刑法択一 刑法各論 生命身体に関する罪 殺人の罪


・甲は乙を自宅に招いて毒入りの菓子を食べさせて毒殺しようと考え、菓子に致死量の毒薬を混入し、乙に自宅に招待する旨電話したが、乙が多忙を理由にこれを断ったため、乙を殺害することができなかった。この場合、甲には殺人未遂罪は成立しない!!←実行の着手なし。実行の着手アリといえるには、それが飲食できる状態に置かれることが必要
+判例(大正7.11.16)
1.毒薬混入の砂糖を小包郵便に付したときは、名宛人がこれを受領した時において、右毒物を飲食することができる状態においたものであり、毒殺行為の着手があったということができる。

・甲は統合失調症にり患した乙に対する治療の責任を免れるため、乙が通常の意思能力もなく自殺のなんたるかを理解せず、しかも甲の命ずることはなんでも服従するのを利用して、首つりの方法を教えて実行させ死亡するに至らせた。判例によれば、自殺関与罪ではなく、間接正犯による殺人罪が成立する!!!!
+判例(S27.2.21)
これの第1審
 被告人はもと和歌山県方面で警察官や逓信官吏等を勤め、又昭和二十一年一月頃渡満して興農合作社に勤めたりしていたが、既に二十余年以前から法華宗に帰依しその修行をしていたので、昭和二十三年十月頃以降は殺虫剤の販売と共に他人の為に加持祈祷等して生活をしていたものであるところ、昭和二十四年八月中旬頃偶々畠中近蔵から神戸市垂水区伊川谷町永井谷七百三十六番地の一、村上しげ子の長女昭子(当二十一年)が精神病者であることを聞いたので、同月二十六日頃自ら右村上方に行き、しげ子の話や昭子の様子等から同女を相当強度の精神分裂症患者であると認めたが、しげ子に対し「約五十日の祈祷でこれを全治させる。」と言つて同女との間に、全治した場合は謝礼金一万五千円、全治しない場合は無料、但し被告人の食事はいずれにしても同女が負担するとの約定で右昭子の治療を引受け、爾来同女方に泊り込み昭子の為に祈祷、水行、断食等を行い、又投薬、灸等を施し、同年九月十九日頃一時これを中止して肩書被告人自宅に帰つたが、予て加持祈祷等の方法で病気を治療してやつたことのある和歌山県西牟婁郡佐本村藤本賀々代(当三十年)に昭子の治療の応援方を依頼した上、同年十月八日頃再び村上方に来り、次で右賀々代も来たので同月十二日頃からは昭子及び右賀々代と共に村上方の北方、徒歩で約八分の距離にある神戸市垂水区伊川谷町永井谷字深谷山所在妙見堂内に篭り、前同様の方法で昭子の治療を続けていたが、予定の五十日は夙に過ぎて同年末が近ずいても昭子の病状は殆んど変らず、依然として独語症状を続けたり又大小便をしくじつたりしていた為、被告人としても最早やこれを全快させる自信を失つていた。併し被告人はその間数回に亘り予てより準備携帯していた蛍石をあたかも昭子の身体から取出した如く詐つてこれをしげ子等に示し「これが気狂いの癌である、このような石を全部取り除くと病気は全快する」等と言つて同女等を信用させると共に、しげ子に対し再三金を貸せと言つて未だ昭子が全快しておらないのに同年十二月始頃までに同女から謝礼金一万五千円を数回に受取つたのであるが、正月を目前にして金銭の必要もあつたので同月二十七日頃、しげ子に対し「昭子は石が全部とれたのでやがて全快するからもう一万円出して貰い度い、出して呉れなければ昭子をこの侭放つて帰る」と言つて、しげ子をして右一万円の醵出を承諾せしめ、その頃賀々代を通じて該金員を受取つたところ昭和二十五年一月四日頃、従来昭子の身辺の世話を主として見て呉れ、且つ当時巳に被告人と情交関係のあつた前記賀々代が和歌山県の同人宅に帰つてからは、被告人は到底全快の見込のない気狂い娘の昭子と唯二人山中の一軒家である前記妙見堂に起居することになり、加えて昭子はその頃しばしば独語症状を呈し又毎夜のように大小便をしくじつてそのあと始末等に追われる有様であつた為、これ以上昭子の世話をすることがつくづく嫌になり、或いはいつそ同女を放置して逃げ帰ろうかとも考えたが、それでは既に受取つている前記二万五千円を返還しなければならず、苦慮した末、遂に浅慮にも同女を殺害して治療の責任を免れようと考え、その殺害の方法として、昭子が通常の意志能力もなく自殺の何たるかを理解せず而も被告人の命ずることは何でも服従するのを利用してこれに縊首の方法を教えて縊死せしめ、而も同女が自発的に自殺したように装つて自己の罪跡を陰蔽しようと決意し、同月八日午前一時半頃から同六時頃までの間に、右妙見堂内において同女に対し「先生が神様にお願いして呉れるので大分楽になつたが、先生が帰つてしまうと誰も自分の為に神様にお願いして呉れる人がないから自分は死ぬ」という趣旨の遺書の文言を口授し、同女をしてこれを有り合せた便箋四枚に筆記せしめて同女自筆の遺書(証第二号)を作成し、次で同女に指示して附近にあつた同女の淡緑色の兵児帯(証第一号)で同女の頸部を二重に巻きこれを後頸部において二回結び更にその両端を互に結び合せて輪状にさせた上、被告人において同堂内にあつた三段よりなる木製供物台を、同堂内居室大井の北方寄りを東西に走る梁の北側面、その東端から約五十五糎の箇所に打ち込まれている提灯吊用の五寸釘の下方床上に立て、右供物台の上段に同女を登らせて前記のように結んだ帯の輪の一端を右五寸釘に懸けさせ,これと同時に右供物台が中心を失つて倒れた為同女をして縊首による窒息の為即時その場において死亡するに至らしめ、もつて殺害の目的を遂げたものである。
(証拠説明省略)
被告人及び弁護人は(一)判示一月八日の朝は被告人は午前六時頃妙見堂を出たが、その時には昭子も起きて写経をしていたから昭子の縊死はそれ以後のことである、しかも医師上田政雄の鑑定書によれば昭子の死亡時刻は同日午前九時頃となり、又村上義美が昭子の死体を発見したのが同午前八時過頃であつたとしても、当時妙見堂内の火鉢にかかつていた茶瓶の湯が沸いていたのであるから、薪火の保持時間から考えて被告人が妙見堂を出た後に他の何人かが火鉢の薪を補給したことが明かであつて、この点からも昭子の縊死は被告人の出た後のことである。又(二)昭子は精神分裂症ではあつたがその死亡の前頃には病気も大分良くなり、元来字はよく知つている上に手紙の書方等も被告人が教えてやつたことがあるので判示の遺書位は十分自分で書き得ると思うと弁疏し、いずれにしても昭子の縊死は何等被告人の関知しない所であると主張するが、(一)被告人が判示一月八日の朝午前六時或いは六時半頃迄に妙見堂を出たことは証拠上明かな所であるけれども、被告人が右妙見堂を出た当時昭子が写経していたとのことは、当裁判所の措信しない被告人の供述又は供述調書を除いては之を認むべき何等の証拠がない、又上田政雄の鑑定書には死後経過時間三十時間前後とあつて之から推算すると昭子の死亡時刻は一月八日午前九時前後ということになるが、元来死後経過時間は死体を解剖する場合においてもそれ程正確に測定し得るものではなく、或る程度の誤差は免れないものであるから、本件の場合も右鑑定書の記載をもつて直ちに被告人が妙見堂を出た後になお昭子が生存していたことの証左とすることはできない。又昭子の死体を最初に発見した午前八時過頃火鉢にかかつていた急須の湯が沸いていたことは証人村上義美の当公廷の供述等によつて認め得るけれども、それが薪火であつたとしても、熱灰中に薪を適当に埋めておくときは徐々に熱焼して優に数時間は火力を保持するものであつて、且つ被告人が従来右妙見堂内では薪火のみを煖房用燃料として使用していたことに徴すれば、右一月八日の朝も被告人が早朝火鉢の熱灰中に薪を埋めておいたのが除々に燃焼して午前八時過頃にも急須の湯を沸していたものとも考えられるから、この一事によつて被告人が妙見堂を立ち去つた後に被告人以外の者が火鉢に薪を補給したものと断ずることもできない、次に(二)判示遺書の点については、前掲各証拠によつて認め得べき昭子の症状及び智能程度、即ち死亡した一月八日の直前頃においても絶えず独語症状を呈し又屡々大小便をしくじつて夜具や衣類を汚し、自分では月経の始末もせず気分の良い時でも通常の会話はできず、或る程度文字は知つているが自分から文章や手紙を書くという事はなく、他人から命ぜられて掃除、水汲み、寝床の始末等の機械的な仕事をすることはあるが炊事、裁縫等はできず、又金銭に対する観念もなく、留守番もできないのは勿論常に看護人を要し一人で置いておくことはできない状態で、その意思能力は通常人に及ばないこと遥かに遠く、自殺の何たるかも理解することはできないことと、一面判示遺書(証第二号)は三十数行に亘る相当長文のもので且つその文章も一応整然として筋も通つていることから見れば、昭子が自己の意思に基いてかかる遺書を作成する能力があるとは到底認められない、尤もこの点の反証として弁護人は、昭子より藤本小梅に宛てた明石郵便局昭和二十四年十二月十一日附消印のある葉書一通(証第十六号)を提出しているけれども、第十回公判における証人村上しげ子の証言や前示の如き昭子の智能程度並びに右証第十六号の葉書の内容等を考慮すれば、該葉書は被告人がその文案を教示して昭子に書かせたものと認めることができるから、右葉書の存在は前記の認定を覆すに足るものではない、結局判示昭子の遺書は昭子が自己の意思によつて書いたものではなく、他人の指示に基きその教示を受けて書いたものと認めざるを得ない、而して右に挙示した各事実や昭子が縊死した一月八日の朝前後には判示妙見堂には昭子の外被告人のみしか居らなかつたこと、右遺書の内容が殆んど祈祷師としての被告人に関係のある事柄のみであつて昭子の家族すら知らないような事柄も記載されていること、昭子は従来被告人の命ずることは何でもよく服従していたこと、本件死体の発見当時妙見堂には被告人の衣類その他の身廻品は殆んど一物も残つて居らず凡てそれ迄に田辺市の被告人方へ送り返され又は当日被告人の手で持ち帰られていること、被告人は当日は初めは須磨の竹中孝次の所へ寒行の打合せに行く積りで出たので午頃には妙見堂に帰る予定であつたと云うに拘らず、布製手提鞄の外にランドセル(証第三号)をも携帯し而も約一升五合の米を之に入れて持ち帰つていること並びに縊首に使用された帯(証第一号)の結び方、縊首の際踏台に使用されたと思われる供物台の安定性等から見て本件の如き縊首を昭子が独力ですることは不可能と思われること等前掲各証拠によつて認められる諸般の状況を彼此考量すれば、結局判示認定の如く被告人は自殺の何たるかを理解しない昭子に対し、判示の如き遺書の内容を教示して筆記せしめた上縊首の方法を指導して縊死せしめ、而もその犯跡を陰蔽しようとして諸種の偽装手段を講じたものと認めるの外はない、被告人及び弁護人等の弁解は之を採用し得ない。 
法律に照すと被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するから所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役十年に処し、なお同法第二十一条により未決勾留日数中百五十日を右本刑に算入すべく、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項に則り全部被告人をして負担させることとする。
よつて主文の通り判決する。

・甲は同棲中の愛人乙女が回復の見込みがない病気にかかったのでわずらわしくなり、殺そうと思っていた。ところが、乙女に死にたいから毒薬をくれと頼まれたので、これ幸いと毒薬を乙女に渡し、乙女はこれを飲んで死亡した。甲には自殺幇助罪が成立する。
←甲は自殺の意味を理解し自由意思に基づき死を望んでいる乙女に頼まれ毒薬を渡しており、客観的には自殺幇助罪(202条前段)の行為を行っているに過ぎない。したがって、甲が、主観において殺人の意思を有していたとしても、抽象的事実の錯誤として、構成要件が実質的に重なり合う限度で自殺幇助罪が成立する。
+(自殺関与及び同意殺人)
第202条
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

+++抽象的事実の錯誤の処理
◇抽象的事実の錯誤の処理~罪種が類似する場合
Aが、Vが「殺してくれ」と真意で言っていると誤信して、Vを殺してしまった場合。
被害者に頼まれて殺人を犯す罪を嘱託殺人罪(刑法202条)といい、法定刑は、「六月以上七年以下の懲役又は禁固」となっています(殺人罪の法定刑は「死刑又は無期懲役若しくは五年以上の有期懲役」)。 
この事例では、嘱託があったかなかったについて錯誤があるのみで、「人を殺したこと」には錯誤がなく、このような場合まで、故意が阻却され、過失致死罪にしか問えないとするのは、不合理な話です。
これについて、故意責任の本質に立ち返って考えると、規範に直面したといえる部分については故意責任を負うべきなのですが、そうすると、少なくとも主観的に認識した犯罪事実の構成要件と、客観的に発生した犯罪事実の構成要件で、重なり合っている部分については、規範に直面したといえます。
したがって、このような抽象的事実の錯誤の事案で、罪種が類似する場合には、構成要件が重なり合っている部分について、故意が認められることになります。
この重なり合いの判断は、①保護法益が共通か否か、②構成要件的行為が共通か否かを基礎として、社会通念上重なり合っているか否かを判断します。
上記の嘱託殺人の事案では、殺人罪と嘱託殺人罪は、①保護法益は人の生命で、②構成要件的行為は、人を殺すことという部分が共通しているので、両罪の軽い罪の限度で重なり合いが認められ、その限度で故意が認められることになり、嘱託殺人罪が成立します。

・甲は、重病で苦しんでいる妻乙に同情して、同人の首を絞めて窒息死させた。乙の殺害について乙があらかじめ甲に対して承諾をしていた場合、甲には同意殺人罪が成立する。

・被害者が真意なく自己の殺害を嘱託したところ、加害者が真実の嘱託と誤信し、殺害者を殺そうとして遂げなかった場合、被告人の行為は客観的には殺人未遂罪(203条、199条)に該当するが、38条2項により、同意殺人罪が成立する。

+第38条
1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない
3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

・甲は交際中の乙の心中する気持ちがないにもかかわらず、後から自らも追死するもののように装い、乙に青化ソーダを与え服用させて死亡させた。判例によれば甲に殺人罪が成立する!

+判例(S33.11.21)
同第二点は判例違反を主張するのであるが、所論掲記の大審院判決(昭和八年(れ)第一二七号同年四月一九日言渡、集一二巻四七一頁)の要旨は「詐言ヲ以テ被害者ヲ錯誤ニ陥ラシメ之ヲテ自殺スルノ意思ナク自ラ頸部ヲ縊リ一時仮死状態ト為ルモ再ヒ蘇生セシメラルヘシト誤信セシメ自ラ其ノ頸部ヲ縊リテ死亡スルニ至ラシメタルトキハ殺人罪ヲ構成ス」というのであり、又次の大審院判決(昭和九年(れ)第七五七号同年八月二七日言渡、集一三巻一〇八六頁)の要旨は「自殺ノ何タルカヲ理解スルノ能力ナキ幼児ハ自己ヲ殺害スルコトヲ嘱託シ又ハ殺害ヲ承諾スルノ能力ナキモノトス」というのであつて、原判決はこれらを本件被害者の「心中の決意実行は正常な自由意思によるものではなく、全く被告人の欺罔に基くものであり、被告人は同女の命を断つ手段としてかかる方法をとつたに過ぎない」から「被告人には心中する意思がないのにこれある如く装い、その結果同女をして被告人が追死してくれるものと誤信したことに因り心中を決意せしめ、被告人がこれに青化ソーダを与えて嚥下せしめ同女を死亡せしめた」被告人の所為は殺人罪に当り単に自殺関与罪に過ぎないものてはない、という判示に参照として引用したものである。してみれば、原判決の意図するところは、被害者の意思に重大な瑕疵がある場合においては、それが被害者の能力に関するものであると、はたまた犯人の欺罔による錯誤に基くものであるとを問わず、要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られないとの見解の下に、本件被告人の所為を殺人罪に問擬するに当り如上判例を参照として掲記したものというべく、そしてこの点に関する原判断は正当であつて、何ら判例に違反する判断あるものということはできない。所論はまた前記大審院判例の事案は真実自殺する意思なきものの自殺行為を利用して殺害した場合であるに対し、本件被害者は死を認識決意していたものであり錯誤は単に動機縁由に関するものにすぎないが故に判例違反の違法があるというが、その主張は事実誤認を前提とするか独自の見解の下に原判示を曲解した論難というべきであつて採用できない。(なお所論高裁判例は正に本件と趣旨を同じくするものであり、所論は事実誤認を前提とするもので採用できない。)

・強度の暴行を受けて肉体的にも精神的にも疲弊した状態にある被害者を脅迫して、高さ50メートルの崖のうえまで追い込み、さらに暴行を加える態度を示して、逃げ場を失った被害者自身に崖から飛び降りさせて死亡させた事案では、被害者に当該行為によって、自らが死亡する認識はあるものの、当該行為を行う意思決定過程に重大な瑕疵があることから、自殺関与罪ではなく殺人罪が成立すると解することができる!!

+判例(S59.3.27)
弁護人小田成光の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、原判決及びその是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、外二名と共に、厳寒の深夜、かなり酩酊しかつ被告人らから暴行を受けて衰弱していた被害者を、都内荒川の河口近くの堤防上に連行し、同所において同人を川に転落させて死亡させるのもやむを得ない旨意思を相通じ、上衣、ズボンを無理矢理脱がせたうえ、同人を取り囲み、「この野郎、いつまでふざけてるんだ、飛び込める根性あるか。」などと脅しながら護岸際まで追いつめ、さらにたる木で殴りかかる態度を示すなどして、遂には逃げ場を失つた同人を護岸上から約三メートル下の川に転落するのやむなきに至らしめ、そのうえ長さ約三、四メートルのたる木で水面を突いたり叩いたりし、もつて同人を溺死させたというのであるから、右被告人の所為は殺人罪にあたるとした原判断は相当である。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項本文、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+判例(H16.1.20)
弁護人立田廣成の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、本件における殺人未遂罪の成否について職権で判断する。
1 第1審判決が被告人の所為につき殺人未遂罪に当たるとし、原判決がそれを是認したところの事実関係の概要は、次のとおりである。
被告人は、自己と偽装結婚させた女性(以下「被害者」という。)を被保険者とする5億9800万円の保険金を入手するために、かねてから被告人のことを極度に畏怖していた被害者に対し、事故死に見せ掛けた方法で自殺することを暴行、脅迫を交えて執ように迫っていたが、平成12年1月11日午前2時過ぎころ、愛知県知多半島の漁港において、被害者に対し、乗車した車ごと海に飛び込んで自殺することを命じ、被害者をして、自殺を決意するには至らせなかったものの、被告人の命令に従って車ごと海に飛び込んだ後に車から脱出して被告人の前から姿を隠す以外に助かる方法はないとの心境に至らせて、車ごと海に飛び込む決意をさせ、そのころ、普通乗用自動車を運転して岸壁上から下方の海中に車ごと転落させたが、被害者は水没する車から脱出して死亡を免れた。
これに対し、弁護人の所論は、仮に被害者が車ごと海に飛び込んだとしても、それは被害者が自らの自由な意思に基づいてしたものであるから、そうするように指示した被告人の行為は、殺人罪の実行行為とはいえず、また、被告人は、被害者に対し、その自由な意思に基づいて自殺させようとの意思を有していたにすぎないから、殺人罪の故意があるとはいえないというものである。

2 そこで検討すると、原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録によれば、本件犯行に至る経緯及び犯行の状況は、以下のとおりであると認められる。
・被告人は、いわゆるホストクラブにおいてホストをしていたが、客であった被害者が数箇月間にたまった遊興費を支払うことができなかったことから、被害者に対し、激しい暴行、脅迫を加えて強い恐怖心を抱かせ、平成10年1月ころから、風俗店などで働くことを強いて、分割でこれを支払わせるようになった。
・しかし、被告人は、被害者の少ない収入から上記のようにしてわずかずつ支払を受けることに飽き足りなくなり、被害者に多額の生命保険を掛けた上で自殺させ、保険金を取得しようと企て、平成10年6月から平成11年8月までの間に、被害者を合計13件の生命保険に加入させた上、同月2日、婚姻意思がないのに被害者と偽装結婚して、保険金の受取人を自己に変更させるなどした。 
・被告人は、自らの借金の返済のため平成12年1月末ころまでにまとまった資金を用意する必要に迫られたことから、生命保険契約の締結から1年を経過した後に被害者を自殺させることにより保険金を取得するという当初の計画を変更し、被害者に対し直ちに自殺を強いる一方、被害者の死亡が自動車の海中転落事故に起因するものであるように見せ掛けて、災害死亡時の金額が合計で5億9800万円となる保険金を早期に取得しようと企てるに至った。そこで被告人は、自己の言いなりになっていた被害者に対し、平成12年1月9日午前零時過ぎころ、まとまった金が用意できなければ、死んで保険金で払えと迫った上、被害者に車を運転させ、それを他の車を運転して追尾する形で、同日午前3時ころ、本件犯行現場の漁港まで行かせたが、付近に人気があったため、当日は被害者を海に飛び込ませることを断念した。
・被告人は、翌10日午前1時過ぎころ、被害者に対し、事故を装って車ごと海に飛び込むという自殺の方法を具体的に指示し、同日午前1時30分ころ、本件漁港において、被害者を運転席に乗車させて、車ごと海に飛び込むように命じた。被害者は、死の恐怖のため飛び込むことができず、金を用意してもらえるかもしれないので父親の所に連れて行ってほしいなどと話した。被告人は、父親には頼めないとしていた被害者が従前と異なる話を持ち出したことに激怒して、被害者の顔面を平手で殴り、その腕を手拳で殴打するなどの暴行を加え、海に飛び込むように更に迫った。被害者が「明日やるから。」などと言って哀願したところ、被告人は、被害者を助手席に座らせ、自ら運転席に乗車し、車を発進させて岸壁上から転落する直前で停止して見せ、自分の運転で海に飛び込む気勢を示した上、やはり1人で飛び込むようにと命じた。しかし、被害者がなお哀願を繰り返し、夜も明けてきたことから、被告人は、「絶対やれよ。やらなかったらおれがやってやる。」などと申し向けた上、翌日に実行を持ち越した。
・被害者は、被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなく、被告人を殺害して死を免れることも考えたが、それでは家族らに迷惑が掛かる、逃げてもまた探し出されるなどと思い悩み、車ごと海に飛び込んで生き残る可能性にかけ、死亡を装って被告人から身を隠そうと考えるに至った。
・翌11日午前2時過ぎころ、被告人は、被害者を車に乗せて本件漁港に至り、運転席に乗車させた被害者に対し、「昨日言ったことを覚えているな。」などと申し向け、さらに、ドアをロックすること、窓を閉めること、シートベルトをすることなどを指示した上、車ごと海に飛び込むように命じた。被告人は、被害者の車から距離を置いて監視していたが、その場にいると、前日のように被害者から哀願される可能性があると考え、もはや実行する外ないことを被害者に示すため、現場を離れた。
・それから間もなく、被害者は、脱出に備えて、シートベルトをせず、運転席ドアの窓ガラスを開けるなどした上、普通乗用自動車を運転して、本件漁港の岸壁上から海中に同車もろとも転落したが、車が水没する前に、運転席ドアの窓から脱出し、港内に停泊中の漁船に泳いでたどり着き、はい上がるなどして死亡を免れた。
・本件現場の海は、当時、岸壁の上端から海面まで約1.9m、水深約3.7m、水温約11度という状況にあり、このような海に車ごと飛び込めば、脱出する意図が運転者にあった場合でも、飛び込んだ際の衝撃で負傷するなどして、車からの脱出に失敗する危険性は高く、また脱出に成功したとしても、冷水に触れて心臓まひを起こし、あるいは心臓や脳の機能障害、運動機能の低下を来して死亡する危険性は極めて高いものであった

3 上記認定事実によれば、被告人は、事故を装い被害者を自殺させて多額の保険金を取得する目的で、自殺させる方法を考案し、それに使用する車等を準備した上、被告人を極度に畏怖して服従していた被害者に対し、犯行前日に、漁港の現場で、暴行、脅迫を交えつつ、直ちに車ごと海中に転落して自殺することを執ように要求し、猶予を哀願する被害者に翌日に実行することを確約させるなどし、本件犯行当時、被害者をして、被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものということができる。
被告人は、以上のような精神状態に陥っていた被害者に対して、本件当日、漁港の岸壁上から車ごと海中に転落するように命じ、被害者をして、自らを死亡させる現実的危険性の高い行為に及ばせたものであるから、被害者に命令して車ごと海に転落させた被告人の行為は、殺人罪の実行行為に当たるというべきである。
また、前記2のとおり、被害者には被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなかったものであって、この点は被告人の予期したところに反していたが、被害者に対し死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体については、被告人において何ら認識に欠けるところはなかったのであるから、上記の点は、被告人につき殺人罪の故意を否定すべき事情にはならないというべきである。
したがって、本件が殺人未遂罪に当たるとした原判決の結論は、正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項ただし書、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

++解説
《解  説》
1 本件は,自動車事故を装った方法により女性の被害者を自殺させて保険金を取得しようと企てた被告人が,暴行,脅迫を交え,被害者に,漁港の岸壁上から乗車した車ごと海中に飛び込むように執拗に命令し,自殺の決意を生じさせるには至らなかったものの,被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせ,そのとおり実行させたが,被害者は水没前に車内から脱出して死亡を免れたという事案である。
その経緯や犯行状況は,決定文に詳しく説示されている。

2 被告人は,被害者が車ごと海に飛び込んだのは自らの自由な意思に基づくものであるから,そのように指示した被告人の行為は,殺人罪の実行行為に当たらないと主張した。
本件のように,行為者が相手方に働きかけてその者自身の行為により死亡させた場合で,殺人罪を認めた最高裁の判例は次のとおり3件ある。
通常の意思能力もなく,自殺の何たるかを理解せず,しかも被告人の命ずることは何でも服従するのを利用して,被害者に首を吊る方法を教えて首を吊らせて死亡させた事案(最一小決昭27.2.21刑集6巻2号275号)。②心中する気持ちがないにもかかわらず,追死してくれるものと被害者が信じているのを奇貨として,追死するように装い,その旨被害者を誤信させ,致死量の毒物を飲ませて死亡させた事案(最二小判昭33.11.21刑集12巻15号3519頁)。③真冬の深夜,かなり酩酊しかつ被告人らから暴行を受けて衰弱していた被害者を河川堤防上に連行して3名で取り囲み,「飛び込める根性あるか。」などと脅しながら護岸際まで追い詰め,さらに垂木で殴りかかる態度を示すなどして,逃げ場を失った被害者を護岸上から約3メートル下の川に転落させ,そのうえ長さ約3,4メートルの垂木で水面を突いたり叩いたりして溺死させた事案(最一小決昭59.3.27刑集38巻5号2064頁,判タ526号142頁)。
本件は,被害者の意思を制圧して自らを死亡させる危険性のある行為に及ばせたものであるから③に近いところがある。しかし,同事案では,被害者を物理的に川に突き落としたわけではないものの,被害者を護岸際まで追い詰めて垂木で殴りかかる態度を示すなどしていて,転落させるための暴行により直接的に突き落としたのと近いところがあり,しかも転落後も更に溺死させるための暴行を加えている。これに対し,本件では,被害者に対して,車ごと海中に飛び込むように命令したものであり,犯行の際,海中に飛び込ませるため被告人が暴行を加えた事実はない。また,被害者は,被告人の命令に応じて車ごと海に飛び込む以外の行為を選択することはできない精神状態にあったものの,飛び込んだ上で死亡したように装って被告人から身を隠して生き延びようと考えていたことや,実際に死亡を免れた点にも本件の特徴がある。

3 学説は,暴行,脅迫等により被害者を自殺させたときに,自殺教唆罪に止まる場合の外,意思決定の自由を阻却する程度の威迫を加えて自殺させた場合,あるいは,自殺に関与する行為が殺人罪の実行行為として評価できる場合に,殺人罪の成立を認める(西田典之・刑法各論[第2版]16頁,大谷実・[新版]刑法各論の重要問題25頁,前田雅英・刑法各論講義[第2版]30頁。なお,意思決定の自由が完全に失われるに至らない場合でも殺人罪の成立を認める見解として金築誠志・大コンメンタール刑法(8)116頁参照)。
前記②の偽装心中の事例を契機として,学説には種々議論があって,殺人罪と自殺関与罪を区別する基準について,自殺者の意思を問題とする見解,殺人罪の実行行為性を問題とする見解,両者が問題となるとする見解があるが,自殺者の意思を基準とする見解も,本件のように,被害者を死亡させる行為を被告人が直接行っていない殺人罪の訴因について審判するときに,殺人罪の実行行為性が問題となることを否定するものではないであろう。
殺人罪の実行行為性の内容としては,被告人が強いて行わせた被害者自身の行為が死亡の現実的危険性を有していたかという点と,被告人が被害者に強いてその行為を行わせたことが,被害者自身の行為を利用したものとして,被告人自らがその行為を直接行ったのと同様に評価できるかという点がある。前者が否定されれば,後者が肯定されても,海に飛び込むという義務のないことを行わせた強要罪(刑法223条)が成立するにすぎない。前者が肯定されても,後者が認められなければ,殺人罪の実行行為とは認められず,自殺教唆未遂罪が問題となるに止まる。後者の点は,通常,被害者自身の行為を利用した間接正犯の成否として議論されるところであろう。

4 本件では,漁港の岸壁上から車ごと海中に飛び込む行為は,車から脱出する意図があった場合でも,死亡の現実的危険性が高いものであったと認定されている。そうすると,そのような行為を命じて行わせたことは,命令による強要の程度が一定の強さに達していれば,被害者自身の行為を利用した殺人罪の実行行為に当たると考えられる。
被害者は,被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態にあったというのであるから,被害者の行為は,被告人の命令により余儀なくされたものということができ,所論がいうような自らの自由な意思に基づくものとは到底いえないであろう。その反面,被害者は,被告人の命令によって自殺を決意したわけではなく,生きる意思を放棄させられるほどに強く意思を制圧されていたわけではない(殺人罪の実行行為性の問題を一応離れて,自殺教唆罪の成立する可能性を考えると,被告人の命令にもかかわらず被害者は自殺の意思を生じていないのであるから,車ごと海中に飛び込む行為は自殺行為とはいえず,教唆行為だけで自殺教唆罪の実行の着手を認める立場をとらない限り,自殺教唆未遂罪にもならない。)。被害者は,被告人の執拗な命令等によって,車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥り,そこまでは意思決定の自由が奪われていたが,自殺させようという被告人の意思に反して,車内から脱出して生き延びようと考えていたというのであるから,その限度では,行為に及ぶにつき言わば自発的意思が働いていたものともいえる。このような状態を意思決定の自由が阻却されていたものとまでいえるかどうかは問題であろう。しかし,被害者にとっては,被告人に逆らうこともできず,逃亡してもまた探し出されるなどと考え,車ごと海に飛び込んで生き残る可能性にかけ,死亡を装って被告人から身を隠そうと考えるに至ったというのであるから,他に選択肢がない状況にあったということができよう。
本決定は,認定された事実関係の下で,被害者をして,被告人の命令に応じて車ごと漁港の岸壁上から海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものと認め,そのような精神状態にある被害者に対し,車ごと海中に転落するように命じて,それを実施させた被告人の行為が殺人罪の実行行為に当たるとしたものである。

5 被告人は,被害者に自由な意思で自殺させようとの意思を有していたにすぎないなどとして,殺人の故意も争った。しかし,死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体の認識に欠けるところがなかった以上,殺人罪の故意は否定されず,被告人の予期したところに反して被害者に自殺する意思がなかったことは,故意を否定すべき事情にならないとされた。
被告人の認識と被害者の内心との間には食い違いがあるが,これは重要な点に関するものではなく,被害者に行為を強いた点を含め,殺人の実行行為に当たる客観的な事実の認識に欠けるところがないから,故意に影響しないとされたものと思われる。なお,被告人は,自己の犯罪が自殺教唆(未遂)罪にすぎないと考えていたようでもあるが,それは当てはめの錯誤にすぎないから,その意味でも故意を阻却しないのは当然である。
本件は,被害者自身の行為を利用した殺人未遂罪に関する興味深い一事例として,貴重な先例となるものと思われる。

・自殺幇助とは、自殺者が自殺の意思を有し自らこれを実行しようとするに当たり、方法の指示や器具の提供等その行為を容易ならしめることをいう。


刑法択一 刑法各論 生命身体に関する罪 総説


・産婦人科医師である甲は、妊婦の依頼を受け、法律上堕胎することが許されない時期に入った胎児の堕胎を行い、堕胎により出生したした未熟児乙に適切な医療を受けさせれば生育する可能性のあることを認識し、かつ、そのための措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児をバスタオルにくるんで院内に放置し約54時間後に死亡するに至らしめた。この場合、判例によると、甲には業務上堕胎致死罪は成立せず、業務上堕胎罪及び保護責任者遺棄致死罪が成立する!!!!!
+判例(S63.1.19)
弁護人池宮城紀夫、同新里恵二、同上間瑞穂連名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の点は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。なお、保護者遺棄致死の点につき職権により検討すると、原判決の是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、産婦人科医師として、妊婦の依頼を受け、自ら開業する医院で妊娠第二六週に入つた胎児の堕胎を行つたものであるところ、右堕胎により出生した未熟児(推定体重一〇〇〇グラム弱)に保育器等の未熟児医療設備の整つた病院の医療を受けさせれば、同児が短期間内に死亡することはなく、むしろ生育する可能性のあることを認識し、かつ、右の医療を受けさせるための措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児を保育器もない自己の医院内に放置したまま、生存に必要な処置を何らとらなかつた結果、出生の約五四時間後に同児を死亡するに至らしめたというのであり、右の事実関係のもとにおいて、被告人に対し業務上堕胎罪に併せて保護者遺棄致死罪の成立を認めた原判断は、正当としてこれを肯認することができる。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

++解説、理由付けがほしいところ。

+(業務上堕胎及び同致死傷)
第214条
医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。

+(遺棄等致死傷)
第219条
前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。


民法択一 債権各論 契約各論 使用貸借


・使用貸借契約は、貸主が目的物を交付することによって成立し、借主がこれを返還する義務を負うから、片務契約である。
+(使用貸借)
第593条
使用貸借は、当事者の一方が無償で使用及び収益をした後に返還をすることを約して相手方からある物を受け取ることによって、その効力を生ずる。

・負担付きの使用貸借契約が締結されたとき、当該建物に瑕疵があった場合、貸主はその負担の限度において瑕疵担保責任を負う!!←596条・551条2項
+(貸主の担保責任)
第596条
第551条の規定は、使用貸借について準用する。

+(贈与者の担保責任)
第551条
1項 贈与者は、贈与の目的である物又は権利の瑕疵又は不存在について、その責任を負わない。ただし、贈与者がその瑕疵又は不存在を知りながら受贈者に告げなかったときは、この限りでない。
2項 負担付贈与については、贈与者は、その負担の限度において、売主と同じく担保の責任を負う。

・Aを貸主、Bを借主とするA所有の甲建物の使用貸借契約が締結された。甲建物に瑕疵があり、Aがそれを知らなかったことに過失があるに過ぎない場合は、Aは担保責任を負わない!!

・使用貸借の借主は、目的物の保存及び保管に通常必要な費用を負担する。一方、有益費を支出したときは、費用償還請求をすることができる!!!
+固定資産税とかは通常の必要費!
+建物内の蛍光灯の交換費用も通常の必要費

+(借用物の費用の負担)
第595条
1項 借主は、借用物の通常の必要費を負担する。
2項 第583条第二項の規定は、前項の通常の必要費以外の費用について準用する。

+(買戻しの実行)
第583条
1項 売主は、第580条に規定する期間内に代金及び契約の費用を提供しなければ、買戻しをすることができない。
2項 買主又は転得者が不動産について費用を支出したときは、売主は、第196条の規定に従い、その償還をしなければならない。ただし、有益費については、裁判所は、売主の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる。

+(占有者による費用の償還請求)
第196条
1項 占有者が占有物を返還する場合には、その物の保存のために支出した金額その他の必要費を回復者から償還させることができる。ただし、占有者が果実を取得したときは、通常の必要費は、占有者の負担に帰する
2項 占有者が占有物の改良のために支出した金額その他の有益費については、その価格の増加が現存する場合に限り回復者の選択に従い、その支出した金額又は増価額を償還させることができる。ただし、悪意の占有者に対しては、裁判所は、回復者の請求により、その償還について相当の期限を許与することができる

・AB間の使用貸借契約が、返還の期間は定めていないが、Bが他の適当な建物に移るまでのしばらくの間、Bが住居として使用することを目的としていた場合において、Bが現実に適当な建物を見つけることができなくても、それに必要な期間を経過したときは、Aは、使用貸借契約の解約をすることができる!!←597条2項
+(借用物の返還の時期)
第597条
1項 借主は、契約に定めた時期に、借用物の返還をしなければならない。
2項 当事者が返還の時期を定めなかったときは、借主は、契約に定めた目的に従い使用及び収益を終わった時に、返還をしなければならない。ただし、その使用及び収益を終わる前であっても、使用及び収益をするのに足りる期間を経過したときは、貸主は、直ちに返還を請求することができる
3項 当事者が返還の時期並びに使用及び収益の目的を定めなかったときは、貸主は、いつでも返還を請求することができる。

・使用貸借契約において、貸主は、借主の同意なしに第三者に借用物を使用させた場合は契約を解除することができるが、その際には催告は不要である!!!
+(借主による使用及び収益)
第594条
1項 借主は、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない。
2項 借主は、貸主の承諾を得なければ、第三者に借用物の使用又は収益をさせることができない。
3項 借主が前二項の規定に違反して使用又は収益をしたときは、貸主は、契約の解除をすることができる

・契約の本旨に反する使用又は収益によって生じた損害の賠償及び借主が支出した費用の償還は、貸主が返還を受けたときから(×使用貸借契約終了の時)1年以内に請求しなければならない(600条)

・使用貸借契約において、返還時期も使用収益目的も定めない場合、貸主はいつでも返還を請求することができる!!!!
+(借用物の返還の時期)
第597条
1項 借主は、契約に定めた時期に、借用物の返還をしなければならない。
2項 当事者が返還の時期を定めなかったときは、借主は、契約に定めた目的に従い使用及び収益を終わった時に、返還をしなければならない。ただし、その使用及び収益を終わる前であっても、使用及び収益をするのに足りる期間を経過したときは、貸主は、直ちに返還を請求することができる。
3項 当事者が返還の時期並びに使用及び収益の目的を定めなかったときは、貸主は、いつでも返還を請求することができる

・使用貸借契約は借主の死亡によりその効力を失う(599条)。他方、貸主が死亡したとしても、別段の特約がない限り、使用貸借契約は終了しない!!!
+(借主の死亡による使用貸借の終了)
第599条
使用貸借は、借主の死亡によって、その効力を失う。


憲法択一 人権 基本的人権の原理 人権の享有主体性 マクリーン 定住外国人地方参政権 塩見 東京都試験


・憲法第3章の人権規定は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対して適用される!!!
+判例(53.10.4)マクリーン事件
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
第一 上告代理人秋山幹男、同弘中惇一郎の上告理由第一点ないし第四点、第六点ないし第一一点について
一 本件の経過
(一) 本件につき原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおりである。
(1) 上告人は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人であるが、昭和四四年四月二一日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえで本邦に入国し、同年五月一〇日下関入国管理事務所入国審査官から出入国管理令四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格をもつて在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した。
(2) 上告人は、昭和四五年五月一日一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年八月一〇日「出国準備期間として同年五月一〇日から同年九月七日まで一二〇日間の在留期間更新を許可する。」との処分をした。そこで、上告人は、更に、同年八月二七日被上告人に対し、同年九月八日から一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年九月五日付で、上告人に対し、右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとして右更新を許可しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした
(3) 被上告人が在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしたのは、次のような上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつた。
(ア)上告人は、ベルリツツ語学学校に英語教師として雇用されるため在留資格を認められたのに、入国後わずか一七日間で同校を退職し、財団法人英語教育協議会に英語教師として就職し、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつた
(イ)上告人は、外国人べ平連(昭和四四年六月在日外国人数人によつてアメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の三つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるべ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていない。)に所属し、昭和四四年六月から一二月までの間九回にわたりその定例集会に参加し、七月一〇日左派華僑青年等が同月二日より一三日まで国鉄新宿駅西口付近において行つた出入国管理法案粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、九月六日と一〇月四日べ平連定例集会に参加し、同月一五、一六日ベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、一二月七日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、翌四五年二月一五日朝霞市における反戦放送集会に参加し、三月一日同市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月一五日べ平連とともに同市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、五月一五日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月一六日五・一六ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、六月一四日代々木公園で行われた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、七月四日清水谷公園で行われた東京動員委員会主催の米日人民連帯、米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月七日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行うなどの政治的活動を行つた。なお、上告人が参加した集会、集団示威行進等は、いずれも、平和的かつ合法的行動の域を出ていないものであり、上告人の参加の態様は、指導的又は積極的なものではなかつた
(二) 原審は、自国内に外国人を受け入れるかどうかは基本的にはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかは、法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとし、前記の上告人の一連の政治活動は、在留期間内は外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではないが、法務大臣が、在留期間の更新の許否を決するについてこれを日本国及び日本国民にとつて望ましいものではないとし、更新を適当と認めるに足りる相当な理由がないと判断したとしても、それが何ぴとの目からみても妥当でないことが明らかであるとすべき事情のない本件にあつては、法務大臣に任された裁量の範囲内におけるものというべきであり、これをもつて本件処分を違法であるとすることはできない、と判断した。
(三) 論旨は、要するに、(1) 自国内に外国人を受け入れるかどうかはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるかどうかは法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとした原判決は、憲法二二条一項、出入国管理令二一条の解釈適用を誤り、理由不備の違法がある、(2) 本件処分のような裁量処分に対する原審の審査の態度、方法には、判例違反、審理不尽、理由不備の違法があり、行政事件訴訟法三〇条の解釈の誤りがある、(3) 被上告人の本件処分は、裁量権の範囲を逸脱したものであり、憲法の保障を受ける上告人のいわゆる政治活動を理由として外国人に不利益を課するものであつて、本件処分を違法でないとした原判決は、経験則に違背する認定をし、理由不備の違法を犯し、出入国管理令二一条の解釈適用を誤り、憲法一四条、一六条、一九条、二一条に違反するものである、と主張することに帰するものと解される。

二 当裁判所の判断
(一) 憲法二二条一項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてはなんら規定していないものであり、このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされていることと、その考えを同じくするものと解される(最高裁昭和二九年(あ)第三五九四号同三二年六月一九日大法廷判決・刑集一一巻六号一六六三頁参照)。したがつて、憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。そして、上述の憲法の趣旨を前提として、法律としての効力を有する出入国管理令は、外国人に対し、一定の期間を限り(四条一項一号、二号、一四号の場合を除く。)特定の資格によりわが国への上陸を許すこととしているものであるから、上陸を許された外国人は、その在留期間が経過した場合には当然わが国から退去しなければならない。もつとも、出入国管理令は、当該外国人が在留期間の延長を希望するときには在留期間の更新を申請することができることとしているが(二一条一項、二項)、その申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可することができるものと定めている(同条三項)のであるから、出入国管理令上も在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されているものでないことは、明らかである。
右のように出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令二一条三項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであつて、所論のように上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと解すべきものではない

(二) ところで、行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法三〇条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。もつとも、法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は各種の処分によつて一様ではなく、これに応じて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法とされる場合もそれぞれ異なるものであり、各種の処分ごとにこれを検討しなければならないが、これを出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断の場合についてみれば、右判断に関する前述の法務大臣の裁量権の性質にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるものというべきである。したがつて、裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。なお、所論引用の当裁判所昭和三七年(オ)第七五二号同四四年七月一一日第二小法廷判決(民集二三巻八号一四七〇頁)は、事案を異にし本件に適切なものではなく、その余の判例は、右判示するところとその趣旨を異にするものではない。

(三) 以上の見地に立つて被上告人の本件処分の適否について検討する。
前記の事実によれば、上告人の在留期間更新申請に対し被上告人が更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしてこれを許可しなかつたのは、上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつたというのであり、原判決の趣旨に徴すると、なかでも政治活動が重視されたものと解される。
思うに、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、前述のように、外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがつて、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当であつて、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしやくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当不当の面から日本国にとつて好ましいものとはいえないと評価し、また、右行為から将来当該外国人が日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、右行為が上記のような意味において憲法の保障を受けるものであるからといつてなんら妨げられるものではない。
前述の上告人の在留期間中のいわゆる政治活動は、その行動の態様などからみて直ちに憲法の保障が及ばない政治活動であるとはいえないしかしながら、上告人の右活動のなかには、わが国の出入国管理政策に対する非難行動、あるいはアメリカ合衆国の極東政策ひいては日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に対する抗議行動のようにわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものも含まれており、被上告人が、当時の内外の情勢にかんがみ、上告人の右活動を日本国にとつて好ましいものではないと評価し、また、上告人の右活動から同人を将来日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者と認めて、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、その事実の評価が明白に合理性を欠き、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえず、他に被上告人の判断につき裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在が確定されていない本件においては、被上告人の本件処分を違法であると判断することはできないものといわなければならない。また、被上告人が前述の上告人の政治活動をしんしやくして在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないとし本件処分をしたことによつて、なんら所論の違憲の問題は生じないというべきである。
(四) 以上述べたところと同旨に帰する原審の判断は、正当であつて、所論引用の各判例にもなんら違反するものではなく、原判決に所論の違憲、違法はない。論旨は、上述したところと異なる見解に基づいて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

第二 同第五点について
原審が当事者双方の陳述を記載するにつき所論の方法をとつたからといつて、判決の事実摘示として欠けるところはないものというべきであり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・精神的自由権のひとつである政治活動の事由や経済的自由権の保障の程度については日本国民と同様のものということはできない。←政治活動の自由は、外国人に認められていない参政権的機能を果たし、経済的自由権については、日本国民と異なる特別の制約を加える必要がある。

・外国人の享有する人権の範囲についてその人権の性質に応じて個別的に判断されるとする考えに立つと、国民が自己の属する国の政治に参加する権利である参政権は、その性質上、外国人に及ばない!!!

+判例(H7.2.28)定住外国人地方参政権事件
上告代理人相馬達雄、同平木純二郎、同能瀬敏文の上告理由について
憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。
このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(前掲昭和三五年一二月一四日判決、最高裁昭和三七年(あ)第九〇〇号同三八年三月二七日判決・刑集一七巻二号一二一頁、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日判決・民集三〇巻三号二二三頁、最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日判決・民集三七巻三号三四五頁)の趣旨に徴して明らかである。
以上検討したところによれば、地方公共団体の長及びその議会の議員の選挙の権利を日本国民たる住民に限るものとした地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項の各規定が憲法一五条一項、九三条二項に違反するものということはできず、その他本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法の右各規定の解釈の誤りがあるということもできない。所論は、地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項の各規定に憲法一四条違反があり、そうでないとしても本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法一四条及び右各法令の解釈の誤りがある旨の主張をもしているところ、右主張は、いずれも実質において憲法一五条一項、九三条二項の解釈の誤りをいうに帰するものであって、右主張に理由がないことは既に述べたとおりである。
以上によれば、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・社会権について、外国人の享有する人権の範囲について、下記判例は明言していない。しかし、労働基本権は社会権としての性質のみならず、自由権としての性質を有するため、社会権が保障されるかにかかわらず保障される余地がある。

+判例(H元.3.2)塩見訴訟
理  由
上告代理人松本晶行、同阪本政敬、同千本忠一、同川崎裕子、同吉川実、同桂充弘、同竹下義樹の上告理由について
一 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。
上告人は、昭和九年六月二五日大阪市で出生し、幼少のころ罹患したはしかによって失明し、昭和三四年一一月一日において昭和五六年法律第八六号による改正前の国民年金法(以下「法」という。)別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあった。上告人は、法八一条一項の障害福祉年金の受給権者であるとして、被上告人に対し右受給権の裁定を請求したところ、被上告人は、昭和四七年八月二一日同請求を棄却する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は、上告人は昭和三四年一一月一日において日本国民でなかったから法八一条一項の障害福祉年金の受給権を有しないというものであった。

二 法八一条一項は、昭和一四年一一月一日以前に生まれた者が、昭和三四年一一月一日以前になおった傷病により、昭和三四年一一月一日において法別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあるときは、法五六条一項本文の規定にかかわらず、その者に同条の障害福祉年金を支給する旨規定しているが、法五六条一項ただし書は廃疾認定日において日本国民でない者に対しては同条の障害福祉年金を支給しない旨規定しており、法八一条一項の障害福祉年金の支給に関しても当然に法五六条一項ただし書の規定の適用があるから、法八一条一項の障害福祉年金は、廃疾の認定日である昭和三四年一一月一日において日本国民でない者に対しては支給されないものと解すべきである。

三 そこで、まず、法八一条一項が受ける法五六条一項ただし書の規定(以下「国籍条項」という。)及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によって日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法二五条の規定に違反するかどうかについて判断する。
憲法二五条は、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきこと(一項)並びに社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきこと(二項)を国の責務として宣言したものであるが、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項によって国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきこと、そして、同条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、同条の規定の趣旨を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするから、同条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するに適しない事柄であるというべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日判決・刑集二巻一〇号一二三五頁、昭和五一年(行ツ)第三〇号同五七年七月七日判決・民集三六巻七号一二三五頁)の判示するところである。
そこで、本件で問題とされている国籍条項が憲法二五条の規定に違反するかどうかについて考えるに、国民年金制度は、憲法二五条二項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものであるが、制度発足当時において既に老齢又は一定程度の障害の状態にある者、あるいは保険料を必要期間納付することができない見込みの者等、保険原則によるときは給付を受けられない者についても同制度の保障する利益を享受させることとし、経過的又は補完的な制度として、無拠出制の福祉年金を設けている。法八一条一項の障害福祉年金も、制度発足時の経過的な救済措置の一環として設けられた全額国庫負担の無拠出制の年金であって、立法府は、その支給対象者の決定について、もともと広範な裁量権を有しているものというべきである。加うるに、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも、許されるべきことと解される。したがって、法八一条一項の障害福祉年金の支給対象者から在留外国人を除外することは、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。
また、経過的な性格を有する右障害福祉年金の給付に関し、廃疾の認定日である制度発足時の昭和三四年一一月一日において日本国民であることを要するものと定めることは、合理性を欠くものとはいえない。昭和三四年一一月一日より後に帰化により日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金を支給するための措置として、右の者が昭和三四年一一月一日に遡り日本国民であったものとして扱うとか、あるいは国籍条項を削除した昭和五六年法律第八六号による国民年金法の改正の効果を遡及させるというような特別の救済措置を講ずるかどうかは、もとより立法府の裁量事項に属することである。
そうすると、国籍条項及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によって日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことは、憲法二五条の規定に違反するものではないというべく、以上は当裁判所大法廷判決(昭和五一年(行ツ)第三〇号同五七年七月七日判決・民集三六巻七号一二三五頁、昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。

四 次に、国籍条項及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によって日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法一四条一項の規定に違反するかどうかについて考えるに、憲法一四条一項は法の下の平等の原則を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないのである(最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁、同昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁参照)。ところで、法八一条一項の障害福祉年金の給付に関しては、廃疾の認定日に日本国籍がある者とそうでない者との間に区別が設けられているが、前示のとおり、右障害福祉年金の給付に関し、自国民を在留外国人に優先させることとして在留外国人を支給対象者から除くこと、また廃疾の認定日である制度発足時の昭和三四年一一月一日において日本国民であることを受給資格要件とすることは立法府の裁量の範囲に属する事柄というべきであるから、右取扱いの区別については、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項に違反するものということはできない

五 さらに、国籍条項が憲法九八条二項に違反するかどうかについて判断する。
所論の社会保障の最低基準に関する条約(昭和五一年条約第四号。いわゆるILO第一〇二号条約)六八条1の本文は「外国人居住者は、自国民居住者と同一の権利を有する。」と規定しているが、そのただし書は「専ら又は主として公の資金を財源とする給付又は給付の部分及び過渡的な制度については、外国人及び自国の領域外で生まれた自国民に関する特別な規則を国内の法令で定めることができる。」と規定しており、全額国庫負担の法八一条一項の障害福祉年金に係る国籍条項が同条約に違反しないことは明らかである。また、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第六号)九条は「この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。」と規定しているが、これは、締約国において、社会保障についての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したものであって、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではない。このことは、同規約二条1が締約国において「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成する」ことを求めていることからも明らかである。したがって、同規約は国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものとはいえない。さらに、社会保障における内国民及び非内国民の均等待遇に関する条約(いわゆるILO第一一八号条約)は、わが国はいまだ批准しておらず、国際連合第三回総会の世界人権宣言、同第二六回総会の精神薄弱者の権利宣言、同第三〇回総会の障害者の権利宣言及び国際連合経済社会理事会の一九七五年五月六日の障害防止及び障害者のリハビリテーションに関する決議は、国際連合ないしその機関の考え方を表明したものであって、加盟国に対して法的拘束力を有するものではない。以上のように、所論の条約、宣言等は、わが国に対して法的拘束力を有しないか、法的拘束力を有していても国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものではないから、国籍条項がこれらに抵触することを前提とする憲法九八条二項違反の主張は、その前提を欠くというべきである

六 以上と同旨の見解に立って本件処分を適法とした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
Xは、昭和九年六月二五日朝鮮人を父母として大阪市で出生し、大韓民国籍であったが、幼少の時罹患したハシカによって失明し、昭和三四年一一月一日において全盲で法の別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあった。Xは、マッサージ師となり、同じく全盲のマッサージ師である日本人の夫と婚姻し、昭和四五年一二月一六日帰化によって日本国籍を取得した。Xは、国民年金法(昭和五六年法律第八六号による改正前のもの。以下「法」という。)八一条一項の障害福祉年金の受給権者であるとして、Yに対し障害福祉年金裁定請求をしたところ、Yは、法八一条一項の障害福祉年金は法五六条一項ただし書により廃疾認定日(本件では昭和三四年一一月一日)において日本国民でない者には支給されないとして、昭和四七年八月二一日付けで右請求を却下する処分をした。Xは、法五六条一項ただし書は違憲無効であるとして、右処分の取消しを求めて本訴を提起したが、一・二審で請求を排斥された。本件判決は、右事件の上告審判決である。
法は八一条一項の障害福祉年金の支給要件に関し、昭和三四年一一月一日において日本国民でない者には同年金を支給しないと規定していた(法八一条一項は法五六条一項を受けるところ、同項ただし書は「ただし、その者が廃疾認定日において日本国民でないときは、この限りでない。」と規定している。以下、この規定を「国籍条項」という。)。本件の争点は、国籍条項は、憲法二五条、一四条一項等に違反するか、また、昭和三四年一一月一日の後に帰化した者に対し法八一条一項の障害福祉年金を支給しないことは、憲法二五条、一四条一項に違反するかということであった。
なお、当時は、法の適用対象は日本国民とされていたが、我が国が「難民の地位に関する条約」及び「難民の地位に関する議定書」へ加入するに際し、同条約二四条に定める社会保障に関する内国民待遇を実現するために、昭和五七年一月一日に難民の地位に関する条約等への加入に伴う出入国管理令その他関係法律の整備に関する法律(昭和五六年法律第八六号)で法の国籍条項を含む国籍要件が撤廃され、昭和五七年一月一日からは適用対象が日本国民に限られないこととなった。しかし、この改正の効果は将来に向かってのみ効力を有し、過去の法律関係を改めるものではない(右法律附則四項及び五項)。
憲法二五条が外国人に及ぶかどうかは若干問題のあるところであり、憲法は、社会権を基本的人権として認めているが、外国人に対してまでこれを保障することを日本国の責任とするものではない、という見解も存する(宮沢俊義・憲法Ⅱ(新版)二四一頁)。しかし、国際的にみれば、国籍による差別は一般的に禁止の方向にあり、我が国の憲法が外国人に対し社会権を保障していないといい切るのは問題であろう。憲法は、外国人に対しても社会権を保障しているものであるが、外国人に対する社会権保障の責任は第一次的には彼の属する国が負うのであり、日本が社会保障の立法において日本国民を優先的に扱うことは憲法の許容するところであると解するのが相当と考えられる(芦部信喜編・憲法Ⅱ一二頁、伊藤正己・憲法(新版)一九七頁。最大判昭53・10・4民集三二巻七号一二二三頁、本誌三六八号一九六頁参照)。
憲法二五条の趣旨及び特定の立法が同条に反するかどうかの判断基準については、最大判昭57・7・7民集三六巻七号一二三五頁、本誌四七七号五四頁の判示するところである。同判決は、右の判断基準について、「憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と判示している。
本判決は、以上の見解に立って、国籍条項及び昭和三四年一一月一日より後に帰化によって日本国籍を取得した者に対し法八一条一項の障害福祉年金を支給しないことは、憲法二五条に違反するものではないと判示したものである。
憲法一四条一項の規定の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推されるべきものと解される。(最大判昭39・11・18刑集一八巻九号五七九頁、本誌一七〇号一八〇頁)。他面、憲法一四条一項は、法の下の平等を認めているが、国民に対し絶対的平等を保障したものではなく、差別すべき合理的理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、法規の制定又はその適用の面において、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異に即して合理的と認められる差別的取扱いをしても、これをもって憲法一四条一項に反するものといえないことは、最高裁大法廷判決の判示するところである(最大判昭39・5・27民集一八巻四号六七八頁、本誌一六四号七五頁、右最大判昭39・11・18)。また、立法府の政策的、技術的裁量に基づく判断にゆだねられている立法分野において、立法府が、法規を制定するに当たり、その政策的、技術的判断に基づき、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異又は事柄の性質の差異を理由としてその取扱いに区別を設けることは、それが立法府の裁量の範囲を逸脱するものでない限り、合理性を欠くものと断ずることができず、これをもって憲法一四条一項に違反するものということはできないものと解される。
本件においては、法八一条一項の障害福祉年金の給付に関し、廃疾の認定日に日本国籍がある者とそうでない者との間に区別を設けることが憲法一四条一項に違反するかどうかが問題となったのであるが、本判決は、右に述べた見解に基づき、右取扱いの区別は、立法の裁量の範囲内の事柄であってその合理性を否定することができず、これを同項に違反するということはできないと判示したものである。

・地方公共団体において、日本国民である職員に限って管理職に昇進することができる措置をとることは、憲法14条1項に違反しないとした判例は、地方公共団体が、在留外国人を職員として採用する場合、裁量権の問題とはしていない!!!

+判例(H17.1.26)東京都管理職試験事件
上告代理人金岡昭ほかの上告理由について
1 本件は、上告人に保健婦として採用された被上告人が、平成6年度及び同7年度に東京都人事委員会の実施した管理職選考を受験しようとしたが、日本の国籍を有しないことを理由に受験が認められなかったため、国家賠償法1条1項に基づき、上告人に対し、慰謝料の支払等を請求する事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 被上告人は、昭和25年に岩手県で出生した大韓民国籍の外国人であり、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特別永住者である。
(2) 上告人は、昭和61年、保健婦の採用につき日本の国籍を有することを要件としないこととした。被上告人は、同63年4月、上告人に保健婦として採用された。
(3) 後記の平成6年度及び同7年度の管理職選考が実施された当時、上告人における管理職としては、東京都知事の権限に属する事務に係る事案の決定権限を有する職員(本庁の局長、部長及び課長並びに本庁以外の機関における上級の一定の職員)のほか、直接には事案の決定権限を有しないが、事案の決定過程に関与する職員(本庁の次長、技監、理事(局長級)、参事(部長級)、副参事(課長級)等及び本庁以外の機関の一定の職員)があり、さらに、企画や専門分野の研究を行うなどの職務を行い、事案の決定権限を有せず、事案の決定過程にかかわる蓋然性も少ない管理職も若干存在していた。上告人においては、管理職に昇任した職員に終始特定の職種の職務内容だけを担当させるという任用管理は行われておらず、例えば、医化学の分野で管理職選考に合格した職員であっても、管理職に任用されると、その職員は、その後の昇任に伴い、そのまま従来の医化学の分野にだけ従事するものとは限らず、担当がその他の分野の仕事に及ぶことがあり、いずれの分野においても管理的な職務に就くことがあることとされていた
(4) 東京都人事委員会が実施する管理職選考は、東京都知事、東京都議会議長、東京都の公営企業管理者、代表監査委員、教育委員会、選挙管理委員会、海区漁業調整委員会及び人事委員会が任命権を有する職員に対する課長級の職への第1次選考としてされるものである。管理職選考には、A、B及びCの選考種別とそれぞれについての事務系及び技術系の選考種別とがあり、被上告人が受験しようとした選考種別Aの技術系は土木、建築、機械、電気、生物及び医化学に区分される。管理職選考に合格した者は、任用候補者名簿に登載され、その数年後、最終的な任用選考を経て管理職に任用される。
(5) 東京都人事委員会の平成6年度管理職選考実施要綱は、上記(4)の職員に対する課長級の職への第1次選考について受験資格を定めており、明文の定めは置いていなかったものの、受験者が日本の国籍を有することを前提としていた。
(6) 被上告人は、上記要綱に基づいて実施される管理職選考の選考種別Aの技術系の選考区分医化学を受験することとし、平成6年3月10日、所属していた東京都八王子保健所の副所長に申込書を提出しようとしたが、同副所長は、被上告人が日本の国籍を有しないことを理由に、申込書の受領を拒絶した。被上告人は、国籍の点以外は上記要綱が定める受験資格を備えていたが、上記のとおり申込書の受領を拒絶されたため、同年5月に実施された筆記考査を受けることができなかった
(7) 東京都人事委員会の平成7年度管理職選考実施要綱には、日本の国籍を有することが受験資格であることが明記されるに至った。被上告人は、日本の国籍を有しないために同管理職選考を受けることができなかった。

3 原審は、上記事実関係等の下において、上告人の職員が被上告人に平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかったことは、被上告人が日本の国籍を有しないことを理由に被上告人から管理職選考の受験の機会を奪い、課長級の管理職への昇任のみちを閉ざすものであり、違法な措置であるとして、被上告人の慰謝料請求を一部認容した。
原審の上記判断の理由の概要は、次のとおりである。
(1) 日本の国籍を有しない者は、憲法上、国又は地方公共団体の公務員に就任する権利を保障されているということはできない。
(2) 地方公務員の中でも、管理職は、地方公共団体の公権力を行使し、又は公の意思の形成に参画するなど地方公共団体の行う統治作用にかかわる蓋然性の高い職であるから、地方公務員に採用された外国人が、日本の国籍を有する者と同様、当然に管理職に任用される権利を保障されているとすることは、国民主権の原理に照らして問題がある。しかしながら、管理職の職務は広範多岐に及び、地方公共団体の行う統治作用、特に公の意思の形成へのかかわり方、その程度は様々なものがあり得るのであり、公権力を行使することなく、また、公の意思の形成に参画する蓋然性が少なく、地方公共団体の行う統治作用にかかわる程度の弱い管理職も存在する。したがって、職務の内容、権限と統治作用とのかかわり方、その程度によって、外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを分別して考える必要がある。そして、後者の管理職については、我が国に在住する外国人をこれに任用することは、国民主権の原理に反するものではない。
(3) 上告人の管理職には、企画や専門分野の研究を行うなどの職務を行い、事案の決定権限を有せず、事案の決定過程にかかわる蓋然性も少ない管理職も若干存在している。このように、管理職に在る者が事案の決定過程に関与するといっても、そのかかわり方、その程度は様々であるから、上告人の管理職について一律に外国人の任用(昇任)を認めないとするのは相当でなく、その職務の内容、権限と事案の決定とのかかわり方、その程度によって、外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを区別して任用管理を行う必要がある。そして、後者の管理職への任用については、我が国に在住する外国人にも憲法22条1項、14条1項の各規定による保障が及ぶものというべきである。
(4) 上告人の職員が課長級の職に昇任するためには、管理職選考を受験する必要があるところ、課長級の管理職の中にも外国籍の職員に昇任を許しても差し支えのないものも存在するというべきであるから、外国籍の職員から管理職選考の受験の機会を奪うことは、外国籍の職員の課長級の管理職への昇任のみちを閉ざすものであり、憲法22条1項、14条1項に違反する違法な措置である。被上告人は、上告人の職員の違法な措置のために平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験することができなかった。被上告人がこれにより被った精神的損害を慰謝するには各20万円が相当である。

4 しかしながら、前記事実関係等の下で被上告人の慰謝料請求を認容すべきものとした原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 地方公務員法は、一般職の地方公務員(以下「職員」という。)に本邦に在留する外国人(以下「在留外国人」という。)を任命することができるかどうかについて明文の規定を置いていないが(同法19条1項参照)、普通地方公共団体が、法による制限の下で、条例、人事委員会規則等の定めるところにより職員に在留外国人を任命することを禁止するものではない。普通地方公共団体は、職員に採用した在留外国人について、国籍を理由として、給与、勤務時間その他の勤務条件につき差別的取扱いをしてはならないものとされており(労働基準法3条、112条、地方公務員法58条3項)、地方公務員法24条6項に基づく給与に関する条例で定められる昇格(給料表の上位の職務の級への変更)等も上記の勤務条件に含まれるものというべきである。しかし、上記の定めは、普通地方公共団体が職員に採用した在留外国人の処遇につき合理的な理由に基づいて日本国民と異なる取扱いをすることまで許されないとするものではない。また、そのような取扱いは、合理的な理由に基づくものである限り、憲法14条1項に違反するものでもない
管理職への昇任は、昇格等を伴うのが通例であるから、在留外国人を職員に採用するに当たって管理職への昇任を前提としない条件の下でのみ就任を認めることとする場合には、そのように取り扱うことにつき合理的な理由が存在することが必要である。
(2) 地方公務員のうち、住民の権利義務を直接形成し、その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは普通地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれらに参画することを職務とするもの(以下「公権力行使等地方公務員」という。)については、次のように解するのが相当である。すなわち、公権力行使等地方公務員の職務の遂行は、住民の権利義務や法的地位の内容を定め、あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど、住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ、国民主権の原理に基づき、国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条、15条1項参照)に照らし、原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり、我が国以外の国家に帰属し、その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは、本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきである。
そして、普通地方公共団体が、公務員制度を構築するに当たって、公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも、その判断により行うことができるものというべきである。そうすると、普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で、日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは、合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではないと解するのが相当である。そして、この理は、前記の特別永住者についても異なるものではない
(3) これを本件についてみると、前記事実関係等によれば、昭和63年4月に上告人に保健婦として採用された被上告人は、東京都人事委員会の実施する平成6年度及び同7年度の管理職選考(選考種別Aの技術系の選考区分医化学)を受験しようとしたが、東京都人事委員会が上記各年度の管理職選考において日本の国籍を有しない者には受験資格を認めていなかったため、いずれも受験することができなかったというのである。そして、当時、上告人においては、管理職に昇任した職員に終始特定の職種の職務内容だけを担当させるという任用管理を行っておらず、管理職に昇任すれば、いずれは公権力行使等地方公務員に就任することのあることが当然の前提とされていたということができるから、上告人は、公権力行使等地方公務員の職に当たる管理職のほか、これに関連する職を包含する一体的な管理職の任用制度を設けているということができる
そうすると、上告人において、上記の管理職の任用制度を適正に運営するために必要があると判断して、職員が管理職に昇任するための資格要件として当該職員が日本の国籍を有する職員であることを定めたとしても、合理的な理由に基づいて日本の国籍を有する職員と在留外国人である職員とを区別するものであり、上記の措置は、労働基準法3条にも、憲法14条1項にも違反するものではない。原審がいうように、上告人の管理職のうちに、企画や専門分野の研究を行うなどの職務を行うにとどまり、公権力行使等地方公務員には当たらないものも若干存在していたとしても、上記判断を左右するものではない。また、被上告人のその余の違憲の主張はその前提を欠く。以上と異なる原審の前記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。この趣旨をいう論旨は理由があり、原判決のうち上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして、被上告人の慰謝料請求を棄却すべきものとした第1審判決は正当であるから、上記部分についての被上告人の控訴を棄却すべきである。

5 よって、裁判官滝井繁男、同泉德治の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官藤田宙靖の補足意見、裁判官金谷利廣、同上田豊三の各意見がある。

+補足意見
裁判官藤田宙靖の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に賛成するものであるが、本件被上告人が、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(以下「入管特例法」という。)に定める特別永住者であること等にかんがみ、多数意見に若干の補足をしておくこととしたい。
被上告人が、日本国で出生・成育し、日本社会で何の問題も無く生活を営んで来た者であり、また、我が国での永住を法律上認められている者であることを考慮するならば、本人が日本国籍を有しないとの一事をもって、地方公務員の管理職に就任する機会をおよそ与えないという措置が、果たしてそれ自体妥当と言えるかどうかには、確かに、疑問が抱かれないではない。しかし私は、最終的には、それは、各地方公共団体が採る人事政策の当不当の問題であって、本件において上告人が執った措置が、このことを理由として、我が国現行法上当然に違法と判断されるべきものとまでは言えないのではないかと考える。その理由は、以下のとおりである。

1 入管特例法の定める特別永住者の制度は、それ自体としてはあくまでも、現行出入国管理制度の例外を設け、一定範囲の外国籍の者に、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)2条の2に定める在留資格を持たずして本邦に在留(永住)することのできる地位を付与する制度であるにとどまり、これらの者の本邦内における就労の可能性についても、上記の結果、法定の各在留資格に伴う制限(入管法19条及び同法別表第1参照)が及ばないこととなるものであるにすぎない。したがって例えば、特別永住者が、法務大臣の就労許可無くして一般に「収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」(同法19条)を行うことができるのも、上記の結果生じる法的効果であるにすぎず、法律上、特別永住者に、他の外国籍の者と異なる、日本人に準じた何らかの特別な法的資格が与えられるからではない。また、現行法上の諸規定を見ると、許可制等の採られている事業ないし職業に関しては、各個の業法において、日本国籍を有することが許可等を受けるための資格要件とされることがあるが(公証人法12条1項1号、水先法5条1号、鉱業法17条本文、電波法5条1項1号、放送法52条の13第1項5号イ、等々)、これらの規定で、特別永住者を他の外国人と区別し、日本国民と同様に扱うこととしたものは無い。他方、日本の国籍を有しない者の国家公務員試験受験資格を否定する人事院規則(人事院規則8-18)において、日本郵政公社職員への採用に関しては、特別永住者もまた郵政一般職採用試験を受験することができることとされるが、このことについては、特に明文の規定が置かれている(同規則8条1項3号括弧書)。以上に照らして見るならば、我が国現行法上、地方公務員への就任につき、特別永住者がそれ以外の外国籍の者から区別され、特に優遇さるべきものとされていると考えるべき根拠は無く、そのような明文の規定が無い限り、事は、外国籍の者一般の就任可能性の問題として考察されるべきものと考える。

2 ところで、外国籍の者の公務員就任可能性について、原審は、日本国憲法上、外国人には、公務員に就任する権利は保障されていない、との出発点に立ちながらも、憲法上の国民主権の原理に抵触しない範囲の職については、憲法22条、14条等により、外国籍の者もまた、日本国民と同様、当然にこれに就任する権利を、憲法上保障される、との考え方を採るものであるように見受けられる。しかし、例えば、〈1〉外国人に公務員への就任資格(以下「公務就任権」という。)が憲法上保障されていることを否定する理由として理論的に考え得るのは、必ずしも、原審のいう国民主権の原理のみに限られるわけではない(例えば、一定の職域について外国人の就労を禁じるのは、それ自体一国の主権に属する権能であろう。)こと、また、〈2〉「憲法上、外国人には、公務員の一定の職に就任することが禁じられている」ということは、必ずしも、理論的に当然に「こうした禁止の対象外の職については、外国人もまた、就任する権利を憲法上当然に有する」ということと同義ではないこと、更に、〈3〉職業選択の自由、平等原則等は、いずれも自由権としての性格を有するものであって、本来、もともと有している権利や自由をそれに対する制限から守るという機能を果たすにとどまり、もともと有していない権利を積極的に生み出すようなものではないこと、等にかんがみると、原審の上記の考え方には、幾つかの論理的飛躍があるように思われ、我が国憲法上、そもそも外国人に(一定範囲での)公務就任権が保障されているか否か、という問題は、それ自体としては、なお重大な問題として残されていると言わなければならない。しかしいずれにせよ、本件は、外国籍の者が新規に地方公務員として就任しようとするケースではなく、既に正規の職員として採用され勤務してきた外国人が管理職への昇任の機会を求めるケースであって、このような場合に、労働基準法3条の規定の適用が排除されると考える合理的な理由の無いことは、多数意見の言うとおりであるから、上記の問題の帰すうは、必ずしも、本件の解決に直接の影響を及ぼすものではない。

3 そこで、進んで、本件の場合に、労働基準法の同条の規定の存在にもかかわらず、外国籍の者を管理職に昇任させないとすることにつき、合理的な理由が認められるかどうかについて考える。記録を参照すると、上告人がこのような措置を執ったのは、「地方公務員の職のうち公権力の行使又は地方公共団体の意思の形成に携わるものについては、日本の国籍を有しない者を任用することができない」といういわゆる「公務員に関する当然の法理」に沿った判断をしたためであることがうかがわれる(参照、昭和48年5月28日自治公一第28号大阪府総務部長宛公務員第一課長回答)。しかし、一般に、「公権力の行使」あるいは「地方公共団体の意思の形成」という概念は、その外延のあまりにも広い概念であって、文字どおりにこの要件を満たす職のすべてに就任することが許されないというのでは、外国籍の者が地方公務員となる可能性は、皆無と言わないまでも少なくとも極めて少ないこととなり、また、そのことに合理的な理由があるとも考えられない。その意味においては、職務の内容、権限と統治作用とのかかわり方、その程度によって、外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを分別して考える必要がある、とする原審の説示にも、その限りにおいて傾聴に値するものがあることを否定できないし、また、多数意見の用いる「公権力行使等地方公務員」の概念も、この点についての周到な注意を払った上で定義されたものであることが、改めて確認されるべきである。
ただ、その具体的な範囲をどう取るかは別として、いずれにせよ、少なくとも地方公共団体の枢要な意思決定にかかわる一定の職について、外国籍の者を就任させないこととしても、必ずしも違憲又は違法とはならないことについては、我が国において広く了解が存在するところであり、私もまた、そのこと自体に対し異を唱えるものではない。そして、本件の場合、上告人東京都は、一たび管理職に昇任させると、その職員に終始特定の職種の職務内容だけを担当させるという任用管理をするのではなく、したがってまた、外国人の任用が許されないとされる職務を担当させることになる可能性もあった、というのである。この点につき、原審は、管理職に在る者が事案の決定過程に関与すると言っても、そのかかわり方及びかかわりの程度は様々であるから、上告人東京都の管理職について一律に在留外国人の任用を認めないとするのは相当ではなく、上記の基準により、在留外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを区別して任用管理を行う必要がある、という。もとより、そのような任用管理を行うことは、人事政策として考え得る選択肢の一つではあろうが、他方でしかし、外国籍の者についてのみ常にそのような特別の人事的配慮をしなければならないとすれば、全体としての人事の流動性を著しく損なう結果となる可能性があるということもまた、否定することができない。こういったことを考慮して、上告人東京都が、一般的に管理職への就任資格として日本国籍を要求したことは、それが人事政策として最適のものであったか否かはさておくとして、なお、その行政組織権及び人事管理権の行使として許される範囲内にとどまるものであった、ということができよう。
もっともこの点、専ら、本件における被上告人の立場についてのみ考えるならば、本件において、被上告人を管理職に昇任させることが、現実に全体としての人事の流動性を著しく損なう結果となるおそれが大きかったか否かについては、原審において必ずしも十分な認定がなされているとは言い難く、したがって、この点について審理を尽くさせるために、原判決を破棄して本件を差し戻す、という選択をすることも、考えられないではない。しかし、いうまでも無く、在留外国人に管理職就任の道を制度として開くかどうかは、独り被上告人との関係のみでなく、在留外国人一般の問題として考えなければならないことであって(例えば、将来において被上告人と同様の希望を持つ在留外国人が多数出て来た場合には、そのすべてについて同様の扱いをしなければならないことになる)、こういったことをも考慮するならば、上告人東京都が、本件当時において外国籍の者一般につき管理職選考の受験を拒否したことが、直ちに、法的に許された人事政策の範囲を超えることになるとは、必ずしも言えず、また、少なくともそこに過失を認めることはできないのではないか、と考える。

+意見
裁判官金谷利廣の意見は、次のとおりである。
私は、原判決が上告人において被上告人に対し平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかった措置は憲法に違反する違法な措置であると判断したことについて、これを是認できないとする多数意見の結論には賛成するが、その理由付けの一部には同調できない。
1 憲法は、我が国の公務員に就任できる地位(以下「公務員就任権」という。)について、これを一般的に保障する規定を置いてはいないが、日本国民の公務員就任権については、憲法が当然の前提とするものとして、あるいは、国民主権の原理、14条等を根拠として、解釈上これを認めることができると考える。
しかし、公務員(地方公務員を含む。)制度をどのように構築するかは国の統治作用に重大な関係を有すること、公務員の種類は多種多様で、その中には、外国人が就任することが国民主権の原理からして憲法上許容されないと解されるもの(ただし、その範囲をどう考えるかは議論が分かれる難しい問題である。)や外国人の就任が不相当なものが少なくないこと、また、外国人にも就任を認めるのが妥当であるか否かは当該具体的職種の職務内容、人事運用の実態等により左右されること、さらには、これまでの内外の法制の歴史等にかんがみると、日本国民に対し解釈上認められる憲法上の公務員就任権の保障は、その権利の性質上、外国人に対しては及ばないものと解するのが相当である(国の基本法である憲法において公務員の職種を区別してその一部については外国人の公務員就任権を保障していると解することは、明文の規定がない以上、妥当であるとは思われない。)。憲法は、外国人に対しては、公務員就任権を保障するものではなく、憲法上の制限の範囲内において、外国人が公務員に就任することができることとするかどうかの決定を立法府の裁量にゆだねているものというべきである。

2 そこで、地方公務員に関する法制をみると、地方公務員法は、外国人を一般の地方公務員に就任させることができるかどうかについて規定を置いていないし、その就任を禁止する規定も置いていないから、地方公共団体は、外国人を当該地方公共団体の職員に採用できることとするか否かについて、裁量により決めることができるものといわなければならない。すなわち、我が国の現行法制上、外国人に地方公務員となり得るみちを開くか否かは、当該地方公共団体の条例、人事委員会規則等の定めるところにゆだねられているのである。
そして、地方公共団体のこの裁量権は、オール・オア・ナッシングの裁量のみが認められるものではなく、一定の職種のみに限って外国人に公務員となる機会を与えることはもちろん、職務の内容と責任を考慮し昇任の上限を定めてその限度内で採用の機会を与えること、さらには、一定の職種のみに限り、かつ、一定の昇任の上限を定めてその限度内で採用の機会を与えることも許されると解されるのであって、その判断については、裁量権を逸脱し、あるいは濫用したと評価される場合を除き、違法の問題を生じることはないと解される(この点に関する詳細については、上田裁判官の意見を援用する。)。
労働基準法112条により地方公務員にも適用があるものとされる同法3条との関係についていうと、外国人に地方公務員に就任する門戸を開くか否かについては地方公共団体の判断にゆだねられていると考える私のような見解によると、外国人に対し一定の職種の地方公務員に就任するみちを全く開放しないこととしても、原則として違法の問題が生じないのに、その一部開放である昇任限度を定めた開放措置については裁量に関し制約が伴うこととなるのは、甚だ不合理なことであり、また、それでは外国人に対する公務員となるみちの門戸開放を不必要に慎重にさせるおそれもあると思われる。したがって、労働基準法3条は、門戸を開く裁量については適用がなく、開かれた門戸に係るその枠の中での運用において適用されるにとどまるものと解することになる。

3 本件においては、多数意見の4(3)の第1段に記述されているのと同様の理由により、上告人(東京都)において職員が管理職に昇任するための資格要件として当該職員が日本の国籍を有する職員であることを定めていたことが、裁量権の逸脱・濫用として違法性を帯びることはなく、したがって、上告人が被上告人に対し平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかった措置に違法はないと考える次第である。

4 なお、付言すると、公務員の職種の中には外国人が就任しても支障がないと認められるものがあり、国際化が進展する現代において、定住外国人に対しそれらの公務員となるみちの門戸を相当な範囲で開放してゆくことは、時代の流れに沿うものということができるし、また、被上告人のような特別永住者がその一層の門戸開放を強く主張すること自体については、よく理解できる。しかし、この問題は、私の見解からすると、基本的には、政治的ないしは政策的な選択の当否のレベルで議論されるべきことであって、違憲、違法の問題が生ずる事柄ではないということである。

+意見
裁判官上田豊三の意見は、次のとおりである。
私は、上告人が被上告人に対し平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかった措置に違法はなく、これが違法であるとして被上告人の慰謝料請求を認容すべきものとした原審の判断は是認することができないとする多数意見に賛成するものであるが、その理由を異にする。
1 憲法は、在留外国人につき我が国の公務員に就任することができる地位を保障するものではなく、在留外国人が公務員に就任することができることとするかどうかの決定を立法府の裁量にゆだねているものと解するのが相当である。
ところで、地方公務員法は、在留外国人の地方公務員への就任につき、これを就任させなければならないとする規定も、逆にこれを就任させてはならないとする規定も置いていない。したがって、同法は、この問題につき、それぞれの地方公共団体が条例ないし人事委員会規則等において定め得るという立場(すなわち、当該地方公共団体の裁量にゆだねるという立場)に立っているものと解されるのである。

2 それぞれの地方公共団体は、在留外国人の地方公務員への就任の問題を定めるに当たり、ある職種について在留外国人の就任を認めるかどうかという裁量(便宜「横軸の裁量」という。)を有するのみならず、職務の内容と責任に応じた級についてどの程度・レベルのものにまでの就任(昇任)を認めるかどうかについての裁量(便宜「縦軸の裁量」という。)をも有するものと解すべきである。換言すれば、在留外国人の地方公務員への就任の問題をどのような制度として(横軸・縦軸の両面において)構築するかは、それぞれの地方公共団体の裁量にゆだねられていると解されるのである(民間事業の経営者がどのような種類の、またどのような規模の事業を経営するかは、その経営者の自由な選択にゆだねられており、たとえ在留外国人を雇用する予定であったとしても、その選択は労働基準法3条により制約されるものではなく、その事業に雇用された在留外国人は、その経営者の選択した事業の種類・規模の範囲において同条による保護を主張することができるにすぎない。すなわち、同条は、経営者による事業の種類・規模の選択に当たっては制約原理としては働かないのであり、同様に、地方公共団体が在留外国人の地方公務員制度を構築するに当たっても、同条は制約原理として働かないものと解すべきである。)。

3 この地方公共団体の裁量にも限界があり、裁量権を逸脱したり、濫用したと評価される場合には、違法性を帯びることになる。縦軸の裁量における限界については、私は、現在、次のように理解すべきものと考えている。すなわち、当該地方公共団体が縦軸の裁量として行使したところが、地方公務員法を中心とする地方公務員制度全体から見ておよそ許容することができないと思われる場合には、裁量の限界を超えていると解することになる。例えば、地方公務員のうち、地方公共団体の公権力の行使に当たる行為若しくは地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれに関与する者について、解釈上、その就任に日本国籍を有することを必要とするものがあるとされる場合に、地方公共団体がそのような地方公務員にも在留外国人の就任を認めることとしたとき(すなわち、在留外国人への門戸を開放しすぎた場合、換言すれば縦軸の裁量の行使が広すぎた場合)には、裁量の限界を超えていると解することになる。また、逆に、例えば、在留外国人については、その給与を特段の事情もないのに初任給程度に限定することとし、そのような級に相当する職務を専ら行うものと位置付けて地方公務員への就任を認めることとしたような場合(すなわち、門戸の開放が極端に狭い場合、換言すれば縦軸の裁量の行使があまりにも狭すぎる場合)には、在留外国人を蔑視し、在留外国人に苦痛のみを与える制度として、あるいは在留外国人の労働力を搾取する制度として構築したものとして地方公務員制度上のいわば公序良俗に反し、裁量の限界を超えていると解することになろう。
そして、在留外国人の地方公務員への採用につき当該地方公共団体の構築した制度が裁量の限界を超えていないと判断される場合には、在留外国人に対しその制度上許容される範囲を超えた取扱いをしなくても、違法の問題は起きないことになる。なお、その構築した制度の範囲内においては、労働基準法3条や地方公務員法13条の平等取扱いの原則の精神に基づき、在留外国人同士あるいは在留外国人と日本人との間において平等取扱い等の要請が働くことになる。

4 本件においては、上告人は保健婦(当時)について在留外国人の就任を認めることとしたが、課長級以上の管理職についてはこれを認めないこととしたというものであるところ、その制度は、上記に述べたような縦軸の裁量の限界を超えているものではなく、その裁量の範囲内にあるものとして、違法性を帯びることはないというべきである。
したがって、上告人が被上告人に対し平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかった措置に違法はないと解すべきである。

+反対意見
裁判官滝井繁男の反対意見は、次のとおりである。
1 私も、外国籍を有する者が我が国の公務員に就任するについては、国民主権の原理から一定の制約があるほか、一定の職に就任するにつき日本国籍を有することを要件と定めることも、法律においてこれを許容し、かつ、合理的な理由がある限り、認めるものである。しかしながら、上告人のように、多数の者が多様な仕事をしている地方公共団体において、その管理職に就く者が、その職務の性質にかかわらず、すべて日本国籍を有しなければならないものとすることには、その合理的根拠を見いだすことはできない。したがって、上告人が管理職選考において日本国籍を有することを受験資格とした措置は、在留外国人である職員に対し国籍のみによって昇任のみちを閉ざしたものであり、憲法14条に由来し、国籍を理由として差別することを禁じた労働基準法3条の規定に反する違法なものであると考える。以下、その理由を述べる。

2(1) 国民主権の原理の下では、統治に参加することができるのはその国に帰属する者だけであって、参政権を保障されているのはその国民だけである。そして、国民は統治の担い手となる者を自由に選び得るのであるが、国の主体性の維持及び独立の見地から、統治権の重要な担い手になる者については外国人を排除すべきものとされているのである。
(2) 憲法15条1項は、公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利であると定めているが、これは、国民主権の原理に基づいたものであって、権利の性質上この規定による保障は我が国に在留する外国人には及ばないものと解されているのである。
(3) 憲法93条2項は、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定める公務員についてもその地方公共団体の住民が直接選挙すると規定しているが、ここで権利を保障されているのも日本国民に限られている。
我が国実定法も、これに基づいて公務員の選定に関する規定を置いており、地方公共団体についていえば、地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権、被選挙権を国民に限定する(地方自治法11条、18条、19条)ほか、国民にのみ、議会解散請求権、議会の議員、長、副知事若しくは助役、出納長若しくは収入役、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会委員並びに教育委員会委員の解職請求権などを認めているのである(同法13条)。
しかしながら、我が国憲法は、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務についてはその地方の住民の意思に基づいて、地方公共団体で処理することを保障していることから、我が国に在留する外国人のうち、その居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つ者については、その意思をその地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるため、法律によって、地方公共団体の長、その議員等に対する選挙権を付与することを禁止しているものではないのである(最高裁平成5年(行ツ)第163号同7年2月28日第三小法廷判決・民集49巻2号639頁参照)。
すなわち、我が国実定法は、一定の公務員に関する選挙権及び被選挙権については日本国民に限定してこれを付与しているが、そうであるからといって、参政権の側面を持つ権利のすべてについて、国民主権の原理からの帰結として当然に、その保障が日本国民に限られることになるというものではないのである。
(4) 本件で問題になっているのは、選挙権、被選挙権のように、その憲法上の保障が日本国民に限られることが国民主権の原理から帰結される権利ではなく、ある公務に就くことができるかどうかの資格である。すべての公務員の選任は、終局的には国民の意思に懸かるべきものであって、その意味でその選任に参政権的な側面があるとしても、すべての公務員に就任するについてその職務の性質を問うことなく、国民主権の原理の当然の帰結として日本国籍が求められているというものではないのである。
私は、地方行政においては、国民による統治の根本へのかかわり方が国政とは異なることを考えれば、国民主権の見地からの当然の帰結として日本国籍を有する者でなければならないものとされるのは、地方行政機関については、その首長など地方公共団体における機関責任者に限られるのであって、その余の公務員への就任については、憲法上の制約はなく、立法によって制限し得るにしろ、立法を待つことなく性質上当然のこととして日本国籍を有する者に制限されると解すべき根拠はないものと考える。
(5) 多数意見は、そのいうところの公権力行使等地方公務員は、その職務の遂行が住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものであるから、国民主権の原理に基づき、その統治の在り方について日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであることに照らし、原則として日本国籍を有しない者がこれに就任することは本来我が国の法体系の想定するところではないというのである。
しかしながら、我が国の地方公共団体にはその意思決定機関として議会が置かれている一方で、執行機関は、地方公共団体の事務を自らの判断と責任において誠実に管理し、執行する義務を負うとされているところ(地方自治法138条の2)、法規定上、その名において執行する権限を有するのは、知事、市町村長等の長又は行政委員会だけであって、副知事、助役、その他の補助職員は長を補助するにとどまるものである(同法161条以下)。
もっとも、長は、実際の事務をしばしば補助機関に委任したり、代理させたりしており(地方自治法152条、153条)、また、一つの行政決定は、補助機関の検討を経て最終的に行政庁の名で表示されるというのが通例であるから、地方公共団体の行政運営、組織運営にかかわる重要な事項が実務的には補助機関において行われているとみるべきことは事実である。しかしながら、これらの者は長の指揮監督の下でその職務を行うものであって(同法154条)、その職務を遂行するに当たって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないものである(地方公務員法32条)。すなわち、これらの者は、法規定上、地方公共団体の長がその判断と責任において行う事務の執行を補助するものとしてその任に当たっているのである。したがって、その関与する仕事が重要なものであっても、主権の行使との関係でみる限りは、補助機関の地位は、長のそれとは質的に異なるものである。憲法93条2項が、地方公共団体の長に限り、住民の公選によることを保障し、その余の公務員については公選によることにするかどうかを立法政策にゆだねているのも、その性質の相違によるものである。その職務の住民生活へのかかわり方に重要性があるからといって、補助機関への就任について、長への就任と同じく日本国籍を要求することを国民主権の原理から当然に法体系が想定しているとまでいうことはできないと考える。

3 このように、外国人が地方公共団体の長の補助機関に就任するについては、国民主権の原理に基づく制約はない。昇格等を伴う補助機関に昇任することができる資格は労働基準法3条にいう労働条件に当たるから、既に職員に採用された者は、同条の適用により上記の資格を有する。職員に採用された外国人についても、これと別異に解する理由はない。
しかしながら、国民主権の原理に基づく制約がない職であっても、そのすべてについて外国人が当然にその職に就任することができる資格を認めなければならないというわけではない。一定の職について日本の国籍を有する者だけが就任することができるとすることも、法律においてこれを許容し、かつ、合理的な理由がある限り、許される。すなわち、執行機関は地方公共団体の事務を誠実に管理し、執行すべきところ、それが適切に行われることについては、住民の理解と支持を得ることが必要であって、公務における外国人の影響の排除を求める住民の一般的規範意識や公務員観からみて、法律によって、ある種の職に就任するについては日本国籍を有することを要件と定めることはできると解される。
のみならず、ある職にどのような人材を配するかは、その仕事の内容と職員の資質を勘案し、個別具体的に検討し決定されるべきものであって、その判断は法律に反しない限り、使用者の広い裁量にゆだねられているところである。したがって、地方公共団体がある種の公務、例えば、高度な判断や広範な裁量を伴うもの、あるいは直接住民に対して命令し強制するものについて、住民の理解と信頼という観点から日本国籍を有する者のみを充てることとすることには合理性を認め得るのであって、そのような措置を執ることは地方公務員法が許容していると解されるから、そのような措置を執ったことをもって合理的理由に基づかない差別ということはできない。

4(1) しかしながら、上告人は、管理職の職務の内容等を考慮して一定の職への就任につき資格を制限したというのではなく、すべての管理職から一律に外国人を排除することとしていたのである。本件で問題となるのは、そのような上告人の措置に合理性があるかどうかである。
職員の昇任における不平等な取扱いもそのことに合理的な理由があれば差別となるものではないが、その合理性は使用者において明らかにすべきところ、本件において上告人はそれを明らかにしているとはいえない。なぜならば、仮に地方公共団体の長の補助職員の中に法体系上日本国籍を有することを要件とすることが想定される職のあることを是認し得るとしても、そのことからすべての管理職を日本国籍を有する者でなければならないとすることにまで合理性があるとし、管理職選考において一律に外国人である職員を排除することもできると解するのは相当でなく、ほかに、上記の措置を執らなければ任用制度の適正な運用ができないことなどは明らかにされていないからである。
(2) 一般に管理職というとき、それは、部下を掌握し管理する地位にある者をいい、部長、課長などの組織上の名称を付されていることが多いが、部下の管理監督を行わない者も、処遇の均衡上管理職と同じ扱いを受けていることがある(そのほかに、重要な行政上の決定を行い又はそれに参画する地位にある職員及び他の職員に対し監督的地位に立つ職員を、職員団体の組織等に制約を受ける管理職員とするという制度も採られている。)。このような管理職は、各地方公共団体が具体的な任用制度を構築するに当たり、民主的効率的な公務員制度や人事行政を実現することなどの見地から設けたものであって、ある職の就任から外国籍の者を排除する必要があるかどうかについて基準となるべき主権の行使への関与の度合いの高いものを選び出して定めたというようなものではない。
(3) 多数意見は、公権力行使等地方公務員の職を公務員の中での上級公務員として位置付けた上で、これに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべきものとして下位の管理職を設けるなどして、その一体的な管理職任用制度を構築し、人事の適正な運用を図ることも地方公共団体はその判断ですることができ、そのためにすべての管理職に昇任することのできる者を日本国籍を有する職員に限定しても、そのことによって国籍を理由とする不当な差別をしたことにはならず、労働基準法3条に違反したことにはならないというのである。
確かに管理職に就いた者に特定の職種の職務だけを担当させるという任用管理をしないことは、それなりの合理性を持つものと考えられる。しかしながら、ここで問題とされるべきことは、管理職に昇任すれば、公権力行使等地方公務員に就くことがあり得ることを理由に、すべての管理職の資格として日本国籍を要件とすることの当否である。
住民の権利義務を形成するなどの公権力の行使に当たる行為を行い、若しくは地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い、又はこれらに参画する地方公務員という限定は、それだけでは必ずしもその範囲を明確にし得るものではなく、際限なく広がる可能性を持つものであるが、私は、その中で国民主権の原理に基づいて日本国籍を有する者のみが就任することが想定されているものとして説明し得る職は、仮にそれを肯定するとしても、高度な判断や広範な裁量を伴うもの、あるいは直接住民に対して命令し強制するものなどに限られるのであり(3の末尾を参照)、その数がそれほど多数になることはないと考える。
今日、地方公共団体の扱う職務は私企業のそれと差異のみられない給付行政的なものに拡大し、本来的には非権力的行政といわれるものが多くみられるようになってきており、職務全般における権力性は減少しているため、公務員職の概念にも変容がみられるのであって、今日の国民の規範意識に照らせば、国民主権の見地から、その能力を度外視して外国人であるというだけの理由で排除しなければならないと考えられる職は限られたものであると考える。したがって、相当数ある管理職の中には日本国籍を有する者に限って就任を認め得るものがあるとしても、そのために管理職の選考に当たって、すべて日本国籍を有する者に限定しなければその一体的な任用管理ができないとは到底考えられないのである。
(4) 上告人の職員の中で、多数意見のいう公権力行使等地方公務員の数がどれだけのものになるのか必ずしも明らかではない。しかしながら、原判決の認定するところによれば、上告人の平成9年4月1日現在の一般管理職(警視庁及び消防庁を除く。)の総数は2500に及ぶというのであって、その中には、相当数の公権力行使等地方公務員以外のものが含まれていると思われるのである。しかるに、上告人は、課長級の職は、事案の決定権限を有するか、その決定過程に関与するものであり、公の意思形成に参画するものであるとし、そのことを理由に管理職選考において日本国籍を要求することは合理性があると主張するのみで、管理職全体の中で上級の管理職と位置付けられ、日本国籍を要件とすることが法体系上想定されていると考え得る管理職がどの程度いるのかについて明らかにしていないのである。
しかしながら、そのような管理職の数が相当数に及ぶこと、そして、終始特定の職務だけを担当させるという任用管理をしていないため、下位の管理職にも日本国籍を有することを要件としなければ一体的な任用制度の運用ができないことを明らかにすればともかく、そうでなければ、あらゆる管理職について日本国籍を有することを選考の受験資格とすることの合理性を明らかにしたものということはできない。
結局、上告人は、管理職選考に当たって一律に日本国籍を要件とすることが不合理な差別ではなく、違法でないといえるだけの合理性を明らかにしておらず、上告人の執った措置は外国人である職員に対し違法な差別をするものといわざるを得ないのである。
(5) また、管理職に就くことの適否は、職員本人の資質、能力等によって決せられるべきところ、上告人においては、管理職選考に合格し、任用候補者名簿に登録された後、最終的な選考を経て管理職に任用されるのは数年後のことであるというのであって、その間に合格した職員が管理職としての資質等を備えているかどうかについては十分観察し、吟味する機会があるのである。
したがって、本件で問題となった管理職選考は、管理職に昇任する候補者の選考の段階ともいうべきものであって、管理職としての適性の有無を判定するという見地からみても、日本国籍を有しないことを理由に一律に排除するまでの必要性は認められないのである。
(6) 今日、人間の経済文化活動はその活動領域を国境を越えて広げてきており、一般的にいって、国民と外国人との観念的な差異を意識することは減少しつつあるといってよい。特に地方公共団体では、外国籍を有する者もその社会の一員として責務を果たしている以上、国民と同等の扱いを求め得るということ(地方自治法10条参照)に対する理解は広がりつつあって、公務員としての適性は、国籍のいかんではなく、住民全体の奉仕者として公共の利益のために職務を遂行しているかどうかなどのことこそが重要性を持つということが、改めて認識されるようになってきているのである。そして、管理職選考に合格した職員がそのような観点からみて管理職としての適性を備えているかどうかの判定は、管理職選考に合格された後の勤務の実績等をみた上ですることもできることであって、国籍もその一つの判断の材料になることがあり得るにしろ、外国籍であることをこのような管理職選考の段階で絶対的障害としなければならない理由はないのである。
付言するに、記録によれば、被上告人は日本人を母とし、日本で生まれ、我が国の教育を受けて育ってきた者であるが、父が朝鮮籍であったことから、日本国との平和条約の発効に伴い、本人の意思とは関係なく日本国籍を失ったものである。我が国の場合、被上告人のように、この平和条約によって日本国籍を失うことになったものの、永らく我が国社会の構成員であり、これからもそのような生活を続けようとしている特別永住者たる外国人の数が在留外国人の多数を占めているところ、本件のような国籍条項は、そのような立場にある特別永住者に対し、その資質等によってではなく、国籍のみによって昇任のみちを閉ざすこととなって、格別に過酷な意味をもたらしていることにも留意しなければならない。このような見地からも、我が国においては、多様な外国人を一律にその国籍のみを理由として管理職から排除することの合理性が問われなければならないものと考えるのである。
(7) 以上のとおりであるから、日本国籍を有しないというだけで管理職選考の受験の機会を与えず、一切の管理職への昇任のみちを閉ざすというのは、人事の適正な運用を図るというその目的の正当性は是認し得るにしろ、それを達成する手段としては実質的関連性を欠き、合理的な理由に基づくものとはいえないと考えるのである。
5 したがって、上告人が、日本国籍を有しないことのみを理由として被上告人に管理職選考の受験の機会を与えなかったのは、国籍による労働者の違法な差別といわざるを得ない。また、このような差別が憲法14条に由来する労働基準法3条に違反するものであることからすれば、国家賠償法1条1項の過失の存在も肯定することができるので、被上告人の請求を認容した原判決は結論において正当であり、本件上告は棄却すべきものと考える。

+反対意見
裁判官泉德治の反対意見は、次のとおりである。
1 被上告人は、昭和25年に岩手県で出生した特別永住者であり、日本の法律に従い昭和61年に看護婦免許、昭和63年に保健婦免許をそれぞれ受け、同年4月に東京都日野保健所の保健婦として採用され、平成5年4月から東京都八王子保健所西保健相談所に4級職主任の保健婦として勤務していた(なお、記録によると、被上告人の母は、日本人であったが、昭和10年に日本において朝鮮人と婚姻し、内地戸籍から除籍されて朝鮮戸籍に入籍し、日本国との平和条約の発効に伴い日本国籍を喪失した。また、被上告人は、日本において、義務教育を受け、高等学校、専門学校を卒業している。)。

2 被上告人は、東京都人事委員会により、日本国籍を有しないことを理由として、平成6年度及び平成7年度の管理職選考(以下「本件管理職選考」という。)の受験を拒否された。管理職選考の受験資格として日本国籍を有することが必要であることを定めた東京都条例や東京都人事委員会規則はない。東京都人事委員会は、平成6年度管理職選考実施要綱では、日本国籍の要否について触れていなかったが、平成7年度管理職選考実施要綱で、初めて、受験資格として日本国籍を有することが必要であることを定めた。

3 国家は、国際慣習法上、外国人を自国内に受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、自由に決定することができるものとされている(最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁、最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。国は、国家主権の一部として上記のような自由裁量権を有するのであり、地方公共団体にはかかる裁量権がないから、地方公共団体は、国が日本における在留を認めた外国人について、当該地方公共団体内における活動を自由に制限できるものではない

4 そこで、まず、特別永住者が地方公務員(選挙で選ばれる職を除く。以下同じ。)となり得るか否かに関連して、国が法令においてどのような定めをしているかを見ることとする。
(1) 国は、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法3条において、特別永住者に対し日本で永住することができる地位を与えている。特別永住者は、出入国管理及び難民認定法2条の2第1項の「他の法律に特別の規定がある場合」に該当する者として、同法の在留資格を有することなく日本で永住することができ、日本における就労活動その他の活動について同法による制限を受けない。そして、地方公務員法等の他の法律も、特別永住者が地方公務員となることを制限してはいない。(2) 憲法3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶと解すべきである(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。そして、憲法14条1項が保障する法の下の平等原則は、外国人にも及ぶ(最高裁昭和37年(あ)第927号同39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号579頁参照)。また、憲法22条1項が保障する職業選択の自由も、特別永住者に及ぶと解すべきである。

5 上記のように、国家主権を有する国が、法律で、特別永住者に対し永住権を与えつつ、特別永住者が地方公務員になることを制限しておらず、一方、憲法に規定する平等原則及び職業選択の自由が特別永住者にも及ぶことを考えれば、特別永住者は、地方公務員となることにつき、日本国民と平等に扱われるべきであるということが、一応肯定されるのである。

6 そこで、次に、地方公共団体において、特別永住者が地方公務員となることを、一定の範囲で制限することが許されるかどうかを検討する。
(1) 憲法14条1項は、絶対的な平等を保障したものではなく、合理的な理由なくして差別することを禁止する趣旨であって、各人の事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら上記規定に違反するものではない(最高裁昭和55年(行ツ)第15号同60年3月27日大法廷判決・民集39巻2号247頁参照)。また、憲法22条1項は、「公共の福祉に反しない限り」という留保の下に職業選択の自由を認めたものであって、合理的理由が存すれば、特定の職業に就くことについて、一定の条件を満たした者に対してのみこれを認めるということも許される(最高裁昭和43年(行ツ)第120号同50年4月30日大法廷判決・民集29巻4号572頁参照)。
(2) 憲法前文及び1条は、主権が国民に存することを宣言し、国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使することを明らかにしている。国民は、この国民主権の下で、憲法15条1項により、公務員を選定し、及びこれを罷免することを、国民固有の権利として保障されているのである。そして、国民主権は、国家権力である立法権・行政権・司法権を包含する統治権の行使の主体が国民であること、すなわち、統治権を行使する主体が、統治権の行使の客体である国民と同じ自国民であること(これを便宜上「自己統治の原理」と呼ぶこととする。)を、その内容として含んでいる
地方公共団体における自治事務の処理・執行は、法律の定める範囲内で行われるものであるが、その範囲内において、上記の自己統治の原理が、自治事務の処理・執行についても及ぶ。そして、自己統治の原理は、憲法の定める国民主権から導かれるものであるから、地方公共団体が、自己統治の原理に従い自治事務を処理・執行するという目的のため、特別永住者が一定範囲の地方公務員となることを制限する場合には、正当な目的によるものということができ、その制限が目的達成のため必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、上記制限の合憲性を肯定することができると解される。
ただし、国が法律により特別永住者に対し永住権を認めるとともに、その活動を特に制限してはいないこと、地方公共団体は特別永住者の活動を自由に制限する権限を有しないこと、地方公共団体は法律の範囲内で自治事務を処理・執行する立場にあることを考慮すれば、地方公共団体が、自己統治の原理から特別永住者の就任を制限できるのは、自己統治の過程に密接に関係する職員、換言すれば、広範な公共政策の形成・執行・審査に直接関与し自己統治の核心に触れる機能を遂行する職員、及び警察官や消防職員のように住民に対し直接公権力を行使する職員への就任の制限に限られるというべきである。自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員への就任の制限を、自己統治の原理でもって合理化することはできない。
(3) また、地方公共団体は、自治事務を適正に処理・執行するという目的のために、特別永住者が一定範囲の地方公務員となることを制限する必要があるというのであれば、当該地方公務員が自己統治の過程に密接に関係する職員でなくても、合理的な制限として許される場合もあり得ると考えられる。
ただし、特別永住者は、本来、憲法が保障する法の下の平等原則及び職業選択の自由を享受するものであり、かつ、地方公務員となることを法律で特に制限されてはいないのである。そして、職業選択の自由は、単に経済活動の自由を意味するにとどまらず、職業を通じて自己の能力を発揮し、自己実現を図るという人格権的側面を有しているのである。
その上、特別永住者は、その住所を有する地方公共団体の自治の担い手の一人である。すなわち、憲法8章の地方自治に関する規定は、法律の定めるところによりという限定は付しているものの、住民の日常生活に密接に関連する地方公共団体の事務は、国が関与することなく、当該地方公共団体において、その地方の住民の意思に基づいて処理するという地方自治の制度を定め、「住民」を地方自治の担い手として位置付けている。これを受けて、地方自治法10条は、「市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。」と規定し、「住民」が地方自治の運営の主体であることを定めている。そして、この住民には、日本国民だけでなく、日本国民でない者も含まれる。もっとも、同法は、地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権・被選挙権(11条、18条、19条)、条例制定改廃請求権(12条)、事務監査請求権(12条)、議会解散請求権(13条)、議会の議員、長、副知事若しくは助役、出納長若しくは収入役、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会若しくは教育委員会の委員の解職請求権(13条)など、地方参政権の中核となる権利については、日本国民たる住民に限定しているが、原則的には、日本国民でない者をも含めた住民一般を地方自治運営の主体として位置付け、これに住民監査請求権(242条)、住民訴訟提起権(242条の2)なども付与している。特別永住者は、上記のような制限はあるものの、当該地方公共団体の住民の一人として、その自治事務に参加する権利を有しているものということができる。当該地方公共団体の住民ということでは、特別永住者も、他の在留資格を持って在留する外国人住民も、変わるところがないといえるかも知れないが、当該地方公共団体との結び付きという点では、特別永住者の方がはるかに強いものを持っており、特別永住者が通常は生涯にわたり所属することとなる共同社会の中で自己実現の機会を求めたいとする意思は十分に尊重されるべく、特別永住者の権利を制限するについては、より厳格な合理性が要求される。
以上のような、特別永住者の法的地位、職業選択の自由の人格権的側面、特別永住者の住民としての権利等を考慮すれば、自治事務を適正に処理・執行するという目的のために、特別永住者が自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員となることを制限する場合には、その制限に厳格な合理性が要求されるというべきである。換言すると、具体的に採用される制限の目的が自治事務の処理・執行の上で重要なものであり、かつ、この目的と手段たる当該制限との間に実質的な関連性が存することが要求され、その存在を地方公共団体の方で論証したときに限り、当該制限の合理性を肯定すべきである。

7 以上の観点から、東京都人事委員会が特別永住者である被上告人に対し本件管理職選考の受験を拒否した行為が許容されるものかどうかを検討する。
(1) 本件管理職選考は、「課長級の職」への第一次選考である。課長級の職には、自己統治の過程に密接に関係する職員が含まれていることは明らかで、自己統治の原理に従い自治事務を処理・執行するという目的の下に、特別永住者が上記職員となることを制限しても、それは合理的制限として許容される。
しかし、本件管理職選考は、知事、公営企業管理者、議会議長、代表監査委員、教育委員会、選挙管理委員会、海区漁業調整委員会又は人事委員会に任命権がある職員の課長級の職への第一次選考であって、選考対象の範囲が極めて広く、「課長級の職」がすべて自己統治の過程に密接に関係する職員であると当然にいうことはできない。
上告人は、課長級の職は、事案の決定権限を有するか、事案の決定権限は有しないが事案の決定に参画することにより、すべて事案の決定過程に関与しているものであり、公の意思の形成に参画しているものである、と主張する。しかし、事案の決定あるいは公の意思の形成といっても、その内容・性質は各種・各様であって、地方公共団体の課長級の職員が行うこれらの行為のすべてが、広範な公共政策の形成・執行・審査に直接関与し自己統治の核心に触れる機能を遂行するものと評価することは困難である。
もともと、課長級の職員も、地方公務員の一員として、政治的行為をすることを禁じられているとともに、その職務を遂行するに当たって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない義務を負っていることに留意すべきである(地方公務員法32条及び36条参照)。
また、原審は、上告人の管理職の中には、計画の企画や専門分野の研究を行うなどのスタッフとしての職務を行い、事案の決定権限を有せず、事案の決定過程にかかわる蓋然性も少ない管理職も若干存在していることを指摘している。
そして、上告人の東京都組織規程(昭和27年東京都規則第164号)によると、知事及び出納長の権限に属する事務を処理するための機関だけでも、8条で掲げる「本庁」の局・室・課のほか、31条及び別表3で掲げる「本庁行政機関」、34条及び別表4で掲げる「地方行政機関」(その一つである保健所だけでも8箇所存在する。)及び37条で掲げる「附属機関」があり、上告人は、多数の機関で広範な事務を処理している。
さらに、上告人は、職員の給与に関する条例(昭和26年東京都条例第75号)5条所定の医療職給料表(三)が適用される保健師、助産師、看護師、准看護師の採用については、国籍要件を付していないが、初任給、昇格及び昇給等に関する規則(昭和48年東京都人事委員会規則第3号)3条及び別表第1チ「医療職給料表(三)級別標準職務表」は、7級の標準的な職務として本庁の課長の職務等、8級の標準的な職務として本庁の統括課長の職務等を掲げており、医療職給料表(三)の適用職員が課長級の職員となることを予定している。
以上のような状況からすれば、課長級の職には、自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員が相当数含まれていることがうかがわれるのである。
そうすると、自己統治の原理に従い自治事務を処理・執行するという目的を達成する手段として、特別永住者に対し「課長級の職」への第一次選考である本件管理職選考の受験を拒否するということは、上記目的達成のための必要かつ合理的範囲を超えるもので、過度に広範な制限といわざるを得ず、その合理性を否定せざるを得ない。
(2) 次に、上告人は、本件管理職選考に合格した者は候補者名簿に登載し、数年後に最終的な選考を経て管理職に任用するところ、最終的な選考に合格した者については、職種ごとの任用管理は行っておらず、他の職種の管理職に就かせることもあるとともに、まず出先課長に任用し、次に本庁副参事へ、更に本庁課長へと昇任させる等の任用を行っており、また、同一人を特定の職に退職まで在籍させるということは行っていないから、退職までの昇任過程において必然的に事案決定権限を有する職に就かせることになるので、特別永住者に対し本件管理職選考の受験そのものを拒否することが許される旨主張する。
事案決定権限を行使することがそのまま自己統治の過程に密接に関係することにならないことは、前述のとおりである。上告人の上記主張は、上告人の昇任管理ないし人事管理の下では、本件管理職選考に合格した者はいずれ自己統治の過程に密接に関係する職に就かせることになるから、この昇任管理ないし人事管理政策の遂行のため、特別永住者に対して本件管理職選考の受験そのものを拒否し、「課長級の職」の中で自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員となることも制限することが許されるべきであるとの主張を含むものと解して、その是非を検討することにする。かかる場合の制限が正当化されるためには、前述のとおり、具体的に採用される制限の目的(すなわち、上告人の昇任管理ないし人事管理政策を実施すること。)が自治事務を処理・執行する上において重要なものであり、かつ、この目的と手段たる当該制限(すなわち、特別永住者に対し本件管理職選考の受験を拒否し、「課長級の職」の中の自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員となることを制限すること。)との間に実質的な関連性が存することが必要である。
上告人の上記昇任管理ないし人事管理政策を実施するためという目的は、自治事務を適正に処理・執行する上において合理性を有するものであって、一応の正当性を肯定することができるが、特別永住者に対し法の下の平等取扱い及び職業選択の自由の面で不利益を与えることを正当化するほど、自治事務を処理・執行する上で重要性を有する目的とはいい難い。
また、4級の職員が第一次選考である本件管理職選考に合格しても、直ちに課長級の職に就くわけではなく、更に選考を経て5級及び6級の職をそれぞれ数年間は経験しなければならないのであり、上告人が多数の機関を擁し、多数の課長級の職を設けていることを考えれば、特別永住者に本件管理職選考の受験を認め、将来において課長級の職に昇任させた上、自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員に任用しても、上告人の昇任管理ないし人事管理政策の実施にさほど支障が生ずるものとは考えられず、特別永住者に対し本件管理職選考の受験自体を拒否し、自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員になることを制限するという手段が、上告人の昇任管理ないし人事管理政策の実施という目的と実質的な関連性を有するとはいい難い。
したがって、上記の制限をもって合理的なものということはできない。

8 以上のとおり、特別永住者である被上告人に対する本件管理職選考の受験拒否は、憲法が規定する法の下の平等及び職業選択の自由の原則に違反するものであることを考えると、国家賠償法1条1項の過失の存在も、これを肯定することができるものというべきである。
9 したがって、以上と同旨の原審の判断は正当であり、本件上告は棄却すべきものと考える。

++解説
《解  説》
1 事案の概要 
本件は,大韓民国籍の外国人であり,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特別永住者として我が国に在住するX(控訴人,被上告人)が,昭和63年4月,Y(被控訴人,上告人)に保健婦(その後,保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律(平成13年法律第153号)により,「保健婦」は「保健師」に改められている。)として採用され,平成6年度及び同7年度に東京都人事委員会の実施した管理職選考を受験しようとしたが,日本の国籍を有しないことを理由に受験が認められなかったため,Yに対し,①管理職選考受験資格の確認を求めると共に,②国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料の支払を請求する事案である。

2 原審等の判断
1審判決は,①に係る訴えを却下し,②の請求を棄却した。これに対し,原判決は,①に関するXの控訴を棄却したが,②については,Yの職員が原告に平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験させなかったことは,Xが日本の国籍を有しないことを理由にXから管理職選考の受験の機会を奪い,課長級の管理職への昇任のみちを閉ざすものであり,憲法22条1項,14条1項に違反する違法な措置であるとして,一審判決のうち②の部分を変更してXの慰謝料請求を一部認容した([原判決の判批]橋本勇・判自177号96頁)。原判決に対しYだけがY敗訴部分につき上告した。

3 上告理由
上告理由は,①憲法上外国人は公務に就任する権利を保障されていないのに,原判決が,その一部の職種への就任について憲法22条1項,14条1項の各規定による保障が及ぶと解したことは,上記各規定の解釈適用を誤った違法がある,②原判決は,Yの管理職の中に,事案の決定権限を有せず,事案の決定過程にかかわる蓋然性も少ないものも若干存在するとしているが,Yの管理職として任用された者は,事案決定権限を有するか,事案決定過程に関与する地位に置かれることになるのであり,原判決は事実を誤認している,③原判決には,国家賠償法1条1項の解釈適用を誤った違法があるというものである。

4 本判決
本判決は,概要次のとおり判示し,原判決のうちY敗訴部分を破棄し,Xの慰謝料請求を棄却すべきものとした1審判決は正当であるとして,上記部分についてのXの控訴を棄却した。
(1) 地方公務員法は,一般職の地方公務員(職員)に本邦に在留する外国人を任命することができるかどうかについて明文の規定を置いていないが(同法19条1項参照),地方公共団体が,法による制限の下で,条例,人事委員会規則等の定めるところにより職員に在留外国人を任命することを禁止するものではない
(2) 地方公共団体は,職員に採用した在留外国人について,国籍を理由として,給与,勤務時間その他の勤務条件につき差別的取扱いをしてはならないものとされており(労働基準法3条,112条,地方公務員法58条3項),地方公務員法24条6項に基づく給与に関する条例で定められる昇格(給料表の上位の職務の級への変更)等も上記の勤務条件に含まれるものというべきである。
(3) しかし,上記の定めは,普通地方公共団体が職員に採用した在留外国人の処遇につき合理的な理由に基づいて日本国民と異なる取扱いをすることまで許されないとするものではない。また,そのような取扱いは,合理的な理由に基づくものである限り,憲法14条1項に違反するものでもない
(4) 管理職への昇任は,昇格等を伴うのが通例であるから,在留外国人を職員に採用するに当たって管理職への昇任を前提としない条件の下でのみ就任を認めることとする場合には,そのように取り扱うことにつき合理的な理由が存在することが必要である。
(5) 地方公務員のうち,住民の権利義務を直接形成し,その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い,若しくは普通地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い,又はこれらに参画することを職務とするもの(以下「公権力行使等地方公務員」という。)については,次のように解するのが相当である。すなわち,公権力行使等地方公務員の職務の遂行は,住民の権利義務や法的地位の内容を定め,あるいはこれらに事実上大きな影響を及ぼすなど,住民の生活に直接間接に重大なかかわりを有するものである。それゆえ,国民主権の原理に基づき,国及び普通地方公共団体による統治の在り方については日本国の統治者としての国民が最終的な責任を負うべきものであること(憲法1条,15条1項参照)に照らし,原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり,我が国以外の国家に帰属し,その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは,本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきである。
(6) 普通地方公共団体が,公務員制度を構築するに当たって,公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも,その判断により行うことができるものというべきである。そうすると,普通地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で,日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは,合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり,上記の措置は,労働基準法3条にも,憲法14条1項にも違反するものではないと解するのが相当である。そして,この理は,前記の特別永住者についても異なるものではない
(7) これを本件についてみると,Xが東京都人事委員会の実施する平成6年度及び同7年度の管理職選考を受験しようとした当時,Yにおいては,管理職に昇任した職員に終始特定の職種の職務内容だけを担当させるという任用管理を行っておらず,管理職に昇任すれば,いずれは公権力行使等地方公務員に就任することのあることが当然の前提とされていたということができるから,Yは,公権力行使等地方公務員の職に当たる管理職のほか,これに関連する職を包含する一体的な管理職の任用制度を設けているということができる。
そうすると,Yにおいて,上記の管理職の任用制度を適正に運営するために必要があると判断して,職員が管理職に昇任するための資格要件として当該職員が日本の国籍を有する職員であることを定めたとしても,合理的な理由に基づいて日本の国籍を有する職員と在留外国人である職員とを区別するものであり,上記の措置は,労働基準法3条にも,憲法14条1項にも違反するものではない

5 日本の国籍を有しない者の地方公務員への任用
(1) 本判決は,4の(1)のとおり,地方公務員法は,一般職の地方公務員(職員)に本邦に在留する外国人を任命することができるかどうかについて明文の規定を置いていないが,地方公共団体が,法による制限の下で,条例,人事委員会規則等の定めるところにより職員に在留外国人を任命することを禁止するものではないと判示している。本判決がいう「法による制限」が何を意味するのか,必ずしも明らかではない。
(2) この点に関し,行政解釈により,地方公務員の職のうち公権力の行使又は地方公共団体の意思の形成への参画に携わるものについては,日本の国籍を有しない者を任用することができないとされている(昭和48年5月28日自治公1第28号大阪府総務部長あて公務員第一課長回答)。その反面,公権力の行使又は地方公共団体の意思の形成への参画に携わらない地方公務員となるためには必ずしも日本の国籍を必要としないが,この場合において,日本の国籍を有しない者を任用するかどうかは,当該地方公共団体において判断されるべきものとされている(大平内閣による昭和54年4月13日質問主意書に対する答弁書)。こうした解釈に基づき,自治省公務員第二課長通知(昭和61年6月24日自治公二第33号)は,「保健婦,助産婦,看護婦を採用する場合には,国籍要件を付する必要はない」としている。これがいわゆる公務員に関する当然の法理である。国家公務員法についても同様の行政解釈がされている(鹿兒島重治・森園幸男・北村勇・逐条国家公務員法69ないし70頁,橋本勇・判自177号96頁)。この法理によれば,「公権力の行使又は国家意思の形成に参画する官職」への就任については日本の国籍を要する(昭和23年8月17日法務庁調査一発第155号連絡調整中央事務局第二部長あて法務調査意見長官兼子一回答,昭和28年3月25日法制局一発第29号内閣総理大臣官房総務課長あて法制局第一部長高辻正巳回答)。その理由は,それらの者は,国家に対し単に経済的労務を給付するものではなく,国家からその公権力の行使をゆだねられるものであるから,国家が十分にこれを信頼し得るものであり,また,国家に対し忠誠を誓い,一身を捧げて無定量の義務に服し得るものであることを要すること,一国が他国人を単にその者との間の行為によって自国の官吏に任命することは,上記の忠誠義務とその堅実なる遂行に関しその者の属する国家の対人主権を侵すおそれがあること等にあるとされている。「公権力の行使に携わる公務員」とは,必ずしも直接公権力を行使する者だけに限られるものではなく,公権力の行使に関与する者をも含む趣旨であるとされ,また,「国家意思の形成への参画」とは,国家の活動について,企画,立案,決定等に関与することをいうものであり,この場合の国家の活動は必ずしも権力作用に限られず,非権力作用,さらには私経済作用に属するものも含まれるとされる(前田正道編・法制意見百選370頁)。これに対し,公権力の行使又は国家意思の形成への参画に携わらない公務員となるためには,必ずしも日本の国籍を必要としないものと解されている(昭和30年3月18日12―226人事院事務総長回答,鹿兒島重治・森園幸男・北村勇編・逐条国家公務員法70頁)。職務の内容が,単に学術的若しくは技術的な事務を処理し,又は機械的労務を提供するにすぎないようなものは,ここにいう「公権力の行使」又は「国家意思の形成への参画」には含まれないとされる(前田正道編・法制意見百選370頁)。
(3) 本判決は,4の(5)のとおり,公権力行使等地方公務員については,原則として日本の国籍を有する者がこれに就任することが想定されているとみるべきであるなどと判示している。①この判示と本判決がいう「法による制限」との関係,さらには②本判決がいう「法による制限」と公務員に関する当然の法理との関係については,今後十分な検討を要しよう(藤田裁判官の補足意見を参照)。

6 本件の問題点
憲法が在留外国人に対して公務員に就任し得る資格を平等に認めるという意味で公務就任権を保障しているかどうかは検討を要する問題であるが,本件では,既に地方公共団体の職員(一般職に属するすべての地方公務員。地方公務員法4条1項参照)として採用されたものが管理職に昇任するについて日本の国籍を有することを要することとした地方公共団体の措置が違法かどうかの点が直接問題となる。本件では,在留外国人が我が国の公務員に就任するについて憲法上その地位を保障されているかどうかを判断する必要はない。本判決は,本件の直接の問題点に即して判断しているものと考えられる。

7 地方公共団体の行政組織権と労働基準法3条による制限
(1) 地方公共団体の行政組織権
憲法は,国及び地方公共団体の統治構造の根本を定めるにとどまり,行政組織,これらを担う公務員制度の詳細については,統治権を直接行使する公務員について規定している以外格別規定を置いていない。憲法は,行政組織,公務員制度の詳細についての決定を立法府の判断にゆだねているものと考えられる(憲法73条4号,93条2項参照)。地方自治法は,様々の制約(補助機関その他一定の行政機関については,地方自治法により直接設置され,あるいはその設置が義務付けられている。)を課してはいるが,地方公共団体の長に内部の行政組織の在り方をどのようにするかについての決定権(行政組織権)を与えていると解される(藤田宙靖・行政組織法(新版)269頁)。上記の行政組織権は,法による制限の下で,どのような人事制度を構築するか,そして,地方公務員に誰(どのような人材)を任命するかについての決定権も含むものといえよう。
(2) 地方公共団体の人事に関する決定権と労働基準法3条による制限
上記の行政組織権の一環としての人事に関する決定権は,在留外国人を職員に任命する場合,裁量権を逸脱し,あるいは濫用したと評価される場合を除き,地方公共団体の自由な判断で在留外国人の職員の処遇を日本の国籍を有する職員と異なるものとする制度を設けることを含むであろうか。仮にこれを肯定するならば,職員が管理職に昇任するについて日本の国籍を有することを要することとすることも,当然適法であることになろう。この点に関して問題となるのは労働基準法3条である。
地方公共団体の職員は,国籍,信条又は社会的身分を理由として,給与,勤務時間その他の勤務条件について差別的取扱いを受けないという均等待遇(平等取扱いの原則)の保障を受ける(労働基準法3条,112条,地方公務員法(平成10年法律第112号による改正前のもの)58条3項)。職員の昇格も上記の勤務条件に含まれ,平等取扱いの原則の保障が及ぶ。この保障は,構築された制度の下で特定の職員を個別具体的に差別することを禁止するだけではなく,職員制度として,一般的に在留外国人の昇格を日本人よりも劣位に置く制度を設けて運用することも禁止するものであると考えられる。
本判決(多数意見)の意義は,まず,この点を確認したことにある。さらに,本判決は,上記の平等取扱いの原則が憲法14条1項に基づくものであり,それと同じ内容を労働基準法3条が保障しているという考え方を採っているものと考えられる。金谷裁判官及び上田裁判官の各意見は,上記の各点において多数意見と異なる考え方を採るものである。
(3) 均等待遇(平等取扱いの原則)の保障と合理的な理由に基づく区別
しかしながら,上記の平等取扱いの原則は,絶対的なものではなく,合理的な理由に基づくのであれば,在留外国人の職員について日本人の職員と異なる取扱いをすることも許される。本判決はこのことも明らかにしている。合理的な理由に基づく区別が憲法14条1項に違反するものでないことは,最高裁判所の判例(最大判昭39.5.27〔昭37(オ)第1472号〕民集18巻4号676頁,判タ164号75頁,最大判昭39.11.18〔昭37(あ)第927号〕刑集18巻9号579頁,判タ170号180頁)で確立しているが,本判決は,労働基準法3条についても同様の例外があることを明らかにしたものである。本判決は,労働基準法3条が憲法14条1項の平等原則と同じ内容を保障しているという考え方を採っているので,上記の点は当然の帰結であるといえよう。
(4) 管理職昇任について職員が日本の国籍を有することを要することとする措置とその合理的な理由
① 管理職への昇任は,昇格等を伴うのが通例であるから,在留外国人を職員に採用するに当たって管理職への昇任を前提としない条件の下でのみ就任を認めることとする場合には,そのように取り扱うことにつき合理的な理由が存在することが必要であり,合理的な理由がないにもかかわらず在留外国人に管理職への昇任の機会を与えない制度を設けたとすれば,違法といわざるを得ないことになる。
② 本判決は,地方公務員のうち,住民の権利義務を直接形成し,その範囲を確定するなどの公権力の行使に当たる行為を行い,若しくは地方公共団体の重要な施策に関する決定を行い,又はこれらに参画することを職務とするものを「公権力行使等地方公務員」と呼び,原則として日本の国籍を有する者が公権力行使等地方公務員に就任することが想定されているとみるべきであり,我が国以外の国家に帰属し,その国家との間でその国民としての権利義務を有する外国人が公権力行使等地方公務員に就任することは,本来我が国の法体系の想定するところではないものというべきであると判示している。
本判決がいう公権力の行使に当たる行為とは,法律上は都道府県知事等が有する許可等の行為を指すものと考えられる。例えば,都市計画区域内等における開発行為の許可(都市計画法29条),同法等に違反した者に対する監督処分(同法81条)等の都市計画法に基づく行為,建築基準法令の規定等に違反した建築物に対する措置等(建築基準法9条ないし11条)の建築基準法に基づく行為,生活保護法による保護の決定(同法19条),病院等の開設の許可(医療法7条),病院等の施設の使用制限禁止命令等(同法24条),病院等の管理者の変更命令(同法28条),病院等の開設許可の取消し等(同法29条),薬局の開設の許可(薬事法5条),医薬品の一般販売業の許可(同法26条),薬種販売業の許可(同法28条),配置販売業の許可(同法30条),医薬品の廃棄等の命令(同法70条),検査命令(同法71条),改善命令等(同法72条),薬局又は医薬品の一般販売業の管理者の変更命令(同法73条),薬局の開設の許可の取消し等(同法75条),精神障害者が,入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めた場合における入院措置等(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律29条,29条の2,29条の2の2,29条の4),一定の感染症にかかっていると疑うに足りる正当な理由のある者に対する健康診断の実施,入院措置等(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律17条,19条,22条,45条ないし48条),結核を伝染させるおそれが著しいと認められる患者に対する従業禁止措置,入所命令(結核予防法28条,29条),地方税の納税の告知(地方税法1条1項7号,同項14号,13条1項)等が挙げられる。また,地方公共団体の重要な施策に関する決定にかかわるものとしては,都市計画(都市計画法15条1項)の原案を作成する行為等がこれに当たるものと思われる。
上記の各行為に関する都道府県知事等の権限のほか,地方公共団体の長が地方公共団体の主要な執行機関として有する広範な権限(法147条ないし149条参照)は,法律の規定(例えば,地方税法3条の2,地域保健法9条)に基づいて権限の委任が行われて行使されるほか,事務決裁規程等の規程により内部的に権限の分配が行われて補助機関により行使される。前記の各行為等に関する地方公共団体の長の権限を権限の委任,専決,代決により行使する補助機関は,本判決にいう公権力行使等地方公務員に当たるものということができよう。そして,公権力行使等地方公務員の権限に係る事務は,その命を受けて事務をつかさどる職員により補助執行される。このような補助執行は,地方公共団体の長及び各部署の長による指揮監督の下に行使されるのであり,これを人事制度の観点からみると,指揮監督権を有する管理職の下に補助執行が行われるということになる。管理職制度がどのようなものであるかは,地方公共団体の長の権限の分配に基づく補助執行の在り方を左右するといえよう。さらに,公権力行使等地方公務員をはじめとする要職に就くに先立って必要な職務経験を積むために上記の補助執行を行う職を務めさせるなど,人事の観点からの考慮も考えられるところである。そうであるとすれば,どのような管理職制度を構築してこれを運営するかは,前述した地方公共団体の行政組織権に基づく判断にゆだねられているものと解するのが相当である。
③ 本判決は,地方公共団体が,公務員制度を構築するに当たって,公権力行使等地方公務員の職とこれに昇任するのに必要な職務経験を積むために経るべき職とを包含する一体的な管理職の任用制度を構築して人事の適正な運用を図ることも,その判断により行うことができるものというべきであるとし,地方公共団体が上記のような管理職の任用制度を構築した上で,日本国民である職員に限って管理職に昇任することができることとする措置を執ることは,合理的な理由に基づいて日本国民である職員と在留外国人である職員とを区別するものであり,上記の措置は,労働基準法3条にも,憲法14条1項にも違反するものではないものと判示している。この判示は,恐らく上に述べたような考え方に基づくものであろう。
④ 本判決は,上の理は,前記の特別永住者についても異なるものではないと判示している。この点については,藤田裁判官の補足意見と泉裁判官の反対意見とを参照されたい。

8 本件についての判断
本判決は,以上のとおり判示した上で,東京都が管理職に昇任すれば公権力の行使に当たる行為を行うことなどを職務とする地方公務員に就任することがあることを当然の前提として任用管理を行う管理職の任用制度を設けていたなど判示の事情の下では,職員が管理職に昇任するための資格要件として日本の国籍を有することを定めた東京都の措置は,労働基準法3条,憲法14条1項に違反しないと判示している。

9 個別意見
判示事項1,2につき①藤田裁判官の補足意見,②金谷裁判官,上田裁判官の各意見及び③滝井裁判官,泉裁判官の各反対意見がある。
(1) 藤田裁判官の補足意見は,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法に定める特別永住者の法的地位について考察した上で,特別永住者がそれ以外の外国籍の者から区別され,特に優遇さるべきものとされていると考えるべき根拠はなく,事は,外国籍の者一般の就任可能性の問題として考察されるべきものであるとし,上告人が執った措置が当然に違法と判断されるべきものとまではいえないとするものである。
(2) 金谷裁判官及び上田裁判官の各意見は,地方公共団体は,外国人を当該地方公共団体の職員に採用できることとするか否かについて裁量によりこれを決めることができるのであり,在留外国人の地方公務員への就任の問題を定めるに当たり,ある職種について在留外国人の就任を認めるかどうかという裁量を有するのみならず,職務の内容と責任に応じた級についてどの程度・レベルのものにまでの就任(昇任)を認めるかどうかについての裁量をも有するのであって,その判断については,裁量権を逸脱し,あるいは濫用したと評価される場合を除き,違法の問題を生じることはないとするものである。
(3) 滝井裁判官の反対意見は,管理職の職務の内容等を考慮して一定の職への就任につき資格を制限するというのであればともかく,すべての管理職から一律に外国人を排除することとしていた上告人の措置に合理性があるとはいえないとするものである。
(4) 泉裁判官の反対意見は,特別永住者は,地方公務員となることにつき,法の下の平等原則及び職業選択の自由を享受するものであり,その住所を有する地方公共団体の自治の担い手の一人であることなどからすると,自治事務を適正に処理・執行するという目的のために,特別永住者が自己統治の過程に密接に関係する職員以外の職員となることを制限する場合には,その制限に厳格な合理性が要求されるとするものである。

10 本判決の意義
職員の管理職制度は地方公共団体によって様々であるが,管理職に昇任すれば公権力の行使に当たる行為を行うことなどを職務とする地方公務員に就任することがあることを当然の前提として任用管理を行う管理職の任用制度を設けているといえる限りは,本件と同様の判断が当てはまるものと思われ,本判決が以上のとおり判示したことには重要な意義があると考えられる。


刑法 面白そうな判例 自衛隊内部潜入ソリッドスネイク事件

要旨
 甲らが、陸上自衛隊駐屯地内に侵入し、兇器を用いて勤務中の自衛官の反抗を抑圧して弾薬庫から武器等を強取し、その際自衛官を死亡させたが、被告人は、甲から、自衛隊の制服を入手しそれを利用して自衛官に変装して駐屯地に侵入し、武器を奪取するとの計画を打明けられ、資金の援助を求められてこれを応諾したものの、具体的な襲撃場所、方法等については何ら説明を受けておらず、被告人の認識は抽象的なものにとどまっていたときは、共謀共同正犯は成立せず、幇助犯が成立する。

《本籍・住居省略》
 無職 甲川太郎こと 甲川一郎
 昭和一五年二月二四日生
 右の者に対する強盗致死、建造物侵入、公務執行妨害被告事件について、当裁判所は、検察官小梛和美出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
 被告人を懲役五年に処する。
 未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。
 別紙(一)記載の訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
 (罪となるべき事実)
 被告人は、昭和三五年四月京都大学経済学部に入学し、昭和四二年一〇月同大学経済学部助手となったが、昭和四四年一月ころから京大全共闘運動に参加し、甲川太郎という筆名で、暴力革命について雑誌等に著作を発表し、講演を行い、従来のいわゆる新左翼諸党派を批判し、大衆武装による過激な武装闘争の必要性を説き、暴力思想を主張したことなどから、内ゲバなどで混迷する当時の新左翼運動の状況を背景に、一躍、著名人となり、友人の朝日新聞記者Jから、当時日大闘争に参加するなどの活動をしていた甲野二夫を紹介され、昭和四六年四月中旬から七月上旬にかけて、大阪、京都、東京などで甲野と会い、暴力革命達成のために既存の運動を超えたより過激な武装闘争が必要であるとする闘争の方針について意気投合し、また、心情的にも親近感を抱いていたところ、かねてより武器奪取の考えを持つ甲野が乙山三夫及び丁原四夫と共謀の上、陸上自衛隊朝霞駐屯地内に侵入し、凶器を用いて警衛勤務中の自衛官の反抗を抑圧し、同駐屯地内の弾薬庫等から銃器、弾薬を強取しようと企て、同年八月二一日午後八時三〇分ころ、乙山及び丁原において、自衛官の制服を着用して自衛官を装って、レンタカーに乗ったまま、埼玉県和光市広沢一の二〇番地所在の陸上自衛隊朝霞駐屯地北側正門から同駐屯地司令A看守にかかる同駐屯地内に入り、もって人の看守する建造物に不法に侵入し、降車後の同日午後八時四五分ころ、同駐屯地七三四号隊舎東側路上において、折から動哨警衛の職務に従事中の同駐屯地勤務陸上自衛官陸士長B(当時二一歳)に出会うや、同人の携帯するライフル銃を強取する意思で、同人に対し、乙山において、Bの腹部を手拳で強打し、その肩から首付近を両手でつかんで膝蹴りをし、丁原において、所携の柳刃包丁でBの右胸部等を数回突き刺す等の暴行を加え、Bの前記職務の執行を妨害したものの、くさむらに落下したライフル銃を発見できずに逃走したため、強取の目的を遂げなかったが、前記暴行により、間もなく、同所付近において、Bを胸部刺創に基づく胸腔内出血等により失血死させたが、被告人は、甲野の依頼により、同年七月二三日、大阪市東淀川区十三東之町一丁目一六番東淀川郵便局において、自衛隊基地からの武器奪取闘争のために用いられるかも知れないと認識しながら、電信為替で、現金四万円を、東京都千代田区有楽町二丁目三番地朝日新聞社内の同社記者K宛に送金し、数日後甲野をして右送金額の内現金三万円を受領させ、もって、甲野らの前記犯行を容易ならしめて、これを幇助したものである。
 (評価の標目)《省略》
 (本件争点に対する当裁判所の判断)
 以下においては、便宜上別紙(二)記載の略称、略号等を使用する。
第一 本件の争点
  一 検察官の主張
 検察官は、
 「被告人は、甲野二夫、乙山三夫、丁原四夫と共謀の上、埼玉県和光市広沢一の二〇番地所在の陸上自衛隊朝霞駐屯地内に侵入し、包丁等の凶器を用いて警衛勤務中の陸上自衛官の反抗を抑圧し、同駐屯地内の弾薬庫等から銃器、弾薬を強取しようと企て、昭和四六年八月二一日午後八時三〇分ころ、右乙山及び丁原において、陸上自衛官を装って同駐屯地北側正門から同駐屯地司令A看守にかかる同駐屯地内に不法に侵入し、同日午後八時四五分ころ、同駐屯地七三四号隊舎東側路上において、折から動哨警衛の職務に従事中の同駐屯地勤務陸上自衛官陸士長B(当時二一年)に出会うや、同人からその所携のライフル銃を強取すべく、同人に対し、右乙山において、腹部を手拳で強打し、組みついて膝蹴りを加え、右丁原において、所携の柳刃包丁で右胸部等を数回突き刺す等の暴行を加え、右Bの前記職務の執行を妨害したものの前記ライフル銃を発見することができないまま逃走したため銃器等を強取する目的を遂げなかったが、前記暴行により、同人をして間もなく同所付近において、右胸部刺創に基づく胸腔内出血等により死亡するに至らしめたものである。」
 との強盗致死、建造物侵入、公務執行妨害の訴因について、被告人は共謀共同正犯の責任を負うと主張する。
 その共謀の成立を基礎付ける事実として、次の1ないし16の被告人と甲野との接触状況を指摘する。
   1 被告人は、朝日新聞社記者Jの紹介により昭和四六年四月一三日ころ、旅館「津乃村」において、甲野と会い、同夜同人をエレガントホテルに宿泊させた。その際両者は、暴力革命推進のためには、武装闘争が必要であり、関西と東京の組織が共闘体制を組むべきであるとの意思の一致をみた。
   2(一) 四六年五月四日ころ、被告人は甲野を京都に呼び、京大文学部長室において、地下革命軍(赤衛軍)を建設して行かねばならず、当面、三里塚・沖縄闘争を武装闘争で闘い抜くことが必要であると説き、甲野も今後被告人の指導の下に活動することを約した。
 (二) 翌朝、楽友会館で被告人の同志甲沢(スナック「白樺」の経営者)を甲野に引き合わせ、今後は盗聴防止のため「白樺」方式と称する方法により電話連絡することを打ち合わせた。
   3 被告人は、同年六月一九日ころ、病気見舞いのため、甲野の入院先である下田病院を訪れ、同人の下宿池亀方に立ち寄った後、レストラン「アラスカ」に同人を連れ出した。同所で被告人は甲野に対し、当面は銃器等の使用によりゲリラ戦を基本として、三里塚・沖縄闘争を闘い抜く方針であり、そのために必要な隊員の確保に努めるよう求め、甲野もこれを了承した。
   4 同年七月上旬、甲野は、甲林から「反戦自衛官のリーダーが自衛隊に侵入して大量の武器を奪取する計画を進めている。三〇万円と人手がいるので、誰かを紹介してくれ。」という乙山の話を聞き、被告人に電話でその旨を報告した。被告人は、同年七月三日ころ、スナック「もっきり亭」に甲野を呼び寄せ、直ちにその詳細な報告を聞き、甲野に対し、反戦自衛官組織のリーダーとの連絡役となること、闘争資金を朝日新聞社記者K宛に送金するので、連帯の意思表明として右リーダーに渡すこと、右リーダーの身元調査をすること等を指示し、交通費として現金約八〇〇〇円を手渡した。
   5 同年七月上旬、被告人は、甲野から右リーダーに会うこととなった旨の電話連絡を受けると、前記資金の調達が遅延していることをわびた上、直ちに上京する旨を伝えた。
   6 同年七月一〇日ころ、被告人は、飲食店「久富」において、甲野に対し、リーダーの身元は被告人も調査中であること、闘争資金の一部は至急K宛に送ることを告げ、甲野においては正体を悟られないよう十分注意して、右リーダーと予定通り会うことを指示した。
   7 同年七月一四日ころ、甲野は、喫茶店「ヴィクトリア」で乙山と面談した様子を被告人に報告するためスナック「白樺」に電話した結果、同年七月中旬ころ、甲沢と名古屋で会い、乙山の話を詳細に報告し、闘争資金の送金が遅れているのでKに一部立替てもらって乙山に渡したことを話し、甲沢から今後も乙山と接触すること、身元調査を続行すること、オルグ教育に力を入れることを指示された上、活動資金として一万円を受け取った。
   8 同年七月二三日ころ、被告人は、本件武器奪取闘争の闘争資金として四万円を電信為替でK宛に送金し、甲野はJを介して送金された金員のうち現金三万円を受け取った。
   9 同年七月下旬、被告人は、喫茶店「さぼうる」にいた甲野から乙山の身元調査の結果について電話報告を受けた際、今後も乙山と接触を続けること、前記資金を送金してあるから受け取ることを指示した。
   10 同年七月下旬ころ、被告人は、喫茶店「タイムス」にいた甲野から喫茶店「にしむら」で行われた乙山との面談の模様(朝霞駐屯地の弾薬庫に目標を絞ること、八月五日に装備が入手できること、犯行の実行日時等は甲野の方で決定すること)について報告を受け、身元調査の結果を報告書にまとめること、名古屋で会って具体的指示をすることを伝えた。
   11 同年七月下旬ころ、被告人は、甲野と名古屋で会い、喫茶店「黒百合」において、乙山の身上関係及び喫茶店「にしむら」における面談の模様について詳細な報告を受けた際、乙山の武器奪取計画の実現性は高いので、甲野が獲得した隊員を十分掌握して、何時でも動員をかけられるようにしておくことを指示し、更に喫茶店「モンシェル」において、乙山の身元調査結果を調査報告書にして、Kにコピーさせて届けるよう命じ、活動資金として現金一万円を渡した。
   12 同年八月五日ころ、被告人は、新大阪駅で甲野と会い、乙山の身元調査報告書のコピー二部を受け取った。次いで、中国料理店「青冥」において、本件犯行の謀議を行った。すなわち、乙山と甲野が協力して武器奪取計画を実行すること、襲撃日時は八月一三日午前二時又は三時、襲撃対象はまず米軍グランドハイツ、これに失敗したときは朝霞駐屯地、更に予備として警察官派出所を順次襲撃すること、更に襲撃方法、使用する凶器、出撃拠点、奪取した武器の保管場所、輸送方法、乙山に支払を約した三〇万円は渡すように見せかけて踏み倒すこと及び犯行の宣伝方法等について綿密な打ち合わせを遂げた上、闘争資金として現金一万円を交付した。
   13 同年八月上旬ころ、被告人は、犯行準備を整えた甲野からハイツ闘争を決行する旨の報告を受け、八月一一日夜池亀方に架電し、甲野に八月一二日喫茶店「穂高」に来るよう指示した。
   14 同年八月一二日ころ、被告人は、喫茶店「穂高」において、甲野に対し、ハイツ闘争を貫徹するよう指示し、連絡場所の電話番号を教え、更に成功した場合には報道機関への宣伝は、Kを通じて行うことを指示し、闘争資金四万円を手交した。
 続いて「むらさき寿司」で闘争の前祝いをした上、乙山に渡すべき三〇万円を踏み倒す具体的方法を指示した。
   15 同年八月一三日ころ、被告人は、喫茶店「タイムス」にいる甲野と電話連絡をとったところ、甲野からハイツ闘争は失敗した。八月一四日に朝霞駐屯地からの武器奪取を敢行する、もしこれに失敗すれば、八月二一日に必ず実行する旨の弁明があったので、これに対し「政治生命がかかっている。死んでもやり抜け。」などと武器奪取貫徹を厳命した。
   16 同年八月一五日ころから同月二〇日ころまでの間に、被告人は、池亀方に電話をかけ、甲野から八月一四日の闘争には失敗したが、八月二一日には必ずやり遂げるとの報告を受け、「今度はしっかりやってくれ。しっかり頼むぞ。」と朝霞駐屯地からの武器奪取を完遂を厳命した。
 検察官は、以上の1ないし16の被告人と甲野との意思連絡の結果形成された共謀に基づき、甲野と乙山、丁原との間にも共謀がなされ、乙山、丁原が本件犯行を実行したものであり、被告人は強盗致死、建造物侵入、公務執行妨害の共同正犯の責任を負うと主張する。
  二 弁護人らの主張
 これに対し、弁護人及び被告人は、甲野と被告人との間に共謀は全く存しなかったと強く反論し、本件犯行の首謀者は甲野であり、本件は、甲野という稀にしかいない特異な人物が、京浜安保共闘の上赤塚及び真岡事件に触発されて、これまでの左翼運動史上にない奇抜さを求めて、甘言と詐言と脅迫をもって丁原らをして実行せしめたものであって、被告人は、その甘言と詐言と脅迫を隠蔽する道具として甲野に冒用されたものに外ならず、被告人は本件に全く関係がないと主張する。その主張の具体的論拠は、以下のとおりである。
   1 会合の事実は認めるが、会合内容を争うもの
 検察官主張の1旅館「津乃村」、エレガントホテル2文学部長室、楽友会館3下田病院、池亀方、レストラン「アラスカ」6飲食店「久富」14喫茶店「穂高」、むらさき寿司の各項の事実については、検察官主張の日時ころに被告人が甲野と会った事実はあるが、その際武器奪取計画を相談したことは全くなく、単に当時の新左翼の情勢について論じたり、甲野が執筆中の論文の件について話にのったり、酒を飲んで歓談したにすぎないと主張する。すなわち
 (一) 旅館「津乃村」では、初対面なので自己紹介した後、朝日新聞社記者Lが中心となって、甲野から関東における新左翼の事情について話を聞いた。
 エレガントホテルには甲野を送って行っただけであり、すぐに別れた。
 (二) 文学部長室に行く前に、喫茶店「学士堂」で甲野に会い、甲野が執筆中の原稿の話やその掲載先の紹介依頼の件について話し合った。
 次いで文学部長室では乙内一久の思い出話をし、スナック「白樺」で同様の話をして飲酒歓談した。
 翌朝、甲野と二人で楽友会館に行き、ブランチを食べて別れた。甲沢は同席していない。
 (三) Jから甲野が入院中と聞き、下田病院に見舞に行った。被告人は、午後乙川二久と会う約束があると話したところ、甲野が紹介して欲しいと言うので、池亀方に寄って、レストラン「アラスカ」に行った。同所で甲野を乙川に紹介するとともに、かねて同人から依頼されていたベルリン自由大学の講師就任の件を断った。その後乙原、乙田らも来た。被告人が朝日新聞社記者に三里塚パンフを売りさばいていたところ、甲野がこれを引き受けたため、被告人は甲野の指定する場所に右パンフを送ることを約した。乙原が中国物産販売の話等をしたが、甲野は途中で帰った。
 (四) 飲食店「久富」では、乙谷を交えて三人で雑談をし、その後被告人の知人多数が集まり、いわゆる飲み会となった。被告人は、前に約束していた五万円を甲野から借り受け、遅くとも八月一二日上京の際に返済することを約した。なお期日前に返済する場合には、K宛に送金してくれと甲野に指定され、その後スナック「エスカール」で飲酒し、別れた。
 (五) 喫茶店「穂高」に行く前に、甲野と待ち合わせ場所の喫茶店「カトレア」で会い、借金の残額一万円を返済し、乙丘の待つ喫茶店「穂高」に寄って、むらさき寿司へ行き、昼食をとったが、その際甲野は借金に困っている友人の話をしたにすぎない。
   2 会合日時等を争うもの
 検察官主張の11喫茶店「黒百合」「モンシェル」の項の事実については、その日時、場所、会合状況を争う。
 被告人は、四六年六月末ころ、甲野から原稿の件で会いたいと言われ、七月三日ころ、名古屋の河合塾の前で待ち合わせ、飲食店「喜久屋」に行った。同所で原稿を受け取り、その話をしていたところ、甲野から自衛隊の制服売買の話が出て、被告人がこれを断ったため、甲沢を紹介して欲しいと言われ、甲沢に電話し、翌日京都で甲野と会うことを承諾させた。また、借金の話に及び、甲野が用立てると言ったため、一週間後に上京の際、「久富」で五万円を借りることになった。
 したがって、検察官主張の日時ころ「黒百合」「モンシェル」で甲野と会って、銃器奪取の話はしていないと主張する。
   3 送金の趣旨を争うもの
 検察官主張の8電信為替の件については、送金の事実は認めるものの、その趣旨を争い、闘争資金ではなく、七月二一日ころ、被告人の勤務する難波予備校から四五万円借り受けることができたので、甲野から「久富」で借り受けた五万円の一部返済として送金したものであり、送り先をK宛にしたのも、甲野は不在がちなので、同人の下宿先ではなく、K宛に送金して欲しいと指定されたからであると主張する。
   4 会合等の存在を争うもの
 検察官主張の4架電、スナック「もっきり亭」会合5架電7甲野のスナック「白樺」への架電、同人と甲沢との名古屋会合9架電10架電12新大阪駅、中国料理店「青冥」の会合13架電15架電16架電の各項の事実については、その各事実の存在そのものを争い、いずれも甲野の捏造した嘘であり、そのような事実は、毫も存しないと主張する。
  三 当裁判所の判断の順序
 以下、共謀の成否を中心として、順次検討を加えていく。
 本件の事実関係は多岐にわたり、関係者の供述も種々の点で錯綜しているので、まずはじめに検察官及び弁護人、被告人いずれも認めており、かつ関係証拠上明らかな事実を確定する。
 次に、検察官の主張は、主に甲野供述に依拠しているので、甲野供述の信用性の有無を吟味し、更に甲野供述を補強していると検察官の主張する乙山供述についても検討を進める。
 最後に、被告人の供述の信用性の有無の判断を中心に据えながら、関係各証拠を対比検討した上、本件で問題とされている各事実の存否を判断することとする。
第二 争いのない事実
  一 はじめに
 当事者間に争いがなく、関係各証拠により確定できる事実は以下のとおりである。
  二 被告人と甲野の経歴、本件に至る経緯
   1 被告人の経歴
 被告人は、京都市内で出生し、三五年四月京都大学経済学部に入学し、ローザ・ルクセンブルクの研究を志し、同大学大学院に進学し、四二年一〇月同大学経済学部助手となり、引き続きローザ・ルクセンブルクの研究をしていた。他方、高校生のころからマルクス・レーニン主義の革命思想に関心を持ち、大学入学後、当時高揚していた六〇年安保闘争等学生運動に参加し、三八年から四四年ころまで共産主義者同盟(いわゆる関西ブント)に所属し、労働者教育に従事し、四四年一月ころ京大全共闘が結成されるや、活動家としてこれに参加し、甲川太郎という筆名で京大全共闘機関紙に寄稿し、自主講座を開くなどの活発な活動を続けた。また暴力革命について精力的に学外の雑誌等に著作を発表したり、講演を行い、従来のいわゆる新左翼を痛烈に批判し、既成の新左翼を解体し、革命実現に向けて行動すべきとの暴力思想を主張した。大学閉鎖が相次ぎ、目標を失ない内ゲバなどで混迷する当時の新左翼運動の状況を背景に、一躍、著名人となった。被告人は、四六年四月ころからは、主として大阪市東淀川区十三に居住し、アルバイト先の難波予備校での授業を毎週月曜日、火曜日の二日行い、京都大学の研究会に毎週木曜日出席していた。
   2 甲野の経歴
 甲野は、高校在学中から左翼思想に共鳴し、四五年四月、日本大学文理学部哲学科入学後、哲芸研という学内サークルを創り、その部長となって、丁原、乙島らとマルクス、レーニン、毛沢東思想の学習会を開き、日大闘争に参加するなどの活動をしていた。本件犯行当時は、世田谷区内の池亀方に下宿していた。
   3 本件に至る経緯
 (一) 甲野は、四六年二月一七日京浜安保共闘の犯行とされる真岡猟銃等強奪事件が発生するや、翌一八日、京浜安保共闘の関係者と名乗って朝日新聞社記者Jから、旅館「小富美」でインタビューを受け、同夜は同社記者K宅に泊まった。このときの取材の結果は、週刊朝日三月五日号に掲載された。
 (二) 被告人は、以前に取材を受けたことからJと知り合い、交友関係にあったところ、同人の仲介により、朝日新聞大阪支社のL記者同席のもとに、四月一三日、旅館「津乃村」において甲野と初めて会い、その後、甲野を関西戊野プロに連れて行き、エレガントホテルを紹介し、同夜甲野は同ホテルに泊まった。
 (三) 被告人と甲野は、再びJの仲介で、五月四日ころ、文学部長室で会い、乙沢八久、乙田らを交えて飲酒した。翌日、被告人と甲野は同大学構内にある楽友会館で食事をした。
 このころ、甲野は、京浜安保共闘の幹部と称して、帝国ホテルにおいて、朝日ジャーナルの記者の取材を受け、その記事が同誌五月二一日号に掲載された。
 (四) 被告人は、六月一九日ころ、下田病院に入院中の甲野を見舞い、二人で甲野の下宿(池亀方)に寄った後レストラン「アラスカ」に行き、乙川二久、乙原、乙田らと会い、飲酒し、甲野は途中で退席した。この席には、J、Kも顔を見せた。被告人は、丁原宛に三里塚と題する小冊子(以下「三里塚パンフ」という。符1と同内容のもの)を送ることを甲野と約し、ほどなく右小冊子約七〇部が京大経済甲川の名で丁原に送られた。
 (五) 被告人は、七月一〇日ころ、飲食店「久富」で甲野と会った。そこには乙谷、乙林九久、乙本十久、乙原、J、Kらも同席した。飲食店「久富」を出て被告人、甲野、乙林らはスナック「エスカール」に行き、飲酒歓談した。
 (六) 甲野は、甲林とともに、七月一二日ころ、喫茶店「ヴィクトリア」において、乙山と会った。甲野は、乙山に対し、現金約二万五〇〇〇円を渡した。
 (七) 被告人は、七月二一日、難波予備校から四五万円を借り受け、同月二三日、現金四万円を「ボウハラ(甲野の偽名)ニワタシテクレ、イチマンタリヌ、ワビル、コウカワ」と記載した通信文を添え、Kに電信為替で送金し、そのころ甲野はJを介してKへの借金一万円を差し引いた現金三万円を受け取った。
 (八) 甲野は、七月二六日ころ、喫茶店「にしむら」において、甲林とともに、乙山と会った。
 (九) 八月五日午後二時ないし三時ころ、乙山の母丁田夏子に対し、戊山一郎と名乗る男から、警察が乙山を捜している、話がしたいので同月六日午後八時に新阪急ホテルに来い、よく話して身柄を引き取ってくれ、という内容の電話があった。
 (一〇) 甲野は、七月二五日ころ、丁原とともにヘルメットを窃取し、その後これに赤衛軍等と記入し、戦斗宣言、緊急通達と題する各書面を準備し、乙山の身上に関する調査報告書(以下、「調査報告書」という。)を作成し、八月九日ころの深夜から翌一〇日ころの未明にかけて、甲林、丁原を誘い、ハイツの下見をし、同月一〇日、丙原に戊川商事の戊川という名で、同月一二日の帝国ホテルの部屋を予約させた。
 (一一) 被告人と甲野は、八月一二日昼ころ、喫茶店「穂高」で会い、更に乙丘を交えてむらさき寿司へ行き、飲食した。
  三 本件前の一連の事件
   1 ハイツ闘争
 (一) 甲野は、八月一二日午後、被告人と会った後、ハイツを襲撃し武器を奪取するため、甲林にレンタカーを借りさせ、丁原、乙島に包丁を買わせ、同日夜、帝国ホテルの二階の一室に丁原、乙島、丙原を、三階の一室に乙山、甲林を集合させた。三階の一室で、乙山が自衛官の制服を持参したことをまず確認すると、丁原を証券会社の支店長に仕立てて、乙山に対し、電話で、現金三〇万円の支払が確実である旨を伝えさせた。また、甲野は、前記調査報告書を乙山に示し、同人からハイツ闘争に参加する旨の言を取るや、同室に丁原、乙島を呼び寄せ、甲林に対してはレンタカーを運転すること、乙山、丁原に対しては自衛隊の制服を着用して変装した上、守衛を襲い銃器を奪取することなどの各自の役割分担を説明し、おじけづいた甲林を二階の一室に連れて行き、説得した。その後、乙山、丁原、甲林、乙島はハイツに向かって出発した。
 (二) 乙山と丁原は途中で自衛官の制服に着替え、ハイツ正門付近に自動車を停車させ、八月一三日午前三時ころ、乙島は車内で酔ったふりをし、丁原は包丁を持って同車付近に隠れ、乙山はハイツ正門前の検問所に行き、警備員Cに対し、「車の中で女が酔っている。薬でもあったらお願いしたい。」などと言ったが、拳銃等を発見できなかったため、同所からの武器奪取を諦め、自動車に戻り、四人とも同所を去った。
 (三) 甲野は、ドッキング地点で、前記四人の乗車する自動車に乗り込み、西武新宿駅前の喫茶店「やまき」に行き、乙山らから失敗した旨の報告を受け、次は朝霞駐屯地を襲撃すると言って、八月一四日午後喫茶店「くじゃく」に集まるよう命じた。
   2 第一次朝霞闘争
 甲野は、ハイツ闘争失敗後、甲林から闘争参加を断られたものの、朝霞駐屯地を襲撃するため、八月一四日夜、待機場所の成増駅前の喫茶店「宮殿」に乙山、丁原、乙島を赴かせたが、闘争に使用すべき自動車の調達に失敗したため、闘争を中止した。
   3 七軒町派出所闘争
 甲野は、前同日夜、第一次朝霞闘争中止後、丁原の下宿近くの東京都杉並区方南町一丁目所在の杉並授産所の運動場で、乙山と丁原に対し、七軒町派出所の警官から警棒を奪い、これで警官を殴り倒して拳銃を奪うよう指示した。両名は、自衛官の制服に着替え、翌一五日午前三時三〇分ころ、同派出所で勤務中の警察官中川富夫に対し、酔っていて見苦しいので中で休ませてくれなどと偽りを申し向け、同派出所内に入り、拳銃奪取の機会を窺ったが、果たせず、同所を去った。その後、甲野は、喫茶店「ヴィレッヂゲート」において、乙山と丁原から前同様失敗したとの報告を受け、八月二一日に朝霞駐屯地を襲撃する旨を決めた。
  四 本件(第二次朝霞闘争)
   1 甲野は、八月一七日ころの未明に甲林とともに、その後一人で、本件犯行に使用するレンタカーに取り付けるための偽装用のナンバープレートを窃取し、八月一八日ころ、乙島、甲谷に本件に関する指示等をし、八月一九日ころ、Kを乙島の下宿に連れて行き、本件に用いるヘルメット、制服、ビラ、柳刃包丁等の写真撮影を許し、八月二〇日、木更津駅前の喫茶店で乙山、丁原と会い、本件の段取り等を話し合った。
   2 甲野は、八月二一日午後、乙山、丁原、乙島、甲谷を、喫茶店「タイムス」に集合させ、丁原にレンタカーを借り受けさせ、これに制服、柳刃包丁、奪った銃を隠し入れるため乙島、甲谷が製作した縫いぐるみ人形等を積み込み、乙島、甲谷を連絡役として喫茶店「宮殿」に行かせて待機させた。甲野、乙山、丁原は、レンタカーに乗り込み、丁原の運転で、出発し、甲野は、途中の成増駅付近で降り、喫茶店「宮殿」に行った。乙山と丁原は自衛官の制服に着替えた上、自衛官を装って、同日午後八時三〇分ころ朝霞駐屯地内に侵入し、同所南側駐車場まで進行して降車し、乙山において、付近の公衆電話から喫茶店「宮殿」に待機中の乙島らに侵入の成功を知らせた。乙山、丁原は、同日午後八時四五分ころ、同駐屯地七三四号隊舎東側路上に至り、折りから動哨勤務中の自衛官陸士長B(当時二一歳)に出会った際、同人が携帯するライフル銃を強取する意思で、同人に対し、乙山において、Bの腹部を手拳で殴打し、その肩から首付近を両手でつかんで膝蹴りをし、丁原において、所携の柳刃包丁でBの右胸部等を数回突き刺す等の暴行を加え、同人を付近のくさむらに転倒させた。乙山、丁原は、ライフル銃を捜したが、発見できず、ヘルメット、ビラ、旗等を付近に遺留し、乙山において、Bの腕から警衛腕章一枚をとった上、レンタカーに乗り、同駐屯地から脱出、逃走した。Bは、間もなく、胸部刺創に基づく胸腔内出血等により失血死した。
  五 本件後の状況
   1 乙山は、本件後、喫茶店「宮殿」に立ち寄り、甲野の指示により、警衛腕章を入れた縫いぐるみ人形を乙島に渡した。翌二二日ころ、甲野から、本件に用いた柳刃包丁、制服等を処分するよう指示を受け、その後、まつばら荘付近の海岸で処分した。
   2 甲野は、八月二二日未明、Kに架電し、事件を起こした旨を伝え、翌二三日ころ、旅館「小富美」において、同人と会い、宣伝のため、事件の概要を話し、警衛腕章を丁原に持って来させ、これをKに渡した。
   3 甲野は、八月二四日午後三時三〇分ころ、難波予備校に架電し、被告人に事件を起こしたことなどを伝えた。
   4 被告人は、九月三日ころ、上京し、甲丘と会い、九月五日ころ、浅草の松屋デパート屋上、その付近の飲食店において、甲野と会い、九月六日ころ、甲丘とともに甲島七夫と会った。
   5 被告人は、九月六日付けの日本読書新聞に掲載された「本格的遊撃戦争の時代への勝利の根拠は暴力の人民性に」と題する記事を執筆した。
   6 甲野は、九月二一日午前一〇時ころ、長野県松本市内から、難波予備校にいる被告人に架電した。
   7 被告人は、四七年一月九日、ハイツ闘争に参加したとして強盗予備の容疑で逮捕状が発布されたと知るや、逃亡し、五七年八月八日逮捕されるまで逃亡生活を続けたが、その間五一年一二月ころ、群馬県大泉町で一緒に稼働中の甲本十夫に対し、本件犯行についての被告人の心情を語った。
第三 甲野供述の信用性
  一 はじめに
 被告人と甲野間の共謀の成否については、両当事者の主張が真向から対立している。共謀の成立過程として検察官の主張する事実の多くについては、事柄の性質上共謀者とされる甲野及び被告人の各供述しか直接証拠はなく、その他の点についても第三者の供述は必ずしも多くないので、共謀の成否を決するには、まず甲野供述の信用性を慎重に検討する必要がある。
  二 甲野の供述経過
   1 甲野の逮捕から刑期終了までの概観
 甲野は、四六年一一月一六日本件につき強盗殺人容疑で逮捕され、同年一二月七日公訴を提起された。同年一二月一〇日ハイツ闘争につき強盗予備容疑で再逮捕され、その後本件以外の余罪についても公訴を提起された。そして五〇年一月二九日強盗殺人、公務執行妨害、住居侵入、強盗予備、窃盗被告事件につき浦和地方裁判所で有罪判決を言い渡された。
 これに対して、検察官、弁護人ら双方が控訴し、東京高等裁判所は五二年六月三〇日強盗殺人を強盗致死とする等の破棄自判の判決を言い渡した。甲野が更に上告したものの、同年八月二〇日その上告取下により、右判決が確定した。
 甲野は同日から服役し、六〇年一月一六日仮出獄し、六二年六月一二日刑期が満了した。
   2 甲野の供述状況
 甲野は、逮捕当日から四七年三月一日までの間ほぼ連日の取調を受け、多数の供述調書が作成された。取調にあたった検察官は伊藤、熊澤両検察官であった。
 次に、四七年五月ころ、長山検察官の取調を受け、同月四日付けから同月二三日付けまで合計一一通の検察官に対する供述調書が作成された。
 また、甲野自身の一審公判では、四九年三月一四日から同年九月二日まで四回、二審公判では五一年七月八日から同年一一月二六日まで三回、いずれも詳細な被告人質問を受けた。
 そして受刑中の五六年一〇月から一二月にかけて、再び長山検察官の取調を受け、合計七通の検察官に対する供述調書が作成された。
 更に被告人が逮捕された後の五七年八月、坂田検察官の取調を受け、合計一二通の検察官に対する供述調書が作成された。
 最後に、甲野は、本公判廷において、五八年三月七日から五九年四月二七日まで一九回にわたり証人として尋問され、更に刑期満了後の六三年一月一二日公判期日外で証人として尋問された。
   3 まとめ
 このように甲野は四六年一一月一六日から六三年一月一二日までの一六年二か月間という長期間にわたり被疑者、被告人あるいは参考人として取調を受け、自ら公判では被告人質問を受け、更には証人として尋問された結果、その供述は極めて膨大となったばかりでなく、検察官も認めているように、その供述内容には相当の変遷も見受けられるので、ここで、甲野供述の内容を被告人との接触状況を中心に概観することとする。
  三 甲野の供述内容の概観
 甲野の供述内容を概観するには、供述のなされた時期、供述内容等を考慮して六期に区分して考察するのが便宜である。
   1 一期(四六年一一月一六日から同年一二月二五日、熊澤、伊藤検察官取調)
 甲野は、逮捕当日の四六年一一月一六日は容疑について否認したが、翌日から本件への関与を認めはじめた。供述内容には多くの変転が見受けられるが、その骨子は、次のとおりである。
 (一) 本件は、日本共産党赤衛軍と日大生を含むグループにより組織的、計画的に実行されたものである。被告人は赤衛軍の幹部であり、被告人の下に丙川、丙田、乙原、甲野、丁原、乙島らがいた。制服部隊は、乙山、丁原、私服部隊は丙川ら、レポ部隊は甲野、乙島であり、他に輸送部隊もある。Kも基地襲撃事件の謀議に参加した。
 (二) 六月、甲林から反戦自衛官組織の武器奪取計画を聞き、被告人に報告した。六月下旬スナック「もっきり亭」、文学部長室で被告人と会い、報告をし、甲林を信用できるかと聞かれた。また、「赤衛軍」の名称も出た。翌朝楽友会館で甲沢を紹介され、両名から協力を求められた。資金はK宛に近く送るので、受け取ってくれと言われた。
 (三) 館山で乙山と会うとき、丙川からボディーガードをつけられた。その後の七月上旬名古屋の喫茶店「田園」で甲沢と会い、館山で乙山から聞いた話(乙山の話)を報告した。
 (四) 喫茶店「にしむら」で乙山と会った後の七月一〇日ころ、被告人と名古屋で会った。闘争への参加を求められたが、これを断り、甲野の執筆した原稿を渡して帰った。
 (五) 七月中旬、レストラン「アラスカ」で被告人、乙本、乙田、乙原、Kらと会い、武器奪取の話をした(最終段階で六月一九日と変更した)。
 (六) 七月中旬、飲食店「久富」で、被告人、乙内、乙原らと会合をもった。丁原、甲林らが被告人と意思一致できたことを伝えた。
 (七) 八月二日、丙田から党の綱領及び戦斗宣言の原稿を渡され、緊急通達を暗記させられた。その後甲野は丁原と戦斗宣言の印刷をした。
 (八) 八月五日に上野の和風喫茶店、八月八日に池袋の喫茶店でいずれも丙川、丙田と会い、ハイツ闘争を決定した。
 (九) 八月一二日、喫茶店「穂高」と寿司屋で被告人から闘争用の靴、メガネ及び現金四万円を受け取った。
 (一〇) 八月一五日から二〇日までの間に、被告人から電話があり、Kに会えと言われ、Kに会い、犯行準備状況を写真に撮らせた。
 (一一) 八月一六日、喫茶店「くじゃく」で丙川から二一日に本件を貫徹すると指示された。
   2 二期(四六年一二月二七日から四七年三月一日、熊澤検察官取調)
 一期供述中の丙川、丙田は架空の人物で、同人らとの謀議はいずれも虚偽であるとして撤回した。また、文学部長室と「もっきり亭」会合が分割され、文学部長室の会合は五月とされ、「久富」会合についても他の会合との順序が大きく違っている。
 二期における新供述としては「もっきり亭」会合、「青冥」会合、「白樺」方式が主なものである。また二期内においても、独自の闘争とする供述など供述内容にかなりの変遷が認められる。
 (一) 被告人は「赤衛軍」のキャップである。六月一九日レストラン「アラスカ」で被告人から建党建軍、武器奪取闘争の話があり、甲野もこれを了承した。
 (二) 甲林の前記の話を聞き、七月初旬スナック「もっきり亭」で被告人と合い、報告した。被告人から、要求された三〇万円は連帯資金として渡しておくこと、Kに用立ててもらうことを指示された。
 (三) 館山で乙山と会った後の七月初旬、名古屋で甲沢と会い乙山の話の報告をした。
 (四) 七月下旬、飲食店「久富」で被告人と会い、銃器奪取闘争の必要性を論じた。
 (五) 喫茶店「にしむら」で乙山と会った後に被告人と名古屋で会い報告をした。
 (六) 八月上旬、中国料理店「青冥」で被告人と会い、種々検討した結果、甲野が実行責任者としてハイツ、朝霞駐屯地、派出所を順次襲撃することに決まった。
 (七) 八月一二日、喫茶店「穂高」で被告人からハイツ闘争をやり抜けと激励され、むらさき寿司で乙山に対する三〇万円の支払を踏み倒すのに利用する名刺を受け取った。
 (八) 八月一三日、喫茶店「タイムス」に被告人から電話があり、激励された。朝霞、交番襲撃は甲野の独自の考えでやった(後に嘘と撤回)。
 (九) 八月一五日から一九日までの間、被告人から池亀方の甲野に電話があり、宣伝のためKに会えと指示された(後に嘘と撤回)。
 一期に被告人の指示でKに写真撮影させたと述べたのは嘘である。
 (一〇) 盗聴防止のため、被告人とは「白樺」方式により電話連絡をしていた。
   3 三期(四七年五月四日から同月二三日、長山検察官取調)
 起訴後の取調であるが、四月「エレガントホテル」でサントリーレッドを飲んだ話、「白樺」方式の具体的内容、六月池亀方でマリファナを吸った話等が新たに供述されている。しかし「赤衛軍」の実態はよく知らぬと供述が後退している。
 その余の被告人との会合の日時、場所、会合内容については、二期に比較して供述内容が一般に詳細となっているが、内容的には大概同一内容である。
   4 四期(四九年三月一四日から五一年一一月二六日、甲野公判)
 被告人との共謀関係は明確に供述せず、本件は甲野が乙山に騙されて敢行したものであり、主犯は甲野であるかのように供述を変えた。
 (一) レストラン「アラスカ」では一般的な建党建軍の話をした。
 (二) 甲林の話は被告人に伝えた。
 (三) 飲食店「久富」での会話内容については、はっきり記憶していない。
 (四) 名古屋で甲沢と会った際、同人から「白樺」方式を教わった。
 (五) 七月下旬名古屋で被告人と会った際、「赤衛軍」の話を聞いた。「赤衛軍」は被告人がリーダーという組織形態ではない。
 (六) 大阪で被告人と会った際、乙山の身元調査を命じられた。被告人が包丁を準備しろと言ったという記憶はない。
 (七) 寿司屋で名刺を受け取った。被告人からハイツ闘争に成功すれば入党させるとは言われていない。
 (八) 謀議を喫茶店でしたことはない。いずれも密室や公園でした。ハイツ闘争、第一次朝霞闘争の報告は出していない。
 右のように供述している点が注目される。
   5 五期(五六年一〇月から五七年八月、長山、坂田検察官取調)
 受刑中の取調であるが、内容的には、大筋において、三期と同趣旨のものが多い。八月一五日から二〇日の間に、被告人から池亀方の甲野に電話があったことについては、再びこれを肯定し、二期において撤回した理由を述べている。また「青冥」謀議で当初派出所襲撃が含まれていると供述しなかったのは、後の取調で記憶を呼び戻したためであると供述する。更にKに写真を撮らせた件に関する供述変遷の理由を述べている。
 また四期供述について、甲野自身が最高責任者となって罪責を被ればよいと考え、後退した供述をしたと弁解する。
   6 六期(五八年三月七日から五九年四月二七日、六三年一月一二日、公判)
 受刑中及び刑終了後の供述である。大筋においては、五期供述を再現した内容となっているが、一部について供述を拒否している。
 五月、文学部長室における「赤衛軍云々」の落書について初めて供述した。
 期日外尋問においては、被告人の言う借金の話を明確に否定する供述をなしたが、名古屋での会合の件など公判供述と異なる供述をしている。
   7 まとめ
 以上の供述内容を簡約すると、当初は、被告人、丙川、丙田が主犯であり、甲野は連絡役にすぎないと供述し(一期)、これが捜査官の追及にあい通らないとみるや、丙川、丙田は架空の人物であり、被告人が主犯で、甲野はその指示に従って行動したに過ぎないと供述を変え(二期、三期)、更に自らの公判段階では乙山が主犯であって、甲野は乙山に騙されて本件に関与したものであるかのように供述を二転させ(四期)、受刑中の取調及び本公判では、再び被告人が主犯であるとの供述をするに至ったものである(五期、六期)。
 被告人との関係を除いては、関係証拠上、甲野が本件の首謀者であり、その指示により乙山、丁原が本件の実行行為に及んだことは明らかである。甲野の供述は、自己の刑責を軽減するため、他人に責任を転嫁するという観点では一貫しているものの、その供述内容においては、顕著な変遷が存するといわざるをえない。
  四 甲野供述の変遷についての当事者の一般的主張
   1 検察官の主張
 検察官は、甲野供述には確かに変遷があるものの、被告人との共謀関係を自白する根幹部分については、大きな変遷がなく、その信用性は高いという。また、供述の変遷部分については、甲野の説明する供述を変えた理由は、いずれも合理的なものであり、本件のように重大事件では共謀者の責任を問われている甲野が当初から全面自白することはありえないことであって、供述の変遷や客観的事実との不一致が過去にあったとしても、これのみを捉えてその信用性を論ずるのは誤りである。殊に六期供述は、甲野が禅との出会いによる悟りの境地で供述したものであって、弁護人の執拗な反対尋問にも耐えたもの、あるいは刑期満了後の自由な社会人としての立場で供述されたものであり、しかもその内容が詳細かつ自然で、臨場感にあふれ、それ自体信用性の高さを示すものでもある。その上甲野供述には、多くの裏付け証拠が存し、大筋においてその信用性は高いと主張する。なお、いわゆるピース缶爆弾事件では、甲野証言はその信用性を否定されたが、本件を同事件と同日に論ずることはできないと説く。
   2 弁護人の主張
 弁護人は、甲野供述には不自然な供述の変遷が多々見受けられ、単なる時間の経過による記憶の稀薄化では説明がつかず、明らかに虚偽の供述であると主張する。このことは、甲野自身が捜査段階、公判段階で自己の従前の供述は一部が嘘であったことを自認しており、甲野の説明する虚偽の供述をするに至った動機、理由は、到底首肯できるものではないことからも認められる。更に、甲野供述は、客観的証拠、関係証拠との不一致が存する上、本件前後におけるKとのインタビュー、本件後のプレイボーイ誌記者とのインタビューの内容とも符合せず、到底措信できない。また、反対尋問における甲野の対応振り等から考えると、甲野には証人としての誠実性、真摯性の欠如が認められるのみならず、甲野の公判供述は、その信用性が否定されたいわゆるピース缶爆弾事件と同様、自己を正当化し、その結果不利益を受ける相手方を中傷化し、心境の変化の理由として仏教の影響を持ち出して強調するもので、その信用性はとても認められない。
 以上の理由から、甲野供述には全く信用性が存しないと反駁する。
   3 当裁判所の判断
 両当事者が指摘するように、甲野供述の信用性をめぐっては解明すべき多くの問題点が存するのであるが、供述の信用性を一刀両断的、一義的に判断するのは相当でなく、個々の事項毎に、両当事者の指摘する点も踏まえた上、個別に検討すべきものと考える。
  五 証人としての誠実性について
   1 虚偽供述の自認
 甲野は自己の供述については虚偽供述の存することを自認している。
 例えば、
 (一) 一期供述では、謀議の日時場所について、従前の謀議の日時場所と変わったのは、記憶を呼び戻した結果であり、自己の作成した自衛隊等襲撃銃器強奪計画(謀議)進展状況表が正しいと供述していた(甲野46・12・18供書9一七五五)。
 ところが二期供述では、同表中の八月上旬の上野、池袋の各喫茶店及び八月一六日の喫茶店「くじゃく」での丙川グループとの謀議はいずれも嘘で、丙川グループと顔を合わせたこともないと供述を変えた。嘘をついた理由としては、責任逃れと丁原の罪を軽くするため、本件には多くの関係者がいることとしたと述べ、実際には甲野は赤衛軍のメンバーでオルグをしていたと供述した(甲野46・12・27PS書10一九七四)。
 (二) 次いで五期供述では、従前の供述は、被疑者又は被告人の立場にあったため、完全な自白をしたものではなく、いい加減な供述をしたり、曖昧な供述をしたものが訂正されず、そのまま残っていたり、捜査官と喧嘩をして、捜査官の書くがままにサインしたものもあり、客観的事実に反したり、説明不足が原因で誤解されたり、表現の曖昧な点があったと供述した。また、公判供述についても、自己保身のため、全部が全部真実を述べたとも限らず、曖昧に供述した点もあると述べ、これからは、既に判決も確定済みなので、事件の全貌を明らかにし、事の真相をありのまま話したいと供述した(甲野56・10・30PS書19三八三三)。
 (三) また六期供述においても、弁護人の反対尋問の際次のように述べている。例えば、タイムスに関する尋問に対して、「被告人には嘘をつく権利がある。自分に不利なことは認めなくてもいいし、ごまかしてもいい。」と述べ(甲野一一回証4八三六)、武器をまつばら荘の沖合の島に隠すことに関する尋問に対して、「証人と同時に被告人なので、仮に宣誓をしていても、自分に不利なことは適当に言ったり、ごまかしたり、いい加減なことを言ったりした。証言については必ずしも全面的に責任は持てない。」と供述している(甲野一四回証5一二六四)。
   2 誇張供述の性癖
 甲野は、自己の経歴、家族関係等について、明らかな虚偽を周囲の者に吹聴しており、誇張供述の性癖が認められる。
 例えば、弟は金沢の医学部に行っている(丁野一夫六四回証20六四五二)、京大、同志社大を中退した(丁山春子六五回証20六五〇七、丁原46・12・25(その二)PS書38八一八九)、フランスの五月革命の時にカルチェ・ラタンにいた(甲山一夫六五回証20六五九四)、妻子がいる(甲山、丁山、丁原前同、丁田夏子五七回証18五六六四)等と述べているのである。
   3 関係者の供述
 また、甲野の虚言癖を指摘する関係者もいる。例えば、丁原は、甲野は一面には見えすいた嘘をつくと供述している(丁原46・12・25(その二)PS書38八一八九)。
   4 まとめ
 以上検討したところから明らかなように、甲野の証人としての誠実性については疑問を投げかける点が見受けられることは否定できないところである。
  六 甲野供述の信用性判断についての当裁判所の方針
 右のように、甲野供述は多くの変遷を重ねており、その変遷の理由に合理性が存するかどうかについても当事者の見解が厳しく対立しており、またその証人としての誠実性にも問題点が見受けられる。
 他方、甲野供述には、確実な裏付け証拠の存する真実を語ったと認められる部分も存することを認めない訳にはいかない。
 したがって、甲野供述の信用性判断にあたっては、極めて慎重な検討が要請されるところであり、供述全体の整合性、供述内容の合理性、自然性、供述変遷の理由、補強証拠の有無、反対証拠の有無等を丹念に検討した上で個々の事項毎に総合的にその信用性を判断するのが至当である。
 以下、事項毎に順次その信用性を検討する。
  七 旅館「津乃村」、エレガントホテル
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) J記者から週刊朝日の記事についてインタビューを受けた日の数日後に、Jから被告人と会えるよう連絡がついたと言われ、五〇〇〇円貰って翌朝新幹線で大阪へ行った。車内から予備校に電話し、新大阪駅まで出迎えてもらうことになった。
 京浜安保共闘と関西左派ブントのラインを構築するために会いに行った。
  (2) 旅館「津乃村」で朝日新聞社記者Lを紹介された。被告人は関西の新左翼の現状を話し、関西のパルチザンは不調だ、京浜安保共闘の丙谷と手を握りたい、警察、自衛隊、米軍等の武器を奪って武装し、それらと闘争すべきだと言い、甲野も同意した。
  (3) 大阪でLと別れ、梅田近くのもつ焼屋(赤提灯)に行った。被告人は、四・二八沖縄デーをここ一番闘わなければならない、どう闘うかが問題だ、軍団を建設して東京に突込む方針だなどと語った。また、京浜安保共闘の者から爆弾製造の手ほどきをしてもらったとも言っていた。
  (4) その夜はビジネスホテルに泊まった。宿帳は被告人が書き、金を払って帰って行った。
  (5) 四・二八の闘いを側面的に支援するため、四月二八日丁原、甲山一夫、丙丘六男と変電所、大原交差点で火炎びんを投げた。このことは前日予めJに連絡しておいた(甲野46・12・25KS書10一八七五)。
 (二) 二期
  (1) 関西の極左グループと連帯したいとペン丙谷が言っていたので、一度被告人と会って話を聞いてみたいと思い、Jの仲介により四月一三日ころ新幹線で大阪へ行った。車内から予備校に電話し、被告人を本名で呼び出し、新大阪駅まで出迎えてもらった。
  (2) 旅館「津乃村」でLを紹介された。Lが同席していたので、深い話はしなかったが、関西パルチザンと甲沢のエル・ゲー(RG)とペン丙谷の京浜安保共闘が手を組んで闘争を進めることについて一時間位話し合った。
  (3) Lと別れた後、被告人と戊野プロに寄り、エレガントホテルに行った。ホテル代は戊野プロの人が払った。その後近くの赤提灯に行き、二時間位四・二八闘争の話をした。被告人は、京浜安保共闘の者から手製爆弾製造の手ほどきを受けた、東京で一発闘争をやろう、RG、パルチバンの連中をかき集めて東京に送り込む、東京駅や新宿で火炎びんを投げたりして遊撃戦をやろう、君も共闘してくれなどと言った。
  (4) 四・二八闘争の何日か前に、被告人とJに闘争の日時場所を教えた。被告人は東京駅の方でやるようなことを言っていた。甲野らの闘争はプロパガンダのための遊撃戦だった(甲野46・12・27KS書10一九七二、46・12・27PS書10一九八七、46・12・28PS書11二〇〇一、47・2・9PS書13二五五九、47・2・14書13二五七七)。
 (三) 三期
  (1) 被告人に会いに行った目的は二期と同じ。
 被告人と出会うまでの経緯は、指定された予定の時間に間に合う列車に乗り遅れたため予備校に電話したことが加わっている外は、二期と同じ。
  (2) 旅館「津乃村」での対談の模様は、腹の探り合いとの供述が加わる外は、二期と同じ。
  (3) ホテルに行くまでの経緯は二期と同じ。ホテルの部屋で被告人がショルダーバッグからサントリーレッドの普通サイズを取り出し、二人で三〇分位で空けた。赤提灯での話は、二期と同様の会話の外、甲野の補導歴、女性の話等も出た。被告人は、いわばお近付きの印としての杯だと言い、四・二八清水谷の前哨戦をやろうと言ったので、甲野も一緒にやろうと答えた。親近感がわき、引きつけられ共感するところが大きかった。
 ホテルに帰ってから、予備校、京大研究室、自宅の電話番号を教えてくれた。甲野はJを仲介役とし、連絡先は追って知らせることにして別れた(甲野47・5・12PS書14二八〇六)。
 (四) 四期
 特に目的があって会いに行った訳ではない。
 Jの紹介により被告人と初めて会った。新左翼の武装闘争運動の停滞に関して討論した。同じ運動をする者同士として連絡をとり合ってやっていこうという話になった。武装闘争の問題は、一般的な話をしたにすぎず、特定個別の闘争についての話ではなかった(甲野一審二二回49・3・14書16三一九八)。
 (五) 五期
  (1) 被告人の過激な武力革命理論に共鳴する点もあったので、被告人と会ってみる気になった。
 Jに呼び出され、五〇〇〇円交通費の足しとしてもらったことが加わる外、被告人と出会う経緯については三期と同じ。
  (2) 旅館「津乃村」では、被告人は毛思想と中共の路線を評価すると言っていた。武装闘争を推進する中核部隊を建設する必要がある、RG、パルチザン、京浜安保共闘の統一戦線が組めないかとも言っていた。要するに、最近の革命情勢についての話や雑談が主だった。
  (3) ホテルに行くまでの経緯及びホテル内の状況は三期と同じ。赤提灯では、被告人が四・二八には京都などから活動家をかき集めて清水谷公園で開かれる蜂起戦争派の集会に参加して都内で暴れる予定であるが、共闘して何か一つやろうと言ったので、甲野もこれを承諾した。ホテルで被告人が今後も連絡を継続しようと言って、三期と同じ電話番号を教えてくれた(甲野56・11・10PS書19三八六七、56・12・17KS書21四二二九)。
 (六) 六期
  (1) 被告人は、関西方面では、いわゆる過激派集団の教祖的な人なので、会えばいろいろ教えを請うことができるだろうと思って会うことにした。
 被告人と出会う経緯については、二期と同じ。
  (2) 旅館「津乃村」でLの紹介を受けた。日本で暴力革命をやり、世界革命をめざしていく暴力派というか、武闘派として、お互いに一致できるという話が出た。毛沢東思想や中国共産党を評価できるという話が出た。そして、日本の革命は、暴力革命であって、そのためには武装闘争をやらねばならず、中核となるゲリラ戦部隊を作っていかにゃいかんのだということを言われた。関東や関西にいくつかある武装闘争を指向しているセクトとかグループ、こういったものを、いろいろ連絡を付けて共闘といいますが、統一戦線のようなものが組めないだろうか、そういう可能性はないだろうかということについて話し合った。被告人の言うことには異議はなかった。
  (3) ホテルに行くまでの経緯及びホテル内での状況は三期と同じ。赤提灯では、被告人が四・二八に京都のいわゆる過激派の学生の人たちを東京へ送る、蜂起戦争派の集会があるんで、何かそれに呼応して、一つ悪さをしようと話をした。すごくいい人だなあという感じでその人柄に非常にひかれた。革命の問題についても話し合ったが、被告人とだったら、今後、一緒に活動できる。被告人が革命にかけている情熱というのは、非常に立派だと思って感激した。今後連絡を取り合うことになり、三期と同じ電話番号を教えてくれた。甲野も連絡先を話して別れた。
  (4) 甲野は、被告人から一つ悪さをしようという話があったので、四・二八に丁原、甲山、乙本らと代田橋の変電所や大原交差点に火炎ビンを投げた。
   2 旅館「津乃村」会合
 (一) 甲野供述は、会合に行った目的、Jの仲介時期、Jからの交通費の供与、待ち合わせの決定方法、列車に乗り遅れの有無、旅館への到着時間、甲野が紹介されたときの名、会話内容等多岐にわたる変遷があり、直ちには措信し難い。
 (二) 甲野は一期では、武器奪取の話もされたと供述している。
 ところで、「津乃村」での会合には、朝日新聞社の記者であるLが被告人の誘いにより同席していたが、証人Lは、特定の具体的闘争に向かっての重々しい話や具体的な組織の共闘の話などはなく、二人は何やら抽象論に走ったような話をしていたが、なごやかな話し合いであった旨証言している。Lはその経歴などからみて比較的中立的立場にある証人であること、全体的に証言内容は自然で、曖昧な点を含めその証言は記憶に忠実なものであると認められること、甲野供述にあるような武器奪取の話などがあれば印象に残りやすいと考えられることに照らし、右L証言は信用できる。甲野供述は、右L証言と整合しない。
 しかも、甲野は、二期以降においては、被告人とは初対面であり、新聞記者も同席していたので、腹の探り合いで、深い話はしなかったとほぼ一貫して供述しており、その供述内容は、合理的であり、不自然な点は見受けられず、L証言とも矛盾せず、措信できる。したがって、武器奪取の話があったとの甲野供述は信用できない。
 (三) 二期以降の甲野供述では、会話内容に差異は存するものの、要するに、新左翼運動の活動家同志の一般的な共闘の話であり、この点については、L証言とも符合し、被告人も甲野も従前の新左翼運動にあきたらず新たな活動形態を模索していた活動家であることを考慮すると、その会話内容は極めて自然と解される。
 したがって、甲野供述は、新左翼運動の活動家として一般的な共闘の話をしたとの限度では措信できる。
   3 エレガントホテル
 互に緊張をゆるめるために、エレガントホテルで被告人の持参したサントリーレッドを二人で飲んだとの供述は、三期において初めて出現している。
 検察官は、その場にいた者でなければ供述しえない出来事であり、甲野供述全体の信用性を高めるものであると主張する。
 これに対して、弁護人は、逮捕後六か月近くたって初めて供述されたのは極めて不自然で、L、丙沢証言と矛盾し、右事実が存しなかったとの合理的疑いを抱かざるをえないと主張する。
 確かに逮捕後長期間供述されなかったことについての説明は、甲野もしていないのであるが、右の点は、被告人との初会合に関する供述中では些細な出来事に属する事柄であり、その間供述がなされなかったからといって、不自然とまではいえない。
 弁護人の指摘するL、丙沢証言は、エレガントホテルでの出来事を目撃したものではなく、甲野供述に対する反対証拠としての証拠価値は必ずしも大きくない。
 ところでKは甲野から聞いた話として、被告人がブラックニッカをボストンバッグに入れて飲んでいると供述する(K47・1・27PS書34七〇二二)。右供述はウィスキーの銘柄こそ違え、甲野供述を補強するものであり、甲野供述は信用できる。
 しかしながら、甲野供述の変遷に鑑みると、検察官主張のように、二人でウィスキーを飲んだという出来事について供述がなされていることがそれ以上に甲野供述全体の信用性を高めるものでないことはいうまでもない。
   4 居酒屋
 (一) 居酒屋に行ったことについて
 弁護人は、居酒屋に関する甲野供述は、甲野が、その供述をLに否定されるのを避けるため、自己が作り上げた話を、Lが存在しない場での話として供述したものであり、その居酒屋の場所が特定されていない点からみて、居酒屋で話をしたということ自体虚偽である旨主張する。しかし、甲野供述をみると、居酒屋に行ったこと自体は当初より一貫し、変遷がないこと、一期の甲野供述の内容は、被告人が旅館において、警察、自衛隊、米軍などから武器を奪って武装すべきだと言った、Lについて中国のスパイルートとして京都の東方書店を被告人に紹介した人だと言ったなどLにより自己の供述が否定されることに配慮したとは全く解しえないものであったこと、したがって、甲野において行ってもいない居酒屋のことをわざわざ創作すべき動機は存しないこと、大阪の市街地内で初めて行った居酒屋の場所を甲野が特定できなくても不自然ではないことに照らし、居酒屋に行ったこと自体に関する甲野供述は不自然とまではいえず、弁護人の主張は理由がない。
 (二) 四・二八闘争について
  (1) 甲野供述は、四・二八に向けての共闘について話し合ったとするものである。
  (2) この点については甲野供述を一応裏付けるような証拠が存する。すなわち、四・二八闘争に関し、甲野は、実際に、四月二四日夜、丁原、甲山、丙丘とともに、大原交差点及びその付近の変電所に火炎びん数本を投てきしたが、関係者の供述によると、その直前甲野は、丁原らに対し、その日の晩に関西から来る部隊が東京駅で行動を起こす、甲野自身はそちらに行くが、丁原らは側面から援助する意味で右交差点で火炎びんを投げよと命令したこと(丁原46・12・27PS書38八二一七、47・3・1PS書59一三五一三、甲山47・3・6PS書58一三三五七、甲山六五回証20六六〇五も概ね同旨である。)、自分は東京駅に用があるとしてどこかへ行き、当初は投てきの実行に加わらなかったこと(甲山47・2・23PS書58一三三〇九)が認められる。右丁原及び甲山供述は、矛盾なく、また供述内容自体、両名が独自に創作できるものではなく、信用できる。
 また、同人らは、朝日新聞が火炎びん闘争の特集をするので、投げてくれと甲野に言われたとも供述しており、Jも四・二八か何日か前に甲野から何かやるという電話があり、火炎びんを投げると言われたように思う、場所は大原交差点と言われた記憶が残っているがはっきりしない、しかし、アサヒグラフのM記者が取材に行ってみたが、何も起きなかったと言われたことがあると述べている(JPS書43九八九九)。
 弁護人は、甲野が四・二八沖縄反戦デーにかこつけて、朝日新聞にガセネタを売りつけ、丁原らをけしかけて実行させたのが四・二八闘争の真相であり、辻褄合せのため被告人との共闘を作りあげたものであると主張する。
 確かに、四月二四日、被告人が東京に人を送り込んだ形跡はなく(勿論東京駅での行動の形跡もない。)、一方甲野は火炎びん投てき行動を朝日新聞社に取材させようとしており、甲野供述によっても、旅館「津乃村」の会合後、被告人と甲野との間で、この件について共同歩調をとるために連絡をとったことについて、具体的な事実は述べられておらず、また約一〇日後の文学部長室等における被告人と甲野との会合の際、四・二八闘争について反省など話し合われた形跡が全く存しない。しかも甲野の四月二四日当日の行動も、丁原の周囲を徘徊するだけであり、東京駅に向かった形跡も窺われない。
 このように、甲野供述を真実とすると、甲野のその後の行動は不自然な行動といわざるをえず、前記認定事実とも符合しない。
 どちらかといえば、丁原、Jらの朝日新聞社の取材に関する右供述部分を前提として、甲野が自らの行動を朝日新聞社に売り込んだものと解すると、甲野の言動は十分説明がつくと考える余地がある。
  (3) そこで甲野供述の供述経過を検討すると、当初は、被告人が軍団を建設して突込む方針だと述べたのに対し、甲野は態度を明らかにせず、ただ側面的に支援するため火炎びんを投げたと供述していたが(一期)、四・二八に向けて連絡をとって闘争を進めようということになり(二期)、また、共闘の申込に対し、四・二八の何日か前に被告人に闘争の日時場所を教え、甲野においてはプロパガンダのための遊撃戦をしたとの供述(二期)が、共闘の申込に対して甲野も一緒にやろうと答えた(三期)、都内で暴れるので一緒にやろうと言われてこれを承諾した(五期)、蜂起戦争派に呼応して悪さをしようということとなった(六期)と変遷している。この供述経過から明らかなように、甲野供述は、供述の度に内容が詳細となり、甲野の態度が積極的になっていくことが看取されるものの、共闘の中味は依然として曖昧なままである。このような状態で、火炎びんの投てきに至ったとする甲野供述は、やや不自然のそしりを免がれえない。
  (4) また、後述のごとく、五月の京都での会合もJの仲介によるものと認められるが、このことは甲野供述の四・二八に向けて被告人と連絡を取り合っていこうと話し合い、今後も連絡を継続しようということで被告人の勤務する予備校及び研究室の電話番号、自宅の呼出し電話番号を教わったということと整合せず、このように甲野供述には不審な点が認められる。
  (5) 更に甲野は、五月五日、文学部長室から丁原、甲山宛に「六日五時モンブランで待つ 丙林」という内容の電報を打っており、この電報の趣旨を巡っては後述のごとく争いが存するが、火炎びん闘争との辻褄合せのため関西に縁があるかのように装って打電したものとの弁護人の主張を否定するのも困難である。
  (6) 以上の点から考えると、甲野供述は、火炎びん闘争について一応の裏付け証拠は存するものの、甲野供述に反する証拠も存し、不自然な供述の変遷も認められ、五月の会合に至る経緯等との齟齬も認められるので、弁護人の辻褄合せにすぎないとの主張を完全に否定することはできず、四・二八闘争について甲野供述どおりの会話があったと認定するのは躊躇せざるをえない。
 (三) その余の会話内容について
 甲野は、酔って、少年時代に補導されたこととか女性のことなどを話したところ、被告人から、そういうやくざな男が大好きだ、共産主義暴力戦士とはすねに傷を持つならずもののようなやつでなくてはいけない、党派、セクトを越えたところで個人的に結合できるのだ、などとほめられた、更に被告人が自分の女性の話など一般に活動家ではタブーとされている話をし、二人の話がはずんだと供述する(三期)。右供述には、党派、セクトを越えたところでの個人的結合のことなど、どちらかといえば、被告人独特の考え(主義主張を金科玉条とし組織活動を重視する従来の新左翼諸派を批判し、個人の生き方という観点から、下からの新しい人間結合の在り方を生みだそうとするもの、八四回証26八三九九、八四三〇、八四四四)に近い発想があらわれていること、話の流れは自然で創作や誘導の結果とは解し難いこと(補導されたことなどに対する被告人の反応やそこに被告人の女性の話を持ち出し、全体を自然に作り上げることは困難である。また、個人的結合などということは、建党建軍という組織的側面を重視する甲野供述と整合せず、そのようなことをあえて創作したとは解し難い。)、右供述は、四七年五月の段階で初めて供述されたものであるが、会話内容が謀議の形成過程そのものを直接裏付けるものではないので供述者や捜査官の関心が低かったとみられ、右供述過程に不自然さはないことに照らし、右甲野供述は、細部については被告人の考えに対する甲野の理解が不十分であるところも見受けられるものの、概ね信用できる。
  八 京大文学部長室、楽友会館
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 甲林の話を被告人に伝えた後、被告人の指示で京都へ行った。駅前からスナック「白樺」に電話したところ、被告人が出て、百万遍の名曲喫茶の前で会うこととなった。
  (2) 被告人と会って、スナック「もっきり亭」へ行き、甲林の話の報告をした後、一人でスナック「白樺」に行き、次いで文学部長室へ行った。
  (3) 文学部長室へ行くと、すぐに被告人、乙田が来て、同所にいた乙沢八久も紹介された。被告人は、非合法遊撃戦争の話をし、武装闘争を基軸として日本革命を推進する日本共産党と赤衛軍建設を説いていた。また、甲林の話の信用性についても聞かれた。被告人は乙田にC、L戦線の者にしっかり空気を入れておけと指示した。当夜は被告人らと同所で寝た。
  (4) 翌朝楽友会館に行き、甲沢の来るのを待った。三人揃ったところで再び甲林の話をした。甲沢から面白い話だが、相手の組織の実体と信用性の問題が気になる、三里塚で忙しいので仲立ちしろと言われたが、意思の一致をみなかった。
  (5) 甲沢と同所で別れ、繁華街の喫茶店へ行った。被告人は甲野の執筆した論文については出版社に頼んでやると言った。被告人から武器が入れば沖縄闘争に実益があると言われ、甲野は今後の連絡役を引き受け、自己の下宿先の住所、電話番号を被告人に教えた。三〇万円はK宛に送るので、受け取って先方に会えと指示された。名古屋の実家に一泊して帰京した(甲野46・11・20KS書7一一六〇、46・11・21KS書7一一八二、46・12・18供書9一七五七)。
 (二) 二期
  (1) 予備校か研究室に電話して五月四日京都へ行った。スナック「白樺」への電話からスナック「もっきり亭」へ行くまでは一期と同じ。「もっきり亭」で被告人の筆名の由来等を聞き、「白樺」へ一人で寄って、文学部長室へ行った。
  (2) 文学部長室で待っていると、被告人が来て、乙田、乙沢八久を紹介してくれた。被告人は、地下革命党の話をし、京浜安保共闘の銃器奪取闘争は評価できる、敵である警察、自衛隊、米軍から武器を奪い、敵を武装解除、消耗させ、人民を武装させ軍事武装闘争をすべきだ、毛沢東思想で、赤衛軍を創り、遊撃戦を行うべきだと説き、甲野と意思一致をみた。話の前後にラーメン屋へ行った。
  (3) 翌日楽友会館で初めて甲沢をRGの黒幕と紹介された。被告人が前夜と同じ話をした。甲沢が三派で構成する誌上座談会を朝日ジャーナルで企画している旨の話をし、これを受け容れて、アジるだけアジって資金をもらい、赤衛軍のプロパガンダをすることとなった。
  (4) その後被告人と鴨川の土手で雑談し、名古屋の実家に一泊して帰京した(甲野46・12・27KS書10一九七二、46・12・27PS10一九八八、46・12・28PS書11二〇一〇、47・1・7KS書11二一八五、47・2・14PS書13二五八一、47・3・2KS書13二六九三)。
 (三) 三期
  (1) Kと会った日に喫茶店「シロー」に被告人から電話があり、来ないかと言われ、特に目的もなかったが、五月四日京都に行った。スナック「白樺」から文学部長室へ行くまでは二期と同じ。
  (2) 文学部長室へ行くと一五分位して被告人が来た。同所はクーラーが設置されており涼しかった。乙田と乙沢八久を紹介され、ラーメン屋に行った。甲野が焼ソバの大盛りを残したところ、乙田がこれを食べた。文学部長室に帰ってから、被告人はラーメン屋はスパイかも知れぬと言っていた。被告人は建党建軍の話をし、敵を襲撃して武器を奪い、遊撃戦を獲得せねばならぬ、人民の軍隊として「赤衛」という形をとるなどと説き、甲野も闘争を一緒にやっていこうと思った。
  (3) 翌日楽友会館で甲沢をRGの黒幕と紹介された。被告人は、左から解体し、日本階級闘争のヘゲモニーを取るなどといい、意思の一致をみた。
 甲沢からいわゆる「白樺」方式という電話連絡の方法を教わり、その後は何時でもこの架電方法によることになり、常に右方法で連絡を取り合った。
 朝日ジャーナルの件は二期と同じ。
  (4) 甲沢と別れて、被告人と鴨川の土手でローザ・ルクセンブルグの話などをした。その後御所を散歩中甲野の結婚の話が出た。名古屋の実家で一泊して帰京した(甲野47・5・16PS書14二八四〇、47・5・17PS書14二八七四)。
 (四) 四期
 五月に被告人と会ったときは、主として運動論とか組織論とか思想的な問題を話し合った。建党建軍の話も出た。武器奪取の具体的な話はなかった。抽象的にはあったかもしれないが、記憶がない。被告人は先生の立場であった。甲沢から朝日ジャーナルの誌上座談会の話はあった(甲野一審二二回49・3・14書16三二〇〇)。
 (五) 五期
  (1) 文学部長室へ行くまでの経緯は、三期と同じ。
  (2) 文学部長室で待っていると、被告人が来て、乙田、乙沢八久を紹介され、雑談をした。その後、ラーメン屋からスパイの話までは三期と同じ。
 被告人は、日本革命の現段階は武装闘争であり、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を基調とする地下非公然の革命共産党と軍隊(赤衛軍)を建設し、銃、爆弾を使用した遊撃戦争を展開する、当面は三里塚、沖縄闘争を戦争として闘い切らねばならぬと言った。甲野もこれに賛同し、今後とも連絡をとりながら活動していくことになった。
  (3) 翌日楽友会館で甲沢を紹介され、被告人が昨日と同じ話をした。一致して闘争を組んでいくこととなった。「白樺」方式の件は三期と同じ。朝日ジャーナルの誌上座談会の件については、被告人がおおいに暴力派を宣伝し、取材費だけふんだくろうと言い出し、やることになった。
  (4) その後、鴨川、御所をぶらついて、名古屋の実家で一泊して帰京した(甲野56・11・10PS書19三八七八、56・12・17KS書21四二三五)。
 (六) 六期
  (1) 大阪で被告人と会った後も、被告人と連絡を取り合っていた。何時のときだかはっきりしないが、被告人から京都に来いよという話があった。それで特別の用件もなく京都に出かけた。
  (2) スナック「白樺」への電話からラーメン屋までの話は、大概二期と同じ。
  (3) その後、文学部長室で被告人は、新左翼は既に組織ごと体制の内部に丸め込まれ、革命性を喪失して変質し堕落しており、革命勢力とは認め難い。
 赤軍派は、武装蜂起を主張して、古い新左翼の枠を破って登場したが、弾圧を受け、壊滅状態になっており、展望はない。
 だから、従来の新左翼と訣別して新しい流れを作っていかなければならない。毛沢東の中国共産党の世界革命の路線を評価しつつ新しい日本革命の総路線を確立しなければならない。中国共産党とのルートを確立して資金等の援助をしてもらわないと、革命はできない。
 マルクス・レーニン主義を基本にして、毛沢東思想に学びながら、全国に散在している武闘派の群小グループを闘いの中から統合止揚して、非合法の革命的共産党及び軍としての赤衛軍を作っていかなければならない。
 当面、三里塚闘争、沖縄闘争を如何に軍事的に戦争として闘い抜くかということが問われていると述べた。
 甲野は、これを聞いて共鳴し、感激し、賛成した。
 被告人と、今後、お互いが連絡を取り合って、その目的のために力を合わせて頑張っていこうと約束した。
 甲野は、被告人の右の話に感激し、文学部長室で寝るとき、壁に赤衛軍万歳(ないし、赤衛軍の建設を戦いとるぞ)との落書をし、このことを早く伝えるために、丁原、甲山に電話電報を打った。
  (4) 楽友会館の件は五期と同じ。
  (5) その後御所、鴨川を被告人とぶらつき、喫茶店に入って後別れた。名古屋の実家に一泊して帰京した。
   2 会合時期についての供述変遷
 (一) 甲野供述は、当初文学部長室、楽友会館での会合をスナック「もっきり亭」での会合と一体のものとし、時期も四六年六月下旬から七月上旬ころで、甲林からの話を被告人らに伝え、その問題について討議したと供述していたが、46・12・27KS(書10一九七二)からレストラン「アラスカ」での会合(六月)の前の五月初旬ころとし、スナック「もっきり亭」での甲林の話は「アラスカ」会合後の七月上旬のころとし、文学部長室等では建党建軍、赤衛軍、武器奪取闘争について話し合ったとなり、甲沢からの朝日ジャーナルの誌上座談会の話が付加された。更に47・5・17PS(書14二八八三)で甲沢から「白樺」方式を教わったとの話が初めて供述され、四期においては供述が全体的に後退し、「白樺」方式の件も七月の甲沢との名古屋会合での出来事となったが、五期で再び三期と同趣旨の供述となり、六期に至っている。
 被告人との謀議状況を中心に甲野供述の変遷を時系列順に図式化すると次表のようになる。
 謀議順序一覧表

 <1> 46・11・20KS、46・12・3PS
 <2> 46・12・18供
 <3> 46・12・27KS、46・12・29PS
 <4> 47・1・7KS
 <5> 47・2・14PS
 〓 前後関係が不明確との趣旨
 1 甲林の話
 2 文学部長室
 3 「もっきり亭」
 4 「ヴィクトリア」
 5 甲沢との名古屋会合
 6 「にしむら」
 7 被告人との名古屋会合
 8 「アラスカ」
 9 「久富」
 10 「青冥」
 11 「穂高」、むらさき寿司
 このように一期と二期以降では文学部長室の会合と甲林の話の時間的順序が逆転していることが明らかである。
 確かに日時の点については、時間の経過により記憶が稀薄化し、供述が曖昧となることは日常生起することで決して不自然とはいえないが、一連の出来事の時間的前後関係の変動を同様に解することはできない。自己の体験した一連の出来事の前後関係に混乱が生じるのは、ごく普通の事とはいえず、甲野供述の変遷には不自然さが認められる。
 (二) しかも甲野供述は、文学部長室での会合と他の会合との前後関係が逆転しているのみではない。前述のように当初はスナック「もっきり亭」での会合と一体のものとして供述されていたものが、その後両者が分離され、文学部長室での会合は、レストラン「アラスカ」会合の前の五月初旬ころに、スナック「もっきり亭」会合は、レストラン「アラスカ」会合後の七月初旬ころに分割され、会合内容も当初の甲林の話の報告が建党建軍、武装闘争等の話に一新されており、この供述の変遷は、はなはだ不自然である。
 甲野は、一期においては被告人と甲野との間に丙川ら架空の人物を介在させたため虚偽の供述をしたと弁解する。しかしながら、その虚偽の供述をした訳として述べる理由は、被告人との会合についての供述の変遷の合理的説明とはいえず、何故文学部長室での会合に関する供述が四六年一二月二七日を境に変遷していったのか、その理由は判然とせず、甲野供述は、真実記憶に基いたものか疑問が残る。
   3 Jの仲介
 甲野は、被告人と直接連絡をとった上で京都に赴いたと供述している(連絡の電話を何処へ架けたか、あるいは何処で受けたかについては、供述の顕著な変遷が見られる)。
 ところで、Jは甲野と被告人との会合の仲介をとったと供述している(六七回証21六七七六)。同人の供述は、かなり朧気であるが(同人のPS書43九九一六参照)、同人が当時使用していた手帳(符64)には、四月三〇日深夜の欄に「戊原へTEL」とあり、五月四日午後零時の欄に「甲川へTEL」、その甲川という記載のすぐ横に「戊原」と併記された記載があり、五月五日の欄には「甲川×丙本」との記載が抹消されていること、また甲野供述からは、右の記載が仲介以外の趣旨であることを窺わせる事情は認められないことをも考慮すると、J供述の信用性は高く、五月の会合についても甲野と被告人との仲介の労をJがとったものと認定するのが相当であり、これに反する甲野の前記供述は措信し難い。
   4 建党建軍の話
 甲野は、ほぼ一貫して被告人が、非合法の革命的共産党(日本共産党)及び赤衛軍を革命の担い手として建設すべきであるなどと力説したと供述する。
 しかしながら、被告人の当時の著作物を検討しても、被告人が暴力革命を志向し、既存の新左翼運動を超えた武装闘争の必要性を説いていることは明らかであるが、その論説の具体的内容は、左翼運動停滞の原因は既存の左翼組織が大衆の闘争を固定したものに限定している点にある、そのような形で大衆を組織するのではなく、大衆から自然発生的に生ずる運動を助長し、無定形、無方向、無秩序なものを増加させる必要があり、その担い手である、ならずもの赤衛軍を増殖せよ、というもので、甲野供述にあるような革命的共産党及びそれに属する軍として赤衛軍を建設するといった、秩序ある組織の編成を主張するものではなく、また、被告人の主張は、そのような組織による下命関係を批判し、大衆からの自然発生的運動を重視するものと認められる。
 このように甲野供述の建党建軍の話は、被告人の当時の著作物の内容とは相反するものといわざるをえない。
 殊に、日本共産党の名称は、新左翼運動の中では殆ど用いられていず、僅かに京浜安保共闘の母胎である日本共産党左派の名称が注目され、被告人が従前所属していた関西ブントも右名称を用いていない。また被告人の著作物にも日本共産党の創設を論じている箇所は見当たらない。これに対して、甲野は、四六年二月一八日及び同年五月ころ、京浜安保共闘の幹部を騙って週刊誌の記者の取材を受けており、当時の甲野には京浜安保共闘の影が色濃く残存していると見受けられ、日本共産党の名称は、被告人に由来するのではなく、甲野に由来すると解するのが自然である。
 しかも文学部長室での会合に同席した乙沢八久も、被告人側の立場にある者とはいえ、建党建軍の話はなかったと供述している点も無視しえない。
 以上検討した結果建党建軍の話に関する甲野供述には、首肯し難い点が認められ、俄かに措信し難い。
   5 赤衛軍の落書
 (一) 落書の有無
 甲野は被告人との会合の結果感激の余り文学部長室の出入口附近の壁に赤衛軍云々の落書をしたと六期に至り初めて供述した。
 弁護人は事件後一〇年以上経過して初めて供述されたこと自体から右供述が記憶に基づくものでないことは明らかであり、虚偽であると主張する。
 しかしながら、当時甲野の供述するような落書の存したことは乙沢八久の供述により明らかに裏付けられている。すなわち同人は、甲野が文学部長室に宿泊した翌日、同所窓付近の壁に赤のポスターカラーで書かれた「赤衛軍」ないし「赤衛軍万歳」という趣旨の落書を見つけたと供述する(証17五一五一)。同人は、四八年一一月ころを皮切りに何度か捜査官から事情聴取を受け、一貫してこの件について話しており、供述内容も、九月初めころ、右落書を白のペンキで消したが薄く跡が残ったなど経験した者でなければ語りえない内容であって、右証言は信用できる。被告人もそのような話を聞いたと供述しているところである。
 更に乙沢八久は甲野が落書したものと思ったと供述しており、他に甲野以外の者が落書をしたという証拠は全く存しないのであるから、甲野の供述するように、甲野がその落書をしたものと認めるのが相当である。
 (二) 落書の動機
 問題は、甲野が供述するように、文学部長室で赤衛軍建設の話が被告人から出され、甲野が感激の余りそのような落書をしたかどうかである。
 弁護人は、赤衛軍の名称は、甲野がロシア革命から借用したものであり、被告人とは無関係であると主張する。そして、甲野が京浜安保共闘の幹部を騙って取材に応じた結果が記事となった朝日ジャーナル五月二一日号の記事の中に、甲野の言葉として「赤衛軍」の名称が使われていることについては、同誌の発売日が五月一四日であることから推して考えると、その記事の取材がなされたのは、文学部長室での会合以前である可能性が高く、右会合で被告人が「赤衛軍」を提起したことを示すものではないと説く。
 関係各証拠によれば、甲野が京浜安保共闘の幹部を騙って、いわゆる真岡事件について、事件発生の翌日である四六年二月一八日朝日新聞社のJ記者の取材を受け、その結果が週刊朝日四六年三月五日号(符49)に掲載されたが、右記事の中には甲野が述べた言葉として人民軍の正規兵「紅衛軍」との記載が存すること、然るに甲野が右同様に騙って取材に応じた内容の記事が朝日ジャーナル一九七一年五月二一日号(符3)に掲載されているが、同記事の中には甲野の発言内容として「ソビエト革命での赤衛軍」、「人民大衆から赤衛軍は自分たちの赤い子弟……」との記載がなされていること、当時既に発表されていた被告人の著作「ならずもの暴力宣言」の中に、「ならずもの赤衛軍を増殖せよ!」(二三五頁)との記載があり、また被告人の蔵書毛沢東選集第一巻に「民兵=赤衛軍」という書き込みがあること(七九頁)、被告人自身「赤衛軍」は、自己の造語であることを自認していることが各々認められる。
 右朝日ジャーナルの取材の時期については、甲野供述以外に証拠がなく、週刊誌は発行日の一週間前に発売されるのが通例であることから考えると、五月一四日以前であることは確かに認定できるが、五月会合との前後関係は確定し難い。
 右各事実を勘案するに、甲野は被告人との五月の会合以前においては「紅衛軍」の名称を用いていたが、右会合後の五月一四日ころ発売された週刊誌上での対談からは「赤衛軍」の名称を使うように変わっており、右会合があった夜甲野は文学部長室に「赤衛軍云々」の落書をしたこと、他方被告人は当時発表済みの論文中で「赤衛軍」の名称を用いており、かつ、「赤衛軍」は自己の造語と自認していること等からすると、「赤衛軍」の名称は甲野の創案にかかるものではなく、右会合において被告人が述べた「赤衛軍」の話を契機として、甲野もこの名称を使用するようになったと解するのが相当である。
 なお、弁護人は、被告人及び乙沢八久が文学部長室では「赤衛軍」の話は出なかったと供述しており、甲野供述は措信できないと主張するが、両供述は、会合の内容については、記憶が曖昧であり、前記認定事実に照らせばその供述をそのまま信用することはできない。
 したがって、被告人の発言に感激して落書したとの甲野供述は十分信用性が認められる。なお、被告人の発言内容については、後述の被告人の供述の信用性の項で改めて検討を加えることとする。
   6 ラーメン屋での出来事
 検察官は、文学部長室における会合の途中で甲野らは屋台のラーメン屋に出掛けているが、その屋台での出来事に関する甲野供述は、臨場感に溢れ、甲野供述全体の信用性を高めるものであると主張し、これに対して、弁護人は三期において初めて供述されたもので甲野の創作にすぎないと反論する。
 この出来事自体は、本件全体からみれば枝葉末節であり、供述が遅れたことは不自然とまではいえないが、それをもって供述全体の信用性を判断できないのは、エレガントホテルの項で述べたとおりである。いずれにせよ本件の本筋とは関係のない些細な出来事なので、事実の存否については検討の必要を認めない。
   7 電話電報
 甲野は、六期において、文学部長室で被告人から「赤衛軍」の話を聞いて感激し、甲山や丁原に一刻も早くこの話を伝えようと思って、二人宛に電話電報を打ったと供述している。
 確かに電報用紙(符28)によれば、甲野が四六年五月五日甲山宛に、「六日五時モンブランで待つ。」との電話電報を京都から打ったことが認められる。しかし、甲山、丁原は、五月六日喫茶店「モンブラン」で甲野から京都での会合の状況について説明を受けたとは供述していないので、この点については甲野供述は裏付けを欠くといわざるをえない。
 弁護人は、この電報の趣旨は、四月二四日の火炎びん闘争の背後に関西の部隊がいるとの甲野供述の嘘を糊塗するために、京都から打電したものであると主張する。
 前述のように、甲野供述の四月大阪・居酒屋の会合における四・二八沖縄デーに向けての共闘に関する供述部分は、種々の点で信用性が低いのであるが、この電報の件についても、電文内容が単に会合の日時場所を指定するにすぎないものであり、現にそのような会合が持たれたとの裏付け証拠が存しないことから考えると、弁護人の右主張は、電報の解釈の一つとしてありえないわけではなく、これを排斥することは躊躇される。したがって、この点に関する甲野供述の信用性には疑問が残る。
   8 楽友会館における甲沢との会合
 (一) 甲野は、翌日楽友会館で被告人から甲沢を引き合わせられ、同人からいわゆる「白樺」方式を教わり、また朝日ジャーナルの誌上座談会の企画についても三人で相談したと供述する。
 (二) 甲沢との面談の有無
 甲野は一期以来一貫して甲沢と面談したと供述する。
 関係者の供述を検討するに、甲沢は当時甲野と楽友会館で会ったか否か判らないと供述しており(同人の弁護人に対する供述録取書)、その記憶は曖昧である。他方被告人は、前夜文学部長室からスナック「白樺」に甲野らと行き、そこで甲沢と会っているが、翌朝楽友会館では会っていないと供述する。
 このように三者三様の供述をしているので、その余の関係者の供述をみるに、乙沢八久は、断言はしていないが、文学部長室で飲酒歓談した後スナック「白樺」に行ったと供述している。同人は、文学部長室には布団が一組しかなく、自分も被告人も当夜同室に宿泊していないと供述するが、甲野は、丁内を除く乙田、乙沢八久、被告人、甲野の四人が当夜同室に泊まったと供述している。
 しかしながら、乙沢八久は、甲野が落書している現場も電話電報を打っている現場も目撃したことはないと供述しており、当夜甲野とともに同室に宿泊したのであれば、当然これらの現場を目撃している筈であり、乙沢八久が日頃落書を禁じていたとの供述内容をも考慮すれば、この点に関する同人の記憶は十分信頼できるものと考えられ、甲野供述は措信し難い。そうすると、甲野が五月四日夜被告人らとスナック「白樺」に赴いた可能性も否定できないところであり、翌朝楽友会館で初めて甲沢と会い、紹介を受けたという甲野供述の信用性もぐらつかざるをえない。
 (三) 朝日ジャーナルの誌上座談会
 甲野供述は二期から出現しているのであるが、朝日ジャーナルの発行社から金を貰おうとの話を甲沢が言い出したのか被告人が言い出したのか一定しないのみならず、話の内容自体甲野が京浜安保共闘の名を騙って赤衛軍のプロパガンダをやろうというものであり、その趣旨が極めて奇妙で、はなはだ合理性に欠ける不自然な内容である。更に、対談目的からすれば、当初の朝日ジャーナルの企画に合わせて赤軍派の役割の者をも含めて座談会を構成するはずであって、これを否定する話し合いをしたという甲野供述にはやや自己矛盾の存することも認められる。また甲沢が明確に朝日ジャーナルの誌上座談会の件を否定している上、同人が現に朝日ジャーナル記者のインタビューを受けたことを裏付ける他の証拠がないことも甲野供述の信用性判断に当っては無視できない。
 しかも甲野供述によれば、インタビューの当日、丙原、甲林を使って取材記者が真の記者であるかどうかをチェックしたということであるが、楽友会館で甲沢らと朝日ジャーナルからの依頼について相談検討した上、その取材を受けたのであれば、無用の手続を踏んだ感は否めないところである。
 以上検討の結果、朝日ジャーナルの誌上座談会に関する甲野供述には疑問が残り、俄かに信用し難い。
 (四) 「白樺」方式の教示について
  (1) 甲野は、甲沢からいわゆる「白樺」方式を教わり、その後は「白樺」方式で電話連絡をしたと供述する。
 甲野のいう「白樺」方式とは、盗聴を防止し、尾行を撒くためのもので、例えば甲が乙に電話連絡をとる場合、甲は予め一時間後に電話を受ける安全な場所を決めた上、甲が乙にまず架電して、一時間後に安全な場所で甲が乙から受ける電話番号のみを告げてすぐ電話を切り、一時間内にその安全な場所に行き、乙からの電話を受けるという方式であるが、電話番号を割り出されぬように、市外局番、市内局番は、そのままにするものの、市内局番の最初の数字を市内電話番号の四桁の数字にそれぞれ加算した数字(加算の結果一〇を越えれば一の位の数字のみとする。)を乙に連絡し、乙は、逆算により正しい電話番号を算出して甲に架電するというものである。
  (2) 弁護人の主張
 弁護人は、「白樺」方式については逮捕されてから四か月後に初めて供述されたものであり、四七年五月の供述内容とも異なっていること、四期供述では七月上旬に名古屋で教わったと述べていること、甲野自身本件犯行後被告人への電話連絡にこの方式を使用せず、一〇〇番電話を使用していること、検察官の援用する写真(符24)の作成の真正に疑問がある上、それは被告人や甲沢の記載したものではないこと、甲沢も右方式を否定していること等を理由に、甲野供述は明らかに虚偽であると主張する。
  (3) 供述の経過
 「白樺」方式については、47・2・16PS(書13二六一〇)で初めて供述しているが、そこでの方式の説明は、一時間後に指定された電話番号に架電するというもので、電話番号の組替えは含まれていない。また右方式の取決がなされた時期についても言及されていない。ところが、三期に至り、前記(1)の供述をするに至ったものである。
 甲野は、右供述経過について何も説明していないのであるが、既に楽友会館におけるその余の会話については供述がなされていたのであるから、記憶の喚起は十分であったと認められ、盗聴防止のための連絡方法という重要な事項のみが事件後四か月も記憶喚起されず、しかもその後供述内容が詳細となった点は、単なる記憶の整理では説明がつかず、四期においてその供述が変転していることも考慮すると、右の供述経過は不自然である。
  (4) 爾後の行動との不一致
 甲野は、被告人との電話連絡はその後いずれもこの「白樺」方式によったと供述する。
 しかしながら、本件以前においても後に述べるように「白樺」方式によらず被告人と電話連絡をとったとの甲野供述があり、また最も盗聴に気を遣うべき本件後の二回にわたる予備校への電話連絡についてもこの方式によっていないことは明らかである。したがって、「白樺」方式に関する甲野供述は、その後の実際の電話連絡の方法との整合性に欠けるものである。
  (5) Kメモ
 「白樺」方式に関して、メモ紙片を写した写真一枚(符24)が存在する。
 右写真は、K(証13三八四二)及び警察官江田信久の証言(証16四六二七)により、Kが自筆で作成したメモ紙片で、かつ、K方から適法に押収されたものを、警察官が写真に撮影したものと認定できる。検察官はメモの筆跡が被告人の筆跡と似ていると主張するが、採用できない。
 右写真の記載内容は次のとおりである。
 検察事務官作成の昭和六二年一二月一日付け捜査報告書(書51一一八六五)によると、右写真には、文学部長室とスナック「白樺」の正しい電話番号がそのまま記載されていることが明らかである。
 そして「シロー」はKが日頃利用していた喫茶店の店名であるが、本件証拠上その電話番号は確定できない。「シロー」の左横に記載されている五七二―一〇四七の数字が何処の電話番号かは不明であるが、これを「シロー」の電話番号とすると、「シロー」の上部に記載されている五七二―六五九二の数字は正に「白樺」方式により組替えた「シロー」の電話番号となり、その余の記載とあいまって、甲野供述にいう「白樺」方式の存在を裏付ける有力な証拠のように見える。

 そして、その記載内容を更に検討すると、「L戦線」の記載は日大L戦線、また「東京・戊原・〓」の記載は東京・甲野の代理という意と解せられ、京都の文学部長室及びスナック「白樺」と東京の「シロー」にいる甲野の代理人日大L戦線の者との間の連絡に関するメモと解することができないでもない。
 しかし、右メモの意義を仮に右のように解すると、右メモは、作成者であるKが自ら甲野の代理人日大L戦線の者として、東京の喫茶店「シロー」から京都の文学部長室及びスナック「白樺」と「白樺」方式により電話連絡をとるため、またはとったことをメモしたものか、それともKが誰かから右方式による電話連絡に関して聞知したことをメモしたものか、そのいずれかである。
 Kは、右メモの作成時期については、週刊朝日から配置転換となった四六年五月二四日以前に作成したものであると言うものの、作成の経緯については全く記憶がなく、また「白樺」方式という架電方法は本件公判で証人として尋問を受けた時初めて知ったもので、今迄そのような架電方法の話は聞いたことがないと供述する(証13三八四七)。Kの「白樺」方式に関する供述部分は、同人自身が作成した右メモの記載内容に照らし、措信できないが、Kは朝日新聞社の記者であり、甲野とは取材をしたことから知り合いの間柄になっていたにすぎず、同人の代理をするような仲間ではないことが証拠上明らかであるから、右メモはKが自ら「白樺」方式により電話連絡をとるための、またはとったことをメモしたものとは解し難い。
 そうすると、右メモはKが誰かから聞知したことをメモしたものとみる外ないが、四六年五月当時のKと被告人、甲沢及び甲野との交友関係の親疎の程を考慮すると、Kが被告人あるいは甲沢から聞いたことをメモしたものとは到底解されず、甲野から聞いたことをメモしたものと解するのが相当である。作成時期については、K供述によると五月二四日以前となるが、それ以上に特定することはできない。
 ここで甲野供述をみると、甲野は四月の会合後で五月の会合前の時期に被告人からの電話を喫茶店「シロー」で受けたと供述したことがあるが、それ以外の機会に「シロー」で電話を受けたとの供述は全く存しない。そうすると右メモは甲野が五月の会合前に被告人から「シロー」で電話を受ける際に作成されたものと解する余地があるかのように窺われるが、そもそも「シロー」で被告人からの電話を受けた旨の供述が信用性に乏しいものであるから、本件証拠上五月の会合前に作成されたものと断定することはできない。しかし、前述のように、五月の会合前の連絡以外の機会に作成されたものと認むべき証拠は全く存しない。
 そこで視点をかえて検討するに、右メモの「いつも……」という記載等からして、既に右メモ作成以前において、甲野はKに対し少なくとも組替え電話番号の解読方法、最初の連絡電話を受けてから一定時間後に本来の電話を入れるという架電方法を教えていたものと認められ、甲野はKに対し、三、四月ころ、よく、今尾行がついてるなどと言っていたこと(K三六回証14四〇九九)、甲野は既に「自衛隊方式」という電話連絡方法を知っていたことに照らし、甲野が尾行の話をもっともらしくみせるため、右方式をKに教えたことのメモという疑いを抱かせるものである。
 したがって、右写真は、甲野の供述するような「白樺」方式が実際に存在したことを示す客観的証拠であるが、五月の会合で甲沢から右方式を教わったとの甲野供述とは明らかに矛盾する証拠でもある。
 (五) その他の楽友会館における出来事に関する甲野供述についても、両当事者は各々相対立する主張をしているが、いずれも些細な出来事であり、前判示の理由により、この点についての判断は示さない。
 (六) 以上説示してきたところから明らかなように、甲野の楽友会館における会合に関する供述には、多くの不合理、不自然な点があり、供述変遷の理由も首肯し難く、その信用性は認め難い。
  九 下田病院、池亀方、レストラン「アラスカ」
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 甲野が入院中の病院に被告人が慶応の学生を連れて見舞いに来た。ドラ焼をもらった。被告人がベッドで気持ちが悪いと言って寝込んでいたので、池亀方で休ませた。
  (2) 喫茶店「にしむら」で乙山と会った後の七月二九日か三〇日レストラン「アラスカ」に行った。乙川二久もいて、被告人が乙川に甲野の原稿の掲載を頼んだ。乙田、乙原が来た。関西と関東のキャップである。被告人から一致できないかと言われた。乙山の話を甲野が説明して、各基地の位置等を乙原がノートを出して確認していた。具体的な襲撃の相談であった。被告人は闘争の意義を語った。その席には、K、Jもいた。甲野は乙山の履歴書を被告人に渡して途中で帰った(甲野46・11・25KS書7一二九四、46・12・3PS書8一五〇六、46・12・18供書9一七六一、46・12・12PS書9一六八一)。
 (二) 二期
  (1) 下田病院に入院中の六月一九日朝自室に戻ると被告人がベッドで寝ていた。ドラ焼をもらった。気持ちが悪いので寝かしてくれというので、被告人の連れの慶応の男と三人で池亀方へ行った。甲野がショートホープを吸い、ローザ・レクセンブルクの話をした。退院手続をして、再び被告人を迎えに行き、そば屋に立ち寄った後、レストラン「アラスカ」に行った。途中の電車内で被告人が兄は頭がおかしいので生活保護を受けていると話してくれた。
  (2) 「アラスカ」で会った人は一期と同じ。被告人が文学部長室でした話と同じ話をし、甲野も一緒にやる気になった。甲野は被告人から新しいメンバーを獲得し、部隊を作れと指示されたが、部隊の任務については何も与えられていない。ここで甲野は正式に日本共産党の党員と認定された。甲野の原稿の話も出た(甲野46・12・27KS書10一九四二、46・12・27KS書10一九七二、46・12・27PS書10一九八九、46・12・28PS書11二〇一七、47・1・7KS11書二一八五、47・1・10KS書11二一九一、47・3・2KS書13二七〇四)。
 (三) 三期
  (1) 六月一六日か一七日に被告人が下田病院に来た。池亀方へ行く経緯は二期と同じ。池亀方でローザ・ルクセンブルクの話の外宮沢賢治の話も出た。甲野がマリファナタバコを取り出し、被告人に四本進呈した。ペタスがいいと被告人は言っていた。
  (2) そば屋に寄った後、地下鉄の車内で被告人がマリファナの密売やポルノの販売をすれば、がっぽり金が入る、ピストルの密輸入の話もあると言った。
  (3) レストラン「アラスカ」では乙川二久と甲野の原稿について話をした。乙田、乙原が来て、乙川が帰った後、被告人が共産主義暴力戦士共同体の有機的結合を勝ち取り、赤衛軍を勝ち取ろう、ここで一発闘争をやり抜こうと説き、甲野もこれを承諾した。基本的な闘争形態は敵からの武器奪取とボンだ、当面はオルグを入れて部隊として役立つよう鍛えることだ、日大の学生部隊用の教材として被告人の論文を使えと被告人から言われ、下宿の住所と電話番号と丁原の住所を教えた。ここで三里塚とブラックパンサーのパンフを貰った。中国物産の話も出ていた。また被告人はタバコを配っていた(甲野47・5・19PS書14二九一二)
 (四) 四期
 レストラン「アラスカ」では、三里塚闘争の話が主だった。建党建軍の話、武器奪取、爆弾闘争の話も出た。メンバーをオルグし部隊を組織して行けと被告人から言われたが、武器奪取、爆弾闘争という限られた目的のためではない(甲野一審二二回49・3・14書16三二〇四)。
 (五) 五期
  (1) 下田病院からそば屋までの経緯は三期と同じ。京王線の電車内で被告人から二期と同じ兄の話があった。地下鉄内での話は三期と同じ、目的は革命の軍資金稼ぎである。
  (2) レストラン「アラスカ」で乙川が帰るまでは三期と同じ。被告人は、日本共産党と赤衛軍の基本構想をぶち、三里塚では銃、爆弾を使ってゲリラ戦をする、甲野は被告人からオルグを入れてゲリラ隊の編成に着手するように命じられた。ここで一発やらねば男でないと言われ、甲野もこれを承諾した。オルグの資料として三里塚パンフを丁原方に送ることになり、同人の住所を教えた。被告人は三里塚、ブラックパンサーのパンフの販売をしていた。中国物産、タバコの件は三期と同じ(甲野56・11・10PS書19三九〇七、56・12・17KS書21四二四三)。
 (六) 六期
  (1) 池亀方へ行くまでは五期と同じ。池亀方でマリファナを吸い、ローザ・ルクセンブルクの話をした。
  (2) レストラン「アラスカ」に行く途中、被告人は、兄が精神病で困っていること、覚せい剤、ポルノ、拳銃の密売で革命運動の軍資金を稼ぐこと等を話した。
  (3) レストラン「アラスカ」での乙川の件は五期と同じ。被告人は、建党建軍の基本構想を話し、乙田、乙原、甲野らのグループを闘争の中で鍛え、将来統合してゆく、当面の三里塚闘争及び沖縄闘争は負けられない。鉄砲や爆弾を用いたゲリラ戦が必要などと語り、乙田は三里塚で闘争し、乙原は爆弾で東京を制圧し、甲野は非合法な地下活動に耐えうる部隊を編成するようけしかけた。甲野は、ここで一発やらなければ男でないぞと言われ、やる旨を答えた。甲野が、丁原のことを暴力派で将来有望だと話したところ、丁原らに読ませて学習するため、丁原方に被告人が持っていた三里塚パンフを郵送することになった。
 パンフ販売の件は五期と同じ。
   2 会合時期についての供述変遷
 甲野は、当初レストラン「アラスカ」での会合は、喫茶店「にしむら」で乙山と会った後の七月下旬としていたが、46・12・27KS(書10一九四二)でその時期を六月一九日ころと訂正し、その後は日時についての多少の変動はあるものの、大概同旨の供述をしている。また当初は会合の内容も乙山の武器奪取計画の具体的内容を検討し、同人の履歴書を被告人に渡したと供述していたが、時期が六月一九日ころと特定されてからは、会合の内容も文学部長室におけるそれと同趣旨となり、ただ甲野がオルグをして新しいメンバーを獲得し、部隊編成をするよう指示を受けたが、具体的任務は特に与えられていないとの供述が付け加わっている。また、47・3・2KS(書13二七一三)からは、被告人が爆弾闘争の話をしたとの供述もなされている。
 既に文学部長室の項で検討したように、このような出来事の前後関係及び会合内容に関する供述の変転は、不自然であり、これについて納得しうる理由は何も示されていない。
   3 建党建軍の話
 甲野は、文学部長室における会合と同様の話を被告人が説いたと供述するが、弁護人は、乙原が中国物産の販売の話をしたものであり、その余の同席者も甲野供述を裏付ける供述をしていないので、甲野供述は虚偽であると主張する。
 確かに、乙原がJに対し、朝日新聞社で中国物産を売ってもらう話をしたことは、J手帳の記載とも合致し、そのような話がなされたものと認められる。
 しかしながら乙原がレストラン「アラスカ」に出掛けた理由について、同人はKから連絡を受けたためと供述するが、Kはこれを否定し、乙原が同席したのを不思議に思ったと供述しており、判然しない。更に、Kはその席で被告人が三里塚闘争について「今までの戦術では生ぬるい。これからはどんどんこの辺で爆弾を使わなければならない。」と述べたと供述しており(47・1・27PS書34七〇三四)、「アラスカ」会合が単なる雑談の場であったとのJ、乙原供述とは対立しているのである。
 また、乙川二久は、被告人とベルリン自由大学の講師依頼の件で話をし、甲野の原稿の話をした後一人先に退席したと供述しており、甲野の原稿に関する甲野供述には裏付けがあり、信用できる。
 甲野の建党建軍の話は、既に文学部長室の項で検討したように措信できず、「赤衛軍」の話についても、会合の出席者が一致して否定していること、非合法の武装闘争集団について新聞記者の面前で公然と議論するとは考え難いことからして、レストラン「アラスカ」で「赤衛軍」の話が出たとの甲野供述は信用できない。
 しかし、被告人、甲野、乙原、乙田は、いずれも新左翼の活動家であり、そのような者が一同に会したときに、同人らの関心事である革命、三里塚闘争について会話を交すことはごく自然であり、これを否定する乙原、K供述は措信できず、前記のK供述に照らし、一般的な話題としてそのような話がなされたとの限度では、甲野供述にも証拠価値を認めうる。
   4 具体的闘争の相談
 弁護人は、レストラン「アラスカ」は、朝日新聞社及び一般の人の利用するレストランであり、甲野供述のような具体的闘争の相談をする場所としては相応しくないこと、第三者のいない池亀方ではそのような相談のなされた形跡の存しないこと、右の相談と全く無関係の乙川二久が右会合に同席していること等を理由に甲野供述は信用できないと主張する。
 確かに弁護人主張のようにレストラン「アラスカ」は、一般公衆の出入りするレストランであるが、そのような場所で甲野供述のような相談がなされないとまではいいえない。
 甲野供述によると、被告人から具体的戦術の話があり、被告人から甲野にオルグの指示が出たとのことである。
 しかしながら「アラスカ」会合は事前に予定されていたものではなく、偶々甲野が退院できたために同人も出席できたに過ぎないこと、甲野も会合の途中で退席していること、池亀方では何らそのような相談はなされておらず、「アラスカ」会合の出席者は甲野を除き一致してそのような話は聞いていないと供述していること、会合の同席者はいずれも被告人の知人とはいえ、新左翼の活動家とは認められない乙川二久及び新聞記者であるJ、Kを含んでおり、J、Kはそのような謀議の際にも同席したとされていること、殊に関東軍の責任者とされた乙原は、「アラスカ」会合後Kに甲野が京浜安保共闘の幹部と称しているのは嘘であると説明し、Kに注意を喚起しており(K47・1・27PS書34七〇三七、乙原七六回証23七三二七)、「アラスカ」で甲野と具体的闘争についての共闘関係を結んだ者の言動とは解し難いこと、「アラスカ」会合以降乙原が爆弾闘争を手掛けたことを示す証拠は存しないこと等を総合考慮すると、甲野の前記供述は俄かに措信し難い。
   5 三里塚パンフ送付の話
 甲野、被告人からオルグ用の学習教材として三里塚パンフ(符1と同内容のもの)を送るといわれ、丁原の下宿に送ってもらい、これを基本に学習会を開いたと供述する。
 これに対し、弁護人は、被告人から送られた三里塚パンフは三里塚闘争支援の必要性等を訴えたもので、非合法な地下活動に耐えうる部隊を編成するという甲野に課した課題と合致しない内容のものであると主張する。
 丁原は、七月初めころ、被告人から三里塚パンフ七七冊が送られてきたので売れということだと思い(46・11・20KS書38八〇三七)、一〇冊位を甲山たちが学内で売りさばき、甲野、甲山、乙島、甲谷、丁原に分配した残りは、乙島の下宿に預けていたこと、二〇日位前に甲野から丁原方を被告人に紹介した旨の話を聞いていたこと、丁原は右パンフを読んで学習したことをそれぞれ供述している(46・11・20KS書38八〇三七、46・12・25PS書38八一九二)。また乙島、甲谷らは右パンフを教材に学習したとは供述していない。
 一方、被告人がレストラン「アラスカ」でKらに右三里塚パンフを販売した事実も認められる。
 以上により検討するに、送付されたパンフレットが七七冊と大量であること、送付を受けた丁原も販売委託の趣旨にとり、現に甲山において販売していること、被告人もレストラン「アラスカ」で新聞記者に販売していること、学習会が開かれたとは認められないこと等は、甲野供述とは整合しない点といわざるをえず、甲野供述は措信し難い。
   6 軍資金稼ぎの話
 甲野は、被告人が禁制品を密売して革命の軍資金を稼ぐ話をレストラン「アラスカ」に行く途中の電車内でしたと供述する。
 甲野の下宿や電車の中における被告人の発言等に関する甲野供述は、当初、甲野がショートホープを吸ったという供述があったのみで、被告人がマリファナを吸ったことは供述されていなかったところ(一期)、被告人がマリファナを吸ったとなり(三期)、更に二人ともマリファナを吸った(五期)と変遷している。
 被告人の兄の精神病の話は四七年一月の段階で既に供述されているのに、同じく地下鉄内で話されたとされる禁制品の密売の話は、三期に至り初めて供述され、その際密売する禁制品はマリファナ、ポルノ、けん銃であったのに、六期ではマリファナが覚せい剤に変わっている。
 このように供述内容が相当変遷しており、記憶に忠実な供述とは解し難い。
 その上、甲野供述においても、レストラン「アラスカ」に行くまでは、甲野と被告人との間に具体的な闘争の話は全くなされていないとされているのに、軍資金稼ぎの話が飛び出すのは、はなはだ唐突の感を否めず、禁制品の密売の話自体の非現実性をも考えると、この点の甲野供述は採用し難い。
   7 その他
 その他両当事者の指摘する池亀方での出来事、車内での被告人の兄に関する会話の存否は「アラスカ」会合についての甲野供述の信用性判断にあたっては、いずれも些細な出来事であり、前同様特に判断は示さないこととする。
  一〇 甲林の話
   1 供述の概要
 甲野が喫茶店「白樺」で甲林から聞いた乙山の話の内容は、細部はともかくとしてその大筋においては捜査当初から本公判に至るまでほぼ一貫している。ただ乙山が自ら制服を着て侵入するとの話が三期、五期(甲野47・5・20PS書15二九七六、56・11・24PS書20三九三九)で述べられていることが注目される。
 その供述の要旨は、次のとおりである。
 六月下旬ないし七月上旬、喫茶店「白樺」で、甲林が知人の反戦自衛官のリーダーから次のような話があったと知らせてくれた。そのリーダーは五〇名(一〇数名との供述もある。)のグループを組織して反軍反戦闘争をしている。自衛官の制服等が入手できるので、制服を着て自衛隊の基地に侵入し、弾薬庫から大量の武器弾薬を奪う計画を立てている(四期では、騙してかっぱらうとなっている)。非常に奇抜な作戦で計画は実行寸前にあるが、工作費、組織費等として三〇万円必要である。資金や人材を出してくれる人を紹介して欲しい(甲野46・11・20KS書7一一三九、46・12・3PS書8一四九六、46・12・18供書9一七五七、47・5・20PS書15二九七六、一審二二回49・3・14書16三二〇七、56・11・24PS書20三九三九、56・12・17KS書21四二五一)。
   2 関係者の供述との不一致
 甲林の話については、乙山、甲林の各供述及び甲林が探していることを甲野に伝えた丁川二平の供述があるので、右各供述を検討する。
 甲林は、逮捕当初から一貫して乙山から持ち込まれた話は自衛隊の情報等の売買の話であり、反戦自衛官組織による武器奪取計画の話は聞いていないと供述する。
 乙山も逮捕当初から自己の公判に至るまでは、自衛官の制服等売買の話を甲林に持ち込んだと供述していた。しかし、五七年には、憲法改正、自衛隊を憲法上認知させるために、何か違法行為をやらせ、世論に衝撃を与えようと思い、制服等が入手できるので、それを用いて武器奪取ができる左翼の人を紹介して欲しい旨依頼したと供述を変え、更に五八年から本件公判においては、右同様の目的から、自衛隊の装備一式を買い、自衛官を装って過激派の人が隊内に入れば大量の武器を奪取できる、乙山が手引きするので過激派の幹部を紹介してくれと頼んだと供述している。
 また、丁川二平は、六月下旬か七月上旬ころ、甲林から、元自衛官が自衛隊の情報を売りたがっており、それを甲野に話しに行くと聞き、一緒に甲野の下宿に行ったものの、甲野は不在であった、情報の内容は朝霞駐屯地の見取図や武器の使用方法等であり、銃器奪取計画の話はなかったと供述する(丁川二平PS書64一四六八〇)。
 乙山の供述の信用性については、別項で検討するが、乙山のいずれの供述も甲野供述の内容と異なるもので、甲野供述を裏付けるものではない。
 甲林、丁川の供述は、制服等が入手できる、そのためには金が要る、武器奪取計画の話はなかったという点では大筋において一致している。これに対し、甲野供述は、甲林、乙山、丁川の各供述と全く違うものであり、他に裏付け証拠も存しない点も考慮すると、その信用性には疑問が残る。
  一一 スナック「もっきり亭」
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 前記八の文学部長室と一体の出来事として供述されている。
  (2) 六月下旬から七月上旬ころ甲林の話を聞いた後、被告人に呼び出されて、京都へ赴いた。百万遍近くで被告人と会い、スナック「もっきり亭」へ行き、甲林の話を報告した。被告人は自分の方で相手を調査すると言い、この件でこれから人に会うので、ひとりでスナック「白樺」に行けと言われ、スナック「白樺」で待っていた。次に甲沢から文学部長室へ行けと言われ、文学部長室へ行った(甲野46・11・20KS書7一一六〇、46・12・18供書9一七五七)。
 (二) 二期
  (1) 文学部長室での出来事とは全く別個の出来事であると供述が変わった。スナック「もっきり亭」へ行く経緯は一期と同じ。
  (2) スナック「もっきり亭」で甲林の話を報告すると、被告人は非常に乗り気になった。しかし、右翼の謀略や警察のスパイでは危険なので、相手の正体を詳しく調査する必要があると言った。
  (3) 被告人の指示でスナック「白樺」に行った。農学部前で再び被告人と会い、四条の喫茶店に入り、そこで三〇万円の使途を説明した。被告人から更に反戦自衛官組織や三〇万円の使途について調査を進めろと命じられ、相手と会って具体的に話を進めることになった。被告人は、武器が手に入れば三里塚、沖縄闘争の軍事路線を貫徹する突破口になる、金はKを通して用意させる(用立ててもらえとの供述もある。)、連帯資金として相手に渡しておけと言われた。七、八〇〇〇円受け取って別れた(甲野46・12・27KS書10一九七三、46・12・27PS書10一九九〇、46・12・29PS書11二〇三二、47・1・7KS書11二一八六、47・2・16PS書13二六〇四)。
 (三) 三期
  (1) スナック「白樺」に電話をして、被告人に連絡をとってもらった。スナック「もっきり亭」で被告人と会った。
  (2) スナック「もっきり亭」での会話は二期と同じ。被告人から連絡役を頼まれ引き受けたとの事項が付加されている。
  (3) 四条の喫茶店での話が明確でないが、被告人から身元調査は甲林を通してなし、かつ報告せよと命じられた。手付金、連帯の意思表明として金を渡せ、金はKに用意させると言われた(問答式、翌日のPSでは送金の趣旨と訂正)。
  (4) 喫茶店を出てから八〇〇〇円貰い、帰京した(甲野47・5・20PS書15二九八五、47・5・21PS書15三〇〇〇)。
 (四) 四期
 スナックで甲林の話を報告した。具体性はどの位かと被告人が尋ねた。警察のわなを一寸警戒する必要があるが先方と会え、金は早速作ると言われた(甲野一審二二回49・3・14書16三二一〇)。
 (五) 五期
 三期とほぼ同じ。金の件については先方と会った時要求額の一部でも連帯の意思表明として渡せ、金は至急作ってK宛に送る(甲野56・11・24PS書20三九四九、56・12・17KS書21四二五三)。
 (六) 六期
 スナック「もっきり亭」で被告人に会い、甲林の話をした。被告人は、銃や弾薬が手に入れば自分たちが考えてきた三里塚、沖縄の闘争が戦争として実現できる。被告人の方で背後関係があるかどうかジャーナリズムの方に探りを入れてみる。三〇万円は被告人の方で用意するが、取り敢えずその一部として、顔つなぎの意味で幾らか渡そう。その金はK宛に送ると述べ、更に相手との連絡役を引き受け、相手と会い、金の使い道を詳しく聞くようにと指示した。喫茶店で雑談し、金(金額不明)をもらって帰京した。
   2 会合時期等についての供述変遷
 甲野供述は、当初文学部長室での会合と一連の出来事として供述されていた。これが二つの時期を異にする出来事に分割されたものの、スナック「もっきり亭」へ行く経緯は一期と同じであった(二期)。ところが三期供述では、スナック「もっきり亭」で被告人と会い、スナック「白樺」への電話に関しても被告人が直接出たのではなく、被告人に連絡をとってもらったと変遷している。
 また二期のスナック「もっきり亭」、スナック「白樺」、四条の喫茶店と甲野が移動した旨の供述も、47・2・16PS(書13二六〇二)からはスナック「白樺」に立ち寄ったとの部分が欠落するに至っている。
 更に、三〇万円の資金については、当初はKに送るので受け取れと供述していたが、二期、三期では手元にないのでKに用立ててもらえ、あるいはKに用意させるとなり、三期の終りに再び送金の話に変わっている。
 その上、当初は名古屋で一泊したと供述していたが、二期ではその点の供述がなくなり、三期以降は即日帰京したとの供述に変わっている。
 前に述べたように、日時についての記憶が稀薄化するのは無理からぬものの、出来事の前後関係が大きく食い違うのは不自然であり、この点に関する供述変遷についての合理的説明は何らなされていない。
 しかも甲野供述は、被告人との会合に至る経緯、甲野の移動場所、送金の話と大きく変転しており、甲林の話を伝えた場所及び会話内容についても種々の異同が認められる。
   3 甲林の話
 前項で検討したように甲林の話に関する甲野供述は措信し難いのであるから、その話を被告人に報告したとの供述も同様と解される。
   4 即日帰京
 甲野供述には、即日帰京したと述べている部分も存するが、丙島ノート(符21)には、七月三日から五日までの間甲野が名古屋に行ったとの記載があり、右供述は、ノートの記載とそぐわないことは明らかである。
   5 送金の話
 甲野は、K宛に送金することとなったとも供述しているが、飲食店「久富」における送金の会話(送金の催促、遅延を謝罪する会話)はスナック「もっきり亭」で送金の約束があったことを前提としているところ、後述のように、飲食店「久富」における送金の会話に関する供述が信用できないのであるから、その前提となったスナック「もっきり亭」における送金の約束に関する供述もまた信用できない。また、送金の約束があったとする供述は、飲食店「久富」での金銭の交付がなかった事実と矛盾するし、送金約束の際、捜査官に対し送金の事実を隠蔽するために甲野宛ではなく、K宛に送金することにしたという供述も、飲食店「久富」で直接交付するのが痕跡を残さない最善の方法であるのにそうしなかったことと矛盾する。
   6 まとめ、
 以上のとおり、「もっきり亭」会合に関する甲野供述は、不自然な供述変遷、関係証拠との不一致、爾後の出来事との矛盾等を総合考慮すると、全体として措信し難い。
 なお、検察官は、乙沢八久が六月下旬から八月二一日までの間にスナック「白樺」で甲野を見かけたと供述している点を捉えて、甲野供述は裏付けられていると主張する。しかしながら、乙沢八久の述べる期間は相当長期間であり、またスナック「もっきり亭」の後スナック「白樺」に甲野が立ち寄ったかどうかについては、甲野供述自体揺れ動いていること、甲野が七月に京都にきたのは一回だけとは必ずしも供述していないと窺われる節もあること(書65一四七一一)等から考えると、乙沢供述は、検察官の主張するような裏付け証拠とはいえない。
  一二 飲食店「久富」
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 喫茶店「にしむら」で乙山と会った後の七月中旬ころ、飲食店「久富」で被告人と会った。被告人は、丁原達との意思一致の状況を尋ねたので、一致できたと答えた。しばらくして乙谷が来て、被告人は武器奪取闘争の論理を話しはじめ、その後乙原も加わり、討論をした。乙本十久も後から加わった。次第に雑談めいた話となった。
  (2) その後被告人らとスナック「エスカール」に行った。被告人はそこで武器奪取に成功した暁には三里塚、沖縄にかけて闘い抜く、ゲリラ戦を貫徹するぞと言っていた(甲野46・12・18供書9一七六二)。
 (二) 二期
  (1) 七月下旬喫茶店「にしむら」で乙山と会う前に、被告人から池亀方に電話があり、上京するから場所を確保しろと言われ、飲食店「久富」で会うことになった。飲食店「久富」には乙谷、乙本、乙原、乙林九久らが来て、被告人は銃器奪取闘争の必要性を強調していた。乙谷を同志として紹介され、同人はスト破りの話をしていた。話が終わったころ、K、Jらも来た。
  (2) その後スナック「エスカール」で飲んだが、まとまった話はなかった(甲野46・12・27PS書10一九九一、46・12・29PS書11二〇五一、47・1・7KS書11二一八七、47・2・16PS書13二六〇四)。
 (三) 三期
  (1) 喫茶店「さぼうる」にいる甲野に被告人から電話があり、甲野は乙山と会う約束ができたことを報告した。そのことについて相談しようと被告人から言われ、飲食店「久富」で会うことになった。
  (2) 七月一一日ころ飲食店「久富」で会った。被告人は乙山の正体を調べているが未だ判らない、金はKに至急送るから大丈夫だ、こちらの正体を悟られないようにして探れ、会わないことには話の進めようがないので、しっかりやってくれと言われた。その後乙谷が来て、スト破りの話をした。被告人は武器奪取闘争の話をし、乙谷もこれに賛同していた。
  (3) その後スナック「エスカール」で被告人は武器奪取と爆弾で暴力闘争をやり抜こうと言った。この席で、被告人から乙山の身元調べは甲林を通してしろと指示された。Jから毛沢東が死亡したらしい旨の話があり、被告人はこれで日本革命は一〇年遅れたと嘆いていた(甲野47・5・21PS書15三〇〇八)。
 (四) 四期
 飲食店「久富」、スナック「エスカール」で被告人が話したことははっきり記憶していない。銃、弾薬を奪取する必要があるとの話はあった。甲野は甲林の話をした(甲野一審二二回49・3・14書16三二一三)。
 (五) 五期
  (1) 飲食店「久富」で会う経緯は三期と同じ。
  (2) 飲食店「久富」には被告人と乙谷が一緒に来たかもしれない。甲野は乙山の件について報告した。被告人は、乙山の正体が不明だ、金は至急Kに送金するから心配するななどと断片的に言っていた。乙谷が同席していたとしても全体的なことは判らないと思う。武装闘争の話もしたが詳しい内容は忘れた。
  (3) スナック「エスカール」で被告人は武装闘争の話をした。毛沢東の件は、三期と同じ(甲野56・11・24PS書20三九六二)。
 (六) 六期
  (1) 飲食店「久富」で会う経緯は三期と同じ。
  (2) 飲食店「久富」で乙山の件について報告した。
 被告人は乙山の人物とか、その背後関係について調べているが未だ判らない、金は遅れて済まないが、至急、Kに送る、乙川に会うにあたり、尾行されたり写真を撮られたりしないよう十分に注意し、こちらの正体を絶対に悟られないように気をつけろ、自衛隊からの銃器奪取がうまくいけば、左や右の腐れ切った奴に先駆けて三里塚や沖縄闘争で戦争ができると言った。
  (3) スナック「エスカール」では雑談をし、三里塚戦争勝利とか言って、景気をつけて飲んだ。Jから、毛沢東が死んだかもしれないと聞かされて、被告人はこれで、革命は一〇年遅れたと言ってがっかりしていた。
   2 供述変遷の不自然性
 甲野は、当初、飲食店「久富」について全く供述しておらず、逮捕後二五日以上経過して初めてこれを供述し、その際会合の日は不明であるとし、また単なる酒飲みの話で、武器奪取の謀議があったことは全く供述していなかった(46・12・12PS書9一六八三)。その後前記の一期供述を経、二期も初めのころは、一期と同様喫茶店「にしむら」で乙山と会った後の七月下旬ころと供述したが、二期の後半から七月一〇日ころと供述するようになった。
 このように甲野供述は、飲食店「久富」の会合時期について大幅に変動しており(前記文学部長室の項の表参照)、それに伴い喫茶店「にしむら」後の打ち合わせの話が一般的な武器奪取闘争の必要性の話へと変わり、更に甲林の話の報告及び乙山の身元調査、送金の話へと大きく変遷している。しかも身元調査等の話は三期で初めて供述されている。また飲食店「久富」で会うに至る経緯も二期供述と三期供述以降で全く異なっていることが次目される。
 確かに会合の日時については、甲野の記憶が明確でなく、捜査の結果えられた会合日時及び喫茶店「ヴィクトリア」の会合日時を基準にして特定していったものと解しうるのであるが、日時の変動とともに、出来事の前後関係が逆転し、会話内容等が一変する点は首肯し難い。飲食店「久富」で謀議があったのであれば、その時期が喫茶店「ヴィクトリア」の直前であることからして、その前後関係や会話内容は記憶に残り易いはずであるところ、当初飲食店「久富」を供述していなかったのは実際は謀議がなされなかったため思い出せなかったのではないかとの疑問を抱かせるし、その後の供述も、供述ごとにその内容が変遷するのは、甲野の記憶によるものというよりは、会合時期に合わせて会話内容を意図的に変えたのではなかろうか疑問である。その供述の変遷は不合理、不自然といわざるをえない。
   3 客観的状況、関係者の供述との矛盾
 (一) 闘争資金を送金する会話について、甲野は、乙山と会うにあたり顔つなぎという意味で乙山に渡すものであったと供述するところ、右両名の喫茶店「ヴィクトリア」における会合の日は七月一二日(月曜日)であり、飲食店「久富」における会合の日が七月一〇日(土曜日)であることから考えると、「久富」会合後の送金(七月一一日は休日であるから、七月一二日発送となる。)では「ヴィクトリア」の会合に間に合わないのであって、右供述は、「久富」と「ヴィクトリア」の会合との時間的関係で齟齬をきたしているのである。また、乙丘家計簿によれば、被告人が七月一一日乙丘に生活費九万円を渡したことが認められ、その金銭の出所は確定し難いものの、被告人が「久富」会合後右金員を取得したとの証拠は存しないのであるから、飲食店「久富」において、被告人がかなりの現金を所持していたと考えられるが、そうすると当時の被告人の一か月分の生活費を考慮すると、その所持金のいくばくかも拠出せずに九万円全額を生活費としてしまうことは不自然である。
 そればかりか、Kは、飲食店「久富」において、被告人、甲野らと会っているが、K宛に送金があることを被告人、甲野いずれからも聞いたとは供述していず、現に送金があった七月二三日より何日か前にJから送金があるので甲野への貸金を差し引いておくように言われたと供述するのみである。当の送金先であるKが面前にいるのに、何も送金について被告人らから言及されなかったのは不自然といわざるをえない。
 (二) 甲野は、乙山と会うことになった旨を伝えると、被告人が乙山の背後関係は判らない、会うにあたっては尾行、写真等に注意せよ、奪った銃器で武装闘争をする旨話したとも供述しているが、当時同席していた乙谷、乙原、乙林九久は一致してそのような話は聞いていないと供述する。同人らは、いずれも被告人と親交を結んでいる者であり、乙谷らが故意に被告人に有利な供述をしている可能性も否定できないが、その点はさておき、謀議が存した旨の甲野供述を裏付ける証拠の存しないことは無視できないところである(同人らは、いずれも酒を飲んで歓談したと供述しており、甲野の二期供述に近い内容である。)
 ちなみに、弁護人は、Jがスナック「エスカール」を出て被告人と別れた後、深夜、喫茶店で甲野から自衛隊の情報や装備が手に入るという話を聞いたと供述していることから、甲野供述は信用できないと主張する。
 確かに、Jは当公判で弁護人主張のとおりの供述をしているが、しかし同人のPSではその点を全く供述しておらず、六一年の本法廷で初めて供述し、しかも詳細であるのは不自然であり、俄かに信用し難い。
   4 検察官の主張
 検察官は、飲食店「久富」で乙谷が「スト破りでもしていた方がいい。」と言っていた状況、被告人において、K、Jらがなかなか来ないため立腹していた状況、スナック「エスカール」においてJから毛沢東死亡の話を聞くや被告人がひどく落胆して「日本革命もこれで一〇年遅れる。」等と言った状況について、甲野供述は臨場感があり、信用性が高いと主張する。確かに毛沢東死亡の話を除くこれらの点については、これを裏付ける関係者の供述もあり、信用できるものと思われる。しかし、その余の会合状況等については甲野供述は関係者の供述と大きく食い違っており、検察官主張の事実のみをもって、甲野供述全体の信用性を認める訳にはいかない。
   5 まとめ
 以上、飲食店「久富」に関する甲野供述は、一部の出来事については信用できるものの、その余の部分は、客観的証拠、関係者の供述と矛盾し、不自然な変遷が認められ信用できない。
  一三 喫茶店「ヴィクトリア」
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 喫茶店「ヴィクトリア」で乙山は、自分は反戦自衛官を組織し、反軍闘争をしている、制服を着て基地に侵入し、大量の武器弾薬を奪う計画が実行寸前だ、制服等は何時でも入手可能だと説明した。更に練馬、朝霞、高崎の基地(以下三基地という。)の見取図を書きながら内部の様子についても説明を加えた。実行費用、内部工作費、活動維持費として三〇万円必要だ、メンバーは五〇人いるが、現職の自衛官なので直接活動できないため、実行メンバーも欲しい、共闘しようと言い、甲野は握手をして連帯の意思表明として被告人の指示により準備した三、四万円を乙山に渡した。制服を少し甲野側に分けてもよいとの話もあった。
  (2) 被告人から約束の送金がなかったので、他で調達した。なお、その調達方法については供述が変転している(甲野46・11・23KS書7一二三〇、46・12・3PS書8一四九八、46・12・18供書9一七五九)。
 (二) 三期
  (1) 喫茶店「ヴィクトリア」に行く列車内で甲林から乙山の経歴を聞いた。
  (2) 喫茶店「ヴィクトリア」での話は一期とほぼ同じ。乙山の発言として、高崎の演習場での冬期トレーニング中は、武器の管理が杜撰で簡単に奪取できる、金と人を出してもらえば全責任をもって自衛官教育をし、内部の細胞を使って手引の指導をするとの項目が付加されている(甲野47・5・22PS書15三〇四六)。
 (三) 四期
 乙山は、反戦自衛官数一〇名のリーダーである、反軍反戦闘争をしている、制服等一式手に入るので基地に侵入して弾薬庫から大量の武器弾薬を奪取できる(盗める)、工作費や連絡費に金がかかるので三〇万出して欲しい、共闘しようと言った。三基地及び朝霞の弾薬庫の図面を書いて基地の状況、弾薬庫内部の状況を詳しく説明した。高崎の冬期トレーニングの話もあった。Kから借りたかはっきりしないが、掻き集めた三万円位を乙山に渡した。会合の時間は三時間位だった(甲野一審二二回49・3・14書16三二一六、一審二五回49・5・9書17三四三六)。
 (四) 五期
 喫茶店「ヴィクトリア」に行く前に甲野がナイフを購入したこと、乙山の発言内容について、反戦自衛官の人数は一〇数名又は数十名である、乙山を信頼し、乙山の組織の手引に委せろ、あらゆる協力を惜しまないとの発言が付加され、奪取する物が武器から小銃に変わっている外は、三期と大概同じ。但し、供述が非常に詳細となっている(甲野56・11・24PS書20四〇〇三、56・12・17KS書21四二六五)。
 (五) 六期
  (1) 喫茶店「ヴィクトリア」に至る経緯は五期と同じ。
  (2) 乙山は、自己紹介及び反戦自衛官の組織を説明した後、自衛官の制服等一成と通行証明書とか身分証明書を手に入れて、自衛官に変装して正面から堂々と駐屯地に入って行って銃を奪取し、正面から逃げてくる計画である、必要な物資は、反戦自衛官の組織を使って調達する、反戦自衛官の組織は、現職の隊員から組織されているので、事件を起こせば、警務隊に追及されて発覚してしまうから、銃奪取に自分の組織は使えない、物資を調達し、組織を維持し、自分の生活を維持するために活動費として三〇万円の金が必要であり、また実行する人手が必要である、それを出してくれれば、自分たちが手引をすると言い、三基地等の図面を書き、それぞれからの銃奪取の方法を説明し、反戦自衛官の組織が手引をするので一緒に手を組んでやろう、安全確実に大量に銃が手に入れば、武装闘争が実現でき、日本の革命運動は飛躍的な発展を勝ち取ることができると述べた。これに甲野は驚きまた興奮し、信用できそうな話だと思い、持ち帰り、至急相談して検討すると答え、三万円を渡し、同志だというので握手をした。
   2 乙山に手交した金員の出所
 甲野は、当初、被告人から立替を指示され、実家に帰った際もらった金一万円と手持の金を合わせて三、四万円準備してこれを渡したと供述していたが(46・11・23KS書7一二三〇)、二期以降は全く供述されていず、他にこれを裏付ける証拠もないので、措信し難い。
 また甲野は、被告人からの送金が遅れたので、Kから借りて乙山に渡したとも供述している。しかしながら、前述のようにスナック「もっきり亭」、飲食店「久富」における被告人の送金の約束に関する甲野供述は措信し難いのであるから、送金が遅れたとの供述も措信できない。
 Kからの借金については、Kは甲野に金を貸したのは一回だけであると供述しており、その時期は三月ころ(一審一一回48・3・15書35七二五四)、四月二七日ころ(47・1・27PS書34七〇一〇)、七月二四日から一月以内(47・1・12KS書35七三一三)と判然としないものの、千葉に行くのに旅費がないから貸してくれと言われて貸したと供述しており、右供述は、いずれも喫茶店「ヴィクトリア」への架電依頼の件とは別項でなされていることから考えると、四月銚子行きの際の借金と解する余地もあり、検察官が主張するように喫茶店「ヴィクトリア」行きのための借金の裏付け証拠とするには不十分なものである。
   3 乙山の話
 (一) 甲野は、乙山が反戦自衛官組織のリーダーで武器奪取の計画を立てていると言って、三基地の図面を作成しながら基地の状況、武器奪取の方法について説明を加え、その資金として三〇万円必要であるので出してくれと言ったとほぼ一貫して供述している(なお、四期供述においては、武器騙取あるいは武器窃取の話となっているが、四期供述は、乙山への責任転嫁を企図した意図的なものであることが供述自体から明らかであり、到底措信し難い)。
 甲野供述は、武器奪取計画を有する反戦自衛官組織が、計画を実行するのに必要な人も資金も用意できないので共闘しようとの申出があったという内容であるが、その供述内容自体人も金もない組織が武器奪取計画を有しているという不合理さが見受けられる。
 次に、甲野供述は関係者の供述とも大きく食い違っている。
 乙山は、当初は、反戦自衛官組織、武器奪取計画及び三〇万円に関する話を甲野にしておらず、自衛官の制服等売買の話をしたにすぎないと供述していたが、五七年以降においては、その右翼的思想・考え方から、その目的達成のために過激派に武器奪取をするよう共闘を申し込んだと供述している。
 乙山供述の信用性は別項で検討を加えるが、いずれの供述も甲野供述とは相当差異があり、甲野供述を裏付けるものではない。
 また、甲林も乙山の話は制服等売買の話であったと一貫して供述しており、甲野供述とは全く異なるものである。甲林は、反戦自衛官の話が話題に上ったと述べているが、その内容は甲野供述と合致しないものであり、甲林供述も甲野供述を裏付けるものではない。
 Kは、甲野から喫茶店「ヴィクトリア」で右翼と会うので、電話を入れてくれと頼まれ、何回か喫茶店「ヴィクトリア」に架電し、後日背叛社関係の調査を依頼されたと供述しているが、甲野供述の反戦自衛官組織の話とは全く正反対の話であり、甲野供述の信用性を減殺するものである。
 (二) 甲野供述は、乙山が三基地の図面を書いて詳細に内部を説明したと供述しているが、乙山の説明内容、作成した図面数、殊に朝霞駐屯地の弾薬庫の内部状況については、供述内容が日時の経過とともに詳細となり、新たな事項が付加されており、記憶に基づいた供述なのか、その後獲得した知識で記憶を補充して供述されたものか明らかではなく、その供述変遷には不自然さが感じられる。
 また後述のように、乙山、丙原の供述によると、乙山は「ヴィクトリア」会合後に丙原方で、朝霞駐屯地及び吉井の弾薬庫の構造や高崎の自衛隊の冬期トレーニング等について、図面を書いてもらって説明を受けたものと認められる。
 右事実に加え、乙山の朝霞駐屯地の勤務が僅か半年であり、弾薬庫勤務の経験もないこと、朝霞以外の関東の基地の勤務経験もないことから考えると、「ヴィクトリア」会合当時乙山は、甲野供述のような各基地の状況についての正確な知識を有していなかったものと解するのが相当であり、甲野供述にはこの点においても疑問が残る。
   4 まとめ
 以上検討してきたところから、喫茶店「ヴィクトリア」における乙山との会合でなされた相談の内容及び出来事に関する甲野供述は全体として信用性に欠ける。
  一四 甲沢との名古屋会合
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 「ヴィクトリア」での会合を済ました後難波予備校に電話し、被告人から甲沢の指示を受けうと言われた。スナック「白樺」に電話し、名古屋で会うことになった。
  (2) 七月中旬今池の喫茶店「田園」で甲沢と会ったが、尾行がついていると言うので、すぐ出て星ケ丘ボーリンク場に行き、乙山の話を報告した。甲沢から意思一致を迫られたが断った。また先方と会えと言われ、これを了承し、約一万五〇〇〇円を受け取って別れた。実家に一泊して翌日帰京した(甲野46・11・23KS書7一二五二、46・12・18供書9一七六〇)。
 (二) 二期
  (1) 予備校か研究室に電話し、被告人の指示でスナック「白樺」に電話し、甲沢と会うことになった。
  (2) ボーリング場に行くまでの経緯は一期と同じ。甲沢に図面を書きながら乙山の話を報告した。乙山の身分を確認し、写真を手に入れて欲しい、乙山との折衝を続けその組織とのラインを作れと指示された。甲野は丁原と学習会を開き、意思統一を図り、一つの部隊をまとめつつあると報告した。一万円位受け取って別れた(甲野46・12・29PS書11二〇四五、47・1・7KS書11二一八六)。
 (三) 三期
  (1) 「ヴィクトリア」での会合を済ました翌日「白樺」方式でスナック「白樺」に電話し、喫茶店「モンブラン」で甲沢の電話を受け、名古屋で会うことになった。
  (2) ボーリング場へ行くまでの経緯は一期と同じ。
 乙山の話を報告すると、甲沢は、甲林から探り出せ、写真も入手して欲しい、接触を保ち、その都度連絡しろと指示した。丁原らに対するオルグの話をすると、しっかり空気を入れておけと言われた。次の連絡日を七月中頃に決め、一万円貰って別れ、実家に一泊して帰京した(甲野47・5・22PS書15三〇六八)。
 (四) 四期
  (1) 「ヴィクトリア」での会合のすぐ後甲沢と名古屋で会い、乙山の話を報告した。人物について調べる必要があると言われた。
  (2) 今後の連絡方法について話し合い、盗聴、尾行される危険を考えて、電話番号の組替え方や連絡の方法について取り決めをした(甲野一審二二回49・3・14書16三二二五)。
 (五) 五期
 三期と同じ(甲野56・11・24PS書20四〇二五、56・12・17KS書21四二七〇)。
 (六) 六期
  (1) 「ヴィクトリア」での会合のすぐ後甲沢に電話し、名古屋で会うことになった。
  (2) ボーリング場へ行くまでの経緯は一期と同じ。乙山の話を報告すると、甲沢は、非常に興味を示し、装備を使えば、銃奪取も可能だ、すぐに被告人に伝える、乙山の写真が手に入らないか、自衛隊の隊員名簿が手に入らないだろうか、おたがいに手を尽くして調査をしてみよう、継続して相手と連絡をつけて会うようにしてくれ、甲林を通じて情報を取るようにしてくれ、オルグはうまくいっているか、しっかり空気を入れておけと言われた。約一万円受け取って別れ、実家に一泊して帰京した。
   2 供述変遷
 甲野は、「ヴィクトリア」での会合を済ました後名古屋で甲沢と会ったと一貫して供述しているが、会うに至る経緯について、一期、二期供述では「ヴィクトリア」会合の翌日、難波予備校あるいは研究室に架電し被告人に報告し、その際、被告人からの指示により、甲沢と連絡をとり、名古屋で会うことになったと供述していたが、三期に至り、被告人からの指示に関する部分が供述されなくなり、四期では「白樺」方式を用いた旨の供述が現われ、受電先の喫茶店が一定していない。
 会話内容についても丁原らのオルグの話が二期から出現し、これに対して甲沢が発破を掛けたことは三期で初めて供述され、今後の連絡日時の取り決めについても三期から供述され、四期では甲沢から初めて「白樺」方式を教わったとなっている。また乙山の話の報告内容が日時の経過とともに詳細になっている。
 このように会合に至る経緯、会合における会話内容にかなりの変動が認められるのであるが、甲野は特に供述変遷の合理的理由を説明しておらず、単なる記憶の欠落等では説明のつかない不自然な変遷といわざるをえない。
   3 供述内容の不合理性
 この会合については、甲野と甲沢の二人のみ登場するが、甲野供述で甲沢が登場するのは五月の楽友会館と七月の名古屋の二回だけである。五月の会合については、前記のとおり甲野供述は措信し難いものであるが、七月についても被告人ではなく何故甲沢が会合の相手方となったかの合理的説明はなされていない。
 甲野供述によれば、甲沢との名古屋会合は、七月一三日以降二〇日ころまでの間と解されるが、被告人は七月一三日で予備校の講義を終え、大学での研究会も既に終わっており、甲野と必ずしも会えない事情にあったとは考えられない。他の用事ではあるが、七月二四日には上京し、一泊しているのである。したがって、被告人ではなく、甲沢が会う理由は必ずしも明らかといえない。
 会合場所が京都ではなく、名古屋であることも奇異な印象を与える。
   4 丙島ノート
 甲野は一貫して名古屋の実家で一泊したと供述しているが、丙島ノートには七月三日から七月五日まで甲野が名古屋に行ったとの記載があるのみであり、甲野供述は客観的証拠の裏付けを欠くものである。
   5 甲沢供述
 甲沢は、甲野と名古屋で会ったことはありうると思うが、その際甲野から「自衛隊から武器を奪取する。」という話を聞かされたことはないと供述する(書51一一八六八)。同人は、被告人と親交を結んでいる者であり、右供述も事件後一六年近く経ってなされたものであるから、その信用性は直ちに肯認できない。しかし、被告人も七月上旬ころ甲沢に架電し、明日同人が上京した際東京で甲野と会ってその話を聞いてもらいたい旨依頼したと供述しており、甲野も一貫して甲沢と会ったと供述していることから推してみると、甲野と甲沢が名古屋で会った可能性も否定はできないが、関係者の供述内容が一致しておらず、右事実が存したと断定することはできない。
   6 まとめ
 以上の次第で、甲野供述には、不合理な供述変遷、供述内容の不自然さ、客観的証拠との不一致が見受けられるし、前記のごとく甲野供述は「ヴィクトリア」の会合についても信用性に疑問が存するのであるから、それを受けた形での名古屋会合についても、同様と解される。したがって、甲野供述は措信し難い。
  一五 喫茶店「にしむら」
   1 供述の概要
 (一) 一期
 七月一〇日ころ喫茶店「にしむら」で乙山と会った。乙山は、三基地の見取図を書いて具体的な作戦を詳細に説明した。朝霞の弾薬庫も見取図を書いて説明した。メンバーを出せば、手引も自衛官教育も責任をもってする、お互いの組織的連帯と友好関係確立のために制服を渡そうとの話があった。二時間位話をして別れた(甲野46・11・24KS書7一二七一、46・12・3PS書8一五〇五、46・12・18供書9一七六〇)。
 (二) 三期
  (1) 三基地と朝霞の弾薬庫の説明は一期と同じ。
  (2) 少人数のメンバーで簡単にできる、制服は何時でも入手できる、朝霞が一番手取り早い、乙山が責任をもって手引する、決行の日時は甲野の方で指定してくれなどの話があり、六四年式小銃の性能、分解の仕方について詳細な説明を受け、一時間半位で別れた(甲野47・5・22PS書15三〇八八)。
 (三) 四期
 三期と同じ。三〇万円の内訳を聞いたことと制服等が八月五日に全部揃うとの会話事項が付加されている(甲野一審二二回49・3・14書16三二二八、一審二五回49・5・9書17三四四一)。
 (四) 五期
  (1) 三基地、朝霞弾薬庫及び小銃についての説明、決行日時の指定については、三期と同じ。
  (2) 乙山は、朝霞の弾薬庫が最も成功する確率が高いので、そこに目標を定めて決行しよう、一、二人メンバーを出せば直接侵入の手引や銃の分解運搬には協力する、装備は八月五日あるいは一〇日に揃う、幹部はフリーパスで基地に入れる、お金は今すぐもらえないかと言った(甲野56・11・24PS書20四〇五一、56・12・17KS書21四二七八)。
 (五) 六期
 乙山は、銃器奪取の目標を朝霞駐屯地の弾薬庫とし、六四年式小銃、弾丸を奪って来る、襲撃に際しては乙山が直接、駐屯地の中に入って手引をする、襲撃の実行メンバーを一、二名出してくれ、八月五日までに自衛隊の装備一式が全部揃うので、それ以降であれば、何時でも計画を実行できる、詳しいことはそちらで決めてくれと言った。銃の分解、取り扱いについても説明し、また三〇万円の催促もした。
   2 供述変遷
 甲野供述は、三基地及び朝霞の弾薬庫の見取図を乙山が書いて説明したこと、メンバーを出してくれれば責任をもって手引をすると乙山が述べたことについては、ほぼ一貫しているものの、六四年式小銃の性能、分解の仕方についての話及び決行日時は甲野側において指定する話が三期で出現し、四期においては、三〇万円の内訳を尋ねたこと、制服は八月五日に揃うとの事項が付加されている。このように日時の経過とともに供述内容が詳細となり、新たな事項が付加されているが、この点については何ら説明がなされていない。
   3 前後の状況との不一致
 甲野供述によると、乙山は自分が手引をするので資金及び実行部隊を甲野の方で準備してくれということになる。
 しかし、「ヴィクトリア」の会合では、反戦自衛官組織と甲野の組織との共闘の話がなされたとされているのであり、喫茶店「にしむら」では当然共闘の話の具体化が話し合われるべきところ、それが乙山が手引する話に変わっており、「ヴィクトリア」会合における相談内容と符合しない。
 しかも、喫茶店「にしむら」では朝霞駐屯地を攻撃目標としたのに、後述の「青冥」会合では、第二順位の攻撃目標となり、「にしむら」会合後の状況とも合致しない供述内容である。
 このように会合状況に関する供述内容は、前後の会合状況の供述内容と整合しておらず不合理である。
   4 関係者の供述との不一致
 既に「ヴィクトリア」の項で検討したように、甲林、乙山の供述と大きく食い違っている点も注目せざるをえない。会合の相談内容が武器奪取計画の話か売買の話かについては再論しないが、会合の時間も甲林、乙山は一〇分あるいは三〇分位というのに対し、甲野は一時間半ないし二時間と供述しているのである。
   5 会合場所
 喫茶店「にしむら」は繁華街のフルーツパーラーであり、甲野供述のように三人の男性が長時間図面を書きながら武器奪取計画を練るのは、周囲の関心を惹き易く、謀議をこらしている者の行動としては、はなはだ不用心といえよう。
   6 まとめ
 以上検討してきたところから、喫茶店「にしむら」において乙山とした相談内容についての甲野供述の信用性には疑問が残る。
  一六 被告人との名古屋会合
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 「にしむら」での会合の翌日被告人に電話し、名古屋で会うことになった。
  (2) 河合塾の前で被告人と待ち合わせ、本山の喫茶店で「にしむら」会合の報告をした。乙山は右翼か警察のスパイの疑いがあるので身元を洗えと指示された。闘争への参加を求められたが断った。
  (3) 覚王山のレストランで党の話、理論的な話をし、丁原らを紹介した。被告人の論文を読めと言われ、丁原の住所を教えた。
  (4) 飲食店「喜久屋」で酒を飲み、栄をぶらつき、一万円貰って別れた。この間に甲野執筆の原稿を被告人に渡した。実家で一泊して帰京した(甲野46・11・25KS書7一二七九、46・12・3PS書8一五〇五、46・12・18供書9一七六一)。
 (二) 二期
  (1) 喫茶店「タイムス」にいた甲野に被告人から電話があり、河合塾で待ち合わせることになった。
  (2) 本山の喫茶店に入ったが、客が多かったのですぐ出て、覚王山の軽食の店に入り、「にしむら」会合の報告をした。乙山の身元についての報告書を受け取り、整理してKにコピーを五部作らせろと命じられた。甲野の任務はオルグした部隊を鍛えて闘争を担えるものを作ることだと言われた。乙山の身元調査についてははっきりした話は出なかった。
  (3) 飲食店「喜久屋」で酒を飲み、栄の喫茶店で一万円貰い別れた(甲野46・12・29PS書11二〇五八、47・1・7KS書11二一八七)。
 (三) 三期
  (1) 待ち合わせの経緯は二期と同じ。その間に大井の専売所に電話し、乙山の身上を調べた。
  (2) 本山の喫茶店で「にしむら」会合での話及び乙山の経歴を報告すると、乙山の経歴は出たら目だが、武器奪取の話は信用できると言われた。
  (3) 覚王山で軽食をとり飲食店「喜久屋」で飲んだ。
  (4) 街をぶらつき栄の喫茶店で、整理して報告書を作成し、Kに五、六部コピーさせろと指示された。甲野は朝霞の近くにはハイツがあることを話した。実家に一泊して帰京した(甲野47・5・23PS書15三一〇三)。
 (四) 四期
 七月下旬名古屋で被告人と会ったとき、乙山の話を報告した。被告人は、具体性があり、面白い話だ、乙山の身上を調べろと指示した。「赤衛軍」の話が出て全国に散在する軍団を集中する一形態と把握していた。ハイツを小手調べ的にやろうと話し合った(甲野一審二二回49・3・14書16三二三六、二審一〇回51・11・26書18三七六六)。
 (五) 五期
  (1) 被告人と会うまでの経緯は三期と同じ。
  (2) 本山の喫茶店「黒百合」でメモ、図面を出して、「にしむら」会合での話及び乙山の身上を報告した。計画は信用出来るので、オルグをしっかりして統制しろと言われた。
  (3) 一時間半か二時間いて、レストラン「カリエンテ」、飲食店「喜久屋」と寄り雑談した。
  (4) 街をぶらつき栄の喫茶店「モンシェル」で報告書を作成して、KかJにコピーさせ、二部被告人に渡せと指示された。甲野は朝霞の周辺には、米軍の朝霞キャンプやハイツがあると話した。一万円貰い実家に一泊して帰京した(甲野56・11・24PS書20四〇六三、56・12・17KS書21四二八一)。
 (六) 六期
  (1)「にしむら」会合の直後、被告人に電話し河合塾で待ち合わせることになった。甲林を通じて乙山の履歴書の写しを入手し、大井専売所に電話して調査した。
  (2) 喫茶店「黒百合」以降は五期と同じ。
   2 供述変遷
 「にしむら」会合での乙山の話を報告した場所が一期では本山の喫茶店とされていたのが、二期では覚王山の軽食の店となり、二期で再び本山の喫茶店と変遷している
 「にしむら」会合の報告は名古屋における会合の第一の目的であり最も記憶に残り易いはずの事項であるのに、その報告をした店がどこかという点がこのように変遷しているのは不自然である。
 栄の喫茶店のことが逮捕後四〇日以上も経て初めて供述され、そこでの会話内容、特に報告書の作成、ハイツの話等は三期に至って初めて供述され、米軍朝霞キャンプの話は五期に至って初めて供述されているのであるが、特に供述変遷の理由についての説明はなく、単なる記憶の混乱によるものとは解し難い。
 調査報告書について、一期では乙山の履歴と人物評を書いた紙を名古屋で被告人に渡したと供述していたが、二期当初では、甲野が乙山の履歴書の写しをスナック「白樺」に郵送しておいたところ、それが調査報告書になり、名古屋で被告人から受け取った(46・12・29PS書11二〇六一)となり、二期後半には名古屋で乙山の調査結果を報告し、被告人から調査報告書を整理してKにコピーしてもらえと指示された(47・2・16PS書13二六〇八)と目まぐるしく変遷した点も首肯し難い。
 更に、甲野供述は、日時の経過とともに供述内容が詳細となっているが、この点も理解し難い。
   3 丙島ノート
 甲野は被告人と会った後実家で一泊して帰京したと述べているが、甲沢名古屋の項で検討したように、丙島ノートにはその旨の記載を欠き、甲野供述は客観的証拠の裏付けに欠ける(なお、弁護人は、飲食店「喜久屋」の経営者であった後藤なおみも甲野が来店したのは七月上旬と供述しており、甲野供述は信用できないと主張するが、同女の供述は、甲野が久し振りに来店したのは夏の暑いころというにすぎず、七月上旬と断定しているものではないので、弁護人の右主張は前提事実を欠き、採用できない)。
   4 甲野の行動
 甲野供述によれば、名古屋に行ったのは七月二七日から三一日ころまでの間と解されるが、七月三一日には丙島秋子とアパートの手付金を支払に行っているので(領収証、符43)、七月二七日から遅くとも七月三〇日の間と解すべきである。
 しかしながら、この間甲野は、丁原と盗んだヘルメットの色を塗り替えたり、「赤衛軍」等と書き込み、乙島の下宿の鍵を借り、乙山の履歴書の写しを甲林から受け取り、日経大井専売所に電話をかけ、乙山の身上調査をし、戦斗宣言(符14)等を作成するなど多忙な日々を送っていたものと窺われ、名古屋への一泊旅行をするだけの時間的余裕が存したのか疑問に思われるところである。
   5「にしむら」会合との関係
 前記のごとく甲野供述は、「にしむら」会合についても信用性に疑問が存するのであるから、それを受けた形での名古屋会合についても、同様と解される。
   6 まとめ
 以上検討を加えてきたところから、甲野供述は措信し難い。
  一七 中国料理店「青冥」、戊野プロ
   1 供述の概要
 (一)「青冥」会合に至る経緯、会合の日
  (1) 二期
 七月下旬から八月初旬ころ、調布(あるいは府中)と思われる駅前の喫茶店でマッチを貰い、パンなどを売っている店で一〇〇円玉を両替し、駅前広場の青電話でスナック「白樺」に架電し喫茶店で待っていたところ、その日の午後六時ころ被告人から至急会いたいとの電話があり、日時場所を決め、翌日昼ころ新大阪駅で待っていた被告人と会い、調査書のコピー五部全部を渡し、駅ビルの中で喫茶店を探したが、話ができるような店がないので、地下鉄で梅田へ行き、阪急梅田地下街で適当な店を探し歩いた末、中国料理店に入った。
 なお、被告人と名古屋で会った後二回位「白樺」方式により被告人と連絡をとったが、その際朝霞の自衛隊をやれと言われ、自信が持てないと答えたところ、被告人から大阪で会って最終的に決めようと言われ、八月五日ころ阪急梅田で会うようになったとの供述もある(甲野46・12・30PS書11二〇八〇、47・1・11KS書11二二一九、47・1・15PS書12二二五七)。
  (2) 三期
 調査書をコピーした後、二度位「白樺」方式により被告人と連絡をとったが、その場所は下高井戸の喫茶店「ポエム」と「さぼうる」だと思う。いずれかの時に被告人から、「大阪に来てくれ。朝霞、練馬、高崎などについて話がある。」と言われ、日時場所を決め、八月五日ころの昼過ぎ新大阪駅で被告人と会い、調査書のコピーを渡し、駅構内で喫茶店を探したが、話ができるような店がないので、梅田で食事をすることにし、地下鉄で梅田へ行き、阪急梅田地下街で適当な店を探し歩いた後、中国料理店「青冥」に入った(甲野47・5・23PS書15三一二〇)。
  (3) 四期
 八月の初めころに大阪で被告人と会った(甲野一審二二回49・3・14書16三二四七)。
  (4) 五期
   ア 中国料理店「青冥」で会う何日か前、喫茶店「パール」での「白樺」方式による電話連絡で被告人から大事な話があるから調査書をKらにコピーしてもらい、それを持って至急大阪に来いと言われ、日時場所を決め、Kにコピーしてもらい、八月初旬ころ、新大阪駅で被告人と会い、調査書のコピー五部位を渡して、駅ビルの中で喫茶店を探したが、話ができるような店がないので、地下鉄で梅田に行き、阪急地下街で、被告人に言われてそば屋かとんかつ屋のような店に入ろうとしたが、話をするのに適当でなかったため駄目だと報告し、来た道を引き返したところ、話ができそうな中国料理店「青冥」があったので入った。
   イ 喫茶店「さぼうる」と前に供述したのは明らかに間違いである。何故そのような記載がなされたか判らない(甲野56・11・24PS書20四〇八四、56・12・17KS書21四二八七、57・8・14PS書22四三六五、57・8・27PS書22四四五一、57・8・29PS(58丁)書22四四七六)。
  (5) 六期
 四六年七月下旬ころ名古屋から東京に帰った後、乙山に関する新たな調査報告書を作成し、朝日新聞社でK記者にそのコピーを依頼し、コピーができた後京王線調布駅近くの喫茶店「パール」から被告人に電話連絡したところ、被告人から大事な話があるからすぐ大阪へ来てくれと言われ、新大阪駅の改札口で落ち合うことにした。八月上旬大阪へ行き、その日の午後新大阪駅で被告人と会い、新たな調査報告書のコピー二部を渡し、話のできる場所を探して駅構内の喫茶店をのぞいたが、いいところがないので、地下鉄で梅田へ行った。阪急梅田地下街で適当な店を探し歩いたが、その際どこの店も人が一杯いて満員であったという印象があり、また噴水があった。被告人に言われて和風のそば屋かとんかつ屋をのぞいたが適当な店ではなく、L字型の角を曲ってしばらく歩いた後、中国料理店「青冥」をのぞき、よさそうだったので中に入った。
 喫茶店「パール」から架電した先は判らない。架電した日が「青冥」会合の何日前か判らない。
 (二) 会合状況、会合内容
  (1) 二期
   ア 被告人は都内の地図と朝霞駐屯地、ハイツの手製図面のコピーを示しながら説明した。その図面は以前に甲野が乙山から聞いて書いたものに、更に他の者が調査して詳しくなっていた。
   イ 甲野が武器奪取闘争をやり抜く決意を表明したところ、乙山の信用性に疑問があって、朝霞駐屯地をやった場合右翼の謀略にひっかかるなどの危険があったことから、被告人から、君の部隊は二つのうち一つを担当してくれ、ハイツから武器を奪取してくれと言われ、ハイツは銃の管理が杜撰で中に侵入できる公算が大きいなどと現場状況の説明を受けた上、君の部隊は八月一二日深夜三時にハイツをやってくれ、上でそのように決まってきている、ピストル二丁とカービン銃三丁を奪えと指示され、朝霞基地については弾薬庫を狙う、武器奪取後は環七と青梅街道の交差点の所で輸送部隊にドッキングすれば任務は終了と言われた。甲野が、自分のアジトに一時保管することを提言したところ、被告人もこれを了承した。また、部隊は帝国ホテルに集結させること、武器としてブラックジャック、ナイフ、包丁、スパナを用意することなどを指示された。被告人は指揮所の指示に従って奪取物は港の倉庫に運び出すようにする、紀伊国屋書店の本の間に決意表明を入れておけばプロパガンダになるから作っておいてもよいと言っていた。
   ウ 第一次朝霞、七軒町派出所闘争は甲野独自の考えでやった。被告人からの具体的指示はなかった(甲野46・12・30PS書11二〇八五、47・1・7KS書11二一八〇、47・2・16PS書13二六〇九)。
  (2) 三期
 店は広く客もまばらで一〇人前後いた。奥のテーブルに座った。甲野は、被告人から朝霞駐屯地の武器を奪取するように言われ、当初乙山の身元が明確でないことと準備不足を理由に返事を渋ったが、説得され、はいはいと言いながら聞いていた。乙山は右翼や警察のスパイではないので、現場に出て協力するに違いないから、乙山と組んで実行することにしたところ、被告人は更に他の攻撃目標としてハイツもあると言い、市販の都内の地図、朝霞駐屯地、ハイツの手製図面のコピーを示しながら、ハイツは銃の管理が杜撰であるなどとハイツ及び朝霞駐屯地の各現場の状況、朝霞駐屯地への侵入方法、武器奪取方法の説明をしてくれた。甲野としては見知らぬ朝霞駐屯地内部に入るのは不安であったことから、川越街道に面したハイツの方がやり易いと言うと、被告人は交番もやり易いぞと言い、相槌を打ったところ、被告人が目標をハイツ、朝霞駐屯地、交番の三つに設定し、順次襲撃することを相互に承知した。
 被告人は朝霞の弾薬庫からは大量の武器弾薬を、ハイツからはピストル二丁、カービン銃三丁を奪えと言った。武器としてはナイフ、スパナ、ブラックジャックを用意し、奪取したならば環七へ抜けて港の近くの倉庫にぶち込めばいい、その手配は被告人がする、環七と青梅街道の交差する辺りでドッキングすればいいと言うので、甲野がアジトに一時保管することを提案した。被告人は、後に川崎に移動し、フェリーで房総に渡してまつばら荘に隠し、山越で三里塚に持ち込めばいい、八月一二日深夜二時か三時に決行しろ、乙山に渡す約束の金は踏み倒せ、部隊は帝国ホテルに集めろ、ビラやアピールを紀伊国屋書店の左翼っぽい本の中に挟み込んでおけばプロパガンダになるなどとも言った(甲野47・5・23PS書15三一二五)。
  (3) 四期
 朝霞の自衛隊から武器奪取を甲野やらないかと言われた。小手調べにアメリカ軍か交番をやってもいいのではないかとの話も出たかもしれない。ハイツの名前は甲野が出したかもしれない。
 また基地の弾薬庫から六四年式小銃、弾薬を盗み出してくる、実行は乙山と丁原がやる、刃物みたいなものを事前に用意するとの話だった(甲野一審二二回49・3・14書16三二四七、一審二五回49・5・9書17三四九三)。
  (4) 五期
   ア 店の前には品物を陳列するウインドウがあった。客は一〇名前後いた。奥のテーブルに座った。
   イ 甲野は、被告人から朝霞駐屯地の武器を奪取するよう言われ、乙山の身元が明らかでないし、準備不足をも理由に返事を渋ったが、乙山が駐屯地に手引すると言っているから乙山と組んで実行するよう説得され、実行すると答えた。被告人は朝霞駐屯地への侵入方法、武器奪取方法の説明をし、更に市販の東京都、埼玉県の道路地図、朝霞駐屯地、ハイツの手書図面のコピーを示して、ハイツの現場状況の説明をして、ハイツは銃の管理が杜撰で襲撃候補地としていいところであると言った。甲野としては見知らぬ朝霞駐屯地内に入るのは不安であったことから、ハイツの方がやり易いと言ったところ、被告人は派出所でもいいと言い、最終的に、被告人が目標をハイツ、朝霞駐屯地、派出所の三つに設定し、順次襲撃すると決定した。三つのうち一つが成功すればいいということになった。甲野はとりあえずハイツを襲撃すると主張し、被告人もこれを了承した。
 被告人がハイツにはピストルやカービン銃がある、奪取物を川崎の倉庫に隠し、三里塚に持ち込むと言うので、甲野が弥生町にアジトがあるから一時保管することを提案し、被告人もこれを容れ、その後フェリーで運ぶことになった。武器としては話し合いの結果、ブラックジャック、スパナ、ナイフ、包丁を準備することになった。また被告人が出撃拠点はホテルがいいと言うので、甲野が帝国ホテルを推挙し、同ホテルを使うことになった。
 乙山に渡す約束の金を踏み倒す件、アピールの件は三期と同じ(甲野56・10・22PS書19三八二五、56・11・24PS書20四〇九〇、56・12・17KS書21四二九三、57・8・14PS書22四三六六、57・8・24PS書22四四二五、57・8・29PS(58丁)書22四四八四)。
  (5) 六期
 店の入口のすぐ左手にレジ、左側に木か竹で編んだような仕切様のものがあり、店の一番奥が調理場になっており、右奥寄りのテーブル席に腰掛け、ビールと食べ物を注文した。店の客は少なく、甲野らが座った周辺に客はいなかった。
 被告人は、東京とか埼玉の市販の道路地図、ハイツと朝霞駐屯地の手書きの図面のコピーしたものを出した。図面は甲野が被告人に渡したものより詳しくなっていた。
 甲野は、被告人から、朝霞駐屯地からの武器奪取を甲野の部隊にやってもらいたいと言われたが、乙山の身元が明確でないことと準備不足を理由に返事を渋った。乙山が制服等を手に入れると言っている以上乙山には武器奪取を成功させる見込みがあるはずだから乙山と組んでやってもらいたい、できないということだと甲野の責任問題になる、建党建軍の基本路線を確認して今ここでやらなければいけないなどと説得されたため、甲野は革命の捨て石になって死ぬ気でやらなければならないと思い、実行すると答えた。被告人から駐屯地の弾薬庫から六四年式小銃、弾薬を奪うことを指示され、乙山が言っていたとおりに駐屯地内へ変装して侵入し、弾薬庫の警衛を黙らせればうまくゆくことの説明を受けた。ハイツ、派出所についても話し合った。被告人からハイツの位置、状況の説明を受け、銃の管理は杜撰で検問所は無防備の状態であり、襲撃も簡単であると言われたので、これを聞いて甲野としては、ハイツが川越街道に面していて襲撃も現場からの離脱も速やかにできるからやり易いと述べ、いろいろ二人で話し合って、最終的に、攻撃目標は、第一にハイツ、次に朝霞駐屯地、それでも駄目なら派出所と決まった。ハイツは朝霞の小手調べ的な要素もあった。
 被告人は、ハイツ襲撃の日時を八月一二日の深夜二時あるいは三時と指定し、出撃拠点はホテルを使うのがよいと言うので、甲野は帝国ホテルを提案した。携える武器は小型で隠し持てるものがよいと話し合い、最終的に、被告人がブラックジャック、スパナ、ナイフ、包丁の中で準備できる物を準備すればいいと言った。ハイツ、派出所においても、相手を油断させるため自衛隊の制服を使うことになった。
 被告人は、奪った武器を川崎の倉庫に一旦隠し、陸路は検問等が厳しいのでフェリーで東京湾を横断し、三里塚に持ち込むと言ったが、甲野は、一気に川崎まで運ぶことに危険を感じ、丁井の下宿に隠すことを提案し、下宿の状況、丁井の信頼性を説明したところ、被告人も同意した。
 被告人は甲野に対し、成功したときは犯行声明といったものを雑誌「情況」に挟んで紀伊国屋書店のような大きな書店に置いておくこと、乙山はスパイではなく金目当てであろうから、調査報告書を乙山に示して、記載事項に間違いがなく、乙山はスパイでないとの確認をとること、確認をとるまでは乙山に対し襲撃目標変更を伝えないこと、もし乙山がスパイと判明した場合はすぐ中継連絡所に連絡をとること、乙山の要求する三〇万円は踏み倒すこと、東京に戻ったら、すぐ下見等の準備をし、制服の入手状況を確かめることを指示し、当日(八月一二日)上京したときには甲野のメンバーに会うことを約した。
 甲野は、中国料理店「青冥」にどのくらいの時間いたか覚えていない。
 (三) 戊野プロ
  (1) 二期
 戊野プロに入り、二人で乙山の実家と大井町専売所に電話を架け、駒沢大学に乙山が在籍していることを確認した(甲野46・12・30PS書11二〇九一、47・1・4KS書11二一五〇)。
  (2) 三期
 戊野プロで乙山の身元を聞いたりしたが、余りよく判らなかった(甲野47・5・23PS書15三一四一)。
  (3) 五期
 戊野プロで甲野が新聞販売店に電話を入れた結果、乙山の母親の居所が判明したので、被告人が母親の方に電話を架けた。被告人は、乙山が駒沢大学に行っているかとか、交通事故を起こして罰金か弁償金を払わずに逃げている、どこかのホテルに来てもらいたいなどと言っていたが、結局乙山の身元はよく判らなかった(甲野56・11・24PS書20四一〇〇、57・8・22PS書22四四〇三、57・8・29PS書22四五一三)。
  (4) 六期
 甲野が、この機会に乙山について調べたいと述べたところ、被告人が戊野プロに行ってみようと言い、二人で戊野プロにいった。被告人が戊野プロの人にいろいろ話を聞いたが、何も判らなかったので、甲野が日経新聞の専売所に電話をし、乙山の連絡先の電話番号を教えてもらい、被告人がそこに架電し、応対に出た乙山の母親に対し、交通事故の話をし、ホテルまで来てくれなどと言った。その後甲野は、新大阪駅で被告人から一万円貰って別れた。
   2 供述の出現状況の不自然性
 (一)「青冥」謀議供述出現の経緯
 甲野は、一一月一六日本件により逮捕され、しばらくの間、七月中旬レストラン「アラスカ」で被告人らと謀議をし、八月五日ころ及び同八日上野の和風喫茶等で丙川らと謀議をした旨供述していたが、一二月二七日に至り、これらの供述を嘘であるとして撤回し、警察官に対しては七月中旬大阪で被告人と謀議した旨を、検察官に対しては七月下旬又は八月上旬ころ池袋の喫茶店で被告人及び乙原とハイツ謀議をし、その後阪急梅田地下の中華料理店で被告人と会った旨を初めて供述するに至り、一二月三〇日検察官に対し、池袋の喫茶店における被告人及び乙原との謀議は嘘であるとして撤回した上、阪急梅田地下での謀議状況、謀議内容などにつき詳細な供述をし(ただし、第一次朝霞闘争、七軒町派出所闘争は甲野独自の考えでやったもので、被告人から具体的指示を受けていないことなど甲野証言とは重要な部分で内容の異なる点がある。)、四七年一月五日付けで中華料理屋の位置、外観及び店内状況の図面を作成し、同月一一日警察官に対し中華料理屋に行くに至った経緯について詳細な供述をした。
 (二) 逮捕後四〇日間の供述状況
 甲野の捜査供述によれば、甲野は、逮捕の翌日、本件後旅館「小富美」でKのインタビューに応じたのは被告人の指示によると供述したのを皮切りに、一回目の供述書(46・12・18書の一七五五)作成時までに、スナック「もっきり亭」、文学部長室など(46・11・20KS書7一一六二、46・11・21KS書7一一八二)、名古屋の喫茶店、飲食店「喜久屋」、レストラン「アラスカ」(46・11・25KS書7一二八一、一二九四)、喫茶店「穂高」(46・11・29KS書8一三七八)において、被告人と謀議をしたこと、下田病院、飲食店「久富」で被告人と会ったこと(46・12・12PS書9一六八一)、被告人から送金があったこと(46・11・23KS書7一二五五)等、ハイツ闘争前における甲野と被告人との会合や接触したことなどの大半を、積極的に供述している(会合時期や会話内容等は甲野証言と異なる)。しかも、この段階における甲野の供述は、甲野は首謀者ではなく、乙山の話などを被告人らに伝え、あるいは丙川らの指示を丁原に伝える連絡役であったこと、被告人から党のメンバーとなって武器奪取闘争に参加するよう再三再四誘いを受けたこと、被告人の外、丙川、丙田などの架空の人物からも指示を受けたこと、乙原、乙田をはじめ京大や十月社の者など多くの人が関与したこと、丁原は帝国ホテルで包丁の試し切りをし、ハイツ闘争後甲野に対し次は朝霞を攻撃させるよう迫るなど、積極的な態度であったことなど、関与者を増やし、責任をできるだけ被告人、丁原更に架空の人物らに押しつけ、もって自己の刑責を軽減しようとする意図に基づくものであったことは明白である。そして、被告人との関係の大半を供述した上、右の意図に基づき、レストラン「アラスカ」での武器奪取の謀議があったこと、八月上旬に二度の謀議があったことなど虚構の謀議の捏造までしていたと認められる甲野が、逮捕されてから一二月二七日までの四一日間、被告人に責任を被せる絶好の材料である「青冥」謀議を、ことさら供述していなかったというのは不可解、不自然である。
 (三) 供述変遷に関する甲野の説明
 甲野は、一二月二七日まで「青冥」謀議を供述しなかった点について「そういう意図的にはずしたということを言っているわけじゃないです。いい加減な供述をしておったし、また記憶もおそらく混乱しておったんであろう。」(二〇回証8二二九八)、あるいは「青冥のみに限らず、甲川さんとの接触、謀議、そういったものについては隠していたわけです。それでばれてくるにしたがって、徐々に認めていったということでしたから、青冥での接触がばれてきて自供した、そういういきさつであったんだろうと思います。」(二二回証9二五三一)と弁解している。
 意図的に「青冥」謀議を隠していたとの弁解については、甲野は既に一二月二七日以前の段階で、中国料理店「青冥」前の名古屋謀議や中国料理店「青冥」後の喫茶店「穂高」において、被告人から直接指示を受けたことを供述しているから、中国料理店「青冥」を供述すると、甲野と被告人を直接結び付けられて刑責が重くなる危険があったなどと考えて意図的に「青冥」謀議を隠したとは認められない。
 また、記憶の混乱によるものとの弁解も、逮捕後四〇日間も記憶が混乱していたとは認め難い。けだし「青冥」謀議に至るまでの被告人との会合場所を既に具体的に供述しているからである。甲野は中国料理店「青冥」において初めて被告人と本件について具体的、詳細な謀議を遂げたと供述していることに鑑みると、単なる記憶の欠落で説明のつくものでないことはいうまでもない。
 以上の点から考えると、逮捕後四〇日間も「青冥」謀議を供述しなかった理由についての合理的説明はなされていないものといわざるをえない。
 (四) 弁護人は、逮捕後四〇日間にわたり維持していた虚偽供述中の八月五日上野の和風喫茶店、八月八日の池袋の喫茶店における謀議に代わるまたも架空の謀議として「青冥」謀議なるものが登場してきたと主張する。
 確かに、「青冥」謀議供述出現直前に撤回された事項は、ハイツ襲撃の具体的計画の指示を受けたことや本件犯行決行の指示を受けたことなどを内容とする謀議であり、これを撤回したままにしておくと甲野が主犯と認定されてしまう危険があり、甲野は保身のため虚構を作り出したのではないか、との弁護人の右主張を完全に否定することは困難である。
   3「青冥」会合に至る経緯、会合の日時場所について
 (一)「青冥」会合に至る経緯
 被告人から電話を受けた場所が、府中駅前の喫茶店、調布駅前の喫茶店(二期)、下高井戸の喫茶店「ポエム」か「さぼうる」(三期)、調布駅前の喫茶店、調布駅前の喫茶店「パール」(五期)と変遷している。このうち府中という供述は調布と混同し、間違えて供述したものと認められるが、下高井戸の喫茶店と変遷したのは不自然である。この点、甲野は、下高井戸の喫茶店という供述は間違いで、他の電話の時と混同したのかもしれないと供述するが(57・8・27PS書22四四五二)、当初、これから大きな闘争をやるので、逆探知により甲野の身辺に警察の手が回るのを恐れて、初めて降りた調布と思われる駅前の喫茶店から電話連絡をとったとし、店の位置及び店内の図面を書いた上、当時の状況をマッチや両替のことなども含め詳細に述べており(47・1・11KS書22二二二〇)、このようにわざわざ平常と異なる場所に行って電話連絡したという特殊な体験に関する記憶が、わずか四か月余り後には他の体験との混同を生じたとは認め難い。むしろ、調布という供述が真実ではなく、絵空言であるが故に、短期間で容易に忘却し、あるいはなんらかの意図で、下高井戸の喫茶店という供述をしたのではないかとも考えられる。更に、電話連絡の日と「青冥」謀議の日との期間が、二期及び五六年一二月の二度「翌日」と変遷したこと、甲野の架電先がスナック「白樺」となったり、わからないと変わっていること、電話における被告人の発言も、至急大阪に来いという趣旨の発言の外に、朝霞の自衛隊をやれ(二期)、朝霞、練馬、高崎等について話がある(三期)、朝霞駐屯地に関して大事な話があるから調査書のコピーを持って来い(五期)等の変遷があることも不自然であり、また、新大阪駅で手渡したコピーの枚数、電話とコピーとの前後関係も一定せず、それらの変遷は、甲野供述の信用性に疑問を投げかけるものである。
 (二) 会合の日
 「青冥」会合の日について、甲野は七月下旬から八月上旬あるいは八月五日ころとするのであるが、弁護人は甲野は自己の供述の破綻を防ぐため、会合の日を意図的にぼかしており、不自然であると主張する。
 しかしながら、日時の記憶が時の経過とともに薄らぐのは前述のように不自然とはいえず、弁護人の主張には左袒できない。
 甲野供述によれば「青冥」での会合後戊野プロで丙山花子に架電したこととなっている。丙山花子への架電は、八月五日と認められるのであるから、甲野供述にいう会合の日は八月五日と解すべきである。
 ところで、甲野が八月五日に中国料理店「青冥」で初めてハイツ闘争を八月一三日に決行するように具体的な指示を受けたのであれば、準備期間は僅かに一週間しかなく相当短い期間といわざるをえない。しかも甲野が実際にハイツ闘争の準備をはじめたのは、八月九日夜であることを考えると、甲野の行動は、はなはだ悠長であって、重大事件を事前に計画した者の行動としては、合理性に欠けるといわざるをえない。
 このように会合の日とその後のハイツ闘争との期間、準備行動に着手した日時との間には、不自然な点が見受けられる。
 (三) 会合の場所
 甲野供述は被告人と適当な店を探し回った末中国料理店「青冥」をみつけ、店内で謀議をしたというのであるが、謀議内容は武器奪取の決意を促し、攻撃目標、攻撃方法等を決めるという秘密を要する事項である上、会合状況はテーブル上に地図や図面を広げるなど目立ちやすいものであり、このような謀議を、活動家や学生の出入りする所ではなく、昼どきに繁華街で偶然見つけた飲食店内で、ビールを飲んで昼食をとりながら行うことは、はなはだ奇異であり、周囲の者の注目を引く行為といわざるをえない。しかも隣席との間で視界をさえぎる物もないテーブルに向かい合って行なったというのは、一般客や店員などに聞かれる危険性もあり、不自然である。もっとも、甲野自身は「ヴィクトリア」や「ファンタジー」など初めて入った喫茶店で乙山らと武器奪取の謀議をしている。しかし、「青冥」会合の場合、設定者は甲野ではなく被告人であり、会合場所は被告人が土地勘をもつ大阪で、しかも被告人は「青冥」会合の前日ないし何日か前に甲野に大阪に来るよう指示したというのである。したがって、被告人としては、より機密性の高い会合場所を設定することは十分可能であったはずであり、現にその時までの大阪、京都における各会合は被告人及びその関係者が知っている場所で行われていたことをも考慮すると、これらの会合よりも一層機密性を要求される謀議の場所を場当り的に決めたという甲野供述は、そのような事態がおよそありえないとまでは言えないにしても、あまりに無計画、無防備な話であって、やはり不自然さは拭い去れない。
 (四) 以上、「青冥」会合に至る経緯、会合の日時場所についての甲野供述は、不自然な変遷を重ねており、その供述内容にも合理性を欠く点も見受けられ、その信用性には疑問が残る。
   4 攻撃目標決定の経緯
 (一) 供述の変遷
  (1) 攻撃目標としてのハイツ、派出所の位置付け
 三つの目標の実行順序が、被告人と甲野の話し合いで決まったのか、実行部隊の指揮者である甲野の考えに任せてくれたのかの異同があり、ハイツは「青冥」会合以前に甲野から被告人に提示したものか、中国料理店「青冥」で初めて話題になったものかについても供述に相違がある。
 しかも、ハイツが話題に上った経緯について、被告人から米軍と言われて、甲野は、練馬の方にハイツがあると述べたかもしれないとの供述もある。また、ハイツを攻撃目標と定めた理由について、乙山の信用性に疑問があって、朝霞駐屯地をやった場合右翼の謀略にひっかかるなどの危険があったと述べたり、制服着用によってどの程度相手の目をくらませるか小手調べ的に様子をみようという考えによるなどと供述したり、また朝霞は不案内で不安だったのでハイツにしたとの供述があるなどの変転が認められる。
 乙山の信用性についても、当初は乙山を疑っていたと供述しながら、その後は乙山は右翼や警察のスパイではないと思ったと供述が変遷している。
  (2) 検察官は、ハイツ闘争後の各闘争については、甲野が独自にやったとの供述(46・12・30KS)は、他の甲野供述と対比すれば、実質的には差異がなく、供述の変遷は存しないと主張する。すなわち、右調書で、甲野が被告人から朝霞駐屯地襲撃計画の内容、方法について説明されたと供述しており、その供述内容が甲野の五期、六期供述の「青冥」会合の内容と合致していること、ハイツ闘争後、喫茶店「タイムス」で被告人と電話連絡をとった際、甲野が朝霞駐屯地を襲撃するつもりであると伝え、被告人に激励された状況が供述されていることを指摘し、右調書の記載内容は実質的にはさほど変遷していないと主張する。しかし、右調書を素直に読むかぎり、朝霞駐屯地に関しては、中国料理店「青冥」で被告人が朝霞駐屯地襲撃計画の内容、方法を説明したというだけのことであって、甲野に対しこれを実行するよう勧めたとか、甲野がこれを実行することに決まったというものではなく(むしろ、被告人は、乙山の信用性の点から朝霞駐屯地の襲撃は危険であるとして、これを甲野のグループにはやらせない意向であるように読める。)、また、喫茶店「タイムス」の電話連絡に関しては、五期、六期供述では、中国料理店「青冥」で決まった計画に基づき次の目標を襲撃し必ず成功させると話したというのに対し、右調書では、甲野において独自に朝霞駐屯地襲撃を計画していることを伝えたというのであって、結局、中国料理店「青冥」で決まった甲野のグループの攻撃目標はどこか、朝霞駐屯地襲撃を甲野のグループが実行することを決めたのはだれかという点で、右調書と五期、六期供述とは大きく異なり、実質的に重大な変遷があるというべきであり、検察官の主張は採用できない。
 (二) 供述変遷の理由
 そこで供述の変遷についての合理的理由の有無を検討する。
  (1) 独自闘争供述について
 甲野は、朝霞駐屯地は甲野独自の考えでやったと供述した理由について、取調検察官は甲野が被告人の指示を受けたことを常に疑っていたので、被告人の指導を受けたと言っても真実だと思ってくれないと考えたこと、被告人が捕まっても本当のことは言わないと思ったこと、連日の調べから早く解放されたいと思ったこと、実行部隊である甲野らがどうせ責任を負わされると思ったことを挙げる(47・1・7KS書11二一八二)。
 これについて、検察官は、それまで甲野が「丙川グループ」など虚偽の供述を続けていたことに鑑みれば、取調官になかなかその供述を信用してもらえず、また、取調官も、甲野の供述を素直に聞けず、互に意思の疎通を欠いたため、結局細部までの状況を詰めずに曖昧な供述のまま調書が作成されたものと窺われ、その真意は、細かな点については一々被告人の指示を受けず、甲野達に任せてもらったとの趣旨であると主張する。
 なるほど、甲野は、四六年一二月二七日に従前の供述を一変させたのであるから、取調検察官が甲野の供述を容易に信用しない態度であったことは想像に難くない。しかし、問題の熊澤検察官に対する46・12・30PSにおいて、甲野は、検察官から「ハイツ襲撃をやるまでは被告人が細かく君に指示したりしていたのに、その後被告人の指示連絡なしで独自に闘争をやっていったのはどういうことからか。」と問答形式で問われたのに対し、ハイツ闘争後被告人から、乙山が信用できないと言われ、甲野自身も批判され、他方、乙山、丁原らのメンバーが積極的に「次は朝霞をやろう。」と言い、一生懸命闘争をやり抜く決意をする程に成長したので、その姿をみて、今後は被告人の指示を受けて動くよりも、乙山らと一緒なって自分たちだけで「赤衛軍」の一個の軍団として闘争を独自にやり抜いていこうという気持になったと答えている(46・12・30PS書11二一〇二)。これによると、甲野は詳しい理由をつけて積極的に独自闘争供述をしており、曖昧な供述のまま調書が作成されたものとは認められない上、右のような問答は、とりもなおさず熊澤検察官が甲野の独自闘争供述に疑問を持ち、朝霞駐屯地、派出所の闘争に関しても被告人の指示連絡があったという疑いを否定していない証拠であって、そのような態度の検察官に対し、中国料理店「青冥」で本件の具体的指示があったのが真実であるなら、甲野において当然これを供述してしかるべきである。
 それに加えて、当公判廷における証言態度(追及されると強く反発し、主張を容易に曲げない。)、捜査当時調書に納得出来ない点があれば加除訂正をしばしば申し出ていること、既に本件については起訴後の取調であることを考慮すると、当時甲野が、いくら取調官に信用してもらいたいとか連日の取調から早く解放されたいと考えていたとしても、取調官が疑問に思って発問したのに対し、自己の有利な事実を供述せず、自己に不利である虚構の事実をあえて供述したとは認め難い。
 次に、甲野は、当時用いた「独自」という言葉の意味は、犯行計画の細部は被告人から指示を受けず、甲野らに任せてもらったという意味であると供述するが(56・10・22PS書19三八二四)、前記46・12・30PSを素直に読むかぎり、前記問答でも明らかなとおり、「独自」とは、被告人からの命令に基づかないとの趣旨であって、甲野の中国料理店「青冥」における攻撃目標についての謀議に関する供述と際立って差異の存することは明らかといわざるをえず、右の甲野の弁解は信用できない。
  (2) その余の供述の変遷理由について、甲野は特段の理由を述べていない。
 検察官は、本件のような重大事件では、故意に事実を歪曲したり、記憶の稀薄化により供述が変遷することは十分ありうることであると主張する。
 しかしながら、前記の供述の変遷は、日時の経過に伴い供述内容が曖昧となったものではなく、単なる記憶の稀薄化によるものとは到底解されず、攻撃目標という謀議の最重要事項のみならず、攻撃目標決定理由、決定の経緯、実行順位に関する供述の変遷に合理的理由を見出せないのであって、「青冥」会合に関する甲野供述の信用性は、この点からも疑問がある。
 (三) 攻撃目標決定の経緯についての供述の不自然性
 「青冥」会合において、最終的に攻撃目標が三か所設定されたが、武器奪取という危険な行動をとるにあたっては、攻撃目標一か所を決めるのでさえ慎重な調査、討議と十分な準備を必要とするはずであると思われるところ、決行日まで一週間程度しか準備期間が残っていない段階で、それまで攻撃目標とされていなかったハイツを、突然第一の攻撃目標と設定し、しかも失敗を想定して、乙山とは全く関係のない派出所を含む三か所の攻撃目標を設定したということ自体、直ちには信用し難いところである。
 この攻撃目標決定の経緯は、甲野供述によると、被告人からハイツが川越街道に面しているという地理的条件、銃の管理状況、検問所の状況等の説明を受けたので、甲野はハイツの方がやり易いと申し述べたというのである。しかし、甲野供述によれば、「青冥」会合に至るまでの経緯は、甲野が被告人に自衛隊の駐屯地から武器を奪う話を持ち込み、喫茶店「にしむら」で、乙山との間で朝霞駐屯地を攻撃目標とし、実行の際乙山が直接手引するとの謀議がなされ、それを被告人に報告し、それを前提に自衛隊の制服の準備等を進めて来たというものであり、また、被告人は甲野をわざわざ大阪まで呼びつけ、「青冥」会合の当初から、朝霞駐屯地を攻撃するよう甲野に実行の決意を促したというのである。したがって、甲野供述によるかぎり、被告人が朝霞駐屯地攻撃の意欲を持っていたことは明白であり、そのような意欲を持つ被告人が、甲野からその申出を拒絶されてもいないのに、ハイツがいかにも攻撃しやすい所であるがごとき無用の事項を詳細に説明し、ハイツを第一順位の攻撃目標とすることに同意したというのは、不自然、不合理であり、信用できない。
 なお、この点、被告人は闘争さえ行なわれれば目標場所にはこだわらない意思であったとの甲野証言がある(八回証3四九九)が、これは前述のような「青冥」会合に至るまでの経緯と符合せず、措信し難い。
 (四) 「青冥」会合前後の甲野らの行動との不一致
  (1) 謀議内容とその後の事態の推移との不一致
   ア 甲野らは、八月一三日未明にハイツ闘争、翌一四日夜に第一次朝霞闘争、その中止直後の一五日未明に七軒町派出所闘争を行ない、更に同月二一日に朝霞駐屯地を目標に本件を敢行した。このように短期間に目まぐるしく攻撃目標が変わること自体、一連の闘争が綿密な謀議に基づいていないのではないかとの疑いを抱かせる。
 更に目標変更の経緯をみると、ハイツ闘争では変装が発覚しておらず、再び実行しようと思えば実行可能であったにもかかわらず、攻撃目標を、ハイツより実行が困難なはずの朝霞駐屯地に変更した。同所は被告人が攻撃を強く希望していたとされる目標場所であるところ、第一次朝霞闘争は犯行用の自動車も調達せず、現地にも行かないまま中止され、日時を改めれば同所を攻撃しうる状況であったのに、直ちに攻撃目標を予備的目標であるはずの派出所に変更した。七軒町派出所闘争でも変装が発覚せず、また他の派出所を目標とすることも可能であったのに、三つの攻撃目標の中では最も実行が難しいはずの朝霞駐屯地に再度攻撃目標を変更した。
 また、ハイツ闘争に当たり乙山は下駄ばき姿で帝国ホテルにきており、乙山には事前に計画を伝えていたとの供述にどうもそぐわない身づくろいであって変である。なお、第一次朝霞闘争は、事前の謀議に基づくものとしては、その準備がはなはだ杜撰の感は否めないところである。
 これら攻撃目標変更とその経緯等に照らすと、甲野の行動は正に場当たり的であると評しうるものであって、「青冥」会合において実行の容易さなどを考慮して攻撃目標に順位をつけたとする甲野供述はその後の事態の推移等と合致しないと認められる。
   イ 甲野は、ハイツ闘争後、ドッキング地点で甲林らの車に乗り込んだが、その車内での甲野の発言について、甲林は、甲野が「交番でも襲え。」と怒鳴ったと供述し(甲林46・11・26PS書43九七八八)、乙山は、甲野が「今日もう一発やろう。交番をボンやろう。」と言ったと供述する(乙山46・11・26KS書23四五九七)。この時に、甲野がこのような発言をしたことは、「青冥」会合においてハイツの次は朝霞駐屯地を攻撃するようにしたとする甲野供述と整合しない。
 もっとも甲野は右のような発言をしなかったと供述する。しかし、乙山供述と甲林供述とは、攻撃対象として交番が出てきた点で一致しているところ、いずれも逮捕直後の供述であって、これらを偶然の一致とみることはできず、もし甲野供述が真実であるなら、乙山と甲林の供述は、両名が逮捕前に口裏を合わせた結果であるということになろう。そこで、この点を検討するに、口裏合わせを裏付ける直接証拠はない。逮捕直後における両者の供述は、制服売買の話を乙山が持ち込んだ(甲林供述)のか甲林が持ちかけた(乙山供述)のか、喫茶店「ヴィクトリア」で弾薬庫を含む地図を書いた(甲林肯定、乙山否定)かどうかなど重要部分で食い違いがある。乙山は、丁谷との関係では、一一月二五日逮捕の直前に丁谷と会って、捕まっても弾薬庫のことは話さないよう口裏を合わせたと供述している(甲野46・12・16PS書25四九八四)。しかるに乙山自身の捜査、公判における供述は甲林供述と比較的整合性があるところ、五七年以降、自己の過去の供述が嘘であったと供述したため、捜査官から過去の供述に関する供述意図を聞かれていたが、甲林との口裏合わせの事実があるなら、当然それを窺わせる事実を供述してしかるべきであったのに、そのような供述は全くない。また、交番を襲うとの甲野の発言が、甲林や乙山の刑責軽減のために持つ効果は極めて少ない(甲林については皆無と言ってよい。)。更に、帝国ホテルでの甲野の乙山に対する脅迫文言について、甲林は、闘争に参加しなければ警察に手紙を出すと脅したと供述する(甲林46・11・26PS書43九七七八)のに対し、乙山は、組織により抹殺するという趣旨のものであったと供述する(乙山46・11・26KS書23四五八三)など甲野に責任を押しつけうるより重要な事実について甲林供述と乙山供述とで食い違いがある。
 以上の各事実を総合考慮すると、前記の甲野発言について甲林と乙山がわざわざ口裏を合わせたとは到底認められない。したがって、両者の供述の一致は、それが正に真実であったからこそ生じたものであると認められる。
  (2) 犯行準備等の状況との不一致
   ア 丁丘に対する武器奪取闘争参加勧誘の時期
 甲野は「青冥」会合後であると証言するが(一五回証6一四一九)、丁丘は、自衛隊等から武器を奪う闘争を一緒にやろうと誘われたのは七月中旬であると供述する(丁丘PS書48一一一六九)。
 そこで、丁丘供述の信用性を検討する。同人の公判廷における証言及びPS並びに甲谷供述及び乙島供述によれば、以下の事実が認められる。すなわち、丁丘は、四六年一二月検察庁で取調べられた際、当時記憶していたことをありのままに述べた(丁丘六四回証20六四三二)。武器奪取闘争への参加を誘われた時期についての供述内容は、七月中旬、丁丘が練馬区から千葉市内に転居したところ、その数日後に突然甲野に尋ねて来られ、前記のような勧誘を受けたというものである。勧誘を受けた後の状況について、丁丘は、即答をせず、甲野が帰った後、甲谷に電話し、甲野から言われたことを話し、甲谷から参加しないよう言われたと供述する。
 他方、甲谷は、七月下旬丁丘から甲野からどこかの基地に入るのに仲間に加わるように誘われたがどうしたらよいかと電話で相談され、断った方がよいと答えたと供述している(甲谷46・12・3PS書36七五三四)。また、乙島は、七月下旬ころ、甲谷の下宿に遊びに行った際、丁丘から甲谷に電話があり、甲谷から、右電話の内容は、丁丘が甲野から群馬の自衛隊の基地から銃を取って来るよう頼まれたがどうしたらよいかというものであったと教えられたと供述している(乙島46・12・4PS書49一一四五八、46・11・29PS書43九六七三)。以上の事実が認められる。
 これらによれば、丁丘供述は勧誘時から五か月ほどしか経過していない時期のもので、記憶はまだ鮮明であったと考えられ、勧誘された時期を特定するのに、転居という、記憶に残り易い出来事が存する上、勧誘は、甲野が住所も教えてない下宿に尋ねて来るという非日常的出来事によって行われたものであり、七月下旬までに丁丘が甲野から基地侵入の勧誘を受けた点については、甲谷供述及び乙島供述がこれを補強していると認められる。
 これに対し、甲野は、「青冥」会合以前に、喫茶店などで丁丘に自衛隊から武器を取って来る話があると伝えたこと、丁丘が過去に精神病院に入院したと聞き及び、そのころ丁丘が大学に来ていない上、出刃包丁を持って甲谷宅まで押しかけて行ったことから、同人の精神状態がおかしくなったのではないかと心配して、「青冥」会合以前に、千葉市内の同人の下宿を尋ねたことがあり、丁丘がこれらの事実と「青冥」会合後の甲野の勧誘とを混同している可能性があると供述する。しかし、丁丘が精神病院に入院し、甲谷宅に押しかけたことは他の証拠からは全く裏付けられていない上、甲野供述は、丁丘供述と異なるばかりか、「青冥」会合後の甲野の勧誘を丁丘がその場で断ったという点(一五回証6一四二六)において、勧誘された後電話で相談を受けた旨の前記甲谷供述及び乙島供述とも矛盾する結果となっており、信用できない。
 他方、丁丘供述は、その内容が明確で、事実の混同があるとは窺われず、その信用性は高いと認められる。
 以上によれば、甲野が丁丘を武器奪取闘争に勧誘した時期は、七月中旬遅くとも七月下旬と認められる。
   イ 丁原への勧誘時期、戦斗宣言等の作成時期
 甲野は、丁原に武器奪取闘争をやると伝え、本件犯行現場に置かれていた「戦斗宣言」と題する書面及び「緊急通達」と題する書面(符13、14、以下、これらの書面をまとめて「ビラ」という。)を作成したのはいずれも「青冥」会合後であると証言する(八回証3五二五、一五回証6一四八〇)。
 他方、丁原は、<1>七月中旬ころ(又は七月中)、甲野から、自衛隊から銃を取ることを計画している、「赤衛軍」に入ってくれと誘われたこと(丁原46・11・20KS書38八〇四一、46・11・23PS書40八六七一)、<2>ビラを、甲野が、七月末または八月初めころ、作成したこと(丁原46・11・27KS書38八一二六、46・11・30PS書40八五〇三)、<3>八月に入って間もなくのころ、自衛官の制服を着て基地から銃を奪う具体的な方法の話を聞いたこと(丁原46・12・16PS書40八五五〇、なお一審一四回48・7・5書55一二六六六でも、八月初め、甲野から、どこかの基地から銃を奪う話があったとしている。)を供述する。
 そこで、丁原供述の信用性を検討するに、供述内容は、個々の事実を淡々と述べるものであって、責任逃れや脚色といった点は見受けられず、大筋において、一貫した供述をしている。確かに戊田などの架空の人物の名前が出ている虚偽部分もあるが、それらは甲野が捜査段階に至って創作したものであって、丁原が捜査官の追及に迎合したため生じたものと解されるし、また、供述の変遷や客観的事実と異なる点も散見されるが、それらは記憶違い、忘却等によると説明できるもので、供述全体の信用性に疑問を抱かせるものではない。
 そして、前記<1>ないし<3>についてみても、供述の変遷は認められず、いずれも日にちは特定できないものの、具体的内容を明確に供述している。また、丁原において、これらの時期を意図的にずらす理由はなく、その信用性は十分認められる。
 他方、甲野は、捜査段階において、「青冥」会合の前の八月始めころ、ビラを作成したと供述したことがあり(47・5・23PS書15三一四三)、前記甲野証言は確たる根拠があって丁原勧誘の時期やビラ作成の時期を「青冥」会合の後であると証言しているものではないと認められ、その証言の信用性は低い。
 したがって、丁原を武器奪取闘争に勧誘した時期、ビラ等を作成した時期、自衛官の制服を着て基地から銃を奪う具体的な方法の話をした時期は、七月中旬から遅くとも八月始めまでであったと認められる。
   ウ ヘルメットの準備状況
 甲野は、丁原とともに工事現場から盗んできたヘルメットを赤色に塗りかえ、「赤衛軍」と記入した時期についてはっきりした記憶がないと証言する(一五回証6一四五二)。しかしながら、四期においては七月下旬(一審二二回49・3・14書16三二三五)、五期においては八月上旬の「青冥」後(56・11・30PS書21四一一九、56・12・17KS書21四三〇〇)と供述を変えており、供述を変えた理由については、自己の裁判では虚偽も述べたとするだけで、格別の理由を示していない。
 これに対して、丁原は七月下旬甲野と工事現場からヘルメットを盗み、赤色に塗りかえ、翌日ころ甲野が赤いヘルメットに白のマジックペンで「赤衛軍」等と記入したと供述している(46・11・23PS書40八六七三)。
 関係証拠によれば、丁原らがヘルメットを盗んだのは、七月二五日ころと認められる(丁島六平KS書44一〇〇三四等)。
 そこで検討するに、丁原供述は、ビラの作成時期の項において検討したように、特に時期をずらして供述をする必要もなく、信用でき、甲野供述は前後矛盾しているのみならず、特別の目的もなくヘルメットを窃取したと弁解するのは不自然であり、信用できない。甲野は七月二六日ころ、赤のヘルメットに「赤衛軍」と記入したものと認められる。
   エ まとめ
 以上によると、「青冥」会合以前に、甲野は武器奪取闘争を行なう考えで仲間を集め、現場に置くビラを作り、「赤衛軍」と記入したヘルメットを準備し、具体的な襲撃計画を立てていたと認められるのであって、中国料理店「青冥」で被告人から説得されて初めて武器奪取闘争実行の決意をし、そのための準備を始めたとの甲野供述は右認定事実と明らかに矛盾し、この点からも信用できない。
   5 その他の謀議内容
 (一) 地図、図面
 会合の際用いたとされる地図・図面については、二期当初は、ハイツと朝霞の見取図を書いたわら半紙大の白い紙があったと、見取図については詳細な供述をしながら、地図があったとは供述していなかったところ、二期の後半には東京都内の市販されている地図と朝霞、ハイツの周辺を書いてある手製のコピーした図面と供述し、五期では、東京都と埼玉県の道路地図と前記のコピーした図面あるいは被告人が手書きした図面及び甲野が甲沢に渡した三基地の図面のコピーとなり、六期では再び大学ノート大の東京都と埼玉県の道路地図合計二冊と前記のコピーした図面と変遷した。地図は見取図とともに卓上に持ち出されたはずであるのに、当初その一方についてのみしか供述していなかった点不自然であるし、地図の種類、内容について、捜査官の調書の取り方の違いにより表現が異なったに過ぎないとの甲野の弁解(57・8・27PS書22四四五五)を考慮しても、後に至るほど供述が詳細になった点に不自然さが残る。五期供述は、事件後一〇年以上経てから新たな事情を供述したものである上、その後それがさしたる理由もなく撤回された点、不自然である。
 しかも、甲野は、右図面等について、被告人から渡されていないと一貫して供述しているが、右図面は、甲野が被告人に渡した図面より被告人の調査により詳細になっていたというのであるから、武器奪取計画の実行部隊の責任者とされた甲野にとっては、計画遂行上極めて有益なものであったはずであり、何故受け取らなかったのか不可解といわざるをえない。
 地図、図面についても供述変遷が不自然であり、供述内容にも合理性を欠く点が見受けられる。
 (二) 出撃拠点
 ハイツ襲撃の際の出撃拠点として帝国ホテルを使うことについて、甲野は、六期供述では被告人がどこかのホテルがよいと言ったのに対し、甲野が帝国ホテルがよいと言ったとの具体的な会話状況を証言したが(八回証3五〇四)、捜査段階では、当初、ホテルを使うことについて供述がなく、三期において、被告人が、部隊は帝国ホテルに集めろ、ホテルを使う際には関係のない男を使えなどと指示したとなり、五期では話し合った結果帝国ホテルに決まったなどと供述していた。しかし、三期より前の調書には、同ホテルは勿論、出撃拠点について話し合ったとの供述さえなかったこと、捜査段階の供述より公判証言の方が詳細であることなどに鑑みれば、出撃拠点に関する甲野供述は、甲野の創作によるという疑いが残る。
 また、出撃拠点をホテルとするのは、人目につき易く危険であること、ハイツ襲撃に際し、攻撃目標との距離が長く、出撃拠点としては不適当であること、甲野らは第一次朝霞、本件ではいずれも待機場所、出撃拠点として成増駅前の喫茶店「宮殿」あるいは新宿の喫茶店「タイムス」を利用していることからすると、その供述内容自体不自然と認められる。
 (三) 奪取すべき物
 甲野は、朝霞駐屯地から奪取すべき物は六四年式小銃と弾薬であると被告人が明言したと証言した(八回証3四九三)。この点、従前の供述は、朝霞基地の弾薬庫を狙う(二期)、弾薬庫から武器弾薬を奪取する(三期)と漠然とした供述をしていたのに、四期では朝霞基地の弾薬庫から六四年式小銃と弾薬を盗み出してくることを話し合ったと具体的となり、更に五期では私たちは数十丁の六四年式自動小銃の奪取を計画したとなっており、尋問を経るにつれより詳細な供述となっていることが、看取される。しかも、本公判で初めて奪取する物を明示したのが被告人であると供述し、反対尋問では奪取物に手榴弾を含めるような証言をした(一三回証5一一〇四)が、その供述の変遷についての説明もなされていず、不自然である。
 (四) 輸送経路
 奪取した武器の輸送経路に関する被告人の発言内容について、二期供述では、港の倉庫に運び出すとされていたが、三期に至り、港の近くの倉庫に入れておき、川崎に移動し、フェリーで房総へ運び、まつばら荘に隠し、山越えして三里塚に運ぶと詳細となり、五期では川崎の倉庫に隠しフェリーで三里塚に持ち込むと変遷した。
 当初別のものであった倉庫と川崎とが混合した上、当初単純であった事実が新事実も加わってだんだん詳細になり、後にやや抽象的になるという複雑な変遷経過をたどったが、その供述中、まつばら荘という件については、同荘には信用性にやや問題の残る乙山がいる上、被告人にはその付近の土地勘もないと考えられ、被告人が、銃器という物騒な物を隠す場所としてあえてそのような場所を選んだとは認められず、その供述内容自体不合理である。いずれにせよ、三里塚で使用する武器を川崎から海路木更津へ輸送した上、三里塚に持ち込むとの計画自体、相当迂遠な方法と評せざるをえない。
 また、輸送部隊とのドッキング地点についても、被告人が言い出したのか、甲野が言い出したのか一定しない。しかも、ドッキンク地点に関する会話は後には供述されなくなっている。更に甲野の知人の丁井方に奪取した物を一時保管することとなった経緯についても供述が変遷している。
 丁井方については、当時被告人は全く知らなかったものと認められ、ドッキング地点、丁井方への一時保管の話は、甲野が創作したものとの疑いを否定できない。
 (五) 宣伝のビラ
 犯行後宣伝のビラを出す話について、当初供述がなく、喫茶店「穂高」において話し合われたとの二期供述を経て、三期に至りアピールを紀伊国屋書店の左翼系の本に挟むとの供述をするに至ったが、供述変転についての説明が何らされていず、不自然である。更に実際には甲野の準備したヘルメットやビラを本件犯行現場に置いて宣伝の目的を果たし(このような方針変更について「青冥」会合後に話し合った形跡はない。)、甲野供述と異なった形で事態が推移したことをも考え合わせると、宣伝方法についての話し合いに関する甲野供述は信用できない。
 (六) 三〇万円の踏み倒し方法等
 乙山の要求する三〇万円を踏み倒す話について、甲野は、捜査段階で、当初、供述せず、三期で初めて供述したが、記憶が呼び戻されたことについては、何らの説明もされていず不自然である。
 中国料理店「青冥」での被告人と甲野の具体的な着席位置について、捜査段階では一貫して特定していたところ、最後の取調から一年半後の当公判廷では、記憶があやふやであるとの理由で特定しなかったが(七回証3四八五、一一回証4八六二)、その余の謀議内容については具体的に供述していることに鑑みると、単なる記憶の稀薄化によるものと解するのは、やや釈然としない。
   6 戊野プロでの架電状況
 (一) 供述変遷
 二期供述では、甲野は被告人と二人で乙山の実家に電話したり、大井専売所に電話して乙山の駒沢大学在籍の有無を確認したりして、あるいは、甲野は新聞販売店に電話し、被告人は一回位どこかに電話したとの簡単な供述であった。ところが、五期供述に至り、被告人の会話内容が交通事故の話やホテルに来てもらいたいとの話となっている。
 当初は架電のこと自体供述されていなかったのに、五七年八月に供述内容が具体的となり、更にその後一層詳しい供述をしていることが明らかである。このように被告人が甲野以外の者に架電した際の、瞬間的、断片的で、内容もさして重要でない発言について、時の経過とともに、記憶が鮮明となるのは、明らかに不自然であり、甲野が取調官からえた知識を基に供述を創作した疑いが極めて強い。
 (二) 供述内容の不自然性
 その供述内容は、乙山について調査する目的というものであるが、乙山の信用性は襲撃計画遂行にあたって重要な事項であって、しかも謀議の当初甲野がこれを問題視したのであるから、乙山についてなお調査する余地があったのなら、これを先にしてから襲撃計画の細部を具体的に決定する謀議をするという手順になるはずであり、甲野供述は、「青冥」会合で全てを決めた後に、謀議の前提となるはずの情報の収集行為をしたという点で、やや不自然である。
 (三) 関係者の供述との不一致
 丙山花子(乙山の母)は、八月五日、戊川と名乗る男から来た電話の内容は、乙山が交通事故を起こし八月六日期限が来て告訴される、乙山はいろいろなことをしているので警察が探している、とにかく話がしたいので、戊川が社用で大阪へ行く八月六日午後八時、新阪急ホテルの一階ロビーに来い、よく話して身柄を引き取ってくれ、というものであり、相手は落ち着いた声であり、関西なまりであるという印象はなく、丙山は乙山が悪いことをし、戊川がそれに対して何らかの形(金銭)を要求するものと思ったと供述している。その供述の信用性を考えるに、同女は、受電の後数日内に受電日時や会話内容を記載したメモ紙片(符22)を作成し、四七年一月二八日警察官にこれを任意提出し、そのころ何度か警察官から事情聴取を受けて記憶を喚起していたものである上、証言内容と右メモとの矛盾もなく、自然であり、更に同女の本件に対する利害関係等を考慮すると、信用性は高いものと認められる。
 ところが甲野供述によると、被告人が、甲野の要請により調査目的で架電したというのであるが、右架電内容は、全く乙山の信用性を裏付けうる具体的情報に関するものではなく、結局、ここでも甲野供述は丙山証言及びメモ紙片と合致しておらず、信用できないといわざるをえない。
   7 その他の当事者の主張
 (一) 弁護人の主張
 弁護人は、「青冥」会合後甲野が被告人に初めて連絡をとったのが八月一一日であり、この間何らの連絡も存しないのは、「青冥」謀議の実行に際しての確認を被告人が怠ったこととなり、不自然であると主張する。また、日本読書新聞に被告人が本件を帝国主義軍隊解体闘争と把え、本件の犯行日時を八月二二日とする記事を寄稿していることは、被告人の事件の把握が「青冥」謀議とは乖離しており、被告人が予め本件を知らされていなかったことを示すものであるという。更にドッキング地点については深夜でも人目につき易い場所であり、丁井の下宿は、武器の搬入、保管場所としては不適切であること、甲野はいわゆるピース缶爆弾事件の証人として本件と同様の理由により虚偽供述をしていること等をあげて、甲野供述には信用性がないと主張する。
 まず、連絡の有無について考えると、甲野供述によれば、中国料理店「青冥」で被告人は甲野をハイツ闘争の実行責任者としたのであり、八月一二日には喫茶店「穂高」等で直接会っているのであるから、その間連絡がなかったことのみを把えて不自然とまではいいえない。
 読書新聞の点については、検察官は、弁護人とは逆に、当時のテレビや新聞が本件の犯行日を八月二二日とし、本件は武器奪取が目的とは思われないなどと報道していたことから、被告人が正確な記事を書けば、被告人に犯人の疑いがかけられることが必定であり、被告人がそのようなことをするはずがないと反駁する。むしろ、右記事が甲野らを含む青年戦士に対する最大限の賛辞を贈り、その戦果を讃えており、被告人の本件犯行の加担を推認させる事実の一つであると主張する。
 確かに検察官主張のような報道記事が存し、被告人が執筆した前記記事が日本読書新聞の九月六日号に掲載されたことは認められる。
 しかしながら、被告人の右記事をめぐっては、弁護人、検察官いずれの解釈も可能であり、いずれとも断定し難い。ただ少なくとも右記事において被告人が本件を称賛していた事実は否定できないところである。
 ドッキング地点が人目につき易く、丁井の下宿が武器の保管場所として不適切であるとは必ずしもいえないのであって、この点に関する弁護人の主張は採用できない(なお、前述の輸送経路の項参照)。
 最後に、いわゆるピース缶爆弾事件における甲野供述について、検察官及び弁護人は、それぞれ立論をしているが、右事件は、本件とは全く別個の事件であり、当裁判所としては、本件の証拠関係から甲野供述の信用性を検討すれば足り、それで十分であると考えるので、右の点に関する各当事者の主張については判断を示さないこととする。
 以上の次第で、弁護人の右主張はいずれも採用しない。
 (二) 検察官の主張
 検察官は、中国料理店「青冥」において被告人から甲野グループによるハイツ、朝霞駐屯地、派出所の順次攻撃を指示されたという大筋において甲野の自白が一貫しており、殊に六期供述は、禅との出会いによる悟りのなかで証言されたものであり、弁護人の執拗な反対尋問にもかかわらず、公判で一貫した供述をしているのであるから、その信用性は高いと主張する。
 しかしながら、既に検討を加えてきたように、「青冥」会合に関する甲野供述は、その全体にわたり多数の不合理な点がある上、客観的証拠、共犯者及び関係人の供述等との不一致が認められ、多岐の項目にわたって、不自然な変遷が認められるものであって、到底首尾一貫したものでないことはいうまでもない。
 また、禅の悟りのなかで証言されたものという点については、主尋問及び反対尋問における甲野の証言態度、対応振りは必ずしも悟りとは調和しないものであり、供述の具体的内容を捨象して、悟りによる証言故信用性があると解するのは相当でない。
 また、検察官は、甲野証言で、店が混んでいたこと、噴水があったことを言う点が信用性の補強となると主張するが、店が混んでいたというだけでは抽象的であること、噴水は阪急梅田三番街に行けば何時でも見うるものであるし、捜査段階において、噴水の写っている阪急三番街の写真(司法警察員作成の56・11・24実況見分調書添付写真第2、3号)が甲野に示されたこと(56・12・17KS書21四二九二)に鑑みると、右甲野証言に、八月五日甲野が被告人とともに同所を訪れたことを裏付けうるほどの証拠力はなく、右主張は採用しない。
 したがって、検察官の各主張もいずれも理由がない。
   8 まとめ
 以上の次第で、「青冥」会合に関する甲野供述は、重要な部分について供述の変遷があり、右変遷についての合理的説明がつかず、供述内容にも不合理、不自然な点が認められ、客観的な事実との矛盾、関係者の供述との不一致と多々存し、結局その供述全体の信用性には疑問があるといわざるをえない。
  一八 喫茶店「穂高」、むらさき寿司
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 被告人から池亀方に電話があり、喫茶店「穂高」に行った。乙林九久が帰ってから、被告人は闘争の意義を話し、どうしても闘い抜かなければならないと言った。メンバーに会うかと尋ねると、後にすると言われた。変装用の靴とメガネを受け取り、四万円貰った。
  (2) 寿司屋に乙丘と三人で行き、銃器奪取の話をした。乙丘は丁沢や丁林冬子に精通しているようだった(甲野46・11・29KS書8一三七九、46・12・18供書9一七六六)。
 (二) 二期
  (1) 八月一二日朝被告人から電話があり、喫茶店「穂高」に行った。乙林九久が帰ってから、被告人は乙林九久に中国共産党宛の親書を託したと話した。乙丘のいるところで被告人は、ハイツ闘争をやり抜け、やり抜いたメンバーは党員にすると言った。メンバーと会わないかと言うと、後にするとの返事だった。
  (2) 寿司屋に行き、被告人から証券会社の支店長の名刺を受け取り、乙山に渡す約束の金を踏み倒すのに使えと指示された。
  (3) 喫茶店「穂高」かむらさき寿司で被告人から四万円を受け取った(甲野46・12・27PS書10一九九三、46・12・30PS書11二〇九六、47・1・7KS書11二一八九、47・1・24PS書12二四六五)。
 (三) 三期
  (1) 八月一二日朝被告人から電話があり、喫茶店「穂高」に行った。乙林九久が帰ったあと、被告人は、生きるか死ぬか勝つか敗けるかは甲野の肩にかかっている、絶対にどんな事があっても必ずやり抜け、それでなければ男じゃないと激励してくれた。連絡中継所の電話番号を書いた紙片を渡された。メンバーに会うかと尋ねると仕事が済んでから会うと言われた。四万円受け取った。乙林九久に託した親書の話もした。
  (2) 乙丘と三人でむらさき寿司へ行った。前祝いで乾杯した。証券会社の支店長の名刺を渡され、乙山に渡す約束の金の踏み倒し方法について具体的に指示を受けた(甲野47・5・23PS書15三一四八)。
 (四) 四期
  (1) 喫茶店「穂高」で被告人と会い、ハイツ闘争をやることを話し合った。具体的な襲撃方法については、話し合っていないが、奪取した銃器は、甲野の友人方に一時保管し、貸倉庫等を移動して運ぶことになった。
  (2) 寿司屋で新日本証券の人の名刺を被告人から貰った。乙山に対しては、成果をみなければ払えないので、その場を取り繕うためのものである。本件後も甲野としては金を支払うつもりでいた(甲野一審二二回49・3・14書16三二六二、二審六回51・8・26書18三六八〇)。
 (五) 五期
  (1) 八月上旬被告人にハイツ闘争の準備状況を電話で報告すると、八月一一日ころの夜池亀方に待機せよと指示された。当日電話があり、翌日喫茶店「穂高」で被告人と会った。乙林九久が帰ってから後、どんなことがあってもやり抜け、今後の三里塚、沖縄を戦争として闘い抜き、勝つか敗けるかは甲野の双肩にかかっていると激励された。連絡中継所、メンバーと会うかどうか、四万円の授受、親書の件は三期と同じ。
  (2) むらさき寿司の件は三期と同じ(甲野56・11・30PS書21四一二一、56・12・17KS書21四三〇一)。
 (一) 六期
 五期と同じ。
   2 供述変遷
 (一) 謀議に至る経緯
 「青冥」会合の後甲野が準備状況等の報告のため被告人に架電し、八月一一日ころの夜下宿で待機せよとの指示を受けたことは、五期に至り初めて供述されたものであるが、被告人から池亀方に電話があった日については、一期供述では八月一三日の夜(この供述は、帝国ホテルに集まった日を八月一四日とする供述とともになされており、実質的には帝国ホテルに集まる前日である八月一一日の夜に電話があった趣旨の供述と認められる。)となっていたが、二期、三期で八月一二日午前となり、五期では八月一一日ころの夜と供述されていたことなどの変遷が認められる。
 (二) 喫茶店「穂高」における会話内容等
 喫茶店「穂高」での被告人の発言のうち、乙林九久に親書を託したこと、メンバーと会わないことについては、逮捕後二週間ころの段階から六期に至るまで、ほぼ一貫した供述がなされているが、ハイツ闘争に対する被告人の激励の言葉は、一期では、闘争の意義等を話し、どうしても闘い抜かなくてはならないなどと言ったとなっていたが、二期でハイツ闘争を必ずやり抜けと指示し、やり抜いたメンバーは党員にすると言ったとなり、三期に至り、生きるか死ぬか勝つか敗けるかということは甲野の肩にかかっている、どんなことがあってもやり抜いてくれ、そうでなければ男じゃないという趣旨を述べたと詳細となっている。更に、五期においては、一層激越な調子で激励されたと述べるに至っている。その他、中継連絡所の電話番号を教えた点は、二期供述で初めて供述されたこと、犯行に用いる変装用のメガネや靴は、甲野自身が買って用意した物であるが、一期では、喫茶店「穂高」において被告人から受け取ったと供述していた。また、四万円の授受の場所が二期ではむらさき寿司とも供述していたこと、本にアピールを挟む話が二期では喫茶店「穂高」での話となっていたなどの変遷も認められる。
 (三) むらさき寿司における会話内容等
 むらさき寿司での状況について、一期では、武器奪取の話が中心でしたと述べるだけで、具体的な供述がなく、むしろ乙丘が丁沢赤軍派議長や丁林冬子のことに精通しているようだったなど、謀議と無関係なことを主として供述していたが、二期初めに三〇万円を踏み倒すための証券会社支店長の名刺を貰ったと供述し、その後踏み倒す方法について具体的に話し合った旨の供述を経て、三期で具体的な踏み倒し方法について供述をはじめた。
   3 供述変遷の理由
 (一) 「青冥」会合後の準備状況報告の電話については、当初供述がなく、犯行後一〇年以上経って突然供述された点不自然であり、池亀方に電話があった日時についても、喫茶店「穂高」での会合という記憶喚起の切っ掛けがあるのに、供述が一定しなかったのは不自然である。
 (二) 被告人が中継連絡所の電話番号を教えたことは、逮捕後四〇日以上経てから初めて供述されたが、もし甲野が実際にメモを受け取ったのであれば、その記憶は残り易いはずであり、当初から供述しなかったのは不自然である。しかも当初の供述箇所は喫茶店「穂高」の項ではなく、八月一四日喫茶店「やまき」からペン丁本を使って指揮所に電話をしたという供述の直後であり、内容も喫茶店「穂高」で被告人から指揮所の電話番号を教えてもらい、甲野においてメモしておいた旨のもので、三期以降の供述と異なるものであって、その供述経過には疑問が残る。
 (三) 激励の言葉について、我々の運命がかかっている、死をも恐れぬ英雄主義で闘えなどと言われた旨の甲野証言自体、既に実行の決意をし、かなりの準備をした者に対する言葉としては、くどい印象を受けるところ、この点の捜査供述は、当初簡単であったのが、後になるほど詳細になったこと、「それでなければ男じゃない。」など後に供述されなくなる言葉もあったこと、むらさき寿司における激励の言葉は、逮捕後四〇日以上経てから初めて供述されたこと、英雄主義云々は三期に至り初めて供述されたことなど、その変遷経過をみると、単なる記憶の稀薄化によるものとは解し難い。というのは、甲野は、当初、メガネや靴を被告人から貰ったなど自己の責任を被告人に帰せしめる供述を繰り返していたのであり、そのような態度の者が、犯行後比較的間近な時期において、被告人の強い口調での激励の言葉をあえて隠したとか記憶喚起ができなかったとは認めにくいからである。更に、むらさき寿司に関する乙丘の四七年当時の捜査供述も甲野供述とは全く異なる点も無視し難い。
 (四) 検査官は、喫茶店「穂高」で被告人が中国書簡を乙林九久に託して指示を与えたと話した状況に関する甲野供述は、臨場感に溢れ、信用性が高いと主張する。
 しかしながら、弁護人も指摘するごとく、中国書簡は、甲野が供述するような中国に資金援助を求める秘密書簡でないことは、その書簡の記載内容(符7)から自ずと明らかである。しかも学生訪中団は、右書簡について学習会を開いており、被告人においても新聞記者にコピーをとらせ(K47・1・30PS書34七一三一)、更に公刊を企図していたとも認められ、到底秘密書簡とはいえない。甲野供述はこの点で明らかに事実に反するものであり、臨場感のみでその信用性を認める訳にはいかない。
   4 供述内容の整合性
 (一) 喫茶店「穂高」、むらさき寿司謀議における被告人の態度をみると、被告人の上京した日が八月一一日である(乙丘47・1・23PS書37七九三二)のにその日のうちに甲野と会わなかったこと、メンバーの役割分担や具体的な襲撃方法等が話題になった形跡がないこと(謀議内容のうち、甲野がハイツ闘争の準備状況を説明したという事実は、47・5・23PSを初めとする詳細な供述調書になく、当公判廷において初めて出てきたものであって、唐突であり、信用し難い。)など、首謀者である被告人は、早急には甲野と会わず、襲撃方法や準備状況に関心を示さなかったということとなるが、これは、あまりに淡泊な態度であって、その激励の仕方から見受けられるような、闘争の成功を切望する態度、更には細部にまで気配りを示した「青冥」謀議における態度と整合せず、このことと、謀議の場所が喫茶店や寿司屋であったこと、むらさき寿司では乙丘も同席したことなど、闘争を十数時間後に控えた段階における首謀者と実行指揮者との会合にしては極めて無警戒であることを合わせ考えると、真実甲野供述にあるような謀議をしたかどうか疑問が残る。
 (二) 架電についても、「青冥」会合後の準備状況報告の電話については、架電日時、架電先が判らないなどその供述は極めて曖昧である。
 池亀方への電話は「白樺」方式がとられていないことは明らかであり、会話内容が「青冥」会合後の準備状況報告のための会合の打ち合わせであることに鑑みれば、日頃盗聴を恐れている者の行動としては、不用意、無警戒といわざるをえない。
 難波予備校は七月一九日から夏期休暇に入り、被告人の担当の授業は八月一六日までなかったこと(丁森十平46・12・24KS書47一〇七九三)、被告人が主として居住していた乙丘の部屋には電話がなかったことに照らし、「青冥」会合後の時期において被告人との連絡が取れにくい状況であったと認められ、準備状況報告の電話についての甲野供述は措信し難い。
 (三) また、甲野らが犯行現場に遺留したビラ等(符13、14)の記載内容については、中国料理店「青冥」では全く相談されていないのに、首謀者とされる被告人に示されなかったのは不自然である。
 更に、乙山に対する三〇万円の踏み倒し方法が犯行直前のむらさき寿司まで具体化しなかったとの点も、緻密な計画に基づいた犯行とは相容れない事情といえよう。
   5 まとめ
 以上によると、喫茶店「穂高」で会うに至る経緯、喫茶店「穂高」、むらさき寿司に関する甲野供述は、それ自体不自然、不合理な点が認められ、不自然な変遷も存し、関係者の供述等とも整合せず、俄かには信用できない。
  一九 喫茶店「タイムス」への架電
   1 供述の概要
 (一) 一期
 八月一三日午後一時すぎ、新宿区内の喫茶店「くじゃく」において、丙田、丙川らに会い、一四日に朝霞駐屯地を襲撃するよう指示を受け、その際、丙川から、被告人が不成功に対し怒っている旨伝えられた(甲野46・11・30KS書8一四二九、46・12・4PS書8一五四五)。
 (二) 二期
  (1) 八月一三日未明喫茶店「やまき」でペン丁本を使って指揮所に電話を入れた。相手から一八日午後八時に電話する場所を指定しろと言われ、喫茶店「タイムス」の電話番号を伝えた。
 約束の時間に被告人から喫茶店「タイムス」に電話がかかってきた。
  (2) 甲野は、ハイツ闘争の失敗を報告し、独自に朝霞駐屯地襲撃計画を立て、準備をした、明日朝霞に行ってセールスをやる、社内事情を知っている優秀なセールスマンがいるので必ず契約書をとる、明日だめな場合にはその次の土曜日には必ずやり遂げるなどと言った。
  (3) これに対し被告人からお前の方からなんの連絡もないので心配していた、政治生命がかかっているから明日は必ずやり抜け、お前たちは空気が入っていない、仕事をやり遂げないで生きて家の敷居をまたいで帰るなと激励された(甲野46・12・30PS書11二一〇〇、47・1・24PS書12二四八二)。
 (三) 三期
  (1) 喫茶店「タイムス」で電話を受けるまでの経緯は二期と同じ。
  (2) 甲野は、ハイツ闘争の失敗を報告し、セールスを装って、打ち合わせのとおり今度は八月一四日に朝霞駐屯地を攻撃する。メンバーとは打ち合わせ済みであとは実行を待つばかりである、今後順次朝霞、交番等を成功するまで連続的に闘争して行くと伝えた。
  (3) これに対し、被告人から今度は絶対失敗するな、死んでもやり抜け、生きて敷居をまたいで帰ると思うな、甲野しっかりやれいいか、甲野君の武器奪取が成功しなければどうにもならないと激励された(甲野47・5・23PS書15三一五七)。
 (四) 五期
  (1) 謀議の日時は、八月一三日の夕方か八月一四日のいずれかである。八月一二日喫茶店「穂高」での会合の際、被告人からハイツ闘争後は喫茶店「タイムス」で待つように指示されたのか、八月一三日未明喫茶店「やまき」において、甲野が中継連絡所に架電した際、相手から喫茶店「タイムス」で待てと指示されたのかはっきりしない。
  (2) 甲野は、他の客がいたので、会社員を装い、「商談は成立しなかった、今度は一四日に朝霞の方をセールスする、営業課に全部通知済みだ、その方面に詳しいセールスマンがいるので安心してくれ、もし一四日にセールスできなければその次の土曜日に販売する(ハイツ闘争で武器奪取できなかった、一四日に第一次朝霞闘争を敢行する、襲撃メンバーに指示をしてある、朝霞駐屯地に詳しい乙山がいるので安心されたい、第一次朝霞闘争が成功しなければ次の土曜日に再び同所を襲撃するという意味)。」などと言った。
  (3) これに対し、被告人は、武器奪取不成功について、だめじゃないかなどと文句を言って叱り、今度は絶対失敗するな、政治生命がかかっている、仕事をやり切らないうちは生きて敷居をまたいで来るななどと激励した(甲野56・11・30PS書21四一四五、56・12・9PS書21四二〇二、56・12・17KS書21四三〇八、57・8・16PS書22四三八七)。
 (五) 六期
 五期と同じ。
   2 供述出現の経緯
 供述出現の経緯については、逮捕後二週間ころの段階において、甲野は、自己の刑責を軽減させる意図で、被告人の名を隠さず、レストラン「アラスカ」、喫茶店「穂高」等において被告人から指示を受けたと供述していたこと、その段階における甲野の虚偽供述は八月一三日午後一時ころから「くじゃく」謀議を始めたというもので、同日午後八時ころとされる喫茶店「タイムス」への架電を供述しても右虚偽供述との矛盾は生じない状況にあったこと、にもかかわらず、喫茶店「タイムス」への架電は逮捕後四〇日以上にわたり供述されなかったこと、喫茶店「タイムス」への架電は、「くじゃく」謀議の撤回にともない突然新たに供述されたこと、「青冥」会合についての供述の変遷に対応して、喫茶店「タイムス」への架電についても変遷があること(喫茶店「タイムス」で、第一次朝霞闘争を独自に行う旨を伝えたという供述が、中国料理店「青冥」での打ち合わせどおり行う旨を伝えたという供述に変遷した)、喫茶店「タイムス」への架電に関する供述内容は、始めは詳細でなく、時の経過に連れて詳細になったこと等の事実が認められる。このような供述出現の経緯はやや不自然であり、喫茶店「タイムス」への架電は「くじゃく」謀議の撤回を契機に捏造されたとの弁護人の指摘を完全に否定することは困難である。
   3 架電約束の日時場所
 甲野供述は、喫茶店「タイムス」への架電の日時及び架電の約束をした日時、場所について変遷しているが、これについて、検察官は、日時の経過により証人の記憶が薄れたためであり、信用性を損なうものではなく、甲野がその他の点については、ほぼ同一内容の供述を維持している点から考えると、枝葉末節の食い違いにすぎないと主張する。
 甲野は、五六年の段階で、架電の約束を八月一三日の喫茶店「やまき」でしたという供述を勘違いであるとして撤回し、その後五七年に至り、右供述を復活させるとともに、新たに、八月一二日の喫茶店「穂高」において、被告人からハイツ闘争後は喫茶店「タイムス」で待つように指示されたかもしれない旨の供述をしており、単なる記憶の稀薄化では説明のつかない点も見受けられるが、日時の点については、前述のごとく、時間の経過により記憶が稀薄化し、供述が曖昧となることは日常生起することで決して不自然とはいえない。そうすると甲野供述は記憶の最も鮮明であった一期、二期当時の供述が最も記憶に近いものと考えられ、甲野供述によれば、八月一三日未明喫茶店「やまき」で中継連絡所に架電し、八月一三日午後八時ころ喫茶店「タイムス」で被告人から電話を受けたということとなる(なお、甲野の56・12・9PSの「やまき」供述の撤回は、八月一五日未明喫茶店「ヴィレッジゲート」において甲野がどこかに電話をしたとの乙山供述(乙山46・11・29KS書23四六六九、46・12・28PS書25五一四七)の影響を受けているとの見方も可能であるが、真相は判然としない)。
 また、八月一三日未明喫茶店「やまき」において甲野が電話をした事実は、当日甲野と同所にいた乙山、丁原、甲林、乙島のいずれの捜査供述によっても裏付けられない。
 ところで、Kは、八月一三日午後六ないし七時ころ被告人から電話を受け、飲む約束をし、銀座の朝日新聞社で待ち合わせた上、被告人とともに阿佐谷へ行き、駅前のパチンコ屋に入り一時間ほどパチンコをした上、同日午後九時ころ飲食店「パピヨン」に入り飲食し、その間被告人は「甲野は何かやるやると言っていたのに、何にもやらなかった、あかん奴だ、今日会う予定だったのに来なかった。」と言っていたと供述しているが(K47・1・30PS書34七一三三)、検察官主張のように右K供述が信用できるのであれば(この点については後出第五の一三参照)、甲野の右供述と抵触することは明らかである。また、甲海一介は八月一三日午後四時ころ被告人と有楽町で会い、付近及び池袋の「笹」で飲んで被告人を自宅に泊めたと供述している(七〇回証22七二三一)。K供述と甲海供述のいずれが信用できるかが問題であるが、この点は、後に判断することとし、いずれの供述をとるとしても、甲野供述とは相容れない。
 以上の点に関する甲野供述は、その変遷に合理的理由を見出せぬ部分もあり、関係者の供述と抵触あるいは合致しないものであって、信用性に疑問が残る。
   4 会話内容
 会話内容については、「もし一四日にセールスできなければその次の土曜日に販売する。」との発言は、実行前に失敗を想定した話をした点奇異であり、同一箇所を二度にわたって襲撃することは無謀な企てといわざるをえず、また、第一次朝霞闘争後直ちに七軒町派出所闘争に移行したという客観的事実とも整合しない。殊に一番問題とすべきは、ハイツ闘争が不成功に終わった原因について双方から一言も発言がなかった点である。「青冥」謀議で第一目標とされたハイツ闘争について、被告人には失敗の原因についての報告がなされないまま、朝霞闘争に移るというのは、はなはだ不自然であり、当時被告人は上京しており、八月一四日帰阪したのであるから、容易に会うことができたはずである。しかるに、この点については、何らふれることなく第一次朝霞闘争の実施が電話連絡のみで決定されたとの甲野供述は、不合理といわざるをえない。
   5 まとめ
 以上、喫茶店「タイムス」への架電に関する甲野供述は、信用性に疑問が残る。
  二〇 池亀方への架電
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 八月一六日喫茶店「くじゃく」において丙川らと最終謀議をし、八月一八日ころ甲野が丙川に電話した際、乙山、丁原に会うよう指示されたので、木更津で会った。
  (2) 八月一三日ころKの要請によりヘルメット等の撮影をさせた(甲野46・11・30KS書8一四四二、46・12・7PS書9一五九六)。
 (二) 二期
  (1) 八月一六日から八月一九日までの間に被告人から池亀方に電話がありびっくりした。
  (2) 被告人はKに会えと指示し、甲野が、セールスマンを装い、今度の土曜日に必ずセールスをやるなどと伝えた。被告人は、今度はかならずやり抜け、我々の政治生命がかかっているなどと激励した(甲野46・12・27KS(59丁)書10一九一四、46・12・30PS書11二一〇五、47・1・3KS書11二一二七、47・1・7KS書11二一八一、47・1・15PS書12二二六二)。
 なお、47・1・24PS書12二四八五で全面的に撤回された。
 (三) 五期
  (1) 喫茶店「ヴィレッジゲート」で中継連絡所に架電し、甲野が、被告人に連絡がつくかと尋ねたところ、相手から、今すぐはつかないがそちらの連絡先はどこかと言われたので、池亀方の電話番号を教えた。八月一四日から八月二〇日までの間に被告人から池亀方に電話があった。
  (2) 甲野が原稿の催促をされているように装い、一四日の締切に間に合わなかった、最終締切日はこんどの土曜日だから、必ず原稿を間に合わせるなどと朝霞駐屯地襲撃について述べ、七軒町派出所闘争の不成功も報告した。被告人から、Kに会えと指示され、こんどはしっかりやってくれなどと激励された(甲野56・10・22PS書19三八二七、56・11・30PS書21四一六二、56・12・17PS書21四三一三、57・8・16PS書22四三九六、57・8・23PS書22四四二二、57・8・24PS書22四四三〇、57・8・29PS書22四五二〇)。
 (四) 六期
  (1) 甲野は、八月一五日未明、七軒町派出所闘争後、喫茶店「ヴィレッジゲート」から、中継連絡所に架電し、被告人に会いたいとして、池亀方の電話番号を伝え、何月何日何時に甲野の名で呼び出してくれと依頼した。その後、八月二〇日ころまでの間に、予定どおり被告人から池亀方に電話連絡を受けた。
  (2) 会話内容は、Kに会えとの指示があったか判らないとなった外は、五期と同じ。
   2 供述変遷
 (一) 架電、Kと会う指示
 池亀方への架電及びKと会う指示は二期の途中において撤回され、五期で復活したものであるが、この点に関し、検察官は、甲野が捜査官と意思の疎通を欠き、また、池亀方への架電と喫茶店「タイムス」への架電との記憶の混同があったため、捜査官を十分納得させることができず、結局ふてくされた形でそのような撤回の供述となった旨主張し、甲野の供述もこれにそうものである。しかし、熊澤検察官に対する47・1・24PSには、今まで池亀方への架電を撤回せずに述べてきたのは、もし撤回すると本当のことを述べている点まで信用されなくなると思ったなど、撤回の理由が述べられており(書12二四八五)、八月二二日の被告人から池亀方への架電についても47・1・15PS(書12二二八〇)ではこれを認める供述をしたが、47・1・24PSで撤回し、更に57・8・25PS(書22四四四四)では同様の理由で再び認めたものの、57・8・28PS(書22四四六九)では再び47・1・24PSと同一の理由で撤回していることから考えても、ふてくされた結果の調書とは認められないし、記憶の混同についても、右供述時は犯行後わずか約五か月後であること、池亀謀議は、大家のいるところで襲撃の報告や今後の襲撃の決意などを伝えたというものであって、甲野は大家に悟られないようあれこれ考え、強い緊張下にあって応対したはずであって、その記憶は残り易いと考えられること、原稿の催促を装ったこと自体、甲野自らの発想に基づき行った特異な行動であって、忘却や混同が起こりにくい事柄と考えられること等に照らし、記憶の混同によるものとは考えられない。したがって、甲野供述は池亀方への架電の有無自体について供述が二転しており、しかも供述変転の合理的理由付けが見出せないのであるから、その信用性には重大な疑問があるといわざるをえない。
 (二) その他の変遷
 原稿を催促されているように装った点については、二期の撤回前の供述ではセールスマンを装ったとの供述をしており、喫茶店「ヴィレッジゲート」で伝言した点は、犯行後一〇年以上経ってから初めて供述されたものであり、このように長期間経過後初めて記憶が蘇ったと解するのは不自然であり、記憶再生についての特段の事情も甲野は述べていないのであり、経験した事実の供述というよりも、五六年に至って考えついた虚偽事実を語っている疑いを払拭するのは困難である。
   3 供述内容の不自然性
 更に、甲野供述の内容についてみるに、被告人からの連絡事項は極秘を要する事項となるはずであるのに、「白樺」方式を用いず、連絡先として下宿の大家の居室あるいは玄関にある呼び出し電話を指定したという点、実際に電話を受けた際大家のいるところで受け答えをしたという点、いずれも不自然である。
 また、甲野はハイツ闘争に続いて、第一次朝霞闘争、七軒町派出所襲撃いずれにも失敗しており、甲野と被告人との間では、この点についての報告及び失敗の理由の説明がまずなされるべき事柄と考えられるのに、甲野供述によれば単に失敗した旨の報告をし、本件闘争を敢行する旨告げ、被告人に激励されたということであり、喫茶店「タイムス」への架電以上に甲野らの言動は不可解と評せざるをえない。
   4 K供述との整合性
 「Kに会え。」という被告人の指示については、もしこのような指示があったとすると、被告人とKとの間で何らかの連絡等があってしかるべきところ、Kは捜査、公判を通じてそのような連絡があったとは供述しておらず、特に、47・1・28PS、47・1・30PS、47・1・31PS(書34七〇四七等)では、八月一三日飲食店「パピヨン」で被告人と飲食したこと、八月二二日に被告人から電話があったことを供述し、八月一五日から八月二〇日までの行動を詳細に供述しているのに、右連絡についてはこれを否定しているのであって、前記ヘルメット等を撮影した事実を認め、かつ、必ずしも客観的裏付けが十分でない被告人との接触状況までをも供述していたKが、この段階でことさら右連絡を秘匿したとは考えられず、甲野供述は右K供述と整合しない。
   5 供述の迫真性
 検察官は、甲野供述には、文筆家を装った遣り取りのように迫真性があり、供述全体の信用性を高めるものであると主張する。
 しかし、検察官が記憶の混乱等の結果供述されたとする二期の撤回前のセールスマンを装った遣り取りにも同様の迫真性が認められる上、既に2で検討したように文筆家云々の甲野供述は、供述経過から考えて、到底措信し難いので、これと異なる前提にたつ検察官の見解は採用できない。
   6 まとめ
 以上のとおり、池亀謀議に関する甲野供述は、供述内容に不自然な点が存し、供述の撤回及び広範囲にわたる不合理な供述の変遷があり、また、関係者の供述と符合しない点もあり、措信し難い。
  二一 本件発生後の池亀方への架電、予備校への架電
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 八月二二日の朝被告人から池亀方に電話があり、Kに急いで会え、話はKにしてあると指示されたので、八月二三日旅館「小富美」でKと会った。
  (2) 八月二四日N(朝日新聞社記者N)と中目黒で別れ、被告人に連絡をとるため喫茶店に入り、予備校に電話した。被告人は、闘争はペケだったが偉大な前進だ、今度上京するから会おう、Kとの連絡を切り、Jを通じて部隊の連絡をしろと指示された(甲野46・12・18供書10一七七七、46・12・25KS書10一九三八)。
 (二) 二期
  (1) 池亀方への電話は一期と同じ。ただし撤回されている。
  (2) 予備校への架電の経緯は、一〇〇番電話となっている外は一期と同じ。被告人は、よくやった、偉い、何で連絡をとらなかった、Kとの連絡は切ったか、これからはJを通せ、上京時に会おうと言った(甲野46・12・30PS書11二一一二、47・1・7KS書11二一八九、47・1・15PS書12二二八〇、47・1・17PS書12二三四九)。
 (三) 五期
  (1) 池亀方への電話の件は供述が混乱しており、最終的にはなかったと供述。
  (2) 予備校への架電の経緯は一期と同じ。被告人は銃の奪取はできなかったが、偉大な勝利だ、素晴らしいと言って大喜びしている様子だった。更にKとの連絡を切れ、今後はJを通せ、近日中に上京するので会おうと言われた(甲野56・11・30PS書21四一七四、56・12・17KS書21四三二八、57・8・25PS書22四四四四、57・8・28PS書22四四六九)。
 (四) 六期
 予備校への架電は五期と同じ。
   2 池亀方への架電
 八月二二日被告人から池亀方への架電の有無については、供述が二転、三転している。しかも甲野供述が変転しているのみならず、八月二二日朝の段階で被告人が本件犯行の発生を知っていたとの証拠は全く存しない。また、K供述も「甲野に会ったらよろしく伝えてくれ。」とNHKニュースを見た被告人から伝言を頼まれたという内容であり、甲野供述と合致しない。
 以上の点から考えると、池亀方への架電に関する甲野供述は全く措信し難い。
   3 予備校への架電
 架電したという事実そのものは被告人も認めるところであり、即時発信交換証(符19)により裏付けられている。
 その会話内容について、甲野供述は当初「よくやった。偉い。」と褒められたにすぎなかったものが、四期では偉大な勝利と変わっており、変遷が認められる。
 しかもKとの連絡については、K、J両名とも甲野供述に反する内容の供述をしている。すなわち、犯人隠避の嫌疑を恐れたJが、Kに対して、今後は甲野と直接連絡することを避け、Jを介するようにしろと助言し、それにKが従ったという内容である。右各供述内容は、新聞記者として合理的な行動であり、甲野供述のJ、Kが本件に深く係わっていたとの点は、前判示のところから明らかなように措信できない。したがって、K、Jの各供述は十分信用でき、これに反する甲野供述は措信し難い。
 会話内容中本件犯行の評価に関する部分については、甲野供述と被告人供述とは異なっており、その供述の信用性は、被告人の供述の信用性の項で併せて検討することとするが、甲野供述を前提としても、その供述内容は共謀を基礎付ける事実とはいえないことに留意すべきである。
  二二 浅草
   1 供述の概要
 (一) 一期
 Jから被告人と会えと言われ、九月五日浅草のデパート屋上で被告人と会った。バス、タクシーに乗り、近くの飲屋に行った。被告人は、ドッキングの失敗でペケになった、実行メンバーは優秀な奴だから党員にしよう、これからは三里塚、沖繩でドンパチ進撃する、職員寮のドンは同時峰起だ、これからは長いのと丸いのとの二本建てだ、スウェーデンに飛んで左翼としての修業をやれ、それまで大阪に来て、和歌山の部落に潜れ、金は甲岡二介に頼んでいる、プロパガンダと資金稼ぎに記事を売り込めなどと言われた。その後プレイボーイ誌記者に売り込んだ(甲野46・12・14PS書9一六九七、46・12・18供書9一七七七)。
 (二) 二期
 Jから被告人の指示を受けろと言われ、九月五日浅草の松屋デパート屋上で被告人と会った。バス、タクシーに乗り、近くの飲屋に行った。被告人からよくやったと褒められ、連絡がないので心配したと言われた。また、メンバーは党員にする、八・二一、二二は自衛隊警察解体闘争として総括する、赤衛軍の闘いは開始された、スウェーデンに飛べ、大阪に着いたら戊野プロの指示を受けて和歌山の部落に行け、その間にパスポート、資金を入手する、金は甲岡と交渉中だ、柔らかい雑誌に記事を売り込めと言われた。その後プレイボーイ誌記者に記事の話を持ち込んだ(甲野46・12・27PS書10一九九五、46・12・30PS書11二一一四、47・1・3KS書11二一一七、47・1・7KS書11二一九〇、47・1・20PS書12二三六八)。
 (三) 五期
  (1) 飲屋に至る経緯は二期と同じ。
  (2) 被告人は赤衛軍の偉大な勝利と本件を総括し、第二、第三の朝霞をやり、爆発物による要人テロも準備していると述べた。またスウェーデンへの逃亡を指示され、東京→松本→名古屋→和歌山のルートを使い、部落に一時潜伏し、時期をみて国外に脱出しろと言われた(甲野56・11・30PS書21四一七五、56・12・17KS書21四三三〇、57・8・28PS書22四四七二)。
 (四) 六期
  (1) 飲屋に至る経緯は二期と同じ。
  (2) 被告人は、偉大な勝利だ、銃奪取はできなかったけれども警備兵を殺害したことで、政府、治安、警備当局に打撃を与え、深刻な社会不安を引き起こした、暴力革命を目指す革命勢力の士気を大いに高揚させたという点で銃の奪取はできなかったが、結果的には銃奪取に成功したか、ないしはそれ以上の政治的効果及び革命的意義があると評価した。そして、今後も銃器奪取闘争をやるべきだがいま暫く情勢を見よう、Kが警察の事情聴取を受けている、捜査が段々身辺に迫っているから国外へ逃亡しろ、東京、松本、名古屋という経路で東京を脱出して、連絡をとりながら和歌山の部落に一時潜伏せよ、と言い、国外逃亡を何度も説得した。逃亡先として、中国、スウェーデンが出た。最終的には国外に逃亡することで同意し、早急に東京を脱出することになった。
   2 逃亡ルート
 逃亡先として中国を例示されたという点は、本件の公判に至り初めて供述されたものである。それまでの一一年間、甲野がこれをことさら隠す理由は見出せず、仮に、当初から忘却し、何度となく繰り返された取調の際にも思い出さなかったのであるなら、本件公判に至り突然思い出せるはずはなく、右供述が真実の記憶に基づくものとは認められない。
 逃亡ルートについて、当初は大阪→和歌山となっていたが、五期に至り、松本→名古屋→和歌山となり、戊野プロの指示を受けろとの点が供述されなくなっており、これも右中国の点と同様に真実の記憶に基づく供述とは認められない。
 松本ルートについては、後に述べるように被告人の指示で松本に行ったとは解し難いので、この点についての甲野供述は措信し難い。
 逃亡先としてスウェーデンを例示されたという点は、被告人において同所に受け入れの心当たりがあることを窺わせる証拠はなく、不自然である。
 大阪→和歌山については、KもJも九月あるいは一〇月にそれぞれ関西の部落に一時甲野を隠して国外に逃亡させると被告人が述べたと供述しており、甲野供述と符合するので、この点については、甲野供述は信用できる。
   3 本件の評価等
 本件の評価及び今後の行動に関する部分については、被告人の供述と符合しない。
 前述のように、謀議に関する甲野供述は措信し難いところであるが、被告人は暴力革命を目指し、従来の新左翼運動を超える過激な武装闘争を主張していた者であるから、本件についても、前記の予備校への架電程度の会話(本件を積極的に評価し、甲野を褒める会話)はあったとしても、その余の部分については甲野供述の信用性には疑問が残るといわざるをえない。
   4 プロパガンダの指示
 甲野は一貫して被告人から記事を売り込めと指示されたと供述する。しかしながら、Kは、既に八月二三日に旅館「小富美」で甲野から平凡パンチやプレイボーイの発行社に知っている記者がいないかと聞かれたと供述しており(K47・1・28PS書34七〇六九)、K供述には不自然な点も窺われず信用できるものと認められるので、これに反する甲野供述は措信し難い。
  二三 松本からの架電
   1 供述の概要
 (一) 二期
 特別の目的もなかったが、松本に行き、一〇〇番電話で予備校に電話した。被告人に松本まで来ているが警察の尾行がきつくて行けないと嘘を言った(甲野47・1・3KS書11二一三八)。
 (二) 五期
 被告人の指示に従い松本に行った。一〇〇番電話で予備校に電話した。被告人に松本まで辿り着いたが、尾行があり動きがとれないと言うと、何をもたもたしている、早く国外逃亡しないとこっちも危ない、被告人のみならず他の者が皆迷惑すると叱責され、腹が立ったので電話を切って帰京した(甲野56・11・30PS書21四一七九、56・12・17KS書21四三三五)。
 (三) 六期
 五期と同じ。
   2 供述変遷の不自然性
 松本からの架電は、二期から供述されはじめたが、松本行きを被告人の指示に従った行動とする点は五期に至り初めて供述されたものである。既に二期において、松本行き、松本から架電した事実について供述していることから考えると、五期、六期供述は記憶の回復によるものとは解されず、被告人の指示、命令を基調とする五期、六期供述は、記憶に基づく供述とはいえず、措信し難い。
   3 二期供述
 架電した後、甲野が被告人宛に書こうとした手紙の下書によると、被告人との連絡を断つ原因となった被告人の発言は、「ほんまかいな。」というものであり(符72)、これが甲野の脳裏に強く印象に残ったものと認められ、二期における甲野供述は、外国に行きたくなかったので尾行がきついと嘘を言ったところ、被告人から都内から架電しているのではないかと疑われたというもので、前記下書とも整合しうるものである。
 更に、甲野は松本へ行くに際し、身辺整理等をなした形跡はなく、東京を出発する際受け入れ準備等について被告人側と連絡をとっていず、松本から直ちに帰京していることをも併せ考慮すると、二期供述は、これらの諸状況にも合致するもので信用できる。
  二四 K写真撮影、旅館「小富美」
   1 供述の概要
 (一) 一期
  (1) 被告人からプロパガンダのためKと会えと指示された。Kはメンバーと会いたいと言ったが、これを断り、乙島の下宿で犯行準備の状況を写真撮影させた。Kは、この間駄目だったな、二箇所同時蜂起は難しいなと言っていた。
  (2) 被告人の指示で八月二三日Kと旅館「小富美」で会った。Kは、銃を持って来い、社旗を立てた社用車で安全確実な方法で運ぶと言ったので、丁原に奪った警衛腕章を持って来させた。Kが被告人に言われているので責任をもって保管すると言うので警衛腕章を渡した。Kは、今ごろ被告人は祝杯をあげているとも言っていた。事件の内容については詳しく話していない(甲野46・11・25KS書7一三〇三、46・12・7PS書9一五九六、46・12・27KS書10一八九八)。
 (二) 二期
  (1) 被告人の指示でKに写真を撮らせた。計画の内容については話していない。Kが写真を撮った目的は判らない。被告人としては特ダネを与えるつもりだったかもしれない。
  (2) 被告人の指示で旅館「小富美」でKと会ったと供述したのは嘘である。
 Kが鉄砲あるのか、持って来い、社用車で運ぶと言ったので、丁原に警衛腕章を持って来させて渡した。Kは被告人から全部聞いている、腕章は焼却すると言った。
 N記者の家で、Kから甲野は上と下の中間だから完黙しろと言われ、逃走費として五万円受け取った(甲野46・12・30PS書11二一〇五、47・1・15PS書12二二六五、47・1・17PS書12二三二八、47・1・24PS書12二四八七)。
 (三) 四期
  (1) 自衛隊の弾薬庫から武器弾薬を奪う作戦をやると話したところ、Kが見せてくれと言うので、八月一九日乙島の下宿でKに写真を撮らせた。
  (2) Kが見せてくれと言うので、八月二三日旅館「小富美」でKに警衛腕章を撮影させた。甲野自身は宣伝をするつもりではなかった。Kが焼却すると言うのでお願いした。Kから逃走用のカンパとして五万円受け取った(甲野一審二四回49・4・4書16三三四五)。
 (四) 五期
  (1) 被告人の指示で八月一九日プロパガンダのためKに写真を撮らせた。
  (2) Kから被告人が本件を朝日ジャーナルの記事にしたい意向なので至急会いたいと言われ、八月二三日Kと会った。Kから被告人が祝杯をあげて大喜びしているとの電話を架けてきたと聞いた。事件の内容や赤衛軍の組織についてKのインタビューを受け、奪取物を見たいと言うので、丁原に警衛腕章を持って来させて渡した。五万円位のカンパを貰った(甲野56・11・30PS書21四一六二、56・12・17KS書21四三一四)。
 (五) 六期
  (1) 事件後のプロパガンダをさせるために、八月一九日ころ乙島の下宿でKに写真を撮らせた。
  (2) 事件直後Kに電話して本件を敢行したと言い、八月二三日旅館「小富美」で同人と会った。甲野としてはプロパガンダが目的である。Kに本件の内容について説明し、奪取物を見たいと言うので丁原に警衛腕章を持って来させ、渡した。Kは、被告人から電話があり、素晴らしい偉大な勝利だ、今祝杯をあげている、明日連絡をとれとの伝言があったと知らせてくれた。取材料という建前でKから五万円貰った。
   2 甲野供述の信用性
 一期供述は、Kも「赤衛軍」の一員であり、被告人の指示によりプロパガンダ担当員として行動したとの趣旨の供述であるが、本件証拠上明らかなように、Kが「赤衛軍」の一員として行動したものとは到底いえず、これに反する一期供述は信用できない。
 二期以降の供述においても、Kは被告人と気脈を通じて「赤衛軍」を側面から援助しているものとして捉えられているが、K及び被告人はいずれもこれを否定している。また、警衛腕章も甲野、被告人らと全く関係のない朝日新聞社社員が処分していること、Kの作成した取材ノート(符47)は甲野供述とは大きく食い違っていること、丁原供述も旅館「小富美」での状況について甲野供述とは符合しないこと等を考慮すると甲野供述は措信し難い。
   3 K供述
 これに比し、K供述は、首尾一貫しており、取材ノートの裏付けもあり、その信用性は高いものと解される。
 右K供述によると以下の事実が認められる。
 (一) 甲野は八月一九日ころ、乙島の下宿で犯行準備の状況をKに写真撮影させた上、京浜安保共闘と手を切り、日本共産党「赤衛軍」という独自の組織を作り、今度の土曜日に朝霞基地に侵入して武器を奪取すると告げ、本件犯行を予告した。
 (二) 八月二三日旅館「小富美」において、Kの取材に応じ次のように述べた。
  (1) 自分は日本共産党人民軍事委員会の一員である。宮本修正主義とは別の体質だが、別の組織とはいえない。六全協により党をパージされた部分等からなっている。
  (2) 本件は銃器と弾薬の奪取が目的である。六月末か七月にかけて計画をたてた。
  (3) 「赤衛軍」は、六月に結成され、メンバーは五〇名前後である。毛沢東に多くを学んでいる。
  (4) 自衛隊員を殺したことにより、京浜安保共闘の甲沼君の仇をとることができた。
   4 まとめ
 右認定事実によると、甲野の説明には、京浜安保共闘の色彩が色濃くあらわれていることが明らかである。これまで検討してきた甲野供述の日本共産党「赤衛軍」の説明とは趣を異にしており、被告人の関与については全く言及されていない点が注目される。
 Kの取材は、本件犯行の直前、直後であり、甲野は自らの活動を宣伝するために取材に応じたものと解されるが、自己の宣伝内容が実態と全く別個なものであれば、宣伝効果は全く期待できないといわざるをえない。そうすると、Kの取材内容が、従来の甲野供述と全く異なることは、甲野供述の信用性に疑念を投げかけるものといえる。
  二五 「プレイボーイ」誌記者の取材
   1 供述の概要
 (一) 「プレイボーイ」の記事は、誇張された部分もあるが、大体話したとおりに記載されている、また記者にヘッドはO・Tと明かしたと一貫して述べている(甲野46・12・14PS書9一七〇二、47・1・20PS書12二三八二)。
 (二) 同誌(符50)によるとその内容は次のとおりである。
 甲野は、日本共産党中央委員会の資金調達、兵站部の責任者である。現場には三軍団配置し、アジト確保と周辺待機の軍団、遊撃戦用の軍団もいた。甲野は関西の人間で、現場にいなかったので詳しくは知らない。二か月前から下見をした。武器奪取が目的だったが、失敗と自己批判している。甲林松子や京大の甲月の死も考えて欲しい。四五年末に党を結成した。ルンプロと学生中心の非合法組織だ。五月末から七月にかけて軍団が組織された。議長は名を知られた文化人だ。関東方面軍、関西方面軍合わせて約一〇〇人おり、拠点は関西の数校だ。毛沢東思想で理論武装し、遊撃戦を基本戦略としている。次の目標は、第二、第三の朝霞を決行することだ。テロを高く評価している。
   2 検討
 右記事によると、「赤衛軍」の主力は関西であり、議長は著名な文化人であるとされており、京浜安保共闘の影を全くひきずっていず、前記のK取材とはその党派の傾向が全く異なっている。
 大筋において甲野供述に最も合致している内容であり、甲野供述の前触れとも評しうるものである。したがって、今まで検討してきた甲野供述の信用性と同様その信用性には問題が残るといわざるをえない。
  二六 まとめ
 検察官は、甲野供述に変遷があると言っても被告人の著述を読んで関心をいだいた被告人を紹介され、その革命に対する情熱に感激し、あるいは心酔し、ついにはその革命構想に必要とされるメンバーの確保を指示され、被告人の著述で丁原、乙島らに対する革命思想の教育を行い、甲林を介して乙山から持ち込まれた武器奪取闘争の話を被告人に話し、被告人の指示で乙山と密談を重ね、その結果をふまえて被告人から本件一連の犯行の実行の指令を受け、あるいは激励され、乙山、丁原らをしてハイツを襲撃させたものの失敗に終わり被告人に叱責され、第一次朝霞、七軒町派出所の襲撃にも失敗して被告人から本件敢行の激を受け本件犯行を敢行させたという大筋において、甲野の自白が一貫していることに重要な意義があるというべきであると主張する。更に、甲野供述の、調書の記載からみると、まず、当初から自己が関与した全事件を打ち明けて自白するというのではなく、隠しきれないと思った事実について小出しに順次自白するという供述態度をとっていたのである。
 また、甲野は、本件犯行状況のみではなく、日本暴力革命のためのゲリラ部隊の建設、「赤衛軍」建軍の経緯、「白樺」方式による連絡方法の確立、乙山の身上調査報告書作成の経緯、国外脱出を強いられた状況についても詳しく供述しており、それが乙沢八郎証言、朝日ジャーナル、レジスターカード、電報用紙、Kメモ、K検面、丙山証言によって裏付けられ、相互にその信用性を高めており、甲野供述は全体として信用できると主張する。
 しかしながら、被告人と甲野の出会いから甲野の逃亡に関する話まで、及び甲野のマスコミとのインタビュー等各項目毎に甲野供述を詳細に検討してきたところから明らかなように、検察官の右主張に左袒することはできない。
 何故ならば、甲野供述は、検察官の主張する謀議経過に関しては全く信用できないところである。わずかに四月から六月にかけての被告人との接触状況及び甲野の逃亡に関する話について一部その供述の信用性が認められるにすぎないのである。したがって、甲野供述中信用性が肯定される部分を総合しても、甲野が被告人と新左翼の活動家として一致協力していこうと意思の一致をみたこと及び被告人が甲野の逃亡を画策したことが認められるにすぎず、甲野と被告人との共謀を右事実によって認定することは到底できないからである。
第四 乙山供述の信用性
  一 乙山供述の概要
   1 旧供述
 乙山は、四六年一一月二五日逮捕されたが、逮捕当初から自己の公判段階まで、ほぼ同趣旨の供述をしていた。その大略は次のとおりである。
 (一) 乙山は自衛官を退職した後、金に困り、四六年五月ころ、東京都品川区大井町所在の骨董屋に自衛官の古い制服や装備を買ってくれないかと持ちかけたところ、一〇〇点から二〇〇点まとまらないと買わないと言われ、売買に至らなかった。
 その間、乙山は自衛隊勤務当時の同僚丁谷に、自衛官の制服を盗んで、売る商売をしようと持ちかけていた。
 (二) 乙山は六月中旬中央電測企業株式会社に就職し、勤務先の同僚甲林と知り合った。同人が学生時代に学生運動にかかわっていたことを知り、六月下旬ころ、甲林に「山口や朝霞の自衛隊の情報なら知っている。今金に困っているので、この情報を買ってくれる人はいないか。」などと話し、自衛隊の情報の買手紹介を依頼した。
 (三) そのころ、乙山は丁谷に自衛官の作業服四着の調達を頼んだ。
 (四) 七月上旬、甲林から、買う人が見付かったので、相手と会う日時場所を決めてくれと言われ、七月一二日喫茶店「ヴィクトリア」で相手と会うことになった。
 (五) 当日、喫茶店「ヴィクトリア」で甲林とともに甲野と会った。甲野は京都大学の助手で京浜安保共闘、赤軍の政治局員もしていると自己紹介した。乙山は自衛官の制服、装備等を売り込む話をし、その際、制服制帽で自衛官に変装すれば基地に侵入できるので、武器を奪ったらどうかとか朝霞駐屯地の反戦自衛官の話もした。また、朝霞の弾薬庫や正門の図面等を書いて説明し、冬期訓練の話もした。
 甲野は、自衛官の作業服四組を一〇万円から二〇万円で買うことを承諾し、乙山は七月二〇日までに自衛官の作業服等を揃えることとなり、手付金として二万五〇〇〇円受け取り、甲野と別れた。喫茶店「ヴィクトリア」には一時間位いた。
 (六) その後、日ははっきりしないが、丁谷の自室で同人から朝霞の弾薬庫内部の模様や吉井の弾薬庫の話等を聞いた。
 (七) 甲野がまた会いたいと言うので、乙山は七月二六日ころ甲林とともに喫茶店「にしむら」で甲野と会った。乙山が二五万円位貰いたいと言うと、甲野は三〇万円出すから早急に手に入れてくれと要求した。乙山は必要な経費の説明をし、情報及び制服等の売買から制服等の売買に話を変え、納期限を七月三一日に延ばした。甲野にRGかと尋ねる等したが、会っていた時間は一〇分から一五分位だった。甲野から今後はホテルを使おうと言われた。
 (八) 他方丁谷に自衛官の制服等の入手方を催促し、八月一〇日にはこれを全部取り揃えた。
 (九) 乙山は、八月一二日、喫茶店「じゅらく」に呼び出された後、上野駅荷物預り所から取り揃えた自衛官の制服等を受け取り、これを甲野に引き渡すため、甲林に連れられて帝国ホテルへ赴いた。しかし、同ホテル内で検品はしたものの残代金を支払ってもらえないばかりか、甲野から調査報告書を見せられ、脅迫されたため、やむなくハイツ闘争から本件犯行まで加担することとなった。
   2 新供述
 (一) 乙山は服役中の五六年一一月、従前三〇万円は自衛官の制服等の売買代金と供述したのは嘘で、自衛官の制服等を引き渡し、犯行の手引をし、また、情報を提供したりする全ての代金であると供述を変え、自己の仲間を庇うために嘘をついたと弁解した。
 (二) 次に、五七年八月、甲林に右取引の話を持ち込んだ動機・目的について、従前供述した金目当てということに加え、部外者が基地内に入り違法行為をすれば、世論は自衛隊の怠慢を非難し、その原因は自衛隊を継子扱いしているからだと悟り、憲法改正の機運が高まると考えたからであると供述した。喫茶店「ヴィクトリア」における会話内容についても、反戦自衛官組織は一〇数名で、乙山はパイプ役である、乙山の組織で小銃や弾薬を奪い取る計画がある等と話し、甲野が共闘を申し込んだが、これを断り、援助、手引ならしてやると答え、また、ハイツ闘争についても話をしたと供述を変え、ハイツ闘争後は甲野に脅迫されて加担したものではないと述べた。供述変遷の理由については、右の点を供述すると、喫茶店「ヴィクトリア」で基地侵入と武器奪取の話を持ちかけたことを説明しなければならず、乙山自身の刑責軽減のため嘘をついたと弁解する。
 (三) 更に、五八年には以下のとおり供述した。
  (1) 自衛隊の在り方について、乙山の考えている自主防衛、戦略防衛のための自衛隊を社会的に認知してもらう方法として、まず、統合幕僚会議々長等の要人を誘拐して自己批判させることを考えたが、これは断念した。真岡猟銃強奪事件を契機に世論に衝撃を与えるためには、新左翼の過激派に銃を奪取させればよいと考えたが、弾薬の奪取まではさせないつもりだった。
  (2) この計画を実行するため自衛隊を退職した。五月大井町の骨董屋が超過激派であるとの噂があったので、自衛隊の古い作業衣を買わないかと持ちかけたが、過激派と思われなかったので、この話は立ち消えとなった。
  (3) 六月下旬ころ、甲林に対し、自衛官の装備一式を買い過激派の人達が中に入れば、自衛隊から大量の武器がとれる、乙山が手引してやるから過激派の幹部を紹介してくれ、資金と筋金入りの闘士を出してもらいたいなどと持ちかけた。
  (4) 七月一二日喫茶店「ヴィクトリア」において、甲野に対し、乙山自身は違憲論者で自衛隊改革もしたい、甲野の方も武器がいるだろうから利害関係が一致するんじゃないか、人と資金を出せ、そしたらお膳立てしてやるなどと言った。更に、朝霞駐屯地、吉井弾薬庫、高崎演習場の状況、武器奪取方法等を説明し、共闘を申し出た甲野から手付金名下に現金二万五〇〇〇円を受け取った。
  (5) 七月二六日ころ、喫茶店「にしむら」において、攻撃目標は朝霞にすること、制服を八月下旬くらいまでに用意すること、甲野側の拠出額を三〇万円に上げること、乙山が全面的に手引することなどを話した。
  (6) 八月一二日帝国ホテルに制服を持参したところ、甲野から脅され、また、自ら考えるところもあって、ハイツ闘争等の各闘争に参加した。
  (7) 五七年八月に違法行為の具体的計画はなかったと供述したのは、自衛隊員や情報提供者に迷惑がかかると思い、そこまで真実を話す決心がつかなかったからである。逮捕直前に作成したノート(59・1・25PS書31六三二九に写しが添付されている。)には真相を隠すため、故意に制服売買の話であったとの記載をした。
 (四) 当公判廷では大概五八年と同旨の供述をしている。
  二 新供述の信用性
   1 供述変遷の理由
 (一) 検察官は、乙山が強盗殺人という極刑が予想される重大事件の嫌疑をかけられたことから、判決前は極力自己防衛のため責任を甲野に転嫁する供述をしたものであり、判決確定後はそのような必要がなくなり、しかも乙山は被告人とは何ら特別の利害関係を持たない者であるから、新供述の方が真実であると主張する。
 (二) そこで供述変遷の合理性について検討を加える。
 乙山の新供述は、乙山が甲林に話をした目的にはじまり本件犯行に至るまで、従前の旧供述とは全く異なるものである。しかも本件犯行から約一一年後の五七年に至って供述がはじまり、五七年の供述と五八年の供述とは内容的にも相当相違している。
 (三) 乙山は、自己の捜査、公判において真実を供述しなかった理由について、他の人に迷惑をかけたくなかったこと、自己の責任を軽減したかったことなどを供述し、五七年のPSでも真相を語らなかったのは自衛隊員や情報提供者への迷惑を考えたと述べている。
 関係者への迷惑については、制服入手の関係者である丁谷、甲江、乙海の名を逮捕当日から供述していたことと矛盾し、右の者以外に乙山に情報を提供した者の存在を窺わせる証拠は乙山の新供述以外全く存せず、五七年PSについての弁解も首肯し難い。
 刑責軽減の点については、なるほど、乙山が自己の捜査、公判において、責任の軽減を意図していたことは認められる。しかし、乙山は、捜査の比較的早い段階で、甲野に脅された上、自衛官の殺害を指示され、乙山自身も殺意を持って実行したかのような供述をし(46・12・7PS書24四八二五、なお、この点について頭が混乱していたとの乙山証言(三〇回証12三三八七)は不合理で信用できない。)、その後殺意を否定する供述になったと認められる。自衛隊認知の目的は自衛官殺害の意思を否定する一材料となりうるものであるし、実際にも、新供述の内容は、自衛隊を憲法上認知させる目的で武器奪取計画を持ち込んだが、八月二一日の実行という甲野の指示は、乙山の計画より早すぎることなどのため、乙山において本件で武器を奪取する意図はなく、ビラ等を現場に置いてプロパガンダの実績をつくる意図で本件に参加した、したがって自衛官の殺傷は目的としていないというものである。これと同様の供述をすることは自己の責任軽減の材料ともなりえたはずであるにもかかわらず、これを従前一切供述しなかったのは不自然である。
 (四) また、乙山は、喫茶店「ヴィクトリア」での会合後、甲林に架電した際、甲野の実像が完全につかめず不安があったことから、いざというときを考えて、甲林に対し、本心は金銭目的で自衛隊の服を売買するつもりであるので、甲野に対してもそのように伝えてほしいと依頼したと供述した(乙山58・12・25PS書31六二六七。)しかし、甲林が甲野に対しその依頼に沿うような話をしたことを裏付ける証拠はなく、喫茶店「ヴィクトリア」では、甲野が乙山の話を持ち帰って検討することになっていたのに、その検討中に乙山自らその話は一部分嘘であったことを伝えさせようとしたというのは、いかにも不自然であり、措信し難い。
 (五) 更に、新供述では、乙山が中央電測企業株式会社に提出した履歴書に下関高校卒、広島大学理学部数学科中退と虚偽の記載をしたのは履歴書を悪用されるのを防止するためである(58・12・2425PS書31六二二六)、喫茶店「ヴィクトリア」で乙山を手伝ってくれる者について一〇人から二〇人位いると話したが、乙山自身実際にその位の人間が動くと判断していた(二九回証11三一七六)、喫茶店「にしむら」で甲野に対し乙山の提案が不満であるなら手付金を返し引き下がらせてもらうと言った(58・12・2425PS書31六二七〇)、第一次朝霞闘争について乙山は警衛の交替時間が八時三〇分であるという話を創作して甲野の命令をつぶした(三〇回証12三二六二)、スナック「光」で甲野が甲野の側にはひよこみたいなメンバーしか残っていないため乙山の力を借りたいと言った(三〇回証12三二六八)、喫茶店「ヴィレッジゲート」で乙山が自分は京大の先生ではなく組織の中間程度の者でしかないと言った(三〇回証12三二九七)、九月九日甲野が乙山に対していろいろ迷惑をかけてすまなかったと言った(三〇回証12三三八〇)などと新たな事実を供述している。しかし、これらの事実は乙山自身の責任の軽重とは直接結びつかない事実であって、しかも関係者の供述等とは整合せず信用性の低いものと認められる。
 右供述は、乙山自身の立場を合理化し、いわば格好をつける効果を持つものであり、このような意図に基づくと見られる事項が新供述全体にわたり多数存するのである。自己に対する裁判確定後であれば、多少大きなことを言っても二重に処罰されることはないところ、これらの供述は、正に判決確定後に初めて現われたものであり、格好をつけるためになされた可能性を排斥できない。
 (六) したがって新供述をするに至った理由についての乙山の弁解は到底首肯できない。
   2 関係者の供述等との整合性
 (一) 新供述は、甲林を介して甲野に対し、武器奪取行為の手引等する話を持ち込んだ政治的目的について述べているが、乙山が自衛隊在職当時その新供述で述べたような考えを持っていたことを裏付ける証拠が全く存しないのみならず、五月に骨董屋に古い作業衣を買わないかと持ちかけ、元同僚の丁谷に自衛隊の物資を盗んで売り払おうと持ちかけたことと明らかに矛盾するものである。
 もっとも、乙山は、骨董屋に自衛隊の装備の売買を持ちかけた動機について、その骨董屋が超過激派であるという噂があったので反応を見に行ったにすぎず、また、丁谷に自衛隊の物資の入手方を依頼した際金もうけが目的のように言い繕った動機について、丁谷に迷惑をかけないために真意を告げなかったと供述するが、前者はその内容が非常に奇矯であり、後者は、入手すべき物品は衣類なら何でもいいと依頼していることなど、依頼内容が武器奪取計画と合致せず、右弁解は全く首肯できない。
 (二) 丁谷供述
  (1) 次に、乙山は喫茶店「ヴィクトリア」の会合以前から既に武器奪取計画を立案していて、右会合において甲野に武器奪取の方法を教えたとの新供述については、一見これを一部裏付けるような丁谷の供述が存する。
 丁谷は、<1>六月末か七月初めころの午後六時ころ、上野の喫茶店「ファンタジー」において、乙山から、制服三着及び身分証明書三人分手に入れてくれ、組織で弾薬庫を狙うなどと言われた(丁谷46・12・15PS書37七八〇五)、<2>七月一〇日ころの午後六時ころ、新宿の喫茶店において、乙山から、今組織の仲間三人を連れてきた、ピストルを売ってきた、自分はあるところの政治局員でRGの第三書記をやったこともある、仲間には殺しを何とも思わないやつがいる、自分たちはピストルを相当持っている、自衛隊の小銃が一丁でもあれば工場で製造することも可能であるなどと言われた(丁谷46・12・10PS書37七七七七)。
 しかしながら、乙山は右<1>については、丁谷が左翼的考えを有していたので、同人を利用するために左翼運動に関係しているような芝居を打ったと供述しているのであり、右弁解は丁谷の言動とも合致し、十分措信でき、丁谷供述は、この点についての裏付け証拠とはいえない。
 また、<2>については、まつばら荘の営業日誌(符73)の七月一〇日欄には乙山が出かけたとの記載はない。右<2>の会合の会話内容からみると、乙山が甲野と会った日(七月一二日)以前からその会話内容にあるような発想をしていたとは解し難く、捜査段階で乙山は新宿の喫茶店での会合時期を喫茶店「にしむら」会合の後(七月末ころ)とし、話の内容は甲野の話の受け売りであると供述しており(乙山46・12・11PS書24四八九七)、右会話内容から考えると、この乙山供述の方が自然であることに照らし、右<2>の丁谷供述も、話の内容は別としても、少なくともその会合日時については措信し難い。
  (2) また、丁谷は喫茶店「ヴィクトリア」の会合直後の七月一四日ないし一五日ころ、神田の丁谷の居所で、乙山から、自衛隊の銃が欲しい、どこかとれるところはないかと相談され、自己の自衛隊勤務経験に基づき、演習部隊が野外演習している時なら取れるかもしれないこと、野外演習は冬期に勝田、宇都宮等でやること、吉井弾薬庫のことを話し、更に、朝霞駐屯地の弾薬庫の状況を、その位置図、内部図面を書いて説明したと供述する(丁谷46・12・10PS書37七七八三)。
 この点乙山供述の中には、右会話時期を甲林に話を持ちかけたころとするものがあるが(乙山46・12・10KS書24四八七〇)、右供述には変遷がある上、事前に銃器奪取場所の情報を聞いていたのなら、喫茶店「ヴィクトリア」で高崎射撃場という丁谷から聞いたことのない施設を持ち出した点不自然であり、右乙山供述は信用できず、この点に関しては丁谷供述が具体的で十分信用できる。
  (3) したがって、丁谷供述を全体的に把えると、「ヴィクトリア」会合以前に乙山が武器奪取計画を有していたことを窺わせるものとはいえず、新供述はこの点についても裏付け証拠を欠くものである。
 (三) 甲野供述
 検察官は、乙山の新供述は、甲野供述と武器奪取の話を持ち込んだ動機、ハイツ闘争における事前告知の有無、本件犯行に対する甲野の指示についてのわずか三点相違しているにすぎず、これらはいずれも枝葉末節的な事項であり、大筋においては一致しており、その信用性は高く、甲野供述を裏付けていると主張する。
 これに対して弁護人は、新供述は甲野供述とは検察官の指摘する三点以外にも無数の相違点が存し、信用性は著しく稀薄であると主張する。
 ところで、甲野供述は、乙山を反戦自衛官組織のリーダーで、武器奪取計画を有している者とし、乙山の行動を左翼運動として把握していることは明らかである。しかるに、乙山の新供述では、乙山は、自主防衛のための自衛隊を社会的に認知させ、憲法改正の機運を醸し出すためには、世間に衝撃を与えて世論を高揚させる要があり、そのため新左翼に武器を奪取させることを考えて、甲野に共闘を申し込んだとしており、右翼の運動であることは明瞭である。
 したがって、両者の供述は明らかに相反するものと断ぜざるをえない。
 なお、検察官は、乙山が自己の内心をあますところなく甲野に話したか否か疑問が残ると説くが、乙山は新供述において、喫茶店「ヴィクトリア」で甲野に違憲論者で自衛隊改革もしたいなどと述べたと供述しており、検察官の主張は、喫茶店「ヴィクトリア」における会話内容に関する新供述そのものと相容れないものであり、到底採用できない。
 (四) 甲林供述
 甲林は乙山の話は自衛官の制服等売買の話だったと一貫して供述しており、新供述と相容れないことはいうまでもない。
 (五) 以上のとおり、新供述は関係者の供述とは全く合致しないものである。
   3 乙山の現実の行動との整合性
 (一) ハイツ闘争については、甲野からこれらの闘争を指示された際、乙山において、朝霞駐屯地等自衛隊施設を目標とするよう主張した形跡はなく、乙山の現実の行動は、自主防衛のための自衛隊を認知させるという目的と合致していない。
 (二) また、朝霞駐屯地の弾薬庫には武器が保管されていないが、甲野は弾薬庫から武器が奪えると信じていたのに(この点は、乙山が情報を不正確に伝えたためか、甲野が聞き違えたためか定かではない。)、乙山は、この甲野の間違いを訂正しないまま本件犯行に臨み、朝霞駐屯地に侵入した後、武器庫ないし弾薬庫から武器を奪おうとはしなかった。
 このように乙山の現実の行動は、自衛隊からの武器奪取を本気で考えていた者の行動とはいい難い。
   4 まとめ
 以上検討したところから明らかなように新供述は事件発生から約一一年ないし一二年後に突如供述されたものであり、供述変遷の合理的理由が認められず、関係者の供述とも合致せず、乙山の現実の行動にもそぐわないものであって、全く信用できない。
  三 旧供述の信用性
   1 検察官の主張
 検察官は、乙山の旧供述は、ハイツ闘争後本件まで乙山が主たる実行正犯者として加担しており、その後の客観的経過とも符合せず、供述内容自体に不自然さ、不合理性を内包しており信用できないと主張する。
 しかしながら、乙山の旧供述は、金目当ての自衛官の制服等の売買の話として首尾一貫しており、甲林の一貫した供述とも大筋においては合致している。
 逆に甲野供述とは明らかに反しているが、甲野供述が措信し難いことは既に縷説したところであり再論しないが、旧供述の信用性否定の論拠となりえないのはいうまでもない。
 ちなみにここで、甲林供述の信用性を検討しておく。
   2 甲林供述の信用性
 (一) 検察官は、甲林供述は、自己の刑責を軽減することに腐心する態度で貫かれており、同人は当公判廷でも弁護人の主張に合わせる作為的な証言をしており、極めて信用性に乏しいと主張する。
 しかしながら甲林供述は、前述のように大筋においては終始一貫しており、検察官が乙山の新供述は刑確定後の利害関係のない供述で信用性が極めて高いと主張する点が、正にそのまま当てはまる上、乙山と異なり供述の変遷が存しないのであるから、検察官の論理に従えば一層その信用性は高いこととなる。その点はさておくとしても、供述の変遷が存しないことは、信用性判断に当たっては重要な一つの要点であることはいうまでもない。
 (二) 更にその供述内容を具体的に見てみるに、甲林は、本件の容疑で一一月二五日逮捕されたが、翌二六日の段階で、乙山が持ちかけてきた話の内容は、「今、金に困っているから、自衛隊の情報を買ってくれそうな者を知らないか。」というものであると供述した(甲林46・11・26PS書43九七六四)。また、右調書において、喫茶店「ヴィクトリア」の会合の際、乙山が弾薬庫等を含む地図を書いて説明したとも供述している。
 検察官主張のように虚偽供述をして武器奪取計画の媒介を否定する意図を持つ者が、捜査の当初から、弾薬庫の話が出た事実を認めたというのは、いかにも不自然である。
 加えて、乙山は、逮捕当日の一一月二五日の段階で、六月下旬ころ自己が甲林に話を持ち込んだことを秘匿しながら、甲林から、自衛隊の情報を買いたい人がいると持ちかけられたため、喫茶店「ヴィクトリア」で会うことになったと供述している(乙山46・11・26KS書23四五六五)。この乙山供述と甲林供述とは、自衛隊情報の売買の話である点で、一致していることに注目すべきである。検察官主張のように両者がいずれも虚偽供述をしているとすると、これを偶然の一致と解する外ないが、そのような解釈は正に牽強附会といえる。
 したがって、両者の供述の一致は、正に両者が真実を語ったからこそ生じたものと解するのが相当である。
 (三) 更に、甲野供述の乙山の話の項で検討したように、丁川二平の供述は十分信用できるものと考えられるが、甲林供述はこれと整合する点も見落してはならない。
 (四) 以上の点から考えると甲林供述は大筋において一貫しており、虚偽供述をなしたとの形跡は全く認められず、信用性のある第三者の裏付けも存するのであるから、乙山に関する甲林供述は十分措信できる。
   3 まとめ
 したがって、甲林供述と大筋において符合している乙山の旧供述も信用できるものと解するのが相当である。
  四 乙山に関する認定事実
 甲林供述及び乙山の旧供述ならびに関係各証拠を総合すると以下の事実が認められる。
   1 乙山は、借金に苦しんでいたため、金目当てに自衛隊から古着を盗み出して売りさばこうと考え、四六年五月ころから入手先の確保や売りさばき先の検討等を行っていた。
   2 乙山は、六月中旬ころから中央電測企業株式会社に勤務するようになり、同社社員の甲林と知り合い、話をするうち、同人が学生時代新左翼運動にかかわっていたことを知った。
 乙山は六月下旬ころ、都内御徒町付近の喫茶店で甲林に対し「俺は山口と朝霞の自衛隊の情報を知っている。今金に困っているから、この情報を買ってくれそうな者を知らないか。」と持ちかけ、情報の買手の紹介を甲林に依頼した。
 他方以前から入手を依頼していた自衛隊時代の同僚の丁谷に対し、自衛官の作業服等の入手を強く求めた。
   3 甲林は大学時代の知人で新左翼の活動家である甲野に乙山の話を伝え、甲野は乙山と会うこととした。
 七月一二日ころ喫茶店「ヴィクトリア」において、乙山は京都大学経済学部の助手で京浜安保共闘と赤軍の政治局員、中央委員と自己紹介した甲野に対し、「自衛隊内には反戦自衛官グループがあり、自衛官の制服等を盗み出せるので、それを売りたい。自衛官に変装すれば簡単に駐屯地内に侵入し、弾薬庫から武器弾薬を奪取できる。」などと話し、更に朝霞や高崎の基地内の模様を図面に書いて説明した。
 甲野は乙山の申出に応じ、制服等購入代金の一部として現金二万五〇〇〇円を支払った。
   4 乙山は、更に新たな情報等を入手しようと考え、七月一四日ころ、丁谷方において同人から朝霞駐屯地の弾薬庫の内部の模様、冬期訓練の話などを聞き、詳細な図面を作成してもらった。
   5 七月二六日ころ、乙山は喫茶店「にしむら」で再び甲野と会い、話し合いの結果、自衛官の制服等一式を二組三〇万円で売買する話がまとまった。
   6 乙山は丁谷を通じて自衛官二名分の制服、制帽等を八月一〇日までに調達した。
   7 八月一二日乙山は調達した制服等を甲野に引渡すこととなり、甲林とともに帝国ホテルに赴いた。
   8 乙山は、帝国ホテルで調査報告書を見せられ、協力しなければ抹殺するなどと甲野に脅されたため、売買代金欲しさも手伝ってやむなくハイツ闘争から本件犯行まで加担した。
第五 被告人供述の信用性
  一 被告人のPS
   1 証拠能力
 (一) 偽造の主張
  (1) 被告人の検察官に対する供述調書一通(以下、これを「本件調書」という。)が存するところ、弁護人は、被告人の法廷供述を基にして本件調書は真正に作成されたものではなく、刑訴法三二二条に定める書面とはいえないと主張し、その理由として次のように述べる。
 第一に、被告人は五七年八月八日本件につき強盗致死容疑で逮捕され、同月三〇日公訴を提起された。逮捕された後事実関係については全く供述していなかったが、八月二八日検察官の恫喝に屈し、一問一答式の取調に応じ、翌二九日調書の作成がなされた。被告人は、甲野からの制服売買の話、送金の趣旨、甲野を逃亡させようとした動機の三点についてのみ供述した。出来上がった調書の枚数は、検察官が被告人の面前で数えたところ七枚であった。被告人は、これに署名指印した。然るに、検察官請求の本件調書は一二枚、四三問にわたるものであり、明らかに調書の最終紙面を除き差し替えられたものである。
 第二に、鈴木主任弁護人は、八月三一日被告人と接見した。その際被告人から裁判所の心証を悪くしないために、検察官の求めに応じ、三点について供述した調書を作成したが、内容は<1>自衛隊の服、歩兵操典、通行証についての記憶の有無、<2>電信為替の件、<3>何故逃亡したのか、また、何故甲野を逃がそうとしたのかの三点であると聞いた。その遣り取りについてはメモを作成した。この事実は、被告人の取調状況に関する供述を裏付けるものである。
 第三に取調検察官の供述は次の点から信用できない。まず、被告人の取調状況について、八月一九日から黙秘をやめて供述を始めたというのであるが、これは被告人の供述と合致しない。次に、本件調書における被告人の供述内容が被告人の思想と乖離している。「赤衛軍」の落書の話を被告人が供述したというのに、調書に記載されていないのは不可解である。検察事務官が書きあげていく調書を被告人が折り曲げてくれたが、その動作に奇異な感じは受けなかったというのであるが、調書用紙は折るものだということを被告人は知らなかったのであるからそのような動作をするはずがないし、もし折ったとしたならば、右手二指を欠損している被告人が通常人と異なる奇異な紙の折り方をするのにすぐ気付いたはずであるのに全く不可思議という外ない。なお調書作成後被告人が歌を歌ったというけれども、これは被疑者の心情とは相容れない。
  (2) これに対して、検察官は、下書を作成して被告人に点検させていること、調書作成までに考慮期間をもうけていること、被告人が調書の折り曲げを手伝っていること、被告人は説得されると納得すると述べていること、調書が出来上がった後の休憩中に待合室で被告人が「別れの一本杉」を歌ったこと、被告人が第一回公判で調書が出来上がった途端後悔の念が噴き出し、悔いが残ると述べており、調書が真正に作成されたこと及びその任意性、信用性をも自認していることから考えると本件調書は真正に作成されたものであり、任意性も信用性も十分認められるものであると主張する。
  (3) そこで以下検討する。
   ア 第一に、本件調書の内容は、甲野から具体的な武器奪取闘争についての話が出たことはなく、殊に、ハイツ及び朝霞基地を攻撃するという具体的な計画や話が持ち込まれたことは全くない、四六年七月末か八月上旬ころ甲野と阪急梅田地下街で会ったことがあるかもしれないが具体的な記憶はない、本件はテレビ、新聞等の手段で知ったと思うというもので、甲野との謀議を否定するいわゆる否認調書である。
 検察官にとっては自己の主張を裏付けるものではなく、必ずしも証拠価値の高くない否認調書を刑事罰の危険を冒してまでわざわざ偽造する合理的理由は見出し難い。
   イ 第二に、被告人は、当公判廷において、差し替えられる以前の調書(以下、これを「本来の調書」という。)は総数七枚前後、問の数は二〇未満、被告人が認めた事実は、甲野から制服売買の話があった、送金は制服入手代金ではない、甲野を逃亡させようとした動機は反権力闘争を行った人間を助けてやろうと思ったからであるという三点であり、その余の問答については黙秘あるいは否認したと供述する。
 しかし、第一回公判の意見陳述では、七枚ほどの調書(正確な枚数はおぼえていない)、一〇いくつかの問があって大部分は黙秘と否認であり、三点についてのみその段階での記憶のありように即して答えたとなっていたものである。
 ところで、捜査段階から弁護活動に従事した証人丁井三平は、被告人との接見時にはメモ四枚を作成したが、本来の調書において被告人が認めた事実に関する接見メモが提出できないのは、この部分を紛失したためであると証言する。しかし、被告人調書は公判の終盤で問題となる可能性があり、初期段階には弁護人らに開示されておらず、その記載内容を推認する上で、被告人の記憶の鮮明なころに作成した接見メモは重要であったはずである。しかも、紛失したとされる部分が偽造の成否を判断する上で最も肝心なものであり、他の接見結果についてはメモが保存されていることに照らし、最も肝心な部分だけを単なる過失で紛失したとは信じ難い。
 同人作成の接見メモ(符75の1ないし3)には被告人の認めた事実の部分がほとんどなく、本来の調書についての被告人の供述は、調書の枚数、問の数なども含め、客観的証拠からは裏付けられていない(逆に本件調書の内容は、右接見メモの記載と必ずしも矛盾せず、むしろ、乙山、J、Kを知っているかと聞かれた点、歩兵操典の記憶があると答えた点などメモと整合する部分もある)。
 また、被告人は、送金について、検察官が借金の返済という主張を頑として書かず、その結果、本来の調書には、送金は制服入手代金ではないと記載されたが、接見時には弁護人に送金は甲野からの借金の返済であると述べたと供述する。
 しかしながら、被告人が借金の返済との主張を頑に維持していたのであれば、五七年八月当時の甲野の供述調書に被告人の弁解に対する甲野の供述をとるのが捜査の常道と思われるところ、甲野の供述調書には、被告人のいう借金返済の点については全く言及されていない。
 しかも被告人は弁護人に借金の返済であると話をしたと供述する。送金の趣旨が借金の返済であれば、有力な反証となりうるものと解されるのに、前記メモにはその旨の記載は全くなく、丁井証人も接見時に被告人からその話を聞いたとは供述していない。被告人の右供述は裏付け証拠を欠くものである。
 また、被告人の供述するような調書の記載では送金の趣旨は何か別のものであるという問題を残し、公判で主張されるはずの借金の返済という主張がとおり易くもなるのであって、借金の返済という主張を頑として書かなかったという捜査態度と送金は制服入手代金ではないと記載されたこととは整合しない。
 以上の点から考えると、本来の調書に関する被告人の供述は信用し難い。
   ウ 第三に、取調にあたった証人乙岡六介は右調書の成立の真正を証言しているところ、右証言には、五月上旬文学部長室に「赤衛軍」の落書があり、仲間からそれを消すべきであるという声があったこと、「いいやっちゃないか同盟」のことなど、甲野の供述を裏付けうる間接事実を被告人が認めたとする部分があるが、本件調書にはそのような事実が記載されていない。
 捜査官からすれば、右のような供述は、重要な事項であり、当然これを調書に記載しようと考えるものであり、調書に右の記載がないことは、乙岡証人が調書の記載は被告人と話し合って、被告人の納得する部分のみを記載したと供述することを裏付けるものである。
 逆に、調書を偽造するのであれば、右のような間接事実は、取調中被告人がこれを認めたか否かに関係なく、本件調書に記載できるはずであり、にもかかわらず、その記載がないことは、むしろ本件調書が書き換えられたものではないことを窺わせる。
   エ 第四に、本件調書の記載内容は、甲野と知り合った経緯、旅館「津乃村」、「文学部長室」、喫茶店「穂高」、甲野から事件後連絡の有無の五点については黙秘し、その余の大部分については記憶がないと供述し、数点についてのみ具体的な供述をしているものである。確かに丁数、問答数は被告人の供述とは違うが、その余の体裁は、被告人の供述と合致するものである。
   オ 本件調書には一部に措辞適切を欠き、それ故弁護人主張のように、被告人の思想と乖離しているかのような供述記載があるけれども、この点は信用性が問題になるとしても、直ちに調書の偽造を意味するものでないことはいうまでもない。
 なお、被告人が調書用紙を折り曲げたか否か、調書作成後被告人が歌を歌ったか否かなどの点は、いずれにしろ本件調書の成立に影響を及ぼすものではない。
 以上によれば、本件調書は真正に成立したものと認められる。
 (二) 不利益事実の承認
 本件調書は、いわゆる否認調書ではあるが、被告人と甲野との会合状況、その際の会話内容、送金の趣旨、甲野の逃亡協力の動機等について具体的に供述している。これらの事項は、甲野との共謀関係を基礎付けるあるいは推認させる事実に関するものであり、法三二二条一項にいう不利益事実の承認にあたるものと解する。
   2 本件調書の信用性
 被告人は、本件調書の記載内容については、その段階での記憶のありように即して述べたものであり、調書を作成した途端に後悔の念が噴き出してきたと供述している。したがって、不利益事実の承認を内容とする部分については、本件調書の信用性は一般的には高いと解するのが相当である。
 なお、供述の具体的内容及び信用性は該当箇所で検討する。
  二 旅館「津乃村」、エレガントホテル
   1 供述の概要
 被告人は、Jから、関東(ないし東京)の運動に詳しい者が被告人に会いたがっているとの紹介を受け、被告人も関東の運動状況について聞きたいと思いその者と会うことにした、会話内容は前記甲野供述とは異なるもので、具体的会話内容で特に記憶しているものはないが、革命戦略、戦術の話、特定の運動の中に立ち至った話はなかった、エレガントホテルの近くの飲屋には行っていないと供述する。
   2 旅館「津乃村」
 (一) 被告人は甲野供述にある会話をことごとく否定するが、旅館「津乃村」の会合が機密性の高い旅館の一室で行われたこと、会合時間は食事も含め二時間くらいであったこと、既にLが甲野から東京の運動状況を聞いた後、被告人は甲野との会話に入ったこと、話好きという被告人の性格等に照らし、被告人が甲野の発言を聞くのみであったとは考えられず、闘争に関し何らかの発言をしたはずであり、しかも、それは当然、過激な暴力闘争を主張する当時の被告人の考えを背景にしたもののはずであり、その意味で、被告人供述もそのまま信用することはできない。
 (二) 被告人が甲野と会う動機の一つは、関東の運動について知りたいというものであったこと、被告人が運動に関連して発言したとすれば、当時の自己の考えを述べたとみるのが最も自然であること、新左翼運動の活動家として一般的な共闘の話をしたとの甲野供述は信用できることに照らし、被告人は、少なくとも、過激な暴力それ自体を志向する当時の考え方について発言したものと推認される。そうすると、過激な暴力闘争の必要性の点で両者の考え方が一致し、一般的な共闘の話をなし、両者はある程度意気投合したものと解するのが相当である。
   3 エレガントホテル
 被告人はエレガントホテルで甲野と酒を飲んだことはないと供述するが、前記のようにこの点に関する甲野供述は信用性が高く、これに反する被告人の供述は措信し難い。
   4 居酒屋
 (一) 居酒屋に行ったことについて
 居酒屋に行っていないとする被告人供述は、犯行後一〇年以上経てのものであること、居酒屋に行ったことは本件の経緯には直接関係のない些細な事柄であって、記憶が消失し易いものであることに照らし、信用性に乏しい。これに反し、甲野供述は前記のように信用でき、被告人と甲野が居酒屋に行ったものと認められる。
 (二) 会話内容について
 前記のごとく(第三、七、4(二)(三))、四・二八闘争についての甲野供述は措信できないが、個人的事柄に関しては信用できる。したがって、そのような会話の結果、被告人は、心情的に甲野に親しみを感じたものと解するのが相当である。
  三 文学部長室、楽友会館
   1 供述の概要
 被告人は、Jから甲野が会いたがっているとの連絡を受け、会うことになり、五月四日ころ、喫茶店「学士堂」で甲野に会い、甲野の原稿について話をし、文学部長室に行った。乙田、乙沢八久を紹介し、酒を飲んで歓談したが、乙内一久の話が印象に残っている。その後スナック「白樺」に行き、甲沢を紹介し、同様の雑談をして甲野と別れた。翌朝文学部長室へ行くと、まだ甲野がいたので、ブランチに誘い、楽友会館に行ったが、甲沢とは会っていない。甲野とはそこで別れた。
   2 文学部長室
 (一) 被告人は、公判では単なる雑談に過ぎないと供述しているが、PSでは具体的な日時や場所ははっきりしないが、当時甲野と革命理論を論じ合ったことは当然あると思うと述べている。
 (二) 前判示のように、被告人が建党建軍の話を持ち出したとは認められないが、「赤衛軍」の話をしたと認められるのであり、被告人の公判供述は信用できない。
 そこで「赤衛軍」の話の具体的内容であるが、前述のごとく、被告人は当時暴力革命を志向し、既存の新左翼諸党派を批判し、それを超えた過激な武装闘争の必要性を力説し、大衆からの運動を称えていたのであるから、甲野の言うような党組織に編成された正規軍としてではなく、大衆から自然発生的に生ずる運動を助長拡大していく担い手、すなわち民兵としての「赤衛軍」の創設を甲野に説いたものと解されるが、それ以上の具体的内容については本件証拠上確定し難い。
 (三) 被告人は、三里塚闘争、沖縄闘争を軍事的に戦争として戦う話をしていないと供述するが(八四回証26八四二七)、乙沢八久は、会話の状況は、被告人が一方的に話していたものであり(証17五一六三)、三里塚、沖縄の話は出た可能性がある(同五一四七)と証言し、また、文学部長室での会合とほぼ同時期に執筆されたとみられる朝日ジャーナル五月二一日号の被告人の論稿には、「三里塚北総台地を真赤な荒野にしよう! 六月の三里塚戦争で、七〇年代の範例的典型を作り出そう!」などという主張がなされており、文学部長室の会合のころ、被告人が三里塚闘争に強い関心があったとみられ、したがって、三里塚闘争に関する話をしたことは認められる。ところで、右論稿の「戦争」の意味であるが、三里塚パンフ(符1)において、被告人は、三里塚闘争についても闘争する側が敵を「殺す質」を持つべきことを示唆し(二四頁)、弾圧の域を越えて戦争をしかけ(二六頁)、戦争局面を獲得する(二七頁)必要性を説き、武器を使い、本気で勝つことを考えよと呼びかけている(二七頁)。新左翼の活動家の表現は煽動的で大袈裟な表現が多く、被告人が、厳密な意味での「戦争」を志向していたとまでは解しえないが、三里塚で武器を手に、死傷もありうるような過激な暴力闘争をすべきことを考えていたことは明白であり、「戦争」というのもこのような過激な暴力闘争を意味するものと解される。そして、三里塚の話をしたとすれば、発言内容は、当時の被告人の考えであったはずで、右のような過激な暴力闘争を主張したと推認される。
 (四) したがって、被告人は、文学部長室において甲野に対し、暴力革命達成のためには既存の新左翼の運動を超えたより過激な武装闘争が必要であり、その担い手として「赤衛軍」を創設し、当面の三里塚、沖縄闘争においても過激な暴力闘争をすべきだと説き、これに共鳴感激した甲野が「赤衛軍云々」の落書をしたものと認められる。
   3 楽友会館
 楽友会館に関する甲野供述は、前記のとおり措信し難く、被告人の供述には特に信用性を疑わせる点も認められないので、被告人の供述どおり認定する。
   4 甲野の原稿の話
 甲野の原稿の公表に被告人が力を貸す話については、甲野もほぼ一貫してこれを認めており、被告人も会話のなされた場所については一致しないものの、そのような話があったと供述しており、その後の経緯からみても、五月京都の段階で話があったと認められる。
  四 池亀方、レストラン「アラスカ」
   1 供述の概要
 (一) 上京の目的は三里塚闘争へのカンパを集めること、七月から連載することになった日本読書新聞のコラムの件で打ち合わせをすること、ベルリン自由大学講師の件を断ることなどであり、レストラン「アラスカ」に行った目的は、右講師の件で乙川二久と会うためであった。
 (二) Jから甲野が入院していると聞き、下田病院に戊谷一也の案内で菓子折を持って見舞に行った。戊谷が帰った後、今日乙川二久に会って帰阪すると話したところ、紹介してくれと甲野に頼まれたのでレストラン「アラスカ」に同道することとなった。
 途中池亀方に寄ったが、ローザ・ルクセンブルク全集を見て話をしたことはない。また大麻を吸ったこともない。レストラン「アラスカ」へ向かう車内での会話については、記憶はないが、軍資金や兄の話はしていない。
 (三) レストラン「アラスカ」で乙川に講師の件を断り、甲野の原稿の口添えをした。乙川は用事が済むと帰った。
 K、O、P、Jの各記者や乙田、乙原が集まったので、一緒に飲酒歓談した。そこでの状況は、がさつな話でワァワァ大きな声を出すということではなかった。話の内容は雑談で、革命論等は展開しなかった。
 (四) 乙原は、中国物産の話をしており、被告人も三里塚パンフ(符1)を売りつけた。甲野が販売を手伝うというので甲野の指定した場所に後日七〇部位送った。甲野は一時間位いて先に帰った。
   2 被告人の上京目的等
 上京の目的に関する被告人の供述は、六月一八日甲丘宅を訪れた被告人に現金二万円を渡したとする甲丘手帳の記載、日本読書新聞七月五日号から実際に被告人の執筆が始まったこと、乙川二久証言等、裏付け証拠があり、信用できる。そして、レストラン「アラスカ」に行った目的についても、記者などの出入りがあるという場所的状況、そこに現実に乙川二久が来たこと、甲野の同席は事前に予定されていなかったことなどに照らし、乙川二久に会うためという被告人供述は信用できる。
   3 下田病院、池亀方
 被告人が下田病院に甲野を見舞に行ったことが認められるが、このことは、被告人と甲野との関係が相当親密であることを示すものといえる。
 池亀方での会話に関する被告人の供述は、司法警察員作成の62・12・20付け捜査報告書に徴し到底措信できない。
   4 レストラン「アラスカ」での会話内容
 (一) 被告人と乙川二久がベルリン自由大学の講師の件を話したことは乙川二久証言に照らし、信用できる。被告人が乙川二久に対し、甲野の論文が出来上がったら見てもらいたいと口添えしたことは、被告人と甲野が一致してこれを供述し、乙川もこれを否定する供述をしていないので、十分信用できる。
 (二) 革命、三里塚闘争の話
 乙川二久が帰った後の会話について、被告人は革命の具体的な戦略とか戦術の問題、三里塚闘争における鉄砲を用いたゲリラ戦の必要性等について、話し合ったことは全くない、三里塚闘争で銃器を用いる考えはなかった(八〇回証24七六五五)、戊海二也の精神の支配する中、闇で鉄砲、爆弾を持ち込めない(八四回証26八四四七)と供述する。
 しかし、乙原や当時三里塚の団結小屋に入っていた乙田が来たこと、被告人が三里塚パンフ(符1)を持参し、Kらに売ったこと、Kが、「被告人は今までの戦術では生ぬるい、これからはどんどんこのへんで爆弾を使わなければならない、やらなければあかんあかん、と言っていた。」旨を供述していること(K47・1・27PS書34七〇三四)などに照らし、三里塚闘争の話はあったと認められる。
 被告人は、当時銃器、爆弾闘争は考えていなかったと供述するが、前記パンフは要するに、勝つためには相手を殺す質を持って闘争に臨めと主張するもので、三里塚で銃器を用いることを否定する立場ではないのであって、右供述はこれと矛盾し、信用できない。
 既に甲野供述の信用性の項で検討したように、被告人らが一般的な話題として革命論や三里塚闘争について話をしたものと解される。そして右パンフにおける主張に照らし、被告人は、乙田ら現に三里塚闘争に取り組んでいる者を前に、闘争方針を被告人の主張する過激な暴力闘争に変更するよう説得に重点をおいた発言をしたものと認められる。
 これに対して、甲野は既に文学部長室での会合において、被告人に共鳴していたのであるから、これに賛同したものと認めるのが相当である。
 (三) パンフレット送付の件
 パンフレットは売りさばくために、甲野の申出により、丁原方に送ることになったとする被告人供述は、これに反する甲野供述が前述のように信用できず、前記丁原供述等と整合しているので、信用できる。
  五 七月名古屋会合
   1 供述の概要
 (一) 公判供述
 被告人は、七月上旬京都で会ったという甲野供述を否定し、六月の末ころ、難波予備校に、甲野から論文の原稿ができたので見てほしいとの電話を受け、その週の土曜日に名古屋で講演予定があったことから、その際に会うことにした。七月三日午後五時ころ、名古屋の河合塾前で待ち合わせ、大衆酒場に入り、甲野の原稿を見た。その際甲野から自衛隊の制服、ベルト、帽子、靴が手に入るので買わないかと言われた。ブローカー絡みの話と思い断った。その理由として借金で首が回らないと話したところ、甲野から用立てしようと言われ、何回か断ったが、結局五万円借りることになった。翌週の土曜日上京することから、甲野の馴染みの飲食店「久富」で借り受けることにした。
 もう一度制服等売買の話が出て、無下には断れず、その場で甲沢に電話し、商売の話を持ち込まれて困っている、明日会ってやってくれと頼んだ。明日は上京の予定と言下に断られたが、東京で会ってくれと頼むと渋々了解した。その後甲野と別れて帰阪した。
 その後七日初旬ころ、甲沢から甲野の話はあかんぞと言われた。
 (二) PS
 しかし、PSでは甲野と名古屋で会った記憶はありますが、それが何時であるか、その際どのような話をしたかについては覚えておりませんと供述する。
   2 会合時期
 七月三日ころ、名古屋で会った点については、丙島ノートには、甲野が七月三日から五日まで名古屋に行くとの記載があること、前述のようにこの時期に京都で会い、七月下旬に名古屋で会ったとの甲野供述は信用できないこと、被告人のPSには、時期は判らないが甲野と名古屋で会ったとの記載があるところ、甲野供述を除いた関係証拠によると、名古屋で会ったとすれば七月上旬の可能性が高いことに照らし、その時期に名古屋で会ったと認められる。
   3 会話内容
 (一) 借金の話
  (1) 被告人の困窮の程度、甲野の資力
 弁護人は、被告人の困窮の程度について、乙丘との生活費が毎月恒常的に二万五〇〇〇円不足し、また、乙丘の中国旅行の費用二〇万円以上、少なくともその内金として五万円が必要であり、七月三日ころ被告人は生活資金に窮しており、借金の話が出たのは不自然ではないと主張する。
 生活費についてみるに、乙丘家計簿によると、生活資金は必ずしも十分余裕がある状態ではないが、不定期ながら被告人の臨時収入が入金され、また、七月一三日にはクーラーの月賦を払い、ややぜいたくともいえる支出があるなど、生活資金に極端に困っている状態ではない。中国旅行の費用の捻出については金額的にみて甲野からの借金で賄えるものではなく、当時、五万円の内金が必要であったというなら、そのために借りた金を乙丘に渡し、乙丘がこれを生活費用に組み入れている点で不自然さが残る。しかも内金の入金時期については被告人の明確な供述がなく、乙丘も自分は知らないと述べ、乙林九久も明確な供述をしていず、実際に内金の入金がなされたのかも判然としない。したがって、弁護人の主張には賛成し難い。
 弁護人は、甲野の貸付の資金源について、六、七月に丙原から騙取した一一万円及び名古屋の実家に帰ったときにもらった小遣いであるとするが、それを根拠付ける証拠はなく、単なる弁護人の憶測にすぎない。
 当時甲野は、実家からの定期の仕送りもなく(46・12・27PS書10一九八三)、下田病院に入院した際には丙原の健康保険証を使用するなど、生活に余裕のある状態ではなかったと認められ、しかも喫茶店「ヴィクトリア」で乙山に約二万五〇〇〇円を渡すなど、生活費の外にも支出(ないしその予定)があり、この外に八月一二日を期限として五万円もの貸付をすれば、これから進めようとする一連の闘争の準備資金にも事欠く結果となるのであって、このような貸付約束を安易になしたとは認め難い。
  (2) 甲野供述
 被告人との関係に関する甲野の供述態度は、誇張、創作、こじつけなどが多々あるにしても、少なくとも現実にあったことは何らかの形で供述されている。しかし、被告人に金を貸した事実は全く供述されず、これを窺わせる供述もない。特に、逮捕後約四〇日ころまでの甲野供述は、京都で被告人から連絡役になってほしいと頼まれ、これを承諾したところ非常に喜ばれたこと、被告人や甲沢から意思を一致させて闘争をやろうと執拗に誘われたこと(46・12・18供書9一七五九)、四月に大阪の旅館で被告人と会った後、梅田近くのもつ焼飲屋で互に腹を割って話し合ったこと(46・12・25KS書10一八八〇)など、自己が被告人らから頼りにされていたという形で格好をつけた供述をしていたのであって、被告人の依頼を受けて金を貸した事実は、そのような供述態度に合致する好材料である。それにもかかわらず供述されなかったのは、その事実がなかったことを推測させる。以上、甲野の供述からみても被告人供述には疑問が残る。
  (3) 被告人の捜査供述
 被告人は、借金の返済という被告人の供述を、検察官が頑として調書に記載しなかったと供述するが、前述のとおり、被告人は捜査段階で借金の返済という供述をしなかったと認められ(第五、一、1、(一)(3)イ参照)、したがって、公判供述は、捜査供述と整合しない。
  (4) 以上の外、被告人の社会的地位、約束の金額が被告人の月収に相当する高額であることをも考慮すると、甲野が被告人に五万円の貸付を約束したとは到底解されず、借金の約束をしたとの被告人の公判供述は全く措信できない。
 (二) 原稿の話、制服売買を断る話
 公判供述は、まず甲野が持参した六〇枚ないし七〇枚の論文の原稿を一読した上、約一時間くらいにわたり批評や助言をしたというのであるが、この点につき、甲野供述(甲野46・12・12供書9一七六一)は日にちも異なり符合する供述とは認め難く、他にこれを裏付ける証拠がない。次に公判供述は、自衛隊の制服売買の話が持ち出されたが、お断りして、代わりに甲沢を紹介したというのであるが、この点については甲沢の供述もなくこれを裏付ける証拠がないのみならず、制服売買を断る話は金員貸借の話に牽連する前提の話であるから、前述のとおり金員貸借の話が措信できないものである以上、この制服売買を断る話もまた疑わしいものという外なく、以上要するにいずれの話についても被告人の公判供述は直ちに措信しうるものではない。
 (三) 甲林の話
 被告人と甲野との名古屋会合は、甲野が甲林から乙山の話を聞いた後であり、かつ一週間後に被告人の上京予定があるのに、甲野がわざわざ名古屋に赴いて会合していることから考えると、被告人の供述するように甲野の原稿を受け取るのが目的だったとは考え難く、甲林の話を被告人に伝えるのが目的だったと解するのが最も素直な見方であろう。甲野が被告人に甲林の話を伝えたものと推認される。
 被告人は、制服売買の話を断ったと公判で供述するが、PSでは甲野に協力してやろうと思ったと述べており、現に四万円を甲野に送金していることをも考慮すると、甲野の話を断っていないと解するのが相当である。
 甲野の話の具体的内容については、甲野供述、被告人供述いずれも真実を語ったものとはいえず、甲林の話以外に甲野が具体的な計画を話したかどうかについては本件証拠上は確定し難い。
  六 七月一〇日甲丘宅訪問
   1 供述の概要
 被告人は、七月一〇日ころ、上京し、お昼少し前甲丘宅に行き、三里塚について、かねてより甲丘から提案されていた条件闘争の件を断ったと供述する。
   2 甲丘KSの証拠能力及び一般的な信用性
 (一) 当事者の主張
 検察官は、七月一〇日午前一〇時ころ、被告人が甲丘宅を訪れ、自衛隊から武器を奪取する計画があると打ち明け、その金策を依頼したとする甲丘のKSに依拠して被告人の供述は措信できないと主張する。
 これに対して弁護人は、甲丘のKSは偽造変造されたものか、しからずとするも全く信用性に欠けると主張する。その理由として第一に、甲丘は四七年七月五日自宅で事情聴取を受け、六日、七日と大宮の鉄道公安室で取調を受け、一五日に完成した調書の読み聞けをされ、署名押印したとされているが、甲丘手帳(符17)の七月六日、七日欄の記載は鉛筆書きの上をなぞって記載したものであり不自然である。第二に、甲丘は警察関係者との交際が多く、本件に関しても四七年八月三〇日には千葉県警柏警察署まで出向いて被告人と思われる者の面通しをしており、取調警察官の高橋孝人は甲丘に被告人の潜伏先のリストまで教えている。第三に、甲丘の取調状況をメモしたとする高橋孝人作成のメモ(証11三〇二二)とKSとは必ずしも一致していない。第四に、甲丘は被告人の犯人隠避の疑いで逮捕されたが、他の逮捕者は起訴されたのに甲丘のみが処分を受けなかった。第五に、甲丘は右翼を標榜しながら、いわゆる「口入れ屋」的活動をしていた者で、警察と結託して甲野供述に符合する虚偽事実を捏造したものである。第六に、PSが存しないのは不自然である等々と縷々主張する。
 (二) 調書の真正な成立
 弁護人主張の鉛筆のなぞり書きについては、甲丘手帳三冊(符16、17、25)に散見されるところであり、同人の習性と解され、不自然とはいえない。
 また、甲丘の妻梅子は、甲丘が警察の取調を受けたこと、KSの署名は甲丘のものであると明確に供述しており、甲丘手帳(符17)、取調にあたった高橋孝人の供述及び同人作成の取調メモをも考慮すると、甲丘のKSが真正に作成されたものと認められ、弁護人の偽造、変造の主張は全く理由がない。
 (三) 供述の一般的信用性
  (1) 検察官は、甲丘が被告人から資金調達方を依頼されていた事実は、警察官において事前に予知することが全く不可能な事柄であること、供述内容は、秘密の暴露と認められる部分や臨場感にあふれる心理描写を含め、実際に体験した者でなければ語りえない迫真性のある内容に満ちていることから、甲丘供述の信用性は高いと主張する。
 しかし、甲丘手帳(符25)の六月一八日及び七月二三日の欄に甲丘が被告人に現金を渡したとの記載があり、これと七月一〇日時点で被告人からの送金が遅れていたとの甲野供述とを合わせれば、捜査官において、七月一〇日甲丘に対し資金調達を企図したという疑いを抱きうるのであって、これを予知することが全く不可能であるとする論旨には賛成できない。
  (2) また、取調場所が甲丘の自宅でも警察署でもなく、鉄道公安室である点は不自然であり、甲丘の求めによるとの高橋供述は、鉄道公安室での取調が三日間に及んでいることから考えても俄かに措信し難い。
 しかも甲丘KS及び高橋供述によると、甲丘方には四谷署、福島県警の公安担当の警察官が頻繁に出入りしており、本件捜査に際しても、高橋らと通常の参考人との関係以上の付き合いが看取される。右KSの内容は、被告人が甲丘に犯行計画を事前に明らかにしたというものであり、被告人との共謀の有無という事件の全貌を解明する観点からは高い証拠価値を認められることは、捜査官であれば容易に察しうることであるのに、PSが全く作成されていないのは不自然である(高橋は、KSのコピーは非公式に検察官に送ったと供述しているが、甲丘が五五年一〇月一三日死亡するまでの間にPSが作成されていないことから考えると、俄かに措信し難い)。更にKSによると甲丘は、犯人隠避容疑で逮捕された後は、被告人を快く思っていなかったと認められる。以上の諸点を総合考慮すると、甲丘のKSの作成過程は正常とはいえず、甲丘が警察官に対して迎合供述をした可能性も考えられないわけではない。したがって、甲丘のKSは法三二一条一項三号の要件は備えているものの、その信用性の有無については、特段の慎重な検討が必要である。
   3 甲丘供述の不自然性
 (一) 武器奪取計画の打ち明け
  (1) 甲丘供述の概要
 被告人が甲丘宅を訪問中、警視庁公安三課の椿警部補が尋ねて来たため、被告人を別室で待たせ、右警部補と応対していた。更に警視庁四谷警察署の萩原警部補が尋ねて来たので、その応対を終えて、被告人のところへ行き、警察官が来ていたこと、甲丘方にはときどき警察官が来ることを知らせた。
 その後被告人は甲丘に対し、自衛隊へ行って武器を奪ってこようと思っているんですよ、自衛隊員の中に我々に協力する奴がいるんですよ、武器の保管場所は知らないが、協力する自衛隊員がやってくれるんだから成功すると思いますよ、自衛隊から武器を調達し、三里塚闘争を徹底的に闘うのです、そのためには金が必要なのです、私の任務は何とかみんなが闘い抜けるように金を集めることです、何とか金をつくっていただけませんかと懇願したが、甲丘はこれを断った。
 話が終わってから福島県警の仲田巡査部長が来宅したので、互に身分を明かさないまま三人でビールを飲んだ(書40八七六八)。
  (2) そもそも甲丘は右翼思想の持ち主である上、右のように公安警察と密接な接触があるのに、これを知った直後、自衛隊からの武器奪取計画を打ち明けるなどということは、常識では考えられないし、そのような計画を推進している被告人が、これを打ち明けた直後、見知らぬ人物(したがって、警察官という疑いが残る)。と同席して飲酒するということも極めて不自然である。
 (二) 金策の必要性
 被告人が甲丘供述にあるような金策の必要に迫られたのであるなら、最初に、かねてより申し込みをしていた難波予備校からの借金を催促するはずである。当時の難波予備校の事務長である戊田三也のKS(書47一〇七六四)によると、五月下旬ころ被告人から初めて借金の申し込みを受け、その一週間後ころ催促され、その後数回催促され、七月二一日の催促でこれに応ずることにしたと認められる。したがって、被告人が七月上旬ころに借金を強く催促し、あるいは予備校側で右借金の申し込みを断った事実は存せず、右甲丘供述は右戊岡供述と整合しない。
 (三) 甲丘供述にあるような金策をするには、七月一〇日の時点で多額の資金が必要であるとの情報が被告人に伝わっていなければならないところ、本件証拠上喫茶店「ヴィクトリア」の会合より前に三〇万円ないしこれに近い金額が提示されたことは全く窺われない。
 むしろ、後記認定のごとく、七月二三日送金前の甲野との資金援助の約束は五万円であり、飲食店「久富」から帰阪直後に被告人は乙丘に九万円を渡しているのであるから、よりによって公安警察と密接な接触のある右翼傾向の者に自衛隊を対象とする武器奪取計画のための資金援助を求めるという危ない橋を渡ることは通常人の合理的行動とは全く解し難い。
 (四) したがって、武器奪取計画の打ち明け、金策の依頼に関する供述内容は極めて不自然、不合理といわざるをえない。
   4 甲丘宅訪問の目的
 (一)(1) まず、七月一〇日までの被告人と甲丘との交際状況について、甲丘供述、被告人供述、甲丘手帳(符25)及び名刺(甲丘六夫名義のもの)一枚(符26)によると、以下の事実が認められる。すなわち、被告人が甲丘を知ったのは甲丘の叔父である甲丘七介の紹介によること、甲丘宅を尋ねたのは、六月初めころと六月一八日であり、一回目は不在で甲丘に会えなかったが、一八日には甲丘と会い、二万円または五万円を受け取ったこと、六月二八日に大阪の南海ホテルで甲丘と会ったこと、被告人と甲丘は六月一二日、二五日、三〇日、七月五日に電話で連絡をとったこと、そのうち六月一二日の電話は被告人が一八日に訪問するにあたり甲丘の予定を聞いたものであることが各々認められる。
  (2) これら両者の接触の目的、経過等について、甲丘供述は、六月一八日には、被告人から一度大阪へ来てもらいたいと言われ連絡先を教わったのみで、用件についての話はなかった、どうしても金がいるなどと言われて二万円を貸した、この会合の趣旨に従い、六月二八日に大阪へ行き、被告人と会った、被告人は三里塚闘争その他の闘争の必要性とその支援資金を集めていることを話し、甲丘は条件闘争を提案したが断られた、その後の六月三〇日、七月五日などの電話は、被告人からのもので、三里塚闘争資金援助の依頼であったと思うが、七月一〇日には武器奪取の資金援助の依頼を受けたというものである。
  (3) これに対し、被告人供述は、当初から三里塚闘争の支援資金をもらうため甲丘宅を尋ね、六月一八日に支援資金五万円を受け取った、六月二八日は甲丘から会いたいと言われて会った、その際甲丘から条件闘争の話が出て、被告人は断ったが、なお甲丘が三里塚の話を聞きたいと言うので七月一〇日に会うことにしたというものである。
 (二)(1) そこで検討するに、六月一八日の訪問は、被告人にとっては、甲丘七介から紹介された人物に対し、予約をとった上での二度目の訪問であり、その席で何も用件を言わなかったとは考えられず、甲丘供述は極めて不自然であり信用できない。なお、右訪問の際、甲丘の知人が偶然同席していたようであるが、二八日に言ったとされる三里塚闘争その他の闘争への支援の話なら同席者がいても伝えうる事柄のはずであり、知人の同席は、用件を伝えるのに障害とはならなかったはずである。
  (2) これに対し、三里塚闘争の支援資金を貰いに行ったとする被告人供述は、六月一九日レストラン「アラスカ」でKらにパンフレットを売って三里塚への支援を求めていた当時の被告人の行動とも整合し、信用できる。
  (3) 甲丘が渡した金の趣旨についても、初対面の者同士でいきなり貸し借りがあったというのは唐突で不自然であること、甲丘手帳には右金員の交付について、「2万渡し」と記載されているが、他所をみると、貸金の場合は「3000貸し」(二月一五日の欄)などと記載され、「渡し」という記載は貸付とは異なる意味である可能性があることに照らし、貸金という甲丘供述は信用できず、支援資金という被告人供述が、右認定の訪問目的及び甲丘手帳の記載とよく整合し、信用できる。しかし、金額は、甲丘手帳に二万円と明記されており、甲丘において、この点につき自己の手帳にことさら虚偽を記載する理由はないことに照らし、二万円であったと認められ、五万円という被告人供述は信用できない(なお、甲丘は右翼で、被告人は左翼ではあるが、甲丘七介の紹介があること、三里塚闘争は、四六年当時は単なる新左翼の闘争とはいえず、農民闘争という性格を持っていたことに照らし、必ずしも支援が期待できない状況であったとは認められない)。
 (三) 六月二八日の大阪での会合は、経緯について確定し難い点が残るものの、会合の際、甲丘が三里塚闘争に関して条件闘争を提案し、被告人はこれを断ったことについて、両者の供述が一致し、そのとおりと認められる。
 (四) 六月三〇日の電話について、甲丘手帳には「甲川兄、梅子、戊丘兄にtel」と記載されているが、甲丘手帳では、他所の記載も含め、「tel」というのは甲丘が架電した場合を示し、相手から電話を受けた場合は「来電」と記載されていることに照らし、六月三〇日の電話は甲丘側から架電したものと認められる。したがって、被告人側から闘争支援依頼の電話を受けたことをにおわす甲丘供述は信用できない。そうすると、南海ホテルでの会合後も、甲丘から被告人に対し何らかの働きかけをしていたと認められ、それが七月一〇日の訪問に引き継がれた可能性は可定できない。
 (五) これに対し、被告人は、七月一〇日甲丘宅訪問の動機について、三里塚条件闘争の件を断るためであったと供述する。しかし、被告人はその件について、既に南海ホテルの段階で「問題にならない。」と強い調子で断っていること(甲丘KS書40八七六六)、甲丘の提案自体いわば思いつきにすぎないとみられるもので、この件を執拗に持ちかけたとは考えられないことに照らし、右被告人供述に対してもなお疑問が残る。
 (六) ところで、その後被告人は、甲丘の依頼に基づき、七月二四日ころ、有楽町で戊林五也に中国行きのビザを取れそうな人を紹介するのであれば、証人戊林五也は、中国経由で北朝鮮に入国する目的で、右ビザ入手の件を友人の戊森六也に相談した結果、時期ははっきりしないが春後半ころ、桜井市で、戊森六也から甲丘を紹介されたと証言する。右証言は、甲丘手帳の六月二八日の欄の「桜井、(戊森、戊林氏に会)」という記載と合致し、右紹介の日は六月二八日であり、紹介の時は同欄の記載の前後関係等に照らし、南海ホテルで被告人と甲丘が会う前であると認められる。そうすると、六月二八日の被告人と甲丘の会合、六月三〇日の甲丘からの電話は、甲丘が戊林五也から中国行きのビザ入手の件を依頼された直後のものであり、これらの際に、甲丘において、被告人が新左翼で共産圏への渡航に関する情報を持っているかもしれないと考えて、右ビザ入手の件を被告人に話した可能性がある。そして、このことと、七月一〇日に被告人が連れて来た学生が、八月に訪中する学生団体の代表格であったこととを考え合わせると、七月一〇日は、被告人が甲丘の依頼により中国渡航の情報に詳しい者を甲丘に紹介する目的で設定されたものである可能性が高い。
 これに対し甲丘は、戊林五也から中国渡航の件の相談を受けたのは、七月一一日の電話であるとし、その場ですぐ被告人が訪中予定の学生を連れて来たことを思い出し、被告人に連絡のつく七月一三日火曜日に初めてこの件を被告人に相談したと供述する。しかし、甲丘供述は前記戊林五也証言及び甲丘手帳の記載と矛盾する。また、甲丘手帳の七月一一日の欄に戊林五也から電話を受けた旨の記載はなく、更に甲丘は被告人への連絡が月曜日も可能であると聞いていたはずであり(甲丘KS書40八七六一)、七月一二日月曜日に連絡しない点も不自然であり、これらに照らし、右甲丘供述は全く信用することができない。
 ちなみに、被告人は右渡航の件の相談を受けた時期や七月一〇日甲丘宅に学生を同伴したかどうかについて明確な供述をしていない。
   5 まとめ
 以上、七月一〇日の青木宅の状況について、被告人供述が必ずしも信用できるものではないにしても、甲丘供述は、その作成経緯、供述内容自体の不自然性、不合理性、他の証拠との不整合性を総合考慮すると、警察の取調に迎合した虚偽供述をなした疑いを払拭できず、信用性には疑問が残る。
  七 飲食店「久富」
   1 供述の概要
 七月一〇日甲丘宅を訪問した後乙川二久、戊本(戊塚社)と会社印税を受け取り、甲野から預った原稿を乙川二久に渡し、更に雑誌社の依頼により乙谷と対談をした。乙林九久を紹介するため飲食店「久富」に乙谷を誘った。同所には、甲野の外、被告人の誘った乙林九平、乙原、乙本十久、J、Kらが来て飲酒歓談した。甲野から五万円を受け取り、次の店に行くまでに、八月一二日上京するので午後二時喫茶店「カトレア」で待ち合わせて全額返す約束をした。金は出来次第早く返すと言うと、甲野はK宛に送ってくれと言った。
 飲み足りないということで乙林九久行きつけのスナック「エスカール」に行き、飲酒歓談した。会話の具体的内容は記憶にないが、反戦自衛官組織のリーダーから銃器奪取闘争の話が持ち込まれたという話はしていない。
   2 検察官の主張
 検察官は、飲食店「久富」では、甲野の外、M・L派元議長の乙谷、戊島社の乙原、共産同元活動家乙本十久、戊沼社の乙林九久などそうそうたる者たちと会合したこと、飲食店「久富」で被告人が三里塚闘争を批判したとの乙谷供述を指摘し、被告人の供述は信用できないと主張する。
   3 飲食店「久富」での会合の目的
 飲食店「久富」での会合について、被告人は、甲野から飲食店「久富」に誘われた機会に、友人を集め、飲酒歓談したもので、甲野と会った目的は、借金のためであると供述するが、前述のとおり、借金の点に関する供述は信用できない。
 会合の参加者は、甲野、乙谷、乙原、乙本、乙林九久らであり、いずれも新左翼の活動家あるいは新左翼系の出版社社員で被告人と親交を結んでいる者である。乙谷は既に新左翼の活動から手を引いていたと供述するが、被告人の同人宛の手紙(符66)によれば被告人はともに闘っていくための意見交換等を申し込んでおり、また何回か被告人と面談しており、飲食店「久富」にも会わせたい人がいると言われて行き、甲野を引き合わされ、元京浜安保共闘、現在は日大文理を組織し、日大闘争に関与している者と紹介されていることから考えると右供述は俄かに措信し難く、乙林九久を紹介する目的だったとの被告人の供述も措信できない。少なくとも被告人は乙谷をともに運動をする者として働きかけていたものと認められる。
 このような参加者の顔振れから考えると、単なる飲酒歓談の場とはいえず、何らかの他の目的があって会合したものと解する余地もある。しかしながら、会合目的に関する甲野供述には前述のように信用性が認められないこと、飲食店「久富」は丙原の行き付けの店であって、被告人は初めて入る所であること、乙林九久、乙本、乙原らはそれぞれ別々に来て途中から参加し、Jらは会合の終了寸前に来るなど、人の集まり方がばらばらであること、他に会合目的に関し信用できる証拠も存しないことに照らし、それ以上は確定できない。
   4 飲食店「久富」における会話内容
 乙谷は、飲食店「久富」での被告人の発言内容について、既存の新左翼はだめであること、京大C戦線に対する批判、三里塚闘争の批判等であったと供述する。
 その信用性についてみると、第一に、その点に関する供述は、四七年から一貫している。第二に、乙谷の47・1・25PS(書37七七四六)の内容は、被告人が甲野を元京浜安保共闘で現在日大文理を組織していると紹介したこと、被告人が三里塚闘争を批判し、京大C戦線に対し怒っていたこと、戊畠が来たこと、京大C戦線の話の最中に乙本十久が来たことなど、甲野の供述より具体的で詳細な部分があり、記憶は明確であったことが認められる。右の点から考えると、乙谷の供述内容は具体的であり、十分信用できる。
 したがって、単なる雑談であったとの被告人、乙原らの供述は、供述内容も漠然としており、乙原供述に照らし信用できない。また、会話内容についても甲野供述が措信できないのは、前述のとおりである。
 以上の次第で、会話内容は、既成の新左翼の批判、三里塚闘争に関するものであり、被告人の発言は三里塚闘争等に関し、当時の被告人の考え方を背景に発言したものと認められ、内容はレストラン「アラスカ」などにおける発言と大差のないものであったと考えられる。
   5 スナック「エスカール」における会話内容
 スナック「エスカール」における会話内容については、甲野供述は乙山の身元調査に関しては措信し難く、他の関係者の供述に照らし、雑談であったものと認められる。
 なお、乙林九久は、スナック「エスカール」で被告人から甲野に借りて乙丘の渡航費用の工面がついたと聞いたと供述しているが(証23七二一一)、同人以外にその点について言及した関係者はいず、同人の供述が事件後一〇年以上経過した後の供述であり、その他の点についてはほとんど記憶がないと供述していること、前述のようにこの段階で渡航費用の工面に苦労していたとは考え難いことから判断すると、乙林供述は俄かに措信し難い。
  八 甲野が被告人に持ち込んだ話
   1 供述の概要
 (一) 本件調書
 甲野から、乙山が甲野に対し自衛隊の制服とか歩兵操典の類いの物が入手できるが、そのためには金が必要だという話を持ち込んでいることを聞かされたことがある。具体的な金額が出たか憶えていない。当時、被告人が著作物の中で、国家権力から武器を奪取して人民を武装させるという考えを発表していることを背景に、被告人にとっても自衛隊の制服が必要ではないかと暗に示しながら、被告人に金を出させようとしているものと思った。甲野が本当に自衛隊の制服を入手できるのか、本当にその気があるのか判らなかったが、それまで何回か甲野に会い、人間的なものに共感する点もあり、同人に協力してやろうという気になった。金を作ってやる約束をしたかもしれない。このような甲野の話がいつ持ち込まれたのか正確には憶えていないが、送金よりいくらか前だったと思う。聞いた場所ははっきりしない。
 (二) 公判供述
 前記七月名古屋会合の項で述べたように甲野から自衛隊の制服等の売買、ブローカー絡みのような話があったが、すぐ断り、代わりに甲沢を紹介したと供述する。
   2 甲野供述
 甲野は、乙山から持ち込まれた武器奪取計画を実現するため資金がいるということであると供述するが、甲野供述は前記のとおり信用できない。
   3 公判供述の信用性
 前記七月名古屋会合の項で判示したとおり、被告人の公判供述は措信できないものである。
   4 本件調書の信用性
 (一) 第一に、権力からの武器奪取について、被告人は、自己の著作でこれを主張したものはなく、武器奪取を考えたことはなかったと供述する。なるほど、被告人の著作において武器奪取を具体的に明示し主張したと認めるに足りるものはないが、過激な武装闘争については、多数の著作で主張していることが明らかである。被告人は、爆弾闘争など過激な武装闘争を主張し、三里塚闘争について、闘争する側が敵を「殺す質」を持つべきことを示唆し、武器を使い、本気で勝つことを考えよと呼びかけ(三里塚パンフ二四頁、二七頁)人民武装を強力に主張していた。更に闘争方法について、違法な方法であっても敵の物をとることはいいことであるという価値観を持っていたこと(四月九日付け週刊朝日四八頁(書41九〇八二)、右は既存の新左翼諸派が闘争資金をカンパさせる点を批判し、闘争資金は労働でも銀行強盗でもいいから自分の手をよごして獲得すべきであるという文脈で述べられたものであるが、被告人が敵の物をとることを一般的に肯定している点は認められる。)、京浜安保共闘を立派であるとし(前掲週刊朝日五〇頁)、その銃器強奪闘争等について、暴力派が自らを革命暴力へ高めるべくその方向を模索したものと評価したこと(中国書簡三九丁)に照らし、既成の新左翼運動を批判し、より一層過激な武装闘争による暴力革命を目指し、三里塚闘争でもより一層激越な闘争形態を主張していたことは明らかであり、これに反する被告人の公判供述は信用できない。
 したがって、権力からの武器奪取闘争に対しては、決してこれを否定するものではなく、逆に、極めて好意的な評価を持っていたと認められる。このように、過去に、従来の水準を質的に超えた殺傷能力もある武装闘争を主張し、権力からの武器奪取闘争に極めて好意的価値観を持って多数の著作を発表している被告人が、捜査段階で、検察官の取調に対し、自己の著作物の中で権力からの武器奪取に基づく人民の武装闘争の考えを発表していたと供述してもあながち不自然ではないのであって、右供述部分が一部正確ではないからといって、直ちに信用できないと断ずることはできない。
 (二) 第二に、甲野の人間的なものに共感する点もあったという供述部分について、弁護人、被告人ともこれを強く否定するのであるが、四月旅館「津乃村」、五月文学部長室等での会話、六月に、二日酔いをおしての下田病院への見舞など、これまでの被告人と甲野の交際の経緯、犯行後の逃走援助に照らし、不自然ではない。むしろ、日頃の言動にいい加減な部分のある甲野に対し、被告人が入れ込んだ理由として、人間的なものに共感する点もあったという理由は正鵠をえたものであり、右供述部分は被告人の胸中を吐露したものとして、本件調書における供述の信用性を増強するとさえいいうるものである。
 (三) 第三に、問題とする被告人の供述部分は、被告人が甲野の考えを推測し、それに協力する気になったと述べた点である。被告人は、送金という客観的事実を前に、その送金理由を弁解する必要にせまられたはずであるのに武器奪取との関連を肯定した供述の生成過程について、何ら合理的弁解をしていない。
 (四) 以上の点から考えると、甲野が持ち込んだ話に対し、被告人が協力してやろうという気になり、結局送金したことと武器奪取との関連性を肯定する本件調書は、十分信用できる。
   5 会話時期
 (一) そこで被告人と甲野との間に何時何処で右のような話がなされたかが問題であるが、被告人は本件調書では日時場所については記憶がないと供述しており、被告人供述からは確定し難い。
 (二) ところで、甲野は、本件犯行前、京浜安保共闘の者であるように装い取材を受けたが、その記事をみると、「権力からの武器奪取は続けていく。自衛隊からカービン銃を奪取する計画も立てている。それに、手榴弾がほしい。」(週刊朝日三月五日号、符49)、「こんごは、より大きい効果、価値のある武器を奪取していく闘争をくんでいる。対象は敵の軍隊、つまり自衛隊だ。自衛隊からライフル、爆弾を奪う。」(朝日ジャーナル五月二一日号、符3)などとあるところ、これらの記述は、その内容に照らし、担当記者の発想とは到底認められず、正に甲野の発想そのものであったと認められる。これらによると、甲野は、真岡猟銃強奪事件に続く闘争として、一貫して自衛隊からの武器奪取闘争を考えていたものであり、甲林から乙山の話を聞き、喫茶店「ヴィクトリア」で乙山から直接その話を聞き、具体的な武器奪取闘争を計画したものと認められるが、その具体的な日時までは認定できない。
 したがって、甲野と被告人との会話が名古屋会合の際なされた可能性も考えられる。しかし、被告人は飲食店「久富」から帰阪直後九万円を乙丘に渡しており、既に五万円の資金援助が約束されていたのであるならば、飲食店「久富」で被告人は甲野に右金員を渡すのが自然と解されるが、前記のとおり飲食店「久富」で五万円の授受がなされたとは認められない。これらの事情は、名古屋会合で資金援助の約束があったと認定するには、否定的な論拠といえるものである。
 (三) 他方、乙山の旧供述には喫茶店「ヴィクトリア」で制服の引渡時期を七月二〇日と約束したと述べているものもあり、被告人の送金が七月二三日であることを考えると、喫茶店「ヴィクトリア」後に前記のような約束がなされたと解する余地も存するのである。
 (四) 結局、証拠上は確定し難く、名古屋会合から送金までの間になされたと認定する外はない。また、場所についても、証拠上確定できない。
  九 送金の趣旨
   1 供述の概要
 被告人は、七月二一日、アルバイト先の難波予備校から四五万円を借り受け、同月二三日、現金四万円を、「ボウハラ(甲野の偽名)ニワタシテクレ、イチマンタリヌ、ワビル、タキタ」と記載した通信文を添え、電信為替により、Kに送金したが、これは八月一二日を最終期限とし、それまでに金の工面ができ次第返済する約束で借り受けた五万円のうち四万円を甲野の指示に従いK宛に送金して返済したものであり、残り一万円を八月一二日新宿の喫茶店「カトレア」で返済した。
   2 電信為替
 (一) 被告人は、原稿料の送金は電信為替だったので、決して特別の送金方法ではないと弁解するが、乙川二久供述もこれを裏付けるものではなく、首肯し難い。
 (二) 電信為替は、現金書留など通常の送金方法に比し料金が高い反面、早く到達する送金方法であって、この送金方法を用いたことは、被告人が送金を急いでいたことを物語っていると認められるが、八月一二日を最終期限としたというのであればこのように急ぐ必要はなく、被告人の供述は客観的事実との整合性が低い。
 (三) 特に、借金を本来の返済期日より早く返すに当たり、一万円不足したまま返し、しかもこれをわびたという行動はちぐはぐであり、事前に四五万円も入手していたこととも整合性が低い。被告人は四五万円は他に使途があって甲野に返せるのは四万円だけであったと供述するが、それほど窮迫しているのなら四万円を期日前に返済すること自体不自然であり、被告人供述は納得できない。
 (四) また、送金した日の七月二三日、被告人は甲丘、戊林五也の両名と戊林五也の中国渡航の件について話をするため大阪で会い、その際被告人は甲丘から現金二万円を受け取っている。その趣旨について甲丘は、翌日東京へ行く旅費と供述するが、甲丘手帳の七月二三日の欄は、「甲川さん折る(2万)」という記載になっている。右記載は旅費という趣旨には読めず、被告人の尽力に対する甲丘からの礼金であると読む方が自然であり、金額的にも二万円というのは、大阪東京間の往復旅費としてはやや多いものであって、右甲丘供述は信用できない。
 そうすると、送金直後、被告人には二万円の臨時収入があったと認められ、仮にその内から上京の際の航空運賃、帰阪旅費等を支払ったとしても、その残金と自己の手持ち金と合わせれば一万円ぐらい容易に作れたはずであり、にもかかわらずこれを追加返済しなかったのは、被告人において最早この一万円を甲野に渡す気がないことを示すものであり、残額一万円が是が非でも甲野に返すべき金ではなく、甲野に五万円を渡すかどうかは被告人の意思に任されていた事情にあったことを物語るものである。
   3 関係者の供述
 (一) J供述
 Jは、送金前被告人からKかJ宛に送金するとの伝言を受け、送金が到達後、Kから、一万円を抜いていいだろうかと相談され、いいんじゃないかと言った、一万円を気楽に抜いた点からしても、送金された金は気軽なもののように記憶しており、闘争資金ではなかったと証言する。しかし、捜査段階では、Kから、甲野に渡すよう頼まれて現金書留封筒を預った、それは被告人から送られたものであるように聞いた、その封筒をよく見なかったので差出人が誰か、名宛人が誰か記憶にないと供述している(JPS書43九九〇一)。
 真実、闘争等に関係しない金であるのなら、捜査段階においても被告人からの伝言や、Kから一万円を抜く相談を受けて抜くよう答えたことなどを供述し、したがって闘争資金ではないと主張してしかるべきであるのに、そうせずに、あえてJ自身は表面的にしか関与しておらず、送金はもっぱら被告人とK側の出来事であるといわんがばかりの供述をした点は、J証言とは整合せず、証言の真実性に疑問を持たせるものである。
 もっとも、Jが右証言のごとく積極的に仲介したことを供述するとあらぬ嫌疑をかけられるおそれがあるため、必要以上に慎重になって消極的な供述をしたという可能性も問題となるが、差出人も名宛人も記憶にないという供述は、右調書中の他の供述に比べても消極的すぎるものであって(例えば、乙山に関する調査報告書のコピーを見たことについては、甲野からこれを見せられたが、『何とか委員会は……抹殺の用意あり』という言葉があり不快な感じがした、これを見せられた理由はよく判らないが、甲野が調査能力を誇示したのではないかと供述する(書43九九〇五)。調査報告書の中身の記憶を語るのに比べ、送金に関しては、差出人や名宛人さえも語らないというのは極めて消極的である。)、他の供述からはそこまで慎重、過敏になってはいないと認められる。
 以上に加え、J証言は、受け取った封筒は薄い茶色の社用封筒だと思うという点でも、捜査供述(現金書留封筒とする。)と相違すること、また、図書の部会に移動する時にKが寄ってきて封筒を預ったという点など、事件後一五年以上を経た証言としては明確、詳細にすぎ、特に、送金の趣旨について気軽な金であったというのであるなら、送金は、さほど印象も強くない出来事であるはずで詳細な記憶が残るのはやや不自然であり、証言が真実記憶に基づくものかどうか疑わしい。
 更に、Jは被告人の友人であり、四六年当時被告人と親密な関係にあったばかりか、本件裁判においても、自ら証言しているように特殊な立場にあることなどを考慮すると、J証言は信用し難い。
 (二) 被告人の弁解に従えば、貸金の授受は飲食店「久富」で行われたことになるが、前記のように乙林供述は明確な供述ではなく俄かに措信し難く、他にこれを裏付けうる証拠はない。
   4 甲野が被告人に持ち込んだ話との関連
 前述のように被告人は甲野の申出を受け、甲野に協力する気になり、四万円を送金したものと考えられる。
   5 本件調書
 甲野の側からみると、甲野が被告人に話を持ち込んだ目的は、被告人から資金を出させるためであるが、約束した五万円という金額は当時としては決して少額ではないこと、被告人の資力は余裕のある状態ではなかったこと、現実に当初の約束より一万円不足する額が送金されたが、このことは五万円という金額自体、被告人が簡単には拠出を約束しなかったことを物語ることに照らし、甲野は、被告人に手に入れた制服等が闘争の有力な手段となりうることを理解してもらう必要に迫られていたと認められる。そして、甲野は、かねてより武器奪取を持論として唱えていたこと、喫茶店「ヴィクトリア」で乙山の話を聞き、弾薬庫等に興味を示し、武器奪取を実現する可能性もあると認識したことからみて、制服の入手により自衛隊駐屯地内への侵入が自由にでき、武器奪取闘争を含む過激な闘争が可能となることを被告人に理解させようとしたはずであり、前述の被告人供述(第五、八、1、(一)において、送金と武器奪取との関連性を認める点は、このような甲野の認識と立場によく整合し、信憑性がある。
 ところで、右被告人供述において、甲野が制服と武器奪取との関係を「暗に示した」という部分は曖昧であるが、右部分は甲野から武器奪取に関する発言がなかったともとれる記載であって、捜査官がこのような曖昧な形に供述を誘導し、あるいは勝手に記述したとは認められず、この部分は、被告人が甲野との謀議を徹底的に否認した結果生じた記載とみられるのであって、信用性が乏しく、甲野は、武器奪取の可能性を何らかの形で被告人に伝えたものと推認される。なお、被告人は、右調書で、本件の送金が自衛隊の制服等の入手代金かどうか曖昧な供述をしているが、前述のように本件の送金は借金の返済ではなく、また、本件の送金以外に被告人が甲野に送金した事実もないのであって、本件の送金が甲野から持ち込まれた話に対応してなされたものであることは明白である。
   6 まとめ
 本件送金の趣旨について、これが借金の返済や単なる売買代金ではないこと、被告人と甲野がそれまでの会合で意気投合していたこと、送金前後に甲野が、乙山との接触、メンバーのオルグ、ヘルメットの窃取など闘争の準備をしていたこと、本件犯行前後の被告人の発言(殊に後述のKへの発言)、甲野から被告人に武器奪取の可能性を伝えていたこと、犯行後間もない八月二四日甲野が被告人に連絡をとったこと、被告人が甲野の逃走を援助したことに照らし、本件送金は、制服等を用いて武器奪取をする考えのある甲野に協力するためなされたものと認められる。
  一〇 中国書簡
   1 書簡の内容
 ハイツ闘争の当日である八月一三日、日中学生友好会の訪中団が中国に向かい出発したが、その最高顧問であった乙林九久に対し、被告人は、自己が執筆した同月一〇日付けの中国共産党宛の書簡(符7、69はその写し)を託した。右書簡には、自らを日本暴力革命=世界革命派戦士と名付けた上で、<1>「八月七日、我が暴力派は、……警視総監の公舎へ時限爆弾を、不発に終わったとはいえ、仕掛け、しかも同時に、……千葉県成田警察署の部分爆破に成功した。」(四〇頁)、<2>「三里塚空港阻止闘争は、……我々にとっても、……この闘いの暴力的人民的力量の質が、直接に、沖縄をめぐる今秋から来年にかけての闘争を規定するだけに、……局面的部分的にでも『勝たねばならぬ』天王山的位置を占めているのである。」(四一頁)、<3>「巨大にしてアナーキーな大衆武装の『火の海』の形成と、共産主義暴力の形成とを同時に、……追及し……共産主義暴力は、……『死をも恐れぬ英雄主義』の精神にのっとり、堅忍不抜の努力を傾けて人民に奉仕する心で、率先して闘い、誰の目にもわかるような仕方で、自己を人民の前にさし出し、人民の心を、その奥深い処で、とらえ、人民の諸々の怒りと苦しみ、苦悩に火を放ち、……人民大衆の、天性の、創造力と英雄性、勇敢さと大胆さを……解放し、……人民戦争の時代に突入しなければならない」(四二、四三頁)、<4>「我々は『一回の警察襲撃は一億の人民の生きた階級教育であり、五人一〇人の遊撃兵士は一億の人民を確実に代表する』ことを確信して突き進まなければならない……こうしたことの『論理』が確実に認識されはじめただけでなく、一歩一歩着実に現実のものとなり、実践されはじめたのである。模例が人民の前に大胆に提起されはじめたのである。」(四三、四四頁)、<5>「我々『日本暴力革命=世界革命』派は、『早すぎた蜂起=遊撃戦争』の複合軍事を英雄主義的に闘いとり、人民戦争へと真赤な水路を切り開き、米日複合軍事体制を打ち砕くであろう。」(五一頁)、<6>「我々『日本暴力革命=世界革命』派は、真赤なプロレタリア国際主義の旗を高々と掲げ、人民の先頭に立って闘うであろう。」(七八頁)などと記載されており、検察官は、これらの記述が被告人において本件一連の犯行を予告し、実行する決意を表明しているものであると主張する。
   2 検討
 (一) 中国書簡には、「本当に権力を寒からしめるような、計画され組織された、中枢突破の軍事」(三六頁)を主張する部分もあり、また、京浜安保共闘ピストル強奪・派出所襲撃闘争等を刻苦奮闘したものとして評価すると解される部分(三九頁)もあり、その意味で、右書簡の内容が武器奪取闘争と相容れないものであるとは認められないが、右書簡には、前記引用箇所を含め、ハイツ闘争を初めとする一連の犯行を具体的に匂わせる記述は存しない。
 結局、右書簡は、暴力革命を目指し武装闘争を志向する者たちが当時の爆弾闘争等に示されるような過激な闘争に出る決意でいることを表明するものであって、各記述を個々的にみても、また、これらを総合してみても、特定の団体が武器奪取闘争をすることを予告するものとは認められない。
 (二) 右書簡の役割について、秘密書簡であるという甲野供述は、措信できず、これに対し、被告人の前記訪中団の性格付けのため作成したとの供述は、右書簡の内容、訪中団が右書簡について学習会を開いたことなどに照らし、首肯できる。
   3 まとめ
 以上、検討結果を総合すれば、右書簡が本件一連の犯行を予告し、実行する決意を表明しているものとは認められず、検察官の前記主張は理由がない。
  一一 喫茶店「カトレア」、同「穂高」、むらさき寿司、第一ホテル
   1 供述の概要
 (一) 被告人は八月一二日午後一時ころ、喫茶店「カトレア」で中央公論の編集者と会った。甲野は、約束した二時少し前に来た。編集者が帰ってから、甲野に借金の残金一万円を返し、雑談した。甲野はKから四万円受け取ったと言った。被告人は予備校から借金したことを話した。甲野の原稿の話から、甲野が今まで原稿ばかり書いてきたが、物書きばっかりやっていてもつまらない、何かでかい事をやると言い、何やるんやと問い質すと、明日の朝刊を見てくれと言われた。
 (二) その後喫茶店「穂高」に行き、乙丘を連れ出して三人でむらさき寿司へ食事に行った。甲野は友達に借金で首の回らぬ者もあり、頼りにされて困っているなどと言った。
 (三) 当夜は乙丘と第一ホテルに泊まったが、その際中国で聞かれた場合に備えて被告人の活動歴を話した。乙丘に甲野の人物評をした記憶はないが、聞かれれば答えたかもしれない。翌朝甲野の言ったことを確かめるため朝刊を見たが、乙丘との会話は記憶にない。
   2 会合場所
 (一) 被告人と甲野が八月一二日会った場所について、甲野は喫茶店「穂高」と言い、被告人は喫茶店「カトレア」と言う。
 乙丘のPSによると、乙丘は被告人と待ち合わせた喫茶店「穂高」においてエスカレーターで上がってくるのがよく見えるボックス席で三〇分位待っていると被告人が甲野を連れてきて、すぐむらさき寿司へ行ったと供述している(47・1・23PS書37七九四二)。
 乙丘は事件当時被告人の愛人であり、その後も交際が続いており、その供述の信用性は慎重に検討すべきである。
 乙丘の47・1・23PSでは、後述のように被告人の不利益となる事実についても供述され、乙丘は五七年に取調を受けた際、四七年当時述べたことは正しいと供述しており、右五七年供述には捜査官への迎合など信用性を疑わせる事情は認められないことに照らし、四七年供述は信用できる。したがって、会合場所に関する甲野供述は、右乙丘供述と矛盾し、措信できず、被告人は甲野と喫茶店「カトレア」で会ったものと認められる。
 (二) 会合日時の約束については、前記のとおり被告人の飲食店「久富」での返済約束に関する供述は措信できず、他に信用するに足る証拠は存せず、具体的には確定し難いが、少くとも事前に会合の約束があったものと解されるものの、その具体的内容は判明しない。
   3 会話内容
 (一) 既に被告人が甲野の武器奪取闘争の闘争資金を送金していること及び捜査段階では黙秘した五点中の一つであることから考えると、被告人供述よりも突込んだ具体的な話があったとも推測される。しかしながら、会話内容に関する甲野供述は、前記のとおり措信し難く、後述のように、被告人はそれぞれ別の機会に乙丘、Kに甲野が何かやると漏らしていたことを口外しており、殊に乙丘と被告人との関係からすれば被告人が乙丘に真実を隠していたとも考えられない。そうすると、被告人の供述は、関係者の供述とも符合し、信用できるものと解されるので、被告人の供述どおりの会話があったものと認定する。
 (二) また、中国書簡の話については、甲野は一貫して供述しており、既に46・11・29KSで述べているところである。
 捜査官が中国書簡を中西から押収し、その具体的内容を知ったのは四七年一月七日であり、甲野が八月一二日の会合以外に中国書簡を見る機会は全く存しなかったのであるから、甲野供述は信用性が高く、これに反する被告人の供述は措信し難い。
 したがって、甲野は被告人から喫茶店「カトレア」において中国書簡を見せられたものと解するのが相当である。しかしながら、中国書簡が甲野供述にいう秘密書簡でないことは既に論じたところである。
   4 むらさき寿司
 むらさき寿司における会話内容についても甲野供述は措信し難く、また被告人の供述もその内容は漠然としており、明確なものではない。
 乙丘PSによると、甲野の借金返済が切羽詰まっており、その対応策を被告人と甲野の両者で相談し合い、小切手の話も出たとのことである。乙丘PSは前述のように信用できるものと考えられるので、右供述どおりの事実を認定する。
 そうすると、被告人は、甲野の借金の相手方を事前に知っていたものと認められ、乙山に対して支払う三〇万円を踏み倒すことの相談に一脈相通ずるものがあるが、乙丘供述は、甲野供述とはその文脈において大きな隔たりがあり、会話内容については、その具体的内容を乙丘供述以上には確定し難い。
   5 第一ホテル
 (一) 被告人の供述は、自己の闘争歴を語った以外の点については記憶が曖昧である。
 これに対して乙丘は、47・1・23PSにおいて、八月一二日夜、新橋第一ホテルにおいて、被告人が、三時間近くにわたり、自己の思想的な変遷や闘争歴を話し、その後「自分も、もう三〇過ぎたんだから自分で人生を決めていかなければならん。男は三〇までにはけじめをつけて生き方をはっきりさせなければ駄目だ。昼間会うたあの戊原も相当な年だから自分の生き方を決めたがっている。けじめをつけるために何かやると漏らしていた。それがなあ、今晩何かやるんやと言っていた。」と言い、翌朝乙丘が、新聞を見ていた被告人に対し、載っているかと尋ねたところ、被告人が「何も載っていない。」と答えたと供述する。しかし、公判準備においては、新橋第一ホテルで、被告人から、甲野が活動家としてやっていきたいという欲求を持っていると聞いたというもので、一二日の夜に何かやるとの話は聞いていないと供述する。
 (二) 前記のとおり乙丘PSの一般的信用性は高いと認められる。また、当日、被告人と甲野は、喫茶店「穂高」で乙丘と会う以前に、二人だけで会話し、その際、被告人は、甲野からその日に闘争をすることを聞き知っていたが、乙丘の四七年供述は右の被告人の認識と整合する。また、四七年供述の内容は、そのとおりの会話であったのであるなら、被告人が甲野の闘争計画を具体的には知らなかったことを帰結しかねないような内容であって、捜査官がむりやり虚偽を供述させたとは解し難い。四七年供述の時期は右会話後約五か月であり、しかも乙丘が中国に渡航する前の晩の特異な体験であって、記憶は比較的鮮明であったと解された。
 これに対し、公判準備における供述は、全体的に記憶が稀薄化しており、曖昧な供述が多く、確たる証言とは言い難い。しかも、乙丘の四七年、五七年供述と矛盾すること、特に、被告人から、甲野が活動家としてやっていきたいという欲求を持っていることを聞いたという点は、前記ホテルでの会話後一四年以上経て供述されたもので、そのような話になった経緯も不鮮明で、真実の記憶に基づく供述かどうか疑わしい。加えて乙丘は被告人逃亡後も被告人と接触するなど被告人と親密な関係にあり、被告人に好意的な供述をし易い立場にあることをも考慮すると、右供述は到底信用できず、乙丘PSの信用性は十分存するものと認められる。
 (三) したがって、ハイツ闘争直前、被告人が乙丘に対し、その日甲野が何か闘争を行うとの発言をしたと認められる。
  一二 スナック「パピヨン」
   1 供述の概要
 被告人は八月一三日乙丘を羽田に見送った後、甲海と会い、その後飲酒歓談し、当夜は同人方に泊まった。同夜Kとスナック「パピヨン」で飲酒したことはない。
   2 K供述
 (一) 供述の概要
 Kは、午後六ないし七時ころ銀座の朝日新聞社において、被告人から、今会社の近くにいるが、Jはどうしているか、という電話を受け、今日は組合の出張で熱海か伊東に行っているので戻らないと返答した。今晩あいているから付き合わないかと誘われ、飲む約束をし、朝日新聞社で待ち合わせた上、被告人とともに阿佐谷へ行き、駅前のパチンコ屋に入り一時間ほどパチンコをした上、同日午後九時ころスナック「パピヨン」に入り飲食した。その際、被告人が甲野は依頼心が強く、夕方会うことになっていたのに約束の場所に現われなかった、被告人が苦しい中から金を作ってやったのに何もやらなかったと話し、甲野のことを「あかん奴だ。」と怒っていた。スナック「パピヨン」を出て被告人を自室に泊めた(K47・1・30PS書34七一三三)。
 (二) 一般的信用性についての弁護人の主張
 弁護人は、Kの右捜査供述は、捜査官がKを責めるなどし望むがままのものを作り出したものであり、右調書を録取した長山検察官に対し、記憶に従って供述し、供述のとおり録取されたとのK証言は、捜査官の圧力に負けて責任転嫁のための供述をしたことを認めたくないためになされたものであると主張する。
 しかしながら、弁護人は他の供述者の関係では、捜査供述と公判供述とが一致していることを信用性を認める有力な論拠としているので、K供述のみ別個の論理を用いてその信用性を攻撃するのは、誠に首尾一貫せず、ご都合主義的といわざるをえない。
 その点はさておくとしても、四七年一月段階の甲野供述は八月一三日午後八時ころ、喫茶店「タイムス」で被告人から電話を受け、被告人から激励を受けたというものである。ところが、Kの前記PSでは、被告人がスナック「パピヨン」で電話を架けたかどうか覚えていないが、あるいは架けたかもしれないとの供述がなされておる。弁護人主張のようにKが捜査官の圧力に負けてスナック「パピヨン」で被告人と会ってもいないのに、会ったと虚偽を供述したのであるなら、右架電について、ことさらこのような曖昧な供述をするはずがなく、捜査供述は、その大筋において、捜査官に押し切られたものとは認められない。
 Kは、当公判廷においても記憶が稀薄化した点は別としても、記憶の存する部分については大概捜査供述と同旨の供述をしており、供述の一貫性が認められ、その一般的信用性は高いものと解される。
 (三) 弁護人の個別的主張
  (1) 更に弁護人は、Kが八月二三日旅館「小富美」で甲野をインタビューした際被告人との関係を質す質問をしておらず、スナック「パピヨン」で既に話を聞いていたことと整合しない、スナック「パピヨン」でKが更に具体的な内容を突込んで聞いていないのは記者の行動として不自然である、飲んだ場所が有楽町ではなく阿佐谷であり、しかも一時間もパチンコをしているのは不自然である、甲海供述と相反している等々を理由としてK供述は虚偽であり、四六年一一月K方に被告人を泊めた事実を意図的にずらして供述したものであると主張する。
  (2) 場所的問題
 まず場所的問題については、Kは、被告人と近付きになるため被告人が泊まりたいと言えば泊めるつもりだったと供述しており、有楽町から阿佐谷まで行ったことは何ら不自然ではない。
 また、弁護人は、パチンコを一時間もしたのは不自然であると主張するが、Kは甲野とも八月一九日ころ本件犯行の準備状況を写真撮影した後一時間位パチンコをし、その後飲食店「みみずく」で飲んで自宅に連れ帰った事実も認められ(K47・1・31PS書34七一六二)、Kが当時パチンコに凝っていたことが裏付けられている。また被告人は、六月レストラン「アラスカ」でパチンコの景品のタバコを同席者に配っていたとの事実も関係者の供述から認められ、被告人もパチンコ好きだったものと解される。Kも自認するように、新聞記者は朝遅く夜も遅くまで行動する夜型の行動パターンであることから考えると、同好の士二人が時間も早かったのでパチンコに寄ったと解しても決して不自然とはいえない。
  (3) 取材態度
 次にスナック「パピヨン」でKが被告人に突入んだ取材をしなかった点については、同人がそれまでは被告人とは疎遠な間柄にあり、Jを通じて付き合い、一対一で飲酒歓談するのはスナック「パピヨン」が初めてであること、Kは甲野に何回か騙されており、甲野の行動には不信感を抱いていたこと(このことは、現に八月一九月ころには甲野の言を信用せず、犯行準備品を直接見聞するとの新聞記者としての矩を超えた行動をなしたことからも窺われるところである。)、被告人の話は、甲野が何もやらなかったというものであり、事件が発生したとの話に比すれば、格段に取材価値が低いこと等を考慮すると、直ちに被告人の話に飛び付かなかったとのKの供述をあながち不自然とまではいえず、弁護人のこの点に関する主張も採用し難い。
 また、八月二三日旅館「小富美」でのインタビューで被告人の関与の有無を甲野に質していないのは弁護人指摘のとおりである。しかし、後述のようにKは被告人から事件直後に電話を受けており、スナック「パピヨン」での話も被告人が本件の主犯者であるとの供述ではないことから考えると、新聞記者の行動としては迂闊とは評せようが、不自然とまでは解し難い。
  (4) 甲海供述
 甲海一介は、八月一三日午後四時ころ、有楽町の「松崎せんべい」で被告人と会った、Kも一寸顔を出したがすぐ帰った、その後被告人と二人で有楽町付近、更に池袋の「笹」で飲酒した後被告人を自宅に泊めたと供述している(七〇回証22七二三〇)。
 甲海供述は、K供述と真向から対立するものである。しかし、甲海供述は、事件後一五年以上経て初めてなされたものであり、編集者と著者との会合は、同人の職業柄日常茶飯事と認められ、特に記憶に残り易い出来事とも思われない。しかも当時の行動を記録したメモ、手帳類も存しないのに供述内容は具体的で、真実記憶に基づくものか疑問が残るといわざるをえない。それに加え、被告人の逃亡については中心的役割を果たすなど、被告人と親密な関係が続いており、中立的な証人とは到底いえず甲海供述はたやすく措信し難い。
  (5) 意図的な虚偽供述の主張
 更に、一一月の出来事を故意にずらしたとの主張について検討する。
 確かに、当時のJの手帳一冊(符64)によると、同手帳は、Jが備忘及び日程の調整等に用いていたもので、取材、会合、出張、買物、飲み会の日程等、公私を問わずJの行動予定がほぼ網羅されているところ、八月一三日に泊まり掛けで熱海または伊東に出かける予定があったことは記載されていないので、この点において、K供述は客観的証拠との整合性が低い。
 しかしながら、Jも右手帳は必ずしも自己の行動全てを記載したものではないと述べている(JPS書43九九一六)。また被告人が当日Jに会わなかったことは、J、被告人自身も認めているところであり、J不在のK供述を一部裏付けている。しかも、被告人とK、Jとの交友状況を考えると、被告人はJとは親密な関係を結んでいたが、Kと一対一で飲酒歓談するのは初めてであり、その飲酒するに至った経緯についてのK供述は内容が自然であり、経験した事実を語っているといいうるものである。
 その上、K供述は、後述の一〇月旅館「小富美」での被告人の発言とも照応しており、また会話内容も具体的で事件後の会話とは到底解されず、一一月の出来事であるとの弁護人の主張は到底採用できない。
  (6) 以上の次第で、弁護人の主張は、いずれも理由がなく、KPSの信用性は高いものと認められる。
 ただ供述内容中、甲野が夕方約束の場所に現われなかったという被告人の発言については、甲野の供述中に成功すれば会う約束だったと述べた部分もあるが、全体的にみると、この段階で被告人と会う約束があったとは供述していず、甲野供述と符合していない。甲野が、自己保身などのためにこの約束を隠す必要はなく、またこの約束があったことと、近接する「タイムス」謀議とは必ずしも矛盾するものではなく、捜査段階でこの約束を供述すべき機会はあったと考えられる。
 確かに甲野がハイツ闘争が失敗に終わったため面目が立たず、被告人との約束の場所に現われなかったことも可能性の一つとしては考えうるが、本件証拠上は確定し難い。したがって、会合約束に関するKPSは甲野供述の裏付けを欠き、信用性に疑問が残る。
   3 被告人供述
 被告人の供述は、既に説示したところから明らかなように、信用性の高いK供述と矛盾するもので措信し難い。
 したがって、八月一三日スナック「パピヨン」で被告人がKに対して甲野は依頼心が強く、苦しい中から金を作ってやったのに何もやらず、あかん奴だと怒っていたと認定する。
  一三 Kへの架電
   1 供述の概要
 被告人は、八月二二日本件のテレビニュースを見て、赤衛軍の存在を知り、自分の不明、認識不足をわびるためKに電話した。Kに、見たか、赤衛軍というのはあったなと言った。甲野への伝言を頼んだかもしれないが、記憶はない。
   2 K供述
 八月二二日午後零時半ころ、被告人からKの自宅に電話がかかり、「ニュースを見たか、甲野はあんなこと言っていたけれどやっぱりやったんだなー。判らん男だ。すごいことをやった。甲野に会ったらよろしく言ったと伝えてくれ。」と言われた。
   3 検討
 被告人の供述はかなり曖昧であるが、特にK供述を否定するものではなく、K供述は具体的であり、前記のごとく一般的信用性も高いので、K供述どおりの架電内容と認定する。
  一四 予備校での受信
   1 供述の概要
 八月二四日、予備校にいるとき甲野から電話がかかってきた。声の調子からして大変深刻な感じを受け、どうするかと聞いた。甲野は、情勢が厳しくなりそうなので国外逃亡も考えている、力を貸してもらえないか、と逃亡の協力を求めてきたのでこれを承諾した。頼まれたら嫌とは言えない性格である。上京の予定があるので会おう、上京予定についてはJに言っておくから聞いてくれと伝えた。その際本件を偉大な勝利だなどと言って褒めてはいない。被告人の美意識に反する。またKとの連絡を切れとも言っていない。
   2 Kとの連絡
 Kとの連絡の件については、既に甲野の項で検討したように、K、J供述が信用できる。右各供述は被告人の供述を裏付けているので、この点に関しては被告人供述も信用できる。
   3 本件の評価
 本件の評価に関する会話内容については、被告人供述と甲野供述とが前述のように異なっている。
 既に詳述したように、被告人はもともと暴力革命を目指し、従来の新左翼運動を超える過激な武装闘争を主張していたものであり、日本読書新聞にも本件を積極的に評価する論稿を寄せている。これらの事実に鑑みると本件は被告人の美意識に反するとの公判供述は全く措信できない。
 また、被告人は、前述のように、八月二二日Kへの架電の中でも甲野の行動を評価している。
 以上の点から考えると、甲野供述の中で被告人がなした本件の評価に関する部分は、被告人の従前の主張、行動及び本件前後の言動と合致しており、信用できるものと認められる。
   4 逃亡の協力依頼
 逃亡の協力依頼の点については、甲野供述は全くこれに触れていず、後述の九月浅草での会合の際初めて逃亡しろと言われたと供述している。
 八月二四日段階どころか逮捕されるまで、甲野は全く逃亡の準備もしていず、国外逃亡の協力依頼があったとの被告人供述は、当時の甲野の行動とも合致せず、唐突な感を否めず、信用性に疑問が残る。
   5 会合約束
 被告人が上京した時会う約束については、被告人供述及び甲野供述が一致しており、そのような約束がなされたものと認められる。
  一五 日本読書新聞
   1 記載内容
 被告人は、八月下旬に執筆した日本読書新聞九月六日号の「方位」というコラム欄において、本件について、「八月二二日には、帝国主義軍隊解体=朝霞自衛隊闘争……が……闘われ、ここに、日本は、本格的な非合法遊撃戦争の時代へ突入したのである。遊撃戦争は、……自衛隊を、帝国主義軍隊解体闘争の貫徹によって、自らの射程にとらえ、かくしてはじめて、具体的に、世界革命戦争の国際主義任務に応えようとしているのである。“機動隊・自衛隊”を打倒し解体し尽そうとする政治軍事闘争は、……『必らず』人の心をとらえ動かし、人々に、闘う勇気と不退転の決意を与えるのである。彼ら遊撃戦士は『死をも恐れぬ英雄主義』の精神にのっとり、堅忍不抜の努力を傾けて、人民に奉仕する心で、卒先して闘い、誰の目にもわかるような仕方で、誠を尽くして闘っているのだ。権力も資本も機動隊も自衛隊も人民の敵である。……遊撃戦士はこの人民の敵を解体し打倒しようとしている。我々は彼らと彼らの行為を支援しなければならないだろう。」などと主張し、本件闘争を賞賛し、本件を担った甲野らに賛辞を贈っている。
   2 被告人供述
 これに対し、被告人は、本件を帝国主義軍隊解体のプロパガンダ闘争として評価するものであって、自衛官が死亡した点は、これと整合せず、評価できないと供述する。
 しかし、右方位欄の記載からはそのような限定を読み取ることはできず、むしろ同欄では、凶器を用いて派出所を襲撃しピストルを強奪しようとした京浜安保共闘ピストル強奪・派出所襲撃闘争、機動隊約三〇人が重軽傷を負った沖縄返還協定調印阻止闘争等、相手を殺害しかねない他の闘争についても、好意的論述をしている。しかも被告人は、他の論稿において「警察の諸君死んでもらわなあかん。」(週刊朝日四月九日号、書41九〇八二)と主張し、三里塚闘争についても闘争する側が敵を「殺す質」を持つべきことを示唆するなど(三里塚パンフ符1、二四頁)、敵の死を肯定すると解される記述があることに照らし、前記の被告人供述は信用できない。
   3 まとめ
 以上、方位欄の記載からは、被告人が、本件犯行を全面的に賞賛していたものと認められる。
  一六 浅草
   1 供述の概要
 (一) 公判供述
 Jから甲野の逃亡について依頼された後、甲野と浅草の松屋デパート屋上で会った。甲野が赤衛軍の話を始めたので、聞きたくないと言って遮った。甲野が組織の方で二、三逃亡ルートを確保した、万一行き詰まったときにはよろしく頼むと言ったので、ホッとした。デパートから歩いて一杯飲みに行ったが、大衆酒場は甲野のいう「のぐち」ではない。そこでは甲野を褒めたり、逃亡ルートの話はしなかった。一時間位で別れた。
 (二) PS
 九月初めころ甲野と浅草松屋デパート屋上で会ったことはある、具体的にどんな話をしたか判然りした記憶はない。
 当時数人の人に甲野を国外に逃亡させられないかと頼んだことがある。第一には、甲野に対する同情があり、なんとか逃がしてやりたい気持があった。被告人の性格として、甲野に限らず窮地に立っている人を放っておけないという気持が先に出てしまう。同時に、被告人は当時甲野と繋りがあったこと、甲野に金を出してやっていること、甲野が本件を実行するにあたり、赤衛軍という被告人が著作物の中で用いた名称を使用していることなどから、この事件の責任について被告人に累が及んではかなわないという気持があったことも事実である。
   2 逃亡ルート
 既に甲野の項(第三、二二、2)で検討したように、大阪→和歌山の逃亡ルートに関する甲野供述には、Kらの裏付け証拠があり、信用できる。したがって、これに反する被告人の供述は措信し難い。
   3 会合場所
 被告人は、デパート屋上で話をした後飲みに行ったが、大衆酒場では事件の話など一切していないと供述するが、その供述自体不自然であり、「のぐち」で話し合いをしたとの甲野供述が素直であり、これを信ずべきものと解する。
   4 会話内容
 話の内容については、甲野の逃亡の件が主と考えられるが、甲野の言うように被告人の指示によるのか、あるいは被告人の言うように甲野の協力依頼によるのかの問題がある。
 (一) 被告人の公判供述
 被告人は、九月上旬、戊崎らに対し、朝霞事件に関係した人を中国に逃がせないかと相談したと供述し、右は戊崎供述とも合致し、信用できるところ、被告人は、右相談の動機について、八月二四日の電話の際、甲野から情勢が厳しくなりそうなので国外逃亡も考えている、力を貸してくれという依頼を受け、更に、九月上旬Jの実家に行った際、Kがなした甲野からの取材について、朝日新聞社側が警察に通報し、Kが苦境に立っている、甲野が逮捕されないよう逃がしてほしいと依頼されたためであると供述する。
 (二) 甲野の依頼
 甲野から国外逃亡の依頼があったという点は、被告人のPSにおいて、逃亡画策の理由の一つとして、窮地に立った甲野に対する同情があったと述べている。乙山は、九月上旬、甲野から、丁原はボリビアに飛ぶ、君はハンガリーからアルジェリアに出てパレスチナ戦線に加わらないかなどと国外逃亡を誘われたと供述し(乙山46・12・16PS書25四九七九)、右供述は具体的で、乙山においてこの点で虚偽を述べるべき理由もなく、信用できる。したがって、甲野の依頼があった可能性は否定できない。
 (三) Jの依頼
 Jからの依頼があったという点について、Jの公判供述も同旨であり、JのPSはこのような依頼をしなかったかに読めるものではあるが、右PS供述は責任回避のためとも解しうるもので、信用性が低い。また、Kは、甲野を取材したことから九月四日に警察の事情聴取を受け、その直後Jと会った際、Jから、九月五日に被告人が浅草のデパートの屋上で甲野と会うが、それは甲野を西の方にもって行き逃がすためであると言われ、これを聞いて甲野がうまく逃げれば自己の腕章の処分が発覚しなくて済むと考えたと供述すること(K47・1・23PS書33六九五一)に照らし、右被告人供述は関係者の供述とよく合致し、信用できる。
 (四) 被告人のPS
 被告人は、PSにおいて、逃亡画策の動機について、甲野に対する同情があったのと同時に、当時甲野と繋りがあったこと、甲野に金を出してやっていること、甲野が「赤衛軍」という被告人が著作物に用いた名称を使用していることから、事件の責任について被告人に累が及んではかなわないという気持があったと供述する。その信用性を検討するに、内容は、本件について甲野と謀議していないこと、「赤衛軍」建設について話し合っていないことを前提とする否認供述であり、既に検討したように不利益事実に関しては一般的な信用性は高い。ところで、被告人は、当公判において、自己が著作で「赤衛軍」なる名称を使ったのは一回のみであり、本件当時このことは忘却していたと弁解するが、「赤衛軍」の用語は、著作のタイトルとなった論文の締めくくりの部分においてスローガンとして用いられた、印象の強い言葉であること、右著作の刊行は三月であり、論文の公表時期をみても四五年七月でわずか一年程度前に過ぎないこと、被告人の蔵書の毛沢東選集第一巻に「民兵=赤衛軍」という書き込みがあり(符67、七九頁)、これも被告人がその重要性を感じて書き留めたものとみられることに照らし、本件後報道等で、「赤衛軍」と聞いても自己の主張を思い出さなかったとは考えられず、右被告人の公判供述は信用できず、PSがそれらの事実と整合し、信用性が高い。
 (五) K供述
 Kは、一〇月九日ころ、旅館「小富美」において、被告人が、甲野の逃亡を画策する動機について、六、七月ころ甲野を京都の被告人らのアジトに連れ回ったため、甲野が被告人らの組織や秘密を知り過ぎており、甲野が捕まると被告人らも危なくなるからであると述べたと供述する(K47・1・24PS書34六九六六)。アジトの連れ回りというのはこれを裏付ける証拠もなくやや不自然であるが、逃亡させないと被告人に危険が及ぶという点では右被告人のPSと一致しており、その限りでは右K供述も信用できる。
 (六) まとめ
 甲野供述は、被告人との共謀を前提とした上で、首謀者たる被告人から逃亡の指示を受けたというものであり、共謀についての供述が措信し難い以上、この点に関しても信用性に疑問が残るといわねばならぬ。
 他方、被告人供述についても、公判供述は必ずしも信用できないことは既に検討したところである。
 以上、逃亡画策の動機について、Jの依頼があったことは認められるが、これに尽きるとする被告人の公判供述は信用できず、右に加え、被告人自身に累が及ぶのを避けるという動機があったものと認められる。
  一七 九月甲丘宅
   1 供述の概要
 被告人は、頼みたいことがあるので御足労願いたいとの甲丘からの連絡を受け、九月三日一人で甲丘宅を訪問した。そこには戊月二助が同席し、甲丘から、むつ小川原の開発計画に対する反対運動を映画に撮る計画があるが、そのために映画監督の戊内三助を紹介してもらいたいという依頼を受けた。その際三里塚の青年の自殺の話をしたことはない。更に九月六日はその計画のスポンサーである甲島七夫と会うために甲丘と甲島宅に行き、浅草に一席設けてもらい映画の話をした。その帰り戊内宅に行きこの話を伝えた。甲丘から電話があり、九月一六日大阪の新阪急ホテルで甲丘、戊月三助と会い、右の話を進めてくれなどと言われた。間もなく南海ホテルで甲丘と会い、家庭教師を紹介してくれと頼まれた。一〇月初めに再び戊内に甲丘の話を伝え、一一月五日に甲丘、甲島と戊内とを会わせた。
   2 甲丘供述
 九月三日午後三時三〇分ころ、甲丘宅に来た被告人から、勝共連合、戊江五助、戊沢六助のことを尋ねられた。三里塚の青年が自殺したが被告人がその手記のコピーを持っていること、ナトリウムがあること、被告人らのグループは一人一人の責任でやって行くようになっており、横の連絡はつかず、一人が捕まっても他に累が及ばないようになっていること、急に金が必要なので覚せい剤とポルノ写真を買ってくれる人を捜していることなどの話を聞いた。右売買の件でもう一度相談に乗ってくれと言われ、九月六日晩翠軒で会うことにした。
 九月六日午後五時虎の門の晩翠軒で被告人と会った際、その晩甲丘が甲島七夫宅に遊びに行くことになっていたことから、これに被告人を誘い、甲島宅に行った。帰りの電車内で、被告人から、一人の若い子をどうしても逃がさなければならない、そのために七〇万円金がいるんです、とりあえず三〇万円位欲しいんです、これから一寸その打ち合わせに行かなければならないと言われた。
 九月一六日に被告人と会った際、被告人が、覚せい剤を入手できず、金を予備校から前借りしたと言った。
   3 九月三日の会合
 (一) 自殺の話
 甲丘は、三里塚の青年の自殺の話を聞いたと供述する。これに対し、被告人は、自殺した青年は、三里塚の青年行動隊に属する青年である戊橋七助という者で、自殺後間もない一〇月上旬ころ戊坂八助から、その青年の別れの言葉を書いた手帳を見せられたと供述する。右供述は具体的で客観的事実との不整合も窺われず、信用できる。したがって、九月三日に三里塚の青年の自殺関係の話が出ることはありえず、この点甲丘供述は不自然である。
 (二) 右翼の話
 Kは、前記浅草後の九月六日か七日にJから、被告人と甲野が会い、甲野を西に持っていける形が出来た、関西の部落の方に甲野を一時隠して船で海を越えさせる方法だ、被告人は左翼だが、右翼にも顔がきいているので、海を越えさせるのだという話を聞いたと供述する(K47・1・23PS書33六九五八)。
 また、甲丘手帳(符25)には、「戊江七助(戊井会)甲川兄」との記載がある。右記載は、被告人との関係で戊江の名前が出たことを示すものであり、被告人が同人の名前を九月以前に知っていたとは認められないのであるから(乙山の身上調査報告書に関する乙山供述が信用できないことは既に述べた。)、右記載は甲丘供述を裏付けるものといえる。
 したがって、Jが既に被告人との関係で右翼に言及しており、甲丘手帳の記載とあいまって、右翼の話に関する甲丘供述は信用できる。
 甲丘供述によると、勝共連合、戊江らのことを被告人に尋ねられ、戊沢が被告人の中国書簡を金で買おうと言っていると言われたことが認められる。
 (三) 組織の話
 被告人の組織の件については、既に七月の甲丘宅の項で検討したように、右翼の甲丘に対してそのような話をすること自体不自然さが拭えないところである。
   4 九月六日の会合
 甲丘供述において、九月六日は覚せい剤等の売買の件で会う約束であったのに、当日その話が出ずに、全く関係のない甲島宅に歓談に行った上、帰りの電車内で突然逃走資金の話になったという点は矛盾し、不自然である。
   5 逃走資金の調達
 九月一六日の会合に関する甲丘供述は、予備校からの借金は七月二一日であり、逃走資金の調達とは考え難く、また被告人が九月三日の段階で多額の費用を必要としていたのであるなら、これを九月一六日の段階で、まだ甲野が逃走してもいないのに、簡単に諦めたという点、不自然である。
 また、九月の一連の甲丘との接触は、甲丘供述によると甲野の逃走資金の調達目的ということになるが、前記のK供述及び被告人が当時知人に手当たり次第に外国への逃亡協力依頼をしていることに鑑みると、甲丘供述を無下には否定できない。
 しかしながら、他方甲丘手帳の九月一三日からの週の欄には「むつ小川原開発―憲法違反闘争」との記載があり、これは九月一三日、一四日の被告人からの架電及び一六日の新阪急ホテルでの面談が、甲丘のいうような薬とポルノの売買の話ではなく、被告人の供述するようなむつ小川原開発計画に対する反対闘争についての映画制作の話であることを窺わせるものであり、被告人の供述も俄かには否定し難い。
 また、甲丘手帳には、九月一六日に甲丘が被告人と会い、三人で食事をしたとの記載があるが、その一行上に「戊月」という記載があり、「三人」の意味は甲丘、被告人、戊月を指すとも読みうるもので(この点、三人目は被告人を乗せて来た自動車の運転手であるという甲丘供述(書40八七九八)はやや不自然である。)、この点は被告人供述を裏付けうるといえる。しかし、九月三日の欄に戊月が同席したという記載はなく、むしろ九月四日に甲丘が水戸へ行って戊月と会ったとの記載がある。一一月五日に甲丘が、午後一時に被告人と甲島、午後五時に戊内と会ったとの記載があり、甲丘、甲島、被告人と戊内とが一緒に会っていないことを窺わせるものである。このように被告人供述と整合しにくい記載もある。戊内三助は、被告人供述に沿う供述をするが、戊内と被告人との関係、体験してから供述まで長期間経ていることなどを考慮すると、信用性は低い。
   6 まとめ
 以上の点から考えると右翼の話に関する甲丘供述は信用できるものの、その余の部分については、甲丘手帳の記載に照らし、甲丘供述と相反する被告人供述の信用性も完全には否定できず、甲丘供述の信用性には疑問が残るといわざるをえない。
  一八 松本からの電話
   1 供述の概要
 甲野から電話を受けた時、潜行していると思っていたので意外に思った。党と軍との関係を長々と説明された。甲野から党が新しい闘争を計画しており、甲野の逃亡に構っておれないので、力を貸してくれと頼まれた。「ほんまかいな。」と聞くとプツンと切れた。
   2 検討
 前記のごとく、甲野の二期供述は十分信用できる。
 他方既に検討したように浅草で被告人と甲野とは甲野の逃亡の件で相談をしている。
 また、Jは、被告人が旅館「小富美」で朝日ジャーナルの原稿書きをしている時、甲野からの連絡がなくて困っていると被告人が言っていたと供述している(JPS書43九九一一)。更にKは、一〇月旅館「小富美」で、被告人が、松本からかけてきた甲野の電話に対して、尾行がついているのなら何故宿屋から電話をかけるのかと怒鳴ってやったと話しているのを聞いたと供述している(K47・1・24PS書34六九六六)。これらの供述は、特に不審な点も認められず、信用できるので、供述どおりの各事実を認定する。
 以上の認定事実に照らすと、被告人の供述は、相反するものであって措信し難い。
 したがって、甲野は特に理由もなく松本に行き、被告人に尾行がきつくて行けないと嘘の電話をかけたところ、被告人が「ほんまかいな。」と疑念を漏らしたことに憤慨し、電話を一方的に切ったものと認められる。
  一九 一〇月旅館「小富美」
   1 供述の概要
 一〇月初旬Kの依頼で朝日ジャーナルの原稿書きのため旅館「小富美」にかん詰めになった。その際被告人は、Kから同人が取材源秘匿の問題で社内では苦しい立場になっている事情を聞き、甲野は潜行しているだろうという話をした。しかし、被告人が甲野を六月ないし七月ごろアジトに連れ回っていろいろ見せて組織の秘密を知らせてしまったので、自分達も危なくなるという話やプレイボーイ誌の記事についての話はいずれも出なかった。
   2 関係者の供述
 (一) K供述
 被告人は、甲野を東京→松本→京都というルートで西の方に持って行き、暫く部落に隠して海を越えさせる、六、七月ころ甲野を京都の我々のアジトに連れて回って色々見せたため、我々の組織や秘密を知りすぎてしまったので、奴が捕まると自分達も危なくなるので逃がそうとしている、俺もそろそろ年貢の納め時だ、プレイボーイの記事を読むといかにも俺が甲野を指導してやったような事になっているが、本当にけしからん奴だなどと言った。スナック「パピヨン」で聞いた話と違うのでおやと思った(K47・1・24PS書34六九六五)。
 (二) J供述
 甲野からの連絡がなくて困っているとか関西の方に来させて部落にかくまうような趣旨の話を被告人がしたので、連絡場所にされては困ると言っておいた(JPS書43九九一一)。
   3 被告人供述
 被告人の供述は、Kの供述の裏付けを欠く上、それまで甲野の逃亡を援助していた被告人の行動とも相反するものであり、到底措信できない。
   4 K供述の信用性
 そこで、K供述の信用性を検討するに、被告人は、週刊プレイボーイ誌の記事を読んだことがないと供述し、弁護人はこれに加えて、右記事から朝霞事件の首謀者が被告人であると暗示されていることにはならないと主張する。しかし、当時被告人が甲野が朝霞事件の犯人であることを知ってその逃亡を画策し、にもかかわらず甲野が逃亡しないでいたところ、そのような状況下で朝霞事件に関する犯人との会見記事が出たのにこれを読まなかったとは考えられず、被告人の供述は信用できない。また、右記事には「赤衛軍」の組織の長について、聞いたらびっくりするほど名前を知られている人物で、文化人と思ってもらっていいという部分があるところ、そこで示される人物像は、活動家ではなく文化人に属し、しかも著名な人物で、闘争について過激な考えを持ち、甲野とのつながりのある者である。それまでの被告人と甲野との交際状況に照らせば、被告人がこれを読んだ際、右人物が被告人を暗に示すと考えることは当然であって、被告人は右記事を読んで自己を指していると考えたはずであり、前記K供述はこれと整合し、信用できる。
 ただ、甲野をアジトに連れ回って云々の話については、K供述以外にこれを裏付けうる証拠は存しない。甲野は、スナック「白樺」、同「もっきり亭」がアジトであるかのような供述をしているが、既に甲野の項で検討したように右供述は信用できない。甲沢が三里塚闘争に関与していた事実は認められるものの、アジトの話に結びつく証拠は存しない。したがって、この点に関するK供述には疑問が残る。
 しかし、前述のとおり、被告人は自己に累が及ぶことを甲野の逃亡協力の一理由としており、これに符合する供述部分は信用できる。
  二〇 被告人の犯行告白
   1 供述の概要
 五一年秋から五二年五月にかけて甲本十夫と仕事仲間として、かつ、いわゆる酒飲み友達として交際があった。
 その間甲本に無実の罪で官憲に追われていると言ったことがある。本件に関しては何も話をしていない。建前と本音の話はした記憶がない。共産党かとか浅間山荘事件に関係あるかとは聞かれていない。
 甲本は深情けで、人間関係切断できないので別れの挨拶はしていない。
 被告人から犯行告白を聞いていないとの甲本の七七回公判供述は大筋において真実である。
   2 甲本供述の概要
 (一) PS
 五一年一一月末か一二月初めころ、被告人方で、前に見た大学ノートの記述から問い質すと朝霞の自衛隊の事件で警察から指名手配されている、俺はやっていないが、やらせたことになっていると被告人が答えた。被告人の言を信じたが、更に何故自衛隊員を殺したんだと聞くと自衛隊員の武器を奪うためだと答えた。
 その二、三日後に作業現場で昼休み中被告人が落ち着かないので再び尋ねた。被告人は建前では俺はやらしてないことになっているが、本音では俺がやらしたんだ、俺は現場には行っていないが、俺がやらしたんだ、俺は武器を奪って来いと命じたんだが、途中で見付かってしまってあんなことになったんだ(書51一一八九六)。
 (二) 四〇回公判供述
 被告人方で強盗でもしたのかと追及したら、被告人は朝霞の自衛隊を襲わしたことになってるんで逃げ回っている、俺は無罪なんだけど、仲間が俺がやったというので逃げ回っているという話をした。
 二、三日後工事現場で被告人がしょぼくれているので尋ねた。被告人は、本音はやらしてるんだけど、建前はやらしてないことになってるんだから、そこのところは判ってくれよ、と言った。更に何のためにやらしたんだと聞くと武器を奪うためだと答えた。また、殺せとまでは命令していないが、押し入った者が歩哨に発見され、殺したんじゃないか、俺は現場に行っていないから判らないとも言った。
 甲本は二〇歳ころから窃盗、恐喝、傷害等で通算二年位服役した。
 (三) 七七回公判供述
 被告人方で朝霞の自衛隊を襲った事件で追われていると聞いた。被告人がやらしたとは聞いていない。
 工事現場で昼食時に被告人がうろうろしていて普段と違うので事件の話を聞いた。何故自衛隊を襲ったと聞くと、武器を奪うためだそうだと世間話風の話をした。俺は関係ない、やらしてないと言っていた。また、本音はやっていないんだけど、建前はやらせたことになっているんで逃げ回っているんだと言った。
 四〇回公判前には警察官や検察官が入院中の病院に来て出廷しろと言うので、二回目に出廷した。その前に熊谷の検察庁でPSを見せられ、本音と建前の話の練習をした。
 五七年七月ころ魚屋から盗みをして逮捕されたが、埼玉県警の島野警察官が来て、翌日釈放され、結局起訴猶予処分になった。その後島野に子供を遊びに連れて行ってもらうなど親身な付き合いがあり、同人に恩義を感じていた。
 鈴木弁護人らを私選弁護人に選任して審理を受けた覚せい剤取締法違反事件につき、六〇年一〇月一九日、懲役一年、三年間執行猶予の判決を受けたが、弁護士報酬はまだ払っていない。
 今回出廷するまで、島野から出廷するな、供述を変えると偽証だと再三言われていた。
   3 検察官の主張
 検察官は、PSと四〇回公判供述とはその内容が同旨であり、告白に至った経緯、告白した内容等は極めて自然で、警察の知りえない事実を供述しており、また、甲本がそのような供述をした動機も、被告人が突然甲本の前から姿を隠し、その後何の連絡もないことに立腹したことにあり、その信用性は極めて高いと主張する。
 また、検察官は、七七回公判供述について、四〇回公判の反対尋問において、弁護人は無益な尋問を続け、本論に入らずに当該期日を終了させ、その後甲本が犯した覚せい剤取締法違反被告事件において、被告人甲川の弁護人が甲本の弁護人となり、弁護料三〇万円が未払であること、弁護人は再三甲本に接触し、六二年六月九日、一〇日の両日甲本を新橋第一ホテルに宿泊させて事前準備を行い、前言を翻しても偽証罪にならないと誤導して出廷を決意させ、裁判所、検察官に全く連絡することなく、翌一一日の七七回公判に出廷させ、前記のような結論のみ浮び上がる供述をさせたものであって、供述変更の理由に首肯できるものはなく、七七回公判供述は信用できないと主張する。
   4 甲本供述の信用性
 (一) 供述の変遷
 本件の目的が武器奪取にあったことを打ち明けた時期について、四〇回公判供述は、犯行告白時であるのに、PSではその二、三日前(本件への関与を否定した時)となっていること、自衛官死亡の理由が歩哨に発見されたことにあるという点について、四〇回公判供述では、現場に行っていないから判らないという曖昧な発言であったのに対し、PSでは、現場に行っておらず判らないという供述はなく、被告人は右死亡理由をはっきりと言ったとなっていることなど、両者に整合しない部分がある。
 しかも、七七回公判では、犯行告白は全く聞いていないと一八〇度違った供述をするに至り、明らかに前後正反対の供述をしている。
 (二) 供述内容の不自然性
  (1) PSでは被告人方で事件との関係を聞いたところ、無関係と言われ、その言を信じたとされているのに、更に隊員を何故殺したのかと尋ね、武器を奪うためとの返答をえたこととなっている。
 しかしながら、被告人の言を信じた者が、更に被告人を追及する質問をなし、被告人が前言と矛盾する事件の内容に関する返答をしたのは、会話の流れとして甚だ不自然といわざるをえない。
  (2) 犯行を告白したとの甲本供述は、公安警察に追われて逃亡生活を続ける被告人が、いくら親しいとはいえ、逃亡先で知り合った仕事仲間にすぎない者から、本件への関与を疑う質問をされた際、これを強く否定せずに、たやすく前言を翻し、自己の関与ばかりか、謀議内容まで立入って秘密を打ち明けたというものであり、あまりに無警戒な話であって、やはり不自然さが残る。
 しかも、被告人は、犯行告白後も半年近く甲本と付き合いを続けており、転居もしていないこととなり、長期間の逃亡生活を続けている被疑者の行動としては不用心と評さざるをえない。
 (三) 迎合供述の可能性
  (1) 甲本は、二〇歳ころから窃盗、恐喝、傷害罪等で有罪判決を受け、二年近く受刑していた、本件で取調を受ける前も魚屋から盗みをして五七年七月ころ逮捕されたが、埼玉県警の島野警察官が来てくれ、翌日釈放され、結局起訴猶予となった、また島野には子供の面倒を見てもらったりして恩義を感じていた、五七年八月二一日付けで犯行告白を認めるPSが作成された、四〇回公判前も警察官や検察官が入院先の病院に来て出廷しろと再三言うので出廷したと供述する。
  (2) 甲本は、覚せい剤取締法違反罪で起訴され、鈴木弁護士らを私選弁護人として選任し、六〇年一〇月一九日前橋地方裁判所太田支部で懲役一年、三年間執行猶予の判決を受けたが、弁護士報酬は支払っていない、弁護人が再三接触してきて、六二年六月九日、一〇日と新橋の第一ホテルに宿泊し、前言を翻しても偽証罪にはならないと言われ、七七回公判に出廷したと供述する。
  (3) この甲本供述によると、甲本は捜査官側あるいは弁護人側いずれかと接触が繁くなると、その意にそうような供述をしているものと認められ、迎合供述をしているものと解しうる余地がある。
 殊に、甲本は前科を有し、PS作成当時は、窃盗事件が捜査係属中とも考えうるのであって、捜査官側に対しては、恩義を感じるとともに、極めて弱い立場に置かれており、迎合供述をし易い状況下にあったものと認められる。
 (四) 甲本が「四助」という被告人の偽名を読めなかったこと(甲本PS書51一一八八三)、その他生活状況、教育程度等に照らすと、本音と建前といった言葉は、甲本が日常用いる言い回しではなく、そのような言い回しの記憶があること自体やや疑問であって、この点に関するいずれの供述も真実の記憶に基づかないという疑いも残る。
 (五) 七七回公判供述の信用性
 甲本は裁判所に事前に連絡することなく突然出頭したものであり、その理由として弁護人の主張する点は、検察官に出頭予定を秘匿する理由とはなりえても、当裁判所に秘匿する理由とは全くなりえないものである。弁護人のこのような行動は、甲沢の供述録取書作成時と同様甚だ遺憾であり、甲本の出頭状況は不自然で、七七回公判供述は弁護人の影響下に供述された疑いが強い。
 しかも、その供述内容は、本音と建前の内容が入れ替わるのみならず、それまでの会話内容等も従前の供述とは全く正反対の内容となっており、供述変遷の理由として斉藤の述べる点も甚だ説得力に欠け、合理性が認められず、その供述の信用徃は極めて低い。
 (六) 結局、甲本供述は、全体的に観察すれば、自己矛盾の供述であるばかりか、いずれの供述も内容的に不自然さが認められ、当事者の影響により迎合供述をした疑いが強く、措信し難い。
 そもそも、公判廷において、前言を翻し、全く正反対の証言をなすような証人は、基本的に信頼性をおくことができない。
   5 被告人供述の信用性
 被告人の供述は、他の事項に関しては詳細な供述をしているのに、甲本との関係については甲本の七七回公判供述は大筋において正しいと供述するばかりで具体的な内容については言及しておらず不自然である。殊に本件に関しては全く甲本と話をしていないとの点は、甲本供述の具体的内容に鑑みれば、その供述内容の真偽は別としても、何らかの話し合いがなされたものと窺えることに照らし措信できない。
 したがって、被告人の供述も信用性が高いものとはいえない。
   6 まとめ
 以上検討の結果、検察官主張のごとき犯行告白の事実は認定できない。
第六 甲野の背後関係
  一 関係者の供述
 甲野の背後に被告人がいることに関する関係者の供述を検討する。
   1 丁原供述
 (一) 供述の概要
 二月ころ哲芸研の研究会で甲野が被告人の名前を出し、丁原も甲川論文を読んだことがあり、知っていると言った。
 七月中旬ころ、甲野から日本共産党赤衛軍という組織の存在を知らされた。甲野は赤衛軍の分団責任者で、被告人や戊石九助が中央委員会のメンバーと聞いた。
 丁原は被告人の考え方に同感であり、その考え方に基づいて本件を敢行した。
 一一月初めころ、甲野から、警察への任意出頭を求められたら、京都の甲沢、大阪の被告人の所へ行き状況報告し指示を受けるよう言われた(丁原46・12・25(その二)PS書38八一九〇、47・1・27PS書39八三九四)。
 (二) 検討
 丁原が本件に関して被告人が甲野の背後にいることを聞いたのは、七月の中旬ころと認められるが、丁原は専ら甲野から一方的に説明、指示を受ける立場にあり、被告人の関与に関するその供述内容の真実性は、甲野供述の二次的供述の性格を持つものであるから、同様の証明力が付与されるにすぎないものである。
   2 甲林供述
 (一) 供述の概要
 八月九日ハイツを下見した際、甲野から被告人は相当苦労されて京大の助手になられた、入院中見舞に来てくれたなどと被告人の話を聞かされた。甲野が被告人に心酔していることを知っており、甲野も被告人と同じ考えで何か企らんでいると思った(甲林46・12・14PS書43九八四一)。
 (二) 検討
 検察官は、甲野が甲林と喫茶店「ヴィクトリア」に向かう途中甲野の背後に被告人がいることを教えたと供述している点をとらえて、既に喫茶店「ヴィクトリア」の段階で甲野の背後に被告人がいることを甲林は知っていたと主張する。
 しかしながら、この点に関する甲野供述は三期から出現したものであり、他に裏付け証拠も存しない。既に甲野供述の信用性の項で検討したように喫茶店「ヴィクトリア」会合に関する甲野供述は措信し難い。
 したがって、甲林が甲野から被告人の話を聞いたのは八月九日と認められるが、その供述内容の真実性の問題は、丁原供述と同様である。
   3 乙山供述
 (一) 供述の概要
 乙山は、喫茶店「ヴィクトリア」で甲野が京都大学の専任講師であると自己紹介したことから、京都大学に行き、調査をした。喫茶店「にしむら」の会合前に、甲林を問い詰め、甲野の背後に関西方面の大物がいることを聞き出し、著作を読むなど調査した結果、帝国ホテルに行く前までに、甲野が日本大学の学生でクラブの部長をしているにすぎない者であり、背後にいるのは被告人かもしれないと考えた。
 (二) 検討
 乙山供述は、新供述で初めて供述されたものであり、新供述の信用性一般については既に乙山供述の信用性の項で検討したところである。
 しかも、乙山は、甲野の背後者を被告人と特定した理由の一つとして、当初、調査の結果、被告人が、論文で、自衛隊等から武器を奪取して武装闘争をするという主張をしていることが判ったと供述していたのが(乙山58・9・30PS書31六一九八)、被告人が武器を奪取して武装闘争をするという主張と読み取れることを論文に書いていた(乙山58・12・2425PS書31六二六六)と変わり、更に武器奪取闘争を志向しているセクトに関するものを読んで、その辺に被告人が浮び上がってきた(乙山二九回証11三二一〇)となり、最後に朝日ジャーナルの論文の話は聞いたが、被告人の本を読んでいない(乙山三二回証13三六九五)と変遷しており、その変遷は不自然である。更に、京大に行ったとの供述は日程的に極めて不自然であること、乙山の法廷供述は被告人を特定した根拠について曖昧に終結したこと、被告人を特定したという供述は犯行後約一二年を経て初めて供述されたことを考え合わせると、これを信用することはできない。
   4 乙島供述
 (一) 供述の概要
 七月下旬甲野に下宿の鍵を貸した際、甲野から何かの組織があって、その組織の自分の上に被告人がいると聞いた(乙島47・1・7書43九七五一)。
 (二) 検討
 乙島供述は漠然としており、具体性に欠けるが、他の関係証拠をも併せ加味すれば、甲野が「赤衛軍」の存在とその組織の中で甲野の上には被告人がいることを話したと解しうるものである。
 しかしながら、その供述内容の真実性は、丁原供述の場合と同様である。
  二 まとめ
 以上の検討の結果甲野が自己の背後に被告人がいることを本件前の七月あるいは八月上旬、丁原、甲林、乙島に明かしたことが認められる。
 しかしながら、丁原、甲林、乙島の各供述は、いずれも甲野の話を聞いたにすぎず、真実被告人が甲野の背後にいたかどうかについては、甲野供述を離れて独立した証拠価値(証明力)を有するものではない。結局甲野供述の派生的、二次的証拠にすぎないものであり、甲野供述の真実性にその証拠価値も依拠するものである。
 したがって、既に検討してきたように甲野供述は、被告人との共謀に関しては証拠価値が認められないのであるから、それ以上の証拠価値を有するものではない。
第七 総合的検討
  一 当裁判所の認定した事実
 被告人と甲野との接触状況を中心として証拠により認定できる事実は、既に該当箇所において個々的には摘示してきたが、その主要なものをここにまとめることとする。
   1 被告人は四六年当時暴力革命を志向し、既存の新左翼諸党派を批判し、それを超えた過激な武装闘争の必要性を主張し、大衆からの運動を称えていた。右思想は武器奪取闘争に対しても親和性があり、これを排除するものではない。
   2 四月一三日旅館「津乃村」において、被告人は甲野と会った。この会合は甲野がJに仲介を頼んで実現したもので、被告人は関東の運動の状況を知る意図であった。会合の結果、過激な暴力闘争の必要性の点で両者の考え方が一致し共闘の話をし、両者はある程度意気投合し、その後の居酒屋で、被告人は、甲野を「ならずもの」として褒め、心情的に甲野に親近感を抱いた。
   3 両者は、五月四日ころ京大文学部長室において、乙田らを交えて会った。この際も甲野の依頼によりJが仲介した。
 被告人は、暴力革命達成のためには既存の新左翼の運動を超えたより過激な武装闘争が必要であり、その担い手として「赤衛軍」を創設し、当面の三里塚、沖縄闘争においても過激な暴力闘争を展開すべきだと説いた。甲野はこれに共鳴感激し、文学部長室の壁面に「赤衛軍云々」との落書をした。
   4 被告人は、六月一九日ころ、入院中の甲野を見舞い、その後甲野とともに池亀方に寄り、レストラン「アラスカ」に行った。会合の経緯は、上京した被告人が甲野が入院していることを知って見舞に行ったところ、体調もほぼ回復していた甲野が被告人と行動を共にしたことにあり、被告人は乙川二久と面談することが主たる用件でレストラン「アラスカ」に行ったものである。
 レストラン「アラスカ」において、被告人は、乙原、乙田らを前に、暴力革命、三里塚闘争についての持論を展開し、三里塚闘争を被告人の主張する過激な暴力闘争に戦術転換するべきであると扇動した。甲野も被告人の主張に賛同した。
   5 甲野は真岡猟銃強奪事件に誘起されてか、既に七月以前から一般的な考えとして、自衛隊からの武器奪取の考えを持っていた。
   6 乙山は、借金の返済資金等に窮し、自衛隊の物資等を売って金もうけをしようと考え、六月下旬ころ、甲林に対し、山口や朝霞の自衛隊の情報を知っているので、買ってくれる人を紹介してくれと頼んだ。甲林は甲野にこの話をした。
   7 甲野は七月三日ころ甲林の話を伝えるため名古屋で被告人と会った。甲野は前記の甲林の話を知らせると同時に自己の思案していることも話したが、その具体的内容は確定できない。
   8 甲野は七月一二日喫茶店「ヴィクトリア」で乙山から直接乙山の話を聞いた。その内容は、自衛隊内には反戦自衛官組織があり、自衛官の制服等を盗み出せるのでそれを売りたい、自衛官に変装すれば簡単に駐屯地内に侵入し、弾薬庫から武器弾薬を奪取できるというものであった。
   9 被告人は、七月一〇日飲食店「久富」で甲野と会った。被告人が上京した主たる目的は雑誌社の依頼で乙谷と対談することにあり、飲食店「久富」での会合は副次的なものであった。飲食店「久富」という場所の設定は甲野がしたものである。両者の会合目的は、金の貸し借りではないが、その目的を特定することはできない。
 その後スナック「エスカール」にも行ったが、これらの席での話題は、既存の新左翼及び三里塚闘争の批判など闘争に関する一般的な話であり、被告人がレストラン「アラスカ」と同様の話をした。
   10 甲野は、七月初旬から七月二三日までの間に自衛官の制服を入手し、自衛官に変装して自衛隊基地に侵入し、武器奪取を行う考えを被告人に打ち明け、被告人にその闘争資金の援助を求めた。被告人は、これに応じて、七月二三日、甲野に渡すようにとの伝言をつけて、甲野の指定に基づき、K宛に闘争資金四万円を送金した。間もなく甲野は、Kに対する負債一万円を差し引いた残額三万円を受け取った。
   11 甲野は、七月中旬ころ、丁原、丁丘に対し、自衛隊等からの武器奪取闘争に参加するよう誘ったが、丁丘からは断られた。更に、七月二五日ころ、丁原とともにヘルメットを窃取し、これを塗り替えて「赤衛軍」等と記載し、また、八月初めころまでにビラを作成した。
   12 七月中旬ころ、丁原は甲野から「赤衛軍」が存在し、被告人らが中央委員会のメンバーだと教えられた。
 七月下旬ころ、乙島は甲野から同人の属する組織では同人の上部に被告人が組織されていると聞いた。
 八月九日ハイツ下見の際甲林は甲野から被告人の人物像について話を聞き、甲野も被告人と同じ考えで何かやると思った。
   13 甲野は、七月二六日ころ、喫茶店「にしむら」で乙山から制服の準備ができる時期等を聞き、自衛官の制服等一式を二組三〇万円で売買する話がまとまった。
   14 甲野は、七月下旬ころ甲林から乙山の履歴書を入手し、以前の勤務先など、乙山の素性などを調べ、その報告書を作成し、朝日新聞社に持ち込み、Kにコピーさせ、Jに見せた。
   15 甲野は、八月九日、詳細な事情を知らない甲林、丁原を伴ってハイツの下見をし、帝国ホテルの部屋を予約し、奪取する物の保管を丁井に依頼した。
   16 被告人は八月一二日喫茶店「カトレア」同「穂高」、むらさき寿司で甲野と会い、甲野はその晩何かでかいことをやると漏らしていた。
   17 八月一三日夜、被告人はKとスナック「パピヨン」で飲酒したが、被告人は、「甲野は依頼心が強く、苦しい中から金を作ってやったのに何もやらずあかん奴だ。」と甲野を怒っていた。
   18 本件前の一連の事件及び本件については、帝国ホテルで乙山に対し、調査報告書を見せ、周囲に組織の者がいる風を装い、ハイツ闘争に協力しなければ組織により殺害するとの脅迫をし、畏怖する甲林をも脅迫し、それぞれ闘争への参加を応諾させたことを付加する外は、第二の争いのない事実の項で認定したとおりである。
   19 甲野は、本件犯行後直ちにKに架電し、闘争を実行したことを伝え、八月二三日、Kの取材を受け、警衛腕章を渡し、取材費五万円を受け取った。
   20 被告人は、八月二二日、本件発生をテレビニュースで知るや直ちにKに架電し、犯行への驚嘆の意をあらわし、八月二四日甲野から電話を受けた際本件を評価し、甲野を褒め、日本読書新聞に本件に好意的な論稿を執筆し、本件を賞賛した。
   21 被告人は、九月上旬ころ、Jの依頼を受け、また、自己に累が及ぶのを避けるため、甲野の逃亡を画策した。
   22 甲野は、九月二一日、松本から被告人に架電して、尾行がきつくて行けないと嘘を言ったところ、被告人が「ほんまかいな。」と疑念を呈したことに憤慨し、電話を一方的に切った。
   23 被告人は、一〇月九日ころKに対し、甲野が捕まると自分達も危なくなるので、甲野を西の方に持って行き、暫く部落に隠して海を越えさせると言った。また、週刊プレイボーイを見ると如何にも俺が甲野を指導してやったような事になっているが、本当にけしからん奴だとも言った。
   24 被告人は、甲野との関係で逮捕されることを恐れ、行方を暗まし、逮捕されるまで一〇年以上にわたり逃亡生活を続けた。
  二 共謀の存否
   1 検察官の主張
 検察官は、被告人は、四六年七月上旬ころから同年八月下旬ころまでの間、中国料理店「青冥」等において、甲野から武器奪取計画の報告を受け、これを検討して甲野に対し、同年八月二一日朝霞駐屯地内に侵入し、包丁などの凶器を使用して脅迫し、あるいは暴行を加えて自衛隊員の反抗を抑圧した上、弾薬庫などから銃器・弾薬を強取する旨指示・命令を行い、甲野がこれを了承、賛同して甲野との間で共謀を遂げ、次いで甲野と共謀を遂げた乙山、丁原において本件犯行が敢行されたもので、被告人、甲野、乙山、丁原間に本件犯行の共謀による共同意思主体が成立し、その意思に基づいて本件が敢行されたのであるから、被告人に強盗致死、建造物侵入、公務執行妨害の共謀共同正犯が成立すると主張する。
 そこで、共謀の存否について総合的検討を加えることとする。
   2 共謀に関する直接証の不存在
 検察官は、本件の具体的謀議として、七月上旬の架電、「もっきり亭」謀議にはじまり「久富」謀議、「青冥」謀議等を経て池亀方への架電謀議まで一一回にわたる謀議の存在を主張し、更に闘争資金四万円の送金をあげる。
 しかしながら、既に詳細に検討してきたとおり、検察官主張の前記謀議等に関する甲野供述は措信し難く、他に右謀議の存在を直接証する証拠は存しない。
 検察官が主張する事実のうちわずかに闘資金の送金が証拠上認定できるにすぎないが、これとても検察官が主張する事実とは異なる性格のものであることは既述したところである。
 このように検察官主張事実の大半が認め難いのであるから、もはや共謀の認定は消極に働かざるをえない。
   3 ハイツ闘争から本件に至るまでの事態の推移と参加者の顔振れ
 (一) ハイツ闘争から本件に至るまでの事態の具体的推移をみると、甲野は、八月九日、自己の意図を打ち明けぬまま、丁原、甲林とともにハイツの下見をし、ハイツ闘争の当日である八月一二日、目的を告げぬまま甲林、乙山、丁原、乙島を帝国ホテルに集合させた上、初めて犯行計画を打ち明け、ここに実行担当者とされた同人らとの謀議が初めて行なわれた。ハイツ闘争が失敗に帰した後、八月一四日の第一次朝霞闘争は、実行に着手する前に準備不十分のため(闘争の足である自動車を用意できず)中止され、急きょ七軒町派出所闘争が企図されたが、これも失敗に終わった。最終的に本件を敢行することとなったが、当日に至り、俄かに材料を買い集めて粗雑な「赤衛軍」の旗を作り上げるといった有様であった。現地の下見はハイツ闘争においてはなされているものの、七軒町派出所闘争においては闘争のための下見といいうるほどのものはされておらず、第一次朝霞闘争及び本件においてはこれが全くなされていない。
 このように、実行者を武器奪取闘争に誘った状況、ハイツ闘争までの犯行準備の状況、ハイツ闘争直前に新井らを脅して加担を承諾させた帝国ホテルでの状況、実行担当者との謀議がこの時初めて行なわれ、その後も攻撃目標をくるくる変えたこと、闘争に用いる自動車の準備状況、七軒町派出所闘争後の犯行準備状況等の本件に至る事態の推移から見てみると、本件犯行が事前の周到な計画によるものとは言い難く、場当たり的な犯行の感がするのは否めないところである。
 (二) しかもハイツ闘争から本件までの参加者は、本件の切掛けとなった自衛官の制服等売買の話を持ち込んで来た乙山を除けば、いずれも甲野が日本大学文理学部の研究サークル等で知り合った新左翼の活動家あるいはその同調者にすぎない。結局甲野のいう「赤衛軍」の構成メンバーは、被告人を除けば、右の者らにすぎないものと認められる。
 闘争参加者の範囲が、甲野の身近な知人に限定されていることも、本件が甲野を超えた大きな組織の犯行と判断するには、消極的な一要素と解される。
 (三) したがって、本件と警視庁職員宿舎爆破闘争が同時期に敢行されているとはいえ、ハイツ闘争から本件に至るまでの事態の推移及び参加者の顔振れから考えても、本件が甲野をその一員とする大きな組織の周到な計画による犯行とは言い難い。
   4 乙山の話とハイツ闘争等の関連性
 乙山が甲野に持ち込んだ話は、自衛官の制服等が手に入るのでこれを売りたい、自衛官に変装すれば容易に自衛隊基地に侵入して武器が奪えるというものである。
 したがって、乙山の話を発端としたのであるから、自衛隊基地に侵入して武器を奪取する計画を練りあげるのが、事の流れとしては一貫していると考えられる。
 しかしながら、実際には米軍施設に対するハイツ闘争、次に警察施設に対する七軒町派出所闘争がまず敢行されており、自衛隊基地を対象とする本件は最後に実行されているのである。もっともその間に第一次朝霞闘争が企図されているが、これは準備が杜撰で、現地に赴くこともなく中止されていることから考えると、甲野には一体本件前の右闘争をどの程度実行する気があったのか疑問視されるところである。
 このように乙山の話と現実の甲野らの行動との間には、事の筋道としての連続性、一貫性を認め難く、現実の出来事を、乙山の話に基づき練りあげた武器奪取計画の実行とみるのには不自然さが認められる。
   5 実行責任者
 検察官は、甲野は被告人からハイツ闘争に発して本件に至るまでの各闘争計画の実行責任者に命じられた者と主張する。
 しかしながら、甲野はハイツ闘争から本件に至るまで一度たりとも実行行為を分担したことはないのみならず、犯行現場にすら赴いていないのである。実行責任者とされた者が甲野のような行動をとることは極めて不可解といわざるをえない。
 検察官は、これに対して次のように主張する。すなわち、甲野は、両親に対し、自分は革命の捨て石になる、親不幸を許してくれという書き置きを残して家出し、赤軍派に参加して、武装蜂起闘争に参加し、四四年九月から一一月までの間に神田戦争事件、巣鴨駅前派出所・池袋警察署火炎びん襲撃事件、東薬大火炎びん等製造事件、ピース缶爆弾製造事件、警視庁第八・九機動隊ピース缶爆弾投てき事件、アメリカ大使館公報文化局等時限式ピース缶爆弾仕掛事件等に関与したが、赤軍派の計画がことごとく失敗に終わり、深刻な挫折感を引きずっていたところ、被告人とめぐり会い、被告人の暴力革命理論に共鳴して、この人だったら自分を託せる、ここが死に場所と考えて行動を共にするうち本件を敢行する決意をしたのであり、甲野の過去の活動歴や被告人とめぐり会って行動を共にしてきた経緯に照らすと、甲野が私心をもって本件を敢行したとは到底考えられず、甲野は被告人の指示に基づき本件を敢行したものであると主張する。
 しかしながら、甲野の闘争歴については、これを裏付ける確たる証拠は全く存せず、ピース缶爆弾事件に関しては、同事件に関与したとの甲野供述が各裁判所において斥けられているところであり、甲野の過去の闘争歴に関する検察官の主張は確たる証拠に基づくものといえず、左袒し難い。
 前述のように、本件においても甲野は全く実行行為に関与しておらず、真実暴力革命を目指して捨て石になる覚悟で本件に及んだと解するには疑問が残り、甲野を本件の実行責任者とみるのは困難である。
   6 甲野の犯行準備の状況
 甲野は、前記認定のとおり、既に七月中から自衛隊の武器を奪取することを計画し、丁原、丁丘に闘争への参加を勧誘しており、また本件で使用されたヘルメットを準備している。
 これらの事実は、「青冥」謀議において甲野がハイツ闘争から本件に至るまでの一連の闘争の実行を命じられたとの検察官の主張と矛盾、抵触するものである。
   7 背後に被告人がいるとの甲野の発言
 検察官は、甲野の背後に被告人がいるとの甲野の発言を甲林、丁原、乙島らが聞いたことをもって、同人らはいずれも甲野の背後に被告人が存在していたことを十分知っていたものであるとして、甲野が被告人の名前を利用して個人的利益のために本件を敢行したにすぎないとの弁護人の主張は失当であると主張する。
 既に第六で論じたように、同人らが甲野の発言を聞いたからといって直ちに甲野の背後に被告人が存在していたとは即断できない。それは甲野供述の信用性の有無に係わるものであるが、既に詳細に判示したとおり肯認し難い。
 そもそも被告人と甲野との関係は、交際の経緯に照らし、一致協力して行動するとはされたものの、両者の間に組織といえるだけの実体が形成されていたとは認められない。甲野は、丁原に対しては党中央委員に戊石九助こと乙谷がいるとの虚言をも弄して「赤衛軍」の組織なるものを説き、「赤衛軍」へ加入するよう勧誘しており、丁原、乙島の従順さを利用して本件に加担させている。以上の点から考えると、背後に被告人がいる旨の発言をする甲野の意図は、有名人を長とする組織を背景とすることによって、自分を偉く見せ、丁原、乙島を自己に従わせることなどにあったとも解されるのであって、右甲野発言が真実を暴露する意図でなされたものとは認められず、発言内容の真実性は疑わしい。
   8 甲野のマスコミへの登場
 甲野は真岡猟銃強奪事件の翌日には、京浜安保共闘の幹部と称して週刊朝日に記事を売り込み、五月には再び同様に称して朝日ジャーナルに記事を売り込み、いずれの記事も誌上に掲載された。
 本件についても、甲野はKに犯行の予告をするとともに犯行準備状況を写真撮影させ、本件犯行直後にはKのインタビューに応じている。更に、Kに対し他の週刊誌記者の紹介を求め、これは断られたものの、週刊プレイボーイ誌に記事を売り込み、同誌に甲野の単独会見記が掲載された。
 このように甲野は従前から積極的にマスコミに記事を売り込み、本件についても事前、事後の二回にわたりKのインタビューを受け、犯行の予告すらしているのである。
 犯行を事前に報道機関に予告すれば、警察に通報される危険もあり、新左翼組織の非合法活動にたずさわる者としては最も慎むべき行動といえよう。したがって、甲野の行動は非合法の反権力闘争を行う者の行動としては思慮を著しく欠き、不可解な行動と評する外ない。
 甲野のこれらの行動は、地下組織による武器奪取闘争の一環として本件が行われたとの検察官の主張とは相容れぬあるいは調和しない行動と解される。むしろ、甲野の既成の新左翼を超えた活動家であるとの自己宣伝の道具として本件が敢行されたものとみると、甲野のこれらの行動は容易に説明がつくものといえよう。
   9 被告人の認識
 (一) 謀議関与を推認させうる事実
 被告人が武器奪取の可能性もある闘争のために四万円を送金したこと、ハイツ闘争直前に喫茶店「穂高」等で甲野と接触したこと、ハイツ闘争前、第三者に甲野が何かでかいことをやると漏らしたこと、本件犯行を知るや直ちにKに架電し、甲野が「あんなことを言っていた。」と発言したことなどに照らすと、被告人が、犯行指示はしていないにしても、送金に対応して闘争をなすよう甲野に催促し、甲野が犯行の決意をある程度打ち明けるなどの謀議をしたのではないかとの疑いが残る。しかも、権力からの武器奪取に好意的な被告人の発想、旅館「津乃村」、文学部長室等で過激な闘争に関し意気投合したという両者の交際の経緯、犯行後の甲野への賛辞、日本読書新聞紙上での犯行賞賛、被告人に累が及ぶのをも恐れての甲野の逃亡画策、プレイボーイ誌記事に関する被告人の発言、被告人の長年月にわたる逃亡等は、被告人が本件に関与したことを否定するものではなく、関与を推認させうる間接事実といえるものである。被告人の謀議関与は強く疑われるところである。
 (二) 被告人の具体的認識
 被告人は、七月初旬の名古屋会合から七月二三日の送金までの間に甲野から自衛隊の制服を入手し、それを利用して自衛官に変装して自衛隊基地に侵入し、武器を奪取するとの計画を打ち明けられ、資金協力を求められ、これを応諾し、闘争資金として四万円を甲野に送金したものである。
 しかしながら、甲野がハイツ闘争を何時計画したかについては明らかではなく、八月九日にハイツの下見をしていることから考えると、七月二三日以前において甲野がハイツ闘争から本件までの具体的闘争を計画していたものとは解し難い。
 被告人は八月一二日喫茶店「カトレア」において、甲野から今晩何かでかいことをやるとの犯行予告を受けているのであるが、具体的な襲撃場所、方法等については何ら説明を受けていない。
 したがって、被告人の認識としては、本件に至るまで甲野の七月の説明の域を越えるものではなく、甲野が何処かの自衛隊基地から武器を奪取するとの抽象的な認識しか有していなかったものと解するのが相当である。
 (三) 甲野逃亡への協力等
 検察官は、被告人の積極的な甲野逃亡への協力及び被告人の長年月にわたる逃亡は被告人の犯行関与を推認させる事実であると主張する。
 確かにこれらの事実は、被告人が新左翼の活動家であり、反権力闘争を志向している者である点を考慮してもなお、犯行への関与を強く推認させうる事実であることは否定できない。しかし、間接事実中の一つであって、これらを過大視することは許されない。けだし共謀共同正犯ではなく、幇助犯人であっても右の各行動は諒解可能であるからである。
 (四) 七月以前の両者の関係、「赤衛軍」
 また、被告人は、七月以前において、既成の新左翼運動を超えたより過激な武装闘争を主張し、被告人の提唱にかかる「赤衛軍」創設を目指して一致協力して活動していくことを甲野と確認している。しかしながら、両者の間で具体的な闘争として話し合われたのは、三里塚、沖縄闘争であり、右闘争においても、より過激な闘争形態の必要性が論じられていたにすぎず、何時何処で何をするという具体的な方法論、戦術論が両者の間で話し合われたものとは解し難く、結局一般的、抽象的に過激な闘争の必要性について両者の意思が一致しているにすぎないのである。更に、本件においては、「赤衛軍」の名が用いられているが、既に論じたように「日本共産党」の名称は被告人ではなく、甲野に由来するものと考えられ、「日本共産党=赤衛軍」の名称は、甲野の独創にかかるものである。被告人が右名称の創案に関与したものとは考えられず、右名称は、本件が甲野の主導によることを示す一事由とすらいえよう。
 したがって、七月以前の両者の関係及び「赤衛軍」の名称は、被告人の前記のような抽象的認識の判断を左右するものとは解し難い。
 (五) まとめ
 結局、ハイツ闘争はおろか本件についても被告人が事前に甲野から明かされていたと認めるに足る証拠は存せず、闘争資金の送金、甲野への逃亡協力及び長期間の逃亡、甲野との接触状況等という事実を考慮しても、被告人の認識は、前記のような抽象的なものに止まると解すべきである。
 以上要するに、被告人と甲野間に本件犯行に向け共同意思主体が成立しその意思に基づいて本件が敢行されるに至ったとは認められない。
   10 まとめ
 以上個々的に検討した結果を総合すると、本件は甲野と被告人との共謀に基づくものではなく、甲野が首謀者であり、新左翼の活動家としての自己宣伝のため周囲にいる日本大学の新左翼の活動家あるいは同調者及び元自衛官の乙山を使嗾して敢行したものであり、被告人は単に資金協力をしたにすぎず、甲野の背後には確たる新左翼の組織は存在しなかったものとみるのが相当である。
 したがって、検察官の主張は採用できない。
  三 被告人の刑事責任の有無
   1 実体法上の評価
 被告人は、七月初旬から七月二三日までの間に、甲野から自衛官の制服を入手し、それを利用して自衛官に変装して自衛隊基地に侵入し、武器を奪取するとの計画を打ち明けられ、資金協力を求められ、これを応諾し、七月二三日闘争資金として四万円を電信為替でK宛に送金し、間もなく甲野はKへの借金一万円を差し引かれた現金三万円を受け取ったが、その三万円の使途については明らかではない。
 ところで、武器奪取闘争は、奪取の際、武器管理者など相手の抵抗を排除するため、実行者において強度の暴行、脅迫に出うることが当然予想されるものであって、実行者が武器奪取闘争に出るかもしれないとの認識は、強盗の幇助犯の主観的要素として欠けるところがなく、本犯者の具体的犯行についての認識が欠けていても、幇助犯の認識としては十分である。
 また、犯行着手前の闘争資金の援助は、典型的な幇助行為であり、その使途が明らかでなくても、少なくとも受領者の心理において犯行遂行を容易とするものであって、本件送金が犯行実現の危険を増加させたという因果性を肯定できる。
 したがって、被告人の本件送金は本件犯行に対する幇助としての主観、客観両面の実体を備えたものと認められ、被告人には、実体法上、建造物侵入、公務執行妨害、強盗致死の幇助犯が成立するものと解する。
   2 訴訟法的検討
 (一) 本件訴因は事前謀議に基づく共謀共同正犯であるが、これを訴因変更せずに、幇助犯と認定できるかは問題であるので、この点を検討する。
 (二) 検察官の主張
 検察官は、被告人は建造物侵入、公務執行妨害、強盗致死の共謀共同正犯の責任を負うと主張し、その具体的事実の主張として、その冒頭陳述において、被告人らが自衛隊等から武器奪取を企図するに至った経緯の項で、本件送金を武器奪取闘争の活動資金として送金したと主張する。更に論告においても、七月上旬から八月下旬ころまでの謀議とともに、本件送金を闘争資金と主張しているのである。
 したがって、本件送金の事実は、起訴状記載の公訴事実中には記載されていないものの、検察官は、その冒頭陳述から論告に至るまで、最終謀議の形成過程を構成する一事実、すなわち、本件における謀議の構成要素として主張しているものと解するのが相当である。したがって、本件送金は訴因の一内容をなしており、そのような事実について、裁判所が認定することは、事実面において訴因を逸脱するものとはいえない。
 (三) 被告人、弁護人の防御活動
 検察官の前記主張に対応して、弁護人は、その冒頭陳述において、本件謀議の不存在―被告人と甲野の関係の中の甲野からの借金とその返済の項(第三の三)で、本件送金は借金の返済であるとの反対主張をなし、本件送金の趣旨について積極的な防御活動を展開した。被告人においても、本件送金を借金の返済とし、借金に至る経緯、借金の際の状況、早期返済の動機、残額返済の状況等、詳細な供述をなし、弁護人も、乙丘家計簿の記載の解釈その他被告人の所持金の変化や甲野と丙原の関係など甲野の資力の立証、送金の状況、趣旨についてのJに対する詳細な尋問、被告人質問、検察官の尋問などをし、その反証活動は十分なされている。更に、弁護人は、その最終弁論においても、第二章甲野供述を補強する証拠の不存在の中の第七為替の項において、本件各証拠を対比検討して、本件送金が検察官の主張する闘争資金ではなく、借金の返済であると詳細に反駁しているところである。
 このような六年余にわたる両当事者の積極的な訴訟活動及び現在既に本件発生から一七年余が経過していることを考慮すると、被告人及び弁護人の防御活動は尽くされた状態にあり、新たな主張、立証のなされる余地はなく、本件において共謀共同正犯の主張に対して幇助犯を認定しても、被告人及び弁護人に不意打を与えるものとは到底考えられない。
 (四) 結論
 本件における具体的な訴訟経過に鑑みれば、共謀共同正犯の訴因に対し幇助犯を認定するのは、いわゆる訴因の縮小認定に当たる。防御活動も十分尽くされており、当事者に対する不意打防止の観点からしても訴因変更は不要である。したがって、訴因変更を経ることなく、被告人に対して建造物侵入、公務執行妨害、強盗致死の幇助犯を認定する。
 (法令の適用)
 被告人の判示所為のうち、建造物侵入幇助の点は刑法六二条、一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、公務執行妨害幇助の点は、刑法六二条、九五条一項に、強盗致死幇助の点は、同法六二条、二四〇条後段にそれぞれ該当するところ、右は一個の所為で三個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い強盗致死幇助の刑で処断することとし、所定刑中無期懲役刑を選択し、右は従犯であるから、同法六三条、六八条二号により法律上の減軽をし、なお、犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分をその刑に算入することとし、別紙(一)記載の訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。
 (量刑の理由)
 本件は、従来の新左翼運動にあきたらず、一層過激な闘争形態を目指した甲野が、自己宣伝も兼ねて、「日本共産党=赤衛軍」の名の下に、元自衛官乙山三夫及び日本大学の学生らを使嗾して、自衛隊から武器等を奪取する目的で、自衛官に変装の上、朝霞駐屯地内に侵入し、柳刃包丁を用いて動哨中の被害者を刺殺したのに対し、甲野と従来の新左翼運動を乗り越えようと意思の一致をみていた被告人がその準備段階において闘争資金を送金して援助したという建造物侵入、公務執行妨害、強盗致死幇助の事案である。
 正犯行為に関する一般的情状をみると、犯行の態様は、事前に、変装用の自衛官の制服制帽、柳刃包丁、偽装用のナンバープレート等を用意し、数人で役割を分担したなどの点で、計画性、集団性を認めうるものであり、暴行の程度は、被害者の不意をついて攻撃を加え、殺傷能力の高い柳刃包丁を用いて胸部等を数回にわたって突き刺したという点で、強烈なものである。犯行の結果は、春秋に富む被害者から、突如としてその命を奪ったという重大なもので、被害者には全く落度はなく、その苦痛及び無念さは計り知れず、また、遺族の受けた憤りと悲しみも大きいところ、十分な慰謝の措置はとられていず、遺族らの被害感情は強い。加えて、正犯行為は、過激な武装闘争を志向する集団が武器奪取を目的に自衛隊基地内に侵入し自衛官を殺害するという今迄に例をみない衝撃的な犯行であって、爆弾事件等が頻発し、騒然としていた社会にまたまた与えた新たな衝撃、不安は深刻であって、過激な武装闘争を志向する者達に与えた扇動的影響も軽視できない。犯行の動機は、武器を奪取し更にこれを政治闘争の場で殺傷のために用いるというもので、このような目的のためには手段を選ばぬ武器奪取闘争は、民主主義の基礎を揺るがしかねず、法秩序に対する重大な挑戦であり、悪質かつ危険なものである。
 しかし、他方、犯行は、計画性はあるものの、各種の準備は思いつきによるものが多く、襲撃目標の選択が場当たり的であるなど、熟慮されたものではなく、また、集団性はあるが、正犯の人数は三人であり、甲野は脅迫と詐言などを用いて周囲の者をひきずり込み、丁原はその一辺倒な性格から甲野の命ずるままに犯行に加わり、乙山はもともと金目当てであり、甲野から脅迫を受けて犯行に加わるようになったなど、集団の結合関係は稀薄で、思想的統一性もみられず、組織性はほとんどない。自衛官殺害は当初から予定していたものではなかった点で、死の結果は偶発的であるし、犯行の動機も非現実的でやや幼稚な面も窺われる。
 被告人の関与は、正犯行為の準備段階で四万円の闘争資金を送金したというものであるが、送金された金銭の使途はつまびらかではなく、送金が正犯行為遂行の不可欠の前提であったとまではいえない。送金の正犯行為に対する影響は心理的なものであり、被告人の認識も、正犯行為を具体的に特定して認識した上で送金したものではなく、送金と正犯行為との結びつきが強いと断ずることはできない。しかし、被告人は、それまでの甲野との接触時に、過激な武装闘争を主張し、同様の方向を目指す甲野の考えを支持し、甲野は被告人に心酔していたのであって、送金は、そのような状況下でなされたものである。
 送金の動機は、当時の被告人の過激な武装闘争論に基づくものである。自己の主義主張として如何なる暴力革命論、武装闘争論を説こうと自由であるが、人を殺傷する違法な武器奪取闘争のために資金援助をなすことは強い非難に値する。殊に被告人は、当時京都大学経済学部助手という社会的にも尊敬される研究者の一員であり、被告人の本件行為が一般社会に与えた影響のみならず、研究者の社会的評価を貶しめた点及び大学生、高校生ら学徒に与えた影響についてもその責任は重い。
 被告人は逮捕を免れるため犯行後一〇年以上にわたり逃亡し、しかもその間「只今潜行中 中間報告」等を出版し、捜査機関に対し公然と挑戦している。そこから窺われる無反省で、反規範的な態度は強く非難されるべきである。
 次に、時の経過による事情の変化を酌むべきかどうかについてみるに、一般的には、逃亡中の犯人の辛苦は原則として自業自得とみるべきであるし、期間の経過による様々な事情の変化を逃亡した犯人に有利に援用するには慎重であるべきである。しかし、本件当時の騒然とした社会状況も次第に鎮静化し、現在は社会情勢も落ち着き、新左翼運動も当時とは比較にならぬほど限局されたものとなっており、被告人自身自らを化石と評するほどである。このような社会情勢の変化を全く無視する訳にはいかない。
 被告人は、本件当時は三一歳の壮士であったが、逮捕された時は既に四二歳であった。その間、人生の最も充実した壮年期を逃亡生活に費やし、親の臨終の席にも出られなかった点は、身から出た錆とはいえ、被告人の幇助犯という刑責に鑑みれば、全く斟酌しないとも言い難い事情である。
 既に本件の関係者は丁原(病体)を除きすべて刑期を終え、事件のもつ社会的影響も時の経過により緩和された事情などは、多少とも考慮しうるであろう。
 被告人は、自己の刑責を否定し、遺族への慰謝の措置を講じないなど、反省の態度は十分とは認められない。しかし、被告人は、当公判廷において、最終的には、過激な暴力闘争を志向する当時の自己の考えは誤りであったことを明確に認めていること、その他現段階では被告人の活動母体は既に消滅していること、社会情勢の変化等に照らし、その再犯の可能性は必ずしも高くはない。
 以上、正犯行為の態様、結果の重大性、幇助行為の意義、長期間の逃亡等に照らし、被告人の幇助者としての責任は軽視できないものであるが、他方、本件正犯行為の特質、幇助行為の物理的因果性の稀薄さ、犯行後の事情、再犯の可能性の程、六年半余の長期の身柄拘束、関係者の量刑など諸般の情状を総合考慮すると、酌量減軽の上、被告人を懲役五年に処し、未決勾留日数を右刑期に満つるまで算入するのが相当であると思料する。
 よって、主文のとおり判決する。
 (裁判官 金山薫 裁判長裁判官杉山忠雄及び裁判官戸田久は、転補のため署名押印ができない。裁判官 金山薫)

民法択一 債権各論 契約各論 消費貸借


・消費貸借契約は、借主のみが返済義務を負うことから、片務契約である(587条)。そして、利息付消費貸借契約の場合は、一定期間物を使用することができないという貸主の経済的損失に対応して、借主が利息という対価的関係を有する出損をすることから、有償契約である!

+(消費貸借)
第587条
消費貸借は、当事者の一方が種類、品質及び数量の同じ物をもって返還をすることを約して相手方から金銭その他の物を受け取ることによって、その効力を生ずる。
・消費貸借契約 要件事実
①金銭返還の合意②金銭の交付③弁済期の合意と考えられています。消費貸借契約や賃貸借契約といった賃借型と呼ばれる契約類型の場合には、一定の価値をある期間借主に利用させることに目的があるのですから、契約の目的物を受け取るや否や直ちに返還すべきことを内容とする賃借は無意味のはずです。したがって、消費貸借契約のような賃借型の契約は、その性質上、貸主において一定期間その目的物の返還を請求できないという拘束を伴う契約関係であるというべきです。このように解すると、③返還時期(弁済期)の合意は、賃借型の契約にとって不可欠の要素であると考えるべきです。これに対して、売買契約の場合には、契約が締結されれば直ちに履行期にあるとされるのが原則ですので、弁済期の合意は契約の本質的要素ではありません。

・消費貸借の予約は、その後に当事者の一方が破産開始の決定を受けたときは、その効力を失う!!
+(消費貸借の予約と破産手続の開始)
第589条
消費貸借の予約は、その後に当事者の一方が破産手続開始の決定を受けたときは、その効力を失う。
←理由としては
貸主が金銭等を貸与し、借主が返還の義務を負わせるという信用の基礎が損なわれるため。

・貸主が買主に対して自己の銀行口座の預金通帳と印章を交付すれば、消費貸借契約は成立する!!!!ヘーーーー
←現実に金銭の授受がなかったとしても、借主をして現実の授受と同一の経済上の利益を得させるような場合には、消費貸借契約が成立する!!!

・金銭の授受前に公正証書が作成されたとしても、授受時から債務名義としての効力を生ずるとして、金銭の授受の2か月半前に作成した公正証書の債務名義としての効力を認めている!!

・民法上の消費貸借契約は書面に基づいて締結される必要はない!

・AのBに対する利息請求が認められるためには、AはBとの間で利息支払いの合意をしたことを主張立証する必要がある!

・貸金返還請求訴訟において、貸金元本の請求では、消費貸借契約に基づく貸金返還請求権
利息の請求では、利息契約に基づく利息請求権
遅延損害金の請求では、履行遅滞に基づく損害賠償請求権
が訴訟物となる!!
=1個の訴訟物の中に包含されるわけではない!!

・原告が、貸金返還請求訴訟で一部請求をしており、これに対し被告が、請求の全部棄却の判決を得るために弁済の抗弁を主張する場合、原告が請求している部分のみではなく、請求していない部分全体についても弁済の事実を主張立証しなければならない!!!!

+判例(S48.4.5)
同第二点について。
記録によれば、本件の経過は、次のとおりである。すなわち、
被上告人Bは、第一審において、療養費二九万六二六六円も逸失利益一一二八万三六五一円、慰藉料二〇〇万円の各損害の発生を主張し、療養費、慰藉料の各全額と逸失利益の内金一五〇万円との支払を求めるものであるとして、合計三七九万六二六六円の支払を請求したところ、第一審判決は、療養費、慰藉料については右主張の全額、逸失利益については九一六万〇六一四円の各損害の発生を認定し、合計一一四五万六八八〇円につき過失相殺により三割を減じ、さらに支払済の保険金一〇万円を差し引いて、上告人の支払うべき債務総額を七九一万九八一六円と認め、その金額の範囲内である同被上告人の請求の全額を認定した。
上告人の控訴に対し、原審において、被上告人Bは、第一審判決の右認定のとおり、逸失利益の額を九一六万〇六一四円、損害額の総計を一一四五万六八八〇円と主張をあらためたうえ、みずから過失相殺として三割を減じて、上告人の賠償すべき額を八〇一万九八一六円と主張し、附帯控訴により請求を拡張して、第一審の認容額との差額四二二万三五五〇円の支払を新たに請求した(弁護士費用の賠償請求を除く。以下同じ。)ところ、これに対し、上告人は右請求拡張部分につき消滅時効の抗弁を提出した。原判決は、療養費および逸失利益の損害額を右主張のとおり認定したうえ、その合計九四五万六八八〇円から過失相殺により七割を減じた二八三万七〇六四円について上告人が支払の責を負うべきものであるとし、また、慰藉料の額は被上告人Bの過失をも斟酌したうえ七〇万円を相当とするとし、支払済の保険金一〇万円を控除して、結局上告人の支払うべき債務総額を三四三万七〇六四円と認め、第一審判決を変更して、右金額の支払を命じ、その余の請求を棄却し、さらに、附帯控訴にかかる請求拡張部分は、右損害額をこえるものであるから、右消滅時効の抗弁について判断するまでもなく失当であるとして、その部分の請求を全部棄却したものである。
右の経過において、第一審判決がその認定した損害の各項目につき同一の割合で過失相殺をしたものだとすると、その認定額のうち慰藉料を除き財産上の損害(療養費および逸失利益。以下同じ。)の部分は、(保険金をいずれから差し引いたかはしばらく措くとして。)少なくとも二三九万六二六六円であつて、被上告人Bの当初の請求中財産上の損害として示された金額をこえるものであり、また、原判決が認容した金額のうち財産上の損害に関する部分は、少なくとも(保険金について右と同じ。)二七三万七〇六四円であつて、右のいずれの額をもこえていることが明らかである。しかし、本件のような同一事故により生じた同一の身体傷害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、原因事実および被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償の請求権は一個であり、その両者の賠償を訴訟上あわせて請求する場合にも、訴訟物は一個であると解すべきである。したがつて、第一審判決は、被上告人Bの一個の請求のうちでその求める全額を認容したものであつて、同被上告人の申し立てない事項について判決をしたものではなく、また、原判決も、右請求のうち、第一審判決の審判および上告人の控訴の対象となつた範囲内において、その一部を認容したものというべきである。そして、原審における請求拡張部分に対して主張された消滅時効の抗弁については、判断を要しなかつたことも、明らかである。
次に、一個の損害賠償請求権のうちの一部が訴訟上請求されている場合に、過失相殺をするにあたつては、損害の全額から過失割合による減額をし、その残額が請求額をこえないときは右残額を認容し、残額が請求額をこえるときは請求の全額を認容することができるものと解すべきである。このように解することが一部請求をする当事者の通常の意思にもそうものというべきであつて、所論のように、請求額を基礎とし、これから過失割合による減額をした残額のみを認容すべきものと解するのは、相当でない。したがつて、右と同趣旨において前示のような過失相殺をし、被上告人Bの第一審における請求の範囲内において前示金額の請求を認容した原審の判断は、正当として是認することができる
以上の点に関する原審の判断の過程に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+判例(H6.11.22)
同二について
特定の金銭債権のうちの一部が訴訟上請求されているいわゆる一部請求の事件において、被告から相殺の抗弁が提出されてそれが理由がある場合には、まず、当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額を算定した上、原告の請求に係る一部請求の額が残存額の範囲内であるときはそのまま認容し、残存額を超えるときはその残存額の限度でこれを認容すべきである
けだし、一部請求は、特定の金銭債権について、その数量的な一部を少なくともその範囲においては請求権が現存するとして請求するものであるので、右債権の総額が何らかの理由で減少している場合に、債権の総額からではなく、一部請求の額から減少額の全額又は債権総額に対する一部請求の額の割合で案分した額を控除して認容額を決することは、一部請求を認める趣旨に反するからである。
そして、一部請求において、確定判決の既判力は、当該債権の訴訟上請求されなかった残部の存否には及ばないとすること判例であり(最高裁昭和三五年(オ)第三五九号同三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七二〇頁)、相殺の抗弁により自働債権の存否について既判力が生ずるのは、請求の範囲に対して「相殺ヲ以テ対抗シタル額」に限られるから、当該債権の総額から自働債権の額を控除した結果残存額が一部請求の額を超えるときは、一部請求の額を超える範囲の自働債権の存否については既判力を生じない!!!!。したがって、一部請求を認容した第一審判決に対し、被告のみが控訴し、控訴審において新たに主張された相殺の抗弁が理由がある場合に、控訴審において、まず当該債権の総額を確定し、その額から自働債権の額を控除した残存額が第一審で認容された一部請求の額を超えるとして控訴を棄却しても、不利益変更禁止の原則に反するものではない
そうすると、原審の適法に確定した事実関係の下において、被上告人の請求債権の総額を第一審の認定額を超えて確定し、その上で上告人が原審において新たに主張した相殺の自働債権の額を請求債権の総額から控除し、その残存額が第一審判決の認容額を超えるとして上告人の控訴を棄却した原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・原告の貸金返還請求に対して弁済の抗弁を主張する場合、被告は、弁済の事実として、債務の本旨に従った金銭の交付当該金銭交付がその債権についてなされたことを主張立証する必要がある!!!!
+判例(S30.7.15)
上告代理人弁護士高橋義一郎、同鈴木紀男の上告理由第一点について。
弁済の抗弁については、弁済の事実を主張する者に立証の責任があり、その責任は、一定の給付がなされたこと及びその給付が当該債務の履行としてなされたことを立証して初めてつくされたものというべきであるから、裁判所は、一定の給付のなされた事実が認められても、それが当該債務の履行としてなされた事実の証明されない限り、弁済の点につき立証がないとして右抗弁を排斥することができるのであつて、右給付が法律上いかなる性質を有するかを確定することを要しないものと解するを相当とする
そこで本件の場合はどうかというと、原判決は、証拠により上告人等から被上告人に対して所論各金員の給付がなされたことはあるが、右はいづれも本件消費貸借債務の弁済として給付がなされたものでなかつたことを認めることができるものとしているのであるから、積極的に右給付の法律上の性質までも判示する必要がないものといわなければならない。されば、原判決が上告人の弁済の抗弁を排斥したことは正当であつて、論旨は理由がない。

・原告の貸金返還請求に対し、被告が弁済の抗弁を主張しそれが第三者の弁済である場合、当事者が反対の意思表示をしたこと(474条1項ただし書き)の主張立証責任は、第三者弁済の無効を主張する原告側にある!!!

・旧債務に付着していた同時履行の抗弁権が消滅するか否かは、準消費貸借契約を締結した当事者において、新旧債務の同一性を維持する意思があるか否かによって決定される!!!

・準消費貸借上の債務の消滅時効は、旧債務の消滅時効と関係なく、準消費貸借が商行為であった場合、商行為上の債権として5年の時効にかかる!

・将来において発生する金銭債務を目的としても準消費貸借契約は成立する!!!!
+判例(S40.10.7)
上告代理人高橋万五郎の上告理由第一について。
当事者間において将来金員を貸与することあるべき場合、これを準消費貸借の目的とすることを約しうるのであつて、その後該債務が生じたとき、その準消費貸借契約は当然に効力を発生するものと解すべきである。しかして、所論の準消費貸借は所論の金四万円の貸与前に締結されたものであるが、その後右金四万円の貸与のあつたことは、原判文上明らかである。それ故、原判決には所論の違法はなく、論旨は採用に値しない。
同第二について。本件当事者間において、昭和三三年二月二二日準消費貸借契約締結の際、所論の(イ)及び(ロ)の各貸金五万円に対する利息の合意が成立したことは原判文上明らかであり、かつその利率が利息制限法所定の制限をこえるものでなかつたことは、同法一条の規定に照らして明らかである。所論は、畢竟、原判決を正解しないでこれを非難するに帰する。原判決には何等所論の違法はなく、論旨は採用に値しない。
同第三について。
原審の認定したところによれば、昭和三四年二月二日本件当事者間において、既存債務を目的として、準消費貸借契約が成立したというのであつて、右認定は挙示の証拠によつて肯認しうるところである。しかして、準消費貸借は既存債務の存在を前提とするものであるから、既存債務が存在せず、または無効のときは、新債務はその有効に存したる範囲に減縮されるべきであるが、所論既存債務についての主張は単に右準消費貸借の成立過程に関するものであつて、この点に関し原判示のごとき認定をしても、何等所論の違法があるものとは認め難く、結局論旨は理由なきに帰し、採用しえない。

+++準消費貸借について
<民法>
(準消費貸借)
第588条
消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において、当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは、消費貸借は、これによって成立したものとみなす。

(1)Aが、Bから自動車を買って 代金(売掛金)を支払う義務を負っているところ、Aが支払えないものだから、A・B間で「お金を貸した・借りた事にする」と契約したときは、同日付をもって、「代金支払債務」が「借入金債務」になる(振り替わる)のです。
(2)Aは返済期の延長をする事のために 準消費貸借契約を利用出来ます。
Bは、売買代金に当初の弁済期までの利息相当額が上乗せされていたが、それを過ぎて支払いが猶予される場合は、準消費貸借契約締結に際して、「利息の定め」を契約する事によって、以後の(弁済期までの)利息・損害金を確保出来ます。
(3)「売買契約による代金債権」の効力と、「消費貸借契約による貸金債権」の効力には、法律上 差異があります。
Aにとっては、民法591条が適用されるので、お金が工面出来た時点でいつでも期限前弁済が出来ます。又、Aにとって、Bの有する代金債権には 売買物(売った車)に対する先取特権が存在するが、準消費貸借契約をする事によって 先取特権が無くなる(消滅する)というメリットが あります。ヘーーーー
(3)元の代金債務と 準消費貸借債務の間には、「債務の同一性」が有るとされ、担保や、同時履行の抗弁権といった法律関係は、そのまま新債務(準消費貸借債務)に移行し(引き継がれ)ます。

+(返還の時期)
第591条
1項 当事者が返還の時期を定めなかったときは、貸主は、相当の期間を定めて返還の催告をすることができる。
2項 借主は、いつでも返還をすることができる。

・既存の消費貸借契約上の債務を旧債務としても、準消費貸借契約は成立する!!!!

・準消費貸借契約は、目的とされた旧債務が存在しないときはその効力を生じない!!!
+判例(S43.2.16)
同第一の三について。
準消費貸借契約は目的とされた旧債務が存在しない以上その効力を有しないものではあるが、右旧債務の存否については、準消費貸借契約の効力を主張する者が旧債務の存在について立証責任を負うものではなく、旧債務の不存在を事由に準消費貸借契約の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解するを相当とするところ、原審は証拠により訴外居藤と上告人間に従前の数口の貸金の残元金合計九八万円の返還債務を目的とする準消費貸借契約が締結された事実を認定しているのであるから、このような場合には右九八万円の旧貸金債務が存在しないことを事由として準消費貸借契約の効力を争う上告人がその事実を立証すべきものであり、これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は理由がない。

・原告が準消費貸借の成立を主張していない場合には、裁判所は、原告の消費貸借に基づく支払い請求を、準消費貸借に基づく請求として認容することができる!!!!!!!!
+判例(S41.10.6)
上告代理人清水正雄の上告理由について。
原審の事実認定は挙示の証拠によつて肯認し得るところである。しかして本件訴訟の第一審以来の経過にかんがみるときは、原審が上告人申請の証人及び上告人本人を取調べなかったことをもつて、民訴法二五九条の証拠採否の裁量の範囲を逸脱したものと認め難く、また本件金三万円の債権につき原審は所論のごとき認定をしたのであるが、当事者が金銭消費貸借に基づき金員支払を求める場合において、その貸借が現金の授受によるものでなく、既存債務を目的として成立したものと認めても、当事者の主張に係る範囲内においてなした認定でないとはいい得ないから、畢竟、原判決には何等所論の違法はなく、論旨は採用に値しない。

・準消費貸借契約に基づく債務は、既存債務と同一性を維持し、既存契約成立後であって準消費貸借成立前に特定債権者のためになされた債務者の行為は、詐害行為としてこれを取り消すことができる!!!
+判例(S50.7.17)

 上告代理人菅生浩三の上告理由第二点について。 
 準消費貸借契約に基づく債務は、当事者の反対の意思が明らかでないかぎり、既存債務と同一性を維持しつつ、単に消費貸借の規定に従うこととされるにすぎないものと推定されるのであるから、既存債務成立後に特定債権者のためになされた債務者の行為は、詐害行為の要件を具備するかぎり、準消費貸借契約成立前のものであつても、詐害行為としてこれを取り消すことができるものと解するのが相当である。これと見解を異にする所論引用の大審院大正九年(オ)第六〇二号同年一二月二七日判決・民録二六輯二〇九六頁の判例は、変更すべきものである。ところで、原審の確定したところによれば、被上告人日機工業株式会社は、昭和四〇年二月一五日債務超過により倒産した訴外興和機械株式会社(以下訴外会社という。)に対し、昭和三九年九月一〇日から昭和四〇年一月三〇日までの間に生じた貸金債権金二九九万二八四〇円及び売買代金債権金五一一万五七四〇円を有していたが、同年二月二四日、訴外会社との間で、右各債権の合計金八一〇万八五八〇円を消費貸借の目的とする準消費貸借契約を締結したところ、訴外会社は、右契約締結前の同年二月一九日に、債権者の一人である上告人に対し、他の債権者を害する意思をもつて、自己の被上告人椿本興業株式会社に対する請負代金債権を譲渡し、右譲渡の通知書は同年二月二一日同被上告人に到達したというのであり、右事実によれば、右債権譲渡行為を詐害行為として取消を求める被上告人日機工業株式会社の請求を認容した原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。 
・準消費貸借契約は、旧債務の存否については、旧債務の不存在を事由に準消費貸借契約の効力を争う者においてその事実の立証責任を負う!!!
+判例(S43.2.16)
 同第一の三について。 
 準消費貸借契約は目的とされた旧債務が存在しない以上その効力を有しないものではあるが、右旧債務の存否については、準消費貸借契約の効力を主張する者が旧債務の存在について立証責任を負うものではなく、旧債務の不存在を事由に準消費貸借契約の効力を争う者においてその事実の立証責任を負うものと解するを相当とするところ、原審は証拠により訴外居藤と上告人間に従前の数口の貸金の残元金合計九八万円の返還債務を目的とする準消費貸借契約が締結された事実を認定しているのであるから、このような場合には右九八万円の旧貸金債務が存在しないことを事由として準消費貸借契約の効力を争う上告人がその事実を立証すべきものであり、これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は理由がない。
+準消費貸借の要件事実
 準消費貸借契約についての証明責任の分配
 本件において原告Xは、準消費貸借契約に基づく貸金返還請求をしているのであるから、まず準消費貸借契約の成立を主張することが考えられる。そこで、準消費貸借契約成立の要件事実はなにかが問題となる。
 民法588条の条文によると、準消費貸借契約は①旧債務が準消費貸借契約の合意時点で存在したこと、②旧債務をを消費貸借の目的とすることについて合意したことの2つが要件事実となり、これらがXが証明責任を負う請求原因事実であるかのように見える。
 たしかに上記の見解は条文の表現に合致するが、準消費貸借契約では旧証書が破棄され新証書にはあたかも新たな消費貸借契約が行われたかのような表示がなされるのが通常であるといわれており、そのような実情のものと①について旧債務の存在についての証明責任を債権者が負うことになると、旧債務の存在を立証することは困難である場合が多く、通常の消費貸借契約の場合の債権者の負う証明責任の範囲が重くなり妥当ではない。また、準消費貸借は旧債務関係の単純化を図る目的を持つから債権者の証明の容易化も意図されているといえる。
 よって、①の事実は請求原因事実にはあたらず、原告Xは②について請求原因事実として証明責任を負う。そうすると、準消費貸借契約の合意時点での旧債務の不存在については抗弁となり債務者が証明責任を負う。
・売買代金債務につき準消費貸借契約を締結した場合、買主の売主に対する所有権移転登記手続請求に対して、売主は、買主が当該準消費貸借契約上の未払債務を弁済するまでは、所有権移転登記手続債務の履行を拒むことができる!!!
+判例(S62.2.13)
 同第二点について 
 原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人の上告人三沢紀昭に対する第一審判決添付の物件目録(二)記載の土地についての所有権移転登記手続債務と同上告人の被上告人に対する本件準消費貸借契約上の債務とが同時履行の関係に立ち、被上告人は、同上告人が本件準消費貸借契約上の未払債務を弁済するまでは、右所有権移転登記手続債務の履行を拒むことができるものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の認定に副わない事実に基づいて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。 


刑法論文 ボンネット上の酔っ払い


1.暴行の故意について
車を走らせればBにぶつかるかもしれないと一瞬思っているが、結局ぶつからないだろうと考えたのであるから、車がBにぶつかるとの認識はない。また、Bが怪我をすることも認識していない。したがって、甲はBに傷害を負わせる故意は有していなかったといえる。
しかし、甲はBの体の近くを車を通過させることは認識していたのであるから、これがBの体に対する有形力の行使として暴行にあたると解するのであれば、甲に暴行罪の故意を認めることができる。そして、傷害罪を暴行罪の結果的加重犯と解するなら、体のすぐ近くに車が向かってきて被害者があわててこれを避けようとして転倒して怪我をすることは相当な因果経過と解することができるから、甲に傷害罪の構成要件該当性を認められる!

2.殺意について
殺人罪の実行行為性=Aの死亡結果が発生する現実的危険性を認めることができるか?
生命に対する高度の危険性を認定。
客観的に死の危険性の高い行為を認識→未必の故意を認定していく。

3.正当防衛の成否
(1)手拳で殴打した行為について
(2)Bの体のすぐそばを車を通過させた行為
(3)車を発進させてAを振り落した行為
Aの侵害行為が甲の第1行為から誘発されているのであるが、第1行為に正当防衛の成立を認めるのであれば自招侵害ということはできない。
第1行為を過剰防衛と考えた場合にも、AがBの加勢を得て甲を追尾してくることまでは通常予想しえないこと、Aの側にも落ち度があることなどを考慮すると、急迫性ないし防衛行為性は否定されない(判例H20参照)

防衛行為の相当性について!!!
行為の結果ではなく、行為の態様により防衛行為の相当性を判断すべき!!!!!!

+判例(H20.5.20)
所論にかんがみ、本件における正当防衛の成否について、職権で判断する。
1 原判決及びその是認する第1審判決の認定によれば、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) 本件の被害者であるA(当時51歳)は、本件当日午後7時30分ころ、自転車にまたがったまま、歩道上に設置されたごみ集積所にごみを捨てていたところ、帰宅途中に徒歩で通り掛かった被告人(当時41歳)が、その姿を不審と感じて声を掛けるなどしたことから、両名は言い争いとなった。
(2) 被告人は、いきなりAの左ほおを手けんで1回殴打し、直後に走って立ち去った
(3) Aは、「待て。」などと言いながら、自転車で被告人を追い掛け、上記殴打現場から約26.5m先を左折して約60m進んだ歩道上で被告人に追い付き、自転車に乗ったまま、水平に伸ばした右腕で、後方から被告人の背中の上部又は首付近を強く殴打した。
(4) 被告人は、上記Aの攻撃によって前方に倒れたが、起き上がり、護身用に携帯していた特殊警棒を衣服から取り出し、Aに対し、その顔面や防御しようとした左手を数回殴打する暴行を加え、よって、同人に加療約3週間を要する顔面挫創、左手小指中節骨骨折の傷害を負わせた。

2 本件の公訴事実は、被告人の前記1(4)の行為を傷害罪に問うものであるが、所論は、Aの前記1(3)の攻撃に侵害の急迫性がないとした原判断は誤りであり、被告人の本件傷害行為については正当防衛が成立する旨主張する。しかしながら、前記の事実関係によれば、被告人は、Aから攻撃されるに先立ち、Aに対して暴行を加えているのであって、Aの攻撃は、被告人の暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから、Aの攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の本件傷害行為は、被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえないというべきである。そうすると、正当防衛の成立を否定した原判断は、結論において正当である。

++解説
1 本件は,正当防衛の成否が問題となった事案であり,事実経過は,決定理由中に記載されているが,要点は,次のとおりである。すなわち,道路上において,自転車にまたがっていた被害者と,たまたま徒歩で通り掛かった被告人とが,言い争いとなり,被告人は,いきなり被害者の左ほおを手けんで1回殴打し,直後に走って立ち去った。被害者は,自転車で被告人を追い掛け,上記殴打現場から90m弱先の歩道上で追い付き,自転車に乗ったまま,水平に伸ばした右腕で,プロレスのラリアットのような形で被告人を強く殴打した。被告人は,前方に倒れたが,起き上がり,携帯していた特殊警棒で被害者の顔面を数回殴打し,傷害を負わせたというものである。
被告人は,公判で正当防衛を主張したが,1・2審判決ともに,被告人の主張を退けた。2審判決は,その理由として,被告人は,初めに被害者を手けんで殴打する暴行を加えた際にはもちろん,走り去る途中でも,被害者が被告人の挑発を受けて報復に出ることを十分予期していたと推認でき,被害者の攻撃は,被告人の当初の暴行によって招いたものといわざるを得ないなどとした上で,結論として,被害者による攻撃は「不正な侵害であるとしても,これが被告人にとって急迫性のある侵害と認めることはできない」と判示した。
本決定は,上告趣意を不適法として上告を棄却しつつ,職権で,正当防衛の成否について,「相手方から攻撃された被告人がその反撃として傷害行為に及んだが,被告人は,相手方の攻撃に先立ち,相手方に対して暴行を加えているのであって,相手方の攻撃は,被告人の暴行に触発された,その直後における近接した場所での一連,一体の事態ということができ,被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから,相手方の攻撃が被告人の上記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては,被告人の上記傷害行為は,被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない。」旨判示した。

2 被告人の本件傷害行為に先立つ被害者の攻撃は,そこだけをみれば,急迫不正の侵害の外観を呈しているともいえる。しかし,この侵害行為は,更にこれに先立つ被告人の暴行に触発されたものであるところ,このような事案については,これまで最高裁における適切な判例はなかったものの,下級審の判例・裁判例あるいは学説においては,正当防衛が否定されるとするものが多かった。もっとも,その理論的根拠や判断基準については,必ずしもまとまっていたとはいえない。
そもそも現行刑法36条には自招侵害に関する文言はないが,旧刑法では,各則である314条において,「身体生命ヲ正当ニ防衛シ已ムコトヲ得サルニ出テ暴行人ヲ殺傷シタル者ハ自己ノ為メニシ他人ノ為メニスルヲ分タス其罪ヲ論セス但不正ノ所為ニ因リ自ラ暴行ヲ招キタル者ハ此限ニ在ラス」とし,自招侵害の事例を正当防衛による不論罪の対象外としていた。現行刑法においては,正当防衛は総則に置かれるとともに,自招侵害に関する例外がなくなったが,その理由は,必ずしも明らかでない面はあるものの,明治40年の刑法改正政府提出案理由書によれば,「現行法ハ防衛ス可キ侵害ノ状態ニ付キテハ其規定頗ル不十分ニシテ唯第三百十四條但書ニ於テ不正ノ行為ニ依リ自ラ招キタル暴行ニ非サルコトヲ示スノミナルヲ以テ本案ハ更ニ此點ヲ明確ニシ侵害ノ急迫ニシテ不正ナルヲ要スルコトヲ規定シタリ」とされており(倉富勇三郎ほか監『刑法沿革総覧〔増補〕』2141頁),旧刑法314条ただし書に対応する規定が存在しないことは,同規定の趣旨を積極的に否定するものではなかったと解されるところである(橋爪隆『正当防衛論の基礎』223頁参照)。
そして,正当防衛を否定する根拠としては,これまで,防衛の意思がない,急迫性がない,侵害が不正でない,防衛のための行為といえない,防衛行為としての相当性がない,権利の濫用である,社会的相当性に欠ける,原因において違法な行為であるなど様々な説が唱えられていた(学説について,大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法〔第2版〕(2)』359頁以下〔堀籠幸男=中山隆夫〕,的場純男=川本清厳「自招侵害と正当防衛」大塚仁=佐藤文哉編『新実例刑法』109頁,栃木力「正当防衛(1)急迫性」小林充=植村立郎編『刑事事実認定重要判決50選〔補訂版〕(上)』53頁等参照。この問題に関する総合的研究として橋爪・前掲がある。)。
下級審の判例等においても,上記の要件の一つないし複数を根拠として挙げるものがあったが(積極的加害意思論に沿う形で急迫性を否定するものとして東京高判昭60.6.20判時1162号168頁,急迫性否定と防衛行為性否定をともに挙げるものとして福岡高判昭60.7.8刑月17巻7=8号635頁,判タ566号317頁,東京高判平8.2.7判時1568号145頁,仙台地判平18.10.23判タ1230号348頁,侵害の不正性を否定するものとして東京地判昭63.4.5判タ668号223頁,検察官の急迫性を欠くとの主張に対して,急迫性を欠くとはいえないとしたものとして東京地判平8.3.12判時1599号149頁があり,被告人が挑発後に立ち去った事例において,被告人が当初反撃を予期したとしても,被告人が立ち去ろうとした際においては予期は認められず,その可能性もなかったとして,侵害の急迫性は肯定できるが,こうした事情は相当性判断に影響するとしたものとして大阪高判平12.6.22判タ1067号276頁がある。),最一小決昭52.7.21刑集31巻4号747頁,判タ354号310頁が,積極的加害意思がある場合は急迫性が否定されるとの理論を採用していることもあって,本件のようないわゆる自招侵害の事案についても,急迫性を否定することにより説明しようとする考え方が実務的には比較的有力であったように思われる。本件の原判決も急迫性否定説の立場に立つものであった。

3 自招侵害といわれる事例においては,前記のような正当防衛の各要件のうちの特定の要件(一つないし複数)が欠ける場合があると考えられるが,事案によって,そのポイントとなる点は必ずしも同じとはいえず,特定の一つの要件で説明しようとすることは必ずしも実際的でないように思われる。そして,有力とされる急迫性否定説についてみても,侵害行為の程度がそれに先立つ自招行為によって通常想定される程度を大きく超えていなければ急迫性がないのに,大きく超えている場合は侵害自体があることは予期していたとしても急迫性があると説明し,急迫性を量的な概念のように用いることとなるなど,やや技巧的な面がないとはいえない。・・・マアタシカニネ・・・また,侵害行為に急迫性がないというためには,被告人において侵害行為を予期していたことが重要な意味を有すると考えられるが(この点に関し,橋爪・前掲322頁以下も参照。),予期といっても,時点によってその程度は異なり得るものであるし,本件事案についてもいえるように,情況を総合しての評価的な認定にならざるを得ない場合も多いと考えられる。このようなことからすれば,本件のような事案においては,急迫性の要件は,判断の基準として必ずしも有効なものとはいえないようにも思われる。

4 本決定は,正当防衛の各要件のうちのいずれかが欠けるとの理由付けをせず,具体的な事実関係を判示した上で,本件の事実関係の下においては,「被告人の本件傷害行為は,被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない」との端的な判示をしており,上記のようなことをも考慮した上で,より実際的な判断の枠組みを提示したものと推察される。本決定は,正当防衛状況が否定される理由として,①相手方の侵害行為が,「被告人の暴行に触発された,その直後における近接した場所での一連,一体の事態ということができ,被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから」ということを挙げており,さらに,②相手方の「攻撃が被告人の前記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件事実関係の下においては」としているから,①のような前提があれば,特段の事情がない限り正当防衛が認められる状況にはないのであり,さらに,そのような場合であっても,②にあるように相手方の攻撃が被告人の暴行の程度を大きく超えるようなときは,その特段の事情があるものとして正当防衛を認める余地があるとしているものと思われる。確かに①のような事情があれば,正対不正の関係ともいうべき正当防衛を基礎付ける前提が基本的に欠けているといえるから,このような思考方法は,正当防衛の規定の趣旨に沿ったものであるといえるように思われる。

5 いわゆる自招侵害が問題となる事案は,比較的頻繁に生じるものと考えられるが,前述のように,これまで最高裁の判例はなく,下級審判例・学説等においては一定の蓄積があるにもかかわらず,その考え方,判断方法等については必ずしもまとまっていなかった。また,正当防衛の要件に関する理論が難解であるということはしばしば指摘されていたところである。本決定は,このような状況下で,自招侵害の事案における実際的な判断の枠組みを提示したものということができ,重要な意義を有するものと思われる。

+++未必の故意
未必の故意とは、罪を犯す意志たる故意の一態様であり、犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、それを認容している場合を意味する。故意は、刑法において「犯罪を犯す意志」(刑法38条1項)をいい、過失犯として法律に特別に規定のある場合を除き、犯罪の成立に必要とされる。
故意の具体的内容は、犯罪の客観的な構成要件を認識・認容されていることをいうとされる。未必の故意は、犯罪の実現自体は不確実という認識を犯罪行為者が有しているものの、実現される可能性を認識しながら、それを認容している点で「罪を犯す意志」として十分であるとされている。これと異なり、犯罪の認識はあるが、認容を欠く場合には過失(認識ある過失)となり、故意は認められないことになる。
未必の故意の具体例としては、人を包丁で刺す際に、この行為により相手が死ぬかもしれないが死んでも構わないと思っていた場合があげられる。

++判例(H15.12.5)上記判例の1審?
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成13年12月12日午前零時25分ころ,京都市××区【以下省略】○○橋上において,自己が運転していた普通乗用自動車の進路をA運転の普通乗用自動車によって塞がれたため停止した後,発進しようとしたところ,上記A運転車両から降りてきたB(当時36歳)が,進路に立ち塞がり,さらに被告人運転車両の前部ボンネット上に飛び乗ってきたため,この場から直ちに去らなければ,上記BおよびAから暴行を加えられるなどと考えて,身の危険を感じ,自己の身体を防衛するため,上記Bをボンネット上に乗せたまま自車を発進させ,防衛の程度を超えて,走行中の同車の前部ボンネット上から同人を路上に転落させれば,同人が死に至るかもしれないことを認識しながら,あえて,時速約60キロメートルで疾走しつつ,同車を蛇行させるなどしながら,約2.5キロメートルにわたって同車を運転して走行し,同日午前零時30分ころ,同区【以下省略】先路上において,同車のボンネット上から同人を振り落として路上に転落させ,よって,同人に加療約2週間を要する頭部外傷,顔面裂創,両肘両膝打撲擦過傷の傷害を負わせたが,同人を殺害するに至らなかった
第2 同日,同区【以下省略】駐車場に駐車した普通乗用自動車内において,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩を含有する結晶粉末合計約0.295グラムを溶かした水溶液合計約0.45ミリグラムおよび同様の結晶粉末約0.065グラムをみだりに所持した
ものである。

(法令の適用)
被告人の判示第1の所為は刑法203条,199条に,判示第2の所為は覚せい剤取締法41条の2第1項にそれぞれ該当するところ,判示第1の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し,上記の前科があるので刑法59条,56条1項,57条により判示各罪の刑についてそれぞれ3犯の加重をし(判示第1の罪の刑については同法14条の制限に従う),以上の各罪と上記確定裁判があった罪とは同法45条後段により併合罪の関係にあるから,同法50条によりまだ確定裁判を経ていない判示各罪について更に処断することとし,なお,判示各罪もまた同法45条前段により併合罪の関係にあるから,同法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑に同法14条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年6月に処し,主文掲記の覚せい剤結晶2包および結晶粉末1包は,判示第2の罪に係る覚せい剤で被告人の所有するものであるから,覚せい剤取締法41条の8第1項本文によりこれを没収し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)
1 弁護人は,判示第1の事実について,①被告人は,確定的にも未必的にも,殺意を有していなかった,②被告人は,普通乗用自動車を運転中,Aが運転する自動車に進路を塞がれて停止したところ,A運転車両から降りてきたBおよびAが,棒切れ様の物を手にして立ちはだかったので,危険を感じ発進しようとしたところ,Bがボンネット上に乗ってきたため,同人らから暴行されるのを避けるために,自車を発進させ,停車すれば,Bおよび自動車を運転して追尾してくるAから,危害を加えられるおそれがあったから,やむを得ず自車を走行し続けたものであって,被告人の行為は正当防衛であり,被告人は無罪である旨主張している。
  そこで,以下検討する。
2 本件に至る経緯や前後の状況等について,BおよびAは,それぞれ公判廷で証人として以下のように供述している。
(1) Bの供述
① 私は,平成13年12月11日,仕事を終えてから午後11時ころまで,勤務先の同僚であるAと飲酒しながら食事をした後,同人と別れ,帰宅するため京都駅に行った。ところが,最終電車が既に出た後であったため,Aに連絡を取って,同人の家に泊めてもらうこととし,タクシーで国道△△号線の**交番の手前まで行き,Aが迎えに来てくれるのを待った。私が,その辺りの路上に大の字になって寝ていたというようなことはない。
② 私がAを待っていると,20歳くらいの男性が,何こっち見てんねんという感じで因縁をつけてきた。そして,別の男性がもう1人,何やねんという感じで近づいてきて,その男性から,いきなり顔面を手拳で殴られ,押し倒されて尻餅をついた。その殴りかかってきた男性が,被告人であったかどうかは記憶にない。その男性1人に殴られたのか,最初に因縁をつけてきた男性からも殴られたのかについても,はっきり覚えていない。
③ その後,私が,立ち上がり,呆然としていると,私を殴った男性が運転する白いセダンタイプの車(以下「白い車」という)が,国道△△号線を北西方向に走り去るのが見えた。私は,なぜ殴られたのかも分からず,その理由を聞きたいと思っていたところ,折しもそこに,Aが,普通乗用自動車を運転して迎えに来たので,その助手席に乗り,同人に事情を説明し,そのまま同人の運転で,先に走り去った白い車を追い掛けることにした。
④ ○○橋上で白い車が止まっているのを見つけた。白い車を止めるために,A運転車両が,白い車の前に出て覆い被さるようにしたり,止まれと言ったりしたかについては,記憶が定かでない。A運転車両は,白い車の後方に停止し,私は,車から降りて,白い車の前方に回り,運転していた男性に対し,降りてくるように手招きをしたか,声を掛けるなどしたが,そのどちらであったかは,はっきり覚えていない。そのとき,私は,車から1人で降り,手ぶらで白い車の所まで行っており,木刀や竹刀その他棒切れの様な物を持っていたということはない。
  ⑤ 白い車から男性が降りてこないので,同車に更に近づいたところ,同車が動き始めたため,私は,そのボンネットに飛び乗ってしがみついた。飛び乗るときの体勢は覚えていない。白い車の窓が開いていたので,左手で運転席側の,右手で助手席側の各窓枠の一番上辺りをつかんだ。私の顔は,フロントガラスの真ん中辺りに位置したと思う。私は,先刻一方的に殴られたことに納得がいかず,とりあえず私を殴った男性と話をしたいと考えており,そのようにしてボンネットに飛び乗れば,白い車は停止し,男性が,降りてきて話合いに応じると思っていたが,白い車は,そのまま急発進し,国道△△号線を北向きに走り始めた。
  ⑥ 白い車は,蛇行したり,急ブレーキをかけたりしながら走行し,私は,振り落とされないよう必死にしがみついた。速度は,時速80キロメートルくらい出ていたと思う。走行中,運転している男が何か叫んでいたが,聞き取れなかった。私は,何も言わなかった。途中で,窓を閉められて手を挟まれ,痛いのを我慢してしがみついていたが,歩道に当たったような衝撃で右手が外れ,急ブレーキをかけられて振り落とされた。落ちたのは,白い車の右前辺りであったと思う。
(2) Aの供述
  ① 私は,Bと飲食し,別れて帰宅したところ,同人から,終電に乗りそびれたとの連絡を受け,同人を私方に泊めることにした。午前零時を回ったころ,Bから,近くのコンビニエンスストアに着いたので迎えに来てほしいとの電話があり,私は,自動車を運転して**の□□ストアに向かった。その電話の際のBの口調は,特に呂律が回らないということもなく普通であったが,電話口で何かもめているような感じの声が聞こえた。
  ② **の□□ストアの辺りへ着くと,Bは,尻もちをついて地面に座っていた。私が,どうしたのかと声を掛けると,Bは,殴られたと言った。Bの顔は,少し腫れていたようだった。
  ③ Bから事情を聞くと,同人を殴った犯人は,白い車で逃げたとのことであり,国道△△号線を北西方向に走っていく白い車が見えたので,同人に「あの車か」と尋ねると,そうだという答えであったので,私の車の助手席に同人を乗せて,その白い車を追い掛けることにした。
  ④ 追い掛けていくと,白い車が○○橋の上で止まったので,私もその後方に停車した。私が,白い車の前に自車を出して覆い被さるように停止したことはないし,止まれなどと言ったこともない。なぜ白い車がそこで止まったのかは分からない。Bは,車から降りて,白い車の方へ歩いていき,少し遅れて私も車から降りた。私やBが,木刀や竹刀等棒切れの様な物を持って降りたということはない。
⑤ Bは,白い車の運転者と,運転席側の窓越しに何か話していたようであったが,私が近づいて行くと,Bが,白い車のボンネットに乗ってしがみつき,そのままの状態で白い車が発進した。Bは,腕を広げてフロントガラスの両端の枠を掴んでいたと思うが,そのとき白い車の窓が開いていたかどうか,開いていたとしてその両側が開いていたかどうかなどは,よく分からない。後で,Bから,窓を閉められたなどと聞いているので,おそらく開いていたのだと思う。
  ⑥ 私は,Bのことが心配で,自分の車に乗って国道△△号線を北上する白い車を追い掛けた。白い車は,一番速いときで時速80キロメートルくらいの速度が出ており,急ブレーキをかけたり,蛇行するなどしながら走行していた。しばらく走ったところで,白い車が左側の歩道の縁石に当たり,その拍子にBの片手がフロントガラスから離れ,間もなく,その姿が白い車のボンネット上から見えなくなった。

3 他方,被告人は,捜査公判を通じて,以下のとおり供述している。
(1) 私が,本件当日,普通乗用自動車を運転して,国道△△号線を京都市内に向かい北進していると,Bが,車道に大の字になって寝ころんでいた。私は,そのままでは事故になるかも知れないからBを起こそうと思い,同人の手前に車を止めてクラクションを3回鳴らした。Bは,起き上がり,「なんや,こら,やかましいのう」などと言って,私の車の運転席側に歩いてきたので,私が「酔っ払い,はよ,どっか行かんかい」などと言うと,Bは,車の窓から手を入れてきて,私の胸ぐらを掴もうとした。私は,その手を払いのけて,車を発進させた。
(2) 10メートルくらい進んで,バックミラーを見ると,Bが,私の後続車両に乗っていた男性に絡んで,同人を車から引きずり出すなどしていた。私は,Bを起こした自分に責任があると思い,車を止めて降り,Bらがいる□□ストアの辺りへ行った。そして,Bに,「関係ない人間に,何いちゃもんつけとんねん,ええ加減にせぇよ」などと言うと,同人が,「おまえらが通る道だけと違うんやぞ」などと反論してきたため,かっとなり,同人の頭か顔を1回手で殴ったところ,同人は,ふらついて倒れたので,そのまま自分の車に戻って北に向けて車を発進させた。
(3) その後,○○橋の中央付近を走っていると,後方からすごいスピードで車が追い掛けてきて,私の車の前方に斜めに覆い被さるようにして止まったので,私も急停車したところ,追い掛けてきた車の助手席から,Bが,棒切れの様な物を持って降りてきた。その棒切れは,80センチメートルから1メートルくらいの長さで,太さは普通の木刀程度であり,色は,茶色の少し焦げたような感じのものだった。Bは,その棒切れを振りかざして,「こいつや,こいつや」などと言っていた。追い掛けてきた車の運転者も,遅れて降りてきて,私の車の前に来た。その男性も,ぶら下げるよう
な感じで,棒切れの様な物を持っていた。私は,その時,棒切れでどつかれるか,車をぼこぼこにされるか,何かされるだろうと思ったので,ユーターンして立ち去ろうと考えた。しかし,後ろから別の車が来ていたためユーターンすることができず,Bらの乗ってきた車の横をすり抜けて北に向かうことにして,車を発進させた。
(4) 私が,Bらが乗ってきた車の右側を通り過ぎようとすると,Bが,両手を左右に大きく広げて私の車の前に立ちはだかった。私は,車を止めて,「おい,どけ,こら」などと言ったところ,Bは,何も言わず,私の車のボンネットに乗ってきた。私は,更に「どけ,降りぃ,降りんかったらこのまま走ってまうぞ」と言ったところ,Bから「おう,走れるものなら走ってみぃ」などと言われて,かっとなり,関わりたくないので,その場から早く立ち去りたいとも思い,そのまま車を発進させた。
(5) Bは,ボンネットの根元のワイパーが取り付けられているところに,左右の手を入れてしがみついていた。私の車の窓は,運転席側が少しだけ開いており,助手席側は閉まっていた。私は,車を走らせながら,「頼むから降りてくれ」とBに何度も言ったが,同人は,「振り落とせるものなら,振り落としてみい」などと言っていた。私の車の速度は,せいぜい時速40キロメートルくらいで,時速70キロメートルも出ていたようなことはない。
(6) 私は,Bをどうにかして振り落とそうと思い,蛇行運転をしたり,急ブレーキをかけたりした。Bは,ボンネットの上で振り子のように左右に揺れていた。約2.5キロメートル走ったところで,私が,左に急ハンドルを切って車を横に振ると,Bは,力尽きた様に左側へ落ちた。落ちたのは歩道側ではあったが,歩道に落ちたのかどうかは分からない。私は,やっと逃げられると思い,安心して走り去った。
(7) Bは,ボンネットに乗ったとき棒切れを持っていなかったが,同人と一緒にいたAが,車で私の車を追い掛けてきていたし,私が車を止めれば,BやAが,棒切れを持って殴りかかってくるかもしれないと思い,身の危険を感じていた。今考えれば,Bをボンネット上から振り落とせば,負傷させたり,他の車両に轢かれて命を落とすような危険があったとは思うけれども,その時は,自分の身を守ることに精一杯で無我夢中だったので,Bの身の安全に対する配慮などしている余裕は全くなかった。

4 以上のとおり,BとAは,大筋において符合する供述をしているのに対し,被告人は,これと食い違う供述をしている。そこで,まずBおよびAの各供述について,その信用性を検討する。
(1) Bは,本件のそもそもの発端となる経緯について,Aが迎えに来るのを待っていた際,被告人と思われる男性らから因縁をつけられ,いきなり殴られたなどと供述し,被告人が述べているように,自分が車道上に大の字になって寝ており,それを被告人に注意されるような出来事はなかった旨供述している。
しかし,被告人が,見ず知らずのBに対し,わざわざ車を停止させて,何の理由もなく因縁をつけ,いきなり殴りかかるなどというのは,まことに不自然であり不合理でもある。反面,被告人が述べるように,このときBが車道上に大の字に寝ていたことが,事の発端であるとすれば,それは同人の落ち度に他ならない。そうすると,Bが,そのことを意図的に隠すような供述をしたとしても不思議ではない。
(2) BおよびAは,いずれも,Aの運転する車にBが同乗して被告人車両を追跡したところ,○○橋の上で被告人の車が突然停止したなどと供述し,被告人が述べるように,A運転車両が,被告人の車の前に出て覆い被さるようにして,被告人の車を停止させたようなことはなかった旨述べている。
しかし,○○橋上の当時の交通量や状況等に照らせば,被告人が,何の理由もないのに,あえて同所に車を停止させるとは考え難い。被告人が,後続車に追走されていることに気付いていたとしても,追いつかれないよう速度を上げるなどの対応をとることなく,特にやむを得ない事情もないのに,わざわざ同所を選んで,自らの意思で停車するというのは,やはり不自然であるとの感を否めない。
(3) Bは,被告人車両の運転席と助手席の窓枠の上部にしがみついていた旨述べ,Aもこれに沿う供述をしている。
しかし,被告人車両のボンネット上には,フロントガラスから約84センチメートルの位置に金属の様な固い物で左右に擦られてできたと認められる傷がついているところ,当時のBの着衣にかんがみると,上記傷は,同人着用のズボンのベルトのバックルによってついたと認定するのが最も妥当である。そして,Bの身長,体格等に照らすと,Bらの供述する体勢では,ボンネット上のもっとフロントガラス寄りに傷がついた筈であって,上記の位置に傷がつくとは考えられず,同人らの供述とボンネット上の傷との整合性には疑問があり,むしろ,被告人の供述のとおり,Bが,ボンネットの取付部に左右の手を入れてしがみついていたと認定する方が,傷の位置と整合するというべきである。
また,Bが,左右の窓枠に手をかけた状態でボンネット上に乗っていたとすれば,同人の顔面や上半身がフロントガラスの中央付近を覆う筈であるから,そのような状態で,なぜ,被告人車両が曲がりなりにも不都合なく走行できたのか,疑問なしとしない。
そもそも,本件が,12月中旬ころの深夜の出来事であることからすると,被告人が,本件当時運転席側の窓は僅かしか開いておらず,助手席側の窓は閉まっていたから,Bが,その窓枠をつかむことはできなかった筈である旨述べているのは,もっともな面があるというべきである。Bは,途中で窓が閉められ,それでも窓枠から手を離さずにしがみついていたなどとも述べているのであるが,仮にそのような状況があったとすれば,同人が,窓に挟まれた指の痛みに果たして耐えることができたのか疑問であり,また,手指に特段の負傷を負った形跡がないのも不自然である。
そうすると,被告人車両の窓枠に手を掛けてしがみついていたなどするBらの供述は,客観的な証拠との整合性もなく,不自然というほかない。
(4) 以上のほか,Bは,覚えていない,記憶がないなどと述べたり,曖昧な供述をしたりすることが多く,同人が,本件当時酒に酔っていたことや,同人の供述は,本件から約1年7か月も経過した後のものであることを考慮すれば,Bの記憶の正確性は低いというべきである。
 また,Aの供述内容にも全体として曖昧な点が多く,B同様当時酒に酔っていたことなどに照らせば,その依拠する記憶の正確性には疑問がある。そして,Aは,Bと親しい間柄にあり,同人を庇うために,同人の落ち度となる部分を隠そうとする意図が,その供述内容に少なからず影響を与えていることも否定できない。
なお,BとAの各供述は,被告人車両が,先に○○橋上で停止していたこと,BとAは棒切れなどを持っていなかったこと,Bが被告人車両の窓枠に手を掛けてしがみついていたことなどの諸点について一致しているけれども,両者が親しい関係にあり,Aが,Bから聞いた話に基づいて供述することも十分あり得ることや,実際に,Aは,Bから聞いた話に基づく記憶であるとして述べている部分もあることにかんがみると,両者の供述内容が一致していることによって,必ずしもその供述の信用性を相互に高めるものでないことは明らかである。
(5) 以上からすると,BおよびAの各供述は,その内容に不自然不合理な点も少なからず認められ,いずれもこれを全面的に信用することは躊躇せざるを得ない。

5 次に,被告人の供述の信用性について検討するに,被告人は,Bを殴った経緯やボンネットに乗せて走ることとなった経緯,犯行状況等について,当時の心境を交えて迫真的に供述しており,その供述する一連の内容は,大筋において捜査段階から一貫している上,後述の点を除き,概ね合理的なものと認められる。
もっとも,被告人が,Bらが棒切れの様な物を持って車を降り,これを振りかざすなどしながら被告人の方に迫ってきた旨述べている点については,本件が偶発的に起こった出来事であることにかんがみると,Bらが,棒切れの様な物を事前に準備し,あるいは,このとき都合良くそのような棒切れが車中にあって,これを持ち出したものであるとは考え難い。この点,被告人は,判示第2の覚せい剤取締法違反の被疑事実により逮捕され,当初その取調べを受けていた際には,これにまつわる一連の状況の概要を述べていながら,Bらが棒切れの様な物を持っていたことについて供述した形跡は窺われず,その後,時を追うに連れ,その供述が詳細の度合いを増してきているとの印象を受けることも否めない。
また,被告人は,被告人車両の走行速度について,捜査段階においては,時速60キロメートルないし70キロメートルくらいであった旨述べていたものの,公判廷においては,前述のとおり,時速30キロメートルか40キロメートルであったなどと供述している。しかし,○○橋北詰からBがボンネットから転落した地点に至るまでの被告人車両が走行した道路は,片側二車線の国道であり,本件当時は,深夜で交通量も閑散としていたことなどの客観的な状況に加え,被告人は,自己を身の危険から守るため,ボンネット上に乗ったBを振り落とそうと必死であり,同人の身の安全に配慮する余裕すらなく,しかも,後方から追尾してくるA運転車両から懸命に逃れようとしていたことなども認められるのであるから,当時,被告人が,公判廷で供述する程度の速度で走行していたとは,およそ考え難い。この点に関する被告人の捜査段階における供述にも,特に捜査官の誘導等が働いたとみるべき事情は窺われない。
そして,これらの点については,総じて,被告人が,自己弁護をすべく,Bらの行動を殊更誇張して供述したり,自らの行動を控えめに供述することも,十分考えられるところである。
そうすると,被告人の供述にも,少なくとも以上に指摘した2点において,にわかには信用し難い面があることは否定できない。
しかし,BおよびAの各供述は,前述のとおり信用できず,他方で,被告人の供述は,上記の2点を除く事件の一連の経過については,概ね合理的で首肯できるものというべきであるから,上記の2点を除くその余の事実経過については,被告人の供述に沿って認定するほかない。

6 以上の検討から認められる事実関係をもとに,殺意の有無を検討する。
被告人車両は,Bが,ボンネット上に,その根元のワイパー取付部に手を入れてしがみついた状態で,少なくとも時速約60キロメートルで,約2分50秒の間,約2.5キロメートルの距離を走行したものである。走行していた道路は,舗装された片側二車線の国道で,深夜のため交通量が少なかったとはいえ,全く車の通行がなかったわけではない。被告人は,Bを振り落とそうとして,蛇行運転をしたり,急ブレーキをかけるなどしていたもので,同人が怪我をしないようになどと,運転方法に気を配るなどの配慮をしたことはない。
このような走行速度,走行時間,運転態様,Bの体勢等に照らせば,同人が,当時36歳の男性で,比較的体力があると考えられることや,現場の交通量の少なさ等を考慮しても,被告人の一連の運転行為は,これにより,Bが,ボンネット上から転落して相当の衝撃を受けることはもとより,被告人車両または後続車両や対向車両により轢過されるという事態に至り得ることも容易に予想されるところであって,Bの死亡という結果を招く危険性の極めて高い行為であったと認められる。被告人自身も,当時は無我夢中であったけれども,今から考えれば,危険な行為だと思うと述べており,これらの事実を認識しながら,敢えてBを振り落とそうとして,急ブレーキをかけたり蛇行運転をするなどしながら,約2.5キロメートルも走行したものであるから,同人を死亡させることについて,少なくとも未必の故意を有していたことは優に認められる。

7 次に,本件の運転行為が正当防衛である旨の弁護人の主張について検討する。
(1) 本件運転行為に至るまでのBらの言動の経過等については,①Bは,車道上に大の字に寝ころがっていたところ,被告人からクラクションを鳴らされて起こされた際,被告人車両の運転席側の窓から手を入れて,被告人の胸ぐらを掴もうとするなどしたこと,②その後,Bは,被告人の後続車両に乗っていた男性を車両から引きずり出すなどし,被告人に咎められて顔ないし頭を殴られるなどしたため,走り去った被告人車両をA運転車両に乗って追尾し,○○橋上の中央付近で,被告人車両の前にA運転車両を割り込ませて,無理やり被告人車両を停止させたこと,③Bは,車から降りて,「こいつや,こいつや」などと言いながら,被告人車両の方に向かい,Aもこれに続いたこと,④被告人が,一旦車をバックさせた上,前進してその場から逃げようとしたところ,Bは,被告人車両の前に立ちはだかって,その進行を妨げたこと,⑤更に,Bは,被告人車両のボンネット上に飛び乗り,降りるよう言う被告人に対し,「走れるものなら走ってみぃ」などと言って,ボンネット上から降りようとはしなかったこと,⑥Aは,被告人車両がボンネット上にBを乗せて走り出すや,自己の車を運転して終始被告人車両を追尾していたことなどの各事実が認められる。
(2) Bが,執拗にもA運転車両で被告人車両を追尾し,これを無理矢理停止させた上,Aと共に車を降りて,「こいつや,こいつや」などと言いながら被告人車両に近づき,その後,現場から走り去ろうとする被告人車両の進行を頑なに妨げるなどした一連の行為は,それに先だって車道上に寝ていたところを被告人に注意され,更に後続車両の運転者らに因縁をつけるなどしていたところを咎められ,殴られるなどしたことへの報復を意図した行動であることは,客観的にも明らかであったというべきであり,被告人が,身の危険を感じた旨述べているのは,まことに無理からぬところである。Bらが,被告人車両に近づく際,棒切れの様な物を持っていたか否かについては,Bらの供述と被告人の供述とが齟齬しており,この点,これを持っていたとする被告人の供述が,にわかには信用し難いものであることは既に述べたとおりであるけれども,このとき,Bらが素手の状態であったことを前提としても,Bは,Aの加勢を得て終始2人で行動しており,被告人車両に追いついて,これを停止させる際の強引なやり方や,その後のBの挑発的な言動等にも照らせば,Bらが,被告人に対する暴行等何らかの報復行為に及ぶ危険性は,既に相当程度顕在化した状況にあったというべきであり,客観主観の両面において,被告人の身にはそれ相応の危険が迫っていたものと認めるのが相当である。
そして,被告人車両が,ボンネット上にBを乗せたまま走行を開始して以降も,その後方から,終始,A運転車両に追尾されていたのであるから,被告人が,仮に途中で停車すれば,BおよびAから暴行を受けるなどの恐れも,なお十分に継続していたものと認められる。
そうすると,被告人が本件の運転行為を開始するまでのBの一連の行動は,被告人に対する急迫不正の侵害に当たると認めるのが相当であり,被告人の本件運転行為は,それから逃れるため,自己の身体等の安全を守ろうとの意図に出た防衛行為にほかならないというべきである。
なお,被告人がBらに追われることとなったそもそもの発端は,被告人が,Bを殴打するなどしたことにあると認められるものの,そのような殴打に至った経緯自体,B自身の非による部分も少なくないと認められる上,この殴打の時点においては,その後,Bが,Aの加勢を得て,被告人を追尾してくるなどとは到底予測し得べくもなかったのであるから,このような事情は,何ら上記の認定を左右しない。また,被告人は,本件運転行為に及ぶに際し,一面では,Bに対する憤りから痛い思いをさせてやろうなどとの積極的な意図を有していたことも否定できないものの,上記経緯等に照らし,そのような意図があるからといって,自己の身を守るためBらから逃れようとの意思が払拭されるものとは考えられない以上,この点も上記の認定を左右しない。
(3) しかしながら,上記急迫不正の侵害は,Bらが,被告人に対し暴行を加えるなどして一定の報復行為に及ぶことをその内容とするものであると認められるのに対し,被告人は,これから逃れるため,Bをボンネット上に乗せたまま本件運転行為を開始し,同人の身の安全を全く省みることなく,むしろ,振り落とすべく,高速で蛇行運転し,急ブレーキをかけるなどしていたものであるところ,このような運転態様が,Bの生命の安全に対する危険を多分に含むものであることは既に述べたとおりであって,かかる被告人の運転行為が,Bから受ける可能性のあった侵害の程度と著
しく均衡を失し,度を超したものであることは明らかである。また,被告人としては,より低速で走行し,車道上にBが転落することがないよう,急ブレーキや蛇行運転を控え,より安全な場所に走行して他人に助けを求めるなど,Bの生命身体等の安全にいささかでも配慮した行動が可能であったと認められることなどにも照らせば,被告人の本件運転行為は,自己の身体の安全を守るための防衛行為としては,やむを得ない程度を越えたものであったといわざるを得ない。
(4) そうすると,被告人の本件運転行為は,Bによる急迫不正の侵害に対する防衛行為であったと認められるものの,それは防衛行為としての相当性を逸脱した過剰なものであったというべきである。
したがって,被告人の本件運転行為に正当防衛は成立せず,刑法36条2項にいう「防衛の程度を越えた行為」としていわゆる過剰防衛に該当するものと認めるのが相当である。

(量刑の理由)
本件は,被告人が,運転する普通乗用自動車のボンネット上に男性を乗せて走行し,同人を死に至らしめるかも知れないことを認識しながら,蛇行運転するなどし,同人を路上に転落させて傷害を負わせ(判示第1),その直後,覚せい剤をみだりに所持した(判示第2)という事案である。
判示第1の犯行は,ボンネット上の被害者の安否を気遣うこともなく,高速で自動車を走行させ,しかも,被害者を振り落とすべく,急ブレーキをかけたり,蛇行運転をしたりしたもので,その態様は,まことに危険で悪質である。被害者を振り落とせば,被告人車両または後続車等に轢かれる可能性等があることは容易に想像できることで,被害者の生命への危険性は大きい。走行中,被害者が相当の恐怖を味わったであろうことは想像に難くない。
判示第2の犯行は,覚せい剤を自ら使用する目的で所持していたものであるところ,被告人は,14歳のころから覚せい剤を使用し始めて以来,断続的にしろ使用を継続し,本件当時は,1日に3回くらい使用することもあったというのであり,覚せい剤取締法違反の前科が3犯あったことも併せ考えれば,被告人が,覚せい剤を常習的に使用していたことは明らかで,覚せい剤への依存性親和性も顕著である。
以上からすれば,被告人の責任は重い。
しかし,判示第1の犯行は,犯行に至る経緯にかんがみると,被害者の落ち度も大きく,被告人が本件犯行に及んだのは,被害者の行為に恐怖を感じて逃げようとしたことにあり,その意味では無理からぬ面があったことも否めない。被告人は,殺意を争うなどしているものの,被害者に対する謝罪の気持ちを述べるなど,反省の態度を示し,また,今後は覚せい剤をやめる旨述べて,更生の意思を示している。また,被告人は,本件各犯行後に犯した覚せい剤自己使用の罪で懲役刑に処せられ,現在受刑中であり,本件各犯行は,確定裁判に係る罪と併合罪の関係にある。
そこで,これらを総合考慮して,主文のとおり量刑した。


民法択一 債権各論 契約各論 売買


・売買契約に基づく代金支払請求訴訟において、履行期の定めを請求原因として主張する必要はない←売買契約は諾成契約

・売買契約に基づく目的物引渡請求訴訟において、契約の締結の当時目的物の所有権が売主に帰属していたことを請求原因として主張立証する必要はない!!!
←他人物売買も債権的には有効であり、目的物の所有権が売主に帰属していることは契約の本質的要素ではないから!!
+(他人の権利の売買における売主の義務)
第560条
他人の権利を売買の目的としたときは、売主は、その権利を取得して買主に移転する義務を負う。

・期限の合意を、売買契約の付款であり、売買契約の成立要件とは区別される可分なものと考える見解に立った場合、売買契約に代金支払期限が付されているときは、代金支払請求をする原告は、請求原因において期限の合意およびその期限の到来を主張立証する必要はなく、期限の合意が抗弁となり、その期限の到来したことが再抗弁となる!!!!

・売買代金支払請求をする場合には、目的物を引き渡したことは、同時履行の抗弁に対する再抗弁として主張すれば足りる!

遅延損害金を請求する場合には、請求原因で売買契約の存在を主張立証すると、同時履行の抗弁権の存在が基礎付けられてしまうが、同時履行の抗弁権の存在は履行遅滞の違法性阻却事由であるので請求原因において、目的物の引渡しの提供(=不動産の場合は目的物の所有権移転手続きの提供)を主張立証して、相手方の同時履行の抗弁権を失わせる必要がある!!!!!!

・売買契約に基づき売買契約の支払いを請求する場合において、法律行為の付款である条件をそれが付された法律行為の成立要件とは区分される可分なものと考える見解によると、売買契約に停止条件が付されているときは、停止条件が成就したことが再抗弁となる!!!
←付款の主張立証責任は、付款によって利益を受ける者が負担すべし

・プラスで・・・。
法律行為の付款である期限をそれが付された法律行為の成立要件とは区分されない不可分のものと考える見解(否認説)によると、売買契約に弁済期が定められているときは、付款の存在については売買契約に基づき売買代金の支払いを求める原告に主張立証責任があり、弁済期が到来していないことは、これに対する被告による否認になる!!
・・・

・XY間の売買契約において手付が交付された場合、Yが手付を放棄して売買契約を解除したと訴訟において主張するためには、YはXとの間で売買契約に付随して解約手付の趣旨で手付金を交付する合意をしたことを主張する必要はない!!!
←手付は特別の意思表示がない限り、557条に定めている効力、すなわちいわゆる解約手付としての効力を有するとして、これと異なる効力を有する手付であることを主張する者は、特別の意思表示が存在することを主張立証すべき責任がある!!!
+(手付)
第557条
1項 買主が売主に手付を交付したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を償還して、契約の解除をすることができる。
2項 第545条第3項の規定は、前項の場合には、適用しない。

・手付解除の抗弁に対して、当該手付が違約手付であることを再抗弁として主張することは主張自体失当である!!ホーーー
←違約の場合手付の没収又は倍返しをするという約束は民法の規定による解除の留保を少しも妨げないとして、反対の意思表示がない限り、違約手付としての性質と解約手付としての性質は並存し得る。=再抗弁とならない!
+(S24.10.4)
上告理由は末尾添附別紙記載の通りである。
よつて案ずるに売買において買主が売主に手附を交付したときは売主は手附の倍額を償還して契約の解除を為し得ること民法第五五七条の明定する処である。固より此規定は任意規定であるから、當事者が反対の合意をした時は其適用のないこというを待たない。しかし、其適用が排除される為めには反対の意思表示が無ければならない。原審は本件甲第一号証の第九条が其反対の意思であると見たものの様でめる。固より意思表示は必しも明示たるを要しない。黙示的のものでも差支ないから右九条が前記民法の規定と相容れないものであるならばこれを以て右規定の適用を排除する意思表示と見ることが出来るであらう。しかし右第九条の趣旨と民法の規定とは相容れないものではなく十分両立し得るものだから同条はたとえ其文字通りの合意が眞実あつたものとしてもこれを以て民法の規定に対する反対の意思表示と見ることは出来ない違約の場合手附の没収又は倍返しをするという約束は民法の規定による解除の留保を少しも妨げるものではない解除権留保と併せて違約の場合の損害賠償額の予定を為し其額を手附の額によるものと定めることは少しも差支なく、十分考へ得べき処である。
其故右九条の様な契約条項がある丈けでは(特に手附は右約旨の為めのみに授受されたるものであることが表われない限り)民法の規定に対する反対の意思表示とはならない。されば原審が前記第九条によつて直ちに民法五五七条の適用が排除されたものとしたことは首肯出来ない。(しかのみならず被上告人自身原審において右第九条は坊間普通に販売されて居る売買契約用例の不動文字であつて本件契約締結當時當事者双方原審の認定したる様な趣旨のものと解して居たのではなくむしろ普通の手附倍返しによる解除権留保の規定の様に解して居るものと見られる様な趣旨の供述をして居ること論旨に摘示してある通りであり其他論旨に指摘する各資料によつても當事者が右第九条を以て民法第五五七条の規定を排除する意思表示としたものと見るのは相當無理の様にも思われる)なお原審は本件売買の動機を云々して居るけれどもそれが民法規定の適用排除の意思表示とならないのは勿論必しも原審認定の一資料たり得るものでもないとは論旨の詳細に論じて居る通りである(殊に被上告人が本件売買締結の以前から同じく京都内にある他の家屋買入の交渉をして居り遂にこれを買取つて居る事実並に本件家屋には當時賃借人が居住して居た事実被上告人子女の轉校が必ずしも本件売買成立の為めであると見るベべきでないこと等に関する所論は注目すべきものである)。要するに原審の挙示した資料では前記民法規定の適用排除の意思表示があつたものとすることは出来ないのであつて此点において論旨は理由があり原判決は破毀を免れないよつて上告を理由ありとし民事訴訟法第四〇七条に従つて主文の如く判決する。

+++
解約手付
いったん締結した契約を、理由のいかんにかかわらず、後で解除することができる手付を解約手付といいます。相手方が履行に着手する前までは、手付金を支払った者は手付金を放棄し(手付流し)、相手方は手付金の2倍の額を返却すれば(手付倍返し)、契約を解除することができます。履行の着手とは、買主が代金の一部として内金を支払ったり、売主が物件の引渡しや登記の準備を始めたことなどをいいます。手付には、解約手付の他に、契約成立を証する「証約手付」、債務不履行の際の損害賠償の予定、または、違約罰としての「違約手付」があります。

違約手付
当事者に契約違反(違約)があった場合に、損害賠償とは別に違約の「罰」として没収することができる手付けをいいます。

証約手付
契約の締結を証することを目的として授受される手付けをいいます。

・売主Xと買主Yとの間の売買契約において手付が交付された。YのXに対する目的物引渡請求訴訟において、Xが手付による解除の抗弁を主張する場合、YはXとYが解除権の留保をしない旨の合意をしたことを再抗弁として主張することができる!!!!!!
←557条の規定は任意規定であるから、当事者が解除権の留保を排除する旨の合意をすれば、手付による解除はできず、当該合意の主張は、手付による解除の抗弁に対する再抗弁となる!!!

・上記事案において、XもしくはYがXの解除の意思表示に先立ち履行に着手したことを再抗弁として主張することはできない!!!!=「Yが」だったら大丈夫たよね!
相手方が履行に着手するまでは履行に着手した当事者からの解除を認めている。=Xが解除の意思表示に先立ち履行に着手した事実の主張は主張自体失当!

+判例(S40.11.24)イイネ!
同第二点および上告会社代表者Aの上告理由について。
論旨は、要するに、被上告人と大阪府との間で本件売買契約の目的物件である本件不動産についての払下契約が締結された時点あるいは右不動産について上告人主張の仮登記仮処分手続がなされた時点において、被上告人又は上告人が民法五五七条一項にいう契約の履行に着手したものというべきである旨の上告人の主張を排斥した原判決は、右法条の解釈適用を誤つた違法がある、というに帰する。
よつて按ずるに、民法五五七条一項にいう履行の着手とは、債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合を指す!!!!!!!!!ものと解すべきところ、本件において、原審における上告人の主張によれば、被上告人が本件物件の所有者たる大阪府に代金を支払い、これを上告人に譲渡する前提として被上告人名義にその所有権移転登記を経たというのであるから、右は、特定の売買の目的物件の調達行為にあたり、単なる履行の準備行為にとどまらず、履行の着手があつたものと解するを相当とする。従つて、被上告人のした前記行為をもつて、単なる契約の履行準備にすぎないとした原審の判断は、所論のとおり、民法五五七条一項の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。(なお、本件の事情のもとに、上告人主張の仮登記仮処分手続がなされたことをもつては所論の履行の着手があつたものとみることができない旨の原判決の判断は正当である。)
しかしながら、右の違法は、判決に影響を及ぼすものではなく、原判決破棄の理由とはなしがたい。その理由は、次のとおりである。
解約手附の交付があつた場合には、特別の規定がなければ、当事者双方は、履行のあるまでは自由に契約を解除する権利を有しているものと解すべきである。然るに、当事者の一方が既に履行に着手したときは、その当事者は、履行の着手に必要な費用を支出しただけでなく、契約の履行に多くの期待を寄せていたわけであるから、若しかような段階において、相手方から契約が解除されたならば、履行に着手した当事者は不測の損害を蒙ることとなる。従つて、かような履行に着手した当事者が不測の損害を蒙ることを防止するため、特に民法五五七条一項の規定が設けられたものと解するのが相当である。
同条項の立法趣旨を右のように解するときは、同条項は、履行に着手した当事者に対して解除権を行使することを禁止する趣旨と解すべく、従つて、未だ履行に着手していない当事者に対しては、自由に解除権を行使し得るものというべきである。このことは、解除権を行使する当事者が自ら履行に着手していた場合においても、同様である。すなわち、未だ履行に着手していない当事者は、契約を解除されても、自らは何ら履行に着手していないのであるから、これがため不測の損害を蒙るということはなく、仮に何らかの損害を蒙るとしても、損害賠償の予定を兼ねている解約手附を取得し又はその倍額の償還を受けることにより、その損害は填補されるのであり、解約手附契約に基づく解除権の行使を甘受すべき立場にあるものである。他方、解除権を行使する当事者は、たとえ履行に着手していても、自らその着手に要した出費を犠牲にし、更に手附を放棄し又はその倍額の償還をしても、なおあえて契約を解除したいというのであり、それは元来有している解除権を行使するものにほかならないばかりでなく、これがため相手方には何らの損害を与えないのであるから、右五五七条一項の立法趣旨に徴しても、かような場合に、解除権の行使を禁止すべき理由はなく、また、自ら履行に着手したからといつて、これをもつて、自己の解除権を放棄したものと擬制すべき法的根拠もない。 !!!!
ところで、原審の確定したところによれば、買主たる上告人は、手附金四〇万円を支払つただけで、何ら契約の履行に着手した形跡がない。そして、本件においては、買主たる上告人が契約の履行に着手しない間に、売主たる被上告人が手附倍戻しによる契約の解除をしているのであるから、契約解除の効果を認めるうえに何らの妨げはない。従つて、民法五五七条一項にいう履行の着手の有無の点について、原判決の解釈に誤りがあること前に説示したとおりであるが、手附倍戻しによる契約解除の効果を認めた原判決の判断は、結論において正当として是認することができる。論旨は、結局、理由がなく、採用することができない。

・Aが解除する場合、本件契約を手付により解除する旨の通知がBに到達したとしても、Aが手付の倍額をBに提供しなければ、解除の効果は発生しない!!!
+判例(H6.3.22)
上告代理人山本博文の上告理由について
民法五五七条一項により売主が手付けの倍額を償還して契約の解除をするためには、手付けの「倍額ヲ償還シテ」とする同条項の文言からしても、また、買主が同条項によって手付けを放棄して契約の解除をする場合との均衡からしても、単に口頭により手付けの倍額を償還する旨を告げその受領を催告するのみでは足りず、買主に現実の提供をすることを要するものというべきである。しかるに、原審の適法に確定したところによれば、上告人の手付倍額の償還は、いずれの場合も口頭の提供をしたのみであるというのであり、記録によれば、売主である上告人は、買主である被上告人に対して手付けの倍額を支払う旨口頭で申し入れた旨を主張するにとどまり、それ以上に現実の提供をしたことにつき特段の主張・立証をしていないのであるから、原審が契約の解除の効果をもたらす要件の主張を欠くものとして、売買契約解除の意思表示が無効であるとしたのは正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づき又は原審で主張していない事実に基づいて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官千種秀夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官千種秀夫の補足意見は、次のとおりである。
民法五五七条一項にいう手付けの倍額の「償還」の意義について、若干補足しておきたい。
売主が手付けの倍額を償還して契約の解除をする場合の手付けの倍額の償還は、金銭を相手方に交付するという行為の外形からすれば、債務不履行の責めを免れるための弁済の提供に類似する面があるけれども、手付けの償還は、売買契約の解除という権利行使の積極要件であるから、債権者の受領を前提とした弁済の提供とはおのずからその性格を異にし、相手方の態度いかんにかかわらず、常に現実の提供を要するものというべきである。もとより現実の提供といっても、相手方の対応等によりその具体的な態様は異ならざるを得ないのであって、買主に対して手付けの倍額に相当する現金を交付する場合もあれば、今日のように銀行取引の発達した社会においては、取引の状況によっては、いわゆる銀行保証小切手を交付するなど現金の授受と同視し得る経済上の利益を得さしめる行為をすれば足りる場合もあるであろう。しかし、いずれにしろこれを相手方の支配領域に置いたと同視できる状態にしなければならないのであって、これが同条項にいう「償還」の語意にも合致するゆえんであると考える。
従来、とかく、その外形の類似性から、手付けの「償還」に関して、債務の履行としての弁済の提供と明確に区別をすることなく論じられているかにみえることに鑑み、一言補足する次第である。

・土地の一部を分筆する登記手続は、売買目的物の登記移転という履行の提供をするために欠くことのできない前提行為に当たる!!=解除できない。

・AがC所有の土地を購入する契約を締結する行為は、本件契約の履行行為とは関係がなく、履行行為の一部をなし又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為とはいえない。=解除できる。
←客観的に外部から認識し得るってとこにひっかかったかね(笑)

・不動産の所有者たる第三者に代金を支払い、これを買主に譲渡する前提として売主名義にその所有権移転登記を経た行為は、特定の売買の目的物権の調達行為に当たり、単なる履行の準備行為にとどまらず、557条1項前段にいう履行の「着手」があったものといえる!=解除できない。

・Aは甲土地をBに売却する契約を締結し、BはAに手付を交付した。本件契約においては、売買代金の支払について履行期が定められていたが、Bは、その履行期前に売買代金をAに提供した。Bが履行に着手したといえることもあり、解除できない場合もある。
+判例(S41.1.21)
上告代理人岡田実五郎、同佐々木凞の上告理由第三点について。
民法五五七条一項にいう履行の着手とは、債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし、または、履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合を指すものと解すべく、債務に履行期の約定がある場合であつても、当事者が、債務の履行期前には履行に着手しない旨合意している場合等格別の事情のない限り、ただちに、右履行期前には、民法五五七条一項にいう履行の着手は生じ得ないと解すべきものではない
しかるに、原判決は、売買代金の提供が民法第五五七条に定める売買契約の履行の着手となるためには、その当時履行期が到来していることを要するものと解すべきであるとし、履行期到来の立証がない以上、履行の着手があつたとする上告人の主張は理由がない旨判断して上告人の本訴請求を排斥するものであって、原判決の右判断は、民法第五五七条一項の解釈適用を誤まり、ひいて理由不備の違法をおかしたものといわざるを得ない。論旨は理由がある。そこで爾余の論旨に対する判断をまつまでもなく原判決は破棄を免かれず、更に審理を尽させるため、原審に差し戻すべきものとする。

+判例(H5.3.16)イイネ!
上告代理人飯原一乗、同高橋伸二の上告理由について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 亡Aは、その所有に係る第一審判決添付物件目録記載の土地建物(以下「本件土地建物」という)及びその長男である上告人の所有に係る土地建物を売却し、その代金をもって上告人の居住する日野市豊田駅付近に新たに住宅地を購入してその家族と同居したいと考え、昭和六一年二月頃、本件土地建物の売却及び新住宅地の購入の媒介を住友不動産販売株式会社に依頼した。
2 被上告人は、勤務先の社宅に入居していたが、その社宅管理規程では、満四五歳に達する日の属する月の末日に社宅の貸与が終了するとされているところ、その時期が近づいてきたため、転居先を求めていた。
3 A及び被上告人は、昭和六一年三月一日、住友不動産販売の仲介により、Aを売主、被上告人を買主とし、売買代金八五〇〇万円、内金一〇〇万円を契約締結時に、残金八四〇〇万円を同六二年一二月二五日にそれぞれ支払う、本件土地の契約面積を登記簿上の地積二六四・〇七平方メートルとするとの約定で、本件土地建物についての売買契約(以下「本件売買契約」という)を締結し、右契約当日、被上告人から一〇〇万円が手付金として支払われたが、Aの本件土地建物売却の目的が前示住居の買換えにあることについては、契約締結の際作成された同年二月二八日付けの不動産売買契約書にも後記4のとおり記載されたほか、専任媒介契約書にもその旨記載されており、被上告人もこれを了知していた。
4 本件売買契約においては、本件土地の面積として一応、登記簿上の地積(二六四・〇七平方メートル)を前提とするものの、本件土地が古い分譲地であったところから、被上告人の申出により、契約締結後改めて実測し、実測面積に基づいて最終的な代金額を決めることとし、(一)Aは所有権移転登記申請の時までに本件土地の境界を被上告人立会いの上確定させる、本件土地建物の売買面積は実測によるものとし、契約後、被上告人の費用で土地を実測し、登記簿上の地積との差については後記内入金支払の際清算する旨の特約条項が付されたほか、履行期に関し、(二)Aは本件売買契約締結後、別に住居を探すこととし、その希望する物件が決まったときは、被上告人は、右代金支払時期の約定にかかわらず、右希望物件についての契約締結時までに内入金七〇〇万円、同契約締結日より一か月以内に残金をそれぞれ支払う、本件土地建物の所有権は代金完済時に被上告人に移転するが、その場合、Aは昭和六二年一二月二五日を限度として右代金完済後も五か月間本件土地建物の引渡しを延期することができる旨の特約条項が付された。
5 被上告人は、昭和六一年三月八日、約旨に基づき、本件土地の境界確定に立ち会い、自らの費用で本件土地を実測し、その結果、本件土地の地積は二六七・五一平方メートル、本件売買代金総額は八六〇九万八八八〇円と確定した。なお、右実測に要した費用は、売買代金額に比較して少額であった。
6 Aは、本件売買契約締結の前後頃から上告人とともに住友不動産販売に依頼するなどして移転先を探したが、昭和六一年から翌六二年にかけての首都圏の地価の上昇により、本件売買代金額をもっては新住宅の購入が困難であると感じるようになり、本件売買契約の解消を考えるに至った。そこで、Aの意を受けた住友不動産販売の担当者が、同六一年一〇月二九日に被上告人と本件売買契約の解消について話し合い、手付倍返しによる契約解除を申し出た。
7 しかしながら、被上告人は、右申出に応ぜず、前年の八月に山林を売却して所持していた四一〇〇万円、手持ちの株式及び預金のほか必要な資金については勤務先から融資を受ける手続をした上、Aに対し、昭和六一年一〇月三〇日到達の書面により本件売買契約の履行を請求した。
8 そこで、Aの代理人である弁護士木村峻郎及び同池原毅和が、被上告人に対し、同年一一月一四日到達の書面で、手付の倍額の金員を支払う旨口頭の提供をした上、本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。
9 被上告人は、昭和六一年一一月二七日、川崎市所在の別の宅地建物を代金六五〇〇万円で購入し、以後、家族とともにこれに居住している。

二 原審は、右事実関係の下において、本件売買契約締結に際して被上告人からAに交付された一〇〇万円が解約手付の趣旨を含むものであり、昭和六一年一一月一四日にAより右手付倍返しによる解除の意思表示がされたことを認めながら、本件土地についての前記一5の実測による契約面積及び売買代金額の確定等が、本件売買契約に基づき、客観的に外部から認識し得るような形でその履行ないしその履行のために欠くことのできない前提行為をした場合に当たり、その後にされた同7の履行請求等が本件売買契約の履行の着手に当たるものとして、解除の効果の発生を認めず、残代金の支払と引換えに本件土地建物についての所有権移転登記手続を求める被上告人の請求を認容すべきものとして、これと同旨の第一審判決に対する上告人の控訴を棄却した。

三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 解約手付が交付された場合において、債務者が履行期前に債務の履行のためにした行為が、民法五五七条一項にいう「履行ノ著手」に当たるか否かについては、当該行為の態様、債務の内容、履行期が定められた趣旨・目的等諸般の事情を総合勘案して決すべき!!!である。そして、「債務に履行期の約定がある場合であっても……ただちに、右履行期前には、民法五五七条一項にいう履行の着手は生じ得ないと解すべきものではない」こと判例(最高裁昭和三九年(オ)第六九四号同四一年一月二一日第二小法廷判決・民集二〇巻一号六五頁)であるが、履行の着手の有無を判定する際には、履行期が定められた趣旨・目的及びこれとの関連で債務者が履行期前に行った行為の時期等もまた、右事情の重要な要素として考慮されるべきである。
以上に説示するところに従い、本件において履行期が定められた趣旨・目的、履行の着手に当たるとされる債務者(被上告人)のした行為の時期及びその態様につき、以下、順次検討することとする。
2 まず、本件において履行期が定められた趣旨・目的について見るのに、売主Aによる本件土地建物の売却の動機が、その長男である上告人らと同居するための新住宅兼店舗地購入代金の調達にあり、希望物件が見付かれば(その時期はもとより未確定である)、売主Aは本件売却代金を被上告人より受領して希望物件の購入代金に充てる必要を生じ、他面、本件売却代金の受領と同時に本件土地建物を被上告人に明け渡すことは困難であるので、そのための猶予期間を置き、ただし、買主たる被上告人の立場をも考慮して、買主の代金支払及び売主の本件土地建物明渡しの約定期限たる昭和六二年一二月二五日をもって最終履行期とする合意が当事者間に成立した経緯を知ることができる(なお、以上の約定が、原判決指摘のように、売主の利益に偏しているといえるか否かについては、契約時八五〇〇万円の総代金中わずか一〇〇万円をもって手付金としたこと前記のとおりで、これが買主にとって有利であったことはいうまでもなく、解約手付としての倍返しの額が少ないのは、このような有利性の反面にほかならず、原判決のいう売主に偏した有利さとのバランスが手付金の額によって保たれたものといえよう)。
3 要するに、最終履行期を昭和六二年一二月二五日とする約定は、移転先を物色中の売主Aにとっては死活的重要性を持つことが明らかであり、同六一年三月一日契約締結、最終履行期翌六二年一二月二五日という異例の取決めの中に、本件売買契約の特異性が集約されているということができ、被上告人の主張する「履行ノ著手」の時期が、(一)契約直後の同六一年三月八日の土地測量及び(二)同年一〇月三〇日到達の書面による口頭の提供が、最終履行期に先立つこと一年九か月余ないし一年二か月弱の時期になされたものであることに、特段の留意を要するのである。
4 次に、被上告人がその債務の「履行ノ著手」ありと主張する行為の態様について見ると、その(一)は前述の契約直後の土地測量である。実測の結果、地積が三・四四平方メートル増となったが、実測の結果、公簿面積より地積が減少する場合も予測されていたことは、契約書七条二項の文面よりして明らかであるのみならず、この実測及びその費用(記録によれば一三万八〇〇〇円)の買主負担は、本件売買契約の内容を確定するために必要であるとはいえ、買主(被上告人)の売主(A)に対する確定した契約上の債務の履行に当たらないことは、いうまでもないところである。
その(二)は、買主たる被上告人が、昭和六一年一〇月三〇日到達の書面をもって、「残代金をいつでも支払える状態にして売主たるAに本契約の履行を催告したこと」である。右は、もとより、売買残代金の現実の提供又はこれと同視すべき預金小切手の提供等の類ではなく、単なる口頭の提供にすぎない。
およそ金銭の支払債務の履行につき、その「著手」ありといい得るためには、常に金銭の現実の提供又はこれに準ずる行為を必要とするものではなく、すでに履行期の到来した事案において、買主(債務者)が代金支払の用意をした上、売主(債権者)に対し反対債務の履行を催告したことをもって、買主の金銭支払債務につき「履行ノ著手」ありといい得る場合のあることは否定できないとしても、他面、約定の履行期前において、他に特段の事情がないにもかかわらず、単に支払の用意ありとして口頭の提供をし相手方の反対債務の履行の催告をするのみで、金銭支払債務の「履行ノ著手」ありとするのは、履行行為としての客観性に欠けるものというほかなく、その効果を肯認し難い場合のあることは勿論である。
5 以上これを要するに、被上告人が「履行ノ著手」ありと主張する、その(一)土地の測量はその時期及び性質上、買主たる被上告人の本件売買契約上の確定した債務の履行に当たらないことが明らかであり、また、その(二)昭和六一年一〇月三〇日到達の書面による履行の催告も、最終履行期が翌六二年一二月二五日と定められた本件の前記認定の事実関係の下においては、これをもって買主としての残代金支払債務の「履行の著手」に当たらないことは、ほとんど疑いを容れないところといわなければならない。

四 以上のとおり、本件売買契約において履行期が定められた趣旨・目的、被上告人の行った行為の時期及びその態様等に照らすと、被上告人による本件土地の実測及びAに対する履行の請求等は、これらを総合してみても、履行の着手に当たらないものと解すべきところ、これを肯定した原審の判断には、民法五五七条一項の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。この点の違法をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、前示事実関係に照らすと、本件売買契約は有効に解除されたものというべきであり、被上告人の本件請求は棄却するのが相当である。
よって、原判決を破棄し、第一審判決を取り消した上、被上告人の請求を棄却することとし、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・Bが手付のほか内金をAに支払った後に、Bが本件契約を手付により解除する場合、BはAに対し内金の返還を請求することができる!!
←解約手付による解除については、原則として540条以下の解除の規定が適用される。そして、内金とは、代金の一部支払いのために交付される金銭をいい、手付とは区別される。したがって、買主は原状回復請求(545条1項本文)によって内金の返還を請求することができる!!

・Yが手付を放棄して契約を解除した場合、X及びYに損害賠償義務は生じない!!!
←557条2項
+(手付)
第557条
1項 買主が売主に手付を交付したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を償還して、契約の解除をすることができる。
2項 第545条第3項の規定は、前項の場合には、適用しない

+(解除の効果)
第545条
1項 当事者の一方がその解除権を行使したときは、各当事者は、その相手方を原状に復させる義務を負う。ただし、第三者の権利を害することはできない。
2項 前項本文の場合において、金銭を返還するときは、その受領の時から利息を付さなければならない。
3項 解除権の行使は、損害賠償の請求を妨げない

・売買の目的物の引渡しについて期限があるときは、代金の支払いについても同一の期限を付したものと推定されるにすぎず、同一の期限を付したものとみなされるわけではない!!!
+(代金の支払期限)
第573条
売買の目的物の引渡しについて期限があるときは、代金の支払についても同一の期限を付したものと推定する。

・売主は、売主が売買の目的物の引渡義務を遅滞している場合、売買の目的物から生じた果実を収取することができる!!!!!ヘーーーー
←売主が引渡債務を遅滞している場合でも、575条1項が適用される!!!!
+(果実の帰属及び代金の利息の支払)
第575条
1項 まだ引き渡されていない売買の目的物が果実を生じたときは、その果実は、売主に帰属する。
2項 買主は、引渡しの日から、代金の利息を支払う義務を負う。ただし、代金の支払について期限があるときは、その期限が到来するまでは、利息を支払うことを要しない。

・買主が目的物の引渡しを受けた場合でも、代金の支払いに期限があるときには、その期限が到来するまでは、買主は利息を支払う義務を負わない!!!←575条2項

・Aが何ら権限なくA名義でB所有の土地をCに売却した場合において、売買契約を締結した後Aが死亡し、BがAを単独で相続したときでも、Bは、当該売買契約に基づくCの履行請求を拒絶することはできる!!!!
+判例(S49.9.4)
上告人らの上告理由について。
他人の権利を目的とする売買契約においては、売主はその権利を取得して買主に移転する義務を負い、売主がこの義務を履行することができない場合には、買主は売買契約を解除することができ買主が善意のときはさらに損害の賠償をも請求することができる。他方、売買の目的とされた権利の権利者は、その権利を売主に移転することを承諾するか否かの自由を有しているのである。
ところで、他人の権利の売主が死亡し、その権利者において売主を相続した場合には、権利者は相続により売主の売買契約上の義務ないし地位を承継するが、そのために権利者自身が売買契約を締結したことになるものでないことはもちろん、これによつて売買の目的とされた権利が当然に買主に移転するものと解すべき根拠もない。また、権利者は、その権利により、相続人として承継した売主の履行義務を直ちに履行することができるが、他面において、権利者としてその権利の移転につき諾否の自由を保有しているのであつて、それが相続による売主の義務の承継という偶然の事由によつて左右されるべき理由はなく、また権利者がその権利の移転を拒否したからといつて買主が不測の不利益を受けるというわけでもない。それゆえ、権利者は、相続によつて売主の義務ないし地位を承継しても、相続前と同様その権利の移転につき諾否の自由を保有し、信義則に反すると認められるような特別の事情のないかぎり、右売買契約上の売主としての履行義務を拒否することができるものと解するのが、相当である。
このことは、もつぱら他人に属する権利を売買の目的とした売主を権利者が相続した場合のみでなく、売主がその相続人たるべき者と共有している権利を売買の目的とし、その後相続が生じた場合においても同様であると解される。それゆえ、売主及びその相続人たるべき者の共有不動産が売買の目的とされた後相続が生じたときは、相続人はその持分についても右売買契約における売主の義務の履行を拒みえないとする当裁判所の判例(昭和三七年(オ)第八一〇号同三八年一二月二七日第二小法廷判決・民集一七巻一二号一八五四頁)は、右判示と牴触する限度において変更されるべきである。
そして、他人の権利の売主をその権利者が相続した場合における右の法理は、他人の権利を代物弁済に供した債務者をその権利者が相続した場合においても、ひとしく妥当するものといわなければならない。
しかるに、原判決(その引用する第一審判決を含む。)は、亡Aが被上告人に代物弁済として供した本件土地建物が、Aの所有に属さず、上告人Bの所有に属していたとしても、その後Aの死亡によりBが、共同相続人の一人として、右土地建物を取得して被上告人に給付すべきAの義務を承継した以上、これにより右物件の所有権は当然にBから被上告人に移転したものといわなければならないとしているが、この判断は前述の法理に違背し、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
以上のとおりであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないところ、本件土地建物がだれの所有に属するか等につきさらに審理を尽くさせる必要があるので、本件を原審に差し戻すのを相当とする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・無権利者が事故に権利が帰属するとして土地を売却した場合において、真実の権利者が後日この売買を追認したときは、当該売買契約は、契約時に遡って効力を生じる!!!←116条類推
+(無権代理行為の追認)
第116条
追認は、別段の意思表示がないときは、契約の時にさかのぼってその効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。

+判例(S37.8.10)
上告代理人池田和夫の上告理由第一、二点について。
或る物件につき、なんら権利を有しない者が、これを自己の権利に属するものとして処分した場合において真実の権利者が後日これを追認したときは、無権代理行為の追認に関する民法一一六条の類推適用により、処分の時に遡つて効力を生ずるものと解するのを相当とする(大審院昭和一〇年(オ)第六三七号同年九月一〇日云渡判決、民集一四巻一七一七頁参照)。本件において原審が、挙示の証拠を綜合して上告人は、昭和三〇年六月頃に至り、その長男Aが上告人所有の本件不動産につき、無断で所有権移転登記の手続および本件抵当権の設定をしている事実を知つたのであるが、その後遅くとも同年一二月中、被上告人に対し、右抵当権は当初から有効に存続するものとすることを承認し、前記Aのなした本件抵当権の設定を追認したことを認めた上、前記判示と同趣旨の見解のもとに、右不動産の所有者である上告人がこれを追認した以上、これにより、右抵当権の設定は上告人のために効力を生じたものと判断したのは正当である。論旨第一点は、原判決を正解せず独自の見解にもとづき原判決を非難するものであり、論旨第二点は、ひつきようするに原審が適法になした証拠の取捨判断及び事実認定を非難するに帰し、いずれも採用することができない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・Aがその所有するギターをBに貸していたところ、Cがこれを盗み、自分の物だと称してDに売却した。DはギターがCの所有物だと過失なく信じてその引渡しを受けた。AはCD間の売買契約を追認しても、Dに代金を請求できるわけではない。
←買主に代金請求できるのは契約の当事者であるC

・(権利を失うおそれがある場合の買主による代金の支払の拒絶)
第576条
売買の目的について権利を主張する者があるために買主がその買い受けた権利の全部又は一部を失うおそれがあるときは、買主は、その危険の限度に応じて、代金の全部又は一部の支払を拒むことができる。ただし、売主が相当の担保を供したときは、この限りでない。
=全部の支払いを拒むことができるわけではない!!!

・AB間で、甲不動産を購入する売買の予約をした。この場合、売買の予約時に、Aが予約完結の意思表示をした時における時価をもって甲不動産の売買代金とすると定めることもできる!!!!
←売買の一方の予約は、目的物の代金等、将来成立するべき売買の内容の主要な部分が確定され、又は解釈により確定され得る程度に示されていれば足りる!!!!=売買の代金を確定しなくとも、時価によるという趣旨の売買の予約も有効である!

・Aは、Bとの間で、甲不動産を目的とする売買の予約をした。甲不動産がCの所有物である場合でも、AB間における甲不動産の売買の予約は有効である!
←売買の一方の予約は、売買契約として成立が可能であればよく、第三者の所有する物についても、売買の一方の予約をすることは可能である。

+++解説
売買は、上記民法第555条記載の通り、「財産権の相手方への移転」と「その代金を支払うこと」を合意内容とする契約です。基本は財産権の移転と代金の支払合意ですが、財産権の特定程度、代金金額特定程度、代金支払時期、財産権移転時期等の定めを巡って売買の成立の有無が争いになることがしばしばあり、更に、売買契約が成立しなくても民法第556条売買予約が成立したかどうかが争いになることがあります。
売買の予約は、「相手方が売買を完結する意思を表示した時から、売買の効力を生ずる。」と規定され、「売買の一方の予約」とは、売主又は買主のいずれか一方に、本契約である売買を成立させる意思表示をする権利(予約完結権)を与え、これによって相手方に対し、本契約を成立させるとの意思表示(予約完結の意思表示)をすれば、相手方の承諾がなくても本契約である売買が成立することをあらかじめ約束することです。
民法第556条に規定されるのは「売買の一方の予約」で、売主又は買主のいずれか一方にだけ予約完結権を与え、且つ、予約完結権行使で当然に売買が成立するものですが、売主・買主双方又は一方に予約完結権を与える「一般的な予約」契約も出来ます。この一般的な予約では、一方が予約完結権を行使した場合、相手方はこれを承諾する義務を負うことをあらかじめ定める契約ですが、相手方が承諾しない場合、承諾を求める訴えを提起しなければなりません(昭和35年5月24日最高裁判決)。
民法第556条の「売買の一方の予約」の法的性質については、判例は「純然たる一個の予約」とし(大正8年6月10日大審院判決)、学説は、相手方の予約完結意思表示を停止条件とする売買そのものであると見る見解が有力です。「予約」というか「売買そのもの」というかの言葉の違いだけのような気もしますが、更にその違いを検討します。
売買の一方の予約成立のためには、本契約の売買詳細まで特定しておく必要はないとされ、代金額も時価による程度の特定でも可能と解説されていますが、実際、成立の有無が争いなった時は、ケースバイケースで内容の検討が必要になります。
「予約(売買)完結権」は、その意思表示のみによって売買を生じさせる権利で、一種の形成権で、財産上の権利ですから、相手方の承諾なくして譲渡でき、完結の意思表示によって売買は当然に成立します。

+(売買)
第555条
売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

+(売買の一方の予約)
第556条
1項 売買の一方の予約は、相手方が売買を完結する意思を表示した時から、売買の効力を生ずる。
2項 前項の意思表示について期間を定めなかったときは、予約者は、相手方に対し、相当の期間を定めて、その期間内に売買を完結するかどうかを確答すべき旨の催告をすることができる。この場合において、相手方がその期間内に確答をしないときは、売買の一方の予約は、その効力を失う。

・AはBとの間で、Bの所有する甲不動産を目的とする売買の予約をした。Aの予約完結権が仮登記によって保全されている場合において、Aが予約完結権をDに譲渡したときは、仮登記に権利移転の付記登記をするだけで、第三者に対する対抗要件とすることができる!!!!
=予約完結権は相手方の承諾がなくてもこれを譲渡することができる!!!
+判例(S35.11.24)
同第二点について。
不動産売買予約上の権利を不動産登記法二条二号の仮登記によつて保全した場合に、右予約上の権利の譲渡を予約義務者その他の第三者に対抗するためには、仮登記に権利移転の附記登記をなせば足りるのであり、債権譲渡の対抗要件を具備する必要はないと解するのが相当である。そして、右附記登記がなされたときは、その順位は主登記たる仮登記の順位によることとなるのであるから、仮登記後附記登記前に同一不動産に対し第三者により仮差押の登記がなされたとしても、その後右不動産につき売買予約完結の意思表示がなされ、これに基いて所有権移転の本登記がなされた以上、右所有権の取得は仮登記の順位によつて保全される結果、仮差押債権者の登記は所有権取得者の登記に遅れ、これに対抗しえないこととなるのである。
本件において、原審は、訴外株式会社研青社は、昭和二九年一二月二五日頃その所有の原判示不動産を訴外Aに対し判示約定をもつて売り渡す旨の売買の予約をなし、Aの取得した売買予約完結権については、昭和三〇年一月二一日所有権移転請求権保全の仮登記がなされたこと、被上告人は同年七月一〇日Aから右予約完結権を譲り受け、同年八月一七日前記仮登記について権利移転の附記登記を経由し、株式会社研青社に対し売買予約完結の意思表示をなすとともに、同日前記仮登記の本登記をしたこと、一方上告人は、株式会社研青社に対する貸金債権の執行を保全するため、大阪地方裁判所の仮差押決定をえ、その執行として右仮登記後附記登記前である同年八月二日右不動産につき仮差押の登記をしたことをそれぞれ確定したものであつて、右事実によれば、前記仮登記によつて保全された本件不動産の売買予約上の権利を譲り受け、売買予約完結の意思表示をして所有権移転の本登記を了した被上告人は、その登記事項をもつて、右仮登記後同一不動産について仮差押登記を経由した上告人に対抗しうるものというべく、右と同趣旨の下に、本件不動産に対し上告人のなした仮差押の執行の排除を求める被上告人の請求を認容した原判決は正当であり、これと異る所論は採るをえない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・Aの予約完結権が仮登記によって保全されている場合において、Aの予約完結の意思表示をする前に、Bが甲不動産をDに譲渡したときは、AはBに対して予約完結の意思表示をすべきである!!!
=予約完結の意思表示は当初の予約義務者に対してすべきである!!!!!!

・買戻しについて期間を定めたときは、その後に伸長することはできない!
+(買戻しの期間)
第580条
1項 買戻しの期間は、十年を超えることができない。特約でこれより長い期間を定めたときは、その期間は、十年とする。
2項 買戻しについて期間を定めたときは、その後にこれを伸長することができない
3項 買戻しについて期間を定めなかったときは、五年以内に買戻しをしなければならない。

・買い戻し特約付不動産売買において、売主は、買主が支払った代金及び契約の費用を償還して、売買の解除をすることができる。代金の利息を償還する必要はない!
+(買戻しの特約)
第579条
不動産の売主は、売買契約と同時にした買戻しの特約により、買主が支払った代金及び契約の費用を返還して、売買の解除をすることができる。この場合において、当事者が別段の意思を表示しなかったときは、不動産の果実と代金の利息とは相殺したものとみなす

・買戻特約付不動産売買の買主が目的不動産を第三者に譲渡し、所有権移転登記を具備した場合、当初の売買契約の売主が買戻権の行使をすべき相手方は、当該譲受人である!!!!!=転得者に対してなすべき。
+判例(S36.5.30)
上告代理人仙波種春の上告理由について。
買戻約款付売買契約により不動産を買受けた者が約款所定の買戻期間中に更にその不動産を第三者に売渡し且つ右売買に因る所有権移転に付更に登記を経由した場合は、その不動産の売主が買戻権を行使するには、右転得者に対してこれを為すべきものであつて、この趣旨の大審院判例(大審院明治三八年(オ)第二三号、明治三九年七月四日第二民事部判決)を変更する必要がないから、これと同趣旨に出でた原判決に所論の違法はなく、論旨は採用できない。

・再売買の予約完結権の消滅時効は、原則として、その権利が成立したときから進行する!!!!
+判例(S33.11.6)
同第二点について。
原判決が「本件は、単純な再売買一方の予約ではなくして、債務が弁済された場合に売渡担保物の所有権を債権者から債務者に復帰させる方法として再売買の予約の形式が踏まれたものであることは、原判決(第一審判決)の説示のとおりであるから、本件貸金債務の弁済期限が到来する迄は、右債務を弁済して予約完結権を行使し得べく、したがつて弁済期が延長せられれば予約完結権の行使の期間も延長せられ、債務の履行期限と予約完結権行使の期間とを一致させる約旨のものであつたといわなければならない。」と判示して控訴人らの時効の抗弁を排斥したことは、所論のとおりである。
しかし消滅時効は、権利を行使し得るときより進行するものであつて、その権利の行使につき特に始期を定め、又は、停止条件を附したものでない限りは、その権利成立の時より行使し得べきものであるから、消滅時効もまたその時より進行するものと解するを相当とする。しかるに、原判決の前記判示は、当事者が同判示の予約完結権の行使につき特に始期を定め又は停止条件を附した約束をした趣旨の判示とは解することができない。されば、原判示の予約完結権は、その予約完結権成立の時より行使し得べき筋合であるから、原判決の理由だけでたやすく控訴人らの時効の抗弁を排斥したのは失当であるといわなければならない。従つて、論旨は、結局その理由があつて、原判決は、破棄を免れない。そして、被上告人は原審で時効中断等。の主張をしているのであるから、民訴四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。


民法択一 債権各論 契約各論 贈与


・売買も贈与も諾成契約である!
+(売買)
第555条
売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。

+(贈与)
第549条
贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾をすることによって、その効力を生ずる。

・負担付贈与であっても、当事者の合意によって効力が生じるから、受贈者が負担を履行しなくても効力が生じる!

・書面によらない既登記不動産の贈与契約において、移転登記がされていれば、引渡しがなくとも、履行が終わったものとして、贈与者は贈与を撤回することができない!!!
+判例(S40.3.26)
上告代理人田中義之助、同湯浅実、同渡辺真一の上告理由第一点について。
不動産の贈与契約において、該不動産の所有権移転登記が経由されたときは、該不動産の引渡の有無を問わず、贈与の履行を終つたものと解すべきであり、この場合、当事者間の合意により、右移転登記の原因を形式上売買契約としたとしても、右登記は実体上の権利関係に符合し無効ということはできないから、前記履行完了の効果を生ずるについての妨げとなるものではない
本件において原判決が確定した事実によると、上告人は本件建物を被上告人に贈与することを約するとともに、その登記は当事者間の合意で売買の形式をとることを定め、これに基づいて右登記手続を経由したというのであるから、これにより、本件贈与契約はその履行を終つたものというべきであり、その趣旨の原判示判断は正当である。これと異なる見解に立脚する論旨は、採るを得ない。

+(書面によらない贈与の撤回)
第550条
書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができる。ただし、履行の終わった部分については、この限りでない

書面によらない贈与契約の撤回権は時効によって消滅しない!!!!!
←書面によらない贈与の撤回権は、履行請求履行請求を拒絶する趣旨のものであるから、時効によって消滅しない!!!

・書面の作成が、贈与契約の成立と同時でなくても書面による贈与に該当する!
=贈与契約成立当時書面を作成しなくても、その後に書面を作成したときは、書面による贈与があったものと認められる!

・贈与において、受贈者にあてた書面がなくとも(=書面が贈与の当事者間で作成されたことを要しない)贈与者は書面によらない贈与としてこれを撤回することはできない!!!
+判例(S60.11.29)
上告代理人原山恵子の上告理由第一について
民法五五〇条が書面によらない贈与を取り消しうるものとした趣旨は、贈与者が軽率に贈与することを予防し、かつ、贈与の意思を明確にすることを期するためであるから、贈与が書面によつてされたといえるためには、贈与の意思表示自体が書面によつていることを必要としないことはもちろん、書面が贈与の当事者間で作成されたこと、又は書面に無償の趣旨の文言が記載されていることも必要とせず、書面に贈与がされたことを確実に看取しうる程度の記載があれば足りる!!!!!!ものと解すべきである。これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によれば、上告人らの被相続人である亡Aは、昭和四二年四月三日被上告人に岡崎市a町b番c宅地一六五・六〇平方メートルを贈与したが、前主であるBからまだ所有権移転登記を経由していなかつたことから、被上告人に対し贈与に基づく所有権移転登記をすることができなかつたため、同日のうちに、司法書士Cに依頼して、右土地を被上告人に譲渡したからBから被上告人に対し直接所有権移転登記をするよう求めたB宛ての内容証明郵便による書面を作成し、これを差し出した、というのであり、右の書面は、単なる第三者に宛てた書面ではなく、贈与の履行を目的として、亡Aに所有権移転登記義務を負うBに対し、中間者である亡Aを省略して直接被上告人に所有権移転登記をすることについて、同意し、かつ、指図した書面であつて、その作成の動機・経緯、方式及び記載文言に照らして考えるならば、贈与者である亡Aの慎重な意思決定に基づいて作成され、かつ、贈与の意思を確実に看取しうる書面というのに欠けるところはなく、民法五五〇条にいう書面に当たるものと解するのが相当である。論旨は、右と異なる見解に基づき原判決の違法をいうか、又は原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

・書面によらない贈与の受贈者も、贈与者に対して贈与の履行を求めることができる!!!
←贈与契約は諾成契約である。したがって、贈与契約は書面によらなくても有効に成立するから、書面によらない贈与の受贈者も贈与者に対して贈与の履行を求めることができる!!

・書面によらない不動産の贈与において、建物の贈与者が贈与と同時に受贈者との間で贈与の目的物である建物を1年間贈与者に無償で使用させる旨合意して、その建物を占有使用した場合、贈与の履行を終わったものであるといえるから、贈与を撤回することはできない!!
=履行が終わったとするためには、176条の意思表示による所有権の移転があっただけでは足りず、目的物の占有の移転も必要!!=占有改定がなされた場合にも履行が終わったものと認められる。
+判例(S31.1.27)
同第二点について。
原判決は本件建物の所有権は、その出来上りと同時に被上告人に移転せられたものであるから、所論の贈与は、既にその履行を終つたものである。よつて、右贈与は上告人Aにおいて、これを取消すことはできないと判示するけれども不動産の贈与は、その所有権を移転したのみをもつて、民法五五〇条にいわゆる「履行ノ終ハリタル」ものとすることはできないのであつて、右「履行ノ終ハリタル」ものとするには、これが占有の移転を要するものと解すべきことは、論旨所説のとおりである。しかし、原判決は右贈与契約については上告人Aは出来上りと同時にこれを被上告人に贈与すると共に、「その後一年間は、控訴人(上告人)Aにおいて右建物を無償で使用し、ビンゴゲーム場を経営して利益をあげ、その一年の期間満了とともに右建物を被上告人に明渡すことと定めた」こと、並びに上告人Aが右契約の趣旨に従つて右建物建築后これを占有使用していることを認定しているのであつて、この事実関係の下においては、右建物は、出来上りと共にその所有権が被上告人に移転すると同時に、爾後上告人Aは被上告人の為めに右建物を占有する旨の意思を暗黙に表示したものと解すべきであるから、これによつて、右建物の占有もまた、被上告人に移転したものというべく、従つて、本件贈与は、既にその履行を終つたものと解するを相当とする。されば上告人の右贈与取消の抗弁を排斥した原判決は結局正当であつて、論旨は理由がない。

・書面によらない負担付贈与では、Aの贈与もBの負担も履行されていないときは契約の撤回ができる!

・贈与者は、贈与も目的物である物又は権利の瑕疵又は不存在を知りながら、これを受贈者に告げなかった場合、瑕疵担保責任を負う!!
+(贈与者の担保責任)
第551条
1項 贈与者は、贈与の目的である物又は権利の瑕疵又は不存在について、その責任を負わない。ただし、贈与者がその瑕疵又は不存在を知りながら受贈者に告げなかったときは、この限りでない
2項 負担付贈与については、贈与者は、その負担の限度において、売主と同じく担保の責任を負う。

・AはBに対し高価な骨董品の花瓶を贈与した。しかし、その後、贈与契約が締結される前から花瓶の模様の部分にひびが入っていたため価値が半減していたことがわかった。Aは花瓶にひびが入って価値が半減していたことにつき善意の場合はBに対して担保責任を負わない!!
+過失についてはどう考えるんだろう・・・・。←たぶん含まれないよ!

・AはBに対して自己所有の家屋を無償で譲り渡す約束をした。その後、Aの過失によりBへの引渡し前に家屋が焼失してしまった。BはAに対して損害賠償を請求することができる!!!
←贈与者は目的物について善管注意義務を負う(400条)。したがって、過失により目的物が減失した場合には、善管注意義務違反の債務不履行基づく損害賠償責任が生じることになる(415条)。
+(特定物の引渡しの場合の注意義務)
第400条
債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。

+(債務不履行による損害賠償)
第415条
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。

+++
善良な管理者の注意(善管注意)とは、債務者の職業、その属する社会的・経済的な地位などにおいて一般に要求されるだけの注意をいう。ヘーー

・定期の給付を目的とする贈与は、贈与者又は受贈者の死亡によってその効力を失う。←当事者の信頼関係に重きを置いているから!!!
+(定期贈与)
第552条
定期の給付を目的とする贈与は、贈与者又は受贈者の死亡によって、その効力を失う。

・負担付贈与契約は無償契約かつ片務契約であるが、双務契約に関する危険負担の規定が準用される!!!!
+(負担付贈与)
第553条
負担付贈与については、この節に定めるもののほか、その性質に反しない限り、双務契約に関する規定を準用する。

+(債権者の危険負担)
第534条
1項 特定物に関する物権の設定又は移転を双務契約の目的とした場合において、その物が債務者の責めに帰することができない事由によって滅失し、又は損傷したときは、その滅失又は損傷は、債権者の負担に帰する。
2項 不特定物に関する契約については、第401条第二項の規定によりその物が確定した時から、前項の規定を適用する。

・Aが義理の息子Bに対し、Aを養うことを条件として家屋を無償で譲り渡す旨を書面により約し、家屋の所有権をBに移転したが、BはAを養わなかった。この場合、Aは、贈与契約を解除することができる!!!!←541条、542条を準用

+判例(S53.2.17)の原審
【理由】 〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。
1 やよいは、大正八年一郎の許に嫁して以来、乙野家の長男の嫁として、病弱で目の不自由な姑春子に代わつて、同家の家事及び控訴人を含む一郎の弟妹の養育等に尽し、控訴人ら兄弟及び近隣の人々に敬愛されていたところ、夫一郎との間に子が生れなかつたことから、性格が素直で優しく思われた控訴人を慈しみ、ゆくゆくは養子として乙野家の跡を継がせようと考えていた。
そのため、一郎とやよいは、控訴人を跡継ぎに相応するように教育すべく、家業に精励し、他の弟妹には小学校教育しか受けさせなかつたのに独り控訴人のみを大学に進学させ、医師として生業できるに至るまで教育し、その間実親にも優る世話をし、控訴人が昭和一二年に夏子と結婚し、戦時中東京都品川区○○に医院を開業するまで控訴人夫婦に月額二〇円程度の援助を続け、その後も食糧等の援助を続けた。
2 当時控訴人夫婦においてもやよいに対する感謝の念を忘れず、一郎死亡(昭和二四年)後は同人に対し生活費の一助として月に二、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円を仕送りするなどしてその世話をしていた。そして、控訴人は、昭和三九年にはやよいに相談することなく、東京都練馬区役所へ控訴人夫婦がやよいの養子となる縁組届をした(養子縁組の事実については当事者間に争いがない。)。やよいは、控訴人を一〇才の時から前記のように養育し、医師となつた同人を誇りとし、その人格に全幅の信頼を寄せ、同人夫婦からも親愛の情を示されていたので、右養子縁組にもとより異存はなかつた。
3 そして、やよいは、昭和四二年頃、控訴人との関係が右のように円満であり控訴人より生活費として一万七、〇〇〇円位の仕送りを続けてもらつていること、控訴人が正式に養子となつて乙野家の跡継ぎになつていたことから、自分の老後を控訴人に託し、その家族の一員として控訴人夫婦や孫に囲まれて安らかに暮すことを予定して、乙野家の家産、先祖の祭祀等を引き継がせるために、本件土地を主体とする亡夫一郎の遺産を控訴人に取得させたいと考えるようになり、控訴人らにその意とするところを語つていた。
4 昭和四三年頃やよいは控訴人以外の者で一郎の父太郎(一郎の死後昭和二五年に死亡)及び同母春子(昭和三一年死亡)の相続人である控訴人の兄弟及びその代襲相続人らにその心情を訴えて説明したところ、これらの者はやよいの考えに同調し、各人の相続分につきやよいの要望するところに従い控訴人に贈与することに同意した。
5 そこで、当時いまだ一郎の遺産につき分割の手続が未了であつたところから、やよいは、控訴人以外の太郎及び春子の全相続人(太郎に関しては、昭和二六年に相続放棄をしなかつた者)から「被相続人からすでに相当の財産の贈与を受けており被相続人の死亡による相続分については相続する相続分の存しないことを証明します」との文言を記載した証明書をとりまとめ、亡夫一郎の遺産につき自分名義の同旨証明書を添えて控訴人に交付した。これによつて控訴人が冒頭掲記の各所有権移転登記手続を了した。
〈中略〉
以上認定の事実によれば、本件土地については、控訴人固有の相続分以外の所有持分権の控訴人に対する移転(そのうちやよいからの分は、原判決別紙物件目録(一)の土地については持分四分の一、同(二)ないし(一〇)の土地については持分二分の一)は、一郎の遺産の分割に当り、控訴人以外の相続分を有する者から控訴人に対し、右各相続分を贈与することによつてなされたものというべきである。就中やよいからの贈与分は、やよいの財産のほとんど全部を占めるもので、やよいの生活の場所及び経済的基盤を成すものであつたから、その贈与は、やよいと控訴人との特別の情宜関係及び養親子の身分関係に基き、やよいの爾後の生活に困難を生ぜしめないことを条件とするものであつて、控訴人も右の趣旨は十分承知していたところであり、控訴人において老令に達したやよいを扶養し、円満な養親子関係を維持し、同人から受けた恩愛に背かないことを右贈与に伴う控訴人の義務とする、いわゆる負担付贈与契約であると認めるのが相当である。 ホーーー
控訴人は、本件土地はやよいらの相続放棄により単独相続したものであつて贈与によつて取得したものでないと主張するが、少くともやよいの相続分に相応する持分については、前記認定のとおり登記手続の便宜上やよいにおいて具体的相続分の存在しないことを承認する形式がとられたにすぎないものと認められるから、右主張並びにそれらを前提とする禁反言の主張は容認することができない。

三 ところで、負担付贈与において、受贈者が、その負担である義務の履行を怠るときは、民法五四一条、五四二条の規定を準用し、贈与者は贈与契約の解除をなしうるものと解すべきである。そして贈与者が受贈者に対し負担の履行を催告したとしても、受贈者がこれに応じないことが明らかな事情がある場合には、贈与者は、事前の催告をすることなく、直ちに贈与契約を解除することができる!!!ものと解すべきである。
本件において、やよいが、本件負担付贈与契約上の扶養義務及び孝養を尽す義務の負担不履行を理由に、控訴人に対し、昭和四八年一二月二八日送達された本件訴状によつて、右贈与契約を解除する旨の意思表示をしたことは、記録上明らかである。
そこで、右負担付贈与契約の解除の適否について判断する。
〈証拠〉を総合すると、やよいと控訴人とは昭和四二、三年頃までは養親子として通常の関係にあつたが、昭和四三年一〇月一五日に本件土地について前記のとおり控訴人の単独相続による所有権移転登記手続が経由されて以後、次のような経緯で、控訴人はやよいに対し親愛の情を欠くようになり、その態度、行動は苛酷なものとなり、両者の養親子としての関係を破綻させるに至つたことが認められる。 フム
1 控訴人は、やよいから同人の一郎の遺産に対する相続分を前記のように贈与を受けるに先だち、昭和四三年九月一六日やよいの頼みで被控訴人に対し右遺産中の原野四畝二五歩、山林四畝二三歩を贈与することにしたが、内心右贈与を快く思つていなかつたこともあつてその履行を直ちにしなかつたところ、やよいから被控訴人への所有権移転登記手続を早くするよう度々催促されるので、やよいを疎ましく思うようになつた。
2 一郎は昭和二二年頃乙野家の手伝いとして長年尽した訴外丁野秋子に年季奉公の謝礼として農地を贈与したことがあつたところ、丁野から右土地を買受けていた訴外山田次郎が、昭和四五年頃になつて同土地の所有名義人となつた控訴人に対し所有権移転登記手続を請求したのに対し、控訴人が右贈与を否定して紛争になつたが、やよいが、農地委員会から事情聴取された際、丁野への贈与があつたことをありのままに認める陳述をした。そのため、控訴人は自己に不利な供述をされたことを根に持ち、やよいに対しさらに不快な感情を抱くに至つた。
3 やよいは、昭和四五年頃、太郎の代から乙野家に仕えていた訴外乙野司郎が貧しく、住家の屋根の修繕材料に窮していることを聞いて不憫となり、控訴人においても当然異存はないものと考えて控訴人所有の山林の立木四本ばかりの伐採を許したところ、控訴人から苦情を呈されて謝つたことがあつた。やよいは、右事件について右の謝罪により落着したものと思つていたところ、その後約一年位過ぎて、控訴人からやよいと司郎が共謀のうえ控訴人所有の立木を窃取したとして、富士吉田警察署に告訴され、同警察及び検察庁から呼び出され取調べを受けるに至つた。
4 控訴人は前記1のように被控訴人に贈与した土地について、昭和四六年一一月一日被控訴人から所有権移転登記等を請求する訴訟(後に右土地を控訴人が第三者に売却したため損害賠償請求に変更された。)を提起されたところ、右訴訟において、控訴人は、被控訴人に右土地を贈与するに至つたことに関して、やよいが「同意しなければ控訴人の経営する医院や田舎の家に放火して、首つり自殺をしてやる」などと申し向けて控訴人を脅迫したとか、やよいが、異常性格であるとか、控訴人の立木を勝手に売却したり、控訴人の土地を担保に供すると称して多額な借金をなし浪費生活を続けているとか、虚偽の事実を法廷で供述し、やよいの名誉を著しく傷つけた。
5 控訴人夫婦は、昭和四七年一二月一一日甲府家庭裁判所都留支部に、やよいについて右4の虚偽の供述と同旨の事由があるとして、離縁及びやよいの居宅(同人が嫁に来て以来住んでいる乙野家の家屋)等の明渡を求める調停の申立をするに至つたが、右調停は、昭和四八年七月一〇日不調に終つた。
6 控訴人は、やよいが前記贈与によつて身の廻り品や、前記の僅かばかりの株券のほかほとんど無一物となり、一郎の恩給(月額九、〇〇〇円)と控訴人からの仕送り(当時は月額一万七、〇〇〇円位)で生活していることを了知しておりながら、昭和四七年末頃から右仕送りを中止し、やよいをして困窮の身に陥れ、同人を昭和四八年二月八日以降月額一万円にも満たない生活保護と隣人の同情に老の身を託さざるを得なくし、さらには、隣人に対し手紙でやよいに金員を貸与しないよう申し入れた。同地方の有数の資産家の未亡人で、近隣から敬愛されていたやよいのこの窮状は、周囲の人々の同情と控訴人に対する非難を呼ぶことになつた。
7 控訴人は、昭和四七年一二月頃、やよいの居住する家屋に昔から付設されていた電話を、使用者であるやよいが留守中に無断で取り外してしまつた。
8 なお、控訴人は、昭和五〇年二月頃、やよいが病気で入院している間にやよいの右居宅に侵入し、以後のやよいの出入りを断つべく、道路と家との間に有刺鉄線を張りめぐらし、更に出入口の鍵まで付け替えてしまつた。 スゲエ・・・
9 やよいは、控訴人の仕打ちが昂ずるに及んで遂に昭和四八年一〇月一九日甲府地方裁判所に控訴人夫婦を相手とし離縁の訴を提起し、昭和五〇年一月二二日協議離縁することで和諧するに至り、同年三月一七日離縁の届出をして、控訴人夫婦との養親子関係を解消した。
〈中略〉
以上認定事実によれば、控訴人は、やよい側に格別の責もないのに、本訴が提起された当時において、養子として養親に対しなすべき最低限のやよいの扶養を放擲し、また子供の時より恩顧を受けたやよいに対し、情宜を尽すどころか、これを敵対視し、困窮に陥れるに至つたものであり、従つて、やよいの控訴人に対する前記贈与に付されていた負担すなわちやよいを扶養して、平穏な老後を保障し、円満な養親子関係を維持して、同人から受けた恩愛に背かない義務の履行を怠つている状態にあり、その原因が控訴人の側の責に帰すべきものであることが認められ、控訴人とやよいとの間の養親子としての関係も本訴提起当時回復できないほど破綻し、その後の経過からみても、やよいが控訴人に対し右義務の履行を催告したとしても、控訴人においてこれを履行する意思のないことは容易に推認される。結局、本件負担付贈与は、控訴人の責に帰すべき義務不履行のため、やよいの本件訴状をもつてなした解除の意思表示により、失効したものといわなければならない。〈後略〉

+(履行遅滞等による解除権)
第541条
当事者の一方がその債務を履行しない場合において、相手方が相当の期間を定めてその履行の催告をし、その期間内に履行がないときは、相手方は、契約の解除をすることができる。

+(定期行為の履行遅滞による解除権)
第542条
契約の性質又は当事者の意思表示により、特定の日時又は一定の期間内に履行をしなければ契約をした目的を達することができない場合において、当事者の一方が履行をしないでその時期を経過したときは、相手方は、前条の催告をすることなく、直ちにその契約の解除をすることができる。

・死因贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定が準用されるが、死因贈与の方式については遺贈に関する規定の準用はない!!!!
+判例(S32.5.21)
同第二点について。
論旨は死因贈与も遺言の方式に関する規定に従うべきものと主張するが、民法五五四条の規定は、贈与者の死亡によつて効力を生ずべき贈与契約(いわゆる死因贈与契約)の効力については遺贈(単独行為)に関する規定に従うべきことを規定しただけで、その契約の方式についても遺言の方式に関する規定に従うべきことを定めたものではないと解すべきである。(同趣旨、大正一五年(オ)一〇三六号、同年一二月九日、大審院判決、集五巻八二九頁)論旨は理由がない。

・死因贈与にも遺贈にも負担を付することはできる!!!
+(負担付贈与)
第553条
負担付贈与については、この節に定めるもののほか、その性質に反しない限り、双務契約に関する規定を準用する。

+(負担付遺贈)
第1002条
1項 負担付遺贈を受けた者は、遺贈の目的の価額を超えない限度においてのみ、負担した義務を履行する責任を負う。
2項 受遺者が遺贈の放棄をしたときは、負担の利益を受けるべき者は、自ら受遺者となることができる。ただし、遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、その意思に従う。

・遺贈はいつでも撤回することができる!
+(遺言の撤回)
第1022条
遺言者は、いつでも、遺言の方式に従って、その遺言の全部又は一部を撤回することができる。

+(前の遺言と後の遺言との抵触等)
第1023条
1項 前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす。
2項 前項の規定は、遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合について準用する。

・死因贈与も書面によるか否かにかかわらず、いつでも撤回することができる!!!
+判例(S47.5.25)
同第三点について。
所論は、原判決には、死因贈与について遺言の取消に関する民法一〇二二条の準用を認めた法令の解釈適用の誤りがあり、かつ、本件死因贈与は夫婦間の契約取消権によつて取消しえないものであると解しながら、右民法一〇二二条の準用によつてその取消を認めた理由そごの違法がある、というものである。
おもうに、死因贈与については、遺言の取消に関する民法一〇二二条がその方式に関する部分を除いて準用されると解すべきである。けだし、死因贈与は贈与者の死亡によつて贈与の効力が生ずるものであるが、かかる贈与者の死後の財産に関する処分については、遺贈と同様、贈与者の最終意思を尊重し、これによつて決するのを相当とするからである。そして、贈与者のかかる死因贈与の取消権と贈与が配偶者に対してなされた場合における贈与者の有する夫婦間の契約取消権とは、別個独立の権利であるから、これらのうち一つの取消権行使の効力が否定される場合であつても、他の取消権行使の効力を認めうることはいうまでもない。それゆえ、原判決に所論の違法は存しないというべきである。論旨は、独自の見解に立脚して、原判決を非難するものであつて、採用することができない。

・死因贈与は代理によってすることができるが、遺贈は代理によってすることができない!!
=死因贈与は契約であるから、代理によることができる。これに対して遺贈は遺言による意思表示であり、代理によってすることができない!!!

・死因贈与、遺贈ともに贈与者、遺贈者の死亡によって、財産権移転の効果が生じる!!!
+(死因贈与)
第554条
贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定を準用する。

+(遺言の効力の発生時期)
第985条
1項 遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずる。
2項 遺言に停止条件を付した場合において、その条件が遺言者の死亡後に成就したときは、遺言は、条件が成就した時からその効力を生ずる。

・死因贈与、遺贈共に財産が受贈者、受遺者に移転した後でも、相続人は遺留分減殺請求をすることができる!
+(死因贈与)
第554条
贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定を準用する。

+(遺贈又は贈与の減殺請求)
第1031条
遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。

・死因贈与は贈与者の単独行為によってすることはできない!=あくまで契約!


民法択一 債権各論 契約総論 有償契約の問題=担保責任


・目的物に地上権による制限があった場合の担保責任の追及には期間制限があるが、抵当権の行使によって買主が権利を失った場合の担保責任の追及には期間制限がない!!!!!!ヘエエエエ
+(地上権等がある場合等における売主の担保責任)
第566条
1項 売買の目的物が地上権、永小作権、地役権、留置権又は質権の目的である場合において、買主がこれを知らず、かつ、そのために契約をした目的を達することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求のみをすることができる。
2項 前項の規定は、売買の目的である不動産のために存すると称した地役権が存しなかった場合及びその不動産について登記をした賃貸借があった場合について準用する。
3項 前二項の場合において、契約の解除又は損害賠償の請求は、買主が事実を知った時から一年以内にしなければならない。

+(抵当権等がある場合における売主の担保責任)
第567条
1項 売買の目的である不動産について存した先取特権又は抵当権の行使により買主がその所有権を失ったときは、買主は、契約の解除をすることができる。
2項 買主は、費用を支出してその所有権を保存したときは、売主に対し、その費用の償還を請求することができる。
3項 前二項の場合において、買主は、損害を受けたときは、その賠償を請求することができる。

・担保責任を免除する特約を結ぶことはできるが、その場合でも、目的物について売主が自分で第三者のために設定した権利があったときは、売主は担保責任を免れない!!!!
+(担保責任を負わない旨の特約)
第572条
売主は、第560条から前条までの規定による担保の責任を負わない旨の特約をしたときであっても、知りながら告げなかった事実及び自ら第三者のために設定し又は第三者に譲り渡した権利については、その責任を免れることができない

瑕疵担保の規定は強行規定ではないから、瑕疵担保責任を負わない旨の特約も有効である。ただし、売主が目的物の瑕疵を知りながら買主に告げなかった場合には、免責特約の効力は否定される!!←572条

・売買契約の目的たる権利が他人のものである場合、買主は売主がその売却した権利を取得して買主に移転することができないときは、善意悪意を問わず契約の解除をすることができ、善意の買主についてのみ、損害賠償請求をすることも認められている。
そして、この売主の担保責任に期間制限はない!!!
+(他人の権利の売買における売主の担保責任)
第561条
前条の場合において、売主がその売却した権利を取得して買主に移転することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の時においてその権利が売主に属しないことを知っていたときは、損害賠償の請求をすることができない

・売主が契約時にその売却した動産の所有権が自己に属しないことを知らず、買主もそのことを知らなかった場合において、その権利を取得して買主に移転することができないときは、売主は損害を賠償して契約の解除をすることができる。
+(他人の権利の売買における善意の売主の解除権)
第562条
1項 売主が契約の時においてその売却した権利が自己に属しないことを知らなかった場合において、その権利を取得して買主に移転することができないときは、売主は、損害を賠償して、契約の解除をすることができる
2項 前項の場合において、買主が契約の時においてその買い受けた権利が売主に属しないことを知っていたときは、売主は、買主に対し、単にその売却した権利を移転することができない旨を通知して、契約の解除をすることができる。

・売買の目的である権利の一部が他人に属しているため、売主が買主にこれを移転することができない場合、買主は、残存する部分のみであればこれを買い受けなかったときには、当該事情を知っていたときは、代金の減額請求はできても、契約の解除はすることはできない!!!

+(権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任)
第563条
1項 売買の目的である権利の一部が他人に属することにより、売主がこれを買主に移転することができないときは、買主は、その不足する部分の割合に応じて代金の減額を請求することができる。
2項 前項の場合において、残存する部分のみであれば買主がこれを買い受けなかったときは、善意の買主は、契約の解除をすることができる。
3項 代金減額の請求又は契約の解除は、善意の買主が損害賠償の請求をすることを妨げない。

・565条によって準用される564条所定の除斥期間は、買主が善意の場合は、同人が売買の目的物の数量不足を知った時から起算される!!!!

・買主が数量不足については既に知っているものの、その責めに帰すべきでない事由により売主が誰であるかを知りえなかった場合は、買主が売主を知った時から起算される!!!!
←564条の「事実を知った時」とは、買主が売主に対し担保責任を追及し得る程度の確実な事実関係を認識したことを要する!!

+判例(H13.2.22)
1 上告代理人小室貴司の上告理由について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法三一二条一項又は二項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

2 以下、職権により、上告人の本件請求について判断する。
(1) 原審の確定した事実関係は次のとおりである。
ア 上告人は、平成二年六月一一日、被上告人との間で、被上告人から第一審判決別紙物件目録記載一の土地(以下「一三七番一の土地」という。)を、同土地の南側に隣接する同物件目録二の土地(以下「一三六番一の土地」という。)との境界は第一審判決別紙図面のイ、ロ、ハの各点を直線で結ぶ線であるとし、実測面積68.90平方メートル、代金一坪当たり九〇〇万円、総額一億八七五八万円で買い受ける旨の売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し、同年八月八日ころ、その引渡しを受けた。
イ 一三六番一の土地の所有者である丸山博久は、平成三年四月ころ、両土地の境界は同図面のイ、ロ、ホ、ニの各点を直線で結ぶ線であるとして、その線上にブロック塀を建築し、同図面のロ、ハ、ニ、ホ、ロの各点を直線で結んだ範囲の12.26平方メートル(約3.71坪)の土地(以下「本件土地」という。)は一三六番一の土地に属するものであると主張するに至った。
ウ 上告人は、平成三年七月末ころ、丸山に対し、ブロック塀の建築に抗議したが、同人はこれを受け入れなかった。そこで、上告人は、同年一一月、丸山を相手方として、ブロック塀の撤去等を求める旨の仮処分を申し立てたところ、丸山は、同年一二月一六日付けの答弁書によって、本件土地が一三六番一の土地に属する旨を主張した。同仮処分申立てについては、平成四年二月二四日、丸山に対して本件土地につき占有移転を禁止する旨の仮処分命令が発せられた。
エ 上告人は、平成三年一二月、丸山を被告として、所有権に基づき、ブロック塀の撤去、本件土地の明渡しを求める訴訟を提起した。これについては、平成六年一一月二八日上告人の請求を棄却する旨の第一審判決がされ、同七年九月一三日上告人の控訴を棄却する旨の判決が、同八年三月五日上告人の上告を棄却する旨の判決がされた。
オ 上告人は、平成七年一一月一〇日ころ、被上告人に対して本件売買契約に基づく売主としての責任を問う旨の意思を表明し、同八年四月一九日、本件訴訟を提起した。
(2) 本件において、上告人は、被上告人に対し、主位的には民法五六三条又は五六五条に基づく代金減額請求、予備的には不当利得返還請求として、本件売買契約に基づいて上告人が支払った代金のうち本件土地の面積分に相当する三三三九万円及び遅延損害金の支払を求め被上告人は、代金減額請求について、民法五六四条所定の一年の除斥期間が経過していると主張して争った。
原審は、次のとおり判断し、上告人の請求を棄却すべきものとした。
ア 本件土地は、本件売買契約の目的の一部とされたが、丸山所有の一三六番一の土地に属するものであると認められる。そして、丸山には本件土地を被上告人に対して譲渡する意思がないので、本件売買契約の売主である被上告人は、これを買主である上告人に移転することができない
イ 上告人の被上告人に対する代金減額請求は、民法五六三条又は五六五条に基づくものであるところ、同法五六四条所定の善意の買主の権利に係る除斥期間の起算点は、買主が、単に売買の目的である権利の一部が他人に属し、又は数量を指示して売買した物が不足していたことを知っただけでなく、売主においてこれを買主に移転することができないことをも知った時であると解するのが相当である。
ウ 前記事実関係の下においては、上告人は、仮処分申立て事件につき、丸山から、本件土地は一三六番一の土地の一部であることを明確に主張する平成三年一二月一六日付けの答弁書が提出された時に、本件土地は丸山の所有に属し、又は本件売買契約の目的である土地の面積に不足があることのみならず、被上告人が丸山から本件土地を取得してこれを上告人に移転することができないことをも知ったものと解するのが相当である。そうすると、上告人は、その時点から一年内に被上告人に対して代金減額請求権を行使していないから、同請求権は、民法五六四条所定の除斥期間の経過によって消滅していることになる。
エ 代金減額請求権が消滅した以上、上告人の主張する不当利得返還請求権も発生する余地がない。
(3) しかし、原審の判断のうち(2)のウの部分は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。
売買の目的である権利の一部が他人に属し、又は数量を指示して売買した物が不足していたことを知ったというためには、買主が売主に対し担保責任を追及し得る程度に確実な事実関係を認識したことを要すると解するのが相当である。本件のように、土地の売買契約が締結された後、土地の一部につき、買主と同土地の隣接地の所有者との間で所有権の帰属に関する紛争が生起し、両者が裁判手続において争うに至った場合において、隣接地の所有者がその手続中で係争地が同人の所有に属することを明確に主張したとしても、買主としては、その主張の当否について公権的判断を待って対処しようとするのが通常であって、そのような主張があったことから直ちに買主が係争地は売主に属していなかったとして売主に対し担保責任を追及し得る程度に確実な事実関係を認識したということはできない。以上説示したところによれば、上告人の本件代金減額請求権について、仮処分申立て事件において丸山から答弁書が提出された時点をもって、民法五六四条所定の除斥期間の起算点と解するのが相当であるとした原審の判断は、同条の解釈を誤ったものといわざるを得ない。
以上のとおりであって、原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるから、原判決を職権をもって破棄し、更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+判例(S48.7.12)
上告代理人大道寺和雄、同中西英雄の上告理由第一、について。
原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)によると、原審の認定した事実は次のとおりである。すなわち、本訴は、本件山林の買主である被上告人がその坪数不足を知つた時から一年を経逸したのちに提起されているが、本訴の提起が右のようにおくれたのは、上告人が、売主の自己であることを秘匿し、本件山林の前主であるAより預つていた印章を用いて同人名義の売買契約書を作成し、これを同人の権利証とともに本件売買の仲介人であるBを介し被上告人に交付してAを売主のごとく装つていたため、被上告人がAを売主と誤信して同人を相手どつて代金減額請求訴訟を提起、追行していたからである。そして、被上告人は、右訴訟の経緯により売主はあるいは上告人であるかもしれないとの疑念を抱くようになり、念のために同人に対して本訴を提起したところ、間もなくAに対する訴についての判決の送達を受けて売主が上告人であることを知つたのである。
原審の右事実の認定は、原判決挙示の証拠に照らし首肯することができる。
ところで、民法五六五条によつて準用される同法五六四条所定の除斥期間は、買主が善意のときは、同人が売買の目的物の数量不足を知つた時から起算されるが、買主が数量不足についてはすでに知つているものの、その責に帰すべきでない事由により売主の誰れであるかを知りえなかつたときは、買主が売主を知つた時から起算すべきであると解するを相当とする。そして前記事実関係のもとにおいては、被上告人はその責に帰すべきでない事由により売主が上告人であることを知りえなかつたものというべきであるから、これを知つた時から一年内に提起されれば、訴は右除斥期間を遵守した適法なものであると解すべきところ、前述のような事情で右知つた時にはすでに提起されていた本訴はもとより適法であるといわなければならない。
してみると、これと同旨の原審の判断は正当として肯認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

+(数量の不足又は物の一部滅失の場合における売主の担保責任)
第565条
前二条の規定は、数量を指示して売買をした物に不足がある場合又は物の一部が契約の時に既に滅失していた場合において、買主がその不足又は滅失を知らなかったときについて準用する。

+(権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任)
第564条
前条の規定による権利は、買主が善意であったときは事実を知った時から、悪意であったときは契約の時から、それぞれ一年以内に行使しなければならない。

・Aは自己所有の甲土地を敷地面積が100平方メートルと表示し、1平方メートル当たり1万円として賃料月額100万円でBに賃貸したところ、実際には甲土地の面積が90平方メートルであったことが判明した場合、Bは、面積の不足につき善意であれば賃料の減額を請求することができる!!!
+(有償契約への準用)
第559条
この節の規定は、売買以外の有償契約について準用する。ただし、その有償契約の性質がこれを許さないときは、この限りでない。

+(数量の不足又は物の一部滅失の場合における売主の担保責任)
第565条
前二条の規定は、数量を指示して売買をした物に不足がある場合又は物の一部が契約の時に既に滅失していた場合において、買主がその不足又は滅失を知らなかったときについて準用する。

+(権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任)
第563条
1項 売買の目的である権利の一部が他人に属することにより、売主がこれを買主に移転することができないときは、買主は、その不足する部分の割合に応じて代金の減額を請求することができる。
2項 前項の場合において、残存する部分のみであれば買主がこれを買い受けなかったときは、善意の買主は、契約の解除をすることができる。
3項 代金減額の請求又は契約の解除は、善意の買主が損害賠償の請求をすることを妨げない。

+判例(S43.8.20)数量指示売買とは・・・
上告代理人岩本健一郎の上告理由第一点について。
民法五六五条にいう「数量ヲ指示シテ売買」とは、当事者において目的物の実際に有する数量を確保するため、その一定の面積、容積、重量、員数または尺度あることを売主が契約において表示し、かつ、この数量を基礎として代金額が定められた売買を指称するものである。ところで、土地の売買において目的物を特定表示するのに、登記簿に記載してある字地番地目および坪数をもつてすることが通例であるが、登記簿記載の坪数は必ずしも実測の坪数と一致するものではないから、売買契約において目的たる土地を登記簿記載の坪数をもつて表示したとしても、これでもつて直ちに売主がその坪数のあることを表示したものというべきではない
ところで、原審が本件売買を数量指示売買と認定判断するについて挙げた証拠方法は、甲第六号証(不動産売渡代金領収書)、第一、二審の被上告人本人尋問の各結果、第二審の上告人A本人尋問の結果および弁論の全趣旨であるが、右甲第六号証には、売買の目的物として、「長崎市a町b番のc宅地八六坪五合(原判決もこのように認定しているが、成立に争ない甲第七号証((登記簿謄本))によれば、長崎市a町b番のcは宅地八六坪五勺とある)、同上b番の二宅地七坪四合、同市同町b番のc建設家屋番号同町第d番木造瓦葺平家建居宅一棟建坪二五坪、塀・井戸・畳・建具其他付属定着物・従物等一切有姿の儘」、その売買代金額として「一四五万円」と記載されているのみであり、その他の前記証拠方法には、本件売買の目的物のうちb番のc宅地八六坪五合(登記の記載上は正しくは八六坪五勺)、同番の二宅地七坪四合は、「買主たる控訴人(被上告人)においてはもちろん、そのとおりの実測面積があるものと信じ、また売主たる被控訴人(上告人)ら側においても、売買の目的たる本件宅地の実測面積は登記簿表示の坪数より少なくないことを認め、当事者双方ともこれを基礎として代金額を定めたものである」との証拠はない。そして、第一審裁判所のした検証の結果には、本件売買の目的である土地は周囲を石垣等で囲まれているとある。そこで、右かつこ部分を除くその他の原審の確定した事実を冒頭の説示に照らして判断すれば、本件売買は、いまだいわゆる数量指示売買にあたるものとはいえず、これを数量指示売買と判断したことは、証拠に基づかないで事実を認定したか、民法五六五条の解釈適用を誤つたものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。 ヘーー
よつて、論旨は理由あり、上告理由中その他の点についての判断を省略し、本件について更に審理を尽くさせるため、事件を原審に差し戻すべきものとし、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

・数量指示売買において数量が超過していた場合、売主は、民法の担保責任の規定の類推適用を根拠として代金増額を請求することはできない!!!!!

+判例(H13.11.27)
上告代理人上谷佳宏、同木下卓男、同幸寺覚、同福元隆久、同山口直樹、同今井陽子、同松元保子の上告受理申立て理由第一の二、三、第二について
1 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。
(1) A(以下「A」という。)は、第1審判決別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を所有し、これを上告人及びB(以下「上告人ら」という。)に建物所有目的で賃貸していた。
平成4年3月ころ、Aと上告人らとの間で、1坪当たりの単価を52万円(1㎡当たり15万7296円)とし、これに実測面積を乗じた額を代金額として、本件土地を上告人らが買い取る話が進み、A側で測量を行うことになった。
(2) Aは、本件土地の測量をC測量設計事務所ことC(以下「C」という。)に依頼し、Cはこれを株式会社D(以下「D」という。)に依頼した。
Dは、本件土地の測量を実施したが、真実の面積が399.67㎡であったのに、求積の際の計算の誤りにより59.86㎡少ない339.81㎡を実測面積と記載した求積図を作成し、Cを介してAに交付した。
(3) Aと上告人らは、平成4年7月30日、本件土地につき売買契約を締結したが、その契約書には、取引は実測によるものと記載されて上記の求積図が添付され、本件土地の実測面積が339.81㎡と明記された上、この面積に前記の単価を乗じた5345万0800円が売買代金とされた(以下「本件売買契約」という。)。なお、上告人とBが取得する持分は各2分の1とされた。
(4) その後、測量結果の誤りを知ったAは、平成5年4月ころ、仲介業者をして、上告人らに対して、売買代金が不足しているとして支払交渉をさせたが、物別れに終わった。なお、真実の面積によって計算した代金額と、本件売買契約の代金額との差額は、上記の1㎡単価15万7296円に59.86㎡を乗じた941万5738円である。
(5) Cは、測量結果に誤りがあったことによる損害賠償として、平成9年3月から同年5月にかけて、上記の差額に迷惑料を加算した1000万円をAに支払った(ただし、うち660万0200円は、CのAに対する債権と相殺された。)。
(6) Dは、平成9年12月4日、Cとの間で、測量結果に誤りがあったことによる損害賠償として、Cに対して600万円を支払う旨の示談をした。
(7) 被上告人は、Dとの間で測量士賠償責任保険契約を締結していたところ、平成9年12月18日、上記示談に係るDのCに対する債務のうち550万円を、Dに代わってCに支払った。

2 本件は、(1) 被上告人が上告人に対して、民法565条の類推適用により、又は本件売買契約の際に成立した清算の合意に基づき、Aが上告人らに対して有していた上記差額に相当する941万5738円の代金請求権について、損害賠償者の代位(民法422条)及び保険者の代位(商法662条)によって、内金550万円を取得したとして、その半額である275万円と遅延損害金の支払を求める反訴事件と、(2) 上告人が被上告人に対して、上記代金債務の不存在確認を求める本訴事件である。
原審は、上記事実関係の下において、次のとおり判示し、被上告人の反訴請求を認容し、上告人の本訴請求を棄却した。
(1) 本件売買契約は、民法565条にいういわゆる数量指示売買に当たる
(2) 数量指示売買で目的物の数量が指示された数量を超える場合において、当該売買契約に至る経緯や代金額が決定された経緯等の事情から、代金の増額を認めないことが公平の理念に反し、かつ、その増額を認めることが買主にとっても対応困難な不測の不利益を及ぼすおそれがないものと認めるべき特段の事情が存するときには、民法565条、563条1項を類推適用して、超過部分について、売主の代金増額請求権を認めるのが相当である。本件では、上記の特段の事情が存するから、Aは代金増額請求権を行使することによって、上告人らに対して941万5738円の代金請求権を取得した。
(3) Cは、Aに対して債務不履行に基づく損害賠償義務を履行したので、損害賠償者の代位(民法422条)によって、Aの上告人らに対する代金請求権を取得した。Dは、Cに対して債務不履行に基づく損害賠償義務を履行したので、同じく賠償者の代位によって、同人から600万円の限度で上記代金請求権を取得した。さらに、被上告人は、測量士賠償責任保険契約に基づき550万円を支払ったので、保険者の代位(商法662条)によって、Dから550万円の限度で上記代金請求権を取得した。

3 しかしながら、原審の上記判断のうち(2)及び(3)は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 原審の上記判断(2)について
民法565条にいういわゆる数量指示売買において数量が超過する場合、買主において超過部分の代金を追加して支払うとの趣旨の合意を認め得るときに売主が追加代金を請求し得ることはいうまでもない。しかしながら、同条は数量指示売買において数量が不足する場合又は物の一部が滅失していた場合における売主の担保責任を定めた規定にすぎないから、【要旨】数量指示売買において数量が超過する場合に、同条の類推適用を根拠として売主が代金の増額を請求することはできないと解するのが相当である。原審の上記判断(2)は、当事者間の合意の存否を問うことなく、同条の規定から直ちに売主の代金増額請求権を肯定するものであって、同条の解釈を誤ったものというべきであり、この判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
(2) 原審の上記判断(3)について
本件において、仮に、Aが上告人らに対して、契約書に記載された面積を超過する部分について代金請求権を有するとすれば、上告人らが任意の支払を拒んでいたとしても、上告人らが無資力であって上記代金請求権が無価値である等の特段の事情がない限り、Aには上記代金請求権相当額について損害が発生しているということはできない。そうすると、上記特段の事情の存在について主張、立証のない本件においては、Aに損害が発生したことを前提とした損害賠償者の代位によるC及びDに対する権利移転の効果を認めることはできないし、さらにはDが損害賠償義務を負うことを前提とした保険者の代位による被上告人への権利移転の効果が生ずるともいえない。したがって、原審の上記判断(3)には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。なお、被上告人の主張は、結局、Aの上告人らに対する代金請求権の順次移転をいうものであって、前記1の(5)、(6)及び(7)のC、D、被上告人の各支払又は支払約束に際して、Aが有した代金請求権の全部又は一部を順次譲渡する旨の合意があったとの主張を含むものと解する余地がある。

4 以上のとおり、論旨はいずれも理由があり、原判決は破棄を免れない。
そして、被上告人は、数量超過の場合に買主において超過部分の代金を追加して支払う旨の合意がAと上告人らとの間に存在した旨の主張をしており、また、被上告人の本件請求に係る権利の取得原因を明らかにさせる必要があるから、これらの点について審理判断させるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
三 数量指示売買において数量が超過する場合に、民法五六五条を類推適用して、売主の代金増額請求権を肯定し得るか否かという問題は、古くから議論の存したところであるが、通説は、代金の増額請求権を認めることができるかどうかは当事者の意思解釈の問題であり、当事者間に、数量超過の場合には追加代金を支払う、ないしは過不足の場合には清算をするとの趣旨の合意を認めることができる場合には、代金増額請求権を認めることができるが、そのような意思解釈ができない場合には、民法五六五条を類推適用して代金増額請求権を認めることはできないとしており、その旨を判示した大審院判決として、前掲大判明41・3・18がある。

通説はその理由として、(1)売主の無過失責任を認めて取引の安全を保護しようとする民法五六五条の趣旨から、売主の代金増額請求権を認めるという反対解釈は許されない(2)わが国では、登記簿の記載と実際とが符合せず実際の面積が多い場合も少なくないので、数量超過は問題にしないのが普通である、(3)本来売主側で調査しておくべき事項であり、売主を保護する必要はない、(4)旧民法財産取得編は、フランス民法にならって代金増額請求権を認めていたが、法典調査会において、これらの規定は意識的に削除されたという立法の沿革からすると、代金増額請求権を認めることはできないこと、などを挙げる(我妻榮・債権各論(中)1二八二頁、柚木馨・注釈民法(14)一五四頁、末川博・契約法(下)四六頁、川井健・民法教室・債権法Ⅳ六六頁、船越隆司・基本法コンメ債権各論第三版八四頁など多数)。
通説に対して、古くは、①売主は代金増額請求又は超過部分の返還請求権を有するとの説(石田文治郎・債権各論七八頁)、②代金増額請求権は認められないが、買主は超過部分を返還すべきであるとの説(勝本正晃・契約各論(1)八三頁、宗宮信次・債権各論一四九頁)が存在したが、近年、新たな根拠を挙げて売主の代金増額請求権を肯定する説が現れている。すなわち、③三宅正男・契約法(各論)(上)三〇六頁は、契約の基礎ないし前提の欠落の理論を理由として、④松岡久和・新版注釈民法(14)二三九頁は、代金補正の意思的根拠があることを理由として、⑤半田正夫・担保責任の再構成六九頁は、当事者間の衡平を理由として、⑥平野裕之・契約法一二三頁は、買主が実質的に不当利得をしていることを理由として、それぞれ売主の代金増額請求権を肯定する(③、④、⑥は、買主は、契約を解除するか、代金増額に応ずるかを選択できるとする。その他、代金増額請求権を肯定する見解として、山下末夫「売主の担保責任」新版・判例演習民法(4)五六頁、水本浩=遠藤浩編・債権各論改訂版九一頁〔柳澤秀吉〕など)。

・売買の目的物が地上権の目的である場合、地上権につき善意の買主は、常に契約の解除をすることができるわけではない!!
+(地上権等がある場合等における売主の担保責任)
第566条
1項 売買の目的物が地上権、永小作権、地役権、留置権又は質権の目的である場合において、買主がこれを知らず、かつ、そのために契約をした目的を達することができないときは、買主は、契約の解除をすることができる。この場合において、契約の解除をすることができないときは、損害賠償の請求のみをすることができる。
2項 前項の規定は、売買の目的である不動産のために存すると称した地役権が存しなかった場合及びその不動産について登記をした賃貸借があった場合について準用する。
3項 前二項の場合において、契約の解除又は損害賠償の請求は、買主が事実を知った時から一年以内にしなければならない。

・売買の目的物である土地に抵当権が設定されており、この抵当権が実行されたために、買主が土地を失った場合、買主は、抵当権が設定されていることにつき善意悪意を問わず、解除と損害賠償を請求することができる!!!
+(抵当権等がある場合における売主の担保責任)
第567条
1項 売買の目的である不動産について存した先取特権又は抵当権の行使により買主がその所有権を失ったときは、買主は、契約の解除をすることができる
2項 買主は、費用を支出してその所有権を保存したときは、売主に対し、その費用の償還を請求することができる。
3項 前二項の場合において、買主は、損害を受けたときは、その賠償を請求することができる

・強制売買の場合、担保責任は通常の売買と同じようには生じない!!!!
+(売主の瑕疵担保責任)
第570条
売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第566条の規定を準用する。ただし、強制競売の場合は、この限りでない

+(強制競売における担保責任)
第568条
1項 強制競売における買受人は、第561条から前条までの規定により、債務者に対し、契約の解除をし、又は代金の減額を請求することができる。
2項 前項の場合において、債務者が無資力であるときは、買受人は、代金の配当を受けた債権者に対し、その代金の全部又は一部の返還を請求することができる。
3項 前二項の場合において、債務者が物若しくは権利の不存在を知りながら申し出なかったとき、又は債権者がこれを知りながら競売を請求したときは、買受人は、これらの者に対し、損害賠償の請求をすることができる

・570条の瑕疵には、売買の目的物がある性能を具備することを売主において特に保証したにもかかわらずこれを具備していない場合も含まれる!

・見本品を提示して行った特定物売買において、給付された目的物がも見本品と異なる場合、民法570条の「瑕疵」に当たる!!

・Aは、居宅の敷地として使用する目的で、Bから甲土地を買い受けたが、公法上の規制により、甲土地には居宅を構築することができなかった。この場合、これを過失なく知らなかったAは、瑕疵担保責任を理由に売買契約を解除することができる!!!
+判例(S41.4.14)
上告代理人守屋和郎の上告理由第一点について。
原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の確定した事実によれば、被上告人は本件土地を自己の永住する判示規模の居宅の敷地として使用する目的で、そのことを表示して上告人から買い受けたのであるが、本件土地の約八割が東京都市計画街路補助第五四号の境域内に存するというのである。かかる事実関係のもとにおいては、本件土地が東京都市計画事業として施行される道路敷地に該当し、同地上に建物を建築しても、早晩その実施により建物の全部または一部を撤去しなければならない事情があるため、契約の目的を達することができないのであるから、本件土地の瑕疵があるものとした原判決の判断は正当であり、所論違法は存しない。
また、都市計画事業の一環として都市計画街路が公示されたとしてもそれが告示の形式でなされ、しかも、右告示が売買成立の一〇数年以前になされたという原審認定の事情をも考慮するときは、被上告人が、本件土地の大部分が都市計画街路として告示された境域内にあることを知らなかつた一事により過失があるとはいえないから、本件土地の瑕疵は民法五七〇条にいう隠れた瑕疵に当るとした原判決の判断は正当である。
所論はすべて採用できない。

・AはBから、Bが借地上に所有する甲建物とその敷地の賃借権を買い受けたが、敷地に物理的な欠陥があった場合、売買の目的物に瑕疵があるとして、Bに瑕疵担保責任を追及することはできない!!!!!
+判例(H3.4.2)
上告代理人増渕實の上告理由について
一 原審は、(一) 被上告人は、昭和五五年三月二〇日、上告人から本件建物の所有権及び本件借地権(本件建物敷地の賃借権)を買い受け、代金六五〇万円を支払った、(二) 本件土地は、南側が幅員六メートルの公道に接し、北側は高さ約4.4メートルの崖に臨む地形となっていた、(三) 本件土地北側の崖は、基部が高さ二メートル弱のコンクリート擁壁で、その上に高さ約2.4メートルの大谷石の擁壁が積み上げられたいわゆる二段腰の構造となっていた、(四) 昭和五六年一〇月二二日、台風に伴う大雨により、右擁壁(以下「本件擁壁」という。)に傾斜、亀裂を生じ、崖上の本件土地の一部に沈下及び傾斜が生じ、構造耐力上及び保安上著しく危険な状態となったため、同年一一月四日、東京都北区長は、本件土地所有者らに対して、本件擁壁の新規築造又は十分な改修補強等、安全上必要な措置を早急に採るよう文書をもって勧告した、(五) そのころ、被上告人も本件土地所有者らに対して同様の申入れをしたが、本件土地所有者らが何らの措置も採らなかったので、被上告人は、本件建物の倒壊の危険を避けるため、やむなく、これを取り壊した、(六) 被上告人は、上告人に対して、昭和五七年七月三一日到達の書面により、民法五七〇条、五六六条一項の規定に基づき本件売買契約を解除する旨の意思表示をした、(七) 本件擁壁がこのような状態となったのは、擁壁に通常設けられるべき水抜き穴が設けられていなかったため、土中に含まれた雨水の圧力が加わり、大谷石の擁壁がこれに耐えきれなかったことによるが、被上告人が本件借地権と本件建物を買い受けた際、本件擁壁の右構造的欠陥について何の説明も受けず、水抜き穴の欠如がこのような重大な結果をもたらすことに全く想到し得なかったことは、通常人として無理からぬことであった、との各事実を適法に確定した上、右事実関係の下において、借地権付建物の買主が当該売買契約当時知らなかった事情によりその土地に建物を維持することが物理的に困難であるということが事後に判明したときは、その借地権には契約上当然に予定された性能を有しない隠れた瑕疵があったものといわざるを得ず、これにより建物所有という所期の目的を達し得ない以上、借地権付建物の買主は、民法五七〇条、五六六条一項により売買契約を解除することができるとして、上告人は被上告人に対して、本件売買代金六五〇万円、本件売買に伴い支出した登記費用及び建物火災保険料の金額の合計額並びにこれに対する昭和五七年一〇月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう命じた。

二 しかし、原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。
すなわち、建物とその敷地の賃借権とが売買の目的とされた場合において、右敷地についてその賃貸人において修繕義務を負担すべき欠陥が右売買契約当時に存したことがその後に判明したとしても、右売買の目的物に隠れた瑕疵があるということはできない。
けだし、右の場合において、建物と共に売買の目的とされたものは、建物の敷地そのものではなく、その賃借権であるところ、敷地の面積の不足、敷地に関する法的規制又は賃貸借契約における使用方法の制限等の客観的事由によって賃借権が制約を受けて売買の目的を達することができないときは、建物と共に売買の目的とされた賃借権に瑕疵があると解する余地があるとしても、賃貸人の修繕義務の履行により補完されるべき敷地の欠陥については、賃貸人に対してその修繕を請求すべきものであって、右敷地の欠陥をもって賃貸人に対する債権としての賃借権の欠陥ということはできないから、買主が、売買によって取得した賃借人たる地位に基づいて、賃貸人に対して、右修繕義務の履行を請求し、あるいは賃貸借の目的物に隠れた瑕疵があるとして瑕疵担保責任を追求することは格別、売買の目的物に瑕疵があるということはできないのである。なお、右の理は、債権の売買において、債権の履行を最終的に担保する債務者の資力の欠如が債権の瑕疵に当たらず、売主が当然に債務の履行について担保責任を負担するものではないこと(民法五六九条参照)との対比からしても、明らかである。
これを本件についてみるのに、前記事実関係によれば、本件土地には、本件擁壁の構造的欠陥により賃貸借契約上当然に予定された建物敷地としての性能を有しないという点において、賃貸借の目的物に隠れた瑕疵があったとすることは格別(民法五五九条、五七〇条)、売買の目的物に瑕疵があったものということはできない。

三 そうすると、賃貸借の目的物たる土地の瑕疵をもって、建物と共に売買の目的とされた賃借権の瑕疵であるとして、本件売買に民法五七〇条の規定を適用して、その契約の解除を認め、上告人に対して現状回復及び損害賠償の支払を命じた原審の判断には、同条の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、右説示に徴すれば、被上告人の請求は棄却すべきものであり、これと同旨に出た第一審判決は正当であり、被上告人の控訴は棄却すべきものである。

++解説
二、売買の目的たる債権に瑕疵があるときは、一般原則に従って担保責任が生ずることに異論はない。
債権の売買について瑕疵担保(五七〇条)の規定の適用があるかどうかについては、説が分かれる。同条が「売買の目的物」と規定することからみると、そこで予定したものは契約の目的たる有体物であるといえるし(来栖・契約法九五頁、我妻・債権各論中の(一)二八八頁等、通説である。)、瑕疵とは売買の目的の物質的な瑕疵のみを指すとする学説もある(我妻・前掲二九二頁、広中・債権各論講義上七〇頁)。しかし、有体物の売買以外にも瑕疵担保の規定の適用を肯定する判例があり(白紙委任状付き株式の売買につき大判大8・5・6民録二五輯七四七頁、試掘権につき大判昭5・12・8新聞三二一一号一一頁、試掘出願権につき大判昭13・12・14民集一七巻二三号二四一二頁、地上権につき東京高判昭23・7・19高民集一巻二号一〇六頁)、多くの学説も同様に解している(柚木・注釈民法(14)二三六頁、鳩山・増補・日本債権法(各論)上三四三頁、末川・債権各論・第一部八一頁、勝本・債権法概論・各論三九頁、宗宮・債権各論一五九頁、担保権又は人的保証があるものとして売買された債権に右担保権又は保証がなかった場合に、柚木・注釈民法(14)一六七頁、永田・新民法要義第三巻下・債権各論一三一頁は、瑕疵担保の規定を適用すべしとし、我妻・前掲二九二頁、二八四頁は五六六条によるべしとする)。なお、建物及び敷地賃借権の売買において、賃借権の譲渡に関する地主の承諾がなかった場合に、瑕疵担保の規定の適用があるとしても、買主の善意の主張がない(承諾は買主において取りつけることとなっていた)ことを理由として右規定の適用を否定した下級審判例がある(名古屋高判昭39・1・17高民集一七巻一号七頁)。

三、ところで、賃貸目的物の欠陥が賃貸人において修繕義務(民法六〇六条一項)を負担するもの(賃貸借契約の履行関係において解決すべき欠陥)であるときは、かかる修繕請求権を含む権利である賃借権そのものに欠けるところはないことになる。
そして、債権の売主は、債務の履行を最終的に担保する債務者の資力を原則として担保せず(民法五六九条)、債務者の資力不足は売買目的たる債権の瑕疵ではないと解される(梅・要義五二二頁、柚木・前掲一六七頁、我妻・前掲二九二頁)。すなわち、賃貸借契約上の借主の地位の売買において、賃貸借の目的土地に売買契約において予定された使用ができないような客観的な(賃貸借の履行関係外の)不足又は欠陥(数量の不足、改築に関する公法的規制等)があったときには、これは売買契約の目的物の不足又は欠陥と解することができるが、貸主の義務に属すべき修繕義務違反があっても、売買の目的たる右地位の瑕疵ということはできないということになろう。
四、二審判決は、本件建物の倒壊の危険を回避するためXが止むなく本件建物を取り壊したことを理由に、売買目的の滅失によっても解除権は失われないと説示する(民法五四八条二項)。もっとも、本件売買代金の大半を占めると二審判決が指摘する本件土地賃借権が、売買契約の解除によって売主に復帰するのかどうか、これを肯定した場合に、復帰する賃借権の内容が売主と地主との旧賃貸借なのか、これと切り換えられて新規に締結された買主と地主との賃貸借なのかといった点は明らかではない。

+(賃貸物の修繕等)
第606条
1項 賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。
2項 賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようとするときは、賃借人は、これを拒むことができない。

+(債権の売主の担保責任)
第569条
1項 債権の売主が債務者の資力を担保したときは、契約の時における資力を担保したものと推定する。
2項 弁済期に至らない債権の売主が債務者の将来の資力を担保したときは、弁済期における資力を担保したものと推定する。

・売主の瑕疵担保責任は、売買の時点で買主が当該瑕疵を知っていればこれを問うことはできないが、買主が当該瑕疵を知っていたということは、売主において主張立証しなければならない!!!!

・代金の一部だけを支払った段階で目的物について隠れた瑕疵があったことが明らかになり、損害賠償請求が認められる場合には、買主は、残代金の支払いについて、損害賠償との同時履行の抗弁を主張することができる!!!!!ヘーーーー
+(売主の担保責任と同時履行)
第571条
第533条の規定は、第563条から第566条まで及び前条の場合について準用する。

・買主の売主に対する瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求権は、167条1項にいう「債権」に当たることから消滅時効の規定の適用がある!!!
子の消滅時効は、買主が売主の目的物の引き渡しを受けたときから(×目的物の瑕疵を知った時から)進行する!!!!
+判例(H13.11.27)
上告代理人秋山昭一の上告理由第二、一について
1 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 昭和48年2月18日、被上告人は、上告人から、第1審判決添付物件目録一記載の土地(以下「本件宅地」という。)及びその地上建物等を買い受け、その代金を支払った。同年5月9日、本件宅地につき上告人から被上告人への所有権移転登記がされ、そのころ、被上告人は上告人からその引渡しを受けた。
(2) 本件宅地の一部には、柏市昭和47年10月27日第157号をもって道路位置指定がされている。このため、本件宅地上の建物の改築に当たり床面積を大幅に縮小しなければならないなどの支障が生ずるので、道路位置指定がされていることは、民法570条にいう「隠レタル瑕疵」に当たる
(3) 被上告人は、平成6年2月ないし3月ころ、上記道路位置指定の存在を初めて知り、同年7月ころ、上告人に対し、道路位置指定を解除するための措置を講ずるよう求め、それができないときは損害賠償を請求する旨を通知した。

2 本件は、被上告人が上告人に対して瑕疵担保による損害賠償を求めた事案である。上告人は、被上告人の損害賠償請求権は時効により消滅したと主張し、本訴において消滅時効を援用した。
原審は、次のとおり判示して上告人の消滅時効の抗弁を排斥し、被上告人の損害賠償請求を一部認容した。
売主の瑕疵担保責任は、法律が買主の信頼保護の見地から特に売主に課した法定責任であって、売買契約上の債務とは異なるから、これにつき民法167条1項の適用はない。また、同法570条、566条3項が除斥期間を定めているのは、責任の追及を早期にさせて権利関係を安定させる趣旨を含むものであるが、他方で、その期間の起算点を「買主カ事実ヲ知リタル時」とのみ定めていることは、その趣旨が権利関係の早期安定だけでないことを示しているから、瑕疵担保による損害賠償請求権に同法167条1項を準用することも相当でない。このように解さないと、買主が瑕疵の存在を知っているか否かを問わずに損害賠償請求権の時効消滅を認めることとなり、買主に対し売買の目的物を自ら検査して瑕疵を発見すべき義務を負わせるに等しく、必ずしも公平といえない。

3 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 買主の売主に対する瑕疵担保による損害賠償請求権は、売買契約に基づき法律上生ずる金銭支払請求権であって、これが民法167条1項にいう「債権」に当たることは明らかである。!!!!この損害賠償請求権については、買主が事実を知った日から1年という除斥期間の定めがあるが(同法570条、566条3項)、これは法律関係の早期安定のために買主が権利を行使すべき期間を特に限定したものであるから、この除斥期間の定めがあることをもって、瑕疵担保による損害賠償請求権につき同法167条1項の適用が排除されると解することはできない。さらに、買主が売買の目的物の引渡しを受けた後であれば、遅くとも通常の消滅時効期間の満了までの間に瑕疵を発見して損害賠償請求権を行使することを買主に期待しても不合理でないと解されるのに対し、瑕疵担保による損害賠償請求権に消滅時効の規定の適用がないとすると、買主が瑕疵に気付かない限り、買主の権利が永久に存続することになるが、これは売主に過大な負担を課するものであって、適当といえない。 
したがって、【要旨】瑕疵担保による損害賠償請求権には消滅時効の規定の適用があり、この消滅時効は、買主が売買の目的物の引渡しを受けた時から進行すると解するのが相当である。
(2) 本件においては、被上告人が上告人に対し瑕疵担保による損害賠償を請求したのが本件宅地の引渡しを受けた日から21年余りを経過した後であったというのであるから、被上告人の損害賠償請求権については消滅時効期間が経過しているというべきである。

4 以上によれば、消滅時効の抗弁を排斥した原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、上告人による消滅時効の援用が権利の濫用に当たるとの被上告人の再抗弁等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

++解説
一 本件は、Yから土地を購入したXが、この土地に隠れた瑕疵があったと主張して、Yに対し瑕疵担保による損害賠償を請求した事案である。Xがこの請求したのは、瑕疵を発見してから一年以内であり、民法五七〇条、五六六条三項所定の除斥期間内であったが、売買契約及び土地引渡しから二〇年以上経過した後であったため、Xの損害賠償請求権につき消滅時効の規定の適用があるかどうかが争点となった。
原審は、売主の瑕疵担保責任は法律が買主の信頼保護の見地から特に売主に課した法定責任であること、時効による権利の消滅を認めると、買主に対し売買の目的物を自ら検査して瑕疵を発見すべき義務を負わせるに等しく、公平といえないことなどを根拠に、消滅時効の抗弁を排斥して、Xの損害賠償請求を一部認容した。
これに対し、本判決は瑕疵担保による損害賠償請求権には消滅時効の規定の適用がある旨を判示して、原判決を破棄したものである。このように解すべき根拠としては、(1)瑕疵担保による損害賠償請求権が民法一六七条一項にいう「債権」に当たることは明らかであること、(2)買主が事実を知った日から一年という除斥期間の定めは、法律関係の早期安定のために買主が権利を行使すべき期間を特に限定したものであるから、除斥期間の定めがあることをもって、消滅時効の規定の適用が排除されるとはいえないこと、(3)買主が目的物の引渡しを受けた後であれば、遅くとも通常の消滅時効期間の満了までの間に瑕疵を発見して損害賠償請求権を行使することを買主に期待しても不合理でないのに対し、消滅時効の規定の適用がないとすると、買主が瑕疵に気付かない限り、その権利が永久に存続することになるが、これは売主に過大な負担を課するものであって、適当といえないことが挙げられている。

二 瑕疵担保による損害賠償請求権につき、除斥期間に加え、消滅時効の規定の適用があるかについては、必ずしも深く論じられていないが、学説上は、肯定説を採るのが通説的見解と思われる(梅謙次郎・民法要義(3)五〇二頁、末弘厳太郎・債権各論三九八頁、柚木馨ほか編・新版注釈民法(14)二二二、二三三頁〔松岡久和〕、内田貴・民法Ⅱ債権各論一三六、一五一頁等。ただし、権利の一部が他人に属することや、数量不足又は目的物の一部滅失を理由とする担保責任についての文献を含む。)。他方、この点に関連する下級審の裁判例としては、いわゆる数量指示売買において数量が不足していた場合の代金減額請求権につき、責任の追及を早期にさせて権利関係をなるべく早く安定させるという民法五六四条の趣旨に照らし消滅時効の規定の適用がある旨を判示した大阪高判昭55・11・11判時一〇〇〇号九六頁がある。これに対し、本件の原判決のほか、担保責任が買主保護の規定であることを理由に、消滅時効の規定の適用を否定する裁判例もあり(目的物の一部が他人に属する場合の代金減額請求権に関する東京地判平9・8・26本誌九八一号一三〇頁)、下級審裁判例が分かれているといえる(このほか、東京高判昭54・8・28判時九四〇号四一頁は、売買契約から一〇年以上経過した後に買主が数量不足を知った事案につき、契約締結後長期間を経過したという事実のみをもって損害賠償を請求し得ないと解すべき合理的理由はない旨を判示するが、消滅時効の援用がされていなかった事案のようである。)。
このような状況の下で、本判決は、前記の理由により、瑕疵担保による損害賠償請求権には消滅時効の規定の適用があると判示したものである。
肯定説に対しては、瑕疵が隠れたものであることから、その存在に気付かない買主の保護に欠けるのでないかという批判も考えられる。しかし、この点については、瑕疵の性質(発見することの困難さの程度)、売主の悪意又は重過失、損害賠償請求をするまでの期間の長短等の事情によっては、売主による時効の援用が権利濫用に当たるなどとして、個別の事案ごとに買主の救済を図ることが可能と考えられる。本件においても、この点を更に審理させるために事件を原審に差し戻している。

三 なお、前記大阪高判昭55・11・11は、消滅時効の起算点は買主が目的物の引渡しを受けた時である旨を判示しており、学説上も同様に解するものが多い。本判決も、本件の消滅時効は引渡し時から進行する旨を述べている消滅時効の起算点については、権利を行使することにつき法律上の障害がなくなった時であるとするのが通説(我妻栄・新訂民法総則四八四頁)、判例の立場とされるが、権利の種類によっては、権利の性質上その行使を現実に期待できる時から進行すると解されている(弁済供託における供託金取戻請求権につき最大判昭45・7・15民集二四巻七号七七一頁、自動車損害賠償保障法七二条一項前段に基づく損害てん補請求権につき最三小判平8・3・5民集五〇巻三号三八三頁。なお、数量指示売買における代金減額請求権の除斥期間につき最一小判昭48・7・12民集二七巻七号七八五頁参照)。瑕疵担保による損害賠償請求権については、目的物引渡し前でも瑕疵に気付けば行使し得ることからすると、契約締結時を起算点とする考え方もあり得よう。他方、担保責任の規定の趣旨が買主の保護にあること、引渡しの前に隠れた瑕疵を発見するのは通常の場合著しく困難であることを考慮すると(時効による権利の消滅を認めると、実質的に、瑕疵発見の義務を買主に負わせることとなろうが、買主に検査及び瑕疵通知の義務が課せられている商人間の売買においても、この義務が生ずるのは「目的物ヲ受取リタルトキ」である。商法五二六条一項)、引渡し時を起算点とすることもできると思われる(もっとも、本件は、契約の締結及び引渡しから二〇年以上経過した後に損害賠償請求がされた事案であり、起算点をどう解するかは結論に影響しないといえる。)。フムフム
四 以上のとおり、本判決は、下級審裁判例が分かれていた民法の基本的な条項の解釈について最高裁の判断を示したものであるので、ここに紹介する。

・瑕疵担保責任を負う者に対する損害賠償請求権を保存するには、1年の除斥期間内に瑕疵担保責任を問う意思を裁判外で告げるだけで足り、裁判上の権利行使をする必要はない!!!!!
+判例(H4.10.20)
上告代理人藤井正博の上告理由第一点について
一 被上告人は、昭和六一年一〇月八日に破産宣告を受けていたが、原審口頭弁論終結後の平成二年三月二八日に破産廃止決定があり、その後右決定が確定している。
二 被上告人は上告人に対し、上告人から購入したパンティーストッキングに瑕疵があったと主張して、本訴で、その損害賠償請求額の残額四〇七万四六〇〇円とこれに対する遅延損害金の支払を請求している。

三 右請求に対し、上告人は、次のとおり主張した。本件売買は商人間の取引であるから、買主である被上告人には、商品の引渡しを受けた時点で遅滞なくその検査を行い、瑕疵があったときは、これを売主である上告人に通知すべき義務があった。しかるに、被上告人は、昭和五四年九月二七日に上告人から目的物の引渡しを受けその後相当の期間を経過したにもかかわらず、右通知を怠った。したがって、被上告人は上告人に対し、本件損害賠償請求権を有しない。商法五二六条によれば、商人間の売買において目的物に瑕疵があった場合、その損害賠償請求権は遅くとも六か月以内に行使されなければならないが、被上告人は、本件売買による損害の最終発生日である昭和五五年三月四日から三年以上も経過した昭和五八年一二月七日に本件訴状を提出して本件損害賠償請求権を行使したのであるから、被上告人の本訴請求は不適法である。

四 上告人の右主張に対し、原審は、被上告人は、昭和五四年一二月末ないし翌五五年一月初めに本件売買目的物の転売先から通知を受けて瑕疵を発見し、直ちに上告人に対しその通知をしたとの事実を認定した上、商法五二六条は、商人間の売買における買主の目的物に対する検査及び瑕疵ある場合の通知義務に関する規定であり、これを怠ったときは損害賠償を請求し得なくなるというものであって、権利の不行使による損害賠償請求権の消滅に関する規定ではないから、商法五二六条を根拠とする上告人の主張はそれ自体失当であるとして右主張を排斥し、請求に係る損害金全額とこれに対する遅延損害金の一部を認容した一審判決を支持して、上告人の控訴を棄却した。

五 しかし、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
商法五二六条は、商人間の売買における目的物に瑕疵又は数量不足がある場合に、買主が売主に対して損害賠償請求権等の権利を行使するための前提要件を規定したにとどまり、同条所定の義務を履行することにより買主が行使し得る権利の内容及びその消長については、民法の一般原則の定めるところによるべきである。したがって、右の損害賠償請求権は、民法五七〇条、五六六条三項により、買主が瑕疵又は数量不足を発見した時から一年の経過により消滅すると解すべきであり、このことは、商法五二六条の規定による右要件が充足されたこととは関わりがない。そして、この一年の期間制限は、除斥期間を規定したものと解すべきであり、また、右各法条の文言に照らすと、この損害賠償請求権を保存するには、後記のように、売主の担保責任を問う意思を裁判外で明確に告げることをもって足り、裁判上の権利行使をするまでの必要はないと解するのが相当である。
これを本件についてみるのに、原審の確定したところによれば、被上告人は昭和五四年一二月末ないし翌五五年一月初めに、本件売買目的物に瑕疵があることを知ったものであるところ、その瑕疵があったことに基づく損害賠償を求める本訴を提起したのは、右の最終日から一年以上を経過した昭和五八年一二月七日であったことが記録上明らかである。そうすると、除斥期間の経過の有無について何ら判断することなく、被上告人の請求を認容すべきものとした原判決には理由不備の違法があり、原判決はこの点において破棄を免れない。そして、右に説示したところによれば、一年の期間経過をもって、直ちに損害賠償請求権が消滅したものということはできないが、右損害賠償請求権を保存するには、少なくとも、売主に対し、具体的に瑕疵の内容とそれに基づく損害賠償請求をする旨を表明し、請求する損害額の算定の根拠を示すなどして、売主の担保責任を問う意思を明確に告げる必要がある。本件についても、被上告人が売買目的物の瑕疵の通知をした際などに、右の態様により本件損害賠償請求権を行使して、除斥期間内にこれを保存したものということができるか否かにつき、更に審理を尽くさせるため、上告人の民訴法一九八条二項の裁判を求める申立てを含め、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

・契約の要素に錯誤がある場合は、錯誤の規定のみが適用され、瑕疵担保の規定は排除される!!
+判例(S33.6.14)
上告代理人岡田実五郎、同佐々木熈の上告理由第一点について。
しかし、原判決の適法に確定したところによれば、本件和解は、本件請求金額六二万九七七七円五〇銭の支払義務あるか否かが争の目的であつて、当事者である原告(被控訴人、被上告人)、被告(控訴人、上告人)が原判示のごとく互に譲歩をして右争を止めるため仮差押にかかる本件ジャムを市場で一般に通用している特選金菊印苺ジャムであることを前提とし、これを一箱当り三千円(一罐平均六二円五〇銭相当)と見込んで控訴人から被控訴人に代物弁済として引渡すことを約したものであるところ、本件ジャムは、原判示のごとき粗悪品であつたから、本件和解に関与した被控訴会社の訴訟代理人の意思表示にはその重要な部分に錯誤があつたというのであるから、原判決には所論のごとき法令の解釈に誤りがあるとは認められない。

同第二点について。
しかし、原判決は、本件代物弁済の目的物である金菊印苺ジャムに所論のごとき暇疵があつたが故に契約の要素に錯誤を来しているとの趣旨を判示しているのであり、このような場合には、民法瑕疵担保の規定は排除されるのであるから(大正一〇年一二月一五日大審院判決、大審院民事判決録二七輯二一六〇頁以下参照)、所論は採るを得ない。

・商事売買契約において、目的物に瑕疵があった場合には、瑕疵担保責任の内容として、買主は売主に対し、代金減額請求をすることはできない!!!
+(S29.1.22)
上告理由について。
売買の当事者双方が商人である、いわゆる商事売買の場合でも、売買の目的物の瑕疵又は数量の不足を理由として、契約を解除し、又は損害賠償若しくは代金の減額を請求するのは、民法の売買の規定に依拠すべきものである。しかして、民法の規定によれば、買主が売買の目的物に瑕疵あることを理由とするときは、契約を解除し、又は損害賠償の請求をすることはできるけれども、これを理由として代金の減額を請求することはできない。商法五二六条は以上民法で認められた売買の担保責任に基く請求権を保存するための要件に関する規定であつて、民法の規定するところ以外に新な請求権をみとめたものではないのである。原判決もこれと同趣旨であつて、論旨は理由はない。 !!!!

・債権の売主は、原則として債務者の資力を担保せず、例外的に売主が債務者の資力を担保するという特約をした場合のみ、債務者の資力を担保する責任を負う!!!!

・売主が債務者の資力を担保する特約をしたときは、契約の時における資力を(×弁済期)担保するものと推定される!!
+(債権の売主の担保責任)
第569条
1項 債権の売主が債務者の資力を担保したときは、契約の時における資力を担保したものと推定する
2項 弁済期に至らない債権の売主が債務者の将来の資力を担保したときは、弁済期における資力を担保したものと推定する。

・売主の瑕疵担保責任の法的性質に関する契約責任説は、売買の目的物が特定物か不特定物であるかを問わず、売主は契約で合意された完全な物を給付する債務を負うとする見解であり、瑕疵担保責任を債務不履行責任の特則とする。

・売主の瑕疵担保責任の法的性質に関する法定責任説によれば、売買の目的物が不特定物の場合、給付された物に瑕疵があれば、売主は、債務不履行責任のみを負うことになる。

・法廷責任説によると、特定物売買において、目的物に隠れた瑕疵があったときは、原則として法律上規定された損害賠償請求権及び解除権のみ認められることになり、瑕疵修補請求権は認められない!!!!

・法廷責任説によれば、買主が有する損害賠償請求権の範囲は、原則として信頼利益に限られる!!!!!!
←法廷責任説によれば、特定物売買においては、売主に瑕疵のない物を引渡す義務はないから(483条)、

・契約責任説によれば、不特定物売買か特定物売買かを問わず、売主は原則として瑕疵担保責任を負い、買主の瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求権等の主張期間は、買主が瑕疵の存在を知った時から1年間となる。

・買主Aと売主Bの不特定物売買において、給付された物に隠れた瑕疵があった場合、Aが瑕疵の存在を認識したうえでこれを履行として認容したときには、AはBに対して瑕疵担保責任を問いうる!!!!!!
+判例(S36.12.15)
同第四点について。
所論は、不特定物の売買においては、売買目的物の受領の前と後とにそれぞれ不完全履行の責任と瑕疵担保の責任とが対応するという立場から、本件売買では被上告人が本件機械を受領したことが明らかである以上もはや不完全履行の責任を論ずる余地なきにかかわらず、原判決が債務不履行による契約解除を認めたのは、法令の違背であると論じている。
しかし、不特定物を給付の目的物とする債権において給付せられたものに隠れた瑕疵があつた場合には、債権者が一旦これを受領したからといつて、それ以後債権者が右の瑕疵を発見し、既になされた給付が債務の本旨に従わぬ不完全なものであると主張して改めて債務の本旨に従う完全な給付を請求することができなくなるわけのものではない債権者が瑕疵の存在を認識した上でこれを履行として認容し債務者に対しいわゆる瑕疵担保責任を問うなどの事情が存すれば格別、然らざる限り、債権者は受領後もなお、取替ないし追完の方法による完全な給付の請求をなず権を有し、従つてまた、その不完全な給付が債務者の責に帰すべき事由に基づくときは、債務不履行の一場合として、損害賠償請求権および契約解除権をも有するものと解すべきである。
本件においては、放送機械が不特定物として売買せられ、買主たる被上告人会社は昭和二七年四月頃から同年七月頃までこれを街頭宣伝放送事業に使用していたこと、その間雑音および音質不良を来す故障が生じ、上告人会社側の技師が数回修理したが完全には修復できなかつたこと、被上告人会社は昭和二七年六月初め上告人会社に対し機械を持ち帰つて完全な修理をなすことを求めたが上告人会社はこれを放置し修理しなかつたので、被上告人会社は街頭放送のため別の機械を第三者から借り受け使用するの止むなきに至つたこと、被上告人会社は昭和二七年一〇月二三日本件売買契約解除の意思表示をしたことが、それぞれ確定されている。右確定事実によれば、被上告人会杜は、一旦本件放送機械を受領はしたが、隠れた瑕疵あることが判明して後は給付を完全ならしめるよう上告人会社に請求し続けていたものであつて瑕疵の存在を知りつつ本件機械の引渡を履行として認容したことはなかつたものであるから、不完全履行による契約の解除権を取得したものといらことができる。原判決はこの理に従うものであつて所論の違法はない。