1.設問へのアプローチ
2.Aの罪責
(1)問題の所在
・行為の危険性や行為時の主観(故意)を考慮しながら、検討対象となる行為を絞り込む。
作為=一定の身体的動作を行うこと
不作為=一定の期待された身体動作を行わないこと
ア 罪刑法定主義との関係
・禁止規範だけでなく命令規範も含まれている
→類推解釈の禁止に反しない。
・明確性の原則との関係
イ 処罰根拠
・構成要件的に同価値
(2)作為義務
ア 作為義務の発生根拠
法益侵害の結果発生の回避に当たるべき地位(保障人的地位)にあるときに作為義務が認められる。
(ア)主観説
(イ)多元説
①法令②契約・事務管理③慣習・条理
に基づき作為義務が発生。
実質的に作為と同視できるかどうかを総合的に判断することになる。
(ウ)限定説
イ 作為の可能性、容易性
+判例(札幌高判H12.3.16)
理由
本件控訴の趣意は、検察官佐藤孝明作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人古山忠作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、「被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚した甲野太郎と同棲を再開するに際し、自己が親権者となっていた乙山三郎と及び乙山四郎(当時三歳)を連れて太郎と内縁関係に入ったが、その後、太郎が四郎らにせっかんを繰り返すようになったのであるから、親権者兼監護者として四郎らに対する太郎のせっかんを制止して四郎らを保護すべき立場にあったところ、太郎が、同年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南五丁目所在の△△マンション一号室(以下「△△マンション」という。)において、四郎に対し、顔面、頭部を平手及び手拳で多数回殴打し、転倒させるなどの暴行(以下「本件せっかん」という。)を加えて、四郎に硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市内の市立釧路総合病院において、四郎を右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行(以下「本件傷害致死」という。)を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、△△マンションにおいて、太郎が本件せっかんを開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちにこれを制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易に四郎を保護することができたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もって太郎の本件傷害致死を容易にしてこれを幇助した。」旨の訴因変更後の公訴事実に対し、原判決は、不作為による幇助犯の成立要件として「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらずこれを放置したこと」を掲げ、被告人に具体的に要求される作為の内容として、太郎の暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定した上で、被告人が、太郎の四郎への暴行を実力により阻止しようとした場合には、負傷していた相当の可能性があったほか、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もあった上、被告人としては実力による阻止が極めて困難な心理状態にあり、被告人が太郎の暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったことにかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないとして、被告人に無罪を言い渡したが、(一)関係証拠によれば、被告人は、太郎への強い愛情や肉体的執着から、太郎に嫌われることを恐れ、太郎の機嫌をうかがう余り、太郎が四郎らに暴行を振るっても、見て見ぬ振りをしていたことが認められ、太郎の暴行を阻止することが著しく困難な状況にあったものとはいえない上、(二)不作為による幇助犯が成立するには、不作為によって正犯の実行行為を容易ならしめれば足り、その不作為が正犯の実行に不可欠であることや、作為に出ることにより確実に正犯の実行を阻止し得ることを要しないというべきであり、被告人に具体的に要求される作為は、太郎の暴行を実力をもって阻止する行為に限られるものではないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
第一 本件において認められる事実について
原審で取り調べられた関係証拠によれば、本件においては、要旨次のような事実が認められる。
一 被告人と太郎が知り合った経緯等
1 被告人は、平成四年八月二七日、乙山次郎(以下「乙山」という。)と婚姻し、乙山との間に、平成五年三月二七日、長男三郎を、平成六年五月二八日、二男四郎をもうけたが、その後乙山と不仲になり、平成七年九月ころから三郎及び四郎を連れて別居し、同年一二月一八日、乙山と協議離婚し、三郎及び四郎の親権者となり、二人を引き取った。
2 被告人は、釧路市内のスナックで働いていた平成八年三月ころ、客として来店した太郎と親しくなり、同月二一日ころ、太郎と朝まで飲み歩き、そのままドライブに出かけた後、自ら太郎に同居を申し出、翌二二日ころから、太郎が当時住んでいた同市昭和北三丁目のアパート(以下「昭和北のアパート」という。)で、三郎及び四郎を連れて太郎と同棲するようになり、勤めていたスナックも辞めた。
二 昭和北のアパートでの生活状況及び太郎と婚姻した経緯等
1 被告人は、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころ、帰宅が遅くなったことなどから、太郎と口論になり、その際、反抗的な態度をとったことに激昂した太郎から、マイナスドライバーの先端を首筋に当てられ、赤い痕が残るほど力を込めて押し付けられるなどの暴行を受けた。
2 被告人は、同年八月ころ、太郎と口論になった際、かみそりで手首を切って自殺しようとしたところ、それに気付いた太郎からかみそりを取り上げられ、手拳や平手で顔面や肩を多数回殴打されるなどの暴行を受けた。
3 被告人は、昭和北のアパートに居住していた当時、このほかにも太郎から暴行を受けたことが何度かあったが、その都度、暴行を受けた数日後に太郎の留守を見計らって釧路市内の実母方に逃げ、しばらくすると、太郎から、戻るように優しく言われ、子供を可愛がり、暴行は振るわないなどと約束されて、再びよりを戻すということを三、四回繰り返していた。
4 被告人は、その間の平成八年六月ころ、太郎の子を妊娠したことを知り、同年七月二日、太郎と婚姻し、また、太郎は、同年一〇月三日、三郎及び四郎と養子縁組をし、被告人と太郎との間には、平成八年一月二二日、長女甲野冬子(以下「冬子」という。)が生まれた。
5 太郎は、昭和北のアパートに居住していた当時、三郎や四郎の食事の行儀が悪いときなどに、しつけ程度に二人の頬を平手で殴打していたほか、立たせたり、正座させたりしていた。
6 太郎は、被告人と同棲を始めたころ、鳶職人として働き、月収約二〇万円を得、生活も安定していたが、平成八年八月ころ鳶職を辞め、同年一〇月ころからは職を転々とするようになり、全く仕事をしないときもあって、生活が不安定になった。
三 太郎と離婚した経緯及び星が浦のアパートでの生活状況等
1 被告人は、平成九年二月ころ、太郎に暴行を振るわれたことから、太郎の留守を見計らい、三人の子供を連れて実母方に逃げ、その後、実母から強く言われたこともあって離婚を決意し、太郎もこれに応じたことから、同年三月六日、三郎及び四郎の親権者を被告人として協議離婚した。しかし、その数日後、太郎から、前同様に優しく言われてよりを戻すこととなり、当時太郎が昭和北のアパートを引き払って釧路市星が浦大通のアパート(以下「星が浦のアパート」という。)に住んでいたことから、同所で、三人の子供とともに太郎との同棲生活を再開した。
2 被告人は、同年五月ころ、太郎と口論となり、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをしたところ、激昂した太郎から、両肩と両腿を手拳で殴打され、更に手や足を殴打するなどの暴行を執拗に加えられ、手足が腫れ上がって歩行も困難な状態となった。
3 太郎は、星が浦のアパートに居住していた当時、三郎や四郎の食事の行儀が悪いときなどに、二人の頬を平手で殴打するなどしていた。
四 材木町のアパートでの生活状況等
1 被告人は、前記三の2の暴行を受けた数日後、今度こそ太郎と別れようと決心し、太郎の留守を見計らって実母方に逃げたところ、実母から太郎と別れるように強く言われ、今度太郎の所に戻れば親子の縁を切るとまで言われた。そして、子供達との独立した生活をするため、生活保護の受給手続を進めるとともに、釧路郡釧路町豊美にアパートを見付け、平成九年六月初めころ、同所に転居することとなった。
2 被告人は、右アパートへの引っ越しの当日、突如現れた太郎から、前同様に優しく言われ、「やくざの卵売りの仕事だが、仕事も決まった。」などと言われて、またも太郎とやり直すことにし、翌日ころには二人で釧路市材木町のアパート(以下「材木町のアパート」という。)を新たに借り、同所で、三人の子供とともに太郎と同棲生活を再開した。なお、太郎は、同年六月六日、三郎及び四郎と協議離縁している。
3 太郎は、同月初めころから、暴力団の関与する三上郡弟子屈町硫黄山での蒸し卵売りの仕事を手伝うようになり、これをしている間、半月ごとに約一五万円の手当を得ており、被告人らは、安定した生活を送り、また、太郎が被告人や三郎及び四郎に暴力を振るうこともなくなった。なお、被告人は、同年七月ころ、太郎との間の第二子を懐妊したことに気付き、太郎にもその旨伝えた。
4 太郎は、暴力団関係者との人間関係の悩みなどから、蒸し卵売りの仕事に嫌気がさし、同年一〇月一日、世話になっていた暴力団組長方に置き手紙をして仕事を辞めてしまい、材木町のアパートも引き払って、被告人及び三人の子供とともに北海道内各地を自動車で転々とした後、同月一〇日過ぎころから、川上郡標茶町の太郎の実家に身を寄せた。
5 太郎は、実家に身を寄せるようになってから、三郎や四郎を長時間正座させたり、起立させ、平手や手拳で殴打したりするなどのせっかんを度々加えるようになったが、被告人は、これを見ても、制止することなく、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、また、自らも、四郎が夜尿をしたときに一、二度頬や臀部を叩いたことがあった。
五 △△マンションでの生活状況等
1 太郎と被告人は、太郎の両親から現金一〇万円の援助を受け、平成九年一〇月二五日ころ、△△マンションを借り、三人の子供とともに同棲生活を始めたが、このころ、被告人は、妊娠約六か月の状態にあり、太郎も、そのことを知っていた。
2 太郎は、△△マンションに移ってから、何度か被告人に対し、別れ話を持ち出しては子供を連れて出て行くように言い、同年一一月初めころ、「出て行け。」などと行って被告人の頬と肩を平手と手拳で七、八回殴打し、更に、その数日後、被告人を正座させた上、同様に言って手拳等で肩と両腿を五、六分ほど殴打し続けたが、いずれの際も、被告人は、「これまで何度も黙って出て行ったりして迷惑をかけていたから、もう出て行ったりしない。」などと言って、何ら抵抗することなく太郎の暴行を受け入れた。また、太郎は、これらとは別の機会に、被告人に裸で△△マンションから出て行くよう命じ、その際、被告人は、三人の子供とともに裸になり、子供達を連れて玄関まで行ったものの、太郎に制止され、屋外に出ることはなかった。
3 太郎は、△△マンションに入居して以降、新たな仕事に就く当てもなく、生活費にも事欠くようになったことなどから、不満や苛立ちを募らせ、その鬱憤晴らしなどのため、ほどんど毎日のように、三郎や四郎を半袖シャツとパンツだけで過ごさせた上、長時間立たせたり、正座させたりするなどしたほか、平手や手拳で顔面や頭部を殴打するなどの激しいせっかんを繰り返すようになった。なお、太郎は、三郎や四郎を注意したときには、一〇回に八回程度は、右のような暴行に及んでいた。
4 他方、被告人も、同年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、太郎のせっかん等によってかなり衰弱している三郎及び四郎を並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、四郎に対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていた。
5 被告人は、太郎が三郎や四郎に激しいせっかんを加えていたのを見ても、三郎や四郎を助けるための行動には出ず、三郎や四郎が助けを求める視線を向けても、無関心な態度を示していた。
6 被告人一家は、△△マンションに入居して以降、一日一、二回の食事しかとれず、その食事も満足にできない状態であったため、四郎は、星が浦のアパート時代には15.5キログラムあった体重が、死亡当時には11.7キログラムにまで減っており、同年齢の児童の平均体重より3.2キログラムも劣る極度のるい痩状態にあった。
六 平成九年一一月二〇日の状況等
1 太郎と被告人は、平成九年一一月二〇日午後二時ころ、冬子を連れて太郎の友人である戊川一夫(以下「戊川」という。)方へ向かったが、その際、太郎は、三郎と四郎に留守番をさせ、半袖シャツとパンツだけの姿の四郎に壁に向かって立っているよう命じ、三郎には四郎を見張っているよう命じて外出した。
2 太郎と被告人は、同日午後三時四〇分ころから戊川方で過ごし、ビールを飲むなどして歓談し、同日午後六時四五分ころ戊川方を辞去したが、太郎は、帰途、機嫌が良かったこともあって、戊川方を訪ねる前に被告人が食べたいと言っていたドーナツを買ってやることにし、スーパーマーケットに寄ってドーナツ等を買った。
3 太郎と被告人は、冬子とともに、同日午後七時一五分ころ△△マンションに戻ったが、太郎は、子供部屋のおもちゃが少し移動していたため、三郎に誰が散らかしたのかと尋ねたところ、三郎が「四郎ちゃん。」と答えたことから、四郎が言い付けを守らずおもちゃで遊んでいたと思い込んで立腹し、隣の寝室で立っていた四郎の方に向かった。
4 被告人は、右の太郎と三郎のやりとりを聞き、太郎が四郎にいつものようなせっかんを加えるかも知れないと思ったが、これに対しては何もせず、数メートル離れた台所の流し台で夕食用の米をとぎ始め、太郎の行動に対しては無関心を装っていた。
5 太郎は、四郎を自分の方に向き直らせ、「おもちゃ散らかしたのはお前か。」などと強い口調で尋ねたものの、四郎が何も答えなかったため、更に大きな声で同じことを尋ねたが、四郎がそれにも答えず、太郎を睨み付けるような目つきをしたため、これに腹立ちを募らせ、「横目で睨むのはやめろ。」などと怒鳴り、四郎の左頬を右の平手で一回殴打し、続いて「お前がやったのか。」などと怒鳴ったが、四郎が同様の態度をとったため、四郎の左頬から左耳にかけての部位を右の平手で一回殴打したところ、四郎がよろけて右膝と右手を床についたので、四郎の左腕を掴んで引き起こした上、また同様に怒鳴ったが、なおも四郎が同様の態度をとり続けたことから、腹立ちが収まらず、四郎の左頬を右の平手で一回殴打した上、更に「お前がやったのか。」などと怒鳴りながら、一発ずつ間隔を置いて四郎の頭部右側を手拳あるいは裏拳で五回にわたり殴打した。すると、四郎は、突然短い悲鳴を上げ、身体の左から倒れて仰向けになり、意識を失った。
6 被告人は、太郎が寝室で四郎を大きな声で問い詰めるのを聞くとともに、頬を叩くようなぱしっという音を二、三回聞いて、やはりいつものせっかんが始まったと思ったものの、これに対して何もせず、依然として米をとぎ続け、太郎の行動に無関心を装っていたが、これまでにない四郎の悲鳴を聞き、慌てて寝室に行ったところ、既に四郎は太郎に抱えられ、身動きしない状態になっていた。
7 太郎と被告人は、その後、太郎の運転する自動車に四郎を乗せて病院に向かい、同日午後八時一〇分ころ、市立釧路総合病院に到着したが、四郎は、直ちに開頭手術を受けたものの、翌二一日午前一時五五分ころ、太郎の暴行による硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害に伴う脳機能障害により死亡した。
8 被告人は、右病院で、担当医師から、四郎の命が助からない旨の説明を受け、これを聞いて太郎の身代わり犯人となることを決意し、待合室にいた太郎に対し、「私がやったことにするから、あなたは昼から出かけたことにしておいて。」などと言って太郎の身代わりになることを申し出た上、医師の通報により右病院に臨場した警察官に対し、自分の犯行である旨虚偽の申告をし、同月二一日午前三時一〇分、傷害致死罪により緊急逮捕され、捜査段階では終始一貫して自分の犯行である旨虚偽の供述をし、同年一二月一一日、同罪により起訴され、同月二四日に至り、初めて同房者に太郎の犯行である旨を告白した。
以上のような事実が認められる。
第二 原判決の事実認定及び法令の適用について
一 原判決は、前記第一とほぼ同旨の事実を認定しながら、被告人の内心の意思や動機等について、被告人の原審公判供述及び各検察官調書謄本(原審乙18ないし20)(以下「被告人の供述」と総称する。)に依拠して、被告人は、(1)△△マンションで太郎から強度の暴行を受けるようになって以降、太郎に愛情は抱いておらず、子供達を連れて太郎の下から逃げ出したいと考えていた、(2)しかし、太郎が働くこともなく家にいて留守になることがなかったことから、逃げ出そうとして太郎に見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいた、(3)△△マンションに入居した後、太郎からは出て行けと何回か言われていたけれども、太郎の言葉は本心ではなく、被告人を試すために言っているものと思っていた、(4)太郎から激しい暴行を受けたときの恐怖心や、太郎が三郎や四郎に暴力を振るっているのを側で見ていて、太郎から「何見てんのよ。」などと怒鳴られたことがあったことなどから、太郎に逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、太郎が逆上して三郎や四郎に更に酷いせっかんを加えるのではないかと思い、三郎や四郎を助けることができなかった、(5)身代わり犯人になったのは、四郎を見殺しにしてしまったという自責の念から自分自身が罰を受けたかったためであり、太郎をかばうつもりはなかった、との事実を認定している。
二 そして、右事実認定を前提に、(一)不作為による幇助犯が成立するためには、他人による犯罪の実行を阻止すべき作為義務を有する者が、犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置しており、要求される作為義務の程度及び要求される行為を行うことの容易性等の観点からみて、その不作為を作為による幇助と同視し得ることが必要と解すべきであるとした上、(二)被告人には、太郎が四郎に対して暴行に及ぶことを阻止すべき作為義務があったと認めながら、(三)その作為義務の程度は極めて強度とまではいえないとし、(四)被告人に具体的に要求される作為の内容としては、太郎の暴行をほぼ確実に阻止し得た行為、すなわち太郎の暴行を実力をもって阻止する行為を想定するのが相当であり、太郎と四郎の側に寄って太郎が四郎に暴行を加えないように監視する行為、あるいは、太郎の暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした上で、(五)被告人が身を挺して制止すれば、太郎の暴行をほぼ確実に阻止し得たはずであるから、被告人が太郎の暴行を実力をもって阻止することは、不可能ではなかったが、そうしようとした場合には、かえって、太郎の反感を買い、被告人が太郎から激しい暴行を受けて負傷していた相当の可能性のあったことを否定し難く、場合によっては胎児の健康にまで影響の及んだ可能性もある上、被告人は、太郎の暴行を実力により阻止することが極めて困難な心理状態にあったのであるから、被告人が太郎の暴行を実力により阻止することは著しく困難な状況にあったとし、(六)右状況にかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできない旨判示している。
第三 原判決の事実誤認について
一 しかし、太郎の当審公判供述を含む関係証拠及びこれによって認められる諸事実に照らすと、前記第二の一の被告人の供述(1)ないし(5)は、いずれもたやすく信用することができない。すなわち、
1 被告人が太郎から強度の暴行を受けるようになったのは、前記第一の二のとおり、太郎と同棲を始めた直後の昭和北のアパート時代からのことで、同棲開始後間もない平成八年四月中旬ころには、太郎からマイナスドライバーの先端を首筋に押し付けられて赤い痕が残るほどの暴行を受け、同年八月ころには、手首を切って自殺を図り、平手や手拳で顔面等を多数回殴打され、平成九年五月ころには、灯油を少量かぶって焼身自殺をする振りをし、手拳等で手足を殴打されて歩行もできない状況になるなど、強度の暴行を何回も受け、その度に太郎の留守を見計らっては、実母方に逃げていたのに、被告人は、ほどなく太郎に戻るよう優しい言葉をかけられてはよりを戻すということを幾度も繰り返し、とりわけ同年五月ころ、星が浦のアパートから実母方に逃げた際には、実母から、今度太郎の所に戻れば親子の縁を切るとまで言われ、生活保護の受給手続まで進めながら、数日後には太郎とよりを戻して材木町のアパートで同棲するようになっていることなどに加え、原審公判廷においても、「母親としてじゃなく、女として、あの人のことが好きだというんで戻っていた。」などと供述していることに照らすと、被告人が、△△マンション入居後、それまでと比べてさほど強度とはいえない暴行を二度ほど受けたからといって、にわかに太郎に愛情を抱かなくなり、太郎の下から逃げ出したいと考えるようになったとは思われず、被告人の供述(1)はたやすく信用できない。
2 太郎が家にいて留守になることがなくても、被告人は、太郎から常時監視されたり、監禁、拘束されたりしていたわけではなく、原判決も指摘するように、太郎が寝ているときもあったのであるから、常識的に考えれば、被告人が△△マンションを出る機会や方法はいくらでもあった上、現に被告人は、これまで家出をする際には、子供達を残して単身実母方に逃げ帰り、後から子供達を迎えに行ったり、所持金のないまま子供達を連れてタクシーで実母方に逃げ帰り、実母に料金を払ってもらったりするなど、臨機の方法で太郎の下を逃れていたのであるから、太郎が家にいて留守になることがなかったとしても、被告人が逃げ出せずにいたとは考え難く、また、被告人がこれまで家を出ようとして太郎に見付かり、そのために暴行を受けた事実はなかったことに照らすと、そのようなことを恐れて逃げ出せずにいたとも考え難いので、被告人の供述(2)はたやすく信用できない。
3 標茶町の実家に身を寄せたとき以降、被告人に嫌気がさし、別れたいと思い、被告人にも繰り返しその旨話していた旨の太郎の原審公判供述や、△△マンションに入居後、週に三、四回被告人から性交を誘われたが、本件までの約四週間に一、二度応じたのみである旨の太郎の当審公判供述に加え、職も蓄えもない太郎が、自分の子である冬子のみならず、被告人やその連れ子で自分とは既に離縁している三郎及び四郎まで扶養しなければならない状況に置かれていたことや、これまで別れ話を持ち出したことのなかった太郎が、△△マンションに入居後は、被告人に何回も出て行けと言い、三郎及び四郎に対し、ほとんど毎日のように激しいせっかんを繰り返すようになったことなどに照らすと、太郎の出て行けとの言葉は本心であり、被告人もこれを察知していたものと認めるのが相当であるから、被告人の供述(3)はたやすく信用できない。
4 被告人が、これまでに、太郎のせっかんを制止しようとしたために、太郎から自己や胎児に危険が及ぶような激しいせっかんを受け、あるいは、三郎及び四郎に対するせっかんが更に激しくなったという事実はなく、被告人は、本件に至るまで、太郎のせっかんを制止しようとしたことすらないほか、標茶町時代及び△△マンション入居後、太郎が三郎及び四郎に激しいせっかんをしているのを見ても、「あんた達が悪いんだから怒られて当たり前だ。」などと言い放ち、太郎のせっかんに加担するような態度をとっていた上、自らも、本件直前の平成九年一一月一三日ころには、さしたる理由もないのに、太郎のせっかん等によってかなり衰弱している三郎及び四郎を並ばせ、「お前達なんか死んじゃえばいいのに。」などと言いながら、二人の顔面や頭部等を殴打し、腰部等を足蹴にして、二人をその場に転倒させるせっかんを加え、同月一五日ころにも、四郎に対し、平手で顔面を殴打し、その場に転倒させるせっかんを加えていたことなどに照らすと、被告人が四郎らを助けなかった理由が、太郎に逆らえば、酷い暴行を受けるのではないかと恐ろしかった上、太郎が逆上して四郎らに更に酷いせっかんを加えるのではないかと思ったことにあるとは考えられず、被告人の供述(4)はたやすく信用できない。
5 被告人は、更に太郎の身代わり犯人になっているのであるから、常識的には、太郎をかばおうとする意思があったものと考えられるほか、本件当夜、意識を失った四郎を病院に搬送した後、医師からその原因を尋ねられても、自己や太郎が殴打したとは答えず、「転んだ。」などと嘘を言い、四郎が助かる見込みがないことを医師から知らされた後、警察官から任意の取調べを受けた際にも、自分がせっかんを加えていたと述べる一方で、当初は「今日は殴っていない。」と述べるなど、四郎を見殺しにしてしまったという自責の念のみでは説明の付かない言動をしていた上、緊急逮捕後警察官から本格的な取調べを受けた際には、太郎を愛している旨を繰り返し述べる一方で、太郎の自己に対する暴力についてはほとんど述べず、「太郎が、三郎と四郎を殴ったことは一度もない。」などと、あえて虚偽の事実を述べるなど、太郎をかばおうとする意思がなければ説明の付かない言動をしていたことに照らすと、被告人の供述(5)はたやすく信用できない。
二 以上によれば、被告人の供述(1)ないし(5)に沿う事実はいずれもこれを認めることができず、前記第一の事実、とりわけ、被告人が自ら申し出て太郎との同棲を開始し、太郎から何回も暴力を振るわれながら、太郎との内縁ないし婚姻関係を継続していたこと、本件の五か月余り前からは、太郎の暴力の有無にかかわらず、実母方に逃げることもなかったこと、△△マンション入居後は、太郎から別れ話を持ち出され、子供を連れて出ていくように言われ、暴力まで振るわれたのに、最後まで出て行かなかったこと、標茶町時代以降、太郎が四郎らに激しいせっかんをしているのを見ても、これを制止せず、かえって太郎のせっかんに加担するような態度をとり、本件直前ころには、自らも三郎や四郎に相当強度のせっかんを加えていたこと、本件直後四郎の命が助からない旨を聞かされるや、躊躇なく太郎の身代わり犯人となることを決意し、自ら申し出て身代わり犯人になり、一か月余り虚偽の供述を維持していたことなどに照らすと、被告人が本件せっかんの際、太郎の暴行を制止しなかったのは、当時なお太郎に愛情を抱いており、太郎への肉体的執着もあり、かつ、太郎との間の第二子を懐妊していることもあって、四郎らの母親であるという立場よりも太郎との内縁関係を優先させ、太郎の四郎に対する暴行に目をつぶっていたものと認めるのが相当であるから、被告人が太郎の暴行を制止しなかった理由として、被告人の供述(4)に沿う事実を認定した原判決には、事実の誤認があるといわざるを得ない。
三 そうすると、被告人は、太郎の暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえず、前記第二の二の原判決の判示を前提としても、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することができないとはいえないから、右事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。
第四 原判決の法令適用の誤りについて
一 後述する不作為による幇助犯の成立要件に徴すると、原判決が掲げる「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらず、これを放置した」という要件は、不作為による幇助犯の成立には不必要というべきであるから、実質的に作為義務がある者の不作為のうちでも結果阻止との因果性の認められるもののみを幇助行為に限定した上、被告人に具体的に要求される作為の内容として太郎の暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定し、太郎と四郎の側に寄って太郎が四郎に暴行を加えないように監視する行為、あるいは、太郎の暴行を言葉で制止する行為を想定することは相当でないとした原判決には、罪刑法定主義の見地から不真正不作為犯自体の拡がりに絞りを掛ける必要があり、不真正不作為犯を更に拡張する幇助犯の成立には特に慎重な絞りが必要であることを考慮に入れても、なお法令の適用に誤りがあるといわざるを得ない。
二 そこで、被告人に具体的に要求される作為の内容とこれによる太郎の犯罪の防止可能性を、その容易性を含めて検討する。
1 まず、太郎と四郎の側に寄って太郎が四郎に暴行を加えないように監視する行為は、数メートル離れた台所の流し台から太郎と四郎のいる寝室に移動するだけでなし得る最も容易な行為であるところ、関係証拠によれば、太郎は、依然、被告人が太郎のせっかんの様子を見ているとせっかんがやりにくいとの態度を露わにしていた上、本件せっかんの途中でも、後ろを振り返り、被告人がいないかどうかを確かめていることが認められ、このような太郎の態度にかんがみると、被告人が太郎の側に寄って監視するだけでも、太郎にとっては、四郎への暴行に対する心理的抑制になったものと考えられるから、右作為によって太郎の暴行を阻止することは可能であったというべきである。
2 次に、太郎の暴行を言葉で制止する行為は、太郎を制止し、あるいは、宥める言葉にある程度の工夫を要するものの、必ずしも寝室への移動を要しない点においては、監視行為よりも容易になし得る面もあるところ、関係証拠によれば、太郎は、四郎に対する暴行を開始した後も、四郎及び被告人の反応をうかがいながら、一発ずつ間隔を置いて殴打し、右暴行をやめる機会を模索していたものと認められ、このような太郎の態度にかんがみると、被告人が太郎に対し、「やめて。」などと言って制止し、あるいは、四郎のために弁解したり、四郎に代わって謝罪したりするなどの言葉による制止行為をすれば、太郎にとっては、右暴行をやめる契機になったと考えられるから、右作為によって太郎の暴行を阻止することも相当程度可能であったというべきである(被告人自身も、原審公判廷において、本件せっかんの直前、言葉で制止すれば、その場が収まったと思う旨供述している。)。
3 最後に、太郎の暴行を実力をもって阻止する行為についてみると、原判決も判示するとおり、被告人が身を挺して制止すれば、太郎の暴行をほぼ確実に阻止し得たことは明らかであるところ、右作為に出た場合には、太郎の反感を買い、自らが暴行を受けて負傷していた可能性は否定し難いものの、太郎が、被告人が妊娠中のときは、胎児への影響を慮って、腹部以外の部位に暴行を加えていたことなどに照らすと、胎児の健康にまで影響の及んだ可能性は低く、前記第三の三のとおり、被告人が太郎の暴行を実力により阻止することが著しく困難な状況にあったとはいえないことを併せ考えると、右作為は、太郎の犯罪を防止するための最後の手段として、なお被告人に具体的に要求される作為に含まれるとみて差し支えない。
4 そうすると、被告人が、本件の具体的状況に応じ、以上の監視ないし制止行為を比較的容易なものから段階的に行い、あるいは、複合して行うなどして太郎の四郎に対する暴行を阻止することは可能であったというべきであるから、右1及び2の作為による本件せっかんの防止可能性を検討しなかった原判決の法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかというべきである。
第五 破棄自判
以上によれば、論旨はいずれも理由があるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当審において更に次のとおり判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は、平成九年六月ころ、先に協議離婚した甲野太郎と再び同棲を開始するに際し、当時自己が親権者となっていた、元夫乙山次郎との間にもうけた長男三郎及び二男四郎(当時三歳)を連れて太郎と内縁関係に入ったが、その後、太郎が四郎らにせっかんを繰り返すようになったのであるから、その親権者兼監護者として四郎らに対する太郎のせっかんを阻止して四郎らを保護すべき立場にあったところ、太郎が、平成九年一一月二〇日午後七時一五分ころ、釧路市鳥取南五丁目〈番地略〉△△マンション一号室において、四郎に対し、その顔面、頭部を平手及び手拳で多数回にわたり殴打し、転倒させるなどの暴行を加え、よって、四郎に硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負わせ、翌二一日午前一時五五分ころ、同市春湖台〈番地略〉市立釧路総合病院において、四郎を右傷害に伴う脳機能障害により死亡させた犯行を行った際、同月二〇日午後七時一五分ころ、右△△マンション一号室において、太郎が前記暴行を開始しようとしたのを認識したのであるから、直ちに右暴行を阻止する措置を採るべきであり、かつ、これを阻止して四郎を保護することができたのに、何らの措置を採ることなく放置し、もって太郎の前記犯行を容易にしてこれを幇助したものである。
(証拠の標目)〈省略〉
(補足説明)
1 不作為による幇助犯は、正犯者の犯罪を防止しなければならない作為義務のある者が、一定の作為によって正犯者の犯罪を防止することが可能であるのに、そのことを認識しながら、右一定の作為をせず、これによって正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に成立し、以上が作為による幇助犯の場合と同視できることが必要と解される。
2 被告人は、平成八年三月下旬以降、約一年八か月にわたり、太郎との内縁ないし婚姻関係を継続し、太郎の短気な性格や暴力的な行動傾向を熟知しながら、太郎との同棲期間中常に四郎らを連れ、太郎の下に置いていたことに加え、被告人は、わずか三歳六か月の四郎の唯一の親権者であったこと、四郎は栄養状態が悪く、極度のるい痩状態にあったこと、太郎が、△△マンションに入居して以降、三郎や四郎に対して毎日のように激しいせっかんを繰り返し、被告人もこれを知っていたこと、被告人は、本件せっかんの直前、太郎が、三郎におもちゃを散らかしたのは誰かと尋ね、三郎が、四郎が散らかした旨答えたのを聞き、更に太郎が寝室で四郎を大きな声で問い詰めるのを聞いて、太郎が四郎にせっかんを加えようとしているのを認識したこと、太郎が本件せっかんに及ぼうとした際、室内には、太郎と四郎のほかには、四歳八か月の三郎、生後一〇か月の冬子及び被告人しかおらず、四郎が太郎から暴行を受けることを阻止し得る者は被告人以外存在しなかったことにかんがみると、四郎の生命・身体の安全の確保は、被告人のみに依存していた状態にあり、かつ、被告人は、四郎の生命・身体の安全が害される危険な状況を認識していたというべきであるから、被告人には、太郎が四郎に対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない作為義務があったというべきである。
ところで、原判決は、被告人は、△△マンションで、太郎から強度の暴行を受けるようになって以降、子供達を連れて太郎の下から逃げ出したいと考えていたものの、逃げ出そうとして太郎に見付かり、酷い暴行を受けることを恐れ、逃げ出せずにいたことを考えると、その作為義務の程度は極めて強度とまではいえない旨判示しているが、原判決が依拠する前記第二の一の被告人の供述(1)及び(2)は、前記第三の一の1及び2で検討したとおり、いずれもたやすく信用することができないから、右判示はその前提を欠き、被告人の作為義務を基礎付ける前記諸事実にかんがみると、右作為義務の程度は極めて強度であったというべきである。
3 前記第四の二のとおり、被告人には、一定の作為によって太郎の四郎に対する暴行を阻止することが可能であったところ、関係証拠に照らすと、被告人は、本件せっかんの直前、太郎と三郎とのやりとりを聞き、更に太郎が寝室で四郎を大きな声で問い詰めるのを聞いて、太郎が四郎にせっかんを加えようとしているのを認識していた上、自分が太郎を監視したり制止したりすれば、太郎の暴行を阻止することができたことを認識しながら、前記第四の二のいずれの作為にも出なかったものと認められるから、被告人は、右可能性を認識しながら、前記一定の作為をしなかったものというべきである。
4 関係証拠に照らすと、被告人の右不作為の結果、被告人の制止ないし監視行為があった場合に比べて、太郎の四郎に対する暴行が容易になったことは疑いがないところ、被告人は、そのことを認識しつつ、当時なお太郎に愛情を抱いており、太郎への肉体的執着もあり、かつ、太郎との間の第二子を懐妊していることもあって、四郎らの母親であるという立場よりも太郎との内縁関係を優先させ、太郎の四郎に対する暴行に目をつぶり、あえてそのことを認容していたものと認められるから、被告人は、右不作為によって太郎の暴行を容易にしたものというべきである。
5 以上によれば、被告人の行為は、不作為による幇助犯の成立要件に該当し、被告人の作為義務の程度が極めて強度であり、比較的容易なものを含む前記一定の作為によって太郎の四郎に対する暴行を阻止することが可能であったことにかんがみると、被告人の行為は、作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示行為は、刑法六二条一項、二〇五条に該当するところ、右は従犯であるから、同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は、当時三歳の男児四郎の親権者兼監護者であった被告人が、内縁の夫太郎による四郎に対する激しいせっかんを阻止せず、太郎による四郎の傷害致死を容易にしてこれを幇助したという事案である。
被告人は、△△マンションに入居して以降とりわけ激しくなった太郎の四郎らに対する恒常的なせっかんを放置し続けていたもので、本件は起こるべくして起きた事案といってよい。被告人は、本件せっかんの当日、太郎及び冬子とともに五時間余り外出し、その間、電灯もストーブも点いていない暗く寒い室内で、半袖シャツとパンツだけの姿で起立させられていた四郎を思い遣ることなく、太郎が帰宅するなり、おもちゃを散らかしたといえる状況もない四郎を問い詰め、暴行に及ぼうとしたのを認識しながら、四郎の母親であるという立場よりも太郎との内縁関係を優先させ、太郎の四郎に対する暴行に目をつぶり、太郎や四郎の姿が見通せない台所の流しで夕食用の米をとぐなどしていたもので、動機に酌量すべきものはほとんどない。被告人は、太郎が四郎に対して暴行に及ぶことを阻止しなければならない極めて強度の作為義務を負っており、かつ、比較的容易なものを含む一定の作為によってこれを阻止することが可能であったのに、何らの作為にも出ず、母親として果たさなければならない義務を放棄していたもので、被告人が当時妊娠約六か月の状態であったことを考慮しても、犯行態様は決して芳しいものではない。四郎は、太郎の暴行及びこれを阻止しなかった被告人の不作為により、硬膜下出血等の傷害を負い、直ちに病院に搬送されて手術を受けたものの、既に手遅れの状態となっており、受傷から七時間足らずで死亡したもので、その結果は誠に重大であり、太郎から連日のように無慈悲かつ理不尽なせっかんを加え続けられた挙げ句、おもちゃを散らかしたとの濡れ衣を着せられて、いわれのない激しいせっかんを受け、全身に新旧多数の打撲傷や痣、皮膚の変色を残したまま、僅か三歳六か月の幼い命を奪われた四郎の無念さは察するに余りあり、実父である乙山が、太郎に対する厳罰を望んでいるほか、四郎を助けなかった被告人も許せない旨警察官に供述しているのも、誠に無理からぬところである。加えて、被告人は、本件犯行後自ら進んで太郎の身代わり犯人となり、緊急逮捕後は一貫して自分が四郎を殴って死亡させたのであり、太郎は無関係である旨の虚偽の供述を繰り返し、逮捕後一か月余りを経た起訴勾留中に、ようやく真犯人が太郎である旨を同房者に打ち明けたもので、犯行後の行状も甚だ芳しくない。以上のようにみてくると、被告人の刑事責任は誠に重い。
しかしながら、本件傷害致死の正犯者はあくまで太郎であり、被告人の幇助の態様は不作為という消極的なものであったこと、被告人自身も太郎からしばしば相当強度の暴力を振るわれており、前記妊娠の点をも併せ考慮すると、被告人が期待された作為に出なかったことについては、一概に厳しい非難を浴びせ難い面もあること、被告人自身、本件により自らが腹を痛めた四郎を亡くしており、自責の念を抱いていること、被告人は、累犯前科を有する太郎と異なり、これまで前科なく生活しており、原審係属中の平成一〇年五月二七日勾留取消決定により釈放された後は、飲食店従業員として稼働していること、被告人には四郎のほかに三児があり、現在三郎及び冬子は施設に入所しているものの、いずれは同児らを引き取り、自ら養育していくべき責任があること、被告人には釧路市内に住む実母がいて、将来も折あるごとに被告人の相談に乗り、被告人を監督していくものと期待されることなどの諸事情も認められ、これらを前記諸事情と併せ考えると、この際、被告人に対しては、直ちに実刑をもって臨むよりも、四郎の冥福を祈らせつつ、社会内で更生の道を歩ませるのが相当と考えられる。
(原審における求刑 懲役三年)
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官近江清勝 裁判官渡邊壯 裁判官嶋原文雄)
++解説
《解 説》
一 本件は、被告人が、親権者となっていた次男D(当時三歳)らを連れて、Aと同棲を始めたが、AがDらにせっかんを繰り返すようになったのであるから、親権者兼監護者としてせっかんを制止して保護すべき立場にあったところ、AがDに対し暴行を加え、硬膜下出血等の傷害を負わせて、脳機能障害により死亡させた際、Aの暴行を制止する措置を採るべきであり、かつ、これを制止して容易にDを保護できたのに、その措置を採ることなくことさら放置し、もってAの犯行を幇助したというものである。原判決は、不作為による幇助犯の成立要件として「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらずこれを放置したこと」を掲げ、被告人に具体的に要求される作為の内容として、Aの暴行を実力をもって阻止する行為のみを想定した上で、その場合には、負傷していた相当の可能性のあったほか、胎児(当時被告人は妊娠していた。)の健康にまで影響の及んだ可能性もあった上、被告人としては実力による阻止が極めて困難な心理状態にあったことなどにかんがみると、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することはできないとして、被告人に無罪を言い渡したところ、検察官から控訴が申し立てられた。
二 本判決は、被告人とAが知り合って、婚姻した経緯、その生活状況や本件当日の状況等について、事実経過を詳細に認定し、原判決の認定とほぼ同旨としている。しかし、本件当時の被告人の内心の意思や動機等については、原判決が、被告人の供述に依拠して認定したのに対して、その供述の信用性を否定し、本件せっかんの際Aの暴行を制止しなかったのは、当時なおAに愛情を抱き、肉体的執着もあり、かつ、Aとの第二子を懐妊していたこともあって、Dらの母親としての立場よりもAとの内縁関係を優先させ、Aの暴行に目をつぶっていたと認めるのが相当であり、そうすると、被告人は、Aの暴行を実力により阻止することが著しく困難な状態にあったとはいえず、被告人の不作為を作為による傷害致死幇助罪と同視することができないとはいえないとして、事実誤認を認めた。
三 次に、本判決は、不作為による幇助犯の成立要件として、正犯者の犯罪を防止しなければならない作為義務のある者が、一定の作為によって正犯者の犯罪を防止することが可能であるのに、そのことを認識しながら、右一定の作為をせず、これによって正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に成立し、以上が作為による幇助犯の場合と同視できることが必要であるとしている。そして、右成立要件に徴すると、原判決が掲げる「犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たにもかかわらずこれを放置した」との要件は不必要というべきであるから、実質的に結果阻止との因果性の認められる不作為のみを幇助行為に限定した上、被告人に具体的に要求される作為の内容としてAの暴行を実力を持って阻止する行為のみを想定する原判決には、法令適用の誤りがあるとした。さらに、本判決は、被告人に具体的に要求される作為の内容とこれによるAの犯罪の防止可能性・容易性について検討し、①Aの暴行を実力をもって阻止する行為のみならず、②AとDの側によってAがDに暴行を加えないように監視する行為、③Aの暴行を言葉で制止する行為をも含めて、被告人が、本件の具体的状況に応じて、以上の監視ないし制止行為を比較的容易なものから行い、あるいは、複合して行うなどしてAのDに対する暴行を阻止することは可能であったというべきであるから、②、③による本件せっかんの防止可能性を検討しなかった原判決の法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことは明らかとした。
四 さらに、本判決は、前記不作為による幇助犯の成立要件にしたがって、作為義務の有無・程度等について具体的な検討を行い、その要件該当性を認めている。その上で、被告人の作為義務の程度は極めて強度であり、比較的容易なものを含む前記一定の作為によってAのDに対する暴行を阻止することが可能であったことにかんがみると、被告人の行為は作為による幇助犯の場合と同視できるものというべきであるとして原判決を破棄し、傷害致死幇助罪の成立を認めたものである。
五 不作為による幇助については、肯定説、否定説両説があるが、これを肯定するのが通説である。原判決は、その要件の一つとして、単に犯罪実行の防止が可能であったことだけでなく、犯罪の実行をほぼ確実に阻止し得たことまで要求しており、本判決も指摘するとおり、実質的に、結果阻止との因果性の認められる不作為のみを幇助行為に限定していたといえるであろう。この点について、本判決は、正犯者の犯罪の実行を容易にした場合に、不作為による幇助が成立するものとしている。作為による幇助について、正犯の実行行為を容易にすれば足りるとの考えに立ち、不作為による幇助について作為とパラレルに捉える立場からすれば、原判決が要求した作為の内容は厳格に過ぎると言わざるを得ず、本判決のような見解になるものと思われる。
なお、本判決の評釈として村越一浩・研修六二四号一三頁、原判決の評釈として高橋則夫・現代刑事法一四号一〇一頁、大山弘・法セミ五三九号一〇九頁、松生光正・判例セレクト’99〔法教二三四号〕三一頁等がある。また、近時不作為による幇助が問題となった事例としては、東京高判平11・1・29判時一六八三号一五三頁がある。
ウ 実行の着手時期
(3)殺人罪に関して不真正不作為犯を認めた裁判例
+判例(前橋地高崎支S46.9.17)
+判例(東京地八王子支S57.12.22)
理由
(被告人両名の身上経歴及び犯行に至る経緯)
被告人佐藤秀夫(以下単に秀夫ということがある。被告人佐藤シヅ子についても同様である。)は、昭和三五年に福島県内の中学校を卒業後、集団就職で上京し、以来、工員、タクシーの運転手など種々の仕事に就きながら、都内各地を転々としていた者、被告人佐藤シヅ子は、埼玉県内で出生し、一六歳のころから、同県内のいわゆる米軍(当時)朝霞キャンプ付近で、米軍人などを相手方として売春をするようになり、以来、結婚したことなどにより中断もあつたが、概ね、同県内の朝霞市内などで売春などをして生活していた者、六田愛子(昭和五年三月二八日生、以下単に六田ということがある。)は、石川県内で出生し、尋常高等小学校を卒業し、洋裁学校に一年間通学した後、工員として働いていたが、昭和二一年ころ両親の許を飛び出し、埼玉県朝霞市内で飲食店の従業員などをして働き、シヅ子とも顔見知りとなり、同じ店で共に売春をしたこともあつた者である。秀夫とシヅ子は、昭和五一年一一月に結婚するとともに、互いに相手方の連れ子と養子縁組をし、子供二人と東京都練馬区石神井町一丁目一番都営南田中住宅三五号棟二〇四号室(鉄筋コンクリート五階建住宅の二階)に居住していたが、昭和五三年七月ころ、埼玉県朝霞市栄町五丁目八番二号所在の店舗を借り受けて、飲食店「三春」を開店し、秀夫が同店のいわゆるマスター、シヅ子がいわゆるママとして働くようになつた。しかし、次第に客足が遠のき、通常の飲食店としての営業だけでは苦しくなつたため、シヅ子と女性の従業員が、同店に来た客などを相手に売春もするようになつたが、右従業員が同店を辞めたため、その代わりに昭和五五年五月ころ六田を雇い入れ、秀夫は、六田に競艇の賭金などを貸し付けたが、その取立のためもあつて、同年一〇月ころから同女にも売春をさせるようになつた。ところで、昭和五六年二月ころ、被告人らは、六田が逃げ出したり、「三春」に関する悪口を言い触らすのを防ぎ、また同女のために借りていたアパート代を節約するため、同女を朝霞市内のアパートから前記被告人ら方に転居させたが、同女の客扱いには、その接待中に居眠りをするなど、種々の不行届きがあり、売春の相手方となつた客からの苦情もあつたため、秀夫は、同女に対し、叱責を加えたうえ、その頭部や顔面を平手あるいは手拳で殴打することがあり、シヅ子も、六田の不手際は、秀夫の注意の仕方が足りないからだなどと言つて、秀夫の右のような行動を助長する態度をとつていた。このようにして、被告人らは、しばしば、「三春」の営業を終えて自宅に帰つた後、六田に対し、布団も与えずにベランダで寝かせるなどの虐待を加えるようになつた。
(罪となるべき事実)
第一 被告人両名は、昭和五六年三月初旬ころの午前零時ころ、前記「三春」店舗内において、六田に対し、営業時間中に居眠りしたことを注意したところ、同女がこれに口答えをしたうえ、シヅ子を片輪者呼ばわりしたことに立腹し、共謀のうえ、シヅ子が同店舗内の石油ストーブにかけてあつた鍋内の熱湯を六田の両下腿部に浴びせ、更に、秀夫が、同女の両肩を同店舗内畳席部分の畳の上に押さえつけたうえ、シヅ子が前同様の熱湯を六田の両下腿部に浴びせ、よつて、同女に対し、加療約一か月間を要する両下腿第三度熱傷等の傷害を負わせた。
第二 同年七月一三日午後一一時ころ、前記「三春」店舗内において、被告人秀夫は、六田の客扱いが悪く、同女が接客中に居眠りをしたことに立腹し、同女に対し、シャッター降し用鉄棒(長さ約1.05メートル、直径約1.3センチメートル、昭和五六年押第二三九号の五)で、その頭部、顔面、肩部及び腰部などを多数回にわたつて強打し、更に、サンダル(同号の七)を履いた右足で、その頭部及び顔面などを多数回にわたつて足蹴にするなどの暴行を加え、その後前記被告人ら方に連れ帰つてからも、被告人両名は、同所において、六田が小便を漏らしたり、食事を摂らないことに立腹し、共謀のうえ、同女に対し、木刀(押収してある木刀、昭和五六年押第二三九号の八と同様のもの)などで、同月一四日の昼ころ、それぞれ、その腰部、腕部を数回殴打するなどの暴行を加え、同日夕刻ころ、シヅ子がその右肩部などを数回殴打し、秀夫が、その胸部、鼻根部を強く突き、その頭部、肩部、腰部を数回殴打するなどの暴行を加え、更に、同月一五日の午前中及び夕刻ころ、それぞれ、右木刀で、その肩部、腕部を数回殴打するなどの暴行を加え、よつて、同女に対し、鼻骨骨折を伴う鼻根部挫創ないし挫裂創、下口唇挫創、後頭部挫創等の傷害を負わせた。このため、同女は、同月一四日の昼から食欲が減退し、同日夕刻からは、食事を殆どしなくなり、また、体温も、同日の夜に、39.5度に達し、以来四〇度を前後し、息遣いも荒い状態が続き、同月一五日午後からは、自力で起き上がることもできず、布団の中で失禁するようになり、同月一六日には、その意識も判然としなくなるなど、かなり重篤な症状を呈するに至つた。ところで、同月一六日当時、六田の容態は、直ちに医師による適切な治療を受けさせれば、死の結果を予防することが十分に可能であり、かつ、被告人らには、同女をして直ちに医師による適切な治療を受けさせ、もつて、その生命を維持すべき法的義務があるにも拘らず、被告人両名は、医師による治療を受けさせた結果、六田に傷害を与えた事実が発覚し、その刑事責任を問われることをおそれるあまり、六田をして、直ちに医師による治療を受けさせなければ、同女が死亡するかもしれないことを認識しながら、それもやむをえないと決意し、共謀のうえ、そのころ以降も、同女に対し、飲み物を吸い呑みで与え、また、自宅内にあつた、化膿止めの錠剤、解熱剤及び栄養剤を投与し、氷枕をあてがうなどしただけで、医師による治療を受けさせるなどの有効適切な救護の措置を講ずることなく、同女を自宅六畳間に就床させたまま、これを放置し、よつて、同月一九日午後一時三〇分ころ、同所において、同女をして、前記創傷を誘因とする心冠動脈狭窄に基づく心機能不全、もしくは、右創傷に起因する感染症、更に合併症としての就下性肺炎、細菌毒素によるシヨツク、炎症による脱水シヨツクないし末梢性循環不全を誘因とする冠動脈閉塞により死亡させて殺害した。
第三 被告人両名は、息子の○○(当時一七歳)と共謀のうえ、同月一九日午後一〇時ころ、前記被告人ら方において、秀夫が、六田の死体をロープ(押収してある白紐三本、昭和五六年押第二三九号の二ないし四はその一部)で縛つたうえ、秀夫と○○において、布団袋(同号の九)に詰めて運び出し、これを自家用普通乗用自動車の後部トランク内に押し込め、翌二〇日午前零時ころ、東京都西多摩郡奥多摩町原九五〇番地(奥多摩有料道路川野料金所から9.8キロメートルの地点付近)に赴き、同所東側道路脇の草地において、秀夫及び右○○が、深さ約三〇センチメートルの穴を掘つたうえ、その中に六田の死体を落とし入れて土石をかぶせて埋め、もつて死体を遺棄した。
(証拠の標目)〈省略〉
(判示第二の殺人罪を認定した理由について)
弁護人は、判示第二の所為について、一、被告人らに不真正不作為犯における作為義務はなかつた、二、被告人らは、六田に対し、飲食物を供与し、各種薬品を投与していたのであるから、不作為には該らない、三、被告人らに殺意はなかつた旨各主張するので、以下、この点について検討する。
一 作為義務について
弁護人は、1、加害行為がいわゆる「先行行為」として不作為による殺人罪の要件である作為義務を発生させるためには、当該加害行為の結果、死に至る高度の蓋然性があることが必要であるが、被告人らの七月一三日ないし一六日の行為は、創傷を生じたとしても、それが六田の直接の死因ではなく誘因に過ぎず、また、医学に素人である被告人らにとつて右創傷を誘因として死亡するに至ることは予見不可能であり、いわゆる「先行行為」には該らない、2、被告人らは、六田の雇主で同居者であるに過ぎず、同女に対する救助を「引き受け」た事実はなく、また、同女を隔離して第三者による救済を不能にするような行為はしておらず「支配領域」に置いた事実もない、として、被告人らには、六田に対する法的作為義務がなかつた旨主張する。
しかしながら、1、前掲の関係各証拠によれば、(一)七月一三日における暴行の態様は、前認定のとおり、かなり強力なものであつたこと、(二)同日ないし一六日の暴行によつて、六田は、その顔面、頭部及び肩部に合計一一箇所の創傷を被り、その中には、長さ約二センチメートルの鼻骨々折を伴う鼻根部正中の創や長さ2.3センチメートルの唇を貫通した下口唇の創など、それ自体、かなりの重傷というべきものがあること、(三)証人内藤道興の当公判廷における供述(以下内藤証言ということがある)によれば、右のような創傷に対して縫合などの治療が施されない場合は、これが細菌の感染を受けて化膿性の炎症を起こす高度の蓋然性が存し、その結果、化膿菌が血中に入つて敗血症等の重篤な症状を来たすなどして死亡する可能性の存すること、このような事実が認められるのであつて、これらを総合すれば、被告人両名は、自己の行為により六田を死亡させる切迫した危険を生じさせた者と認められる。
2、また、前掲の関係各証拠によれば、(一)六田は、知能や判断力がやや劣る者であつたが、被告人らは、昭和五五年五月ころ、このような同女を雇い入れ、同年一〇月ころからは、同女に売春をさせてその代金なども取り上げるようになつたうえ、翌五六年二月ころ、もつぱら被告人らの都合により、六田が二〇年近く住んでいた埼玉県朝霞市内から東京都練馬区内の被告人ら方に転居させ、同所で生活させていたこと、(二)その後、被告人らは、六田に対し、しばしば折檻を加えるようになり、このため、六田も、判示第一記載の被害に遭つた直後ころ、「三春」から一旦逃げ出したが、被告人らは同女を捜し出して、再び元の様に働かせていたこと、(三)一方、六田は、シヅ子が警察にも手を回しているため、警察も被告人らの仕打ちを取り上げないものと考え、日頃の虐待により逃げ出せば殺されるのではないかとの恐怖にかられていたこと、更に、(四)本件七月一三日の事件の際、六田は、一旦「三春」から逃げ出したものの途中で転倒し、これを追いかけた秀夫は、同女を認めて「大丈夫か」などと声を掛けている森田泰蔵に対して「引つ込んでいろ」などと怒鳴りつけたうえ、同女を「三春」店舗内に引きずり込み、同店付近飲食店からの通報により臨場した警察官らが、再三店内に入れるよう要請したにも拘らず、内側から鍵をかけてこれに応ぜず、被告人両名は、右警察官らが、六田の「大丈夫」との声を聞いて、その場を立ち去るや、同女を自家用普通乗用自動車で被告人ら方に連れ帰つていること、(五)翌一四日には被告人らは仕事にも出かけず、同女を見守り、判示の暴行を加えて同女を畏怖させ、同女は被告人らに看護をすべて委ね、病状が進み同月一五日から起居も一人ではできず、自ら救済を求めることもできなかつたこと、以上の事実が認められ、右各事実を総合すれば、本件犯行に至るまでの被告人両名と六田との関係は、単なる飲食店の経営者とその従業員というに止まらず、被告人両名が、六田に対し、その全生活面を統御していたと考えられるのであつて、同女が被告人両名の「家畜」であつたとの検察官の論旨はいささか誇大に過ぎるにしても、これに近い支配服従関係にあつたことは否めないと認められ、また、七月一三日以後、被告人両名において、受傷した六田の救助を引き受けたうえ、同女を、その支配領域内に置いていたと認めるのが相当である。
3、前認定のとおりの六田の創傷の程度及び七月一四日ないし一六日の同女の病状、更に、後述のとおり、その任意性、信用性に疑いをさしはさむ余地がないと認められる、被告人両名の各供述調書によれば、被告人らが、いずれも六田に対し医療行為が必要であると認識し、同月一六日には、同女の死を予見していたと認められることからすると、被告人らが、すでに同月一四日には、同女の創傷が医師による適切な医療行為を必要とする程度の重いものであることを認識し、更に、遅くとも、同月一六日には、同女の死を予見しえ、また予見していたと認めるのが相当である。
以上1ないし3の各事実のほか、本件当時、被告人らが六田をして、医師による治療を受けさせることが格別困難であつたと認められる事情も存しないことを総合考慮すれば、被告人らには、六田に対し、七月一三日ないし一五日の暴行による創傷の悪化を防止し、その生命を維持するため、同女をして医師による治療を受けさせるべき法的作為義務があつたというべきである。
二 不作為について
弁護人は、不真正作為犯たる殺人罪が成立するためには、当該不作為が作為犯たる殺人罪における定型的実行行為と同価値であること、すなわち、生命維持に必要な行為を積極的に放棄ないし阻止していることを要するが、被告人両名は、六田に対し、同女の生命維持に必要な基本的行為たる飲食物の供与のほか、化膿止めの錠剤、解熱剤及び栄養剤を投与し、氷枕をあてがうなどの被告人らにとつて最善と思われる治療をなしていたのであるから、殺人罪の実行行為と同価値の不作為には該当しない旨主張する。
しかしながら、前掲の関係各証拠によれば、1、当時、六田が必要としていた処置は、創傷の消毒・縫合、症状に即応した抗生物質の投与、持続点滴などであつたこと、2、被告人らがなした右のような薬品の投与は、しないよりまし、といつた程度のものであり、被告人らも、六田の病状に鑑み、医師による適切な医療的処置を必要としていることを認識しながら自己の犯罪発覚を恐れ、単なる気休め程度の考えで、そのような行為をするにとどめていたこと、3、被告人らが、同女をして、右1記載の処置を受けさせることは容易であつたこと、が認められる。これらを総合すれば、前認定のとおり、被告人らに課せられた作為義務の内容は、自ら与えた創傷の悪化を防止すべく、医師による適切な治療を受けさせること、というものであり、本項冒頭記載のような行為を被告人らがしていたことのみをもつて、右作為義務を果たしたとは到底認められないばかりか、前認定のような被告人らと六田との関係、被告人らが七月一三日以後同女を支配内においていたことも考え合わせると、病状が悪化していくにもかかわらず適切な医療措置を講じさせないという不作為は、不作為による殺人の実行行為と評価できる。
三 殺意について
弁護人は、被告人らに殺意はなかつた旨主張し、当公判廷において、秀夫は、七月一八日に至つて初めて六田の死を予見した旨、シヅ子は、六田が死亡するまで、同女の死を予見しなかつた旨各供述する。
しかしながら、シヅ子の当公判廷における供述態度は、およそ真摯にその感得した事実を供述しているとは認められず、また、被告人両名の捜査段階における供述証拠を除いた他の証拠によつても、1、六田の病状は、ほぼ前認定のとおりのものであつたと認められるところ、この点に関する被告人両名の当公判廷における各供述は、これと少なからぬくい違いを見せていること、2、七月一七日、秀夫とシヅ子が、六田はもうだめではないかとの話をしていたと認められること、などに徴すれば、被告人らの右のような当公判廷における各供述は、俄には信用し難い。
結局、六田の病状、これをめぐる被告人らの言動などのほか、被告人両名も、捜査段階においては、七月一六日に同女の死を予見し、これもやむをえないと思つた旨供述していることに鑑みれば、被告人らは、それぞれ、同日に、未必的殺意を抱いていたと認めるのが相当である。
なお、弁護人は、被告人両名が殺意を認めた各供述調書は、いずれも、長時間にわたる精神的威圧の下で、誘導、理詰めの尋問などに基づき作成されたものであつて、任意性がない旨主張する。
しかしながら、右各供述調書においては、被告人らの争つている点は、そのまま記載されており、その時々の被告人らの供述するところをそのまま録取したと認められ、取調官から何らかの強制が加えられたことを窺わせる形跡は見当たらない。結局、右各供述調書は、その任意性に疑いをさしはさむ余地はなく、その内容も、他の証拠から認められる客観的状況とよく符合し、その信用性も高いと認められる。
以上の次第で、被告人らの判示第二の所為に関する弁護人の各主張は、いずれも採用しえないものというべきである。
(法令の適用)〈省略〉
よつて、主文のとおり判決する。
(和田啓一 犬飼眞二 富永良朗)
+判例(東京高H19.1.29)
被告人の作為義務について
1 被告人は、被害児の実父でもないし、被害児の母親であるAと婚姻しているわけでもないから、被害児を救命することについて、身分関係を基礎とした作為義務が生じることはないといえる。
しかし、以下の事情を総合考慮すると、条理ないし社会通念から見て、被告人には、不作為の殺人罪における作為義務となる、被害児を救命すべき作為義務があったと認められる。
なお、原判決は、被告人の作為義務として、「その救命のために速やかに医療機関による治療を受けさせるべき義務」を認定している。そのことに誤りはないが、共犯者との同一の表現になっているところから、その意義について補足しておく。
原判決にも「被告人の負うべき治療機会提供義務は、被害児の実母である共犯者のそれを補完するものにとどまる」旨説示されているように、実母である共犯者と被告人の各作為義務が完全に同一の内容であるわけではない。
被告人の負う原判決のいう治療機会提供義務は、被告人自身がその義務を直接果たす作為に出ることを不可欠の要件としているわけではなく、Aを始めとする第三者を介して、或いは働きかけるなどして、最終的に治療機会提供義務が尽くされるようにすることによっても果たされるものであるが、同時に、単に自分の希望を表明したり、相手の意向を打診したりするといった程度では足りず、確実に治療機会提供義務が尽くされるようにする必要はあるものといえる。
原判決も、同趣旨と解される。ここでは、そのことを前提として、前記のように、便宜「被害児を救命すべき作為義務」という言い方をしている。
2(1) Aとの前記合意がその作為義務を認める基軸となる事柄であることは明らかである。同時に、被告人が、その合意を反故にして、被害児の救命のための行動に出ることを困難とする事情など何もなかったのである。
(2)ア そして、本件では、その合意に加えて、被告人とAや被害児との生活実態といった事情も、被告人の作為義務を認める根拠の一つとなり得るものと解される。即ち、〈1〉被告人は、Aと恋愛関係となり、原判決説示のとおり、同居を提案して、被害児を連れて実家を出たA親子を受け入れ、平成16年4月22日ころから、被告人の自室に住まわせ、以後被害児死亡当日まで約9か月にわたって(原判決が、作為義務の発生時期としている「12月上旬」、当裁判所のこれまでの認定によれば、それは遅くとも12月6日ということになるが、それまでに限っても、7か月余りの期間ということになる。)、3人で一緒に生活をしてきた、〈2〉被告人は、Aが食事の準備等ができないときは、Aに代わって食事を作ったこともあったし、被害児を風呂に入れたり、寝かしつけたりしたこともあり、8月7日には、Aと被告人とで、被害児の誕生日祝いもし、被害児も被告人に懐くなど円満な生活を送っていた、〈3〉ところが、被告人は、9月に入って、被害児を疎んじるようになって、結局は被害児を死亡させる契機を作った、〈4〉Aは、スナックや派遣先の職場で働きながら、交通費や昼食代といった経費を除いた収入全額を被告人に渡していたこともあって、被告人も出張ホストのアルバイトをしたことがあるものの、3人の生活費は、主として、Aの収入と被告人の実家からの5~6万円の仕送りに頼っており、被告人は、収入面からだけ見ると、Aに依存していたともいえるが、一家の金銭を一人で管理して家計を取り仕切り、被告人に好意を寄せているAの心情も考慮すれば、一家の実権を握っていたのは被告人であった、などが、その生活実態であった。
なお、原判決は、前記のような生活実態の一つとして、Aが被害児に対して行った叩くなどの虐待行動に、被告人も、寝具等を新聞紙で代替することを示唆するなど一定程度関与していたことも挙げている。
しかし、被害児の右大腿骨の骨折がその虐待によるものであるとすれば、まさに看過できない事柄といえることは明らかであるものの、原判決自身、その発生原因や、仮に虐待によるものとした場合の加害者を具体的に認定しているわけではないから、虐待に関する点は、作為義務に関する生活実態からは、一応除外して考えることにした。
また、生活実態に関連するものとして付言すれば、原判決にある、被告人が「日常生活を謳歌」していた旨の措辞は、適切さに欠けている。
イ 被告人が、被害児との同居を望んだからといって、事後的な殺人の作為義務の発生根拠と直ちになるものではないことは、明らかである。
しかし、本件は、原判決も指摘しているように、被害児を救命するための行動に出ることのできる者がAを除くと被告人しかいないといった、密室的な環境の中での不作為による殺人事件であることからすれば、前記のような生活実態といったものも、被告人の前記作為義務を認める根拠の一つとなることを肯定して良いと解される。
換言すれば、被告人が、そのような作為義務を負わないようにしようと思えば、〈1〉A親子との同居を速やかに解消する、〈2〉被害児を疎んじる態度を直ちに改めて、Aに対して被害児を適切に養育するように真剣に働きかける、〈3〉関係者などに伝えて被害児の苦境の速やかな打開を図る、など比較的容易に取り得る手段が他に複数あり得たから、前記のような作為義務を被告人に認めたからといって特に過大な義務を負わせることにはならないからである。
3 以上の検討からすれば、被告人に対して作為義務を認めた原判決の判断は、その結論において支持することができる。
+判例(H17.7.4)
理由
弁護人西村正治及び被告人本人の各上告趣意のうち、憲法21条違反をいう点は、本件公訴の提起及び審理が被告人やその関係する団体に対する予断等に基づくものとは認められないから、前提を欠き、その余の弁護人西村正治の上告趣意は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、その余の被告人本人の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、引用の判例が事案を異にし、あるいは所論のような趣旨を判示したものではないから、前提を欠き、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由に当たらない。
なお、所論にかんがみ、不作為による殺人罪の成否につき、職権で判断する。
1 原判決の認定によれば、本件の事実関係は、以下のとおりである。
(1) 被告人は、手の平で患者の患部をたたいてエネルギーを患者に通すことにより自己治癒力を高めるという「シャクティパット」と称する独自の治療(以下「シャクティ治療」という。)を施す特別の能力を持つなどとして信奉者を集めていた。
(2) Aは、被告人の信奉者であったが、脳内出血で倒れて兵庫県内の病院に入院し、意識障害のため痰の除去や水分の点滴等を要する状態にあり、生命に危険はないものの、数週間の治療を要し、回復後も後遺症が見込まれた。Aの息子Bは、やはり被告人の信奉者であったが、後遺症を残さずに回復できることを期待して、Aに対するシャクティ治療を被告人に依頼した。
(3) 被告人は、脳内出血等の重篤な患者につきシャクティ治療を施したことはなかったが、Bの依頼を受け、滞在中の千葉県内のホテルで同治療を行うとして、Aを退院させることはしばらく無理であるとする主治医の警告や、その許可を得てからAを被告人の下に運ぼうとするBら家族の意図を知りながら、「点滴治療は危険である。今日、明日が山場である。明日中にAを連れてくるように。」などとBらに指示して、なお点滴等の医療措置が必要な状態にあるAを入院中の病院から運び出させ、その生命に具体的な危険を生じさせた。
(4) 被告人は、前記ホテルまで運び込まれたAに対するシャクティ治療をBらからゆだねられ、Aの容態を見て、そのままでは死亡する危険があることを認識したが、上記(3)の指示の誤りが露呈することを避ける必要などから、シャクティ治療をAに施すにとどまり、未必的な殺意をもって、痰の除去や水分の点滴等Aの生命維持のために必要な医療措置を受けさせないままAを約1日の間放置し、痰による気道閉塞に基づく窒息によりAを死亡させた。
2 以上の事実関係によれば、被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。その際、被告人は、患者の重篤な状態を認識し、これを自らが救命できるとする根拠はなかったのであるから、直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、上記医療措置を受けさせないまま放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪が成立し、殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となると解するのが相当である。
以上と同旨の原判断は正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号、181条1項本文、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 福田博 裁判官 滝井繁男 裁判官 津野修 裁判官 今井功)
++解説
《解 説》
1 本決定の理解のためには,事実関係を押さえる必要があると思われるので,やや詳しくなるが,2審判決の認定した本件の経過について概略説明する。
被告人は,昭和58年ころから,有限会社ライフスペースの代表取締役として自己開発セミナーを開催するなどしていたが,平成7年に起きたセミナー受講生の死亡事件をきっかけに,同社がカルト団体と見られるようになって受講生が激減し,代表取締役を退いた。他方で,被告人は,平成6年ころから,インドの教育哲学者サイババの弟子であると名乗るようになり,その後,自らをサイババによって指名された「シャクティパット・グル」であると称するようになって,手の平で患者の患部をたたいて「シャクティ」というエネルギーを通すことにより患者の自己治癒力を高めるという「シャクティパット治療」(以下「シャクティ治療」という。)を施す特別の能力を有するとして信奉者を集め,秘書らを通じて自己の考えを「メッセージ」として発するようになり,平成9年5月には,被告人の正しい「メッセージ」を伝えることなどを目的とする「シャクティパット・グル・ファウンデーション(SPGF)」という団体が設立された。
被告人の信奉者で友人でもあったAは,脳内出血で倒れ,意識障害のある重篤な状態で兵庫県内の病院に入院し,点滴による水分補給や薬物投与,痰を除去する措置等を受けていた。主治医の診断は,出血は止まっており手術の必要はないが,3日から1週間は様子を見る,治療には3,4週間を要し,その後はリハビリをする,快復後も右半身の麻痺等が残るなどというものであった。Aの息子でSPGFのメンバーであったBは,Aに後遺症を残さないようにしたいと考え,被告人に連絡して,シャクティ治療の有効性を尋ねた(なお,兵庫県内の病院にいるBと千葉県成田市内のホテルにいる被告人との連絡は,全て,電話又は電子メールで被告人の秘書を介して行われている。)。被告人は,それまで脳内出血等の重篤な患者につきシャクティ治療を施したことはなかったが,Bに対し,シャクティ治療が有効である旨の応答をした。なお,被告人は,かねて薬物が人体に有害であるとの見解を述べており,Bは,Aに投与される薬物の害についても心配していた。Bが,主治医に対し,シャクティ治療をAに受けさせたいとの希望を伝えたところ,主治医は,Aを病院外に移動することは3,4週間は絶対にできず,すぐに移動すれば命の保証はない,病院内でシャクティ治療を行うことは,病院の治療に支障がない限り可能である旨を答えた。そこで,Bは,被告人に対し,3,4週間後に移動できるようになってからシャクティ治療をスタートするのが最善であるが,もっと早く治療を始めなければならないとの被告人の見立てであれば,病院まで来て治療してほしいと頼んだ。これに対し,被告人は,シャクティ治療は成田で行う,走らなければ移動させても大丈夫であるなどと答えた。Bは,主治医に対し,投与される薬物の負担に対する懸念を述べるとともに,できるだけ早くシャクティ治療を受けさせたいとの希望を述べるなどした。主治医は,点滴を外したらAは干からびてしまうし,衰弱しているから肺炎で死亡する危険がある,退院に向けて点滴と流動食を併用できるようになるまでにも10日間は要する旨の説明をした。Bは,これを10日間で退院できるとの趣旨に誤解した上,その旨を被告人に連絡したところ,被告人は,点滴は非常に危険であり,動けないというのには根拠がない,3日以内に退院の日取りの確約がなければ秘書に相談するようになどと述べた。さらに,その後,Bからの経過報告に対し,被告人は,その都度,「今日,明日が山場です。Bも早くグルの所に帰っておいで。これ以上いると,病院のおもちゃにされてしまうぞ。」「もう夜逃げしかないんだ。私は明日ここにいる。明日中に私の所に来るんだよ。」などと指示した。Bは「グル」である被告人を深く信頼していたことから,上記指示により,Aを病院から運び出す決意を固め,被告人の信奉者らの協力を得て,医師らの反対を押し切って,上記指示の翌日で入院から8日後に当たる日に,Aの身体から点滴装置,痰を除去する装置等を外し,意識が回復していないAを車いすに乗せて病院から運び出し,飛行機等を利用して上記ホテルの客室まで運び込んだ。ここにおいて,被告人は,「グル」である被告人を全面的に信頼し,シャクティ治療により後遺症を残さずにAを治癒させることを念願するBらから,重篤な状態にあるAに対する手当てを現実にゆだねられた。被告人は,Aに対し,同所において,2日間にわたり合計3回のシャクティ治療を施したが,痰の除去や水分の点滴等,Aの生命維持のために必要な医療措置を受けさせずに放置し,Aがホテルに運び込まれた翌日,痰による気道閉塞に基づく窒息によりAを死亡させた。
2 被告人は,Bに指示してAを病院から運び出させた時点から未必的な殺意を有していたとして,殺人罪で起訴され,1審判決もほぼ公訴事実どおり認定し,Bらと共謀の上,Aを病院から連れ出した作為と,運び込まれたホテルでAを放置した不作為の複合した殺人罪に当たるとして,被告人を懲役15年に処した。
被告人から控訴した。2審判決は,Bらに指示してAを病院から運び出させた行為は客観的には殺人罪の実行行為に当たるが,その時点で被告人に未必的殺意を認めるには合理的な疑いが残るとした。その上で,2審判決は,Aがホテルに運び込まれてその容態を現認した時点では,被告人は,そのままではAが死亡する危険があると認識したが,Aに救急医療を受けさせたのでは,病院から運び出させた自己の判断の誤りを露呈することになり,シャクティパット・グルとしての権威が著しく失墜することから,Aが死亡してもやむを得ないと考えるに至ったものと認定した。そして,その段階で被告人にはAの生命維持のために必要な医療措置を受けさせる義務があったものと認め,これを怠りAを放置して死亡させた不作為による殺人罪が成立し,Bらとの関係では保護責任者遺棄致死の限度で共同正犯となるとして,1審判決を破棄の上,被告人を懲役7年に処した。
被告人から上告して,憲法違反,判例違反の主張などを展開し,原判決が不作為による殺人罪を認めたことを争うなどした。
本決定は,憲法違反,判例違反の主張が前提を欠き,あるいは実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であるとして不適法とした上,不作為による殺人罪について職権で判断を示した。
3 不作為による殺人罪については,大判大4.2.10刑録21輯90頁が,もらい受けた生後6か月の子に生存に必要な食物を与えず餓死させた事案において,「養育の義務を負う者が殺害意思をもってことさらに被養育者の生存に必要なる食物を給与せずよってこれを死に致したるときは殺人罪となる」としている。その他,下級審の裁判例に,不作為による殺人罪を認めたものがある(名古屋地岡崎支判昭43.5.30下刑10巻5号580頁,福岡地久留米支判昭46.3.8判タ264号403頁,前橋地高崎支判昭46.9.17判時646号105頁,東京地八王子支判昭57.12.22判タ494号142頁等,その他のひき逃げ事案として,横浜地判昭37.5.30下刑4巻5=6号499頁,東京地判昭40.9.30下刑7巻9号1828頁,判タ185号189頁等)。
これまで,最高裁の判例では,不作為による放火罪に関するもの(最三小判昭33.9.9刑集12巻13号2882頁)があるが,不作為による殺人罪の成否につき判断を示したものはなかった。
4 学説は,一般に,通常は作為により実現されることが想定される構成要件を不作為により実現するいわゆる「不真正不作為犯」を認める。ただ,その成立範囲が不明確なことから,例外的なものに限定する必要があるといわれている。その基準として,社会生活上,その人が当然にその法益の保護に当たるべき地位すなわち「保障人的地位」にあるときに法律上の作為義務があるとするのが一般で,そのような地位を生ずる根拠については,法令,契約・事務管理,慣習,条理(特に先行行為)など多元的なものに求めるのが通説である(団藤,平野,大塚,福田等)。しかし,例えば,道交法上の救護義務違反が直ちに不作為による殺人罪とならないように,一定の作為を義務付ける「法令」があるだけで刑法上の作為義務が基礎付けられるわけではなく,それ以外の実質的考慮が働いていることは否定できない。そこで,近時は,作為義務の発生根拠の根底にある実質的な要素を分析して,「先行行為」「事実上の引受行為」「結果に対する排他的な支配」あるいは「支配領域性」などの要件に帰一させ,不作為犯の成立範囲を限定しようとする見解も有力である(日高義博『不真正不作為犯の理論』148頁,堀内捷三『不作為犯論』249頁,西田典之「不作為犯論」芝原邦爾ほか編『刑法理論の現代的展開(総論1)』80頁,佐伯仁志「保証人的地位の発生根拠について」香川達夫博士古稀祝賀『刑事法学の課題と展望』95頁,山口厚『刑法総論』(補訂版)84頁等)。
5 本決定は,前述のような経過で,被告人において,入院中の患者を運び出させて自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上,患者の運び込まれたホテルで,被告人を信奉する患者の親族から患者に対する手当てを全面的にゆだねられた状態にあったものと認めた。その際,患者の重篤な状態を認識し,これを自らが救命できるとする根拠はなかったのであるから,被告人は,直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものとし,未必的な殺意をもって,上記医療措置を受けさせないまま放置して死亡させた被告人には,不作為による殺人罪が成立し,殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となるとした(なお,Bは保護責任者遺棄致死罪による執行猶予付き有罪判決を受けている。)。
以上のとおり,本決定は,具体的な事実関係の下で,被告人が,自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた点と,被告人を信奉する患者の親族から重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあった点を重視して,被告人の作為義務を認めている。本件は,いわゆる「先行行為」「事実上の引受行為」「結果に対する排他的な支配」あるいは「支配領域」のいずれについても肯定することのできる事案と思われ,通説及び前記有力説中どの見解に立っても,被告人の作為義務の発生根拠を説明することができると思われるが,各説を検証する上で興味深い事例といえよう。
なお,殺意のない患者の親族との関係で保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となるとした点は,真正不作為犯と不真正不作為犯の共同正犯を認め,かつ共犯者間に錯誤があることによるものであり,通常の処理と思われる。
6 本件は特殊な事件に関する事例判断ではあるが,不作為による殺人罪の成立を認めた最高裁として初めての判例であり,今後の実務や不真正不作為犯に関する議論にも有益な示唆を与えるものと思われる。
(5)Aの作為義務
(6)因果関係
ア 不作為犯における因果関係
一定の期待された作為を仮定したうえで、その作為がされれば結果を回避できたかどうかを判断することになる。
+判例(S63.1.19)
理由
弁護人池宮城紀夫、同新里恵二、同上間瑞穂連名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の点は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。なお、保護者遺棄致死の点につき職権により検討すると、原判決の是認する第一審判決の認定によれば、被告人は、産婦人科医師として、妊婦の依頼を受け、自ら開業する医院で妊娠第二六週に入つた胎児の堕胎を行つたものであるところ、右堕胎により出生した未熟児(推定体重一〇〇〇グラム弱)に保育器等の未熟児医療設備の整つた病院の医療を受けさせれば、同児が短期間内に死亡することはなく、むしろ生育する可能性のあることを認識し、かつ、右の医療を受けさせるための措置をとることが迅速容易にできたにもかかわらず、同児を保育器もない自己の医院内に放置したまま、生存に必要な処置を何らとらなかつた結果、出生の約五四時間後に同児を死亡するに至らしめたというのであり、右の事実関係のもとにおいて、被告人に対し業務上堕胎罪に併せて保護者遺棄致死罪の成立を認めた原判断は、正当としてこれを肯認することができる。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦)
イ 不作為犯における因果関係の認定
作為がされれば合理的な疑いを超える程度に確実に結果が発生しなかったといえることが必要
+判例(H1.12.15)
理由
被告人本人の上告趣意のうち、憲法三八条違反をいう点は、原判決が被告人又は共犯者の自白のみによって被告人を有罪としたものでないことは判文に照らして明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいうかのような点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、弁護人吉川由己夫の上告趣意は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
なお、保護者遺棄致死の点につき職権により検討する。原判決の認定によれば、被害者の女性が被告人らによって注射された覚せい剤により錯乱状態に陥った午前零時半ころの時点において、直ちに被告人が救急医療を要請していれば、同女が年若く(当時一三年)、生命力が旺盛で、特段の疾病がなかったことなどから、十中八九同女の救命が可能であったというのである。そうすると、同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるから、被告人がこのような措置をとることなく漫然同女をホテル客室に放置した行為と午前二時一五分ころから午前四時ころまでの間に同女が同室で覚せい剤による急性心不全のため死亡した結果との間には、刑法上の因果関係があると認めるのが相当である。したがって、原判決がこれと同旨の判断に立ち、保護者遺棄致死罪の成立を認めたのは、正当である。
よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫 裁判官 園部逸夫)
ウ 第三者の行為の介在した場合
+判例(H2.11.20)
理由
弁護人門井節夫の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑所法四〇五条の上告理由に当たらない。
なお、原判決及びその是認する第一審判決の認定によると、本件の事実関係は、以下のとおりである。すなわち、被告人は、昭和五六年一月一五日午後八時ころから午後九時ころまでの間、自己の営む三重県阿山郡a町b町所在の飯場において、洗面器の底や皮バンドで本件被害者の頭部等を多数回殴打するなどの暴行を加えた結果、恐怖心による心理的圧迫等によって、被害者の血圧を上昇させ、内因性高血圧性橋脳出血を発生させて意職消失状態に陥らせた後、同人を大阪市a区b所在の建材会社の資材置場まで自動車で運搬し、右同日午後一〇時四〇分ころ、同所に放置して立ち去ったところ、被害者は、翌一六日未明、内因性高血圧性橋脳出血により死亡するに至った。ところで、右の資材置場においてうつ伏せの状態で倒れていた被害者は、その生存中、何者かによって角材でその頭頂部を数回殴打されているが、その暴行は、既に発生していた内因性高血圧性橋脳出血を拡大させ、幾分か死期を早める影響を与えるものであった、というのである。
このように、犯人の暴行により被害者死因となった傷害が形成された場合には、仮にその後第三者により加えられた暴行によって死期が早められたとしても、犯人の暴行と被害の死亡との間の因果関係を肯定することができ、本件において傷害致死罪の成立を認めた原判断は、正当である。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 坂上夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎)
++解説
《解 説》
一、事案の概要は、以下のとおりである。被告人は、昭和五六年一月の夜三重県内の自己の飯場において被害者の頭部を洗面器等で多数回殴打するなどの暴行(第一暴行)を加えた後、意識を失った同人を約一〇〇キロメートル離れた大阪府の南港まで運んで資材置場に放置したまま立ち去ったところ、同所において何者かが被害者の頭頂部を角材で数回殴打する暴行(第二暴行)を更に加えた。そして、翌日未明に被害者は内因性高血圧性橋脳出血により死亡したが、この傷害は第一暴行によって形成されたものであり、第二暴行は幾分かその死期を早める影響を与えるものであったと認められた。このような事実関係を前提にして、本決定は、被告人の第一暴行と死亡との因果関係を肯定したものである。
本件は、次のような訴訟経過を辿った。
検察官は、①第一、第二暴行とも被告人によって加えられたものであり、②第二暴行を加えた際には殺意を抱いていた、③第二暴行による頭部打撲により被害者が死亡したとの見解に立ち、全体として殺人罪に当たるとして起訴した。公判において被告人は、第一暴行を加えたこと及び大阪の港まで被害者を搬送して放置したまま立ち去ったことは認めたが、第二暴行を加えた点については否認し、右の争点をめぐって証拠調べが行われた。その後の審理において特筆すべき点として、まず、第二暴行を自白した被告人の捜査官に対する供述調書全部について、任意性に疑いがあるとして、その証拠能力が否定されたことが挙げられる(この決定は、刑裁月報一六巻三・四号三四四頁に登載されている。)。また、被害者の死因に関して、捜査段階の鑑定受託者は、起訴状に沿う知見を示していたのに対して、公判における鑑定は、第一暴行に起因するものであるとの見解に立つものであったため、検察官の請求により、「第一、第二の一連の暴行により内因性高血圧性橋脳出血により死亡させた」旨の予備的訴因の変更が行われている。
一審判決は、第二暴行の存在は、現場に残された角材に付着した血痕や被害者頭部の傷害から認定できるが、それが被告人によるものであるとするにはなお合理的疑いが残るとする一方で、第二暴行による殴打行為と被害者の死亡との間に因果関係はなく、これに先立つ被告人の第一暴行と死亡(死因は、内因性高血圧性橋脳出血)との間の因果関係が肯定できるとして、傷害致死罪を認定した。
被告人の控訴趣意中事実誤認の所論の中心は、第二暴行が被害者の死亡に何らかの影響を与えたのであるから、第一暴行との因果関係は否定されるべきであるという点にあった。
これに対して二審判決は、新たな鑑定結果をも踏まえた上で、「被告人の飯場での暴行により既に死因となるに十分な程度の内因性高血圧性橋脳出血が被害者に惹起され、それのみによって近接した時間内に被害者は死に至ったものと認められるのであり、それに対し南港における角材暴行は、それによって頭蓋骨骨折や頭蓋内出血あるいは脳挫傷等の頭蓋内損傷が引き起こされていないことなどに照らすと、いまだ死に至る脳傷害をもたらす程度のものとは認められず、せいぜい既に発生していた右内因性高血圧性橋脳出血を拡大させ幾分か死期を早める影響を与えたにとどまると推認される」として、傷害致死罪の成立を認めた一審の判断を是認した。
本決定は、右のような一、二審の認定事実を前提にした上で、第三者の暴行が介在した場合でも、当初の被告人の暴行と死亡との間の因果関係が認められる旨の職権判断を示したものである。
二、因果関係について判例は、従来の学説の対立についてどの立場をとるかを明言することを避けて、具体的事例を通じてその考え方を示していくという態度を堅持してきており、集積された事例について類型的にその判断基準を検討することが必要であると考えられてきた。いま、第一暴行の後第三者による第二暴行が加えられ、被害者が死亡した場合を類型化すると、①第一暴行により死因が形成され、第二暴行はその死期を早めるにとどまった場合、②第一暴行と第二暴行が重畳的に作用して死因が形成された場合、③第一暴行により重篤な傷害が発生したが、第二暴行によりこれとは無関係の傷害が生じ、後者が原因で死亡した場合、④競合して死の結果が生じたのか、第二暴行のみが死の原因になったのか不明の場合といった分類が可能であろう。これらの類型に関して因果関係を判断した先例は極めて限られており、②の類型に属するケースについて第一暴行との因果関係を肯定したものとして、大判昭5・10・25刑集九巻七六一頁がある程度である(なお、最三小決昭42・10・24刑集二一巻八号一一一六頁、本誌二一四号一九八頁―いわゆる米兵ひき逃げ事件―は、当初の行為が過失行為であった点で直接の先例とは言いがたいが、④の類型の結論を考えるに当たって参考になる事案であったと理解される。)。
本件は、右①の類型に属する事案について因果関係を肯定した初めての最高裁判例である。右の大審院の判断からすれば、本件についても因果関係が肯定されることになろうし、また、学説上のどの見解に立っても、おそらく異論はないのではないかと思われるが、①の類型は、第三者の介在の影響が(死期を早めるという)最小限の程度にとどまったという点で、この種事例の基本型に当たるともいうことができ、その点に本決定の先例的意義を認めることができよう(なお、一、二審判決は、第二暴行と死亡との間の因果関係はない旨を判示しているが、本決定は、その点に関しては判断を示しておらず、なお議論の余地があるように思われる。)。
最近の因果関係論の状況について概説したものとして、曽根威彦「因果関係論」法学教室一〇三号、一〇四号、一〇五号がある。
+判例(H4.12.17)
理由
弁護人森本宏、同内藤秀文、同山本健司の上告趣意は、判例違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でないから、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
なお、所論にかんがみ、被告人の過失行為と被害者の死亡という結果との間の因果関係につき、職権により判断する。
一 本件の事実関係は、原判決及びその是認する第一審判決の認定によると、次のとおりである。
1 被告人は、スキューバダィビングの資格認定団体から認定を受けた潜水指導者として、潜水講習の受講生に対する潜水技術の指導業務に従事していた者であるが、昭和六三年五月四日午後九時ころ、和歌山県a町の海岸近くの海中において、指導補助者三名を指揮しながら、本件被害者を含む六名の受講生に対して圧縮空気タンクなどのアクアラング機材を使用して行う夜間潜水の講習指導を実施した。当時海中は夜間であることやそれまでの降雨のため視界が悪く、海上では風速四メートル前後の風が吹き続けていた。被告人は、受講生二名ごとに指導補助者一名を配して各担当の受講生を監視するように指示した上、一団となって潜水を開始し、一〇〇メートル余り前進した地点で魚を捕えて受講生らに見せた後、再び移動を開始したが、その際、受講生らがそのまま自分についてくるものと考え、指導補助者らにも特別の指示を与えることなく、後方を確認しないまま前進し、後ろを振り返ったところ、指導補助者二名しか追従していないことに気付き、移動開始地点に戻った。この間、他の指導補助者一名と受講生六名は、逃げた魚に気をとられていたため被告人の移動に気付かずにその場に取り残され、海中のうねりのような流れにより沖の方に流された上、右指導補助者が被告人を探し求めて沖に向かって水中移動を行い、受講生らもこれに追随したことから、移動開始地点に引き返した被告人は、受講生らの姿を発見できず、これを見失うに至った。右指導補助者は、受講生らと共に沖へ数十メートル水中移動を行い、被害者の圧縮空気タンク内の空気残圧量が少なくなっていることを確認して、いったん海上に浮上したものの、風波のため水面移動が困難であるとして、受講生らに再び水中移動を指示し、これに従った被害者は、水中移動中に空気を使い果たして恐慌状態に陥り、自ら適切な措置を採ることができないままに、でき死するに至った。
2 右受講生六名は、いずれも前記資格認定団体における四回程度の潜水訓練と講義を受けることによって取得できる資格を有していて、潜水中圧縮空気タンク内の空気残圧量を頻繁に確認し、空気残圧量が少なくなったときは海上に浮上すべきこと等の注意事項は一応教えられてはいたが、まだ初心者の域にあって、潜水の知識、技術を常に生かせるとは限らず、ことに夜間潜水は、視界が悪く、不安感や恐怖感が助長されるため、圧縮空気タンク内の空気を通常より多量に消費し、指導者からの適切な指示、誘導がなければ、漫然と空気を消費してしまい、空気残圧がなくなった際に、単独では適切な措置を講ぜられないおそれがあった。特に被害者は、受講生らの中でも、潜水経験に乏しく技術が未熟であって、夜間潜水も初めてである上、潜水中の空気消費量が他の受講生より多く、このことは、被告人もそれまでの講習指導を通じて認識していた。また、指導補助者らも、いずれもスキューバダイビングにおける上級者の資格を有するものの、更に上位の資格を取得するために本件講習に参加していたもので、指導補助者としての経験は極めて浅く、潜水指導の技能を十分習得しておらず、夜間潜水の経験も二、三回しかない上、被告人からは、受講生と共に、海中ではぐれた場合には海上に浮上して待機するようにとの一般的注意を受けていた以外には、各担当の受講生二名を監視することを指示されていたのみで、それ以上に具体的な指示は与えられていなかった。
二 右事実関係の下においては、被告人が、夜間潜水の講習指導中、受講生らの動向に注意することなく不用意に移動して受講生らのそばから離れ、同人らを見失うに至った行為は、それ自体が、指導者からの適切な指示、誘導がなければ事態に適応した措置を講ずることができないおそれがあった被害者をして、海中で空気を使い果たし、ひいては適切な措置を講ずることもできないままに、でき死させる結果を引き起こしかねない危険性を持つものであり、被告人を見失った後の指導補助者及び被害者に適切を欠く行動があったことは否定できないが、それは被告人の右行為から誘発されたものであって、被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定するに妨げないというべきである。右因果関係を肯定し、被告人につき業務上過失致死罪の成立を認めた原判断は、正当として是認することができる。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達)
++解説
《解 説》
一 本件の事実関係は、本決定自体に相当詳しく摘示されているが、要するに、潜水指導者として潜水技術の指導業務に従事していた被告人が、昭和六三年五月の午後九時ころ、和歌山県串本町の海岸近くの海中で、指導補助者三名を指揮しながら、本件被害者を含む六名の受講生に対して夜間潜水の講習指導を実施し、一団となって潜水を開始して一〇〇メートル余り前進した地点で魚を捕えて受講生らに見せた後、再び移動を開始する際、受講生らの動向に注意することなく不用意に移動して受講生らのそばから離れたため、同人らを見失うに至り、その後、二記載のような客観的経緯をたどって、受講生が海中ででき死したというものである。
二 本件は、右でき死事故に関して、潜水指導者に業務上過失致死罪が成立するとされた事件であるが、潜水指導者の過失と受講生のでき死という結果との間に、指導補助者及び被害者自身の不適切な行動が介在していたため、因果関係の存否が争われた。すなわち、被告人は、一、二審においては、因果関係のほかに過失の存在も争ったが、一審が、被告人には、「各受講生の圧縮タンク内の空気残圧量を把握すべく絶えず受講生のそばにいてその動静を注視し、受講生の安全を図るべき業務上の注意義務があるのに、」「不用意に一人その場から移動を開始して受講生のそばを離れ、間もなく同人らを見失った過失」があったとして、業務上過失致死罪の成立を認め(罰金一五万円)、控訴審も被告人の控訴を棄却したため、上告して、次のように主張した。
本件においては被告人の過失と結果発生との間に、取り残された指導補助者が、被告人の事前の注意に反して、受講生らと共に沖に向かって数十メートル水中移動を行うといった勝手な行動を採った上に、被害者の空気残圧量が少なくなっていることを確認していたにもかかわらず水中移動を指示するという致命的な判断ミスを犯したこと、さらに被害者本人による自分の空気残圧量を確認することなく右指導補助者の指示に従って、水中移動中に空気を使い果たし水中で残圧ゼロの事態を迎えるという極めて不注意なミスが介入しており、その結果、被害者が恐慌状態に陥り、自ら適切な措置を採ることができないままに、海中ででき死するに至るという結果が発生したものである。そうすると、本件は、いわゆる米兵ひき逃げ事件についての最三小決昭42・10・24刑集二一巻八号一一一六頁、本誌二一四号一九八頁(自動車運転手の被害者をはねた過失と被害者の死亡との間に、同乗者による被害者を車の屋根から路上へひきずり落とすという行為が介在した事案について、右運転者の過失と結果との間の因果関係を否定したもの)と比較しても、被告人の過失と結果との間に因果関係を認めることはできない事案であり、これを認めた原判決は右判例に違反する。
三 本決定は、本件は右判例とは事案を異にするとして、上告趣意を適法な判例違反の主張と取り扱わなかったが、因果関係について職権で次のような判断を示し、被告人に業務上過失致死罪の成立を認めた原判断を是認した。
前記のような事情に加えて、本件受講生らは、まだ初心者の域にあって、潜水の知識、技術を常に生かせるとは限らず、ことに夜間潜水は、通常より多量に空気を消費し、指導者からの適切な指示、誘導がなければ、漫然と空気を消費してしまい、空気残圧がなくなった際に、単独では適切な措置を講ぜられないおそれがあったこと、特に被害者は、潜水経験に乏しく技術が未熟であって、夜間潜水も初めてである上、潜水中の空気消費量が他の受講生より多く、被告人もそのことを認識していたこと、また、指導補助者らも、その経験は極めて浅く、潜水指導の技能を十分習得していなかったことなどの事情があった本件事実関係の下では、被告人が、夜間潜水講習中に不用意に移動して受講生らを見失うに至った行為は、それ自体が、被害者をして、海中で空気を使い果たし、適切な措置を講ずることもできないままに、でき死させる結果を引き起こしかねない危険性を持つものであり、被告人を見失った後の指導補助者及び被害者の不適切な行動は、被告人の右行為から誘発されたものであって、被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定するに妨げない。
四 因果関係の問題について判例は、それが極めて個別的色彩が強い問題であることなどからして、明確な理論的立場の表明を避け、具体的な事例の集積を通じてその考え方を示していく態度を基本としているといわれる。そこで、本件のように、被告人の過失と結果との間に、第三者ないし被害者の落度が介在した事例(監督過失的態様のものを除く。)に関する最高裁の先例をみると、次のようなものがある(⑥を除いていずれも因果関係を認めた事例である。)。
まず、第三者の落度が介在した事例としては、
① 最三小判昭28・12・22刑集七巻一三号二六〇八頁(病院薬剤師、薬剤科事務員、看護婦らの過失が順次競合して、患者にぶどう糖注射液と誤信して劇薬を注射し、中毒死させたもの。業務上過失致死等事件)
② 最一小決昭32・1・24刑集一一巻一号二三〇頁(国鉄信号保安係員の過失と機関車脱線との間に、他の国鉄職員の過失が介入。業務上過失往来妨害事件)
③ 最二小決昭34・5・15刑集一三巻五号七一三頁(油槽船甲板長のガソリン流出に関する過失と港内での船舶火災との間に、石油会社火気取扱責任者の過失が介入。重過失失火事件)
④ 最二小決昭35・4・15刑集一四巻五号五九一頁(鉄道職員の過失の順次競合。業務上過失致死傷事件。いわゆる桜木町駅事件)
⑤ 最三小決昭36・9・26刑集一五巻八号一五一一頁(鉄道職員の過失の競合。業務上過失傷害、業務上過失往来妨害事件)
⑥ 前記最三小決昭42・10・24刑集二一巻八号一一一六頁(業務上過失致死等事件)
等があり、被害者の落度が介在した事例として、
⑦ 最一小決昭63・5・11刑集四二巻五号八〇七頁、本誌六六八号一三四頁(医師の資格のない柔道整復師の誤った指示に患者が忠実に従った結果、その病状が悪化し死亡したもの。業務上過失致死事件)
がある。
五 これらの先例と比較した場合の本件の特徴としては、そもそもその過失態様自体、夜間潜水講習中に潜水指導者が受講生らを見失った過失により受講生ができ死するという珍しい事例であること、因果関係に関してみても、被告人の過失と結果発生との間に、第三者たる指導補助者及び被害者自身による結果発生に直結したとみられる不適切な行動が順次介入するという、これまでの先例に類例のみられない類型であることが指摘できる。加えて、本決定は事実の経過のみならず、被害者ないし第三者側の事情についても、前記三のとおり相当詳しい事実関係を摘示した上で、これらの事実関係によれば、因果関係が認められるとの結論を示している。このように、本決定は、事例判例ではあるが、最高裁として新たな類型について貴重な積極判断例を付け加えるものであり、介入事情が存する場合における因果関係の問題を考えるに当たって、格好の素材を提供するものといえよう。
なお、被告人の過失と結果との間に被害者の落度が介在した場合の因果関係の問題について判断を示した最近の先例として前記⑦があるが、同決定の特徴として危険の現実化に重点を置いた説示がみられることがあげられている(永井敏雄・昭63最判解説(刑)二七五頁)。同様の傾向は、本決定にも、前記のとおり被害者、第三者側の事情をも踏まえた上で「(被告人の)行為は、それ自体が……被害者をして……でき死させる結果を引き起こしかねない危険性を持つもの」との説示がみられることなどからして、これをうかがうことができるように思われる。併せて、本決定の趣旨を考えるに当たっては、本決定が第三者及び被害者の不適切な行動があったことを認めながら、因果関係を肯定する理由付けとして、それが「被告人の右行為から誘発されたもの」であることを指摘していることの意味合いも検討の対象となろう(被告人の行為自体が有する危険性ないしその具体的な実現を意味するものとみる、又は相当性判断における介入事情の異常性を否定する趣旨のものとみる、など種々の理解が可能であろう。)。
(7)故意
未必の故意を含む。
(8)殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別
殺意の有無で区別!
3.Bの罪責
(1)問題の所在
(2)①の行為
・作為者と不作為者の共謀共同正犯
+判例(大阪高判H13.6.21)
第3 破棄自判
以上のとおりであって、結局、花子事件についての弁護人の事実誤認の論旨には理由がないが、花子事件及び秋子事件についての検察官の事実誤認の論旨には、いずれも理由があるところ、原判決は、以上の両事件に関する原判示第一及び第二の各殺人の事実が、原判示第三の詐欺の事実と刑法四五条前段の併合罪の関係にあるものとして、一個の刑をもって処断しているのであるから、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決は、結局、その全部について破棄を免れない。よって、その余の検察官の量刑不当の論旨に関する判断を省略し、同法四〇〇条ただし書に従い、当裁判所において、被告事件について、更に次のとおり判決する。(罪となるべき事実)
被告人は、
第1 平成六年二月七日、甲野太郎と婚姻し、同年三月上旬ころから、大阪市大正区三軒家東〈番地略〉所在のB株式会社社宅〈略〉号室で居住していたものであるが、長女花子(同年四月二六日生)の発育が遅れがちで愛嬌がないなどとして、日ごろ同児を疎ましく感じていたところ、平成七年九月二三日、被告人の両親から同児の発育が不良だとして、太郎とともに、その育児方法等について厳しく注意を受けるなどしたことから、夫婦で同児を一層嫌悪するようになり、同年一〇月末ころ、太郎から「食わん奴には、もう飯食わすな。」などと花子に今後食事を与えないようにと言われ、ここに、同児に対し、生存に必要な飲食物を与えないで殺害しようと決意し、太郎と共謀の上、そのころから、同室において、同児が泣くときなどにわずかな菓子やジュースを与えたりする以外には、同児に飲食物を与えず、同児が栄養失調により徐々にやせ細るのを放置し続け、よって、平成八年一月四日、同室又は同室から同市此花区西九条〈番地略〉所在の財団法人大阪市救急医療休日診療所に向かう自動車内において、同児を栄養失調に基づく全身衰弱により死亡させ、もって、殺害した
第2 平成九年六月上旬から、神戸市西区平野町西戸田〈番地略〉所在のC株式会社社宅〈略〉号室に一家で居住していたものであるが、出生を望まないまま産み落とした三女秋子(平成八年五月三一日生)を、日ごろから太郎とともに疎ましく感じ、同児がいない方がよいとの思いから、同児を花子と同じ様に餓死させようなどと話し合い、離乳食を与える時期になってもこれを与えず、ミルクだけを与えていたため、同児が日々やせ細っていたところ、平成九年七月二一日ころ、同児のことを心配して同室を訪れた母親から、「秋子にちゃんと食べさせているの、花子みたいにしたら承知しないよ。私が連れて帰って育てる。」などと言われたことから、もう、秋子を餓死させても、これを取り繕うことはできず、かといって、他に秋子を亡き者にするための適当な方法も見出せないまま、互いに追い詰められた心境に立ち至っていた折りから、同月二七日午後一一時ころ、同室において、太郎とともに就寝しようとした際、同児が泣き出したため、被告人において、同児にミルクを与えた後、再び寝ようとしたものの、同児が泣き止まず、太郎からは、「秋子、泣いているぞ。静かにさせろ。」「うるさいんじゃ、何でもいいいから黙らせ。」などと再三にわたって言われ、やむなく起き上がったが、同児の世話をしようとはせず文句だけを言う身勝手な太郎と、ミルクを与えても泣き止もうとしない秋子に立腹し、秋子の傍らにしゃがみ込んで、仰向けに寝ていた秋子の顔面及び腹部を右手拳で数回ずつ殴打し、同児を両手で抱き上げて、敷布団上に数回叩きつけたが、太郎が一向に制止しようとしないことから、秋子を抱きかかえて、隣室に置かれたこたつの前に移動して立ち、同児を自分の右肩付近まで持ち上げたまま、太郎の方を振り返り、同人に対し「止めへんかったらどうなっても知らんから。」と申し向けて、太郎の意向を問いただしたところ、これに背中を向けて布団上に横臥していた太郎において、顔だけを被告人の方に向けて、秋子を抱え上げた被告人の表情等を見て、被告人が同児をこたつの天板に叩きつけようとしていることに気付いたが、嫌悪していた秋子を被告人に殺害させる意図から、黙ったまま顔を反対側に背けたことから、その様子を見た被告人においても、太郎が自分を制止する気がなく、自分に同児を殺害させようとしていることを知り、ここに太郎と暗黙のうちに秋子を殺害することを共謀の上、被告人において、右肩付近に持ち上げていた秋子をこたつの天板目がけて思い切り叩きつけ、約一メートル下方のこたつの天板上にその後頭部を強打させ、よって、同年八月一一日午後一時三〇分ころ、同市中央区港島中町〈番地略〉神戸市立中央市民病院において、同児を頭部外傷に基づく急性硬膜下血腫による低酸素性脳障害により死亡させ、もって、殺害した
第3 太郎と共謀の上、太郎と明治生命保険相互会社との間で新夫婦保険付帯ファミリー特約(子型)契約を締結していたことから、被告人らが殺害した三女秋子が事故死したように装って前記ファミリー特約に基づく保険金を詐取しようと企て、同年九月一一日ころ、同市西区糀台〈番地略〉西神センタービル七階明治生命保険相互会社神戸支社西神営業所において、同営業所係員西井英理に対し、真実は、被告人らが前記第2のとおり秋子を殺害したのにこれを秘し、「平成九年七月二七日午後一一時三〇分ころ、神戸市西区平野町西戸田〈番地略〉C内〈略〉号室において、階段を降りようとした時に滑って、過って抱いていた秋子を落としてしまった」旨虚偽の内容を記載した受傷事情書、医師姜裕作成名義の「甲野秋子が、平成九年八月一一日午後一時三〇分ころ、神戸市中央区港島中町〈番地略〉神戸市立中央市民病院において、急性硬膜下血腫により死亡した」旨記載された死亡診断書等を保険金請求書とともに提出して、秋子の死亡に基づく保険金を請求し、前記西井及び同会社担当者をして、真実秋子が階段から過って落ちて死亡したもので、死亡保険金及び災害保険金の支払いをしなければならないものと誤信させ、よって、同年九月二六日、同会社係員をして、同市西区王塚台〈番地略〉株式会社さくら銀行西神中央支店太郎名義の普通預金口座に死亡保険金等名下に九〇万一四八円を振込送金させて、これを詐取した
ものである。
(証拠の標目)〈省略〉
(法令の適用)
被告人の判示第1及び第2の各所為は、いずれも刑法六〇条、一九九条に、判示第3の所為は、同法六〇条、二四六条一項に該当するところ、判示第1及び第2の各所為につき、いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、刑及び犯情の最も重い判示第2の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役一五年に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中五五〇日を前記の刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して、これらを被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は、被告人が、当時の夫太郎と共謀して、(1)当時一歳八か月の長女花子を、自宅において餓死させて殺害し(判示第1)、(2)当時一歳二か月の三女秋子を、自宅のこたつの天板に思い切り叩きつけ、後頭部外傷に基づく急性硬膜下血腫による低酸素性脳障害により死亡させて殺害し(判示第2)、(3)上記秋子を殺害したことを隠し、事故死したように装って、保険会社を欺き、保険金九〇万円を騙し取った(判示第3)という、夫婦による幼児虐待に伴う二件の殺人及びこれにまつわる一件の保険金詐欺の事案である。
(1)の犯行は、明確な生活設計を持たず、無計画に妊娠、出産を繰り返すなかで、夫の協力も得られないまま、育児や家事に自信が持てず、かといって、近隣住民や自己の両親らから育児の不手際を責められることを毛嫌いしていた被告人が、花子に対して、上手に離乳食を与えることができず、その成長の遅さを周囲から指摘されるようになって、次第に同児をうとましく感じるようになっていたところ、夫から、これからは食事を与えなくてもよいと指示されるに及んで、唯々諾々とこれに従い、夫とともに、同児を餓死させて殺害することを決意したというものであり、(2)の犯行も、秋子に対し、出産当時から、その出生を望んでいなかったとして、成長の途上にあるのに、離乳食を与えることを拒否するほどこれを嫌悪しては、夫とともに暴力を振るうなどの虐待を繰り返し、なんとか、同児を亡き者にしようとして、夫とともに、事故死を装って同児を殺害することまで相談するなど、あれこれと苦慮していた折から、泣き止もうとしない秋子を黙らせるよう夫から指示されて口論となり、被告人において、同児に激しい暴行を加え、さらに、怒りに駆られるまま、同児をこたつの天板に叩きつける姿勢を示したのに、夫が制止するどころか、これを積極的に承認し、殺害したい意向であることを察して、夫とともに殺害を決意した、というものである。花子及び秋子は、被告人ら両親の適切な保護の下でなければ、健全な成長はおろか、その生存すらも覚束ない幼児であったのに、被告人及び太郎は、そのことを一顧だにすることなく、上記のような身勝手かつ無責任極まりない動機から、わずか一年半余りのうちに、相次いで、親の手で殺害することを企図したというのであって、その経緯や動機は、人道に悖ること甚だしく、許し難いものである。
犯行の態様も、(1)の犯行においては、長期間にわたって、その生存に必要な飲食物を一切与えず、同児が食卓に近寄ってきても、これを払いのけるなどということまでし、生命維持に到底役立たないことを熟知しながら、同児が泣き止まないときなどに、わずかの菓子類やジュースを与える程度で、しかも、これらを、被告人ら自らの手から与えるのではなく、同児の傍らに置くにとどめるといった冷酷なものであったのであり、こうして、日々やせ細って衰弱し、しまいには、骨と皮ばかりとなって、動くことも、声を上げることすらできない状態にまで陥らせ、そのような状況に至っていることを知悉しながら、なおも放置を続け、ついに餓死させたというものであり、(2)の犯行は、離乳食も与えることなく、成長も遅れて衰弱した状態にある同児に対し、日頃から殴るなどの虐待を繰り返し、ついに、激情に駆られたあげく、布団の上に繰り返し落下させるなどの激しい暴力を加えた上、最後には、夫とともに殺害を決意して、こたつの天板に後頭部から叩きつけて死亡させた、というものであって、ともに、冷酷非情かつ残忍というほかはなく、悪質極まりない。さらに、これらの犯行後、被告人らは、犯行を隠蔽するための種々の画策まで弄し、これによって当面の事態が切り抜けられたとみるや、それまでと全く変わることのない無計画、無軌道な日常に埋没するという生活態度を取ってきたものであって、被告人及び太郎らが取ったそのような所業の中からは、実の子を死なせてしまったということに対する、被告人らの、親として、あるいは人間としての道徳的な悔悟の念の断片すらも見出すことは困難であったといわねばならない。
最も愛情を注がれて大切に養育されるべき立場にある両親から、かような身勝手極まりない動機によって、かくも無慈悲、無情な態様の仕打ちを受けて殺害された花子及び秋子は、誠に哀れというほかはなく、もたらされた結果は余りにも重大であり、本件が、社会に与えた影響も軽視することができない。
(3)の犯行も、上記のような犯行に走りながら、なんら反省・悔悟することなく、金銭欲に駆られるまま、その事故死を装って敢行したものであって、動機に酌むべきものはなく、態様も悪質である。騙し取った現金は、短期間のうちに、生活費や遊興費に費消してしまっており、被害弁償もなされていない。
そうすると、夫の太郎が、苦しい経済事情の下、育児や家事の負担を被告人にのみ押しつけ、被告人に精神的に依存するだけの生活態度を続け、そのような事情が本件各犯行の重要な背景となっていたこと、(1)の犯行では、太郎が犯行を直接指示したという経緯があること、(2)の犯行でも、夫である太郎において、被告人の行為を制止する機会が十分にあったのに、そのような行為に出ることなく、むしろ、太郎自らが手を下さずに、被告人の手により殺害を実行させたという側面があったこと、被告人においては、本件で逮捕、起訴され、公判審理が進む中で、ことの重大性に対する自覚を深め、犯した罪の重さを一生背負っていく覚悟を固めるに至っており、真摯な反省の態度を示していること、被告人には、前科がないことなど、被告人のために酌むべき事情を十二分に考慮しても、被告人に対しては、主文の刑は免れないと思料される。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・那須彰、裁判官・樋口裕晃、裁判官・宮本孝文)
++解説
《解 説》
一 本件は、被告人が、当時の夫と共謀して、(1)当時一歳八か月の長女を殺害しようと決意し、二か月間以上にわたりその生育に必要なだけの飲食物を与えず、自宅において栄養失調に基づく全身衰弱により死亡させて殺害し、(2)深夜、当時一歳二か月の三女が泣き出したことから、同児を殺害しようと決意し、被告人において、顔面、腹部を殴打した上、だき抱えた同児を布団上に叩きつけ、更にこたつの天板に叩きつけてその頭部を強打させ、頭部外傷等による急性硬膜下血腫により死亡させて殺害し、(3)三女を殺害したことを隠して、同児が事故死したように装って、保険会社を欺いて、保険金約九〇万円を騙し取ったとして、二件の殺人罪及び詐欺罪で起訴された事案である。
二 原判決は、(1)については、二か月余りの犯行期間中に、被告人に長女を死亡させることにつき逡巡する気持ちがあったことなどを理由に未必的殺意の限度で殺意を認め、(2)については、三女の殺害につき、被告人と夫との共謀を否定して、被告人の単独犯と認定した上、やはり未必的殺意の限度で殺意を認め、(3)については、ほぼ起訴事実どおりの認定をして、被告人に懲役一三年の刑を言い渡したところ、検察官からは、(1)については、被告人に確定的殺意が認められるとし、(2)については、被告人には三女の殴打開始時点から、同児に対する未必的殺意が認められる上、こたつの天板上に叩きつける時点では、被告人と夫との間に殺人の共謀と確定的殺意が認められるから、原判決には事実誤認があるとし、仮に、原判決が認定した事実関係を前提としても、原判決の量刑が軽すぎて不当であるとして、他方、弁護人は、(1)について、被告人は、長女に殺意を抱いたことも、夫とその殺害を共謀した事実もないから、保護責任者遺棄致死罪を適用すべきであり、原判決には事実誤認があるとして、それぞれ控訴の申立がなされた。
三 本判決は、(2)につき、殴打開始時点からの未必の故意を認めなかった以外は、検察官の事実誤認の主張を容れて、原判決を破棄し、新たに認定した事実(判文を参照されたい。)を基に、改めて被告人に懲役一五年の刑を言い渡したものである。まず、本判決は、(1)については、被告人と夫の捜査段階の供述内容と本件の事実経過につき詳細な検討を加えた上、被告人と夫の共謀内容は、その日以降、長女に対して、正規の食事を与えずに死亡させるという明確な合意を内容としており、その後同児には全く正規の食事が与えられたことがなく、前記合意内容を変更した形跡もなく、同児が死亡した場合には、拒食症だということにしようと話し合っていたことなどに照らすと、被告人の殺意は、相当に強固なものであったと推認されるとし、一時的に同児を死亡させることにためらいの気持ちを抱いたとしても、その殺意につき、全体的に法的評価を加えると、確定的殺意に該当するとみるのが相当であるとした。原判決と本判決で、殺意の程度に関する認定評価が分かれた大きな理由は、原判決が、今後は長女に飲食物を与えないという夫との共謀成立後も、被告人が、長女を餓死させることに時折ためらいの気持ちを覚えて、わずかながらも菓子やジュース等の飲食物を与え続け、その身の回りの世話をし、死亡までに二か月余りを要したことを被告人の殺意の弱さに結び付け、未必的殺意に止まるとしたとみられるのに対し、本判決は、被告人が、長女を直ちに死なせることに対する一時的な逡巡からだけではなく、泣き止まない長女を泣き止ますための手段としたり、同児が拒食症により次第に衰弱して死亡したと見せかけることをも考えて、周囲の者に怪しまれることがないように、わずかな量の飲食物を時折長女の傍らに置くに止め、身の回りの世話をしていたともみられるとし、これらの被告人の行為や死亡までに時間を要した点が、被告人の確定的な殺意と矛盾するような事情ではないとしたことによるとみられる。
また、本判決は、(2)については、同様に詳細な事実関係を認定した上、本件犯行に至る経緯や動機、犯行態様、本件犯行前後の被告人の言動や行動状況を総合して、被告人が三女をこたつの天板に叩きつけた時点における確定的殺意とその時点における夫との同児殺害の共謀を肯認したが、本判決が認定した共謀の事実関係は、被告人が、こたつの前に立ち、三女を右肩付近に抱え上げた状態で、布団上にいた夫の方を振り向き、夫に制止を求める気持ちから、止めなかったらどうなっても知らない旨警告的な言葉を発したのに、夫が、一旦は被告人と目を合わせたものの、被告人に背中を向け、これを制止しようとしなかったことから、被告人において、三女をこたつの天板に投げつけて殺害するのを夫が容認したと理解したとし、他方、夫も、被告人と同様三女の親権者、保護者の立場にあり、その場で被告人の本件犯行を制止することができた唯一の人物であったのに、被告人が三女をこたつの天板に叩きつけようとしているのを十分理解し、被告人の前記発言の意味及び制止を求める気持ちをも熟知しながら、自らも三女に死んで欲しいという気持ちから、被告人と一旦合った目を逸らし、あえて被告人を制止しないという行動に出ることによって、三女を殺害するのを容認したといえるとして、この時点で、両者間に同児を殺害する暗黙の共謀が成立したとしたものである。本判決は、三女にミルクを与えるだけで離乳食を与えず栄養不良状態に陥れたり、殴打するなどの虐待を続けるなどしていたという本件に至るまでの経緯に加え、言葉による相談を経た共謀ではなく、被告人の発言に背を向けて、その行動を制止しなかったという夫の不作為的態度を主たる根拠として、夫婦間における三女殺害の暗黙の共謀を認めたものであり、共謀の成立過程に関する判断として興味深い事例である。本件に比較的類似した事例としては、内縁の夫が幼児にせっかんを加えているのを知りながら母親である被告人がこれを放置して同児を死亡させたことが傷害致死幇助罪に問われたものとして、札幌高判平12・3・16本誌一〇四四号二六三頁、判時一七一一号一七〇頁がある。不作為犯と共犯の問題をどのように解するかについては、学説上も諸説がみられるところである(中義勝「不作為による共犯」刑法雑誌二七巻四号一頁(七三九頁)、神山敏雄『不作為をめぐる共犯論』(成文堂)を参照されたい。)が、本判決は、新たな一事例を付け加えるものであり、実務の参考になろう。なお、被告人と同一事実で起訴され、原審の途中まで被告人と一緒に審理を受けていた夫については、大阪地裁(本件とは別の合議体)において、長女及び三女に対する確定的殺意及び被告人との共謀が認められて、懲役一八年の刑が言い渡されたが、本判決後の平成一三年九月二一日、大阪高裁第三刑事部において量刑不当(刑事訴訟法三九七条一項、二項)を理由に原判決が破棄され、懲役一五年の刑が確定している。
(3)②の行為
ア 不作為と共犯
イ 不作為犯に対する幇助犯
肯定。
ウ 片面的幇助
幇助を受けているとの意識が正犯になくても、正犯の実行行為を容易にすることは可能であり、文理上も、刑法60条が共同正犯の成立要件として犯罪の「共同」実行を規定しているのに対し、刑法62条は意思の連絡又は相互了解を求めていないことから認められていると解される!!
+(共同正犯)
第六十条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
(幇助)
第六十二条 正犯を幇助した者は、従犯とする。
2 従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。
エ 幇助行為の時期
オ 幇助の故意
幇助者が①正犯の実行行為を認識し、かつ、②自己の幇助行為が正犯の実行を容易にさせるものであることを認識、認容する必要がある!!!!
カ 不作為犯に対する幇助犯の成立を認めた裁判例
+前橋地高崎支判S46.9.17
(4)結論