行政法 基本行政法 行政の存在理由・行政法の特色~民事法刑事法との比較~


1.鉄道運賃・料金の規制

+判例(H1.4.13)近鉄特急事件
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人大原健司、同佐井孝和、同島川勝、同辻公雄、同山川元庸、同安木健の上告理由第一点について
地方鉄道法(大正八年法律第五二号)二一条は、地方鉄道における運賃、料金の定め、変更につき監督官庁の認可を受けさせることとしているが、同条に基づく認可処分そのものは、本来、当該地方鉄道利用者の契約上の地位に直接影響を及ぼすものではなく、このことは、その利用形態のいかんにより差異を生ずるものではない。また、同条の趣旨は、もっぱら公共の利益を確保することにあるのであって、当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することにあるのではなく、他に同条が当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することを目的として認可権の行使に制約を課していると解すべき根拠はない。そうすると、たとえ上告人らが近畿日本鉄道株式会社の路線の周辺に居住する者であって通勤定期券を購入するなどしたうえ、日常同社が運行している特別急行旅客列車を利用しているとしても、上告人らは、本件特別急行料金の改定(変更)の認可処分によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということができず、右認可処分の取消しを求める原告適格を有しないというべきであるから、本件訴えは不適法である。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は独自の見解に基づき原判決を非難するものであって、採用することができない。
同第二点について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであって、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巖 裁判官大堀誠一)

上告代理人大原健司、同佐井孝和、同島川勝、同辻公雄、同山川元庸、同安木健の上告理由
第一 原告適格について
原判決は、上告人らの原告適格に関し行政事件訴訟法九条の解釈を誤り、結論に影響を及ぼす法令違反を犯している。以下その理由を述べる。
一 第三者の原告適格
1 はじめに
原審判決は、上告人らの訴えの利益を否定し、訴えを却下した。しかし特急料金の認可処分権限の存しない大阪陸運局長が料金変更を認可した近鉄特急は日々運行され、近鉄は上告人らをふくむ一般通勤客から莫大な特急料金を徴収している。原審判決で訴えの利益が否定されても、一審判決の認めた被上告人近畿運輸局長の処分権限の違法は放置されたままである。この違法状態の是正を誰が求めうるのであろうか。
認可処分の名宛人である近鉄はこの値上認可処分によって利益を受けるのであるから、処分の違法を争うことはありえない。認可処分によって料金の変更が行われ、値上げされた特急料金を支払わされる上告人ら乗客以外にない。
そもそも司法制度は、不利益を受けた者が、裁判所に提訴し不利益の回復が図られ、総体としての社会秩序が維持されることが予定されている。利益を受けた者が裁判所に費用と労力を費して、自己の利益を削減することを求めることはありえないし、法の予定しているところではない。不利益を受けた者がその痛みを原動力として、訴訟が起動するのである。行政事件訴訟においても、その構造は変るところではない。行政事件訴訟法九条の処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者とは、まさに行政庁の処分によって不利益を受けた者を指すのであり、処分の形式的な名宛人に限定されるものではない。
2 第三者の原告適格
そもそも、社会の複雑化・多様化とともに、現代の行政は国民生活と深いかかわりをもつようになり、行政庁の処分が及ぼす影響の範囲が拡大する一方であることは、否定することができない事実である。それはたんに、処分の名宛人のみならず、第三者に対してもしばしば大きな影響を及ぼす。したがって行政庁の違法な公権力の行使により権利・利益を侵害された国民は、裁判所にその救済を求めることができるとするのが、法の支配の理念に適う。行政処分の効果に応じて行政庁の処分の取消を求めうる者の範囲は、必然的に拡大されざるをえない。
我国の多くの判例もその傾向を示しており、第三者の原告適格を次第に拡大しつつあるのが現状である。
最高裁昭和三七年一月一九日判決(判例時報二九〇号六頁)によれば、既存の公衆浴場営業者は第三者に対する公衆浴場営業許可処分の無効確認を求める訴の利益が認められた。公衆浴場は都道府県知事の営業許可を受けることを要する営業であるが、公衆浴場の配置について配置の適正を欠く場合に営業許可を与えられないことがある。右判例の事案は、既存の公衆浴場営業が第三者に与えられた営業許可につき、営業許可の配置基準に合致しないものであり、自分達の営業上の利益が侵害されるとして、新たな者が受けた営業許可処分を争った事案である。
この事案は、結局のところ新たに営業許可を受けた者が、公衆浴場の配置に関する許可基準に適合しない営業許可を受けた場合、営業許可を受けた者自体は、許可処分の違法を争うことがありえないから、その営業許可処分によって不利益を受ける第三者、すなわち既存の公衆浴場営業者に許可処分の違法を争わせるのが合理的であると判断されたのである。
次に、近鉄の地方鉄道事業と同様の地域独占企業に対する行政庁の供給条件の認可処分に対し、一般消費者に原告適格を認めた東京地裁判決(昭和四三年七月一一日判例時報五三一号二四頁)が注目されるべきである。
右の判決では本来ガス会社が負担しなければならない工事費を消費者に負担することを認めたガス会社に対する通産大臣の特別供給条件の違法を争うにつき、ガスの供給希望者に原告適格を認めた。本件特急料金の場合、上告人らは近鉄の地域独占の結果、日々通勤のために近鉄を利用せざるをえない立場にあり、ガス会社に対する供給希望者と類似の法律関係であるから、上告人らに原告適格が認められるべきである。
また原子炉設置許可処分の取消を求める地域住民の行政訴訟では、地域住民に原告適格が認められている(例えば伊方原子力発電所事件松山地方裁判所判決昭和五三年四月二五日判例時報八九一号三八頁)。原子力発電所の行政訴訟では、地域住民の主張するのは、将来の被害の可能性であり、被害の及びうる地域住民に原告適格が認められているのである。
以上のように見て来ると、第三者に原告適格が認められるか否かは、結局のところ、当該行政処分によって直接かつ重大な不利益を被る者又はその可能性のある者に処分の違法を争わせるのが適正かつ合理的であり、行政処分の形式上の名宛人であるか否かは、原告適格を判断するうえ最終的な決め手になるものではないのである。
二 ジュース表示事件判決及び長沼ナイキ基地事件判決について
原判決は、行政事件訴訟法九条の法律上の利益を有する者の解釈に関し、最高裁のいわゆるジュース表示事件(昭和五三年三月一四日判決)を引用して、反射的利益を論じ、いわゆる長沼ナイキ基地事件(昭和五七年九月九日判決)を引用して、公益との関係を論じ、本件の原告適格を否定する論拠として判示している。原判決の判示はいずれも誤りであり、かつ最高裁判決の判断の及ぶ範囲を誤ってしたものであるので、以下批判する。
1 ジュース表示事件判決について
原判決は「法律上保護された利益とは、行政法規が私人等権利主体の個人的利益を保護することを目的として、行政権の行使に制約を課していることにより保護されている利益であって、それは、行政法規則が他の目的、特に公益の実現を目的として行政権の行使に制約を課している結果たまたま一定の者が受けることとなる反射的利益とは区別されるべきである」と判示している。
そもそも反射的利益、ないし事実上の利益の考え方は原告適格の制限する理論として登場してきたものであるが、何が反射的利益か、あるいは法律上の利益か事実上の利益かは、必ずしも明らかではなく、判決の結論は区々に分かれており、原告適格有無の統一的な判断基準とはなりえない(甲第四〇号証千柄泰論文七二ないし七五頁参照)。結局、行政処分の結果原告がこうむる不利益の内容と程度を考慮して、ある場合は法律上の利益とし、ある場合は反射的利益ないし事実上の利益としているものと言っても決して過言ではない。
最高裁は、ジュース表示事件において、景表法(不当景品類及び不当表示防止法)の規定により一般消費者が受ける利益は、同法の規定の目的である公益の保護の結果として生ずる反射的利益ないし事実上の利益であり、法律上保護された利益ではないと判示した。
しかしながら、右最高裁判決は第三者の原告適格の枠を狭く解するものとして批判が強いばかりか、公益と消費者の個々的利益の関係のとらえ方についても疑問が呈されている。
すなわち、一般消費者の利益といっても、結局個々の消費者の利益の総和にすぎないのに、右判決はこれを無視しており、一般消費者の利益すなわち「公益」(判決はそう解しているようである)に個々の消費者の権利を否定する作用を果させているのである(甲第四二号証布村勇二論文八三頁参照)。結局、最高裁判決によれば、行政の処分による影響が厖大な数の国民に及べば及ぶほど、「個々の国民の利益が公益に包摂される」ことになって、違法な処分から国民を救済する途が閉ざされる結果となる。これはまことに奇妙な論理というほかない。(なお右論文のほか最高裁判決を批判するものとして甲第四三号証上原敏夫論文二一七、二一八頁等がある。甲三九号証の一田中舘論文も最高裁判決に反対である。)
2 長沼ナイキ基地事件判決について
原判決は、長沼ナイキ基地事件判決を引用して以下のとおり判示している。
「法律が対立する利益の調整として一方の利益のために他方の利益を制約する場合、それが、個々の利益主体間の利害の調整を図るというよりむしろ、一方の利益が現在及び将来における不特定多数の顕在的又は潜在的な利益の全体を包含するものであることに鑑み、これを個別的利益を超えた抽象的・一般的な公益としてとらえ、かかる公益保護の見地からこれと対立する他方の利益に制限を課したものとみられるときには、通常、当該公益に包含される不特定多数者の個別的に帰属する具体的利益は、直接的には右法律の保護する個別的利益としての地位を有せず、いわば右の一般的公益の保護を通じて付随的、反射的に保護される利益たる地位を有するにすぎないとされているものと解され、ただ特定の法律の規定が、これらの利益を専ら右のような一般的公益の中に吸収せしめるにとどめず、これと並んで、それらの利益の全部又は一部につきそれが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべき趣旨を含むものと解されるときは、右法律に違反してされた行政庁の処分に対し、これらの利益を害されたとする個々人においてその処分の取消しを訴求する原告適格を有するものと解せられる。」
ところで、最高裁判決は、<1>法が不特定多数者の個別的利益を超えた抽象的・一般的な公益の保護を目的としている場合には、公益に包含される不特定多数者の個別利益の侵害は単なる反射的利益の侵害にとどまり、その侵害を受けた者は処分の取消しを求めることができないこと、<2>他方で、法が公益とならんで個々人の個別的利益を保護するべきものとすることも可能であって、特定の法律がこのような趣旨を含むものと解されるときは、処分によって利益を侵害されたとする個々人が処分の取消しを求めることができること、以上の二点を一般論として判示しているのである。要するに、最高裁判決は、法が公益のみの保護を目的としているか、個々人の個人的利益をも保護しているかによって、利益を侵害されたとする個々人の原告適格の存否が決せられるべきであるということを述べているのであり、原判決が判示しているように、法が公益の保護を目的としている場合には、個々人について原告適格が認められるのは例外的な場合に限るべきであるなどと解する余地はどこにもないのである。
さらに付言すると、被上告人らは原審において長沼ナイキ基地判決につき、最高裁は、<1>森林法が保安林の指定に「直接の利害関係を有する者」に対して一定の権利を与えていること、<2>旧森林法には保安林の編入解除に関し「直接の利害関係を有する者」に行政訴訟の提起を認める規定があり、これが裁判事項の制限的列挙主義を廃した行政事件訴訟特例法の制定にともない廃止されたこと、以上の二点を原告適格を認める根拠として挙げていることを述べ、原告適格が認められるためには、このような具体的な規定によって個々人の利益が保護されていることが最低限必要であるというのが最高裁の判断であると解されると主張していた。
最高裁判決において、原告適格を認める根拠として右二点を挙げていることは事実である。しかしながら、森林法のような具体的規定によって個々人の利益が保護されていることが、原告適格肯定の最低限度の要件であるとするのは論理の飛躍である。すなわち、長沼ナイキ基地訴訟においては、森林法に前記のような規定があったために、原告適格を肯定する際にその根拠としてこれらの規定の存在を挙げるのは当然のことである。このような規定が存在しない場合、そのことを根拠に原告適格を否定したのであれば、被上告人の主張するとおりであろうが、そうでない以上最高裁が原告適格について右のように限定的に解していると断定するのは、論理の飛躍というべきである。
被上告人の主張するとおり、原告適格が認められるためには前記のような具体的な規定が最低限必要だとすれば、法律の列記する事項についてのみ出訴を認めるという旧行政裁判法の列記主義に逆もどりし、現行行政事件法の採用した概括主義に相反する結果になりかねない。
3 最高裁判決の及ぶ範囲
イ 最高裁判決における公益
最高裁は、ジュース表示事件において、「国民一般が共通してもつにいたる抽象的、平均的、一般的な利益」を「公益」と表現しており、長沼ナイキ基地事件においては、「不特定多数者の……個別的利益を超えた抽象的・一般的(利益)」を「公益」と表現している。個々人の具体的利益が、右のような「公益」に「完全に包摂されるような性質のもの」(ジュース表示事件最高裁判決)あるいは、「公益」に「包含される(もの)」(長沼ナイキ基地事件最高裁判決)である場合は、そこの利益は「反射的ないし事実上の利益」であるというのが最高裁の考え方である。したがって、原告適格の有無を論じる場合は、当該原告の利益が右のような公益に包摂しつくされるものかどうかを考察しなければならないことになろう。
最高裁判決の考え方を前提とする場合、前記二事件で問題とされる原告の利益、あるいはこれと対置される公益の内容がどのようなものであるかを考察し、それらと本件とがどのような関係にあるかを比較しなければならない。その詳細は次のとおりである。
ロ 二事件における公益と具体的利益
ジュース表示事件で処分の結果個々の消費者がうける不利益は、ジュースという商品を選択する自由というような抽象的・一般的なものであり、しかもその選択の自由を奪われる可能性があるというものである。これを原告となりうる者の範囲についてみても、国民は誰でもジュースの消費者となりうるところから、同事件で原告らに当事者適格を認めるならば、国民は誰でも同種事案において原告となることができる結果となり、その範囲は無限定となってしまう。
このような場合、原告の利益は「国民一般が共通してもつにいたる抽象的・一般的な利益とみることが可能であり、個々人の利益は公益に「完全に包摂される性質のもの」ということも、あるいはできるであろう。
長沼ナイキ基地事件では、森林法によって保護される公益は、保安林の周辺住民その他の不特定多数者が受ける自然災害の防止、環境の保全・風致の保存などの一般的利益である(最高裁判決)。これに対し原告適格を認められた原告らは、保安林の伐採による理水機能の低下により洪水緩和、渇水予防の点で直接に影響を被る地域に居住する住民である。このような地域住民の利益は右のような公益に包含されてしまうものでないことは明らかであり、保安林解除処分の取消しを求める訴訟について、原告となりうる者もおのずと特定されることになる。従って、旧森林法以来の沿革等をまつまでもなく、原告適格が肯定されてしかるべき事案である。
ハ 二事件との差異
以上に対し本件の場合は次のような点で特異性がある。
第一に、地方鉄道二一条によって保護される利益は利用者の経済的利益であり、これは結局個々の利用者の利益に還元されることになる。逆にいえば、利用者一般の利益といっても個々の利用者の総和以外のなにものでもなく、これを離れた公益などというものは存在しないのである。
すなわち、個々の利用者の利益は「不特定多数にわたる一般利用者の利益すなわち公益」に包摂されてしまうものではないのである。
第二に、本件の原告らは近鉄沿線に居住し、通勤のために定期券を購入し日常的に近鉄を利用せざるをえない立場にあるものであり、また現に近鉄特急をほとんど毎日利用している者である。そのような原告らにとってみれば、本件認可処分によって値上げされた分だけ経済的負担が増大するのであり、これらは「公益に包摂される」結果雲散霧消してしまうような不利益ではない。このように本件原告らは近鉄特急の利用者という特定された存在であり、ジュース表示事件のように一般消費者というような抽象的存在ではない。同じような立場の者が多数存在することは事実であるが、これは認可処分によって影響をうける者の範囲が著しく広いことを物語っているにすぎず、多数存在する結果その利益が公益に昇華してしまうというものではない。
上告人らの近鉄特急利用にかかわる法律関係は、各上告人の立場からみれば各上告人がそれぞれ直接かつ具体的、個別的に近鉄との間でなす特急による旅客運送契約であって、大阪陸運局長の認可は、その旅客運送契約上の一要素である運送料金についての直接的な効力発生要件である。そしてこれが近鉄と多数の乗客との旅客運送契約の内容を構成する普通約款並びにこれに対する予めの認可という形態を採っているため恰も地方鉄道法二一条による認可がいわば公益に包含される単なる一般的、抽象的利用者と近鉄との利害の調整をなすもののように誤解されがちなのである。
この場合、各上告人は独占的な免許をもつ近鉄との旅客運送契約上の本来自由競争下に形成されるであろう公正な運送料金を、権限ある運輸大臣の認可により正しい監督下に確定し効力を発生させて、これにより運送を受ける法律上の利益を有するものである。
この利益はかかる法律関係と地方鉄道法第二一条又は独禁法の法意から必然的に導かれるものであって、直接的かつ具体的、個別的な法律関係と利益を有する各上告人と、一般公益、反射的利益を有するにすぎないものとは区別される。
従って、原審判決が本件訴訟での原告適格を判示するに当って両事件を引用するのは妥当でなく、本件訴訟で原告適格が認められることと、従前の最高裁判例との間には、判例抵触は起こらないのである。
二 本件訴訟における上告人らの原告適格
1 地方鉄道法二一条の解釈
イ 原判決の表示
原判決は、地方鉄道法二一条について、「同法二一条は地方鉄道の運賃・料金を監督官庁たる運輸大臣の認可にかからせているが、地方鉄道法の目的とするところは、本来自由であるべき交通事業を規制することにより公益の実現を図ろうとしているものと解すべきであり、その一般利用者の利益の保護も、右による公益保護の一環として、換言すれば一般利用者の利益は一般的公益に包摂されたものとして、その公益の保護を通じ保護されるものと解せられる。」と判示し、「もとより一般利用者といっても、個々の利用者を離れて存在するものではないが、地方鉄道法上このような個々の利用者の利益は、同法の規定が目的とする公益の保護を通じ、その結果として保護されるもの、すなわち公益に完全に包摂されるような性質のものにすぎないと解される。したがって運輸大臣による地方鉄道法の規定の適正な運用によって得られる一般利用者の利益は反射的な利益ないし事実上の利益である」と述べ、地方鉄道法二一条には、利用者たる乗客の利益は、法律上の利益として含まれていないと結論する。
第一審判決は、同法二一条の解釈において、公益的利益と利用者の利益が併存するとの判断を示していたが、原判決は同法二一条が利用者の利益が公益的利益に包摂されるとの結論を選ぶと、上告人らの主張を次のとおり切って捨てている。
第一に、独禁法及び消費者保護基本法の法意に照らし、上告人らは地方鉄道法二一条により、近鉄の利用者として当然公正・適正な料金で特急を利用する権利あるいは法的に保護された利益を有する旨の主張については、「独禁法及び消費者保護基本法によって消費者が受ける利益は、特別の規定による場合を除き、一般にこれらの法律の適正な運用によって実現されるべき公益の保護を通じ消費者一般が共通してもつに至る抽象的、平均的、一般的な利益であり、右各法律の規定の目的である公益の保護の結果として生じる反射的な利益ないし事実上の利益である」と判示した。
第二に、地方鉄道法によって保護される利益は経済的利益であり、個々の利用者の利益に還元されるものであり、第一審原告らは通勤のため日常的に近鉄を利用する者であって、本件認可処分によって値上げされた分だけ経済的負担が増大するから、これは公益に包摂されるものではないとの主張については、
「公益は個々の住民・利用者の利益と離れては存しないが、その具体的内容・性質等に鑑み、法はこれを公益として包摂して保護することが行われるのであるから、当該利益が経済的利益であることを根拠に包摂されつくされないと当然にいいうるものではない。かえってこのような利益の性質、程度、利用者が不特定多数に亘るものであることに鑑みると、公益として包摂される適正を有するものとさえいいうるのである。」と判示した。
ロ 第一審判決の判示
しかるに第一審判決は、地方鉄道法二一条の解釈について、以下のとおり判示している。
「地方鉄道業者は、主務大臣の免許を得て一定の地域における鉄道運輸を独占的に営む地位が保証されることになるので、右運賃等を鉄道業者限りで決定できるとすれば、右独占的地位を背景としてこれが恣意的に定められるおそれがある。しかし、その恣意を許すと、わが国の交通秩序、経済秩序が破壊され、利用者に経済的打撃を与えることは、必至である。そこで、同項は、運賃や料金の認可という行政処分を通して、監督官庁に介入させ、運賃、料金が、運輸政策や物価政策的見地から適正額にきめられるようにしたのである。したがって、この認可によって受ける利益は、我が国の経済秩序の維持、物価抑制といった公益的利益にとどまらず、鉄道利用者の利益も併存しているといえる。
このように、同項が運賃等の定めについて認可を必要とする趣旨が、右のように鉄道利用者の利益を保護することにもあるから、ここにいう鉄道利用者の利益とは、鉄道利用者の個別的具体的な利益を含むものとしなければならない。なぜならば、(1)運賃等の改訂の認可は、運賃等の改訂そのものではなく、また、当該鉄道を利用しない限り運賃等の支払義務が生じないけれども、鉄道運送事業の独占的地位のために当該鉄道を利用せざるを得ないことや、認可は自動的に運賃等の具体的改訂に結びつくことからみて、運賃等の認可処分は、個々の鉄道利用者の利益に直接影響を及ぼすものであるということができ、(2)不特定多数の一般利用者が持つ共通の利益は、結局、個々の利用者の具体的利益の抽象化されたものであるから、個々の利用者の具体的利益に基礎があるものであって、個々の利用者の具体的利益に還元されるからである。この点では、電気、ガス供給事業の料金等を定めるについて、認可制度を採用しているのと同断である(電気事業法三条、一九条一項、ガス事業法一条、三条、一七条一項参照)。」
ハ 原判決の誤りについて
両判決の結論の異なるキーポイントは、地方鉄道法二一条が保護の対象としている利益に関して、公益的利益と利用者の利益が併存していると解するか、包摂されていると解するかである。一審判決は運賃料金の改定の認可が鉄道事業者の独占的地位のため、個々の鉄道利用者は改定された運賃料金の支払を強制させられる結果となることに着目し、そこに利用者の経済的利益を見ている。一方原審判決は、利用者の具体的利益は公益に包摂されると、何んらの理由づけなしに「結論」を出して、その「結論」を繰り返しているに過ぎない。とくに前記ロ、第二で述べた「公益は、個々の住民、利用者の利益と離れては存しないが、その具体的内容、性質等に鑑み、法はこれを公益として包摂して保護することが行われているのであるから、当該利益が経済的利益であることを根拠に公益に包摂されつくされないとは当然にいいうるものではない」との判示は全くの詭弁であり、理解できない。また右の判示のいう「その具体的内容、性質等に鑑み」はその内容が全く述べられていないので、実質的な理由を示していない。
ニ 上告人らの解釈
上告人らは地方鉄道法二一条の解釈については、第一審判決の判示と同様である。
(ⅰ) すべての契約は公正かつ自由な競争のもとではじめて公正・適正な契約の締結が可能である。しかるに現代社会においては、消費者は企業に対し、市場支配力、資金力、組織力、専門的知識など、契約当事者としてあらゆる意味で弱者の地位にあり、独占もしくは寡占のもとでは公正かつ自由な競争は排除され、企業から一方的に不公正な契約条件による契約を強制されている。
こうしたことから今日、消費者を保護し価格その他取引条件の公正を図るべきであるとする法的確信が生れている。
アメリカ合衆国では、一九六二年三月ケネディ大統領の「消費者の利益保護に関する大統領特別教書」で、消費者は「安全を求める権利」、「知らされる権利」、「意見を聞いてもらう権利」ならびに「選ぶ権利」を有するとし、これらの権利を保護することによって取引条件の公正を保護することを宣言した。
我国でも、昭和三八年六月国民生活向上対策審議会は、「消費者保護に関する答申」において、消費者は安全性保障の権利・表示広告適正化の権利とならんで、商品・サービスの価格等取引条件が自由かつ公正な競争によってもたらされるものであることを要求する具体的権利を有すると指摘している。
そして学説においても、消費者は商品・サービスを適正・公正な価格取引条件で提供を受ける権利を有するとされている(正田彬「消費者の権利」岩波新書、竹内昭夫、現代法学全集「現在の経済構造と法」一六頁以下、等)
このような消費者の価格等取引条件の公正を要求する権利・利益は、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(以下独禁法という)により、法的強制手続をもって具体的に保護されている。
独禁法は公正かつ自由な競争を促進することにより、消費者の利益を保護することを目的として制定され(同法一条)、私的独占もしくは不当な取引制限をし、又は不公正な取引方法を用いた事業者は損害賠償の責に任ずる(同法二五条)としている。すなわち、企業の不公正な取引方法によって価格が不当に高額に決定・維持され、このため消費者が不当な価格で商品・サービスの提供を受けるに至ったとき、消費者は、公正かつ自由な競争によって形成されたであろう適正価格との差額につき損害を被ったものとして不公正な取引方法を用いた業者に対し、無過失損害賠償責任を問うことを認めている(通説、東京高裁昭52.9.19判決、判例時報八六三号二〇頁)。
このように、消費者は、法的権利としてあるいは少なくとも法的に保護された利益として、「公正・適正な取引条件で商品・サービスの提供を受ける権利・利益」を有している。
ところで、消費者である上告人らが近鉄と締結する近鉄特急の利用契約は後述のとおり附合契約であり、原告は右契約において本件認可による特急料金を強制されることになるから、本件認可は正に、消費者たる上告人らの「公正・適正な価格等の取引条件でサービスの提供を受ける権利」に係るものといわなければならない。
(ⅱ) 地方鉄道法は、鉄道事業の公共性に鑑み、事業の健全な経営が、自由競争の弊害により破綻をきたし、地域住民の日常生活上必要不可決な輸送手段の確保に支障を生ずることをおそれ、事業者に事業の独占を認める一方、事業独占のゆえに生じる場外について行政庁が、諸々の行政処分や指導をおこなうことにより、これを排除しようとしている。
地方鉄道法二一条事業者が運賃その他運輸に関する料金を定めるにつき行政庁の認可を要するとしている。この規定は、鉄道事業の独占性の弊害として、利用者は、事業者が一方的に定めた不当な運賃・料金の支払を強制されることになるので、利用者に対しその運賃・料金の公正・適正を保障しようとする趣旨にも出たものである。
独禁法により消費者は適正・公正な取引条件により商品サービスの提供を受ける権利・利益を法律上保護されていることは前述のとおりであるが、独禁法の適用が除外された鉄道事業のような各種公益事業においても、独禁法に代って各個の公益事業法により、自由競争の代替措置として行政庁の行政処分等を介在されることで消費者の右権利・利益が保護されている(消費者保護基本法第一一条参照)。
地方鉄道法二一条の規定の趣旨も、独禁法適用除外の代替措置として消費者の価格等取引条件の適正・公正を要求する権利を具体的に保護しようとするものに他ならない。
以上のとおり、消費者たる原告らは地方鉄道法により適正・公正な料金で特急を利用する権利、あるいは少なくとも法律上保護された利益を有するものである。
同法二一条にもとづき認可された運賃・料金は、具体的な運送契約上の契約条件となり、それが個々の利用者の具体的運送契約の締結によってはじめて具体化現実化するものであり、個々の利用者の運送契約をはなれては何んらの意義をもたないものである。したがって同法二一条が認可によって保護しようとした利益は、個々の具体的利用者が適正・公正な運賃・料金で運送サービスを受ける権利、利益そのものといわねばならない。原判決のいう一般公衆の利益(公益)は、個々の利用者の利益の総和以外の何ものでもないのである。このことは本件認可により不当に高額な料金の支払を強制されるのは個々の具体的鉄道利用者であって、抽象的な一般公衆でないという一事をみても明らかである。
なお、原判決は、運輸審議会に諮問された運賃変更認可について、公聴会で公述することのできる利害関係人や公聴会の開催を要求することのできる利害関係人には利用者は含まれないとし、これを理由に地方鉄道法第二一条と個々の鉄道利用者の利益を保護したものではないという。しかしながら、このような論理は本末転倒である。なぜならば、「利害関係人」については明確な定義はなく、これに何人を含めるかは、地方鉄道法第二一条が保護しようとしている利益を指標にして判断されるべきであるからである。
以上のとおり、原告らは適正・公正な運賃・料金により運送サービスを受ける権利・利益あるいは地方鉄道法上保護された権利・利益を有するところ本件認可は原告らの右権利・利益を侵害するものであるから原告らは本件認可取消訴訟について行政事件訴訟法九条にいう「法律上の利益」を有することは明らかである。
2 上告人らは認可処分の名宛人である。
上告人らは、本件認可処分の当事者としても、本件認可処分の取消しを求める法律上の利益がある。
近鉄は、その沿線において独占事業者であるため、沿線住民である上告人らは、近鉄を利用するほかなく、特急を利用する以上、近鉄の定めた条件にしたがわざるをえない。つまり、上告人ら利用者は、本件認可処分による効果を名宛人たる近鉄と一体に受けることになる。
もっとも、本件認可処分は、その手続上あるいは形式上、近鉄からの申請に対して近鉄を処分の名宛人としてなされたものである。しかし、本件認可処分は、一方で近鉄の料金設定行為を制限しながら、他方では、利用者たる上告人らに対し一定の金員の支払いを強制する効果を有する。
したがって、上告人ら利用者は、本件認可処分について、第三者として影響を受ける者というより、むしろ本件認可処分の名宛人或いは少なくとも名宛人に準ずる立場にある。
3 利益侵害の直接かつ重大性
仮にそうでないとしても上告人らは、通勤のため常時特急料金が改定されることによって、直接かつ重大な不利益を被っている。それであるのに上告人らは、本件申請に関する近鉄の認可申請の閲覧の機会も認可に対する意見陳述の機会も与えられなかった。しかし、上告人ら利用者には、本件認可処分の適法性を問うことができる途が確保されるべきである。したがって、上告人らの訴の利益は、肯認されるべきである。
もし、近鉄の利用者である上告人らには、本件認可処分に対し取消しを求める法律上の利益がないとすると、近鉄が、本件認可処分を争わない限り、裁判所の審理判断が得られないことになる。しかし、近鉄が、本件認可処分を争う理由も必要もない(本件認可処分は、本件申請どおり認められている)。そこで、このような場合には、近鉄の利用者こそ本件認可処分の適法性審査を求める最適任者であり、上告人ら利用者に原告適格を認めることが合理的である。
なお、本件は、認可処分の手続違法、殊に処分権限の有無が争点となっている事案であって、このような場合に、当事者適格の範囲を厳格に解釈して、実体的判断を回避する結果になることは、行政の民主化、行政手続の適正化を目的とする行政訴訟制度にそぐわないというべきである。
第二〈省略〉

2.自動車の運転免許制度

3.ストーカー行為の規制

4.生活保護:給付行政の例~憲法上ンお権利の実現、法律上の制度~

5.環境保護のための補助金:給付行政の例~行政目的の実現、法律に基づかない制度~

6.まとめ

7.補論~行政の定義と公法私法二元論~

公法私法二元論
必ずしも公法私法二元論を前提とするものではなく、それぞれの法的仕組みの趣旨を解釈したものと理解するのが可能。

判例(S28.2.18)
理由
上告理由第一、第二について。
自作農創設特別措置法(以下自作法と略称する)は、今次大戦の終結に伴い、我国農地制度の急速な民主化を図り、耕作者の地位の安定、農業生産力の発展を期して制定せられたものであつて、政府は、この目的達成のため、同法に基いて、公権力を以て同法所定の要件に従い、所謂不在地主や大地主等の所有農地を買収し、これを耕作者に売渡す権限を与えられているのである。即ち政府の同法に基く農地買収処分は、国家が権力的手段を以て農地の強制買上を行うものであつて、対等の関係にある私人相互の経済取引を本旨とする民法上の売買とは、その本質を異にするものである。従つて、かかる私経済上の取引の安全を保障するために設けられた民法一七七条の規定は、自作法による農地買収処分には、その適用を見ないものと解すべきである。されば、政府が同法に従つて、農地の買収を行うには、単に登記簿の記載に依拠して、登記簿上の農地の所有者を相手方として買収処分を行うべきものではなく、真実の農地の所有者から、これを買収すべきものであると解する。
そのことは、自作法一条に明らかにせられた前叙同法制定の趣旨からしても十分に理解せられるところであるのみならず、同法が農地買収についての基準を、いわゆる不在地主の農地であるかどうか即ち農地の所有者が実際に農地の所在市町村に居住しているかどうか、又は、地主が農地を自作しているか、小作人をして、小作せしめているか等所有者とその農地との間に存する現実の事実関係にかからしあている等、自作法に定あられた各種の規定自体から推しても、同法の買収は、真実の農地所有者について行うべきであつて、登記簿その他公簿の記載に農地所有権の所在を求むべきでないことが窺い知られるのである。
もとより、本事業はわが国劃期的の大事業で、短期間に全国一齊に、大量的に農地の買収を行うものであつて、かかる大量的な行政処分において、個々の農地について登記簿其他の公簿をはなれて真実の所有者を探求することは事実上困難であり、公簿の記載は一応真実に合するものと推量することは、極めて自然であるから、政府が右の買収を行うに当つては一応登記簿その他の公簿の記載に従つて、買収計画を定めることは、行政上の事務処理の立場から是認せられるところであるけれども、右買収計画に対して真実の所有者が自作法に規定せられた異議を述べるときは、この計画の実施者たる農地委員会は、その異議者が真実の所有者なりや否やの事実を審査して、その真実の所有権の所在に従つて、買収計画を是正すべきものであつて、同委員会は、民法一七七条の規定に依拠して、異議者がその所有権の取得についての登記を欠くの故を以て、その異議を排斥し去ることは許されないものと解すべきである。論旨は、これと反対の主張をするものであつて、採用することはできない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
この判決は裁判官霜山精一の少数意見、裁判官井上登同岩松三郎の少数意見、裁判官真野毅の意見を除き、裁判官全員一致の意見によるものである。

+少数意見
裁判官霜山精一の少数意見は次のとおりである。
自作農創設特別措置法に基く農地の買収に関し国(又は農地委員会)が民法一七七条にいう「第三者」に該当するかどうか、換言すれば農地買収について民法一七七条が適用又は準用されるかどうかの問題に対し、多数意見は消極説を採るものであるが、私は積極説を主張するものである。以下その理由を述べる。一、民法上登記原因が絶対無效の場合には、その無效は何人に対しても主張できるのであるから、幾ら登記を信用して登記名義人と不動産の取引をしてもその取引り安全は保護されないのであつて、真の権利者が保護されるのである。これに反し登記原因は無效であるがその無效をもつて善意の第三者に対抗できない場合(例えば民法九四条二項)、及び民法一七七条の場合即ち物権の変動について登記をしなかつた場合には登記名義人と取引をした第三者が保護されて真の権利者はその権利を取引の相手方である第三者に対抗できないのである。従つてこの場合には取引の安全の保護に重点が措かれ、いわゆる動的安全を保護するために真の権利者の権利が犠牲となるのである。そして以上の民法上の原則が農地買収について如何に適用せられるかというに、登記原因の絶対無效の場合の原則は適用されるものと解される。買収が公権力の発動だからといつて右原則の適用を排除することはできない。それゆえ登記原因の絶対無效の場合に登記名義人に対して買収手続が行われても、真の権利者が適法に異議を申立てた以上、買収農地が耕作者に売渡された後でも国は買収手続を取消さなければならないし、買受人なる耕作者は農地を権利者に返還しなければならない。それはこの場合には取引の安全を保護しないという原則からくる当然の結果でありこのことは農地の買収に多少の支障を来すことになつても已むを得ないのである。
次に民法一七七条同九四条二項のように取引の安全が保護される場合民法上の原則も農地買収の場合に適用があると解すべきである。民法一七七条の規定によつて不動産の買主が登記を経ないときはその買受けたことを第三者に対抗できないのである。それゆえ所有権は買主にあるといつても、その権利は完全な排他的の所有権といえないのであるから、登記名義人たる売主と第三者との間になされた取引の安全を保護する必要のためには未登記の権利は犠牲にならなければならない。そして取引の安全ということは必ずしも売主自身がする取引即ち二重譲渡をした様な場合に限るのではなく、苟しくもその不動産について変動のあつた場合の動的安全をいうのであるから、私的取引による変動たると、公権力による変動たるとを問わず、登記を怠つている買主に比して動的安全を保護することがより必要であると認められる場合には民法一七七条を適用しなければならない。大審院の判例でも売主の一般債権者が移転登記のしてない不動産について差押をしたときには差押債権者は第三者に当り買主は所有権の取得をもつてこれに対抗できないとしているのである。これを農地の買収について考えてみると、買主が登記を怠つているときには登記簿上は売主の所有名義となつており、国は登記簿によつて売主の農地としてこれを買収し、これを耕作者に売渡すのである。たとえ買主が買収手続中適法に異議を申立てても、行政処分の執行の停止のない限り、手続は進行して買収を完了し、耕作者に売渡されるであろう、また売渡を受けた耕作者に移転登記をし土地も引渡されて耕作者は現にこれを耕作しているであろう、本件においてはそこまで確定していないけれども恐らく同様であると思われる。もし多数説のように消極説を採るならば国はその買収処分を取消さなければならない、その結果は農地を買受けた小作人は農地を買主から追奪されることになる。農地の買収は耕作者に売渡す目的でするのである。それであるから農地の買収と耕作者えの売渡は一連の行為である。この一の変動に対する動的安全の保護が犠牲にされて登記を怠つている買主の方が保護されることになる。かくの如き結果が是認されてよいであろうか、もし耕作者が売主から直接買受けたならば一七七条によつて保護されるが国を通して買つた場合は保護を受けないということは動的安全の保護の上からみて了解し難いことである。また登記を怠つている買主の権利の保護と国及耕作者によつて為された一連の変動に対する動的安全の保護の必要とを比較衡量してみると、それは後者の比重が遙かに重いことは言うまでもないのであるから、この場合には民法一七七条を適用して、未登記の買主の権利は充分な保護を受けられないものと解して差支ないのではないか、元来不動産の取引が頻繁に行われている現代においては不動産取引の安全はできるだけ広くこれを保護することが要請きれるのである。それであるから登記に公信力を与えて登記を信頼して取引した者は充分に保護されるというように改正する必要があるのでないかと考えるのであるが、それはさて措き現行民法の下においても一七七条等の規定を活用して不動産の取引の安全をできるだけ広く保護することが必要とされるのである。この観点からみて農地買収の場合に一七七条九四条二項等の適用がないと解し動的安全の保護を無視することは決して当を得たものとはいえないのみならず、多数意見によると農地買収に関しては未登記の買主の権利を登記原因が絶対無效の場合の権利と同一視する結果となるのであつて、民法がその間に区別を設けている精神を没却するものといわざるを得ない。
二、多数意見は農地の買収には民法一七七条の規定は適用がないというのである。この見解をとれば、農地につき二重譲渡が行われ、先づ甲に譲渡した後未登記のうちに更らにこれを乙に譲渡し、乙に移転登記をした場合に、国が乙に対して農地の買収をしたと仮定する。甲は国に対してその権利を対抗してきたときに国は民法一七七条の規定が適用がないから、買収処分を取消きなければならないと解すべきであろうか、この問題については多数意見は必ずしも明瞭ではないが民法一七七条が適用がないという説をとる以上この場合に未登記の権利の対抗を認めることも已むを得ないと結論する意見もあるようである。しかし、かかる結論を肯定することは暴論というの外はない。国が甲と乙と何れを所有者として農地を買収すべきかは明らかである。民法一七七条の適用によつて乙を所有者として買収すべきは当然である。然らば甲が国に対してその権利を対抗してきたときに国は甲に対し一七七条の規定によつてその権利の主張を拒否することが許されなければならない。多数意見のうちにはこの場合には民法一七七条の適用があるという意見もある。然し農地買収は公権力の発動だから民法一七七条は適用がないというのが多数意見である。しかるに右の場合も公権力の発動であるにかかわらず一七七条の適用があるというのは如何なる理由によるか、公権力の発動ということは一七七条の適用を妨げる理由にならないから右の場合に一七七条の適用があることに結論されるのではないか、もし然りとすれば右の場合に限らず進んで本件のような場合にも一七七条の適用があると解するのが筋が通つた考え方であるといわなければならない。
裁判官井上登、同岩松三郎の少数意見は次のとおりである。
私どもは霜山裁判官と同じく積極説を採るものであるが、同裁判官の少数意見に、更に次のような理由を補足したいと思う。
国が行政権を発動して私人間の権利関係の変動を計らうとする場合においても、その対象である私権関係そのものに関しては、原則として本来その私権関係を規律する実体私法の適用あるベきは当然のことである。行政活動だからというて、私権本来の姿を変更してこれを対象としなければならない筈はないからである。だから国が行政権を発動して私人の所有する土地を買収する本件のような場合にあつても、法律上特に別段の定めのない限り、民法一七七条の適用あるべきことは勿論なのである。多数説は、その法律上の特段ら明規かないにも拘わらず、唯国が行政権を発動して土地を買収するのであるから、所謂「真の所有者」を探査すべき義務があり、民法一七七条の適用による保護を与うべきではないとするものの如くであるが、到底賛同することはできない。そもそも、真の所有者が誰であるかということそれ自体が、民法の規定により決定せらるべきことであり、国が行政権の発動により土地を買収する場合であるからというて実体法によらずして(特別措置法にも真の所有者を決定すベき特別な実体法規を定めてはいない。)決定さるべきものではない。いうまでもなく民法一七六条は物権の移転は当事者の意思表示のみに因りその效力を生ずと規定して居るがこれには一七七条及び一七八条の制限があるのである。不動産に関する物権の得喪及び変更は、その登記をしなければ之を第三者に対抗できないと規定しているのが一七七条である。例えば土地所有者甲が乙にその所有権を譲渡してもその登記を経ない限り、当事者間ではともかく、第三者の関係では乙はその所有権の取得、すなはち所有権の移転を対抗できないのである。換言すれば、乙は所有権の移転が対抗できない結果第三者からは依然甲が所有権を保有していることを主張され得る状態にあるのである。いまさら、こんなわかりきった蛇足を書く所以のものは、どうも多数説は一七七条の法文が明示していること、すなわち同条が物権の移転そのものの対抗要件を規定しているのを誤解し、移転した物権の対抗要件を規定していると解して設例の場合乙に所有権は移転しているのであり唯、その所有権を第三者に対抗できないに過ぎないのであるから、乙は真の所有者であるとでも考えているのではあるまいかと想像したからである。しかし、この場合実体上何人の関係でも所有権者であることを主張し得るものは未確定なのである。甲から乙への移転を否定するにつき正当の利害関係を有する第三者が右移転を否定する場合にはその第三者に対する関係においては右移転は存在しないことになり従つて乙は全然所有者でないのであつて「真の所有者」なる観念自体が誤りなのである。だから、多数説のように行政権を発動する国に対して一七七条の保護を拒否しても国以外の第三者の関係では乙がその登記を経ない限り、なお真に所有権を収得したとは主張し得ない立場にあるのであるから、国以外の第三者丙が甲から所有権の移転を受けてその登記を経れば実体法上真の所有者は丙となるのであり、乙は甲から所有権の移転を受けたことを終局的に主張し得ないこととなるのである。この点においては乙ばかりでなく行政権を発動した国と雖も同様でなければならぬ。もしそうでないとすれば、国に対して民法一七七条の保護を拒否するだけではなく、国のために民法一七六条のみを適用する特権を認める結果となるのである。すなわち、この場合もし、国が行政権の発動により買収に着手したからというて乙を所有権者としてあくまで取扱うということは、実体上権利を取得したことのないものに権利を認める結果となるのである。国に民法一七七条の保護を与えないつもりの多数説は、実は行政権を発動する国のために、実体法上保護を受くべき第三者丙及び丙からの承継人の権利を無視する特権を認めているのである。民法一七七条の適用に関し「登記の欠缺を主張する利益を有しない第三者」なる観念はある(例えば不法占拠者の如き)、しかし、それは唯、消極的にかかる第三者に対して民法一七七条の保護を与えないというだけのことであつて、積極的にかかる第三者のために、民法一七六条のみを適用せんとするものではない。民法一七七条の保護を与えないということと、民法一七七条の適用を排除し同一七六条のみを適用するということとは同一ではない。多数説はこの区別がわからないのである。以下少しく一七七条の適用なしとした場合の実際の結果について考えて見よう。
(一)前記設例において甲から譲受けた乙がまだ登記をしない間に、丙は甲乙間の譲渡の事実を知らず、甲から譲受け登記を済ませて安心して居ると、国が乙から買収して、丙は登記までした正当の権利を奪い取られることになるのである。なお丙の登記に信頼して丙から丁、丁から戌といつたように順次に所有権又はその他の物権を承継取得した者がありとすれば、それ等の者も尽く正当な権利を剥奪されなければならない。そして多数説によれば設例のような場合には乙が「真の所有者」であり丙は所有者でないのだから、国は常に乙から買収しなければならないのであり、従つて丙以下の権利は常に奪われることにならざるを得ないのである。かかる不合理極まる結果を生ずるのは、多数説が実体私法の定むる法律関係を無視して、国のみにつき法律に何等規定なき特別の権利関係を認めたためである。なお(二)国に対しては民法一七七条の保護がないとすれば、国は各個の買収毎に登記の如何に拘わらず、先ず所謂「真の所有者」なるものの有無を探究した後に買収計画を立てなければならないことになり、その為め非常に多くの時間を要し急速の処理を必要とする此の法律の精神に反すること甚しい結果を来すであらう。多数説では国は一応登記上の所有者から買収すればいいから、その為め買収が遅れることはないというけれども、これは矛盾である。多数説によれば前記設例の場合乙が「真の所有者」で、その所有権を国に対して主張し得る絶対的所有者であり、その結果丙(登記上の所有者)は何等権利を有しないものとなさざるを得ないから、かかる(丙)からの買収は絶対無效たらざるを得ない。従つて国から小作人に対する譲渡も無效となり小作人は所有権を取得することは出来ないであらう(法は原始取得の様な字句を用いて居る個処もあるけれども無権利者からの取得を認めたものとは思えない)国の大政策の実施に当る者がかかる絶対無效の行為をしていいわけがない。所謂「真の所有者」なる者が出て来て異議を主張すれば買収手続は総て駄目になつてしまうのであるから「一応登記面の所有者から買収する」などということは危険千万であり、買収に関与する者が職務に忠実である限り到底為し得る処でない。所謂「真の所有者」の有無を調査せずして登記面の所有者から買収すれば職務怠慢の責を免れ得ないであらう(法は厳重な調査義務を負わせて居るのである)。苟くも多数説を是認する限り「一応登記面の所有者から買収すればいい」などとは到底いえない筈である。更に又(三)多数説のようにすれば所謂「真の所有者」なりと称して(これを偽称する者も無論あるであらう)異議を述べる者ある毎に(一七七条の適用ありとすればかかる異議は出現する余地がない)一々詳細な証拠調をしてその真偽を判断しなければならず大変な遅延になる。のみならず認定を誤り偽称者の為めにそれこそ法律上の真の所有者の権利が奪われる虞もないではない。民法一七七条はこれを避ける趣旨もあるのである。翻つて法律の定めるとおり登記をしない者は民法一七七条により第三者たる国に対抗し得ないものとすれば前記のような不合理不都合は総て生じない。平穏に急速に買収手続を為し得るであらう。それにも拘らず多数説がこれを嫌う根底には設例の乙を「真の所有者」なりと考え、国の買収によつて「真の所有者」が権利を失うのは不都合だといつたような素朴なセンチメントが支配して居るものと思うが、設例乙の如き者が不利益を蒙ることは多数説を採つても、国の買収以外の場合には常に生ずることであり、民法一七七条が登記を怠つた者よりは第三者を保護することとして取引の安全を計つた為あの当然の結果である。自ら法の定めた権利擁護の手段を怠つたが為めに受くる不利益は已むを得ないのであつて、これは国の買収の場合たると、私人の売買の場合たるとによつて区別さるべき理由はない。
裁判官真野毅の意見は次のとおりである。
わたくしは、上告棄却で結論であり、その理由も一部においては多数意見に賛成であるが、多数意見の理論構成は粗雑の嫌いがあり用語も甚だ不明確である。わたくしの理論構成は大いに異る点もあるので問題の重要性にかんがみやや詳しく意見を述べてみたいと思うのである。
農地の所有者とその登記名義人とが合致している場合には、農地買収について別段本件のような問題は起らない。しかし、社会の実際においては民法上の所有者と登記名義人とが違う場合が生ずる。その主な場合としては、(一)所有権の移転原因が不存在もしくは無效であり又は取消されたにかかわらず、登記名義の変更があつたとき及びこれを前提としてさらにその後の一連の登記名義の変更があつたとき、(二)所有権の移転原因が有效に存在したにかかわらず、登記名義がもとのまま変更されずに残つているとき、(三)所有権の移転原因が有效に存在し所有権が移転したにかかわらず、移転前の所有者がさらにこれを他の第三者に譲渡し(例えば二重売買)登記名義が変更されたと及びその後の一連の登記名義の変更があったときの三種の類型を挙げることができる。
そこで、自作農創設特別措置法(以下自農法という)に基き政府が農地を買収するために市町村農地委員会が農地買収計画を立つるに当つて(三条、六条)、前述のごとく農地の所有者と登記名義人とが異つている場合に、その何れを標準とすべきかは相当議論の岐れで来た問題てある。そして、何れを所有者とするかによつてそれが不在地主であるか在村地主であるかが異り、また何れもが在村地主であつてもその保有面積が異るわけてあるから、これは買収計画を定ある上においては重要な問題であるといわなければならぬ。
もし、農地の買収が任意売買の方法によるものであれば、政府は民法一七七条の登記の公示による対抗力に信頼して行動すればよいわけである。しかし、自農法による農地の買収は、自作農を急速かつ広範に創設し、また土地の農業上の利用を増進し、もって農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的としたもので、その方法は任意売買ではなく、政府が公権力により、相手方の同意なくして一方的、強制的に買上げる方法によるのである。すなわち、政府の農地買収処分は、行政庁が行政的権力の行使によつて農地の強制買上げを実行するものであって、国家と被買収者との間の法律関係は、疑いもなく純然たる公法関係で、ある。かように急速かつ広範に自作農を創設するというがごとき全国的な極あて大量的な行政処分を実施するに当つては、すべてに亙り一々実際の所有者を探求することは、非常に困難な事柄であるのみならず、時間的にいえば殆んど不可能に近いほどの難事業である。それ故、市町村農地委員会が、農地買収計画を定めるに際しては、土地登記簿または土地台帳に表示されているところに従つて、農地所有者を定めて手続を進めてゆくことは、まことにやむを得ない場合があり一応適法であるということができよう。
しかし、これは実際上手続を進めてゆく必要上是認きれるに過ぎないものであつて、理論上からいえば農地買収の立法目的は農地の所有者からの解放であり、従つて買収は実際の所有者からなさるべきことが本筋であるといわなければならぬ。なぜならば、農地に対して真に実体的の利害関係を有するのは、実際の所有者であつて、登記名義人または台帳名義人ではないからである。これは、自農法の諸規定が農地とその所有者との実体的関係を規準として定められていることからも十分窺知することができる。また行政庁が土地の買収をするには、所有者を職権で調査するのが本則であるべきである。だから、自農法の施行のために設けられた農地調査規則(昭和二二年一月一四日農林省令第二号)一条においては、「市町村農地委員会は、当該市町村の区域内にある農地に関し、各筆毎に、地方長官の定める期日現在で、地方長官の定める期日までに左に掲げる事項の調査をしなければならない」と規定し、その七号に「所有者(土地台帳に登録した所有者と実際の所有者と異るときは、土地台帳に登録した所有者及び実際の所有者、以下同じ)の氏名若しくは名称及び住所並びに土地台帳に登録した所有者と実際の所有者と異なるときはその理由」を掲げている。そして、市町村農地委員会は、右調査の結果を一定期日までに地方長官に報告すべきものときれている(同規則四条)。
さて問題となるのは、ここにいう、「実際の所有者」とは果して何であるかということである。この分析が実は甚だ大切となつて来る。前述(一)の場合においては「実際の所有者」は、所有権の移転原因の不存在もしくは無效であり又は取消されたにかかわらず登記名義の変更の行われた現在の登記名義人ではなく、民法上所有権を有する原所有者である。この場合には登記の欠缺の問題は起らない(不動産登記法五条)。前述(二)の場合においては「実際の所有者」は、登記名義人ではなく、所有権の譲受人である。なぜならば、この場合民法上所有権は有效に移転し、登記名義人は、譲受人に対して登記の欠缺を主張することを得ない立場にあるからである(不動産登記法五条)。前述(三)の場合においては「実際の所有者」は、登記名義人であつて、先に所有権を譲受けた者ではない。なぜならば、この場合先に所有権を譲受けても登記をしなかつた者は、後に譲受けて登記をした者に対しては民法上所有権の取得を対抗することを得ないのに反し、後者は前者に対してこれを対抗することを得る立場にあるからである(民法一七七条)。結局すべての場合を綜合して考えると、「実際の所有者」とは、登記対抗の諸規定をも考慮した上で、実体法上所有権の取得を対抗し得る者であるということに帰着する(民法一七七条、不動産登記法四条、五条)。そして、それは前述のように登記名義人であることもあり、またしからざることもあるのである。
そこで、市町村農地委員会が農地買収計画を定あるに当つては、(A)前述の「実際の所有者」を対象として計画を定あることは適法であり本筋であつて、登記名義人その他の者から当該農地買収計画についてこれを理由として異議を申立てることはできない(自農法七条)。
これに反して、(B)「実際の所有者」が農地調査規則による調査の結果明らかである場合に、登録名義人を対象として計画を定あることは、本来不適法であり筋違いであり、従つてこの場合には実際の所有者から自農法七条の異議を申立てることができるのは言うを俟たない。
しかし、(C)調査の結果実際の所有者が明らかでない場合には、前に述べたように自農法による農地の買収は急速かつ広範に自作農を創設するために全国的な極めて大量的な行政処分を実施するものであるから、土地台帳又は土地登記簿のごとき表見的な基本公簿の表見的な登録又は登記に従つて、対象となる農地所有者を定めて手続を進めてゆくことは、実際的な見地から行政上の事務遂行の方法としてはまことにやむを得ざるところであり、一応これを適法であると認めなければならない。これは、公示主義による登記対抗の民法の原則の適用から来るのではなくして、当該行政処分の特質から来るものであると見るべきである。かようにして、登記名義人を対象として農地買収計画が定められた場合には、実際の所有者は自農法七条により異議の申立をすることができる。本来農地買収計画は、農地に対し真に正当の利害関係を有する実際の所有者を対象として定めらるべきものあるから、実際の所有者が現われて実際の所有権を証明し、異議の理由を明らかにすることは当然許されなければならない。この際、行政庁が実際の所有者の不利益において登記名義人を対象として一方的に強制買収することは、不必要に国家権力により国民の権利を侵害するものであつて、法律正義の許さざるものと言わなければならぬ。すなわち、実際の所有者の異議申立があれば、行政処分の表見主義による登記名義人を対象とする一応の適法性は打破せられ、その後は実際の所有者を対象とする買収計画に是正さるべきものである。農地委員会は、異議の理由が認あらるべきものであれば之に従つて買収計画を是正すべきが当然であり、従つて実際の所有者に対して登記の欠缺を主張して異議を理由なしとすることはできない。またかく解したからといつて、自農法の目的の達成を阻害するほどのことはないと考える。この範囲に於ては対等者間の取引の安全に関する民法上の登記対抗の原理は適用がないのである。国家が登記名義人から任意に農地所有権を譲受けたというのではなく、これから強制買収をやろうという場合に、実際の所有者に対して登記欠缺を主張する立場において手続を進めることは、国家が国民の権利を侵害するものであり、不合理であり、許さるべきではない。
この見解に対しては、農地の仮装売買等による脱法行為を防ぐことが困難となるという非難が起ることは予想できる。しかし、譲渡が仮装であるか真実であるかは、審理の結果多くの場合において誤りなく認定されるであろうから、裁判所の最後の判定に信頼していい事柄である。それよりも、かかる仮装譲渡の脱法行為をおそれるのあまり、正義の顕現であるべき国家が、却つて真実の売買等による実際の所有者の権利の保護を奪い得るような解釈を打ち立てることの方が、角を矯めんとして牛を殺すというか、アッモノに懲りてナマスを吹くというか、物の本質、事の軽重の判断に誤りがあるそしりを免れないように思う。
しかしながら、実際の所有者が時間的に無制限に異議の申立ができるものとすれば、買収計画の安定性を欠くことになるから、自農法は異議申立期間を法定し、買収計画を公告した日から十日間の関係書類を縦覧に供する期間内に限るものとした。それ故、実際の所有者といえどもこの法定の期間内に異議を申立てなければ、後日買収手続及びその結果に対して不服を称えることはできなくなるわけである。
(多数意見は、「真の所有者」と登記名義人とを対比せしめているが、「真の所有者」が何であるかは漠然としていて捕えどころがない。また多数意見は、自農法による農地買収処分には民法一七七条の適用を見ないという。しかし、それは前述のごとく農地委員会は買収計画につき実際の所有者に対し登記の欠缺を主張することを得ないという意義及び範囲に遣いては正当であるが、買収計画につき対象となるべき且つ異議を申立つることを得る実際の所有者を確定するに当っては、前に述べたように民法一七七条等の登記対抗の諸規定を適用考慮しなければならぬことを無視する点においては誤りであると考える。それ故、霜山、井上、岩松裁判官等の主張するような非難も当然生れてくるわけである。)
本件において被上告人(原告)は訴外aから本件農地を買受けたが登記はされていなかつた。登記名義人の訴外aは不在地主であり、被上告人は在村地主であつた。そして、原審の是認した第一審の理由によれば、本件別府市朝日地区農地委員会は「右農地について買収計画を定めるに当り右のような事情から原告がその所有者であること、従つて原告はいわゆる不在地主ではないことを知つていたが……右農地の登記簿上の所有者である訴外aを所有者なりとして本件買収計画を定めた事実を認めることができる」と明らかに認定しているのである。それ故、登記名義人の訴外aを所有者として農地買収計画を定めたことは、前に(B)において述べたとおり最初から違法であつて実際の所有者被上告人から自農法七条の異議の申立てができることは当然である。(前に(C)において述べた実際の所有者が明らかでないから、登記名義人を対象とする計画が一応適法であるが、その後実際の所有者の出現によるその異議申立で適法性が打破される場合とは異る)。従つて被上告人の異議申立却下に対する訴願を理由なしとした裁決は違法であり、これを取消すべきものとした第一審及び原審判決は正当である。上告論旨は理由がなく、本件上告は棄却さるべきものである。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

+判例(S31.4.24)
理由
上告代理人杉本良吉の上告理由は、別紙記載のとおりであつて、これに対し、当裁判所は、次のとおり判断する。
国税滞納処分においては、国は、その有する租税債権につき、自ら執行機関として、強制執行の方法により、その満足を得ようとするものであつて、滞納者の財産を差し押えた国の地位は、あたかも、民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類するものであり、租税債権がたまたま公法上のものであることは、この関係において、国が一般私法上の債権者より不利益の取扱を受ける理由となるものではない。それ故、滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用があるものと解するのが相当である。
そこで、本件において、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当るかどうかが問題となるが、ここに、第三者が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有しない場合とは、当該第三者に、不動産登記法四条、五条により登記の欠缺を主張することの許されない事由がある場合、その他これに類するような、登記の欠缺を主張することが信義に反すると認められる事由がある場合に限るものと解すべきである。
ところで、本件においては、上告人富山税務署長は、訴外北陸鋳造株式会社に対する国税滞納処分として、登記簿上同会社名義となつていた本件不動産につき差押を実施したところ、たまたま、右不動産は、これよりさき、財産税実施の際に、被上告人からその所有不動産として財産申告があり、これに基き所轄税務署において財産税を徴収ずみであつたというのであるが、原審の認定事実によれば、本件差押に当つて、上告人富山税務署長は、財産税徴収当時の経緯を現実に熟知しながら、これを奇貨として差押を実施したとは考えられない。もちろん、財産申告書の調査その他の方法により右の経緯を確かめることはできたはずであるが、財産税が一回限りの申告納税であつて、本件差押当時財産税徴収の時からすでに約三年六箇月の日時を経過していたことを思えば、上告人が差押の実施に当つて、本件不動産が登記簿上右訴外会社名義となつていることを確かめ、かつ同会社についてその実質上の所有関係を調査した以上、さらに、財産税施行当時に遡つて右不動産が何人の所有として申告されていたかを調査しなかつたというだけで、直ちに、本件において国が登記の欠缺を主張することが背信的であるということはできない。もつとも、差押後これに対する不服申立の手続等において、上告人富山税務署長は、被上告人より財産税徴収の経緯を知らされているはずであるから、その際に、さらに慎重な調査を遂げ、財産税徴収の誤りを認めて過納金還付の措置をとつた上で滞納処分を続行するか、それとも、財産税の徴収を正当とし差押の誤りを認あてこれを解放するか、いずれか一の措置を選ぶことが行政上妥当の措置であつたというべきであろう。けれども、本件訴訟の経過からもわかるように、本件不動産の所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事であつて後に訴訟において争われる可能性のあることを思えば、直ちに財産税還付の手続をとることなく滞納処分の続行を図つたとしても、これをもつて背信的態度として非難することもまた行き過ぎといわねばならない。
かようにして滞納処分が続行され、公売が実施された以上、公売制度の信用を維持すべき国家の立場が、本件の事案の判断において、しんしゃくさるべき重要な要素の一つとして附加されることも、またやむを得ないところである。これを競落人の立場からいえば、国家の実施する公売制度を信じて本件不動産を競落した競落人こそ、まつたく善意無過失であり、競落人の利益こそ、もつとも保護に値するともいうことができる。本件において、単に、競落人の立場と被上告人の立場とのみを比較してみても、滞納処分の開始される三年六箇月前に被上告人が本件不動産をその所有に属するものとして財産申告をし財産税を納付したという事実は、競落人の利益をまつたく無視してよいということの理由になるものではなく、また、この事実は、被上告人が一般に、不動産の所有権を所得した者が所有権移転登記の経由を怠ることにより取引上通常被ることあるべき損失を免れることの根拠となるものでもない。
そこで、本件において、一方において一般国民のために租税を徴収し公売制度の信用を維持すベき国の公益的立場および善意無過失の第三者としてもつとも保護に値する競落人の立場と他方において同情に値するとはいえ、移転登記の経由を怠つていたことのために、これにより取引上通常被ることあるべき損失を被ることはやむを得ないものとされる被上告人の立場とを比較考量すれば、本件において、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当らないというためには、財産税の徴収に関し、原審の認定するような経緯があつたということだけでは足りず、このためには、所轄税務署長がとくに被上告人の意に反して積極的に本件不動産を被上告人の所有と認定し、あるいは、爾後もなお引き続いて右土地が被上告人の所有であることを前提として徴税を実施する等、被上告人において本件土地が所轄税務署長から被上告人の所有として取り扱わるべきことをさらに強く期待することがもつともと思われるような特段の事情がなければならないものと解するのが相当である。
しかるに、原審が右特段の事情の存在につき何等判示することなく、本件において国は登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当らないと判断したのは、法の解釈を誤り、その結果審理不尽の違法に陥つたものといわねばならない。
よつてその他の論旨については判断を省略し、民訴四〇七条に従い主文のとおり判決する。
この判決は裁判官小林俊三の少数意見を除く外その他の裁判官の一致した意見によるものである。

+少数意見
裁判官小林俊三の少数意見は次のとおりである。
私は、本件は原判決が相当であるから上告を棄却すべきものと考える。
多数意見の前提とする見解、すなわち民法一七七条が国税滞納処分による差押の関係においても適用があると解すること、従つて本件において国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当るかどうかが問題であると解することは、原判決も同趣旨と認められるところ、その結論に差を生じたのは、結局本件における「正当の利益を有する第三者」の解釈において、多数意見(末段参照)は、上告人が「財産税の徴収に関し、原審の認定するような経緯があつたということだけでは足りず」、さらに原審の触れていない「特段の事情」を審理判断しなければならないとしたところにある。何故さらにこのような事情を認定しなければ足りないかの理由を十分に納得することができない。国税そのものの公的意義の重いことはいうまでもないが、国といえども、ひと度租税債権者として納税人と私法の支配する関係に入つた以上、その特殊の性質から出て来る事項を除いては、法律の解釈適用についてすべて他の当事者と同等の地位に立つべきものである。このことは新憲法の下においては特に強調されなければならない。本件を考えるにはこのことを特に念頭におくことが必要であると思う。
多数意見の要点は二つに帰する。一は、本件の場合は信義に反するとはいえないということ、他の一は、公売制度の信用を維持すべき国家の立場から競落人を保護しなければならないということである。そこでこの順序に従つて私見を述べる。
(一) 民法一七七条について「正当の利益を有する第三者」という考え方を確立した大審院判例も、その意義を直接説明したことはなく、各事案に現われた事実によつて例示してゆく方法をとつて来たことは周知のとおりである。そして多くの実例から抽象し得る一つの要素に「信義に反する関係」のあることは多数意見とともにおそらく争のないところであろう。ところで本件事案において問題となる要点は、上告人国(当時魚津税務署長)は、昭和二一年二月一五日被上告人が本件土地の登記名義が訴外会杜であることを示して、しかも自己の所有として申告したのに対し、これを承認し財産税を徴収しながら、その後に至つて国(当時富山税務署長)は、昭和二六年八月二一日前記事実と全く相反する訴外会社の土地として滞納処分による差押をしたという経過についてである。はじめに、多数意見がこれについて信義に反する関係を生じないと強調する背景に賛同できない二つの立場があることを述べておきたい。その一つは、国(税務署長)は、国税の関係において国民に重大な利害ある事項であつても、それが国税徴収に利益がないかぎり、国民のために進んで積極的に調査し適切な措置をとる責務はないという見解に立つと思われる点と、他の一つは、「信義に反する関係」というようなことは、個々の公務員または機関について別々に判断すべきであり、国について一体として考えるべきでないという見解に立つと思われる点である。前者は、本件差押があつたとき、被上告人から滞納処分取消申請書を提出し取消を懇請したのにかかわらず、国(税務署長)は、結局これを無視し、はじめの財産税を徴収した関係について何の責任をも示さず滞納処分を続行した点において明らかにうかがわれ、また後者は、被上告人の財産税徴収が魚津税務署長であり、訴外会社に対する滞納処分が富山税務署長であることによつて、「本件差押に当つて、上告人富山税務署長は、財産税徴収当時の経緯を現実に熟知しながら、これを奇貨として差押を実施したとは考えられない」とし、取消申請があつても署長が異なるからこれを無視することを当然とするような趣旨に受けとれることによつて認められる。
そもそも納税は国民のもつとも重要な義務の一つであるが、それは国民各個人が正しき税額を正しく徴収されるという原則の上においてのみ認められるのであり、国税に関する国家機関の責務もただこの原則に過誤なきを期する以外の何ものでもないと考える。そして、本件において正しい税額を正しく徴収するということは、相異なる前後の税務署長の行為を一貫することであり、後の差押に過誤あることを認めたなら、前の措置と一致せしめることにほかならない。また各行為の国家機関が前後異なつても(従つて公務員として別異な人間であろうとも)、国としてはすべて一体としての責任を負うべく、本件土地についていえば、魚津税務署長の先行行為が、後に富山税務署長の全く相反する後行行為によつて理由なく無意義とされることは許されないのである。試みに前示の本件事案の要点によつて、国税を私債権に、国を個人に置き換えて考えれば、その関係において背信という評価を受けるべきこというをまたないであろう。そうとすれば、多数意見は、民法の適用を受くべき本件の関係においても、国なるが故に特例有利な地位に立つとする見解によつて、その結論に到達したものと見るのほかない。このことは冒頭に「滞納者の財産を差し押えた国の地位はあたかも民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類する」とし、また「滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用があるものと解するのが相当である」とした見解と矛盾するといわざるを得ない。
(二)前示のように、本件の差押があつたとき被上告人は、冨山税務署長に、滞納処分取消申請書を提出したのであるが、多数意見も「上告人冨山税務署長は、被上告人より財産税徴収の経緯を知らされているはずであるから、その際にさらに慎重な調査を遂げ」、判示のいずれかの方法をとることが「行政上妥当であつたというべきであろう」ことを認めている。そもそも本件において、土地所有権が訴外会社の登記名義であることを知りながら、被上告人の申告に基き被上告人を所有権者とする実質関係を認め、財産税を徴収したのは、国としての税務署長である。しかるに多数意見は、「本件訴訟の経過からもわかるように、本件不動産の所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事」であるから、同じ国としての税務署長(このときは冨山税務署長であるが)が、滞納処分を続行しても背信的態度として非難できないというのである。一体国が、はじめ被上告人を所有権者とする前提に立つておきながら、後に登記が被上告人申告当時のまま訴外会社名義であるというだけで、反転して直ちに訴外会社の所有地と認め会社の滞納国税にかかつて行くというのは、「所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事」であるということと相容れないではないか。もちろん税務署長が、前の所有権の承認が誤であるという明白な事由と証拠を発見したのなら問題は別である。しかし所有権の帰属の判定が困難といいながら、前の承認とは逆に訴外会社の所有地として滞納処分を続行するのは、国税に関するかぎり本件土地が訴外会社の所有に属すと判定したのと同じことになるのではないか。何故税務署長はこのように国として前の態度を自由に放棄し、後の滞納国税を徴収する方向に判断を変えて行くことができるかの理由を解することができない。
おそらく多数意見の根拠は、国は、被上告人の所有権を積極的に承認したことはなく申告を受理したに止まるから、後に登記面の訴外会社の所有権を認めても背信的態度とはいえないというのであろう。しかし本件において国としては前と後と税務署が異なり署長が異なることを理由とすることの許されないこと前示(一)に述べたとおりである。被上告人の申告に基き被上告人の所有地として財産税を徴収したのは国であり、後に訴外会社の所有地として滞納処分をし、被上告人の取消申請をも無視しこれを断行したのも国である。前の行為は、国が第三者として、わが民法一七六条のとる意思主義の原則に則り被上告人の所有権の実質関係を承認したのであり、後の行為は、その国が同じ第三者として、対抗要件を定めた民法一七七条によつて被上告人に対し登記の欠缺を主張するのであつて、国が同じ資格をもつて同じ土地に対し前後相反する行為をすることが背信的でないとどうしていい切れるであろうか。もし国(税務署長)なるが故に前後二様の使い分が認められると解するならば、その根拠の説明がなければならない。そうでなければ国民は安んじて税務署長の指示承認を信ずることが困難となるであろう。
また多数意見が「一方において一般国民の利益のために租税を徴収し、公売制度の信用を維持すべさ国の公益的立場」云々ということは、文言自体に異議はない。しかし公売制度の面は後に触れるとして((三)参照)「一般国民」というものが国民各個人を離れて現実に存在するものではなく、そして「一般国民の利益」という中には、国税を納付する国民の側から見て、正しい税額を正しく徴収されることの利益を含むことを無視することは許されないこと前に述べたとおりである。しかるに本件のような滞納処分をすることが、国として正しいことであるというならば、たとえ多数意見のいう「比較考量」をしても、租税債権者としての国は、「一般私法上の債権者より」特別利益な地位を認められると解するのほかない。
また被上告人に対する関係において、国税滞納処分における国の地位が、一般私法上の債権者の地位に準ずべきことは多数意見のとおりであり、従つて「国が一般私法上の債権者より不利益の取扱を受ける理由となるものではない」ことはいうまでもない。しかしこの趣旨は「国は特に利益な取扱を受ける理由はある」という逆を含むものではあるまい。そしてまた原判決の結論は決して国に一般私法上の債権者より不利益な地位を与えたものとは考えられない。(なお本件の関係を私債権者の場合に置き換えて例をとつてみると、債務者が第三者から買い取つた家屋について、登記面はなお第三者名義のままで、その家屋から生ずる賃料を債務の支払に当てることを債権者に申出でた場合を考えることができる〔賃貸借その他の承継対抗等の諸関係はすべて適法有効に備われるものと仮定する〕。この場合債権者が、登記面第三者名義であることを知りながら、債務者の不動産物権における実質関係を承認し、ある期間家屋から生ずる賃料を債務に充当することをつづけた後、債権者は別にその第三者に対する債権があるので、今度は登記面により第三者の所有家屋として強制競売を申立てたとすれば、この関係をいかに判断ずべきであろうか。私の解するところによれば、この債権者は正当の利益を有する第三者に当らないこというまでもないのである。そしてこの設例は、国を私人に置き換えただけで、相互の基本関係は理において一致し異なるところはないと考える。多数意見は、この例の場合でも、債権者は右のような経過事実だけではいわゆる第三者の地位を否認されないという結論になるのであろうか。そうとすれば、多数意見の説示する「信義に反すると認められる事由」の解釈は異例であると考えざるを得ない。)
なお参考として本件の判断に資すべき大審院判例がある。(昭和八年オ第二六一〇号同九年三月六日五民判決。民集一三巻三号二三〇頁)。すなわちその事案は、甲に対する村税滞納処分で甲の不動産が公売に附され、これを競落した乙が未だ移転登記をしない間に、丙が甲に対する債権でこの不動産を差押えた。しかし丙はその前に右不動産の公売処分に立会い、公売売得金から甲に対する自分の抵当債権に対する配当を受けていたというのである。大審院はこれに対し「村税滞納ニ因ル公売処分ニ於テ不動産ノ売得金ヨリ配当ヲ受ヶタル債権者ハ該公売処分ニ因ル不動産ノ取得者ニ対シ民法一七七条所定ノ登記欠缺ヲ主張スル正当ノ利益ヲ有スル第三者ト謂フヲ得ザルモノトス」と判示した。この判例に対する批判において特に反対説を聞かない。もとよりこの事案における債権者丙の背信的態度は著しく積極的であつて、その程度からいえば本件には適切でないといえるかもしれない。しかし本件の国の地位を個人たる債権者に置き換えて、双方の事案の経路を要約してみると理において甚しく異なるとは考えられない。
(三) 何人がもつとも保護するに値するかという面から考えてみる。いうまでもなく民法一七七条は、本来不動産物権の変動につき、登記という公示方法を信頼した第三者をその限度において保護し、よつて不動産取引の動的安全を保障しようとする制度である。しかしその前提に、わが民法が意思主義をとり、当事者間においては物権変動について公示方法を必要としないという原則をとつていることを念頭におかなければならない。いいかえれば静的安全が一応まず保障されることによつてはじめて動的安全の保障が意義を生ずるのである。判例が文理に泥まず「正当の利益を有する第三者」の原則を積み重ねて来た趣旨もここにあるのである。従つていわゆる正当の利益を判断するには、この観点から、何人がもつとも保護するに値するかを考察して定めるべきであり、このことがもつとも決定的な要素であることを忘れてはならないのである。ところで本件を見ると、国(魚津税務署長)は、くりかえし述べるように、土地の登記面と異なる被上告人の所有権すなわち物権変動の実質関係を承認し、財産税を徴収したのであるから、わが登記制度の有する公示の効力を信頼し(すなわち訴外会社を所有権者として)それによつて租税事務を進めたという関係は全くない。かえつて国は、被上告人の申告により、本件土地の登記に公示された訴外会社の所有権を信じないで、被上告人の実質上の所有権を信じたのである。かかる関係においても国は登記という公示方法を信じた第三者として被上告人より以上に保護するに値する理由があるであろうか。さらに正確を期するため被上告人側の経緯を調べてみよう。原審の確定する事実と記録に存する資料によると、(イ)被上告人が本件土地を買受け所有権を取得したのは、訴外会社が昭和二一年一月三一日、二月五日の二回にわたり北日本新聞に売却の広告をしたのでこれに応じたのであること(甲第五号証ノ一及び二)、(ロ)被上告人は同年二月八日訴外会社代表者Aから本件土地を他の物件と共に金七万八千円也で買受けその所有権を取得したこと(甲第二号証)、(ハ)被上告人は昭和二二年二月一五日魚津税務署長に対し右土地を自己の所有である旨の財産申告をしたこと(すなわち甲第四号証「財産税課税価格等申告書」の第四枚目(記録七七丁)第三欄の本件土地の細目記載末項「摘要」に「登記面ハ北陸製作代表者A分」と記載されている)、(ニ)税務署長は右申告に基き被上告人から財産税を徴収したこと、等が認められる。従つて被上告人としては、税務署長が申告どおり本件土地が被上告人の所有であることを承認し財産税を徴収した以上、これを信頼し安心していたであろうことは十分に推認することができる。従つてすべての角度から見て現在の取引通念においては責むべきものを認められない。ただ一つ被上告人に不利な面は、移転登記を遅滞したことであるが(その理由は原判決ては必しも明らかでない)、前記の経過を見れば、被上告人は、税務署長が、前とは逆に訴外会社の土地として滞納処分をするなどとは予想もしなかつたであろうと思われる。かかる状況において遅滞ということが直ちに保護を受けるに値しないと断ずることはできない。
また多数意見は、「公売が実施された以上」と前提して、公売制度の信用を維持すべき国家の立場が本件の事案において重視されなければならないという趣旨を強調する。しかし不動産物権の変動における動的安全の保障は、まず静的安全を肯定し、その上の比較考量によつて生ずる原理である。そうでなければわが登記制度が単に公示の原則に立つた趣旨を無意義とするであろう。国は前に本件土地を被上告人の所有地として財産税を徴収したのであるから、本来後に訴外会社の土地として滞納処分などすべきではなかつたのであり、またそれは許されないはずである。しかるに国は、被上告人から差押取消の申出があつたのに何の調査も措置もとらず公売処分を断行しながら、「公売が実施された以上」公売制度の信用を保つたあ競落人を保護しなければならない、というのは、あまりに独善専恣であり、またこの過誤の責任を他人に転嫁するものといわなければなるまい。
本件においては被上告人は国を信じて行動して来たのであるから、まずこれを保護すべきである。そして本件の競落人は、国の過誤により蒙つた損害について、公売代金の返還その他正当な補償を受けることができるから、希望した土地が得られなかつたことが、さほど酷であるとは思われない。これに反し被上告人は、すでに代金を支払つて取得した土地所有権を失うが、その補償を何人に対し請求できるか、仮りに訴外会社に請求するとしても、同会社は国税を滞納しているほど窮状にあるのだからその実効はきわめて疑わしいといわなければならない。
(四) 「対抗」ということとその手続の面から考えてみる。民法一七七条に定める「対抗」の意義については議論の存するところであり、判例もこの点に触れているものが多く存在するが、その趣旨において各々多少の相異があることは、学者の指摘するとおりである。しかしこれらの判例を通じて理解し得る一つの趣旨は、第三者が民法一七七条の保護を受けようとするには、登記の欠缺を主張(すなわち物権変動の否認)しなければならない、ということである(明治四五年六月二八日、大正七年一一月一四日等の各判例参照)。判例のこの趣旨が、「対抗」の意義についていかなる理論的立場をとると解すべきかは別として、少くとも第三者が登記の欠缺を主張することを要求していることは明らかである。そしてこれが裁判上における主張の趣旨であることもまた異存はない。しかしこの趣旨が、裁判外においてはいかなる制約もないという意味を含むものとは考えられない。裁判外においては、第三者は、単にこの主張をしなかつたというだけで、直ちに同条の保護を放棄したと認められないことはいう裟でもない。しかし裁判外において第三者が、積極的にこの主張をしないこと、すなわち民法の保護を受ける意思のないことを表示した場合、またはこれと同視すべき行為があつた場合でも、裁判上においては、いつでも無条件にいわば前言をひるがえし、改めて有効に登記の欠缺を主張することができるとはとうてい解することはできない。反対の見解がありとすれば、判例が一貫して正当に判示する「正当な利益」という原則と相容れないものと考える。本件の場合国なるが故に前後相反する行為が是認され、それが信義に反しないというならば、特にその理由が示されなければならない。
多数意見は、「上告入が差押の実施に当つて、本件不動産が登記簿上右会社名義となつていることを確かめ、かつ同会社についてその実質上の所有関係を調査した以上」というが、国ははじめ本件土地につき被上告人の申告に基き被上告人の実質土の所有権を承認し財産税を徴収しておきながら、後に訴外会社の滞納国税の関係となるや、急に態度を変じ、今度は訴外会社について登記面の所有権を主張するのみならず、さらにその「実質上の所有権を調査」云々というのは、納得しかねる論理である。そして「さらに、財産税施行当時に遡つて右不動産が何人の所有として申告されていたかを調査しなかつたというだけで、直ちに、本件において国が登記の欠缺を主張することが背信的であるということはできない」というが、前示のように被上告人は滞納処分取消申請書を提出したのであるから、税務署長としては調査する責務があると考えられる。しかるにこれを無視し、国税のために利益である方に責務を転ずるという態度は、むしろ国なるが故に採るべきでなく、国民の信をつなぐゆえんでないと考えたい。
(五) なお最後に、多数意見の「特段の事情」について触れておきたい。特段の事情として例示されていることは「所轄税務署長がとくに被上告人の意に反して積極的に本件不動産を被上告人の所有と認定し」、あるいは「爾後もなお引き続いて右土地が被上告人の所有であることを前提として徴税を実施する等」というのである。この設例は、前後一連の関係にあると認められるが、これを本件に当てはめてみると、前段の場合は、税務署長が訴外会社の登記ある本件土地につき独自の調査の結果、被上告人からはなんの申告もなく、また被上告人の否定にもかかわらず、被上告人の所有と認定したようなことを指し、また後段の場合は、右のような認定の下に、その土地に基く税を引全つづいて徴収したというようなことを指すものと認められる。しかしこのようなことが容易に現実に起り得るとは考えられない。財産税は、不動産についても、納税人の申告によつて課税するものであるから(財産税法三七条ないし一一九条、同施行規則第四章、同細則一二条一三条、一七条等)、自ら申告する以上、台帳の登録または登記簿上の記載と一致することを通例とするが、仮りに一致しない場合でも、税務署長は、申告の理由を否認すべき特段の事由のない限り、申告者を納税義務者として徴税すれば足りるのである。(本件の事案のはじめの経過はこれに当る。)前記設例の場合を強いて仮想すれば、不動産の所有権を取得した者が、自己が国税を滞納しているため、その公売処分を避ける意図をもつて移転登記を遅滞しているようなことが考えられる。かかる場合税務署長が、所有権変動の実質関係を確認したときは、その所有者に対し適法な手続によつて徴税を追行することを妨げないであろう。しかし本件の場合は逆であつて被上告人が自ら申告し、課税を求めたのであるから、全く当らない。これに反し国税を滞納している甲がその所有の不動産を乙に譲渡し、乙が移転登記未済のまま自己の所有不動産として申告しても、税務署長はこのときこそ登記の欠缺を主張し、甲の不動産として滞納処分をすることがむしろその責務であり(本件の場合は、かえつて申告者たる被上告人の所有権を承認して徴税した)、また乙がいち早く自己の名義に移転登記をしても、税務署長は詐害行為取消権を行使することをなんら妨げられるものではない(国税徴収法一五条)。かく考えてくると、本件の場合、多数意見のいう「特段の事情」を審理することが、何故特に国について必要とされるか、その理由を解することができない。税務署長は、徴税手続に関し、前後相反する行為をしても許されると解すべきいかなる根拠もないと考える。以上のとおりの理由により本件上告を棄却すべきものである。
(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 垂水克己)

+判例(S50.2.25)
理由
上告代理人井上恵文、同大嶋芳樹、同曽田淳夫、同植西剛史、同加藤芳文の上告理由第一及び第二について。
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法は認められない。そして、原審の確定した事実関係のもとにおいては、本件事故に基づく自動車損害賠償保障法三条による損害賠償請求権の短期消滅時効は昭和四〇年七月一五日から進行すると解すべきであり、また、被上告人が右消滅時効を援用することをもつて権利の濫用又は信義則に反するものとはいえない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第三について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法は認められない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第四について。
所論は、要するに、被上告人は、公務員に対し公務遂行のための場所、設備等を供給すべき場合には、公務員が公務に服する過程において、生命、健康に危険が生じないように注意し、物的及び人的環境を整備する義務を負つているというべきであり、本件事故は被上告人が右義務を懈怠したことによつて生じたものであるから、被上告人は右義務違背に基づく損害賠償義務を負つているものと解すべきであるとし、これを否定した原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、というものである。
思うに、国と国家公務員(以下「公務員」という。)との間における主要な義務として、法は、公務員が職務に専念すべき義務(国家公務員法一〇一条一項前段、自衛隊法六〇条一項等)並びに法令及び上司の命令に従うべき義務(国家公務員法九八条一項、自衛隊法五六条、五七条等)を負い、国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務(国家公務員法六二条、防衛庁職員給与法四条以下等)を負うことを定めているが、国の義務は右の給付義務にとどまらず、国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解すべきである。もとより、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものであり、自衛隊員の場合にあつては、更に当該勤務が通常の作業時、訓練時、防衛出動時(自衛隊法七六条)、治安出動時(同法七八条以下)又は災害派遣時(同法八三条)のいずれにおけるものであるか等によつても異なりうべきものであるが、国が、不法行為規範のもとにおいて私人に対しその生命、健康等を保護すべき義務を負つているほかは、いかなる場合においても公務員に対し安全配慮義務を負うものではないと解することはできない。けだし、右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであつて、国と公務員との間においても別異に解すべき論拠はなく、公務員が前記の義務を安んじて誠実に履行するためには、国が、公務員に対し安全配慮義務を負い、これを尽くすことが必要不可欠であり、また、国家公務員法九三条ないし九五条及びこれに基づく国家公務員災害補償法並びに防衛庁職員給与法二七条等の災害補償制度も国が公務員に対し安全配慮義務を負うことを当然の前提とし、この義務が尽くされたとしてもなお発生すべき公務災害に対処するために設けられたものと解されるからである。
そして、会計法三〇条が金銭の給付を目的とする国の権利及び国に対する権利につき五年の消滅時効期間を定めたのは、国の権利義務を早期に決済する必要があるなど主として行政上の便宜を考慮したことに基づくものであるから、同条の五年の消滅時効期間の定めは、右のような行政上の便宜を考慮する必要がある金銭債権であつて他に時効期間につき特別の規定のないものについて適用されるものと解すべきである。そして、国が、公務員に対する安全配慮義務を懈怠し違法に公務員の生命、健康等を侵害して損害を受けた公務員に対し損害賠償の義務を負う事態は、その発生が偶発的であつて多発するものとはいえないから、右義務につき前記のような行政上の便宜を考慮する必要はなく、また、国が義務者であつても、被害者に損害を賠償すべき関係は、公平の理念に基づき被害者に生じた損害の公正な填補を目的とする点において、私人相互間における損害賠償の関係とその目的性質を異にするものではないから、国に対する右損害賠償請求権の消滅時効期間は、会計法三〇条所定の五年と解すべきではなく、民法一六七条一項により一〇年と解すべきである
ところが、原判決は、自衛隊員であつた訴外亡Aが特別権力関係に基づいて被上告人のために服務していたものであるとの理由のみをもつて、上告人らの被上告人に対する安全配慮義務違背に基づく損害賠償の請求を排斥しているが、右は法令の解釈適用を誤つたものというべきであり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。そして、本件については前叙のような観点から、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すべきものとする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 江里口清雄 裁判官 髙辻正己)


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