・甲は乙を自宅に招いて毒入りの菓子を食べさせて毒殺しようと考え、菓子に致死量の毒薬を混入し、乙に自宅に招待する旨電話したが、乙が多忙を理由にこれを断ったため、乙を殺害することができなかった。この場合、甲には殺人未遂罪は成立しない!!←実行の着手なし。実行の着手アリといえるには、それが飲食できる状態に置かれることが必要!
+判例(大正7.11.16)
1.毒薬混入の砂糖を小包郵便に付したときは、名宛人がこれを受領した時において、右毒物を飲食することができる状態においたものであり、毒殺行為の着手があったということができる。
・甲は統合失調症にり患した乙に対する治療の責任を免れるため、乙が通常の意思能力もなく自殺のなんたるかを理解せず、しかも甲の命ずることはなんでも服従するのを利用して、首つりの方法を教えて実行させ死亡するに至らせた。判例によれば、自殺関与罪ではなく、間接正犯による殺人罪が成立する!!!!
+判例(S27.2.21)
これの第1審
被告人はもと和歌山県方面で警察官や逓信官吏等を勤め、又昭和二十一年一月頃渡満して興農合作社に勤めたりしていたが、既に二十余年以前から法華宗に帰依しその修行をしていたので、昭和二十三年十月頃以降は殺虫剤の販売と共に他人の為に加持祈祷等して生活をしていたものであるところ、昭和二十四年八月中旬頃偶々畠中近蔵から神戸市垂水区伊川谷町永井谷七百三十六番地の一、村上しげ子の長女昭子(当二十一年)が精神病者であることを聞いたので、同月二十六日頃自ら右村上方に行き、しげ子の話や昭子の様子等から同女を相当強度の精神分裂症患者であると認めたが、しげ子に対し「約五十日の祈祷でこれを全治させる。」と言つて同女との間に、全治した場合は謝礼金一万五千円、全治しない場合は無料、但し被告人の食事はいずれにしても同女が負担するとの約定で右昭子の治療を引受け、爾来同女方に泊り込み昭子の為に祈祷、水行、断食等を行い、又投薬、灸等を施し、同年九月十九日頃一時これを中止して肩書被告人自宅に帰つたが、予て加持祈祷等の方法で病気を治療してやつたことのある和歌山県西牟婁郡佐本村藤本賀々代(当三十年)に昭子の治療の応援方を依頼した上、同年十月八日頃再び村上方に来り、次で右賀々代も来たので同月十二日頃からは昭子及び右賀々代と共に村上方の北方、徒歩で約八分の距離にある神戸市垂水区伊川谷町永井谷字深谷山所在妙見堂内に篭り、前同様の方法で昭子の治療を続けていたが、予定の五十日は夙に過ぎて同年末が近ずいても昭子の病状は殆んど変らず、依然として独語症状を続けたり又大小便をしくじつたりしていた為、被告人としても最早やこれを全快させる自信を失つていた。併し被告人はその間数回に亘り予てより準備携帯していた蛍石をあたかも昭子の身体から取出した如く詐つてこれをしげ子等に示し「これが気狂いの癌である、このような石を全部取り除くと病気は全快する」等と言つて同女等を信用させると共に、しげ子に対し再三金を貸せと言つて未だ昭子が全快しておらないのに同年十二月始頃までに同女から謝礼金一万五千円を数回に受取つたのであるが、正月を目前にして金銭の必要もあつたので同月二十七日頃、しげ子に対し「昭子は石が全部とれたのでやがて全快するからもう一万円出して貰い度い、出して呉れなければ昭子をこの侭放つて帰る」と言つて、しげ子をして右一万円の醵出を承諾せしめ、その頃賀々代を通じて該金員を受取つたところ昭和二十五年一月四日頃、従来昭子の身辺の世話を主として見て呉れ、且つ当時巳に被告人と情交関係のあつた前記賀々代が和歌山県の同人宅に帰つてからは、被告人は到底全快の見込のない気狂い娘の昭子と唯二人山中の一軒家である前記妙見堂に起居することになり、加えて昭子はその頃しばしば独語症状を呈し又毎夜のように大小便をしくじつてそのあと始末等に追われる有様であつた為、これ以上昭子の世話をすることがつくづく嫌になり、或いはいつそ同女を放置して逃げ帰ろうかとも考えたが、それでは既に受取つている前記二万五千円を返還しなければならず、苦慮した末、遂に浅慮にも同女を殺害して治療の責任を免れようと考え、その殺害の方法として、昭子が通常の意志能力もなく自殺の何たるかを理解せず而も被告人の命ずることは何でも服従するのを利用してこれに縊首の方法を教えて縊死せしめ、而も同女が自発的に自殺したように装つて自己の罪跡を陰蔽しようと決意し、同月八日午前一時半頃から同六時頃までの間に、右妙見堂内において同女に対し「先生が神様にお願いして呉れるので大分楽になつたが、先生が帰つてしまうと誰も自分の為に神様にお願いして呉れる人がないから自分は死ぬ」という趣旨の遺書の文言を口授し、同女をしてこれを有り合せた便箋四枚に筆記せしめて同女自筆の遺書(証第二号)を作成し、次で同女に指示して附近にあつた同女の淡緑色の兵児帯(証第一号)で同女の頸部を二重に巻きこれを後頸部において二回結び更にその両端を互に結び合せて輪状にさせた上、被告人において同堂内にあつた三段よりなる木製供物台を、同堂内居室大井の北方寄りを東西に走る梁の北側面、その東端から約五十五糎の箇所に打ち込まれている提灯吊用の五寸釘の下方床上に立て、右供物台の上段に同女を登らせて前記のように結んだ帯の輪の一端を右五寸釘に懸けさせ,これと同時に右供物台が中心を失つて倒れた為同女をして縊首による窒息の為即時その場において死亡するに至らしめ、もつて殺害の目的を遂げたものである。
(証拠説明省略)
被告人及び弁護人は(一)判示一月八日の朝は被告人は午前六時頃妙見堂を出たが、その時には昭子も起きて写経をしていたから昭子の縊死はそれ以後のことである、しかも医師上田政雄の鑑定書によれば昭子の死亡時刻は同日午前九時頃となり、又村上義美が昭子の死体を発見したのが同午前八時過頃であつたとしても、当時妙見堂内の火鉢にかかつていた茶瓶の湯が沸いていたのであるから、薪火の保持時間から考えて被告人が妙見堂を出た後に他の何人かが火鉢の薪を補給したことが明かであつて、この点からも昭子の縊死は被告人の出た後のことである。又(二)昭子は精神分裂症ではあつたがその死亡の前頃には病気も大分良くなり、元来字はよく知つている上に手紙の書方等も被告人が教えてやつたことがあるので判示の遺書位は十分自分で書き得ると思うと弁疏し、いずれにしても昭子の縊死は何等被告人の関知しない所であると主張するが、(一)被告人が判示一月八日の朝午前六時或いは六時半頃迄に妙見堂を出たことは証拠上明かな所であるけれども、被告人が右妙見堂を出た当時昭子が写経していたとのことは、当裁判所の措信しない被告人の供述又は供述調書を除いては之を認むべき何等の証拠がない、又上田政雄の鑑定書には死後経過時間三十時間前後とあつて之から推算すると昭子の死亡時刻は一月八日午前九時前後ということになるが、元来死後経過時間は死体を解剖する場合においてもそれ程正確に測定し得るものではなく、或る程度の誤差は免れないものであるから、本件の場合も右鑑定書の記載をもつて直ちに被告人が妙見堂を出た後になお昭子が生存していたことの証左とすることはできない。又昭子の死体を最初に発見した午前八時過頃火鉢にかかつていた急須の湯が沸いていたことは証人村上義美の当公廷の供述等によつて認め得るけれども、それが薪火であつたとしても、熱灰中に薪を適当に埋めておくときは徐々に熱焼して優に数時間は火力を保持するものであつて、且つ被告人が従来右妙見堂内では薪火のみを煖房用燃料として使用していたことに徴すれば、右一月八日の朝も被告人が早朝火鉢の熱灰中に薪を埋めておいたのが除々に燃焼して午前八時過頃にも急須の湯を沸していたものとも考えられるから、この一事によつて被告人が妙見堂を立ち去つた後に被告人以外の者が火鉢に薪を補給したものと断ずることもできない、次に(二)判示遺書の点については、前掲各証拠によつて認め得べき昭子の症状及び智能程度、即ち死亡した一月八日の直前頃においても絶えず独語症状を呈し又屡々大小便をしくじつて夜具や衣類を汚し、自分では月経の始末もせず気分の良い時でも通常の会話はできず、或る程度文字は知つているが自分から文章や手紙を書くという事はなく、他人から命ぜられて掃除、水汲み、寝床の始末等の機械的な仕事をすることはあるが炊事、裁縫等はできず、又金銭に対する観念もなく、留守番もできないのは勿論常に看護人を要し一人で置いておくことはできない状態で、その意思能力は通常人に及ばないこと遥かに遠く、自殺の何たるかも理解することはできないことと、一面判示遺書(証第二号)は三十数行に亘る相当長文のもので且つその文章も一応整然として筋も通つていることから見れば、昭子が自己の意思に基いてかかる遺書を作成する能力があるとは到底認められない、尤もこの点の反証として弁護人は、昭子より藤本小梅に宛てた明石郵便局昭和二十四年十二月十一日附消印のある葉書一通(証第十六号)を提出しているけれども、第十回公判における証人村上しげ子の証言や前示の如き昭子の智能程度並びに右証第十六号の葉書の内容等を考慮すれば、該葉書は被告人がその文案を教示して昭子に書かせたものと認めることができるから、右葉書の存在は前記の認定を覆すに足るものではない、結局判示昭子の遺書は昭子が自己の意思によつて書いたものではなく、他人の指示に基きその教示を受けて書いたものと認めざるを得ない、而して右に挙示した各事実や昭子が縊死した一月八日の朝前後には判示妙見堂には昭子の外被告人のみしか居らなかつたこと、右遺書の内容が殆んど祈祷師としての被告人に関係のある事柄のみであつて昭子の家族すら知らないような事柄も記載されていること、昭子は従来被告人の命ずることは何でもよく服従していたこと、本件死体の発見当時妙見堂には被告人の衣類その他の身廻品は殆んど一物も残つて居らず凡てそれ迄に田辺市の被告人方へ送り返され又は当日被告人の手で持ち帰られていること、被告人は当日は初めは須磨の竹中孝次の所へ寒行の打合せに行く積りで出たので午頃には妙見堂に帰る予定であつたと云うに拘らず、布製手提鞄の外にランドセル(証第三号)をも携帯し而も約一升五合の米を之に入れて持ち帰つていること並びに縊首に使用された帯(証第一号)の結び方、縊首の際踏台に使用されたと思われる供物台の安定性等から見て本件の如き縊首を昭子が独力ですることは不可能と思われること等前掲各証拠によつて認められる諸般の状況を彼此考量すれば、結局判示認定の如く被告人は自殺の何たるかを理解しない昭子に対し、判示の如き遺書の内容を教示して筆記せしめた上縊首の方法を指導して縊死せしめ、而もその犯跡を陰蔽しようとして諸種の偽装手段を講じたものと認めるの外はない、被告人及び弁護人等の弁解は之を採用し得ない。
法律に照すと被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するから所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役十年に処し、なお同法第二十一条により未決勾留日数中百五十日を右本刑に算入すべく、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項に則り全部被告人をして負担させることとする。
よつて主文の通り判決する。
・甲は同棲中の愛人乙女が回復の見込みがない病気にかかったのでわずらわしくなり、殺そうと思っていた。ところが、乙女に死にたいから毒薬をくれと頼まれたので、これ幸いと毒薬を乙女に渡し、乙女はこれを飲んで死亡した。甲には自殺幇助罪が成立する。
←甲は自殺の意味を理解し自由意思に基づき死を望んでいる乙女に頼まれ毒薬を渡しており、客観的には自殺幇助罪(202条前段)の行為を行っているに過ぎない。したがって、甲が、主観において殺人の意思を有していたとしても、抽象的事実の錯誤として、構成要件が実質的に重なり合う限度で自殺幇助罪が成立する。
+(自殺関与及び同意殺人)
第202条
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
+++抽象的事実の錯誤の処理
◇抽象的事実の錯誤の処理~罪種が類似する場合
Aが、Vが「殺してくれ」と真意で言っていると誤信して、Vを殺してしまった場合。
被害者に頼まれて殺人を犯す罪を嘱託殺人罪(刑法202条)といい、法定刑は、「六月以上七年以下の懲役又は禁固」となっています(殺人罪の法定刑は「死刑又は無期懲役若しくは五年以上の有期懲役」)。
この事例では、嘱託があったかなかったについて錯誤があるのみで、「人を殺したこと」には錯誤がなく、このような場合まで、故意が阻却され、過失致死罪にしか問えないとするのは、不合理な話です。
これについて、故意責任の本質に立ち返って考えると、規範に直面したといえる部分については故意責任を負うべきなのですが、そうすると、少なくとも主観的に認識した犯罪事実の構成要件と、客観的に発生した犯罪事実の構成要件で、重なり合っている部分については、規範に直面したといえます。
したがって、このような抽象的事実の錯誤の事案で、罪種が類似する場合には、構成要件が重なり合っている部分について、故意が認められることになります。
この重なり合いの判断は、①保護法益が共通か否か、②構成要件的行為が共通か否かを基礎として、社会通念上重なり合っているか否かを判断します。
上記の嘱託殺人の事案では、殺人罪と嘱託殺人罪は、①保護法益は人の生命で、②構成要件的行為は、人を殺すことという部分が共通しているので、両罪の軽い罪の限度で重なり合いが認められ、その限度で故意が認められることになり、嘱託殺人罪が成立します。
・甲は、重病で苦しんでいる妻乙に同情して、同人の首を絞めて窒息死させた。乙の殺害について乙があらかじめ甲に対して承諾をしていた場合、甲には同意殺人罪が成立する。
・被害者が真意なく自己の殺害を嘱託したところ、加害者が真実の嘱託と誤信し、殺害者を殺そうとして遂げなかった場合、被告人の行為は客観的には殺人未遂罪(203条、199条)に該当するが、38条2項により、同意殺人罪が成立する。
+第38条
1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2項 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
・甲は交際中の乙の心中する気持ちがないにもかかわらず、後から自らも追死するもののように装い、乙に青化ソーダを与え服用させて死亡させた。判例によれば甲に殺人罪が成立する!
+判例(S33.11.21)
同第二点は判例違反を主張するのであるが、所論掲記の大審院判決(昭和八年(れ)第一二七号同年四月一九日言渡、集一二巻四七一頁)の要旨は「詐言ヲ以テ被害者ヲ錯誤ニ陥ラシメ之ヲテ自殺スルノ意思ナク自ラ頸部ヲ縊リ一時仮死状態ト為ルモ再ヒ蘇生セシメラルヘシト誤信セシメ自ラ其ノ頸部ヲ縊リテ死亡スルニ至ラシメタルトキハ殺人罪ヲ構成ス」というのであり、又次の大審院判決(昭和九年(れ)第七五七号同年八月二七日言渡、集一三巻一〇八六頁)の要旨は「自殺ノ何タルカヲ理解スルノ能力ナキ幼児ハ自己ヲ殺害スルコトヲ嘱託シ又ハ殺害ヲ承諾スルノ能力ナキモノトス」というのであつて、原判決はこれらを本件被害者の「心中の決意実行は正常な自由意思によるものではなく、全く被告人の欺罔に基くものであり、被告人は同女の命を断つ手段としてかかる方法をとつたに過ぎない」から「被告人には心中する意思がないのにこれある如く装い、その結果同女をして被告人が追死してくれるものと誤信したことに因り心中を決意せしめ、被告人がこれに青化ソーダを与えて嚥下せしめ同女を死亡せしめた」被告人の所為は殺人罪に当り単に自殺関与罪に過ぎないものてはない、という判示に参照として引用したものである。してみれば、原判決の意図するところは、被害者の意思に重大な瑕疵がある場合においては、それが被害者の能力に関するものであると、はたまた犯人の欺罔による錯誤に基くものであるとを問わず、要するに被害者の自由な真意に基かない場合は刑法二〇二条にいう被殺者の嘱託承諾としては認め得られないとの見解の下に、本件被告人の所為を殺人罪に問擬するに当り如上判例を参照として掲記したものというべく、そしてこの点に関する原判断は正当であつて、何ら判例に違反する判断あるものということはできない。所論はまた前記大審院判例の事案は真実自殺する意思なきものの自殺行為を利用して殺害した場合であるに対し、本件被害者は死を認識決意していたものであり錯誤は単に動機縁由に関するものにすぎないが故に判例違反の違法があるというが、その主張は事実誤認を前提とするか独自の見解の下に原判示を曲解した論難というべきであつて採用できない。(なお所論高裁判例は正に本件と趣旨を同じくするものであり、所論は事実誤認を前提とするもので採用できない。)
・強度の暴行を受けて肉体的にも精神的にも疲弊した状態にある被害者を脅迫して、高さ50メートルの崖のうえまで追い込み、さらに暴行を加える態度を示して、逃げ場を失った被害者自身に崖から飛び降りさせて死亡させた事案では、被害者に当該行為によって、自らが死亡する認識はあるものの、当該行為を行う意思決定過程に重大な瑕疵があることから、自殺関与罪ではなく殺人罪が成立すると解することができる!!
+判例(S59.3.27)
弁護人小田成光の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、原判決及びその是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、外二名と共に、厳寒の深夜、かなり酩酊しかつ被告人らから暴行を受けて衰弱していた被害者を、都内荒川の河口近くの堤防上に連行し、同所において同人を川に転落させて死亡させるのもやむを得ない旨意思を相通じ、上衣、ズボンを無理矢理脱がせたうえ、同人を取り囲み、「この野郎、いつまでふざけてるんだ、飛び込める根性あるか。」などと脅しながら護岸際まで追いつめ、さらにたる木で殴りかかる態度を示すなどして、遂には逃げ場を失つた同人を護岸上から約三メートル下の川に転落するのやむなきに至らしめ、そのうえ長さ約三、四メートルのたる木で水面を突いたり叩いたりし、もつて同人を溺死させたというのであるから、右被告人の所為は殺人罪にあたるとした原判断は相当である。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項本文、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
+判例(H16.1.20)
弁護人立田廣成の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
所論にかんがみ、本件における殺人未遂罪の成否について職権で判断する。
1 第1審判決が被告人の所為につき殺人未遂罪に当たるとし、原判決がそれを是認したところの事実関係の概要は、次のとおりである。
被告人は、自己と偽装結婚させた女性(以下「被害者」という。)を被保険者とする5億9800万円の保険金を入手するために、かねてから被告人のことを極度に畏怖していた被害者に対し、事故死に見せ掛けた方法で自殺することを暴行、脅迫を交えて執ように迫っていたが、平成12年1月11日午前2時過ぎころ、愛知県知多半島の漁港において、被害者に対し、乗車した車ごと海に飛び込んで自殺することを命じ、被害者をして、自殺を決意するには至らせなかったものの、被告人の命令に従って車ごと海に飛び込んだ後に車から脱出して被告人の前から姿を隠す以外に助かる方法はないとの心境に至らせて、車ごと海に飛び込む決意をさせ、そのころ、普通乗用自動車を運転して岸壁上から下方の海中に車ごと転落させたが、被害者は水没する車から脱出して死亡を免れた。
これに対し、弁護人の所論は、仮に被害者が車ごと海に飛び込んだとしても、それは被害者が自らの自由な意思に基づいてしたものであるから、そうするように指示した被告人の行為は、殺人罪の実行行為とはいえず、また、被告人は、被害者に対し、その自由な意思に基づいて自殺させようとの意思を有していたにすぎないから、殺人罪の故意があるとはいえないというものである。
2 そこで検討すると、原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録によれば、本件犯行に至る経緯及び犯行の状況は、以下のとおりであると認められる。
・被告人は、いわゆるホストクラブにおいてホストをしていたが、客であった被害者が数箇月間にたまった遊興費を支払うことができなかったことから、被害者に対し、激しい暴行、脅迫を加えて強い恐怖心を抱かせ、平成10年1月ころから、風俗店などで働くことを強いて、分割でこれを支払わせるようになった。
・しかし、被告人は、被害者の少ない収入から上記のようにしてわずかずつ支払を受けることに飽き足りなくなり、被害者に多額の生命保険を掛けた上で自殺させ、保険金を取得しようと企て、平成10年6月から平成11年8月までの間に、被害者を合計13件の生命保険に加入させた上、同月2日、婚姻意思がないのに被害者と偽装結婚して、保険金の受取人を自己に変更させるなどした。
・被告人は、自らの借金の返済のため平成12年1月末ころまでにまとまった資金を用意する必要に迫られたことから、生命保険契約の締結から1年を経過した後に被害者を自殺させることにより保険金を取得するという当初の計画を変更し、被害者に対し直ちに自殺を強いる一方、被害者の死亡が自動車の海中転落事故に起因するものであるように見せ掛けて、災害死亡時の金額が合計で5億9800万円となる保険金を早期に取得しようと企てるに至った。そこで被告人は、自己の言いなりになっていた被害者に対し、平成12年1月9日午前零時過ぎころ、まとまった金が用意できなければ、死んで保険金で払えと迫った上、被害者に車を運転させ、それを他の車を運転して追尾する形で、同日午前3時ころ、本件犯行現場の漁港まで行かせたが、付近に人気があったため、当日は被害者を海に飛び込ませることを断念した。
・被告人は、翌10日午前1時過ぎころ、被害者に対し、事故を装って車ごと海に飛び込むという自殺の方法を具体的に指示し、同日午前1時30分ころ、本件漁港において、被害者を運転席に乗車させて、車ごと海に飛び込むように命じた。被害者は、死の恐怖のため飛び込むことができず、金を用意してもらえるかもしれないので父親の所に連れて行ってほしいなどと話した。被告人は、父親には頼めないとしていた被害者が従前と異なる話を持ち出したことに激怒して、被害者の顔面を平手で殴り、その腕を手拳で殴打するなどの暴行を加え、海に飛び込むように更に迫った。被害者が「明日やるから。」などと言って哀願したところ、被告人は、被害者を助手席に座らせ、自ら運転席に乗車し、車を発進させて岸壁上から転落する直前で停止して見せ、自分の運転で海に飛び込む気勢を示した上、やはり1人で飛び込むようにと命じた。しかし、被害者がなお哀願を繰り返し、夜も明けてきたことから、被告人は、「絶対やれよ。やらなかったらおれがやってやる。」などと申し向けた上、翌日に実行を持ち越した。
・被害者は、被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなく、被告人を殺害して死を免れることも考えたが、それでは家族らに迷惑が掛かる、逃げてもまた探し出されるなどと思い悩み、車ごと海に飛び込んで生き残る可能性にかけ、死亡を装って被告人から身を隠そうと考えるに至った。
・翌11日午前2時過ぎころ、被告人は、被害者を車に乗せて本件漁港に至り、運転席に乗車させた被害者に対し、「昨日言ったことを覚えているな。」などと申し向け、さらに、ドアをロックすること、窓を閉めること、シートベルトをすることなどを指示した上、車ごと海に飛び込むように命じた。被告人は、被害者の車から距離を置いて監視していたが、その場にいると、前日のように被害者から哀願される可能性があると考え、もはや実行する外ないことを被害者に示すため、現場を離れた。
・それから間もなく、被害者は、脱出に備えて、シートベルトをせず、運転席ドアの窓ガラスを開けるなどした上、普通乗用自動車を運転して、本件漁港の岸壁上から海中に同車もろとも転落したが、車が水没する前に、運転席ドアの窓から脱出し、港内に停泊中の漁船に泳いでたどり着き、はい上がるなどして死亡を免れた。
・本件現場の海は、当時、岸壁の上端から海面まで約1.9m、水深約3.7m、水温約11度という状況にあり、このような海に車ごと飛び込めば、脱出する意図が運転者にあった場合でも、飛び込んだ際の衝撃で負傷するなどして、車からの脱出に失敗する危険性は高く、また脱出に成功したとしても、冷水に触れて心臓まひを起こし、あるいは心臓や脳の機能障害、運動機能の低下を来して死亡する危険性は極めて高いものであった。
3 上記認定事実によれば、被告人は、事故を装い被害者を自殺させて多額の保険金を取得する目的で、自殺させる方法を考案し、それに使用する車等を準備した上、被告人を極度に畏怖して服従していた被害者に対し、犯行前日に、漁港の現場で、暴行、脅迫を交えつつ、直ちに車ごと海中に転落して自殺することを執ように要求し、猶予を哀願する被害者に翌日に実行することを確約させるなどし、本件犯行当時、被害者をして、被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものということができる。
被告人は、以上のような精神状態に陥っていた被害者に対して、本件当日、漁港の岸壁上から車ごと海中に転落するように命じ、被害者をして、自らを死亡させる現実的危険性の高い行為に及ばせたものであるから、被害者に命令して車ごと海に転落させた被告人の行為は、殺人罪の実行行為に当たるというべきである。
また、前記2のとおり、被害者には被告人の命令に応じて自殺する気持ちはなかったものであって、この点は被告人の予期したところに反していたが、被害者に対し死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体については、被告人において何ら認識に欠けるところはなかったのであるから、上記の点は、被告人につき殺人罪の故意を否定すべき事情にはならないというべきである。
したがって、本件が殺人未遂罪に当たるとした原判決の結論は、正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項ただし書、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
++解説
《解 説》
1 本件は,自動車事故を装った方法により女性の被害者を自殺させて保険金を取得しようと企てた被告人が,暴行,脅迫を交え,被害者に,漁港の岸壁上から乗車した車ごと海中に飛び込むように執拗に命令し,自殺の決意を生じさせるには至らなかったものの,被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせ,そのとおり実行させたが,被害者は水没前に車内から脱出して死亡を免れたという事案である。
その経緯や犯行状況は,決定文に詳しく説示されている。
2 被告人は,被害者が車ごと海に飛び込んだのは自らの自由な意思に基づくものであるから,そのように指示した被告人の行為は,殺人罪の実行行為に当たらないと主張した。
本件のように,行為者が相手方に働きかけてその者自身の行為により死亡させた場合で,殺人罪を認めた最高裁の判例は次のとおり3件ある。
①通常の意思能力もなく,自殺の何たるかを理解せず,しかも被告人の命ずることは何でも服従するのを利用して,被害者に首を吊る方法を教えて首を吊らせて死亡させた事案(最一小決昭27.2.21刑集6巻2号275号)。②心中する気持ちがないにもかかわらず,追死してくれるものと被害者が信じているのを奇貨として,追死するように装い,その旨被害者を誤信させ,致死量の毒物を飲ませて死亡させた事案(最二小判昭33.11.21刑集12巻15号3519頁)。③真冬の深夜,かなり酩酊しかつ被告人らから暴行を受けて衰弱していた被害者を河川堤防上に連行して3名で取り囲み,「飛び込める根性あるか。」などと脅しながら護岸際まで追い詰め,さらに垂木で殴りかかる態度を示すなどして,逃げ場を失った被害者を護岸上から約3メートル下の川に転落させ,そのうえ長さ約3,4メートルの垂木で水面を突いたり叩いたりして溺死させた事案(最一小決昭59.3.27刑集38巻5号2064頁,判タ526号142頁)。
本件は,被害者の意思を制圧して自らを死亡させる危険性のある行為に及ばせたものであるから③に近いところがある。しかし,同事案では,被害者を物理的に川に突き落としたわけではないものの,被害者を護岸際まで追い詰めて垂木で殴りかかる態度を示すなどしていて,転落させるための暴行により直接的に突き落としたのと近いところがあり,しかも転落後も更に溺死させるための暴行を加えている。これに対し,本件では,被害者に対して,車ごと海中に飛び込むように命令したものであり,犯行の際,海中に飛び込ませるため被告人が暴行を加えた事実はない。また,被害者は,被告人の命令に応じて車ごと海に飛び込む以外の行為を選択することはできない精神状態にあったものの,飛び込んだ上で死亡したように装って被告人から身を隠して生き延びようと考えていたことや,実際に死亡を免れた点にも本件の特徴がある。
3 学説は,暴行,脅迫等により被害者を自殺させたときに,自殺教唆罪に止まる場合の外,意思決定の自由を阻却する程度の威迫を加えて自殺させた場合,あるいは,自殺に関与する行為が殺人罪の実行行為として評価できる場合に,殺人罪の成立を認める(西田典之・刑法各論[第2版]16頁,大谷実・[新版]刑法各論の重要問題25頁,前田雅英・刑法各論講義[第2版]30頁。なお,意思決定の自由が完全に失われるに至らない場合でも殺人罪の成立を認める見解として金築誠志・大コンメンタール刑法(8)116頁参照)。
前記②の偽装心中の事例を契機として,学説には種々議論があって,殺人罪と自殺関与罪を区別する基準について,自殺者の意思を問題とする見解,殺人罪の実行行為性を問題とする見解,両者が問題となるとする見解があるが,自殺者の意思を基準とする見解も,本件のように,被害者を死亡させる行為を被告人が直接行っていない殺人罪の訴因について審判するときに,殺人罪の実行行為性が問題となることを否定するものではないであろう。
殺人罪の実行行為性の内容としては,被告人が強いて行わせた被害者自身の行為が死亡の現実的危険性を有していたかという点と,被告人が被害者に強いてその行為を行わせたことが,被害者自身の行為を利用したものとして,被告人自らがその行為を直接行ったのと同様に評価できるかという点がある。前者が否定されれば,後者が肯定されても,海に飛び込むという義務のないことを行わせた強要罪(刑法223条)が成立するにすぎない。前者が肯定されても,後者が認められなければ,殺人罪の実行行為とは認められず,自殺教唆未遂罪が問題となるに止まる。後者の点は,通常,被害者自身の行為を利用した間接正犯の成否として議論されるところであろう。
4 本件では,漁港の岸壁上から車ごと海中に飛び込む行為は,車から脱出する意図があった場合でも,死亡の現実的危険性が高いものであったと認定されている。そうすると,そのような行為を命じて行わせたことは,命令による強要の程度が一定の強さに達していれば,被害者自身の行為を利用した殺人罪の実行行為に当たると考えられる。
被害者は,被告人の命令に応じて車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態にあったというのであるから,被害者の行為は,被告人の命令により余儀なくされたものということができ,所論がいうような自らの自由な意思に基づくものとは到底いえないであろう。その反面,被害者は,被告人の命令によって自殺を決意したわけではなく,生きる意思を放棄させられるほどに強く意思を制圧されていたわけではない(殺人罪の実行行為性の問題を一応離れて,自殺教唆罪の成立する可能性を考えると,被告人の命令にもかかわらず被害者は自殺の意思を生じていないのであるから,車ごと海中に飛び込む行為は自殺行為とはいえず,教唆行為だけで自殺教唆罪の実行の着手を認める立場をとらない限り,自殺教唆未遂罪にもならない。)。被害者は,被告人の執拗な命令等によって,車ごと海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥り,そこまでは意思決定の自由が奪われていたが,自殺させようという被告人の意思に反して,車内から脱出して生き延びようと考えていたというのであるから,その限度では,行為に及ぶにつき言わば自発的意思が働いていたものともいえる。このような状態を意思決定の自由が阻却されていたものとまでいえるかどうかは問題であろう。しかし,被害者にとっては,被告人に逆らうこともできず,逃亡してもまた探し出されるなどと考え,車ごと海に飛び込んで生き残る可能性にかけ,死亡を装って被告人から身を隠そうと考えるに至ったというのであるから,他に選択肢がない状況にあったということができよう。
本決定は,認定された事実関係の下で,被害者をして,被告人の命令に応じて車ごと漁港の岸壁上から海中に飛び込む以外の行為を選択することができない精神状態に陥らせていたものと認め,そのような精神状態にある被害者に対し,車ごと海中に転落するように命じて,それを実施させた被告人の行為が殺人罪の実行行為に当たるとしたものである。
5 被告人は,被害者に自由な意思で自殺させようとの意思を有していたにすぎないなどとして,殺人の故意も争った。しかし,死亡の現実的危険性の高い行為を強いたこと自体の認識に欠けるところがなかった以上,殺人罪の故意は否定されず,被告人の予期したところに反して被害者に自殺する意思がなかったことは,故意を否定すべき事情にならないとされた。
被告人の認識と被害者の内心との間には食い違いがあるが,これは重要な点に関するものではなく,被害者に行為を強いた点を含め,殺人の実行行為に当たる客観的な事実の認識に欠けるところがないから,故意に影響しないとされたものと思われる。なお,被告人は,自己の犯罪が自殺教唆(未遂)罪にすぎないと考えていたようでもあるが,それは当てはめの錯誤にすぎないから,その意味でも故意を阻却しないのは当然である。
本件は,被害者自身の行為を利用した殺人未遂罪に関する興味深い一事例として,貴重な先例となるものと思われる。
・自殺幇助とは、自殺者が自殺の意思を有し自らこれを実行しようとするに当たり、方法の指示や器具の提供等その行為を容易ならしめることをいう。