Q 人はいつ人になり、大人になるのか?
(1)人の生涯
(2)出生前の権利
(3)大人になる時期
+第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
Q 未成年者はなぜ権利を制限され、また保護されるのか?
(1)未成年者の特別扱い
+第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。
・個別制約ごとに正当化根拠を。
(2)触法少年の匿名性
少年に権利として与えられたものではない。
少年の健全育成を図るという少年法の目的を達成するという公益目的と少年の社会復帰を容易にし、特別予防の実効性を確保するという刑事政策的配慮に根拠!
+判例(H15.3.14)長良川事件
理由
上告代理人古賀正義の上告受理申立て理由第一点について
1 本件は、上告人が発行した週刊誌に掲載された記事により、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたとする被上告人が、上告人に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めている事件である。
原審が確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
(1) 被上告人(昭和50年10月生まれ)は、平成6年9月から10月にかけて、成人又は当時18歳、19歳の少年らと共謀の上、連続して犯した殺人、強盗殺人、死体遺棄等の4つの事件により起訴され、刑事裁判を受けている刑事被告人である。
上告人は、図書及び雑誌の出版等を目的とする株式会社であり、「週刊文春」と題する週刊誌を発行している。
(2) 上告人は、名古屋地方裁判所に上記各事件の刑事裁判の審理が係属していた平成9年7月31日発売の「週刊文春」誌上に、第1審判決添付の別紙二のとおり、「『少年犯』残虐」「法廷メモ独占公開」などという表題の下に、事件の被害者の両親の思いと法廷傍聴記等を中心にした記事(以下「本件記事」という。)を掲載したが、その中に、被上告人について、仮名を用いて、法廷での様子、犯行態様の一部、経歴や交友関係等を記載した部分がある。
2 原審は、次のとおり判示し、被上告人の損害賠償請求を一部認容すべきものとした。
(1) 本件記事で使用された仮名A’は、本件記事が掲載された当時の被上告人の実名Aと類似しており、社会通念上、その仮名の使用により同一性が秘匿されたと認めることは困難である上、本件記事中に、出生年月、出生地、非行歴や職歴、交友関係等被上告人の経歴と合致する事実が詳細に記載されているから、被上告人と面識を有する特定多数の読者及び被上告人が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の読者は、A’と被上告人との類似性に気付き、それが被上告人を指すことを容易に推知できるものと認めるのが相当である。
(2) 少年法61条は、少年事件情報の中の加害少年本人を推知させる事項についての報道(以下「推知報道」という。)を禁止する規定であるが、これは、憲法で保障される少年の成長発達過程において健全に成長するための権利の保護とともに、少年の名誉、プライバシーを保護することを目的とするものであり、同条に違反して実名等の報道をする者は、当該少年に対する人権侵害行為として、民法709条に基づき本人に対し不法行為責任を負うものといわなければならない。
(3) 少年法61条に違反する推知報道は、内容が真実で、それが公共の利益に関する事項に係り、かつ、専ら公益を図る目的に出た場合においても、成人の犯罪事実報道の場合と異なり、違法性を阻却されることにはならず、ただ、保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却され免責されるものと解するのが相当である。
(4) 本件記事は、少年法61条が禁止する推知報道であり、事件当時18歳であった被上告人が当該事件の本人と推知されない権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益の擁護が強く優先される特段の事情を認めるに足りる証拠は存しないから、本件記事を週刊誌に掲載した上告人は、不法行為責任を免れない。
3 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 原判決は、本件記事による被上告人の被侵害利益を、(ア) 名誉、プライバシーであるとして、上告人の不法行為責任を認めたのか、これらの権利に加えて、(イ) 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか、その判文からは必ずしも判然としない。
しかし、被上告人は、原審において、本件記事による被侵害利益を、上記(ア)の権利、すなわち被上告人の名誉、プライバシーである旨を一貫して主張し、(イ)の権利を被侵害利益としては主張していないことは、記録上明らかである。
このような原審における審理の経過にかんがみると、当審としては、原審が上記(ア)の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として、審理判断をすべきものと考えられる。
(2) 被上告人は、本件記事によって、A’が被上告人であると推知し得る読者に対し、被上告人が起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたと主張しているところ、本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれも被上告人の名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくない被上告人のプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、被上告人と面識があり、又は犯人情報あるいは被上告人の履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事が被上告人に関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、被上告人についてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。
したがって、上告人の本件記事の掲載行為は、被上告人の名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は、その限りにおいて是認することができる。
なお、【要旨1】少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ、本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって、本件記事は、少年法61条の規定に違反するものではない。
(3) ところで、本件記事が被上告人の名誉を毀損し、プライバシーを侵害する内容を含むものとしても、本件記事の掲載によって上告人に不法行為が成立するか否かは、被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し、個別具体的に判断すべきものである。すなわち、名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないのであるから(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)、本件においても、これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから(最高裁平成元年(オ)第1649号同6年2月8日第三小法廷判決・民集48巻2号149頁)、本件記事が週刊誌に掲載された当時の被上告人の年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによって被上告人のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。
(4) 【要旨2】原審は、これと異なり、本件記事が少年法61条に違反するものであることを前提とし、同条によって保護されるべき少年の権利ないし法的利益よりも、明らかに社会的利益を擁護する要請が強く優先されるべきであるなどの特段の事情が存する場合に限って違法性が阻却されると解すべきであるが、本件についてはこの特段の事情を認めることはできないとして、前記(3)に指摘した個別具体的な事情を何ら審理判断することなく、上告人の不法行為責任を肯定した。この原審の判断には、審理不尽の結果、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。この趣旨をいう論旨第一点の二は理由があり、原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。
そこで、更に審理を尽くさせるため、前記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北川弘治 裁判官 福田博 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷玄 裁判官 滝井繁男)
・将来の夢を追い求める可能性をより強く保障する。
→幸福追求権で。
Q 死と同時に人権享有主体性は失われるのか?
(1)人権は相続されるか
個人主義の理念→相続されなさそう。
(2)具体的検討
個人情報保護条例←自己情報コントロール権
情報公開条例←知る権利あるいは参政権
RQ
・ギャンブルをする権利
+判例(S25.11.22)
理由
弁護人山崎一男同遊田多聞の上告趣意について。
賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。ことに賭場開張図利罪は自ら財物を喪失する危険を負担することなく、専ら他人の行う賭博を開催して利を図るものであるから、単純賭博を罰しない外国の立法例においてもこれを禁止するを普通とする。されば、賭博等に関する行為の本質を反倫理性、反社会性を有するものでないとする所論は、偏に私益に関する個人的な財産上の法益のみを観察する見解であつて採ることができない。
しかるに、所論は、賭場開張図利の行為は新憲法施行後においては国家の中枢機関たる政府乃至都道府県が法律に因り自ら賭場開張図利と本質的に異なることなき「競馬」「競輪」の主催者となり、賭場開張図利罪乃至富籖罪とその行為の本質を同じくする「宝籖」を発売している現状からして、国家自体がこれを公共の福祉に反しない娯楽又は違法性若しくは犯罪性なき自由行為の範囲内に属するものとして公認しているものと観察すべく、従つて、刑法一八六条二項の規定は新憲法施行後は憲法一三条、九八条に則り無効となつた旨主張する。
しかし、賭博及び富籖に関する行為が風俗を害し、公共の福祉に反するものと認むべきことは前に説明したとおりであるから、所論は全く本末を顛倒した議論といわなければならない。すなわち、政府乃至都道府県が自ら賭場開張図利乃至富籖罪と本質上同一の行為を為すこと自体が適法であるか否か、これを認める立法の当否は問題となり得るが現に犯罪行為と本質上同一である或る種の行為が行われているという事実並びにこれを認めている立法があるということだけから国家自身が一般に賭場開張図利乃至富籖罪を公認したものということはできない。それ故所論は採用できない。
よつて、旧刑訴四四六条に従い主文のとおり判決する。
以上は、裁判官栗山茂を除く裁判官の一致した意見である。
+意見
裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。
本件上告は次の理由で、不適法のものとして棄却さるべきものである。
裁判所の使命とする法律の解釈というのは、法律の政治的若しくは社会的価値即ち立法の是非の判断ではなく、法律上の訴訟の解釈に必要な法的判断を与えることである。このことは違憲法令審査の場合でも同様である。この場合にも当事者から憲法一一条にいう「この憲法が保障する基本的人権」(一二条にいう「この憲法が保障する自由及び権利」である)の中でどの自由又は権利が当該法律又はその条項によつて侵されているという主張即ち法律上の争訟があつて初めて裁判所は当該法律と憲法が保障している当該自由又は権利とについてそれぞれ解釈を試み、果して当該法律が憲法の当該保障に適合しているか否かを判断するのである。ここに初めて法律解釈としての法的判断があるのである。
もとより基本的自由及び権利は「この憲法が保障する自由及び権利」(憲法一一条及び一二条)以外に存しうるのは言うをまたない。米国憲法には「本憲法中に特定の権利を列挙した事実を以つて、人民の保持する他の権利を否認し又は軽視するものと解してはならない」という修正条項第九条がある。しかし「人民が保持する他の権利」が何であるかは結局裁判所が裁判で定めるか、それとも憲法の条項に追加するかによつて定めるの外はないのである。わが国においても少くとも当裁判所が裁判によつて定めない限り「この憲法が保障する自由及び権利」は憲法第三章に列挙されているものである。憲法が定める国会、内閣及び裁判所の各権限も、その権限の行使に対して憲法が保障する自由及び権利も、すべてこの憲法の定めるところによることは、いわゆる成文憲法の原則であつて、この原則は日本国憲法も他の国の成文憲法と同様に採用しているのは明である。そして憲法一一条一二条及び一三条は「この憲法が保障する自由及び権利」の保障そのものではなく、保障は一四条以下に列挙するものである。
以上の前提の下に、本件上告論旨を見ると、論旨は賭博行為乃至賭場開張図利の行為は公共の福祉に反するものでないと主張するだけであつて、上告人が賭場開張図利罪によつて処罰されるのは、刑法の当該条項が、この憲法が保障しているどういふ自由又は権利を侵す結果であるという主張と理由とを展開していないのである。もともと法律は国会が国政(公共の福祉もその一部である)に関する政策として制定するものであるから、かような上告論旨は立法の当否、本件では公共の福祉の判断を論議する政治的批判にすぎない。これに対する多数意見の説示は賭博行為乃至賭場開張図利行為に関する刑法規定の立法理由を説明しているのと異るところがないといえる。日本国憲法実施以来本件のように憲法一三条を楯にとつた上告論旨をしばしば見るのであるが同条は公共の福祉に適合しなければ違憲な法律であるという保障を与えているものではない。憲法のどこにも左様な保障はないのである。同条は寧ろ公共の福祉のために制定せられた法律ならば、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が制限せられる旨を規定しているのである。ここに公共の福祉というのは、観念論的な公共の福祉を言うのではない。例を挙げれば憲法二五条により国民をして健康で文化的な最低限度の生活を営ましめるに欠くべからざる立法は公共の福祉のためにされるものである。従て社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に関するものの如きはその模範的なものである。一口に言えば米法にいわゆる警察権(policepower)の仮訳である。)の作用によつて生命、自由及び幸福追求に関する権利、つまり契約の自由その他行動の自由及び財産権(憲法二二条、二九条二項参照)が制限せられることを是認した条項に外ならない。米国憲法修正条項第五条、第一四条にいういわゆる「法律の適正な手続」という辞句が立法行為に対する実体上の制限の保障にまで拡充解釈されてきた歴史は周知のとおりである。かような拡充解釈の結果、裁判所が法律解釈の末に拘泥して契約の自由その他財産権の行使の自由を過度に保護した結果となつて、政府の社会立法の実施が阻止されたため、いわゆるニウ、デイル立法の際に米国最高裁判所改組案までも論議せらるゝに至つた実例もまた周知のとおりである。こういう歴史を背景として日本国憲法の立案者は前記米国憲法にいう「法律の適正手続によらなければ、生命、自由若しくは財産を奪はれない」という規定を解体して一方にわが憲法三一条に単に「何人も法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれない」として「適正手続」の辞句を改め同時に財産の文字を削除し、財産権については二九条でその不可侵を保障するけれども、「財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」旨を規定したのである。そして、それと同時に一三条の概括的規定を設けたものであろう。立案者の周到な用意がうかがわれるのである。
そもそも国会が立法するにしても、常に最上の政策として立法するとは限らないことは言うまでもない。次善の策(最上は一つであるが次善となれば一つとは限らぬものである。)ではあるが、国の財政状態とか国家の実状とかの政治的考慮の下に政策として決定して法律によつて実行に移すのである。又次善の策にしても甲の政党はAの政策を次善とし、乙の政党はBの政策を次善とするけれども投票(政策の価値判断の表示である。)によつてAの政策が採択されるのである。裁判所はかような政策の価値判断に代るべき判断をどうしてできるであろうか。憲法は最上級の政策でなければ適憲でないとは保障していないのである。極論すれば公共の福祉に反する法律が制定された場合に、どうして阻止するかという説があるかもしれない。それは主権者である国民が国会又は内閣を打倒するより外にないことであつて、裁判所が法令審査権を以てしても主権者と並んで立つものではないはずである。こう考えて見ると、憲法一三条は立法権の作用と司法権の作用とを調整することを目標とした法令審査権の限界に関する原則を定めたものと言つてよいであろう。要するに、本件論旨のように公共の福祉に反するものでないという主張は国会え申出ずべき筋合のもので、裁判所え訴え出ずべき筋合のものではないのであるから、上告不適法の論旨たるを免れないと言うのである。
検察官堀忠嗣関与
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 澤田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)
+判例(H1.11.20)
理由
上告人の上告状及び上告理由書記載の上告理由について
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない。記録によれば、本件訴訟手続に所論の違法はなく、また、所論違憲の主張はその実質において法令違背を主張するものにすぎず、論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 奧野久之)