憲法 日本国憲法の論じ方 Q14 公共の福祉と違憲審査基準


Q 公共の福祉はどのような法的性格をもつか?
(1)憲法上の権利の限界
+第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

+第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

+第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

+第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

+第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

(2)公共の福祉をめぐる議論

(3)自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉

Q 公共の福祉論と二重の基準論はどのように関連しているか?
(1)「公共の福祉」を二分する背景
(2)二重の基準論形成の背景

Q 違憲審査基準はどうなっているのか?
(1)二重の基準論の内容と根拠
(2)3種の基準
(3)厳格な審査
+判例(S56.4.14)前科照会事件の伊藤補足意見で触れられている。
理由
上告代理人納富義光の上告理由第一点について
前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有するのであつて、市区町村長が、本来選挙資格の調査のために作成保管する犯罪人名簿に記載されている前科等をみだりに漏えいしてはならないことはいうまでもないところである。前科等の有無が訴訟等の重要な争点となつていて、市区町村長に照会して回答を得るのでなければ他に立証方法がないような場合には、裁判所から前科等の照会を受けた市区町村長は、これに応じて前科等につき回答をすることができるのであり、同様な場合に弁護士法二三条の二に基づく照会に応じて報告することも許されないわけのものではないが、その取扱いには格別の慎重さが要求されるものといわなければならない。本件において、原審の適法に確定したところによれば、京都弁護士会が訴外A弁護士の申出により京都市伏見区役所に照会し、同市中京区長に回付された被上告人の前科等の照会文書には、照会を必要とする事由としては、右照会文書に添付されていたA弁護士の照会申出書に「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」とあつたにすぎないというのであり、このような場合に、市区町村長が漫然と弁護士会の照会に応じ、犯罪の種類、軽重を問わず、前科等のすべてを報告することは、公権力の違法な行使にあたると解するのが相当である。原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、中京区長の本件報告を過失による公権力の違法な行使にあたるとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二点について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、中京区長が本件報告をしたことと、本件照会の申出をしたA弁護士の依頼者である訴外株式会社ニユードライバー教習所の幹部らが中央労働委員会及び京都地方裁判所の構内等で、関係事件の審理終了後等に、事件関係者や傍聴のため集つていた者らの前で、被上告人の前科を摘示して公表したこととの間には相当因果関係があるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見、裁判官環昌一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

+補足意見
裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
他人に知られたくない個人の情報は、それがたとえ真実に合致するものであつても、その者のプライバシーとして法律上の保護を受け、これをみだりに公開することは許されず、違法に他人のプライバシーを侵害することは不法行為を構成するものといわなければならない。このことは、私人による公開であつても、国や地方公共団体による公開であつても変わるところはない。国又は地方公共団体においては、行政上の要請など公益上の必要性から個人の情報を収集保管することがますます増大しているのであるが、それと同時に、収集された情報がみだりに公開されてプライバシーが侵害されたりすることのないように情報の管理を厳にする必要も高まつているといつてよい。近時、国又は地方公共団体の保管する情報について、それを広く公開することに対する要求もつよまつてきている。しかし、このことも個人のプライバシーの重要性を減退せしめるものではなく、個人の秘密に属する情報を保管する機関には、プライバシーを侵害しないよう格別に慎重な配慮が求められるのである。
本件で問題とされた前科等は、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであり、それに関する情報への接近をきわめて困難なものとし、その秘密の保護がはかられているのもそのためである。もとより前科等も完全に秘匿されるものではなく、それを公開する必要の生ずることもありうるが、公開が許されるためには、裁判のために公開される場合であつても、その公開が公正な裁判の実現のために必須のものであり、他に代わるべき立証手段がないときなどのように、プライバシーに優越する利益が存在するのでなければならず、その場合でも必要最小限の範囲に限つて公開しうるにとどまるのである。このように考えると、人の前科等の情報を保管する機関には、その秘密の保持につきとくに厳格な注意義務が課せられていると解すべきである。本件の場合、京都弁護士会長の照会に応じて被上告人の前科等を報告した中京区長の過失の有無について反対意見の指摘するような事情が認められるとしても、同区長が前述のようなきびしい守秘義務を負つていることと、それに加えて、昭和二二年地方自治法の施行に際して市町村の機能から犯罪人名簿の保管が除外されたが、その後も実際上市町村役場に犯罪人名簿が作成保管されているのは、公職選挙法の定めるところにより選挙権及び被選挙権の調査をする必要があることによるものであること(このことは、原判決の確定するところである。)を考慮すれば、同区長が前科等の情報を保管する者としての義務に忠実であつたとはいえず、同区長に対し過失の責めを問うことが酷に過ぎるとはいえないものと考える。

+反対意見
裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
前科等は人の名誉、信用にかかわるものであるから、前科等のある者がこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有することは、多数意見の判示するとおりである。しかしながら、現行法制のもとにおいては、右のような者に関して生ずる法律関係について前科等の存在がなお法律上直接影響を及ぼすものとされる場合が少なくないのであり、刑事関係において量刑上の資料等として考慮され、あるいは法令によつて定められている人の資格における欠格事由の一つとして考慮される場合等がこれに当たる。このような場合にそなえて国又は公共団体が人の前科等の存否の認定に誤りがないようにするための正確な資料を整備保管しておく必要があるが、同時にこの事務を管掌する公務員の一般的義務として該当者の前科等に関する前述の利益を守るため右の資料等に基づく証明行為等を行うについて限度を超えることがないようにすべきこともまた当然である。
ところで、原判決の認定するところ及び記録によれば、右にのべた資料の一つと認められるいわゆる犯罪人名簿は、もともと大正六年四月一二日の内務省訓令一号により市区町村長が作成保管すべきものとされてきたものであるが、戦後においては昭和二一年一一月一二日内務省発地第二七九号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によつて選挙資格の調査等の資料として引きつづき作成保管され、同二二年地方自治法が施行されてのちも明文上の根拠規定のないまま従来どおり継続して作成保管され今日にいたつていること、右昭和二一年の内務省地方局長通達によれば、犯罪人名簿は選挙資格の調査のために調製保存されるものであるから警察、検事局、裁判所等の照会に対するものは格別これを身元証明等のために絶対使用してはならない旨指示されていること、さらに昭和二二年八月一四日内務省発地第一六〇号による同省地方局長の都道府県知事あて通達によれば、右の警察、検事局、裁判所等の中には獣医師免許等の免許処分や当時における弁護士の登録等に関しては関係主務大臣、都道府県知事、市町村長をも含むものである旨指示されていることが明らかである。以上の経緯に徴すると、犯罪人名簿に関する照会に対しその保管者である市区町村長の行う回答等の事務は、広く公務員に認められている守秘義務によつて護られた官公署の内部における相互の共助的事務として慣行的に行われているものとみるべきものである。したがつて、官公署以外の者からする照会等に対してはもとより官公署からの照会等に対してであつても、前述した前科等の存否が法律上の効果に直接影響を及ぼすような場合のほかは前記のような名誉等の保護の見地から市町村長としてこれに応ずべきものではないといわなければならない。前記各通達が身元証明等のために前科人名簿を使用することを禁ずる旨をのべているのは右の趣旨に出たものと解せられる。
そこでこれを本件について考えてみる。
本件は、前記各通達のあつたのちに制定施行された弁護士法二三条の二の規定に基づき、所属の弁護士から申出を受けた弁護士会が照会を必要とする事由として「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」と記載された文書をもつてした被上告人の前科等の存否についての照会に対する回答に関する事案であるが、このような経緯や右文書の記載は、中央労働委員会及び京都地方裁判所において被上告人に関する労働関係事案の審理が現に進行中であり、右事案に対する法律判断に被上告人の前科等の存否が直接影響をもつような事情にあることを推認させるものということができる。
そして、右弁護士法二三条の二の規定が弁護士会に公務所に照会して必要な事項の報告を求めることができる権限を与えている関係においては、弁護士会を一個の官公署の性格をもつものとする法意に出たものと解するのが相当である。このことは弁護士会は所属弁護士に対する独立した監督権、懲戒権を与えられ(弁護士法三一条一項、五六条二項)、前記所属の弁護士よりの照会の申出についても独自の判断に基づいてこれを拒絶することが認められており(同法二三条の二第一項)、また、弁護士にはその職務上知り得た秘密を保持する権利義務のあることが明定されている(同法二三条、なお刑法一三四条一項参照)ことにかんがみ実質的にも首肯することができるのである(なお記録によれば地方自治庁においても昭和二四年一二月一九日弁護士法による弁護士登録の場合の資格審査について弁護士会の照会に応じて差し支えないものと通達していることをうかがうことができる。)。右にのべたところに加えて雇傭契約その他の労働関係についての民事法上の判断に当事者の前科等の存否が直接影響を及ぼすことはありえないとするような見解が判例等により一般に承認されているとみることもできないことを併せ考えると、上告人京都市の中京区長は、照会者たる京都弁護士会を裁判所等に準ずる官公署とみたうえ、本件照会が身元証明等を求める場合に当らないばかりでなく、前記のような事情のもとで本件回答書が中央労働委員会及び裁判所に提出されることによつてその内容がみだりに公開されるおそれのないものであるとの判断に立つて前記官公署間における共助的事務の処理と同様に取り扱い回答をしたものと思われるのであるが、このような取り扱いをしたことは、他に特段の事情の存することが認められない限り、弁護士法二三条の二の規定に関する一個の解釈として十分成り立ちうる見解に立脚したものとして被上告人の名誉等の保護に対する配慮に特に欠けるところがあつたものというべきではないから、同区長に対し少なくとも過失の責めを問うことは酷に過ぎ相当でない。この点に関して原判決は昭和三六年一月三一日自治省自治丁行発七号による同省行政課長の愛知県総務部長あての回答の存在や原審証人Bの証言により認められる事実、甲第一一、一二号証の記載を援用して以上のべたところと反対の結論をみちびいているのであるが、記録にあらわれたところによつてみる限り、これらの資料によつては未だ右特段の事情の存することが十分に明らかになつているとは思われない。そうすると、以上のべたところと結論を異にし上告人の中京区長の過失をたやすく肯定した原判決はその余の点についての判断をまつまでもなく破棄を免れず、論旨は理由がある。よつて、本件は更に審理を尽くさせるためこれを原審に差し戻すのが相当である。
(裁判長裁判官 寺田治郎 裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己)

(4)厳格な合理性の審査と合理性の審査
・多数意見と少数意見で審査基準が・・・。
+判例(H7.7.5)非嫡出子相続分規定事件
理由
抗告代理人榊原富士子、同吉岡睦子、同井田恵子、同石井小夜子、同石田武臣、同金住典子、同紙子達子、同酒向徹、同福島瑞穂、同小山久子、同小島妙子の抗告理由について
所論は、要するに、嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の相続分を嫡出である子(以下「嫡出子」という。)の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)は憲法一四条一項に違反するというのである。
一 憲法一四条一項は法の下の平等を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁等参照)。
そこで、まず、右の点を検討する前提として、我が国の相続制度を概観する。
1 婚姻、相続等を規律する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない旨を定めた憲法二四条二項の規定に基づき、昭和二二年の民法の一部を改正する法律(同年法律第二二二号)により、家督相続の制度が廃止され、いわゆる共同相続の制度が導入された。
現行民法は、相続人の範囲に関しては、被相続人の配偶者は常に相続人となり(八九〇条)、また、被相続人の子は相続人となるものと定め(八八七条)、配偶者と子が相続人となることを原則的なものとした上、相続人となるべき子及びその代襲者がない場合には、被相続人の直系尊属、兄弟姉妹がそれぞれ第一順位、第二順位の相続人となる旨を定める(八八九条)。そして、同順位の相続人が数人あるときの相続分を定めるが(九〇〇条。以下、右相続分を「法定相続分」という。)、被相続人は、右規定にかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるものとし(九〇二条)、また、共同相続人中に、被相続人から遺贈等を受けた者(特別受益者)があるときは、これらの相続分から右受益に係る価額を控除した残額をもって相続分とするものとしている(九〇三条)。
右のとおり、被相続人は、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるが、また、遺言により、特定の相続人又は第三者に対し、その財産の全部又は一部を処分することができる(九六四条)。ただし、遺留分に関する規定(一〇二八条、一〇四四条)に違反することができず(九六四条ただし書)、遺留分権利者は、右規定に違反する遺贈等の減殺を請求することができる(一〇三一条)。
相続人には、相続の効果を受けるかどうかにつき選択の自由が認められる。すなわち、相続人は、相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない(九一五条)。
九〇六条は、共同相続における遺産分割の基準を定め、遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする旨規定する。共同相続人は、その協議で、遺産の分割をすることができるが(九〇七条一項)、協議が調わないときは、その分割を家庭裁判所に請求することができる(同条二項)。なお、被相続人は、遺言で、分割の方法を定め、又は相続開始の時から五年を超えない期間内分割を禁止することができる(九〇八条)。

2 昭和五五年の民法及び家事審判法の一部を改正する法律(同年法律第五一号)により、配偶者の相続分が現行民法九〇〇条一号ないし三号のとおりに改められた。すなわち、配偶者の相続分は、配偶者と子が共同して相続する場合は二分の一に(改正前は三分の一)、配偶者と直系尊属が共同して相続する場合は三分の二に(改正前は二分の一)、配偶者と兄弟姉妹が共同して相続する場合は四分の三に(改正前は三分の二)改められた。
また、右改正法により、寄与分の制度が新設された。すなわち、新設された九〇四条の二第一項は、共同相続人中に、被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額から共同相続人の協議で定めたその者の寄与分を控除したものを相続財産とみなし、法定相続分ないし指定相続分によって算定した相続分に寄与分を加えた額をもってその者の相続分とする旨規定し、同条二項は、前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、同項に規定する寄与をした者の請求により、寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して、寄与分を定める旨規定する。この制度により、被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者には、法定相続分又は指定相続分以上の財産を取得させることが可能となり、いわば相続の実質的な公平が図られることとなった。

3 右のように、民法は、社会情勢の変化等に応じて改正され、また、被相続人の財産の承継につき多角的に定めを置いているのであって、本件規定を含む民法九〇〇条の法定相続分の定めはその一つにすぎず、法定相続分のとおりに相続が行われなければならない旨を定めたものではない。すなわち、被相続人は、法定相続分の定めにかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができる。また、相続を希望しない相続人は、その放棄をすることができる。さらに、共同相続人の間で遺産分割の協議がされる場合、相続は、必ずしも法定相続分のとおりに行われる必要はない。共同相続人は、それぞれの相続人の事情を考慮した上、その協議により、特定の相続人に対して法定相続分以上の相続財産を取得させることも可能である。もっとも、遺産分割の協議が調わず、家庭裁判所がその審判をする場合には、法定相続分に従って遺産の分割をしなければならない。
このように、法定相続分の定めは、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて、補充的に機能する規定である。

二 相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、その形態には歴史的、社会的にみて種々のものがあり、また、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、各国の相続制度は、多かれ少なかれ、これらの事情、要素を反映している。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断にゆだねられているものというほかない
そして、前記のとおり、本件規定を含む法定相続分の定めは、右相続分に従って相続が行われるべきことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮すれば、本件規定における嫡出子と非嫡出子の法定相続分の区別は、その立法理由に合理的な根拠があり、かつ、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、いまだ立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる限り、合理的理由のない差別とはいえず、これを憲法一四条一項に反するものということはできないというべきである。

三 憲法二四条一項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、民法七三九条一項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法七三二条は、重婚を禁止し、いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない。
そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。
本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。
現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。論旨は採用することができない。
よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、裁判官園部逸夫、同可部恒雄、同大西勝也の各補足意見、裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見、裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

+補足意見
裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。
私は、非嫡出子の相続分についての本件規定が憲法一四条一項に違反する旨の所論は理由がないとする多数意見に与する者であるが、右規定をもって違憲とする個別意見に鑑み、多数意見に付加して、以下に若干の所見を述べておくこととしたい。
一 民法は法律婚主義を採り、しかも一夫多妻ないし一妻多夫を禁ずる一夫一婦制を採用している。現実の社会における男女の結付きの態様は様々で、国により時代により多くの変遷のあることが伝えられるが、なお、法が一夫一婦制による法律婚主義を採用していること自体については、我が国においても、今日、格別の異論を見ないところといってよいであろう。いま問題とされているのは、法律婚主義の是非ではなく、婚姻制度が法律婚主義による場合、必然的に生ずべき婚外子と婚内子との相続分割合の当否にほかならない。
およそ資産を有する者は、何びとであれ、これを生前に贈与し、遺贈し、又は相続分の指定をすることができるが、かかる措置が採られない場合の補充的規定として本件規定を含む相続分に関する定めが置かれ、法定相続人の第一は被相続人の配偶者とされている。配偶者が子と共同で相続する場合につき、その法定相続分は、かつての三分の一から昭和五五年法律第五一号による改正により二分の一に増大された。それでは残余の二分の一を相続する者は誰か。それは相続人の筆頭者として、また多くの場合、老後の生計を被相続人の遺産によることを余儀なくされる配偶者として、最大の関心事とならざるを得ない事項であろう。欧米諸国に比し、不動産価格が異常に高額に上る我が国の現状において、遺産の主たるものが居住用不動産である場合を想起すれば、まことに無理からぬことといえる。
配偶者が二分の一とされる法定相続分の、残余の二分の一の相続人として予定される者は、もとより被相続人の子であるが、この場合、一夫一婦制による法律婚主義を採る以上、配偶者に次ぐ相続人となるべき者が婚内子であることは、法の当然に予定するところというべきであろう。もとより社会の実情として、被相続人の子が婚外子として出生する現実の可能性を否定することはできず、法律婚の外で出生した者も被相続人の子としてその相続人たることは否定されるべきではない(我が国においては、欧米におけると異なり、婚外子による相続を否定する考えに乏しいといってよい)。しかし、相続分の割合に至るまで婚内子(嫡出子)と一律平等でなければならないとすることは、被相続人との間に法律婚による家庭を築いた配偶者の立場からしても、たやすく容認し難いところであろう。
以上の所見に対しては、嫡出子と非嫡出子との相続分に差等を設けても婚外子(非婚出子)の出生を妨げることはできないとする議論がある。しかし、今ここで論ぜられているのは、この両者の扱いを必ずしも同等にしない(相続分に差等を設ける)ことが、果たして法律婚を促進することになるかという、いうなれば安易な目的・効果論の検証ではなく、およそ法律婚主義を採る以上、婚内子と婚外子との間に少なくとも相続分について差等を生ずることがあるのは、いわば法律婚主義の論理的帰結ともいうべき側面をもつということなのである。
二 次に、特段の言及を要するのは「家」の制度との関係である。
戦後、日本国憲法の制定施行に伴い、旧民法の「家」の制度は廃止され、家族は「戸主」の下における生活共同体ではなく、両性の合意のみに基づいて成立した婚姻による夫婦を中心とするものに変容した。
もっとも、正当な法律婚による夫婦も必ずしも子に恵まれるとは限らず、この場合、法の予定するところは「養子」の制度であるが、血統の継続を尊重する立場からは、婚内子であると否とを問わぬ血統の承継者が要求されることになる。その背景をなすのが「家」の制度であって、血統の承継の要求は男系たると女系たるとを問わない。本件がそのよい例である。
この事案において、亡aは一人娘(長男死亡のための一人子)であって、a家の後継者としての婿養子選びのための試婚が繰り返された挙句、婚姻に至らなかった相手方甲との間に出生した子乙の相続人の一人が被相続人aの遺産につき遺産分割の申立てをしたものであるが、aが後に迎えた婿養子との間に子がなければ、形式上婚外子となった乙がaの家系を継ぐことになったであろう。これが「家」の制度であって、「家」の制度は、むしろ血統の維持・承継のため婚外子を尊重するものであり、嫡出子と非嫡出子との間の相続分についての差等の問題が、「家」の制度と無関係であることは、大陸法系諸国のそれと対比するまでもなく明らかなところである。
三 本件規定の合違憲性を論ずるに当たっては、内外の法制を比較検討するにとどまらず、我が国の社会事情の下における紛争の実態として、本件規定が憲法一四条一項所定の平等条項違反を現実に招来せしめているか、を事案に即して観察する必要がある。ここで特に指摘すべきものは、本件と同時に審理される別件(平成五年(ク)第三〇二号)にみる如き事案である。以下にその概略を記すこととする。
この事案において、被相続人甲には、非嫡出子としてA女、B男、C男の三名、嫡出子として前妻乙の連れ子を養子としたD男、E男及び乙との間に出生したF女の六名があったところ、B男が乙の妹と婚姻して家業を継ぎ、一家の中心的存在となっている。甲の死亡により遺産相続の問題を生じたが、A、C、D、Eの四名はそれぞれの法定相続分をB男に譲渡して同人の側に与したため、F女は一人孤立した形で、相続分もB男が九分の七、F女が九分の二となったところ、原審は、F女の申立てにかかる遺産分割事件において、B男の居住する土地建物を分割することなく、B男よりF女に相応の調整金を支払うべきものとした。
これに対し、B男から、甲の子六名は嫡出子たると非嫡出子たるとを問わず、その法定相続分はそれぞれ一律に六分の一(すなわち一八分の三)であるべきにかかわらず、F女の相続分を、これを超える九分の二(すなわち一八分の四)として算出された右調整金の支給は、憲法一四条一項に違反するとして特別抗告に及んだ、というのが別件であって、平等条項違反の論旨は、右にみるような具体的紛争にそぐわないものとするほかはない。
四 本件ないし別件にみるような紛争の実態については前述のとおりであるが、一般に、男女の結合、婚姻の実情については千差万別というべきものがあろう。しかし、立法の実際においては、婚外子に相続権を認めるべきか否か、これを認めるとして婚内子(嫡出子)と一律平等の扱いを是とすべきか、もし相続分において差等を設けるとすれば幾許を可とすべきか、千差万別の実情の中においても、立法として一律画一的な線を引くことを余儀なくされる。
いま本件において論ぜられているのは、しばしば引用されるアメリカの判例に見られるような、非嫡出子(婚外子)に被相続人の子としての権利それ自体を否定した立法の当否ではなく、婚外子をも被相続人の相続人の一に加えることを当然の前提とした上での、相続分割合の当否をいうものにほかならない。
これを要するに、一夫一婦制による法律婚主義を採用し、これを維持すべきものとする前提に立つ以上、生前贈与、遺贈又は相続分の指定のない場合の補充的規定としての相続分に関する民法の定めにおいて、嫡出子の一に対し非嫡出子をその半ばとした本件規定の当否は、もとより立法裁量の範囲内に属し、違憲の問題を生ずべき実質を有しないものといわなければならない。

+補足意見
裁判官大西勝也の補足意見は、次のとおりである。
私は、本件規定による非嫡出子の相続分の定めが、合理的理由のない差別として憲法一四条一項に違反するものとはいえない、とした多数意見に同調するものであるが、その理由として考えているところを若干補足することとしたい。
一 現行民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との間に、親子関係の成立や相続に関する規律において、何らかの差異が生じたとしてもやむを得ないし、また、正当な婚姻関係とこれによって形成された家族を保護するとともに、非嫡出子の保護をも図ったとされる本件規定の立法理由に合理的根拠があると考えられることは、いずれも多数意見のいうとおりである。
本件規定は、旧法制定当時の同様の規定が昭和二二年の改正の際にもそのまま維持されたものであって、いずれもそれぞれの時点における我が国の社会的諸条件の下においては、それなりの合理性を有していたものといえるであろう。
二 しかし、その後の我が国の社会事情、国民感情等の変化には著しいものがある。
まず、相続財産は、かつては多くの場合、子孫の生活手段としての家産であったが、職業の世襲が例外的になった現在では、そのような意味はほとんど失われようとしており、家族資産の意義の変化に伴い、相続の根拠に関する社会の意識にも変化が見られることは明らかであって、昭和五五年に行われた配偶者相続権の拡大等もこの変化に沿ったものということができる。
家族についてみても、かつては数世代が共同して生活を営むことにより構成するのが通常であったが、現在では少子、高齢化が進むとともに、一世代か二世代の小人数の家族が多数を占め、さらには、いわゆるシングルライフも次第に増加しつつあるし、婚姻についても、事実婚ないし非婚の増加の傾向を指摘する向きもある。
このように、相続及び相続と密接な関連を有する婚姻、親子ないしは家族の形態とこれらの点についての国民の意識は、激しく変化してきたし、現在もなお流動を続けている。
三 我が国を取り巻く国際的な環境の変化もまた見逃すことはできない。
市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)二四条は、すべての児童は、出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する、とし、同二六条は、法律は、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する、と定め、さらに、児童の権利に関する条約(平成六年条約第二号)二条は、児童に対し、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する、と規定している。
また、ヨーロッパ諸国の大部分は、非嫡出子の増加現象が一つの契機となって、おおむね一九六〇年代ころまでに、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と同等とする法改正を行ったし、最近でも、嫡出家族保護の伝統が強くて平等化を図る法改正が実現しなかった国もあるが、完全な平等には至らないとしても、配偶者や嫡出子の権利との調整を図りながら、平等化に向かっている国も存在する。
四 以上のように、本件規定の対象とする非嫡出子の相続分をめぐる諸事情は国内的にも国際的にも大幅に変容して、制定当時有した合理性は次第に失われつつあり、現時点においては、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているとまではいえないとしても、本件規定のみに着眼して論ずれば、その立法理由との関連における合理性は、かなりの程度に疑わしい状態に立ち至ったものということができる。
五 しかし、民法は、私人間の諸利益の調整の上に成り立っているから、一つの利益だけを他の利益と切り離して考察するのは相当ではない。相続に関する規律は、取引行為におけるような純然たる財産的利益に関するものとはいえないにしても、身分関係に関する強行規定とは異なり、結局は被相続人の財産を誰にそしていかに分配するかの定めであり、しかも、本件規定は、被相続人の明示の意思としての遺言等がない場合に初めて適用される補充的な規定にすぎない。相続の根拠については、種々の考え方があるとしても、推定される被相続人の意思を全く無視することはできないし、ある者に対し相続によって得る利益をより強く保障することが、他の者が従来有していた利益にいかなる影響を及ぼすかの観点からする検討も必要である。本件規定の合理性を検討するに当たっては、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と平等とした場合、配偶者その他の関係人の利益を保護するための措置が必要かどうか等を含め、相続、婚姻、親子関係等の関連規定との整合性をも視野に入れた総合的な判断が必要であるといわなければならない。
以上の点を考慮すると、立法政策として改正を検討することはともかく、現時点においては、本件規定が、その立法理由との関連において、著しく不合理であるとまでは断定できないというべきである。
裁判官園部逸夫は、裁判官大西勝也の補足意見に同調する。

+補足意見
裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見は、次のとおりである。
私たちは、非嫡出子の相続分に関する本件規定が憲法一四条一項に反するものとはいえない、とする多数意見に同調するものであるが、なお、次の点について付言しておきたい。
一 一般に、ある法律の規定について、制定当時においては合理的理由があったが、その後の時の経過とともに対象とする事柄をめぐる諸事情が変化し、その合理性が疑問とされる事態の生じることは、あり得るところである。このような事態に対処するには、当該法規を改廃し、あるいは新法を制定するなど、国会の立法作用によるのが本来の姿であり、また、それが望ましくもあることは多言を要しない。
二 本件においてもその理は異ならないのであって、本件規定も制定以来半世紀を経る間、非嫡出子をめぐる諸事情に変容が生じ、子の権利をより重視する観点からその合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである。しかしながら、これに対処するには、立法によって本件規定を改正する方法によることが至当である。
ことに、本件規定は親族・相続制度の一部分を構成するものであるから、これを変更するに当たっては、右制度の全般に目配りして、関連する諸規定への波及と整合性を検討し、もし必要があれば、併せて他の規定を改正ないし新設すべきものである。また、本件規定に基づく相続関係の処理は、過去長年にわたって行われてきたし、現在も行われつつある上、近い将来を見越しての準備もされていると思われる。したがって、本件規定を変更する場合、その効力発生時期ないし適用範囲の設定も、それらへの影響を考慮して、慎重に検討すべき問題である。これらのことは、すべて、国会における立法作業によって、より適切になし得る事柄であり、その立法の過程を通じて世論の動向を汲み取るとともに、国民に対し、改正の趣旨と必要性を納得させ、周知させることもできるのである。
三 もっとも、ある法規の合理性が著しく失われて、憲法一四条一項に照らし、到底容認できない段階に達しているときは、もはや立法を待つことはできず、裁判所が違憲を宣言することによって直ちにその適用を排除しなければならない。しかし、本件規定については、現在まだその段階に達しているとは考えられない。

+反対意見
裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見(裁判官尾崎行信については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)は、次のとおりである。
一 私たちは、民法九〇〇条四号ただし書前段(以下「本件規定」という。)が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定めていることは、憲法一四条一項に違反して無効であり、原決定を破棄すべきものであると考える。
二 (相続制度と憲法判断の基準)
相続制度は社会の諸条件や親族各人の利益の調整等を考慮した総合的な立法政策の所産であるが、立法裁量にも憲法上の限界が存在するのであり、憲法と適合するか否かの観点から検討されるべき対象であることも当然である。
憲法一三条は、その冒頭に「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、さらにこれをうけて憲法二四条二項は「相続…及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定しているが、その趣旨は相続等家族に関する立法の合憲性を判断する上で十分尊重されるべきものである。
そして、憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としているのは、個人の尊厳という民主主義の基本的理念に照らして、これに反するような差別的取扱を排除する趣旨と解される。同項は、一切の差別的取扱を禁止しているものではなく、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づく区別は許容されるものであるが、何をもって合理的とするかは、事柄の性質に応じて考えられなければならない。そして本件は同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一とすることの合憲性が問われている事案であって、精神的自由に直接かかわる事項ではないが、本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。しかしながら、本件においては以下に述べるとおり、単なる合理性についてすら、その存在を肯認することはできない。
三 (本件規定の不合理性)
本件規定の合理性について多数意見の述べるところは、民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、法定相続分につき前者の立場を後者より優遇することに合理的根拠があるとの前提に立つものと解される。
婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的であるとすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、前記のように憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。すなわち、出生について責任を有するのは被相続人であって、非嫡出子には何の責任もなく、その身分は自らの意思や努力によって変えることはできない。出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段との実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである。
また、本件規定の立法理由は非嫡出子の保護をも図ったものであって合理的根拠があるとする多数意見は、本件規定が社会に及ぼしている現実の影響に合致しない。すなわち、本件規定は、国民生活や身分関係の基本法である民法典中の一条項であり、強行法規でないとはいえ、国家の法として規範性をもち、非嫡出子についての法の基本的観念を表示しているものと理解されるのである。そして本件規定が相続の分野ではあっても、同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本件規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない。
四 (非嫡出子に関する立法状況の変化、条約の成立と今日における不合理性)
法律が制定された当時には立法目的が合理的でありその目的と手段が整合的であると評価されたものであっても、その後の社会の意識の変化、諸外国の立法の趨勢、国内における立法改正の動向、批准された条約等により、現在においては、立法目的の合理性、その手段との整合性を欠くに至ったと評価されることはもとよりあり得るのであって、その合憲性を判断するに当たっては、制定当時の立法目的と共に、その後に生じている立法の基礎をなす事実の変化や条約の趣旨等をも加えて検討されなければならない。
本件規定は、その立法当初において反対の意見もあったが、その立法目的は多数意見のいうとおり婚姻の保護にあるとして制定されたものであり、またその当時においては、諸外国においても、相続上非嫡出子を嫡出子と差別して取り扱う法制をとっている国が一般的であった。しかしながら、その後相続を含む法制度上、非嫡出子を嫡出子と区別することは不合理であるとして、主として一九六〇年代以降両者を同一に取り扱うように法を改正することが諸外国の立法の大勢となっている。
そして、我が国においても、本件規定は法の下の平等の理念に照らし問題があるとして、昭和五四年に法務省民事局参事官室は、法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づいて、非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分と同等とする旨の改正条項を含む改正要綱試案を発表したが、法案となるに至らず、さらに現時点においても同趣旨の改正要綱試案が公表され、立法改正作業が継続されている。
これを国際条約についてみても、我が国が昭和五四年に批准した、市民的及び政治的権利に関する国際規約二六条は「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律は、あらゆる差別を禁止し…出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する。」と規定し、さらに我が国が平成六年に批准した、児童の権利に関する条約二条一項は「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の…出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」と規定している。
以上の諸事実及び本件規定が及ぼしているとみられる社会的影響等を勘案するならば、少なくとも今日の時点において、婚姻の尊重・保護という目的のために、相続において非嫡出子を差別することは、個人の尊重及び平等の原則に反し、立法目的と手段との間に実質的関連性を失っているというべきであって、本件規定を合理的とすることには強い疑念を表明せざるを得ない。
五 (違憲判断の不遡及的効力)
最後に、本件規定を違憲と判断するとしても、当然にその判断の効力が遡及するものでないことを付言する。すなわち最高裁判所は、法令が憲法に違反すると判断する場合であっても、従来その法令を合憲有効なものとして裁判が行われ、国民の多くもこれに依拠して法律行為を行って、権利義務関係が確立している実態があり、これを覆滅することが著しく法的安定性を害すると認められるときは、違憲判断に遡及効を与えない旨理由中に明示する等の方法により、その効力を当該裁判のされた時以後に限定することも可能である。私たちは本件規定は違憲であるが、その効力に遡及効を認めない旨を明示することによって、従来本件規定の有効性を前提にしてなされた裁判、合意の効力を維持すべきであると考えるものである。

+追加反対意見
裁判官尾崎行信の追加反対意見は、次のとおりである。
本件規定が違憲とされる理由は反対意見に示されているが、私は、次の観点を加えれば、その違憲性はより明らかになると考える。
一 法の下の平等は、民主主義社会の根幹を成すものであって、最大限尊重されなければならず、合理的理由のない差別は憲法上禁止されている(憲法一四条一項)。本件規定は、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定め、嫡出子と非嫡出子との間に差別を設けているが、右差別が憲法一四条一項の許容する合理的なものであるといえるかどうかは、単なる合理性の存否によって判断されるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきであることは、反対意見に示されているとおりである。右検討に当たっては、立法目的自体の合理性ないし必要性の程度、差別により制限される権利ないし法的価値の性質、内容、程度を十分に考慮し、その両者の間に実質的関連性があるかどうかを判断すべきである。
二 憲法は婚姻について定めているが、いかなるものを婚姻と認めるかについては何ら定めるところはない。あり得る諸形態の中から、民法が法律婚主義を選択したのは合理的と認めるが、法律婚に関連する諸要素のうちにも立法目的からみて必要不可欠なものとそうでないものとが区別される。必要性の高いもののためには、他の憲法上の価値を制限することが許される場合もあり、重婚の禁止はその例である。しかし、必要性の低いものについては、他の価値が優先するべきで、これを制限することは許されない。
本件規定は無遺言の場合に相続財産をいかに分配するかを定めるための補充規定である。人が、その人生の成果である財産を、死後自らの選択に従って配偶者や子供など愛情の対象者に残したいと願うのは、極めて自然な感情である。民法も、本人の意思を尊重して、相続財産の分配を被相続人の任意にゆだねている(遺留分は別個の立法目的から定められたものであるからしばらくおく。)。この点をみれば、民法は相続財産の配分について法律婚主義の観点から一定の方向付けをする必要を認めなかったと知ることができる。相続財産をだれにどのような割合で分配するかは、法律婚や婚姻家族の保護に関係はあるであろうが、それらのために必要不可欠なものではない。もし民法が必要と考えれば、当然これに関する強行規定を設けたであろう。要するに、本件規定が補充規定であること自体、法律婚や婚姻家族の尊重・保護の目的と相続分の定めとは直接的な関係がないことを物語っている。嫡出子と非嫡出子間の差別は、本件規定の立法目的からして、必要であるとすることは難しいし、仮にあったとしてもその程度は極めて小さいというべきである。
三 本件規定の定める差別がいかなる結果を招いているかをも考慮すべきである。双方ともある人の子である事実に差異がないのに、法律は、一方は他方の半分の権利しかないと明言する。その理由は、法律婚関係にない男女の間に生まれたことだけである。非嫡出子は、古くから劣位者として扱われてきたが、法律婚が制度として採用されると、非嫡出子は一層日陰者とみなされ白眼視されるに至った。現実に就学、就職や結婚などで許し難い差別的取扱いを受けている例がしばしば報じられている。本件規定の本来の立法目的が、かかる不当な結果に向けられたものでないことはもちろんであるけれども、依然我が国においては、非嫡出子を劣位者であるとみなす感情が強い。本件規定は、この風潮に追随しているとも、またその理由付けとして利用されているともみられるのである。
こうした差別的風潮が、非嫡出子の人格形成に多大の影響を与えることは明白である。我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である。人格形成の途上にある幼年のころから、半人前の人間である、社会の日陰者であるとして取り扱われていれば、果たして円満な人格が形成されるであろうか。少なくとも、そのための大きな阻害要因となることは疑いを入れない。こうした社会の負の要因を取り除くため常に努力しなければ、よりよい社会の達成は望むべくもない。憲法が個人の尊重を唱え、法の下の平等を定めながら、非嫡出子の精神的成長に悪影響を及ぼす差別的処遇を助長し、その正当化の一因となり得る本件規定を存続させることは、余りにも大きい矛盾である。
本件規定が法律婚や婚姻家族を守ろうとして設定した差別手段に多少の利点が認められるとしても、その結果もたらされるものは、人の精神生活の阻害である。このような現代社会の基本的で重要な利益を損なってまで保護に値するものとは認められない。民法自体が公益性の少ない事項で当事者の任意処分に任せてよいとの立場を明らかにしていることを想起すれば、この結論に達せざるを得ないのである。
四 婚姻家族の相続財産に対する利害関係は、非嫡出子のそれと比べて大きいといわれる。普通、嫡出家族の方が長い共同生活を営んでいるから情愛もより深く、遺産形成にもより大きく協力しているから、相続分もより大きいのは当然とされる。それぞれの家族関係は千差万別で、右のような一般論で割り切り、その結果他人の基本的な権利を侵害してよいかは、甚だ疑問である。あえていえば、非嫡出関係が生じる場合には、一般論の例外的な場合に当たることもあろう。しかし、仮にこの一般論に譲歩して婚姻家族の相続分をより大きくしようとすれば、他人の基本的な権利に抵触することなく、かつ憲法上の疑義を生じさせるまでもなく、その目的を達成する手段が存在する。つまり、遺言制度を活用すれば足りるのである。
もともと遺産の処分は、被相続人の意思にゆだねられているのであって、遺族の期待に反する処理がされても何人も異議を差し挟み得ない。それは生前処分の場合でも遺言による場合でも異ならない。被相続人の意思が何であるか、親族関係が真にその名に値する愛情によって結ばれていたかが帰結を決定するのである。これが本来の遺産相続の在り方であって、無遺言の場合の法定相続分の定めは全くの便法にすぎない。基本的人権に対する配慮が希薄であった立法当時には、本件規定は深く疑問を抱かれることもなく受容されていた。本件規定が非嫡出子を不当に差別するものであり、その差別により生ずる侵害の深刻さを直視するならば、そして他方、得ようとする利益は公益上のものでなく、当事者の意思次第で容易に左右できる性質のものであることに思いを致せば、非嫡出子のハンディキャップを増大させる一因となっている本件規定の有効性を否定するほかない。
五 我々が目指す民主主義社会にとって法の下の平等はその根幹を成す重要なものであるが、本件規定の立法目的には合理性も必要性もほとんどない上、結果する犠牲は重大である。しかも、本件規定がなくとも具体的事情に適した結果に達する方途は存在する。本件規定の立法目的と非嫡出子の差別との間には到底実質的関連性を認めることはできない。いわば無用な犠牲を強いる本件規定は、憲法に違反するものというべきである。
(裁判長裁判官 草場良八 裁判官 大堀誠一 裁判官 園部逸夫 裁判官 中島敏次郎 裁判官 可部恒雄 裁判官 大西勝也 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 根岸重治 裁判官 高橋久子 裁判官 尾崎行信 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男)

(5)審査基準の図式は絶対か

・消極目的 厳格な合理性の基準
+判例(S50.4.30)薬局距離制限事件
理由
上告代理人・原隆一の上告理由二について。
所論は、要するに、本件許可申請につき、昭和三八年法律第一三五号による改正後の薬事法の規定によつて処理すべきものとした原審の判断は、憲法三一条、三九条、民法一条二項に違反し、薬事法六条一項の適用を誤つたものであるというのである。
しかし、行政処分は原則として処分時の法令に準拠してされるべきものであり、このことは許可処分においても同様であつて、法令に特段の定めのないかぎり、許可申請時の法令によつて許否を決定すべきのではなく、許可申請者は、申請によつて申請時の法令により許可を受ける具体的な権利を取得するものではないから、右のように解したからといつて法律不遡及の原則に反することとなるものではない。また、原審の適法に確定するところによれば、本件許可申請は所論の改正法施行の日の前日に受理されたというのであり、被上告人が改正法に基づく許可条件に関する基準を定める条例の施行をまつて右申請に対する処理をしたからといつて、これを違法とすべき理由はない。所論の点に関する原審の判断は、結局、正当というべきであり、違憲の主張は、所論の違法があることを前提とするもので、失当である。論旨は、採用することができない。
同上告理由一について。
所論は、要するに、薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)及びこれに基づく広島県条例「薬局等の配置の基準を定める条例」(昭和三八年広島県条例第二九号。以下「県条例」という。)を合憲とした原判決には、憲法二二条、一三条の解釈、適用を誤つた違法があるというのである。
一 憲法二二条一項の職業選択の自由と許可制
(一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。右規定が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすときは、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわちその職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがつて、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。
(二) もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
(三) 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。そして、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求されるのであつて、許可制の採用自体が是認される場合であつても、個々の許可条件については、更に個別的に右の要件に照らしてその適否を判断しなければならないのである。
二 薬事法における許可制について。
(一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁、同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。
(二) そこで進んで、許可条件に関する基準をみると、薬事法六条(この規定は薬局の開設に関するものであるが、同法二六条二項において本件で問題となる医薬品の一般販売業に準用されている。)は、一項一号において薬局の構造設備につき、一号の二において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、二号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、二項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、四項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条一項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、二項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする。
三 薬局及び医薬品の一般販売業(以下「薬局等」という。)の適正配置規制の立法目的及び理由について。
(一) 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。
これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。
(二) 次に、前記(一)の目的のために適正配置上の観点からする薬局の開設等の不許可の道を開くことの必要性及び合理性につき、被上告人の指摘、主張するところは、要約すれば、次の諸点である。
(1) 薬局等の偏在はかねてから問題とされていたところであり、無薬局地域又は過少薬局地域の解消のために適正配置計画に基づく行政指導が行われていたが、昭和三二年頃から一部大都市における薬局等の偏在による過当競争の結果として、医薬品の乱売競争による弊害が問題となるに至つた。これらの弊害の対策として行政指導による解決の努力が重ねられたが、それには限界があり、なんらかの立法措置が要望されるに至つたこと。
(2) 前記過当競争や乱売の弊害としては、そのために一部業者の経営が不安定となり、その結果、設備、器具等の欠陥を生じ、医薬品の貯蔵その他の管理がおろそかとなつて、良質な医薬品の供給に不安が生じ、また、消費者による医薬品の乱用を助長したり、販売の際における必要な注意や指導が不十分になる等、医薬品の供給の適正化が困難となつたことが指摘されるが、これを解消するためには薬局等の経営の安定をはかることが必要と考えられること。
(3) 医薬品の品質の良否は、専門家のみが判定しうるところで、一般消費者にはその能力がないため、不良医薬品の供給の防止は一般消費者側からの抑制に期待することができず、供給者側の自発的な法規遵守によるか又は法規違反に対する行政上の常時監視によるほかはないところ、後者の監視体制は、その対象の数がぼう大であることに照らしてとうてい完全を期待することができず、これによつては不良医薬品の供給を防止することが不可能であること。
四 適正配置規制の合憲性について。
(一) 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところにあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。
(二) 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。
(1) 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。
(2) 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。そこで検討するのに、
(イ) まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている。そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。
(ロ) ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。
(ハ) 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある。この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである。
(ニ) 被上告人は、また、医薬品の販売の際における必要な注意、指導がおろそかになる危険があると主張しているが、薬局等の経営の不安定のためにこのような事態がそれ程に発生するとは思われないので、これをもつて本件規制措置を正当化する根拠と認めるには足りない。
(ホ) 被上告人は、更に、医薬品の乱売によつて一般消費者による不必要な医薬品の使用が助長されると指摘する。確かにこのような弊害が生じうろことは否定できないが、医薬品の乱売やその乱用の主要原因は、医薬品の過剰生産と販売合戦、これに随伴する誇大な広告等にあり、一般消費者に対する直接販売の段階における競争激化はむしろその従たる原因にすぎず、特に右競争激化のみに基づく乱用助長の危険は比較的軽少にすぎないと考えるのが、合理的である。のみならず、右のような弊害に対する対策としては、薬事法六六条による誇大広告の規制のほか、一般消費者に対する啓蒙の強化の方法も存するのであつて、薬局等の設置場所の地域的制限によつて対処することには、その合理性を認めがたいのである。
(ヘ) 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。
(3) 被上告人は、また、医薬品の供給の適正化のためには薬局等の適正分布が必要であり、一部地域への偏在を防止すれば、間接的に無薬局地域又は過少薬局地域への進出が促進されて、分布の適正化を助長すると主張している。薬局等の分布の適正化が公共の福祉に合致することはさきにも述べたとおりであり、薬局等の偏在防止のためにする設置場所の制限が間接的に被上告人の主張するような機能を何程かは果たしうろことを否定することはできないが、しかし、そのような効果をどこまで期待できるかは大いに疑問であり、むしろその実効性に乏しく、無薬局地域又は過少薬局地域における医薬品供給の確保のためには他にもその方策があると考えられるから、無薬局地域等の解消を促進する目的のために設置場所の地域的制限のような強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失するものであつて、とうていその合理性を認めることができない。
本件適正配置規制は、右の目的と前記(2)で論じた国民の保健上の危険防止の目的との、二つの目的のための手段としての措置であることを考慮に入れるとしても、全体としてその必要性と合理性を肯定しうるにはなお遠いものであり、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。
五 結論
以上のとおり、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である。
ところで、本件は、上告人の医薬品の一般販売業の許可申請に対し、被上告人が昭和三九年一月二七日付でした不許可処分の取消を求める事案であるが、原判決の適法に確定するところによれば、右不許可処分の理由は、右許可申請が薬事法二六条二項の準用する同法六条二項、四項及び県条例三条の薬局等の配置の基準に適合しないというのである。したがつて、右法令が憲法二二条一項に違反しないとして本件不許可処分の効力を維持すべきものとした原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、その余の判断をするまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、右処分が取り消されるべきものであることは明らかであるから、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決の結論は正当であつて、被上告人の控訴は棄却されるべきものである。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 岸上康夫 裁判官 江里口清雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 髙辻正己 裁判官 吉田豊 裁判官 団藤重光)

・積極目的 合理性の基準
+判例(S47.11.22)小売市場距離制限事件
理由
弁護人坂井尚美の上告趣意一ないし五について。
所論は、要するに、小売商業調整特別措置法(以下「本法」という。)三条一項、同法施行令一条、二条は、小売市場の開設経営を都道府県知事の許可にかからしめ、営業の自由を不当に制限するものであるから、憲法二二条一項に違反するというのである。
本法三条一項は、政令で指定する市の区域内の建物については、都道府県知事の許可を受けた者でなければ、小売市場(一の建物であつて、十以上の小売商-その全部又は一部が政令で定める物品を販売する場合に限る。-の店舗の用に供されるものをいう。)とするため、その建物の全部又は一部をその店舗の用に供する小売商に貸し付け、又は譲り渡してはならないと定め、これを受けて、同法施行令一条および別表一は、「政令で指定する市」を定め、同法施行令二条および別表二は、「政令で定める物品」として、野菜、生鮮魚介類を指定している。そして、本法五条は、右許可申請のあつた場合の許可基準として、一号ないし五号の不許可事由を列記し、本法二二条一号は、本法三条一項の規定に違反した者につき罰則を設けている。このように、本法所定の市の区域内で、本法所定の形態の小売市場を開設経営しようとする者は、本法所定の許可を受けることを要するものとし、かつ、本法五条各号に掲げる事由がある場合には、右許可をしない建前になつているから、これらの規定が小売市場の開設経営をしょうとする者の自由を規制し、そ営業の自由を制限するものであることは、所論のとおりである。
そこで、右の営業の自由に対する制限が憲法二二条一項に牴触するかどうかについて考察することとする。
憲法二二条一項は、国民の基本的人権の一つとして、職業選択の自由を保障しており、そこで職業選択の自由を保障するというなかには、広く一般に、いわゆる営業の自由を保障する趣旨を包含しているものと解すべきであり、ひいては、憲法が、個人の自由な経済活動を基調とする経済体制を一応予定しているものということができる。しかし、憲法は、個人の経済活動につき、その絶対かつ無制限の自由を保障する趣旨ではなく、各人は、「公共の福祉に反しない限り」において、その自由を享有することができるにとどまり、公共の福祉の要請に基づき、その自由に制限が加えられることのあることは、右条項自体の明示するところである。
おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の維持の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて許されるべきことはいうまでもないのみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由等に関する場合と異なつて、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するところと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もつて社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであつて、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである。もつとも、個人の経済活動に対する法的規制は、決して無制限に許されるべきものではなく、その規制の対象、手段、態様等においても、自ら一定の限界が存するものと解するのが相当である。
ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、本法は、立法当時における中小企業保護政策の一環として成立したものであり、本法所定の小売市場を許可規制の対象としているのは、小売商が国民のなかに占める数と国民経済にける役割とに鑑み、本法一条の立法目的が示すとおり、経済的基盤の弱い小売商の事業活動の機会を適正に確保し、かつ、小売商の正常な秩序を阻害する要因を除去する必要があるとの判断のもとに、その一方策として、小売市場の乱設に伴う小売商相互間の過当競争によつて招来されるであろう小売商の共倒れから小売商を保護するためにとられた措置であると認められ、一般消費者の利益を犠牲にして、小売商に対し積極的に流通市場における独占的利益を付与するためのものでないことが明らかである。しかも、本法は、その所定形態の小売市場のみを規制の対象としているにすぎないのであつて、小売市場内の店舗のなかに政令で指定する野菜、生鮮魚介類を販売する店舗が含まれない場合とか、所定の小売市場の形態をとらないで右政令指定物品を販売する店舗の貸与等をする場合には、これを本法の規制対象から除外するなど、過当競争による弊害が特に顕著と認められる場合についてのみ、これを規制する趣旨であることが窺われる。これらの諸点からみると、本法所定の小売市場の許可規制は、国が社会経済の調和的発展を企図するという観点から中小企業保護政策の一方策としてとつた措置ということができ、その目的において、一応の合理性を認めることができないわけではなく、また、その規制の手段・態様においても、それが著しく不合理であることが明白であるとは認められない。そうすると、本法三条一項、同法施行令一条、二条所定の小売市場の許可規制が憲法二二条一項に違反するものとすることができないことは明らかであつて、結局、これと同趣旨に出た原判決は相当であり、論旨は理由がない。
なお、所論は、本法五条一号に基づく大阪府小売市場許可基準内規(一)も憲法二二条一項に違反すると主張するが、右内規は、それ自体、法的拘束力を有するものではなく、単に本法三条一項に基づく許可申請にかかる許可行政の運用基準を定めたものにすぎず、その当否は、具体的な不許可処分の適否を通じて争えば足り、しかも、記録上、被告人らが右許可申請をした形跡は窺えないのであるから、被告人らが本件で右内規の一般的合憲性を争うことは許されず、この点に関する違憲の主張は、上告適法の理由にあたらない。
同上告趣意六について。
所論は、本法三条一項、同法施行令一条が指定都市の小売市場のみを規制の対象としているのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法三条一項、同法施行令一条および別表一がその指定する都市の小売市場を規制の対象としたのは、小売市場の当該地域社会において果たす役割、当該地域における小売市場乱設の傾向等を勘案し、本法の上記目的を達するために必要な限度で規制対象都市を限定したものであつて、その判断が著しく合理性を欠くことが明白であるとはいえないから、その結果として、小売市場を開設しようとする者の間に、地域によつて規制を受ける者と受けない者との差異が生じたとしても、そのことを理由として憲法一四条に違反するものとすることはできない。論旨は理由がない。
次に、所論は、本法三条一項が十店舗未満の小売市場およびスーパーマーケツトを規制の対象としていないのは、合理的根拠を欠く差別的取扱いであるから、憲法一四条に違反すると主張する。
しかし、本法所定の小売市場以外の小売市場を規制の対象とするかどうか、スーパーマーケツトを規制の対象とするかどうかは、いずれも立法政策の問題であつて、これらを規制の対象としないからといつて、そのために本法の規制が憲法一四条に違反することになるわけではない。論旨は理由がない。
同上告趣意七について。
所論は、本法所定の小売市場の許可規制が憲法二五条一項に違反すると主張する。
しかし、右許可規制のために国民の健康で文化的な最低限度の生活に具体的に特段の影響を及ぼしたという事実は、本件記録上もこれを認めることができないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 田中二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷 裁判官 藤林益三 裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 下田武三 裁判官 岸盛一 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝)

・ナゾ。積極目的だけど厳格な合理性?
+判例(S62.4.22)森林法
理由
上告代理人藤本猛の上告理由について
所論は、要するに、森林法一八六条を合憲とした原判決には憲法二九条の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
一 憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し、私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障するとともに、社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至つたため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。
二 財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
三 森林法一八六条は、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者(持分価額の合計が二分の一以下の複数の共有者を含む。以下同じ。)に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定している。
そこでまず、民法二五六条の立法の趣旨・目的について考察することとする。共有とは、複数の者が目的物を共同して所有することをいい、共有者は各自、それ自体所有権の性質をもつ持分権を有しているにとどまり、共有関係にあるというだけでは、それ以上に相互に特定の目的の下に結合されているとはいえないものである。そして、共有の場合にあつては、持分権が共有の性質上互いに制約し合う関係に立つため、単独所有の場合に比し、物の利用又は改善等において十分配慮されない状態におかれることがあり、また、共有者間に共有物の管理、変更等をめぐつて、意見の対立、紛争が生じやすく、いつたんかかる意見の対立、紛争が生じたときは、共有物の管理、変更等に障害を来し、物の経済的価値が十分に実現されなくなるという事態となるので、同条は、かかる弊害を除去し、共有者に目的物を自由に支配させ、その経済的効用を十分に発揮させるため、各共有者はいつでも共有物の分割を請求することができるものとし、しかも共有者の締結する共有物の不分割契約について期間の制限を設け、不分割契約は右制限を超えては効力を有しないとして、共有者に共有物の分割請求権を保障しているのである。このように、共有物分割請求権は、各共有者に近代市民社会における原則的所有形態である単独所有への移行を可能ならしめ、右のような公益的目的をも果たすものとして発展した権利であり、共有の本質的属性として、持分権の処分の自由とともに、民法において認められるに至つたものである。
したがつて、当該共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当し、かかる制限を設ける立法は、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを要するものと解すべきところ、共有森林はその性質上分割することのできないものに該当しないから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定している森林法一八六条は、公共の福祉に適合するものといえないときは、違憲の規定として、その効力を有しないものというべきである。
四 1 森林法一八六条は、森林法(明治四〇年法律第四三号)(以下「明治四〇年法」という。)六条の「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」との規定を受け継いだものである。明治四〇年法六条の立法目的は、その立法の過程における政府委員の説明が、長年を期して営むことを要する事業である森林経営の安定を図るために持分価格二分の一以下の共有者の分割請求を禁ずることとしたものである旨の説明に尽きていたことに照らすと、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図ることにあつたものというべきであり、当該森林の水資源かん養、国土保全及び保健保全等のいわゆる公益的機能の維持又は増進等は同条の直接の立法目的に含まれていたとはいい難い。昭和二六年に制定された現行の森林法は、明治四〇年法六条の内容を実質的に変更することなく、その字句に修正を加え、規定の位置を第七章雑則に移し、一八六条として規定したにとどまるから、同条の立法目的は、明治四〇年法六条のそれと異なつたものとされたとはいえないが、森林法が一条として規定するに至つた同法の目的をも考慮すると、結局、森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。
同法一八六条の立法目的は、以上のように解される限り、公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。
2 したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定していることが、同条の立法目的達成のための手段として合理性又は必要性に欠けることが明らかであるといえない限り、同条は憲法二九条二項に違反するものとはいえない。以下、この点につき検討を加える。
(一) 森林が共有となることによつて、当然に、その共有者間に森林経営のための目的的団体が形成されることになるわけではなく、また、共有者が当該森林の経営につき相互に協力すべき権利義務を負うに至るものではないから、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない。したがつて、共有森林の共有者間の権利義務についての規制は、森林経営の安定を直接的目的とする前示の森林法一八六条の立法目的と関連性が全くないとはいえないまでも、合理的関連性があるとはいえない。
森林法は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者からの分割請求を許さないとの限度で民法第三章第三節共有の規定の適用を排除しているが、そのほかは右共有の規定に従うものとしていることが明らかであるところ、共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐつて意見の対立、紛争が生ずるに至つたときは、各共有者は、共有森林につき、同法二五二条但し書に基づき保存行為をなしうるにとどまり、管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来することとなる。同法二五六条一項は、かかる事態を解決するために設けられた規定であることは前示のとおりであるが、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法の右規定の適用を排除した結果は、右のような事態の永続化を招くだけであつて、当該森林の経営の安定化に資することにはならず、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性のないことは、これを見ても明らかであるというべきである。
(二) (1) 森林法は森林の分割を絶対的に禁止しているわけではなく、わが国の森林面積の大半を占める単独所有に係る森林の所有者が、これを細分化し、分割後の各森林を第三者に譲渡することは許容されていると解されるし、共有森林についても、共有者の協議による現物分割及び持分価額が過半数の共有者(持分価額の合計が二分の一を超える複数の共有者を含む。)の分割請求権に基づく分割並びに民法九〇七条に基づく遺産分割は許容されているのであり、許されていないのは、持分価額二分の一以下の共有者の同法二五六条一項に基づく分割請求のみである。共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を認めた場合に、これに基づいてされる分割の結果は、右に述べた譲渡、分割が許容されている場合においてされる分割等の結果に比し、当該共有森林が常により細分化されることになるとはいえないから、森林法が分割を許さないとする場合と分割等を許容する場合との区別の基準を遺産に属しない共有森林の持分価額の二分の一を超えるか否かに求めていることの合理性には疑問があるが、この点はさておいても、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者からの民法二五六条一項に基づく分割請求の場合に限つて、他の場合に比し、当該森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図らなければならない社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠は、これを見出だすことができないにもかかわらず、森林法一八六条が分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなつているといわざるをえない。
まず、森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、当該森林の地域的位置、気候、植栽竹木の種類等によつて差異はあつても、これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるものというべきである。
また、当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
(2) 更に、民法二五八条による共有物分割の方法について考えるのに、現物分割をするに当たつては、当該共有物の性質・形状・位置又は分割後の管理・利用の便等を考慮すべきであるから、持分の価格に応じた分割をするとしても、なお共有者の取得する現物の価格に過不足を来す事態の生じることは避け難いところであり、このような場合には、持分の価格以上の現物を取得する共有者に当該超過分の対価を支払わせ、過不足の調整をすることも現物分割の一態様として許されるものというべきであり、また、分割の対象となる共有物が多数の不動産である場合には、これらの不動産が外形上一団とみられるときはもとより、数か所に分かれて存在するときでも、右不動産を一括して分割の対象とし、分割後のそれぞれの部分を各共有者の単独所有とすることも、現物分割の方法として許されるものというべきところ、かかる場合においても、前示のような事態の生じるときは、右の過不足の調整をすることが許されるものと解すべきである(最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁、昭和四一年(オ)第六四八号同四五年一一月六日第二小法廷判決・民集二四巻一一一号一八〇三頁は、右と抵触する限度において、これを改める。)。また、共有者が多数である場合、その中のただ一人でも分割請求をするときは、直ちにその全部の共有関係が解消されるものと解すべきではなく、当該請求者に対してのみ持分の限度で現物を分割し、その余は他の者の共有として残すことも許されるものと解すべきである。
以上のように、現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである。したがつて、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制というべきである。
五 以上のとおり、森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであつて、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがつて、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効というべきであるから、共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者についても民法二五六条一項本文の適用があるものというべきである。
六 本件について、原判決は、森林法一八六条は憲法二九条二項に違反するものではなく、森林法一八六条に従うと、本件森林につき二分の一の持分価額を有するにとどまる上告人には分割請求権はないとして、本件分割請求を排斥しているが、右判断は憲法二九条二項の解釈適用を誤つたものというべきであるから、この点の違憲をいう論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、上告人の分割請求に基づき民法二五八条に従い本件森林を分割すべきものであるから、本件を原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官坂上壽夫、同林藤之輔の補足意見、裁判官髙島益郎、同大内恒夫の意見、裁判官香川保一の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官坂上壽夫の補足意見は、次のとおりである。
香川裁判官の反対意見に鑑み、わが国における森林所有の実態を踏まえて、一言しておきたい。
香川裁判官の説かれるところは、森林の共同経営という観点から共有森林についての分割制限の合理性を指摘されるもので、たしかに、森林の共同経営に当たつて、途中での分割を許すことは、経営的には不都合を来す場合があると考えられ、共同経営を目的とした共有を考える限りにおいて、まことに傾聴すべき見解であると思われるが、「森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことである」とされるのは、森林共有者の中に、相続による共有者を除いては、自らの意思によらずして森林を共有することになつた者の存在は考えなくてもよいということであろうか。また、自らの意思により森林を共有するといつても、共有するについてはいろんな場合が考えられ、森林を共同経営する意思を有しない者もいると思われるのに、そのことを抜きにして論じてよいものであろうか。なお、共同経営に不都合を来さないためという観点からは、持分二分の一以下の権利者の分割請求のみを許さないとすることの説明が、多数決原理を云々されるだけでは肯けないものがある(のちに述べるように、分割されて困るとすれば、それはむしろ持分二分の一以下の少数権利者の側であろう。)。
ところで、森林経営という面についてであるが、香川裁判官が、「森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである……そして、それに連なる共有森林は……」と説かれるところは、多人数の共同経営の難しさ、煩わしさということを別にすれば、理論としては正にそのとおりであろうが、残念ながら、わが国の森林所有の実態に即しない憾みがあるように思われる。以下、議論を正確にするため、統計数字については、林野庁監修「林業統計要覧」一九八六年版所載の各表によることとするが、その「一九八〇年世界農林業センサス結果」によると、わが国での共同所有者による森林保有は、統計に表れない〇・一へクタール未満の森林を除き、〇・一ヘクタール以上のものに限れば、一六万六一四五事業体で合計六〇万一六七三ヘクタールに過ぎず(この数字には、相続により生じた共有体を含むものと思われるが、その内訳は不詳である。)、面積比にすると、二五〇〇万ヘクタール余とされるわが国の全森林の二・四%、一四七〇万ヘクタールに及ぶ私有森林全体の約四%を占めるのみである。しかも、そのうち〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)しか保有しない事業体(農林水産省統計情報部「林家経済調査報告」によると、昭和五九年度において、九・三ヘクタールを保有する林家の林業粗収入額は、薪炭生産やきのこ生産等による収入をも含めて二九万五〇〇〇円であり、これに対する経費総額は一二万七〇〇〇円であつて、林業所得額は一六万八〇〇〇円(平均値)であるから、一ヘクタール当たりにすると、僅かに一万八〇〇〇円に過ぎない。〇・一ヘクタールないし一ヘクタール(未満)という森林がいかに零細なものであるかがわかろう。)は九万六二八〇事業体に達し、全共同事業体の約五八%に当たり、これに一ないし五ヘクタール(未満)しか保有しない事業体を併せると、一四万四九九六事業体(全共同事業体の八七%強)にも達するのである。他方、香川裁判官が望ましいとされる「相当広大な面積」をかりに一〇〇ヘクタール以上(本件上告人、被上告人の共有森林は、全地区を合計するとこの範囲に入ることになる。)と低く抑えたとしても、その条件に達するものは僅かに五五七事業体(全共同事業体の〇・三%強)に過ぎない。共有にかかる森林の殆どは、共同所有ではあつても、共同経営という名に値しないものである。
とすれば、森林経営の観点から共有を論じても余り意味はなく、森林法一八六条は、ほんの一握りの森林共有体の経営の便宜のために、すべての森林共有体の、しかもそのうちの持分二分の一以下の共有者についてのみ、その分割請求権を奪うという不合理を敢えてしていると結論せざるを得ない。
もとより、森林経営というほどのものでない小面積の共有森林でも、否、小面積の森林なるが故に、分割しては著しく採算に影響するという場合もないではないであろうし(例えば、トラックの通行可能な道路までの伐採木の搬出距離が長いため、搬出のための架線等の設置に多大の経費を要するというような場合等)、極端な場合には、分割しては森林の全売上をもつてしても全経費を賄うに足りないという事態もありうるであろう(多数意見のいう森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積を割る場合ということになろう。)。香川裁判官の説かれる共同経営論は、このようなことも配慮されてのことであると理解できるが、分割した場合につねに生ずるということではない。なお、蛇足を加えると、例えば、持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があつて、四分の三の持分権者の請求によつて分割が行われた場合があつたとしよう。四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になつたとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきでないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らないのではなかろうか。いずれにしても、経営採算ということを考えると、共同経営にかかる森林の分割はこれを許さないとすることに相応の理由があることを否定しないが、森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たつて必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであつて、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではないと思われる。
更にいえば、分割請求権の行使を認めないことによつて、森林の細分化を防止し、それによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することが公共の福祉に合致するとの立場をとるならば、前述のように、わが国の森林面積の二・四%、そのうちの私有森林のみの面積と対比してもその約四%を占めるに過ぎない共同所有森林(相続による共有分を除けば、その割合はもつと小さい筈)の、そのまた少数持分権者のみに、その制限を課するのは何故であろうか。
森林法一八六条による共有森林の分割請求権の制限は、到底首肯するに足る理由を見出だすことができないのである。
裁判官林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見に示された結論とその理由に同調するものであるが、共有物の分割方法に関して私の考えるところを補足しておきたい。
多数意見は、民法二五八条二項にいう現物をもつてする分割の一態様として、共有者の一部が持分以上の現物を取得する代わりに当該超過分の対価を他の共有者に支払わせる旨のいわゆる価格賠償による分割を命ずることも許されるから、共有者の一部に分割を認めても必ずしも森林の細分化をもたらすものではないとし、最高裁昭和二八年(オ)第一六三号同三〇年五月三一日第三小法廷判決・民集九巻六号七九三頁は、これと異なる限度で改めるとしているのであり、私も多数意見の右の説示に賛同する。右の小法廷判決は、昭和二二年法律第二二二号による改正前の民法のもとにおける遺産相続により共有となつた遺産の分割につき、右改正法の附則三二条により改正後の民法九〇六条が準用されることとなる事案に関するものであるが、「遺産の共有及び分割に関しては、共有に関する民法二五六条以下の規定が第一次的に適用せられ、遺産の分割は現物分割を原則とし、分割によつて著しくその価格を損する虞があるときは、その競売を命じて価格分割を行うことになるのであつて、民法九〇六条は、その場合にとるべき方針を明らかにしたものに外ならない」と判示している。しかし、家庭裁判所での遺産分割審判の実務においては、右判例にかかわらず、遺産分割につき家事審判規則一〇九条を適用して、特別の事由があるときは、共同相続人の一部にその相続分以上の現物を取得させる代わりに、他の共同相続人に対する債務を負担させて、現物をもつてする分割に代えることが広く行われてきており、しかも、右にいう特別の事由はかなり緩やかに解されているのであるが、この債務を負担させることによる分割の実態は、多数意見にいう価格賠償にほかならないのである。
ところで、遺産分割については、民法が特に分割の基準について九〇六条の規定を設けているほか、手続上も、家庭裁判所に非訟事件である遺産分割の審判の申立をすることができるものとされているのに対し、通常の共有物の分割にあつては、民事訴訟法上の訴えの手続によるべきものとされている。しかし、この共有物分割の訴えも、いわゆる形式的形成訴訟に属し、当事者は単に共有物の分割を求める旨を申し立てれば足り、裁判所は、当事者が現物分割を申し立てているだけであつても、これに拘束されず、競売による代金分割を命ずることもできるのであつて(最高裁昭和五三年(オ)第九二七号、第九二八号同五七年三月九日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号三一三頁)、その本質は非訟事件であり、その点では、典型的な非訟事件である家事審判と異なるところはない。それにもかかわらず通常の共有物分割と遺産分割との間で右のように取扱いが異なるのは、右のような法律上の規定の仕方の違いもさることながら、遺産分割は、被相続人に属していた一切の財産が分割の対象とされ、不動産、動産、債権のほか、これらの権利が結合して構成される商店、病院等の営業というようなさまざまな遺産を一括して共同相続人に配分するものであり、しかも、先祖代々の土地建物、農地、家業というべき営業のように、相続人のうちの誰か適当な者が承継して人手には渡したくないとする一般的な意識や、分割に適しない性質を想定しうる財産も含まれているのに対し、通常の共有については、これまで一個の物の分割が典型例として考えられ、分割が個々の共有物について各共有者の持分権をその価格の割合に応じて単独所有権化するものという角度から捉えられ勝ちであつたためではないかと思われる。しかし、通常の共有の場合であつても、多数意見の指摘するように、同一共有者間において同時に多数の、性質等の異なつた共有物について分割が行われることもあり、また、遺産分割の結果共同相続人のうちの数名の共有とされた財産が再分割されるときのように遺産分割に近い実質をもつこともあるのであつて、そのようなときにまで、現物を持分に応じて分割することができないか又はそれができても著しく価格を損する場合には、直ちに現物分割によることができないものとし、価格賠償による調整をかたくなに否定することは、現物分割の途をいたずらに狭めるものであり、実状に合うものとはいい難い。建物の分割においても、持分に応じた分割が可能なのは、たとえ分割の対象となつている建物が多数あるときでもそのそれぞれがたまたま持分に相当する価格の建物である場合とか、一棟の建物ではあるが持分に相当する価格の区分所有建物とすることが可能である場合のようなむしろ例外的場合に限られることになり、土地についても、地形や道路との関係、さらには地上建物との関係などから持分に応じた分割をすることには無理が伴つたり、著しく価格を損することがむしろ多いといえよう。
共有物の分割にあつては、共有者間の公平が最も重視されなければならない。そして、価格賠償によるときは、価格が裁判所の認定にかかることになつて、観念的には競売による方がより公正な価格によることになるといえるかも知れない。しかし、現実には、競売価額が時価とはかけ離れた低額のものである場合も多々みられるところである。民法二五八条二項は、現物分割により著しくその価格を損する虞があるときは競売による代金分割によるべきこととしているが、競売によるときは、現物分割を避けることにより社会的にはその物自体が有する価格の減少を防ぐことができても、共有者が分配を受け得る利益からみれば著しく価格を損する結果となる虜なしとしないのである。現物分割の一態様として価格賠償の併用を認めると、必ずしも現物を持分に応じて分割しなくてもよいことになり、現物分割により得る場合はかなり増えるものと考えられ、当事者の利益からいつても、ことに当事者が希望しているような場合にまで、裁判所が鑑定等に基づいて認定する金額による価格賠償を否定すべき実質的な根拠はないと思われるのである。
以上のような見地から、私は、民法二五八条による共有物の分割につき価格賠償により過不足を調整することも許されるとする多数意見に賛成するものであるが、更にすすんで、共有者の数が非常に多数の場合に、その中のごく少数の者のみが分割請求をしたというようなときは、事情によつては―多数意見が規制の必要あることを認める共有森林の伐採期あるいは計画植林完了時の前になされた分割請求の如きはその適例であるが―共有物を残りの者だけの共有とし、分割請求者は持分相当額の対価の支払を受けるという方法によることも、右のごく少数の分割請求者からみれば対価を受け取るにすぎないにせよ、これを全体としてみるときはなお現物分割の一態様とみることを妨げないものというべきであり、このように共有物を共有者のうちの一人又は数名の者の単独所有又は共有とし、これらの者から他の者に価格賠償をさせることによる分割も、かかる方法によらざるをえない特段の事情がある場合には、なお現物分割の一態様として許されないわけのものではないと考えるのである。
裁判官大内恒夫の意見は、次のとおりである。
私は、本件について、原判決を破棄し、原審に差し戻すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その理由を異にし、共有森林の分割請求権の制限を定める森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額が二分の一の共有者からの分割請求(本件はこの場合に当たる)をも禁じている点において、憲法の右条項に違反するにすぎないと考えるので、以下意見を述べることとする。
一 森林法一八六条と財産権の制約
森林法一八六条は、共有森林の分割につき、「各共有者の持分の価額に従いその過半数をもつて分割の請求をすること」のみを認め、その以外の持分価額が二分の一以下の共有者がなす分割請求を禁じているが、これは、民法が共有者の基本的権利としている分割請求権を持分価額が二分の一以下の共有者から奪うものであるから、かかる規制は、憲法上、経済的自由の一つである財産権の制約に当たり、憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合することを必要とする。ところで、経済的自由の規制立法には、精神的自由の規制の場合と異なり、合憲性の推定が働くと考えられ、財産権の規制立法についても、その合憲性の司法審査に当たつては、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、これを尊重すべきものである。そして、同じく経済的自由の規制であつても、それが経済的・社会的政策実施のためのものである場合(積極的規制)は、事の性質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広質上、社会生活における安全の保障や秩序の維持等のためのものである場合(消極的規制)に比して、右合理的裁量の範囲を広く認めるべきであるから、右積極的規制を内容とする立法については、当該規制措置が規制の目的を達成するための手段として著しく不合理で裁量権を逸脱したことが明白な場合でなければ、憲法二九条二項に違反するものということはできないと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。以下、この見地に立つて、森林法一八六条が憲法の右条項に違反するかどうかについて判断する。
二 森林法一八六条の立法目的
森林法の右規定は、これと同旨の旧森林法(明治四〇年法律第四三号)六条の規定を踏襲したものであるが、もともと旧森林法が同規定を設けた立法目的は、当時の議会における政府委員の説明及び審議経過に徴すると、共有森林に係る林業経営の特殊性にかんがみ、共有者の分割請求権を制限し、林業経営の安定を図つたものであると解される。すなわち、森林は植林から伐採に至るまで長年月の期間を要し、資本投下も森林の維持・管理も長期的な計画に従つてなされるから、林業経営にあつては経営の基礎を安定したものとする必要が極めて大きいというべきところ、共有森林について民法二五六条一項がそのまま適用されるとするときは、共有者のうち一人が分割請求をする場合でも、何時にても、分割(原則として現物分割又は競売による代金分割)が行われざるをえず、林業経営の基礎は不安定であることを免れないことになる。そこで、旧森林法は前記の規定を設け、共有森林について分割請求権を制限することとしたのであつて、同規定は林業経営の安定を図ることを目的としたものであるというべきである。そして、森林法一八六条が旧森林法六条の規定をそのまま受け継いだこと、及び森林法が一条に新たに同法の目的規定を設けたことを考慮すると、同法一八六条の立法目的は、林業経営の安定を図るとともに、これを通じて森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国土の保全と国民経済の発展に資するにあると解すべく、右立法目的が公共の福祉に適合することは明らかである(なお、同条は、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとし、その限度で共有森林の分割請求を制約するのみで、持分価額が二分の一を超える共有者からの分割請求は勿論、共有者間の協議による分割も同条の禁ずるところでないから、森林の細分化防止をもつて同条の直接の立法目的であるとすることはできないと考える。)。
三 森林法一八六条の規制内容
森林法一八六条は、右の立法目的を達成するため、共有森林について、持分価額が二分の一を超える共有者(以下「過半数持分権者」という。)からの分割請求は認めるが、持分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求は認めないとしている。ところで、右は前記経済的自由についての積極的規制に当たり、前示基準に従つてその憲法適合性が判断されることになるが、持分価額が二分の一以下という中には、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるので、場合を分かつて検討する。
1 持分価額が二分の一未満の共有者の分割請求の禁止
これは他方に過半数持分権者が存在する場合であるが、この場合、同条が持分価額が二分の一未満の共有者(以下「二分の一未満持分権者」という。)の分割請求権を否定したのは、下記のとおり理由があると認められ、同条のこの規制内容が、その立法目的との関係において、明らかに合理性と必要性を欠くものであるということはできないと考える。
(一) 旧森林法制定の際の議会における審議経過に徴すると、同法六条の政府原案は、「民法第二百五十六条ノ規定ハ共有ノ森林ニ之ヲ適用セス」とのみ定め、共有森林についてはすべて分割請求を禁止するものであつたが、右原案に対し、貴族院において、共有者の分割請求権を絶対的に禁じてしまうのは酷であり、少なくとも共有者の過半数以上の者が分割を請求する場合は、許してよいのではないか、との修正意見が出され、これを受けて、右原案に、「但シ各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ分割ノ請求ヲ為スコトヲ妨ケス」とのただし書が追加され、立法がなされたものである。右の立法経緯によると、旧森林法の立法においては、林業経営の安定を図るという目的から、林業経営にとつて不安定要因であると目される民法二五六条の分割請求権に手が加えられたが、その際右分割請求権を全面的に否定するという方法はとらず、これを一部制約するにとどめたこと、及びいかなる者に分割請求権を認め、いかなる者にこれを認めないかについては、多数持分権者の意思の尊重の見地から、「持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数」である者(過半数持分権者)にのみ分割請求を許すことにしたことが認められるのであつて、旧森林法の右規定及びこれを受け継いだ森林法一八六条は、林業経営の安定と共有者の基本的権利(分割請求権)との調和を図つたものということができる。このように見て来ると、同条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有するものといわなければならず、また、過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できるというべきである。
(二) 次に、二分の一未満持分権者の権利制限の程度について見ると、同持分権者も、過半数持分権者との間で協議による分割を行うこと、及び過半数持分権者が分割自体に同意する場合、具体的な分割の方法・内容の裁判上の確定を求めて、分割の訴えを提起することは、いずれも森林法一八六条の禁ずるところではないと解されるので、結局、右二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも、右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとつて不当な権利制限であるということはできない。
してみると、同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではないというべきである。
2 持分価額が二分の一の共有者の分割請求の禁止
持分価額が二分の一の共有者(以下「二分の一持分権者」という。)が分割請求をする場合は、分割請求の相手方も二分の一持分権者であつて、右1の場合と異なり、過半数持分権者が存在しないが、森林法一八六条はこの場合も分割請求を禁じている。しかし、右の最も典型的な場合は、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合であるが、この場合共有者の一人である甲が同条によつて分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであつて、前記1の場合のごとく、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由に基づくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、共有者の他の一人である乙も同様であつて、甲、乙互いに対等の地位にあるにかかわらず、いずれも相手に対して分割請求をすることを禁じられるのである。その結果は、甲、乙両名(すなわち共有者全員)が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなるが、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎであるといわなければならない。思うに、森林法一八六条は林業経営の安定等の目的から共有者の分割請求権を制約するものであるが、全面的にこれを禁止しようとするものではない。したがつて、二分の一持分権者の共有関係の解消について生ずる右のような結果は、同条の所期するところでないとも考えられ、結局、同条のうち二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であるといわざるをえない。よつて、同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効であるというべきである。
四 本件事案は、上告人及び被上告人が同人らの父から本件森林の贈与を受け、これを共有しているが、その持分は平等で各二分の一である、というのであり、前項2の場合に該当するから、上記の理由により上告人の分割請求は認容されるべきである。したがつて、上告人の論旨は理由があるから、本件については、原判決(上告人敗訴部分)を破棄し、原審に差し戻すべきものと考える。
裁判官髙島益郎は、裁判官大内恒夫の意見に同調する。
裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。
私は、森林法一八六条が憲法二九条二項に違反するものとする多数意見に賛成し難い。その理由は次のとおりである。
民法の共有に関する規定は、原則的には、共有関係からの離脱及びその解消を容易ならしめるため、各共有者の共有持分の譲渡について何らの制限を設けないのみならず、共有者全員の協議による共有物の分割のほか、各共有者は何時にても無条件で共有物分割の請求(訴求)をすることができるものとしているが(同法二五六条一項本文、二五八条一項)、その反面、共有物の不分割契約を期間を五年以内に制限しながらも更新を許容してこれを認めている(同法二五六条一項ただし書、同条二項、なお、同法二五四条により不分割契約は特定承継人をも拘束するのである。)。その趣旨は、所有権の型態として単独所有が共有よりもより好ましいものとして共有物の分割を認めながらも、共有関係の生じた経緯、目的、意図、共有物の多種、多様な性質ないし機能等に応じて、何時にても共有関係を解消し得る共有から一定期間共有関係を解消しない共有までの合目的な法律関係を形成し得る途を開いているものということができる。さらに、同法二五四条により、共有物の使用、収益等に関する共有者間の特約による権利義務関係が共有者の特定承継人をも拘束するものとして、共有関係の目的、意図等に対応し得る方途について配慮しているのである。因みに、各人の出資により共同事業を営む共同目的の組合契約による組合財産は、すべて総組合員の共有に属するが(同法六六八条)、清算前には組合財産の同法二五六条一項本文の規定による共有物分割の請求を禁止するなど(同法六七六条)しているのも、共同事業の遂行が共有物分割の請求により阻害されることを防止するための必要によるものに外ならない。そして、同法二五六条一項本文は、共有の目的物を特定していないが、目的物を限定して右の分割請求を考察した場合、その目的物の種類、性質、機能等によつては、同項本文について何らかの修正を施すべき必要があることは容易に考え得るところである。
以上の考え方からいえば、共有物分割の請求をいかなる要件、方法、態様等により認めるべきかあるいは制限すべきかの立法は、経済的自由の規制に属する経済的政策目的による規制であつて、憲法二九条二項により公共の福祉に適合することを要するが、その規制措置は、共有物の種類、性質、機能、関係人の利害得失等相互に関連する諸要素についての比較考量による判断に基づく政策立法であつて、立法府の広範な裁量事項に属するものというべきである。したがつて、その立法措置は、甚だしく不合理であつて、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものでなければ、これを違憲と断ずべきではない。
そこで、森林法一八六条について考えるに、同条は、民法二五六条一項本文と異なり、共有持分の価額に従い過半数を以てのみ共有森林の分割請求をすることができるものと規定している。森林法における森林とは、(一) 木竹が集団して生育している土地及びその土地の上にある立木竹、(二) 木竹の集団的な生育に供される土地を指称するのであるが(同法二条一項)、かかる「森林」は、その性質上木竹の植栽、育生、伐採、すなわち森林経営に供されることをその本来の機能とするものであり、このような供用による使用収益をその本質とする財産権である。さればこそ、同法は、かかる森林の所有者について、一般的に森林経営を行う者であることを前提として所要の規定を設けており(同法八条、一〇条の五、一〇条の一〇、一一条、一四条等)、この森林所有者には森林の共有者も含まれることはいうまでもない。そして、森林経営は、相当規模の森林全体について長期的計画により数地区別に木竹の植栽、育生、伐採の交互的、周期的な施業がなされるものであつて、森林の土地全体は相当広大な面積のものであることが望ましいし、また、その資本力、経営力、労働力等の人的能力も大であることを必要とする反面、将来の万一の森林経営の損失の分散を図るため等から、森林に関する各法制は、多数の森林所有者の共同森林経営がより合理的であるとしているのである(同法一八条、森林組合法一条、同法第三章生産森林組合等参照)。そして、それに連なる共有森林は、森林経営に供されるものである以上、民法二五六条一項本文の規定により、何時にても、しかも無条件に、共有者の一人からでもなされ得る共有物分割の請求によつて、森林の細分化ないしは森林経営の小規模化を招くおそれがあるのみならず、それ以上に、前記の長期的計画に基づく交互的、周期的な森林の施業が著しく阻害され、他の共有者に不測の損害を与え、ひいては森林経営の安定化、活発化による国民経済の健全な発達を阻害し、自然環境の保全等に欠けるおそれがあるので、森林法一八六条は、かかる公共の福祉の見地から、右の共有物分割の請求を制限することとし、ただ、森林経営についても私有財産制の下における営業であり、私的自治の原則が尊重されるべきものであることにかんがみ、謙抑的に、共有物分割の請求の全面的禁止を採らず、共有者の合理的配慮を期待して、いわゆる多数決原理に則り、森林経営により多く利害関係を有する持分価額の過半数以上を以てしなければ共有森林の分割請求をすることができないものとしているのである。そして、共有物分割の請求は、本来非訟的なものであるにもかかわらず、訴訟によることから自づと判断資料が限定され、森林経営に則した合理的な分割の裁判は、決して容易なものではなく、審理が長期化せざるを得ない性質のものであつて、その間における森林経営の停滞、森林の荒廃という避けるべくもないデメリットも当然予想されるであろうから、分割請求を持分価額の過半数をもつて決することとすることにより、右のデメリットをも考慮して分割請求の可否、利害得失をも含め分割請求に関する合理的、妥当な共有者間の意思決定がされることを期待しているものといえるであろう。
以上のとおり、森林法一八六条は、その立法目的において公共の福祉に適合するものであることは明らかであり、その規制内容において必要性を欠く甚だしく不合理な、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとは到底解することができないから、憲法二九条二項に違背するものとは断じ得ない。
これに対し、多数意見は、判決理由四の2の(一)において、「森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものとはいえない」から、森林法一八六条はその立法目的(森林経営の安定)とその規制内容において合理的関連性かないものとし、森林共有者(特に持分が同等で二名の共有の場合)間において共有物の管理又は変更について意見が対立した場合、森林の荒廃を招くにかかわらず、かかる事態を解決するための手段である民法二五六条一項本文の規定の適用を排除している結果、森林の荒廃を永続化させ、森林経営の安定化に資することにならず、立法目的とその手段方法との間に合理的関連性がないことが明らかであるとしている。
しかし、前記のように、森林は、その性質、機能からいつて森林経営に供されるものというべきであり、かかる森林を自らの意思により共有する者についていえば、一般的に森林の共同経営の意思を有するものという前提において立法措置のされるのが当然のことであり、森林法一八六条も亦かかる前提に立つてはじめて理解し得るものである。この点において多数意見は私の見解と根本的に異なるのであるが、多数意見の右の指摘する点についていえば、共有物の管理について過半数によつて決することができない場合に管理ができなくなることは、民法二五二条もこれを予想し、それ自体止むを得ないこととして、その場合の不都合を若干でも除去し、少なくとも共有物の現状維持を図るために、同条ただし書において保存行為を各共有者がなし得るものとしているのであつて、既存の樹木の育生に必要な行為は右保存行為に該当するから、必ずしも森林の荒廃を防ぎ得ないものではない。また、共有者間において管理又は変更について決することができない場合の森林の荒廃という事態を解決するための手段として同法二五六条一項本文の規定があるものとすること自体甚だ疑問であるし、むしろ共有森林の分割請求が森林経営を阻害し、保存行為も充分になし得ず(分割請求により自己の取得する部分が不明である以上、各共有者に保存行為を期待することは無理であろう。)、反つて森林の荒廃を招くおそれがあるのではなかろうか。共有森林の管理について共有者間の意見が一致しない場合、共有関係の継続を欲しない者がその持分を譲渡して共有関係から離脱することも必ずしも困難を強いるものではない。
次に、多数意見は、判決理由四の2の(二)において、協議による分割、持分価額の過半数による分割請求及び遺産分割を禁止しないで、ただ持分価額の二分の一以下による分割請求を禁止しているが、右の分割の許される場合に比し、分割請求の禁止される場合が森林の細分化を防止する社会的必要性が強く存すると認めるべき根拠はないし、しかも森林の安定的経営のための必要最小限度の面積をも法定せず、分割請求の制限される森林の範囲及び期間の限定もないまま、特に当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割請求を制限することは、立法目的の達成に必要な限度を超えた不必要なものであるという。さらに分割請求の場合の現物分割としても、調整的な価格賠償により分割後の管理、利用の便等を考慮して合理的な現物分割がされるし、多数共有者の一人による分割請求の場合に、請求者に持分の限度で現物を与え、その余を他の共有者の共有とする分割も許されるし、さらに代金分割のための一括競売がされるときも、いずれも共有森林の細分化をきたさないから、右の分割請求の禁止は、必要な限度を超えた不必要な規制であるという。しかし、森林法が共有者全員の協議による分割を禁止していないのは、私有財産制の尊重からかかる分割まで禁止することの適否は疑問であり、森林の共同経営を前提とする以上、分割の可否及び可とする場合の分割について共有者全員の合理的な協議を期待してのことであつて、かかる期待も立法態度として肯認されるものであろう。次に、遺産分割を禁止していないのは、遺産分割が遺産の全部を対象とするものであるのに、その一部である森林のみについて異なる扱いをすることは円滑な遺産分割を阻害するおそれがあるし、もともと森林又はその共有持分の共同相続人は自らの意思により共有関係に入つた者ではなく、森林の共同経営の意思を有するものとは必ずしもいえないからである。これらの分割を制限していないことには、右のような相当の理由があるものというべく、ただ、共有者の一人からでも何時にてもなされる分割請求は、多数の意思に反して森林経営のための円滑な施業を阻害するから、これを制限しているのである。次に、分割請求の制限される森林の範囲及び期間を限定せず、特に伐採期、計画植林の完了時期を考慮することなく無期限に分割を制限している点については、森林経営に必要な最小限度の土地の面積を法定することは、実際問題として立法技術上も困難であるし、さらに伐採、植林の時期が地区別に交互周期的に到来するのが通常であろうから、分割制限の期間及び時期の限定は、難きを強いるものではなかろうか。最後に、分割請求の制限をしなくても、合理的な現物分割がされるというが、現物の細分化の防止からのみいえば現物分割の結果がなお森林経営上合理的な規模となる場合もあり得ようが、分割の裁判が相当長期間を要することから、分割請求そのものによる森林経営のための円滑な施業の阻害は避けられないであろう。さらに代金分割については、一括競売される限りにおいては当該森林の細分化は防止できるであろうけれども、一括競売は共有物分割の止むを得ない最後の方法であり、共有森林の細分化の防止の観点から、必ずしも時価売却の実現を保し難い競売による代金分割を常に探ることができるかどうか甚だ疑問であつて、以上のような分割の方法があることをもつて、森林法一八六条の分割請求の制限が必要な限度を超えた不必要なものであると果たしていえるであろうか。
以上のように、多数意見が森林法一八六条の違憲の論拠とする点は、これを総合しても、同条が甚だしく不合理で、立法府の裁量権を逸脱したものであることが明白なものとする理由としては、到底首肯し得ないところである。
したがつて、上告人の論旨は理由がないから、本件上告は棄却すべきものと考える。
(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 伊藤正己 裁判官 牧圭次 裁判官 安岡滿彦 裁判官 角田禮次郎 裁判官 島谷六郎 裁判官 長島敦 裁判官 高島益郎 裁判官 藤島昭 裁判官 大内恒夫 裁判官 香川保一 裁判官 坂上壽夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 林藤之輔 裁判官谷口正孝は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 矢口洪一)

RQ
+判例(H6.2.8)ノンフィクション逆転
理由
上告代理人大塚喜一、同四ノ宮啓及び上告代理人木村壮、同長谷川幸雄、同佐藤博史、同虎頭昭夫、同黒田純吉、同幣原廣、同後藤昌次郎、同四ノ宮啓、同大塚喜一の各上告理由について
一 被上告人の請求は、上告人の著作に係る「逆転」と題する出版物(以下「本件著作」という。)で被上告人の実名が使用されたため、その刊行により、被上告人が後記の刑事事件につき被告人となり有罪判決を受けて服役したという前科にかかわる事実が公表され、精神的苦痛を被ったと主張して、上告人に対し、慰謝料三〇〇万円の支払を求めるものである。
二 これに対して、原審は、概要、後記1ないし3の事実関係を確定した上、要するに、本件著作が出版されたころには、被上告人は、右の事実を他人に知られないことにつき人格的利益を有し、かつ、その利益は、法的保護に値する状況にあったというべきところ、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用してその前科にかかわる事実を公表したことを正当とする理由はなく、また、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用しても違法でないと信ずることに相当な理由もないとして、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認め、本件請求を慰謝料五〇万円の支払を求める限度で認容した一審判決を正当とし、上告人の控訴を棄却した。
1 本件著作は、昭和三九年八月一六日午前三時ころ、当時アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄県宜野湾市普夫間で発生した被上告人ら四名とアメリカ合衆国軍隊に所属するA一等兵及びB伍長との喧嘩が原因となって、Aが死亡し、Bが負傷した事件につき、被上告人ら四名が、同年九月四日、アメリカ合衆国琉球列島民政府高等裁判所の起訴陪審の結果、Aに対する傷害致死及びBに対する傷害の各罪(適条は我が国の刑法二〇五条及び二〇四条による。)で起訴され、陪審評議の結果、Aに対する関係では、傷害致死の公訴事実については無罪であるが、これに含まれる傷害の公訴事実については有罪、Bに対する関係では、無罪であると答申され、同年一一月六日、Aに対する傷害の罪で、被上告人ほか二名が懲役三年の実刑判決、他の一名が懲役二年、執行猶予二年の有罪判決を受けた裁判を素材とするものである。
2 被上告人は、本件裁判で服役し、昭和四一年一〇月に仮出獄した後、沖縄でしばらく働いていたが、本件事件のこともあってうまくいかず、やがて沖縄を離れて上京し、昭和四三年一〇月から都内のバス会社に運転手として就職した。被上告人は、その後、結婚したが、会社にも、妻にも、前科を秘匿していた。本件事件及び本件裁判は、当時、沖縄では大きく新聞報道されたが、本土では新聞報道もなく、東京で生活している被上告人の周囲には、その前科にかかわる事実を知る者はいなかった。
3 上告人は、本件裁判の陪審員の一人であったが、その体験に基づき、本件著作を執筆し、本件著作は、昭和五二年八月、株式会社新潮社から刊行され、ノンフィクション作品として世上高い評価を受け、昭和五三年には大宅賞を受賞した。

三 所論は、前記の理由で上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原判決には、憲法違反、判決に影響を及ぼす法令違反、理由不備ないし理由齟齬の違法があるというので、以下、検討する。
1 ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである(最高裁昭和五二年(オ)第三二三号同五六年四月一四日第三小法廷判決・民集三五巻三号六二〇頁参照)。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。
もっとも、ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない(最高裁昭和五五年(あ)第二七三号同五六年四月一六日第一小法廷判決・刑集三五巻三号八四頁参照)。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。
そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。
要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和二八年(オ)第一二四一号同三一年七月四日大法廷判決・民集一〇巻七号七八五頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。
2 そこで、以上の見地から本件をみると、まず、本件事件及び本件裁判から本件著作が刊行されるまでに一二年余の歳月を経過しているが、その間、被上告人が社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実に照らせば、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたことは明らかであるといわなければならない。しかも、被上告人は、地元を離れて大都会の中で無名の一市民として生活していたのであって、公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない場合ではない。
所論は、本件著作は、陪審制度の長所ないし民主的な意義を訴え、当時のアメリカ合衆国の沖縄統治の実態を明らかにしようとすることを目的としたものであり、そのために本件事件ないしは本件裁判の内容を正確に記述する必要があったというが、その目的を考慮しても、本件事件の当事者である被上告人について、その実名を明らかにする必要があったとは解されない。本件著作は、陪審評議の経過を詳細に記述し、その点が特色となっているけれども、歴史的事実そのものの厳格な考究を目的としたものとはいえず、現に上告人は、本件著作において、米兵たちの事件前の行動に関する記述は周囲の人の話や証言などから推測的に創作した旨断っており、被上告人に関する記述についても、同人が法廷の被告人席に座って沖縄へ渡って来たことを後悔し、そのころの生活等を回顧している部分は、被上告人は事実でないとしている。その上、上告人自身を含む陪審員については、実名を用いることなく、すべて仮名を使用しているのであって、本件事件の当事者である被上告人については特にその実名を使用しなければ本件著作の右の目的が損なわれる、と解することはできない。
さらに、所論は、本件著作は、右の目的のほか、被上告人ら四名が無実であったことを明らかにしようとしたものであるから、本件事件ないしは本件裁判について、被上告人の実名を使用しても、その前科にかかわる事実を公表したことにはならないという。しかし、本件著作では、上告人自身を含む陪審員の評議の結果、被上告人ら四名がAに対する傷害の罪で有罪と答申された事実が明らかにされている上、被上告人の下駄やシャツに米兵の血液型と同型の血液が付着していた事実など、被上告人と事件とのかかわりを示す証拠が裁判に提出されていることが記述され、また、陪審評議において、喧嘩両成敗であるとの議論がされた旨の記述はあるが、被上告人ら四名が正当防衛として無罪であるとの主張がされた旨の記述はない。したがって、本件著作は、被上告人ら四名に対してされた陪審の答申と当初の公訴事実との間に大きな相違があり、また、言い渡された刑が陪審の答申した事実に対する量刑として重いという印象を強く与えるものではあるが、被上告人が本件事件に全く無関係であったとか、被上告人ら四名の行為が正当防衛であったとかいう意味において、その無実を訴えたものであると解することはできない。
以上を総合して考慮すれば、本件著作が刊行された当時、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたところ、本件著作において、上告人が被上告人の実名を使用して右の事実を公表したことを正当とするまでの理由はないといわなければならない。そして、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用すれば、その前科にかかわる事実を公表する結果になることは必至であって、実名使用の是非を上告人が判断し得なかったものとは解されないから、上告人は、被上告人に対する不法行為責任を免れないものというべきである。
3 以上説示したとおり、上告人の被上告人に対する不法行為責任を認めた原審の判断は、正当として是認することができ、所論は採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫)


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