなしうるにとどまり、管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来することとなる。同法二五六条一項は、かかる事態を解決するために設けられた規定であることは前示のとおりであるが、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法の右規定の適用を排除した結果は、右のような事態の永続化を招くだけであつて、当該森林の経営の安定化に資することにはならず、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性のないことは、これを見ても明らかであるというべきである。
(二) (1) 森林法は森林の分割を絶対的に禁止しているわけではなく、わが国の森林面積の大半を占める単独所有に係る森林の所有者が、これを細分化し、分割後の各森林を第三者に譲渡することは許容されていると解されるし、共有森林についても、共有者の協議による現物分割及び持分価額が過半数の共有者(持分価額の合計が二分の一を超える複数の共有者を含む。)の分割請求権に基づく分割並びに民法九〇七条に基づく遺産分割は許容されているのであり、許されていないのは、持分価額二分の一以下の共有者の同法二五六条一項に基づく分割請求のみである。共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を認めた場合に、これに基づいてされる分割の結果は、右に述べた譲渡、分割が許容されている場合においてされる分割等の結果に比し、当該共有森林が常により細分化されることになるとはいえないから、森林法が分割を許さないとする場合と分割等を許容する場合との区別の基準を遺産に属しない共有森林の持分価額の二分の一を超えるか否かに求めていることの合理性には疑問があるが、この点はさておいても、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者からの民法二五六条一項に基づく分割請求の場合に限つて、他の場合に比し、当該森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図らなければならない社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠は、これを見出だすことができないにもかかわらず、森林法一八六条が分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなつているといわざるをえない。
まず、森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、当該森林の地域的位置、気候、植栽竹木の種類等によつて差異はあつても、これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるものというべきである。
また、当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
(2) 更に、民法二五八条による共有物分割の方法について考えるのに、現物分割をするに当たつては、当該共有物の性質・形状・位置又は分割後の管理・利用の便等を考慮すべきであるから、持分の価格に応じた分割をするとしても、なお共有者の取得する現物の価格に過不足を来す事態の生じることは避け難いところであり、このような場合には、持分の価格以上の現物を取得する共有者に当該超過分の対価を支払わせ、過不足の調整をすることも現物分割の一態様として許されるものというべきであり、また、分割の対象となる共有物が多数の不動産である場合には、これらの不動産が外形上一団とみられるときはもとより、数か所に分かれて存在するときでも、右不動産を一括して分割の対象とし、分割後のそれぞれの部分を各共有者の単独所有とすることも、現物分割の方法として許されるものというべきところ、かかる場合においても、前示のような事態の生じるときは、右の過不足の調整をすることが許されるものと解すべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁、昭和四一年(オ)第六四八号同四五年一一月六日第二小法廷判決・民集二四巻一一一号一八〇三頁は、右と抵触する限度において、これを改める。)。また、共有者が多数である場合、その中のただ一人でも分割請求をするときは、直ちにその全部の共有関係が解消されるものと解すべきではなく、当該請求者に対してのみ持分の限度で現物を分割し、その余は他の者の共有として残すことも許されるものと解すべきである。
以上のように、現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである。したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
五 以上のとおり、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであつて、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがつて、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効というべきであるから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者についても民法二五六条一項本文の適用があるものというべきである。
六 本件について、原判決は、森林法一八六条は憲法二九条二項に違反するものではなく、森林法一八六条に従うと、本件森林につき二分の一の持分価額を有するにとどまる上告人には分割請求権はないとして、本件分割請求を排斥しているが、右判断は憲法二九条二項の解釈適用を誤つたものというべきであるから、この点の違憲をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、上告人の分割請求に基づき民法二五八条に従い本件森林を分割すべきものであるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官坂上壽夫、同林藤之輔の補足意見、裁判官髙島益郎、同大内恒夫の意見、裁判官香川保一の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官坂上壽夫の補足意見は、次のとおりである。
香川裁判官の反対意見に鑑み、わが国における森林所有の実態を踏まえて、一言しておきたい。
香川裁判官の説かれるところは、森林の共同経営という観点から共有森林についての分割制限の合理性を指摘されるもので、たしかに、森林の共同経営に当たつて、途中での分割を許すことは、経営的には不都合を来す場合があると考えられ、共同経営を目的とした共有を考える限りにおいて、まことに傾聴すべき見解であると思われるが、「森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことである」とされるのは、森林共有者の中に、相続による共有者を除いては、自らの意思によらずして森林を共有することになつた者の存在は考えなくてもよいということであろうか。また、自らの意思により森林を共有するといつても、共有するについてはいろんな場合が考えられ、森林を共同経営する意思を有しない者もいると思われるのに、そのことを抜きにして論じてよいものであろうか。なお、共同経営に不都合を来さないためという観点からは、持分二分の一以下の権利者の分割請求のみを許さないとすることの説明が、多数決原理を云々されるだけでは肯けないものがある(のちに述べるように、分割されて困るとすれば、それはむしろ持分二分の一以下の少数権利者の側であろう。)。
ところで、森林経営という面についてであるが、香川裁判官が、「森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである……そして、それに連なる共有森林は……」と説かれるところは、多人数の共同経営の難しさ、煩わしさということを別にすれば、理論としては正にそのとおりであろうが、残念ながら、わが国の森林所有の実態に即しない憾みがあるように思われる。以下、議論を正確にするため、統計数字については、林野庁監修「林業統計要覧」一九八六年版所載の各表によることとするが、その「一九八〇年世界農林業センサス結果」によると、わが国での共同所有者による森林保有は、統計に表れない〇・一へクタール未満の森林を除き、〇・一ヘクタール以上のものに限れば、一六万六一四五事業体で合計六〇万一六七三ヘクタールに過ぎず(この数字には、相続により生じた共有体を含むものと思われるが、その内訳は不詳である。)、面積比にすると、二五〇〇万ヘクタール余とされるわが国の全森林の二・四%、一四七〇万ヘクタールに及ぶ私有森林全体の約四%を占めるのみである。しかも、そのうち〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)しか保有しない事業体(農林水産省統計情報部「林家経済調査報告」によると、昭和五九年度において、九・三ヘクタールを保有する林家の林業粗収入額は、薪炭生産やきのこ生産等による収入をも含めて二九万五〇〇〇円であり、これに対する経費総額は一二万七〇〇〇円であつて、林業所得額は一六万八〇〇〇円(平均値)であるから、一ヘクタール当たりにすると、僅かに一万八〇〇〇円に過ぎない。〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)という森林がいかに零細なものであるかがわかろう。)は九万六二八〇事業体に達し、全共同事業体の約五八%に当たり、これに一ないし五ヘクタール(未満)しか保有しない事業体を併せると、一四万四九九六事業体(全共同事業体の八七%強)にも達するのである。他方、香川裁判官が望ましいとされる「相当広大な面積」をかりに一〇〇ヘクタール以上(本件上告人、被上告人の共有森林は、全地区を合計するとこの範囲に入ることになる。)と低く抑えたとしても、その条件に達するものは僅かに五五七事業体(全共同事業体の〇・三%強)に過ぎない。共有にかかる森林の殆どは、共同所有ではあつても、共同経営という名に値しないものである。
とすれば、森林経営の観点から共有を論じても余り意味はなく、森林法一八六条は、ほんの一握りの森林共有体の経営の便宜のために、すべての森林共有体の、しかもそのうちの持分二分の一以下の共有者についてのみ、その分割請求権を奪うという不合理を敢えてしていると結論せざるを得ない。
もとより、森林経営というほどのものでない小面積の共有森林でも、否、小面積の森林なるが故に、分割しては著しく採算に影響するという場合もないではないであろうし(例えば、トラックの通行可能な道路までの伐採木の搬出距離が長いため、搬出のための架線等の設置に多大の経費を要するというような場合等)、極端な場合には、分割しては森林の全売上をもつてしても全経費を賄うに足りないという事態もありうるであろう(多数意見のいう森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積を割る場合ということになろう。)。香川裁判官の説かれる共同経営論は、このようなことも配慮されてのことであると理解できるが、分割した場合につねに生ずるということではない。なお、蛇足を加えると、例えば、持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があつて、四分の三の持分権者の請求によつて分割が行われた場合があつたとしよう。四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になつたとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきでないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らないのではなかろうか。いずれにしても、経営採算ということを考えると、共同経営にかかる森林の分割はこれを許さないとすることに相応の理由があることを否定しないが、森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たつて必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであつて、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではないと思われる。
更にいえば、分割請求権の行使を認めないことによつて、森林の細分化を防止し、それによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することが公共の福祉に合致するとの立場をとるならば、前述のように、わが国の森林面積の二・四%、そのうちの私有森林のみの面積と対比してもその約四%を占めるに過ぎない共同所有森林(相続による共有分を除けば、その割合はもつと小さい筈)の、そのまた少数持分権者のみに、その制限を課するのは何故であろうか。
森林法一八六条による共有森林の分割請求権の制限は、到底首肯するに足る理由を見出だすことができないのである。
裁判官林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に示された結論とその理由に同調するものであるが、共有物の分割方法に関して私の考えるところを補足しておきたい。
多数意見は、民法二五八条二項にいう現物をもつてする分割の一態様として、共有者の一部が持分以上の現物を取得する代わりに当該超過分の対価を他の共有者に支払わせる旨のいわゆる価格賠償による分割を命ずることも許されるから、共有者の一部に分割を認めても必ずしも森林の細分化をもたらすものではないとし、最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁は、これと異なる限度で改めるとしているのであり、私も多数意見の右の説示に賛同する。右の小法廷判決は、昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法のもとにおける遺産相続により共有となつた遺産の分割につき、右改正法の附則三二条により改正後の民法九〇六条が準用されることとなる事案に関するものであるが、「遺産の共有及び分割に関しては、共有に関する民法二五六条以下の規定が第一次的に適用せられ、遺産の分割は現物分割を原則とし、分割によつて著しくその価格を損する虞があるときは、その競売を命じて価格分割を行うことになるのであつて、民法九〇六条は、その場合にとるべき方針を明らかにしたものに外ならない」と判示している。しかし、家庭裁判所での遺産分割審判の実務においては、右判例にかかわらず、遺産分割につき家事審判規則一〇九条を適用して、特別の事由があるときは、共同相続人の一部にその相続分以上の現物を取得させる代わりに、他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物をもつてする分割に代えることが広く行われてきており、しかも、右にいう特別の事由はかなり緩やかに解されているのであるが、この債務を負担させることによる分割の実態は、多数意見にいう価格賠償にほかならないのである。
ところで、遺産分割については、民法が特に分割の基準について九〇六条の規定を設けているほか、手続上も、家庭裁判所に非訟事件である遺産分割の審判の申立をすることができるものとされているのに対し、通常の共有物の分割にあつては、民事訴訟法上の訴えの手続によるべきものとされている。しかし、この共有物分割の訴えも、いわゆる形式的形成訴訟に属し、当事者は単に共有物の分割を求める旨を申し立てれば足り、裁判所は、当事者が現物分割を申し立てているだけであつても、これに拘束されず、競売による代金分割を命ずることもできるのであつて(最高裁昭和五三年(オ)第九二七号、第九二八号同五七年三月九日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号三一三頁)、その本質は非訟事件であり、その点では、典型的な非訟事件である家事審判と異なるところはない。それにもかかわらず通常の共有物分割と遺産分割との間で右のように取扱いが異なるのは、右のような法律上の規定の仕方の違いもさることながら、遺産分割は、被相続人に属していた一切の財産が分割の対象とされ、不動産、動産、債権のほか、これらの権利が結合して構成される商店、病院等の営業というようなさまざまな遺産を一括して共同相続人に配分するものであり、しかも、先祖代々の土地建物、農地、家業というべき営業のように、相続人のうちの誰か適当な者が承継して人手には渡したくないとする一般的な意識や、分割に適しない性質を想定しうる財産も含まれているのに対し、通常の共有については、これまで一個の物の分割が典型例として考えられ、分割が個々の共有物について各共有者の持分権をその価格の割合に応じて単独所有権化するものという角度から捉えられ勝ちであつたためではないかと思われる。しかし、通常の共有の場合であつても、多数意見の指摘するように、同一共有者間において同時に多数の、性質等の異なつた共有物について分割が行われることもあり、また、遺産分割の結果共同相続人のうちの数名の共有とされた財産が再分割されるときのように遺産分割に近い実質をもつこともあるのであつて、そのようなときにまで、現物を持分に応じて分割することができないか又はそれができても著しく価格を損する場合には、直ちに現物分割によることができないものとし、価格賠償による調整をかたくなに否定することは、現物分割の途をいたずらに狭めるものであり、実状に合うものとはいい難い。建物の分割においても、持分に応じた分割が可能なのは、たとえ分割の対象となつている建物が多数あるときでもそのそれぞれがたまたま持分に相当する価格の建物である場合とか、一棟の建物ではあるが持分に相当する価格の区分所有建物とすることが可能である場合のようなむしろ例外的場合に限られることになり、土地についても、地形や道路との関係、さらには地上建物との関係などから持分に応じた分割をすることには無理が伴つたり、著しく価格を損することがむしろ多いといえよう。
共有物の分割にあつては、共有者間の公平が最も重視されなければならない。そして、価格賠償によるときは、価格が裁判所の認定にかかることになつて、観念的には競売による方がより公正な価格によることになるといえるかも知れない。しかし、現実には、競売価額が時価とはかけ離れた低額のものである場合も多々みられるところである。民法二五八条二項は、現物分割により著しくその価格を損する虞があるときは競売による代金分割によるべきこととしているが、競売によるときは、現物分割を避けることにより社会的にはその物自体が有する価格の減少を防ぐことができても、共有者が分配を受け得る利益からみれば著しく価格を損する結果となる虜なしとしないのである。現物分割の一態様として価格賠償の併用を認めると、必ずしも現物を持分に応じて分割しなくてもよいことになり、現物分割により得る場合はかなり増えるものと考えられ、当事者の利益からいつても、ことに当事者が希望しているような場合にまで、裁判所が鑑定等に基づいて認定する金額による価格賠償を否定すべき実質的な根拠はないと思われるのである。
以上のような見地から、私は、民法二五八条による共有物の分割につき価格賠償により過不足を調整することも許されるとする多数意見に賛成するものであるが、更にすすんで、共有者の数が非常に多数の場合に、その中のごく少数の者のみが分割請求をしたというようなときは、事情によつては―多数意見が規制の必要あることを認める共有森林の伐採期あるいは計画植林完了時の前になされた分割請求の如きはその適例であるが―共有物を残りの者だけの共有とし、分割請求者は持分相当額の対価の支払を受けるという方法によることも、右のごく少数の分割請求者からみれば対価を受け取るにすぎないにせよ、これを全体としてみるときはなお現物分割の一態様とみることを妨げないものというべきであり、このように共有物を共有者のうちの一人又は数名の者の単独所有又は共有とし、これらの者から他の者に価格賠償をさせることによる分割も、かかる方法によらざるをえない特段の事情がある場合には、なお現物分割の一態様として許されないわけのものではないと考えるのである。
裁判官大内恒夫の意見は、次のとおりである。
私は、本件について、原判決を破棄し、原審に差し戻すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その理由を異にし、共有森林の分割請求権の制限を定める森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額が二分の一の共有者からの分割請求(本件はこの場合に当たる)をも禁じている点において、憲法の右条項に違反するにすぎないと考えるので、以下意見を述べることとする。
一 森林法一八六条と財産権の制約
森林法一八六条は、共有森林の分割につき、「各共有者の持分の価額に従いその過半数をもつて分割の請求をすること」のみを認め、その以外の持分価額が二分の一以下の共有者がなす分割請求を禁じているが、これは、民法が共有者の基本的権利としている分割請求権を持分価額が二分の一以下の共有者から奪うものであるから、かかる規制は、憲法上、経済的自由の一つである財産権の制約に当たり、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを必要とする。ところで、経済的自由の規制立法には、精神的自由の規制の場合と異なり、合憲性の推定が働くと考えられ、財産権の規制立法についても、その合憲性の司法審査に当たつては、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、これを尊重すべきものである。そして、同じく経済的自由の規制であつても、それが経済的・社会的政策実施のためのものである場合(積極的規制)は、事の性質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広く認めるべきであるから、右積極的規制を内容とする立法については、当該規制措置が規制の目的を達成するための手段として著しく不合理で裁量権を逸脱したことが明白な場合でなければ、憲法二九条二項に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。以下、この見地に立つて、森林法一八六条が憲法の右条項に違反するかどうかについて判断する。
二 森林法一八六条の立法目的
森林法の右規定は、これと同旨の旧森林法(明治四〇年法律第四三号)六条の規定を踏襲したものであるが、もともと旧森林法が同規定を設けた立法目的は、当時の議会における政府委員の説明及び審議経過に徴すると、共有森林に係る林業経営の特殊性にかんがみ、共有者の分割請求権を制限し、林業経営の安定を図つたものであると解される。すなわち、森林は植林から伐採に至るまで長年月の期間を要し、資本投下も森林の維持・管理も長期的な計画に従つてなされるから、林業経営にあつては経営の基礎を安定したものとする必要が極めて大きいというべきところ、共有森林について民法二五六条一項がそのまま適用されるとするときは、共有者のうち一人が分割請求をする場合でも、何時にても、分割(原則として現物分割又は競売による代金分割)が行われざるをえず、林業経営の基礎は不安定であることを免れないことになる。そこで、旧森林法は前記の規定を設け、共有森林について分割請求権を制限することとしたのであつて、同規定は林業経営の安定を図ることを目的としたものであるというべきである。そして、森林法一八六条が旧森林法六条の規定をそのまま受け継いだこと、及び森林法が一条に新たに同法の目的規定を設けたことを考慮すると、同法一八六条の立法目的は、林業経営の安定を図るとともに、これを通じて森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国土の保全と国民経済の発展に資するにあると解すべく、右立法目的が公共の福祉に適合することは明らかである(なお、同条は、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとし、その限度で共有森林の分割請求を制約するのみで、持分価額が二分の一を超える共有者からの分割請求は勿論、共有者間の協議による分割も同条の禁ずるところでないから、森林の細分化防止をもつて同条の直接の立法目的であるとすることはできないと考える。)。
三 森林法一八六条の規制内容
森林法一八六条は、右の立法目的を達成するため、共有森林について、持分価額が二分の一を超える共有者(以下「過半数持分権者」という。)からの分割請求は認めるが、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとしている。ところで、右は前記経済的自由についての積極的規制に当たり、前示基準に従つてその憲法適合性が判断されることになるが、持分価額が二分の一以下という中には、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるので、場合を分かつて検討する。
1 持分価額が二分の一未満の共有者の分割請求の禁止
これは他方に過半数持分権者が存在する場合であるが、この場合、同条が持分価額が二分の一未満の共有者(以下「二分の一未満持分権者」という。)の分割請求権を否定したのは、下記のとおり理由があると認められ、同条のこの規制内容が、その立法目的との関係において、明らかに合理性と必要性を欠くものであるということはできないと考える。
(一) 旧森林法制定の際の議会における審議経過に徴すると、同法六条の政府原案は、「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス」とのみ定め、共有森林についてはすべて分割請求を禁止するものであつたが、右原案に対し、貴族院において、共有者の分割請求権を絶対的に禁じてしまうのは酷であり、少なくとも共有者の過半数以上の者が分割を請求する場合は、許してよいのではないか、との修正意見が出され、これを受けて、右原案に、「但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」とのただし書が追加され、立法がなされたものである。右の立法経緯によると、旧森林法の立法においては、林業経営の安定を図るという目的から、林業経営にとつて不安定要因であると目される民法二五六条の分割請求権に手が加えられたが、その際右分割請求権を全面的に否定するという方法はとらず、これを一部制約するにとどめたこと、及びいかなる者に分割請求権を認め、いかなる者にこれを認めないかについては、多数持分権者の意思の尊重の見地から、「持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数」である者(過半数持分権者)にのみ分割請求を許すことにしたことが認められるのであつて、旧森林法の右規定及びこれを受け継いだ森林法一八六条は、林業経営の安定と共有者の基本的権利(分割請求権)との調和を図つたものということができる。このように見て来ると、同条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有するものといわなければならず、また、過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できるというべきである。
(二) 次に、二分の一未満持分権者の権利制限の程度について見ると、同持分権者も、過半数持分権者との間で協議による分割を行うこと、及び過半数持分権者が分割自体に同意する場合、具体的な分割の方法・内容の裁判上の確定を求めて、分割の訴えを提起することは、いずれも森林法一八六条の禁ずるところではないと解されるので、結局、右二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも、右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとつて不当な権利制限であるということはできない。
してみると、同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではないというべきである。
2 持分価額が二分の一の共有者の分割請求の禁止
持分価額が二分の一の共有者(以下「二分の一持分権者」という。)が分割請求をする場合は、分割請求の相手方も二分の一持分権者であつて、右1の場合と異なり、過半数持分権者が存在しないが、森林法一八六条はこの場合も分割請求を禁じている。しかし、右の最も典型的な場合は、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合であるが、この場合共有者の一人である甲が同条によつて分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであつて、前記1の場合のごとく、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由に基づくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、共有者の他の一人である乙も同様であつて、甲、乙互いに対等の地位にあるにかかわらず、いずれも相手に対して分割請求をすることを禁じられるのである。その結果は、甲、乙両名(すなわち共有者全員)が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなるが、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎであるといわなければならない。思うに、森林法一八六条は林業経営の安定等の目的から共有者の分割請求権を制約するものであるが、全面的にこれを禁止しようとするものではない。したがつて、二分の一持分権者の共有関係の解消について生ずる右のような結果は、同条の所期するところでないとも考えられ、結局、同条のうち二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。よつて、同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効であるというべきである。
四 本件事案は、上告人及び被上告人が同人らの父から本件森林の贈与を受け、これを共有しているが、その持分は平等で各二分の一である、というのであり、前項2の場合に該当するから、上記の理由により上告人の分割請求は認容されるべきである。したがつて、上告人の論旨は理由があるから、本件については、原判決(上告人敗訴部分)を破棄し、原審に差し戻すべきものと考える。
裁判官髙島益郎は、裁判官大内恒夫の意見に同調する。
裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。
私は、森林法一八六条が憲法二九条二項に違反するものとする多数意見に賛成し難い。その理由は次のとおりである。
民法の共有に関する規定は、原則的には、共有関係からの離脱及びその解消を容易ならしめるため、各共有者の共有持分の譲渡について何らの制限を設けないのみならず、共有者全員の協議による共有物の分割のほか、各共有者は何時にても無条件で共有物分割の請求(訴求)をすることができるものとしているが(同法二五六条一項本文、二五八条一項)、その反面、共有物の不分割契約を期間を五年以内に制限しながらも更新を許容してこれを認めている(同法二五六条一項ただし書、同条二項、なお、同法二五四条により不分割契約は特定承継人をも拘束するのである。)。その趣旨は、所有権の型態として単独所有が共有よりもより好ましいものとして共有物の分割を認めながらも、共有関係の生じた経緯、目的、意図、共有物の多種、多様な性質ないし機能等に応じて、何時にても共有関係を解消し得る共有から一定期間共有関係を解消しない共有までの合目的な法律関係を形成し得る途を開いているものということができる。さらに、同法二五四条により、共有物の使用、収益等に関する共有者間の特約による権利義務関係が共有者の特定承継人をも拘束するものとして、共有関係の目的、意図等に対応し得る方途について配慮しているのである。因みに、各人の出資により共同事業を営む共同目的の組合契約による組合財産は、すべて総組合員の共有に属するが(同法六六八条)、清算前には組合財産の同法二五六条一項本文の規定による共有物分割の請求を禁止するなど(同法六七六条)しているのも、共同事業の遂行が共有物分割の請求により阻害されることを防止するための必要によるものに外ならない。そして、同法二五六条一項本文は、共有の目的物を特定していないが、目的物を限定して右の分割請求を考察した場合、その目的物の種類、性質、機能等によつては、同項本文について何らかの修正を施すべき必要があることは容易に考え得るところである。
以上の考え方からいえば、共有物分割の請求をいかなる要件、方法、態様等により認めるべきかあるいは制限すべきかの立法は、経済的自由の規制に属する経済的政策目的による規制であつて、憲法二九条二項により公共の福祉に適合することを要するが、その規制措置は、共有物の種類、性質、機能、関係人の利害得失等相互に関連する諸要素についての比較考量による判断に基づく政策立法であつて、立法府の広範な裁量事項に属するものというべきである。したがつて、その立法措置は、甚だしく不合理であつて、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものでなければ、これを違憲と断ずべきではない。
そこで、森林法一八六条について考えるに、同条は、民法二五六条一項本文と異なり、共有持分の価額に従い過半数を以てのみ共有森林の分割請求をすることができるものと規定している。森林法における森林とは、(一) 木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹、(二) 木竹の集団的な生育に供される土地を指称するのであるが(同法二条一項)、かかる「森林」は、その性質上木竹の植栽、育生、伐採、すなわち森林経営に供されることをその本来の機能とするものであり、このような供用による使用収益をその本質とする財産権である。さればこそ、同法は、かかる森林の所有者について、一般的に森林経営を行う者であることを前提として所要の規定を設けており(同法八条、一〇条の五、一〇条の一〇、一一条、一四条等)、この森林所有者には森林の共有者も含まれることはいうまでもない。そして、森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである(同法一八条、森林組合法一条、同法第三章生産森林組合等参照)。そして、それに連なる共有森林は、森林経営に供されるものである以上、民法二五六条一項本文の規定により、何時にても、しかも無条件に、共有者の一人からでもなされ得る共有物分割の請求によつて、森林の細分化ないしは森林経営の小規模化を招くおそれがあるのみならず、それ以上に、前記の長期的計画に基づく交互的、周期的な森林の施業が著しく阻害され、他の共有者に不測の損害を与え、ひいては森林経営の安定化、活発化による国民経済の健全な発達を阻害し、自然環境の保全等に欠けるおそれがあるので、森林法一八六条は、かかる公共の福祉の見地から、右の共有物分割の請求を制限することとし、ただ、森林経営についても私有財産制の下における営業であり、私的自治の原則が尊重されるべきものであることにかんがみ、謙抑的に、共有物分割の請求の全面的禁止を採らず、共有者の合理的配慮を期待して、いわゆる多数決原理に則り、森林経営により多く利害関係を有する持分価額の過半数以上を以てしなければ共有森林の分割請求をすることができないものとしているのである。そして、共有物分割の請求は、本来非訟的なものであるにもかかわらず、訴訟によることから自づと判断資料が限定され、森林経営に則した合理的な分割の裁判は、決して容易なものではなく、審理が長期化せざるを得ない性質のものであつて、その間における森林経営の停滞、森林の荒廃という避けるべくもないデメリットも当然予想されるであろうから、分割請求を持分価額の過半数をもつて決することとすることにより、右のデメリットをも考慮して分割請求の可否、利害得失をも含め分割請求に関する合理的、妥当な共有者間の意思決定がされることを期待しているものといえるであろう。
以上のとおり、森林法一八六条は、その立法目的において公共の福祉に適合するものであることは明らかであり、その規制内容において必要性を欠く甚だしく不合理な、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとは到底解することができないから、憲法二九条二項に違背するものとは断じ得ない。
これに対し、多数意見は、判決理由四の2の(一)において、「森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない」から、森林法一八六条はその立法目的(森林経営の安定)とその規制内容において合理的関連性かないものとし、森林共有者(特に持分が同等で二名の共有の場合)間において共有物の管理又は変更について意見が対立した場合、森林の荒廃を招くにかかわらず、かかる事態を解決するための手段である民法二五六条一項本文の規定の適用を排除している結果、森林の荒廃を永続化させ、森林経営の安定化に資することにならず、立法目的とその手段方法との間に合理的関連性がないことが明らかであるとしている。
しかし、前記のように、森林は、その性質、機能からいつて森林経営に供されるものというべきであり、かかる森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことであり、森林法一八六条も亦かかる前提に立つてはじめて理解し得るものである。この点において多数意見は私の見解と根本的に異なるのであるが、多数意見の右の指摘する点についていえば、共有物の管理について過半数によつて決することができない場合に管理ができなくなることは、民法二五二条もこれを予想し、それ自体止むを得ないこととして、その場合の不都合を若干でも除去し、少なくとも共有物の現状維持を図るために、同条ただし書において保存行為を各共有者がなし得るものとしているのであつて、既存の樹木の育生に必要な行為は右保存行為に該当するから、必ずしも森林の荒廃を防ぎ得ないものではない。また、共有者間において管理又は変更について決することができない場合の森林の荒廃という事態を解決するための手段として同法二五六条一項本文の規定があるものとすること自体甚だ疑問であるし、むしろ共有森林の分割請求が森林経営を阻害し、保存行為も充分になし得ず(分割請求により自己の取得する部分が不明である以上、各共有者に保存行為を期待することは無理であろう。)、反つて森林の荒廃を招くおそれがあるのではなかろうか。共有森林の管理について共有者間の意見が一致しない場合、共有関係の継続を欲しない者がその持分を譲渡して共有関係から離脱することも必ずしも困難を強いるものではない。
次に、多数意見は、判決理由四の2の(二)において、協議による分割、持分価額の過半数による分割請求及び遺産分割を禁止しないで、ただ持分価額の二分の一以下による分割請求を禁止しているが、右の分割の許される場合に比し、分割請求の禁止される場合が森林の細分化を防止する社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠はないし、しかも森林の安定的経営のための必要最小限度の面積をも法定せず、分割請求の制限される森林の範囲及び期間の限定もないまま、特に当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割請求を制限することは、立法目的の達成に必要な限度を超えた不必要なものであるという。さらに分割請求の場合の現物分割としても、調整的な価格賠償により分割後の管理、利用の便等を考慮して合理的な現物分割がされるし、多数共有者の一人による分割請求の場合に、請求者に持分の限度で現物を与え、その余を他の共有者の共有とする分割も許されるし、さらに代金分割のための一括競売がされるときも、いずれも共有森林の細分化をきたさないから、右の分割請求の禁止は、必要な限度を超えた不必要な規制であるという。しかし、森林法が共有者全員の協議による分割を禁止していないのは、私有財産制の尊重からかかる分割まで禁止することの適否は疑問であり、森林の共同経営を前提とする以上、分割の可否及び可とする場合の分割について共有者全員の合理的な協議を期待してのことであつて、かかる期待も立法態度として肯認されるものであろう。次に、遺産分割を禁止していないのは、遺産分割が遺産の全部を対象とするものであるのに、その一部である森林のみについて異なる扱いをすることは円滑な遺産分割を阻害するおそれがあるし、もともと森林又はその共有持分の共同相続人は自らの意思により共有関係に入つた者ではなく、森林の共同経営の意思を有するものとは必ずしもいえないからである。これらの分割を制限していないことには、右のような相当の理由があるものというべく、ただ、共有者の一人からでも何時にてもなされる分割請求は、多数の意思に反して森林経営のための円滑な施業を阻害するから、これを制限しているのである。次に、分割請求の制限される森林の範囲及び期間を限定せず、特に伐採期、計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割を制限している点については、森林経営に必要な最小限度の土地の面積を法定することは、実際問題として立法技術上も困難であるし、さらに伐採、植林の時期が地区別に交互周期的に到来するのが通常であろうから、分割制限の期間及び時期の限定は、難きを強いるものではなかろうか。最後に、分割請求の制限をしなくても、合理的な現物分割がされるというが、現物の細分化の防止からのみいえば現物分割の結果がなお森林経営上合理的な規模となる場合もあり得ようが、分割の裁判が相当長期間を要することから、分割請求そのものによる森林経営のための円滑な施業の阻害は避けられないであろう。さらに代金分割については、一括競売される限りにおいては当該森林の細分化は防止できるであろうけれども、一括競売は共有物分割の止むを得ない最後の方法であり、共有森林の細分化の防止の観点から、必ずしも時価売却の実現を保し難い競売による代金分割を常に探ることができるかどうか甚だ疑問であつて、以上のような分割の方法があることをもつて、森林法一八六条の分割請求の制限が必要な限度を超えた不必要なものであると果たしていえるであろうか。
以上のように、多数意見が森林法一八六条の違憲の論拠とする点は、これを総合しても、同条が甚だしく不合理で、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとする理由としては、到底首肯し得ないところである。
したがつて、上告人の論旨は理由がないから、本件上告は棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 高島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 林藤之輔 裁判官谷口正孝は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 矢口洪一)

RQ
+判例(H6.2.8)ノンフィクション逆転
理由
上告代理人大塚喜一、同四ノ宮啓及び上告代理人木村壮、同長谷川幸雄、同佐藤博史、同虎頭昭夫、同黒田純吉、同幣原廣、同後藤昌次郎、同四ノ宮啓、同大塚喜一の各上告理由について
一 被上告人の請求は、上告人の著作に係る「逆転」と題する出版物(以下「本件著作」という。)で被上告人の実名が使用されたため、その刊行により、被上告人が後記の刑事事件につき被告人となり有罪判決を受けて服役したという前科にかかわる事実が公表され、精神的苦痛を被ったと主張して、上告人に対し、慰謝料三〇〇万円の支払を求めるものである。
二 これに対して、原審は、概要、後記1ないし3の事実関係を確定した上、要するに、本件著作が出版されたころには、被上告人は、右の事実を他人に知られないことにつき人格的利益を有し、かつ、その利益は、法的保護に値する状況にあったというべきところ、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用してその前科にかかわる事実を公表したことを正当とする理由はなく、また、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用しても違法でないと信ずることに相当な理由もないとして、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認め、本件請求を慰謝料五〇万円の支払を求める限度で認容した一審判決を正当とし、上告人の控訴を棄却した。
1 本件著作は、昭和三九年八月一六日午前三時ころ、当時アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄県宜野湾市普夫間で発生した被上告人ら四名とアメリカ合衆国軍隊に所属するA一等兵及びB伍長との喧嘩が原因となって、Aが死亡し、Bが負傷した事件につき、被上告人ら四名が、同年九月四日、アメリカ合衆国琉球列島民政府高等裁判所の起訴陪審の結果、Aに対する傷害致死及びBに対する傷害の各罪(適条は我が国の刑法二〇五条及び二〇四条による。)で起訴され、陪審評議の結果、Aに対する関係では、傷害致死の公訴事実については無罪であるが、これに含まれる傷害の公訴事実については有罪、Bに対する関係では、無罪であると答申され、同年一一月六日、Aに対する傷害の罪で、被上告人ほか二名が懲役三年の実刑判決、他の一名が懲役二年、執行猶予二年の有罪判決を受けた裁判を素材とするものである。
2 被上告人は、本件裁判で服役し、昭和四一年一〇月に仮出獄した後、沖縄でしばらく働いていたが、本件事件のこともあってうまくいかず、やがて沖縄を離れて上京し、昭和四三年一〇月から都内のバス会社に運転手として就職した。被上告人は、その後、結婚したが、会社にも、妻にも、前科を秘匿していた。本件事件及び本件裁判は、当時、沖縄では大きく新聞報道されたが、本土では新聞報道もなく、東京で生活している被上告人の周囲には、その前科にかかわる事実を知る者はいなかった。
3 上告人は、本件裁判の陪審員の一人であったが、その体験に基づき、本件著作を執筆し、本件著作は、昭和五二年八月、株式会社新潮社から刊行され、ノンフィクション作品として世上高い評価を受け、昭和五三年には大宅賞を受賞した。

三 所論は、前記の理由で上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原判決には、憲法違反、判決に影響を及ぼす法令違反、理由不備ないし理由齟齬の違法があるというので、以下、検討する。
1 ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである(最高裁昭和五二年(オ)第三二三号同五六年四月一四日第三小法廷判決・民集三五巻三号六二〇頁参照)。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。
もっとも、ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない(最高裁昭和五五年(あ)第二七三号同五六年四月一六日第一小法廷判決・刑集三五巻三号八四頁参照)。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。
そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。
要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和二八年(オ)第一二四一号同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。
2 そこで、以上の見地から本件をみると、まず、本件事件及び本件裁判から本件著作が刊行されるまでに一二年余の歳月を経過しているが、その間、被上告人が社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実に照らせば、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたことは明らかであるといわなければならない。しかも、被上告人は、地元を離れて大都会の中で無名の一市民として生活していたのであって、公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない場合ではない。
所論は、本件著作は、陪審制度の長所ないし民主的な意義を訴え、当時のアメリカ合衆国の沖縄統治の実態を明らかにしようとすることを目的としたものであり、そのために本件事件ないしは本件裁判の内容を正確に記述する必要があったというが、その目的を考慮しても、本件事件の当事者である被上告人について、その実名を明らかにする必要があったとは解されない。本件著作は、陪審評議の経過を詳細に記述し、その点が特色となっているけれども、歴史的事実そのものの厳格な考究を目的としたものとはいえず、現に上告人は、本件著作において、米兵たちの事件前の行動に関する記述は周囲の人の話や証言などから推測的に創作した旨断っており、被上告人に関する記述についても、同人が法廷の被告人席に座って沖縄へ渡って来たことを後悔し、そのころの生活等を回顧している部分は、被上告人は事実でないとしている。その上、上告人自身を含む陪審員については、実名を用いることなく、すべて仮名を使用しているのであって、本件事件の当事者である被上告人については特にその実名を使用しなければ本件著作の右の目的が損なわれる、と解することはできない。
さらに、所論は、本件著作は、右の目的のほか、被上告人ら四名が無実であったことを明らかにしようとしたものであるから、本件事件ないしは本件裁判について、被上告人の実名を使用しても、その前科にかかわる事実を公表したことにはならないという。しかし、本件著作では、上告人自身を含む陪審員の評議の結果、被上告人ら四名がAに対する傷害の罪で有罪と答申された事実が明らかにされている上、被上告人の下駄やシャツに米兵の血液型と同型の血液が付着していた事実など、被上告人と事件とのかかわりを示す証拠が裁判に提出されていることが記述され、また、陪審評議において、喧嘩両成敗であるとの議論がされた旨の記述はあるが、被上告人ら四名が正当防衛として無罪であるとの主張がされた旨の記述はない。したがって、本件著作は、被上告人ら四名に対してされた陪審の答申と当初の公訴事実との間に大きな相違があり、また、言い渡された刑が陪審の答申した事実に対する量刑として重いという印象を強く与えるものではあるが、被上告人が本件事件に全く無関係であったとか、被上告人ら四名の行為が正当防衛であったとかいう意味において、その無実を訴えたものであると解することはできない。
以上を総合して考慮すれば、本件著作が刊行された当時、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたところ、本件著作において、上告人が被上告人の実名を使用して右の事実を公表したことを正当とするまでの理由はないといわなければならない。そして、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用すれば、その前科にかかわる事実を公表する結果になることは必至であって、実名使用の是非を上告人が判断し得なかったものとは解されないから、上告人は、被上告人に対する不法行為責任を免れないものというべきである。
3 以上説示したとおり、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原審の判断は、正当として是認することができ、所論は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫)


憲法 日本国憲法の論じ方 Q13 公務員の人権


Q 公務員は政治活動の自由をもつのか?
(1)国立大学法人の設置する国立大学の教授は公務員か
(2)公務員の政治活動
(3)政治活動制限の合憲性

+第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

①規制目的の正当性
②規制目的と手段との合理的関連性
③禁止に伴う利益衡量

+判例(S49.11.6)猿払事件
理由
検察官の上告趣意四の(一)について。
第一 本事件の経過
本件公訴事実の要旨は、被告人は、北海道宗谷郡a村の鬼志別郵便局に勤務する郵政事務官で、A労働組合協議会事務局長を勤めていたものであるが、昭和四二年一月八日告示の第三一回衆議院議員選挙に際し、右協議会の決定にしたがい、B党を支持する目的をもつて、同日同党公認候補者の選挙用ポスター六枚を自ら公営掲示場に掲示したほか、その頃四回にわたり、右ポスター合計約一八四枚の掲示方を他に依頼して配布した、というものである。
国家公務員法(以下「国公法」という。)一〇二条一項は、一般職の国家公務員(以下「公務員」という。)に関し、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、この委任に基づき人事院規則一四―七(政治的行為)(以下「規則」という。)は、右条項の禁止する「政治的行為」の具体的内容を定めており、右の禁止に違反した者に対しては、国公法一一〇条一項一九号が三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金を科する旨を規定している。被告人の前記行為は、規則五項三号、六項一三号の特定の政党を支持することを目的とする文書すなわち政治的目的を有する文書の掲示又は配布という政治的行為にあたるものであるから、国公法一一〇条一項一九号の罰則が適用されるべきであるとして、起訴されたものである。
第一審判決は、右の事実は関係証拠によりすべて認めることができるとし、この事実は規則の右各規定に該当するとしながらも、非管理職である現業公務員であつて、その職務内容が機械的労務の提供にとどまるものが、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なくして行つた規則六項一三号の行為で、労働組合活動の一環として行われたと認められるものに、刑罰を科することを定める国公法一一〇条一項一九号は、このような被告人の行為に適用される限度において、行為に対する制裁としては合理的にして必要最小限の域を超えるものであり、憲法二一条、三一条に違反するとの理由で、被告人を無罪とした。
原判決は、検察官の控訴を斥け、第一審判決の判断は結論において相当であると判示した。
検察官の上告趣意は、第一審判決及び原判決の判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りを主張するものである。

第二 当裁判所の見解
一 本件政治的行為の禁止の合憲性
第一審判決及び原判決が被告人の本件行為に対し国公法一一〇条一項一九号の罰則を適用することは憲法二一条、三一条に違反するものと判断したのは、民主主義国家における表現の自由の重要性にかんがみ、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号が、公務員に対し、その職種や職務権限を区別することなく、また行為の態様や意図を問題とすることなく、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為を、一律に違法と評価して、禁止していることの合理性に疑問があるとの考えに、基づくものと認められる。よつて、まず、この点から検討を加えることとする。
(一) 憲法二一条の保障する表現の自由は、民主主義国家の政治的基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によつてもみだりに制限することができないものである。そして、およそ政治的行為は、行動としての面をもつほかに、政治的意見の表明としての面をも有するものであるから、その限りにおいて、憲法二一条による保障を受けるものであることも、明らかである。国公法一〇二条一項及び規則によつて公務員に禁止されている政治的行為も多かれ少なかれ政治的意見の表明を内包する行為であるから、もしそのような行為が国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題が生ずることはいうまでもない。
しかしながら、国公法一〇二条一項及び規則による政治的行為の禁止は、もとより国民一般に対して向けられているものではなく、公務員のみに対して向けられているものである。ところで、国民の信託による国政が国民全体への奉仕を旨として行われなければならないことは当然の理であるが、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とする憲法一五条二項の規定からもまた、公務が国民の一部に対する奉仕としてではなく、その全体に対する奉仕として運営されるべきものであることを理解することができる公務のうちでも行政の分野におけるそれは、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、もつぱら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならないものと解されるのであつて、そのためには、個々の公務員が、政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行にあたることが必要となるのである。すなわち、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の重要な利益にほかならないというべきである。したがつて、公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならない
(二) 国公法一〇二条一項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、禁止の目的、、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の三点から検討することが必要である。そこで、まず、禁止の目的及びこの目的と禁止される行為との関連性について考えると、もし公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるときは、おのずから公務員の政治的中立性が損われ、ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあり、行政の中立的運営に対する国民の信頼が損われることを免れない。また、公務員の右のような党派的偏向は、逆に政治的党派の行政への不当な介入を容易にし、行政の中立的運営が歪められる可能性が一層増大するばかりでなく、そのような傾向が拡大すれば、本来政治的中立を保ちつつ一体となつて国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し、そのため行政の能率的で安定した運営は阻害され、ひいては議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも重大な支障をきたすおそれがあり、このようなおそれは行政組織の規模の大きさに比例して拡大すべく、かくては、もはや組織の内部規律のみによつてはその弊害を防止することができない事態に立ち至るのである。したがつて、このような弊害の発生を防止し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。また、右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない
次に、利益の均衡の点について考えてみると、民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもないのであるから、公務員が全体の奉仕者であることの一面のみを強調するあまり、ひとしく国民の一員である公務員の政治的行為を禁止することによつて右の利益が失われることとなる消極面を軽視することがあつてはならない。しかしながら、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、かつ、国公法一〇二条一項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではなく、他面、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるから、得られる利益は、失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない
(三) 以上の観点から本件で問題とされている規則五項三号、六項一三号の政治的行為をみると、その行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為であつて、政治的偏向の強い行動類型に属するものにほかならず、政治的行為の中でも、公務員の政治的中立性の維持を損うおそれが強いと認められるものであり、政治的行為の禁止目的との問に合理的な関連性をもつものであることは明白である。また、その行為の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは、認められない。したがつて、国公法一〇二条一項及び規則五項三号、六項一三号は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものということはできない
(四) ところで、第一審判決は、その違憲判断の根拠として、被告人の本件行為が、非管理職である現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供にとどまるものにより、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なく、労働組合活動の一環として行われたものであることをあげ、原判決もこれを是認している。しかしながら、本件行為のような政治的行為が公務員によつてされる場合には、当該公務員の管理職・非管理職の別、現業・非現業の別、裁量権の範囲の広狭などは、公務員の政治的中立性を維持することにより行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保しようとする法の目的を阻害する点に、差異をもたらすものではない。右各判決が、個々の公務員の担当する職務を問題とし、本件被告人の職務内容が裁量の余地のない機械的業務であることを理由として、禁止違反による弊害が小さいものであるとしている点も、有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性が問題とされるべきものである以上、失当である。郵便や郵便貯金のような業務は、もともと、あまねく公平に、役務を提供し、利用させることを目的としているのであるから(郵便法一条、郵便貯金法一条参照)、国民全体への公平な奉仕を旨として運営されなければならないのであつて、原判決の指摘するように、その業務の性質上、機械的労務が重い比重を占めるからといつて、そのことのゆえに、その種の業務に従事する現業公務員を公務員の政治的中立性について例外視する理由はない。また、前述のような公務員の政治的行為の禁止の趣旨からすれば、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無などは、その政治的行為の禁止の合憲性を判断するうえにおいては、必ずしも重要な意味をもつものではない。さらに、政治的行為が労働組合活動の一環としてなされたとしても、そのことが組合員である個々の公務員の政治的行為を正当化する理由となるものではなく、また、個々の公務員に対して禁止されている政治的行為が組合活動として行われるときは、組合員に対して統制力をもつ労働組合の組織を通じて計画的に広汎に行われ、その弊害は一層増大することとなるのであつて、その禁止が解除されるべきいわれは少しもないのである。
(五) 第一審判決及び原判決は、また、本件政治的行為によつて生じる弊害が軽微であると断定し、そのことをもつてその禁止を違憲と判断する重要な根拠としている。しかしながら、本件における被告人の行為は、衆議院議員選挙に際して、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布したものであつて、その行為は、具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動であり、政治的偏向の強い典型的な行為というのほかなく、このような行為を放任することによる弊害は、軽微なものであるとはいえない。のみならず、かりに特定の政治的行為を行う者が一地方の一公務員に限られ、ために右にいう弊害が一見軽微なものであるとしても、特に国家公務員については、その所属する行政組織の機構の多くは広範囲にわたるものであるから、そのような行為が累積されることによつて現出する事態を軽視し、その弊害を過小に評価することがあつてはならない。

二 本件政治的行為に対する罰則の合憲性
第一審判決は、また、たとえ公務員の政治的行為を違法と評価してこれを禁止することが憲法二一条に違反しないとしても、その禁止の違反に対し罰則を適用することについては、さらに憲法二一条、三一条違反の問題を生じうるとの考えに立ち、国公法の立法過程にふれたうえ、その罰則は被告人の本件行為に対し適用する限度において違憲であると結論し、原判決もこれを支持するのである。よつて、この点について検討を加えることとする。
(一) およそ刑罰は、国権の作用による最も峻厳な制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには、慎重な考慮を必要とすることはいうまでもなく、刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであつて、とうてい許容し難いものであるときは、違憲の判断を受けなければならないのである。そして、刑罰規定は、保護法益の性質、行為の態様・結果、刑罰を必要とする理由、刑罰を法定することによりもたらされる積極的・消極的な効果・影響などの諸々の要因を考慮しつつ、国民の法意識の反映として、国民の代表機関である国会により、歴史的、現実的な社会的基盤に立つて具体的に決定されるものであり、その法定刑は、違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。
ところで、国公法一〇二条一項及び規則による公務員の政治的行為の禁止は、上述したとおり、公務員の政治的中立性を維持することにより、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の重要な共同利益を擁護するためのものである。したがつて、右の禁止に違反して国民全体の共同利益を損う行為に出る公務員に対する制裁として刑罰をもつて臨むことを必要とするか否かは、右の国民全体の共同利益を擁護する見地からの立法政策の問題であつて、右の禁止が表現の自由に対する合理的で必要やむをえない制限であると解され、かつ、刑罰を違憲とする特別の事情がない限り、立法機関の裁量により決定されたところのものは、尊重されなければならない
そこで、国公法制定の経過をみると、当初制定された国公法(昭和二二年法律第一二〇号)には、現行法の一一〇条一項一九号のような罰則は設けられていなかつたところ、昭和二三年法律第二二二号による改正の結果右の規定が追加されたのであるが、その後昭和二五年法律第二六一号として制定された地方公務員法においては、初め政府案として政治的行為をあおる等の一定の行為について設けられていた罰則規定は、国会審議の過程で削除された。その際、国公法の右の罰則は、地方公務員法についての右の措置にもかかわらず、あえて削除されることなく今日に至つているのであるが、そのことは、ひとしく公務員であつても、国家公務員の場合は、地方公務員の場合と異なり、その政治的行為の禁止に対する違反が行政の中立的運営に及ぼす弊害に逕庭があることからして、罰則を存置することの必要性が、国民の代表機関である国会により、わが国の現実の社会的基盤に照らして、承認されてきたものとみることができる。
そして、国公法が右の罰則を設けたことについて、政策的見地からする批判のあることはさておき、その保護法益の重要性にかんがみるときは、罰則制定の要否及び法定刑についての立法機関の決定がその裁量の範囲を著しく逸脱しているものであるとは認められない。特に、本件において問題とされる規則五項三号、六項一三号の政治的行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布であつて、前述したとおり、政治的行為の中でも党派的偏向の強い行動類型に属するものであり、公務員の政治的中立性を損うおそれが大きく、このような違法性の強い行為に対して国公法の定める程度の刑罰を法定したとしても、決して不合理とはいえず、したがつて、右の罰則が憲法三一条に違反するものということはできない。
(二) また、公務員の政治的行為の禁止が国民全体の共同利益を擁護する見地からされたものであつて、その違反行為が刑罰の対象となる違法性を帯びることが認められ、かつ、その禁止が、前述のとおり、憲法二一条に違反するものではないと判断される以上、その違反行為を構成要件として罰則を法定しても、そのことが憲法二一条に違反することとなる道理は、ありえない。
(三) 右各判決は、たとえ公務員の政治的行為の禁止が憲法二一条に違反しないとしても、その行為のもたらす弊害が軽微なものについてまで一律に罰則を適用することは、同条に違反するというのであるが、違反行為がもたらす弊害の大小は、とりもなおさず違法性の強弱の問題にほかならないのであるから、このような見解は、違法性の程度の問題と憲法違反の有為が問題とを混同するものであつて、失当というほかはない。
(四) 原判決は、さらに、規制の目的を達成しうる、より制限的でない他の選びうる手段があるときは、広い規制手段は違憲となるとしたうえ、被告人の本件行為に対する制裁としては懲戒処分をもつて足り、罰則までも法定することは合理的にして必要最小限度を超え、違憲となる旨を判示し、第一審判決もまた、外国の立法例をあげたうえ、被告人の本件行為のような公務員の政治的行為の禁止の違反に対して罰則を法定することは違憲である旨を判示する。
しかしながら、各国の憲法の規定に共通するところがあるとしても、それぞれの国の歴史的経験と伝統はまちまちであり、国民の権利意識や自由感覚にもまた差異があるのであつて、基本的人権に対して加えられる規制の合理性についての判断基準は、およそ、その国の社会的基盤を離れて成り立つものではないのである。これを公務員の政治的行為についてみるに、その規制を公務員自身の節度と自制に委ねるか、特定の政治的行為に限つて禁止するか、特定の公務員のみに対して禁止するか、禁止違反に対する制裁をどのようなものとするかは、いずれも、それぞれの国の歴史的所産である社会的諸条件にかかわるところが大であるといわなければならない。したがつて、外国の立法例は、一つの重要な参考資料ではあるが、右の社会的諸条件を無視して、それをそのままわが国にあてはめることは、決して正しい憲法判断の態度ということはできない
いま、わが国公法の規定をみると、公務員の政治的行為の禁止の違反に対しては、一方で、前記のとおり、同法一一〇条一項一九号が刑罰を科する旨を規定するとともに、他方では、同法八二条が懲戒処分を課することができる旨を規定し、さらに同法八五条においては、同一事件につき懲戒処分と刑事訴追の手続を重複して進めることができる旨を定めている。このような立法措置がとられたのは、同法による懲戒処分が、もともと国が公務員に対し、あたかも私企業における使用者にも比すべき立場において、公務員組織の内部秩序を維持するため、その秩序を乱す特定の行為について課する行政上の制裁であるのに対し、刑罰は、国が統治の作用を営む立場において、国民全体の共同利益を擁護するため、その共同利益を損う特定の行為について科する司法上の制裁であつて、両者がその目的、性質、効果を異にするからにほかならない。そして、公務員の政治的行為の禁止に違反する行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、前述のとおりであるから、その禁止の違反行為に対し懲戒処分のほか罰則を法定することが不合理な措置であるとはいえないのである。このように、懲戒処分と刑罰とは、その目的、性質、効果を異にする別個の制裁なのであるから、前者と後者を同列に置いて比較し、司法判断によつて前者をもつてより制限的でない他の選びうる手段であると軽々に断定することは、相当ではないというべきである。
なお、政治的行為の定めを人事院規則に委任する国公法一〇二条一項が、公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任するものであることは、同条項の合理的な解釈により理解しうるところである。そして、そのような政治的行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、すでに述べたとおりであるから、右条項は、それが同法八二条による懲戒処分及び同法一一〇条一項一九号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといつて、そのことの故に、憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではない。
(五) 右各判決は、また、被告人の本件行為につき罰則を適用する限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断するのであるが、これは、法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその適用を違憲と判断するものであつて、ひつきょう法令の一部を違憲とするにひとしく、かかる判断の形式を用いることによつても、上述の批判を免れうるものではない。
第三、結論
以上のとおり、被告人の本件行為に対し適用されるべき国公法一一〇条一項一九号の罰則は、憲法二一条、三一条に違反するものではなく、また、第一審判決及び原判決の判示する事実関係のもとにおいて、右罰則を被告人の右行為に適用することも、憲法の右各法条に違反するものではない。第一審判決及び原判決は、いずれも憲法の右各法条の解釈を誤るものであるから、論旨は理由がある。よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。第一審判決の認定した事実(第一審第一回公判調書中の被告人の供述記載、被告人、C、D、E、F、G、Hの検察官に対する各供述調書による。)に法令を適用すると、被告人の各行為は、いずれも国公法一一〇条一項一九号(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)、一〇二条一項、規則五項三号、六項一三号に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪につき定めた罰金の合算額以下において被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、同法一八条により被告人において右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、刑訴法一八一条一項本文により原審及び第一審における訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+反対意見
裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。
検察官の上告趣意について。
本件の経過は多数意見記載のとおりであり、検察官の上告趣意は、第一審判決及び原判決の判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りと判例違反とを主張するものである。思うに、国公法一〇二条一項は、公務員に関して、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、これに基づいて規則一四―七は、右条項の禁止する「政治的行為」の内容を詳細に定めている。そして右条項及びこれに基づく規則の違反に対しては、国公法八二条以下に懲戒処分、同法一一〇条一項一九号に刑事制裁が定められている。すなわち、国公法一〇二条一項は、違反に対する制裁の関連からいえば、公務員にりき禁止されるべき政治的行為に関し、懲戒処分を受けるべきものと、犯罪として刑罰を科せられるべきものとを区別することなく、一律一体としてその内容についての定めを人事院規則に委任している。このような立法の委任は、少なくとも後者、すなわち、犯罪の構成要件の規定を委任する部分に関するかぎり、憲法に違反するものと考える。その理由は、次のとおりである。第一、基本的人権としての政治活動の自由と公務員の政治的中立。
一、政治活動の自由に関する基本的人権の重要性(憲法一五条一項、一六条、二一条)。およそ国民の政治活動の自由は、自由民主主義国家において、統治権力及びその発動を正当づける最も重要な根拠をなすものとして、国民の個人的人権の中でも最も高い価値を有する基本的権利である。政治活動の自由とは、国民が、国の基本的政策の決定に直接間接に関与する機会をもち、かつ、そのための積極的な活動を行う自由のことであり、それは、国の基本的政策の決定機関である国会の議員となり、又は右議員を選出する手続に様々の形で関与し、あるいは政党その他の政治的団体を結成し、これに加入し、かつ、その一員として活動する等狭義の政治過程に参加することの外、このような政治過程に働きかけ、これに影響を与えるための諸活動、例えば政治的集会、集団請願等の集団行動的なものから、様々の方法、形態による単なる個人としての政治的意見の表明に至るまで、極めて広い範囲にわたる行為の自由を含むものである。このように、政治活動の自由は、単なる政治的思想、信条の自由のような個人の内心的自由にとどまるものではなく、これに基づく外部的な積極的、社会的行動の自由をその本質的性格とするものであり、わが憲法は、参政権に関する一五条一項、請願権に関する一六条、集会、結社、表現の自由に関する二一条の各規定により、これを国民の基本的人権の一つとして保障しているのである。
もとより、右のような基本的人権としての政治活動の自由も、絶対無制限のものではなく、公共の利益のために真にやむをえない場合には、多かれ少なかれ何らかの制限に服することをまぬかれないが、積極的な政治活動はその性質上その時々の政府の見解や利益と対立、衝突しがちであるため、とかく政治権力による制限を受けやすいことにかんがみるときは、このような制限がされる場合には、その理由を明らかにし、その制限が憲法上十分の正当性をもつものであるかどうかにつき、特に慎重な吟味検討を施すことが要請されるものといわなければならない。
二、公務員の政治的中立(憲法一五条二項)。国家公務員もまた、国民の一人として、右に述べた政治活動の自由を憲法上保障されているわけであるが、国公法一〇二条及び同条一項に基づく規則は、公務員に属する者の政治活動に対し、前記のような制限を加えている。その理由は、おおよそ次のごときものと考えられる。すなわち、国公法は、日本国憲法のもとにおいて、国の行政に従事する公務員につき、「国民に対し、公務の民主的かつ能率的な運営を保障する」目的(同法一条)から、成績制を根幹とする公務員制度を採用しているが、この成績制公務員制度においては、いわゆる中立性の原則がその本質的なものとされている。けだし、公務員は、国民を直接代表する立法府の政治的意思を忠実に実行すべきものであつて、自己の政治的意思に従つて行政の運営にあたつてはならないとともに、近代民主国家における政治(立法)と行政の分離の要請に基づき、政治と行政の混こう、政治の介入による行政のわい曲を防止しなければならないからである。そして、国公法がこのような公務員制度を採用したことは、公務員が国民全体の奉仕着たるべきことを定めた憲法一五条二項の趣旨及び精神にも合致するものということができる。
三、右一、二の関係と憲法。
国公法の採用した右のような公務員制度の趣旨及び性格、なかんずく公務員の政治的中立性の原則からするときは、公務員は、ひとり実際の行政運営において政治的な利害や影響に基づく、法に忠実でない行政活動を厳に避けなければならないばかりでなく、現実にこのような行政のわい曲をもたらさないまでも、その危険性を生じさせたり、又は第三者からそのような疑惑を抱かれる原因となるような政治的性格をもつ行動を避けるべきことが要請される。のみならず、公務員は、多かれ少なかれ国政の運営に関与するものであるから、それが集団的、組織的に政治活動を行うときは、それ自体が大きな政治的勢力となり、その過大な影響力の行便によつて民主的政治過程を不当にわい曲する危険がないとはいえない。国の行政が国の存立と円満な国民生活の維持のうえで必要不可欠なものであり、行政の政治的中立性が右に述べたように極めて重要な要請であることを考えるときは、公務員に対し、その職務を離れて専ら一市民としての立場においてする政治活動についても、一定の制限を課すべき公共的な利益と必要が存することは、これを否定することができないのである。
しかしながら、このことから直ちに、一般的、抽象的に公務員の個人的基本権としての政治活動の自由を行政の中立性の要請に従属させ、その目的のために必要と認められるかぎり、右政治活動の自由に対していかなる制限を課しても憲法上是認されるとの結論を導き出すことはできない。けだし、ひとしく公務員といつても、それが属する行政主体の事業の内容及び性質、その中における公務員の地位、職務の内容及ひ「性質は多種多様であり、またそれらの公務員が行う政治活動の種類、性質、態様、規模、程度も区々であつて、これらの多様性に応じ、公務員の特定の政治活動が行政の中立性に及ぼす影響の性質及び程度、並びにその禁止が公務員の個人的基本権としての政治活動の自由に対して及ぼす侵害の意義、性質、程度及び重要性にも大きな相違が存するからである。それゆえ、前記の相反する二つの法益ないしは要求の間に調整を施すにあたつても、右に述べた相違を考慮し、より具体的、個別的に両法益の相互的比重を吟味検討し、真に行政の中立性保持の利益の前に公務員の政治活動の自由が退かなければならない場合、かつ、その限度においてのみこれを制限するとの態度がとられなければならない。のみならず、ひとり制限されるべき政治活動の範囲及び内容ばかりでなく、制限の方法、態様においてもその性質、効果を異にするのであるから、この点もまた、右の問題を解決するうえにおいて重要な要素であることを失わない。そして、以上に述べたことは、ひとり国会の専権に属する立法政策上の問題であるにとどまらず、また、憲法の要求するところでもあるというべきである。第二、国公法一〇二条一項における犯罪構成要件(同法一一〇条一項一九号)についての立法委任の違憲性。
一、公務員関係の規律の対象となる政治的行為と刑罰権の対象となる政治的行為についてそれぞれの内容、範囲を区別することなく、一律に人事院規則に委任していることの問題点(国公法八二条、一一〇条一項一九号)。
国公法一〇二条は、冒頭記述のとおり、公務員の政治活動に関して若干の特定の形態の行為を直接禁止した外は、選挙権の行使を除き人事院規則で定める政治的行為を一般的に禁止するものとし、禁止行為の具体的内容及び範囲の決定を人事院に一任するとともに、その禁止の方法においても、これを単に公務員関係上の権利義務の問題として規定するにとどまらず、刑事制裁を伴う犯罪として扱うべきものとしている。国公法におけるこのような規制の方法は、同法に基づく規則における具体的禁止規定の内容の適否を離れても、それ自体として重大な憲法上の問題を惹起するものと考える。すなわち、(い)公務員関係の規律として公務員の一定の政治的行為を禁止する場合と、かかる関係を離れて刑罰権の対象となる一個人としてその者の政治的行為を禁止する場合とでは、憲法上是認される制限の範囲に相違を生ずべきものであり、この両者を同視して一律にこれを定めることは、それ自体として憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条に違反するのではないかという問題があり、(ろ)国会が公務員の政治的行為を規制するにあたり、直接公務員の政治活動の制限の要否を具体的に検討しその範囲を決定することなく、人事院にこれを一任することは、立法府が公開の会議(憲法五七条)において国民監視のもとに自ら行うべき立法作用の本質的部分を放棄して非公開の他の国家機関に移譲するものであつて、憲法四一条に違反するのではないかという問題があり、(は)右(い)と(ろ)の問題の関連において、懲戒原因としての政治的行為の禁止と可罰原因としてのそれを区別することなく一律にその具体的規定を規則に委任することは、委任自体として憲法に違反するのではないかという問題があるのである。
これらの問題は、事の性質上、右授権に基づいて制定された規則における具体的禁止規定の内容の適否の問題に入る以前において検討、決定されるべき問題であるといわなければならない。
二、右一についての詳論。
(一) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為と刑罰権の対象となる政治的行為とでは、その内容、範囲についてそれぞれ憲法上の区別があること(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
(1) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為について(憲法七三条四号、一五条、一六条、二一条、国公法一〇二条一項、八二条)。
公務員と国との間に成立する法律関係は、公務員としての職務活動に自己の労働力を提供する個人と、これを使用して公務を遂行する国との間に成立する権利義務の関係であり、基本的には双方の意思に基づいて成立し、その内容は、法律によつて直接これを規定しないかぎり、本来は当事者の合意によつて決定されうるところのものである。しかし、公務員関係の内容をすべて当事者の合意によつて定めることは適当でなく、他方、憲法はこの問題を行政主体の完全な裁量に委ねず、法律で定める基準に従つて処理すべきものとしている(七三条四号)ので、公務員関係の法的内容は、実際においては、国公法をはじめとする関係諸法律によつて詳細に規定され、その具体的内容は、公務員関係の成立の基礎となる任用の方法、基準、手続、勤務時間、給与、勤務上の地位の異動等の勤務条件に関する基準、公務員の勤務上及び勤務外の行為に関する規律、公務員関係内における紛争の処理等極めて広い範囲にわたつている。
このように、公務員関係を規制すべき法内容を定めるにあたつては、立法機関としての国会が広い裁量権を有し、国会は、日本国憲法のもとにおいていかなる公務員制度が最も望ましいかを考え、その構想のもとに、その具体化のための措置を講ずることができるのであつて、国会が具体的に採用、決定した立法措置は、憲法上是認しうる目的のために必要又は適当であると合理的に判断しうる範囲にとどまるかぎり、憲法に適合する有効なものであるとしなければならない。
国公法一〇二条における公務員に対する政治的行為の禁止もまた、前述のような公務員制度の具体化の一環として、公務員関係内における公務員の職務上又は職務外における義務又は負担の一つとして定められたものと認められるのであり、その目的ないしは理由が、国公法の採用した成績制公務員制度における公務員の政治的中立性の要請にこたえるにあり、公務員の任免、昇進、異動の面における政治的考慮ないしは影響の排除の反面として、公務員自身に対しても一定範囲における政治的中立性遵守の義務を課したものであることは、さきに述べたとおりである。
そして、成績制公務員制度が憲法の精神に適合するものであり、かかる制度の要請する公務員の政治的中立性の保持が憲法上是認される目的に基づくものである以上、たとえ政治活動の自由が憲法における最も重要な個人的基本権であるとしても、自らの意思に基づいて国との間に公務員関係という一定の法律関係に入る者に対し、かかる法律関係の一内容として、前記の目的を達するために必要かつ相当であると合理的に認められる範囲において右権利に対する制約を加えることは、憲法上許されるところであるとしなければならない。
また、右の基準のもとにお、ける制限の必要性に関する国会の判断の合理性については、前記のような国会の裁量権の広範性にかんがみ、必ずしも特定の政治的行為が公務員の政治的中立性を侵害する現実の危険を伴うかどうかというような厳格、狭あいな視点にのみ限局されることなく、より広くその種の行為が一般的に右のような侵害の抽象的危険性を有するかどうかという点をも考慮に入れることが許されるというべきである。それゆえ、国公法一〇二条における政治的行為の禁止は、その違反に対し公務員関係上の義務違反に対する制裁としての懲戒によつて強制されるべき義務を設定するものであるかぎりにおいては、右の基準に照らしてその合憲性を決定すべく、この基準に適合するかぎり、これを違憲とする理由はないのである。
(2) 刑罰権の対象となる公務員の政治的行為について(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
およそ刑罰は、一般統治権に基づき、その統治権に服する者に対して一方的に行使される最も強力な権能であり、国家が一般統治上の見地から特に重大な反国家性、反社会性をもつと認める個人の行為、すなわち、国家、社会の秩序を害する行為に対してのみ向けられるべきものである。単なる私人間の法律関係上の義務違背や、公私の団体又は組織の内部的規律侵犯行為のように、間接に国家、社会の秩序に悪影響を及ぼす危険があるにすぎない行為は、当然には処罰の対象とはなりえない。一般に個人の自由は、多種多様の関係において種々の理由により法的拘束を受けるが、それらの拘束が法的に是認される範囲は、それぞれの関係と理由において必ずしも同一ではないのであつて、公務員の政治活動の自由についても、事は同様である。究極的には当事者の合意に基づいて成立する公務員関係上の権利義務として公務員の政治活動の自由に課せられる法的制限と、一般統治権に基づき刑罰の制裁をもつて課せられるかかる自由の制限とは、その目的、根拠、性質及び効果を全く異にするのであり、このことにこそ民事責任と刑事責任との分化と各その発展が見られるのである。したがつてまた、右両種の制限が憲法上是認されるかどうかについても、おのずから別個に考察、論定されなければならないのであつて、公務員が公務外において一市民としてする政治活動を刑罰の制裁をもつて制限、禁止しうる範囲は、一般に国が一定の統治目的のために、国民の政治活動を刑罰の制裁をもつて制限、禁止する場合について適用される憲法上の基準と原理とによつて、決せられなければならないのである。
右の見地に立つて考えると、刑罰の制裁をもつてする公務員の政治活動の自由の制限が憲法上是認されるのは、禁止される政治的行為が、単に行政の中立性保持の目的のために設けられた公務員関係上の義務に違反するというだけでは足りず、公務員の職務活動そのものをわい曲する顕著な危険を生じさせる場合、公務員制度の維持、運営そのものを積極的に阻害し、内部的手段のみでこれを防止し難い場合、民主的政治過程そのものを不当にゆがめるような性質のものである場合等、それ自体において直接、国家的又は社会的利益に重大な侵害をもたらし、又はもたらす危険があり、刑罰によるその禁圧が要請される場合に限られなければならない。
更に、個人の政治活動の自由が憲法上極めて重大な権利であることにかんがみるときは、一般統治権に基づく刑罰の制裁をもつてするその制限は、これによつて影響を受ける政治的自由の利益に明らかに優越する重大な国家的、社会的利益を守るために真にやむをえない場合で、かつ、その内容が真に必要やむをえない最小限の範囲にとどまるかぎりにおいてのみ、憲法上容認されるものというべきである。すなわち、単に国家的、社会的利益を守る必要性があるとか、当該行為に右の利益侵害の観念的な可能性ないしは抽象的な危険性があるとか、右利益を守るための万全の措置として刑罰を伴う強力な禁止措置が要請される等の理由だけでは、かかる形における自由の制限を合憲とすることはできない。けだし、一般に政治活動、なかんずく反政府的傾向をもつ政治活動は政治権力者からみれば、ややもすると国家的、社会的利益の侵害をもたらすものと受けとられがちであるが、このような危険や可能性を観念的ないし抽象的にとらえるかぎり、その存在を肯定することは比較的容易であり、したがつて、政治活動の自由の制限に対して前述のような厳格な基準ないし原理によつて臨むのでなければ、国民の政治的自由は時の権力によつて右の名目の下に容易に抑圧され、憲法の基本的原理である自由民主主義はそのよつて立つ基礎を失うに至るおそれがあるからである。我々は、過去の歴史において、為政者の過度の配慮と警戒による自由の制限がもたらした幾多の弊害を度外視してはならないのである。このことは、公務員の政治活動についても同様であるといわなければならない。
(3) 規則六項一三号の違憲性(憲法一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
以上の基準に照らすときは、例えば、本件において問題とされている規則六項一三号による文書の発行、配布、著作等は、政治活動の中でも最も基礎的かつ中核的な政治的意見の表明それ自体であり、これを意見表明の側面と行動の側面とに区別することはできず、その禁止は、政治的意見の表明それ自体に対する制約であるのみならず、これを政治的目的についての同規則五項、特に同項三号ないし六号の広範かつ著しく抽象的な定義と併せ読むときは、右の意見表明に所定の形態で関与する行為につき、その者の職種、地位、その所属する行政主体の業務の性質等、その具体的な関与の目的、関与の内容及び態様のいかん並びに前後の事情等に照らし、その行為が行政の政治的中立性の保持等の国家的、社会的利益に対していかなる現実的、直接的な侵害を加え、ないしはいかなる程度においてその危険を生じさせるかを一切問うことなく、単に行為者が公務員たる身分を有するというだけの理由で、包括的、一般的な禁止を施しているものであり、公務員に対し、実際上あまねく国の政策に関する批判や提言等の政治上の意見表明の機会を封ずるに近く、公務員関係上の義務の設定として合理的規制ということができるかどうかは別論として、少くとも刑罰を伴う禁止規定としては、公務員の政治的言論の自由に対する過度に広範な制限として、それ自体憲法に違反するとされてもやむをえないといわなければならない。
右に述べたように、ひとしく公務員の政治的行為の禁止であつても、公務員関係上の義務として定める場合と刑罰の対象となる行為として定める場合とでは、その意義、性質、効果を異にし、憲法上それが許される範囲にも相違が生ずることをまぬかれえないのであり、これらの点を全く無視し、専ら行為の禁止の点のみを抽象してそれが憲法に適合する制限かどうかを判断すべきものとし、禁止違反に対して懲戒が課せられるか刑罰が科せられるかは、単なる強制手段の問題として立法政策上の当否の対象となるにすぎないとすることはできないのである。
(二)、国公法一〇二条一項の委任。
(1) 公務員関係の規律の対象となる政治的行為の規定の委任(憲法七三条四号、地方公務員法三六条、二九条)。
以上の次第であるから、法律が直接公務員の政治的行為の禁止を具体的に定めるには、公務員関係内における規律として定める場合と刑罰の構成要件として定める場合とを区別し、前述したような別個の観点、考慮に従つてその具体的内容を定めるべきであり、現実に定められた禁止内容に対しても、それが憲法に違反しないかどうかは別個の基準によつて判断すべきものであるが、国公法一〇二条は、上述のように、禁止行為の内容及び範囲を直接定めないでこれを人事院規則に委任しており、そのためにかかる委任の適否について問題が生ずることは、さきに指摘したとおりである。そこでこの点について順次考察するのに、まず一般論として、国会が、法律自体の中で、特定の事項に限定してこれに関する具体的な内容の規定を他の国家機関に委任することは、その合理的必要性があり、かつ、右の具体的な定めがほしいままにされることのないように当該機関を指導又は制約すべき目標、基準、考慮すべき要素等を指示してするものであるかぎり、必ずしも憲法に違反するものということはできず、また、右の指示も、委任を定める規定自体の中でこれを明示する必要はなく、当該法律の他の規定や法律全体を通じて合理的に導き出されるものであつてもよいと解される。この見地に立つて国公法一〇二条一項の規定をみると、同条項の委任には、選挙権の行使の除外を除き、いわゆる政治的行為のうち、禁止しうるものとしえないものとを区分する基準につきなんら指示するところはないけれども、国公法の他の規定を通覧するときは、右の禁止が国公法の採用した成績制公務員制度の趣旨、目的、特に行政の中立性の保持の目的を達するためのものであることが明らかであり、他方、一般に法律が特定の目的を達するための具体的措置の決定を他の機関に委任した場合には、特にその旨を明示しなくても、右目的を達するために必要かつ相当と合理的に認められる措置を定めるべきことを委任したものと解すべきものであるから、前記法条における禁止行為の特定についての委任も、行政の中立性又はこれに対する信頼を害し、若しくは害するおそれがある公務員の政治的行為で、このような中立性又はその信頼の保持の目的のために禁止することが必要かつ相当と合理的に認められるものを具体的に特定することを人事院規則に委ねたものと解することができる。また、公務員の多種多様性、政治活動の広範性とその態様及び内容の多様性、これに伴う禁止の必要の程度の複雑性と多様性、更に社会的、政治的情勢の変化によるこれらの要素の変動の可能性等にかんがみるときは、具体的禁止行為の範囲及び内容の特定を他のしかるべき国家機関に委任することに合理性が認められるのみならず、人事院が内閣から相当程度の独立性を有し、政治的中立性を保障された国家機関で、このような立場において公務員関係全般にわたり法律の公正な実施運用にあたる職責を有するものであることに照らすときは、右の程度の抽象的基準のもとで広範かつ概括的な立法の委任をしても、その濫用の危険は少なく、むしろ現実に即した適正妥当な規則の制定とその弾力的運用を期待することができると考えられる。そして、前述のように、公務員関係の規律としては、行政の中立性の保持のために必要かつ相当であると合理的に認められる範囲において公務員の政治活動の自由に制約を加えることが是認されるのであるから、以上の諸点をあわせて考えると、右の関係における公務員の政治的行為禁止の具体的な規定を規則に委任することは、その委任に基づいて制定された規則の個々の規定内容が、あるいは憲法に違反し、あるいは委任の範囲をこえるものとして一部無効となるかどうかは別として、委任自体を憲法に違反する無効のものとするにはあたらないというべきである(地方公務員法三六条、二九条参照)。
(2) 刑罰権の対象となる政治的行為の規定の委任(憲法四一条、一五条一項、一六条、二一条、三一条)。
しかしながら、違反に対し刑罰が科せられる場合における禁止行為の規定に関しては、公務員関係の規律の場合におけると同一の基準による委任を適法とすることはできない。けだし、前者の場合には、後者の場合と、禁止の目的、根拠、性質及び効果を異にし、合憲的に禁止しうる範囲も異なること前記のとおりであつて、その具体的内容の特定を委任するにあたつては、おのずから別個の、より厳格な基準ないしは考慮要素に従つて、これを定めるべきことを指示すべきものだからである。
しかるに、国公法一〇二条一項の規定が、公務員関係上の義務ないしは負担としての禁止と罰則の対象となる禁止とを区別することなく、一律一体として人事院規則に委任し、罰則の対象となる禁止行為の内容についてその基準として特段のものを示していないことは、先に述べたとおりであり、また、同法の他の規定を通覧し、可能なかぎりにおける合理的解釈を施しても、右のような格別の基準の指示があると認めるに足りるものを見出すことができない。これは、同法が、両者のいずれの場合についても全く同一の基準、同一の考慮に基づいて禁止行為の範囲及び内容を定めることができるとする誤つた見解によつたものか、又は憲法上前記のような区別が存することに思いを致さなかつたためであるとしか考えられない。それゆえ、国公法一〇二条一項における前記のごとき無差別一体的な立法の委任は、少なしとも、刑罰の対象となる禁止行為の規定の委任に関するかぎり、憲法四一条、一五条1項、一六条、二一条及び三一条に違反し無効であると断ぜざるをえないのである。第三、結論。
以上説述したとおり、国公法一〇二条一項による政治的行為の禁止に関する人事院規則への委任は、同法一一〇条一項一九号による処罰の対象となる禁止規定の定めに関するかぎり無効であるから、これに基づいて制定された規則もこの関係においては無効であり、したがつて、これに違反したことの故をもつて前記罰条により処罰することはできない。したがつて、これに反する従来の最高裁判所の判決は変更すべきものである。それゆえ、本件被告人の行為に適用されるかぎりにおいて規則六項一三号の規定を無効として、被告人を無罪とした原判決は、結論において正当であるから、結局、本件上告は理由がなく、棄却すべきものである。
検察官横井大三、同辻辰三郎、同石井春水、同佐藤忠雄、同外村隆 公判出席
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官大隅健一郎は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 村上朝一)

Q 国立大学教授の政治活動は許されるのか
(1)免責のためのアプローチ
(2)学問の自由
・学問の自由はすべての人が原則として享有する
+判例(S38.5.22)東大ポポロ
理由
東京高等検察庁検事長花井忠の上告趣意について。
論旨のうちで、原判決には憲法二三条の学問の自由に関する規定の解釈、適用の誤りがあると主張する点について見るに、同条の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含むものであつて、同条が学問の自由はこれを保障すると規定したのは、一面において、広くすべての国民に対してそれらの自由を保障するとともに、他面において、大学が学術の中心として深く真理を探究することを本質とすることにかんがみて、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨としたものである。教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するけれども、必ずしもこれに含まれるものではないしかし、大学については、憲法の右の趣旨と、これに沿つて学校教育法五二条が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究」することを目的とするとしていることとに基づいて、大学において教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由は、これを保障されると解するのを相当とする。すなわち、教授その他の研発者は、その研究の結果を大学の講義または演習こおいて教授する自由を保障されるのである。そして、以上の自由は、すべて公共の福祉による制限を免れるものではないが、大学における自由は、右のような大学の本質に基づいて、一般の場合よりもある程度で広く認められると解される。
大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の目治が認められているこの自治は、とくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度て大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。
このように、大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その桔呆の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである。もとより、憲法二三条の学問の自由は、学生も一般の国民ど同じように享有する。しかし、大学の学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自冶的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。
大学における学生の集会も、右の範囲において自由と自治を認められるものであつて、大学の公認した学内団体てあるとか、大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによつて、特別な自由と自治を享有するものではない学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。また、その集会が学生のみのものでなく、とくに一般の公衆の入場を許す場合には、むしろ公開の集会と見なされるべきであり、すくなくともこれに準じるものというべきである。
本件のA演劇発表会は、原審の認定するところによれば、いわゆる反植民地闘争デーの一環として行なわれ、演劇の内容もいわゆる松川事件に取材し、開演に先き立つて右事件の資金カンパが行なわれ、さらにいわゆる渋谷事件の報告もなされた。これらはすべて実社会の政治的社会的活動に当る行為にほかならないのであつて、本件集会はそれによつてもはや真に学問的な研究と発表のためのものでなくなるといわなければならない。また、ひとしく原審の認定するところによれば、右発表会の会場には、B大学の学生および教職員以外の外来者が入場券を買つて入場していたのであつて、本件警察官も入場券を買つて自由に入場したのである。これによつて見れば、一般の公衆が自由に入場券を買つて入場することを許されたものと判断されるのであつて、本件の集会は決して特定の学生のみの集会とはいえず、むしろ公開の集会と見なさるべきであり、すくなくともこれに準じるものというべきである。そうして見れば、本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがつて、本件の集会に警察官が立ち入つたことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない
これによつて見れば、大学自治の原則上本件警察官の立入行為を違法とした第一審判決およびこれを是認した原判決は、憲法二三条の学問の自由に関する規定の解釈を誤り、引いて大学の自治の限界について解釈と適用を誤つた違法があるのであつて、この点に関して論旨は理由があり、その他の点について判断すろまてもなく、原判決および第一審判決は破棄を免れない。
よつて刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条本文に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一、同石坂修一、同山田作之助、同斎藤朔郎の補足意見および裁判官横田正俊の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官入江俊郎、同奥野健一、同山田作之助、同斎藤朔郎の補足意見は次のとおりである。
憲法二三条にいう「学問の自由」には、教授その他の研究者の学問的研究及びその発表、教授の自由と共に、学生の学ぶ自由も含まれるものと解する。すなわち、教授その他の研究者が国家権力により干渉されることなく、自由に研究し、発表し、教授することが保障されると同時に、学生においても自由にその教授を受け、自由に学ぶことをも保障されているものと解する。そして、大学は学術の中心としての教育の場であり、学問の場であるから、右学問の自由の保障は、また、その自由を保障するため必要な限度において、大学の自治をも保障しているものと解する。けだし、若し大学の教育の場、学問の場に警察官が常に立ち入り、教授その他の研究者の研究、発表及び教授の仕方を監視したり、学問のための学生集会を監視し、これらに関する警備情報を収集する等の警察活動が許されるとすれば、到底学問の自由及び大学の自治が保持されないことは明白てあるからである。従つて、警察官が特に、警察官職務執行法(本件当時は警察官等職務執行法)六条所定の立入権の行使としてではなく、単に、警備情報の收集の目的を以つて大学の教育の場、学問の場に立ち入ることは、憲法二三条の保障する学問の自由ないし大学の自冶を侵す違法行為であるといわねはならない。
しかし、本件A劇団の集会は、原判決の認定事実によれば、反植民地闘争デーの一環として行なわれ、演劇の内容も裁判所に係属中の松川事件に取材し、開演に先き立ち右事件の資金カンパが行なわれ、更にいわゆる渋谷事件の報告もされたというのてあつて、真に学問的な研究や、その発表のための集会とは認められない。従つて、本件警察官の立入行為が前記の学問の自由ないし大学の自治を侵した違法行為であるということはできない。
しかし、本件集会が、少くとも大学における屋内集会であることは否定できない。憲法二一条で集会の自由を保障する所以のものは、集会において、各自が相互に、自由に思想、意見の発表、交換をすることを保障するためであるから、若し、警察官が警備情報収集の目的で集会に立ち入り、その監視の下に集会が行なわれるとすれば、各自の表現の自由は到底保持されず、集会の自由は侵害されることになる。そして、本件集会が平穏なものでなかつたという資料はなく、警察官は警察官職務執行法六条の立入権によらず、単に警備情報の收集を目的とする警察活動を行なうため、これに立ち入つたことは、たとえ、学問の自由ないし大学の自治を侵害したものでないにしても、憲法の保障する集会の自由を侵害することにならないとは断じ難い。(本件において、警察官が入場券を購入して入場したものてあつても、一私人または一観客として入場したものではなく、警備官報収集のための警察活動を行なうため入場したものであることは、原判決の認定するところであり、また、本件集会が公司に準ずべきものであつたとしても、集会の自由が侵害されないとはいえない。)
しかし、本件警察官の立入行為が違法であつたとしても、その違法行為を阻止、排除する手段は、当該集会の管理者またはこれに準ずる者がその管理権に基づき警察官の入場を拒否するか、入場した警察官の退去を要求す、べきであつて、若し警察官が右要求に応じないため、これに対して実力により阻止、退去の措置に出て、それが暴行行為となつた場合に、始めてその暴行行為につき違法性阻却事由の有無が問題となるわけてある。
然るに、原判決の認定するところによれば、被告人は警察官が自発的に立ち去ろうとしているのに、無理に引き止めて、判示の如き暴力を加えたというのである。然らば、本件暴行は警察官の立入行為を阻止、排除するために必要な行為であつたとはいえず、警察官が警察活動を断念して立ち去ろうとしている際に、もはや現在の急迫した侵害は存在せすその排除とは関係なく、被告人が警察官に対し暴行を加えたものというべきであるから、違法行為を排除するため、緊急にして必要已むを得ない行為てあつたとは到底認めることはてきない。
わが刑法上、加害行為の違法性を阻却するのは、例えば正当防衛、緊急避難等の場合におけるように、法益に対する侵害または危難が現在し、これを防衛するために行なわれる加害行為か緊急の必要にせまられて已むを得ないものと認められる場合でなければならないものと解すべきである。然るに、被告人の本件加害行為についは、かかる緊急性は認められないのみならず、過去において違法な警察活動があつたとか、また将来における違法な警察活動の防止のためとかいうが如き理由では、到底本件加害行為の違法性を阻却するに足る緊急性あるものと認めることができないことは明白である。第一、二審判決は、法益の比較均衡のみに重点をおきすぎて、右の緊急性について十分な考慮をめぐらしていない憾みがある。それは、ひつきょう、判決に影響を及ぼすべき刑法の解釈に誤りがあることになり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるから、第一、二審判決はいずれも破棄を免れない。裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。
一 学問 憲法二三条にいう「学問」とは、まず、本来の意味では、深い真理(真の事実を含む)の専門的、体系的探究解明をいい、哲学およびあらゆる自然科学、社会科学を含む。けれども、倫理学、文学、美学等には世界観、人世観等哲学や高い美の探究創造が含まれることがあり、高い芸術の探究創造は本来の意味の学問と同様に自由が保障されるべきであるから、憲法二三条にいう「学問」には芸術を含むと解される。(学校教育法五二条が「大学は学術の中心として……深く専門の学芸を教授研究……することを目的とする。」という所以である。)現代の学問芸術は人類数千年の文明、文化の遺産に現代の学者、芸術家が加えたもので出来ており、これが、万人が健康で高等な文明的、文化的生活をなしうる基をなしており、また、同時に次の世代の文明、文化の基となるものである。国民の間に、真に学芸に専念する人々の多いことは国民の大いなる福祉である。
二 憲法上の学芸の自由は誰が持つかそれはその意思と能力を持つて専門的に学芸を研究する学者、芸術家個人であると思う。かような学者、芸術家の多数が自由独立の立場で学芸を研究、解明する永続的、組織的中心である公私立の大学はまたその構成員たろ学者、芸術家個人とは別に大学自体として学芸の自由を憲法上保障される。だが、学問芸術の新規な理論や傾向や、諸流派の芸をみて何が学問、芸術であり、何が非学問、非芸術であるかを専門家でない者が判断することは至難のことであるから、この判断には権威ある学者、芸術家の良識判断を尊重するほかないが、しかし、憲法ないし法律にいう「学問一「学芸」「その自由」とは法概念であるからこれが訴訟で争点となつた場合には裁判所は学者、芸術家の意見を尊重しつつ究極には自己の見解により法的判断をしなければならないのてはないか。国会や行政機関が法的判断を下すに当つても憲法に従うかぎり、やはり学者らの意見を尊重しつつ自から憲法の許すと考える範囲内でこれをなすほかないのではないか。問題であるが、本判決の多数意見はこの立場に立つて学問の自由を観念し、これと、その自由に属する事項と左様でない事項とを区別しているのではないか。多数意見第二段は説示して要するに次のようにいう「大学の学問の自由と自治は、直接には、大学の本質に基づき、教授その他の研究者の研究、その結果の発表、教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も一般国民以上に学問の自由を享有し大学当局の自治的管理による施設を利用できる。大学における学生の集会も右の範囲において自由と自治を認められる。」と。しかし、大学における或る教授の担任学科が演劇ないし芸術である場合に、その学科を研究する学生がその教授を受け若しくはその指導の下に演劇を行い或いは鑑賞する行為はまさに憲法上の自由に属するけれども、私は、演劇専門外の法学、理学、医学部等の学生がかような行為をすることは深い字問又は高い芸術の専門的研究ではない、と考える。教育基本法八条が「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これ之尊重しなけれはならない。」というのは大学教育に限らず、高等学校等についてもいうことであつて、右のような演劇を行う如きは一般教養の一部にすぎない。大学内で学生が自己の専攻に属しない事項について科学的研究、芸術的修養をすることは自由であり、大学生であるだけに余程尊重されるべきであろうが、かような活動は高等学校、中額校ても、一般市民でも、固より自由に行うことを妨げられろものではなく、これを大学生が大学内で行うからといつて「大学の学問の自由」とはいえないと思う。演劇をその専門の教授その他の研究者の指導、意向から全く離れて行うことは教授、研究者でもなく、また、学生が選んだ自己の専攻額芸の専門的研究に必ずしも当らない。いわんや、本件において、若し学生らが反殖民地闘争デーの一環として、松川事件に取材した演劇を行うべきことを告げずして教室使用許可を受けてかかる演劇を行わんとしその際資金刀ンパや渋谷事件の報告が行われたとすれば、それは、教室の許可外目的のための使用であつて、無許可使用若しくは使用権の濫用であり多数意見の判示する如く右上演集会は実社会の政冶的、社会的活動に当るものというべきで、学芸の研究には属しない。(私は、わが国今日の大学前期は実は大学でなく予科にすぎず、その学生は未だ深い専門的学同研究を教授されていないのではないかと疑う。)
三 大学の学問の自由の侵害はどんな場合に起るか立法、裁判により又は行政権をもつて、或る大学又は或る学者、芸術家に或る事項の研究、発表を困難ならしめ、制限するが如き、或いは個人か字音の研究を圧迫、妨害し、資料を隠匿し、又は反対に誘惑するが如きはその侵害となろう。大学当局ないし学生自ら学問の自田を放棄するなら学問の自由は失われるであろう。例えば、所定の授業時間に教授や一般学生の教室に入場できないよう一部字生か勝手に教室入口に机や椅子を積み重ねてピケを張る如き行為や、これを大学当局が黙視する如きである。(大学は治外法権を持つものではないから、右のようた授業妨害行為を実力で排除しうる自警隊を持ちえないとはいえ。)刑法は別段大学の自由を侵す罪を規定していないが、これは何故か。前記の外、私人のする大学の自由の侵害は、概ね刑事法上の教授、研究者らに対する暴行、共同暴行、脅迫、強要、住居侵入、傷害、業務併行妨害、詐欺、名誉毀損、物の隠匿、損壊等々の犯罪の形で行われると思われ、その場合にはかような犯罪として処罰されうるからであろう。だが、貴重な学問的研究報告書を窃取する目的で、大学構内に紛れ込んだだけでは大学の自由は未だ侵されまい。侵されるとしてもそれは少くとも抽象的な意味での大学の自由である。又、大学の研究用の顕微鏡の窃取は研究者の業務妨害罪なり学問の自由の侵害に、常になるであろうか。
四 大学の自由の擁護手段と本件本件起訴状記載の如きB大学法文経第二五番教室における劇団Aの演劇が、たとえ同大学における学芸の研究てあり、警察員が入場券を買い自己の警察員たる身分を秘して入場したこと(これは刑法二三三条、二三四条の業務妨害罪成立の要件を欠く)が、大学の学芸研究の自由の侵害であるとしても、警察員が着席して静止し、又は、退場すべく出入口に向つて歩み寄つた際に、学生がその手を押え手拳で腹部を突き或はその洋服の内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもき取り或いは洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つてその紐を引きちぎるなどその他の暴行を加える如きは、大学の自由の侵害を排除するに適せず、起訴にかかる刑事法上の犯罪を構成するものというほかない。この場合の暴行こそかえつて演劇の進行、鑑賞を妨害するものてなくて何であろう。原判決が犯罪の成立を阻却すべき事由として認めた事情の如きは刑法上何ら右犯罪の成立を阻却するに足るものでなく、右の場合超法規的犯罪成立阻却事由があるとした原判決の法律判断も失当である。右の如き場合、学生としては演劇の進行を妨げないよう静かに警察員に質し、理由を告げて退場を求め、或いは大学当局に急報して適切な措置を求めるに止めるべきてあつた。にも拘わらず、若し起訴状記載の行為に出でたものとすればこれこそ最高学府に相応しくない、学生自身による暴力犯罪であるといわねばならない。裁判官石坂修一の補足意見は次の通りである。
(1)本件公訴事実は、「被告人はB大学経済学部四年在学中の学生であるがC外数名と共同して、(一)昭和二七年二月二〇日午後七時三〇分頃東京都文京区a町b番地B大学広文経二五番教室に於てA主催の演劇を観覧中の本富士警察署員Dに対し同人の右手を押え手拳で腹部を突き或は同人の洋服内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもぎとる等の暴行を加え、(二)其の頃前同所に於て同様演劇観覧中の同署員茅根隆に対し同人の両手を押え洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つて其の紐を引きちぎる等の暴行を加えたものである」というにあるものであり、その起訴状には適条として、暴力行為等処罰に関する法律一条一項が記載せられておる。
したがつて、第一審としては、果して、被告人自身に右公訴事実となつておる、右両巡査に対する暴行の所為があつたか否か、C外数名の者にも同公訴事実となつておる同様の暴行の所為があつたか否か、及び被告人と右E外数名の者との間に右両巡査に対する犯罪を共同する意思があつたか否かについて審理を尽し、共同の罪責に帰するものがあるとすればその具体的事実関係を明らかにすべきである。然るに、第一審は、その審理を尽すことなくして、被告人が他の行為者と共同する意思の下に犯罪を行つたことを確認すべき何等の証拠もないとし、僅かに、証拠上被告人の行為として認定し得ることは、D巡査が教室内より逃げ去ろうとするに際し、同巡査の腕をつかみ、他の学生等と共に逮捕したこと及び同巡査が舞台前に連行せられて、学生等に取り囲まれた際、同巡査が警察手帳の呈示を拒むので、そのオーバーの襟に手をかけて引き、強く手帳の呈示を求めた以外には出ないものと認定しておるにとどまるのである。而して原審も亦、第一審と同一轍をふみ、たやすく第一審の前記事実認定を是認し、事実誤認を主張する検察官の控訴趣意を却けておる。
しかしながら、記録及び証拠に徴するときは、第一審判決及びこれを維持する原判決には、重大な事実の誤認を疑うに足る顕著な事由が認められる。
(2)記録及び証拠によれば、B大学においては、教室を使用する希望の者に対し、政治的目的のないことを条件とし、かつ、借用願を徴してその使用を許可していたところ、原判示劇団Aの代表者は、昭和二七年二月一一日、会合の次第が演劇「何時の日にか」(いわゆる松川事件に取材したもの)及び「あさやけの詩」の他、挨拶、解説であり、入場者は同大学学生職員てあるとして、同月二〇日午後五時より九時まで同大学法文経二五番教室を使用したき冒の教室借用願及びこの会合に政治的目的のないことを保証する書面を管理者に提出し、実際には、労働組合青年部と提携して行う再軍備反対署名、他の団体においても行なう反植民地闘争デーの闘争の一環としての活動である演劇(何時の日にか)及び資金カンパその他を行う意図あることを秘して、同月二〇日右教室を借受けた事実の存在を疑うに足る顕著な事由があり、しかも同夜開演に先立ち、右松川事件の救援資金カンパが行われ、更に、いわゆる渋谷事件の報告もなされたことは、原審の自ら認定する事実であり、いわゆる渋谷事件とは、本事件発生に極めて近い頃、渋谷駅前広場において、B大学教養学部学生等が再軍備反対、徴兵反対のための署名運動をしたところより、警察官が無届集会として解散を命じ、学生側がこれに応ぜずして警察官隊と衝突し、その内の数名が検挙せられたことを指すものである事案及び右借用願には、入場者をB大学学生職員とせられていたけれども、実状においては、入場券を買い求める者は随意に入場しており、その内の相当数が外来者であつた事実を証拠上認め得るのであり、本件集会は、公開のものであつたと判断せられる。したがつて、右教室を借受けた巨的は、真に、憲法の保障する「学問の自由」及びこれに由来する「大学の自治」の範囲に属する研究集会のため使用するにあつたのではなくして、実社会の政治的、社会的盾ψに当る行為としての公開集会を開催するため使用するにあつたものであるとの認定判断に到達する確実性が高度であるといわねばならない。然りとすれば、到底、第一審判決及びこれを維持する原判決において判断せられる如くに、原判示劇団Aの本件集会を以つて、右「学問の自由」、「大学の自治」の範囲に属するとなす由もない。以上説明した事情のある限り、警察官としては、警察法一条、警察官等職務執行法六条二項(本件当時)により本件集会に立入るにつき、合理的理由があつたものといわねばならないのみならず、右両巡査に、右集会の進行を害する意図があつたと認むべき資料もない。かような事実関係の下においては、警察官が公衆の一員として本件集会に入場券を買求めて入場したことに対しても被告人にこれを排除防衛すべき何らの法益もない。
更に又、入場料を徴する本件の如き公開集会において、内心の指向するところは何であれ、言説、演技がそれ自体に止まつておつて、現実に他の法益を害するものでない限り、これらを行なう者の自由にまかせらるべきことは固よりてあり、同時に、入場者としても亦、内心の指向するところは何であれ、場内の静粛をみだし、他の入場者に迷惑を被むらしめ或は集会の進行を妨害する等によつて、現実に他の法益を害しない限り、単に言説を聴き、演技を看ることは、入場者の自由にまかせられるものと解すべきである。この理は、入場者が一般公衆であると警察官であるとによつて異るところはなく、原判示両巡査に前叙の如き現実に他の法益を害する意図及び行動のあつたことを認むべき資料はない。
第一審判決及びこれを維持する原判決は、頗る薄弱な事実認定の上に立つて、徒らに超法規的な正当行為論を想定展開した憾みがある。
(3)法益防衛行為の違法性が阻却せられるためには、単に、その法益と右防衛行為により害せられる法益とが均衡を保つことのみを以つて足るものではなくして、法益に対する侵害が現に急迫してむり、かつ、防衛行為がやむことを得ざるに出ることを必要とするものと解すべきである。本件に即してこれを観るときは、次の通りとなる。仮に本件犯行以前において、警察官による違法な学内立入が行われたとしても、既に過去の行為に属し、法益に対する侵害は終了しておるのであるから、これに対する侵害排除行為を認め得る余地がない。更に原審の認定によれば、原判示D巡査は、本件集会場である原判示教室内の大学学生より警察官であることを感付かれた気配を覚え、急遽、同教室より退去すべく、右中央辺の席を立つて同教室後側西南来にある出入口に向つて歩み寄つたとき、被告人が同巡査の右手を掴み、その後、被告人は、同巡査に原判示の暴行を加えたのであるから、被告人は、同巡査が任意に現場より退去を開始したにも拘らす、これを阻止した上、同巡査に暴行を加えたものと判断すべきであつて、仮に被告人に防衛すべき何らかの法益があつたとしても、その法益に対する侵害は、他に特段の事情がなければ、最早、現に急迫しておるとはいえないのみならず、右暴行を以つて、法益を防衛するためやむことを得ざるに出たものともなし得ない。仮に原判示の如く、本件集会の際、将来における警察官の違法な学内侵入の虞れあることが予想せられたとしても、これを現に急迫しておるとは考えられない。したがつて、本件所為を正当な防衛行為であると解すべき刑法上の根拠はない。
上述の観点よりするときは、被告人の本件所為を違法性の阻却せられたものであると解した原審の判断は、誤つておるとなすべきてある。

+意見
裁判官横田正俊の意見は次のとおりである。
(一)大学における学問の自由を保障するため、大学の自治が認められ、この自治の権能が大学の施設及び学生の管理にも及ぶここは、論のないところである。この大学の施設こ学生の管理に関する自冶は、大学における学問の自由を保障することを窮極の目的としてはいるが、その権能は、決して、純然たる学問の研究又はその結果の発表、すなわち学問ヒ直結する事項にのみ限定されるものではない。これを学生の学内活動についていえば、学生は、学内において、純然たる学問的活動のほか、各種の活動(いわゆる自治活動)をしているのであるが、大学は、それらの活動についても、ある程度において、これを指導し監督する権限と責任をもつものといわなければならない。けだし、大学がこのような権限と責任をもち、学生の活動を健全な方向に導くことは、その結果において、学問に資することとなるからである。そして、学生の活動が大学の権限と責任の下におかれている範囲においては、大学の自主性を尊重し、これに対する外部からの干渉は、できうるかぎりこれを排除すべきであるというのが、大学の自治の本義であると解される。
(二)他面において、大学といえども治外法権を享有するものではなく、学生の学内活動もまた、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、公共の安全と秩序の維持こを責務とする警察の正当な活動の対象となるものであることはいうをまたないところであり、また、この警察の活動のうちには、警察官が任意の手段によつて行う、いわゆる警備情報活動が含まれることもこれを認めなければならない。ただし、大学における学問の自由と大学の自治の本義にかんがみれば、学内に対する警察権の行使、ことに警備情報活動は、他の場合に比較して、より慎重にこれを行い、必要の限度をこえないことが強く要請されるのてある。
(三)この大学の自治と警察権の行使の調整を図ることは、かなりの困難を伴う問題であり、結局においては、関係者の良識と節度にまつほかはないが、この点に関して注目に価するものは、原判決に示されている文部次官の通達であろう。この通達は、集会、集団行進及び集団示威運動に関する東京都条例が施行されるに際し、右条例の解釈につき、警視庁と協議の上、文部次官が、昭和二五年七月二五日、東京都内所在の大学の長等に宛てて発したものであるが、右通達中、大学の学生による学内集会に関する部分を摘示してみると、この通達においては、学校構内における集会で、学生又はその団体が学校の定める手続による許可を得て、特定の者を対象として開催されるものは、公共の場所における集会とは認めず、したがつて公安委員会の許可を要しないことが明らかにされているが、同時に、右集会の取締については学校長が措置することを建前とし、要請があつた場合に警察がこれに協力することとする旨が定められているのてあつて、右は、単に集会の許可権者を明らかにしているに止まらず、学内集会に対する大学の自治と警察権の行使との調整の問題にもふれているものと解されるのてある。右通達によれば、大学の責任と監督の下に行われる正規の学内集会の条件としては、特定の者を対象とするものてあること、すなわち一般公衆を入場させないという意味での非公開性が定められているだけで、集会の目的、内容については、とくにふれるところはないが、本来、大学においては政治的活動はもとより(教育基本法八条二項)、大学教育の理念とする政治的中立性を害し、学問に専念すべき学生の本分にもとるがごとき社会的活動をすることは許されないのであるから、かかる目的、内容を有する集会に対しては、大学が許可に際し規制を加えること(学生の管理に関する大学の自治の作用)が当然に予定されているものと考えられるので、正規の学内集会といいうるためには、集会が少くとも右のごとき活動を目的、内容としないものであることも条件とされているものと認められる。右通達に示されたところは、それ自体に法律的な抗束力を認めることは困難であるとしても、大学の自治と警察権の行使の調整に関する一応の具体的基準を示したものとして、決して軽視してはならないものと考えられる。要するに、学生による学内集会が、少くとも以上の二条件を現実に具備しているかぎり、警察官のこれに対する職務行為としての立入りは、正規の法的手続を践み、必要の限度をこえないでする場合のほかは、許されないものと解される反面、集会が現実に右条件を欠いている場合には、警察官は、これに対し、一般の屋内集会に対すると同一条件で立入ることができるのであり、その集会が大学の許可をえて学内において行われているという形式的理由だけで、警察官の立入りを拒むことをえないものと解するのが相当である。もつとも、この後の場合においても、集会が単に非公開性を欠くに止まる場合においては、警察官の警備情報活動としての立入りは、警察官の特殊性にかんがみ、これが学内集会(ことに学問的会合)の運行を不当に妨げることとなり、集会主催者側においてその立入りを拒否するにつき正当の理由があることとなる場合もありうることを見逃してはならないであろう。
(四)本件につきこれをみるに、大学の公認団体であるAが主催した本件学内集会が、前示通達の線に副い、大学の許可(形式上は施設使用の許可)を得て法文経二五番教室において開催されたものてあり、また、東大の学生、職員約三〇〇名を対象とし、政治的目的を有する集会でないことを条件として許可されたものてあることは、本件記録に徴し明らかであり、また、原審は、右劇団Aの性格、本件集会の内容、警察官立入りの実情等につき一応の認定をしているのであるが、本件記録に徴すれば、原審は、右劇団Aの実休、本件集会の真の目的、その現実のあり方、許可に際し大学当局はこの集会の目的、内容をどのように理解していたか等本件集会の実態を明らかにするために必要な事項次関し審理又は判断をよく尽していないうらみがあることを否みえないのである。そして、この事実関係が明らかでないかぎりは、本件集会に対する警察官の立入りが、上述したところに照し、許容される限度をこえたものであるかどうかを判定することはできないのであるから、原判決には、少くとも、右の点に関し判決に影響を及ぼすべき審理不尽の違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。
検祭官村上朝一、同中村哲夫、同神山欣治公判出席
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎)

+判例(S51.5.21)旭川学力テスト
理由
(本件の経過)
本件公訴事実の要旨は、
被告人らは、いずれも、昭和三六年一〇月二六日A5中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止する目的をもつて、当日、他の数十名の説得隊員とともに、同校に赴いた者であるところ、
第一 被告人A4、同A1、同A2は、前記説得隊員と共謀のうえ、同校校長A6の制止にもかかわらず、強いて同校校舎内に侵入し、その後、同校長より更に強く退去の要求を受けたにもかかわらず、同校舎内から退去せず、
第二 同校長が同校第二学年教室において右学力調査を開始するや、
(一) 被告人A4は、約一〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査立会人として旭川市教育委員会から派遣された同委員会事務局職員A7が右学力調査の立会に赴くため同校長室を出ようとしたのに対し、共同して同人に暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し、
(二) 被告人A2は、右学力調査補助者A8に対し暴行を加え、
(三) 被告人A1、同A2、同A3は、外三、四〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査を実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、共同して暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し
たものである、
というものであつて、第一の事実につき建造物侵入罪、第二の(一)及び(三)の事実につき公務執行妨害罪、第二の(二)の事実につき暴行罪に該当するとして、起訴されたものである。
第一審判決は、右公訴事実第一の建造物侵入の事実については、ほぼ公訴事実に沿う事実を認定して被告人A4、同A1、同A2につき建造物侵入罪の成立を認め、第二の(一)、(二)の各事実については、いずれも被告人A4、同A2がA7及びA8に暴行、脅迫を加えた事実を認めるべき証拠がないとして、公務執行妨害罪及び暴行罪の成立を否定し、第二の(三)の事実については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実の存在を認めたが、A6校長の実施しようとした前記学力調査(以下「本件学力調査」という。)は違法であり、しかもその違法がはなはだ重大であるとして、公務執行妨害罪の成立を否定し、共同暴行罪(昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項)の成立のみを認め、被告人A4を建造物侵入罪で有罪とし、被告人A1、同A2を建造物侵入罪と共同暴行罪とで有罪とし、両者を牽連犯として共同暴行罪の刑で処断し、被告人A3を共同暴行罪で有罪とした。
第一審判決に対し、検察官、被告人らの双方から控訴があつたが、原判決は、第一審判決の判断を是認して、検察官及び被告人らの各控訴を棄却した。
これに対し、検察官は、被告人A1、同A2、同A3に対する関係で上告を申し立て、また、被告人らも上告を申し立てた。
(弁護人の上告趣意について)
弁護人森川金寿、同南山富吉、同尾山宏、同彦坂敏尚、同上条貞夫、同手塚八郎、同新井章、同高橋清一、同吉川基道(旧姓川島)の上告趣意について
第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、第二点及び第三点は、単なる法令違反の主張であり、第四点は、事実誤認の主張であり、第五点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、いずれも適法な上告理由にあたらない。
(検察官の上告趣意第二点について)
一 論旨
論旨は、要するに、第一審判決及び原判決において、本件学力調査が違法であるとし、したがつて、これを実施しようとしたA6校長に対する暴行は公務執行妨害罪とならないとしているのは、本件学力調査の適法性に関する法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。よつて、所論にかんがみ、職権により、本件学力調査の適法性について判断する。
二 本件学力調査の適法性に関する問題点
1 本件学力調査の概要
文部省は、昭和三五年秋ころ、全国中学校第二、三学年の全生徒を対象とする一せい学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和三六年三月八日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一せい学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面を、次いで、同年四月二七日付同連名による「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面に調査実施要綱を添付したものを、各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)五四条二項に基づき、右調査実施要綱による調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、(1) 本件学力調査の目的は、(イ)文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等であり、(2) 調査の対象は、全国中学校第二、三学年の全生徒とし、(3) 調査する教科は、国語、社会、数学、理科、英語の五教科とし、(4) 調査の実施期日は、昭和三六年一〇月二六日午前九時から午後三時までの間に、一教科五〇分として行い、(5)調査問題は、文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成し、(6) 調査の系統は、都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)は当該都道府県内の学力調査の全般的な管理運営にあたり、また、市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施のため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助員に命じ、更に教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遣し、(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立学校については市町村教委が行い、都道府県教委において都道府県単位の集計を文部省に提出するものとし、(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する、等の内容を含むものである。
そこで、北海道教育委員会(以下「北海道教委」という。)は、同年六月二〇日付教育長名の通達により、道内各市町村教委に対して同旨の調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下「旭川市教委」という。)においては、同年一〇月二三日、同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者として各中学校における本件学力調査の実施を命じるに至つた。
なお、北海道教委及び旭川市教委の権限行使の根拠規定としては、それぞれ地教行法五四条二項、二三条一七号が挙げられていた。
以上の事実は、原判決が適法に確定するところである。

2 第一審判決及び原判決の見解
第一審判決及び原判決は、前記の過程を経て行われた本件学力調査は、文部省が独自に発案し、その具体的内容及び方法の一切を立案、決定し、各都道府県教委を経て各市町村教委にそのとおり実施させたものであつて、文部省を実質上の主体とする調査と認めるべきものであり、その適法性もまた、この前提に立つて判断すべきものであるとしたうえ、右調査は、(1) その性質、内容及び影響からみて教育基本法(以下「教基法」という。)一〇条一項にいう教育に対する不当な支配にあたり、同法を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、また、(2) 手続上の根拠となりえない地教行法五四条二項に基づいてこれを実施した点において、手続上も違法である、と判断している。そこで、以下において右の二点につき検討を加える。
三 本件学力調査と地教行法五四条二項(手続上の適法性)
(一) 原判決は、本件学力調査は、教育的価値判断にかかわり、教育活動としての実質を有し、行政機関による調査(行政調査)のわくを超えるものであるから、地教行法五四条二項を根拠としてこれを実施することはできない、と判示している。
行政調査は、通常、行政機関がその権限を行使する前提として、必要な基礎資料ないしは情報を収集、獲得する作用であつて、文部省設置法五条一項一二号、一三号、二八号、二九号は、特定事項に関する調査を文部省の権限事項として掲げ、地教行法二三条一七号は、地方公共団体の教育にかかる調査を当該地方公共団体の教育委員会(以下「地教委」という。)の職務権限としているほか、同法五三条は、特に文部大臣による他の教育行政機関の所掌事項についての調査権限を規定し、同法五四条にも調査に関する規定がある。本件学力調査がこのような行政調査として行われたものであることは、前記実施要綱に徴して明らかであるところ、原判決は、右調査が試験問題によつて生徒を試験するという方法をとつている点をとらえて、それは調査活動のわくを超えた固有の教育活動であるとしている。しかしながら、本件学力調査においてとられた右の方法が、教師の行う教育活動と一部としての試験とその形態を同じくするものであることは確かであるとしても、学力調査としての試験は、あくまでも全国中学校の生徒の学力の程度が一般的にどのようなものであるかを調査するためにされるものであつて、教育活動としての試験の場合のように、個々の生徒に対する教育の一環としての成績評価のためにされるものではなく、両者の間には、その趣旨と性格において明らかに区別があるのである。それ故、本件学力調査が生徒に対する試験という方法で行われたことの故をもつて、これを行政調査というよりはむしろ固有の教育活動としての性格をもつものと解し、したがつて地教行法五四条二項にいう調査には含まれないとすることは、相当でない。もつとも、行政調査といえども、無制限に許されるものではなく、許された目的のために必要とされる範囲において、その方法につき法的な制約が存する場合にはその制約の下で、行われなければならず、これに違反するときは、違法となることを免れない。原判決の指摘する上記の点は、むしろ本件学力調査の右の意味における適法性の問題に帰し、このような問題として論ずれば足りるのであつて、これについては、後に四で詳論する。
(二) 次に、原判決は、地教行法五四条二項は、文部大臣において地教委が自主的に実施した調査につきその結果の提出を要求することができることを規定したにとどまり、その前提としての調査そのものの実施を要求する権限を認めたものではないから、文部省が同条項の規定を根拠として本件学力調査の実施を要求することはできず、この点においても右調査の実施は手続上違法である、と判示している。
地教行法五四条二項が、同法五三条との対比上、文部大臣において本件学力調査のような調査の実施を要求する権限までをも認めたものと解し難いことは、原判決の説くとおりである。しかしながら、このことは、地教行法五四条二項によつて求めることができない文部大臣の調査要求に対しては、地教委においてこれに従う法的義務がないということを意味するだけであつて、右要求に応じて地教委が行つた調査行為がそのために当然に手続上違法となるわけのものではない。地教委は、前述のように、地教行法二三条一七号により当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を有しており、各市町村教委による本件学力調査の実施も、当該市町村教委が文部大臣の要求に応じその所掌する中学校の教育にかかる調査として、右法条に基づいて行つたものであつて、文部大臣の要求によつてはじめて法律上根拠づけられる調査権限を行使したというのではないのである。その意味において、文部大臣の要求は、法手続上は、市町村教委による調査実施の動機をなすものであるにすぎず、その法的要件をなすものではない。それ故、本件において旭川市教委が旭川市立の各中学校につき実施した調査行為は、たとえそれが地教行法五四条二項の規定上文部大臣又は北海道教委の要求に従う義務がないにもかかわらずその義務があるものと信じてされたものであつても、少なくとも手続法上は権限なくしてされた行為として違法であるということはできない。そして、市町村教委は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成について基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、旭川市教委が、各中学校長に対し、授業計画を変更し、学校長をテスト責任者としてテストの実施を命じたことも、手続的には適法な権限に基づくものというべく、要するに、本件学力調査の実施には手続上の違法性はないというべきである。
もつとも、右のように、旭川市教委による調査実施行為に手続上の違法性はないとしても、それが地教行法五四条二項による文部大臣の要求に応じてされたという事実がその実質上の適法性の問題との関連においてどのように評価、判断されるべきかは、おのずから別個の観点から論定されるべき問題であり、この点については、四で検討する。
四 本件学力調査と教育法制(実質上の適法性)
原判決は、本件学力調査は、その目的及び経緯に照らし、全体として文部大臣を実質上の主体とする調査であり、市町村教委の実施行為はその一環をなすものにすぎず、したがつてその実質上の適否は、右の全体としての調査との関連において判断されなければならないとし、文部大臣の右調査は、教基法一〇条を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、ひいては旭川市教委による調査実施行為も違法であることを免れない、と断じている。本件学力調査は文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施されたものであり、したがつて、当裁判所も、右調査実施行為の実質上の適法性、特に教基法一〇条との関係におけるそれは、右の全体としての調査との関連において検討、判断されるべきものとする原判決の見解は、これを支持すべきものと考える。そこで、以下においては、このような立場から本件学力調査が原判決のいうように教基法一〇条を含む現行の教育法制及びそれから導かれる法理に違反するかどうかを検討することとする。

1 子どもの教育と教育権能の帰属の問題
(一) 子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的な形態としては、親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもつてしては、近代社会における経済的、技術的、文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は、主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になつている。
ところで、右のような公教育制度の発展に伴つて、教育全般に対する国家の関心が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至つた一方、教育の本質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教育に対する国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあがるようになつた。このことは、世界的な現象であり、これに対する解決も、国によつてそれぞれ異なるが、わが国においても戦後の教育改革における基本的問題の一つとしてとりあげられたところである。本件における教基法一〇条の解釈に関する前記の問題の背景には右のような事情があり、したがつて、この問題を考察するにあたつては、広く、わが国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対していかなる態度をとつているかという全体的な観察の下で、これを行わなければならない。
(二) ところで、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについては、二つの極端に対立する見解があり、そのそれぞれが検察官及び弁護人の主張の基底をなしているようにみうけられる。すなわち、一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。これに対し、他の見解は、子どもの教育は、憲法二六条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であり、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性格をもつのであつて、それ故にまた、教基法一〇条一項も、教育は、国民全体の信託の下に、これに対して直接に責任を負うように行われなければならないとしている、したがつて、権力主体としての国の子どもの教育に対するかかわり合いは、右のような国民の教育義務の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能をもたず、教育は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対して教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきものであり、このことはまた、憲法二三条における学問の自由の保障が、学問研究の自由ばかりでなく、教授の自由をも含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶと解すべきことによつても裏付けられる、と主張するのである。
当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。以下に、その理由と当裁判所の見解を述べる。

2 憲法と子どもに対する教育権能
(一) 憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条であるが、同条は、一項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めているこの規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。
しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである。
(二) 次に、学問の自由を保障した憲法二三条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではないしかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならないもとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである
(三) 思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。
そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。

3 教基法一〇条の解釈
次に、憲法における教育に対する国の権能及び親、教師等の教育の自由についての上記のような理解を背景として、教基法一〇条の規定をいかに解釈すべきかを検討する。
(一) 教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。
ところで、教基法は、その前文の示すように、憲法の精神にのつとり、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには、教育が根本的重要性を有するとの認識の下に、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的で、しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育が今後におけるわが国の教育の基本理念であるとしている。これは、戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省によるものであり、右の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するにあたつても、強く念頭に置かれるべきものであることは、いうまでもない。
(二) 本件で問題とされている教基法一〇条は、教育と教育行政との関係についての基本原理を明らかにした極めて重要な規定であり、一項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と定め、二項において、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めている。この規定の解釈については、検察官の主張と原判決が大筋において採用したと考えられる弁護人の主張との間に顕著な対立があるが、その要点は、(1) 第一に、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合は右教基法一〇条一項にいう「不当な支配」に含まれないと解すべきかどうかであり、(2) 第二に、同条二項にいう教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立とは、主として教育施設の設置管理、教員配置等のいわゆる教育の外的事項に関するものを指し、教育課程、教育方法等のいわゆる内的事項については、教育行政機関の権限は原則としてごく大綱的な基準の設定に限られ、その余は指導、助言的作用にとどめられるべきものかどうかである、と考えられる。
(三) まず、(1)の問題について考えるのに、前記教基法一〇条一項は、その文言からも明らかなように、教育が国民から信託されたものであり、したがつて教育は、右の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、その間において不当な支配によつてゆがめられることがあつてはならないとして、教育が専ら教育本来の目的に従つて行われるべきことを示したものと考えられる。これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて右の意味において自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところでないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行機関が行う行政でも、右にいう「不当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法一〇条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。
(四) そこで、次に、上記(2)の問題について考えるのに、原判決は、教基法一〇条の趣旨は、教育が「国民全体のものとして自主的に行われるべきものとするとともに」、「教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげうることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明」したところにあるとし、このことから、「教育内容及び教育方法等への(教育行政機関の)関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。」と判示している。
思うに、子どもの教育が、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることは原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれたものであることに照らせば、同法一〇条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有するけれども、このことから、教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計である。さきにも述べたように、憲法上、国は、適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法についても、法律により、直接に又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有するのみならず、子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のためにそのような規制を施すことが要請される場合もありうるのであり、国会が教基法においてこのような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。むしろ教基法一〇条は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。
もつとも、原判決も、教育の内容及び方法に対する教育行政機関の介入が一切排除されていると解しているわけではなく、前述のように、権力的介入としては教育機関の種類等に応じた大綱的基準の設定を超えることができないとするにとどまつている。原判決が右にいう大綱的基準としてどのようなものを考えているかは必ずしも明らかでないが、これを国の教育行政機関についていえば、原判決において、前述のような教師の自由な教育活動の要請と現行教育法体制における教育の地方自治の原則に照らして設定されるべき基準は全国的観点からする大綱的なものに限定されるべきことを指摘し、かつ、後述する文部大臣の定めた中学校学習指導要領を右の大綱的基準の限度を超えたものと断じているところがらみれば、原判決のいう大綱的基準とは、弁護人の主張するように、教育課程の構成要素、教科名、授時数等のほか、教科内容、教育方法については、性質上全国的画一性を要する度合が強く、指導助言行政その他国家立法以外の手段ではまかないきれない、ごく大綱的な事項を指しているもののように考えられる。
思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重等教基法一〇条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならないけれども、右の大綱的基準の範囲に関する原判決の見解は、狭きに失し、これを採用することはできないと考える。これを前記学習指導要領についていえば、文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。

4 本件学力調査と教基法一〇条
そこで、以上の解釈に基づき、本件学力調査が教基法一〇条一項にいう教育に対する「不当な支配」として右規定に違反するかどうかを検討する。
本件学力調査が教育行政機関である文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施された行政調査たる性格をもつものであることはさきに述べたとおりであるところ、それが行政調査として教基法一〇条との関係において適法とされうるかどうかを判断するについては、さきに述べたとおり、その調査目的において文部大臣の所掌とされている事項と合理的関連性を有するか、右の目的のために本件のような調査を行う必要性を肯定することができるか、本件の調査方法に教育に対する不当な支配とみられる要素はないか等の問題を検討しなければならない。
(一) まず、本件学力調査の目的についてみるのに、右調査の実施要綱には、前記二の1の(1)で述べたように、調査目的として四つの項目が挙げられている。このうち、文部大臣及び教育委員会において、調査の結果を、(イ)の教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ハ)の学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)の育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等は、文部大臣についていえば、文部大臣が学校教育等の振興及び普及を図ることを任務とし、これらの事項に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関(文部省設置法四条)として、全国中学校における教育の機会均等の確保、教育水準の維持、向上に努め、教育施設の整備、充実をはかる責務と権限を有することに照らし、これらの権限と合理的関連性を有するものと認めることができるし、右目的に附随して、地教委をしてそれぞれの所掌する事項に調査結果を利用させようとすることも、文部大臣の地教委に対する指導、助言的性格のものとして不当ということはできない。また、右四項目中(ロ)の、中学校において、本件学力調査の結果により、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とするという項目は、それが文部大臣固有の行政権限に直接関係せず、中学校における教育実施上の目的に資するためのものである点において、調査目的として正当性を有するかどうか問題であるけれども、右は、本件学力調査全体の趣旨、目的からいえば、単に副次的な意義をもつものでしかないと認めるのが相当であるのみならず、調査結果を教育活動上利用すべきことを強制するものではなく、指導、助言的性格のものにすぎず、これをいかに利用するかは教師の良識ある判断にまかされるべきものと考えられるから、右の(ロ)が調査目的の一つに掲げられているからといつて、調査全体の目的を違法不当のものとすることはできないというべきである。
(二) 次に、本件学力調査は、原判決の認定するところによれば、文部省が当時の中学校学習指導要領によつて試験問題を作成し、二の1で述べたように、全国の中学校の全部において一せいに右問題による試験を行い、各地教委にその結果を集計、報告させる等の方法によつて行われたものであつて、このような方法による調査が前記の調査目的のために必要と認めることができるかどうか、及び教育に対する不当な支配の要素をもつものでないかどうかは、慎重な検討を要する問題である。
まず、必要性の有無について考えるのに、全国の中学校における生徒の学力の程度がどの程度のものであり、そこにどのような不足ないしは欠陥があるかを知ることは、上記の(イ)、(ハ)、(ニ)に掲げる諸施策のための資料として必要かつ有用であることは明らかであり、また、このような学力調査の方法としては、結局試験によつてその結果をみるよりほかにはないのであるから、文部大臣が全国の中学校の生徒の学力をできるだけ正確かつ客観的に把握するためには、全国の中学校の生徒に対し同一試験問題によつて同一調査日に同一時間割で一せいに試験を行うことが必要であると考えたとしても、決して不合理とはいえない。それ故、本件学力調査は、その必要性の点において欠けるところはないというべきである。
(三) 問題となるのは、上記のような方法による調査が、その一面において文部大臣が直接教育そのものに介入するという要素を含み、また、右に述べたような調査の必要性によつては正当化することができないほどに教育に対して大きな影響力を及ぼし、これらの点において文部大臣の教育に対する「不当な支配」となるものではないか、ということである。
これにつき原判決は、右のような方法による本件学力調査は教基法一〇条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるとし、その理由として、(1) 右調査の実施のためには、各中学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつものであること、また、(2) 右調査は、生徒を対象としてその学習の到達度と学校の教育効果を知るという性質のものである点において、教師が生徒に対する学習指導の結果を試験によつて把握するのと異なるところがなく、教育的価値判断にかかわる教育活動としての実質をもつていること、更に、(3) 前記の方法による調査を全国の中学校のすべての生徒を対象として実施することは、これらの学校における日常の教育活動を試験問題作成者である文部省の定めた学習指導要領に盛られている方針ないしは意向に沿つて行わせる傾向をもたらし、教師の自由な創意と工夫による教育活動を妨げる一般的危険性をもつものであり、現に一部においてそれが現実化しているという現象がみられること、を挙げている。
そこでまず、右(1)及び(2)の点について考えるのに、本件学力調査における生徒に対する試験という方法が、あくまでも生徒の一般的な学力の程度を把握するためのものであつて、個々の生徒の成績評価を目的とするものではなく、教育活動そのものとは性格を異にするものであることは、さきに述べたとおりである。もつとも、試験という形態をとる以上、前者の目的でされたものが後者の目的に利用される可能性はあり、現に本件学力調査においても、試験の結果を生徒指導要録に記録させることとしている点からみれば、両者の間における一定の結びつきの存在を否定することはできないけれども、この点は、せつかく実施した試験の結果を生徒に対する学習指導にも利用させようとする指導、助言的性格のものにすぎないとみるべきであるから、以上の点をもつて、文部省自身が教育活動を行つたものであるとすることができないのはもちろん、教師に対して一定の成績評価を強制し、教育に対する実質的な介入をしたものとすることも、相当ではない。また、試験実施のために試験当日限り各中学校における授業計画の変更を余儀なくされることになるとしても、右変更が年間の授業計画全体に与える影響についてみるとき、それは、実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつほどのものではなく、前記のような本件学力調査の必要性によつて正当化することができないものではないのである。
次に、(3)の点について考えるのに、原判決は、本件学力調査の結果として、全国の中学校及びその教師の間に、学習指導要領の指示するところに従つた教育を行う風潮を生じさせ、教師の教育の自由が阻害される危険性があることをいうが、もともと右学習指導要領自体が全体としてみて中学校の教育課程に関する基準の設定として適法なものであり、これによつて必ずしも教師の教育の自由を不当に拘束するものとは認められないことはさきに述べたとおりであるのみならず、本件学力調査は、生徒の一般的な学力の実態調査のために行われたもので、学校及び教師による右指導要領の遵守状況を調査し、その結果を教師の勤務評定にも反映させる等して、間接にその遵守を強制ないしは促進するために行われたものではなく、右指導要領は、単に調査のための試験問題作成上の基準として用いられたにとどまつているのである。もつとも、右調査の実施によつて、原判決の指摘するように、中学校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえつてこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がありうべく、更に、前記のように、試験の結果を生徒指導要録の標準検査の欄に記録させることとしている点については、特にその妥当性に批判の余地があるとしても、本件学力調査実施要綱によれば、同調査においては、試験問題の程度は全体として平易なものとし、特別の準備を要しないものとすることとされ、また、個々の学校、生徒、市町村、都道府県についての調査結果は公表しないこととされる等一応の配慮が加えられていたことや、原判決の指摘する危険性も、教師自身を含めた教育関係者、父母、その他社会一般の良識を前提とする限り、それが全国的に現実化し、教育の自由が阻害されることとなる可能性がそれほど強いとは考えられないこと(原判決の挙げている一部の県における事例は、むしろ例外的現象とみるべきである。)等を考慮するときは、法的見地からは、本件学力調査を目して、前記目的のための必要性をもつてしては正当化することができないほどの教育に対す強い影響力、支配力をもち、教基法一〇条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるものとすることは、相当ではなく、結局、本件学力調査は、その調査の方法において違法であるということはできない。
(四) 以上説示のとおりであつて、本件学力調査には、教育そのものに対する「不当な支配」として教基法一〇条に違反する違法があるとすることはできない。
5 本件学力調査と教育の地方自治
なお、原判決は、文部大臣が地教委をして本件のような調査を実施させたことは、現行教育法制における教育の地方自治の原則に反するものを含むとして、この点からも本件学力調査の適法性を問題としているので、最後にこの点について判断を加える。
(一) 思うに、現行法制上、学校等の教育に関する施設の設置、管理及びその他教育に関する事務は、普通地方公共団体の事務とされ(地方自治法二条三項五号)、公立学校における教育に関する権限は、当該地方公共団体の教育委員会に属するとされる(地教行法二三条、三二条、四三条等)等、教育に関する地方自治の原則が採用されているが、これは、戦前におけるような国の強い統制の下における全国的な画一的教育を排して、それぞれの地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであつて、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つをなすものであることは、疑いをいれない。そして、右の教育に関する地方自治の原則からすれば、地教委の有する教育に関する固有の権限に対する国の行政機関である文部大臣の介入、監督の権限に一定の制約が存することも、原判決の説くとおりである。このような制限は、さまざまの関係において問題となりうべく、前記中学校学習指導要領の法的効力に関する問題もその一つであるが、この点についてはすでに触れたので、以下においては、本件学力調査において、文部大臣が地教行法五四条二項によつては地教委にその調査の実施を要求することができないにもかかわらずこれを要求し、地教委をしてその実施に至らせたことが、教育に関する地方自治の原則に反するものとして実質的違法性を生じさせるものであるかどうかを、検討する。
(二) 文部大臣は、地教行法五四条二項によつては地教委に対し本件学力調査の実施をその義務として要求することができないことは、さきに三において述べたとおりであり、このような要求をすることが教育に関する地方自治の原則に反することは、これを否定することができない。しかしながら、文部大臣の右要求行為が法律の根拠に基づかないものであるとしても、そのために右要求に応じて地教委がした実施行為が地方自治の原則に違反する行為として違法となるかどうかは、おのずから別個の問題である。思うに、文部大臣が地教行法五四条二項によつて地教委に対し本件学力調査の実施を要求することができるとの見解を示して、地教委にその義務の履行を求めたとしても、地教委は必ずしも文部大臣の右見解に拘束されるものではなく、文部大臣の右要求に対し、これに従うべき法律上の義務があるかどうか、また、法律上の義務はないとしても、右要求を一種の協力要請と解し、これに応ずるのを妥当とするかどうかを、独自の立場で判断し、決定する自由を有するのである。それ故、地教委が文部大臣の要求に応じてその要求にかかる事項を実施した場合には、それは、地教委がその独自の判断に基づきこれに応ずべきものと決定して実行に踏み切つたことに帰着し、したがつて、たとえ右要求が法律上の根拠をもたず、当該地教委においてこれに従う義務がない場合であつたとしても、地教委が当該地方公共団体の内部において批判を受けることは格別、窮極的にはみずからの判断と意見に基づき、その有する権限の行使としてした実施行為がそのために実質上違法となるべき理はないというべきである。それ故、本件学力調査における調査の実施には、教育における地方自治の原則に反する違法があるとすることはできない。
五 結び
以上の次第であつて、本件学力調査には、手続上も実質上も違法はない。
そうすると、A6校長の本件学力調査の実施は適法な公務の執行であつて、同校長がこのような職務を執行するにあたりこれに対して暴行を加えた本件行為は公務執行妨害罪を構成すると解するのが、相当である。これと異なる見地に立ち、被告人A1、同A2、同A3のA6校長に対する暴行につき公務執行妨害罪の成立を認めず、共同暴行罪の成立のみを認めた第一審判決及びこれを維持した原判決は、地教行法五四条二項、二三条一七号、教基法一〇条の解釈を誤り、ひいては刑法九五条一項の適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼし、かつ、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
(結論)
よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一四条、三九六条により被告人A4の本件上告を棄却し、同法四一一条一号により原判決及び第一審判決中被告人A1、同A2、同A3に関する部分を破棄し、なお、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告人A1、同A2、同A3に対する各被告事件について更に判決する。
第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠によると、被告人A1、同A2、同A3は、いずれも、昭和三六年一〇月二六日旭川市永山町所在のA5中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止するための説得活動をする目的をもつて、当日、同校に赴いた者であるところ、(1) 被告人A1は、右説得活動をするために集まつた約七〇名の者と互いにその意思を通じて共謀のうえ、同日午前八時過ぎころ、右の者らとともに、同校正面玄関から、同校校長A6の制止にもかかわらず、同校長が管理するA5中学校校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、被告人A2は、同日午前九時ころ、前記のとおりすでに故なく校舎内に侵入していた者らと意思を通じて、同校正面玄関から右校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、また、(2) 同校長が同日午前一一時四〇分ころから同校二階の二年A、B、C、D各組の教室において学力調査を実施し始めたところ、(イ)被告人A3は、同日午後零時過ぎころ、二年各組の教室前の廊下において、職務として学力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、同校長が教室への出入りを妨げられたためやむなく二年D組教室の外側窓から同C組教室の外側窓に足をかけて渡つた事実をとらえて、「最高責任者である校長が窓渡りをするとはあまりに非常識じゃないか。」等と激しく非難抗議をするに際し、手拳をもつて同校長の胸部付近を突いて暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害し、更に、(ロ)被告人A1、同A2、同A3は、そのころ、同校二階において、職務として学力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長を階下校長室に連れて行こうとして、同校長の周辺に集まつていた約一四、五名の者と互いに意思を通じて共謀のうえ、被告人A1においては同校長の右腕をかかえて二、三歩引つぱり、被告人A2、同A3においては右の者らとともに同校長の身近かにほぼ馬てい形にこれをとり囲み、これらの者は口々に「テストを中止したらどうか。」とか「下へ行つて話をしよう。」などと抗議し、あるいは促し、また、同校長の体に手をかけたり、同校長が教室内にはいろうとするのを出入口に立つて妨げる等して、同校長をとり囲んだままの状態で、同校長をして、その意思に反して正面玄関側階段方向へ二年A組教室前付近まで移動するのやむなきに至らせて同校長の行動の自由を束縛する等の暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害したものであることが、認めらる。
右事実に法令を適用すると、被告人A1、同A2の所為中建造物侵入の点は、行為時においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、A6校長の職務の執行に対し暴行を加えた点は、同法六〇条、九五条一項に該当し、被告人A3の同校長の職務の執行に対し暴行を加えた所為は、包括して同法六〇条、九五条一項に該当するところ、被告人A1、同A2の建造物侵入と公務執妨害との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い後者の罪につき定めた懲役刑で処断し、被告人A3の罪につき所定刑中懲役刑を選択することとし、各刑期の範囲内において、被告人A1を懲役三月に、被告人A2を懲役一月に、被人A3を懲役二月に処し、同法二五条一項を適用して、被告人A1、同A2、同A3に対し、この裁判確定の日から一年間その刑の執行を猶予し、また、公訴事実第二の(二)の被告人A2のA8に対する暴行については、その証明がないとする第一審判決の判断はこれを維持すべきであるが、同被告人に対する判示建造物侵入の罪と牽連犯の関係にあるとして起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡をしないこととし、なお、第一審及び原審における訴訟費用の負担については、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、主文第四項記載のとおり定めることとし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。
検察官長島敦、同蒲原大輔、同伊藤栄樹、同臼井滋夫、同安田道夫 公判出席
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光 裁判官 本林護 裁判官 服部高顯 裁判官坂本吉勝は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 村上朝一)

・学問とは
論理的手段をもって真理を探究する人の意識作用

Q 裁判官の政治活動は許されるか?
(1)政治活動を制限する理由

+判例(H10.12.1)寺西判事補事件
理由
第一 懲戒についての認定判断
一 懲戒の原因となる事実等
1 本件に至る経緯
(一)抗告人は、平成五年四月九日付けで判事補に任命され、同一〇年四月一日以降、仙台地方裁判所判事補兼仙台家庭裁判所判事補、仙台簡易裁判所判事の職にある者である。
(二)法制審議会が平成九年九月一〇日に組織的犯罪対策法要綱骨子を法務大臣に答申したことに関連して、抗告人は、朝日新聞に、裁判官であることを明らかにして、「法制審議会が組織的犯罪対策法要綱骨子を法務大臣に答申した。団体概念のあいまいさ、資金洗浄規制など問題が多いのだが、ここでは、盗聴捜査についてのみ触れる。裁判官の発付する令状に基づいて通信傍受が行われるのだから、盗聴の乱用の心配はないという人もいる。しかし、裁判官の令状審査の実態に多少なりとも触れる機会のある身としては、裁判官による令状審査が人権擁護のとりでになるとは、とても思えない。令状に関しては、ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発付されているというのが現実だ。それを、検察官、警察官の令状請求自体が適切に行われている結果だと言う人もいる。しかし、現行法上は盗聴捜査を認める令状は存在せず、盗聴捜査は違法であるというのが、刑事訴訟法学者の圧倒的多数説であるにもかかわらず、電話盗聴を認める検証許可状が発付され、それが複数の地裁、高裁の判決で合憲・合法だと言い放たれている現実をみると、とてもそうだとは思えないのである。通信の秘密、プライバシー権、表現の自由という重要な人権にかかわる盗聴令状の審査を、このような裁判官にゆだねて本当に大丈夫だと思いますか?」という内容の投書をし、これが「信頼できない盗聴令状審査」という標題の下に、同年一〇月二日付けの同新聞朝刊に掲載された。
(三)内閣は、右答申に基づいて組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案(以下、これらを一括して「本件法案」という。)を作成し、平成一〇年三月一三日、これらを衆議院に提出し、参議院に送付した。本件法案への対応については、政党間で意見が分かれており、その取扱いが政治的問題となっていた。
(四)本件法案提出前から前記答申に係る組織的犯罪対策法の制定に反対するための諸活動を行っていた「組織的犯罪対策法に反対する全国弁護士ネットワーク」(以下「弁護士ネットワーク」という。)、「破防法、組織的犯罪対策法に反対する市民連絡会」(以下「市民連絡会」という。)及び「組織的犯罪対策法に反対する共同行動」(以下「共同行動」という。)の三団体は、平成一〇年二月二八日、連絡会議を開き、右三団体の準備により同年四月一八日に右反対運動の一環として集会を開くこと、その主催者は個人加盟の集会実行委員会とすること、次回の連絡会議までに三団体が呼び掛け人を募ること、集会の内容として、アピール、弁護士ネットワークの劇「盗聴法の施行された日パート4」の上演、「盗聴法と令状主義」に関するシンポジウム等を行うこと、右シンポジウムのパネリストを抗告人等に依頼することなどを決定した。
(五)弁護士ネットワークのa弁護士は、平成一〇年三月一〇日ころ、抗告人に対し、電話で組織的犯罪対策法の制定に反対する集会を開くので右シンポジウムで話をしてほしいとの依頼をし、抗告人は、これを承諾した。その後、同弁護士は、抗告人に対し、集会のビラをファックス送信した。
(六)そのころ、集会実行委員会は、右集会の名称を「つぶせ!盗聴法・組織的犯罪対策法許すな!警察管理社会4/18大集会」とした上で、集会のプログラムとしては、盗聴事件を考える住民の会会員などのアピール、弁護士ネットワークの劇「盗聴法が施行された日パート4」、b(一橋大学・刑事法)、c(裁判官)、d(弁護士)によるシンポジウム「盗聴法と令状主義」のほか、各政党からの「国会からの報告」が予定される旨を記載したビラを作成し、一般に配布した。これとは別に、共同行動は、「盗聴法・組対法を葬りされ!」との見出しの下に、「国会上程強行弾劾!」、「つぶせ盗聴法!許すな警察管理社会!大集会国会に向けた共同行動のデモ(終了後)」、「盗聴法・組対法廃案へ!『共同行動』緊急闘争」などと記載し、右集会に講師として裁判官である抗告人が参加することなどを知らせるビラを作成して、これを東京都内の地下鉄国会議事堂前駅付近等で配布した。また、「逮捕令状問題を考える会」と称する団体は、インターネット通信において、右集会への賛同を呼び掛け、その中で、裁判官である抗告人がシンポジウムに参加すること、右集会には、同法の成立を阻止しようと様々な分野で運動を担った人たちが参加しており、「盗聴法は令状主義を危機におとしいれると新聞に投書した裁判官」らが同法を阻止しようというその一点で集まると説明した。
(七)仙台地方裁判所長は、平成一〇年四月九日、抗告人に対し、共同行動のビラを示して、事実を確認したところ、抗告人は、右集会が本件法案を葬り去るという、法案に反対するための集会であることを承知の上で、その趣旨に共鳴してパネルディスカッションに参加するつもりであることを認め、そのことは裁判所法五二条一号の禁止する「積極的に政治運動をすること」には当たらないと考えるが、同所長が同号に当たると考え、懲戒もあり得るというのなら、再考してみるなどと述べた。
(八)右集会は、平成一〇年四月一八日、東京都千代田区所在の社会文化会館において、約五〇〇人が参加して開かれた(以下、この集会を「本件集会」という。)が、抗告人の申出により、シンポジウムにおいて抗告人がパネリストとして発言することは中止された。

2 懲戒の原因となる事実
抗告人は、本件集会において、パネルディスカッションの始まる直前、数分間にわたり、会場の一般参加者席から、仙台地方裁判所判事補であることを明らかにした上で、「当初、この集会において、盗聴法と令状主義というテーマのシンポジウムにパネリストとして参加する予定であったが、事前に所長から集会に参加すれば懲戒処分もあり得るとの警告を受けたことから、パネリストとしての参加は取りやめた。自分としては、仮に法案に反対の立場で発言しても、裁判所法に定める積極的な政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する。」との趣旨の発言をし(以下、本件集会におけるこの抗告人の言動を「本件言動」という。)、本件集会の参加者に対し、本件法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという抗告人の意見を伝えることによって、本件集会の目的である本件法案を廃案に追い込む運動を支援し、これを推進する役割を果たし、もって積極的に政治運動をして、裁判官の職務上の義務に違反した。
二 証拠
以上の事実は、次の各証拠により、これを認める。
1 抗告人の履歴書
2 平成一〇年四月二八日付け仙台地方裁判所事務局長作成の報告書
3 同九年一〇月二日付け朝日新聞記事
4 同一〇年三月三〇日付け最高裁判所事務総局総務局第一課課長補佐作成の報告書
5 同年四月二〇日付け同事務総局刑事局第一課長作成の報告書
6 同月二六日付け仙台地方裁判所事務局長作成の報告書
7 同月九日付け同事務局長作成の聴取結果要旨書
8 同年五月一九日付け弁護士海渡雄一作成の報告書
9 同年七月九日付け抗告人作成の報告書

三 本件言動の評価
1 本件集会は、直接的には集会実行委員会なる組織が主催したことになっているが、同委員会の母体となる組織は、弁護士ネットワーク、市民連絡会及び共同行動という本件法案に反対するための諸活動をしている三団体であり、それらの団体がその運動の手段として連帯し、そのメンバー以外の個人の参加も募った上で組織横断的な実行委員会を設けて本件集会を開くことを計画し、準備したものである。「盗聴法と令状主義」に関するシンポジウムを開き、そのパネリストを抗告人に依頼することを決定したのも、右三団体合同の会議においてである。
2 本件集会は、その企画の経緯及び「つぶせ!盗聴法・組織的犯罪対策法許すな!警察管理社会4/18大集会」という名称自体から明らかなとおり、法案の是非について様々な立場から意見を述べ合うというような単なる討論集会ではなく、明確に本件法案を悪法と決め付けた上で、これを廃案に追い込むことを目的とする運動の一環として開催されたものである。したがって、抗告人がパネリストとして参加を依頼されたのも、もちろん単なる一市民としてではなく、また、単に令状実務に明るい専門家の意見を参考に聴くということでもなく、裁判官による令状審査によって盗聴の適正さを保つことは期待し得ないとの理由から抗告人が法案に反対する立場を採っていることが投書によって既に明らかとなっており、パネリストとして同様の発言をしてもらえれば、それが現職の裁判官の意見であるだけに、集会の参加者に本件法案の不当性を強く印象付けることができ、集会の目的である本件法案の廃案を実現するための運動を前進させる効果を有すると考えられたからであると認められる。
3 抗告人は、本件集会が前記のような単なる討論集会ではなく本件法案を廃案に追い込むことを目的とする運動の一環として開かれるものであることを認識して本件集会に参加し、本件言動に及んだものである。
4 本件集会の参加者の多くは、事前にビラ、インターネット通信等によって集会の名称や趣旨を知らされていたと認められるから、その中で行われるシンポジウムも様々な立場から意見を述べ合うものではなく本件法案ないしはそのうちの犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案の不当性を訴えるためのものであると予想しており、したがって、現職裁判官である抗告人も本件法案に反対する立場からシンポジウムにおいて「盗聴法と令状主義」について発言する予定であることを認識の上、集まってきていたと認められる。
5 以上のような状況の下においてされた抗告人の本件言動は、発言の直接の内容としても、仙台地方裁判所長の警告は裁判所法の解釈を誤ったものであって、そのような本来従わなくてもよい不当な警告によりやむなくパネリストとなることを断念した旨を積極的に表明したものであり、この発言を聞いた者に対し、自分の本意はあくまで予定どおり壇上においてパネリストとして発言することにあるということを訴える内容を含んでいると認められる。そして、右のような本件集会の参加者の予備知識からするならば、それらの者は、予告されていたとおり令状実務の実情を職務上知る立場にある現職の裁判官が本件法案の廃案実現を目的とする集会に実際に参加していることを認識した上、「仮に」と断ってはいるものの、抗告人の本意は壇上からパネリストとして本件法案に反対の立場で発言することにあると理解したものと認めることができる。このように、本件言動は、本件集会の参加者に対し、本件法案が裁判官の立場からみて令状主義に照らして問題のあるものであり、その廃案を求めることは正当であるという抗告人の意見を伝える効果を有するものであったということができる。
6 したがって、本件言動が本件集会の目的である本件法案を廃案に追い込むための運動を支援しこれを推進する役割を果たしたものであることは、客観的にみて明らかである。抗告人は、単にパネリストにならなかった理由を述べただけであると主張しているが、前記の抗告人の認識からすると、抗告人も、本件言動が右のような役割を果たすものであることを当然認識していたものというべきである。

四 「積極的に政治運動をすること」の意義及びその禁止の合憲性
1 憲法は、近代民主主義国家の採る三権分立主義を採用している。その中で、司法は、法律上の紛争について、紛争当事者から独立した第三者である裁判所が、中立・公正な立場から法を適用し、具体的な法が何であるかを宣言して紛争を解決することによって、国民の自由と権利を守り、法秩序を維持することをその任務としているこのような司法権の担い手である裁判官は、中立・公正な立場に立つ者でなければならず、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法と法律にのみ拘束されるものとされ(憲法七六条三項)、また、その独立を保障するため、裁判官には手厚い身分保障がされている(憲法七八条ないし八○条)のである。裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される司法に対する国民の信頼は、具体的な裁判の内容の公正、裁判運営の適正はもとより当然のこととして、外見的にも中立・公正な裁判官の態度によって支えられるからである。したがって、裁判官は、いかなる勢力からも影響を受けることがあってはならず、とりわけ政治的な勢力との間には一線を画さなければならないそのような要請は、司法の使命、本質から当然に導かれるところであり、現行憲法下における我が国の裁判官は、違憲立法審査権を有し、法令や処分の憲法適合性を審査することができ、また、行政事件や国家賠償請求事件などを取り扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を有しているのであるから、特にその要請が強いというべきである。職務を離れた私人としての行為であっても、裁判官が政治的な勢力にくみする行動に及ぶときは、当該裁判官に中立・公正な裁判を期待することはできないと国民から見られるのは、避けられないところである。身分を保障され政治的責任を負わない裁判官が政治の方向に影響を与えるような行動に及ぶことは、右のような意味において裁判の存立する基礎を崩し、裁判官の中立・公正に対する国民の信頼を揺るがすばかりでなく、立法権や行政権に対する不当な干渉、侵害にもつながることになるということができる。 
これらのことからすると、裁判所法五二条一号が裁判官に対し「積極的に政治運動をすること」を禁止しているのは、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があるものと解される。 
なお、国家公務員法一〇二条及びこれを受けた人事院規則一四―七は、行政府に属する一般職の国家公務員の政治的行為を一定の範囲で禁止している。これは、行政の分野における公務が、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、専ら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されなければならず、そのためには、個々の公務員が政治的に、一党一派に偏することなく、厳に中立の立場を堅持して、その職務の遂行に当たることが必要となることを考慮したことによるものと解される(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁参照)。これに対し、裁判所法五二条一号が裁判官の積極的な政治運動を禁止しているのは、右に述べたとおり、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があると解されるのであり、右目的の重要性及び裁判官は単独で又は合議体の一員として司法権を行使する主体であることにかんがみれば、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する政治的行為禁止の要請より強いものというべきである。また、国家公務員法一〇二条及び人事院規則一四―七は、一般職の国家公務員が禁止される政治的行為について、同条が自ら規定しているもののほかは、同規則六項が具体的に列挙したものに限定され、政治的色彩が強いと思われる行為であっても、具体的列挙事項のいずれにも該当しないものは、同条の禁止する「政治的行為」には当たらないものとし、しかも、同規則六項は、五号から七号までに定めるものを除き、同規則五項の定義する「政治的目的」をもってする行為のみを「政治的行為」と規定している。これは、右禁止規定の違反行為が懲戒事由となるほか刑罰の対象ともなり得るものである(同法一一〇条一項一九号)ことから、懲戒権者等のし意的な解釈運用を排するために、あえて限定列挙方式が採られているものと解される。これに対し、裁判官の禁止される「積極的に政治運動をすること」については、このような限定列挙をする規定はなく、その意味はあくまで右文言自体の解釈に懸かっている。裁判官の場合には、強い身分保障の下、懲戒は裁判によってのみ行われることとされているから、懲戒権者のし意的な解釈により表現の自由が事実上制約されるという事態は予想し難いし、違反行為に対し刑罰を科する規定も設けられていないことから、右のような限定列挙方式が採られていないものと解される。これらのことを考えると、裁判所法五二条一号の「積極的に政治運動をすること」の意味は、国家公務員法の「政治的行為」の意味に近いと解されるが、これと必ずしも同一ではないというのが相当である。
以上のような見地に立って考えると、「積極的に政治運動をすること」とは、組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって、裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるものが、これに該当すると解され、具体的行為の該当性を判断するに当たっては、その行為の内容、その行為の行われるに至った経緯、行われた場所等の客観的な事情のほか、その行為をした裁判官の意図等の主観的な事情をも総合的に考慮して決するのが相当である。

2 憲法二一条一項の表現の自由は基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、その保障は裁判官にも及び、裁判官も一市民として右自由を有することは当然である。しかし、右自由も、もとより絶対的なものではなく、憲法上の他の要請により制約を受けることがあるのであって、前記のような憲法上の特別な地位である裁判官の職にある者の言動については、おのずから一定の制約を免れないというべきである。裁判官に対し「積極的に政治運動をすること」を禁止することは、必然的に裁判官の表現の自由を一定範囲で制約することにはなるが、右制約が合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるといわなければならず、右の禁止の目的が正当であって、その目的と禁止との間に合理的関連性があり、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものでないなら、憲法二一条一項に違反しないというべきである。そして、右の禁止の目的は、前記のとおり、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにあり、この立法目的は、もとより正当である。
また、裁判官が積極的に政治運動をすることは前記のように裁判官の独立及び中立・公正を害し、裁判に対する国民の信頼を損なうおそれが大きいから、積極的に政治運動をすることを禁止することと右の禁止目的との間に合理的な関連性があることは明らかである。さらに、裁判官が積極的に政治運動をすることを、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎず、かつ、積極的に政治運動をすること以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではない。他面、禁止により得られる利益は、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するなどというものであるから、得られる利益は失われる利益に比して更に重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない。そして、「積極的に政治運動をすること」という文言が文面上不明確であるともいえないことは、前記1に示したところから明らかである。したがって、裁判官が「積極的政治運動をすること」を禁止することは、もとより憲法二一条一項に違反するものではない。
そうすると、抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号所定の「積極的に政治運動をすること」に該当すると解される限り、これを禁止することは、憲法二一条一項に違反しないというべきである。
抗告人は、諸外国において裁判官の政治的行為の自由は広く認められているなどと主張するが、本件においては、本件言動が我が国の裁判官の行為として裁判所法五二条一号に違反したとみられるか否か、その禁止が我が国の憲法二一条一項に違反するか否かが問題であり、歴史的経緯や社会的諸条件等を異にする諸外国における法規制やその運用の実態は、一つの参考資料とはなり得ても、これをそのまま我が国に当てはめることはできない。のみならず、どこの国においても裁判官の政治的な行動には程度の差こそあれ裁判の本質に基づく一定の限界を認めているのであって、裁判所法五二条一号が特異な規定であるとはいえない。なお、同号は、以上のような理由により憲法二一条一項に違反しないものである以上、市民的及び政治的権利に関する国際規約一九条に違反するといえないことも明らかである。

五 本件言動の裁判所法五二条一号該当性特定の法律を制定するか否かの判断は、国の唯一の立法機関である国会の専権に属するものであるところ、裁判官が、一国民として法律の制定に反対の意見を持ち、その意見を裁判官の独立及び中立・公正を疑わしめない場において表明することまでも禁止されるものではないが、前記事実関係によれば、本件集会は、単なる討論集会ではなく、初めから本件法案を悪法と決め付け、これを廃案に追い込むことを目的とするという党派的な運動の一環として開催されたものであるから、そのような場で集会の趣旨に賛同するような言動をすることは、国会に対し立法行為を断念するよう圧力を掛ける行為であって、単なる個人の意見の表明の域を超えることは明らかである。このように、本件言動は、本件法案を廃案に追い込むことを目的として共同して行動している諸団体の組織的、計画的、継続的な反対運動を拡大、発展させ、右目的を達成させることを積極的に支援しこれを推進するものであり、裁判官の職にある者として厳に避けなければならない行為というべきであって、裁判所法五二条一号が禁止している「積極的に政治運動をすること」に該当するものといわざるを得ない。
なお、例えば、裁判官が審議会の委員等として立法作業に関与し、賛成・反対の意見を述べる行為は、立法府や行政府の要請に基づき司法に携わる専門家の一人としてこれに協力する行為であって、もとより裁判所法五二条一号により禁止されるものではない。裁判官が職名を明らかにして論文、講義等において特定の立法の動きに反対である旨を述べることも、その発表の場所、方法等に照らし、それが特定の政治運動を支援するものではなく、一人の法律実務家ないし学識経験者としての個人的意見の表明にすぎないと認められる限りにおいては、同号により禁止されるものではないということができる。また、裁判所は、司法制度の運営に当たる立場にあり、規則制定権を有していることなどにかんがみると、司法制度に関する法令の制定改廃についても、一定の意見を述べることができるものと解される。しかし、本件において抗告人が行ったように、特定の法案を廃案に追い込むことを目的とする団体の党派的運動を積極的に支援するような行動をすることは、これらとは質の異なる行為であるといわざるを得ない。

六 懲戒事由該当性及び懲戒の選択
裁判所法四九条にいう「職務上の義務」は、裁判官が職務を遂行するに当たって遵守すべき義務に限られるものではなく、純然たる私的行為においても裁判官の職にあることに伴って負っている義務をも含むものと解され、積極的に政治運動をしてはならないという義務は、職務遂行中と否とを問わず裁判官の職にある限り遵守すべき義務であるから、右の「職務上の義務」に当たる。したがって、抗告人には同条所定の懲戒事由である職務上の義務違反があったということができる。
そして、本件言動の内容、その後の抗告人の態度その他記録上認められる一切の事情にかんがみれば、抗告人を戒告することが相当である。

第二 手続上の問題に関する抗告人の主張に対する判断
抗告人の抗告理由は、別紙の抗告代理人ら提出の抗告理由書、各抗告理由補充書及び抗告人提出の抗告理由書の各抗告理由に記載のとおりであるところ、当裁判所の懲戒についての認定判断は以上のとおりであるが、本件の手続上の問題に関する抗告人の主張のうち主要なものについて、当裁判所の判断を述べることとする。
一 当審において審問期日を開くことの要否
裁判官の分限事件手続規則(以下「規則」という。)三条ないし五条の規定は、分限事件においては、当該裁判官立会いの下において審問期日を開くことを要請しているものとみられるから、第一審においては必ず一度は審問期日を開かなければならないものと解すべきである。しかしながら、抗告審においても審問期日を開かなければならない旨の規定はなく、抗告審は続審であるから、第一審において審問期日を開いている場合に、抗告審において重ねて審問期日を必ず開かなければならないものと解することはできない。したがって、抗告審は、書証以外の新たな証拠を取り調べる必要がある場合を除き、審問期日を開かなければならないものではない。そして、本件において確定すべき事実関係は、原審において取り調べた証拠によって明らかとなっており、当審において新たな証拠を取り調べることを要しないから、審問期日を開く必要はないものということができる。
なお、裁判官分限法(以下「法」という。)八条二項が抗告裁判所の裁判について法七条二項の規定を準用しているので、抗告審は、第一審で既に当該裁判官の陳述を聴いている場合でも、当該裁判官の陳述を改めて聴かなければならないが、陳述を聴く方法については、分限事件に関して準用される非訟事件手続法八条一項が右陳述は書面又は口頭で行うことと規定しているから、抗告審としては、当該裁判官に書面を提出させる方式を採ることも口頭で陳述させる方式を採ることも、いずれも可能であると解される。したがって、法八条二項の規定から、抗告審が必ず審問期日を開かなければならないということが導かれるものではない。
二 抗告人の陳述がないまま懲戒の裁判をすることの適否法七条二項、八条二項が裁判所は懲戒の裁判をする前に当該裁判官の陳述を聴かなければならないとしているのは、陳述の機会を与えなければならないという趣旨であって、その機会を与えたにもかかわらず当該裁判官が陳述をしなかった場合に、陳述のないまま懲戒の裁判をすることを禁ずるものでないことは、明らかである。
記録によれば、原審が二回にわたる審問期日において繰り返し抗告人本人に対し陳述を促したにもかかわらず、抗告人は、本件の審理手続等についての抗告人の主張が裁判所によって受け入れられない限り陳述しないとの態度に終始し、原審がそれらの主張に対する最終的な判断を示してもなお右態度を覆さないまま期日が終了したことが明らかであり、さらに、原審が第三回審問期日は指定しないことを明らかにした上で審問期日における陳述に代わる書面の提出の機会を与えたにもかかわらず、代理人からあくまで第三回審問期日の指定を求める旨の書面が提出されたにとどまり、抗告人の陳述書は提出されなかったことが認められる。右の経過に照らせば、抗告人は、原審が再三にわたり陳述の機会を与えたにもかかわらず陳述をしなかったことが明らかであって、原審が抗告人の陳述がないままに懲戒の裁判をしたことに違法はない。抗告人は、陳述する意思があることを終始明らかにしていたから、抗告人が陳述の機会を放棄したものということは許されないと主張するが、手続を主宰する裁判所の判断が示された以上、法定の不服申立てにより右判断が変更されない限り、その判断に従うべきであって、自己の主張する手続によらなければ審理に応じないとの態度を執り続けることは許されないものというべきである。右主張は到底採用することができない。
抗告人は、当審においても、当裁判所が三週間の期間を定めて書面による陳述の機会を与えたにもかかわらず、独自の見解に固執して、これには応じかねる旨の書面を提出しただけで、本件について陳述する書面を提出しなかったものである。したがって、抗告人は、当審においても陳述の機会が与えられたにもかかわらず陳述をしなかったことが明らかであるから、抗告人の陳述がないことは本件懲戒の裁判をすることの妨げとなるものではない。

三 原審が審問を公開しなかったことの適否
1 規則七条は分限事件の性質に反しない限り非訟事件手続法第一編の規定を準用すると規定しており、審問の非公開を定める同法一三条の規定も、性質に反しない限り分限事件に準用される。
憲法八二条一項は、裁判の対審及び判決は公開の法廷で行わなければならない旨を規定しているが、右規定にいう「裁判」とは、現行法が裁判所の権限に属するものとしている事件について裁判所が裁判という形式をもってする判断作用ないし法律行為のすべてを指すのではなく、そのうちの固有の意味における司法権の作用に属するもの、すなわち、裁判所が当事者の意思いかんにかかわらず終局的に事実を確定し当事者の主張する実体的権利義務の存否を確定することを目的とする純然たる訴訟事件についての裁判のみを指すものと解すべきである(最高裁昭和四一年(ク)第四〇二号同四五年六月二四日大法廷決定・民集二四巻六号六一〇頁等)。
裁判官に対する懲戒は、裁判所が裁判という形式をもってすることとされているが、一般の公務員に対する懲戒と同様、その実質においては裁判官に対する行政処分の性質を有するものである。したがって、裁判官に懲戒を課する作用は、固有の意味における司法権の作用ではなく、懲戒の裁判は、純然たる訴訟事件についての裁判には当たらないことが明らかである。また、その手続の構造をみても、法及び規則の規定中には、監督権を行う裁判所の申立てにより手続を開始し、申立裁判所を代表する裁判官に審問への立会権を認め、申立裁判所にも裁判に対する即時抗告権を認めるなど、当事者対立構造を思わせる定めもみられるけれども、申立てを受けた裁判所は、申立裁判所に懲戒事由の主張立証をさせ、その主張の当否を判断するのではなく、右申立てを端緒として、職権で事実を探知し、必要な証拠調べを行って(規則七条、非訟事件手続法一一条)、当該裁判官に対する処分を自ら行うのである(申立てを受けた裁判所は、懲戒事由に該当する事実を認定したとしても、懲戒を課するか否か、課するとしていかなる内容の懲戒とするかについて、懲戒権者としての裁量権を行使して第一次的判断をするのであり、その点に関する申立裁判所の主張の当否を判断するのではない。)から、分限事件は、訴訟とは全く構造を異にするというほかはない。したがって、分限事件については憲法八二条一項の適用はないものというべきである(最高裁昭和三七年(ク)第六四号同四一年一二月二七日大法廷決定・民集二〇巻一〇号二二七九頁参照)。
なお、憲法八二条二項ただし書の規定は、同条一項の適用がある裁判の対審に関する規定であるから、同項の適用がない分限事件に適用される余地がないことは、いうまでもない。
2 抗告人は、一般の公務員に対する懲戒については、これに不服がある場合には抗告訴訟を提起して裁判所の公開審理を受けることができるのに、裁判官の懲戒については公開審理を受けられないのは不合理であるから、分限事件には憲法八二条一項の適用があると解すべきであると主張する。
しかしながら、裁判官の分限事件を非公開の手続で行うこと自体が憲法八二条一項に違反しないことは既に述べたとおりである。そして、法及び規則においては、手続を公開しないものの、分限事件の重要性にかんがみて、当該裁判官の所属する裁判所の上級裁判所がこれを管轄することとし、高等裁判所においては五人の裁判官により構成される特別の合議体で、最高裁判所においては大法廷で、これを取り扱うこととされている。その手続も、申立書の謄本を当該裁判官に送達しなければならず、第一審においては必ず審問期日を開くこととして、その期日は当該裁判官に通知をし、当該裁判官はその期日に立ち会うことができ、また、懲戒の裁判をする前には当該裁判官の陳述を聴かなければならず、懲戒の裁判をするには、その原因たる事実及び証拠によりこれを認めた理由を示さなければならないとされている。このように、分限事件については、一般の非訟事件はもとより抗告訴訟との比較においても適正さに十分に配慮した特別の立法的手当がされているのであり、これに更に公開審理が保障された訴訟の形式による不服申立ての機会が与えられていなくても、手続保障に欠けるということはできない。
3 そして、以上に述べたところからすれば、分限事件の審問を公開しないことは、憲法三一条、三二条や市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条一項に違反するということもできないし、非訟事件手続法一三条の規定を分限事件に準用することがその性質に反するものともいえない。
なお、規則七条の準用する非訟事件手続法一三条ただし書は、裁判所が相当と認める者に傍聴を許すことができる旨を規定しているところ、抗告人は、原審は少なくとも右規定に基づいて報道関係者に傍聴を許すべきであったと主張する。しかし、右規定によって傍聴を認めるか否かは当該裁判所の裁量にゆだねられており、傍聴を認めないことが違法になるのは、裁量の範囲を逸脱し、裁量権の濫用に当たる場合に限られるというべきであり、本件において裁量権の濫用等に当たることを根拠付ける事情は存在しないのであるから、原審が報道関係者の傍聴を許さなかったことに違法はない。
四 原審が第二回審問期日の立会代理人数を三五人に制限したことの適否刑訴法三五条、刑訴規則二六条、二七条は、被告人及び被疑者の弁護人の数の制限につき規定しており、被告人についてみても、裁判所は、特別の事情があるときは、弁護人の選任自体を各被告人について三人までに制限することができるものとしている。右規定をみれば、刑事裁判手続においてすら無制限に弁護人の援助を受け得ることが被告人の当然の権利であるといえないことは、明らかである。民事訴訟及び非訟の手続における代理人については、類似の規定は見当たらないが、これらの手続においても、手続を主宰する裁判所は、その手続を円滑に進行させるために与えられた指揮権に基づいて、期日を開く場所の収容能力、当該期日に予定されている手続の内容、裁判所の法廷警察権ないし指揮権行使の難易等を考慮して、必要かつ相当な場合には、期日に立会う代理人の数を合理的と認められる限度にまで制限することが許されるものと解すべきである。そのように解したからといって、右の制限が合理的なものである限り、当事者の防御権が不当に侵害されるとはいえない。
本件においては、原審が、代理人らに第二回審問期日の前に期日を開く場所の収容能力に限界があるため必要かつ相当な措置として立ち会う代理人の数を制限する意向を示し、当日も約一時間にわたり折衝を経た上で期日を開いたこと、また、三五人の範囲内であれば、抗告人側で適切な者を選別して立ち会わせることが保障されていたことが、記録上明らかであり、三五人という数をもって防御権行使に不足するとは到底考えられないところである。抗告人は、審問期日を開く場所として、中会議室ではなく大会議室を使用すべきであったと主張しているが、原審が審問期日を開く場所を中会議室と定めたのは分限事件の性質にふさわしいと考えたからであることが記録上明らかであり、その判断が不当であるとは認められない。以上のことからすると、原審が立会代理人数を三五人に制限したことに違法はないものというべきである。
なお、抗告人は、原審が審問の立会代理人を弁護士資格のある者に限定をしたことを前提として、その違法をも主張するが、原審の第二回審問調書によれば、原審が右の資格の限定をしたとは認められない。したがって、右主張は前提を欠き失当である。

五 本件懲戒申立てについて裁判官会議の議を経ることの要否裁判官の懲戒申立ては当該裁判官に対して司法行政の監督権を行う裁判所の権限とされている(法六条)から、司法行政事務として裁判官会議の議により行われるべきものである(裁判所法二九条二項等)が、裁判官会議は下級裁判所事務処理規則二〇条一項により所長に権限を委任することができる。そして、仙台地方裁判所事務処理規則四条一項は、司法行政事務のうち同項各号に列挙した事項以外の事項を所長に委任するものと定めているところ、裁判官の分限事件の申立ては、右列挙事項に含まれていない。したがって、右申立ての権限は所長に委任されていると解される。右の委任は、仙台地方裁判所の裁判官会議の議により決せられたものであり、憲法七六条、七八条、裁判所法四〇条等に違反しない。
抗告人は、右事務処理規則六条二項が、所長が常置委員会に諮問して意見を聴いた上で行うべき事項を列挙しており、その中に、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」を挙げているのに、「裁判官の懲戒に関する事項」は挙げていないことから、裁判官以外の職員の懲戒については所長が単独で処理することができず必ず常置委員会の意見を聴かなければならないのに、裁判官の懲戒については所長が単独で処理することができるというのでは不合理であるから、右規定は裁判官の懲戒に関する事項は所長に委任されていないことを前提としていると主張する。しかしながら、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」の内容は、所長が任命権を有する職員については所長が懲戒処分そのものを行うことを意味するのに対し、裁判官の懲戒に関しては、所長が行うのは高等裁判所に対して懲戒の申立てをすることにとどまり、懲戒をするか否かは申立てを受けた高等裁判所の裁判体が決定すること、また、裁判官以外の職員の懲戒は場合によっては懲戒免職という重大な結果をもたらすものであるのに対し、裁判官の懲戒は戒告又は一万円以下の過料にすぎない(法二条)ことを考慮すれば、「裁判官以外の職員の懲戒に関する事項」より「裁判官の懲戒に関する事項」の方が重要な事項であるとは、必ずしも断定し得ない。そうすると、規定の文言を無視してまで、裁判官の懲戒に関する事項は所長に委任されていないと解さなければならない理由はないというべきである。
したがって、本件分限事件の申立てについて仙台地方裁判所の裁判官会議の議を経なかったことに違法があったとはいえない。

六 不告不理の原則違反の有無前記のとおり、裁判官分限事件は当該裁判官の監督裁判所の申立てによって手続が開始されるが、申立てを受けた裁判所は、申立ての当否を判断するのではなく、自らが処分の主体となって証拠により認定した事実に基づいて当該裁判官に懲戒を課するかどうかを決するのである。申立ては手続開始の端緒にすぎず、申立てを受けた裁判所は、申立裁判所が申立ての前提とした事実や申立裁判所が提出した証拠に拘束されるのではなく、必要に応じて職権で事実を探知して(規則七条、非訟事件手続法一一条)、懲戒事由の存否や情状につき認定判断すべきものである。したがって、申立書に記載された事実関係と申立てを受けた裁判所が証拠によって認定した事実関係との間に同一性を欠くとはいえない程度の相違があっても、懲戒の裁判が違法となるものではないというべきであり、右の同一性がある範囲内であれば、当該裁判官の弁明・反証の機会を奪うものとはいえない。本件において抗告人の指摘する相違点は、すべて右の同一性の範囲内にあることは明らかであり、しかも、抗告人において反論済みの問題点であって、抗告人の防御権行使に何らの支障もなかったことが明らかである。抗告人の投書の事実も、申立書に証拠として投書記事が添付されており、不意打ちとはいえない。
したがって、原審が申立裁判所に釈明を求めずに申立書記載の事実と細部において異なる事実を認定してこれを基に懲戒を決定したことに違法はなく、このことが憲法三一条等に違反するとはいえない。
第三 結論
以上によれば、抗告人を戒告した原決定は正当であり、本件抗告は理由がない。よって、裁判官園部逸夫、同尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同元原利文の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官園部逸夫の反対意見は、次のとおりである。
私は、裁判官が在任中積極的に政治運動をしたことが認められる場合でも、そのことのみを理由として、当該裁判官を懲戒処分に付することはできないと考えるものである。多数意見は、これと異なる前提に立って懲戒についての認定判断をしているが、私は、多数意見が前提とする裁判所法の解釈については見解を異にするため、これに賛成することができない。その理由は、次のとおりである。
裁判所法五二条一号は、裁判官は在任中積極的に政治運動をすることができないと定め、右行為を絶対的に禁止している。すなわち、裁判官に在任することと積極的な政治運動に従事することとは、そもそも両立し得ないのである。また、右条項により禁止されている裁判官の積極的な政治運動に該当する行為(懲戒事実)と同法四九条所定の懲戒事由及び裁判官分限法二条所定の懲戒処分の種類(戒告又は一万円以下の過料)との間には、明確な対応関係がないので、積極的に政治運動をしたことのみを理由として在任中の裁判官を懲戒処分に付するということは、法の建前ではないと考える。したがって、在任中に積極的に政治運動をしたことが直ちに職務上の義務違反に該当すると判断するのは妥当でない。この点、国家公務員法一〇二条一項及び人事院規則一四―七「政治的行為」が政治的行為の制限を規定し、右制限違反については、同法八二条一号が「この法律又はこの法律に基づく命令に違反した場合」と規定してこれを懲戒事由とした上で戒告から免職に至る各種の懲戒を課するものとするとともに、同法一一○条一項一九号がこれに刑事罰を科するものとしているのとは異なる。
右の理由により、私は、裁判官が在任中に積極的に政治運動をしたことが認定される場合でも、裁判所法四九条所定の第一の懲戒事由である職務上の義務に違反することに該当するとして当該裁判官を戒告又は一万円以下の過料のいずれかの懲戒処分に付することはできないと考える。
ただし、積極的であるかどうかにかかわらず、およそ政治運動をするために職務を怠ったという事実が認められるときは、同法四九条所定の第二の懲戒事由に、また、政治運動をすることによって裁判官の品位を辱める行状があったという事実が認められるときは、同条所定の第三の懲戒事由に該当するとして、懲戒処分に付することができる。
なお、裁判官に対する懲戒処分の手続とは直接関係のないことであるが、裁判官が在任中に積極的に政治運動をした事実が認められ、右運動をするため当該裁判官が職務を甚だしく怠った場合、又は右運動が職務の内外を問わず裁判官としての威信を著しく失うべき非行に当たる場合には、最高裁判所は、所定の手続を経て、当該裁判官について、裁判官弾劾法二条一号後段又は同条二号所定の罷免事由に該当するとして、同法一五条三項に基づき裁判官訴追委員会に罷免の訴追をすべきことを求め、弾劾による罷免の事由に該当するか否かの認定判断を裁判官弾劾裁判所の裁判にゆだねることができる。
以上の前提に立って、本件についてみると、原決定は、抗告人が在任中に積極的に政治運動をしたことを認定判断し、そのことが裁判官の職務上の義務に違反するとして、抗告人を懲戒処分に付しているのであって、抗告人の行為が裁判所法四九条所定の他の懲戒事由に該当するかどうかについては、認定判断をしていない。したがって、原決定には、同法の規定の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。そして、本件全証拠によっても、抗告人の行為が同条所定の他の懲戒事由に該当するとは認められない。よって、原決定を取り消し、抗告人を懲戒処分に付さないこととすべきである。

+反対意見
裁判官尾崎行信の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件の実体面については、元原裁判官の反対意見に同調するほか、抗告人の行為は「積極的に政治運動をすること」に当たらないとする点において遠藤裁判官とも考えを同じくし、たとえ多数意見のいうとおり抗告人の本件言動をもって右懲戒事由に当たると解し得るとしても、懲戒処分をすることは差し控えるのが相当であるとする点において河合裁判官と考えを同じくするものであるが、当審における審理手続についても、多数意見と立場を異にする。その理由は、次のとおりである。
一 裁判官の分限事件手続規則(以下「規則」という。)七条は、裁判官の分限事件に関し、「その性質に反しない限り、非訟事件手続法第一編の規定を準用する。」と規定している。しかし、本件の当審における審理手続がいかにあるべきかについては、関連する法条の文言にとらわれることなく、事件の類型、性質、内容などに照らしそれらに適した手続はいかなるものか、それが近代法の下における適正な司法運営として広く受容され得るものかを検討の上で、決定することが必要である。
二 かつては、実体的権利義務の存否を確定する純然たる訴訟事件でないものは、いわゆる非訟事件として非訟事件手続法(以下「非訟法」という。)の定める手続により処理され、公開・対審の手続の保障(憲法三二条、八二条)は及ばないと考えられていたが、非訟事件に分類されている事件の中にも、その性質や内容に応じて、今日では、手続的保障を加味し公開・対審の原則の適用を考慮すべき場合があることを認め、そのような場合には、適正手続に従った裁判によって基本的人権を保障することが必要であるとするのが憲法の趣旨に合致すると解されている。従来の訴訟事件・非訟事件の二分類説によって画一的・形式的に審理方法を区別するときは、分類基準のあいまいさから、事件の実質にそぐわない場合が生ずるからである。
三 また、本件のように特別な公法関係に入った者に対する基本的人権保障規定の適用に当たっては、一般人に対する場合と異なった制約の生ずることを認めざるを得ないが、その制約は、特別な公法関係の設定目的及び存在理由からみて合理的であって必要不可欠なものが最小限度で許されるにとどまると解すべきである。これを懲戒について考えると、職務規範、懲戒事由等の実体面では具体的な職務、地位、責任に応じ必要で合理的と認められる制約があり得るが、懲戒手続やその不服申立方法等の手続面では被処分者の名誉等への配慮を要するほかはその関係に内在する合理的な制約を想定することはほとんど不可能である。つまり、懲戒処分事件の場合にも、憲法が一般国民に保障する公正な手続に従った裁判によって最終判断を受ける権利(憲法三二条)を奪う合理的理由は見いだせず、その手続に関する限りは近代司法の諸原則たる直接主義、口頭主義のほか、被処分者が希望する場合には公開主義にものっとって行われるべきものと考えられる。一般の公務員の懲戒については、行政処分として懲戒決定があると、行政不服審査を経た上で司法審査による救済の道が開かれていることをみても、このようにいうべきである。
四 以上の観点からみるだけでも、本件は非訟法に従って処理するだけでは足りないとの結論を導くことができるが、さらに、裁判官の懲戒については、非訟法の定めによらず公開手続、口頭主義、直接主義などの近代司法の原則の下に、基本的人権を保障すべく、格別の配慮を必要とする理由が認められる。
第一に、本件では、懲戒権者が裁判所である点に留意することを要する。すなわち、裁判所は、懲戒権の行使すなわち行政処分の実質を有する行為を裁判という形式で行うのであり、行政機関としての役割と司法機関としての役割を一つの行為によって果たしている。その結果、利害が相反することも想定され、特に被処分者からみれば司法的判断者としての公正・中立に危ぐを抱きやすいことは当然であるし、また外部の一般国民も同様の不信感を覚えることもあろう。
このことにかんがみれば、裁判所は、司法審査権能を適正に行使したことを内外に示すため、本来の司法裁判の原則に照らし、最も公正な手続を採り、司法過程を最大限透明にし、当事者及び世人の危ぐを払拭すべきである。裁判官の職にある者がした裁判であるということだけでは、公正・中立を保障するものではなく、また、その無びゅう性を担保するものでもない。公正・中立は、公開・対審の手続を経ることによって保障の実が上げられるというべきである。公開法廷において、直接主義、口頭主義の原則の下に審理を尽くすことこそが、単に被処分者の基本的人権を保障するだけでなく、裁判所の公正・中立を社会に公示し、その信頼性を確保することとなるのである。
第二に、規則七条が「その性質に反しない限り」非訟法を準用すると定めていることを忘れてはならない。裁判官の懲戒事件は、刑事事件に比すべき重みを有するものであり、その審理手続は、刑事事件手続において要請される裁判の公開、対審構造、証拠主義などの原則に沿ったものが適切である。この面を無視し、民事・家事など通常の非訟事件と同一レベルで本懲戒事件を考え、単に非訟法を文面どおり準用すればよいとすることは、同条が特に「その性質に反しない限り」と定めた趣旨に違背するものというべきである。
また、特別な公法関係にある者の懲戒手続につき司法的救済を拒否する合理的な理由は存在しない。一般の公務員はこれを享受しているのであるから、裁判官も同様の救済を得られるよう非訟法を解釈運用すべきである。
しかも、本件においては、裁判所が懲戒権者の側面と司法的判断者の側面を同時に帯有するため、外観においても内容においても公正・中立を実現するためには特段の努力が要求される場合であるから、本事件の特質、特に右の二面性を考慮すれば、「その性質に反しない限り」の文言に照らし、前記の近代司法の諸原則を適用すべきである。
第三に、裁判所の行う懲戒の裁判が行政処分の実質を有することにかんがみると、当裁判所が本抗告事件を非訟法に従って現に執った手続の下で処理することは、上級行政機関の行う再審査手続と大差がなく、行政機関が終審として裁判を行うことを禁ずる憲法七六条二項の趣旨に反することになると考える。裁判官の場合も他の公務員と同様不利益処分に対して司法救済のみちを開いておくべきである。
しかも、当裁判所において、抗告人が非訟法の定めの下で執り得る司法裁判に要請される適正手続に最大限近い手続による審理を受けることができなかったことは、懲戒事由の有無、懲戒権の存否など訴訟事件として判断さるべき事案につき適正手続下の公正な裁判を受ける権利(憲法三二条)を行使し得なかったこととなるというべきである。
五 要するに、当審において本件を処理するに当たっては、裁判所は公開裁判、口頭主義、直接主義など近代司法の諸原則の下にこれを審理するべきであり、こうした審理、判断であってこそ社会一般も当事者本人も納得させることができ、裁判所への信頼も高められるのであり、そうでない限り、当審の手続は違法たるを免れない。

+反対意見
裁判官河合伸一の反対意見は、次のとおりである。
私は、当審における審理を公開法廷で、直接、口頭により行うべきであるとする点において尾崎裁判官と考えを同じくし、抗告人の本件言動が裁判所法四九条及び五二条一号後段所定の懲戒事由たる「積極的に政治運動をすること」に該当しないとする点において遠藤裁判官及び元原裁判官と考えを同じくするものであるが、さらに、たとえ多数意見のいうとおり抗告人の本件言動をもって右懲戒事由に当たると解し得るとしても、懲戒処分をすることは差し控えるのが相当であると考えるので、その理由を述べておきたい。
一 憲法の保障する思想・信条の自由及びこれに伴う表現の自由は、政治について自己の見解や意見を持ち、それを表明する自由を含むものであり、裁判官も、国民の一人として、基本的にこれらの自由を有することは多言するまでもない。他方、裁判官が、司法に対する国民の信頼を維持するため、その職務を行うについて中立・公正でなければならないことはもとより、外見上も中立・公正を保つことが要請されることは、多数意見の説示するとおりである(裁判官がその職務を行うについて中立・公正でなければならないとの要請は、外見上の中立・公正の要請よりもはるかに強く、いわば絶対的なものである。しかし、本件は直接には裁判官の職務遂行に関するものではないから、以下では、その場合の中立・公正の要請については論じない。)。
二 問題は、裁判官の政治について見解等を表明する自由と、外見上中立・公正を保つことを要請されるという制約とを、いかにして調整し、調和させるかというところにある。
私は、これをするのはまず裁判官自身であり、かつ、制度としても、できる限り、各裁判官の自律と自制に期待すべきものと考える。
本来、裁判官は、高い職業的倫理観ないし良識を有する者であることが想定されている。そのことからすれば、右の調整ないし調和を、まず、裁判官自身の良識に基づく自律と自制にゆだねるのが、当然の順序である。裁判官は、もし何らかの政治的言動をするのであれば、その内容や表現方法はもとより、いわゆる時・所・機会を十分に吟味し、前記中立・公正の要請との調和を図らなければならない。もとより、その判断は常に容易であるとは限らず、殊に経験の浅い裁判官が迷い、ときに誤ることがあるかもしれない。しかし、裁判官は、一般に、比較的親密でしかも自由な職場で、先輩や同僚の意見に接し、助言を得ることができる環境にあるから、それらを得ながら、熟慮を重ねることによって、やがては右判断を適切に行い得る域に達することが期待できるのである。
裁判所法及び裁判官分限法が制定、施行され、裁判官が積極的に政治運動をすることが懲戒事由に該当するものとされてから既に半世紀を超えているのに、これまで右事由により懲戒された例はない。このことは、これまで裁判官が全体として右のような期待に十分こたえてきたことを示すとともに、今後ともその期待を基礎として制度を運用することの正しさを裏付けるものといえよう。
三 私が右のようにいうのは、それが、裁判官及び司法のあるべき姿に添うと信じるからである。
憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定している。これは、個々の裁判官が裁判をするについての自主独立性を宣明するものである。裁判官は、不断に考究し、謙虚な自省を重ねつつ、自己の裁判官としての良心に従って、職務を行うのである。その裁判官の職務は、事実を確定し、憲法以下の法令を適用して裁判をすることであるが、現代の複雑かつ変化を続ける社会においてこれを適切に行うためには、単に法律や先例の文面を追うのみでは足りないのであって、裁判官は、裁判所の外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備える努力を続けなくてはならない。
このような、自主、独立して、積極的な気概を持つ裁判官を一つの理想像とするならば、司法行政上の監督権の行使、殊に懲戒権の発動はできる限り差し控え、だれの目にも当然と見えるほどの場合に限るとすることが、そのような裁判官を育て、あるいは守ることに資するものと信じるのである。
四 抗告人の本件言動それ自体は、要するに、「本件集会においてパネリストとして参加する予定であったが、所長から警告を受けたので取りやめる」との趣旨の発言をしたというものである。、多数意見は、右発言を、それに至る経緯等を背景に置いて評価し、裁判所法五二条一号後段の「積極的に政治運動をすること」という懲戒事由に該当するとしている。しかし、たとえそのような評価が可能であるとしても、それは、いわばぎりぎりの解釈によってである。その意味で、本件はいわゆる限界事例であり、だれが見ても右事由に該当することが明らかで、懲戒権の発動は当然であると見えるということはできない。
このような限界例にまで懲戒権を発動することが、特に若年の裁判官が前述のような自主、独立、積極的な気概を持つ裁判官に育つのを阻害することを、私は危倶する。殊に、右懲戒事由の要件は、「積極的に」といい、「政治運動」といっても、いずれも多義的な、相当に幅のある定めである。そのような幅のある要件について限界まで懲戒権が発動される例を見ることにより、裁判官の中に必要以上に言動を自制する者が現れはしないかと案ずるのである。
本件について、国民の一部から右と同様の危倶が表明されている。それらの多くは、司法が前述のような裁判官によって担われることを望み、懲戒権あるいは司法行政上の監督権が今後広く行使されることによって、その望みが達せられなくなるのではないかとの不安ないし不信を感じているものであろう。もとより、そのような不安ないし不信は杞憂であると考えるが、殊に本件が積極的政治運動を理由とする裁判官懲戒の初めての例であるだけに、そのような不安・不信を感じることも理解できないではない。そして、司法に対する国民の信頼の確保の観点からすれば、そのような不安、不信感を与えること自体、できる限り避けるべきものである。五 抗告人の本件言動を含む一連の言動は、裁判官として不適切であり、支持できるものではない。しかし、だからといって本件懲戒処分の当否の検討が不要となるわけではない。
分限裁判によって裁判官を懲戒する目的は、まず、当該裁判官をして反省させ、その将来の言動を是正しようとするところにあるが、これに加えて、他の裁判官一般に対して、基準を示して自戒を求め、ひいては、司法の中立・公正を国民の前に明らかにして、その信頼を確保しようとするところにもある。本件のような限界事案をもって前記事由による懲戒の初めての先例とすることは、裁判官に示すべき基準として適切でないばかりか、前述のとおり、裁判官一般及び国民に対し、かえって悪しき影響を及ぼすことが懸念されるのである。
六 以上のとおり、私は、たとえ抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号後段に該当するといえるとしても、それを理由として懲戒処分をすることは相当でないから、いずれにしても原決定を取り消し、抗告人を懲戒しない旨の決定をすべきものと考える次第である。
裁判官遠藤光男の反対意見は、次のとおりである。
私は、抗告人の本件言動が裁判所法五二条一号所定の「積極的に政治運動をすること」に該当するものではなく、同法四九条所定の懲戒事由である職務上の義務違反行為に当たらないと考えるので、多数意見の結論には反対である。
一 「積極的に政治運動をすること」の意義及びその判断基準
1 憲法二一条一項が保障した表現の自由は、近代民主主義国家の一員である我が国の国民にとって、侵すことのできない永久の権利として付与された貴重な基本的人権の一つである。したがって、この権利は、何人に対しても最大限に保障されなければならないのであって、裁判官であるからといって、その保障の対象から除外される理由はない。もっとも、右自由も、必ずしも絶対的なものではなく、憲法上の他の要請により一定の限度において制約を受けることがあり得ることは、多数意見が指摘するとおりである。裁判所法五二条一号が裁判官に対し、「積極的に政治運動をすること」を禁止したことは、その禁止対象行為が「積極的な政治運動」のみに限定されていること、裁判官が置かれている特別な地位及びその職務内容の特殊性等からみて、やむを得ないものというべきである。
2 「積極的に政治運動をすること」の意義については、それ自体、かなり幅広い概念であって、これを一義的に定義付けることは困難である。
しかしながら、右の概念は、憲法二一条一項が保障した表現の自由に対する重大な制約としての意味を持つものである以上、でき得る限り厳格に解釈されなければならないことはいうまでもない。そして、その解釈の手掛かりとしては、裁判官の政治的行為につき定めていた旧裁判所構成法の制約条項と現行法である裁判所法の制約条項との比較、一般公務員の政治的行為につき定める国家公務員法の制約条項と裁判所法の制約条項との比較、各立法の背景的事実、それぞれの立法の趣旨、目的の違い等からみて、おおよその判断基準を設定することが可能であると考える。
3 旧裁判所構成法七二条一、二号は、判事は在職中「公然政事ニ関係スル事」及び「政党ノ党員又ハ政社ノ社員トナリ又ハ府県市町村ノ議員トナル事」を禁止していた。これに対し、裁判所法五二条一号は、禁止事項として「国会若しくは地方議会の議員となること」及び「積極的に政治運動をすること」を掲げている。このように、右各規定の間には、明らかに文意上の違いがみられる。すなわち、旧裁判所構成法が「政事ニ関係スル事」として、その禁止行為の範囲を幅広く、かつ、漠然と規定していたのに対し、裁判所法は、「積極的に政治運動をすること」とし、その行為を限定している。また、旧裁判所構成法が「政党ノ党員又ハ政社ノ社員」となることまでをも禁止していたのに対し、裁判所法においては、その旨の規定が意識的に排除されているのである。この違いは、単なる表現上の違いにとどまるものではなく、憲法の精神に由来した実質的相違点として理解されなければならない。けだし、旧憲法においても、臣民に対する表現の自由が一応保障されていたとはいえ(旧憲法二九条)、その内容は、「侵すことのできない永久の権利として付与された基本的人権」に基づくものとはほど遠いものであったのに対し、新憲法が保障した表現の自由は、これとは全く異質のものであったため、裁判所法五二条は、憲法二一条一項との抵触を回避するため、前記のように、極めて限定した条件の下に、その制約を認めることとしたものと解されるからである。
したがって、裁判所法は、新憲法の精神にかんがみ、裁判官が政党の党員又は政治結社の社員となることを容認しているばかりでなく、裁判官が社会通念的にみて相当と認められる範囲内の通常の政治運動をすることを認めているものと理解することができるのである。
4 そこで、「積極的な政治運動」と「通常の政治運動」とをどのように画すべきかが問題となるが、多数意見が指摘するとおり、この両者は、裁判官が置かれている憲法上の地位の特殊性(三権分立の原則に基づく独立性)とその職務の特殊性(中立性・公正性)を念頭において分別されるべきものと思われる。すなわち、裁判官は、名実ともに中立・公正に、かつ、すべての権力から独立してその職務を行わなければならないことはいうまでもないが、具体的な職務の遂行を離れてもまた、常に外見上、中立・公正らしさを保持していることが求められているのである。したがって、客観的にみて、そのような中立・公正らしさを保持していることが著しく疑われるような程度に達するような政治運動を行うことは厳に慎まなければならない。裁判所法が「積極的に政治運動をすること」を禁止したゆえんも、正にこの点にあると考えられる。しかし、裁判官といえども、裁判官である前に一市民である。一市民である以上、政治に無縁であり、無関心であり得るはずがない。政治的意識を持つことは当然であり、もともと何らかの政治的立場を保有していたとしても、何ら不思議ではない。現に、前述したとおり、裁判官が政党の党員となり、政治結社の社員となることが容認されている以上、これに準じる程度の政治運動を行うことが禁じられるいわれはない。また、その程度の行為をしたことだけで、裁判官に対し求められる外見上の中立性・公正性が直ちに損なわれることとなったとみるべきではない。けだし、憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しているが(憲法七六条三項)、裁判所法は、裁判官がどのような政治的立場にあろうとも、その立場を超越して、前記規定に基づき忠実にその職権を行うことを期待したものとみてよく、現実にも、多くの裁判官は、その期待に十分こたえているとみられるからである。さらに、我が国における裁判官の政治運動の許容範囲をみるに当たり、社会的諸条件等を異にする諸外国の運用実態を安易に当てはめるべきでないことはいうまでもないが、それにしても、この問題に関する我が国の裁判所の伝統的な考え方は諸外国における考え方とはかなり異なっているように思われてならない。河合裁判官が指摘するとおり、裁判官は、裁判所外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備えるよう努めなければならないのであって、そのためにも、でき得る限り自由かっ達な雰囲気の中でその職務に従事することが望まれるのである。このような考え方は、近時国民各層の間に深く浸透しつつあるように思われる。そのような国民の意識からみても、裁判官が多少の政治運動に従事することがあったからといって、直ちにその独立性が失われ、外見上の中立性・公正性が損なわれるに至ったとみることは杞憂にすぎないというべきである。したがって、裁判所法は、裁判官が行った政治運動の態様が社会通念に照らしかなり突出したものであるがゆえに、将来、前記憲法上の要請を逸脱してその職権が行使されるおそれがあり、ひいては、そのことによって、裁判官に求められるその地位の独立性や前記外見上の中立性・公正性までもが著しく損なわれるに至ったと認められる場合に限り、これを禁止行為の対象としたものと解するのが相当である。
5 また、国家公務員法一〇二条及びこれを受けた人事院規則一四―七は、行政府に属する一般職の国家公務員の政治的行為を一定の範囲で禁止しているが、その規定の仕方は、裁判所法五二条一号で定めるところとは、やや異なったものとなっている。
その詳細については、多数意見が指摘しているとおりである。すなわち、国家公務員法及び人事院規則の前記各規定は、法自体が定める政治的行為のほか、右規則が定める政治的行為を禁止することとした上、同規則は、その政治的行為を具体的に列挙する形でこれを定めている。しかし、その範囲は、現実的にはかなり広範なものに及んでおり、しかも、積極的にこれらの行為を行うことを要件付けていない。これに対し、裁判所法は、「積極的に政治運動をすること」のみに限定してこれを禁止しているのであるが、その点に両者の違いが端的に現れている。多数意見は、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する要請にも増してより強いものがあるとする。確かに、そのような一面があることは否定することができないが、他面また、行政府に属する一般職の国家公務員は、一たび決定された政策を団体的組織の中で一体となって忠実に執行しなければならない立場に置かれているのに対し、裁判官は、憲法と法律のみに制約されることを前提として独立してその職権を行うことが求められていることに加え、違憲立法審査権が付与されていることなど、その職務の執行面において大きな違いがみられる。このため、一般職の国家公務員に対しては、ある程度幅広くその行為を法的に制約することとしたものの、裁判官の政治的行動に対する制約については、法的強制力を伴った制約をできるだけ最小限度のものにとどめた上、裁判官一人一人の自制的判断と自律的行動にその多くを期待したとみることもできると思われるのである。したがって、裁判所法五二条一号所定の政治運動につき、その行為の修飾語として「積極的に」という言葉が付与されていることの意味は、極めて重く受け止められなければならないと考える。
そうだとするならば、右両規定の違いもまた、その判断基準を前記4のとおり、厳しく限定して解釈すべきものとすることについての重要な一指針となり得るものというべきである。
二 抗告人の言動と懲戒事由の該当性
1 抗告人の言動は、おおむね多数意見において認定されたとおりである。すなわち、抗告人は、いったんは本件集会に出席し、パネリストとして発言しようとしたものの、仙台地方裁判所長から注意されたため、パネリストとしての発言を断念し、会場の一般参加者席からその身分を明らかにした上、これを辞退した理由を説明したというのである。
2 もし仮に、抗告人が現実にパネリストとして登壇し、発言したとした場合、その具体的発言内容いかんによっては、「積極的に政治運動をした」と評価される場合があったかもしれないし、また、他の理由により(例えば、「品位を辱める行状」があったものとして)懲戒事由の存在が認められる場合もあり得るかもしれない。しかし、抗告人の言動が前記の域を超えるものでなかった以上、これによって、抗告人が「積極的に政治運動をした」とみることは困難というべきである。けだし、抗告人の言動は、その主観的意図、目的はともかくとして、(一)主として、いったん応諾したパネリストとしての発言を辞退する理由を説明するためされたものにすぎないこと、(二)特定の法案に反対である旨を表明するとともに、懲戒事由の成否に関する自己の見解を明らかにするにとどまっていること、(三)裁判官としての身分を明らかにした上での発言であることからみて、出席者に対して、事実上、多くの影響を与えたことは推測できないわけではないとしても、反対運動をせん動し、又は反対運動の進め方などにつき具体的かつ積極的な発言をしたものではなかったこと、などにかんがみると、右言動により、抗告人の裁判官としての独立性及び前記外見上の中立性・公正性が著しく損なわれるに至ったと断定することはできないと考えられるからである。
3 抗告人の言動には、遺憾と思われる部分が少なくない。例えば、朝日新聞に対する投書一つをとってみても、あたかも令状実務に携わる裁判官の多くが、検察官や警察官の言いなりになって安易に令状を発付しているかのような誤解を読者に与えかねない性質のものである。現実には、大部分の裁判官が心血を注いで誠実に令状実務に従事していることは疑いの余地がないが、抗告人の投書は、これらの裁判官に対し、耐え難い侮辱を与えたものであるばかりでなく、その実情を知らない多くの国民に対し、いわれなき司法不信の念を植え付けたものであって、その責任は誠に大きい。しかし、右の事情は、本件言動に至るまでの前提的事実にすぎないのであって、申立裁判所の申立て事実である本件言動自体の内容をなすものではない。したがって、この点をとらえて、抗告人を懲戒処分とすることは、許されるべきではない。
私は以上の理由により、抗告人には懲戒事由が存在しないものと考える。よって、原決定を取り消した上、抗告人を懲戒に付さない旨決定すべきである。なお、私は、当審において審問期日を開いた上その手続を公開して行うべきであるとする点において、尾崎裁判官と考えを同じくする。

+反対意見
裁判官元原利文の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見と異なり、裁判官尾崎行信の反対意見に同調するほか、抗告人の本件言動は、裁判所法五二条一号に定める「積極的に政治運動をすること」には該当せず、同法四九条所定の職務上の義務に違反したことにはならないと考える。その理由は、次のとおりである。
一 裁判所法五二条は、憲法一五条二項、七六条三項、九九条、裁判所法七五条二項後段、七六条等の規定とともに、裁判官としての地位にある者の職務上の義務を定めたものである。したがって、裁判官がこれに反する行為をしたときは、裁判所法四九条に定める「職務上の義務に違反」したものとして、同条を受けて定められた裁判官分限法所定の手続により懲戒されることがあり、さらに、義務違反の程度が著しいときは、裁判官弾劾法所定の手続により罷免されることがあり得るのである。
すなわち、裁判所法五二条各号の定めは、その名あて人である各裁判官に対し、これに違反するときは懲戒あるいは罷免手続に付されることがあり得ることを予告することにより、同条各号の行為をすることを禁ずる職務上の行為準則を示したものであり、このことは、他方、右準則に違反した裁判官に対して懲戒権を行使する者につき、懲戒権行使の限界を画する意味を有するのである。
二 ところで、懲戒の対象となる行為を定める規定は、できる限り具体的かつ個別的であることが望ましい。具体的、個別的であることにより、名あて人はいかなる行為が禁じられているかを容易に知ることができ、懲戒権者も、名あて人が行為準則に反する行為をしたか否かを的確に判断できるからである。
もしその定めが包括的ないし多義的であるときは、その解釈をめぐって意見の相違を来すおそれのあることは明らかである。
懲戒権者は、規定をできる限り広義に解しようとするに対し、名あて人はこれを限定的に解しようとすることは避けられないからである。かくては、行為準則の内容をめぐる懲戒権者と名あて人間の共通の認識が失われ、行為準則を定めたことによる一般予防的な効果が期待できないこととなる一方、懲戒権者が懲戒権を行使するに当たり、行為準則の解釈がし意的であり、懲戒権の行使は不意打ちであるとの非難を被る余地を残すこととなるのである。
三 これを裁判所法五二条各号についてみると、国会又は地方公共団体の議会の議員となること、最高裁判所の許可のある場合を除いて報酬のある他の職務に従事すること、商業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うことについては、その意味内容がそれぞれ一義的であって、その解釈適用については、まず疑問を生ずる余地がないと思われる。ところが、「積極的に政治運動をすること」の意義については、その解釈が区々になる可能性をはらむものと認めざるを得ない。「積極的に」といい、「政治運動」といっても、これを読む者の立場、認識のいかんによって、広狭いかようにも理解し得る表現だからである。
かかる規定を解釈するに当たっては、これが懲戒の対象となるべき行為を定めたものであることに思いを致し、懲戒権者と名あて人の双方が、共通の認識を分かち得るように、その字句から文理上導き出せるところに従い、客観的に中庸を得た視点でこれを行わなければならないと考える。
特に本件の場合、裁判所は懲戒権を行使する行政庁の立場にあるが、それを裁判という形式で行うものであるから、規定の解釈、適用に当たっては、右視点の保持に特に意を用いることが肝要であり、むしろ謙抑的な解釈態度をもって臨むことが望ましいとすら考えられるのである。
四 右の見地に立って、「積極的に政治運動をすること」の意義を考えると、字義に即していえば、「自から進んで、一定の目的又は要求を実現するために、政治権力の獲得、政治的状況の変革、政治的支配者への抵抗、あるいは政策の変更を求めて展開する活動」ということになろう。したがって、その意味するところは、単なる意見表明の域を超え、一定の政治目的を標ぼうする運動の中に自らの意思で身を投じ、目的実現のために活発に活動することを指すこととなるであろう。
また、行為の積極性は、行為者自身の意思とこれを表現する具体的行為の態様に即してこれを見るべきであって、行為の対象となった第三者自体が主体的に決定し、行動した内容について見るべきものでないことはもちろんである。
裁判所法制定当時の経緯及び公刊された同法の解説をみると、単に政党に加入して政党員になったり、一般国民の立場において政府や政党の政策を批判し、あるいは裁判官が講師をしている大学の講義中に特定政党の批判をすることなどは「積極的に政治運動をすること」には当たらないと解されてきたのである。すなわち、裁判所法は、裁判官が「政治運動」をすることの是非については、裁判官個人の職業的倫理感や良識にゆだね、これが「積極的」と評価し得る程度にまで及んだときに、初めて懲戒の対象となる行為としたものと理解できる。したがって、「積極的に政治運動をすること」の解釈は、この相違を念頭において行わなければならないものである。
五 そこで、本件集会における抗告人の言動が、右の意味における「積極的な政治運動」に該当するか否かを検討するに、抗告人の言動が、多数意見第一の一の2で認定されたとおり(ただし、「本件集会の参加者に対し」以降の記載を除く。)であるとしても、その発言の内容は、
(一) 当初は、盗聴法と令状主義というテーマのシンポジウムにパネリストとして参加する予定であったこと
(二) 所長から集会に参加すれば懲戒処分もあり得るとの警告を受けたため、パネリストとしての参加を取りやめたこと
(三) 仮に自分が法案に反対の立場で発言しても、裁判所法に定める積極的な政治運動に当たるとは考えていないこと
(四) しかし、パネリストとしての発言は辞退することであったというのである。
右のうち、(一)、(二)及び(四)は、パネリストとしての参加を求められていながら、参加と発言を辞退するに至った経過を説明したにすぎず、この発言のみに限っていえば、これを目して積極的な政治運動を行ったとまでは到底いい得ないであろう。
したがって、問題は、仮定的な表現となっている(三)の発言が、積極的な政治運動に該当するか否かであろうと思われる。確かに抗告人のこの発言は、出席者に対して、自己がパネリストとして発言するときには、盗聴法の内容に反対する立場から意見を述べる予定であったことを言外に伝える趣旨を含むものであり、抗告人が望んだのもかかる効果であったと理解することも可能である。しかしながら、この発言は、抗告人が、本件集会の出席者に対し、盗聴法の制定に対する反対運動に参加し、これを廃案に追い込むべきことを、明確かつ積極的に訴えかけていると認めるには程遠いものである。そうだとすると、抗告人の本件言動は、先に示した基準に照らし、いまだ積極的な政治運動をしたことには該当しないと解さざるを得ない。これをもって、反対運動を支援し、これを推進する役割を果たしたというのは、過大な評価である。
六 以上の次第であるから、原決定には、裁判所法五二条一号の解釈適用を誤った違法があるというべきである。よって原決定を取り消し、抗告人を懲戒に付さない旨を決定するべきである。
(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 園部逸夫 裁判官 小野幹雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 根岸重治 裁判官 尾崎行信 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 福田博 裁判官 藤井正雄 裁判官 元原利文 裁判官 大出峻郎 裁判官 金谷利廣 裁判官 北川弘治)

(2)公正性・中立性を担保するもの

(3)職務行使と市民的自由の峻別
+第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

QR
+判例(H19.2.27)ピアノ伴奏拒否事件
理由
1 本件は、市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため、上記命令は憲法19条に違反し、上記処分は違法であるなどとして、被上告人に対し、上記処分の取消しを求めている事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、平成11年4月1日から日野市立A小学校に音楽専科の教諭として勤務していた。
(2) A小学校では、同7年3月以降、卒業式及び入学式において、音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており、同校の校長(以下「校長」という。)は、同11年4月6日に行われる入学式(以下「本件入学式」という。)においても、式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。
(3) 同月5日、A小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が開かれた際、上告人は、事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言われたが、自分の思想、信条上、また音楽の教師としても、これを行うことはできない旨発言した。校長は、上告人に対し、本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じたが、上告人は、これに応じない旨返答した。
(4) 校長は、同月6日午前8時20分過ぎころ、校長室において、上告人に対し、改めて、本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた(以下、校長の上記(3)及び(4)の命令を「本件職務命令」という。)が、上告人は、これに応じない旨返答した。
(5) 同日午前10時、本件入学式が開始された。司会者は、開式の言葉を述べ、続いて「国歌斉唱」と言ったが、上告人はピアノの椅子に座ったままであった。校長は、上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから、約5ないし10秒間待った後、あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を行うよう指示し、これによって国歌斉唱が行われた。
(6) 被上告人は、上告人に対し、同年6月11日付けで、上告人が本件職務命令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして、地方公務員法(平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3号に基づき、戒告処分をした。

3 上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違反をいう部分について 
(1) 上告人は、「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており、これを公然と歌ったり、伴奏することはできない、また、子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ、このような考えは、「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができるしかしながら、学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが、一般的には、これと不可分に結び付くものということはできず、上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が、直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。
(2) 他方において、本件職務命令当時、公立小学校における入学式や卒業式において、国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり、客観的に見て、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり、特に、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない
本件職務命令は、上記のように、公立小学校における儀式的行事において広く行われ、A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し、音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって、上告人に対して、特定の思想を持つことを強制したり、あるいはこれを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない
(3) さらに、憲法15条2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と定めており、地方公務員も、地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ、地方公務員法30条は、地方公務員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し、同法32条は、上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって、法令等に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ、上告人は、A小学校の音楽専科の教諭であって、法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり、校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして、学校教育法18条2号は、小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し、学校教育法(平成11年法律第87号による改正前のもの)20条、学校教育法施行規則(平成12年文部省令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領(平成元年文部省告示第24号)第4章第2D(1)は、学校行事のうち儀式的行事について、「学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わい、新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ、同章第3の3は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは、これらの規定の趣旨にかなうものであり、A小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても、本件職務命令は、その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである。
(4) 以上の諸点にかんがみると、本件職務命令は、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。
なお、上告人は、雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが、以上に説示したところによれば、上告人がこのような考えを有することから本件職務命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。
以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁、最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁、最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は、以上の趣旨をいうものとして、是認することができる。論旨は採用することができない。

4 その余の上告理由について
論旨は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって、民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
よって、裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官那須弘平の補足意見がある。

+補足意見
裁判官那須弘平の補足意見は、次のとおりである。
私は、本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするものであるが、その理由とするところについては、以下のとおり若干の補足をする必要があると考える。
1 学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、一般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず、国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても、その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと(理由3(1))、客観的に見ても、入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であること(同3(2))は、多数意見のとおりである。
しかし、本件の核心問題は、「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても、上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると、職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは、上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり、さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。
この点、本件で問題とされているピアノ伴奏は、外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって、伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり、意味のあるものになると考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは、演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと、そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない、できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし、結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも、容易に理解できることである。
本件職務命令は、上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で、同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ、ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって、本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては、上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として、これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。
2 上記の点について、多数意見が挙げる憲法15条2項(「全体の奉仕者」)、地方公務員法30条(「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤務)、32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と、上告人のような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係については、以下のとおり理解することができる。
第1に、入学式におけるピアノ伴奏は、一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に、他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。その内面性に着目すれば、演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ得るが、外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑かつ効果的なものにするに必要な行為にほかならず、音楽専科の教諭の職務の一つとして校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。
このような両面性を持った行為が、「思想及び良心の自由」を理由にして、学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり、あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは、学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし、ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。
なお、学校の教師は専門的な知識と技能を有し、高い見識を備えた専門性を有するものではあるが、個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師の裁量にゆだねられるということでは、学校教育は成り立たない面がある。少なくとも、入学式等の学校行事については、学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動(必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではないが、少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態様のものであること)が必要とされる面があって、学校行事に関する校長の教職員に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。
第2に、入学式における「君が代」の斉唱については、学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが、他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり、これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合致し、また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方(平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2項)にも調和するものであることは明らかである。
他面において、学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上、上記のような多元性の尊重だけではこと足りず、学校としての統一的な意思決定と、その確実な遂行が必要な場合も少なくなく、この場合には、校長の監督権(学校教育法28条3項)や、公務員が上司の職務上の命令に従う義務(地方公務員法32条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで、前記のような両面性を持った行為についても、行事の目的を達成するために必要な範囲内では、学校単位での統一性を重視し、校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。
3 本件職務命令は、小学校における入学式に際し、その式典の一環として従前の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し、これを実施するために発せられたものである。そして、入学式において、「君が代」を斉唱させることが義務的なものかどうかについてはともかく、少なくとも本件当時における市立小学校においては、学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉唱を行うことを決定することまで否定することは、上記校長の権限との関係から見ても、困難である。そうしてみると、学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには、これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり、その反面として、これに代わる措置としてのテープ演奏では、伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから、指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも、必要な措置として憲法上許されると解する。
この場合、職務命令を受けた教諭の中には、上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが、そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては、職場の秩序が保持できないばかりか、子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め、学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり、結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。
入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は、これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが、この意見を他に押しつけたり、学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり、あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。
4 上告人は、子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず、子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま、「君が代」を歌わせることは、教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も、それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが、学校教育の実践の場における問題としては、各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても、すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく、それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い、総合的統一的に整然と実施されなければ、教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に、入学式や卒業式等の行事は、通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり、学校全体で実施するもので、その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり、本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。
したがって、A小学校において、入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は、上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり、本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって、これを違憲、違法とする理由は見いだし難い。

+反対意見
裁判官藤田宙靖の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告人に対し、その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴奏を命ずる校長の本件職務命令が、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては、なお疑問を抱くものであって、にわかに賛成することはできない。その理由は、以下のとおりである。
1 多数意見は、本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を、上告人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち、「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ、このような理解を前提とした上で、本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが、一般的には、これと不可分に結び付くものということはできないとして、上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が、直ちに、上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし、また、このようなピアノ伴奏を命じることが、上告人に対して、特定の思想を持つことを強制したり、特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち、憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として、その中核に、「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに、入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は、その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ、しかも、両者の間には(例えば、キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない、という考え方に立つものということができよう。しかし、私には、まず、本件における真の問題は、校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが、上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり、あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が、多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は、既に本人自身が明らかにしていることである。そして、「踏み絵」の場合のように、このような告白をしたからといって、そのこと自体によって、処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。)、むしろ、入学式においてピアノ伴奏をすることは、自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり、それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると、本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては、このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら、それに加えて更に、「『君が代』の斉唱をめぐり、学校の入学式のような公的儀式の場で、公的機関が、参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って、また、このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり、また、後者の側面こそが、本件では重要なのではないかと考える。そして、これが肯定されるとすれば、このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか、すなわち、そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は、まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは、仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても、改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは、例えば、「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く、従って、例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも、一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上、公的儀式においてその斉唱を強制することについては、そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし、また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも、いえるところである。この考え方は、それ自体、上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ、このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが、当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは、明白であるといわなければならない。そしてまた、こういった信念・信条が、例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような、国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく、自由主義・個人主義の見地から、それなりに評価し得るものであることも、にわかに否定することはできない。本件における、上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については、こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。
2 多数意見は、また、本件職務命令が憲法19条に違反するものではないことの理由として、憲法15条2項及び地方公務員法30条、32条等の規定を引き合いに出し、現行法上、公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があることを挙げている。ところで、公務員が全体の奉仕者であることから、その基本的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は、いうまでもなくこれを否定することができないが、ただ、逆に、「全体の奉仕者」であるということからして当然に、公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである、といったレヴェルの一般論により、具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができないことも、また明らかである。本件の場合にも、ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず、そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要との間で、慎重な考量がなされなければならないものと考える。
ところで、学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなければならないことは、自明の事柄であって、それ自体は極めて重要な公共の利益であるが、そのことから直接に、音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本件の場合、「公共の利益の達成」は、いわば、「子供の教育を受ける利益の達成」という究極の(一般的・抽象的な)目的のために、「入学式における『君が代』斉唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され、それを実現するために、いわば、「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされているのである。そして、仮に上記の中間目的が承認されたとしても、そのことが当然に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かについては、この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであると考えるのであって、本件の場合、何よりも、上記の〈1〉「入学式進行における秩序・紀律」及び〈2〉「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係において考量されることが必要であるというべきである。このうち上記〈1〉については、本件の場合、上告人は、当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく、また実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく、ただ、以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従って、校長は、このような不作為を充分に予測できたのであり、現にそのような事態に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって、基本的には問題無く式は進行している。ただ、確かに、それ以外の曲については伴奏をする上告人が、「君が代」に限って伴奏しないということが、参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは、想定できないではないが、問題は、仮に、上記1において見たように、本件のピアノ伴奏拒否が、上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられるとしたとき、このような「違和感」が、これを制約するのに充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお、仮にテープを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合、生のピアノ伴奏と比して、どちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには、にわかには判断できないものがあるように思われる。)。また、上記〈2〉については、仮にこういった目的のために校長が発した職務命令が、公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき、人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか、が問われなければならないことになる。原審は、「思想・良心の自由も、公教育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば、本件職務命令が、教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであっても、控訴人においてこれを受忍すべきものであり、受忍を強いられたからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが、基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた上での議論であるようには思われない。また、原審及び多数意見は、本件職務命令は、教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し、学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが、入学式におけるピアノ伴奏が、音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても、他者をもって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには、なお疑問が残るところであり(付随的な業務であるからこそ、本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか、ともいえよう。ちなみに、上告人は、本来的な職務である音楽の授業においては、「君が代」を適切に教えていたことを主張している。)、多数意見等の上記の思考は、余りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは、基本的に「入学式等の学校行事については、学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。
3 以上見たように、本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて、更に詳細な検討を加える必要があり、また、そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については、本件事案の内容に即した、より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない、その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。
(裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官 堀籠幸男 裁判官 田原睦夫)


会社法 事例で考える会社法 事例10 骨肉の争い


Ⅰ はじめに

Ⅱ 設問1について
+(競業及び利益相反取引の制限)
第三百五十六条  取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。
一  取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき。
二  取締役が自己又は第三者のために株式会社と取引をしようとするとき。
三  株式会社が取締役の債務を保証することその他取締役以外の者との間において株式会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするとき。
2  民法第百八条 の規定は、前項の承認を受けた同項第二号の取引については、適用しない。

・一般に、利益相反取引に該当するためには、会社と利益の衝突が生じている取締役(利益相反取締役)が会社を代表していることは必要ではない!!

・利益相反取引は原則無効(相対的無効説)
+判例(S43.12.25)
理由
上告代理人山根篤、同下飯坂常世、同海老原元彦、同広田寿徳、同竹内洋の上告理由第一点および第二点について。
商法二六五条は、取締役個人と株式会社との利害相反する場合において、取締役個人の利益を図り、会社に不利益な行為が濫りに行なわれることを防止しようとする法意に外ならないのであるから、同条にいわゆる取引中には、取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反の行為のみならず、取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすが如き、取締役個人に利益にして、会社に不利益を及ぼす行為も、取締役の自己のためにする取引として、これに包含されるものと解すべきである(当裁判所第三小法廷判決昭和三八年(オ)第二六一号、同三九年三月二四日裁判集七二号六一九頁の趣旨は、右の限度で、変更されたものというべきである。なお、同小法廷判決昭和三一年(オ)第二五号、同三三年一〇月二一日裁判集三四号三〇三頁は本件に適切でない。)。
そして、取締役が右規定に違反して、取締役会の承認を受けることなく、右の如き行為をなしたときは、本来、その行為は無効と解すべきである。このことは、同条は、取締役会の承認を受けた場合においては、民法一〇八条の規定を適用しない旨規定している反対解釈として、その承認を受けないでした行為は、民法一〇八条違反の場合と同様に、一種の無権代理人の行為として無効となることを予定しているものと解すべきであるからである。
取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反する取引にあつては、会社は、当該取締役に対して、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、その行為の無効を主張し得ることは、前述のとおり当然であるが、会社以外の第三者と取締役が会社を代表して自己のためにした取引については、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社は、その取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、相手方である第三者が悪意(その旨を知つていること)であることを主張し、立証して始めて、その無効をその相手方である第三者に主張し得るものと解するのが相当である。
本件において、被上告人三栄電機株式会社(以下被上告会社という。)の取締役aが上告人日本ビクター株式会社(以下上告会社という。)に対する自己の債務につき、被上告会社を代表して、その債務の引受をなしたものであり、右引受行為は会社以外の第三者との間で取締役が会社を代表して自己のためにしたものであつて商法二六五条の取引に該当するところ、取締役会の承認を受けなかつたことにつき、相手方である上告会社が悪意であつたことを、被上告会社において主張し、立証をしなければ、右取引の無効を上告会社に主張し得ないものといわなければならない。 
然るに、原判決は、被上告会社がその取締役aの本件債務を引き受けた行為に商法二六五条の適用があるとしながら、取締役会の承認を受けなかつたから、本件債務引受は無効であるとして、たやすく、上告会社の請求の一部を排斥したのは違法であつて、この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の論旨に対する判断をするまでもなく、原判決中上告会社敗訴の部分は破棄を免れない。
そして、本件債務引受は、会社以外の第三者との間で取締役が会社を代表して自己のためにした取引であることは、前叙のとおり明らかなところ、右取引に関し被上告会社の取締役会の承認の決議の不存在について上告会社が悪意であつたことについては、主張・立証がなく、したがつて、被上告会社は、上告会社に対し、その無効を主張しえないのである。それゆえ、本件引受債務の履行を求めている上告会社の本訴請求は、原判決が適法に確定した事実のもとでは、すべて正当であり、これを認容すべきである。
よつて、民訴法四〇八条一号、九六条、八九条に則り、裁判官田中二郎、同大隅健一郎の補足意見および裁判官横田正俊、同草鹿浅之介、同松田二郎、同下村三郎、同色川幸太郎、同松本正雄の意見があるほか、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

+判例(S46.10.13)
理由
上告代理人鈴木七郎の上告理由第一点ないし第三点について。
およそ、約束手形の振出は、単に売買、消費貸借等の実質的取引の決済手段としてのみ行なわれるものではなく、簡易かつ有効な信用授受の手段としても行なわれ、また、約束手形の振出人は、その手形の振出により、原因関係におけるとは別個の新たな債務を負担し、しかも、その債務は、挙証責任の加重、抗弁の切断、不渡処分の危険等を伴うことにより、原因関係上の債務よりもいつそう厳格な支払義務であるから、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為は、原則として、商法二六五条にいわゆる取引にあたり、会社はこれにつき取締役会の承認を受けることを要するものと解するのが相当である。
原審の確定するところによれば、本件(イ)の約束手形は、上告会社がその取締役であるAに宛てて振り出したものであり、同(ロ)の約束手形は、手形上の記載によると、上告会社が右Aを受取人として振り出し、同人が白地裏書をして被上告人がこれを所持していることとなつているが、実際上は、上告会社が受取人欄を白地にして直接被上告人に交付し、被上告人がAをして受取人欄にその氏名を記載し裏書させたものであり、また、同手形は、上告会社がAに宛てて振り出し、同人から被上告人に交付された約束手形の書替手形であるというのである。そして、商法二六五条の適用については、手形上の記載によるべきではなく、現実に行為をした当事者を基準として判断すべきであるから、前記の説示に徴すれば、上告会社による本件(イ)の約束手形および(ロ)約束手形の書替前の約束手形の振出行為はいずれも商法二六五条にいわゆる取引にあたり、上告会社はこれにつき取締役会の承認を受けることを要するが、(ロ)の約束手形自体の振出行為は右にいわゆる取引にあたらないものと解せられる。しかるに、上告会社は(イ)の手形および(ロ)の手形の書替前の手形の振出について取締役会の承認を受けなかつたことは、原審の確定するところである。
ところで、手形が本来不特定多数人の間を転々流通する性質を有するものであることにかんがみれば、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出した場合においては、会社は、当該取締役に対しては、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、その手形の振出の無効を主張することができるが、いつたんその手形が第三者に裏書譲渡されたときは、その第三者に対しては、その手形の振出につき取締役会の承認を受けなかつたことのほか、当該手形は会社からその取締役に宛てて振り出されたものであり、かつ、その振出につき取締役会の承認がなかつたことについて右の第三者が悪意であつたことを主張し、立証するのでなければ、その振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないものと解するのを相当とする(この判旨に反する大審院明治四二年(オ)第二七九号同年一二月二日民事聯合部判決、民録一五輯九二六頁は、これを採らない。)。したがつて、この場合には、手形法一六条二項の適用はなく、その解釈適用につき所論のような論議をなす余地はないのである。
これを本件についてみるに、(イ)の約束手形については、被上告人はAから右手形を取得するに際しその手形の振出につき取締役会の承認がなかつたことを知らなかつたことは、原審の確定するところであるから、上告会社が被上告人に対しその振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないことは、右の説示に照らして明らかである。また、(ロ)の約束手形自体の振出については、会社は取締役会の承認を受けることを要しないが、その書替前の約束手形の振出につきこれを必要とすることはさきに述べたとおりであつて、もしこの手形につき、上告会社が、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、被上告人に対しその振出の無効を主張しうるとするならば、ひいてこれを抗弁として、(ロ)の手形についてもその支払を拒むことができることとなるべきところ、原審の確定するところによると、被上告人はAから書替前の手形を取得するに際しその振出につき取締役会の承認がなかつたことを知らなかつたというのであるから、上告会社は書替前の手形について被上告人に対し手形上の義務を負担していたものであり、したがつて、本件(ロ)の手形についても、その支払を拒む理由は存しないものといわなければならない。
以上のとおり、被上告人が上告会社に対し本件手形金の支払を求める本訴請求はいずれも正当である。そして、被上告人の請求を認容すべきものとした原判決は、その理由においては以上説示したところと異なる点もあるが、結論においては正当であり、本件上告は理由がない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条により、裁判官大隅健一郎の補足意見および裁判官岩田誠、同色川幸太郎、同松本正雄、同村上朝一、同関根小郷、同藤林益三、同岡原昌男の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・一人会社の場合や株主全員の合意がある場合は有効。
+判例(S45.8.20)
理由
上告代理人山崎一雄の上告理由第一点について。
本件土地について上告人Aと被上告会社間に売買契約が成立したものである旨の原審の認定、判断は、その挙示の証拠関係に照らして正当なものとしてこれを肯認することができる。したがつて、原審の右の判断の過程に所論のような違法はなく、論旨は理由がない。
同第二点について。
原審の確定した事実によれば、本件売買契約は、昭和三三年九月二九日締結されたものであるが、被上告会社は、元来上告人Aの個人営業であつたものを株式会社組織としたものであつて、右売買契約締結当時においては、上告人Aがその株式全部を所有していたものであるが、同会社はその後営業不振となり、そのため、昭和三七年に上告人Aは、当時所有していた同会社の四五パーセントの株式全部を手放して代表取締役を辞任し、全く被上告会社と無関係となり、その後、昭和三八年三月九日被上告会社取締役会は、右売買契約を事後承認のうえ追認したというものである。
原審の確定した右事実関係のもとにおいては、本件売買契約締結当時には、被上告会社は株式会社の形態をとつているとはいえ、その営業は実質上、上告人Aの個人経営のものにすぎないから、被上告会社の利害得失は実質的には上告人Aの利害得失となるものであり、その間に利害相反する関係はない。したがつて、上告人Aがその所有の本件土地を被上告会社に売り渡すことについて、両者の間に実質的に利害相反の関係を生じるものではないというべきである。
ところで、商法二六五条が、会社と取締役との間の同条所定の取引について取締役会の承認を要するものとしている趣旨は、取締役個人と株式会社との利害相反する場合において取締役個人の利益を図り、会社に不利益な行為が行なわれることを防止するにあるのであるから、会社と取締役間に商法二六五条所定の取引がなされた場合でも、前段説示のように、実質的に会社と当該取締役との間に利害相反する関係がないときには、同条所定の取締役会の承認は必要ないものと解するのが相当である。したがつて、被上告会社とその取締役であつた上告人Aとの間になされた本件売買契約は、被上告会社取締役会の承認の有無によつてその効力が左右されるべきものではないから、原審の確定した取締役会の事後承認の効力の有無を争う論旨は、帰するところ原審のした余論に対する攻撃にすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎)

+判例(S49.9.26)
理由
上告代理人三木善続の上告理由第一点について。
民訴法三八八条は、控訴審が、訴を不適法として却下した第一審判決を取り消す場合には、事件を第一審に差し戻すことを要する旨を定めているところ、原判決は、訴を不適法として却下した第一審判決を是認しているのであるから、本件につき同条の適用はない。また、上告人がいつたん譲り受けた所論の株式を更に他に譲渡したことは、被上告人会社において主張しているのであるから、右事実を認定した原判決に所論の違法はない。それゆえ、論旨は採用することができない。
同第二点について。
一、上告人が、昭和三六年一二月訴外日本毛糸株式会社(以下、単に日本毛糸という。)より被上告人会社の株式九〇〇〇株を譲り受けたが、昭和三七年そのうちの二〇〇〇株を、同三九年八月残りの七〇〇〇株を、いずれもAに譲渡したとの原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして、是認することができる。それゆえ、右事実の認定を非難する所論は、採用することができない。
二、ところで、原審の適法に確定したところによると、上告人は日本毛糸より株式を譲り受けた際同社の取締役であつたが、右譲受については商法二六五条所定の取締役会の承認はなかつたというのであり、また、被上告人会社が株券を発行していないため、日本毛糸から上告人へ及び上告人からAへの各株式の譲渡は、いずれも商法二〇四条二項にいう株券発行前の譲渡にあたるというのであつて、このような観点から右各譲渡の効力が問題となるので判断する。
1 原判決は、日本毛糸及び被上告人会社は、いずれも形式的には株式会社であるが、その実質は民法上の組合であるから、右株式譲渡には商法二六五条、二〇四条二項の適用はない旨判示する。
すなわち、原審は、日本毛糸は、Aが個人として営んでいた毛糸、洋服、雑貨等の販売業をその弟等同族四名の参加を得て会社組織にし、右五名において、その資産、株式を所有し、共同して経営しているものであり、また被上告人会社は、右五名が、日本毛糸の簿外資産の分散、保全、増殖のため、右資産をもつて設立したものであり、第三者も株主となつてはいるが、それは単なる名義人にすぎず、実質は、右五名において株式、資産を所有し、共同経営しているものであると認め、右のような会社設立の経緯、会社の資産、株式の所有関係及び経営の実体等によると、日本毛糸及び被上告人会社は、いずれも実質においては右五者の共同事業であつて、民法上の組合に外ならないと判断しているのである。
思うに、法律上会社はすべて法人とされているところ、その法人格が全くの形骸にすぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するため濫用される場合のように、法人格を認めることがその本来の目的に照らして許されるべきでないときには法人格を否認することのできることは、当裁判所の判例(昭和四三年(オ)第八七七号、同四四年二月二七日第一小法廷判決民集二三巻二号五一一頁)とするところであるが、右法理の適用は慎重にされるべきであつて、原審認定の会社の設立の経緯、株式、資産の所有関係、経営の実体等前記事実によつて直ちに前記各会社の法人格を否認し、これを民法上の組合であるとした原審の判断は、にわかに首肯することはできない。 
2 しかしながら、商法二六五条が取締役と会社との取引につき取締役会の承認を要する旨を定めている趣旨は、取締役がその地位を利用して会社と取引をし、自己又は第三者の利益をはかり、会社ひいて株主に不測の損害を蒙らせることを防止することにあると解されるところ、原審の適法に確定したところによると、日本毛糸から上告人への株式の譲渡は、日本毛糸の実質上の株主の全員であるAら前記五名の合意によつてなされたものというのであるから、このように株主全員の合意がある以上、別に取締役会の承認を要しないことは、上述のように会社の利益保護を目的とする商法二六五条の立法趣旨に照らし当然であつて、右譲渡の効力を否定することは許されないものといわなければならない
3 また、被上告人会社の株券は未発行であるから、前記各株式の譲渡は商法二〇四条二項にいう株券発行前の譲渡にあたるが、原審認定の事実関係のもとにおいては、同社は不当に株券の発行を遅滞しているものと認められるから、株券発行前であることを理由に株式譲渡の効力を否定することは許されないものというべきである(最高裁昭和三九年(オ)第八八三号、同四七年一一月八日大法廷判決民集二六巻九号一四八九頁参照)。
4 以上によると、日本毛糸及び被上告人会社を民法上の組合とした原審の判断は是認することができないが、本件各株式の譲渡を有効とし、これにより上告人が被上告人会社の株主たる地位を喪失したものと認め同人には本訴の原告適格がなく、本訴は不適法であるとした原判決の結論は正当である。それゆえ、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸上康夫)

・利益相反取引の株式の引き受けにかかわる契約であった点について。
+(引受けの無効又は取消しの制限)
第二百十一条  民法第九十三条 ただし書及び第九十四条第一項 の規定は、募集株式の引受けの申込み及び割当て並びに第二百五条第一項の契約に係る意思表示については、適用しない
2  募集株式の引受人は、第二百九条第一項の規定により株主となった日から一年を経過した後又はその株式について権利を行使した後は、錯誤を理由として募集株式の引受けの無効を主張し、又は詐欺若しくは強迫を理由として募集株式の引受けの取消しをすることができない。

→相手方が悪意であったとしても引受けの無効の主張を認めない趣旨。
←211条1項類推。(利益相反取引についても、取締役会の承認がないことは内部事情であるから)

Ⅲ 設問2について
・「自己または第三者のために」
名義説=名において=自己が法的な意味において当事者となる
計算説=計算において=事故が実質的に当該取引による経済的利益を享受する

利益相反取引においては名義説。
←名義説によっては直接取引には含まれないが実質的には会社と取締役の利益が衝突する取引は間接取引として処理すれば足りる。

・上記法的公正の相違は損害賠償責任に関する判断に微妙な違いをもたらす。

Ⅳ 設問3について

+(競業及び利益相反取引の制限)
第三百五十六条  取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。
一  取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき
二  取締役が自己又は第三者のために株式会社と取引をしようとするとき。
三  株式会社が取締役の債務を保証することその他取締役以外の者との間において株式会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするとき。
2  民法第百八条 の規定は、前項の承認を受けた同項第二号の取引については、適用しない。

・「会社の事業の部類に属する取引」
=会社の実際に行う事業と市場において競合し、会社と取締役との間に利益の衝突と来す可能性のある取引。

・「自己または第三者のために」
計算説

・損害について
+(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
第四百二十三条  取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
2  取締役又は執行役が第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。以下この項において同じ。)の規定に違反して第三百五十六条第一項第一号の取引をしたときは、当該取引によって取締役、執行役又は第三者が得た利益の額は、前項の損害の額と推定する
3  第三百五十六条第一項第二号又は第三号(これらの規定を第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取引によって株式会社に損害が生じたときは、次に掲げる取締役又は執行役は、その任務を怠ったものと推定する。
一  第三百五十六条第一項(第四百十九条第二項において準用する場合を含む。)の取締役又は執行役
二  株式会社が当該取引をすることを決定した取締役又は執行役
三  当該取引に関する取締役会の承認の決議に賛成した取締役(指名委員会等設置会社においては、当該取引が指名委員会等設置会社と取締役との間の取引又は指名委員会等設置会社と取締役との利益が相反する取引である場合に限る。)
4  前項の規定は、第三百五十六条第一項第二号又は第三号に掲げる場合において、同項の取締役(監査等委員であるものを除く。)が当該取引につき監査等委員会の承認を受けたときは、適用しない。

+判例(名古屋高判H20.4.17)
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は、一審原告の請求は、主位的請求についてはいずれも理由がなく、予備的請求については競業避止義務違反による損害賠償として、一審被告らに対し連帯して1953万円及びこれに対する平成16年12月25日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余はいずれも理由がないと判断する。その理由は、次の2ないし6のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の「1」及び「2」記載のとおりであるからこれを引用する。
ただし、原判決書25頁11行目の「契約書に」を「平成17年から解約案内に」と改め、同34頁5行目冒頭から同36頁12行目末尾までを削る。

2 一審被告一郎の競業避止義務違反の有無
(1) 一審被告らは、一審被告一郎は同コンボ開発の事実上の主宰者ではないから競業避止義務違反はない旨主張する。
しかし、〈1〉一審被告一郎は、一審被告コンボ開発の出資持分を有していないが、一審被告コンボ開発の運転資金の多くは一審被告一郎からの借入に依っていること、〈2〉コンテナの敷地となる土地の賃貸借について一審被告一郎が連帯保証人となっていること、〈3〉一審被告一郎は一審原告で貸コンテナ事業を担当していたところ、一審被告コンボ開発においては、貸コンテナ事業で重要な土地の賃貸借契約を一審被告一郎が担当し、土地の貸主の紹介、貸コンテナの設置作業、仲介及び集金等については一審原告が利用してきたのと同一の業者を利用していること、〈4〉一審被告コンボ開発の事務所は一審被告一郎の自宅であり、これは一審被告一郎の取締役在任中の一審原告及び高木産業の貸コンテナ事業の事務所と同一であることなどからすれば、一審被告コンボ開発においては、資金調達、信用及び営業について一審被告一郎が中心的役割を果たしているといえる。これに一審被告コンボ開発に出資し業務に従事しているのが一審被告一郎の家族であることからすれば、一審被告一郎は一審被告コンボ開発を事実上主宰して、一審被告コンボ開発において貸コンテナの利用に係る賃貸借契約をして、競業避止義務に違反したというべきである。
(2) なお、一審被告らは、貸コンテナの利用に係る賃貸借契約書に連絡先として一審被告一郎の自宅の住所及び電話番号等が記載された事実はなく、一審被告コンボ開発の連絡先として解約案内に一審被告一郎の住所及び電話番号が記載されるようになったのは平成17年ころからであるから、一審被告一郎が事実上の主宰者とはいえない旨主張し、証拠(甲37)及び弁論の全趣旨によれば、上記平成17年以降の解約案内の記載が認められる。しかし、〈1〉平成17年以降、解約案内に一審被告一郎の自宅の住所及び電話番号が記載され、〈2〉貸コンテナ事務所によっては連絡先として一審被告一郎の自宅の電話番号が記載されているところもあること(乙64、76、弁論の全趣旨)からすれば、貸コンテナ事業に関し一審被告一郎の自宅が連絡先となり得ること自体が、同所が一審被告コンボ開発の事務所としての機能を果たしていること、ひいては一審被告一郎が一審被告コンボ開発の事実上の主宰者であることを裏付けるひとつの事実といえ、解約案内に連絡先が記載された時期如何によって前記(1)の認定が左右されるものではない。

3 一審原告の取締役会における承認の有無、信義則違反
(1) 一審被告らは、一審原告においては平成16年までは取締役会が開催されたことはないが、これに代わるものが、一審被告一郎、二郎及び三郎の話合い(平成12年以降は一審被告一郎及び三郎の話合い)であったところ、一審被告コンボ開発の設立、貸コンテナ事業については、二郎及び三郎(あるいは三郎のみ)は了解していた旨主張する。
しかし、一部の取締役が集まって協議をして合意したとしても、これをもって取締役会の事前事後の承認があったとはいえない。
また、兄弟の話合いをもって信義則上取締役会の承諾があったと実質的に同視できる場合が有り得るとしても、〈1〉一審原告及びその関連会社の株式が一審被告一郎、二郎及び三郎とその家族によって概ね3等分して保有されているのとは異なり、一審被告コンボ開発の出資持分は一審被告一郎の家族のみによって保有されており、利益の帰属先が異なっていることから、営業地域を全く異にするのでなければ、一審被告コンボ開発の貸コンテナ事業を許容すべき理由は二郎及び三郎にはないこと、〈2〉二郎及び三郎は、貸コンテナ事業については一審被告一郎に委ねており、また、貸コンテナ事業に関する事務は一審被告一郎の自宅を事務所として遂行されていたことから、その具体的内容を把握していなかったこと、〈3〉平成16年1月に一審被告一郎から代表取締役退任に際し一審原告及び高木産業の貸コンテナ事業を譲り受けたい旨の申出があり、これを巡って一審被告一郎、二郎及び三郎が話し合った際にも、一審被告コンボ開発又はその貸コンテナ事業については全く話題になっていないことからすれば、経理関係の各種帳票及び決算書等の記載にもかかわらず、二郎及び三郎は、平成16年10月ころまで、一審被告コンボ開発が貸コンテナ事業を営んでいることを知らなかったものと認められ、少なくともこれについて重要事項が示されたことはないのであるから、一審被告一郎が競業取引をすることを承諾したと認めるに足りる証拠はない。
(2) 一審被告らは、三郎は平成14年には一審原告の経理を把握しており、一審原告の経理関係の帳票や高木産業の決算書等を見ることにより、一審被告コンボ開発の存在を知っていた旨主張する。しかし、三郎は、一審原告及びその関連企業の布団の製造及び小売りの業務を担当しており、これに関連する経理については把握していたが、貸コンテナ事業には全く関与しておらず、同事業の事務は一審被告一郎の自宅にある事務所で行われていたこと、一審原告及び関連会社の代表取締役は一審被告一郎であったことなどからすれば(<証拠略>)、三郎が貸コンテナ事業、一審被告コンボ開発の存在について知らなかったとしても不自然ではなく、一審被告らの上記主張は採用できない。

4 損害及びその算定について
(1) 第一次主張について
ア 一審原告は、一審被告コンボ開発が第1期から第4期までの期間において利益を得ていたと主張するが、一審被告の上記期間において利益を得ていたと認めるに足りる証拠はない。なお、一審被告コンボ開発の決算に一審原告指摘の偽装や誤りがあるとはいえない。そして、このことは、後記貸コンテナ事業所の収支の分析結果によって左右されるものではない。
イ 一審原告は、今後20年間で一審被告コンボ開発が得られる将来の利益も、競業取引と因果関係があり、一審原告の損害と推定すべきである旨主張する。
しかし、貸コンテナ事業における「営業ノ部類ニ属スル取引」は貸コンテナの利用に係る賃貸借であるから、これと相当因果関係のある一審被告コンボ開発の利益が一審原告の損害と推定されることになる。そして、貸コンテナ事業は安定した収入が得られるとしても、一審原告の貸コンテナの利用に係る賃貸借契約の期間は1年であり、利用者は1か月前に通知すればいつでも契約を解約することができ、コンテナの耐用年数まで同一のコンテナの利用に係る賃貸借が続くわけではないこと、実際利用されなくなった貸コンテナ事業所もあることから、一審被告コンボ開発の貸コンテナ事業による20年間にもわたる将来の利益が一審被告一郎の取締役在任中の競業取引によって得ることのできる利益ということはできない。
また、貸コンテナ事業をするためには貸コンテナを設置する土地を借りることが必要であり、一審原告においては、当初の賃貸借期間を5年とし、その後も1年ごとに自動更新する旨の賃貸借契約をしているが、上記契約は、貸コンテナ事業の維持・便益のために行われる取引であるから、補助的行為であって、「営業ノ部類ニ属スル取引」とはいえない。また、建物所有目的の賃貸借とは異なりコンテナの敷地の貸主は容易に土地の返還を求めることができるから、20年間にもわたる利益が確保されているわけでもない。
ウ さらに、一審原告は、別件訴訟(名古屋地方裁判所平成16年(ワ)第2996号、3232号、名古屋高等裁判所平成18年(ネ)第70号)において認定された損害額と同様の算定方法による利益が、本件においても認められるべきである旨主張する。しかし、別件訴訟における損害は、一審原告が所有していた貸コンテナの占有を失ったことによる逸失利益相当額の損害であり、本件における一審被告コンボ開発が費用を投じて取得したコンテナに係る利益から推定される損害とは、考慮すべき経費を異にしている上、別件訴訟においてはコンテナを返還すればその後の支払義務を免れることができるのであるから、本件で同様の算定方法によらなければならない理由はない。
エ 一審原告は、アイメンが愛知県知多市内で平成18年12月ころ開設した貸コンテナ事業所の収支の分析結果(甲52)に基づき、貸コンテナ事業は安定した収入が得られる旨、これを基にDFC法による将来の利益の推定は正当なものである旨主張する。しかし、取締役在任中の競業取引と相当因果関係がある利益は何かという問題と貸コンテナ事業の収益可能性とは別問題である。また、DFC法についても、〈1〉利用されなくなった貸コンテナ事業所もあること、〈2〉一審原告の貸コンテナ事業の売上げは、平成11年から平成13年の間は月額900万円以上あったが、平成15年からは月額900万円を下回るようになっていることから(甲54)、貸コンテナ事業は競業する業者が出現し稼働率が低下する傾向が窺われること、〈3〉貸コンテナを設置する土地の賃貸借関係が20年間継続する保証がないことからすれば、貸コンテナ事業は必ずしも継続的に安定した収入が得られるわけではなく、長期間にわたる一審被告コンボ開発の利益をDFC法によって推計することには疑義がある。なお、上記分析結果(甲52)は、〈1〉分析対象とした貸コンテナ事業所を選択した根拠が明らかではなく、〈2〉分析において経費として人件費、借入利息及び販売管理費等を除外しており、〈3〉一審被告コンボ開発へのあてはめにおいて人件費(役員報酬を除く。)の売上高に対する標準的経費の指数を6%として考慮しているが、貸コンテナ業に倉庫業(トランクルームを含む。)の指数ではなく不動産賃貸業の指数である6%を適用することの妥当性には疑義があること、販売管理費等が考慮されていないこと、〈4〉稼働率や土地の賃貸借契約の継続可能性等の事業の継続可能性についても考慮されていないことからして、これをもって貸コンテナ事業は安定した収入が得られる、あるいは一審被告コンボ開発において第2期から第4期において利益があったと推定するのは相当ではない。
(2) 第二次主張について
ア 一審被告一郎が競業避止義務違反によって得た利益は、役員報酬又は給与手当が役務の対価又は労務の対価であり、一審被告コンボ開発において一審被告一郎が資金調達、信用及び営業について中心的役割を果たしていることに鑑みれば、原判決別紙6一審被告一郎ら利得一覧表の番号6「給与手当」欄記載の一審被告及びその家族の報酬(乙39の1ないし4)の合計額の5割とするのが相当である。なお、上記報酬額には、一審原告からのコンテナの譲渡が無効とされた分21か所及び取締役退任後に開設された分2か所に対応する役務の提供に係る報酬も含まれているので、結局、競業避止義務違反により一審被告一郎の得た利益は、全報酬額から上記部分を除いたものの概ね5割である1953万円とするのが相当である(〔第1期・〈20万円×2+30万円〉+第2期〈240万円×2+360万円〉×10/24+第3期〈600万円×5+240万円〉×29/49+第4期〈216万円+120万円+650万円+630万円+600万円×2〉×29/52〕×0.5。弁論の全趣旨)。したがって、旧商法266条4項により、一審被告一郎が、競業取引をすることによって一審原告が被った損害額は1953万円となる。
なお、一審被告一郎の実質的な報酬額を算定するに際しては、実際の役務の負担状況に応じて算定するのが合理的であり、また、家族であれば、同居の有無や実際の役務の負担状況とは無関係に所得税等の税金が有利になるように配慮して報酬を決めることもあり得ることからすれば、実質的な報酬額を判断するに際し同居の有無を考慮するのは相当とはいえない。
また、一審被告一郎が一審原告の取締役を退任したのは平成16年4月28日であるが、コンテナの利用に係る賃貸借契約の賃貸期間は1年であるから、競業取引と相当因果関係のある利益は、一審被告コンボ開発の第4期までの報酬額とするのが相当である。
イ 一審被告らは、一審被告一郎以外の家族は、一審被告コンボ開発において、それぞれ役務を負担しているので、これに対する報酬が一審被告一郎の利益となることはない旨主張する。しかし、上記のとおりであって、家族が報酬を得る理由があることと、それがどの程度の金額であるべきかは別問題であるから、上記一審被告らの主張は採用できない。

5 一審被告一郎の不法行為責任の有無
(1) 一審原告は、企業経営における営業秘密、技術ノウハウの重要性から、取締役は在任中はもちろん、退職後であっても一定範囲で忠実義務を負うべきであり、一審被告一郎は、一審原告の利益のために貸コンテナ事業を行うべきであるのに、法に抵触することを知りながら、一審被告コンボ開発をして貸コンテナ事業を行わせ、一審原告及び高木産業の貸コンテナ事業の営業譲渡をして、一審原告及び高木産業の貸コンテナ事業を壊滅させ、一審原告が「利益を得る機会を奪った」のであるから、不法行為責任がある旨主張する。
しかし、民法709条には旧商法266条4項のような損害推定規定がないことから、一審原告において、一審被告一郎の取締役在任中に名古屋市及びその周辺において新たな貸コンテナ事業所を開設することが相当の確実性をもって見込まれる状態にあり、これによって一審原告が得るはずであった利益がいくらであったかについて立証がされるべきところ、これらについての立証が尽くされているとはいえない。したがって、一審被告一郎の不法行為責任の有無を判断するまでもなく、一審被告一郎に対し、不法行為による損害賠償として1953万円及びこれに対する平成16年12月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を超えて請求する部分は理由がない(不法行為による損害賠償のその余の請求部分は、選択的に請求している競業避止義務違反による損害賠償請求が一部認容されたことにより、審理の必要がなくなった。)。
(2) 一審原告は、初期投資をした段階で、将来の利益をすべて奪われたとも主張する。しかし、初期投資が、一審原告の関連会社であるアイメンが農協から3億円ないし4億円の借入れをしてこれを農協に貯金していたこと(乙1)を意味するとしても、一次的には農協の組合員に布団等を販売しているアイメン自体の販売促進活動の一環としてされたものであり、二次的に農協から土地を貸す組合員を紹介してもらう効果もあったと見るべきであるから、貸コンテナ事業のための初期投資とはいえない。また、一審被告コンボ開発の運転資金は一審被告一郎及びその家族が提供しており、一審原告が一審被告コンボ開発が貸コンテナの利用に係る賃貸借契約をするために何らかの経済的負担をしたとは認められない。したがって、一審原告の上記主張も理由がない。
6 一審被告コンボ開発の責任
一審被告コンボ開発は、一審被告一郎とは別個の法人格を有している。しかし、一審被告一郎は一審被告コンボ開発を事実上主宰していること、一審被告コンボ開発をして貸コンテナに係る賃貸借契約をさせることにより一審被告一郎に競業避止義務違反による責任が生じることを潜脱しようとしたこと、上記賃貸借契約による利益は一審被告コンボ開発に帰属することからすれば、本件においては、一審被告一郎と一審被告コンボ開発の法人格が異なることを否定して、一審被告コンボ開発にも一審被告一郎と同じ限度で競業避止義務による損害賠償責任を負担させるのが相当である。
第4 結論
よって、原判決は一部相当ではないから、一審原告の控訴に基づき一審原告の敗訴部分を変更し、一審被告一郎の控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条2項、61条、64条本文、65条1項を、仮執行宣言につき同法310条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
民事第4部
(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 戸田彰子 裁判官 加島滋人)

Ⅴ おわりに