+判例(H5.6.25)
理由
上告代理人福地絵子、同福地明人の上告理由について
労働基準法一三四条が、使用者は年次有給休暇を取得した労働者に対して賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないと規定していることからすれば、使用者が、従業員の出勤率の低下を防止する等の観点から、年次有給休暇の取得を何らかの経済的不利益と結び付ける措置を採ることは、その経営上の合理性を是認できる場合であつても、できるだけ避けるべきであることはいうまでもないが、右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであつて、労働者の年次有給休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。また、右のような措置は、年次有給休暇を保障した労働基準法三九条の精神に沿わない面を有することは否定できないものではあるが、その効力については、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年次有給休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、年次有給休暇を取得する権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるものでない限り、公序に反して無効となるとすることはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(オ)第六二六号同六〇年七月一六日第三小法廷判決・民集三九巻五号一〇二三頁、最高裁昭和五八年(オ)第一五四二号平成元年一二月一四日第一小法廷判決・民集四三巻一二号一八九五頁参照)。
これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) タクシー会社においては、自動車の実働率を高める必要があることから、乗務員の出勤率が低下するのを防止するため、皆勤手当の制度を採用する企業があり、被上告会社においても、昭和四〇年ころから、乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ交番表(月ごとの勤務予定表)どおり出勤した者に対しては、報奨として皆勤手当を支給することとしていた、(2) 被上告会社は、その従業員で組織する沼津交通労働組合との間で締結された昭和六三年度及び平成元年度の労働協約において、交番表に定められた労働日数及び労働時間を勤務した乗務員に対し、昭和六三年度は一か月三一〇〇円、平成元年度は一か月四一〇〇円の皆勤手当を支給することとするが、年次有給休暇を含む欠勤の場合は、欠勤が一日のときは昭和六三年度は一か月一五五〇円、平成元年度は一か月二〇五〇円を右手当から控除し、欠勤が二日以上のときは右手当を支給しないこととした、(3) 上告人は、昭和五〇年七月一六日、被上告会社に乗務員として入社したが、昭和六三年五月、八月、平成元年二月、四月、一〇月における現実の給与支給月額は、二二万円余ないし二五万円余であり、右皆勤手当の額の右現実の給与支給月額に対する割合は、最大でも一・八五パーセントにすぎなかつた、(4) 上告人は、昭和六二年八月から平成三年二月までの四三か月間に四二日の年次有給休暇を取得し、それ以外の年次有給休暇九日分については上告人の意思に基づきその不行使につき被上告会社が金銭的補償をしている(いわゆる有給休暇の買取り)、というのである。
右の事実関係の下においては、被上告会社は、タクシー業者の経営は運賃収入に依存しているため自動車を効率的に運行させる必要性が大きく、交番表が作成された後に乗務員が年次有給休暇を取得した場合には代替要員の手配が困難となり、自動車の実働率が低下するという事態が生ずることから、このような形で年次有給休暇を取得することを避ける配慮をした乗務員については皆勤手当を支給することとしたものと解されるのであって、右措置は、年次有給休暇の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないと見るのが相当であり、また、乗務員が年次有給休暇を取得したことにより控除される皆勤手当の額が相対的に大きいものではないことなどからして、この措置が乗務員の年次有給休暇の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかつたというべきである。
以上によれば、被上告会社における年次有給休暇の取得を理由に皆勤手当を控除する措置は、同法三九条及び一三四条の趣旨からして望ましいものではないとしても、労働者の同法上の年次有給休暇取得の権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中島敏次郎 裁判官 藤島昭 裁判官 木崎良平 裁判官 大西勝也)
++解説
《解 説》
一 事案の概要は、次のとおりである。
被告タクシー会社(Y)の労働協約においては、交番表(月ごとの勤務予定表)に定められた労働日数等を勤務した乗務員に対し皆勤手当(年度により月額三一〇〇円ないし四一〇〇円)を支給することとし、ただし、年次有給休暇(以下「年休」という。)等を取得した場合は、この手当を、一回休むと半額支給し、二回休むと支給しない旨が定められていた。XはYの乗務員であったが、昭和六三年五月から平成元年一〇月までの間、合計五か月につき、年休を取得したことを理由に皆勤手当を減額されあるいは支給されなかったが、このような不利益取扱いは、労基法(以下単に「法」という。)三九条、一三四条に違反し無効であるとし、その不支給分の合計一万円余の支払を求めて本訴を提起した。
一審は、法三九条、法(附則)一三四条を根拠に、労働者が年休を取得したことを理由として不利益取扱いをすることは公序に反するとして、請求を認容したが、原審は、Xに対する皆勤手当の不支給が直ちに公序良俗に反して無効であるとすることはできない等として、一審判決を取り消し、原告の請求を棄却していた。
二 法三九条は、労働者に対し年休を取得する権利を認めている。ところで、企業においては、就業規則等で、欠勤等のなかった労働者に対し、報奨的な意味でいわゆる精皆勤手当を支払う制度を設け、右欠勤等に年休の取得を含めて処理されることがあり、これが、年休の取得を抑制する効果を有する可能性があるため、右三九条等に違反しないかが問題になる。
従前の労働省の通達(昭和五三年六月二三日基発第三五五号)は、この問題につき、このような不利益取扱いは直ちに法違反があるとは認め難いが、年休の取得を抑制する効果を持つものであり、法三九条の精神に違反するとし、また、このような不利益取扱いを定める就業規則の規定は、年休取得による賃金の減少の額の程度、年休取得の抑制の程度等のいかんにより、公序良俗に反して民事上無効と解される場合があるとしていた。
三 ところで、昭和六二年法律第九九号による改正によって追加された法(附則)一三四条は、「使用者は、第三九条第一項から第三項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない。」と規定しており、本件では、その趣旨及び効力(特に、右通達との関係)が問題になった。
学説中には、この規定は、従前の通達の内容を確認するにとどまらず、これに積極的な意味を見いだそうとし、(1) この規定自体が私法上の強行規定であるとするもの、(2) この規定が設けられたことにより、法三九条が年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止する効力を有するに至ったとするもの、(3) 従前から存した法三九条の私法的効力が、一三四条によって明示的に確認されたとするもの等がある(例えば、片岡=萬井編・労働時間論(法律文化社)三四六頁、菅野和夫・労働法(第二版補正版、弘文堂)二五二頁、下井隆史・労働基準法(有斐閣法学叢書)二一五頁ほか)。
しかしながら、このような規定が設けられた趣旨について、立法担当者は、年休の取得に伴う不利益取扱いは、法三九条の精神に反するものであるので、これを是正する指導をしてきたが、不十分であったため、法の附則に訓示規定を設けてその趣旨を法上において明確化したものであると説明している(労働省労働基準局編著・全訂改版 労働基準法上(労働法コンメンタール③)五二七頁、安西愈・改正労働時間法の法律実務(第二版)五〇一頁等)。
この説明は、法一三四条の制定の経緯、これが本文ではなく附則に置かれていること、文言が「不利益な取扱いをしてはならない」ではなく「不利益な取扱いをしないようにしなければならない」という回りくどい言い方をしていること等からも十分うなずけるところであり、この規定が設けられたことのみを根拠に、右不利益取扱いが私法上無効となる結果を招来するに至った、と見ることはできないと解すべきであろう。
本判決は、この点につき、「右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであって、労働者の年次休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。」とし、右と同趣旨を述べている。
四 法一三四条が、右のように使用者の努力義務を定めたものにすぎないとすれば、この問題については、同条の効力というよりも、法三九条等法全体の趣旨から本件不利益取扱いの適否を検討すべきであるということになり、結局、次の二つの最判が需要な先例となろう。
(1) 最三小判昭60・7・16民集三九巻五号一〇二三頁、本誌五六八号五二頁(いわゆる「エヌ・ビー・シー生理休暇事件」)
労働者が生理休暇を取得することにより精皆勤手当等の経済的利益を得られない結果となる措置と法六七条との関係が問題になった事案である。
右最判は、このような不利益措置は、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、生理休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせると認められるものでない限り、同条に違反しないとした上、当該事案につき、右措置は、法定の要件を欠く生理休暇及び自己都合欠勤を減少させて出勤率の向上を図ることを目的として設けられたものであり、手当の金額も一か月当たり五〇〇〇円であること等から、生理休暇の取得を著しく困難にし、法六七条の規定が特に設けられた趣旨を失わせるとは認められないので、同条に違反しないと判示した。
(2) 最一小判平1・12・14民集四三巻一二号一八九五頁、本誌七二三号八〇頁(いわゆる「日本シェーリング事件」)
前年度の稼働率が八〇パーセント以下の従業員を翌年度のベースアップを含む賃金引上げの対象者から除外する旨の労働協約条項(いわゆる「八〇パーセント条項」)の効力が問題になった事案である。
この判決も、右昭和六〇年の最判と同様の一般論を述べた後、八〇パーセント条項に該当した者につき除外される賃金引上げにはベースアップ分も含まれており、しかも、賃金引上げ対象者から除外された不利益は、いったん生じると後続年度の賃金において残存し、退職金にも影響するので、その経済的不利益は大きなものといえるので、年休取得の権利の行使を抑制し、法が労働者に年休等の権利を保障した趣旨を失わせるもので、公序に反し無効であると判示した。
五 本判決は、Yにおける皆勤手当制度の内容・趣旨・運用の実情等の事実関係を前提にした上で、右手当についてのこの措置が乗務員の年休の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかったとし、右の措置は、結局、労働者の年休取得の権利の行使を抑制し、ひいては法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないとしている。
本件は、このように、従前の最判の判断基準を前提にするものであるが、法上有給とされる年休の取得を理由とする不利益取扱いである点で、エヌ・ビー・シー生理休暇事件とは異なり(法上生理休暇は無給である。)、少額の皆勤手当の不支給を問題にする点で日本シェーリング事件とも異なる、いわば両事件の中間的な事案であり、タクシー会社においてよくみかける処理の適否を示したものであって、参考となろう。