1.制定法のピラミッドと行政法の解釈
(1)制定法のピラミッド
(2)憲法学と行政法学の着眼点の違い
(3)法律と条令との関係
法律と条令とが矛盾抵触する場合=地方公共団体は、法律の範囲内で条例を制定することができる!
+判例(S50.9.10)徳島県公安条例事件
理由
検察官の上告趣意について
第一 本事件の経過
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、日本労働組合総評議会の専従職員兼徳島県反戦青年委員会の幹事であるところ、昭和四三年一二月一〇日県反戦青年委員会主催の『B五二、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒』を表明する徳島市藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町、元町を経て徳島駅に至る集団示威行進に青年、学生約三〇〇名と共に参加したが、右集団行進の先頭集団数十名が、同日午後六時三五分ころから同六時三九分ころまでの間、同市a丁目藍場浜公園南東入口から出発し、新町橋西側車道上を経て同市a丁目b番地豊栄堂小間物店前付近に至る車道上においてだ行進を行い交通秩序の維持に反する行為をした際、自らもだ行進をしたり、先頭列外付近に位置して所携の笛を吹きあるいは両手を上げて、前後に振り、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右集団示威行進に対し所轄警察署長の与えた道路使用許可には『だ行進をするなど交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと』の条件が付されていたにもかかわらず、これに違反したものである。」というのであり、このうち被告人が「自らもだ行進をした」点が道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)七七条三項、一一九条一項一三号に該当し、被告人が「集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者がな通秩序の維持に反する行為をるようにせん動した」点が「集団行進及び集団示威運動に関する条例」(昭和二七年一月二四日徳島市条例第三号、以下「本条例」という。)三条三号、五条に該当するとして、起訴されたものである。
第一審判決は、道路交通法七七条三項、一一九条一項二二号該当の点については被告人を有罪としたが、本条例三条三号、五条該当の点については、被告人を無罪とした。右無罪の理由とするところは、道路交通法七七条は、表現の自由として憲法二一条に保障されている集団行進等の集団行動をも含めて規制の対象としていると解され、集団行動にりいても道路交通法七七条一項四号に該当するものとして都道府県公安委員会が定めた場合には、同条三項により所轄警察署長が道路使用許可条件を付しうるものとされているから、この道路使用許可条件と本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」の関係が問題となるが、条例は「法令に違反しない限りにおいて」、すなわち国の法令と競合しない限度で制定しうるものであつて、もし条例が法令に違反するときは、その形式的効力がないのであるから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」は道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされるものを除く行為を対象とするものと解さなければならないところ、いかなる行為がこれに該当するかが明確でなく、結局、本条例三条三号の規定は、一般的、抽象的、多義的であつて、これに合理的な限定解釈を加えることは困難であり、右規定は、本条例五条によつて処罰されるべき犯罪構成要件の内容として合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を備えているといえず、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条の趣旨に反するというのである。
原判決は、本条例三条三号の規定が刑罰法令の内容となるに足る明白性を欠き、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条に違反するとした第一審判決の判断に過誤はないとして、検察官の控訴を棄却した。
検察官の上告趣意は、原判決の右判断につき憲法三一条の解釈適用の誤りを主張するものである。
第二 当裁判所の見解
一 本条例三条三号、五条と道路交通法七七条、一一九条一項一三号との関係について
道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的として制定された法律であるが、同法七七条一項は、「次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について」所轄警察署長の許可を受けなければならないとし、その四号において、「前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしょうとする者」と規定し、同条三項は、一項の規定による許可をする場合において、必要があると認めるときは、所轄警察署長は、当該許可に道路における危険を防止しその他交通の安全と円滑を図るため必要な条件を付することができるとし、同法一一九条一項一三号は、七七条三項により警察署長が付した条件に違反した者に対し、これを三月以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。そして、徳島県においては、徳島県公安委員会が、右規定により許可を受けなければならない行為として、徳島県道路交通施行細則(昭和三五年一二月一八日徳島県公安委員会規則第五号)一一条三号において、「道路において競技会、踊、仮装行列、パレード、集団行進等をすること」と定めており、本件集団示威行進についても、主催者から所轄徳島東警察署長に対し、道路交通法七七条一項四号、徳島県道路交通施行細則一一条三号により道路使用許可申請がされ、徳島東警察署長から、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足又はおそ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、先行てい団の追越し及びいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと」等四項目の条件を付して、道路使用許可がされている。
他方、本条例は、一条において、道路その他公共の場所で集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、同条一号、二号に該当する場合を除くほか、徳島市公安委員会に届け出なければならないとし、三条において、
「集団行進又は集団示威運動を行おうとする者は、集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため、次の事項を守らなければならない。
一 官公署の事務の妨害とならないこと。
二 刃物棍棒その他人の生命及び身体に危害を加えるに使用される様な器具を携帯しないこと。
三 交通秩序を維持すること。
四 夜間の静穏を害しないこと。」と規定し、五条において、三条の規定等に違反して行われた集団行進又は集団示威運動(以下、「集団行進等」という。)の主催者、指導者又はせん動者に対し、これを一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。
本件一、二審判決は、憲法九四条、地方自治法一四条一項により、地方公共団体の条例は国の法令に違反することができないから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」とは道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされる行為を除くものでなければならないという限定を付したうえ、本条例五条の罰則の犯罪構成要件の内容となる本条例三条三号の規定の明確性の有無につき判断しているのであるが、まず、このような限定を加える必要があるかどうかを検討する。
道路交通法は、前述のとおり、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ること等、道路交通秩序の維持を目的として制定されたものであり、同法七七条三項による所轄警察署長の許可条件の付与もかかる目的のためにされるものであることは、多言を要しない。
これに対し、本条例の対象は、道路その他公共の場所における集団行進及び場所のいかんを問わない集団示威運動であつて、学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育競技、及び通常の冠婚葬祭等の慣例による行事を除くものである。
このような集団行動は、通常、一般大衆又は当局に訴えようとする政治、経済、労働問題、世界観等に関する思想、主張等の表現を含むものであり、表現の自由として憲法上保障されるべき要素を有するのであるが、他面、それは、単なる言論、出版等によるものと異なり、多数人の身体的行動を伴うものであつて、多数人の集合体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、したがつて、それが秩序正しく平穏に行われない場合にこれを放置するときは、地域住民又は滞在者の利益を害するばかりでなく、地域の平穏をさえ害するに至るおそれがあるから、本条例は、このような不測の事態にあらかじめ備え、かつ、集団行動を行う者の利益とこれに対立する社会的諸利益との調和を図るため、一条において集団行進等につき事前の届出を必要とするとともに、三条において集団行進等を行う者が遵守すべき事項を定め、五条において遵守事項に違反した集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対し罰則を定め、もつて地方公共の安寧と秩序の維持を図つているのである。
このように、道路交通法は道路交通秩序の維持を目的とするのに対し、本条例は道路交通秩序の維持にとどまらず、地方公共の安寧と秩序の維持という、より広はん、かつ、総合的な目的を有するのであるから、両者はその規制の目的を全く同じくするものとはいえないのである。
もつとも、地方公共の安寧と秩序の維持という概念は広いものであり、道路交通法の目的である道路交通秩序の維持をも内包するものであるから、本条例三条三号の遵守事項が単純な交通秩序違反行為をも対象としているものとすれば、それは道路交通法七七条三項による警察署長の道路使用許可条件と部分的には共通する点がありうる。しかし、そのことから直ちに、本条例三条三号の規定が国の法令である道路交通法に違反するという結論を導くことはできない。
すなわち、地方自治法一四条一項は、普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法二条二項の事務に関し条例を制定することができる、と規定しているから、普通地方公共団体の制定する条例が国の法令に違反する場合には効力を有しないことは明らかであるが、条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない。例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によつて前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、両者が同一の目的に出たものであつても、国の法令が必ずしもその規定によつて全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえないのである。
これを道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則と本条例についてみると、徳島市内の道路における集団行進等について、道路交通秩序維持のための行為規制を施している部分に関する限りは、両者の規律が併存競合していることは、これを否定することができない。しかしながら、道路交通法七七条一項四号は、同号に定める通行の形態又は方法による道路の特別使用行為等を警察署長の許可によつて個別的に解除されるべき一般的禁止事項とするかどうかにつき、各公安委員会が当該普通地方公共団体における道路又は交通の状況に応じてその裁量により決定するところにゆだね、これを全国的に一律に定めることを避けているのであつて、このような態度から推すときは、右規定は、その対象となる道路の特別使用行為等につき、各普通地方公共団体が、条例により地方公共の安寧と秩序の維持のための規制を施すにあたり、その一環として、これらの行為に対し、道路交通法による規制とは別個に、交通秩序の維持の見地から一定の規制を施すこと自体を排斥する趣旨まで含むものとは考えられず、各公安委員会は、このような規制を施した条例が存在する場合には、これを勘案して、右の行為に対し道路交通法の前記規定に基づく規制を施すかどうか、また、いかなる内容の規制を施すかを決定することができるものと解するのが、相当である。そうすると、道路における集団行進等に対する道路交通秩序維持のための具体的規制が、道路交通法七七条及びこれに基づく公安委員会規則と条例の双方において重複して施されている場合においても、両者の内容に矛盾牴触するところがなく、条例における重複規制がそれ自体としての特別の意義と効果を有し、かつ、その合理性が肯定される場合には、道路交通法による規制は、このような条例による規制を否定、排除する趣旨ではなく、条例の規制の及ばない範囲においてのみ適用される趣旨のものと解するのが相当であり、したがつて、右条例をもつて道路交通法に違反するものとすることはできない。
ところで、本条例は、さきにも述べたように、道路における場合を含む集団行進等に対し、このような社会的行動のもつ特殊な性格にかんがみ、道路交通秩序の維持を含む地方公共の安寧と秩序の維持のための特別の、かつ、総体的な規制措置を定めたものであつて、道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則による規制とその目的及び対象において一部共通するものがあるにせよ、これとは別個に、それ自体として独自の目的と意義を有し、それなりにその合理性を肯定することができるものである。そしてその内容をみても、本条例は集団行進等に対し許可制をとらず届出制をとつているが、それはもとより道路交通法上の許可の必要を排除する趣旨ではなく、また、本条例三条に遵守事項として規定しているところも、のちに述べるように、道路交通法に基づいて禁止される行為を特に禁止から解除する等同法の規定の趣旨を妨げるようなものを含んでおらず、これと矛盾牴触する点はみあたらない。もつとも、本条例五条は、三条の規定に違反する集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対して一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金を科するものとしているのであつて、これを道路交通法一一九条一項一三号において同法七七条三項により警察署長が付した許可条件に違反した者に対して三月以下の懲役又は三万円以下の罰金を科するものとしているのと対比するときは、同じ道路交通秩序維持のための禁止違反に対する法定刑に相違があり、道路交通法所定の刑種以外の刑又はより重い懲役や罰金の刑をもつて処罰されることとなつているから、この点において本条例は同法に違反するものではないかという疑問が出されるかもしれない。しかしながら、道路交通法の右罰則は、同法七七条所定の規制の実効性を担保するために、一般的に同条の定める道路の特別使用行為等についてどの程度に違反が生ずる可能性があるか、また、その違反が道路交通の安全をどの程度に侵害する危険があるか等を考慮して定められたものであるのに対し、本条例の右罰則は、集団行進等という特殊な性格の行動が帯有するさまざまな地方公共の安寧と秩序の侵害の可能性及び予想される侵害の性質、程度等を総体的に考慮し、殊に道路における交通の安全との関係では、集団行進等が、単に交通の安全を侵害するばかりでなく、場合によつては、地域の平穏を乱すおそれすらあることをも考慮して、その内容を定めたものと考えられる。そうすると、右罰則が法定刑として道路交通法には定めのない禁錮刑をも規定し、また懲役や罰金の刑の上限を同法より重く定めていても、それ自体としては合理性を有するものということができるのである。そして、前述のとおり条例によつて集団行進等について別個の規制を行うことを容認しているものと解される道路交通法が、右条例においてその規制を実効あらしめるための合理的な特別の罰則を定めることを否定する趣旨を含んでいるとは考えられないところであるから、本条例五条の規定が法定刑の点で同法に違反して無効であるとすることはできない。
右の次第であつて、本条例三条三号、五条の規定は、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号に違反するものということはできないから、本条例三条三号に定める遵守事項の内容についても、道路交通法との関係からこれに限定を加える必要はないものというべく、したがつて、この点に関する原判決の見解は、これを是認することができない。
二 本条例三条三号、五条の犯罪構成要件としての明確性について
次に、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」という規定が犯罪構成要件の内容をなすものとして明確であるかどうかを検討する。
右の規定は、その文言だけからすれば、単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされていない。全国のいわゆる公安条例の多くにおいては、集団行進等に対して許可制をとりその許可にあたつて交通秩序維持に関する事項についての条件の中で遵守すべき義務内容を具体的に特定する方法がとられており、また、本条例のように条例自体の中で遵守義務を定めている場合でも、交通秩序を侵害するおそれのある行為の典型的なものをできるかぎり列挙例示することによつてその義務内容の明確化を図ることが十分可能であるにもかかわらず、本条例がその点についてなんらの考慮を払つていないことは、立法措置として著しく妥当を欠くものがあるといわなければならない。しかしながら、およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる。しかし、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といつても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。
そもそも、道路における集団行進等は、多数人が集団となつて継続的に道路の一部を占拠し歩行その他の形態においてこれを使用するものであるから、このような行動が行われない場合における交通秩序を必然的に何程か侵害する可能性を有することを免れないものである。本条例は、集団行進等が表現の一態様として憲法上保障されるべき要素を有することにかんがみ、届出制を採用し、集団行進等の形態が交通秩序に不可避的にもたらす障害が生じても、なおこれを忍ぶべきものとして許容しているのであるから、本条例三条三号の規定が禁止する交通秩序の侵害は、当該集団行進等に不可避的に随伴するものを指すものでないことは、極めて明らかである。ところが、思想表現行為としての集団行進等は、前述のようにへこれに参加する多数の者が、行進その他の一体的行動によつてその共通の主張、要求、観念等を一般公衆等に強く印象づけるために行うものであり、専らこのような一体的行動によつてこれを示すところにその本質的な意義と価値があるものであるから、これに対して、それが秩序正しく平穏に行われて不必要に地方公共の安寧と秩序を脅かすような行動にわたらないことを要求しても、それは、右のような思想表現行為としての集団行進等の本質的な意義と価値を失わしめ憲法上保障されている表現の自由を不当に制限することにはならないのである。そうすると本条例三条が、集団行進等を行おうとする者が、集団行進等の秩序を保ち、公共の安寧を保持するために守らなければならない事項の一つとして、その三号に「交通秩序を維持すること」を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解されるのである。そして、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において、自己がしょうとする行為が右条項による禁止に触れるものであるかどうかを判断するにあたつては、その行為が秩序正しく平穏に行われる集団行進等に伴う交通秩序の阻害を生ずるにとどまるものか、あるいは殊更な交通秩序の阻害をもたらすようなものであるかを考えることにより、通常その判断にさほどの困難を感じることはないはずであり、例えば各地における道路上の集団行進等に際して往々みられるだ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ等の行為が、秩序正しく平穏な集団行進等に随伴する交通秩序阻害の程度を超えて、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為にあたるものと容易に想到することができるというべきである。
さらに、前述のように、このような殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進等に不可欠な要素ではなく、したがつて、これを禁止しても国民の憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならず、また、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為てあるかどうかは、通常さほどの困難なしに判断しうることであるから、本条例三条三号の規定により、国民の憲法上の権利の正当な行使が阻害されるおそれがあるとか、国又は地方公共団体の機関による恣意的な運用を許すおそれがあるとは、ほとんど考えられないのである(なお、記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例三条三号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない。)。
このように見てくると、本条例三条三号の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法三一条に違反するものとはいえないから、これと異なる見解に立つ原判決及びその維持する第一審判決は、憲法三一条の解釈適用を誤つたものというべく、論旨は理由がある。
よつて、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。
第一審判決の認定によると、被告人は、昭和四三年一二月一〇日徳島県反戦青年委員会主催の「B五二、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒」、を表明する徳島市藍場町二丁目藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町丸新デパート前路上に至る集団示威行進に、青年労働者、学生ら約三〇〇名とともに参加したが、右集団示威行進に対しては、所轄徳島東警察署長がその道路使用を許可するにあたり、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足又はおそ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、先行てい団の追越し及びいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと」との条件を付していたのに、右集団示威行進の先頭集団約八〇名が同日午後六時三六分ころから同六時三八分すぎころまでの間、県道宮倉徳島線上の同市a丁目藍場浜公園南東出入口付近の車道から同市新町橋西側車道南詰付近までの約七〇メートルの区間において最大幅約八メートルの右車道幅員一杯の、また、同日午後六時三九分ころ、同県道上同市a丁目八百秀食料品店前横断歩道北側端から同豊栄堂小間物店前付近までの約三五メートルの区間において、右車道幅員の約三分の二程度の部分を占める最大幅約五メートルの、それぞれだ行進をし交通秩序の維持に反する行為をした際、みずから右先頭集団直近の隊列外に位置して断続的に右先頭集団とともにだ行進をしたり、笛を吹いたり、両腕を前後に振つて合図する等し、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右徳島東警察署長の付した道路使用許可条件に違反したもの(第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠及び証人a、同b、同c、同dの各第一審公判廷における供述による。)であり、右事実に法令を適用すると、被告人の右所為のうち、先頭集団直近の隊列外に位置して、だ行進をしたり、笛を吹いたり、両腕を前後に振つて合図する等して、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするまうにせん動した点は、本条例三条三号、五条(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)に、被告人がみずからだ行進をし徳島東警察署長の付した道路使用許可条件に違反した点は、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号(罰金額の寡額につき前に同じ。)に、それぞれ該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として、重い本条例三条三号、五条の罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、第一審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官小川信雄、同坂本吉勝の補足意見、裁判官岸盛一、同団藤重光の各補足意見、裁判官高辻正己の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
+補足意見
裁判官小川信雄、同坂本吉勝の補足意見は、次のとおりである。
われわれは多数意見に同調するものであるが、左の点について念のため補足的に意見を述べておきたいと思う。
集団行進等は、多数の人が、社会、政治、経済等の問題につき、公然とその主張、要求、観念等を力強く表示し、一般公衆に訴えてその賛成をえようとする集団的行動であるから、その性質上常に粛然とした行進であるにとどまらず、ある程度これを超える行進形態にわたることは、当然これを容認しなければならない。
したがつて、多数意見が徳島市公安条例三条三号にいう「交通秩序を維持すること」とは「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているもの……」と解するといつている意味は、正常な集団行進等に通常伴うであろう程度を超えた殊更な交通秩序阻害行為、すなわち集団行進等がその本来の性質上粛然とした行進の程度を何程か超える行進形態にわたりうるものであることを容認しながら、さらにその程度を超えた殊更な交通秩序阻害行為を避止すべきことを命じているという意味であると理解して、その意見に同調するものである。
事は、憲法の保障する国民の表現の自由にかかわる重要な問題であるので、この点を誤解した行過ぎの取締りのないことを願うものである。右の点を付加するほかは、われわれは裁判官団藤重光の補足意見に同調する。
+補足意見
裁判官岸盛一の補足意見は、次のとおりである。
わたくしは、多数意見に同調する者として、集団行動と表現の自由の制約の点について、いささか意見を補足しておきたい。
(一) 表現活動に対して、法令による規制がなされる場合に、それが憲法二一条に違反するか否かを判断するにあたつては、その目的が、表現そのものを抑制することにあるのか、それとも当該表現に伴う行動を抑制することにあるのかを一応区別して考察する必要があると考える。もとより、すべての表現活動は、なんらかの意味において行動を伴うものともいいうるのであるから、この区別は、表現活動を表現そのものと行動を伴う表現とに截然と二分して憲法上の保障に差等を設けようとするものではない。それは、規制の目的を重視し、表現そのものがもたらす弊害の防止に規制の重点があるのか、もしくは表現に伴う行動がもたらす弊害の防止が重点であるのかを識別したうえで、規制の合憲性を厳密に審査する必要があるとの見地から、右の区別をしょうとするものである。そして、そのことは、判断を正確にし、かつ、理解を容易にするために極めて有意義なことであると思うのである。
(二) 規制の目的が表現そのものを抑制することにある場合には、それはまさに、国又は地方公共団体にとつて好ましくない表現と然らざるものとの選別を許容することとなり、いわば検閲を認めるにひとしく、多くの場合、基本的人権としての表現の自由を抑圧するものであつて、違憲の判断をうけることはいうまでもない。当裁判所の判例が、例えば、国民の重要な法的義務の不履行を煽動すること(昭和二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号八三九頁、同三七年二月二一日大法廷判決・刑集一六巻二号一〇七頁など)、猥褻文書を頒布すること(昭和三二年三月一三日大法廷判決・刑集一一巻三号九九七頁、同四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁)、故なく他人の名誉を毀損すること(昭和三三年四月一〇日第一小法廷判決・刑集一二巻五号八三〇頁、なお同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁)を犯罪として処罰する規定につき、利益較量の手法によることなく、それらの表現活動は、表現の自由に内在する制約を逸脱し、それ自体憲法上の保障をうけるに値しないことを根拠として、憲法二一条に違反するものではないとしたのは、これらの規制が右のような性質を有し、これらを合憲とすることには、本質的、根源的な理由を必要とするとの考えがあつたものと解される。ちなみに、右に摘示した従来の判例の中には、「公共の福祉に反する」という語句が用いられているものがあるとはいえ、その真意は、決して安易に公共の福祉論を展開しているのではなく、表現の自由にもそれに内在する制約のあることを説いているものであることは、判文全体を通じて理解することができるのである。
アメリカの連邦最高裁判所の判例が、違憲審査にあたり、いわゆる「明白かつ現在の危険」の原則を適用しているのも、規制の目的が表現そのものの抑制を志向している場合であつて、そのような規制については厳しい基準で合憲性を判断しようとする努力にほかならない。この原則は、当初は、国が憲法上阻止することが許されるような実質的害悪をもたらす行為の教唆、煽動を処罰することが違憲であるか否かの審査について用いられたものであつて、その抑制の根拠は、このような実質的な害悪が発生するさしせまつた危険を生じさせるような表現は、そのような害悪を発生させる行動にひとしく、自由な表現の交換による自然的な抑制を待ついとまがないということにあつた。この原則は、特に一九三〇年代以降広く適用され、表現活動に対する規制を違憲とする場合の決り文句のように判例に登場したが、次第にそれが妥当する範囲につき思索が重ねられ、一九五〇年には、この原則はあらゆる型態の表現活動にあてはまるものではなく、規制の目的が行動のもたらす重大な弊害の防止ということにある場合には適用されないことが明示され、翌一九五一年には、この原則が従来は保護される利益が非実質的で規制を合憲とするに足りない場合について広く適用されてきたことが指摘されたうえ、たとえ表現そのものがもたらす弊害の防止を目的とする規制であつても、保護される利益が極めて重大である場合には、規制の巾が拡大されることもありうるとされ、この原則の適用については利益較量による吟味が必要であることが明らかにされたのである。さらに、一九六五年には、集団行進やピケツテイング等の表現活動は行動と表現との混合であり、行動の面がもたらす実質的な弊害を防止するために裁判所近くでの集団示威運動を処罰することは合憲であるとされ、一九六八年には、公衆の面前で徴兵カードを焼却したいわゆる象徴的行動の事件について、言論と非言論とが同一の行動に結合している場合に、非言論の面を規制することにつき十分な国の利益が認められるならば、これに付随した表現の自由が制約されても違憲ではないとされた。そしてさらに、公務員の政治行為の禁止を合憲とした一九七三年の判例においても、純粋な言論と行動を伴う言論との区別が重視されている。
もとより、わたくしは、アメリカの判例に教条的に追随しようとするものではない。右に略説した判例のなかにも傾聴すべき反対意見が述べられているものもあるし、また、事案の内容が、わが国で問題とされている性質のものと必ずしも同様とはいえないものもあるのである。それにもかかわらず、あえてこれを引合いに出したのは、前述のような判例にみられるこの原則の適用についての変遷は、単なる論理の演繹によるものではなく、経験に基づく帰納の結果であること、その裁判過程において合理的な価値の選択が重視されていること、そしてさらに、この原則の適用範囲が拡大された時代があつたとはいえ、今日では自覚的に表現そのものの規制が合憲であるか否かの判断基準として用いられていることに注目したいと思うからである。
(三) ところが、規制の目的が表現を伴う行動を抑制することにあるときは右と事情を異にする。この場合の規制は、国又は地方公共団体による検閲にひとしいような性質のものではない。そればかりでなく、表現を伴うあらゆる行動が、表現という要素をもつということだけの理由で憲法上絶対的な地位を占めるものとするときは、利益較量による相対立する利益の調和(それは、単なる平均的な調和ではなく、いわば配分的なそれというべきであろうか)という憲法解釈の要諦を忘れたものとの譏を免れないであろう。当裁判所の従来からの判例が、このような類型の規制について、適正な利益較量の手法により、大阪市屋外広告物条例(昭和四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁)、他人の家屋その他の工作物にはり紙をすることを禁止する軽犯罪法一条三三号(昭和四五年六月一七日大法廷判決・刑集二四巻六号二八〇頁)公務員の政治活動の禁止(昭和四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁、六九四頁、七四三頁)などを合憲と判断したことには、このような考慮がめぐらされたものと解されるのである。
また、その行動を伴うことが、当該表現活動にとつて唯一又は極めて重要な意義をもつ場合には・行動それ自体が思想意見の伝達と評価され、表現そのものと同様に憲法上の保障に値することもありうるが、そのようなときでも、規制の真の目的が行動による思想、意見の伝達を抑制することにあるのではなく、行動自体のもたらす実質的な弊害を防止することにある限りは、これを直ちに違憲であるということはできない。
ところで、集団行動の規制について、しばしば、一定の時間、場所、方法の規制あるいは一定の態様の行動(一定の属性をもつた行動)の規制であれば合憲であるとされるのは、その規制が概して当該行動のもたらす弊害の防止を目的とするものであると認められるからであつて、その真の根拠は前述したところに存するのである。換言すれば、ある一定の態様の集団行動についていうならば、一定の態様に限定された規制であるが故に直ちにそれが合憲とされるのではなくて、実質的な弊害をもたらすような当該行動の規制であり、しかも、それに伴う表現そのものに対する制約の程度も適正な利益較量として許容されるものであるからにほかならない。一定の態様による集団行動を禁止する規制であつて、他の態様による表現活動の余地が残されている場合であつても、規制の目的が表現そのものを抑制することにあるならば、その規制は矢張り違憲であるとされなければならない。
(四) 本件におけるような集団行動の規制を目的とするわが国の公安条例について、上述した見解をあてはめてみるに、もし表現そのものが国又は地方公共団体にとつて好ましくないものとしてこれを規制しようとするのであれば、違憲であるといわざるをえない。しかしながら、本件の徳島市条例がそのような規制を目的とするものではなく、行動のもたらす弊害の防止を目的とするものであることは明白である。そしてまた、蛇行進、うづ巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠して行進するいわゆるフランスデモ等の殊更な道路交通秩序の阻害をもたらす虞のある表現活動が表現の自由の名に値するものであるかは別論としても、上述のような見地からすれば、その規制は合憲であるとすることには異論はないと考えるものである。
(五) 以上の次第で、わたくしは、表現そのものと行動に伴う表現とを一応区別して考える当裁判所の従来の判例を維持したいと考えるとともに、そのような考えに立つて本件を処理する多数意見を支持したいと思うのである。
+補足意見
裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。
わたくしは多数意見に同調するものであるが、左の諸点について補足的に意見を述べておきたいと思う。(一)第一は、表現の自由の制約の問題である。これについては、表現そのものと表現の態様とを区別して考えなければならない。単に表現の態様にすぎないようなもの、換言すれば、問題となつている当の態様によらなくても、他の態様によつて表現の目的を達しうるようなばあいには、法益の権衡を考えた上で、単なる道路交通秩序のような、それほど重大でない法益を守るためにも、当の態様による表現を制約することができるものと解するべきであろう。多数意見が「道路交通秩序の維持をも内包」する広い概念としての「地方公共の安寧と秩序」ということを持ち出しているのは、表現の態様に関するかぎりにおいて、理解されうる。本件は、被告人らのとつたような態様の行動によらなくても表現の目的を達しえたであろう事案であつたとみとめられるのであつて、多数意見の判示するところは正当であるとおもう。これに反し、表現そのものについては別論であつて、万が一にも本条例の濫用によつて単なる「交通秩序の維持」のために、表現そのものを抑圧 するような処分が行われたならば、その処分はあきらかに違憲だといわなければならない。本条例が、そのような表現の自由の抑圧を容認するものでないことは、いうまでもない。
ちなみに、ここにわたくしが表現そのものと表現の態様とを区別するのは、表現の中に「純粋な言論」と「行動」とを区別する見解とは同一ではないことを、念のために、あきらかにしておく必要がある。表現はしばしば行動を伴うのであり、もしその行動によらなければ当の表現の目的を達成することが客観的・合理的にみて不可能なようなばあいには、その行動は表現そのものと考えられなければならない。日本国憲法が単に「言論」だけでなく、「言論、出版その他一切の表現」についてその自由を保障するものとしているのは、このような含蓄をも有するものと解するべきであろう。
(二) 第二は、犯罪構成要件の明確性に関する問題である。本条例五条は、三条とあいまつて、本件で問題となつている犯罪構成要件を規定しているが、三条三号は単純に「交通秩序の維持」としているだけであつて、同条本文の「公共の安寧を保持するため」とあわせてみるにせよ、「立法措置として著しく妥当を欠くものがある」ことは多数意見もみとめるとおりである。罪刑法定主義が犯罪構成要件の明確性を要請するのは、一方、裁判規範としての面において、刑罰権の恣意的な発動を避止することを趣旨とするとともに、他方、行為規範としての面において、可罰的行為と不可罰的行為との限界を明示することによつて国民に行動の自由を保障することを目的とする。後者の見地における行動の自由の保障は、表現の自由に関しては、とくに重要であつて、もし、可罰的行為と不可罰的行為との限界が不明確であるために、国民が本来表現の自由に属する行動さえをも遠慮するような事態がおこれば、それは国民一般の表現の自由に対する重大な侵害だといわなければならない。これは不明確な構成要件が国民一般の表現の自由に対して有するところの萎縮的ないし抑止的作用の問題である。もちろん、本件についてかような問題に立ち入ることが、司法権行使のありかたとして許されるかどうかについては、疑問がないわけではない。けだし、一般国民(徳島市の住民および滞在者一般)が本条例の規定によつて表現の自由の関係で萎縮的ないし抑止的影響を受けていたかどうか、また、現に受けているかどうかは、本件の審理の対象外とされるべきではないかとも考えられるからである。しかし、このような考え方は、裁判所が国民一般の表現の自由を保障する機能を大きく制限する結果をもたらす。わたくしは、これは、とうてい憲法の趣旨とするところではないと考えるのである。
かようにして、わたくしは、本条例三条、五条の構成要件の明確性の問題を検討するにあたつては、それが表現の自由との関連において国民一般に対して有するかも知れないところの萎縮的・抑止的作用をもとくに考慮に入れたつもりである。
そうして、わたくしは、多数意見もまた、同じ見地に立つものと理解している。第一に、多数意見がとくに、「記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例三条三号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない」ことを付言しているのは、実際にこうした萎縮的・抑止的作用が認定されえなかつたことをあきらかにするものであるとおもう(現に、記録上、弁護側から、かような点についてのなんらの立証活動もされていない)。第二に、規定じたいをみても、その適用の有無について、「通常の判断能力を有する一般人が具体的場合に」「通常その判断にさほどの困難を感じることはないはず」であることは、これまた、多数意見の説示するとおりである。およそ公安条例の規定する罪には一定の型があつて、本条例の罪にはとくに明示的な例示はないが、その内容がどのようなものであるかは、一般国民にとつてほぼ周知のことといえよう。純粋に文理的には疑問があるとはいえ、こうしたことを考慮に入れれば、多数意見の説示するところは、結局において、正当であるといわなければならない。ただ、本条例のような構成要件の規定のしかたは、かろうじて合憲とはいえるものの、立法措置としてはなはだ妥当を欠くものであることを繰り返して指摘しておかざるをえない。
(三) なお、第三に、多数意見は、本条例三条三号の趣旨について、同号に「交通秩序を維持すること」が掲げられているのは、「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解される」としているが、ここに「集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合」といつているのは、いうまでもなく、正常な集団行進等のことを念頭に置いているものにほかならないであろう。この意味において、わたくしは小川、坂本両裁判官の補足意見にも同調するものである。
+意見
裁判官高辻正己の意見は、次のとおりである。
私は、原判決破棄の多数意見の結論には同調するが、本条例三条三号、五条の犯罪構成要件としての明確性の点については、多数意見と見解を一にすることができない。この点を明らかにしながら、私の意見を述べる。
一 いうまでもなく、刑罰法規の定める犯罪構成要件が明確であるかどうかの判断は、主として、裁判規範としての機能の面ではなく、その行為規範としての機能の面に着目し、裁判時を基準とするのではなく、行為者の行為の当時を基準として、されなければならない。その判断が、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである」ことは、多数意見のいうとおりである。そして、そのような基準が読みとれるかどうかについて最も重視されるべきものが、当該規定の文言自体であることは、多言を要しない。
二 ところが、本件で問題とされる本条例三条三号の規定は、多数意見も自らいうように、「その文言だけからすれば、単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされていない」ものである。もとより、法規の適用には解釈がつきものであつて、その解釈については、規定の文言だけではなく、その規定と法規全体との関係、当該法規の立法の目的、規定の対象の性質と実態等が、考慮されてよい。多数意見は、そのような諸点について考慮を重ねた上、、本条例三条三号の規定は、「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているもの」と解釈するのである。それは、一個の解釈としては間然するところがないが、そのような解釈をもつて、直ちに、通常の判断能力を有する一般人である行為者が、行為の当時において、理解するところであるとすることができようか。「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」を読みとるについて行為者に期待されるところは、通常の判断能力を有する者が規定の文言から素ぼくに感得するところの常識的な理解であつて、多数意見にあるような考慮を重ねて得られる解釈ではあるまい。
三 たとえ、通常の判断能力を有する一般人である行為者に対し、多数意見にあるような考慮を重ねた解釈を期待することができるとしても、その解釈の成果が、果たして、「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」を示すにつき欠けるところがないといえるであろうか。本条例三条三号の規定が避止すべきことを命じているのは集団行進等における「殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為」であるといつたところで、そこから具体的な行為としての限定を見出すことはできず、これをもつて「禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準」であるとすることができないことに、変わりはない。確かに、多数意見の掲示する「だ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ」が、その種の「殊更な……行為」の典型的なものであるとは解されよう。そして・そのような典型的なものは、それが典型的なものであればこそ、本条例三条三号の避止すべきことを命じている行為に当たると「容易に想到することができる」のであり、そうした理解は、通常の判断能力を有する者が、その常識において、規定の文言から素ぼくに感得するところのものであるということができるのである。しかし、そのような典型的な行為ではないが集団行進等において粛然とした形態にとどまらない形態をもたらすような行為については、どのような程度のものまでがその種の「殊更な……行為」に当たるとされるのか、「通常その判断にさほどの困難を感じることはない」といいきるには、疑問が残る。禁止行為に例示を設け、それによつて、禁止される行為が、例示の行為のほかには、それと同等程度の行為だけに限られるとする基準が示されている場合とは、場合が違うのである。
四 このようなわけで、私は、本条例三条三号の規定が集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることを可能とするものであり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠くものではないとする一般的見解には、多分に疑問があると考える。それにもかかわらず、私が原判決破棄の結論に同調しようとするのは、次の理由による。
さきにも述べたように、本件におけるだ行進が、交通秩序侵害行為の典型的のものとして、本条例三条三号の文言上、通常の判断能力を有する者の常識において、その避止すべきことを命じている行為に当たると理解しえられるものであることは、疑問の余地がない。それ故、本件事実に本条例三条三号、五条を適用しても、これによつて被告人が、格別、憲法三一条によつて保障される権利を侵害されることにはならないのである。元来、裁判所による法令の合憲違憲の判断は、司法権の行使に附随して、されるものであつて、裁判における具体的事実に対する当該法令の適用に関して必要とされる範囲においてすれば足りるとともに、また、その限度にとどめるのが相当であると考えられ、本件において、殊更、その具体的事実に対する適用関係を超えて、他の事案についての適用関係一般にわたり、前記規定の罰則としての明確性の有無を論じて、その判断に及ぶべき理由はない。もつとも、刑罰法規の対象とされる行為が思想の表現又はこれと不可分な表現手段の利用自体に係るものであつて、規制の存在すること自体が、本来自由であるべきそれらを思いとどまらせ、又はその自由の取返しのつかない喪失をもたらすようなものである場合には、憲法がその保障に寄せる関心の重大さにかんがみ、別異の配慮を加えるべき憲法上の合理性とそれに由来する要請があるというべきである。しかし、本件において規制の対象とされる行為は、表現手段としての集団行進等をすることそれ自体ではなく、集団行進等がされる場合のその態様に関するものであつて、本件の場合は、右に述べたような特段の配慮を加えるべき場合には当たらないのである。
五 要するに、私は、本条例三条三号の規定は犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠くものとはいえないとする多数意見には賛成することができないが、本条例三条三号、五条の定める犯罪構成要件に当たることの明らかな本件事実については、上述の理由によつて、それらの規定の適用が排除されるべきではないと考えるのであつて、この点において、結局、原判決は破棄を免れないのである。
検察官大石宏、同蒲原大輔、同海治立憲、同石原一彦公判出席
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 高辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光 裁判官小川信雄は退官のため、裁判官坂本吉勝は海外出張のため、いずれも署名押印することができない。裁判長裁判官 村上朝一)
2.法律による行政の原理
(1)法律に優位・法律の法規創造力
(2)法律の留保
ア 侵害留保説=行政活動のうち、私人の自由と財産を侵害する行為については法律の根拠を必要とする!
イ 組織規範・規制規範・根拠規範
a)組織規範
b)規制規範=行政活動の適正を図るために規律を求める規範
・法律の留保にいう「法律」とは、規制規範ではなく根拠規範を指す
ウ 全部留保説・重要事項留保説・権力留保説
・法律に基づかない補助金交付が違憲・違法であって、これを誰がどのような訴訟で争うことができるか?
→地方公共団体の補助金交付については住民訴訟(地方自治法242条の2)
+(住民訴訟)
第242条の2
1項 普通地方公共団体の住民は、前条第1項の規定による請求をした場合において、同条第4項の規定による監査委員の監査の結果若しくは勧告若しくは同条第9項の規定による普通地方公共団体の議会、長その他の執行機関若しくは職員の措置に不服があるとき、又は監査委員が同条第4項の規定による監査若しくは勧告を同条第五項の期間内に行わないとき、若しくは議会、長その他の執行機関若しくは職員が同条第九項の規定による措置を講じないときは、裁判所に対し、同条第1項の請求に係る違法な行為又は怠る事実につき、訴えをもつて次に掲げる請求をすることができる。
一 当該執行機関又は職員に対する当該行為の全部又は一部の差止めの請求
二 行政処分たる当該行為の取消し又は無効確認の請求
三 当該執行機関又は職員に対する当該怠る事実の違法確認の請求
四 当該職員又は当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に損害賠償又は不当利得返還の請求をすることを当該普通地方公共団体の執行機関又は職員に対して求める請求。ただし、当該職員又は当該行為若しくは怠る事実に係る相手方が第243条の2第3項の規定による賠償の命令の対象となる者である場合にあつては、当該賠償の命令をすることを求める請求
2項 前項の規定による訴訟は、次の各号に掲げる期間内に提起しなければならない。
一 監査委員の監査の結果又は勧告に不服がある場合は、当該監査の結果又は当該勧告の内容の通知があつた日から三十日以内
二 監査委員の勧告を受けた議会、長その他の執行機関又は職員の措置に不服がある場合は、当該措置に係る監査委員の通知があつた日から三十日以内
三 監査委員が請求をした日から六十日を経過しても監査又は勧告を行なわない場合は、当該六十日を経過した日から三十日以内
四 監査委員の勧告を受けた議会、長その他の執行機関又は職員が措置を講じない場合は、当該勧告に示された期間を経過した日から三十日以内
3項 前項の期間は、不変期間とする。
4項 第1項の規定による訴訟が係属しているときは、当該普通地方公共団体の他の住民は、別訴をもつて同一の請求をすることができない。
5項 第1項の規定による訴訟は、当該普通地方公共団体の事務所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄に専属する。
6項 第1項第一号の規定による請求に基づく差止めは、当該行為を差し止めることによつて人の生命又は身体に対する重大な危害の発生の防止その他w:公共の福祉を著しく阻害するおそれがあるときは、することができない。
7項 第1項第四号の規定による訴訟が提起された場合には、当該職員又は当該行為若しくは怠る事実の相手方に対して、当該普通地方公共団体の執行機関又は職員は、遅滞なく、その訴訟の告知をしなければならない。
8項 前項の訴訟告知は、当該訴訟に係る損害賠償又は不当利得返還の請求権の時効の中断に関しては、民法第147条第一号 の請求とみなす。
9項 第7項の訴訟告知は、第1項第四号の規定による訴訟が終了した日から六月以内に裁判上の請求、破産手続参加、仮差押若しくは仮処分又は第231条に規定する納入の通知をしなければ時効中断の効力を生じない。
10項 第一項に規定する違法な行為又は怠る事実については、民事保全法(平成元年法律第91号)に規定する仮処分をすることができない。
11項 第2項から前項までに定めるもののほか、第1項の規定による訴訟については、行政事件訴訟法第43条 の規定の適用があるものとする。
12項 第1項の規定による訴訟を提起した者が勝訴(一部勝訴を含む。)した場合において、弁護士又は弁護士法人に報酬を支払うべきときは、当該普通地方公共団体に対し、その報酬額の範囲内で相当と認められる額の支払を請求することができる。
(3)法律による行政の原理をめぐる諸問題
ア 行政指導と根拠規範・規制規範
イ 公表と法律の根拠
・侵害留保説からは情報提供目的の公表は法律の根拠は不要だが、正妻目的の公表には法律の根拠が必要となる!
・情報提供目的の公表について
+判例(H15.5.21)カイワレ大根
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、控訴人C株式会社に対し82万2000円、同株式会社Hに対し63万2000円、同Iに対し88万7000円、同株式会社Kに対し70万2000円、同有限会社Oに対し40万9000円、同R有限会社に対し46万2000円及びその余の控訴人らに対し各100万円並びに各金員に対する平成8年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人C株式会社、同株式会社H、同I、同株式会社K、同有限会社O及び同R有限会社を除く控訴人らのその余の損害賠償請求を棄却する。
4 控訴人らの当審において追加された損失補償請求に係る訴えを却下する。
5 訴訟費用は、第1、2審を通じ、これを20分し、その1を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人A協会に対し、1000万円、及び同控訴人を除くその余の控訴人それぞれに対し、別紙請求額表の控訴請求金額欄各記載の金員、並びにこれらに対する平成8年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(主位的請求及び当審において追加された損失請求について同じ)。
第2 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴人らの当審における追加請求(損失補償請求)に係る訴えを却下する。
第3 事案の概要(略語等は、特に記すほか、原判決に従う。)
1 本件の概要
本件は、堺市において平成8年7月中旬ころ発生した腸管出血性大腸菌O-157に起因する学童らの集団食中毒につき、厚生大臣(当時)が、貝割れ大根が原因食材とは断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、原因食材としては特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根が最も可能性が高いと考えられる(最終報告)などと公表し、これにより、貝割れ大根が前記食中毒の原因食材であり、貝割れ大根一般の安全性に疑問があるかのような印象を与え、貝割れ大根の売上が激減したとして、控訴人A協会(控訴人協会)が、前記集団食中毒の真の原因究明や貝割れ大根の販売促進活動等に要した費用に相当する損害、信用毀損等による損害として1000万円、及びその余の控訴人ら(控訴人業者ら)が、逸失利益及び貝割れ大根の廃棄費用等の積極損害、信用毀損等による損害が生じたとして、被控訴人に対し、それぞれ国家賠償法1条に基づき、別紙請求額表の控訴請求金額欄記載の損害賠償金(当審において、損害賠償金の一部及び弁護士費用の全部につき、減縮された。)並びに中間報告が公表された平成8年8月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求し、当審において、憲法29条3項に基づく損失補償として同額の金員を追加的に請求した事案である。
被控訴人は、控訴棄却を求め、損失補償請求の追加に同意せず(控訴審における損失補償請求の追加的併合には相手方の同意を要する。最高裁平成5年7月20日第三小法廷判決・民集47巻7号4627頁)、同請求に係る訴えの却下を求めた。
原判決は、本件各報告の疫学的判断及び結論に不合理な点は認められず、これらの公表が国家賠償法上違法であるとはいえないとして、控訴人らの請求を棄却した。
当裁判所は、本件各報告の疫学的判断及び結論に不合理な点は認められないとした点について原審の判断を是認したが、原審とは異なり、中間報告の公表の方法には、違法があるとして、控訴人らの請求につき、貝割れ大根の廃棄、販売減少に基づく損害賠償請求は認めなかったものの、貝割れ大根の商品としての評価、信用が毀損されたことによる損害の賠償として、控訴人ら各自100万円(同金額以下の請求をする者については、請求額)及びこれに対する違法行為の日(平成8年8月7日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を認め、当審における新たな訴えは却下すべきものと判断した。
2 争いのない事実等
争いのない事実等は、原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」の1(原判決14頁初行から16頁19行目まで)記載を引用する。
3 争点(争点(4)の他は、原判決16頁再掲)
(1)本件各報告の基礎にある疫学的な調査の適否及びその判断の合理性の有無
(2)本件各報告を公表したことについての国家賠償法上の違法性の有無
(3)損害額
(4)損失補償請求の可否
4 当事者の主張
争点に関する当事者の主張は、別紙のとおり、当審における当事者双方の主張を付加するほか、原判決の事実及び理由の「第2 事案の概要」の3(原判決16頁25行目から133頁3行目まで)の記載を引用する。
第4 当裁判所の判断
1 事実関係
前提となる事実関係は、原判決の事実及び理由の「第3 当裁判所の判断」1記載(原判決133頁5行目から174頁17行目まで)を引用する。
2 争点(1)(疫学的調査の適否及び本件各報告の判断の合理性)について
(1)原判決の引用
当裁判所も、本件各報告が基礎とした疫学的な調査は適切で、その判断を合理的なものと認めた原判決を是認すべきものと判断した。その理由は、当審における控訴人らの主張に鑑み、下記(2)において補正及び付加をするほかは、原判決の事実及び理由の「第3 当裁判所の判断」2記載(原判決174頁20行目から298頁3行目までの部分。ただし、原判決266頁16行目から269頁7行目まで、280頁3行目から285頁16行目まで及び296頁9行目から298頁3行目までを除く。)を引用する。
(2)補正及び付加
ア 「原因食喫食日の特定」(原判決206~233頁)について
控訴人らの主張の要旨は、〈1〉入院者の欠食調査には、入院者約500名中99名の調査漏れがあり、これに早期退院者が多数含まれている可能性があり、同調査に基づく推論には限界がある、〈2〉有症者の欠食(出席簿)調査の結果による推論は、統計学の手法の合理性や基礎資料の正確性に疑義がある、〈3〉学校行事による欠食調査については、入院者の絶対数が少なく、早期退院者が漏れており、7月5日までの給食が原因食である可能性を否定できない、というにある。
控訴人らの指摘する事実は、それぞれもっともな点を含み、調査結果を公表するに当たり、慎重な取扱いを要する点であるとは考えるが、〈1〉については、同調査の回答率は、約80%(7月18日現在の入院者534名に対しては約75%)で、疫学的な調査の観点からは有意な結果であるといえ、〈2〉については、有症者の欠食(出席簿)調査と入院者調査の結果は、全体の傾向を把握する上では有用なものとされており、〈3〉については、本件において、発症者の分布からは二次感染の可能性は低いと考えられ、控訴人らの主張を考慮しても、なお、本件集団下痢症の原因食喫食日について、北・東地区では7月8日、中・南地区では7月9日とした判断を是認した原判決の判断は、左右されるまでには至らない。
イ 「原因献立の特定」「原因食材の特定」(原判決233~263頁)について
(ア)控訴人らの「原因献立の特定」に関する当審における主張は、要旨、〈1〉喫食調査の個票の空欄を喫食したとして集計しており、実態を正確に反映していない、〈2〉中・南地区において、原因献立とされた7月9日の冷やしうどんを喫食しなかった入院児童が4名いることを十分な論拠なしに軽視するのは科学的ではない、〈3〉中・南地区において、7月9日の冷やしうどんの貝割れ大根のほか、同月10日の給食(鶏肉とレタスの甘酢あえ)に提供された貝割れ大根がO-157に汚染されていたとみる(複数日曝露説)のは、客観的な証拠もなく、発症者の分布状況から説明できるかも疑問がある、〈4〉カイ二乗検定により有意差があればただちに因果関係があるとはいえず、入院者と有症者とでは、カイ二乗検定の結果が異なっているうえ、そもそも喫食率にあまり差を生じない学校給食において喫食率をもとに原因献立との関連性を検討するのは無理がある、というにある。
しかしながら、〈1〉については、学校給食の特性を考慮しても、本件調査の内容を考慮すると杜撰の感を免れず、喫食傾向に歪みが生じる余地が十分ありうるが、〈2〉については、全体の傾向として、中・南地区において冷やしうどんを欠食した入院者及び有症者が少ない傾向があり、特定の因子に曝露した者が100%当該疾病に罹患するとも、これに曝露しなかった者が100%当該疾病に罹患しないともいえず、他の機会にO-157に感染する可能性もあることに鑑みると(原審甲証人、原審乙証人)、入院者のうち4名の欠食者がいる事実によって疫学的調査の結論が左右されるわけではなく、〈3〉については、中・南地区の発症者の分布状況が、同月12日にピークに達した後、翌13日もそれほど減少せず、右側に裾を引く発症曲線を形成していることからすると、連続曝露の可能性も推測されないではなく、〈4〉については、喫食調査及びカイ二乗検定の結果のみから導かれた判断ではないことをも考慮すると、控訴人らの主張を考慮しても、なお、本件集団下痢症の原因献立につき、中・南地区においては、同月9日の牛乳及び冷やしうどん、北・東地区においては、同月10日の牛乳及びとり肉とレタスの甘酢あえの可能性が高いとした結論を是認した原判決の判断は、なお、左右されるまでには至らない。
(イ)控訴人らの「原因食材の特定」についての主張の要旨は、牛乳の除外について、〈1〉学校に納入した2業者の双方が汚染された原乳を仕入れていた場合、納入校と多発発症校との分布が一致しないことはあり得るが、本件においては、2業者の原乳仕入れ状況、生産工程、流通過程等について調査されておらず、O-157が混入した可能性を完全には否定できない、〈2〉殺菌記録の記載を確認しただけで、保存乳の検体調査もされず、実際に殺菌されたかどうか不明である、というにあり、また、非加熱食材である、レタスときゅうりの除外について、同じ業者が出荷したものであるか、流通過程において原因菌に接触する機会があったかは全く不明で、これらの食材が原因食材である可能性も否定できず、異なる原因により、同時多発的に本件集団下痢症が発生した可能性を否定する根拠はない、というにある。
O-157は、貝割れ大根に常在する菌ではなく、牛等の家畜の腸内に常在する菌であり、原乳がO-157に汚染される可能性があることに鑑みると、原乳が汚染されていた可能性は否定できず、加熱滅菌処理のデータは時系列的に記録されるものである(原審丙証人)ものの、企業のモラルに対する信頼を失わせる事実の多発を多く見る上、本件における調査の意義を考慮すると、この点も杜撰な調査の1例と言えるが、保管状況の違いを考慮に入れても、堺・西地区の全校が非発生校であったことを考慮すると、牛乳を原因食材から除外したことに不合理な点は認められないとした原審の判断は、一応、是認することができる。
流通過程において汚染される場合、同一の機会に複数の食材が汚染されることが想定されうるが、本件においては、流通経路等の関係施設や食材運搬車からO-157が検出されず、7月8日(中・南地区の冷やしうどんの前日)、貝割れ大根をT株式会社が、きゅうりを株式会社U及びV株式会社が、7月9日(北・東地区の鶏肉とレタスの甘酢あえの前日)、貝割れ大根及びレタスをV株式会社(甲105)が、それぞれ納入し、流通過程における複数の食材への汚染を窺わせる具体的な事情は特段認められず、中・南地区と北・東地区について、原因食材が共通であることを前提に、レタス及びきゅうりを除外したことに不合理な点は認められないとした原審の判断は、是認することができる。
ウ 「貝割れ大根の出荷状況」(原判決263~268頁)について
(原判決266頁16行目から268頁19行目までに代える当裁判所の判断)
控訴人らは、本件特定施設の出荷した他の貝割れ大根からは、集団下痢症が発生しておらず、本件集団下痢症が、一般家庭には供給されず、学校給食に提供された食材を原因としてのみ発症したと考えるべきで、本件特定施設の出荷した貝割れ大根は除外されるべきであると主張する。
本件特定施設は、7月1日から15日までの間に、総合計24.6トンの貝割れ大根を25カ所の一次卸売業者(販売施設967カ所(大阪府、京都府はじめ近畿地方の5県。1日平均1.6トン))に出荷し、堺市内の小学校には、7月8日北・東地区57㎏(同月5日、7日出荷)、同月9日中・南地区69㎏(同月8日、9日出荷)、同月10日中・南地区85㎏(同月9日、10日出荷)、計211㎏(1日平均70㎏。出荷量の約4.3%)出荷した(乙5、乙48)。大阪府の調査によれば、府下における散発事例における発症者数累計218名、うち84名について、本件特定施設から出荷された貝割れ大根を喫食した者7名、喫食していない者38名であり、散発事例におけるO-157のDNAパターンは、貝割れ大根を喫食していない者7名中4名につき、本件集団下痢症の原因菌と一致した(甲97、99、109、乙5、6、48)。また、本件特定施設が貝割れ大根を納入した販売施設967か所中958カ所についての販売実績及び散発事例の調査によると、10施設についてO-157の陽性者が認められた(乙5)。
以上の事実関係の下においては、貝割れ大根を原因食材から除外すべき理由は見あたらない。しかしながら、本件特定施設が出荷した貝割れ大根のうち、堺市内の小学校への納入量が出荷量全体の約4.3%にとどまるにもかかわらず、本件集団下痢症が、小学校において有症者合計6121名にものぼる大規模な発生をみており、このことは、本件特定施設から出荷された貝割れ大根を原因食材から除外することは相当でないにしても、本件集団下痢症が学校給食に関連する諸事情を主たる原因とするものであることを端的に物語るものとして重視すべき事実である。
エ 「羽曳野市の老人ホームでの集団発生」(原判決276~278頁)について
控訴人らの主張の要旨は、老人ホームの事例と本件集団下痢症とで原因菌のDNAパターンが一致したからといって、同一食材によるとはいえないというにある。
DNAパターンが同一であるか、又は近縁性があることは、発生原因を特定するに足る事実ではないが、発生原因が同一であるとする判断を補強しうる事実で、本件特定施設の出荷した貝割れ大根が本件集団下痢症の原因食材の疑いがあるとする判断と矛盾しないということはでき、また、それ以上の意味を有するものでもない。
オ 「京都事業所での集団発生」(原判決278~283頁)について
(原判決280頁3行目から283頁4行目までに代える当裁判所の判断)
これらの事実によれば、上記事業所におけるO-157感染症の集団発生は、本件集団下痢症と時間的場所的に接近しており、O-157のDNAパターンも、本件集団下痢症の原因菌のものと同一であるか、又は近縁性があるとされ、本件特定施設から中・南地区に出荷されたのと同時期に出荷された貝割れ大根が原因食喫食日と疑われた日の昼食に使用されており、本件特定施設から出荷された貝割れ大根が本件集団下痢症の原因食材であるとした判断と矛盾するものではない。
控訴人らはDNAパターンの一致について上記と同旨の主張をするが、これについての判断も、上記のとおりである。
カ 「その他の事例について」(原判決283~285頁)について
(原判決283頁6行目から285頁初行までに代える当裁判所の判断)
本件特定施設から中・南地区に出荷されたのと同時期に出荷された貝割れ大根を喫食した者が、本件集団下痢症と時間的場所的に接近し、本件集団下痢症の原因菌と同一ないし近縁性のあるDNAパターンのO-157に感染し発症した事実は、本件集団下痢症の原因食材が貝割れ大根であるとする判断と矛盾しないし、DNAパターンが同一であるか、又は近縁性があることの意味も、上記のとおりで、それ以上の意味を有するものではない。キ 「施設及びその運営状況について」(原判決293頁~294頁)について
控訴人らの主張に関連して付言するに、配送の経路と発生校、非発生校の分布が必ずしも合致せず、自校調理方式にもかかわらず、発生校が広範囲に及ぶ(以上、原判決)上、本件の流通過程において、他の食材から貝割れ大根が汚染されたことを窺わせるような特段の事情はない(原審乙証人)ことに鑑みると、流通や運送の過程における汚染ではなく、食材自体の汚染の可能性を検討したことに不合理な点は見あたらないとした原判決の判断は、是認することができる。
一方、O-157の菌は貝割れ大根に常在するものでなく、本件特定施設の水、土壌、種子等からO-157の菌が検出されず、同所から出荷されるまでの過程における汚染の経路が明らかにならなかったことに鑑みると、本件において、汚染を疑うにしても、流通過程における汚染の可能性も否定できない(原審丙証人は、中間報告の段階では、流通過程における汚染の可能性も考えられていた旨証言する。)。殊に、前記のとおり、学校給食のために納入された量が本件特定施設の出荷した貝割れ大根の総量の約4.3%に過ぎないにもかかわらず、学童及び教職員に本件集団下痢症が大量発生し、他に出荷された圧倒的多数の量からの発症例が皆無に近く、貝割れ大根が原因食材であることを否定する方が、事実に則している感を否めない上、貝割れ大根自体の汚染の疑いを否定できないにしても、本件集団下痢症の大量発生には、学校給食を含む流通の過程が寄与した可能性の方が大きかったと見られ、この過程における衛生管理にも、大きな関心が向けられるべきであった。
ク 小括(総合判断)(原判決296~297頁)
(原判決296頁9行目から297頁末行までに代える当裁判所の判断)
以上のとおり、本件集団下痢症の原因食材として、本件特定施設から特定の日に出荷された貝割れ大根と断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、又はその可能性が最も高いと考えられる(最終報告)とした本件各報告における判断は、中間報告においては、内容自体曖昧に過ぎるが、当時、貝割れ大根が原因食材であると断定できないとしたこと自体は格別の問題を生じないし、最終報告については、前記のような疑問を抱く点もあるものの、調査や分析の手法等において疫学的な調査の手法に則ったもので、(ア)本件集団下痢症が発生した時期及び場所の特定、(イ)発生原因の特定、(ウ)原因食喫食日の特定、(エ)原因献立の特定、(オ)原因食材の特定の各項目を順次検討して上記結論に至った点も不合理とまではいうことができず、本件集団下痢症の原因食材として本件特定施設から出荷された貝割れ大根が疑われるとの判断を否定することにはならず、本件調査及びその分析の過程において、恣意的な判断があったともいえない。これによれば、本件各報告における判断に不合理な点は認められないとした原審の判断は、是認することができる。
(3)要約
本件各報告の内容及び前記認定の事実は、次のとおり要約することができる。
本件集団下痢症の原因食材につき、中間報告は、本件特定施設から特定の日に出荷され、学校給食用に納入された貝割れ大根と断定できないが、その可能性も否定できないとし、最終報告は、汚染源、汚染経路の特定はできなかったが、本件特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根の可能性が最も高いと考えられ、上記日以外に出荷されたもの及び他の生産施設から出荷されたものについての安全性に問題があるという結論が導かれるわけではないとした。
本件各調査においては、本件特定施設の水や土壌、種子からはO-157の菌が検出されず、汚染源、汚染経路については、生産過程、流通過程を含め、解明されなかった(原審丙証人)。原審乙証人は、流通過程において他の食材により貝割れ大根が汚染された可能性は考えられないと証言するが、原審丙証人は、中間報告の段階においては、流通経路における汚染の可能性も考えられたと証言している。本件においては、実験による検証の結果、生産過程における汚染の可能性が明らかになったにとどまり、O-157の菌が、貝割れ大根の常在菌ではなく、本件特定施設からも発見されていない以上、流通経路における汚染こそ、疑われるべきで、それがおよそないと結論付けることは到底できない。
また、本件特定施設から出荷された総量と学校給食に納入された量とを比較すると、出荷量の95%超を占める出荷先からは発症の報告が皆無に近く、本件集団下痢症が学校関係者に大量発生したことは、学校給食を含む流通の過程が大きく寄与した疑いを抱かせ、貝割れ大根の汚染の事実に疑問を抱かせる事実である。
本件各報告は、原因食材の観点から調査の結果を分析しており、その分析及びこれにより得られた結論には合理性を認めうるが、学校給食に関してのみ本件集団下痢症の大量発生を見た原因についての検討は不十分であったという他ない。
3 争点(2)(本件各報告の公表の適法性及び相当性)について
(1)本件各報告の公表の意義、法的根拠の要否
ア 主権国家は、生命や身体の安全に対する侵害及びその危険から国民を守ることも国民に負託された任務の一つで、国民も、これを理解し、納税等により必要な負担をすることを了解する。自国民の生命や身体の安全の確保に関心を払わない国家及び政府は、自国民の信頼を得ることはなく、他国の侮りと干渉に翻弄されるに至るのが常で、国際社会における名誉ある地位(憲法前文)を得ることもない。
イ 有毒ガスにより自国民を虐殺したとされる他国政府の例に加え、有毒ガスにより無差別殺戮を実行した我が国のカルト集団等の例に接しては、無法国家やテロ組織による生物化学兵器による攻撃も、杞憂とばかり言い切れず、昨今の原因不明の疾病の蔓延という異常事態の発生(公知の事実)を目の当たりにすると、我が国の国家としての危機管理の有り様が問われている感を強くする。生物化学兵器等の人為的なもの、又は疾病の蔓延等の人為的でないもの、いずれであれ、国民の生命、身体に危険を及ぼす異常事態に対しては、国家及び政府は、国民に負託された任務の遂行として、事態を科学的に解明し、これに基づく適切な対策を講ずることが求められる。事実の隠ぺいは、事態の悪化を招くに終わるのが常である。殊に、疾病の場合においても、法制上、患者を隔離し、治療と病気の蔓延の防止に実効のある措置を講じることの困難な我が国においては、事態の悪化を防ぐ方策は、原因が究明され、有効な対策が講じられるまで、国民に正確な情報を開示して事態を理解させ、その理性的な対処に待つ他ないのが実情である。
ウ 国民の生命及び身体の安全の確保に関し、厚生省が、第2次世界大戦後の我が国の復興、発展とこれによりもたらされた国民生活の向上に絶大な寄与をして来たことは、国民の等しく認めるところである。一方において、この約40年の間、サリドマイド、スモン、クロロキン、コラルジル及びHIVによる薬剤による被害が争われた訴訟において、厚生省は、薬剤の危険に関する情報に接しながら、利用者の生命、身体の安全より、製造者の利益を重視し、適切な対処又は情報の開示をしなかったとして、被害者から追及を受けて来たことも、公知の事実である。
エ 本件においては、前記(原判決14~16頁「争いのない事実等」、同133~174頁「事実関係」参照)のとおり、大阪府堺市において平成8年7月中旬ころ発生したO-157に起因する数千人規模の学童の集団下痢症に関してされた調査に基づく本件各報告の内容についての厚生大臣による公表の適否が問われている。本件各報告の公表は、本件集団下痢症の原因が未だ解明されない段階において、食品製造業者の利益よりも消費者の利益を重視して講じられた厚生省の初めての措置として歴史的意義を有し、情報の開示の目的、方法、これによる影響についての配慮が十分であったか、疑問を残すものの、国民一般からは、歓迎すべきことである。
オ 本件各報告の公表は、現行法上、これを許容し、又は命ずる規定が見あたらないものの、関係者に対し、行政上の制裁等、法律上の不利益を課すことを予定したものでなく、これをするについて、明示の法的根拠を必要としない。本件各報告の公表を受けてされた報道の後、貝割れ大根の売上が激減し、これにより控訴人らが不利益を受けたことも、前記(原判決157頁以下)のとおりであるが、それらの不利益は、本件各報告の公表の法的効果ということはできず、これに法的根拠を要することの裏付けとなるものではない。本件各報告の公表について法律上の根拠を要することを前提とする控訴人らの主張は、前提を欠き、また、憲法29条2項違反をいう点も、採用の限りではない。しかしながら、本件各報告の公表は、なんらの制限を受けないものでもなく、目的、方法、生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、これにより生じた不利益につき、注意義務に違反するところがあれば、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じることは、避けられない。
(2)本件各報告の公表の適法性
ア 本件集団下痢症発生後の厚生省の対応及び中間報告の公表に至る経緯、中間報告の内容は、先に引用した原判決(同14頁末行から15頁12行目まで及び同149頁2行目から157頁8行目まで)のとおりであり、本件中間報告に至るまでの国内の状況は、原判決(同303頁11行目から306頁2行目までを引用する。)記載のとおりである。本件各報告は、学童を中心に大量に発症した本件集団下痢症についてのもので、内容を再掲すれば、貝割れ大根につき、本件集団下痢症の原因食材としては、〈1〉断定できないが、その可能性も否定できない(中間報告)、〈2〉本件特定施設から7月7日、8日及び9日に出荷された貝割れ大根が最も可能性が高いと考えられる(最終報告)、とする。
イ 本件各報告の公表は、当時、O-157による食中毒が多発し、一方、原因が究明されず、国民の間に食品一般に対する不安が広がっていた事情の下において、殊に、規模が大きく、国民の関心の高かった本件集団下痢症について、調査の結果得られた情報を公表し、国民の不安感を除去するとともに、一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図ることを目的としてされた(乙38、54、原審甲及び同丙各証人)。前記のような国家及び政府の任務を前提とすると、本件各報告の公表の目的は、これに適うものとして是認すべきで、目的の点においては、本件各報告の公表を違法視することはできない。また、前記の経緯に鑑みると、本件各報告の公表は、これをすること自体は、情報不足による不安感の除去のため、隠ぺいされるよりは、国民には遙かに望ましく、適切であったと評すべきで、この点も、違法とすべきものではない。
(3)厚生大臣による中間報告の公表の適法性、相当性
ア 前記(原判決153~159頁)のとおり、中間報告は、厚生大臣による記者会見を通じて公表され、中間報告の全文及び概要を記載した書面も、報道機関に交付され、新聞等を通じて報道された。スーパーマーケット等の小売店は、報道から日を置かず、店頭から貝割れ大根を撤去し、生産業者に対する注文を撤回し、新規注文もほとんど停止した。
イ 貝割れ大根は、中間報告当時も、後にも、O-157への汚染が裏付けられず、本件特定施設の出荷量の95%超を占める学校給食用以外のものが汚染されたことは、後にも、裏付けられていない。中間報告は、前記のとおり、本件特定施設が出荷した貝割れ大根について、本件集団下痢症の原因食材であるとまでは断定できないとする。尤も、上記貝割れ大根については、その可能性も否定できないともされていたが、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根(調査対象でもない。)はもとより、本件特定施設の出荷した学校給食以外に供給された貝割れ大根は、中間報告当時も、O-157への汚染を疑われるべき理由もなかったと認められる。
ウ 報道機関は、総じて、中間報告の内容を正確に記事として報道している。中間報告は、科学的な調査と分析であり、厳密に表現する必要に迫られ、断定を避けた曖昧とも見える表現が用いられるなど、正確を期すために、かえって読者による的確な理解が妨げられる表現及び内容となっていると認められる。実際にも、中間報告においては、貝割れ大根について、原因食材と「断定できないが、可能性も否定できない」としており、原因食材であると「断定できない」と否定的判断を示しながら、「可能性も否定できない」という表現を付加して、読み方によっては、本件集団下痢症の原因食材である疑いを抱かれていることを明らかにする内容である。新聞記事においては、大阪府堺市を中心に発生した本件集団下痢症の原因食材についての記述であることを明示しているものの、多くは、中間報告を引用し、曖昧な内容が記述され、一部には、端的に、貝割れ大根が原因食材として疑われていることを見出しに掲げ、本文において、学校給食の納入業者に対する食品衛生法等に基づく調査(「検査」と表現するものもある。)が行われる旨記述するものもあり、本件特定施設が特定の日に出荷したものに限定して貝割れ大根が疑われていると読みとることが困難で、他の業者の生産する貝割れ大根が食中毒の原因と疑われるかどうかについては、明確な記述もない(原判決157頁以下参照)。
エ 上記事実経過の下においては、小売店が、報道後、日を置かず上記行動をとったことは、中間報告の内容と対比すると、不可解に見える。中間報告は、端的に言えば、未だ上記貝割れ大根を原因食材と決めるまでの裏付けはないと言っているに他ならず、小売店は、大半、学校給食はもとより、本件特定施設とかかわりを有するとはおよそ考え難い遠隔地にあり、原因食材が確定されるに至っていないことも、公表の前後を通じて変わらない以上、貝割れ大根を店頭から撤去したり、注文を撤回したりする理由が見あたらないからである。遠隔地にある小売店までによる上記行動は、記者会見を利用したことにより、厚生大臣が、貝割れ大根そのものについて5月以降多数の地域に発生した食中毒の原因食材であると疑っていると公表したと理解されたからにほかならないと認められ、それ以外には、合理的な理由と説明を見出すことはできない。
オ 中間報告は、「国民の関心の高かった本件集団下痢症について、国民の不安感を除去するとともに、一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図ることを目的として」(前記(2)イ参照)、記者会見の方法が選ばれ、これを通じて厚生大臣により公表された。「国民の不安感を除去する」目的は、記者会見によらず、他の方法により、調査報告書の内容を正確に国民に伝えても達成できたことは疑いない(本件においては、原因食材を特定するに至らなかった以上、結果として、中間報告の公表により、この目的が達成されたかどうかについては、疑問が残る。)。しかしながら、「一般消費者や食品関係者に対して注意を喚起することによって、食中毒の拡大・再発の防止を図」る目的は、調査報告書の内容を正確に伝えるだけの、いわば取捨選択及び評価を情報の受領者に委ねる方法によっては、必ずしも達成できるものではない。報道を介することにより、情報の伝達範囲が格段に拡大されるものの、それだけのことである。厚生大臣も、単に調査報告書を報道機関に配布して報道を求めるだけでは目的が達成されないことを危惧したか、又はより効果的に目的を達成することを意図して、記者会見の方法を選択し、これを通じ、前記「食中毒の拡大、再発の防止の目的」のため、原因食材と疑われる理由のある食材について、一般消費者による購入及び食品関係者による供給について注意を喚起しようとしたと推認される。
カ しかしながら、【要旨】本件において、厚生大臣が、記者会見に際し、一般消費者及び食品関係者に「何について」注意を喚起し、これに基づき「どのような行動」を期待し、「食中毒の拡大、再発の防止を図る」目的を達しようとしたのかについて、所管する行政庁としての判断及び意見を明示したと認めることはできない。かえって、厚生大臣は、中間報告においては、貝割れ大根を原因食材と断定するに至らないにもかかわらず、記者会見を通じ、前記のような中間報告の曖昧な内容をそのまま公表し、かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ、これにより、貝割れ大根そのものについて、O-157による汚染の疑いという、食品にとっては致命的な市場における評価の毀損を招き、全国の小売店が貝割れ大根を店頭から撤去し、注文を撤回するに至らせたと認められる。
キ 厚生大臣によるこのような中間報告の公表により、貝割れ大根の生産及び販売に従事する控訴人業者ら並びに同業者らを構成員とし、貝割れ大根の生産及び販売について利害関係を有すると認められる控訴人協会の事業が困難に陥ることは、容易に予測することができたというべきで、食材の公表に伴う貝割れ大根の生産及び販売等に対する悪影響について農林水産省も懸念を表明していた(原判決153頁)のであり、それにもかかわらず、上記方法によりされた中間報告の公表は、違法であり、被控訴人は、国家賠償法1条1項に基づく責任を免れない。
(4)その他の問題点について
ア 控訴人らは、原因食材名を公表すべきでなかったと主張するが、前記のとおり、中間報告当時、本件特定施設の出荷した「貝割れ大根」が原因食材として疑われ、調査の対象とされていたと認められ、そのこと自体は、是認しうる以上、中間報告の公表の際、貝割れ大根を明示したこと自体に違法の点はなく、前記のとおり、中間報告の公表の方法が相当性を欠いたというべきである。
イ 厚生大臣が、最終報告を待たず、中間報告を公表したことは、調査結果について、未だ最終結論を得るに至っていない制約と目的を的確に意識し、情報を選別して公表し、それが適切、相当である限り、格別には、違法の問題を生じない。
ウ 食品を扱う小売店は、記事に接し、僅かでも危険のあるものを避けるため、貝割れ大根を店頭から撤去する等の行動に出たものと解され、中間報告の内容との関係においては合理性を欠くと評せざるを得ないものの、記事に基づく行動としては、無理からぬものがある。小売店の行動は、小売店に責めがあるのではなく、一般消費者及び食品関係者に対して注意を喚起すべき点を明らかにしないまま(検討されたかどうかも、疑わしい。)、厚生大臣が、正確な公表の名の下に、中間報告から得るべき情報の解釈を報道機関、視聴者及び読者にいわゆる丸投げしたために生じたと評せざるを得ない。
エ 厚生大臣の記者会見の際の質疑においては、本件特定施設に言及され、原因としては土壌か水が疑われるとの認識が示され、報道関係者において他の大阪府内の業者に迷惑が及ばない配慮を求めるなど、本件特定施設の貝割れ大根が疑われていることを前提とする応答がされているものの、これのみによっては、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根について、食中毒の原因食材であるとのいわれのない疑いを除くには、不十分である。また、中間報告の公表後、内閣官房長官による記者会見の際、貝割れ大根全般に言及したものでないとして、報道機関に慎重な対応が求められた(原判決157頁参照)が、これによっても、厚生大臣による中間報告の公表を違法とする前記判断は、左右されない。
オ 本件においては、報道後、小売店が店頭から貝割れ大根を撤去する等し、厚生大臣が、国会において、中間報告は本件特定施設が生産した貝割れ大根を対象とするもので、貝割れ大根全般について言及したものでない旨を明らかにし、農林水産省が、小売店団体等に対し、同旨の理由により、冷静な対応を求める通達を出し、厚生大臣が報道関係者の面前において生の貝割れ大根を喫食した(原判決158~159頁)。これらは、本件特定施設以外の生産する貝割れ大根がO-157に汚染された疑いを抱かれていない事実を明らかにすることをも意図したものであることは、内容から明らかで、真摯なものであることは疑わないが、控訴人らに生じたことは、中間報告の公表に当たり、農林水産省も懸念していたとおり、十分予想できたことで、高々程度が予想を超えたのにとどまり、厚生大臣の中間報告の公表の違法性を左右しない。殊に、厚生大臣が報道関係者の面前において貝割れ大根を生で食べるなどという行動は、控訴人らが納得するのであれば、批判の限りでないが、それにより、貝割れ大根のO-157への汚染について厚生大臣自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば、国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか。
カ 中間報告の公表に当たり、前記目的のため、報道を通じ、国民に何を伝えるべきかは、厚生大臣が困難な決定を迫られた筈の事柄であったことは疑いない。控訴人らの主張するとおり、端的に、本件特定施設が特定の日に出荷し、学校給食用に納入された貝割れ大根が疑われている事実を明らかにし、これにより、大阪府堺市周辺以外の地の消費者や食品関係者に対しては、5月以来、各地に発生していた食中毒の原因と疑うべき食材から、貝割れ大根を除外しても良いと判断する根拠となる情報を伝達するのも、1方法であったであろう。また、これにより、本件特定施設にとっても、特定の日に学校給食用に出荷した貝割れ大根のみが原因食材として疑われたにとどまり、それ以外の時期に生産され、一般消費者用に出荷される貝割れ大根は、なんら上記疑いを抱かれていないことを明示することにもなったと思われる。控訴人ら主張の内容の公表がされたとしても、本件特定施設は、厚生大臣が実際にした中間報告の公表により生じた注文の停止等を超える不利益を受けることは想定し難かったというべきである。ちなみに、本件特定施設は、国に対し、損害賠償を求めて提訴し、大阪地裁判決により請求の一部が認容され(甲202)、中間報告の内容の合理性について、原判決及び当裁判所と判断を異にするところもあるやも知れない。中間報告において検討の対象とされた貝割れ大根と対象とされなかった貝割れ大根を取り扱うことに伴って生じる差異に他ならず、同判決に依拠する控訴人らの主張に対しては、必要な範囲において応答するにとどめた。
キ 控訴人ら主張の被害は、中間報告の公表により生じたと認められ、最終報告の公表により生じたと認めうる部分は見あたらず、最終報告の当否については、判断の限りでないが、最終報告において、本件特定施設の出荷した貝割れ大根が汚染された裏付けは見あたらず、汚染の疑いを招いた貝割れ大根が本件特定施設が出荷した総量の5%以下にとどまり、学校給食以外に出荷された95%超のものについて、食中毒の原因食材の疑いを抱かれたものがないことは、考慮の対象とした。
4 争点(3)(損害額)について
(1)控訴人ら主張の損害について1
ア 控訴人らは、中間報告の公表後、貝割れ大根について、返品、注文の取消しを受ける等して被った積極的損害及び販売量が極端に落ち込んだことによる逸失利益、信用毀損による損害の一部を請求する。
イ 控訴人業者らは、前記のとおり、公表後、小売店による貝割れ大根の店頭からの撤去、注文の取消し等に起因し、色々な損害を被ったことは推測に難くない。しかしながら、中間報告の内容自体は、前記のとおり、本件集団下痢症の原因について科学的厳密さに基づき、曖昧に表現し、その報道も、上記理由による曖昧さをも含めて正確であり、厚生大臣の違法は、中間報告について、内容を誤って公表したのではなく、正確に公表したものの、国民に伝達すべき情報を的確に明示しなかったために、逆に、貝割れ大根についての理由のない汚染の疑いを国民に広めた点にある。控訴人らが主張する損害は、上記理由により曖昧さも含めてされた報道に接した小売店が採った行動により生じたのであり、報道機関に責任はないものの、報道されたことにより、結果的には、予想外に拡大したと認められる。
ウ 我が国においては、かつて、いわゆる石油危機の昭和40年代末期、トイレットペーパーを巡る一種の社会不安(パニック)状態が生じた。根拠のない情報に起因し、消費者が通常備える量を超えて購入する動きが広がって上記商品が品薄となり、このことが更に消費者の購入意欲を強め、品薄状態がいっそう進んだ。消費者は、製造者等が不当な利益を得るため、当該商品を売り惜しみ、隠匿したと主張して追及する動きすら見せた。(以上は、公知の事実である。)上記商品は、安価で、容量が大きく、隠匿して利益を得るにはおよそ不適当で、大幅な価格上昇を期待しうるものでないことは容易に理解しうる。また、上記商品は、代価と容量との関係もあり、保管費用を極力避け、需要予測を基礎に、流通の過程をも保管に利用することも、初歩的経済知識に属する。それにもかかわらず、我が国において、本件と遠くない時代に、上記商品を巡り、およそ不合理で、理由のない社会不安が生じ、沈静化するまでに期間を要した。この例は、消費者の行動が、時に想像を超えて異常に走ることを教え、本件において、上記理由により曖昧さを残す中間報告の報道に接した小売店の極端な行動も1例と見られる。加えて、貝割れ大根が、嗜好に左右され、日常の食生活にとって不可欠のものとはいい難いこともあって、消費者が汚染とはかかわりのないものまで買い控えることも予想された。
エ このような事情の下においては、控訴人らの主張する損害が、すべて、被控訴人の注意義務違反によるものと認めることはできず、他に、これを確定するに足りる証拠も見あたらず、貝割れ大根の売上減少等を理由とする控訴人ら主張の損害は、これを認めることができない。
(2)控訴人ら主張の損害について2
ア 控訴人らの取り扱う貝割れ大根が、O-157による汚染とはかかわりがないにもかかわらず、明示的に除外することもないまま中間報告が公表され、商品としての評価、信用が毀損され、これにより、控訴人らが損害を被ったと認められる。
イ 控訴人らの扱う商品の評価、信用の毀損による損害は、控訴人らが貝割れ大根を生産する等して得られる利益を償うべきものではなく、控訴人らの扱う貝割れ大根が、厚生大臣による中間報告の違法な公表方法により、市場における商品としての評価、信用を毀損されたことによる損害であり、本判決により厚生大臣の公表に違法があると判断されることにより、大部分は回復される性質のものと認められ、更にこれを補うため、控訴人それぞれについて、100万円(100万円以下の請求をする控訴人については、請求額)をもって相当と認める(控訴人協会は、貝割れ大根を生産し、販売して利益を得ている者ではなく、生産等をする業者全体のために、貝割れ大根の普及、啓蒙活動等に従事する者で、控訴人業者らと異なるところもあるが、貝割れ大根の生産、販売について利害関係を有することは明らかで、同様に被害を被ったと認められ、同額を認容する。)。
5 争点(4)(損失補償の可否)について
控訴人らが当審において追加的に併合して審理することを求める損失補償請求については、被控訴人が請求の追加に同意せず、当審において、この請求について審理することはできず(最高裁平成5年7月20日第三小法廷判決・民集47巻7号4627頁)、損失補償に係る訴えは、不適法であり、却下を免れない。
6 まとめ
以上のとおり、控訴人らの請求は、取り扱う商品について違法に市場評価及び信用を毀損されたことに基づき、本判決により、市場評価及び信用が回復されることをも考慮し、各100万円(一部の者は、請求額)及び遅延損害金の限度において認容する。中間報告の公表後、貝割れ大根の生産及び販売が受けた苛酷な影響は、前記認定の事実からも、その一端を窺うことができる。控訴人らの貝割れ大根の生産及び販売が、今もなお、当時の販売量を回復しない(控訴人らの主張)ことを考慮すると、控訴人らの怒りの程は察するにあまりあるが、当裁判所は、この判決において判断した以上の解決を見出すことはできない。控訴人らが突きつける怒りは、この訴訟を契機として、被控訴人において、非常時に遭遇してから対処するのではなく、将来の危機に備え、国民の利益をどのように調整し、確保するかについての技能を高める契機とすることによって解消されることを期待すべきものと考える。
第5 結論
よって、原判決を変更し、控訴人らの請求の一部各100万円(同額以下の請求をする者については、請求額)及び平成8年8月7日(厚生大臣による違法行為の日)から支払済みまで、民法所定の年5分の割合による遅延損害金を認容し、その余を棄却し、当審において追加された損失補償請求に係る訴えを却下することとして、主文のとおり判決する(仮執行宣言は、付さない。)。
第1民事部
(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 白石研二 裁判官 土谷裕子)
+++あまり関係ないけど 履行利益と信頼利益のおさらい
・「履行利益」とは、契約が完全に履行されたならば債権者が受けるであろう利益をいいます。「信頼利益」とは、無効な契約を有効であると信じたことによって受けた損害をいいます。
履行利益の具体例としては、転売利益等が挙げられ、信頼利益の具体例としては、他人物売買における目的物検分のための費用・代金支払のために金融機関から融資を受けたことによる利息等が挙げられます。そして、通常、履行利益よりも信頼利益のほうが少額と言われています。答案作成上は、これくらいのイメージをつかんでおけば十分ではないかと思います。
ただ、従来の理解からは、区別が難しいものもあります。例えば、ディーラーから中古自動車を購入したユーザーが自動車を走行中に、契約前から故障していたブレーキが利かなくなって事故を起こし、大けがをしたとしましょう。この場合に、ユーザーはディーラーに対して瑕疵担保責任に基づく損害賠償(570条)を請求できるとして、古典的な学説である法定責任説によれば、損害賠償の範囲は「信頼利益」に限られると解されています。そこで、入院治療費や休業中の逸失利益・慰謝料等は、「履行利益に該当する」という理由で賠償を請求できないことになると考えるのが素直です。
しかし、ユーザーはブレーキの欠陥を知っていれば、故障のあるまま自動車を運転するはずもなく、事故に遭わずに済み、入院・休業等の損害を被ることもなかったと思われます(かかる結論の不当性から、上記の形式論理を修正して、当該損害を損害賠償の範囲に含めるべきであるとの主張もあります)。このように、近時、「信頼利益」の概念はすべてを定式化しているわけではないと批判されており、信頼利益・履行利益という概念は、完全な履行がなされたのと同じ利益状況におかれたことを求めることができるか、それとも契約の清算と投下資本の回収に向けられているか、という対照関係を示す対置概念であるという考えが主張されていることも付言して置きます。
ウ 行政行為の取消し・撤回と法律の根拠
取消し=成立時から瑕疵のある行政行為について、成立時に遡って効力を失わせる。
法律上の根拠は不要・・・
撤回=瑕疵なく成立した行政行為について、その後の事情により、その効力を存続させることが妥当でなくなった場合に将来に向かって効力を失わせること
法律上の根拠は不要・・・
←撤回を制裁と考えていない。
+判例(S63.6.17)
理由
上告代理人佐々木泉の上告理由第一点及び第三点並びに上告人の上告理由について
原審の適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、昭和二五年に医師免許を付与され、昭和三三年一〇月以降石巻市において、産科、婦人科、肛門科の医院を開設している医師である、(2) そして、昭和二八年に被上告人社団法人宮城県医師会(以下「被上告人医師会」という。)から、優生保護法一四条一項により人工妊娠中絶(以下「中絶」という。)を行いうる医師(以下「指定医師」という。)の指定を受け、それ以降、途中一年間を除き、二年ごとの指定の更新により、最終的には、昭和五一年一一月一日付をもって指定を受けた、(3) 上告人は、中絶の時期を逸しながらその施術を求める女性に対し、勧めて出産をさせ、当該嬰児を子供を欲しがっている他の婦女が出産したとする虚偽の出生証明書を発行することによって、戸籍上も右婦女の実子として登載させ、右嬰児をあっせんする、いわゆる赤ちゃんあっせん(以下「実子あっせん行為」という。)を行ってきたが、上告人が昭和四八年四月新聞等を通じてこのことを公表するまでにあっせんした数は約一〇〇件に及んだ、(4) 実子あっせん行為についての問題点が指摘されたことなどから、上告人は、昭和四九年三月、指定医師の団体である社団法人日本母性保護医協会の全理事会において、今後実子あっせん行為は繰り返さない旨言明したが、その後も、中絶時期を逸したにもかかわらず中絶を望む妊婦は、胎児ないし嬰児に対して強い殺意を抱いているので、上告人提唱のいわゆる実子特例法が制定されるまでは、実子あっせん行為は嬰児等の生命を救うための緊急避難行為であるとしてこれを続け、結局、昭和四八年四月以降更に約一二〇件の実子あっせん行為をした、(5)そのうちの一例である昭和五〇年一二月にした実子あっせん行為につき、上告人は、昭和五二年八月三一日付で愛知県産婦人科医会長から医師法違反等の嫌疑により仙台地方検察庁に告発され、昭和五三年三月一日仙台簡易裁判所において、犯罪事実の要旨を「上告人は、(一) 昭和五〇年一二月一八日ころ、上告人方医院において、A女に対し、自ら同女の出産に立ち会わないのに、同女が男子を出産した旨の出生証明書を交付し、(二) A夫婦と共謀して、B女が出産した男子をA夫婦の実子として届け出ようと企て、同月二二日ころ、A女が市役所係員に、右男子がA夫婦間の長男として出生した旨の出生届と前記出生証明書を提出して虚偽の申立をし、情を知らない右係員らをして公正証書の原本である戸籍薄にその旨不実の記載をなさしめ、これを真正なものとして市役所に備えつけさせて行使した」とする医師法違反、公正証書原本不実記載・同行使の罪により、罰金二〇万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は正式裁判に移行することなく確定した、(6) 被上告人医師会は、昭和五三年五月二四日付で上告人に対し、昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定を取り消す旨の本件取消処分をしたが、その理由の要旨は、右罰金刑の確定とその裁判の違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというものである、(7) 上告人は、昭和五三年一〇月一日被上告人医師会に対し指定医師の指定申請をしたところ、被上告人医師会は、同月三〇日付で、本件取消処分と同じ理由により、右申請を却下する旨の本件却下処分をした、というのである。
右事実関係に基づいて、上告人が行った実子あっせん行為のもつ法的問題点について考察するに、実子あっせん行為は、医師の作成する出生証明書の信用を損ない、戸籍制度の秩序を乱し、不実の親子関係の形成により、子の法的地位を不安定にし、未成年の子を養子とするには家庭裁判所の許可を得なければならない旨定めた民法七九八条の規定の趣旨を潜脱するばかりでなく、近親婚のおそれ等の弊害をもたらすものであり、また、将来子にとって親子関係の真否が問題となる場合についての考慮がされておらず、子の福祉に対する配慮を欠くものといわなければならない。したがって、実子あっせん行為を行うことは、中絶施術を求める女性にそれを断念させる目的でなされるものであっても、法律上許されないのみならず、医師の職業倫理にも反するものというべきであり、本件取消処分の直接の理由となった当該実子あっせん行為についても、それが緊急避難ないしこれに準ずる行為に当たるとすべき事情は窺うことができない。しかも、上告人は、右のような実子あっせん行為に伴う犯罪性、それによる弊害、その社会的影響を不当に軽視し、これを反復継続したものであって、その動機、目的が嬰児等の生命を守ろうとするにあったこと等を考慮しても、上告人の行った実子あっせん行為に対する少なからぬ非難は免れないものといわなければならない。
そうすると、被上告人医師会が昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定をしたのちに、上告人が法秩序遵守等の面において指定医師としての適格性を欠くことが明らかとなり、上告人に対する指定を存続させることが公益に適合しない状態が生じたというべきところ、実子あっせん行為のもつ右のような法的問題点、指定医師の指定の性質等に照らすと、指定医師の指定の撤回によって上告人の被る不利益を考慮しても、なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認められるから、法令上その撤回について直接明文の規定がなくとも、指定医師の指定の権限を付与されている被上告人医師会は、その権限において上告人に対する右指定を撤回することができるものというべきである。したがって、本件取消処分及びそれと同じ理由による本件却下処分に違法な点はなく、右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
上告代理人佐々木泉の上告理由第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭裁判官奥野久之)
++上告理由
上告代理人佐々木泉の上告理由
原判決には、次のような判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。第一点 原判決は、行政行為撤回制限の法理の解釈をあやまり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、原判決およびその引用する第一審判決(以下あわせて原判決という。)は、優生保護法一四条に基づく指定医師の指定は、医師であっても一般に禁じられている人工妊娠中絶を一定の要件のもとに行うことができる資格ないし地位を被指定者に附与するものであるから、授益的行政処分たる性質をもつものとしながら(この点につき、第一審判決の見解が改められた。しかし、第一審判決理由三7の部分は依然として改められておらず、理由齟齬の違法をきたしている。)、この場合でも被指定者の責に帰すべき事由により公益に適合しない事情が発生した場合には、法律による明文の根拠がなくとも、指定を撤回できるものと判示している。
(一) 本件指定医の指定の性質は、原判決のように、古典的な特許理論に従い「特許に近いもの」とみるべきではなく、国民において本来なしうる行為について、刑法による禁止を前提とした上、法令により不可罰とされるべき行為者の限定に過ぎないものであることに着目すると、講学上の許可に近いものとみるべきであり、ただその効果(授益性、設権性)において特許に近いものとなっているに過ぎない。してみると、指定の取消処分は、本質的に羈束裁量行為であるとともに、その取消をするについては法律の明文の根拠を必要とするものである。原判決には、法律の解釈をあやまった違法がある。
(二) 次に行政行為の撤回については、相手方の同意がある場合、附款が存在する場合および充分な補償がなされる場合を除き、たとえ相手方の責に帰すべき事由がある場合でも、法律の明文の根拠を必要とする。現行取締法規は当該法律以外の法律に違反しただけでは当然には撤回を認めていないし、その上相手方の義務違反の場合でも、「この法律又はこの法律に基く命令に違反したとき」として(麻薬取締法、古物営業法、道路法など)、更には法律違反だけでは直ちに撤回を認めず、右違反に基く処分に違反したとき(医療法、火薬取締法など)もしくは他の要件を加重して(風俗営業法四四条)、はじめて撤回を認めるという慎重な定めをしており、いずも行政行為の撤回について明文の根拠を設けているのである。
(三) このような法の態度は、法治主義の原則を尊重するとともに、撤回により相手方のこうむる打撃を考慮し、相手方の義務違反をもって直ちに撤回事由とせず、相手方の利益と公益との慎重な比較考量を要求していることを示すものであり、このことは、相手方の義務違反の場合でも、不利益処分については、法律上の定めを必要とすることの根拠となる。
(四) 本件指定は、原判決も認めるように医師の一部の者について、厳格な要件のもとに与えられる資格であり、しかも継続的性格を有し、取消の結果は極めて重大なものであるところ、同じく義務違反の場合において、例えば古物営業者に対する許可の取消についてさえ、慎重な法律上の定めがあるのに、指定医師の指定の取消については全く法律上の根拠を要しないと解することはあまりにも不当であり、単なる法の不備ではすまされないことである。なお、優生保護法は、指定の要件、取消権者、取消の要件について全く定めのない不備な非近代的な法律であり、このような不備な法律は指定の取消については法律としては機能しないものというべきである。
(五) 以上の次第で、被指定者の責に帰すべき事由のあるときは、公益の必要上法律の根拠なくして指定を撤回できるとの原判決の判示は、法律の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
二、次に、原判決は「相手方の責に帰すべき事由」として、上告人の行為が指定医師として、「人格面の適格性」を欠くに至ったことをあげている。
(一) 原判決は、優生保護法が指定医師の資格要件ないし指定基準について全く明文を設けていないことを前提として、指定のための要件として人格面、技能面、設備面の適格性を想定している。しかし、右のとおり法自体全く要件を定めていないし、右要件を推認しうる定めもしくは委任条項を設けていないのであるから、指定の取消という不利益な行政処分をする場合に限り、右のような要件を解釈によって創造することは、法治主義の原則に反し、法の解釈の限界を超えるものである。ましてや「右のように指定の要件について明文の規定を設けていないことから、指定要件の認定については、医師会の合理的な裁量に委ねられている」旨の原判決の解釈は、指定の撤回をする場面においては法治主義の原則に反するものである。
(二) 次に、法の解釈として、指定医の要件を設定しうるとしても「人格面の適格性」を要件とすることはあやまりである。
(1) 指定医は、母体に重大な影響を与える妊娠中絶を行うものであるから、一般の医師以上に妊娠中絶に必要な専門的知識や経験を必要とするであろうし、右手術を行うにふさわしい医療設備をもたなければならないのは当然である。
(2) しかし、指定は医師に対してのみ附与されるものであるところ、医師法四条、七条二項により明らかなとおり、指定医は既に医師としての品位を要求されており、医師としての品位を損するような行為があったときは、厚生大臣はその免許の取消、業務停止を命ずることができるものとされている。すなわち、指定医は、指定医以前に医師としての人格面における品位を要求されているのであって、それ以上に指定医として高い品位を要求する実定法上の根拠はない。
人格面における品位は、優生保護法の目的、立法趣旨とは全くかかわりのない問題であって、これを指定の要件として特に附加すべきものではない。逆に言えば、人格面における品位を損するような行為があったときは基本法たる医師法に基づく処分をすれば足りる(これによって当然に指定医としての業務を行い得ない。)のであって、さらに同一の理由で指定医の指定取消処分を行うこと(二重の不利益処分)は許されない。
(3) 法が任意団体である医師会に対して指定権を委任したのは、医師としての専門技術性の判断をする上において、よりふさわしいものと考えたからである。故に医師会には、技術専門性に関する判断権能は認められても、人格面、品位に関する判断を委ねられたものとみることはできない(判例評論二九三号一七頁)。
(4) よって、原判決が、指定医師として人格面における適格性を欠くに至ったことを「相手方の責に帰すべき事由」としたことは、法律の解釈をあやまったものであり、その結果理由不備の違法をおかしている。
三、さらに、原判決には「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の解釈をあやまった違法がある。
(一) 原判決は、上告人が実子あっせんを行ったこと、医師法違反等の罪により罰金刑に処せられたことその他諸種の事情から、指定医師として人格面における適格性を欠き、「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の状況に立ち至り、指定撤回の公益上の必要が生じたものと判示している。
(二) まず原判決は、多くの個所で「公益」なる概念を用いているが、その具体的な内容を全く示していない。全体的な観察をすれば、原判決は、優生保護法自体の予定する公益ではなく、「法遵守義務」とか「正しい医業」、「現行法秩序に対する挑戦」とかの表現から明らかなように、同法以外の予定する公益もしくは一般的な法秩序を指しているものと思われる。
(三) しかし、指定医の指定の取消(撤回)を論ずる場合には、その公益概念は優生保護法の立法趣旨、目的に従いその限界を画されるものであり、たまたま別の法律の予定する公益に反したとしても、指定医の指定を撤回する根拠とはなりえない(医業に関する他の法律違反のすべてが「公益背馳」となるとすれば、それはまさに法治主義に反することである。)。
(四) 優生保護法は一条に定められているように、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の健康を保護することを目的とする。そして同法はその目的を達成するため、一定の要件のもとに優生手術、人工妊娠中絶、受胎調節の実地指導という手段を予定しているが、指定医に関するものは人工妊娠中絶のみであり、同法一四条は一項一号ないし四号に該当し、かつ、関係者が希望する場合においてのみ、指定医師の指定業務として妊娠中絶を認めるのである。
(五) してみると、指定医に関する限り、同法の予定する「公益」とは、関係者が希望し、法一四条一項一号ないし四号の要件をみたす限度において、不良な子孫が生まれないようにするために妊娠中絶をすることおよび母性の健康を保護することであるといわなければならない。従って、指定医師が他の法律に違反した場合であっても、右のような公益に反するような行為のない限り、指定の撤回の要件としての「公益に適合しない事情」に該当することはありえない。なお、原判決は、実子あっせんの結果、近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり、優生上の見地から「不良の子孫の出生を防止する」と定める優生保護法の目的にも背馳するという。しかしながら、実子あっせんそれ自体は同法の予定する指定医師の業務ではありえないし、上告人の取り扱ったケースはすべて同法ではもはや妊娠中絶の許されない時期にある胎児に関するものであるから、右行為は右優生保護法の予定する目的には何ら反するものでないことが明らかである。右判示を推し進めると、同法の目的を達成するため、中絶時期を過ぎた胎児も、出産させないで中絶せよという短絡的な発想となってしまうおそれがある。
(六) 上告人は、医師法等には違反する結果とはなったが、優生保護法の目的や定めに反する行為をしたことはない。中絶の時期を逸した妊婦に対し、胎児の生命を救い、かつ、母性の健康を保護するために出産を勧めたのであり、同法一四条一項各号の要件に反して出産させたわけではない。
(七) 以上のように原判決は、公益の解釈、ひいては「公益に適合しない事情」の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
第二点 原判決には、行政における公正手続の保障の法理の解釈適用をあやまり、かつ、証拠に基づかないで事実を認定した違法があり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、行政手続においては、何人も告知、弁明の機会を与えられることなく不利益な処分を受けることはない。これはいわゆる行政における公正手続の保障の原理である(憲法一三条、三一条)。本件取消処分は、指定医師の有する重要な法的利益ないし資格を剥奪するものであるから、その誤りなきを期するため、事前に被指定者に対して告知した上、十分事情を聴取すべきであり、被指定者としても事前に当該処分手続において当然弁明、立証する機会を与えられなければならない(最高裁判所昭和四六年一〇月二八日判決民集二五巻七号一〇三七頁、東京高裁昭和四〇年九月一六日判決行判集一六巻九号一五八五頁参照)。特に現在司法審査の範囲を裁量の踰越、濫用の著しい場合にのみ限定しようとする判例の傾向からみると、行政における裁量権の公正、適切な行使を期待するためにも、この原理は極めて重要な役割をもち、その手続もますます厳格なものであることが要求される。
二、ところで、原判決は、本件取消処分の手続に右のような公正手続の保障の原理の適用があることを前提とした上で、
(1) 本件においては、事前に事情聴取や弁明の機会を与える手続をとらなかったこと。
(2) しかし、上告人は国会や日本母性保護医協会において直接実子あっせん行為に関する実情や意見を開陳し、著書、新聞等によりその考え方を公表するとともに、これが問責に対する弁明をなしてきたこと(この点は第二審判決によって附加されたもの)。
(3) 医師会の審議会の構成員は、上告人の意見や弁明について十分了知、検討した上で本件取消処分をしたこと(前同)。
(4) 本件取消処分に対する不服申立後に上告人に対し不服審査委員会において弁明の機会が与えられていること。
を認定した上、処分手続のなかで直接弁明する機会を与えられなかったとはいえ、公正手続保障の原理に反するところはないものと判示した。
三、まず前項(2)の認定のうち、上告人が問責に対する弁明をなしてきたとの点について検討するに、本件においては処分前にこのような弁明をなしてきたことは認めるに足りる証拠はなく(従って、この部分は証拠に基づかない事実の認定である。)、かつ、理論上不利益処分につき事前に全く告知のない段階において上告人が「問責に対する弁明」をなす余地のありえないことからみて、右判示は既にこの点において理由齟齬の違法をおかしている。
さらに前項(3)の点について検討するに、被上告人医師会は第一審において「指定審査委員会の答申と被上告人自身で収集した資料に基づいて、本件取消処分をした」旨主張したのみで、全くこの点の立証をしていないのであるからこれを肯認できる証拠はなく、ましてや審議会の構成員が上告人の意見や弁明について十分了知、検討した事実を認めるに足りる証拠も全くないのであるから、原判決は証拠に基づかないで事実を認定した違法がある。
四、上告人が国会や日母においてなした意見の開陳、著書等による公表は、本件取消処分の告知のなされる以前において、主として自ら実行した実子あっせんおよびいわゆる実子特例法に関する自己の見解を述べたに過ぎないもので、その段階においては全く取消処分を予想しておらず、少なくとも指定医の指定の取消処分を前提とした意見弁明は述べていないし、また理論上述べる余地はありえなかったのである。しかも、右意見の開陳、公表は、本件処分手続外において、本件処分とは全く無関係になされた意見の表明に過ぎないものであった。
このように、不利益処分を全く予想しない(問題意識を異にする。)、不利益処分と全く無関係になされた個人的意見の表明(防衛方法とはなりえない)をもって問責に対する弁明であるとし、これをもって公正手続における弁明にあたるとした原判決の判断は、公正手続保障の法理の解釈をあやまったものである。
五、次いで、不利益処分に必要な聴問、弁明は、処分決定に先立つ事前手続でなされなければならない。事後的にいかに周到な手続をとろうとも、事前聴問の実質のない瑕疵を事後の不服審査手続において追完し、その瑕疵を治癒するわけにはいかない。従って、本件取消処分に対する不服申立後に不服審査委員会において弁明の機会が与えられたことをもって公正手続保障の要請が満たされたとした原判決の判断は、公正手続の保障の法理の解釈をあやまったものである。
第三 撤回の必要性および処分の選択に関する本件処分の判断は、社会通念上著しく不合理であって、裁量権の濫用があるにもかかわらず、これを肯認した原判決には行政事件訴訟法第三〇条の解釈をあやまった違法がある。
一、原判決は、「本件取消処分の直接の理由は、前記罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというのであるが、その実質的な理由は、前記一四の(3)(上告人が開業以来昭和四八年四月までの一五年間に約一〇〇例以上の赤ちゃんあっせんを行ってきたという事実)ないし(8)に示されていると理解され、結局上告人が指定医師として人格面でその適格性を欠くに至ったと………するものであると解される。」と判示している。
二、適格性の判定にあたり、処分理由として掲げられた事実のほか、行為に関する附随的事情をも考慮しうることは当然であるが、この場合考慮できる「附随的事情」とは、その行為の動機や背景事情を指すものであって、右処分の対象となった違法事実(刑事処分の対象となった事実)以外の事実(右に述べた一〇〇例の赤ちゃんあっせんの事実)のような、独立して処分の対象となる事実を含まないものである。もし独立して処分の対象となる事実をも考慮しうるとするときは、それらを含めて行政処分の対象としたことになり、その結果は極めて不当である。
三、前記の一の判示は、まさに考慮すべきでない事実が本件処分にあたり考慮されていることを容認したものであり、そうだとすると既に本件処分はこの点において、撤回の必要性、処分の選択に関し社会通念上著しく不合理なものであることが明らかである。
四、本件処分は、右のように考慮すべきでない事実を考慮した違法があるのみならず、考慮すべき事項を考慮しなかった違法が存する。すなわち、本件処分にあたっては、上告人の行為の動機、目的や上告人が世に訴えようとしている意図、その功績についても充分考慮すべきであるのに、これを考慮した形跡は全くうかがわれないのである。
五、考慮すべき上告人の行為の動機、目的は、原審において提出した第三準備書面第三、二、(三)、6記載のとおり、殺害される危険の大きい胎児の生命を一人でも多く守ろうとしたことにある。この点は、「胎児ないしは生まれ来る嬰児の生命を救おうという人道的動機と善意から本件の実子あっせんに出たのであるとの上告人の弁明はそのとおり受け取ってよいと考える。」という原判決の判断にもはっきりと示されている。
六、行為の動機が人道的であり、善意から出たものであるという事実は、本件のような不利益処分をするについては最大限に考慮されなければならないことである。このような立派な動機を肯定する以上、指定医として適格性を否定する公益上の必要はないし、処分の選択にあたっても罪一等を減じて一定期間の業務停止もしくは戒告で足りるとするのが社会通念である。
特に本件処分は、半永久的に指定医の資格を奪うような極刑であること、上告人の右行為は私利私欲のためになされたものでないこと、刑事処分も、上告人のなした複数の行為のうち、一事例だけを処分の対象とし、軽い罰金刑を略式命令により科したこと、法制審議会身分法部会は、昭和五七年九月から特別養子制度の検討を開始したが、世界の潮流に従うものとはいえ、これは主として上告人の提唱がきっかけとなったものであることなどの諸点を考慮するとき日本国民の一般的な感情からみると、本件処分は、不当に重いもので、裁量権の濫用と評価すべきものである。
上告人の上告理由
原判決は、判決の総括として、上告人の行為が公益に適合しないものであることを示すため、後記のような見解を示しているが、右説示は本件の如き特殊な事案について、証拠に基づいて充分検討された結果とは思えない、非論理的かつ皮相の見解であって、それは社会通念ないし経験則に著しく反するものであり、その結果理由不備の違法をおかしており、判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料するので、以下その理由を述べる。
一、判決は、「人工妊娠中絶の適期徒過後に控訴人を訪れる妊婦の多くが控訴人から施術を断られれば、自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害するに相違ないとする控訴人の判断は、それが何らかの経験と伝聞に基づくものであるとしても、客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するものとは言いがたいので、短絡的な思い込みないしは速断であると評さざるを得ない」という。
(一) 中絶を求められる対象は、通例母から望まれぬ子である。“望まれぬ子”とは“母子の縁”がつながることを望まれぬ子、すなわち、母が、“母子の縁”を断ちたい子を意味する。
母が望まぬ子と“母子の縁”を断つ方法は、生まれぬ前は人工中絶(子殺し)、また中絶の時期を逸して生んだあとでは“子捨て”“子殺し”以外にはないのである。すなわち、“望まぬ子”を受胎し中絶の時期を逸したため、生まねばならなくなった母に“子殺し”をさせないためには、安全な場所への“子捨て”を認めなければならない。控訴人の“実子あっせん”は、望まない子を妊娠し、中絶の時期を逸して生まねばならないのに、なおも“母子の縁”を断つことを狙う母に“子殺し”をさせないために菊田医院に捨子することを認め、その後、養親を探して家庭を与えたのである。
(二) 「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れ」“望まぬ子”と“母子の縁”を断つことを狙って人工中絶(実は医師の手による嬰児殺し)を求める妊婦が、控訴人から施術を断られた場合、直ちに“望まれぬ子”が“望まれた子”に変わるわけもなく、また“母子の縁”を断つ決意が直ちに“母子の縁”をつなぐ決意に変わるわけもないのである。したがって、控訴人に施術を断られれば「自ら、又は他の産科のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害する」確率が大であると考える控訴人の判断は「短絡的な思い込み、ないしは速断」ではない。
(三) 控訴人の判断が「客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するもの」であると主張する論拠を次に示そう。
元神戸市民病院長で産科医の中野理は、ある産科医に施術を断られても、結局はどこかの産科医で中絶を果たすことになることを、菊田昇著「天よ大空へ翔べ」(甲第二号証)の中で次のように述べている。
1 「妊娠中絶をたのみに来る婦人のなかには、いろいろの事情のためつい時期を逸して、七、八ケ月にもなってしまった身重の人もある。こんな人には、中絶してやったにしても産まれてくる子はほとんどが生きて産まれてくる。だから、どの医者だって、一応は正期のお産をすることをすすめるだろう。
しかしどうしても堕ろさなければ自殺するよりほかないというようなせっぱつまった立場に追い込まれている妊婦であったとしたら、甲医に断られれば乙医を訪ね、さらに丙医へ行くであろう。とどのつまりは、どこからか死産としての届けが出されるのが実態であろう。」(大阪新聞“コラム”欄、昭和四八、四、二〇)
2 次に人工妊娠中絶の適期徒過後に産科医に中絶を求め、施術を断られたあとで、自らの手で嬰児を殺害した実例を示す。(甲第二七号証)
「宮城県古川市で二三日、乗用車のトランクから赤ちゃんの死体が見つかり、事件の犯人は車の持ち主の同市、無職、阿部京子(二九)とわかり、古川署は同日夜、阿部を殺人、死体遺棄の疑いで緊急逮捕した。……
自供によると京子は、一月二四日午後九時半ごろ車で仙台に向かう途中陣痛が起き、車をわき道に入れて出産、泣き出した赤ちゃんの処置に困り車内にあった“ふろしき”で首をしめた。このあと死体は車のシートカバーにくるんでトランクに入れっ放しにしておいたという。
京子は四四年に結婚、仙台市に住み長男が産まれたが、四六年に離婚して実家に戻っていた。最近まで化粧品、生命保険のセールスをするかたわら、月に数回は仙台の実姉の経営するバーに手伝いに行っていた。妊娠に気づき中絶しようと京子は仙台市内の産婦人科を訪ねたが、臨月近くになりダメだったという。」(朝日新聞、宮城版、昭和五三、二、二八)
二、次に判決文は「仮に控訴人の判断に誤りがなく、実際に殺害に至ることが憂慮される場合には全力を挙げて翻意するよう説得すべきである。」という。
控訴人が「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れる妊婦の多くが、控訴人から施術を断られれば自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或いは嬰児を殺害するに相違ない。」と判断したことが、判決のいうように「短絡的な思い込み、ないしは速断である」なら、「控訴人の判断に誤りがない」はずはなく、「実際に殺害に至ることが憂慮される場合」もあるはずがなく、「全力をあげて翻意するよう説得すべき」ケースに会うこともないはずである。本判決が「仮に」と但し書きをつけながらも、右のような想定をおこなっていること自体が控訴人の主張が「短絡的な思い込みないしは速断」ではないことを示すものである。
三、次に判決文は、「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り、殺害に至るのを阻止することはできないというが、これも結局のところ、同じく短絡的な手段選択と安易な事態収束であるといわなければならない。」という。
(一) 中絶の適期徒過後になおも中絶を求める母の狙い(目的)は、“望まない子”と“親子の縁”を断ち生まないことにすることであり、中絶又は嬰児殺しで子の命を断つのは、その目的を果たすための手段に過ぎないのである。
これに対して判決文のいう「説得」とは現行法の枠内での解決、すなわち“親子の縁”をつなぐことを決定づけるよう説得することなのである。生まれる間近の子の命を断つという強行手段に訴えても“親子の縁”を断つ(生まないことにする)ことを狙っている母に、彼女の狙いとは逆に“親子の縁”をつなげることを決定づけるように説得し、それに成功することは至難であると控訴人が主張することは決して誇張ではないのである。このことはたとえて言えば、冷房器具を買いに来た客に暖房器具をすすめる店主に似ている。
(一) 「戸籍に入れる」ことが強制され、“望まぬ子”を生み養子に出したことが世間に知られる養子縁組では、嬰児殺し又は中絶は防止できないが、「戸籍に入れず」に縁組できる“実子あっせん”または“実子特例法”(政府の手で実子あっせんを行う法律)があれば、嬰児殺し又は中絶を減らせることは、欧米や日本の法学者の間ではすでに認められているのである。
1 ジャン・シャザルは、年若い母親が嬰児を捨てようとする(控訴人註、生んだ子を世間体は生まれなかったことにする)時は、たいてい出産の秘密がもれないことを望むものだから、もし堕胎や嬰児殺しが再び盛んにならないようにしようと思えば、……その望みをかなえてやらなければならない。……今日では児童福祉局が捨子受付所を開設している。」(ジャン・シャザル著、清水霧生訳「子供の権利」二五頁、白水社)と述べている。
2 中谷瑾子(慶大教授)は、「マリア・ルイーゼ・ルンゲという人が望まない子どもを生まないような状況ができれば(控訴人註、“実子あっせん”は生んでしまった子を生まないような状況にする行為である。)嬰児殺しは少なくなるだろうと言っております。」(佐々木保行編著、「日本の子殺しの研究」一六三頁、高文堂)と述べている。
3 中川高男(明学大教授)は、「菊田医師が主張されるように、事情があって妊娠中絶時期を過ぎてしまった女性は、この絶縁が認められ保証される限り、中絶と同じ状態になるため、無理な中絶や子捨て、子殺しをすることはなくなるだろう。」と述べている(甲第五七号証)。
4 カリフォルニア大学のヴィルツェ教授(社会福祉学)の言によれば、特別養子ができて以来、子殺しや悲惨な子捨てはなくなったとのことである。(婦人公論、昭和五〇年六月号、一九二頁)
5 江守五夫(千葉大教授)は、リンゼイ判事の“実子あっせん”事件について、「今日おこなわれている堕胎が未婚の母に対する社会的不名誉にある以上、堕胎から胎児の生命を守るためには、婚前に妊娠した娘の社会的な名誉を保証することが前提要件であった。つまり、完全な秘密のうちに娘を分娩させ、その子どもを養子にやるという手筈をととのえることしか胎児の生命を救う道がないと判断されたのである。……
菊田医師が『中絶手術をすれば、密殺に手を貸すことになる』と主張して赤ちゃんの斡旋をおこなったように、リンゼイもまた、胎児の殺戮か赤ちゃんの斡旋か、という二者択一の関係に直面して後者を選んだのである。」(江守五夫「現代の性解放論とリンゼイの思想、行動Ⅱ」、昭和四八年、十七号、一〇〇頁、小学館)と述べている(甲第三号証)。
四、次に判決文は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手であり、養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかであるから、双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続すべきである。」という。
(一) 「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手」であるかどうかについては疑問がある。日本国憲法は、男女平等の権利を保障しているが、未婚の父は子を入籍する義務はないが、未婚の母には入籍する義務が課せられているのである。また「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望」を「全くの得手勝手」としりぞければ、胎児が死の危機にさらされる。しかし、その希望を容認すれば胎児の生命が完全にまもられる。このような場合でも、やはり胎児の生命を見殺しにすべきなのであろうか。
(二) また判決は、「養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかである。」と述べたが、控訴人のケースは大部分が実親から事実上捨てられた子であり、婚外の養子なのである。日本社会がこのような不遇な子らに、いかに冷酷な目を向けるかを考慮しなければならない。この場合、第三者が貰い親の意向を「さして理由のあるものでない」と片付けることこそ短絡的というべきである。
(三) 判決は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべきである。」という。
しかし、「戸籍を汚したくないとする妊婦」は産科医に嬰児殺しを求めたのであって、「その不心得と非」について教えを請い、「自分の戸籍を汚す」結果を期待して産科医を訪れたわけではないのである。むしろ、「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続」されることを恐れて産科医を訪れたのである。通例、彼女らは医師の言葉に長い時間耳を傾けることなく、悄然として立ち去り、二度と現れない。つまり中絶を求めて産科医を訪れた妊婦に、その場で子殺しを断念させることに成功しなければ、胎児を救う機会は永遠に失われるものと考えなければならない。その意味では控訴人は待ったなしの一本勝負を強いられているのである。
彼女は「戸籍を汚すくらいなら、子を殺すことも辞さない」と決意したのである。彼女が狙っているのは、「戸籍を汚さない」ことで、「子を殺すこと」は手段にすぎない。「戸籍を汚すこと」を強制されるから子殺しをするのであって、戸籍に目をつぶれば子は救われるのである。つまり、従来、日本の法律が「戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべし」という姿勢を変えず、「この命を守ること」に努力を傾注し、継続しなかったことが、「子を殺したくない。戸籍に目をつぶって欲しい」と願った母に子殺しを強制してきたのである。
五、本判決は、「目的と手段の点を云々するのであれば、方便として妊婦を騙してでも出産までに至らせることも許されるのではないか。望まなかった子でも産んだ後は、何故あのように思ったのかと後悔する例が多いのはよく見聞きすることである。」という。
母は“望まない子”を受胎しても、「生む前は“望まない子”でも生んだ後では“望んだ子”に変わり、その変化が子殺しを行う前におこる」のなら日本に嬰児殺しはおこるはずもなく、嬰児殺し防止に狂奔した控訴人は狂人に違いないのである。しかし本判決のように太平楽を構えて大丈夫なのであろうか。
六、また判決は、「方便として妊婦の中絶(子殺し)の希望を翻意させるために“実子あっせん”を約束し、無事出産せしめたあとで“実子あっせん”の約束を撤回する方法もあったのではないか」という。
(一) この妊婦は、“未婚の母”という烙印を押されることを深く恐れ、あるいは“望まない子”を生まないため必死になって血路をひらこうとしているのである。そのような女性に土壇場になってから“実子あっせん”の約束を撤回して、逆に未婚の母となることを強制し、あるいは“望まない子”と“親子の縁”がつながることを強制し、彼女および彼女の家族に回復しがたい不利益を与えた場合、彼等は控訴人に対し終生変わらない憎悪の炎を燃やすことになろう。控訴人はこのようなかたちで多くの女性を不幸におとし入れ、その憎悪を一身に集め、平然としていられる神経は持ち合わせていないのである。
(二) また、もしも控訴人の「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り殺害に至るのを阻止することはできない」という主張が「短絡的な手段選択と安易な事態収束」であり、「双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続」することによって、嬰児殺し防止がほとんど成功を収めることができるという確信が判事にあるのなら、「方便として妊婦に“実子あっせん”をしてやると騙してでも出産までに至らせること」など考慮の余地はないはずである。判決文が「騙してでも」と述べることはやはり「“実子あっせん”をしてやる」と言わなければ「出産までに至らない」ケースが多いことを認めたことになろう。
七、次に判決は、「控訴人の手許にも実親子関係を証する記録を残していないというのである。その結果、将来その子が成長した暁において、実親を知りたいと望んでもこれを探知する手掛かりが全く得られなくなるわけであり、加えて血統を隠蔽し擬装することにより近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり」という。
(一) 世間体は“望まぬ子”を生まなかったことにするためには、子を殺害するもやむなしと決意した母に、子殺しを翻意させるための要件は、実母が「現在および将来にわたって、“望まない子”を生んだこと、その子を養子に出した事実をこの世から抹殺すること」なのである。そのためには、控訴人は実父母の記録を残してはならないのである。個人(控訴人)が実父母の秘密を将来共に守ることを保証するためには、これ以上の方法は考えられないのである。“実子特例法”が制定されれば、国家が秘密保持を保証するから記録を残すことを実父母は拒まないであろう。
(二) 控訴人が、将来おこり得べき「親を知る権利」「近親結婚」「優生学上の配慮」から実父母の記録を残すことに熱意を示し、実父母の名前、家族構成、住所などを根掘り葉掘り尋ねても、実母は真実を述べないことが多く、また述べても医師はそのことの真偽を確かめるすべを持たず、そのことがかえって彼女を不安におとし入れ、子を殺さないという決心を再び鈍らせる危険がある。
(三) 実母の出産の秘密を守ることが嬰児殺しを防止する要件で、そのためには出産の記録を残さない配慮を必要とするのである。現在、子が生死の境にあり、母の記録を残さないことによってこの命が確実に守られ、母の記録を残すことが母に子殺しを断念させる決意を鈍らせる場合、将来の問題「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」などのゆえに、記録を残すことに固執し、そのために子を見殺しにすることも止むなしといえるのであろうか。将来おこりうる問題をあれこれ考えて、今おこりつつあるこの危機に目をつむるべきであろうか。桃太郎を拾い上げた「おじいさん」「おばあさん」は、必死になって桃太郎を川からひきあげたのであり、数年後の「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」など、その時点では考慮する余地はなかったであろう。
八、また判決は、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺するな」と述べたが、日本国中が、本判決を含めて“望まぬ子”の生命軽視に耽溺する世相にあって、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺する」医師の稀少価値も認められるべきではないか。
++++公正証書不実記載罪のおさらい
+(公正証書原本不実記載等)
刑法第157条
1項 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
2項 公務員に対し虚偽の申立てをして、免状、鑑札又は旅券に不実の記載をさせた者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
3項 前2項の罪の未遂は、罰する。
(1) 公正証書原本不実記載罪・電磁的公正証書原本不実記録罪(1項)
ア 公正証書原本不実記載罪(前段)
「公正証書原本等不実記載罪」は,公務員に対し虚偽の申立をして,権利・義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせるという犯罪です。
(ア) 客 体
本罪の客体は,登記簿・戸籍簿その他の「権利・義務に関する公正証書の原本」です。
権利・義務に関する「公正証書」とは,公務員がその職務上作成する文書であって,権利・義務に関する事実を証明する効力を有するものをいいます(最判昭36・3・30)。
「権利・義務」は,財産上のものだけでなく,身分上のものも含みます。
不動産登記簿・商業登記簿・戸籍簿のほか,住民票などがこれにあたります(最判昭36・6・20)。
(イ) 行 為
本罪の行為は,公務員に対し「虚偽の申立て」をして,権利・義務に関する公正証書の原本に「不実の記載をさせる」ことです。
a 公務員に対する虚偽の申立て
(a) 公務員
意 義
ここでいう「公務員」は,登記官・公証人など,公正証書の原本に記載をする権限を有するものをいいます。
公務員は,記載すべき事項が不実であることを知らない者であることを要します。
したがって,たとえば,登記官甲と私人乙が,共謀のうえ,土地登記簿の原本に,ある土地の所有権がAから乙に移転した旨の虚偽の記載をしたというときには,甲と乙に本罪(公正証書原本等不実記載罪)の共同正犯が成立することはありません。
※ この場合は,甲に156条の「虚偽公文書作成罪」が成立します。そして,乙も65条1項により同罪の適用を受け,両者は「虚偽公文書作成罪の共同正犯」ということになります(大判明44・4・27,大谷・山口など通説)。
なお,乙については,虚偽公文書作成罪の教唆犯または従犯とする見解(大塚),公正証書原本等不実記載罪にとどまるとする見解(西田)もあります。
公務員がたまたま気づいた場合①-「実質的審査権」を有するとき-
申立てを受けた公務員が,たまたまその事項の不実であることに気づいたのに公正証書に記載した場合において,当該公務員が申立てについての実質的審査権を有するときは,前条について述べたとおり,当該公務員には「虚偽公文書作成罪」が成立します。
そうすると,(共謀のない)申立人は,客観的には「虚偽公文書作成罪の教唆」をしたことになりますが,主観的には「公正証書原本不実記載罪の故意」であったということになります(抽象的事実の錯誤)。
この点については,発生した事実(虚偽公文書作成罪の教唆)と認識(公正証書原本不実記載罪の故意)との間に構成要件の範囲内で重なる部分があるとして,軽い「公正証書原本不実記載罪」の成立を認めるべきです(法定的符合説,通説)。
公務員がたまたま気づいた場合②-形式的審査権を有するにすぎないとき-
当該公務員が申立てについて形式的審査権を有するにすぎないときも,「その届出事項が明白に虚偽であることを知りながら,これを受理して記載したのであれば,当該公務員に虚偽公文書作成罪が成立する」との立場(前条参照)からすれば,同様に解してよいと考えられます(大谷など近時の有力説)。
※ これに対して,従来の通説は,前述のように,公務員に「形式的審査権」があるにすぎないときは,虚偽であることを知りながら文書を作成しただけでは,虚偽公文書作成罪は成立しないとします。それゆえ,この場合,当該公務員は罪責を負わず,申立人に「公正証書原本不実記載罪」が成立するにすぎないとされます(大塚)(錯誤の問題にはならないわけです)。
(b) 虚偽の申立て
「虚偽の申立て」とは,真実に反することを申し立てることです。
※ 客観的に真実に合致している事項であれば,虚偽と錯覚して申し立てたとしても,本罪を構成しないとされます(大判大5・1・27,大塚・大谷)。
以下のような行為が,これにあたるとされます。
① 他人所有の未登記不動産を,自己所有の不動産である旨を申し立てた場合
② 他人の印鑑を使用し,その土地を譲り受けたように装って,所有権移転登記を申請した場合(最決昭35・1・11)
③ 債務者が,債権者からの強制執行を免れる目的で,第三者と共謀し,自己の建物を第三者に移転したように装い,所有権移転登記を申請した場合
④ 他人を欺くため,当事者双方が合意して,仮装の債権・債務にもとづいて,虚偽の抵当権設定登記を申請した場合
⑤ 所有権移転の不動産登記について,その原因が贈与であるのに,売買による所有権移転であると申し立てた場合(大判大10・12・9)
⑥ 当事者双方に真実離婚する意思がないのに,外形上離婚したように装うため離婚届を提出した場合(大判大8・6・6)
⑦ 仮装の株式払込みにもとづいて,新株発行による変更登記を申請した場合(最決平3・2・28<アイデン架空増資事件>)
b 不実記載
「不実の記載」とは,存在しない事実を存在するものとし,存在する事実を存在しないものとして記載することをいいます。
イ 電磁的公正証書原本不実記録罪(後段)
本罪は,公務員に対し虚偽の申立てをして,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる「電磁的記録」に「不実の記録」をさせるという犯罪です。
客 体
本罪の客体は,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録です。
※ 「電磁的記録」とは,人の知覚によっては認識することができない方式(電子的方式・磁気的方式など)で作られる記録であって,電子計算機(コンピュータ)による情報処理の用に供されるものをいいます(7条の2)。
不動産登記簿ファイル,商業登記簿ファイル,戸籍簿ファイル,住民基本台帳ファイル,自動車登録ファイルなどが,これにあたります。
行 為
本罪の行為は,公務員に対し「虚偽の申立て」をして,権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に「不実の記録をさせる」ことです。
「不実の記録」とは,事実に反する情報を入力して電磁的記録に記録することをいいます。
(2) 免状等不実記載罪(2項)
本罪は,公務員に対し虚偽の申立てをして,「免状・鑑札・旅券」に不実の記載をさせるという罪です。
・客 体
「免状」とは,一定の人に対し一定の行為をなす権能を付与する公務所・公務員の証明書をいいます(医師免許証・運転免許証など)。
「鑑札」とは,公務所の許可・登録の存在を証明するもので,交付を受けた者がその備付け・携帯を必要とするものをいいます(犬の鑑札など)。
「旅券」とは,旅券法に定める外国渡航の許可証をいいます(いわゆるパスポートです)。
・行 為
公務員に対し「虚偽の申立て」をして,免状等に「不実の記載をさせる」ことです。
なお,免状等の交付を受ける行為は,当然に本罪が予定するものですから,別途に犯罪(詐欺罪など)を構成しません。
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エ 租税の減免と法律の根拠
租税の賦課は侵害行為なので法律の根拠が必要であり、かつ、租税法律主義を徹底する見地から、法律で定められた租税を賦課・徴収するかどうかについて行政機関に裁量はない!
→行政機関が独自の判断で租税を減免することは法律優位の原理から認められず、租税の減免には法律の根拠が必要となる!
まとめ
法律留保の問題
=法律がないときに、一定の行政活動を行えるか
法律優位の問題
=法律があるときに、一定の行政活動を行えるか