労働法 労働法総論 労働関係の当事者 労働者 雇用関係上の労働者


1.雇用関係法上の労働者
(1)労基法の適用対象たる労働者

+(定義)
労働基準法第9条  
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。

・「使用」されるとは、他人の指揮命令ないし具体的指示のもとに労働を提供すること(指揮監督下の労働)を指す

・「賃金」とは、
+労働基準法第11条  
この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。

・適用除外
+(適用除外)
労働基準法第116条
1項 第1条から第11条まで、次項、第117条から第119条まで及び第121条の規定を除き、この法律は、船員法第1条第1項に規定する船員については、適用しない。
2項 この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。

・労災保険法には明文の規定はないものの、「労働者」の範囲は労基法のものと一致。

(2)労働契約の当事者たる労働者

(定義)
労働契約法第2条  
1項 この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。
2項 この法律において「使用者」とは、その使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。

・労基法上の労働者と基本的に一致!
・労働契約法では家事使用人は適用除外の対象とはされていない!

(3)労働者性の判断基準

労基法の労働者性の判断に当たって「使用従属性」という基準を用いる!
「使用従属性」=指揮監督関係+賃金支払い
契約の形式にかかわらず、客観的な就労状態に着目し、様々な要素を総合的に考慮し「使用従属性」の有無や程度を判断している!
その判断要素
仕事の依頼、業務の指示等に対する拒否の自由の有無
業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無
勤務場所・時間についての指定・管理の有無
④労務提供の代替性の有無
⑤報酬の労務対称性
⑥事業者性の有無(機械や機器の負担関係、報酬の額など)
⑦専属制の程度
⑧公租公課の負担(源泉徴収や社会保険料の控除の有無)

+判例(H8.11.28)横浜南労基署長(旭紙業)事件
理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由第一について
所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

その余の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。
原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人は、自己の所有するトラックを旭紙業株式会社の横浜工場に持ち込み、同社の運送係の指示に従い、同社の製品の運送業務に従事していた者であるが、(1) 同社の上告人に対する業務の遂行に関する指示は、原則として、運送物品、運送先及び納入時刻に限られ、運転経路、出発時刻、運転方法等には及ばず、また、一回の運送業務を終えて次の運送業務の指示があるまでは、運送以外の別の仕事が指示されるということはなかった、(2) 勤務時間については、同社の一般の従業員のように始業時刻及び終業時刻が定められていたわけではなく、当日の運送業務を終えた後は、翌日の最初の運送業務の指示を受け、その荷積みを終えたならば帰宅することができ、翌日は出社することなく、直接最初の運送先に対する運送業務を行うこととされていた、(3) 報酬は、トラックの積載可能量と運送距離によって定まる運賃表により出来高が支払われていた、(4) 上告人の所有するトラックの購入代金はもとより、ガソリン代、修理費、運送の際の高速道路料金等も、すべて上告人が負担していた、(5) 上告人に対する報酬の支払に当たっては、所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除はされておらず、上告人は、右報酬を事業所得として確定申告をしたというのである。
右事実関係の下においては、上告人は、業務用機材であるトラックを所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していたものである上、旭紙業は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示をしていた以外には、上告人の業務の遂行に関し、特段の指揮監督を行っていたとはいえず時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、上告人が旭紙業の指揮監督の下で労務を提供していたと評価するには足りないものといわざるを得ない。そして、報酬の支払方法、公租公課の負担等についてみても、上告人が労働基準法上の労働者に該当すると解するのを相当とする事情はない。そうであれば、上告人は、専属的に旭紙業の製品の運送業務に携わっており、同社の運送係の指示を拒否する自由はなかったこと、毎日の始業時刻及び終業時刻は、右運送係の指示内容のいかんによって事実上決定されることになること、右運賃表に定められた運賃は、トラック協会が定める運賃表による運送料よりも一割五分低い額とされていたことなど原審が適法に確定したその余の事実関係を考慮しても、上告人は、労働基準法上の労働者ということはできず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。この点に関する原審の判断は、その結論において是認することができる。
論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、原判決の結論に影響しない説示部分を論難するに帰し、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

++上告理由
上告代理人荒井新二、同森和雄、同鮎京眞知子、同横松昌典の上告理由
原審判決には、以下論じるように多くの誤りがあり、直ちに破棄されるべきである。
第一 原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決の破棄を求める。
一、労基法上の労働者と労災保険法上の労働者
1、労災保険法は、労基法上の使用者の災害補償責任を前提として、その迅速確実な実施を確保するために、昭和二二年(一九四七年)労基法と同時に制定された。労基法は、その八四条第一項で同一の事由に基づいて労災保険法により労基法の災害補償に相当する保険給付が行われる場合、使用者はその限度において補償の責任を免れることを明らかにしている。
制定当時、労災保険法は、このように零細事業を除く災害率の比較的高い事業を強制適用事業とし、国が保険者となって労基法の災害補償と同一内容の保険給付を行う責任保険的役割を担うものとしてスタートした。
2、しかし、戦後しばらくして始まったわが国の高度経済成長にともない産業社会の複雑化と多元化は急速に進展し、これを背景として労働力を提供する側(働く側)の労働形態・業務形態も複雑化かつ多様化を余儀なくされるようになった。このような事態は、働く側が求めてのものではなく、使用者側がその利潤の増大を図る目的で働く側に強いる形により現実化してきたものであった。上告人のような車持ち込み運転手もこのような過程で生まれてきた労働形態の一つである。
また、高度経済成長・産業社会が進む一方、この進展を支える働く側に数多くの、かつ、新しい形の労働災害が発生し、これを単にこれまでの労基法の規定の適用だけでは十分に補償出来ない事態が発生するようにもなってきた。労基法の規定の適用だけでは、保護しえない働く人々が現実に現れてきた。すなわち、労災保険法がその制定に当たってその目的としていた労基法の災害補償に対応することに限定された責任保険的役割だけでは、労災保険法が社会の進展に応えることが出来なくなったのである。
3、こうして労災保険法は、働く側の保護を全面に押し出す形で、労基法とは別に、制定後一三年ほどした昭和三五年(一九六〇年)以降、労基法の改正を伴うことなしに数度の改正を独自に行ってきた。具体的には、当初零細事業を除く形で適用されていた労災保険法が全ての事業に強制適用されるようになった他、次のような労基法にはない制度が労災保険法に導入されてきた。
(一) 給付の年金化
労基法上の障害補償は、一時金とされている。これに対して、労災保険法では、障害等級表に定める障害等級に応じて年金または一時金が支給されることになっている(同法一五条)。すなわち、障害等級表の一級から七級までの重い障害については年金が、それよりも程度の比較的軽い障害については一時金がそれぞれ支給されることになっている。
また、労基法の遺族補償は、一時金とされているが、労災保険法では年金と一時金の二種類が定められ(同法一六条)、一時金は年金の受給資格がないときに支給されるとされていることから、労災保険法では年金による支給が原則とされるようになった。
(二) 通勤途上災害に対する保険給付の実施
労基法上、通勤途上の災害は保護されるべき災害ではないとされている。しかし、都市生活の過密化やモータリゼーションの進展・通勤距離の拡大などのため、通勤途上災害は増加の一途をたどり、働く者の生活に深刻な影響を及ぼすようになった。そこで、働く者を保護する見地から、昭和四八年(一九七三年)労災保険法が改正され、同法の中に通勤災害に対する給付制度がもうけられ、業務上災害に準じた保険給付が行われることになった。
このようなことに加え、自営業者や家族従業者などの労基法非適用者の特別加入制度の新設もあり、労災保険法における労基法に対応する責任保険的役割の後退が顕著になり、労災保険法の労基法からの独立化が著しくなった。
4、ところで、労働者という概念を同じく用いている労基法と労災保険法であるが、この両者における労働者の意味するところが同一である必要は必ずしもない。むしろ、それぞれの法の目的を考え、その目的に応じた概念を与えることが必要であり、そのように概念を構築することがそれぞれの法を生かすことにも通じるのである。この点、労組法三条の労働者と労基法九条の労働者とは異なる意味を有しているが、このことは当然なことなのである。
さて、労基法は、働く者を保護することを前提としつつ、個々の働く者とその使用者との権利義務関係を規制する法律である。したがって、労基法の労働者概念を考えるに当たっては、常に働く者と使用者との対立の構図を前提にすることになる。就業規則を考えるに当たっても、賃金を考えるに当たっても、労働時間を考えるに当たっても、これは妥当する。労基法九条は、「この法律で労働者とは、職業の種類を問わず、前条の事業または事務所(以下、事業という)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と規定し、使用する者・使用される者、賃金を支払う者、賃金を支払われる者という対立構造を前提に概念を定めている。
一方これに対し、労災保険法は、働く者の災害補償について使用者の過失を要件としていないことから使用者との対立構造を考える必要はない。また、前記したように、労災保険法は姿を変えつつあり、現在ではいわゆる生存権原理に立脚した働く者の生活補償制度として機能しており、かつ制度化が進められている。このような両者間に存する違いを考えるならば、法令適用の中心概念である労働者概念の意味を考えるに当たって、労基法の労働者概念の意味をそのまま当然に適用することはむしろ誤りというべきことになる。
5、このような考えは、上告人の独自のものではなく、昭和六三年(一九八八年)に公表された労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会においても、労基法と労災保険法とは給付の体系及び水準において大きな開きが生じていること、労災に対する必要かつ十分な補償は使用者の集団による保険システムを用いるしかなく労基法が前提としている個別使用者の補償責任では対応しきれなくなっていることなどを挙げて、労基法と労災保険法との関係の根本的再検討の必要性を提言しているが、このことからもうかがえるように、社会の進展に即した必然的な潮流になっている。
二、本件における適用
1、以上のように労災保険法を生存権原理に立脚した働く者の生活保障制度と考えるならば、そこで保護の対象となるべき者(労災保険法で「労働者」とされる者)は、特定の使用者に労働力を提供し、その提供によって生活を支える必要資金を得ている個人ないしはこれと同視し得るもの(例えば、法人組織を取っていても法人格が否認できる場合など)を意味することになる。もちろん、労働という概念自体、「従属性」はその基本的なメルクマールとなる。使用者とは独立した社会的存在となって、自己の責任と計算において収入をあげ、生存している者は「従属性」という労働の基本的属性を欠き、もはや労災保険法においても労働者と見られることはなく、保護の対象とはならない。
2、原審判決は、本件において「この就労形態は、労基法上の労働者のそれとみることは困難であるから、旭紙業の車持ち込み運転手である被控訴人(上告人)は、労基法上の労働者とはいえず、したがって、労災保険法上の労働者とはいえないことになる。本件のような災害について、それを救済する必要があることを否定するものではないが、それを労災保険法によりこれを求めることは、解釈論としては無理であるといわざるを得ないのである」(原審判決二五頁)という。労災保険法の適用に当たって、あくまで労基法の労働者概念に頼ろうとしているため、労災保険法の依って立つ生活保障制度としての機能を理解しようとしないのである。労災保険法が昭和二二年(一九四七年)の制定以来、幾度となく改正を加え、労働者保護法として生存権の拡大につとめてきたのは明かである。そうした流れの中にあっては、労働者概念の内容も変化し、今や労基法を離れて生存権原理を取り入れた前記のような労働者概念の解釈を行うのは十分に可能であり、かつ、必要なことである。
上告人(原告)の労働者性を肯定した一審判決も、労働者性を否定した原審判決も、いずれも上告人の労働の従属性を認めているのは明かである。結論を分けたのは、実質的には労災保険法の労働者を考えるに当たり、労災保険法の生活保障機能を重視する立場に立ったか否かである。原審判決の解釈・判断は、上告人の労働者性を労基法の定める労働者概念そのものから判断し、否定の結論を導きだしたものであり、これまで築かれてきた労災保険法の生活保障機能からみた解釈を理解しないものであり、誤りである。
本件において、上告人は、旭紙業を唯一の労働の場とし、かつ、そこからの収入を唯一の生活の糧としてきた。そして、社会的存在という点からみても、旭紙業の一員としてしか見ることの出来ない者である。そのような者が旭紙業の業務を行うに当たり、労働災害にあい、収入の道が閉ざされたのである。上告人が労災保険法で保護されるべき労働者に含まれるのは当然であり、それが正しい労災保険法の適用である。
三、以上の通りであるから、原審判決における労災保険法の労働者概念の解釈適用は誤りであり、かつ、このことが判決に影響を及ぼすのは明らかであるから、原審判決は直ちに破棄されるべきである。
第二 仮に、労災保険法の労働者が労基法の労働者と同一であると解するとしても、上告人を「労基法上の労働者とはいえず、したがって労災法上の労働者とはいえない」とした原審判決の判断には、以下のとおり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるから、直ちに破棄されるべきである。
一、自己の地位に関する車持ち込み運転手の主観的認識を、労働者性の存否を決する場合の判断基準として採用したことの違法
1、原審判決は、労基法上の労働者とは、「使用者の指揮監督の下に労務を提供し、使用者から労務に対する対価として報酬が支払われる者であって、一般に使用従属性を有する者あるいは使用従属関係にあるものと呼称されている」と説示している。そして、この使用従属性判断の存否は、業務従事の指示に対する諾否の自由、業務内容及び遂行方法についての具体的指示、勤務場所及び勤務時間の指定、代替性、報酬の労務対価性、高価な業務用器材の所有と危険負担、専属性、給与所得としての源泉徴収、労働保険、厚生年金、健康保険の適用対象となっているか否か、など「諸般の事情を総合考慮して判断されなくてはならない」とする(原審判決七、八頁)。
ところで、原審判決は、その「理由」の四の7の七行目以降で、本件において源泉徴収、労働保険、社会保険の適用を除外するシステムがとられていた点を取り上げ、このようなシステムは車持ち込み運転手が敢えて求めたものであると認定している。すなわち、
「車持ち込み運転手の側でも、将来の退職金がなく、現在の福利厚生に欠けることがあっても、少しでも多額の報酬を得ようとして敢えて従業員でない地位にあることを望み、旭紙業と運送請負契約を結んだということがあることも否定できず、このような形で働いて、社会保険(健康保険、厚生年金保険)、労働保険(雇用保険)の保険料を負担せず(国民健康保険の保険料、国民年金の掛金を負担し、場合によっては一般の生命保険に加入した)、また、報酬からこれを給与所得として源泉徴収所得税を控除されることを避けることにも利益をもとめていたものといえる。」
という認定である。そして、原審判決は二二頁で、右認定事実を根拠に、本件車持ち込み運転手には「自らも従業員ではないとの認識」があったものと推認し、運転手にこのような主観的認識があるということは、「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面」であると評価して、上告人につき「労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。」との結論を導き出している。
2、そもそも原審判決のように、本件において車持ち込み運転手に、社会保険等の適用を敢えて避け利益を得たいという積極的意図があったものと認定すること自体、相当ではない。旭紙業に、社会保険等を適用される運転手とそうでない運転手があり、車持ち込み運転者たちがそれでも社会保険等の適用を避けたというのであれば原審判決の指摘にも理由があるが、旭紙業には、会社設立当初から社会保険等の適用を受けられる運転手がいたことはなく、運転手として旭紙業において働こうとする以上、社会保険等の適用は受けられない状態にあったのである。車持ち込み運転手に社会保険等の適用について「選択の余地」は、全くなかったのである。
ところで、その点はおくとしても、上告人がここで指摘したい点は、原審判決が右の認定事実(車持ち込み運転手に、社会保険等の適用をあえて避行利益を得たいという積極的意図があったという事実認定)から「運転手側には自らも従業員ではないとの認識があった」ものと推認し、このような自らの地位に関する当事者の主観的認識を、労働者性の存否を決めるにあたっての判断基準として採用したという判断手法の点である。
上告人は、第一審段階から一貫して、当事者の認識は労働者性判断の基準とはならない、と主張してきた。本件一審判決でも、本件と類似した新潟地裁判決でも、労働者性の判断において、当事者の意思をことさら問題にしていない。これは、当該運転手の労働の実態が会社の「使用従属関係」の下における労働力の提供と評価されるかどうかという問題は、客観的な法律判断の範疇に属するものであって、この判断を、運転手自身が自らの地位についてどのような認識をもっているかといった主観的事情に委ねるべきではないからである。また、公正な労災給付を全国画一的になしていく上でも、同一の条件下に働いている者が、本人の主観的意思次第で、労働者となったり、ならなかったりするような不安定な取扱いは、できるだけ避けることが必要であり、そのためには、個別具体的な判断基準もできるだけ客観的なものにしておくことが必要だからである。
もっとも乙第三一号証には、社会保険、労働保険、源泉徴収などの適用がなされている場合に、この事実から、「使用者」がその者を自らの労働者として認識しているものと推認して、労働者性を「肯定する」判断の補強事由とした、過去の例が紹介されている。しかし、その趣旨は、上述の社会保険等の適用が、通常の正式な雇用契約において、ごく一般的に見られる法的な雇用システムの典型的要素をなすものであることから、使用者側がこのような社会保険等の制度を積極的に採用している場合は、雇用契約の形式をとっていなくても、使用者側としては雇用関係を設定する意思があったものと推認するのが自然であり、それが労働性を肯定する判断の補強事由になる、ということを補足的に指摘しているにすぎないのである。つまり、社会保険等の適用の有無は、このような側面でのみ、限定的に(使用者側の雇用意思を肯定する場合の補強事由として)考慮されることがあるにすぎないのであって、乙第三一号証も過去の判例も、このような保険適用の有無から一般的に当事者の認識を推認し、これを労働者性判定の独立した基準として機能させているわけではないのである。
ところが、原審判決の立場は、具体的就労形態において社会保険等の制度が採用されているかどうかという点から直ちに、当事者、特に車持ち込み運転手側の「労働者としての認識」の有無を強引に推認し、その上でかような主観的事情の有無を根拠に、本来客観的であるべき「労働者性」の判定をしようとするものであるから、法理論としての誤りは明らかである。そして、本件車持ち込み運転手につき、労働者性を否定した原審判決の判断は、かような違法な判断基準に従ってなされたものであるから、この違法性が判決に影響を与えることは明らかである。
二、原審判決が採用する「労働者と事業主の中間形態」に関する判断方法の違法
1、原審判決は、二二頁において、「業務に就いている者を、労基法上の労働者であるか、そうでないかという区分をすることが相当に困難な事例」に対しては、「できるだけ当事者の意図を尊重する方向で判断するのが相当である」とする。
確かに、原審判決が二二頁七行目以下で述べるとおり、産業構造、就業構造の変化等に従い、就業形態、雇用形態が複雑多様化しており、労働者的側面と、請負的側面を同時に持つ就労形態が現れてきている点は、社会現象として否定できないところであろう。しかし、特定の就労形態におけるこのような二面性は、社会的実態としての二面性であって、このような就労形態の実態を認識することと、このような就労形態の下で働いている就業者の事故について労災保険法を適用して救済すべきかどうかという判断とは別問題である。即ち、労災保険法の適用の可否の判断は、あくまでも法的な価値判断であるから、その判断において採用されるべき基本的メルクマールは、あくまで、当該就労関係の本質的、客観的な側面において「使用従属関係」が認められるかどうか、それが労災保険法の立法趣旨に照らして同法による救済を必要とする程度のものであるかどうか、という客観的な考察であるべきである。そして、このような客観的考察において「使用従属性」が認められる場合には、例え就労実態に請負的要素が混在していたとしても、労災保険法による救済を行うのが法の趣旨であって、このような場合に、当事者間で労災保険法の適用を排除する合意をしていたからといって、労災保険法による救済を否定するのは、公平ではない。
2、ところが、原審判決は、請負的要素の混在している「中間形態」の事例では、労災保険法等の適用の有無を、基本的に「当事者の意図」という主観的要素に従って判断すべしとするのである。つまり、原審判決の論理によれば、当該就労形態が「典型的な雇用関係」であれば、社会保険、労働保険等の適用は法律上当然要請されるところであるが、ひとたび「典型的な雇用関係」にあたらないと認定された場合には、それらの法制度の適用いかんは、もっぱら、「当事者の意図」という主観的事情によって決定されることになり、前述したような客観的な法的価値判断の余地はなくなるのである。しかし、このような考え方は、現実の労働実態に照らし、労働者の生存権的社会権を保証するために不可欠な制度として立法が認められるに至った労働保険、社会保険等の制度趣旨を忘れた、極めて安易な自由契約論というほかない。また、この考え方は、「当事者の意図尊重」という名目のもとに、裁判所としてなすべき法的判断の義務を放棄する方向につながるものであり、その結果として、現実の就労関係における経済的力量の優劣がそのまま反映した判決を安易に導く危険があり、かような考え方を裁判規範として採用することは到底認められない。現に、原審判決は、この論理に従って、雇主側にとっての強制的加入制度である労災保険についてさえ、本件のように「典型的な雇用関係」でない場合には、これを適用しないという「当事者の意図」がある限り、排除できるとしているのである。しかし、労災保険の保険料は全額雇主負担で、労働者側の負担はなく、労働者としては、この保険加入につき、これを希望しない理由は全くないはずである。つまり労災保険加入を排除することは、保険料支払いの回避という意味で、もっぱら雇主側の利益でしかない。従って、当事者間に「適用排除の合意」なるものがあっても、労働者にとっては、これは経済的地位の劣性から強制された外見上のものにすぎないというべきであって、かような「合意」を根拠に労災保険の適用排除の結論を導くことは、かかる意味においても、不合理である。
3、このように、本件において、原審判決は、本件就労形態を「労働者と事業主の中間形態」とした上で、かかる場合には当事者の意図に従うべしとする誤った法解釈論に従って、労災保険法による救済を拒否したのであるから、この法的判断の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
第三 判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の違法〈省略〉
第四 原審判決の理由齟齬
一、報酬の性格
1、原審判決一七頁二行目以下は、(報酬は)「生活給的な面や時間給的な面はなかった」とするが、一方で、同頁七行目以下は、(旭紙業としては)「できるだけ平均的に運送業務の配分をし、報酬額も、毎月それほど大きな差異はなく、」とし、二一頁七行目以下も「報酬も業務の履行に対し払われ、毎月さほど大きな差のない額が支払われ(て)いたことなどから、労働者としての側面を有するといえる」として、「労働者」に対する「生活給的な面」があったこと、を明確に肯定しており、矛盾している。
2、原審判決は、右の「生活給的な面や時間給的な面はなかった」との認定を根拠に「報酬も出来高払いであって」とし、やはり「いわゆる専属的下請業者に近いとみられる側面があることも否定できないのであって、労基法上の典型的な労働者と異なることは明らかである。要するに、車持ち込み運転手は、これを率直にみる限り、労働者と事業主との中間形態にあると認めざるを得ないのである。」という結論を導き出している。この報酬に関する認定の矛盾が、判決の結論に影響を及ぼすことは明白である。
二、就労形態の利益
1、原審判決二四頁九行目以下は、(このような就労形態は)「少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえない」としているが、原審判決のどこを見ても「双方に利益」の一方、すなわち、運転手の側の利益は述べられていない。二三頁以下の記述では、「旭紙業の車持ち込み運転手は、……運送に必要な経費(ガソリン代、車両修理代、高速道路料金等)及び事故の場合の損害賠償責任を負担するものとし、」とあるが、これらは運転手にとってはむしろ不利益な事項である。また、「旭紙業の従業員とされていないために、その就業規則は適用されないし、福利厚生の措置も取られず、通常の労働者であれば被保険者とされる、労災保険、雇用保険といった労働保険、健康保険、厚生年金保険といった社会保険の被保険者とされず(国民健康保険、国民年金の被保険者とされる)」とも述べているが、これらも、運転手にとっては利益どころか不利益な事項にほかならない。
また、続いて「労働者であればその賃金から源泉徴収される、源泉徴収所得税を控除されないのであるが(報酬については、事業所得として確定申告をして納税する)」と述べており、この点があたかも労働者の利益のようにとらえているようであるが、これも所得税がどのように徴収されるかという形態の違いに過ぎず、脱税や過少申告などの事実を前提としない限り(しかも旭紙業が外注費として税務申告しているはずであるから、税務署に基本的に捕捉可能であり、そのような不正を運転手が行える現実的可能性は無い)、運転手にとってなんら利益ではない。
ところが、原審判決は、その次に「旭紙業の側でも、報酬以外の労働費用やトラックを所有したときの経費等が節約されるといったことから、」と述べており、この点は旭紙業にとっては大きな利益といえるが、労働者にとっては何の利益ではない。「旭紙業の側でも」ではなく「旭紙業の側では」とすべきである。しかも、その結果旭紙業が「報酬も従業員としての運転手を雇用した場合の給与よりは多額を支払うことができる事情にあった」とする。ところが一八頁六行以下は、「車持ち込み運転手の右報酬は、ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえなかった」としている。ということは、旭紙業は、もっと多額の報酬を「支払うことができる事情にあった」のに、現実に支払われたものは、「ほぼ同年令の旭紙業の一般従業員の社会保険、労働保険の保険料や源泉徴収所得税を控除前の給与額と較べて必ずしも高いとはいえな」いものしか支払っていなかったのであり、旭紙業のみに一方的に利益をもたらす形態だったことになる。
2、結局、原審判決が二四頁九行目で「巨視的にはともかくその時点では少なくとも双方に利益があると考えられており、旭紙業の側のみに利益があるとはいえないし、」と結論づけているのは何ら証拠に基づかず、自らの事実認定とも矛盾している。認定された事実からは、明らかに旭紙業側のみに利益があることになる。
また、そうである以上、このような労働の形態が「当事者双方の真意、殊に車持ち込み運転手の側の真意にそうものである」という根拠は消滅している。つまり、むしろもっぱら旭紙業の雇用政策上の意図にそうものであっただけである。
原審判決は、「裁判所としては、そのまま一つの就労形態として認めることとするのが相当と」し、かつ、そこで発生した事故の結果は、働く側が負担するべきである(労災保険法の保護は与えない)とする。しかし、このような労働の形態がもっぱら会社側の雇用政策上の意図から発生したものである以上、発生した事故の負担を働く側にのみ負担させることはもはや許されないものと言わざるを得ない。
原審判決は誤りである。直ちに破棄されるべきである。

・解説
《解  説》
一 Xは、自己所有トラックを持ち込んで、特定の会社の指示に従って製品等の運送業務に従事する車の持込み運転手(傭車運転手)であるが、トラックに運送品を積み込む作業をしていたところ、足を滑らせて転倒し、第五頚椎脱臼骨折、右気胸、頭部外傷等の傷害を負った。そこで、Xは、Yに対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)所定の療養補償給付及び休業補償給付の支給を請求をしたが、YがXは労災保険法上の労働者に当たらないことを理由に右各給付をしない旨の処分をしたため、その取消しを求めて本訴を提起した。本件の唯一の争点は、傭車運転手であるXの労働者性の点にある。

二 一般に、労災保険法上の労働者概念は労働基準法(以下「労基法」という。)上の労働者概念と一致すると解されているところ、労基法九条は、労働者とは、同法八条の事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいうと定めている。右規定の定めるところによれば、労働者性の有無は、(1)「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と(2)「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断されることになるとするのが下級審判例、学説の一致するところであり、この二つの基準をもって「使用従属性」と呼称することが多い。
「使用従属性」の有無を基準とする労働者性の判断は、具体的な労務の提供形態、報酬の労務対償性及びこれらに関連する諸要素を総合的に考慮して行っていくことになるが、これまでの下級審判例、行政解釈にかんがみ、これらの諸要素の位置付けと評価の仕方を整理したものとして、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会の昭和六〇年一二月一九日付報告書(労判四六五号六九頁参照)が参考になると思われる。右報告書が労働基準法上の労働者性の判断基準について述べるところによれば、(1) 「指揮監督下の労働」に当たるか否かの具体的判断要素として、① 具体的仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無、② 業務遂行上の指揮監督の有無、③ 勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されているかどうかという拘束性の有無の三点が挙げられており、そのほか、指揮監督関係を補強する要素として、④ 本人に代わって他の者が労務を提供することが認められているかという代替性の有無が挙げられている。(2) 「報酬の労務対償性」の点は、使用従属関係の判断の補強基準として位置付けられており、そのほか、(3) 「労働者性」が問題となる限界的事例において、その判断を補強する要素として① 事業者性の有無、② 専属性の程度、③ その他、選考過程(一般従業員の選考方法との異同)、源泉徴収の有無、社会保険料の負担の有無、服務規律の適用の有無等の諸要素が挙げられている

三 傭車運転手は、その労働者性がしばしば争われる就労形態であって、下級審の裁判例も多く(傭車運転手の労働者性を肯定したものとして、① 富山地判昭49・2・22判時七三七号九九頁、② 金沢地判昭62・11・27判時一二六八号一四三頁、③ 大阪地決昭63・2・17労判五一三号二三頁、④ 大阪地決平2・5・8本誌七四四号一〇八頁、⑤ 大阪高決平4・12・21本誌八二二号二七三頁、⑥ 新潟地判平4・12・22本誌八二〇号二〇五頁があり、労働者性を否定したものとして、⑦ 大阪地判昭59・6・29労判四三四号三〇頁、⑧ 名古屋高金沢支判昭61・7・28労民三七巻四、五号三二八頁がある。)、前記報告書においても、その就労形態に即した労働者性の判断基準が具体的に述べられているところである。
本判決は、これまでの下級審裁判例や右報告書に指摘されたところを踏まえて、Xの労働者性を否定する判断を示したものであるが、その説示するところによると、本判決は、(1) Xがトラックという事業用の資産を所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していた点一定の事業者性を有することを前提として、右事業者性を減殺して、その労働者性を積極的に肯定させるような事情があるかどうかという観点から本件の検討を進め、(2) Xに製品の運送をさせていた会社の指示は、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示にとどまり、それ以外には業務の遂行に関し特段の指揮監督を行っておらず、時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、その間に指揮監督関係を肯定し得るような事情がないこと、(3) 報酬がトラックの積載可能量と運送距離によって算出される出来高払いであること報酬の支払に当たって所得税の源泉徴収並びに社会保険及び雇用保険の保険料の控除がされていないなどの公租公課の負担関係からみても、Xの労働者性を肯定するに足りる事情はないこと、(4) Xが専属的に右会社の製品の運送業務に携わっており、その運送係の指示を拒否することができなかったことや報酬がトラック協会が定める運賃表による運送料より低額であったなどの事情だけでは、労働者性を肯定させるに足りないことから、Xの労働者性を否定する判断を示したものである。本判決は、事例判断であるとはいえ、傭車運転手の労働者性に関する初めての最高裁の判断であり、その判断の過程で示された諸要素とこれに対する評価は、今後のこの種事案の判断の参考になるところが大きいものと考えられる。

四 傭車運転手については、運送依頼者側では労働保険料の納付をしていないのが通例であり(これによる経費節減が傭車運転手という就労形態を採る運送依頼者側のメリットの一つでもある。)、このため、業務に起因する事故が生じてから、傭車運転手の労働者性が争われることになるケースが多い。傭車運転手は、労働者性の認められない場合であっても、労災保険法二七条三号所定のいわゆる一人親方として特別加入の申請を行い、自ら保険料を納付することによって、業務に起因する事故に対する保険給付を受けるみちが開かれているのであり、本判決の説示するところが今後の特別加入の制度の適切な活用につながるものと推測される。he–

+判例(H19.6.28)藤沢労基署長(大工負傷)事件
理由
上告代理人古川景一ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について
1 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり、株式会社A(以下「A」という。)等の受注したマンションの建築工事についてB株式会社(以下「B」という。)が請け負っていた内装工事に従事していた際に負傷するという災害(以下「本件災害」という。)に遭った。
(2) 上告人は、Bからの求めに応じて上記工事に従事していたものであるが、仕事の内容について、仕上がりの画一性、均質性が求められることから、Bから寸法、仕様等につきある程度細かな指示を受けていたものの、具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく、自分の判断で工法や作業手順を選択することができた
(3) 上告人は、作業の安全確保や近隣住民に対する騒音、振動等への配慮から所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの、事前にBの現場監督に連絡すれば、工期に遅れない限り、仕事を休んだり、所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であった。
(4) 上告人は、当時、B以外の仕事をしていなかったが、これは、Bが、上告人を引きとどめておくために、優先的に実入りの良い仕事を回し、仕事がとぎれないようにするなど配慮し、上告人自身も、Bの下で長期にわたり仕事をすることを希望して、内容に多少不満があってもその仕事を受けるようにしていたことによるものであって、Bは、上告人に対し、他の工務店等の仕事をすることを禁じていたわけではなかった。また、上告人がBの仕事を始めてから本件災害までに、約8か月しか経過していなかった
(5) Bと上告人との報酬の取決めは、完全な出来高払の方式が中心とされ、日当を支払う方式は、出来高払の方式による仕事がないときに数日単位の仕事をするような場合に用いられていた。前記工事における出来高払の方式による報酬について、上告人ら内装大工はBから提示された報酬の単価につき協議し、その額に同意した者が工事に従事することとなっていた。上告人は、いずれの方式の場合も、請求書によって報酬の請求をしていた。上告人の報酬は、Bの従業員の給与よりも相当高額であった。
(6) 上告人は、一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し、これらを現場に持ち込んで使用しており、上告人がBの所有する工具を借りて使用していたのは、当該工事においてのみ使用する特殊な工具が必要な場合に限られていた
(7) 上告人は、Bの就業規則及びそれに基づく年次有給休暇や退職金制度の適用を受けず、また、上告人は、国民健康保険組合の被保険者となっており、Bを事業主とする労働保険や社会保険の被保険者となっておらず、さらに、Bは、上告人の報酬について給与所得に係る給与等として所得税の源泉徴収をする取扱いをしていなかった
(8) 上告人は、Bの依頼により、職長会議に出席してその決定事項や連絡事項を他の大工に伝達するなどの職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたが、上記業務は、Bの現場監督が不在の場合の代理として、Bから上告人ら大工に対する指示を取り次いで調整を行うことを主な内容とするものであり、大工仲間の取りまとめ役や未熟な大工への指導を行うという役割を期待して上告人に依頼されたものであった。

2 以上によれば、上告人は、前記工事に従事するに当たり、Aはもとより、Bの指揮監督の下に労務を提供していたものと評価することはできず、Bから上告人に支払われた報酬は、仕事の完成に対して支払われたものであって、労務の提供の対価として支払われたものとみることは困難であり、上告人の自己使用の道具の持込み使用状況、Bに対する専属性の程度等に照らしても、上告人は労働基準法上の労働者に該当せず、労働者災害補償保険法上の労働者にも該当しないものというべきである。上告人が職長の業務を行い、職長手当の支払を別途受けることとされていたことその他所論の指摘する事実を考慮しても、上記の判断が左右されるものではない。
以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 本件は,大工であるXが,マンションの内装工事に従事していた際に,丸のこぎりの刃に右手指が触れ,右手中指,環指及び小指切断の傷害を負うという災害(以下「本件災害」という。)に遭ったことにつき,業務に起因するものであるとして,労働基準監督署長Yに対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき療養補償給付及び休業補償給付の申請をしたところ,Yから,労災保険法上の労働者でないという理由により不支給処分を受けたため,その取消しを求めた事案である。
Xは,作業場を持たずに1人で工務店の大工仕事に従事するという形態で稼働していた大工であり,本件災害の当時,大手工務店等の受注したマンションの建設工事について特定の会社が請け負っていた内装工事に従事しており,同社以外の仕事はしていなかった。
第1審判決(判タ1179号240頁,労判876号41頁),原審(公刊物未登載)とも,労災保険法にいう労働者の概念は労働基準法のそれと同義であるとした上で,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当せず,前記不支給処分に違法はないとして,Xの請求を棄却すべきものとした。
本判決は,第1審判決及び原判決と同様に,Xが労働基準法及び労災保険法上の労働者に該当しないとして,Xの上告を棄却したものである。

2 労災保険法における「労働者」の意義は,労働基準法における「労働者」と同義であるとされるところ(菅野和夫『労働法〔第7版補正2版〕』332頁等。最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁,本判決等もこのことを前提とするものと解される。),同法9条は,同法にいう労働者について,職業の種類を問わず,同法8条の事業又は事務所に使用される者で,賃金を支払われる者をいうものと定めている。そして,同法にいう労働者に該当するというためには,「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と,「賃金の支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断すべきものと解されており,これらの二つの基準は,「使用従属性」とも呼ばれている。労働者性の有無に関する判例(傭車運転手の労働者性を否定した前掲最一小判平8.11.28等)も,上記のような解釈を前提としているものと解される。
この使用従属性の有無については,これまでの裁判例等における判断基準を整理し,分析したものとして,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会(第一部会)の昭和60年12月19日付け報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労判465号70頁参照。以下「労基研報告」という。)があり,判断の参考になるものと思われる。労基研報告は,労働者性の判断基準について,(1)「使用従属性」に関する判断基準と,(2)「労働者性」の判断を補強する要素とに大別し,(1)の「使用従属性」に関する判断基準として,①「指揮監督下の労働」に関する判断基準(具体的には,仕事の依頼,業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,拘束性の有無が挙げられ,このほか,指揮監督関係の判断を補強する要素として,代替性の有無が挙げられている。),②報酬の労務対償性に関する判断基準を挙げており,また,(2)の「労働者性」の判断を補強する要素として,事業者性の有無(具体的には,機械,器具の負担関係,報酬の額等),専属性の程度等を挙げている。
ところで,建設業等においては,1人又は数人単位の下請業者が特定企業と専属下請関係をもって実際上はその従業員と同様の役割を演ずることがあり,その労働者性が問題となることがある(菅野・前掲85頁。建設業等に従事する者の労働者性を肯定した裁判例として,東京地判平6.2.25労判656号84頁等があり,否定した裁判例として,大阪地判昭49.9.6訟月20巻12号84頁,高松地判昭57.1.21労判381号45頁,横浜地判平7.7.20労判698号73頁,浦和地判平10.3.30訟月45巻3号503頁,東京地判平16.7.15労判880号100頁等がある。)。この点に関しては,平成8年3月に発表された,労働基準法研究会労働契約等法制部会労働者性検討専門部会報告「建設業手間請け従事者及び芸能関係者に関する労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労旬1381号56頁参照。以下「専門部会報告」という。)が,労働者性の問題となる事例が多く見られる建設業手間請け従事者(手間請けとは,工事の種類,坪単価,工事面積等により総労働量及び総報酬額の予定額が決められ,労務提供者に対して,労務提供の対価として,労務提供の実績に応じた割合で報酬を支払うという建設業における労務提供方式をいうものとされる。)等につき,労基研報告による労働者性の判断基準をより具体化した判断基準の在り方について検討しており,参考になるものと思われる。近時の裁判例には,専門部会報告の判断基準を踏まえて大工の労働者性の有無を判断したものもあり(前掲浦和地判平10.3.30),本件の第1審判決,原判決も,Xの労働者性について,労基研報告及び専門部会報告の判断枠組みを基本にした判断をしている。
3 本判決は,①Xは,仕事の内容について,仕上がりの画一性,均質性が求められることから,当該内装工事を請負っていた特定の会社から寸法,仕様等についてある程度細かな指示を受けていたものの,具体的な工法や作業手順の指定を受けることはなく,自分の判断でこれらを選択することができたこと,②Xは所定の作業時間に従って作業することを求められていたものの,事前に現場監督に連絡すれば,工期に遅れない限り,仕事を休んだり,所定の時刻より後に作業を開始したり所定の時刻前に作業を切り上げたりすることも自由であったこと,③Xは,本件災害当時,同社以外の仕事をしていなかったが,他の工務店等の仕事をすることを禁じられていたわけではなかったこと,④Xと同社との報酬の取決めは,完全な出来高払の方式が中心とされ,その方式による場合,Xら内装大工は,同社から提示された報酬の単価につき協議し,その額に同意した者が工事に従事することとなっていたこと,⑤Xは,一般的に必要な大工道具一式を自ら所有し,これらを現場に持ち込んで使用していたこと等の事実関係を摘示した上で,これらの事実関係の下において,Xは労働基準法及び労災保険法上の労働者に当たらないと判断している。本判決による上記判断は,労基研報告や専門部会報告の指摘するところを踏まえつつ,本件における具体的な事情を総合考慮して,Xの労働者性を検討し,これを否定したものということができると思われる。
なお,大工,左官等の建設業に従事する者については,本件のように労働者性が認められない場合であっても,いわゆる一人親方等を対象とする特別加入制度(労災保険法33条以下)によって,自ら保険料を納付して労災保険に任意に加入するみちが開かれている

4 本判決は,最高裁が,これまで問題となることの多かった建設業に従事する者の労働者性に関して判断したものであり,事例判断ではあるが,具体的な判断要素の摘示とこれに対する検討を通じて同種事案に関する判断の在り方を示したものとして,実務上参考になるところが少なくないものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H14.7.11)新宿労基署長(映画撮影技師)事件
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、映画撮影技師(カメラマン)であるA(以下「亡A」という。)が映画撮影に従事中、宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて、その子である控訴人が、亡Aの死亡は業務に起因したものであるとして、被控訴人に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付等の支給を請求したところ、亡Aは労働基準法(以下「労基法」という。)9条に規定する「労働者」ではないとの理由で不支給処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、その取消を求めた事案である。
なお、呼称、略称等については、本判決で明記したもの以外についても、原判決の例によることとする。

2 原審裁判所は、亡Aは労基法9条に規定する「労働者」には当たらないと判断して、控訴人の請求を棄却したため、これを不服とする控訴人が控訴したものである。

3 争いのない事実、主たる争点及び当事者の主張等は、第3において、当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄第二「事案の概要」の一ないし三(原判決4頁3行目から55頁末行まで。ただし、45頁6行目に「事由」とあるのを「自由」と改める。)記載のとおりであるから、これを引用する。

第3 当審における当事者の主張
1 控訴人の主張
(1) 使用従属性について
原判決は、「労働者」に当たるか否かについて、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものとしており、これは正当と評価できるが、使用従属関係の存否の判断に際しては、芸能関係に従事するスタッフであっても、これを一律に検討するのではなく、それぞれの労働の従事の仕方に応じて個別的に判断すべきであり、一部の事例を安易に一般化することは厳に慎まねばならず、また、映画産業においては、かつては正社員として映画製作会社に雇用されていたスタッフが合理化の一環として「業務委託契約」のように請負契約化させられ、これに対してスタッフが自らの立場を守るために労働者としての権利を主張してきたという、労使の利害対立が背景となっていることを十分に認識する必要がある。
また、原判決は、亡Aの使用従属性を否定する根拠として、映画製作の性質ないし特殊性を挙げるが、業務の性質ないし特殊性によるか否かは、労務提供の履行がその契約によって特定されているか否かによって判断すべきである。すなわち、契約当事者である労務提供者が、その債務の履行(労務提供の方法)の内容を自由に決定できる場合であれば、この関係は指揮監督関係にはないが、契約の内容に労務提供の場所や時間、業務遂行方法などが特定されている場合には、契約による拘束、すなわち「業務の性質ないし特殊性」による拘束になるのである。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由について
原判決は、一方では、亡Aが具体的な個々の仕事について拒否する自由を制約されていたものと認定しながら、他方でそうした制約は主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので、使用者の指揮命令を理由とするものとは言い難いとした。
しかし、そもそも一般に、使用者の指揮命令が当該業務の性質や特殊性などと無関係になされることなどあり得ず、むしろ常に業務上の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む、業務の内容による必要性からなされるのであり、使用者ないし監督者の主観的な自由によって指揮命令がなされることの方が稀である。原判決が挙げる制約は、多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。どのような業務にもそれぞれにこの類の仕事上必要な制約はあるのであって、映画撮影に固有のものではない。原判決の論理によれば、あらゆる業務における諾否の自由の制約は、使用者の指揮命令とは直接に関係しないということになってしまうのであり、そのような論理が誤りであることは明らかである。
イ 業務遂行上の指揮監督関係について
原判決は、最終的な決定権限がB監督にあるのは、監督と撮影技師との職能ないしは業務分担の問題であって、使用者の指揮命令ではないとしたが、これは、映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係の問題とを混同するものである。その結果、原判決は、当該業務ごとに併存する「業務の内容上の特殊性」と「業務遂行上の指揮監督関係」のうち一方だけを取り出して強調し、他方を無視する誤りに陥っている。たしかに、映画製作は、専門的技術が集合したものであり、各スタッフには独立した職能があり、職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行うものではあるが、業務として作品を完成させるためには、相互の意見を調整する必要があるのであり、そのためには確固たる指揮命令、監督関係が不可欠であり、映画撮影においてはプロデューサーを除けば監督がその決定権を有するのである。このような指揮監督関係と業務の専門性の併存は、様々な分野において存在するものであり、専門性のゆえに指揮監督関係が否定されるものではない。このような監督の権限を、「職能ないしは業務分担の問題」であるとするのであれば、専門性を有する業務においては、およそ指揮監督関係は存在しなくなる。指揮命令関係の有無は、撮影技師がなした作業について、監督が指示できる権限を有していたかどうかで決すべきであり、監督は、撮影作業の結果について自己のイメージと異なるのであれば、撮り直しや方法の見直しなどを納得の行くまで繰り返し指示できるのであり、指揮監督関係があることは明らかである。撮影技師は、技術性や芸術性においては高い裁量を有しているが、これらは監督の指示から独立して発揮されるものではなく、監督の指示と違う撮影をすることは許されていないのである。
この点、原判決は、〈1〉「監督は、その仕事の細部に至るまでの指示ができる立場ではない。」、〈2〉「芸術性を追求する点では監督と撮影技師は同格であり」と判示するが、これは事実を誤認するものである。すなわち、〈1〉について、監督には撮影技術の知識がないため、細部についてまでは指示ができないことは否定できないが、それは職務権限がないことを意味するものではなく、監督は撮影技師に対し細かく指示することができる立場と権限を有しており、撮影技師は監督が納得するまで何度でも撮影を行わなければならないのである。〈2〉についても、芸術性を追求する熱意や意欲の点で同格であることは判示のとおりであるが、これが指揮命令関係がないという趣旨であれば、事実誤認にほかならない。
また、原判決は、撮影方法等についての亡Aの提案をB監督が採用したことがあったことをもって、指揮命令関係を否定する根拠とするが、このような提案を採用するか否かの決定権を監督が有していることが重要なのであり、採用されることがあったことは指揮命令関係を否定する理由とはならないというべきである。
ウ 時間的・場所的拘束性について
亡Aの受けていた場所的・時間的拘束は、原判決の認定するとおり高いものであったが、これは他の多くの業務に共通のごく当たり前のことであって、映画製作に固有の特殊性によるものではない。使用者はそれぞれの業務の性質、特殊性に応じた「指揮命令の必要性」から労働者に対して、それぞれの時間的・場所的な指揮命令を行うのである。
映画撮影において、ロケ出発からロケ終了まで起居寝食を共にし、常に一緒に行動することが求められるのは、映画製作の業務を遂行するために必要だからであって、業務の性質ないし特殊性を超えた拘束である。
エ 労務提供の代替性について
亡Aの労務提供に代替性がなく、亡Aが指揮命令を受ける関係にあったことは原審で主張したとおりである。
オ 報酬の性格・額について
原判決は、亡Aの報酬の性格・額について労務対償性を否定し、その前提となる亡Aの報酬について、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更がないものとされていたと認定したが、同認定は事実誤認である。実際には、C社長は、亡A死亡後の昭和61年8月7日から11日までの追加撮影について、亡Aと同様のメインスタッフであり、一本契約であった照明技師Dを含むスタッフ全員に追加報酬(日当×撮影日数)を支払っているのであり、これは亡Aが追加撮影に参加した場合であっても同様である。したがって、当該労務の「日額単価×労務提供期間」で報酬が算定されるという点では、メインスタッフと撮影助手等のスタッフとの間で差異はなく、技量の差異や技師と助手の差異で単価が異なるだけなのである。この点、原判決は、「撮影の3分の2が消化したからというものであり、このことは亡Aの報酬に出来高的要素が強かったことを窺わせる。」としたが、3分の2とはまさしく撮影予定期間である50日の3分の2を消化したという意味であり、合意報酬額の120万円に3分の2を乗じて実際の報酬額を算定することは、労務提供期間を基準にしてその報酬を算定したものにほかならないのである。
また、労働者に対する賃金の支払い方法が「出来高制」であるからといって、その労務対償性が否定されるわけではないことは、労基法27条が「出来高払制、その他請負制で使用する労働者」と明定しているとおりである。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した機材、フィルム、宿泊費用などはすべて株式会社青銅プロダクション(以下「青銅プロ」という。)が負担し、中尊寺金色堂の撮影についてのみ亡Aの所有していたカメラを使用したことは原判決の認定するとおりである。中尊寺金色堂のみ亡Aのカメラを使用したことは例外的であって、これをもって労働者性を否定する根拠とすべきものではない。
キ 専属性の程度について
亡Aは、青銅プロの専属の撮影技師ではなかったことは、原判決の認定するとおりであるが、本件映画の製作についての労働契約期間中は、実際上他の映画撮影などの業務に従事することは不可能であった。また、専属性のない労働者は、臨時工、アルバイト、パート、契約労働者、フリーターなど多数存在しているのであり、専属性がないこと、又は低いことは労働者性を否定する根拠とはならないというべきである。
ク 服務規律について
亡Aに青銅プロの就業規則が適用されていないことは原判決の認定するとおりである。しかし、このことは、専門的技術及び知識を有する期間の定めのある労働者であれば通常である。労働者の種類に応じて、例えばパート用就業規則、契約社員用就業規則など、就業規則が複数ある企業は珍しくないのであって、青銅プロのような零細企業が亡Aなどのスタッフを想定した就業規則を整備していないことは労働者性を否定する根拠とはならないのである。
ケ 公租などの支払について
(ア)事業所得としての申告について
青銅プロは、「芸能人報酬に関する源泉徴収」をしている。映画製作スタッフをはじめとして、実際上は「芸能人報酬に関する源泉徴収」をするのが業界の慣行となっている。使用者がこの徴収をする以上、芸能スタッフは、給与所得者として確定申告することは制度上可能であったとしても、極めて困難である。したがって、事業所得として申告していたことをもって、労働者性を否定する根拠とすることは相当でない。
(イ)労災保険料の算定について
青銅プロは、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていた。このことは、使用者である青銅プロが、亡Aを少なくとも労災関係においては、労働者として認識していたことを示すものであって、労働者性を肯定する要素にほかならない。

2 被控訴人の主張
(1) 使用従属性について
使用従属性についての控訴人の主張はいずれも争う。控訴人の主張はいずれも独自の見解であり、原判決の判断は正当である。
(2) 亡Aの労働者性について
ア 仕事の依頼に対する諾否の自由についての反論
本件映画の撮影に関しては、そもそも亡Aが、本件映画の撮影全体そのものを拒否する権限を有していたことが重要である。たしかに、亡Aは、会社が作成した予定表に従って行動しなければならず、また、B監督と行動を共にする必要があったのであるから、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由は制限されていたと認められるが、こうした制約は、日程が決まっているという映画製作の特殊性及びいったん応諾したことによって生ずるものと考えられ、そもそも重要なファクターとはいい難く、労働契約に基づく指揮監督関係を基礎づけるものとはいえない。
イ 業務遂行上の指揮監督関係についての反論
控訴人は、原判決の説示について、「映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性、芸術的裁量性の問題と、労働契約上の指揮監督関係との問題を混同して論ずる誤りを犯している」と主張するが、両者が無関係であるという趣旨であれば、それは控訴人の独自の見解といわざるを得ない。
また、およそ一般論として職務の専門性を根拠に指揮監督関係を否定することができないとしても、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである。
また、最高裁平成8年11月28日判決・判例時報1589号136頁の判示するとおり、業務遂行上の指揮監督の有無を判断するためには、使用者から業務の内容及び遂行方法につき具体的な指示がなされていたことも重要な要素となるというべきである。この点、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない。
さらに、控訴人は、原判決の「監督がその仕事の細部に至るまでの指示ができる立場にはない」、「芸術を追求する点では監督と撮影技師は同格であり、両者は意見を出し合って議論しながら撮影を進めていくものである」との認定が事実誤認である旨主張する。しかし、監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない。最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない。少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していたことは、関係者の供述からも明らかである。
ウ 時間的・場所的拘束性についての反論
本件撮影業務においては、会社で作成された予定表に従って集団で行動し、就労場所も指定されているから、時間的・場所的拘束性が存在することは間違いないが、本件映画製作の実行から生ずる当然の制約と考えられる。しかし、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしていない。そして、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素というべきである。
エ 労務提供の代替性についての反論
亡Aの仕事そのものについて代替性がないことは原判決の説示するとおりであるが、原判決の認定する、亡AがいわゆるA一家から撮影助手、照明技師を青銅プロに推薦して採用されているという事実に照らすと、A一家から採用されなければ、亡Aは本件映画撮影を引き受けなかったであろうことが容易に推測され、こうしたことは、かかる契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる。
オ 報酬の性格・額についての反論
C社長には、亡Aを労働者として雇用するという認識は全くなかったことは、本件報酬について、「大体の期間は決めていましたけれど、多少多くなっても少なく終わっても契約金額を変えないつもりでした。」という同社長の供述からも明らかである。
また、控訴人が、事実認定の誤りと主張する、原判決の亡Aの報酬についての評価についても、報酬につき明確に出来高払とも撮影期間計算とも定めていない契約において、撮影が中途に終わった段階で支払われた金額がいずれの趣旨で支払われたとしても、金額を整合的に説明できないということを指摘したにすぎない。とすれば、報酬がどのような性格をもっていたのかは不明であったというほかはなく、これを当然に撮影期間計算であって賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである。むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものといえる。
さらに、亡Aは、カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作の撮影を担当したり、日本映画技術賞の審査員を務めたり等の経歴を有する実績のある優秀な撮影技師であり、一般の撮影技師とは別格として評価され、報酬の決定に当たっても監督に準ずる扱いを受けていたのであるから、他の撮影技師と比較することに意味はない。
カ 業務用機材等機械・器具の負担関係についての反論
亡Aは、本件映画撮影において、原則として青銅プロのカメラを使用したが、中尊寺金色堂の撮影について、特にきれいに撮るため、自己のカメラを使用した。これは、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素と考えられる。
キ 専属性の程度についての反論
本件契約は、昭和60年10月から昭和61年5月までの8か月間にわたるものであるが、撮影業務に従事するのは延べ50日間の予定であり、この期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった。
ク 服務規律についての反論
亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されていなかったことは前述のとおりである。
ケ 公租などの支払についての反論
(ア)事業所得としての申告についての反論
亡A自身が、フリーの撮影技師として青銅プロをはじめとする芸能プロダクションと請負類似の一本契約を締結しているからこそ、その所得については従来から事業所得として申告しているのであり、同申告は、亡Aの意向に沿った合理的なものである。
(イ)労災保険料の算定についての反論
労災保険料の受領に関しては、使用者が、労働者でない者に対して支払った報酬を誤って賃金として算定して概算申告した場合に、翌年度の概算及び確定申告において、確定保険料額が申告済み概算保険料額より少ない場合には、その差引額(充当額)を翌年度の概算保険料額に充てることとなり、それでもなお余る場合には、使用者において還付請求することができる。したがって、青銅プロが、労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていたことは、青銅プロが亡Aを労働者として認識していたことを示すものとはいえない。

第4 当裁判所の判断
1 当裁判所は、亡Aは労基法9条の「労働者」に該当し、労災保険法における「労働者」に当たると判断するものであり、その理由は、以下のとおりである。
2 亡Aの労働者性の判断の前提となる事実関係は、原判決「事実及び理由」欄第三「当裁判所の判断」の一(原判決56頁2行目から77頁3行目まで)に説示するとおりであるから、これを引用する。
ただし、原判決73頁2行目から9行目までを次のとおり補正する。
「撮影技師としての亡Aが本件映画の撮影で行う仕事は、B監督が伝えるカメラのポジションや対象の撮り方などの基本的なイメージを忠実に表現することであった。撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具象化するのが仕事である。監督は、必ずしも撮影技術の詳細について知識を有するものではないから、撮影技術の細部に至るまでの指示をすることはできないとしても、撮影技師の専門性を重視し、その裁量を尊重しながら、自己の納得が行くまで撮影技師に対して撮り直し等を指示することができ、他方、撮影技師は、監督の指示の意図するところを把握してこれに沿うように撮影をすべき義務があった。もとより、芸術性を追求する点では、撮影技師も監督に劣るものではなく、両者は意見を出し合って議論をしながら撮影を進めて行くものであり、監督が撮影技師の意見を尊重することもあるが、映画製作に関する最終決定は、プロデューサーを別とすれば、監督が行うものであった。」

3 労災保険法上の「労働者」の意義について
労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義については、同法にこれを定義した規定はないが、同法が労基法第8章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたものであることにかんがみると、労災保険法上の「労働者」は、労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そして、労基法9条は、「労働者」とは、「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と規定しており、その意とするところは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払を受ける者をいうと解されるから、「労働者」に当たるか否かは、雇用、請負等の法形式にかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものであり、以上の点は原判決も説示するところである。
そして、実際の使用従属関係の有無については、業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容、支払われる報酬の性格・額、使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無、時間的及び場所的拘束性の有無・程度、労務提供の代替性の有無、業務用機材等機械・器具の負担関係、専属性の程度、使用者の服務規律の適用の有無、公租などの公的負担関係、その他諸般の事情を総合的に考慮して判断するのが相当である。

4 亡Aの労働者性について
(1) 業務遂行上の指揮監督関係について
ア 原判決の認定した事実及び前記のとおり一部補正した認定事実を総合すれば、映画製作においては、撮影技師は、監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具体化し、監督は、映画製作に関して最終的な責任を負うというものであり、本件映画の製作においても、レンズの選択、カメラのポジション、サイズ、アングル、被写体の写り方及び撮影方法等については、いずれもB監督の指示の下で行われ、亡Aが撮影したフィルム(カットの積み重ね)の中からのカットの採否やフィルムの編集を最終的に決定するのもB監督であったことが認められ、これらを考慮すると、本件映画に関しての最終的な決定権限はB監督にあったというべきであり、亡AとB監督との間には指揮監督関係が認められるというべきである。
もっとも、本件映画の撮影に際し、亡Aの提案に従って撮影が行われた部分があること、カットの採否のためにラッシュをスタッフ全員で見て、各スタッフが自由に意見を述べ合うことが通例であったことは、いずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決73ないし75頁)、これらはいずれもB監督が最終的な意思決定をする際に、各スタッフの意見を尊重した結果にすぎないばかりか、かえって、B監督は、亡Aが独自に考えて撮影したものは採用しなかったという事実もあるのであって(原判決76頁)、上記の事実もB監督の最終的な決定権限を否定するものとはいえない。
また、映画製作は、撮影、録音、演出等さまざまな専門的技術が集合したものであり、各スタッフにはそれぞれ独立した職能があって、専門的に分かれている自己の職能以外の仕事をするようなことは考えられず、その職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行っていくものであることも原判決の認定するとおりであるが(同64、65頁)、業務としてこれを行う以上、これを統括し、調整することが不可欠であり、監督こそがその任にあるのであって、上記のような映画製作の特殊性もまた、B監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する事情とはいえない
さらに、原判決の認定するとおり、亡Aの高度な技術と芸術性をB監督も評価していたこと(同56ないし58頁)、また、亡Aは本件映画の撮影に際し、これまでの仏像撮影のパターンを打ち破ろうと考え、積極的に意見を述べるだけでなく、個々の撮影に関するポジションの決定等も指示していたこと(同74ないし75頁)からすると、亡Aが本件映画の撮影について相当程度の裁量を有していたことは認められるものの、同監督の指揮監督から独立した裁量を有していたとまでは認めることができず、このような亡A個人の特殊技能といった事実も、同監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する要素となるものではない
なお、B監督不在の間に亡Aと助監督のEのみで意見交換を行いながら撮影場所を決定して撮影を行ったこと、その際Eは亡Aの意向を尊重するようにしていたことは原判決の認定するとおりであるが(同76頁)、これはそもそもB監督が、義母の急逝により帰郷したためにとられた措置であり、その際にも、B監督が「厳しい自然」というイメージを亡A及びEに伝えていることも原判決が認定するとおりであり、これも、亡AがB監督の指示を離れた裁量を有していたことを示す事情とはいえない。
イ この点に関し、被控訴人は、特に撮影技師としての技術が高く、職務の独立性が強い亡Aについては、指揮監督関係がないことは明らかである旨主張する。しかし、映画製作の最終決定を監督が行い、撮影技師は監督の意図に沿うよう撮影すべきものであることは前判示のとおりであり、いかに技術が高いからといって、撮影技師が監督の指揮監督を離れて技術や裁量を発揮する権限までを有しているものと認めることはできないのであって、映画の撮影技師である以上、技術が高いとの理由で職務の独立性が強いとすることはできない。
また、被控訴人は、最高裁平成8年11月28日判決を援用して、B監督の指示は、「注文者」が行う程度の指示であり、「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない旨主張する。しかし、B監督の指示が、具体的な指揮命令という形をとっていなかったとしても、それは亡AがB監督の意図を了解してこれに沿うように撮影したために指揮命令が顕在化しなかっただけであって、監督の指揮命令としての性質を有することを否定するものではない。被控訴人の援用する最高裁判決は本件とは事案を異にし、本件には適切でない。
さらに、被控訴人は、〈1〉監督と撮影技師は、それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し、監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって、撮影技師に対しては、直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく、映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず、労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない、〈2〉最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても、編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって、撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない、〈3〉少なくとも、本件において、亡Aの撮影技術の高さ、経験の豊富さから、亡AはB監督と同格として扱われ、撮影業務に従事していた旨主張する。
しかし、これらについては、いずれも被控訴人の主張と同旨の原判決の認定(73頁2行目から9行目まで)を改めるべきであることは前記のとおりであり、映画撮影においては、撮影技師は、あくまでも監督の下で技術性、裁量性を発揮すべきものと認められ、指揮命令関係の観点からみて、本件におけるB監督と亡Aが同格として扱われていたということはできないから、被控訴人の上記主張も採用することができない

(2) 報酬の性格・額について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬は、本件映画1本の撮影作業に対するものとして120万円とされており、撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更はないものとされていたものの、青銅プロで決まっている日当と予定撮影日数を基礎として算定した額に打ち合わせへの参加等を考慮して決められたものであるから(原判決59頁、68頁)、労働者性について疑う余地のない他の撮影助手、照明技師等について支払われていた報酬と本質的な差異があるということはできない。また、亡Aは、合計33日間本件映画の撮影等に従事してその途中で死亡しているところ(同72ないし73頁)、撮影の3分の2を消化したという理由で84万円が支払われていたというのであるが(同60頁)、33日間という日数は当初の撮影予定期間である50日の約3分の2に相当し、上記のような支払がなされたこともまた、他の撮影助手等について日当を基礎に日数に応じて報酬が支払われていたことと整合性を有するものといえる。
したがって、亡Aに支払われた報酬は、原判決の説示するような出来高的な要素の強い報酬というよりは、むしろ賃金の性格の強いものであったということができる
被控訴人は、本件において、〈1〉報酬がどのような性格をもっていたのかは結局は不明であったというほかはなく、これを当然に賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである、〈2〉むしろ、撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが、全体としての取り決めが行われたこと、換言すれば、報酬としての性格を強く裏付けるものである旨主張する。
しかし、前判示のとおり、亡Aに対しては、労務提供期間を基準としてその報酬を算定したものということができるのであって、撮影が中途で終わった場合の明確な規定がないからといって、必ずしも報酬としての性格が強く裏付けられるとはいえない。

(3) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について
原判決の認定事実によれば、亡Aには、本件映画の撮影を引き受けるかどうか、いい換えれば同撮影に関する本件契約を締結するかどうかの自由があったことは明らかであるが、いったん、契約を締結した以上、亡Aは、製作進行係(兼務助監督)EがプロデューサーであるC社長の指示の下に作成した予定表に従って行動しなければならなくなり(原判決69ないし70頁)、また、前判示のとおり、撮影技師として本件映画についてのB監督のイメージを把握してこれを映像に具象化すべき立場にあったから、本件映画の撮影に関し、亡Aが具体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる
この点に関し、原判決は、亡Aの、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の制約は、主として映画製作の特殊性によって生ずるものであり、「使用者」の指揮命令を理由とするものではない旨説示し(同80ないし81頁)、被控訴人もほぼ同旨の主張をする。
しかし、もともと使用者の指揮命令は、業務の性質や特殊性を含む業務の内容による必要性を通じて実現されることの方が多いのであって、個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の有無という被控訴人が主張する類の制約も多くの業務に共通するものであり、映画製作のみに固有のものではない。したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

(4) 時間的・場所的拘束性について
亡Aは、本件映画の撮影に従事することによりEの作成した予定表に従って集団で行動し、就労場所もロケ及びロケハンの現場と指定されていたものであって、時間的・場所的拘束性が高いものであったといえることは原判決の説示するとおりである(原判決86頁)。
もっとも、この点に関し、原判決は、このような拘束は映画製作の性質ないし特殊性による面が大きく、「使用者」の指揮命令の必要からされているものではない旨説示し(同頁)、被控訴人も同旨の主張をする。
しかし、このような拘束について映画製作の性質ないし特殊性のみを強調することは相当ではなく、かかる時間的・場所的拘束も映画を製作しようとする使用者の業務上の必要性からなされるものとみるべきであることは前記のとおりである。したがって、被控訴人の前記主張も採用することができない。

(5) 労務提供の代替性の有無
本件映画の撮影について、青銅プロは、亡Aの撮影技師としての技術に着目したB監督の推薦があったために、亡Aとの間で本件契約を締結するに至ったことは原判決の認定するところであり(原判決58頁)、亡Aに、使用者の了解を得ずに自らの判断で他の者に労務を提供させ、あるいは補助者を使うことが認められていたとはいい難く、亡Aの仕事に代替性が認められているとはいえない。このことは、指揮監督関係を肯定する要素の1つである。
この点に関し、被控訴人は、本件における契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり、労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる旨主張するが、亡Aが、撮影助手としてF及びG並びに照明技師としてDを青銅プロに推薦したものの、同人らはいずれも青銅プロとの間で個別に契約を締結していることは原判決の認定するところであって(原判決67ないし68頁)、本件撮影業務を一括して請け負ったことを示す証拠はないから、同主張はその前提において失当である。

(6) 機械・器具の負担関係について
亡Aが本件映画の撮影に使用した撮影機材は、中尊寺金色堂の撮影について自己のカメラを使用したほかはすべて青銅プロのものであったものであり、この事実が亡Aの労働者性をうかがわせる要素といえることは、原判決の説示するとおりである(原判決91頁)。
被控訴人は、亡Aが上記のように中尊寺金色堂の撮影に自己のカメラを使用したことが、撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり、労働者性を否定する一要素である旨主張するが、亡Aが自己のカメラを使用したのはごく例外的であったことは原判決も認定するとおりであって、上記主張は採用できない。

(7) 専属性の程度について
亡Aが経済的に青銅プロの仕事に依存していたということはできず、亡Aの青銅プロへの専属性の程度が低かったというべきであることは原判決の説示するところであり(原判決91ないし92頁)、被控訴人も、亡Aが、本件契約の期間中すべてを拘束されるわけではなく、他の仕事に従事することは自由であり、C社長の承諾を得る必要もなかった旨主張し、亡Aの専属性の程度が低かったことを主張しようとするものと解される。
しかし、本件において、前記のとおり指揮監督関係が認められることに照らすと、専属性の程度が低かったとしても、このことが直ちに亡Aの労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものとはいえないから、上記主張もまた採用できない。

(8) 服務規律の適用について
亡Aには、従業員の就業時間、休憩時間、休日及び服務規律等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、亡Aの報酬の支払時期も、青銅プロの従業員と異なる時期とされたことはいずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決92頁)、これらの事実も指揮監督関係が認められる本件においては、労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものではないというべきである上、原審証人Eの証言によれば、亡Aのみではなく、青銅プロの従業員であると否とを問わず、ロケの期間中は、撮影スタッフに対しては就業規則が適用されないのが通例であったことが認められるから、亡Aに対して、青銅プロの就業規則が適用されなかったことは、必ずしも亡Aの労働者性を否定する要素とはならない。
この点に関し、被控訴人は、亡Aに対しては、始業終業時刻、労働時間、休日、休憩、服務規律、制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず、契約時においてもこの点についての取り決めはしておらず、実際にも、撮影現場においては、出勤簿やタイムカードはなく、時間外労働という観念もなく、労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり、労働者性を否定する大きな要素である旨主張するが、これらの事情も、本件において労働者性を否定する要素とはならないことは前記と同様である。

(9) 公租などの公的負担関係について
原判決の認定事実によれば、亡Aの本件報酬に関しては、給与に関する源泉徴収ではなく、「芸能人報酬に関する源泉徴収」(所得税法204条1項5号参照)がされており、亡Aも本件報酬を事業所得として確定申告していることが認められる(原判決61頁)。しかし、所得税の申告形式のみを捉えて使用従属関係を否定することは相当ではない上、原審提出の甲36及び原審証人Hの証言によれば、事業所得として申告することは、労働者性の認められる他の撮影助手等の映画スタッフについてもほぼ同様であったことが認められるから、所得税の申告形式から労働者性を否定することはできない
他方、原判決が認定及び説示するとおり、青銅プロが昭和60年4月から昭和61年3月まで労災保険料の算定基礎に亡Aに対する本件報酬を含めていたことは、亡Aの労働者性を肯定する要素であり(原判決61ないし62頁及び93頁)、ただ亡A分を含めた労災保険料の納付が青銅プロの判断において行われたにすぎず、被控訴人の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから、そのことから直ちに亡Aが「労働者」であったということができないことも原判決の説示するとおりであるが、しかし、この事実が、労働者性の判断において1つの要素となることは否定できない。
この点に関し、被控訴人は、事業者において報酬を誤って賃金として支払った場合の措置について主張するが、本件では、被控訴人の主張するような措置がとられた事例であることを認めるべき証拠はないから、同主張は上記の判断を左右しない。

(10) 以上(1)ないし(9)にみたとおり、亡Aの本件映画撮影業務については、亡Aの青銅プロへの専属性は低く、青銅プロの就業規則等の服務規律が適用されていないこと、亡Aの本件報酬が所得申告上事業所得として申告され、青銅プロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること等使用従属関係を疑わせる事情もあるが、他方、映画製作は監督の指揮監督の下に行われるものであり、撮影技師は監督の指示に従う義務があること、本件映画の製作においても同様であり、高度な技術と芸術性を評価されていた亡Aといえどもその例外ではなかったこと、また、報酬も労務提供期間を基準にして算定して支払われていること、個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること、時間的・場所的拘束性が高いこと、労務提供の代替性がないこと、撮影機材はほとんどが青銅プロのものであること、青銅プロが亡Aの本件報酬を労災保険料の算定基礎としていること等を総合して考えれば、亡Aは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたものと認めるのが相当であり、したがって、労基法9条にいう「労働者」に当たり、労災保険法の「労働者」に該当するというべきである。

5 以上によれば、亡Aは、労災保険法における「労働者」に該当すべきこととなるところ、本件処分においては、亡Aの労働者性が否定されたのみで、死亡の業務起因性については未だ判断されていないから、裁判所としては、亡Aの死亡の業務起因性の有無について認定、判断を留保した上、本件処分を違法として取り消すべきものであるところ(最高裁平成5年2月16日判決・民集47巻2号473頁参照)、これと結論を異にする原判決は取消を免れない。
第5 結論
よって、原判決を取り消し、本件処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。
第21民事部

+判例(H17.6.3)関西医科大学研修医未払賃金事件
理由
上告代理人池上健治ほかの上告受理申立て理由について
1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、関西医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)を開設している学校法人である。
(2) 亡A(以下「A」という。)と被上告人X1との間の子であるB(以下「B」という。)は、平成10年4月16日に医師国家試験に合格し、同年5月20日に厚生大臣の免許を受けた医師である。Bは、同年6月1日から本件病院の耳鼻咽喉科において臨床研修を受けていたが、同年8月16日に死亡した。
(3) 本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、2年間の研修期間を2期に分け、〈1〉 第1期(1年間)は、外来診療において、病歴の聴取、症状の観察、検査及び診断の実施並びに処置及び小手術の施行を経験し、技術の習得及び能力の修得を目指すほか、入院患者の主治医を務めることを通じて、耳鼻咽喉科の診療の基本的な知識及び技術を学ぶとともに、医師としての必要な態度を修得する、〈2〉 第2期(1年間)は、関連病院において更に高いレベルの研修を行う、というものであった。
(4) 平成10年6月1日から同年8月15日までの間にBが受けていた臨床研修の概要は、次のとおりであった。
ア 午前7時30分ころから入院患者の採血を行い、午前8時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
イ 午前9時から午後1時30分ないし午後2時まで、一般外来患者の検査の予約、採血の指示を行って、診察を補助する。問診や点滴を行い、処方せんの作成を行うほか、検査等を見学する。
ウ 午後は、専門外来患者の診察を見学するとともに、一般外来の場合と同様に、診察を補助する。火曜日及び水曜日には、手術を見学することもある。
エ 午後4時30分ころから午後6時ころまで、カルテを見たり、文献を読んだりして、自己研修を行う。
オ 午後6時30分ころから入院患者に対する点滴を行う。
カ 午後7時以降は、入院患者に対する処置を補助することがある。指導医が不在の場合や、指導医の許可がある場合には、単独で処置を行うこともある。
キ 指導医が当直をする場合には、翌朝まで本件病院内で待機し、副直をする。
(5) Bは、本件病院の休診日等を除き、原則的に、午前7時30分から午後10時まで、本件病院内において、指導医の指示に従って、上記のような臨床研修に従事すべきこととされていた
(6) 上告人は、Bの臨床研修期間中、Bに対して奨学金として月額6万円の金員及び1回当たり1万円の副直手当(以下「奨学金等」という。)を支払っていた。上告人は、これらの金員につき所得税法28条1項所定の給与等に当たるものとして源泉徴収を行っていた。
(7) Aは、平成17年1月5日に死亡し、被上告人X1及びAと被上告人X1との間の子である被上告人X2がこれを相続した。

2 本件は、被上告人らが、Bは労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条所定の労働者であり、最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条所定の労働者に該当するのに、上告人はBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったとして、上告人に対し、最低賃金額と上告人がBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する賃金の支払を求める事案である。

3 研修医は、医師国家試験に合格し、医籍に登録されて、厚生大臣の免許を受けた医師であって(医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下同じ。)2条、5条)、医療行為を業として行う資格を有しているものである(同法17条)ところ、同法16条の2第1項は、医師は、免許を受けた後も、2年以上大学の医学部若しくは大学附置の研究所の附属施設である病院又は厚生大臣の指定する病院において、臨床研修を行うように努めるものとすると定めている。この臨床研修は、医師の資質の向上を図ることを目的とするものであり、教育的な側面を有しているが、そのプログラムに従い、臨床研修指導医の指導の下に、研修医が医療行為等に従事することを予定している。そして、研修医がこのようにして医療行為等に従事する場合には、これらの行為等は病院の開設者のための労務の遂行という側面を不可避的に有することとなるのであり、病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り、上記研修医は労働基準法9条所定の労働者に当たるものというべきである。
これを本件についてみると、前記事実関係によれば、本件病院の耳鼻咽喉科における臨床研修のプログラムは、研修医が医療行為等に従事することを予定しており、Bは、本件病院の休診日等を除き、上告人が定めた時間及び場所において、指導医の指示に従って、上告人が本件病院の患者に対して提供する医療行為等に従事していたというのであり、これに加えて、上告人は、Bに対して奨学金等として金員を支払い、これらの金員につき給与等に当たるものとして源泉徴収まで行っていたというのである。
そうすると、Bは、上告人の指揮監督の下で労務の提供をしたものとして労働基準法9条所定の労働者に当たり、最低賃金法2条所定の労働者に当たるというべきであるから、上告人は、同法5条2項により、Bに対し、最低賃金と同額の賃金を支払うべき義務を負っていたものというべきである。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

++解説
《解  説》
1 Yは,関西医科大学附属病院を開設している学校法人である。X1とAとの間の子であるBは,平成10年3月に関西医科大学を卒業し,同年4月に医師国家試験に合格して,正規の医師になった者である。Bは,同年5月から関西医科大学附属病院の耳鼻咽喉科において見学生として研修を受けた後,同年6月から同病院の耳鼻咽喉科において医師法(平成11年法律第160号による改正前のもの)16条の2第1項所定の臨床研修を受けていたが,同年8月,急性心筋こうそくのため死亡した。Yは,Bに対し,奨学金として月額6万円の金員及び副直手当を支払っていたが,これは最低賃金額に達しないものである。
本件は,Bの父であるAと母であるX1が,Bは最低賃金法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)2条,労働基準法(平成10年法律第112号による改正前のもの。以下同じ。)9条の労働者であったのに,YはBに対して奨学金等として最低賃金額に達しない金員しか支払っていなかったと主張して,Yに対し,最低賃金額とYがBに対して支払っていた奨学金等との差額に相当する未払賃金の支払を求める事案である。なお,Aは,本件が上告審に係属した後に死亡し,X1及び二男であるX2がAの地位を承継した。

2 最低賃金法5条は,使用者は最低賃金額以上の賃金を支払わなければならず,最低賃金に達しない賃金を定める労働契約は無効であって,最低賃金と同様の定めをしたものとみなす旨定めている。そして,最低賃金法2条は,同法にいう「労働者」の意義について,「この法律で『労働者』とは,労働基準法9条に規定する労働者をいう」としている。したがって,Bが労働基準法9条に規定する労働者に該当する場合には,Yは,Bに対し,最低賃金額と奨学金等との差額を支払うべき義務を負うことになる。そのため,本件においては,研修医であるBが労働基準法9条に規定する労働者に該当するか否かが最大の争点となり,Yは,a 研修医は座学等によって得た医学知識しかない者を一人前の医師に教育することを目的とする臨床研修を受けている者(被教育者)であり,労務の提供をする者ではないから,労働者ではない,b昭和57年2月19日基発第121号「商船大学等の実習生」(以下「本件通達」という。)は,商船大学等の実習生について労働者ではないものとして取り扱うこととしている,などと主張した。

3 第1審判決(判タ1087号182頁)及び控訴審判決は,労働基準法9条に規定する労働者とは,他人の指揮命令ないし具体的指示の下に労務を供給する者をいい,これに該当するか否かは,仕事の依頼,業務従事への指示等に関する諾否の自由の有無,業務遂行上の指揮監督の有無,場所的・時間的拘束性の有無等を総合的に考慮して判断すべきであると判示した上で,Bは,研修目的から来る自発的な発意の許容される部分を有しており,その意味において特殊な地位を有していたことを否定することができないが,全体としてみた場合,他人の指揮命令下に医療に関する各種業務に従事していたということができるのであり,労働基準法9条の労働者に該当すると認めることができるとして,Bの労働者性を肯定し,原告らの請求を一部認容した。

4 労働基準法9条は,労働者の意義について,事業に使用される者で,賃金を支払われる者をいう旨定めて,労働者に該当するというためには,① 使用者の指揮監督下において労務の提供をする者であること,② 労務に対する賃金を支払われる者であること,という二つの要件を充足することを要するとしており,この二つの要件は,併せて「使用従属性」の要件と呼ばれている。
この使用従属性の要件を充足するか否か,すなわち,労働者性を肯定することができるか否か,について判示した最高裁判所の先例としては,最一小判平8.11.28裁判集民180号857頁,判タ927号85頁(横浜南労基署長事件―傭車運転手の労働者性を否定した事例)のほか相当数のものがあるが,いずれも事例判断を示したものであり,一般論を示したものは見当たらない。この点に関する判例及び裁判例の大勢は,労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会第1部会(労働契約関係)が昭和60年12月19日付けでした報告である「労働基準法の『労働者』の判断基準について」が示している判断基準と同様の枠組みを採用しているようであり,第1審判決及び控訴審判決も,この判断基準を念頭に置くものであることがうかがわれる。しかし,この判断基準は,労働者と請負人等との区別を念頭に置いたもの,つまり,労働者性の判断の対象者が「労務の提供をする者」であることを所与の前提とした上で,その労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かを判断するためのものである本件においては,労務の提供が「他人の指揮監督下において」されているものであるか否かだけではなく,そもそも研修医が「労務の提供をする者」であるのかが問題とされているのであるから,Bがこの判断基準を充足することは,労働者に該当するというための必要条件ではあっても,十分条件ではなく,それとは別個に(又はその前提として),Bが「労務の提供をする者」であることが肯定されることを要するということになるであろう!!!。そして,Bが「労務の提供をする者」であるか否かを判断するに当たっては,本件通達のほか昭和24年6月24日基発第648号,昭和25年11月1日婦発第291号,平成9年9月25日基発第648号「看護婦養成所の生徒」,平成9年9月18日基発第636号「インターンシップにおける学生の労働者性」等の通達に示された行政解釈が,実習の目的及び内容,実習の方法及び管理等からみて,実習が教育のみを目的とし,労務の提供をするものではない実態にある場合には,労働者ではないものとして取り扱っていることが参考になるであろう。すなわち,教育を受けているか,労務の提供をしているか,というのは,択一的関係にあるわけではなく,教育を受けつつ労務の提供をしている関係というものもあり得るところであり,研修医が「労務の提供」をするものであるか否かは,当該研修医が労務の提供をしている実態にあるか否かという問題に収れんすると考えることができるのである。
本判決は,このような考え方を前提として,研修プログラムに従い臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事する医師は,病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り,「労務の提供をする者」ということができ,労働基準法9条所定の労働者に当たるとした上で,Bが行っていた臨床研修の実態にかんがみて,Bは臨床研修指導医の指導の下に医療行為等に従事していたものと判断し,Bは労働者に当たるとしたものであろう

5 本判決は,労働法の基本問題である労働者性に関し,被教育者であるか,労務の提供をする者であるかが争われた事案について,最高裁判所の判断を示したものであって,実務上少なからぬ意義を有するものと思われる。(関係人一部仮名)

+判例(H23.5.19)マルカキカイ事件
調べておく。


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