憲法 日本国憲法の論じ方 Q9 憲法14条後段列挙事由


Q 社会的身分と門地はどこが違うのか?
(1)社会的身分の分析
(2)門地と社会的身分の関係
社会的身分(脱却不能地位説)
=人が社会において一時的でなく占めている地位で、自分の力ではそれから脱却できず、それについて事実上ある種の社会的評価がともなっているもの

・判例は
=人が社会において占める継続的な地位
+判例(S39.5.27)
理由
上告代理人吉井晃、同奥田実、同原田策司の上告理由第二点について。
所論の要旨は、上告人が高令であることを理由に被上告人がした本件待命処分は、社会的身分により差別をしたものであつて、憲法一四条一項及び地方公務員法一三条に違反するとの上告人の主張に対し、原審が、高令であることは社会的身分に当らないとして上告人の右主張を排斥したのは、(一)右各法条にいう社会的身分の解釈を誤つたものであり、また、(二)仮りに右解釈に誤りがないとしても、右各法条は、それに列挙された事由以外の事由による差別をも禁止しているものであるから、高令であることを理由とする本件待命処分を肯認した原判決には、右各法条の解釈を誤つた違法があるというにある。
思うに、憲法一四条一項及び地方公務員法一三条にいう社会的身分とは、人が社会において占める継続的な地位をいうものと解されるから、高令であるということは右の社会的身分に当らないとの原審の判断は相当と思われるが、右各法条は、国民に対し、法の下の平等を保障したものであり、右各法条に列挙された事由は例示的なものであつて、必ずしもそれに限るものではないと解するのが相当であるから、原判決が、高令であることは社会的身分に当らないとの一事により、たやすく上告人の前示主張を排斥したのは、必ずしも十分に意を尽したものとはいえないしかし、右各法条は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら右各法条の否定するところではない
本件につき原審が確定した事実を要約すれば、被上告人立山町長は、地方公務員法に基づき制定された立山町待命条例により与えられた権限、すなわち職員にその意に反して臨時待命を命じ又は職員の申出に基づいて臨時待命を承認することができる旨の権限に基づき、立山町職員定員条例による定員を超過する職員の整理を企図し、合併前の旧町村の町村長、助役、収入役であつた者で年令五五歳以上のものについては、後進に道を開く意味でその退職を望み、右待命条例に基づく臨時待命の対象者として右の者らを主として考慮し、右に該当する職員約一〇名位(当時建設課長であつた上告人を含む)に退職を勧告した後、上告人も右に該当する者であり、かつ勤務成績が良好でない等の事情を考慮した上、上告人に対し本件待命処分を行つたというのであるから、本件待命処分は、上告人が年令五五歳以上であることを一の基準としてなされたものであることは、所論のとおりである。
ところで、昭和二九年法律第一九二号地方公務員法の一部を改正する法律附則三項は、地方公共団体は、条例で定める定員をこえることとなる員数の職員については、昭和二九年度及び昭和三〇年度において、国家公務員の例に準じて条例の定めるところによつて、職員にその意に反し臨時待命を命ずることができることにしており、国家公務員については、昭和二九年法律第一八六号及び同年政令第一四四号によつて、過員となる職員で配置転換が困難な事情にあるものについては、その意に反して臨時待命を命ずることができることにしているのであり、前示立山町待命条例ならびに被上告人立山町長が行つた本件待命処分は、右各法令に根拠するものであることは前示のとおりである。しかして、一般に国家公務員につきその過員を整理する場合において、職員のうちいずれを免職するかは、任命権者が、勤務成績、勤務年数その他の事実に基づき、公正に判断して定めるべきものとされていること(昭和二七年人事院規則一一―四、七条四項参照)にかんがみても、前示待命条例により地方公務員に臨時待命を命ずる場合においても、何人に待命を命ずるかは、任命権者が諸般の事実に基づき公正に判断して決定すべきもの、すなわち、任命権者の適正な裁量に任せられているものと解するのが相当である。これを本件についてみても、原判示のごとき事情の下において、任命権者たる被上告人が、五五歳以上の高令であることを待命処分の一応の基準とした上、上告人はそれに該当し(本件記録によれば、上告人は当時六六歳であつたことが明らかである)、しかも、その勤務成績が良好でないこと等の事情をも考慮の上、上告人に対し本件待命処分に出たことは、任命権者に任せられた裁量権の範囲を逸脱したものとは認められず、高令である上告人に対し他の職員に比し不合理な差別をしたものとも認められないから、憲法一四条一項及び地方公務員法一三条に違反するものではない。されば、本件待命処分は右各法条に違反するものではないとの原審の判断は、結局正当であり、原判決には所論のごとき違法はなく、論旨は採用のかぎりでない。
よつて、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 石坂修一 裁判官 山田作之助 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 斎藤朔郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎)

Q 社会的身分として具体的に問題となったのは何か?
(1)親子の関係
・親子の関係は「自然的関係」だから尊属・卑属の地位は社会的身分ではない・・・。
でも、一定の評価をして差異を設定したりすると社会的身分に当たるのでは。

+判例(H7.7.5) 後々変わるが。
理由
抗告代理人榊原富士子、同吉岡睦子、同井田恵子、同石井小夜子、同石田武臣、同金住典子、同紙子達子、同酒向徹、同福島瑞穂、同小山久子、同小島妙子の抗告理由について
所論は、要するに、嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の相続分を嫡出である子(以下「嫡出子」という。)の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)は憲法一四条一項に違反するというのである。
一 憲法一四条一項は法の下の平等を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁等参照)。
そこで、まず、右の点を検討する前提として、我が国の相続制度を概観する。
1 婚姻、相続等を規律する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない旨を定めた憲法二四条二項の規定に基づき、昭和二二年の民法の一部を改正する法律(同年法律第二二二号)により、家督相続の制度が廃止され、いわゆる共同相続の制度が導入された。
現行民法は、相続人の範囲に関しては、被相続人の配偶者は常に相続人となり(八九〇条)、また、被相続人の子は相続人となるものと定め(八八七条)、配偶者と子が相続人となることを原則的なものとした上、相続人となるべき子及びその代襲者がない場合には、被相続人の直系尊属、兄弟姉妹がそれぞれ第一順位、第二順位の相続人となる旨を定める(八八九条)。そして、同順位の相続人が数人あるときの相続分を定めるが(九〇〇条。以下、右相続分を「法定相続分」という。)、被相続人は、右規定にかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるものとし(九〇二条)、また、共同相続人中に、被相続人から遺贈等を受けた者(特別受益者)があるときは、これらの相続分から右受益に係る価額を控除した残額をもって相続分とするものとしている(九〇三条)。
右のとおり、被相続人は、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるが、また、遺言により、特定の相続人又は第三者に対し、その財産の全部又は一部を処分することができる(九六四条)。ただし、遺留分に関する規定(一〇二八条、一〇四四条)に違反することができず(九六四条ただし書)、遺留分権利者は、右規定に違反する遺贈等の減殺を請求することができる(一〇三一条)。
相続人には、相続の効果を受けるかどうかにつき選択の自由が認められる。すなわち、相続人は、相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない(九一五条)。
九〇六条は、共同相続における遺産分割の基準を定め、遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする旨規定する。共同相続人は、その協議で、遺産の分割をすることができるが(九〇七条一項)、協議が調わないときは、その分割を家庭裁判所に請求することができる(同条二項)。なお、被相続人は、遺言で、分割の方法を定め、又は相続開始の時から五年を超えない期間内分割を禁止することができる(九〇八条)。
2 昭和五五年の民法及び家事審判法の一部を改正する法律(同年法律第五一号)により、配偶者の相続分が現行民法九〇〇条一号ないし三号のとおりに改められた。すなわち、配偶者の相続分は、配偶者と子が共同して相続する場合は二分の一に(改正前は三分の一)、配偶者と直系尊属が共同して相続する場合は三分の二に(改正前は二分の一)、配偶者と兄弟姉妹が共同して相続する場合は四分の三に(改正前は三分の二)改められた。
また、右改正法により、寄与分の制度が新設された。すなわち、新設された九〇四条の二第一項は、共同相続人中に、被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額から共同相続人の協議で定めたその者の寄与分を控除したものを相続財産とみなし、法定相続分ないし指定相続分によって算定した相続分に寄与分を加えた額をもってその者の相続分とする旨規定し、同条二項は、前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、同項に規定する寄与をした者の請求により、寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して、寄与分を定める旨規定する。この制度により、被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者には、法定相続分又は指定相続分以上の財産を取得させることが可能となり、いわば相続の実質的な公平が図られることとなった。
3 右のように、民法は、社会情勢の変化等に応じて改正され、また、被相続人の財産の承継につき多角的に定めを置いているのであって、本件規定を含む民法九〇〇条の法定相続分の定めはその一つにすぎず、法定相続分のとおりに相続が行われなければならない旨を定めたものではない。すなわち、被相続人は、法定相続分の定めにかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができる。また、相続を希望しない相続人は、その放棄をすることができる。さらに、共同相続人の間で遺産分割の協議がされる場合、相続は、必ずしも法定相続分のとおりに行われる必要はない。共同相続人は、それぞれの相続人の事情を考慮した上、その協議により、特定の相続人に対して法定相続分以上の相続財産を取得させることも可能である。もっとも、遺産分割の協議が調わず、家庭裁判所がその審判をする場合には、法定相続分に従って遺産の分割をしなければならない。
このように、法定相続分の定めは、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて、補充的に機能する規定である。
二 相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、その形態には歴史的、社会的にみて種々のものがあり、また、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、各国の相続制度は、多かれ少なかれ、これらの事情、要素を反映している。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断にゆだねられているものというほかない。
そして、前記のとおり、本件規定を含む法定相続分の定めは、右相続分に従って相続が行われるべきことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮すれば、本件規定における嫡出子と非嫡出子の法定相続分の区別は、その立法理由に合理的な根拠があり、かつ、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、いまだ立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる限り、合理的理由のない差別とはいえず、これを憲法一四条一項に反するものということはできないというべきである。
三 憲法二四条一項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、民法七三九条一項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法七三二条は、重婚を禁止し、いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない
そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。
本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。
現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。論旨は採用することができない。
よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、裁判官園部逸夫、同可部恒雄、同大西勝也の各補足意見、裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見、裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

Q 裁判所は、14条違反をどのように判定すべきか?
(1)定義(後段列挙)の法的意味
差別につき疑わしい範疇
(2)疑わしい区別
(3)差別の「合理性」

+判例(H20.6.4)
理由
上告代理人山口元一の上告理由第1ないし第3について
1 事案の概要
本件は、法律上の婚姻関係にない日本国民である父とフィリピン共和国籍を有する母との間に本邦において出生した上告人が、出生後父から認知されたことを理由として平成15年に法務大臣あてに国籍取得届を提出したところ、国籍取得の条件を備えておらず、日本国籍を取得していないものとされたことから、被上告人に対し、日本国籍を有することの確認を求めている事案である。
2 国籍法2条1号、3条について
国籍法2条1号は、子は出生の時に父又は母が日本国民であるときに日本国民とする旨を規定して、日本国籍の生来的取得について、いわゆる父母両系血統主義によることを定めている。したがって、子が出生の時に日本国民である父又は母との間に法律上の親子関係を有するときは、生来的に日本国籍を取得することになる。
国籍法3条1項は、「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であった場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であったときは、法務大臣に届け出ることによって、日本の国籍を取得することができる。」と規定し、同条2項は、「前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。」と規定している。同条1項は、父又は母が認知をした場合について規定しているが、日本国民である母の非嫡出子は、出生により母との間に法律上の親子関係が生ずると解され、また、日本国民である父が胎児認知した子は、出生時に父との間に法律上の親子関係が生ずることとなり、それぞれ同法2条1号により生来的に日本国籍を取得することから、同法3条1項は、実際上は、法律上の婚姻関係にない日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した子で、父から胎児認知を受けていないものに限り適用されることになる。
3 原判決等
上告人は、国籍法2条1号に基づく日本国籍の取得を主張するほか、日本国民である父の非嫡出子について、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した者のみが法務大臣に届け出ることにより日本国籍を取得することができるとした同法3条1項の規定が憲法14条1項に違反するとして、上告人が法務大臣あてに国籍取得届を提出したことにより日本国籍を取得した旨を主張した。
これに対し、原判決は、国籍法2条1号に基づく日本国籍の取得を否定した上、同法3条1項に関する上記主張につき、仮に同項の規定が憲法14条1項に違反し、無効であったとしても、そのことから、出生後に日本国民である父から認知を受けたにとどまる子が日本国籍を取得する制度が創設されるわけではなく、上告人が当然に日本国籍を取得することにはならないし、また、国籍法については、法律上の文言を厳密に解釈することが要請され、立法者の意思に反するような類推解釈ないし拡張解釈は許されず、そのような解釈の名の下に同法に定めのない国籍取得の要件を創設することは、裁判所が立法作用を行うものとして許されないから、上告人が同法3条1項の類推解釈ないし拡張解釈によって日本国籍を取得したということもできないと判断して、上告人の請求を棄却した。

4 国籍法3条1項による国籍取得の区別の憲法適合性について
所論は、上記のとおり、国籍法3条1項の規定が憲法14条1項に違反する旨をいうが、その趣旨は、国籍法3条1項の規定が、日本国民である父の非嫡出子について、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した者に限り日本国籍の取得を認めていることによって、同じく日本国民である父から認知された子でありながら父母が法律上の婚姻をしていない非嫡出子は、その余の同項所定の要件を満たしても日本国籍を取得することができないという区別(以下「本件区別」という。)が生じており、このことが憲法14条1項に違反する旨をいうものと解される。所論は、その上で、国籍法3条1項の規定のうち本件区別を生じさせた部分のみが違憲無効であるとし、上告人には同項のその余の規定に基づいて日本国籍の取得が認められるべきであるというものである。そこで、以下、これらの点について検討を加えることとする。
(1) 憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁、最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
憲法10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定し、これを受けて、国籍法は、日本国籍の得喪に関する要件を規定している憲法10条の規定は、国籍は国家の構成員としての資格であり、国籍の得喪に関する要件を定めるに当たってはそれぞれの国の歴史的事情、伝統、政治的、社会的及び経済的環境等、種々の要因を考慮する必要があることから、これをどのように定めるかについて、立法府の裁量判断にゆだねる趣旨のものであると解される。しかしながら、このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が、合理的理由のない差別的取扱いとなるときは、憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもないすなわち、立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても、なおそのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠が認められない場合、又はその具体的な区別と上記の立法目的との間に合理的関連性が認められない場合には、当該区別は、合理的な理由のない差別として、同項に違反するものと解されることになる
日本国籍は、我が国の構成員としての資格であるとともに、我が国において基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは、子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって、このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては、慎重に検討することが必要である。
(2)ア 国籍法3条の規定する届出による国籍取得の制度は、法律上の婚姻関係にない日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した子について、父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得すること(以下「準正」という。)のほか同条1項の定める一定の要件を満たした場合に限り、法務大臣への届出によって日本国籍の取得を認めるものであり、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって、同法の基本的な原則である血統主義を補完するものとして、昭和59年法律第45号による国籍法の改正において新たに設けられたものである。
そして、国籍法3条1項は、日本国民である父が日本国民でない母との間の子を出生後に認知しただけでは日本国籍の取得を認めず、準正のあった場合に限り日本国籍を取得させることとしており、これによって本件区別が生じている。このような規定が設けられた主な理由は、日本国民である父が出生後に認知した子については、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得することによって、日本国民である父との生活の一体化が生じ、家族生活を通じた我が国社会との密接な結び付きが生ずることから、日本国籍の取得を認めることが相当であるという点にあるものと解される。また、上記国籍法改正の当時には、父母両系血統主義を採用する国には、自国民である父の子について認知だけでなく準正のあった場合に限り自国籍の取得を認める国が多かったことも、本件区別が合理的なものとして設けられた理由であると解される。
イ 日本国民を血統上の親として出生した子であっても、日本国籍を生来的に取得しなかった場合には、その後の生活を通じて国籍国である外国との密接な結び付きを生じさせている可能性があるから、国籍法3条1項は、同法の基本的な原則である血統主義を基調としつつ、日本国民との法律上の親子関係の存在に加え我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて、これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めることとしたものと解される。このような目的を達成するため準正その他の要件が設けられ、これにより本件区別が生じたのであるが、本件区別を生じさせた上記の立法目的自体には、合理的な根拠があるというべきである。
また、国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては、日本国民である父と日本国民でない母との間の子について、父母が法律上の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ、当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても、同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには、上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。
ウ しかしながら、その後、我が国における社会的、経済的環境等の変化に伴って、夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており、今日では、出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど、家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきているこのような社会通念及び社会的状況の変化に加えて、近年、我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ、両親の一方のみが日本国民である場合には、同居の有無など家族生活の実態においても、法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての認識においても、両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり、その子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって直ちに測ることはできないこれらのことを考慮すれば、日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって、初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは、今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。 
また、諸外国においては、非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ、我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも、児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。さらに、国籍法3条1項の規定が設けられた後、自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国において、今日までに、認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそれだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。
以上のような我が国を取り巻く国内的、国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると、準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて、前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。
エ 一方、国籍法は、前記のとおり、父母両系血統主義を採用し、日本国民である父又は母との法律上の親子関係があることをもって我が国との密接な結び付きがあるものとして日本国籍を付与するという立場に立って、出生の時に父又は母のいずれかが日本国民であるときには子が日本国籍を取得するものとしている(2条1号)。その結果、日本国民である父又は母の嫡出子として出生した子はもとより、日本国民である父から胎児認知された非嫡出子及び日本国民である母の非嫡出子も、生来的に日本国籍を取得することとなるところ、同じく日本国民を血統上の親として出生し、法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず、日本国民である父から出生後に認知された子のうち準正により嫡出子たる身分を取得しないものに限っては、生来的に日本国籍を取得しないのみならず、同法3条1項所定の届出により日本国籍を取得することもできないことになる。このような区別の結果、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子のみが、日本国籍の取得について著しい差別的取扱いを受けているものといわざるを得ない。
日本国籍の取得が、前記のとおり、我が国において基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持つものであることにかんがみれば、以上のような差別的取扱いによって子の被る不利益は看過し難いものというべきであり、このような差別的取扱いについては、前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだし難いといわざるを得ない。とりわけ、日本国民である父から胎児認知された子と出生後に認知された子との間においては、日本国民である父との家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く、日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である。また、父母両系血統主義を採用する国籍法の下で、日本国民である母の非嫡出子が出生により日本国籍を取得するにもかかわらず、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子が届出による日本国籍の取得すら認められないことには、両性の平等という観点からみてその基本的立場に沿わないところがあるというべきである。
オ 上記ウ、エで説示した事情を併せ考慮するならば、国籍法が、同じく日本国民との間に法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず、上記のような非嫡出子についてのみ、父母の婚姻という、子にはどうすることもできない父母の身分行為が行われない限り、生来的にも届出によっても日本国籍の取得を認めないとしている点は、今日においては、立法府に与えられた裁量権を考慮しても、我が国との密接な結び付きを有する者に限り日本国籍を付与するという立法目的との合理的関連性の認められる範囲を著しく超える手段を採用しているものというほかなく、その結果、不合理な差別を生じさせているものといわざるを得ない。
カ 確かに、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知された子についても、国籍法8条1号所定の簡易帰化により日本国籍を取得するみちが開かれている。しかしながら、帰化は法務大臣の裁量行為であり、同号所定の条件を満たす者であっても当然に日本国籍を取得するわけではないから、これを届出による日本国籍の取得に代わるものとみることにより、本件区別が前記立法目的との間の合理的関連性を欠くものでないということはできない。
なお、日本国民である父の認知によって準正を待たずに日本国籍の取得を認めた場合に、国籍取得のための仮装認知がされるおそれがあるから、このような仮装行為による国籍取得を防止する必要があるということも、本件区別が設けられた理由の一つであると解される。しかし、そのようなおそれがあるとしても、父母の婚姻により子が嫡出子たる身分を取得することを日本国籍取得の要件とすることが、仮装行為による国籍取得の防止の要請との間において必ずしも合理的関連性を有するものとはいい難く、上記オの結論を覆す理由とすることは困難である。
(3) 以上によれば、本件区別については、これを生じさせた立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの、立法目的との間における合理的関連性は、我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており、今日において、国籍法3条1項の規定は、日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。しかも、本件区別については、前記(2)エで説示した他の区別も存在しており、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子に対して、日本国籍の取得において著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず、国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えられた裁量権を考慮しても、この結果について、上記の立法目的との間において合理的関連性があるものということはもはやできない。
そうすると、本件区別は、遅くとも上告人が法務大臣あてに国籍取得届を提出した当時には、立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間において合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。
したがって、上記時点において、本件区別は合理的な理由のない差別となっていたといわざるを得ず、国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは、憲法14条1項に違反するものであったというべきである。

5 本件区別による違憲の状態を前提として上告人に日本国籍の取得を認めることの可否
(1) 以上のとおり、国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは、遅くとも上記時点以降において憲法14条1項に違反するといわざるを得ないが、国籍法3条1項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件区別が生じたからといって、本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規定自体を全部無効として、準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出による日本国籍の取得をもすべて否定することは、血統主義を補完するために出生後の国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり、立法者の合理的意思として想定し難いものであって、採り得ない解釈であるといわざるを得ない。そうすると、準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提として、本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り、本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。
(2) このような見地に立って是正の方法を検討すると、憲法14条1項に基づく平等取扱いの要請と国籍法の採用した基本的な原則である父母両系血統主義とを踏まえれば、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知されたにとどまる子についても、血統主義を基調として出生後における日本国籍の取得を認めた同法3条1項の規定の趣旨・内容を等しく及ぼすほかはない。すなわち、このような子についても、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に、届出により日本国籍を取得することが認められるものとすることによって、同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能となるものということができ、この解釈は、本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも、相当性を有するものというべきである。
そして、上記の解釈は、本件区別に係る違憲の瑕疵を是正するため、国籍法3条1項につき、同項を全体として無効とすることなく、過剰な要件を設けることにより本件区別を生じさせている部分のみを除いて合理的に解釈したものであって、その結果も、準正子と同様の要件による日本国籍の取得を認めるにとどまるものである。この解釈は、日本国民との法律上の親子関係の存在という血統主義の要請を満たすとともに、父が現に日本国民であることなど我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を満たす場合に出生後における日本国籍の取得を認めるものとして、同項の規定の趣旨及び目的に沿うものであり、この解釈をもって、裁判所が法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって国会の本来的な機能である立法作用を行うものとして許されないと評価することは、国籍取得の要件に関する他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性を考慮したとしても、当を得ないものというべきである。
したがって、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知された子は、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の要件が満たされるときは、同項に基づいて日本国籍を取得することが認められるというべきである。
(3) 原審の適法に確定した事実によれば、上告人は、上記の解釈の下で国籍法3条1項の規定する日本国籍取得の要件をいずれも満たしていることが認められる。そうすると、上告人は、法務大臣あての国籍取得届を提出したことによって、同項の規定により日本国籍を取得したものと解するのが相当である。
6 結論
以上のとおり、上告人は、国籍法3条1項の規定により日本国籍を取得したものと認められるところ、これと異なる見解の下に上告人の請求を棄却した原審の判断は、憲法14条1項及び81条並びに国籍法の解釈を誤ったものである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、以上説示したところによれば、上告人の請求には理由があり、これを認容した第1審判決は結論において是認することができるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。
よって、裁判官横尾和子、同津野修、同古田佑紀の反対意見、裁判官甲斐中辰夫、同堀籠幸男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官泉徳治、同今井功、同那須弘平、同涌井紀夫、同田原睦夫、同近藤崇晴の各補足意見、裁判官藤田宙靖の意見がある。

・合理性の審査でいってるんだね!

Q 14条は私人間を直接規律するか?
(1)政治的・経済的・社会的関係とは

RQ
+判例(H7.12.5)
理由
上告人らの上告理由第一ないし第四点について
国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、国会ないし国会議員の立法行為(立法の不作為を含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというように、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものでないことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和五三年(オ)第一二四〇号同六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁、最高裁昭和五八年(オ)第一三三七号同六二年六月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一五一号一四七頁)。
これを本件についてみると、上告人らは、再婚禁止期間について男女間に差異を設ける民法七三三条が憲法一四条一項の一義的な文言に違反すると主張するが、合理的な根拠に基づいて各人の法的取扱いに区別を設けることは憲法一四条一項に違反するものではなく、民法七三三条の元来の立法趣旨が、父性の推定の重複を回避し、父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解される以上、国会が民法七三三条を改廃しないことが直ちに前示の例外的な場合に当たると解する余地のないことが明らかである。したがって、同条についての国会議員の立法行為は、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものではないというべきである。
そして、立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員の立法行為が違法とされない以上、国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の法律案不提出等の行為についても、これを国家賠償法一条一項の適用上違法とする余地はないといわなければならない。
論旨は、独自の見解に基づいて原判決の国家賠償法の解釈適用の誤りをいうか、又は原判決を正解しないで若しくは原審で主張しなかった事由に基づいて原判決の不当をいうに帰し、採用することができない。
同第五点について
上告人らの被った不利益が特別の犠牲に当たらないことは、当裁判所の判例の趣旨に照らして明らかである(最高裁昭和三七年(あ)第二九二二号同四三年一一月二七日大法廷判決・刑集二二巻一二号一四〇二頁参照)。したがって、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)

+判例(東京高判H9.9.16)
第三 当裁判所の判断
一 当裁判所は、被控訴人の本訴請求は、本件損害賠償金一六万七二〇〇円及びこれに対する不法行為の後である平成三年三月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余は理由がないからこれを棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第三当裁判所の判断」に記載のとおり(但し、控訴人と被控訴人に関する部分に限る。)であるから、これを引用する。
1 原判決四九頁四行目の「青年の家」から同六行目末尾までを、「青年の家が設立された頃は、東京都以外の道府県の中学校を卒業して東京に就業する青少年が非常に多くて、そのような青少年の余暇の利用に関する問題について、教育委員会として検討した結果、団体生活(宿泊生活)を通じて、右のような青少年の学習意欲を満たし、その健全育成を図るという趣旨で青年の家が設置されたものである。青年の家は、宿泊機能と活動機能が一体となった施設であり、青年たちが共同宿泊活動を通して成長する場として設置されたものである。その後、右のような就業者は減少し、大学生、中高生、小学生などの利用層が拡大していった。また、青年の家の設置当初は、宿泊を伴う利用が主体であったが、その後の社会の変化、余暇時間の増加等によって、宿泊を伴わない利用も増え、そういった利用者の需要に応えるため、日帰りの利用も認めてきている。しかし、それを宿泊に伴う利用と同列に扱っているわけではなく、あくまでも宿泊に伴う利用を優先していることに変わりはない。また、その使用料金は、「青少年の健全育成」という政策等から、極めて廉価に設定されている。したがって、青年の家においては、日帰りの利用もできるが、その施設の主要かつ特徴的な利用は、宿泊を伴う利用といえる。また、青年の家における生活の時程は、青年の家が予め決めている標準生活時程に合わせて利用者が自主的に決めることになっており、その生活も各グループの自主的な運営に任され、青年の家職員の指導・助言も団体の主体性に任せた上での指導・助言となっている。青年の家では、グループ内交流とともに、グループ間交流を図ることにも意義を認めているが、グループ間交流は実際にはなかなか思い通りには実施できず、現在は各グループの自主的な判断に委ねている現状である。(甲九、七七、一二九、当審証人高村延雄)」と改める。
2 同五三頁一行目から同二行目までを「東京都青年の家においては、昭和五二年四月以降宿直制度は廃止され、午後九時ないし九時三〇分以降は、警備員のみが管理することになっているが、同人らの業務は、所内外の見回りによる警備が中心であって、利用者に対する教育的見地からの指導は含まれていない。府中青年の家においては、職員の勤務時間は午後九時一五分までである。(甲九、一三、七七、一二九、乙二八、三〇、当審証人高村延雄)」と改める。
3 同六八頁八行目及び同八一頁六行目の「あったていうけど」をいずれも「あったっていうけど」と改める。
4 同八四頁六行目の末尾に「控訴人は、本件使用申込については、都教育委員会において、申込書を受理した場合と同様の事務処理をしていたから、実質的には受理行為はあったと主張するが、都青年の家条例施行規則によれば、青年の家を利用しようとする者は、都教育委員会に対し、使用申込書を提出して、その承認を得なければならないとされており(甲七)、右申込においては、使用申込書を提出する必要があり、それを提出するまでは、法的に申込があったとはいえないと解される。また、都教育委員会において、実質上、申込書の提出があった場合と同様の手続が進められていたとしても、それは、法律上は、事実上の内部的検討に過ぎないというべきものであり、使用を承認する場合には改めて使用申込書を提出する必要があると考えられるから、右瀬川所長の行為は申込書の不受理行為というべきものであって、本件において、申込書の受理行為があった場合と同様に手続が進められていたとしても、それによって、受理行為があった場合と同視することはできない。また、これによって、被控訴人は、不安定な地位におかれ、再び使用申込書を提出せざるを得なかったのであるから、右不受理行為に違法性がないともいえない。」を加える。
5 同八七頁二行目、同八九頁二行目及び同九〇頁一〇行目の各末尾にそれぞれ「<5>行政が性的行為が行われる可能性がある場を提供することは許されない。」を加える。
6 同九一頁四行目から同九三頁一一行目までを、次のとおり改める。
「Ⅰ まず、異性愛者である男女が同室に宿泊する場合について検討するに、男女が同室に宿泊することは、一般的には男女間で性的行為が行われる可能性があると共に、社会一般の道徳観念や慣習からしても好ましいことではなく、単に対価を得て宿泊場所を提供するに過ぎないホテルや旅館と異なり、青少年の健全な育成を図ることを目的として設立した教育施設である青年の家において、このような事態を避けるために、男女別室宿泊の原則を掲げ、この点を施設利用の承認不承認にあたって考慮すべき事項とすることは相当であり、国民もこれを一般的に承認していると考えられる。
そして、この原則を、性的行為が行われる可能性について着目して、同性愛者の同室宿泊について考えるならば、複数の同性愛者が同室に宿泊することは右原則に実質的に抵触することになる。すなわち、同性愛者は、その性的指向が同性に向かうものであり、異性愛者が異性に対して抱くのと同じ性的感情を同性に対し抱き、高ずれば同性との間で性的行為をもつものであるから、同性愛者を同室に宿泊させた場合、異性愛者である男女を同室に宿泊させた場合と同様に、一般的には性的行為が行われる可能性があるといわざるを得ないからである。そして、教育施設としての青年の家において、制度上一般的に性的行為が行われる可能性があることは、相当とはいえないから、同性愛者の宿泊利用の申込に対して、この点を施設利用の承認不承認にあたって考慮することは相当である。但し、その可能性については、異性愛者である男女の同室宿泊の場合と同程度と認めるべきであり、それ以上でもなければそれ以下でもないというべきである(なお、平成二年版「イミダス」には、「男性ホモの場合は強迫的で反復性のある肉体関係がつきまとい、対象を変えることが多い。」との記述部分があることは前記認定のとおりであるが、これによって、同性愛者の場合、異性愛者に比べ、性的行為の可能性が有意に高くなるとは直ちにいえないし、控訴人において、その点を問題にしているとも認められない。)。
ところで、青年の家における宿泊は、おおむね六名以上で構成されている団体がするものであることは前記認定のとおりであるから、その宿泊は、通常、特定の二人の利用者の宿泊ではなく、原則として数名の宿泊者の相部屋であると考えられる。そうすると、特定の二人による宿泊に比べ、性的行為が行われる可能性は、同性愛者においても、異性愛者同様に、それほど高いものとは認めがたい。また、夜間における管理は、前記認定のとおり、警備員が見回る程度であるから、性的行為が行われないかどうかは、最終的には、利用者の自覚に委ねられている面が大きいというべきである。
更に、介助を要する身体障害者について、異性の介助者しかいない場合には、利用者の便宜を優先して、青年の家の男女同室の利用を認めているのであり(当審証人高村延雄)、男女別室宿泊の原則も絶対の原則とはいえず、やむを得ない事由がある場合には例外を認めていることが認められる。
このように、青年の家において性的行為が行われる可能性はそれほど高いものとはいえず、また、それも利用者の自覚に委ねられているというべきものであって、これを絶対的に禁止することはそもそも不可能な事柄であり、しかも、やむを得ない場合には例外を認めるものであるから、男女別室宿泊の原則を施設利用の承認不承認にあたって考慮することは相当であるとしても、この適用においては、利用者の利用権を不当に侵害しないように十分に配慮する必要があるというべきである。」
7 同九六頁七行目の「蔑視」を「好奇心、蔑視」と改める。
8 同九七頁九行目の次に行を改めて、次のとおり加える。
「Ⅴ 更に、都教育委員会は、「行政が性的行為が行われる可能性がある場を提供することは許されない」と主張するが、これは、実質的には、都教育委員会の前記(二)(4)Ⅱ<1>の理由と同一に帰するというべきものであり、性的行為が行われる可能性がある場合でも、利用者の利用権を不当に侵害しないために、その利用を許す場合には、行政がそのような可能性がある利用に公的施設を提供することはやむを得ないことであるから、右<1>の理由と切り離してこれを独立の理由とする必要はないというべきである。したがって、都教育委員会の前記(二)(4)Ⅱ<5>の理由は採用できない。」
9 同九八頁九行目から同一〇四頁四行目までを次のとおり改める。
「Ⅱ ところで、控訴人は、男女別室宿泊の原則は青年の家において遵守すべきものであり、この原則を、同性愛者にも、性的行為が行われる可能性という観点から実質的に適用すると、同性愛者の宿泊利用は認められないと主張する。しかしながら、もともと男女別室宿泊の原則は、異性愛者である通常の利用者を念頭に、一般に承認されている男女別室の原則を青年の家においても当然に遵守させるべきであるとの考えから、その利用を承認するかどうかを決定するに際して考慮しているものと考えられるところ、右原則は、前記説示のとおり、性的行為に及ぶ可能性を含む種々の理由から異性愛者に関する社会的な慣習として長年遵守されてきたものであり、同性愛者はもともと念頭に置かれていなかったものである。そして、同性愛者について、この原則を適用するに際して、生物学的な男女にのみ着目するならば、同性愛者においても、これを遵守することは異性愛者と同様にそれほどの困難を伴わずに従うことができるのに、そうではなくて、性的行為が行われる可能性のみに着眼して、実質的にこれを判断しようとすると、青年の家が予定している宿泊形態(数名の者が同一の部屋に宿泊するものであって、一人ずつ個室に分かれて宿泊できるような相当数の個室はない。)では、同性愛者は、青年の家の宿泊利用は全くできなくなってしまうものであり、これは異性愛者に比べて著しく不利益であり、同性愛者である限り、青年の家の宿泊を伴う利用権は全く奪われるに等しいものである。
控訴人は、この点について、同性愛者も日帰り利用ができるから、それほど重大な不利益ではないと主張するが、青年の家は、宿泊機能と活動機能が一体となった施設であり、青少年が共同宿泊活動を通して成長する場として設置されたものであって、そこには、青少年の健全な育成という観点からは、共同宿泊活動が重要であるとの認識があること、したがって、その施設の主要かつ特徴的な利用は、宿泊を伴う利用であることは前記認定のとおりである。そして、同性愛者も、当然に青年の家を右のような共同宿泊活動の場として利用し、その利益を享受する権利を有するというべきであるから、控訴人の右主張は採用できない。
Ⅲ そこで、男女別室宿泊の原則は、同性愛者について青年の家の宿泊利用権を全く奪ってまでも、なお貫徹されなければならないものであるのか、検討する必要がある。
男女別室宿泊の原則は、青年の家において、性的行為に学ぶ可能性を少なくする男女別室という宿泊形態をとり、利用者にこれを遵守させることによって、性的行為が行われる可能性を一般的には少なくする効果はあるが、実際にそのような行為が行われないかどうかは、最終的には利用者の自覚に期待するしかない性質のものというべきである。そして、青年の家において、性的行為に及ぶ可能性をなくすために、特に利用者の自覚を促したり、監視をするなどの働きかけをしていることは本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。また、青年の家における宿泊形態においては、そもそも性的行為に及ぶ可能性がそれほど高いとはいえないことは前記説示のとおりである。このように、この原則がその防止を狙いとする性的行為に及ぶ可能性自体が高いものではなく、右原則を適用してみてもその効果は疑問であり、効果を挙げようとする試みもされていない。男女別室宿泊の原則といってもその必要性と効果はこの程度のものである。現実には生ずる可能性が極めて僅かな弊害を防止するために、この程度の必要性と効果を有するに過ぎず、また元来は異性愛者を前提とした右原則を、同性愛者にも機械的に適用し、結果的にその宿泊利用を一切拒否する事態を招来することは、右原則が身体障害者の利用などの際、やむを得ない場合にはその例外を認めていることと比較しても、著しく不合理であって、同性愛者の利用権を不当に制限するものといわざるを得ない。
なお、当該利用者が、具体的に性的行為に及ぶ可能性があると認められる場合には(このような可能性の有無を調査することは困難であり、調査すべきものでもない。しかし、例外的にこのような可能性があると認められる場合も全くないとはいえないと考えられる。)、教育施設としての青年の家の設立趣旨に反するといえるから、宿泊利用を拒否できると考えられるが(本件において被控訴人のメンバーについてこのような可能性があったことを認めるに足りる証拠はない。)、これは、同性愛者に限られるものではないので、以下においては、そのような具体的な可能性があるとは認められない場合を前提に検討する。
Ⅳ ところで、控訴人は、何が青少年の健全な育成にそうものであるかは、教育的配慮に基づく高度の専門的・技術的判断に服するものであるから、都教育委員会には広範な裁量権が認められるべきであり、この限界を超えない限り、違法とはいえないと主張するが、教育施設であるからといって、直ちに他の公共的施設の利用に比べて施設管理者に大幅な裁量権が与えられるとは直ちにいえないのであって、各公共的施設の設立趣旨、目的、運用の実情等を勘案して具体的に地方自治法二四四条二項に定める「正当な理由」があるかどうか判断すべきものである。そして、前記認定事実によれば、青年の家は、宿泊機能と活動機能が一体となった施設であり、青年たちが共同宿泊活動を通して成長する場として設置されたものであるが、その使用方法は、青年の家が予め決めている標準生活時程に合わせて利用者が自主的に決めることになっており、その生活も各グループの自主的な運営に任され、青年の家職員の指導・助言も現在は利用団体の主体性に任せた上での間接的な指導・助言となっている。このように青年の家の教育施設としての特色といっても、現在は、職員が青年の健全育成のため利用者に積極的に働きかけるというよりも、青少年の共同宿泊活動を通した自主的活動に適した施設を提供するという面が強いのであり、通常の公共的施設とは、利用者の対象が青少年であるという点が異なるとはいえ、できる限り広範にその利用を許すべきであるという点において、共通しているというべきであって、その利用において、一部の利用者の利用権が著しく制限されてもやむを得ないということはいえないと解するのが相当である。
Ⅴ また、控訴人は、青年の家の利用者は青少年であり、特に、小学生も利用しているところ、最も性的成熟度が未発達で、学習に対するレディネス(準備能力)が備わっていない小学生たちが同性愛者の同室宿泊を知れば、男女の同室宿泊以上に強い衝撃を受け、誤解あるいは理解不能な対象に対する過剰反応を起こす可能性は否定できず、有害であり、それば、青年の家の設立趣旨に反し、ひいては青年の家の秩序を乱すおそれがあり、管理上も支障があると主張する。
証拠(甲二六三、二八一、三一六、乙二二、三二ないし三四、当審証人山本直英)によれば、性教育を実施するについては、特に、児童・生徒の学習に対するレディネス(準備能力)―一般に学習に必要な身体的・精神的諸機能や諸能力、学習を進める上での基礎的な知識や技能の保持、学習態度の確立など―を重視する必要があるとされていること、中・高校生の性教育に関する副読本においては、同性愛についても理解できるとの判断のもとに、これに関しても具体的に記述されていること、高校生の副読本においては、平成二年当時、同性愛が差別の対象とされてはならないことも記載されていること、小学生に対しても、同性愛について説明し理解させることは可能であるが、それについては小学生の理解を前提とした特段の工夫が必要であること、小学生の性教育の副読本においては、大多数の人間が異性愛者であることから、基本的な性愛の説明として、異性愛者のそれを中心に説明し、同性愛者の説明は具体的にはされていないことが認められる。右事実によれば、青少年に対しても、ある程度の説明をすれば、同性愛について理解することが困難であるとはいえないのであり、青年の家においても、リーダー会を実施するかどうか、実施する場合にはどのように運営するかについて、青年の家職員が相応の注意を払えば、同性愛者の宿泊についても、管理上の支障を生じることなく十分対応できるものと考えられる。また、異性愛者を前提に社会の仕組みを理解しようとしている小学生等に対し、青年の家職員らが、同性愛について適切に説明指導することは困難であると考えられないでもないが、同性愛者と同宿させることにより、青少年、特に小学生等に、有害な影響を与えると都教育委員会が相応の根拠をもって判断する場合には、いずれかの団体のうち、後に使用申込をした団体の申込を都青年の家条例八条に基づき拒否することも場合によっては可能と考えられるから、右のような事態が生じる可能性があるからといって、当然に同性愛者の宿泊利用を全て拒否できるということはできない。
そして、平成二年二月一一日から一二日にかけて生じた小学生による本件言動が、同性愛者に対する好奇心や蔑視から生じたものと考えられることは前記説示のとおりであり、このようなことが生じたことが本件不承認処分を正当化するものではないことも前記説示のとおりである。
したがって、控訴人の前記主張は採用できない。
Ⅵ 以上のとおり、都教育委員会が、青年の家利用の承認不承認にあたって男女別室宿泊の原則を考慮することは相当であるとしても、右は、異性愛者を前提とする社会的慣習であり、同性愛者の使用申込に対しては、同性愛者の特殊性、すなわち右原則をそのまま適用した場合の重大な不利益に十分配慮すべきであるのに、一般的に性的行為に及ぶ可能性があることのみを重視して、同性愛者の宿泊利用を一切拒否したものであって、その際には、一定の条件を付するなどして、より制限的でない方法により、同性愛者の利用権との調整を図ろうと検討した形跡も窺えないのである。したがって、都教育委員会の本件不承認処分は、青年の家が青少年の教育施設であることを考慮しても、同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、施設利用の承認不承認を判断する際に、その裁量権の範囲を逸脱したものであって、地方自治法二四四条二項、都青年の家条例八条の解釈適用を誤った違法なものというべきである。」
10 同一〇四頁一〇行目の「原告」から同一〇五頁四行目までを「同性愛者が青年の家を宿泊利用する場合の支障等について、更に調査検討し、またその際宿泊を拒否する以外にどのような対応が可能かについてより綿密に検討すべきであるのに、これらについて十分な調査検討をすることなく(前記認定事実によれば、瀬川所長が、「ハイト・レポート」、「イミダス」、文部省の発行した「生徒の問題行動に関する基礎資料」等の文献から直ちに同性愛が健全な社会道徳に反し、現代社会にあっても到底是認されるものではないとの結論に達したことは認められるが、都教育委員会がいかなる文献、専門家の意見を聞いて、本件不承認処分を行うに至ったかについては、本件全証拠によるもこれをつまびらかにすることはできない。)、男女別室宿泊の原則を、性的行為を行う可能性にのみ着目して、この観点から同性愛者にそのまま適用し、直ちに、本件使用申込を不承認としたものであって、都教育委員会にも、その職務を行うにつき過失があったというべきである。平成二年当時は、一般国民も行政当局も、同性愛ないし同性愛者については無関心であって、正確な知識もなかったものと考えられる。しかし、一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。このことは、現在ではもちろん、平成二年当時においても同様である。」と改める。
11 同一〇五頁九行目を「(一) 被控訴人の弁護士費用以外の損害 三万七二〇〇円」と改め、同一〇六頁八行目の「一〇万円」を削除し、同一〇七頁一行目から二行目にかけての「余儀なくされた」から同三行目末尾までを「余儀なくされたと主張する。しかし、そのために交通費の支出、担当者の収入減に対する補填等の財産的損害が生じたのであれば、これを請求すべきであるし、それ以外の、余分の労力を余儀なくされたことによる労苦、迷惑といった非財産的損害(無形の損害)は、社会観念上金銭をもって賠償させることが必要な程のものとは認められない。したがって、このような損害賠償請求は認めることができない。」と改める。
12 同一〇九頁九行目の「二六万七二〇〇円」を「一六万七二〇〇円」と改める。
二 よって、原判決を右の趣旨に従って変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官山﨑健二は転補につき、同彦坂孝孔は差支えにつき、いずれも署名捺印することができない。裁判長裁判官矢崎秀一)