民法択一 債権各論 契約総論 賃借権 その4


・地上建物を所有する賃借権者は、自己の名義で登記した建物を有することにより、初めて賃借権を第三者に対抗し得るものと解すべく、地上建物を所有する賃借権者が、自らの意思に基づき、他人名義で建物の保存登記をしたような場合には当該賃借権者はその賃借権を第三者に対抗することはできない!!!!

+判例(S41.4.27)
理由
上告代理人篠原三郎の上告理由について。
建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)一条は、建物の所有を目的とする土地の賃借権により賃借人がその土地の上に登記した建物を所有するときは、土地の賃貸借につき登記がなくとも、これを以つて第三者に対抗することができる旨を規定している。このように、賃借人が地上に登記した建物を所有することを以つて土地賃借権の登記に代わる対抗事由としている所以のものは、当該土地の取引をなす者は、地上建物の登記名義により、その名義者が地上に建物を所有し得る土地賃借権を有することを推知し得るが故である。
従つて、地上建物を所有する賃借権者は、自己の名義で登記した建物を有することにより、始めて右賃借権を第三者に対抗し得るものと解すべく、地上建物を所有する賃借権者が、自らの意思に基づき、他人名義で建物の保存登記をしたような場合には、当該賃借権者はその賃借権を第三者に対抗することはできないものといわなければならない。
けだし、他人名義の建物の登記によつては、自己の建物の所有権さえ第三者に対抗できないものであり、自己の建物の所有権を対抗し得る登記あることを前提として、これを以つて賃借権の登記に代えんとする建物保護法一条の法意に照し、かかる場合は、同法の保護を受けるに値しないからである。
原判決の確定した事実関係によれば、被上告人は、自らの意思により、長男Aに無断でその名義を以つて建物の保存登記をしたものであるというのであつて、たとえ右Aが被上告人と氏を同じくする未成年の長男であつて、自己と共同で右建物を利用する関係にあり、また、その登記をした動機が原判示の如きものであつたとしても、これを以つて被上告人名義の保存登記とはいい得ないこと明らかであるから、被上告人が登記ある建物を有するものとして、右建物保護法により土地賃借権を第三者に対抗することは許されないものである。
元来登記制度は、物権変動の公示方法であり、またこれにより取引上の第三者の利益を保護せんとするものである。すなわち、取引上の第三者は登記簿の記載によりその権利者を推知するのが原則であるから、本件の如くA名義の登記簿の記載によつては、到底被上告人が建物所有者であることを推知するに由ないのであつて、かかる場合まで、被上告人名義の登記と同視して建物保護法による土地賃借権の対抗力を認めることは、取引上の第三者の利益を害するものとして、是認することはできない。また、登記が対抗力をもつためには、その登記が少くとも現在の実質上の権利状態と符号するものでなければならないのであり、実質上の権利者でない他人名義の登記は、実質上の権利と符合しないものであるから、無効の登記であつて対抗力を生じない。そして本件事実関係においては、Aを名義人とする登記と真実の権利者である被上告人の登記とは、同一性を認められないのであるから、更正登記によりその瑕疵を治癒せしめることも許されないのである。叙上の理由によれば、本件において、被上告人は、A名義の建物の保存登記を以つて、建物保護法により自己の賃借権を上告人に対抗することはできないものといわねばならない。
なお原判決引用の判例(昭和一五年七月一一日大審院判決)は、相続人が地上建物について相続登記をしなくても、建物保護法一条の立法の精神から対抗力を与えられる旨判示しているのであるが、被相続人名義の登記が初めから無効の登記でなかつた事案であり、しかも家督相続人の相続登記未了の場合であつて、本件の如き初めから無効な登記の場合と事情を異にし、これを類推適用することは許されない。
然らば、本件上告は理由があり、原判決には建物保護法一条の解釈を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を、第一審判決は取消しを免れない。
原判決の確定した事実によれば、本件土地が上告人の所有であり、被上告人がその地上に本件建物を所有し、本件土地を占有しているというのであり、被上告人の主張する本件土地の賃借権は上告人に対抗することができないことは前説示のとおりであるから、被上告人は上告人に対し、本件土地を地上の本件建物を収去して明け渡すべき義務あるものといわねばならない。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官横田喜三郎、同入江俊郎、同山田作之助、同長部謹吾、同柏原語六、同田中二郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

+反対意見
裁判官入江俊郎の反対意見は、次のとおりである。
私は、原判決の確定した事実関係の下においては、被上告人の長男西村A名義で保存登記のなされている本件家屋は、被上告人が本件土地につき有する賃借権に対する建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)一条の適用については、同条一項に言う「登記シタル建物」に該当するものと解することができるのであり、被上告人は右登記をもつて前記土地賃借権を上告人に対抗し得るものであつて、結局、原判決は結論において正当であり、本件上告は、理由なきものとして、これを棄却すべきものと考える。
その理由は、左記のとおりである。
一 建物保護法は、建物を建築し、これを生活の拠点とする地上権者または土地賃借権者およびその家族に対し、その建物において、それらの者の営む社会生活を確保し、それらの者の居住権を保護することを目的とする一種の社会立法的性質を有するものであるところ、同法が、当該土地の上に存する建物の登記をもつて地上権または土地賃借権の対抗要件としているのは、それらの権利自体の登記による公示に準ずるものとして、それらの権利の存在を右建物の登記という外形的表象によつて認識せしめることにより、取引関係における第三者に不測の損害を及ぼすことのないようにしようとする趣旨に外ならない。従つて、同法の規定を解釈するに当つては、同法が社会立法的性質を有するものであることを考慮しつつ、一方建物を生活の拠点とする者の居住権の保護に必要な建物敷地の地上権または土地賃借権確保の要請と、他方公示制度による右敷地の取引関係に立つ第三者の利益保護の要請とを比較考量してその均衡の度合いを勘案し、事案の実体に即して具体的衡平が実現できるよう配慮しなければならないと思うのである。
ところで、地上建物を所有する地上権者または土地賃借権者が、自己名義で登記をした建物を自ら所有する場合に建物保護法一条の適用あることは論のないところであるが、さればといつて、多数意見のように、同法条の適用のあるのは常に必ず右のような場合でなければならず、自己の意思に基づき他人名義で建物の登記をした場合には常にその適用なしと断じ去ることは、未だ同法の前記法意に副うものとは考えられない。
すなわち、多数意見は原則論としてはこれを是認し得ないわけではないが、同法がその保護を眼目とする居住権は、公示制度による取引関係における第三者保護と両立し得る限りにおいて、できるだけこれを尊重することが望ましく、その限度において前記原則には若干の例外を認める余地があり、そのような考え方に立つてこそはじめて、建物保護法の法意に副う解釈が可能となると考える。
二 原判決の確定した事実関係によれば、次のことが認められる。すなわち、被上告人は、本件家屋の保存登記の当時、胃を害して手術をすることになつており、或いは長く生きられないかもしれないと思つていたので、右家屋を長男Aの名前にしておけば後々面倒がないと考え、同人には無断で、その所有名義に登記したものであり、そして、その頃被上告人と長男A(当時一五・六才)とは家族として共同生活をしていた。被上告人は本件建物を終始所有し、一度もAに所有権を移転していないのであるが、被上告人は自己所有の本件家屋を、前記のような事情の下に、ただ登記名義だけをA所有とすることとしたのであり、その登記申請手続は被上告人の意思に出でたものである。なお、上告人は、本件土地を昭和三一年一一月二四日交換により取得し、同月二七日その旨の登記を経由したが、被上告人は昭和二一年以来本件土地上に本件家屋を建築所有しており、昭和三一年一一月一四日被上告人と氏を同じくする未成年の長男A名義で保存登記を経由したのである。
そこで、本件A名義の保存登記の効力につき考えてみるに、右登記は、本件土地の賃借人であり且つ本件建物の所有者である被上告人が、自己のため同建物の保存登記をする趣旨の下に、その意思に基づいて登記申請手続を進め、ただ後々面倒がないよう長男A名義として登記したというのである。しからば、右登記申請手続の書類をもつて、上告人の言うようにこれを虚偽または偽造の文書とは言えないことは、原判決判示のとおりであり、また、右登記は、実質的には、A名義を借りた被上告人本人の登記にほかならないのであつて、多数意見の言うとおり、本件登記が不動産登記法上は形式上不備な点があり、自己の建物の所有権はこれを第三者に対抗し得ないものであり、また、同法による被上告人名義への更正登記が認められないものであるとしても、その一事をもつて、多数意見の言うように、実質上の権利と符合しないものであるから無効であると断ずることは妥当ではなく、建物保護法の法意に照らし、これに同法一条の対抗力を認めることが相当と認められ、これと趣旨を同じくする原判示は結局正当である。
次に、Aは、被上告人と氏を同じくし、上告人が本件土地の所有権を交換によつて取得しその登記を経由した当時、被上告人の家族として被上告人と共に本件建物においてその敷地を利用し、社会生活を営んでいたというのであるから、上告人は、本件土地の所有権を取得するに当り、登記名義人Aかまたはその家族がその建物の敷地に借地権を有することは、本件A名義の登記によつて、たやすく推知し得た筈である。しからば、被上告人の本件土地の賃借権は、右登記あることにより、被上告人が自己名義の登記ある家屋を所有する場合と同様に公示されており、第三者の利益保護の観点からみて、被上告人名義の建物登記ある場合に比し、必ずしも劣るものとは考えられない。
本件における事実関係が以上のごときものであるとすれば、多数意見が、登記制度は物権変動の公示方法であり、取引上の第三者は登記簿の記載によりその権利者を推知するのが原則であるから、本件のごとくA名義の登記簿の記載によつては、到底被上告人が建物所有者であることを推知するに由ないから、かかる登記に建物保護法による対抗力を認めることは取引上の第三者の利益を害するものであるというのは、本件登記のなされた具体的事実関係の理解において欠くるところがあるばかりでなく、建物保護法の法意を正しく理解した上の判断とは言えないのである。この点に関する原判決の結論は結局正当であり、上告理由第一点は理由がない。
三 次に、上告理由第二点前段引用の原判決の判示は、決して所論のように、何人の名義に登記されていてもよいという趣旨ではなく、本件の具体的事実に即して特殊例外的に対抗力を認めようとするものであることは判文上明瞭であり、所論は原判決を正解せざるものであつて採るを得ない。
更に、同後段は、大審院の判例を引用した原判決を非難する。しかし大審院は、古く民法一七七条の解釈として、相続人も相続登記をしなければ所有権の取得を第三者に対抗できない旨の判例を示しており(明治四一年一二月一五日大審院連合部判決、民録一四輯一三〇一頁)、右判例は、学説上には反対説もあるが、大審院によつて長く支持されて来たものであるところ、一方大審院は、建物保護法一条の対抗力に関する限り、相続人は地上建物について相続登記をしなくとも対抗できる旨の判例を示し(昭和一四年(オ)第七八九号、同一五年七月一一日、民一判決)、このように解することが建物保護法の法意に副う所以であるとしているのである。原判決は、この後の判例を引用していること論旨のいうとおりであるが、右大審院の判例は、本件の場合と具体的事案を異にする点はあるにしても、本件建物の登記に建物保護法一条の対抗力を認めた基本的な考え方において、原判決と共通のものを含むこと明らかであるから、これを引用した原判決は正当と認められる。
なお、所論は、原判決が所論引用の昭和一一年一一月一七日判決の大審院判例に違反するというが、同判例は、原判決も判示するように、原則を示したものであつて、絶対に例外を認めない趣旨のものとは考えられず、この点に関する所論も理由がない。
四 なお、上述一ないし三の私の見解は、昭和四〇年三月一七日当裁判所大法廷判決(昭和三六年(オ)第一一〇四号)の多数意見の趣旨とは、何ら矛盾または抵触するものではないことを附言する。
裁判官横田喜三郎、同柏原語六は、裁判官入江俊郎の右反対意見に同調する。

+反対意見
裁判官山田作之助は、入江俊郎裁判官の反対意見と趣旨において同意見であり、これに同調するけれども、なお、次のとおり補足する。
一、建物保護ニ関スル法律(以下建物保護法と略称する。)は、借地権者がその借地権に基づき地上に有する建物につき適法なる登記がなされている場合には、その敷地が第三者に譲渡されても、新地主に対しその借地権を以つて対抗し得るものとしているのである。
二、翻つて、本件を見るに、原判決は、本件土地の上に被上告人が所有する本件建物について保存登記をなした際、被上告人が胃の手術を受け、或いは長くは生きられないかもしれないと思つて、当時十五、六才で被上告人の家族の一員として同居していた長男Aの名義で保存登記をしたものであると認定しているのである。従つて、A名義の登記をしたのは、Aに近く所有権を譲渡しようとして登記しておいたものか、或いは将来相続によりAが所有権を取得する場合を慮つて予め登記したものであるか、その何れであるかは問わず、右A名義でなされた登記を目して真実に合致せざる無効な登記とすることは出来ない。
かりに、本件建物もAの所有に属するとすれば、本件A名義の保存登記は実体関係に符合して有効であることは何人もこれを争わないところであろうが、このような場合にも、その後に本件土地の所有権を取得した上告人に対する関係では多数意見の論者は、借地権者と建物所有者とが異るというだけの理由で、右借地権に建物保護法による対抗力が与えられないとするものであろうか。恐らくは、然らずと答えられるのではないかと思う。
昭和四〇年六月一八日当裁判所第二小法廷が言い渡した判決(民集一九巻四号九七六頁)によれば、宅地の賃借人が借地上に同居の家族をして建物を建築させた場合、そのことが敷地の転貸に該当するとしても、賃貸人の承諾がないことを理由とする地主の解除権を否定しているのである。
その論拠とするところは、このような借地人の行為は、賃貸人に対する信頼関係を破壊するに足りない特段の事情があるからというのである。この見解の根底には、借地権を含む居住権は賃借人のみならずこれと共同生活を営む家族全員のためにもあるという社会通念が存在するからに外ならない。されば、このような場合に、前記設例のように、地主が交替したからといつて、俄かに建物保護法による保護が排除されると解することもできないというべきである。
そこで、前記設例の場合と本件の場合とを比較すると、本件建物の所有権が被上告人自身にあつたか、またはその同居の長男にあつたか、というただ一点の差があるにすぎない。このような所有権の帰属については、吾人の一般社会生活の実体に即して考えれば、当事者においてすら明瞭に意識されていないことも決して稀とはいえないであろう。このような僅少な差によつて、両者の場合に法律上全く取扱いを異にするような見解が果して世人を納得せしめるに足りるであろうか。
これによつてこれをみれば、本件被上告人が自己の相続人である未成年者A名義にて本件建物についてした建物保存登記は、何人に対する関係においてもこの建物についての保存登記として適法有効の登記として取扱わるべきであり、建物保護法にいわゆる建物についての登記ある場合に該当するものと解せざるを得ない。
三、以上要するに、多数意見は、本件登記を以つて、父たる被上告人がその所有建物につき長男A名義でしたる真実に合しない無効違法の登記なりとして、その結果右登記には何らの効果もなく、いわば登記なきに等しとするものであつて、吾人の通常の社会生活関係に於ける法律事象についてあまりにも概念的に解釈するもので、到底賛同することが出来ない。

+反対意見
裁判官田中二郎の反対意見は、次のとおりである。私は、多数意見とは反対に、本件上告は棄却すべきものと考える。その理由は、次のとおりである。
一 建物保護法は、建物の所有を目的とする土地の借地権者(地上権者および賃借権者を含む。)が土地の上にその者の名義で登記した建物を有するときは、当該借地権(地上権および賃借権を含む。)の登記がなくても、その借地権を第三者に対抗することができるものとすることによつて、当該借地権ないし借地権者を保護しようとするものである。すなわち、当該借地権が地上権の場合でも、手続の煩瑣なために未登記のものが多く、殊にそれが賃借権の場合には、賃貸人はその登記に協力すべき義務を負うものでなく、賃借人は賃貸人に対し登記に協力すべきことを訴求し得べきものでないために、登記のないのが通例で、従つて、当該借地権をもつて当該土地の第三取得者に対抗することができない場合の多いのに対処して、同法は、借地権自体について登記がなくても、当該土地の上に登記した建物を有することによつて、その借地権の対抗力を認め、もつて、借地権者を保護し、ひいて、建物の所有者およびこれと一体的に家族的共同生活を営んでいる家族の居住権を保護することを目的とするものである。建物保護法は、この意味において、借地権を保護し、もつて借地上の建物の居住権を保護することを企図した一種の社会政策的立法であるから、同法を解釈適用するに当つては、このような立法の趣旨目的を尊重し、必ずしもその字句に捉われることなく、その目的にそつた解釈をなすべきである。
もつとも、建物保護法は、無制限かつ無条件に借地権および居住権を保護しようというのではなく、借地権者が自らその土地の上に登記した建物を有することを第三者に対抗するための要件としている。これは、同法が、一方において、居住権を含む借地権の保護を企図しつつ、他方において、建物の登記という外形的表象の存在を要件とすることによつて、土地の取引の安全を保護し、土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめないことを期し、この二つの対立する利益の調整を図ることを趣旨としているからである。そこで、居住権を含む借地権の保護の要請と土地の取引の安全、土地の第三取得者の保護の要請とを如何に調製すべきかが問題解決の鍵になるものといわなければならない。このような見地に立つて考えると、建物保護法の明文は、一応、原則として、借地権者がその土地の上に自己名義で登記した建物を有することを第三者に対抗するまめの要件としているが、同法の立法の趣旨目的に照らして考えれば、同法にいう建物の登記は、土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れのないかぎり、形式上、常に借地権者自身の名義のものでなければならないということを、文字どおりにしかく厳格に解さなければならない理由はない。
一般的にいえば、一面において、居住権を含む借地権の保護の要請に応じ、これを保護するだけの合理的根拠があり、しかも、他面において、土地の取引の安全を害することなく、新たに土地所有権を取得しようとする者が用意に当該土地の上に登記した建物が存在することを推知することができ、従つて、土地の新たな取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れがないような場合には、借地権者に同法の保護を与えることが同法の立法趣旨にそのゆえんである。このような見地から、私は、その建物の登記の瑕疵が更正登記の許される程度のものであればもちろん(昭和四〇月三月一七日最高裁大法廷判決民集一九巻二号四五三頁参照)、更正登記の許されない場合であつても、例えば建物の登記が借地権者自身の名義でなく、現実にそこで共同生活を営んでいる家族の名義になつているようなときは、登記した建物がある場合に該当するものとして、その対抗力を認めるべきであると考える。
このような考え方をするときは、土地を新たに取得しようとする者は、土地の上に建物があるかどうかを実地検分し、さらに建物に登記があるかどうかを調査するだけでなく、土地の上の建物の登記名義人と借地権者との身分関係についても調査する労を免れず、そのかぎりにおいて、土地の取引にいくらかの障害を生ずることにはなるが、それが不当な障害とまではいえず、借地権保護の立法趣旨を達成させるために、この程度の負担を課しても、決して酷とはいいがたく、従つて、土地の新たな取得者に不測の損害を生ぜしめるものとはいえないと思う。
二 ところで、本件についてみると、原判決の確定した事実によれば、被上告人は、昭和二一年以来、本件土地の上に本件家屋を建築所有しており、昭和三一年一一月一四日、被上告人と同居し、氏を同じくする未成年者長男A(当時一五、六才)名義で保存登記を経由しているというのである。(長男A名義で保存登記をしたのは、その当時、被上告人は、胃を害して手術をすることになつており、或いは長くは生きられないかもしれないと思つていたので、右家屋を長男Aの名義にしておけば後々面倒がないと考え、同人には無断で、その所有名義に登記したというのである。)そして、原判決は、A名義の保存登記は、実質的には、被上告人名義の登記があるのと同じであるとみるべきで、A名義の保存登記は、実体関係と符合するものであり、被上告人は、当該借地権をもつて上告人に対抗できる旨判示しているのである。
(1) 上告理由第一点は、要するに、本件建物のA名義の所有権保存登記を被上告人名義の登記と同じであるとみ、A名義の登記は実体上の権利関係と実質的に符合するとした原判決を非難し、右の登記は虚偽の登記又は偽造文書による登記であるから無効であると主張する。
しかし、叙上の具体的事情のもとに、被上告人が自らの意思に基づき長男A名義の登記をしたのを虚偽の登記又は偽造文書による登記とまでいう論旨は、現実にそわない主張であり、A名義の登記は被上告人名義の登記と同じであるとする原判決の判断は、いささか詭弁の感を免れないにしても、結論において、われわれの常識に合する妥当な判断というべきである。けだし、本件登記の当時、もはや、長くは生きられないかもしれないと思つていた被上告人が後々の面倒を避けるために、便宜、長男A名義を用いたというのであつて、それは、家屋の所有権自体も長男Aに贈与する意思であつたかもしれず(A名義の登記をすれば、税法上は財産の贈与があつたものとして贈与税の課税を免れない。それは贈与があつたものと推定されるからである。)、また、いずれは長男Aに贈与する趣旨のもとに、さしあたり登記名義だけをA名義にしておく趣旨であつたかもしれないが、そのいずれにしろ、その意図するところは、当該家屋について登記をしておかなければ、土地の第三取得者に対抗できなくなることを慮り、被上告人を含む家族の共同生活の場を確保しようというにある。その際、被上告人は、自己とその家族の一員として共同生活をしている長男Aとは、ともに一つのいわゆる家団を構成するメンバーであつて、自己の名義にするのも、長男A名義にするのも、ただ便宜の措置と考えてA名義の登記をしたものにほかならず、このような措置は、われわれの日常生活においては、往々見る現象であつて、直ちに登記名義と実体関係とがそごするとまではいえず、このような登記を虚偽の登記とか偽造文書による登記として無効であるという論旨は、われわれの常識に反し、必ずしも世人を納得させるものではない。原判決の認定判断は、その表現において、いささか妥当を欠くきらいはあつても、結局において、正当として支持すべきものと考える。
(2) 上告理由第二点は、要するに、本件家屋について、借地権者でない長男A名義の登記をもつて被上告人が建物保護法一条による保護を受け得べきいわれはないというにある。
建物保護法によつて借地権を対抗し得るためには、原則として、その土地の上に借地権者の名義で登記した建物を有することを要することは所論のとおりであるが、右の要件は、建物保護法の立法趣旨からいつて、文字どおりに厳格に解すべきではなく、特殊例外的に、第三取得者に不測の損害を生ぜしめる虞れのないかぎり、形式上登記名義人が異なつていても、土地上に登記した建物がある場合に該当するものとして、同法の保護を与えるべき場合がある。原判決の引用する大審院判決(昭和一四年(オ)七八九号昭和一五年七月一一日判決、新聞四六〇四号)が、相続人は、地上建物について相続登記を経なくても、被相続人名義人の登記のままで、その敷地について借地権を第三取得者に対抗することができる旨を判示しているのは、その一例である。この事件は、本件とは多少事案を異にするといえるけれども、形式的には、建物所有者と登記名義人とが異なつているにかかわらず、その対抗力を認めた点において、本件原判決と共通のものがある。すなわち、建物保護法一条の対抗力に関するかぎり、一般の場合と異なり、必ずしも形式的な登記名義の厳格な一致を要求することなく、同法の立法趣旨にそう具体的に妥当な結論を導き出そうとしたものにほかならない。
ところで、本件家屋の登記は、長男A名義になつており、形式的にみるかぎり、借地権者たる被上告人名義にはなつていないから、建物保護法一条の要件を完全にそなえているとはいえない。しかし、被上告人と長男Aとは、本件家屋において、一体的に家族的共同生活を営んでいる、いわゆる家団の構成メンバーにほかならず、建物保護法の趣旨は、このような一体的な家団構成メンバーの居住権を含む借地権を保護するにあるとみるべきであるから、建物保護法一条の定める対抗要件に関するかぎり、形式上は家団の構成メンバーの一員である長男A名義の登記になつていても、被上告人名義の登記があるのと同様に、その対抗力を認めるのが、立法の趣旨に合する解釈というべきである。これを他の一面である土地の取引の保護とか第三取得者の保護という観点からいつても、本件土地の上に被上告人によつて代表される家団の構成メンバーの一員である長男A名義で登記した建物の存在することは、格別の労を用いることなく、容易に推知することができるのであるから、これに対抗力を認めたからといつて、土地の取引の安全を乱すことはなく、当該土地の第三取得者に不測の損害を生ぜしめるものとはいえない。
私は、同じ氏を称する家団の構成メンバーであれば、その登記名義が、仮りに父名義であれ、妻名義であれ、子供の名義であれ、建物保護法一条にいう有効な登記として、その対抗力を認めるを妨げないと考えるのであるが、少なくとも、本件の具体的事情のもとに、長男A名義の登記の対抗力を肯定した原判決の判断は、正当として維持されるべきであり、本件上告は理由がなく、棄却すべきものと考える。
裁判官長部謹吾は、裁判官入江俊郎および裁判官田中二郎の各反対意見に同調する。

・AがBに土地を賃貸し、Bが同土地上に建物を建築して所有する場合において、AがCに同土地を譲渡した場合、Bが土地の賃借権の登記と土地の所有権の登記のいずれもしていなかった(=605条又は借地借家法10条1項による対抗力がない)が、Cは、Bの賃借人としての土地の利用を知っており、借地権の存在を前提とする低廉な価格で土地を買い、所有権移転登記を経た。この場合、CのBに対する建物収去土地明渡請求は権利の濫用として認められない!!!
+判例(S49.9.3)
理由
上告代理人吉川大二郎、同渡辺彌三次の上告理由一ないし四について。
原審が確定した事実によれば、上告人は、被上告人が本件(イ)の土地の所有権を取得した日以降、被上告人に対抗しうる権原を有することなく、右土地の仮換地および換地上に本件建物を所有して、同土地を占有している、というのである。そして、被上告人が上告人の従前同土地について有していた賃借権が対抗力を有しないことを理由として上告人に対し建物収去・土地明渡を請求することが権利の濫用として許されない結果として、上告人が建物収去・土地明渡を拒絶することができる立場にあるとしても、特段の事情のないかぎり、上告人が右の立場にあるということから直ちに、その土地占有が権原に基づく適法な占有となるものでないことはもちろん、その土地占有の違法性が阻却されるものでもないのである。したがつて、上告人が被上告人に対抗しうる権原を有することなく、右土地を占有していることが被上告人に対する関係において不法行為の要件としての違法性をおびると考えることは、被上告人の本件建物収去・土地明渡請求が権利の濫用として許されないとしたこととなんら矛盾するものではないといわなければならない。されば、上告人が前記土地を占有することにより被上告人の使用を妨害し、被上告人に損害を蒙らせたことを理由に、上告人に対し、損害賠償を命じた原判決は正当である。叙上と異なる見地に立つて原判決を攻撃する所論は採用できない。
よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・AがBに土地を賃貸し、Bが同土地上に建物を建築して所有する場合において、AがCに同土地を譲渡した場合、Bが土地の賃借権の登記と土地の所有権の登記のいずれもしていなかったが、建物の登記記録に表題部所有者として登記されていた。この場合、CのBに対する建物収去土地明け渡し請求は認められない!!!!
+判例(S50.2.13)
理由
上告代理人海地清幸、同小倉正昭の上告理由第一点について。
建物保護ニ関スル法律一条が、建物の所有を目的とする土地の借地権者(地上権者及び賃借人を含む。)がその土地の上に登記した建物を所有するときは、当該借地権(地上権及び賃借権を含む。)につき登記がなくても、その借地権を第三者に対抗することができる旨を定め、借地権者を保護しているのは、当該土地の取引をなす者は、地上建物の登記名義により、その名義者が地上に建物を所有する権原として借地権を有することを推知しうるからであり、この点において、借地権者の土地利用の保護の要請と、第三者の取引安全の保護の要請との調和をはかろうとしているものである。この法意に照らせば、借地権のある土地の上の建物についてなさるべき登記は権利の登記にかぎられることなく、借地権者が自己を所有者と記載した表示の登記のある建物を所有する場合もまた同条にいう「登記シタル建物ヲ有スルトキ」にあたり、当該借地権は対抗力を有するものと解するのが相当である。そして、借地権者が建物の所有権を相続したのちに右建物について被相続人を所有者と記載してなされた表示の登記は有効というべきであり、右の理はこの場合についても同様であると解せられる。所論引用の各最高裁判例は、事案を異にし、本件に適切とはいえない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点の一について。
本件記録によれば、原審第二回口頭弁論期日において陳述された被上告人の昭和四七年五月二九日付準備書面には、原審が所論権利濫用の判断をするにあたり、その基礎事実として認定した事情と同旨の事実の記載のあることが明らかである。それゆえ、原判決に所論の違法はなく、論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分を非難することに帰し、採用することができない。
同第二点の二について。
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人の本件請求が権利の濫用にあたるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

土地の賃借人は、賃貸人である土地所有者が土地を不法に占有する第三者に対して、所有権に基づく妨害排除請求権を代位行使することができる!!!!

本権とは、占有を正当ならしめる権利をいい、賃貸借などの債権にも適用し得る概念である。

・対抗力のある不動産賃借権については、本権の訴えとして、賃借権に基づく妨害排除請求権を認めている!!

・期間の定めのない賃貸借は、いつでも解約の申し入れをすることができるが、直ちに終了するわけではない。解約申し入れの日から各号に定められた期間を経過することで終了する。
+(期間の定めのない賃貸借の解約の申入れ)
第617条
1項 当事者が賃貸借の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合においては、次の各号に掲げる賃貸借は、解約の申入れの日からそれぞれ当該各号に定める期間を経過することによって終了する
一  土地の賃貸借 一年
二  建物の賃貸借 三箇月
三  動産及び貸席の賃貸借 一日
2項 収穫の季節がある土地の賃貸借については、その季節の後次の耕作に着手する前に、解約の申入れをしなければならない

・建物所有を目的とする土地の賃貸借契約の更新拒絶につき借地借家法6条所定の正当の事由があるかどうかを判断するに当たり、借地上に建物が存在しこれに建物賃借人がいる場合には、特段の事情がない場合には、建物賃借人の事情を斟酌することは許されない!!!!
+判例(S58.1.20)
理由
上告代理人廣兼文夫、同福永綽夫の上告理由第二点について
建物所有を目的とする借地契約の更新拒絶につき借地法四条一項所定の正当の事由があるかどうかを判断するにあたつては、土地所有者側の事情と借地人側の事情を比較考量してこれを決すべきものであるが(最高裁昭和三四年(オ)第五〇二号同三七年六月六日大法廷判決・民集一六巻七号一二六五頁)右判断に際し、借地人側の事情として借地上にある建物賃借人の事情をも斟酌することの許されることがあるのは、借地契約が当初から建物賃借人の存在を容認したものであるとか又は実質上建物賃借人を借地人と同一視することができるなどの特段の事情の存する場合であり、そのような事情の存しない場合には、借地人側の事情として建物賃借人の事情を斟酌することは許されないものと解するのが相当である(最高裁昭和五二年(オ)第三三六号同五六年六月一六日第三小法廷判決・裁判集民事一三三号四七頁参照)。しかるに、原審は、上告人らがした本件借地契約の更新拒絶につき正当の事由があるかどうかを判断するにあたり、本件土地の共有者の一人である上告人Aと借地人である被上告人Bの土地建物の所有関係及び営業の種類、内容のほか、右被上告人Bから本件土地上の建物を賃借している被上告人C、同Dの営業の種類、内容などを確定したうえ、上告人側の本件土地の必要性は肯定できるとしながら、他方、借地人側の事情として、なんら前記特段の事情の存在に触れることなく、漫然と本件土地上の建物賃借人の事情をも考慮すべきものとし、これを含めて借地人側の事情にも軽視することができないものがあり、前記更新拒絶につき正当の事由が備わつたものとは認められないと判断しているのであつて、右判断には、前述したところに照らし、借地法四条一項の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるといわなければならず、右違法が原判決中第一次請求を棄却した部分に影響を及ぼし、更には第二次請求の当否につき判断した部分にも影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決は、その余の論旨につき判断を加えるまでもなく、破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。
よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・建物所有を目的とする土地の賃貸借契約において、土地所有者が更新拒絶の異議を述べた場合、正当の事由の補完事由としての立退き料等金員の提供又はその増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものについては原則としてこれを考慮することができる!!!
+判例(H6.10.25)
理由
一 上告代理人竹田章治の上告理由第二点について
土地所有者が借地法六条二項所定の異議を述べた場合これに同法四条一項にいう正当の事由が有るか否かは、右異議が遅滞なく述べられたことは当然の前提として、その異議が申し出られた時を基準として判断すべきであるが、右正当の事由を補完する立退料等金員の提供ないしその増額の申出は、土地所有者が意図的にその申出の時期を遅らせるなど信義に反するような事情がない限り、事実審の口頭弁論終結時までにされたものについては、原則としてこれを考慮することができるものと解するのが相当である。
けだし、右金員の提供等の申出は、異議申出時において他に正当の事由の内容を構成する事実が存在することを前提に、土地の明渡しに伴う当事者双方の利害を調整し、右事由を補完するものとして考慮されるのであって、その申出がどの時点でされたかによって、右の点の判断が大きく左右されることはなく、土地の明渡しに当たり一定の金員が現実に支払われることによって、双方の利害が調整されることに意味があるからであるこのように解しないと、実務上の観点からも、種々の不合理が生ずる。すなわち、金員の提供等の申出により正当の事由が補完されるかどうか、その金額としてどの程度の額が相当であるかは、訴訟における審理を通じて客観的に明らかになるのが通常であり、当事者としても異議申出時においてこれを的確に判断するのは困難であることが少なくない。また、金員の提供の申出をするまでもなく正当事由が具備されているものと考えている土地所有者に対し、異議申出時までに一定の金員の提供等の申出を要求するのは、難きを強いることになるだけでなく、異議の申出より遅れてされた金員の提供等の申出を考慮しないこととすれば、借地契約の更新が容認される結果、土地所有者は、なお補完を要するとはいえ、他に正当の事由の内容を構成する事実がありながら、更新時から少なくとも二〇年間土地の明渡しを得られないこととなる
本件において、原審は、被上告人が原審口頭弁論においていわゆる立退料として二三五〇万円又はこれと格段の相違のない範囲内で裁判所の決定する金額を支払う旨を申し出たことを考慮し、二五〇〇万円の立退料を支払う場合には正当事由が補完されるものと認定判断しているが、その判断は、以上と同旨の見解に立つものであり、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を非難するに帰するもので、採用することができない。

二 その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められない。右判断は、所論引用の当審判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官可部恒雄の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。
一 法廷意見は、借地法四条一項但書所定の「正当ノ事由」の有無は、同法六条による異議申出時を基準として判断すべきであるとして、従前の実務の取扱いを是認しつつ、いわゆる正当事由の補完事由としての立退料等の金員の提供ないしその増額の申出は、事実審の口頭弁論終結時までにされたものは原則として考慮することができる旨を判示した。
右にいう補完事由としての立退料等の金員(以下、記述の便宜上、単に「立退料」と略称する)の提供等の申出と、正当事由を具備するか否かの判断の基準時との関係については、借地関係に特有の、ともいうべき実務上の問題点があり、本件はまさにこの点についての先例となるものと考えられるので、以下に法廷意見を補足して意見を述べておくこととしたい(なお、借地借家関係の法令については、記述の便宜上、借地借家法(平成三年法律第九〇号)施行前の借地法及び借家法によることとする)。

二 借地権は建物所有を目的とするため、その存続期間として三〇年ないし六〇年にわたる長期間が法定され、更新後の期間も堅固建物については三〇年以上、非堅固建物についても二〇年以上とされており、土地所有者にとっては、借地権の存続期間の満了時を除いて貸地の返還を求め得る機会はない。そして、土地所有者が借地権者による契約の更新の請求又はいわゆる法定更新を拒絶するには、実体的には「自ラ土地ヲ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合」であることを要し、さらに手続的には「遅滞ナク異議ヲ述」べることを要するものとされる。
ところで、借地法の条文の構造からすれば、正当事由を具備するか否かの判断の基準時は、借地権者の更新請求又は(存続期間満了による)借地権消滅後における土地の使用継続に対する異議申出時をもって原則とするのが最も素直な解釈であり、借地についての比較的少数の先例もその趣旨に読むことができよう(最高裁昭和三七年(オ)第一二九四号同三九年一月三〇日第一小法廷判決・裁判集民事七一号五五七頁、最高裁昭和四八年(オ)第八五九号同四九年九月二〇日第三小法廷判決・裁判集民事一一二号五八三頁)。

三 ここで登場するのが、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額の申出と正当事由具備の判断の基準時との関係である。
立退料の提供は、戦後、借地法の解釈適用に関する実務の運用上、借地契約の更新を求める借地権者と更新を拒絶する土地所有者との間の利害の調整を図るべく、いわば実際の必要に基づいて実務の中から生み出されたものであるが、立退料の提供により正当事由が補完されるか否か、特にその金額として幾許が相当であるかは、訴訟での審理を通じて初めて明らかになるのが通常であることは、法廷意見の指摘するとおりであるのみならず、当事者の立場にあることから、それぞれに主観的事情の伴うことも避け難いところである。
したがって、前記のように、正当事由具備の判断の基準時は異議申出時をもって原則とすべきであるとはいっても、「遅滞ナク」異議を述べるべきその時点において、立退料の提供、しかも後に受訴裁判所において相当として許容されるべき金額の申出をすることを要するというのは、土地所有者と借地権者との間の土地使用関係の解消に伴う紛争の実態に合致せず、立退料のもつ本来の補完的性質にも反し、実務の産物であるその実際的機能を著しく減殺し、遂には殆ど無に帰せしめる結果ともなろう。
そこで、異議申出の時点を原則とするとの見地に立ちつつ、立退料などいわゆる正当事由の補強条件の申出が事後になされたとしても、客観的な事実の変遷とは性質を異にすることに着目し、遅すぎる補強条件の申出として法的安定性を害するおそれのない限り、これを加味して判断すべきであるとか、基準時(異議申出時)において予想し得たものである場合、又は基準時における正当事由の存否の徴憑たり得るものである場合には、これを補完的に考慮すべきであるとか、の解釈上の努力(注)が裁判例に現れることとなるのである。
注 「1」 東京高裁昭和五一年二月二六日判決・高民集二九巻一号一六頁、「2」 東京高裁昭和五四年三月二八日判決・判例時報九三五号五一頁、「3」東京高裁昭和六一年一〇月二九日判決・判例時報一二一七号七〇頁等がそれである。
右の「1」東京高裁昭和五一年判決(最三小昭五一・一一・九判決により上告棄却)は、「補強条件の申出の要件として『遅滞なく』とは、単に歳月の日数によって算えられるべきでな」いとして、更新拒絶より四年一〇ケ月後の金員提供の申出及び更に九ケ月後の増額の申出を「遅滞なく」されたものであるとした。次に、右の「2」東京高裁昭和五四年判決(最二小昭五五・一・二五判決により上告棄却)は、異議申出時より九ケ月後の立退料提供の申出及び更に一年後の増額の申出により、また、右の「3」東京高裁昭和六一年判決(最三小平元・七・一八判決により上告棄却)は、異議申出時より四年五ケ月後の立退料の申出により、いずれも正当事由が補完された旨を判示した。

四 以上、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないし増額の申出と正当事由具備の判断の基準時との関係を借地関係について見てきたが、有償による不動産の使用関係の解消については、借地のみならず借家関係についても同様の問題が存するかに見える。借家についても、建物の賃貸人が賃借権の更新を拒絶し又は解約の申入れをするについては、自己使用その他「正当ノ事由」を具備することを必要とし、正当事由の補完事由としての立退料の提供が実務の中から生み出されたのは、むしろ借地に先立つ借家の関係においてであったといってよいからである。

五 しかしながら、借地関係と借家関係では、この点の様相を著しく異にする
すなわち、
地上建物の保護のため二〇年以上の長期にわたって借地権の存続期間が法定される借地関係に比し、借家関係については、借家権の存続期間を長期にわたって法定するところがないばかりでなく、約定により期間の定めのある賃貸借においても、借家法二条による法定更新の後は、期間の定めのない賃貸借となるものとされ(最高裁昭和二六年(オ)第八一号同二八年三月六日第二小法廷判決・民集七巻四号二六七頁)、期間の定めのない借家契約は、「自ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合」には、六ケ月の告知期間を置くことにより(注)、いつでも解約の申入れをすることができる。
注 正当事由は解約申入れの時から六ケ月間存続することを要するとするのが判例であるといってよく(最高裁昭和二七年(オ)第一二七〇号同二九年三月九日第三小法廷判決・民集八巻三号六五七頁、後出最高裁昭和四一年一一月一〇日第一小法廷判決、最高裁昭和四〇年(オ)第一〇八号同四二年一〇月二四日第三小法廷判決・裁判集民事八八号七三三頁)、下級審の裁判例としてもこれが実務の大勢を占めている。
そして、建物の賃貸人が賃貸借契約の解約申入れに基づく該建物の明渡請求訴訟を継続維持しているときは、解約申入れの意思表示が黙示的・継続的に(注)されているものと解すべきである、とすること判例である(最高裁昭和四〇年(オ)第一四九七号同四一年一一月一〇日第一小法廷判決・民集二〇巻九号一七一二頁)から、当初の解約申入れの時点(A)では、正当事由を具備するというに足りないとされる事案においても、その後、立退料の提供の申出(B)があり、さらにその増額の申出がなされた時点(C)で正当事由の補完が認められるならば、その時(B又はCの時点)から六ケ月の期間の経過により、解約の効力を生ずることになる。
注 右の昭和四一年判決に先立つ最高裁昭和三〇年(オ)第一七九号同三四年二月一九日第一小法廷判決・民集一三巻二号一六〇頁の判例評釈は、「有効な解約申入を理由とする明渡訴訟の提起、その維持・継続」により「時々刻々解約申入がなされている」と解し得るとした(星野・法協七八巻一号一〇八頁)。これが右の昭和四一年判決の説明のために借用されているのは十分肯けることである(同年度解説[90]四九一頁)。

六 以上に見るように、借家関係については、借地のそれと異なり、「一年末満ノ期間ノ定アル賃貸借ハ之ヲ期間ノ定ナキモノト看做ス」(借家法三条ノ二)とするのみで、借家権の存続期間についてそれ以上に規定するところがなく、法定更新後は期間の定めのない賃貸借となるので、正当事由を具備する限り、何時でも解約の申入れをすることができ、解約申入れを理由とする明渡訴訟の継続中は「時々刻々」解約申入れがなされていると解すべきである、というのであるから、こと借家に関する限り、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額申出の時点と、正当事由具備の判断の基準時(黙示的な解約申入れの時点)とは、もともと一致し、或いは実務上些少の工夫により容易に一致させることができ、右の補完事由の申出の時点と基準時との不一致に由来する実務上の困難は、借地関係に特有の問題であることが明らかとなるのである。

七 借地と借家との別は以上のとおりとして、ここで改めて検討を要するのは、正当事由の補完事由としての立退料の提供ないしその増額の申出は、自己使用その他、正当事由の内容を構成し、原被告間においてその存否が争われる「事実」であるのか、という論点である。
立退料の提供ないしその増額の申出は、訴訟上、受訴裁判所の関与の下に、訴訟当事者である土地所有者から借地権者に対してなされるもので、土地所有者の自己使用の必要とか、借地権者の地上建物に対する生活上の依存度というような、基準時における「事実」として、当事者間においてその存否が争われる余地はなく、立退料の提供の申出は、基準時において正当事由がなお充足されず、土地所有者の側からする一定額の金員の提供によって初めて正当事由が補完され得るという事案において、受訴裁判所をして右金員の支払と引換えに(その支払は執行開始の要件である)借地権者に土地明渡しを命ずる判決をすることを可能ならしめるものであり、この点においてのみ法律上の意味を有するものにほかならない。
受訴裁判所は、たとい一定額の金員の支払により正当事由が補完され得ると判断した場合においても、原告たる土地所有者からその旨の申出がない限り、前記の引換給付の判決をすることはできず、また、原告が明確に上限を画して一定額以下の金員の提供を申し出た場合に、その上限を超えて引換給付の判決をすることは許されない「裁判所ハ当事者ノ申立テサル事項ニ付判決ヲ為スコトヲ得ス」(民訴法一八六条)とする点の拘束は、その意味で絶対的であるといってよい。
立退料の提供の申出のもつ法律上の意味は以上のとおりであり、そして、それ以外の意味をもたない。正当事由の補完事由とされるとはいえ、それは正当事由の内容を構成するものとしてその存否が争われる「事実」ではない。にもかかわらず、それが正当事由の補完事由とされるが故に、正当事由具備の判断の基準時との関係で実務処理上の困難に出遭い、下級審裁判例において様々の解釈上の努力が積み重ねられて来たことは、さきに見たとおりである。
思うに、判例形成の責任が最上級審にあることはもとよりであるが、さきに注記した裁判例に見るような、実務上の困難に対処するための苦渋に満ちた解釈上の努力から、もはや脱却すべき時機が到来したことに、実務上の注意を喚起しておきたい。本判決の意義はそこにあると考える。
注 立退料の提供又はその増額の申出と正当事由具備の基準時との関係につき、法廷意見と共通の見解を示す比較的最近の判決がある。最高裁平成二年(オ)第二一六号同三年三月二二日第二小法廷判決・民集四五巻三号二九三頁がそれである。
しかし、同判決は借家に関するもので、右の基準時との関係で実務上の困難に遭遇していた類型の事案でないばかりでなく、同事件の上告人は借家人であって、立退料の提供ないし増額の申出についての同判決の所見は、被上告人たる賃貸人にとって有利となることこそあれ、賃借人たる上告人の有利に働く余地のないことはむしろ自明のところであろう。したがって、その判旨のような見解を上告論旨が開陳したのであれば、これが肯定されても上告人自身に不利益を齎すのみであるから、上告理由として体をなさないものとならざるを得ない。しかるに、判旨が、論旨の何ら言及するところのない見地に踏み込んで、進んで職権的に判断し、その結論が不利益変更禁止の原則により許されないというのは、上告審の措置として理解しにくいところがある。同判決の事案が借家に関するものであることに加え、先例拘束性をもつ判例としての位置づけが困難である点に、法廷意見が同判決に言及しない理由があるように思われる。
なお、本判決に従い、補完事由としての立退料の提供ないし増額の申出が事実審の口頭弁論終結に至るまで許されるとして、次に、土地所有者の申し出た立退料の額の相当性を判断すべき金額評価の時点は何時か、の問題がある。土地所有者による立退料の支払が借地権者に対する収去明渡しの執行と引換えになされるもので、引換給付の時点における借地権者の不利益を緩和ないし補償すべき性格をもつところからすれば、その時点に最も近接する事実審の口頭弁論の終結時において、土地所有者の申出にかかる金額が相当なりや否やを判断するほかなく、この論点は、本判決の示す結論の延長線上にあるものと考える。