・+判例(東京地判H13.7.25)
主文
被告人を懲役三年に処する。
未決勾留日数中九〇日をその刑に算入する。
この裁判確定の日から四年間その刑の執行を猶予する。
被告人をその猶予の期間中保護観察に付する。
押収してある文化包丁一丁(平成一三年押第四七九号の一)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、平成一三年二月四日午後六時四五分ころ、東京都《番地省略》所在の理髪店「理容A野」店内において、散髪を終えた後、同店店主B(当時五四歳)から理容代金の支払いを請求されたところ、その支払いを免れようと考え、同人に対し、「金ないんだよ」と申し向けながら所携の刃体の長さ約一四・五センチメートルの文化包丁(平成一三年押第四七九号の一)を同人に向けて脅迫し、その反抗を抑圧してその場から逃走し、よって上記理容代金三六〇〇円の支払いを免れて同金額相当の財産上不法の利益を得たが、その犯行後直ちに警視庁千住警察署に向かい、同警察署前において、同警察署司法警察員に対し自首したものである。
(証拠の標目)《省略》
(事実認定の補足説明)
一 弁護人は、被告人の本件脅迫行為は、<1>被害者の反抗を抑圧する程度に達していないし、<2>財産上不法な利益を得るためのものでもなく、<3>ごく一般的に債権者の追求を免れるだけの効果しかなかったものであるから、いずれにしても、被告人には強盗罪は成立せず、脅迫罪かせいぜい恐喝罪が成立するにすぎないと主張するのでその検討をするとともに、自首の成立についても付言することにする。
二 まず、関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告人は、日雇いの土木作業員等として稼働していたが、平成一二年一〇月ころからは仕事もなく、次第に所持金も少なくなって、平成一三年一月中旬ころからは、簡易宿泊所などに泊まることもできず、満足な食事もできない状態で、駅や公園等で野宿する生活を送るようになった。被告人は、こうした生活のなかで、寒さや空腹から逃れるため、暖かくなるころまで警察の留置場で世話になった方がよいと考えるようになり、平成一三年一月末には、喫茶店で無銭飲食をして付近の交番に出頭し、自分が無銭飲食をしてきた旨申告したが、被害者側が被害届を出さなかったために事件にならず、警察官からは、警察はホテルではない旨言われて帰されてしまった。
(2) 平成一三年二月四日、被告人は、後楽園の場外馬券売り場にいってモニターに写る競馬を見たりした後、生まれ育った千住に戻り、髪もボサボサで無精髭も生えていたことから、床屋で散髪してもらうと無銭飲食より金額も高いので、警察にも捕まりやすい等と考え、散髪の後にその料金を支払わずその店から逃走し自分で警察に行って捕まるつもりで(当時の所持金四〇〇円余)、判示の理髪店「理容A野」(以下「理容A野」という。)に入り、同店店主のBに散髪をしてもらった。
(3) 散髪終了後、Bが理容A野店内の奥にあるレジの所に行って、同店内入口付近でコートを着用した被告人に対し、利用代金三六〇〇円を請求すると、被告人は、右手でコートの内ポケットから所携の文化包丁(刃体の長さ約一四・五センチメートル)を取り出し、「金ないんだよ」と言いながら、Bに対してこの文化包丁の刃先を向け、同人は、これを見て、二、三歩後ろに下がった。
このときの被告人とBの距離は四~五メートルであり、刃先は四五度くらい上に向いている状態であった。
なお、被告人は、公判廷で、文化包丁をBに向けていない旨供述するが、Bは、上記に認定したとおり被告人が文化包丁の刃先を向けたなどと公判廷で明確に供述し、その際の被告人の言動や文化包丁の形状などについても具体的に述べているのであって、その供述自体の信用性は高いと考えられる上、被告人も捜査段階では文化包丁をBに向けた旨の供述をしているのに対し、公判廷での被告人の供述は、これらと矛盾し、被告人の供述経過も考えると、捜査段階からの変遷について必ずしも説得力のある説明ができているわけでもなく、そのまま信用することはできない。結局、Bが公判廷で供述するとおりの事実を認定することができる。
(4) 被告人が包丁を示すなどの行動を取ったのは、その場から逃走するためであり、被告人としては、その場で取り押さえられたり、追跡されて取り押さえられることがないようにするためであった。被告人としても、文化包丁を見せて逃げれば被害者が怖がって追ってこないであろうと考えていた。
(5) Bは、被告人に無理に散髪代金を請求して被告人ともみ合いになれば、刺されて怪我をしたり、最悪の場合は死ぬ可能性もあると思い、怖くて、散髪代金の請求はできず、先の料金請求に続いての請求の言葉は出なかった。
(6) 被告人は、すぐに文化包丁をポケット内にしまい、理容A野店内から出て、やや早足で立ち去った。
Bは、被告人が立ち去るのに対して何もせず、散髪代金の請求は断念した。
(7) この間、理容A野店内には、他に男性客一名がいてBの妹が接客に当たっており、同女は、被告人が「金ないんだよ」と言った際には、「冗談じゃないわよ」と言ったが、被告人の方は見ていなかった。
(8) 被告人は、当時七二歳で、身長約一六〇センチメートル、体重約四〇キログラムであった。他方で被害者Bは、当時五四歳で身長約一七五センチメートル、体重約六八キログラムであった。
(9) Bは、警察に電話連絡し、被害状況等を説明した。警察では、無線で、千住仲町で、六〇歳ぐらいの黒いコートを着た男性が散髪料金を踏み倒し、刃物を突きつけ逃げた等との情報が流され、捜査が開始された。
(10) 被告人は、理容A野を出た後、すぐに付近の千住警察署の方に向かい、同署の前まで歩いていった。一方、本件の捜査に従事し始めて先のような情報を得ていた警察官Cらは、被告人の姿を見てその人相風体から本件の犯人であると考え、被告人に対する職務質問を開始した。被告人は、その職務質問において、警察官らから「床屋やったの、お前だな。」「包丁持っているな。」などと確認され、被害者の方から電話がなされて事件の内容が既に警察官に分かっていると思い、本件犯行を行ったとの趣旨でこれをいずれも認め、包丁を出すように言われて包丁も差し出した。その後、被告人は、強盗罪で緊急逮捕された。
なお、証人C(以下、「C」という。)は、公判廷で、被告人は自ら事件の話はせず、Cらが被告人から事件の内容を確認したのは、千住警察署の取調室に被告人を任意同行し、被害者が同所に到着して被告人が犯人であると指示してからで、その後被告人が包丁を差し出し、事件についての話をしたなどとこれに反する供述をしているが、同時にその供述部分において、同証人は、被告人が犯人であると考えて事件のことで聞きたいことがあるとして取調室に任意同行したというのに、取調室での数分間(五分以上)に事件の話は何もせず、凶器についての確認もしていないなどそれ自体不自然不合理な供述をし、また、そうした不自然な点について合理的な説明もできていないばかりか、その供述態度においても、当然に説明できる事項について、言いよどんだり、結局合理的な説明ができないなどのことから、たやすくこれを信用することはできない。これに対し、被告人の述べるところは、捜査段階からほぼ一貫しており、一連の被告人の行動経緯からして、その供述内容にも特段不自然なところはなく、証人Cの供述との対比では、基本的にこれを信用することができる。もっとも、警察官に職務質問を受けた場所については、公判廷では、警察署の玄関に入ってからである旨供述しているが、捜査段階では一貫して警察署の前であったとしており、これに符合する証人Cの公判廷での供述も加味して考えると、警察署前であったと認定するのが相当である。
三 そこで、以上認定した事実関係を前提にして、強盗罪の成否について、以下検討することにする。
(1) まず、被告人の脅迫が、被害者の反抗を抑圧する程度に達しているかどうかについては、上記認定の<1>被告人が被害者に示した刃体の長さ約一四・五センチメートルの殺傷能力十分の鋭利な文化包丁の性状、<2>被告人が「金ないんだよ」と申し向けながらその刃先を被害者に向けて示した脅迫の態様、<3>五三歳の普通の理髪店の店主である被害者が被告人から脅迫された際の主観的な心理状態、<4>被害者が現実に理髪料金の請求を断念していることなどの諸点に照らすと、弁護人指摘の被告人と被害者との年齢や体格の違い(被告人の方が劣っている)、被告人と被害者との距離、被告人が殺すぞなどの脅迫文言は述べていないことなどの事情を考慮しても、本件脅迫行為は、社会通念上、客観的にみて被害者の反抗を抑圧するに足りるものと評価することができるし、現実に被害者の反抗を抑圧し理髪料金請求を被害者に断念させたと認めることができる。
(2) 次に、被告人の脅迫行為が財産上不法な利益を得るためのものといえるかどうかについては、上記認定のとおり、被告人は、理髪料金を請求された理容A野から逃走するために文化包丁を示して被害者を脅迫し、文化包丁を見せて脅迫した上で逃げれば被害者が怖れて追ってこないと考えて行動してもおり、結局、被害者に散髪料金請求を断念させてその請求を免れているのであるから、被告人の脅迫行為は、財産上不法な利益に向けてなされたものと評価することができる。被告人の行為は、確かに最終的には警察に捕まるためになされたものという面があるものの、そのことによって、被告人の脅迫行為が財産上不法な利益を得るためのものではなかったということにはならず、上記の認定が左右されるものではない。
(3) さらに、財産上不法な利益を得たかどうかについては、上記認定のとおり、本件では、被害者は、その反抗を抑圧され、被告人に対する散髪料金の請求を断念し、被告人が店を出て逃走した段階で、被告人から散髪料金を回収することは事実上不可能になったと評価することができ、この時点で、被告人は財産上不法な利益を得たと認めることができる。このことは、その後、被告人が警察署に出頭するつもりであったかどうかという被告人の主観的な心理によって左右されるべきものとは言い難く、弁護人の主張を採用することはできない。
(4) 以上の検討によれば、被告人の本件行為は、強盗罪を構成するものであり、弁護人の主張には理由がない。
四 なお、弁護人は自首の成立を主張し、検察官はその成立を争うので、自首を認めたことについて付言するに、上記二で認定した事実関係からすると、まず、被告人が千住警察署前で職務質問を受けて犯行を自認する際には、捜査機関には本件の犯人のおよその年齢・人相・服装・体格等が判明していたものの、犯人の氏名や住所などは分かっておらず、犯人の特定にはなお不十分な状況であったと認められ、捜査機関に発覚する前の段階にあったと認定することができるし、また、前記のとおり、被告人は寒さや飢えから逃れるために警察に捕まりたいと考えて本件犯行を行い、その犯行直後に捕まえてもらおうと思って千住警察署に向かい、同警察署前で、本件犯行の概要や犯人の人相・風体等を把握し被告人が犯人であると考えた警察官から、職務質問を受けて、床屋で事件を起こしたこと等を確認されると、すぐにこれを自認し、犯行に使用した包丁も差し出しているのであって、こうした事実関係からすると、職務質問の前に被告人から明示的に事実を申告したわけではないものの、被告人が自ら捜査機関に自己の犯罪事実を申告したものと評価することができ、自首が成立するということができる。検察官は、被告人が、警察官の職務質問を受け、その問に答えて犯行を申告したのであるから自首は成立しない旨主張するが、前記認定の事実関係からすると、被告人は、警察官の職務質問という契機があったとはいえ、上記のとおり自ら犯罪事実を申告したと評価できる上、被告人は、警察に捕まりたいとの考えで本件犯行を行ってその直後に自らを捕まえてもらうために警察署に向かい、まさにその警察署の前まで至っており、そのまま推移すれば、警察署に自ら入って犯罪事実を申告したと推測され、自首が成立していたと考えられることからすると、その直前に警察官の職務質問という契機によって自己の犯罪事実を自認したことをとらえて、自ら捜査機関に自己の犯罪事実を申告したことにならないというのは合理的とは言い難い。被告人については、自首が成立するというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二三六条二項に該当するが、自首が成立するので、同法四二条一項、六八条三号を適用して法律上の減軽をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日をその刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から四年間その刑の執行を猶予し、なお同法二五条の二第一項前段を適用して被告人をその猶予の期間中保護観察に付すこととし、押収してある文化包丁一丁(平成一三年押第四七九号の一)は判示強盗の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は、包丁を示して散髪代金を免れた強盗の事案である。
本件犯行は、被告人が、散髪代金を請求されてその場から逃走するため殺傷能力の高い凶器を用いて被害者を脅迫したもので、その犯行態様は危険であり、被害者に現実的な身体的被害は及ばなかったものの、被害者に強い恐怖感を与えてもおり、その犯情はよくない。被害者は、本件後、その被害を思い出して恐怖感をよみがえらせるなどもしており、被害は金銭的なものにとどまらない。そして、被告人の経済状態もあって、被害者に対する被害弁償や慰謝の措置は何もなされていない。被告人は、寒さと飢えから逃れるために警察に逮捕されることを目的として本件犯行に及んだというのであって、そもそもその規範意識に問題がある上、そうした場合にも、凶器を使用してまで犯行に及ぶ必然性は何もなく、安易で身勝手な犯行といわざるを得ず、動機において特に酌量すべき事情があるともいえない。
こうした事情からすると、被告人の刑事責任は重いというべきである。
しかし、他方、強盗にまで至ったことについては被告人が当初から意図していたとはいえず、強盗の犯行自体は偶発的に行われた面があること、被害者の財産的被害は散髪代金三六〇〇円相当であり、必ずしも高額ではないこと、被告人は、事実関係について、概ねこれを認め、公判廷でも反省の態度を示し、被害者に対して謝罪の気持ちを表していること、本件犯行の動機自体には斟酌すべき事情があるとはいえないものの、無銭散髪をして警察に逮捕されようと考えるまで追い込まれていた被告人の生活状況には同情の余地があること、本件犯行後直ちに警察署に向かい自首していること、被告人には古い前科はあるものの、その後は約四〇年間にわたって前科もなく、何とか自らの生活を維持してきたものであること、すでに七三歳の高齢であること、被告人は、社会復帰後は、生活保護などを受け、何とか通常の社会生活を送っていきたいと述べ、本件のような犯行は二度と行わないと約束していること、本件によって五か月余りの身柄拘束も受けていることなど被告人にとって斟酌すべき事情が認められ、これらの事情からすると、被告人に対しては、実刑に処して矯正施設内での処遇を施すよりは、監督者がないなどの状況については、保護観察による補導援護を受けながら、社会の中で更生の道を歩ませるのが相当と認め、主文のとおり量刑した。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役五年)
(裁判官 安井久治)