外山滋比古 思考の整理学 3 朝飯前

朝飯前

簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。
朝の頭はそれだけ能率がよい。

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憲法 日本国憲法の論じ方 Q24 報道の自由


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Q報道の自由は憲法上どのように扱われているか?
(1)報道の自由と取材の自由
・報道の自由は表現の自由に含まれる。
・取材の自由は尊重に値する。
+判例(S44.11.26)博多駅事件
理由
本件抗告の趣意は、別紙記載のとおりである。
抗告人本人らの抗告理由、抗告人代理人弁護士村田利雄の追加理由および抗告人代理人弁護士妹尾晃外二名の理由補充第一について。
所論は、憲法二一条違反を主張する。すなわち、報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして、表現の自由を保障する憲法二一条においても、枢要な地位を占めるものである報道の自由を全うするには、取材の自由もまた不可欠のものとして、憲法二一条によつて保障されなければならないこれまで報道機関に広く取材の自由が確保されて来たのは、報道機関が、取材にあたり、つねに報道のみを目的とし、取材した結果を報道以外の目的に供さないという信念と実績があり、国民の側にもこれに対する信頼があつたからである然るに、本件のように、取材フイルムを刑事裁判の証拠に使う目的をもつてする提出命令が適法とされ、報道機関がこれに応ずる義務があるとされれば、国民の報道機関に対する信頼は失われてその協力は得られず、その結果、真実を報道する自由は妨げられ、ひいては、国民がその主権を行使するに際しての判断資料は不十分なものとなり、表現の自由と表裏一体をなす国民の「知る権利」に不当な影響をもたらさずにはいないであろう結局、本件提出命令は、表現の自由を保障した憲法二一条に違反する、というのである
よつて判断するに、所論の指摘するように、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない
ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない
本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきであるしかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなけれぼならない
以上の見地に立つて本件についてみるに、本件の付審判請求事件の審理の対象は、多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であつて、事件発生後二年ちかくを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができず、したがつて、当時、右の現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フイルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方、本件フイルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることによつて報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのであつて、付審判請求事件とはいえ、本件の刑事裁判が公正に行なわれることを期するためには、この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立つても、なお忍受されなければならない程度のものというべきである。また、本件提出命令を発した福岡地方裁判所は、本件フイルムにつき、一たん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフイルム使用に支障をきたさないよう配慮すべき旨を表明している。以上の諸点その他各般の事情をあわせ考慮するときは、本件フイルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものがあると認められるのである
前叙のように考えると、本件フイルムの提出命令は、憲法二一条に違反するものでないことはもちろん、その趣旨に牴触するものでもなく、これを正当として維持した原判断は相当であり、所論は理由がない。抗告人代理人弁護士妹尾晃外二名の理由補充第二について。
所論は、憲法三二条違反をいうが、その実質は単なる訴訟法違反の主張にすぎず、適法な特別抗告の理由にあたらない。
よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

+判例(S53.5.31)外務省秘密漏洩事件
理由
(上告趣意に対する判断)
弁護人伊達秋雄、同高木一、同大野正男、同山川洋一郎、同西垣道夫の上告趣意第一点は、憲法二一条違反をいうが、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第二点は、単なる法令違反の主張であり、同第三点は、憲法二一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
(職権による判断)
一 国家公務員法一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密とは、非公知の事実であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるものをいい(最高裁昭和四八年(あ)第二七一六号同五二年一二月一九日第二小法廷決定)、その判定は司法判断に服するものである。
原判決が認定したところによれば、本件第一〇三四号電信文案には、昭和四六年五月二八日に愛知外務大臣とマイヤー駐日米国大使との間でなされた、いわゆる沖縄返還協定に関する会談の概要が記載され、その内容は非公知の事実であるというのである。そして、条約や協定の締結を目的とする外交交渉の過程で行われる会談の具体的内容については、当事国が公開しないという国際的外交慣行が存在するのであり、これが漏示されると相手国ばかりでなく第三国の不信を招き、当該外交交渉のみならず、将来における外交交渉の効果的遂行が阻害される危険性があるものというべきであるから、本件第一〇三四号電信文案の内容は、実質的にも秘密として保護するに値するものと認められる。右電信文案中に含まれている原判示対米請求権問題の財源については、日米双方の交渉担当者において、円滑な交渉妥結をはかるため、それぞれの対内関係の考慮上秘匿することを必要としたもののようであるが、わが国においては早晩国会における政府の政治責任として討議批判されるべきであつたもので、政府が右のいわゆる密約によつて憲法秩序に抵触するとまでいえるような行動をしたものではないのであつて、違法秘密といわれるべきものではなく、この点も外交交渉の一部をなすものとして実質的に秘密として保護するに値するものである。したがつて右電信文案に違法秘密に属する事項が含まれていると主張する所論はその前提を欠き、右電信文案が国家公務員法一〇九条一二号、一〇〇条一項にいう秘密にあたるとした原判断は相当である。
二 国家公務員法一一一条にいう同法一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の行為の「そそのかし」とは、右一〇九条一二号、一〇〇条一項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、その行為を実行する決意を新に生じさせるに足りる慫慂行為をすることを意味するものと解するのが相当であるところ(最高裁昭和二七年(あ)第五七七九号同二九年四月二七日第三小法廷判決・刑集八巻四号五五五頁、同四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号六八五頁、同四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁参照)、原判決が認定したところによると、被告人はA新聞社東京本社編集局政治部に勤務し、外務省担当記者であつた者であるが、当時外務事務官として原判示職務を担当していたBと原判示「ホテルC」で肉体関係をもつた直後、「取材に困つている、助けると思つてD審議官のところに来る書類を見せてくれ。君や外務省には絶対に迷惑をかけない。特に沖縄関係の秘密文書を頼む」という趣旨の依頼をして懇願し、一応同女の受諾を得たうえ、さらに、原判示E政策研究所事務所において、同女に対し「五月二八日愛知外務大臣とマイヤー大使とが請求権問題で会談するので、その関係書類を持ち出してもらいたい。」旨申し向けたというのであるから、被告人の右行為は、国家公務員法一一一条、一〇九条一二号、一〇〇条一項の「そそのかし」にあたるものというべきである。
ところで、報道機関の国政に関する報道は、民主主義社会において、国民が国政に関するにつき、重要な判断の資料を提供し、いわゆる国民の知る権利に奉仕するものであるから、報道の自由は、憲法二一条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、また、このような報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由もまた、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない(最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)。そして、報道機関の国政に関する取材行為は、国家秘密の探知という点で公務員の守秘義務と対立拮抗するものであり、時としては誘導・唆誘的性質を伴うものであるから、報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきであるしかしながら、報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでないことはいうまでもなく、取材の手段・方法が贈賄、脅迫、強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑罰法令に触れないものであつても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない。これを本件についてみると原判決及び記録によれば、被告人は、昭和四六年五月一八日頃、従前それほど親交のあつたわけでもなく、また愛情を寄せていたものでもない前記蓮見をはじめて誘つて一夕の酒食を共にしたうえ、かなり強引に同女と肉体関係をもち、さらに、同月二二日原判示「ホテルC」に誘つて再び肉体関係をもつた直後に、前記のように秘密文書の持出しを依頼して懇願し、同女の一応の受諾を得、さらに、電話でその決断を促し、その後も同女との関係を継続して、同女が被告人との右関係のため、その依頼を拒み難い心理状態になつたのに乗じ、以後十数回にわたり秘密文書の持出しをさせていたもので、本件そそのかし行為もその一環としてなされたものであるところ、同年六月一七日いわゆる沖縄返還協定が締結され、もはや取材の必要がなくなり、同月二八日被告人が渡米して八月上旬帰国した後は、同女に対する態度を急変して他人行儀となり、同女との関係も立消えとなり、加えて、被告人は、本件第一〇三四号電信文案については、その情報源が外務省内部の特定の者にあることが容易に判明するようなその写を国会議員に交付していることなどが認められる。そのような被告人の一連の行為を通じてみるに、被告人は、当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で右蓮見と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたが、同女を利用する必要がなくなるや、同女との右関係を消滅させその後は同女を顧みなくなつたものであつて、取材対象者である蓮見の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙したものといわざるをえず、このような被告人の取材行為は、その手段・方法において法秩序全体の精神に照らし社会観念上、到底是認することのできない不相当なものであるから、正当な取材活動の範囲を逸脱しているものというべきである。
三 以上の次第であるから、被告人の行為は、国家公務員法一一一条(一〇九条一二号、一〇〇条一項)の罪を構成するものというべきであり、原判決はその結論において正当である。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 本山亨)

(2)報道機関の特権
・知る権利の充足機能
・報道の公共性
+判例(H1.3.8)レペタ事件
理由
上告代理人秋山幹男、同鈴木五十三、同喜田村洋一、同三宅弘、同山岸和彦の上告理由について
一 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。
上告人は、米国ワシントン州弁護士の資格を有する者で、国際交流基金の特別研究員として我が国における証券市場及びこれに関する法的規制の研究に従事し、右研究の一環として、昭和五七年一〇月以来、東京地方裁判所における被告人加藤暠に対する所得税法違反被告事件の各公判期日における公判を傍聴した。右事件を担当する裁判長(以下「本件裁判長」という。)は、各公判期日において傍聴人がメモを取ることをあらかじめ一般的に禁止していたので、上告人は、各公判期日に先立ちその許可を求めたが、本件裁判長はこれを許さなかつた。本件裁判長は、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対しては、各公判期日においてメモを取ることを許可していた

二 憲法八二条一項の規定は、裁判の対審及び判決が公開の法廷で行われるべきことを定めているが、その趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある。 
 裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、各人は、裁判を傍聴することができることとなるが、右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでないことも、いうまでもないところである。

三1 憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であつて、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)一九条二項の規定も、同様の趣旨にほかならない。
2 筆記行為は、一般的には人の生活活動の一つであり、生活のさまざまな場面において行われ、極めて広い範囲に及んでいるから、そのすべてが憲法の保障する自由に関係するものということはできないが、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない
裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。
四 もつとも、情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由といえども、他者の人権と衝突する場合にはそれとの調整を図る上において、又はこれに優越する公共の利益が存在する場合にはそれを確保する必要から、一定の合理的制限を受けることがあることはやむを得ないところである。しかも、右の筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定によつて直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。
これを傍聴人のメモを取る行為についていえば、法廷は、事件を審理、裁判する場、すなわち、事実を審究し、法律を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現すべく、裁判官及び訴訟関係人が全神経を集中すべき場であつて、そこにおいて最も尊重されなければならないのは、適正かつ迅速な裁判を実現することである傍聴人は、裁判官及び訴訟関係人と異なり、その活動を見聞する者であつて、裁判に関与して何らかの積極的な活動をすることを予定されている者ではない。したがつて、公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べれば、はるかに優越する法益であることは多言を要しないところである。してみれば、そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。適正な裁判の実現のためには、傍聴それ自体をも制限することができるとされているところでもある(刑訴規則二〇二条、一二三条二項参照)。
モを取る行為が意を通じた傍聴人によつて一斉に行われるなど、それがデモンストレーシヨンの様相を呈する場合などは論外としても、当該事件の内容、証人、被告人の年齢や性格、傍聴人と事件との関係等の諸事情によつては、メモを取る行為そのものが、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、証人、被告人に不当な心理的圧迫などの影響を及ぼしたりすることがあり、ひいては公正かつ円滑な訴訟の運営が妨げられるおそれが生ずる場合のあり得ることは否定できない。 
 しかしながら、それにもかかわらず、傍聴人のメモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるに至ることは、通常はあり得ないのであつて、特段の事情のない限り、これを傍聴人の自由に任せるべきであり、それが憲法二一条一項の規定の精神に合致するものということができる

五1 法廷を主宰する裁判長(開廷をした一人の裁判官を含む。以下同じ。)には、裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対して、法廷の秩序を維持するため相当な処分をする権限が付与されている(裁判所法七一条、刑訴法二八八条二項)。右の法廷警察権は、法廷における訴訟の運営に対する傍聴人等の妨害を抑制、排除し、適正かつ迅速な裁判の実現という憲法上の要請を満たすために裁判長に付与された権限である。しかも、裁判所の職務の執行を妨げたり、法廷の秩序を乱したりする行為は、裁判の各場面においてさまざまな形で現れ得るものであり、法廷警察権は、右の各場面において、その都度、これに即応して適切に行使されなければならないことにかんがみれば、その行使は、当該法廷の状況等を最も的確に把握し得る立場にあり、かつ、訴訟の進行に全責任をもつ裁判長の広範な裁量に委ねられて然るべきものというべきであるから、その行使の要否、執るべき措置についての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならないのである。
2 裁判所法七一条、刑訴法二八八条二項の各規定により、法廷において裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、裁判長が法廷の秩序を維持するため相当な処分をすることが認められている以上、裁判長は、傍聴人のメモを取る行為といえども、公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがある場合は、この権限に基づいて、当然これを禁止又は規制する措置を執ることができるものと解するのが相当であるから、実定法上、法廷において傍聴人に対してメモを取る行為を禁止する根拠となる規定が存在しないということはできない
また、人権規約一九条三項の規定は、情報等の受領等の自由を含む表現の自由についての権利の行使に制限を課するには法律の定めを要することをいうものであるから、前示の各法律の規定に基づく法廷警察権 傍聴人のメモを取る行為の制限は、何ら人権規約の右規定に違反するものではない。
3 裁判長は傍聴人がメモを取ることをその自由に任せるべきであり、それが憲法二一条一項の規定の精神に合致するものであることは、前示のとおりである。裁判長としては、特に具体的に公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがある場合においてのみ、法廷警察権によりこれを制限又は禁止するという取扱いをすることが望ましいといわなければならないが、事件の内容、傍聴人の状況その他当該法廷の具体的状況によつては、傍聴人がメモを取ることをあらかじめ一般的に禁止し、状況に応じて個別的にこれを許可するという取扱いも、傍聴人がメモを取ることを故なく妨げることとならない限り、裁判長の裁量の範囲内の措置として許容されるものというべきである。

六 本件裁判長が、各公判期日において、上告人に対してはメモを取ることを禁止しながら、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してはこれを許可していたことは、前示のとおりである。
憲法一四条一項の規定は、各人に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であつて、それぞれの事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないと解すべきである(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁等参照)とともに、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供するものであつて、事実の報道の自由は、表現の自由を定めた憲法二一条一項の規定の保障の下にあることはいうまでもなく、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法二一条の規定の精神に照らし、十分尊重に値するものである(最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)。
そうであつてみれば、以上の趣旨が法廷警察権の行使に当たつて配慮されることがあつても、裁判の報道の重要性に照らせば当然であり、報道の公共性、ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ法廷においてメモを取ることを許可することも、合理性を欠く措置ということはできないというべきである。
本件裁判長において執つた右の措置は、このような配慮に基づくものと思料されるから、合理性を欠くとまでいうことはできず、憲法一四条一項の規定に違反するものではない。

七1 原審の確定した前示事実関係の下においては、本件裁判長が法廷警察権に基づき傍聴人に対してあらかじめ一般的にメモを取ることを禁止した上、上告人に対しこれを許可しなかつた措置(以下「本件措置」という。)は、これを妥当なものとして積極的に肯認し得る事由を見出すことができない。上告人がメモを取ることが、法廷内の秩序や静穏を乱したり、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、あるいは証人、被告人に不当な影響を与えたりするなど公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがあつたとはいえないのであるから、本件措置は、合理的根拠を欠いた法廷警察権の行使であるというべきである。過去においていわゆる公安関係の事件が裁判所に多数係属し、荒れる法廷が日常であつた当時には、これらの裁判の円滑な進行を図るため、各法廷において一般的にメモを取ることを禁止する措置を執らざるを得なかつたことがあり、全国における相当数の裁判所において、今日でもそのような措置を必要とするとの見解の下に、本件措置と同様の措置が執られてきていることは、当裁判所に顕著な事実である。しかし、本件措置が執られた当時においては、既に大多数の国民の裁判所に対する理解は深まり、法廷において傍聴人が裁判所による訴訟の運営を妨害するという事態は、ほとんど影をひそめるに至つていたこともまた、当裁判所に顕著な事実である
裁判所としては、今日においては、傍聴人のメモに関し配慮を欠くに至つていることを率直に認め、今後は、傍聴人のメモを取る行為に対し配慮をすることが要請されることを認めなければならない
もつとも、このことは、法廷の秩序や静穏を害したり、公正かつ円滑な訴訟の運営に支障を来したりすることのないことを前提とするものであることは当然であつて、裁判長は、傍聴人のいかなる行為であつても、いやしくもそれが右のような事態を招くものであると認めるときには、厳正かつ果断に法廷警察権を行使すべき職務と責任を有していることも、忘れられてはならないであろう。
2 法廷警察権は、裁判所法七一条、刑訴法二八八条二項の各規定に従つて行使されなければならないことはいうまでもないが、前示のような法廷警察権の趣旨、目的、更に遡つて法の支配の精神に照らせば、その行使に当たつての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならない。したがつて、それに基づく裁判長の措置は、それが法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情のない限り、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な公権力の行使ということはできないものと解するのが相当である。このことは、前示のような法廷における傍聴人の立場にかんがみるとき、傍聴人のメモを取る行為に対する法廷警察権の行使についても妥当するものといわなければならない。
本件措置が執られた当時には、法廷警察権に基づき傍聴人がメモを取ることを一般的に禁止して開廷するのが相当であるとの見解も広く採用され、相当数の裁判所において同様の措置が執られていたことは前示のとおりであり、本件措置には前示のような特段の事情があるとまではいえないから、本件措置が配慮を欠いていたことが認められるにもかかわらず、これが国家賠償法一条一項の規定にいう違法な公権力の行使に当たるとまでは、断ずることはできない
八 以上説示したところと同旨に帰する原審の判断は、結局これを是認することができる。原判決に所論の違憲、違法はなく、論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官四ツ谷巖の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

+意見
裁判官四ツ谷巖の意見は、次のとおりである。
私は、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その結論にいたる説示には同調することができないので、私の見解を明らかにしておきたい。
一1 憲法八二条一項の規定の趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにあつて、各人に裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでもないことは、多数意見の説示するとおりであり、右規定の要請を満たすためには、各法廷を物的に傍聴可能な状態とし、不特定の者に対して傍聴のための入廷を許容し、その者がいわゆる五官の作用によつて、裁判を見聞することを妨げないことをもつて足りるものといわなければならない。
2 憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、多数意見は、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的からいわばその派生原理として当然に導かれるところであり、筆記行為も、情報等の摂取を補助するものとしてなされる限り、右規定の精神に照らして尊重されるべきであるとし、更に傍聴人が法廷においてメモを取ることも、見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値すると説示する。情報等を摂取する自由及び筆記行為の自由についての説示は、一般論としては、正にそのとおりであろう。しかしながら、傍聴人のメモに関する説示には、賛同することができない。
法廷は、いわゆる公共の場所ではなく、事件を審理、裁判するための場であることは、いうまでもない。したがつて、そこにおいては、冷静に真実を探究し、厳正に法令を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現することが最優先されるべきである。法廷を主宰する裁判長に、法廷警察権が付与されているのも、訴訟の運営に対する妨害を抑制、排除して、常に法廷を審理、裁判にふさわしい場として維持し、適正かつ迅速な裁判の実現という憲法上の要請を満たすためにほかならない。そうして、このような法廷警察権の趣旨、目的及び裁判権を行使するに当たつての裁判官の憲法上の地位、権限に照らせば、法廷警察権の行使は、専ら裁判の進行に全責任を負う裁判長の裁量に委ねられているものというべきであり、傍聴人の行為も、裁判長の裁量によつて規制されて、然るべきものである。メモを取る行為も、その例外ではない。そうすると、裁判長は、その裁量により、傍聴人がメモを取ることを禁止することができ、その結果、傍聴人は法廷において情報等を摂取する自由を十全に享受することができないこととなるが、法廷は前示のとおり審理、裁判のための場であること、並びに、傍聴人は、その自由な意思によつて、裁判長の主宰の下に裁判が行われる法廷に入り、裁判官及び訴訟関係人の活動を見聞するにすぎない立場にあることにかんがみれば、これをもつて憲法二一条の規定に違背するといえないことはもちろん、その精神に違背するということもできない。
多数意見が引用する最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁は、その意に反して拘置所に拘束されている未決拘禁者の新聞閲読の自由について判示するものであつて、傍聴人がこのように公権力によりその意に反して拘束されている者とその立場を異にする者であることは、前示のとおりであるし、また、未決拘禁者は、新聞を閲読できないことにより、それによる情報等の摂取が全く不可能となるのに対し、傍聴人は、法廷においてメモを禁止されても、そこにおける五官の作用によつての情報等の摂取それ自体は、何ら妨げられていないのである。
なお、人権規約一九条二項の規定の趣旨は、憲法の右規定のそれと異なるところはないから、傍聴人のメモを禁止しても、それが人権規約の右規定ないしその精神に違背するということはできないし、また法廷警察権に基づいて傍聴人のメモを禁止することが、人権規約一九条三項の規定に違反するものでないことは、多数意見の説示するとおりである。
3 以上のとおり、傍聴人の法廷におけるメモを許容することが要請されているとすべき憲法その他法令上の根拠は、これを見出すことができない。
してみれば、傍聴人が法廷においてメモを取る自由は、法的に保護された利益とまでいうことはできず、上告人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当であり、これを棄却すべきものとした原判決は結局正当であつて、本件上告は棄却されるべきである。
二 この機会に、傍聴人の法廷におけるメモをその自由に任せることの当否について、付言する。
傍聴人のメモをその自由に任せるべきことが、憲法その他法令上要請されていないとしても、もしそれが一般的に公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるおそれがないとするならば、特段の事情のない限り、これをその自由に任せることとするのも、一つの在り方であろう。
しかしながら、法廷は真実を探究する場であることは前示のとおりであるから、最も配慮されなければならないことは、法廷を真実が現れ易い場としておくことであるところ、法廷において傍聴人がメモを取つていた場合、たとえそれが静穏になされていて、法廷の秩序を乱すことがないとしても、証人や被告人に微妙な心理的影響を与え、真実を述べることを躊躇させるおそれなしとしないのである。そうして、そのような影響の有無は、多くの場合、事前に予測することは困難ないし不可能に近く、しかも、そのために法廷に真実が現れなかつた場合には、当該事件の裁判にも取り返しのつかない影響を及ぼすこととなつてしまうことは多言を要しない。また、影響は、必ずしも証人や被告人に対してばかりではない。傍聴人がメモを取つている法廷においては、厳粛であるべきその雰囲気が乱されるなどし、ために、心を集中すべき真実の探求に支障を生ずるおそれがないわけではないことにも、思いを致すべきであろう。
次に、法廷の情況を記述した文書が、傍聴人が法廷において取つたメモに基づいて作成したものとして、頒布された場合には、それが不正確なものであつたとしても、世人に対しあたかもその内容が真実であるかのような印象を与え、疑惑を招きかねないし、このような事態を事前に防止することは不可能というべきであり、しかも一旦世人に与えられた印象は、容易に払拭することができないのである。右のような弊害を招かないためには、法廷の情況に関する報道は、原則として司法記者クラブ所属の報道機関によつてなされることとするのが相当であり、右クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ、メモを取ることを許容することも、憲法一四条一項の規定に違反するものでないことは、多数意見の説示するとおりである。
更に、前示のように、法廷におけるメモを傍聴人の自由に任せ、メモを取ることにより証人、被告人に心理的影響を与えるおそれがあるか、又は法廷を審理、裁判にふさわしい場として保持できないおそれがある場合においてのみ、裁判長が法廷警察権に基づきこれを禁止する措置を講ずることとした場合には、私の経験によれば、例外的に禁止の措置を執つた法廷において、その措置をめぐつて紛糾し、円滑な訴訟の運営が妨げられるに至る危惧が十分にあり、これを防止するためには、各法廷においてあらかじめ一般的に傍聴人がメモを取ることを禁止し、申出をまつて裁判長の裁量により個別的にその許否を決することとするのが相当であるということになるのである。
したがつて、これまでも、少なからざる裁判長が、傍聴人のメモにつきいわゆる許可制を採用し、傍聴人がメモを取ることを一般的に禁止した上、それを希望する傍聴人から申出があるときは、その傍聴の目的、証人、被告人の年齢、性格、当該事件の内容、当該公判期日に予定されている手続等を考慮して、メモを取ることによる弊害のおそれの有無を判断し、そのおそれがないと認められる場合に限り、これを許容するという措置を執つてきているが、私は、現時点における法廷の実状からすれば、このような措置を執つていくことが一つの妥当な方策ではないかと考える。この許否を決するに当たつては、当該傍聴人のメモを取ろうとする目的など、その個別的事情についても十分に配慮すべきであることはいうまでもない。
三 裁判、特に刑事裁判は、厳粛な雰囲気に包まれた法廷において行われてこそ、その使命を十分に果たすことができ、ひいては裁判に対する世人の信頼をも確保することができるのである。裁判長は、傍聴人等の行為が法廷の秩序や静穏を害したり、公正かつ円滑な訴訟の運営に支障をきたすものであると認めるときは、厳正かつ果断に法廷警察権を行使すべき職務と責任を有していることは、多数意見も説示するとおりである。私は、今日に至るまで、いわゆる荒れる法廷を担当した各裁判長をはじめとし、多くの裁判長が、この法廷警察権の適切な行使によつて、法廷の秩序とその厳粛な雰囲気を維持し、公正かつ円滑な訴訟の運営に対する支障を排除してきているものと考えるし、今後もまたそれを期待するものである。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 奧野久之 裁判官 貞家克己 裁判官 大堀誠一)

Q 取材の自由については、どのような制限が可能か?
(1)直接的制限と間接的制限
・直接的強制
私人に対する取材制限
+判例(H10.10.27)未決拘禁者取材禁止事件

政府機関に対する取材制限
+判例()外務省事件

・間接的制限
取材資料の提出強制
+判例(H1.1.30)日本テレビビデオテープ押収事件
理由
一 本件抗告の趣意は、東京地方検察庁検察事務官がAに対する贈賄被疑事件について昭和六三年一一月一日申立人方においてしたビデオテープの差押処分が憲法二一条に違反する旨主張するものであり、その主張の骨子は、(1) 報道の自由の根幹をなす取材の自由は、報道機関が取材結果を報道目的以外には使用せず、また公権力を含む第三者がこれをみだりに利用することもないという国民の信頼に支えられて成り立つものであるから、報道機関の取材結果を捜査機関が押収して捜査目的に供することは、将来における取材の自由を妨げるおそれがある、(2) いわゆる博多駅事件決定(最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)は、憲法上の要請である公正な刑事裁判の実現のために取材の自由が何らかの制約を受けることを肯認しているが、それも報道の自由に関する憲法上の保障を制約してもやむを得ないと明らかに認められる高度の必要性がある場合に限られるべきであり、しかも裁判所による提出命令に関する同決定の基準を捜査機関による差押が問題となる本件に直ちに適用することは許されない、(3) 同決定は、公正な刑事裁判の実現のために取材の自由が制約されてもやむを得ないかどうかを判断するに当たつて諸要素を比較衡量すべきものとしているが、原決定はこの比較衡量を誤つている、というにある。

二 報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法二一条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法二一条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。右の見地から本件について検討すると、本件差押処分は、被疑者AがいわゆるB疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員Cに対し三回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件を搜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、Aは現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、またCも事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかもAは、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、AとCの面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図したCからの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当のCが本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。
以上のとおり、所論は、博多駅事件決定の趣旨に徴して理由がなく、これと同旨の原決定は相当である。
三 よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官島谷六郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官島谷六郎の反対意見は、次のとおりである。
一 本件は、「公正な刑事裁判の実現」と「報道の自由」との接点における重要な問題を提供する。この点については、先例として当審大法廷のいわゆる博多駅事件決定(昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁)が存在する。同決定の判示は今日なお踏襲すべきものであり、検察事務官による差押が問題となる本件においても同決定の判示が基本的に妥当すると考える点においては、私も、多数意見と立場を異にするものではない。しかし、多数意見が本件ビデオテープの差押が許されるとの結論を導いている点については、たやすく賛同することができない。
二 博多駅事件決定は、取材結果を刑事裁判のために押収することの可否に関し、「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。」と判示し、一般的な判断基準を示している。そこで、以下「右の基準に即して本件につき検討を加えることとする。
三 まず、公正な刑事裁判を実現するための必要性の点であるが、博多駅事件決定においては、事件当日同駅に集合した多数の学生と警備のための多数の警察官のなかから、付審判請求事件の被疑者とされる警察官及び被害者である学生を特定することすら困難であつたため、現場の模様を撮影したフイルムにつき提出命令を発することが許容されたのであつて、右フイルムは、事案の解明のためにほとんど必須のものであつたと考えられるが、これに対し、本件贈賄被疑事件においては、既に金員の提供者とその相手方及び行為の日時、場所、態様は特定しており、ただ金員提供の趣旨等について争いがあつたというのにすぎないのであつて、本件ビデオテープ差押の必要性は、博多駅事件決定の場合に比べ、格段の差異があるのである。
次に、報道の自由、取材の自由に対する弊害の点であるが、報道機関が取材結果を報道目的以外に使用するときは、将来における取材活動に他者の協力を得難くなるおそれがあり、場合によつては妨害を受けるおそれさえなしとしないであろう。取材結果が捜査機関によつて差し押えられ捜査目的に使用されることも、また同様の契機をはらむものであり、将来の取材活動に支障を来すおそれを生ぜしめることは、見やすい道理である。確かに、取材活動への支障は、将来の問題であつて眼前に差し迫つた不利益ではないかもしれない。しかし、憲法二一条に基礎を置く取材の自由の本質に照らし、この点を過小評価することは、相当ではないと思われる。また、本件ビデオテープの取材経緯には、原決定指摘のような特殊な事情があるようであるが、しかし、報道機関の取材結果を押収することによる弊害は、個々的な事案の特殊性を超えたところに生ずるものであり、本件ビデオテープの押収がもたらす弊害を取材経緯の特殊性のゆえに軽視することも、適当ではないように思われるのである。
更に、本件ビデオテープには未放映部分が含まれているが、右部分は、記者の取材メモに近い性格を帯びており、その押収が前記弊害をいつそう増幅する傾向を有することにも十分留意する必要がある。
とのように、本件における公正な刑事裁判の実現のための必要性と報道の自由に対する弊害とを比較衡量するとき、博多駅事件の場合とは異なり、必ずしも前者を優先せしめるべきであるとは考えられない。
四 公正な刑事裁判の実現とそのための適正迅速な捜査処理が国家の基本的な要請であることは、いうまでもない。しかし、その要請も、報道の自由、取材の自由の保障との関係において、時には抑制されなければならない場合が存在するのであつて、本件は、まさにそのような場合である。博多駅事件決定が示した判断基準は、厳格に運用すべきものと考える。
(裁判長裁判官 奥野久之 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)

取材源の証言強制
+判例(S27.8.6)石井記者事件
理由
弁護人岩田宙造、同芦苅直己の上告趣意第一点及び弁護人海野普吉の上告趣意第二点について。
刑訴一四三条は「裁判所はこの法律に特別の定ある場合を除いては何人でも証人としてこれを尋問することができる」と規定し、一般国民に証言義務を課しているのである。証人として法廷に出頭し証言することはその証人個人に対しては多大の犠牲を強いるものである。個人的の道義観念からいえば秘密にしておきたいと思うことでも証言しなければならない場合もあり、またその結果、他人から敵意、不信、怨恨を買う場合もあるのである。そして、証言を必要とする具体的事件は訴訟当事者の問題であるのにかかわらず、証人にかかる犠牲を強いる根拠は実験的真実の発見によつて法の適正な実現を期することが司法裁判の使命であり、証人の証言を強制することがその使命の達成に不可欠なものであるからである。従つて、一般国民の証言義務は国民が司法裁判の適正な行使に協力すべき重大な義務であるといわなけれならない。ところで、法律は一般国民の証言義務を原則としているが、その証言義務が免除される場合を例外的に認めているのである。すなわち、刑訴一四四条乃至一四九条の規定がその場合を列挙しているのであるが、なお最近の立法としては、犯罪者予防更正法五九条に同趣旨の規定を見るのである。これらの証言義務に対する例外規定のうち、刑訴一四六条は憲法三八条一項の規定による憲法上の保障を実現するために規定された例外であるが、その他の規定はすべて証言拒絶の例外を認めることが立法政策的考慮から妥当であると認められた場合の例外である。そして、一般国民の証言義務は国民の重大な義務である点に鑑み、証言拒絶権を認められる場合は極めて例外に属するのであり、また制限的である。従つて、前示例外規定は限定的列挙であつて、これを他の場合に類推適用すべきものでないことは勿論である。新聞記者に取材源につき証言拒絶権を認めるか否かは立法政策上考慮の余地のある問題であり、新聞記者に証言拒絶権を認めた立法例もあるのであるが、わが現行刑訴法は新聞記者を証言拒絶権あるものとして列挙していないのであるから、刑訴一四九条に列挙する医師等と比較して新聞記者に右規定を類推適用することのできないことはいうまでもないところである。それゆえ、わが現行刑訴法は勿論旧刑訴法においても、新聞記者に証言拒絶権を与えなかつたものであることは解釈上疑を容れないところである論旨は新聞は民主政治の下においては民衆の健全な判断の基礎となる材料を提供するものであるから、この意味において単に営利企業たるに止まらず、社会の公器たる性質を有するものである。そして、一切の表現の自由は憲法二一条一項によつて保障されているところであり、この表現の自由を達成するためには新聞記者の取材の方法も自由でなければならない。また、取材の自由を維持するためには取材源を秘匿する必要があるのであつて、ここに取材源を秘匿することが新聞記者の倫理であり、権利であると考えられる理由があるかく取材源を秘匿することは材料提供者に対する道義であるばかりでなく、実に新聞そのものの表現の自由を護る上において絶対に必要な手段となるものであつて、これが世界共通の新聞倫理である。それゆえ、取材源の秘匿は表現の自由を保障した憲法二一条一項により保護されなければならないから、新聞記者が取材源につき証言を拒絶する場合は刑訴一六一条にいわゆる「正当の理由」ある場合に該当するものといわねばならない。然らば、原判決が新聞記者の取材源につき証言を拒絶する場合を正当の理由に該らないものとしたのは表現の自由を保障した憲法二一条に違反するものである、と主張するのである。
しかし憲法の右規定は一般人に対し平等に表現の自由を保障したものであつて、新聞記者に特種の保障を与えたものではない。それゆえ、もし論旨の理論に従うならば、一般人が論文ないし随筆等の起草をなすに当つてもその取材の自由は憲法二一条によつて保障され、その結果その取材源については証言を拒絶する権利を有することとなるであろう。憲法の保障は国会の制定する法律を以ても容易にこれを制限することができず、国会の立法権にまで非常な制限を加えるものであつて、論旨の如く次ぎから次ぎえと際限なく引き延ばし拡張して解釈すべきものではない憲法の右規定の保障は、公の福祉に反しない限り、いいたいことはいわせなければならないということである。未だいいたいことの内容も定まらず、これからその内容を作り出すための取材に関しその取材源について、公の福祉のため最も重大な司法権の公正な発動につき必要欠くべからざる証言の義務をも犠牲にして、証言拒絶の権利までも保障したものとは到底解することができない。論旨では新聞記者の特種の使命、地位等について云為するけれども、憲法の右保障は一般国民に平等に認められたものであり、新聞記者に特別の権利を与えたものでないこと前記のとおりである。国民中の或種特定の人につき、その特種の使命、地位等を考慮して特別の保障権利を与うべきか否かは立法に任せられたところであつて、憲法二一条の問題ではない。それゆえ、同条を基礎として原判決を攻撃する論旨は理由がない

弁護人岩田宙造、同芦苅直己の上告趣意第二点について。
論旨は、刑訴一四六条及び一四七条がいずれも憲法三八条一項の規定に基ずき設けられたものであることを、立論の前提としているのである。そして、刑訴一四六条が右憲法の規定に基ずくものであることはすでに説明したとおりである。しかし、右憲法の規定にいわゆる「自己」というのは供述者本人に限定せらるべきであつて、刑訴一四七条に規定する近親者を包含しない趣旨であると解すべきである。従つて、刑訴一四七条の規定は憲法三八条一項によつて保障される範囲ではなく、証人と一定の身分関係ある者との近親的情誼を顧慮して、証言拒絶権を与えることが立法政策上妥当であると認めたものに外ならないのである。然らば、所論違憲論のうち刑訴一四七条に関する部分は、その前提においてすでに失当である。
次に、刑訴一四六条が憲法三八条一項に基ずく規定であることは前記のとおりであるから、もし被疑者不特定の場合に刑訴二二六条により証人に証言を強制することが右刑訴一四六条の規定に違反するものであれば、それは同時に右憲法の条項に違反するものといえるであろう。しかし、証人自身が刑事訴追又は有罪判決を受ける虞があるかどうかは、その求められている証言の内容の如何により自ら判定し得べきことは原判決の説示するとおりであり、そしてこの事は本件の具体的の場合についてばかりでなく、一般論としても言い得るところである。従つて、原判決が被疑者不特定のため刑訴一四六条による証言拒絶権を奪うことにならないと判示したことは固より正当であつて、この点に関する所論はその理由がない。

弁護人海野普吉の上告趣意第一点について。
刑訴法は捜査については、原則として強制捜査権を認めていないのであるから、捜査官が捜査の目的を達するために証人尋問の必要ありと認めた場合には、刑訴二二六条に規定する条件の下に、検察官からこれを裁判官に請求すべきものとしているのである。そして、右の請求を受けた裁判官はこれを相当と認めた場合には、証人を尋問することができるのであり、召喚を受けた証人が証言義務を負担するものであることはいうまでもないところであつて、本案被疑事件が爾後の捜査の結果犯罪の嫌疑十分ならずとして不起訴処分となり、或は本案被告事件が後日罪とならず又は犯罪の証明なしとして無罪となつても、その証拠調手続が遡つて違法無効となるものでないことは疑のないところであるから、証人は被疑事実が客観的に存在しないことを理由として証言を拒むことを得ないものといわなければならない。従つて、検察官が刑訴二二六条により裁判官に証人尋問の請求をするためには、捜査機関において犯罪ありと思料することが相当であると認められる程度の被疑事実の存在があれば足るものであつて、被疑事実が客観的に存在することを要件とするものではないことは、原判決の説示するとおりである。固より捜査機関が犯罪ありと思料すべき何等の根拠もないにかかわらず、故意に架空な事実を想定して捜査を開始し、刑訴二二六条により証人尋問の請求をしたとすれば、それは明らかに捜査に名を藉る職権の濫用であるといわなければならない。しかし、本件において原判決は次のとおり判断しているのである。すなわち、松本市警察署司法警察員が昭和二四年四月二四日松本簡易裁判所裁判官に対し松本税務署員Aに対する収賄等被疑事件について逮捕状を請求し、翌二五日午前一〇時頃逮捕状の発付を得たが、同日午後三時頃朝日新聞松本支局の記者被告人石井清が同署捜査課長会田武平に対しAに対する逮捕令状が発付になつた旨を告げて、事件が如何に進展したかを聞きに来たこと、同人は知らない旨を答えたが、右の如く逮捕状発付の事実が外部に洩れた気配があつたので、予定を変更して同日午後九時これを執行したこと、ところが翌二六日附朝日新聞長野版に該逮捕状請求の事実と逮捕状記載の被疑事実が掲載され、その文面の順序等が逮捕状記載と酷似していたことは、第一審でなされた証拠調の結果により明らかに認め得る事実である。そして、逮捕状の請求、発付の事実が執行前に外部に漏洩するときはその執行を困難ならしめ、ひいては捜査に重大な障害を与えるものであるから、当該逮捕状の請求、作成、発付の事務に関与する国家公務員たる職員については、右は明らかに国家公務員法一〇〇条にいわゆる職員の職務上知得した秘密に該当するものといわなければならない。然らば、以上の事実とその他の証拠を綜合すると、捜査機関において松本簡易裁判所及び同区検察庁の職員中の何人かが職務上知得した秘密を第三者に漏洩した国家公務員法違反罪の嫌疑が生じたものとして捜査を開始するを相当と認められる十分の理由があるものであるというのであつて、所論の如く右被疑事実が単に噂に止まつて疑の程度には達しないものであるということはできないのみならず、前示被疑事件につき捜査上必要ありと認めてなされた本件証人尋問の請求が検察官の職権濫用によるものであることは、全然これを認めることができないのである。従つて、原判決が本件証人尋問の請求を刑訴二二六条に違反するものでないと判断したことは固より正当であり、その間何等所論の如き違憲の点があるとはいえないのである。また論旨は、刑訴二二六条が原判決の如く判断し得る旨を規定したものとするならば、同条もまた憲法一三条に違反すると主張する。しかし、原判決の判断の正当であることは前記説明のとおりであつて、所論の如き理由から刑訴二二六条の規定を違憲であるということはできないから、論旨は到底採用することができない。
弁護人芦苅直己の上告趣意について。
新聞記者に対し取材源につき証言を強制することが、表現の自由を保障した憲法二一条一項に違反するものでないことはすでに説明したとおりであるから、所論違憲論はその理由がない。、また論旨は、本案被疑事件が犯罪を構成せず、従つてその犯罪の成立を前提としてなされた被告人に対する刑訴二二六条に基ずく証人尋問の請求は無効であると主張するが、本件証人尋問の請求については本案被疑事実が存在しており、その請求が無効でないことは前論旨に対して説明したとおりであるから、論旨はその理由がない。
なお、本件については刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。
右は裁判官全員一致の意見である。
裁判官長谷川太一郎は退官につき評議に関与しない。
この公判には検察官安平政吉が出席した。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 沢田竹治郎は退官、裁判官真野毅は出張につき署名押印することができない。裁判長裁判官 田中耕太郎)

(2)許される取材制限
・公共の利害に関する事実について
+判例(S56.4.16)月刊ペン事件
理由
(上告趣意に対する判断)
弁護人佐瀬昌三の上告趣意のうち、憲法一九条、二一条違反をいう点は、実質は単なる法令違反の主張であり、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。
(職権による判断)
しかしながら、所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決が維持する第一審判決の認定事実の要旨は、「株式会社a社の編集局長である被告人は、同社発行の月刊誌『a』誌上で連続特集を組み、諸般の面から宗教法人b学会を批判するにあたり、同会における象徴的存在とみられる会長cの私的行動をもとりあげ、第一昭和五一年三月号の同誌上に、『四重五重の大罪犯すb学会』との見出しのもとに、『cの金脈もさることながら、とくに女性関係において、彼がきわめて華やかで、しかも、その雑多な関係が病的であり色情狂的でさえあるという情報が、有力消息筋から執拗に流れてくるのは、一体全体、どういうことか、ということである。……』などとする記事を執筆掲載し、また、第二同年四月号誌上に、『極悪の大罪犯すb学会の実相』との見出しのもとに、『彼にはれつきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。……そもそもc好みの女性のタイプというのは、〈1〉やせがたで〈2〉プロポーシヨンがよく〈3〉インテリ風―のタイプだとされている。なるほど、そういわれてみるとお手付き情婦として、二人ともd党議員として国会に送りこんだというT子とM子も、こういうタイプの女性である。もつとも、現在は二人とも落選中で、再選の見込みはd党内部の意見でもなさそうである。……』旨、右にいう落選中の前国会議員T子はb学会員eであり、同M子は同会員fであることを世人に容易に推認させるような表現の記事を執筆掲載したうえ、右雑誌各約三万部を多数の者に販売・頒布し、もつて公然事実を摘示して、右三月号の記事によりc及びb学会の、四月号の記事によりc、e、f及びb学会の各名誉を毀損した。」というのであり、第一審裁判所は、右の認定事実に刑法二三〇条一項を適用し、被告人に有罪の判決を言い渡した。
そうして、原審弁護人が、「被告人は、宗教界の刷新という公益目的のもとに公共の利害に関する事実を公表したものであるから、事実の真実性の立証を許さないまま名誉毀損罪の成立を認めた第一審判決は審理不尽である。」旨主張したのに対し、原判決は、被告人の摘示した事実は、b学会の教義批判の一環、例証としての指導者の醜聞の摘示であつたにしても、cらの私生活上の不倫な男女関係の醜聞を内容とすること、その表現方法が不当な侮辱的、嘲笑的なものであること、不確実な噂、風聞をそのまま取り入れた文体であること、他人の文章を適切な調査もしないでそのまま転写していることなどの諸点にかんがみ、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたらないというべきであり、したがつて、いわゆる公益目的の有無及び事実の真否を問うまでもなく、被告人につ名誉損罪の成立を認める第一審判決は相当である、として右主張を排斥した。
ところで、被告人が「a」誌上に摘示した事実の中に、私人の私生活上の行状、とりわけ一般的には公表をはばかるような異性関係の醜聞に属するものが含まれていることは、一、二審判決の指摘するとおりである。しかしながら、私人の私生活上の行状であつても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたる場合があると解すべきである。本件についてこれをみると、被告人が執筆・掲載した前記の記事は、多数の信徒を擁するわが国有数の宗教団体であるb学会の教義ないしあり方を批判しその誤りを指摘するにあたり、その例証として、同会のc会長(当時)の女性関係が乱脈をきわめており、同会長と関係のあつた女性二名が同会長によつて国会に送り込まれていることなどの事実を摘示したものであることが、右記事を含む被告人の「a」誌上の論説全体の記載に照らして明白であるところ、記録によれば、同会長は、同会において、その教義を身をもつて実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であつて、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあつたばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長の醜聞の相手方とされる女性二名も、同会婦人部の幹部で元国会議員という有力な会員であつたことなどの事実が明らかである。
このような本件の事実関係を前提として検討すると、被告人によつて摘示されたc会長らの前記のような行状は、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたると解するのが相当であつて、これを一宗教団体内部における単なる私的な出来事であるということはできない。なお、右にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かは、摘示された事実自体の内容・性質に照らして客観的に判断されるべきものであり、これを摘示する際の表現方法や事実調査の程度などは、同条にいわゆる公益目的の有無の認定等に関して考慮されるべきことがらであつて、摘示された事実が「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かの判断を左右するものではないと解するのが相当である。
そうすると、これと異なり、被告人によつて摘示された事実が刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」に該当しないとの見解のもとに、公益目的の有無及び事実の真否等を問うまでもなく、被告人につき名誉毀損罪の成立を肯定することができるものとした原判決及びその是認する第一審判決には、法令の解釈適用を誤り審理不尽に陥つた違法があるといわなければならず、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
よつて、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決を破棄したうえ、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
検察官木村榮作 公判出席
(裁判長裁判官 団藤重光 裁判官 藤﨑萬里 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗)

Q 個人情報保護と取材の自由との関係はどうあるべきか?
(1)取材の自由と肖像権
・肖像権
+判例(S44.12.24)京都府学連事件
理由
被告人本人の上告趣意二のうち、および弁護人青柳孝夫の上告趣意第一点のうち、昭和二九年京都市条例第一〇号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「本条例」という。)が、憲法二一条に違反するという主張について。
本条例が、道路その他屋外の公共の場所で、集会もしくは集団行進を行なおうとするときまたは場所のいかんを問わず集団示威運動を行なおうとするときは、公安委員会の許可を受けなければならないと定め、これらの集団行動(以下単に「集団行動」という。)を事前に規制しようとするものであることは所論のとおりである。しかしながら、本条例を検討すると、同条例は、集団行動について、公安委員会の許可を必要としているが(二条)、公安委員会は、集団行動の実施が「公衆の生命、身体、自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない。」と定め(六条)、許可を義務づけており、不許可の場合を厳格に制限しているのである。
そして、このような内容をもつ公安に関する条例が憲法二一条の規定に違反するものでないことは、これとほとんど同じ内容をもつ昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例についてした当裁判所の大法廷判決(昭和三五年(あ)第一一二号同年七月二〇日判決、刑集一四巻九号一二四三頁)の明らかにするところであり、これを変更する必要は認められないから、所論は理由がない

同弁護人の上告趣意第一点のうち、本条例が憲法三一条に違反するとの主張について。
所論は、本条例は、許可を与える際必要な条件をつけることができると定め(六条)、この条件に違反し、または違反しようとする場合には、警察本部長が、その主催者、指導者もしくは参加者に対し警告を発し、その行動を制止することができ(八条)、更に、条件違反の場合には、主催者、指導者等を処罰することができる旨定めている(九条)が、このように、右条件の内容の解釈および条件違反の判定をすべて警察に委ねている点で、適法手続を定めた憲法三一条に違反し、また、条件を取締当局に都合のよいように定めることを許している点でも、白地刑法を禁止した同条に違反する旨主張する。
しかし、本条例六条一項但書は、公安委員会の付しうる条件の範囲を定めており、これに基づいて具体的に条件が定められ、これが主催者または連絡責任者に通告され(六条二項、同条例施行規則五条)、この具体化された条件に違反した行為が、警告、制止および処罰の対象となるのであつて、所論のように取締当局がほしいままに条件を定めることを許しているものではなく、犯罪の構成要件が規定されていないとかまたは不明確であるとかいうことはできない。そうすると、所論違憲の主張は、その前提を欠くことになり、適法な上告理由とならない。

被告人本人の上告趣意三の(4)について。
所論は、本人の意思に反し、かつ裁判官の令状もなくされた本件警察官の写真撮影行為を適法とした原判決の判断は、肖像権すなわち承諾なしに自己の写真を撮影されない権利を保障した憲法一三条に違反し、また令状主義を規定した同法三五条にも違反すると主張する。
ところで、憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。
これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならないしかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかであるそして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法二条一項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない
そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法二一八条二項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法一三条、三五条に違反しないものと解すべきである。
これを本件についてみると、原判決およびその維持した第一審判決の認定するところによれば、昭和三七年六月二一日に行なわれた本件A連合主催の集団行進集団示威運動においては、被告人の属するB大学学生集団はその先頭集団となり、被告人はその列外最先頭に立つて行進していたが、右集団は京都市a区b町c約三〇メートルの地点において、先頭より四列ないし五列目位まで七名ないし八名位の縦隊で道路のほぼ中央あたりを行進していたこと、そして、この状況は、京都府公安委員会が付した「行進隊列は四列縦隊とする」という許可条件および京都府中立売警察署長が道路交通法七七条に基づいて付した「車道の東側端を進行する」という条件に外形的に違反する状況であつたこと、そこで、許可条件違反等の違法状況の視察、採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務の巡査Cは、この状況を現認して、許可条件違反の事実ありと判断し、違法な行進の状態および違反者を確認するため、木屋町通の東側歩道上から前記被告人の属する集団の先頭部分の行進状況を撮影したというのであり、その方法も、行進者に特別な受忍義務を負わせるようなものではなかつたというのである。
右事実によれば、C巡査の右写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものてあつて、しかも多数の者が参加し刻々と状況が変化する集団行動の性質からいつて、証拠保全の必要性および緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであつたと認められるから、たとえそれが被告人ら集団行進者の同意もなく、その意思に反して行なわれたとしても、適法な職務執行行為であつたといわなければならない
そうすると、これを刑法九五条一項によつて保護されるべき職務行為にあたるとした第一審判決およびこれを是認した原判決の判断には、所論のように、憲法一三条、三五条に違反する点は認められないから、論旨は理由がない。
被告人本人のその余の上告趣意は、憲法違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
同弁護人のその余の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、同条の上告理由にあたらない。
よつて、同法四〇八条、一八一条一項本文により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

(2)メディア規制法案と取材の自由

(3)個人情報保護法

RQ
・捜査当局の発表をそのまま報道することが免責事由となるか
+判例(S44.6.25)夕刊和歌山時事事件
理由
弁護人橋本敦、同細見茂の上告趣意は、憲法二一条違反をいう点もあるが、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
しかし、所論にかんがみ職権をもつて検討すると、原判決が維持した第一審判示事実の要旨は、「被告人は、その発行する昭和三八年二月一八日付『夕刊和歌山時事』に、『吸血鬼Aの罪業』と題し、AことB本人または同人の指示のもとに同人経営の和歌山特だね新聞の記者が和歌山市役所土木部の某課長に向かつて『出すものを出せば目をつむつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや』と聞こえよがしの捨てせりふを吐いたうえ、今度は上層の某主幹に向かつて『しかし魚心あれば水心ということもある、どうだ、お前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか』と凄んだ旨の記事を掲載、頒布し、もつて公然事実を摘示して右Bの名誉を毀損した。」というのであり、第一審判決は、右の認定事実に刑法二三〇条一項を適用し、被告人に対し有罪の言渡しをした。
そして、原審弁護人が「被告人は証明可能な程度の資料、根拠をもつて事実を真実と確信したから、被告人には名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しない。」旨を主張したのに対し、原判決は、「被告人の摘示した事実につき真実であることの証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻却せず、名誉毀損罪の刑責を免れることができないことは、すでに最高裁判所の判例(昭和三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)の趣旨とするところである」と判示して、右主張を排斥し、被告人が真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたとしても名誉段損の罪責を免れえない旨を明らかにしている。
しかし、刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法二一条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があつたとしても、およそ事実が真実であることの証明がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例(昭和三三年(あ)第二六九八号同三四年五月七日第一小法廷判決、刑集一三巻五号六四一頁)は、これを変更すべきものと認める。したがつて、原判決の前記判断は法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。
ところで、前記認定事実に相応する公訴事実に関し、被告人側の申請にかかる証人Cが同公訴事実の記事内容に関する情報を和歌山市役所の職員から聞きこみこれを被告人に提供した旨を証言したのに対し、これが伝聞証拠であることを理由に検察官から異議の申立があり、第一審はこれを認め、異議のあつた部分全部につきこれを排除する旨の決定をし、その結果、被告人は、右公訴事実につき、いまだ右記事の内容が真実であることの証明がなく、また、被告人が真実であると信ずるにつき相当の理由があつたと認めることはできないものとして、前記有罪判決を受けるに至つており、原判決も、右の結論を支持していることが明らかである。
しかし、第一審において、弁護人が「本件は、その動機、目的において公益をはかるためにやむなくなされたものであり、刑法二三〇条ノ二の適用によつて、当然無罪たるべきものである。」旨の意見を述べたうえ、前記公訴事実につき証人Cを申請し、第一審が、立証趣旨になんらの制限を加えることなく、同証人を採用している等記録にあらわれた本件の経過からみれば、C証人の立証趣旨は、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたことをも含むものと解するのが相当である。
してみれば、前記Cの証言中第一審が証拠排除の決定をした前記部分は、本件記事内容が真実であるかどうかの点については伝聞証拠であるが、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき相当の理由があつたかどうかの点については伝聞証拠とはいえないから、第一審は、伝聞証拠の意義に関する法令の解釈を誤り、排除してはならない証拠を排除した違法があり、これを是認した原判決には法令の解釈を誤り審理不尽に陥つた違法があるものといわなければならない。
されば、本件においては、被告人が本件記事内容を真実であると誤信したことにつき、確実な資料、根拠に照らし相当な理由があつたかどうかを慎重に審理検討したうえ刑法二三〇条ノ二第一項の免責があるかどうかを判断すべきであつたので、右に判示した原判決の各違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものといわなければならない。
よつて、刑訴法四一一条一号により原判決および第一審判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため同法四一三条本文により本件を和歌山地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
検察官平出禾 公判出席
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

・番組の証拠としての採用・・・放送済み
+判例(H2.7.9)TBSビデオテープ押収事件
理由
一 抗告趣意第一点について
所論は、まず、警視庁高輪警察署派遣警視庁刑事部捜査第四課司法警察員がAに対する傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件について平成二年五月一六日申立人方においてしたビデオテープの差押は憲法二一条に違反する旨主張する。
そこで検討すると、報道機関の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障の下にあり、報道のための取材の自由も、憲法二一条の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであること、取材の自由も、何らの制約を受けないものではなく、公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることがあることは、いずれも博多駅事件決定(最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・別集二三巻一一号一四九〇頁)の判示するところである。そして、その趣旨からすると、公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の遂行という要請がある場合にも、同様に、取材の自由がある程度の制約を受ける場合があること、また、このような要請から報道機関の取材結果に対して差押をする場合において、差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることは、明らかである(最高裁昭和六三年(し)第一(一六)号平成元年一月三〇日第二小法廷決定・刑集四三巻一号一九頁参照)。
右の見地から本件について検討すると、本件差押は、暴力団組長である被疑者が、組員らと共謀の上債権回収を図るため暴力団事務所において被害者に対し加療約一箇月間を要する傷害を負わせ、かつ、被害者方前において団体の威力を示し共同して被害者を脅迫し、暴力団事務所において団体の威力を示して脅迫したという、軽視することのできない悪質な傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件の搜査として行われたものである。しかも、件差押は、被疑者、共犯者の供述が不十分で、関係者の供述も一致せず、傷害事件の重要な部分を確定し難かったため、真相を明らかにする必要上、右の犯行状況等を収録したと推認される本件ビデオテープ(原決定添付目録15ないし18)をし押さえたものであり、右ビデオテープは、事案の全容を解明して犯罪の成否を判断する上で重要な証拠価値をつものであったと認められる。他方、本件ビデオテープは、すべていわゆるマザーテープであるが、申立人において差押当時既に放映のための編集を終了し、編集に係るものの放映を済ませていたのであって、本件差押により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となって報道の機会が奪われるというものではなかった。また本件の撮影は、暴力団組長を始め組員の協力を得て行われたものであって、右取材協力者は、本件ビデオテープが放映されることを了承していたのであるから、報道機関たる申立人が右取材協力者のためその身元を秘匿するなど擁護しなけれならない利益は、ほとんど存在しない。さらに本件は、撮影開始後複すじ数の組員により暴行が繰り返し行われていることを現認しながら、その撮影を続けたものであって、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえるが、そのような取材を報道のための取材の自由の一態様として保護しなけれならない必要性は疑わしいといわざるを得ない。そうすると、本件差押により、申立人を始め報道機関において、将来本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しない。このような事情を総合すると、本件差押は、適正迅速な捜査の遂行のためやむを得ないものであり、申立人の受ける不利益は、受忍すべきものというべきである。
結局、所論は、博多駅事件決定の趣旨に徴して理由がなく、これと同旨の原決定は正当である。
所論は、次に、判例違反をいうが、原決定は所論引用の判例と相反する判断をしたものではないから、理由がない。
二 同第二点について
職権により調査すると、差押に係るビデオテープ二九巻のうち、二四巻(原決定添付別紙目録番号1ないし11、13、14、19ないし29)は平成二年五月三〇日、一巻(同番号12)は同年六月六日、それぞれ申立人に還付済みであることが認められる。そうすると、本件差押の取消を求める準抗告のうち、これらの還付済み物件に関する部分は、申立の利益を欠き、これと同旨の原判断は正当である。
三 よって、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官奥野久之の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+反対意見
裁判官奥野久之の反対意見は、次のとおりである。
私は、抗告趣意第一点について、多数意見と結論を異にする。すなわち、B事件決定(最高裁昭和六三年(し)第一一六号平成元年一月三〇日第二小法廷決定・刑集四三巻一号一九頁)においては、報道機関のビデオテープに対する差押が許されるとした多数意見にくみしたが、本件の差押については許されないと考える。
B事件と本件とを対比しながら、適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響等を比較衡量すると、B事件の犯罪は、国民が広く関心を寄せる重大な贈賄事犯であったが、本件の犯罪は、軽視できない悪質な事犯とはいえ、B事件ほど重大とはいえない。また、B事件の場合には、ビデオテープは、犯罪立証のためにほとんど不可欠であったのに対し、本件の場合には、暴力団員が不十分ながら犯行を認め、目撃者もおり、ただそれらの供述と被害者の供述とに一致しないところがあるため、ビデオテープが必要となったのであるから、ビデオテープの証拠としての必要性は、B事件よりも弱い。そうすると、本件の差押によって得られる利益は、B事件のそれと比較すると、相当に小さいというべきである。他方、B事件の場合には、賄賂の申込を受けた者が贈賄事件を告発するための証拠を保全することを目的として報道機関に対しビデオテープの採録を依頼し、報道機関がこの依頼に応じてビデオテープを採録したのであるから、報道機関はいわば捜査を代行したともいえるのに対し、本件の場合は、報道機関は、もっぱら暴力団の実態を国民に知らせるという報道目的でビデオテープを採録したものであるから、本件の報道機関の立場を保護すべき利益は、B事件のそれに比して、格段に大きいというべきである。
以上のとおりであるから、所論の本件ビデオテープの差押は、違法なものであるといわなければならない。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之 裁判官 中島敏次郎)

・Nシステム
+判例(東京高判H21.1.29)
+判例 最高裁の方は。どうなったのか


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