5-1 審理の原則 審理の方式

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1.民事訴訟における口頭弁論の意義
(1)口頭弁論の概念
・審理方式としての口頭弁論
+(口頭弁論の必要性)
第八十七条  当事者は、訴訟について、裁判所において口頭弁論をしなければならない。ただし、決定で完結すべき事件については、裁判所が、口頭弁論をすべきか否かを定める。
2  前項ただし書の規定により口頭弁論をしない場合には、裁判所は、当事者を審尋することができる
3  前二項の規定は、特別の定めがある場合には、適用しない。

・手続の時間的・場所的空間としての口頭弁論
+(期日の指定及び変更)
第九十三条  期日は、申立てにより又は職権で、裁判長が指定する。
2  期日は、やむを得ない場合に限り、日曜日その他の一般の休日に指定することができる。
3  口頭弁論及び弁論準備手続の期日の変更は、顕著な事由がある場合に限り許す。ただし、最初の期日の変更は、当事者の合意がある場合にも許す。
4  前項の規定にかかわらず、弁論準備手続を経た口頭弁論の期日の変更は、やむを得ない事由がある場合でなければ、許すことができない。

・当事者等の訴訟行為としての口頭弁論

(2)口頭弁論の必要性
ⅰ)必要的口頭弁論
・当事者に口頭弁論をする義務があるわけではなく、裁判所が当事者に口頭弁論をする機会を与えなければならないということ。

・一定の基本原則に従った方式である口頭弁論を経ることが、審理の手続の公正さや正統性を基礎付ける。

・必要的口頭弁論
=判決手続きにおいて口頭弁論が必要とされること、または、そのことに基づいて実施される口頭弁論手続

ⅱ)任意的口頭弁論
決定で完結すべき事件は、迅速な処理を要し、当事者間の実体的な権利義務や法律関係の確定をもたらすものではないことから、簡易な手続でも足り、口頭弁論が任意的とされている。

審尋とは、
当事者や利害関係人に対し、書面または口頭で、陳述する機会を与えることをいう。

ⅲ)必要的口頭弁論の例外
法律で例外的規定
当事者に口頭弁論の機会を与える必要性が実質的に低いことから。

2.口頭弁論の諸原則
(1)双方審尋主義
当事者双方が、攻撃防御方法の提出(主張や立証)を十分に尽くす機会を平等に与えられること

趣旨
当事者に十分な手続上の権限を保障し(手続保障)、裁判の公正を実現し、訴訟の結果に対する当事者の満足・納得や、裁判制度に対する社会の信頼を確保

(2)公開主義
訴訟の審理および判決の言渡しを一般公衆に公開すること(一般公開主義)
公開主義違反は312条2項5号で絶対的上告理由となる。

・一般主義の例外が認められる場合でも当事者公開主義の制限はできない!

(3)口頭主義
判決の基礎となる申立て、主張、証拠申出、証拠調べの結果は裁判所に口頭で陳述ないし顕出されなければならないという原則
⇔書面主義

(4)直接主義
判決をする裁判官自身が直接、当事者の弁論を聴取し、証拠調べをするという原則

趣旨
裁判官自身の認識を判決に直接反映できるようにすることで、事案の適切な把握や真実発見という意味で内容的に適正な判決がされるようにすること。

直接主義に違反して判決したことは、判決の手続の違法事由(306条)や絶対的上告事由(312条2項1号)となる。

+(直接主義)
第二百四十九条  判決は、その基本となる口頭弁論に関与した裁判官がする
2  裁判官が代わった場合には、当事者は、従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならない。
3  単独の裁判官が代わった場合又は合議体の裁判官の過半数が代わった場合において、その前に尋問をした証人について、当事者が更に尋問の申出をしたときは、裁判所は、その尋問をしなければならない。

3.審理の効率化のための諸原則
(1)適時提出主義
攻撃防御方法は訴訟の進行状況に応じ適切な時期に提出しなければならない。

+(攻撃防御方法の提出時期)
第百五十六条  攻撃又は防御の方法は、訴訟の進行状況に応じ適切な時期に提出しなければならない。

・156条にいう適時より後に提出された攻撃防御方法は、それが故意または重過失によるもので、訴訟の簡潔を遅延させるものであれば、157条1項によって却下されることになる。

+(時機に後れた攻撃防御方法の却下等)
第百五十七条  当事者が故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法については、これにより訴訟の完結を遅延させることとなると認めたときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる。
2  攻撃又は防御の方法でその趣旨が明瞭でないものについて当事者が必要な釈明をせず、又は釈明をすべき期日に出頭しないときも、前項と同様とする。

(2)集中証拠調べの原則
証人及び当事者本人の尋問を、争点及び証拠の整理が終了した後に集中して行うこととする原則
+(集中証拠調べ)
第百八十二条  証人及び当事者本人の尋問は、できる限り、争点及び証拠の整理が終了した後に集中して行わなければならない。

(3)計画的進行主義
+(訴訟手続の計画的進行)
第百四十七条の二  裁判所及び当事者は、適正かつ迅速な審理の実現のため、訴訟手続の計画的な進行を図らなければならない
(審理の計画)
第百四十七条の三  裁判所は、審理すべき事項が多数であり又は錯そうしているなど事件が複雑であることその他の事情によりその適正かつ迅速な審理を行うため必要があると認められるときは、当事者双方と協議をし、その結果を踏まえて審理の計画を定めなければならない
2  前項の審理の計画においては、次に掲げる事項を定めなければならない。
一  争点及び証拠の整理を行う期間
二  証人及び当事者本人の尋問を行う期間
三  口頭弁論の終結及び判決の言渡しの予定時期
3  第一項の審理の計画においては、前項各号に掲げる事項のほか、特定の事項についての攻撃又は防御の方法を提出すべき期間その他の訴訟手続の計画的な進行上必要な事項を定めることができる。
4  裁判所は、審理の現状及び当事者の訴訟追行の状況その他の事情を考慮して必要があると認めるときは、当事者双方と協議をし、その結果を踏まえて第一項の審理の計画を変更することができる。


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民法 事例から民法を考える 12 私の預金が・・・


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Ⅰ はじめに

Ⅱ AのBに対する請求について
1.序論
・本件定期預金契約の期限前解約とその解約金の振込の効力がいずれもAに帰属するか

日常家事代位・・・
相手方が日常家事に属すると信じ、そう信じるにつき正当な理由があるときには、110条の趣旨の類推
+判例(S44.12.18)
理由
上告代理人小宮正己の上告理由第一点について。
本件売買契約締結の当時、被上告人が訴外Aに対しその売買契約を締結する代理権またはその他の何らかの代理権を授与していた事実は認められない、とした原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係および本件記録に照らし、首肯することができないわけではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断および事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二点について。
民法七六一条は、「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによつて生じた債務について、連帯してその責に任ずる。」として、その明文上は、単に夫婦の日常の家事に関する法律行為の効果、とくにその責任のみについて規定しているにすぎないけれども、同条は、その実質においては、さらに、右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定しているものと解するのが相当である。
そして、民法七六一条にいう日常の家事に関する法律行為とは、個々の夫婦がそれぞれの共同生活を営むうえにおいて通常必要な法律行為を指すものであるから、その具体的な範囲は、個々の夫婦の社会的地位、職業、資産、収入等によつて異なり、また、その夫婦の共同生活の存する地域社会の慣習によつても異なるというべきであるが、他方、問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決するにあたつては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも充分に考慮して判断すべきである。
しかしながら、その反面、夫婦の一方が右のような日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法一一〇条所定の表見代理の成立を肯定することは、夫婦の財産的独立をそこなうおそれがあつて、相当でないから、夫婦の一方が他の一方に対しその他の何らかの代理権を授与していない以上、当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法一一〇条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りるものと解するのが相当である。
したがつて、民法七六一条および一一〇条の規定の解釈に関して以上と同旨の見解に立つものと解される原審の判断は、正当である。
ところで、原審の確定した事実関係、とくに、本件売買契約の目的物は被上告人の特有財産に属する土地、建物であり、しかも、その売買契約は上告人の主宰する訴外株式会社千代田べヤリング商会が訴外Aの主宰する訴外株式会社西垣商店に対して有していた債権の回収をはかるために締結されたものであること、さらに、右売買契約締結の当時被上告人は右Aに対し何らの代理権をも授与していなかつたこと等の事実関係は、原判決挙示の証拠関係および本件記録に照らして、首肯することができないわけではなく、そして、右事実関係のもとにおいては、右売買契約は当時夫婦であつた右Aと被上告人との日常の家事に関する法律行為であつたといえないことはもちろん、その契約の相手方である上告人においてその契約が被上告人ら夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由があつたといえないことも明らかである。
してみれば、上告人の所論の表見代理の主張を排斥した原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の適法にした事実の認定を争い、または、独自の見解を主張するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎)

・Aの帰責性の存否に左右されずに免責を得られるものとして、478条による本件定期預金債権の消滅を主張する方法!
+(債権の準占有者に対する弁済)
第四百七十八条  債権の準占有者に対してした弁済は、その弁済をした者が善意であり、かつ、過失がなかったときに限り、その効力を有する。
2.478条の趣旨
・外観に対する信頼保護。権利者の帰責事由の存否を問わない。
・信頼保護の理由
①弁済の義務性
弁済は債務者の義務であるため、債務者に弁済相手の受領資格につきあまり慎重な調査を求めることは適当ではない!
②日常大量性
日常大量性とは、取引社会全体におけるそれをさす
③既存の法律関係の決済性
債権者の受ける不利益が限定的であるため、債権者に不利益の負担を求めやすい。
3.478条による債務者の免責の要件
・詐称代理人に対する弁済にも478条は適用される!
・債権の準占有者
=債権者その他受領権者らしい外観を呈する者をいう
・定期預金の期限前払い戻しも478条の弁済に該当する。
・善意無過失
債務者が弁済の時に相手方に受領権があると信じ、そう信じることに過失のないことをいう。
機械払いとか窓口での払い戻しの場合
払い戻しが全体として適切な過程を経て行われたかどうか!
Ⅲ AのCまたはDに対する請求について
1.序論
2.本件振込みによるDの普通預金債権の存否
・定期預金の預金者
自らの出損により自己の預金とする意思で自らまたは他人を通じて預金契約をした者を預金者としている(客観説)
←実質的利益を有する者に預金を帰属させようとするもの
・誤振込み
受取人が振込前の口座の残高に振込金相当額を加えた額の普通預金を取得する
3.本件振込みによりDの普通預金債権の成立を認める場合における法律関係
+判例(H15.3.12)
理由 
 弁護人日高章の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例が所論の主張するような趣旨まで判示したものではないから、前提を欠き、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 
 所論にかんがみ、詐欺罪の成否について判断する。 
 1 原判決及び原判決が是認する第1審判決によれば、以下の事実が認められる。 
 (1) 税理士であるAは、被告人を含む顧問先からの税理士顧問料等の取立てを、集金事務代行業者であるB株式会社に委託していた。 
 (2) 同社は、上記顧問先の預金口座から自動引き落としの方法で顧問料等を集金した上、これを一括してAが指定した預金口座に振込送金していたが、Aの妻が上記振込送金先を株式会社泉州銀行金剛支店の被告人名義の普通預金口座に変更する旨の届出を誤ってしたため、上記B株式会社では、これに基づき、平成7年4月21日、集金した顧問料等合計75万0031円を同口座に振り込んだ。 
 (3) 被告人は、通帳の記載から、入金される予定のない上記B株式会社からの誤った振込みがあったことを知ったが、これを自己の借金の返済に充てようと考え、同月25日、上記支店において、窓口係員に対し、誤った振込みがあった旨を告げることなく、その時点で残高が92万円余りとなっていた預金のうち88万円の払戻しを請求し、同係員から即時に現金88万円の交付を受けた。 
 2 本件において、振込依頼人と受取人である被告人との間に振込みの原因となる法律関係は存在しないが、このような振込みであっても、受取人である被告人と振込先の銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、被告人は、銀行に対し、上記金額相当の普通預金債権を取得する(最高裁平成4年(オ)第413号同8年4月26日第二小法廷判決・民集50巻5号1267頁参照)。 
 しかし他方、記録によれば、銀行実務では、振込先の口座を誤って振込依頼をした振込依頼人からの申出があれば、受取人の預金口座への入金処理が完了している場合であっても、受取人の承諾を得て振込依頼前の状態に戻す、組戻しという手続が執られている。また、受取人から誤った振込みがある旨の指摘があった場合にも、自行の入金処理に誤りがなかったかどうかを確認する一方、振込依頼先の銀行及び同銀行を通じて振込依頼人に対し、当該振込みの過誤の有無に関する照会を行うなどの措置が講じられている。 
 これらの措置は、普通預金規定、振込規定等の趣旨に沿った取扱いであり、安全な振込送金制度を維持するために有益なものである上、銀行が振込依頼人と受取人との紛争に巻き込まれないためにも必要なものということができる。また、振込依頼人、受取人等関係者間での無用な紛争の発生を防止するという観点から、社会的にも有意義なものである。したがって、銀行にとって、払戻請求を受けた預金が誤った振込みによるものか否かは、直ちにその支払に応ずるか否かを決する上で重要な事柄であるといわなければならない。これを受取人の立場から見れば、受取人においても、銀行との間で普通預金取引契約に基づき継続的な預金取引を行っている者として、自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、銀行に上記の措置を講じさせるため、誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。社会生活上の条理からしても、誤った振込みについては、受取人において、これを振込依頼人等に返還しなければならず、誤った振込金額相当分を最終的に自己のものとすべき実質的な権利はないのであるから、上記の告知義務があることは当然というべきである。そうすると、【要旨】誤った振込みがあることを知った受取人が、その情を秘して預金の払戻しを請求することは、詐欺罪の欺罔行為に当たり、また、誤った振込みの有無に関する錯誤は同罪の錯誤に当たるというべきであるから、錯誤に陥った銀行窓口係員から受取人が預金の払戻しを受けた場合には、詐欺罪が成立する。 
 前記の事実関係によれば、被告人は、自己の預金口座に誤った振込みがあったことを知りながら、これを銀行窓口係員に告げることなく預金の払戻しを請求し、同係員から、直ちに現金の交付を受けたことが認められるのであるから、被告人に詐欺罪が成立することは明らかであり、これと同旨の見解の下に詐欺罪の成立を認めた原判決の判断は、正当である。 
 よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。 
 (裁判長裁判官 亀山継夫 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治 裁判官 梶谷玄 裁判官 滝井繁男) 
+判例(H20.10.10)
理由 
 上告代理人齋藤雅弘ほかの上告受理申立て理由について 
 1 本件は、上告人が銀行である被上告人に対して普通預金の払戻しを求めたところ、被上告人が、上告人が払戻しを求める金額に相当する預金は、原因となる法律関係の存在しない振込みによって生じたものであることを理由として、上告人の払戻請求は権利の濫用に当たると主張するとともに、被上告人は上告人が払戻しを求める金額に相当する預金を上記振込みをした者に払い戻したが、この払戻しは債権の準占有者に対する弁済として有効であるなどと主張して、これを争う事案である。 
 2 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。 
  (1) 上告人は、A銀行H支店において、普通預金口座(以下「本件普通預金口座」といい、この口座に係る預金を「本件普通預金」という。)を開設し、また、上告人の夫であるBは、C銀行J支店において、預金元本額を1100万円とする定期預金口座(以下、この口座に係る預金を「夫の定期預金」という。)を開設していた。 
  (2) D及び氏名不詳の男性1名(以下「本件窃取者ら」という。)は、平成12年6月6日午前4時ころ、上告人の自宅に侵入し、本件普通預金及び夫の定期預金の各預金通帳及び各銀行届出印を窃取した。 
  (3) E、F及びGは、本件窃取者らから依頼を受け、同月7日午後1時50分ころ、C銀行J支店において、夫の定期預金の預金通帳等を提示して夫の定期預金の口座を解約するとともに、解約金1100万7404円(元本1100万円、利息7404円)を本件普通預金口座に振り込むよう依頼し、これに基づいて本件普通預金口座に上記同額の入金がされた(以下、この振込依頼による入金を「本件振込み」という。)。これにより、本件普通預金口座の残高は1100万8255円となった。 
  (4) E及びFは、本件窃取者らから依頼を受け、同日午後2時29分ころ、A銀行I支店において、本件普通預金の預金通帳等を提示して、本件普通預金口座から1100万円の払戻しを求めた。同銀行は、この払戻請求に応じて、E及びFに対し、1100万円を交付した(以下「本件払戻し」という。)。 
  (5) 上告人は、A銀行の権利義務を承継した被上告人に対し、本件振込みに係る預金の一部である1100万円の払戻しを求め、これに対して被上告人は、前記のとおり、上告人の払戻請求は権利の濫用に当たり許されないなどと主張して争っている。 
 3 原審は、上記事実関係の下において、次のとおり判断して、上告人の請求を棄却した。 
  (1) 本件振込みに係る金員は、本件振込みにより、本件普通預金の一部として上告人に帰属したと解するのが相当である。 
  (2) 本件振込みに係る預金は、上告人において振込みによる利得を保持する法律上の原因を欠き、上告人は、この利得により損失を受けた者へ、当該利得を返還すべきものである。すなわち、上告人としては、本件振込みに係る預金につき自己のために払戻しを請求する固有の利益を有せず、これを振込者(不当利得関係の巻戻し)又は最終損失者へ返還すべきものとして保持し得るにとどまり、その権利行使もこの返還義務の履行に必要な範囲にとどまるものと解すべきである。この権利行使は、特段の事情がない限り、自己への払戻請求ではなく、原状回復のための措置を執る方法によるべきである。 
  そして、本件振込み後にされたEらに対する本件払戻しにより、これに全く関知しない上告人の利得は消滅したから、上告人には不当利得返還義務の履行のために保持し得る利得も存在しない。このことは、本件払戻しにつきA銀行に過失がある場合でも変わるところがない。 
  そうすると、上告人の払戻請求は、上告人固有の利益に基づくものではなく、また、不当利得返還義務の履行手段としてのものでもないから、上告人において払戻しを受けるべき正当な利益を欠き、権利の濫用として許されないものと解すべきである。 
 4 しかしながら、原審の上記3(1)の判断は是認することができるが、同(2)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
  振込依頼人から受取人として指定された者(以下「受取人」という。)の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人において銀行に対し上記金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当であり(最高裁平成4年(オ)第413号同8年4月26日第二小法廷判決・民集50巻5号1267頁参照)、上記法律関係が存在しないために受取人が振込依頼人に対して不当利得返還義務を負う場合であっても、受取人が上記普通預金債権を有する以上、その行使が不当利得返還義務の履行手段としてのものなどに限定される理由はないというべきである。そうすると、受取人の普通預金口座への振込みを依頼した振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在しない場合において、受取人が当該振込みに係る預金の払戻しを請求することについては、払戻しを受けることが当該振込みに係る金員を不正に取得するための行為であって、詐欺罪等の犯行の一環を成す場合であるなど、これを認めることが著しく正義に反するような特段の事情があるときは、権利の濫用に当たるとしても、受取人が振込依頼人に対して不当利得返還義務を負担しているというだけでは、権利の濫用に当たるということはできないものというべきである。 
  これを本件についてみると、前記事実関係によれば、本件振込みは、本件窃取者らがEらに依頼して、上告人の自宅から窃取した預金通帳等を用いて夫の定期預金の口座を解約し、その解約金を上告人の本件普通預金口座に振り込んだものであるというのであるから、本件振込みにはその原因となる法律関係が存在しないことは明らかであるが上記のような本件振込みの経緯に照らせば、上告人が本件振込みに係る預金について払戻しを請求することが権利の濫用となるような特段の事情があることはうかがわれない被上告人において本件窃取者らから依頼を受けたEらに対して本件振込みに係る預金の一部の払戻しをしたことが上記特段の事情となるものでもない。したがって、上告人が本件普通預金について本件振込みに係る預金の払戻しを請求することが権利の濫用に当たるということはできない。 
 5 そうすると、以上と異なる見解の下に、上告人の払戻請求が権利の濫用に当たるとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中、主文第2項の部分は破棄を免れない。そして、本件払戻しが債権の準占有者に対する弁済として有効であるか等について更に審理を尽くさせるため、同部分につき本件を原審に差し戻すこととする。 
  よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀) 
・誤振込みにより成立した預金債権がDの責任財産を構成する。
+判例(H8.4.26)
理由 
 上告代理人榎本峰夫、同中川潤の上告理由一、二について 
 一 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。 
 1 上告人は、株式会社透信(以下「透信」という。)に対する東京法務局所属公証人A成の昭和六三年第二七七号譲渡担保付金銭消費貸借公正証書の執行力のある正本に基づいて、平成元年七月三一日、透信が株式会社富士銀行(以下「富士銀行」という。)に対して有する普通預金債権を差し押さえたが、差押時の同預金債権の残高は五七二万二八九八円とされていた。 
 2 被上告人は、株式会社東辰(以下「東辰」という。)から、東京都大田区所在の建物の一部を賃料一箇月四六七万〇一三〇円で賃借し、毎月末日に翌月分賃料を東辰の株式会社第一勧業銀行大森支店の当座預金口座に振り込んで支払っていた。また、被上告人は、透信から通信用紙等を購入し、その代金を透信の富士銀行上野支店の普通預金口座に振り込む方法で支払っていたことがあったが、昭和六二年一月の支払を最後に取引はなく、債務もなかった。右普通預金口座は、透信と富士銀行との間の普通預金取引契約によるものであるところ、右契約の内容となる普通預金規定には、振込みに関しては、これを預金口座に受け入れるという趣旨の定めだけが置かれていた。 
 3 被上告人は、東辰に対し、平成元年五月分の賃料、光熱費等の合計五五八万三〇三〇円を支払うため、同年四月二八日、富士銀行大森支店に右同額の金員の振込依頼をしたが、誤って、振込先を富士銀行上野支店の前記透信の普通預金口座と指定したため、同口座に右五五八万三〇三〇円の入金記帳がされた(以下「本件振込み」という。)。上告人が差し押さえた透信の普通預金債権の残高五七二万二八九八円のうち五五八万三〇三〇円(以下「本件預金債権」という。)は、本件振込みに係るものである。 
 二 被上告人の本件請求は、上告人の強制執行のうち本件預金債権に対する部分につき、第三者異議の訴えによりその排除を求めるものであるが、原審は、右事実関係の下に、次のとおり判示して、被上告人の請求を認容した。 
 1 振込金について銀行が受取人として指定された者(以下「受取人」という。)の預金口座に入金記帳することにより受取人の預金債権が成立するのは、受取人と銀行との間で締結されている預金契約に基づくものであるところ、振込みが振込依頼人と受取人との原因関係を決済するための支払手段であることにかんがみると、振込金による預金債権が有効に成立するためには、特段の定めがない限り、基本的には受取人と振込依頼人との間において当該振込金を受け取る正当な原因関係が存在することを要すると解される。ところが、本件振込みは、明白で形式的な手違いによる誤振込みであるから、他に特別の事情の認められない本件においては、透信の富士銀行に対する本件預金債権は成立していないというべきである。 
 2 そうすると、本件振込みに係る金員の価値は、実質的には被上告人に帰属しているものというべきであるのに、外観上存在する本件預金債権に対する差押えにより、これがあたかも透信の責任財産を構成するかのように取り扱われる結果となっているのであるから、被上告人は、右金銭価値の実質的帰属者たる地位に基づき、本件預金債権に対する差押えの排除を求めることができると解すべきである。 
 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。 
 1 振込依頼人から受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である。けだし、前記普通預金規定には、振込みがあった場合にはこれを預金口座に受け入れるという趣旨の定めがあるだけで、受取人と銀行との間の普通預金契約の成否を振込依頼人と受取人との間の振込みの原因となる法律関係の有無に懸からせていることをうかがわせる定めは置かれていないし、振込みは、銀行間及び銀行店舗間の送金手続を通して安全、安価、迅速に資金を移動する手段であって、多数かつ多額の資金移動を円滑に処理するため、その仲介に当たる銀行が各資金移動の原因となる法律関係の存否、内容等を関知することなくこれを遂行する仕組みが採られているからである。 
 2 また、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在しないにかかわらず、振込みによって受取人が振込金額相当の預金債権を取得したときは、振込依頼人は、受取人に対し、右同額の不当利得返還請求権を有することがあるにとどまり、右預金債権の譲渡を妨げる権利を取得するわけではないから、受取人の債権者がした右預金債権に対する強制執行の不許を求めることはできないというべきである。 
 3 これを本件についてみるに、前記事実関係の下では、送信は、富士銀行に対し、本件振込みに係る普通預金債権を取得したものというべきである。そして、振込依頼人である被上告人と受取人である透信との間に本件振込みの原因となる法律関係は何ら存在しなかったとしても、被上告人は、透信に対し、右同額の不当利得返還請求権を取得し得るにとどまり、本件預金債権の譲渡を妨げる権利を有するとはいえないから、本件預金債権に対してされた強制執行の不許を求めることはできない。 
 四 そうすると、右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上に判示したところによれば、被上告人の本件請求は理由がないから、右請求を認容した第一審判決を取り消し、これを棄却すべきものである。 
 よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 
 (裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博) 
4.本件振込みによりDの普通預金債権は成立しないとする場合における法律関係
5.Fへの本権払戻しによるCの免責の成否
478条によるDの債権の消滅
Cの無過失が認められるか
Ⅳ おわりに


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憲法 憲法演習ノート 1 17歳、一夏の反乱


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1.概観
(1)設問のねらい
・自主退学勧告の違法性

+判例(H3.9.3)東京学館高校バイク事件
理由
上告代理人北光二、同滝沢繁夫、同田中三男の上告理由第一ないし第三について
所論は、いわゆる三ない原則を定めた本件校則(以下「本件校則」という。)及び本件校則を根拠としてされた本件自主退学勧告は、憲法一三条、二九条、三一条に違反する旨をいうが、憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・民集二七巻一一号一五三六頁)の示すところである。したがって、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人設置に係る高等学校の本件校則及び上告人が本件校則に違反したことを理由の一つとしてされた本件自主退学勧告について、それが直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。そして、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、原審の確定した事実関係の下においては、本件校則が社会通念上不合理であるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。右判断は、所論引用の判例と抵触するものではない。原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第四及び第五について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる(なお、所論は、原判決は上告人が自発的に退学願を提出した旨認定したとしてこれを非難するが、原判決の認定判示するところは、被上告人は上告人に対して自主退学を勧告したもので退学処分をしたものではないというにとどまるのであって、右非難は当たらない。)。そして、上告人の行為の態様、反省の状況及び上告人の指導についての家庭の協力の有無・程度など、原審の確定した事実関係の下においては、上告人に対してされた本件自主退学勧告が違法とはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)

++解説
《解  説》
一、原告が、被告設置の私立高等学校二年に在学中、いわゆる三ない原則(バイクについて免許をとらない、乗らない、買わない)を定めた同校の校則に違反したことなどを理由に自主退学勧告を受けて退学を余儀なくされたところ、右勧告は違法なものであると主張して、被告の被用者の不法行為を理由に慰謝料三〇〇万円を請求した事案。
発端となった事件は、原告が親から購入してもらったバイクを右高校の生徒であるA及びBに貸与したところ、Aはこれを同校の生徒であるCに転貸し、Cが無免許でこれを乗り回すうち、検問中の警察官から停止を求められて逃走しようとし、誤って右警察官に激突して四か月の重傷を負わせ、CはそのままAの家に逃げ帰り、原告らは右事故を秘匿していたが、その後警察の捜査によりCが逮捕され、学校の知るところとなったというもの。

二、原告は、(1) 自主退学勧告にも、退学処分に準じて正当化理由及び適正手続の履践が要求されるが、本件はこれを満たしていない。(2) 三ない原則は財産権の保障(憲法二九条)、幸福追求権(一三条)、学習権〔バイクを通じての学習〕(憲法二六条)、プライバシーを侵害するものである。仮に憲法上の基本権の規定が私人間に直接適用されないとしても、三ない原則は公序良俗に違反し、民法九〇条により無効である。また、三ない原則には合理性がない。(3) 本件退学勧告は、被処分者に十分な弁明反省の機会を与えなかったもので憲法三一条に違反する。(4) 本件退学勧告は著しく重い処分であり、校長の有する懲戒についての裁量の範囲を逸脱したものである(比例原則違反)、と主張した。

三、一、二審とも、本件自主退学勧告に原告主張のような違法はないと判断。二審判決の要旨は次のとおりである(ほぼ全面的に一審判決理由を引用したもの。ただし、一審判決は、本件自主退学勧告は懲戒処分であり、その処分が校長の裁量の範囲内であるかどうかの検討に当たっては、退学処分に準じて考察することが必要であるとしたのに対し、二審判決は、自主退学の勧告は学校側の一方的な意思表示のみにより生徒の身分を消滅せしめる退学処分とは本質的に異なる旨を判示)。
1 三ない原則の違憲の主張について 憲法の基本権の規定は、本来国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係を直接に規律することを予定するものではない。私人間については、民法一条、九〇条や、不法行為に関する諸規定の適正な運用によって調整をはかるべきものである
2 三ない原則の合理性について
学校長は、その設置目的を達成するために必要な事項を校則等により一方的に制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有する。右権能は無制限なものではないが、その内容が社会通念に照らして著しく不合理でない限り生徒の権利自由を害するものとして無効とはならない。認定事実を総合すると、三ない原則が社会通念上著しく不合理であるとは到底いえない
3 比例原則違反について
原告に改善の見込がなく、これを学外に排除することが社会通念からいって教育上やむを得ないと認められる場合であったかどうかを検討するに、(1) 当該行為の態様、結果の軽重、原告の関与の程度、(2) 原告の反省状況(原告は明確な反省の態度を示さなかった)、(3) 家庭の協力(原告の母親は、学校の指導方針と真向から対立し、将来家庭の協力を得て学校の方針どおり原告を指導することは不可能といえる状況であった)などと総合すると、本件自主退学勧告はやむを得ないところであって、社会通念上重きに失し合理性を欠くものであるとは言い難い

四、本上告審判決は、右判断を正当として是認したものである。
1 本件校則の違憲を主張する上告理由に対しては、三菱樹脂上告審判決(最大判昭48・12・12民集二七巻一一号一五三六頁)を引用し、私立学校である被告設置の高等学校の校則について、それが直接憲法の基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない旨を判示。同様の判断方法を示した判例として昭和女子大上告審判決(最三小判昭49・7・19民集二八巻五号七九〇頁)がある。
憲法一三条から、基本的人権として幸福追求権、自己決定権、人格的自律権などを説く憲法学説が有力であるが(詳しくは、戸波江二「校則と生徒の人権」月刊法教九六号六頁など参照)、そのような基本権の存在を認めるとしても、前記三菱樹脂上告審判決の趣旨からすれば、本件について憲法判断をすべきことにはならないであろう。また、前記昭和女子大事件判決は、大学は学生を規律する包括的権能を有し、右権能は、「その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲」であれば適法である旨を判示しており、その判示に照らせば、右権能において、公立学校と私立学校との間に差はないが、それは、憲法の人権規定が私立学校にも及ぶとすることによるのではなく、右権能に対する裁判所による統制基準(すなわち校則等の合理性の有無という判断基準)が公立学校と私立学校とで基本的に異ならないことによるものである。
2 本件校則で定める三ない原則が違法であるとすれば、その校則違反を理由の一つとする本件自主退学勧告も違法となり、本件は不法行為に基づく損害賠償請求であるから、右勧告と損害(退学)との間に因果関係が認められれば原告の請求は認容されるべきこととなる(因果関係はおそらく肯定されるであろう)。その意味で、本件校則の適法・違法は本件損害賠償請求の前提問題である。
しかし、本上告審判決は、「原審の確定した事実関係の下においては、本件校則が社会通念上不合理であるとはいえないとした原審判断は、正当」としてこれを是認した。右判断については、「バイクに乗る自由」、「校則は校外生活に及ぶべきではない」とする観点などからする批判があり得るが(前掲・戸波論文など参照)、右のような前提が自明のものかどうかは疑わしい。結局のところ、教育観の相違に帰するように思われる。なお、いわゆる三ない運動については、見直しの動きがあるようである(平成二年七月七日朝日新聞)。
3 また、本件自主退学勧告は、原告の行為の態様、反省の状況及び原告の指導についての家庭の協力の有無・程度など、原審認定の事情の下においては違法とはいえないとされた。三ない原則を定めた校則違反を理由とする退学処分が裁量権の範囲を逸脱して違法とされた事例もあるが(東京地裁平3・5・27本誌七六四号二〇六頁)、本件とは事案を異にしているというべきであろう。
なお、裁判例及びその評釈等については、前掲戸波論文のほか、右東京地裁判決に対する本誌コメントを参照されたい。

+判例(H8.7.18)修徳館高校パーマ事件
理由
上告代理人斎藤義房、同八塩弘二、同石川邦子、同古口章、同岡慎一、同坪井節子、同伊藤重勝、同末吉宜子、同黒岩哲彦、同須納瀬学、同楠本敏行、同石橋護、同古波倉正偉、同児玉勇二、同平湯真人、同吉澤雅子、同柴垣明彦、同森野嘉郎、同伊藤芳朗、同村山裕の上告理由第一ないし第三及び第一〇について
所論は、修徳高校女子部の、普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止する旨の校則が憲法一三条、二一条、二二条、二六条に違反すると主張するが、憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決・民集二七巻一一号一五三六頁)の示すところである。したがって、私立学校である修徳高校の本件校則について、それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。所論違憲の主張は採用することができない。
私立学校は、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育方針によって教育活動を行うことを目的とし、生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば、(一) 修徳高校は、清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし、それを具体化するものの一つとして校則を定めている、(二) 修徳高校が、本件校則により、運転免許の取得につき、一定の時期以降で、かつ、学校に届け出た場合にのみ教習の受講及び免許の取得を認めることとしているのは、交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するためである、(三) 同様に、パーマをかけることを禁止しているのも、高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するためである、というのであるから、本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず、生徒に対してその遵守を求める本件校則は、民法一条、九〇条に違反するものではない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものであり、採用することができない。

その余の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。右事実によれば、(一) 修徳高校は、本件校則を定め、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をすることを定めていた、(二) 上告人の入学に際し、上告人もその父親も本件校則を承知していたが、上告人は、学校に無断で普通自動車の運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際も顕著な反省を示さなかった、(三) しかし、学校は、上告人が三年生であることを特に考慮して今回に限り上告人を厳重注意に付することとし、上告人に対し本来であれば退学勧告であるが今回に限り厳重注意としたことを告げ、さらに、校長が自ら上告人と父親に直々に注意し、今後違反行為があったら学校に置いておけなくなる旨を告げ、二度と違反しないように上告人に誓わせた、(四) 上告人は、それにもかかわらず、その後間もなく本件校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも、右事実を隠ぺいしようとしたり、学校の教諭らに対して侮辱的な言辞をろうしたりする等反省がないとみられても仕方のない態度をとった、(五) 上告人は、本件校則違反前にも種々の問題行動を繰り返していたばかりでなく、平素の修学態度、言動その他の行状についても遺憾の点が少なくなかった、というのである。これらの上告人の校則違反の態様、反省の状況、平素の行状、従前の学校の指導及び措置並びに本件自主退学勧告に至る経過等を勘案すると、本件自主退学勧告に所論の違法があるとはいえない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。所論は、違憲をも主張するが、その実質は本件自主退学勧告の裁量逸脱の違法をいうものにすぎない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、いずれも採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

++解説
《解  説》
一 本件は、私立高校女子部の生徒である原告が、普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止する校則に違反したこと等を理由として、自主的に退学するように勧告され、右勧告に従って退学届を提出した結果、同校の生徒の地位を失ったことにつき、右勧告の適否が問題となったものである。原告は、私立高校を設置する被告学園及び被告校長に対し、右勧告が違法かつ無効であるとして、主位的に卒業認定と卒業証書の授与を、予備的に同校三年生の生徒たる地位の確認を求め、併せて被告学園に対し不法行為等に基づく損害賠償を求めた。一、二審とも、被告校長に対する訴えについては被告適格を欠くとして却下し、被告学園に対する請求はいずれも棄却した(一審判決は、本誌七六四号一〇七頁、二審判決は本誌八〇〇号一六一頁。当事者の主張や事実関係等については、右一、二審判決及びそのコメントを参照されたい。)。
二 原告の上告理由は多岐にわたるが、①本件校則は、憲法一三条等に違反し、無効であるのに、本件には憲法が直接適用されないとした原審には、憲法の解釈を誤った違法がある、② 懲罰の根拠となり得ない本件校則違反を理由とする退学勧告が有効であると判断した原審には、法令の解釈を誤った違法がある、③ 本件自主退学勧告に至る事実認定には、経験則違反、審理不尽、理由不備の違法がある等というものである。
三 本判決は、原審の認定事実を肯認し、①憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するもので、私人間には当然には適用されないから、私立学校の本件校則が直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はなく、被告学園の教育方針、校則制定の目的等から、私立学校が生徒に対してその遵守を求める本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず、民法一条、九〇条に違反しない。②原告には、本件校則違反以外にも従前から度重なる問題行動があり、無断で普通自動車運転免許を取得したことが発覚した際に、三年生であることを考慮され、自主退学勧告がされず、厳重注意とされた直後に本件校則に違反してパーマをかけた経緯があること等から、自主退学勧告が違法とはいえない、として原審の判断を是認し、原告の上告を棄却したものである。
四 私立学校とその学生のような私人間の関係において、憲法が当然には適用ないし類推適用されるものでないとするのが三菱樹脂大法廷判決(最大判昭48・12・12・民集二七巻一一号一五三六頁、本誌三〇二号一一二頁)、昭和女子大判決(最三小判昭49・7・19民集二八巻五号七九〇頁、本誌三一三号一五三頁)等最高裁判例の立場であり、本判決も、右三菱樹脂判決を引用し、従来の判例の立場を踏襲した上で、民法の一般条項に照らし本件校則の効力を検討し、本件校則が違法、無効であるとはいえないとしたものである。昭和女子大判決は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、……その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する学生を規律する包括的権能を有する」とし、ただし「学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではあり得ず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される」旨を判示しているが、本判決の基本的判断枠組みもこれとほぼ同様であると考えられ、本件同様、私立高校の校則の効力が問題となった最三小判平3・9・3裁集民一六三号二〇三頁、本誌七七〇号一五七頁(バイクについて免許を「取らない、乗らない、買わない」のいわゆる三無原則を定めた校則は社会通念上不合理とはいえないとした原審判断を正当として是認したもの。)に続いて、私立高校の校則が違法とはいえないとされた事例を加えるものである。本判決は、校則の適法性を判断する考慮要素として、当該校則の目的、態様とともに、前記昭和女子大判決と同様に、独自性をもつ私立学校の教育と、それに応じて希望して入学した生徒という私立学校と生徒との関係を前提に、私学の教育方針を具体化するものの一つとして校則を位置づけており、私立高校の校則の内容の当否をその実質にまで立ち入って判断することについて、抑制的な立場をとるものであるといえよう。
五 本件自主退学勧告の違法性については、一、二審判決は、学校当局の判断に、専門的、教育的裁量の範囲を逸脱した違法があれば、自主退学の意思表示は無効になるとし、裁量逸脱の有無を審査する判断枠組みをとっており、本判決も、学校当局の裁量逸脱の有無等が司法審査の対象となることを前提に、本件自主退学勧告の違法性の有無を判断したものである。自主退学勧告は、広義の教育的措置の一種であるが、校長が懲戒として行う退学処分(学校教育法一一条、学校教育法施行規則一三条)とは異なり、学校側の一方的意思表示のみにより生徒の身分を失わせるものではない。その法的性質について本判決は明示していない(本件一審判決は、自主退学勧告は直ちに退学処分もしくはこれに準じる処分とはいえないが、事実上の懲戒であるとし、二審判決は、退学処分とは本質的に異なり、事実上の措置としての懲戒とも異なるとしている。)ものの、一、二審判決同様、自主退学勧告が生徒の身分喪失につながる重大な措置であること等から慎重な考慮が要求されることを前提とし、前記判断枠組みをとって司法審査の対象としたものと思われ、前記最三小判平3・9・3(前記バイク禁止校則違反等を理由の一つとして生徒に対しされた自主退学勧告が違法とはいえないとした。)に続き、本判決は、私立高校の生徒に対してされた自主退学勧告が違法とはいえない事例を加えるものである。
六 本判決も判示するように、本件自主退学勧告には、生徒の度重なる問題行動や校則違反を踏まえ、学校から厳重注意がなされた直後に再度校則違反があったという経緯、事情があり、かかる個別的、具体的事実関係を前提にした事例判決であるから、同種事案でも、その事実関係の差違により、自主退学勧告の適否についての結論が異なり得るのはもとより当然のことであろう。本判決は、従来の最高裁判例の立場を踏襲した上での判決であり、新しい法理等を含むものではないが、学校の校則について、その目的、内容の当否、校則違反に対する罰則や学校の措置等を巡って、教育環境、特に服装等についての生徒の意識の変化を背景に、各論者の教育観ともからみ様々な議論がある中で、パーマ禁止校則等が問題となった事案であり、自主退学勧告の適否を判断する際の考慮要素を具体的に判示していること等、同種事件の判断に当たって実務上参考となろう。

(2)とりあげる項目

2.公職選挙法の合憲性
(1)論点解説~学説の立場から
未成年者の保護
選挙過程の保護

(2)判例の立場と解答上の注意

+判例(S56.7.21)
理由
被告人本人及び弁護人らの各上告趣意のうち、公職選挙法一二九条、二三九条一号、一三八条、二三九条三号の各規定の違憲をいう点については、右各規定が憲法前文、一五条、二一条、一四条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく(最高裁昭和五五年(あ)第八七四号同五六年六月一五日第二小法廷判決参照)、右公職選挙法の各規定を本件に適用したことが憲法前文、二一条、一五条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、公職選挙法二五二条の規定の違憲をいう点については、同条の規定が憲法三一条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和二九年(あ)第四三九号同三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二一七頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、被告人の公民権を停止したことが憲法一四条、一五条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、証拠調請求の却下に関し憲法三一条、三二条、三七条、一三条、一四条、九八条二項違反を主張する点については、右請求却下の措置が証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められないから、所論は前提を欠き、原審が特信性のない検察官調書を採用し、審理を尽くさなかつた結果事実を誤認したとして、憲法三七条二項、三一条違反を主張する点は、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、本件公訴の提起が公訴権の濫用にあたらないとした原判決は憲法一四条、二一条に違反する旨の主張については、本件公訴の提起を違法又は不当とするような事情は認められないので、所論は前提を欠き、第一審の訴訟手続に違法な措置があつたとして、憲法一三条、一四条、三一条、三二条、三七条、八二条、九二条、九八条二項違反を主張する点は、第一審の訴訟手続に違法な措置があつたとは認められないので、前提を欠き、各判例違反の主張のうち、昭和二三年六月二三日及び同年七月二九日の当裁判所各大法廷判例との違反をいう点については、第一審の措置は証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められないので、所論は前提を欠き、その余の判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の主張は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よつて、同法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
一 選挙運動としていわゆる戸別訪問を禁止することが憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所がすでに昭和二五年九月二七日大法廷判決(刑集四巻九号一七九九頁)において明らかにしたところであり、この判断は、その後も維持されており、いわば確定した判例となつている。それにもかかわらず下級裁判所において、この判例に反して戸別訪問禁止の規定を違憲と判示する判決が少なからずあらわれている。このことは、当裁判所の合憲とする判断の理由のもつ説得力が多少とも不十分であるところのあるためではないかと思われる。前記大法廷判決は、戸別訪問の禁止が単に公共の福祉に基づく時、所、方法等についての合理的制限であるという理由をあげるにとどまり、また公職選挙法一三八条に関する昭和四四年四月二三日大法廷判決(刑集二三巻四号二三五頁)も、判例の変更の必要がないと判示しているにすぎず、必ずしも広く納得させるに足る根拠を示しているとはいえない憾みがあることは否めない。私は同条が憲法に違反するものではないと解することで法廷意見に同調するものであり、それを違憲とする所論は理由がないと考えるのであるが、この機会にその根拠についていささか私見を明らかにしておきたい。
二 選挙運動としての戸別訪問は、わが国において大正一四年の普通選挙制の実施以来禁止されてきている。戦後の公職選挙法の制定に際し、その禁止の一部が緩和され、「公職の候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問することは、この限りでない」という但し書が付加されたが、脱法行為の弊害が生じたとして昭和二七年の改正によつて削除され(昭和二七年法律第三〇七号)、全面的な禁止が復活して今日に至つている。なお、その禁止の違反に対しては、刑事罰による制裁が科せとうれるといらきびしい禁止措置がとられている(職選挙法二三九条)。周知のように、欧米の議会制民主主義国にあつては、戸別訪問は禁止されていないのみではなく、むしろそれは、候補者と選挙人が直接に接触し、候補者はその政策を伝え、選挙人も候補者の識見、人物などを直接に知りうる機会を与えるものとして最も有効適切な選挙運動の方法であると評価されている。選挙運動としての戸別訪問が種々の長所をもつことは否定することができないし、また選挙という主権者である国民の直接の政治参加の場において、政治的意見を表示し伝達する有効な手段である戸別訪問を禁止することが、憲法の保障する表現の自由にとつて重大な制約として、それが違憲となるのではないかという問題を生ずるのも当然といえよう。
三 それでは戸別訪問が憲法に違反しないという論拠をどこに求めるべきであるか。この点について次ぎのようなものがあげられる。すなわち(1)戸別訪問は買収、利益誘導等の不正行為の温床となり易く、選挙の公正を損うおそれの大きいこと、(2)選挙人の生活の平穏を害して迷惑を及ぼすこと、(3)候補者にとつて煩に堪えない選挙運動であり、また多額の出費を余儀なくされること、(4)投票が情実に流され易くなること、(5)戸別訪問の禁止は意見の表明そのものを抑止するのではなく、意見表明のための一つの手段を禁止するものにすぎないのであり、以上にあげたような戸別訪問に伴う弊害を全体として考慮するとき、その禁止も憲法上許容されるものと解されること、がそれである(最高裁昭和五五年(あ)第八七四号同五六年六月一五日第二小法廷判決参照)。
四 以上のような諸理由はそれぞれに是認できないものではなく、単に公共の福祉にもとづく制限であるというのに比してはるかに説得力に富むものではあるが、私見によれば、それらをもつて直ちに十分な合憲の理由とするに足りないと思われる。(1)戸別訪問は買収や利益誘導のような不正行為を誘発する機会となり易く、実質的に選挙の公正を害する選挙運動を生みだす危険性をもつことは容認できる。とくにわが国の現状をみると、戸別訪問が実質的な不正行為の温床となるということを、安易に却けることができないと考えられる。戸別訪問に随伴するとみられる弊害として右にあげたものを多少とも生みだすおそれがあり、かつ戦前には戸別訪問とともに禁止されていた個々面接や電話による選挙運動が現行法上は許されているのは、それらが買収などを誘発する危険性がほとんどないことに基づくことを考えると、戸別訪問の禁止の最も重要な理由はこの点にあると思われる。しかしながら、戸別訪問はそれ自身として違法性をもつものではなく、買収などを誘発する可能性があるといつても、なお抽象的な危険があるにとどまり、実際にはそのようなおそれのない場合があるし、かりにその可能性があるとしても、不正行為の発生の確率の高いものとは必ずしもいえない。憲法上の重要な価値をもつ表現の自由をこのような害悪発生のおそれがあるということでもつて一律に制限をすることはできないと思われる。また、具体的な危険の発生が推認されるときはともかく、単に観念上危険があると考えられるにすぎない場合に、表現の自由の行使を形式犯として刑罰を科することには、憲法上のみならず刑法理論としても問題があると思われる。(2)戸別訪問が、それをうけることを欲しない選挙人にとつて迷惑感がつよく、その平穏な生活を害することはたしかである。とくにわが国における選挙人の通常の意識からみて、これを私生活の妨害と考える程度は少なくないと思われる。しかし、営利目的などでの訪問ではなく、選挙運動としての訪問は、それが議会制民主政治においてもつ意義の大きいことからみて、選挙人において受忍すべき範囲が広いと考えられるし、選挙人への迷惑を少なくするために訪問の時間や方法に合理的な制限を加えることが許されるとしても、私生活の平穏の保持の必要ということは、一律に戸別訪問を禁止することの理由として十分とはいえない。(3)戸別訪問を許すと、各候補者は相互に競つて多くの選挙人を訪問せざるをえなくなり、その選挙運動が煩に堪えなくなるということもありうるかもしれない。しかし、これは候補者にとつての利便の問題であり、選挙人にとつて有益な判断資料を与えるという有効な手段が候補者側の利便によつて制限されることは適当ではない。また戸別訪問が選挙の費用を多額なものとするともいわれるが、かりにそうであつたとしても、それは法定費用の制限をもつて抑えるべきものであるし、およそ戸別訪問は最も簡便で、選挙費用に乏しい候補者が利用できる方法であるという面ももつていることをみのがしえない。(4)戸別訪問は、前記のように、選挙人が候補者側と直接に接触してその政策や人格識見を知りうるという長所をもつが、わが国の国民の政治意識がいまなお高くないことから、実際には、政策や識見よりも、義理や人情に訴えることとなり、投票が情実に流されるおそれのあることもまた否定できない。選挙運動の手段を法が定めるにあたつて、いたずらに理想を追うのではなく、実態を考慮にいれなければならないことはたしかである。しかし、このことを理由として戸別訪問を一律に禁止することは、投票が情実に左右されるという消極的側面を余りに重視しすぎることになるのみでなく、それは単に推認によつてそのような危険性があるというにとどまり、厳密な事実上の論証があるとは必ずしもえない。そのようなおそれがあるというのみでは、選挙における表現の自由を制約する根拠として十分とはいえないと思われる。(5)表現の自由を制約する場合、表現そのものを抑止することよりも、表現の自由の行使の時、場所、方法を規制することは、その制約の程度が大きくなく、したがつて憲法上前者が合憲とされるためにはきびしい基準に適合する必要があるのに反して、後者はそれに比してやや緩やかな基準に合致するをもつて足りると考えられる。しかし、表現の自由の制約は、多くの場合に、後者の手段によつてされるのであり、これが単に合理的なものであれば許容されると解されるのであれば、表現の自由の制約が広く許されることになり、正当な解釈とはいえない。表現の自由の行使の一つの方法が禁止されたときも、その表現を他の方法によつて伝達することは可能であるが、禁止された方法がその表現の伝達にとつて有効適切なものであり、他の方法ではその効果を挙げえない場合には、その禁止は、実質的にみて表現の自由を大幅に制限することとなる。たしかに選挙運動において候補者の政策を選挙人に伝える方法として多くのものが認められてはいるが、戸別訪問が直接に政治的意見を伝えることができるとともに、また選挙人側の意思も候補者に伝えられるという双方向的な伝達方法であることなどの長所をもつことを考えると、戸別訪問の禁止がただ一つの方法の禁止にすぎないからといつて、これをたやすく合憲であるとすることは適切ではない。
以上のように考えると、これまで戸別訪問の禁止を合憲とする根拠とされてきたものは、それぞれに一応の理由があり、これを総体的にとらえるとき、この禁止が合理性を欠くものではないといえるかもしれないが、それだけでは、なお合憲とする判断の根拠として説得力に富むものではない。戸別訪問は選挙という政治的な表現の自由が最も強く求められるところで、その伝達の手段としてすぐれた価値をもつものであり、これを禁止することによつて失われる利益は、議会制民主主義のもとでみのがすことができない。そうして、もし以上に挙げたような理由のみでもつて戸別訪問の禁止が憲法上許容されるとすると、その考え方は広く適用され、憲法二一条による表現の自由の保障をいちじるしく弱めることになると思われる。
五 私は、以上に挙げられた諸理由は戸別訪問の禁止が合憲であることの論拠として補足的、附随的なものであり、むしろ他の点に重要な理由があると考える。選挙運動においては各候補者のもつ政治的意見が選挙人に対して自由に提示されなければならないのではあるが、それは、あらゆる言論が必要最少限度の制約のもとに自由に競いあう場ではなく、各候補者は選挙の公正を確保するために定められたルールに従つて運動するものと考えるべきである。法の定めたルールを各候補者が守ることによつて公正な選挙が行われるのであり、そこでは合理的なルールの設けられることが予定されている。このルールの内容をどのようなものとするかについては立法政策に委ねられている範囲が広く、それに対しては必要最少限度の制約のみが許容されるという合憲のための厳格な基準は適用されないと考える。憲法四七条は、国会議員の選挙に関する事項は法律で定めることとしているが、これは、選挙運動のルールについて国会の立法の裁量の余地の広いという趣旨を含んでいる。国会は、選挙区の定め方、投票の方法、わが国における選挙の実態など諸般の事情を考慮して選挙運動のルールを定めうるのであり、これが合理的とは考えられないような特段の事情のない限り、国会の定めるルールは各候補者の守るべきものとして尊重されなければならない。この立場にたつと、戸別訪問には前記のような諸弊害を伴うことをもつて表現の自由の制限を合憲とするために必要とされる厳格な基準に合致するとはいえないとしても、それらは、戸別訪問が合理的な理由に基づいて禁止されていることを示すものといえる。したがつて、その禁止が立法の裁量権の範囲を逸脱し憲法に違反すると判断すべきものとは考えられない。もとより戸別訪問の禁止が立法政策として妥当であるかどうかは考慮の余地があるが(第七次の選挙制度審議会では、人数、時間、場所、退去義務などの規制をするとともに、戸別訪問の禁止を原則として撤廃すべしとする意見がつよかつた)、これは、その禁止が憲法に反するかどうかとは別問題である。
(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

+判例(H1.9.19)岐阜県青少年保護育成条例事件
理由
一 弁護人青山學、同井口浩治の上告趣意のうち、憲法二一条一項違反をいう点は、岐阜県青少年保護育成条例(以下「本条例」という。)六条二項、六条の六第一項本文、二一条五号の規定による有害図書の自動販売機への収納禁止の規制が憲法二一条一項に違反しないことは、当裁判所の各大法廷判例(昭和二八年間第一七一三号同三二年三月一三日判決・刑集一一巻三号九九七頁、昭和三九年(あ)第三〇五号同四四年一〇月一五日判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁、昭和五七年(あ)第六二一号同六〇年一〇月二三日判決・刑集三九巻六号四一三頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がない。同上告趣意のうち、憲法二一条二項前段違反をいう点は、本条例による有害図書の指定が同項前段の検閲に当たらないことは、当裁判所の各大法廷判例(昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日判決・民集四〇巻四号八七二頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がない。同上告趣意のうち、憲法一四条違反をいう点が理由のないことは、前記昭和六〇年一〇月二三日大法廷判決の趣旨に徴し明らかである。同上告趣意のうち、規定の不明確性を理由に憲法二一条一項、三一条違反をいう点は、本条例の有害図書の定義が所論のように不明確であるということはできないから前提を欠き、その余の点は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
二 所論にかんがみ、若干説明する。
1 本条例において、知事は、図書の内容が、著しく性的感情を刺激し、又は著しく残忍性を助長するため、青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めるときは、当該図書を有害図書として指定するものとされ(六条一項)、右の指定をしようとするときには、緊急を要する場合を除き、岐阜県青少年保護育成審議会の意見を聴かなければならないとされている(九条)。ただ、有害図書のうち、特に卑わいな姿態若しくは性行為を被写体とした写真又はこれらの写真を掲載する紙面が編集紙面の過半を占めると認められる刊行物については、知事は、右六条一項の指定に代えて、当該写真の内容を、あらかじめ、規則で定めるところにより、指定することができるとされている(六条二項)。これを受けて、岐阜県青少年保護育成条例施行規則二条においては、右の写真の内容について、「一 全裸、半裸又はこれに近い状態での卑わいな姿態、二性交又はこれに類する性行為」と定められ、さらに昭和五四年七月一日岐阜県告示第五三九号により、その具体的内容についてより詳細な指定がされている。このように、本条例六条二項の指定の場合には、個々の図書について同審議会の意見を聴く必要はなく、当該写真が前記告示による指定内容に該当することにより、有害図書として規制されることになる。以上右六条一項又は二項により指定された有害図書については、その販売又は貸付けを業とする者がこれを青少年に販売し、配付し、又は貸し付けること及び自動販売機業者が自動販売機に収納することを禁止され(本条例六条の二第二項、六条の六第一項)、いずれの違反行為についても罰則が定められている(本条例二一条二号、五号)。
2 本条例の定めるような有害図書が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであつて、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になつているといつてよい。さらに、自動販売機による有害図書の販売は、売手と対面しないため心理的に購入が容易であること、昼夜を問わず購入ができること、収納された有害図書が街頭にさらされているため購入意欲を刺激し易いことなどの点において、書店等における販売よりもその弊害が一段と大きいといわざるをえない。しかも、自動販売機業者において、前記審議会の意見聴取を経て有害図書としての指定がされるまでの間に当該図書の販売を済ませることが可能であり、このような脱法的行為に有効に対処するためには、本条例六条二項による指定方式も必要性があり、かつ、合理的であるというべきである。そうすると、有害図書の自動販売機への収納の禁止は、青少年に対する関係において、憲法二一条一項に違反しないことはもとより、成人に対する関係においても、有害図書の流通を幾分制約することにはなるものの、青少年の健全な育成を阻害する有害環境を浄化するための規制に伴う必要やむをえない制約であるから、憲法二一条一項に違反するものではない
よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

3.選挙運動の自由
(1)選挙運動の該当性
・選挙運動
+判例(S52.2.24)
要旨
特定の公職の選挙につき、特定の立候補者または立候補予定者に当選を得させるため投票を得もしくは得させる目的をもって、直接又は間接に必要かつ有利な周旋、勧誘その他諸般の行為をすること。

(2)ネットの選挙

4.訴訟形式

5.自主退学勧告の違法性
(1)司法審査の可否
・公立高校の場合
+判例(H8.3.8)エホバ
理由
上告代理人俵正市、同重宗次郎、同苅野年彦、同坂口行洋、同寺内則雄、同小川洋一の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、平成二年四月に神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)に入学した者である。
2 高等専門学校においては学年制が採られており、学生は各学年の修了の認定があって初めて上級学年に進級することができる。神戸高専の学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程(以下「進級等規程」という。)によれば、進級の認定を受けるためには、修得しなければならない科目全部について不認定のないことが必要であるが、ある科目の学業成績が一〇〇点法で評価して五五点未満であれば、その科目は不認定となる。学業成績は、科目担当教員が学習態度と試験成績を総合して前期、後期の各学期末に評価し、学年成績は、原則として、各学期末の成績を総合して行うこととされている。また、進級等規程によれば、休学による場合のほか、学生は連続して二回原級にとどまることはできず、神戸市立工業高等専門学校学則(昭和三八年神戸市教育委員会規則第一〇号。以下「学則」という。)及び退学に関する内規(以下「退学内規」という。)では、校長は、連続して二回進級することができなかった学生に対し、退学を命ずることができることとされている。
3 神戸高専では、保健体育が全学年の必修科目とされていたが、平成二年度からは、第一学年の体育科目の授業の種目として剣道が採用された。剣道の授業は、前期又は後期のいずれかにおいて履修すべきものとされ、その学期の体育科目の配点一〇〇点のうち七〇点、すなわち、第一学年の体育科目の点数一〇〇点のうち三五点が配点された。
4 被上告人は、両親が、聖書に固く従うという信仰を持つキリスト教信者である「エホバの証人」であったこともあって、自らも「エホバの証人」となった。被上告人は、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加することは自己の宗教的信条と根本的に相いれないとの信念の下に、神戸高専入学直後で剣道の授業が開始される前の平成二年四月下旬、他の「エホバの証人」である学生と共に、四名の体育担当教員らに対し、宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れたが、右教員らは、これを即座に拒否した。被上告人は、実際に剣道の授業が行われるまでに同趣旨の申入れを繰り返したが、体育担当教員からは剣道実技をしないのであれば欠席扱いにすると言われた。上告人は、被上告人らが剣道実技への参加ができないとの申出をしていることを知って、同月下旬、体育担当教員らと協議をし、これらの学生に対して剣道実技に代わる代替措置を採らないことを決めた。被上告人は、同月末ころから開始された剣道の授業では、服装を替え、サーキットトレーニング、講義、準備体操には参加したが、剣道実技には参加せず、その間、道場の隅で正座をし、レポートを作成するために授業の内容を記録していた。被上告人は、授業の後、右記録に基づきレポートを作成して、次の授業が行われるより前の日に体育担当教員に提出しようとしたが、その受領を拒否された。
5 体育担当教員又は上告人は、被上告人ら剣道実技に参加しない学生やその保護者に対し、剣道実技に参加するよう説得を試み、保護者に対して、剣道実技に参加しなければ留年することは必至であること、代替措置は採らないこと等の神戸高専側の方針を説明した。保護者からは代替措置を採って欲しい旨の陳情があったが、神戸高専の回答は、代替措置は採らないというものであった。その間、上告人と体育担当教員等関係者は、協議して、剣道実技への不参加者に対する特別救済措置として剣道実技の補講を行うこととし、二回にわたって、学生又は保護者に参加を勧めたが、被上告人はこれに参加しなかった。その結果、体育担当教員は、被上告人の剣道実技の履修に関しては欠席扱いとし、剣道種目については準備体操を行った点のみを五点(学年成績でいえば二・五点)と評価し、第一学年に被上告人が履修した他の体育種目の評価と総合して被上告人の体育科目を四二点と評価した。第一次進級認定会議で、剣道実技に参加しない被上告人外五名の学生について、体育の成績を認定することができないとされ、これらの学生に対し剣道実技の補講を行うことが決められたが、被上告人外四名はこれに参加しなかった。そのため、平成三年三月二三日開催の第二次進級認定会議において、同人らは進級不認定とされ、上告人は、同月二五日、被上告人につき第二学年に進級させない旨の原級留置処分をし、被上告人及び保護者に対してこれを告知した。
6 平成三年度においても、被上告人の態度は前年度と同様であり、学校の対応も同様であったため、被上告人の体育科目の評価は総合して四八点とされ、剣道実技の補講にも参加しなかった被上告人は、平成四年三月二三日開催の平成三年度第二次進級認定会議において外四名の学生と共に進級不認定とされ、上告人は、被上告人に対する再度の原級留置処分を決定した。また、同日、表彰懲戒委員会が開催され、被上告人外一名について退学の措置を採ることが相当と決定され、上告人は、自主退学をしなかった被上告人に対し、二回連続して原級に留め置かれたことから学則三一条に定める退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとの判断の下に、同月二七日、右原級留置処分を前提とする退学処分を告知した。
7 被上告人が、剣道以外の体育種目の受講に特に不熱心であったとは認められない。また、被上告人の体育以外の成績は優秀であり、授業態度も真しなものであった。
なお、被上告人のような学生に対し、レポートの提出又は他の運動をさせる代替措置を採用している高等専門学校もある。

二 高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、最高裁昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁、最高裁昭和四二年(行ツ)第五九号同四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁、最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(前掲昭和四九年七月一九日第三小法廷判決参照)。また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。そして、前記事実関係の下においては、以下に説示するとおり、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。
1 公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。
2 他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。被上告人は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、特に不熱心でもなかったが、剣道種目の点数として三五点中のわずか二・五点しか与えられなかったため、他の種目の履修のみで体育科目の合格点を取ることは著しく困難であったと認められる。したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。また、本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。
上告人の採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法についての一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない
3 被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申し入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。これに対し、神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。
所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。さらに、代替措置を採ることによって、神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない
所論は、代替措置を採ることは憲法二〇条三項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。これらのことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁の趣旨に徴して明らかである。
4 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。
右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。その余の違憲の主張は、その実質において、原判決の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎない。また、右の判断は、所論引用の各判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

・学校内部の問題にとどまらない不利益が生じるのであれば、一般市民法秩序と直接の関係を有することになる。

(2)判例の枠組み
・処分の重大性が審査密度の設定において重大な役割を果たしている。

(3)自主退学勧告の法的性質

(4)憲法上の権利の侵害可能性
選挙運動の自由を何に引き付けて考えるか
表現の自由か
選挙権か・・・・。

判例は選挙運動の自由と表現の自由との同質性を前提としている。
・・・とはいえ、高校生の政治活動には冷淡。

+判例(東京高判S52.3.8)
三、本件退学処分の適否。
(一) 一般的な観点。
高等学校の校長が生徒の行為について懲戒処分を行うに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行状の他の生徒に与える影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの諸要素を考慮してされる前記判断は、学内の事情に通暁し、直接教育の衝に当る校長の合理的裁量に任すのでなければ適切な結果を期し難いところであり、退学処分が教育的裁量処分とされる所以である。もっとも、生徒に対する懲戒権を定める学校教育法第一一条を承けて規定された同法施行規則第一三条第三項は、退学処分について具体的処分事由を定めており、これは、退学処分が他の懲戒処分と異なり、生徒の身分を剥奪する重大な措置であることに鑑み、当該生徒に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙し、他の懲戒処分よりも裁量の余地を狭めたものと解される(最高裁判所第三小法廷昭和四九年七月一九日判決、民集二八巻五号七九〇頁参照)。したがって、具体的事案において、生徒に改善を期待できず、教育目的を達成する見込が失われたとして、生徒の行為を退学処分事由に該当するものと認めた校長の判断が社会通念上合理性を欠くものといい難い場合には、当該退学処分は校長に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その適法性を是認すべきものといわなければならない。叙上の観点に立って、本件を考察する。
(二) 処分事由の個別的検討。
被控訴人が本件退学処分をするに当り基礎に置いた事実が主として前記二の(九)の2、4(2)、5、7、8の事実であり、あわせて学校封鎖参加の事実が重要な情状として斟酌されたことは前認定のとおりである。右各事実を、時の順序に従って、検討する。
1 学校封鎖参加について
(1) ○○高校のすくなくとも三分の一以上の生徒が要求し、学校側もその開催を応諾した全校集会において、高校生の政治活動のあり方を中心に討議を行おうとしていた段階において、学校側が自己の発表した統一見解の内容を不可変的なものとして固執したことは、いささか頑なであり、これでは全校集会の目的の大半を失うに等しく、さらに、学校側が討論の場として予定された全校集会を学校側による統一見解の説明会に切り替えようとしたことも、当初の態度を一方的に変更するものであったから、生徒側の反発を招いたとしても、無理からぬところであったといえる。しかし、たとえそのことが学校封鎖の導因の一つとなったとしても、学校封鎖は決してこれを正当視しうるものではない。けだし、公立学校は地方公共団体の設置管理する営造物であり、その校舎は営造物を構成する物的施設であり、本件にみるごとく設置目的に関係なく、これを排他的に占拠し、あわせて、校舎内の設備及び物品を損傷し、また、学校関係者を軟禁することは、行為自体において違法であること多言を要しないからである。そして、学校封鎖は、それが○○高校の全校集会における統一見解の取扱をめぐる生徒側と学校側との対立を契機として企画、遂行されたものであると認められるほか、その主謀者、計画策定の過程、動員の詳細、控訴人の加担の経緯などすべて証拠上明らかでないが、B教頭軟禁の際における控訴人の行動からすると、控訴人がかなり積極的な活動分子として学校封鎖に参加したものであることが推察される。
(2) 控訴人は、学校側の全校集会に対する態度の変更に対し反省を求めるため、学校封鎖をせざるをえなかったと主張する(原判決事実摘示第二の三(三)1(1))。しかし、前述したとおり、学校封鎖が真に目標としたところは証拠上明らかでなく、控訴人の右主張もこれを裏付ける証拠はない。それ故、右主張を前提として、本件退学処分が控訴人の問題提起を圧殺するものにほかならないと非難する控訴人の主張(前同(1))は判断すべき限りでない。
2 授業妨害について。
(1) 授業妨害は、控訴人が出席日数不足のため進級できないことの責任は学校側が負うべきであるとの見解を披瀝するため行ったものである。しかし、出席日数の不足は、控訴人の学校封鎖参加を理由として被控訴人がした無期謹慎処分の効力が継続したことの結果であるが、事態の発端となった無期謹慎処分を不当もしくは違法と目すべき事由はない。また、右処分が解除されなかったのは、学校封鎖参加の非を反省し、今後暴力的破壊的行動に出ることを慎むようにとの学校側の指導を控訴人が受け容れなかったためであるが、前述のような学校封鎖の明白な違法性に照らせば、学校側の右指導は相当であって、格別非議すべきものはなく、これを受け容れなかった控訴人の態度は是認できない。そうとすれば、無期謹慎処分の効力が継続し、出席日数の不足をきたしたのは、むしろ、控訴人側の態度に原因があったものと認めるべきである。したがって、控訴人がした授業妨害はその動機において諒としうる事情はなんら存しなかったといわなければならない。そして、授業妨害そのものは、学校の基本的目的の遂行を真正面から否定する行為であることはいうまでもない。
(2) 控訴人は、当日、二年六組においては、控訴人の問題提起を受け、学友の意思によって自主的に討論が継続されたものであると主張するが(原判決事実摘示第二の三(三)2)、前認定を覆えして右主張事実を認めうる証拠は、当裁判所の措信しない当審における証人Qの証言、原審における控訴人本人尋問の結果を除き、これを見出することができない。
3 紀元節反対集会について
紀元節反対集会は、学校側の許可なくして敢行された点において、生徒心得及びその根拠規定たる学則に違反するのみならず、学校側の退去勧告にも応じないでこれを継続した点において、悪質であるといわざるをえない。控訴人の主張するとおり(原判決事実摘示第二の三(三)3)、控訴人らの行動は、討論を行い、シュプレヒコールを繰り返えすことが主で、暴力的行為はなにも行われていないことは事実であるが、そうであるからといって、前記の評価を変更すべき理由はない。
4 明訓高校突入事件について
(1) 控訴人が指揮した明訓高校突入事件は典型的な暴力行為に当り、同高校の教師側に九名の受傷者すら生じたもので、違法であること明白である。
(2) 控訴人は、控訴人らの当日の行動は土曜日の放課後学外で行われたもので、授業放棄ではなく、時間的、空間的に生徒の本分、学校の秩序と関係のない領域での行動であると主張するが(原判決事実摘示第二の三(三)4(1))、たとえ土曜日の放課後、学外で行われたもので、授業放棄を伴わないものであったとしても、他人に傷害を与える暴力行為が生徒の本分、学校の秩序に関係のない領域での行動であるとするのは全く不通の論理であって、採用に値しない。
(3) また、控訴人は、被控訴人が控訴人の当日の行動を退学処分の対象とするのは明訓高校の差別教育に対する問題提起を圧殺し、かつ学校教育法第一一条但書違反の明訓高校側の行為を正当化するものであると主張する(前同4(2))。控訴人がいう明訓高校の差別教育なるものの内容は先に認定したとおりであり(前記二(九)4参照)、《証拠省略》によれば、控訴人ら○○高校の生徒らは、右の教育が○○高校における受験教育と本質的に同じであると受けとめ、高校生同志でこの問題を考えようという発想に基づいて行動したことが認められる。右のような発想は、同じ年代に属する高校生が自分達の置かれた教育環境のあり方を問おうとするものであって、なんら掣肘を加えるべき筋合のものではないが、その発想が直ちに糺弾につながるところが短絡的であると評すべきであり、目的を実現するためデモ隊の実力で校内突入を図るという手段をとったことは行き過ぎである。被控訴人は、まさに、その行き過ぎの行動を捉えて処分の対象としたのであり、これをもって控訴人らの問題提起を圧殺したものと認めなければならないものではない。また、明訓高校側に学校教育法第一一条但書違反の行為があったことを前提とする控訴人の主張は、該前提事実を認めうる証拠がないので、採用するに由ない。
5 卒業式反対闘争について。
(1) 《証拠省略》によれば、卒業式反対闘争における控訴人の行動の根底は、高校生は、卒業に当って、大学受験のためにのみ送ってきた高校生活がいかに狭いものであるかを討議、反省すべきであるのに、在来の卒業式は、型どおりのことばで、過去を愛惜、讃美するだけであり、卒業生は無自覚なおとなとしてしか巣立っていかないこととなるという批判を投げかけるところにあったことが認められる。しかし、高等学校におけるより良い教育のあり方如何という問題は、その性質上、単なる校内問題に止まりえず、中学校及び大学並びに学校を取りまく一般社会の問題との関連を踏まえ、広い視野に立って多角的に検討することを要するものであり、短時日のうちに適切な解決を実現することははなはだ困難なものであるから、単に在来の卒業式を否定し、討議反省集会をもって置き換えても、そのような一回的集会によって問題の解決にどれほど資するところがあるか疑問である。したがって、このような討議反省集会の開催を提唱しようとすることの当否は問題であるといわざるをえない。のみならず、現実に顕われた控訴人の行動は、卒業式の阻止、粉砕の面に傾いた嫌いがあり、しかも、当該目的を実現するためには、その手段を選ばないという過激な性格を帯びるに至り、無理矢理に校舎内に侵入しようとしたり、教師に数々の暴行を働いたりしたのであって、明瞭な暴力行為の様相を呈した。
(2) 控訴人は、暴力行為は学校側の不当な禁圧、阻止によって発生したもののように主張する(原判決事実摘示第二の三(三)5(1))。卒業式予行演習日においても、卒業式当日においても、控訴人らは、学校側の制止を排して校舎内に侵入しようとし、そこに力と力の衝突が生じたことは必然的であった。しかし、学校施設としての○○高校校舎の管理権が新潟県教育委員会にあったにせよ、○○高校長(被控訴人)にあったにせよ、学校側の前記制止は当該管理権者の意思に基づいてされたものと推認されるのであって、これを不当とする控訴人の主張は首肯しうる理由付けを欠く。また、事実の経過としても、前記衝突は、学校側が控訴人らに対し先制的、積極的に働きかけたために生じたというよりも、むしろ控訴人らの不法侵入を教師側が受働的に制止したことから始まったのである。したがって、控訴人の主張は失当である。
(3) また、控訴人は、控訴人らの行動を退学処分の対象とすることは高等学校の教育の問題を真正面から見つめようとする運動を学校教育法第一一条但書で禁止させている体罰や警察力で圧殺しようとする学校側のあり方を不問に付し、陰蔽しようとするものであると主張するが(前同5(2))、証拠の裏付を欠くものであって、採用できない。
(三) 退学処分のいわゆる「実体的要件」について。
1 控訴人は、退学処分の「実体的要件」として、(1) 学校において憲法及び教育基本法に基づく教育原理に添った教育が行われていること、(2)当該生徒に対し十二分な指導がされたこと、(3)退学処分が当該生徒に対する教育目的を伴ったものであることを要するのに、本件退学処分はこれらの要件を欠いている旨主張する(原判決事実摘示第二の三(一))。
しかし、控訴人の主張(1)の教育の実態如何は退学処分の適否を具体的に検討しようとするとき逢着する事実問題の一つであるというだけのものであって、これを処分の独立の要件とみるのは控訴人の独自の見解にすぎない。のみならず、控訴人が○○高校の教育の実態として主張するところは、控訴人の評価に適応するような事実を支える証拠がない。すなわち、(イ)《証拠省略》によれば、本件当時○○高校においては、重習制と称し、生徒が低学年で履修した社会科及び理科の科目で大学受験をすることを希望する場合、これを第三学年の半ば頃から復習的に再授業する方法がとられ、このため第三学年の科目として組み込まれているもので、当該生徒の大学受験に無関係な科目は、短期間の履修で足りるとされるなど大学進学のための受験教育を重視していることが認められるが(右認定を左右するに足る証拠はない。)、○○高校が受験準備教育に徹していた旨の控訴人の主張を認めうる証拠はなく、前掲証拠によっても、進学希望者の多い公立高校の教育として平均的な教育体制にあったものと認められる。
(ロ) ○○高校において政治教育を軽視した旨の控訴人の主張は、《証拠省略》によっても、これを肯認することはできない。(ハ)学校側が昭和四四年一一月六日に発表した統一見解に集約されているとおり、学校側が生徒の政治活動を規制する方針をもって臨んでいたことが窺われるが、右規制が十分な合理性を有するものであることは次段において詳述するとおりである。(ニ)学校側が生徒の集会について実際上許可制をとっていたことは前述したが、《証拠省略》によれば、ポスターその他の掲示、ビラの配布についても、必ず事前に関係職員を通じ、生活指導部に申し出て、指示を受けることをされていたこと(生徒心得9)が認められる。しかし、学校側が教育目的を実現するために必要な合理的限界を逸脱して不当な規制を行ったことを認めうる証拠はない。(ホ)総じて、○○高校における教育の現状が、控訴人の強調するように、生徒の教育を受ける権利を否定するものであることを認めるに足る適確な証拠はないとすべきである。控訴人のような年代の青年、生徒にとって、およそ現実は理想と隔たること著しいものと映ずるのであろうし、そのような現実に対する不満あるいは現実がもたらす不安や積極的な現実変革への意志などが控訴人の本件における行動の底流にあったのであろうことは、原審における控訴人本人の供述を通じて看取されるところであるが、そのことと控訴人がした行為に対する法的、社会的評価は自ら別個の問題であり、たとえ控訴人が自己の行動を受験準備教育に対する反対、政治教育の要求、政治活動及び表現の自由を求める運動であると標榜しても、これをそのまま行為の正当事由として承認することはできない。その他控訴人が○○高校の基本的教育態度として云々する点は、これを認めうる証拠はない。
2 また、控訴人の主張(2)の当該生徒に対し十二分の指導がされたかどうか、同(3)の退学処分が(後述のような意味で)教育目的を伴ったものかどうかは、その点を含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して退学処分の選択が社会通念上合理性を欠くものといい難いかどうかを考察すべきであるという趣旨において、検討すべき一要素であることは否定できない(その限りで控訴人の指摘は正当である。)。
ところで、控訴人が政治活動に加わり、無断欠席や遅刻早退が多くなるようになった当初の段階において、学校側が控訴人及びその両親としばしば懇談し、学業を専一にし、欠席などの場合は所定の手続を遵守するような指導、説得に努め、両親の協力をも要請したこと(前記二(一))、中央高校事件における控訴人の行動について被控訴人が校長注意をしたこと(前記二(二))、それにもかかわらず、控訴人が学校封鎖に加担したため、被控訴人において控訴人を無期謹慎処分に付したが、被控訴人は、控訴人に改善の見込があると認められるときは、右処分を解除する方針で臨み、控訴人本人に対する右処分の告知に当ったC学級主任からも、今後の行動を慎むよう説諭したこと(前記二(九)1)、学校側では、当初の方針に従って、右処分の解除をしうるように配慮して、C学級主任をして、何回も控訴人に対し、学校封鎖参加の非を反省し、今後の行動を慎むよう懸命の説得に努めさせたこと(前記二(九)2)は前認定のとおりである。高等学校の生徒はその大部分が未成年者であり、国政上においても選挙権などの参政権が与えられていないが、その年令などからみて、独立の社会構成員として遇することができる一面があり、その市民的自由を全く否定することはできず、政治活動の自由も基本的にはこれを承認すべきものであるしかし、現に高等学校で教育を受け、政治の分野についても、学校の指導によって政治的識見の基本を養う過程にある生徒が政治活動を行うことは、国家、社会として必ずしも期待しているところではない。のみならず、生徒の政治活動を学校の内外を問わず、全く自由なものとして是認するときは、生徒が学習に専念することを妨げ、また、学校内の教育環境を乱し、他の生徒に対する教育の実施を損うなど高等学校存立の基盤を侵害する結果を招来するおそれがあるから、学校側が生徒に対しその政治活動を望ましくないものとして規制することは十分に合理性を有するところである。また、本件当時全国的な規模で展開されたいわゆる学校封鎖は、個々の場合においてそれぞれ異なる様相を呈したとはいえ、ほとんど常に暴力的破壊的性質を帯び、その結果は、単に学内に止まらず、多かれ少かれ社会一般の秩序を乱すものであったことは公知の事実である。それだけに、学校側が生徒に対しこのような行動に加担しないように教導し、生徒がこれに参加した場合に、その行為の性質その他の事情に鑑み、適切な懲戒処分をもって臨むほか、処分後の指導においても、生徒に対し自己の行為の非を反省し、今後同じような暴力的破壊的行動に出ることを厳に慎むよう指導することは当然のことであり、もとより生徒の政治的自由に対する侵害などと評価すべき限りではない。したがって、本件において学校側が控訴人に対してとった前記のような指導説得が教育上あるいは法律上の観点からみて当を得なかったとはとうていいい難いところである。しかるに、控訴人は、学校側に対する根強い不信感を抱き、学校側を権力と見立て、これに抵抗することをよしとする観念に捉われていたため、右指導、説得の効果を上げることができず、控訴人の行動は過激な暴力行為の一途を辿ったことは前記二の認定事実によって明らかである。それ故、控訴人に対する十二分の指導がされなかったとする控訴人の主張は失当とすべきである。
3 次に、生徒に対する退学処分が教育目的を伴ったものであるということは、退学処分に至るまでの間の補導の問題(これは既に考察したところである。)を別にすれば、退学処分が本人に与える影響あるいは教育的効果を考慮してなされるという程の意味に解されるが、退学処分は結局最も強力な懲戒として、学校が当該生徒に対する手を離すことを意味するのであるから、右の影響ないし効果を考慮するといっても限度があり、在学関係が存続し、学校の教育によって生徒の改善が期待される場合にとられる懲戒処分の場合と異なるものがあることは自明である。本件において、《証拠省略》によれば、被控訴人は控訴人の将来を配慮して処分申渡しの翌日中に退学願を提出すれば、願による退学(学則第二五条)の形をとることを告知したが、控訴人はこのような形をとることは学校に対する屈服になるとして退学願を提出しなかったことが認められるのであり(右認定を左右するに足る証拠はない。)。被控訴人に右のような措置以上のものを期待することは無理であると考えられる。被控訴人が控訴人を学外に追放すること自体を目的として本件退学処分をしたもので、教育目的を欠く旨の控訴人の主張を認めるに足る証拠はない。
(四) 本件退学処分は裁量権の範囲に属するか。
前記(二)(三)で考察したところによれば、被控訴人が本件退学処分の基礎に置いた控訴人の行為は、いずれも違法もしくは反社会的な行為と評価すべきものであり、しかも徐々に暴力的様相を濃くしていった傾向すら看取できるのであり、また、被控訴人が情状として斟酌した学校封鎖への参加も明らかに違法なものであった。学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序」、「生徒としての本分」がなにを意味するかについては、種々の議論がされうるであろうが、すくなくとも学校を前記のような違法もしくは反社会的な行為の場として行動すること(明訓高校突入事件を除くその余の前記各行為)が学校の秩序を乱し、生徒としての本分に反するものであること、たとえ学外の行動であっても、違法な暴力行為に出ること(明訓高校突入事件)が生徒としての本分に反するものであることは明白であり、懲戒権者である被控訴人においてそのように認めたことが社会通念に照らして不合理であるとはとうてい考えられない。のみならず、本件退学処分に至る過程において、学校側が控訴人に対する指導に努力したが、控訴人の学校側に対する不信感などに帰因して、不幸にも、控訴人の受け容れるところとならなかったこと、退学処分に当っても、願による退学の形式をとる余地を認めて、退学処分が本人に与える影響を緩和しようと配慮したことは前述のとおりである。叙上の諸事情を総合的に観察すれば、被控訴人が控訴人に改善の見込を期待できず、教育目的を達成する見込が失われたとして、控訴人の行為を学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものとはいい難く、結局、本件退学処分は懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その適法性を是認すべきものである。
(五) 懲戒権の乱用の主張について。
1 控訴人は、本件退学処分の違法事由として懲戒権の乱用を主張するが(原判決事実摘示第二の三、4(2)、5(2))、右主張を裏付ける事実の主張については裁量権逸脱の有無に関する説示中で判断したとおりであり(前記(二)4(3)、5(3))、それによれば、右事実の主張は懲戒権の乱用の主張を支えるだけの意味を有しないか、または、証拠を伴わないものであり、結局、懲戒権の乱用の主張は採用することができない。
2 また、控訴人は(原判決二五枚目裏四行目から二六枚目表二行目までの理由説示に対する反論の趣旨で)、被控訴人が本件退学処分の基礎として事実の一つでもそれが「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものと評価することができないものであれば、本件退学処分は、根拠を欠くものとして、もしくは、相当性を欠き懲戒権の乱用に当るものとして、取り消されるべきであり、学校封鎖参加という情状事実をもって埋め合わせをすることは許されないと主張するが(本判決事実摘示の控訴人訴訟代理人の陳述の二)、被控訴人が本件退学処分の基礎とした事実は、その各個が「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものと評価すべきことは前記(四)で説示したとおりであるから(右は原判決の前記判断と異なるものである)、控訴人の主張は本件に適切でない議論を展開するものであって、失当とすべきである。
(六) 退学処分のいわゆる「手続的要件」について。
1 控訴人は、退学処分については、事前の事情聴取、弁明の機会の付与、理由を付した書面による告知など告知聴聞の手続を経ることが必要であると主張する(原判決事実摘示第二の三(二)1、3)。《証拠省略》によれば、控訴人が学校封鎖参加の件で自宅待機を命じられた後である昭和四四年一一月一二日午後一時三〇分から四時まで、全校集会が開かれたとき、学校側が控訴人に対し、学校封鎖に参加した理由を述べる機会を与えたにかかわらず、控訴人はあえて右集会で陳述しなかったことが認められるし(右認定を左右するに足る証拠はない。)、自宅待機命令以後無期謹慎処分を経て本件退学処分がされるまでの間、学校側が控訴人について指導、説得に努めた際、本人または保護者から事情を聴取しており、控訴人が自己の行為の正当性を主張する機会が与えられたことは先にみたとおりである。(しかも、本件退学処分の基礎とされた控訴人の行為は、学校内もしくは街頭で、教師、生徒らの面前において、時に教師を被害者として行われたものであって、事実自体はすこぶる明白なものであった。)そして、本件退学処分につき控訴人及びその母に対しその処分理由を口頭で告知したことは前記のとおりである。叙上の諸事情のもとにおいては、被控訴人が本件退学処分をするに当り控訴人に対し事前に告知聴聞の機会を与えたものとみるのを妨げない。
また、本件退学処分は被控訴人(校長事務取扱B)が控訴人及び母親に対し事由を具して口頭で申し渡したところ、一般的に処分の口頭告知が控訴人主張のような難点を伴うものであることは否定できないが、処分の告知方法について特に定めのない現行制度のもとにおいては、口頭告知により被処分者が処分の取消を得なければ救済しえないほどの不利益を被ったことが具体的に肯認できる場合に、はじめて、当該告知方法が処分を瑕疵あらしめるものと考えるほかないところ、本件において、控訴人にそのような不利益が生じたことについては主張も立証もない。
2 次に、控訴人は、職員会議における審理不尽を論難する(原判決事実摘示第二の三(二)2)。
退学処分は校長がこれをする権限を有するが、右処分の重大性を考えると、右処分をするかどうかについて職員会議に諮問することが条理上当然であるといえよう。しかも、諮問が退学処分の適正さを担保するためにされるという趣旨に照らせば、諮問は、職員において意見を述べるに適当な程度に、当該生徒に対する退学処分事由が具体的に特定されていること及び該諮問事項に即して職員の意見が述べられることが最小限度要請されるところである。本件において《証拠省略》によれば、○○高校の職員会議においては、中央高校事件以来、控訴人に対する処遇がしばしば議題とされてきたが、控訴人が無期謹慎処分中であるのに、授業妨害の行為に出るに及んで、退学処分に付すべき旨の意見も提出され、さらに明訓高校突入事件の発生に接し、被控訴人を除く職員の意見は控訴人を退学させること(但し、願による退学の形をとることを含めて)に一致するに至ったが、被控訴人において決断のために熟慮期間を求めて推移する間に、新たに、卒業式反対闘争が発生し、被控訴人は遂に昭和四五年三月二二日の職員会議に控訴人に対する退学処分の案件を上程し、職員の意見を求めたこと、その際、被控訴人は、無期謹慎処分後の控訴人の一連の行動、主に前記二(九)の2、4(2)、5、7、8を挙げて、これらの事実を基礎に退学処分をすることの可否を問うたものであり、出席した職員は控訴人の右一連の行動を具体的に頭において、全員が退学処分を可とする旨の意見を述べたものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実によれば、被控訴人は適法に職員会議の諮問を経由して本件退学処分をしたものとすべきである。なるほど、《証拠省略》を検討すると、控訴人の各個の行為の態様のうち重要でない些細な事実については各職員の認識が一致していたとはいえず、また、学校封鎖参加の事実を情状として斟酌するか、あるいは処分の基礎に置くかという点についても、職員が一致した認識を持っていなかったことが窺われる。しかし、控訴人の各個の行為の本筋についての重要な事実について各職員の認識が異っていたとは認められず、また学校封鎖参加の事実をも処分の基礎に置くのでなければ退学処分を否とすべきであるとの意見(その余の事実だけでは退校処分に当らないとの意見)が右会議の席上述べられた形跡はなく、これを殊更に論点に据えないまま会議を終結させたというような、内部意思決定に瑕疵があることを推測させる証跡も見出せない本件においては、単に前記のようなことから直ちに職員会議で教育機関たるにふさわしい慎重な審理が行われなかったと速断すべきではない。また、職員会議の席上、控訴人の行動の動機、理由が一切検討されなかった旨の控訴人の主張はこれを認めるに足る証拠はない。
されば職員会議の審理不尽をいう控訴人の主張は失当である。
四 結論。
以上の次第であるから、被控訴人がした本件退学処分の違法を主張して右処分の取消を求める控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 髙木積夫 堂薗守正)

6.事例の検討
(1)手続的観点から
+判例(S49.7.19)昭和女子大事件
理由
上告代理人雪入益見外八三名の上告理由第一章について。
論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めた被上告人大学の原判示の生活要録六の六の規定は憲法一五条、一六条、二一条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録八の一三の規定は憲法一九条、二一条、二三条、二六条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法一五条、一六条及び二六条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法一九条、二一条、二三条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和四三年(オ)第九三二号同四八年一二月一二日判決・裁判所時報六三二号四頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。
ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない
そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであつて、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第二章について。
論旨は、要するに、本件退学処分は、上告人らの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、憲法二三条、一九条、一四条に違反するものであり、また、かかる違憲の処分によつて上告人らの教育を受ける権利を奪うことは憲法一三条、二六条にも違反するにもかかわらず、原審が右退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、本件退学処分について憲法二三条、一九条、一四条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがつて、右違憲を前提とする憲法一三条、二六条違反の論旨も採用することができない。
また、原審の確定した上告人らの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、上告人Aが左翼的政治団体である民主青年同盟(以下、民青同という。)に加入し、上告人Bが民青同に加入の申込をし、更に、同上告人が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和三一年(あ)第二九七三号同三八年五月二二日判決・刑集一七巻四号三七〇頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分が上告人らの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第三章について。
論旨は、要するに、大学が学生に対して退学処分を行うにあたつては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審が右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法一一条、同法施行規則一三条三項、被上告人大学の学則三六条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、同昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁参照)。
もつとも、学校教育法一一条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則一三条三項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則三六条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則一三条三項四号及び被上告人大学の学則三六条四号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。
ところで、原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。
(1) 被上告人大学では、昭和三六年一〇月下旬ごろ前記のような上告人らの生活要録違反の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、上告人らに対して民青同との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等原判示のような措置をとつたが、この間の大学当局の態度を全体として評すれば、同大学の名声のために上告人らの責任を追及することに急で、同人らの行為が校風に反することについての反省を求めて説得に努めたものとは認めがたいものがあつた。
(2) 他方、上告人らは、生活要録に違反することを知りながら民青同に加入し又は加入の申込をしたものであつて、右違反についての責任の自覚はうすく、民青同に加入することが不当であるとは考えず、これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも真実従う意思はなく(加入申込中であつた上告人Bは同年一二月に正式に加入した。)、関係教授らの説諭に対しては終始反発していた。しかし、同年一二月当時までは、大学当局としてはできるだけ穏便に事件を解決する方針であつた。
(3) ところが、昭和三七年一月下旬、某週刊誌が「良妻賢母か自由の園か」と題して本件の発端以来被上告人大学のとつた一連の措置を批判的に掲載した記事中に、上告人Aが仮名を用いて大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、次いで、都内の公会堂で開かれた各大学自治会及び民青同等主催の「戦争と教育反動化に反対する討論集会」において、上告人らがそれぞれ事件の経過を述べ、更に、同年二月九日「荒れる女の園」という題名で本件を取り上げたラジオ放送のなかで、上告人らが大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを上告人らが学外で同大学を誹謗したものと認め、ここに至つて、上告人らの一連の行動、態度が退学事由たる「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものに該当するとして、同年二月一二日付で本件退学処分をした。
以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記(2)(3)のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記(1)の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記(2)(3)のような態度、行動が主して被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、被上告人大学が上告人らに対して民青同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。
したがつて、右と結論を同じくする原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第四章について。
所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂本吉勝 裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己)

(2)実体的観点から


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民法 事例で学ぶ民法演習 6 錯誤


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1.はじめに

+(催告の抗弁)
第四百五十二条  債権者が保証人に債務の履行を請求したときは、保証人は、まず主たる債務者に催告をすべき旨を請求することができる。ただし、主たる債務者が破産手続開始の決定を受けたとき、又はその行方が知れないときは、この限りでない。
(検索の抗弁)
第四百五十三条  債権者が前条の規定に従い主たる債務者に催告をした後であっても、保証人が主たる債務者に弁済をする資力があり、かつ、執行が容易であることを証明したときは、債権者は、まず主たる債務者の財産について執行をしなければならない。

+(連帯保証の場合の特則)
第四百五十四条  保証人は、主たる債務者と連帯して債務を負担したときは、前二条の権利を有しない。

+(取消権者)
第百二十条  行為能力の制限によって取り消すことができる行為は、制限行為能力者又はその代理人、承継人若しくは同意をすることができる者に限り、取り消すことができる。
2  詐欺又は強迫によって取り消すことができる行為は、瑕疵ある意思表示をした者又はその代理人若しくは承継人に限り、取り消すことができる

2.動機の錯誤の取扱い
(1)動機の錯誤の種類
・前提事実の錯誤
法律行為によって発生する権利義務の価値に影響を与える事実についての錯誤。
解除や損害賠償による解除はできず、錯誤による処理に固有の存在意義がある。

+判例(S32.12.19)
理由
上告代理人弁護士大井善蔵の上告理由について。
しかし、保証契約は、保証人と債権者との間に成立する契約であつて、他に連帯保証人があるかどうかは、通常は保証契約をなす単なる縁由にすぎず、当然にはその保証契約の内容となるものではない。されば、原判決説示のごとく被控訴人(上告人)において訴外人も連帯保証人となることが特に本件保証契約の内容とした旨の主張、立証のない本件においては、原判決の判断は正当であつて、引用の判例は本件に適切でないから、論旨は採ることができない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫)

+判例(H14.7.11)
理由
上告代理人岡本敬一郎の上告受理申立て理由第三について
1 本件は、割賦購入あっせんを目的とする株式会社である被上告人が、商品代金の立替払契約による立替金の支払債務につき連帯保証をした上告人に対し、立替金等残金と遅延損害金の支払を求める事案である。
2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) ××株式会社は、印刷物の作成、企画等を目的とする株式会社であり、その代表取締役は甲野太郎である。また、有限会社△△は、印刷、製本、製版の各種機械及び資材の販売を目的とする有限会社である。
(2) 上告人は、××の従業員であった者である。
(3) 被上告人は、平成七年一二月六日、××との間で、次の内容による立替払契約を締結した。(以下「本件立替払契約」という。)。
ア 被上告人は、××が前同日に△△から購入する商品プレクスターAR(印刷用設備。以下「本件機械」という。)の代金三〇〇万円を△△に対し立替払する。
イ ××は、被上告人に対し、立替金三〇〇万円及び手数料七八万〇三三三円の合計三七八万〇三三三円を、平成八年一月二七日限り六万三三三三円、同年二月から平成一二年一二月まで毎月二七日限り六万三〇〇〇円ずつに分割して支払う。
ウ ××がイの分割金の支払を一回でも遅滞したときは期限の利益を喪失する。
(4) 上告人は、平成七年一二月六日、被上告人に対し、本件立替払契約に基づき××が被上告人に対して負担する債務について連帯して保証する旨約した(以下「本件保証契約」という。)。
(5) 被上告人は、平成八年一月五日、△△に対し、三〇〇万円を立替払した。
(6) ××は、同年二月二七日までに支払うべき分割金の支払を怠り、同日の経過をもって、期限の利益を喪失した。
(7) ××は、本件立替払契約の締結に先立って別会社から本件機械と同種の機械を取得し、平成七年一一月初旬には同機械は既に納入されていた。甲野は、同年一〇月中旬ころ、営業資金を捻出するため、実際には本件機械の売買契約がないのに本件機械を購入する形を取ったいわゆる空クレジットを計画し、本件立替払契約を締結した上、△△との間で、被上告人から支払われた代金名下の金員を△△が受領し、振込手数料等を控除した残金を××に交付することを合意した。上告人は、甲野の依頼により、同年一二月六日、本件保証契約を締結したが、その際、本件立替払契約における本件機械の売買契約が存在しないことを知らなかった。
(8) 本件立替払契約と本件保証契約は、同一書面(以下「本件契約書」という。)を用いて締結されており、本件契約書には、販売店である△△、商品である本件機械、商品購入代金額が表示されている。また、本件立替払契約には、本件機械の所有権は△△から被上告人に移転し、被上告人に対する債務が完済されるまで所有権が留保される旨の特約と、××が支払を遅滞し、被上告人から要求されたときは、直ちに本件機械を被上告人に引き渡し、被上告人が客観的にみて相当な価格をもって本件立替払契約に基づく債務及び商品等の引取り、保管、査定、換価に要する費用の弁済に充当することができる旨の特約がある。

3 上告人は、抗弁として、本件立替払契約は、△△から××への商品引渡しを伴わないいわゆる空クレジット契約であって、上告人はこれを知らなかったから、本件保証契約は要素の錯誤により無効である、などと主張して、被上告人の本件請求を争った。

4 原審は、上記2の事実関係の下で、(1)本件立替払契約のようなクレジット契約は、クレジット会社が販売店に商品代金を立替払し、主債務者はクレジット会社から代金相当額の融資を受けるもので、その担保として商品の所有権をクレジット会社に留保し、立替払金に所定の金額を加算した額を割賦償還するものであるから、金融の性質を有し、このことは、実体のあるクレジット契約の場合であっても、空クレジット契約の場合であっても異なるところはないことにかんがみると、本件保証契約において本件機械の引渡しの有無は連帯保証人にとってさほど重要な意味を持たず、契約の意思表示の要素には当たらないとみるべきであって、この点についての誤信は意思表示の動機に関する錯誤にすぎない、(2)本件保証契約は本件立替払契約と同一書面である本件契約書を用いて締結され、本件契約書上には、販売店である△△、商品である本件機械、商品購入代金額が表示されているものの、主債務が本件機械の売買契約を前提とする立替払契約であれば本件保証契約を締結するが単なる消費貸借契約であれば本件保証契約を締結しない旨の動機が表示されたものと認めることはできない、として上告人の主張を排斥し、被上告人の請求を認容すべきものとした。

5 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
保証契約は、特定の主債務を保証する契約であるから、主債務がいかなるものであるかは、保証契約の重要な内容である。そして、主債務が、商品を購入する者がその代金の立替払を依頼してその立替金を分割して支払う立替払契約上の債務である場合には、商品の売買契約の成立が立替払契約の前提となるから、商品売買契約の成否は、原則として、保証契約の重要な内容であると解するのが相当である。
これを本件についてみると、上記の事実関係によれば、(1)本件立替払契約は、被上告人において、××が△△から購入する本件機械の代金を△△に立替払し、××は、被上告人に対し、立替金及び手数料の合計額を分割して支払う、という形態のものであり、本件保証契約は本件立替払契約に基づき××が被上告人に対して負担する債務について連帯して保証するものであるところ、(2)本件立替払契約はいわゆる空クレジット契約であって、本件機械の売買契約は成立せず、(3)上告人は、本件保証契約を締結した際、そのことを知らなかった、というのであるから、本件保証契約における上告人の意思表示は法律行為の要素に錯誤があったものというべきである
本件立替払契約のようなクレジット契約が、その経済的な実質は金融上の便宜を供与するにあるということは、原判決の指摘するとおりである。しかし、主たる債務が実体のある正規のクレジット契約によるものである場合と、空クレジットを利用することによって不正常な形で金融の便宜を得るものである場合とで、主債務者の信用に実際上差があることは否定できず、保証人にとって、主債務がどちらの態様のものであるかにより、その負うべきリスクが異なってくるはずであり、看過し得ない重要な相違があるといわざるをえないまして、前記のように、一通の本件契約書上に本件立替払契約と本件保証契約が併せ記載されている本件においては、連帯保証人である上告人は、主債務者である××が本件機械を買い受けて被上告人に対し分割金を支払う態様の正規の立替払契約であることを当然の前提とし、これを本件保証契約の内容として意思表示をしたものであることは、一層明確であるといわなければならない。
6 以上によれば、上告人の本件保証契約の意思表示に要素の錯誤がないとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、被上告人の請求は理由がないから、第一審判決を取り消した上、被上告人の請求を棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤井正雄 裁判官 井嶋一友 裁判官 町田顯 裁判官 深澤武久 裁判官 横尾和子)

++解説
《解  説》
一 本件は、割賦購入あっせんを目的とする株式会社である被上告人(X)が、商品代金の立替払契約による立替金の支払債務につき連帯保証した上告人(Y)に対し、立替金等残金二五一万七〇〇〇円と遅延損害金の支払を求めた事案である。
Yは、抗弁として、本件立替払契約は、販売店から主債務者への商品引渡しを伴わないいわゆる空クレジット契約であって、Yはこれを知らなかったから、本件保証契約は要素の錯誤により無効であると主張して、Xの本件請求を争った。この点が、本件の中心的な争点である。
二 本件の事実関係の概要は、次のとおりである。
1 Xは、平成七年一二月六日、主債務者(A)との間で、次の内容による本件立替払契約を締結した。
①Xは、Aが販売店(B)から購入する商品(本件機械)の代金三〇〇万円をBに対し立替払する。
②Aは、Xに対し、立替金三〇〇万円及び手数料七八万〇三三三円の合計三七八万〇三三三円を、平成八年一月二七日限り六万三三三三円、同年二月から平成一二年一二月まで毎月二七日限り六万三〇〇〇円ずつに分割して支払う。
③Aが前記分割金の支払を一回でも遅滞したときは期限の利益を喪失する。
2 Yは、平成七年一二月六日、Xに対し、本件立替払契約に基づきAがXに対して負担する債務につき連帯保証した。
3 Xは、平成八年一月五日、Bに対し、三〇〇万円を立替払した。
4 Aは、同年二月二七日までに支払うべき分割金の支払を怠り、期限の利益を喪失した。
5 Aは、本件立替払契約の締結に先立って別会社から本件機械と同種の機械を取得し、平成七年一一月初旬には機械は既に納入されていた。Aの代表者は、同年一〇月中旬ころ、営業資金を捻出するため、実際には本件機械の売買契約がないのに本件機械を購入する形を取ったいわゆる空クレジットを計画し、本件立替払契約を締結した上、Bとの間で、Xから支払われた代金名下の金員をBが受領し、振込手数料等を控除した残金をAに交付することを合意した。Yは、Aの代表者の依頼により、同年一二月六日、本件保証契約を締結したが、その際、本件立替払契約における本件機械の売買契約が存在しないことを知らなかった
6 本件立替払契約と本件保証契約は、同一書面(本件契約書)を用いて締結されており、本件契約書には、販売店B、本件機械、商品購入代金額が表示されている。

三 第一審、原審は、Yの前記主張を排斥し、XのYに対する本件請求を認容すべきものとした。
原判決の理由の要旨は、次のとおりである。
1 本件立替払契約のようなクレジット契約は、クレジット会社が販売店に商品代金を立替払し、主債務者はクレジット会社から代金相当額の融資を受けるもので、その担保として商品の所有権をクレジット会社に留保し、立替払金に所定の金額を加算した額を割賦償還するものであるから、金融の性質を有し、このことは、実体のあるクレジット契約の場合であっても、空クレジット契約の場合であっても異なるところはないことにかんがみると、本件保証契約において本件機械の引渡しの有無は連帯保証人にとってさほど重要な意味を持たず、契約の意思表示の要素には当たらないとみるべきであって、この点についての誤信は意思表示の動機に関する錯誤にすぎない。
2 本件保証契約においては、主債務が本件機械の売買契約を前提とする立替払契約であれば保証契約を締結するが単なる消費貸借契約であれば保証契約を締結しない旨の動機が表示されたものと認めることはできない。
四 Yから上告受理申立てがされ、第一小法廷は、上告受理申立ての理由中、第三(注・錯誤に関する主張部分)を除く部分を排除して、本件を上告審として受理した。
そして、本判決は、特定の商品の代金について立替払契約が締結され、同契約に基づく債務について保証契約が締結された場合において、立替払契約は商品の売買契約が存在しないいわゆる空クレジット契約であって、保証人は、保証契約を締結した際、そのことを知らなかったなど判示の事実関係の下においては、保証人の意思表示には法律行為の要素に錯誤があると判断し、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、XのYに対する本件請求を棄却した。
五 真実のクレジット(あるいはリース)契約であると誤信して空クレジット(リース)契約の保証人となった者が要素の錯誤を主張し得るか否かについて判断した公刊された最高裁の判例はなく、下級審の裁判例及び学説・評釈は、従前、次のとおり、要素の錯誤を否定するものと、肯定するものとに分かれている状況にあった(なお、庄政志・判評四七一号二九頁は、下級審裁判例等を簡潔に紹介している。)。
1 要素の錯誤を否定するもの
(裁判例)
①東京地判昭59・7・20金判七一六号二六頁
②仙台高判昭60・12・9判時一一八六号六六頁
③東京地判平1・6・28本誌七一九号一六八頁、判時一三四一号九五頁
④東京地判平2・5・16判時一三六三号九八頁
(学説・評釈)
①中野哲弘「リース契約・割賦販売契約と連帯保証人の錯誤」本誌六四二号一一七頁
②巻之内茂「空リース・多重リース・仮装リース」金判七八二号一五二頁
③野口恵三・NBL五四五号四八頁
2 要素の錯誤を肯定するもの
(裁判例)
①広島高判平5・6・11本誌八三五号二〇四頁
②仙台地判平8・2・28本誌九五四号一六九頁、判時一六一四号一一八頁
(学説・評釈)
①吉原省三「割賦販売が『から売り』の場合の連帯保証人の責任」金法一〇二二号四頁
②神作裕之・ジュリ一〇三〇号一三七頁
③大西武士・金判一〇五二号五三頁
要素の錯誤を否定する見解は、①実質金融である、②動機の錯誤が問題となるにすぎない、③連帯保証人の利益を著しく害していない、などの理由をその論拠とするものであり、要素の錯誤を肯定する見解は、④主たる債務がいかなる契約から生ずるかは、連帯保証契約の前提である、⑤法形式は融資と同視できない、⑥物件(商品)の引渡しのないことを知っていれば、通常の連帯保証人は連帯保証しない、などをその論拠とするものである。
なお、前記2裁判例①の上告審である最三小判平8・11・12(公刊物未登載)は、原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人のした本件保証の意思表示が錯誤により無効であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められないとして、上告を棄却している。
六 このような状況の中で、本判決は、本件事実関係によれば、①本件立替払契約は、Xにおいて、AがBから購入する本件機械の代金をBに立替払し、Aは、Xに対し、立替金及び手数料の合計額を分割して支払う、という形態のものであり、本件保証契約は本件立替払契約に基づきAがXに対して負担する債務について連帯保証するものであるところ、②本件立替払契約はいわゆる空クレジット契約であって、本件機械の売買契約は存在せず、③Yは本件保証契約を締結した際、そのことを知らなかったというのであるから、本件保証契約におけるYの意思表示は法律行為の要素に錯誤があったものというべきであると判断し、要素の錯誤を肯定する見解を取ったものである。事例判例ではあるが、前記のとおり、下級審裁判例及び学説・評釈が分かれている状況や本判決のクレジットあるいはリースの実務に与える影響を踏まえると、重要な意味を持つと考えられるので、紹介する次第である。(関係人一部仮名) 

+判例(H1.9.14)
理  由
上告代理人菅原信夫、國生肇の上告理由二について
一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 上告人は、昭和三七年六月一五日被上告人と婚姻し、二男一女をもうけ、東京都新宿区市谷砂土原町所在の第一審判決別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)に居住していたが、勤務先銀行の部下女子職員と関係を生じたことなどから、被上告人が離婚を決意し、昭和五九年一一月上告人にその旨申し入れた。
2 上告人は、職業上の身分の喪失を懸念して右申入れに応ずることとしたが、被上告人は、本件建物に残って子供を育てたいとの離婚条件を提示した。
3 そこで、上告人は、右女子職員と婚姻して裸一貫から出直すことを決意し、被上告人の意向にそう趣旨で、いずれも自己の特有財産に属する本件建物、その敷地である前記物件目録一記載の土地及び右地上の同目録三記載の建物(以下、これらを併せて「本件不動産」という。)全部を財産分与として被上告人に譲渡する旨約し(以下「本件財産分与契約」という。)、その旨記載した離婚協議書及び離婚届に署名捺印して、その届出手続及び右財産分与に伴う登記手続を被上告人に委任した。
4 被上告人は、右委任に基づき、昭和五九年一一月二四日離婚の届出をするとともに、同月二九日本件不動産につき財産分与を原因とする所有権移転登記を経由し、上告人は、その後本件不動産から退去して前記女子職員と婚姻し一男をもうけた。
5 本件財産分与契約の際、上告人は、財産分与を受ける被上告人に課税されることを心配してこれを気遣う発言をしたが、上告人に課税されることは話題にならなかったところ、離婚後、上告人が自己に課税されることを上司の指摘によって初めて知り、税理士の試算によりその額が二億二二二四万余円であることが判明した。

二 上告人は、本件財産分与契約の際、これより自己に譲渡所得税が課されないことを合意の動機として表示したものであり、二億円を超える課税がされることを知っていたならば右意思表示はしなかったから、右契約は要素の錯誤により無効である旨主張して、被上告人に対し、本件不動産のうち、本件建物につき所有権移転登記の抹消登記手続を求め、被上告人において、これを争い、仮に要素の錯誤があったとしても、上告人の職業、経験、右契約後の経緯等からすれば重大な過失がある旨主張した。原審は、これに対し、前記一の事実関係に基づいて次のような判断を示し、上告人の請求を棄却した第一審判決を維持した。
1 離婚に伴う財産分与として夫婦の一方が他方に対してする不動産の譲渡が譲渡所得税の対象となることは判例上確定した解釈であるところ、分与者が、分与に伴い自己に課税されることを知らなかったため、財産分与契約において課税につき特段の配慮をせず、その負担についての条項を設けなかったからといって、かかる法律上当然の負担を予期しなかったことを理由に要素の錯誤を肯定することは相当でない。
2 本件において、前示事実関係からすると、上告人が本件不動産を分与した場合に前記のような高額の租税債務の負担があることをあらかじめ知っていたならば、本件財産分与契約とは異なる内容の財産分与契約をしたこともあり得たと推測されるが、右課税の点については、上告人の動機に錯誤があるにすぎず、同人に対する課税の有無は当事者間において全く話題にもならなかったのであって、右課税のないことが契約成立の前提とされ、上告人においてこれを合意の動機として表示したものとはいえないから、上告人の錯誤の主張は失当である。

三 しかしながら、右判断はにわかに是認することができない。その理由は、次のとおりである。
意思表示の動機の錯誤が法律行為の要素の錯誤としてその無効をきたすためには、その動機が相手方に表示されて法律行為の内容となり、もし錯誤がなかったならば表意者がその意思表示をしなかったであろうと認められる場合であることを要するところ(最高裁昭和二七年(オ)第九三八号同二九年一一月二六日第二小法廷判決・民集八巻一一号二〇八頁、昭和四四年(オ)第八二九号同四五年五月二九日第二小法廷判決・裁判集民事九九号二七三頁参照)、右動機が黙示的に表示されているときであっても、これが法律行為の内容となることを妨げるものではない
本件についてこれをみると、所得税法三三条一項にいう「資産の譲渡」とは、有償無償を問わず資産を移転させる一切の行為をいうものであり、夫婦の一方の特有財産である資産を財産分与として他方に譲渡することが右「資産の譲渡」に当たり、譲渡所得を生ずるものであることは、当裁判所の判例(最高裁昭和四七年(行ツ)第四号同五〇年五月二七日第三小法廷判決・民集二九巻五号六四一頁、昭和五一年(行ツ)第二七号同五三年二月一六日第一小法廷判決・裁判集民事一二三号七一頁)とするところであり、離婚に伴う財産分与として夫婦の一方がその特有財産である不動産を他方に譲渡した場合には、分与者に譲渡所得を生じたものとして課税されることとなる。したがって、前示事実関係からすると、本件財産分与契約の際、少なくとも上告人において右の点を誤解していたものというほかはないが、上告人は、その際、財産分与を受ける被上告人に課税されることを心配してこれを気遣う発言をしたというのであり、記録によれば、被上告人も、自己に課税されるものと理解していたことが窺われる。そうとすれば、上告人において、右財産分与に伴う課税の点を重視していたのみならず、他に特段の事情がない限り、自己に課税されないことを当然の前提とし、かつ、その旨を黙示的には表示していたものといわざるをえない。そして、前示のとおり、本件財産分与契約の目的物は上告人らが居住していた本件建物を含む本件不動産の全部であり、これに伴う課税も極めて高額にのぼるから、上告人とすれば、前示の錯誤がなければ本件財産分与契約の意思表示をしなかったものと認める余地が十分にあるというべきである。上告人に課税されることが両者間で話題にならなかったとの事実も、上告人に課税されないことが明示的には表示されなかったとの趣旨に解されるにとどまり、直ちに右判断の妨げになるものではない。
以上によれば、右の点について認定判断することなく、上告人の錯誤の主張が失当であるとして本訴請求を棄却すべきものとした原判決は、民法九五条の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法を犯すものというべく、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、要素の錯誤の成否、上告人の重大な過失の有無について更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、その余の論旨に対する判断を省略し、民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

(2)動機の錯誤の法的処理

・単に表示されているだけ
・契約内容になっていることまで

・他に連帯保証人が居ることは契約締結の動機にすぎず、当然には契約内容にはならない

3.要素の錯誤の該当性
・要素の錯誤
=その点について錯誤がなかったならば表意者は意思表示をしなかったであろうと考えられ、かつ、客観的に見ても取引通念に照らせば意思表示をしないことが正当と考えられる内容をいう。

4.表意者の重過失(95条ただし書き)

+(錯誤)
第九十五条  意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

・共通錯誤の場合には95条ただし書きは適用されない!!!

・相手方が悪意の場合には95条ただし書きは適用されない!
←93条との兼ね合い

5.相対的無効
・意思の不存在を根拠とする無効は、表意者を保護することがその目的であるから、表意者のみが主張できる!
+判例(S40.6.4)
理由
上告代理人満園勝美の上告理由第一点(一)について。
論旨は、民法九五条但書が適用されるのは、重大な過失のある錯誤者自身が無効を主張する場合に限るのであつて、錯誤者に重大な過失があつても、その相手方又は第三者は依然として無効を主張しうると解すべきであるのに、錯誤者に重大な過失があるとの理由を以つて第三者である上告人の無効の主張を排斥した原判決は、民法九五条但書の解釈を誤つた違法があるという。
しかし、民法九五条は、法律行為の要素に錯誤があつた場合に、その表意者を保護するために無効を主張することができるとしているが、表意者に重過失ある場合は、もはや表意者を保護する必要がないから、同条但書によつて、表意者は無効を主張できないものとしているのである。その法意によれば、表意者が無効を主張することが許されない以上、表意者でない相手方又は第三者は、無効を主張することを許さるべき理由がないから、これが無効の主張はできないものと解するのが相当である(昭和一四年八月五日大審院判決、民集一八巻七九二頁参照)。これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、論旨は採用することができない。
同第一点(二)について。
論旨は、相手方の詐欺行為によつて要素に錯誤ある意思表示をした者は、たとえ重大な過失があつても無効の主張ができると解すべきであるのに、無効の主張ができないとした原判決は民法九五条の解釈適用を誤つた違法があるという。
しかし、所論の場合においても無効の主張はできない旨の原判決の判断は正当である。論旨は排斥を免れない。
同第二点について。
原判決認定の事実関係の下においては、国の錯誤に重大な過失がある旨の原判決の判断は正当である。また、上告人が国に対して債権を有していたことは原判決の認定していないところであるのみならず、国が無効を主張しえない以上、第三者が国に代位して無効を主張しえないことはいうまでもないから、これにつき原判決に特に説示するところがなくても、判断遺脱の違法があるとはいえない。また、法律行為の無効を主張する当事者は、無効原因に該当する具体的事実を主張立証する責任があるというべきであるから、論旨後段も理由がない。論旨はすべて採用しえない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

+判例(S40.9.10)
理由
上告代理人阿部幸作、同越智譲の上告理由第一点について。
原判決は、民法九五条の律意は瑕疵ある意思表示をした当事者を保護しようとするにあるから、表意者自身において、その意思表示に何らの瑕疵も認めず、錯誤を理由として意思表示の無効を主張する意思がないにもかかわらず、第三者において錯誤に基づく意思表示の無効を主張することは、原則として許されないと解すべきである、と判示している。
右原審の判断は、首肯できて、原審認定の事実関係のもとで上告人の所論抗弁を排斥した原審の判断に所論違法はない。
従つて所論は、採用できない。
同第二点について。
原判決は、上告人が所論Aと本件宅地を共同賃借したとの上告人主張事実を証拠上認められないとしているのであつて、右事実認定およびその証拠の取捨判断は原審の専権に属することである。従つて、右と異なる事実関係を前提として、原判決の「建物保護ニ関スル法律」一条の解釈の誤りをいう所論は、採用できない。
また、本件一筆の宅地の半分づつを上告人とAとが同時に賃借したとして、Aが右賃借地上に所有する建物につき保存登記をした以上、「建物保護ニ関スル法律」一条により上告人も自己の賃借地上について対抗力を取得するという所論は、独自の見解にすぎず、採用できない。
同第三点について。
原判決がその認定事実関係のもとで被上告人の本訴請求は権利濫用といえないとしたことは、首肯できて、原審判断に民法一条三項の解釈の誤りがあるとの所論は、採用できない。
原判決は、所論のように、権利濫用が成立するための要件として権利者が相手方を害する目的で権利を行使することが必要であるとは判示していないのであるから、右を前提とする所論は採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外)

+判例(S45.3.26)
理由
上告代理人原口酉男の上告理由一および二について。
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係に照らして肯認することができ、その判断の過程に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
同三について。
所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認することができるところ、右認定の事実関係に照らせば、訴外Aに重大な過失はないとした原審の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
同四について。
原審は、訴外Aは、上告人から本件油絵二点を買い受けるに際し、上告人に対しとくにそれが真作に間違いないものかどうかを確めたところ、上告人が真作であることを保証する言動を示したので、これを信じて買い受けたものであるが、右作品はいずれも贋作であつたとの事実を確定し、右事実関係に照らせば、右両者の間の売買契約においては本件油絵がいずれも真作であることを意思表示の要素としたものであつて、Aの意思表示の要素に錯誤があり、右売買契約は要素に錯誤があるものとして無効で、上告人はAに対して売買代金三八万円を返還すべき義務がある旨判断したうえ、さらにすすんで、被上告人においてAの右意思表示の無効を主張し、被上告人のAに対する売買代金返還請求権を保全するため、Aの上告人に対する右売買代金返還請求権を代位行使することを肯認しているのである。
ところで、意思表示の要素の錯誤については、表意者自身において、その意思表示に瑕疵を認めず、錯誤を理由として意思表示の無効を主張する意思がないときは、原則として、第三者が右意思表示の無効を主張することは許されないものであるが(最高裁判所昭和三八年(オ)第一三四九号同四〇年九月一〇日第二小法廷判決、民集一九巻六号一五一二頁参照)、当該第三者において表意者に対する債権を保全するため必要がある場合において、表意者が意思表示の瑕疵を認めているときは、表意者みずからは当該意思表示の無効を主張する意思がなくても、第三者たる債権者は表意者の意思表示の錯誤による無効を主張することが許されるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、被上告人は、Aに対する売買代金返還請求権を保全するため、Aのした意思表示の錯誤による無効を主張し、Aの上告人に対する売買代金返還請求権を代位行使するものであつて、しかも、A自身においてもその意思表示に瑕疵があつたことを認めているのであるから、Aみずからが意思表示の無効を主張する意思を有すると否とにかかわらず、被上告人がAの意思表示の無効を主張することは許されるものというべきである。したがつて、これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は理由がない。よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)


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