Q 職業の自由にはどのような意味があるのか?
(1)職業の意味
+第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
+第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
○2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
職業
=生計を維持するための経済活動
(2)職業遂行の自由と営業の自由
営業
=職業選択・遂行活動のうち自己の剣さんに基づいて行われる営利追求を目的として行われる活動
Q 経済的自由権の憲法的位置づけはどのように変化していったか?
(1)市民革命期の考え方
(2)現代の憲法の考え方
Q 職業選択の自由を規制目的によって二分する考え方は妥当か?
(1)職業選択が人間にとって持つ意味
(2)距離制限規定をめぐる判例
・積極目的規制
+判例(S47.11.22)小売業
理由
弁護人坂井尚美の上告趣意一ないし五について。
所論は、要するに、小売商業調整特別措置法(以下「本法」という。)三条一項、同法施行令一条、二条は、小売市場の開設経営を都道府県知事の許可にかからしめ、営業の自由を不当に制限するものであるから、憲法二二条一項に違反するというのである。
本法三条一項は、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ、小売市場(一の建物であつて、十以上の小売商-その全部又は一部が政令で定める物品を販売する場合に限る。-の店舗の用に供されるものをいう。)とするため、その建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け、又は譲り渡してはならないと定め、これを受けて、同法施行令一条および別表一は、「政令で指定する市」を定め、同法施行令二条および別表二は、「政令で定める物品」として、野菜、生鮮魚介類を指定している。そして、本法五条は、右許可申請のあつた場合の許可基準として、一号ないし五号の不許可事由を列記し、本法二二条一号は、本法三条一項の規定に違反した者につき罰則を設けている。このように、本法所定の市の区域内で、本法所定の形態の小売市場を開設経営しようとする者は、本法所定の許可を受けることを要するものとし、かつ、本法五条各号に掲げる事由がある場合には、右許可をしない建前になつているから、これらの規定が小売市場の開設経営をしょうとする者の自由を規制し、そ営業の自由を制限するものであることは、所論のとおりである。
そこで、右の営業の自由に対する制限が憲法二二条一項に牴触するかどうかについて考察することとする。
憲法二二条一項は、国民の基本的人権の一つとして、職業選択の自由を保障しており、そこで職業選択の自由を保障するというなかには、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含しているものと解すべきであり、ひいては、憲法が、個人の自由な経済活動を基調とする経済体制を一応予定しているものということができる。しかし、憲法は、個人の経済活動につき、その絶対かつ無制限の自由を保障する趣旨ではなく、各人は、「公共の福祉に反しない限り」において、その自由を享有することができるにとどまり、公共の福祉の要請に基づき、その自由に制限が加えられることのあることは、右条項自体の明示するところである。
おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはいうまでもない。のみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なつて、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もつて社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであつて、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである。もつとも、個人の経済活動に対する法的規制は、決して無制限に許されるべきものではなく、その規制の対象、手段、態様等においても、自ら一定の限界が存するものと解するのが相当である。
ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、本法は、立法当時における中小企業保護政策の一環として成立したものであり、本法所定の小売市場を許可規制の対象としているのは、小売商が国民のなかに占める数と国民経済にける役割とに鑑み、本法一条の立法目的が示すとおり、経済的基盤の弱い小売商の事業活動の機会を適正に確保し、かつ、小売商の正常な秩序を阻害する要因を除去する必要があるとの判断のもとに、その一方策として、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである。しかも、本法は、その所定形態の小売市場のみを規制の対象としているにすぎないのであつて、小売市場内の店舗のなかに政令で指定する野菜、生鮮魚介類を販売する店舗が含まれない場合とか、所定の小売市場の形態をとらないで右政令指定物品を販売する店舗の貸与等をする場合には、これを本法の規制対象から除外するなど、過当競争による弊害が特に顕著と認められる場合についてのみ、これを規制する趣旨であることが窺われる。これらの諸点からみると、本法所定の小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図するという観点から中小企業保護政策の一方策としてとつた措置ということができ、その目的において、一応の合理性を認めることができないわけではなく、また、その規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない。そうすると、本法三条一項、同法施行令一条、二条所定の小売市場の許可規制が憲法二二条一項に違反するものとすることができないことは明らかであつて、結局、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、論旨は理由がない。
なお、所論は、本法五条一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(一)も憲法二二条一項に違反すると主張するが、右内規は、それ自体、法的拘束力を有するものではなく、単に本法三条一項に基づく許可申請にかかる許可行政の運用基準を定めたものにすぎず、その当否は、具体的な不許可処分の適否を通じて争えば足り、しかも、記録上、被告人らが右許可申請をした形跡は窺えないのであるから、被告人らが本件で右内規の一般的合憲性を争うことは許されず、この点に関する違憲の主張は、上告適法の理由にあたらない。
同上告趣意六について。
所論は、本法三条一項、同法施行令一条が指定都市の小売市場のみを規制の対象としているのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法三条一項、同法施行令一条および別表一がその指定する都市の小売市場を規制の対象としたのは、小売市場の当該地域社会において果たす役割、当該地域における小売市場乱設の傾向等を勘案し、本法の上記目的を達するために必要な限度で規制対象都市を限定したものであつて、その判断が著しく合理性を欠くことが明白であるとはいえないから、その結果として、小売市場を開設しようとする者の間に、地域によつて規制を受ける者と受けない者との差異が生じたとしても、そのことを理由として憲法一四条に違反するものとすることはできない。論旨は理由がない。
次に、所論は、本法三条一項が十店舗未満の小売市場およびスーパーマーケツトを規制の対象としていないのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法所定の小売市場以外の小売市場を規制の対象とするかどうか、スーパーマーケツトを規制の対象とするかどうかは、いずれも立法政策の問題であつて、これらを規制の対象としないからといつて、そのために本法の規制が憲法一四条に違反することになるわけではない。論旨は理由がない。
同上告趣意七について。
所論は、本法所定の小売市場の許可規制が憲法二五条一項に違反すると主張する。
しかし、右許可規制のために国民の健康で文化的な最低限度の生活に具体的に特段の影響を及ぼしたという事実は、本件記録上もこれを認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)
・消極目的規制
+判例(S50.4.30)
理由
上告代理人・原隆一の上告理由二について。
所論は、要するに、本件許可申請につき、昭和三八年法律第一三五号による改正後の薬事法の規定によつて処理すべきものとした原審の判断は、憲法三一条、三九条、民法一条二項に違反し、薬事法六条一項の適用を誤つたものであるというのである。
しかし、行政処分は原則として処分時の法令に準拠してされるべきものであり、このことは許可処分においても同様であつて、法令に特段の定めのないかぎり、許可申請時の法令によつて許否を決定すべきのではなく、許可申請者は、申請によつて申請時の法令により許可を受ける具体的な権利を取得するものではないから、右のように解したからといつて法律不遡及の原則に反することとなるものではない。また、原審の適法に確定するところによれば、本件許可申請は所論の改正法施行の日の前日に受理されたというのであり、被上告人が改正法に基づく許可条件に関する基準を定める条例の施行をまつて右申請に対する処理をしたからといつて、これを違法とすべき理由はない。所論の点に関する原審の判断は、結局、正当というべきであり、違憲の主張は、所論の違法があることを前提とするもので、失当である。論旨は、採用することができない。
同上告理由一について。
所論は、要するに、薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)及びこれに基づく広島県条例「薬局等の配置の基準を定める条例」(昭和三八年広島県条例第二九号。以下「県条例」という。)を合憲とした原判決には、憲法二二条、一三条の解釈、適用を誤つた違法があるというのである。
一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制
(一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
(二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
(三) 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。そして、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求されるのであつて、許可制の採用自体が是認される場合であつても、個々の許可条件については、更に個別的に右の要件に照らしてその適否を判断しなければならないのである。
二 薬事法における許可制について。
(一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。
(二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条(この規定は薬局の開設に関するものであるが、同法二六条二項において本件で問題となる医薬品の一般販売業に準用されている。)は、一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする。
三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。
(一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。
これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。
(二) 次に、前記(一)の目的のために適正配置上の観点からする薬局の開設等の不許可の道を開くことの必要性及び合理性につき、被上告人の指摘、主張するところは、要約すれば、次の諸点である。
(1) 薬局等の偏在はかねてから問題とされていたところであり、無薬局地域又は過少薬局地域の解消のために適正配置計画に基づく行政指導が行われていたが、昭和三二年頃から一部大都市における薬局等の偏在による過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となるに至つた。これらの弊害の対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、なんらかの立法措置が要望されるに至つたこと。
(2) 前記過当競争や乱売の弊害としては、そのために一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵その他の管理がおろそかとなつて、良質な医薬品の供給に不安が生じ、また、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際における必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となつたことが指摘されるが、これを解消するためには薬局等の経営の安定をはかることが必要と考えられること。
(3) 医薬品の品質の良否は、専門家のみが判定しうるところで、一般消費者にはその能力がないため、不良医薬品の供給の防止は一般消費者側からの抑制に期待することができず、供給者側の自発的な法規遵守によるか又は法規違反に対する行政上の常時監視によるほかはないところ、後者の監視体制は、その対象の数がぼう大であることに照らしてとうてい完全を期待することができず、これによつては不良医薬品の供給を防止することが不可能であること。
四 適正配置規制の合憲性について。
(一) 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところにあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。
(二) 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。
(1) 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。
(2) 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。そこで検討するのに、
(イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。
(ロ) ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。
(ハ) 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある。この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである。
(ニ) 被上告人は、また、医薬品の販売の際における必要な注意、指導がおろそかになる危険があると主張しているが、薬局等の経営の不安定のためにこのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、これをもつて本件規制措置を正当化する根拠と認めるには足りない。
(ホ) 被上告人は、更に、医薬品の乱売によつて一般消費者による不必要な医薬品の使用が助長されると指摘する。確かにこのような弊害が生じうろことは否定できないが、医薬品の乱売やその乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大な広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はむしろその従たる原因にすぎず、特に右競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少にすぎないと考えるのが、合理的である。のみならず、右のような弊害に対する対策としては、薬事法六六条による誇大広告の規制のほか、一般消費者に対する啓蒙の強化の方法も存するのであつて、薬局等の設置場所の地域的制限によつて対処することには、その合理性を認めがたいのである。
(ヘ) 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。
(3) 被上告人は、また、医薬品の供給の適正化のためには薬局等の適正分布が必要であり、一部地域への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進されて、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致することはさきにも述べたとおりであり、薬局等の偏在防止のためにする設置場所の制限が間接的に被上告人の主張するような機能を何程かは果たしうろことを否定することはできないが、しかし、そのような効果をどこまで期待できるかは大いに疑問であり、むしろその実効性に乏しく、無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない。
本件適正配置規制は、右の目的と前記(2)で論じた国民の保健上の危険防止の目的との、二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定しうるにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。
五 結論
以上のとおり、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である。
ところで、本件は、上告人の医薬品の一般販売業の許可申請に対し、被上告人が昭和三九年一月二七日付でした不許可処分の取消を求める事案であるが、原判決の適法に確定するところによれば、右不許可処分の理由は、右許可申請が薬事法二六条二項の準用する同法六条二項、四項及び県条例三条の薬局等の配置の基準に適合しないというのである。したがつて、右法令が憲法二二条一項に違反しないとして本件不許可処分の効力を維持すべきものとした原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、その余の判断をするまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右処分が取り消されるべきものであることは明らかであるから、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決の結論は正当であつて、被上告人の控訴は棄却されるべきものである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光)
(3)消極目的・積極目的二分論の問題点
+判例(S30.1.26)
理由
弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について。
論旨は、公衆浴場法二条二項後段は、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠くと認められる場合には、都道府県知事は公衆浴場の経営を許可しないことができる旨定めており、また昭和二五年福岡県条例五四号三条は、公衆浴場の設置場所の配置の基準等を定めているが、公衆浴場の経営に対するかような制限は、公共の福祉に反する場合でないのに職業選択の自由を違法に制限することになるから、右公衆浴場法及び福岡県条例の規定は、共に憲法二二条に違反するものであると主張するのである。
しかし、公衆浴場は、多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である。そして、若しその設立を業者の自由に委せて、何等その偏在及び濫立を防止する等その配置の適正を保つために必要な措置が講ぜられないときは、その偏在により、多数の国民が日常容易に公衆浴場を利用しようとする場合に不便を来たすおそれなきを保し難く、また、その濫立により、浴場経営に無用の競争を生じその経営を経済的に不合理ならしめ、ひいて浴場の衛生設備の低下等好ましからざる影響を来たすおそれなきを保し難い。このようなことは、上記公衆浴場の性質に鑑み、国民保健及び環境衛生の上から、出来る限り防止することが望ましいことであり、従つて、公衆浴場の設置場所が配置の適正を欠き、その偏在乃至濫立を来たすに至るがごときことは、公共の福祉に反するものであつて、この理由により公衆浴場の経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、憲法二二条に違反するものとは認められない。なお、論旨は、公衆浴場の配置が適正を欠くことを理由としてその経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、公共の福祉に反する場合でないに拘らず、職業選択の自由を制限することになつて違憲であるとの主張を前提として、昭和二五年福岡県条例五四号第三条が、憲法二二条違反であるというが、右前提の採用すべからざることは、既に説示したとおりである。そして所論条例の規定は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項の設置の場所の配置の基準を定めたものであるから、これが所論のような理由で違憲となるものとは認められない。それ故所論は採用できない。
同第二点後段について。
論旨は、公衆浴場法が公衆浴場の経営について許可を原則とし、不許可を例外とする建前をとつているに拘わらず、昭和二五年福岡県条例五四号は不許可を原則とし、許可を例外とする建前をとつており、右条例は公衆浴場法にくらべて、より多く職業選択の自由を制限しているので、憲法の精神に反するのみならず、地方公共団体は「法律の範囲内で」条例を制定できるという憲法九四条に違反していると主張する。しかし、右条例は、公衆浴場法二条三項に基き、同条二項で定めている公衆浴場の経営の許可を与えない場合についての基準を具体的に定めたものであつて、右条例三条、四条がそれであり、同五条は右三条、四条の基準によらないで許可を与えることができる旨の緩和規定を設けたものである。即ち右条例は、法律が例外として不許可とする場合の細則を具体的に定めたもので、法律が許可を原則としている建前を、不許可を原則とする建前に変更したものではなく、従つて右条例には、所論のような法律の範囲を逸脱した違法は認められない。それ故所論は採用できない。
被告人本人の上告趣意について。
論旨の中違憲をいう点は、上記弁護人諌山博の上告趣意第一点及び同第二点前段について判示したところと同様の理由によつて、採用できない。その他の論旨は、単なる法令違反の主張乃至事情の説明を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて同四〇八条により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克)
+判例(H1.1.20)
理由
弁護人林弘ほか二名の上告趣意は、公衆浴場法二条二項による公衆浴場の適正配置規制及び同条三項に基づく大阪府公衆浴場法施行条例二条の距離制限は憲法二二条一項に違反し無効であると主張するが、その理由のないことは、当裁判所大法廷判例(昭和二八年(あ)第四七八二号同三〇年一月二六日判決・刑集九巻一号八九頁)に徴し明らかである。
すなわち、公衆浴場法に公衆浴場の適正配置規制の規定が追加されたのは昭和二五年法律第一八七号の同法改正法によるのであるが、公衆浴場が住民の日常生活において欠くことのできない公共的施設であり、これに依存している住民の需要に応えるため、その維持、確保を図る必要のあることは、立法当時も今日も変わりはない。むしろ、公衆浴場の経営が困難な状況にある今日においては、一層その重要性が増している。そうすると、公衆浴場業者が経営の困難から廃業や転業をすることを防止し、健全で安定した経営を行えるように種々の立法上の手段をとり、国民の保健福祉を維持することは、まさに公共の福祉に適合するところであり、右の適正配置規制及び距離制限も、その手段として十分の必要性と合理性を有していると認められる。もともと、このような積極的、社会経済政策的な規制目的に出た立法については、立法府のとつた手段がその裁量権を逸脱し、著しく不合理であることの明白な場合に限り、これを違憲とすべきであるところ(最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁参照)、右の適正配置規制及び距離制限がその場合に当たらないことは、多言を要しない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)
+判例(H1.3.7)
理由
上告代理人林弘、同中野建、同松岡隆雄の上告理由について
公衆浴場法(以下「法」という。)二条二項の規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(昭和二八年(あ)第四七八二号同三〇年一月二六日大法廷判決・刑集九巻一号八九頁。なお、同三〇年(あ)第二四二九号同三二年六月二五日第三小法廷判決・刑集一一巻六号一七三二頁、同三四年(あ)第一四二二号同三五年二月一一日第一小法廷判決・刑集一四巻二号一一九頁、同三三年(オ)第七一〇号同三七年一月一九日第二小法廷判決・民集一六巻一号五七頁、同四〇年(あ)第二一六一号、第二一六二号同四一年六月一六日第一小法廷判決・刑集二〇巻五号四七一頁、同四三年(行ツ)第七九号同四七年五月一九日第二小法廷判決・民集二六巻四号六九八頁参照)。
おもうに、法二条二項による適正配置規制の目的は、国民保健及び環境、生の確保にあるとともに、公衆浴場が自家風呂を持たない国民にとって日常生活上必要不可欠な厚生施設であり、入浴料金が物価統制令により低額に統制されていること、利用者の範囲が地域的に限定されているため企業としての弾力性に乏しいこと、自家風呂の普及に伴い公衆浴場業の経営が困難になっていることなどにかんがみ、既存公衆浴場業者の経営の安定を図ることにより、自家風呂を持たない国民にとって必要不可欠な厚生施設である公衆浴場自体を確保しようとすることも、その目的としているものと解されるのであり、前記適正配置規制は右目的を達成するための必要かつ合理的な範囲内の手段と考えられるので、前記大法廷判例に従い法二条二項及び大阪府公衆浴場法施行条例二条の規定は憲法二二条一項に違反しないと解すべきである。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官安岡滿彦 裁判官伊藤正己 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己)
・二分論に対する疑問
+判例(S62.4.22)森林法
理由
上告代理人藤本猛の上告理由について
所論は、要するに、森林法一八六条を合憲とした原判決には憲法二九条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
一 憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し、私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障するとともに、社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至つたため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。
二 財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
三 森林法一八六条は、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者(持分価額の合計が二分の一以下の複数の共有者を含む。以下同じ。)に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定している。
そこでまず、民法二五六条の立法の趣旨・目的について考察することとする。共有とは、複数の者が目的物を共同して所有することをいい、共有者は各自、それ自体所有権の性質をもつ持分権を有しているにとどまり、共有関係にあるというだけでは、それ以上に相互に特定の目的の下に結合されているとはいえないものである。そして、共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となるので、同条は、かかる弊害を除去し、共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため、各共有者はいつでも共有物の分割を請求することができるものとし、しかも共有者の締結する共有物の不分割契約について期間の制限を設け、不分割契約は右制限を超えては効力を有しないとして、共有者に共有物の分割請求権を保障しているのである。このように、共有物分割請求権は、各共有者に近代市民社会における原則的所有形態である単独所有への移行を可能ならしめ、右のような公益的目的をも果たすものとして発展した権利であり、共有の本質的属性として、持分権の処分の自由とともに、民法において認められるに至つたものである。
したがつて、当該共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当し、かかる制限を設ける立法は、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを要するものと解すべきところ、共有森林はその性質上分割することのできないものに該当しないから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定している森林法一八六条は、公共の福祉に適合するものといえないときは、違憲の規定として、その効力を有しないものというべきである。
四 1 森林法一八六条は、森林法(明治四〇年法律第四三号)(以下「明治四〇年法」という。)六条の「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」との規定を受け継いだものである。明治四〇年法六条の立法目的は、その立法の過程における政府委員の説明が、長年を期して営むことを要する事業である森林経営の安定を図るために持分価格二分の一以下の共有者の分割請求を禁ずることとしたものである旨の説明に尽きていたことに照らすと、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図ることにあつたものというべきであり、当該森林の水資源かん養、国土保全及び保健保全等のいわゆる公益的機能の維持又は増進等は同条の直接の立法目的に含まれていたとはいい難い。昭和二六年に制定された現行の森林法は、明治四〇年法六条の内容を実質的に変更することなく、その字句に修正を加え、規定の位置を第七章雑則に移し、一八六条として規定したにとどまるから、同条の立法目的は、明治四〇年法六条のそれと異なつたものとされたとはいえないが、森林法が一条として規定するに至つた同法の目的をも考慮すると、結局、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。
同法一八六条の立法目的は、以上のように解される限り、公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。
2 したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定していることが、同条の立法目的達成のための手段として合理性又は必要性に欠けることが明らかであるといえない限り、同条は憲法二九条二項に違反するものとはいえない。以下、この点につき検討を加える。
(一) 森林が共有となることによつて、当然に、その共有者間に森林経営のための目的的団体が形成されることになるわけではなく、また、共有者が当該森林の経営につき相互に協力すべき権利義務を負うに至るものではないから、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない。したがつて、共有森林の共有者間の権利義務についての規制は、森林経営の安定を直接的目的とする前示の森林法一八六条の立法目的と関連性が全くないとはいえないまでも、合理的関連性があるとはいえない。
森林法は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者からの分割請求を許さないとの限度で民法第三章第三節共有の規定の適用を排除しているが、そのほかは右共有の規定に従うものとしていることが明らかであるところ、共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐつて意見の対立、紛争が生ずるに至つたときは、各共有者は、共有森林につき、同法二五二条但し書に基づき保存行為をなしうるにとどまり、管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来することとなる。同法二五六条一項は、かかる事態を解決するために設けられた規定であることは前示のとおりであるが、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法の右規定の適用を排除した結果は、右のような事態の永続化を招くだけであつて、当該森林の経営の安定化に資することにはならず、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性のないことは、これを見ても明らかであるというべきである。
(二) (1) 森林法は森林の分割を絶対的に禁止しているわけではなく、わが国の森林面積の大半を占める単独所有に係る森林の所有者が、これを細分化し、分割後の各森林を第三者に譲渡することは許容されていると解されるし、共有森林についても、共有者の協議による現物分割及び持分価額が過半数の共有者(持分価額の合計が二分の一を超える複数の共有者を含む。)の分割請求権に基づく分割並びに民法九〇七条に基づく遺産分割は許容されているのであり、許されていないのは、持分価額二分の一以下の共有者の同法二五六条一項に基づく分割請求のみである。共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を認めた場合に、これに基づいてされる分割の結果は、右に述べた譲渡、分割が許容されている場合においてされる分割等の結果に比し、当該共有森林が常により細分化されることになるとはいえないから、森林法が分割を許さないとする場合と分割等を許容する場合との区別の基準を遺産に属しない共有森林の持分価額の二分の一を超えるか否かに求めていることの合理性には疑問があるが、この点はさておいても、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者からの民法二五六条一項に基づく分割請求の場合に限つて、他の場合に比し、当該森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図らなければならない社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠は、これを見出だすことができないにもかかわらず、森林法一八六条が分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなつているといわざるをえない。
まず、森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、当該森林の地域的位置、気候、植栽竹木の種類等によつて差異はあつても、これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるものというべきである。
また、当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
(2) 更に、民法二五八条による共有物分割の方法について考えるのに、現物分割をするに当たつては、当該共有物の性質・形状・位置又は分割後の管理・利用の便等を考慮すべきであるから、持分の価格に応じた分割をするとしても、なお共有者の取得する現物の価格に過不足を来す事態の生じることは避け難いところであり、このような場合には、持分の価格以上の現物を取得する共有者に当該超過分の対価を支払わせ、過不足の調整をすることも現物分割の一態様として許されるものというべきであり、また、分割の対象となる共有物が多数の不動産である場合には、これらの不動産が外形上一団とみられるときはもとより、数か所に分かれて存在するときでも、右不動産を一括して分割の対象とし、分割後のそれぞれの部分を各共有者の単独所有とすることも、現物分割の方法として許されるものというべきところ、かかる場合においても、前示のような事態の生じるときは、右の過不足の調整をすることが許されるものと解すべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁、昭和四一年(オ)第六四八号同四五年一一月六日第二小法廷判決・民集二四巻一一一号一八〇三頁は、右と抵触する限度において、これを改める。)。また、共有者が多数である場合、その中のただ一人でも分割請求をするときは、直ちにその全部の共有関係が解消されるものと解すべきではなく、当該請求者に対してのみ持分の限度で現物を分割し、その余は他の者の共有として残すことも許されるものと解すべきである。
以上のように、現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである。したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
五 以上のとおり、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであつて、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがつて、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効というべきであるから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者についても民法二五六条一項本文の適用があるものというべきである。
六 本件について、原判決は、森林法一八六条は憲法二九条二項に違反するものではなく、森林法一八六条に従うと、本件森林につき二分の一の持分価額を有するにとどまる上告人には分割請求権はないとして、本件分割請求を排斥しているが、右判断は憲法二九条二項の解釈適用を誤つたものというべきであるから、この点の違憲をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、上告人の分割請求に基づき民法二五八条に従い本件森林を分割すべきものであるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官坂上壽夫、同林藤之輔の補足意見、裁判官髙島益郎、同大内恒夫の意見、裁判官香川保一の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
+補足意見
裁判官坂上壽夫の補足意見は、次のとおりである。
香川裁判官の反対意見に鑑み、わが国における森林所有の実態を踏まえて、一言しておきたい。
香川裁判官の説かれるところは、森林の共同経営という観点から共有森林についての分割制限の合理性を指摘されるもので、たしかに、森林の共同経営に当たつて、途中での分割を許すことは、経営的には不都合を来す場合があると考えられ、共同経営を目的とした共有を考える限りにおいて、まことに傾聴すべき見解であると思われるが、「森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことである」とされるのは、森林共有者の中に、相続による共有者を除いては、自らの意思によらずして森林を共有することになつた者の存在は考えなくてもよいということであろうか。また、自らの意思により森林を共有するといつても、共有するについてはいろんな場合が考えられ、森林を共同経営する意思を有しない者もいると思われるのに、そのことを抜きにして論じてよいものであろうか。なお、共同経営に不都合を来さないためという観点からは、持分二分の一以下の権利者の分割請求のみを許さないとすることの説明が、多数決原理を云々されるだけでは肯けないものがある(のちに述べるように、分割されて困るとすれば、それはむしろ持分二分の一以下の少数権利者の側であろう。)。
ところで、森林経営という面についてであるが、香川裁判官が、「森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである……そして、それに連なる共有森林は……」と説かれるところは、多人数の共同経営の難しさ、煩わしさということを別にすれば、理論としては正にそのとおりであろうが、残念ながら、わが国の森林所有の実態に即しない憾みがあるように思われる。以下、議論を正確にするため、統計数字については、林野庁監修「林業統計要覧」一九八六年版所載の各表によることとするが、その「一九八〇年世界農林業センサス結果」によると、わが国での共同所有者による森林保有は、統計に表れない〇・一へクタール未満の森林を除き、〇・一ヘクタール以上のものに限れば、一六万六一四五事業体で合計六〇万一六七三ヘクタールに過ぎず(この数字には、相続により生じた共有体を含むものと思われるが、その内訳は不詳である。)、面積比にすると、二五〇〇万ヘクタール余とされるわが国の全森林の二・四%、一四七〇万ヘクタールに及ぶ私有森林全体の約四%を占めるのみである。しかも、そのうち〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)しか保有しない事業体(農林水産省統計情報部「林家経済調査報告」によると、昭和五九年度において、九・三ヘクタールを保有する林家の林業粗収入額は、薪炭生産やきのこ生産等による収入をも含めて二九万五〇〇〇円であり、これに対する経費総額は一二万七〇〇〇円であつて、林業所得額は一六万八〇〇〇円(平均値)であるから、一ヘクタール当たりにすると、僅かに一万八〇〇〇円に過ぎない。〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)という森林がいかに零細なものであるかがわかろう。)は九万六二八〇事業体に達し、全共同事業体の約五八%に当たり、これに一ないし五ヘクタール(未満)しか保有しない事業体を併せると、一四万四九九六事業体(全共同事業体の八七%強)にも達するのである。他方、香川裁判官が望ましいとされる「相当広大な面積」をかりに一〇〇ヘクタール以上(本件上告人、被上告人の共有森林は、全地区を合計するとこの範囲に入ることになる。)と低く抑えたとしても、その条件に達するものは僅かに五五七事業体(全共同事業体の〇・三%強)に過ぎない。共有にかかる森林の殆どは、共同所有ではあつても、共同経営という名に値しないものである。
とすれば、森林経営の観点から共有を論じても余り意味はなく、森林法一八六条は、ほんの一握りの森林共有体の経営の便宜のために、すべての森林共有体の、しかもそのうちの持分二分の一以下の共有者についてのみ、その分割請求権を奪うという不合理を敢えてしていると結論せざるを得ない。
もとより、森林経営というほどのものでない小面積の共有森林でも、否、小面積の森林なるが故に、分割しては著しく採算に影響するという場合もないではないであろうし(例えば、トラックの通行可能な道路までの伐採木の搬出距離が長いため、搬出のための架線等の設置に多大の経費を要するというような場合等)、極端な場合には、分割しては森林の全売上をもつてしても全経費を賄うに足りないという事態もありうるであろう(多数意見のいう森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積を割る場合ということになろう。)。香川裁判官の説かれる共同経営論は、このようなことも配慮されてのことであると理解できるが、分割した場合につねに生ずるということではない。なお、蛇足を加えると、例えば、持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があつて、四分の三の持分権者の請求によつて分割が行われた場合があつたとしよう。四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になつたとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきでないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らないのではなかろうか。いずれにしても、経営採算ということを考えると、共同経営にかかる森林の分割はこれを許さないとすることに相応の理由があることを否定しないが、森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たつて必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであつて、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではないと思われる。
更にいえば、分割請求権の行使を認めないことによつて、森林の細分化を防止し、それによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することが公共の福祉に合致するとの立場をとるならば、前述のように、わが国の森林面積の二・四%、そのうちの私有森林のみの面積と対比してもその約四%を占めるに過ぎない共同所有森林(相続による共有分を除けば、その割合はもつと小さい筈)の、そのまた少数持分権者のみに、その制限を課するのは何故であろうか。
森林法一八六条による共有森林の分割請求権の制限は、到底首肯するに足る理由を見出だすことができないのである。
+補足意見
裁判官林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に示された結論とその理由に同調するものであるが、共有物の分割方法に関して私の考えるところを補足しておきたい。
多数意見は、民法二五八条二項にいう現物をもつてする分割の一態様として、共有者の一部が持分以上の現物を取得する代わりに当該超過分の対価を他の共有者に支払わせる旨のいわゆる価格賠償による分割を命ずることも許されるから、共有者の一部に分割を認めても必ずしも森林の細分化をもたらすものではないとし、最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁は、これと異なる限度で改めるとしているのであり、私も多数意見の右の説示に賛同する。右の小法廷判決は、昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法のもとにおける遺産相続により共有となつた遺産の分割につき、右改正法の附則三二条により改正後の民法九〇六条が準用されることとなる事案に関するものであるが、「遺産の共有及び分割に関しては、共有に関する民法二五六条以下の規定が第一次的に適用せられ、遺産の分割は現物分割を原則とし、分割によつて著しくその価格を損する虞があるときは、その競売を命じて価格分割を行うことになるのであつて、民法九〇六条は、その場合にとるべき方針を明らかにしたものに外ならない」と判示している。しかし、家庭裁判所での遺産分割審判の実務においては、右判例にかかわらず、遺産分割につき家事審判規則一〇九条を適用して、特別の事由があるときは、共同相続人の一部にその相続分以上の現物を取得させる代わりに、他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物をもつてする分割に代えることが広く行われてきており、しかも、右にいう特別の事由はかなり緩やかに解されているのであるが、この債務を負担させることによる分割の実態は、多数意見にいう価格賠償にほかならないのである。
ところで、遺産分割については、民法が特に分割の基準について九〇六条の規定を設けているほか、手続上も、家庭裁判所に非訟事件である遺産分割の審判の申立をすることができるものとされているのに対し、通常の共有物の分割にあつては、民事訴訟法上の訴えの手続によるべきものとされている。しかし、この共有物分割の訴えも、いわゆる形式的形成訴訟に属し、当事者は単に共有物の分割を求める旨を申し立てれば足り、裁判所は、当事者が現物分割を申し立てているだけであつても、これに拘束されず、競売による代金分割を命ずることもできるのであつて(最高裁昭和五三年(オ)第九二七号、第九二八号同五七年三月九日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号三一三頁)、その本質は非訟事件であり、その点では、典型的な非訟事件である家事審判と異なるところはない。それにもかかわらず通常の共有物分割と遺産分割との間で右のように取扱いが異なるのは、右のような法律上の規定の仕方の違いもさることながら、遺産分割は、被相続人に属していた一切の財産が分割の対象とされ、不動産、動産、債権のほか、これらの権利が結合して構成される商店、病院等の営業というようなさまざまな遺産を一括して共同相続人に配分するものであり、しかも、先祖代々の土地建物、農地、家業というべき営業のように、相続人のうちの誰か適当な者が承継して人手には渡したくないとする一般的な意識や、分割に適しない性質を想定しうる財産も含まれているのに対し、通常の共有については、これまで一個の物の分割が典型例として考えられ、分割が個々の共有物について各共有者の持分権をその価格の割合に応じて単独所有権化するものという角度から捉えられ勝ちであつたためではないかと思われる。しかし、通常の共有の場合であつても、多数意見の指摘するように、同一共有者間において同時に多数の、性質等の異なつた共有物について分割が行われることもあり、また、遺産分割の結果共同相続人のうちの数名の共有とされた財産が再分割されるときのように遺産分割に近い実質をもつこともあるのであつて、そのようなときにまで、現物を持分に応じて分割することができないか又はそれができても著しく価格を損する場合には、直ちに現物分割によることができないものとし、価格賠償による調整をかたくなに否定することは、現物分割の途をいたずらに狭めるものであり、実状に合うものとはいい難い。建物の分割においても、持分に応じた分割が可能なのは、たとえ分割の対象となつている建物が多数あるときでもそのそれぞれがたまたま持分に相当する価格の建物である場合とか、一棟の建物ではあるが持分に相当する価格の区分所有建物とすることが可能である場合のようなむしろ例外的場合に限られることになり、土地についても、地形や道路との関係、さらには地上建物との関係などから持分に応じた分割をすることには無理が伴つたり、著しく価格を損することがむしろ多いといえよう。
共有物の分割にあつては、共有者間の公平が最も重視されなければならない。そして、価格賠償によるときは、価格が裁判所の認定にかかることになつて、観念的には競売による方がより公正な価格によることになるといえるかも知れない。しかし、現実には、競売価額が時価とはかけ離れた低額のものである場合も多々みられるところである。民法二五八条二項は、現物分割により著しくその価格を損する虞があるときは競売による代金分割によるべきこととしているが、競売によるときは、現物分割を避けることにより社会的にはその物自体が有する価格の減少を防ぐことができても、共有者が分配を受け得る利益からみれば著しく価格を損する結果となる虜なしとしないのである。現物分割の一態様として価格賠償の併用を認めると、必ずしも現物を持分に応じて分割しなくてもよいことになり、現物分割により得る場合はかなり増えるものと考えられ、当事者の利益からいつても、ことに当事者が希望しているような場合にまで、裁判所が鑑定等に基づいて認定する金額による価格賠償を否定すべき実質的な根拠はないと思われるのである。
以上のような見地から、私は、民法二五八条による共有物の分割につき価格賠償により過不足を調整することも許されるとする多数意見に賛成するものであるが、更にすすんで、共有者の数が非常に多数の場合に、その中のごく少数の者のみが分割請求をしたというようなときは、事情によつては―多数意見が規制の必要あることを認める共有森林の伐採期あるいは計画植林完了時の前になされた分割請求の如きはその適例であるが―共有物を残りの者だけの共有とし、分割請求者は持分相当額の対価の支払を受けるという方法によることも、右のごく少数の分割請求者からみれば対価を受け取るにすぎないにせよ、これを全体としてみるときはなお現物分割の一態様とみることを妨げないものというべきであり、このように共有物を共有者のうちの一人又は数名の者の単独所有又は共有とし、これらの者から他の者に価格賠償をさせることによる分割も、かかる方法によらざるをえない特段の事情がある場合には、なお現物分割の一態様として許されないわけのものではないと考えるのである。
+意見
裁判官大内恒夫の意見は、次のとおりである。
私は、本件について、原判決を破棄し、原審に差し戻すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その理由を異にし、共有森林の分割請求権の制限を定める森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額が二分の一の共有者からの分割請求(本件はこの場合に当たる)をも禁じている点において、憲法の右条項に違反するにすぎないと考えるので、以下意見を述べることとする。
一 森林法一八六条と財産権の制約
森林法一八六条は、共有森林の分割につき、「各共有者の持分の価額に従いその過半数をもつて分割の請求をすること」のみを認め、その以外の持分価額が二分の一以下の共有者がなす分割請求を禁じているが、これは、民法が共有者の基本的権利としている分割請求権を持分価額が二分の一以下の共有者から奪うものであるから、かかる規制は、憲法上、経済的自由の一つである財産権の制約に当たり、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを必要とする。ところで、経済的自由の規制立法には、精神的自由の規制の場合と異なり、合憲性の推定が働くと考えられ、財産権の規制立法についても、その合憲性の司法審査に当たつては、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、これを尊重すべきものである。そして、同じく経済的自由の規制であつても、それが経済的・社会的政策実施のためのものである場合(積極的規制)は、事の性質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広く認めるべきであるから、右積極的規制を内容とする立法については、当該規制措置が規制の目的を達成するための手段として著しく不合理で裁量権を逸脱したことが明白な場合でなければ、憲法二九条二項に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。以下、この見地に立つて、森林法一八六条が憲法の右条項に違反するかどうかについて判断する。
二 森林法一八六条の立法目的
森林法の右規定は、これと同旨の旧森林法(明治四〇年法律第四三号)六条の規定を踏襲したものであるが、もともと旧森林法が同規定を設けた立法目的は、当時の議会における政府委員の説明及び審議経過に徴すると、共有森林に係る林業経営の特殊性にかんがみ、共有者の分割請求権を制限し、林業経営の安定を図つたものであると解される。すなわち、森林は植林から伐採に至るまで長年月の期間を要し、資本投下も森林の維持・管理も長期的な計画に従つてなされるから、林業経営にあつては経営の基礎を安定したものとする必要が極めて大きいというべきところ、共有森林について民法二五六条一項がそのまま適用されるとするときは、共有者のうち一人が分割請求をする場合でも、何時にても、分割(原則として現物分割又は競売による代金分割)が行われざるをえず、林業経営の基礎は不安定であることを免れないことになる。そこで、旧森林法は前記の規定を設け、共有森林について分割請求権を制限することとしたのであつて、同規定は林業経営の安定を図ることを目的としたものであるというべきである。そして、森林法一八六条が旧森林法六条の規定をそのまま受け継いだこと、及び森林法が一条に新たに同法の目的規定を設けたことを考慮すると、同法一八六条の立法目的は、林業経営の安定を図るとともに、これを通じて森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国土の保全と国民経済の発展に資するにあると解すべく、右立法目的が公共の福祉に適合することは明らかである(なお、同条は、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとし、その限度で共有森林の分割請求を制約するのみで、持分価額が二分の一を超える共有者からの分割請求は勿論、共有者間の協議による分割も同条の禁ずるところでないから、森林の細分化防止をもつて同条の直接の立法目的であるとすることはできないと考える。)。
三 森林法一八六条の規制内容
森林法一八六条は、右の立法目的を達成するため、共有森林について、持分価額が二分の一を超える共有者(以下「過半数持分権者」という。)からの分割請求は認めるが、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとしている。ところで、右は前記経済的自由についての積極的規制に当たり、前示基準に従つてその憲法適合性が判断されることになるが、持分価額が二分の一以下という中には、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるので、場合を分かつて検討する。
1 持分価額が二分の一未満の共有者の分割請求の禁止
これは他方に過半数持分権者が存在する場合であるが、この場合、同条が持分価額が二分の一未満の共有者(以下「二分の一未満持分権者」という。)の分割請求権を否定したのは、下記のとおり理由があると認められ、同条のこの規制内容が、その立法目的との関係において、明らかに合理性と必要性を欠くものであるということはできないと考える。
(一) 旧森林法制定の際の議会における審議経過に徴すると、同法六条の政府原案は、「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス」とのみ定め、共有森林についてはすべて分割請求を禁止するものであつたが、右原案に対し、貴族院において、共有者の分割請求権を絶対的に禁じてしまうのは酷であり、少なくとも共有者の過半数以上の者が分割を請求する場合は、許してよいのではないか、との修正意見が出され、これを受けて、右原案に、「但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」とのただし書が追加され、立法がなされたものである。右の立法経緯によると、旧森林法の立法においては、林業経営の安定を図るという目的から、林業経営にとつて不安定要因であると目される民法二五六条の分割請求権に手が加えられたが、その際右分割請求権を全面的に否定するという方法はとらず、これを一部制約するにとどめたこと、及びいかなる者に分割請求権を認め、いかなる者にこれを認めないかについては、多数持分権者の意思の尊重の見地から、「持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数」である者(過半数持分権者)にのみ分割請求を許すことにしたことが認められるのであつて、旧森林法の右規定及びこれを受け継いだ森林法一八六条は、林業経営の安定と共有者の基本的権利(分割請求権)との調和を図つたものということができる。このように見て来ると、同条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有するものといわなければならず、また、過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できるというべきである。
(二) 次に、二分の一未満持分権者の権利制限の程度について見ると、同持分権者も、過半数持分権者との間で協議による分割を行うこと、及び過半数持分権者が分割自体に同意する場合、具体的な分割の方法・内容の裁判上の確定を求めて、分割の訴えを提起することは、いずれも森林法一八六条の禁ずるところではないと解されるので、結局、右二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも、右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとつて不当な権利制限であるということはできない。
してみると、同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではないというべきである。
2 持分価額が二分の一の共有者の分割請求の禁止
持分価額が二分の一の共有者(以下「二分の一持分権者」という。)が分割請求をする場合は、分割請求の相手方も二分の一持分権者であつて、右1の場合と異なり、過半数持分権者が存在しないが、森林法一八六条はこの場合も分割請求を禁じている。しかし、右の最も典型的な場合は、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合であるが、この場合共有者の一人である甲が同条によつて分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであつて、前記1の場合のごとく、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由に基づくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、共有者の他の一人である乙も同様であつて、甲、乙互いに対等の地位にあるにかかわらず、いずれも相手に対して分割請求をすることを禁じられるのである。その結果は、甲、乙両名(すなわち共有者全員)が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなるが、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎであるといわなければならない。思うに、森林法一八六条は林業経営の安定等の目的から共有者の分割請求権を制約するものであるが、全面的にこれを禁止しようとするものではない。したがつて、二分の一持分権者の共有関係の解消について生ずる右のような結果は、同条の所期するところでないとも考えられ、結局、同条のうち二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。よつて、同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効であるというべきである。
四 本件事案は、上告人及び被上告人が同人らの父から本件森林の贈与を受け、これを共有しているが、その持分は平等で各二分の一である、というのであり、前項2の場合に該当するから、上記の理由により上告人の分割請求は認容されるべきである。したがつて、上告人の論旨は理由があるから、本件については、原判決(上告人敗訴部分)を破棄し、原審に差し戻すべきものと考える。
裁判官髙島益郎は、裁判官大内恒夫の意見に同調する。
+反対意見
裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。
私は、森林法一八六条が憲法二九条二項に違反するものとする多数意見に賛成し難い。その理由は次のとおりである。
民法の共有に関する規定は、原則的には、共有関係からの離脱及びその解消を容易ならしめるため、各共有者の共有持分の譲渡について何らの制限を設けないのみならず、共有者全員の協議による共有物の分割のほか、各共有者は何時にても無条件で共有物分割の請求(訴求)をすることができるものとしているが(同法二五六条一項本文、二五八条一項)、その反面、共有物の不分割契約を期間を五年以内に制限しながらも更新を許容してこれを認めている(同法二五六条一項ただし書、同条二項、なお、同法二五四条により不分割契約は特定承継人をも拘束するのである。)。その趣旨は、所有権の型態として単独所有が共有よりもより好ましいものとして共有物の分割を認めながらも、共有関係の生じた経緯、目的、意図、共有物の多種、多様な性質ないし機能等に応じて、何時にても共有関係を解消し得る共有から一定期間共有関係を解消しない共有までの合目的な法律関係を形成し得る途を開いているものということができる。さらに、同法二五四条により、共有物の使用、収益等に関する共有者間の特約による権利義務関係が共有者の特定承継人をも拘束するものとして、共有関係の目的、意図等に対応し得る方途について配慮しているのである。因みに、各人の出資により共同事業を営む共同目的の組合契約による組合財産は、すべて総組合員の共有に属するが(同法六六八条)、清算前には組合財産の同法二五六条一項本文の規定による共有物分割の請求を禁止するなど(同法六七六条)しているのも、共同事業の遂行が共有物分割の請求により阻害されることを防止するための必要によるものに外ならない。そして、同法二五六条一項本文は、共有の目的物を特定していないが、目的物を限定して右の分割請求を考察した場合、その目的物の種類、性質、機能等によつては、同項本文について何らかの修正を施すべき必要があることは容易に考え得るところである。
以上の考え方からいえば、共有物分割の請求をいかなる要件、方法、態様等により認めるべきかあるいは制限すべきかの立法は、経済的自由の規制に属する経済的政策目的による規制であつて、憲法二九条二項により公共の福祉に適合することを要するが、その規制措置は、共有物の種類、性質、機能、関係人の利害得失等相互に関連する諸要素についての比較考量による判断に基づく政策立法であつて、立法府の広範な裁量事項に属するものというべきである。したがつて、その立法措置は、甚だしく不合理であつて、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものでなければ、これを違憲と断ずべきではない。
そこで、森林法一八六条について考えるに、同条は、民法二五六条一項本文と異なり、共有持分の価額に従い過半数を以てのみ共有森林の分割請求をすることができるものと規定している。森林法における森林とは、(一) 木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹、(二) 木竹の集団的な生育に供される土地を指称するのであるが(同法二条一項)、かかる「森林」は、その性質上木竹の植栽、育生、伐採、すなわち森林経営に供されることをその本来の機能とするものであり、このような供用による使用収益をその本質とする財産権である。さればこそ、同法は、かかる森林の所有者について、一般的に森林経営を行う者であることを前提として所要の規定を設けており(同法八条、一〇条の五、一〇条の一〇、一一条、一四条等)、この森林所有者には森林の共有者も含まれることはいうまでもない。そして、森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである(同法一八条、森林組合法一条、同法第三章生産森林組合等参照)。そして、それに連なる共有森林は、森林経営に供されるものである以上、民法二五六条一項本文の規定により、何時にても、しかも無条件に、共有者の一人からでもなされ得る共有物分割の請求によつて、森林の細分化ないしは森林経営の小規模化を招くおそれがあるのみならず、それ以上に、前記の長期的計画に基づく交互的、周期的な森林の施業が著しく阻害され、他の共有者に不測の損害を与え、ひいては森林経営の安定化、活発化による国民経済の健全な発達を阻害し、自然環境の保全等に欠けるおそれがあるので、森林法一八六条は、かかる公共の福祉の見地から、右の共有物分割の請求を制限することとし、ただ、森林経営についても私有財産制の下における営業であり、私的自治の原則が尊重されるべきものであることにかんがみ、謙抑的に、共有物分割の請求の全面的禁止を採らず、共有者の合理的配慮を期待して、いわゆる多数決原理に則り、森林経営により多く利害関係を有する持分価額の過半数以上を以てしなければ共有森林の分割請求をすることができないものとしているのである。そして、共有物分割の請求は、本来非訟的なものであるにもかかわらず、訴訟によることから自づと判断資料が限定され、森林経営に則した合理的な分割の裁判は、決して容易なものではなく、審理が長期化せざるを得ない性質のものであつて、その間における森林経営の停滞、森林の荒廃という避けるべくもないデメリットも当然予想されるであろうから、分割請求を持分価額の過半数をもつて決することとすることにより、右のデメリットをも考慮して分割請求の可否、利害得失をも含め分割請求に関する合理的、妥当な共有者間の意思決定がされることを期待しているものといえるであろう。
以上のとおり、森林法一八六条は、その立法目的において公共の福祉に適合するものであることは明らかであり、その規制内容において必要性を欠く甚だしく不合理な、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとは到底解することができないから、憲法二九条二項に違背するものとは断じ得ない。
これに対し、多数意見は、判決理由四の2の(一)において、「森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない」から、森林法一八六条はその立法目的(森林経営の安定)とその規制内容において合理的関連性かないものとし、森林共有者(特に持分が同等で二名の共有の場合)間において共有物の管理又は変更について意見が対立した場合、森林の荒廃を招くにかかわらず、かかる事態を解決するための手段である民法二五六条一項本文の規定の適用を排除している結果、森林の荒廃を永続化させ、森林経営の安定化に資することにならず、立法目的とその手段方法との間に合理的関連性がないことが明らかであるとしている。
しかし、前記のように、森林は、その性質、機能からいつて森林経営に供されるものというべきであり、かかる森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことであり、森林法一八六条も亦かかる前提に立つてはじめて理解し得るものである。この点において多数意見は私の見解と根本的に異なるのであるが、多数意見の右の指摘する点についていえば、共有物の管理について過半数によつて決することができない場合に管理ができなくなることは、民法二五二条もこれを予想し、それ自体止むを得ないこととして、その場合の不都合を若干でも除去し、少なくとも共有物の現状維持を図るために、同条ただし書において保存行為を各共有者がなし得るものとしているのであつて、既存の樹木の育生に必要な行為は右保存行為に該当するから、必ずしも森林の荒廃を防ぎ得ないものではない。また、共有者間において管理又は変更について決することができない場合の森林の荒廃という事態を解決するための手段として同法二五六条一項本文の規定があるものとすること自体甚だ疑問であるし、むしろ共有森林の分割請求が森林経営を阻害し、保存行為も充分になし得ず(分割請求により自己の取得する部分が不明である以上、各共有者に保存行為を期待することは無理であろう。)、反つて森林の荒廃を招くおそれがあるのではなかろうか。共有森林の管理について共有者間の意見が一致しない場合、共有関係の継続を欲しない者がその持分を譲渡して共有関係から離脱することも必ずしも困難を強いるものではない。
次に、多数意見は、判決理由四の2の(二)において、協議による分割、持分価額の過半数による分割請求及び遺産分割を禁止しないで、ただ持分価額の二分の一以下による分割請求を禁止しているが、右の分割の許される場合に比し、分割請求の禁止される場合が森林の細分化を防止する社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠はないし、しかも森林の安定的経営のための必要最小限度の面積をも法定せず、分割請求の制限される森林の範囲及び期間の限定もないまま、特に当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割請求を制限することは、立法目的の達成に必要な限度を超えた不必要なものであるという。さらに分割請求の場合の現物分割としても、調整的な価格賠償により分割後の管理、利用の便等を考慮して合理的な現物分割がされるし、多数共有者の一人による分割請求の場合に、請求者に持分の限度で現物を与え、その余を他の共有者の共有とする分割も許されるし、さらに代金分割のための一括競売がされるときも、いずれも共有森林の細分化をきたさないから、右の分割請求の禁止は、必要な限度を超えた不必要な規制であるという。しかし、森林法が共有者全員の協議による分割を禁止していないのは、私有財産制の尊重からかかる分割まで禁止することの適否は疑問であり、森林の共同経営を前提とする以上、分割の可否及び可とする場合の分割について共有者全員の合理的な協議を期待してのことであつて、かかる期待も立法態度として肯認されるものであろう。次に、遺産分割を禁止していないのは、遺産分割が遺産の全部を対象とするものであるのに、その一部である森林のみについて異なる扱いをすることは円滑な遺産分割を阻害するおそれがあるし、もともと森林又はその共有持分の共同相続人は自らの意思により共有関係に入つた者ではなく、森林の共同経営の意思を有するものとは必ずしもいえないからである。これらの分割を制限していないことには、右のような相当の理由があるものというべく、ただ、共有者の一人からでも何時にてもなされる分割請求は、多数の意思に反して森林経営のための円滑な施業を阻害するから、これを制限しているのである。次に、分割請求の制限される森林の範囲及び期間を限定せず、特に伐採期、計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割を制限している点については、森林経営に必要な最小限度の土地の面積を法定することは、実際問題として立法技術上も困難であるし、さらに伐採、植林の時期が地区別に交互周期的に到来するのが通常であろうから、分割制限の期間及び時期の限定は、難きを強いるものではなかろうか。最後に、分割請求の制限をしなくても、合理的な現物分割がされるというが、現物の細分化の防止からのみいえば現物分割の結果がなお森林経営上合理的な規模となる場合もあり得ようが、分割の裁判が相当長期間を要することから、分割請求そのものによる森林経営のための円滑な施業の阻害は避けられないであろう。さらに代金分割については、一括競売される限りにおいては当該森林の細分化は防止できるであろうけれども、一括競売は共有物分割の止むを得ない最後の方法であり、共有森林の細分化の防止の観点から、必ずしも時価売却の実現を保し難い競売による代金分割を常に探ることができるかどうか甚だ疑問であつて、以上のような分割の方法があることをもつて、森林法一八六条の分割請求の制限が必要な限度を超えた不必要なものであると果たしていえるであろうか。
以上のように、多数意見が森林法一八六条の違憲の論拠とする点は、これを総合しても、同条が甚だしく不合理で、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとする理由としては、到底首肯し得ないところである。
したがつて、上告人の論旨は理由がないから、本件上告は棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 高島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 林藤之輔 裁判官谷口正孝は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 矢口洪一)
+判例(H4.12.15)
理由
一 上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5について
1 所論は、酒類販売業について免許制を定めた酒税法九条、一〇条一〇号の規定を合憲とした原判決には、憲法二二条一項の解釈適用を誤った違法があるというのである。
2(一) 憲法二二条一項は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきであるが、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請が強く、憲法の右規定も、特に公共の福祉に反しない限り、という留保を付している。しかし、職業の自由に対する規制措置は事情に応じて各種各様の形をとるため、その憲法二二条一項適合性を一律に論ずることはできず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによって制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量した上で慎重に決定されなければならない。そして、その合憲性の司法審査に当たっては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及び必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、立法政策上の問題としてこれを尊重すべきであるが、右合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭があり得る。ところで、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するものというべきである(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
(二) また、憲法は、租税の納税義務者、課税標準、賦課徴収の方法等については、すべて法律又は法律の定める条件によることを必要とすることのみを定め、その具体的内容は、法律の定めるところにゆだねている(三〇条、八四条)。租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)。
(三) 以上のことからすると、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項の規定に違反するものということはできない。
3(一) 酒税法は、酒類には酒税を課するものとし(一条)、酒類製造者を納税義務者と規定し(六条一項)、酒類等の製造及び酒類の販売業について免許制を採用している(七条ないし一〇条)。これは、酒類の消費を担税力の表れであると認め、酒類についていわゆる間接消費税である酒税を課することとするとともに、その賦課徴収に関しては、いわゆる庫出税方式によって酒類製造者にその納税義務を課し、酒類販売業者を介しての代金の回収を通じてその税負担を最終的な担税者である消費者に転嫁するという仕組みによることとし、これに伴い、酒類の製造及び販売業について免許制を採用したものである。酒税法は、酒税の確実な徴収とその税負担の消費者への円滑な転嫁を確保する必要から、このような制度を採用したものと解される。
酒税が、沿革的に見て、国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であるとともに、酒類の販売代金に占める割合も高率であったことにかんがみると、酒税法が昭和一三年法律第四八号による改正により、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のために、このような制度を採用したことは、当初は、その必要性と合理性があったというべきであり、酒税の納税義務者とされた酒類製造者のため、酒類の販売代金の回収を確実にさせることによって消費者への酒税の負担の円滑な転嫁を実現する目的で、これを阻害するおそれのある酒類販売業者を免許制によって酒類の流通過程から排除することとしたのも、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという重要な公共の利益のために採られた合理的な措置であったということができる。その後の社会状況の変化と租税法体系の変遷に伴い、酒税の国税全体に占める割合等が相対的に低下するに至った本件処分当時の時点においてもなお、酒類販売業について免許制度を存置しておくことの必要性及び合理性については、議論の余地があることは否定できないとしても、前記のような酒税の賦課徴収に関する仕組みがいまだ合理性を失うに至っているとはいえないと考えられることに加えて、酒税は、本来、消費者にその負担が転嫁されるべき性質の税目であること、酒類の販売業免許制度によって規制されるのが、そもそも、致酔性を有する嗜好品である性質上、販売秩序維持等の観点からもその販売について何らかの規制が行われてもやむを得ないと考えられる商品である酒類の販売の自由にとどまることをも考慮すると、当時においてなお酒類販売業免許制度を存置すべきものとした立法府の判断が、前記のような政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理であるとまでは断定し難い。
(二) もっとも、右のような職業選択の自由に対する規制措置については、当該免許制度の下における具体的な免許基準との関係においても、その必要性と合理性が認められるものでなければならないことはいうまでもないところである。
そこで、本件処分の理由とされた酒税法一〇条一〇号の免許基準について検討するのに、同号は、免許の申請者が破産者で復権を得ていない場合その他その経営の基礎が薄弱であると認められる場合に、酒類販売業の免許を与えないことができる旨を定めるものであって、酒類製造者において酒類販売代金の回収に困難を来すおそれがあると考えられる最も典型的な場合を規定したものということができ、右基準は、酒類の販売免許制度を採用した前記のような立法目的からして合理的なものということができる。また、同号の規定が不明確で行政庁のし意的判断を許すようなものであるとも認め難い。そうすると、酒税法九条、一〇条一〇号の規定が、立法府の裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理であるということはできず、右規定が憲法二二条一項に違反するものということはできない。
(三) 以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三一年(あ)第一〇七一号同三七年二月二八日判決・刑集一六巻二号二一二頁、同昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日判決・刑集二六巻九号五八六頁、前掲昭和五〇年四月三〇日判決、同昭和六〇年三月二七日判決)の趣旨に徴して明らかなところというべきである。
4 以上によれば、この点に関する原審の判断は、結論において正当である。論旨は採用することができない。
また、論旨は、酒税法一〇条一〇号以外の免許基準に関する規定が憲法二二条一項に違反することをも主張するが、本件処分の適否とはかかわりのない右各号の規定の違憲をいう右主張は、原判決の結論に影響を及ぼさない点をとらえてその違法をいうものにすぎない。論旨は採用することができない。
二 上告代理人水田耕一の上告理由第二点について
酒類販売業の免許を受けた者の法的地位は、譲渡可能なものではないから、同免許を有する酒類販売業者からその営業を譲り受けてこれを継続しようとする者も、酒類販売業の免許の申請について特別の法的地位を有するものではなく、酒税法九条に基づき新規に免許の申請をしなければならないのであって、右免許の申請があった場合において、税務署長は、酒税法一〇条各号に規定する要件に該当するときは、免許を与えないことができる。所論は、右酒類販売の営業の譲受者が酒類販売業の免許の申請について特別の法的地位を有するものであることを前提として本件処分の憲法二九条一項違反をいうものであって、失当たるを免れない。論旨は採用することができない。
三 上告人の上告理由三の6について
所論は、本件処分は、専ら既存の酒類販売業者の利益を保護するため、酒類のいわゆる安売り業者である上告人の新規参入を阻止しようとしてされたものであって、違憲、違法であるというが、右は原審の認定に沿わない事実を前提とするものであって、失当である。論旨は採用することができない。
四 上告代理人杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第三及び上告人の上告理由四、五について
所論は、本件処分に違法な点はないとした原判決には、違法性判断の基準時に関する法令の解釈適用を誤り、また、酒税法一〇条一〇号に規定する要件の存否についての判断を誤った違法があるというのである。
しかし、酒類販売業の免許の申請があった場合に税務署長が免許の許可の処分を行うに当たっては、処分時における事実状態に基づいて免許要件の存否を判断してすべきものであり、所論の主張するように許可申請時ないしその時から二、三か月を経た時点における事実状態に基づいてこれを判断すべきものとする理由はない。また、行政処分の取消しの訴えにおいて、裁判所は、当該処分の違法性の有無を事後的に審査するものであるから、右免許申請に対する拒否処分の違法性の有無の判断は、処分時を基準としてすべきものと解される。
原審が、これと同旨の見解に立ち、その適法に確定した事実関係の下において、本件処分当時、上告人には酒税法一〇条一〇号に規定する事由があったとしてされた本件処分に違法はないと判断したのは、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを論難するものであって、採用することができない。
五 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見、裁判官坂上壽夫の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
+補足意見
上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5についての裁判官園部逸夫の補足意見は次のとおりである。
私は、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべきところが多く、とりわけ、具体的な税目の設定及びその徴収確保のための法的手段等について、裁判所としては、基本的には、立法府の裁量的判断を尊重せざるを得ないと考えており、このことを基調として、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見に同調するものである。ただ、本件の場合、多数意見の説示が、酒税の国税としての重要性を再確認し、現行の酒税法の法的構造とその機能の現状を将来にわたって積極的に支持したものと理解されるようなことがあれば、それは私の本意とは異なるので、以下、その点について、私の意見を述べておきたい。
沿革的に見て、酒税の国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であったことは、多数意見の説示するとおりであるが、現在もなお、酒税が国税において右のような地位を占める税目であるかどうか、議論があることは否定できない。また、仮に酒税が国税として重要な税目であるとしても、酒類販売業を現行の免許制(許可制)の下に置くことによってその徴収を確保しなければならないほどに緊要な税目であるかもまた、議論のあるところである。私は、酒類販売業の許可制について、大蔵省の管轄の下に財政目的の見地からこれを維持するには、酒税の国税としての重要性が極めて高いこと及び酒税の確実な徴収の方法として酒類販売業の許可制が必要かつ合理的な規制であることが前提とされなければならないと考える(私は、財政目的による規制は、いわゆる警察的・消極的規制ともその性格を異にする面があり、また、いわゆる社会政策・経済政策的な積極的規制とも異なると考える。一般論として、経済的規制に対する司法審査の範囲は、規制の目的よりもそれぞれの規制を支える立法事実の確実な把握の可能性によって左右されることが多いと思っている。)。そして、そのような酒税の重要性の判断及び合理的な規制の選択については、立法政策に関与する大蔵省及び立法府の良識ある専門技術的裁量が行使されるべきであると考える。
他方、酒類販売業の許可制が、許可を受けて実際に酒類の販売に当たっている既存の業者の権益を事実上擁護する役割を果たしていることに対する非難がある。酒税法上の酒類販売業の許可制により、右販売業を税務署長の監督の下に置くという制度は、酒税の徴収確保という財政目的の見地から設けられたものであることは、酒税法の関係規定に照らし明らかであり、右許可制における規制の手段・態様も、その立法目的との関係において、その必要性と合理性を有するものであったことは、多数意見の説示するとおりである。酒税法上の酒類販売業の許可制は、専ら財政目的の見地から維持されるべきものであって、特定の業種の育成保護が消費者ひいては国民の利益の保護にかかわる場合に設けられる、経済上の積極的な公益目的による営業許可制とはその立法目的を異にする。したがって、酒類販売業の許可制に関する規定の運用の過程において、財政目的を右のような経済上の積極的な公益目的と同一視することにより、既存の酒類販売業者の権益の保護という機能をみだりに重視するような行政庁の裁量を容易に許す可能性があるとすれば、それは、酒類販売業の許可制を財政目的以外の目的のために利用するものにほかならず、酒税法の立法目的を明らかに逸脱し、ひいては、職業選択の自由の規制に関する適正な公益目的を欠き、かつ、最小限度の必要性の原則にも反することとなり、憲法二二条一項に照らし、違憲のそしりを免れないことになるものといわなければならない。しかしながら、本件は、許可申請者の経済的要件に関する酒税法一〇条一〇号の規定の適用が争われている事件であるところ、原審の確定した事実関係から判断する限り、右のような見地に立った裁量権の行使によって本件免許拒否処分がされたと認めることはできないのである。
もっとも、昭和一三年法律第四八号による酒税法の改正当初において酒類販売業の許可制を定めるに至った酒税の徴収確保の必要制という立法目的の正当性及び右立法目的を達成するための手段の合理性の双方を支えた立法事実が今日においてもそのまま存続しているかどうかが争われている状況の下で、上告人及び上告代理人らの主張するところによれば、右許可制について本来の立法趣旨に沿わない運用がされているというのである。しかし、記録に現れた資料からは、上告人及び上告代理人らの主張に係る酒税行政の現状が現行の許可制自体の欠陥に由来するものであるとして、右許可制に関する規定の全体を直ちに違憲と判断すべきものとするには足りないといわざるを得ないのである。
酒類販売業の許可制一般の問題は、酒税及びその徴収の確保の重要性の有無と酒類販売業における自由競争の原理との経済的な相関関係によって決定されるべきものである。致酔飲料としての酒類の販売には、警察的な見地からの規制が必要であることはいうまでもないが、これは、酒税法による規制の直接かかわる事項ではないことを、付言しておきたい。
上告代理人遠藤誠、同宮本康昭の各上告理由、同水田耕一の上告理由第一点、同杉山繁二郎、同白井孝一、同清水光康、同増本雅敏、同中村光央の上告理由第一、第二並びに上告人の上告理由一、二及び三の1ないし5についての裁判官坂上壽夫の反対意見は、次のとおりである。
私は、酒税法九条が憲法二二条一項に違反するということはできないとする多数意見に賛成することができない。
私は、許可制による職業の規制は、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、それが重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するというべきであり、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための許可制による職業の規制についても、その必要性と合理性についての立法府の判断は、合理的裁量の範囲にとどまることを要し、立法府の判断が政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するものでないかどうかで、裁判所は、その合憲性を判断すべきものと考える。そして、私は、右の合理的裁量の範囲については、多数意見が引用する職業の自由についての大法廷判決が説示するとおり、「事の性質上おのずから広狭がありうるのであって、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきもの」であって、国家の財政目的のためであるとはいっても、許可制による職業の規制については、事の軽重、緊要性、それによって得られる効果等を勘案して、その必要性と合理性を判断すべきものと考える。
酒税法は、第一章において、酒類には酒税を課することを定め(一条)、その納税義務者を酒類の製造者又は酒類を保税地域から引き取る者(後者の酒類引取者は例外的な場合であるので、以下には酒類製造者のみについて論を進める。)と定めている(六条)。そして、第二章以下において、酒類の製造免許及び酒類の販売業免許等についての規定を置いている。酒税法の右のような構成をみると、酒税の賦課、徴収について直接かかわりがあるのは第一章の規定であって、酒類の製造や酒類販売業を免許制にしている第二章の各規定は、主として酒税の確保に万全を期するための制度的な支えを手当てしたものと解される。
酒類製造者に対して、いわゆる庫出税方式による納税義務を課するという酒税法の課税方式は、正に立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべき領域であるというべきであろうし、かかる課税方式の下においては、酒類製造者を免許制の下に置くことは、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置ということができよう。しかし、酒税の確保を図るため、酒類製造者がその販売した商品の代金を円滑に回収し得るように、酒類販売業までを免許制にしなければならない理由は、それほど強くないように思われる。販売代金の回収は、本来酒類製造者が自己の責任において、取引先の選択や、取引条件、特に代金の決済条件を工夫することによって対処すべきものである。また、わが国においても、昭和一三年にこの制度が導入されるまでは、免許制は酒類製造についてのみ採られていたものであり、揮発油税等の他の間接税の場合に、販売業について免許制を採った例を知らないのである。
もっとも、この制度が導入された当時においては、酒税が国税全体に占める割合が高く、また酒類の販売代金に占める酒税の割合も大きかったことは、多数意見の説示するとおりであるし、当時の厳しい財政事情の下に、税収確保の見地からこのような制度を採用したことは、それなりの必要性と合理性があったということもできよう。しかし、その後四〇年近くを経過し、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下するに至ったという事情があり、社会経済状態にも大きな変動があった本件処分時において(今日においては、立法時との状況のかい離はより大きくなっている。)、税収確保上は多少の効果があるとしても、このような制度をなお維持すべき必要性と合理性が存したといえるであろうか。むしろ、酒類販売業の免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことからすれば、私には、憲法二二条一項の職業選択の自由を制約してまで酒類販売業の免許(許可)制を維持することが必要であるとも、合理的であるとも思われない。そして、職業選択の自由を尊重して酒類販売業の免許(許可)制を廃することが、酒類製造者、酒類消費者のいずれに対しても、取引先選択の機会の拡大にみちを開くものであり、特に、意欲的な新規参入者が酒類販売に加わることによって、酒類消費者が享受し得る利便、経済的利益は甚だ大きいものであろうことに思いを致すと、酒類販売業を免許(許可)制にしていることの弊害は看過できないものであるといわねばならない。
本件のような規制措置の合憲性の判断に際しては、立法府の政策的、技術的な裁量を尊重すべきであるのは裁判所の持すべき態度であるが、そのことを基本としつつも、酒類販売業を免許(許可)制にしている立法府の判断は合理的裁量の範囲を逸脱していると結論せざるを得ないのであり、私は、酒税法九条は、憲法二二条一項に違背するものと考える。各上告論旨は、この点において理由がある。よって、本件免許拒否処分を取り消した第一審判決は、結論において維持すべきものであるから、酒税法九条を合憲とする前提に立ち第一審判決を取り消して上告人の請求を棄却した原判決は、これを破棄し、被上告人の控訴を棄却すべきである。
(裁判長裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)
RQ
+判例(S38.12.4)白タク
理由
弁護人椎原国隆の上告趣意第一点について。
所論は、道路運送法一〇一条一項が憲法二二条一項に違反する旨主張する。
しかし、憲法二二条一項にいわゆる職業選択の自由は無制限に認められるものではなく、公共の福祉の要請がある限りその自由の制限されることは、同条項の明示するところである。道路運送法は道路運送事業の適正な運営及び公正な競争を確保するとともに、道路運送に関する秩序を確立することにより道路運送の総合的な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とするものである。そして同法が自動車運送事業の経営を各人の自由になしうるところとしないで免許制をとり、一定の免許基準の下にこれを免許することにしているのは、わが国の交通及び道路運送の実情に照らしてみて、同法の目的とするところに副うものと認められる。ところで、自家用自動車の有償運送行為は無免許営業に発展する危険性の多いものてあるから、これを放任するときは無免許営業に対する取締の実効を期し難く、免許制度は崩れ去るおそれがある。それ故に同法一〇一条一項が自家用自動車を有償運送の用に供することを禁止しているのもまた公共の福祉の確保のために必要な制限と解される。されば同条項は憲法二二条一項に違反するものでなく、これを合憲と解した原判決は相当であつて、論旨は理由がない。
同第二点について。
所論は、道路運送法一〇一条一項が憲法二二条一項に違反するとの主張を前提として、原判決の憲法三一条違反をいうものであるが、右道路運送法の規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは第一点について説明したとおりであるから、所論はその前提において失当であつて採用できない。
また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)
+判例(H2.2.6)西陣ネクタイ事件
理 由
上告代理人前田進、同桑嶋一、同市木重夫、同置田文夫の上告理由第一について
国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらずあえて当該立法を行うというように、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものでないことは、当裁判所の判例とするところであり(昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁)、また、積極的な社会経済政策の実施の一手段として、個人の経済活動に対し一定の合理的規制措置を講ずることは、憲法が予定し、かつ、許容するところであるから、裁判所は、立法府がその裁量権を逸脱し、当該規制措置が著しく不合理であることの明白な場合に限って、これを違憲としてその効力を否定することができるというのが、当裁判所の判例とするところである(昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁)。そして、昭和五一年法律第一五号による改正後の繭糸価格安定法一二条の一三の二及び一二条の一三の三は、原則として、当分の間、当時の日本蚕糸事業団等でなければ生糸を輸入することができないとするいわゆる生糸の一元輸入措置の実施、及び所定の輸入生糸を同事業団が売り渡す際の売渡方法、売渡価格等の規制について規定しており、営業の自由に対し制限を加えるものではあるが、以上の判例の趣旨に照らしてみれば、右各法条の立法行為が国家賠償法一条一項の適用上例外的に違法の評価を受けるものではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。所論は、違憲をも主張するが、その実質は原判決の右判断における法令違背の主張にすぎない。論旨は、採用することができない。
同第二について
所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らして是認するに足り、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 坂上壽夫 安岡満彦 貞家克己 園部逸夫)